漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩 中唐詩人選集【Ⅰ李商隠-150】Ⅱ韓退之(韓愈)-500Ⅶ孟郊(東野)賈島張籍柳宗元韋応物

Ⅰ李商隠は難解詩といわれている。約150首紹介済。(晩唐詩人) Ⅱ韓退之(韓愈)-約500首Ⅶ孟郊、中唐の詩人を掲載中。万物の性(さが)をテーマにした哲学的な詩。このブログは基本的に中唐詩人を中心にして掲載する予定。 韓愈詩文のこれまでの掲載分とこれから掲載予定分を時系列で整理した2014.3.29のブログに集約してそこから各年次を見ることができる  kanbuniinkai 検索で、《漢文委員会HP05》サイトあります。漢詩唐詩を理解するための総合サイト:≪漢文委員会 漢詩07≫。

人生生き方 韓愈

少し、マニアックな晩唐詩人Ⅰ-李商隠150首をまず掲載済み。中唐は盛唐詩人(孟浩然・王維、杜甫、李白)を受け継いだ多様な詩人が出ている。この時代も驚くほど詩が発展している。Ⅱ韓退之(韓愈)500首、Ⅲ柳宗元40首、Ⅳ韋応物、Ⅴ劉長卿、Ⅵ韋荘、Ⅶ孟郊(孟東野)、Ⅷ張籍、Ⅸ賈島、Ⅹ劉禹錫、ほか2012~2020年の予定で気長に進める。同じ中唐ではあるが、白居易のグループについては、李白のブログ350首(2015/6月再開~2018/夏・秋月予定)の後掲載の予定。別に杜甫詩ブログ1500首(2011/7月~2018/8月の予定で)を進行中。詩数につぃては、予定の詩数より多くなる。気まぐれなところがあるのでこの予定が少し変わる場合があり、その節はご容赦ください。                 古詩・謝霊運詩 杜甫詩 韓愈詩 花間集500首全詩 それぞれ毎日ブログしています。 このブログ、索引=語句の「検索」 参考書以上掲載。漢詩力up。

符讀書城南 韓愈(韓退之) <166-#6>Ⅱ中唐詩777 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2869

符讀書城南 韓愈 秋の夜長に燈火にようやく慣れ親しむものである。そうすれば書物を巻いたりひろげたり読書を進めることである。

 

2013年8月22日  同じ日の紀頌之5つのブログ
●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場
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Ⅱ中唐詩・晩唐詩
 
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●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている
Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集 Fc2 浣渓沙 其二 (欲上鞦韆四體傭) 韋荘  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-265-5-#19  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2872
●●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩
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http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/1901_shareiun000.html 謝靈運詩 六朝期の山水詩人。この人の詩は上品ですがすがしい男性的な深みのある詩である。後世に多大な影響を残している。   
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孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩 盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。

李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html   
李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。   
女性詩人 
http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人 古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。   
孟郊詩 
http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。   
李商隠詩 
http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150


 

符讀書城南 韓愈(韓退之) <166-#6>Ⅱ中唐詩777 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2869

 

 

符讀書城南

(息子がこの長安の南郊の家で勉学をするための詩)

木之就規矩,在梓匠輪輿。

孟子は「木を加工する規矩術につくものといえば梓の建具、匠の木工、輪の車輪、輿の台車を作る職人というものである」としている。

人之能為人,由腹有詩書。

人は人として良くするものとして徹底して「五経」を暗記し、理解して腹に入れておくのだ。

詩書勤乃有,不勤腹空虛。

特に詩経と書経は勤勉にすることでありそれを重ねていくことである、勤勉でなければその知識のおなかには空虚なものでしかないのだ。

欲知學之力,賢愚同一初。

知己気を得ようとするならば四書五経の教えるところを学ぶのである。愚者であるか、賢者であるかというが、最初は皆同一であるのだ。

#2

由其不能學,所入遂異閭。

そういうことであっても学問をよくしなかったなら、朝廷における採用されるべきところも入門する所から違ってくる。

兩家各生子,提孩巧相如。

二つの家があり、各々子が生まれたが、乳呑児を抱いた段階では巧みに違いがあれども似たり寄ったりというところだ。

少長聚嬉戲,不殊同隊魚。

学問を少ししかしない場合、長時間にわたってよくした場合、楽しいことや、戯ればかりしたものみんなが集まったとしたら、魚が皆同じに列をなしたようで特殊なものではない。

年至十二三,頭角稍相疏。

成長して十二三歳になった時、少しづつ傾向がで始め学問をしたものが抜きんでてくるようになる。

 

#3

二十漸乖張,清溝映汙渠。

それで二十歳になれば違異したまま大きくなる。きれいな溝が汚れきった運河となってしまうのだ。

三十骨骼成,乃一龍一豬。

三十歳になれば骨組みまでしっかりしてくる。すなわち一方では龍となるか、もう一方では猪となるかである。

飛黃騰踏去,不能顧蟾蜍。

黄色い出世の道に飛んで行くか、上がったり踏みつけられた挙句去って行くかである。思い通りいくことがなく蟾蜍のようにみられるかである。

一為馬前卒,鞭背生蟲蛆。

云い方を変えると、一つは一兵卒として馬の前を行進して、背に鞭を当てられ、虫けらのように生きるかということだ。

#4

一為公與相,潭潭府中居。

あるいは、ひとつは諸侯や宰相となって出世し、朝廷や、幕府の奥深い所の官邸の中をゆったり歩き、住まいとするかである。

問之何因爾,學與不學歟。

此れのどの道をゆくのかと問われれば、汝はどうこたえる。その答えによるところの学問を致すか、学問を致さないのかということである。

金璧雖重寶,費用難貯儲。

金で壁を作ると貴重な寶となるかもしれないが、それにかかる費用は大変なもので貯蓄をすることや儲けることが難しくなる。

學問藏之身,身在則有餘。

学問というのはその人間の身の内を蔵にしてため込むものであり、その身さえあればその後もいくら学問をしてもいくらでもためられるというのが法則というものである。

君子與小人,不繫父母且。

学問を積んだ君子と何にもしていない普通の者とはその父母からのつながりだけでなるものではないのである。

 

#5

不見公與相,起身自犁鉏。

お前の歳ではまだ諸侯や宰相といわれる人にであっていないだろう。箕を起して自ら隙をとって耕す。

不見三公後,寒飢出無驢。

お前は最高位三公その部下たちも見たことはないだろう。寒さは飢餓を生み驢馬もいなくで出ることもできない。

文章豈不貴,經訓乃菑畬。

詩文章は敢て貴いものとは言い難い、それは四書をただ訓じるだけであればそれは荒れ地や焼き畑のままということなのだ。

潢潦無根源,朝滿夕已除。

いくら水が重要でも、地上のたまり水が畑の食物の根に行き渡ることにはならないし、朝満ちるほどであったものが夕べにはすでに無くなっている。

人不通古今,馬牛而襟裾。

人というもの昔から今までを通じで生きていくことはない、それと馬や牛をして衿や袖を付けるということだ。

#6

行身陷不義,況望多名譽。

その身の行動については道義をしないことにおちいる、況や名声や、栄誉というものを多く望むものである。

時秋積雨霽,新涼入郊墟。

時は秋の長雨が続きその後空が晴れ渡る、すると秋の清々しさは郊外の丘陵地にはいってくる。

燈火稍可親,簡編可卷舒。

秋の夜長に燈火にようやく慣れ親しむものである。そうすれば書物を巻いたりひろげたり読書を進めることである。

豈不旦夕念,為爾惜居諸。

かといって朝から夕方まで物思いにふけるというのではない。お前がすべきことは君臣、君主とその夫人、父と母を惜しんでつくすことなのだ。

恩義有相奪,作詩勸躊躇。

報恩と道義に関しては互いに奪うようにして行動することにある。詩文を作ることはじっくり考慮しためらうことで、功を焦ってはいけない

 

 

 

(符 城南で書を讀め)

木の規矩に就(つ)くは、梓【しょう】匠【しょう】輪【りん】輿【よ】に在り。

人の能く人と為【な】るは、腹に詩書有るに由る。

詩書 勤むれば乃ち有り、勤めざれば腹空虚なり。

学の力を知らんと欲せば、賢愚 同に初めを一【いつ】にするも。

#2

其の学ぶこと能はざるに由りて、入る所 遂に閭を異にす。

両家各おの子を生むに、提孩【ていがい】巧みに相如【し】く。

少長聚まって嬉戲【きぎ】するや、一隊の魚に殊ならず。

年十二三に至って、頭角稍く相い疎【わか】る。

#3

二十にして漸く乖張し、清溝 汗渠【おきょ】に映ず。

三十にして骨骼成り、乃ち一は竜、一は豬【ちょ】。

飛黄騰踏して去り、蟾蜍【せんじょ】を顧みる能はず。

一は馬前の卒と為り、背に鞭うたれて虫蛆【ちゅうしょ】を生ず。

#4

一は公と相【しょう】と為り、潭潭として府中に居る。

之を問ふ 何に因りて爾【しか】ると、学べると学ばざりしとか。

金璧は重宝なりと雖も、費用貯儲【ちょちょ】し難し。

学問は之を身に蔵するも、身在れば則ち餘り有り。

君子と小人と、父母に繋【かか】わらず。

#5

見ずや公と相とは、身を起つるに牽鉏【れいしょ】自りす。

見ずや三公の後、寒饑して出づるに驢無し。

文章豈に貴からざらんや、経訓は乃ち菑【わざわい】の畬【はたけ】。

潢潦は根源無く、朝に満つれば夕には已に除かる。

 古今に通ぜざれば、馬牛にして襟裾【きんきょ】。

#6

身を行なひて不義に陥らん、況んや名誉多からんことを望むをや。

時秋にして積雨霽【は】れ、新涼 郊墟に入る。

燈火稍【ようや】く親しむべく、簡編 卷舒【けんじょ】すべし。

豈に旦夕に念【おも】はざらんや、爾が為に居諸【きょしょ】を惜しむ。

恩義 相奪ふこと有り、詩を作りて 躊躇を勧【はげ】ます。

4岳陽樓詩人003 

 













 

 

『符讀書城南』現代語訳と訳註

(本文#6

行身陷不義,況望多名譽。

時秋積雨霽,新涼入郊墟。

燈火稍可親,簡編可卷舒。

豈不旦夕念,為爾惜居諸。

恩義有相奪,作詩勸躊躇。

  

(下し文)#6

身を行なひて不義に陥らん、況んや名誉多からんことを望むをや。

時秋にして積雨霽【は】れ、新涼 郊墟に入る。

燈火稍【ようや】く親しむべく、簡編 卷舒【けんじょ】すべし。

豈に旦夕に念【おも】はざらんや、爾が為に居諸【きょしょ】を惜しむ。

恩義 相奪ふこと有り、詩を作りて 躊躇を勧【はげ】ます。

 

(現代語訳)#6

その身の行動については道義をしないことにおちいる、況や名声や、栄誉というものを多く望むものである。

時は秋の長雨が続きその後空が晴れ渡る、すると秋の清々しさは郊外の丘陵地にはいってくる。

秋の夜長に燈火にようやく慣れ親しむものである。そうすれば書物を巻いたりひろげたり読書を進めることである。

かといって朝から夕方まで物思いにふけるというのではない。お前がすべきことは君臣、君主とその夫人、父と母を惜しんでつくすことなのだ。

報恩と道義に関しては互いに奪うようにして行動することにある。詩文を作ることはじっくり考慮しためらうことで、功を焦ってはいけない

 

 

(訳注#6

行身陷不義,況望多名譽。

その身の行動については道義をしないことにおちいる、況や名声や、栄誉というものを多く望むものである。

 

時秋積雨霽,新涼入郊墟。

時は秋の長雨が続きその後空が晴れ渡る、すると秋の清々しさは郊外の丘陵地にはいってくる。

・積雨 降り続く雨。長雨。

・霽 雨・雪などがやんで、空がすっきり晴れる。

・新涼 秋のはじめの涼しさ。

・郊墟  郊外の丘陵地。墟は丘。

 

燈火稍可親,簡編可卷舒。

秋の夜長に燈火にようやく慣れ親しむものである。そうすれば書物を巻いたりひろげたり読書を進めることである。

・簡編 書物。

・巻舒 巻いたり広げたりする。

 

豈不旦夕念,為爾惜居諸。

かといって朝から夕方まで物思いにふけるというのではない。お前がすべきことは君臣、君主とその夫人、父と母を惜しんでつくすことなのだ。

・居諸 君臣、君主とその夫人、父と母などのたとえ。また、月日が流れ去ること。▽「居」「諸」はともに句末に置いて語調を整える字。「日よ月よ」と呼び掛けている。「日」と「月」は、ともに天に輝き下界を照らしている『詩経、邶風・柏舟』「日居月諸」

 

恩義有相奪,作詩勸躊躇。

報恩と道義に関しては互いに奪うようにして行動することにある。詩文を作ることはじっくり考慮しためらうことで、功を焦ってはいけない

・躊躇 あれこれ迷って決心できないこと。ためらうこと。功を焦ってはいけないことを云う。

 秋蘭001

符讀書城南 韓愈(韓退之) <166-#5>Ⅱ中唐詩776 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2864

符讀書城南 韓愈 いくら水が重要でも、地上のたまり水が畑の食物の根に行き渡ることにはならないし、朝満ちるほどであったものが夕べにはすでに無くなっている。

 

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女性詩人 
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孟郊詩 
http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。   
李商隠詩 
http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150

 

 

符讀書城南 韓愈(韓退之) <166-#5>Ⅱ中唐詩776 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2864

 

 

符讀書城南

(息子がこの長安の南郊の家で勉学をするための詩)

木之就規矩,在梓匠輪輿。

孟子は「木を加工する規矩術につくものといえば梓の建具、匠の木工、輪の車輪、輿の台車を作る職人というものである」としている。

人之能為人,由腹有詩書。

人は人として良くするものとして徹底して「五経」を暗記し、理解して腹に入れておくのだ。

詩書勤乃有,不勤腹空虛。

特に詩経と書経は勤勉にすることでありそれを重ねていくことである、勤勉でなければその知識のおなかには空虚なものでしかないのだ。

欲知學之力,賢愚同一初。

知己気を得ようとするならば四書五経の教えるところを学ぶのである。愚者であるか、賢者であるかというが、最初は皆同一であるのだ。

#2

由其不能學,所入遂異閭。

そういうことであっても学問をよくしなかったなら、朝廷における採用されるべきところも入門する所から違ってくる。

兩家各生子,提孩巧相如。

二つの家があり、各々子が生まれたが、乳呑児を抱いた段階では巧みに違いがあれども似たり寄ったりというところだ。

少長聚嬉戲,不殊同隊魚。

学問を少ししかしない場合、長時間にわたってよくした場合、楽しいことや、戯ればかりしたものみんなが集まったとしたら、魚が皆同じに列をなしたようで特殊なものではない。

年至十二三,頭角稍相疏。

成長して十二三歳になった時、少しづつ傾向がで始め学問をしたものが抜きんでてくるようになる。

 

#3

二十漸乖張,清溝映汙渠。

それで二十歳になれば違異したまま大きくなる。きれいな溝が汚れきった運河となってしまうのだ。

三十骨骼成,乃一龍一豬。

三十歳になれば骨組みまでしっかりしてくる。すなわち一方では龍となるか、もう一方では猪となるかである。

飛黃騰踏去,不能顧蟾蜍。

黄色い出世の道に飛んで行くか、上がったり踏みつけられた挙句去って行くかである。思い通りいくことがなく蟾蜍のようにみられるかである。

一為馬前卒,鞭背生蟲蛆。

云い方を変えると、一つは一兵卒として馬の前を行進して、背に鞭を当てられ、虫けらのように生きるかということだ。

#4

一為公與相,潭潭府中居。

あるいは、ひとつは諸侯や宰相となって出世し、朝廷や、幕府の奥深い所の官邸の中をゆったり歩き、住まいとするかである。

問之何因爾,學與不學歟。

此れのどの道をゆくのかと問われれば、汝はどうこたえる。その答えによるところの学問を致すか、学問を致さないのかということである。

金璧雖重寶,費用難貯儲。

金で壁を作ると貴重な寶となるかもしれないが、それにかかる費用は大変なもので貯蓄をすることや儲けることが難しくなる。

學問藏之身,身在則有餘。

学問というのはその人間の身の内を蔵にしてため込むものであり、その身さえあればその後もいくら学問をしてもいくらでもためられるというのが法則というものである。

君子與小人,不繫父母且。

学問を積んだ君子と何にもしていない普通の者とはその父母からのつながりだけでなるものではないのである。

 

#5

不見公與相,起身自犁鉏。

お前の歳ではまだ諸侯や宰相といわれる人にであっていないだろう。箕を起して自ら隙をとって耕す。

不見三公後,寒飢出無驢。

お前は最高位三公その部下たちも見たことはないだろう。寒さは飢餓を生み驢馬もいなくで出ることもできない。

文章豈不貴,經訓乃菑畬。

詩文章は敢て貴いものとは言い難い、それは四書をただ訓じるだけであればそれは荒れ地や焼き畑のままということなのだ。

潢潦無根源,朝滿夕已除。

いくら水が重要でも、地上のたまり水が畑の食物の根に行き渡ることにはならないし、朝満ちるほどであったものが夕べにはすでに無くなっている。

人不通古今,馬牛而襟裾。

人というもの昔から今までを通じで生きていくことはない、それと馬や牛をして衿や袖を付けるということだ。

#6

行身陷不義,況望多名譽。

時秋積雨霽,新涼入郊墟。

燈火稍可親,簡編可卷舒。

豈不旦夕念,為爾惜居諸。

恩義有相奪,作詩勸躊躇。

 

 

(符 城南で書を讀め)

木の規矩に就(つ)くは、梓【しょう】匠【しょう】輪【りん】輿【よ】に在り。

人の能く人と為【な】るは、腹に詩書有るに由る。

詩書 勤むれば乃ち有り、勤めざれば腹空虚なり。

学の力を知らんと欲せば、賢愚 同に初めを一【いつ】にするも。

#2

其の学ぶこと能はざるに由りて、入る所 遂に閭を異にす。

両家各おの子を生むに、提孩【ていがい】巧みに相如【し】く。

少長聚まって嬉戲【きぎ】するや、一隊の魚に殊ならず。

年十二三に至って、頭角稍く相い疎【わか】る。

#3

二十にして漸く乖張し、清溝 汗渠【おきょ】に映ず。

三十にして骨骼成り、乃ち一は竜、一は豬【ちょ】。

飛黄騰踏して去り、蟾蜍【せんじょ】を顧みる能はず。

一は馬前の卒と為り、背に鞭うたれて虫蛆【ちゅうしょ】を生ず。

#4

一は公と相【しょう】と為り、潭潭として府中に居る。

之を問ふ 何に因りて爾【しか】ると、学べると学ばざりしとか。

金璧は重宝なりと雖も、費用貯儲【ちょちょ】し難し。

学問は之を身に蔵するも、身在れば則ち餘り有り。

君子と小人と、父母に繋【かか】わらず。

#5

見ずや公と相とは、身を起つるに牽鉏【れいしょ】自りす。

見ずや三公の後、寒饑して出づるに驢無し。

文章豈に貴からざらんや、経訓は乃ち菑【わざわい】の畬【はたけ】。

潢潦は根源無く、朝に満つれば夕には已に除かる。

古今に通ぜざれば、馬牛にして襟裾【きんきょ】。

#6

身を行なひて不義に陥らん、況んや名誉多からんことを望むをや。

時秋にして積雨霽【は】れ、新涼 郊墟に入る。

燈火稍【ようや】く親しむべく、簡編 卷舒【けんじょ】すべし。

豈に旦夕に念【おも】はざらんや、爾が為に居諸【きょしょ】を惜しむ。

恩義 相奪ふこと有り、詩を作りて 躊躇を勧【はげ】ます。

 

 

 

『符讀書城南』#5 現代語訳と訳註

金燈花03(本文)

#5

不見公與相,起身自犁鉏。

不見三公後,寒飢出無驢。

文章豈不貴,經訓乃菑畬。

潢潦無根源,朝滿夕已除。

人不通古今,馬牛而襟裾。

 

 

(下し文)#5

見ずや公と相とは、身を起つるに牽鉏【れいしょ】自りす。

見ずや三公の後、寒饑して出づるに驢無し。

文章豈に貴からざらんや、経訓は乃ち菑【わざわい】の畬【はたけ】。

潢潦は根源無く、朝に満つれば夕には已に除かる。

古今に通ぜざれば、馬牛にして襟裾【きんきょ】。

 

 

(現代語訳)

お前の歳ではまだ諸侯や宰相といわれる人にであっていないだろう。箕を起して自ら隙をとって耕す。

お前は最高位三公その部下たちも見たことはないだろう。寒さは飢餓を生み驢馬もいなくで出ることもできない。

詩文章は敢て貴いものとは言い難い、それは四書をただ訓じるだけであればそれは荒れ地や焼き畑のままということなのだ。

いくら水が重要でも、地上のたまり水が畑の食物の根に行き渡ることにはならないし、朝満ちるほどであったものが夕べにはすでに無くなっている。

人というもの昔から今までを通じで生きていくことはない、それと馬や牛をして衿や袖を付けるということだ。

 

 

(訳注) #5

不見公與相,起身自犁鉏。

お前の歳ではまだ諸侯や宰相といわれる人にであっていないだろう。箕を起して自ら隙をとって耕す。

 

不見三公後,寒飢出無驢。

お前は最高位三公その部下たちも見たことはないだろう。寒さは飢餓を生み驢馬もいなくで出ることもできない。

・三公 最高位に位置する3つの官職についている大臣のこと。その起源は周王朝に始まるといわれる。 周においては、太師、太傅、太保の3官職が三公と呼ばれていた。三公九卿(さんこうきゅうけい)、中国の秦漢時代の行政官職の総称である。

・驢 ロバ。

 

文章豈不貴,經訓乃菑畬。

詩文章は敢て貴いものとは言い難い、それは四書をただ訓じるだけであればそれは荒れ地や焼き畑のままということなのだ。

・菑 荒れた田ばた。初耕的田地。

・畬 やきはた。雑草を焼き払ってつくった耕地

 

潢潦無根源,朝滿夕已除。

いくら水が重要でも、地上のたまり水が畑の食物の根に行き渡ることにはならないし、朝満ちるほどであったものが夕べにはすでに無くなっている。

・潢潦 地上にたまった雨水。

 

人不通古今,馬牛而襟裾。

人というもの昔から今までを通じで生きていくことはない、それと馬や牛をして衿や袖を付けるということだ。
槐002 

符讀書城南 韓愈(韓退之) <166-#4>Ⅱ中唐詩775 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2859

符讀書城南 韓愈 金で壁を作ると貴重な寶となるかもしれないが、それにかかる費用は大変なもので貯蓄をすることや儲けることが難しくなる。

 

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李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。  
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李商隠詩 
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符讀書城南

(息子がこの長安の南郊の家で勉学をするための詩)

木之就規矩,在梓匠輪輿。

孟子は「木を加工する規矩術につくものといえば梓の建具、匠の木工、輪の車輪、輿の台車を作る職人というものである」としている。

人之能為人,由腹有詩書。

人は人として良くするものとして徹底して「五経」を暗記し、理解して腹に入れておくのだ。

詩書勤乃有,不勤腹空虛。

特に詩経と書経は勤勉にすることでありそれを重ねていくことである、勤勉でなければその知識のおなかには空虚なものでしかないのだ。

欲知學之力,賢愚同一初。

知己気を得ようとするならば四書五経の教えるところを学ぶのである。愚者であるか、賢者であるかというが、最初は皆同一であるのだ。

#2

由其不能學,所入遂異閭。

そういうことであっても学問をよくしなかったなら、朝廷における採用されるべきところも入門する所から違ってくる。

兩家各生子,提孩巧相如。

二つの家があり、各々子が生まれたが、乳呑児を抱いた段階では巧みに違いがあれども似たり寄ったりというところだ。

少長聚嬉戲,不殊同隊魚。

学問を少ししかしない場合、長時間にわたってよくした場合、楽しいことや、戯ればかりしたものみんなが集まったとしたら、魚が皆同じに列をなしたようで特殊なものではない。

年至十二三,頭角稍相疏。

成長して十二三歳になった時、少しづつ傾向がで始め学問をしたものが抜きんでてくるようになる。

 

#3

二十漸乖張,清溝映汙渠。

それで二十歳になれば違異したまま大きくなる。きれいな溝が汚れきった運河となってしまうのだ。

三十骨骼成,乃一龍一豬。

三十歳になれば骨組みまでしっかりしてくる。すなわち一方では龍となるか、もう一方では猪となるかである。

飛黃騰踏去,不能顧蟾蜍。

黄色い出世の道に飛んで行くか、上がったり踏みつけられた挙句去って行くかである。思い通りいくことがなく蟾蜍のようにみられるかである。

一為馬前卒,鞭背生蟲蛆。

云い方を変えると、一つは一兵卒として馬の前を行進して、背に鞭を当てられ、虫けらのように生きるかということだ。

#4

一為公與相,潭潭府中居。

あるいは、ひとつは諸侯や宰相となって出世し、朝廷や、幕府の奥深い所の官邸の中をゆったり歩き、住まいとするかである。

問之何因爾,學與不學歟。

此れのどの道をゆくのかと問われれば、汝はどうこたえる。その答えによるところの学問を致すか、学問を致さないのかということである。

金璧雖重寶,費用難貯儲。

金で壁を作ると貴重な寶となるかもしれないが、それにかかる費用は大変なもので貯蓄をすることや儲けることが難しくなる。

學問藏之身,身在則有餘。

学問というのはその人間の身の内を蔵にしてため込むものであり、その身さえあればその後もいくら学問をしてもいくらでもためられるというのが法則というものである。

君子與小人,不繫父母且。

学問を積んだ君子と何にもしていない普通の者とはその父母からのつながりだけでなるものではないのである。

sora001 

#3

二十にして漸く乖張し、清溝 汗渠【おきょ】に映ず。

三十にして骨骼成り、乃ち一は竜、一は豬【ちょ】。

飛黄騰踏して去り、蟾蜍【せんじょ】を顧みる能はず。

一は馬前の卒と為り、背に鞭うたれて虫蛆【ちゅうしょ】を生ず。

#4

一は公と相【しょう】と為り、潭潭として府中に居る。

之を問ふ 何に因りて爾【しか】ると、学べると学ばざりしとか。

金璧は重宝なりと雖も、費用貯儲【ちょちょ】し難し。

学問は之を身に蔵するも、身在れば則ち餘り有り。

君子と小人と、父母に繋【かか】わらず。

 

 

『符讀書城南』現代語訳と訳註

(本文)#4

 一為公與相,潭潭府中居。

問之何因爾,學與不學歟。

金璧雖重寶,費用難貯儲。

學問藏之身,身在則有餘。

君子與小人,不繫父母且。

 

 

 

(下し文) #4

一は公と相【しょう】と為り、潭潭として府中に居る。

之を問ふ 何に因りて爾【しか】ると、学べると学ばざりしとか。

金璧は重宝なりと雖も、費用貯儲【ちょちょ】し難し。

学問は之を身に蔵するも、身在れば則ち餘り有り。

君子と小人と、父母に繋【かか】わらず。

 

 

(現代語訳)

あるいは、ひとつは諸侯や宰相となって出世し、朝廷や、幕府の奥深い所の官邸の中をゆったり歩き、住まいとするかである。

此れのどの道をゆくのかと問われれば、汝はどうこたえる。その答えによるところの学問を致すか、学問を致さないのかということである。

金で壁を作ると貴重な寶となるかもしれないが、それにかかる費用は大変なもので貯蓄をすることや儲けることが難しくなる。

学問というのはその人間の身の内を蔵にしてため込むものであり、その身さえあればその後もいくら学問をしてもいくらでもためられるというのが法則というものである。

学問を積んだ君子と何にもしていない普通の者とはその父母からのつながりだけでなるものではないのである。

 

 

(訳注)

符讀書城南 #4

(息子がこの長安の南郊の家で勉学をするための詩)

 

一為公與相,潭潭府中居。

あるいは、ひとつは諸侯や宰相となって出世し、朝廷や、幕府の奥深い所の官邸の中をゆったり歩き、住まいとするかである。

・潭潭 水が深くたたえられているさま。

 

問之何因爾,學與不學歟。

此れのどの道をゆくのかと問われれば、汝はどうこたえる。その答えによるところの学問を致すか、学問を致さないのかということである。

 

金璧雖重寶,費用難貯儲。

金で壁を作ると貴重な寶となるかもしれないが、それにかかる費用は大変なもので貯蓄をすることや儲けることが難しくなる。

 

 

學問藏之身,身在則有餘。

学問というのはその人間の身の内を蔵にしてため込むものであり、その身さえあればその後もいくら学問をしてもいくらでもためられるというのが法則というものである。

 

君子與小人,不繫父母且。

学問を積んだ君子と何にもしていない普通の者とはその父母からのつながりだけでなるものではないのである。

・父母且 父母さえも。父母だけで。
蛺蝶02 

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http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/1901_shareiun000.html 謝靈運詩 六朝期の山水詩人。この人の詩は上品ですがすがしい男性的な深みのある詩である。後世に多大な影響を残している。  
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孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩 盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。

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李商隠詩 
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符讀書城南

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木之就規矩,在梓匠輪輿。

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人之能為人,由腹有詩書。

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詩書勤乃有,不勤腹空虛。

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欲知學之力,賢愚同一初。

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由其不能學,所入遂異閭。

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兩家各生子,提孩巧相如。

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少長聚嬉戲,不殊同隊魚。

学問を少ししかしない場合、長時間にわたってよくした場合、楽しいことや、戯ればかりしたものみんなが集まったとしたら、魚が皆同じに列をなしたようで特殊なものではない。

年至十二三,頭角稍相疏。

成長して十二三歳になった時、少しづつ傾向がで始め学問をしたものが抜きんでてくるようになる。

 

#3

二十漸乖張,清溝映汙渠。

それで二十歳になれば違異したまま大きくなる。きれいな溝が汚れきった運河となってしまうのだ。

三十骨骼成,乃一龍一豬。

三十歳になれば骨組みまでしっかりしてくる。すなわち一方では龍となるか、もう一方では猪となるかである。

飛黃騰踏去,不能顧蟾蜍。

黄色い出世の道に飛んで行くか、上がったり踏みつけられた挙句去って行くかである。思い通りいくことがなく蟾蜍のようにみられるかである。

一為馬前卒,鞭背生蟲蛆。

云い方を変えると、一つは一兵卒として馬の前を行進して、背に鞭を当てられ、虫けらのように生きるかということだ。

鷹将

#4

一為公與相,潭潭府中居。

問之何因爾,學與不學歟。

金璧雖重寶,費用難貯儲。

學問藏之身,身在則有餘。

君子與小人,不繫父母且。

 

#3

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三十にして骨骼成り、乃ち一は竜、一は豬【ちょ】。

飛黄騰踏して去り、蟾蜍【せんじょ】を顧みる能はず。

一は馬前の卒と為り、背に鞭うたれて虫蛆【ちゅうしょ】を生ず。


一は公と相【しょう】と為り、潭潭として府中に居る。
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金璧は重宝なりと雖も、費用貯儲【ちょちょ】し難し。

学問は之を身に蔵するも、身在れば則ち餘り有り。

君子と小人と、父母に繋【かか】わらず。

 

 

『符讀書城南』 現代語訳と訳註

(本文) #3

二十漸乖張,清溝映汙渠。

三十骨骼成,乃一龍一豬。

飛黃騰踏去,不能顧蟾蜍。

一為馬前卒,鞭背生蟲蛆。

 

 

(下し文) #3

二十にして漸く乖張し、清溝 汗渠【おきょ】に映ず。

三十にして骨骼成り、乃ち一は竜、一は豬【ちょ】。

飛黄騰踏して去り、蟾蜍【せんじょ】を顧みる能はず。

一は馬前の卒と為り、背に鞭うたれて虫蛆【ちゅうしょ】を生ず。

 

 

(現代語訳)

それで二十歳になれば違異したまま大きくなる。きれいな溝が汚れきった運河となってしまうのだ。

三十歳になれば骨組みまでしっかりしてくる。すなわち一方では龍となるか、もう一方では猪となるかである。

黄色い出世の道に飛んで行くか、上がったり踏みつけられた挙句去って行くかである。思い通りいくことがなく蟾蜍のようにみられるかである。

云い方を変えると、一つは一兵卒として馬の前を行進して、背に鞭を当てられ、虫けらのように生きるかということだ。

 

 

(訳注) #3

符讀書城南 #3

(息子がこの長安の南郊の家で勉学をするための詩)

 

二十漸乖張,清溝映汙渠。

それで二十歳になれば違異したまま大きくなる。きれいな溝が汚れきった運河となってしまうのだ。

・乖張 違異したまま大きくなる。乖はそむく。張はそのまま成長する事。

・清溝 きれいな水が流れている水溝。

・汙渠 汚れにごった運河。

 
 

三十骨骼成,乃一龍一豬。

三十歳になれば骨組みまでしっかりしてくる。すなわち一方では龍となるか、もう一方では猪となるかである。

 
 

飛黃騰踏去,不能顧蟾蜍。

黄色い出世の道に飛んで行くか、上がったり踏みつけられた挙句去って行くかである。思い通りいくことがなく蟾蜍のようにみられるかである。

・蟾蜍 1 ヒキガエルのこと。 2 《西王母(せいおうぼ)の秘薬を盗んだ娥(こうが)が月に逃げてヒキガエルになったという「後漢書」の伝説から》月の中にいるというヒキガエル。転じて、月のこと。

 
 

一為馬前卒,鞭背生蟲蛆。

云い方を変えると、一つは一兵卒として馬の前を行進して、背に鞭を当てられ、虫けらのように生きるかということだ。

送無本師歸范陽 韓退之(韓愈)詩<50-#4>Ⅱ中唐詩343 紀頌之の漢詩ブログ1108

送無本師歸范陽 韓退之(韓愈)詩<50-#4>Ⅱ中唐詩343 紀頌之の漢詩ブログ1108


送無本師歸范陽(賈島初為浮屠,名無本)
無本僧師が范陽に帰るを送る。(賈島は初め僧侶であった、戒名を無本と称した。)
無本於為文,身大不及膽。
無本僧師は詩文を作るにおいて、身の丈に応じたものをつくる、勇気や度胸の生じる範囲のものに及んではいない。
吾嘗示之難,勇往無不敢。
私もいつものこととしてこの範囲を超えることは難しいことを示しているし、勇気や度胸で行くことは、あえてすることはないと思っている。
蛟龍弄角牙,造次欲手攬。
蛟龍というものは角や牙を持っていて奮っているものだ。ほんのわずかの時間でほしいものを手に入れてしまうのである。
眾鬼囚大幽,下覷襲玄窞。
そして大勢の鬼たちは広くて静かなところで囚われ、下を見ると暗い穴の中で襲われている。
天陽熙四海,注視首不頷。」
天を仰ぐと太陽が世界中を照らしている。注意してみてみると首をうなだれてはいないのだ。

#2
鯨鵬相摩窣,兩舉快一啖。
巨鯨と大鳥は互いに磨り合うように突然に飛び出してくる。そして両手を挙げて快く軽やかにひとたび啖をはいた。
夫豈能必然,固已謝黯黮。
ということはどうしても必ずそうなるというわけではないのであって、もともと既に失望するので謝ることになる。
狂詞肆滂葩,低昂見舒慘。
おとぼけの意を含んだ言葉、詩文が花びらが開くように盛んな勢いでわき起こってくる。
奸窮怪變得,往往造平澹。
正道にそむいたよこしまなことしかしないことは奇怪な方向へ行ってしまい、まあ、往々にしてしつこくない妥協の産物になるのである。
蜂蟬碎錦纈,綠池披菡萏。」
蜂と蝉はにしきと絞り染めの絹を砕く、澄み切った水の池は美しい蓮の花におおわれる。
#3
芝英擢荒榛,孤翮起連菼。
草と花房があるが荒れ果てたところでカバノキが抜きんでるものだ、孤独な鳥は連続して生え始めた稲の苗を起してしまう。
家住幽都遠,未識氣先感。
家は黄泉のように遠いところに住まいしている。どこなのかいまだに認識はしていないが気配としてはまず感じるのである。
來尋吾何能,無殊嗜昌歜。
尋ねてきたとしたら私は何をしてあげれ良いのだろうか、ほめあげたり、激しくしかったりしてあげてほかのことはしようがない。
始見洛陽春,桃枝綴紅糝。
始めて洛陽の春を見た桃の枝には紅色に惨めなものでつづったのである。
遂來長安里,時卦轉習坎。」

そしてとうとう、長安の街に来たときには時間の経過するに伴い一難去ってまた一難ということになってしまった。

#4
老懶無鬥心,久不事鉛槧。
年老いて物憂いになったし闘争心はなくなったのではあるが、久しくことをなし、詩文に携わることをしてきたこれを止める気にはならない。
欲以金帛酬,舉室常顑頷。
でもって、金銭と布帛の報酬を欲するというけれど、その居室を挙げて常に顔や顎に火が出るほどの恥と思っている。
念當委我去,雪霜刻以憯。
こんなことにあたって思うことは、わたしはこの仕事をしかるべきひとに任せここを去ろうと思うのである。雪と霜の極寒に時を刻み以て憂えるのである。
獰飆攪空衢,天地與頓撼。
大風が吹き、大空の四方を撹拌する、天と地はともにゆるく感じている。
勉率吐歌詩,慰女別後覽。」
出来る限りの努力をしてしいかを作り歌う、そのことはあなたがここ去り別れてから慰めることになるだろう。



(無本師 范陽に歸るを送る〈賈島 初め浮屠と為す,名は無本〉)
#1
無本 文を爲【つく】るに於て、身の大いさ 胆に及ばず。
吾 嘗【つね】に之に難きを示すに、勇往 敢てせざる無し。
蛟龍【こうりゅう】角牙【かくし】を弄し、造次に手づから攬【と】らむと欲す。
衆鬼 大幽に因【とら】はるるに、下覷【かき】して 玄窞【げんたん】ぞ襲ふ。
天陽 四海に煕るに、注視して 首頷【た】れず。
#2
鯨と鵬と相摩窣【まそつ】するに、両挙して 快かに一啖【いつたん】す。
夫れ豈能く必ずしも然らむや、固【まこと】に已に黯黮【あんたん】を謝す。
狂詞肆【ほしいまま】にして滂葩【ぼうは】たり、低昂【ていこう】 舒惨【じょさん】を見る。
姦 窮まり 怪変じ得て、往往 平淡に 造【いた】る。
蜂蝉【ほうせん】 錦纈【きんけつ】を碎き、緑池菡萏【かんたん】を披く。
#3
芝英 荒榛【こうしん】より擢【ぬき】んで、孤翮【こかく】連菼【れんたん】より起る。
家は幽都の遠きに住し、未だ識らざれども 気先【ま】づ感ず。
来り尋ぬ 吾何をか能くせむ、昌歜【しょうしょく】を嗜【たしな】に殊なること無し。
始めて見る格陽の春、桃枝 紅惨【こうさん】を綴る。
遂に長安の里に来り、時卦【じたつ】習坎【しゅうかん】に転ず。
#4
老懶【ろうらん】 闘心無く、久しく鉛槧【えんぜん】を事とせず。
金帛を以て酬いむと欲すれども、挙室 常に顑頷【かんがん】たり。
念ふに当に我を委【す】てて去【ゆ】くべし、霜雪 刻にして以て憯【せん】たり。
獰飆【どうひょう】 空衢【くうく】を攬【みだ】し、天地 与に 頓撼。
勉め率いて歌詩を吐き、女【なんじ】が別後の覧を尉【なぐさ】めむ。


