漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩 中唐詩人選集【Ⅰ李商隠-150】Ⅱ韓退之(韓愈)-500Ⅶ孟郊(東野)賈島張籍柳宗元韋応物

Ⅰ李商隠は難解詩といわれている。約150首紹介済。(晩唐詩人) Ⅱ韓退之(韓愈)-約500首Ⅶ孟郊、中唐の詩人を掲載中。万物の性(さが)をテーマにした哲学的な詩。このブログは基本的に中唐詩人を中心にして掲載する予定。 韓愈詩文のこれまでの掲載分とこれから掲載予定分を時系列で整理した2014.3.29のブログに集約してそこから各年次を見ることができる  kanbuniinkai 検索で、《漢文委員会HP05》サイトあります。漢詩唐詩を理解するための総合サイト:≪漢文委員会 漢詩07≫。

懐古詩

少し、マニアックな晩唐詩人Ⅰ-李商隠150首をまず掲載済み。中唐は盛唐詩人(孟浩然・王維、杜甫、李白)を受け継いだ多様な詩人が出ている。この時代も驚くほど詩が発展している。Ⅱ韓退之(韓愈)500首、Ⅲ柳宗元40首、Ⅳ韋応物、Ⅴ劉長卿、Ⅵ韋荘、Ⅶ孟郊(孟東野)、Ⅷ張籍、Ⅸ賈島、Ⅹ劉禹錫、ほか2012~2020年の予定で気長に進める。同じ中唐ではあるが、白居易のグループについては、李白のブログ350首(2015/6月再開~2018/夏・秋月予定)の後掲載の予定。別に杜甫詩ブログ1500首(2011/7月~2018/8月の予定で)を進行中。詩数につぃては、予定の詩数より多くなる。気まぐれなところがあるのでこの予定が少し変わる場合があり、その節はご容赦ください。                 古詩・謝霊運詩 杜甫詩 韓愈詩 花間集500首全詩 それぞれ毎日ブログしています。 このブログ、索引=語句の「検索」 参考書以上掲載。漢詩力up。

嘲魯連子 韓愈(韓退之) <165>Ⅱ中唐詩771 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2839

嘲魯連子 韓愈 戦国齊の魯仲連は繊細にして聡明である。黄色の斑があるあの「はしたか」に似ているようである。戰國齊の田巴はせがたかくろうれんなおとこだったが、口が上手いことに自惚れていることにこの男の哀れさを感じさせる。

2013年8月16日  同じ日の紀頌之5つのブログ
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http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。  
李商隠詩 
http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150

 

 

嘲魯連子 韓愈(韓退之) <165>Ⅱ中唐詩771 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2839

 

 

詩題: 嘲魯連子 

卷別: 卷三四0  文體: 五言古詩 

作年: 元和十一年  816  49 

 

 

嘲魯連子

(魯仲連をあざける)

魯連細而黠,有似黃鷂子。 

戦国齊の魯仲連は繊細にして聡明である。黄色の斑があるあの「はしたか」に似ているようである。

田巴兀老蒼,憐汝矜爪觜。 

戰國齊の田巴はせがたかくろうれんなおとこだったが、口が上手いことに自惚れていることにこの男の哀れさを感じさせる。

開端要驚人,雄跨吾厭矣。 

発端になったことはまず人々を驚かせる必要があった子である。戦いにおいて形ばかりに勇ましく軍馬にまたがっているようなものは私は嫌いである。

高拱禪鴻聲,若輟一杯水。 

両手を合わせてたかくあげて拝礼して、大鳥の声が聞えて儀式をする、若し大樽一杯の水によって止めることになる。

獨稱唐虞賢,顧未知之耳。 

古代の唐虞三代はひとり賢帝としょうされた、東晉の虎頭将軍はいまだ誰の耳に聞こえしらないものはない。

 

