漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩 中唐詩人選集【Ⅰ李商隠-150】Ⅱ韓退之(韓愈)-500Ⅶ孟郊(東野)賈島張籍柳宗元韋応物

Ⅰ李商隠は難解詩といわれている。約150首紹介済。(晩唐詩人) Ⅱ韓退之(韓愈)-約500首Ⅶ孟郊、中唐の詩人を掲載中。万物の性(さが)をテーマにした哲学的な詩。このブログは基本的に中唐詩人を中心にして掲載する予定。 韓愈詩文のこれまでの掲載分とこれから掲載予定分を時系列で整理した2014.3.29のブログに集約してそこから各年次を見ることができる  kanbuniinkai 検索で、《漢文委員会HP05》サイトあります。漢詩唐詩を理解するための総合サイト:≪漢文委員会 漢詩07≫。

七言雑詩

少し、マニアックな晩唐詩人Ⅰ-李商隠150首をまず掲載済み。中唐は盛唐詩人(孟浩然・王維、杜甫、李白)を受け継いだ多様な詩人が出ている。この時代も驚くほど詩が発展している。Ⅱ韓退之(韓愈)500首、Ⅲ柳宗元40首、Ⅳ韋応物、Ⅴ劉長卿、Ⅵ韋荘、Ⅶ孟郊(孟東野)、Ⅷ張籍、Ⅸ賈島、Ⅹ劉禹錫、ほか2012~2020年の予定で気長に進める。同じ中唐ではあるが、白居易のグループについては、李白のブログ350首(2015/6月再開~2018/夏・秋月予定)の後掲載の予定。別に杜甫詩ブログ1500首(2011/7月~2018/8月の予定で)を進行中。詩数につぃては、予定の詩数より多くなる。気まぐれなところがあるのでこの予定が少し変わる場合があり、その節はご容赦ください。                 古詩・謝霊運詩 杜甫詩 韓愈詩 花間集500首全詩 それぞれ毎日ブログしています。 このブログ、索引=語句の「検索」 参考書以上掲載。漢詩力up。

岣嶁山 韓退之(韓愈)詩<52>Ⅱ中唐詩348 紀頌之の漢詩ブログ1123

岣嶁山 韓退之(韓愈)詩<52>Ⅱ中唐詩348 紀頌之の漢詩ブログ1123

岣嶁山
岣嶁山尖神禹碑,字青石赤形模奇。
岣嶁山の鋭く尖った頂に古代の聖王禹の碑がある、文字は青色で、石は赤く、形は奇抜なものなのだ。
蝌蚪拳身薤倒披,鸞飄鳳泊拿虎螭。
それはおたまじゃくしが身をかがめ、らっきょうが 逆さにぶら下がったようなかたちであり、鸞が飛び 、鳳がそれの泊まって、虎と螭がつかみ合うように見えるという。
事嚴跡秘鬼莫窺,道人獨上偶見之,我來咨嗟涕漣洏。
事実は厳粛なものであり、形跡は秘密なものである、 だから鬼神にさえも窺知を許さないというものなのだ。それは、道敦の修行者がなんとかひとり上ることできて偶然これを発見したそうだ。我々もここにやって来たがなげいてしまい、涙がしとどに流れて止まらないのだ。
千搜萬索何處有,森森綠樹猿猱悲。

干遍探し、万遍も探索したのだが、いったい何処にあるというのか、ただそこでは、森森とした静かな緑樹の林に猿と猱共が、悲しく泣いているだけなのだ。


岣嶁山【こうろうさん】 尖【せん】の神禹の碑、字 青く 石 赤く 形慕【けいも】 奇に。
蝌蚪【かと】 身を拳【かが】め 薤【かい】 倒【さかさま】に披【ひら】き、鸞【らん】 飄【ただよ】ひ 鳳 泊って 虎と螭【みずち】とを拿【つか】む。
事 嚴【げん】に 跡 秘【ひ】にして 鬼【き】も窺【うあたが】ふ莫し、道人【どうじん】 獨り上って 偶【たまた】ま之を見き と、我 來って咨嗟【しさ】し 涕【なみだ】 漣洏【れんじ】たり。
干搜【せんそう】萬索【ばんさく】するも 何れの處にか有り、森森【しんしん】たる緑樹【りょくじゅ】に 猿猱【えんどう】の悲めるのみ。


現代語訳と訳註
(本文)
岣嶁山
岣嶁山尖神禹碑,字青石赤形模奇。
蝌蚪拳身薤倒披,鸞飄鳳泊拿虎螭。
事嚴跡秘鬼莫窺,道人獨上偶見之,我來咨嗟涕漣洏。
千搜萬索何處有,森森綠樹猿猱悲。

(下し文)岣嶁山
岣嶁山【こうろうさん】 尖【せん】の神禹の碑、字 青く 石 赤く 形慕【けいも】 奇に。
蝌蚪【かと】 身を拳【かが】め 薤【かい】 倒【さかさま】に披【ひら】き、鸞【らん】 飄【ただよ】ひ 鳳 泊って 虎と螭【みずち】とを拿【つか】む。
事 嚴【げん】に 跡 秘【ひ】にして 鬼【き】も窺【うあたが】ふ莫し、道人【どうじん】 獨り上って 偶【たまた】ま之を見き と、我 來って咨嗟【しさ】し 涕【なみだ】 漣洏【れんじ】たり。
干搜【せんそう】萬索【ばんさく】するも 何れの處にか有り、森森【しんしん】たる緑樹【りょくじゅ】に 猿猱【えんどう】の悲めるのみ。



(現代語訳)
岣嶁山の鋭く尖った頂に古代の聖王禹の碑がある、文字は青色で、石は赤く、形は奇抜なものなのだ。
それはおたまじゃくしが身をかがめ、らっきょうが 逆さにぶら下がったようなかたちであり、鸞が飛び 、鳳がそれの泊まって、虎と螭がつかみ合うように見えるという。
事実は厳粛なものであり、形跡は秘密なものである、 だから鬼神にさえも窺知を許さないというものなのだ。それは、道敦の修行者がなんとかひとり上ることできて偶然これを発見したそうだ。我々もここにやって来たがなげいてしまい、涙がしとどに流れて止まらないのだ。
干遍探し、万遍も探索したのだが、いったい何処にあるというのか、ただそこでは、森森とした静かな緑樹の林に猿と猱共が、悲しく泣いているだけなのだ。


