漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩 中唐詩人選集【Ⅰ李商隠-150】Ⅱ韓退之(韓愈)-500Ⅶ孟郊(東野)賈島張籍柳宗元韋応物

Ⅰ李商隠は難解詩といわれている。約150首紹介済。(晩唐詩人) Ⅱ韓退之(韓愈)-約500首Ⅶ孟郊、中唐の詩人を掲載中。万物の性(さが)をテーマにした哲学的な詩。このブログは基本的に中唐詩人を中心にして掲載する予定。 韓愈詩文のこれまでの掲載分とこれから掲載予定分を時系列で整理した2014.3.29のブログに集約してそこから各年次を見ることができる  kanbuniinkai 検索で、《漢文委員会HP05》サイトあります。漢詩唐詩を理解するための総合サイト:≪漢文委員会 漢詩07≫。

七言古詩

少し、マニアックな晩唐詩人Ⅰ-李商隠150首をまず掲載済み。中唐は盛唐詩人(孟浩然・王維、杜甫、李白)を受け継いだ多様な詩人が出ている。この時代も驚くほど詩が発展している。Ⅱ韓退之(韓愈)500首、Ⅲ柳宗元40首、Ⅳ韋応物、Ⅴ劉長卿、Ⅵ韋荘、Ⅶ孟郊(孟東野)、Ⅷ張籍、Ⅸ賈島、Ⅹ劉禹錫、ほか2012~2020年の予定で気長に進める。同じ中唐ではあるが、白居易のグループについては、李白のブログ350首(2015/6月再開~2018/夏・秋月予定)の後掲載の予定。別に杜甫詩ブログ1500首(2011/7月~2018/8月の予定で)を進行中。詩数につぃては、予定の詩数より多くなる。気まぐれなところがあるのでこの予定が少し変わる場合があり、その節はご容赦ください。                 古詩・謝霊運詩 杜甫詩 韓愈詩 花間集500首全詩 それぞれ毎日ブログしています。 このブログ、索引=語句の「検索」 参考書以上掲載。漢詩力up。

桃源圖 韓愈(韓退之) <146-#2>Ⅱ中唐詩720 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2584

韓愈(韓退之) 《桃源圖》<146-#2>南宮礼部の先生はこの図を手にして、大よろこびである。波濤逆巻くほどの文章を筆に入魂して書き上げる。

2013年6月26日 同じ日の紀頌之5つのブログ
●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩
Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩《薤露行》 武帝 魏詩<89-#1>古詩源 巻五 805 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2573
●唐を代表する中唐の韓愈の儒家としての考えのよくわかる代表作の一つ
Ⅱ中唐詩・晩唐詩桃源圖 韓愈(韓退之) <146-#2>Ⅱ中唐詩720 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2584
●杜甫の全作品1141首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"
Ⅲ杜甫詩1000詩集陳拾遺故宅 五言古詩 成都6-(27-#1) 杜甫 <489-#1>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2585 杜甫詩1000-489-#1-711/1500
●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている
Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集
●●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩
Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性摩訶池贈蕭中丞 薛濤 唐五代詞・宋詩 薛濤-208-74-#68  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2587
 
 ■今週の人気記事(漢詩の5ブログ各部門)
 ■主要詩人の一覧・詩目次・ブログindex

『楚辞・九歌』東君 屈原詩<78-#1>505 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1332

http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67664757.html
『楚辞』九辯 第九段―まとめ 宋玉  <00-#35> 664 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2304
http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-rihakujoseishi/archives/6471825.html
安世房中歌十七首(1) 唐山夫人 漢詩 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67710265.html
為焦仲卿妻作 序 漢詩<143>古詩源 巻三 女性詩 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67729401.html
於凊河見輓船士新婚別妻一首 曹丕(魏文帝) 魏詩 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67759129.html
朔風 (一章) 曹植 魏詩<25-#1>文選 雑詩 上  http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67780868.html
謝靈運詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/1901_shareiun000.html 謝靈運詩 六朝期の山水詩人。この人の詩は上品ですがすがしい男性的な深みのある詩である。後世に多大な影響を残している。
謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。
登永嘉緑嶂山詩 #1 謝霊運 <20> 詩集 386ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67474554.html
登池上樓 #1 謝霊運<25>#1  ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67502196.html
孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩 盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。

李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html
李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人 古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首

 


桃源圖 韓愈(韓退之) <146-#2>Ⅱ中唐詩720 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2584


海棠花011作者: 韓愈 
皇帝紀年: 元和八年 
寫作時間: 813年 
寫作年紀: 46歲 
卷別: 卷三三八  文體: 七言古詩 
詩題: 桃源圖 
寫及地點:  武陵 (江南西道 朗州 武陵)     
 
 
 
桃源圖
(桃源郷の図について)
神仙有無何渺茫,桃源之說誠荒唐。
神仙の郷が有るのか無いのか、このことはじつに漠然としたことではなかろうか。それも桃源郷の説を詩文書画などあらわされているが、荒唐無稽なことだ。
流水盤迴山百轉,生綃數幅垂中堂。
流れる川水は、盤のように廻り、山は百転し、うねりつづく‥…・。そんな図柄の絵が数幅、この奥座敷にかけられている。
武陵太守好事者,題封遠寄南宮下。
武陵の太守が風流好きということで、この箱書きなんぞをはるばる礼部に頼んで来たということなのだ
#2
南宮先生忻得之,波濤入筆驅文辭。
文工畫妙各臻極,異境恍惚移於斯。
架巖鑿谷開宮室,接屋連牆千萬日。
嬴顛劉蹶了不聞,地坼天分非所恤。
南宮礼部の先生はこの図を手にして、大よろこびである。波濤逆巻くほどの文章を筆に入魂して書き上げる。
文はとても巧みで、画派というと巧妙なのであり、それらが相互に申し分ものとなっている。そこには、ふしぎな世界がひろがり、恍惚にうっとりとして、この画の中にはいりこんでいくようである。
大岩に橋かけ、谷を穿ちひらいて、その奥に御殿を建てている。家は接近してならべられ、囲う垣根はつらねて守ること一千万日過ぎたという。
秦の始皇帝の瀛氏と漢を再興させるはずの劉家などが滅亡したことを聞くことはなかったという。そこでは天がさけ、地がくだけても、いっさいかかわりもたなかったという。

#3
種桃處處惟開花,川原近遠蒸紅霞。
初來猶自念鄉邑,歲久此地還成家。
漁舟之子來何所,物色相猜更問語。
大蛇中斷喪前王,群馬南渡開新主。
#4
聽終辭絕共悽然,自說經今六百年。
當時萬事皆眼見,不知幾許猶流傳。
爭持酒食來相饋,禮數不同樽俎異。
月明伴宿玉堂空,骨冷魂清無夢寐。
#5
夜半金雞啁哳鳴,火輪飛出客心驚。
人間有累不可住,依然離別難為情。
船開櫂進一迴顧,萬里蒼蒼煙水暮。
世俗寧知偽與真,至今傳者武陵人。



桃源の圖
神仙の有無 何ぞ渺茫【びゅうぼう】,桃源の說 誠に荒唐。
流水 盤迴 山 百轉,生綃 數幅 中堂に垂る。
武陵の太守は 好事の者,題封 遠く寄す南宮の下。
#2
南宮先生 之を得たるを忻び,波濤 筆に入って文辭を驅る。
文は工【たくみ】に畫は妙に各の極に臻【いた】る,異境 恍惚として 斯に移る。
巖に架け 谷を鑿って宮室を開き,屋を接し 牆を連ぬる 千萬日。
嬴の顛【くつがえ】り 劉の蹶【つまづ】きしこと 了に聞かず,地は坼【くじ】け天は分るるも恤【あわれ】む所に非らず。



『桃源圖』 現代語訳と訳註
(本文)
#2
南宮先生忻得之,波濤入筆驅文辭。
文工畫妙各臻極,異境恍惚移於斯。
架巖鑿谷開宮室,接屋連牆千萬日。
嬴顛劉蹶了不聞,地坼天分非所恤。


(下し文) #2
南宮先生 之を得たるを忻び,波濤 筆に入って文辭を驅る。
文は工【たくみ】に畫は妙に各の極に臻【いた】る,異境 恍惚として 斯に移る。
巖に架け 谷を鑿って宮室を開き,屋を接し 牆を連ぬる 千萬日。
嬴の顛【くつがえ】り 劉の蹶【つまづ】きしこと 了に聞かず,地は坼【くじ】け天は分るるも恤【あわれ】む所に非らず。


(現代語訳)
南宮礼部の先生はこの図を手にして、大よろこびである。波濤逆巻くほどの文章を筆に入魂して書き上げる。
文はとても巧みで、画派というと巧妙なのであり、それらが相互に申し分ものとなっている。そこには、ふしぎな世界がひろがり、恍惚にうっとりとして、この画の中にはいりこんでいくようである。
大岩に橋かけ、谷を穿ちひらいて、その奥に御殿を建てている。家は接近してならべられ、囲う垣根はつらねて守ること一千万日過ぎたという。
秦の始皇帝の瀛氏と漢を再興させるはずの劉家などが滅亡したことを聞くことはなかったという。そこでは天がさけ、地がくだけても、いっさいかかわりもたなかったという。


(訳注)#2
南宮先生忻得之,波濤入筆驅文辭。
南宮礼部の先生はこの図を手にして、大よろこびである。波濤逆巻くほどの文章を筆に入魂して書き上げる。
・忻 よろこぶ。たのしむ。
・南宮 礼部のこと。六部の1つで、礼楽儀仗・教育・国家祭祀・宗教・外交・科挙などを司掌した。


文工畫妙各臻極,異境恍惚移於斯。
文はとても巧みで、画派というと巧妙なのであり、それらが相互に申し分ものとなっている。そこには、ふしぎな世界がひろがり、恍惚にうっとりとして、この画の中にはいりこんでいくようである。


架巖鑿谷開宮室,接屋連牆千萬日。
大岩に橋かけ、谷を穿ちひらいて、その奥に御殿を建てている。家は接近してならべられ、囲う垣根はつらねて守ること一千万日過ぎたという。
⋆ここから絵に描かれた桃源郷のことをのべる。


嬴顛劉蹶了不聞,地坼天分非所恤。
秦の始皇帝の瀛氏と漢を再興させるはずの劉家などが滅亡したことを聞くことはなかったという。そこでは天がさけ、地がくだけても、いっさいかかわりもたなかったという。
・嬴顛 秦の始皇帝の瀛氏は滅亡した。
・劉蹶 漢を再興させるはずの劉家は中途で躓き滅ぼされた。
桃園001

桃源圖 韓愈(韓退之) <145>Ⅱ中唐詩719 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2579

韓愈(韓退之) 《桃源圖》 <145>(桃源郷の図について)神仙の郷が有るのか無いのか、このことはじつに漠然としたことではなかろうか。それも桃源郷の説を詩文書画などあらわされているが、荒唐無稽なことだ。


2013年6月25日 同じ日の紀頌之5つのブログ
●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩
Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩《龜雖壽》 武帝 魏詩<88-#2>古詩源 巻五 806 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2578
●唐を代表する中唐の韓愈の儒家としての考えのよくわかる代表作の一つ
Ⅱ中唐詩・晩唐詩桃源圖 韓愈(韓退之) <145>Ⅱ中唐詩719 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2579
●杜甫の全作品1141首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"
Ⅲ杜甫詩1000詩集《通泉縣署屋壁後薛少保畫鶴》  楽府(五言古詩) 成都6-(25-#2) 杜甫 <488-#2>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2580 杜甫詩1000-488-#2-710/1500
●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている
Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集
●●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩
Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性摩訶池宴 薛濤 唐五代詞・宋詩 薛濤-207-73-#67  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2582
 
 ■今週の人気記事(漢詩の5ブログ各部門)
 ■主要詩人の一覧・詩目次・ブログindex

『楚辞・九歌』東君 屈原詩<78-#1>505 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1332
http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67664757.html
『楚辞』九辯 第九段―まとめ 宋玉  <00-#35> 664 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2304
http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-rihakujoseishi/archives/6471825.html
安世房中歌十七首(1) 唐山夫人 漢詩 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67710265.html
為焦仲卿妻作 序 漢詩<143>古詩源 巻三 女性詩 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67729401.html
於凊河見輓船士新婚別妻一首 曹丕(魏文帝) 魏詩 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67759129.html
朔風 (一章) 曹植 魏詩<25-#1>文選 雑詩 上  http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67780868.html
謝靈運詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/1901_shareiun000.html 謝靈運詩 六朝期の山水詩人。この人の詩は上品ですがすがしい男性的な深みのある詩である。後世に多大な影響を残している。
謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。
登永嘉緑嶂山詩 #1 謝霊運 <20> 詩集 386ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67474554.html
登池上樓 #1 謝霊運<25>#1  ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67502196.html
孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩 盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。

李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html
李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人 古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首

 

桃源圖 韓愈(韓退之) <145>Ⅱ中唐詩719 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2579


作者: 韓愈 
皇帝紀年: 元和八年 
寫作時間: 813年 
寫作年紀: 46歲 
卷別: 卷三三八  文體: 七言古詩 
詩題: 桃源圖 
寫及地點:  武陵 (江南西道 朗州 武陵)     
 
 
 
桃源圖
(桃源郷の図について)
神仙有無何渺茫,桃源之說誠荒唐。
神仙の郷が有るのか無いのか、このことはじつに漠然としたことではなかろうか。それも桃源郷の説を詩文書画などあらわされているが、荒唐無稽なことだ。
流水盤迴山百轉,生綃數幅垂中堂。
流れる川水は、盤のように廻り、山は百転し、うねりつづく‥…・。そんな図柄の絵が数幅、この奥座敷にかけられている。
武陵太守好事者,題封遠寄南宮下。
武陵の太守が風流好きということで、この箱書きなんぞをはるばる礼部に頼んで来たということなのだ
海棠花011#2
南宮先生忻得之,波濤入筆驅文辭。
文工畫妙各臻極,異境恍惚移於斯。
架巖鑿谷開宮室,接屋連牆千萬日。
嬴顛劉蹶了不聞,地坼天分非所恤。
#3
種桃處處惟開花,川原近遠蒸紅霞。
初來猶自念鄉邑,歲久此地還成家。
漁舟之子來何所,物色相猜更問語。
大蛇中斷喪前王,群馬南渡開新主。
#4
聽終辭絕共悽然,自說經今六百年。
當時萬事皆眼見,不知幾許猶流傳。
爭持酒食來相饋,禮數不同樽俎異。
月明伴宿玉堂空,骨冷魂清無夢寐。
#5
夜半金雞啁哳鳴,火輪飛出客心驚。
人間有累不可住,依然離別難為情。
船開櫂進一迴顧,萬里蒼蒼煙水暮。
世俗寧知偽與真,至今傳者武陵人。
 

--------------------------------------------------------------------------------
 
詩文(異文):
神仙有無何渺茫,桃源之說誠荒唐。
流水盤迴山百轉,生綃數幅垂中堂。
武陵太守好事者,題封遠寄南宮下。
南宮先生忻得之,波濤入筆驅文辭。
文工畫妙各臻極,異境恍惚移於斯。
架巖鑿谷開宮室,接屋連牆千萬日。
嬴顛劉蹶了不聞,地坼天分非所恤。
種桃處處惟開花,川原近遠蒸紅霞【川原近遠烝紅霞】。
初來猶自念鄉邑,歲久此地還成家。
漁舟之子來何所,物色相猜更問語。
大蛇中斷喪前王,群馬南渡開新主。
聽終辭絕共悽然,自說經今六百年。
當時萬事皆眼見,不知幾許猶流傳。
爭持酒食來相饋,禮數不同樽俎異。
月明伴宿玉堂空,骨冷魂清無夢寐。
夜半金雞啁哳鳴,火輪飛出客心驚。
人間有累不可住,依然離別難為情。
船開櫂進一迴顧,萬里蒼蒼煙水暮。
世俗寧知偽與真,至今傳者武陵人。
海棠花021 









 
『桃源圖』 現代語訳と訳註
(本文)
神仙有無何渺茫,桃源之說誠荒唐。
流水盤迴山百轉,生綃數幅垂中堂。
武陵太守好事者,題封遠寄南宮下。


(下し文)
桃源の圖
神仙の有無 何ぞ渺茫【びゅうぼう】,桃源の說 誠に荒唐。
流水 盤迴 山 百轉,生綃 數幅 中堂に垂る。
武陵の太守は 好事の者,題封 遠く寄す南宮の下。


(現代語訳)
(桃源郷の図について)
神仙の郷が有るのか無いのか、このことはじつに漠然としたことではなかろうか。それも桃源郷の説を詩文書画などあらわされているが、荒唐無稽なことだ。
流れる川水は、盤のように廻り、山は百転し、うねりつづく‥…・。そんな図柄の絵が数幅、この奥座敷にかけられている。
武陵の太守が風流好きということで、この箱書きなんぞをはるばる礼部に頼んで来たということなのだ


(訳注)
桃源圖
・桃源図 この詩は陶淵明が「桃花源の詩」とその序でえがいた理想郷が、当時のひとびとに実在のものと考えられ、それが絵に描かれたり語りつたえたりされていた。たまたま武陵の太守の某なる人がかかせた絵を見せられたとき、その絵にちなんで桃花源伝説の虚罔性を批判したものである。陶淵明の詩以後、王維が「桃源行」をつくっているが、韓愈は、この詩で陶・王の二氏を兼ねて批判したものとみてよい。左に陶氏の序と詩、王氏の詩を参考までに掲げよう


神仙有無何渺茫,桃源之說誠荒唐。
神仙の郷が有るのか無いのか、このことはじつに漠然としたことではなかろうか。それも桃源郷の説を詩文書画などあらわされているが、荒唐無稽なことだ。


流水盤迴山百轉,生綃數幅垂中堂。
流れる川水は、盤のように廻り、山は百転し、うねりつづく‥…・。そんな図柄の絵が数幅、この奥座敷にかけられている。


武陵太守好事者,題封遠寄南宮下。
武陵の太守が風流好きということで、この箱書きなんぞをはるばる礼部に頼んで来たということなのだ


雪後寄崔二十六丞公 韓愈(韓退之) <142-#3>Ⅱ中唐詩705 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2509

韓愈 《雪後寄崔二十六丞公》 詩を詠う老人、孟郊は憔悴しており、荒れた棘が集まったようなところに棲み斃れた。しかし、孟郊の詩は清々しい宝玉であり、佩び玉として刻まれ、それを連ねて環にされるというものだ。


2013年6月10日 同じ日の紀頌之5つのブログ
●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩
Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩《擬魏太子鄴中集詩八首 應瑒》 謝靈運 六朝詩<83-#1> 791 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2503
●唐を代表する中唐の韓愈の儒家としての考えのよくわかる代表作の一つ
Ⅱ中唐詩・晩唐詩雪後寄崔二十六丞公 韓愈(韓退之) <142-#3>Ⅱ中唐詩705 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2509
●杜甫の全作品1141首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"
Ⅲ杜甫詩1000詩集漁陽 楽府(七言歌行) 成都6-(11) 杜甫 <476>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2505 杜甫詩1000-476-695/1500
●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている
Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集
●●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩
Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性酬郭簡州寄柑子 薛濤 唐五代詞・宋詩 薛濤-192-58-#52  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2507
 
 ■今週の人気記事(漢詩の5ブログ各部門)
 ■主要詩人の一覧・詩目次・ブログindex

『楚辞・九歌』東君 屈原詩<78-#1>505 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1332
http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67664757.html
『楚辞』九辯 第九段―まとめ 宋玉  <00-#35> 664 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2304
http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-rihakujoseishi/archives/6471825.html
安世房中歌十七首(1) 唐山夫人 漢詩 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67710265.html
為焦仲卿妻作 序 漢詩<143>古詩源 巻三 女性詩 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67729401.html
於凊河見輓船士新婚別妻一首 曹丕(魏文帝) 魏詩 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67759129.html
朔風 (一章) 曹植 魏詩<25-#1>文選 雑詩 上  http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67780868.html
謝靈運詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/1901_shareiun000.html 謝靈運詩 六朝期の山水詩人。この人の詩は上品ですがすがしい男性的な深みのある詩である。後世に多大な影響を残している。
謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。
登永嘉緑嶂山詩 #1 謝霊運 <20> 詩集 386ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67474554.html
登池上樓 #1 謝霊運<25>#1  ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67502196.html
孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩 盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。

李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html
李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人 古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首

 


雪後寄崔二十六丞公 韓愈(韓退之) <142-#3>Ⅱ中唐詩705 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2509


雪後寄崔二十六丞公
(雪が積もった後で崔丞公に寄せる。)
藍田十月雪塞關,我興南望愁群山。
藍田の郷に十月になって積雪があり、動きが取れなく行く道をふさがれてしまった。我々は起き上がって南の方を望むと終南山から続く山々が愁いにひたっている。
攢天嵬嵬凍相映,君乃寄命於其間。
天がここにあつまり、終南山は高くそそり立ち、凍りつきそしてそれぞれを移している。崔くんは少しの間出立の命を置いておくことである。
秩卑俸薄食口眾,豈有酒食開容顏。
役人としての地位が卑しいし、俸禄は薄いのにそれを当てにしている口数は集まってきている。どうしてなのか、酒と肴と食事を用意して顔を集めることにする。

殿前群公賜食罷,驊騮蹋路驕且閑。
御殿には数多の諸公がそろってはいるがこのまま家臣の食を賜るのを止める。旅を共にする駿馬の「驊騮」はふぃちを踏み固めて、踊ってはねたり、静かにしていたりする。
稱多量少鑒裁密,豈念幽桂遺榛菅。
多くの称号を得ているし、貰っている糧は少ない。顔の細やかな変化にも判断する詩さらにこまやかなところまで覗き込む。どうして静かな隠遁する場所は桂が植えてある所で、カバノキや菅や葉のある所ではないと思うのであろうか。
幾欲犯嚴出薦口,氣象硉兀未可攀。
幾ばくかは厳しいことばかりでこころを犯すばかりでなく賞賛することを云いだすことも必要だ。こうした出来事は厳格なものかもしれないがいまだに手を挙げてはじめてはいないのだ。
歸來殞涕揜關臥,心之紛亂誰能刪。
帰って来てみると涙を流すのは嫌なことで門を閉じてかぎを掛けひきこもる。心はというと乱れ飛び散っているが誰といってこれを咎める者はいない。

詩翁憔悴斸荒棘,清玉刻佩聯玦環。
詩を詠う老人、孟郊は憔悴しており、荒れた棘が集まったようなところに棲み斃れた。しかし、孟郊の詩は清々しい宝玉であり、佩び玉として刻まれ、それを連ねて環にされるというものだ。
腦脂遮眼臥壯士,大弨挂壁無由彎。
門下の張籍というものは肥満して糖尿病にでもなれば、目は見えなくなり勇壮な男でも床に臥すようになる。どんなに詩才があっても大きな弓は壁に立てかけるだけでなかなか弓を番えることはないことと同じなのだ。
乾坤惠施萬物遂,獨於數子懷偏慳。
天からほどこされる恵みあるものは万物そのように生育される。ただ一人、あるいは、数人がかたよったかんがえをしている
朝欷暮唶不可解,我心安得如石頑。 

そんなふうに朝に歎き、ゆうべには悲しむが苦しむことばかりでそのわけも分からないのである。私の心はどうしてこんなにも、石のように意固地な考えをしているのだろうか。

雪後 崔二十六丞公に寄せる
藍田 十月 雪の塞關をぐ,我 興きて 南望して 群山を愁う。
天に攢って 嵬嵬 凍りて相い映り,君 乃ち命を其間に寄す。
秩は卑く 俸は薄くして 食口眾し,豈に 酒食の容顏を開く有らむ。

殿前の群公は食を賜りて罷み,驊騮 路を蹋みて驕り且つ閑【なら】へる。
稱多く量少く鑒裁【かんさい】密にす,豈に念う幽桂は榛菅を遺す。
幾【いくたび】か欲す 嚴を犯し 薦口を出ださむと,氣象 硉兀【みつこつ】未だ攀ぐ可からず。
歸り來て涕を殞【おと】し揜關【こうかん】して臥し,心は之れ紛亂し 誰か能く刪【けず】らん。
詩翁 憔悴して 荒棘【こうきょく】を斸す,清玉 佩を刻し玦環【けつかん】を聯ぬ。
腦脂 遮眼して 壯士を臥す,大弨 壁に挂け 彎するに由無し。
乾坤 惠施して 萬物遂【と】ぐ,獨り數子於て懷は偏慳なり。
朝に欷し 暮に唶し 解す可からず,我が心 安んぞ 石の如く頑なるを得んや。
 


『雪後寄崔二十六丞公』 現代語訳と訳註
4岳陽樓詩人003(本文)

詩翁憔悴斸荒棘,清玉刻佩聯玦環。
腦脂遮眼臥壯士,大弨挂壁無由彎。
乾坤惠施萬物遂,獨於數子懷偏慳。
朝欷暮唶不可解,我心安得如石頑。 


(下し文)
詩翁 憔悴して 荒棘【こうきょく】を斸す,清玉 佩を刻し玦環【けつかん】を聯ぬ。
腦脂 遮眼して 壯士を臥す,大弨 壁に挂け 彎するに由無し。
乾坤 惠施して 萬物遂【と】ぐ,獨り數子於て懷は偏慳なり。
朝に欷し 暮に唶し 解す可からず,我が心 安んぞ 石の如く頑なるを得んや。 


(現代語訳)
詩を詠う老人、孟郊は憔悴しており、荒れた棘が集まったようなところに棲み斃れた。しかし、孟郊の詩は清々しい宝玉であり、佩び玉として刻まれ、それを連ねて環にされるというものだ。
門下の張籍というものは肥満して糖尿病にでもなれば、目は見えなくなり勇壮な男でも床に臥すようになる。どんなに詩才があっても大きな弓は壁に立てかけるだけでなかなか弓を番えることはないことと同じなのだ。
天からほどこされる恵みあるものは万物そのように生育される。ただ一人、あるいは、数人がかたよったかんがえをしている
そんなふうに朝に歎き、ゆうべには悲しむが苦しむことばかりでそのわけも分からないのである。私の心はどうしてこんなにも、石のように意固地な考えをしているのだろうか。


(訳注)
詩翁憔悴斸荒棘,清玉刻佩聯玦環。
詩を詠う老人、孟郊は憔悴しており、荒れた棘が集まったようなところに棲み斃れた。しかし、孟郊の詩は清々しい宝玉であり、佩び玉として刻まれ、それを連ねて環にされるというものだ。
・詩翁 詩を詠う老人。孟郊のこと。
・憔悴 心配や疲労・病気のためにやせ衰えること。
・斸 ぞくする。あつめる。きる。斃れる。
・荒棘 あばら家に棲む。
・清玉 清々しい宝玉のことで孟郊の詩に喩える。
・刻佩 この語も詩の喩え。
・聯玦環 この語も詩の喩えで詩の技巧を云う。


腦脂遮眼臥壯士,大弨挂壁無由彎。
門下の張籍というものは肥満して糖尿病にでもなれば、目は見えなくなり勇壮な男でも床に臥すようになる。どんなに詩才があっても大きな弓は壁に立てかけるだけでなかなか弓を番えることはないことと同じなのだ。
・腦脂 肥満して糖尿病。張籍のこと。
・遮眼 馬が前方しか見えないように視野をさえぎる
・大弨 おおきくそりかえる。
・彎 弓を引き絞ったように曲がる。「彎曲・彎月」


乾坤惠施萬物遂,獨於數子懷偏慳。
天からほどこされる恵みあるものは万物そのように生育される。ただ一人、あるいは、数人がかたよったかんがえをしている
・乾坤 1 易(えき)の卦(け)の乾と坤。 2 天と地。天地。「奔騰狂転せる風は…、―を震撼し、樹石を動盪(どうとう)しぬ」〈露伴・運命〉 3 陰陽。 4 いぬい(北西)の方角とひつじさる(南西)の方角。 5 2巻で一組となっている書物の、上巻と
・偏慳 1 けちけちする。「慳貪(けんどん)・慳吝(けんりん)」 2 いじわるな。むごい。「邪慳」


朝欷暮唶不可解,我心安得如石頑。 
そんなふうに朝に歎き、ゆうべには悲しむが苦しむことばかりでそのわけも分からないのである。私の心はどうしてこんなにも、石のように意固地な考えをしているのだろうか。
・欷/唶 どちらもなげくこと。
・石頑 石のように頑固である。意固地である。
詩人055

雪後寄崔二十六丞公 韓愈(韓退之) <142-#1>Ⅱ中唐詩703 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2499

雪後寄崔二十六丞公 韓愈   藍田の郷に十月になって積雪があり、動きが取れなく行く道をふさがれてしまった。我々は起き上がって南の方を望むと終南山から続く山々が愁いにひたっている。
 

2013年6月7日 同じ日の紀頌之5つのブログ
●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩
Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩《擬魏太子鄴中集詩八首 劉楨》 謝靈運 六朝詩<82-#1> 788 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2488
●唐を代表する中唐の韓愈の儒家としての考えのよくわかる代表作の一つ
Ⅱ中唐詩・晩唐詩雪後寄崔二十六丞公 韓愈(韓退之) <142-#1>Ⅱ中唐詩703 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2499
●杜甫の全作品1141首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"
Ⅲ杜甫詩1000詩集遭田父泥飲美嚴中丞 五言古詩 成都6-(10-#2) 杜甫 <475>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2490 杜甫詩1000-476-692/1500
●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている
Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集
●●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩
Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性十離詩十首 鏡離台 薛濤 唐五代詞・宋詩 薛濤-189-55-#49  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2492
 
 ■今週の人気記事(漢詩の5ブログ各部門)
 ■主要詩人の一覧・詩目次・ブログindex

『楚辞・九歌』東君 屈原詩<78-#1>505 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1332 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67664757.html
『楚辞』九辯 第九段―まとめ 宋玉  <00-#35> 664 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2304
http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-rihakujoseishi/archives/6471825.html
安世房中歌十七首(1) 唐山夫人 漢詩 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67710265.html
為焦仲卿妻作 序 漢詩<143>古詩源 巻三 女性詩 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67729401.html
於凊河見輓船士新婚別妻一首 曹丕(魏文帝) 魏詩 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67759129.html
朔風 (一章) 曹植 魏詩<25-#1>文選 雑詩 上  http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67780868.html
謝靈運詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/1901_shareiun000.html 謝靈運詩 六朝期の山水詩人。この人の詩は上品ですがすがしい男性的な深みのある詩である。後世に多大な影響を残している。
謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。
登永嘉緑嶂山詩 #1 謝霊運 <20> 詩集 386ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67474554.html
登池上樓 #1 謝霊運<25>#1  ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67502196.html
孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩 盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。

李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html
李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人 古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首

 

雪後寄崔二十六丞公 韓愈(韓退之) <142-#1>Ⅱ中唐詩703 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2499



作者: 韓愈 
元和八年  813年  46歲 
卷別: 卷三四二  文體: 七言古詩 
詩題: 雪後寄崔二十六丞公【案:斯立。】 
寫作地點: 目前尚無資料 
寫及地點:  藍田 (京畿道 京兆府 藍田)     
交遊人物/地點: 崔立之 當地交遊(京畿道 京兆府 藍田)
 

雪後寄崔二十六丞公
藍田十月雪塞關,我興南望愁群山。
攢天嵬嵬凍相映,君乃寄命於其間。
秩卑俸薄食口眾,豈有酒食開容顏。


殿前群公賜食罷,驊騮蹋路驕且閑。
稱多量少鑒裁密,豈念幽桂遺榛菅。
幾欲犯嚴出薦口,氣象硉兀未可攀。
歸來殞涕揜關臥,心之紛亂誰能刪。


詩翁憔悴斸荒棘,清玉刻佩聯玦環。
腦脂遮眼臥壯士,大弨挂壁無由彎。
乾坤惠施萬物遂,獨於數子懷偏慳。
朝欷暮唶不可解,我心安得如石頑。 

--------------------------------------------------------------------------------
 
詩文(含異文):
藍田十月雪塞關,我興南望愁群山。
攢天嵬嵬凍相映【攢天崔嵬凍相映】,君乃寄命於其間。
秩卑俸薄食口眾,豈有酒食開容顏。
殿前群公賜食罷,驊騮蹋路驕且閑。
稱多量少鑒裁密,豈念幽桂遺榛菅。
幾欲犯嚴出薦口,氣象硉兀未可攀。
歸來殞涕揜關臥,心之紛亂誰能刪。
詩翁憔悴斸荒棘【案:謂孟郊。】,清玉刻佩聯玦環。
腦脂遮眼臥壯士【案:謂張籍病眼。】,大弨挂壁無由彎。
乾坤惠施萬物遂,獨於數子懷偏慳。
朝欷暮唶不可解,我心安得如石頑。 
 





『雪後寄崔二十六丞公』 現代語訳と訳註
(本文) 雪後寄崔二十六丞公
藍田十月雪塞關,我興南望愁群山。
攢天嵬嵬凍相映,君乃寄命於其間。
秩卑俸薄食口眾,豈有酒食開容顏。


(下し文)
雪後 崔二十六丞公に寄せる
藍田 十月 雪の塞關,我興 南望して 群山を愁う。
攢天 嵬嵬 凍し相い映り,君 乃ち命を寄せて其間に於いてす。
秩卑 俸薄 食口眾り,豈に 酒食有り 容顏を開く。


(現代語訳)
(雪が積もった後で崔丞公に寄せる。)
藍田の郷に十月になって積雪があり、動きが取れなく行く道をふさがれてしまった。我々は起き上がって南の方を望むと終南山から続く山々が愁いにひたっている。
天がここにあつまり、終南山は高くそそり立ち、凍りつきそしてそれぞれを移している。崔くんは少しの間出立の命を置いておくことである。
役人としての地位が卑しいし、俸禄は薄いのにそれを当てにしている口数は集まってきている。どうしてなのか、酒と肴と食事を用意して顔を集めることにする。


(訳注)
雪後寄崔二十六丞公
雪が積もった後で崔丞公に寄せる。


藍田十月雪塞關,我興南望愁群山。
藍田の郷に十月になって積雪があり、動きが取れなく行く道をふさがれてしまった。我々は起き上がって南の方を望むと終南山から続く山々が愁いにひたっている。
・藍田 陝西省西安市に位置する県。


攢天嵬嵬凍相映,君乃寄命於其間。
天がここにあつまり、終南山は高くそそり立ち、凍りつきそしてそれぞれを移している。崔くんは少しの間出立の命を置いておくことである。
・攢 あつまる。むらがる。
・嵬嵬 高くそそりたつ。


秩卑俸薄食口眾,豈有酒食開容顏。
役人としての地位が卑しいし、俸禄は薄いのにそれを当てにしている口数は集まってきている。どうしてなのか、酒と肴と食事を用意して顔を集めることにする。
・秩卑 役人としての地位が卑しい。


・贈崔立之 底本外葉巻一。この詩を贈った対手の崔立之、名は斯立、立之はその字である。博陵の人で元和元年には大理評事、すなわち裁判所の下級判事であった。韓愈の詩にはこの人に贈るものが頗る多い。ずいぶん親しい調子で、からかったりもしているから、弟子のひとりだったのであろう。
「答崔立之書」韓愈が吏部の試験に三度も及第しないことに崔立之が激励の詩をよこしたことに応えたもの。
「贈崔立之評事」「崔立之評事に贈る」という詩に「崔侯文章苦捷敏,高浪駕天輸不盡。崖侯の文章は苦だ捷敏」とうたい 「才豪氣猛易語言,往往蛟螭雜螻蚓。」(才豪に気猛に語言を易しとし、往々にして較蛸に蝮矧を雑ふ)といっているところからすれば、才気にまかせて書きなぐり、できた詩文は玉石混清だったのであろう。同じ詩に「頻蒙怨句刺棄遺,豈有閑官敢推引。」(頻に怨句を蒙って棄遺すと刺らる。豈 問官にして敢て推引するあらむ)というのは、崔が現職にあきたらず、有利な職へ転ずるよう推薦してほしいと、しつこくたのみ、話がてきぱきと進まないと「お忘れになったのですか」と嫌味をいうこともあったのであろう。これに対し大学の下級教官では人を推薦できる柄ではない、といっているのである。

崋山女 韓退之(韓愈)詩<113-3>Ⅱ中唐詩555 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ1786


崋山女 韓退之(韓愈)詩<113-3>



  同じ日の紀頌之5つのブログ 
 Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩鰕鱓篇 曹植 魏詩<16>玉台新詠・文選楽府 古詩源 巻五 女性詩642 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1785 
 Ⅱ中唐詩・晩唐詩崋山女 韓退之(韓愈)詩<113-3>Ⅱ中唐詩555 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ1786 
 Ⅲ杜甫詩1000詩集成都(2部)浣花渓の草堂(2 -7) 田舍 杜甫 <370>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1787 杜甫詩 1000- 54 
 Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集嘲鼾睡二首 其二 韓退之(韓愈)詩<85> (01/12) 
 Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩『渭上題三首』 之三温庭筠  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-42-11-#  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1784 
      
 ■今週の人気記事(漢詩の5ブログ各部門)



各詩人の目次
謝靈運詩    http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/1901_shareiun000.html
孟浩然の詩  http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html
李商隠詩    http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html
女性詩人    http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html
孟郊詩     http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html
李商隠詩    http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html


◎漢文委員会のHP http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/
     漢詩03 http://3rd.geocities.jp/miz910yh/
     漢詩07 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com
     漢詩08 http://kanbuniinkai8.dousetsu.com


崋山女 韓退之(韓愈)詩<113-3>Ⅱ中唐詩555 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ1786


この頃のアイドルは巫女、道女、妓女である。韓愈は、道教が仏教と共にきらいであって、道教を排斥した詩には、このほか、「謝自然詩」「誰氏子」などがある。当時の道教が、新興宗教的要素を持っていたことが分かる。
仏教を風刺したものとして・『送靈師』題木居士二首其一  『題木居士二首其二』  

かなり長いので、四段に分けた。


華山女
街東街西講佛經,撞鐘吹螺鬧宮庭。
長安の街東街西のいたるところで仏教の「説経講談」をしている。鐘を撞きほら貝を吹いて宮廷までも大さわぎをしているのである。
廣張罪福資誘脅,聽眾狎恰排浮萍。
功罪と幸福と不幸、天国と地獄を大げさに誇張し脅して勧誘の助けとし、聴く人は烏合の衆と化し、ただよう浮草を押し退けあうような状態である。
黃衣道士亦講說,座下寥落如明星。』
一方、黄衣をつけた道士も同様に講議説教はしているが、講壇の下は夜明けの星のようにまばらな状態である。 
#2
華山女兒家奉道,欲驅異教歸仙靈。
華山の少女は家庭が道教を信奉している、異教を追い払い神仙の靈に帰依させたいと思っている。
洗妝拭面著冠帔,白咽紅頰長眉青。
少女は化粧を落とし、顔を清めて冠と上にはおりを着るのである、そして白いのど、赤いほお、長い眉は長く伸ばしてひいている。
遂來升座演真訣,觀門不許人開扃。
こうしてやって来て講壇に上がり、道教の奥儀を説くのである。そもそも道観の門は他人がとびらを開けてはいることを許さないのである。
不知誰人暗相報,訇然振動如雷霆。」
そうしてるうちに誰が互いにそっと知らせあったのだろう、わっとはげしい雷のように地響きをならして集まって来るのである。
#3
掃除眾寺人跡絕,驊騮塞路連輜輧。
寺観はきれいに掃除し、はらい清められて人の足あともなくされる、こちらには駿馬が路をふさぐほどいっぱいになり、婦人の乗るほろ車が連なっているのだ。
觀中人滿坐觀外,後至無地無由聽。
道観の中には人がいっぱいにあふれて寺観の外にまで腰を下ろしているのだ、遅れてやって来たものは居場所がなく聴く方法さえないというほどだ。
抽簪脫釧解環佩,堆金疊玉光青熒。
カンザシを抜き腕輪をはずし佩玉を解いて寄進を済ませるのだ、金を積む上げ、玉がかさねているものはきらきらと光りかがやいている。
天門貴人傳詔召,六宮願識師顏形。
「天門貴人」といわれる宦官が詔を伝えおぼしめされる、それにつづいて後宮の女官たちは女道士さまのおかおが見たいものと願いでる。
玉皇頷首許歸去,乘龍駕鶴來青冥。』
玉皇さまはうなずいて帰り行くことをお許しになり、女道士は龍の乗り鶴に車を引かせて青ぞらを渡って帰って行くのである。

#4
豪家少年豈知道,來繞百匝腳不停。
雲窗霧閣事恍惚,重重翠幕深金屏。
仙梯難攀俗緣重,浪憑青鳥通丁寧。』


(華山女)
街東街西 仏経を講じ、鐘を撞き螺を吹いて宮庭を鬧【さわ】がす。
広く罪福【ざいふく】を張って誘脅【ゆうきょう】を資【たす】け、聴衆 狎恰【こうこう】して浮萍【ふひょう】を排す。
黃衣【こうい】の道士も亦講説すれど、座下は寥落【りょうらく】として明星の如し。
#2
華山の女兒【じょじ】家道を奉じ,異教を驅って仙靈【せんれい】に歸せしめんと欲す。
妝を洗い面を拭って冠帔【かんぴ】を著け,白咽【はくいん】紅頰【こうきょう】長眉【ちょうび】青し。
遂に來って座に升りて真訣【しんけつ】を演【の】べ,觀門許さず人の扃【とびら】を開くことを。
知らず誰人か暗【ひそ】かに相い報ぜじ,訇然【こぜん】として振動して雷霆【らいてい】の如し。」
#3
眾寺を掃除して人跡絕え,驊騮【かりゅう】路に塞りて輜輧【しへい】に連なる。
觀中人滿ちて觀外に坐し,後れて至るは地無く聽くに由無し。
簪を抽【ぬ】きて釧【せん】を脫し環佩【かんぽい】を解く,金を堆【つ】み玉を疊んで光り青熒【せいけい】たり。
天門の貴人 詔を傳えて召し,六宮 師の顏形を識らんことを願う。
玉皇 首を頷いて歸り去らんことを許し,龍に乘りて鶴に駕して青冥に來たる。』


華山000


『華山女』 現代語訳と訳註
(本文)
#3
掃除眾寺人跡絕,驊騮塞路連輜輧。
觀中人滿坐觀外,後至無地無由聽。
抽簪脫釧解環佩,堆金疊玉光青熒。
天門貴人傳詔召,六宮願識師顏形。
玉皇頷首許歸去,乘龍駕鶴來青冥。』


(下し文) #3
眾寺を掃除して人跡絕え,驊騮【かりゅう】路に塞りて輜輧【しへい】に連なる。
觀中人滿ちて觀外に坐し,後れて至るは地無く聽くに由無し。
簪を抽【ぬ】きて釧【せん】を脫し環佩【かんぽい】を解く,金を堆【つ】み玉を疊んで光り青熒【せいけい】たり。
天門の貴人 詔を傳えて召し,六宮 師の顏形を識らんことを願う。
玉皇 首を頷いて歸り去らんことを許し,龍に乘りて鶴に駕して青冥に來たる。』


(現代語訳)
寺観はきれいに掃除し、はらい清められて人の足あともなくされる、こちらには駿馬が路をふさぐほどいっぱいになり、婦人の乗るほろ車が連なっているのだ。
道観の中には人がいっぱいにあふれて寺観の外にまで腰を下ろしているのだ、遅れてやって来たものは居場所がなく聴く方法さえないというほどだ。
カンザシを抜き腕輪をはずし佩玉を解いて寄進を済ませるのだ、金を積む上げ、玉がかさねているものはきらきらと光りかがやいている。
「天門貴人」といわれる宦官が詔を伝えおぼしめされる、それにつづいて後宮の女官たちは女道士さまのおかおが見たいものと願いでる。
玉皇さまはうなずいて帰り行くことをお許しになり、女道士は龍の乗り鶴に車を引かせて青ぞらを渡って帰って行くのである。


(訳注) #3
掃除眾寺人跡絕,驊騮塞路連輜輧。

寺観はきれいに掃除し、はらい清められて人の足あともなくされる、こちらには駿馬が路をふさぐほどいっぱいになり、婦人の乗るほろ車が連なっているのだ。
・掃除 掃い除く。一掃する。
・驊騮 駿馬。がんらい周の穆王(前1002-947年在位)の世界旅行のとき、車を引かせた八匹の駿馬のうちの一匹の名。
・輜輧 ほろのある車。婦人の乗り物である。


觀中人滿坐觀外,後至無地無由聽。
道観の中には人がいっぱいにあふれて寺観の外にまで腰を下ろしているのだ、遅れてやって来たものは居場所がなく聴く方法さえないというほどだ。
無由聴 聴く方法がない。由は、それによって目的(ここでは聴く)を達すること。


抽簪脫釧解環佩,堆金疊玉光青熒。
カンザシを抜き腕輪をはずし佩玉を解いて寄進を済ませるのだ、金を積む上げ、玉がかさねているものはきらきらと光りかがやいている。
 二またのかんざし。
・釧 腕輪。
・環佩 腰にさげる玉。いくつも下げて、歩くとき、互にふれあってさやか書をたでる。男もさげるが、環佩というときは、婦のばあいが多い。ここの装身具をはずすのは、婦人の聴衆が墓に感動して、自分の装身具をはずして寄進することをいぅ。
・堆金疊玉光青熒 金をつみあげ玉をかさねきらきらと光っている。寄進された釵と釧や環佩を形容したもの。青熒は、かがやくさま。


天門貴人傳詔召,六宮願識師顏形。
「天門貴人」といわれる宦官が詔を伝えおぼしめされる、それにつづいて後宮の女官たちは女道士さまのおかおが見たいものと願いでる。
天門貴人 宮中の宦官。天門は、天上の門から、宮中のことをいう。以下宮中のことを、神仙の世界の天上にたとえである。貴人は、女官の名にもあるが、ここでは、詔を伝えたとあるから、中貴人すなわち宦官のことである。
六宮 天子の後宮。六棟の宮殿から成り、皇后・夫人以下官が分かれて住んでいる。長安大明宮の場合、蓬莱殿、綾綺殿、宣微殿、紫宸殿、浴堂殿、温室殿である。
 華山の少女の女道士。師は、僧侶・道士の尊称として用いられる。


玉皇頷首許歸去,乘龍駕鶴來青冥。』
玉皇さまはうなずいて帰り行くことをお許しになり、女道士は龍の乗り鶴に車を引かせて青ぞらをかけて帰って行くのである。
・玉皇 道教で、天上の上帝を呼ぶ名。ここでは、天子をたとえている。
頷首 うなずく。許可を示す。
乗竜 竜や鶴に乗り物を引かせる竜や鶴は、神仙が乗り物を引かせるのに用いる動物である。
靑冥 青ぞらをかけて下界へ降って来る。青冥は、青くてはるかな空と、天をさす。女道士が通って来る場所をいう。
杜甫 体系 地図458華州から秦州

誰氏子 韓愈 韓退之(韓愈)詩<99-#2>Ⅱ中唐詩534 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ1702

誰氏子 韓愈 韓退之(韓愈)詩

  同じ日の紀頌之5つのブログ 
 Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩又清河作一首 曹丕(魏文帝) 魏詩<4> 女性詩621 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1701 
 Ⅱ中唐詩・晩唐詩誰氏子 韓愈 韓退之(韓愈)詩<99-#2>Ⅱ中唐詩534 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ1702 
 Ⅲ杜甫詩1000詩集”成都紀行(11)”  鹿頭山 杜甫詩1000 <351>#3 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1703 杜甫1500- 525 
 Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集元和聖徳詩 韓退之(韓愈)詩 (12/22) 
 Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩温庭筠 菩薩蛮 14首index(2) まとめ-2 
      
