漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩 中唐詩人選集【Ⅰ李商隠-150】Ⅱ韓退之(韓愈)-500Ⅶ孟郊(東野)賈島張籍柳宗元韋応物

Ⅰ李商隠は難解詩といわれている。約150首紹介済。(晩唐詩人) Ⅱ韓退之(韓愈)-約500首Ⅶ孟郊、中唐の詩人を掲載中。万物の性(さが)をテーマにした哲学的な詩。このブログは基本的に中唐詩人を中心にして掲載する予定。 韓愈詩文のこれまでの掲載分とこれから掲載予定分を時系列で整理した2014.3.29のブログに集約してそこから各年次を見ることができる  kanbuniinkai 検索で、《漢文委員会HP05》サイトあります。漢詩唐詩を理解するための総合サイト:≪漢文委員会 漢詩07≫。

韓愈 初めての流罪・左遷

少し、マニアックな晩唐詩人Ⅰ-李商隠150首をまず掲載済み。中唐は盛唐詩人(孟浩然・王維、杜甫、李白)を受け継いだ多様な詩人が出ている。この時代も驚くほど詩が発展している。Ⅱ韓退之(韓愈)500首、Ⅲ柳宗元40首、Ⅳ韋応物、Ⅴ劉長卿、Ⅵ韋荘、Ⅶ孟郊(孟東野)、Ⅷ張籍、Ⅸ賈島、Ⅹ劉禹錫、ほか2012~2020年の予定で気長に進める。同じ中唐ではあるが、白居易のグループについては、李白のブログ350首(2015/6月再開~2018/夏・秋月予定)の後掲載の予定。別に杜甫詩ブログ1500首(2011/7月~2018/8月の予定で)を進行中。詩数につぃては、予定の詩数より多くなる。気まぐれなところがあるのでこの予定が少し変わる場合があり、その節はご容赦ください。                 古詩・謝霊運詩 杜甫詩 韓愈詩 花間集500首全詩 それぞれ毎日ブログしています。 このブログ、索引=語句の「検索」 参考書以上掲載。漢詩力up。

送靈師 韓退之(韓愈)詩<49#9>Ⅱ中唐詩339 紀頌之の漢詩ブログ1096

送靈師 韓退之(韓愈)詩<49#9>Ⅱ中唐詩339 紀頌之の漢詩ブログ1096

送靈師(韓愈 唐詩)
霊僧師を送る
#1
佛法入中國,爾來六百年。
仏教が中国に伝来して既に600年以上がすぎている。
齊民逃賦役,高士著幽禪。
平民のなかで税金や徴兵逃れに坊主となるものであったものが、いつのまにか高い徳を持った士まで 静かに精神統一を行う禅を愛するとりことなった。
官吏不之制,紛紛聽其然。
官吏はこれを禁止してはいなかったが、紛紛としたゴネ得のものたちをそのまま許してしまいった。
耕桑日失隸,朝署時遺賢。
ということもあり、農耕養蚕に従う奴隷たちが日ごとにいなくなり、朝廷官署にしておく人材さえも時には放って民間におかねばならないこともある。
靈師皇甫姓,胤胄本蟬聯。」
さて霊僧師さまは、出家される前の苗字は皇甫氏であった、連綿とつたわる名家の子孫であった。
#2
少小涉書史,早能綴文篇。
幼少のころから 四書五経、歴史書を読んでしまった少年のころになると旱くも詩文の作成に力を示し巧く編纂したりした。
中間不得意,失蹟成延遷。
成人になって意気盛んなころになると、自分の持つ本位と違うことが生じてきて、文官試験をうけ、合格して中央の官途につくという出世のコースから、しりぞいて出家したのである。
逸志不拘教,軒騰斷牽攣。
ところが、人並はずれた志を持ってはいるが、仏法の教義なんぞに拘泥しないのであるし、それが人より高くぬきんでており、仏教徒として守るべき戒律を無視するのである。
圍棋鬥白黑,生死隨機權。
また、囲碁をさしては、白と黒をたたかわせるこをし、生かし、殺したとはかりごと巧みなものであった。
六博在一擲,梟盧叱回鏇。」
六博の賭博をやり、度々「ここ一発」と賽を投げたのである。賽の目の「梟盧一擲」と大勝負に出ることもよくやり、いかさま師を叱咤することもよくあった。
#3
戰詩誰與敵,浩汗横戈鋋。
歌詩、戦文で詩文の技を競い合うが、だれも敵となるものがいないし、それは広く見渡して、大小の矛を横に振って近づけないようなのだ。
飲酒盡百盞,嘲諧思逾鮮。
お酒にいたってはしばしの間に百杯飲んでしまい、あざけたり、ふざけたりするやりかたが思いつきがよいので、やればやるほどに新鮮なのだ。
有時醉花月,高唱清且緜。
そしてある時は、花に酔い、月にうかれて酔うのであり、歌を唱わせれば清々しくそして連綿と続く声なのだ。
四座鹹寂默,杳如奏湘弦。
お座敷の宴席で四方にいならぶ人たち一同は聞き惚れてしんと静まるものであり、その鎮まりはまるで湘江の水の神が「湘弦」の曲を奏でるときのようなのだ。
尋勝不憚險,黔江屢洄沿。」
風流を愛で勝景を訪ね歩く旅人でもありたとえ険路であってもいとわない。かの黔江を幾度も遡り、流れくだったということをしたのだ。
#4
瞿塘五六月,驚電讓歸船。
瞿塘峡の五、六月が最も危険である。それをことさら 押し渡っていこうという企みをする、脅威なのは船が電撃に遭い揺れ動き、自分でどうのこうのはできないので流れに譲るよりないのである。
怒水忽中裂,千尋堕幽泉。
怒濤は忽ち寄せ來る波でせめぎ合いをし、そしてなかばより裂ける。千尋の底、地獄の淵涯までまっさかさまに落ちていく。
環回勢益急,仰見團團天。
逆巻く波がめぐり渦巻を大きくし、勢いはさらに増していく、船は波間にかくれ、仰ぎみればまるですり鉢の底から見るような円形の空になっている。
投身豈得計,性命甘徒捐。
そこに身を投げ、舟を進めるどういうわけか無謀なことをしているのだ。甘いその時の感情で出発したことは自分の命をむざむざ棄てるということではないか。
浪沫蹙翻湧,漂浮再生全。」
白浪が時にちぢまり、はじけてひるがえり、そしてわきあがると木の葉の船はあわとなってこなごなにくだけ散る。それでもどうやら浮び上ったようで、ふたたび生きているのを感じとり、命ぱかりはとりとめたということだ。
#5
同行二十人,魂骨俱坑填。
同行したのは二十人にもなる。魂も骨體もことごとく奈落の底におちこんだ。
靈師不掛懷,冒涉道轉延。
そんなこんなも靈僧師どのはこころにもかけないのだ、冒険する意欲、探険する気持ちはその進むべき路を拡張し進展していくのである。
開忠二州牧,詩賦時多傳。
その時の開・忠二州の長官どのは開州の剌史は唐次、忠州の刺史は李吉甫であった。詩賦の作者と広く著名なお方であった。
失職不把筆,珠璣爲君編。
輝く前職を失ってしまうとその後詩筆をお取りなされなくなった、それをかがやく宝飾、真珠の文字でもってあなたのためにと編纂されたのだ。
強留費日月,密席羅嬋娟。」
そうして無理に引きとめられ、月日を無駄に費やした。その期間にはかこわれた部屋において美女のサービスをうけたりもしたのだ。
#6
昨者至林邑,使君數開筵。
先ごろもことである、林邑の地に行くことがあったのだ、そこで刺史の招宴がたびたびあるのである。
逐客三四公,盈懷贈蘭荃。
放逐された三、四諸公の客臣が同席していた、霊師のふところがいっぱいになるまで蘭かおるすぐれた詩を贈られた。
湖游泛漭沆,溪宴駐潺湲。
まだその上にひろびろとした湖に漕ぎ出で舟遊びをする、さらさらとした水音で清い渓にとまってここでもえんをしたのだ。
别語不許出,行裾動遭牽。
別れをつげることばを云い出立のお許しをされることはなかったが、旅に出ようとする袖を引き戻されうごけることなかった。
鄰州競招請,書劄何翩翩。」
ということで隣あった州の間で靈僧師の招請を競い合っている、招きの手紙がしきりにひらひらと舞いこんでいるという。
#7
十月下桂嶺,乘寒恣窺緣。
こうしたのち、十月になってようやく五嶺山脈を越え 桂嶺くだるのである。冬の避寒にかこつけてこの地に寄られるということだ。
落落王員外,爭迎穫其先。
そして、心のひろい王員外どのが、競い爭って第一番に霊師を獲得したのである。
自從入賓館,占吝久能專。
そういうことにより客殿に迎い入れたのであるが、それはもう独り占めし、とても重用されたのである。
吾徒頗擕被,接宿窮歡妍。
われらもそれによってそそくさと夜具持参してよりあった、幾晩もぶっ続けに歓談し、優美をきわめた。
聽說兩京事,分明皆眼前。」
その歓談のなかにも長安・洛陽のことを語りあった。まざまざと皆、目の前にわき上るようにはっきり話したのだ。
#8
縱横雜謠俗,瑣屑鹹羅穿。
それから縦横にはやり歌、俗歌、地方の歌が飛び交いまじりあっっている。おまけに今度は、些細なことを詮索し合ったりもするのだ。
材調真可惜,朱丹在磨研。
才智の程度はまったく惜しいおもわれるほどなのだ。朱を練っていき金丹のように、削って磨いていけくのである。
方將斂之道,且欲冠其顛。
孔子孟子の教えをさずけ霊師を儒教の道に収容させるのである。そして、頭に冠をつけさせ、還俗させることなのだ。
韶陽李太守,高步凌雲煙。
韶陽の李太守どのがそこにいる、そのすぐれた歩みというものは雲やかすみをつきぬける御身分であるというものだ。
得客輒忘食,開囊乞繒錢。」
客を得るたびごとに歓待して自分の食事もわすれるのである、そして、自分の財布ひらいて「絹、銭」を 惜しまずお与えなさるのである。

#9
手持南曹叙,字重青瑤鐫。
ましてや、南曹王吏部員外郎の霊僧師殿を讃える送序を手に取って見るに、青玉に刻み、はめ込んだものよりも重厚な文宇である。
古氣參彖系,高標摧太玄。
易経の衆辞繋辞をさながらの古風な文調であり、揚雄の太玄経もそこのけの心の高い表現である。
維舟事幹謁,披讀頭風痊。
そういうことで、間もなくすると、舟を係留してお目通りをもとめられた、頭痛もなおろうというほどうまいその文章のおかげなのだ。
還如舊相識,傾壺暢幽悁。
この二人が会えばたちまちのうちに幼な馴染も同然になってしまう、徳利かたむければ、世のわずらいも悲しみもみんな忘れてしまうだろう。
以此複留滯,歸驂幾時鞭。」

このことがあって以降はまた逗留を長くされ、帰りの三頭立ての馬車に鞭うち、お帰りなさるはいつのことになるやらわからないのである。

(靈師を送る)
佛法【ぶっぽう】 中國に入り,爾來【じらい】 六百年。
齊民【せいみん】 賦役【ふえき】を逃れ,高士【こうし】 幽禪【ゆうぜん】を著【め】づ。
官吏 之を制せず,紛紛として其の然【しか】ることを聽【ゆる】す。
耕桑【こうそう】日【ひび】に隸【れい】を失い,朝署【ちょうしょ】時に賢を遺せり。
靈師は皇甫【こうほ】の姓,胤胄【いんちゅう】本【もともと】 蟬聯【せんれん】たり。」
#2
少小【しょうしょう】にして書史【しょし】に涉り,早くより能く文篇【ぶんへん】を綴る。
中間 意を得ず,蹟【あと】を失って延遷【えんせん】を成す。
逸志【いっし】教に拘わらず,軒騰【けんとう】して牽攣【けんれん】を斷つ。
棋【き】を圍【かこ】んで白黑を鬥【たたか】わせ,生死機權【きけん】に隨う。
六博 一擲【いってき】在り,梟盧【きゅうろ】回鏇【かいせん】を叱っす。」
#3
詩を戰はして誰か與に敵せん、浩汗【こうかん】 戈鋋【かえん】を横ふ。
酒を飲んで百盞【ひゃくさん】を盞し、嘲諧【ちょうかい】 思 逾【いよい】よ鮮なり。
時有って花月に醉ふ、高唱 清くして 且 緜【はるか】なり。
四座 鹹【ことごと】く寂默【せきもく】し、杳【よう】として湘弦【しょうげん】を奏するが如し。
勝を尋ねて瞼【けん】を憚【はばか】らず、黔江【けんこう】 屢 洄沿【かいえん】す。
#4
瞿塘【くとう】 五六月、驚電【けいでん】 帰船【きせん】に譲る。
怒水【どすい】 忽ち 中裂し、千尋【せんじん】 幽泉【ゆうせん】に堕つ。
環廻【かんかい】して 勢 益【ますま】す急に、仰いで團團【だんだん】の天を見る。
身を投ずる 豈に計を得むや、性命【せいめい】 甘んじて徒に捐【す】つ。
浪沫【ろうばく】 蹙【ちじま】って翻涌【ほんよう】し、漂浮【ひょうふ】して 再び 生全【いのちまった】し。
#5
同行 二十人、魂骨【こんこつ】 倶に坑填【こうてん】す。
霊師 懐【おもい】に掛けず、冒渉【ぼうしょう】 道 轉【うたた】た延ぶ。
開忠 二州の牧、詩賦【しふ】 時に多く傳ふ。
職を失いしより筆を把らざるに、珠璣【しゅき】 君が爲に編めり。
強いて留めて日月を費やさしめ、密席【みつせき】に嬋娟【ぜんけん】を羅【つら】ねき。
#6
昨者 林邑【りんゆう】に至り、使君【しくん】 數【しばし】ば筵を開く。
逐客【ちくかく】の三四公、懐【ふところ】に盈つるまで蘭荃【らんせん】を贈る。
湖游【こゆう】 漭沆【もうこう】に泛び、渓宴【けいえん】 潺湲【せんかん】に駐まる。
別語【べつご】 出すを許さず、行裾【こうきょ】 動【やや】もすれば牽くに遭ふ。
鄰州【りんしゅう】 競って招請【しょうせい】し、書札 何ぞ 翩翩【へんべん】たる。
#7
十月 桂嶺【けいれい】を下る、寒に乘じて窺緑【きえん】を恣【ほしいまま】にす。
落落たる王員外、爭い迎へて其の先を穫【え】たり。
賓館【ひんかん】に入りてより、占吝【せんひん】して久しく能く専【もっぱら】にす。
吾が徒【と】 頗【すこぶ】る被を擕【たずさ】ヘ、宿を接して 歎研【かんけん】を窮【きわ】む。
兩京の事を説くを聽くに、分明にして 皆 眼前。
#8
樅横 謠俗【ようぞく】を雑【まじ】ヘ、瑣屑【ちせつ】 鹹【ことごと】く羅穿【らせん】す。
材調 真【まこと】に惜む可し、朱丹【しゅたん】 磨研【まけん】に在り。
方將【まさ】に之を道に斂め、且 其の顛【いただき】に冠【かん】せしめむと欲す。
韶陽【しょうよう】の李太守、高歩【こうほ】 雲煙【うんえん】を陵【しのぐ】ぐ。
客を得ては輒【すなわ】ち食を忘れ、囊を開いて繒錢【そうせん】を乞【あた】ふ。
#9
手に南曹【なんそう】の叙を持するに、字は青瑤【せいよう】に鐫【ほ】りしよりも重し。
古気 彖系【たんけい】を參【まじ】ヘ、高標【こうひょう】 太玄を摧【くだ】く。
舟を維【つな】いで干謁【かんえつ】を事とし、披讀【ひどく】すれば頭風痊【い】ゆ。
還た旧相 識の如く、壺を傾けて幽悁【ゆうけん】を暢【の】べむ。
此を以て復た留滞し、歸驂【きさん】 幾時か鞭うたむ。



現代語訳と訳註
(本文)
#9
手持南曹叙,字重青瑤鐫。
古氣參彖系,高標摧太玄。
維舟事幹謁,披讀頭風痊。
還如舊相識,傾壺暢幽悁。
以此複留滯,歸驂幾時鞭。」


(下し文)
手に南曹【なんそう】の叙を持するに、字は青瑤【せいよう】に鐫【ほ】りしよりも重し。
古気 彖系【たんけい】を參【まじ】ヘ、高標【こうひょう】 太玄を摧【くだ】く。
舟を維【つな】いで干謁【かんえつ】を事とし、披讀【ひどく】すれば頭風痊【い】ゆ。
還た旧相 識の如く、壺を傾けて幽悁【ゆうけん】を暢【の】べむ。
此を以て復た留滞し、歸驂【きさん】 幾時か鞭うたむ。


(現代語訳) #9
ましてや、南曹王吏部員外郎の霊僧師殿を讃える送序を手に取って見るに、青玉に刻み、はめ込んだものよりも重厚な文宇である。
易経の衆辞繋辞をさながらの古風な文調であり、揚雄の太玄経もそこのけの心の高い表現である。
そういうことで、間もなくすると、舟を係留してお目通りをもとめられた、頭痛もなおろうというほどうまいその文章のおかげなのだ。
この二人が会えばたちまちのうちに幼な馴染も同然になってしまう、徳利かたむければ、世のわずらいも悲しみもみんな忘れてしまうだろう。
このことがあって以降はまた逗留を長くされ、帰りの三頭立ての馬車に鞭うち、お帰りなさるはいつのことになるやらわからないのである。


(訳注) #9
手持南曹叙,字重青瑤鐫。

ましてや、南曹王吏部員外郎の霊僧師殿を讃える送序を手に取って見るに、青玉に刻み、はめ込んだものよりも重厚な文宇である。
南曹 吏部員外郎の別名。さぎに見えた王員外のことである。・ 送序。ここでは王員外が霊師を送る文章をさす。王仲舒(761~822)のことで、韓愈と交友があった。礼部考籾員外郎から流されて当時連州司戸だった。曆任蘇州刺史、洪州刺史、中書舍人等。・穫其先 第一番に霊師を獲得した。・青瑶 青い玉。 ・ 彫る/雕る/鐫る【える】1 彫刻する。ほりつける。2 ほり刻んで、金銀・珠玉をはめ込む。。


古氣參彖系,高標摧太玄。
易経の衆辞繋辞をさながらの古風な文調であり、揚雄の太玄経もそこのけの心の高い表現である。
古気 古風な文調。 ・彖系『易経』の各卦の下に加えた経文で、周の文王の作とされる。・高標 高遠というほどの意に用いている。・太玄 漢の楊雄のつくった文章で、高遠な文章の代表的なものとされる。『太玄経』(『易経』を模したもの)、『法言』(『論語』を模したもの)揚 雄(よう ゆう、紀元前53年(宣帝の甘露元年) - 18年(王莽の天鳳五年))は、中国前漢時代末期の文人、学者。現在の四川省に当たる蜀郡成都の人。字は子雲。また楊雄とも表記する。


維舟事幹謁,披讀頭風痊。
そういうことで、間もなくすると、舟を係留してお目通りをもとめられた、頭痛もなおろうというほどうまいその文章のおかげなのだ。
干謁 謁見を求める。・頭風痊 頭痛もなおる。


還如舊相識,傾壺暢幽悁
この二人が会えばたちまちのうちに幼な馴染も同然になってしまう、徳利かたむければ、世のわずらいも悲しみもみんな忘れてしまうだろう。
旧相識 ふるくからの知りあい。・傾壺 徳利をかたむける。壺の字は金属や陶製のつぼのみでなくヒョウタンをも指したものであろう。ヒョウタンというものは、中にいっぱい酒なり水なりを入れると直立しているが、中のものが減るに従って傾いてゆく。傾壺は酒をつぐために徳利を傾ける場合よりも、酒をのむことによって傾いてゆくヒョウタンを指す場合の方が多い。・幽悁 ふかいいかり。


以此複留滯,歸驂幾時鞭。」
このことがあって以降はまた逗留を長くされ、帰りの三頭立ての馬車に鞭うち、お帰りなさるはいつのことになるやらわからないのである。
歸驂 帰ってくるための三頭立ての馬車。



送靈師
佛法入中國,爾來六百年。齊民逃賦役,高士著幽禪。
官吏不之制,紛紛聽其然。耕桑日失隸,朝署時遺賢。
靈師皇甫姓,胤冑本蟬聯。少小涉書史,早能綴文篇。
中間不得意,失跡成延遷。逸志不拘教,軒騰斷牽攣。
圍棋斗白黑,生死隨機權。六博在一擲,梟盧叱迴旋。
戰詩誰與敵,浩汗橫戈鋋。飲酒盡百盞,嘲諧思逾鮮。
有時醉花月,高唱清且綿。四座咸寂默,杳如奏湘弦。
尋勝不憚險,黔江屢洄沿。瞿塘五六月,驚電讓歸船。
怒水忽中裂,千尋墮幽泉。環回勢益急,仰見團團天。
投身豈得計,性命甘徒捐。浪沫蹙翻湧,漂浮再生全。
同行二十人,魂骨俱坑填。靈師不掛懷,冒涉道轉延。
開忠二州牧,詩賦時多傳。失職不把筆,珠璣為君編。
強留費日月,密席羅嬋娟。昨者至林邑,使君數開筵。
逐客三四公,盈懷贈蘭荃。湖遊泛漭沆,溪宴駐潺湲。
別語不許出,行裾動遭牽。鄰州競招請,書札何翩翩。
十月下桂嶺,乘寒恣窺緣。落落王員外,爭迎獲其先。
自從入賓館,占吝久能專。吾徒頗攜被,接宿窮歡妍。
聽說兩京事,分明皆眼前。縱橫雜謠俗,瑣屑咸羅穿。
材調真可惜,朱丹在磨研。方將斂之道,且欲冠其顛。
韶陽李太守,高步凌雲煙。得客輒忘食,開囊乞繒錢。
手持南曹敘,字重青瑤鐫。古氣參彖繫,高標摧太玄。
維舟事干謁,披讀頭風痊。還如舊相識,傾壺暢幽悁。
以此復留滯,歸驂幾時鞭。


送靈師 韓退之(韓愈)詩<49#8>Ⅱ中唐詩338 紀頌之の漢詩ブログ1093

送靈師 韓退之(韓愈)詩<49#8>Ⅱ中唐詩338 紀頌之の漢詩ブログ1093


送靈師(韓愈 唐詩)
霊僧師を送る
#1 
佛法入中國,爾來六百年。
仏教が中国に伝来して既に600年以上がすぎている。
齊民逃賦役,高士著幽禪。
平民のなかで税金や徴兵逃れに坊主となるものであったものが、いつのまにか高い徳を持った士まで 静かに精神統一を行う禅を愛するとりことなった。
官吏不之制,紛紛聽其然。
官吏はこれを禁止してはいなかったが、紛紛としたゴネ得のものたちをそのまま許してしまいった。
耕桑日失隸,朝署時遺賢。
ということもあり、農耕養蚕に従う奴隷たちが日ごとにいなくなり、朝廷官署にしておく人材さえも時には放って民間におかねばならないこともある。
靈師皇甫姓,胤胄本蟬聯。」
さて霊僧師さまは、出家される前の苗字は皇甫氏であった、連綿とつたわる名家の子孫であった。
#2
少小涉書史,早能綴文篇。
幼少のころから 四書五経、歴史書を読んでしまった少年のころになると旱くも詩文の作成に力を示し巧く編纂したりした。
中間不得意,失蹟成延遷。
成人になって意気盛んなころになると、自分の持つ本位と違うことが生じてきて、文官試験をうけ、合格して中央の官途につくという出世のコースから、しりぞいて出家したのである。
逸志不拘教,軒騰斷牽攣。
ところが、人並はずれた志を持ってはいるが、仏法の教義なんぞに拘泥しないのであるし、それが人より高くぬきんでており、仏教徒として守るべき戒律を無視するのである。
圍棋鬥白黑,生死隨機權。
また、囲碁をさしては、白と黒をたたかわせるこをし、生かし、殺したとはかりごと巧みなものであった。
六博在一擲,梟盧叱回鏇。」
六博の賭博をやり、度々「ここ一発」と賽を投げたのである。賽の目の「梟盧一擲」と大勝負に出ることもよくやり、いかさま師を叱咤することもよくあった。
#3
戰詩誰與敵,浩汗横戈鋋。
歌詩、戦文で詩文の技を競い合うが、だれも敵となるものがいないし、それは広く見渡して、大小の矛を横に振って近づけないようなのだ。
飲酒盡百盞,嘲諧思逾鮮。
お酒にいたってはしばしの間に百杯飲んでしまい、あざけたり、ふざけたりするやりかたが思いつきがよいので、やればやるほどに新鮮なのだ。
有時醉花月,高唱清且緜。
そしてある時は、花に酔い、月にうかれて酔うのであり、歌を唱わせれば清々しくそして連綿と続く声なのだ。
四座鹹寂默,杳如奏湘弦。
お座敷の宴席で四方にいならぶ人たち一同は聞き惚れてしんと静まるものであり、その鎮まりはまるで湘江の水の神が「湘弦」の曲を奏でるときのようなのだ。
尋勝不憚險,黔江屢洄沿。」
風流を愛で勝景を訪ね歩く旅人でもありたとえ険路であってもいとわない。かの黔江を幾度も遡り、流れくだったということをしたのだ。
#4
瞿塘五六月,驚電讓歸船。
瞿塘峡の五、六月が最も危険である。それをことさら 押し渡っていこうという企みをする、脅威なのは船が電撃に遭い揺れ動き、自分でどうのこうのはできないので流れに譲るよりないのである。
怒水忽中裂,千尋堕幽泉。
怒濤は忽ち寄せ來る波でせめぎ合いをし、そしてなかばより裂ける。千尋の底、地獄の淵涯までまっさかさまに落ちていく。
環回勢益急,仰見團團天。
逆巻く波がめぐり渦巻を大きくし、勢いはさらに増していく、船は波間にかくれ、仰ぎみればまるですり鉢の底から見るような円形の空になっている。
投身豈得計,性命甘徒捐。
そこに身を投げ、舟を進めるどういうわけか無謀なことをしているのだ。甘いその時の感情で出発したことは自分の命をむざむざ棄てるということではないか。
浪沫蹙翻湧,漂浮再生全。」
白浪が時にちぢまり、はじけてひるがえり、そしてわきあがると木の葉の船はあわとなってこなごなにくだけ散る。それでもどうやら浮び上ったようで、ふたたび生きているのを感じとり、命ぱかりはとりとめたということだ。
#5
同行二十人,魂骨俱坑填。
同行したのは二十人にもなる。魂も骨體もことごとく奈落の底におちこんだ。
靈師不掛懷,冒涉道轉延。
そんなこんなも靈僧師どのはこころにもかけないのだ、冒険する意欲、探険する気持ちはその進むべき路を拡張し進展していくのである。
開忠二州牧,詩賦時多傳。
その時の開・忠二州の長官どのは開州の剌史は唐次、忠州の刺史は李吉甫であった。詩賦の作者と広く著名なお方であった。
失職不把筆,珠璣爲君編。
輝く前職を失ってしまうとその後詩筆をお取りなされなくなった、それをかがやく宝飾、真珠の文字でもってあなたのためにと編纂されたのだ。
強留費日月,密席羅嬋娟。」
そうして無理に引きとめられ、月日を無駄に費やした。その期間にはかこわれた部屋において美女のサービスをうけたりもしたのだ。
#6
昨者至林邑,使君數開筵。
先ごろもことである、林邑の地に行くことがあったのだ、そこで刺史の招宴がたびたびあるのである。
逐客三四公,盈懷贈蘭荃。
放逐された三、四諸公の客臣が同席していた、霊師のふところがいっぱいになるまで蘭かおるすぐれた詩を贈られた。
湖游泛漭沆,溪宴駐潺湲。
まだその上にひろびろとした湖に漕ぎ出で舟遊びをする、さらさらとした水音で清い渓にとまってここでもえんをしたのだ。
别語不許出,行裾動遭牽。
別れをつげることばを云い出立のお許しをされることはなかったが、旅に出ようとする袖を引き戻されうごけることなかった。
鄰州競招請,書劄何翩翩。」
ということで隣あった州の間で靈僧師の招請を競い合っている、招きの手紙がしきりにひらひらと舞いこんでいるという。
#7
十月下桂嶺,乘寒恣窺緣。
こうしたのち、十月になってようやく五嶺山脈を越え 桂嶺くだるのである。冬の避寒にかこつけてこの地に寄られるということだ。
落落王員外,爭迎穫其先。
そして、心のひろい王員外どのが、競い爭って第一番に霊師を獲得したのである。
自從入賓館,占吝久能專。
そういうことにより客殿に迎い入れたのであるが、それはもう独り占めし、とても重用されたのである。
吾徒頗擕被,接宿窮歡妍。
われらもそれによってそそくさと夜具持参してよりあった、幾晩もぶっ続けに歓談し、優美をきわめた。
聽說兩京事,分明皆眼前。」
その歓談のなかにも長安・洛陽のことを語りあった。まざまざと皆、目の前にわき上るようにはっきり話したのだ。
#8
縱横雜謠俗,瑣屑鹹羅穿。
それから縦横にはやり歌、俗歌、地方の歌が飛び交いまじりあっっている。おまけに今度は、些細なことを詮索し合ったりもするのだ。
材調真可惜,朱丹在磨研。
才智の程度はまったく惜しいおもわれるほどなのだ。朱を練っていき金丹のように、削って磨いていけくのである。
方將斂之道,且欲冠其顛。
孔子孟子の教えをさずけ霊師を儒教の道に収容させるのである。そして、頭に冠をつけさせ、還俗させることなのだ。
韶陽李太守,高步凌雲煙。
韶陽の李太守どのがそこにいる、そのすぐれた歩みというものは雲やかすみをつきぬける御身分であるというものだ。
得客輒忘食,開囊乞繒錢。」