魯連子を嘲る

魯連 細にして黠【かつ】なり,黃鷂子に似る有り。 

田巴 老蒼を兀くす,汝を憐れむ 爪觜を矜るを。 

開端は 人を驚かすを要す,雄跨は吾 厭なり。 

高く拱し鴻聲くを禪し,若し一杯水をもって輟まんとす。 

獨り唐虞の賢を稱し,顧 未た之の耳にするを知らざる。 

 

 

『嘲魯連子』 現代語訳と訳註

鷹将(本文)

魯連細而黠,有似黃鷂子。 

田巴兀老蒼,憐汝矜爪觜。 

開端要驚人,雄跨吾厭矣。 

高拱禪鴻聲,若輟一杯水。 

獨稱唐虞賢,顧未知之耳。 

 

詩文(含異文)

魯連細而黠【魯連細兒黠】,有似黃鷂子。

田巴兀老蒼,憐汝矜爪觜。

開端要驚人,雄跨吾厭矣。

高拱禪鴻聲,若輟一杯水【若啜一杯水】。

獨稱唐虞賢,顧未知之耳。

 

 

(下し文)

魯連子を嘲る

魯連 細にして黠【かつ】なり,黃鷂子に似る有り。 

田巴 老蒼を兀くす,汝を憐れむ 爪觜を矜るを。 

開端は 人を驚かすを要す,雄跨は吾 厭なり。 

高く拱し鴻聲くを禪し,若し一杯水をもって輟まんとす。 

獨り唐虞の賢を稱し,顧 未た之の耳にするを知らざる。 

 

 

(現代語訳)

(魯仲連をあざける)

戦国齊の魯仲連は繊細にして聡明である。黄色の斑があるあの「はしたか」に似ているようである。

戰國齊の田巴はせがたかくろうれんなおとこだったが、口が上手いことに自惚れていることにこの男の哀れさを感じさせる。

発端になったことはまず人々を驚かせる必要があった子である。戦いにおいて形ばかりに勇ましく軍馬にまたがっているようなものは私は嫌いである。

両手を合わせてたかくあげて拝礼して、大鳥の声が聞えて儀式をする、若し大樽一杯の水によって止めることになる。

古代の唐虞三代はひとり賢帝としょうされた、東晉の虎頭将軍はいまだ誰の耳に聞こえしらないものはない。

 

 

(訳注)

嘲魯連子

(魯仲連などをあざける)

魯仲連【ろちゅうれん】とは。中国、戦国時代の斉の雄弁家。高節を守って誰にも仕えず、諸国を遊歴した。生没年未詳。魯連。【案:齊田巴辯於徂丘,議於稷下,一日而服千人,有徐劫弟子曰魯連,年十二,謂劫曰:「臣願當田子,使不得復」魯連往見田,巴於是杜口易業,終身不談。】

 

 

魯連 而黠 ,有似 鷂子

戦国齊の魯仲連は繊細にして聡明である。黄色の斑があるあの「はしたか」に似ているようである。

魯連」魯連(戰國齊)。

細」繊細。

「黠」聰明。かんかつ【奸黠/姦黠】とは。意味や解説。[名・形動]悪賢いこと。また、そのさま。狡猾(こうかつ)

「黃」黃。皇帝のいろ。

「鷂子」飛禽、はしたか。

 

 

田巴 兀老蒼 ,憐汝 爪觜

戰國齊の田巴はせがたかくろうれんなおとこだったが、口が上手いことに自惚れていることにこの男の哀れさを感じさせる。

「田巴」田巴(戰國齊)。

「兀」 たかい。はげやま。無知。兀兀:地道に働くさま。たゆまず努め励むさま。

「老蒼」年をとって髪が白くなること。老練。

「矜」矜持。うぬぼれる。

「爪觜」言語動作において口才であること。

 

 