 ■今週の人気記事(漢詩の3部門ランキング)
 ■主要詩人の一覧・詩目次・ブログindex 
 謝靈運index謝靈運詩古詩index漢の無名氏  
孟浩然index孟浩然の詩韓愈詩index韓愈詩集
杜甫詩index杜甫詩 李商隠index李商隠詩
李白詩index 李白350首女性詩index女性詩人 
 上代・後漢・三国・晉南北朝・隋初唐・盛唐・中唐・晩唐北宋の詩人  
◎漢文委員会のHP http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/
                  http://kanbuniinkai7.dousetsu.com
                  http://kanbuniinkai8.dousetsu.com
                           http://3rd.geocities.jp/miz910yh/

誰氏子 韓愈 韓退之(韓愈)詩<99-#2>Ⅱ中唐詩534 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ1702

誰氏子
非癡非狂誰氏子,去入王屋稱道士。
痴呆というのではないし、一つの事だけで他が見えないというほどでもないがだれでどこの家の子であろうか、ここを去って王屋山に入って道士になるというらしい。
白頭老母遮門啼,挽斷衫袖留不止。
道士になろうとした息子を白髪頭の老母は門をさえぎるようにして啼いて、着物の袖を引っ張って留めようとするのを振り払って止められなかったのだ。
翠眉新婦年二十,載送還家哭穿市。
翠の眉の新婦である嫁の年はまだ二十なのである。実家に送り還えされるのだが、その哭き声は、市中をつんざくほどの声でわめいたのだ。
或雲欲學吹鳳笙,所慕靈妃媲蕭史。
或はこうも言う「鳳凰の笙笛を吹き方を学ぼうとして むかしの仙人の蕭史に嫁いだ弄玉みたいな仙女をもらうつもりだろう」という人があるのだ。
又雲時俗輕尋常,力行險怪取貴仕。

またこうも云う「現在の世俗の人たちは、あたりまえのことを軽蔑して、目先のかわったことをよろこぶ。
幻奇なあやしげなことをむりにやってのけて、それで高い地位をえようとする。」という人もあるのである。

神仙雖然有傳說,知者盡知其妄矣。
神仙思想についてはご承知の通りこれまでもさまざまの諸伝説あるとはいうものの、知識人のものはそれがことごとく迷信や、無知で盲目的に信じられて来たことを知っている。
聖君賢相安可欺,乾死窮山竟何俟。
聖人の天子、君主や賢い宰相を簡単に欺たりできようか、ひからびてミイラのようになるまで待ってみたところで山奥の奥で塵となって尽き果てるというものでしかない。
嗚呼余心誠豈弟,願往教誨究終始。
ああ、わたしが心の底から思うことはどうして一緒に和して楽しいということになろうか。ほんとうに可哀そうでしかたがないのだ。思い願うことはなんとか出かけていって教えてやり、事の始終をさとらせたいということだ。
罰一勸百政之經,不從而誅未晚耳。
「罰一勸百」ということは、一個人を罰するのは衆人をついてこさせるためであり、一個人を賞賛してやることは百人が進んで行うようになる政治の根本をいうのであり、とはいえ、どうにも聞く耳を持たないというなら、それから天誅を下しても、おそすぎるということにはならいのだ。
誰其友親能哀憐,寫吾此詩持送似。
こうなったら、だれか、友人親戚で愛情をもっている人が、わたしのこの詩を写しとって持ってゆき、その「誰かさん」に渡してやってくれないだろうか。

誰が氏の子

痴に非らず 狂に非ず 誰が氏の子ぞ,去りて王屋に入り道士と稱す。
白頭の老母 門を遮りて啼き,衫袖【さんしゅう】を挽斷【ばんだん】して留むれど止まらず。
翠眉の新婦 年二十,載送して 家に還らしむるに哭すこと 市を穿【うがて】り。
或は雲【い】う 「鳳笙を吹くを學ばんと欲し,慕う所は靈妃【れいひ】の蕭史【しょうし】の媲【へい】せしこと。」 と。
又 雲う 「時俗【じぞく】尋常を輕ろんずれば,力【つと】めて險怪【けんかい】を行い貴仕を取らんとす。」 と。

神仙 然【しか】く傳說【ふせつ】有りと雖も,知者は盡【ことごと】く其の妄なるを知る矣。
聖君と賢相とを 安んぞ欺く可けむ、窮山に乾死【】すとも 竟に何をか俟【ま】たむ。
鳴呼 余が心 誠に豈弟【がいてい】たらむや、願はくは 往きて教誨【きょうかい】し 終始を窮めむ。
一を罰し 百を勸むるは 政【まつりごと】の経、従はずして誅するも 未だ晩からざるのみ。
誰か其の友親の能く哀憐【あいりん】するもの、吾が此の詩を写し持して送りて 似【あた】へよ

fuyu0005

現代語訳と訳註
(本文)

神仙雖然有傳說,知者盡知其妄矣。
聖君賢相安可欺,乾死窮山竟何俟。
嗚呼余心誠豈弟,願往教誨究終始。
罰一勸百政之經,不從而誅未晚耳。
誰其友親能哀憐,寫吾此詩持送似。


(下し文)
神仙 然【しか】く傳說【ふせつ】有りと雖も,知者は盡【ことごと】く其の妄なるを知る矣。
聖君と賢相とを 安んぞ欺く可けむ、窮山に乾死【】すとも 竟に何をか俟【ま】たむ。
鳴呼 余が心 誠に豈弟【がいてい】たらむや、願はくは 往きて教誨【きょうかい】し 終始を窮めむ。
一を罰し 百を勸むるは 政【まつりごと】の経、従はずして誅するも 未だ晩からざるのみ。
誰か其の友親の能く哀憐【あいりん】するもの、吾が此の詩を写し持して送りて 似【あた】へよ


(現代語訳)
神仙思想についてはご承知の通りこれまでもさまざまの諸伝説あるとはいうものの、知識人のものはそれがことごとく迷信や、無知で盲目的に信じられて来たことを知っている。
聖人の天子、君主や賢い宰相を簡単に欺たりできようか、ひからびてミイラのようになるまで待ってみたところで山奥の奥で塵となって尽き果てるというものでしかない。
ああ、わたしが心の底から思うことはどうして一緒に和して楽しいということになろうか。ほんとうに可哀そうでしかたがないのだ。思い願うことはなんとか出かけていって教えてやり、事の始終をさとらせたいということだ。
「罰一勸百」ということは、一個人を罰するのは衆人をついてこさせるためであり、一個人を賞賛してやることは百人が進んで行うようになる政治の根本をいうのであり、とはいえ、どうにも聞く耳を持たないというなら、それから天誅を下しても、おそすぎるということにはならいのだ。
こうなったら、だれか、友人親戚で愛情をもっている人が、わたしのこの詩を写しとって持ってゆき、その「誰かさん」に渡してやってくれないだろうか。


(訳注)
神仙雖然有傳說,知者盡知其妄矣。

神仙思想についてはご承知の通りこれまでもさまざまの諸伝説あるとはいうものの、知識人のものはそれがことごとく迷信や、無知で盲目的に信じられて来たことを知っている。


聖君賢相安可欺,乾死窮山竟何俟。
聖人の天子、君主や賢い宰相を簡単に欺たりできようか、ひからびてミイラのようになるまで待ってみたところで山奥の奥で塵となって尽き果てるというものでしかない。
・乾死 ひからびて死ぬ。飢死すること。故なくして枉死し、ミイラのようになること。


嗚呼余心誠豈弟,願往教誨究終始。
ああ、わたしが心の底から思うことはどうして一緒に和して楽しいということになろうか。ほんとうに可哀そうでしかたがないのだ。思い願うことはなんとか出かけていって教えてやり、事の始終をさとらせたいということだ。
・豈弟 『詩経』斉風載駆に詩経 斉風載駆 斉子豈弟「斉の子は豈弟たり」小雅蓼蕭に 「既に君子に見れば、孔(はなは)だ燕(宴)は豈弟(和して楽しい)。」とみえ、やすらぎたのしむ、という意。ここでは平気でいられようかという反語である。


罰一勸百政之經,不從而誅未晚耳。
「罰一勸百」ということは、一個人を罰するのは衆人をついてこさせるためであり、一個人を賞賛してやることは百人が進んで行うようになる政治の根本をいうのであり、とはいえ、どうにも聞く耳を持たないというなら、それから天誅を下しても、おそすぎるということにはならいのだ。
・罰一勸百政之經 『例子』「子曰:‘賞一以勸百,罰一以懲眾。」一個人を罰するのは衆人をついてこさせるためであって一個人を賞賛してやることに基づく。


誰其友親能哀憐,寫吾此詩持送似。
こうなったら、だれか、友人親戚で愛情をもっている人が、わたしのこの詩を写しとって持ってゆき、その「誰かさん」に渡してやってくれないだろうか。
・似 あたえる。







誰氏子 韓退之(韓愈)詩<99-#1>Ⅱ中唐詩534 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ1702

誰氏子 韓愈

◆◆◆2012年12月21日紀頌之の5つの漢文ブログ◆◆◆  

Ⅰ.李白と李白に影響を与えた詩集 
古代中国の結婚感、女性感について述べる三国時代の三曹の一人、曹丕魏文帝の詩 

於凊河見輓船士新婚別妻一首 曹丕(魏文帝) 魏詩<3>玉台新詠集 女性詩620 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1697
http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67759129.html


Ⅱ.中唐詩・晩唐詩 
 唐を代表する中唐の韓愈の儒家としての考えのよくわかる代表作の一つ 

誰氏子 韓愈 韓退之(韓愈)詩<99-#1>Ⅱ中唐詩534 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ1702 
http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-rihakujoseishi/archives/6144076.html


Ⅲ.杜甫詩1000詩集 
●杜甫の全作品1141首のほとんどを取り上げて訳注解説するブログ 
●詩人として生きていくことを決めた杜甫が理想の地を求めてっ旅をする
●人生としては4/5前で、詩としては1/3を過ぎたあたり。 " 

”成都紀行(11)”  鹿頭山 杜甫詩1000 <351>#2 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1699 杜甫1500- 524 
http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-tohoshi/archives/67758700.html


Ⅳ.漢詩・唐詩・宋詞詩詩集 
元和聖徳詩 韓退之(韓愈)詩<80-#6> (12/21)
http://kanshi100x100.blog.fc2.com/blog-entry-574.html
 
Ⅴ.晩唐五代詞詩・宋詞詩 
 森鴎外の小説 ”激しい嫉妬・焦燥に下女を殺してしまった『魚玄機』”彼女の詩の先生として登場する 晩唐期の詩人 温庭筠(おんていいん)の作品を訳註解説する。 
温庭筠 菩薩蛮 14首index(1) 
http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-godaisoui/archives/21204898.html
 
謝靈運詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/1901_shareiun000.html
孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html
李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html
女性詩人  http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html


誰氏子 韓愈 韓退之(韓愈)詩<99-#1>Ⅱ中唐詩534 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ1702


誰氏子
非癡非狂誰氏子,去入王屋稱道士。
痴呆というのではないし、一つの事だけで他が見えないというほどでもないがだれでどこの家の子であろうか、ここを去って王屋山に入って道士になるというらしい。
白頭老母遮門啼,挽斷衫袖留不止。
道士になろうとした息子を白髪頭の老母は門をさえぎるようにして啼いて、着物の袖を引っ張って留めようとするのを振り払って止められなかったのだ。
翠眉新婦年二十,載送還家哭穿市。
翠の眉の新婦である嫁の年はまだ二十なのである。実家に送り還えされるのだが、その哭き声は、市中をつんざくほどの声でわめいたのだ。
或雲欲學吹鳳笙,所慕靈妃媲蕭史。
或はこうも言う「鳳凰の笙笛を吹き方を学ぼうとして むかしの仙人の蕭史に嫁いだ弄玉みたいな仙女をもらうつもりだろう」という人があるのだ。
又雲時俗輕尋常,力行險怪取貴仕。

またこうも云う「現在の世俗の人たちは、あたりまえのことを軽蔑して、目先のかわったことをよろこぶ。
幻奇なあやしげなことをむりにやってのけて、それで高い地位をえようとする。」という人もあるのである。

神仙雖然有傳說,知者盡知其妄矣。
聖君賢相安可欺,乾死窮山竟何俟。
嗚呼余心誠豈弟,願往教誨究終始。
罰一勸百政之經,不從而誅未晚耳。
誰其友親能哀憐,寫吾此詩持送似。

誰が氏の子

痴に非らず 狂に非ず 誰が氏の子ぞ,去りて王屋に入り道士と稱す。
白頭の老母 門を遮りて啼き,衫袖【さんしゅう】を挽斷【ばんだん】して留むれど止まらず。
翠眉の新婦 年二十,載送して 家に還らしむるに哭すこと 市を穿【うがて】り。
或は雲【い】う 「鳳笙を吹くを學ばんと欲し,慕う所は靈妃【れいひ】の蕭史【しょうし】の媲【へい】せしこと。」 と。
又 雲う 「時俗【じぞく】尋常を輕ろんずれば,力【つと】めて險怪【けんかい】を行い貴仕を取らんとす。」 と。

神仙 然【しか】く傳說【ふせつ】有りと雖も,知者は盡【ことごと】く其の妄なるを知る矣。
聖君と賢相とを 安んぞ欺く可けむ、窮山に乾死【】すとも 竟に何をか俟【ま】たむ。
鳴呼 余が心 誠に豈弟【がいてい】たらむや、願はくは 往きて教誨【きょうかい】し 終始を窮めむ。
一を罰し 百を勸むるは 政【まつりごと】の経、従はずして誅するも 未だ晩からざるのみ。
誰か其の友親の能く哀憐【あいりん】するもの、吾が此の詩を写し持して送りて 似【あた】へよ


真竹002
『誰氏子』 現代語訳と訳註
(本文) 誰氏子

非癡非狂誰氏子,去入王屋稱道士。
白頭老母遮門啼,挽斷衫袖留不止。
翠眉新婦年二十,載送還家哭穿市。
或雲欲學吹鳳笙,所慕靈妃媲蕭史。
又雲時俗輕尋常,力行險怪取貴仕。


(下し文)
誰が氏の子

痴に非らず 狂に非ず 誰が氏の子ぞ,去りて王屋に入り道士と稱す。
白頭の老母 門を遮りて啼き,衫袖【さんしゅう】を挽斷【ばんだん】して留むれど止まらず。
翠眉の新婦 年二十,載送して 家に還らしむるに哭すこと 市を穿【うがて】り。
或は雲【い】う 「鳳笙を吹くを學ばんと欲し,慕う所は靈妃【れいひ】の蕭史【しょうし】の媲【へい】せしこと。」 と。
又 雲う 「時俗【じぞく】尋常を輕ろんずれば,力【つと】めて險怪【けんかい】を行い貴仕を取らんとす。」 と。


(現代語訳)
痴呆というのではないし、一つの事だけで他が見えないというほどでもないがだれでどこの家の子であろうか、ここを去って王屋山に入って道士になるというらしい。
道士になろうとした息子を白髪頭の老母は門をさえぎるようにして啼いて、着物の袖を引っ張って留めようとするのを振り払って止められなかったのだ。
翠の眉の新婦である嫁の年はまだ二十なのである。実家に送り還えされるのだが、その哭き声は、市中をつんざくほどの声でわめいたのだ。
或はこうも言う「鳳凰の笙笛を吹き方を学ぼうとして むかしの仙人の蕭史に嫁いだ弄玉みたいな仙女をもらうつもりだろう」という人があるのだ。
またこうも云う「現在の世俗の人たちは、あたりまえのことを軽蔑して、目先のかわったことをよろこぶ。
幻奇なあやしげなことをむりにやってのけて、それで高い地位をえようとする。」という人もあるのである。


(訳注)
誰氏子

・誰氏子 巻五。『荘子』外物眉に「其の誰氏の子なるかを知らず」 の語がみえる。どこの家の子かしらないが、というほどの意味であるが、この人物は河南府の副官李素のことで、この人物は正直者で権力者に全くおもねらなかったため左遷など、小人輩に貶められた。名前を伏せて正当に評価することにしたものである。唐宋八大家文読本巻六『河南少尹李公墓誌銘』明治書院発行同読本(二)のP572~P583にある。この詩の内容についてはP576に詳しく表されている。
『河南少尹李公墓誌銘』「拝河南少尹、行大尹事、呂氏子炅 ,棄其妻,著道士衣冠,謝母曰:「當學仙王屋山。」去數月復出。間詣公,公立之府門外,使吏卒脫道士冠,給冠帶,送付其母。黜屬令二人以臓,減民賦錢歲五千萬,請緩民輸期一月。 詔天下輸皆緩一月。公一斷治,不收聲,事常出名上。 曾祖弘泰,簡州刺史;祖乾秀,伊闕令;父燮,宣州長史,贈絳州刺史,母夫人敦煌張氏,其舅參有大名。公之配曰彭城劉氏夫人,夫人先卒,其葬以夫人祔。夫人曾祖曰子玄,祖曰餗,皆有大名。公之子男四人,長曰道敏,舉進士;其次曰道樞,其次曰道本、道易,皆好學而文。 女一人,嫁蘇之海鹽尉韋潛。自簡州而下,皆葬鳴皋山下。銘曰: 高其上而坎其中,以為公之宮,奈何乎公!

「河南少尹李公墓誌銘」に「河南少尹を拝し大尹の事を行ひしとき呂氏の子炅、その事を棄てて遣士の衣冠を書け、母に謝して日く、当に仙を王屋山に学ぶべし、と。去って数ヶ月にして復た出づ。間に公に詣る。
公、これを府の門外に立たしめ、吏をして道士の冠を脱せしめ、冠帯を給し、その母に送付しむ」とみえらから、それが誰かはわからなかったわけではない。墓誌銘のように一部の人にしか、読まれないものと違って、詩歌はひろく世間にゆきわたものなので、そこに名を記すことは公を貶めたものに対して喧嘩を売ることになり、問題を大きくすることになる。今日ならともかく千年以上前の貴族社会では韓愈の詩の雰囲気でも勇気のいることである。


非癡非狂誰氏子,去入王屋稱道士。
痴呆というのではないし、一つの事だけで他が見えないというほどでもないがだれでどこの家の子であろうか、ここを去って王屋山に入って道士になるというらしい。
・王屋山 河南省済源市境内にあり、総面積は272.47平方キロメートルである。古代九大名山の一つとして、道教「天下第一洞天」で軒轅黄帝の天祭り場所であるほかに、『愚公山を移す』寓言の発祥地である


白頭老母遮門啼,挽斷衫袖留不止。
道士になろうとした息子を白髪頭の老母は門をさえぎるようにして啼いて、着物の袖を引っ張って留めようとするのを振り払って止められなかったのだ。
挽斷 ちぎるというほど必死になってひっぱる。


翠眉新婦年二十,載送還家哭穿市。
翠の眉の新婦である嫁の年はまだ二十なのである。実家に送り還えされるのだが、その哭き声は、市中をつんざくほどの声でわめいたのだ。
・翠屑 うつくしい眉。眉によってその容貌全体を代表させている。
・載送還家 実家にかえすこと。姑の我儘で実家に還される長編詩、古詩源 巻三『為焦仲卿妻作』十三場面の31回の為焦仲卿妻作-其一(1) 漢詩<144>古詩源 巻三 女性詩584 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1569よくある話のようだが、ここでは道士になるということで還されるのである。


或雲欲學吹鳳笙,所慕靈妃媲蕭史。
或はこうも言う「鳳凰の笙笛を吹き方を学ぼうとして むかしの仙人の蕭史に嫁いだ弄玉みたいな仙女をもらうつもりだろう」という人があるのだ。
・鳳笙 『列仙伝』に「簫史者、秦穆公時人也。善吹簫、穆公有女號弄玉、好之、遂以妻焉。遂教弄玉作鳳鳴。居數十年、吹似鳳凰、鳳凰來止其屋、為作鳳臺、夫婦止其下。不數年、一旦隨鳳凰飛去。」(秦の穆公の時、蕭史あり、善く簫を吹く。公の女弄玉これを好む。公もって奏す。遂に弄玉に教へて鳳鴫をなす。居ること数年、吹くに鳳凰の声あり。鳳来ってその星に止まる。公、為に鳳台を作る。夫妻その上に止りしが、一旦、みな鳳凰に随って飛去す)とみえる。
・霊妃 秦の穆公の女の弄玉。
・地 配偶する。
・蕭史 『列仙伝』にある。


又雲時俗輕尋常,力行險怪取貴仕。
またこうも云う「現在の世俗の人たちは、あたりまえのことを軽蔑して、目先のかわったことをよろこぶ。
幻奇なあやしげなことをむりにやってのけて、それで高い地位をえようとする。」という人もあるのである。
・時俗軽尋常 現在の世俗の人たちは、あたりまえのことを軽蔑して、めさきのかわったことをよろこぶ。
・力行瞼怪取貴仕 あやしげなことをむりにやってのけて、それで高い地位をえようとする。
元和五年、憲宗皇帝は朝廷で「神仙のことはまことか」とたずね重臣の一人から手きびしく諌められたことがある。このころから、憲宗の神秘的なものへの傾倒がふかまり、朝廷にも、怪しげな人物が出入しはじめるようになった。
唐の皇室は李氏で、老子の子孫だといわれていただけに(実際は老子とは何の関係もない)唐代を通じて道教は尊重され、民間でも仏教とならんで、広く深く信ぜられた。従って儒教を信じて、こつこつ官更としての道を進んでゆくより仏僧か道士になって奇蹟的なことをやってみせるほうが、早く高い地位にありつくことができたのである。

陸渾山火和皇甫湜用其韻(湜時為陸渾尉) 韓退之(韓愈)詩<93-#1>Ⅱ中唐詩494 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ1561

 
  同じ日のブログ   
    1560盤中詩 蘇伯玉妻 漢詩<141-#3>古詩源 巻三 女性詩580 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1557
    1561陸渾山火和皇甫湜用其韻(湜時為陸渾尉) 韓退之(韓愈)詩<93-#1>Ⅱ中唐詩494 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ1561
    1562“同谷紀行(10)” 積草嶺 杜甫 1000<329>#1 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1562 杜甫詩 1500- 485
 
 ■今週の人気記事(漢詩の3部門ランキング)
 ■主要詩人の一覧・詩目次・ブログindex  
 謝靈運index謝靈運詩古詩index漢の無名氏  
孟浩然index孟浩然の詩韓愈詩index韓愈詩集
杜甫詩index杜甫詩 李商隠index李商隠詩
李白詩index 李白350首女性詩index女性詩人 
 上代~隋南北朝・隋の詩人初唐・盛唐・中唐・晩唐 
 
陸渾山火和皇甫湜用其韻(湜時為陸渾尉) 韓退之(韓愈)詩<93-#1>Ⅱ中唐詩494 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ1561


陸渾山火和皇甫湜用其韻
    (湜時為陸渾尉)#1
皇甫補官古賁渾,時當玄冬澤乾源。
皇甫君の任地は 古代の賁渾といわれたところである、今、季節は厳冬であるが水源の地でさえも乾ききっている。
山狂穀很相吐吞,風怒不休何軒軒。
山は狂ったような音を立て、谷も狂ってせめぎあっている、互いに吐き出して、呑みこんでいる。そしてケンケンと怒って、風も怒って荒れてやまない。
擺磨出火以自燔,有聲夜中驚莫原。
切り開き取り除きながら摩擦してとうとう火を吹き 燃え出しきている。大声にびっくりし、夜中に調査して驚き、どうしたのかもともとのことしらべてもしらべようがない。
天跳地踔顛乾坤,赫赫上照窮崖垠。
天は跳り、地はとび上がることでてんちはひっくりかえる。空のはてまでまっ赤にこがし、かがやき照らしている。
截然高周燒四垣,神焦鬼爛無逃門。
高い空を東西南北に向かって焼けて、引き裂けるのであり、鬼、神、靈も爛れてしまって、逃げるに道ないのである。
陸渾山【りくこんさん】火 皇甫湜【こうほしょく】に和し其の韻を用う。(湜時に陸渾の尉と為す)
#1
皇甫 官に補せらる、古の賁渾【りくこん】、時 玄冬に當って澤は源を乾かす。
山狂ひ 谷很【たけ】り 相吐呑【とどん】す、風怒って休まず 何ぞ軒軒たる。
擺磨【はいま】して火を出し 以て自ら燔く、聾有り 夜中驚いて原【たづ】ぬる莫し。
天跳り 地踔【あが】り 乾坤を顛【くつがえ】す、赫赫として上照し 崖垠【がいぎん】を窮む。
截然【せつぜん】として高く周【めぐ】って四垣【しえん】を焼く、神 焦【こが】れ 鬼 爛【ただ】れ 逃るる門無し。

終南山03


現代語訳と訳註
(本文)
陸渾山火和皇甫湜用其韻(湜時為陸渾尉)#1
皇甫補官古賁渾,時當玄冬澤乾源。
山狂穀很相吐吞,風怒不休何軒軒。
擺磨出火以自燔,有聲夜中驚莫原。
天跳地踔顛乾坤,赫赫上照窮崖垠。
截然高周燒四垣,神焦鬼爛無逃門。


(下し文)
陸渾山【りくこんさん】火 皇甫湜【こうほしょく】に和し其の韻を用う。(湜時に陸渾の尉と為す)
#1
皇甫 官に補せらる、古の賁渾【りくこん】、時 玄冬に當って澤は源を乾かす。
山狂ひ 谷很【たけ】り 相吐呑【とどん】す、風怒って休まず 何ぞ軒軒たる。
擺磨【はいま】して火を出し 以て自ら燔く、聾有り 夜中驚いて原【たづ】ぬる莫し。
天跳り 地踔【あが】り 乾坤を顛【くつがえ】す、赫赫として上照し 崖垠【がいぎん】を窮む。
截然【せつぜん】として高く周【めぐ】って四垣【しえん】を焼く、神 焦【こが】れ 鬼 爛【ただ】れ 逃るる門無し。


(現代語訳)
皇甫君の任地は 古代の賁渾といわれたところである、今、季節は厳冬であるが水源の地でさえも乾ききっている。
山は狂ったような音を立て、谷も狂ってせめぎあっている、互いに吐き出して、呑みこんでいる。そしてケンケンと怒って、風も怒って荒れてやまない。
切り開き取り除きながら摩擦してとうとう火を吹き 燃え出しきている。大声にびっくりし、夜中に調査して驚き、どうしたのかもともとのことしらべてもしらべようがない。
天は跳り、地はとび上がることでてんちはひっくりかえる。空のはてまでまっ赤にこがし、かがやき照らしている。
高い空を東西南北に向かって焼けて、引き裂けるのであり、鬼、神、靈も爛れてしまって、逃げるに道ないのである。


(訳注)
陸渾山火和皇甫湜用其韻(湜時為陸渾尉)#1

詩の背景については #0を参照。

皇甫補官古賁渾,時當玄冬澤乾源。
皇甫君の任地は 古代の賁渾といわれたところである、今、季節は厳冬であるが水源の地でさえも乾ききっている。
賁渾 陸渾の古名。『春秋公羊伝』宣公三年に「楚子は賁渾の戒を伐つ」とあり、陸徳明の『経典釈文』にこの貴について、旧音はリク、あるいは音はホン、としている。普通の人が陸渾と書くところを賁渾とかかずにいられないところが、韓愈の趣味であり、また詩法であった。
極端に古いものは極端に新しいものでありうるのであり、普通の人の知識や判断力から遠ざかることも、新しいものでありうる。韓愈の文学の新しさは、それを意識的に方法としたものであった。杜甫は陸渾としている。
玄冬 冬。五行思想。青・赤・白・黒の四色を春・夏・秋・冬に配当する習慣がある。玄は黒。


山狂穀很相吐吞,風怒不休何軒軒。
山は狂ったような音を立て、谷も狂ってせめぎあっている、互いに吐き出して、呑みこんでいる。
そしてケンケンと怒って、風も怒って荒れてやまない。
・很 せめぎあらそう。
軒軒 吹きまくるさま。


擺磨出火以自燔,有聲夜中驚莫原。
切り開き取り除きながら摩擦してとうとう火を吹き 燃え出しきている。大声にびっくりし、夜中に調査して驚き、どうしたのかもともとのことしらべてもしらべようがない
擺磨 切り開き取り除きながら摩擦する。
莫原 どうしたのかもともとのことしらべてもしらべようがない。


天跳地踔顛乾坤,赫赫上照窮崖垠。
天は跳り、地はとび上がることでてんちはひっくりかえる。空のはてまでまっ赤にこがし、かがやき照らしている。
・綽 とび上がる。
乾坤 天地。
赫赫 まっ赤にかがやくさま。
崖根 四海にいたる果て。地の果てには崖で海に至る。


截然高周燒四垣,神焦鬼爛無逃門。
高い空を東西南北に向かって焼けて、引き裂けるのであり、鬼、神、靈も爛れてしまって、逃げるに道ないのである。
截然 ひきさけるさま。
神焦鬼爛 神鬼焦欄と同じ、鬼、神、靈もやけただれる。


blogram投票ボタン

記夢  韓退之(韓愈)詩<78-#3>Ⅱ中唐詩445 紀頌之の漢詩ブログ1414

記夢  韓退之(韓愈)詩<78-#3>Ⅱ中唐詩445 紀頌之の漢詩ブログ1414

     
  同じ日のブログ 
     1413古詩十九首之十二 漢の無名氏(12)-2 漢詩<99-#2>Ⅱ李白に影響を与えた詩532 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1413 
     1414記夢  韓退之(韓愈)詩<78-#3>Ⅱ中唐詩445 紀頌之の漢詩ブログ1414 
     1415秦州見敕,薛三璩授司議郎,畢四曜除監察,與二子有故,遠喜遷官,兼述索居,凡三十韻 杜甫 <315-#2>漢文委員会 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1415 杜甫詩 700- 436 
   
 李商隠詩李商隠/韓愈韓退之(韓愈)・柳宗元・李煜・王安石・蘇東坡 
   2011/7/11李商隠 1 錦瑟 
      2011/7/11 ~ 2012/1/11 まで毎日掲載 全130首(187回) 
   2012/1/11 唐宋 Ⅰ李商隠187 行次西郊作一百韻  白文/現代語訳 (全文) 
     

王子喬は道教の仙人にしたがって仙郷に入ったが、儒者がそのようなことはしないというもの。こうした韓愈の儒者として明快に根べてイルので、後世の数多い儒家の評価型の詩人に比較して高いのである。この反対に謝靈運、孟浩然、李白は儒家の評価は低い。

3分割の三回目
記夢
(きのうのゆめのはなし。)
夜夢神官與我言,羅縷道妙角與根。
夜、夢にでたことだが、神仙が、わたしに話かけてくれた。よく語ってくれることには宇宙の道は玄妙なもので、角(すぼし)と根(ねぼし)が基本でなりたっている。
挈攜陬維口瀾翻,百二十刻須臾間。
その角星と子星は西南・東南・西北・東北の四隅を波立たせ翻りして結び合わせて、星の間の事は、季節も年もほんのつかの間の事なのだ。
我聽其言未雲足,舍我先度橫山腹。
それをきいたとしても、簡単にそのことをなっとくはできるものではないのだが、仙人はわたしをほったらかしにして、先に進み川を渡って、山腹を横切ってゆくのである。
我徒三人共追之,一人前度安不危。」
わたしたち仲間三人は、いっしょにっ仙人を追っかける。一人は前に進み出て、危なげなしにすらすらと渡ってしまう。
夜 夢に 神官 我と言ふ、羅縷【らおう】道は妙なり 角と根と。
陬維【そうい】を挈攜【けつけい】して 口 瀾翻【らんぽん】、百二十刻も須臾【しゅゆ】の間なり と。
我 其の言を聴いて 未だ足れりと云はず、我を捨てて先づ度って山腹を横ぎる。
我が徒【と】三人 共に之を追ふ、一人は前に度り 安くして危【あやう】からず。

我亦平行蹋蹻槱,神完骨蹻腳不掉。
わたしもまた仙人とと平行して不安定な道を踏みしめている。仙人はぐらつく崖っぷちたどりゆくが全く動じるところがない。
側身上視溪穀盲,杖撞玉版聲彭觥?。
ふしぎに気持ちはしゃんとして、身をそばめ、仰いでみると、渓谷はくらくて何も見えない。杖ふりまわせば、玉盤木にでもぶつかったのか、ポコポコと音がした。
神官見我開顏笑,前對一人壯非少。
仙人が、わたしを見て、微笑を送ってくる。その前にかしこまっているのは 青年とはもういえぬ年配の男なのだ。
石壇坡陀可坐臥,我手承頦肘拄座。
そこの石垣、うねうねと、いかにも座ったり寝そべってもよさそうだ。わたしもあぐらかき、肘にアゴのせながめてみるのだ。
隆樓傑閣磊嵬高,天風飄飄吹我過。」
豪壮な楼閣はたかくとそびえている、天風は瓢々とわたしを吹きぬけてゆく。
我 亦た平行して 蹻槱【きょうぎょう】を蹋【ふ】み、神完【まった】く 骨蹻【たか】うして腳【あし】掉【うご】かず。
身を側【そばだ】てて上に視れば 溪谷 盲【くら】く、杖もて玉版を撞【つ】けば 聾 彭觥【ほうこう】たり。
神官 我を見るや 顔を開いて笑い、前に対する一人 牡【そう】にして少に非らず。
石壇 坡陀【はだ】として 坐臥す可し、我 手もて頦【あご】を承【う】け 肘もて座を拄【さそ】ふ。
隆樓【りゅうろう】傑閣【けつかく】磊嵬【らいかい】として高く、天風 瓢諷【ひょうふう】我を吹いて過ぐる。

壯非少者哦七言,六字常語一字難。
もう青年ともいえない年配の男が思い出したように、七言の詩を吟じはじめた。六字は普通に使う言葉だが、あとの一字がどうも難解のようだ。
我以指撮白玉丹,行且咀噍行詰盤。
わたしは、王子喬のように指で白王丹をつまんでから、、歩きながら食べ、食べながらあるく、難解な文字を解くつもりで、繰り返してやったのだ。
口前截斷第二句,綽虐顧我顏不歡。
年配の男は、詩を吟じ二句目で、たちき切ったのだ、それからあからさまでなくしいたげて來てじろじろとわたしの顔なめまわすように不機嫌そのものであった。
乃知仙人未賢聖,護短憑愚邀我敬。
そんなもんだろう、道教の仙人は、賢人でも聖人でもない。このように短所をそのままにし、つまらない愚物を寄せてきて、それを敬えとわたしにも強要する。
我能屈曲自世間,安能從汝巢神山。」

我々は、そのような理屈に合わないことを世間と同じようにする、どうしてそんなことをするお主なんぞの後についていって、神仙の山に住む気をおこしたりするものか。
壯にして少に非ざる者 七言を哦【が】ず、六字は常語にして 一字は難し。
我 指を以て 白玉丹を撮る、行くゆく且つ阻噍し 行くゆく詰盤す。
口前に截断【せんだん】す 第二句、綽虐【しゃくぎゃく】として我を顧みて顏歡ばず。
乃【すなわ】ち知る 仙人も未だ賢聖ならず、短を護り 愚に憑【よ】って 我に敬を邀【もと】むるを。
我 能く屈曲せば 世間よりして、安んぞ能く女に従いて神山に巢まむ。


現代語訳と訳註
(本文)#3
壯非少者哦七言,六字常語一字難。
我以指撮白玉丹,行且咀噍行詰盤。
口前截斷第二句,綽虐顧我顏不歡。
乃知仙人未賢聖,護短憑愚邀我敬。
我能屈曲自世間,安能從汝巢神山。」


(下し文)
壯にして少に非ざる者 七言を哦【が】ず、六字は常語にして 一字は難し。
我 指を以て 白玉丹を撮る、行くゆく且つ阻噍し 行くゆく詰盤す。
口前に截断【せんだん】す 第二句、綽虐【しゃくぎゃく】として我を顧みて顏歡ばず。
乃【すなわ】ち知る 仙人も未だ賢聖ならず、短を護り 愚に憑【よ】って 我に敬を邀【もと】むるを。
我 能く屈曲せば 世間よりして、安んぞ能く女に従いて神山に巢まむ。


 (現代語訳)
もう青年ともいえない年配の男が思い出したように、七言の詩を吟じはじめた。六字は普通に使う言葉だが、あとの一字がどうも難解のようだ。
わたしは、王子喬のように指で白王丹をつまんでから、、歩きながら食べ、食べながらあるく、難解な文字を解くつもりで、繰り返してやったのだ。
年配の男は、詩を吟じ二句目で、たちき切ったのだ、それからあからさまでなくしいたげて來てじろじろとわたしの顔なめまわすように不機嫌そのものであった。
そんなもんだろう、道教の仙人は、賢人でも聖人でもない。このように短所をそのままにし、つまらない愚物を寄せてきて、それを敬えとわたしにも強要する。
我々は、そのような理屈に合わないことを世間と同じようにする、どうしてそんなことをするお主なんぞの後についていって、神仙の山に住む気をおこしたりするものか。


(訳注)
壯非少者哦七言,六字常語一字難。

もう青年ともいえない年配の男が思い出したように、七言の詩を吟じはじめた。六字は普通に使う言葉だが、あとの一字がどうも難解のようだ。
 (事情がわかったり,思い当たったりして)ああ,おお哦,想起来了ああ,思い出したよ.


我以指撮白玉丹,行且咀噍行詰盤。
わたしは、王子喬のように指で白王丹をつまんでから、、歩きながら食べ、食べながらあるく、難解な文字を解くつもりで、繰り返してやったのだ。
白玉丹 仙藥。
夢の話は王子喬の故事に基づいている。王子喬がある時、河南省の伊水と洛水を漫遊した時に、浮丘公という道士に出逢った。王子喬は、その道士について嵩山に登っていった。そこにいること三十余年、浮丘公の指導の下、仙人になった。その後、王子喬は白い鶴に乗って、飛び去った、という『列仙傳』に出てくる故事中の人物。李白『古風五十九首 其七』「兩兩白玉童。雙吹紫鸞笙。」
左右に、白玉のように美しいお顔の童子う従えて、ともに紫檀で鷲のかたちの笙を奏でている。
白玉童 白玉のような清らかな顔の童子。○紫鸞笙 王子喬という仙人は笙の名手であったが、かれの笙は紫檀で鳳翼にかたどって製ってあった。鸞は、鳳風の一種。 李白『古風五十九首 其七』 李白『贈銭徴君少陽』李白『別內赴徵三首』○白玉 白く輝く玉飾り。白と黄金は宮殿にだけ使用されたもので、宮殿をあらわす。白玉は大理石である。謝朓、李白、「玉階怨」のきざはしに使用されている。大理石のきざはしは宮妓を示す語である。李白は都での女性関係はないよとでも言いたかったのであろう。○
阻喋 かむ。
詰盤 くりかえす。


口前截斷第二句,綽虐顧我顏不歡。
年配の男は、詩を吟じ二句目で、たちき切ったのだ、それからあからさまでなくしいたげて來てじろじろとわたしの顔なめまわすように不機嫌そのものであった。
截断 たちきる。
綽虐 綽:1 ゆったりとしたさま。「綽綽・綽然・綽約」 2 あからさまでない。虐:しいたげるむごい扱いをする。「虐殺・虐政・虐待/残虐・嗜虐(しぎゃく)・自虐・暴虐」あからさまでなくしいたげて來ること。


乃知仙人未賢聖,護短憑愚邀我敬。
そんなもんだろう、道教の仙人は、賢人でも聖人でもない。このように短所をそのままにし、つまらない愚物を寄せてきて、それを敬えとわたしにも強要する。


我能屈曲自世間,安能從汝巢神山。」
我々は、そのような理屈に合わないことを世間と同じようにする、どうしてそんなことをするお主なんぞの後についていって、神仙の山に住む気をおこしたりするものか。
屈曲 おのれの本性をまげる。

王子喬は道教の仙人にしたがって仙郷に入ったが、儒者がそのようなことはしないというもの。こうした韓愈の儒者として明快に根べてイルので、後世の数多い儒家の評価型の詩人に比較して高いのである。この反対に謝靈運、孟浩然、李白は儒家の評価は低い。

記夢  韓退之(韓愈)詩<78-#2>Ⅱ中唐詩444 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1411

記夢  韓退之(韓愈)詩<78-#2>Ⅱ中唐詩444 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1411

     
  同じ日のブログ 
     1410古詩十九首之十二 漢の無名氏(12)-1 漢詩<99-#1>Ⅱ李白に影響を与えた詩531 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1410 
     1411記夢  韓退之(韓愈)詩<78-#2>Ⅱ中唐詩444 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1411 
     1412秦州見敕目,薛三璩授司議郎,畢四曜除監察,與二子有故,遠喜遷官,兼述索居,凡三十韻 杜甫 <315-#1>漢文委員会 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1412 杜甫詩 700- 435 
   
 李商隠詩李商隠/韓愈韓退之(韓愈)・柳宗元・李煜・王安石・蘇東坡 
   2011/7/11李商隠 1 錦瑟 
      2011/7/11 ~ 2012/1/11 まで毎日掲載 全130首(187回) 
   2012/1/11 唐宋 Ⅰ李商隠187 行次西郊作一百韻  白文/現代語訳 (全文) 
     

3分割の二回目
記夢
(きのうのゆめのはなし。)
夜夢神官與我言,羅縷道妙角與根。
夜、夢にでたことだが、神仙が、わたしに話かけてくれた。よく語ってくれることには宇宙の道は玄妙なもので、角(すぼし)と根(ねぼし)が基本でなりたっている。
挈攜陬維口瀾翻,百二十刻須臾間。
その角星と子星は西南・東南・西北・東北の四隅を波立たせ翻りして結び合わせて、星の間の事は、季節も年もほんのつかの間の事なのだ。
我聽其言未雲足,舍我先度橫山腹。
それをきいたとしても、簡単にそのことをなっとくはできるものではないのだが、仙人はわたしをほったらかしにして、先に進み川を渡って、山腹を横切ってゆくのである。
我徒三人共追之,一人前度安不危。」

わたしたち仲間三人は、いっしょにっ仙人を追っかける。一人は前に進み出て、危なげなしにすらすらと渡ってしまう。
夜 夢に 神官 我と言ふ、羅縷【らおう】道は妙なり 角と根と。
陬維【そうい】を挈攜【けつけい】して 口 瀾翻【らんぽん】、百二十刻も須臾【しゅゆ】の間なり と。
我 其の言を聴いて 未だ足れりと云はず、我を捨てて先づ度って山腹を横ぎる。
我が徒【と】三人 共に之を追ふ、一人は前に度り 安くして危【あやう】からず。

我亦平行蹋蹻槱,神完骨蹻腳不掉。
わたしもまた仙人とと平行して不安定な道を踏みしめている。仙人はぐらつく崖っぷちたどりゆくが全く動じるところがない。
側身上視溪穀盲,杖撞玉版聲彭觥。
ふしぎに気持ちはしゃんとして、身をそばめ、仰いでみると、渓谷はくらくて何も見えない。杖ふりまわせば、玉盤木にでもぶつかったのか、ポコポコと音がした。
神官見我開顏笑,前對一人壯非少。
仙人が、わたしを見て、微笑を送ってくる。その前にかしこまっているのは 青年とはもういえぬ年配の男なのだ。
石壇坡陀可坐臥,我手承頦肘拄座。
そこの石垣、うねうねと、いかにも座ったり寝そべってもよさそうだ。わたしもあぐらかき、肘にアゴのせながめてみるのだ。
隆樓傑閣磊嵬高,天風飄飄吹我過。」
豪壮な楼閣はたかくとそびえている、天風は瓢々とわたしを吹きぬけてゆく。
我 亦た平行して 蹻槱【きょうぎょう】を蹋【ふ】み、神完【まった】く 骨蹻【たか】うして腳【あし】掉【うご】かず。
身を側【そばだ】てて上に視れば 溪谷 盲【くら】く、杖もて玉版を撞【つ】けば 聾 彭觥【ほうこう】たり。
神官 我を見るや 顔を開いて笑い、前に対する一人 牡【そう】にして少に非らず。
石壇 坡陀【はだ】として 坐臥す可し、我 手もて頦【あご】を承【う】け 肘もて座を拄【さそ】ふ。
隆樓【りゅうろう】傑閣【けつかく】磊嵬【らいかい】として高く、天風 瓢諷【ひょうふう】我を吹いて過ぐる。

壯非少者哦七言,六字常語一字難。
我以指撮白玉丹,行且咀噍行詰盤。
口前截斷第二句,綽虐顧我顏不歡。
乃知仙人未賢聖,護短憑愚邀我敬。
我能屈曲自世間,安能從汝巢神山。」



現代語訳と訳註
(本文)

我亦平行蹋蹻槱,神完骨蹻腳不掉。
側身上視溪穀盲,杖撞玉版聲彭觥。
神官見我開顏笑,前對一人壯非少。
石壇坡陀可坐臥,我手承頦肘拄座。
隆樓傑閣磊嵬高,天風飄飄吹我過。」


(下し文)
我 亦た平行して 蹻槱【きょうぎょう】を蹋【ふ】み、神完【まった】く 骨蹻【たか】うして腳【あし】掉【うご】かず。
身を側【そばだ】てて上に視れば 溪谷 盲【くら】く、杖もて玉版を撞【つ】けば 聾 彭觥【ほうこう】たり。
神官 我を見るや 顔を開いて笑い、前に対する一人 牡【そう】にして少に非らず。
石壇 坡陀【はだ】として 坐臥す可し、我 手もて頦【あご】を承【う】け 肘もて座を拄【さそ】ふ。
隆樓【りゅうろう】傑閣【けつかく】磊嵬【らいかい】として高く、天風 瓢諷【ひょうふう】我を吹いて過ぐる。


(現代語訳)
わたしもまた仙人とと平行して不安定な道を踏みしめている。仙人はぐらつく崖っぷちたどりゆくが全く動じるところがない。
ふしぎに気持ちはしゃんとして、身をそばめ、仰いでみると、渓谷はくらくて何も見えない。杖ふりまわせば、玉盤木にでもぶつかったのか、ポコポコと音がした。
仙人が、わたしを見て、微笑を送ってくる。その前にかしこまっているのは 青年とはもういえぬ年配の男なのだ。
そこの石垣、うねうねと、いかにも座ったり寝そべってもよさそうだ。わたしもあぐらかき、肘にアゴのせながめてみるのだ。
豪壮な楼閣はたかくとそびえている、天風は瓢々とわたしを吹きぬけてゆく。


(訳注)
我亦平行蹋蹻槱,神完骨蹻腳不掉。
わたしもまた仙人とと平行して不安定な道を踏みしめている。仙人はぐらつく崖っぷちたどりゆくが全く動じるところがない
蹻槱 やすらかでないこと。
 たかいこと。


側身上視溪穀盲,杖撞玉版聲彭觥。
ふしぎに気持ちはしゃんとして、身をそばめ、仰いでみると、渓谷はくらくて何も見えない。杖ふりまわせば、玉盤木にでもぶつかったのか、ポコポコと音がした。
・玉版 飾りのついたバンギ。
・彭觥 ぼこぼこという音。