現代語訳と訳註
(本文)
#4
老懶無鬥心,久不事鉛槧。
欲以金帛酬,舉室常顑頷。
念當委我去,雪霜刻以憯。
獰飆攪空衢,天地與頓撼。
勉率吐歌詩,慰女別後覽。」


(下し文) #4
老懶【ろうらん】 闘心無く、久しく鉛槧【えんぜん】を事とせず。
金帛を以て酬いむと欲すれども、挙室 常に顑頷【かんがん】たり。
念ふに当に我を委【す】てて去【ゆ】くべし、霜雪 刻にして以て憯【せん】たり。
獰飆【どうひょう】 空衢【くうく】を攬【みだ】し、天地 与に 頓撼。
勉め率いて歌詩を吐き、女【なんじ】が別後の覧を尉【なぐさ】めむ。


(現代語訳)
年老いて物憂いになったし闘争心はなくなったのではあるが、久しくことをなし、詩文に携わることをしてきたこれを止める気にはならない。
でもって、金銭と布帛の報酬を欲するというけれど、その居室を挙げて常に顔や顎に火が出るほどの恥と思っている。
こんなことにあたって思うことは、わたしはこの仕事をしかるべきひとに任せここを去ろうと思うのである。雪と霜の極寒に時を刻み以て憂えるのである。
大風が吹き、大空の四方を撹拌する、天と地はともにゆるく感じている。
出来る限りの努力をしてしいかを作り歌う、そのことはあなたがここ去り別れてから慰めることになるだろう。


(訳注)#4
老懶無鬥心,久不事鉛槧。
老懶【ろうらん】 闘心無く、久しく鉛槧【えんぜん】を事とせず。
年老いて物憂いになったし闘争心はなくなったのではあるが、久しくことをなし、詩文に携わることをしてきたこれを止める気にはならない。
老懶 おこた(る)、ものう(い)、ものぐさ、なま(ける)、ものぐさ(い).○鉛槧 〔昔、中国で、槧(木の札)に鉛粉で文字を書いていたことから〕詩文を書くこと。文筆に携わること。操觚(そうこ)。


欲以金帛酬,舉室常顑頷。
金帛を以て酬いむと欲すれども、挙室 常に顑頷【かんがん】たり。
でもって、金銭と布帛の報酬を欲するというけれど、その居室を挙げて常に顔や顎に火が出るほどの恥と思っている。
金帛【きんぱく】金と絹。金銭と布帛(ふはく)。どちらも貨幣価値のあるもの。○  顔かたち • 顔から火がでる • 顔から血の気が引く • 顔がいい •○あご。


念當委我去,雪霜刻以憯。
念ふに当に我を委【す】てて去【ゆ】くべし、霜雪 刻にして以て憯【せん】たり。
こんなことにあたって思うことは、わたしはこの仕事をしかるべきひとに任せここを去ろうと思うのである。雪と霜の極寒に時を刻み以て憂えるのである。
【こく】1 きざむこと。彫りつけること。2 (「剋」とも書く)漏刻の漏壺(ろうこ)内の箭(や)に刻んである目盛り。旧暦の時間および時刻の単位。○ いたむ。うれえる。するどい。


獰飆攪空衢,天地與頓撼。
獰飆【どうひょう】 空衢【くうく】を攬【みだ】し、天地 与に 頓撼。
大風が吹き、大空の四方を撹拌する、天と地はともにゆるく感じている。
獰飆 【どうひょう】 大風○空衢 四方に通じる道。よつつじ。○頓撼 頓ぬかずく。たおれる。くるしむ。撼うらむ。うれえる。


勉率吐歌詩,慰女別後覽。」
勉め率いて歌詩を吐き、女【なんじ】が別後の覧を尉【なぐさ】めむ。
出来る限りの努力をしてしいかを作り歌う、そのことはあなたがここ去り別れてから慰めることになるだろう。



送無本師歸范陽(賈島初為浮屠,名無本)
無本於為文,身大不及膽。吾嘗示之難,勇往無不敢。
蛟龍弄角牙,造次欲手攬。眾鬼囚大幽,下覷襲玄窞。
天陽熙四海,注視首不頷。鯨鵬相摩窣,兩舉快一啖。
夫豈能必然,固已謝黯黮。狂詞肆滂葩,低昂見舒慘。
奸窮怪變得,往往造平澹。蜂蟬碎錦纈,綠池披菡萏。
芝英擢荒榛,孤翮起連菼。家住幽都遠,未識氣先感。
來尋吾何能,無殊嗜昌歜。始見洛陽春,桃枝綴紅糝。
遂來長安里,時卦轉習坎。老懶無鬥心,久不事鉛槧。
欲以金帛酬,舉室常顑頷。念當委我去,雪霜刻以憯。
獰飆攪空衢,天地與頓撼。勉率吐歌詩,慰女別後覽。


送無本師歸范陽 韓退之(韓愈)詩<50-#3>Ⅱ中唐詩342 紀頌之の漢詩ブログ1105

送無本師歸范陽 韓退之(韓愈)詩<50-#3>Ⅱ中唐詩342 紀頌之の漢詩ブログ1105


送無本師歸范陽(賈島初為浮屠,名無本)
無本僧師が范陽に帰るを送る。(賈島は初め僧侶であった、戒名を無本と称した。)
無本於為文,身大不及膽。
無本僧師は詩文を作るにおいて、身の丈に応じたものをつくる、勇気や度胸の生じる範囲のものに及んではいない。
吾嘗示之難,勇往無不敢。
私もいつものこととしてこの範囲を超えることは難しいことを示しているし、勇気や度胸で行くことは、あえてすることはないと思っている。
蛟龍弄角牙,造次欲手攬。
蛟龍というものは角や牙を持っていて奮っているものだ。ほんのわずかの時間でほしいものを手に入れてしまうのである。
眾鬼囚大幽,下覷襲玄窞。
そして大勢の鬼たちは広くて静かなところで囚われ、下を見ると暗い穴の中で襲われている。
天陽熙四海,注視首不頷。」
天を仰ぐと太陽が世界中を照らしている。注意してみてみると首をうなだれてはいないのだ。

#2
鯨鵬相摩窣,兩舉快一啖。
巨鯨と大鳥は互いに磨り合うように突然に飛び出してくる。そして両手を挙げて快く軽やかにひとたび啖をはいた。
夫豈能必然,固已謝黯黮。
ということはどうしても必ずそうなるというわけではないのであって、もともと既に失望するので謝ることになる。
狂詞肆滂葩,低昂見舒慘。
おとぼけの意を含んだ言葉、詩文が花びらが開くように盛んな勢いでわき起こってくる。
奸窮怪變得,往往造平澹。
正道にそむいたよこしまなことしかしないことは奇怪な方向へ行ってしまい、まあ、往々にしてしつこくない妥協の産物になるのである。
蜂蟬碎錦纈,綠池披菡萏。」
蜂と蝉はにしきと絞り染めの絹を砕く、澄み切った水の池は美しい蓮の花におおわれる。
#3
芝英擢荒榛,孤翮起連菼。
草と花房があるが荒れ果てたところでカバノキが抜きんでるものだ、孤独な鳥は連続して生え始めた稲の苗を起してしまう。
家住幽都遠,未識氣先感。
家は黄泉のように遠いところに住まいしている。どこなのかいまだに認識はしていないが気配としてはまず感じるのである。
來尋吾何能,無殊嗜昌歜。
尋ねてきたとしたら私は何をしてあげれ良いのだろうか、ほめあげたり、激しくしかったりしてあげてほかのことはしようがない。
始見洛陽春,桃枝綴紅糝。
始めて洛陽の春を見た桃の枝には紅色に惨めなものでつづったのである。
遂來長安里,時卦轉習坎。」

そしてとうとう、長安の街に来たときには時間の経過するに伴い一難去ってまた一難ということになってしまった。

#4
老懶無鬥心,久不事鉛槧。
欲以金帛酬,舉室常顑頷。
念當委我去,雪霜刻以憯。
獰飆攪空衢,天地與頓撼。
勉率吐歌詩,慰女別後覽。」


(無本師 范陽に歸るを送る〈賈島 初め浮屠と為す,名は無本〉)#1
無本 文を爲【つく】るに於て、身の大いさ 胆に及ばず。
吾 嘗【つね】に之に難きを示すに、勇往 敢てせざる無し。
蛟龍【こうりゅう】角牙【かくし】を弄し、造次に手づから攬【と】らむと欲す。
衆鬼 大幽に因【とら】はるるに、下覷【かき】して 玄窞【げんたん】ぞ襲ふ。
天陽 四海に煕るに、注視して 首頷【た】れず。
#2
鯨と鵬と相摩窣【まそつ】するに、両挙して 快かに一啖【いつたん】す。
夫れ豈能く必ずしも然らむや、固【まこと】に已に黯黮【あんたん】を謝す。
狂詞肆【ほしいまま】にして滂葩【ぼうは】たり、低昂【ていこう】 舒惨【じょさん】を見る。
姦 窮まり 怪変じ得て、往往 平淡に 造【いた】る。
蜂蝉【ほうせん】 錦纈【きんけつ】を碎き、緑池菡萏【かんたん】を披く。
#3
芝英 荒榛【こうしん】より擢【ぬき】んで、孤翮【こかく】連菼【れんたん】より起る。
家は幽都の遠きに住し、未だ識らざれども 気先【ま】づ感ず。
来り尋ぬ 吾何をか能くせむ、昌歜【しょうしょく】を嗜【たしな】に殊なること無し。
始めて見る格陽の春、桃枝 紅惨【こうさん】を綴る。
遂に長安の里に来り、時卦【じたつ】習坎【しゅうかん】に転ず。

#4
老懶【ろうらん】 闘心無く、久しく鉛槧【えんぜん】を事とせず。
金帛を以て酬いむと欲すれども、挙室 常に顑頷【かんがん】たり。
念ふに当に我を委【す】てて去【ゆ】くべし、霜雪 刻にして以て憯【せん】たり。
獰飆【どうひょう】 空衢【くうく】を攬【みだ】し、天地 与に 頓撼。
勉め率いて歌詩を吐き、女【なんじ】が別後の覧を尉【なぐさ】めむ


(訳注)#3
芝英擢荒榛,孤翮起連菼。
芝英 荒榛【こうしん】より擢【ぬき】んで、孤翮【こかく】連菼【れんたん】より起る。
草と花房があるが荒れ果てたところでカバノキが抜きんでるものだ、孤独な鳥は連続して生え始めた稲の苗を起してしまう。
芝英 草と花房。○荒榛 カバノキ科の落葉低木。日当たりの良い山野に生える。葉は広卵形で鋸歯(きよし)がある。若葉には紫褐色の斑紋がある。○孤翮 孤独な鳥の翼。また,孤独な鳥。○連菼 おぎ。生え始めた稲。


家住幽都遠,未識氣先感。
家は幽都の遠きに住し、未だ識らざれども 気先【ま】づ感ず。
家は黄泉のように遠いところに住まいしている。どこなのかいまだに認識はしていないが気配としてはまず感じるのである。
幽都 ひろくは〈地獄〉〈他界〉〈黄泉国〉〈死〉などの項を参照されたい。 古代中国では,死者の霊魂の帰する所は〈黄泉〉〈九泉〉〈幽都〉などと呼んだ。


來尋吾何能,無殊嗜昌歜。
来り尋ぬ 吾何をか能くせむ、昌歜【しょうしょく】を嗜【たしな】に殊なること無し。
尋ねてきたとしたら私は何をしてあげれ良いのだろうか、ほめあげたり、激しくしかったりしてあげてほかのことはしようがない。
昌歜 傳說周文王嗜昌歜, 孔子慕文王而食之以取味。 ○ たしなむ。○ ほめる。○ 激しく怒る


始見洛陽春,桃枝綴紅糝。
始めて見る洛陽の春、桃枝 紅惨【こうさん】を綴る。
始めて洛陽の春を見た桃の枝には紅色に惨めなものでつづったのである。


遂來長安里,時卦轉習坎。」
遂に長安の里に来り、時卦【じたつ】習坎【しゅうかん】に転ず。
そしてとうとう、長安の街に来たときには時間の経過するに伴い一難去ってまた一難ということになってしまった。
時卦 時間的な進捗状況○習坎 落とし穴に陥る、また、困難な状況に陥ること を象徴します。一難去ってまた一難。


#3
芝英 荒榛【こうしん】より擢【ぬき】んで、孤翮【こかく】連菼【れんたん】より起る。
家は幽都の遠きに住し、未だ識らざれども 気先【ま】づ感ず。
来り尋ぬ 吾何をか能くせむ、昌歜【しょうかん】を嗜【たしな】に殊なること無し。
始めて見る洛陽の春、桃枝 紅惨【こうさん】を綴る。
遂に長安の里に来り、時卦【じたつ】習坎【しゅうかん】に転ず。

送無本師歸范陽 韓退之(韓愈)詩<50-#2>Ⅱ中唐詩341 紀頌之の漢詩ブログ1102

送無本師歸范陽 韓退之(韓愈)詩<50-#2>Ⅱ中唐詩341 紀頌之の漢詩ブログ1102


送無本師歸范陽(賈島初為浮屠,名無本)
無本僧師が范陽に帰るを送る。(賈島は初め僧侶であった、戒名を無本と称した。)
無本於為文,身大不及膽。
無本僧師は詩文を作るにおいて、身の丈に応じたものをつくる、勇気や度胸の生じる範囲のものに及んではいない。
吾嘗示之難,勇往無不敢。
私もいつものこととしてこの範囲を超えることは難しいことを示しているし、勇気や度胸で行くことは、あえてすることはないと思っている。
蛟龍弄角牙,造次欲手攬。
蛟龍というものは角や牙を持っていて奮っているものだ。ほんのわずかの時間でほしいものを手に入れてしまうのである。
眾鬼囚大幽,下覷襲玄窞。
そして大勢の鬼たちは広くて静かなところで囚われ、下を見ると暗い穴の中で襲われている。
天陽熙四海,注視首不頷。」
天を仰ぐと太陽が世界中を照らしている。注意してみてみると首をうなだれてはいないのだ。

#2
鯨鵬相摩窣,兩舉快一啖。
巨鯨と大鳥は互いに磨り合うように突然に飛び出してくる。そして両手を挙げて快く軽やかにひとたび啖をはいた。
夫豈能必然,固已謝黯黮。
ということはどうしても必ずそうなるというわけではないのであって、もともと既に失望するので謝ることになる。
狂詞肆滂葩,低昂見舒慘。
おとぼけの意を含んだ言葉、詩文が花びらが開くように盛んな勢いでわき起こってくる。
奸窮怪變得,往往造平澹。
正道にそむいたよこしまなことしかしないことは奇怪な方向へ行ってしまい、まあ、往々にしてしつこくない妥協の産物になるのである。
蜂蟬碎錦纈,綠池披菡萏。」

蜂と蝉はにしきと絞り染めの絹を砕く、澄み切った水の池は美しい蓮の花におおわれる。
#3
芝英擢荒榛,孤翮起連菼。
家住幽都遠,未識氣先感。
來尋吾何能,無殊嗜昌歜。
始見洛陽春,桃枝綴紅糝。
遂來長安里,時卦轉習坎。」
#4
老懶無鬥心,久不事鉛槧。
欲以金帛酬,舉室常顑頷。
念當委我去,雪霜刻以憯。
獰飆攪空衢,天地與頓撼。
勉率吐歌詩,慰女別後覽。」


無本師 范陽に歸るを送る〈賈島 初め浮屠と為す,名は無本〉)#1
無本 文を爲【つく】るに於て、身の大いさ 胆に及ばず。
吾 嘗【つね】に之に難きを示すに、勇往 敢てせざる無し。
蛟龍【こうりゅう】角牙【かくし】を弄し、造次に手づから攬【と】らむと欲す。
衆鬼 大幽に因【とら】はるるに、下覷【かき】して 玄窞【げんたん】ぞ襲ふ。
天陽 四海に煕るに、注視して 首頷【た】れず。
#2
鯨と鵬と相摩窣【まそつ】するに、両挙して 快かに一啖【いつたん】す。
夫れ豈能く必ずしも然らむや、固【まこと】に已に黯黮【あんたん】を謝す。
狂詞肆【ほしいまま】にして滂葩【ぼうは】たり、低昂【ていこう】 舒惨【じょさん】を見る。
姦 窮まり 怪変じ得て、往往 平淡に 造【いた】る。
蜂蝉【ほうせん】 錦纈【きんけつ】を碎き、緑池菡萏【かんたん】を披く。

#3
芝英 荒榛【こうしん】より擢【ぬき】んで、孤翮【こかく】連菼【れんたん】より起る。
家は幽都の遠きに住し、未だ識らざれども 気先【ま】づ感ず。
来り尋ぬ 吾何をか能くせむ、昌歜【しょうしょく】を嗜【たしな】に殊なること無し。
始めて見る格陽の春、桃枝 紅惨【こうさん】を綴る。
遂に長安の里に来り、時卦【じたつ】習坎【しゅうかん】に転ず。
#4
老懶【ろうらん】 闘心無く、久しく鉛槧【えんぜん】を事とせず。
金帛を以て酬いむと欲すれども、挙室 常に顑頷【かんがん】たり。
念ふに当に我を委【す】てて去【ゆ】くべし、霜雪 刻にして以て憯【せん】たり。
獰飆【どうひょう】 空衢【くうく】を攬【みだ】し、天地 与に 頓撼。
勉め率いて歌詩を吐き、女【なんじ】が別後の覧を尉【なぐさ】めむ



現代語訳と訳註
(本文)

鯨鵬相摩窣,兩舉快一啖。
夫豈能必然,固已謝黯黮。
狂詞肆滂葩,低昂見舒慘。
奸窮怪變得,往往造平澹。
蜂蟬碎錦纈,綠池披菡萏。


(下し文) #2
鯨と鵬と相摩窣【まそつ】するに、両挙して 快かに一啖【いつたん】す。
夫れ豈能く必ずしも然らむや、固【まこと】に已に黯黮【あんたん】を謝す。
狂詞肆【ほしいまま】にして滂葩【ぼうは】たり、低昂【ていこう】 舒惨【じょさん】を見る。
姦窮まり 怪変じ得て、往往 平淡に 造【いた】る。
蜂蝉【ほうせん】 錦纈【きんけつ】を碎き、緑池菡萏【かんたん】を披く。


(現代語訳)
巨鯨と大鳥は互いに磨り合うように突然に飛び出してくる。そして両手を挙げて快く軽やかにひとたび啖をはいた。
ということはどうしても必ずそうなるというわけではないのであって、もともと既に失望するので謝ることになる。
おとぼけの意を含んだ言葉、詩文が花びらが開くように盛んな勢いでわき起こってくる。
正道にそむいたよこしまなことしかしないことは奇怪な方向へ行ってしまい、まあ、往々にしてしつこくない妥協の産物になるのである。
蜂と蝉はにしきと絞り染めの絹を砕く、澄み切った水の池は美しい蓮の花におおわれる。


(訳注)
鯨鵬相摩窣,兩舉快一啖。

鯨と鵬と相摩窣【まそつ】するに、両挙して 快かに一啖【いつたん】す。
巨鯨と大鳥は互いに磨り合うように突然に飛び出してくる。そして両手を挙げて快く軽やかにひとたび啖をはいた。


夫豈能必然,固已謝黯黮。
夫れ豈能く必ずしも然らむや、固【まこと】に已に黯黮【あんたん】を謝す。
ということはどうしても必ずそうなるというわけではないのであって、もともと既に失望するので謝ることになる。
黯黮 曇って明らかでないさま。がっかりする。失望する。


狂詞肆滂葩,低昂見舒慘。
狂詞肆【ほしいまま】にして滂葩【ぼうは】たり、低昂【ていこう】 舒惨【じょさん】を見る。
おとぼけの意を含んだ言葉、詩文が花びらが開くように盛んな勢いでわき起こってくる。
狂詞 詩詞の法則に乗り、おとぼけの意を含んだ言葉、詩文。○滂葩 は1 水がみなぎり逆巻くさま。「―たる波浪」 2 物事が盛んな勢いでわき起こるさま。○は、はな・はなびら


奸窮怪變得,往往造平澹。
姦窮まり 怪変じ得て、往往 平淡に 造【いた】る。
正道にそむいたよこしまなことしかしないことは奇怪な方向へ行ってしまい、まあ、往々にしてしつこくない妥協の産物になるのである。
 よこしま かしましい1 不倫をする。女性をおかす。2正道にそむく。悪賢い。○往往 そうなる場合が多いさま。よくあるさま。○平澹 平淡あっさりしてしつこくない。


蜂蟬碎錦纈,綠池披菡萏。
蜂蝉【ほうせん】 錦纈【きんけつ】を碎き、緑池菡萏【かんたん】を披く。
蜂と蝉はにしきと絞り染めの絹を砕く、澄み切った水の池は美しい蓮の花におおわれる。
蜂蟬 蜂と蝉。○〔碎〕【さい】くだくくだける1 くだく。くだける。2 こまかい。○錦纈 にしきと絞り染めの絹。○菡萏 蓮の花別名。菡萏とは「かん」が美しい人、 「たん」は華やかという意を持つ文字で、蓮の花を表す

送無本師歸范陽 韓退之(韓愈)詩<50-#1>Ⅱ中唐詩340 紀頌之の漢詩ブログ1099

送無本師歸范陽 韓退之(韓愈)詩<50-#1>Ⅱ中唐詩340 紀頌之の漢詩ブログ1099
811年、元和6 年.

韓愈は唐代きっての排仏論者だが、かれの仏教排撃の論鋒のはげしさは、じつは、当時の儒教の類勢と反比例し、仏教教団の隆勢と正比例していたのだ、と考えても、さして不当はあるまい。僧の中には教団勢力政治勢力に癒着、権力を笠に着る鼻もちならぬ連中が世に横行したのであった。

宗教教団もまた人間の社会である。韓愈が晩年潮州で出くわした、大顛のようにほんとうにすぐれた僧は、「禅」という修行し、人目につかないところで、悟りを得ることに努力をかさねるものである。韓愈がつねに目にしたような僧は、官吏社会に出入し、上位のものは官僚と癒着し、買い物は、兵役都税を逃れる田茂の喪が多かった。俗物以上の俗物が多かったのである。韓愈の仏教ぎらいは、俗僧たちから得た印象の堆積によるもので、大いに与っていたのであろう。

 なお、詩中この僧の「頭にもとどりさせたい」といっているが、かれは会う僧にはみな腐りきった仏教の名をかりた集団からの還俗をすすめたらしい。弟午の買島はもと無本という僧だった。かれの言葉に従って還俗し、進士の試験をうけたが、何度も失敗し、やっと官界に入っても不遇で、貧窮のうちに死んだ。次に、参考までに、韓愈が無本と称したころの賈島におくった詩「無本師の茫陽に帰るを送る」811年、元和6 年.の作品である。

送無本師歸范陽(賈島初為浮屠,名無本)
無本僧師が范陽に帰るを送る。(賈島は初め僧侶であった、戒名を無本と称した。)
無本於為文,身大不及膽。
無本僧師は詩文を作るにおいて、身の丈に応じたものをつくる、勇気や度胸の生じる範囲のものに及んではいない。
吾嘗示之難,勇往無不敢。
私もいつものこととしてこの範囲を超えることは難しいことを示しているし、勇気や度胸で行くことは、あえてすることはないと思っている。
蛟龍弄角牙,造次欲手攬。
蛟龍というものは角や牙を持っていて奮っているものだ。ほんのわずかの時間でほしいものを手に入れてしまうのである。
眾鬼囚大幽,下覷襲玄窞。
そして大勢の鬼たちは広くて静かなところで囚われ、下を見ると暗い穴の中で襲われている。
天陽熙四海,注視首不頷。」

天を仰ぐと太陽が世界中を照らしている。注意してみてみると首をうなだれてはいないのだ。
#2
鯨鵬相摩窣,兩舉快一啖。夫豈能必然,固已謝黯黮。
狂詞肆滂葩,低昂見舒慘。奸窮怪變得,往往造平澹。
蜂蟬碎錦纈,綠池披菡萏。」
#3
芝英擢荒榛,孤翮起連菼。家住幽都遠,未識氣先感。
來尋吾何能,無殊嗜昌歜。始見洛陽春,桃枝綴紅糝。
遂來長安里,時卦轉習坎。」
#4
老懶無鬥心,久不事鉛槧。欲以金帛酬,舉室常顑頷。
念當委我去,雪霜刻以憯。獰飆攪空衢,天地與頓撼。
勉率吐歌詩,慰女別後覽。」


(無本師 范陽に歸るを送る〈賈島 初め浮屠と為す,名は無本〉)#1
無本 文を爲【つく】るに於て、身の大いさ 胆に及ばず。
吾 嘗【つね】に之に難きを示すに、勇往 敢てせざる無し。
蛟龍【こうりゅう】角牙【かくし】を弄し、造次に手づから攬【と】らむと欲す。
衆鬼 大幽に因【とら】はるるに、下覷【かき】して 玄窞【げんたん】ぞ襲ふ。
天陽 四海に煕るに、注視して 首頷【た】れず。

#2
鯨と鵬と相摩窣【まそつ】するに、両挙して 快かに一啖【いつたん】す。
夫れ豈能く必ずしも然らむや、固【まこと】に已に黯黮【あんたん】を謝す。
狂詞肆【ほしいまま】にして滂葩【ぼうは】たり、低昂【ていこう】 舒惨【じょさん】を見る。
姦窮まり 怪変じ得て、往往 平淡に 造【いた】る。
蜂蝉【ほうせん】 錦纈【きんけつ】を碎き、緑池菡萏【かんたん】を披く。
#3
芝英 荒榛【こうしん】より擢【ぬき】んで
孤翮【こかく】連菼【れんたん】より起る
家は幽都の遠きに住し、未だ識らざれども 気先【ま】づ感ず。
来り尋ぬ 吾何をか能くせむ、昌歜【しょうかん】を嗜【たしな】に殊なること無し。
始めて見る格陽の春、桃枝 紅惨【こうさん】を綴る。
遂に長安の里に来り、時卦【じたつ】習坎【しゅうかん】に転ず。
#4
老懶【ろうらん】 闘心無く、久しく鉛槧【えんぜん】を事とせず。
金帛を以て酬いむと欲すれども、挙室 常に顑頷【かんがん】たり。
念ふに当に我を委【す】てて去【ゆ】くべし、霜雪 刻にして以て憯【てん】たり。
獰飆【どうひょう】 空衢【くうく】を攬【みだ】し、天地 与に 頓撼。
勉め率いて歌詩を吐き、女【なんじ】が別後の覧を尉【なぐさ】めむ


現代語訳と訳註
(本文)
送無本師歸范陽(賈島初為浮屠,名無本)#1
無本於為文,身大不及膽。
吾嘗示之難,勇往無不敢。
蛟龍弄角牙,造次欲手攬。
眾鬼囚大幽,下覷襲玄窞。
天陽熙四海,注視首不頷。」


(下し文) (無本師 范陽に歸るを送る〈賈島 初め浮屠と為す,名は無本〉)#1
無本 文を爲【つく】るに於て、身の大いさ 胆に及ばず。
吾 嘗【つね】に之に難きを示すに、勇往 敢てせざる無し。
蛟龍 角牙を弄し、造次に手づから攬【と】らむと欲す。
衆鬼 大幽に因【とら】はるるに、下覷【かき】して 玄窞【げんたん】ぞ襲ふ。
天陽 四海に煕るに、注視して 首頷【た】れず。


(現代語訳) #1
無本僧師が范陽にぁえるを送る。(賈島は初め僧侶であった、戒名を無本と称した。)
無本僧師は詩文を作るにおいて、身の丈に応じたものをつくる、勇気や度胸の生じる範囲のものに及んではいない。
私もいつものこととしてこの範囲を超えることは難しいことを示しているし、勇気や度胸で行くことは、あえてすることはないと思っている。
蛟龍というものは角や牙を持っていて奮っているものだ。ほんのわずかの時間でほしいものを手に入れてしまうのである。
そして大勢の鬼たちは広くて静かなところで囚われ、下を見ると暗い穴の中で襲われている。
天を仰ぐと太陽が世界中を照らしている。注意してみてみると首をうなだれてはいないのだ。


(訳注) #1
送無本師歸范陽
(賈島初為浮屠,名無本)
無本僧師が范陽に帰るを送る。(賈島は初め僧侶であった、戒名を無本と称した。)
賈島【か とう】779―843年(中和4年)は中国唐代の詩人。字は浪仙、または閬仙。范陽(北京市)の人。はじめ進士の試験に失敗して、僧となり法号を無本と称した。後に洛陽に出て文を韓愈に学び、その才学を認められ還俗して進士に挙げられた。835年に長江県(四川省)の主簿となり、841年に普州司倉参事となり司戸に赴任するところ、命を受けないうちに牛肉を食べすぎて没したという。享年65。この詩は賈島33歳、韓愈44歳の時 ・浮屠の用語解説 - 1 《(梵)buddhaの音写》仏陀(ぶっだ)。ほとけ。 2 《(梵)buddha-stpaから》仏塔。 3 仏寺。 4 僧侶。


無本於為文,身大不及膽。
無本 文を爲【つく】るに於て、身の大いさ 胆に及ばず。
無本僧師は詩文を作るにおいて、身の丈に応じたものをつくる、勇気や度胸の生じる範囲のものに及んではいない。
 1 肝臓。きも。2 からだの中で、勇気や度胸の生じるもとと思われているところ。きもったま。


吾嘗示之難,勇往無不敢。
吾 嘗【つね】に之に難きを示すに、勇往 敢てせざる無し。
私もいつものこととしてこの範囲を超えることは難しいことを示しているし、勇気や度胸で行くことは、あえてすることはないと思っている。
勇往は勇んで行くこと。「邁進」は勇敢に突き進んで行くこと。元気よく前進すること。


蛟龍弄角牙,造次欲手攬。
蛟龍【こうりゅう】角牙【かくし】を弄し、造次【ぞうし】に手づから攬【と】らむと欲す。
蛟龍というものは角や牙を持っていて奮っているものだ。ほんのわずかの時間でほしいものを手に入れてしまうのである。
蛟龍【こうりゅう】蛟(コウ; jiāo)は、中国の竜の一種、あるいは、姿が変態する竜種の幼生(成長の過程の幼齢期・未成期)だとされる。・造次【そうし】とっさの場合。ごく短い時間。事がにわかで、急ぎあわてる場合。ほんのわずかの時間。


眾鬼囚大幽,下覷襲玄窞。
衆鬼 大幽に因【とら】はるるに、下覷【かき】して 玄窞【げんたん】ぞ襲ふ。
そして大勢の鬼たちは広くて静かなところで囚われ、下を見ると暗い穴の中で襲われている。
 うかがう、 みる。玄窞 あな。(1)黒い色。黒。 (2)天。 「黄に満ち―に満てり/三教指帰」 (3)老荘思想の根本概念。万物の根源としての道。 (4)奥深くて微妙なこと。深遠な道理。


天陽熙四海,注視首不頷。」
天陽 四海に煕るに、注視して 首頷【た】れず。
天を仰ぐと太陽が世界中を照らしている。注意してみてみると首をうなだれてはいないのだ。

苦寒 韓愈<45>#8 Ⅱ韓退之(韓愈)詩327 紀頌之の漢詩ブログ 1060

苦寒 韓愈<45>#8 Ⅱ韓退之(韓愈)詩327 紀頌之の漢詩ブログ 1060
*『唐書』の五行志によると、803良元十九年三月に大雪が降った。三月といえば、太陽暦では四月の末から五月のはじめにかけてに当たる。よほど不順な気候だったわけで、この詩はその時の模様につて、諷刺的な傾向の強い詩として書かれたものである。

苦寒 #1
四時各平分,一氣不可兼。
隆寒奪春序,顓頊固不廉。
太昊弛維綱,畏避但守謙。
遂令黄泉下,萌牙夭句尖。」
#2
草木不複抽,百味失苦甜。
凶飆攪宇宙,铓刃甚割砭。
日月雖雲尊,不能活烏蟾。
羲和送日出,恇怯頻窺覘。」
#3
炎帝持祝融,呵噓不相炎。
而我當此時,恩光何由沾。
肌膚生鱗甲,衣被如刀鐮。
氣寒鼻莫嗅,血凍指不拈。」
#4
濁醪沸入喉,口角如銜箝。
將持匕箸食,觸指如排簽。
侵鑪不覺暖,熾炭屢已添。
探湯無所益,何況纊與縑。」
#5
虎豹僵穴中,蛟螭死幽潛。
熒惑喪纏次,六龍冰脱髯。
芒碭大包内,生類恐盡殲。
啾啾窗間雀,不知已微纖。
擧頭仰天鳴,所願晷刻淹。」
#6
不如彈射死,卻得親炰燖。
鸞皇苟不存,爾固不在占。
其餘蠢動儔,俱死誰恩嫌。
伊我稱最靈,不能女覆苫。
悲哀激憤歎,五藏難安恬。」
#7
中宵倚牆立,淫淚何漸漸。
天王哀無辜,惠我下顧瞻。
褰旒去耳纊,調和進梅鹽。
賢能日登禦,黜彼傲與憸。
生風吹死氣,豁達如褰簾。」
#8
懸乳零落堕,晨光入前檐。
ツララがすべてくずれおちてきた、朝の光が軒先に差し込んできていたのだ。
雪霜頓銷釋,土脈膏且黏。
するとふかく積もった雪もとけはじめている、土が顔を出し始め台地は油で地肌を整えたようになり、そして粘土の様にしっとりと潤いを見せている。
豈徒蘭蕙榮,施及艾與蒹。
どういうものか見る間に蘭のよい香や蘭のように薫るよい草がさかんになってくる、また、ヨモギやアシばんぶつが芽をふいてくるのである。
日萼行鑠鑠,風條坐襜襜。
日に映えて花はきらきらと輝いている、風はそよぎそぞろに枝にさらさらとぬけていく。
天乎苟其能,吾死意亦厭。」
もしわたしの春の思いの望みをかなえてくださるならば、その代償としてわたしが死なねばならないとしても、それでもわたしは満足するでしょう。

寒きに苦しむ #1
四時 各々 平分し、一気 兼ぬ可からず。
隆寒【りゅうかん】 春序を奪ふは、顓頊【せんぎょく】 固に廉ならず。
太昊【たいこう】 維綱【いこう】を弛め、畏避【いひ】して 但 謙を守る。
遂に黄泉の下【もと】をして、萌牙【ほうが】 勾尖【こうせん】を夭【よう】せしむ。
#2
草木 復 柚【ぬ】かず、百昧【ひゃくみ】 苦甜【くてん】を失ふ。
凶飆【きょうふう】 宇宙を攪【みだ】し、鑑刀【ぼうじん】 割砭【かつへん】より甚【はなはだ】し。
日月は尊しと云ふと韓も、烏蟾【うせん】を活かす能はず。
義和 日を造って出づるに、恇怯【きょうきょう】して頻りに窺覘するのみ。
#3
炎帝 祝融【しゅくゆう】を持【ひか】え、呵嘘【かきょ】して 相 炎【も】えしめず。
而も 我 此の時に當って、恩光 何に由ってか沾【うるは】はむ。
肌膚【きふ】鱗甲【りんこう】生じ、衣被【いひ】刀鐮【とうれん】の如し。
気 寒くして 鼻 嗅ぐなく、血 凍って 指 拈めず。
#4
濁醪【だくろう】沸いて 喉に入れども、口角 箝を銜める如し。
將に匕箸【ひちょ】を持して食はむとするに、指に觸【ふ】るること簽【せん】を排【なら】ぶるが如し。
鑪【ろ】を侵して暖【だん】を覚えず、炭を熾【さかん】にして 屡【しばしば】 己に添【そ】ふ。
湯を探れども益【えき】する所無し、何に況んや纊【こう】と縑【けん】とをや。
#5
虎豹【こひょう】穴中に僵【たう】れ、蛟螭【こうち】 幽潜【ゆうせん】に死す。
熒惑 纏次【てんじ】を喪【うしな】ひ、六龍【りくりゅう】冰って 髭脱く。
芒碭【ぼうとう】たる大包の内、生類【しょうるい】恐らくは盡く殲【つ】きむ。
啾啾たり窗間【そうかん】の雀、己の微纖【びせん】なるを知らず。
頭を挙げ 天を仰いで 鳴く、願う所は晷刻【きこく】の淹【ひさ】しからむことを。
#6
如【し】かず 彈射【だんしゃ】せられて死し、卻【かえ】って親く炰燖【ほうじん】せらるるを得むには。
鸞皇【らんこう】苟【いやし】くも存せず、爾【なんじ】は固【もと】より占【せん】に在らず。
其の餘【よ】の蠢動【しゅんどう】する儔【たぐい】、俱【とも】に死すとも誰か恩嫌【おんけん】せむ。
伊【こ】れ 我 最も靈なりと稱すとも、女【なんじ】を覆苫【ふくせん】すること能はず。
悲哀【ひあい】 激して 憤歎【ふんたん】し、五臓【ごぞう】 安恬【あんてん】し難し。
#7
中宵【ちゅうしょう】牆【かき】に倚って立てば、淫涙【いんるい】何ぞ 漸漸【ぜんぜん】たる。
天や 無辜【むこう】を哀み、我を惠みて下に顧瞻【こせん】せよ。
旒【りゅう】を褰【かか】げて耳纊【じこう】を去り、調和するに梅鹽【ばいえん】を進めよ。
賢能 日に登御【とうぎょ】し、彼の傲【ごう】と憸【せん】とを黜【しりぞ】けよ
生風【せいふう】死気【しき】を吹き、豁達【かくたつ】 簾【すだれ】を褰【かか】ぐる如くならむ。
#8
懸乳【けんにゅう】零落【れいらく】して堕ち、晨光【しんこう】 前檐【ぜんえん】に入り。
雪霜【せつそう】頓【とみ】に銷釋【しょうしゃく】し、且土脈【どみゃく】膏【こう】にして 且 黏【でん】ならむ。
豈 徒に蘭と蕙との榮【はなさ】くのみならむや、施【し】いて艾【かい】と蒹【けん】に及ばむ。
日萼【じつがく】行くゆく鑠鑠【しゃくしゃく】たり,風條【ふうじょう】坐【い】ながら襜襜【せんせん】たり。
天乎【てんや】苟【いやし】くも其れ能くせは,吾死すとも意【こころ】に亦厭【た】りなむ。」


現代語訳と訳註
(本文)
#8
懸乳零落堕,晨光入前檐。
雪霜頓銷釋,土脈膏且黏。
豈徒蘭蕙榮,施及艾與蒹。
日萼行鑠鑠,風條坐襜襜。
天乎苟其能,吾死意亦厭。」