開端 驚人 ,雄跨 厭矣

発端になったことはまず人々を驚かせる必要があった子である。戦いにおいて形ばかりに勇ましく軍馬にまたがっているようなものは私は嫌いである。

「開端」発端,始まり

「雄跨」雄々しくまたがる

 

 

高拱 鴻聲 ,若輟 一杯

両手を合わせてたかくあげて拝礼して、大鳥の声が聞えて儀式をする、若し大樽一杯の水によって止めることになる。

「高拱」高。拱【こまね】く。両手を組む。両手を合わせて拝礼する。転じて、ある方向に向かう。

「禪」宗教稱謂、禪。1 天子が天を祭る儀式。「封禅(ほうぜん)2 天子が位を譲る。「禅譲/受禅」3 仏教で、雑念を払い、心を集中して悟りの境地を得ること。「禅定(ぜんじょう)/座禅・参禅・修禅

「鴻」(飛禽)、鴻。大鳥。

「輟」一般行為(其他部)、輟。やめる。

 

 

獨稱唐虞 ,顧未 知之 耳。

古代の唐虞三代はひとり賢帝としょうされた、東晉の虎頭将軍はいまだ誰の耳に聞こえしらないものはない。

「唐虞」中国の伝説上の聖天子である陶唐氏(尭(ぎょう))と有虞氏(舜(しゅん))を併せてよぶ名。また、その二人の治めた時代。とうぐさんだい【唐虞三代】尭と舜に、夏・殷(いん)・周の3代を加えた呼び名。

「顧」 愷之中国・東晋時代の画家。字は長康、またかつて虎頭将軍となったことから、顧虎頭とも称する。

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武侯廟古栢 李商隠 :紀頌之の漢詩ブログ李商隠特集 67 諸葛亮(2)

武侯廟古栢 李商隠 :紀頌之の漢詩ブログ李商隠特集 67 諸葛亮(2)
853年大中7年42歳 梓州
この詩は、杜甫の詩にイメージを完全に借りているが、李商隠の諸葛亮に関する評価は少し違っている。

武侯廟古栢
蜀相階前栢、龍蛇捧閟宮。
蜀の丞相諸葛亮の廟、そのあがり框の前に柏が植えられている、あたかも龍蛇のように幹をくねらせ、閟宮を守っている。
陰成外江畔、老向惠陵東。
成都を囲む江水のほとりに影をなす茂みがある、老いていまなお先主劉備の恵陵東に忠誠をあらわしている。
大樹思馮異、甘棠憶召公。
大樹は将軍馮異の武勲を思わせ、甘棠の詩はその治世に慕われた召公を憶わせる。
葉彫湘燕雨、枝折海鵬風。
葉は枯れ、湘江の石燕も風雨に撃たれた。枝は折れ、海鵬も大風に打たれてしまった。
玉壘經綸遠、金刀歴敷終。
志は蜀にそびえる玉塁山ほどに遠大であった、しかし、漢王朝の天の定めた帝王の順序はすでに尽きていたのだ。
誰将出師表、一爲問昭融。

ああ誰か、出師の表をもって、忠誠の念の結晶で歴数が変わるのか、天の意思を問うてはどうだろうか。


蜀の丞相諸葛亮の廟、そのあがり框の前に柏が植えられている、あたかも龍蛇のように幹をくねらせ、閟宮を守っている。
成都を囲む江水のほとりに影をなす茂みがある、老いていまなお先主劉備の恵陵東に忠誠をあらわしている。
大樹は将軍馮異の武勲を思わせ、甘棠の詩はその治世に慕われた召公を憶わせる。
葉は枯れ、湘江の石燕も風雨に撃たれた。枝は折れ、海鵬も大風に打たれてしまった。
志は蜀にそびえる玉塁山ほどに遠大であった、しかし、漢王朝の天の定めた帝王の順序はすでに尽きていたのだ。
ああ誰か、出師の表をもって、忠誠の念の結晶で歴数が変わるのか、天の意思を問うてはどうだろうか。


