漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩 中唐詩人選集【Ⅰ李商隠-150】Ⅱ韓退之(韓愈)-500Ⅶ孟郊(東野)賈島張籍柳宗元韋応物

Ⅰ李商隠は難解詩といわれている。約150首紹介済。(晩唐詩人) Ⅱ韓退之(韓愈)-約500首Ⅶ孟郊、中唐の詩人を掲載中。万物の性(さが)をテーマにした哲学的な詩。このブログは基本的に中唐詩人を中心にして掲載する予定。 韓愈詩文のこれまでの掲載分とこれから掲載予定分を時系列で整理した2014.3.29のブログに集約してそこから各年次を見ることができる  kanbuniinkai 検索で、《漢文委員会HP05》サイトあります。漢詩唐詩を理解するための総合サイト:≪漢文委員会 漢詩07≫。

雑詩

少し、マニアックな晩唐詩人Ⅰ-李商隠150首をまず掲載済み。中唐は盛唐詩人(孟浩然・王維、杜甫、李白)を受け継いだ多様な詩人が出ている。この時代も驚くほど詩が発展している。Ⅱ韓退之(韓愈)500首、Ⅲ柳宗元40首、Ⅳ韋応物、Ⅴ劉長卿、Ⅵ韋荘、Ⅶ孟郊(孟東野)、Ⅷ張籍、Ⅸ賈島、Ⅹ劉禹錫、ほか2012~2020年の予定で気長に進める。同じ中唐ではあるが、白居易のグループについては、李白のブログ350首(2015/6月再開~2018/夏・秋月予定)の後掲載の予定。別に杜甫詩ブログ1500首(2011/7月~2018/8月の予定で)を進行中。詩数につぃては、予定の詩数より多くなる。気まぐれなところがあるのでこの予定が少し変わる場合があり、その節はご容赦ください。                 古詩・謝霊運詩 杜甫詩 韓愈詩 花間集500首全詩 それぞれ毎日ブログしています。 このブログ、索引=語句の「検索」 参考書以上掲載。漢詩力up。

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月蝕詩 盧仝 詩<7>Ⅱ中唐詩512 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ1615

盧仝(ろ・どう、生年不詳-835年)は中国・唐代中期の詩人。字は不明。号は玉川子。
范陽(北京市)の出身。出世の志なく、若いときから少室山(河南省)に隠棲して学問を究めた。諫議大夫に召されたこともあるが辞して仕えなかった。かつて月蝕の詩を作って元和の逆党(李忠臣をさすとも、宦官の吐突をさすともいわれる)を譏ったところ、韓愈に賞され韓愈もこれにならった月蝕詩がある。甘露の変のとき王涯の邸で会食していたところを巻き込まれ逮捕された。盧仝は宦官一掃の計画となんの関わりもなかったが、問答無用とばかりに殺された。


ここで訳注するのは「其二」のみで、其一は白文のみを掲載する。内容については、韓愈の『月蝕詩效玉川子作』は盧仝の詩の要約文といえるので、比較して読まれるとよいと思う。

卷388_8  月蝕詩 其二盧仝
東海出明月,清明照毫髮。
はるか東海から仲秋の名月が昇ってきた。その清らかなる明月は頭髮の細毛が分かるほど明るく照らしている。
朱弦初罷彈,金兔正奇絕。
朱く宝飾で飾られたことを初めて引くのが止められる。金の兎の輝きはまさにめずらしいことに消えたのである。
三五與二八,此時光滿時。
真冬の明月は日十五夜、十六夜である、この時月の明かりはいっぱいに広がっている。
頗奈蝦蟆兒,吞我芳桂枝。
月に住む蝦蟇の子がどうして傾いたのか、月のかぐわしい桐の木を食べて飲んでしまったのか。
我愛明鏡潔,爾乃痕翳之。

我々はこの明鏡のようなきよらかなものをあいしている、ところが今の月は傷ついたように陰となってきたのだ。
#2
爾且無六翮,焉得升天涯。方寸有白刃,無由揚清輝。
如何萬里光,遭爾小物欺。卻吐天漢中,良久素魄微。
日月尚如此,人情良可知。


東海に明月出づ,清明して毫髮を照す。
朱弦 初めて罷彈す,金兔 正奇 絕つ。
三五と二八,此時 光 滿る時なり。頗【かたむき】奈【いかん】とす 蝦蟆【かばく】の兒,我を吞むは芳しき桂枝なり。
我を愛すは明鏡の潔なり,爾じ乃ち翳の之を痕けん。

爾 且て六翮無く,焉んぞ天涯の升るを得んや。
方寸にして白刃有り,由無くは清輝に揚る。
如何する萬里の光,爾 小物の欺に遭う。
卻って天の漢中に吐く,良く久しく 素魄微にす。
日月 尚お 此の如く,人情 良しく知る可し。


『月蝕詩』 其二 現代語訳と訳註
(本文)

東海出明月,清明照毫髮。朱弦初罷彈,金兔正奇絕。
三五與二八,此時光滿時。頗奈蝦蟆兒,吞我芳桂枝。
我愛明鏡潔,爾乃痕翳之。


(下し文)
東海に明月出づ,清明して毫髮を照す。
朱弦 初めて罷彈す,金兔 正奇 絕つ。
三五と二八,此時 光 滿る時なり。
頗【かたむき】奈【いかん】とす 蝦蟆【かばく】の兒,我を吞むは芳しき桂枝なり。
我を愛すは明鏡の潔なり,爾じ乃ち翳の之を痕けん。


(現代語訳)
はるか東海から仲秋の名月が昇ってきた。その清らかなる明月は頭髮の細毛が分かるほど明るく照らしている。
朱く宝飾で飾られたことを初めて引くのが止められる。金の兎の輝きはまさにめずらしいことに消えたのである。
真冬の明月は日十五夜、十六夜である、この時月の明かりはいっぱいに広がっている。
月に住む蝦蟇の子がどうして傾いたのか、月のかぐわしい桐の木を食べて飲んでしまったのか。
我々はこの明鏡のようなきよらかなものをあいしている、ところが今の月は傷ついたように陰となってきたのだ。


(訳注)
月蝕詩 其二

長詩の其一の要約版。

810年元和五年庚寅の年、11月14日に月蝕があった。韓愈の友人の慮全が長篇の「月蝕詩」(後ろに掲載)を作った。奇抜な作品だが、冗漫なものである。韓愈は全く模倣して作っている。
盧仝は済源の人。博学で詩にたくみであり、茶を愛して、有名な「茶歌」がある.

