漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩 中唐詩人選集【Ⅰ李商隠-150】Ⅱ韓退之(韓愈)-500Ⅶ孟郊(東野)賈島張籍柳宗元韋応物

Ⅰ李商隠は難解詩といわれている。約150首紹介済。(晩唐詩人) Ⅱ韓退之(韓愈)-約500首Ⅶ孟郊、中唐の詩人を掲載中。万物の性(さが)をテーマにした哲学的な詩。このブログは基本的に中唐詩人を中心にして掲載する予定。 韓愈詩文のこれまでの掲載分とこれから掲載予定分を時系列で整理した2014.3.29のブログに集約してそこから各年次を見ることができる  kanbuniinkai 検索で、《漢文委員会HP05》サイトあります。漢詩唐詩を理解するための総合サイト:≪漢文委員会 漢詩07≫。

詩集の序文

少し、マニアックな晩唐詩人Ⅰ-李商隠150首をまず掲載済み。中唐は盛唐詩人(孟浩然・王維、杜甫、李白)を受け継いだ多様な詩人が出ている。この時代も驚くほど詩が発展している。Ⅱ韓退之(韓愈)500首、Ⅲ柳宗元40首、Ⅳ韋応物、Ⅴ劉長卿、Ⅵ韋荘、Ⅶ孟郊(孟東野)、Ⅷ張籍、Ⅸ賈島、Ⅹ劉禹錫、ほか2012~2020年の予定で気長に進める。同じ中唐ではあるが、白居易のグループについては、李白のブログ350首(2015/6月再開~2018/夏・秋月予定)の後掲載の予定。別に杜甫詩ブログ1500首(2011/7月~2018/8月の予定で)を進行中。詩数につぃては、予定の詩数より多くなる。気まぐれなところがあるのでこの予定が少し変わる場合があり、その節はご容赦ください。                 古詩・謝霊運詩 杜甫詩 韓愈詩 花間集500首全詩 それぞれ毎日ブログしています。 このブログ、索引=語句の「検索」 参考書以上掲載。漢詩力up。

《桃花源幷記》陶淵明(陶潜)  <#4>711 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2539

陶淵明(陶潜)《桃花源幷記》-#4 別れぎわにこの土地の人人は、「外界の人たちにはお話ししてはいけません」ということだった。やがて漁師はここを出て、もとの船を見つけ、もと来た道をたどって、途中あちこちに目じるしをつけておいた。城下に帰って来た漁師は、太守のところにまかり出て、しかじかかようのことがと申し上げた。

2013年6月17日 同じ日の紀頌之5つのブログ
●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩
Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩《擬魏太子鄴中集詩八首  平原侯值》 謝靈運 六朝詩<85-#2>平原侯值瑒 798 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2538
●唐を代表する中唐の韓愈の儒家としての考えのよくわかる代表作の一つ
Ⅱ中唐詩・晩唐詩《桃花源幷記》陶淵明(陶潜)  <#4>711 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2539
●杜甫の全作品1141首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"
Ⅲ杜甫詩1000詩集又觀打魚 楽府(七言歌行) 成都6-(18) 杜甫 <481-#2>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2540 杜甫詩1000-481-#2-702/1500
●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている
Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集
●●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩
Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性酬祝十三秀才 薛濤 唐五代詞・宋詩 薛濤-199-65-#59  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2542
 

《桃花源幷記》陶淵明(陶潜)  <#4>711 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2539
韓愈 桃源圖を掲載する前に陶潜(陶淵明)『桃花源幷記』、『桃花源詩』を掲載し、王維の『桃源行』をつづけ、韓愈に繋いでゆく。


桃花源記 幷記
晉太元中,武陵人捕魚爲業,縁溪行,忘路之遠近,忽逢桃花林。
晋の大元年間のこと、武陵の人で魚を捕ることを仕事にしていた男があった。
ある日谷にそって川をのぼって行ったが、どれほどの道のりをやって来たのかわからなくなったころ、突然桃の花の咲いている林に出逢った。
夾岸數百歩,中無雜樹。
両岸数百歩の間二本のほかの雜木さえもなった。
芳草鮮美,落英繽紛。
かぐわしい草はあざやかに美しく、散る花びらははらはらと乱れ飛んでいる。
漁人甚異之,復前行,欲窮其林。
漁師はたいへん不思議に思い、さらに進んで林の奥をきわめようとした。
林盡水源,便得一山。
林は川の源の所でつきてしまい、そこに一の山があった。
山有小口。髣髴若有光。
山には小差ほら穴があって、そこからほのかに光がさしているように思われた。
便舎船從口入。
漁師はそのまま船を捨て、その口から入って行った。
#2
初極狹,纔通人。
はじめはとても狭く、やっとひと一人が通れるほどしかなかった
復行數十歩,豁然開朗。
数十歩進んでゆくと、璧然眼の前はからりとひらけた。
土地平曠,屋舍儼然,有良田美池桑竹之屬。
見れば土地は平らかにびろびろとうち芸がり、豪家のたたずまいもちゃんとととのって、よく肥えた田圃や美しい池があり、桑や竹などがうわっている。
阡陌交通,鷄犬相聞
縦横に通じているあぜ道は四方にゆきかい、あちこちから鶏や犬の声が聞こえてくる。
其中往來種作,男女衣著,悉如外人。
ここを往き来しつつ畑に働く男女の服装は、みな漁師などよその土地の、ものと同じようであり、
黄髮垂髫,並怡然自樂。
白髪の老人も垂らし髪した劫な児も、みな屈託なげにそれぞれ楽しんでいる。#3
見漁人,乃大驚,問所從來。
漁師を見つけて大変おどろき、どこからやって来たのかとたずねる。
具答之,便要還家。設酒殺鷄作食。
事こまかにこれに答えると、さあおいでなさいと家へつれて帰り、酒の用意をし、鶏をころして、もてなしてくれるのだった。
村中聞有此人,咸來問訊。
村の人たちは、こんな男が来たと聞き、みんなやって来てあいさつする。
自云:先世避秦時亂,率妻子邑人來此絶境,
不復出焉。
この家のあるじはいう、「私どもの先祖は、秦の時代の世の乱れを避け、妻子や村人をひきつれて、このうき世をはなれた土地へやって来ました。それ以来ここから一歩も出ていないのです。
遂與外人間隔。問今是何世,乃不知有漢,
無論魏晉。
こうして外界の人と隔たってしまったのです」。そして「今は一体何という時代ですか」ときくのである。なんと漢という時代のあったことを知らず、そのあとの魏や晋のことなどはいうまでもない。
此人一一爲具言所聞,皆歎惋。
そこで漁師が、自分の知っていることを一一こまかに話してやると、みんなはひどく感にうたれた様子であった。
餘人各復延至其家,皆出酒食。
ほかの人たちも、それぞれまた百分の家に招待して、みな酒や食べものを出してくれた。
#4
停數日,辭去。
このようにして数日のあいだ滞在し、やっとここを去ることにした。
此中人語云:不足爲外人道也。
別れぎわにこの土地の人人は、「外界の人たちにはお話ししてはいけません」ということだった。
既出,得其船,便扶向路,處處誌之。
やがて漁師はここを出て、もとの船を見つけ、もと来た道をたどって、途中あちこちに目じるしをつけておいた。
及郡下,詣太守,説如此。
城下に帰って来た漁師は、太守のところにまかり出て、しかじかかようのことがと申し上げた。
太守即遣人隨其往,尋向所誌, 遂迷不復得路。
太守はすぐさま部下にいいつけて、その男のあとについてゆかせ、さきにしるしをつけておいた所をたずねてみたが、結局見失って、もはやさきの路を探し出すことはできなかった。
南陽劉子驥,高尚士也。聞之欣然規往。
南陽の劉子驥は、高潔な人物であった。この話をきいて、自分も行ってみようと大いによろこびいさんでいたが、
未果,尋病終。後遂無問津者。

目的を果さぬうちにまもなく病気にかかり、死んでしまった。かくてその後、あの渡し場を問う人もなくなってしまったのである。


桃花源記
晉の太元中, 武陵の人 魚を捕ふるを 業【わざ】と爲せり,
溪に縁【そ】ひて行き, 路の遠近を忘る, 忽【たちま】ち 桃花の林に 逢ふ。
岸を夾みて 數百歩, 中に雜樹 無し。
芳草 鮮美として, 落英 繽紛たり。
漁人 甚だ之れを異とす, 復た前に行き, 其の林を窮めんと欲す。
林 水源に盡き, 便ち 一山を得。
山に 小口 有り。 髣髴として光 有るが若【ごと】し。
便ち船を舎【す】てて 口 從【よ】り 入る。
#2
初め極めて狹く, 纔かに人を通すのみ。
復た行くこと數十歩, 豁然として開朗。
土地 平曠として, 屋舍 儼然たり, 良田 美池 桑竹の屬【たぐひ】有り。
阡陌 交【こもご】も通じ, 鷄犬 相ひ聞ゆ。
其の中 往來し 種え作【たがや】す, 男女 衣著, 悉【ことごと】く外人の如く, 黄髮 髫を垂るも, 並【べつ】に 怡然として自ら樂しむ。
#3
漁人 見, 乃【すなは】ち大いに驚き, 從って來たる所を問ふ。 具【つぶさ】に之に答へ, 便ち 家に還へるを要す。
酒を設け 鷄を殺して 食を作る。 村中 此の人有るを聞き,咸【み】な來りて問ひ訊ぬ。
自ら云ふ:先の世 秦時に亂を避【のが】れ,妻子 邑【むら】人を率ゐて此の絶境に來たりて, 復たとは 焉【ここ】を出ず。
遂ひに 外人と間隔つ。 今は是れ何【いづ】れの世なるかを問ふ,乃【すなは】ち 漢 有るを知らず, 無論 魏晉をや。
此の人一一 爲に具【つぶさ】に聞かるる所を言へば, 皆 歎【たんわん】す。
餘人 各【おのお】の 復【ま)た延ゐて其の家に至り, 皆 出でて酒食す。
#4
停【とどま】ること數日にして, 辭去す。 此の中の人 語りて云【いは】く:外人の爲に道【い】ふに足【た】らざる也と。
既に出で, 其の船を得, 便ち 向【さき】の路に扶【よ】りて, 處處に之を誌【しる】す。
郡下に及び, 太守に詣【いた】り, 此【かく】の如く説く。
太守 即ち 人を遣りて其の往【ゆ】けるところに隨ひて, 向【さき】に誌【しる】せる所を尋ねんとすも, 遂に迷ひて 復【ま】たとは 路を得ず。 南陽の劉子驥【き】, 高尚の士也。 之を聞き欣【きん】然として往【ゆ】くを規【くはだ】つ。 未【いま】だ果たせずして, 尋【つい】で病に終る。 後【のち】 遂【つひ】に津を問ふ者 無し。




『桃花源記 幷記』 現代語訳と訳註
(本文)
#4
停數日,辭去。
此中人語云:不足爲外人道也。
既出,得其船,便扶向路,處處誌之。
及郡下,詣太守,説如此。
太守即遣人隨其往,尋向所誌, 遂迷不復得路。
南陽劉子驥,高尚士也。聞之欣然規往。
未果,尋病終。後遂無問津者。