神官見我開顏笑,前對一人壯非少。
仙人が、わたしを見て、微笑を送ってくる。その前にかしこまっているのは 青年とはもういえぬ年配の男なのだ。


石壇坡陀可坐臥,我手承頦肘拄座。
そこの石垣、うねうねと、いかにも座ったり寝そべってもよさそうだ。わたしもあぐらかき、肘にアゴのせながめてみるのだ。
坡陀 斜めに傾いている平らでないさま。


隆樓傑閣磊嵬高,天風飄飄吹我過。」
豪壮な楼閣はたかくとそびえている、天風は瓢々とわたしを吹きぬけてゆく。
磊嵬 高く聳えるさま。

感春四首其四 (4) 韓退之(韓愈)詩<60-#2>Ⅱ中唐詩362 紀頌之の漢詩ブログ1165

感春四首其四 (4) 韓退之(韓愈)詩<60-#2>Ⅱ中唐詩362 紀頌之の漢詩ブログ1165



806年元和元年正月、南地の江陵には珍しく雪がどっさり降った。雪のふるなかに梅がさき、うぐいすが鳴いた。韓愈には、そのひとつびとつが、楽しく、うれしかった。うれしくなると詩ができた。「早春雪中聞鸎」(早春雪中に鷲を聞く)はそのひとつである。この詩には、いまにも都から、呼び戻されようとばかりに、そわそわしてしまって、それをうぐいすに言いわけしているようなところがみえる。
だが、待ちに待ったその便りは、杏の花のさくころになってもやって来ぬ。『杏花』『感春四首』(春に感ず四首)『憶昨行和張十一』(憶昨行張十一に和す)は、このころの作である。

83 感春四首 其一
我所思兮在何所,情多地遐兮遍處處。
わたしがいつも心におもうところ、それはどこだというのか、人と長く接すれば情というもの多くの行ったところで育つものであり、それはあちらこちら、遙かな所に点在するのである。
東西南北皆欲往,千江隔兮萬山阻。
東西南北、どこへでも行きたいと思っている。黄河、長江、淮河、あまたある河川に隔てられている、それはあまたの山々によって阻まれているのだ。
春風吹園雜花開,朝日照屋百鳥語。
今も吹いてくる東風、春の風はこの庭に吹き多くの花を咲かせ木々や草を成長させる。朝日はこの建物を照らし あらゆる鳥たちが囀り始めるのである。
三杯取醉不復論,一生長恨奈何許。
いっぱい飲む度、愚痴を言い、三杯も盃を傾けるころには酔いどれてしまい、もう論理が成り立たない。人生にとって理不尽な事への裏には長く続くものであり、これをどうしたらよいというのか。

(春に感ず四首 其の一)
我が思ふ所 何所【いずこ】に在りや、情 多く 地遐【とお】くして處處【しょしょ】に偏【あまね】し
東西南北 皆 住かむと欲すれども、千江 隔たり 萬山【まんざん】阻【へだ】つ。
春風 園を吹いて 雜花 開き、朝日 屋【おく】を照して 百鳥【ひゃくちょう】語る。
三盃 酔を取りて 復た論ぜざれ、一生 長恨 奈【い】何【か】許【ばかり】ぞ と。


84  感春四首 其二
皇天平分成四時,春氣漫誕最可悲。
天は、『楚辞』にいう春夏秋冬の四季は三カ月ずつ平均して配分されている。そして、朝、昼、夕、夜の四時、総運、人運、外運、地運の四運と成している、四季のうちの春の気をとりとめなく過ごしたとすると最も悲しいこととなってしまう。
雜花妝林草蓋地,白日坐上傾天維。
いろんな草花は森林を華やかに飾ってくれて地面を覆っている、真昼の太陽でさえも行楽で喜んでいるこの坐に花曇りとして天からの帷をしてくれているようだ。
蜂喧鳥咽留不得,紅萼萬片從風吹。
花の蜜を取って歩く蜂はうるさく飛んでいる、多くの鳥も囀ることを妨げるものはいない、紅い花弁、花房は風が吹いてきてその花びらを万片というほど散らしている。
豈如秋霜雖慘冽,摧落老物誰惜之。
秋の霜のように万物を凋落させるのは惨酷な上うに見えるかもしれないが、ほっておいてもくたばるような老いぼれどもをくだき落とすのだから、誰がそんなものどもを惜しもうか。
為此徑須沽酒飲,自外天地棄不疑。
ゆく春のためにただちに当たり前のことだけど酒を買って飲むのであるし、自分で天地の外に出ていって天地を棄ててしまっても、そのことに疑問ももたない。
(其の二)
皇天【こうてん】平分【へいぶん】して四時【しじ】と成す,春氣【しゅんき】漫誕【まんたん】として最も悲しむ可し。
雜花【ざつか】妝林【しょうりん】し 草は地を蓋【おお】う,白日【はくじつ】坐上【ざじょう】に 天維【てんい】を傾く。
蜂喧【かまびす】しく鳥咽【むせ】べども留め得ず,紅萼【こうがく】萬片【まんべん】風の吹くに從う。
豈 秋霜の如きは慘冽【さんれつ】と雖ども,老物を摧落【さいらく】する誰か之を惜まん。
此の為めに徑【ただ】ちに須【すべか】らく酒を沽【か】いて飲むべし,自ら天地を外にして 棄てて疑わず。
#2
近憐李杜無檢束,爛漫長醉多文辭。
李白や杜甫が、春になるといい機嫌に酔いどれて、やたらに詩を書き散らしたのを、だらしのないことだと思っていたが、ちかごろになって、かれらも、いまのわたしのような心情だったのだとわかり、共鳴できるようになった。
屈原離騷二十五,不肯餔啜糟與醨。
ところが屈原ときたら、離騒など二十五篇もの文章をつくっているが。その詩の中で漁夫も云っている「その酒かすを食べて、薄い酒を飲めばよいのに」というのをあえてしないのだ。
惜哉此子巧言語,不到聖處寧非癡。
惜しいことにはこの君は言葉がやたらに上手なのに、人間の諸悪・苦しみの根源というところではないにしても聖人とされるところには到達はしていない。
幸逢堯舜明四目,條理品彙皆得宜。
わたしには、「堯舜のように四方の事物に対して正しい観察力、分析力と判断力をおもちになる天子の御時世にあうことができて、ものごとのすじみちや分析が適当である。すべてがうまくいっている。」ということなのか。(とてもそうではない。)
平明出門暮歸舍,酩酊馬上知為誰。
平生は朝、夜明けには家の門を出て夕方暮れれば宿舎に帰る。帰り道、すでに馬上で酩酊していることを知っているからといって誰もができることである。

(其の二 #2)
近ごろ憐む李杜【りと】の檢束【けんそく】無くして,爛漫【らんまん】として長【とこしな】えに醉いて文辭【ぶんじ】多きを。
屈原 離騷 二十五,不肯【あ】えて糟【そう】と醨【り】を餔啜【ほせつ】せず。
惜しい哉 此の子 言語に巧【たくみ】なれども,聖處【せいしょ】に到らず寧【むし】ろ癡【さ】に非らざらんや。
幸【さいわい】に 堯舜【ぎょうしゅん】四目【しもく】を明かにするに逢い,品彙【ひんい】を條理【じょうり】して皆宜しきを得たり。
平明 出門して暮に歸舍し,馬上に酩酊【めいてい】することを知る誰とか為す。

DCF00117

85  感春四首 其三
朝騎一馬出,暝就一床臥。
朝になるたびに馬にまたがって門を出るのである。そして暮れてくると毎日のことであって床に就くのである。
詩書漸欲拋,節行久已惰。
今まで手放すことなどなかった『詩経』『書経』と『楚辞』詩集を、この頃では、めんどうくさくて、ほったらかしにするように、だんだんなってきたし、節度のある行動というものは儒教徒のつねづね心がけねばならないことなのだが、それもものぐさく、いいかげんにしだしてから、かなりの時間がたってしまった。
冠欹感發禿,語誤驚齒墮。
これでは、役人としての冠が傾いてしまってまるで髪の毛が禿げてしまったと思われてしまい様なものであり、勉強不足で語句を間違えてしまいまるで歯が抜け落ちてしまって驚くのと似ていることになってしまう。
孤負平生心,已矣知何奈。
儒者として平生のこととして心がけるべきことに背いてしまう、それをすんでしまったことだ、どうしようもないじゃないかといってしまっていいのだろうか。

其の三
朝に一馬を騎して出で,暝【くれ】に一床【いっしょう】に就【つ】きて臥す。
詩書【ししょ】漸【ようや】く拋【なげう】たんと欲す,節行【せつこう】久しく已に惰【おこた】れり。
冠 欹【そばだ】ちて 發【かみ】の禿【とく】なるを感ず,語 誤【あやま】ちて 齒の墮【おつ】るに。驚く。
孤負【こふ】す 平生の心,已【やんぬる】矣 知る何奈【いかん】せん。


86  感春四首 其四
我恨不如江頭人,長網橫江遮紫鱗。
わたしは隠遁して川辺で仕事する労働者のように できない自分自身のことを恨むのだけれど、仕掛けの長網を長江に打ちかけ紫鱗の魚をとらえるのである。
獨宿荒陂射鳧雁,賣納租賦官不嗔。
独り江の傍に宿しいばらや雑草の生いしげる荒れた堤で かもとかりを射るのだ、それを撃って租税を支払うこととし、そして貢物とすれば官僚は以下ることはないだろう。
歸來歡笑對妻子,衣食自給寧羞貧。
そうして帰って来て妻子と楽しく歓談すると微笑もでるというものだ、何より衣食を自給自足して貧しいものであってもそれを羞じることはないのだ。
今者無端讀書史,智慧只足勞精神。
それら労働者に対して、いま、わたしはどうかというと五経史書を学ぶことにしている、すると、物事の筋道を立て、計画し、正しく処理していく能力が、ただ、精神をついやすことによって備わってくるのである。
其の四
我は恨む 江頭【こうとう】の人に如かざることを,長網【ちょうもう】江に橫たへ 紫鱗【しりん】を遮【さえぎ】る。
獨り荒陂【こうは】に宿り鳧雁【ふがん】を射,賣りて租賦【そふ】を納めて 官 嗔【いか】らず。
歸り來りて 歡笑して妻子に對し,衣食は自給す 寧【なん】ぞ 貧を羞じむや。
今者【いま】端なくも書史を讀み,智慧【ちけい】は只 精神を勞するに足れり。

花と張0104

感春四首 其四 #2
畫蛇著足無處用,兩鬢霜白趨埃塵。
余計なことをするということの故事にヘビを画くのに「忘れていた」といって足を書き加えた無用のことをしてしまう、そんなことをしているうち両鬢に白髪で真っ白の年齢になってしまい、詩経と書経を学んでゆかなければいけないのに俗世間を走りまわることしかしていないというものだ。
乾愁漫解坐自累,與眾異趣誰相親。
「何の得もないのに空しく愁いている」と「理解する必要もないものを理解して」何となく自分から患っている。人の世に変わった趣向として除かれるようなことを誰がすき好んで親しむというのか。
數杯澆腸雖暫醉,皎皎萬慮醒還新。
数杯の酒を傾けて腸に灌ぎこんだらしばらくの間酔いが回るということではあるが。段々とさまざまな思いがあきらかな状態になり、知らないということは気楽なものだが、何もかもがわかっていると、また新たな心配がつのり、種がたえないのである。
百年未滿不得死,且可勤買拋青春。
人の一生をざっと百年とみたてるとやったことに満足していなくて、いやだいやだと思っても寿命がつきなければ死ぬわけにもゆかぬのだ。そうはいっても、とりあえず、せいぜい酒を買うことさ「拗青春」というやつを。
#2
蛇【へび】を畫【えが】いて足を著【つ】く 用うるに處 無し,兩鬢【りょうびん】霜白【しょうはく】埃塵【あいじん】に趨【はし】る。
乾愁【かんしゅう】漫【みだ】りに解し 坐【そぞろ】に自ら累【わずら】う,眾【しゅう】と趣を異にせば誰か相い親まん。
數杯 腸【はらわた】に澆【そそ】いで 暫く醉うと雖ども,皎皎【こうこう】たる萬慮【ばんりょ】醒めて還【ま】た新【あらた】なり。
百年 未だ滿たず 死するを得ず,且可【しばらく】勤めて拋【はう】青春【せいしゅん】を買【か】へ。


現代語訳と訳註
(本文) 感春四首 其四 #2

畫蛇著足無處用,兩鬢霜白趨埃塵。
乾愁漫解坐自累,與眾異趣誰相親。
數杯澆腸雖暫醉,皎皎萬慮醒還新。
百年未滿不得死,且可勤買拋青春。


(下し文) #2
蛇【へび】を畫【えが】いて足を著【つ】く 用うるに處 無し,兩鬢【りょうびん】霜白【しょうはく】埃塵【あいじん】に趨【はし】る。
乾愁【かんしゅう】漫【みだ】りに解し 坐【そぞろ】に自ら累【わずら】う,眾【しゅう】と趣を異にせば誰か相い親まん。
數杯 腸【はらわた】に澆【そそ】いで 暫く醉うと雖ども,皎皎【こうこう】たる萬慮【ばんりょ】醒めて還【ま】た新【あらた】なり。
百年 未だ滿たず 死するを得ず,且可【しばらく】勤めて拋【はう】青春【せいしゅん】を買【か】へ。


(現代語訳)
余計なことをするということの故事にヘビを画くのに「忘れていた」といって足を書き加えた無用のことをしてしまう、そんなことをしているうち両鬢に白髪で真っ白の年齢になってしまい、詩経と書経を学んでゆかなければいけないのに俗世間を走りまわることしかしていないというものだ。
「何の得もないのに空しく愁いている」と「理解する必要もないものを理解して」何となく自分から患っている。人の世に変わった趣向として除かれるようなことを誰がすき好んで親しむというのか。
数杯の酒を傾けて腸に灌ぎこんだらしばらくの間酔いが回るということではあるが。段々とさまざまな思いがあきらかな状態になり、知らないということは気楽なものだが、何もかもがわかっていると、また新たな心配がつのり、種がたえないのである。
人の一生をざっと百年とみたてるとやったことに満足していなくて、いやだいやだと思っても寿命がつきなければ死ぬわけにもゆかぬのだ。そうはいっても、とりあえず、せいぜい酒を買うことさ「拗青春」というやつを。


(訳注) 感春四首 其四 #2
畫蛇著足無處用,兩鬢霜白趨埃塵。
余計なことをするということの故事にヘビを画くのに「忘れていた」といって足を書き加えた無用のことをしてしまう、そんなことをしているうち両鬢に白髪で真っ白の年齢になってしまい、詩経と書経を学んでゆかなければいけないのに俗世間を走りまわることしかしていないというものだ。
画蛇著足 『史記』に見える故事にもとずく。数人の連中が、もらった酒を、蛇の絵を一番にかいたものがもらうというカケをした。一番にかいた男が、酒を貰って飲もうとして、「あ、足を画くのを忘れていた」といって書き加えたら、次の男が、足のあるのは蛇ではないといって、酒を取り上げた。無駄な努力をすること。余計なことをするということ。
趨埃塵 俗世間を走りまわる。 『論語』季氏篇に、孔子の子の伯魚(鯉)が「鯉趨而過庭」(庭を趨って過ぎたとき)、父の孔子が呼びとめて「詩」と「礼」とつまり、詩経と書経を学ぶようにさとしたとあるのにもとづき、子供が父の教えを受けることをいう。に基づいて作る。


乾愁漫解坐自累,與眾異趣誰相親。
「何の得もないのに空しく愁いている」と「理解する必要もないものを理解して」何となく自分から患っている。人の世に変わった趣向として除かれるようなことを誰がすき好んで親しむというのか。
乾愁 なんとなくおこる愁い。「空しく愁ひて益無きなり」(何の得もないのに空しく愁いている)ということ。
漫解 理解する必要もないものを理解して。
 何となく。


數杯澆腸雖暫醉,皎皎萬慮醒還新
数杯の酒を傾けて腸に灌ぎこんだらしばらくの間酔いが回るということではあるが。段々とさまざまな思いがあきらかな状態になり、知らないということは気楽なものだが、何もかもがわかっていると、また新たな心配がつのり、種がたえないのである。
皎皎万慮 さまざまな思いがあきらかな状態にある。知らないということは気楽なものだが、何もかもがわかっていると、心配の種がたえない。皎皎はあきらかなさま・。
・醒還訴 心配を酒でまぎらそうとするが、醒めると、更に新たな様相でせまってくる。還は、また。

 
百年未滿不得死,且可勤買拋青春。
人の一生をざっと百年とみたてるとやったことに満足していなくて、いやだいやだと思っても寿命がつきなければ死ぬわけにもゆかぬのだ。そうはいっても、とりあえず、せいぜい酒を買うことさ「拗青春」というやつを。
・百年 人の一生をざっと百年とみたてる。
不得死 いやだいやだと思っても寿命がつきなければ死ぬわけにもゆかぬ。
且可 しばらく、とりあえず。可は接尾語で意味はない。
勤買 せいぜい買うことさ。
拗青春 酒の銘柄。いい酒には、「土窟春」とか「石凍春」とか、春の宇のつくものが多かった。不老長寿と青春がつきもの。

感春四首 其二(2) 韓退之(韓愈)詩<58-#2>Ⅱ中唐詩359 紀頌之の漢詩ブログ1156

感春四首 其二(2) 韓退之(韓愈)詩<58-#2>Ⅱ中唐詩359 紀頌之の漢詩ブログ1156


83 感春四首 其一
我所思兮在何所,情多地遐兮遍處處。
わたしがいつも心におもうところ、それはどこだというのか、人と長く接すれば情というもの多くの行ったところで育つものであり、それはあちらこちら、遙かな所に点在するのである。
東西南北皆欲往,千江隔兮萬山阻。
東西南北、どこへでも行きたいと思っている。黄河、長江、淮河、あまたある河川に隔てられている、それはあまたの山々によって阻まれているのだ。
春風吹園雜花開,朝日照屋百鳥語。
今も吹いてくる東風、春の風はこの庭に吹き多くの花を咲かせ木々や草を成長させる。朝日はこの建物を照らし あらゆる鳥たちが囀り始めるのである。
三杯取醉不復論,一生長恨奈何許。
いっぱい飲む度、愚痴を言い、三杯も盃を傾けるころには酔いどれてしまい、もう論理が成り立たない。人生にとって理不尽な事への裏には長く続くものであり、これをどうしたらよいというのか。 
(春に感ず四首 其の一)
我が思ふ所 何所【いずこ】に在りや、情 多く 地遐【とお】くして處處【しょしょ】に偏【あまね】し
東西南北 皆 住かむと欲すれども、千江 隔たり 萬山【まんざん】阻【へだ】つ。
春風 園を吹いて 雜花 開き、朝日 屋【おく】を照して 百鳥【ひゃくちょう】語る。
三盃 酔を取りて 復た論ぜざれ、一生 長恨 奈【い】何【か】許【ばかり】ぞ と。


84  感春四首 其二
皇天平分成四時,春氣漫誕最可悲。
天は、『楚辞』にいう春夏秋冬の四季は三カ月ずつ平均して配分されている。そして、朝、昼、夕、夜の四時、総運、人運、外運、地運の四運と成している、四季のうちの春の気をとりとめなく過ごしたとすると最も悲しいこととなってしまう。
雜花妝林草蓋地,白日坐上傾天維。
いろんな草花は森林を華やかに飾ってくれて地面を覆っている、真昼の太陽でさえも行楽で喜んでいるこの坐に花曇りとして天からの帷をしてくれているようだ。
蜂喧鳥咽留不得,紅萼萬片從風吹。
花の蜜を取って歩く蜂はうるさく飛んでいる、多くの鳥も囀ることを妨げるものはいない、紅い花弁、花房は風が吹いてきてその花びらを万片というほど散らしている。
豈如秋霜雖慘冽,摧落老物誰惜之。
秋の霜のように万物を凋落させるのは惨酷な上うに見えるかもしれないが、ほっておいてもくたばるような老いぼれどもをくだき落とすのだから、誰がそんなものどもを惜しもうか。
為此徑須沽酒飲,自外天地棄不疑。
ゆく春のためにただちに当たり前のことだけど酒を買って飲むのであるし、自分で天地の外に出ていって天地を棄ててしまっても、そのことに疑問ももたない。
(其の二)
皇天【こうてん】平分【へいぶん】して四時【しじ】と成す,春氣【しゅんき】漫誕【まんたん】として最も悲しむ可し。
雜花【ざつか】妝林【しょうりん】し 草は地を蓋【おお】う,白日【はくじつ】坐上【ざじょう】に 天維【てんい】を傾く。
蜂喧【かまびす】しく鳥咽【むせ】べども留め得ず,紅萼【こうがく】萬片【まんべん】風の吹くに從う。
豈 秋霜の如きは慘冽【さんれつ】と雖ども,老物を摧落【さいらく】する誰か之を惜まん。
此の為めに徑【ただ】ちに須【すべか】らく酒を沽【か】いて飲むべし,自ら天地を外にして 棄てて疑わず。
#2
近憐李杜無檢束,爛漫長醉多文辭。
李白や杜甫が、春になるといい機嫌に酔いどれて、やたらに詩を書き散らしたのを、だらしのないことだと思っていたが、ちかごろになって、かれらも、いまのわたしのような心情だったのだとわかり、共鳴できるようになった。
屈原離騷二十五,不肯餔啜糟與醨。
ところが屈原ときたら、離騒など二十五篇もの文章をつくっているが。その詩の中で漁夫も云っている「その酒かすを食べて、薄い酒を飲めばよいのに」というのをあえてしないのだ。
惜哉此子巧言語,不到聖處寧非癡。
惜しいことにはこの君は言葉がやたらに上手なのに、人間の諸悪・苦しみの根源というところではないにしても聖人とされるところには到達はしていない。
幸逢堯舜明四目,條理品彙皆得宜。
わたしには、「堯舜のように四方の事物に対して正しい観察力、分析力と判断力をおもちになる天子の御時世にあうことができて、ものごとのすじみちや分析が適当である。すべてがうまくいっている。」ということなのか。(とてもそうではない。)
平明出門暮歸舍,酩酊馬上知為誰。
平生は朝、夜明けには家の門を出て夕方暮れれば宿舎に帰る。帰り道、すでに馬上で酩酊していることを知っているからといって誰もができることである。

(其の二 #2)
近ごろ憐む李杜【りと】の檢束【けんそく】無くして,爛漫【らんまん】として長【とこしな】えに醉いて文辭【ぶんじ】多きを。
屈原 離騷 二十五,不肯【あ】えて糟【そう】と醨【り】を餔啜【ほせつ】せず。
惜しい哉 此の子 言語に巧【たくみ】なれども,聖處【せいしょ】に到らず寧【むし】ろ癡【さ】に非らざらんや。
幸【さいわい】に 堯舜【ぎょうしゅん】四目【しもく】を明かにするに逢い,品彙【ひんい】を條理【じょうり】して皆宜しきを得たり。
平明 出門して暮に歸舍し,馬上に酩酊【めいてい】することを知る誰とか為す。


85  感春四首 其三
朝騎一馬出,暝就一床臥。
詩書漸欲拋,節行久已惰。
冠欹感發禿,語誤驚齒墮。
孤負平生心,已矣知何奈。
其の三
朝に一馬を騎して出で,暝【くれ】に一床【いっしょう】に就【つ】きて臥す。
詩書【ししょ】漸【ようや】く拋【なげう】たんと欲す,節行【せつこう】久しく已に惰【おこた】れり。
冠 欹【そばだ】ちて 發【かみ】の禿【とく】なるを感ず,語 誤【あやま】ちて 齒の墮【おつ】るに。驚く。
孤負【こふ】す 平生の心,已【やんぬる】矣 知る何奈【いかん】せん。

86  感春四首 其四
我恨不如江頭人,長網橫江遮紫鱗。
獨宿荒陂射鳧雁,賣納租賦官不嗔。
歸來歡笑對妻子,衣食自給寧羞貧。
今者無端讀書史,智慧只足勞精神。
其の四
我は恨む 江頭【こうとう】の人に如かざることを,長網【ちょうもう】江に橫たへ 紫鱗【しりん】を遮【さえぎ】る。
獨り荒陂【こうは】に宿り鳧雁【ふがん】を射,賣りて租賦【そふ】を納めて 官 嗔【いか】らず。
歸り來りて 歡笑して妻子に對し,衣食は自給す 寧【なん】ぞ 貧を羞じむや。
今者【いま】端なくも書史を讀み,智慧【ちけい】は只 精神を勞するに足れり。
#2
畫蛇著足無處用,兩鬢霜白趨埃塵。
乾愁漫解坐自累,與眾異趣誰相親。
數杯澆腸雖暫醉,皎皎萬慮醒還新。
百年未滿不得死,且可勤買拋青春。
#2
蛇【へび】を畫【えが】いて足を著【つ】く 用うるに處 無し,兩鬢【りょうびん】霜白【しょうはく】埃塵【あいじん】に趨【はし】る。
乾愁【かんしゅう】漫【みだ】りに解し 坐【そぞろ】に自ら累【わずら】う,眾【しゅう】と趣を異にせば誰か相い親まん。
數杯 腸【はらわた】に澆【そそ】いで 暫く醉うと雖ども,皎皎【こうこう】たる萬慮【ばんりょ】醒めて還【ま】た新【あらた】なり。
百年 未だ滿たず 死するを得ず,且可【しばらく】勤めて拋【はう】青春【せいしゅん】を買【か】へ。



現代語訳と訳註
(本文)感春四首 其二

近憐李杜無檢束,爛漫長醉多文辭。
屈原離騷二十五,不肯餔啜糟與醨。
惜哉此子巧言語,不到聖處寧非癡。
幸逢堯舜明四目,條理品彙皆得宜。
平明出門暮歸舍,酩酊馬上知為誰。


(下し文)(其の二 #2)
近ごろ憐む李杜【りと】の檢束【けんそく】無くして,爛漫【らんまん】として長【とこしな】えに醉いて文辭【ぶんじ】多きを。
屈原 離騷 二十五,不肯【あ】えて糟【そう】と醨【り】を餔啜【ほせつ】せず。
惜しい哉 此の子 言語に巧【たくみ】なれども,聖處【せいしょ】に到らず寧【むし】ろ癡【さ】に非らざらんや。
幸【さいわい】に 堯舜【ぎょうしゅん】四目【しもく】を明かにするに逢い,品彙【ひんき】を條理【じょうり】して皆宜しきを得たり。
平明 出門して暮に歸舍し,馬上に酩酊【めいてい】することを知る誰とか為す。


(現代語訳)
李白や杜甫が、春になるといい機嫌に酔いどれて、やたらに詩を書き散らしたのを、だらしのないことだと思っていたが、ちかごろになって、かれらも、いまのわたしのような心情だったのだとわかり、共鳴できるようになった。
ところが屈原ときたら、離騒など二十五篇もの文章をつくっているが。その詩の中で漁夫も云っている「その酒かすを食べて、薄い酒を飲めばよいのに」というのをあえてしないのだ。
惜しいことにはこの君は言葉がやたらに上手なのに、人間の諸悪・苦しみの根源というところではないにしても聖人とされるところには到達はしていない。
わたしには、「堯舜のように四方の事物に対して正しい観察力、分析力と判断力をおもちになる天子の御時世にあうことができて、ものごとのすじみちや分析が適当である。すべてがうまくいっている。」ということなのか。(とてもそうではない。)
平生は朝、夜明けには家の門を出て夕方暮れれば宿舎に帰る。帰り道、すでに馬上で酩酊していることを知っているからといって誰もができることである。


(訳注) #2
近憐李杜無檢束,爛漫長醉多文辭。
李白や杜甫が、春になるといい機嫌に酔いどれて、やたらに詩を書き散らしたのを、だらしのないことだと思っていたが、ちかごろになって、かれらも、いまのわたしのような心情だったのだとわかり、共鳴できるようになった。
・李杜 盛唐詩人李白701~762、杜甫712~770年のこと。無檢束 だらしのないこと。・爛漫 春爛漫。・長醉 よいどれること。・多文辭 多く詩文を作ること。


屈原離騷二十五,不肯餔啜糟與醨。
ところが屈原ときたら、離騒など二十五篇もの文章をつくっているが。その詩の中で漁夫も云っている「その酒かすを食べて、薄い酒を飲めばよいのに」というのをあえてしないのだ。
屈原 前343-278春秋戦国時代を代表する詩人であり、政治家としては秦の張儀の謀略を見抜き踊らされようとする懐王を必死で諫めたが受け入れられず、楚の将来に絶望して入水自殺した。離騒二十五 強烈な愛国の情から出た詩は楚の詩を集めた『楚辞』の中で代表とされ、その中でも代表作とされる『離騒』は後世の愛国の士から愛された詩篇25作をいう。
不肯鋪畷槽与鴨 漁父曰、「聖人不三凝滞於物、而能与世推移。世人皆濁、何不淈其泥、而揚其波。衆人皆酔、何不餔其糟、而歠其釃。何故深思高挙、自令放為。」漁父曰く、「聖人は物に凝滞せずして、能く世と推移す。世人皆濁らば、何ぞ其の泥を淈して、其の波を揚げざる。衆人皆酔はば、何ぞ其の糟を餔ひて、其の釃を歠らざる。何の故に深く思ひ高く挙がり、自ら放たれしむるを為すや」と。
老漁師は言った。「聖人は物事にこだわらず、世間と共に移り変わるのです。世の人がみな濁っているならば、なぜ(ご自分も一緒に)泥をかき乱し、その濁った波を高くあげようとしないのですか。人々がみな酔っているなら、なぜ(ご自分も)その酒かすを食べて、薄い酒を飲もうとしないのですか。どうして深刻に思い悩み、お高くとまって、自ら追放されるようなことをなさるのですか。」といったが、屈原は「世間が酔ってもわたしは醒めている」といった話がある。
不到聖処 魏の時代に禁酒令が出ると濁酒を賢人、清酒を聖人という隠語がはやった。竹林の七賢人、建安の七賢人をいう。これと「漁父辞」の聖人とをひっかけて、酒の味もわからず聖人にもなれぬ奴、というのだ。


惜哉此子巧言語,不到聖處寧非癡。
惜しいことにはこの君は言葉がやたらに上手なのに、人間の諸悪・苦しみの根源というところではないにしても聖人とされるところには到達はしていない。
癡(ち、痴)は、仏教が教える煩悩のひとつ。 別名を愚癡(ぐち、愚痴)、我癡、また無明ともいう。 万の事物の理にくらき心をさす。 仏教で人間の諸悪・苦しみの根源と考えられている三毒、三不善根のひとつ。


幸逢堯舜明四目,條理品彙皆得宜。
わたしには、「堯舜のように四方の事物に対して正しい観察力、分析力と判断力をおもちになる天子の御時世にあうことができて、ものごとのすじみちや分析が適当である。すべてがうまくいっている。」ということなのか。(とてもそうではない。)
堯舜 古代の聖人、三皇五帝。・明四目 四方の事物に対して正しい観察力と判断力をもっていること。・條理 ものごとのすじみち、道理の論理が整っていること。判断の基準。・品彙【ひんい】品定め。種類別にまとめたもの。分類。分析力。


平明出門暮歸舍,酩酊馬上知為誰。
平生は朝、夜明けには家の門を出て夕方暮れれば宿舎に帰る。帰り道、すでに馬上で酩酊していることを知っているからといって誰もができることである。
酩酊馬上 山簡の故事に基づく。山簡のこと。字は季倫。西晋時代の人。竹林の七賢の一人、山濤の子。公は一般に尊称であるが、ここでは、とくに尊敬と親しみの気特がこもっている。山簡、あざなは季倫。荊州の地方長官として嚢陽にいたとき、常に酔っぱらっては高陽の池にあそび(野酒)、酩酊したあげく、白い帽子をさかさに被り、馬にのって歩いた。それが評判となり、そのことをうたった歌までできた。話は「世説」にある。 ○高陽 嚢陽にある池の名。 
 


鄭羣贈簟 #3 Ⅱ韓退之(韓愈)詩309 紀頌之の漢詩ブログ1006

鄭羣贈簟 #3 Ⅱ韓退之(韓愈)詩309 紀頌之の漢詩ブログ1006
(鄭群 簟を贈る)

江陵の夏は格別蒸し暑くて、肥満体系の韓愈にとって、しのぎかねるものだった。これまで、陽山では左遷とはいえ、県令とうい知事というトップの職であった。暑さに加え、法曹参軍というかなり不満な地位であり、仕事始めであり、職務を怠慢にすることはできない。そうしたときにもらった「箪」だから、自分の立場を理解してくれたように思われて、韓愈としては単に「箪」をもらったことへの謝意だけではなく、知己を得たわけで、深い感謝をささげている。

鄭羣贈簟
蘄州笛竹天下知,鄭君所寶尤瑰奇。
擕來當晝不得臥,一府傳看黄琉璃。
體堅色淨又藏節,盡眼凝滑無瑕疵。
法曹貧賤眾所易,腰腹空大何能爲?』

自從五月困暑濕,如坐深甑遭蒸炊。
手磨袖拂心語口,慢膚多汗真相宜。
日暮歸來獨惆悵,有賣直欲傾家資。
誰謂故人知我意,卷送八尺含風漪。』

呼奴掃地鋪未了,光彩照耀驚童兒。
下男を呼び地面を掃いて敷かせたはじめたが、まだ敷きおわらぬうちに、美しい光が輝きだして子どもたちを驚かせた。
青蠅側翅蚤虱避,肅肅疑有清飆吹。
青繩も羽根をひそめてよけているし、ノミやシラミは逃げだしていく。そよそよとした清涼風が吹いてきたのかと見まちがえるほどだ。
倒身甘寢百疾愈,卻願天日恒炎曦。
からだを倒してその上に寝そべってみれば、さまざまな病気もなおってしまうだろう、これがあるなら、かえって太陽がいつもかんかん照りつけてほしいと願うほどだ。
明珠青玉不足報,贈子相好無時衰。』

これほどの物のお返しとしては、真珠や青玉などでは返礼にならぬ。君にはいつまでも衰えることのない好誼を贈ることにする。(何にも勝るものを贈られ、これ以上のない喜びをいう。)


(鄭群 簟を贈る)#1
蘄州【きしゅう】の笛竹【ちくてき】は天下知る、鄭君の宝とする所 尤【もっと】も壊奇【かいき】なり。
携え来たり昼に当たるも臥すを得ず、一府伝え看る 黄瑠璃【こうるり】。
体堅く色浄く 又節を蔵す、尽眼【じんがん】凝滑にして瑕疵【かし】無し。
法曹は貧賤【ひんせん】にして衆の易【あなど】る所、腰腹空しく大なるも何をか能【よ】く為さん。

#2
五月自従り 暑湿に困【くる】しみ、深甑【しんそう】に坐して蒸炊【じょうすい】に遭うが如し。
手を磨し袖を払いて 心口に語る、慢膚【まんぷ】汗多きは真【まこと】に相宜【よろ】しと。
日暮れて帰り来たり 独り惆悵【ちゅうちょう】し、売る有らば直ちに家資を傾けんと欲す。
誰か謂【おも】わん 故人我が意を知り、八尺の含風【がんふう】漪【い】を巻いて送らんとは。

#3
奴を呼び地を掃【はら】って鋪【し】かしむること未だ了【お】わらざるに、光彩照耀して童児を驚かす。
青蠅【せいよう】は翅を側【そば】め蚤虱【そうしつ】は避け、粛粛【しゅくしゅく】として清飈【せいひょう】の吹くこと有るかと疑う。
身を倒して甘寝【かんしん】し百疾【ひゃくしつ】愈【い】え、却って願う 天日の恒に炎曦【えんぎ】なるを。
明珠・青玉も報ゆるに足らず、子【し】に相好【よ】くして時として衰うる無きを贈らん。


現代語訳と訳註
(本文)

呼奴掃地鋪未了,光彩照耀驚童兒。
青蠅側翅蚤虱避,肅肅疑有清飆吹。
倒身甘寢百疾愈,卻願天日恒炎曦。
明珠青玉不足報,贈子相好無時衰。』

(下し文) #3
奴を呼び地を掃【はら】って鋪【し】かしむること未だ了【お】わらざるに、光彩照耀して童児を驚かす。
青蠅【せいよう】は翅を側【そば】め蚤虱【そうしつ】は避け、粛粛【しゅくしゅく】として清飈【せいひょう】の吹くこと有るかと疑う。
身を倒して甘寝【かんしん】し百疾【ひゃくしつ】愈【い】え、却って願う 天日の恒に炎曦【えんぎ】なるを。
明珠・青玉も報ゆるに足らず、子【し】に相好【よ】くして時として衰うる無きを贈らん。


(現代語訳)
下男を呼び地面を掃いて敷かせたはじめたが、まだ敷きおわらぬうちに、美しい光が輝きだして子どもたちを驚かせた。
青繩も羽根をひそめてよけているし、ノミやシラミは逃げだしていく。そよそよとした清涼風が吹いてきたのかと見まちがえるほどだ。
からだを倒してその上に寝そべってみれば、さまざまな病気もなおってしまうだろう、これがあるなら、かえって太陽がいつもかんかん照りつけてほしいと願うほどだ。
これほどの物のお返しとしては、真珠や青玉などでは返礼にならぬ。君にはいつまでも衰えることのない好誼を贈ることにする。(何にも勝るものを贈られ、これ以上のない喜びをいう。)


(訳注)
呼奴掃地鋪未了,光彩照耀驚童兒。

下男を呼び地面を掃いて敷かせたはじめたが、まだ敷きおわらぬうちに、美しい光が輝きだして子どもたちを驚かせた。
 めしつかい。捕虜。○ 敷く。○童兒 童は10歳前後で、兒はそれ以下。


青蠅側翅蚤虱避,肅肅疑有清飆吹。
青繩も羽根をひそめてよけているし、ノミやシラミは逃げだしていく。そよそよとした清涼風が吹いてきたのかと見まちがえるほどだ。
青蠅側翅 青繩も羽根をひそめてよけている○蚤虱避 ノミやシラミは逃げだしていく。○清飆 清涼風。


倒身甘寢百疾愈,卻願天日恒炎曦。
からだを倒してその上に寝そべってみれば、さまざまな病気もなおってしまうだろう、これがあるなら、かえって太陽がいつもかんかん照りつけてほしいと願うほどだ。
甘寢 だらっとして横になる。○百疾愈 さまざまな病気もなおってしまう。○ いつも。○炎曦 かんかん照りつけること。


明珠青玉不足報,贈子相好無時衰。』
これほどの物のお返しとしては、真珠や青玉などでは返礼にならぬ。君にはいつまでも衰えることのない好誼を贈ることにする。(何にも勝るものを贈られ、これ以上のない喜びをいう。)
明珠 真珠。○青玉 鋼玉石の一種。装飾品。竹、桐の別名○贈子相好 君には好誼を贈ろう。

鄭羣贈簟 #2 Ⅱ韓退之(韓愈)詩308 紀頌之の漢詩ブログ1003

鄭羣贈簟 #2 Ⅱ韓退之(韓愈)詩308 紀頌之の漢詩ブログ1003
(鄭群 簟を贈る)

江陵の夏は格別蒸し暑くて、肥満体系の韓愈にとって、しのぎかねるものだった。これまで、陽山では左遷とはいえ、県令とうい知事というトップの職であった。暑さに加え、法曹参軍というかなり不満な地位であり、仕事始めであり、職務を怠慢にすることはできない。そうしたときにもらった「箪」だから、自分の立場を理解してくれたように思われて、韓愈としては単に「箪」をもらったことへの謝意だけではなく、知己を得たわけで、深い感謝をささげている。(3回の内2回目)

鄭羣贈簟
蘄州笛竹天下知,鄭君所寶尤瑰奇。
擕來當晝不得臥,一府傳看黄琉璃。
體堅色淨又藏節,盡眼凝滑無瑕疵。
法曹貧賤眾所易,腰腹空大何能爲?』

自從五月困暑濕,如坐深甑遭蒸炊。
五月のころから暑さと湿気に悩まされるが、たとえば深い甑のなかに座って、蒸される目にあっているようなものだ。
手磨袖拂心語口,慢膚多汗真相宜。
手をこすったり袖で払ったりして、心にあることをもらしてひとりごとをいう。肥満体はとかく汗をかきやすいものだとはほんとうによく言ったものだと。
日暮歸來獨惆悵,有賣直欲傾家資。
日が暮れてから家に帰ってきて一人悲しい思いにとらわれ、よい竹むしろを売るものがあれば、すぐに家産を傾けてもいいとさえ思うほどだ。
誰謂故人知我意,卷送八尺含風漪。』
ところが思いがけないことに、旧友がわたくしの気持を知って、長さ八尺の含風浹を巻いて、贈ってくれた。

呼奴掃地鋪未了,光彩照耀驚童兒。
青蠅側翅蚤虱避,肅肅疑有清飆吹。
倒身甘寢百疾愈,卻願天日恒炎曦。
明珠青玉不足報,贈子相好無時衰。』

(鄭群 簟を贈る)#1
蘄州【きしゅう】の笛竹【ちくてき】は天下知る、鄭君の宝とする所 尤【もっと】も壊奇【かいき】なり。
携え来たり昼に当たるも臥すを得ず、一府伝え看る 黄瑠璃【こうるり】。
体堅く色浄く 又節を蔵す、尽眼【じんがん】凝滑にして瑕疵【かし】無し。
法曹は貧賤【ひんせん】にして衆の易【あなど】る所、腰腹空しく大なるも何をか能【よ】く為さん。

#2
五月自従り 暑湿に困【くる】しみ、深甑【しんそう】に坐して蒸炊【じょうすい】に遭うが如し。
手を磨し袖を払いて 心口に語る、慢膚【まんぷ】汗多きは真【まこと】に相宜【よろ】しと。
日暮れて帰り来たり 独り惆悵【ちゅうちょう】し、売る有らば直ちに家資を傾けんと欲す。
誰か謂【おも】わん 故人我が意を知り、八尺の含風【がんふう】漪【い】を巻いて送らんとは。

#3
奴を呼び地を掃【はら】って鋪【し】かしむること未だ了【お】わらざるに、光彩照耀して童児を驚かす。
青蠅【せいよう】は翅を側【そば】め蚤虱【そうしつ】は避け、粛粛【しゅくしゅく】として清飈【せいひょう】の吹くこと有るかと疑う。
身を倒して甘寝【かんしん】し百疾【ひゃくしつ】愈【い】え、却って願う 天日の恒に炎曦【えんぎ】なるを。
明珠・青玉も報ゆるに足らず、子【し】に相好【よ】くして時として衰うる無きを贈らん。


現代語訳と訳註
(本文)

自從五月困暑濕,如坐深甑遭蒸炊。
手磨袖拂心語口,慢膚多汗真相宜。
日暮歸來獨惆悵,有賣直欲傾家資。
誰謂故人知我意,卷送八尺含風漪。』


(下し文) #2
五月自従り 暑湿に困【くる】しみ、深甑【しんそう】に坐して蒸炊【じょうすい】に遭うが如し。
手を磨し袖を払いて 心口に語る、慢膚【まんぷ】汗多きは真【まこと】に相宜【よろ】しと。
日暮れて帰り来たり 独り惆悵【ちゅうちょう】し、売る有らば直ちに家資を傾けんと欲す。
誰か謂【おも】わん 故人我が意を知り、八尺の含風【がんふう】漪【い】を巻いて送らんとは。


(現代語訳)
五月のころから暑さと湿気に悩まされるが、たとえば深い甑のなかに座って、蒸される目にあっているようなものだ。
手をこすったり袖で払ったりして、心にあることをもらしてひとりごとをいう。肥満体はとかく汗をかきやすいものだとはほんとうによく言ったものだと。
日が暮れてから家に帰ってきて一人悲しい思いにとらわれ、よい竹むしろを売るものがあれば、すぐに家産を傾けてもいいとさえ思うほどだ。
ところが思いがけないことに、旧友がわたくしの気持を知って、長さ八尺の含風浹を巻いて、贈ってくれた。


(訳注)
自從五月困暑濕,如坐深甑遭蒸炊。

五月のころから暑さと湿気に悩まされるが、たとえば深い甑のなかに座って、蒸される目にあっているようなものだ。
 蒸し室甕。甑:(こしき)柾目の杉材と竹輪、及び鉄輪、ムシロ、わら縄、しゅろ縄 米を蒸す用具で、釜の上に据え猿を置き、甑布をひいて米を入れる。米を入れ終わると布を掛けムシロをのせ、蒸し米をつくる。


手磨袖拂心語口,慢膚多汗真相宜。
手をこすったり袖で払ったりして、心にあることをもらしてひとりごとをいう。肥満体はとかく汗をかきやすいものだとはほんとうによく言ったものだと。


日暮歸來獨惆悵,有賣直欲傾家資。
日が暮れてから家に帰ってきて一人悲しい思いにとらわれ、よい竹むしろを売るものがあれば、すぐに家産を傾けてもいいとさえ思うほどだ。
惆悵 恨み嘆くこと。
痩馬行  杜甫
去歲奔波逐餘寇,驊騮不慣不得將。
士卒多騎內廄馬,惆悵恐是病乘黃。
當時歷塊誤一蹶,委棄非汝能周防。
見人慘澹若哀訴,失主錯莫無晶光。
天寒遠放雁為伴,日暮不收烏啄瘡。
誰家且養願終惠,更試明年春草長。』

杏花  韓愈
・・・・・・・
鷓鴣鈎輈猿叫歇,杳杳深谷攢青楓。
豈如此樹一來翫,若在京國情何窮。
今旦胡為忽惆悵,萬片飄泊隨西東。
明年更發應更好,道人莫忘鄰家翁。』


誰謂故人知我意,卷送八尺含風漪。』
ところが思いがけないことに、旧友がわたくしの気持を知って、長さ八尺の含風浹を巻いて、贈ってくれた。
八尺含風漪 長さ八尺の風を含んださざなみという名の“竹むしろ”。

鄭羣贈簟 #1 Ⅱ韓退之(韓愈)詩307 紀頌之の漢詩ブログ998

鄭羣贈簟 #1 Ⅱ韓退之(韓愈)詩307 紀頌之の漢詩ブログ998
(鄭群 簟を贈る)

江陵の夏は格別蒸し暑くて、肥満体系の韓愈にとって、しのぎかねるものだった。これまで、陽山では左遷とはいえ、県令とうい知事というトップの職であった。暑さに加え、法曹参軍というかなり不満な地位であり、仕事始めであり、職務を怠慢にすることはできない。そうしたときにもらった「箪」だから、自分の立場を理解してくれたように思われて、韓愈としては単に「箪」をもらったことへの謝意だけではなく、知己を得たわけで、深い感謝をささげている。

鄭羣贈簟
鄭侍御史に簟を贈られる
蘄州笛竹天下知,鄭君所寶尤瑰奇。
蘄州(湖北省蘄春県)の笛竹は天下にその名を知られたものだが、鄭君が宝物にしている竹は特にすぐれて珍しく、美しいものだ。
擕來當晝不得臥,一府傳看黄琉璃。
それを持って来たのはちょうど昼だったが、その上に寝ることもならず、黄色の瑠璃のような竹を幕府の役所じゅうの人が統々と手渡しして見入る。
體堅色淨又藏節,盡眼凝滑無瑕疵。
その本体は堅く色はさっぱりとしているうえに節も見えぬようになっており、目のとどくところはすべてつるつるとしていて悪い所が全くない。
法曹貧賤眾所易,腰腹空大何能爲?』
法曹参軍は俸禄が低いし、地位も低い職で、人々に軽く見られているようだ。太って腰や腹ばかりが大きくても何ができるというのだろうか。