(訳注)岣嶁山
岣嶁山尖神禹碑,字青石赤形模奇。

岣嶁山の鋭く尖った頂に古代の聖王禹の碑がある、文字は青色で、石は赤く、形は奇抜なものなのだ。
岣嶁山 底木巻三。中国,湖南省の中東部,衡山県の西15kmにある山。その南・東・北の3面を湘江がめぐって流れる。隋の文帝(在位581‐604)以後,南岳として尊ばれ五岳の一つとなった。岣嶁山(こうろうざん)とも呼ばれる。周囲約400kmで,花コウ岩より成る断層山脈で,山容は雄大。72峰あり祝融(1290m),天柱,芙蓉,紫蓋,石廩(せきりん)の5峰が有名。山中に南台寺,祝聖寺などの大寺院があり礼拝者が絶えず,天台・禅の名僧が駐錫したという。岣嶁山は衡山の峯の別名で岣も嶁も山の頂という意味だから、これが衡山の主峯だとする説もある。又、別名に虎山ともいう。古代の聖王禹の廟が安置してある。禹が治水事業を完成したとき山壁に功績を刻みつけたという伝説がある。岬嗜碑と名づけ中国最古の碑とされる。


蝌蚪拳身薤倒披,鸞飄鳳泊拿虎螭。
それはおたまじゃくしが身をかがめ、らっきょうが 逆さにぶら下がったようなかたちであり、鸞が飛び 、鳳がそれの泊まって、虎と螭がつかみ合うように見えるという。
蝌蚪 おたまじゃくし。古代の文字に科斗を組み合わせたような形のものがあった。碑の文字のことをいっている。
薤倒披 これも碑の文字の形容。ラッキョウをさかさにひろげたような。・鸞飄鳳泊拿虎螭 碑面全体のようすを形容しているのである。


事嚴跡秘鬼莫窺,道人獨上偶見之,我來咨嗟涕漣洏。
事実は厳粛なものであり、形跡は秘密なものである、 だから鬼神にさえも窺知を許さないというものなのだ。それは、道敦の修行者がなんとかひとり上ることできて偶然これを発見したそうだ。我々もここにやって来たがなげいてしまい、涙がしとどに流れて止まらないのだ。
道人 神仙の道をえたひと、道敦の修行者。仏教の僧、修験者をさしていうこともある。・咨嗟 なげく。・漣洏 涙のしとどに流れるさま。

 
千搜萬索何處有,森森綠樹猿猱悲。
干遍探し、万遍も探索したのだが、いったい何処にあるというのか、ただそこでは、森森とした静かな緑樹の林に猿と猱共が、悲しく泣いているだけなのだ。
猿猱 猿と猱サル ・神禹碑は道教の徒がつくったような伝説におおわれ、しかも道教の徒以外に見たというものがいない。韓愈はその伝説がいつわりであることをあばくため、この山に上った。案の定、碑などはなかったということでこの詩は生まれた。又この衡山を舞台にした詩が以下のものである。

中唐詩-279 八月十五夜贈張功曹 #1 Ⅱ韓退之(韓愈) 紀頌之の漢詩ブログ 韓愈特集-34

中唐詩-279 八月十五夜贈張功曹 #1 Ⅱ韓退之(韓愈) 紀頌之の漢詩ブログ 韓愈特集-34
(八月十五夜張功曹に贈る)

八月十五夜贈張功曹
仲秋の夜、江陵功曹参軍事に新たに任じられた張署君に贈る。
纖雲四卷天無河,清風吹空月舒波。
細い筋のような雲が四方の空に巻き、天には天の川も見えず、すがすがしい風が空を吹きわたって、月影は波の上にひろがりうつしている。
沙平水息聲影絕,一杯相屬君當歌。
川岸の砂は平らに流れの音もやみ、物音も物の姿も絶えたとき、一杯の酒を君に勧めたら、君は歌を歌ってくれ。
君歌聲酸辭且苦,不能聽終淚如雨。
君の歌はむせぶ様な痛ましいし調べと歌詞も哀しく、終わりまで聴いていることができずに涙が雨のように落ちる。
洞庭連天九疑高,蛟龍出沒猩鼯號。
洞庭湖は天に続くかと思われるほどにひろがり、九疑の山は高く、湖水のなかに蛟龍が出没し、山中では猩々【しょうじょう】や鼯鼠【むささび】が鳴く。
十生九死到官所,幽居默默如藏逃。
1
私は九死に一生を得て転任先、配所の郴州に着いたが、ひっそりした生活しかできなくて毎日黙りこんでいるばかりで、まるで逃げ隠れしているようだった。

下牀畏蛇食畏藥,海氣濕蟄熏腥臊。
昨者州前捶大鼓,嗣皇繼聖登夔皋。
赦書一日行萬里,罪從大辟皆除死。
遷者追回流者還,滌瑕盪垢清朝班。
州家申名使家抑,坎軻隻得移荆蠻。―2

判司卑官不堪說,未免捶楚塵埃間。
同時輩流多上道,天路幽險難追攀。』
君歌且休聽我歌,我歌今與君殊科。
一年明月今宵多,人生由命非由他。有酒不飲奈明何。』―3
  

江陵は現在の武漢市より少し西の長江沿いにあって、この地方では大都会にちがいないが、やはり都を遠く離れた蛮夷の地である。法曹参軍というのは府の司法関係の事務を扱う役人で、官僚にはちがいないが、最末端に属する低い地位である。つまり愈は、流罪は解かれたわけだが、都へ帰ることは許されず、低い地位の地方官として田舎町に勤務しなければならなくなったのである。愈はこの命令に不満だったらしいが、いったん命令が出された以上、ありがたくお受けしないわけにはいかない。まして彼はもう罪人ではなく、身分が低いとはいえ地方官の一人なのである。今までの陽山県令の肩書は流罪に際して形式的に授けられたもので、法曹参軍は県令よりも地位が低いとはいうものの、勤務地が格段に都から近くなったのだし、罪人の扱いはもはや受けないのだから、これで満足としなければならぬのであった。


(八月十五夜張功曹に贈る)#1
繊雲【せんうん】四【よ】もに巻いて天に河【か】無く、清風空を吹いて月は波を舒【の】ぶ。
沙は平らに水息【や】んで声影絶え、一盃【いっぱい】相属【しょく】す君当【まさ】に歌うべし。
君が歌は声酸【いた】み辞も且つ苦しく、終わるまで聴く能【あた】わずして涙雨の如し。
洞庭は天に連なり九疑【きゅうぎ】は高く、蛟竜【こうりゅう】出没して猩鼯【せいご】号【さけ】ぶ。
十生【じつせい】九死【きゅうし】 官所に到り、幽居黙黙として蔵逃せるが如し。
#2
牀【しょう】を下れば蛇を畏れ食には薬を畏れ、海気濕蟄【しつちつ】して腥臊【せいそう】熏【くん】ず。
昨者【さきごろ】州前【しゅうぜん】に大鼓を槌【う】ち、嗣皇【しこう】聖を継ぎて菱皐【きこう】を登【あ】ぐ。
赦書一日に万里を行き、罪の大辟【たへき】に従うは皆死を除かる。
遷者は追回し流者は還【かえ】し、瑕【きず】を滌【あら】い垢【あか】を蕩【そそ】いで朝【ちょう】 班【はん】を清む。
州家は名を申【の】べしも使家は抑え、坎軻【かんか】隻【ひとつ】荊蛮【けいばん】に移るを得しのみ。
#3
判司は卑官にして説【い】うに湛えず、未だ塵埃【じんあい】の間に捶楚【すいそ】せらるるを免れず。
同時の輩流 多く道に上るも、天路は幽険にして追攀【ついはん】し難し。
君が歌を且【しばら】く休【や】めて我が歌を聴け、我が歌は今君と科を殊【こと】にす。
一年の明月 今宵【こよい】多し、人生命【めい】に由る 他に由るに非ず、酒有れども飲まずんば明を奈何【いかん】せん