(下し文) #4
停【とどま】ること數日にして, 辭去す。 此の中の人 語りて云【いは】く:外人の爲に道【い】ふに足【た】らざる也と。
既に出で, 其の船を得, 便ち 向【さき】の路に扶【よ】りて, 處處に之を誌【しる】す。
郡下に及び, 太守に詣【いた】り, 此【かく】の如く説く。
太守 即ち 人を遣りて其の往【ゆ】けるところに隨ひて, 向【さき】に誌【しる】せる所を尋ねんとすも, 遂に迷ひて 復【ま】たとは 路を得ず。 南陽の劉子驥【き】, 高尚の士也。 之を聞き欣【きん】然として往【ゆ】くを規【くはだ】つ。 未【いま】だ果たせずして, 尋【つい】で病に終る。 後【のち】 遂【つひ】に津を問ふ者 無し。


(現代語訳)
このようにして数日のあいだ滞在し、やっとここを去ることにした。
別れぎわにこの土地の人人は、「外界の人たちにはお話ししてはいけません」ということだった。
やがて漁師はここを出て、もとの船を見つけ、もと来た道をたどって、途中あちこちに目じるしをつけておいた。
城下に帰って来た漁師は、太守のところにまかり出て、しかじかかようのことがと申し上げた。
太守はすぐさま部下にいいつけて、その男のあとについてゆかせ、さきにしるしをつけておいた所をたずねてみたが、結局見失って、もはやさきの路を探し出すことはできなかった。
南陽の劉子驥は、高潔な人物であった。この話をきいて、自分も行ってみようと大いによろこびいさんでいたが、
目的を果さぬうちにまもなく病気にかかり、死んでしまった。かくてその後、あの渡し場を問う人もなくなってしまったのである。
詩人055










(訳注) #4
停數日,辭去。
このようにして数日のあいだ滞在し、やっとここを去ることにした。


此中人語云:不足爲外人道也。
別れぎわにこの土地の人人は、「外界の人たちにはお話ししてはいけません」ということだった。
〇不足爲外人道也:外界人に言ってはいけませんよ。
・不足;…にはおよばない。…てはいけない。誰も満足しない。
・爲外人:他の外界人に。ここ以外のひと。
・道:言う。
・也:終助詞。


既出,得其船,便扶向路,處處誌之。
やがて漁師はここを出て、もとの船を見つけ、もと来た道をたどって、途中あちこちに目じるしをつけておいた。
・扶:よる。来た道に沿って行くこと。前出の「縁溪行」の「縁」と似たような意味と働きがある。
・向路:来た道。 ・向:先に。以前。


及郡下,詣太守,説如此。
城下に帰って来た漁師は、太守のところにまかり出て、しかじかかようのことがと申し上げた。
・及:いたる。およぶ。
・詣太守:ここの「詣」の意味は、「及郡下,詣太守,説如此」の「太守」の意味によって変わってくる。「郡に帰ってきて、太守にお目にかかり、…」だと「詣」は「参内する、訪問する、おじゃまをする」になる。もしも、「太守」の意味が、「太守のいる官衙」という機関だとすると、「郡に帰ってきて、太守のいらっしゃるお役所に行き、…」となり、その場合、「詣」は「いたる。行く。進む」になる。ここは後者の意であろう。ここの「及郡下,詣太守,説如此」の場合は官衙であって、「太守即遣人隨其往」の場合は太守個人ではなかろうか。詣:いたる。行く。進む。敬語的な表現で、訪問する。もうでる。


太守即遣人隨其往,尋向所誌, 遂迷不復得路。
太守はすぐさま部下にいいつけて、その男のあとについてゆかせ、さきにしるしをつけておいた所をたずねてみたが、結局見失って、もはやさきの路を探し出すことはできなかった。
・不復得路:二度とは路が分からなかった。
・尋:たずねる。もう一度行くこと。
・向:先に。以前。昔。
・誌:しるす。めじるしをつける。


南陽劉子驥,高尚士也。聞之欣然規往。
南陽の劉子驥は、高潔な人物であった。この話をきいて、自分も行ってみようと大いによろこびいさん
でいたが、
・南陽:地名。河南省南部の大都市。湖南省の武陵とは大きく離れている。
・劉子驥:『晋書巻九十四・隠逸』に陶淵明と共に劉驎之として載っている。「劉驎之字子驥,南陽人,光祿大夫耽之族也。」
・欣然:よろこんで。
・規:はかる。くわだてる。


未果,尋病終。後遂無問津者。
目的を果さぬうちにまもなく病気にかかり、死んでしまった。
かくてその後、あの渡し場を問う人もなくなってしまったのである。
・尋:まもなく。ついで。にわかに。ここは前者の意。
〇問津:(桃源郷への)道を尋ねる。(桃源郷を)訪問する。津:渡し場。船着き場。桃源郷への出発点。

海棠花04


松枝茂夫・和田武司著『陶淵明』集英社から
武陵(今の湖南、常徳)の漁師がこのような桃源郷を訪ねた説話は、四世紀末から五世紀にかけてかなり流布していたようだ。淵明と同時代の志怪小説集『捜神後記』にも、この話が載っている。劉敬叔(南朝、宋の人)の『異苑』には、この理想郷を見つけたのは、「武陵蛮」の狩人だと伝えている。「武陵蛮」は、湖南の洞庭湖から貴州省にかけての地域、東は江西省まで分布していた少数民族である。


彼ら少数民族は、江南に大量移住してきた漢民族の圧迫を受けて、僻地に追いこまれ、狩猟や漁労に頼らざるをえない生活を送っていた。したがって、「鶏犬相い聞こゆる」原始共同体的な農耕生活は、彼らの失われた理想郷にはかならなかった、とみることができる。
ここでわれわれは、陶淵明の骨祖父陶侃が「渓族」出身であったことを思い起こさざるをえない。陶淵明にも渓族の血が流れていたとすれば、当時このような話を聞いて、大きな関心を寄せたであろうことは、想像にかたくない。


もっとも、「桃花源記」のなかで、「泰時の乱を避けた」といっていることからすれば、西晋末年に江南へ移住できなかった漢民族が、北方異民族の圧迫を避けて、外界と隔絶した平野部を探しあて、そこに暮らしていたとみることもできる。劉裕に随行して閑中入りしたときの見聞である戴延之の『西征記』にこうした記事が伝えられている。もしそうだとすれば、陶淵明は関中に行った友人の羊松齢の帰国談から、こうした話を聞き、刺激を受けたのかもしれない。
さらにまた、晋代には、劉麟之という男が衡山(湖南の名山)に薬草を採りに入って道に迷った話が伝わっている。この劉鱗之は「桃花源記」のなかの劉子礫を思わせる。


いずれにしろ、こうした素材を組み立てて「桃花源記」は創作されたのだろう。ここに描かれているのは「秋熟、王税なし」(「桃花源記」)という一個の搾取なき社会である。現実の政治に対する反発または批判として、上古の聖王の時代を仰ぎ慕っていた陶淵明が、当時流布された話に刺激を受けて、このようなユートピアを結晶させたとみなしてよいだろう。「今はこれ何れの世なるかと問う。乃ち漢あるを知らず、観音は論ずるなし」。こう言いきってはばからないところに、現実社会に対する彼の絶望感がみてとれる。

《桃花源幷記》陶淵明(陶潜)  <#3>710 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2534

陶淵明(陶潜)《桃花源幷記》 村の人たちは、こんな男が来たと聞き、みんなやって来てあいさつする。この家のあるじはいう、「私どもの先祖は、秦の時代の世の乱れを避け、妻子や村人をひきつれて、このうき世をはなれた土地へやって来ました。それ以来ここから一歩も出ていないのです。


2013年6月16日 同じ日の紀頌之5つのブログ
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Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩《擬魏太子鄴中集詩八首  平原侯值》 謝靈運 六朝詩<85-#1>平原侯值瑒 797 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2533
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●杜甫の全作品1141首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"
Ⅲ杜甫詩1000詩集又觀打魚 楽府(七言歌行) 成都6-(17) 杜甫 <481-#1>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2535 杜甫詩1000-481-#1-701/1500
●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている
Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集
●●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩
Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性送姚員外 薛濤 唐五代詞・宋詩 薛濤-198-64-#58  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2537
 
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李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人 古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首

 



《桃花源幷記》陶淵明(陶潜)  <#3>710 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2534
韓愈 桃源圖を掲載する前に陶潜(陶淵明)『桃花源幷記』、『桃花源詩』を掲載し、王維の『桃源行』をつづけ、韓愈に繋いでゆく。

桃花源記 陶淵明(陶潜)


桃花源記 幷記
晉太元中,武陵人捕魚爲業,縁溪行,忘路之遠近,忽逢桃花林。
晋の大元年間のこと、武陵の人で魚を捕ることを仕事にしていた男があった。
ある日谷にそって川をのぼって行ったが、どれほどの道のりをやって来たのかわからなくなったころ、突然桃の花の咲いている林に出逢った。
夾岸數百歩,中無雜樹。
両岸数百歩の間二本のほかの雜木さえもなった。
芳草鮮美,落英繽紛。
かぐわしい草はあざやかに美しく、散る花びらははらはらと乱れ飛んでいる。
漁人甚異之,復前行,欲窮其林。
漁師はたいへん不思議に思い、さらに進んで林の奥をきわめようとした。
林盡水源,便得一山。
林は川の源の所でつきてしまい、そこに一の山があった。
山有小口。髣髴若有光。
山には小差ほら穴があって、そこからほのかに光がさしているように思われた。
便舎船從口入。
漁師はそのまま船を捨て、その口から入って行った。
#2
初極狹,纔通人。
はじめはとても狭く、やっとひと一人が通れるほどしかなかった
復行數十歩,豁然開朗。
数十歩進んでゆくと、璧然眼の前はからりとひらけた。
土地平曠,屋舍儼然,有良田美池桑竹之屬。
見れば土地は平らかにびろびろとうち芸がり、豪家のたたずまいもちゃんとととのって、よく肥えた田圃や美しい池があり、桑や竹などがうわっている。
阡陌交通,鷄犬相聞
縦横に通じているあぜ道は四方にゆきかい、あちこちから鶏や犬の声が聞こえてくる。
其中往來種作,男女衣著,悉如外人。
ここを往き来しつつ畑に働く男女の服装は、みな漁師などよその土地の、ものと同じようであり、
黄髮垂髫,並怡然自樂。
白髪の老人も垂らし髪した劫な児も、みな屈託なげにそれぞれ楽しんでいる。#3
見漁人,乃大驚,問所從來。
漁師を見つけて大変おどろき、どこからやって来たのかとたずねる。
具答之,便要還家。設酒殺鷄作食。
事こまかにこれに答えると、さあおいでなさいと家へつれて帰り、酒の用意をし、鶏をころして、もてなしてくれるのだった。
村中聞有此人,咸來問訊。
村の人たちは、こんな男が来たと聞き、みんなやって来てあいさつする。
自云:先世避秦時亂,率妻子邑人來此絶境,
不復出焉。
この家のあるじはいう、「私どもの先祖は、秦の時代の世の乱れを避け、妻子や村人をひきつれて、このうき世をはなれた土地へやって来ました。それ以来ここから一歩も出ていないのです。
遂與外人間隔。問今是何世,乃不知有漢,
無論魏晉。
こうして外界の人と隔たってしまったのです」。そして「今は一体何という時代ですか」ときくのである。なんと漢という時代のあったことを知らず、そのあとの魏や晋のことなどはいうまでもない。
此人一一爲具言所聞,皆歎惋。
そこで漁師が、自分の知っていることを一一こまかに話してやると、みんなはひどく感にうたれた様子であった。
餘人各復延至其家,皆出酒食。
ほかの人たちも、それぞれまた百分の家に招待して、みな酒や食べものを出してくれた。
海棠花04#4
停數日,辭去。
此中人語云:不足爲外人道也。
既出,得其船,便扶向路,處處誌之。
及郡下,詣太守,説如此。
太守即遣人隨其往,尋向所誌, 遂迷不復得路。
南陽劉子驥,高尚士也。聞之欣然規往。
未果,尋病終。後遂無問津者。