自從五月困暑濕,如坐深甑遭蒸炊。
手磨袖拂心語口,慢膚多汗真相宜。
日暮歸來獨惆悵,有賣直欲傾家資。
誰謂故人知我意,卷送八尺含風漪。』

呼奴掃地鋪未了,光彩照耀驚童兒。
青蠅側翅蚤虱避,肅肅疑有清飆吹。
倒身甘寢百疾愈,卻願天日恒炎曦。
明珠青玉不足報,贈子相好無時衰。』

(鄭群 簟を贈る)#1
蘄州【きしゅう】の笛竹【ちくてき】は天下知る、鄭君の宝とする所 尤【もっと】も壊奇【かいき】なり。
携え来たり昼に当たるも臥すを得ず、一府伝え看る 黄瑠璃【こうるり】。
体堅く色浄く 又節を蔵す、尽眼【じんがん】凝滑にして瑕疵【かし】無し。
法曹は貧賤【ひんせん】にして衆の易【あなど】る所、腰腹空しく大なるも何をか能【よ】く為さん。

#2
五月自従り 暑湿に困【くる】しみ、深甑【しんそう】に坐して蒸炊【じょうすい】に遭うが如し。
手を磨し袖を払いて 心口に語る、慢膚【まんぷ】汗多きは真【まこと】に相宜【よろ】しと。
日暮れて帰り来たり 独り惆悵【ちゅうちょう】し、売る有らば直ちに家資を傾けんと欲す。
誰か謂【おも】わん 故人我が意を知り、八尺の含風【がんふう】漪【い】を巻いて送らんとは。

#3
奴を呼び地を掃【はら】って鋪【し】かしむること未だ了【お】わらざるに、光彩照耀して童児を驚かす。
青蠅【せいよう】は翅を側【そば】め蚤虱【そうしつ】は避け、粛粛【しゅくしゅく】として清飈【せいひょう】の吹くこと有るかと疑う。
身を倒して甘寝【かんしん】し百疾【ひゃくしつ】愈【い】え、却って願う 天日の恒に炎曦【えんぎ】なるを。
明珠・青玉も報ゆるに足らず、子【し】に相好【よ】くして時として衰うる無きを贈らん。


現代語訳と訳註
(本文)

蘄州笛竹天下知,鄭君所寶尤瑰奇。
擕來當晝不得臥,一府傳看黄琉璃。
體堅色淨又藏節,盡眼凝滑無瑕疵。
法曹貧賤眾所易,腰腹空大何能爲?』

(下し文) (鄭群 簟を贈る)#1
蘄州【きしゅう】の笛竹【ちくてき】は天下知る、鄭君の宝とする所 尤【もっと】も壊奇【かいき】なり。
携え来たり昼に当たるも臥すを得ず、一府伝え看る 黄瑠璃【こうるり】。
体堅く色浄く 又節を蔵す、尽眼【じんがん】凝滑にして瑕疵【かし】無し。
法曹は貧賤【ひんせん】にして衆の易【あなど】る所、腰腹空しく大なるも何をか能【よ】く為さん。


(現代語訳)
鄭侍御史に簟を贈られる
蘄州(湖北省蘄春県)の笛竹は天下にその名を知られたものだが、鄭君が宝物にしている竹は特にすぐれて珍しく、美しいものだ。
それを持って来たのはちょうど昼だったが、その上に寝ることもならず、黄色の瑠璃のような竹を幕府の役所じゅうの人が統々と手渡しして見入る。
その本体は堅く色はさっぱりとしているうえに節も見えぬようになっており、目のとどくところはすべてつるつるとしていて悪い所が全くない。
法曹参軍は俸禄が低いし、地位も低い職で、人々に軽く見られているようだ。太って腰や腹ばかりが大きくても何ができるというのだろうか。


(訳注)
鄭羣贈簟

鄭侍御史に簟を贈られる
鄭群 殿中侍御史の肩書をもって刑南節度使裴均の幕僚として江陵に勤務していた人物である。○ シーツに似た寝具で、竹を編んで作る。夏はその上に寝ると、涼しいわけである。


蘄州笛竹天下知,鄭君所寶尤瑰奇。
蘄州(湖北省蘄春県)の笛竹は天下にその名を知られたものだが、鄭君が宝物にしている竹は特にすぐれて珍しく、美しいものだ。
蘄州 湖北省武漢市の近郊の黄岡市の蘄春県方面である。蘄州は隋の時代に設定されたもので、二郡(斉昌郡、永安郡)三県(斉昌県・蘄水県・浠水県)を刑南節度使が治めていた。○ もっとも。瑰奇 優れて珍しい。


擕來當晝不得臥,一府傳看黄琉璃。
それを持って来たのはちょうど昼だったが、その上に寝ることもならず、黄色の瑠璃のような竹を幕府の役所じゅうの人が統々と手渡しして見入る。
 たずさえる。笛を持参してくる。○黄琉璃 黄色の瑠璃のようである。


體堅色淨又藏節,盡眼凝滑無瑕疵。
その本体は堅く色はさっぱりとしているうえに節も見えぬようになっており、目のとどくところはすべてつるつるとしていて悪い所が全くない。
體堅 笛の本体は堅い。○色淨 色はさっぱりとしている○又藏節 節も見えないようになっている。


法曹貧賤眾所易,腰腹空大何能爲?』
法曹参軍は俸禄が低いし、地位も低い職で、人々に軽く見られているようだ。太って腰や腹ばかりが大きくても何ができるというのだろうか。
法曹 江陵の幕府での韓愈の役、法曹参軍。○貧賤 俸禄が低いし、地位も低い職。○腰腹空大 韓愈は太っていたことをいう。

杏花 #3 Ⅱ韓退之(韓愈) 紀頌之の漢詩ブログ995中唐306 韓愈特集-37-#3

杏花 #3 Ⅱ韓退之(韓愈) 紀頌之の漢詩ブログ995中唐306 韓愈特集-37-#3


韓愈 杏花 #1
居鄰北郭古寺空,杏花兩株能白紅。
曲江滿園不可到,看此寧避雨與風 ?
二年流竄出嶺外,所見草木多異同。』

冬寒不嚴地恆泄,陽氣發亂無全功。
浮花浪蘂鎮長有,纔開還落瘴霧中。
山榴躑躅少意思,照耀黃紫徒為叢。』

鷓鴣鈎輈猿叫歇,杳杳深谷攢青楓。
鷓鴣が鳴き、猿の叫びがやむとき、底も知れぬ深い谷の奥に青々とした楓がいっぱいに茂っている。
豈如此樹一來翫,若在京國情何窮。
このような杏の木は一度来て見て楽しむだけですまされようか。もし都にあったならば無限の物思いを催させるものとなったであろうものを。
今旦胡為忽惆悵,萬片飄泊隨西東。
今朝はふと悲しみの心が湧いたが、なぜだろう。それは杏の花が一万片の花びらとなって空中にただよい、風の吹くまま西へ東へと飛んでいってしまったからだ。
明年更發應更好,道人莫忘鄰家翁。』

来年また花が咲いたらおそらくもっときれいになるだろう。修行僧侶さま、杏の花を見たがっている隣りの歳よりを忘れないでほしい。
 
 
杏花
居隣【きょりん】の北郭 古寺空しく、杏花両株 能【よ】く白紅。
曲江満園 到る可からず、此を看て 寧【いず】くんぞ雨と風とを避けん。 
二年流竄【りゅうざん】して嶺外【れいがい】に出で、見し所の草木 異同多し。』
#2
冬寒【とうかん】厳【げん】ならず 地恒に泄【も】らし、陽気 発乱して全功無し。
浮花 浪蘂【ろうずい】 鎮長【ちんちょう】に有り、纔かに開いて 還た落つ 瘴霧【しょうむ】の中。
山榴【さんりゅう】躑躅【てきちょく】 意思少なく、   黄紫を照耀【しょうよう】して徒【いたず】らに叢【そう】を為す。』
#3
鷓鴣【しゃこ】鈎輈【こうちゅう】として猿の叫び歇【や】み、杳杳【ようよう】たる深谷 青楓【せいふう】を攢【あつ】む。
壹如【あにし】かんや此の樹の一たび来翫【らいがん】するに、若し京国【けいこく】に在らば 情何ぞ窮まらん。
今且【こんたん】胡為【なんす】れぞ忽【たちま】ち惆悵【ちょうちょう】する、万片飄泊【ひょうはく】して西東に随う。
明年更に発【ひら】けば応【まさ】に更に奸かるべし、道人【どうじん】忘るる莫かれ隣家の翁【おう】。


現代語訳と訳註
(本文)

鷓鴣鈎輈猿叫歇,杳杳深谷攢青楓。
豈如此樹一來翫,若在京國情何窮。
今旦胡為忽惆悵,萬片飄泊隨西東。
明年更發應更好,道人莫忘鄰家翁。』

(下し文) #3
鷓鴣【しゃこ】鈎輈【こうちゅう】として猿の叫び歇【や】み、杳杳【ようよう】たる深谷 青楓【せいふう】を攢【あつ】む。
壹如【あにし】かんや此の樹の一たび来翫【らいがん】するに、若し京国【けいこく】に在らば 情何ぞ窮まらん。
今且【こんたん】胡為【なんす】れぞ忽【たちま】ち惆悵【ちょうちょう】する、万片飄泊【ひょうはく】して西東に随う。
明年更に発【ひら】けば応【まさ】に更に奸かるべし、道人【どうじん】忘るる莫かれ隣家の翁【おう】。

(現代語訳)
麟鵠が鳴き、猿の叫びがやむとき、底も知れぬ深い谷の奥に青々とした楓がいっぱいに茂っている。
このような杏の木は一度来て見て楽しむだけですまされようか。もし都にあったならば無限の物思いを催させるものとなったであろうものを。
今朝はふと悲しみの心が湧いたが、なぜだろう。それは杏の花が一万片の花びらとなって空中にただよい、風の吹くまま西へ東へと飛んでいってしまったからだ。
来年また花が咲いたらおそらくもっときれいになるだろう。修行僧侶さま、杏の花を見たがっている隣りの歳よりを忘れないでほしい。


(訳注)
鷓鴣鈎輈猿叫歇,杳杳深谷攢青楓。

麟鵠が鳴き、猿の叫びがやむとき、底も知れぬ深い谷の奥に青々とした楓がいっぱいに茂っている。
鈎輈【こうちゅう】 力強く鳴く鷓鴣のなきごえ。『本草鷓鴣』「集解、孔志約曰、鷓鴣生江南、形似る母鷄、鳴けば云う鈎輈格磔亅。」(集解、孔志約曰く、鷓鴣は江南に生ず、形母鷄に似る、鳴けば鈎輈格磔【かくたく】と云う)


豈如此樹一來翫,若在京國情何窮。
このような杏の木は一度来て見て楽しむだけですまされようか。もし都にあったならば無限の物思いを催させるものとなったであろうものを。


今旦胡為忽惆悵,萬片飄泊隨西東。
今朝はふと悲しみの心が湧いたが、なぜだろう。それは杏の花が一万片の花びらとなって空中にただよい、風の吹くまま西へ東へと飛んでいってしまったからだ。


明年更發應更好,道人莫忘鄰家翁。』
来年また花が咲いたらおそらくもっときれいになるだろう。修行僧侶さま、杏の花を見たがっている隣りの歳よりを忘れないでほしい。

 この詩は江陵に着いて初めての歳をむかえ、元和元年の春の作である。ここに見える「古寺」は、金鑾寺である。また、

杏花 #2 Ⅱ韓退之(韓愈) 紀頌之の漢詩ブログ992中唐305 韓愈特集-37-#2

杏花 #2 Ⅱ韓退之(韓愈) 紀頌之の漢詩ブログ992中唐305 韓愈特集-37-#2
(杏花)

韓愈 杏花 #1
居鄰北郭古寺空,杏花兩株能白紅。
曲江滿園不可到,看此寧避雨與風 ?
二年流竄出嶺外,所見草木多異同。』

冬寒不嚴地恆泄,陽氣發亂無全功。
冬の寒さはあまり厳しくなくて、地面からは暖かい気が漏れており、万物を生長させる陽気はやたらに立ちのぼって、造化の完全なはたらきはない。
浮花浪蘂鎮長有,纔開還落瘴霧中。
季節はずれに咲いているあだ花はいつでもあって、それが南方特有の毒気を帯びているという霧のなかで咲いたかと思うとまた散ってしまう。
山榴躑躅少意思,照耀黃紫徒為叢。』
サツキやツツジも風情に乏しく、黄色や紫の花を輝かせるが、草むらをなしているだけのことだ。

鷓鴣鈎輈猿叫歇,杳杳深谷攢青楓。
豈如此樹一來翫,若在京國情何窮。
今旦胡為忽惆悵,萬片飄泊隨西東。
明年更發應更好,道人莫忘鄰家翁。』

  
杏花
居隣【きょりん】の北郭 古寺空しく、杏花両株 能【よ】く白紅。
曲江満園 到る可からず、此を看て 寧【いず】くんぞ雨と風とを避けん。 
二年流竄【りゅうざん】して嶺外【れいがい】に出で、見し所の草木 異同多し。』
#2
冬寒【とうかん】厳【げん】ならず 地恒に泄【も】らし、陽気 発乱して全功無し。
浮花 浪蘂【ろうずい】 鎮長【ちんちょう】に有り、纔かに開いて 還た落つ 瘴霧【しょうむ】の中。
山榴【さんりゅう】躑躅【てきちょく】 意思少なく、   黄紫を照耀【しょうよう】して徒【いたず】らに叢【そう】を為す。』

#3
鷓鴣【しゃこ】鈎輈【こうしゅう】として猿の叫び歇【や】み、杳杳【ようよう】たる深谷 青楓【せいふう】を攢【あつ】む。
壹如【あにし】かんや此の樹の一たび来翫【らいがん】するに、若し京国【けいこく】に在らば 情何ぞ窮まらん。
今且【こんたん】胡為【なんす】れぞ忽【たちま】ち惆悵【ちょうちょう】する、万片飄泊【ひょうはく】して西東に随う。
明年更に発【ひら】けば応【まさ】に更に奸かるべし、道人【どうじん】忘るる莫かれ隣家の翁【おう】。



現代語訳と訳註
(本文)

冬寒不嚴地恆泄,陽氣發亂無全功。
浮花浪蘂鎮長有,纔開還落瘴霧中。
山榴躑躅少意思,照耀黃紫徒為叢。』


(下し文) #2
冬寒【とうかん】厳【げん】ならず 地恒に泄【も】らし、陽気 発乱して全功無し。
浮花 浪蘂【ろうずい】 鎮長【ちんちょう】に有り、纔かに開いて 還た落つ 瘴霧【しょうむ】の中。
山榴【さんりゅう】躑躅【てきちょく】 意思少なく、   黄紫を照耀【しょうよう】して徒【いたず】らに叢【そう】を為す。』


(現代語訳)
冬の寒さはあまり厳しくなくて、地面からは暖かい気が漏れており、万物を生長させる陽気はやたらに立ちのぼって、造化の完全なはたらきはない。
季節はずれに咲いているあだ花はいつでもあって、それが南方特有の毒気を帯びているという霧のなかで咲いたかと思うとまた散ってしまう。
サツキやツツジも風情に乏しく、黄色や紫の花を輝かせるが、草むらをなしているだけのことだ。

(訳注)
冬寒不嚴地恒泄,陽氣發亂無全功。

冬の寒さはあまり厳しくなくて、地面からは暖かい気が漏れており、万物を生長させる陽気はやたらに立ちのぼって、造化の完全なはたらきはない。
地恒泄 地面からは暖かい気があふれている。○發亂 やたらに立ちのぼる陽炎をいう。○無全功 造化の完全なはたらきはない。


浮花浪蘂鎮長有,纔開還落瘴霧中
季節はずれに咲いているあだ花はいつでもあって、それが南方特有の毒気を帯びているという霧のなかで咲いたかと思うとまた散ってしまう。
浮花 浮花○浪蘂 あだ花○瘴霧中 瘴癘の地の空気中に有る毒気をいう。(実際には蚊によって媒介されていたマラリヤをいう。)


山榴躑躅少意思,照耀黃紫徒為叢。』
サツキやツツジも風情に乏しく、黄色や紫の花を輝かせるが、草むらをなしているだけのことだ。
山榴 「さつき(皐月)」の古名。山奥の岩肌などに自生する。盆栽などで親しまれている。サツキツツジ(皐月躑躅)などとも呼ばれており、他のツツジに比べ一ヶ月程度遅い、旧暦の五月(皐月)の頃に一斉に咲き揃うところからその名が付いたと言われる。○躑躅 ツツジ。おおむね常緑若しくは落葉性の低木から高木で、葉は常緑または落葉性で互生、果実は蒴花である。4月から5月の春先にかけて漏斗型の特徴的な形の花(先端が五裂している)を数個、枝先につける。杜鵑花(とけんか)、杜鵑はほととぎすの別名。

杏花 #1 Ⅱ韓退之(韓愈) 紀頌之の漢詩ブログ989 韓愈特集-37-#1

杏花 #1 Ⅱ韓退之(韓愈) 紀頌之の漢詩ブログ989 韓愈特集-37-#1
(杏花)


江陵府法曹參軍に赴任
 韓愈が江陵に到着したのは正確には何月何日のことだったか、はっきりしない。ともかく法曹参軍というのは、韓愈にとっては屈辱的な身分であり、そのことは韓愈自身はもちろんのこと、周囲の人々にとってもわかっていたはずで、普通ならこんな職にある人ではないと、誰もが知っていたろう。しかし韓愈は、周囲のそんな目に甘えも反発もせず、法曹参軍のつとめを真面目に果たしていたらしい。真面目に勤めていれば、いつかはそれが中央にも聞こえて、都に呼びもどしてもらえるとの期待をもったからのようである。だから彼は、己れの「卑官」について愚痴は言うものの、こんな任命をした朝廷に対して文句をつけようとはせず、ひたすら恭順の態度を表わしているのである。806年、元和元年、三十九歳の春を、愈はこのようにして江陵で迎えた。


韓愈 杏花 #1
居鄰北郭古寺空,杏花兩株能白紅。
私の住居の隣り、北の外城にある古寺はがらんとして何もないけれど、杏の花が二か所の束になって、みごとな白と紅の花がいっぱいだ。
曲江滿園不可到,看此寧避雨與風 ?
都の曲江の、園いっぱいに咲きほこる杏の花までは出かけて行くこともできないので、せめてこの花で心を慰めようとする、だけど雨や風を避けたりするほどのものではない。
二年流竄出嶺外,所見草木多異同。』
私は二年間、五嶺山脈の南、瘴癘の地に流されていたのだが、そこでは目にふれた草木はとかく自分がいままで知っているものとは違っていた。
#2
冬寒不嚴地恆泄,陽氣發亂無全功。
浮花浪蘂鎮長有,纔開還落瘴霧中。
山榴躑躅少意思,照耀黃紫徒為叢。』
#3
鷓鴣鈎輈猿叫歇,杳杳深谷攢青楓。
豈如此樹一來翫,若在京國情何窮。
今旦胡為忽惆悵,萬片飄泊隨西東。
明年更發應更好,道人莫忘鄰家翁。』

  
杏花
居隣【きょりん】の北郭 古寺空しく、杏花両株 能【よ】く白紅。
曲江満園 到る可からず、此を看て 寧【いず】くんぞ雨と風とを避けん。 
二年流竄【りゅうざん】して嶺外【れいがい】に出で、見し所の草木 異同多し。』

#2
冬寒【とうかん】厳【げん】ならず 地恒に泄【も】らし、陽気 発乱して全功無し。
浮花 浪蘂【ろうずい】 鎮長【ちんちょう】に有り、纔かに開いて 還た落つ 瘴霧【しょうむ】の中。
山榴【さんりゅう】躑躅【てきちょく】 意思少なく、   黄紫を照耀【しょうよう】して徒【いたず】らに叢【そう】を為す。』
#3
鷓鴣【しゃこ】鈎輈【こうしゅう】として猿の叫び歇【や】み、杳杳【ようよう】たる深谷 青楓【せいふう】を攢【あつ】む。
壹如【あにし】かんや此の樹の一たび来翫【らいがん】するに、若し京国【けいこく】に在らば 情何ぞ窮まらん。
今且【こんたん】胡為【なんす】れぞ忽【たちま】ち惆悵【ちょうちょう】する、万片飄泊【ひょうはく】して西東に随う。
明年更に発【ひら】けば応【まさ】に更に奸かるべし、道人【どうじん】忘るる莫かれ隣家の翁【おう】。


現代語訳と訳註
(本文)
杏花 #1
居鄰北郭古寺空,杏花兩株能白紅。
曲江滿園不可到,看此寧避雨與風 ?
二年流竄出嶺外,所見草木多異同。』


(下し文) 杏花
居隣【きょりん】の北郭 古寺空しく、杏花両株 能【よ】く白紅。
曲江満園 到る可からず、此を看て 寧【いず】くんぞ雨と風とを避けん。 
二年流竄【りゅうざん】して嶺外【れいがい】に出で、見し所の草木 異同多し。』


(現代語訳)
私の住居の隣り、北の外城にある古寺はがらんとして何もないけれど、杏の花が二か所の束になって、みごとな白と紅の花がいっぱいだ。
都の曲江の、園いっぱいに咲きほこる杏の花までは出かけて行くこともできないので、せめてこの花で心を慰めようとする、だけど雨や風を避けたりするほどのものではない。
私は二年間、五嶺山脈の南、瘴癘の地に流されていたのだが、そこでは目にふれた草木はとかく自分がいままで知っているものとは違っていた。

杏00紅白花00

(訳注)
居鄰北郭古寺空,杏花兩株能白紅。

私の住居の隣り、北の外城にある古寺はがらんとして何もないけれど、杏の花が二か所の束になって、みごとな白と紅の花がいっぱいだ。
○居鄰 江陵府について居を構えた。その隣にある。○北郭 城郭の北にある。○古寺 金鑾寺。○杏花 春(現代暦3月下旬から4月頃)に、桜よりもやや早く淡紅の花を咲かせ、初夏にウメに似た実を付ける。美しいため花見の対象となる。杏の花は咲き始めは紅色だが、しだいに白くなっていくとされるが、紅種もあるので、白紅としたもの。○兩株 二本に限らず、花の塊が二か所であろう。


曲江滿園不可到,看此寧避雨與風。
都の曲江の、園いっぱいに咲きほこる杏の花までは出かけて行くこともできないので、せめてこの花で心を慰めようとする、だけど雨や風を避けたりするほどのものではない。
○曲江 長安中心部より東南東数キロのところにある池の名。風光明媚な所。漢・武帝がここに宜春苑を造営した。(地図の赤線は長安城の城郭、青印が曲江) ・曲:くま。この池はかなり曲線があり、池の奥深いところ。池の湾曲した部分をいう。春は、牡丹、梨、杏などすべての花が咲き誇る歓楽地であった。


二年流竄出嶺外,所見草木多異同。
私は二年間、五嶺山脈の南、瘴癘の地に流されていたのだが、そこでは目にふれた草木はとかく自分がいままで知っているものとは違っていた。
嶺外 西から東の順に、越城嶺(えつじょうれい)、都龐嶺(とほうれい)、萌渚嶺(ほうしょれい)、騎田嶺(きでんれい)、大庾嶺(だいゆれい)の五つの山並みが組み合わさっているためこの名がある。
南嶺山脈は歴史的に天然の障壁となっており、嶺南(広東省および広西チワン族自治区)と中原の間の交通の妨げであった。嶺南には中原の政治的支配や文化が十分に及ばない時期もあり、華北の人間は嶺南を「蛮夷の地」と呼んできた。唐朝の宰相・張九齢が大庾嶺を切り開いて「梅関古道」を築いて以後、嶺南地区の開発がようやく進んできた。また古代以来の中国の統治者たちは南嶺を行政区画を作る上で利用してきており、南嶺は諸省区の境界線および辺縁の地となってきた。

中唐詩-260 寄盧仝#5 韓愈 Ⅱ韓退之(韓愈) 紀頌之の漢詩ブログ 韓愈特集-22

中唐詩-260 寄盧仝#5 韓愈 Ⅱ韓退之(韓愈) 紀頌之の漢詩ブログ 韓愈特集-22


811年 元和六年春 韓愈44歳の作 作詩順からすると韓愈詩の35番目くらいに掲載予定であったが、孟郊と盧仝詩を掲載したので順を繰り上げて掲載。
孟郊 『答盧仝』(盧仝に答える#1~#3)中唐詩 Ⅶ孟郊(孟東野) 答盧仝#1 <24> kanbun-iinkai紀頌之の漢詩ブログ248
盧仝 新茶について述べながら、生き方、生活ぶりについて触れている。『走筆謝孟諫議寄新茶』(筆を走らせて孟諫議の新茶を寄せるを謝す)(#1~#3)
中唐詩人ID-44 盧仝 走筆謝孟諫議寄新茶#1 kanbun-iinkai紀頌之の李商隠と中唐の漢詩ブログ251



寄盧仝
#1 
玉川先生洛城裏,破屋數間而已矣。一奴長鬚不裹頭,一婢赤腳老無齒。
辛勤奉養十余人,上有慈親下妻子。先生結發憎俗徒,閉門不出動一紀。
至令鄰僧乞米送,仆忝縣尹能不恥?俸錢供給公私余,時致薄少助祭祀。』
#2
勸參留守謁大尹,言語纔及輒掩耳。水北山人得名聲,去年去作幕下士。
水南山人又繼往,鞍馬仆從塞閭裏。少室山人索價高,兩以諫官征不起。
彼皆刺口論世事,有力未免遭驅使。先生事業不可量,惟用法律自繩己。』
#3
《春秋》三傳束高閣,獨抱遺經究終始。往年弄筆嘲同異,怪辭驚眾謗不已。
近來自說尋坦途,猶上虛空跨綠駬。』
#4
去歲生兒名添丁,意令與國充耘耔。國家丁口連四海,豈無農夫親耒耜?
先生抱才終大用,宰相未許終不仕。
假如不在陳力列,立言垂範亦足恃。苗裔當蒙十世宥,豈謂貽厥無基阯。
#5
昨晚長鬚來下狀,隔墻惡少惡難似。
昨晩のこと、長鬚の下男が告訴状をとどけて来た、まず、隣りの不良少年は類のないほど悪いやつというものである。
每騎屋山下窺闞,渾舍驚怕走折趾。
いつも大星根にまたがっては下の方を見下ろして中をのぞきこむ、家じゅうの女たちは驚愕して逃げる回り、その時足をくじくということがおこった。
憑依婚媾欺官吏,不信令行能禁止。
その横暴な振る舞いは有力者と姻戚なのをよいことにして役人をあなどり、法令により禁止されていても取り締まることができないほどなので何も信じられないということなのだ。
先生受屈未曾語,忽此來告良有以。
先生はこれまでばかにされても辛抱して今までおっしゃられたことはなかった、突然いま訴えられたのはきっとよくよくわけがあるのであろう。
嗟我身為赤縣令,操權不用欲何俟?
ああ、わたしは赤県の県知事の身でありながら、権力を持っているのに用いずに何を怖がってこまねいているのだろう。
立召賊曹呼伍伯,盡取鼠輩屍諸市。』

すぐさま賊曹検察官を招き伍伯の警官を呼び寄せ、つまらぬ悪さをするやつらをことごとくひっとらえて市場で晒し首にしようとしたのだ。
#6
先生又遣長鬚來,如此處置非所喜。況又時當長養節,都邑未可猛政理。
先生固是余所畏,度量不敢窺涯涘。放縱是誰之過歟?效尤戮仆愧前史。』

買羊沽酒謝不敏,偶逢明月曜桃李。先生有意許降臨,更遣長須改雙鯉。


現代語訳と訳註
(本文) #5

昨晚長鬚來下狀,隔墻惡少惡難似。
每騎屋山下窺闞,渾舍驚怕走折趾。
憑依婚媾欺官吏,不信令行能禁止。
先生受屈未曾語,忽此來告良有以。
嗟我身為赤縣令,操權不用欲何俟?
立召賊曹呼伍伯,盡取鼠輩屍諸市。』


(下し文)
咋晩 長鬚【ちょうしゅ】来たって状を下す、墻【かき】を隔つる悪少【あくしよう】は悪 似【くら】べ難し。
毎【つね】に屋山【おくさん】に騎りて下を窺【うたが】い闞【み】たれば、渾舎【こんしゃ】驚き怕【おそ】れて走って趾【あし】を折【くじ】きぬ。
婚媾【こんこう】に憑【よ】り依【よ】りて官吏を欺【あなど】り、令の行われて能く禁止するを信ぜず。
先生屈【くつ】を受けて未だ曾つて語らず、忽【たちま】ち此こに来たり告ぐるは良【まこと】に以【ゆえ】有り。
嵯【ああ】 我れ身は赤県【せっけん】の令と為【な】って、権を操【と】って用いずんば何を俟【ま】たんとか 欲っする。
立ちどころに賊曹【ぞくそう】を召して伍伯【ごはい】を呼び。
尽【ことごと】く鼠輩【そはい】を取らえて諸【これ】を市に屍【し】せしめんとす。


(現代語訳)
昨晩のこと、長鬚の下男が告訴状をとどけて来た、まず、隣りの不良少年は類のないほど悪いやつというものである。
いつも大星根にまたがっては下の方を見下ろして中をのぞきこむ、家じゅうの女たちは驚愕して逃げる回り、その時足をくじくということがおこった。
その横暴な振る舞いは有力者と姻戚なのをよいことにして役人をあなどり、法令により禁止されていても取り締まることができないほどなので何も信じられないということなのだ。
先生はこれまでばかにされても辛抱して今までおっしゃられたことはなかった、突然いま訴えられたのはきっとよくよくわけがあるのであろう。
ああ、わたしは赤県の県知事の身でありながら、権力を持っているのに用いずに何を怖がってこまねいているのだろう。
すぐさま賊曹検察官を招き伍伯の警官を呼び寄せ、つまらぬ悪さをするやつらをことごとくひっとらえて市場で晒し首にしようとしたのだ。


(訳注)
昨晚長鬚來下狀,隔墻惡少惡難似。

昨晩のこと、長鬚の下男が告訴状をとどけて来た、まず、隣りの不良少年は類のないほど悪いやつというものである
長鬚 最初に出て来たあごひげを長く生やした下男のこと。以下この#5の段は、虚仝が隣雀の不良少年を訴えたことを述べる。〇下状 告訴状を提出する。下は、自分のところへ持って来たから、謙遜して「下す」といった。状は、告訴状。○隔墻 土塀で隔てられたところ、隣家。○悪少 不良少年。○難似 比べるのがむずかしい。類がない。


每騎屋山下窺闞,渾舍驚怕走折趾。
いつも大星根にまたがっては下の方を見下ろして中をのぞきこむ、家じゅうの女たちは驚愕して逃げる回り、その時足をくじくということがおこった。
每騎屋山 騎は、またがる。屋山は、里根の棟、山のような形だから、屋山という。○窺闞 窺は、のぞきこむ。闞は、瞰と同じく、見下ろす。○渾舎 後世の俗謳の原家と同じく、性的対称である人のこと、妻、妾、民妓などのことをいう。○驚伯 伯は、恐れる。○折趾 足をくじく。趾は、足(足さき)のことで脛より上を含まない。

 
憑依婚媾欺官吏,不信令行能禁止。
その横暴な振る舞いは有力者と姻戚なのをよいことにして役人をあなどり、法令により禁止されていても取り締まることができないほどなので何も信じられないということなのだ。
憑依婚媾 姻戚に有力者があって、その力をたのみとしていることをいう。憑依は、たよる。婚媾は、結婚。貴族の子息「五陵年少」には処罰されないことが多かった。身分、血縁的なものに加え、任侠的なものとのかかわりを持つもの。王維、李白、杜甫「少年」

李白 17少年行

王維 楽府詩 少年行四首

杜甫 少年行


○欺 あなどる。ばかにする。欺侮というときの欺。○不信令行能禁止 不良少年は法令が行われて自分のした悪い事を禁止することができるとは信じない。この句までが告訴状の内容。


先生受屈未曾語,忽此來告良有以。
先生はこれまでばかにされても辛抱して今までおっしゃられたことはなかった、突然いま訴えられたのはきっとよくよくわけがあるのであろう
受屈 受は、辛抱する、がまんする。屈は、屈辱的な不当なひどい目に遭うこと。○未曾語 未曾は、今までそうした経験がなかったことを示す助辞。○来告 告は、告訴する。○良有以 ほんとにわけがあるのだろう。良は、心庇から。は、理由。魏の文帝曹丕(187-226年)の「呉質に与うる書」に見える有名なことば。『詩経、邶風、旄丘』「必有以也」(必ず有る以【ゆえ】也)
李白『春夜宴桃李園序』「古人秉燭夜遊,良有以也。」(古人 燭を秉(と)りて夜に遊ぶ,良(まこと)に以(ゆえ)有る也。)

春夜桃李園宴序李白116

 

嗟我身為赤縣令,操權不用欲何俟?
ああ、わたしは赤県の県知事の身でありながら、権力を持っているのに用いずに何を怖がってこまねいているのだろう。
 嘆息のことば。○赤県令 赤県は、唐の県の隔級の七つのうちの最上級のもの。長安・洛陽など都制を敷かれた特別市直轄の県をいう。韓愈の令、長官、県知事であった河南は、赤県であった。なお、戦国時代の哲学者鄒衍が中国を呼んで赤県神州といったが、そうしたことが、この赤県という官庁用語が詩中に取り入れられるときにそう抵抗を感じきせなかったのであろう。令は、県の長官。○揉権不用 権力をにぎっていながらその権力を用いない。○何俟 俟は、待つ。その権力を何に使おうとするつもりなのか、ということ。 


立召賊曹呼伍伯,盡取鼠輩屍諸市。』
すぐさま賊曹検察官を招き伍伯の警官を呼び寄せ、つまらぬ悪さをするやつらをことごとくひっとらえて市場で晒し首にしようとしたのだ。
 すぐさま。○賊曹 漢代、郡や国の訴訟や犯罪を取りしまった官。今の警察と裁判所とを兼ねたようなもの検察官である。唐では、州の法普参軍事がこれに相当するが、韓愈は州より下の県令だから、警察関係を扱っている部下のものをさす。○伍伯 漢代の官職の名。伍は、五人を一組とした班。伯は、長をいう。組み頭。ここは、警察の方だから、巡査郎長ぐらいに当たる。この伍伯はヽ刑荊の執行人でもあった。○ 捕える。○鼠輩 つまらない人間。○屍諸市 屍は、死体をさらしものにする。屍諸市、むかし、商業は市場で行われ、したがって盛り場でもあったので、処刑は、多くの者のみせしめにするために、市場で行われたことをいう。

中唐詩-259 寄盧仝#4 韓愈 Ⅱ韓退之(韓愈) 紀頌之の漢詩ブログ 韓愈特集-22

中唐詩-259 寄盧仝#4 韓愈 Ⅱ韓退之(韓愈) 紀頌之の漢詩ブログ 韓愈特集-22


811年 元和六年春 韓愈44歳の作 作詩順からすると韓愈詩の35番目くらいに掲載予定であったが、孟郊と盧仝詩を掲載したので順を繰り上げて掲載。
孟郊 『答盧仝』(盧仝に答える#1~#3)中唐詩 Ⅶ孟郊(孟東野) 答盧仝#1 <24> kanbun-iinkai紀頌之の漢詩ブログ248
盧仝 新茶について述べながら、生き方、生活ぶりについて触れている。『走筆謝孟諫議寄新茶』(筆を走らせて孟諫議の新茶を寄せるを謝す)(#1~#3)
中唐詩人ID-44 盧仝 走筆謝孟諫議寄新茶#1 kanbun-iinkai紀頌之の李商隠と中唐の漢詩ブログ251



寄盧仝
#1 
玉川先生洛城裏,破屋數間而已矣。一奴長鬚不裹頭,一婢赤腳老無齒。
辛勤奉養十余人,上有慈親下妻子。先生結發憎俗徒,閉門不出動一紀。
至令鄰僧乞米送,仆忝縣尹能不恥?俸錢供給公私余,時致薄少助祭祀。』
#2
勸參留守謁大尹,言語纔及輒掩耳。水北山人得名聲,去年去作幕下士。
水南山人又繼往,鞍馬仆從塞閭裏。少室山人索價高,兩以諫官征不起。
彼皆刺口論世事,有力未免遭驅使。先生事業不可量,惟用法律自繩己。』
#3
《春秋》三傳束高閣,獨抱遺經究終始。往年弄筆嘲同異,怪辭驚眾謗不已。
近來自說尋坦途,猶上虛空跨綠駬。』
#4
去歲生兒名添丁,意令與國充耘耔。
去年、男の子がうまれた「添丁」と名づけられた、国のため農耕につとめさせる壮丁にされるおおつもりらしい。
國家丁口連四海,豈無農夫親耒耜?
国家の壮丁の人口は世界のはてまでもみちあふれている、どうして耕作に直接たずさわる農夫がいないわけではあるまいとおもいますが。
先生抱才終大用,宰相未許終不仕。
先生はすぐれた才能をかかえておられてりっぱな地位に用いられるべきだのに、宰相が許さないので仕えられないままだ。
假如不在陳力列,立言垂範亦足恃。
かりに陳述の才能を発揮し官僚の列に並ばれることは無くても、老荘孔子のようにいましめとなる立派な考えを書物をお書きになっており、その模範を後世に示されたことは十分将来にとってたのみになります。
苗裔當蒙十世宥,豈謂貽厥無基阯。
子孫は禍があったとしても十世まで刑罰から免除きれるほどのもので、どうして子孫に財産が残されていないなどなんの問題があるというのか。
故知忠孝生天性,潔身亂倫安足擬。』

だから分かるのですが、盧仝先生の忠孝は生まれつきに具わったもの、自分ひとり潔く暮らして主君に仕えることをやめたひとたちとは比べものになりはしない。

#5
昨晚長鬚來下狀,隔墻惡少惡難似。每騎屋山下窺闞,渾舍驚怕走折趾。
憑依婚媾欺官吏,不信令行能禁止。先生受屈未曾語,忽此來告良有以。
嗟我身為赤縣令,操權不用欲何俟?立召賊曹呼伍伯,盡取鼠輩屍諸市。』
#6
先生又遣長鬚來,如此處置非所喜。況又時當長養節,都邑未可猛政理。
先生固是余所畏,度量不敢窺涯涘。放縱是誰之過歟?效尤戮仆愧前史。』


買羊沽酒謝不敏,偶逢明月曜桃李。先生有意許降臨,更遣長須改雙鯉。


#4
去歳【きょさい】児を生んで添丁【てんてい】と名づく、意は国の与に耘抒【うんじ】に充【あ】てしめんとなり。
国家の丁口【ていこう】は四海に連なり、豈 農夫の耒耜【らいし】を親しくする無からんや。
先生 才を抱いて大いに用いられ終わるべし、宰相未だ許さざれば終【つい】に仕えず。
仮如【たとい】力を陳【の】ぶる列に在らずとも、言【げん】を立て範を垂るること亦 恃【たのし】むに足れり。
苗裔【びょうえい】当【まさ】に十世【じつせい】宥【ゆる】さるることを蒙【こう】むるべし。
豈 謂【おも】わんや 貽厥【いけつ】に基阯【きし】無しと。
故に知んぬ 忠孝の天性に生【な】ることを、身を潔【きよ】め倫を乱るものは安【いずく】んぞ擬【ぎ】するに足らん。


現代語訳と訳註
(本文)

去歲生兒名添丁,意令與國充耘耔。
國家丁口連四海,豈無農夫親耒耜?
先生抱才終大用,宰相未許終不仕。
假如不在陳力列,立言垂範亦足恃。
苗裔當蒙十世宥,豈謂貽厥無基阯。
故知忠孝生天性,潔身亂倫安足擬。』

(下し文)
去歳【きょさい】児を生んで添丁【てんてい】と名づく、意は国の与に耘抒【うんじ】に充【あ】てしめんとなり。
国家の丁口【ていこう】は四海に連なり、豈 農夫の耒耜【らいし】を親しくする無からんや。
先生 才を抱いて大いに用いられ終わるべし、宰相未だ許さざれば終【つい】に仕えず。
仮如【たとい】力を陳【の】ぶる列に在らずとも、言【げん】を立て範を垂るること亦 恃【たのし】むに足れり。
苗裔【びょうえい】当【まさ】に十世【じつせい】宥【ゆる】さるることを蒙【こう】むるべし。
豈 謂【おも】わんや 貽厥【いけつ】に基阯【きし】無しと。
故に知んぬ 忠孝の天性に生【な】ることを、身を潔【きよ】め倫を乱るものは安【いずく】んぞ擬【ぎ】するに足らん。

(現代語訳)
去年、男の子がうまれた「添丁」と名づけられた、国のため農耕につとめさせる壮丁にされるおおつもりらしい。
国家の壮丁の人口は世界のはてまでもみちあふれている、どうして耕作に直接たずさわる農夫がいないわけではあるまいとおもいますが。
先生はすぐれた才能をかかえておられてりっぱな地位に用いられるべきだのに、宰相が許さないので仕えられないままだ。
かりに陳述の才能を発揮し官僚の列に並ばれることは無くても、老荘孔子のようにいましめとなる立派な考えを書物をお書きになっており、その模範を後世に示されたことは十分将来にとってたのみになります。
子孫は禍があったとしても十世まで刑罰から免除きれるほどのもので、どうして子孫に財産が残されていないなどなんの問題があるというのか。
だから分かるのですが、盧仝先生の忠孝は生まれつきに具わったもの、自分ひとり潔く暮らして主君に仕えることをやめたひとたちとは比べものになりはしない。


(訳注)
去歲生兒名添丁,意令與國充耘耔。

去年、男の子がうまれた「添丁」と名づけられた、国のため農耕につとめさせる壮丁にされるおおつもりらしい。
去歲 去年。○添丁 丁は、一般の人民。人「氏が一人ふえたという意味で、「丁を添う」添丁と名づけたわけである。唐の律令制度では、21歳になると、一般人民は、口分田として一頃(約十町歩)の田が与えられ、租庸調の納税と府兵制度、兵役の義務が生じ、それを丁という。ただし、韓愈の時代の100年前には崩壊していた。のち盧仝が甘露の変の巻き添えで死刑に処せられ、頭が禿げていたため、頭に釘を打ち込んで殺した。子どもに添丁「丁(釘)を添う」と名づけたのは、その前兆であったという、中国特有の伝説ができる儒者であった。○ その役をさせる。○耘耔【うんし】 耘は、草取り。耔は、苗の根もとをかためること。したがって耘耔とは、農作をすることをいう。『詩経、小雅甫田』「今適南畝、或耘或耔。」(今南畝に適き、或は耘【くさぎ】り或は耔【つちこ】う。)とある。○丁口 人民の数。口は、人口の口。律令制度では、男子を(壮)丁といい、女子を口とし、女子を兵士にはしなかった。(古代は女子も兵士になった)つまり人間の数に入れなかったということだ。


國家丁口連四海,豈無農夫親耒耜?
国家の壮丁の人口は世界のはてまでもみちあふれている、どうして耕作に直接たずさわる農夫がいないわけでらあるまいとおもいますが。
四海 中国の四方のはては天涯、海だと考えられ、そのはてまでの全世界をもいう。○ 自分で直接行う。○耒耜【らいし】 すき。田を耕す道具。・柄の方を耒といい、さきの刃の部分を耜という。ここは、すきを用いて耕すという動詞で、透きをもって耕すこと、耕作ということ。


先生抱才終大用,宰相未許終不仕。
先生はすぐれた才能をかかえておられてりっぱな地位に用いられるべきだのに、宰相が許さないので仕えられないままだ。
終大用 「終大用」の終わりは~を完了する。=成。『國後、周語下』「純明則終〔終成也〕」(純明は則ち終る〔終は成る也〕)次の句の「終不仕」は窮極には、とどのつまり。最後まで、どうしても。『大学』「有斐君子、終不可諠」(斐【はい】たる君子有り、終に諠【わす】るべからず)○宰相 天子を助けて政治の全体を総括する大臣をいう。今の総理大巨に当たる。韓愈の時代は、中書門下同平章事がそれであった。


假如不在陳力列,立言垂範亦足恃。
かりに陳述の才能を発揮し官僚の列に並ばれることは無くても、老荘孔子のようにいましめとなる立派な考えを書物をお書きになっており、その模範を後世に示されたことは十分将来にとってたのみになります。
仮如 かりに……であったとしても。仮定を示す助辞。○陳力列 できるだけの力を出すべき位置。政治にたずさわって発言できる地位をいう。『諭語、季氏篇』「孔子曰、求、周任有言、曰、陳力就列、不能者止。危而不持、顚而不扶、則將焉用彼相矣。」(孔子曰く、求、周任言えること有り、曰く、力を陳[し]いて列[くらい]に就き、能うまじきときに止む。危けれども而も持[たも]たず、顚[たおれ]るとも而も扶[たす]けずんば、則ち將に焉んぞ彼の相[たすけ]を用いん。)力を陳べて列に就き、能わざる者は止む。」-「できるだけ努力して職務を行い、もし応自分の努力が受け入れられなかったら辞蔵する。」ということぱにもとづく。○立言 後世の戒めとなる立派な考えをことばに著わすこと。『左伝、襄公二十四年』に叔孫豹のことばとして、「大上有立徳、其次有立功、其次有立言。雖久不廃。此謂不朽。」(大上は徳を立つること有り、其の次ぎは功を立つること有り、其の次は言を立つること有り。久しといえども廃れず。此れを不朽と謂う。」とあり、そのくわしい説明をした唐の孔穎達(574-648年)の「左伝正義」に、「言を立つとは、言の其の要を得、理の伝うべきに足るを謂う。老(子)荘(子)荀(子)孟(子)管(子)晏(子)楊 (子)墨(子)孫(子)呉(子)の徒、子書を制作し、屈原・宋玉・賈誼・楊雄・司馬遷・班固以後、史伝を撰集し、及び文章を制作し、後世をして学習せしむる、皆是れ言を立つる者なり。」とある。哲学・文学・史学いずれであろうと著述によっていつの世までも不朽に伝わることをいう。○垂範 模範を後世に示す。○足恃 頼りにできる。期待してよい。


