中唐詩-274 酔後 Ⅱ韓退之(韓愈) 紀頌之の漢詩ブログ 韓愈特集-30
次の皇帝が新たに聖明の徳を継承され、国のすみずみまで日ごとに教化が流れている。私はただこの傷を源ぎたいと思うばかりで、そうしたら官界から永久に去って農業に従事したい。嵩山を切りひらいて山小屋を建て、頴水の岸辺に風を受ける高殿をそびえ立たせよう。土地いっぱいに稲や麦をまき、家の周囲にぐるりと梨や菜の樹を植えよう。子供たちもだんだん大きくなれば、穀物を荒らす雀や鼠をおどして追いはらうのには役だつだろう。こうしてお上の租税はきちんと納め、時には地酒を作って、飲みに来いと村人たちに誘いをかけよう。心のどかに老農の愚直さを愛し、家に帰ってからはがんぜない娘をあやして楽しもう。今となってほ望むところはこれだけだ。息子の嫁とり、娘の嫁入りがすむのを待つ必要がどこにあろうか。
「県斎」とは県令の官舎内にある書斎のことである。ただし官舎といっても、県庁の建物といっしょになっていることが多い。つまり表は県庁で、裏は官舎なのである。県斎も、県令が読書をしたりするプライベートな部屋なのだが、そこを執務室のようにして使うことがある。このあたりの公私の区別は、あまりはっきりしない。恵は流罪になったのだが、形式上は陽山県令の辞令をもらっているので、陽山という片田舎の範囲内では、県令としてふるまうことができる。
この詩のなかの言葉から見れば、このときの韓愈は新帝順宗の即位をすでに知っていた。即位の儀式が挙行されれば、慣例として大赦が行なわれる。そこで恵も、大赦の恩典に浴して青天白日の身となり、そのかわりに官界から引退して農耕に余生を送ろうと哀訴しているのである。のちにもう一度述べるが、愈は順宗の側近ににらまれたのがこのたびの流罪の原田となったのではないかという疑念を抱いていた。だがこの際、そんなことを問題にしてはいられない。ひたすら哀訴嘆願するはかりであった。
即位期間 786-804 徳宗 (韓愈 19歳―37歳)
〃 805-805 順宗 (〃 38歳 )
〃 806-820 憲宗 (〃 39歳―53歳)
もっとも、順宗は皇太子から帝位にはついたものの、このときすでに四十五歳。しかも、どういう病気にかかったのか、前年からものが言えなくなっていた。政策はほとんど順宗側近の王伾・王叔文らによって決定されていたが、それが革新的な政策だったために、問題が大きくなった。徳宗の治政は長く続いたので、さまざまな弊害が法令または慣習として定着している。それを改めるために、新たに帝位についた皇帝を利用しようとしたのは当然であるが、新帝が病気では、それを利用して政治の壟断をほかるものという声が起こるのもやむを得ない。改革によって利権を失った保守派は、この点から革新派を攻撃する。
結局、その年の八月に順宗は退位し、皇太子だった憲宗が即位した。順宗の治政は半年強しか続かなかったわけで、革新派は全面的な敗北に終わったのである。王佐は流罪、王叔文は流罪ののち自殺を命ずるという処分を受けた。また改元が行なわれ、貞元二十一年を永貞元年と呼ぶことになった。
酔後
煌煌東方星、奈此衆客酔。
今、きらきらと東の空に希望の龍の星が輝いているというのに、この客たちは何を考えているのだろう、この酔いぶりはどうしようもない。
初喧或忿爭、中静雜嘲戯。
始めは大声をだし、騒がしくて喧嘩をする者もあるが、中ごろは静かになってきた、女をからかう者も戯言をするものが出てくるのだ。
淋漓身上衣、蘇倒筆下字。
一生懸命で上着のからだにつけている着物はびっしょりぬれている、本来なら筆を持つ手がスラスラ行くはずなのに、字が傾いてうまく書けないのだ。
人生如此少、酒購且勤置。
人生にはこんなに酔ってしまうことはめったにないことでここだからできるというものだ。酒も安いことだ、できる限りこの場をそのままにしておこう。
(酔後)
煌煌【こうこう】たり東方の星、此の衆客の酔えるを奈【いかん】せん。
初めは喧【かまびす】しくて或いは忿争し、中ごろは静かにして嘲戯を雑う。
淋漓たり身上の衣、顚倒す筆下の字。
人生 此の如きこと少なり、酒は賎【やす】し、且【しばら】く勤めて置け。
現代語訳と訳註
(本文) 酔後
煌煌東方星、奈此衆客酔。
初喧或忿爭、中静雜嘲戯。
淋漓身上衣、顚倒筆下字。
人生如此少、酒購且勤置。
(下し文) (酔後)
煌煌【こうこう】たり東方の星、此の衆客の酔えるを奈【いかん】せん。
初めは喧【かまびす】しくて或いは忿争し、中ごろは静かにして嘲戯を雑う。
淋漓たり身上の衣、顚倒す筆下の字。
人生 此の如きこと少なり、酒は賎【やす】し、且【しばら】く勤めて置け。
(現代語訳)
今、きらきらと東の空に希望の龍の星が輝いているというのに、この客たちは何を考えているのだろう、この酔いぶりはどうしようもない。
始めは大声をだし、騒がしくて喧嘩をする者もあるが、中ごろは静かになってきた、女をからかう者も戯言をするものが出てくるのだ。