桃花源記
晉の太元中, 武陵の人 魚を捕ふるを 業【わざ】と爲せり,
溪に縁【そ】ひて行き, 路の遠近を忘る, 忽【たちま】ち 桃花の林に 逢ふ。
岸を夾みて 數百歩, 中に雜樹 無し。
芳草 鮮美として, 落英 繽紛たり。
漁人 甚だ之れを異とす, 復た前に行き, 其の林を窮めんと欲す。
林 水源に盡き, 便ち 一山を得。
山に 小口 有り。 髣髴として光 有るが若【ごと】し。
便ち船を舎【す】てて 口 從【よ】り 入る。
#2
初め極めて狹く, 纔かに人を通すのみ。
復た行くこと數十歩, 豁然として開朗。
土地 平曠として, 屋舍 儼然たり, 良田 美池 桑竹の屬【たぐひ】有り。
阡陌 交【こもご】も通じ, 鷄犬 相ひ聞ゆ。
其の中 往來し 種え作【たがや】す, 男女 衣著, 悉【ことごと】く外人の如く, 黄髮 髫を垂るも, 並【べつ】に 怡然として自ら樂しむ。
#3
漁人 見, 乃【すなは】ち大いに驚き, 從って來たる所を問ふ。 具【つぶさ】に之に答へ, 便ち 家に還へるを要す。
酒を設け 鷄を殺して 食を作る。 村中 此の人有るを聞き,咸【み】な來りて問ひ訊ぬ。
自ら云ふ:先の世 秦時に亂を避【のが】れ,妻子 邑【むら】人を率ゐて此の絶境に來たりて, 復たとは 焉【ここ】を出ず。
遂ひに 外人と間隔つ。 今は是れ何【いづ】れの世なるかを問ふ,乃【すなは】ち 漢 有るを知らず, 無論 魏晉をや。
此の人一一 爲に具【つぶさ】に聞かるる所を言へば, 皆 歎【たんわん】す。
餘人 各【おのお】の 復【ま)た延ゐて其の家に至り, 皆 出でて酒食す。

#4
停【とどま】ること數日にして, 辭去す。 此の中の人 語りて云【いは】く:外人の爲に道【い】ふに足【た】らざる也と。
既に出で, 其の船を得, 便ち 向【さき】の路に扶【よ】りて, 處處に之を誌【しる】す。
郡下に及び, 太守に詣【いた】り, 此【かく】の如く説く。
太守 即ち 人を遣りて其の往【ゆ】けるところに隨ひて, 向【さき】に誌【しる】せる所を尋ねんとすも, 遂に迷ひて 復【ま】たとは 路を得ず。 南陽の劉子驥【き】, 高尚の士也。 之を聞き欣【きん】然として往【ゆ】くを規【くはだ】つ。
未【いま】だ果たせずして, 尋【つい】で病に終る。 後【のち】 遂【つひ】に津を問ふ者 無し。 

『桃花源記 幷記』 現代語訳と訳註

海棠花002
(本文) #3
見漁人,乃大驚,問所從來。
具答之,便要還家。設酒殺鷄作食。
村中聞有此人,咸來問訊。
自云:先世避秦時亂,率妻子邑人來此絶境,不復出焉。
遂與外人間隔。問今是何世,乃不知有漢,無論魏晉。
此人一一爲具言所聞,皆歎惋。
餘人各復延至其家,皆出酒食。


(下し文) #3
漁人 見, 乃【すなは】ち大いに驚き, 從って來たる所を問ふ。 具【つぶさ】に之に答へ, 便ち 家に還へるを要す。
酒を設け 鷄を殺して 食を作る。 村中 此の人有るを聞き,咸【み】な來りて問ひ訊ぬ。
自ら云ふ:先の世 秦時に亂を避【のが】れ,妻子 邑【むら】人を率ゐて此の絶境に來たりて, 復たとは 焉【ここ】を出ず。
遂ひに 外人と間隔つ。 今は是れ何【いづ】れの世なるかを問ふ,乃【すなは】ち 漢 有るを知らず, 無論 魏晉をや。
此の人一一 爲に具【つぶさ】に聞かるる所を言へば, 皆 歎【たんわん】す。
餘人 各【おのお】の 復【ま)た延ゐて其の家に至り, 皆 出でて酒食す。


(現代語訳)
漁師を見つけて大変おどろき、どこからやって来たのかとたずねる。
事こまかにこれに答えると、さあおいでなさいと家へつれて帰り、酒の用意をし、鶏をころして、もてなしてくれるのだった。
村の人たちは、こんな男が来たと聞き、みんなやって来てあいさつする。
この家のあるじはいう、「私どもの先祖は、秦の時代の世の乱れを避け、妻子や村人をひきつれて、このうき世をはなれた土地へやって来ました。それ以来ここから一歩も出ていないのです。
こうして外界の人と隔たってしまったのです」。そして「今は一体何という時代ですか」ときくのである。なんと漢という時代のあったことを知らず、そのあとの魏や晋のことなどはいうまでもない。
そこで漁師が、自分の知っていることを一一こまかに話してやると、みんなはひどく感にうたれた様子であった。
ほかの人たちも、それぞれまた百分の家に招待して、みな酒や食べものを出してくれた。


(訳注) #3
見漁人,乃大驚,問所從來。
漁師を見つけて大変おどろき、どこからやって来たのかとたずねる。


具答之,便要還家。設酒殺鷄作食。
事こまかにこれに答えると、さあおいでなさいと家へつれて帰り、酒の用意をし、鶏をころして、もてなしてくれるのだった。
・具:つぶさに。詳しく。ありのままに。具体的に。


村中聞有此人,咸來問訊。
村の人たちは、こんな男が来たと聞き、みんなやって来てあいさつする。


自云:先世避秦時亂,率妻子邑人來此絶境,不復出焉。
この家のあるじはいう、「私どもの先祖は、秦の時代の世の乱れを避け、妻子や村人をひきつれて、このうき世をはなれた土地へやって来ました。それ以来ここから一歩も出ていないのです。
・避秦時亂:秦の戦乱を避けて。虞美人、劉邦等が輩出した、天下大乱の時代を指している。
・焉:ここに。これ。ここ。
・不復出焉:ここを二度とは出なかった。ここを一度も出なかったということ。前出『老子』の「鷄犬之聲相聞,民至老死,不相往來。」のこと。 ・不復…:二度とは…ない。一度も…ない。似た表現で「復不…」は、またもや…ない。二度目も…でない、になる。


遂與外人間隔。問今是何世,乃不知有漢,無論魏晉。
こうして外界の人と隔たってしまったのです」。そして「今は一体何という時代ですか」ときくのである。なんと漢という時代のあったことを知らず、そのあとの魏や晋のことなどはいうまでもない。
・不知有漢,無論魏晉:漢は云うまでもなく魏や晉の各代を知らない。諸葛亮、劉備、周瑜、曹操、曹植、桓温、王謝の一族が出てくる時代である。


此人一一爲具言所聞,皆歎惋。
そこで漁師が、自分の知っていることを一一こまかに話してやると、みんなはひどく感にうたれた様子であった。
・歎惋:嘆き驚く。


餘人各復延至其家,皆出酒食。
ほかの人たちも、それぞれまた百分の家に招待して、みな酒や食べものを出してくれた。
桃園001

《桃花源幷記》陶淵明(陶潜)  <#2>709 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2529

陶淵明(陶潜)《桃花源幷記》はじめはとても狭く、やっとひと一人が通れるほどしかなかった。数十歩進んでゆくと、璧然眼の前はからりとひらけた。見れば土地は平らかにびろびろとうち芸がり、豪家のたたずまいもちゃんとととのって、よく肥えた田圃や美しい池があり、桑や竹などがうわっている。

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《桃花源幷記》陶淵明(陶潜)  <#2>709 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2529

韓愈 桃源圖を掲載する前に陶潜(陶淵明)『桃花源幷記』、『桃花源詩』を掲載し、王維の『桃源行』をつづけ、韓愈に繋いでゆく。

桃花源記 陶淵明(陶潜)


桃花源記 幷記
晉太元中,武陵人捕魚爲業,縁溪行,忘路之遠近,
忽逢桃花林。
晋の大元年間のこと、武陵の人で魚を捕ることを仕事にしていた男があった。
ある日谷にそって川をのぼって行ったが、どれほどの道のりをやって来たのかわからなくなったころ、突然桃の花の咲いている林に出逢った。
夾岸數百歩,中無雜樹。
両岸数百歩の間二本のほかの雜木さえもなった。
芳草鮮美,落英繽紛。
かぐわしい草はあざやかに美しく、散る花びらははらはらと乱れ飛んでいる。
漁人甚異之,復前行,欲窮其林。
漁師はたいへん不思議に思い、さらに進んで林の奥をきわめようとした。
林盡水源,便得一山。
林は川の源の所でつきてしまい、そこに一の山があった。
山有小口。髣髴若有光。
山には小差ほら穴があって、そこからほのかに光がさしているように思われた。
便舎船從口入。
漁師はそのまま船を捨て、その口から入って行った。
#2
初極狹,纔通人。
はじめはとても狭く、やっとひと一人が通れるほどしかなかった
復行數十歩,豁然開朗。
数十歩進んでゆくと、璧然眼の前はからりとひらけた。
土地平曠,屋舍儼然,有良田美池桑竹之屬。
見れば土地は平らかにびろびろとうち芸がり、豪家のたたずまいもちゃんとととのって、よく肥えた田圃や美しい池があり、桑や竹などがうわっている。
阡陌交通,鷄犬相聞
縦横に通じているあぜ道は四方にゆきかい、あちこちから鶏や犬の声が聞こえてくる。
其中往來種作,男女衣著,悉如外人。
ここを往き来しつつ畑に働く男女の服装は、みな漁師などよその土地の、ものと同じようであり、
黄髮垂髫,並怡然自樂。
白髪の老人も垂らし髪した劫な児も、みな屈託なげにそれぞれ楽しんでいる。
#3
見漁人,乃大驚,問所從來。
具答之,便要還家。設酒殺鷄作食。
村中聞有此人,咸來問訊。
自云:先世避秦時亂,率妻子邑人來此絶境,不復出焉。
遂與外人間隔。問今是何世,乃不知有漢,無論魏晉。
此人一一爲具言所聞,皆歎惋。
餘人各復延至其家,皆出酒食。
#4
停數日,辭去。
此中人語云:不足爲外人道也。
既出,得其船,便扶向路,處處誌之。
及郡下,詣太守,説如此。
太守即遣人隨其往,尋向所誌, 遂迷不復得路。
南陽劉子驥,高尚士也。聞之欣然規往。
未果,尋病終。後遂無問津者。