中唐詩人ID-44 盧仝 走筆謝孟諫議寄新茶#1 kanbun-iinkai紀頌之の李商隠と中唐の漢詩ブログ251



東海出明月,清明照毫髮。
はるか東海から仲秋の名月が昇ってきた。その清らかなる明月は頭髮の細毛が分かるほど明るく照らしている。
・毫髮 毫:細毛、髮=發:頭髮


朱弦初罷彈,金兔正奇絕。
朱く宝飾で飾られたことを初めて引くのが止められる。金の兎の輝きはまさにめずらしいことに消えたのである。
やめる まかる1 仕事を中止する。「罷業・罷工」2 役目をやめさせる。「罷免」3 疲れてやる気がなくなる。


三五與二八,此時光滿時。
真冬の明月は日十五夜、十六夜である、この時月の明かりはいっぱいに広がっている。
三五、二八 十五夜、十六夜


頗奈蝦蟆兒,吞我芳桂枝。
月に住む蝦蟇の子がどうして傾いたのか、月のかぐわしい桐の木を食べて飲んでしまったのか。


我愛明鏡潔,爾乃痕翳之。
我々はこの明鏡のようなきよらかなものをあいしている、ところが今の月は傷ついたように陰となってきたのだ。



月蝕詩(盧仝 唐詩)
 
其一:
新天子即位五年,歲次庚寅,鬥柄插子,律調黄鍾。
森森萬木夜僵立,寒氣贔屭頑無風。
爛銀盤從海底出,出來照我草屋東。
天色紺滑凝不流,冰光交貫寒曈曨。
初疑白蓮花,浮出龍王宮。
八月十五夜,比並不可雙。
此時怪事發,有物吞食來。
輪如壯士斧斫壞,桂似雪山風拉摧。
百鍊鏡,照見膽,平地埋寒灰。
火龍珠,飛出腦,卻入蚌蛤胎。
摧環破璧眼看盡,當天一搭如煤炱。
磨蹤滅蹟須臾間,便似萬古不可開。
不料至神物,有此大狼狽。
星如撒沙出,爭頭事光大。
奴婢炷暗燈,掩菼如玳瑁。
今夜吐焰長如虹,孔隙千道射戶外。
玉川子,涕泗下,中庭獨自行。
念此日月者,太陰太陽精。
皇天要識物,日月乃化生。
走天汲汲勞四體,與天作眼行光明。
此眼不自保,天公行道何由行。
吾見陰陽家有說,望日蝕月月光滅,朔月掩日日光缺。
兩眼不相攻,此說吾不容。
又孔子師老子雲,五色令人目盲。
吾恐天似人,好色即喪明。
幸且非春時,萬物不嬌榮。
青山破瓦色,綠水冰崢嶸。
花枯無女豔,鳥死沉歌聲。
頑冬何所好,偏使一目盲。
傳聞古老說,蝕月蝦蟆精。
徑圓千里入汝腹,汝此癡骸阿誰生。
可從海窟來,便解緣青冥。
恐是眶睫間,掩塞所化成。
黄帝有二目,帝舜重瞳明。
二帝懸四目,四海生光輝。
吾不遇二帝,滉漭不可知。
何故瞳子上,坐受蟲豸欺。
長嗟白兔搗靈藥,恰似有意防奸非。
藥成滿臼不中度,委任白兔夫何爲。
憶昔堯爲天,十日燒九州。金爍水銀流,玉煼丹砂焦。
六合烘爲窯,堯心增百憂。
帝見堯心憂,勃然發怒決洪流。
立擬沃殺九日妖,天高日走沃不及,但見萬國赤子□生魚頭。
此時九禦導九日,爭持節幡麾幢旒。
駕車六九五十四頭蛟螭虯,掣電九火輈。
汝若蝕開齱齵輪,禦轡執索相爬鉤,推盪轟訇入汝喉。
紅鱗焰鳥燒口快,翎鬣倒側聲醆鄒。
撑腸拄肚礧傀如山丘,自可飽死更不偷。
不獨填饑坑,亦解堯心憂。
恨汝時當食,藏頭擫腦不肯食。
不當食,張唇哆觜食不休。
食天之眼養逆命,安得上帝請汝劉。
嗚呼,人養虎,被虎齧。天媚蟆,被蟆瞎。
乃知恩非類,一一自作孽。
吾見患眼人,必索良工訣。
想天不異人,愛眼固應一。
安得常娥氏,來習扁鵲術。
手操舂喉戈,去此睛上物。
其初猶朦朧,既久如抹漆。
但恐功業成,便此不吐出。
玉川子又涕泗下,心禱再拜額榻砂土中,地上蟣虱臣仝告愬帝天皇。
臣心有鐵一寸,可刳妖蟆癡腸。
上天不爲臣立梯磴,臣血肉身,無由飛上天,颺天光。
封詞付與小心風,颰排閶闔入紫宮。
密邇玉幾前擘坼,奏上臣仝頑愚胸。
敢死横幹天,代天謀其長。
東方蒼龍角,插戟尾捭風。
當心開明堂。
統領三百六十鱗蟲,坐理東方宮。
月蝕不救援,安用東方龍。
南方火鳥赤潑血,項長尾短飛跋躠,頭戴井冠高逵枿。
月蝕鳥宮十三度,鳥爲居停主人不覺察,貪向何人家。
行赤口毒舌,毒蟲頭上吃卻月,不啄殺。
虛眨鬼眼明,鳥罪不可雪。
西方攫虎立踦踦,斧爲牙,鑿爲齒。偷犧牲,食封豕。大蟆一臠,固當軟美。
見似不見,是何道理。
爪牙根天不念天,天若准擬錯准擬。
北方寒龜被蛇縛,藏頭入殼如入獄。
蛇觔束緊束破殼,寒龜夏鱉一種味。
且當以其肉充臛,死殼沒信處,唯堪支床腳,不堪鑽灼與天蔔。
歲星主福德,官爵奉董秦。
忍使黔婁生,覆屍無衣巾。
天失眼不弔,歲星胡其仁。
熒惑矍鑠翁,執法大不中。
月明無罪過,不糾蝕月蟲。
年年十月朝太微。支盧謫罰何災凶。
土星與土性相背,反養福德生禍害。
到人頭上死破敗,今夜月蝕安可會。
太白真將軍,怒激鋒铓生。
恒州陣斬酈定進,項骨脆甚春蔓菁。
天唯兩眼失一眼,將軍何處行天兵。
辰星任廷尉,天律自主持。
人命在盆底,固應樂見天盲時。
天若不肯信,試喚皋陶鬼一問。
一如今日,三台文昌宮,作上天紀綱。
環天二十八宿,磊磊尚書郎。
整頓排班行,劍握他人將。
一四太陽側,一四天市傍。
操斧代大匠,兩手不怕傷。
弧矢引滿反射人,天狼呀啄明煌煌。
癡牛與騃女,不肯勤農桑。徒勞含淫思,旦夕遙相望。
蚩尤簸旗弄旬朔,始捶天鼓鳴璫琅。枉矢能蛇行,眊目森森張。
天狗下舐地,血流何滂滂。
譎險萬萬黨,架構何可當。
眯目釁成就,害我光明王。
請留北鬥一星相北極,指麾萬國懸中央。
此外盡掃除,堆積如山岡,贖我父母光。當時常星沒,殞雨如迸漿。
似天會事發,叱喝誅奸強。
何故中道廢,自遺今日殃。
善善又惡惡,郭公所以亡。
願天神聖心,無信他人忠。
玉川子詞訖,風色緊格格。
近月黑暗邊,有似動劍戟。
須臾癡蟆精,兩吻自決坼。
初露半個璧,漸吐滿輪魄。
眾星盡原赦,一蟆獨誅磔。
腹肚忽脱落,依舊掛穹碧。
光彩未蘇來,慘澹一片白。
奈何萬里光,受此吞吐厄。
再得見天眼,感荷天地力。
或問玉川子,孔子修春秋。
二百四十年,月蝕盡不收。
今子咄咄詞,頗合孔意不。
玉川子笑答,或請聽逗留。
孔子父母魯,諱魯不諱周。
書外書大惡,故月蝕不見收。
予命唐天,口食唐土。
唐禮過三,唐樂過五。
小猶不說,大不可數。
災沴無有小大愈,安得引衰周,研核其可否。
日分晝,月分夜,辨寒暑。
一主刑,二主德,政乃擧。
孰爲人面上,一目偏可去。
願天完兩目,照下萬方土,
萬古更不瞽,萬萬古,更不瞽,照萬古。
 