(下し文) #8
懸乳【けんにゅう】零落【れいらく】して堕ち、晨光【しんこう】 前檐【ぜんえん】に入り。
雪霜【せつそう】頓【とみ】に銷釋【しょうしゃく】し、且土脈【どみゃく】膏【こう】にして 且 黏【でん】ならむ。
豈 徒に蘭と蕙との榮【はなさ】くのみならむや、施【し】いて艾【かい】と蒹【けん】に及ばむ。
日萼【じつがく】行くゆく鑠鑠【しゃくしゃく】たり,風條【ふうじょう】坐【い】ながら襜襜【せんせん】たり。
天乎【てんや】苟【いやし】くも其れ能くせは,吾死すとも意【こころ】に亦厭【た】りなむ。」


(現代語訳)
ツララがすべてくずれおちてきた、朝の光が軒先に差し込んできていたのだ。
するとふかく積もった雪もとけはじめている、土が顔を出し始め台地は油で地肌を整えたようになり、そして粘土の様にしっとりと潤いを見せている。
どういうものか見る間に蘭のよい香や蘭のように薫るよい草がさかんになってくる、また、ヨモギやアシばんぶつが芽をふいてくるのである。
どういうものか見る間に蘭のよい香や蘭のように薫るよい草がさかんになってくる、また、ヨモギやアシばんぶつが芽をふいてくるのである。
日に映えて花はきらきらと輝いている、風はそよぎそぞろに枝にさらさらとぬけていく。
もしわたしの春の思いの望みをかなえてくださるならば、その代償としてわたしが死なねばならないとしても、それでもわたしは満足するでしょう。


(訳注) #8
懸乳零落堕,晨光入前檐。
ツララがすべてくずれおちてきた、朝の光が軒先に差し込んできていたのだ。
懸乳 つらら。○晨光 明け方の光。○前檐 のきさき。


雪霜頓銷釋,土脈膏且黏。
するとふかく積もった雪もとけはじめている、土が顔を出し始め台地は油で地肌を整えたようになり、そして粘土の様にしっとりと潤いを見せている。
 すぐ。○銷釋 消解、消散。銷は消とおなじ。とけてきえる。○土脈 土地の脈絡。○膏且黏 膏:あぶら、潤肌膏 黏:(1)ねばりけがあること。また、ねばねばするもの。 (2)「粘土(ねばつち)」に同じ。。


豈徒蘭蕙榮,施及艾與蒹。
どういうものか見る間に蘭のよい香や蘭のように薫るよい草がさかんになってくる、また、ヨモギやアシばんぶつが芽をふいてくるのである。
蘭蕙 蘭のよい香。蘭のように薫るよい草。『楚辞』ではつねにすぐれた人物と美人にたとえられる。○艾與蒹 よもぎとあし。どこにでもある草。一般の人にたぐえる。


日萼行鑠鑠,風條坐襜襜。
日に映えて花はきらきらと輝いている、風はそよぎそぞろに枝にさらさらとぬけていく。
○日萼 日の光に照り映える花。○轢轢 きらきらとかがやくさま。○風條 夙にふかれる枝。條:細く垂れさがった枝、柳条という表現が多い。○襜襜 さやさやとそよぐさま。


天乎苟其能,吾死意亦厭。」
もしわたしの春の思いの望みをかなえてくださるならば、その代償としてわたしが死なねばならないとしても、それでもわたしは満足するでしょう。
筍其能 もしわたしの望みをかなえてくださるならば。○吾死意亦厭 その代償としてわたしが死なねばならないとしても、それでもわたしは満足するでしょう。
*『唐書』の五行志によると、803良元十九年三月に大雪が降った。三月といえば、太陽暦では四月の末から五月のはじめにかけてに当たる。よほど不順な気候だったわけで、この詩はその時の模様につて、諷刺的な傾向の強い詩として書かれたものである。800年前後10年(805年陸贄が死没)陸贄の不遇を詠ったものであろう。


陸贄(りくし730~805)
 (792年)韓愈を進士に及第させた人
  字は敬輿。蘇州嘉興の人。十八歳のとき、進士に及第した。華州鄭県の県尉・渭南県主簿・監察御史などを歴任した。徳宗が即位すると、翰林学士となった。帝の不興も恐れず、帝の重用していた盧杞の罪を鳴らしてやまなかったという。建中四年(783)、朱泚が叛乱を起こすと徳宗に従って奉天に避難した。官は考功郎中に遷った。朱泚が大秦皇帝を名乗って勢威をほこったため、陸贄は徳宗に己を罪する詔を下すことを勧めた。その方策はあたって、罪を許された藩鎮が帰順したので、危機は去った。李懐光が叛乱したときも、徳宗は梁州に逃れたが、陸贄は諫議大夫としてこれに従った。貞元八年(792)、中書侍郎・同門下同平章事(宰相)に上った。この年科挙の試験で韓愈を及第させた。両税法の改革を推進した。十年(794)、裴延齢の讒言を信じた徳宗により宰相職を罷免され、太子賓客に任ぜられた。翌年、旱害や辺境防備について上疏したところ、かえって誣告を受けて忠州別駕に左遷された。忠州にあること十年、順宗が呼び戻そうとしたが、詔書が届く前に病没した。『陸氏集験方』。

苦寒 韓愈<45>#7 Ⅱ韓退之(韓愈)詩326 紀頌之の漢詩ブログ 1057

苦寒 韓愈<45>#7 Ⅱ韓退之(韓愈)詩326 紀頌之の漢詩ブログ 1057
*『唐書』の五行志によると、803良元十九年三月に大雪が降った。三月といえば、太陽暦では四月の末から五月のはじめにかけてに当たる。よほど不順な気候だったわけで、この詩はその時の模様につて、諷刺的な傾向の強い詩として書かれたものである。


苦寒 #1
四時各平分,一氣不可兼。
隆寒奪春序,顓頊固不廉。
太昊弛維綱,畏避但守謙。
遂令黄泉下,萌牙夭句尖。」
#2
草木不複抽,百味失苦甜。
凶飆攪宇宙,铓刃甚割砭。
日月雖雲尊,不能活烏蟾。
羲和送日出,恇怯頻窺覘。」
#3
炎帝持祝融,呵噓不相炎。
而我當此時,恩光何由沾。
肌膚生鱗甲,衣被如刀鐮。
氣寒鼻莫嗅,血凍指不拈。」
#4
濁醪沸入喉,口角如銜箝。
將持匕箸食,觸指如排簽。
侵鑪不覺暖,熾炭屢已添。
探湯無所益,何況纊與縑。」
#5
虎豹僵穴中,蛟螭死幽潛。
熒惑喪纏次,六龍冰脱髯。
芒碭大包内,生類恐盡殲。
啾啾窗間雀,不知已微纖。
擧頭仰天鳴,所願晷刻淹。」
#6
不如彈射死,卻得親炰燖。
鸞皇苟不存,爾固不在占。
其餘蠢動儔,俱死誰恩嫌。
伊我稱最靈,不能女覆苫。
悲哀激憤歎,五藏難安恬。」
#7
中宵倚牆立,淫淚何漸漸。
ま夜なかになって、垣根に倚り添った、とめどなく流れる涙、どうしてサメザメと泣けてくるのだろう。
天王哀無辜,惠我下顧瞻。
天の王たるものに哀れんでくれる心がないのか、我々下々には罪はないはずだ。我々には下界のことを顧みてくれて恵みを与えてほしいというものだ。
褰旒去耳纊,調和進梅鹽。
この世は目かくしをし、耳をふさいで去っていくことばかりだが、気候の手直し朝廷の手直しをするには汁の味を良くするために梅や塩をうまく使うように奸臣や野心を持った者、暗躍する宦官をとりのぞき、立派な人物をとりあげることが必要だ。
賢能日登禦,黜彼傲與憸。
若し賢臣で能力のあるものをと取り立ててひびこれにあてられると、おごる者、ねじけた者と利己主義の者たちをきちんと見分け官職を解いてくれる。
生風吹死氣,豁達如褰簾。」
生命の風が死気を吹きはらうのであり、心が大きく、小さな物事にこだわらない自由なものにしてくれ、ちょうどそれは、カラリと簾をあげた時のように、媚、嫉み、など暗い陰湿なものが吹き抜けていくのである。

#8
懸乳零落堕,晨光入前檐。
雪霜頓銷釋,土脈膏且黏。
豈徒蘭蕙榮,施及艾與蒹。
日萼行鑠鑠,風條坐襜襜。
天乎苟其能,吾死意亦厭。」

寒きに苦しむ #1
四時 各々 平分し、一気 兼ぬ可からず。
隆寒【りゅうかん】 春序を奪ふは、顓頊【せんぎょく】 固に廉ならず。
太昊【たいこう】 維綱【いこう】を弛め、畏避【いひ】して 但 謙を守る。
遂に黄泉の下【もと】をして、萌牙【ほうが】 勾尖【こうせん】を夭【よう】せしむ。
#2
草木 復 柚【ぬ】かず、百昧【ひゃくみ】 苦甜【くてん】を失ふ。
凶飆【きょうふう】 宇宙を攪【みだ】し、鑑刀【ぼうじん】 割砭【かつへん】より甚【はなはだ】し。
日月は尊しと云ふと韓も、烏蟾【うせん】を活かす能はず。
義和 日を造って出づるに、恇怯【きょうきょう】して頻りに窺覘するのみ。
#3
炎帝 祝融【しゅくゆう】を持【ひか】え、呵嘘【かきょ】して 相 炎【も】えしめず。
而も 我 此の時に當って、恩光 何に由ってか沾【うるは】はむ。
肌膚【きふ】鱗甲【りんこう】生じ、衣被【いひ】刀鐮【とうれん】の如し。
気 寒くして 鼻 嗅ぐなく、血 凍って 指 拈めず。
#4
濁醪【だくろう】沸いて 喉に入れども、口角 箝を銜める如し。
將に匕箸【ひちょ】を持して食はむとするに、指に觸【ふ】るること簽【せん】を排【なら】ぶるが如し。
鑪【ろ】を侵して暖【だん】を覚えず、炭を熾【さかん】にして 屡【しばしば】 己に添【そ】ふ。
湯を探れども益【えき】する所無し、何に況んや纊【こう】と縑【けん】とをや。
#5
虎豹【こひょう】穴中に僵【たう】れ、蛟螭【こうち】 幽潜【ゆうせん】に死す。
熒惑 纏次【てんじ】を喪【うしな】ひ、六龍【りくりゅう】冰って 髭脱く。
芒碭【ぼうとう】たる大包の内、生類【しょうるい】恐らくは盡く殲【つ】きむ。
啾啾たり窗間【そうかん】の雀、己の微纖【びせん】なるを知らず。
頭を挙げ 天を仰いで 鳴く、願う所は晷刻【きこく】の淹【ひさ】しからむことを。
#6
如【し】かず 彈射【だんしゃ】せられて死し、卻【かえ】って親く炰燖【ほうじん】せらるるを得むには。
鸞皇【らんこう】苟【いやし】くも存せず、爾【なんじ】は固【もと】より占【せん】に在らず。
其の餘【よ】の蠢動【しゅんどう】する儔【たぐい】、俱【とも】に死すとも誰か恩嫌【おんけん】せむ。
伊【こ】れ 我 最も靈なりと稱すとも、女【なんじ】を覆苫【ふくせん】すること能はず。
悲哀【ひあい】 激して 憤歎【ふんたん】し、五臓【ごぞう】 安恬【あんてん】し難し。
#7
中宵【ちゅうしょう】牆【かき】に倚って立てば、淫涙【いんるい】何ぞ 漸漸【ぜんぜん】たる。
天や 無辜【むこう】を哀み、我を惠みて下に顧瞻【こせん】せよ。
旒【りゅう】を褰【かか】げて耳纊【じこう】を去り、調和するに梅鹽【ばいえん】を進めよ。
賢能 日に登御【とうぎょ】し、彼の傲【ごう】と憸【せん】とを黜【しりぞ】けよ
生風【せいふう】死気【しき】を吹き、豁達【かくたつ】 簾【すだれ】を褰【かか】ぐる如くならむ。

#8
懸乳【けんにゅう】零落【れいらく】して堕ち、晨光【しんこう】 前檐【ぜんえん】に入り。
雪霜【せつそう】頓【とみ】に銷釋【しょうしゃく】し、且土脈【どみゃく】膏【こう】にして 且 黏【でん】ならむ。
豈 徒に蘭と蕙との榮【はなさ】くのみならむや、施【し】いて艾【かい】と蒹【けん】に及ばむ。
日萼【じつがく】行くゆく鑠鑠【しゃくしゃく】たり,風條【ふうじょう】坐【い】ながら襜襜【せんせん】たり。
天乎【てんや】苟【いやし】くも其れ能くせは,吾死すとも意【こころ】に亦厭【た】りなむ。」


現代語訳と訳註
(本文) #7
中宵倚牆立,淫淚何漸漸。
天王哀無辜,惠我下顧瞻。
褰旒去耳纊,調和進梅鹽。
賢能日登禦,黜彼傲與憸。
生風吹死氣,豁達如褰簾。」


(下し文)
中宵【ちゅうしょう】牆【かき】に倚って立てば、淫涙【いんるい】何ぞ 漸漸【ぜんぜん】たる。
天や 無辜【むこう】を哀み、我を惠みて下に顧瞻【こせん】せよ。
旒【りゅう】を褰【かか】げて耳纊【じこう】を去り、調和するに梅鹽【ばいえん】を進めよ。
賢能 日に登御【とうぎょ】し、彼の傲【ごう】と憸【せん】とを黜【しりぞ】けよ
生風【せいふう】死気【しき】を吹き、豁達【かくたつ】 簾【すだれ】を褰【かか】ぐる如くならむ。


(現代語訳)
ま夜なかになって、垣根に倚り添った、とめどなく流れる涙、どうしてサメザメと泣けてくるのだろう。
天の王たるものに哀れんでくれる心がないのか、我々下々には罪はないはずだ。我々には下界のことを顧みてくれて恵みを与えてほしいというものだ。
この世は目かくしをし、耳をふさいで去っていくことばかりだが、気候の手直し朝廷の手直しをするには汁の味を良くするために梅や塩をうまく使うように奸臣や野心を持った者、暗躍する宦官をとりのぞき、立派な人物をとりあげることが必要だ。
若し賢臣で能力のあるものをと取り立ててひびこれにあてられると、おごる者、ねじけた者と利己主義の者たちをきちんと見分け官職を解いてくれる。
生命の風が死気を吹きはらうのであり、心が大きく、小さな物事にこだわらない自由なものにしてくれ、ちょうどそれは、カラリと簾をあげた時のように、媚、嫉み、など暗い陰湿なものが吹き抜けていくのである。


(訳注) #7
中宵倚牆立,淫淚何漸漸。

ま夜なかになって、垣根に倚り添った、とめどなく流れる涙、どうしてサメザメと泣けてくるのだろう。
○中宵 夜中。宵はゆうがたではなく夜である。○淫涙 とめどなく流れる涙。○漸漸 サメザメと泣くさま。


天王哀無辜,惠我下顧瞻。
天の王たるものに哀れんでくれる心がないのか、我々下々には罪はないはずだ。我々には下界のことを顧みてくれて恵みを与えてほしいというものだ。
○天王 天の中に序列はないのか、あるなら王たるものが秩序、軌道をくるわせるな。○無辜 つみなきもの。○顧脂 かえりみる。


褰旒去耳纊,調和進梅鹽。
この世は目かくしをし、耳をふさいで去っていくことばかりだが、気候の手直し朝廷の手直しをするには汁の味を良くするために梅や塩をうまく使うように奸臣や野心を持った者、暗躍する宦官をとりのぞき、立派な人物をとりあげることが必要だ。
 日かくし。○耳綿 耳の詰め。○調和進梅鹽  汁の味をよくするためには調味料を使用するのがよい。気候の不順、あるいは政治の不調をよくするため、立派な人物をとりあげることが必要だ。


賢能日登禦,黜彼傲與憸。
若し賢臣で能力のあるものをと取り立ててひびこれにあてられると、おごる者、ねじけた者と利己主義の者たちをきちんと見分け官職を解いてくれる。
登御 登用する。○ 官職を解くこと。また、地位を下げる。○傲與憸 おごる者とねじけた者。いられている語である。○ おごる。おごりおごりたかぶる。○ かたよる。私利私欲。いずれも『書経』に、悪臣の性格を表現するために用いられている用語である。このころには宦官の力が増大。


生風吹死氣,豁達如褰簾。」
生命の風が死気を吹きはらうのであり、心が大きく、小さな物事にこだわらない自由なものにしてくれ、ちょうどそれは、カラリと簾をあげた時のように、媚、嫉み、など暗い陰湿なものが吹き抜けていくのである。
生風吹死気 生命の風が死気を吹きはらう。○豁達 カラッとしているさま。心が大きく、小さな物事にこだわらないさま。度量の大きいさま。

苦寒 韓愈<45>#6 Ⅱ韓退之(韓愈)詩325 紀頌之の漢詩ブログ 1054

苦寒 韓愈<45>#6 Ⅱ韓退之(韓愈)詩325 紀頌之の漢詩ブログ 1054
803年 貞元19年35歳 この年は四門博士に任官。すぐに休暇をとって洛陽に行き、途中華山を遊覧している。 
*『唐書』の五行志によると、803年貞元十九年三月に大雪が降った。三月は、太陽暦では四月の末から五月のはじめ、今ではゴールデンウィークに大雪が降ったということだ。よほど不順な気候だったわけで、この詩はその時の模様につて、諷刺的な傾向の強い詩として書かれたものである。


苦寒 #1
四時各平分,一氣不可兼。
隆寒奪春序,顓頊固不廉。
太昊弛維綱,畏避但守謙。
遂令黄泉下,萌牙夭句尖。」
#2
草木不複抽,百味失苦甜。
凶飆攪宇宙,铓刃甚割砭。
日月雖雲尊,不能活烏蟾。
羲和送日出,恇怯頻窺覘。」
#3
炎帝持祝融,呵噓不相炎。
而我當此時,恩光何由沾。
肌膚生鱗甲,衣被如刀鐮。
氣寒鼻莫嗅,血凍指不拈。」
#4
濁醪沸入喉,口角如銜箝。
將持匕箸食,觸指如排簽。
侵鑪不覺暖,熾炭屢已添。
探湯無所益,何況纊與縑。」
#5
虎豹僵穴中,蛟螭死幽潛。
熒惑喪纏次,六龍冰脱髯。
芒碭大包内,生類恐盡殲。
啾啾窗間雀,不知已微纖。
擧頭仰天鳴,所願晷刻淹。」
#6
不如彈射死,卻得親炰燖。
突然の寒さに弾丸か、弓矢にうたれたというほどのことではないけれど、あるいは、煮て食われてしまう方がまだましというものだ。
鸞皇苟不存,爾固不在占。
これでは、瑞鳥の鸞と鳳凰でさえおられないというものだ。ましてや、おまえなどがとても数のうちに入るものではないのだ。
其餘蠢動儔,俱死誰恩嫌。
その他のうごめくたぐいの虫類にしたって、共に死んでも誰も気にかけてくれるということにはならないのだ。
伊我稱最靈,不能女覆苫。
とはいうものの、我々は、霊長類の中でも最も優秀な存在であるといわれているというのに、お前たちをかばってやれないのだ。
悲哀激憤歎,五藏難安恬。」

こんなに悲しくかわいそうな出来事をおもえば腹立って、嘆かわしくおもうのであり、見ているこちらの五臓六腑も心が落ち着いて穏やかな状態にすることは難しいのだ。
#7
中宵倚牆立,淫淚何漸漸。
天王哀無辜,惠我下顧瞻。
褰旒去耳纊,調和進梅鹽。
賢能日登禦,黜彼傲與憸。
生風吹死氣,豁達如褰簾。」
#8
懸乳零落堕,晨光入前檐。
雪霜頓銷釋,土脈膏且黏。
豈徒蘭蕙榮,施及艾與蒹。
日萼行鑠鑠,風條坐襜襜。
天乎苟其能,吾死意亦厭。」

寒きに苦しむ #1
四時 各々 平分し、一気 兼ぬ可からず。
隆寒【りゅうかん】 春序を奪ふは、顓頊【せんぎょく】 固に廉ならず。
太昊【たいこう】 維綱【いこう】を弛め、畏避【いひ】して 但 謙を守る。
遂に黄泉の下【もと】をして、萌牙【ほうが】 勾尖【こうせん】を夭【よう】せしむ。
#2
草木 復 柚【ぬ】かず、百昧【ひゃくみ】 苦甜【くてん】を失ふ。
凶飆【きょうふう】 宇宙を攪【みだ】し、鑑刀【ぼうじん】 割砭【かつへん】より甚【はなはだ】し。
日月は尊しと云ふと韓も、烏蟾【うせん】を活かす能はず。
義和 日を造って出づるに、恇怯【きょうきょう】して頻りに窺覘するのみ。
#3
炎帝 祝融【しゅくゆう】を持【ひか】え、呵嘘【かきょ】して 相 炎【も】えしめず。
而も 我 此の時に當って、恩光 何に由ってか沾【うるは】はむ。
肌膚【きふ】鱗甲【りんこう】生じ、衣被【いひ】刀鐮【とうれん】の如し。
気 寒くして 鼻 嗅ぐなく、血 凍って 指 拈めず。
#4
濁醪【だくろう】沸いて 喉に入れども、口角 箝を銜める如し。
將に匕箸【ひちょ】を持して食はむとするに、指に觸【ふ】るること簽【せん】を排【なら】ぶるが如し。
鑪【ろ】を侵して暖【だん】を覚えず、炭を熾【さかん】にして 屡【しばしば】 己に添【そ】ふ。
湯を探れども益【えき】する所無し、何に況んや纊【こう】と縑【けん】とをや。
#5
虎豹【こひょう】穴中に僵【たう】れ、蛟螭【こうち】 幽潜【ゆうせん】に死す。
熒惑 纏次【てんじ】を喪【うしな】ひ、六龍【りくりゅう】冰って 髭脱く。
芒碭【ぼうとう】たる大包の内、生類【しょうるい】恐らくは盡く殲【つ】きむ。
啾啾たり窗間【そうかん】の雀、己の微纖【びせん】なるを知らず。
頭を挙げ 天を仰いで 鳴く、願う所は晷刻【きこく】の淹【ひさ】しからむことを。
#6
如【し】かず 彈射【だんしゃ】せられて死し、卻【かえ】って親く炰燖【ほうじん】せらるるを得むには。
鸞皇【らんこう】苟【いやし】くも存せず、爾【なんじ】は固【もと】より占【せん】に在らず。
其の餘【よ】の蠢動【しゅんどう】する儔【たぐい】、俱【とも】に死すとも誰か恩嫌【おんけん】せむ。
伊【こ】れ 我 最も靈なりと稱すとも、女【なんじ】を覆苫【ふくせん】すること能はず。
悲哀【ひあい】 激して 憤歎【ふんたん】し、五臓【ごぞう】 安恬【あんてん】し難し。

#7
中宵【ちゅうしょう】牆【かき】に倚って立てば、淫涙【いんるい】何ぞ 漸漸【ぜんぜん】たる。
天や 無辜【むこう】を哀み、我を惠みて下に顧瞻【こせん】せよ。
旒【りゅう】を褰【かか】げて耳纊【じこう】を去り、調和するに梅鹽【ばいえん】を進めよ。
賢能 日に登御【とうぎょ】し、彼の傲【ごう】と憸【せん】とを黜【しりぞ】けよ
生風【せいふう】死気【しき】を吹き、豁達【かくたつ】 簾【すだれ】を褰【かか】ぐる如くならむ。
#8
懸乳【けんにゅう】零落【れいらく】して堕ち、晨光【しんこう】 前檐【ぜんえん】に入り。
雪霜【せつそう】頓【とみ】に銷釋【しょうしゃく】し、且土脈【どみゃく】膏【こう】にして 且 黏【でん】ならむ。
豈 徒に蘭と蕙との榮【はなさ】くのみならむや、施【し】いて艾【かい】と蒹【けん】に及ばむ。
日萼【じつがく】行くゆく鑠鑠【しゃくしゃく】たり,風條【ふうじょう】坐【い】ながら襜襜【せんせん】たり。
天乎【てんや】苟【いやし】くも其れ能くせは,吾死すとも意【こころ】に亦厭【た】りなむ。」


現代語訳と訳註
(本文)
#6
不如彈射死,卻得親炰燖。
鸞皇苟不存,爾固不在占。
其餘蠢動儔,俱死誰恩嫌。
伊我稱最靈,不能女覆苫。
悲哀激憤歎,五藏難安恬。」


(下し文) #6
如【し】かず 彈射【だんしゃ】せられて死し、卻【かえ】って親く炰燖【ほうじん】せらるるを得むには。
鸞皇【らんこう】苟【いやし】くも存せず、爾【なんじ】は固【もと】より占【せん】に在らず。
其の餘【よ】の蠢動【しゅんどう】する儔【たぐい】、俱【とも】に死すとも誰か恩嫌【おんけん】せむ。
伊【こ】れ 我 最も靈なりと稱すとも、女【なんじ】を覆苫【ふくせん】すること能はず。
悲哀【ひあい】 激して 憤歎【ふんたん】し、五臓【ごぞう】 安恬【あんてん】し難し。


(現代語訳)
突然の寒さに弾丸か、弓矢にうたれたというほどのことではないけれど、あるいは、煮て食われてしまう方がまだましというものだ。
これでは、瑞鳥の鸞と鳳凰でさえおられないというものだ。ましてや、おまえなどがとても数のうちに入るものではないのだ。
その他のうごめくたぐいの虫類にしたって、共に死んでも誰も気にかけてくれるということにはならないのだ。
とはいうものの、我々は、霊長類の中でも最も優秀な存在であるといわれているというのに、お前たちをかばってやれないのだ。
こんなに悲しくかわいそうな出来事をおもえば腹立って、嘆かわしくおもうのであり、見ているこちらの五臓六腑も心が落ち着いて穏やかな状態にすることは難しいのだ。


(訳注) #6
不如彈射死,卻得親炰燖。

突然の寒さに弾丸か、弓矢にうたれたというほどのことではないけれど、あるいは、煮て食われてしまう方がまだましというものだ。
炰燖 やいたり、うでたりする。


鸞皇苟不存,爾固不在占。
これでは、瑞鳥の鸞と鳳凰でさえおられないというものだ。ましてや、おまえなどがとても数のうちに入るものではないのだ
○鸞皇 鸞と鳳凰。いずれも瑞鳥。○ 数というほどの意。不在占は数のうちに入らぬ。


其餘蠢動儔,俱死誰恩嫌。
その他のうごめくたぐいの虫類にしたって、共に死んでも誰も気にかけてくれるということにはならないのだ。
蠢動儔 うごめくたぐいの虫類。○恩嫌 かわいがったり、にくんだり。


伊我稱最靈,不能女覆苫。
とはいうものの、我々は、霊長類の中でも最も優秀な存在であるといわれているというのに、お前たちをかばってやれないのだ
稱最靈 霊長類の中でも最も優秀な存在であるといわれている○径苫 おおう、かばう。


悲哀激憤歎,五藏難安恬。」
こんなに悲しくかわいそうな出来事をおもえば腹立って、嘆かわしくおもうのであり、見ているこちらの五臓六腑も心が落ち着いて穏やかな状態にすることは難しいのだ。
安恬 心が落ち着いて穏やかな状態。『漢書、厳安傳』「心既和平、其性恬安。恬安不營、則盗賊銷。」(心既に和平なれば、其の性恬安たり。恬安として營せざれば、則ち盗賊銷ゆ。)とある。

苦寒 韓愈<45>#5 Ⅱ韓退之(韓愈)詩324 紀頌之の漢詩ブログ 1051

苦寒 韓愈<45>#5 Ⅱ韓退之(韓愈)詩324 紀頌之の漢詩ブログ 1051

803年 貞元19年35歳 この年は四門博士に任官。すぐに休暇をとって洛陽に行き、途中華山を遊覧している。
*『唐書』の五行志によると、803年貞元十九年三月に大雪が降った。三月は、太陽暦では四月の末から五月のはじめ、今ではゴールデンウィークに大雪が降ったということだ。よほど不順な気候だったわけで、この詩はその時の模様につて、諷刺的な傾向の強い詩として書かれたものである。

苦寒 #1
四時各平分,一氣不可兼。
隆寒奪春序,顓頊固不廉。
太昊弛維綱,畏避但守謙。
遂令黄泉下,萌牙夭句尖。」
#2
草木不複抽,百味失苦甜。
凶飆攪宇宙,铓刃甚割砭。
日月雖雲尊,不能活烏蟾。
羲和送日出,恇怯頻窺覘。」
#3
炎帝持祝融,呵噓不相炎。
而我當此時,恩光何由沾。
肌膚生鱗甲,衣被如刀鐮。
氣寒鼻莫嗅,血凍指不拈。」
#4
濁醪沸入喉,口角如銜箝。
將持匕箸食,觸指如排簽。
侵鑪不覺暖,熾炭屢已添。
探湯無所益,何況纊與縑。」
#5
虎豹僵穴中,蛟螭死幽潛。
虎や豹が、穴にの中に入ったままででてこない、そのうえ、蛟たちまでも暗い水の底で死んでしまった。
熒惑喪纏次,六龍冰脱髯。
夏の神の火星は軌道を見失ってしまったのだ、季節が変わらず寒いままで六匹の龍までもが凍ってあの髯がぬけおちてしまったのだ。
芒碭大包内,生類恐盡殲。
かぎりなくひろい天地、宇宙の中での生きものはその中のことなのだ、生き歳往けるものすべてが全滅するのではないかと心配するのである。
啾啾窗間雀,不知已微纖。
チュウチュウと鳴いて窓べに寄せて来る雀がいる。微かな小さなものである自分の身のほどであるということを知りはしないのだ。
擧頭仰天鳴,所願晷刻淹。」
頭を持ち上げ、天を仰いで囀るのであるが一時てきであってもなんとか生きのびようとすることを願っている。

#6
不如彈射死,卻得親炰燖。
鸞皇苟不存,爾固不在占。
其餘蠢動儔,俱死誰恩嫌。
伊我稱最靈,不能女覆苫。
悲哀激憤歎,五藏難安恬。」
#7
中宵倚牆立,淫淚何漸漸。
天王哀無辜,惠我下顧瞻。
褰旒去耳纊,調和進梅鹽。
賢能日登禦,黜彼傲與憸。
生風吹死氣,豁達如褰簾。」
#8
懸乳零落堕,晨光入前檐。
雪霜頓銷釋,土脈膏且黏。
豈徒蘭蕙榮,施及艾與蒹。
日萼行鑠鑠,風條坐襜襜。
天乎苟其能,吾死意亦厭。」

寒きに苦しむ #1
四時 各々 平分し、一気 兼ぬ可からず。
隆寒【りゅうかん】 春序を奪ふは、顓頊【せんぎょく】 固に廉ならず。
太昊【たいこう】 維綱【いこう】を弛め、畏避【いひ】して 但 謙を守る。
遂に黄泉の下【もと】をして、萌牙【ほうが】 勾尖【こうせん】を夭【よう】せしむ。
#2
草木 復 柚【ぬ】かず、百昧【ひゃくみ】 苦甜【くてん】を失ふ。
凶飆【きょうふう】 宇宙を攪【みだ】し、鑑刀【ぼうじん】 割砭【かつへん】より甚【はなはだ】し。
日月は尊しと云ふと韓も、烏蟾【うせん】を活かす能はず。
義和 日を造って出づるに、恇怯【きょうきょう】して頻りに窺覘するのみ。
#3
炎帝 祝融【しゅくゆう】を持【ひか】え、呵嘘【かきょ】して 相 炎【も】えしめず。
而も 我 此の時に當って、恩光 何に由ってか沾【うるは】はむ。
肌膚【きふ】鱗甲【りんこう】生じ、衣被【いひ】刀鐮【とうれん】の如し。
気 寒くして 鼻 嗅ぐなく、血 凍って 指 拈めず。
#4
濁醪【だくろう】沸いて 喉に入れども、口角 箝を銜める如し。
將に匕箸【ひちょ】を持して食はむとするに、指に觸【ふ】るること簽【せん】を排【なら】ぶるが如し。
鑪【ろ】を侵して暖【だん】を覚えず、炭を熾【さかん】にして 屡【しばしば】 己に添【そ】ふ。
湯を探れども益【えき】する所無し、何に況んや纊【こう】と縑【けん】とをや。
#5
虎豹【こひょう】穴中に僵【たう】れ、蛟螭【こうち】 幽潜【ゆうせん】に死す。
熒惑 纏次【てんじ】を喪【うしな】ひ、六龍【りくりゅう】冰って 髭脱く。
芒碭【ぼうとう】たる大包の内、生類【しょうるい】恐らくは盡く殲【つ】きむ。
啾啾たり窗間【そうかん】の雀、己の微纖【びせん】なるを知らず。
頭を挙げ 天を仰いで 鳴く、願う所は晷刻【きこく】の淹【ひさ】しからむことを。

#6
如【し】かず 彈射【だんしゃ】せられて死し、卻【かえ】って親く炰燖【ほうじん】せらるるを得むには。
鸞皇【らんこう】苟【いやし】くも存せず、爾【なんじ】は固【もと】より占【せん】に在らず。
其の餘【よ】の蠢動【しゅんどう】する儔【たぐい】、俱【とも】に死すとも誰か恩嫌【おんけん】せむ。
伊【こ】れ 我 最も靈なりと稱すとも、女【なんじ】を覆苫【ふくせん】すること能はず。
悲哀【ひあい】 激して 憤歎【ふんたん】し、五臓【ごぞう】 安恬【あんてん】し難し。
#7
中宵【ちゅうしょう】牆【かき】に倚って立てば、淫涙【いんるい】何ぞ 漸漸【ぜんぜん】たる。
天や 無辜【むこう】を哀み、我を惠みて下に顧瞻【こせん】せよ。
旒【りゅう】を褰【かか】げて耳纊【じこう】を去り、調和するに梅鹽【ばいえん】を進めよ。
賢能 日に登御【とうぎょ】し、彼の傲【ごう】と憸【せん】とを黜【しりぞ】けよ
生風【せいふう】死気【しき】を吹き、豁達【かくたつ】 簾【すだれ】を褰【かか】ぐる如くならむ。
#8
懸乳【けんにゅう】零落【れいらく】して堕ち、晨光【しんこう】 前檐【ぜんえん】に入り。
雪霜【せつそう】頓【とみ】に銷釋【しょうしゃく】し、且土脈【どみゃく】膏【こう】にして 且 黏【でん】ならむ。
豈 徒に蘭と蕙との榮【はなさ】くのみならむや、施【し】いて艾【かい】と蒹【けん】に及ばむ。
日萼【じつがく】行くゆく鑠鑠【しゃくしゃく】たり,風條【ふうじょう】坐【い】ながら襜襜【せんせん】たり。
天乎【てんや】苟【いやし】くも其れ能くせは,吾死すとも意【こころ】に亦厭【た】りなむ。」


現代語訳と訳註
(本文)
#5
虎豹僵穴中,蛟螭死幽潛。
熒惑喪纏次,六龍冰脱髯。
芒碭大包内,生類恐盡殲。
啾啾窗間雀,不知已微纖。
擧頭仰天鳴,所願晷刻淹。」

(下し文) #5
虎豹【こひょう】穴中に僵【たう】れ、蛟螭【こうち】 幽潜【ゆうせん】に死す。
熒惑 纏次【てんじ】を喪【うしな】ひ、六龍【りくりゅう】冰って 髭脱く。
芒碭【ぼうとう】たる大包の内、生類【しょうるい】恐らくは盡く殲【つ】きむ。
啾啾たり窗間【そうかん】の雀、己の微纖【びせん】なるを知らず。
頭を挙げ 天を仰いで 鳴く、願う所は晷刻【きこく】の淹【ひさ】しからむことを。


(現代語訳)
虎や豹が、穴にの中に入ったままででてこない、そのうえ、蛟たちまでも暗い水の底で死んでしまった。
夏の神の火星は軌道を見失ってしまったのだ、季節が変わらず寒いままで六匹の龍までもが凍ってあの髯がぬけおちてしまったのだ。
かぎりなくひろい天地、宇宙の中での生きものはその中のことなのだ、生き歳往けるものすべてが全滅するのではないかと心配するのである。
チュウチュウと鳴いて窓べに寄せて来る雀がいる。
微かな小さなものである自分の身のほどであるということを知りはしないのだ。
頭を持ち上げ、天を仰いで囀るのであるが一時てきであってもなんとか生きのびようとすることを願っている。


(訳注) #5
虎豹僵穴中,蛟螭死幽潛。
虎や豹が、穴にの中に入ったままででてこない、そのうえ、蛟たちまでも暗い水の底で死んでしまった。
 面(おもて)を改める,表情をひきしめる.膠着状態の,にっちもさっちもゆかない.○硬直した,こわばった手、手がかじかんだ.○蛟螭 みずち。龍に似た角のある想像上の動物の名、同「蛟」「螭」。○幽潜 暗い水底。


熒惑喪纏次,六龍冰脱髯。
夏の神の火星は軌道を見失ってしまったのだ、季節が変わらず寒いままで六匹の龍までもが凍ってあの髯がぬけおちてしまったのだ
熒惑 火星。火星は五行説では熒惑、営惑とも書く。火星がさそり座のアンタレス(黄道の近くに位置しているため)に接近することを熒惑守心(熒惑心を守る)といい、不吉の前兆とされた。心は、星官、心宿のこと。○纏次 軌道.季節を変えるためのもの。○六竜 六匹の龍。『易経』乾の彖伝に「大哉乾元 萬物資始。乃統天。雲行雨施、品物流形。大明終始、六位時成。時乗六龍、以御天。乾道變化、各正性命、保合大和、乃利貞。首出庶物、万国咸寧。」(大いなるかな乾元! 万物資(と)りて始む。すなわち天を統ぶ。雲行き雨施し、品物形を流(し)く。大いに終始を明らかにし、六位時に成る。時に六竜に乗り、もって天を御す。乾道変化して、おのおの性命を正しくし、大和を保合するは、すなわち利貞なり。庶物に首出して、万国ことごとく寧(やす)し。)とある。乾元すなわち天の大本の気が、天を制御するために乗る六匹の竜。なお『易経』の疏に「陽気の昇降する、これ六竜といふ」とある。
脱髯 『史記』の封禅書『列仙伝』(黄帝は首山の銅を採って荊山の麓で鼎(かなえ)を鋳造した。鼎が完成すると、一匹の竜が髯を垂らして迎えにきた。黄帝はそれに乗って昇天した。臣下たちは悉く竜の髯をつかまえ、帝の弓にぶら下がって、帝とともに昇天しようとしたところ、竜の髯が抜け、弓も落ちてしまったので、臣下たちは着いて行くことができず、帝を仰いで泣き叫んだ。)これに似た故事の用法を駆使しているようである。


芒碭大包内,生類恐盡殲。
かぎりなくひろい天地、宇宙の中での生きものはその中のことなのだ、生き歳往けるものすべてが全滅するのではないかと心配するのである。
芒碭 茫轟と同じで、かぎりなくひろいこと。○大包 宇宙。○ 滅びる.