桃花源記
晉の太元中, 武陵の人 魚を捕ふるを 業【わざ】と爲せり,
溪に縁【そ】ひて行き, 路の遠近を忘る, 忽【たちま】ち 桃花の林に 逢ふ。
岸を夾みて 數百歩, 中に雜樹 無し。
芳草 鮮美として, 落英 繽紛たり。
漁人 甚だ之れを異とす, 復た前に行き, 其の林を窮めんと欲す。
林 水源に盡き, 便ち 一山を得。
山に 小口 有り。 髣髴として光 有るが若【ごと】し。
便ち船を舎【す】てて 口 從【よ】り 入る。

#2
初め極めて狹く, 纔かに人を通すのみ。
復た行くこと數十歩, 豁然として開朗。
土地 平曠として, 屋舍 儼然たり, 良田 美池 桑竹の屬【たぐひ】有り。
阡陌 交【こもご】も通じ, 鷄犬 相ひ聞ゆ。
其の中 往來し 種え作【たがや】す, 男女 衣著, 悉【ことごと】く外人の如く, 黄髮 髫を垂るも, 並【べつ】に 怡然として自ら樂しむ。

#3
漁人 見, 乃【すなは】ち大いに驚き, 從って來たる所を問ふ。 具【つぶさ】に之に答へ, 便ち 家に還へるを要す。
酒を設け 鷄を殺して 食を作る。 村中 此の人有るを聞き,咸【み】な來りて問ひ訊ぬ。
自ら云ふ:先の世 秦時に亂を避【のが】れ,妻子 邑【むら】人を率ゐて此の絶境に來たりて, 復たとは 焉【ここ】を出ず。
遂ひに 外人と間隔つ。 今は是れ何【いづ】れの世なるかを問ふ,乃【すなは】ち 漢 有るを知らず, 無論 魏晉をや。
此の人一一 爲に具【つぶさ】に聞かるる所を言へば, 皆 歎【たんわん】す。
餘人 各【おのお】の 復【ま)た延ゐて其の家に至り, 皆 出でて酒食す。
#4
停【とどま】ること數日にして, 辭去す。 此の中の人 語りて云【いは】く:外人の爲に道【い】ふに足【た】らざる也と。
既に出で, 其の船を得, 便ち 向【さき】の路に扶【よ】りて, 處處に之を誌【しる】す。
郡下に及び, 太守に詣【いた】り, 此【かく】の如く説く。
太守 即ち 人を遣りて其の往【ゆ】けるところに隨ひて, 向【さき】に誌【しる】せる所を尋ねんとすも, 遂に迷ひて 復【ま】たとは 路を得ず。 南陽の劉子驥【き】, 高尚の士也。 之を聞き欣【きん】然として往【ゆ】くを規【くはだ】つ。 未【いま】だ果たせずして, 尋【つい】で病に終る。 後【のち】 遂【つひ】に津を問ふ者 無し。


『桃花源記 幷記』 現代語訳と訳註
(本文)
 #2
初極狹,纔通人。
復行數十歩,豁然開朗。
土地平曠,屋舍儼然,有良田美池桑竹之屬。
阡陌交通,鷄犬相聞
其中往來種作,男女衣著,悉如外人。
黄髮垂髫,並怡然自樂。


(下し文) #2
初め極めて狹く, 纔かに人を通すのみ。
復た行くこと數十歩, 豁然として開朗。
土地 平曠として, 屋舍 儼然たり, 良田 美池 桑竹の屬【たぐひ】有り。
阡陌 交【こもご】も通じ, 鷄犬 相ひ聞ゆ。
其の中 往來し 種え作【たがや】す, 男女 衣著, 悉【ことごと】く外人の如く, 黄髮 髫を垂るも, 並【べつ】に 怡然として自ら樂しむ。


(現代語訳)
はじめはとても狭く、やっとひと一人が通れるほどしかなかった
数十歩進んでゆくと、璧然眼の前はからりとひらけた。
見れば土地は平らかにびろびろとうち芸がり、豪家のたたずまいもちゃんとととのって、よく肥えた田圃や美しい池があり、桑や竹などがうわっている。
縦横に通じているあぜ道は四方にゆきかい、あちこちから鶏や犬の声が聞こえてくる。
ここを往き来しつつ畑に働く男女の服装は、みな漁師などよその土地の、ものと同じようであり、
白髪の老人も垂らし髪した劫な児も、みな屈託なげにそれぞれ楽しんでいる。


(訳注) #2
初極狹,纔通人。
はじめはとても狭く、やっとひと一人が通れるほどしかなかった
・纔:わずかに。やっとのことで。


復行數十歩,豁然開朗。
数十歩進んでゆくと、璧然眼の前はからりとひらけた。
・豁然開朗:急に開けている。


土地平曠,屋舍儼然,有良田美池桑竹之屬。
見れば土地は平らかにびろびろとうち芸がり、豪家のたたずまいもちゃんとととのって、よく肥えた田圃や美しい池があり、桑や竹などがうわっている。
・土地平曠:土地が広々としている。
・屋舍儼然:建物がしっかりとあるさま。
・良田美池桑竹:すばらしい田や立派な池、(農民の生活を支える)クワや竹。
・屬:たぐい。種類。


阡陌交通,鷄犬相聞
縦横に通じているあぜ道は四方にゆきかい、あちこちから鶏や犬の声が聞こえてくる。
・阡陌:縦横に通じているあぜ道。 ・阡:南北に通ずるあぜ道。道。 ・陌:東西に通ずるあぜ道。道。
・交通:交わり通じている。
・便:すなわち。便、即、乃などもみな同様に読むが、意味が違う。 ・便:そのまま、すぐに。 ・即:とりもなおさず、そのまますぐに、ただちに。 ・乃:そこで、ようやく、やむなく。
・鷄犬相聞:鶏や犬の鳴き声が聞こえてくる。のどかで平和な田園の暮らしのさまをいう。『老子』「甘其食,美其服,安其居,樂其俗,鄰國相望,鷄犬之聲相聞,民至老死,不相往來。」に依る。理想郷の表現の一。


其中往來種作,男女衣著,悉如外人。
ここを往き来しつつ畑に働く男女の服装は、みな漁師などよその土地の、ものと同じようであり、
・種作:種を播くことと耕作をすること。
・衣著:いちゃく。=衣着。着衣。きもの。
・悉如:みんな…のようだ。
・外人:ここでは「外人」は次の三度出てくる。桃源郷の人間にとって外部の人間をいう。①「男女衣著,悉如外人」、 ②「遂與外人間隔」、 ③「不足爲外人道也」。とある。異民族、あるいは異様な服装をしていると考えない方が良い。漁夫と同じようにごく普通の服装と解すべきである。


黄髮垂髫,並怡然自樂。
白髪の老人も垂らし髪した劫な児も、みな屈託なげにそれぞれ楽しんでいる。
・黄髮:老人の髪の毛。転じて老人。白髪がより進み黄色っぽくなることから、こういう。
・髫:たれがみ。うなじのあたりまで垂れ下がっている幼児の髪型。転じて、幼児。
・黄髮垂髫:老人も子供も。
・怡然:〔いぜん〕たのしむさま。よろこぶさま。
・自樂:自分で満足して楽しむ。

《桃花源幷記》陶淵明(陶潜)  <#1>709 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2529

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孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩 盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。

李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html
李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人 古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首

 



《桃花源幷記》陶淵明(陶潜)  <#1>709 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2529
韓愈 桃源圖を掲載する前に陶潜(陶淵明)『桃花源幷記』、『桃花源詩』を掲載し、王維の『桃源行』をつづけ、韓愈に繋いでゆく。

桃花源記 陶淵明(陶潜)


桃花源記 幷記
晉太元中,武陵人捕魚爲業,縁溪行,忘路之遠近,忽逢桃花林。
晋の大元年間のこと、武陵の人で魚を捕ることを仕事にしていた男があった。
ある日谷にそって川をのぼって行ったが、どれほどの道のりをやって来たのかわからなくなったころ、突然桃の花の咲いている林に出逢った。

夾岸數百歩,中無雜樹。
両岸数百歩の間二本のほかの雜木さえもなった。
芳草鮮美,落英繽紛。
かぐわしい草はあざやかに美しく、散る花びらははらはらと乱れ飛んでいる。
漁人甚異之,復前行,欲窮其林。
漁師はたいへん不思議に思い、さらに進んで林の奥をきわめようとした。
林盡水源,便得一山。
林は川の源の所でつきてしまい、そこに一の山があった。
山有小口。髣髴若有光。
山には小差ほら穴があって、そこからほのかに光がさしているように思われた。
便舎船從口入。
漁師はそのまま船を捨て、その口から入って行った。
#2
初極狹,纔通人。
復行數十歩,豁然開朗。
土地平曠,屋舍儼然,有良田美池桑竹之屬。
阡陌交通,鷄犬相聞
其中往來種作,男女衣著,悉如外人。
黄髮垂髫,並怡然自樂。
#3
見漁人,乃大驚,問所從來。
具答之,便要還家。設酒殺鷄作食。
村中聞有此人,咸來問訊。
自云:先世避秦時亂,率妻子邑人來此絶境,不復出焉。
遂與外人間隔。問今是何世,乃不知有漢,無論魏晉。
此人一一爲具言所聞,皆歎惋。
餘人各復延至其家,皆出酒食。
#4
停數日,辭去。
此中人語云:不足爲外人道也。
既出,得其船,便扶向路,處處誌之。
及郡下,詣太守,説如此。
太守即遣人隨其往,尋向所誌, 遂迷不復得路。
南陽劉子驥,高尚士也。聞之欣然規往。
未果,尋病終。後遂無問津者。