武侯廟の古柏
蜀相 階前の柏、龍蛇 閟宮(ひきゅう)を捧ずる。
陰は成る 外江の畔、老いて向かう 恵陵の東。
大樹 馮異(ふうい)を思い、甘棠(かんどう) 召公を憶う。
葉は彫(しぼむ) 湘燕の雨、枝は折れる 海鵬の風。
玉塁 経綸(けいりん)遠く、金刀 歴数終る。
誰か出師の表を将って、ひとたび為に昭融に問わん。



武侯廟古栢
武侯廟 三国鼎立の蜀の諸葛亮(諡を忠武侯という)を祀った成郡の廟。廟の前には諸葛亮手植えと伝えられる二本の柏の大木があった。○古柏 杜甫のよく知られた七言律詩「蜀相」760年上元元年49歳 
丞相祠堂何處尋,錦官城外柏森森。
映堦碧草自春色,隔葉黄鸝空好音。
三顧頻煩天下計,兩朝開濟老臣心。
出師未捷身先死,長使英雄涙滿襟。

にも「丞相の両堂 何処にか尋ねん、錦官城外 柏森森たり」と書き起こされ、廟のシンボルであったことがわかる。この杜甫の詩の約100年後のことだ。



蜀相階前栢、龍蛇捧閟宮。
蜀の丞相諸葛亮の廟、そのあがり框の前に柏が植えられている、あたかも龍蛇のように幹をくねらせ、閟宮を守っている。
閟宮 みたまや。「閟」は閉ざすの意。杜甫が夔州の劉備・諸葛亮の廟をうたった「古柏行」のなかに成都の廟を思い出して「憶う昨 路は操る錦亭の東、先主(劉備)・武侯同に閟宮」というように、成都の閟宮には劉備と諸葛亮がともに祀られていた。(次の句の説明参照)



陰成外江畔、老向惠陵東。
成都を囲む江水のほとりに影をなす茂みがある、老いていまなお先主劉備の恵陵東に忠誠をあらわしている。
外江 蜀の地を流れる長江の支流のうち、ふつうは綿陽から重慶に至る涪江を内江、成都から宜賓を経る岷江を外江と呼ぶが、成都に即して錦江を内江、郫江を外江と呼ぶ。ここでは成都の城外を流れる郫江を指す。○恵陵 劉備の陵墓。先主廟は中央室に先主、西室に諸葛武侯、東室に後主を祀ったもの。杜甫「登樓」参照。



大樹思馮異、甘棠憶召公。
大樹は将軍馮異の武勲を思わせ、甘棠の詩はその治世に慕われた召公を憶わせる。
馮異 後漢の建国に頁献した武将。功を誇らず、ほかの将が手柄話に興ずるとひとり樹下に退いていたので「大樹将軍」と呼ばれた(『後漢書』馮異伝)。武将としての諸葛亮が大功をあげながら誇らないのをたとえる。○甘棠憶召公 「召公」は召伯のこと。『詩経』召南に、召伯の徳を人々が慕い、ゆかりのある甘棠の木をうたった「甘棠」の詩がある。宣王の時の召穆公虎を指す。二句は詩題の「古柏」に掛けて樹木にまつわる二つの故事を引き、諸葛亮の武将として(「大樹」)、賢臣として(「甘棠」)の功績を讃える。



葉彫湘燕雨、枝折海鵬風。
葉は枯れ、湘江の石燕も風雨に撃たれた。枝は折れ、海鵬も大風に打たれてしまった。
湘燕雨 湘江のほとり、零陵(湖南省零陵県)には、風雨に遭うと燕のように飛び、雨が止むと石になる「石燕」というものがあると、『芸文類緊』巻九二などが引く『湘中記』に見える。○海鵬風 『荘子』遁遥遊篇の冒頭、北冥(北の海)の鯤という巨大な魚は鵬という鳥に変化し、風に乗って南冥に翔るという話にもとづく。