啾啾窗間雀,不知已微纖。
チュウチュウと鳴いて窓べに寄せて来る雀がいる。
微かな小さなものである自分の身のほどであるということを知りはしないのだ。
啾啾 チュウチュウ.○ 窓のこと。○微纖 わずかな、ちいさなもの。細い、繊維、小さい、しなやか、内衣の飾り、デリケート、脆弱、慎ましい、ケチ、という意味。


擧頭仰天鳴,所願晷刻淹。」
頭を持ち上げ、天を仰いで囀るのであるが一時てきであってもなんとか生きのびようとすることを願っている。
晷刻 光陰。時間。○ 卻の俗字。

苦寒 韓愈<45>#4 Ⅱ韓退之(韓愈)詩323 紀頌之の漢詩ブログ 1048

苦寒 韓愈<45>#4 Ⅱ韓退之(韓愈)詩323 紀頌之の漢詩ブログ 1048
803年 貞元19年35歳 この年は四門博士に任官。すぐに休暇をとって洛陽に行き、途中華山を遊覧している。
*『唐書』の五行志によると、803年貞元十九年三月に大雪が降った。三月は、太陽暦では四月の末から五月のはじめ、今ではゴールデンウィークに大雪が降ったということだ。よほど不順な気候だったわけで、この詩はその時の模様につて、諷刺的な傾向の強い詩として書かれたものである。

苦寒 #1
四時各平分,一氣不可兼。
隆寒奪春序,顓頊固不廉。
太昊弛維綱,畏避但守謙。
遂令黄泉下,萌牙夭句尖。」
#2
草木不複抽,百味失苦甜。
凶飆攪宇宙,铓刃甚割砭。
日月雖雲尊,不能活烏蟾。
羲和送日出,恇怯頻窺覘。」
#3
炎帝持祝融,呵噓不相炎。
而我當此時,恩光何由沾。
肌膚生鱗甲,衣被如刀鐮。
氣寒鼻莫嗅,血凍指不拈。」
#4
濁醪沸入喉,口角如銜箝。
生ドブロクが沸きたつようなのがのどを焼くようにはいりはしたが、口の端に残ったドブロクがたちまち凍って口かせのようになる。
將持匕箸食,觸指如排簽。
それでは食い物を箸とサジで食おうとすくうけれど、指で触ると食べ物がまるで竹ベラのようにカチカチだ。
侵鑪不覺暖,熾炭屢已添。
寒気が囲炉裏に侵入して、それで炭をしばしばどっさりくべたけれど、てんで暖くならない。
探湯無所益,何況纊與縑。」

からだを温めようとして風呂にはいった甲斐もないのだ、それでワタイレとフタコギヌを身に着けたとしてどうなろうというのか。
#5
虎豹僵穴中,蛟螭死幽潛。
熒惑喪纏次,六龍冰脱髯。
芒碭大包内,生類恐盡殲。
啾啾窗間雀,不知已微纖。
擧頭仰天鳴,所願晷刻淹。」
#6
不如彈射死,卻得親炰燖。
鸞皇苟不存,爾固不在占。
其餘蠢動儔,俱死誰恩嫌。
伊我稱最靈,不能女覆苫。
悲哀激憤歎,五藏難安恬。」
#7
中宵倚牆立,淫淚何漸漸。
天王哀無辜,惠我下顧瞻。
褰旒去耳纊,調和進梅鹽。
賢能日登禦,黜彼傲與憸。
生風吹死氣,豁達如褰簾。」
#8
懸乳零落堕,晨光入前檐。
雪霜頓銷釋,土脈膏且黏。
豈徒蘭蕙榮,施及艾與蒹。
日萼行鑠鑠,風條坐襜襜。
天乎苟其能,吾死意亦厭。」

寒きに苦しむ #1
四時 各々 平分し、一気 兼ぬ可からず。
隆寒【りゅうかん】 春序を奪ふは、顓頊【せんぎょく】 固に廉ならず。
太昊【たいこう】 維綱【いこう】を弛め、畏避【いひ】して 但 謙を守る。
遂に黄泉の下【もと】をして、萌牙【ほうが】 勾尖【こうせん】を夭【よう】せしむ。
#2
草木 復 柚【ぬ】かず、百昧【ひゃくみ】 苦甜【くてん】を失ふ。
凶飆【きょうふう】 宇宙を攪【みだ】し、鑑刀【ぼうじん】 割砭【かつへん】より甚【はなはだ】し。
日月は尊しと云ふと韓も、烏蟾【うせん】を活かす能はず。
義和 日を造って出づるに、恇怯【きょうきょう】して頻りに窺覘するのみ。
#3
炎帝 祝融【しゅくゆう】を持【ひか】え、呵嘘【かきょ】して 相 炎【も】えしめず。
而も 我 此の時に當って、恩光 何に由ってか沾【うるは】はむ。
肌膚【きふ】鱗甲【りんこう】生じ、衣被【いひ】刀鐮【とうれん】の如し。
気 寒くして 鼻 嗅ぐなく、血 凍って 指 拈めず。
#4
濁醪【だくろう】沸いて 喉に入れども、口角 箝を銜める如し。
將に匕箸【ひちょ】を持して食はむとするに、指に觸【ふ】るること簽【せん】を排【なら】ぶるが如し。
鑪【ろ】を侵して暖【だん】を覚えず、炭を熾【さかん】にして 屡【しばしば】 己に添【そ】ふ。
湯を探れども益【えき】する所無し、何に況んや纊【こう】と縑【けん】とをや。

#5
虎豹【こひょう】穴中に僵【たう】れ、蛟螭【こうち】 幽潜【ゆうせん】に死す。
熒惑 纏次【てんじ】を喪【うしな】ひ、六龍【りくりゅう】冰って 髭脱く。
芒碭【ぼうとう】たる大包の内、生類【しょうるい】恐らくは盡く殲【つ】きむ。
啾啾たり窗間【そうかん】の雀、己の微纖【びせん】なるを知らず。
頭を挙げ 天を仰いで 鳴く、願う所は晷刻【きこく】の淹【ひさ】しからむことを。
#6
如【し】かず 彈射【だんしゃ】せられて死し、卻【かえ】って親く炰燖【ほうじん】せらるるを得むには。
鸞皇【らんこう】苟【いやし】くも存せず、爾【なんじ】は固【もと】より占【せん】に在らず。
其の餘【よ】の蠢動【しゅんどう】する儔【たぐい】、俱【とも】に死すとも誰か恩嫌【おんけん】せむ。
伊【こ】れ 我 最も靈なりと稱すとも、女【なんじ】を覆苫【ふくせん】すること能はず。
悲哀【ひあい】 激して 憤歎【ふんたん】し、五臓【ごぞう】 安恬【あんてん】し難し。
#7
中宵【ちゅうしょう】牆【かき】に倚って立てば、淫涙【いんるい】何ぞ 漸漸【ぜんぜん】たる。
天や 無辜【むこう】を哀み、我を惠みて下に顧瞻【こせん】せよ。
旒【りゅう】を褰【かか】げて耳纊【じこう】を去り、調和するに梅鹽【ばいえん】を進めよ。
賢能 日に登御【とうぎょ】し、彼の傲【ごう】と憸【せん】とを黜【しりぞ】けよ
生風【せいふう】死気【しき】を吹き、豁達【かくたつ】 簾【すだれ】を褰【かか】ぐる如くならむ。
#8
懸乳【けんにゅう】零落【れいらく】して堕ち、晨光【しんこう】 前檐【ぜんえん】に入り。
雪霜【せつそう】頓【とみ】に銷釋【しょうしゃく】し、且土脈【どみゃく】膏【こう】にして 且 黏【でん】ならむ。
豈 徒に蘭と蕙との榮【はなさ】くのみならむや、施【し】いて艾【かい】と蒹【けん】に及ばむ。
日萼【じつがく】行くゆく鑠鑠【しゃくしゃく】たり,風條【ふうじょう】坐【い】ながら襜襜【せんせん】たり。
天乎【てんや】苟【いやし】くも其れ能くせは,吾死すとも意【こころ】に亦厭【た】りなむ。」


現代語訳と訳註
(本文)
#4
濁醪沸入喉,口角如銜箝。
將持匕箸食,觸指如排簽。
侵鑪不覺暖,熾炭屢已添。
探湯無所益,何況纊與縑。」


(下し文) #4
濁醪【だくろう】沸いて 喉に入れども、口角 箝を銜める如し。
將に匕箸【ひちょ】を持して食はむとするに、指に觸【ふ】るること簽【せん】を排【なら】ぶるが如し。
鑪【ろ】を侵して暖【だん】を覚えず、炭を熾【さかん】にして 屡【しばしば】 己に添【そ】ふ。
湯を探れども益【えき】する所無し、何に況んや纊【こう】と縑【けん】とをや。


(現代語訳)
生ドブロクが沸きたつようなのがのどを焼くようにはいりはしたが、口の端に残ったドブロクがたちまち凍って口かせのようになる。
それでは食い物を箸とサジで食おうとすくうけれど、指で触ると食べ物がまるで竹ベラのようにカチカチだ。
寒気が囲炉裏に侵入して、それで炭をしばしばどっさりくべたけれど、てんで暖くならない。
からだを温めようとして風呂にはいった甲斐もないのだ、それでワタイレとフタコギヌを身に着けたとしてどうなろうというのか。


(訳注) #4
濁醪沸入喉,口角如銜箝。

生ドブロクが沸きたつようなのがのどを焼くようにはいりはしたが、口の端に残ったドブロクがたちまち凍って口かせのようになる。
濁醪 生ドブロク。にごりもろみ。○沸入喉 沸きたつようなのがのどを焼くようにはいりはしたが。○ 声を出させないため口にくわえさせる木。口かせ。口の端に残ったドブロクがたちまち凍って口かせのようになるというのである。


將持匕箸食,觸指如排簽。
それでは食い物を箸とサジで食おうとすくうけれど、指で触ると食べ物がまるで竹ベラのようにカチカチだ。
匕箸 サジとハシ。○如排簽 食べ物がまるで竹ベラのようにカチカチだ、というのである。


侵鑪不覺暖,熾炭屢已添。
寒気が囲炉裏に侵入して、それで炭をしばしばどっさりくべたけれど、てんで暖くならない。
○侵鑪 寒気が囲炉裏に侵入して。


探湯無所益,何況纊與縑。」
からだを温めようとして風呂にはいった甲斐もないのだ、それでワタイレとフタコギヌを身に着けたとしてどうなろうというのか。
探湯 からだを温めようとして湯につかるが。○纊与縑 ワタイレとフタコギヌ。
*マイナス35度~-40度の世界をいう。

苦寒 韓愈<45>#3 Ⅱ韓退之(韓愈)詩322 紀頌之の漢詩ブログ 1045

苦寒 韓愈<45>#3 Ⅱ韓退之(韓愈)詩322 紀頌之の漢詩ブログ 1045

803年 貞元19年35歳 この年は四門博士に任官。すぐに休暇をとって洛陽に行き、途中華山を遊覧している。
*『唐書』の五行志によると、803年貞元十九年三月に大雪が降った。三月は、太陽暦では四月の末から五月のはじめ、今ではゴールデンウィークに大雪が降ったということだ。よほど不順な気候だったわけで、この詩はその時の模様につて、諷刺的な傾向の強い詩として書かれたものである。


苦寒 #1
四時各平分,一氣不可兼。
隆寒奪春序,顓頊固不廉。
太昊弛維綱,畏避但守謙。
遂令黄泉下,萌牙夭句尖。」
#2
草木不複抽,百味失苦甜。
凶飆攪宇宙,铓刃甚割砭。
日月雖雲尊,不能活烏蟾。
羲和送日出,恇怯頻窺覘。」
#3
炎帝持祝融,呵噓不相炎。
夏を支配し火をつかさどる炎帝は、火の神祝融をしたがえたが、ご命令をだされるのは燃えてはいけない ということであった。
而我當此時,恩光何由沾。
それではこのわたしにこの時にあたって、めぐみの光がどうして注ぎ潤ってくれるというのか。
肌膚生鱗甲,衣被如刀鐮。
素肌は魚の鱗のようにひびわれが生じてきて、衣はカタナとカマでもってさながら切り裂かれた状況にある。
氣寒鼻莫嗅,血凍指不拈。」

寒気があまりに凄いので息をするのがやっとで鼻は匂うことができない、生き血は凍ってしまい指でつまむこともできないのである。

#4
濁醪沸入喉,口角如銜箝。
將持匕箸食,觸指如排簽。
侵鑪不覺暖,熾炭屢已添。
探湯無所益,何況纊與縑。」
#5
虎豹僵穴中,蛟螭死幽潛。
熒惑喪纏次,六龍冰脱髯。
芒碭大包内,生類恐盡殲。
啾啾窗間雀,不知已微纖。
擧頭仰天鳴,所願晷刻淹。」
#6
不如彈射死,卻得親炰燖。
鸞皇苟不存,爾固不在占。
其餘蠢動儔,俱死誰恩嫌。
伊我稱最靈,不能女覆苫。
悲哀激憤歎,五藏難安恬。」
#7
中宵倚牆立,淫淚何漸漸。
天王哀無辜,惠我下顧瞻。
褰旒去耳纊,調和進梅鹽。
賢能日登禦,黜彼傲與憸。
生風吹死氣,豁達如褰簾。」
#8
懸乳零落堕,晨光入前檐。
雪霜頓銷釋,土脈膏且黏。
豈徒蘭蕙榮,施及艾與蒹。
日萼行鑠鑠,風條坐襜襜。
天乎苟其能,吾死意亦厭。」

寒きに苦しむ #1
四時 各々 平分し、一気 兼ぬ可からず。
隆寒【りゅうかん】 春序を奪ふは、顓頊【せんぎょく】 固に廉ならず。
太昊【たいこう】 維綱【いこう】を弛め、畏避【いひ】して 但 謙を守る。
遂に黄泉の下【もと】をして、萌牙【ほうが】 勾尖【こうせん】を夭【よう】せしむ。
#2
草木 復 柚【ぬ】かず、百昧【ひゃくみ】 苦甜【くてん】を失ふ。
凶飆【きょうふう】 宇宙を攪【みだ】し、鑑刀【ぼうじん】 割砭【かつへん】より甚【はなはだ】し。
日月は尊しと云ふと韓も、烏蟾【うせん】を活かす能はず。
義和 日を造って出づるに、恇怯【きょうきょう】して頻りに窺覘するのみ。
#3
炎帝 祝融【しゅくゆう】を持【ひか】え、呵嘘【かきょ】して 相 炎【も】えしめず。
而も 我 此の時に當って、恩光 何に由ってか沾【うるは】はむ。
肌膚【きふ】鱗甲【りんこう】生じ、衣被【いひ】刀鐮【とうれん】の如し。
気 寒くして 鼻 嗅ぐなく、血 凍って 指 拈めず。

#4
濁醪【だくろう】沸いて 喉に入れども、口角 箝を銜める如し。
將に匕箸【ひちょ】を持して食はむとするに、指に觸【ふ】るること簽【せん】を排【なら】ぶるが如し。
鑪【ろ】を侵して暖【だん】を覚えず、炭を熾【さかん】にして 屡【しばしば】 己に添【そ】ふ。
湯を探れども益【えき】する所無し、何に況んや纊【こう】と縑【けん】とをや。
#5
虎豹【こひょう】穴中に僵【たう】れ、蛟螭【こうち】 幽潜【ゆうせん】に死す。
熒惑 纏次【てんじ】を喪【うしな】ひ、六龍【りくりゅう】冰って 髭脱く。
芒碭【ぼうとう】たる大包の内、生類【しょうるい】恐らくは盡く殲【つ】きむ。
啾啾たり窗間【そうかん】の雀、己の微纖【びせん】なるを知らず。
頭を挙げ 天を仰いで 鳴く、願う所は晷刻【きこく】の淹【ひさ】しからむことを。
#6
如【し】かず 彈射【だんしゃ】せられて死し、卻【かえ】って親く炰燖【ほうじん】せらるるを得むには。
鸞皇【らんこう】苟【いやし】くも存せず、爾【なんじ】は固【もと】より占【せん】に在らず。
其の餘【よ】の蠢動【しゅんどう】する儔【たぐい】、俱【とも】に死すとも誰か恩嫌【おんけん】せむ。
伊【こ】れ 我 最も靈なりと稱すとも、女【なんじ】を覆苫【ふくせん】すること能はず。
悲哀【ひあい】 激して 憤歎【ふんたん】し、五臓【ごぞう】 安恬【あんてん】し難し。
#7
中宵【ちゅうしょう】牆【かき】に倚って立てば、淫涙【いんるい】何ぞ 漸漸【ぜんぜん】たる。
天や 無辜【むこう】を哀み、我を惠みて下に顧瞻【こせん】せよ。
旒【りゅう】を褰【かか】げて耳纊【じこう】を去り、調和するに梅鹽【ばいえん】を進めよ。
賢能 日に登御【とうぎょ】し、彼の傲【ごう】と憸【せん】とを黜【しりぞ】けよ
生風【せいふう】死気【しき】を吹き、豁達【かくたつ】 簾【すだれ】を褰【かか】ぐる如くならむ。
#8
懸乳【けんにゅう】零落【れいらく】して堕ち、晨光【しんこう】 前檐【ぜんえん】に入り。
雪霜【せつそう】頓【とみ】に銷釋【しょうしゃく】し、且土脈【どみゃく】膏【こう】にして 且 黏【でん】ならむ。
豈 徒に蘭と蕙との榮【はなさ】くのみならむや、施【し】いて艾【かい】と蒹【けん】に及ばむ。
日萼【じつがく】行くゆく鑠鑠【しゃくしゃく】たり,風條【ふうじょう】坐【い】ながら襜襜【せんせん】たり。
天乎【てんや】苟【いやし】くも其れ能くせは,吾死すとも意【こころ】に亦厭【た】りなむ。」


現代語訳と訳註
(本文)
#3
炎帝持祝融,呵噓不相炎。
而我當此時,恩光何由沾。
肌膚生鱗甲,衣被如刀鐮。
氣寒鼻莫嗅,血凍指不拈。」

(下し文) #3
炎帝 祝融【しゅくゆう】を持【ひか】え、呵嘘【かきょ】して 相 炎【も】えしめず。
而も 我 此の時に當って、恩光 何に由ってか沾【うるは】はむ。
肌膚【きふ】鱗甲【りんこう】生じ、衣被【いひ】刀鐮【とうれん】の如し。
気 寒くして 鼻 嗅ぐなく、血 凍って 指 拈めず。


(現代語訳)
夏を支配し火をつかさどる炎帝は、火の神祝融をしたがえたが、ご命令をだされるのは燃えてはいけない ということであった。
それではこのわたしにこの時にあたって、めぐみの光がどうして注ぎ潤ってくれるというのか。
素肌は魚の鱗のようにひびわれが生じてきて、衣はカタナとカマでもってさながら切り裂かれた状況にある。
寒気があまりに凄いので息をするのがやっとで鼻は匂うことができない、生き血は凍ってしまい指でつまむこともできないのである。


(訳注) #3
炎帝持祝融,呵噓不相炎。
夏を支配し火をつかさどる炎帝は、火の神祝融をしたがえたが、ご命令をだされるのは燃えてはいけない ということであった。 
炎帝 古代の伝説の帝王。夏を支配し火をつかさどると考えられた。○祝融 火の神。ここでは炎帝の部下。○呵嘘 いきをはく。ここでは、いいつけるというほどの悪弊につかっているのだろう。


而我當此時,恩光何由沾。
それではこのわたしにこの時にあたって、めぐみの光がどうして注ぎ潤ってくれるというのか。


肌膚生鱗甲,衣被如刀鐮。
素肌は魚の鱗のようにひびわれが生じてきて、衣はカタナとカマでもってさながら切り裂かれた状況にある。
刀鐮 カタナとカマ。


氣寒鼻莫嗅,血凍指不拈。」
寒気があまりに凄いので息をするのがやっとで鼻は匂うことができない、生き血は凍ってしまい指でつまむこともできないのである。

苦寒 韓愈<45>#2 Ⅱ韓退之(韓愈)詩321 紀頌之の漢詩ブログ 1042

苦寒 韓愈<45>#2 Ⅱ韓退之(韓愈)詩321 紀頌之の漢詩ブログ 1042
803年 貞元19年35歳 この年は四門博士に任官。すぐに休暇をとって洛陽に行き、途中華山を遊覧している。
*『唐書』の五行志によると、803年貞元十九年三月に大雪が降った。三月は、太陽暦では四月の末から五月のはじめ、今ではゴールデンウィークに大雪が降ったということだ。よほど不順な気候だったわけで、この詩はその時の模様につて、諷刺的な傾向の強い詩として書かれたものである。

苦寒 #1
四時各平分,一氣不可兼。
隆寒奪春序,顓頊固不廉。
太昊弛維綱,畏避但守謙。
遂令黄泉下,萌牙夭句尖。」
#2
草木不複抽,百味失苦甜。
いったん枯れた草木も春にはもういちどぬきん出てくるものだのに、草木が伸びないというのは、すべての味わいをもつものがその苦さや甘さを喪失するということである。
凶飆攪宇宙,铓刃甚割砭。
凶悪なつむじ風は宇宙の秩序をみだすものであり、刃の先でさくことは石針で刺し通すことがより難しいのだ。
日月雖雲尊,不能活烏蟾。
太陽と月は雲に隠されようとも尊ばれるものであるといいながらも、天の法則が乱れれば、日の九羽のカラス、三本足のカラス、月の蛙も生きてはおれないのだ。
羲和送日出,恇怯頻窺覘。」

堯舜の時代から羲氏と和氏は日の出をつかさどっているのだが、怖がってしまい、びくびくして、おどおどして、そしてうかがい見をするばかりなのだ。
#3
炎帝持祝融,呵噓不相炎。
而我當此時,恩光何由沾。
肌膚生鱗甲,衣被如刀鐮。
氣寒鼻莫嗅,血凍指不拈。」
#4
濁醪沸入喉,口角如銜箝。
將持匕箸食,觸指如排簽。
侵鑪不覺暖,熾炭屢已添。
探湯無所益,何況纊與縑。」
#5
虎豹僵穴中,蛟螭死幽潛。
熒惑喪纏次,六龍冰脱髯。
芒碭大包内,生類恐盡殲。
啾啾窗間雀,不知已微纖。
擧頭仰天鳴,所願晷刻淹。」
#6
不如彈射死,卻得親炰燖。
鸞皇苟不存,爾固不在占。
其餘蠢動儔,俱死誰恩嫌。
伊我稱最靈,不能女覆苫。
悲哀激憤歎,五藏難安恬。」
#7
中宵倚牆立,淫淚何漸漸。
天王哀無辜,惠我下顧瞻。
褰旒去耳纊,調和進梅鹽。
賢能日登禦,黜彼傲與憸。
生風吹死氣,豁達如褰簾。」
#8
懸乳零落堕,晨光入前檐。
雪霜頓銷釋,土脈膏且黏。
豈徒蘭蕙榮,施及艾與蒹。
日萼行鑠鑠,風條坐襜襜。
天乎苟其能,吾死意亦厭。」

寒きに苦しむ #1
四時 各々 平分し、一気 兼ぬ可からず。
隆寒【りゅうかん】 春序を奪ふは、顓頊【せんぎょく】 固に廉ならず。
太昊【たいこう】 維綱【いこう】を弛め、畏避【いひ】して 但 謙を守る。
遂に黄泉の下【もと】をして、萌牙【ほうが】 勾尖【こうせん】を夭【よう】せしむ。
#2
草木 復 柚【ぬ】かず、百昧【ひゃくみ】 苦甜【くてん】を失ふ。
凶飆【きょうふう】 宇宙を攪【みだ】し、鑑刀【ぼうじん】 割砭【かつへん】より甚【はなはだ】し。
日月は尊しと云ふと韓も、烏蟾【うせん】を活かす能はず。
義和 日を造って出づるに、恇怯【きょうきょう】して頻りに窺覘するのみ。

#3
炎帝 祝融【しゅくゆう】を持【ひか】え、呵嘘【かきょ】して 相 炎【も】えしめず。
而も 我 此の時に當って、恩光 何に由ってか沾【うるは】はむ。
肌膚【きふ】鱗甲【りんこう】生じ、衣被【いひ】刀鐮【とうれん】の如し。
気 寒くして 鼻 嗅ぐなく、血 凍って 指 拈めず。
#4
濁醪【だくろう】沸いて 喉に入れども、口角 箝を銜める如し。
將に匕箸【ひちょ】を持して食はむとするに、指に觸【ふ】るること簽【せん】を排【なら】ぶるが如し。
鑪【ろ】を侵して暖【だん】を覚えず、炭を熾【さかん】にして 屡【しばしば】 己に添【そ】ふ。
湯を探れども益【えき】する所無し、何に況んや纊【こう】と縑【けん】とをや。
#5
虎豹【こひょう】穴中に僵【たう】れ、蛟螭【こうち】 幽潜【ゆうせん】に死す。
熒惑 纏次【てんじ】を喪【うしな】ひ、六龍【りくりゅう】冰って 髭脱く。
芒碭【ぼうとう】たる大包の内、生類【しょうるい】恐らくは盡く殲【つ】きむ。
啾啾たり窗間【そうかん】の雀、己の微纖【びせん】なるを知らず。
頭を挙げ 天を仰いで 鳴く、願う所は晷刻【きこく】の淹【ひさ】しからむことを。
#6
如【し】かず 彈射【だんしゃ】せられて死し、卻【かえ】って親く炰燖【ほうじん】せらるるを得むには。
鸞皇【らんこう】苟【いやし】くも存せず、爾【なんじ】は固【もと】より占【せん】に在らず。
其の餘【よ】の蠢動【しゅんどう】する儔【たぐい】、俱【とも】に死すとも誰か恩嫌【おんけん】せむ。
伊【こ】れ 我 最も靈なりと稱すとも、女【なんじ】を覆苫【ふくせん】すること能はず。
悲哀【ひあい】 激して 憤歎【ふんたん】し、五臓【ごぞう】 安恬【あんてん】し難し。
#7
中宵【ちゅうしょう】牆【かき】に倚って立てば、淫涙【いんるい】何ぞ 漸漸【ぜんぜん】たる。
天や 無辜【むこう】を哀み、我を惠みて下に顧瞻【こせん】せよ。
旒【りゅう】を褰【かか】げて耳纊【じこう】を去り、調和するに梅鹽【ばいえん】を進めよ。
賢能 日に登御【とうぎょ】し、彼の傲【ごう】と憸【せん】とを黜【しりぞ】けよ
生風【せいふう】死気【しき】を吹き、豁達【かくたつ】 簾【すだれ】を褰【かか】ぐる如くならむ。
#8
懸乳【けんにゅう】零落【れいらく】して堕ち、晨光【しんこう】 前檐【ぜんえん】に入り。
雪霜【せつそう】頓【とみ】に銷釋【しょうしゃく】し、且土脈【どみゃく】膏【こう】にして 且 黏【でん】ならむ。
豈 徒に蘭と蕙との榮【はなさ】くのみならむや、施【し】いて艾【かい】と蒹【けん】に及ばむ。
日萼【じつがく】行くゆく鑠鑠【しゃくしゃく】たり,風條【ふうじょう】坐【い】ながら襜襜【せんせん】たり。
天乎【てんや】苟【いやし】くも其れ能くせは,吾死すとも意【こころ】に亦厭【た】りなむ。」


現代語訳と訳註
(本文)
#2
草木不複抽,百味失苦甜。
凶飆攪宇宙,铓刃甚割砭。
日月雖雲尊,不能活烏蟾。
羲和送日出,恇怯頻窺覘。」


(下し文) #2
草木 復 柚【ぬ】かず、百昧【ひゃくみ】 苦甜【くてん】を失ふ。
凶飆【きょうふう】 宇宙を攪【みだ】し、鑑刀【ぼうじん】 割砭【かつへん】より甚【はなはだ】し。
日月は尊しと云ふと韓も、烏蟾【うせん】を活かす能はず。
義和 日を造って出づるに、恇怯【きょうきょう】して頻りに窺覘するのみ。


 (現代語訳)
いったん枯れた草木も春にはもういちどぬきん出てくるものだのに、草木が伸びないというのは、すべての味わいをもつものがその苦さや甘さを喪失するということである。
凶悪なつむじ風は宇宙の秩序をみだすものであり、刃の先でさくことは石針で刺し通すことがより難しいのだ。
太陽と月は雲に隠されようとも尊ばれるものであるといいながらも、天の法則が乱れれば、日の九羽のカラス、三本足のカラス、月の蛙も生きてはおれないのだ。
堯舜の時代から羲氏と和氏は日の出をつかさどっているのだが、怖がってしまい、びくびくして、おどおどして、そしてうかがい見をするばかりなのだ。


 (訳注) #2
草木不複抽,百味失苦甜。

いったん枯れた草木も春にはもういちどぬきん出てくるものだのに、草木が伸びないというのは、すべての味わいをもつものがその苦さや甘さを喪失するということである。
草木不復抽 いったん枯れた草木も春にはもういちどぬきん出てくるものだのに、それがぬき出てこない。○百味失苦甜 すべての味わいをもつものがその苦さや甘さを喪失する。


凶飆攪宇宙,铓刃甚割砭。
凶悪なつむじ風は宇宙の秩序をみだすものであり、刃の先でさくことは石針で刺し通すことがより難しいのだ。
凶飆 凶悪なつむじ風。飆は飇の俗字。○铓刃 やいばのさき。○割砭 石針で刺し通すこと。


日月雖雲尊,不能活烏蟾。
太陽と月は雲に隠されようとも尊ばれるものであるといいながらも、天の法則が乱れれば、日の九羽のカラス、三本足のカラス、月の蛙も生きてはおれないのだ。
烏蟾 太陽には三本足のカラスが、月にはヒキガエルが、住むと考えられた。
李白「古朗月行」 #2 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩李白特集 265350
「蟾蜍蝕圓影、大明夜已殘。 羿昔落九烏、天人清且安。陰精此淪惑、去去不足觀。 憂來其如何、淒愴摧心肝。」(蟾蜍(せんじょ)は 円影を蝕し、大明 夜已に残く。羿(げい)は昔 九鳥を落とし、天人 清く且つ安し。陰精(いんせい) 此に淪惑(りんわく)、去去 観るに足らず。憂 來りて 其れ如何、悽愴(せいそう) 心肝を摧(くだ)く。)
月の中にはヒキガエルがすんでいて、月のまるい影を食べている。月明かりが大きく照らさている夜があり、欠けてしまって夜の明りがのこる。大むかし十個の太陽があっって、日が定まらず困っていたので、弓の名手の羿が、九羽のカラスを射落すことによって、天は清らかに、人びとは安らかになった。天道には、陰と陽があり、陰の象徴である月の梧桐から追い出され后妃を殺し、沈みきって蜀まで迷い逃げた。叛乱軍は衰えるところなく時は、しだいに都を見るかげもないものにして行った。この先行きに対し、憂いのおこるのをどうしたらよいのであろう。この国のことを考えるにつけ、いたみかなしみがとめどなく、わたしの心をこなごなにする。


羲和送日出,恇怯頻窺覘。」
堯舜の時代から羲氏と和氏は日の出をつかさどっているのだが、怖がってしまい、びくびくして、おどおどして、そしてうかがい見をするばかりなのだ。
羲和 堯舜の時代に暦をつかさどった羲氏と和氏のこと。日の神。太陽をのせた車を運転すると考えられた。○恇怯 おそれる。○頻窺覘 頻:しきりに。窺:うかがう。覘;うかがいみる。

苦寒 韓愈<45>#1 Ⅱ韓退之(韓愈)詩320 紀頌之の漢詩ブログ 1039

苦寒 韓愈<45>#1 Ⅱ韓退之(韓愈)詩320 紀頌之の漢詩ブログ 1039
底本巻四
803年 貞元19年35歳 この年は四門博士に任官。すぐに休暇をとって洛陽に行き、途中華山を遊覧している。
*『唐書』の五行志によると、803年貞元十九年三月に大雪が降った。三月は、太陽暦では四月の末から五月のはじめ、今ではゴールデンウィークに大雪が降ったということだ。よほど不順な気候だったわけで、この詩はその時の模様につて、諷刺的な傾向の強い詩として書かれたものである。

苦寒

四時各平分,一氣不可兼。
四季、一日の四時というものは、平等に分けたれている。それで一気が他の気を兼ねてはならないのだ。
隆寒奪春序,顓頊固不廉。
暦で春なのにはげしい寒さがある、それは古代の伝説の天子、冬を支配する神である顓頊が引退すべきところ潔くない子としているのだ。
太昊弛維綱,畏避但守謙。
古代の伝説の天子、春を支配する神である太昊どのが四隅の網の結び目をゆるめておられる。少しばかり掟をゆるくして、冬の神に遠慮されているのだ
遂令黄泉下,萌牙夭句尖。」

そういう緒風として残っていても土の下には陽気が蓄積されついにはかわるのである、草木のめも尖が枉げられしぼんでしまうのだ。

草木不複抽,百味失苦甜。
凶飆攪宇宙,铓刃甚割砭。
日月雖雲尊,不能活烏蟾。
羲和送日出,恇怯頻窺覘。」

炎帝持祝融,呵噓不相炎。
而我當此時,恩光何由沾。
肌膚生鱗甲,衣被如刀鐮。
氣寒鼻莫嗅,血凍指不拈。」

濁醪沸入喉,口角如銜箝。
將持匕箸食,觸指如排簽。
侵鑪不覺暖,熾炭屢已添。
探湯無所益,何況纊與縑。」

虎豹僵穴中,蛟螭死幽潛。
熒惑喪纏次,六龍冰脱髯。
芒碭大包内,生類恐盡殲。
啾啾窗間雀,不知已微纖。
擧頭仰天鳴,所願晷刻淹。」

不如彈射死,卻得親炰燖。
鸞皇苟不存,爾固不在占。
其餘蠢動儔,俱死誰恩嫌。
伊我稱最靈,不能女覆苫。
悲哀激憤歎,五藏難安恬。」

中宵倚牆立,淫淚何漸漸。
天王哀無辜,惠我下顧瞻。
褰旒去耳纊,調和進梅鹽。
賢能日登禦,黜彼傲與憸。
生風吹死氣,豁達如褰簾。」

懸乳零落堕,晨光入前檐。
雪霜頓銷釋,土脈膏且黏。
豈徒蘭蕙榮,施及艾與蒹。
日萼行鑠鑠,風條坐襜襜。
天乎苟其能,吾死意亦厭。」

寒きに苦しむ #1
四時 各々 平分し、一気 兼ぬ可からず。
隆寒【りゅうかん】 春序を奪ふは、顓頊【せんぎょく】 固に廉ならず。
太昊【たいこう】 維綱【いこう】を弛め、畏避【いひ】して 但 謙を守る。
遂に黄泉の下【もと】をして、萌牙【ほうが】 勾尖【こうせん】を夭【よう】せしむ。
#2

草木 復 柚【ぬ】かず、百昧【ひゃくみ】 苦甜【くてん】を失ふ。
凶飆【きょうふう】 宇宙を攪【みだ】し、鑑刀【ぼうじん】 割砭【かつへん】より甚【はなはだ】し。
日月は尊しと云ふと韓も、烏蟾【うせん】を活かす能はず。
義和 日を造って出づるに、恇怯【きょうきょう】して頻りに窺覘するのみ。

炎帝 祝融【しゅくゆう】を持【ひか】え、呵嘘【かきょ】して 相 炎【も】えしめず。
而も 我 此の時に當って、恩光 何に由ってか沾【うるは】はむ。
肌膚【きふ】鱗甲【りんこう】生じ、衣被【いひ】刀鐮【とうれん】の如し。
気 寒くして 鼻 嗅ぐなく、血 凍って 指 拈めず。

濁醪【だくろう】沸いて 喉に入れども、口角 箝を銜める如し。
將に匕箸【ひちょ】を持して食はむとするに、指に觸【ふ】るること簽【せん】を排【なら】ぶるが如し。
鑪【ろ】を侵して暖【だん】を覚えず、炭を熾【さかん】にして 屡【しばしば】 己に添【そ】ふ。
湯を探れども益【えき】する所無し、何に況んや纊【こう】と縑【けん】とをや。

虎豹【こひょう】穴中に僵【たう】れ、蛟螭【こうち】 幽潜【ゆうせん】に死す。
熒惑 纏次【てんじ】を喪【うしな】ひ、六龍【りくりゅう】冰って 髭脱く。
芒碭【ぼうとう】たる大包の内、生類【しょうるい】恐らくは盡く殲【つ】きむ。
啾啾たり窗間【そうかん】の雀、己の微纖【びせん】なるを知らず。
頭を挙げ 天を仰いで 鳴く、願う所は晷刻【きこく】の淹【ひさ】しからむことを。


如【し】かず 彈射【だんしゃ】せられて死し、卻【かえ】って親く炰燖【ほうじん】せらるるを得むには。
鸞皇【らんこう】苟【いやし】くも存せず、爾【なんじ】は固【もと】より占【せん】に在らず。
其の餘【よ】の蠢動【しゅんどう】する儔【たぐい】、俱【とも】に死すとも誰か恩嫌【おんけん】せむ。
伊【こ】れ 我 最も靈なりと稱すとも、女【なんじ】を覆苫【ふくせん】すること能はず。
悲哀【ひあい】 激して 憤歎【ふんたん】し、五臓【ごぞう】 安恬【あんてん】し難し。

中宵【ちゅうしょう】牆【かき】に倚って立てば、淫涙【いんるい】何ぞ 漸漸【ぜんぜん】たる。
天や 無辜【むこう】を哀み、我を惠みて下に顧瞻【こせん】せよ。
旒【りゅう】を褰【かか】げて耳纊【じこう】を去り、調和するに梅鹽【ばいえん】を進めよ。
賢能 日に登御【とうぎょ】し、彼の傲【ごう】と憸【せん】とを黜【しりぞ】けよ
生風【せいふう】死気【しき】を吹き、豁達【かくたつ】 簾【すだれ】を褰【かか】ぐる如くならむ。
懸乳【けんにゅう】零落【れいらく】して堕ち、晨光【しんこう】 前檐【ぜんえん】に入り。
雪霜【せつそう】頓【とみ】に銷釋【しょうしゃく】し、且土脈【どみゃく】膏【こう】にして 且 黏【でん】ならむ。
豈 徒に蘭と蕙との榮【はなさ】くのみならむや、施【し】いて艾【かい】と蒹【けん】に及ばむ。

日萼【じつがく】行くゆく鑠鑠【しゃくしゃく】たり,風條【ふうじょう】坐【い】ながら襜襜【せんせん】たり。
天乎【てんや】苟【いやし】くも其れ能くせは,吾死すとも意【こころ】に亦厭【た】りなむ。」



現代語訳と訳註
(本文)苦寒

四時各平分,一氣不可兼。
隆寒奪春序,顓頊固不廉。
太昊弛維綱,畏避但守謙。
遂令黄泉下,萌牙夭句尖。」

(下し文) 寒きに苦しむ
四時 各々 平分し、一気 兼ぬ可からず。
隆寒【りゅうかん】 春序を奪ふは、顓頊【せんぎょく】 固に廉ならず。
太昊【たいこう】 維綱【いこう】を弛め、畏避【いひ】して 但 謙を守る。
遂に黄泉の下【もと】をして、萌牙【ほうが】 勾尖【こうせん】を夭【よう】せしむ。