客を得るたびごとに歓待して自分の食事もわすれるのである、そして、自分の財布ひらいて「絹、銭」を 惜しまずお与えなさるのである。

#9
手持南曹叙,字重青瑤鐫。
古氣參彖系,高標摧太玄。
維舟事幹謁,披讀頭風痊。
還如舊相識,傾壺暢幽悁。
以此複留滯,歸驂幾時鞭。」


(靈師を送る)
佛法【ぶっぽう】 中國に入り,爾來【じらい】 六百年。
齊民【せいみん】 賦役【ふえき】を逃れ,高士【こうし】 幽禪【ゆうぜん】を著【め】づ。
官吏 之を制せず,紛紛として其の然【しか】ることを聽【ゆる】す。
耕桑【こうそう】日【ひび】に隸【れい】を失い,朝署【ちょうしょ】時に賢を遺せり。
靈師は皇甫【こうほ】の姓,胤胄【いんちゅう】本【もともと】 蟬聯【せんれん】たり。」
#2
少小【しょうしょう】にして書史【しょし】に涉り,早くより能く文篇【ぶんへん】を綴る。
中間 意を得ず,蹟【あと】を失って延遷【えんせん】を成す。
逸志【いっし】教に拘わらず,軒騰【けんとう】して牽攣【けんれん】を斷つ。
棋【き】を圍【かこ】んで白黑を鬥【たたか】わせ,生死機權【きけん】に隨う。
六博 一擲【いってき】在り,梟盧【きゅうろ】回鏇【かいせん】を叱っす。」
#3
詩を戰はして誰か與に敵せん、浩汗【こうかん】 戈鋋【かえん】を横ふ。
酒を飲んで百盞【ひゃくさん】を盞し、嘲諧【ちょうかい】 思 逾【いよい】よ鮮なり。
時有って花月に醉ふ、高唱 清くして 且 緜【はるか】なり。
四座 鹹【ことごと】く寂默【せきもく】し、杳【よう】として湘弦【しょうげん】を奏するが如し。
勝を尋ねて瞼【けん】を憚【はばか】らず、黔江【けんこう】 屢 洄沿【かいえん】す。
#4
瞿塘【くとう】 五六月、驚電【けいでん】 帰船【きせん】に譲る。
怒水【どすい】 忽ち 中裂し、千尋【せんじん】 幽泉【ゆうせん】に堕つ。
環廻【かんかい】して 勢 益【ますま】す急に、仰いで團團【だんだん】の天を見る。
身を投ずる 豈に計を得むや、性命【せいめい】 甘んじて徒に捐【す】つ。
浪沫【ろうばく】 蹙【ちじま】って翻涌【ほんよう】し、漂浮【ひょうふ】して 再び 生全【いのちまった】し。
#5
同行 二十人、魂骨【こんこつ】 倶に坑填【こうてん】す。
霊師 懐【おもい】に掛けず、冒渉【ぼうしょう】 道 轉【うたた】た延ぶ。
開忠 二州の牧、詩賦【しふ】 時に多く傳ふ。
職を失いしより筆を把らざるに、珠璣【しゅき】 君が爲に編めり。
強いて留めて日月を費やさしめ、密席【みつせき】に嬋娟【ぜんけん】を羅【つら】ねき。
#6
昨者 林邑【りんゆう】に至り、使君【しくん】 數【しばし】ば筵を開く。
逐客【ちくかく】の三四公、懐【ふところ】に盈つるまで蘭荃【らんせん】を贈る。
湖游【こゆう】 漭沆【もうこう】に泛び、渓宴【けいえん】 潺湲【せんかん】に駐まる。
別語【べつご】 出すを許さず、行裾【こうきょ】 動【やや】もすれば牽くに遭ふ。
鄰州【りんしゅう】 競って招請【しょうせい】し、書札 何ぞ 翩翩【へんべん】たる。
#7
十月 桂嶺【けいれい】を下る、寒に乘じて窺緑【きえん】を恣【ほしいまま】にす。
落落たる王員外、爭い迎へて其の先を穫【え】たり。
賓館【ひんかん】に入りてより、占吝【せんひん】して久しく能く専【もっぱら】にす。
吾が徒【と】 頗【すこぶ】る被を擕【たずさ】ヘ、宿を接して 歎研【かんけん】を窮【きわ】む。
兩京の事を説くを聽くに、分明にして 皆 眼前。
#8
樅横 謠俗【ようぞく】を雑【まじ】ヘ、瑣屑【ちせつ】 鹹【ことごと】く羅穿【らせん】す。
材調 真【まこと】に惜む可し、朱丹【しゅたん】 磨研【まけん】に在り。
方將【まさ】に之を道に斂め、且 其の顛【いただき】に冠【かん】せしめむと欲す。
韶陽【しょうよう】の李太守、高歩【こうほ】 雲煙【うんえん】を陵【しのぐ】ぐ。
客を得ては輒【すなわ】ち食を忘れ、囊を開いて繒錢【そうせん】を乞【あた】ふ。

#9
手に南曹【なんそう】の叙を持するに、字は青瑤【せいよう】に鐫【ほ】りしよりも重し。
古気 彖系【たんけい】を參【まじ】ヘ、高標【こうひょう】 太玄を摧【くだ】く。
舟を維【つな】いで干謁【かんえつ】を事とし、披讀【ひどく】すれば頭風痊【い】ゆ。
還た旧相 識の如く、壺を傾けて幽悁【ゆうけん】を暢【の】べむ。
此を以て復た留滞し、歸驂【きさん】 幾時か鞭うたむ。


現代語訳と訳註
(本文)
#8
縱横雜謠俗,瑣屑鹹羅穿。
材調真可惜,朱丹在磨研。
方將斂之道,且欲冠其顛。
韶陽李太守,高步凌雲煙。
得客輒忘食,開囊乞繒錢。」


(下し文)
樅横 謠俗【ようぞく】を雑【まじ】ヘ、瑣屑【ちせつ】 鹹【ことごと】く羅穿【らせん】す。
材調 真【まこと】に惜む可し、朱丹【しゅたん】 磨研【まけん】に在り。
方將【まさ】に之を道に斂め、且 其の顛【いただき】に冠【かん】せしめむと欲す。
韶陽【しょうよう】の李太守、高歩【こうほ】 雲煙【うんえん】を陵【しのぐ】ぐ。
客を得ては輒【すなわ】ち食を忘れ、囊を開いて繒錢【そうせん】を乞【あた】ふ。


(現代語訳) #8
それから縦横にはやり歌、俗歌、地方の歌が飛び交いまじりあっっている。おまけに今度は、些細なことを詮索し合ったりもするのだ。
才智の程度はまったく惜しいおもわれるほどなのだ。朱を練っていき金丹のように、削って磨いていけくのである。
孔子孟子の教えをさずけ霊師を儒教の道に収容させるのである。そして、頭に冠をつけさせ、還俗させることなのだ。
韶陽の李太守どのがそこにいる、そのすぐれた歩みというものは雲やかすみをつきぬける御身分であるというものだ。
客を得るたびごとに歓待して自分の食事もわすれるのである、そして、自分の財布ひらいて「絹、銭」を 惜しまずお与えなさるのである。


(訳注) #8
縱横雜謠俗,瑣屑鹹羅穿。

それから縦横にはやり歌、俗歌、地方の歌が飛び交いまじりあっっている。おまけに今度は、些細なことを詮索し合ったりもするのだ。
謡俗 俗謡。・瑣屑 些細なこと。項は墳の俗字。・羅穿 ならべたり、せんさくしたりする。


材調真可惜,朱丹在磨研。
才智の程度はまったく惜しいおもわれるほどなのだ。朱を練っていき金丹のように、削って磨いていけくのである。
材調 才調と同じ。才智の程度。・朱丹在磨研 金丹のことで丹は水銀と硫黄の化合した赤色の鉱物。朱墨の原料である。丹が朱墨としての価値を発揮するのは硯にかけて磨ることによる、というほどの意。『呂氏春秋』に「丹は磨くべきも、朱を奪うべからず」という語がある。


方將斂之道,且欲冠其顛。
孔子孟子の教えをさずけ霊師を儒教の道に収容させるのである。そして、頭に冠をつけさせ、還俗させることなのだ。
方将 方も将も、二字合しても、まさに。・斂之道 仏教僧侶の霊師を儒教の道に収容する。・は儒教における大小之斂礼ということもある。・冠其順 その頭に冠をつけさせる。還俗させること。


韶陽李太守,高步凌雲煙。
韶陽の李太守どのがそこにいる、そのすぐれた歩みというものは雲やかすみをつきぬける御身分であるというものだ。
韶陽 韶州始興郡の地名。・高歩 すぐれた歩み。・凌雲煙 雲やかすみをつきぬける。


得客輒忘食,開囊乞繒錢。」
客を得るたびごとに歓待して自分の食事もわすれるのである、そして、自分の財布ひらいて「絹、銭」を 惜しまずお与えなさるのである。
 そのたびごとに。・忘食 客を得るたびごとに歓待して自分の食事もわすれる。・乞繒錢 絹布や銭を与える。おくりものとするのである。当時、絹布は貨幣の代用とされていた。

送靈師 韓退之(韓愈)詩<49#7>Ⅱ中唐詩337 紀頌之の漢詩ブログ1090

送靈師 韓退之(韓愈)詩<49#7>Ⅱ中唐詩337 紀頌之の漢詩ブログ1090


送靈師(韓愈 唐詩)
#1 
佛法入中國,爾來六百年。
齊民逃賦役,高士著幽禪。
官吏不之制,紛紛聽其然。
耕桑日失隸,朝署時遺賢。
靈師皇甫姓,胤胄本蟬聯。」
#2
少小涉書史,早能綴文篇。
中間不得意,失蹟成延遷。
逸志不拘教,軒騰斷牽攣。
圍棋鬥白黑,生死隨機權。
六博在一擲,梟盧叱回鏇。」
#3
戰詩誰與敵,浩汗横戈鋋。
飲酒盡百盞,嘲諧思逾鮮。
有時醉花月,高唱清且緜。
四座鹹寂默,杳如奏湘弦。
尋勝不憚險,黔江屢洄沿。」
#4
瞿塘五六月,驚電讓歸船。
怒水忽中裂,千尋堕幽泉。
環回勢益急,仰見團團天。
投身豈得計,性命甘徒捐。
浪沫蹙翻湧,漂浮再生全。」
#5
同行二十人,魂骨俱坑填。
靈師不掛懷,冒涉道轉延。
開忠二州牧,詩賦時多傳。
失職不把筆,珠璣爲君編。
強留費日月,密席羅嬋娟。」
#6
昨者至林邑,使君數開筵。
逐客三四公,盈懷贈蘭荃。
湖游泛漭沆,溪宴駐潺湲。
别語不許出,行裾動遭牽。
鄰州競招請,書劄何翩翩。」
#7
十月下桂嶺,乘寒恣窺緣。
こうしたのち、十月になってようやく五嶺山脈を越え 桂嶺くだるのである。冬の避寒にかこつけてこの地に寄られるということだ。
落落王員外,爭迎穫其先。
そして、心のひろい王員外どのが、競い爭って第一番に霊師を獲得したのである。
自從入賓館,占吝久能專。
そういうことにより客殿に迎い入れたのであるが、それはもう独り占めし、とても重用されたのである。
吾徒頗擕被,接宿窮歡妍。
われらもそれによってそそくさと夜具持参してよりあった、幾晩もぶっ続けに歓談し、優美をきわめた。
聽說兩京事,分明皆眼前。」

その歓談のなかにも長安・洛陽のことを語りあった。まざまざと皆、目の前にわき上るようにはっきり話したのだ。
#8
縱横雜謠俗,瑣屑鹹羅穿。
材調真可惜,朱丹在磨研。
方將斂之道,且欲冠其顛。
韶陽李太守,高步凌雲煙。
得客輒忘食,開囊乞繒錢。」
#9
手持南曹叙,字重青瑤鐫。
古氣參彖系,高標摧太玄。
維舟事幹謁,披讀頭風痊。
還如舊相識,傾壺暢幽悁。
以此複留滯,歸驂幾時鞭。」


(靈師を送る)
佛法【ぶっぽう】 中國に入り,爾來【じらい】 六百年。
齊民【せいみん】 賦役【ふえき】を逃れ,高士【こうし】 幽禪【ゆうぜん】を著【め】づ。
官吏 之を制せず,紛紛として其の然【しか】ることを聽【ゆる】す。
耕桑【こうそう】日【ひび】に隸【れい】を失い,朝署【ちょうしょ】時に賢を遺せり。
靈師は皇甫【こうほ】の姓,胤胄【いんちゅう】本【もともと】 蟬聯【せんれん】たり。」
#2
少小【しょうしょう】にして書史【しょし】に涉り,早くより能く文篇【ぶんへん】を綴る。
中間 意を得ず,蹟【あと】を失って延遷【えんせん】を成す。
逸志【いっし】教に拘わらず,軒騰【けんとう】して牽攣【けんれん】を斷つ。
棋【き】を圍【かこ】んで白黑を鬥【たたか】わせ,生死機權【きけん】に隨う。
六博 一擲【いってき】在り,梟盧【きゅうろ】回鏇【かいせん】を叱っす。」
#3
詩を戰はして誰か與に敵せん、浩汗【こうかん】 戈鋋【かえん】を横ふ。
酒を飲んで百盞【ひゃくさん】を盞し、嘲諧【ちょうかい】 思 逾【いよい】よ鮮なり。
時有って花月に醉ふ、高唱 清くして 且 緜【はるか】なり。
四座 鹹【ことごと】く寂默【せきもく】し、杳【よう】として湘弦【しょうげん】を奏するが如し。
勝を尋ねて瞼【けん】を憚【はばか】らず、黔江【けんこう】 屢 洄沿【かいえん】す。
#4
瞿塘【くとう】 五六月、驚電【けいでん】 帰船【きせん】に譲る。
怒水【どすい】 忽ち 中裂し、千尋【せんじん】 幽泉【ゆうせん】に堕つ。
環廻【かんかい】して 勢 益【ますま】す急に、仰いで團團【だんだん】の天を見る。
身を投ずる 豈に計を得むや、性命【せいめい】 甘んじて徒に捐【す】つ。
浪沫【ろうばく】 蹙【ちじま】って翻涌【ほんよう】し、漂浮【ひょうふ】して 再び 生全【いのちまった】し。
#5
同行 二十人、魂骨【こんこつ】 倶に坑填【こうてん】す。
霊師 懐【おもい】に掛けず、冒渉【ぼうしょう】 道 轉【うたた】た延ぶ。
開忠 二州の牧、詩賦【しふ】 時に多く傳ふ。
職を失いしより筆を把らざるに、珠璣【しゅき】 君が爲に編めり。
強いて留めて日月を費やさしめ、密席【みつせき】に嬋娟【ぜんけん】を羅【つら】ねき。
#6
昨者 林邑【りんゆう】に至り、使君【しくん】 數【しばし】ば筵を開く。
逐客【ちくかく】の三四公、懐【ふところ】に盈つるまで蘭荃【らんせん】を贈る。
湖游【こゆう】 漭沆【もうこう】に泛び、渓宴【けいえん】 潺湲【せんかん】に駐まる。
別語【べつご】 出すを許さず、行裾【こうきょ】 動【やや】もすれば牽くに遭ふ。
鄰州【りんしゅう】 競って招請【しょうせい】し、書札 何ぞ 翩翩【へんべん】たる。
#7
十月 桂嶺【けいれい】を下る、寒に乘じて窺緑【きえん】を恣【ほしいまま】にす。
落落たる王員外、爭い迎へて其の先を穫【え】たり。
賓館【ひんかん】に入りてより、占吝【せんひん】して久しく能く専【もっぱら】にす。
吾が徒【と】 頗【すこぶ】る被を擕【たずさ】ヘ、宿を接して 歎研【かんけん】を窮【きわ】む。
兩京の事を説くを聽くに、分明にして 皆 眼前。
#8
樅横 謠俗【ようぞく】を雑【まじ】ヘ、瑣屑【ちせつ】 鹹【ことごと】く羅穿【らせん】す。
材調 真【まこと】に惜む可し、朱丹【しゅたん】 磨研【まけん】に在り。
方將【まさ】に之を道に斂め、且 其の顛【いただき】に冠【かん】せしめむと欲す。
韶陽【しょうよう】の李太守、高歩【こうほ】 雲煙【うんえん】を陵【しのぐ】ぐ。
客を得ては輒【すなわ】ち食を忘れ、囊を開いて繒錢【そうせん】を乞【あた】ふ。
#9
手に南曹【なんそう】の叙を持するに、字は青瑤【せいよう】に鐫【ほ】りしよりも重し。
古気 彖系【たんけい】を參【まじ】ヘ、高標【こうひょう】 太玄を摧【くだ】く。
舟を維【つな】いで干謁【かんえつ】を事とし、披讀【ひどく】すれば頭風痊【い】ゆ。
還た旧相 識の如く、壺を傾けて幽悁【ゆうけん】を暢【の】べむ。
此を以て復た留滞し、歸驂【きさん】 幾時か鞭うたむ。



現代語訳と訳註
(本文)
#7
十月下桂嶺,乘寒恣窺緣。
落落王員外,爭迎穫其先。
自從入賓館,占吝久能專。
吾徒頗擕被,接宿窮歡妍。
聽說兩京事,分明皆眼前。」


(下し文)
十月 桂嶺【けいれい】を下る、寒に乘じて窺緑【きえん】を恣【ほしいまま】にす。
落落たる王員外、爭い迎へて其の先を穫【え】たり。
賓館【ひんかん】に入りてより、占吝【せんひん】して久しく能く専【もっぱら】にす。
吾が徒【と】 頗【すこぶ】る被を擕【たずさ】ヘ、宿を接して 歎研【かんけん】を窮【きわ】む。
兩京の事を説くを聽くに、分明にして 皆 眼前。


(現代語訳) #7
こうしたのち、十月になってようやく五嶺山脈を越え 桂嶺くだるのである。冬の避寒にかこつけてこの地に寄られるということだ。
そして、心のひろい王員外どのが、競い爭って第一番に霊師を獲得したのである。
そういうことにより客殿に迎い入れたのであるが、それはもう独り占めし、とても重用されたのである。
われらもそれによってそそくさと夜具持参してよりあった、幾晩もぶっ続けに歓談し、優美をきわめた。
その歓談のなかにも長安・洛陽のことを語りあった。まざまざと皆、目の前にわき上るようにはっきり話したのだ。


 (訳注)
十月下桂嶺,乘寒恣窺緣。

こうしたのち、十月になってようやく五嶺山脈を越え 桂嶺くだるのである。冬の避寒にかこつけてこの地に寄られるということだ。
桂嶺 賀州臨賀郡にある県名。三国時代、呉の黄武5年(226年)に孫権が臨賀郡を置く。隋代に賀州を置く。・乗寒 陰暦十月は冬である。その寒さにかこつけて。・恣窺縁 うかがうゆかりを自由にする。この地にやって来たというほどの意。五嶺山脈の南、嶺南は暖熱の地だから避寒にはもってこいである。


落落王員外,爭迎穫其先。
そして、心のひろい王員外どのが、競い爭って第一番に霊師を獲得したのである。
落落 心のひろいさま。・王員外 王仲舒(761~822)のことで、韓愈と交友があった。礼部考籾員外郎から流されて当時連州司戸だった。曆任蘇州刺史、洪州刺史、中書舍人等。・穫其先 第一番に霊師を獲得した。


自從入賓館,占吝久能專。
そういうことにより客殿に迎い入れたのであるが、それはもう独り占めし、とても重用されたのである。
自従 より。そういうことにより。・賓館 客殼。・占吝 占拠。独占すること。


吾徒頗擕被,接宿窮歡妍。
われらもそれによってそそくさと夜具持参してよりあった、幾晩もぶっ続けに歓談し、優美をきわめた。
 やや、かなりというほどの意。すこぶると似た意で用いられることもある。・ 夜具。・接宿 幾晩もぶっ続けに。・【けん】優美なこと。美しいこと。


聽說兩京事,分明皆眼前。」
その歓談のなかにも長安・洛陽のことを語りあった。まざまざと皆、目の前にわき上るようにはっきり話したのだ。
両京 長安と洛陽。

送靈師 韓退之(韓愈)詩<49#6>Ⅱ中唐詩336 紀頌之の漢詩ブログ1087

送靈師 韓退之(韓愈)詩<49#6>Ⅱ中唐詩336 紀頌之の漢詩ブログ1087


送靈師(韓愈 唐詩)
#1 
佛法入中國,爾來六百年。
齊民逃賦役,高士著幽禪。
官吏不之制,紛紛聽其然。
耕桑日失隸,朝署時遺賢。
靈師皇甫姓,胤胄本蟬聯。」
#2
少小涉書史,早能綴文篇。
中間不得意,失蹟成延遷。
逸志不拘教,軒騰斷牽攣。
圍棋鬥白黑,生死隨機權。
六博在一擲,梟盧叱回鏇。」
#3
戰詩誰與敵,浩汗横戈鋋。
飲酒盡百盞,嘲諧思逾鮮。
有時醉花月,高唱清且緜。
四座鹹寂默,杳如奏湘弦。
尋勝不憚險,黔江屢洄沿。」
#4
瞿塘五六月,驚電讓歸船。
怒水忽中裂,千尋堕幽泉。
環回勢益急,仰見團團天。
投身豈得計,性命甘徒捐。
浪沫蹙翻湧,漂浮再生全。」
#5
同行二十人,魂骨俱坑填。
靈師不掛懷,冒涉道轉延。
開忠二州牧,詩賦時多傳。
失職不把筆,珠璣爲君編。
強留費日月,密席羅嬋娟。」
#6
昨者至林邑,使君數開筵。
先ごろもことである、林邑の地に行くことがあったのだ、そこで刺史の招宴がたびたびあるのである。
逐客三四公,盈懷贈蘭荃。
放逐された三、四諸公の客臣が同席していた、霊師のふところがいっぱいになるまで蘭かおるすぐれた詩を贈られた。
湖游泛漭沆,溪宴駐潺湲。
まだその上にひろびろとした湖に漕ぎ出で舟遊びをする、さらさらとした水音で清い渓にとまってここでもえんをしたのだ。
别語不許出,行裾動遭牽。
別れをつげることばを云い出立のお許しをされることはなかったが、旅に出ようとする袖を引き戻されうごけることなかった。
鄰州競招請,書劄何翩翩。」
ということで隣あった州の間で靈僧師の招請を競い合っている、招きの手紙がしきりにひらひらと舞いこんでいるという。
#7
十月下桂嶺,乘寒恣窺緣。
落落王員外,爭迎穫其先。
自從入賓館,占吝久能專。
吾徒頗擕被,接宿窮歡妍。
聽說兩京事,分明皆眼前。」
#8
縱横雜謠俗,瑣屑鹹羅穿。
材調真可惜,朱丹在磨研。
方將斂之道,且欲冠其顛。
韶陽李太守,高步凌雲煙。
得客輒忘食,開囊乞繒錢。」
#9
手持南曹叙,字重青瑤鐫。
古氣參彖系,高標摧太玄。
維舟事幹謁,披讀頭風痊。
還如舊相識,傾壺暢幽悁。
以此複留滯,歸驂幾時鞭。」