玉壘經綸遠、金刀歴敷終。
志は蜀にそびえる玉塁山ほどに遠大であった、しかし、漢王朝の天の定めた帝王の順序はすでに尽きていたのだ。
玉壘 山の名。四川省理県の東南にある。○経論 天下国家を治め人民をすく方策。李白「梁甫吟」○金刀 卯金刀の略。卯、金、刀の三字を合成すると漢王朝の姓、劉の字になることから、漢王朝を指す。漢王朝を正統に継承していると称していた。○歴数 天の定めた帝王の順序。

 

誰将出師表、一爲問昭融。
ああ誰か、出師の表をもって、忠誠の念の結晶で歴数が変わるのか、天の意思を問うてはどうだろうか。
出師表 諸葛亮が魏を攻撃するに際して蜀の後主劉禅に奉った上表文。忠誠の念の結晶とされる。『文選』巻三七。○昭融 天を指す。杜甫「哥舒開府翰に投贈す二十韻」詩に「策行なわれて戦伐を遺し、契り合して昭融を動かす」。


○詩型 五言排律。○押韻 宮・東・公・凰・終・融。


この詩のように治世と軍事に秀でた英雄を取り上げた詩もあるが、諸葛亮については、杜甫は成都と夔州、

籌筆驛 紀頌之の漢詩李商隠特集 66 諸葛亮(1)
において、4首、今回3首あげたように、いずれの廟にも詣でて、時世を救う人物の欠如を詠っている。
李商隠の場合はいっそう諸葛亮の忠誠心についてたたえつつ、それだけでは国は救えないと重心を移している。いずれにしても、古人を詠じながらそこに唐王朝の行く末を憂いている点については杜甫詩のイメージ通りである。。



古柏行  杜甫
夔州の諸葛武侯の廟にある古柏についてよんだうた。
大暦元年の作。
孔明廟前有老柏,柯如青銅根如石。霜皮溜雨四十圍,
黛色參天二千尺。君臣已與時際會,樹木猶為人愛惜。
雲來氣接巫峽長,月出寒通雪山白。』憶昨路繞錦亭東,
先主武侯同閟宮。崔嵬枝幹郊原古,窈窕丹青戶牖空。
落落盤踞雖得地,冥冥孤高多烈風。扶持自是神明力,
正直原因造化功。』大廈如傾要梁棟,萬牛回首丘山重。
不露文章世已驚,未辭翦伐誰能送。苦心豈免容螻蟻,
香葉終經宿鸞鳳。志士幽人莫怨嗟,古來材大難為用。』
(古柏行)
孔明が廟前に老柏有り、何は青銅の如く根は石の如し。霜皮雨を溜す四十囲、黛色天に参す二千尺。君臣巳に時の与に際会す、樹木猶お人に愛惜せらる。雲来たって気は巫暁の長きに接、月出でて寒は雪山の白きに通ず。』
憶う昨路 繞めぐる錦亭の東、先主 武侯 同じく閟宮ひきゅう。崔嵬さいかいとして枝幹に郊原古りたり、
窈窕ようちょうとして丹青に戸牖こゆう空し。落落 盤踞ばんきょするは地を得たりと経も、冥冥 孤高なるは 烈風多し。扶持自ずから是れ神明の力、正直 元と因る造化の功。』
大廈たいか如もし傾いて梁棟を要せば、万牛首を廻らして丘山重からん。文章を露さざれども世己に驚く、未だ翦伐を辞せざるも誰か能く送らん。苦心豈に免れんや螻蟻ろうぎを容るるを、香葉曾て経たり鸞鳳を宿せしめしを。』