韓愈の地図03


現代語訳と訳註
(本文)

纖雲四卷天無河,清風吹空月舒波。
沙平水息聲影絕,一杯相屬君當歌。
君歌聲酸辭且苦,不能聽終淚如雨。
洞庭連天九疑高,蛟龍出沒猩鼯號。
十生九死到官所,幽居默默如藏逃。

(下し文)(八月十五夜張功曹に贈る)#1
繊雲【せんうん】四【よ】もに巻いて天に河【か】無く、清風空を吹いて月は波を舒【の】ぶ。
沙は平らに水息【や】んで声影絶え、一盃【いっぱい】相属【しょく】す君当【まさ】に歌うべし。
君が歌は声酸【いた】み辞も且つ苦しく、終わるまで聴く能【あた】わずして涙雨の如し。
洞庭は天に連なり九疑【きゅうぎ】は高く、蛟竜【こうりゅう】出没して猩鼯【せいご】号【さけ】ぶ。
十生【じつせい】九死【きゅうし】 官所に到り、幽居黙黙として蔵逃せるが如し。

(現代語訳)
仲秋の夜、江陵功曹参軍事に新たに任じられた張署君に贈る。
細い筋のような雲が四方の空に巻き、天には天の川も見えず、すがすがしい風が空を吹きわたって、月影は波の上にひろがりうつしている。
川岸の砂は平らに流れの音もやみ、物音も物の姿も絶えたとき、一杯の酒を君に勧めたら、君は歌を歌ってくれ。
君の歌はむせぶ様な痛ましいし調べと歌詞も哀しく、終わりまで聴いていることができずに涙が雨のように落ちる。
洞庭湖は天に続くかと思われるほどにひろがり、九疑の山は高く、湖水のなかに蛟龍が出没し、山中では猩々【しょうじょう】や鼯鼠【むささび】が鳴く。
私は九死に一生を得て転任先、配所の郴州に着いたが、ひっそりした生活しかできなくて毎日黙りこんでいるばかりで、まるで逃げ隠れしているようだった。


(訳注)
八月十五夜贈張功曹

仲秋の夜、江陵功曹参軍事に新たに任じられた張署君に贈る。
「張功曹」は803年暮、3人流罪にされたうちの張署である。中唐詩-266 答張十一功曹 韓愈 Ⅱ韓退之(韓愈) 紀頌之の漢詩ブログ 韓愈特集-29正式には功曹参軍事という。人事を担当する職で、愈が任ぜられた法曹参軍とは同格であり、府庁の最末端に属する官僚である。
これら参軍の職をひっくるめて判司と呼び、罪があれば鞭や杖で叩かれるお仕置きを受ける。高級官庶の場合は身分を重んじて、流罪とか左遷、革職(官職剥奪)、あるいは自殺を賜わるなどの処罰はあるのだが、叩かれることはない。判司はいちおう高級官原の末席には連なるのだが、扱いは高級職と下級職との中間にあるのであった。張署は愈と同時に臨武県へ流されたのだが、臨武県は彬州に属する。やはり郴州で命令を待つうち、これも江陵府の、功曹参軍に任ずるという辞令を受けたのであろう。そして出発の日を待つうち、たまたま中秋の名月の日が来て、張署が愈の宿を訪れ、酒を酌みかわしたところから、この詩が作られた。良くわからない罪で流罪となっている韓愈には次の赴任地がなかなか命が出ないのである。急進改革派、宦官筋からの裏工作によるものなのであろう。

纖雲四卷天無河,清風吹空月舒波。
細い筋のような雲が四方の空に巻き、天には天の川も見えず、すがすがしい風が空を吹きわたって、月影は波の上にひろがりうつしている。
纖雲 細い糸の雲。筋雲。○四卷 糸巻きのように四方の空を巻く。


沙平水息聲影絕,一杯相屬君當歌。
川岸の砂は平らに流れの音もやみ、物音も物の姿も絶えたとき、一杯の酒を君に勧めたら、君は歌を歌ってくれ。

君歌聲酸辭且苦,不能聽終淚如雨。
君の歌はむせぶ様な痛ましいし調べと歌詞も哀しく、終わりまで聴いていることができずに涙が雨のように落ちる
聲酸 辛い、痛ましい、むせぶ様な調べ。


洞庭連天九疑高,蛟龍出沒猩鼯號。
洞庭湖は天に続くかと思われるほどにひろがり、九疑の山は高く、湖水のなかに蛟龍が出没し、山中では猩々【しょうじょう】や鼯鼠【むささび】が鳴く。
九疑 九疑山 湖南省寧遠縣の南六十支那里に在る山名、九峯竝び聳え、山形相似たるによりて名づく。


十生九死到官所,幽居默默如藏逃。―1
私は九死に一生を得て転任先、配所の郴州に着いたが、ひっそりした生活しかできなくて毎日黙りこんでいるばかりで、まるで逃げ隠れしているようだった。

中唐詩242 築城詞 Ⅷ 張籍<5> 紀頌之の漢詩ブログ

中唐詩 242 築城詞 Ⅷ 張籍<5> 紀頌之の漢詩ブログ


張籍【768年(大暦三年)~830年(太和四年)】。は、中唐の詩人。字は文昌。和州(かしゅう)烏江(安徽省和県)の人。師友の韓愈に目をかけられ、その推薦によって、国子博士となった。楽府に長じている。賈島・孟郊などと唱和して古詩をよくし、盟友の王建とともに七言楽府に優れた作品を発表して「張王」と併称された。名詩人になろうとして、杜甫の詩集を焼いてその灰に膏蜜を混ぜて飲んだという逸話がある。表現は平易だが、世相の矛盾を指摘することは鋭く、白居易から「挙世(いまのよ)には其の倫(たぐい)少なし」と評せられ、後輩の姚合より「古風は敵手なく、新語は是れ人ぞ知る」と称えられた。中唐楽府運動の重要な担い手であり、白居易・元稹とともに「元和体」を形成した。『張司業詩集』8巻がある。