一生懸命で上着のからだにつけている着物はびっしょりぬれている、本来なら筆を持つ手がスラスラ行くはずなのに、字が傾いてうまく書けないのだ。
人生にはこんなに酔ってしまうことはめったにないことでここだからできるというものだ。酒も安いことだ、できる限りこの場をそのままにしておこう。
(訳注) 酔後
煌煌東方星、奈此衆客酔。
(煌煌【こうこう】たり東方の星、此の衆客の酔えるを奈【いかん】せん。)
今、きらきらと東の空に希望の龍の星が輝いているというのに、この客たちは何を考えているのだろう、この酔いぶりはどうしようもない。
○煌煌【こうこう】きらきらと輝くさま。明るく照るさま。○東方星 五行思想では東方の色は青だったので、青龍と呼ばれた。そこにインドから仏教とともにナーガーラジャ(蛇神)が伝来し、これが龍王と翻訳されたことから、龍王という呼び方が定着したという。皇帝が没し、順宗が即位し、新しい希望持つことを、東方で表し、万物の生まれ成長していく原点が東方にある。
初喧或忿爭、中静雜嘲戯。
(初めは喧【かまびす】しくて或いは忿争し、中ごろは静かにして嘲戯を雑う。)
始めは大声をだし、騒がしくて喧嘩をする者もあるが、中ごろは静かになってきた、女をからかう者も戯言をするものが出てくるのだ。
○初喧 始めは大声をだし、騒がしくする。○忿爭 て喧嘩をする者もある。○中静 宴の中ごろは静かになってきた。○雜嘲戯 戯言、女をからう、酔いの勢いに乗って混じり合うさま。
淋漓身上衣、顚倒筆下字。
(淋漓たり身上の衣、顚倒す筆下の字。)
一生懸命で上着のからだにつけている着物はびっしょりぬれている、本来なら筆を持つ手がスラスラ行くはずなのに、字が傾いてうまく書けないのだ。
○淋漓 したたるさま。元気や筆勢などの盛んなこと。 杜甫『奉先劉少府新畫山水障歌』「反思前夜風雨急,乃是蒲城鬼神入。元氣淋灕障猶濕,真宰上訴天應泣。」(反って思う 前夜 風雨 急なりしを、乃ち是 蒲城(ほじょう)に鬼神入る。元気 淋灕(りんり)として障 猶 湿う、真宰(しんさい)に上り 訴えて 天 応(まさ)に泣くなるべし。)○顚倒 上句に淋漓があり、下句に筆が来ると筆の運びの勢いが盛んなことである。○上衣 からだにつけている着物。
人生如此少、酒購且勤置。
(人生 此の如きこと少なり、酒は賎【やす】し、且【しばら】く勤めて置け。)
人生にはこんなに酔ってしまうことはめったにないことでここだからできるというものだ。酒も安いことだ、できる限りこの場をそのままにしておこう。
当時朝廷を勝手気ままにしていた連中は、王伾・王叔文の一党であった。徳宗の末期には、不可解な事件が多く多くの文人が左遷されている。この詩で東の空に輝く星とは、東宮にある皇太子、後の憲宗をさす。
順宗は779年に立太子され、805年に徳宗の崩御により即位した。王叔文を翰林学士に任じ、韓秦、韓曄、柳宗元、劉禹錫、陳諌、凌准、程異、韋執宜ら(二王八司馬)を登用、徳宗以来続いていた官吏腐敗を一新し、地方への財源建て直し、宦官からの兵権を取り返そうとするなどの永貞革新の政策を行なっているが、即位して間もなく脳溢血に倒れ、言語障害の後遺症を残した。さらに8月には宦官の具文珍らが結託して皇帝に退位を迫り、即位後僅か7ヶ月で長男の李純に譲位し、自らは太上皇となった。翌年に47歳で病気により崩御したが、宦官によって殺害されたものであった。
中央では、このような状況の中、韓愈は、牧歌的な地域の県令であり、何の手の施しようもなかった。詩のなかには制作年代を推定させる言葉が一つもないが、韓愈がこの詩を書ける時期として、陽山しかないのである。陽山での作に入れられているのは、このためである。
とにかく、このように、韓愈は王伾・王叔文の改革に反対で、保守派に所属していたから、王伾たちからは敵側と見られていた。韓愈の書き残したものには、政治的に革新派であったとは思えるものはない。
しかし、徳宗時代の「弊政」を擁護しょうとする態度もまったくない改革、革新性のない儒者なのである。王伾の一派には柳宗元や劉禹錫がおり、韓愈とは前からの友人であった。だから韓愈は王伾の一派に属すことができる可能性はあったが、王伾に対しては反感すらもっていたのである。
この詩の頭に「煌煌東方星」とあるのは、家臣たちの政治で左右されるものではなく、天子の徳に期待を持っていることをあらわしている。
五行思想では龍は東方を表して虎は西方を表し、また龍は水との縁に因んで北方を代表する動物として、虎は猛火を例えて南方を代表する動物として考えられている。龍と虎を描いて天下統一の思想と世界全体を表して用いられている。
木・火・土・金・水」の五元素によって自然現象や人事現象のいっさいを解釈し説明しようとする思想を五行説とよぶ。すなわち、あらゆる .... 東方は、太陽が昇る方向、南方は暑く、西方は白く輝く山々が有り、北方は冷たい地方とつながる。そして中央には、黄土に
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