 
其二
東海出明月,清明照毫發。
朱弦初罷彈,金兔正奇絕。
三五與二八,此時光滿時。
頗奈蝦蟆兒,吞我芳桂枝。
我愛明鏡潔,爾乃痕翳之。
爾且無六翮,焉得升天涯。
方寸有白刃,無由颺清輝。
如何萬里光,遭爾小物欺。
卻吐天漢中,良久素魄微。
日月尚如此,人情良可知。

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直鉤吟 盧仝 詩<6>Ⅱ中唐詩511 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ1612


卷388_9 《直鉤吟》盧仝

初歲學釣魚,自謂魚易得。三十持釣竿,一魚釣不得。
人鉤曲,我鉤直,哀哉我鉤又無食。文王已沒不復生,
直鉤之道何時行。


直鉤吟
初歲學釣魚,自謂魚易得。
幼い時に魚を釣ることを教えてもらった。その頃に思ったことは「魚はこんなに容易くとることが出来るのか」ということであった。
三十持釣竿,一魚釣不得。
論語に言う「三十而立」の年齢になった、それなりの釣竿を持つようになったが、一匹の魚でさえ収獲できないのである。
人鉤曲,我鉤直,哀哉我鉤又無食。
他の人間の釣り針は曲がっているものであり、私の釣り針はまっすぐにしているのである。悲しいと思うのはこの私の釣り針では釣ることもできなければ又食うこともできないのである。
文王已沒不復生,直鉤之道何時行。
儒家の手本であり、為政者の手本である文王は既に歿しており、また生き返るということはないので期待はできないのである。人を欺いたり、信念を曲げることをせず、だから私はまっすぐに生きていく、「直鉤」という道こそはどんなことがあろうといつまでも貫いて行動していくということである。

初歲 魚を釣ることを學び,自ら謂【おも】えらく魚は得易【やす】しと。
三十 釣竿を持し,一魚をも釣り得ず。
人の鉤【はり】は曲り,我が鉤は直なり,哀しい哉 我が鉤は又食【えさ】無し。
文王 已に沒して 復た生せず,直鉤【ちょっこう】の道は何れの時にか行なわれん。


『直鉤吟』 現代語訳と訳註
(本文)
直鉤吟
初歲學釣魚,自謂魚易得。
三十持釣竿,一魚釣不得。
人鉤曲,我鉤直,哀哉我鉤又無食。
文王已沒不復生,直鉤之道何時行。


(下し文)
初歲 魚を釣ることを學び,自ら謂【おも】えらく魚は得易【やす】しと。
三十 釣竿を持し,一魚をも釣り得ず。
人の鉤【はり】は曲り,我が鉤は直なり,哀しい哉 我が鉤は又食【えさ】無し。
文王 已に沒して 復た生せず,直鉤【ちょっこう】の道は何れの時にか行なわれん。


(現代語訳)
幼い時に魚を釣ることを教えてもらった。その頃に思ったことは「魚はこんなに容易くとることが出来るのか」ということであった。
論語に言う「三十而立」の年齢になった、それなりの釣竿を持つようになったが、一匹の魚でさえ収獲できないのである。他の人間の釣り針は曲がっているものであり、私の釣り針はまっすぐにしているのである。悲しいと思うのはこの私の釣り針では釣ることもできなければ又食うこともできないのである。
儒家の手本であり、為政者の手本である文王は既に歿しており、また生き返るということはないので期待はできないのである。人を欺いたり、信念を曲げることをせず、だから私はまっすぐに生きていく、「直鉤」という道こそはどんなことがあろうといつまでも貫いて行動していくということである。


(訳注)
直鉤吟

詩の結句にある語を用いて詩題としている。


初歲學釣魚,自謂魚易得。
幼い時に魚を釣ることを教えてもらった。その頃に思ったことは「魚はこんなに容易くとることが出来るのか」ということであった。


三十持釣竿,一魚釣不得。
論語に言う「三十而立」の年齢になった、それなりの釣竿を持つようになったが、一匹の魚でさえ収獲できないのである。


人鉤曲,我鉤直,哀哉我鉤又無食。
他の人間の釣り針は曲がっているものであり、私の釣り針はまっすぐにしているのである。悲しいと思うのはこの私の釣り針では釣ることもできなければ又食うこともできないのである。


文王已沒不復生,直鉤之道何時行。
儒家の手本であり、為政者の手本である文王は既に歿しており、また生き返るということはないので期待はできないのである。人を欺いたり、信念を曲げることをせず、だから私はまっすぐに生きていく、「直鉤」という道こそはどんなことがあろうといつまでも貫いて行動していくということである。
文王 紀元前1152年-紀元前1056年 寿命 97才)は、中国の周朝の始祖。姓は姫、諱は昌。父季歴と母太任の子。周王朝の創始者である武王の父にあたる。文王は商に仕えて、三公(特に重要な三人の諸侯)の地位にあり、父である季歴の死後に周の地を受け継ぎ、岐山のふもとより本拠地を灃河(渭河の支流である。湖南省の澧水とは字が異なる)の西岸の豊邑(正しくは豐邑。後の長安の近く)に移し、仁政を行ってこの地を豊かにしていた。武王が文王の積み上げた物を基盤として商を倒し、周王朝を立てた。武王は昌に対し文王と追号した。後世、特に儒家からは武王と並んで聖王として崇められ、為政者の手本となった。

嗟哉董生行 <42>#3Ⅱ韓退之(韓愈)詩317 紀頌之の漢詩ブログ 1030

嗟哉董生行 <42>#3Ⅱ韓退之(韓愈)詩317 紀頌之の漢詩ブログ 1030
嗟哉董生行(韓愈 唐詩 底本二巻)
(嗟哉【ああ】董生の行【うた】)


嗟哉董生行  #1
淮水出桐柏,山東馳遙遙、千里不能休;
淝水出其側,不能千里, 百里入淮流。
壽州屬縣有安豐,唐 貞元時,縣人 董生召南,隱居行義於其中。
刺史不能薦,天子 不聞名聲。
#2
爵祿不及門,門外惟有吏,日來征租更索錢。
嗟哉董生,朝出耕夜歸讀古人書,盡日不得息。
或山而樵,或水而漁。
入廚具甘旨,上堂問起居。
父母不戚戚,妻子不咨咨。
嗟哉董生孝且慈,人不識,惟有天翁知,生祥下瑞無時期。
#3
家有狗乳出求食,雞來哺其兒。
家に仔犬をそだてる母犬がいた、その犬が子を生んで 餌をさがしに出る、すると鶏がやって来て 犬の子に食べさせようとする。
啄啄庭中拾蟲蟻,哺之不食鳴聲悲。
コツコツと庭の虫や蟻を拾ってきて、口移しで食べさせようとするのだが 食べないで悲しげに鳴いている。
彷徨躑躅久不去,以翼來覆待狗歸。
鶏は行ったり来たりうろついて、行ってしまうこともしないでそこにいる。翼で小犬をだきかかえ 親犬の帰りを待った。
嗟哉董生,誰將與儔?
ああ 董くん、誰をきみにくらべることができようか。
時之人,夫妻相虐,兄弟爲讎。
世間の人というものは、夫婦が互いに苦しめ合い、兄弟同士でまるで仇のようになる。
食君之祿,而令父母愁。
天子からから俸禄をもらっている、そうしながら、父母を泣かせている連中がいる。
亦獨何心,嗟哉董生無與儔。