張籍は汴州の乱のおこった年の貞元十五年(799年)の進士であるが、韓愈より年長かも知れない。韓愈は孟郊に比べて後輩である。しかし韓愈の門人であって、その推薦によって官につき、水部員外郎〔水運水利を管理する職)となったので張水部と言われ、のち国子司業(大学教授)となったから張司業とも称せられる。

楽府体の詩に関しては友人の王建【768?~830?年(大暦10年進士)】と名を等しくするといわれ、元稹・白居易らの一群に数える文学史家もある。しかし晩年は律詩に力をそそぎ門人が多かった.張王二人の楽府は政治に対する批判と人民の苦痛を訴える点では杜甫・元結の風をうけるもので、七言の体が多い。


築城詞
城壁建設の工事の詞
築城處, 千人萬人齊把杵。
長城を築くところでは、何千何万もの人々が槌をしっかりと抱き握っている。
重重土堅試行錐,軍吏執鞭催作遲。
何重なり合ねていって土は硬くなりキリで刺して試して作業を進めていくのである、軍の指導の役人は鞭を持ち作業が遅いと出来上がるのが遅いと催促する。
來時一年深磧裏,盡著短衣渴無水。
ここへ来てから一年、深い砂漠の中で過ごし、着る物はみんな短い衣で、のどが渇いても水もない。
力盡不得休杵聲,杵聲未盡人皆死。
力尽きても手を休めて槌音を停めることはできず、作業員に槌音に合わせた歌を調わないうちに皆死んでしまう。
家家養男當門戶,今日作君城下土。

家ごとに男子を養って一家の支えとしているのに、今や大君の城壁の下の土くれになってしまった。

城を築く処、千人万人 斉しく杵を把る。
重重として土は堅く試みに錐を行うも、軍吏 鞭を執りて作すこと遅きを催す。
来りし時より一年 深磧【しんせき】の裏、尽々く短衣を着て渇するも水無し。
力尽くれども杵声【しょせい】を休むるを得ず、杵声未だ尽きずして 人皆な死す。
家家 男を養いて門戸に当らしめる、今日君か城下の土と作る。


現代語訳と訳註
(本文)

築城處, 千人萬人齊把杵。
重重土堅試行錐,軍吏執鞭催作遲。
來時一年深磧裏,盡著短衣渴無水。
力盡不得休杵聲,杵聲未盡人皆死。
家家養男當門戶,今日作君城下土。


(下し文)
城を築く処、千人万人 斉しく杵を把る。
重重として土は堅く試みに錐を行うも、軍吏 鞭を執りて作すこと遅きを催す。
来りし時より一年 深磧【しんせき】の裏、尽々く短衣を着て渇するも水無し。
力尽くれども杵声【しょせい】を休むるを得ず、杵声未だ尽きずして 人皆な死す。
家家 男を養いて門戸に当らしめる、今日君か城下の土と作る。


(現代語訳)
城壁建設の工事の詞
長城を築くところでは、何千何万もの人々が槌をしっかりと抱き握っている。
何重なり合ねていって土は硬くなりキリで刺して試して作業を進めていくのである、軍の指導の役人は鞭を持ち作業が遅いと出来上がるのが遅いと催促する。
ここへ来てから一年、深い砂漠の中で過ごし、着る物はみんな短い衣で、のどが渇いても水もない。
力尽きても手を休めて槌音を停めることはできず、作業員に槌音に合わせた歌を調わないうちに皆死んでしまう。
家ごとに男子を養って一家の支えとしているのに、今や大君の城壁の下の土くれになってしまった。


(訳注)
築城詞

城壁建設の工事の詞
築城 城壁建設の工事。張籍のこの詩の前に奏の長城建設を歌う「築城曲」があり、それは長城を築いて異民族を防ぐ労働者がテーマとなっている、一方、「築城臨場曲」「唯陽曲」などと呼ばれる曲が別にあって、漢の梁の孝上が創設した楽曲で、小さな太鼓でリズムを取り、城を築くものがツチでそれに合わせたということである.力尽きても手を休めて槌音を停めることはできず、作業員に槌音に合わせた歌を調わないうちに皆死んでしまう。家ごとに男子を養って一家の支えとしているのに、今や大君の城壁の下の土くれになってしまった。


築城處, 千人萬人齊把杵。
城を築く処、千人万人 斉しく杵を把る。
長城を築くところでは、何千何万もの人々が槌をしっかりと抱き握っている。
○築城處 長城を築いているところでは。○千人萬人 何千句万もの人々が。飾り気のない平明な措辞で、長城建設にかり出された民衆の口調を借りた、口語的な表現と思われる。○齊把杵 斉は一せいに。杵は土をつきかためる道具。


重重土堅試行錐,軍吏執鞭催作遲。
重重として土は堅く試みに錐を行うも、軍吏 鞭を執りて作すこと遅きを催す。
何重なり合ねていって土は硬くなりキリで刺して試して作業を進めていくのである、軍の指導の役人は鞭を持ち作業が遅いと出来上がるのが遅いと催促する。
重重土堅 重なる形容。土を何層にも重ねて、ツチで突き固めて行くことをいうのである。○試行錐土か堅くなったかどうか、キリで剌して試してみる。 ○軍吏 軍隊の将帥。○執鞭 ムチを持つ。○催作遲 催はせきたてる、作運は仕事がおそいこと。


來時一年深磧裏,盡著短衣渴無水。
来りし時より一年 深磧【しんせき】の裏、尽々く短衣を着て渇するも水無し。
ここへ来てから一年、深い砂漠の中で過ごし、着る物はみんな短い衣で、のどが渇いても水もない。
來時一年 ここに来てから一年が過ぎた○深磧裏 深い砂漠の中で過ごすこと。.○盡著短衣 みな短い着物を着ている。○渴無水 のどか渇いても、水もない。民衆の極限状態を描いている。


力盡不得休杵聲,杵聲未盡人皆死。
力尽くれども杵声【しょせい】を休むるを得ず、杵声未だ尽きずして 人皆な死す。
力尽きても手を休めて槌音を停めることはできず、作業員に槌音に合わせた歌を調わないうちに皆死んでしまう。
力盡休杵聲 力はなくなっても、ツチの音を停めることはできない。力尽きても、作業は続けなければならない。○杵聲 働く人々の歌声。○人皆死 死んでも作業をやめる二とができない苛酷な状況を描写した句である。杵聲を二度繰り返して使う意味はそれぞれ意味を持たせていることで、二重の強調するものである。