苗裔當蒙十世宥,豈謂貽厥無基阯。
子孫は禍があったとしても十世まで刑罰から免除きれるほどのもので、どうして子孫に財産が残されていないなどなんの問題があるというのか。
苗裔 子孫。・苗は稲のなえ、すえ、ちすじ、・裔は着物のすそ。屈原(紀元前339―278年)の『楚辞』に離騒に見えることば。○十世宥 子孫十世まで刑罰を免除される。『左伝、襄公二十一年』叔向が芭宜子に捕えられたとき、祁奚が叔向を赦免するように芭宜子に説いたときのことばに先祖の嬉によって、十世の子孫まで、その恩恵を蒙って刑罰から免れさせ、有能な宥の励みにしたい、ということ。○ 厥、子孫のことをいう。「詩経」大雅文王有声篇に「詒(貽)厥孫謀」とあり、詒(貽)厥といえば、その下のことば、孫謀「子孫のための計画」或は孫をあらわすようになった。このように成語のはじめだけをあげて つづくことばを意味するものを歇後語といい、中国では現代に至るまでよく用いられることばのしゃれである。 なお、この「詒厥」の場合い、「詩経」の本来の意味よりも主として文字づらからいうのであって、後漢の『詩経』の注釈者鄭玄(127―200年)によれば、ここの孫は、順といい泣味、モタ吋り遜に通ずるのだとしている。○基阯 財産の基礎。田や家呈などの不動産をいう。漢代の歴史「漢書」の疏広の伝に、「子孫幾わくは君が 時に及んで、頗ぶる産業の基阯を立てんことを。今日飲食の費え且に尽きんとす。宜しく丈人の所に従って、君 に田宅を買わんことを勧説せよ。」とある。産業の基阯、すなわち財産の基礎が、田宅であることを示している。
 

故知忠孝生天性,潔身亂倫安足擬。』
だから分かるのですが、盧仝先生の忠孝は生まれつきに具わったもの、自分ひとり潔く暮らして主君に仕えることをやめたひとたちとは比べものになりはしない。
天性 生まれつき。○潔身乱倫 自分ひとりだけ行いをきれいにして、大切な人間関係である君主に仕えるとをやめる。「論語」微子篇の中のはなし、子路がある隠者に一夜泊めてもらい、明くる日、孔子に話してもう一 度行ってみると、隠者がいないので、その二人の子どもにいったことばの中に「其の身を潔くして、大倫を乱る。」とある。○安足擬 比べものにならぬ。擬は、なぞらえる、比べる。盧仝の行いは、君にも忠であって、自分ひとりだけ清くして君主を忘れるような隠昔と比べものにならぬほどりっぱだ、というのである。

中唐詩-258 寄盧仝#3 韓愈 Ⅱ韓退之(韓愈) 紀頌之の漢詩ブログ 韓愈特集-22

中唐詩-258 寄盧仝#3 韓愈 Ⅱ韓退之(韓愈) 紀頌之の漢詩ブログ 韓愈特集-22

811年 元和六年春 韓愈44歳の作 作詩順からすると韓愈詩の35番目くらいに掲載予定であったが、孟郊と盧仝詩を掲載したので順を繰り上げて掲載。

孟郊 『答盧仝』(盧仝に答える#1~#3)中唐詩 Ⅶ孟郊(孟東野) 答盧仝#1 <24> kanbun-iinkai紀頌之の漢詩ブログ248
盧仝 新茶について述べながら、生き方、生活ぶりについて触れている。『走筆謝孟諫議寄新茶』(筆を走らせて孟諫議の新茶を寄せるを謝す)(#1~#3)

中唐詩人ID-44 盧仝 走筆謝孟諫議寄新茶#1 kanbun-iinkai紀頌之の李商隠と中唐の漢詩ブログ251


寄盧仝
#1 
玉川先生洛城裏,破屋數間而已矣。一奴長鬚不裹頭,一婢赤腳老無齒。
辛勤奉養十余人,上有慈親下妻子。先生結發憎俗徒,閉門不出動一紀。
至令鄰僧乞米送,仆忝縣尹能不恥?俸錢供給公私余,時致薄少助祭祀。』
#2
勸參留守謁大尹,言語纔及輒掩耳。水北山人得名聲,去年去作幕下士。
水南山人又繼往,鞍馬仆從塞閭裏。少室山人索價高,兩以諫官征不起。
彼皆刺口論世事,有力未免遭驅使。先生事業不可量,惟用法律自繩己。』
#3
《春秋》三傳束高閣,獨抱遺經究終始。
教条的なで詩の書いた春秋の解説書の三伝などはうず高くの高閣のようにたばねて積み重ねておいたままにしている、もっぱらひとりで孔子の遺経春秋をかかえこみ熟読、習得され尽くされている。
往年弄筆嘲同異,怪辭驚眾謗不已。
またあるときは戯れに詩を作って大仝小異とふざけられたことがあり、突拍子もないようなことや奇怪なことばが衆知のものをびっくりさせていつまでもそしられていたのです。
近來自說尋坦途,猶上虛空跨綠駬。』

近ごろでは自分でおだやかな道を探し当てたといわれるが、それでも特別な馬8頭立てのような駿馬にまたがって大空高く上ぼるような大器でおられる。

#3
春秋三伝 高閣に束【つか】ね、独り遺経【いけい】を抱きて終始を究【きわ】む。
往年筆を弄【ろう】して同異を嘲【あざけ】り、怪辞【かいじ】は衆を驚かして膀【そし】り已【や】まず。
近来自ずから説く坦塗【たんと】を尋ぬと、猶虚空に上ぼって綠駬【りょくじ】に跨【また】がる



現代語訳と訳註
(本文) #3

《春秋》三傳束高閣,獨抱遺經究終始。
往年弄筆嘲同異,怪辭驚眾謗不已。
近來自說尋坦途,猶上虛空跨綠駬。』


(下し文) #3
春秋三伝 高閣に束【つか】ね、独り遺経【いけい】を抱きて終始を究【きわ】む。
往年筆を弄【ろう】して同異を嘲【あざけ】り、怪辞【かいじ】は衆を驚かして膀【そし】り已【や】まず。
近来自ずから説く坦塗【たんと】を尋ぬと、猶虚空に上ぼって綠駬【りょくじ】に跨【また】がる


(現代語訳)
教条的なで詩の書いた春秋の解説書の三伝などはうず高くの高閣のようにたばねて積み重ねておいたままにしている、もっぱらひとりで孔子の遺経春秋をかかえこみ熟読、習得され尽くされている。
またあるときは戯れに詩を作って大仝小異とふざけられたことがあり、突拍子もないようなことや奇怪なことばが衆知のものをびっくりさせていつまでもそしられていたのです。
近ごろでは自分でおだやかな道を探し当てたといわれるが、それでも特別な馬8頭立てのような駿馬にまたがって大空高く上ぼるような大器でおられる。


(訳注)
《春秋》三傳束高閣,獨抱遺經究終始。

教条的なで詩の書いた春秋の解説書の三伝などはうず高くの高閣のようにたばねて積み重ねておいたままにしている、もっぱらひとりで孔子の遺経春秋をかかえこみ熟読、習得され尽くされている。
春秋三伝 「春秋」は孔子が編した魯の国の年代記。「三伝」は孔子がいかなる意味をこめてこの春秋を害いたかを説明したもので、三種の書をいう。「左氏伝」は、左丘明の著わしたもの、公羊高の著わした「公羊伝」、穀梁赤の著わした「穀梁伝」をいう。唐のこの頃までは、春秋を解釈するばあい、この三伝が絶対的なものと考えられ、三伝のいずれかの説によってのみ、春秋は解釈すべきものとされていたが、この時代から、三伝によらずに、直接春秋を理解しようという試みが、啖助【たんじょ】、趙匡【ちょうきょう】の二人により始められる。その学説をまとめて、書物として著わしたのが韓愈と同時代人である陸淳(?-805年)であり、そのほか、韓愈の友人樊宗師(?―824年)にも、春秋集伝十五巻があったといわれ、こうした新しい春秋解釈学は、実にこの時代の風気であった。盧仝にも、春秋の注釈書があったらしいが、すぐ失しなわれたようである。○束高閣 東にして書斎に樓閣のように書籍を束にして積み重ねていくこと。束は、束にしてすておくこと。ここでは、春秋の三伝を問題としないこと。束ねて積重ねれば見ようがない。ておくことをいう。老荘思想の晋の庾亮(289~340)、庾翼(305-345年)兄弟が「春秋三伝」を束ねしまいこむことをいったことば。○独抱 独は、ひとり。他のものの助けをからず、自分ひとりの力での意。○遺経 孔子の遺した経書。すなわち春秋の本文をさす。○終始 はじめからしまいまで。すっかり。


往年弄筆嘲同異,怪辭驚眾謗不已。
またあるときは戯れに詩を作って大仝小異とふざけられたことがあり、突拍子もないようなことや奇怪なことばが衆知のものをびっくりさせていつまでもそしられていたのです。
往年 過ぎ去った年。先年。○弄筆 弄は、たわむれにする。弄筆は、たわむれに詩を書いたこと。○嘲同異 慮仝の仝は同の字と同じ。同じ時代に、馬異という詩人がおり、盧仝は馬異と友人になって『與馬異結交』(馬異と交わりを結ぶ詩) 「不知元氣元不死,忽聞空中喚馬異。馬異若不是祥瑞, 空中敢道不容易。昨日仝不仝,異自異,是謂大仝而小異。 今日仝自仝,異不異,是謂仝不往兮異不至。直當中兮動天. 地。白玉璞裡斫斲出相思心,黃金礦裡鑄出相思淚。」 を作った。この詩は長句短句いりまじる雑言の詩で、大変奇妙な詩である。中でも有名なのは、次の数句。 (昨日、仝じからず異自から異なり、是れを大仝にして小異という。今日仝自のずから仝(同)じく異異ならず。是れを仝往かず異至らずと謂う。)大仝小異の語源。
要するに、かつて別別にいた盧仝と馬異がいっしょに交わるようになったということをいったものである。嘲は、たわむれる、からかう。○謗不已 謗りつづけられた。いつまでも謗られた。不已は、勣詞につづいて、その勤作が継続していることを示すいい方。


近來自說尋坦途,猶上虛空跨綠駬。』
近ごろでは自分でおだやかな道を探し当てたといわれるが、それでも特別な馬8頭立てのような駿馬にまたがって大空高く上ぼるような大器でおられる。
近来 近ごろ。来は、時間を示すことばにつづいて、それにひろがりを持たせる助辞。○坦途 たいらかなみち。詩文におけるわかり易いことばづかいを喩える・途は、塗と同じ。○猶 そういってもなお。それでも。○虚空 そら。空中。○綠駬 むかし馬ずきの天子として有名な周の穆王(紀元前1002―947年在泣)が、中国全土を巡るのに特別な馬(穆王八駿)を走らせていたと言われる。すなわち、土を踏まないほど速い「絶地」、鳥を追い越す「翻羽」、一夜で5,000km走る「奔霄」、自分の影を追い越す「越影」、光よりも速い「踰輝」と「超光」、雲に乗って走る「謄霧」、翼のある「挟翼」の8頭である。穆王はこの馬を駆って犬戎ら異民族を討った。馬車をひかせたという8匹の駿馬たちのこと。この「虚空跨綠駬」はそれをしめすもので、盧仝の詩が、坦途を尋ねたと自分ではいっても、なお人間ばなれした的外れかとおもえるような詩であることをたとえたものである。


庾亮(289~340)
  字は元規。潁川郡鄢陵の人。談論をよくし、老荘を好んだ。鎮東将軍司馬睿の西曹掾をつとめ、丞相参軍に転じた。華軼を討つのに功があり、都亭侯に封ぜられた。元帝が即位すると中書郎に任ぜられ、中領軍に進んだ。明帝のとき、中書監となった。王敦の乱のとき、左衛将軍として諸将とともに銭鳳・沈充らを討った。乱の平定後、護軍将軍となった。明帝の病が重く、王導とともに成帝を補佐するよう遺詔を受け、中書令に上った。政事全般を決裁したが、人望がえられぬまま、宗室を圧迫した。咸和二年(327)には蘇峻・祖約の乱を招き、建康を失陥した。翌年に温嶠・陶侃らによって乱が平定された後は、豫州刺史として出て、蕪湖に鎮した。陶侃の死後、江荊豫三州刺史・征西将軍となり、武昌に鎮した。ときに石勒が没し、中原恢復の大望を抱いて石城に移り、北伐諸軍を支援したが、勅許が下りなかった。咸康五年(339)、後趙が邾城を陥すのを救うことができないまま病没した。

庾翼(305~345)
  字は稚恭。潁川郡鄢陵の人。庾亮の弟にあたる。蘇峻の乱のとき、亮に命ぜられて石頭を守備した。乱が平定された後、太尉・陶侃のもとで参軍をつとめた。咸康四年(338)、南蛮校尉・南郡太守となり、江陵に鎮した。後趙の石虎が邾城を陥し、石城を囲んだとき、奇兵を用いて趙軍を撃退し石城を守った。功績により、都亭侯に封ぜられた。兄・亮が没すると、都督江・荊・司・雍・梁・益六州諸軍事となり、安西将軍・荊州刺史として武昌に鎮した。兄の志を継いで北伐を望んだが、襄陽に移る勅許が出ず、志半ばに病没した。

中唐詩-257 寄盧仝#2 韓愈 Ⅱ韓退之(韓愈) 紀頌之の漢詩ブログ 韓愈特集-22

中唐詩-257 寄盧仝#2 韓愈 Ⅱ韓退之(韓愈) 紀頌之の漢詩ブログ 韓愈特集-22

811年 元和六年春 韓愈44歳の作 作詩順からすると韓愈詩の35番目くらいに掲載予定であったが、孟郊と盧仝詩を掲載したので順を繰り上げて掲載。
孟郊 『答盧仝』(盧仝に答える#1~#3)

寄盧仝
#1 
玉川先生洛城裏,破屋數間而已矣。一奴長鬚不裹頭,一婢赤腳老無齒。
辛勤奉養十余人,上有慈親下妻子。先生結發憎俗徒,閉門不出動一紀。
至令鄰僧乞米送,仆忝縣尹能不恥?俸錢供給公私余,時致薄少助祭祀。』

中唐詩 Ⅶ孟郊(孟東野) 答盧仝#1 <24> kanbun-iinkai紀頌之の漢詩ブログ248


盧仝 新茶について述べながら、生き方、生活ぶりについて触れている。『走筆謝孟諫議寄新茶』(筆を走らせて孟諫議の新茶を寄せるを謝す)(#1~#3)

中唐詩人ID-44 盧仝 走筆謝孟諫議寄新茶#1 kanbun-iinkai紀頌之の李商隠と中唐の漢詩ブログ251


#2
勸參留守謁大尹,言語纔及輒掩耳。
盧仝先生に「東都留守のところに行ってください」とか「河南尹に面会に行くよう」とわたしが勧めても、ことばがその話になったかと思うと儒者の先生は許由のように耳をふさいでしまわれる。
水北山人得名聲,去年去作幕下士。
洛水の北岸の山人である石洪どのが評判になっている、去年出かけて行って河陽節度使烏重胤の幕僚になった。
水南山人又繼往,鞍馬仆從塞閭裏。
洛水南岸の山人温造どのは今度はつづいて出ていき、鞍をおいた馬や下男・従者たちが街をいっぱいにしてふさいでしまった。
少室山人索價高,兩以諫官征不起。
嵩山の少室山に隠遁する李慟どのは自分の値打ちを高くつけている、二度も左拾遺で招かれたが官途には就かないという。
彼皆刺口論世事,有力未免遭驅使。
彼らの共通したことはいずれもきびしい毒舌、口ぶりで世間の事を論じているのだ、実力の有る人たちであるものだけれど結局は俗事に追いまわされることになってしまうのを免れない。
先生事業不可量,惟用法律自繩己。』

ところで玉川先生の仕事は量り知ることができない、ただ自己の守るべき自らの律する則どおりに自己を制しておられるということなのだ。

#2
留守に参【いた】り大尹【たいいん】に謁【えつ】せよと勧むるに、言語纔【わず】かに及べば輒【すなわ】ち耳を掩う。
水北【すいほく】の山人【さんじん】 名声を得て、去年去って幕下【ばっか】の士と作【な】れり。
水南【すいなん】の山人 又継いで往き、鞍馬【あんば】と僕従【ぼくじゅう】とは閭裏【りょり】を塞【ふさ】ぎぬ。
少室【しょうしつ】の山人は価【あたい】を索【もと】むること高く、両【ふた】たび諌官【かんかん】を以て徴【め】せども起たず。
彼れ皆口に剌して世事を論じ、力 有れば未だ駆使【くし】に造【あ】うことを免【まぬが】れず。
先生の事業は量【はか】るべからず、惟だ法律【ほうりつ】を用って自ずから己を繩【ただ】すのみ。

nat0021


現代語訳と訳註
(本文)

勸參留守謁大尹,言語纔及輒掩耳。
水北山人得名聲,去年去作幕下士。
水南山人又繼往,鞍馬仆從塞閭裏。
少室山人索價高,兩以諫官征不起。
彼皆刺口論世事,有力未免遭驅使。
先生事業不可量,惟用法律自繩己。』


(下し文)
留守に参【いた】り大尹【たいいん】に謁【えつ】せよと勧むるに、言語纔【わず】かに及べば輒【すなわ】ち耳を掩う。
水北【すいほく】の山人【さんじん】 名声を得て、去年去って幕下【ばっか】の士と作【な】れり。
水南【すいなん】の山人 又継いで往き、鞍馬【あんば】と僕従【ぼくじゅう】とは閭裏【りょり】を塞【ふさ】ぎぬ。
少室【しょうしつ】の山人は価【あたい】を索【もと】むること高く、両【ふた】たび諌官【かんかん】を以て徴【め】せども起たず。
彼れ皆口に剌して世事を論じ、力 有れば未だ駆使【くし】に造【あ】うことを免【まぬが】れず。
先生の事業は量【はか】るべからず、惟だ法律【ほうりつ】を用って自ずから己を繩【ただ】すのみ。


(現代語訳)
盧仝先生に「東都留守のところに行ってください」とか「河南尹に面会に行くよう」とわたしが勧めても、ことばがその話になったかと思うと儒者の先生は許由のように耳をふさいでしまわれる。
洛水の北岸の山人である石洪どのが評判になっている、去年出かけて行って河陽節度使烏重胤の幕僚になった。
洛水南岸の山人温造どのは今度はつづいて出ていき、鞍をおいた馬や下男・従者たちが街をいっぱいにしてふさいでしまった。
嵩山の少室山に隠遁する李慟どのは自分の値打ちを高くつけている、二度も左拾遺で招かれたが官途には就かないという。
彼らの共通したことはいずれもきびしい毒舌、口ぶりで世間の事を論じているのだ、実力の有る人たちであるものだけれど結局は俗事に追いまわされることになってしまうのを免れない。
ところで玉川先生の仕事は量り知ることができない、ただ自己の守るべき自らの律する則どおりに自己を制しておられるということなのだ。

八女茶 畑


(訳注) 
勸參留守謁大尹,言語纔及輒掩耳。

盧仝先生に「東都留守のところに行ってください」とか「河南尹に面会に行くよう」とわたしが勧めても、ことばがその話になったかと思うと儒者の先生は許由のように耳をふさいでしまわれる。
勧参留守謁大尹 以下この一段は、隠れ住んでいる盧仝に対し、出て官に仕えるように勧めるが、いっこう承知しないことをいう。参は参じる、お目にかかりに行くこと、謁も同じ。留守は、洛陽が唐代からはじまる。『書言故事、府主類』「守舊京者曰留守。」(旧京を守る者をいう。)東都、洛陽を中央政府機関の一部分も置かれていたので、それらの最高責任者として置かれた官をいう。このときは、韓愈の後援者の一人である鄭余慶(746―820年)が「留守」であった。大尹とは、洛陽には、特別市制がしかれていて、その長官をいう。正式には、ただ尹といい、次官たる少尹に対して、特に大尹ということがある。このときは、李素(755-812年)が、少尹で大尹の事務を取り扱っていた。○【わずか】 やっと…したと思うと。その行為(ここでは「言語が及ぷ」)が始まったばかりであることを示す助辞。○ そのたぴごとにすぐに。それが習慣となっていることを示す劫辞。○掩耳 聞きたくないとして耳をふさいでしまう。隠者が、政治にたずさわるように勧められたとき、耳がけがれたと耳を洗った儒者のこと。古代の伝説上の人物、許由の故事をふまえたもの。このブログで掲載した許由を載せた詩をあげてみる。
『将歸贈孟東野房蜀客』韓愈
君門不可入,勢利互相推。
借問讀書客,胡為在京師?
舉頭未能對,閉眼聊自思。」
倏忽十六年,終朝苦寒饑。
宦途竟寥落,鬢發坐差池。
潁水清且寂,箕山坦而夷。
如今便當去,咄咄無自疑。
「潁水清且寂,箕山坦而夷。」(頴水は清くして且つ寂かに、箕山は坦として夷(たいらか)らかなり。)

自京赴奉先縣詠懷五百字 杜甫 105 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700-105-1

喜晴 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 157

贈特進汝陽王二十韻  杜甫27


孟浩然 仲夏歸漢南園,寄京邑耆舊 #1  Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集350 -319

孟浩然 仲夏歸漢南園,寄京邑耆舊 #2  Kanbuniinkai頌之の漢詩 李白特集350 -320

盛唐詩 宿天台桐柏觀#2 孟浩然<32> Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集350 -339


行路難 三首 其三 李白 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白185

送裴十八図南歸嵩山 其二 李白 :Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白165

送裴十八図南歸嵩山 其一 李白 :Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白164

古風 五十九首 其二十四 李白 :Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白172と玄宗(5

行路難三首 其一 李白 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白183

古風 五十九首 其二十四 李白 :Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白172と玄宗(5

 

水北山人得名聲,去年去作幕下士。
洛水の北岸の山人である石洪どのが評判になっている、去年出かけて行って河陽節度使烏重胤の幕僚になった。
水北山人 石洪(771―812年)のこと。水は、川のこと、ここでは洛陽の市内を流れる洛水のこと。山人は隠遁者。洛陽の北の隠棲者、石洪のことで、洛陽に十数年間隠遁していたが、河陽節度使の烏重胤(761-827年)がそれを聞き、自分の幕僚に招いた。そのとき、韓愈は、「送る序」と詩を作って「洛の北の涯なるを石洪という。」とある。石洪の墓誌銘も韓愈が書いている。○名声 よい評判。○去年去作幕下士 烏重胤に招かれて、その軍の幕僚になったことをいう。去年は、元和5年(810年)。
 
水南山人又繼往,鞍馬仆從塞閭裏。
洛水南岸の山人温造どのは今度はつづいて出ていき、鞍をおいた馬や下男・従者たちが街をいっぱいにしてふさいでしまった。
水南山人又繼往 水南山人とは、温造(766―835年)のこと。韓意の「温処士の阿陽軍に赴くを送る序」に、「洛の南の涯なるを温生と云う」とある。温造もやはり烏重胤から石洪につづいて招かれたことをいう。そのとき、韓愈は、「送る序」を書いた。温造は、のち地方軍閥の抑圧に功を立て、節度使になっている。○鞍馬 鞍を置いた馬。○僕従 僕も従も、しもべ。従者たち。○ いっぱいにする。○閭里 閭は、部落の門であるが、また部落そのものをいう。ここは温造の住んでいる街をいう。

少室山人索價高,兩以諫官征不起。
嵩山の少室山に隠遁する李慟どのは自分の値打ちを高くつけている、二度も左拾遺で招かれたが官途には就かないという。
少室山人 少室は山の名。五岳の中岳である嵩山(今河南省登封県にある)の一峯。その少室山にこもっていた山人とは、李渤(773-831年)をさす。李渤は、左拾遺の官で招かれたが辞退した。元和三年(808年)、韓愈が手紙を送って官につくように勧めたので、洛陽に移り住み、攻治上の意見をも朝廷に上言するようになった。のち、元和9年(814年)、著作郎としてはじめて官途につき、太子賓客にまでなった。○索価高 自分の値段を高くつけようとする。自分の価慎を高く見いもつもって、低い地位では官途につこうとしないことをいう。なお、韓愈の「少室の李拾遺に与うる書」に肌、「又窃かに聞く、朝廷の議、必ず拾遺公を起たしめんと。使者往き、若し許さずんぱ、即ち河南(の尹)必ず継いで以て行かん。拾遺徴君若し至らずんぱ、必ず高秩を加えん。是くの如くんば、則ち少くなきを辞して多きに就く、廉に傷みて義に害あらん。」といっている。○両以諌官徴不起 李渤が二度左拾遺の官で招かれたが官につかなかったことをいう。諌官は、天子に諌めたてまつる官。つまり天子の行動にまちがいがあれば、それを正すように意見を申し上げることを職務とする官吏である。ここでは左拾遺をいう。左拾遺の職務は、「供奉諷諌し、乗輿に扈従するを掌どる。凡そ令を発し事を拳うに、時に便あらず、道に合せざること有らぱ、大は則ち廷議、小は則ち上封す。若し賢良の下に遺滞し、忠孝の上に聞えざるあらば、則ち其の事状を条して、之を薦め言う。」と、唐の官制を記した「唐六典」に見える。起は、はじめて官途につくこと。


彼皆刺口論世事,有力未免遭驅使。
彼らの共通したことはいずれもきびしい毒舌、口ぶりで世間の事を論じているのだ、実力の有る人たちであるものだけれど結局は俗事に追いまわされることになってしまうのを免れない。
 石洪、温造、李渤をいう。○刺ロ とげのあるいい方で。○諭世事 世俗のことを批判する。○有力 石洪、温造、李渤のょうな人たちは、世事を論じ、カの有るものだから、かえって世俗から駆使されるょうな日にあったとつづく。○未免 免れることはできない。どうしても…になる。○ その目にあう。受身をあらわす動詞。○駆使 迫いまわして使う。


先生事業不可量,惟用法律自繩己。』
ところで玉川先生の仕事は量り知ることができない、ただ自己の守るべき自らの律する則どおりに自己を制しておられるということなのだ。
事業 天下を治めるしごと。○不可量 石洪、温造、李渤らのような世事を論ずるものは、世俗に駆使されるが、世俗に超越している盧仝は、「量ることができない」のである。○ ただ…するだけだ。○法律 道徳律。自分の守るべき法則。今の「法律」とは異なる。○ 自分で。○ すみなわ。直線を引くときにつかう縄をいう。そのことからまっすぐにすること。ここでは、儒者としての仁徳律・道徳律の線のとおりに行うこと。自分でひかえめにして、自分の手腕を存分にふるおうとはしないことをいう。


中唐詩-256 寄盧仝#1 韓愈 Ⅱ韓退之(韓愈) 紀頌之の漢詩ブログ韓愈詩集-22

中唐詩-256 寄盧仝#1 韓愈 Ⅱ韓退之(韓愈) 紀頌之の漢詩ブログ韓愈詩集-22


811年 元和六年春 韓愈44歳の作 作詩順からすると韓愈詩の35番目くらいに掲載予定であったが、孟郊と盧仝詩を掲載したので順を繰り上げて掲載。

孟郊 『答盧仝』(盧仝に答える#1~#3)

中唐詩 Ⅶ孟郊(孟東野) 答盧仝#1 <24> kanbun-iinkai紀頌之の漢詩ブログ248

盧仝 新茶について述べながら、生き方、生活ぶりについて触れている。『走筆謝孟諫議寄新茶』(筆を走らせて孟諫議の新茶を寄せるを謝す)(#1~#3)
中唐詩人ID-44 盧仝 走筆謝孟諫議寄新茶#1 kanbun-iinkai紀頌之の李商隠と中唐の漢詩ブログ251


寄盧仝
#1 
玉川先生洛城裏,破屋數間而已矣。
玉川先生は洛陽の城内に住まわれている。それはあばら家というものでほんの数間のひろさしかないものだ。
一奴長鬚不裹頭,一婢赤腳老無齒。
たった一人の下男といえば奴婢の中の奴ともいうべきあごひげを長くのばして頭をむき出しにしている、たった一人の下女といえばか型通り素足で歯がなくなっている老女である。
辛勤奉養十余人,上有慈親下妻子。
辛い思いをしても勤勉にはげみ十数人も養っておられる、両親を上にして下は妻子に至るまで愛しんでいる。
先生結發憎俗徒,閉門不出動一紀。
先生は若い頃から、俗世界での人と漫然と付き合うことを嫌われており、門を閉めきり外出せぬことややともすれば十二年一回りする位である。
至令鄰僧乞米送,仆忝縣尹能不恥?
おとなりの僧侶までもが托鉢の米をとどけさせてくれる始末となっている、県令をかたじけなくも拝命しているこのわたしとしてはこのまま何もしないと恥じいることになってしまうのでなないだろうか。
俸錢供給公私余,時致薄少助祭祀。』

公私の費用に使ったあまりの給料を、時には些少ながら差し上げて御家紋の祭祀の助けにされたい。
#2
勸參留守謁大尹,言語纔及輒掩耳。
水北山人得名聲,去年去作幕下士。
水南山人又繼往,鞍馬仆從塞閭裏。
少室山人索價高,兩以諫官征不起。
彼皆刺口論世事,有力未免遭驅使。
先生事業不可量,惟用法律自繩己。』
#3
《春秋》三傳束高閣,獨抱遺經究終始。
往年弄筆嘲同異,怪辭驚眾謗不已。
近來自說尋坦途,猶上虛空跨綠駬。』
#4
去歲生兒名添丁,意令與國充耘耔。
國家丁口連四海,豈無農夫親耒耜?
先生抱才須大用,宰相未許終不仕。
假如不在陳力列,立言垂範亦足恃。
苗裔當蒙十世宥,豈謂貽厥無基阯。
故知忠孝生天性,潔身亂倫安足擬。』
#5
昨晚長鬚來下狀,隔墻惡少惡難似。
每騎屋山下窺闞,渾舍驚怕走折趾。
憑依婚媾欺官吏,不信令行能禁止。
先生受屈未曾語,忽此來告良有以。
嗟我身為赤縣令,操權不用欲何俟?
立召賊曹呼伍伯,盡取鼠輩屍諸市。』
#6
先生又遣長鬚來,如此處置非所喜。
況又時當長養節,都邑未可猛政理。
先生固是余所畏,度量不敢窺涯涘。
放縱是誰之過歟?效尤戮仆愧前史。』

買羊沽酒謝不敏,偶逢明月曜桃李。
先生有意許降臨,更遣長須改雙鯉。』

#1
玉川先生 洛城の裏【うち】,破屋 数間のみ。
一奴【いちど】は長鬚【ちょうしゅ】にして頭を裹【つつ】まず、一婢【いちひ】は赤脚にして老いて歯無し。
辛勤【しんきん】して奉養【ほうよう】す十余人、上に慈親【じしん】有り下は妻子。
先生髪を結うてより俗徒を憎み、門を閉ざして出でざること動【やや】もすれば一紀。
隣僧をして乞米を送らしむるに至る、僕は県尹を忝【かたじけの】うす能く恥じざらんや。
俸銭供給す公私の余、時に薄少を致して祭祀を助く。』

#2
留守に参【いた】り大尹【たいいん】に謁【えつ】せよと勧むるに、言語 纔【わず】かに及べば輒【すなわ】ち耳を掩う。
水北【すいほく】の山人【さんじん】 名声を得て、去年去って幕下【ばっか】の士と作【な】れり。
水南【すいなん】の山人 又継いで往き、鞍馬【あんば】と僕従【ぼくじゅう】とは閭裏【りょり】を塞【ふさ】ぎぬ。
少室【しょうしつ】の山人は価【あたい】を索【もと】むること高く、両【ふた】たび諌官【かんかん】を以て徴【め】せども起たず。
彼れ皆口に剌して世事を論じ、力 有れば未だ駆使【くし】に造【あ】うことを免【まぬが】れず。
先生の事業は量【はか】るべからず、惟だ法律【ほうりつ】を用って自ずから己を繩【ただ】すのみ。』
#3
春秋三伝 高閣に束【つか】ね、独り遺経【いけい】を抱きて終始を究【きわ】む。
往年筆を弄【ろう】して同異を嘲【あざけ】り、怪辞【かいじ】は衆を驚かして膀【そし】り已【や】まず。
近来自ずから説く坦塗【たんと】を尋ぬと、猶虚空に上ぼって綠駬【りょくじ】に跨【また】がる。』
#4
去歳【きょさい】児を生んで添丁【てんてい】と名づく、意は国の与に耘抒【うんじ】に充【あ】てしめんとなり。
国家の丁口【ていこう】は四海に連なり、豈 農夫の耒耜【らいし】を親しくする 無からん や。
先生 才を抱いて大いに用いられ終わるべし、宰相未だ許さざれば終【つい】に仕えず。
仮如【たとい】力を陳【の】ぶる列に在らずとも、言【げん】を立て 範を垂るること 亦 恃【たのし】むに 足れり。
苗裔【びょうえい】当【まさ】に十世【じつせい】宥【ゆる】さるることを 蒙【こう】むるべし。
豈 謂【おも】わんや 貽厥【いけつ】に基阯【きし】無しと。
故に知んぬ 忠孝の天性に生【な】ることを、身を潔【きよ】め倫を乱るものは 安【いずく】んぞ 擬【ぎ】するに足らん。
#5
咋晩 長鬚【ちょうしゅ】来たって状を下す、墻【かき】を隔つる悪少【あくしよう】は悪 似【くら】べ難し。
毎【つね】に屋山【おくさん】に騎りて下を窺【うたが】い闞【み】たれば、渾舎【こんしゃ】驚き怕【おそ】れて走って趾【あし】を折【くじ】きぬ。婚媾【こんこう】に憑【よ】り依【よ】りて官吏を欺【あなど】り、令の行われて能く禁止するを信ぜず。
先生屈【くつ】を受けて未だ曾つて語らず、忽【たちま】ち此こに来たり告ぐるは良【まこと】に以【ゆえ】有り。
嵯【ああ】 我れ身は赤県【せっけん】の令と為【な】って、権を操【と】って用いずんば何を俟【ま】たんとか 欲っする。
立ちどころに賊曹【ぞくそう】を召して伍伯【ごはい】を呼び。
尽【ことごと】く鼠輩【そはい】を取らえて諸【これ】を市に屍【し】せしめんとす。

先生 又 長鬚を遣わして來たらしむ,此くの如き處置は喜ぶ所に非らず。
況【いわ】んや 又 時 長養【ちょうよう】の節に当たれり、
都邑【とゆう】未だ政理【せいり】を猛【はげ】しゅうすべからず。
先生は固【まこと】に是れ余【わ】が畏れる所なり、度量 敢えて涯涘【がいし】を窺【うたが】わず。
放縦【ほうしょう】なるは是れ誰が過【あやまち】ちぞや、尤【とが】に効【なろ】うて僕を戮【りく】すること前史【ぜんし】に愧【は】ず。

羊を買い 酒を沽【か】って 不敏を謝す,偶【たまたま】明月の桃李【とうり】に曜【かがや】くに逢えり。
先生 降臨【こうりん】許すに意有らば,更に長鬚【ちょうしゅ】遣わして 雙鯉【そうり】を改【いた】さしめよ。


現代語訳と訳註
(本文) 寄盧仝

玉川先生洛城裏,破屋數間而已矣。
一奴長鬚不裹頭,一婢赤腳老無齒。
辛勤奉養十余人,上有慈親下妻子。
先生結發憎俗徒,閉門不出動一紀。
至令鄰僧乞米送,仆忝縣尹能不恥?
俸錢供給公私余,時致薄少助祭祀。


(下し文) (盧仝に寄す)
玉川先生洛城の裏【うち】,破屋数間のみ。
一奴【いちど】は長鬚【ちょうしゅ】にして頭を裹【つつ】まず、一婢【いちひ】は赤脚にして老いて歯無し。
辛勤【しんきん】して奉養【ほうよう】す十余人、上に慈親【じしん】有り下は妻子。
先生髪を結うてより俗徒を憎み、門を閉ざして出でざること動もすれば一紀。
隣僧をして乞米を送らしむるに至る、僕は県尹を忝【かたじけの】うす能く恥じざらんや。
俸銭供給す公私の余、時に薄少を致して祭祀を助く。


(現代語訳)
玉川先生は洛陽の城内に住まわれている。それはあばら家というものでほんの数間のひろさしかないものだ。
たった一人の下男といえば奴婢の中の奴ともいうべきあごひげを長くのばして頭をむき出しにしている、たった一人の下女といえばか型通り素足で歯がなくなっている老女である。
辛い思いをしても勤勉にはげみ十数人も養っておられる、両親を上にして下は妻子に至るまで愛しんでいる。
先生は若い頃から、俗世界での人と漫然と付き合うことを嫌われており、門を閉めきり外出せぬことややともすれば十二年一回りする位である。
おとなりの僧侶までもが托鉢の米をとどけさせてくれる始末となっている、県令をかたじけなくも拝命しているこのわたしとしてはこのまま何もしないと恥じいることになってしまうのでなないだろうか。
公私の費用に使ったあまりの給料を、時には些少ながら差し上げて御家紋の祭祀の助けにされたい。


(訳注)
寄盧仝

寄盧仝 寄は、乎紙などを送ること。この詩は、盧仝に書いて送ったのである。盧仝(未詳一835)は、韓愈(768-846)と同時の詩人で、非常に難解なごつごつした詩を作った。うち最も有名なのは「月蝕詩」で、韓愈も、それにならって同じ題の「月蝕詩」を作っている。盧仝の生活は、この「盧仝に寄す」詩によって知られるとおりであるが、その死は悲惨であった。835大和九年甘露の変のとき、謀叛人として殺された宰相の王涯の宅にたまたま来あわせていたため、その一党と目されて、死刑に処せられている。この「寄盧仝」詩は、韓愈が河南県の令だったとき、811年元和六年44歳、春の作。長篇であるから、6分割して注釈を加えることにする。甘露の変については李商隠詩このブログでも10首程度掲載しているので詳しくは参考にされたい。 あるいは盧仝詩『走筆謝孟諫議寄新茶』(筆を走らせて孟諫議の新茶を寄せるを謝す)(#1~#3)中唐詩人ID-44 盧仝 走筆謝孟諫議寄新茶#1 kanbun-iinkai紀頌之の李商隠と中唐の漢詩ブログ251

玉川先生洛城裏,破屋數間而已矣。
玉川先生は洛陽の城内に住まわれている。それはあばら家というものでほんの数間のひろさしかないものだ。
玉川先生 盧仝は茶を煎じる水をとる玉川にちなんで自ずから玉川子と号した。この最初の一段(#1)は、盧仝の日常生活の貧しさをいう。○洛城 洛陽の城郭、街中のこと(今河南省洛陽市)。洛陽は、当時、洛陽県と河南県とで分治せられ、韓愈は、河市県の令であった。○数間 間とは、家屋の柱の開の数をいう。柱二本なら一間であり、三本なら二間ということになりこの、間数が大きいほど、大きな家である。○而巳矣 限定の意を表す助辞。それだけである。[而已]をひきのばした形で、詠嘆の気持ちが加えられる。『論語、里仁』「夫子之道、忠恕而已矣。」(夫子之道は、忠恕のみ。)盧仝が儒者であるので論語風に作るもの。


一奴長鬚不裹頭,一婢赤腳老無齒。
たった一人の下男といえば奴婢の中の奴ともいうべきあごひげを長くのばして頭をむき出しにしている、たった一人の下女といえばか型通り素足で歯がなくなっている老女である。
一奴 奴は、下男。たった一人の下男とは、費しい(もちろん比較的のはなしで、知識階級の家としては)ことをあらわす。下の一婢も同じ。夫子であれば下僕が数人から十人程度は世襲で普通にいた。○長鬚 鬚は、あごひげ。○不裹頭 当時は下男でも頭巾をかぶるのが習慣となっていたのだろう。○一婢 婢は、下女。○赤脚 はだし。赤とは、何もなぃことをいう形容詞。杜甫『早秋苦熱詩』、赤脚で下女。『事物異名録、倫属、奴婢』「鶴林玉露、楊誠斉退休南渓之上。老屋一區、僅庇風雨。長鬚赤脚、纔三四人。按、長鬚謂奴、赤脚謂婢。」(長鬚 赤脚、纔【わず】かに三四人と。按【あん】ずるに、長鬚とは奴を謂い、赤脚とは婢を謂う。)に基づいている。


辛勤奉養十余人,上有慈親下妻子。
辛い思いをしても勤勉にはげみ十数人も養っておられる、両親を上にして下は妻子に至るまで愛しんでいる。
辛勤 辛い思いをしても勤勉する。こつこつ苦労するさま。o奉養 奉は、かしずき仕えること。日常の生活、飲食起居をいう。『史記、齊太公世家』「令其秩服奉養此太子。」(其の秩服 奉養をして太子に此し令む。)とあり、これに基づいている。○慈親 慈は、めぐみ深いこと、親の子に対する道徳とされる。そこで親を形容することばとしてごく軽く使用される。『呂覽、慎大』「湯立爲天子。夏民大説、如得慈親。」(湯立ちて天子と爲す。夏の民 大いに説ぶこと、慈親を得たるが如し。)にもとづく。


先生結發憎俗徒,閉門不出動一紀。
先生は若い頃から、俗世界での人と漫然と付き合うことを嫌われており、門を閉めきり外出せぬことややともすれば十二年一回りする位である。
結發 少年のときに髪を束ねることから、少年のときをいう。あるいは、冠すること、す迩わち成人になフたとして冠をつける儀式のことであるともいう。要するに、若いときから。○【ややもすれば】 〔助字瓣略〕ともすれば。左思『文選、呉都賦』「出躡珠履、動以千百。」(出づるに珠履を躡【ふ】むもの、動もすれば千百を以もってす。)○一紀 歳星(本星)が天球を一週する期間をいう。十二年。十二の干支の


至令鄰僧乞米送,仆忝縣尹能不恥?
おとなりの僧侶までもが托鉢の米をとどけさせてくれる始末となっている、県令をかたじけなくも拝命しているこのわたしとしてはこのまま何もしないと恥じいることになってしまうのでなないだろうか。
至令 ~のことを命ずる始末までになっている。○乞米送 乞米は、托鉢の米。布施でもらった米など。○ わたくし。がんらい、しもべということから、自分の謙称になった。○ 身分不相応な位についているという謙迎したいい方。○県尹 県の長官。すなわち県今。○能不 反語。……でいられようか。


俸錢供給公私余,時致薄少助祭祀。
公私の費用に使ったあまりの給料を、時には些少ながら差し上げて御家紋の祭祀の助けにされたい。
俸銭供給公私余 俸給を公私に用いたあまり。供給は、その必要に応じて金銭を使用すること。ここは、旧訓にしたがったが、意味上は、「俸給公私に供給する余」ということである。○ 時には。○薄少 ごくわずかなお金。謙辿したいい方。○助祭祀 先祖のお祭りごと、あるいは縁者への祭祀の援助。生活費といえば、相手に失礼に当たるから、こういうのである。
hinode0200

blogram投票ボタン

毎日それぞれ一首(長詩の場合一部分割掲載)kanbuniinkai紀 頌之の漢詩3ブログ
05rihakushi350

李白詩350首kanbuniinkai紀頌之のブログ

700Toho shi

kanbuniinkai11の頌之漢詩 杜甫詩700首

800tousouSenshu
kanbuniinkai10 頌之の漢詩 唐宋詩人選集 Ⅰ李商隠150首 Ⅱ韓退之(韓愈)Ⅶ孟郊
各詩人についてはブログ内の検索を利用したほうが良い場合もあります。
burogutitl770

http://kanshi100x100.blog.fc2.com/



唐宋詩 
(Ⅰ李商隠Ⅱ韓退之(韓愈))
李白詩INDEX02
李商隠INDEX02
杜甫詩INDEX02

山石 #3(全3回) 韓愈 中唐詩-228 Ⅱ韓退之(韓愈) 紀頌之の漢詩ブログ 韓愈特集-24

山石 #3韓愈 中唐詩-228 Ⅱ韓退之(韓愈) 紀頌之の漢詩ブログ 韓愈特集-24

山石3回目(3分割掲載)
韓退之(韓愈)34歳 801年貞元十七年


796年 董晋の招きで宣武軍節度使の幕府に入る。

797年 病気のため一時求職。

    孟郊が来る。

798年 同所で進士科の予備試験員。

    張籍、この試験合格者の中に有る。

799年 汴州の乱「汴州亂二首其一 韓愈特集-6

        「汴州亂二首其二 韓愈特集-7

    「此日足可惜贈張籍 韓愈-7-#1 ~14」

    徐州武寧軍節度使 張建封の幕府に入る。

    韓愈、命受けて長安へ。孟郊、呉、越を遊覧。

    「忽忽」忽忽 唐宋詩-218 Ⅱ韓退之(韓愈)  韓愈特集-22



800年 春長安より徐州へ帰る。幕府を退く。

    彭城に帰る

    「歸彭城」 #1(全4回) 韓愈 唐宋詩-219 Ⅱ韓退之(韓愈) 韓愈特集-23

801年貞元十七年

身言書判科を受験して、落第。三月、洛陽、冬、長安に戻る。孟郊、溧陽の尉となる。

「山石」

 ・孟郊常州に行く。

「将歸贈孟東野房蜀客」(將に帰らんとして孟東野・房蜀客に贈る。)


貞元十七年の冬、韓愈は結新たに再度単身で長安に上京した。口では世捨て人へのあこがれを言っていても、それは強がり、現実的には、高級官僚への夢を容易に絶ち切ることはできないのである。吏部試をもう一度受験しのである。彼はめでたく合格し、念願を果たすのである。この詩は、韓愈が決意を新たにした時の詩である。
iwamizu01

山石
 韓愈 #1
山石犖确行徑微,黄昏到寺蝙蝠飛。
升堂坐階新雨足,芭蕉葉大支子肥。
僧言古壁佛畫好,以火來照所見稀。」
#2
鋪床拂席置羹飯,疏糲亦足飽我飢。
夜深靜臥百蟲絶,清月出嶺光入扉。
天明獨去無道路,出入高下窮煙霏。
山紅澗碧紛爛漫,時見松櫪皆十圍。」
#3
當流赤足蹋澗石,水聲激激風吹衣。
谷川の流れに行き至ったので、裸足になって、水中の石を踏んでいくと、水の音はだんだん激しく、風は強く衣のなかにまで吹きつけてくる。 
人生如此自可樂,豈必局束爲人鞿。
人生とは、このように自分からら楽しめることだとおもえることをすべきものであるし。他人のことをきにして、その人のために繋がれてちぢこまっているということが、どうして必要なのか。
嗟哉吾黨二三子,安得至老不更歸。」
ああ、わたしの人生おける仲間の達、二、三人の君たちよ。どうして歳を取ってから、それでもなおまた、隠棲することにならざるをえないであろう。 

#1
山石 犖确(らくかく)として 行径(こうけい)微にして,黄昏 寺に到れば 蝙蝠(へんぷく)飛ぶ。
堂に昇り 階に坐ざすれば 新雨足り,芭蕉(ばしょう)の葉は大いにして 支子肥ゆ。
僧は言う「古壁の佛畫(ぶつガ)好し」と,火を以て 來り照らすに 見る所稀まれなり。

#2
床を鋪(し)き 席(むしろ)を拂いて羹飯(こうはん)を置き,疏糲(それい) 亦また我が飢を 飽(あ)かしむるに 足る。
夜深く靜かに臥すれば 百蟲(ひゃくちゅう) 絶え,清月 嶺を出て 光 扉(とびら)に入る。
天明 獨り去ゆくに道路 無く,高下に 出入して  煙霏(えんぴ) を窮(きわ)む。
山 紅(くれない)に澗(たに) 碧(みどり)に 紛まじりて 爛漫,時に見る 松櫪(しょうれき)の皆 十圍(じゅうい)なるを。
#3
流れに當りて赤足もて 澗石(かんせき)を 蹋(ふ)み,水聲 激激として 風 衣(ころも)を吹く。
人生 此かくの如く自から樂しむべく,豈 必ずしも 局束(きょくそく)として 人の爲ために鞿(つな)がれんや。
嗟哉(ああ) 吾わが黨の二、三の子し,安いづくんぞ 老に至りて 更に歸らざることを得ん。


sas00800

現代語訳と訳註
(本文) #3

當流赤足蹋澗石,水聲激激風吹衣。
人生如此自可樂,豈必局束爲人鞿。
嗟哉吾黨二三子,安得至老不更歸。」


(下し文) #3

流れに當りて赤足もて 澗石(かんせき)を 蹋(ふ)み,水聲 激激として 風 衣(ころも)を吹く。
人生 此かくの如く自から樂しむべく,豈 必ずしも 局束(きょくそく)として 人の爲ために鞿(つな)がれんや。
嗟哉(ああ) 吾わが黨の二、三の子し,安いづくんぞ 老おいに至りて 更に歸らざることを得ん。