(靈師を送る)
佛法【ぶっぽう】 中國に入り,爾來【じらい】 六百年。
齊民【せいみん】 賦役【ふえき】を逃れ,高士【こうし】 幽禪【ゆうぜん】を著【め】づ。
官吏 之を制せず,紛紛として其の然【しか】ることを聽【ゆる】す。
耕桑【こうそう】日【ひび】に隸【れい】を失い,朝署【ちょうしょ】時に賢を遺せり。
靈師は皇甫【こうほ】の姓,胤胄【いんちゅう】本【もともと】 蟬聯【せんれん】たり。」
#2
少小【しょうしょう】にして書史【しょし】に涉り,早くより能く文篇【ぶんへん】を綴る。
中間 意を得ず,蹟【あと】を失って延遷【えんせん】を成す。
逸志【いっし】教に拘わらず,軒騰【けんとう】して牽攣【けんれん】を斷つ。
棋【き】を圍【かこ】んで白黑を鬥【たたか】わせ,生死機權【きけん】に隨う。
六博 一擲【いってき】在り,梟盧【きゅうろ】回鏇【かいせん】を叱っす。」
#3
詩を戰はして誰か與に敵せん、浩汗【こうかん】 戈鋋【かえん】を横ふ。
酒を飲んで百盞【ひゃくさん】を盞し、嘲諧【ちょうかい】 思 逾【いよい】よ鮮なり。
時有って花月に醉ふ、高唱 清くして 且 緜【はるか】なり。
四座 鹹【ことごと】く寂默【せきもく】し、杳【よう】として湘弦【しょうげん】を奏するが如し。
勝を尋ねて瞼【けん】を憚【はばか】らず、黔江【けんこう】 屢 洄沿【かいえん】す。
#4
瞿塘【くとう】 五六月、驚電【けいでん】 帰船【きせん】に譲る。
怒水【どすい】 忽ち 中裂し、千尋【せんじん】 幽泉【ゆうせん】に堕つ。
環廻【かんかい】して 勢 益【ますま】す急に、仰いで團團【だんだん】の天を見る。
身を投ずる 豈に計を得むや、性命【せいめい】 甘んじて徒に捐【す】つ。
浪沫【ろうばく】 蹙【ちじま】って翻涌【ほんよう】し、漂浮【ひょうふ】して 再び 生全【いのちまった】し。
#5
同行 二十人、魂骨【こんこつ】 倶に坑填【こうてん】す。
霊師 懐【おもい】に掛けず、冒渉【ぼうしょう】 道 轉【うたた】た延ぶ。
開忠 二州の牧、詩賦【しふ】 時に多く傳ふ。
職を失いしより筆を把らざるに、珠璣【しゅき】 君が爲に編めり。
強いて留めて日月を費やさしめ、密席【みつせき】に嬋娟【ぜんけん】を羅【つら】ねき。
#6
昨者 林邑【りんゆう】に至り、使君【しくん】 數【しばし】ば筵を開く。
逐客【ちくかく】の三四公、懐【ふところ】に盈つるまで蘭荃【らんせん】を贈る。
湖游【こゆう】 漭沆【もうこう】に泛び、渓宴【けいえん】 潺湲【せんかん】に駐まる。
別語【べつご】 出すを許さず、行裾【こうきょ】 動【やや】もすれば牽くに遭ふ。
鄰州【りんしゅう】 競って招請【しょうせい】し、書札 何ぞ 翩翩【へんべん】たる。
#7
十月 桂嶺【けいれい】を下る、寒に乘じて窺緑【きえん】を恣【ほしいまま】にす。
落落たる王員外、爭い迎へて其の先を穫【え】たり。
賓館【ひんかん】に入りてより、占吝【せんひん】して久しく能く専【もっぱら】にす。
吾が徒【と】 頗【すこぶ】る被を擕【たずさ】ヘ、宿を接して 歎研【かんけん】を窮【きわ】む。
兩京の事を説くを聽くに、分明にして 皆 眼前。
#8
樅横 謠俗【ようぞく】を雑【まじ】ヘ、瑣屑【ちせつ】 鹹【ことごと】く羅穿【らせん】す。
材調 真【まこと】に惜む可し、朱丹【しゅたん】 磨研【まけん】に在り。
方將【まさ】に之を道に斂め、且 其の顛【いただき】に冠【かん】せしめむと欲す。
韶陽【しょうよう】の李太守、高歩【こうほ】 雲煙【うんえん】を陵【しのぐ】ぐ。
客を得ては輒【すなわ】ち食を忘れ、囊を開いて繒錢【そうせん】を乞【あた】ふ。
#9
手に南曹【なんそう】の叙を持するに、字は青瑤【せいよう】に鐫【ほ】りしよりも重し。
古気 彖系【たんけい】を參【まじ】ヘ、高標【こうひょう】 太玄を摧【くだ】く。
舟を維【つな】いで干謁【かんえつ】を事とし、披讀【ひどく】すれば頭風痊【い】ゆ。
還た旧相 識の如く、壺を傾けて幽悁【ゆうけん】を暢【の】べむ。
此を以て復た留滞し、歸驂【きさん】 幾時か鞭うたむ。


現代語訳と訳註
(本文)
#6
昨者至林邑,使君數開筵。
逐客三四公,盈懷贈蘭荃。
湖游泛漭沆,溪宴駐潺湲。
别語不許出,行裾動遭牽。
鄰州競招請,書劄何翩翩。」

(下し文)
昨者 林邑【りんゆう】に至り、使君【しくん】 數【しばし】ば筵を開く。
逐客【ちくかく】の三四公、懐【ふところ】に盈つるまで蘭荃【らんせん】を贈る。
湖游【こゆう】 漭沆【もうこう】に泛び、渓宴【けいえん】 潺湲【せんかん】に駐まる。
別語【べつご】 出すを許さず、行裾【こうきょ】 動【やや】もすれば牽くに遭ふ。
鄰州【りんしゅう】 競って招請【しょうせい】し、書札 何ぞ 翩翩【へんべん】たる。


(現代語訳)#6
先ごろもことである、林邑の地に行くことがあったのだ、そこで刺史の招宴がたびたびあるのである。
放逐された三、四諸公の客臣が同席していた、霊師のふところがいっぱいになるまで蘭かおるすぐれた詩を贈られた。
まだその上にひろびろとした湖に漕ぎ出で舟遊びをする、さらさらとした水音で清い渓にとまってここでもえんをしたのだ。
別れをつげることばを云い出立のお許しをされることはなかったが、旅に出ようとする袖を引き戻されうごけることなかった。
ということで隣あった州の間で靈僧師の招請を競い合っている、招きの手紙がしきりにひらひらと舞いこんでいるという。


(訳注) #6
昨者至林邑,使君數開筵。

先ごろもことである、林邑の地に行くことがあったのだ、そこで刺史の招宴がたびたびあるのである。
林邑 驩州 日南郡越裳県、・使君 刺史またはこれに準ずる人をいう。


逐客三四公,盈懷贈蘭荃。
放逐された三、四諸公の客臣が同席していた、霊師のふところがいっぱいになるまで蘭かおるすぐれた詩を贈られた。
逐客 放逐された客臣。・盈懐 霊師のふところがいっぱいになるまで。・蘭荃 どちらも匂いのよい草。そのようなすぐれた文章をさす。『楚辞』などに見える語である。


湖游泛漭沆,溪宴駐潺湲。
まだその上にひろびろとした湖に漕ぎ出で舟遊びをする、さらさらとした水音で清い渓にとまってここでもえんをしたのだ。
漭沆 水の広大なさま。・潺湲【せんかん】1 さらさらと水の流れるさま。せんえん。2 涙がしきりに流れるさま。


别語不許出,行裾動遭牽。
別れをつげることばを云い出立のお許しをされることはなかったが、旅に出ようとする袖を引き戻されうごけることなかった。
別語 別れをつげることば。・行裾 行は旅。裾は衣服の襟から下をさす。場合によっては、ふところ、えり、すそ、そでをさす。ここでは、旅に出ようとする霊師の袖というほどの意。


鄰州競招請,書劄何翩翩。」
ということで隣あった州の間で靈僧師の招請を競い合っている、招きの手紙がしきりにひらひらと舞いこんでいるという。
書札 てがみ。・翩翩 ひらひら。

送靈師 韓退之(韓愈)詩<49#5>Ⅱ中唐詩335 紀頌之の漢詩ブログ1084 

送靈師 韓退之(韓愈)詩<49#5>Ⅱ中唐詩335 紀頌之の漢詩ブログ1084 

送靈師(韓愈 唐詩)


#1 
佛法入中國,爾來六百年。
齊民逃賦役,高士著幽禪。
官吏不之制,紛紛聽其然。
耕桑日失隸,朝署時遺賢。
靈師皇甫姓,胤胄本蟬聯。」
#2
少小涉書史,早能綴文篇。
中間不得意,失蹟成延遷。
逸志不拘教,軒騰斷牽攣。
圍棋鬥白黑,生死隨機權。
六博在一擲,梟盧叱回鏇。」
#3
戰詩誰與敵,浩汗横戈鋋。
飲酒盡百盞,嘲諧思逾鮮。
有時醉花月,高唱清且緜。
四座鹹寂默,杳如奏湘弦。
尋勝不憚險,黔江屢洄沿。」
#4
瞿塘五六月,驚電讓歸船。
怒水忽中裂,千尋堕幽泉。
環回勢益急,仰見團團天。
投身豈得計,性命甘徒捐。
浪沫蹙翻湧,漂浮再生全。」
#5
同行二十人,魂骨俱坑填。
同行したのは二十人にもなる。魂も骨體もことごとく奈落の底におちこんだ。
靈師不掛懷,冒涉道轉延。
そんなこんなも靈僧師どのはこころにもかけないのだ、冒険する意欲、探険する気持ちはその進むべき路を拡張し進展していくのである。
開忠二州牧,詩賦時多傳。
その時の開・忠二州の長官どのは開州の剌史は唐次、忠州の刺史は李吉甫であった。詩賦の作者と広く著名なお方であった。
失職不把筆,珠璣爲君編。
輝く前職を失ってしまうとその後詩筆をお取りなされなくなった、それをかがやく宝飾、真珠の文字でもってあなたのためにと編纂されたのだ。
強留費日月,密席羅嬋娟。」
そうして無理に引きとめられ、月日を無駄に費やした。その期間にはかこわれた部屋において美女のサービスをうけたりもしたのだ。

#6
昨者至林邑,使君數開筵。
逐客三四公,盈懷贈蘭荃。
湖游泛漭沆,溪宴駐潺湲。
别語不許出,行裾動遭牽。
鄰州競招請,書劄何翩翩。」
#7
十月下桂嶺,乘寒恣窺緣。
落落王員外,爭迎穫其先。
自從入賓館,占吝久能專。
吾徒頗擕被,接宿窮歡妍。
聽說兩京事,分明皆眼前。」
#8
縱横雜謠俗,瑣屑鹹羅穿。
材調真可惜,朱丹在磨研。
方將斂之道,且欲冠其顛。
韶陽李太守,高步凌雲煙。
得客輒忘食,開囊乞繒錢。」
#9
手持南曹叙,字重青瑤鐫。
古氣參彖系,高標摧太玄。
維舟事幹謁,披讀頭風痊。
還如舊相識,傾壺暢幽悁。
以此複留滯,歸驂幾時鞭。」


(靈師を送る)
佛法【ぶっぽう】 中國に入り,爾來【じらい】 六百年。
齊民【せいみん】 賦役【ふえき】を逃れ,高士【こうし】 幽禪【ゆうぜん】を著【め】づ。
官吏 之を制せず,紛紛として其の然【しか】ることを聽【ゆる】す。
耕桑【こうそう】日【ひび】に隸【れい】を失い,朝署【ちょうしょ】時に賢を遺せり。
靈師は皇甫【こうほ】の姓,胤胄【いんちゅう】本【もともと】 蟬聯【せんれん】たり。」
#2
少小【しょうしょう】にして書史【しょし】に涉り,早くより能く文篇【ぶんへん】を綴る。
中間 意を得ず,蹟【あと】を失って延遷【えんせん】を成す。
逸志【いっし】教に拘わらず,軒騰【けんとう】して牽攣【けんれん】を斷つ。
棋【き】を圍【かこ】んで白黑を鬥【たたか】わせ,生死機權【きけん】に隨う。
六博 一擲【いってき】在り,梟盧【きゅうろ】回鏇【かいせん】を叱っす。」
#3
詩を戰はして誰か與に敵せん、浩汗【こうかん】 戈鋋【かえん】を横ふ。
酒を飲んで百盞【ひゃくさん】を盞し、嘲諧【ちょうかい】 思 逾【いよい】よ鮮なり。
時有って花月に醉ふ、高唱 清くして 且 緜【はるか】なり。
四座 鹹【ことごと】く寂默【せきもく】し、杳【よう】として湘弦【しょうげん】を奏するが如し。
勝を尋ねて瞼【けん】を憚【はばか】らず、黔江【けんこう】 屢 洄沿【かいえん】す。
#4
瞿塘【くとう】 五六月、驚電【けいでん】 帰船【きせん】に譲る。
怒水【どすい】 忽ち 中裂し、千尋【せんじん】 幽泉【ゆうせん】に堕つ。
環廻【かんかい】して 勢 益【ますま】す急に、仰いで團團【だんだん】の天を見る。
身を投ずる 豈に計を得むや、性命【せいめい】 甘んじて徒に捐【す】つ。
浪沫【ろうばく】 蹙【ちじま】って翻涌【ほんよう】し、漂浮【ひょうふ】して 再び 生全【いのちまった】し。
#5
同行 二十人、魂骨【こんこつ】 倶に坑填【こうてん】す。
霊師 懐【おもい】に掛けず、冒渉【ぼうしょう】 道 轉【うたた】た延ぶ。
開忠 二州の牧、詩賦【しふ】 時に多く傳ふ。
職を失いしより筆を把らざるに、珠璣【しゅき】 君が爲に編めり。
強いて留めて日月を費やさしめ、密席【みつせき】に嬋娟【ぜんけん】を羅【つら】ねき。

#6
昨者 林邑【りんゆう】に至り、使君【しくん】 數【しばし】ば筵を開く。
逐客【ちくかく】の三四公、懐【ふところ】に盈つるまで蘭荃【らんせん】を贈る。
湖游【こゆう】 漭沆【もうこう】に泛び、渓宴【けいえん】 潺湲【せんかん】に駐まる。
別語【べつご】 出すを許さず、行裾【こうきょ】 動【やや】もすれば牽くに遭ふ。
鄰州【りんしゅう】 競って招請【しょうせい】し、書札 何ぞ 翩翩【へんべん】たる。
#7
十月 桂嶺【けいれい】を下る、寒に乘じて窺緑【きえん】を恣【ほしいまま】にす。
落落たる王員外、爭い迎へて其の先を穫【え】たり。
賓館【ひんかん】に入りてより、占吝【せんひん】して久しく能く専【もっぱら】にす。
吾が徒【と】 頗【すこぶ】る被を擕【たずさ】ヘ、宿を接して 歎研【かんけん】を窮【きわ】む。
兩京の事を説くを聽くに、分明にして 皆 眼前。
#8
樅横 謠俗【ようぞく】を雑【まじ】ヘ、瑣屑【ちせつ】 鹹【ことごと】く羅穿【らせん】す。
材調 真【まこと】に惜む可し、朱丹【しゅたん】 磨研【まけん】に在り。
方將【まさ】に之を道に斂め、且 其の顛【いただき】に冠【かん】せしめむと欲す。
韶陽【しょうよう】の李太守、高歩【こうほ】 雲煙【うんえん】を陵【しのぐ】ぐ。
客を得ては輒【すなわ】ち食を忘れ、囊を開いて繒錢【そうせん】を乞【あた】ふ。
#9
手に南曹【なんそう】の叙を持するに、字は青瑤【せいよう】に鐫【ほ】りしよりも重し。
古気 彖系【たんけい】を參【まじ】ヘ、高標【こうひょう】 太玄を摧【くだ】く。
舟を維【つな】いで干謁【かんえつ】を事とし、披讀【ひどく】すれば頭風痊【い】ゆ。
還た旧相 識の如く、壺を傾けて幽悁【ゆうけん】を暢【の】べむ。
此を以て復た留滞し、歸驂【きさん】 幾時か鞭うたむ。


現代語訳と訳註
(本文)
#5
同行二十人,魂骨俱坑填。
靈師不掛懷,冒涉道轉延。
開忠二州牧,詩賦時多傳。
失職不把筆,珠璣爲君編。
強留費日月,密席羅嬋娟。」


(下し文) #5
同行 二十人、魂骨【こんこつ】 倶に坑填【こうてん】す。
霊師 懐【おもい】に掛けず、冒渉【ぼうしょう】 道 轉【うたた】た延ぶ。
開忠 二州の牧、詩賦【しふ】 時に多く傳ふ。
職を失いしより筆を把らざるに、珠璣【しゅき】 君が爲に編めり。
強いて留めて日月を費やさしめ、密席【みつせき】に嬋娟【ぜんけん】を羅【つら】ねき。


(現代語訳) #5
同行したのは二十人にもなる。魂も骨體もことごとく奈落の底におちこんだ。
そんなこんなも靈僧師どのはこころにもかけないのだ、冒険する意欲、探険する気持ちはその進むべき路を拡張し進展していくのである。
その時の開・忠二州の長官どのは開州の剌史は唐次、忠州の刺史は李吉甫であった。詩賦の作者と広く著名なお方であった。
輝く前職を失ってしまうとその後詩筆をお取りなされなくなった、それをかがやく宝飾、真珠の文字でもってあなたのためにと編纂されたのだ。
そうして無理に引きとめられ、月日を無駄に費やした。その期間にはかこわれた部屋において美女のサービスをうけたりもしたのだ。


(訳注)
同行二十人,魂骨俱坑填。
同行したのは二十人にもなる。魂も骨體もことごとく奈落の底におちこんだ。
坑填 あなにうずもれる。


靈師不掛懷,冒涉道轉延。
そんなこんなも靈僧師どのはこころにもかけないのだ、冒険する意欲、探険する気持ちはその進むべき路を拡張し進展していくのである。


開忠二州牧,詩賦時多傳。
その時の開・忠二州の長官どのは開州の剌史は唐次、忠州の刺史は李吉甫であった。詩賦の作者と広く著名なお方であった。
開忠二州牧 開州・忠州の刺史、牧は牧民官の意・当時、開州の剌史は唐次、忠州の刺史は李吉甫。758. 中国,唐の政治家。字は弘憲,諡は忠懿。趙郡(河北省)の人。憲宗のとき宰相となる。現存最古の地誌『元和郡県図志』を編纂。李吉甫(りきっぽ)758-814 27歲爲太常博士。後任忠州、郴州、饒州刺史。元和二年(807年)爲相。後因與竇群等有隙,三年(808年) 九月轉任淮南節度使。六年(811年)正月還朝複相,封讚皇侯,徙趙國公。その子李徳裕(り とくゆう、787年 - 849年)は、中国・唐代の政治家である。趙郡(河北省寧晋県)を本貫とする、当代屈指の名門・李氏の出身。字は文饒。憲宗朝の宰相であった李吉甫の子である。徳裕は、幼くして学を修めたが、科挙に応ずることを良しとせず、恩蔭によって校書郎となった。820年、穆宗が即位すると、翰林学士となった。次いで、822年には、中書舎人となった。その頃より、牛僧孺や李宗閔らと対立し始め、「牛李の党争」として知られる唐代でも最も激烈な朋党の禍を惹起した。また、後世の仏教徒からは、道士の趙帰真と共に「会昌の廃仏」を惹起した張本人である、として非難されている。
 
敬宗の代に浙西観察使となって、任地に善政を敷き、帝を諌める等の功績があった。829年、文宗代では、兵部侍郎となった。時の宰相、裴度は、徳裕を宰相の列に加えるよう推薦した。しかし、李宗閔が、宦官と結託して先に宰相の位に就いた。逆に、830年徳裕は、投を排除され、鄭滑節度使として地方に出された。833年兵部尚書になる。 甘露の変の際、前年より病勝ちで療養中の出来事。

840年、武宗が即位すると、徳裕が宰相となり、843年、844年劉稹の地方の藩鎮の禍を除いた。その功績により、太尉衛国公となった。しかし、宣宗が即位すると、再び、潮州司馬、さらに崖州司戸参軍に左遷され、そこで没した。

特に『会昌一品集』は、李徳裕が宰相として手腕をふるった会昌年間6年に書いた制・詔・上奏文などをまとめたものである。ここには彼が処理した、ウイグル帝国崩壊後、南へ逃れ唐北辺へと流れてきたウイグル一派への対応や、昭義軍節度使劉稹の反乱の平定など、当時の政策の様相をダイレクトに描き出す文章が多数載せられ、武宗期の政治史のみならず、遊牧民の歴史の観点からも、重要な史料として注目される。

漫成五章 其四 李商隠 紀頌之の漢詩ブログ李商隠特集150- 107


失職不把筆,珠璣爲君編。
輝く前職を失ってしまうとその後詩筆をお取りなされなくなった、それをかがやく宝飾、真珠の文字でもってあなたのためにと編纂されたのだ。
失職 りっぱな地位を失う。・珠璣爲君編 宝玉のような文字をあみつらねて君におくる文章とした。璣は丸くない珠。


強留費日月,密席羅嬋娟。」
そうして無理に引きとめられ、月日を無駄に費やした。その期間にはかこわれた部屋において美女のサービスをうけたりもしたのだ。
嬋娟 美女。

縣齊讀書 韓退之(韓愈)詩<48> Ⅱ中唐詩330 紀頌之の漢詩ブログ 1069

縣齊讀書 韓退之(韓愈)詩<48> Ⅱ中唐詩330 紀頌之の漢詩ブログ 1069
縣齋讀書(在陽山作)(韓愈 唐詩)
804年貞元二十年]



縣齋讀書 
陽山県の書斎で書を読む。
出宰山水縣,讀書松桂林。
左遷され陽山県の知事になったが山水ゆたかなところである、時には県令として高台の松桂の林で読書することもある。
蕭條捐末事,邂逅得初心。
都を離れものさびしい思いが募る時には些事うちすててひっそりすごすのである。するとここでめぐりあう人は初めから気が合う人なのである。
哀狖醒俗耳,清泉潔塵襟。
尾長猿の哀しい鳴き声は俗事を聞くことでけがれた耳を高潔の士許由のように耳を洗うまでのことではないが醒まさせてくれるのだ、穢れのない清らかな泉は世俗のことにわずらわされる心を潔めてくれる。
詩成有共賦,酒熟無孤斟。』
わたしは酒をつくるのではなく詩を成ってここで新しくできた友と唱和するのであり、陶淵明のように酒を造り熟してさびしく独酌することはないのである。
#2
青竹時默釣,白雲日幽尋。
南方本多毒,北客恒懼侵。
謫譴甘自守,滯留愧難任。
投章類縞帶,伫答逾兼金。』

出でて 山水の県に宰となり、書を松桂【しょうけい】の林に読む。
蕭條【しょうじょう】として末事【まつじ】を捐【す】て、邂逅【かいこう】 初心【しょしん】を得たり。
哀狖【あいゆう】 俗耳【ぞくじ】を醒【さ】まし、清泉【せいせん】 塵襟【じんきん】を潔くす。
詩成りて共に賦すること有り、酒熟して孤【ひと】り斟【く】むこと無し。』
青竹【せいちく】もて時に默【もく】して釣り、白雲 日【ひび】に幽尋【ゆうじん】す。
南方 本【もともと】 毒多し、北客【ほくきゃく】 恒【つね】に侵されむことを懼【おそ】る。
謫譴【たくけん】 自ら守るに甘んじ、滞留【たいりゅう】 任【た】へ難きを愧【は】づ。
章を投ずるは縞帯【こうたい】に類す、答を伫【ま】つこと兼金【けんきん】に逾【こ】えたり』

iwamizu01


現代語訳と訳註
(本文)
#1
縣齋讀書 
出宰山水縣,讀書松桂林。
蕭條捐末事,邂逅得初心。
哀狖醒俗耳,清泉潔塵襟。
詩成有共賦,酒熟無孤斟。』


(下し文) #1
出でて 山水の県に宰となり、書を松桂【しょうけい】の林に読む。
蕭條【しょうじょう】として末事【まつじ】を捐【す】て、邂逅【かいこう】 初心【しょしん】を得たり。
哀狖【あいゆう】 俗耳【ぞくじ】を醒【さ】まし、清泉【せいせん】 塵襟【じんきん】を潔くす。
詩成りて共に賦すること有り、酒熟して孤【ひと】り斟【く】むこと無し。』


(現代語訳)
陽山県の書斎で書を読む。
左遷され陽山県の知事になったが山水ゆたかなところである、時には県令として高台の松桂の林で読書することもある。
都を離れものさびしい思いが募る時には些事うちすててひっそりすごすのである。するとここでめぐりあう人は初めから気が合う人なのである。
尾長猿の哀しい鳴き声は俗事を聞くことでけがれた耳を高潔の士許由のように耳を洗うまでのことではないが醒まさせてくれるのだ、穢れのない清らかな泉は世俗のことにわずらわされる心を潔めてくれる。
わたしは酒をつくるのではなく詩を成ってここで新しくできた友と唱和するのであり、陶淵明のように酒を造り熟してさびしく独酌することはないのである。