桃花源記
晉の太元中, 武陵の人 魚を捕ふるを 業(わざ)と爲せり, 溪に縁(そ)ひて行き, 路の遠近を忘る, 忽(たちま)ち 桃花の林に 逢ふ。 岸を夾みて 數百歩, 中に雜樹 無し。 芳草 鮮美として, 落英 繽紛たり。 漁人 甚だ之れを異とす, 復た前に行き, 其の林を窮めんと欲す。 林 水源に盡き, 便ち 一山を得。 山に 小口 有り。 髣髴として光 有るが若(ごと)し。 便ち船を舎(す)てて 口 從(よ)り 入る。
初め極めて狹く, 纔かに人を通すのみ。 復た行くこと數十歩, 豁然として開朗。 土地 平曠として, 屋舍 儼然たり, 良田 美池 桑竹の屬(たぐひ)有り。 阡陌 交(こもご)も通じ, 鷄犬 相ひ聞ゆ。 其の中 往來し 種うゑ作(たがや)す, 男女 衣著, 悉(ことごと)く外人の如く, 黄髮 髫を垂るも, 並(べつ)に 怡然として自ら樂しむ。 漁人 見, 乃(すなは)ち大いに驚き, 從って來たる所を問ふ。 具(つぶさ)に之に答へ, 便ち 家に還へるを要す。 酒を設け 鷄を殺して 食を作る。 村中 此の人有るを聞き, 咸(み)な來りて問ひ訊ぬ。 自ら云ふ:先の世 秦時に亂を避(のが)れ, 妻子 邑(むら)人を率ゐて此の絶境に來たりて, 復たとは 焉(ここ)を出ず。 遂ひに 外人と間隔つ。 今は是れ何(いづ)れの世なるかを問ふ, 乃(すなは)ち 漢 有るを知らず, 無論 魏晉をや。 此の人一一 爲に具(つぶさ)に聞かるる所を言へば, 皆 歎(たんわん)す。 餘人 各(おのお)の 復(ま)た延ゐて其の家に至り, 皆 出でて酒食す。 停(とどま)ること數日にして, 辭去す。 此の中の人 語りて云(いは)く:外人の爲に道(い)ふに足(た)らざる也と。 既に出で, 其の船を得, 便ち 向(さき)の路に扶(よ)りて, 處處に之を誌(しる)す。 郡下に及び, 太守に詣(いた)り, 此(かく)の如く説く。 太守 即ち 人を遣りて其の往(ゆ)けるところに隨ひて, 向(さき)に誌(しる)せる所を尋ねんとすも, 遂に迷ひて 復(ま)たとは 路を得ず。 南陽の劉子驥(き), 高尚の士也。 之を聞き欣(きん)然として往(ゆ)くを規(くはだ)つ。 未(いま)だ果たせずして, 尋(つい)で病に終る。 後(のち) 遂(つひ)に津を問ふ者 無し。


『桃花源記 幷記』 現代語訳と訳註
(本文)
晉太元中,武陵人捕魚爲業,縁溪行,忘路之遠近,忽逢桃花林。
寒梅901夾岸數百歩,中無雜樹。
芳草鮮美,落英繽紛。
漁人甚異之,復前行,欲窮其林。
林盡水源,便得一山。
山有小口。髣髴若有光。
便舎船從口入。


(下し文)
晉の太元中, 武陵の人 魚を捕ふるを 業【わざ】と爲せり,
溪に縁【そ】ひて行き, 路の遠近を忘る, 忽【たちま】ち 桃花の林に 逢ふ。
岸を夾みて 數百歩, 中に雜樹 無し。
芳草 鮮美として, 落英 繽紛たり。
漁人 甚だ之れを異とす, 復た前に行き, 其の林を窮めんと欲す。
林 水源に盡き, 便ち 一山を得。
山に 小口 有り。 髣髴として光 有るが若【ごと】し。
便ち船を舎【す】てて 口 從【よ】り 入る。


(現代語訳)
晋の大元年間のこと、武陵の人で魚を捕ることを仕事にしていた男があった。
ある日谷にそって川をのぼって行ったが、どれほどの道のりをやって来たのかわからなくなったころ、突然桃の花の咲いている林に出逢った。
両岸数百歩の間二本のほかの雜木さえもなった。
かぐわしい草はあざやかに美しく、散る花びらははらはらと乱れ飛んでいる。
漁師はたいへん不思議に思い、さらに進んで林の奥をきわめようとした。
林は川の源の所でつきてしまい、そこに一の山があった。
山には小差ほら穴があって、そこからほのかに光がさしているように思われた。
漁師はそのまま船を捨て、その口から入って行った。

海棠花002















(訳注)
晉太元中,武陵人捕魚爲業,
晋の大元年間のこと、武陵の人で魚を捕ることを仕事にしていた男があった。
・晉太元中 東晋の孝武帝の太元年間(376~396年)。
・武陵 湖南省の北部、洞庭湖の西方にある地名。


縁溪行,忘路之遠近,忽逢桃花林。
ある日谷にそって川をのぼって行ったが、どれほどの道のりをやって来たのかわからなくなったころ、突然桃の花の咲いている林に出逢った。
縁溪行:谷川に沿って行く。


夾岸數百歩,中無雜樹。
両岸数百歩の間二本のほかの雜木さえもなった。


芳草鮮美,落英繽紛。
かぐわしい草はあざやかに美しく、散る花びらははらはらと乱れ飛んでいる。
鮮美:あざやかでうつうしい。
落英繽紛:花びらの散ったのが。 ・落英:散る花弁 ・繽紛:花びらの盛んに乱れ散る様子を云う。


漁人甚異之,復前行,欲窮其林。
漁師はたいへん不思議に思い、さらに進んで林の奥をきわめようとした。


林盡水源,便得一山。
林は川の源の所でつきてしまい、そこに一の山があった。


山有小口。髣髴若有光。
山には小差ほら穴があって、そこからほのかに光がさしているように思われた。
髣髴:ぼんやり見えるさま。かすかに見える様。ここでは、よく似ているさまの意はない。


便舎船從口入。
漁師はそのまま船を捨て、その口から入って行った。
舎:=捨。捨てる。
桃園001

奉和虢州劉給事使君三堂新題二十一詠 并序 韓愈(韓退之) <120>Ⅱ中唐詩679 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2379

韓愈《奉和虢州劉給事使君三堂新題二十一詠 并序》 劉兄は、給事中の職にあったが、転出してこの州の刺史となり、赴任して一年を超えた。職務はきちんとととのい、政治もうまくいって、州ではまったく事故がないということだ。そこで、いくらか、増設改築などをして、子弟たちをつれて、そのほとりで宴遊する。

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孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩 盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。

李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html
李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人 古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首

 

奉和虢州劉給事使君三堂新題二十一詠 并序 韓愈(韓退之) <120>Ⅱ中唐詩679 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2379




作者: 
  813年元和八年  46歲 
卷別: 卷三四三  文體: 五言絕句 
詩題: 奉和虢州劉給事使君【案:伯芻。】三堂新題二十一詠:新亭【案:劉伯芻以元和八年出刺虢州。】 
地點:  虢州 (河東道 虢州 虢州) 別名:弘農郡     
交遊人物/地點: 劉伯芻 書信往來(河東道 虢州 虢州) 
 

并序:
虢州刺史宅連水池竹林,
往往為亭臺島渚,目其處為三堂。
劉兄自給事中出刺此州,在任餘歲,職修人治,
州中稱無事,頗復增飾。從子弟而遊其間,
又作二十一詩以詠其事,流行京師,文士爭和之。
余與劉善,故亦同作。
 

并に序:虢州【かしゅう】刺史の宅は水池 竹林に連なり,
往往【おうおう】亭臺【ていだい】島渚を為【つく】り,其の處を目して三堂と為す。
劉兄は給事中自り出でて此の州に刺たり,任に在ること歲を餘【こ】え,職修【ととの】い人治【おさ】まり,
州中、事無稱す,頗【やや】復た增飾【ぞうしょく】し。子弟を從えて其の間に遊ぶ,
又、二十一詩を作り以て其の事を詠う,京師に流行す,文士、爭って之に和す。
余と劉と善し,故に亦た同じく作りぬ。


miyajima 683

『奉和虢州劉給事使君三堂新題二十一詠 并序』 現代語訳と訳註
(本文)

并序:虢州刺史宅連水池竹林,往往為亭臺島渚,目其處為三堂。劉兄自給事中出刺此州,在任餘歲,職修人治,州中稱無事,頗復增飾。從子弟而遊其間,又作二十一詩以詠其事,流行京師,文士爭和之。余與劉善,故亦同作。


(下し文)
并に序:虢州【かしゅう】刺史の宅は水池 竹林に連なり,往往【おうおう】亭臺【ていだい】島渚を為【つく】り,其の處を目して三堂と為す。劉兄は給事中自り出でて此の州に刺たり,任に在ること歲を餘【こ】え,職修【ととの】い人治【おさ】まり,州中、事無稱す,頗【やや】復た增飾【ぞうしょく】し。子弟を從えて其の間に遊ぶ,又、二十一詩を作り以て其の事を詠う,京師に流行す,文士、爭って之に和す。余と劉と善し,故に亦た同じく作りぬ。


(現代語訳)
虢州刺史の官舎は、川と池と竹林に連続している。さきごろ、亭や台や島や渚をつくって、そこに「三堂」という名をつけた。
劉兄は、給事中の職にあったが、転出してこの州の刺史となり、赴任して一年を超えた。
職務はきちんとととのい、政治もうまくいって、州ではまったく事故がないということだ。
そこで、いくらか、増設改築などをして、子弟たちをつれて、そのほとりで宴遊する。
また二十一首の詩をつくって そのことを詠じた。これが、都にも流行し、文士たちは争って唱和した。
わたしは、劉兄と親しい仲なので、同じようにつくってみた。


(訳注)
奉和虢州劉給事使君三堂新題二十一詠 并序

底本巻九。元和七年(あるいは八年)に韓愈の知人の劉伯弟が侍従の官である給事中から、雛州別史に逢った。劉伯爵は字を素芝といい詺州広平のひとである。
この転任は、病気のため中央の劇務から、比較的ひまな地方官への転出を希望して容れられたものである。翫州は河南省底氏県である。劉は官舎に庭園をいとなみ「三堂」となづけ、これにちなんだ詩をつくった。これに和して韓愈のつくったのが、この詩である。


虢州刺史宅連水池竹林,往往為亭臺島渚,目其處為三堂。
虢州刺史の官舎は、川と池と竹林に連続している。さきごろ、亭や台や島や渚をつくって、そこに「三堂」という名をつけた。


劉兄自給事中出刺此州,在任餘歲,
劉兄は、給事中の職にあったが、転出してこの州の刺史となり、赴任して一年を超えた。


職修人治,州中稱無事,
職務はきちんとととのい、政治もうまくいって、州ではまったく事故がないということだ。


頗復增飾。從子弟而遊其間,
そこで、いくらか、増設改築などをして、子弟たちをつれて、そのほとりで宴遊する。


又作二十一詩以詠其事,流行京師,文士爭和之。
また二十一首の詩をつくって そのことを詠じた。これが、都にも流行し、文士たちは争って唱和した。


余與劉善,故亦同作。 
わたしは、劉兄と親しい仲なので、同じようにつくってみた。


王維の輞川集に倣ったもの。(比較してみるのも面白い。)