登樓
成都の城楼にのぼって見る所と感ずる所とをのべた。広徳二年春の作。
花近高樓傷客心,萬方多難此登臨。
錦江春色來天地,玉壘浮雲變古今。
北極朝廷終不改,西山寇盜莫相侵。
可憐後主還祠廟,日暮聊為梁甫吟。
(楼に登る)
花高楼に近うして客心を傷ましむ、万方多難此に登臨す
錦江の春色天地より来たり、玉塁の浮雲古今変ず
北極の朝廷は終に改まらず、西山の山寇相侵すこと莫れ
憐れむ可し後主還た祠廟、日暮聊か梁父の吟を為す

籌筆驛 李商隠  :紀頌之の漢詩ブログ李商隠特集 66 諸葛亮(1)

籌筆駅 李商隠 :紀頌之の漢詩ブログ李商隠特集 66 諸葛亮(1)
856年 長安 李商隠45歳。

この詩では杜甫と違い諸葛亮を教条主義者とみていたようだ。後世の我々から見ると李商隠の分析力が勝っているように見える。それは詩の題が廟でなく軍隊を鼓舞したその場所にしていること、且つ、諸葛亮の最大の弱点、後継者を育てていないこと、を見事に指摘している。


籌筆驛
魚鳥猶疑畏簡書、風雲長爲護儲胥。
ここに来るとほり池の魚や垣柵にとまる鳥さえ、まだ孔明の軍規律を恐れているように見える。風雲はながくとおりすぎたが、今なお昔の木柵と竹槍で作る陣地の守備垣を護ろうとしているかのようだ。
徒令上将揮神筆、終見降王走傳車。
上将である諸葛孔明が出兵に際し、神筆をふるって書いた出師の表は、ただただどこから見ても群を抜いた出来栄えのいいものだった。しかし、折角の名文も書いた孔明の死後、それを守らず、ついに魏の軍門に下った、玉輦ではないただの駅馬車で洛陽へ送られたのである。
管楽有才終不忝、関張無命欲何如。
孔明は春秋戦国時代の賢相良将である管仲と楽毅の才腕をそなえていて、永遠にその名をはずかしめないものであった。孔明のもとで動かせ、力を合わせるたらよかったのは、かの名将軍、関羽や張飛であるが、いかんせん、関羽は敵に、張飛は部下に殺されていた。
他年錦里經祠廟、梁甫吟成恨有餘。

いつになるかわからないが、成都、錦里の地には、劉備の廟、諸葛亮の廟を経る。そこで好んで誦したという梁甫の梁父吟を私も吟じたなら、尽きせぬ無念さは有り余っているだろう。



ここに来るとほり池の魚や垣柵にとまる鳥さえ、まだ孔明の軍規律を恐れているように見える。風雲はながくとおりすぎたが、今なお昔の木柵と竹槍で作る陣地の守備垣を護ろうとしているかのようだ。
上将である諸葛孔明が出兵に際し、神筆をふるって書いた出師の表は、ただただどこから見ても群を抜いた出来栄えのいいものだった。しかし、折角の名文も書いた孔明の死後、それを守らず、ついに魏の軍門に下った、玉輦ではないただの駅馬車で洛陽へ送られたのである。
孔明は春秋戦国時代の賢相良将である管仲と楽毅の才腕をそなえていて、永遠にその名をはずかしめないものであった。孔明のもとで動かせ、力を合わせるたらよかったのは、かの名将軍、関羽や張飛であるが、いかんせん、関羽は敵に、張飛は部下に殺されていた。
いつになるかわからないが、成都、錦里の地には、劉備の廟、諸葛亮の廟を経る。そこで好んで誦したという梁甫の梁父吟を私も吟じたなら、尽きせぬ無念さは有り余っているだろう。



籌筆駅
魚鳥 猶お疑う 簡書を畏るるかと、風雲 長く為に儲胥(ちょしょ)を護る。
徒らに上将をして神筆を揮わ令め、終に降王の伝車を走らすを見る。
管 楽 才有りて 終に忝(はず)かしめず、関 張 命無し 何如せんと欲す。
他年 錦里に祠廟(しびょう)を経ば、梁甫吟成って 恨余有らん。