家家養男當門戶,今日作君城下土。
家家 男を養いて門戸に当らしめる、今日君か城下の土と作る。
家ごとに男子を養って一家の支えとしているのに、今や大君の城壁の下の土くれになってしまった。
家家 家ごと。張籍『征婦怨』に見える
九月匈奴殺邊將,漢軍全沒遼水上。
萬里無人收白骨,家家城下招魂葬。
婦人依倚子與夫,同居貧賤心亦舒。
夫死戰場子在腹,妾身雖存如晝燭。
養男 男を養う。○當門戶 門戸は、常見のことば。ここでは家、一族の意。「当門戸」で、一家をきりもりする、一族を支えるの意。『家家』が主語なので、他動詞に訓んでおいた。「今日」のニとばを用いるのは、前の句を承けて、故郷で養われていた過去と現在の対比か述べられているのである。その奥には、悪名高い始皇帝の長城建設といった過去のことではないという対比もあり、さらに、「今こうしている瞬間も」と、現在進行形を強調する気持ちもあるのである。
作君 天子の作らせるもの。○城下土 死んだ者がその城の土になる。
結びの二句、先の一句で強いことばで労働者たちの死を述べたのを承けて、その死の意味を問うているように思われる。家にとってはその死は極めて重いのだか、天子にとってはその死は土くれのように軽いということが対比的に述べられているようだ。

中唐詩241 節婦吟 寄東平李司空師道 Ⅷ 張籍<4> 紀頌之の漢詩ブログ

中唐詩241 節婦吟 寄東平李司空師道 Ⅷ 張籍<4> 紀頌之の漢詩ブログ

汴州の科挙の地方試験の試験官をしていた韓愈に世話になっている。汴州の乱の後、心配して韓愈を訪ね、一カ月も語り明かしている。乱のこと、友人のこと詩にしたものが『此日足可惜贈張籍』(此の日惜しむ可きに足る 張籍に贈る)である。
此日足可惜贈張籍 唐宋詩-207Ⅱ韓退之(韓愈) 紀頌之の漢詩ブログ 韓愈特集-7-#1


張籍は、中唐の詩人。字は文昌。和州(かしゅう)烏江(安徽省和県)の人。師友の韓愈に目をかけられ、その推薦によって、国子博士となった。楽府に長じている。賈島・孟郊などと唱和して古詩をよくし、盟友の王建とともに七言楽府に優れた作品を発表して「張王」と併称された。名詩人になろうとして、杜甫の詩集を焼いてその灰に膏蜜を混ぜて飲んだという逸話がある。表現は平易だが、世相の矛盾を指摘することは鋭く、白居易から「挙世(いまのよ)には其の倫(たぐい)少なし」と評せられ、後輩の姚合より「古風は敵手なく、新語は是れ人ぞ知る」と称えられた。中唐楽府運動の重要な担い手であり、白居易・元稹とともに「元和体」を形成した。『張司業詩集』8巻がある。


節婦吟 寄東平李司空師道  張籍
君知妾有夫,贈妾雙明珠。
あなたは、わたしに、夫(おっと)がいることを知りながらつきあいました。わたしに一対の輝き光る真珠を贈くってくれました。
感君纏綿意,繋在紅羅襦。
あなたの思いが深く離れがたく心にまとわりついているのに感じているのですね、その思いはこころにきざみ、そして紅(くれない)の薄絹の短い肌着につなぎとめておきます。
妾家高樓連苑起,良人執戟明光裏。
わたしの家の高楼は、苑(にわ)に連(つら)なって起(た)っており、良人(おっと)は、戟(ほこ)を持って皇宮に勤めにあがっています。
知君用心如日月,事夫誓擬同生死。
あなたのお心づかいは、明瞭に分かりましたが、わたしは夫(おっと)につかえて、誓って生死を共にしたいと思っております。
還君明珠雙涙垂,何不相逢未嫁時。

あなたに真珠をお返し致しますが、両目から涙が流れてまいります。恨めしいのは、まだ嫁(とつ)いでいない時にお逢(あ)いできなかったことです。
 

(節婦吟 東平の李司空師道に寄す)   
君 知る 妾【しょう】に 夫と有るを,妾に贈る雙明珠【そうめいしゅ】。
君が纏綿【てんめん】の意に 感じ,繋げて紅の羅襦【らじゅ】に在り。
妾家の高樓 苑に連って起る,良人の執戟【しつげき】 明光の裏【うち】。
知る君 心 用るは 日月の如し,夫に事【つか】へて 誓って生死を同じうせんと擬【ぎ】す。
君に明珠を還【かえ】して 雙涙【そうるい】垂る,何ぞ未だ嫁せざる時に相逢わざる。



現代語訳と訳註
(本文)
節婦吟 寄東平李司空師道  張籍
君知妾有夫,贈妾雙明珠。
感君纏綿意,繋在紅羅襦。
妾家高樓連苑起,良人執戟明光裏。
知君用心如日月,事夫誓擬同生死。
還君明珠雙涙垂,何不相逢未嫁時。


(下し文) (節婦吟 東平の李司空師道に寄す)   
君 知る 妾【しょう】に 夫と有るを,妾に贈る雙明珠【そうめいしゅ】。
君が纏綿【てんめん】の意に 感じ,繋げて紅の羅襦【らじゅ】に在り。
妾家の高樓 苑に連って起る,良人の執戟【しつげき】 明光の裏【うち】。
知る君 心 用るは 日月の如し,夫に事【つか】へて 誓って生死を同じうせんと擬【ぎ】す。
君に明珠を還【かえ】して 雙涙【そうるい】垂る,何ぞ未だ嫁せざる時に相逢わざる。


(現代語訳)
あなたは、わたしに、夫(おっと)がいることを知りながらつきあいました。わたしに一対の輝き光る真珠を贈くってくれました。
あなたの思いが深く離れがたく心にまとわりついているのに感じているのですね、その思いはこころにきざみ、そして紅(くれない)の薄絹の短い肌着につなぎとめておきます。
わたしの家の高楼は、苑(にわ)に連(つら)なって起(た)っており、良人(おっと)は、戟(ほこ)を持って皇宮に勤めにあがっています。
あなたのお心づかいは、明瞭に分かりましたが、わたしは夫(おっと)につかえて、誓って生死を共にしたいと思っております。
あなたに真珠をお返し致しますが、両目から涙が流れてまいります。恨めしいのは、まだ嫁(とつ)いでいない時にお逢(あ)いできなかったことです。


(訳注)
節婦吟 寄東平李司空師道
東平にいる司空の官である李師道に寄せる節婦の詩。 
○男女の不倫問題を詠った詩だが、政治的な批判を男女に置き換えている。反対党から裏工作をされたのであろう、厚遇に感謝しつつも、節義を貫きたい、という。不倫に置き換えるのが分かりやすいことである。○節婦 囲われている女性(民妓)だが、節操の正しい婦人。貞節な女性。貴族は側室として芸妓を迎え入れている。○吟 うた。古詩や楽府題の末尾に用いて『……吟』とする。『白頭吟』など。○ 手紙で詩を送る。○東平 地名。現・山東省鄲県の東にある隋の郡名。現・山東省東平県の東にある漢の東平国、南朝・宋の郡名。○ 真珠を渡してきた男性・李師道の姓。○司空 官名。周代の官名。土地、人民をつかさどる。漢代の御史大夫。○師道 男性の名。李師道とは、平盧淄青節度使。