輞川集 20首       もうせんしゅう

 輞川集解説

1孟城幼 もうじょうおう2華子岡 かしこう3文杏館ぶんきょうかん4斤竹嶺 きんちくれい
5鹿柴   ろくさい 6木蘭柴 もくらんさい7茱萸拌 しゅゆはん8宮塊陌 きゅうかいはく
9臨湖亭 りんこてい10南 陀 なんだ11欹 湖 いこ12柳 浪 りゅうろう
13欒家瀬らんからい14金屑泉きんせつせん15白石灘はくせきたん16北 陀 ほくだ
17竹里館 ちくりかん18辛夷塢 しんいお19漆 園 しつえん20椒 園 しょうえん

元和聖徳詩 幷序 韓退之(韓愈)詩<80-#2>Ⅱ中唐詩449 漢文委員会 紀頌之の漢詩ブログ1426

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 李商隠詩李商隠/韓愈韓退之(韓愈)・柳宗元・李煜・王安石・蘇東坡 
   2011/7/11李商隠 1 錦瑟 
      2011/7/11 ~ 2012/1/11 まで毎日掲載 全130首(187回) 
   2012/1/11 唐宋 Ⅰ李商隠187 行次西郊作一百韻  白文/現代語訳 (全文) 
     

元和聖德詩並序。
臣愈頓首再拜言,臣伏見皇帝陛下即位已來,誅流姦臣,朝廷清明,無有欺蔽,
臣下である韓愈はひれ伏し再拝して申し上げます。私は伏してみるところによれば、皇帝陛下が即位されてからこれまで、王叔文を四川渝州の司戸に、王伾を四川門州の司馬に流し「八司馬」の追放されて朝廷も春の生命のころのように穏やかになり、欺いて覆い隠すものはなくなったのである。
外斬楊惠琳、劉闢,以收夏蜀,東定青徐積年之叛,海內怖駭,不敢違越,郊天告廟,神靈歡喜,風雨晦明,無不從順,
夏州夏緩銀節度留後楊恵琳と劉関が斬られた。夏と蜀の反乱を平定され、東国における青州と徐州の長年にわたる叛乱を平定された。
国内中がおそれおどろき、あえて違うまま超えることはなく、天の神を郊外の朝廟にお告げして、神や霊気は喜びを告げた風も雨も暗い時も明るい時も関係なく法則に従順であることはない。

太平之期,適當今日。
この時期において太平になり、時に合わせて今日に当たることになる。
#2
臣蒙被恩澤,日與群臣序立紫宸殿陛下,親望穆穆之光,
私は、ふりそそぐほどの御恩をうけて、日々、あまたの臣下の者たちと列に従い紫宸殿の平価のもとに並び立ったのだ、天子のなごやかなお顔、威儀の隆盛なさまを光のように親しみをもって臨んだのだ。
而其職業,又在以經籍教導國子,
そうしてそれが私の職務であり、また国家の指導者養成機関である国子監の学生たちを教える権知国子博士であった。
誠宜率先作歌詩以稱道盛德,
誠心誠意職務し、よろしく率先して詩歌を作ったことで、ほめたたえ皇帝はじめ、高徳の方々に評価された。
不可以辭語淺薄不足以自效為解,
詩や文章の味わいの深浅、厚い薄いでもって、あるいは言葉不足などを以て言い訳をするということはしなかった。
輒依古作四言元和聖德詩一篇。

すぐさま古代の詩歌に似せて四言古詩「元和聖德詩」一篇を作った。
凡千有二十四字,指事實錄,具載明天子文武神聖,以警動百姓耳目,傳示無極,其詩曰。

全部で千二十四文字、実際にあった事実のみを書き、今生皇帝の文武神聖を一つ一つ具体的に記し、それをもってこの国の万民の注目する模範となるよう知らしめるものとし、そうして、この王朝の無限の先の世まで続くことを願うのである。それでは詩によっていうのである。



現代語訳と訳註
(本文)
#2
臣蒙被恩澤,日與群臣序立紫宸殿陛下,親望穆穆之光,而其職業,又在以經籍教導國子,誠宜率先作歌詩以稱道盛德,不可以辭語淺薄不足以自效為解,輒依古作四言元和聖德詩一篇。

凡千有二十四字,指事實錄,具載明天子文武神聖,以警動百姓耳目,傳示無極,其詩曰。


(下し文)
臣、恩澤【おんたく】を蒙被【もうひ】し、日に羣臣【ぐんしん】と紫宸殿【ししんでん】の陛下に序立【じょりつ】し、親しく穆穆【ぼくぼく】の光を望めり。
而も其の職業は、又、経籍【けいせき】を以て國子【こくし】を教導するに在り。
誠に宜しく率先【そっせん】して歌詩を作り、以て盛徳を称道すべし。
辞語の浅薄にして、以て自ら致すに足らざるを以て解と為す可からず。
輒ち、古に依って、四言の元和聖徳詩一篇。
凡て千有二十四字なるを作り、事を指して実録し、具に明天子の文武神聖を載し、以て百姓の耳目を警動し、傳へて無極に示さむとす。其の詩に日く。


(現代語訳)
私は、ふりそそぐほどの御恩をうけて、日々、あまたの臣下の者たちと列に従い紫宸殿の平価のもとに並び立ったのだ、天子のなごやかなお顔、威儀の隆盛なさまを光のように親しみをもって臨んだのだ。
そうしてそれが私の職務であり、また国家の指導者養成機関である国子監の学生たちを教える権知国子博士であった。
誠心誠意職務し、よろしく率先して詩歌を作ったことで、ほめたたえ皇帝はじめ、高徳の方々に評価された。
詩や文章の味わいの深浅、厚い薄いでもって、あるいは言葉不足などを以て言い訳をするということはしなかった。
すぐさま古代の詩歌に似せて四言古詩「元和聖德詩」一篇を作った。
全部で千二十四文字、実際にあった事実のみを書き、今生皇帝の文武神聖を一つ一つ具体的に記し、それをもってこの国の万民の注目する模範となるよう知らしめるものとし、そうして、この王朝の無限の先の世まで続くことを願うのである。それでは詩によっていうのである。


(訳注)
臣蒙被恩澤,日與群臣序立紫宸殿陛下,親望穆穆之光。
私は、ふりそそぐほどの御恩をうけて、日々、あまたの臣下の者たちと列に従い紫宸殿の平価のもとに並び立ったのだ、天子のなごやかなお顔、威儀の隆盛なさまを光のように親しみをもって臨んだのだ。
序立 階級職務の順序にしたがってならび立つ。
紫演殿陛下 紫炭殿は内朝の正殿。陛下は、階段の下。
穆穆之光 天子のなごやかなお顔。威儀の隆盛なさま。


而其職業,又在以經籍教導國子
そうしてそれが私の職務であり、また国家の指導者養成機関である国子監の学生たちを教える権知国子博士であった。
其職業 わたしの職務。
国子 国家の指導者養成機関である国子監、すなわち国立大学、の学生たち。


誠宜率先作歌詩以稱道盛德
誠心誠意職務し、よろしく率先して詩歌を作ったことで、ほめたたえ皇帝はじめ、高徳の方々に評価された。
称道 ほめたたえ、いいふらす。


不可以辭語淺薄不足以自效為解
詩や文章の味わいの深浅、厚い薄いでもって、あるいは言葉不足などを以て言い訳をするということはしなかった。
 いいわけ。


輒依古作四言元和聖德詩一篇。
すぐさま古代の詩歌に似せて四言古詩「元和聖德詩」一篇を作った。
・輒 すぐさま。
依古 古代の詩歌に似せて。たしかに、この詩は、その文体が、『詩経』や『書経』の雰囲気を持つ。


凡千有二十四字,指事實錄,具載明天子文武神聖,以警動百姓耳目,傳示無極,其詩曰。
全部で千二十四文字、実際にあった事実のみを書き、今生皇帝の文武神聖を一つ一つ具体的に記し、それをもってこの国の万民の注目する模範となるよう知らしめるものとし、そうして、この王朝の無限の先の世まで続くことを願うのである。それでは詩によっていうのである。
・凡 全部で。
・具載 一つ一つ具体的に記す。
・文武神聖 文事にも武事にも神聖でいらっしゃる御事をいう。
・警動 いましめ、感動させる。
・百姓 万民。農夫をさすのではない。
・顛極 時間空間の無限の彼方までというほどの意。


<背景>
805年貞元二十一年正月、徳宗が崩じ順宗が即位すると、王叔文は、やはり順宗の気に入りであった王位と結んで政権を握った。
葦執誼・陸淳・呂温・李景倹・韓嘩・韓泰・陳諌・柳宗元・劉轟錫・凌準・程昇らが、その党人であった。
順宗は即位の前年から中風で政治ができない状態だったから、すべては、王叔文らの思うがままにはこはれた。もっとも、王叔文は、小地主階数出身で、徳宗の治世に積みかさなっていた弊政を改革したいと思っていたので、その理想を短期間に実行に移そうとしたのであった。かれの党人の多くは、かれと同じような階級出身の尖鋭な少壮官僚だった。
この運動はたちまち貴族・大地主・常官たちのはげしい憎しみを買った。党人の中から、王叔文の名声をねたむ韋執誼がそむいた。また、王叔文を憎んでいた皇太子の李純が七月に摂政となり、八月、位を譲られて即位した。憲宗である。
憲宗は即位と同時に王叔文を四川渝州の司戸に、王伾を四川門州の司馬に流し、王叔文は翌年殺され王伾もまもなく病死した。党人も喪中の李景儉、国外にあった呂温をのぞき、柳宗元は湖南の永州、劉禹錫は朗州というように、みな司馬として左遷された。かれらを「八司馬」 という。

元和聖徳詩 幷序 韓退之(韓愈)詩<80-#1>Ⅱ中唐詩448 漢文委員会 紀頌之の漢詩ブログ1423

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 李商隠詩李商隠/韓愈韓退之(韓愈)・柳宗元・李煜・王安石・蘇東坡 
   2011/7/11李商隠 1 錦瑟 
      2011/7/11 ~ 2012/1/11 まで毎日掲載 全130首(187回) 
   2012/1/11 唐宋 Ⅰ李商隠187 行次西郊作一百韻  白文/現代語訳 (全文) 
     

#1
元和聖德詩(並序。初憲宗即位,劍南劉闢自稱留後以叛。元和元年正月,以高崇文為左神策行營節度使討闢。九月,克成都,十月,闢伏誅。二年正月己丑,朝獻於大清宮。庚寅,朝享於太廟。辛卯,祀昊天上帝於郊丘,還宮,大赦天下。) 韓愈


元和聖德詩並序。
臣愈頓首再拜言,臣伏見皇帝陛下即位已來,誅流姦臣,朝廷清明,無有欺蔽,外斬楊惠琳、劉闢,以收夏蜀,東定青徐積年之叛,海內怖駭,不敢違越,郊天告廟,神靈歡喜,風雨晦明,無不從順,太平之期,適當今日。
#2
臣蒙被恩澤,日與群臣序立紫宸殿陛下,親望穆穆之光,而其職業,又在以經籍教導國子,誠宜率先作歌詩以稱道盛德,不可以辭語淺薄不足以自效為解,輒依古作四言元和聖德詩一篇。