(現代語訳)
寒さに苦しむ
四季、一日の四時というものは、平等に分けたれている。それで一気が他の気を兼ねてはならないのだ。
暦で春なのにはげしい寒さがある、それは古代の伝説の天子、冬を支配する神である顓頊が引退すべきところ潔くない子としているのだ。
古代の伝説の天子、春を支配する神である太昊どのが四隅の網の結び目をゆるめておられる。少しばかり掟をゆるくして、冬の神に遠慮されているのだ
そういう緒風として残っていても土の下には陽気が蓄積されついにはかわるのである、草木のめも尖が枉げられしぼんでしまうのだ。

(訳注)
○苦寒
 同時期に孟郊「寒地百姓吟」がある。
 無火炙地眠,半夜皆立號。
 冷箭何處來,棘針風騷勞。
 霜吹破四壁,苦痛不可逃。
 高堂搥鍾飲,到曉聞烹炮。』
 寒者願爲蛾,燒死彼華膏。
 華膏隔仙羅,虛繞千萬遭。
 到頭落地死,踏地爲游遨。
 游遨者是誰,君子爲鬱陶。』



又、韓愈に次の詩がある。
苦寒歌

 黃昏苦寒歌,夜半不能休。

 豈不有陽春,節聿其周,君何愛重裘。

 兼味養大賢,冰食葛制神所憐。

 填窗塞慎勿出,暄風暖景明年日。



四時各平分,一氣不可兼。
四季、一日の四時というものは、平等に分けたれている。それで一気が他の気を兼ねてはならないのだ。
四時 春夏秋冬の四季。四運。朝、昼、夕、夜。浄土教、禅宗の時の考え方。一般的には五行思想であった。○各平分 春夏秋冬の四季は三カ月ずつ平均して配分されている。『楚辞』に「皇天は四時を平分す」という句が見える。○気不可兼 四季のうちの一つの気、たとえば冬の気が、他の気、春、夏、秋など別のの気を兼ねて受けもつことはいけないとする。


隆寒奪春序,顓頊固不廉。
暦で春なのにはげしい寒さがある、それは古代の伝説の天子、冬を支配する神である顓頊が引退すべきところ潔くない子としているのだ。
隆寒 はげしい寒さ。○春序 春の出現すべき順序。○顓頊 古代の伝説の天子。冬を支配する神と考えられている。○不廉 引退の時期が来ているのにまだ出しゃばっているのは、いさざよい身の処し方ではない。


太昊弛維綱,畏避但守謙。
古代の伝説の天子、春を支配する神である太昊どのが四隅の網の結び目をゆるめておられる。少しばかり掟をゆるくして、冬の神に遠慮されているのだ
太昊 古代の伝説の天子。春を支配する神と考えられている。○弛維網 規則をいいかげんにする。維は世界の四すみをつなぐ大綱、網は綱のしめくくりをつける太い網。それから転じて法度、規則などの意陳に用いられる。○畏避但守謙 こわがって逃げ、ぺこぺこするばかりだ。


遂令黄泉下,萌牙夭句尖。」
そういう緒風として残っていても土の下には陽気が蓄積されついにはかわるのである、草木のめも尖が枉げられしぼんでしまうのだ。
黄泉下 地下。「天地陰陽、不革而成。」『易経、革』「上六、君子豹変、小人革面」(上六、君子は豹変し、小人は面を革む。)四季の移り変わりのように自然と直ってゆくことを言う。年が改まり、去年の秋冬の風が初春の景色へと変わってゆくように、何かが新しく、正しく改革されてゆく。それは下から登ってきた陽気が去年の陰気に取って代わられてゆくからである。易では下の陽気が上昇し、陰気と入れ替わってゆくことで春が来る。初春は泰(上が坤で下が乾の卦)で表し、地面の上は去年から残る秋冬の風の陰気が「緒風」として残っているが、地面には既に陽気が登ってきて、春が来たのが感じられる。
登池上樓 #2 謝靈運<25>#2  詩集 396 kanbuniinkai紀 頌之漢詩ブログ1005


○萌牙 草木のめ。

*権力者や治政者が我儘なことをしているということを冬将軍に喩えている。春が来て新芽が出ることを下級官僚や若い官僚に喩えている。

河之水二首寄子侄老成 <44>Ⅱ韓退之(韓愈)詩319 紀頌之の漢詩ブログ 1036

河之水二首寄子侄老成 <44>Ⅱ韓退之(韓愈)詩319 紀頌之の漢詩ブログ 1036


詩経、王風『揚之水』(たばしるみず)
揚之水、不流束薪。
彼其之子、不與我戍申。
懐哉懐哉、曷月予還歸哉。
揚之水、不流束楚。
彼其之子、不與我戍甫。
懐哉懐哉、曷月予還歸哉。

(たばしる水)
揚れる水は、束ねし楚をも流さず。
彼の其の子は、我と與に申を戍らず。
懐う哉 懐う哉、曷【いつ】の月か予【わ】れは還り歸らん哉。

揚れる水は、束ねし薪をも流さず。
彼の其の子は、我と與に甫を戍らず。
懐う哉 懐う哉、曷【いつ】の月か予【わ】れは還り歸らん哉。

平王の時代、あいまいな理由で、国境警備に狩出された近衛兵が、理不尽な配置であること、早く故郷に帰りたいと不平を詠う詩である。同じ語で、一部置き換えて詠う。詩経に多い形である。韓愈はこれを踏襲している。



河之水二首寄子侄老成

河之水,去悠悠。
我不如,水東流。
我有孤侄在海陬,三年不見兮使我生憂。
日複日,夜複夜。
三年不見汝,使我鬢發未老而先化。
  

河之水,悠悠去。
黄河の水、はるかかなたに去り流れていく。
我不如,水東注。
わたしは黄河の流れがあたりまえのこととして東の海に注いでいるのに君にこの思いをそそぐことをしていない情ない身の上だ。
我有孤侄在海浦,三年不見兮使我心苦。
そして、私には君という宣城上元の荘園に孤独にさせ、それは東海の海や入り江の泊まりにそのまま放置しているのと同じことなのだ、もう三年逢っていない、だから心配で仕方がない気持ちがいつも胸が苦しくてたまらない思いだ。
采蕨於山,緡魚於淵。
わたしは高い山にワラビを取りながら君のことを思いやり、君は沈碑潭の淵で釣り糸を垂れて魚を取りながら私の迎えを待っている。
我徂京師,不遠其還。

そして私は長安の都に行ったままだけど、そんなに遠くではないやがて君をむかえに帰るよ。



(河の水 二首 子姪老成に寄す)1
河の水、去って悠悠【ゆうゆう】。
我は 如【し】かず、水の東流するに。
我に孤侄【こてん】有り、海陬【かいすう】に在り、三年 見ず、我をして忧【うれえ】を生ぜしむ
日 復 日、夜 復 夜。
三年 汝を見ず、我が鬢髪【びんはつ】をして未だ老いざるに而【しか】も先づ化【か】せしむ。

2.
河の水、悠悠と去る。
我は如かず、水の東注するに。
我に孤姪有り 海浦に在り、三年 見ず我をして心苦ましむ。
蕨を山に采り、魚を淵に緡す。
我 京師に徂くも、遠からず其れ還らむ


現代語訳と訳註
(本文) 2.

河之水,悠悠去。
我不如,水東注。
我有孤侄在海浦,三年不見兮使我心苦。
采蕨於山,緡魚於淵。
我徂京師,不遠其還。


(下し文)
河の水、悠悠と去る。
我は如かず、水の東注するに。
我に孤姪有り 海浦に在り、三年 見ず我をして心苦ましむ。
蕨を山に采り、魚を淵に緡す。
我 京師に徂くも、遠からず其れ還らむ

(現代語訳)
黄河の水、はるかかなたに去り流れていく。
わたしは黄河の流れがあたりまえのこととして東の海に注いでいるのに君にこの思いをそそぐことをしていない情ない身の上だ。
そして、私には君という宣城上元の荘園に孤独にさせ、それは東海の海や入り江の泊まりにそのまま放置しているのと同じことなのだ、もう三年逢っていない、だから心配で仕方がない気持ちがいつも胸が苦しくてたまらない思いだ。
わたしは高い山にワラビを取りながら君のことを思いやり、君は沈碑潭の淵で釣り糸を垂れて魚を取りながら私の迎えを待っている。
そして私は長安の都に行ったままだけど、そんなに遠くではないやがて君をむかえに帰るよ。

嚢陽一帯00

(訳注)
河之水,悠悠去。

黄河の水、はるかかなたに去り流れていく。
悠悠 日本語では悠悠とか悠然とかいう場合は、ゆったりしたとの意で、やや威張った感じに使われるが、中国の詩文では愁いを帯びたことばとして用いられることが多い。


我不如,水東注。
わたしは黄河の流れがあたりまえのこととして東の海に注いでいるのに君にこの思いをそそぐことをしていない情ない身の上だ。


我有孤侄在海浦,三年不見兮使我心苦。
そして、私には君という宣城上元の荘園に孤独にさせ、それは東海の海や入り江の泊まりにそのまま放置しているのと同じことなのだ、もう三年逢っていない、だから心配で仕方がない気持ちがいつも胸が苦しくてたまらない思いだ。

 
采蕨於山,緡魚於淵。
わたしは高い山にワラビを取りながら君のことを思いやり、君は沈碑潭の淵で釣り糸を垂れて魚を取りながら私の迎えを待っている。
采蕨於山 詩経、召南の『草蟲』「渉彼南山、言采其蕨。未見君子、憂いの心、をる彼の南山に捗って、言、其の蕨を采る。未まだ君子を見ざれば、憂いの心惙惙たり。」の句がある。南の山に登って私はワラビを摘む。あなたの御顔を見ぬうちは心配で胸がずきずき痛む。○緡魚於淵 詩経召南の『何彼穠矣』に「其釣維何、維絲伊緡。」(其の釣するは維れ何ぞ、維れ糸を伊れ緡とす)の句がある。行こうにも行けない韓愈を、兵士の妻や、嫁入りの娘に喩え、詩経を釈文してあらわす。挺古詩をいかに巧みに作りうるかが、詩人の才能をはかる一つの尺度とされていた(科挙試験など)。この詩も『詩経』の諸篇とほとんどみわけがつかないぐらいうまく古調を模している点で高く評価されたのであろう。復古主義の韓愈はこうして、子供の時に約束した子供のように思っていた老成に語句の背面にある『詩経』の心を、老成にくみ取らせ、老成が『詩経』を読むたびに韓愈を思い、寂しさを勉学に向かわせようとした。中國の人々は老成と同じ気持ちになって、韓愈の思いやりを読み取ったのである。したがって韓愈のこの詩が人々の中に受け入れられたのであり、華美、美辞麗句、艶歌に向かいがちであった人たちに古き詩文の新しさを感じさせたのである。


我徂京師,不遠其還。
そして私は長安の都に行ったままだけど、そんなに遠くではないやがて君をむかえに帰るよ。

河之水二首寄子侄老成 <43>Ⅱ韓退之(韓愈)詩318 紀頌之の漢詩ブログ 1033

河之水二首寄子侄老成 <43>Ⅱ韓退之(韓愈)詩318 紀頌之の漢詩ブログ 1033

河之水二首寄子侄老成

河之水,去悠悠。
河の水二首このように思う甥の老成に寄せる。
我不如,水東流。
わたしは黄河の流れがあたりまえのこととして東流しているように君のところへ行くことをしていない情ない身の上だ。
我有孤侄在海陬,三年不見兮使我生憂。
そして、私には君という宣城上元の荘園に孤独にさせている甥がいるのだ、もう三年逢っていない、だから心配で仕方がない気持ちがいつも胸が詰まる思いだ。
日複日,夜複夜。
夜一日すぎて、また一日がやって來る、一夜あけて、また一夜が来る。
三年不見汝,使我鬢發未老而先化。
本当に三年も君と会っていないと、目はぼうっとかすみ、髪はすっかり白くなってしまった。
  

河之水,悠悠去。
我不如,水東注。
我有孤侄在海浦,三年不見兮使我心苦。
采蕨於山,緡魚於淵。
我徂京師,不遠其還。


(河の水 二首 子姪老成に寄す)1
河の水、去って悠悠【ゆうゆう】。
我は 如【し】かず、水の東流するに。
我に孤侄【こてん】有り、海陬【かいすう】に在り、三年 見ず、我をして忧【うれえ】を生ぜしむ
日 復 日、夜 復 夜。
三年 汝を見ず、我が鬢髪【びんはつ】をして未だ老いざるに而【しか】も先づ化【か】せしむ。

2.
河の水、悠悠と去る。
我は如かず、水の東注するに。
我に孤姪有り 海浦に在り、三年 見ず我をして心苦ましむ。
蕨を山に采り、魚を淵に緡す。
我 京師に徂くも、遠からず其れ還らむ

現代語訳と訳註
(本文) 1

河之水,去悠悠。
我不如,水東流。
我有孤侄在海陬,三年不見兮使我生憂。
日複日,夜複夜。
三年不見汝,使我鬢發未老而先化。


(下し文) (河の水 二首 子姪老成に寄す)1
河の水、去って悠悠【ゆうゆう】。
我は 如【し】かず、水の東流するに。
我に孤侄【こてん】有り、海陬【かいすう】に在り、三年 見ず、我をして忧【うれえ】を生ぜしむ
日 復 日、夜 復 夜。
三年 汝を見ず、我が鬢髪【びんはつ】をして未だ老いざるに而【しか】も先づ化【か】せしむ。


(現代語訳)
河の水二首このように思う甥の老成に寄せる。
わたしは黄河の流れがあたりまえのこととして東流しているように君のところへ行くことをしていない情ない身の上だ。
そして、私には君という宣城上元の荘園に孤独にさせている甥がいるのだ、もう三年逢っていない、だから心配で仕方がない気持ちがいつも胸が詰まる思いだ。
夜一日すぎて、また一日がやって來る、一夜あけて、また一夜が来る。
本当に三年も君と会っていないと、目はぼうっとかすみ、髪はすっかり白くなってしまった。


(訳注)
河之水二首寄子侄老成

河の水二首このように思う甥の老成に寄せる。
河之水二首 底本巻三。この題も『詩経』にならったもの。二首が、少しばかりの語をのぞいて、互いにほとんど同じであるところも『詩経』をまねたものである。○子侄 侄は甥のこと。子の字は以前韓愈が一緒に住んでいたことを意味し、このように思う(十二郎を祭る文)とするもの。あるいは、誤って加わった文字だとする説があるが従えない。○老成 韓愈の次兄韓介の子で、長兄韓会の養子となり、十二郎とよばれた韓老成である。韓老成四歳、韓愈14歳の時、兄韓会が左遷先(韶州・現広東省曲江県)で死去、兄嫁と甥の老成と共に戦乱の中、死物狂いで、洛陽まで帰った。その後兄嫁も死に、老成と二人、死んだ兄の荘園で暮らす経験を持つもの。十九歳、老成9歳になって、韓愈は受験で出る。この時「しばらく別れるが必ず一緒に棲む」と約束して出発する。何回か再会し、汴州の乱がおこるまで1年一緒に暮らすが、その後、老成と死に別れする。その詩に対しての詩が『祭十二郎文(十二郎を祭る文)』である。


河之水,去悠悠。
黄河の水、はるかかなたに流れ去っていく。


我不如,水東流。
わたしは黄河の流れがあたりまえのこととして東流しているように君のところへ行くことをしていない情ない身の上だ。
我不如水東流 東海のほとりに住むおまえに会いにもゆけないわたしは、東の方に流れてゆく川水にも及ばない情ない身の上だ。


我有孤侄在海陬,三年不見兮使我生憂。
そして、私には君という宣城上元の荘園に孤独にさせている甥がいるのだ、もう三年逢っていない、だから心配で仕方がない気持ちがいつも胸が詰まる思いだ。
孤姪 親のない甥。○海陬【かいすう】 海(みずうみ)のほとり。このとき老成は、宣城上元の荘園にいた。・宜城酒:裏陽が名酒の産地であつた。襄州宜城(現在湖北宜城県)・雲夢:古代中国で湖北省の武漢一帯にあったとされる大湿地。のち、長江と漢水が沖積して平原となった。武漢付近に散在する湖沼はその跡。宜城は海岸のまちではないが大湿地帯で、湖が散在していること。漢水により、荘園が水没した経験からこの表現になったのではないか。


日複日,夜複夜。
夜一日すぎて、また一日がやって來る、一夜あけて、また一夜が来る。
日夜日夜復 夜一日すぎて、また一日がやって來る、一夜あけて、また一夜が来る。おとついも会えず、きのうも食えず、またきょうも会えなかった。そんな嘆きが、このくりかえされる語と句とから、読む者の胸に、自然に、痛切に、響いてくる。古い詩によく使われた句だ。


三年不見汝,使我鬢發未老而先化。
本当に三年も君と会っていないと、目はぼうっとかすみ、髪はすっかり白くなってしまった。
未老而先化 韓愈は「十二郎を祭る文」の中で「吾、年いまだ四十ならざるに、しかも視は茫茫として、髪は蒼蒼たりしといっている。目はぼうっとかすみ、髪はすっかり白くなってしまった、というのである。又別に、『落歯』「去年落一牙、今年落一齒。俄然落六七、落勢殊未已。」(昨年、一牙【いちが】を落ち、今年、一歯【いっし】を落つ。俄然【がぜん】として六七を落ち、落つる勢い殊に未だ己【や】まず。)に、三十代で歯槽膿漏で苦しんだ。その白髪の、なんと悲痛にひびいてくる。

嗟哉董生行 <42>#3Ⅱ韓退之(韓愈)詩317 紀頌之の漢詩ブログ 1030

嗟哉董生行 <42>#3Ⅱ韓退之(韓愈)詩317 紀頌之の漢詩ブログ 1030
嗟哉董生行(韓愈 唐詩 底本二巻)
(嗟哉【ああ】董生の行【うた】)


嗟哉董生行  #1
淮水出桐柏,山東馳遙遙、千里不能休;
淝水出其側,不能千里, 百里入淮流。
壽州屬縣有安豐,唐 貞元時,縣人 董生召南,隱居行義於其中。
刺史不能薦,天子 不聞名聲。
#2
爵祿不及門,門外惟有吏,日來征租更索錢。
嗟哉董生,朝出耕夜歸讀古人書,盡日不得息。
或山而樵,或水而漁。
入廚具甘旨,上堂問起居。
父母不戚戚,妻子不咨咨。
嗟哉董生孝且慈,人不識,惟有天翁知,生祥下瑞無時期。
#3
家有狗乳出求食,雞來哺其兒。
家に仔犬をそだてる母犬がいた、その犬が子を生んで 餌をさがしに出る、すると鶏がやって来て 犬の子に食べさせようとする。
啄啄庭中拾蟲蟻,哺之不食鳴聲悲。
コツコツと庭の虫や蟻を拾ってきて、口移しで食べさせようとするのだが 食べないで悲しげに鳴いている。
彷徨躑躅久不去,以翼來覆待狗歸。
鶏は行ったり来たりうろついて、行ってしまうこともしないでそこにいる。翼で小犬をだきかかえ 親犬の帰りを待った。
嗟哉董生,誰將與儔?
ああ 董くん、誰をきみにくらべることができようか。
時之人,夫妻相虐,兄弟爲讎。
世間の人というものは、夫婦が互いに苦しめ合い、兄弟同士でまるで仇のようになる。
食君之祿,而令父母愁。
天子からから俸禄をもらっている、そうしながら、父母を泣かせている連中がいる。
亦獨何心,嗟哉董生無與儔。

これはいったいどんな気持ちというのだろうか、ああ 董くん、きみのようなひとはいないのだ。



(嗟哉【ああ】董生の行【うた】)
准水【わいすい】は桐柏【とうはく】より出で、山東に馳【は】せて 遙遙【ようよう】、千里 休む能【あた】はず。
淝水【ひすい】は其の側【かたわら】に出で、千里なる能はざれども、百里にして淮に入りて 流る。
壽州【じゅしゅう】の屬縣【ぞくけん】に安豊【あんぽう】有り、唐の貞元【ていげん】の時、縣人の董生【とうせい】召南【しょうなん】あり、隠れ居【す】みて 義を其の中【うち】に行ふ。
刺史【しし】は薦むる能はず、天子は名聾を聞かず。
#2

爵祿【しゃくろく】門に及ばず、門外 惟【ただ】吏【り】あるのみ、日に来って租を徹し更に餞を索【もと】む。
嗟哉【ああ】董生【とうせい】、朝に出でて耕し、夜は掃って古人の書を読む、尽日 息ふことを得ず。
或は山に樵【しょう】し、或は水に漁す。
厨【くりや】に入って甘旨【かんし】を具【ととの】へ、堂に上って起居を問ふ。
父母は戚戚たらず、妻子は咨咨【しし】たらず。
嗟哉【ああ】董生【とうせい】 孝にして且 慈【じ】、人識らず、惟 天翁【てんおう】のみ知る有り、祥を生じ 瑞【ずき】を下し 時期 無し。

#3
家に狗【いぬ】の乳する有り 出でて食を求む、鷄【にわとり】来って その児【こ】を哺【はぐく】まむとす。
啄啄【たくたく】として庭中に蟲蟻【ちゅうぎ】を拾ふ、之を哺【はぐく】ましめむとすれども食はず 鳴く聲悲し。
彷徨【ほうこう】し躑躅【てきちょく】して 久しく去らず、翼を以て来り覆うて 狗の歸るを待つ。
嗟哉 董生、誰を以てか與【とも】に儔【たぐ】へむ。
時の人、夫妻 相 虐【さいな】み 兄弟讎【あた】を爲す。
君の祿を食【は】み、而【しか】も 父母をして愁へしむ。
亦 濁り何の心ぞ、嗟哉 董生、與【とも】に儔【たぐ】へむもの無し。


現代語訳と訳註
(本文)
#3
家有狗乳出求食,雞來哺其兒。
啄啄庭中拾蟲蟻,哺之不食鳴聲悲。
彷徨躑躅久不去,以翼來覆待狗歸。
嗟哉董生,誰將與儔?
時之人,夫妻相虐,兄弟爲讎。
食君之祿,而令父母愁。
亦獨何心,嗟哉董生,無與儔。

(下し文) #3
家に狗【いぬ】の乳する有り 出でて食を求む、鷄【にわとり】来って その児【こ】を哺【はぐく】まむとす。
啄啄【たくたく】として庭中に蟲蟻【ちゅうぎ】を拾ふ、之を哺【はぐく】ましめむとすれども食はず 鳴く聲悲し。
彷徨【ほうこう】し躑躅【てきちょく】して 久しく去らず、翼を以て来り覆うて 狗の歸るを待つ。
嗟哉 董生、誰を以てか與【とも】に儔【たぐ】へむ。
時の人、夫妻 相 虐【さいな】み 兄弟讎【あた】を爲す。
君の祿を食【は】み、而【しか】も 父母をして愁へしむ。
亦 濁り何の心ぞ、嗟哉 董生、與【とも】に儔【たぐ】へむもの無し。


(現代語訳)
家に仔犬をそだてる母犬がいた、その犬が子を生んで 餌をさがしに出る、すると鶏がやって来て 犬の子に食べさせようとする。
コツコツと庭の虫や蟻を拾ってきて、口移しで食べさせようとするのだが 食べないで悲しげに鳴いている。
鶏は行ったり来たりうろついて、行ってしまうこともしないでそこにいる。翼で小犬をだきかかえ 親犬の帰りを待った。
ああ 董くん、誰をきみにくらべることができようか。
世間の人というものは、夫婦が互いに苦しめ合い、兄弟同士でまるで仇のようになる。
天子からから俸禄をもらっている、そうしながら、父母を泣かせている連中がいる。
これはいったいどんな気持ちというのだろうか、ああ 董くん、きみのようなひとはいないのだ。


(訳注)
家有狗乳出求食,雞來哺其兒。

家に仔犬をそだてる母犬がいた、その犬が子を生んで 餌をさがしに出る、すると鶏がやって来て 犬の子に食べさせようとする。
 乳をのませる。家有狗乳は、家に仔犬をそだてる母犬がいた。○ ロうつしに食物を与えること。


啄啄庭中拾蟲蟻,哺之不食鳴聲悲。
コツコツと庭の虫や蟻を拾ってきて、口移しで食べさせようとするのだが 食べないで悲しげに鳴いている。
啄啄 ついばみついばむ。タクタクという字音が、こつこつついばむさまをたくみに表現している。陶侃に「山鷄啄蟲蟻」杜甫に「家人厭鷄食蟲蟻」の句がある。○鳴声悲 仔犬は腹がへって鳴く声が悲しそうだ。


彷徨躑躅久不去,以翼來覆待狗歸。
鶏は行ったり来たりうろついて、行ってしまうこともしないでそこにいる。翼で小犬をだきかかえ 親犬の帰りを待った。
彷徨 うろつく。○躑躅 行きつもどりつする。


嗟哉董生,誰將與儔?
ああ 董くん、誰をきみにくらべることができようか。


時之人,夫妻相虐,兄弟爲讎。
世間の人というものは、夫婦が互いに苦しめ合い、兄弟同士でがまるで仇のようになる。


食君之祿,而令父母愁。
天子からから俸禄をもらっている、そうしながら、父母を泣かせている連中がいる。


亦獨何心,嗟哉董生,無與儔。
これはいったいどんな気持ちというのだろうか、ああ 董くん、きみのようなひとはいないのだ。

嗟哉董生行 <42>#2Ⅱ韓退之(韓愈)詩316 紀頌之の漢詩ブログ 1027

嗟哉董生行 <42>#2Ⅱ韓退之(韓愈)詩316 紀頌之の漢詩ブログ 1027
嗟哉董生行(韓愈 唐詩 底本二巻)
(嗟哉【ああ】董生の行【うた】)


嗟哉董生行  #1
淮水出桐柏,山東馳遙遙、千里不能休;
淝水出其側,不能千里, 百里入淮流。
壽州屬縣有安豐,唐 貞元時,縣人 董生召南,隱居行義於其中。
刺史不能薦,天子 不聞名聲。
#2
爵祿不及門,門外惟有吏,日來征租更索錢。
俸禄が門を開けて家にとどくはずがない、門戸に税吏だけがあり、毎日やって来て納税の督促し、そのうえ「わいろ=小銭」を要求する。
嗟哉董生,朝出耕夜歸讀古人書,盡日不得息。
ああ 董くん、こんなことじゃ朝家を出て畑を耕し、夜帰って古人の書を読む毎日だが、昼の間休むこともできないありさまだ。
或山而樵,或水而漁。
また、ある日は山で木こりをし、ある日は川で漁師をする。
入廚具甘旨,上堂問起居。
台所に入りごはんしたくをうまいものをつくり、奥座敷の親のためにごきげんをうかがっている。
父母不戚戚,妻子不咨咨。
父母はくよくよせず、妻子もあくせくしない。
嗟哉董生孝且慈,人不識,惟有天翁知,生祥下瑞無時期。

ああ 董くん、きみは孝行もので情ぶかい、このことは人は気もつかぬことであるが、天の神さまだけはご存じで、しょっちゅう幸せな喜ばしいことをおくだしになる。
#3
家有狗乳出求食,雞來哺其兒。
啄啄庭中拾蟲蟻,哺之不食鳴聲悲。
彷徨躑躅久不去,以翼來覆待狗歸。
嗟哉董生,誰將與儔?
時之人,夫妻相虐,兄弟爲讎。
食君之祿,而令父母愁。
亦獨何心,嗟哉董生無與儔。

(嗟哉【ああ】董生の行【うた】)#1
准水【わいすい】は桐柏【とうはく】より出で、山東に馳【は】せて 遙遙【ようよう】、千里 休む能【あた】はず。
淝水【ひすい】は其の側【かたわら】に出で、千里なる能はざれども、百里にして淮に入りて 流る。
壽州【じゅしゅう】の屬縣【ぞくけん】に安豊【あんぽう】有り、唐の貞元【ていげん】の時、縣人の董生【とうせい】召南【しょうなん】あり、隠れ居【す】みて 義を其の中【うち】に行ふ。
刺史【しし】は薦むる能はず、天子は名聾を聞かず。
#2
爵祿【しゃくろく】門に及ばず、門外 惟【ただ】吏【り】あるのみ、日に来って租を徹し更に餞を索【もと】む。
嗟哉【ああ】董生【とうせい】、朝に出でて耕し、夜は掃って古人の書を読む、尽日 息ふことを得ず。
或は山に樵【しょう】し、或は水に漁す。
厨【くりや】に入って甘旨【かんし】を具【ととの】へ、堂に上って起居を問ふ。
父母は戚戚たらず、妻子は咨咨【しし】たらず。
嗟哉【ああ】董生【とうせい】 孝にして且 慈【じ】、人識らず、惟 天翁【てんおう】のみ知る有り、祥を生じ 瑞【ずき】を下し 時期 無し。

#3
家に狗【いぬ】の乳する有り 出でて食を求む、鷄【にわとり】来って その児【こ】を哺【はぐく】まむとす。
啄啄【たくたく】として庭中に蟲蟻【ちゅうぎ】を拾ふ、之を哺【はぐく】ましめむとすれども食はず 鳴く聲悲し。
彷徨【ほうこう】し躑躅【てきちょく】して 久しく去らず、翼を以て来り覆うて 狗の歸るを待つ。
嗟哉 董生、誰を以てか與【とも】に儔【たぐ】へむ。
時の人、夫妻 相 虐【さいな】み 兄弟讎【あた】を爲す。
君の祿を食【は】み、而【しか】も 父母をして愁へしむ。
亦 濁り何の心ぞ、嗟哉 董生、與【とも】に儔【たぐ】へむもの無し。



現代語訳と訳註
(本文) #2

爵祿不及門,門外惟有吏,日來征租更索錢。
嗟哉董生、朝出耕,夜歸讀古人書,盡日不得息。
或山而樵,或水而漁。
入廚具甘旨,上堂問起居。
父母不戚戚,妻子不咨咨。
嗟哉董生孝且慈,人不識,惟有天翁知,生祥下瑞無時期。


(下し文)#2
爵祿【しゃくろく】門に及ばず、門外 惟【ただ】吏【り】あるのみ、日に来って租を徹し更に餞を索【もと】む。
嗟哉【ああ】董生【とうせい】、朝に出でて耕し、夜は掃って古人の書を読む、尽日 息ふことを得ず。
或は山に樵【しょう】し、或は水に漁す。
厨【くりや】に入って甘旨【かんし】を具【ととの】へ、堂に上って起居を問ふ。
父母は戚戚たらず、妻子は咨咨【しし】たらず。
嗟哉【ああ】董生【とうせい】 孝にして且 慈【じ】、人識らず、惟 天翁【てんおう】のみ知る有り、祥を生じ 瑞【ずき】を下し 時期 無し。


(現代語訳)#2
俸禄が門を開けて家にとどくはずがない、門戸に税吏だけがあり、毎日やって来て納税の督促し、そのうえ「わいろ=小銭」を要求する。
ああ 董くん、こんなことじゃ朝家を出て畑を耕し、夜帰って古人の書を読む毎日だが、昼の間休むこともできないありさまだ。
また、ある日は山で木こりをし、ある日は川で漁師をする。
台所に入りごはんしたくをうまいものをつくり、奥座敷の親のためにごきげんをうかがっている。
父母はくよくよせず、妻子もあくせくしない。
ああ 董くん、きみは孝行もので情ぶかい、このことは人は気もつかぬことであるが、天の神さまだけはご存じで、しょっちゅう幸せな喜ばしいことをおくだしになる。


(訳注)#2
爵祿不及門,門外惟有吏,日來征租更索錢。

俸禄が門を開けて家にとどくはずがない、門戸に税吏だけがあり、毎日やって来て納税の督促し、そのうえ「わいろ=小銭」を要求する。
○吏 官吏は、天子が直接任命する官と、出先官庁がやとう吏とからなり、吏は書吏とも背丈とも称する。官は転任することが多いが、吏は転任せず、官の下役として官庁の実務にあたった。ここにうたわれる吏は緻税吏である。・吏索銭 税金を徴収した上、さらにワイロを出せと請求する。これまた「古来非独今」である。
從仕  (韓愈)
居閑食不足,從仕力難任。
兩事皆害性,一生恒苦心。
黄昏歸私室,惆悵起歎音。
棄置人間世,古來非獨今。


嗟哉董生、朝出耕,夜歸讀古人書,盡日不得息。
ああ 董くん、こんなことじゃ朝家を出て畑を耕し、夜帰って古人の書を読む毎日だが、昼の間休むこともできないありさまだ。
古人書 韓愈『雜詩』「古史散左右、詩書置後前。」(古史 左右に散じ、詩書 後前【こうぜん】に置く。)とある。古代の歴史の巻々は左右において勉学しているのでどうしても散らばりがちになってしまう。『詩経』『書経』詩人の詩文を前後において私の詩作に生かしている。


或山而樵,或水而漁。
また、ある日は山で木こりをし、ある日は川で漁師をする。
或山樵、戎水 二つの字を于とするものもある。この語法も韓愈の古文復活を示すところ。詩経を模したもの。


入廚具甘旨,上堂問起居。
台所に入りご飯仕度でうまいものを作り、奥座敷の親のためにご機嫌をうかがっている。
 台所。男が親のために、みずから調理することは中国では孝行の定型の一つである。○上堂 家の中で最もよい部屋が堂であって、そこに父母を住まわせる。だから父母のことを堂上ともいう。父母のいる部室に入ることを上堂という。○問起居 起き居が安らかであるかどうかをたずねる。すなわち、ごきげんをぅかがうこと。朝夕起居を問うのが子の親に対する礼儀とされる。


父母不戚戚,妻子不咨咨。
父母はくよくよせず、妻子もあくせくしない。
戚戚 くよくよする。○咨咨 あくせくする。


嗟哉董生、孝且慈,人不識,惟有天翁知,生祥下瑞無時期。
ああ 董くん、きみは孝行もので情ぶかい、このことは人は気もつかぬことであるが、天の神さまだけはご存じで、しょっちゅう幸せな喜ばしいことをおくだしになる。

孝且慈 孝は目上のものに対する、慈は目下のものに対する、やさしさ。○天翁 唐代には、物語の中で、天の神をこういった。天のあるじ、天帝のことである。○生祥下瑞 祥、瑞すなわち奇蹟をあらわした。○無時期 やむときがない。ひっきりなしに、というほどの意。

嗟哉董生行 <42>#1Ⅱ韓退之(韓愈)詩315 紀頌之の漢詩ブログ 1024

嗟哉董生行 <42>#1Ⅱ韓退之(韓愈)詩315 紀頌之の漢詩ブログ 1024
嗟哉董生行(韓愈 唐詩 底本二巻)
(嗟哉【ああ】董生の行【うた】)


嗟哉董生行  #1
ああ嘆かわしい世だね、董くんに歌う。
淮水出桐柏,山東馳遙遙、千里不能休;
淮水は胎簪山を水源にして桐柏山のふもとをめぐり流れ出でている、山の東へはるばる馳せ流れる、千里の間休んだりすることはない。
淝水出其側,不能千里, 百里入淮流。
支流に淝水があり、その水源の傍から出ており、千里とはいかないが百里を過ぎると淮水に注入し合流する。
壽州屬縣有安豐,唐 貞元時,縣人 董生召南,隱居行義於其中。
そこに壽州があり、屬縣の安豐が有るのだ、唐の徳宗の貞元時代に、その県人の董召南くんがいる、その男は知識人なのに仕官せず、民間にいるが正義や忠義を心の中に持っていて行いの正しいことをしている。
刺史不能薦,天子 不聞名聲。

州長官はその男を推薦しようとはしないのだ、だから天子は彼の名声を聞き及ぶことはないのだ。

#2
爵祿不及門,門外惟有吏,日來征租更索錢。
嗟哉董生,朝出耕夜歸讀古人書,盡日不得息。
或山而樵,或水而漁。
入廚具甘旨,上堂問起居。
父母不戚戚,妻子不咨咨。
嗟哉董生孝且慈,人不識,惟有天翁知,生祥下瑞無時期。
#3
家有狗乳出求食,雞來哺其兒。
啄啄庭中拾蟲蟻,哺之不食鳴聲悲。
彷徨躑躅久不去,以翼來覆待狗歸。
嗟哉董生,誰將與儔?
時之人,夫妻相虐,兄弟爲讎。
食君之祿,而令父母愁。
亦獨何心,嗟哉董生無與儔。


(嗟哉【ああ】董生の行【うた】)
准水【わいすい】は桐柏【とうはく】より出で、山東に馳【は】せて 遙遙【ようよう】、千里 休む能【あた】はず。
淝水【ひすい】は其の側【かたわら】に出で、千里なる能はざれども、百里にして淮に入りて 流る。
壽州【じゅしゅう】の屬縣【ぞくけん】に安豊【あんぽう】有り、唐の貞元【ていげん】の時、縣人の董生【とうせい】召南【しょうなん】あり、隠れ居【す】みて 義を其の中【うち】に行ふ。
刺史【しし】は薦むる能はず、天子は名聾を聞かず。

#2
爵祿【しゃくろく】門に及ばず、門外 惟【ただ】吏【り】あるのみ、日に来って租を徹し更に餞を索【もと】む。
嗟哉【ああ】董生【とうせい】、朝に出でて耕し、夜は掃って古人の書を読む、尽日 息ふことを得ず。
或は山に樵【しょう】し、或は水に漁す。
厨【くりや】に入って甘旨【かんし】を具【ととの】へ、堂に上って起居を問ふ。
父母は戚戚たらず、妻子は咨咨【しし】たらず。
嗟哉【ああ】董生【とうせい】 孝にして且 慈【じ】、人識らず、惟 天翁【てんおう】のみ知る有り、祥を生じ 瑞【ずき】を下し 時期 無し。
#3

家に狗【いぬ】の乳する有り 出でて食を求む、鷄【にわとり】来って その児【こ】を哺【はぐく】まむとす。
啄啄【たくたく】として庭中に蟲蟻【ちゅうぎ】を拾ふ、之を哺【はぐく】ましめむとすれども食はず 鳴く聲悲し。
彷徨【ほうこう】し躑躅【てきちょく】して 久しく去らず、翼を以て来り覆うて 狗の歸るを待つ。
嗟哉 董生、誰を以てか與【とも】に儔【たぐ】へむ。
時の人、夫妻 相 虐【さいな】み 兄弟讎【あた】を爲す。
君の祿を食【は】み、而【しか】も 父母をして愁へしむ。
亦 濁り何の心ぞ、嗟哉 董生、與【とも】に儔【たぐ】へむもの無し。



現代語訳と訳註
(本文) 嗟哉董生行  #1

淮水出桐柏,山東馳遙遙、千里不能休;
淝水出其側,不能千里  ,百里入淮流。
壽州屬縣有安豐,唐 貞元時,縣人 董生召南,隱居行義於其中。
刺史不能薦,天子 不聞名聲。