籌筆駅
籌筆駅 四川省広元県北方にある地名。三世紀、三国鼎立時代、蜀の宰相諸葛亮(181-234)字名孔明が討魏の軍を率いて出陣する時、常にこの地に駐屯して作戦をねったと伝えられる。詩は文武兼備の才あれど天の利なかった諸葛亮の事蹟を哀傷する。「三体詩」にもとられている。なお、李商隠が杜甫の影響を強く
受けていることは、既に宋代から指摘されているがはたしてそうなのか。




魚鳥猶疑畏簡書、風雲長爲護儲胥。
ここに来るとほり池の魚や垣柵にとまる鳥さえ、まだ孔明の軍規律を恐れているように見える。風雲はながくとおりすぎたが、今なお昔の木柵と竹槍で作る陣地の守備垣を護ろうとしているかのようだ。
畏簡書 簡書は軍中のおきてのかきつけ。「詩経」小雅出車に「豈、帰るを懐わざらんや、此の簡書を畏れる。」とみえる。軍の規律の厳しいことをいう。○儲胥 木柵と竹槍で作る陣地の守備がき。漢の揚雄(紀元前54-紀元18年)の長楊の賦に「木もて擁し槍もて塁す、以て儲胥と為す。」とある。




徒令上将揮神筆、終見降王走傳車。
上将である諸葛孔明が出兵に際し、神筆をふるって書いた出師の表は、ただただどこから見ても群を抜いた出来栄えのいいものだった。しかし、折角の名文も書いた孔明の死後、それを守らず、ついに魏の軍門に下った、玉輦ではないただの駅馬車で洛陽へ送られたのである。
上将 総司令官。諸葛亮を指す。○揮神筆 はなはだ秀れた文字、あるいは文章を書くということ。ここは彼が建興五年(227年)の出兵に際してたてまつった上奏文「出師の表」を指す。それは、三国時代の代表的な名上奏文として有名で、梁の昭明太子の「文選」にも採られている。○降王走傳車 降王は降伏した亡国の王、蜀の後主劉禅(207―271年)をさす。詣葛亮の在世中はその輔佐によって帝位を保ったが、亮の死(234年)後、景耀六年(263年)魏の将軍鄧艾(197-264年)の軍門に降った。伝車とは、駅伝の馬車のこと。劉禅は降伏後、そうした馬車で洛陽へおくられた。


管楽有才終不忝、関張無命欲何如。
孔明は春秋戦国時代の賢相良将である管仲と楽毅の才腕をそなえていて、永遠にその名をはずかしめないものであった。孔明のもとで動かせ、力を合わせるたらよかったのは、かの名将軍、関羽や張飛であるが、いかんせん、関羽は敵に、張飛は部下に殺されていた。
管楽 管は春秋時代の斉国の賢相、管仲あざな夷考。楽は戦国時代の燕国の卿の楽毅のこと。管仲は桓公をたすけて覇業をなした。管仲は内政改革し、物価安定策、斉の地理を利用した塩・漁業による利益などによって農民・漁民層の生活を安定させた。楽毅は軍略にすれ、斉と戦って七十余城をくだした。晋の陳寿の「三国志一諸葛売伝によると、彼は若い頃、自分の才能を管仲や楽毅に比較して誇っていたという。○関張 局の名将軍関羽と張飛のこと。関羽は建安二十四年(二一九年)に死し、張飛は先主劉備の章武元年(二二一年)に死んだ。二人とも諸葛亮が活躍する以前に他界していた。