これはいったいどんな気持ちというのだろうか、ああ 董くん、きみのようなひとはいないのだ。



(嗟哉【ああ】董生の行【うた】)
准水【わいすい】は桐柏【とうはく】より出で、山東に馳【は】せて 遙遙【ようよう】、千里 休む能【あた】はず。
淝水【ひすい】は其の側【かたわら】に出で、千里なる能はざれども、百里にして淮に入りて 流る。
壽州【じゅしゅう】の屬縣【ぞくけん】に安豊【あんぽう】有り、唐の貞元【ていげん】の時、縣人の董生【とうせい】召南【しょうなん】あり、隠れ居【す】みて 義を其の中【うち】に行ふ。
刺史【しし】は薦むる能はず、天子は名聾を聞かず。
#2

爵祿【しゃくろく】門に及ばず、門外 惟【ただ】吏【り】あるのみ、日に来って租を徹し更に餞を索【もと】む。
嗟哉【ああ】董生【とうせい】、朝に出でて耕し、夜は掃って古人の書を読む、尽日 息ふことを得ず。
或は山に樵【しょう】し、或は水に漁す。
厨【くりや】に入って甘旨【かんし】を具【ととの】へ、堂に上って起居を問ふ。
父母は戚戚たらず、妻子は咨咨【しし】たらず。
嗟哉【ああ】董生【とうせい】 孝にして且 慈【じ】、人識らず、惟 天翁【てんおう】のみ知る有り、祥を生じ 瑞【ずき】を下し 時期 無し。

#3
家に狗【いぬ】の乳する有り 出でて食を求む、鷄【にわとり】来って その児【こ】を哺【はぐく】まむとす。
啄啄【たくたく】として庭中に蟲蟻【ちゅうぎ】を拾ふ、之を哺【はぐく】ましめむとすれども食はず 鳴く聲悲し。
彷徨【ほうこう】し躑躅【てきちょく】して 久しく去らず、翼を以て来り覆うて 狗の歸るを待つ。
嗟哉 董生、誰を以てか與【とも】に儔【たぐ】へむ。
時の人、夫妻 相 虐【さいな】み 兄弟讎【あた】を爲す。
君の祿を食【は】み、而【しか】も 父母をして愁へしむ。
亦 濁り何の心ぞ、嗟哉 董生、與【とも】に儔【たぐ】へむもの無し。


現代語訳と訳註
(本文)
#3
家有狗乳出求食,雞來哺其兒。
啄啄庭中拾蟲蟻,哺之不食鳴聲悲。
彷徨躑躅久不去,以翼來覆待狗歸。
嗟哉董生,誰將與儔?
時之人,夫妻相虐,兄弟爲讎。
食君之祿,而令父母愁。
亦獨何心,嗟哉董生,無與儔。

(下し文) #3
家に狗【いぬ】の乳する有り 出でて食を求む、鷄【にわとり】来って その児【こ】を哺【はぐく】まむとす。
啄啄【たくたく】として庭中に蟲蟻【ちゅうぎ】を拾ふ、之を哺【はぐく】ましめむとすれども食はず 鳴く聲悲し。
彷徨【ほうこう】し躑躅【てきちょく】して 久しく去らず、翼を以て来り覆うて 狗の歸るを待つ。
嗟哉 董生、誰を以てか與【とも】に儔【たぐ】へむ。
時の人、夫妻 相 虐【さいな】み 兄弟讎【あた】を爲す。
君の祿を食【は】み、而【しか】も 父母をして愁へしむ。
亦 濁り何の心ぞ、嗟哉 董生、與【とも】に儔【たぐ】へむもの無し。


(現代語訳)
家に仔犬をそだてる母犬がいた、その犬が子を生んで 餌をさがしに出る、すると鶏がやって来て 犬の子に食べさせようとする。
コツコツと庭の虫や蟻を拾ってきて、口移しで食べさせようとするのだが 食べないで悲しげに鳴いている。
鶏は行ったり来たりうろついて、行ってしまうこともしないでそこにいる。翼で小犬をだきかかえ 親犬の帰りを待った。
ああ 董くん、誰をきみにくらべることができようか。
世間の人というものは、夫婦が互いに苦しめ合い、兄弟同士でまるで仇のようになる。
天子からから俸禄をもらっている、そうしながら、父母を泣かせている連中がいる。
これはいったいどんな気持ちというのだろうか、ああ 董くん、きみのようなひとはいないのだ。


(訳注)
家有狗乳出求食,雞來哺其兒。

家に仔犬をそだてる母犬がいた、その犬が子を生んで 餌をさがしに出る、すると鶏がやって来て 犬の子に食べさせようとする。
 乳をのませる。家有狗乳は、家に仔犬をそだてる母犬がいた。○ ロうつしに食物を与えること。


啄啄庭中拾蟲蟻,哺之不食鳴聲悲。
コツコツと庭の虫や蟻を拾ってきて、口移しで食べさせようとするのだが 食べないで悲しげに鳴いている。
啄啄 ついばみついばむ。タクタクという字音が、こつこつついばむさまをたくみに表現している。陶侃に「山鷄啄蟲蟻」杜甫に「家人厭鷄食蟲蟻」の句がある。○鳴声悲 仔犬は腹がへって鳴く声が悲しそうだ。


彷徨躑躅久不去,以翼來覆待狗歸。
鶏は行ったり来たりうろついて、行ってしまうこともしないでそこにいる。翼で小犬をだきかかえ 親犬の帰りを待った。
彷徨 うろつく。○躑躅 行きつもどりつする。


嗟哉董生,誰將與儔?
ああ 董くん、誰をきみにくらべることができようか。


時之人,夫妻相虐,兄弟爲讎。
世間の人というものは、夫婦が互いに苦しめ合い、兄弟同士でがまるで仇のようになる。


食君之祿,而令父母愁。
天子からから俸禄をもらっている、そうしながら、父母を泣かせている連中がいる。


亦獨何心,嗟哉董生,無與儔。
これはいったいどんな気持ちというのだろうか、ああ 董くん、きみのようなひとはいないのだ。

平淮西碑 (韓碑)#5 李商隠 紀頌之の漢詩ブログ李商隠特集150- 140

平淮西碑 (韓碑)#5 李商隠 紀頌之の漢詩ブログ李商隠特集150- 140

平淮西碑 (韓碑)#5
公之斯文若元気、先時己入人肝脾。
しかし磨滅されたのではあるが、韓愈公の文学はあたかもすべての事象にたいし普遍で根源的に蓄えられた能力であり、それ以前、先人たちが既に人人の心の奥深く刻み込んでいたものなのである。
湯盤孔鼎有述作、今無其器存其辭。
殷の湯王の盤や孔子の鼎の文などが作られたことや、刻み込まれたことは知られているが、その刻まれた盤や鼎そのものがいまに伝わるということがなくても、その文章、心意気だけは伝わっているように、たとえ磨滅されたとはいえ、韓文公の文章は、金石のように、その命脈をたもつことであろう。
鳴呼聖皇及聖相、相與烜赫流淳熙。
ああ、聖なるものを受け継ぐ天子憲宗皇帝と、聖仁にして賢明なる宰相裴度はともどもある、たがいにその烜赫な偉業をなしとげ、淳き栄光を遍く世に流した。
公之斯文不示後、曷與三五相攀追。
韓愈公のこの文を後の世に示さなければ、どうして聖皇聖相の勲功が、かの三皇五帝の業と此肩するほどのものであったことを、どうして後世に伝えることができようか。
願書萬本誦萬遍、口角流沫右手胝。
それ故に、私は写本することを希望したい。この文章を指にたこのできるまでー万通も写しとり、これを口角沫を飛ばして万遍も諭して、後世に伝えたいのだ。
傳之七十有二代、以爲封禪玉検明堂基。
このようにして代々伝わって、この中国に興亡するだろう七十二の王朝に伝えたのだ、だから、韓愈の文を玉の封印の神器とし天地に功業を告げる封禅の盛儀の御神体として、諸侯を謁見する明堂の基礎とするべきだと、私は思うのである。