君知妾有夫、贈妾雙明珠。
あなたは、わたしに、夫(おっと)がいることを知りながらつきあいました。わたしに一対の輝き光る真珠を贈くってくれました。
 相手の男性を指す。○ 分かっている。○ わたくしめ。謙譲の意を込めた女性の一人称。○有夫 おっとがいる(既婚女性)。○ ふたつの。一対の。○明珠 輝き光る玉。


感君纏綿意、繋在紅羅襦。
あなたの思いが深く離れがたく心にまとわりついているのに感じているのですね、その思いはこころにきざみ、そして紅(くれない)の薄絹の短い肌着につなぎとめておきます。
纏綿【てんめん】心がまつわりついて離れないさま。情緒の深いさま。○ 思い。○繋在 …につなぎとめる。○【けい】つなぎとめる。○ …に(…する)。○ 薄絹。○【じゅ】短い上着。短い下着。肌着のこと

 
妾家高樓連苑起、良人執戟明光裏。
わたしの家の高楼は、苑(にわ)に連(つら)なって起(た)っており、良人(おっと)は、戟(ほこ)を持って皇宮に勤めにあがっています。
高樓 たかどの。「高楼」と「庭」「起」は艶歌(性)の常套用語で、下句の「良人」「明光裏」で、思わせぶりな表現としている。○連 つらなる。○ 庭。○ たつ。○良人 おっと。○ (物をかたく)とる。○戟【げき】(枝刃のある)ほこ。○明光 明光殿のことで、皇宮を指す。明光殿は漢の宮殿名で、未央宮の西にあり、金玉珠璣を以て簾箔となし、昼夜光明あったという。また、明光宮のことで、明光宮は漢の宮殿名で、武帝が建てたもの。○ …の内で。


知君用心如日月、事夫誓擬同生死。
あなたのお心づかいは、明瞭に分かりましたが、わたしは夫(おっと)につかえて、誓って生死を共にしたいと思っております。
用心 心遣(づか)い。○日月 太陽と月、男と女。ここでは、太陽(男)と月(女)のように明瞭なことで、うやむやにはいかない。○事夫 おっとにつかえる。この関係は続けてはいけない。○ つかえる。動詞。○ 誓って…。願望、決意を表現する。○ …するつもりである。ほっする。しようとする。○同生死 生きることと死ぬことを同じくする。運命を同じくすること。


還君明珠雙涙垂、何不相逢未嫁時。
あなたに真珠をお返し致しますが、両目から涙が流れてまいります。恨めしいのは、まだ嫁(とつ)いでいない時にお逢(あ)いできなかったことです。
○相手の厚意を謝絶するものの、心が揺れ動くことを示して相手のことを配慮しやわらかく拒絶する。○雙涙 両目から流れ出る涙。○何不 なぜ…しない。○相逢 (偶然に)出逢う。○未嫁時 まだ嫁(とつ)がない(未婚の)時。


芸妓の節操ということである。多少の浮気、不倫がまかり通っていた時代に節操を守る「芸妓」を詠うことで政治的な批判をしている。宦官の巧みな工作を指摘しているものと思う。唐王朝の初期は数十人であった宦官が、玄宗期に飛躍的に増加し、中唐期には手が付けられないほどの勢力を持っていた。不老長寿の媚薬の中毒死は宦官と道教のたくらみであった。
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中唐詩-240 渡遼水 Ⅻ.王建<1> 紀頌之の漢詩ブログ

中唐詩-240 渡遼水 Ⅻ.王建<1> 紀頌之の漢詩ブログ

中国、中唐の詩人。字(あざな)は仲初(ちゅうしょ)。潁川(えいせん)(河南省許昌(きょしょう)市)の人。775年(大暦10)の進士。身分の低い寒門出身のため、官途についても栄進せず、地方官や大府寺丞(だいふじじょう)、侍御史(じぎょし)などの小官を歴任し、晩年には辺塞(へんさい)で従軍生活を送った。これらの境遇は彼を困窮した人民の同情者とし、文学活動において、平易な表現を旨とする民歌形式である楽府詩(がふし)を用いて、鋭く現実を批判し、中唐新楽府運動の一環を担わせることとなった。彼は親友で文学傾向を同じくする張籍(ちょうせき)と「張王」と併称され、「宮詞(きゅうし)」100首は当時世評が高かった。『王建詩集』10巻。
新嫁娘詞三首 〈新嫁娘:新婚の女性。新たに嫁いできた女性。〉、渡遼水。行宮(寥落古行宮)。故行宮詩(寥落古行宮)。 宮中調笑(團扇)。 宮中調笑(楊柳)。などがある。 

渡遼水 Ⅻ.王建 七言雑詩

渡遼水,    此去咸陽五千里。
中原の遙か北方の遼河(りょうが)を渡る。ここ遼河の畔(ほとり)を去ること五千里のところに漢民族の故地、咸陽の都がある。
來時父母知隔生,重著衣裳如送死。
あの出征の時、父母は、これが生死を隔(へだ)てる見納めの別れだと分かって。改めて衣裳を着替えたのは、死者を送る時のようであった。 
亦有白骨歸咸陽,營家各與題本鄕。
また、白骨として遺骨が咸陽(かんよう)の都に帰ることもあるということで、兵営の中心部では、各(おのおの)に本籍地を書き記(しる)して付けている。 
身在應無回渡日,駐馬相看遼水傍。
この身は、当然のことだが、生きて再び遼河を渡って回(かえ)る日など無いということはわかっている、だからせめても、馬をしばらく駐(とど)めて、遼河の畔(ほとり)で故郷の空を見遣(みや)っている。


(遼水を渡る)      
遼水【りょうすい】を渡る,此を去ること 咸陽【かんよう】五千里。
來たる時 父母 生を隔つと知り,重ねて衣裳を著ること 死を送るが如し。
亦た 白骨の咸陽に歸ることも有りて,營家 各々の本郷を題【しる】して與【あた】ふ。
身 應に渡りて 回【かへ】る日 無かるべきに在れば,馬を駐【とど】めて 相看る 遼水【りょうすい】の傍【ほとり】に。


現代語訳と訳註
(本文)
渡遼水 Ⅻ.王建 七言雑詩
渡遼水,    此去咸陽五千里。
來時父母知隔生,重著衣裳如送死。
亦有白骨歸咸陽,營家各與題本鄕。
身在應無回渡日,駐馬相看遼水傍。