凡千有二十四字,指事實錄,具載明天子文武神聖,以警動百姓耳目,傳示無極,其詩曰。


元和聖德詩#3・1
皇帝即阼,物無違拒。曰暘而暘,曰雨而雨。
維是元年,有盜在夏。欲覆其州,以踵近武。
皇帝曰嘻,豈不在我。負鄙為艱,縱則不可。
出師征之,其眾十旅。軍其城下,告以福禍。
#4・2
腹敗枝披,不敢保聚。擲首陴外,降幡夜豎。
疆外之險,莫過蜀土。韋皋去鎮,劉辟守後。
血人於牙,不肯吐口。開庫啖士,曰隨所取。
汝張汝弓,汝鼓汝鼓。汝為表書,求我帥汝。
#5・3
事始上聞,在列鹹怒。皇帝曰然,嗟遠士女。
苟附而安,則且付與。讀命於庭,出節少府。
朝發京師,夕至其部。辟喜謂黨,汝振而伍。
蜀可全有,此不當受。萬牛臠炙,萬甕行酒。
#6・4
以錦纏股,以紅帕首。有恇其凶,有餌其誘。
其出穰穰,隊以萬數。遂劫東川,遂據城阻。
皇帝曰嗟,其又可許。爰命崇文,分卒禁禦。
有安其驅,無暴我野。日行三十,徐壁其右。
#7・5
辟黨聚謀,鹿頭是守。崇文奉詔,進退規矩。
戰不貪殺,擒不濫數。四方節度,整兵頓馬。
上章請討,俟命起坐。皇帝曰嘻,無汝煩苦。
荊並洎梁,在國門戶。出師三千,各選爾醜。
#8・6
四軍齊作,殷其如阜。或拔其角,或脫其距。
長驅洋洋,無有齟齬。八月壬午,辟棄城走。
載妻與妾,包裹稚乳。是日崇文,入處其宇。
分散逐捕,搜原剔藪。辟窮見窘,無地自處。
#9・7
俯視大江,不見洲渚。遂自顛倒,若杵投臼。
取之江中,枷脰械手。婦女累累,啼哭拜叩。
來獻闕下,以告廟社。周示城市,鹹使觀睹。
解脫攣索,夾以砧斧。婉婉弱子,赤立傴僂。
#10・8
牽頭曳足,先斷腰膂。次及其徒,體骸撐拄。
末乃取辟,駭汗如寫。揮刀紛紜,爭刌膾脯。
優賞將吏,扶珪綴組。帛堆其家,粟塞其庾。
哀憐陣沒,廩給孤寡。贈官封墓,周匝宏溥。
#11・9
經戰伐地,寬免租簿。施令酬功,急疾如火。
天地中間,莫不順序。幽恒青魏,東盡海浦。
南至徐蔡,區外雜虜。怛威赧德,踧踖蹈舞。
掉棄兵革,私習簋簠。來請來覲,十百其耦。
#12・10
皇帝曰籲,伯父叔舅。各安爾位,訓厥甿畝。
正月元日,初見宗祖。躬執百禮,登降拜俯。
薦于新宮,視瞻梁梠.戚見容色,淚落入俎。
侍祠之臣,助我惻楚。乃以上辛,於郊用牡。
#13・11
除于國南,鱗筍毛簴。廬幕周施,開揭磊砢,
獸盾騰拏,圓壇帖妥。天兵四羅,旂常婀娜。
駕龍十二,魚魚雅雅。宵升於丘,奠璧獻斝。
眾樂驚作,轟豗融冶。紫焰噓呵,高靈下墮。
#14・12
群星從坐,錯落侈哆。日君月妃,煥赫婐。
瀆鬼濛鴻,嶽祗嶪峨。飫沃膻薌,產祥降嘏。
鳳凰應奏,舒翼自拊。赤麟黃龍,逶陀結糾。
卿士庶人,黃童白叟。踴躍歡呀,失喜噎歐。
#15・13
乾清坤夷,境落褰舉。帝車回來,日正當午。
幸丹鳳門,大赦天下。滌濯剗磢,磨滅瑕垢。
續功臣嗣,拔賢任耇,孩養無告,仁滂施厚。
皇帝神聖,通達今古。聽聰視明,一似堯禹。
#16・14
生知法式,動得理所。天錫皇帝,為天下主。
並包畜養,無異細钜。億載萬年,敢有違者?
皇帝儉勤,盥濯陶瓦。斥遣浮華,好此綈紵。
敕戒四方,侈則有咎。天錫皇帝,多麥與黍。
#17・15
無召水旱,耗於雀鼠。億載萬年,有富無窶。
皇帝正直,別白善否。擅命而狂,既翦既去。
盡逐群奸,靡有遺侶。天錫皇帝,厖臣碩輔。
博問遐觀,以置左右。億載萬年,無敢餘侮。
#18・16
皇帝大孝,慈祥悌友。怡怡愉愉,奉太皇后。
浹於族親,濡及九有。天錫皇帝,與天齊壽。
登茲太平,無怠永久。億載萬年,為父為母。
博士臣愈,職是訓詁。作為歌詩,以配吉甫。


現代語訳と訳註
(本文)
#1
元和聖德詩(並序。初憲宗即位,劍南劉闢自稱留後以叛。元和元年正月,以高崇文為左神策行營節度使討闢。九月,克成都,十月,闢伏誅。二年正月己丑,朝獻於大清宮。庚寅,朝享於太廟。辛卯,祀昊天上帝於郊丘,還宮,大赦天下。) 韓愈

元和聖德詩並序。
臣愈頓首再拜言,臣伏見皇帝陛下即位已來,誅流姦臣,朝廷清明,無有欺蔽,外斬楊惠琳、劉闢,以收夏蜀,東定青徐積年之叛,海內怖駭,不敢違越,郊天告廟,神靈歡喜,風雨晦明,無不從順,太平之期,適當今日。


(下し文)
臣愈、頓首再拝して言す。臣、伏しておもん見るに、皇帝陛下、即位已来、姦臣を誅流し、朝廷清明にして、欺蔽するもの有ること無し。
外には楊惠琳・劉闢を斬りて、以て夏・蜀を収め、東のかたには青・徐の積年の叛を定めたまふ。
海内怖駭し、敢て違越せず。
天を郊り廟に告げ、神靈歡喜し、風雨晦明,從順ならざるは無し。
太平の期,適ま今日に當れり。

臣、恩澤を蒙被し、日に羣臣と紫宸殿の陛下に序立し、親しく穆穆の光を望めり。
而も其の職業は、又、経籍を以て國子を教導するに在り。
誠に宜しく率先して歌詩を作り、以て盛徳を称道すべし。
辞語の浅薄にして、以て自ら致すに足らざるを以て解と為す可からず。
輒ち、古に依って、四言の元和聖徳詩一篇。
凡て千有二十四字なるを作り、事を指して実録し、具に明天子の文武神聖を載し、以て百姓の耳目を警動し、傳へて無極に示さむとす。其の詩に日く。


(現代語訳)
臣下である韓愈はひれ伏し再拝して申し上げます。私は伏してみるところによれば、皇帝陛下が即位されてからこれまで、王叔文を四川渝州の司戸に、王伾を四川門州の司馬に流し「八司馬」の追放されて朝廷も春の生命のころのように穏やかになり、欺いて覆い隠すものはなくなったのである。
夏州夏緩銀節度留後楊恵琳と劉関が斬られた。夏と蜀の反乱を平定され、東国における青州と徐州の長年にわたる叛乱を平定された。
国内中がおそれおどろき、あえて違うまま超えることはなく、天の神を郊外の朝廟にお告げして、神や霊気は喜びを告げた風も雨も暗い時も明るい時も関係なく法則に従順であることはない。
この時期において太平になり、時に合わせて今日に当たることになる。


(訳注)
元和聖德詩並序。
(並序。初憲宗即位,劍南劉闢自稱留後以叛。元和元年正月,以高崇文為左神策行營節度使討闢。九月,克成都,十月,闢伏誅。二年正月己丑,朝獻於大清宮。庚寅,朝享於太廟。辛卯,祀昊天上帝於郊丘,還宮,大赦天下。) 韓愈

元和の聖徳の詩(並びに序。806年初めに憲宗が皇帝に即位する。劍南道の劉関は自ら留後と称して以て叛した。元和元年正月、以て高崇為左神策行營節度使がこれを闢を討つ勅命を發する。九月には成都を奪回し、十月には闢を平定し誅殺した。809年元和2年正月、朝廷大清宮において献上する。810年朝廷太廟にて享ずる。811年洛陽郊外の丘において天地合祭を行い,また大清宮に献上し,天下に大赦された。)韓愈の注。
この詩が韓愈にとって最も重要な、公的作品だと、韓愈グループの文学者には考えられていたのであろう。韓愈の集を編纂した弟子の李漠が、詩の最初にこの作品をおいているのは、そのあらわれと見られる。


臣愈頓首再拜言,臣伏見皇帝陛下即位已來,誅流姦臣,朝廷清明,無有欺蔽,
臣下である韓愈はひれ伏し再拝して申し上げます。私は伏してみるところによれば、皇帝陛下が即位されてからこれまで、王叔文を四川渝州の司戸に、王伾を四川門州の司馬に流し「八司馬」の追放されて朝廷も春の生命のころのように穏やかになり、欺いて覆い隠すものはなくなったのである。
臣愈 皇帝にたてまつる文章だから、おのれのことを、こうとなえる。その場合、臣韓愈というふうに姓を記すことはしない。
頓首再拝言 きまり文句だが、頓首は、頭を地につける、再拝は、二度おじぎをする、という意。
皇帝陛下 憲宗皇帝である。
誅流姦臣 憲宗は即位と同時に王叔文を四川渝州の司戸に、王伾を四川門州の司馬に流し「八司馬」の追放のことをいう。

外斬楊惠琳、劉闢,以收夏蜀,東定青徐積年之叛。
夏州夏緩銀節度留後楊恵琳と劉関が斬られた。夏と蜀の反乱を平定され、東国における青州と徐州の長年にわたる叛乱を平定された。
外斬楊惠琳 805年永貞元年十一月、叛乱した、夏緩銀節度留後楊恵琳が、806年元和元年十月、斬られた。そのことをさす。外は夏州が辺境の州であるからいう。
夏蜀 夏は夏州で今の陝西省横山県の西。蜀は四川省。
 青州、今の山東省臨溜県。節度使の李師古が死に、弟の李師道が留後となっていたが、部将の劉悟に殺された。
 徐州。徐州に就職した次の年の800年貞元十六年の初夏のころ、韓愈は張建封の雫を辞して、洛陽に仮寓した。まもなく張建封は死に、その翌日、徐州の軍隊は暴動を起こした。かれは二度まで、その勤務先の動乱を寸前にまぬかれたのだ。


海內怖駭,不敢違越,郊天告廟,神靈歡喜,風雨晦明,無不從順。
国内中がおそれおどろき、あえて違うまま超えることはなく、天の神を郊外の朝廟にお告げして、神や霊気は喜びを告げた風も雨も暗い時も明るい時も関係なく法則に従順であることはない。
海内 国内。
怖骸 おそれおどろく。