公の斯文(しぶん)は元気の若く、時に先んじて己に人の肝脾(かんぴ)に入る。
湯盤(とうばん) 孔鼎(こうてい) 述作(じゅつさく)有り、今 其の器無きも其の辭 存せり。
鳴呼 聖皇(せいこう)と聖相(せいしょう)と、相(あい)與(とも)に 烜赫(けんかく)として 淳熙(じゅんき)を流す。
公の斯文(しぶん) 後に示さずんば、曷んぞ 三五と相(あい) 攀追(はんつい)せん。
願わくは万本を書し 誦(しょう)すること万遍(ばんべん)し、口角(こうかく) 沫(まつ)を流し 右手に胝(たこ)して。
之を七十有(ゆう)二代(にだい)に伝え、以て封禅(ほうぜん)の玉検(ぎょくけん) 明堂(めいどう)の基(もとい)と為さん。


平淮西碑 (韓碑)#5 現代語訳と訳註
(本文)

公之斯文若元気、先時己入人肝牌。
湯盤孔鼎有述作、今無其器存其辭。
鳴呼聖皇及聖相、相與烜赫流淳熙。
公之斯文不示後、曷與三五相攀追。
願書萬本誦萬遍、口角流沫右手胝。
傳之七十有二代、以爲封禪玉検明堂基。

(下し文)#5
公の斯文(しぶん)は元気の若く、時に先んじて己に人の肝脾(かんぴ)に入る。
湯盤(とうばん) 孔鼎(こうてい) 述作(じゅつさく)有り、今 其の器無きも其の辭 存せり。
鳴呼 聖皇(せいこう)と聖相(せいしょう)と、相(あい)與(とも)に 烜赫(けんかく)として 淳熙(じゅんき)を流す。
公の斯文(しぶん) 後に示さずんば、曷んぞ 三五と相(あい) 攀追(はんつい)せん。
願わくは万本を書し 誦(しょう)すること万遍(ばんべん)し、口角(こうかく) 沫(まつ)を流し 右手に胝(たこ)して。
之を七十有(ゆう)二代(にだい)に伝え、以て封禅(ほうぜん)の玉検(ぎょくけん) 明堂(めいどう)の基(もとい)と為さん。

(現代語訳)#5
しかし磨滅されたのではあるが、韓愈公の文学はあたかもすべての事象にたいし普遍で根源的に蓄えられた能力であり、それ以前、先人たちが既に人人の心の奥深く刻み込んでいたものなのである。
殷の湯王の盤や孔子の鼎の文などが作られたことや、刻み込まれたことは知られているが、その刻まれた盤や鼎そのものがいまに伝わるということがなくても、その文章、心意気だけは伝わっているように、たとえ磨滅されたとはいえ、韓文公の文章は、金石のように、その命脈をたもつことであろう。
ああ、聖なるものを受け継ぐ天子憲宗皇帝と、聖仁にして賢明なる宰相裴度はともどもある、たがいにその烜赫な偉業をなしとげ、淳き栄光を遍く世に流した。
韓愈公のこの文を後の世に示さなければ、どうして聖皇聖相の勲功が、かの三皇五帝の業と此肩するほどのものであったことを、どうして後世に伝えることができようか。
それ故に、私は写本することを希望したい。この文章を指にたこのできるまでー万通も写しとり、これを口角沫を飛ばして万遍も諭して、後世に伝えたいのだ。
このようにして代々伝わって、この中国に興亡するだろう七十二の王朝に伝えたのだ、だから、韓愈の文を玉の封印の神器とし天地に功業を告げる封禅の盛儀の御神体として、諸侯を謁見する明堂の基礎とするべきだと、私は思うのである。


(訳注)
公之斯文若元気、先時己入人肝牌。

しかし磨滅されたのではあるが、韓愈公の文学はあたかもすべての事象にたいし普遍で根源的に蓄えられた能力であり、それ以前、先人たちが既に人人の心の奥深く刻み込んでいたものなのである。
斯文 道徳、或いは文化の意味また、儒者や文学を斯文という。韓愈は古文復活に熱心な儒教者であった。○元気すべての事象にたいし普遍で根源的に蓄えられた能力の意味。
先時 時は漫然と時間ということではなく、碑文が磨滅させられた時に先んじて。
肝脾 肝臓と脾臓。転じて心の意味。


湯盤孔鼎有述作、今無其器存其辭。
殷の湯王の盤や孔子の鼎の文などが作られたことや、刻み込まれたことは知られているが、その刻まれた盤や鼎そのものがいまに伝わるということがなくても、その文章、心意気だけは伝わっているように、たとえ磨滅されたとはいえ、韓文公の文章は、金石のように、その命脈をたもつことであろう。
湯盤 殷の湯王の盤の戎辞。「礼記」大学篇に「湯の盤の銘に日く。苟に日に新たに、日日に新たにして、又た日に新たなり。」と。
孔鼎「春秋左氏伝」に正老父の「一命して僂し、再命して傴し、三命して俯す。」という鼎銘が昭公七年に見える。正考父は孔子の祖先だから、それを湯盤と並へて孔鼎といったのだ。鼎は三脚で二つの耳のある金属のなべ。王者のしるしとして尊重される。ここではそれに刻まれた成文をいう。


鳴呼聖皇及聖相、相與烜赫流淳熙。
ああ、聖なるものを受け継ぐ天子憲宗皇帝と、聖仁にして賢明なる宰相裴度はともどもある、たがいにその烜赫な偉業をなしとげ、淳き栄光を遍く世に流した。古人も言う如く、事は文を以て伝わるものである。
烜赫 盛名威容の盛んなるさま。
淳熙 淳き栄光。


公之斯文不示後、曷與三五相攀追。
韓愈公のこの文を後の世に示さなければ、どうして聖皇聖相の勲功が、かの三皇五帝の業と此肩するほどのものであったことを、どうして後世に伝えることができようか。
 なんぞ~せんや、という反語的疑問詞。
三五 三皇五帝。理想的な君主として伝説的に伝えられる太古の帝王。三皇:伏羲・神農・女媧、五帝:黄帝・少昊・顓頊・嚳・尭・舜。


願書萬本誦萬遍、口角流沫右手胝。
それ故に、私は写本することを希望したい。この文章を指にたこのできるまでー万通も写しとり、これを口角沫を飛ばして万遍も諭して、後世に伝えたいのだ。
 手足の皮にできるたこ。