(下し文) (遼水を渡る)      
遼水【りょうすい】を渡る,此を去ること 咸陽【かんよう】五千里。
來たる時 父母 生を隔つと知り,重ねて衣裳を著ること 死を送るが如し。
亦た 白骨の咸陽に歸ることも有りて,營家 各々の本郷を題【しる】して與【あた】ふ。
身 應に渡りて 回【かへ】る日 無かるべきに在れば,馬を駐【とど】めて 相看る 遼水【りょうすい】の傍【ほとり】に。


(現代語訳)
中原の遙か北方の遼河(りょうが)を渡る。ここ遼河の畔(ほとり)を去ること五千里のところに漢民族の故地、咸陽の都がある。
あの出征の時、父母は、これが生死を隔(へだ)てる見納めの別れだと分かって。改めて衣裳を着替えたのは、死者を送る時のようであった。 
また、白骨として遺骨が咸陽(かんよう)の都に帰ることもあるということで、兵営の中心部では、各(おのおの)に本籍地を書き記(しる)して付けている。 
この身は、当然のことだが、生きて再び遼河を渡って回(かえ)る日など無いということはわかっている、だからせめても、馬をしばらく駐(とど)めて、遼河の畔(ほとり)で故郷の空を見遣(みや)っている。


(訳注)
渡遼水、此去咸陽五千里。

中原の遙か北方の遼河(りょうが)を渡る。ここ遼河の畔(ほとり)を去ること五千里のところに漢民族の故地、咸陽の都がある。
遼水【りょうすい】遼河【りょうが】のことで渤海国と国境線を画す位置付けにあった。回紇東部と渤海国西部の平野を貫いて流れる大河で河口は唐の領域で三か国にまたがる川であった。現在では内モンゴル自治区に源を発し、遼寧省を南西に流れて現遼東湾に注ぐ。拘柳河ともいう。
 
8世紀唐と周辺国00
地図に示す通り河北道に位置する。
張籍『征婦怨』
九月匈奴殺邊將,漢軍全沒遼水上。
萬里無人收白骨,家家城下招魂葬。
婦人依倚子與夫,同居貧賤心亦舒。
夫死戰場子在腹,妾身雖存如晝燭。
○此去 ここ(遼河のほとり)を去ること。○咸陽 渭水の北岸にある都会で、漢代には、渭城と呼ばれた。渭水を間にして、東南に長安と接する。秦の始皇帝が都を置いた。ここでは、王権が渭城から出征したので故郷のようにいう。王建の故郷は潁川(現・河南省許昌)が故郷である。 

長安・杜曲韋曲

來時父母知隔生、重著衣裳如送死。
あの出征の時、父母は、これが生死を隔(へだ)てる見納めの別れだと分かって。改めて衣裳を着替えたのは、死者を送る時のようであった。 
○來時 出征の時。故郷を離れて来る時。長安に集結し、咸陽(渭城)から出発している。○隔生 生死を隔(へだ)てる見納め。○重著 着替える。○送死 死に目に会う。みとりをする。葬儀をとりしきる。


亦有白骨歸咸陽、營家各與題本鄕。
また、白骨として遺骨が咸陽(かんよう)の都に帰ることもあるということで、兵営の中心部では、各(おのおの)に本籍地を書き記(しる)して付けている。 
 …も(また)。能(よ)く…。○白骨 風雨に晒(さら)されて白くなった骨。タンパク質がバイオ化され、カルシウム分のみになる。○ 本来の居場所(自宅、故郷、墓所)へかえる。○營家 兵営の中心的な所。○ (人に示すために)書く。○本鄕 本籍地。本貫。


身在應無回渡日、駐馬相看遼水傍。
この身は、当然のことだが、生きて再び遼河を渡って回(かえ)る日など無いということはわかっている、だからせめても、馬をしばらく駐(とど)めて、遼河の畔(ほとり)で故郷の空を見遣(みや)っている。 
 きっと。当然。○回渡日 遼河を渡ってかえる日。○回 かえる。○相看 …を見遣(や)る。○傍 ほとり。張籍『征婦怨』「遼水上」の「上」と使うと基本的には同義。
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中唐詩238 董逃行 Ⅷ 張籍<2> 紀頌之の漢詩ブログ

中唐詩238 董逃行 Ⅷ 張籍<2> 紀頌之の漢詩ブログ

韓愈の門人の張籍も無事で、訪ねて来てくれた。韓愈もようやく心の落ち着きを取りもどしたらしい。張籍の去るにあたって、彼は次の詩を贈った。
長い詩であるが、汴州の乱について韓愈の抱いた思いと彼の行動がよくみえる。またこのころには、愈の周囲に孟郊・張籍・李翺・ (賈島)などの人々が集まり、韓門が形成されていたようだ。

汴州の科挙の地方試験の試験官をしていた韓愈に世話になっている。汴州の乱の後、心配して韓愈を訪ね、一カ月も語り明かしている。乱のこと、友人のこと詩にしたものが『此日足可惜贈張籍』(此の日惜しむ可きに足る 張籍に贈る)である。
此日足可惜贈張籍 唐宋詩-207Ⅱ韓退之(韓愈) 紀頌之の漢詩ブログ 韓愈特集-7-#1


張籍は、中唐の詩人。字は文昌。和州(かしゅう)烏江(安徽省和県)の人。師友の韓愈に目をかけられ、その推薦によって、国子博士となった。楽府に長じている。賈島・孟郊などと唱和して古詩をよくし、盟友の王建とともに七言楽府に優れた作品を発表して「張王」と併称された。名詩人になろうとして、杜甫の詩集を焼いてその灰に膏蜜を混ぜて飲んだという逸話がある。表現は平易だが、世相の矛盾を指摘することは鋭く、白居易から「挙世(いまのよ)には其の倫(たぐい)少なし」と評せられ、後輩の姚合より「古風は敵手なく、新語は是れ人ぞ知る」と称えられた。中唐楽府運動の重要な担い手であり、白居易・元稹とともに「元和体」を形成した。『張司業詩集』8巻がある。


董逃行 張籍

戦乱を呪う歌。
洛陽城頭火曈曈,亂兵燒我天子宮。
洛陽城内では、安史の乱の兵火が日の出の太陽のように輝いているのは。叛乱軍の兵士が我が天子の宮殿を焼いたからなのだ。
宮城南面有深山,盡將老幼藏其間。
宮城の南面には深山があって、老人や幼児をその山の間に隠(かく)した。 
重巖爲屋橡爲食,丁男夜行候消息。
重なった巌を家として、どんぐりを食糧として、成人男子が夜になって行ってみて、様子を窺(うかが)った。
聞道官軍猶掠人,舊里如今歸未得。
聞くところでは、唐朝廷側の軍でもなお人を夫役のために掠(さら)っているとのことで、郷里へは、現在、帰ることがまだできないという。
董逃行,    漢家幾時重太平。