太平之期,適當今日。
この時期において太平になり、時に合わせて今日に当たることになる。

柳枝五首有序 李商隠 紀頌之の漢詩ブログ李商隠特集150- 113

柳枝五首有序 李商隠 紀頌之の漢詩ブログ李商隠特集150- 113


 


柳枝五首 有序
柳枝,洛中里孃也。父饒好賈,風波死于湖上。其母不念他兒子,獨念柳枝。生十七年,塗裝綰髻,未嘗竟,已復起去,吹葉嚼蕊,調絲擫管,作天海風濤之曲,幽憶怨斷之音。居其旁,與其家接故往來者,聞十年尚相與,疑其醉眠夢物斷不娉。與從昆讓山,比柳枝居為近。

他日春曾陰,讓山下馬柳枝南柳下,詠余燕臺詩,柳枝驚問:“誰人有此?誰人為是?”讓山謂曰:“此吾里中少年叔耳。”柳枝手斷長帶,結讓山為贈叔乞詩。明日,余比馬出其巷,柳枝丫環畢妝,抱立扇下,風鄣一袖,指曰:“若叔是?後三日,鄰當去濺裙水上,以博山香待,與郎俱過。”

余諾之。會所友偕當詣京師者,戯盜余臥裝以先,不果留。雪中讓山至,且曰:“為東諸侯娶去矣。”明年,讓山復東,相背于戯上,因寓詩以墨其故処云。

 
柳枝五首 有序
柳枝は、洛中の里の娘なり。父饒かにして賈を好くするも、風波に湖上に死す。其の母 他の児子を念わず、独り柳枝を念う。生まれて十七年、塗裝綰髻(としょうわんけい)、末だ嘗て竟らず、巳にして復た起ち去き、葉を吹き蕊を噛む。糸を調え管を擫え、天海風涛の曲、幽憶怨断の音を作る。其の傍に居り、其の家と揖故往来する者聞くこと十年なるも、尚お相い与に其の酔眠夢物かと疑いて断って贈らず。余の従昆譲山、柳枝の居に比びて近しと為す。

他日 春の曾陰に、譲山は馬を柳枝の南柳の下に下り、余の燕台の詩を詠ず。柳枝驚きて問う、誰が人か此れ看る、誰が人か足れを為る、と。譲山謂いて日く、此れ吾が里中の少年叔のみ、と。柳枝手づから長帯を断ち、譲山に結びて為に叔に贈りて詩を乞う。明日、余は馬を比べて其の巷を出ず。柳枝は丫環(あかん)して妝を畢(お)え、抱きて扇下に立ち、風 一袖に障(さえぎ)らる。指して目く、若し 叔 是れなるか、後三日にして隣は当に去きて裙を水上に濺(そそ)ぐべし、博山の香を以て待つ、郎と供に過ぎらん、と。

余 之を諾す。会(たま)たま友とする所の偕に当に京師に詣るべき老有り、戯れに余が臥装を盗みて以て先んじ、留まるを果たせず。雪中に譲山至り、且つ日く、東の諸侯取り去れり、と。明年、譲山復た東し、戯上に相い背にす。困りて詩を寓せて以て其の故の処に墨せしむと云う。 




(現代語訳)
柳枝は洛陽の町のむすめである。父は豊かな商人であったが、嵐に巻き込まれて湖で亡くなった。
母はほかの子供は念頭になく、ただ柳枝だけをかわいがった。
十七歳になっている、おしろいを塗ったり髪をたばねたりしている、そんなふうのままに、そして外に出て行ったのだ、草の葉を吹いたり花蕊を口に噛んだり無邪気に興じている、琴や笛を操って、空の風、海の波のような壮大な曲、あるいはまた忍びやかな、消え入りそうな曲を奏でているのだ。
その住まいのそばにいる、彼女の家とのつきあっているものがいる、十年来うわさを聞いている人たちでも、だれもが酔時の夢のようにつかみどころがない女だと思って、嫁に取ろうとする者はついぞなかった。
わたしのいとこの譲山は、柳枝の家の近くに住んでいた。
ある春の重く曇った日、譲山は柳枝の家の南の柳に馬を繋いだ、わたしの「燕台の詩」を口ずさんでいる。
柳枝がびっくりして尋ねてきた。
「今口ずさんだ詩はどなたのものですか?この詩はどなたが作られたのですか?」と。
譲山は答えた。
「これはわたしの里の若いいとこの作だ」と。
柳枝は自分の手で長い帯を断ち切った、結び目をして、あなたのいとこに贈ってこれに詩を書いてほしいと譲山に頼んだのだ。
明けての日、わたしは譲山と馬を並べて小路を出ると、柳枝は髪を結ってすっかりおめかしし、扉の前で両腕を重ねて、片袖が風に揺れていた。
わたしに向かって言ってきた。
「いとこの方でしょうか。三日後に、隣のもののわたしは水辺に参って禊ぎをいたします。博山の香炉をもってお待ちしますから、あなたもご一緒しましょう」と。
わたしは承諾した。しかしたまたま一緒に都へ行くことになっていた友人がいるのだが、ふざけてわたしの旅の荷物を先にこっそり持っていってしまった、これ以上逗留することができなくなってしまったのだ。
明けて翌年、譲山はまた東都に行くことになったので、戯水のほとりで別れを告げた。そしてこの詩を托して彼女の棲んでいた居宅に書き付けるように頼んだ。
雪の降るなかを譲山がやってきて、こういった
「柳枝は東方の諸侯に連れていかれてしまった」と。




(訳注)

柳枝,洛中里孃也。父饒好賈,風波死于湖上。
柳枝は洛陽の町のむすめである。父は豊かな商人であったが、嵐に巻き込まれて湖で亡くなった。


其母不念他兒子,獨念柳枝。
母はほかの子供は念頭になく、ただ柳枝だけをかわいがった。


生十七年,塗裝綰髻,未嘗竟,已復起去,吹葉嚼蕊,調絲擫管,作天海風濤之曲,幽憶怨斷之音。
十七歳になっている、おしろいを塗ったり髪をたばねたりしている、そんなふうのままに、そして外に出て行ったのだ、草の葉を吹いたり花蕊を口に噛んだり無邪気に興じている、琴や笛を操って、空の風、海の波のような壮大な曲、あるいはまた忍びやかな、消え入りそうな曲を奏でているのだ。
塗裝綰髻 お化粧して髪を結う。・:おしろいを塗る。・:まるく結ぶ。・髻:もとどり。○未嘗責 きちんと最後まで(お化粧を)しない。○吹葉嚼蕊 葉を吹き鳴らし花の蕊を噂むとは、子供の遊びをいうか。年頃になってもおめかしに興味がない少女を描く。○調絲擫管 ・:弦楽器、・:管楽器。・調:調律する、演奏する。・:は穴を指で押さえること。○作天海風涛之曲、幽憶怨断之音 ・天海風涛:「天風海溝」の意。人自然の音を写したような雄大な曲。・幽憶怨断之音:それと反対に、秘やかな思いをこめて消え入るような哀愁に満ちた曲。


居其旁,與其家接故往來者,聞十年尚相與,疑其醉眠夢物斷不娉。
その住まいのそばにいる、彼女の家とのつきあっているものがいる、十年来うわさを聞いている人たちでも、だれもが酔時の夢のようにつかみどころがない女だと思って、嫁に取ろうとする者はついぞなかった。
接故往來 近所づきあいをする。○酔眼夢物 尋常の少女と異なる柳枝は、周囲の人から見ると酔って眠った夢の中のようにわけがわからないことをいうか。


與從昆讓山,比柳枝居為近。
わたしのいとこの譲山は、柳枝の家の近くに住んでいた。 
従昆譲山 ・従昆:いとこ。・譲山:その字名。


他日春曾陰,讓山下馬柳枝南柳下,詠余燕臺詩,
ある春の重く曇った日、譲山は柳枝の家の南の柳に馬を繋いだ、わたしの「燕台の詩」を口ずさんでいる。
曾陰 雲が厚く重なる。「曾」 はかさなる。○余燕台詩 李商隠の「燕台詩四首」(12月10日頃掲載予定)を指す。 
 
柳枝驚問:“誰人有此?誰人為是?”
すると柳枝がびっくりして尋ねてきた。
「今口ずさんだ詩はどなたのものですか?この詩はどなたが作られたのですか?」。と。


讓山謂曰:“此吾里中少年叔耳。”
譲山は答えた。
「これはわたしの里の若いいとこの作だ」と。
少年叔 年少のいとこ。
 
柳枝手斷長帶,結讓山為贈叔乞詩。
柳枝は自分の手で長い帯を断ち切った、結び目をして、あなたのいとこに贈ってこれに詩を書いてほしいと譲山に頼んだのだ。
手断長帯 帯に詩を書いてもらうために手で帯を裂く。○ 帯に結び目を作って約束や願い事をする。


明日,余比馬出其巷,柳枝丫環畢妝,抱立扇下,風鄣一袖,
明けての日、わたしは譲山と馬を並べて小路を出ると、柳枝は髪を結ってすっかりおめかしし、扉の前で両腕を重ねて、片袖が風に揺れていた。
 道路から奥まった小路。○丫環 あげまき。若いむすめの髪型。○畢粧 完全にお化粧する。先にお化粧もろくにしないで外に遊びに出たというのと対比をなす。○抱立扇下 ・抱:抱くように両腕を重ねる。・扇:扉。


指曰:“若叔是?後三日,鄰當去濺裙水上,以博山香待,與郎俱過。”
わたしに向かって言ってきた。
「いとこの方でしょうか。三日後に、隣のもののわたしは水辺に参って禊ぎをいたします。博山の香炉をもってお待ちしますから、あなたもご一緒しましょう」と。
 近所の者、という言い方で、柳枝は自分を称したのだ。○瀬袴水上 水辺で衣服を洗い、清めの酒をそそぎ無病息災を祈る民間行事。女性が外出できる数少ない機会でもあった。○博山香 「博山」という仙山のかたちをした香炉

春雨 李商隠 紀頌之の漢詩ブログ李商隠特集-77
参照。男女が会うことを暗示する。


余諾之。會所友偕當詣京師者,戯盜余臥裝以先,不果留。
わたしは承諾した。しかしたまたま一緒に都へ行くことになっていた友人がいるのだが、ふざけてわたしの旅の荷物を先にこっそり持っていってしまった、これ以上逗留することができなくなってしまったのだ。
臥装 寝具。旅には寝具も携帯した。


明年,讓山復東,相背于戯上,因寓詩以墨其故処云。
明けて翌年、譲山はまた東都に行くことになったので、戯水のほとりで別れを告げた。そしてこの詩を托して彼女の棲んでいた居宅に書き付けるように頼んだ。
相背 背中を向け合うことから別れることをいう。○戯上 戯水のほとり。戯水は陝西省臨潼県の南、驪山に発し、渭水に流れ込む。長安の東30km位のところ。


雪中讓山至,且曰:“為東諸侯娶去矣。”
雪の降るなかを譲山がやってきて、こういった
「柳枝は東方の諸侯に連れていかれてしまった」と。
長安黄河
                 陝西省臨潼県戯水
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