(下し文) (嗟哉【ああ】董生の行【うた】)#1
准水【わいすい】は桐柏【とうはく】より出で、山東に馳【は】せて 遙遙【ようよう】、千里 休む能【あた】はず。
淝水【ひすい】は其の側【かたわら】に出で、千里なる能はざれども、百里にして淮に入りて 流る。
壽州【じゅしゅう】の屬縣【ぞくけん】に安豊【あんぽう】有り、唐の貞元【ていげん】の時、縣人の董生【とうせい】召南【しょうなん】あり、隠れ居【す】みて 義を其の中【うち】に行ふ。
刺史【しし】は薦むる能はず、天子は名聾を聞かず。


(現代語訳)#1
ああ嘆かわしい世だね、董くんに歌う。
淮水は胎簪山を水源にして桐柏山のふもとをめぐり流れ出でている、山の東へはるばる馳せ流れる、千里の間休んだりすることはない。
支流に淝水があり、その水源の傍から出ており、千里とはいかないが百里を過ぎると淮水に注入し合流する。
そこに壽州があり、屬縣の安豐が有るのだ、唐の徳宗の貞元時代に、その県人の董召南くんがいる、その男は知識人なのに仕官せず、民間にいるが正義や忠義を心の中に持っていて行いの正しいことをしている。
州長官はその男を推薦しようとはしないのだ、だから天子は彼の名声を聞き及ぶことはないのだ。


(訳注) 嗟哉董生行  #1
ああ嘆かわしい世だね、董くんに歌う。
嗟哉董生行 底本巻二。董召南というすぐれた民間知識人をたたえたうた。嗟哉は「ああ」。董生は董召南をさす。生はもと学者という意味で、唐の時代には、くん、とか、さん、とかぐらいの敬称として用いられた。は詩体の一種。「男はつらいよ」の寅さんが口上を言うような詩である。このブログでは、漢詩の訳文を「現代詩」として付くことはしない事としている。できるだけ漢詩の意味が深く理解できるように考えて掲載しているが、この詩は、韓愈が啖呵を切るため、あるいは強調するため五言を四言にしたり、七言を六言にしている。その表現については原文に空白にしてあらわした。


淮水出桐柏,山東馳遙遙,千里不能休;
淮水は胎簪山を水源にして桐柏山のふもとをめぐり流れ出でている、山の東へはるばる馳せ流れる、千里の間休んだりすることはない。
推水 推陽平民県胎簪山から流れ出、東北方の桐柏山のふもとをめぐり、遠く東流して洪沢湖に注ぐ河。○遙遙 はるばる。『左伝、昭公二十五』「鸚鵠来巣、遠哉遙遙」(鸚鵠 巣より来たり、遠き遙遙たり)の句がみえる。


淝水出其側,不能千里 ,百里入淮流。
支流に淝水があり、その水源の傍から出ており、千里とはいかないが百里を過ぎると淮水に注入し合流する。
淝水 九江成徳県広陽郷から流出し西北に走って淮水に合流する。


壽州屬縣有安豐,唐貞元時 ,縣人 董生召南,隱居行義於其中。
そこに壽州があり、屬縣の安豐が有るのだ、唐の徳宗の貞元時代に、その県人の董召南くんがいる、その男は知識人なのに仕官せず、民間にいるが正義や忠義を心の中に持っていて行いの正しいことをしている。
寿州 淮・淝二水の合流点にある。いまは安徽省に属する。○隠居 知識人が仕官せず、民間にいること。中国の通念では、知識人は官文になって社会に奉仕すべきだとされる。それを官吏にならないから隠れ棲むことになる。おのれの意志で仕官しない場合と、望んでもできない場合とがある。董生は後者であった。


刺史不能薦,天子 不聞名聲。
州長官はその男を推薦しようとはしないのだ、だから天子は彼の名声を聞き及ぶことはないのだ。
刺史 州長官。○薦 州長官は管下の人材を天子に推薦する義務をもち、唐代には、だいたい毎年、長官が主宰して試験し、合格したものを、長安の郡で行なわれる官吏資格認定試験に送ることになっていた。これを「薦【せん】」という。この詩で「不能薦」というのは、董生が州での試験に合格しなかったことをさす。このような試験にも裏口の存在したこと、「古来非独今」である。『從仕』 (韓愈)を参照。

從仕  (韓愈)
居閑食不足,從仕力難任。
兩事皆害性,一生恒苦心。
黄昏歸私室,惆悵起歎音。
棄置人間世,古來非獨今。

從仕 Ⅱ韓退之(韓愈)詩<41>314 紀頌之の漢詩ブログ 1021

從仕 Ⅱ韓退之(韓愈)詩<41>314 紀頌之の漢詩ブログ 1021


從仕  
居閑食不足,從仕力難任。
暇を持て余して暮らしていると先のことが不安で食が細くなりがちになる。仕事に忙殺されていると体の方が問題になってくる。
兩事皆害性,一生恒苦心。
食がたりない「食不足」と身が持たない「力難任」の事柄はどちらも体の害になることである。だけど私の一生は常に苦しみに思う心境が続いている。
黄昏歸私室,惆悵起歎音。
夕方黄昏てきたら私の部屋にかえる。そうすると決まって歎き悲しむことが続いてどうしても口に出してしまう。
棄置人間世,古來非獨今。
こうした惆悵の毎日であると人の世を捨てて隠棲したと思う、この考えは昔からあることであるし、特別今に始まった事ではない。

仕に從う
閑に居れば 食ふもの足らず、仕に從へば 力 任へ難し
兩事 皆 性を害す、一生 恆【つね】に心を苦む。
黄昏【こうこん】私室に歸り、惆悵【ちゅうちょう】して歎音【たんおん】を起す。
人間【じんかん】の世を棄置【きち】せむに、古來 獨り今のみに非ず。


現代語訳と訳註
(本文)
從仕  
居閑食不足,從仕力難任。
兩事皆害性,一生恒苦心。
黄昏歸私室,惆悵起歎音。
棄置人間世,古來非獨今。


(下し文) 仕に從う
閑に居れば 食ふもの足らず、仕に從へば 力 任へ難し
兩事 皆 性を害す、一生 恆【つね】に心を苦む。
黄昏【こうこん】私室に歸り、惆悵【ちゅうちょう】して歎音【たんおん】を起す。
人間【じんかん】の世を棄置【きち】せむに、古來 獨り今のみに非ず。


(現代語訳)
暇を持て余して暮らしていると先のことが不安で食が細くなりがちになる。仕事に忙殺されていると体の方が問題になってくる。
食がたりない「食不足」と身が持たない「力難任」の事柄はどちらも体の害になることである。だけど私の一生は常に苦しみに思う心境が続いている。
夕方黄昏てきたら私の部屋にかえる。そうすると決まって歎き悲しむことが続いてどうしても口に出してしまう。
こうした惆悵の毎日であると人の世を捨てて隠棲したと思う、この考えは昔からあることであるし、特別今に始まった事ではない。



(訳注)
從仕
  
官吏生活の味気なさをうたった。


居閑食不足,從仕力難任。
暇を持て余して暮らしていると先のことが不安で食が細くなりがちになる。仕事に忙殺されていると体の方が問題になってくる。
居閑 ひまな状態でいること。「二句は謝霊運の『登池上樓』の「進徳智所拙、退耕力不任」を意識においてつくったとされている。
登池上樓
潛虯媚幽姿,飛鴻響遠音。薄霄愧雲浮,棲川怍淵沉。
進德智所拙,退耕力不任。徇祿反窮海,臥痾對空林。
衾枕昧節候,褰開暫窺臨。傾耳聆波瀾,舉目眺嶇嶔。』
初景革緒風,新陽改故陰。池塘生春草,園柳變鳴禽。
祁祁傷豳歌,萋萋感楚吟。索居易永久,離群難處心。
持操豈獨古,無悶徵在今。』
(現代語訳)池の上りの樓に登る
淵深く潜むみずちの龍の奥ゆかしい姿は心惹かれ麗しいものである、空高く飛ぶ大きな雁は遥か遠くからそのなく声を響かして聞えてくる。(俗世を超越し、隠棲した人は一人物静かに生き、奥ゆかしく美しい。)しかし、私は空高く上がっても浮雲のうえにでることはできない心の萎縮を愧じるのである、かといって川に棲み淵の底のその奥に身を潜めることもできないことは、この身も切られるくらいの慚に思うのだ。徳を積み修行をして立派な人として官僚の上に立つほど智徳、慈悲が稚拙である、そうかといって引退して畑を耕して暮らすにはそれに耐えるだけの体力がないのである。(隠棲することは自然への同化である。道教でなくても仏教の修行も死と隣り合わせであるからそれに耐えうる体力がない。持病を持っていた)官を辞せずにやむをえず俸禄を求めてこんな最果ての見知らぬ海辺のまちに来ている、その上、厄介な病気のことを考えると志で棲みたいと思っていたひと気のない林を眺めるしかないのである。そして、寝床にいたため節季行事もすることができないため季節感がわからなくなっている、簾の裾を開けてはしばらく外を覗き見るのである。寝床から耳をすますと大きな波の連なるのを聞くのである、目を挙げて険しく聳えてのしかかってくるかのような山を眺めるのである。
初春の景色は去年の秋冬の名残の風を改めている、新しい日の光が照り、去年の冬の名残りの陰気はすっかり改まっている。池の堤防にびっしり春の草が生えている、庭園の柳の梢に鳴いている小鳥たちも冬のものと違って聞こえてくる。春の日あしはのどかにあるとした『詩経』の豳歌に心を痛め、さわさわとした草の茂りに『楚辞、招隠士』の「王孫遊びて帰らず、春草生じて萋萋たり。」ということに感動するのである。友と離れて病床につき一人引きこもってれば永久になりやすのだ、群から離れたら心を落ち着けることは難しい。それでも志を持ち続ける節操として守り続けるのは一人古人だけだろうか、今の世に隠棲してよをのがれることができるなら、「無悶」の徴候は今ここに実証としてあるということなのだ。


兩事皆害性,一生恒苦心。
食がたりない「食不足」と身が持たない「力難任」の事柄はどちらも体の害になることである。だけど私の一生は常に苦しみに思う心境が続いている。
両事 食不足と力難任の二つをさす。○害性 生命を害する。肉体的生命を生、精神的生命を性と表現することがある。現代のサラリーマンにノイローゼ患者が多いのは、性を害しているのである。○恒苦心 長い間ずっと心を苦しめる。陸機の「悪木豈無枝、志士多苦心。」を意識してつくった句だとする。陸機「猛虎行」から》志士は、簡単にはその志を変えないために、こと志と違って苦労することが多い。
猛虎行
渇不飲盗泉水、熱不息悪木陰。
悪木豈無枝、志士多苦心。整駕肅時命、杖策將尋遠。
飢食猛虎窟、寒栖野雀林。」日歸功未建、時往歳載陰。
崇雲臨岸駭、鳴條随風吟。靜言幽谷底、長嘯高山岑。
急絃無懦響、亮節難爲音。人生誠未易、曷云開此衿。
眷我耿介懐、俯仰愧古今。」


黄昏歸私室,惆悵起歎音。
夕方黄昏てきたら私の部屋にかえる。そうすると決まって歎き悲しむことが続いてどうしても口に出してしまう。
惆悵 歎き悲しむさま、韓愈が今日よりさかのぼってうらむ。ここまで心苦なことが、かなりの経過時間そうであったこと。韓愈の尊敬した杜甫に「惆悵再難述」「閭里為我色惆悵」などの句がみえる。
杜甫.『自京赴奉先縣詠懷五百字詩』「榮枯咫尺異,惆悵難再述。」
杜甫『乾元中寓居同谷縣作歌七首之二』「嗚呼二歌兮歌始放,閭里為我色惆悵。」
宋玉『九辨』、
悲哉秋之為氣也!
蕭瑟兮草木搖落而變衰,
憭慄兮若在遠行,
登山臨水兮送將歸,
泬寥兮天高而氣清,
寂寥兮收潦而水清,
憯悽欷兮薄寒之中人,
愴怳懭悢兮去故而就新,
坎廩兮貧士失職而志不平,
廓落兮羇旅而無友生。
惆悵兮而私自憐。
燕翩翩其辭歸兮,蝉寂漠而無聲。
鴈廱廱而南遊兮,鶤[昆+鳥]雞 啁哳而悲鳴。
獨申旦而不寐兮,哀蟋蟀之宵征。
時亹亹而過中兮,蹇淹留而無成。


棄置人間世,古來非獨今。
こうした惆悵の毎日であると人の世を捨てて隠棲したと思う、この考えは昔からあることであるし、特別今に始まった事ではないし、現実はそうはいかない。
棄置人間世 隠遁することをいう。○棄置 うっちゃりすてる。○人間世 人間も、人間世も、ともに人間社会のこと。『荘子』に「人間世」の一篇がある。『漢書』の張良伝に、「願はくは人間の事を棄て、赤松子に従ひて遊ばんと欲するのみ」 の語がみえる。豪傑の張良さえ逃げ出したくなる人間世。神経の細い読書人、高級、下級とわず官吏が脱出したくなるのも無理もない。間は閒の俗字。○古来非独今 むかしからそうなのであった。ただ現代、現実としてそうなのではない。

雜詩 #3 Ⅱ-312韓退之(韓愈)詩<40>#3 紀頌之の漢詩ブログ1018

雜詩 #3 Ⅱ-313韓退之(韓愈)詩<40>#3 紀頌之の漢詩ブログ1018

792年進士及第。793・794年上級の博学宏詞科の落第が続いていたころの作で、こののち董晉に随って汴州の観察推官として幕下についた。

雜 詩
古史散左右、詩書置後前。
豈殊蠧書蟲、生死文字閒。
古道自愚憃、古言自包纏。
當今固殊古、誰與爲欣歓。』
獨攜無言子、共昇崑崙巓。
長風飄襟裾、逐起飛高圓。
下覛禹九州、一塵集豪端。
遨嬉未云幾、下已億萬年。
向者夸奪子、萬墳厭其巓。』
惜哉抱所見、白黒未及分。
残念なことだが、わたしには別の考えがあった。物の白黒、善悪を分別し、考え直すものもないではなかったということだ。
慷慨爲悲咤、涙如九河翻。
世間の悪しき風潮や社会の不正などを、怒り嘆き、かなしみにあふれるのだ。この悲しみの涙は九河の流れをひとつに束ねたかわがひるがえったようにとどまらない。
指摘相告語、雖還今誰親。
一緒に来た無言子は相手に向かって、下界を指さし、こう告げた。「彼方に帰ったとしても、もはや親しみ語るものもありはしない。」
翩然下大荒、被髪騎騏驎。』

髪ふりさばき、千里走るという騏驎に騎乗して、ひらりと翻り、果てしない天空に下って行った。

雜詩 #1
古史 左右に散じ、詩書 後前【こうぜん】に置く。
豈に殊【こと】ならむや 蠧書蟲【としょちゅう】の、文字の閒に生死するに。
古道【こどう】は自らを愚憃【ぐとう】にし、古言【こげん】は自らを包纏【ほうてん】す。
當今は固より古しえと殊【こと】なれり、誰と與【とも】にか欣歓をなさむ。』
#2
獨り無言子を攜へ、共に昇る崑崙【こんろん】の巓【いただき】。
長風【ちょうふう】襟裾【きんきょ】を飄し、逐に起て高圓【こうえん】に飛ぶ。
下 禹の九州を覛る、一塵 豪端に集【とど】まるを。
遨嬉【ごうぎ】すること未だ云【ここ】に幾【いくばく】ならん、下は已に億萬年。
向者【さき】の夸奪子【かだっし】、萬墳【まんふん】其の巓【いただき】厭【おそ】う。』
#3
惜しい哉【かな】所見を抱きしに、白黒【はくこく】未だ分【わか】つに及ばず。
慷慨【こうがい】悲咤【ひた】をなし、涙は九河【きゅうが】の翻えるが如し。
指摘【してき】して相【あい】告語【こくご】す、還ると雖も今や誰とか親【したし】まむ。
翩然【へんぜん】大荒【たいこう】に下らむとし、被髪【ひはつ】して騏驎【きりん】に騎【き】す。』

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現代語訳と訳註
(本文)
#3
惜哉抱所見、白黒未及分。
慷慨爲悲咤、涙如九河翻。
指摘相告語、雖還今誰親。
翩然下大荒、被髪騎騏驎。』

(下し文) #3
惜しい哉【かな】所見を抱きしに、白黒【はくこく】未だ分【わか】つに及ばず。
慷慨【こうがい】悲咤【ひた】をなし、涙は九河【きゅうが】の翻えるが如し。
指摘【してき】して相【あい】告語【こくご】す、還ると雖も今や誰とか親【したし】まむ。
翩然【へんぜん】大荒【たいこう】に下らむとし、被髪【ひはつ】して騏驎【きりん】に騎【き】す。』


(現代語訳)
残念なことだが、わたしには別の考えがあった。物の白黒、善悪を分別し、考え直すものもないではなかったということだ。
世間の悪しき風潮や社会の不正などを、怒り嘆き、かなしみにあふれるのだ。この悲しみの涙は九河の流れをひとつに束ねたかわがひるがえったようにとどまらない。
一緒に来た無言子は相手に向かって、下界を指さし、こう告げた。「彼方に帰ったとしても、もはや親しみ語るものもありはしない。」
髪ふりさばき、千里走るという騏驎に騎乗して、ひらりと翻り、果てしない天空に下って行った。


(訳注)
惜哉抱所見、白黒未及分。

残念なことだが、わたしには別の考えがあった。物の白黒、善悪を分別し、考え直すものもないではなかったということだ。
所見 かんがえ。○白黒 善悪。


慷慨爲悲咤、涙如九河翻。
世間の悪しき風潮や社会の不正などを、怒り嘆き、かなしみにあふれるのだ。この悲しみの涙は九河の流れをひとつに束ねたかわがひるがえったようにとどまらない。
慷慨【こうがい】[名・形動](スル)1 世間の悪しき風潮や社会の不正などを、怒り嘆くこと。「社会の矛盾を―する」「悲憤―」2 意気が盛んなこと。また、そのさま。○悲咤 かなしみなげく。○九河 『禹貢』「九河之名,徒駭太史馬頰覆釜胡蘇簡絜鉤槃﹑鬲津.」周の時代、斉の桓公がこれを塞いで一本の河とした。今の河間弓高から東、平原の鬲・般まで、至る所にその名残がある。」槃は『爾雅』九河の鉤槃の河である。


指摘相告語、雖還今誰親。
一緒に来た無言子は相手に向かって、下界を指さし、こう告げた。「彼方に帰ったとしても、もはや親しみ語るものもありはしない。」


翩然下大荒、被髪騎騏驎。』
髪ふりさばき、千里走るという騏驎に騎乗して、ひらりと翻り、果てしない天空に下って行った。
○倒句読み。○大荒 ①大凶年。大飢饉。 ②中国からきわめて遠い地。日月の入る所『山海經、大荒東經』「大荒之中有山、名曰合虚。日月所出。」(大荒の中に山あり。名を日月出といふ。)③そら、天、虚空。ここでは③の.意味○騏驎 一日に千里を走るというすぐれた馬。○この詩は李白『古風五十九首 其三十九』を源泉としつつ韓愈独自のものを歌ったもので、宋の王安石はここから多くのものを学んで多く作っている。

江行寄遠 李白 3

渡荊門送別 李白 5

『古風五十九首 其三十九』 李白178



韓愈は受験準備の期間であり、前後左右に書物を置いて、他との接触もなくこの詩を書いたのだ。この詩は李白の『古風五十九首其三十九』に影響を受けている。儒教者の韓愈が若いころにはお遊びとして道教の発想をこころみていた。この詩の参考をいかに示す。

(1)
太陽がかつて十個あったという神話は、殷王朝も共有していた(干支の「十干」や暦の「旬」に今も残る。この前後・相互関係は極めて複雑かつ微妙で、要するに不明である)。三本足のカラスは「八咫烏」(やたがらす)として有名である。

(2)
 月のウサギは道教の神・西王母(せいおうぼ)の神話に属しているが、西方の仙界・崑崙山(こんろんさん)に棲むその西王母に従うものにウサギがいる。ウサギは、上下対称で中央部を持って搗(つ)く杵(きね)でもって、餅ではなく不死の薬草を練って作る。


 以上の諸神話は習合し、定式化されたのは、数千年前であろう。それが時代に合わせて微調整され現代に至っているのである。現代も古代もそれほどのちがいはないのかもしれない。

太陽にはカラスが棲み(あるいは太陽の神使であり)、月(太陰)にはウサギが棲んで杵を搗くということになった。これを実証してくれたのが、楚とその先行文明を色濃く残した地・湖南省長沙市から出た、漢代の馬王堆(まおうたい)遺跡の帛画(はくが:絹衣に描かれた絵)である。そこには扶桑に宿る十個の太陽とカラス、それに三日月にウサギが描かれている。ところが、月にはより大きくヒキガエルが描かれ、しかもカラスは二本足であったのだ。

(3)
古風 其三十九
登高望四海。 天地何漫漫。
霜被群物秋。 風飄大荒寒。
榮華東流水。 萬事皆波瀾。
白日掩徂輝。 浮云無定端。
梧桐巢燕雀。 枳棘棲鴛鸞。
且復歸去來。 劍歌行路難。

参考(4)
古風 五十九首 其四十 
鳳飢不啄粟、所食唯琅玕。
焉能與羣鶏、刺蹙爭一餐。
朝鳴崑邱樹、夕飮砥柱湍。
歸飛海路遠、獨宿天霜寒。
幸遇王子晉、結交青雲端。
懐恩未得報、感別空長歎。

○崑邱樹 崑崙山の絶頂にそびえる木。「山海経」に「西海の南、流沙の浜、赤水の後、黒水の前、大山あり、名を足寄の邸という」とある。朝の朝礼、天子にあいさつする。○砥柱濡 湖は早瀬。砥柱は底柱とも書き、黄河の流れの中に柱のように突立っている山の名。翰林院での古書を紐解き勉学する。○朝鳴二句「港南子」に「鳳凰、合って万仰の上に逝き、四海の外に翔翔し、崑崙の疏国を過ぎ、砥柱の浦瀬に飲む」とあるのにもとづく。
鳳凰は空腹で飢えていても、穀物をつついたりはしない。食べものはただ、琅玕の玉だけである。
どこにでもいるにわとりの群れに加わったとして、こせこせと一回の食事をとりあいすることなど、どうしてできようか。
朝には崑崙山の頂上の木の上で鳴き、夕方には、黄河の流れの中にある砥柱の早瀬の水を飲んだのだ。
住まいとするとこには、海上から道のりは遠いけれど、飛んで歸えったものだった。びとりで宿る住まいには、天より霜が降りて寒いものだった。
さいわいに、もし、笙を吹くのがうまかった仙人の王子晋に出会えるなら、道士たちともきっと会えるし、出世をしたもの、青雲の志を持ったもの同士で旧交をあたためたるのだ
受けたご恩と恵みというものは心にいだいているけれど、いまだに恩返しできないでいる。別れた時の感情は持ち続けているけれど、逢えないから、むなしくいつまでも、ため息をついているだけなのだ。


雜詩 #2 Ⅱ-312韓退之(韓愈)詩40 #2 紀頌之の漢詩ブログ1015

雜詩 #2 Ⅱ-312韓退之(韓愈)詩40 #2 紀頌之の漢詩ブログ1015

792年進士及第。793・794年上級の博学宏詞科の落第が続いていたころの作で、こののち董晉に随って汴州の観察推官として幕下についた。

雜 詩
古史散左右、詩書置後前。
豈殊蠧書蟲、生死文字閒。
古道自愚憃、古言自包纏。
當今固殊古、誰與爲欣歓。』
獨攜無言子、共昇崑崙巓。
こうして一人で勉強をしている私は無言子といつも一緒である。そして彼を携えて、崑崙山の山頂に昇ってみようとおもう。
長風飄襟裾、逐起飛高圓。
遠くから風が吹いてきて襟やそで口から強い風が入り込んでくる。するとどうだろう、体は舞い上がり 高い円いあの天空を飛び廻っている。
下覛禹九州、一塵集豪端。
下界にはわたしが禹皇帝のひらいた九つの国を見下ろし、眺めまわした。筆の穂先にとまった塵のひとつぶの寄せ集めになってるようだ。
遨嬉未云幾、下已億萬年。
天上を遊びたわむれている、まだここでは幾年くらいのはずなのに、下界ではすでに一億万年が過ぎ去っているのだ。
向者夸奪子、萬墳厭其巓。』
以前わしを「時代遅れ」と馬鹿にしていたハッタリ屋、とっくの昔に死者となり、累々たる墳墓はハッタリ屋の頂、脳天を圧迫している。
惜哉抱所見、白黒未及分。
慷慨爲悲咤、涙如九河翻。
指摘相告語、雖還今誰親。
翩然下大荒、被髪騎騏驎。』


雜詩 #1
古史 左右に散じ、詩書 後前【こうぜん】に置く。
豈に殊【こと】ならむや 蠧書蟲【としょちゅう】の、文字の閒に生死するに。
古道【こどう】は自らを愚憃【ぐとう】にし、古言【こげん】は自らを包纏【ほうてん】す。
當今は固より古しえと殊【こと】なれり、誰と與【とも】にか欣歓をなさむ。』
#2
獨り無言子を攜へ、共に昇る崑崙【こんろん】の巓【いただき】。
長風【ちょうふう】襟裾【きんきょ】を飄し、逐に起て高圓【こうえん】に飛ぶ。
下 禹の九州を覛る、一塵 豪端に集【とど】まるを。
遨嬉【ごうぎ】すること未だ云【ここ】に幾【いくばく】ならん、下は已に億萬年。
向者【さき】の夸奪子【かだっし】、萬墳【まんふん】其の巓【いただき】厭【おそ】う。』
#3
惜しい哉【かな】所見を抱きしに、白黒【はくこく】未だ分【わか】つに及ばず。
慷慨【こうがい】悲咤【ひた】をなし、涙は九河【きゅうが】の翻えるが如し。
指摘【してき】して相【あい】告語【こくご】す、還ると雖も今や誰とか親【したし】まむ。
翩然【へんぜん】大荒【たいこう】に下らむとし、被髪【ひはつ】して騏驎【きりん】に騎【き】す。』


現代語訳と訳註
(本文)
獨攜無言子、共昇崑崙巓。
長風飄襟裾、逐起飛高圓。
下覛禹九州、一塵集豪端。
遨嬉未云幾、下已億萬年。
向者夸奪子、萬墳厭其巓。』

(下し文) #2
獨り無言子を攜へ、共に昇る崑崙【こんろん】の巓【いただき】。
長風【ちょうふう】襟裾【きんきょ】を飄し、逐に起て高圓【こうえん】に飛ぶ。
下 禹の九州を覛る、一塵 豪端に集【とど】まるを。
遨嬉【ごうぎ】すること未だ云【ここ】に幾【いくばく】ならん、下は已に億萬年。
向者【さき】の夸奪子【かだっし】、萬墳【まんふん】其の巓【いただき】厭【おそ】う。』


(現代語訳)
こうして一人で勉強をしている私は無言子といつも一緒である。そして彼を携えて、崑崙山の山頂に昇ってみようとおもう。
遠くから風が吹いてきて襟やそで口から強い風が入り込んでくる。するとどうだろう、体は舞い上がり 高い円いあの天空を飛び廻っている。
下界にはわたしが禹皇帝のひらいた九つの国を見下ろし、眺めまわした。筆の穂先にとまった塵のひとつぶの寄せ集めになってるようだ。
天上を遊びたわむれている、まだここでは幾年くらいのはずなのに、下界ではすでに一億万年が過ぎ去っているのだ。
以前わしを「時代遅れ」と馬鹿にしていたハッタリ屋、とっくの昔に死者となり、累々たる墳墓はハッタリ屋の頂、脳天を圧迫している。


(訳注)
獨攜無言子、共昇崑崙巓。
こうして一人で勉強をしている私は無言子といつも一緒である。そして彼を携えて、崑崙山の山頂に昇ってみようとおもう。
○無言子 無言の擬人化。子は孔子・荘子のそれで男子の美称。読書人の夢想宇宙遍歴に、相手を擬人的に出演させたもの。
(韓愈は受験勉強ばかりで、他人との接触が少なかったときであろう。)崑崙山に付いては李白『古風其四十』に詳しい


長風飄襟裾、逐起飛高圓。
遠くから風が吹いてきて襟やそで口から強い風が入り込んでくる。するとどうだろう、体は舞い上がり 高い円いあの天空を飛び廻っている。
長風 遠くから風が吹いてくる様子。転じて雄大な趣をいう。宋玉『高唐賦』「長風至而波起兮、若麗山之孤畝。」(長風至って而して波起り、麗山之れ孤畝の若し。)○高圓 大空。円弓の空。志が高いこと。


下覛禹九州、一塵集豪端。
下界にはわたしが禹皇帝のひらいた九つの国を見下ろし、眺めまわした。筆の穂先にとまった塵のひとつぶの寄せ集めになってるようだ。
 下界。○禹九州 古代の帝王の禹か地上を九つに区分秩序したといわれる中国をさす。○一塵 チリの一粒。大地を一塵と見る表現は李賀『夢天』にもあり、法華経如来寿量晶に由来する。道教思想で疲れることが多い。○豪端 豪は毫。長く鋭い細い毛の先。


遨嬉未云幾、下已億萬年。
天上を遊びたわむれている、まだここでは幾年くらいのはずなのに、下界ではすでに一億万年が過ぎ去っているのだ。
遨嬉 遊びたわむれる。○未云幾 ここでは幾年くらいのはず。


向者夸奪子、萬墳厭其巓。』
以前わしを「時代遅れ」と馬鹿にしていたハッタリ屋、とっくの昔に死者となり、累々たる墳墓はハッタリ屋の頂、脳天を圧迫している。
夸奪子 ハッタリ屋。詐欺師。・夸は大げさに振舞うこと。・奪は鳥が獲物をつかみ、羽をひろげて大きくはばたき去る。○萬墳 累々たる墳墓○厭其巓 山頂をおさえつける。厭は壓(圧)の字と通用される。死んだ人々の頭を圧迫する。

雜詩 #1 Ⅱ-311韓退之(韓愈)詩40  紀頌之の漢詩ブログ1012

雜詩 #1 Ⅱ-311韓退之(韓愈)詩40  紀頌之の漢詩ブログ1012

792年進士及第。793・794年上級の博学宏詞科の落第が続いていたころの作で、こののち董晉に随って汴州の観察推官として幕下についた。


雜 詩
古史散左右、詩書置後前。
古代の歴史の巻々は左右において勉学しているのでどうしても散らばりがちになってしまう。『詩経』『書経』詩人の詩文を前後において私の詩作に生かしている。
豈殊蠧書蟲、生死文字閒。
これではまるで書物を食い荒すシミダニではないか、文字と文字、書物と書物、ダニが文字の中に生きている、わたしは受験のための書物に前後左右をはさまれ そして死んでゆくあのダニとどこが違うのだ。
古道自愚憃、古言自包纏。
昔の人のいうことは、まず自分を愚か者であるとするところから始まり、「子曰く」という言葉は、自分自身を包みまといつき束縛することばでもあるのだ。
當今固殊古、誰與爲欣歓。』

私の生きているいま、基本的に昔とは事情が違っている。誰となら一緒に喜ぶことができるというのか。(教えを守りぬいて古人と喜びを享受できないのか。)
獨攜無言子、共昇崑崙巓。
長風飄襟裾、逐起飛高圓。
下覛禹九州、一塵集豪端。
遨嬉未云幾、下已億萬年。
向者夸奪子、萬墳厭其巓。』
惜哉抱所見、白黒未及分。
慷慨爲悲咤、涙如九河翻。
指摘相告語、雖還今誰親。
翩然下大荒、被髪騎騏驎。』


雜詩 #1
古史 左右に散じ、詩書 後前【こうぜん】に置く。
豈に殊【こと】ならむや 蠧書蟲【としょちゅう】の、文字の閒に生死するに。
古道【こどう】は自らを愚憃【ぐとう】にし、古言【こげん】は自らを包纏【ほうてん】す。
當今は固より古しえと殊【こと】なれり、誰と與【とも】にか欣歓をなさむ。』

#2
獨り無言子を攜へ、共に昇る崑崙【こんろん】の巓【いただき】。
長風【ちょうふう】襟裾【きんきょ】を飄し、逐に起て高圓【こうえん】に飛ぶ。
下 禹の九州を覛る、一塵 豪端に集【とど】まるを。
遨嬉【ごうぎ】すること未だ云【ここ】に幾【いくばく】ならん、下は已に億萬年。
向者【さき】の夸奪子【かだっし】、萬墳【まんふん】其の巓【いただき】厭【おそ】う。』
#3
惜しい哉【かな】所見を抱きしに、白黒【はくこく】未だ分【わか】つに及ばず。
慷慨【こうがい】悲咤【ひた】をなし、涙は九河【きゅうが】の翻えるが如し。
指摘【してき】して相【あい】告語【こくご】す、還ると雖も今や誰とか親【したし】まむ。
翩然【へんぜん】大荒【たいこう】に下らむとし、被髪【ひはつ】して騏驎【きりん】に騎【き】す。』



現代語訳と訳註
(本文)

古史散左右、詩書置後前。
豈殊蠧書蟲、生死文字閒。
古道白愚憃、古言自包纏。
當今固殊古、誰與爲欣歓。』

(下し文) #1
古史 左右に散じ、詩書 後前【こうぜん】に置く。
豈に殊【こと】ならむや 蠧書蟲【としょちゅう】の、文字の閒に生死するに。
古道【こどう】は自らを愚憃【ぐとう】にし、古言【こげん】は自らを包纏【ほうてん】す。
當今は固より古しえと殊【こと】なれり、誰と與【とも】にか欣歓をなさむ。』


(現代語訳)
古代の歴史の巻々は左右において勉学しているのでどうしても散らばりがちになってしまう。『詩経』『書経』詩人の詩文を前後において私の詩作に生かしている。
これではまるで書物を食い荒すシミダニではないか、文字と文字、書物と書物、ダニが文字の中に生きている、わたしは受験のための書物に前後左右をはさまれ そして死んでゆくあのダニとどこが違うのだ。
昔の人のいうことは、まず自分を愚か者であるとするところから始まり、「子曰く」という言葉は、自分自身を包みまといつき束縛することばでもあるのだ。
私の生きているいま、基本的に昔とは事情が違っている。誰となら一緒に喜ぶことができるというのか。(教えを守りぬいて古人と喜びを享受できないのか。


(訳注)
雜詩

「無題」とする場合もある。風刺、特別な感情を込める場合、詩題をわざと目立たない、無造作なものにした。さりげない、つまらないもの・・・そのなかにこそ詩人の思いを凝らしているものである。


#1
古史散左右、詩書置後前。

古史 左右に散じ、詩書 後前【こうぜん】に置く。
古代の歴史の巻々は左右において勉学しているのでどうしても散らばりがちになってしまう。『詩経』『書経』詩人の詩文を前後において私の詩作に生かしている。
○古史 古典、古体、古辞、古文学、歴史書、古文書をいう。○詩書 『詩経』『書経』楚辞、古詩、詩賦など、韓愈の時代には、杜甫の詩集がないだけで、六朝、謝霊運、初唐詩、孟浩然、李白、王維、などは発表されていた。


豈殊蠧書蟲、生死文字閒。
豈に殊【こと】ならむや 蠧書蟲【としょちゅう】の、文字の閒に生死するに。
これではまるで書物を食い荒すシミダニではないか、文字と文字、書物と書物、ダニが文字の中に生きている、わたしは受験のための書物に前後左右をはさまれ そして死んでゆくあのダニとどこが違うのだ
蠧書蟲 書物を食い荒すシミ。ケダニ
斡愈のこの詩は屈原の「離騒」あたりをお手本にしたのであろうか、読書人がくわだてる現実からの脱出には、古今を一にするものがあって、おもしろい。


古道自愚憃、古言自包纏。
古道【こどう】は自らを愚憃【ぐとう】にし、古言【こげん】は自らを包纏【ほうてん】す。
昔の人のいうことは、まず自分を愚か者であるとするところから始まり、「子曰く」という言葉は、自分自身を包みまといつき束縛することばでもあるのだ。
愚憃 おろかでにぶいこと。後漢書『張酺傳』「臣實愚憃、不及大體。」(臣實に愚憃にして、大體に及ばざる。)また、韓非子にみえる。○包纒 包みまといつくさま。束縛。


當今固殊古、誰與爲欣歓。』
當今は固より古しえと殊【こと】なれり、誰と與【とも】にか欣歓をなさむ。』
私の生きているいま、基本的に昔とは事情が違っている。誰となら一緒に喜ぶことができるというのか。(教えを守りぬいて古人と喜びを享受できないのか。)
欣歓 喜び楽しむこと。荘子『盗跖』「怵惕之恐、欣歓之喜、不監於心。」(怵惕之恐れ、欣歓之喜びは、於心に監みず。)

條山蒼 <39>Ⅱ韓退之(韓愈)詩310 紀頌之の漢詩ブログ1009

條山蒼 <39>Ⅱ韓退之(韓愈)詩310 紀頌之の漢詩ブログ1009


條山蒼
786年貞元二年、韓愈19歳の時、長安に出た。その長安途上の作とされる。現存の作品の最初のものである。長安では従兄韓弇【かんえん】の門生となって勉強した。


條山蒼
條山蒼  、河水黄。
浪波沄沄去、松栢在山岡。


(条山 蒼く)
条山 蒼く、河水 黄なり。
浪波は沄沄として去りぬ、松柏 高岡に在り。

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現代語訳と訳註
(本文)
條山蒼
條山蒼  、河水黄。
浪波沄沄去、松栢在山岡。


(下し文) (条山 蒼く)
条山 蒼く、河水 黄なり。
浪波は沄沄として去りぬ、松柏 高岡に在り。


(現代語訳)
中条山脈は蒼然としている。
中条山脈は日暮れの薄暗さの中で青々としている。その南を流れる黄河の流れは広々として黄色にひろがっている。
黄河は、大波、小波、渦巻き流れさっていく、世間の波もそうやって東流して行く。いつの日にも松やヒノキは常緑でいるけれどそれは特別な事でなくそれは天から授けられた精気の違いで、めいめい自分に与えられた時節に存分に過ごすものなのだそしてその木はその陽城先生と共に高岡に立っている。

(訳注)
條山蒼
中条山脈は蒼然としている。
○条山蒼 底本では巻三。詩の最初の句をとって題としたのは中国最古の詩集『詩経』にならった。蒼は蒼生、蒼然、日暮れの薄暗さ、隠棲を連想させる。


條山蒼  、河水黄。
中条山脈は日暮れの薄暗さの中で青々としている。その南を流れる黄河の流れは広々として黄色にひろがっている。
条山 華山に対し黄河の北にある中条山のこと。中条山は黄河の北岸を東西に走る山脈で、芮城県のある平野と運城市の中心のある盆地との間に立ちはだかっている。芮城県の西端にある風陵渡鎮で山脈が途切れておりその西側には黄河が南北に延びている。県内の最高峰は雪花山の標高1993メートル。その直ぐ東側にある五老峰(標高1809メートル)は風光明媚な観光地として知られる。当時、陽城がここに隠棲していた。陽城はのちに諫議大夫として天子から召された。その時代の陽城を韓愈は無能だとして論難したこともあるが、やはりすぐれたひとで、いと条山蒼は、青年の韓愈が隠者としての陽城に対する敬嘉の気持ちをうたったものだ、ともいわれる。○河水 黄河の水。詩経『碩人』「河水洋洋、北流活活。」(河の水は洋洋として、北に流るること活活たり。)