傳之七十有二代、以爲封禪玉検明堂基。
このようにして代々伝わって、この中国に興亡するだろう七十二の王朝に伝えたのだ、だから、韓愈の文を玉の封印の神器とし天地に功業を告げる封禅の盛儀の御神体として、諸侯を謁見する明堂の基礎とするべきだと、私は思うのである。
七十有二代 漢の司馬遷の「史記」封禅書に「古者より泰山に封じ梁父に禅せる者、七十二家なり。」とあるのにもとづく。
封禪 天子が大きな事業をなしとげた時、天地を祭って其の成功を報告する儀式をする。それを封禅という。ここは、その過去の事例にならいつつ、未来においても、次次と興亡するであろぅ七十二代にこの功績を伝えるという意味。
玉検 玉の名札で封印をかねるもの。封禅のときに用いる道具の玉である。○明堂 天子が諸侯を朝見する御殿。漢の趙岐の「孟子」注に「泰山の下に明堂あり、周の天子東に巡狩し、諸侯を朝せし処なり。」(染恵王下)とある。最後の一句は、「平准西碑」に「既に推察を定め、四夷畢く来る。遂に明覚を開いて、坐して以て治めん。」とあるのに拠っている。


■平淮西碑 (韓碑)に関する韓愈の年譜
815憲宗元和10年48歳5月、「淮西の事宜を論ずる状」を上奏し、淮西の乱に断固たる措置を求める。夏、「順宗実録」を撰進。*「盆地五首」*「児に示す」作。
81611年49歳正月20日、中書舎人に転任。緋魚袋を賜わる。5月18日、太子右庶士に降任。*「張籍を調(あざけ)る」作
81712年50歳7月29日、裴度、淮西宣慰招討処置使となるに伴い、兼御史中丞、彰義軍行軍司馬となる。8月、滝関を出、本隊より離れて汴州に急行し、宣武軍節度使韓弘の協力をとりつける。10月、敵の本拠、蔡州を間道づたいに突くことを願うも、唐鄧随節度使李愬に先をこされる。11月28日、蔡州を発して長安へ向かう。12月16日、長安へ帰る。21日、刑部侍郎に転任。*「裴相公の東征して途に女几山の下を経たりの作に和し奉る」作
81813年51歳正月、「淮西を平らぐる碑」 を上るも、李愬の訴えにより、碑文は磨り消される。4月、鄭余慶、詳定礼楽使となり、推薦されて副使をつとめる。*「独り釣る四首」
81914年52歳正月14日、「仏骨を論ずる表」を上り、極刑に処せられるところを、裴度らのとりなしで、潮州刺史に左遷となる。3月25日、潮州に着任。10月24日、兗州刺史に転任。*「左遷せられて藍関に至り姪孫湘に示す」*「滝吏」*「始興江口に過る感懐」*「柳柳州の蝦蟇を食うに答う」*「兗州に量移せらる張端公詩を以て相賀す因って之に酬ゆ」  *二月二日、潮州への旅の途次、四女挐、死没。7月、大赦。



#1
元和天子神武姿、彼何人哉軒與義。
誓将上雪列聖恥、坐法官中朝四夷
淮西有賊五十載、封狼生貙貙生羆。
不拠山河拠平地、長戈利矛日可麾。

#2
帝得聖和相日度、賊斫不死神扶持。
腰懸相印作都統、陰風惨澹天王旗。
愬武古通作牙爪、儀曹外郎載筆随。
行軍司馬智且勇、十四萬衆猶虎貌。
入蔡縛賊献太廟、功無與譲恩不訾。

#3
帝日汝度功第一、汝従事愈宜爲辭。
愈拝稽首蹈且舞、金石刻畫臣能爲。
古者世稱大手筆、此事不繫於職司。
當仁自古有不讓、言訖屢頷天子頤。
公退齊戒坐小閤、濡染大筆何淋漓。
點竄堯典舜典字、塗改清廟生民詩。
文成破體書在紙、清晨再拝鋪丹墀。

#4
表日臣愈昧死上、詠神聖功書之碑。
碑高三丈字如斗、負以霊鼇蟠以螭。
句奇語重喩者少、讒之天子言其私。
長縄百尺拽碑倒、麤砂大石相磨治。

#5
公之斯文若元気、先時己入人肝脾。
湯盤孔鼎有述作、今無其器存其辭。
鳴呼聖皇及聖相、相與烜赫流淳熙。
公之斯文不示後、曷與三五相攀追。
願書萬本誦萬遍、口角流沫右手胝。
傳之七十有二代、以爲封禪玉検明堂基。

#1
元和の天子 神武の姿、彼何人ぞや 軒と義
誓って将に上列聖の恥を雪がんとし、法官の中に坐して四夷を朝せしめんとす。
淮西に賊有ること五十載、封狼は貙を生み 貙は羆を生む。
山河に拠らずして平地に拠り、長戈 利矛 日も麾く可し

#2
帝は聖相(せいしょう)を得たり 相は度と日う、賊 斫(き)れども死なず 神 扶持す
腰に相印(しょういん)を懸けて都統(ととう)と作る、陰風 惨澹(さんたん)たり 天王の旗。
愬 武 古 通 牙爪(がそう)と作り、儀曹外郎 筆を載せて随う。
行軍司馬 智且つ勇なり、十四万衆 猶お虎貌のごとし。
蔡に入り 賊を縛りて 大廟に献ず、功は与(とも)に譲る無く恩は訾(はか)られず。

#3
帝 日(いわく) 汝 度よ 功第一なり、汝の従事の愈 宜(よろ)しく辞を為(つく)るべしと。
愈は拝し稽首(けいしゅ)して 蹈(とう)し且つ舞(ぶ)す、金石刻画 臣 能く為さんや。
古者(いにしえ)より世に大手(だいしゅ)筆を称す、此の事 職司に繋(かけ)られず。
仁に 当り ては 古自(いにしえよ)り 譲らざる有り、言い訖(おわ)れば 屡(しばしば )頷く天子の頤(あご)。
公は退(しりぞ)き 斎戒(さいかい)して 小閤に坐し、大筆を濡染(じゅせん)する 何 ぞ 淋漓(りんり)たる、点竄(てんざん)す 堯典(ぎょうてん)舜典(しゅんてん)の字、塗改す 清廟(せいびょう) 生民(せいみん)の詩。
文成り 破体(はたい) 書して紙に在り、精晨(せいしん)に再拝(さいはい)して丹墀(たんち)に鋪(つら)ぬ。

#4
表に 日く 臣愈 昧死して上(たてまつ)る、神聖の功を詠じ之を碑に書せりと。
碑の高さ三丈 字は斗の如く、負わすに霊鼇(れいごう)を以てし 蟠(めぐら)すに 螭(ち)を以てす。
句は奇 語は重 喩(さと)る 者少なし、之を天子に讒(そし)るあり 其の私を言うと。
長縄(ちょうじょう)百尺 碑を拽きて倒し、麤砂(そさ)と大石(たいせき) 相い 磨治(まち)す

#5
公の斯文(しぶん)は元気の若く、時に先んじて己に人の肝脾(かんぴ)に入る。
湯盤(とうばん) 孔鼎(こうてい) 述作(じゅつさく)有り、今 其の器無きも其の辭 存せり。
鳴呼 聖皇(せいこう)と聖相(せいしょう)と、相(あい)與(とも)に 烜赫(けんかく)として 淳熙(じゅんき)を流す。
公の斯文(しぶん) 後に示さずんば、曷んぞ 三五と相(あい) 攀追(はんつい)せん。
願わくは万本を書し 誦(しょう)すること万遍(ばんべん)し、口角(こうかく) 沫(まつ)を流し 右手に胝(たこ)して。
之を七十有(ゆう)二代(にだい)に伝え、以て封禅(ほうぜん)の玉検(ぎょくけん) 明堂(めいどう)の基(もとい)と為さん。