(訳注)
陽山県の書斎で書を読む
県斎読書 底本巻四。804年貞元二十年陽山での作。
韓愈に『縣齋有懷』(陽山縣齋作805年貞元二十一年)がある。


出宰山水縣,讀書松桂林。
左遷され陽山県の知事になったが山水ゆたかなところである、時には県令として高台の松桂の林で読書することもある。
 長安の中央官庁から地方に転出する。・ 為政者。ここでは県令となること。○山水県 山水に富んだ県。自分が県令であることと半官半隠であることをあらわしている。○松桂林 松とモクセイの混生した林。陽山県の北二里に賢令山(牧民山)があって、その上に読書台があり、それがこの詩にいう読書松桂林のあとだとされる。


蕭條捐末事,邂逅得初心。
都を離れものさびしい思いが募る時には些事うちすててひっそりすごすのである。するとここでめぐりあう人は初めから気が合う人なのである。
蕭條 ものさびしいさま。○邂逅 めぐりあい。○得初心 初対面のときから気が合う。


哀狖醒俗耳,清泉潔塵襟。
尾長猿の哀しい鳴き声は俗事を聞くことでけがれた耳を高潔の士許由のように耳を洗うまでのことではないが醒まさせてくれるのだ、穢れのない清らかな泉は世俗のことにわずらわされる心を潔めてくれる。
哀狖 かなしく鳴く尾長猿の声。○俗耳 俗事を聞くことによりけがれた耳。○有耳莫洗潁川水 、堯の時代の許由という高潔の士は、堯から天子の位をゆずろうと相談をもちかけられたとき、それを受けつけなかったばかりか、穎水の北にゆき隠居した。堯が又、かれを招いて九州の長(当時全国を九つの州に分けていた)にしようとした時、かれはこういう話をきくと耳が汚れると言って、すぐさま穎水の川の水で耳を洗った。○首陽蕨 伯夷、叔齊のかくれた首陽山のわらび。彼等は、祖国殷を征服した周の国の禄を食むのを拒み、この山に隠れワラビを食べて暮らし、ついに餓死した。陶淵明「擬古九首其八」○塵襟 世俗のくだらないことどもを塵という。襟はえりのあるところ、すなわち胸、すなわち心。つまり世俗のことにわずらわされる心である。


詩成有共賦,酒熟無孤斟。』
わたしは酒をつくるのではなく詩を成ってここで新しくできた友と唱和するのであり、陶淵明のように酒を造り熟してさびしく独酌することはないのである。
孤酎 独酌する。陶淵明の詩に、「舂秫作美酒、酒熟吾自斟」(秫(じゅつ)を舂(つ)きて美酒を作り、酒熟すれば吾れ自ら斟(く)む。)“もち粟をついて美酒を作り、酒が熟すれば自分で酌んで飲む。”の句がある。韓愈は明らかに陶の句をふまえているが、儒者として濁りのない酒、聖人の酒「清酒」を飲むというのだ。韓愈は陶淵明の思想は評価していない。


(参考) 韓愈は語句について、下に示す「陶淵明の詩」に基づいて作詩している。
和郭主簿 其一 陶淵明
藹藹堂前林、中夏貯淸陰。
凱風因時來、回飆開我襟。
息交遊閑業、臥起弄書琴。
園蔬有餘滋、舊穀猶儲今。
營已良有極、過足非所欽。
舂秫作美酒、酒熟吾自斟。
弱子戲我側、學語未成音。
此事眞復樂、聊用忘華簪。
遙遙望白雲、懷古一何深。  


藹藹たり堂前の林、中夏に清陰を貯う。
凱風 時に因りて来たり、回飆(かいひょう) 我が襟を開く。
交りを息(や)めて閑業に遊び、臥起に書琴を弄ぶ。
園蔬は余滋有り、旧穀は猶お今に儲(たくわ)う。
已(おのれ)を営むは良(まこと)に極(さだめ)有り、足るに過ぐるは欽(ねが)う所に非ず。
秫(じゅつ)を舂(つ)きて美酒を作り、酒熟すれば吾れ自ら斟(く)む。
弱子(じゃくし)我が側らに戲むれ、語を學(ま)ねて未だ音を成さず。
此の事眞に復た樂し、聊か用って華(か)簪(しん)を忘る。
遙遙たる白雲を望む、古(いにしえ)を懐(おも)うこと一(いつ)に何ぞ深き。

(座敷の前の林はこんもりと茂り、夏のさなかにはさわやかな木陰をたくわえている。折から南風が吹くようになり、小さく渦巻いてわたしの襟元を吹きひらく。世間との付き合いをやめたわたしのいまの関心は芸に遊ぶことにあって、日がな一日、書物や琴をもてあそんでいる。畑の野菜はすくすくと育っているし、穀物も去年の分がまだたくわえてある。暮らしを立てるには一定の限度があり、必要以上に求めるのは不本意なことである。もち粟をついて美酒を作り、酒が熟すれば自分で酌んで飲む。幼い子供が傍で戯れている。まだ言葉を覚えだしたばかりで片言しか話すことは出来ない。こうした生活は本当に楽しく、束の間、華やかな政治の世界を忘れることが出来る。遠くを流れる白い雲を眺めながら、古き良き時代を想うことはなんとも趣き深いことだ。)

次同冠峡 韓愈<45> Ⅱ韓退之(韓愈)詩329 紀頌之の漢詩ブログ 1066

次同冠峡 韓愈<45> Ⅱ韓退之(韓愈)詩329 紀頌之の漢詩ブログ 1066
(同冠峡に次【やど】る)

次同冠峡
同冠峡に宿泊した。(キャンプをした)
今日是何朝?天晴物色饒。
きようは いったい なんという朝だ、天は晴れ すべての物の色が じつに豊にあざやかではないか。
落英千尺墮, 遊絲百丈飄。
落ちて散り來るはなびらは千尺の崖の上から舞っているし、舞い上がるいとゆうは百丈の野にひるがえる。
泄乳交巖脈, 懸流揭浪標。
鐘乳のしたたりは巌脈にまじわりたれているし、その崖から流れ落ちる瀑布は白い波柱をあげている。
無心思嶺北, 猿鳥莫相撩。

此の南方に来て嶺北のことは思うまいとしているのだが、猿や鳥のように泣かれてはわたしの心をかきみだすことになってしまう。

同冠峡に次【やど】る
今日 是れ 何の朝【あした】ぞ?、天晴れて 物色饒【ゆたか】なり。
落英【らくえい】千尺より墮つ,遊絲【ゆうし】百丈に飄【ひるがえ】る。
泄乳【せつにゅう】巖脈【がんみゃく】交わり,懸流【けんりゅう】浪標【ろうひょう】を揭【あ】ぐ。
嶺北【れいほく】を思うに心無し,猿鳥 相【あい】撩【みだ】す莫れ。


現代語訳と訳註
(本文)

次同冠峡
今日是何朝?天晴物色饒。
落英千尺墮,遊絲百丈飄。
泄乳交巖脈,懸流揭浪標。
無心思嶺北,猿鳥莫相撩。


(下し文)
同冠峡に次【やど】る
今日 是れ 何の朝【あした】ぞ?、天晴れて 物色饒【ゆたか】なり。
落英【らくえい】千尺より墮つ,遊絲【ゆうし】百丈に飄【ひるがえ】る。
泄乳【せつにゅう】巖脈【がんみゃく】交わり,懸流【けんりゅう】浪標【ろうひょう】を揭【あ】ぐ。
嶺北【れいほく】を思うに心無し,猿鳥 相【あい】撩【みだ】す莫れ。


(現代語訳)
同冠峡に宿泊した。(キャンプをした)
きようは いったい なんという朝だ、天は晴れ すべての物の色が じつに豊にあざやかではないか。
落ちて散り來るはなびらは千尺の崖の上から舞っているし、舞い上がるいとゆうは百丈の野にひるがえる。
鐘乳のしたたりは巌脈にまじわりたれているし、その崖から流れ落ちる瀑布は白い波柱をあげている。
此の南方に来て嶺北のことは思うまいとしているのだが、猿や鳥のように泣かれてはわたしの心をかきみだすことになってしまう。


(訳注)
次同冠峡

同冠峡に宿泊した。(キャンプをした)
・次同冠峡 さきの同冠峡の詩についでつくった。次は宿ること。


今日是何朝?天晴物色饒。
きようは いったい なんという朝だ、天は晴れ すべての物の色が じつに豊にあざやかではないか。
今日是何朝 悲しみや苦しみの中にあるとき、その思いになんのかかわりもなく、太陽がきらきら輝き、風が爽やかに吹くと、それがあまりに良すぎて、ひとはそれに対して逆の愁いをいだきたくなるものだ。この句はそうした郷愁の感情から生まれたものである。


落英千尺墮,遊絲百丈飄。
落ちて散り來るはなびらは千尺の崖の上から舞っているし、舞い上がるいとゆうは百丈の野にひるがえる。
落英 おちる花びら。○遊絲 いとゆう。旅人(韓愈自身)を示す言葉。


泄乳交巖脈,懸流揭浪標。
鐘乳のしたたりは巌脈にまじわりたれているし、その崖から流れ落ちる瀑布は白い波柱をあげている。
泄乳 もれ出る鍾乳。○懸流 たき。○浪標 浪柱のこと.李白『望廬山五老峯』『望廬山瀑布水 二首其一』『望廬山瀑布二首其二(絶句)』に雰囲気が似ている。

無心思嶺北,猿鳥莫相撩。
此の南方に来て嶺北のことは思うまいとしているのだが、猿や鳥のように泣かれてはわたしの心をかきみだすことになってしまう。
嶺北 嶺は広東・広西の北境にある大庾・始安・臨賀・桂陽・掲陽の五嶺山脈のことで、この嶺から北の方を嶺北という。ここでは長安にのこして来た二男のことを持す。○猿鳥 中国南部に生息する手長猿で、悲鳴の声をさらに引っ張って慟哭するように鳴く。鳥は、啼いて血を吐くホトトギスに代表され、人恋しさの喩えに使われる。こうした猿や鳥の鋭い鳴き声は、孤独な旅人にとっては、殊に悲しいものである。○莫相撩 せっかく忘れようとしている北方への郷愁をかきたて、わたしの心なみだすことはするな。相は、ここでは互いにという意妹はもたない。

中唐詩-303 岳陽樓別竇司直 #9 Ⅱ韓退之(韓愈) 紀頌之の漢詩ブログ986 韓愈特集-36-#9

中唐詩-303 岳陽樓別竇司直 #9 Ⅱ韓退之(韓愈) 紀頌之の漢詩ブログ986 韓愈特集-36-#9


#9
生還真可喜,尅己自懲創。
そこから生きて帰れたのはほんとうに喜ばしいことだが、反省してみて自分の心がけを入れ替えることにした。
庶從今日後,粗識得與喪。
どうか今日から後は、いくらかプラスとマイナスとを見分けるようにしたい。
事多改前好,趣有獲新尚。
人間はあるきっかけがあった時万事について、これまでの好みを改めてみることである、そうすれば趣きというものがあり、新しい行く手が開けるものだ。
誓耕十畝田,不取萬乘相。
これからは『荘子』にあるように、地道に十畝ぐらいの畑を耕し、万乗の君に仕える宰相の位はだけを求めていくことはしないことにしよう。
細君知蠶織,稚子已能餉。
家内は養蚕と機織りとを知っているし、幼い子どもも畑まで食事を運んで来られるまでには成長している。
行當掛其冠,生死君一訪。

そのうちに私は辞職して引きこもるつもりだから、私が生きているか死んだかを見に、一度訪ねて来てくれたまえ。
#9
生還せるは真に喜ぶ可し、己れに剋【か】ちて自ら懲創【ちょうそう】す。
庶【こいねが】わくは今日従り後、粗【ほ】ぼ得と喪とを識らん。
事多く前好を改め、趣【すなわ】ち新尚【しんしょう】を獲【う】る有り。
誓って十畝【じっぽ】の田を耕し、万乗の相を取らじ。
細君は蚕織【さんしょく】を知り、稚子【ちし】は已【すで】に能く餉【しょう】す。
行々当【まさ】に其の冠を掛くべし、生死 君一たび訪【と】え。

mugi880


現代語訳と訳註
(本文)#9

生還真可喜,尅己自懲創。
庶從今日後,粗識得與喪。
事多改前好,趣有獲新尚。
誓耕十畝田,不取萬乘相。
細君知蠶織,稚子已能餉。
行當掛其冠,生死君一訪。

(下し文)
生還せるは真に喜ぶ可し、己れに剋【か】ちて自ら懲創【ちょうそう】す。
庶【こいねが】わくは今日従り後、粗【ほ】ぼ得と喪とを識らん。
事多く前好を改め、趣【すなわ】ち新尚【しんしょう】を獲【う】る有り。
誓って十畝【じっぽ】の田を耕し、万乗の相を取らじ。
細君は蚕織【さんしょく】を知り、稚子【ちし】は已【すで】に能く餉【しょう】す。
行々当【まさ】に其の冠を掛くべし、生死 君一たび訪【と】え。


(現代語訳)
そこから生きて帰れたのはほんとうに喜ばしいことだが、反省してみて自分の心がけを入れ替えることにした。
人間は有るきっかけがあった時万事について、これまでの好みを改めてみることである、そうすれば趣きというものがあり、新しい行く手が開けるものだ。
これからは『荘子』にあるように、地道に十畝ぐらいの畑を耕し、万乗の君に仕える宰相の位はだけを求めていくことはしないことにしよう。
家内は養蚕と機織りとを知っているし、幼い子どもも畑まで食事を運んで来られるまでには成長している。
そのうちに私は辞職して引きこもるつもりだから、私が生きているか死んだかを見に、一度訪ねて来てくれたまえ。

韓愈の地図01

(訳注) #9
生還真可喜,尅己自懲創。

そこから生きて帰れたのはほんとうに喜ばしいことだが、反省してみて自分の心がけを入れ替えることにした。
尅己 己を克服する。○自懲創 自分に懲罰をし作り変えることから、心を入れ替える。


庶從今日後,粗識得與喪。
どうか今日から後は、いくらかプラスとマイナスとを見分けるようにしたい。
粗識 あらい認識。○得與喪 得るものか、損失を招くものかということ。


事多改前好,趣有獲新尚。
人間は有るきっかけがあった時万事について、これまでの好みを改めてみることである、そうすれば趣きというものがあり、新しい行く手が開けるものだ。


誓耕十畝田,不取萬乘相。
これからは『荘子』にあるように、地道に十畝ぐらいの畑を耕し、万乗の君に仕える宰相の位はだけを求めていくことはしないことにしよう。
十畝田 これ以降の6句は『莊子‧讓王』に基づいている。末尾に参考として掲載。


細君知蠶織,稚子已能餉。
家内は養蚕と機織りとを知っているし、幼い子どもも畑まで食事を運んで来られるまでには成長している。
蠶織 養蚕と機織り。○稚子 幼い子ども○能餉 畑まで食事を運んで来られる。


行當掛其冠,生死君一訪。
そのうちに私は辞職して引きこもるつもりだから、私が生きているか死んだかを見に、一度訪ねて来てくれたまえ。
掛其冠 辞職して引きこもること。



 「岳陽楼」は湖南省岳陽の町の西南にある楼。ここからは洞庭湖の見晴らしがよく、名勝として知られており、昔から多くの文人墨客がこの楼に登って、作品を残している。
孟浩然が「波は揺がす岳陽城」と歌った
望洞庭湖贈張丞相 孟浩然
八月湖水平,涵虚混太淸。
氣蒸雲夢澤,波撼岳陽城。
欲濟無舟楫,端居恥聖明。
坐觀垂釣者,徒有羨魚情。



杜甫が「昔聞く洞庭の水、今登る岳陽楼」ではじまる詩を残した。

登岳陽樓 唐 杜甫
昔聞洞庭水,今上岳陽樓。
呉楚東南坼,乾坤日夜浮。
親朋無一字,老病有孤舟。
戎馬關山北,憑軒涕泗流。


泊岳陽城下   杜甫
江国踰千里、山城近百層。
岸風翻夕浪、舟雪灑寒灯。
留滞才難尽、艱危気益増。
図南未可料、変化有鯤鵬。


参考
韓愈の#9の最後の6句である。
誓耕十畝田,不取萬乘相。
細君知蠶織,稚子已能餉。
行當掛其冠,生死君一訪。
『莊子‧讓王』に基づいている。原文と現代訳詩文を参考にされたい。

孔子謂顏回曰:「回,來! 家貧居卑,胡不仕乎? 」

顏回對曰 : 「不願仕。 回有郭外之田五十畝,足以給干粥﹔ 郭內之田十畝, 足以為絲麻﹔ 鼓琴足 以自娛﹔ 所學夫子之道者足以自樂也。 回不願仕.」

孔子愀然變容,曰:「善哉回之意!丘聞之:『知足者,不以利自累也﹔審自得者,失之而不懼﹔行修於內者,無位而不怍。』丘誦之久矣,今於回而後見之,是丘之得也。」


孔子が顔回に向っていった「回よ、近くよれ。家が貧しく、地位も低いのにどうして仕官しないのか」。

顔回は答えた「仕官したくないのです。私は城外に五十畝の畑を持ち、それでかゆをすすって生きていくだけの事はできますし、城内には十畝の畑があって、それで絹糸や麻糸を作っていくだけのことは出来ます。琴を弾いて自分で楽しむことも出来ますし、先生から教えていただいた事も、充分楽しませてくれます。私は仕官したくないのです」。

孔子はつつしみ深く居ずまいを正して口を開いた「回の心がけは見事だね。わしの聞くところでは、満足することを知るものは、外界の利益に惹かれて自分の心を煩わせるようなことが無く、悠々自適の境地をわきまえた者は、何かを失ってもびくともせず、内面の修行が行き届いた者は地位が無くとも恥じる事がないという。わしはこの言葉を長い間口ずさんでいたが、今回によって初めてその実例を見たよ。これはわしにとって収穫だね」。

中唐詩-302 岳陽樓別竇司直 #8 Ⅱ韓退之(韓愈) 紀頌之の漢詩ブログ 韓愈特集-36-#8

中唐詩-302 岳陽樓別竇司直 #8 Ⅱ韓退之(韓愈) 紀頌之の漢詩ブログ 韓愈特集-36-#8


#8
新恩移府庭,逼側廁諸將。
新帝の即位とともに私は御恩をかけていただき、江陵府の役所に移って、腰をかがめながら役所の将校たちの間にまじることになった。
于嗟苦駑緩,但懼失宜當。
ああ、困ったことにのろまな性質で、気がかりなのは量刑が当を得ないのではないかということだけだ。
追思南渡時,魚腹甘所葬。
思い返せば南に流されたときは、魚の腹に入ってしまおうと、死に場所は選ばぬつもりだった。
嚴程迫風帆,劈箭入高浪。
きびしく定められた期限が追手にあげた帆をせきたて、矢のように走る小舟は高浪の中へとつき進んだ。
顛沈在須臾,忠鯁誰復諒。

あっという間に舟が転覆して沈み、真心があって剛直なわたしを、誰も理解してはくれないということになりそうだった。

新恩 府庭に移り、逼側【ひょくそく】として諸将に廁【まじ】わる。
于嗟【ああ】驚緩【どかん】を苦しみ、但だ宜当【ぎとう】を失わんことを懼【おそ】る。
追思す 南渡の時、魚腹 葬る所に甘んず。
厳程 風帆に迫り、劈箭 高浪に入る。
顛沈せんこと須臾【しゅゆ】に在り、忠鯁【ちゅうこう】 誰か復諒【りょう】とせん。


現代語訳と訳註
(本文)#8

新恩移府庭,逼側廁諸將。
于嗟苦駑緩,但懼失宜當。
追思南渡時,魚腹甘所葬。
嚴程迫風帆,劈箭入高浪。
顛沈在須臾,忠鯁誰復諒。

(下し文)
新恩 府庭に移り、逼側【ひょくそく】として諸将に廁【まじ】わる。
于嗟【ああ】驚緩【どかん】を苦しみ、但だ宜当【ぎとう】を失わんことを懼【おそ】る。
追思す 南渡の時、魚腹 葬る所に甘んず。
厳程 風帆に迫り、劈箭 高浪に入る。
顛沈せんこと須臾【しゅゆ】に在り、忠鯁【ちゅうこう】 誰か復諒【りょう】とせん。


(現代語訳)
新帝の即位とともに私は御恩をかけていただき、江陵府の役所に移って、腰をかがめながら役所の将校たちの間にまじることになった。
ああ、困ったことにのろまな性質で、気がかりなのは量刑が当を得ないのではないかということだけだ。
思い返せば南に流されたときは、魚の腹に入ってしまおうと、死に場所は選ばぬつもりだった。
きびしく定められた期限が追手にあげた帆をせきたて、矢のように走る小舟は高浪の中へとつき進んだ。
あっという間に舟が転覆して沈み、真心があって剛直なわたしを、誰も理解してはくれないということになりそうだった。


(訳注) #8
新恩移府庭,逼側廁諸將。
新帝の即位とともに私は御恩をかけていただき、江陵府の役所に移って、腰をかがめながら役所の将校たちの間にまじることになった。
新恩 私は御恩をかけていただ○移府庭 新帝の即位とともに○逼側 腰をかがめながら○廁諸將 役所の将校たちの間にまじることになった。


于嗟苦駑緩,但懼失宜當。
ああ、困ったことにのろまな性質で、気がかりなのは量刑が当を得ないのではないかということだけだ。
苦駑緩 困ったことに何事にのろまな性質○ また欺かれるかもしれない。○失宜當 前の量刑が不当なもので、だまし討ちであったことが影響するかもしれない。


追思南渡時,魚腹甘所葬。
思い返せば南に流されたときは、魚の腹に入ってしまおうと、死に場所は選ばぬつもりだった。
時南渡 五嶺山脈を越えて南に流罪として行く。○魚腹 なすがまま。死んでもいいたとえ。○甘所葬 死に場所は選ばぬどこでもいい。


嚴程迫風帆,劈箭入高浪。
きびしく定められた期限が追手にあげた帆をせきたて、矢のように走る小舟は高浪の中へとつき進んだ。
迫風帆 挙げた帆風が迫ってくる。○劈箭 矢のように早く迫ること。○入高浪 乗っている小舟が高波の中に入っていくこと。


顛沈在須臾,忠鯁誰復諒。
あっという間に舟が転覆して沈み、真心があって剛直なわたしを、誰も理解してはくれないということになりそうだった。
顛沈 船が転覆するということ○在須臾 寸刻の間に。○忠鯁 真心があって剛直なこと。



hinode0200

blogram投票ボタン

毎日それぞれ一首(長詩の場合一部分割掲載)kanbuniinkai紀 頌之の漢詩3ブログ
05rihakushi350

李白詩350首kanbuniinkai紀頌之のブログ

700Toho shi

kanbuniinkai11の頌之漢詩 杜甫詩700首

800tousouSenshu
kanbuniinkai10 頌之の漢詩 唐宋詩人選集 Ⅰ李商隠150首 Ⅱ韓退之(韓愈)Ⅶ孟郊
各詩人についてはブログ内の検索を利用したほうが良い場合もあります。
burogutitl770

http://kanshi100x100.blog.fc2.com/

唐宋詩 
(Ⅰ李商隠Ⅱ韓退之(韓愈))
李白詩INDEX02
李商隠INDEX02
杜甫詩INDEX02

中唐詩-301 岳陽樓別竇司直 #7 Ⅱ韓退之(韓愈) 紀頌之の漢詩ブログ 韓愈特集-36-#7

中唐詩-301 岳陽樓別竇司直 #7 Ⅱ韓退之(韓愈) 紀頌之の漢詩ブログ 韓愈特集-36-#7

#7
屠龍破千金,爲藝亦云亢。
そこで『荘子』に見える「屠龍之技」の故事のように、竜を屠るなどという無益のわざのために千金の財産を費やしたが、身につける技能としてはあまりにも特異に過ぎた。
愛才不擇行,觸事得讒謗。
才能を愛して素行に気をつけようとしないため、何かにつけて悪口を言われるというしまつであったのだ。
前年出官由,此禍最無妄。
前年、地方官として出された原因もそこにあったのだが、これは災難というものでとりわけていわれのないものであった。
公卿採虛名,擢拜識天仗。
詩文を評価されたということで公卿のあいだで虚名を溥したため、抜擢されて天子のおそば近くに仕える身となったのだ。
姦猜畏彈射,斥逐恣欺誑。
奸臣や宦官たちはいかがわしい猜疑心をもって私に弾劾されることを恐れ、あざむき、だぶらかしをおこなって、わたしを都から追放したのだ。

竜を屠【ほふ】らんとして千金を破り、芸を為すこと亦 云【ここ】に亢【たか】し。
才を愛して行ないを択【えら】ばず、事に触れて讒謗【ざんぼう】を得たり。
前年 官を出でし由【よし】、此の禍【わざわい】最も無妄【むもう】なり。
公卿に虚名を採り、擢拝【てきはい】して天仗【てんじょう】を識る。
姦猜【かんさい】弾射【だんせき】を畏れ、斥逐【せきちく】欺誑【ぎきょう】を恣【ほしい】ままにす。
宮島(1)


現代語訳と訳註
(本文) #7
屠龍破千金,爲藝亦云亢。
愛才不擇行,觸事得讒謗。
前年出官由,此禍最無妄。
公卿採虛名,擢拜識天仗。
姦猜畏彈射,斥逐恣欺誑。


(下し文)
竜を屠【ほふ】らんとして千金を破り、芸を為すこと亦 云【ここ】に亢【たか】し。
才を愛して行ないを択【えら】ばず、事に触れて讒謗【ざんぼう】を得たり。
前年 官を出でし由【よし】、此の禍【わざわい】最も無妄【むもう】なり。
公卿に虚名を採り、擢拝【てきはい】して天仗【てんじょう】を識る。
姦猜【かんさい】弾射【だんせき】を畏れ、斥逐【せきちく】欺誑【ぎきょう】を恣【ほしい】ままにす。