(現代語訳)
谷川の流れに行き至ったので、裸足になって、水中の石を踏んでいくと、水の音はだんだん激しく、風は強く衣のなかにまで吹きつけてくる。 
人生とは、このように自分からら楽しめることだとおもえることをすべきものであるし。他人のことをきにして、その人のために繋がれてちぢこまっているということが、どうして必要なのか。
ああ、わたしの人生おける仲間の達、二、三人の君たちよ。どうして歳を取ってから、それでもなおまた、隠棲することにならざるをえないであろう。 


(訳注)
當流赤足蹋澗石、水聲激激風吹衣。

谷川の流れに行き至ったので、裸足になって、水中の石を踏んでいくと、水の音はだんだん激しく、風は強く衣のなかにまで吹きつけてくる。 
當流 (谷川の)流れに行き当たる。 ○赤足 裸足(はだし)。 ○ 〔とう〕踏(ふ)む。 ○澗石 〔かんせき〕谷川の石。○激激 〔げきげき〕水の勢いの激しいさま。


人生如此自可樂、豈必局束爲人鞿
人生とは、このように自分からら楽しめることだとおもえることをすべきものであるし。他人のことをきにして、その人のために繋がれてちぢこまっているということが、どうして必要なのか。 
人生 人生。人が生きる。 ○如此 このよう(に)。 ○自可樂 自分からら楽しめることとおもえることをやるべきものである。たとえ、落第しても、仲間と哲学論争をして、人生を意義あるものにしたい。○豈必 必ずしも…するには及ばない。 ○局束 〔きょくそく〕体や心が縮こまる。のびのびしない。人のことを気にしたり、受験のことだけで萎縮したり、知事困ったりすることの方が問題である。○爲人 人柄。人格、品格をけいせいすること。 ○ 〔き〕きずな。束縛。作者は動詞として使っている。


嗟哉吾黨二三子、安得至老不更歸。
ああ、わたしの人生おける仲間の達、二、三人の君たちよ。どうして歳を取ってから、それでもなおまた、隠棲することにならざるをえないであろう。 
嗟哉 ああ。おお。歎息する。感嘆する。 ○吾黨 わたしの仲間。 ○二三子 二、三人の者。 ○安得 どこに求められよう。どうして…だろうか。いづくにか…を得ん。いづくんぞ…なるを得んや。 ○至老 老齢になっても。年をとっても。 ○不更歸 なおまた隠棲することがない。「更不歸」の意。○安得不更歸 帰ってこざるを得ないだろう。

五重塔(2)

山石

山に転がって進む道を邪魔する石。(韓愈受験に落第し、再度チャレンジすることを決したことをこの山道にたとえてうたうものである。)
#1
山石犖确行徑微,黄昏到寺蝙蝠飛。
山に登る道は大きい石がごろごろとたくさんあり、小道は細くなってかすかな感じになっている。黄昏(たそがれ)になって寺にたどり着くと、蝙蝠(こうもり)が飛んでいる。 
升堂坐階新雨足,芭蕉葉大支子肥。
お堂に昇っていく階に坐れば新たに充分な雨が降っている。この雨で、芭蕉の葉は大きくなって、梔子(しし、くちなし)の実が大きくなっている。 
僧言古壁佛畫好,以火來照所見稀。」
坊さんは古い壁に措かれた仏の絵がすはらしいといい、明かりで照らしてくれたが、剥げているためいくらも見えなかった。
僧侶の方は「古い壁の仏画は好いものだ」とお説教をしてくれる。その仏画は、火で照らし出した部分、見えたのは、ごく一部である。


#2
鋪床拂席置羹飯,疏糲亦足飽我飢。
寝床と腰掛になる板を並べ、席(むしろ)の敷物をひろげてくれ、羹、煮物と御飯を置きならべてくれて、粗食であってもわたしの空腹を満足させるに充分である。
夜深靜臥百蟲絶,清月出嶺光入扉。
夜が深けて静かに横に伏せていたら、たくさんの虫の声が急に途絶えて、清らかな月が、嶺から出てくると、月光が戸口から入ってくる。
天明獨去無道路,出入高下窮煙霏。
天が明るくなったのにつられて、ひとりで出かけようと思うが道らしい道が無いのである。道は高くなったり、下に下がったりして変化に富んでいる、朝靄が深くなるところを窮めるまでるいていくのだ。
山紅澗碧紛爛漫,時見松櫪皆十圍。」
山は紅になり、谷川は、苔むした碧色で流れる水も淥である、赤と緑は混じり合って、光り輝いている。時々、松や櫪(くぬぎ)の十人でかかえほどもあるのを見かける。#3
當流赤足蹋澗石,水聲激激風吹衣。
谷川の流れに行き至ったので、裸足になって、水中の石を踏んでいくと、水の音はだんだん激しく、風は強く衣のなかにまで吹きつけてくる。 
人生如此自可樂,豈必局束爲人鞿。
人生とは、このように自分からら楽しめることだとおもえることをすべきものであるし。他人のことをきにして、その人のために繋がれてちぢこまっているということが、どうして必要なのか。
嗟哉吾黨二三子,安得至老不更歸。」
ああ、わたしの人生おける仲間の達、二、三人の君たちよ。どうして歳を取ってから、それでもなおまた、隠棲することにならざるをえないであろう。 

#1
山石 犖确(らくかく)として 行径(こうけい)微にして,黄昏 寺に到れば 蝙蝠(へんぷく)飛ぶ。
堂に昇り 階に坐ざすれば 新雨足り,芭蕉(ばしょう)の葉は大いにして 支子肥ゆ。
僧は言う「古壁の佛畫(ぶつガ)好し」と,火を以て 來り照らすに 見る所稀まれなり。
#2
床を鋪(し)き 席(むしろ)を拂いて羹飯(こうはん)を置き,疏糲(それい) 亦また我が飢を 飽(あ)かしむるに 足る。
夜深く靜かに臥すれば 百蟲(ひゃくちゅう) 絶え,清月 嶺を出て 光 扉(とびら)に入る。
天明 獨り去ゆくに道路 無く,高下に 出入して  煙霏(えんぴ) を窮(きわ)む。
山 紅(くれない)に澗(たに) 碧(みどり)に 紛まじりて 爛漫,時に見る 松櫪(しょうれき)の皆 十圍(じゅうい)なるを。
#3
流れに當りて赤足もて 澗石(かんせき)を 蹋(ふ)み,水聲 激激として 風 衣(ころも)を吹く。
人生 此かくの如く自から樂しむべく,豈 必ずしも 局束(きょくそく)として 人の爲ために鞿(つな)がれんや。
嗟哉(ああ) 吾わが黨の二、三の子し,安いづくんぞ 老おいに至りて 更に歸らざることを得ん。


blogram投票ボタン

毎日それぞれ一首(長詩の場合一部分割掲載)kanbuniinkai紀 頌之の漢詩3ブログ
05rihakushi350

李白詩350首kanbuniinkai紀頌之のブログ

700Toho shi

kanbuniinkai11の頌之漢詩 杜甫詩700首


800tousouSenshu
kanbuniinkai10 頌之の漢詩 唐宋詩人選集 Ⅰ李商隠150首 Ⅱ韓退之(韓愈)Ⅶ孟郊
各詩人についてはブログ内の検索を利用したほうが良い場合もあります。
burogutitl770

http://kanshi100x100.blog.fc2.com/




唐宋詩 
(Ⅰ李商隠Ⅱ韓退之(韓愈))

李白詩INDEX02
日ごとのブログ目次

李商隠INDEX02
ブログ日ごとの目次

杜甫詩INDEX02
日ごとのブログ目次


 

山石 #2(全3回) 韓愈 中唐詩-227 Ⅱ韓退之(韓愈) 紀頌之の漢詩ブログ 韓愈特集-24

山石 #2(全3回)韓愈 中唐詩-227 Ⅱ韓退之(韓愈) 紀頌之の漢詩ブログ 韓愈特集-24

山石2回目(3分割掲載)


796年 董晋の招きで宣武軍節度使の幕府に入る。

797年 病気のため一時求職。

    孟郊が来る。

798年 同所で進士科の予備試験員。

    張籍、この試験合格者の中に有る。

799年 汴州の乱「汴州亂二首其一 韓愈特集-6

        「汴州亂二首其二 韓愈特集-7

    「此日足可惜贈張籍 韓愈-7-#1 ~14」

    徐州武寧軍節度使 張建封の幕府に入る。

    韓愈、命受けて長安へ。孟郊、呉、越を遊覧。

    「忽忽」忽忽 唐宋詩-218 Ⅱ韓退之(韓愈)  韓愈特集-22



800年 春長安より徐州へ帰る。幕府を退く。

    彭城に帰る

    「歸彭城」 #1(全4回) 韓愈 唐宋詩-219 Ⅱ韓退之(韓愈) 韓愈特集-23

801年貞元十七年

身言書判科を受験して、落第。三月、洛陽、冬、長安に戻る。孟郊、溧陽の尉となる。

「山石」

 ・孟郊常州に行く。

「将歸贈孟東野房蜀客」(將に帰らんとして孟東野・房蜀客に贈る。)



山石 韓愈 #1
山石犖确行徑微,黄昏到寺蝙蝠飛。
升堂坐階新雨足,芭蕉葉大支子肥。
僧言古壁佛畫好,以火來照所見稀。」
#2
鋪床拂席置羹飯,疏糲亦足飽我飢。
寝床と腰掛になる板を並べ、席(むしろ)の敷物をひろげてくれ、羹、煮物と御飯を置きならべてくれて、粗食であってもわたしの空腹を満足させるに充分である。
夜深靜臥百蟲絶,清月出嶺光入扉。
夜が深けて静かに横に伏せていたら、たくさんの虫の声が急に途絶えて、清らかな月が、嶺から出てくると、月光が戸口から入ってくる。
天明獨去無道路,出入高下窮煙霏。
天が明るくなったのにつられて、ひとりで出かけようと思うが道らしい道が無いのである。道は高くなったり、下に下がったりして変化に富んでいる、朝靄が深くなるところを窮めるまでるいていくのだ。
山紅澗碧紛爛漫,時見松櫪皆十圍。」

山は紅になり、谷川は、苔むした碧色で流れる水も淥である、赤と緑は混じり合って、光り輝いている。時々、松や櫪(くぬぎ)の十人でかかえほどもあるのを見かける。

#3
當流赤足蹋澗石,水聲激激風吹衣。
人生如此自可樂,豈必局束爲人鞿。
嗟哉吾黨二三子,安得至老不更歸。」

#1
山石 犖确(らくかく)として 行径(こうけい)微にして,黄昏 寺に到れば 蝙蝠(へんぷく)飛ぶ。
堂に昇り 階に坐ざすれば 新雨足り,芭蕉(ばしょう)の葉は大いにして 支子肥ゆ。
僧は言う「古壁の佛畫(ぶつガ)好し」と,火を以て 來り照らすに 見る所稀まれなり。
#2
床を鋪(し)き 席(むしろ)を拂いて羹飯(こうはん)を置き,疏糲(それい) 亦また我が飢を 飽(あ)かしむるに 足る。
夜深く靜かに臥すれば 百蟲(ひゃくちゅう) 絶え,清月 嶺を出て 光 扉(とびら)に入る。
天明 獨り去ゆくに道路 無く,高下に 出入して  煙霏(えんぴ) を窮(きわ)む。
山 紅(くれない)に澗(たに) 碧(みどり)に 紛まじりて 爛漫,時に見る 松櫪(しょうれき)の皆 十圍(じゅうい)なるを。

#3
流れに當りて赤足もて 澗石(かんせき)を 蹋(ふ)み,水聲 激激として 風 衣(ころも)を吹く。
人生 此かくの如く自から樂しむべく,豈 必ずしも 局束(きょくそく)として 人の爲ために鞿(つな)がれんや。
嗟哉(ああ) 吾わが黨の二、三の子し,安いづくんぞ 老おいに至りて 更に歸らざることを得ん。


貞元十七年の冬、韓愈は結新たに再度単身で長安に上京した。口では世捨て人へのあこがれを言っていても、それは強がり、現実的には、高級官僚への夢を容易に絶ち切ることはできないのである。吏部試をもう一度受験しのである。彼はめでたく合格し、念願を果たすのである。この詩は、韓愈が決意を新たにした時の詩である。


現代語訳と訳註
(本文) #2

鋪床拂席置羹飯,疏糲亦足飽我飢。
夜深靜臥百蟲絶,清月出嶺光入扉。
天明獨去無道路,出入高下窮煙霏。
山紅澗碧紛爛漫,時見松櫪皆十圍。」

(下し文) #2
床を鋪(し)き 席(むしろ)を拂いて羹飯(こうはん)を置き,疏糲(それい) 亦また我が飢を 飽(あ)かしむるに 足る。
夜深く靜かに臥すれば 百蟲(ひゃくちゅう) 絶え,清月 嶺を出て 光 扉(とびら)に入る。
天明 獨り去ゆくに道路 無く,高下に 出入して  煙霏(えんぴ) を窮(きわ)む。
山 紅(くれない)に澗(たに) 碧(みどり)に 紛まじりて 爛漫,時に見る 松櫪(しょうれき)の皆 十圍(じゅうい)なるを。


(現代語訳)
寝床と腰掛になる板を並べ、席(むしろ)の敷物をひろげてくれ、羹、煮物と御飯を置きならべてくれて、粗食であってもわたしの空腹を満足させるに充分である。
夜が深けて静かに横に伏せていたら、たくさんの虫の声が急に途絶えて、清らかな月が、嶺から出てくると、月光が戸口から入ってくる。
天が明るくなったのにつられて、ひとりで出かけようと思うが道らしい道が無いのである。道は高くなったり、下に下がったりして変化に富んでいる、朝靄が深くなるところを窮めるまでるいていくのだ。
山は紅になり、谷川は、苔むした碧色で流れる水も淥である、赤と緑は混じり合って、光り輝いている。時々、松や櫪(くぬぎ)の十人でかかえほどもあるのを見かける。


(訳注)
鋪床拂席置羹飯、疏糲亦足飽我飢。
寝床と腰掛になる板を並べ、席(むしろ)の敷物をひろげてくれ、羹、煮物と御飯を置きならべてくれて、粗食であってもわたしの空腹を満足させるに充分である。 
鋪床 寝床と腰掛になる板を並べる。 ○拂席 席(むしろ)の敷物をひろげてくれる。 ○ しつらえる。準備する。 ○羹飯 〔かうはん〕羹(あつもの)と御飯。○疏糲 〔それい〕粗末な飯。粗食。 ○ 〔ほう〕満腹する。満足する。 ○ 〔き〕腹が減る。飢(う)える。


夜深靜臥百蟲絶、清月出嶺光入扉。
夜が深けて静かに横に伏せていたら、たくさんの虫の声が急に途絶えて、清らかな月が、嶺から出てくると、月光が戸口から入ってくる。
夜深 夜が更ける。中唐・白居易の『夜雪』に「已訝衾枕冷,復見窗戸明。夜深知雪重,時聞折竹聲。」とある。 ○靜臥 静かに横になる。 ○百蟲 色々な虫。多くの虫。 ○ (虫の声が)途絶える。○清月 くもりのない月。


天明獨去無道路、出入高下窮煙霏。
天が明るくなったのにつられて、ひとりで出かけようと思うが道らしい道が無いのである。道は高くなったり、下に下がったりして変化に富んでいる、朝靄が深くなるところを窮めるまでるいていくのだ。
 ○天明 夜明けになる。明けがたになる。  ○獨去 独(ひと)りで出かける。  ○無道路 道らしい道が無い。・出入:出たり入ったりする。行ったり来たりする。○高下 高くなったり低くなったり。 ○ 〔きゅう〕窮(きわ)める。 「終南別業」漢詩紹介
(入山寄城中故人)王維
中歳頗好道、晩家南山陲。
興来毎独往、勝事空自知。
行到水処、坐看雲起時。
偶然値林叟、談笑無還期。
煙霏 〔えんぴ〕たなびく靄(もや。)煙がたなびく。


山紅澗碧紛爛漫、時見松櫪皆十圍。
山は紅になり、谷川は、苔むした碧色で流れる水も淥である、赤と緑は混じり合って、光り輝いている。時々、松や櫪(くぬぎ)の十人でかかえほどもあるのを見かける。 
山紅 山は、紅(くれない)になる。○澗碧 苔むした碧色で流れる水も淥である ○ 〔かん〕谷川。○ 入り乱れる。 ○爛漫 〔らんまん〕光り輝くさま。あふれ散らばり消える。山が紅であるから、楓が散り去ることともいえる。通常は、春の花が咲き乱れるさま。○時見 時折見かける。 ○松櫪 〔しょうれき〕松と櫪(くぬぎ)。 ○十圍 十(とお)かかえ。十人よって抱え込む(大きさ)。

hinode0200


毎日それぞれ一首(長詩の場合一部分割掲載)kanbuniinkai紀 頌之の漢詩3ブログ
05rihakushi350

李白詩350首kanbuniinkai紀頌之のブログ

700Toho shi
kanbuniinkai11の頌之漢詩 杜甫詩700首

800tousouSenshu
kanbuniinkai10 頌之の漢詩 唐宋詩人選集 Ⅰ李商隠150首 Ⅱ韓退之(韓愈)Ⅶ孟郊
各詩人についてはブログ内の検索を利用したほうが良い場合もあります。
burogutitl770

http://kanshi100x100.blog.fc2.com/


唐宋詩 
(Ⅰ李商隠Ⅱ韓退之(韓愈))
李白詩INDEX02
李商隠INDEX02
杜甫詩INDEX02


山石 #1(全3回) 韓愈 中唐詩-226 Ⅱ韓退之(韓愈) 紀頌之の漢詩ブログ 韓愈特集-24

山石#1(全3回) 韓愈 中唐詩-226 Ⅱ韓退之(韓愈) 紀頌之の漢詩ブログ 韓愈特集-24



796年 董晋の招きで宣武軍節度使の幕府に入る。

797年 病気のため一時求職。

    孟郊が来る。

798年 同所で進士科の予備試験員。

    張籍、この試験合格者の中に有る。

799年 汴州の乱「汴州亂二首其一 韓愈特集-6

        「汴州亂二首其二 韓愈特集-7

    「此日足可惜贈張籍 韓愈-7-#1 ~14」

    徐州武寧軍節度使 張建封の幕府に入る。

    韓愈、命受けて長安へ。孟郊、呉、越を遊覧。

    「忽忽」忽忽 唐宋詩-218 Ⅱ韓退之(韓愈)  韓愈特集-22



800年 春長安より徐州へ帰る。幕府を退く。

    彭城に帰る

    「歸彭城」 #1(全4回) 韓愈 唐宋詩-219 Ⅱ韓退之(韓愈) 韓愈特集-23

801年貞元十七年

身言書判科を受験して、落第。三月、洛陽、冬、長安に戻る。孟郊、溧陽の尉となる。

「山石」

 ・孟郊常州に行く。

「将歸贈孟東野房蜀客」(將に帰らんとして孟東野・房蜀客に贈る。)

山石

山に転がって進む道を邪魔する石。(韓愈受験に落第し、再度チャレンジすることを決したことをこの山道にたとえてうたうものである。)
#1
山石犖确行徑微,黄昏到寺蝙蝠飛。
山に登る道は大きい石がごろごろとたくさんあり、小道は細くなってかすかな感じになっている。黄昏(たそがれ)になって寺にたどり着くと、蝙蝠(こうもり)が飛んでいる。 
升堂坐階新雨足,芭蕉葉大支子肥。
お堂に昇っていく階に坐れば新たに充分な雨が降っている。この雨で、芭蕉の葉は大きくなって、梔子(しし、くちなし)の実が大きくなっている。 
僧言古壁佛畫好,以火來照所見稀。」
坊さんは古い壁に措かれた仏の絵がすはらしいといい、明かりで照らしてくれたが、剥げているためいくらも見えなかった。
僧侶の方は「古い壁の仏画は好いものだ」とお説教をしてくれる。その仏画は、火で照らし出した部分、見えたのは、ごく一部である。

#2
鋪床拂席置羹飯,疏糲亦足飽我飢。
夜深靜臥百蟲絶,清月出嶺光入扉。
天明獨去無道路,出入高下窮煙霏。
山紅澗碧紛爛漫,時見松櫪皆十圍。」
#3
當流赤足蹋澗石,水聲激激風吹衣。
人生如此自可樂,豈必局束爲人鞿。
嗟哉吾黨二三子,安得至老不更歸。」

#1
山石 犖确(らくかく)として 行径(こうけい)微にして,黄昏 寺に到れば 蝙蝠(へんぷく)飛ぶ。
堂に昇り 階に坐ざすれば 新雨足り,芭蕉(ばしょう)の葉は大いにして 支子肥ゆ。
僧は言う「古壁の佛畫(ぶつガ)好し」と,火を以て 來り照らすに 見る所稀まれなり。

#2
床を鋪(し)き 席(むしろ)を拂いて羹飯(こうはん)を置き,疏糲(それい) 亦また我が飢を 飽(あ)かしむるに 足る。
夜深く靜かに臥すれば 百蟲(ひゃくちゅう) 絶え,清月 嶺を出て 光 扉(とびら)に入る。
天明 獨り去ゆくに道路 無く,高下に 出入して  煙霏(えんぴ) を窮(きわ)む。
山 紅(くれない)に澗(たに) 碧(みどり)に 紛まじりて 爛漫,時に見る 松櫪(しょうれき)の皆 十圍(じゅうい)なるを。
#3
流れに當りて赤足もて 澗石(かんせき)を 蹋(ふ)み,水聲 激激として 風 衣(ころも)を吹く。
人生 此かくの如く自から樂しむべく,豈 必ずしも 局束(きょくそく)として 人の爲ために鞿(つな)がれんや。
嗟哉(ああ) 吾わが黨の二、三の子し,安いづくんぞ 老おいに至りて 更に歸らざることを得ん。


貞元十七年の冬、韓愈は結新たに再度単身で長安に上京した。口では世捨て人へのあこがれを言っていても、それは強がり、現実的には、高級官僚への夢を容易に絶ち切ることはできないのである。吏部試をもう一度受験しのである。彼はめでたく合格し、念願を果たすのである。この詩は、韓愈が決意を新たにした時の詩である。


 現代語訳と訳註
(本文) #1

山石犖确行徑微,黄昏到寺蝙蝠飛。
升堂坐階新雨足,芭蕉葉大支子肥。
僧言古壁佛畫好,以火來照所見稀。」


(下し文) #1
山石 犖确(らくかく)として 行径(こうけい)微にして,黄昏 寺に到れば 蝙蝠(へんぷく)飛ぶ。
堂に昇り 階に坐ざすれば 新雨足り,芭蕉(ばしょう)の葉は大いにして 支子肥ゆ。
僧は言う「古壁の佛畫(ぶつガ)好し」と,火を以て 來り照らすに 見る所稀まれなり。


(現代語訳)
山に転がって進む道を邪魔する石。(韓愈受験に落第し、再度チャレンジすることを決したことをこの山道にたとえてうたうものである。)
山に登る道は大きい石がごろごろとたくさんあり、小道は細くなってかすかな感じになっている。黄昏(たそがれ)になって寺にたどり着くと、蝙蝠(こうもり)が飛んでいる。 
お堂に昇っていく階に坐れば新たに充分な雨が降っている。この雨で、芭蕉の葉は大きくなって、梔子(しし、くちなし)の実が大きくなっている。 
坊さんは古い壁に措かれた仏の絵がすはらしいといい、明かりで照らしてくれたが、剥げているためいくらも見えなかった。
僧侶の方は「古い壁の仏画は好いものだ」とお説教をしてくれる。その仏画は、火で照らし出した部分、見えたのは、ごく一部である。


(訳注)
山石

山に転がって進む道を邪魔する石。(韓愈受験に落第し、再度チャレンジすることを決したことをこの山道にたとえてうたうものである。)
○韓愈の「以文爲詩」(散文的な手法の詩=散文的な語彙や句法、段落で作った詩)の代表的なもの。六朝詩や唐詩の華麗さがなく、夕暮れから夜、更に早朝の光景が、淡々と語られている。これらを詠いつつ、受験に落第し、再度チャレンジすることを決したことをこの山道にたとえてうたうものである。


山石犖确行徑微、黄昏到寺蝙蝠飛。
山に登る道は大きい石がごろごろとたくさんあり、小道は細くなってかすかな感じになっている。黄昏(たそがれ)になって寺にたどり着くと、蝙蝠(こうもり)が飛んでいる。 
○犖确 〔らくかく〕山に大きい石が多くあるさま。ごろごろと。でこぼことしている。 ○行徑微 山道がだんだんと細くなるさまを謂う。 ○行徑 こみち。○黄昏 〔くゎうこん〕。たそがれ。夕方の薄暗い時刻。 ○蝙蝠 〔へんぷく〕コウモリ。


升堂坐階新雨足、芭蕉葉大支子肥。
お堂に昇っていく階に坐れば新たに充分な雨が降っている。この雨で、芭蕉の葉は大きくなって、梔子(しし、くちなし)の実が大きくなっている。 
升堂 お堂に入る。「昇堂」。屋敷の場合は奥座敷に使われるが、寺で僧侶に会う場合はお堂の方が良い。 ○坐階 階(きざはし)に坐(すわ)る。 ○ 充分である。足(た)る。○芭蕉 〔ばせう〕バショウ科の多年草。高さ4メートルくらい。葉身は、長さ約1.5メートルの長楕円形。 ○ 大きくなる。後出の「肥」と句中の対を構成する。 ○支子 〔しし〕=梔子(くちなし)の実。「梔」:〔し〕クチナシ。夢は実現するものということをくちなしの実の大きくなることで悟ってくることを示唆している。


僧言古壁佛畫好、以火來照所見稀。
僧侶の方は「古い壁の仏画は好いものだ」とお説教をしてくれる。その仏画は、火で照らし出した部分、見えたのは、ごく一部である。
○「古壁佛畫好」 「古い壁に画かれている仏画は素晴らしい。」古きものを大切にしなさいというお説教と考える。僧侶が作者・韓愈に言った言葉。○以火 火で。 ○來照 照らし出す。 ○所見 見えるところ。見える事柄。 ○ わずかである。
hinode0200

blogram投票ボタン

毎日それぞれ一首(長詩の場合一部分割掲載)kanbuniinkai紀 頌之の漢詩3ブログ
05rihakushi350

李白詩350首kanbuniinkai紀頌之のブログ

700Toho shi

kanbuniinkai11の頌之漢詩 杜甫詩700首

800tousouSenshu
kanbuniinkai10 頌之の漢詩 唐宋詩人選集 Ⅰ李商隠150首 Ⅱ韓退之(韓愈)Ⅶ孟郊
各詩人についてはブログ内の検索を利用したほうが良い場合もあります。
burogutitl770

http://kanshi100x100.blog.fc2.com/




唐宋詩 
(Ⅰ李商隠Ⅱ韓退之(韓愈))350
李白詩INDEX02
李商隠INDEX02
杜甫詩INDEX02

平淮西碑 (韓碑)#4 李商隠 紀頌之の漢詩ブログ李商隠特集150- 138

平淮西碑 (韓碑)#4 李商隠 紀頌之の漢詩ブログ李商隠特集150- 138


平淮西碑 (韓碑)#4
表日臣愈昧死上、詠神聖功書之碑。
かくて官府に奉る上奏文を韓愈はかきあげた、それは、「臣韓愈、昧死して上る次第であります」から始まり、「このたびの戦勝の功、即ち天子有徳の証拠である功績を、かくの如く碑文に詠いあげる。」と献上したのであった。
碑高三丈字如斗、負以霊鼇蟠以螭。
碑石の高さは三丈もあり、その字はまた斗の如く大きなものだった。礎石には神秘な巨亀のかたちが刻まれ、また書に威厳をそえる模様とし周囲にみずちをめぐらしていた。
句奇語重喩者少、讒之天子言其私。
その一句一句は、常識を超えた独特の表現であり、一語一語がおごそかで重く、そのため、その卓越した表現力を理解できるものが少なかったのだ。特に、李愬の一族は不満をもったようで、よく理解ができないのに、その文章が高が文人ごときの私情にかたよっていると天子に讒言を申しでた。
長縄百尺拽碑倒、麤砂大石相磨治。
立されていた百尺もある碑石は長い縄でしばられ倒されてしまったのだった。その上にあらい磨き砂をまいて、碑文を磨滅させてしまい、別の文章をはりなおすということになったのである。



表に 日く 臣愈 昧死して上(たてまつ)る、神聖の功を詠じ之を碑に書せりと。
碑の高さ三丈 字は斗の如く、負わすに霊鼇(れいごう)を以てし 蟠(めぐら)すに 螭(ち)を以てす。
句は奇 語は重 喩(さと)る 者少なし、之を天子に讒(そし)るあり 其の私を言うと。
長縄(ちょうじょう)百尺 碑を拽きて倒し、麤砂(そさ)と大石(たいせき) 相い 磨治(まち)す




平淮西碑 (韓碑)#4 現代語訳と訳註
(本文)

表日臣愈昧死上、詠神聖功書之碑。
碑高三丈字如斗、負以霊鼇蟠以螭。
句奇語重喩者少、讒之天子言其私。
長縄百尺拽碑倒、麤砂大石相磨治。

(下し文)
表に 日く 臣愈 昧死して上(たてまつ)る、神聖の功を詠じ之を碑に書せりと。
碑の高さ三丈 字は斗の如く、負わすに霊鼇(れいごう)を以てし 蟠(めぐら)すに 螭(ち)を以てす。
句は奇 語は重 喩(さと)る 者少なし、之を天子に讒(そし)るあり 其の私を言うと。
長縄(ちょうじょう)百尺 碑を拽きて倒し、麤砂(そさ)と大石(たいせき) 相い 磨治(まち)す


(現代語訳)
かくて官府に奉る上奏文を韓愈はかきあげた、それは、「臣韓愈、昧死して上る次第であります」から始まり、「このたびの戦勝の功、即ち天子有徳の証拠である功績を、かくの如く碑文に詠いあげる。」と献上したのであった。
碑石の高さは三丈もあり、その字はまた斗の如く大きなものだった。礎石には神秘な巨亀のかたちが刻まれ、また書に威厳をそえる模様とし周囲にみずちをめぐらしていた。
その一句一句は、常識を超えた独特の表現であり、一語一語がおごそかで重く、そのため、その卓越した表現力を理解できるものが少なかったのだ。特に、李愬の一族は不満をもったようで、よく理解ができないのに、その文章が高が文人ごときの私情にかたよっていると天子に讒言を申しでた。
立されていた百尺もある碑石は長い縄でしばられ倒されてしまったのだった。その上にあらい磨き砂をまいて、碑文を磨滅させてしまい、別の文章をはりなおすということになったのである。

(訳注)
表日臣愈昧死上、詠神聖功書之碑。

かくて官府に奉る上奏文を韓愈はかきあげた、それは、「臣韓愈、昧死して上る次第であります」から始まり、「このたびの戦勝の功、即ち天子有徳の証拠である功績を、かくの如く碑文に詠いあげる。」と献上したのであった。
 君主または官府に奉る書状、及びその文体を表という。
昧死 上書の冒頭に用いる言葉。昧は冒昧。次の言葉がもし不当ならば死をかけてあやまる、という意味である。
神聖功 神聖は天子に関する事柄につける形容、淮西の賊(呉元済―#1と#2参照)を平げた戦勝を、天子有徳のしるしとして韓愈がのべた事をいうもの。


碑高三丈字如斗、負以霊鼇蟠以螭。
碑石の高さは三丈もあり、その字はまた斗の如く大きなものだった。礎石には神秘な巨亀のかたちが刻まれ、また書に威厳をそえる模様とし周囲にみずちをめぐらしていた。
 十升を斗というが、その量るますのように器が方形であることに借りて、碑文の字体の大きさの喩えとした。○負以霊鼇 霊鼇は神秘的な大がめ。碑石をその大亀をかたどった彫石の甲の上に建てたことをいう。
蟠以螭 螭はみずち。想像上の神獣で竜の角のないものを螭という。碑石の周囲に螭模様の飾りを彫りつけたことをいう。


句奇語重喩者少、讒之天子言其私。
その一句一句は、常識を超えた独特の表現であり、一語一語がおごそかで重く、そのため、その卓越した表現力を理解できるものが少なかったのだ。特に、李愬の一族は不満をもったようで、よく理解ができないのに、その文章が高が文人ごときの私情にかたよっていると天子に讒言を申しでた。
句奇 奇は独特の、或いは独自なという意味し
語重 おごそかな言葉の重重しいこと。重厚な表現。
 理解する。
言其私 「旧唐書」韓愈伝に「碑辞多く装度の事を叙ぶ。時に蔡に入りて呉元済を捕えしは李愬の功第一なり。愬は之を不平とす。愬の妻(唐安公主の女)は禁中に出入し、因りて碑辞は実ならずと訴う。詔して愈の文を磨去せしめ、翰林学士段文員(773―835年)に命じて重ねて文を撰せしめて石に刻めり。」とある。南宋の葛立方の 「韻語陽秋」には、それを訴えたのは李愬の子であったと考証する。


長縄百尺拽碑倒、麤砂大石相磨治。
建立されていた百尺もある碑石は長い縄でしばられ倒されてしまったのだった。その上にあらい磨き砂をまいて、碑文を磨滅させてしまい、別の文章をはりなおすということになったのである。
靡砂 あらい砂。
 
この章の解説。
皇帝の諫言には耳を貸さない正当な人を貶める讒言には簡単に耳を貸すばかりか、さらに推し進めることをやっている。正当な賢臣を消していく、宦官のやり口にのってしまったのである。同じころ元稹も宦官の諫言で通州司馬に左遷される。

平淮西碑 (韓碑)#2 李商隠 紀頌之の漢詩ブログ李商隠特集150- 137

平淮西碑 (韓碑)#2 李商隠 紀頌之の漢詩ブログ李商隠特集150- 137



■平淮西碑 (韓碑)に関する韓愈の年譜

815

憲宗

元和

10年

48歳

5月、「淮西の事宜を論ずる状」を上奏し、淮西の乱に断固たる措置を求める。夏、「順宗実録」を撰進。*「盆地五首」*「児に示す」作。

816

11年

49歳

正月20日、中書舎人に転任。緋魚袋を賜わる。5月18日、太子右庶士に降任。*「張籍を調(あざけ)る」作

817

12年

50歳

7月29日、裴度、淮西宣慰招討処置使となるに伴い、兼御史中丞、彰義軍行軍司馬となる。8月、滝関を出、本隊より離れて汴州に急行し、宣武軍節度使韓弘の協力をとりつける。10月、敵の本拠、蔡州を間道づたいに突くことを願うも、唐鄧随節度使李愬に先をこされる。11月28日、蔡州を発して長安へ向かう。12月16日、長安へ帰る。21日、刑部侍郎に転任。*「裴相公の東征して途に女几山の下を経たりの作に和し奉る」作

818

13年

51歳

正月、「淮西を平らぐる碑」 を上るも、李愬の訴えにより、碑文は磨り消される。4月、鄭余慶、詳定礼楽使となり、推薦されて副使をつとめる。*「独り釣る四首」

819

14年

52歳

正月14日、「仏骨を論ずる表」を上り、極刑に処せられるところを、裴度らのとりなしで、潮州刺史に左遷となる。3月25日、潮州に着任。10月24日、兗州刺史に転任。*「左遷せられて藍関に至り姪孫湘に示す」*「滝吏」*「始興江口に過る感懐」*「柳柳州の蝦蟇を食うに答う」*「兗州に量移せらる張端公詩を以て相賀す因って之に酬ゆ」  *二月二日、潮州への旅の途次、四女挐、死没。7月、大赦。

平淮西碑 (韓碑)#2
帝得聖和相日度、賊斫不死神扶持。
憲宗皇帝の才知英明によって、徳高き宰相のよき輔佐をうけられた。その宰相は、裴度といわれる人である。賊がかつて宰相武元衝を暗殺、裴度も刺客に傷つけられたが、神のご加護があって奇蹟的に助かった。
腰懸相印作都統、陰風惨澹天王旗。
裴度は腰に宰相の印綬を懸ける身でありながら、自ら元帥として出陣を請うた。裴度元帥の大軍に冬の風が容赦なく吹き付け、天子の御旗は、風に翻った。
愬武古通作牙爪、儀曹外郎載筆随。
四将軍、李愬・韓公武・李道古・李文通たちが、牙と爪の先鋒として攻め入った、礼部員外郎の李宗関もまた戦果を報告しようと、筆を共にして従軍したのだ。
行軍司馬智且勇、十四萬衆猶虎貌。
行軍のなかにおいて、請われて副将となった韓愈は、智略に秀れ、且つ勇敢であった。総勢十四万の軍勢すべてが、虎豹のようなつわものぞろいであったのだ。
入蔡縛賊献太廟、功無與譲恩不訾。
李愬は雪の降る夜に蔡城を奇襲し、賊の頭目呉元済を生け捕り、佳期ただよう長安に送った。憲宗皇帝は、先祖の廟にそれを報告して、呉元済を斬殺した。准西の乱は平定し、裴度の戦功、功労は比べるものなく秀れ、その恩賞もはかり知れず大きいものであった。

帝は聖相(せいしょう)を得たり 相は度と日う、賊 斫(き)れども死なず 神 扶持す
腰に相印(しょういん)を懸けて都統(ととう)と作る、陰風 惨澹(さんたん)たり 天王の旗。
愬 武 古 通 牙爪(がそう)と作り、儀曹外郎 筆を載せて随う。
行軍司馬 智且つ勇なり、十四万衆 猶お虎貌のごとし。
蔡に入り 賊を縛りて 大廟に献ず、功は与(とも)に譲る無く恩は訾(はか)られず。


平淮西碑 (韓碑)#2 現代語訳と訳註
(本文)

帝得聖和相日度、賊斫不死神扶持。
腰懸相印作都統、陰風惨澹天王旗。
愬武古通作牙爪、儀曹外郎載筆随。
行軍司馬智且勇、十四萬衆猶虎貌。
入蔡縛賊献太廟、功無與譲恩不訾。


(下し文)
帝は聖相(せいしょう)を得たり 相は度と日う、賊 斫(き)れども死なず 神 扶持す
腰に相印(しょういん)を懸けて都統(ととう)と作る、陰風 惨澹(さんたん)たり 天王の旗。
愬 武 古 通 牙爪(がそう)と作り、儀曹外郎 筆を載せて随う。
行軍司馬 智且つ勇なり、十四万衆 猶お虎貌のごとし。
蔡に入り 賊を縛りて 大廟に献ず、功は与(とも)に譲る無く恩は訾(はか)られず。


(現代語訳)
憲宗皇帝の才知英明によって、徳高き宰相のよき輔佐をうけられた。その宰相は、裴度といわれる人である。賊がかつて宰相武元衝を暗殺、裴度も刺客に傷つけられたが、神のご加護があって奇蹟的に助かった。
裴度は腰に宰相の印綬を懸ける身でありながら、自ら元帥として出陣を請うた。裴度元帥の大軍に冬の風が容赦なく吹き付け、天子の御旗は、風に翻った。
四将軍、李愬・韓公武・李道古・李文通たちが、牙と爪の先鋒として攻め入った、礼部員外郎の李宗関もまた戦果を報告しようと、筆を共にして従軍したのだ。
行軍のなかにおいて、請われて副将となった韓愈は、智略に秀れ、且つ勇敢であった。総勢十四万の軍勢すべてが、虎豹のようなつわものぞろいであったのだ。
李愬は雪の降る夜に蔡城を奇襲し、賊の頭目呉元済を生け捕り、佳期ただよう長安に送った。憲宗皇帝は、先祖の廟にそれを報告して、呉元済を斬殺した。准西の乱は平定し、裴度の戦功、功労は比べるものなく秀れ、その恩賞もはかり知れず大きいものであった。


(訳注)
帝得聖和相日度、賊斫不死神扶持。
憲宗皇帝の才知英明によって、徳高き宰相のよき輔佐をうけられた。その宰相は、裴度といわれる人である。賊がかつて宰相武元衝を暗殺、裴度も刺客に傷つけられたが、神のご加護があって奇蹟的に助かった。
聖相 有徳の宰相。この言葉は「妟子春秋」にある「仲尼は聖相なり。」という言葉を典故とする。仲尼は孔子の名。
 裴度(765-839年)あざな中立。徳宗以下四朝に仕えてよく唐室を輔佐した重臣である。貞元の初めに進士に及第し、校書郎を皮切りに累進して、中書侍郎同平章事となり、817年元和十二年自から請うて呉元済征伐の将軍となった。乱平定後は晋回公に封ぜられ、中書令を加えられた。晩年は別別業を作り、白居易(772-846年)劉禹錫(772-842年)らと觴詠した。なお、裴度出陣の二年以前、815年元和十年に、討征の詔は下され、十六道の兵を発して准西に向わせ、用兵の事を宰相の一人、武元衝にゆだね、李光顔を司令官としていたが一向に戦果があがっていなかったのである。
賊斫不死 刺客が裴度を暗殺しょうとした史実をいう。呉元済討征の詔が下された時、平盧の節度使李師道(?-819年)や成徳の節度使王承宗(?-820年)は元済の謝免を断ったが誉れなかった。かくて李師道は、主戦論者の暗殺を計り、宰相武元衝は殺され、裴度も刺客に傷つけられたが、奇蹟的に助かった。新旧両「唐書」裴度伝にくわしい。なお他の節度使が暗に叛乱軍を援助したのは、勿論、その利害が共通していたからである。


腰懸相印作都統、陰風惨澹天王旗。
裴度は腰に宰相の印綬を懸ける身でありながら、自ら元帥として出陣を請うた。裴度元帥の大軍に冬の風が容赦なく吹き付け、天子の御旗は、風に翻った。
相印 宰相の印綬。○都統 軍の司令官。天宝の末に初めてこの元帥職がもうけられた。817年元和十二年七月、裴度は奏して自から行営すなわち出征時の軍営に赴かんことを請い、淮西宣慰招討使に充てられたが、韓弘(765-822年)が都続であった故、宣慰処置使と称するように願った。だが実際には元帥の職をつかさどった、と「旧唐書」に見える。○惨澹 ものすさまじく薄暗いこと。

愬武古通作牙爪、儀曹外郎載筆随。
四将軍、李愬・韓公武・李道古・李文通たちが、牙と爪の先鋒として攻め入った、礼部員外郎の李宗関もまた戦果を報告しようと、筆を共にして従軍したのだ。
愬武古通 淮西内平定に力を合せた四人の将軍の名。・:元和十一年に唐鄧隋節度使に任ぜられた李愬。夜、蔡州の城を奇襲し呉元済を擒にした殊勲者。・武:淮西諸軍行営都統であった韓弘の子、韓公武のこと。兵二千を率いて先討隊李光顔(762―826年)の軍に属していた。・:鄂岳観察使李道古。・:寿州団練使李文通。
牙爪 きばとつめ。「詩経」小雅祈父に「祈父、予は王の爪牙なり。」と見える。
儀曹外郎 礼部に属する官職。礼部は礼秩及び学校貢挙のことを掌る官庁。この時、後に宰相となり、対立する牛李の党の牛党の立役者となる礼部員外郎李宗閔を始め、司勲員外郎李正封らが従軍した。隋の時代、礼部侍邸を儀曹郎と呼んだ。唐以後は廃止されたが礼部員外郎(礼部の書記次官)のことをそういった。
載筆 筆を持ち歩く。


行軍司馬智且勇、十四萬衆猶虎貌。
行軍のなかにおいて、請われて副将となった韓愈は、智略に秀れ、且つ勇敢であった。総勢十四万の軍勢すべてが、虎豹のようなつわものぞろいであったのだ。
行軍司馬副 司令官。また節度使の属官。裴度が朝廷に請うて、韓愈を行軍司馬としたのである。
虎貌とら。親も猛獣の名、虎の属である。


入蔡縛賊献太廟、功無與譲恩不訾。
李愬は雪の降る夜に蔡城を奇襲し、賊の頭目呉元済を生け捕り、佳期ただよう長安に送った。憲宗皇帝は、先祖の廟にそれを報告して、呉元済を斬殺した。准西の乱は平定し、裴度の戦功、功労は比べるものなく秀れ、その恩賞もはかり知れず大きいものであった。
入蔡縛賊 李愬が奇襲で賊将をとらえた功績を指す。「唐書」李愬伝に詳しい。
献太廟 太廟は天子の祖先を祭る宮中の社、かしこどころ。これもまた事実をふまえた表現。817年元和十二年十月、李愬は呉元済を執えて長安に送り、帝は興安門に御して俘虜を受け、廟社に献じ、両市にひきまわしてからこれを斬った。
功無与譲 功蹟の他におよぶもののないこと。北周の文人庾信(522-581年)の商調曲に「功与に譲るなく、太常の旌に銘す。」とあるのにもとづく。太常は天子の大旗。
恩不訾(はかれ) 訾は限る、或いは量るという意味。恩賞は限りなく大きかったという意味である。魏の王粲(177-217年)の詠史詩に「結髪してより明君に事え、恩を受くること良に訾れず。」と。

平淮西碑 (韓碑)#1 李商隠136 紀頌之の漢詩ブログ李商隠特集150- 136-#1

   漢文委員会Kanbuniinkai紀頌之の漢文 
 Ⅰ.李白と李白に影響を与えた詩集   
 Ⅱ.中唐詩・晩唐詩  
 Ⅲ.杜甫詩1000詩集  
 Ⅳ.漢詩・唐詩・宋詞詩詩集  
 Ⅴ.晩唐五代詞詩・宋詞詩  
      
 ◎漢文委員会のHP http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/ 
               http://kanbuniinkai7.dousetsu.com 
               http://kanbuniinkai8.dousetsu.com 
                            http://3rd.geocities.jp/miz910yh/ 
      
平淮西碑 (韓碑)#1 李商隠136 紀頌之の漢詩ブログ李商隠特集150- 136-#1


平淮西碑 (韓碑)#1
元和天子神武姿、彼何人哉軒與義。
唐元和の中興の時期、憲宗皇帝は、はなはだ秀れた勇武ある身ごなしのお方と評された。人人が理想の皇帝としてあがめる伏義と軒轅に代表される有徳の統治者三皇五帝も、憲宗皇帝を前にしては、何はどの人物と思われるであろう。
誓将上雪列聖恥、坐法官中朝四夷。
憲宗はそれまで歴代の意の威信を傷つけた藩鋲と節度使の勝手気ままなのさばりを、まず鎮圧して、先帝の恥を灌ごうと誓いをたて、また、四方の異民族の参勤を、朝廷で謁見させるため夷狄討征の決意をもされたのだ。
淮西有賊五十載、封狼生貙貙生羆。
これまで、准西の節度使は、凡そ五十年間、朝命を無視して、私利をのみ謀る奸臣から乱臣賊子と化していた。粛宗皇帝の時より、李希烈・陳仙奇・呉少誠・呉少陽・呉元适と、配される節度使に交替はあっても、それは、狼が大虎にかわり、虎が羆を生んだということなのだ。
不拠山河拠平地、長戈利矛日可麾。