#1
元和の天子 神武の姿、彼何人ぞや 軒と義
誓って将に上列聖の恥を雪がんとし、法官の中に坐して四夷を朝せしめんとす。
淮西に賊有ること五十載、封狼は貙を生み 貙は羆を生む。
山河に拠らずして平地に拠り、長戈 利矛 日も麾く可し

#2
憲宗皇帝の才知英明によって、徳高き宰相のよき輔佐をうけられた。その宰相は、裴度といわれる人である。賊がかつて宰相武元衝を暗殺、裴度も刺客に傷つけられたが、神のご加護があって奇蹟的に助かった。
裴度は腰に宰相の印綬を懸ける身でありながら、自ら元帥として出陣を請うた。裴度元帥の大軍に冬の風が容赦なく吹き付け、天子の御旗は、風に翻った。
四将軍、李愬・韓公武・李道古・李文通たちが、牙と爪の先鋒として攻め入った、礼部員外郎の李宗関もまた戦果を報告しようと、筆を共にして従軍したのだ。
行軍のなかにおいて、請われて副将となった韓愈は、智略に秀れ、且つ勇敢であった。総勢十四万の軍勢すべてが、虎豹のようなつわものぞろいであったのだ。
李愬は雪の降る夜に蔡城を奇襲し、賊の頭目呉元済を生け捕り、佳期ただよう長安に送った。憲宗皇帝は、先祖の廟にそれを報告して、呉元済を斬殺した。准西の乱は平定し、裴度の戦功、功労は比べるものなく秀れ、その恩賞もはかり知れず大きいものであった。

#3
憲宗皇帝はもうされたことは「このたびは汝、裴度が功績第一のものである。」であった、また「汝の部下の韓愈が、碑に刻むべき文章を作らせるがよろしかろう。」と申されたのだ。
韓愈はこの命を最高のものとして受けとめ、唐制にのっとった、拝手稽首の最敬礼と御前に小踊りの礼をしてお答え申し上がたことだった。「金石に刻む文を書くことは天子に代って為さるべきお役目の方々のあることであり、私ごとき行軍司馬のよく為しうる所ではないことでございます。」
「むかしから、世に大文章と称されるものを見ておりますと、筆者は必ずしもその職を司った者とは限ったものではないようであります。それゆえ、天子の命とありますからこのこと誰れ憚ることなく最大の力を注ぎ尽します。」
「『論語』の教えにも、『仁のことをなすに臨んでは、師にもゆずらず』とありますようにいたす所存でございます。」韓愈の意気込みを申しあげて言葉が終ったとき、天子は満足気に幾度もうなずかれたことだった。
かくて、韓愈は朝廷から退出し、沐浴し衣をあらためて身を潔め、集中力を高めて、小座敷に独り坐って筆をとった。大きな筆にたっぷりと墨を含ませ、心を定めて一気呵成に文を書き上げようとしたからだろう。
徳をもって天下を治めた理想的な帝王の書である堯典や舜典の文章、古い雅頚の集である清廟や生民の詩を、改訂して書き改めたかのような、それは古雅で荘重な文章であった。
その字も常識を破った新しい文体で、紙一面に力強く書かれていた。そして、清々しい朝を迎え、大気も澄んでいた、韓愈は参朝し、宮殿の赤き庭、天子の御座の下にそれをひろげたのである。

#4
かくて官府に奉る上奏文を韓愈はかきあげた、それは、「臣韓愈、昧死して上る次第であります」から始まり、「このたびの戦勝の功、即ち天子有徳の証拠である功績を、かくの如く碑文に詠いあげる。」と献上したのであった。
碑石の高さは三丈もあり、その字はまた斗の如く大きなものだった。礎石には神秘な巨亀のかたちが刻まれ、また書に威厳をそえる模様とし周囲にみずちをめぐらしていた。
その一句一句は、常識を超えた独特の表現であり、一語一語がおごそかで重く、そのため、その卓越した表現力を理解できるものが少なかったのだ。特に、李愬の一族は不満をもったようで、よく理解ができないのに、その文章が高が文人ごときの私情にかたよっていると天子に讒言を申しでた。
立されていた百尺もある碑石は長い縄でしばられ倒されてしまったのだった。その上にあらい磨き砂をまいて、碑文を磨滅させてしまい、別の文章をはりなおすということになったのである。

#5
しかし磨滅されたのではあるが、韓愈公の文学はあたかもすべての事象にたいし普遍で根源的に蓄えられた能力であり、それ以前、先人たちが既に人人の心の奥深く刻み込んでいたものなのである。
殷の湯王の盤や孔子の鼎の文などが作られたことや、刻み込まれたことは知られているが、その刻まれた盤や鼎そのものがいまに伝わるということがなくても、その文章、心意気だけは伝わっているように、たとえ磨滅されたとはいえ、韓文公の文章は、金石のように、その命脈をたもつことであろう。
ああ、聖なるものを受け継ぐ天子憲宗皇帝と、聖仁にして賢明なる宰相裴度はともどもある、たがいにその烜赫な偉業をなしとげ、淳き栄光を遍く世に流した。
韓愈公のこの文を後の世に示さなければ、どうして聖皇聖相の勲功が、かの三皇五帝の業と此肩するほどのものであったことを、どうして後世に伝えることができようか。
それ故に、私は写本することを希望したい。この文章を指にたこのできるまでー万通も写しとり、これを口角沫を飛ばして万遍も諭して、後世に伝えたいのだ。
このようにして代々伝わって、この中国に興亡するだろう七十二の王朝に伝えたのだ、だから、韓愈の文を玉の封印の神器とし天地に功業を告げる封禅の盛儀の御神体として、諸侯を謁見する明堂の基礎とするべきだと、私は思うのである。

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陸游 麗わしの人、唐琬。(8)釵頭鳳 唐琬

 
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陸游 麗わしの人、唐琬。(8)

離婚して10年二人は偶然に沈園で、みかけたのだ。その時は唐琬の夫とあいさつもした。しかし、後日、人づてに、沈園の壁に書き付けられた詩は唐琬にとって驚きであったのではなかろうか。いや迷惑ではなかったのだろうか。唱和するように詠っている。一般に言われるように、ロマンが続いていたとは思えない。
別れて互いに他の人と一緒になっていて、内容は、「私への思いは、迷惑だ、いい加減にしてよ」と受け取れる詩になっている。唐琬のしに、むしろ礼節を知ることができる。やはり、唐琬は、麗しの女性だったのだ。


釵頭鳳 唐琬

世情薄、 人情悪。
三十年になれば思いはうすくなるもの、人の情けを思うことはよくない
雨送黄昏花易落。      
雨と黄昏はともに花が散りやすくし送ってくれている。
暁風干、 泪痕残、         
風は乾かすことを悟らせ、それでも涙は後を残す。
欲箋心事 独語斜欄。
手紙(詩)を書こうとする、心に思うことを実行する、自分勝手な言葉、正しくない遮り。
難!難!難!

はばかれ、どうして、とがめたい

人成各、 今非昨、
人それぞれ成長するもの、今日は昨日ではない、
病魂常似鞦韆索。
病のような思いというものは何時の世もブランコの縄のようなもの。
角聲寒 夜闌珊。
角笛の音色というものは寒々と響くもの、夜は珊瑚をさかりがすぎてしまった。
怕人詢問 咽泪粧歡。
人は怖いもの、問われ尋ねられること、啼いて涙を流すこと、装った悦楽の言葉。
瞞!瞞!瞞!