(現代語訳)
そこで『荘子』に見える「屠龍之技」の故事のように、竜を屠るなどという無益のわざのために千金の財産を費やしたが、身につける技能としてはあまりにも特異に過ぎた。
才能を愛して素行に気をつけようとしないため、何かにつけて悪口を言われるというしまつであったのだ。
前年、地方官として出された原因もそこにあったのだが、これは災難というものでとりわけていわれのないものであった。
詩文を評価されたということで公卿のあいだで虚名を溥したため、抜擢されて天子のおそば近くに仕える身となったのだ。
奸臣や宦官たちはいかがわしい猜疑心をもって私に弾劾されることを恐れ、あざむき、だぶらかしをおこなって、わたしを都から追放したのだ。


(訳注) #7
屠龍破千金,爲藝亦云亢。

そこで『荘子』に見える「屠龍之技」の故事のように、竜を屠るなどという無益のわざのために千金の財産を費やしたが、身につける技能としてはあまりにも特異に過ぎた。
屠龍 龍を屠殺。屠龍之技。荘子『列禦寇』「朱泙漫學屠龍於支離益,殫千金之家,三年技成,而無所用其巧。」(朱泙漫 屠龍を於支離益に學び,千金之家を殫らし,三年にして技成る,而れども其の巧を用うる所無し。)


愛才不擇行,觸事得讒謗。
才能を愛して素行に気をつけようとしないため、何かにつけて悪口を言われるというしまつであったのだ。
 才能。○擇行 素行に気をつけようとしないこと。○讒謗 何かにつけて悪口を言われ


前年出官由,此禍最無妄。
前年、地方官として出された原因もそこにあったのだが、これは災難というものでとりわけていわれのないものであった。
出官由 地方官として出された原因。○最無妄 とりわけていわれのないもの。


公卿採虛名,擢拜識天仗。
詩文を評価されたということで公卿のあいだで虚名を溥したため、抜擢されて天子のおそば近くに仕える身となったのだ。
虛名 韓愈の散文、五言詩について評価が高かった。謙遜語。


姦猜畏彈射,斥逐恣欺誑。
奸臣や宦官たちはいかがわしい猜疑心をもって私に弾劾されることを恐れ、あざむき、だぶらかしをおこなって、わたしを都から追放したのだ。
姦猜 いかがわしい猜疑心。○彈射 弾劾されること。狙い撃ちされること。○欺誑 欺きたぶらかす。だます。

中唐詩-300 岳陽樓別竇司直 #6 Ⅱ韓退之(韓愈) 紀頌之の漢詩ブログ 韓愈特集-36-#6

中唐詩-300 岳陽樓別竇司直 #6 Ⅱ韓退之(韓愈) 紀頌之の漢詩ブログ 韓愈特集-36-#6


#6
開筵交履舃,爛漫倒家釀。
そこで酒宴をもよおしてくれて靴を交わし合う無礼講となった、その家に蓄えてあった酒樽を傾け、心ゆくまで酔いみだれた。
杯行無留停,高柱送清唱。
杯が何度もやりとりされて留まることがない、高貴なすばらしい演奏に清らかな歌声で、宴席の興が添えられた。
中盤進橙栗,投擲傾脯醬。
食卓の中央にはだいだいや栗などを盛り、それにつける味噌漬の肉をありったけ並べてある。
歡窮悲心生,婉孌不能忘。
楽しさが極まるにつれて悲しみの心が生じ、胸のなかにいつまでもまつわりついて忘れることができない。
念昔始讀書,志欲干霸王。
いま思えぱその昔、学問をしはじめたころ、王者に認められて片腕となって働こうという理想を抱いた。

筵を開きて履舃【りせき】を交え、爛漫【らんまん】として家醸【かじょう】を倒す。
盃行【はいめぐ】りて留停する無く、高柱 清唱を送る。
中盤 橙栗【とうりつ】を進め、投擲【とうてき】脯醬【ほしょう】を傾く。
歓 窮まって 悲心生じ、婉孌【えんらん】として忘るる能わず。
念う昔 始めて読書せしとき、志 覇王に干【もと】めんと欲す

岳陽樓003


現代語訳と訳註
(本文)#6
開筵交履舃,爛漫倒家釀。
杯行無留停,高柱送清唱。
中盤進橙栗,投擲傾脯醬。
歡窮悲心生,婉孌不能忘。
念昔始讀書,志欲干霸王。

(下し文)#6
筵を開きて履舃【りせき】を交え、爛漫【らんまん】として家醸【かじょう】を倒す。
盃行【はいめぐ】りて留停する無く、高柱 清唱を送る。
中盤 橙栗【とうりつ】を進め、投擲【とうてき】脯醬【ほしょう】を傾く。
歓 窮まって 悲心生じ、婉孌【えんらん】として忘るる能わず。
念う昔 始めて読書せしとき、志 覇王に干【もと】めんと欲す。

(現代語訳)#6
そこで酒宴をもよおしてくれて靴を交わし合う無礼講となった、その家に蓄えてあった酒樽を傾け、心ゆくまで酔いみだれた。
杯が何度もやりとりされて留まることがない、高貴なすばらしい演奏に清らかな歌声で、宴席の興が添えられた。
食卓の中央にはだいだいや栗などを盛り、それにつける味噌漬の肉をありったけ並べてある。
楽しさが極まるにつれて悲しみの心が生じ、胸のなかにいつまでもまつわりついて忘れることができない。
いま思えぱその昔、学問をしはじめたころ、王者に認められて片腕となって働こうという理想を抱いた。

(訳注)
開筵交履舃,爛漫倒家釀。
そこで酒宴をもよおしてくれて靴を交わし合う無礼講となった、その家に蓄えてあった酒樽を傾け、心ゆくまで酔いみだれた
開筵 宴席を設ける。晉書『車胤傳』「謝安游之日、輒開筵待之。」○履舃 くつ。履は一枚底。舃は二枚底。○爛漫 花が咲き乱れるさま。水があふれているさま。


杯行無留停,高柱送清唱。
杯が何度もやりとりされて留まることがない、高貴なすばらしい演奏に清らかな歌声で、宴席の興が添えられた。
○高柱 高貴なすばらしい演奏。


中盤進橙栗,投擲傾脯醬。
食卓の中央にはだいだいや栗などを盛り、それにつける味噌漬の肉をありったけ並べてある。
橙栗 だいだいと栗。○脯醬 味噌漬の肉


歡窮悲心生,婉孌不能忘。
楽しさが極まるにつれて悲しみの心が生じ、胸のなかにいつまでもまつわりついて忘れることができない。
婉孌 年が若く美しい。親しみ愛する。


念昔始讀書,志欲干霸王。
いま思えぱその昔、学問をしはじめたころ、王者に認められて片腕となって働こうという理想を抱いた。
霸王 1 覇者と王者。覇道と王道。2 武力で諸侯を統御して天下を治める者。『礼記』「義與信,和與仁,霸王之器也。」(義と信、和と仁は覇王の器である)

中唐詩-299 岳陽樓別竇司直 #5 Ⅱ韓退之(韓愈) 紀頌之の漢詩ブログ 韓愈特集-36-#5

中唐詩-299 岳陽樓別竇司直 #5 Ⅱ韓退之(韓愈) 紀頌之の漢詩ブログ 韓愈特集-36-#5

#5
時當冬之孟,隙竅縮寒漲。
ちょうど時節は冬の初めの陰暦十月になってきた、風も冷たく、か細い音をたてて吹きぬけ、水かさも落ちてきた。
前臨指近岸,側坐眇難望。
身をまえに進み出て近くの岸を指さすのだが、船奥に座ったまま首を伸ばしたのでは、向こう岸ははるばるとして望みにくいというものだ。
滌濯神魂醒,幽懷舒以暢。
この風景に洗われてわたくしの魂は夢から醒めてきた、ただ一人思い悩む胸のつかえも晴れるのであろう。
主人孩童舊,握手乍忻悵。
主人の竇庠公は子どものころからの昔なじみである、私の手を握りしめ、悲喜こもごもの様子を示すのである。
憐我竄逐歸,相見得無恙。

私が流罪にあって帰りみちであることにあわれをおもってくれた、そしてここで互いに合い心配ないことを確認しえたのである。

#5
時に冬の孟【はじ】めに当たり、隙竅【げききょう】寒漲【かんちょう】を縮む。
前臨して近岸を指し、側坐するも眇として望み難し。
滌濯【できたく】して神魂醒め、幽懐 舒【の】べ以て暢【の】ぶ。
主人は孩童【がいどう】の旧、手を握って乍【たちま】ち忻悵【きんちょう】す。
憐れむ 我が竄逐【ざんちく】せられて帰り、相見て恙【つつが】無きを得しことを。

岳陽樓003


現代語訳と訳註
(本文)
#5
時當冬之孟,隙竅縮寒漲。
前臨指近岸,側坐眇難望。
滌濯神魂醒,幽懷舒以暢。
主人孩童舊,握手乍忻悵。
憐我竄逐歸,相見得無恙。

(下し文) #5
時に冬の孟【はじ】めに当たり、隙竅【げききょう】寒漲【かんちょう】を縮む。
前臨して近岸を指し、側坐するも眇として望み難し。
滌濯【できたく】して神魂醒め、幽懐 舒【の】べ以て暢【の】ぶ。
主人は孩童【がいどう】の旧、手を握って乍【たちま】ち忻悵【きんちょう】す。
憐れむ 我が竄逐【ざんちく】せられて帰り、相見て恙【つつが】無きを得しことを。


(現代語訳)
ちょうど時節は冬の初めの陰暦十月になってきた、風も冷たく、か細い音をたてて吹きぬけ、水かさも落ちてきた。
身をまえに進み出て近くの岸を指さすのだが、船奥に座ったまま首を伸ばしたのでは、向こう岸ははるばるとして望みにくいというものだ。
この風景に洗われてわたくしの魂は夢から醒めてきた、ただ一人思い悩む胸のつかえも晴れるのであろう。
主人の竇庠公は子どものころからの昔なじみである、私の手を握りしめ、悲喜こもごもの様子を示すのである。
私が流罪にあって帰りみちであることにあわれをおもってくれた、そしてここで互いに合い心配ないことを確認しえたのである。


(訳注)#5
時當冬之孟,隙竅縮寒漲。

ちょうど時節は冬の初めの陰暦十月になってきた、風も冷たく、か細い音をたてて吹きぬけ、水かさも落ちてきた。
隙竅 冷たい風が細く吹き。○縮寒漲 水かさも落ちていること。


前臨指近岸,側坐眇難望。
身をまえに進み出て近くの岸を指さすのだが、船奥に座ったまま首を伸ばしたのでは、向こう岸ははるばるとして望みにくいというものだ。
側坐 座ったまま首を伸ばした○眇難望 向こう岸ははるばるとして望みにくい。


滌濯神魂醒,幽懷舒以暢。
この風景に洗われてわたくしの魂は夢から醒めてきた、ただ一人思い悩む胸のつかえも晴れるのであろう。
滌濯 この風景に洗われている。○神魂醒 魂は夢から醒める。○幽懷 ただ一人思い悩む。○舒以暢 物思いも晴れる。


主人孩童舊,握手乍忻悵。
主人の竇庠公は子どものころからの昔なじみである、私の手を握りしめ、悲喜こもごもの様子を示すのである。
○主 竇司直は竇庠という人。やはり詩人であるが、このときは韓皐という人の幕府に入り、岳州(州庁は岳陽にあった)刺史の事務取扱となっていた。司直は官名で、大理司直の略。検察事務を扱う職だが、節度使の幕下に勤務する場合は朝廷の官職の一つを肩書として授けられるのが常であり、実際の職務としては、節度使からもらった岳州剌史事務取扱のほうが優先するわけである。舟で洞庭湖を渡り、江陵へと赴こうとしていた愈を、詩中に言うように、岳陽にいた竇庠が宴席を設け、招いてくれた。前から知りあいの仲で、久しぶりに顔を合わせたのである。そこで心ゆくまで飲み、別れにあたって、この詩を贈ったのであった。○乍忻悵 悲喜こもごもの様子を示す。


憐我竄逐歸,相見得無恙。
私が流罪にあって帰りみちであることにあわれをおもってくれた、そしてここで互いに合い心配ないことを確認しえたのである。
竄逐歸 流罪にあって帰りみち。○得無恙 心配ないことを確認し得た。

中唐詩-298 岳陽樓別竇司直 #4 Ⅱ韓退之(韓愈) 紀頌之の漢詩ブログ 韓愈特集-36-#4

中唐詩-298 岳陽樓別竇司直 #4 Ⅱ韓退之(韓愈) 紀頌之の漢詩ブログ 韓愈特集-36-#4


#4
餘瀾怒不已,喧聒鳴甕盎。
川波の名残りはまだ怒りを静めず、まるで壺や甕を打ち鳴らしているかのようにやかましく響いていた。
明登岳陽樓,輝煥朝日亮。
夜が明けて岳陽楼に登ってみると、きらきらとかがやいて朝日が明るくひろがっている。
飛廉戢其威,清晏息纖纊。
飛廉という風の神はその威力をおさめられた、こうして静まりかえってみると細い糸くずさえ動かない。
泓澄湛凝綠,物影巧相況。
湖水の表面はひろびろと静かに緑色をたたえ、みごとに物の影を写し出す。
江豚時出戲,驚波忽蕩瀁。

江豚(イルカ)が時おり水面に出て遊び、今まで怒涛逆巻く波は急に静かになってゆたかにあふれている。
#4
余瀾【よらん】怒りて已【や】まず、喧聒【けんかつ】として甕盎【おうおう】を鳴らす。
明けて岳陽楼に登れば、輝煥として朝日【ちょうじつ】亮【あき】らかなり。
飛廉 其の威を戢【おさ】め、清晏にして纖纊【せんこう】息【や】む。
泓澄【こうちょう】として凝緑【ぎりょく】を湛【たた】え、物影 巧みに相況【たと】う。
江豚【こうとん】時に出で戯れ、驚波 忽ち蕩瀁【とうよう】す。


現代語訳と訳註
(本文) #4

餘瀾怒不已,喧聒鳴甕盎。
明登岳陽樓,輝煥朝日亮。
飛廉戢其威,清晏息纖纊。
泓澄湛凝綠,物影巧相況。
江豚時出戲,驚波忽蕩瀁。


(下し文) #4
余瀾【よらん】怒りて已【や】まず、喧聒【けんかつ】として甕盎【おうおう】を鳴らす。
明けて岳陽楼に登れば、輝煥として朝日【ちょうじつ】亮【あき】らかなり。
飛廉 其の威を戢【おさ】め、清晏にして纖纊【せんこう】息【や】む。
泓澄【こうちょう】として凝緑【ぎりょく】を湛【たた】え、物影 巧みに相況【たと】う。
江豚【こうとん】時に出で戯れ、驚波 忽ち蕩瀁【とうよう】す。


(現代語訳)
川波の名残りはまだ怒りを静めず、まるで壺や甕を打ち鳴らしているかのようにやかましく響いていた。
夜が明けて岳陽楼に登ってみると、きらきらとかがやいて朝日が明るくひろがっている。
飛廉という風の神はその威力をおさめられた、こうして静まりかえってみると細い糸くずさえ動かない。
湖水の表面はひろびろと静かに緑色をたたえ、みごとに物の影を写し出す。
江豚(イルカ)が時おり水面に出て遊び、今まで怒涛逆巻く波は急に静かになってゆたかにあふれている。


(訳注)#4
餘瀾怒不已,喧聒鳴甕盎。
川波の名残りはまだ怒りを静めず、まるで壺や甕を打ち鳴らしているかのようにやかましく響いていた。
餘瀾 #2で「聲音一何宏,轟輵車萬兩。」(声音 一に何ぞ宏いなる、轟輵として車万両。)と起した余波。○喧聒 さわがしい、かまびすしい、やかましい○甕盎 つぼとかめ。


明登岳陽樓,輝煥朝日亮。
夜が明けて岳陽楼に登ってみると、きらきらとかがやいて朝日が明るくひろがっている。


飛廉戢其威,清晏息纖纊。
飛廉という風の神はその威力をおさめられた、こうして静まりかえってみると細い糸くずさえ動かない。
飛廉 中国の想像上の動物で、頭は雀に似て角があり、胴体は鹿に似ていて豹文があり、尾は蛇に似るというもの。 ここでは昨夕の荒れた洞庭湖を考慮し、、風の神の名。風伯。○纖纊 細い糸くず。


泓澄湛凝綠,物影巧相況。
湖水の表面はひろびろと静かに緑色をたたえ、みごとに物の影を写し出す。
泓澄 水が深くて澄んでいるようす。○湛凝綠 静かに緑色をたたえているようす。


江豚時出戲,驚波忽蕩瀁。
江豚(イルカ)が時おり水面に出て遊び、今まで怒涛逆巻く波は急に静かになってゆたかにあふれている。
江豚 スナメリ。長江に棲む川イルカ。○蕩瀁 ただようさま。揺れ動く。なみまかせのさま。瀁は漾とおなじで古字。浩漾もおなじ。李白、『惜餘春賦』「水蕩瀁兮碧色、蘭葳兮紅芳。」(水 蕩漾として碧色なり、蘭葳として紅芳あり。)





岳陽樓別竇司直
岳陽樓で友人の竇限司直と別れの宴をした。
#1
洞庭九州間,厥大誰與讓。
洞庭湖は九州に分けられたこの世界のなかで、大きさは他のどこの何にものに劣らないものだ。
南匯羣崖水,北注何奔放。
その南側で群がるように集まり、他と和合しない水の流れ下る、それらの川が北へと流れこむ勢いのなんとすさまじいことだろうか。
瀦爲七百里,吞納各殊狀。
かくて水は集まって七百里の広さの湖となり、川水を飲みこむのだが、それぞれに姿が異なる。
自古澄不清,環混無歸向。
この湖水は昔からいくら澄ませても澄まないし、混沌として帰着する所もわからない。
炎風日搜攪,幽怪多冗長。
東北の風は日ごとに湖のおもてを騒がせ、底に住む怪物には長々しいものが多い。
#2
軒然大波起,宇宙隘而妨。
声高らかに笑うように大浪が高く巻き起こり、そのために宇宙さえも狭くなって、つかえるかと思うほどだ。
巍峩拔嵩華,騰踔較健壯。
波はそびえて嵩山・華山をもしのぐほどであり、その飛び越える動きは健やかで勇壮なさまをきそっているようだ。
聲音一何宏,轟輵車萬兩。
流れ込む音、波の音が 一つに集まってなんと大きなことになるのだろう、ごうごうと一万両の兵車が走るほどの響きをたてるのである。
猶疑帝軒轅,張樂就空曠。
聖帝の軒轅皇帝がこの天空の広さのなかで天を弦にした音楽を演奏しているのかと疑われるほどのものだ。
蛟螭露筍簴,縞練吹組帳。
底に住むみずちが楽器の台を水面に現わし、湖をわたる風にあがった波しぶきが、楽団をかこむ白絹の帳を吹くかのよう。
#3
鬼神非人世,節奏頗跌踼。
この天の神がかなでる音楽のわざは人の世で聞けるものではなく、節章のリズムの取り方も奏でるメロディーも通常のものではないものだ。
陽施見誇麗,陰閉感悽愴。
管楽器を吹き鳴らすときは美しい声で聞こえているし、息を吸いこんで鳴らすときは凄惨、悲愴な感じになる。
朝過宜春口,極北缺隄障。
朝がた、宜春の入りロのあたりにさしかかったときは、北のはての方に何もさえぎるものがなかった。
夜纜巴陵洲,叢芮纔可傍。
夜になって巴陵の中洲に舟をつなごうとすると、草がむらがって生えている小さな芽がいっぱいでようやく舟が寄せられる程度であった。
星河盡涵泳,俯仰迷下上。
そして夜空に見える星はすべて天の川のなかに浮かんで輝き、下を向いたり上を向いたりすると、天と地を見ちがえるほどだった。
#4
餘瀾怒不已,喧聒鳴甕盎。
川波の名残りはまだ怒りを静めず、まるで壺や甕を打ち鳴らしているかのようにやかましく響いていた。
明登岳陽樓,輝煥朝日亮。
夜が明けて岳陽楼に登ってみると、きらきらとかがやいて朝日が明るくひろがっている。
飛廉戢其威,清晏息纖纊。
飛廉という風の神はその威力をおさめられた、こうして静まりかえってみると細い糸くずさえ動かない。
泓澄湛凝綠,物影巧相況。
湖水の表面はひろびろと静かに緑色をたたえ、みごとに物の影を写し出す。
江豚時出戲,驚波忽蕩瀁。
江豚(イルカ)が時おり水面に出て遊び、今まで怒涛逆巻く波は急に静かになってゆたかにあふれている。

中唐詩-297 岳陽樓別竇司直 #3 Ⅱ韓退之(韓愈) 紀頌之の漢詩ブログ 韓愈特集-36-#3

中唐詩-297 岳陽樓別竇司直 #3 Ⅱ韓退之(韓愈) 紀頌之の漢詩ブログ 韓愈特集-36-#3


#3
鬼神非人世,節奏頗跌踼。
この天の神がなでる音楽のわざは人の世で聞けるものではなく、節章のリズムの取り方も奏でるメロディーも通常のものではないものだ。
陽施見誇麗,陰閉感悽愴。
管楽器を吹き鳴らすときは美しい声で聞こえているし、息を吸いこんで鳴らすときは凄惨、悲愴な感じになる。
朝過宜春口,極北缺隄障。
朝がた、宜春の入りロのあたりにさしかかったときは、北のはての方に何もさえぎるものがなかった。
夜纜巴陵洲,叢芮纔可傍。
夜になって巴陵の中洲に舟をつなごうとすると、草がむらがって生えている小さな芽がいっぱいでようやく舟が寄せられる程度であった。
星河盡涵泳,俯仰迷下上。
そして夜空に見える星はすべて天の川のなかに浮かんで輝き、下を向いたり上を向いたりすると、天と地を見ちがえるほどだった。

#3
鬼神 人世に非ず、節奏 頗【すこぶ】る跌踼【てっとう】。
陽施して誇麗を見【あら】わし、陰閉して悽愴【せいそう】に感ず。
朝【あした】に宜春【ぎしゅん】の口を過ぐれば、極北 堤障【ていしょう】を欠く。
夜 巴陵の洲に纜【つな】げば、叢芮 纔かに傍【そ】う可し。
星河 尽く涵泳し、俯仰【ふぎょう】下上【かじょう】に迷う。

doteiko012

現代語訳と訳註
(本文)#3

鬼神非人世,節奏頗跌踼。
陽施見誇麗,陰閉感悽愴。
朝過宜春口,極北缺隄障。
夜纜巴陵洲,叢芮纔可傍。
星河盡涵泳,俯仰迷下上。


(下し文) #3
鬼神 人世に非ず、節奏 頗【すこぶ】る跌踼【てっとう】。
陽施して誇麗を見【あら】わし、陰閉して悽愴【せいそう】に感ず。
朝【あした】に宜春【ぎしゅん】の口を過ぐれば、極北 堤障【ていしょう】を欠く。
夜 巴陵の洲に纜【つな】げば、叢芮 纔かに傍【そ】う可し。
星河 尽く涵泳し、俯仰【ふぎょう】下上【かじょう】に迷う。


(現代語訳)
この天の神がなでる音楽のわざは人の世で聞けるものではなく、節章のリズムの取り方も奏でるメロディーも通常のものではないものだ。
管楽器を吹き鳴らすときは美しい声で聞こえているし、息を吸いこんで鳴らすときは凄惨、悲愴な感じになる。
朝がた、宜春の入りロのあたりにさしかかったときは、北のはての方に何もさえぎるものがなかった。
夜になって巴陵の中洲に舟をつなごうとすると、草がむらがって生えている小さな芽がいっぱいでようやく舟が寄せられる程度であった。
そして夜空に見える星はすべて天の川のなかに浮かんで輝き、下を向いたり上を向いたりすると、天と地を見ちがえるほどだった。


(訳注)#3
鬼神非人世,節奏頗跌踼。

この天の神がなでる音楽のわざは人の世で聞けるものではなく、節章のリズムの取り方も奏でるメロディーも通常のものではないものだ。
鬼神 天の神がなでる音楽のわざ。○節奏頗跌踼  節章のリズムの取り方も奏でるメロディーも通常のものではないものだ。


陽施見誇麗,陰閉感悽愴。
管楽器を吹き鳴らすときは美しい声で聞こえているし、息を吸いこんで鳴らすときは凄惨、悲愴な感じになる。
陽施 『淮南子・天文篇』「吐気者施、含気者化、是故陽施陰化。」(吐気は施、含気は化、是れ故に施は陽で化は陰。)施;ほどこす。手前の物を向こうへ押しやる。のびる(ノブ)。のばす。うつる。長くのびる。また、のびてうつっていく。「是れ故に施は陽で化は陰」とは、陰陽分類とは、どんなことについて陰と陽に分けたかというテーマ性が必要で、それによって陰と陽に分けたものの性質と、それ同士の関係性を明確化するわけである。この場合は天があって地があることで生じる環境変化を、反応のために作用を施す陽と、受けた施しから変化と言うかたちで反応する陰とに分類して、次の気象の発生で説明をしている。○誇麗 美しい。『荀子,富国』「非ず特以て為す淫泰誇麗之聲。」(特だに以て淫泰誇麗之聲を為すのみに非ず。)○陰閉 いきをふきこむこと。○悽愴 凄惨、悲愴。


朝過宜春口,極北缺隄障。
朝がた、宜春の入りロのあたりにさしかかったときは、北のはての方に何もさえぎるものがなかった。
朝過 朝がたさしかかったとき○宜春口 宜春の入りロのあたり。まだ洞庭湖には入っていない。○極北 洞庭湖の北には岳陽がある。○缺隄障 高い障害物がないこと。雨季にはほとんど水没する湿地帯であることをいうのであろう。


夜纜巴陵洲,叢芮纔可傍。
夜になって巴陵の中洲に舟をつなごうとすると、草がむらがって生えている小さな芽がいっぱいでようやく舟が寄せられる程度であった。
巴陵 現在の岳陽市の中心部になる。洲 中洲○叢芮 むらがって生えている小さな芽生えた芽。○纔可傍 ようやく舟が寄せられる程度であった。