浪波沄沄去、松栢在山岡。
黄河は大波、小波、渦巻き流れさっていく、世間の波もそうやって東流して行く。いつの日にも松やヒノキは常緑でいるけれどそれは特別な事でなくそれは天から授けられた精気の違いで、めいめい自分に与えられた時節に存分に過ごすものなのだそしてその木はその陽城先生と共に高岡に立っている。
浪波 浪は大波、波は小波。『六書、故』「浪跳波也。」「水紋」「大波爲攔、小波爲淪、直波爲徑。」流行・変化・群衆の暗喩とみることができる。『荘子人閒世』「言者風波也。夫一言之發、激怒千人、非風波乎。」(言は者 風波なり。夫れ一言 之れ發っするや、怒するは千人を激、風波に非ざる乎。)○沄沄 水が渦巻き流れるさま。杜甫『次空霊岸詩』「沄沄逆素浪、落落展清眺。」(沄沄として素浪逆し、落落として清眺に展ぶ。)○松栢 マツとコノテガシワ、いずれも常緑樹、ひのき類の総称。不変・節操の比喩として使用されることが多い。松やヒノキは、冬でも青いが、それは天から授けられた精気の違いで、めいめい自分に与えられた時節に存分に過ごし、自分の安心すべき位置を得ていればそれが良いので、冬青いからといって、特に尊重する必要はない。論語『子罕篇廿八』「子曰 歳寒 然後知松栢之後彫也」人の運は四十にならないと分からない。そこで枯れてしまった者は、ただ運がよかっただけ。栢は柏の俗字。○山岡 高岡とする本があって、上句に沄沄があり、その方がよいようにおもわれる。

中唐詩-261 寄盧仝#6 韓愈 Ⅱ韓退之(韓愈) 紀頌之の漢詩ブログ 韓愈特集-22

中唐詩-261 寄盧仝#6 韓愈 Ⅱ韓退之(韓愈) 紀頌之の漢詩ブログ 韓愈特集-22


811年 元和六年春 韓愈44歳の作 作詩順からすると韓愈詩の35番目くらいに掲載予定であったが、孟郊と盧仝詩を掲載したので順を繰り上げて掲載。
孟郊 『答盧仝』(盧仝に答える#1~#3)中唐詩 Ⅶ孟郊(孟東野) 答盧仝#1 <24> kanbun-iinkai紀頌之の漢詩ブログ248
盧仝 新茶について述べながら、生き方、生活ぶりについて触れている。『走筆謝孟諫議寄新茶』(筆を走らせて孟諫議の新茶を寄せるを謝す)(#1~#3)
中唐詩人ID-44 盧仝 走筆謝孟諫議寄新茶#1 kanbun-iinkai紀頌之の李商隠と中唐の漢詩ブログ251



寄盧仝


先生又遣長鬚來,如此處置非所喜。
先生は又長鬚の下男を使いとしていって来させられた、「このような処置はわたしにとってうれしいことではない。」と。
況又時當長養節,都邑未可猛政理。
そうして、「ましていままさに季節は万物の生長する時節である、この街にきびしい政治をするべきときではない。」とおっしゃる。
先生固是余所畏,度量不敢窺涯涘。
先生は心から心から感服するお方である、その人格の大きさは、量りようがないはてがないほどのものだ。
放縱是誰之過歟?效尤戮仆愧前史。』

勝乎気ままにあばれる不良少年どもが犯す行為はいったい誰の過ちだろうか、「尤【とが】めて効【なら】うは、それ又甚だし。」といった王さまやしもべを殺したときに下のものの責任を負った殿さまを思いむかしの史書「春秋左氏伝」の故事に、はずかしく思うのである。

買羊沽酒謝不敏,偶逢明月曜桃李。
ときは満月がかがやき、桃李の花がさきみだれる春の真っ盛りです、羊の肉や酒を買ってきております、不行き届きをおわびいたします。(こちらへ、足をお運びいただきたいのです。)
先生有意許降臨,更遣長須改雙鯉。

先生もしもわざわざのおこしを御承知くだされば、どうぞもう一度、長鬚の下男に何らかのお知らせをとどけさせて下さいませ。



先生 又 長鬚を遣わして來たらしむ,此くの如き處置は喜ぶ所に非らず。
況【いわ】んや 又 時 長養【ちょうよう】の節に当たれり、
都邑【とゆう】未だ政理【せいり】を猛【はげ】しゅうすべからず。
先生は固【まこと】に是れ余【わ】が畏れる所なり、度量 敢えて涯涘【がいし】を窺【うたが】わず。
放縦【ほうしょう】なるは是れ誰が過【あやまち】ちぞや、尤【とが】に効【なろ】うて僕を戮【りく】すること前史【ぜんし】に愧【は】ず。

羊を買い 酒を沽【か】って 不敏を謝す,偶【たまたま】明月の桃李【とうり】に曜【かがや】くに逢えり。
先生 降臨【こうりん】許すに意有らば,更に長鬚【ちょうしゅ】遣わして 雙鯉【そうり】を改【いた】さしめよ。


現代語訳と訳註
(本文)

先生又遣長鬚來,如此處置非所喜。
況又時當長養節,都邑未可猛政理。
先生固是余所畏,度量不敢窺涯涘。
放縱是誰之過歟?效尤戮仆愧前史。』

買羊沽酒謝不敏,偶逢明月曜桃李。
先生有意許降臨,更遣長須改雙鯉。

(下し文)
先生 又 長鬚を遣わして來たらしむ,此くの如き處置は喜ぶ所に非らず。
況【いわ】んや 又 時 長養【ちょうよう】の節に当たれり、
都邑【とゆう】未だ政理【せいり】を猛【はげ】しゅうすべからず。
先生は固【まこと】に是れ余【わ】が畏れる所なり、度量 敢えて涯涘【がいし】を窺【うたが】わず。
放縦【ほうしょう】なるは是れ誰が過【あやまち】ちぞや、尤【とが】に効【なろ】うて僕を戮【りく】すること前史【ぜんし】に愧【は】ず。

羊を買い 酒を沽【か】って 不敏を謝す,偶【たまたま】明月の桃李【とうり】に曜【かがや】くに逢えり。
先生 降臨【こうりん】許すに意有らば,更に長鬚【ちょうしゅ】遣わして 雙鯉【そうり】を改【いた】さしめよ。

(現代語訳)
先生は又長鬚の下男を使いとしていって来させられた、「このような処置はわたしにとってうれしいことではない。」と。
そうして、「ましていままさに季節は万物の生長する時節である、この街にきびしい政治をするべきときではない。」とおっしゃる。
先生は心から心から感服するお方である、その人格の大きさは、量りようがないはてがないほどのものだ。
勝乎気ままにあばれる不良少年どもが犯す行為はいったい誰の過ちだろうか、「尤【とが】めて効【なら】うは、それ又甚だし。」といった王さまやしもべを殺したときに下のものの責任を負った殿さまを思いむかしの史書「春秋左氏伝」の故事に、はずかしく思うのである。
ときは満月がかがやき、桃李の花がさきみだれる春の真っ盛りです、羊の肉や酒を買ってきております、不行き届きをおわびいたします。(こちらへ、足をお運びいただきたいのです。)
先生もしもわざわざのおこしを御承知くだされば、どうぞもう一度、長鬚の下男に何らかのお知らせをとどけさせて下さいませ。


(訳注)
先生又遣長鬚來,如此處置非所喜。
先生は又長鬚の下男を使いとしていって来させられた、「このような処置はわたしにとってうれしいことではない。」と。
先生又遣長聚来 この一段は、慮仝がまた例の長鍋の下男をよこし、訴えた隣りの不良少年を寛大に取り扱うよう頼んで来たことを述べる。○如此処置非所喜 この句から下三句「都邑未可猛政理」までが、盧仝が下男にいわせて来たことばである。


況又時當長養節,都邑未可猛政理。
そうして、「ましていままさに季節は万物の生長する時節である、この街にきびしい政治をするべきときではない。」とおっしゃる。
 季節。○長養 育て養うこと。成長する時期には養ってやらないといけない。『漢書、五行志中之下』「長養同類」(養す同類を長す)昔の中国では、春と夏は、万物が芽吹き、成長する季節は育ててやることとされ、処刑を行わないことになっていた。○ この詩は、下に「偶逢明月曜桃李」(偶たま明月の桃李に哩くに逢えり)とあるように春であるから、「長養の節」というのである。○都邑 まち。大きなまちを都といい、小さなまちを邑という。○猛政理 猛は、きぴしくする。政理は、政治ということ。唐代では、高宗皇帝(李治)(649―683年在位)の名が治であったので、遠慮して治の字を用いず、代わりに理の字を用いた。


先生固是余所畏,度量不敢窺涯涘。
先生は心から心から感服するお方である、その人格の大きさは、量りようがないはてがないほどのものだ。
固是 心からという気持ちをあらわすことば。ほんとに。○ 心から感服する。○度量 人をうけ入れるはら。人格の大きさ。○不敢窺涯涘 儒者として、涯も涘も、きし。きしべをうかがおうとも思わない、つまり、人格がはてしがなくひろくてうかがえない、ということ。

 
放縱是誰之過歟?效尤戮仆愧前史。』
勝乎気ままにあばれる不良少年どもが犯す行為はいったい誰の過ちだろうか、「尤【とが】めて効【なら】うは、それ又甚だし。」といった王さまやしもべを殺したときに下のものの責任を負った殿さまを思いむかしの史書「春秋左氏伝」の故事に、はずかしく思うのである。
放縦 不良少年たちがすきほうだい勝手気ままなことをするのは。○ 詠嘆をこめた疑問をあらわす助辞。○効尤 人をとがめておきながら、自分為同じようにわるいことをする。『左伝、襄公二十一年』にある話に基づく。欒盈という晋の国の家老が晋の国を追われて、楚の国へ逃げて行く途中、周の王城の西を通ったところ、その近くの人たちに掠奪された。それを王に訴えると、王はいった。「尤【とが】めて効【なら】うは、それ又甚だし。」(とがめながらそのまねをするとは、いっそうひどいことだ。)そういって掠奪したものをかえし、賓客係りの官に送らせ、関所を出してやった。ここは、そのことばの意味よりも自分の部下のした悪事に責任を持った周の霊王(紀元前572―544在位)のはなしに重点が置かれている。○戮僕  僕である御者をころす。これも『左伝、襄公三年』に見えるはなしである。晋の悼公の弟の揚干が曲梁(今の河北省永年県)で陣を乱したので、司令官の魏絳がそのしもべである御者を貴任者として殺した。悼公は大変怒ったが、魏絳が手紙を悼公に送って、道理を説くとともに貴任を取ろうとした。公はそれに感じて、はだしで出て行っていった。「寡人が言は親愛なり。吾子が討は軍礼なり。寡人に弟有り、教訓すること能わずして、大命を干【おか】さしむ。寡人が過ちなり。子【なんじ】寡人が過ちを重ぬること無かれ。敢えて以て請うことを為すと。」つまり、これも、自分の弟のしたあやまちは、おのれの教訓できなかったためだと、自分の過夫にして責任を負ったはなしである。○愧前史 上の二つの「尤に効う」といった周の霊王と「僕を戮した」ときの晋の悼公のように、いずれも部下の責任を自分の過失としたものがたりを掲載する前代の歴史の書物に対し、治下から罪人を出しながら自分の過失と考えなかった自分がはずかしい、ということ。前史は、むかしの歴史の書物、ここでは「春秋左氏伝」をさす。


買羊沽酒謝不敏,偶逢明月曜桃李。
ときは満月がかがやき、桃李の花がさきみだれる春の真っ盛りです、羊の肉や酒を買ってきております、不行き届きをおわびいたします。(こちらへ、足をお運びいただきたいのです。)
買羊聴洒謝不敏 倒句として読む。この四句、自分の不行き届きをわびて招待し、結びとする。○は、羊の肉、酒のさかなである。○は、売るという意にも、買うという意にも、用いられるが、ここは、買うこと。娼屋、高楼で酒を買うのではなく、亀の中に入れているお酒をばら売りしている酒屋が売ることをいう。○は、あやまる・不敏は、ものごとを知らぬこと。ふっつか。おろか。自分を謙遜していうときにいつもつかうことばである。○ 明月と桃李の花が咲き乱れるときがならぶ、そろうことをいう。偶逢で、春の真っ盛り、真只中ということ。○ あかるくかがやく。○挑李  桃とスモモ。花についていう。春旧暦二月にはじめて花がさく。


先生有意許降臨,更遣長須改雙鯉。
先生もしもわざわざのおこしを御承知くだされば、どうぞもう一度、長鬚の下男に何らかのお知らせをとどけさせて下さいませ。
有意 気持ちがある。わざわざ来てくれる。○降臨 こちらにおいでになる。謙遜したいい方である。○双鯉 何らかの知らせ。手紙のこと。『文選巻二十七』無名氏の楽府『飲馬長城窟行』「客從遠方來,遺我雙鯉魚。呼兒烹鯉魚,中有尺素書。」(客逍方より来たり、我れに双鯉魚を迫る。児を呼んで鰹魚を烹るに、中に尺素の書有り。)―旅人が遠くからやって来て、わたしに二匹のこいをくれた。こどもを呼んでこいを料理すると、中にきぬ巻き紙の手紙があった。―とあるのにもとづく。


漢無名氏《飲馬長城窟行》
青青河畔草,綿綿思遠道。遠道不可思,宿昔夢見之。
夢見在我傍,忽覺在他鄉。他鄉各異縣,輾轉不相見。
枯桑知天風,海水知天寒。入門各自媚,誰肯相為言。
客從遠方來,遺我雙鯉魚。呼兒烹鯉魚,中有尺素書。
長跪讀素書,書中竟何如。上言加餐食,下言長相憶。


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811年 元和六年春 韓愈44歳の作 作詩順からすると韓愈詩の35番目くらいに掲載予定であったが、孟郊と盧仝詩を掲載したので順を繰り上げて掲載。
孟郊 『答盧仝』(盧仝に答える#1~#3)中唐詩 Ⅶ孟郊(孟東野) 答盧仝#1 <24> kanbun-iinkai紀頌之の漢詩ブログ248
盧仝 新茶について述べながら、生き方、生活ぶりについて触れている。『走筆謝孟諫議寄新茶』(筆を走らせて孟諫議の新茶を寄せるを謝す)(#1~#3)
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寄盧仝
#1 
玉川先生洛城裏,破屋數間而已矣。一奴長鬚不裹頭,一婢赤腳老無齒。
辛勤奉養十余人,上有慈親下妻子。先生結發憎俗徒,閉門不出動一紀。
至令鄰僧乞米送,仆忝縣尹能不恥?俸錢供給公私余,時致薄少助祭祀。』
#2
勸參留守謁大尹,言語纔及輒掩耳。水北山人得名聲,去年去作幕下士。
水南山人又繼往,鞍馬仆從塞閭裏。少室山人索價高,兩以諫官征不起。
彼皆刺口論世事,有力未免遭驅使。先生事業不可量,惟用法律自繩己。』
#3
《春秋》三傳束高閣,獨抱遺經究終始。往年弄筆嘲同異,怪辭驚眾謗不已。
近來自說尋坦途,猶上虛空跨綠駬。』
#4
去歲生兒名添丁,意令與國充耘耔。國家丁口連四海,豈無農夫親耒耜?
先生抱才終大用,宰相未許終不仕。
假如不在陳力列,立言垂範亦足恃。苗裔當蒙十世宥,豈謂貽厥無基阯。
#5
昨晚長鬚來下狀,隔墻惡少惡難似。
昨晩のこと、長鬚の下男が告訴状をとどけて来た、まず、隣りの不良少年は類のないほど悪いやつというものである。
每騎屋山下窺闞,渾舍驚怕走折趾。
いつも大星根にまたがっては下の方を見下ろして中をのぞきこむ、家じゅうの女たちは驚愕して逃げる回り、その時足をくじくということがおこった。
憑依婚媾欺官吏,不信令行能禁止。
その横暴な振る舞いは有力者と姻戚なのをよいことにして役人をあなどり、法令により禁止されていても取り締まることができないほどなので何も信じられないということなのだ。
先生受屈未曾語,忽此來告良有以。
先生はこれまでばかにされても辛抱して今までおっしゃられたことはなかった、突然いま訴えられたのはきっとよくよくわけがあるのであろう。
嗟我身為赤縣令,操權不用欲何俟?
ああ、わたしは赤県の県知事の身でありながら、権力を持っているのに用いずに何を怖がってこまねいているのだろう。
立召賊曹呼伍伯,盡取鼠輩屍諸市。』

すぐさま賊曹検察官を招き伍伯の警官を呼び寄せ、つまらぬ悪さをするやつらをことごとくひっとらえて市場で晒し首にしようとしたのだ。
#6
先生又遣長鬚來,如此處置非所喜。況又時當長養節,都邑未可猛政理。
先生固是余所畏,度量不敢窺涯涘。放縱是誰之過歟?效尤戮仆愧前史。』

買羊沽酒謝不敏,偶逢明月曜桃李。先生有意許降臨,更遣長須改雙鯉。


現代語訳と訳註
(本文) #5

昨晚長鬚來下狀,隔墻惡少惡難似。
每騎屋山下窺闞,渾舍驚怕走折趾。
憑依婚媾欺官吏,不信令行能禁止。
先生受屈未曾語,忽此來告良有以。
嗟我身為赤縣令,操權不用欲何俟?
立召賊曹呼伍伯,盡取鼠輩屍諸市。』


(下し文)
咋晩 長鬚【ちょうしゅ】来たって状を下す、墻【かき】を隔つる悪少【あくしよう】は悪 似【くら】べ難し。
毎【つね】に屋山【おくさん】に騎りて下を窺【うたが】い闞【み】たれば、渾舎【こんしゃ】驚き怕【おそ】れて走って趾【あし】を折【くじ】きぬ。
婚媾【こんこう】に憑【よ】り依【よ】りて官吏を欺【あなど】り、令の行われて能く禁止するを信ぜず。
先生屈【くつ】を受けて未だ曾つて語らず、忽【たちま】ち此こに来たり告ぐるは良【まこと】に以【ゆえ】有り。
嵯【ああ】 我れ身は赤県【せっけん】の令と為【な】って、権を操【と】って用いずんば何を俟【ま】たんとか 欲っする。
立ちどころに賊曹【ぞくそう】を召して伍伯【ごはい】を呼び。
尽【ことごと】く鼠輩【そはい】を取らえて諸【これ】を市に屍【し】せしめんとす。


(現代語訳)
昨晩のこと、長鬚の下男が告訴状をとどけて来た、まず、隣りの不良少年は類のないほど悪いやつというものである。
いつも大星根にまたがっては下の方を見下ろして中をのぞきこむ、家じゅうの女たちは驚愕して逃げる回り、その時足をくじくということがおこった。
その横暴な振る舞いは有力者と姻戚なのをよいことにして役人をあなどり、法令により禁止されていても取り締まることができないほどなので何も信じられないということなのだ。
先生はこれまでばかにされても辛抱して今までおっしゃられたことはなかった、突然いま訴えられたのはきっとよくよくわけがあるのであろう。
ああ、わたしは赤県の県知事の身でありながら、権力を持っているのに用いずに何を怖がってこまねいているのだろう。
すぐさま賊曹検察官を招き伍伯の警官を呼び寄せ、つまらぬ悪さをするやつらをことごとくひっとらえて市場で晒し首にしようとしたのだ。


(訳注)
昨晚長鬚來下狀,隔墻惡少惡難似。

昨晩のこと、長鬚の下男が告訴状をとどけて来た、まず、隣りの不良少年は類のないほど悪いやつというものである
長鬚 最初に出て来たあごひげを長く生やした下男のこと。以下この#5の段は、虚仝が隣雀の不良少年を訴えたことを述べる。〇下状 告訴状を提出する。下は、自分のところへ持って来たから、謙遜して「下す」といった。状は、告訴状。○隔墻 土塀で隔てられたところ、隣家。○悪少 不良少年。○難似 比べるのがむずかしい。類がない。


每騎屋山下窺闞,渾舍驚怕走折趾。
いつも大星根にまたがっては下の方を見下ろして中をのぞきこむ、家じゅうの女たちは驚愕して逃げる回り、その時足をくじくということがおこった。
每騎屋山 騎は、またがる。屋山は、里根の棟、山のような形だから、屋山という。○窺闞 窺は、のぞきこむ。闞は、瞰と同じく、見下ろす。○渾舎 後世の俗謳の原家と同じく、性的対称である人のこと、妻、妾、民妓などのことをいう。○驚伯 伯は、恐れる。○折趾 足をくじく。趾は、足(足さき)のことで脛より上を含まない。

 
憑依婚媾欺官吏,不信令行能禁止。
その横暴な振る舞いは有力者と姻戚なのをよいことにして役人をあなどり、法令により禁止されていても取り締まることができないほどなので何も信じられないということなのだ。
憑依婚媾 姻戚に有力者があって、その力をたのみとしていることをいう。憑依は、たよる。婚媾は、結婚。貴族の子息「五陵年少」には処罰されないことが多かった。身分、血縁的なものに加え、任侠的なものとのかかわりを持つもの。王維、李白、杜甫「少年」

李白 17少年行

王維 楽府詩 少年行四首

杜甫 少年行


○欺 あなどる。ばかにする。欺侮というときの欺。○不信令行能禁止 不良少年は法令が行われて自分のした悪い事を禁止することができるとは信じない。この句までが告訴状の内容。


先生受屈未曾語,忽此來告良有以。
先生はこれまでばかにされても辛抱して今までおっしゃられたことはなかった、突然いま訴えられたのはきっとよくよくわけがあるのであろう
受屈 受は、辛抱する、がまんする。屈は、屈辱的な不当なひどい目に遭うこと。○未曾語 未曾は、今までそうした経験がなかったことを示す助辞。○来告 告は、告訴する。○良有以 ほんとにわけがあるのだろう。良は、心庇から。は、理由。魏の文帝曹丕(187-226年)の「呉質に与うる書」に見える有名なことば。『詩経、邶風、旄丘』「必有以也」(必ず有る以【ゆえ】也)
李白『春夜宴桃李園序』「古人秉燭夜遊,良有以也。」(古人 燭を秉(と)りて夜に遊ぶ,良(まこと)に以(ゆえ)有る也。)

春夜桃李園宴序李白116

 

嗟我身為赤縣令,操權不用欲何俟?
ああ、わたしは赤県の県知事の身でありながら、権力を持っているのに用いずに何を怖がってこまねいているのだろう。
 嘆息のことば。○赤県令 赤県は、唐の県の隔級の七つのうちの最上級のもの。長安・洛陽など都制を敷かれた特別市直轄の県をいう。韓愈の令、長官、県知事であった河南は、赤県であった。なお、戦国時代の哲学者鄒衍が中国を呼んで赤県神州といったが、そうしたことが、この赤県という官庁用語が詩中に取り入れられるときにそう抵抗を感じきせなかったのであろう。令は、県の長官。○揉権不用 権力をにぎっていながらその権力を用いない。○何俟 俟は、待つ。その権力を何に使おうとするつもりなのか、ということ。 


立召賊曹呼伍伯,盡取鼠輩屍諸市。』
すぐさま賊曹検察官を招き伍伯の警官を呼び寄せ、つまらぬ悪さをするやつらをことごとくひっとらえて市場で晒し首にしようとしたのだ。
 すぐさま。○賊曹 漢代、郡や国の訴訟や犯罪を取りしまった官。今の警察と裁判所とを兼ねたようなもの検察官である。唐では、州の法普参軍事がこれに相当するが、韓愈は州より下の県令だから、警察関係を扱っている部下のものをさす。○伍伯 漢代の官職の名。伍は、五人を一組とした班。伯は、長をいう。組み頭。ここは、警察の方だから、巡査郎長ぐらいに当たる。この伍伯はヽ刑荊の執行人でもあった。○ 捕える。○鼠輩 つまらない人間。○屍諸市 屍は、死体をさらしものにする。屍諸市、むかし、商業は市場で行われ、したがって盛り場でもあったので、処刑は、多くの者のみせしめにするために、市場で行われたことをいう。

中唐詩-259 寄盧仝#4 韓愈 Ⅱ韓退之(韓愈) 紀頌之の漢詩ブログ 韓愈特集-22

中唐詩-259 寄盧仝#4 韓愈 Ⅱ韓退之(韓愈) 紀頌之の漢詩ブログ 韓愈特集-22


811年 元和六年春 韓愈44歳の作 作詩順からすると韓愈詩の35番目くらいに掲載予定であったが、孟郊と盧仝詩を掲載したので順を繰り上げて掲載。
孟郊 『答盧仝』(盧仝に答える#1~#3)中唐詩 Ⅶ孟郊(孟東野) 答盧仝#1 <24> kanbun-iinkai紀頌之の漢詩ブログ248
盧仝 新茶について述べながら、生き方、生活ぶりについて触れている。『走筆謝孟諫議寄新茶』(筆を走らせて孟諫議の新茶を寄せるを謝す)(#1~#3)
中唐詩人ID-44 盧仝 走筆謝孟諫議寄新茶#1 kanbun-iinkai紀頌之の李商隠と中唐の漢詩ブログ251



寄盧仝
#1 
玉川先生洛城裏,破屋數間而已矣。一奴長鬚不裹頭,一婢赤腳老無齒。
辛勤奉養十余人,上有慈親下妻子。先生結發憎俗徒,閉門不出動一紀。
至令鄰僧乞米送,仆忝縣尹能不恥?俸錢供給公私余,時致薄少助祭祀。』
#2
勸參留守謁大尹,言語纔及輒掩耳。水北山人得名聲,去年去作幕下士。
水南山人又繼往,鞍馬仆從塞閭裏。少室山人索價高,兩以諫官征不起。
彼皆刺口論世事,有力未免遭驅使。先生事業不可量,惟用法律自繩己。』
#3
《春秋》三傳束高閣,獨抱遺經究終始。往年弄筆嘲同異,怪辭驚眾謗不已。
近來自說尋坦途,猶上虛空跨綠駬。』
#4
去歲生兒名添丁,意令與國充耘耔。
去年、男の子がうまれた「添丁」と名づけられた、国のため農耕につとめさせる壮丁にされるおおつもりらしい。
國家丁口連四海,豈無農夫親耒耜?
国家の壮丁の人口は世界のはてまでもみちあふれている、どうして耕作に直接たずさわる農夫がいないわけではあるまいとおもいますが。
先生抱才終大用,宰相未許終不仕。
先生はすぐれた才能をかかえておられてりっぱな地位に用いられるべきだのに、宰相が許さないので仕えられないままだ。
假如不在陳力列,立言垂範亦足恃。
かりに陳述の才能を発揮し官僚の列に並ばれることは無くても、老荘孔子のようにいましめとなる立派な考えを書物をお書きになっており、その模範を後世に示されたことは十分将来にとってたのみになります。
苗裔當蒙十世宥,豈謂貽厥無基阯。
子孫は禍があったとしても十世まで刑罰から免除きれるほどのもので、どうして子孫に財産が残されていないなどなんの問題があるというのか。
故知忠孝生天性,潔身亂倫安足擬。』

だから分かるのですが、盧仝先生の忠孝は生まれつきに具わったもの、自分ひとり潔く暮らして主君に仕えることをやめたひとたちとは比べものになりはしない。

#5
昨晚長鬚來下狀,隔墻惡少惡難似。每騎屋山下窺闞,渾舍驚怕走折趾。
憑依婚媾欺官吏,不信令行能禁止。先生受屈未曾語,忽此來告良有以。
嗟我身為赤縣令,操權不用欲何俟?立召賊曹呼伍伯,盡取鼠輩屍諸市。』
#6
先生又遣長鬚來,如此處置非所喜。況又時當長養節,都邑未可猛政理。
先生固是余所畏,度量不敢窺涯涘。放縱是誰之過歟?效尤戮仆愧前史。』


買羊沽酒謝不敏,偶逢明月曜桃李。先生有意許降臨,更遣長須改雙鯉。


#4
去歳【きょさい】児を生んで添丁【てんてい】と名づく、意は国の与に耘抒【うんじ】に充【あ】てしめんとなり。
国家の丁口【ていこう】は四海に連なり、豈 農夫の耒耜【らいし】を親しくする無からんや。
先生 才を抱いて大いに用いられ終わるべし、宰相未だ許さざれば終【つい】に仕えず。
仮如【たとい】力を陳【の】ぶる列に在らずとも、言【げん】を立て範を垂るること亦 恃【たのし】むに足れり。
苗裔【びょうえい】当【まさ】に十世【じつせい】宥【ゆる】さるることを蒙【こう】むるべし。
豈 謂【おも】わんや 貽厥【いけつ】に基阯【きし】無しと。
故に知んぬ 忠孝の天性に生【な】ることを、身を潔【きよ】め倫を乱るものは安【いずく】んぞ擬【ぎ】するに足らん。


現代語訳と訳註
(本文)

去歲生兒名添丁,意令與國充耘耔。
國家丁口連四海,豈無農夫親耒耜?
先生抱才終大用,宰相未許終不仕。
假如不在陳力列,立言垂範亦足恃。
苗裔當蒙十世宥,豈謂貽厥無基阯。
故知忠孝生天性,潔身亂倫安足擬。』

(下し文)
去歳【きょさい】児を生んで添丁【てんてい】と名づく、意は国の与に耘抒【うんじ】に充【あ】てしめんとなり。
国家の丁口【ていこう】は四海に連なり、豈 農夫の耒耜【らいし】を親しくする無からんや。
先生 才を抱いて大いに用いられ終わるべし、宰相未だ許さざれば終【つい】に仕えず。
仮如【たとい】力を陳【の】ぶる列に在らずとも、言【げん】を立て範を垂るること亦 恃【たのし】むに足れり。
苗裔【びょうえい】当【まさ】に十世【じつせい】宥【ゆる】さるることを蒙【こう】むるべし。
豈 謂【おも】わんや 貽厥【いけつ】に基阯【きし】無しと。
故に知んぬ 忠孝の天性に生【な】ることを、身を潔【きよ】め倫を乱るものは安【いずく】んぞ擬【ぎ】するに足らん。

(現代語訳)
去年、男の子がうまれた「添丁」と名づけられた、国のため農耕につとめさせる壮丁にされるおおつもりらしい。
国家の壮丁の人口は世界のはてまでもみちあふれている、どうして耕作に直接たずさわる農夫がいないわけではあるまいとおもいますが。
先生はすぐれた才能をかかえておられてりっぱな地位に用いられるべきだのに、宰相が許さないので仕えられないままだ。
かりに陳述の才能を発揮し官僚の列に並ばれることは無くても、老荘孔子のようにいましめとなる立派な考えを書物をお書きになっており、その模範を後世に示されたことは十分将来にとってたのみになります。
子孫は禍があったとしても十世まで刑罰から免除きれるほどのもので、どうして子孫に財産が残されていないなどなんの問題があるというのか。
だから分かるのですが、盧仝先生の忠孝は生まれつきに具わったもの、自分ひとり潔く暮らして主君に仕えることをやめたひとたちとは比べものになりはしない。


(訳注)
去歲生兒名添丁,意令與國充耘耔。

去年、男の子がうまれた「添丁」と名づけられた、国のため農耕につとめさせる壮丁にされるおおつもりらしい。
去歲 去年。○添丁 丁は、一般の人民。人「氏が一人ふえたという意味で、「丁を添う」添丁と名づけたわけである。唐の律令制度では、21歳になると、一般人民は、口分田として一頃(約十町歩)の田が与えられ、租庸調の納税と府兵制度、兵役の義務が生じ、それを丁という。ただし、韓愈の時代の100年前には崩壊していた。のち盧仝が甘露の変の巻き添えで死刑に処せられ、頭が禿げていたため、頭に釘を打ち込んで殺した。子どもに添丁「丁(釘)を添う」と名づけたのは、その前兆であったという、中国特有の伝説ができる儒者であった。○ その役をさせる。○耘耔【うんし】 耘は、草取り。耔は、苗の根もとをかためること。したがって耘耔とは、農作をすることをいう。『詩経、小雅甫田』「今適南畝、或耘或耔。」(今南畝に適き、或は耘【くさぎ】り或は耔【つちこ】う。)とある。○丁口 人民の数。口は、人口の口。律令制度では、男子を(壮)丁といい、女子を口とし、女子を兵士にはしなかった。(古代は女子も兵士になった)つまり人間の数に入れなかったということだ。


國家丁口連四海,豈無農夫親耒耜?
国家の壮丁の人口は世界のはてまでもみちあふれている、どうして耕作に直接たずさわる農夫がいないわけでらあるまいとおもいますが。
四海 中国の四方のはては天涯、海だと考えられ、そのはてまでの全世界をもいう。○ 自分で直接行う。○耒耜【らいし】 すき。田を耕す道具。・柄の方を耒といい、さきの刃の部分を耜という。ここは、すきを用いて耕すという動詞で、透きをもって耕すこと、耕作ということ。


先生抱才終大用,宰相未許終不仕。
先生はすぐれた才能をかかえておられてりっぱな地位に用いられるべきだのに、宰相が許さないので仕えられないままだ。
終大用 「終大用」の終わりは~を完了する。=成。『國後、周語下』「純明則終〔終成也〕」(純明は則ち終る〔終は成る也〕)次の句の「終不仕」は窮極には、とどのつまり。最後まで、どうしても。『大学』「有斐君子、終不可諠」(斐【はい】たる君子有り、終に諠【わす】るべからず)○宰相 天子を助けて政治の全体を総括する大臣をいう。今の総理大巨に当たる。韓愈の時代は、中書門下同平章事がそれであった。


假如不在陳力列,立言垂範亦足恃。
かりに陳述の才能を発揮し官僚の列に並ばれることは無くても、老荘孔子のようにいましめとなる立派な考えを書物をお書きになっており、その模範を後世に示されたことは十分将来にとってたのみになります。
仮如 かりに……であったとしても。仮定を示す助辞。○陳力列 できるだけの力を出すべき位置。政治にたずさわって発言できる地位をいう。『諭語、季氏篇』「孔子曰、求、周任有言、曰、陳力就列、不能者止。危而不持、顚而不扶、則將焉用彼相矣。」(孔子曰く、求、周任言えること有り、曰く、力を陳[し]いて列[くらい]に就き、能うまじきときに止む。危けれども而も持[たも]たず、顚[たおれ]るとも而も扶[たす]けずんば、則ち將に焉んぞ彼の相[たすけ]を用いん。)力を陳べて列に就き、能わざる者は止む。」-「できるだけ努力して職務を行い、もし応自分の努力が受け入れられなかったら辞蔵する。」ということぱにもとづく。○立言 後世の戒めとなる立派な考えをことばに著わすこと。『左伝、襄公二十四年』に叔孫豹のことばとして、「大上有立徳、其次有立功、其次有立言。雖久不廃。此謂不朽。」(大上は徳を立つること有り、其の次ぎは功を立つること有り、其の次は言を立つること有り。久しといえども廃れず。此れを不朽と謂う。」とあり、そのくわしい説明をした唐の孔穎達(574-648年)の「左伝正義」に、「言を立つとは、言の其の要を得、理の伝うべきに足るを謂う。老(子)荘(子)荀(子)孟(子)管(子)晏(子)楊 (子)墨(子)孫(子)呉(子)の徒、子書を制作し、屈原・宋玉・賈誼・楊雄・司馬遷・班固以後、史伝を撰集し、及び文章を制作し、後世をして学習せしむる、皆是れ言を立つる者なり。」とある。哲学・文学・史学いずれであろうと著述によっていつの世までも不朽に伝わることをいう。○垂範 模範を後世に示す。○足恃 頼りにできる。期待してよい。


苗裔當蒙十世宥,豈謂貽厥無基阯。
子孫は禍があったとしても十世まで刑罰から免除きれるほどのもので、どうして子孫に財産が残されていないなどなんの問題があるというのか。
苗裔 子孫。・苗は稲のなえ、すえ、ちすじ、・裔は着物のすそ。屈原(紀元前339―278年)の『楚辞』に離騒に見えることば。○十世宥 子孫十世まで刑罰を免除される。『左伝、襄公二十一年』叔向が芭宜子に捕えられたとき、祁奚が叔向を赦免するように芭宜子に説いたときのことばに先祖の嬉によって、十世の子孫まで、その恩恵を蒙って刑罰から免れさせ、有能な宥の励みにしたい、ということ。○ 厥、子孫のことをいう。「詩経」大雅文王有声篇に「詒(貽)厥孫謀」とあり、詒(貽)厥といえば、その下のことば、孫謀「子孫のための計画」或は孫をあらわすようになった。このように成語のはじめだけをあげて つづくことばを意味するものを歇後語といい、中国では現代に至るまでよく用いられることばのしゃれである。 なお、この「詒厥」の場合い、「詩経」の本来の意味よりも主として文字づらからいうのであって、後漢の『詩経』の注釈者鄭玄(127―200年)によれば、ここの孫は、順といい泣味、モタ吋り遜に通ずるのだとしている。○基阯 財産の基礎。田や家呈などの不動産をいう。漢代の歴史「漢書」の疏広の伝に、「子孫幾わくは君が 時に及んで、頗ぶる産業の基阯を立てんことを。今日飲食の費え且に尽きんとす。宜しく丈人の所に従って、君 に田宅を買わんことを勧説せよ。」とある。産業の基阯、すなわち財産の基礎が、田宅であることを示している。
 

故知忠孝生天性,潔身亂倫安足擬。』
だから分かるのですが、盧仝先生の忠孝は生まれつきに具わったもの、自分ひとり潔く暮らして主君に仕えることをやめたひとたちとは比べものになりはしない。
天性 生まれつき。○潔身乱倫 自分ひとりだけ行いをきれいにして、大切な人間関係である君主に仕えるとをやめる。「論語」微子篇の中のはなし、子路がある隠者に一夜泊めてもらい、明くる日、孔子に話してもう一 度行ってみると、隠者がいないので、その二人の子どもにいったことばの中に「其の身を潔くして、大倫を乱る。」とある。○安足擬 比べものにならぬ。擬は、なぞらえる、比べる。盧仝の行いは、君にも忠であって、自分ひとりだけ清くして君主を忘れるような隠昔と比べものにならぬほどりっぱだ、というのである。

中唐詩-258 寄盧仝#3 韓愈 Ⅱ韓退之(韓愈) 紀頌之の漢詩ブログ 韓愈特集-22

中唐詩-258 寄盧仝#3 韓愈 Ⅱ韓退之(韓愈) 紀頌之の漢詩ブログ 韓愈特集-22

811年 元和六年春 韓愈44歳の作 作詩順からすると韓愈詩の35番目くらいに掲載予定であったが、孟郊と盧仝詩を掲載したので順を繰り上げて掲載。

孟郊 『答盧仝』(盧仝に答える#1~#3)中唐詩 Ⅶ孟郊(孟東野) 答盧仝#1 <24> kanbun-iinkai紀頌之の漢詩ブログ248
盧仝 新茶について述べながら、生き方、生活ぶりについて触れている。『走筆謝孟諫議寄新茶』(筆を走らせて孟諫議の新茶を寄せるを謝す)(#1~#3)