あざむく。はじる。はずかしい。



三十年になれば思いはうすくなるもの、人の情けを思うことはよくない
雨と黄昏はともに花が散りやすくし送ってくれている。
風は乾かすことを悟らせ、それでも涙は後を残す。
手紙(詩)を書こうとする、心に思うことを実行する、自分勝手な言葉、正しくない遮り。
はばかれ、どうして、とがめたい


人それぞれ成長するもの、今日は昨日ではない、病のような思いというものは何時の世もブランコの縄のようなもの。
角笛の音色というものは寒々と響くもの、夜は珊瑚をさかりがすぎてしまった。
人は怖いもの、問われ尋ねられること、啼いて涙を流すこと、装った悦楽の言葉。
あざむく。はじる。はずかしい。

釵頭鳳

世 情は薄なり 人 情は悪なり。
雨送り 黄昏、花易落。
暁風は乾かし、 泪痕は残る
箋 心事を欲せん 独語 欄に斜す
難(かた)し 難し 難し

人各々に成り 今は昨に非ず。     
病魂 常に千秋(ブランコ)の索くに似たり。 
角声 寒く 夜にして珊を爛し、
人の尋問を怕れ 咽泪せしも歓を装う
瞞(あざむ)かん 瞞かん 瞞かん


   

釵頭鳳 
唐琬南宋の頃から沈園は江南の有名な私家庭園で、今も残る園内のヒョウタン形の池、石板橋、池辺の築山、井戸はみな南宋時代のもの。
 唐琬は一緒に来ていた夫の許しをえた上で酒肴を陸游のもとにとどけさせる。
その後、唐琬たちが帰ったあと、陸游が庭園の壁に書き付けたのが、「釵頭鳳」(さいとうほう)という詞に対し、返信の如く書き綴ったのが次の詞、同じく「釵頭鳳」である。

 陸游は 20歳で結婚、
      22歳で離婚、唐琬と別れたのち23歳で再婚、
      24歳で第一子、
      26歳第二子、
      27歳で第三子と、三人の子を持っている。
 仲が良すぎて科挙の試験の妨げになるため別れさせたというけれど、子作りだけが上手くいっている。
 陸游は29歳の時、鎖庁試に主席及第した。本来ならば、この及第により、これを踏み台として、洋々の未来が期待できるはずであった。しかし、陸游にとってこの主席が災いし、将来をふさがれるのである。
 当時、南宋の実権は秦檜であった。北の強国、金に対して、強硬策化、和平策化で抗戦派の中心、詩人でもある岳飛を殺してまで和平を成立させた人物が秦檜であったのだ。陸游は抗戦派であった。
 陸游が主席及第した試験に秦檜の孫が受験していたのだ。次席であった。
 翌年30歳進士落第。
 陸游、地方官に任官するのがやっと34歳が初めてのことなのだ。ということからして、31歳のころは、いわばどん底、悶々とした状況にあった。そこで、沈園での出来事、唐琬は、再婚し、安らいだ生活をしていた。別れた夫に対し、許しを得て酒を送っている賢女である。陸游がいかにどん底とはいえ、唐琬にとって、迷惑な詩であったに違いない。二十歳前後の少年ならいざ知らず、また、離婚仕立てならまだしも、三十といえば自分の考えを確立していなければいけない年齢である。陸游の「釵頭鳳」はいただけない。さすが、唐琬の冷静で、陸游をたしなめるような詩は理解できる。唐婉の声が聞える詞です。
(しかし、陸游というのは一言で言って、憎めない人物である。立派な詩人なのにどこか抜けていて、頼りなさそうで、優しそうな雰囲気を感じる。)
 




世情薄、人情惡、 雨送黄昏花易落。
三十年になれば思いはうすくなるもの、人の情けを思うことはよくない
 三十。30歳。○情薄 情は薄くなる ○ 人の情の移り変りをわるくする。だれだれが悪いといっているのではない。

雨送黄昏花易落。
雨と黄昏はともに花が散りやすくし送ってくれている。

曉風乾、涙痕殘。
風は乾かすことを悟らせ、それでも涙は後を残す。
三語、三語の啖呵を切っている。

欲箋心事、獨語斜闌。
手紙(詩)を書こうとする、 心に思うことを実行する、自分勝手な言葉、正しくない遮り。
二語二語、二語二語、というのは、啖呵を切っているので句ではないのである。ここでは、欲箋 心事、獨語 斜闌と文章ではない。・欲箋 手紙(詩)を書こうとする、 ・心事 心に思うことを実行する、・獨語 ひとりごと、自分勝手な言葉、 ・斜闌 正しくない遮り、斜:正しくない。闌:さえぎる、せき止める(唐琬がせっかく落ち着いてきて安定した生活を取り戻したことを遮ったり邪魔をすることはよくない)

難!難!難!
はばかれ、どうして、とがめたい。
(前の啖呵「欲箋 心事、獨語 斜闌」を受けてのことばである)
女子は最初嫁いだ家のために別の家に嫁ぎ最初の家の弾に尽力するということも考えられたが、この場合どうも違いようである。やはり、お母さんが陸游の出世のために唐琬をいいところへ嫁がせたのであろうがうまくいかなかったということか。

人成各、今非昨、 病魂常似鞦韆索。
人それぞれ成長するもの、今日は昨日ではない、病のような思いというものは何時の世もブランコの縄のようなもの。
ここも三語、三語の啖呵。○鞦韆(しゅうせん):秋千、ブランコ。○ ブランコの綱。縄。
   
角聲寒、夜闌珊。
角笛の音色というものは寒々と響くもの、夜は珊瑚をさかりがすぎてしまった。
ここも三語、三語の啖呵。○角聲寒 角笛の音色というものは寒々と響くもの。ときのうつろいをあらわす。 ○闌 さかりがすぎる。さえぎる。おとろえる。  珊 珊瑚、珊瑚の弾。珊瑚は東海の海底で育つもの。時をやり過ごせば枯れてとることはできない。
「神農本草経」に「珊瑚は海底の盤石の上に生ず一歳にして黄、三歳にして赤し。海人先ず鉄網を作りて水底に沈むれば中を貫いて生ず。網を絞りて之を出す。時を失して取らざれは則ち腐る。」とある。な玉輪 鉄網の二句には奥に隠された意味があると思われる。例えば西晋の傅玄(217-278)の雑詩の句「明月常には盈つるあたわず。」という月が女性の容姿の喩えであるように、恐らく「顧免初生魄」は、少くとも、愁いを知りそめた乙女の顔、そしてその瞳への聯想をいざなうように作られている。また、熟せば赤くなる珊瑚、だがまだ枝を生じないから網でひきあげられてはいない。セックスについて未成熟であるというこの一句にはエロティックな意味がある。
その頃は燃えて赤くなっていたがもうそれも衰えてしまった

怕人尋問、咽涙裝歡。
人は怖いもの、問われ尋ねられること、啼いて涙を流すこと、装った悦楽の言葉。
ここも二語二語、二語二語の啖呵。・怕人:人は怖いもの。・尋問:問われ尋ねられること。・咽涙:啼いて涙を流すこと。・裝歡:装った悦楽の言葉
 よそおう。おさめる。ふりをする。 ○ 喜び楽しむ。愛し合う男女が互いに掛け合う喜びの表現。

瞞!瞞!瞞!
あざむく。はじる。はずかしい。
上の啖呵、怕人尋問、咽涙裝歡を受けての言葉である。


麗しき人唐琬。について、手元にはまだまだ掘り下げて見てはいるがこれで終了にしたい。
明日から、また李商隠を中心に書いていくことにする予定。

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