本当の盗賊、野獣であるなら、山河深く隠れて住むものだが、堂々と平地、町家に依拠し、その権力をふるっている。長い戈、するどい矛をずらりと軍列を整えていたのだ、だからその地域においては、太陽すらまねきかえせるほどの資力、勢力をたくわえていたのである。

淮西を平らぐるの碑(韓碑)#1
元和の天子 神武の姿、彼 何人ぞや 軒と羲(ぎ)。
誓って将に 上(これまで) 列聖の恥 を雪(そそ)がんとし、法宮(ほうきゅう)の中に坐して四夷(しい)を朝せしめんとす。
淮西に賊有ること五十載、封狼(ほうろう)は貙(ちゅ)を生み 貙(ちゅ)は羆(ひぐま)を生む。
山河に拠(よ)らずして平地に拠り、長戈(ちょうか) 利矛(りぼう) 日も麾(まね)く可し。


平淮西碑 現代語訳と訳註
(本文) #1

元和天子神武姿、彼何人哉軒與義。
誓将上雪列聖恥、坐法官中朝四夷。
淮西有賊五十載、封狼生貙貙生羆。
不拠山河拠平地、長戈利矛日可麾。


(下し文) #1

元和の天子 神武の姿、彼 何人ぞや 軒と羲(ぎ)。
誓って将に 上(これまで) 列聖の恥 を雪(そそ)がんとし、法宮(ほうきゅう)の中に坐して四夷(しい)を朝せしめんとす。
淮西に賊有ること五十載、封狼(ほうろう)は貙(ちゅ)を生み 貙(ちゅ)は羆(ひぐま)を生む。
山河に拠(よ)らずして平地に拠り、長戈(ちょうか) 利矛(りぼう) 日も麾(まね)く可し。


(現代語訳)#1
唐元和の中興の時期、憲宗皇帝は、はなはだ秀れた勇武ある身ごなしのお方と評された。人人が理想の皇帝としてあがめる伏義と軒轅に代表される有徳の統治者三皇五帝も、憲宗皇帝を前にしては、何はどの人物と思われるであろう。
憲宗はそれまで歴代の意の威信を傷つけた藩鋲と節度使の勝手気ままなのさばりを、まず鎮圧して、先帝の恥を灌ごうと誓いをたて、また、四方の異民族の参勤を、朝廷で謁見させるため夷狄討征の決意をもされたのだ。
これまで、淮西の節度使は、凡そ五十年間、朝命を無視して、私利をのみ謀る奸臣から乱臣賊子と化していた。粛宗皇帝の時より、李希烈・陳仙奇・呉少誠・呉少陽・呉元适と、配される節度使に交替はあっても、それは、狼が大虎にかわり、虎が羆を生んだということなのだ。
本当の盗賊、野獣であるなら、山河深く隠れて住むものだが、堂々と平地、町家に依拠し、その権力をふるっている。長い戈、するどい矛をずらりと軍列を整えていたのだ、だからその地域においては、太陽すらまねきかえせるほどの資力、勢力をたくわえていたのである。


(訳注)#1
平淮西碑 (韓碑)#1

淮西を平らぐ る の碑(韓碑)
韓碑 中庸の文豪韓愈(768-824年)が元和十三年(818年)に作った文章「平淮西碑」(淮西を平ぐるの碑)のこと。碑は文を石にきざみ、宮室廟屋、墓陵の上に立てる立石で、その文章の体を碑という。詩は、その「平淮西碑」の書かれるに到った経緯を述べ、それが極諌したことになり、結果、崇仏皇帝であった憲宗の逆鱗に触れ、潮州(広東省)刺史に左遷され、いったん建てられた碑石が取り壊されたことを憤りつつ、韓愈の文学の卓越せることを賞讃している。ここでも李商隠は、正論を述べて不遇な韓愈を讃えているのである。

韓愈(韓退之)
 768-824
 は字名を退之、河南省修武県の人。3歳のとき父を、14歳のとき兄を失って兄嫁の鄭氏に養われ、苦労して育った。貞元八年(792年)進士科に及第。四門博士から国子博士(国立大学の教授、四門博士は同じ大学教授であるが、身分低い子弟を教える)となり、以後、河南令、考功郎中等を経て、823元和十二年、この詩に歌われる裴度の呉元済討伐に、行軍司馬として従軍している。

元和十四年(819年)に仏骨を論ずる表で諫言し、潮州別史に貶せられたが、後許される。国子祭酒(国立大学総長)をへ、兵部侍邸に復帰した。文学者として、宋以後の中国の散文文学を決定的に方向づけた復古主義的文体は、八代の衰退を起したものと評価されている。また、多く文士の交流し、李賀(790-817年)盧仝(?-835年)張籍(768-830年?)王建(768?-830年?)賈島(779-843年)孟郊(750-814年)等、友人や門弟と共に、その詩に於いても、一つの画期(エポック)を作った。

同時期の詩人として武元衡758~815、權德輿 759-818、柳宗元773~819李益748年 - 827年元稹779~831白居易772~846 と盛唐から中唐と世界史的な文学の花が開花している。




元和天子神武姿、彼何人哉軒與羲。
唐元和の中興の時期、憲宗皇帝は、はなはだ秀れた勇武ある身ごなしのお方と評された。人人が理想の皇帝としてあがめる伏義と軒轅に代表される有徳の統治者三皇五帝も、憲宗皇帝を前にしては、何はどの人物と思われるであろう。
○元和天子 唐朝第11代の皇帝憲宗李純(778-820年)のこと。元和は年号。
○神武姿 はなはだ秀れた勇武ある身ごなし。晩唐の杜牧の皇風の詩に「仁聖の天子は神且つ武。」と類似の表現がある。
軒与羲 五帝の一人、軒轅すなわち黄帝と、三皇の一人伏羲のこと。伝説的に伝えられる。前史時代の有徳の統治者三皇五帝を、伏義と軒轅で代表させたものである。


誓将上雪列聖恥、坐法官中朝四夷。
憲宗はそれまで歴代の意の威信を傷つけた藩鋲と節度使の勝手気ままなのさばりを、まず鎮圧して、先帝の恥を灌ごうと誓いをたて、また、四方の異民族の参勤を、朝廷で謁見させるため夷狄討征の決意をもされたのだ。
列聖恥 列聖は代代の天子。安禄山の叛乱以後、粛宗皇帝李亨(721―762年)代宗皇帝李豫(727-779年)徳宗皇帝李适(742-805年)の歴代は、藩鋲が君王化していて、地方の政治的経済的管轄権が潘鎮のの手にあった。それを列聖の恥といったのである。潘鎮は、唐の初め、中央直属の諸州に地方警察軍として置かれていた兵力を、玄宗皇帝李隆基(685-762年)の時、編成換えして、外夷をふせぐ辺蛮十節度の管理下におき、且つ、その土地の徴賦をも掌らせたものであることが、節度使、潘鎮の増長を生んだのだ。
法官 天子の正殿。後漢の班固の「漢書」鼂錯伝に「五帝は常に法官の中の明堂の上に坐せり。」と見える。
朝臣 下が君主にまみえること。奸臣は反対語。
四夷 四方の異民族。東夷・西戎・南蛮・北狄をいう。「礼記」王制篇に見える。


淮西有賊五十載、封狼生貙貙生羆。
これまで、准西の節度使は、凡そ五十年間、朝命を無視して、私利をのみ謀る奸臣から乱臣賊子と化していた。粛宗皇帝の時より、李希烈・陳仙奇・呉少誠・呉少陽・呉元适と、配される節度使に交替はあっても、それは、狼が大虎にかわり、虎が羆を生んだということなのだ。
准西有賊五十載 淮西は淮水以西の地。察州を中心とし河南省東南部と安徽省西北部を含む淮水以西一帯が淮西節度使の管轄地域だった。代宗の大暦の末、李希烈(?-786年)がこの地の節度使となり、徳宗建中三年(782年)に乱を起して建興王と僭称した。徳宗貞元二年(786年)その部下の陳仙奇(?-786年)が李希烈を毒殺して朝に降り、代って鎭を領したが、幾ばくもなく呉少誠(?-809年)に殺された。呉少誠の卒後は、その将の呉少陽(?-814年)が軍府を領して、亡命者をあつめて叛乱を準備し、その子呉元済が貞元十年(794年)に兵を起した。その間、通算するとほぼ五十年となる。(詩的表現では30年過ぎたら50年という表現もある)。安史の乱(755)の際、消極的に反乱軍に加担している。ことからすれば50年以上となる
韓愈の「平淮西碑」にも「蔡師の廷授せざる、今に五十年。」とある。
封狼 封は大きいこと。狼はおおかみ。
貙貙生羆 貙は猛獣の名。羆はひぐま。狼、貙、羆はすべて、潘鎮、節度使の中で、異民族や亡命者、不満分子を集め、乱賊に変じたものを言う。


不拠山河拠平地、長戈利矛日可麾。
本当の盗賊、野獣であるなら、山河深く隠れて住むものだが、堂々と平地、町家に依拠し、その権力をふるっている。長い戈、するどい矛をずらりと軍列を整えていたのだ、だからその地域においては、太陽すらまねきかえせるほどの資力、勢力をたくわえていたのである。
長戈利矛 長いほことするどいほこ。戈はほこ先が二つに分れている。
日可麾 落日の陽をも麾き回らすことができるということ。漢の劉安の「淮南子」覧冥訓に「魯陽公、韓と難を構う。戦たけなわにして日暮れぬ。戈を援りて之を撝、日これが為に反ること三舎。」と見える。舎は天文学上の距離の単位。ここは叛乱軍の勢力の大きさをあらわし、意気盛んであったことをいう。五代の劉呴の「旧唐書」呉元済伝に「呉少誠は兵を阻むこと三十年、王師未だ嘗つて其の城下に及ばず。」とみえる。


燕臺詩四首 其四 冬#2 李商隠135 紀頌之の漢詩ブログ李商隠特集150- 134-#2

燕臺詩四首 其四 冬#2 李商隠135 紀頌之の漢詩ブログ李商隠特集150- 134-#2


其四 冬 #1
天東日出天西下,雌鳳孤飛女龍寡。
青溪白石不相望,堂上遠甚蒼梧野。
凍壁霜華交隱起,芳根中斷香心死。
浪乘畫舸憶蟾蜍,月娥未必嬋娟子。』
#2
楚管蠻弦愁一概,空城罷舞腰支在。
宮廷では楚の曲や指南地方の少数民族の曲も演奏される、どちらも同じように憂愁を催す。滅亡した王朝の城郭には誰もいない、楽曲に合わせて舞踊もされたものだ、それも妖艶な腰の体つきで舞い姿をみせたのだ。
當時歡向掌中銷,桃葉桃根雙姊妹。」
あの頃の歓びというものは王の趣向に迎合して、この掌中で消えていくか細さを求め餓死者さえ出たのだ。あまたの王、富貴が姉妹を妾家として迎えた、あの王獻之の妾家に「桃葉復た桃葉、桃樹は桃根に連なる」といって桃葉・桃根姉妹と同時に歓びを求めた。
破鬟倭墮淩朝寒,白玉燕釵黃金蟬。
経験のない娘に無理矢理迫ったのだろう、その娘の髪は乱れ、矮墮の髪型のままが朝の寒さに耐えている、白玉の燕のかんざし、黄金の蝉の髪飾りをつけて精一杯のおめかしをしてきたのだろう。
風車雨馬不持去,蠟燭啼紅怨天曙。』

年を取ってきたり、ほかの女に気が移ると風の車も雨の車馬でさえもだれも運んでくれることはなくなるのだ。蝋燭は赤い涙を流し、声出して啼いても、明けてゆく大空への怨みを抱くだけなのだ。
右冬


○押韻 下,寡。野。野。子。/概,在。妹。/寒,蟬。/去,曙。


其の四 冬
天の東に日出でて 天の西に下る、雌鳳(しほう)は孤り飛び 女龍(じょりょう)は寡なり。
青渓と白石と相い望まず、堂中遠きこと 蒼梧(そうご)の野より甚だし。
凍壁の霜華(そうか) 交(こも)ごも隠起す、芳根(ほうこん)は中断し香心は死す。
浪乗(ろうじょう)す 画舸(がか)にりて蟾蜍(せんじょ)を憶う、月蛾末だ必ずしも嬋娟(せんけん)子ならず。

楚管(そかん) 蛮絃(ばんげん) 愁いは一概、空域 舞いを罷(や)めて腰支(ようし)在り。
当時の歓びは掌中に銷ゆ、桃葉(とうよう) 桃根(とうこん) 双姉妹。
破鬟(はかん)の倭墮(わだ)朝寒を淩(しの)ぐ,白玉の燕釵(えんさ)黃金の蟬。
風車雨馬 持ち去らず,蠟燭(ろうしょく) 啼紅(ていこう) 天の曙くる を 怨む。』


燕臺詩四首 其四 冬#2 現代語訳と訳註
(本文) 其四 冬

楚管蠻弦愁一概,空城罷舞腰支在。
當時歡向掌中銷,桃葉桃根雙姊妹。
破鬟矮墮淩朝寒,白玉燕釵黃金蟬。
風車雨馬不持去,蠟燭啼紅怨天曙。』


(下し文)
楚管(そかん) 蛮絃(ばんげん) 愁いは一概、空域 舞いを罷(や)めて腰支(ようし)在り。
当時の歓びは掌中に銷ゆ、桃葉(とうよう) 桃根(とうこん) 双姉妹。
破鬟(はかん)の矮墮(わだ)朝寒を淩(しの)ぐ,白玉の燕釵(えんさ)黃金の蟬。
風車雨馬 持ち去らず,蠟燭(ろうしょく) 啼紅(ていこう) 天の曙くる を 怨む。』
右 冬のうた


(現代語訳)
宮廷では楚の曲や指南地方の少数民族の曲も演奏される、どちらも同じように憂愁を催す。滅亡した王朝の城郭には誰もいない、楽曲に合わせて舞踊もされたものだ、それも妖艶な腰の体つきで舞い姿をみせたのだ。
あの頃の歓びというものは王の趣向に迎合して、この掌中で消えていくか細さを求め餓死者さえ出たのだ。あまたの王、富貴が姉妹を妾家として迎えた、あの王獻之の妾家に「桃葉復た桃葉、桃樹は桃根に連なる」といって桃葉・桃根姉妹と同時に歓びを求めた。
経験のない娘に無理矢理迫ったのだろう、その娘の髪は乱れ、矮墮の髪型のままが朝の寒さに耐えている、白玉の燕のかんざし、黄金の蝉の髪飾りをつけて精一杯のおめかしをしてきたのだろう。
年を取ってきたり、ほかの女に気が移ると風の車も雨の車馬でさえもだれも運んでくれることはなくなるのだ。蝋燭は赤い涙を流し、声出して啼いても、明けてゆく大空への怨みを抱くだけなのだ。


(訳注)
楚管蠻弦愁一概,空城罷舞腰支在。

宮廷では楚の曲や指南地方の少数民族の曲も演奏される、どちらも同じように憂愁を催す。滅亡した王朝の城郭には誰もいない、楽曲に合わせて舞踊もされたものだ、それも妖艶な腰の体つきで舞い姿をみせたのだ。
楚管 楚の国の哀愁を帯びる管楽器。○蠻弦 蛮絃:指南地方の少数民族の弦楽器。憂愁を催す。

河内詩二首 其一150- 126

桂林 李商隠 :anbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ李商隠特集 42 

潭州 李商隠 :紀頌之の漢詩ブログ李商隠特集 41

空城 滅亡した王朝の城郭には誰もいないさま。○罷舞 舞踏はもう過去のこととなった。○腰支在 妖艶な腰の体つきで舞い姿をみせた。「宮妓」詩に「披香新殿に腰支を闘わす」というように、踊り子の動きの際立つ部位。薄絹をつけて舞う宮廷での踊りは、頽廃的に性欲に訴えるものであった。


當時歡向掌中銷,桃葉桃根雙姊妹。
あの頃の歓びというものは王の趣向に迎合して、この掌中で消えていくか細さを求め餓死者さえ出たのだ。あまたの王、富貴が姉妹を妾家として迎えた、あの王獻之の妾家に「桃葉復た桃葉、桃樹は桃根に連なる」といって桃葉・桃根姉妹と同時に歓びを求めた。
○歡向 漢・成帝の寵愛を受けた趙飛燕は体が軽く、「掌上に舞う」ことができたという(『自民六帖』など)。また梁の羊侃の妓女張浄琬は腰周りがわずか一尺六寸(四十cm弱)、「掌中の舞い」ができたという(『梁書』羊侃伝)。○桃葉桃根 桃葉は東晋・王献之の愛人。「桃葉歌二首」其二「桃葉復た桃葉、桃樹は桃根に連なる。相憐れむは兩楽事なるに、獨我をして慇懃ならしむ」(『王台新詠』巻十)。そこから後人が桃菓・桃根を姉妹とする附会の説が生まれたと漏浩はいう。『土花漠漠として頽垣を囲み、中にあり桃葉桃根の魂、夜深く踏むことあまねし階下の月、憐れなり羅襪の終に痕なきを。』
「楚王細腰を好み朝に餓人有り」
 お上の好む所に下の者が迎合するたとえで、そのために弊害が生じやすいこと。春秋時代に、楚王が腰の細い美女を好んだので、迎合する官僚、宮女たちは痩せようとして食事をとらなくなり、餓死する者が多く出たという話から。「楚王細腰を好みて宮中餓死多し」ともいう。なお、楚王については、荘王とする説と霊王とする説がある。


破鬟矮墮淩朝寒,白玉燕釵黃金蟬。
経験のない娘に無理矢理迫ったのだろう、その娘の髪は乱れ、矮墮の髪型のままが朝の寒さに耐えている、白玉の燕のかんざし、黄金の蝉の髪飾りをつけて精一杯のおめかしをしてきたのだろう。
矮墮 女性の髪型。楽府「陌上桑」に羅敷の美しさを述べて、「頭上には倭堕の髻、耳中には明月の珠」。「破贅」はそれが乱れていることをいう。悲愁のために憔悴した女性の姿を描く。○白玉 白玉の燕のかんざしのこと。燕釵:「釵頭雙白燕」。
聖女詞 
松篁臺殿蕙香幃、龍護瑤窗鳳掩扉。
無質易迷三里霧、不寒長著五銖衣。
人閒定有崔羅什、天上應無劉武威。
寄問釵頭雙白燕、毎朝珠館幾時歸。
 髪飾り。この二句は聖女詞のイメージそのままである。


風車雨馬不持去,蠟燭啼紅怨天曙。』
女が年を取ってきた、ほかの女に気が移ると風の車も雨の車馬でさえもだれも運んでくれることがなくなるのだ。寵愛を失ったもの、評価をされないもの、蝋燭は赤い涙を流し、声出して啼いても、明けてゆく大空への怨みを抱くだけなのだ。
風車雨馬 風雨が車馬となって彼女を運んではくれない。西晋・博玄「擬北楽府三首」『燕人美篇』(『王台新詠』巻九)「燕人美兮趙女佳,其室則邇兮限層崖。 云爲車兮風爲馬,玉在山兮蘭在野。 云無期兮風有止,思心多端兮誰能理。」(燕人は美なり。其室は近きも雲は車と為り風は馬と為る。) ○蠟燭啼紅 赤い蝋燭が血のような赤い涙を垂れる。じ白居易「夜宴惜別」詩に「燭暗きて紅涙 誰が為にか流す」。


○詩型 七言古詩。
○押韻 下,寡。野。野。子。/概,在。妹。/寒,蟬。/去,曙。


国王の趣向というものが国を滅ぼした。それは、王朝貴族がお上の好む所に下の者が迎合することにある。そのために弊害が生じやすいこと。春秋の楚王が腰の細い美女を好んだので、迎合する官僚、宮女たちは痩せようとし、周りも食事をとらせなかった。餓死する者まで多く出したという。「楚王細腰を好みて宮中餓死多し」ともいうことだ。これに王朝内で、宦官の働きが問題になることが多くあった。
網の目のように情報を集め、美女をかき集めてくるのだ。美人であれば、姉妹ごと天子のもとに送られた。生娘から十数年の間の栄華に一族揚げて送り出したのだ。李商隠は、宮女、妓女のこうした運命と自分を重ねて表現したのだ。



其四 冬 #1
天東日出天西下,雌鳳孤飛女龍寡。
青溪白石不相望,堂上遠甚蒼梧野。
凍壁霜華交隱起,芳根中斷香心死。
浪乘畫舸憶蟾蜍,月娥未必嬋娟子。』
#2
楚管蠻弦愁一概,空城罷舞腰支在。
當時歡向掌中銷,桃葉桃根雙姊妹。」
破鬟倭墮淩朝寒,白玉燕釵黃金蟬。
風車雨馬不持去,蠟燭啼紅怨天曙。』
右冬

○押韻 下,寡。野。野。子。/概,在。妹。/寒,蟬。/去,曙。


毎日それぞれ一首(長詩の場合一部分割掲載)kanbuniinkai紀 頌之の漢詩3ブログ
05rihakushi350

李白詩350首kanbuniinkai紀頌之のブログ

700Toho shi
kanbuniinkai11の頌之漢詩 杜甫詩700首

800tousouSenshu
kanbuniinkai10 頌之の漢詩 唐宋詩人選集 Ⅰ李商隠150首

燕臺詩四首 其四 冬#1 李商隠134 紀頌之の漢詩ブログ李商隠特集150- 134-#1

燕臺詩四首 其四 冬#1 李商隠134 紀頌之の漢詩ブログ李商隠特集150- 134-#1


其四 冬 #1
天東日出天西下,雌鳳孤飛女龍寡。
天により冬を知らされ、東の空から日は昇り、西の空へとまもなく沈むように天子は歿されたのだ。后妃はひとり寂しく大空を飛ぶのであり、龍の女としての存在に連れ添う相手もいなくなった。
青溪白石不相望,堂上遠甚蒼梧野。
青渓の娘であった「玉環」、白石の青年「寿王」はもう向かい合うこともなく、二人の使った奥座敷はもう遠いものとなった、今度は睦まじく鳳凰が棲む蒼梧の野にかわったのだ。
凍壁霜華交隱起,芳根中斷香心死。
凍てついた壁のように何もできない、発言もできなくなった。庭の木々も霜の花をつけるように、白くなり、主張していたいろんな考えも凍ったのだ。王朝内で、改革を呼びかけている者たちが、党派の間で左遷ということで根を断ち切られ、讒言あるいは宦官の策略、宦官の薬、 香木の根も芯も断ち切られ、その芯は死に絶えた。
浪乘畫舸憶蟾蜍,月娥未必嬋娟子。』

みだりにお迎え舟のようにあでやかな船に乗ったとして月の世界を思っても無駄だ、月の婦蛾があの楊貴妃の美しさに及ぶものではない。
#2
楚管蠻弦愁一概,空城罷舞腰支在。
當時歡向掌中銷,桃葉桃根雙姊妹。」
破鬟倭墮淩朝寒,白玉燕釵黃金蟬。
風車雨馬不持去,蠟燭啼紅怨天曙。』
右冬

○押韻 下,寡。野。野。子。/概,在。妹。/寒,蟬。/去,曙。


其の四 冬
天の東に日出でて 天の西に下る、雌鳳(しほう)は孤り飛び 女龍(じょりょう)は寡なり。
青渓と白石と相い望まず、堂中遠きこと 蒼梧(そうご)の野より甚だし。
凍壁の霜華(そうか) 交(こも)ごも隠起す、芳根(ほうこん)は中断し香心は死す。
浪乗(ろうじょう)す 画舸(がか)にて蟾蜍(せんじょ)を憶う、月蛾 末だ 必ずしも嬋娟(せんけん)子ならず。

楚管(そかん) 蛮絃(ばんげん) 愁いは一概、空域 舞いを罷(や)めて腰支(ようし)在り。
当時の歓びは掌中に銷ゆ、桃葉(とうよう) 桃根(とうこん) 双姉妹。
破鬟(はかん)の倭墮(わだ)朝寒を淩(しの)ぐ,白玉の燕釵(えんさ)黃金の蟬。
風車雨馬 持ち去らず,蠟燭(ろうしょく) 啼紅(ていこう) 天の曙くる を 怨む。』




燕臺詩四首 其四 冬#1 現代語訳と訳註
(本文)
其四 冬
天東日出天西下,雌鳳孤飛女龍寡。
青溪白石不相望,堂上遠甚蒼梧野。
凍壁霜華交隱起,芳根中斷香心死。
浪乘畫舸憶蟾蜍,月娥未必嬋娟子。』


(下し文) 其の四 冬
天の東に日出でて 天の西に下る、雌鳳(しほう)は孤り飛び 女龍(じょりょう)は寡なり。
青渓と白石と相い望まず、堂中遠きこと 蒼梧(そうご)の野より甚だし。
凍壁の霜華(そうか) 交(こも)ごも隠起す、芳根(ほうこん)は中断し香心は死す。
浪乗(ろうじょう)す 画舸(がか)にりて蟾蜍(せんじょ)を憶う、月蛾末だ必ずしも嬋娟(せんけん)子ならず。


(現代語訳) 冬 #1
天により冬を知らされ、東の空から日は昇り、西の空へとまもなく沈むように天子は歿されたのだ。后妃はひとり寂しく大空を飛ぶのであり、龍の女としての存在に連れ添う相手もいなくなった。
青渓の娘であった「玉環」、白石の青年「寿王」はもう向かい合うこともなく、二人の使った奥座敷はもう遠いものとなった、今度は睦まじく鳳凰が棲む蒼梧の野にかわったのだ。
凍てついた壁のように何もできない、発言もできなくなった。庭の木々も霜の花をつけるように、白くなり、主張していたいろんな考えも凍ったのだ。王朝内で、改革を呼びかけている者たちが、党派の間で左遷ということで根を断ち切られ、讒言あるいは宦官の策略、宦官の薬、 香木の根も芯も断ち切られ、その芯は死に絶えた。
みだりにお迎え舟のようにあでやかな船に乗ったとして月の世界を思っても無駄だ、月の婦蛾があの楊貴妃の美しさに及ぶものではない。


(訳注) 其四 冬 #1
天東日出天西下,雌鳳孤飛女龍寡。

天により冬を知らされ、東の空から日は昇り、西の空へとまもなく沈むように天子は歿されたのだ。后妃はひとり寂しく大空を飛ぶのであり、龍の女としての存在に連れ添う相手もいなくなった。
天東日出 太陽が東から昇ったと思えばすぐ・天西下 西に下る。冬の日の短さをいう。○雌鳳孤飛  雌鳳は后妃、お相手の天子が死んだことを意味するもの。・女龍寡 英雄を相手に不義をしていた后妃が天子の詩に伴って、不義の相手と会えなくなったことを示す。寡は女性が連れ合いの存在がなくなったこと。 燕臺詩四首 其一 春#1 では「雄龍雌鳳」身分の違う男女交際を詠ったことが関連している。
 
青溪白石不相望,堂上遠甚蒼梧野。
青渓の娘であった「玉環、白石の青年「寿王」はもう向かい合うこともなく、二人の使った奥座敷はもう遠いものとなった、今度は睦まじく鳳凰が棲む蒼梧の野にかわったのだ。
青溪 南朝の「楽府神絃歌の青渓小姑曲のことで、ここでは梁の呉均の「続斉諧記」に出てくる齢若い仙女を指す。会稽の超文韶なる者と、つかのまの歌合せをして消え去ったという。○ 思いをやるきみ。女性が男性を呼ぶ親称。
無題(垂幡深く下ろす)
重幃深下莫愁堂、臥後清宵細細長。
紳女生涯原是夢、小姑居処本無郎。
風波不信菱枝弱、月露誰敦桂葉香。
直道相思了無益、未妨啁悵是清狂。

李商隠 10 無題(重幃深下莫愁堂) 題をつけられない詩。

(莫愁のことを詠う。)其二夏篇も参照燕臺詩四首 其二 夏#1 

白石 「白石即の曲」がある。それに借りて玄宗の子の寿王とその妃の楊環をしめす。○不相望 玄宗に見初められ女道士とならせ、太真と呼んだ。逢うことはできなくなった。○堂上遠甚 大切な座敷を意味する。○蒼梧野 仙界の蒼梧桐は鳳凰の食べ物でこれがないと住まない。玄宗と楊貴妃の愛の巢をしめす。


凍壁霜華交隱起,芳根中斷香心死。
凍てついた壁のように何もできない、発言もできなくなった。庭の木々も霜の花をつけるように、白くなり、主張していたいろんな考えも凍ったのだ。王朝内で、改革を呼びかけている者たちが、党派の間で左遷ということで根を断ち切られ、讒言あるいは宦官の策略、宦官の薬、 香木の根も芯も断ち切られ、その芯は死に絶えた。
凍壁 壁まで凍り付いて身動きが取れないさまを比喩として言う。○霜華 庭の常緑の葉に霜の花。○交隠起 くぼんだり盛り上がったり。○芳根 王朝内で、改革を呼びかけている者たちが、党派の間で左遷ということで根を断ち切られ、讒言あるいは宦官の策略、宦官の薬、 香木の根も芯も枯れる。

浪乘畫舸憶蟾蜍,月娥未必嬋娟子。』
みだりにお迎え舟のようにあでやかな船に乗ったとして月の世界を思っても無駄だ、月の婦蛾があの楊貴妃の美しさに及ぶものではない。
浪乗 浪+動詞 浪費はみだりに~を費やす。ここではみだりに舟に乗ること。○畫舸 彩色を施した船。○蟾蜍 月を指す。河内詩二首 其一 紀頌之の漢詩ブログ李商隠特集150- 126
鼉鼓沈沈虬水咽、秦絲不上蠻絃絶。
常蛾衣薄不禁寒、蟾蜍夜艶秋河月。』
碧城冷落空豪煙、簾輕幕重金鉤欄。
霊香不下兩皇子、孤星直上相風竿。』
八桂林邊九芝草、短襟小鬢相逢道。
入門暗數一千春、願去閏年留月小。』
梔子交加香蓼繁、停辛佇苦留待君。』
(薬を飲んで帰られなくなった嫦娥は薄いころもをまとった月の女神となり寒さに震えている。月は蟾蜍に食べられた三日月になってはつややかに美しい、銀河と月が輝く秋の夜のできごとだ。)
〇月蛾 月のなかに住む嫦娥。李商隠 12 嫦娥詩参照。〇嬋娟 美しいこと。・嬋娟子で美女。月まで婦娥、嫦娥を連れて帰ったとしても楊貴妃の美しさと比べることさえできない。

燕臺詩四首 其三 秋#2 李商隠133 紀頌之の漢詩ブログ李商隠特集150- 131-#2

燕臺詩四首 其三 秋#2 李商隠133 紀頌之の漢詩ブログ李商隠特集150- 131-#2

其三 秋 -#2
月浪衡天天宇濕,涼蟾落盡疏星入。
雲屏不動掩孤嚬,西樓一夜風箏急。」
欲織相思花寄遠,終日相思卻相怨。
但聞北斗聲回環,不見長河水清淺。」
金魚鎖斷紅桂春,古時塵滿鴛鴦茵。
堪悲小苑作長道,玉樹未憐亡國人。』
瑤琴愔愔藏楚弄,越羅冷薄金泥重。
湘妃が洞庭の月夜に瑟を鼓(ひ)く、玉の琴は愔愔と静かな調べに楚の国の響きを籠められている、越のうすぎぬは秋の冷さのなかで透き通り金泥の模様は重厚なものなのだ。
簾鉤鸚鵡夜驚霜,喚起南雲繞雲夢。」
すだれの鉤のような月の夜、鸚鵡は夜の霜の降りる寒さに驚いた、思い起こすのは、南の雲のもと、仙人に招かれ雲夢の沢をめぐった日々もあった。
璫璫丁丁聯尺素,內記湘川相識處。
湘霊が奏でる五十舷の瑟のしらべ、耳飾りの音もかすかに響いてくる、耳飾りを手紙に結び、そこに瀟湘のあたりで知り合った時のことを綴る。
歌唇一世銜雨看,可惜馨香手中故。』

口ずさむ歌、いつまでも涙ながらに読み続けることだろう。しかし無念にも手紙にかき込められた香は、手のなかでしだいに失せていくのだ。


入。急。」/遠,怨。淺。」/春,茵。人。』/弄,重。夢。/素,處。故。』

其の三 秋
月浪(げつろう) 天を衡(う)ち 天宇(てんう)湿る、涼蟾(りょせん) 落ち盡くして疏星(そせい)入る。
雲屏は不動かず 孤嚬(こひん)を掩う,西樓 一夜 風箏 急なり。」
相思の花を織りて遠くに寄せんと欲するも、終日相い思えば却って相い怨む。
但だ北斗の声の廻環するを聞き、長河の水の清浅なるを見ず。
金魚の鎖は断つ 紅桂の春、古時の塵は満つ 鴛鴦(えんおう)の茵(しとね)。
悲しむに堪えん小苑 長道と作るを,玉樹未だ憐まず 亡国の人。』
揺瑟(ようしつ)愔愔(いんいん)として楚弄(そろう)藏す,越羅(えつら)冷薄にして金泥は重し。
簾鉤(れんこう)鸚鵡(おうむ) 夜 霜に驚き,喚び起こす 南雲 雲夢(うんぼう)を繞(めぐ) るを。」
璫璫(とうとう)丁丁(ちょうちょう) 尺素に聯(つら)なる,內には記(しる)す 湘川(しょうせん) 相 識る處。
歌唇 一世 雨を銜(ふく)みて看ん,惜むべし 馨香(けいこう) 手中に故(ふる)びたり。」


燕臺詩四首 其三 秋#2 現代語訳と訳註
(本文)
其三 秋-#2
瑤琴愔愔藏楚弄,越羅冷薄金泥重。
簾鉤鸚鵡夜驚霜,喚起南雲繞雲夢。」
璫璫丁丁聯尺素,內記湘川相識處。
歌唇一世銜雨看,可惜馨香手中故。』



(下し文) 其の三 秋-#2
揺瑟(ようしつ)愔愔(いんいん)として楚弄(そろう)藏す,越羅(えつら)冷薄にして金泥は重し。
簾鉤(れんこう)鸚鵡(おうむ) 夜 霜に驚き,喚び起こす 南雲 雲夢(うんぼう)を繞(めぐ) るを。」
璫璫(とうとう)丁丁(ちょうちょう) 尺素に聯(つら)なる,內には記(しる)す 湘川(しょうせん) 相 識る處。
歌唇 一世 雨を銜(ふく)みて看ん,惜むべし 馨香(けいこう) 手中に故(ふる)びたり。」

(現代語訳)
湘妃が洞庭の月夜に瑟を鼓(ひ)く、玉の琴は愔愔と静かな調べに楚の国の響きを籠められている、越のうすぎぬは秋の冷さのなかで透き通り金泥の模様は重厚なものなのだ。
すだれの鉤のような月の夜、鸚鵡は夜の霜の降りる寒さに驚いた、思い起こすのは、南の雲のもと、仙人に招かれ雲夢の沢をめぐった日々もあった。
湘霊が奏でる五十舷の瑟のしらべ、耳飾りの音もかすかに響いてくる、耳飾りを手紙に結び、そこに瀟湘のあたりで知り合った時のことを綴る。
口ずさむ歌、いつまでも涙ながらに読み続けることだろう。しかし無念にも手紙にかき込められた香は、手のなかでしだいに失せていくのだ。



(訳注) 秋のうた#2
瑤琴愔愔藏楚弄,越羅冷薄金泥重。
湘妃が洞庭の月夜に瑟を鼓(ひ)く、玉の琴は愔愔と静かな調べに楚の国の響きを籠められている、越のうすぎぬは秋の冷さのなかで透き通り金泥の模様は重厚なものなのだ。
瑤琴 玉で装飾した瑟。美しい玉。また、玉のように美しい。湘妃が洞庭の月夜に瑟を鼓くという古伝説○愔愔 穏やかな音の形容。『左氏伝』昭公十二年に「其の詩に目く、祈招の愔愔たる、式て徳音を昭らかにす」。○楚弄 楚の国の曲。「弄」は演奏することから楽曲をいう。○越羅 越の国の羅(薄い絹織物)は蜀の錦とならぶ名品とされた。○金泥 金の顔料。金泥で羅の衣に図案を描く。
涙  李商隠

(劉蕡・賈誼について)
簾鉤鸚鵡夜驚霜,喚起南雲繞雲夢。」
すだれの鉤のような月の夜、鸚鵡は夜の霜の降りる寒さに驚いた、思い起こすのは、南の雲のもと、仙人に招かれ雲夢の沢をめぐった日々もあった。
南雲 南の空の雲。遠く南方にいる親しい人を思う気持ちをあらわす。西晋・陸機「親を思う賦」 に「南雲を指して款を寄す」。○雲夢 雲夢の沢。夢澤 李商隠 紀頌之の漢詩ブログ李商隠特集-72 (楚王の戦争への負担、豪奢、趣向などによる人民の苦しみを与えたことへ批判したものである。)

七月二十八日夜與王鄭二秀才聽雨後夢作 李商隠  : 紀頌之の漢詩ブログ李商隠特集-79


璫璫丁丁聯尺素,內記湘川相識處。
湘霊が奏でる五十舷の瑟のしらべ、耳飾りの音もかすかに響いてくる、耳飾りを手紙に結び、そこに瀟湘のあたりで知り合った時のことを綴る。
璫璫 一対の耳飾り。○丁丁 玉が触れ合う音。○尺素 手紙をいう詩語。長さ一尺のしろぎぬに書いたので尺素という。古楽府「飲馬長城窟行」に「児を呼びて鯉魚を君れば、中に尺素の書有り」。○湘川相識処 湘水のあたりで知り合った時のこと。
参照 李商隠「潭州」、「涙」

安定城樓  紀頌之の漢詩ブログ李商隠特集-75

楚宮 紀頌之の漢詩ブログ李商隠特集 55


歌唇一世銜雨看,可惜馨香手中故。」
口ずさむ歌、いつまでも涙ながらに読み続けることだろう。しかし無念にも手紙にかき込められた香は、手のなかでしだいに失せていくのだ。
歌唇一世 手紙の歌をいつまでも口ずさみながら読む。「一生」はいつまでも。○馨香 ここでは箋紙に付いた
香り。二人の恋が過去のものとなっていくことを象徴する。正当な発言も時とともに色あせ、忘れ去られていく。○手中故


(解説)

○詩型・押韻 七言古詩。
○押韻 入。急。」/遠,怨。淺。」/春,茵。人。』/弄,重。夢。/素,處。故。』

此の篇は李商隠「安定城樓」のイメージを異なった言い回しで詠っている。李商隠の王朝批判のせんとうにあるものの基本は宦官による讒言に対して、なすすべを持たない天子、高級官僚たちに向けられている。諸悪の根源を宦官としている。この宦官が日に日に増殖してゆくアメーバ―の様なものである。そのジレンマの中で牛李の闘争がなされている。天子はそれを直視しないで奢侈、頽廃に耽っていく。歴代の王朝が辿って来た道も、同様なものである。


燕臺詩四首 其三 秋 #1と#2

其三 秋
月浪衡天天宇濕,涼蟾落盡疏星入。
雲屏不動掩孤嚬,西樓一夜風箏急。」
欲織相思花寄遠,終日相思卻相怨。
但聞北斗聲回環,不見長河水清淺。」
金魚鎖斷紅桂春,古時塵滿鴛鴦茵。
堪悲小苑作長道,玉樹未憐亡國人。』
瑤琴愔愔藏楚弄,越羅冷薄金泥重。
簾鉤鸚鵡夜驚霜,喚起南雲繞雲夢。」
璫璫丁丁聯尺素,內記湘川相識處。
歌唇一世銜雨看,可惜馨香手中故。」

入。急。」/遠,怨。淺。」/春,茵。人。』/弄,重。夢。/素,處。故。』



其の三 秋
月浪(げつろう) 天を衡(う)ち 天宇(てんう)湿る、涼蟾(りょせん) 落ち盡くして疏星(そせい)入る。
雲屏は不動かず 孤嚬(こひん)を掩う,西樓 一夜 風箏 急なり。」
相思の花を織りて遠くに寄せんと欲するも、終日相い思えば却って相い怨む。
但だ北斗の声の廻環するを聞き、長河の水の清浅なるを見ず。
金魚の鎖は断つ 紅桂の春、古時の塵は満つ 鴛鴦(えんおう)の茵(しとね)。
悲しむに堪えん小苑 長道と作るを,玉樹未だ憐まず 亡国の人。』
揺瑟(ようしつ)愔愔(いんいん)として楚弄(そろう)藏す,越羅(えつら)冷薄にして金泥は重し。
簾鉤(れんこう)鸚鵡(おうむ) 夜 霜に驚き,喚び起こす 南雲 雲夢(うんぼう)を繞(めぐ) るを。」
璫璫(とうとう)丁丁(ちょうちょう) 尺素に聯(つら)なる,內には記(しる)す 湘川(しょうせん) 相 識る處。
歌唇 一世 雨を銜(ふく)みて看ん,惜むべし 馨香(けいこう) 手中に故(ふる)びたり。」


(現代語訳)
月の光が江の上にかかり、北斗七星の第五星「玉衡」は、天空を濡らしている。そうしていると秋の月は沈んでしまった、夜の明けきらぬ早朝の内に宮中に入る。
雲母の屏風がある、身じろぎもせず、口などをゆがめ、眉をひそめた顔に包まれた。そしてその夜の間西の高楼台に、風雲急を告げる凧があげられた。
相思樹の花を織り込んで遠くのあの人に送りたいけれど、一日中織り込んでいて思い続ければ、かえって怨みが募る。
今はただ聞こえてくるのは天子の座を示す北斗星あり、その周りを玉環の魂や、天牢六星が冤魄をともなって回っている、悲しみの声がするのだ、これだけ多くの行きたいという魂が多いと天の川が渡れるほど浅くなっているのは見たことがないだろう。
黄金の魚型の錠前が鎖されて金木犀の咲きほこった庭にだれもいない、かつて伴にした鴛鴦の褥には塵が厚く積もっている。
悲しみを耐えていたあの宮殿の中庭が今では大通りに変わってしまったのだ。陳の後主は「玉樹後庭歌」のように宮女ばかりにかまけて国を亡ぼした人に憐れを覚えるはずがない。
湘妃が洞庭の月夜に瑟を鼓(ひ)く、玉の琴は愔愔と静かな調べに楚の国の響きを籠められている、越のうすぎぬは秋の冷さのなかで透き通り金泥の模様は重厚なものなのだ。
すだれの鉤のような月の夜、鸚鵡は夜の霜の降りる寒さに驚いた、思い起こすのは、南の雲のもと、仙人に招かれ雲夢の沢をめぐった日々もあった。
湘霊が奏でる五十舷の瑟のしらべ、耳飾りの音もかすかに響いてくる、耳飾りを手紙に結び、そこに瀟湘のあたりで知り合った時のことを綴る。
口ずさむ歌、いつまでも涙ながらに読み続けることだろう。しかし無念にも手紙にかき込められた香は、手のなかでしだいに失せていくのだ。

参考---------------------------------
○湘妃 鼓宏舜の妻、蛾皇・女英の二人が舜王のあとを追いかけ湘水までゆき、舜の死んだことをきき、湘水に身をなげて死に、湘水の女神となった。それが湘妃であり、この湘妃が洞庭の月夜に瑟を鼓くという古伝説がある。○斑竹 斑紋のある竹、湘水の地方に産する。その竹は湘妃が涙を流したあとに生じたものであるとの伝説がある。○江 湘江をさす。 

蛾皇と女英の故事にもとづく。古代の帝王舜は南方巡行の途中、蒼梧(湖南省寧遠県付近の山)で残した。二人の妃、蛾皇と女英は舜を追い求めて湘江のあたりまで来たが、二人の涙がこぼれた。竹はまだらに染まった。そのためこの地の竹には斑紋がついているという(『博物志』、『述異記』)。湘江は長抄の西を通って洞庭湖に注ぐ。「浅深」はあるいは浅くあるいは深く、まだらになっていることをいう。


安定城樓
迢逓高城百尺樓、綠楊枝外盡汀洲。
賈生年少虚垂涕、王粲春來更遠遊。
永憶江湖歸白髪、欲廻天地人扁舟。
不知腐鼠成滋味、猜意鴛雛竟未休。



燕臺詩四首 其二 夏#2 李商隠131 紀頌之の漢詩ブログ李商隠特集150- 130-#2

燕臺詩四首 其二 夏#2 李商隠131 紀頌之の漢詩ブログ李商隠特集150- 130-#2

燕臺詩(えんだいし) 四首 李商隠

棄てられた芸妓のこと、思いが伝わらない芸妓、そのやるせない思いは政治の中で正当に評価されなかったものとおなじなのだ。舞台は燕の国の王朝、実際には唐王朝の淫乱、頽廃、そして陰湿な讒言など、四季に分けて詠っている。恋歌とみせかけ、その裏にこっそりと王朝批判をしている。


其 二
前閣雨簾愁不巻、後堂芳樹陰陰見。
石城景物類黄泉、夜半行郎空柘彈。」
綾扇喚風閶闔天、軽帷翠幕波淵旋。
蜀魂寂寞有伴未、幾夜瘴花開木棉。』-
#1
桂宮流影光難取、嫣薫蘭破軽軽語。
月の宮から月影は漏れるけれどその光に触れることはもうできない。あの楊貴妃のかぐわしい蘭は微笑み、ひそやかな言葉「七夕笑牽牛」(七夕に牽牛を笑う)とつぶやいたのだ。の宮から月影は漏れるけれどその光に触れることはもうできない。あの楊貴妃のかぐわしい蘭は微笑み、ひそやかな言葉をつむぎ出す。
直教銀漢堕懐中、未遣星妃鎭來去。」
牽牛と織姫の伝説はあるが、いっそのこと、自分の子の妃である織姫を銀河ごと自分の懐中に引き込ませた玄宗であった、そしてそのまま織女をなんにもなかったかのようにずっと引き留めておいたのだ。
濁水清波何異源、済河水清黄河渾。
濁流も清流もその源になんの違いがあるのか。それなのに済河の流れは清く黄河は濁っているというのだろう。
安得薄霧起緗裙、手接雲輧呼大君。』-
#2
どうすれば叶うのだろう、浅黄色の裳にうっすらと霞がおおっているなかに立つ人がいる、空翔る車に娘を差出し、親しく「太君」と呼びかけている。
右夏

巻、見。彈。/天、旋。棉。』/取、語。去。/源、渾。君。

其の二
前閣の雨簾 愁いて巻かず、後堂の芳樹 陰陰として見ゆ。
石城の景物 黄泉に類し、夜半の行郎 空しく柘彈(しゃだん)す。
綾扇(りょうせん) 風を喚ぶ 閶闔(しょうこう)の天、軽帷(けいい) 翠幕(すいばく) 波 淵旋(えんせん)す。
蜀魂(しょくこん) 寂寞(せきばく)たり 伴有るや未だしや、幾夜か 瘴花(しょうか)を 木棉(もくめん)を開く。』