董逃歌という歌詞のようだ、いつになったら漢の国家唐の国家を暗示に重(かさ)ねて太平がおとずれることになるのだろうか。


董逃行【とうとうこう】
洛陽 城頭 火 曈曈【とうとう】,亂兵【らんぺい】  我が天子の宮を燒く。
宮城の南面に 深山 有りて,盡【ことごと】く 老幼を將もって 其の間に藏【かく】す。
重巖【ちょうがん】を屋【おく】と爲して 橡【しょう】を食しと爲し,丁男【ていだん】夜 行きて 消息を候【うかが】う。
聞道【きくならく】官軍 猶も 人を掠【りゃく】すと,舊里【きう り】 如今【じょこん】歸ること未だ得ず。
董逃行【とうとうこう】,漢家 幾【いづれ】の時か  重ねて太平ならん。

現代語訳と訳註
(本文)

洛陽城頭火曈曈,亂兵燒我天子宮。
宮城南面有深山,盡將老幼藏其間。
重巖爲屋橡爲食,丁男夜行候消息。
聞道官軍猶掠人,舊里如今歸未得。
董逃行,    漢家幾時重太平。

(下し文) 董逃行【とうとうこう】
洛陽 城頭 火 曈曈【とうとう】,亂兵【らんぺい】  我が天子の宮を燒く。
宮城の南面に 深山 有りて,盡【ことごと】く 老幼を將もって 其の間に藏【かく】す。
重巖【ちょうがん】を屋【おく】と爲して 橡【しょう】を食しと爲し,丁男【ていだん】夜 行きて 消息を候【うかが】う。
聞道【きくならく】官軍 猶も 人を掠【りゃく】すと,舊里【きう り】 如今【じょこん】歸ること未だ得ず。
董逃行【とうとうこう】,漢家 幾【いづれ】の時か  重ねて太平ならん。

(現代語訳)
戦乱を呪う歌。
洛陽城内では、安史の乱の兵火が日の出の太陽のように輝いているのは。叛乱軍の兵士が我が天子の宮殿を焼いたからなのだ。
宮城の南面には深山があって、老人や幼児をその山の間に隠(かく)した。 
重なった巌を家として、どんぐりを食糧として、成人男子が夜になって行ってみて、様子を窺(うかが)った。
聞くところでは、唐朝廷側の軍でもなお人を夫役のために掠(さら)っているとのことで、郷里へは、現在、帰ることがまだできないという。
董逃歌という歌詞のようだ、いつになったら漢の国家唐の国家を暗示に重(かさ)ねて太平がおとずれることになるのだろうか。


(訳注)
董逃行

戦乱を呪う歌。
董逃行(とうとうこう(『董逃歌』のこと))という後漢末、京都(けいと)で流行った歌の「董卓が逃げた」の歌詞のような内容。 ○董逃行 『董逃歌』(とうとうか)の意で使われている。『董逃歌』とは、後漢末、京都(けいと)で流行った童謡。承樂世,董逃;遊四郭,董逃;蒙天恩,董逃;帶金紫,董逃;行謝恩,董逃;整車騎,董逃;垂欲發,董逃;與中辭,董逃;出西門,董逃;瞻宮殿,董逃;望京城,董逃;日夜絶,董逃;心摧傷,董逃。
なお、後漢末の董卓は「董卓が逃げた」のように聞こえるこの歌を疎んじて禁じた。また漢楽府篇名で、神聖な山に登って、仙薬を採取し、不老長寿を願う歌がある。


洛陽城頭火曈曈、亂兵燒我天子宮。
洛陽城内では、安史の乱の兵火が日の出の太陽のように輝いているのは。叛乱軍の兵士が我が天子の宮殿を焼いたからなのだ。
洛陽 東京。河南省西部の都市。黄河の支流、洛水の北岸に位置する。西の長安に対し、東都として栄える。周の成王が当時の洛邑に王城を築いたのに始まる。○城頭 (洛陽)城のほとり。(洛陽城の)城壁の上。(洛陽)城のあたり。(洛陽)城の上。 ○曈曈【とうとう】夜のあけわたるさま。○亂兵 叛乱兵。ここでは、安禄山軍のことになる。 ○燒我天子宮 我が天子の宮殿を焼い(た)。


宮城南面有深山、盡將老幼藏其間。
宮城の南面には深山があって、老人や幼児をその山の間に隠(かく)した。 
宮城 宮廷。王宮。○盡 ことごとく。○將 …をもって。…を。「將+名詞」で、強調したい名詞を前に取りだす。古漢語の「以」と似た働きをする。○老幼 老人と幼児。○ かくす○其間 ここでは、宮城の南面の深山のことになる。


重巖爲屋橡爲食、丁男夜行候消息。
重なった巌を家として、どんぐりを食糧として、成人男子が夜になって行ってみて、様子を窺(うかが)った。
重巖 重(かさ)なりあった巌(いわお)。○爲屋 家屋とする。○橡【しょう】どんぐり。クヌギ。トチ。○爲食 食糧とする。「食」は【し】と読んで、「めし」の意。○丁男 成人した男子。壮丁。○夜行 よまわり。よあるき。夜の旅。○候 うかがう。さぐる。○消息 たより。たよりの手紙。消えることと生じること。減ることと増えること。物や人の栄枯盛衰。


聞道官軍猶掠人、舊里如今歸未得。 
聞くところでは、唐朝廷側の軍でもなお人を夫役のために掠(さら)っているとのことで、郷里へは、現在、帰ることがまだできないという
聞道 聞くところによると。人の言うのを聞くと。きくならく。伝聞表現。○官軍 (ここでは、唐朝の)朝廷の正規軍。政府方の軍隊。正統の軍。なお、『舊唐書』などではこれに対して、叛乱軍(安禄山軍や史思明軍)を「賊」と表現している。賊軍のこと。この詩では「亂兵燒我天子宮」の「亂兵」のこと。○ なお。○掠人【りゃくじん】人を掠(さら)う。人を掠奪(りゃくだつ)する。 ・〔りゃく〕かすめる。掠(さら)う。略奪する。=略。○舊里 ふるさと。郷里。故郷。○如今 現在。○歸未得 まだ帰れない。帰ることがまだできない。


董逃行、漢家幾時重太平。
董逃歌という歌詞のようだ、いつになったら漢の国家唐の国家を暗示に重(かさ)ねて太平がおとずれることになるのだろうか。
董逃行(とうとうこう(正しくは『董逃歌』のこと))という後漢末、京都(けいと)で流行った歌の「董卓が逃げた」の歌詞のように。○漢家 漢朝の帝室。転じて、漢民族の王朝・国家。ここでは、唐王朝を指す。○幾時:いつ。○〔ちょう〕もう一度。かさねて。○太平 平和。世の中がよく治まって平和なこと。
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