星河盡涵泳,俯仰迷下上。
そして夜空に見える星はすべて天の川のなかに浮かんで輝き、下を向いたり上を向いたりすると、天と地を見ちがえるほどだった。
○星河 夜空に見える天の川○涵泳 天の川のなかに浮かんで輝き○俯仰 下を向いたり上を向いたりする○迷下上 天と地を見ちがえるほどである。
韓愈の地図01

中唐詩-296 岳陽樓別竇司直 #2 Ⅱ韓退之(韓愈) 紀頌之の漢詩ブログ 韓愈特集-36-#2

中唐詩-296 岳陽樓別竇司直 #2 Ⅱ韓退之(韓愈) 紀頌之の漢詩ブログ 韓愈特集-36-#2

#2
軒然大波起,宇宙隘而妨。
声高らかに笑うように大浪が高く巻き起こり、そのために宇宙さえも狭くなって、つかえるかと思うほどだ。
巍峩拔嵩華,騰踔較健壯。
波はそびえて嵩山・華山をもしのぐほどであり、その飛び越える動きは健やかで勇壮なさまをきそっているようだ。
聲音一何宏,轟輵車萬兩。
流れ込む音、波の音が 一つに集まってなんと大きなことになるのだろう、ごうごうと一万両の兵車が走るほどの響きをたてるのである。
猶疑帝軒轅,張樂就空曠。
聖帝の軒轅皇帝がこの天空の広さのなかで天を弦にした音楽を演奏しているのかと疑われるほどのものだ。
蛟螭露筍簴,縞練吹組帳。

底に住むみずちが楽器の台を水面に現わし、湖をわたる風にあがった波しぶきが、楽団をかこむ白絹の帳を吹くかのよう。

#2
軒然として大波起こり、宇宙 隘まりて妨【さまた】ぐ。
巍峩として嵩・華を抜き、騰踔【とうたく】して健壮を較ぶ。
声音 一に何ぞ宏【おお】いなる、轟輵【ごうかつ】として車万両。
猶 疑う帝軒轅【けんえん】の、楽【がく】を張りて空曠【くうこう】に就くかと。
蛟螭【こうち】 筍簴【じゅんきょ】を露わし、縞練【こうれん】 組帳【そちょう】を吹く。



現代語訳と訳註
(本文) #2
軒然大波起,宇宙隘而妨。
巍峩拔嵩華,騰踔較健壯。
聲音一何宏,轟輵車萬兩。
猶疑帝軒轅,張樂就空曠。
蛟螭露筍簴,縞練吹組帳。


(下し文) #2
軒然として大波起こり、宇宙 隘まりて妨【さまた】ぐ。
巍峩として嵩・華を抜き、騰踔【とうたく】して健壮を較ぶ。
声音 一に何ぞ宏【おお】いなる、轟輵【ごうかつ】として車万両。
猶 疑う帝軒轅【けんえん】の、楽【がく】を張りて空曠【くうこう】に就くかと。
蛟螭【こうち】 筍簴【じゅんきょ】を露わし、縞練【こうれん】 組帳【そちょう】を吹く。


(現代語訳)
声高らかに笑うように大浪が高く巻き起こり、そのために宇宙さえも狭くなって、つかえるかと思うほどだ。
波はそびえて嵩山・華山をもしのぐほどであり、その飛び越える動きは健やかで勇壮なさまをきそっているようだ。
流れ込む音、波の音が 一つに集まってなんと大きなことになるのだろう、ごうごうと一万両の兵車が走るほどの響きをたてるのである。
聖帝の軒轅皇帝がこの天空の広さのなかで天を弦にした音楽を演奏しているのかと疑われるほどのものだ。
底に住むみずちが楽器の台を水面に現わし、湖をわたる風にあがった波しぶきが、楽団をかこむ白絹の帳を吹くかのよう。


(訳注)#2
軒然大波起,宇宙隘而妨。

声高らかに笑うように大浪が高く巻き起こり、そのために宇宙さえも狭くなって、つかえるかと思うほどだ。
軒然 声高らかに笑うこと。


巍峩拔嵩華,騰踔較健壯。
波はそびえて嵩山・華山をもしのぐほどであり、その飛び越える動きは健やかで勇壮なさまをきそっているようだ。
拔嵩華 嵩山、崋山を凌ぐ。五岳(ごがく)は中国の道教の聖地である5つの山の総称。五名山とも呼ばれる。陰陽五行説に基づき、木行=東、火行=南、土行=中、金行=西、水行=北 の各方位に位置する、5つの山が聖山とされる。 東岳 泰山(山東省泰安市泰山区) 南岳 衡山(湖南省衡陽市衡山県) 中岳 嵩山(河南省鄭州市登封市) 西岳 華山(陝西省渭南市華陰市) 北岳 恒山(山西省大同市渾源県)○騰踔 飛び上がる。飛び越える。


聲音一何宏,轟輵車萬兩。
流れ込む音、波の音が 一つに集まってなんと大きなことになるのだろう、ごうごうと一万両の兵車が走るほどの響きをたてるのである。
聲音 流れ込む音、波の音。○一何宏 一つに集まって何とおおきなことになる。

猶疑帝軒轅,張樂就空曠。
聖帝の軒轅皇帝がこの天空の広さのなかで天を弦にした音楽を演奏しているのかと疑われるほどのものだ。
帝軒轅 軒轅。姓は姫姓とも姒氏とも言われ、また帝鴻氏とも呼ばれる。 三皇の最後、または五帝の始めに必ず名前のあがる人物で、一般に中華民族の祖とされている。 特に道家思想では、道家の論者を「黄老の徒」と呼んだように、理想の君主とされる。
張樂 天を弦にした音楽を演奏している。○空曠 天空の隅々までの広大なこと。


蛟螭露筍簴,縞練吹組帳。
底に住むみずちが楽器の台を水面に現わし、湖をわたる風にあがった波しぶきが、楽団をかこむ白絹の帳を吹くかのよう
蛟螭 蛟と螭のどちらも種類の違うみずちである。蛟は蛟であるが大魚、角のない竜。 螭は山の中のみずち、猛獣の名。○筍簴 楽器の台を水面に現わす。

中唐詩-295 岳陽樓別竇司直 #1 Ⅱ韓退之(韓愈) 紀頌之の漢詩ブログ 韓愈特集-36-#1

中唐詩-295 岳陽樓別竇司直 #1 Ⅱ韓退之(韓愈) 紀頌之の漢詩ブログ 韓愈特集-36-#1


 彬州から江陵へと赴任する道は、現在の湖南省をほぼ縦断して行く。ここを北に向かって湘水(湘江)が流れているが、愈の一行はその流れを舟で下ろうとはせず、川ぞいの街道を行く陸路をとったらしい。そして湘水が洞庭湖に流れこむところ、湖の南端から舟に乗り、これからは水路をとって、湖水を越え、長江を渡って、江陵へ行くつもりだったようである。
 王涯たち「三学士」に運動してもらって都へ召還されようとしたのだが、三人がはたして口をきいてくれたのか、きいてはくれたが効果がなかったのか、確実なことはわからないが、とにかく韓愈たちは都へ呼びもどしてはもらえなかった。呼びもどしてもらえぬ以上、江陵へ赴任するほかはない。彼らはここから江陵への道をとらざるを得なかったのである。
             
岳陽樓別竇司直(岳陽楼にて賓司直と別る)
#1
洞庭九州間,厥大誰與讓。
南匯羣崖水,北注何奔放。
瀦爲七百里,吞納各殊狀。
自古澄不清,環混無歸向。
炎風日搜攪,幽怪多冗長。
#2
軒然大波起,宇宙隘而妨。
巍峩拔嵩華,騰踔較健壯。
聲音一何宏,轟輵車萬兩。
猶疑帝軒轅,張樂就空曠。
蛟螭露筍簴,縞練吹組帳。
#3
鬼神非人世,節奏頗跌踼。
陽施見誇麗,陰閉感悽愴。
朝過宜春口,極北缺隄障。
夜纜巴陵洲,叢芮纔可傍。
星河盡涵泳,俯仰迷下上。
#4
餘瀾怒不已,喧聒鳴甕盎。
明登岳陽樓,輝煥朝日亮。
飛廉戢其威,清晏息纖纊。
泓澄湛凝綠,物影巧相況。
江豚時出戲,驚波忽蕩瀁。
#5
時當冬之孟,隙竅縮寒漲。
前臨指近岸,側坐眇難望。
滌濯神魂醒,幽懷舒以暢。
主人孩童舊,握手乍忻悵。
憐我竄逐歸,相見得無恙。
#6
開筵交履舃,爛漫倒家釀。
杯行無留停,高柱送清唱。
中盤進橙栗,投擲傾脯醬。
歡窮悲心生,婉孌不能忘。
念昔始讀書,志欲干霸王。

#7
屠龍破千金,爲藝亦云亢。
愛才不擇行,觸事得讒謗。
前年出官由,此禍最無妄。
公卿採虛名,擢拜識天仗。
姦猜畏彈射,斥逐恣欺誑。
#8
新恩移府庭,逼側廁諸將。
于嗟苦駑緩,但懼失宜當。
追思南渡時,魚腹甘所葬。
嚴程迫風帆,劈箭入高浪。
顛沈在須臾,忠鯁誰復諒。
#9
生還真可喜,尅己自懲創。
庶從今日後,粗識得與喪。
事多改前好,趣有獲新尚。
誓耕十畝田,不取萬乘相。
細君知蠶織,稚子已能餉。
行當掛其冠,生死君一訪。


岳陽樓別竇司直
#1
洞庭九州間,厥大誰與讓。
南匯羣崖水,北注何奔放。
瀦爲七百里,吞納各殊狀。
自古澄不清,環混無歸向。
炎風日搜攪,幽怪多冗長。

(岳陽楼にて竇司直と別る)#1
洞庭 九州の間、厥【そ】の大 誰にか譲らん。
南に群崖【ぐんがい】の水を匯【あつ】め、北に注ぐこと何ぞ奔放なる。
瀦【たた】えて七百里と為り、呑納【どんのう】各々状を殊【こと】にす。
古え自り澄ませども清【す】まず、環混として帰向無し。
炎風 日に捜攬【そうかく】し、幽怪 冗長多し。


#2
軒然大波起,宇宙隘而妨。
巍峩拔嵩華,騰踔較健壯。
聲音一何宏,轟輵車萬兩。
猶疑帝軒轅,張樂就空曠。
蛟螭露筍簴,縞練吹組帳。

#2
軒然として大波起こり、宇宙 隘まりて妨【さまた】ぐ。
巍峩として嵩・華を抜き、騰踔【とうたく】して健壮を較ぶ。
声音 一に何ぞ宏【おお】いなる、轟輵【ごうかつ】として車万両。
猶 疑う帝軒轅【けんえん】の、楽【がく】を張りて空曠【くうこう】に就くかと。
蛟螭【こうち】 筍簴【じゅんきょ】を露わし、縞練【こうれん】 組帳【そちょう】を吹く。


#3
鬼神非人世,節奏頗跌踼。
陽施見誇麗,陰閉感悽愴。
朝過宜春口,極北缺隄障。
夜纜巴陵洲,叢芮纔可傍。
星河盡涵泳,俯仰迷下上。

#3
鬼神 人世に非ず、節奏 頗【すこぶ】る跌踼【てっとう】。
陽施して誇麗を見【あら】わし、陰閉して悽愴【せいそう】に感ず。
朝【あした】に宜春【ぎしゅん】の口を過ぐれば、極北 堤障【ていしょう】を欠く。
夜 巴陵の洲に纜【つな】げば、叢芮 纔かに傍【そ】う可し。
星河 尽く涵泳し、俯仰【ふぎょう】下上【かじょう】に迷う。

#4
餘瀾怒不已,喧聒鳴甕盎。
明登岳陽樓,輝煥朝日亮。
飛廉戢其威,清晏息纖纊。
泓澄湛凝綠,物影巧相況。
江豚時出戲,驚波忽蕩瀁。

#4
余瀾【よらん】怒りて已【や】まず、喧聒【けんかつ】として甕盎【おうおう】を鳴らす。
明けて岳陽楼に登れば、輝煥として朝日【ちょうじつ】亮【あき】らかなり。
飛廉 其の威を戢【おさ】め、清晏にして纖纊【せんこう】息【や】む。
泓澄【こうちょう】として凝緑【ぎりょく】を湛【たた】え、物影 巧みに相況【たと】う。
江豚【こうとん】時に出で戯れ、驚波 忽ち蕩瀁【とうよう】す。


#5
時當冬之孟,隙竅縮寒漲。
前臨指近岸,側坐眇難望。
滌濯神魂醒,幽懷舒以暢。
主人孩童舊,握手乍忻悵。
憐我竄逐歸,相見得無恙。

#5
時に冬の孟【はじ】めに当たり、隙竅【げききょう】寒漲【かんちょう】を縮む。
前臨して近岸を指し、側坐するも眇として望み難し。
滌濯【できたく】して神魂醒め、幽懐 舒【の】べ以て暢【の】ぶ。
主人は孩童【がいどう】の旧、手を握って乍【たちま】ち忻悵【きんちょう】す。
憐れむ 我が竄逐【ざんちく】せられて帰り、相見て恙【つつが】無きを得しことを。


#6
開筵交履舃,爛漫倒家釀。
杯行無留停,高柱送清唱。
中盤進橙栗,投擲傾脯醬。
歡窮悲心生,婉孌不能忘。
念昔始讀書,志欲干霸王。

筵を開きて履舃【りせき】を交え、爛漫【らんまん】として家醸【かじょう】を倒す。
盃行【はいめぐ】りて留停する無く、高柱 清唱を送る。
中盤 橙栗【とうりつ】を進め、投擲【とうてき】脯醬【ほしょう】を傾く。
歓 窮まって 悲心生じ、婉孌【えんらん】として忘るる能わず。
念う昔 始めて読書せしとき、志 覇王に干【もと】めんと欲す。


#7
屠龍破千金,爲藝亦云亢。
愛才不擇行,觸事得讒謗。
前年出官由,此禍最無妄。
公卿採虛名,擢拜識天仗。
姦猜畏彈射,斥逐恣欺誑。

竜を屠【ほふ】らんとして千金を破り、芸を為すこと亦 云【ここ】に亢【たか】し。
才を愛して行ないを択【えら】ばず、事に触れて讒謗【ざんぼう】を得たり。
前年 官を出でし由【よし】、此の禍【わざわい】最も無妄【むもう】なり。
公卿に虚名を採り、擢拝【てきはい】して天仗【てんじょう】を識る。
姦猜【かんさい】弾射【だんせき】を畏れ、斥逐【せきちく】欺誑【ぎきょう】を恣【ほしい】ままにす。


#8
新恩移府庭,逼側廁諸將。
于嗟苦駑緩,但懼失宜當。
追思南渡時,魚腹甘所葬。
嚴程迫風帆,劈箭入高浪。
顛沈在須臾,忠鯁誰復諒。

新恩 府庭に移り、逼側【ひょくそく】として諸将に廁【まじ】わる。
于嗟【ああ】驚緩【どかん】を苦しみ、但だ宜当【ぎとう】を失わんことを懼【おそ】る。
追思す 南渡の時、魚腹 葬る所に甘んず。
厳程 風帆に迫り、劈箭 高浪に入る。
顛沈せんこと須臾【しゅゆ】に在り、忠鯁【ちゅうこう】 誰か復諒【りょう】とせん。


#9
生還真可喜,尅己自懲創。
庶從今日後,粗識得與喪。
事多改前好,趣有獲新尚。
誓耕十畝田,不取萬乘相。
細君知蠶織,稚子已能餉。
行當掛其冠,生死君一訪。

生還せるは真に喜ぶ可し、己れに剋【か】ちて自ら懲創【ちょうそう】す。
庶【こいねが】わくは今日従り後、粗【ほ】ぼ得と喪とを識らん。
事多く前好を改め、趣【すなわ】ち新尚【しんしょう】を獲【う】る有り。
誓って十畝【じっぽ】の田を耕し、万乗の相を取らじ。
細君は蚕織【さんしょく】を知り、稚子【ちし】は已【すで】に能く餉【しょう】す。
行々当【まさ】に其の冠を掛くべし、生死 君一たび訪【と】え。


岳陽樓別竇司直
岳陽樓で友人の竇限司直と別れの宴をした。
#1
洞庭九州間,厥大誰與讓。
洞庭湖は九州に分けられたこの世界のなかで、大きさは他のどこの何にものに劣らないものだ。
南匯羣崖水,北注何奔放。
その南側で群がるように集まり、他と和合しない水の流れ下る、それらの川が北へと流れこむ勢いのなんとすさまじいことだろうか。
瀦爲七百里,吞納各殊狀。
かくて水は集まって七百里の広さの湖となり、川水を飲みこむのだが、それぞれに姿が異なる。
自古澄不清,環混無歸向。
この湖水は昔からいくら澄ませても澄まないし、混沌として帰着する所もわからない。
炎風日搜攪,幽怪多冗長。
東北の風は日ごとに湖のおもてを騒がせ、底に住む怪物には長々しいものが多い。


(岳陽楼にて竇司直と別る)#1
洞庭 九州の間、厥【そ】の大 誰にか譲らん。
南に群崖【ぐんがい】の水を匯【あつ】め、北に注ぐこと何ぞ奔放なる。
瀦【たた】えて七百里と為り、呑納【どんのう】各々状を殊【こと】にす。
古え自り澄ませども清【す】まず、環混として帰向無し。
炎風 日に捜攬【そうかく】し、幽怪 冗長多し。



現代語訳と訳註
(本文) #1

洞庭九州間,厥大誰與讓。
南匯羣崖水,北注何奔放。
瀦爲七百里,吞納各殊狀。
自古澄不清,環混無歸向。
炎風日搜攪,幽怪多冗長。


(下し文) #1
洞庭 九州の間、厥【そ】の大 誰にか譲らん。
南に群崖【ぐんがい】の水を匯【あつ】め、北に注ぐこと何ぞ奔放なる。
瀦【たた】えて七百里と為り、呑納【どんのう】各々状を殊【こと】にす。
古え自り澄ませども清【す】まず、環混として帰向無し。
炎風 日に捜攬【そうかく】し、幽怪 冗長多し。


(現代語訳)
岳陽樓で友人の竇限司直と別れの宴をした。
洞庭湖は九州に分けられたこの世界のなかで、大きさは他のどこの何にものに劣らないものだ。
その南側で群がるように集まり、他と和合しない水の流れ下る、それらの川が北へと流れこむ勢いのなんとすさまじいことだろうか。
かくて水は集まって七百里の広さの湖となり、川水を飲みこむのだが、それぞれに姿が異なる。
この湖水は昔からいくら澄ませても澄まないし、混沌として帰着する所もわからない。
東北の風は日ごとに湖のおもてを騒がせ、底に住む怪物には長々しいものが多い。


 (訳注)
岳陽樓別竇司直

岳陽樓で友人の竇限司直と別れの宴をした。
岳陽樓 湖南省岳陽の町の西南にある楼。ここからは洞庭湖の見晴らしがよく、名勝として知られており、昔から多くの文人墨客がこの楼に登って、作品を残している。愈の時代より前で言えば、初唐の孟浩然が「波は揺がす岳陽城」と歌った

望洞庭湖贈張丞相
八月湖水平,涵虚混太淸。
氣蒸雲夢澤,波撼岳陽城。
欲濟無舟楫,端居恥聖明。
坐觀垂釣者,徒有羨魚情。

洞庭湖を望み 張丞相に贈る     
八月 湖水 平らかに,虚【きょ】を涵【ひた】して  太淸【たいせい】に混ず。
氣は蒸【む】す 雲夢【うんぼう】澤【たく】,波は撼【ゆる】がす 岳陽【がくよう】城。
濟【わた】らんと欲するに 舟楫【しゅうしふ】無く,端居して 聖明【せいめい】に恥づ。
坐して 釣を垂る者を 觀【み】るに,徒【いたづら】に 魚【うお】を羨【うらや】むの情 有り。

盛唐詩 望洞庭湖贈張丞相 孟浩然<36> Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集350 -343
望洞庭湖贈張丞相
八月湖水平,涵虚混太淸。
氣蒸雲夢澤,波撼岳陽城。
欲濟無舟楫,端居恥聖明。
坐觀垂釣者,徒有羨魚情。
盛唐の杜甫が「昔聞く洞庭の水、今登る岳陽楼」ではじまる詩を残したことが、ことに有名である。

泊岳陽城下   杜甫
江国踰千里、山城近百層。
岸風翻夕浪、舟雪灑寒灯。
留滞才難尽、艱危気益増。
図南未可料、変化有鯤鵬。
岳陽城下に泊す
江国踰(こ)ゆること千里、山城百層に近し。岸風夕浪(せきろう)を翻(ひるがえ)し、舟雪(しゅうせつ)  寒灯(かんとう)に灑(そそ)ぐ。留滞才尽き難く、艱危益々増す。図南未だ料(はか)る可からず、変化鯤鵬(こんほう)有り。

登岳陽樓 唐 杜甫
昔聞洞庭水,今上岳陽樓。
呉楚東南坼,乾坤日夜浮。
親朋無一字,老病有孤舟。
戎馬關山北,憑軒涕泗流。
岳陽樓に 登る
昔 聞く洞庭の水,今上る岳陽樓。呉楚東南に坼(さ)け,乾坤日夜浮かぶ。親朋一字無く,老病孤舟有り。戎馬(じゅうば) 關山の北,軒に憑(よ)りて涕泗(ていし)流る。

○竇司直 「賓司直」は賓限という人。やはり詩人であるが、このときは韓皐という人の幕府に入り、岳州(州庁は岳陽にあった)刺史の事務取扱となっていた。司直は官名で、大理司直の略。検察事務を扱う職だが、節度使の幕下に勤務する場合は朝廷の官職の一つを肩書として授けられるのが常であり、実際の職務としては、節度使からもらった岳州剌史事務取扱のほうが優先するわけである。舟で洞庭湖を渡り、江陵へと赴こうとしていた愈を、詩中に言うように、岳陽にいた竇庠が宴席を設け、招いてくれた。前から知りあいの仲で、久しぶりに顔を合わせたのである。そこで心ゆくまで飲み、別れにあたって、この詩を贈ったのであった。


 
#1
洞庭九州間,厥大誰與讓。

洞庭湖は九州に分けられたこの世界のなかで、大きさは他のどこの何にものに劣らないものだ。
洞庭 長江から大量の水が流れ込み、湖の面積が広がる。洞庭湖に流入する河川は、湖南省四大河川といわれる湘江・資江・沅江(げんこう)・澧水(れいすい)で、瀟水(しょうすい)も湘江と永州市(長沙市の近郊)で合流している。海を航行できる程の規模の船でも、長江から洞庭湖・湘江と経由して長沙にたどり着くことができる。○九州 天下ということ。戦国諸子の一人、陰陽家の代表者である鄒衍の言葉「九州の外に更に九州有り。」(「史記」の孟子筍卿列伝に見える)を引いている。陰陽家の考えでは、文明世界は赤県神州つまり中国を中心とした九つの州に分たれ、それを海がとりまいている。その外側にまた九つの州があり、更にその外部を大嵐海(大海)がとりまいているとされる。○厥大 その。それ。その大きさは。○誰與讓 誰に譲るということはない。


南匯羣崖水,北注何奔放。
その南側で群がるように集まり、他と和合しない水の流れ下る、それらの川が北へと流れこむ勢いのなんとすさまじいことだろうか
 水が廻り集まる。○羣崖水 群がるように集まり、他と和合しない水の流れ。○北注 北に向かって注ぎ込む。○何奔放 流れる勢いのなんとすさまじいことか。


瀦爲七百里,吞納各殊狀。
かくて水は集まって七百里の広さの湖となり、川水を飲みこむのだが、それぞれに姿が異なる。
 みずたまり。ぬま。たまる。○七百里 403km、1里は576m○吞納 川水を飲みこむ。○各殊狀 それぞれに姿が異なる。


自古澄不清,環混無歸向。
この湖水は昔からいくら澄ませても澄まないし、混沌として帰着する所もわからない。
澄不清 澄ませても澄まない○環混 めぐってまざる。○無歸向 帰着する所もわからない。


炎風日搜攪,幽怪多冗長。
東北の風は日ごとに湖のおもてを騒がせ、底に住む怪物には長々しいものが多い。
炎風 東北の風。八風の一つ。融風。熱風。○日搜攪 日ごとに湖のおもてを騒がせ○幽怪 底に住む怪物○多冗長 長々しいものが多い。

中唐詩-294 赴江陵途中寄贈王二十補闕李十一拾遺李二十六員外翰林三學士 #13 Ⅱ韓退之(韓愈) 紀頌之の漢詩ブログ 韓愈特集-35-#13

中唐詩-294 赴江陵途中寄贈王二十補闕李十一拾遺李二十六員外翰林三學士 #13 Ⅱ韓退之(韓愈) 紀頌之の漢詩ブログ 韓愈特集-35-#13

#13
深思罷官去,畢命依松楸。
しみじみ思うのは役人を辞職して去るということだ、松やヒサギの生い茂る田園生活をして一生を終えたいとおもうのだ。
空懷焉能果,但見歲已遒。
だが、それはむなしく心に抱くばかりで、いつになったら実現できるのか果たせそうにない希望なのだ、ただ歳月の経過は見る見るうちに私の一生の持ち時間が残り少なくなってくるのを痛感するばかりなのだ。
殷湯閔禽獸,解網祝蛛蝥。
むかし殷の湯王は鳥獣を憐れんで、四面に張った網の三面を慈愛を以て取りはらい、蜘蛛の網のまじないをとなえたという故事のように私もそのように自由な身、希望ある職につかせてほしいいのだ。
雷煥掘寶劍,冤氛銷鬥牛。
晋の雷煥は無実の者を救うのに、宝剣を掘りあてることにより、その上に立ちこめた「北斗星と牽牛星」の間にある恨みの気を消えさせたという故事のように自分の才能を発揮できる、朝廷へ呼びもどしていただきたい。
茲道誠可尚,誰能借前籌。
これらの人々の態度はたしかに尊ぶべきものだが、漢の張良が目の前の箸を使って計略を立てたように、国家の大計を立てるようなとき、私をその中に登用することは、誰ができよう(君たち、三君のほかにはないのだ)。
殷勤謝吾友,明月非暗投。