#2
桂宮 影を流すも光は取り難し、嫣薫(えんくん)として蘭は破る 軽軽たる語。
直 (ただ) 銀漢(ぎんかん)をして懐中に堕とさしめ、未だ星妃(せいひ)をして鎭(とわ)に来去(らいきょ)せしめず。
濁水(だくすい) 清波(せいは) 何ぞ源を異にするや、済河(せいか)は水清く 黄河は渾(にご)る。
安くんぞ得ん 薄霧(はくむ) 緗裙(しょうくん)に起こり、手ずから雲輧(うんべい)に接して太君と呼ぶを。
右夏

燕臺詩四首 其二 夏#2 現代語訳と訳註
(本文)

桂宮流影光難取、嫣薫蘭破軽軽語。
直教銀漢堕懐中、未遣星妃鎭來去。」
濁水清波何異源、済河水清黄河渾。
安得薄霧起緗裙、手接雲輧呼大君。』-#2
右夏

(下し文) #2
桂宮 影を流すも光は取り難し、嫣薫(えんくん)として蘭は破る 軽軽たる語。
直 (ただ) 銀漢(ぎんかん)をして懐中に堕とさしめ、未だ星妃(せいひ)をして鎭(とわ)に来去(らいきょ)せしめず。
濁水(だくすい) 清波(せいは) 何ぞ源を異にするや、済河(せいか)は水清く 黄河は渾(にご)る。
安くんぞ得ん 薄霧(はくむ) 緗裙(しょうくん)に起こり、手ずから雲輧(うんべい)に接して太君と呼ぶを。


(現代語訳) (桂宮は玄宗と楊貴妃の宮殿、 梧桐の葉のもとで)
月の宮から月影は漏れるけれどその光に触れることはもうできない。あの楊貴妃のかぐわしい蘭は微笑み、ひそやかな言葉「七夕笑牽牛」(七夕に牽牛を笑う)とつぶやいたのだ。牽牛と織姫の伝説はあるが、いっそのこと、自分の子の妃である織姫を銀河ごと自分の懐中に引き込ませた玄宗であった、そしてそのまま織女をなんにもなかったかのようにずっと引き留めておいたのだ。
濁流も清流もその源になんの違いがあるのか。それなのに済河の流れは清く黄河は濁っているというのだろう。
どうすれば叶うのだろう、浅黄色の裳にうっすらと霞がおおっているなかに立つ人がいる、空翔る車に娘を差出し、親しく「太君」と呼びかけている。



(訳注)#2
桂宮流影光難取、嫣薫蘭破軽軽語。

月の宮から月影は漏れるけれどその光に触れることはもうできない。あの楊貴妃のかぐわしい蘭は微笑み、ひそやかな言葉「七夕笑牽牛」(七夕に牽牛を笑う)とつぶやいたのだ。
桂宮 月の中には桂の木があると伝えられることから月の宮をいう。梧桐の葉に棲む鳳凰のつがい。玄宗と楊貴妃。○嫣薫 色あざやなに香高イランのような女性が微笑む。 嫣:にっこりほほえむ。色あざやかなさま。美女の笑うさま。薫り高い蘭の花が開くのと女性がにっこりほほえみながら口を開くのとを重ねる。楊貴妃を言う。「七夕笑牽牛」李商隠『馬嵬』馬嵬二首(絶句) 李商隠 :kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ李商隠特集 50


直教銀漢堕懐中、未遣星妃鎭來去。」
牽牛と織姫の伝説はあるが、いっそのこと、自分の子の妃である織姫を銀河ごと自分の懐中に引き込ませた玄宗であった、そしてそのまま織女をなんにもなかったかのようにずっと引き留めておいたのだ。
銀漢 天の川。○星妃 織女。○ 常に、永遠に。二句は天の川を懐中に入れることによって織女を自分のもとに引き留めておきたいの意。

濁水清波何異源、済河水清黄河渾。
濁流も清流もその源になんの違いがあるのか。なのに済河の流れは清く黄河は濁っているというのだろう。
済河水清 済水と黄河は古代の四溝(四つの大河)に数えられる。済水は清く黄河は濁っていたとされる。『戦国策』燕策に「斉に清済と濁河有り」。済水は河南省済源県に発して東流し、海に流れ込んでいたが、のちに黄河と重なって、今では一部がのこるのみ。済水(さいすい)は、中国河南省済源市区西北に源を発している。済源市の名称はまさにここからきている。俗称は大清河。済水は、古来はほかの大河と交わらず海に流れており、江水(長江)、河水(黄河)、淮水(淮河)とともに「華夏四瀆」と称された。済水の水源地は、済源市の済瀆廟(さいとくびょう)。黄河が流れを変えた為、今日の黄河下流は当時の済水の河道である。済水の流れは済源市を発し済南市で黄河に交わる。
現在の黄河と渭水の合流点でも清濁、はっきりしている。どちらにしても王朝内の清濁は儒教者の精に対して、淫乱、頽廃の宮廷は濁水ということである。


安得薄霧起緗裙、手接雲輧呼太君。』
どうすれば叶うのだろう、浅黄色の裳にうっすらと霞がおおっているなかに立つ人がいる、空翔る車に娘を差出し、親しく「太君」と呼びかけている。
緗裙 浅黄色の絹でこしらえた裳。○雲輧 雲輧はとばりで囲った女性の乗る車。仙女にみたてるので「雲」の語を冠する。○太君 高級官僚の妻の称号であるが、ここでは仙女の意味で用いる。楊貴妃は女道士「太真」と呼ばれてその後「貴妃」となった。
縑緗 書物の表装に使う薄い絹。また、書物・書籍。
「天宝十五載六月十四日、近衛兵は禍の根は楊貴妃にあると、憤怒していっせいに馬を駐め、楊貴妃がくびり殺されるまで、もはや前に進もうとはしなかった。かつて七夕の宵、高楼によりそいつつ、玄宗と場景妃は、一年に一度しか織女にあえぬ牽牛の運命を笑い、瀬世夫婦となって共に住もうと誓い合ったのだったが。」
右 夏のうた

○詩型 七言古詩。
○押韻 巻、見。彈。/天、旋。棉。』/取、語。去。/源、渾。君。



鸞鳳 現代語訳と訳註 解説
(本文)
舊鏡鸞何處、衰桐鳳不棲。
金銭饒孔雀、錦段落山雞。
王子調清管、天人降紫泥。
豈無雲路分、相望不應迷。

舊鏡鸞何處、衰桐鳳不棲。
古い曇った鏡がある、そこに姿を映して鳴き続けていた鸞はどこへ行ったのだろうか。枯れ衰えた桐には、もう鳳凰が棲みつくことなどありはしないのだ。
○舊鏡鸞何處 ・鸞という鳥は鐘に映った自分の姿を見て絶命するまで鳴き続ける。

陳後宮 李商隠:kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ李商隠特集 53
○衰桐鳳不棲 鳳凰は梧桐の木に棲むとされる。『詩経』大雅・巻阿に「鳳凰鳴けり、彼の高岡に。梧桐生ぜり、彼の朝陽に」。その鄭玄の箋に「鳳凰の性は、梧桐に非ざれは棲まず。竹の実に非ざれは食わず」。
・梧桐 こどう 立秋の日に初めて葉を落とす。大きな葉を一閒一枚落としてゆく青桐は凋落を象徴するもの。特に井戸の辺の梧桐は砧聲と共に秋の詩には欠かせない。李煜「采桑子其二」李煜「烏夜啼」温庭筠「更漏子」李白「贈舎人弟台卿江南之」李賀「十二月楽詞」などおおくある。玄宗と楊貴妃を喩える場合もある。


牡丹 
錦幃初巻衛夫人、繍被猶堆越鄂君。
垂手亂翻雕玉佩、折腰争舞鬱金裙。
石家蝋燭何曾剪、筍令香櫨可待薫。
我是夢中傳彩筆、欲書花片寄朝雲。

牡丹 李商隠22七言律詩


馬嵬二首 李商隠
馬嵬 絶句
冀馬燕犀動地来、自埋紅粉自成灰。
君王若道能傾国、玉輦何由過馬嵬。

馬嵬
海外徒聞更九州、他生未卜此生休。
空間虎旅鳴宵拆、無復鶏人報暁籌。
此日六軍同駐馬、當時七夕笑牽牛。
如何四紀為天子、不及慮家有莫愁。
唐というこの九州よりなる大世界の外に、神仙世界の九州さらにあると玄宗は道教の修験者から聞いていた。だがそれは聞いただけのこと、次の未来生のどこで生れかわるかわからいままに、ここで人生は終わってしまった。
落ち伸びたこの馬蒐の地で兵士たちに迫られて、来世をともに誓った愛妃をうしない、王車守衛の兵士のならす宵の拍子木をも、むなしく一人で聞かねはならなかった。朝になっても、逃げ延びる最中でのことゆえ鶏をかたどった朱の冠をかむり寝所にまで夜明けの時を知らせる守衛の者もいなかった。
この日、天宝十五載六月十四日、近衛兵は禍の根は楊貴妃にあると、憤怒していっせいに馬を駐め、楊貴妃がくびり殺されるまで、もはや前に進もうとはしなかった。かつて七夕の宵、高楼によりそいつつ、玄宗と場景妃は、一年に一度しか織女にあえぬ牽牛の運命を笑い、瀬世夫婦となって共に住もうと誓い合ったのだったが。
四紀、凡そ五十年にわたる年月の間、天子として九州に君臨しておりながら、どうしたことか、洛陽の富家、盧姓の者が、「十五にして嫁し十六にして子を産んだ。」と古い歌謡にも歌われる、その名もめでたき莫愁なる美女を迎え入れて過したその幸福さに及ばないのは。

馬嵬二首(絶句) 李商隠 :kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ李商隠特集 50

燕臺詩四首 其二 夏#1 李商隠130 紀頌之の漢詩ブログ李商隠特集150- 130-#1

燕臺詩四首 其二 夏#1 李商隠130 紀頌之の漢詩ブログ李商隠特集150- 130-#1

燕臺詩(えんだいし) 四首 李商隠


棄てられた芸妓のこと、思いが伝わらない芸妓、そのやるせない思いは政治の中で正当に評価されなかったものとおなじなのだ。舞台は燕の国の王朝、実際には唐王朝の淫乱、頽廃、そして陰湿な讒言など、四季に分けて詠っている。恋歌とみせかけ、その裏にこっそりと王朝批判をしている。



其 二
前閣雨簾愁不巻、後堂芳樹陰陰見。
向こう側に楼閣がある雨は簾となって鬱々と降り注ぎやむことがない、その後方の奥の離れ座敷には芳しい木々の陰湿でくらい影が映っている。
石城景物類黄泉、夜半行郎空柘彈。」
ここ石城を舞台にして数々の悲劇がおこされた、その風景は黄泉の国なのだ、そんなところに深夜になっても遊客の一人はせっかく打ったはじきが空しくおわっている。
綾扇喚風閶闔天、軽帷翠幕波淵旋。
あや絹の扇は「天下を治めるところ」というおつげの風を呼びおこしている閶闔門は天界の門となる、奥の座敷では軽やかなとばり、翡翠のとばりの中に淵が波を打っている大皿が回っている。
蜀魂寂寞有伴未、幾夜瘴花開木棉。』-#1

蜀の望帝の春を思う心は、血を吐いて悲しげになく杜鵑に魂を托し、そんな血を吐きながら啼く思いにお供をする者がおりはしない。幾晩も、南国の地から来た花は木綿の実をひらかせたのだ。
桂宮流影光難取、嫣薫蘭破軽軽語。
直教銀漢堕懐中、未遣星妃鎭來去。」
濁水清波何異源、済河水清黄河渾。
安得薄霧起緗裙、手接雲輧呼大君。』-#2
右夏

巻、見。彈。/天、旋。棉。』/取、語。去。/源、渾。君。

其の二
前閣の雨簾 愁(うれい)て巻かず、後堂の芳樹 陰陰として 見 ゆ。
石城の景物 黄泉に類し、夜半の行郎 空しく柘彈(しゃだん)す。
綾扇(りょうせん) 風を喚(よぶ) 閶闔(しょうこう)の天、軽帷(けいい) 翠幕(すいばく) 波 淵旋(えんせん)す。
蜀魂(しょくこん) 寂寞(せきばく)たり 伴有るや未だしや、幾夜か 瘴花(しょうか)を 木棉(もくめん)を開く。』
#2
桂宮 影を流すも光は取り難し、嫣薫として蘭は破る 軽軽たる語。
直だ銀漢をして懐中に堕(おと)さしめ、未だ星妃をして鎭に来去せしめず。
濁水 清波 何ぞ源を異にするや、済河は水清く 黄河は渾る。
安くんぞ得ん 薄霧 緗裙に起こり、手ずから雲輧に接して太君と呼ぶを。
右夏


燕臺詩四首 其二-#1 現代語訳と訳註
(本文)其二-#1

前閣雨簾愁不巻、後堂芳樹陰陰見。
石城景物類黄泉、夜半行郎空柘彈。」
綾扇喚風閶闔天、軽帷翠幕波淵旋。
蜀魂寂寞有伴未、幾夜瘴花開木棉。』
 
(下し文)
前閣の雨簾 愁(うれい)て巻かず、後堂の芳樹 陰陰として 見 ゆ。
石城の景物 黄泉に類し、夜半の行郎 空しく柘彈(しゃだん)す。
綾扇(りょうせん) 風を喚(よぶ) 閶闔(しょうこう)の天、軽帷(けいい) 翠幕(すいばく) 波 淵旋(えんせん)す。
蜀魂(しょくこん) 寂寞(せきばく)たり 伴有るや未だしや、幾夜か 瘴花(しょうか)を 木棉(もくめん)を開く。』

(現代語訳)
向こう側に楼閣がある雨は簾となって鬱々と降り注ぎやむことがない、その後方の奥の離れ座敷には芳しい木々の陰湿でくらい影が映っている。
ここ石城を舞台にして数々の悲劇がおこされた、その風景は黄泉の国なのだ、そんなところに深夜になっても遊客の一人はせっかく打ったはじきが空しくおわっている。
あや絹の扇は「天下を治めるところ」というおつげの風を呼びおこしている閶闔門は天界の門となる、奥の座敷では軽やかなとばり、翡翠のとばりの中に淵が波を打っている大皿が回っている。
蜀の望帝の春を思う心は、血を吐いて悲しげになく杜鵑に魂を托し、そんな血を吐きながら啼く思いにお供をする者がおりはしない。幾晩も、南国の地から来た花は木綿の実をひらかせたのだ。


(訳注)其 二 夏
前閣雨簾愁不巻、後堂芳樹陰陰見。
向こう側に楼閣がある雨は簾となって鬱々と降り注ぎやむことがない、その後方の奥の離れ座敷には芳しい木々の陰湿でくらい影が映っている。
前閣右 向こう側にある雨の降り込める様子を簾にたとえ、簾にたとえたので雨が降り続くのを巻き上げないと比喩する。○陰陰 薄暗い様子。

南 朝   李商隠
地險悠悠天險長、金陵王気應瑤光。
休誇此地分天下、只得徐妃半面粧。

景陽井
景陽宮井剰堪悲、不盡龍鸞誓死期。
腸断呉王宮外水、濁泥猶得葬西施。


陳後宮   李商隠
茂苑城如畫、閶門瓦欲流。
還依水光殿、更起月華棲。
侵夜鸞開鏡、迎冬雉獻裘。
従臣皆牛酔、天子正無愁。


石城景物類黄泉、夜半行郎空柘彈。」
石城を舞台にして数々の悲劇がおこされた、その風景は黄泉の国なのだ、そんなところに深夜になっても遊客の一人はせっかく打ったはじきが空しくおわっている。
石城 南京郊外の200年頃孫権によって作られた石頭城。石城の意味は、それから150年後の六朝の莫愁にかかわるもの。ここでは。
無名氏の楽府「莫愁楽」其一
莫愁在何処。莫愁は何処にありや。
莫愁石城西。莫愁は石城の西にあり。
艇子打両槳、艇子、両槳(りょうしょう)を打して、
催送莫愁来。莫愁を催送して来たれ。

其二
聞勧下揚州、勧(きみ)が揚州に下ると聞きて、
相送楚山頭。相送る 楚山の頭(ほとり)。
探手抱腰看、手を探りて腰を抱き看よ、
江水断不流。江水、断じて流れず。


李商隠『無題』
重帷深下莫愁堂、臥後清宵細細長。
紳女生涯原是夢、小姑居処本無郎。
風波不信菱枝弱、月露誰敦桂葉香。
直道相思了無益、未妨啁悵是清狂。


莫愁 古くから楽府に歌われる郢州(湖北省)石城の美女の名であるが、李商隠は梁の武帝蕭衍(464-549)の楽府によると蘆氏に嫁いだ洛陽の女児のこと。○黄泉 死者の住む地底の世界。○行郎 行人、遊客。石城の莫愁と対になる男。妓女をまっている。○柘彈 柘(ヤマグワ)の枝で作ったはじき。


綾扇喚風閶闔天、軽帷翠幕波淵旋。
あや絹の扇は「天下を治めるところ」というおつげの風を呼びおこしている閶闔門は天界の門となる、奥の座敷では軽やかなとばり、翡翠のとばりの中に淵が波を打っている大皿が回っている。
綾扇 あやぎぬの扇。夏に結びつく物。○閶闔 天界の門。閶闔門は蘇州城(呉城)の西北門で、「閶闔門」(しょうこうもん)が正式の名。この門は運河を舟で来た人が蘇州に入る場合の正門で、城楼から城内を見わたすと、眼下に蘇州一の賑やかな街並みが見下ろせる。門外は渡津になっており、運河を航行してきた舟がひしめき合って停泊する。呉の都の門。陳後宮 李商隠:kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ李商隠特集 53
河内詩二首其二(湖中) 抜粋
閶門日下呉歌遠、陂路淥菱香満満。
後渓暗起鯉魚風、船旗閃断芙蓉幹。』

河内詩二首 李商隠 紀頌之の漢詩ブログ李商隠特集150- 126
李商隠はこの語を使用するのに展開との辛味で使っていない。商売で交通する船、遊郭に入っていく船を意味する場合に使っている。○軽帷翠幕 李商隠「無題』「重帷深下莫愁堂」と囲って出られない重いとばりでなく軽いとばり、「帷」も「幕」も布の仕切りで暖簾、幔幕。「帷」はベッドの周囲に、「幕」は部屋の周囲に垂らす。○波淵 大皿の淵が波を打っているもの李商隠はイメージを作るための道具、比喩として用いる。


蜀魂寂寞有伴未、幾夜瘴花開木棉。』
蜀の望帝の春を思う心は、血を吐いて悲しげになく杜鵑に魂を托し、そんな血を吐きながら啼く思いにお供をする者がおりはしない。幾晩も、南国の地から来た花は木綿の実をひらかせたのだ。
蜀魂 蜀の望帝の化身である「啼いて血を吐く杜鵑。」「李商隠1錦瑟」詩注参照。
錦瑟無端五十弦、一弦一柱思華年。
莊生曉夢迷蝴蝶、望帝春心托杜鵑。
滄海月明珠有涙、藍田日暖玉生煙。
此情可待成追憶、只是當時已惘然。

古代中国・蜀の望帝が、臣下の妻に恋して、その為に亡びた時、 ほととぎすが啼いたので人々は ほととぎすを蜀帝の魂の化した 鳥として、こう記す。○瘴花 熱帯の花。瘴は瘴癘、南方熱帯の地に満ちる気。○木綿 花が咲き実できその身が割れると真っ白な素肌が出てくる。

燕臺詩四首 其一 春#2 李商隠129 紀頌之の漢詩ブログ李商隠特集150- 128-#2

燕臺詩四首 其一 春#2 李商隠129 紀頌之の漢詩ブログ李商隠特集150- 128-#2
燕臺詩(えんだいし) 四首 李商隠

棄てられた芸妓のこと、思いが伝わらない芸妓、そのやるせない思いは政治の中で正当に評価されなかったものとおなじなのだ。舞台は燕の国の王朝、実際には唐王朝の淫乱、頽廃、そして陰湿な讒言など、四季に分けて詠っている。恋歌とみせかけ、その裏にこっそりと王朝批判をしている。


燕臺詩四首 其一
春#1
風光冉冉東西陌,幾日嬌魂尋不得。
蜜房羽客類芳心,冶葉倡條遍相識。』
暖藹輝遲桃樹西,高鬟立共桃鬟齊。
雄龍雌鳳杳何許?絮亂絲繁天亦迷。』

#2
醉起微陽若初曙,映簾夢斷聞殘語。
浅い酔いから醒めれば、残照が暁のやわらかい光のようである、御簾に映しているその光に夢と現実がいりまじるようだが、夢のなかでの会話の名残が耳にのこっている。
愁將鐵網罥珊瑚,海闊天寬迷處所。』
愁いがある。鉄の網を海に沈めて珊瑚を取るようにつれてゆかれたのだ。それを海にひろくさせ、大空をも 果てしなく拡がらせた、それを掻い潜るにはどこに居たらいいのか惑うこの身なのだ。
衣帶無情有寬窄,春煙自碧秋霜白。
着物と帯、一対のものだが同じものではない。情けがある場合とない場合、色恋に情けはいらないのか。 ゆるやかと窮屈、自由な恋なのか、囲われて窮屈な色恋なのか。春には霞というけれど、春いつも霞があるわけではない。でも春になるとおのずと緑に包まれる。秋には秋霜があり、おのずと白いのだ。
研丹擘石天不知,願得天牢鎖冤魄。』
丹砂は磨いてさらに赤くするものであり、石はくだいても壁になるべきもの、これが自然界の法則であるのに、天は知らぬことというのだろうか。もし望みがかなうというなら、天牢の星に、かき集められた生娘の魂、多くの無実の罪で死んだ人の魂、不当に評価された人の魂、迷える魂を閉じこめてもらいたいものだ。
夾羅委篋單綃起,香肌冷襯琤琤珮。
袷の衣を箱に収める、かき集められた美女は単衣の着物のように取りかえた、香しき肌が少し汗ばんで単衣のうす絹がぴったりと張り付く、そして凧玉の音がじゃらじゃらと音を立てている。
今日東風自不勝,化作幽光入西海。』

今日の春の風というものは、自分のこころの中から生まれた色恋に勝るものはない、化身してかすかな光を頼りに西王母のいる仙界に入るのだ。


陌,得。識。/西,齊。迷。/曙,語。所。/窄,白。魄。/珮。海。

燕台詩四首 其の一
風光 冉冉(ぜんぜん)たり東西の陌、幾日か嬌魂(きょうこん) 尋ぬるも得ず。
蜜房の羽客 芳心に類し、冶葉(やよう) 倡条 偏く相い識る。』
暖藹(だんあい)輝遅(きち)たり 桃樹の西、高鬟 立ちて桃髪と斉し。
雄龍 雌鳳 杏として何許ぞ、絮は乱れ糸は繁く 天も亦た迷う。』

#2
酔いより起きれば 微陽 初めて曙くるが若く、簾に映じて夢断たれ残語を聞く。
愁いて鉄網を将って珊瑚に胃くるも、海は開く天は寛く処所に迷う
衣帯は情無く寛窄有り、春煙は自ら碧く秋霜は白し。
丹を研き石を撃くも天は知らず、願わくは天牢の冤晩を鎖すを得ん。
爽羅 笹に委ねて単純起く、香肌 冷やかに破く 尊嘩たる珮。
今日 東風 自ら勝(まさ)らず、化して幽光と作り西海に人らん。
右春


燕台詩四首 其の一 #2 現代語訳と訳註
(本文) 春#2

醉起微陽若初曙,映簾夢斷聞殘語。
愁將鐵網罥珊瑚,海闊天寬迷處所。』
衣帶無情有寬窄,春煙自碧秋霜白。
研丹擘石天不知,願得天牢鎖冤魄。』
夾羅委篋單綃起,香肌冷襯琤琤珮。
今日東風自不勝,化作幽光入西海。』

(下し文)
酔いより起きれば 微陽 初めて曙くるが若く、簾に映じて夢断たれ残語を聞く。
愁いて鉄網を将って珊瑚に胃くるも、海は開く天は寛く処所に迷う
衣帯は情無く寛窄有り、春煙は自ら碧く秋霜は白し。
丹を研き石を撃くも天は知らず、願わくは天牢の冤晩を鎖すを得ん。
爽羅 笹に委ねて単純起く、香肌 冷やかに破く 尊嘩たる珮。
今日 東風 自ら勝えず、化して幽光と作り西海に人らん。
右春

 (現代語訳)
#1 春の景色のなか、芽を吹くものすべて柔らかでしな垂れているのであり、都の東西の道には流転、蓬飄が満ちている。来る日も来る日も生娘の魂もたずねても得られないのだ。
蜜房にいる人、神仙となって空を飛ぶ人、身分の違いあれ春の芳心はある。艶めかしい葉、か細い枝を示している、それぞれのことを互いに何もかも知っている。
のどかな春の日、柔らかなかすみに包まれた暮れなずむ桃樹林の西は金色にかわる、輪のかたちに結いあげた桃型の髪、桃型髪の様な桃花、共に立っている。
雄の龍、雌の鳳、結ばれない筈の二人は今どこにいったのか。柳架が乱れ飛び、遊糸が浮かぶ春の空、ここの世界は乱れていて、天もどうなっているのか迷ってしまう。


#2
浅い酔いから醒めれば、残照が暁のやわらかい光のようである、御簾に映しているその光に夢と現実がいりまじるようだが、夢のなかでの会話の名残が耳にのこっている。
愁いがある。鉄の網を海に沈めて珊瑚を取るようにつれてゆかれたのだ。それを海にひろくさせ、大空をも 果てしなく拡がらせた、それを掻い潜るにはどこに居たらいいのか惑うこの身なのだ。
着物と帯、一対のものだが同じものではない。情けがある場合とない場合、色恋に情けはいらないのか。 ゆるやかと窮屈、自由な恋なのか、囲われて窮屈な色恋なのか。春には霞というけれど、春いつも霞があるわけではない。でも春になるとおのずと緑に包まれる。秋には秋霜があり、おのずと白いのだ。
丹砂は磨いてさらに赤くするものであり、石はくだいても壁になるべきもの、これが自然界の法則であるのに、天は知らぬことというのだろうか。もし望みがかなうというなら、天牢の星に、かき集められた生娘の魂、多くの無実の罪で死んだ人の魂、不当に評価された人の魂、迷える魂を閉じこめてもらいたいものだ。
袷の衣を箱に収める、かき集められた美女は単衣の着物のように取りかえた、香しき肌が少し汗ばんで単衣のうす絹がぴったりと張り付く、そして凧玉の音がじゃらじゃらと音を立てている。
今日の春の風というものは、自分のこころの中から生まれた色恋に勝るものはない、化身してかすかな光を頼りに西王母のいる仙界に入るのだ。


(訳注)
燕台詩四首 #2
醉起微陽若初曙,映簾夢斷聞殘語。
浅い酔いから醒めれば、残照が暁のやわらかい光のようである、御簾に映しているその光に夢と現実がいりまじるようだが、夢のなかでの会話の名残が耳にのこっている。
微陽 眠りから覚め、薄い日の光。朝なのか、夕暮れなのかわからないのでこのような表現になる。官僚として出発したての頃が夢のようだったということを連想させる。このイメージは下句につながる。


愁將鐵網罥珊瑚,海闊天寬迷處所。』
愁いがある。鉄の網を海に沈めて珊瑚を取るようにつれてゆかれたのだ。それを海にひろくさせ、大空をも 果てしなく拡がらせた、それを掻い潜るにはどこに居たらいいのか惑うこの身なのだ。
愁将 鐵網 ・ わなをかけてとる。珊瑚は鉄の網を海中に沈め、それに着床させて引き上げたという。美女狩りも網の目のように張り巡らし、見つけたものに褒美を取らせた。李商隠 13 「恋の無題詩」碧城三首


衣帶無情有寬窄,春煙自碧秋霜白。
着物と帯、一対のものだが同じものではない。情けがある場合とない場合、色恋に情けはいらないのか。 ゆるやかと窮屈、自由な恋なのか、囲われて窮屈な色恋なのか。春には霞というけれど、春いつも霞があるわけではない。でも春になるとおのずと緑に包まれる。秋には秋霜があり、おのずと白いのだ。
衣帯 着物と帯、一対のものだが同じではない。○無情 情けがある場合とない場合。色恋に情けはいらないのか。 ○寛窄 ゆるやかと窮屈。自由な恋なのか、囲われて窮屈な色恋なのか。○春煙 春霞。○自碧 春になるとおのずと緑に包まれる。○秋霜白 秋霜はおのずと白い。


研丹擘石天不知,願得天牢鎖冤魄。』
丹砂は磨いてさらに赤くするものであり、石はくだいても壁になるべきもの、これが自然界の法則であるのに、天は知らぬことというのだろうか。もし望みがかなうというなら、天牢の星に、多くの無実の罪で死んだ人の魂、不当に評価された人の魂、迷える魂を閉じこめてもらいたいものだ。
研丹擘石 丹砂は磨いてさらに赤くするものであり、石はくだいても壁になるべきもの。・:丹砂、・:巌。 『呂氏春秋』誠廉に「石は破るべきなるも、堅を奪うべからず。丹は磨くべきなるも、赤を奪うべからず」とあるのにもとづく。○天牢鎖冤魄 古代中国には、「太陽星」「太陰星」「先天五行星」「九宫星」「黄道十二守護星」「南斗七星」「北斗七星」「二十八宿群星」「天罡三十六星」「地煞七十二星」「三百六十五大周天星斗」および十万八千の副星によって天(宇宙)が形成されている、という考えがあった。それぞれの星に神がいて名前を持っている、とされており、当然「天罡三十六星」「地煞七十二星」にも名前がある。天罡星のひとつに天牢星がある。『晋書』天文志に「天牢六星は北斗の魁(星の名)の下に在り、貴人の牢なり」。・冤塊は本来無実の罪で死んだ人の魂。非業の死を遂げた者の魂。張飛は配下の武将の手によって業半ばで殺された、また、全戦全勝の武将であるのに身分差別に不当な仕打ちを受けたことが李商隠と重なる。死んだのちに劉備に報いた話もある。
李商隠 無 題
萬里風波一葉舟、憶歸初罷更夷猶。
碧江地没元相引、黄鶴沙邊亦少留。
益徳冤魂終報主、阿童高義鎮横秋。
人生豈得長無謂、懐古思郷共白頭。
無題(萬里風波一葉舟)  李商隠 紀頌之の漢詩ブログ李商隠特集150- 125参照


夾羅委篋單綃起,香肌冷襯琤琤珮。
袷の衣を箱に収める、かき集められた美女は単衣の着物のように取りかえた、香しき肌が少し汗ばんで単衣のうす絹がぴったりと張り付く、そして凧玉の音がじゃらじゃらと音を立てている。
爽羅 うすぎぬのあわせ。○委篋 大切なものを入れておく箱に見捨てること。この語は新しい女性の手をつけ、囲いものの女を部屋に閉じこめることを意味する。○単綿 絹のひとえ。春から夏へ移行する時期をいうように女性をあしらっているさま。○香肌冷襯 香しき肌が少し汗ばんで単衣のうす絹がぴったりと張り付くさま。襯は肌にぴったりくっつく。○琤琤珮 琤琤は玉の触れ合う音。珮は腰に帯びる玉。性交をしめす。


今日東風自不勝,化作幽光入西海。』
今日の春の風というものは、自分のこころの中から生まれた色恋に勝るものはない、化身してかすかな光を頼りに西王母のいる仙界に入るのだ。
西海 西の果てに海がある。古来中国では四方の行き着くところ海とされていた。ここでは西王母の仙界をいう。

右 春のうた


○詩型 七言古詩。
○押韻 陌,得。識。/西,齊。迷。/曙,語。所。/窄,白。魄。/珮。海。

河内詩二首其二(湖中) 李商隠 紀頌之の漢詩ブログ李商隠特集150- 127

河内詩二首其二(湖中) 李商隠 紀頌之の漢詩ブログ李商隠特集150- 127


この詩は、捨てられた芸妓のやるせなさを詠う、その裏に、843~844年天子に反旗を翻した劉稹、この詩では「淥菱」により連想される を詠っている。その有力潘鎮の叛乱に対し、討伐軍を率いて平定した英雄が出身身分が低いために正当な評価を受けなかったのだ。それが石雄である。地方の低い武官から身を起こしたものだった。この詩を恋歌とだけで理解しようと思うとまったくわけのわからない詩となってしまう。


其二
閶門日下呉歌遠、陂路淥菱香満満。
蘇州の閶闔門出て舟は進む、日はおちかかってきた、呉の国の民謡の詩が遠く変え阿聞こえてくる。歌声の先には女が土手に植わる縁菱をつみとっている、あたりにその香りは満ちあふれている。
後渓暗起鯉魚風、船旗閃断芙蓉幹。』
はるか向こうの渓谷からはそっと鯉魚の風のように反旗をたてものがいる、船の旗がはためきせん光が走った枯れた芙蓉の葉のように揺れ、枯れた茎が折れるように王朝は揺れたのだ。』
傾身奉君畏身軽、雙橈兩漿樽酒清。
わが全身全霊を捧げて天子にお仕えするには、その身が低かったである。一組の橈、一対の漿櫓、そして清らかなお酒のようにこの地を鎮めた。
莫因風雨罷團扇、此曲断腸唯北聲。』
秋の冷たい風雨がおさまるように叛乱、謀反を一人の副将軍配によってもたらされたがそれによる論功がなされない。この「愁扇」の曲、身を切るほど切ないのは、まさに北の副将の声なのだ。』
低樓小徑城南道、猶自金鞍封芳草。』
そんな出来事がありながら、小さな楼から小路をたどって城南の道に来てみたら、そこには今も遊び呆けている貴族らの黄金の鞍をつけた馬が、芳草を食んでいました。』
右一曲 湖中

この詩は、舟に乗っておきに出て詠ったものである。


其の二
閶門 日下り 呉歌遠し、陂路の縁菱 香り満満。
後渓暗に起つ 鯉魚の風、船旗閃断す 芙蓉の幹。』
身を傾けて君に奉ずるも 身の軽き を 畏る、雙橈 両漿 樽酒清し。
風雨にて団扇を罷くることに因る莫かれ、此の曲 断腸するは 唯 北声。』
低楼 小径 城南の道、猶に自(より) 金鞍 芳草に対す。』

右一曲 湖中


河内詩二首其二(湖中) 現代語訳と訳註
(本文) 其二

閶門日下呉歌遠、陂路淥菱香満満。
後渓暗起鯉魚風、船旗閃断芙蓉幹。』
傾身奉君畏身軽、雙橈兩漿樽酒清。
莫因風雨罷團扇、此曲断腸唯北聲。』
低樓小徑城南道、猶自金鞍封芳草。』


遠、満。幹。/軽、清。聲。』/道、草。


(下し文) 其の二
閶門 日下り 呉歌遠し、陂路の縁菱 香り満満。
後渓暗に起つ 鯉魚の風、船旗閃断す 芙蓉の幹。』
身を傾けて君に奉ずるも 身の軽き を 畏る、雙橈 両漿 樽酒清し。
風雨にて団扇を罷くることに因る莫かれ、此の曲 断腸するは 唯 北声。』
低楼 小径 城南の道、猶に自(より) 金鞍 芳草に対す。』
右一曲 湖中


(現代語訳)
蘇州の閶闔門出て舟は進む、日はおちかかってきた、呉の国の民謡の詩が遠く変え阿聞こえてくる。歌声の先には女が土手に植わる縁菱をつみとっている、あたりにその香りは満ちあふれている。
はるか向こうの渓谷からはそっと鯉魚の風のように反旗をたてものがいる、船の旗がはためきせん光が走った枯れた芙蓉の葉のように揺れ、枯れた茎が折れるように王朝は揺れたのだ。』
わが全身全霊を捧げて天子にお仕えするには、その身が低かったである。一組の橈、一対の漿櫓、そして清らかなお酒のようにこの地を鎮めた。
秋の冷たい風雨がおさまるように叛乱、謀反を一人の副将軍配によってもたらされたがそれによる論功がなされない。この「愁扇」の曲、身を切るほど切ないのは、まさに北の副将の声なのだ。』
そんな出来事がありながら、小さな楼から小路をたどって城南の道に来てみたら、そこには今も遊び呆けている貴族らの黄金の鞍をつけた馬が、芳草を食んでいました。』
この詩は、舟に乗っておきに出て詠ったものである。


(訳注)
閶門日下呉歌遠、陂路淥菱香満満。
蘇州の閶闔門出て舟は進む、日はおちかかってきた、呉の国の民謡の詩が遠く変え阿聞こえてくる。歌声の先には女が土手に植わる縁菱をつみとっている、あたりにその香りは満ちあふれている。
閶門 閶門は蘇州城(呉城)の西北門で、「閶闔門」(しょうこうもん)が正式の名。この門は運河を舟で来た人が蘇州に入る場合の正門で、城楼から城内を見わたすと、眼下に蘇州一の賑やかな街並みが見下ろせる。門外は渡津になっており、運河を航行してきた舟がひしめき合って停泊する。呉の都の門陳後宮 李商隠:kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ李商隠特集 53詩参照。○日下 太陽が沈みかけてきたことしめす。 ○呉歌 南朝の時、長江下流地域でうたわれた民間歌謡。長江中流域の西曲と並んで恋の歌が多いがこの頃は、夫を徴兵で送り出した妻たちの哀調の詩であったが、蘇州という地では、商人の夫が旅立った時の詩である。○陂路 堤の上の道。○緑菱 菱は江南の地の歌謡に菱摘みをうたう情歌が多い。上の句の呉歌がかかってくる。天子に反旗を立てた潘鎮の劉稹を連想させる。○香満満 菱の香りがいっぱいにあふれる。摘み取っているので、その香が充満している。
 
後渓暗起鯉魚風、船旗閃断芙蓉幹。』
はるか向こうの渓谷からはそっと鯉魚の風のように反旗をたてものがいる、船の旗がはためきせん光が走った枯れた芙蓉の葉のように揺れ、枯れた茎が折れるように王朝は揺れたのだ。』
鯉魚風 九月の風を指す。李賀「江楼曲」に「楼前流水 江陵の道、鯉魚の風起こりて芙蓉老ゆ」。○船旗閃断 蓮の葉が風に揺れる。強大で有力藩鎭の劉稹の反旗を示す。王朝に激震が走ったが、だれも制圧できなかった。


傾身奉君畏身軽、雙橈兩漿樽酒清。
わが全身全霊を捧げて天子にお仕えするには、その身が低かったである。一組の橈、一対の漿櫓、そして清らかなお酒のようにこの地を鎮めた。
傾身 全身全霊をかたむける。○身軽 身分が低いことをいう。石雄は地方の低い武官から身を起こし、叛乱を平定している。○雙橈兩漿 橈も漿も舟を漕ぐ道具。討伐軍を整え、平定したことを示す。


莫因風雨罷團扇、此曲断腸唯北聲。』
秋の冷たい風雨がおさまるように叛乱、謀反を一人の副将軍配によってもたらされたがそれによる論功がなされない。この「愁扇」の曲、身を切るほど切ないのは、まさに北の副将の声なのだ。』
団扇 軍配。○此曲 秋の扇をうたった「怨歌行」を指す。○北声 李商隠「漫成五章 其四 李商隠 紀頌之の漢詩ブログ李商隠特集150- 107」この詩の題材 石雄は唐王朝を救った英雄なのに代北偏師でしかなかった。貴族社会であり、門閥社会であったため、出身身分が低かったため正当な評価をされなかった。


低樓小徑城南道、猶自金鞍封芳草。』
そんな出来事がありながら、小さな楼から小路をたどって城南の道に来てみたら、そこには今も遊び呆けている貴族らの黄金の鞍をつけた馬が、芳草を食んでいました。』
金鞍 戦となったらなんにもできないが豪華な鞍をつけている。女遊びは超一流の貴族たち、馬だけが芳草を食んでいることによって、富貴の男の女遊びを連想させる。「無題(鳳尾香羅薄幾重) 李商隠 20」詩にも「斑騅只繋垂楊岸」(斑騅は只繋ぐ 垂楊の岸)という。
 
右一曲 湖中
この詩は、舟に乗っておきに出て詠ったものである。


(解説)
○詩型 七言古詩。
○押韻 遠、満。幹。/軽、清。聲。』/道、草。



「楼上曲は仙界の女を慕う男」を装った、王朝、宦官による皇帝毒殺事件をうたい。「湖中曲は貴顕の男に棄てられた女、男女双方の立場から恋の苦しさを歌行のかたちを借りてうたうこと」を装い、出身身分の低い英雄が正当な評価を得られなかったことを詠うものだ。

 どちらも腐りきった唐王朝を批判するもので、自分のみを投じてやる価値も何もないということ、貴族門閥社会の問題点を指摘している。晩唐期には宦官の勢いは凄まじいものがあったということなのだ。

無題(何處哀筝随急管) 李商隠21

無題(何處哀筝随急管) 李商隠21
七言古詩

 李商隠は実際に見たことを詩にしているのではなく舞台を設定しその中で物語を作っているのである。この詩は訳注、解釈本に書かれていない大前提がある。それは、始まりの舞台は遊郭の通路である。笛の音は男女の性交の際の声である。「東家老女」の身になってこの詩が書かれているのではない「清明暖後」若い男女のもつれあいを垣根越しに見てしまったこと。ということである。
 これを前提にして読むと、難解であったことのなぞがすべて解けてすべて理解できる。

無題
何處哀筝随急管、櫻花永巷垂楊岸。
何処からなのだろう、高く哀しい琴の音が急テンポの笛の音に和して、挑むように響いてくる。それは桜桃の花咲く娼屋の路地の奥、川岸のしだれ柳が新緑に萌えるところである。
東家老女嫁不售、白日當天三月半。
そこの娼屋には今日はお客がついていない女がいる。季節は春、太陽が中空に白く輝く三月の半ばです。
溧陽公主年十四、清明暖後同牆看。
昔、梁の簡文帝の公主は、十四の年にもとめられて侯景に嫁し、清明の節句の後のような若い男女の仲睦まじいことをしたと同じことを、かきねごしに見てしまった。
蹄來展轉到五更、梁間燕子聞長嘆。

その春画のような様子を見たために、その夜は興奮して、夜明けの鐘が鳴るまで、ねがえりばかりして眠れません。やるせない溜息は、梁に夫婦で巣くっている燕だけが聞いている。


何処からなのだろう、高く哀しい琴の音が急テンポの笛の音に和して、挑むように響いてくる。それは桜桃の花咲く娼屋の路地の奥、川岸のしだれ柳が新緑に萌えるところである。
そこの娼屋には今日はお客がついていない女がいる。季節は春、太陽が中空に白く輝く三月の半ばです。
昔、梁の簡文帝の公主は、十四の年にもとめられて侯景に嫁し、清明の節句の後のような若い男女の仲睦まじいことをしたと同じことを、かきねごしに見てしまった。
その春画のような様子を見たために、その夜は興奮して、夜明けの鐘が鳴るまで、ねがえりばかりして眠れません。やるせない溜息は、梁に夫婦で巣くっている燕だけが聞いている。

無題
何の處か哀筝を急管に随う、櫻花の永巷 垂楊の岸。
東家の老女 嫁せんとして售れず、白日 天に當たる三月の半。
溧陽公主 年十四、清明暖後に牆を同じくして看る。
蹄來 展轉して五更に到る、梁間の燕子 長嘆を聞く。


何處哀筝随急管、櫻花永巷垂楊岸。
何処からなのだろう、高く哀しい琴の音が急テンポの笛の音に和して、挑むように響いてくる。それは桜桃の花咲く娼屋の路地の奥、川岸のしだれ柳が新緑に萌えるところである。
 絃楽器、琴の類。哀は音階の高いこと。○急管 急テンポの笛の声 ○桜花 日本のサクラでなく桜桃の花である。○永巷 ふつう後宮の罪を犯した宮女を幽閉すことをいうが、ここは市中の長い路地で幽閉されたと同じように住んでいることを指す。娼婦のいる奥まった路地裏。○ この柳は女性の肢体をあらわす。男性は柳。


東家老女嫁不售、白日當天三月半。
そこの娼屋には今日はお客がついていない女がいる。季節は春、太陽が中空に白く輝く三月の半ばです。
東家 楚の宋玉の登徒子好色の賦に「臣が里の美しき者は、臣が東家の子に若くはなし。」とある。ここから美人のたとえを”東家之子”又は”東家之女”と。美女を称して”東隣”とした事例に唐の李白「自古有秀色、西施与東隣」(古来より秀でた容姿端麗美人、西施と東隣)白居易「感情」のもある ○老女 婚期をのがして嫁き遅れの女性。いかず後家。○ うる。うれる。おこなう。流行。仲人がいない場合は、無である。客がついていないという意味。


溧陽公主年十四、清明暖後同牆看。
昔、梁の簡文帝の公主は、十四の年にもとめられて侯景に嫁し、清明の節句の後のような若い男女の仲睦まじいことをしたと同じことを、かきねごしに見てしまった。
溧陽公主 梁の簡文帝蕭網(503-551年)のむすめ。美人だった。当時の有力な将軍であり、後に謀叛する侯景(?-551年)に求められて嫁いだ。昔、梁の簡文帝の公主は、十四のとしにもとめられて侯景に嫁し、清明の節句の後のある晴れた日に自分達が皇帝と皇后ででもあるかのように、帝が遊宴に行った隙に、帝座に肩を並べて坐っていた ○清明 二十四節気の一つ。春分後十五日、陽暦の四月五・六日に当る。桜など草木の花が咲き始め、万物に清朗の気が溢れて来る頃。毎年4月4~5日頃。天文学的には、天球上の黄経15度の点を太陽が通過する瞬間。黄道十二宮では白羊宮(おひつじ座)の15度。
清明の期間の七十二候は以下の通り。
 初候 玄鳥至(げんちょう いたる) : 燕が南からやって来る(日本) 桐始華(きり はじめて はなさく) : 桐の花が咲き始める(中国) 次候 鴻雁北(こうがん きたす) : 雁が北へ渡って行く(日本) 田鼠化為鴽(でんそ けして うずらと なる) : 熊鼠が鶉になる(中国) 末候 虹始見(にじ はじめて あらわる) : 雨の後に虹が出始める(日本・中国)○同牆看 牆はかきね。太宝元年(550年)の三月に、簡文帝蕭綱が楽遊苑にあそび、宮殿に帰って来てみると、侯景と溧陽公主が、皇帝の座に坐っていた、という「梁書」に見える話をふまえた表現である。


蹄來展轉到五更、梁間燕子聞長嘆。
その春画のような様子を見たために、その夜は興奮して、夜明けの鐘が鳴るまで、ねがえりばかりして眠れません。やるせない溜息は、梁に夫婦で巣くっている燕だけが聞いている。
展転 ねがえりをうつと。〇五更 午前四時。○燕子 つばめ。常に雌雄あいともなって巣くうことがきかしになっている。○長嘆 売れ残りの娼婦はいらないといって帰りがけに見てしまった光景、眠れぬ夜を過ごしてしまった。ということでの長い溜息。


万物に清朗の気が溢れて来る頃、どうにもできないもどかしさを持つ男の身になってそのやるせなさを詠っている。婚期を逸して、器楽に悲しみをまざらす老女よりもせつない男の苦渋を述べている。
それでも「東家老女」ではなく、「年十四」の女性が良いという男心を詠ったものである。


記事検索