他年錦里經祠廟、梁甫吟成恨有餘。
いつになるかわからないが、成都、錦里の地には、劉備の廟、諸葛亮の廟を経る。そこで好んで誦したという梁甫の梁父吟を私も吟じたなら、尽きせぬ無念さは有り余っているだろう。
(その歌をうたいおわった時にも、なおその痛切なおもいはその歌をこえて溢れるであろう。)
他年 今年以外は、過去未来に拘らず他年である。いつになるかわからないが。○錦里 蜀の都、錦城とよばれ、四川省成都の地名。○祠廟 やしろ。覇王劉備の廟は錦里にあり、その西に諸葛亮の廟もあった。晋の常壌「華陽国志」その他の地志にのせる。○染甫 梁甫は泰山の傍にある山名である。○吟成 梁甫吟は山東地方の民謡。諸葛亮ははじめ、河南省南陽の都県に住んでいた。父の玄の死後、亮はみずから隴畝に耕し、好んで梁父吟を作ったと「三国志」の伝にある。既成のメロディに合わせて歌詞を作ったのである。「王者徳有りて功成らば、則ち東に泰山に封ず。泰山は以て時の君に喩え、梁父は以て小人に喩う。」とあるから、諸葛亮が梁父吟を作ったのだろうという。
晋の伏深の「三斉略記」ある梁父吟
「歩して斉の東門を出で、造かに蕩陰の里を望む。里中に三つの墳有り、塁々として正に相い似たり。借問す、誰が家の塚ぞ、田強・古冶子なり。力は能く南山を耕やし、文は能く地紀を絶す。一朝に讒言を被り、二桃にて三士を殺す。誰か能く此の謀を為すや、国相たる斉の妟子。」


 


杜甫における諸葛亮四首

 蜀相      (成都)
丞相祠堂何處尋,錦官城外柏森森。
映堦碧草自春色,隔葉黄鸝空好音。
三顧頻煩天下計,兩朝開濟老臣心。
出師未捷身先死,長使英雄涙滿襟。

蜀相
丞相の 祠堂  何處にか 尋ねん,
錦官城外  柏 森森たり。
堦に 映ずる 碧草は  自ら 春色にして,
葉を 隔つる 黄  空しく 好音。
三顧 頻煩なり  天下の 計,
兩朝 開濟す  老臣の 心。
出師 未(いま)だ 捷(か)たざるに身先(ま)づ 死し,
長(とこし)へに 英雄をして  涙 襟に 滿たしむ。


② 武侯廟(菱州)
遺廟丹青落,空山草木長。
猶聞辭後主,不復臥南陽。

(武侯の廟)
遺廟丹青落ち 空山草木長し
猶お聞くがごとし後主を辞するを 復た南陽に臥せず


③ 諸葛廟(菱州)
久游巴子國,屢入武侯祠。竹日斜虛寢,溪風滿薄帷。
君臣當共濟,賢聖亦同時。翊戴歸先主,併吞更出師。
蟲蛇穿畫壁,巫覡醉蛛絲。欻憶吟梁父,躬耕也未遲。

(諸葛廟)
久しく遊ぶ巴子の国 屡々入る武侯の祠
竹目虚寝に斜めに 渓風薄唯に満つ
君臣共済に当たる 賢聖亦た時を同じくす
切戴先主に帰す 并呑更に師を出す
虫蛇画壁を穿つ 巫碗蛛糸に綴〔酔〕う
放ち憶う梁父を吟ぜしを 窮耕するも也た未だ遅からず


④ 詠懷古跡 五首其五 諸葛廟 杜甫(菱州)
諸葛大名垂宇宙,宗臣遺像肅清高。
三分割據紆籌策,萬古雲霄一羽毛。
伯仲之間見伊呂,指揮若定失蕭曹。
福移漢祚難恢復,志決身殲軍務勞。

諸葛が大名宇宙に垂る、宗臣の遺像粛として清高
三分割拠筆策を紆らす、万古雲背の一羽毛
伯仲の間に伊呂を見る、指揮若し定まらば蒲曹を失せん
運移りて漢詐終に復し難く、志 決するも身は繊く軍務の労に
この第五首は諸葛廟について孔明の事に感じてよんだものである。

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