ぶしつけに友人たちに申しあげるけれども、昔から明月の珠は貴重なものながら、それを暗闇で人に投げつければ、誰でも驚くというもの、私は三君に対して明月の珠を暗闇のなかで投げつけるわけではないことを理解してくれると思っている。

#13
深く思う官を罷【や】めて去り,命を畢【お】えて松楸【しょうしゅう】に依【よ】らんことを。
空懷 焉【いず】くんぞ能く果たさんと,但だ見る歲の已【すで】に遒【せま】るを。
殷湯【いんとう】禽獸【きんじゅう】を閔【あわ】れんで,網を解きて蛛蝥【しゅぼう】を祝す。
雷煥【らいかん】寶劍を掘って,冤氛【えんぷん】鬥牛【とぎゅう】に銷【さ】ゆ。
茲の道 誠に尚【とうと】ぶ可し,誰か能く前籌【ぜんちゅう】を借らん。
殷勤【いんぎん】に吾が友に謝す,明月 暗投するに非ず。

tski001

現代語訳と訳註
(本文)
#13
深思罷官去,畢命依松楸。
空懷焉能果,但見歲已遒。
殷湯閔禽獸,解網祝蛛蝥。
雷煥掘寶劍,冤氛銷鬥牛。
茲道誠可尚,誰能借前籌。
殷勤謝吾友,明月非暗投。

(下し文)#13
深く思う官を罷【や】めて去り,命を畢【お】えて松楸【しょうしゅう】に依【よ】らんことを。
空懷 焉【いず】くんぞ能く果たさんと,但だ見る歲の已【すで】に遒【せま】るを。
殷湯【いんとう】禽獸【きんじゅう】を閔【あわ】れんで,網を解きて蛛蝥【しゅぼう】を祝す。
雷煥【らいかん】寶劍を掘って,冤氛【えんぷん】鬥牛【とぎゅう】に銷【さ】ゆ。
茲の道 誠に尚【とうと】ぶ可し,誰か能く前籌【ぜんちゅう】を借らん。
殷勤【いんぎん】に吾が友に謝す,明月 暗投するに非ず。


(現代語訳)
しみじみ思うのは役人を辞職して去るということだ、松やヒサギの生い茂る田園生活をして一生を終えたいとおもうのだ。
だが、それはむなしく心に抱くばかりで、いつになったら実現できるのか果たせそうにない希望なのだ、ただ歳月の経過は見る見るうちに私の一生の持ち時間が残り少なくなってくるのを痛感するばかりなのだ。
むかし殷の湯王は鳥獣を憐れんで、四面に張った網の三面を慈愛を以て取りはらい、蜘蛛の網のまじないをとなえたという故事のように私もそのように自由な身、希望ある職につかせてほしいいのだ。
晋の雷煥は無実の者を救うのに、宝剣を掘りあてることにより、その上に立ちこめた「北斗星と牽牛星」の間にある恨みの気を消えさせたという故事のように自分の才能を発揮できる、朝廷へ呼びもどしていただきたい。
これらの人々の態度はたしかに尊ぶべきものだが、漢の張良が目の前の箸を使って計略を立てたように、国家の大計を立てるようなとき、私をその中に登用することは、誰ができよう(君たち、三君のほかにはないのだ)。
ぶしつけに友人たちに申しあげるけれども、昔から明月の珠は貴重なものながら、それを暗闇で人に投げつければ、誰でも驚くというもの、私は三君に対して明月の珠を暗闇のなかで投げつけるわけではないことを理解してくれると思っている。

韓愈の地図01

(訳注)
深思罷官去,畢命依松楸。
しみじみ思うのは役人を辞職して去るということだ、松やヒサギの生い茂る田園生活をして一生を終えたいとおもうのだ。
松楸 マツとヒサギ。墓場にうえる木。墳墓そのものをさす。一生を終えること。


空懷焉能果,但見歲已遒。
だが、それはむなしく心に抱くばかりで、いつになったら実現できるのか果たせそうにない希望なのだ、ただ歳月の経過は見る見るうちに私の一生の持ち時間が残り少なくなってくるのを痛感するばかりなのだ。


殷湯閔禽獸,解網祝蛛蝥。
むかし殷の湯王は鳥獣を憐れんで、四面に張った網の三面を慈愛を以て取りはらい、蜘蛛の網のまじないをとなえたという故事のように私もそのように自由な身、希望ある職につかせてほしいいのだ。
殷湯閔禽獣 殷の湯王が巡視したとぎ、四面に網を張って「天より落つるものよ、地よりはい出るものよ。四方より未たるものよ、みなわが網にかかれ」と呪文をとなえる男を見た。「ああ、これでは一切の生物が死にたえてしまうではないか」湯王はこう思って、網の三面を切り開き、あらためて呪文をとなえた。「右にゆきたいものは右にゆけ。左にゆきたいものは左にゆけ。空高くのぼりたいものはのぼれ、地にもぐりたいものはもぐれ。蜘昧のように、稲食い虫のように、むさぼるな」こんな話が『呂氏春秋』に見える。禽獣にまでおよんだ湯王の仁慈を今上陛下に期待することは、いけないことだろうか。わたしにもそのおめぐみの一端が与えられないだろうか、というもの。


雷煥掘寶劍,冤氛銷鬥牛。
晋の雷煥は無実の者を救うのに、宝剣を掘りあてることにより、その上に立ちこめた「北斗星と牽牛星」の間にある恨みの気を消えさせたという故事のように自分の才能を発揮できる、朝廷へ呼びもどしていただきたい。
雷煥堀宝剣 晋の代に、北斗星と牽牛星術の大家として知られる張草が観測して、無実の罪で苦しむもののうらみが凝ってこの気となったものであろうと判断し、雷煥という人を豊城の県令に任命し捜索させた。雷煥は赴任するとすぐ獄舎の土を掘らせた。深さ四尺あまりのところから石のはこが出てきた。中に二振の剣があって、それぞれに、「竜泉」「太阿」と名が刻んであった。剣を掘り出した日から、さきの妖気は見えなくなった。「晋書」に見える故事である。わたしのために雷煥のような労を惜しまぬ人はいないか、というのだ。


茲道誠可尚,誰能借前籌。
これらの人々の態度はたしかに尊ぶべきものだが、漢の張良が目の前の箸を使って計略を立てたように、国家の大計を立てるようなとき、私をその中に登用することは、誰ができよう(君たち、三君のほかにはないのだ)。
前鱒 張良が漢の高祖にはかりごとを進める時「ちょっとこいつをお借りしますよ」といって、高祖の前の膳から箸をとって図をさし示したがら説いたという。『史記』留侯世家に見える話だが、そのように、きみたちが心おきなく相談できる相手としてわたしが最適ではないか、とほのめかしているのだ。


殷勤謝吾友,明月非暗投。
ぶしつけに友人たちに申しあげるけれども、昔から明月の珠は貴重なものながら、それを暗闇で人に投げつければ、誰でも驚くというもの、私は三君に対して明月の珠を暗闇のなかで投げつけるわけではないことを理解してくれると思っている。
明月 漢代に3陽が梁の孝王にたてまつった手紙に「明月珠や夜光璧のような宝玉でも、閤夜にふいに道ばたでさし出されたら、人びとは剣をにぎって顔を見合わせてあやしまないものはない。なぜなら、わけもなしに前にあらわれたからである」という語がある。この故事をとって、だがわたしのおくるこの詩は、きみたちにとっては暗中に投ぜられた明月珠ではないはずだが、友よ、わたしの申す意味が、きみたちに受け取ってもらえるものと期待していいよね、というほどの意。


この韓愈の自分の売り込みのしかたは、中国人の基本である。とくに、詩人は頭を下げることはしない。自分の持っている良さはここにある、これに気付かないのはあなたに仁徳がないからだ。故事には、無名のものを登用して国を立派にした天子がいた。今の天子、それに仕える近臣の人たちは当然そうしたことを理解している人である。
 奥ゆかしく、潔くしていたのでは生きていけないのかもしれない。韓愈の時代も、古代も、そして現代もそうなのだ。


朝廷はこの時、韓愈を流罪にした王伾・王叔文など革新派が失脚していた。同時に進士にきゅうだいした王二十補闕、李十一拾遺、李二十六員外の翰林三學士たちに対し、自分を都へ呼びもどしてくれるようにと、韓愈は訴えた。彼を江陵府の法曹参軍に任じたのは、順宗の名で出された辞令であり、宰相を粛清し、事態が変わった以上、事例の変更を期待したものであるが、江陵へは行きしかなかったのである。つぎは、洞庭湖の岳陽樓に立ち寄るのである。

中唐詩-293 赴江陵途中寄贈王二十補闕李十一拾遺李二十六員外翰林三學士 #12 Ⅱ韓退之(韓愈) 紀頌之の漢詩ブログ 韓愈特集-35-#12

中唐詩-293 赴江陵途中寄贈王二十補闕李十一拾遺李二十六員外翰林三學士 #12 Ⅱ韓退之(韓愈) 紀頌之の漢詩ブログ 韓愈特集-35-#12

<詩の背景>
王伾・王叔文を指導者とする革新派が順宗を擁して権力を握ろうとしており、反対派は排除しょうとしていたのであるが、韓愈はその反対派であり、監察御史として韓愈の同僚であった柳宗元・劉禹錫は恵の親友であったが、彼らは革新派に属していたという事実である。そこで韓愈が漏らした発言を柳宗元・劉禹錫がほかに伝えてしまい、それが流罪の原因となったのではないかというのが通説となっている。親友だった二人を一時的に韓愈は疑っていたのである。上奏文のなかではっきりと李実を弾劾したわけではない。

宮中で消費するさまざまの品物を調達することを「宮市」といい、在官が担当し、予算に従った調達費を持って買いに行き、宮中御用の名のもとにとりあげる、ただ同然の値段で物資を買い上げ、予算との差額は自分のふところに入れる。白居易(楽天)の『売炭翁』には、苦労して焼いた炭を、宮市の使者に安く買い上げられてしまう炭焼きの老人が描かれている。したがって宮市は、万民の怨嗟の的であった。順宗がまだ皇太子で、元気だったころのことであるが、側近との雑談のおりに、宮市の廃止を進言しようと思うと言った。みな賛成したが、王叔文ひとりが反対した。朝廷内は、一応、王叔文の一派により沈下させられた。

韓愈が監察御史として宮市を廃止せよという意見書を提出した。これは皇太子一派とは無関係であったが、皇太子としては、伏せておいたはずの案件が明るみへ出てしまったと思ったのも無理はない。韓愈はこのために、皇太子派によって罪に落とされ、流されたのだ。

#12
協心輔齊聖,政理同毛輶。
三人は心をあわせて聖天子を補佐しており、善い政治は毛のように軽々と徳が行きわたっている。
《小雅》詠鳴鹿,食蘋貴呦呦。
『詩経』の「小雅」では鳴きかわす鹿をうたい、野の草を食べておだやかな鳴声をあげるのを尊んでいる
遺風邈不嗣,豈憶嘗同稠。
小雅鹿嗚の遺風を遠い昔のこととして継承できないようでは、以前に同じ蒲団にくるまって寝たよしみをおぼえていないのだろうか。
失誌早衰換,前期擬蜉蝣。
私は理想を遂げることに失敗してとっくに老衰しており、これからの人生はかげろうのようにはかないものになぞられるということだ。
自從齒牙缺,始慕舌為柔。
歯がぬけ落ちてからというものは、はじめて舌のような柔らかな生き方が好ましいものである。
因疾鼻又塞,漸能等薰蕕。

病気のために鼻もつまって、だんだんと香りのよい草も悪い草も平等に見る境地に立てるようになった。

#12
心を協【あわ】せて齊聖【せいせい】を輔け,政理 毛輶【もうゆう】に同じ。
《小雅》鳴鹿【めいろく】を詠じ,蘋【ひょう】を食いて呦呦【ゆうゆう】たるを貴ぶ。
遺風 邈【ばく】嗣【つ】ぐ,豈嘗つて稠【ちゅう】同じゅうせしを憶【おも】わんや。
誌【こころざし】を失って早く衰換【すいかん】せり,前期は蜉蝣【ふゆう】に擬す。
齒牙【しが】の缺【か】けて自從【よ】り,始めて舌の柔と為すを慕う。
疾に因って鼻又塞【ふさ】がり,漸【ようや】く能く薰蕕【くんゆう】を等しくする。


現代語訳と訳註
(本文)
#12
協心輔齊聖,政理同毛輶。
小雅詠鳴鹿,食蘋貴呦呦。
遺風邈不嗣,豈憶嘗同稠。
失誌早衰換,前期擬蜉蝣。
自從齒牙缺,始慕舌為柔。
因疾鼻又塞,漸能等薰蕕。


(下し文)
心を協【あわ】せて齊聖【せいせい】を輔け,政理 毛輶【もうゆう】に同じ。
《小雅》鳴鹿【めいろく】を詠じ,蘋【ひょう】を食いて呦呦【ゆうゆう】たるを貴ぶ。
遺風 邈【ばく】嗣【つ】ぐ,豈嘗つて稠【ちゅう】同じゅうせしを憶【おも】わんや。
誌【こころざし】を失って早く衰換【すいかん】せり,前期は蜉蝣【ふゆう】に擬す。
齒牙【しが】の缺【か】けて自從【よ】り,始めて舌の柔と為すを慕う。
疾に因って鼻又塞【ふさ】がり,漸【ようや】く能く薰蕕【くんゆう】を等しくする。


(現代語訳)
三人は心をあわせて聖天子を補佐しており、善い政治は毛のように軽々と徳が行きわたっている。
『詩経』の「小雅」では鳴きかわす鹿をうたい、野の草を食べておだやかな鳴声をあげるのを尊んでいる
小雅鹿嗚の遺風を遠い昔のこととして継承できないようでは、以前に同じ蒲団にくるまって寝たよしみをおぼえていないのだろうか。
私は理想を遂げることに失敗してとっくに老衰しており、これからの人生はかげろうのようにはかないものになぞられるということだ。
歯がぬけ落ちてからというものは、はじめて舌のような柔らかな生き方が好ましいものである。

病気のために鼻もつまって、だんだんと香りのよい草も悪い草も平等に見る境地に立てるようになった。

(訳注)
協心輔齊聖,政理同毛輶。
三人は心をあわせて聖天子を補佐しており、善い政治は毛のように軽々と徳が行きわたっている。
斉聖『書経』の周書同命に「昔在、文武は聡明斉聖にして」の語がある。文王・武王のようにすぐれた天于の意。・政理 政治。(唐では高宗の諱號の「治」を避け、「理」と書く)○同毛輶『詩経』大雅、蕩の蒸民に「徳の軽きは毛の如くなれども、民のよく挙ぐることすくなし」とある。


小雅詠鳴鹿,食蘋貴呦呦。
『詩経』の「小雅」では鳴きかわす鹿をうたい、野の草を食べておだやかな鳴声をあげるのを尊んでいる
小雅詠鳴鹿 『詩経』小雅鹿嗚に「拗として鹿は鳴き野の芋を食ふ。我に嘉き賓あり。認を鼓し笙を吹く」の語がみえる。野の獣も人をおそれず四方の国々からも嘉賓か来集して楽しく宴遊する平和な時代をたたえる詩。(『詩経』小雅の「鹿鳴」の詩。亥と仲よく過ごすことの象徴とされる)。


遺風邈不嗣,豈憶嘗同稠。
小雅鹿嗚の遺風を遠い昔のこととして継承できないようでは、以前に同じ蒲団にくるまって寝たよしみをおぼえていないのだろうか。
遺風滅不嗣 鹿鳴をうたった時代ははるかな昔のことだから、その時代の風俗が今日にのこされうけつがれることは、ないのではないか。○嘗同稠 かつて夜着を共にした仲。親瓦というほどの意。


失誌早衰換,前期擬蜉蝣。
私は理想を遂げることに失敗してとっくに老衰しており、これからの人生はかげろうのようにはかないものになぞられるということだ。
蜉蝣 かげろう.朝生まれて夕べに死ぬいのちの短い虫の代表的なものとされている。


自從齒牙缺,始慕舌為柔。
歯がぬけ落ちてからというものは、はじめて舌のような柔らかな生き方が好ましいものである。
始慕舌為柔 常樅が口をひらいて老子に示して「舌はのこってるかね」老子「のこっています」常樅「やわらかいからじゃないか。歯はないだろう」「ありません」「強いからじゃないか」それから常樅がいった。「世の中のことはみなこの通り」こんな話が『説苑』にみえる。気の強い生き方よりも、もの柔かな生き方のよいことがはじめてわかったという意味。


因疾鼻又塞,漸能等薰蕕。
病気のために鼻もつまって、だんだんと香りのよい草も悪い草も平等に見る境地に立てるようになった。
薰蕕 においのいい草とわるい草。

中唐詩-276 題木居士二首其二 韓愈 Ⅱ韓退之(韓愈) 紀頌之の漢詩ブログ 韓愈特集-32

中唐詩-276 題木居士二首其二 韓愈 Ⅱ韓退之(韓愈) 紀頌之の漢詩ブログ 韓愈特集-32


韓愈は王伾、王叔文の急進改革に反対であった。彼は保守派に所属していた。王伾たちからは敵側と見られていたし、宦官の暗躍が問題になり始めていた。
韓愈の書き残したものを読むと、たしかに政治的に革新派であったとは思えないが、かといって徳宗時代の「弊政」の保守派を擁護しょうとする態度は見られないのは、儒者の特徴かもしれない。しかも王伾の一派で相当の重要人物である柳宗元や劉南錫は、韓愈とは前からの友人であった。だから韓愈は王伾の一派に属してもよかったはずであるが、現実にはそうでないはかりか、反感すらもっていたのである。人の行動、考え方を儒者の目で見るところは、ある意味革新性はなく、仁徳を重んじる復古主義へつながるものである。この詩「其一、其二」も儒者の考え方を示すものである。
韓愈の地図03

題木居士二首其二
爲神詎比溝中斷,遇賞還同爨下餘。
朽蠹不勝刀鋸力,匠人雖巧欲何如?


題木居士二首  其の二
神と為ることは詎【なん】ぞ溝中【こうちゅう】の断に比せん、賞に遇うことは還た爨下【さんか】の余【よ】に同じ。
朽蠹【きゅうと】して刀鋸【とうきょ】の力に勝【た】えず、匠人【しょうじん】は巧みなりと雖も何如せんとか欲っする。


徳宗崩御のしらせがいつ陽山にとどいたのかはわからない。都ではその年の二月(一説には三月)、大赦令が発せられて、徳宗の時代に罪を得た者は一律に赦免されることとなった。ただしこれは一般的な処置で、個々の人については、朝廷からあらためて沙汰の下るのを待たなければならない。
大赦令が出たという情報も、当然陽山までとどいたはずであるが、これもいつのことかはわからない。とにかく韓愈は、その情報をつかんで間もなくのことと思われるが、次の任地がどこかわからないが、流罪を解くという赦免状がとどいていたので、805年永貞元年の夏ごろに陽山を出て、来た道を逆にたどった。北へと峠を越えて湖南の地に入り、榔州という町に滞在して彼自身についての命令が来るのを待ち受けた。


nat0021


現代語訳と訳註
(本文)
題木居士二首其二
爲神詎比溝中斷,遇賞還同爨下餘。
朽蠹不勝刀鋸力,匠人雖巧欲何如?


(下し文) 題木居士二首其の二
神と為ることは詎【なん】ぞ溝中【こうちゅう】の断に比せん、賞に遇うことは還た爨下【さんか】の余【よ】に同じ。
朽蠹【きゅうと】して刀鋸【とうきょ】の力に勝【た】えず、匠人【しょうじん】は巧みなりと雖も何如せんとか欲っする。


(現代語訳)
神さまに祭られているのはどぶの中のきれはしよりもましだが、めでられたといってもやはりたきぎ、『莊子』でいうもえ残りの琴と同じようなものだ。
どんな桐の木でも虫食いにより朽ちていては小刀細工する力にさえ堪えないので、どんな腕ききの大工であろうとどうしようにもならぬのだ。


(訳注) 題木居士二首
爲神詎比溝中斷,遇賞還同爨下餘。

神さまに祭られているのはどぶの中のきれはしよりもましだが、めでられたといってもやはりたきぎ、『莊子』でいうもえ残りの琴と同じようなものだ。
○詎比 比べものにはならない。詎は反語。○溝中断 どぶ中にすてられた木の切れっぱし。「荘子」天地篇に 「百年之木,破為犧尊,比溝中之斷,則美惡有間矣,其於失性一也。」(百年の木、破【わか】って犧尊【みきどつくり】と為し、青と黄ぬりて之を文【かざ】る。其の断【のこ】りは溝の中に在り。犠尊を溝の中の断【きれはし】に比ぶれぱ、即ち美しきと悪【みにく】きと間【ちが】い有れども、其の性を央しなうに於いては一なり。」とあるにもとづく。○還 やはり。これもまた。○爨下餘 めしたきの薪の余り。「後漢蔡邕在吳,有燒桐以爨者,聞火烈之聲,知其良木,因裁為琴。」後漢の蔡邕(132-192年)が、桐をたきぎとしているのを見ていたが、そのもえぐあいから、その桐が良質であるのを知り、もえ残りを用いて琴を作ったところ、はたして名器「焦尾琴」(しょうびきん)となったという故事にもとづく。


朽蠹不勝刀鋸力,匠人雖巧欲何如?
どんな桐の木でも虫食いにより朽ちていては小刀細工する力にさえ堪えないので、どんな腕ききの大工であろうとどうしようにもならぬのだ。
朽蠹 朽ちて虫が食っている。○不勝 できない。それに持ちこたえるだけの力がない。○匠人 大工。指し物師。


気の早いことをしたものである。当時の慣例では、官僚の異動に際し、いちおうそれまでの職の辞表を提出し、それが受理されてから、次のポストの辞令が下されることとなっていた。恵は形式上は陽山県令の肩書をもっているので、都に帰るとなれば、県令の辞表を提出し、一時的に無位無官となる必要がある。だがそれも、赦免状を持った使者が陽山に来てからでよいはずであった。流罪を解かれるのが既定の事実になっているからよいようなものの、本来は勝手に配所を離れるのは御法度のはずで、この点はもう大赦令が出された以上、大丈夫との見通しが立っていたのであろう。
おそらく恵は、一刻も早く赦免の使者に会い、都に帰りたいと思っていたのであろう。陽山と那州との間には五嶺と総称される山脈があって、ここの山越えは難儀には達いないが、南方のことだから冬でも寒さのために遭難といったケースは、めったにない。こちらから山を越えて得たねはならぬ必要には乏しいと思われる。やはり一刻も早く使者に会って、赦免の命令を耳にしたいという心が、北への旅を開始させたのであろう。

hinode0200

blogram投票ボタン

毎日それぞれ一首(長詩の場合一部分割掲載)kanbuniinkai紀 頌之の漢詩3ブログ
05rihakushi350

李白詩350首kanbuniinkai紀頌之のブログ

700Toho shi

kanbuniinkai11の頌之漢詩 杜甫詩700首

800tousouSenshu
kanbuniinkai10 頌之の漢詩 唐宋詩人選集 Ⅰ李商隠150首 Ⅱ韓退之(韓愈)Ⅶ孟郊
各詩人についてはブログ内の検索を利用したほうが良い場合もあります。
burogutitl770

http://kanshi100x100.blog.fc2.com/




唐宋詩 
(Ⅰ李商隠Ⅱ韓退之(韓愈))350
李白詩INDEX02
李商隠INDEX02
杜甫詩INDEX02

中唐詩-275 題木居士二首其一 韓愈 Ⅱ韓退之(韓愈) 紀頌之の漢詩ブログ 韓愈特集-31

中唐詩-275 題木居士二首其一 韓愈 Ⅱ韓退之(韓愈) 紀頌之の漢詩ブログ 韓愈特集-31

順宗は皇太子から帝位にはついたものの、このときすでに45歳で、薬物中毒の可能性が高いのだが、前年からものが言えなくなっていた。政策はほとんど順宗側近の王佐・王叔文らによって決定されていたが、それが革新的な政策だったために、問題が大きくなった。

徳宗の治政は長く続いたので、さまざまな弊害が法令または慣習として定着している。それを改めるために、新たに帝位についた皇帝を利用しようとしたのは当然であるが、新帝が病気では、それを利用して政治の垂断をはかるものという声が起こるのもやむを得ない。改革によって利権を失った保守派は、この点から革新派を攻撃する。


題木居士二首其一
火透波穿不計春,根如頭面榦如身。
野火が通りぬけ川波が穴をうがちつつ幾とせ経たであろうか。根は頭や顔のようで幹はからだのようだ。
偶然題作木居士,便有無窮求福人。

誰呼ぶこともなく何かの機会で木の羅漢さまだと名づけられたのだろう、その木偶人形に御利益を求める人が限りなくいるものだ。

木居【もっこ】士に題す 二首 其の一
火の透【とお】り波の穿【うが】って春を計らず、根は頭面の如く榦は身の如し
偶然に題して木居士と作【な】せば、便【すなわ】ち窮【きわ】まり無く福を求むる人有り。


結局、その年の八月に順宗は退位し、皇太子だった憲宗が即位した。順宗の治政は半年強しか続かなかったわけで、革新派は全面的な敗北に終わったのである。王佐は流罪、王叔文は流罪ののち自殺を命ずるという処分を受けた。また改元が行なわれ、貞元二十一年を永貞元年と呼ぶことになった。


韓愈の地図03


現代語訳と訳註
(本文) 
其一
火透波穿不計春,根如頭面榦如身。
偶然題作木居士,便有無窮求福人。

(下し文) 木居【もっこ】士に題す 二首 其の一
火の透【とお】り波の穿【うが】って春を計らず、根は頭面の如く榦は身の如し
偶然に題して木居士と作【な】せば、便【すなわ】ち窮【きわ】まり無く福を求むる人有り。


(現代語訳)
野火が通りぬけ川波が穴をうがちつつ幾とせ経たであろうか。根は頭や顔のようで幹はからだのようだ。
誰呼ぶこともなく何かの機会で木の羅漢さまだと名づけられたのだろう、その木偶人形に御利益を求める人が限りなくいるものだ。