中唐詩人ID-44 盧仝 走筆謝孟諫議寄新茶#1 kanbun-iinkai紀頌之の李商隠と中唐の漢詩ブログ251


寄盧仝
#1 
玉川先生洛城裏,破屋數間而已矣。一奴長鬚不裹頭,一婢赤腳老無齒。
辛勤奉養十余人,上有慈親下妻子。先生結發憎俗徒,閉門不出動一紀。
至令鄰僧乞米送,仆忝縣尹能不恥?俸錢供給公私余,時致薄少助祭祀。』
#2
勸參留守謁大尹,言語纔及輒掩耳。水北山人得名聲,去年去作幕下士。
水南山人又繼往,鞍馬仆從塞閭裏。少室山人索價高,兩以諫官征不起。
彼皆刺口論世事,有力未免遭驅使。先生事業不可量,惟用法律自繩己。』
#3
《春秋》三傳束高閣,獨抱遺經究終始。
教条的なで詩の書いた春秋の解説書の三伝などはうず高くの高閣のようにたばねて積み重ねておいたままにしている、もっぱらひとりで孔子の遺経春秋をかかえこみ熟読、習得され尽くされている。
往年弄筆嘲同異,怪辭驚眾謗不已。
またあるときは戯れに詩を作って大仝小異とふざけられたことがあり、突拍子もないようなことや奇怪なことばが衆知のものをびっくりさせていつまでもそしられていたのです。
近來自說尋坦途,猶上虛空跨綠駬。』

近ごろでは自分でおだやかな道を探し当てたといわれるが、それでも特別な馬8頭立てのような駿馬にまたがって大空高く上ぼるような大器でおられる。

#3
春秋三伝 高閣に束【つか】ね、独り遺経【いけい】を抱きて終始を究【きわ】む。
往年筆を弄【ろう】して同異を嘲【あざけ】り、怪辞【かいじ】は衆を驚かして膀【そし】り已【や】まず。
近来自ずから説く坦塗【たんと】を尋ぬと、猶虚空に上ぼって綠駬【りょくじ】に跨【また】がる



現代語訳と訳註
(本文) #3

《春秋》三傳束高閣,獨抱遺經究終始。
往年弄筆嘲同異,怪辭驚眾謗不已。
近來自說尋坦途,猶上虛空跨綠駬。』


(下し文) #3
春秋三伝 高閣に束【つか】ね、独り遺経【いけい】を抱きて終始を究【きわ】む。
往年筆を弄【ろう】して同異を嘲【あざけ】り、怪辞【かいじ】は衆を驚かして膀【そし】り已【や】まず。
近来自ずから説く坦塗【たんと】を尋ぬと、猶虚空に上ぼって綠駬【りょくじ】に跨【また】がる


(現代語訳)
教条的なで詩の書いた春秋の解説書の三伝などはうず高くの高閣のようにたばねて積み重ねておいたままにしている、もっぱらひとりで孔子の遺経春秋をかかえこみ熟読、習得され尽くされている。
またあるときは戯れに詩を作って大仝小異とふざけられたことがあり、突拍子もないようなことや奇怪なことばが衆知のものをびっくりさせていつまでもそしられていたのです。
近ごろでは自分でおだやかな道を探し当てたといわれるが、それでも特別な馬8頭立てのような駿馬にまたがって大空高く上ぼるような大器でおられる。


(訳注)
《春秋》三傳束高閣,獨抱遺經究終始。

教条的なで詩の書いた春秋の解説書の三伝などはうず高くの高閣のようにたばねて積み重ねておいたままにしている、もっぱらひとりで孔子の遺経春秋をかかえこみ熟読、習得され尽くされている。
春秋三伝 「春秋」は孔子が編した魯の国の年代記。「三伝」は孔子がいかなる意味をこめてこの春秋を害いたかを説明したもので、三種の書をいう。「左氏伝」は、左丘明の著わしたもの、公羊高の著わした「公羊伝」、穀梁赤の著わした「穀梁伝」をいう。唐のこの頃までは、春秋を解釈するばあい、この三伝が絶対的なものと考えられ、三伝のいずれかの説によってのみ、春秋は解釈すべきものとされていたが、この時代から、三伝によらずに、直接春秋を理解しようという試みが、啖助【たんじょ】、趙匡【ちょうきょう】の二人により始められる。その学説をまとめて、書物として著わしたのが韓愈と同時代人である陸淳(?-805年)であり、そのほか、韓愈の友人樊宗師(?―824年)にも、春秋集伝十五巻があったといわれ、こうした新しい春秋解釈学は、実にこの時代の風気であった。盧仝にも、春秋の注釈書があったらしいが、すぐ失しなわれたようである。○束高閣 東にして書斎に樓閣のように書籍を束にして積み重ねていくこと。束は、束にしてすておくこと。ここでは、春秋の三伝を問題としないこと。束ねて積重ねれば見ようがない。ておくことをいう。老荘思想の晋の庾亮(289~340)、庾翼(305-345年)兄弟が「春秋三伝」を束ねしまいこむことをいったことば。○独抱 独は、ひとり。他のものの助けをからず、自分ひとりの力での意。○遺経 孔子の遺した経書。すなわち春秋の本文をさす。○終始 はじめからしまいまで。すっかり。


往年弄筆嘲同異,怪辭驚眾謗不已。
またあるときは戯れに詩を作って大仝小異とふざけられたことがあり、突拍子もないようなことや奇怪なことばが衆知のものをびっくりさせていつまでもそしられていたのです。
往年 過ぎ去った年。先年。○弄筆 弄は、たわむれにする。弄筆は、たわむれに詩を書いたこと。○嘲同異 慮仝の仝は同の字と同じ。同じ時代に、馬異という詩人がおり、盧仝は馬異と友人になって『與馬異結交』(馬異と交わりを結ぶ詩) 「不知元氣元不死,忽聞空中喚馬異。馬異若不是祥瑞, 空中敢道不容易。昨日仝不仝,異自異,是謂大仝而小異。 今日仝自仝,異不異,是謂仝不往兮異不至。直當中兮動天. 地。白玉璞裡斫斲出相思心,黃金礦裡鑄出相思淚。」 を作った。この詩は長句短句いりまじる雑言の詩で、大変奇妙な詩である。中でも有名なのは、次の数句。 (昨日、仝じからず異自から異なり、是れを大仝にして小異という。今日仝自のずから仝(同)じく異異ならず。是れを仝往かず異至らずと謂う。)大仝小異の語源。
要するに、かつて別別にいた盧仝と馬異がいっしょに交わるようになったということをいったものである。嘲は、たわむれる、からかう。○謗不已 謗りつづけられた。いつまでも謗られた。不已は、勣詞につづいて、その勤作が継続していることを示すいい方。


近來自說尋坦途,猶上虛空跨綠駬。』
近ごろでは自分でおだやかな道を探し当てたといわれるが、それでも特別な馬8頭立てのような駿馬にまたがって大空高く上ぼるような大器でおられる。
近来 近ごろ。来は、時間を示すことばにつづいて、それにひろがりを持たせる助辞。○坦途 たいらかなみち。詩文におけるわかり易いことばづかいを喩える・途は、塗と同じ。○猶 そういってもなお。それでも。○虚空 そら。空中。○綠駬 むかし馬ずきの天子として有名な周の穆王(紀元前1002―947年在泣)が、中国全土を巡るのに特別な馬(穆王八駿)を走らせていたと言われる。すなわち、土を踏まないほど速い「絶地」、鳥を追い越す「翻羽」、一夜で5,000km走る「奔霄」、自分の影を追い越す「越影」、光よりも速い「踰輝」と「超光」、雲に乗って走る「謄霧」、翼のある「挟翼」の8頭である。穆王はこの馬を駆って犬戎ら異民族を討った。馬車をひかせたという8匹の駿馬たちのこと。この「虚空跨綠駬」はそれをしめすもので、盧仝の詩が、坦途を尋ねたと自分ではいっても、なお人間ばなれした的外れかとおもえるような詩であることをたとえたものである。


庾亮(289~340)
  字は元規。潁川郡鄢陵の人。談論をよくし、老荘を好んだ。鎮東将軍司馬睿の西曹掾をつとめ、丞相参軍に転じた。華軼を討つのに功があり、都亭侯に封ぜられた。元帝が即位すると中書郎に任ぜられ、中領軍に進んだ。明帝のとき、中書監となった。王敦の乱のとき、左衛将軍として諸将とともに銭鳳・沈充らを討った。乱の平定後、護軍将軍となった。明帝の病が重く、王導とともに成帝を補佐するよう遺詔を受け、中書令に上った。政事全般を決裁したが、人望がえられぬまま、宗室を圧迫した。咸和二年(327)には蘇峻・祖約の乱を招き、建康を失陥した。翌年に温嶠・陶侃らによって乱が平定された後は、豫州刺史として出て、蕪湖に鎮した。陶侃の死後、江荊豫三州刺史・征西将軍となり、武昌に鎮した。ときに石勒が没し、中原恢復の大望を抱いて石城に移り、北伐諸軍を支援したが、勅許が下りなかった。咸康五年(339)、後趙が邾城を陥すのを救うことができないまま病没した。

庾翼(305~345)
  字は稚恭。潁川郡鄢陵の人。庾亮の弟にあたる。蘇峻の乱のとき、亮に命ぜられて石頭を守備した。乱が平定された後、太尉・陶侃のもとで参軍をつとめた。咸康四年(338)、南蛮校尉・南郡太守となり、江陵に鎮した。後趙の石虎が邾城を陥し、石城を囲んだとき、奇兵を用いて趙軍を撃退し石城を守った。功績により、都亭侯に封ぜられた。兄・亮が没すると、都督江・荊・司・雍・梁・益六州諸軍事となり、安西将軍・荊州刺史として武昌に鎮した。兄の志を継いで北伐を望んだが、襄陽に移る勅許が出ず、志半ばに病没した。

中唐詩-257 寄盧仝#2 韓愈 Ⅱ韓退之(韓愈) 紀頌之の漢詩ブログ 韓愈特集-22

中唐詩-257 寄盧仝#2 韓愈 Ⅱ韓退之(韓愈) 紀頌之の漢詩ブログ 韓愈特集-22

811年 元和六年春 韓愈44歳の作 作詩順からすると韓愈詩の35番目くらいに掲載予定であったが、孟郊と盧仝詩を掲載したので順を繰り上げて掲載。
孟郊 『答盧仝』(盧仝に答える#1~#3)

寄盧仝
#1 
玉川先生洛城裏,破屋數間而已矣。一奴長鬚不裹頭,一婢赤腳老無齒。
辛勤奉養十余人,上有慈親下妻子。先生結發憎俗徒,閉門不出動一紀。
至令鄰僧乞米送,仆忝縣尹能不恥?俸錢供給公私余,時致薄少助祭祀。』

中唐詩 Ⅶ孟郊(孟東野) 答盧仝#1 <24> kanbun-iinkai紀頌之の漢詩ブログ248


盧仝 新茶について述べながら、生き方、生活ぶりについて触れている。『走筆謝孟諫議寄新茶』(筆を走らせて孟諫議の新茶を寄せるを謝す)(#1~#3)

中唐詩人ID-44 盧仝 走筆謝孟諫議寄新茶#1 kanbun-iinkai紀頌之の李商隠と中唐の漢詩ブログ251


#2
勸參留守謁大尹,言語纔及輒掩耳。
盧仝先生に「東都留守のところに行ってください」とか「河南尹に面会に行くよう」とわたしが勧めても、ことばがその話になったかと思うと儒者の先生は許由のように耳をふさいでしまわれる。
水北山人得名聲,去年去作幕下士。
洛水の北岸の山人である石洪どのが評判になっている、去年出かけて行って河陽節度使烏重胤の幕僚になった。
水南山人又繼往,鞍馬仆從塞閭裏。
洛水南岸の山人温造どのは今度はつづいて出ていき、鞍をおいた馬や下男・従者たちが街をいっぱいにしてふさいでしまった。
少室山人索價高,兩以諫官征不起。
嵩山の少室山に隠遁する李慟どのは自分の値打ちを高くつけている、二度も左拾遺で招かれたが官途には就かないという。
彼皆刺口論世事,有力未免遭驅使。
彼らの共通したことはいずれもきびしい毒舌、口ぶりで世間の事を論じているのだ、実力の有る人たちであるものだけれど結局は俗事に追いまわされることになってしまうのを免れない。
先生事業不可量,惟用法律自繩己。』

ところで玉川先生の仕事は量り知ることができない、ただ自己の守るべき自らの律する則どおりに自己を制しておられるということなのだ。

#2
留守に参【いた】り大尹【たいいん】に謁【えつ】せよと勧むるに、言語纔【わず】かに及べば輒【すなわ】ち耳を掩う。
水北【すいほく】の山人【さんじん】 名声を得て、去年去って幕下【ばっか】の士と作【な】れり。
水南【すいなん】の山人 又継いで往き、鞍馬【あんば】と僕従【ぼくじゅう】とは閭裏【りょり】を塞【ふさ】ぎぬ。
少室【しょうしつ】の山人は価【あたい】を索【もと】むること高く、両【ふた】たび諌官【かんかん】を以て徴【め】せども起たず。
彼れ皆口に剌して世事を論じ、力 有れば未だ駆使【くし】に造【あ】うことを免【まぬが】れず。
先生の事業は量【はか】るべからず、惟だ法律【ほうりつ】を用って自ずから己を繩【ただ】すのみ。

nat0021


現代語訳と訳註
(本文)

勸參留守謁大尹,言語纔及輒掩耳。
水北山人得名聲,去年去作幕下士。
水南山人又繼往,鞍馬仆從塞閭裏。
少室山人索價高,兩以諫官征不起。
彼皆刺口論世事,有力未免遭驅使。
先生事業不可量,惟用法律自繩己。』


(下し文)
留守に参【いた】り大尹【たいいん】に謁【えつ】せよと勧むるに、言語纔【わず】かに及べば輒【すなわ】ち耳を掩う。
水北【すいほく】の山人【さんじん】 名声を得て、去年去って幕下【ばっか】の士と作【な】れり。
水南【すいなん】の山人 又継いで往き、鞍馬【あんば】と僕従【ぼくじゅう】とは閭裏【りょり】を塞【ふさ】ぎぬ。
少室【しょうしつ】の山人は価【あたい】を索【もと】むること高く、両【ふた】たび諌官【かんかん】を以て徴【め】せども起たず。
彼れ皆口に剌して世事を論じ、力 有れば未だ駆使【くし】に造【あ】うことを免【まぬが】れず。
先生の事業は量【はか】るべからず、惟だ法律【ほうりつ】を用って自ずから己を繩【ただ】すのみ。


(現代語訳)
盧仝先生に「東都留守のところに行ってください」とか「河南尹に面会に行くよう」とわたしが勧めても、ことばがその話になったかと思うと儒者の先生は許由のように耳をふさいでしまわれる。
洛水の北岸の山人である石洪どのが評判になっている、去年出かけて行って河陽節度使烏重胤の幕僚になった。
洛水南岸の山人温造どのは今度はつづいて出ていき、鞍をおいた馬や下男・従者たちが街をいっぱいにしてふさいでしまった。
嵩山の少室山に隠遁する李慟どのは自分の値打ちを高くつけている、二度も左拾遺で招かれたが官途には就かないという。
彼らの共通したことはいずれもきびしい毒舌、口ぶりで世間の事を論じているのだ、実力の有る人たちであるものだけれど結局は俗事に追いまわされることになってしまうのを免れない。
ところで玉川先生の仕事は量り知ることができない、ただ自己の守るべき自らの律する則どおりに自己を制しておられるということなのだ。

八女茶 畑


(訳注) 
勸參留守謁大尹,言語纔及輒掩耳。

盧仝先生に「東都留守のところに行ってください」とか「河南尹に面会に行くよう」とわたしが勧めても、ことばがその話になったかと思うと儒者の先生は許由のように耳をふさいでしまわれる。
勧参留守謁大尹 以下この一段は、隠れ住んでいる盧仝に対し、出て官に仕えるように勧めるが、いっこう承知しないことをいう。参は参じる、お目にかかりに行くこと、謁も同じ。留守は、洛陽が唐代からはじまる。『書言故事、府主類』「守舊京者曰留守。」(旧京を守る者をいう。)東都、洛陽を中央政府機関の一部分も置かれていたので、それらの最高責任者として置かれた官をいう。このときは、韓愈の後援者の一人である鄭余慶(746―820年)が「留守」であった。大尹とは、洛陽には、特別市制がしかれていて、その長官をいう。正式には、ただ尹といい、次官たる少尹に対して、特に大尹ということがある。このときは、李素(755-812年)が、少尹で大尹の事務を取り扱っていた。○【わずか】 やっと…したと思うと。その行為(ここでは「言語が及ぷ」)が始まったばかりであることを示す助辞。○ そのたぴごとにすぐに。それが習慣となっていることを示す劫辞。○掩耳 聞きたくないとして耳をふさいでしまう。隠者が、政治にたずさわるように勧められたとき、耳がけがれたと耳を洗った儒者のこと。古代の伝説上の人物、許由の故事をふまえたもの。このブログで掲載した許由を載せた詩をあげてみる。
『将歸贈孟東野房蜀客』韓愈
君門不可入,勢利互相推。
借問讀書客,胡為在京師?
舉頭未能對,閉眼聊自思。」
倏忽十六年,終朝苦寒饑。
宦途竟寥落,鬢發坐差池。
潁水清且寂,箕山坦而夷。
如今便當去,咄咄無自疑。
「潁水清且寂,箕山坦而夷。」(頴水は清くして且つ寂かに、箕山は坦として夷(たいらか)らかなり。)

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行路難三首 其一 李白 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白183

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水北山人得名聲,去年去作幕下士。
洛水の北岸の山人である石洪どのが評判になっている、去年出かけて行って河陽節度使烏重胤の幕僚になった。
水北山人 石洪(771―812年)のこと。水は、川のこと、ここでは洛陽の市内を流れる洛水のこと。山人は隠遁者。洛陽の北の隠棲者、石洪のことで、洛陽に十数年間隠遁していたが、河陽節度使の烏重胤(761-827年)がそれを聞き、自分の幕僚に招いた。そのとき、韓愈は、「送る序」と詩を作って「洛の北の涯なるを石洪という。」とある。石洪の墓誌銘も韓愈が書いている。○名声 よい評判。○去年去作幕下士 烏重胤に招かれて、その軍の幕僚になったことをいう。去年は、元和5年(810年)。
 
水南山人又繼往,鞍馬仆從塞閭裏。
洛水南岸の山人温造どのは今度はつづいて出ていき、鞍をおいた馬や下男・従者たちが街をいっぱいにしてふさいでしまった。
水南山人又繼往 水南山人とは、温造(766―835年)のこと。韓意の「温処士の阿陽軍に赴くを送る序」に、「洛の南の涯なるを温生と云う」とある。温造もやはり烏重胤から石洪につづいて招かれたことをいう。そのとき、韓愈は、「送る序」を書いた。温造は、のち地方軍閥の抑圧に功を立て、節度使になっている。○鞍馬 鞍を置いた馬。○僕従 僕も従も、しもべ。従者たち。○ いっぱいにする。○閭里 閭は、部落の門であるが、また部落そのものをいう。ここは温造の住んでいる街をいう。

少室山人索價高,兩以諫官征不起。
嵩山の少室山に隠遁する李慟どのは自分の値打ちを高くつけている、二度も左拾遺で招かれたが官途には就かないという。
少室山人 少室は山の名。五岳の中岳である嵩山(今河南省登封県にある)の一峯。その少室山にこもっていた山人とは、李渤(773-831年)をさす。李渤は、左拾遺の官で招かれたが辞退した。元和三年(808年)、韓愈が手紙を送って官につくように勧めたので、洛陽に移り住み、攻治上の意見をも朝廷に上言するようになった。のち、元和9年(814年)、著作郎としてはじめて官途につき、太子賓客にまでなった。○索価高 自分の値段を高くつけようとする。自分の価慎を高く見いもつもって、低い地位では官途につこうとしないことをいう。なお、韓愈の「少室の李拾遺に与うる書」に肌、「又窃かに聞く、朝廷の議、必ず拾遺公を起たしめんと。使者往き、若し許さずんぱ、即ち河南(の尹)必ず継いで以て行かん。拾遺徴君若し至らずんぱ、必ず高秩を加えん。是くの如くんば、則ち少くなきを辞して多きに就く、廉に傷みて義に害あらん。」といっている。○両以諌官徴不起 李渤が二度左拾遺の官で招かれたが官につかなかったことをいう。諌官は、天子に諌めたてまつる官。つまり天子の行動にまちがいがあれば、それを正すように意見を申し上げることを職務とする官吏である。ここでは左拾遺をいう。左拾遺の職務は、「供奉諷諌し、乗輿に扈従するを掌どる。凡そ令を発し事を拳うに、時に便あらず、道に合せざること有らぱ、大は則ち廷議、小は則ち上封す。若し賢良の下に遺滞し、忠孝の上に聞えざるあらば、則ち其の事状を条して、之を薦め言う。」と、唐の官制を記した「唐六典」に見える。起は、はじめて官途につくこと。


彼皆刺口論世事,有力未免遭驅使。
彼らの共通したことはいずれもきびしい毒舌、口ぶりで世間の事を論じているのだ、実力の有る人たちであるものだけれど結局は俗事に追いまわされることになってしまうのを免れない。
 石洪、温造、李渤をいう。○刺ロ とげのあるいい方で。○諭世事 世俗のことを批判する。○有力 石洪、温造、李渤のょうな人たちは、世事を論じ、カの有るものだから、かえって世俗から駆使されるょうな日にあったとつづく。○未免 免れることはできない。どうしても…になる。○ その目にあう。受身をあらわす動詞。○駆使 迫いまわして使う。


先生事業不可量,惟用法律自繩己。』
ところで玉川先生の仕事は量り知ることができない、ただ自己の守るべき自らの律する則どおりに自己を制しておられるということなのだ。
事業 天下を治めるしごと。○不可量 石洪、温造、李渤らのような世事を論ずるものは、世俗に駆使されるが、世俗に超越している盧仝は、「量ることができない」のである。○ ただ…するだけだ。○法律 道徳律。自分の守るべき法則。今の「法律」とは異なる。○ 自分で。○ すみなわ。直線を引くときにつかう縄をいう。そのことからまっすぐにすること。ここでは、儒者としての仁徳律・道徳律の線のとおりに行うこと。自分でひかえめにして、自分の手腕を存分にふるおうとはしないことをいう。


中唐詩-256 寄盧仝#1 韓愈 Ⅱ韓退之(韓愈) 紀頌之の漢詩ブログ韓愈詩集-22

中唐詩-256 寄盧仝#1 韓愈 Ⅱ韓退之(韓愈) 紀頌之の漢詩ブログ韓愈詩集-22


811年 元和六年春 韓愈44歳の作 作詩順からすると韓愈詩の35番目くらいに掲載予定であったが、孟郊と盧仝詩を掲載したので順を繰り上げて掲載。

孟郊 『答盧仝』(盧仝に答える#1~#3)

中唐詩 Ⅶ孟郊(孟東野) 答盧仝#1 <24> kanbun-iinkai紀頌之の漢詩ブログ248

盧仝 新茶について述べながら、生き方、生活ぶりについて触れている。『走筆謝孟諫議寄新茶』(筆を走らせて孟諫議の新茶を寄せるを謝す)(#1~#3)
中唐詩人ID-44 盧仝 走筆謝孟諫議寄新茶#1 kanbun-iinkai紀頌之の李商隠と中唐の漢詩ブログ251


寄盧仝
#1 
玉川先生洛城裏,破屋數間而已矣。
玉川先生は洛陽の城内に住まわれている。それはあばら家というものでほんの数間のひろさしかないものだ。
一奴長鬚不裹頭,一婢赤腳老無齒。
たった一人の下男といえば奴婢の中の奴ともいうべきあごひげを長くのばして頭をむき出しにしている、たった一人の下女といえばか型通り素足で歯がなくなっている老女である。
辛勤奉養十余人,上有慈親下妻子。
辛い思いをしても勤勉にはげみ十数人も養っておられる、両親を上にして下は妻子に至るまで愛しんでいる。
先生結發憎俗徒,閉門不出動一紀。
先生は若い頃から、俗世界での人と漫然と付き合うことを嫌われており、門を閉めきり外出せぬことややともすれば十二年一回りする位である。
至令鄰僧乞米送,仆忝縣尹能不恥?
おとなりの僧侶までもが托鉢の米をとどけさせてくれる始末となっている、県令をかたじけなくも拝命しているこのわたしとしてはこのまま何もしないと恥じいることになってしまうのでなないだろうか。
俸錢供給公私余,時致薄少助祭祀。』

公私の費用に使ったあまりの給料を、時には些少ながら差し上げて御家紋の祭祀の助けにされたい。
#2
勸參留守謁大尹,言語纔及輒掩耳。
水北山人得名聲,去年去作幕下士。
水南山人又繼往,鞍馬仆從塞閭裏。
少室山人索價高,兩以諫官征不起。
彼皆刺口論世事,有力未免遭驅使。
先生事業不可量,惟用法律自繩己。』
#3
《春秋》三傳束高閣,獨抱遺經究終始。
往年弄筆嘲同異,怪辭驚眾謗不已。
近來自說尋坦途,猶上虛空跨綠駬。』
#4
去歲生兒名添丁,意令與國充耘耔。
國家丁口連四海,豈無農夫親耒耜?
先生抱才須大用,宰相未許終不仕。
假如不在陳力列,立言垂範亦足恃。
苗裔當蒙十世宥,豈謂貽厥無基阯。
故知忠孝生天性,潔身亂倫安足擬。』
#5
昨晚長鬚來下狀,隔墻惡少惡難似。
每騎屋山下窺闞,渾舍驚怕走折趾。
憑依婚媾欺官吏,不信令行能禁止。
先生受屈未曾語,忽此來告良有以。
嗟我身為赤縣令,操權不用欲何俟?
立召賊曹呼伍伯,盡取鼠輩屍諸市。』
#6
先生又遣長鬚來,如此處置非所喜。
況又時當長養節,都邑未可猛政理。
先生固是余所畏,度量不敢窺涯涘。
放縱是誰之過歟?效尤戮仆愧前史。』

買羊沽酒謝不敏,偶逢明月曜桃李。
先生有意許降臨,更遣長須改雙鯉。』

#1
玉川先生 洛城の裏【うち】,破屋 数間のみ。
一奴【いちど】は長鬚【ちょうしゅ】にして頭を裹【つつ】まず、一婢【いちひ】は赤脚にして老いて歯無し。
辛勤【しんきん】して奉養【ほうよう】す十余人、上に慈親【じしん】有り下は妻子。
先生髪を結うてより俗徒を憎み、門を閉ざして出でざること動【やや】もすれば一紀。
隣僧をして乞米を送らしむるに至る、僕は県尹を忝【かたじけの】うす能く恥じざらんや。
俸銭供給す公私の余、時に薄少を致して祭祀を助く。』

#2
留守に参【いた】り大尹【たいいん】に謁【えつ】せよと勧むるに、言語 纔【わず】かに及べば輒【すなわ】ち耳を掩う。
水北【すいほく】の山人【さんじん】 名声を得て、去年去って幕下【ばっか】の士と作【な】れり。
水南【すいなん】の山人 又継いで往き、鞍馬【あんば】と僕従【ぼくじゅう】とは閭裏【りょり】を塞【ふさ】ぎぬ。
少室【しょうしつ】の山人は価【あたい】を索【もと】むること高く、両【ふた】たび諌官【かんかん】を以て徴【め】せども起たず。
彼れ皆口に剌して世事を論じ、力 有れば未だ駆使【くし】に造【あ】うことを免【まぬが】れず。
先生の事業は量【はか】るべからず、惟だ法律【ほうりつ】を用って自ずから己を繩【ただ】すのみ。』
#3
春秋三伝 高閣に束【つか】ね、独り遺経【いけい】を抱きて終始を究【きわ】む。
往年筆を弄【ろう】して同異を嘲【あざけ】り、怪辞【かいじ】は衆を驚かして膀【そし】り已【や】まず。
近来自ずから説く坦塗【たんと】を尋ぬと、猶虚空に上ぼって綠駬【りょくじ】に跨【また】がる。』
#4
去歳【きょさい】児を生んで添丁【てんてい】と名づく、意は国の与に耘抒【うんじ】に充【あ】てしめんとなり。
国家の丁口【ていこう】は四海に連なり、豈 農夫の耒耜【らいし】を親しくする 無からん や。
先生 才を抱いて大いに用いられ終わるべし、宰相未だ許さざれば終【つい】に仕えず。
仮如【たとい】力を陳【の】ぶる列に在らずとも、言【げん】を立て 範を垂るること 亦 恃【たのし】むに 足れり。
苗裔【びょうえい】当【まさ】に十世【じつせい】宥【ゆる】さるることを 蒙【こう】むるべし。
豈 謂【おも】わんや 貽厥【いけつ】に基阯【きし】無しと。
故に知んぬ 忠孝の天性に生【な】ることを、身を潔【きよ】め倫を乱るものは 安【いずく】んぞ 擬【ぎ】するに足らん。
#5
咋晩 長鬚【ちょうしゅ】来たって状を下す、墻【かき】を隔つる悪少【あくしよう】は悪 似【くら】べ難し。
毎【つね】に屋山【おくさん】に騎りて下を窺【うたが】い闞【み】たれば、渾舎【こんしゃ】驚き怕【おそ】れて走って趾【あし】を折【くじ】きぬ。婚媾【こんこう】に憑【よ】り依【よ】りて官吏を欺【あなど】り、令の行われて能く禁止するを信ぜず。
先生屈【くつ】を受けて未だ曾つて語らず、忽【たちま】ち此こに来たり告ぐるは良【まこと】に以【ゆえ】有り。
嵯【ああ】 我れ身は赤県【せっけん】の令と為【な】って、権を操【と】って用いずんば何を俟【ま】たんとか 欲っする。
立ちどころに賊曹【ぞくそう】を召して伍伯【ごはい】を呼び。
尽【ことごと】く鼠輩【そはい】を取らえて諸【これ】を市に屍【し】せしめんとす。

先生 又 長鬚を遣わして來たらしむ,此くの如き處置は喜ぶ所に非らず。
況【いわ】んや 又 時 長養【ちょうよう】の節に当たれり、
都邑【とゆう】未だ政理【せいり】を猛【はげ】しゅうすべからず。
先生は固【まこと】に是れ余【わ】が畏れる所なり、度量 敢えて涯涘【がいし】を窺【うたが】わず。
放縦【ほうしょう】なるは是れ誰が過【あやまち】ちぞや、尤【とが】に効【なろ】うて僕を戮【りく】すること前史【ぜんし】に愧【は】ず。

羊を買い 酒を沽【か】って 不敏を謝す,偶【たまたま】明月の桃李【とうり】に曜【かがや】くに逢えり。
先生 降臨【こうりん】許すに意有らば,更に長鬚【ちょうしゅ】遣わして 雙鯉【そうり】を改【いた】さしめよ。


現代語訳と訳註
(本文) 寄盧仝

玉川先生洛城裏,破屋數間而已矣。
一奴長鬚不裹頭,一婢赤腳老無齒。
辛勤奉養十余人,上有慈親下妻子。
先生結發憎俗徒,閉門不出動一紀。
至令鄰僧乞米送,仆忝縣尹能不恥?
俸錢供給公私余,時致薄少助祭祀。


(下し文) (盧仝に寄す)
玉川先生洛城の裏【うち】,破屋数間のみ。
一奴【いちど】は長鬚【ちょうしゅ】にして頭を裹【つつ】まず、一婢【いちひ】は赤脚にして老いて歯無し。
辛勤【しんきん】して奉養【ほうよう】す十余人、上に慈親【じしん】有り下は妻子。
先生髪を結うてより俗徒を憎み、門を閉ざして出でざること動もすれば一紀。
隣僧をして乞米を送らしむるに至る、僕は県尹を忝【かたじけの】うす能く恥じざらんや。
俸銭供給す公私の余、時に薄少を致して祭祀を助く。


(現代語訳)
玉川先生は洛陽の城内に住まわれている。それはあばら家というものでほんの数間のひろさしかないものだ。
たった一人の下男といえば奴婢の中の奴ともいうべきあごひげを長くのばして頭をむき出しにしている、たった一人の下女といえばか型通り素足で歯がなくなっている老女である。
辛い思いをしても勤勉にはげみ十数人も養っておられる、両親を上にして下は妻子に至るまで愛しんでいる。
先生は若い頃から、俗世界での人と漫然と付き合うことを嫌われており、門を閉めきり外出せぬことややともすれば十二年一回りする位である。
おとなりの僧侶までもが托鉢の米をとどけさせてくれる始末となっている、県令をかたじけなくも拝命しているこのわたしとしてはこのまま何もしないと恥じいることになってしまうのでなないだろうか。
公私の費用に使ったあまりの給料を、時には些少ながら差し上げて御家紋の祭祀の助けにされたい。


(訳注)
寄盧仝

寄盧仝 寄は、乎紙などを送ること。この詩は、盧仝に書いて送ったのである。盧仝(未詳一835)は、韓愈(768-846)と同時の詩人で、非常に難解なごつごつした詩を作った。うち最も有名なのは「月蝕詩」で、韓愈も、それにならって同じ題の「月蝕詩」を作っている。盧仝の生活は、この「盧仝に寄す」詩によって知られるとおりであるが、その死は悲惨であった。835大和九年甘露の変のとき、謀叛人として殺された宰相の王涯の宅にたまたま来あわせていたため、その一党と目されて、死刑に処せられている。この「寄盧仝」詩は、韓愈が河南県の令だったとき、811年元和六年44歳、春の作。長篇であるから、6分割して注釈を加えることにする。甘露の変については李商隠詩このブログでも10首程度掲載しているので詳しくは参考にされたい。 あるいは盧仝詩『走筆謝孟諫議寄新茶』(筆を走らせて孟諫議の新茶を寄せるを謝す)(#1~#3)中唐詩人ID-44 盧仝 走筆謝孟諫議寄新茶#1 kanbun-iinkai紀頌之の李商隠と中唐の漢詩ブログ251

玉川先生洛城裏,破屋數間而已矣。
玉川先生は洛陽の城内に住まわれている。それはあばら家というものでほんの数間のひろさしかないものだ。
玉川先生 盧仝は茶を煎じる水をとる玉川にちなんで自ずから玉川子と号した。この最初の一段(#1)は、盧仝の日常生活の貧しさをいう。○洛城 洛陽の城郭、街中のこと(今河南省洛陽市)。洛陽は、当時、洛陽県と河南県とで分治せられ、韓愈は、河市県の令であった。○数間 間とは、家屋の柱の開の数をいう。柱二本なら一間であり、三本なら二間ということになりこの、間数が大きいほど、大きな家である。○而巳矣 限定の意を表す助辞。それだけである。[而已]をひきのばした形で、詠嘆の気持ちが加えられる。『論語、里仁』「夫子之道、忠恕而已矣。」(夫子之道は、忠恕のみ。)盧仝が儒者であるので論語風に作るもの。


一奴長鬚不裹頭,一婢赤腳老無齒。
たった一人の下男といえば奴婢の中の奴ともいうべきあごひげを長くのばして頭をむき出しにしている、たった一人の下女といえばか型通り素足で歯がなくなっている老女である。
一奴 奴は、下男。たった一人の下男とは、費しい(もちろん比較的のはなしで、知識階級の家としては)ことをあらわす。下の一婢も同じ。夫子であれば下僕が数人から十人程度は世襲で普通にいた。○長鬚 鬚は、あごひげ。○不裹頭 当時は下男でも頭巾をかぶるのが習慣となっていたのだろう。○一婢 婢は、下女。○赤脚 はだし。赤とは、何もなぃことをいう形容詞。杜甫『早秋苦熱詩』、赤脚で下女。『事物異名録、倫属、奴婢』「鶴林玉露、楊誠斉退休南渓之上。老屋一區、僅庇風雨。長鬚赤脚、纔三四人。按、長鬚謂奴、赤脚謂婢。」(長鬚 赤脚、纔【わず】かに三四人と。按【あん】ずるに、長鬚とは奴を謂い、赤脚とは婢を謂う。)に基づいている。


辛勤奉養十余人,上有慈親下妻子。
辛い思いをしても勤勉にはげみ十数人も養っておられる、両親を上にして下は妻子に至るまで愛しんでいる。
辛勤 辛い思いをしても勤勉する。こつこつ苦労するさま。o奉養 奉は、かしずき仕えること。日常の生活、飲食起居をいう。『史記、齊太公世家』「令其秩服奉養此太子。」(其の秩服 奉養をして太子に此し令む。)とあり、これに基づいている。○慈親 慈は、めぐみ深いこと、親の子に対する道徳とされる。そこで親を形容することばとしてごく軽く使用される。『呂覽、慎大』「湯立爲天子。夏民大説、如得慈親。」(湯立ちて天子と爲す。夏の民 大いに説ぶこと、慈親を得たるが如し。)にもとづく。


先生結發憎俗徒,閉門不出動一紀。
先生は若い頃から、俗世界での人と漫然と付き合うことを嫌われており、門を閉めきり外出せぬことややともすれば十二年一回りする位である。
結發 少年のときに髪を束ねることから、少年のときをいう。あるいは、冠すること、す迩わち成人になフたとして冠をつける儀式のことであるともいう。要するに、若いときから。○【ややもすれば】 〔助字瓣略〕ともすれば。左思『文選、呉都賦』「出躡珠履、動以千百。」(出づるに珠履を躡【ふ】むもの、動もすれば千百を以もってす。)○一紀 歳星(本星)が天球を一週する期間をいう。十二年。十二の干支の


至令鄰僧乞米送,仆忝縣尹能不恥?
おとなりの僧侶までもが托鉢の米をとどけさせてくれる始末となっている、県令をかたじけなくも拝命しているこのわたしとしてはこのまま何もしないと恥じいることになってしまうのでなないだろうか。
至令 ~のことを命ずる始末までになっている。○乞米送 乞米は、托鉢の米。布施でもらった米など。○ わたくし。がんらい、しもべということから、自分の謙称になった。○ 身分不相応な位についているという謙迎したいい方。○県尹 県の長官。すなわち県今。○能不 反語。……でいられようか。


俸錢供給公私余,時致薄少助祭祀。
公私の費用に使ったあまりの給料を、時には些少ながら差し上げて御家紋の祭祀の助けにされたい。
俸銭供給公私余 俸給を公私に用いたあまり。供給は、その必要に応じて金銭を使用すること。ここは、旧訓にしたがったが、意味上は、「俸給公私に供給する余」ということである。○ 時には。○薄少 ごくわずかなお金。謙辿したいい方。○助祭祀 先祖のお祭りごと、あるいは縁者への祭祀の援助。生活費といえば、相手に失礼に当たるから、こういうのである。
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