(訳注)
題木居士二首 其一
題木居士 木居士を題にしてよんだ詩。題とは、あるものを題にして詩にしてよみ、そのものに書きつけるのが通例であるが、ここは、おそらく書きつけたのではあるまい。木居士は、木の羅漢さま。彫刻刀で掘ったものではなく、自然に羅漢さまのかっこうをしているのである。居士は、在家のまま仏教の修行をしている人。この木居士は、湖南省耒陽県の北少こし離れた鼇口寺に祭られてあったという。805年永貞元年、韓愈38歳の夏を過ぎたころ、広東者の陽山県から湖南者の郴州に出て、転任命令を待っているときの作。木像を神として幸福を祈る人たちに対する風刺詩である。


火透波穿不計春,根如頭面榦如身。
野火が通りぬけ川波が穴をうがちつつ幾とせ経たであろうか。根は頭や顔のようで幹はからだのようだ。
火透 野火○波穿 川波が巌の穴をうがちつつ○不計春 春は、年というのとほぽ同じ。巌の穴を穿つのにとても長い時間の経過がある。


偶然題作木居士,便有無窮求福人。
誰呼ぶこともなく何かの機会で木の羅漢さまだと名づけられたのだろう、その木偶人形に御利益を求める人が限りなくいるものだ。
便 そうすると。○求福人 人は幸福を求めている。御利益を求める。御利益があったから人はまた求める。偶然から始まったものであっても、その後の世には、仏様となっている。

 


徳宗崩御のしらせがいつ陽山にとどいたのかはわからない。都ではその年の二月(一説には三月)、大赦令が発せられて、徳宗の時代に罪を得た者は一律に赦免されることとなった。ただしこれは一般的な処置で、個々の人については、朝廷からあらためて沙汰の下るのを待たなければならない。
大赦令が出たという情報も、当然陽山までとどいたはずであるが、これもいつのことかはわからない。とにかく韓愈は、その情報をつかんで間もなくのことと思われるが、次の任地がどこかわからないが、流罪を解くという赦免状がとどいていたので、805年永貞元年の夏ごろに陽山を出て、来た道を逆にたどった。北へと峠を越えて湖南の地に入り、榔州という町に滞在して彼自身についての命令が来るのを待ち受けた。
天台山 瓊臺
hinode0200

blogram投票ボタン

毎日それぞれ一首(長詩の場合一部分割掲載)kanbuniinkai紀 頌之の漢詩3ブログ
05rihakushi350

李白詩350首kanbuniinkai紀頌之のブログ

700Toho shi

kanbuniinkai11の頌之漢詩 杜甫詩700首

800tousouSenshu
kanbuniinkai10 頌之の漢詩 唐宋詩人選集 Ⅰ李商隠150首 Ⅱ韓退之(韓愈)Ⅶ孟郊
各詩人についてはブログ内の検索を利用したほうが良い場合もあります。
burogutitl770

http://kanshi100x100.blog.fc2.com/



唐宋詩 
(Ⅰ李商隠Ⅱ韓退之(韓愈))350
李白詩INDEX02
李商隠INDEX02
杜甫詩INDEX02

中唐詩-274 酔後 韓愈 Ⅱ韓退之(韓愈) 紀頌之の漢詩ブログ 韓愈特集-30

中唐詩-274 酔後 Ⅱ韓退之(韓愈) 紀頌之の漢詩ブログ 韓愈特集-30

kairo10680

次の皇帝が新たに聖明の徳を継承され、国のすみずみまで日ごとに教化が流れている。私はただこの傷を源ぎたいと思うばかりで、そうしたら官界から永久に去って農業に従事したい。嵩山を切りひらいて山小屋を建て、頴水の岸辺に風を受ける高殿をそびえ立たせよう。土地いっぱいに稲や麦をまき、家の周囲にぐるりと梨や菜の樹を植えよう。子供たちもだんだん大きくなれば、穀物を荒らす雀や鼠をおどして追いはらうのには役だつだろう。こうしてお上の租税はきちんと納め、時には地酒を作って、飲みに来いと村人たちに誘いをかけよう。心のどかに老農の愚直さを愛し、家に帰ってからはがんぜない娘をあやして楽しもう。今となってほ望むところはこれだけだ。息子の嫁とり、娘の嫁入りがすむのを待つ必要がどこにあろうか。

「県斎」とは県令の官舎内にある書斎のことである。ただし官舎といっても、県庁の建物といっしょになっていることが多い。つまり表は県庁で、裏は官舎なのである。県斎も、県令が読書をしたりするプライベートな部屋なのだが、そこを執務室のようにして使うことがある。このあたりの公私の区別は、あまりはっきりしない。恵は流罪になったのだが、形式上は陽山県令の辞令をもらっているので、陽山という片田舎の範囲内では、県令としてふるまうことができる。

この詩のなかの言葉から見れば、このときの韓愈は新帝順宗の即位をすでに知っていた。即位の儀式が挙行されれば、慣例として大赦が行なわれる。そこで恵も、大赦の恩典に浴して青天白日の身となり、そのかわりに官界から引退して農耕に余生を送ろうと哀訴しているのである。のちにもう一度述べるが、愈は順宗の側近ににらまれたのがこのたびの流罪の原田となったのではないかという疑念を抱いていた。だがこの際、そんなことを問題にしてはいられない。ひたすら哀訴嘆願するはかりであった。

即位期間 786-804 徳宗  (韓愈 19歳―37歳)
  〃   805-805 順宗  (〃   38歳    )
  〃   806-820 憲宗  (〃   39歳―53歳)

もっとも、順宗は皇太子から帝位にはついたものの、このときすでに四十五歳。しかも、どういう病気にかかったのか、前年からものが言えなくなっていた。政策はほとんど順宗側近の王伾・王叔文らによって決定されていたが、それが革新的な政策だったために、問題が大きくなった。徳宗の治政は長く続いたので、さまざまな弊害が法令または慣習として定着している。それを改めるために、新たに帝位についた皇帝を利用しようとしたのは当然であるが、新帝が病気では、それを利用して政治の壟断をほかるものという声が起こるのもやむを得ない。改革によって利権を失った保守派は、この点から革新派を攻撃する。

結局、その年の八月に順宗は退位し、皇太子だった憲宗が即位した。順宗の治政は半年強しか続かなかったわけで、革新派は全面的な敗北に終わったのである。王佐は流罪、王叔文は流罪ののち自殺を命ずるという処分を受けた。また改元が行なわれ、貞元二十一年を永貞元年と呼ぶことになった。


酔後
煌煌東方星、奈此衆客酔。
今、きらきらと東の空に希望の龍の星が輝いているというのに、この客たちは何を考えているのだろう、この酔いぶりはどうしようもない。
初喧或忿爭、中静雜嘲戯。
始めは大声をだし、騒がしくて喧嘩をする者もあるが、中ごろは静かになってきた、女をからかう者も戯言をするものが出てくるのだ。
淋漓身上衣、蘇倒筆下字。
一生懸命で上着のからだにつけている着物はびっしょりぬれている、本来なら筆を持つ手がスラスラ行くはずなのに、字が傾いてうまく書けないのだ。
人生如此少、酒購且勤置。
人生にはこんなに酔ってしまうことはめったにないことでここだからできるというものだ。酒も安いことだ、できる限りこの場をそのままにしておこう。

(酔後)
煌煌【こうこう】たり東方の星、此の衆客の酔えるを奈【いかん】せん。
初めは喧【かまびす】しくて或いは忿争し、中ごろは静かにして嘲戯を雑う。
淋漓たり身上の衣、顚倒す筆下の字。
人生 此の如きこと少なり、酒は賎【やす】し、且【しばら】く勤めて置け。


現代語訳と訳註
(本文) 酔後

煌煌東方星、奈此衆客酔。
初喧或忿爭、中静雜嘲戯。
淋漓身上衣、顚倒筆下字。
人生如此少、酒購且勤置。


(下し文) (酔後)
煌煌【こうこう】たり東方の星、此の衆客の酔えるを奈【いかん】せん。
初めは喧【かまびす】しくて或いは忿争し、中ごろは静かにして嘲戯を雑う。
淋漓たり身上の衣、顚倒す筆下の字。
人生 此の如きこと少なり、酒は賎【やす】し、且【しばら】く勤めて置け。


(現代語訳)
今、きらきらと東の空に希望の龍の星が輝いているというのに、この客たちは何を考えているのだろう、この酔いぶりはどうしようもない。
始めは大声をだし、騒がしくて喧嘩をする者もあるが、中ごろは静かになってきた、女をからかう者も戯言をするものが出てくるのだ。
一生懸命で上着のからだにつけている着物はびっしょりぬれている、本来なら筆を持つ手がスラスラ行くはずなのに、字が傾いてうまく書けないのだ。
人生にはこんなに酔ってしまうことはめったにないことでここだからできるというものだ。酒も安いことだ、できる限りこの場をそのままにしておこう。


(訳注) 酔後
煌煌東方星、奈此衆客酔。

(煌煌【こうこう】たり東方の星、此の衆客の酔えるを奈【いかん】せん。)
今、きらきらと東の空に希望の龍の星が輝いているというのに、この客たちは何を考えているのだろう、この酔いぶりはどうしようもない。
○煌煌【こうこう】きらきらと輝くさま。明るく照るさま。○東方星 五行思想では東方の色は青だったので、青龍と呼ばれた。そこにインドから仏教とともにナーガーラジャ(蛇神)が伝来し、これが龍王と翻訳されたことから、龍王という呼び方が定着したという。皇帝が没し、順宗が即位し、新しい希望持つことを、東方で表し、万物の生まれ成長していく原点が東方にある。


初喧或忿爭、中静雜嘲戯。
(初めは喧【かまびす】しくて或いは忿争し、中ごろは静かにして嘲戯を雑う。)
始めは大声をだし、騒がしくて喧嘩をする者もあるが、中ごろは静かになってきた、女をからかう者も戯言をするものが出てくるのだ。
初喧 始めは大声をだし、騒がしくする。○忿爭 て喧嘩をする者もある。○中静 宴の中ごろは静かになってきた。○雜嘲戯 戯言、女をからう、酔いの勢いに乗って混じり合うさま。


淋漓身上衣、顚倒筆下字。
(淋漓たり身上の衣、顚倒す筆下の字。)
一生懸命で上着のからだにつけている着物はびっしょりぬれている、本来なら筆を持つ手がスラスラ行くはずなのに、字が傾いてうまく書けないのだ。
淋漓 したたるさま。元気や筆勢などの盛んなこと。 杜甫『奉先劉少府新畫山水障歌』「反思前夜風雨急,乃是蒲城鬼神入。元氣淋灕障猶濕,真宰上訴天應泣。」(反って思う 前夜 風雨 急なりしを、乃ち是 蒲城(ほじょう)に鬼神入る。元気 淋灕(りんり)として障 猶 湿う、真宰(しんさい)に上り 訴えて 天 応(まさ)に泣くなるべし。)顚倒 上句に淋漓があり、下句に筆が来ると筆の運びの勢いが盛んなことである。○上衣 からだにつけている着物。


人生如此少、酒購且勤置。
(人生 此の如きこと少なり、酒は賎【やす】し、且【しばら】く勤めて置け。)
人生にはこんなに酔ってしまうことはめったにないことでここだからできるというものだ。酒も安いことだ、できる限りこの場をそのままにしておこう。


当時朝廷を勝手気ままにしていた連中は、王伾・王叔文の一党であった。徳宗の末期には、不可解な事件が多く多くの文人が左遷されている。この詩で東の空に輝く星とは、東宮にある皇太子、後の憲宗をさす。
順宗は779年に立太子され、805年に徳宗の崩御により即位した。王叔文を翰林学士に任じ、韓秦、韓曄、柳宗元、劉禹錫、陳諌、凌准、程異、韋執宜ら(二王八司馬)を登用、徳宗以来続いていた官吏腐敗を一新し、地方への財源建て直し、宦官からの兵権を取り返そうとするなどの永貞革新の政策を行なっているが、即位して間もなく脳溢血に倒れ、言語障害の後遺症を残した。さらに8月には宦官の具文珍らが結託して皇帝に退位を迫り、即位後僅か7ヶ月で長男の李純に譲位し、自らは太上皇となった。翌年に47歳で病気により崩御したが、宦官によって殺害されたものであった。

中央では、このような状況の中、韓愈は、牧歌的な地域の県令であり、何の手の施しようもなかった。詩のなかには制作年代を推定させる言葉が一つもないが、韓愈がこの詩を書ける時期として、陽山しかないのである。陽山での作に入れられているのは、このためである。


とにかく、このように、韓愈は王伾・王叔文の改革に反対で、保守派に所属していたから、王伾たちからは敵側と見られていた。韓愈の書き残したものには、政治的に革新派であったとは思えるものはない。
しかし、徳宗時代の「弊政」を擁護しょうとする態度もまったくない改革、革新性のない儒者なのである。王伾の一派には柳宗元や劉禹錫がおり、韓愈とは前からの友人であった。だから韓愈は王伾の一派に属すことができる可能性はあったが、王伾に対しては反感すらもっていたのである。


この詩の頭に「煌煌東方星」とあるのは、家臣たちの政治で左右されるものではなく、天子の徳に期待を持っていることをあらわしている。
五行思想では龍は東方を表して虎は西方を表し、また龍は水との縁に因んで北方を代表する動物として、虎は猛火を例えて南方を代表する動物として考えられている。龍と虎を描いて天下統一の思想と世界全体を表して用いられている。

木・火・土・金・水」の五元素によって自然現象や人事現象のいっさいを解釈し説明しようとする思想を五行説とよぶ。すなわち、あらゆる .... 東方は、太陽が昇る方向、南方は暑く、西方は白く輝く山々が有り、北方は冷たい地方とつながる。そして中央には、黄土に

毎日それぞれ一首(長詩の場合一部分割掲載)kanbuniinkai紀 頌之の漢詩3ブログ
05rihakushi350




李白詩350首kanbuniinkai紀頌之のブログ

700Toho shi
kanbuniinkai11の頌之漢詩 杜甫詩700首

800tousouSenshu
kanbuniinkai10 頌之の漢詩 唐宋詩人選集 Ⅰ李商隠150首

中唐詩-274 縣齋有懐 #8 韓愈 Ⅱ韓退之(韓愈) 紀頌之の漢詩ブログ 韓愈特集-29 

中唐詩-274 縣齋有懐 #8 韓愈 Ⅱ韓退之(韓愈) 紀頌之の漢詩ブログ 韓愈特集-29 


縣齋有懐 #1
少小筒奇偉、平生足悲咤。猶嫌子夏儒、肯学樊遅稼。
事業窺皋稷、文章蔑曹謝。濯纓起江湖、綴珮雑蘭麝。
悠悠指長道、去去策高駕。
#2
誰爲傾国媒、自許連城價。初随計吏貢、屡入澤宮射。
雖免十上勞、何能一戰覇。人情忌殊異、世路多權詐。
蹉跎顔逐低、嶊折氣愈下。
#3
冶長信非罪、侯生或遭罵。懐書出皇都、銜涙渡清㶚。
身將老寂寞、志欲死閑暇。朝食不盈腸、冬衣纔掩髁。
軍書既頻召、戎馬乃連跨。
#4
大梁従相公、彭城赴僕射。弓箭圍狐免、絲竹羅酒炙。
兩府變荒涼、三年就休暇。求官去東洛、犯雪過西華。
塵挨紫陌春、風雨霊臺夜。
#5
名聾荷朋友、援引乏姻婭。雖陪彤庭臣、詎縦靑冥靶。
寒空聳危闕、暁色曜脩架。捐躯辰在丁、鎩翮時方碏。
投荒誠職分、領邑幸寛赦。
#6
湖波翻日車、嶺石坼天罅。毒霧恆薫晝、炎風毎焼夏。
雷威固己加、颶勢仍相借。氣象杳難測、聾音呼可怕。
夷言聴未慣、越俗循猶乍。
#7
指摘兩憎嫌、睢肝互猜訝。秖縁恩未報、豈謂生足藉。
嗣皇新繼明、率土日流化。惟思滌瑕垢、長去事桑柘。
斵嵩開雲扃、厭穎抗風榭。
#8
禾麥種満地、梨棗栽繞舎。兒童稍長成、雀鼠得騙嚇。
官租日輪納、村酒時邀迓。閑愛老兵愚、歸弄小女奼。
如今便可爾、何用畢婚嫁。

8
禾麥種満地、梨棗栽繞舎。
土地いっぱいに稲や麦をまき、家の周囲にぐるりと梨や菜の樹を植えよう。
兒童稍長成、雀鼠得騙嚇。
子供たちもだんだん大きくなれば、穀物を荒らす雀や鼠をおどして追いはらうのには役だつだろう。
官租日輪納、村酒時邀迓。
こうしてお上の租税は決められた日までにきちんと納め、時には地酒を作って、飲みに来いと誘いをかけと村人たちを待ちむかえ、出迎えようと思う。
閑愛老兵愚、歸弄小女奼。
外に出ては心のどかに老農の愚直さを愛し、家に帰ってからは可愛くて仕方ない娘をあやして楽しもう。
如今便可爾、何用畢婚嫁。
今のじぶんにとって、望むところはたったこれだけなのだ。どうして息子が嫁をとり、娘が嫁入りをすませるまで待つ必要があるというのか。

禾麦【かぼく】 種えて地に満ち、梨棗【りそう】 栽えて舎を繞らせん。
児童 稍【やや】長成せば、雀鼠【じゃくそ】 駆嚇【くかく】するを得ん。
官粗【かんそ】 日に輪納し、村酒 時に邀迓【ようが】せん。
閑【しず】かに老農の愚を愛し、帰りて小女の奼【た】なるを弄【ろう】せん。
如今【じょこん】 便【すなわ】ち爾【しか】る可し、何ぞ婚嫁【こんか】を畢【お】わるを用いん。



現代語訳と訳註
(本文) #8

禾麥種満地、梨棗栽繞舎。
兒童稍長成、雀鼠得騙嚇。
官租日輪納、村酒時邀迓。
閑愛老兵愚、歸弄小女奼。
如今便可爾、何用畢婚嫁。


(下し文)
禾麦【かぼく】 種えて地に満ち、梨棗【りそう】 栽えて舎を繞らせん。
児童 稍【やや】長成せば、雀鼠【じゃくそ】 駆嚇【くかく】するを得ん。
官粗【かんそ】 日に輪納し、村酒 時に邀迓【ようが】せん。
閑【しず】かに老農の愚を愛し、帰りて小女の奼【た】なるを弄【ろう】せん。
如今【じょこん】 便【すなわ】ち爾【しか】る可し、何ぞ婚嫁【こんか】を畢【お】わるを用いん。


(現代語訳)
土地いっぱいに稲や麦をまき、家の周囲にぐるりと梨や菜の樹を植えよう。
子供たちもだんだん大きくなれば、穀物を荒らす雀や鼠をおどして追いはらうのには役だつだろう。
こうしてお上の租税は決められた日までにきちんと納め、時には地酒を作って、飲みに来いと誘いをかけと村人たちを待ちむかえ、出迎えようと思う。
外に出ては心のどかに老農の愚直さを愛し、家に帰ってからは可愛くて仕方ない娘をあやして楽しもう。
今のじぶんにとって、望むところはたったこれだけなのだ。どうして息子が嫁をとり、娘が嫁入りをすませるまで待つ必要があるというのか。


(訳注)
禾麥種満地、梨棗栽繞舎。

禾麦【かぼく】 種えて地に満ち、梨棗【りそう】 栽えて舎を繞らせん。
土地いっぱいに稲や麦をまき、家の周囲にぐるりと梨や菜の樹を植えよう。
禾麦 イネと麥。多くは細長い葉をもち、花は花弁がなく二枚の 苞 ( ほう ) でつつまれている。イネ・ムギ。アワなどの穀類や、ススキ・アシなど。 【禾】のぎ. イネ・ムギなどの実の外殻にある針状の突起。のげ。 「芒」とも書く。○梨棗【りそう】なしとなつめ。杜甫『百憂集行』
憶年十五心尚孩、健如黄犢走復来。
庭前八月梨棗熟、一日上樹能千迴。
即今倐忽已五十、坐臥只多少行立。
強将笑語供主人、悲見生涯百憂集。
入門依旧四壁空、老妻覩我顔色同。
痴児未知父子礼、叫怒索飯啼門東。 


兒童稍長成、雀鼠得騙嚇。
児童 稍【やや】長成せば、雀鼠【じゃくそ】 駆嚇【くかく】するを得ん。
子供たちもだんだん大きくなれば、穀物を荒らす雀や鼠をおどして追いはらうのには役だつだろう。
雀鼠 芭蕉「 雀子と声鳴きかはす鼠の巣. 」(すずめごと こえなきかわす ねずみのす).農山村における平穏な生活をあらわす語。○駆嚇 駆はおいはらう。はしる。せまる。嚇はしかる、おどしつける。


官租日輪納、村酒時邀迓。
官粗【かんそ】 日に輪納し、村酒 時に邀迓【ようが】せん。
こうしてお上の租税は決められた日までにきちんと納め、時には地酒を作って、飲みに来いと誘いをかけと村人たちを待ちむかえ、出迎えようと思う。
官租 租税○日輪 太陽。ここでは、季節の廻ることをいい、収獲からそう遅くない日が決められているそれを守るということをあらわす。○邀迓 招き迎える。邀と迓、どちらも迎えることをいう。邀は待ちむかえることで、迓は出迎える。


閑愛老兵愚、歸弄小女奼。
閑【しず】かに老農の愚を愛し、帰りて小女の奼【た】なるを弄【ろう】せん。
外に出ては心のどかに老農の愚直さを愛し、家に帰ってからは可愛くて仕方ない娘をあやして楽しもう。
閑愛 「閑」「幽」「獨」など隠遁者の基本。○老兵愚 老農の愚直さ。○歸弄小女奼 この表現は儒者の愚直な生活と対比させて面白い。


如今便可爾、何用畢婚嫁。
如今【じょこん】 便【すなわ】ち爾【しか】る可し、何ぞ婚嫁【こんか】を畢【お】わるを用いん。
今のじぶんにとって、望むところはたったこれだけなのだ。どうして息子が嫁をとり、娘が嫁入りをすませるまで待つ必要があるというのか。
如今【じょこん】現在。ただいま。『史記、項羽紀』「如今人方爲刀爼、我爲魚肉。」

「県斎」とは県令の官舎内にある書斎のことである。ただし官舎といっても、県庁の建物といっしょになっていることが多い。つまり表は県庁で、裏は官舎なのである。県斎も、県令が読書をしたりするプライベートな部屋なのだが、そこを執務室のようにして使うことがある。このあたりの公私の区別は、あまりはっきりしない。めぐむ韓愈は流罪になったのだが、形式上は陽山県令の辞令をもらっているので、陽山という片田舎の範囲内では、県令としてふるまうことができる。

この詩のなかの言葉から見れば、このときの韓愈は新帝順宗の即位をすでに知っていた。即位の儀式が挙行されれば、慣例として大赦が行なわれる。そこで韓愈も、大赦の恩典に浴して青天白日の身となり、そのかわりに官界から引退して農耕に余生を送ろうと哀訴しているのである。のちにもう一度述べるが、韓愈は順宗の側近ににらまれたのがこのたびの流罪の原田となったのではないかという疑念を抱いていた。だがこの際、そんなことを問題にしてはいられない。ひたすら哀訴嘆願するはかりであった。


もっとも、順宗は皇太子から帝位にはついたものの、このときすでに四十五歳。しかも、どういう病気にかかったのか、前年からものが言えなくなっていた。政策はほとんど順宗側近の王佐・王叔文らによって決定されていたが、それが革新的な政策だったために、問題が大きくなった。
徳宗の治政は長く続いたので、さまざまな弊害が法令または慣習として定着している。それを改めるために、新たに帝位についた皇帝を利用しようとしたのは当然であるが、新帝が病気では、それを利用して政治の垂断をほかるものという声が起こるのもやむを得ない。改革によって利権を失った保守派は、この点から革新派を攻撃する。
結局、その年の八月に順宗は退位し、皇太子だった憲宗が即位した。順宗の治政は半年強しか続かなかったわけで、革新派は全面的な敗北に終わったのである。王佐は流罪、王叔文は流罪ののち自殺を命ずるという処分を受けた。また改元が行なわれ、貞元二十一年を永貞元年と呼ぶことになった。

中唐詩-273 縣齋有懐 韓愈 Ⅱ韓退之(韓愈) 紀頌之の漢詩ブログ 韓愈特集-29 #7

縣齋有懐 韓愈(県斉にて懐い有り)
中唐詩-273 縣齋有懐 #7 韓愈 Ⅱ韓退之(韓愈) 紀頌之の漢詩ブログ 韓愈特集-29-7

1
縣齋有懐
少小筒奇偉、平生足悲咤。
猶嫌子夏儒、肯学樊遅稼。
事業窺皋稷、文章蔑曹謝。
濯纓起江湖、綴珮雑蘭麝。
悠悠指長道、去去策高駕。
(県斉にて懐い有り)
少小より奇偉を尚【たっと】ぶ、平生 悲咤【ひた】するに足る。
猶子夏の儒【じゅ】を嫌う、肯て 樊遅【はんち】の稼【か】を学はんや。
事業 皋稷【こうしょく】を窺【うかが】い、文章 曹謝を蔑【なみ】す。
纓【えい】を濯【すす】いで江湖より起ち、珮【はい】を綴るに蘭麝【らんじゃ】を雑【まじ】う。
悠悠として長道を指し、去【ゆ】き去【ゆ】きて高駕に策【むちう】つ。

2
誰爲傾国媒、自許連城價。
初随計吏貢、屡入澤宮射。
雖免十上勞、何能一戰覇。
人情忌殊異、世路多權詐。
蹉跎顔逐低、嶊折氣愈下。

誰か傾国の媒【なかだち】と為らん、自ら許す 連城の価【あたい】。
初め計吏に随【したが】いて貢せられ、屢々沢宮【たくきゅう】に入りて射る。
十上【じゅうじょう】の労を免【まぬが】ると雖も、何ぞ能く一戦して覇たらん。
人情 殊異【しゅい】を忌【い】み、世路 権詐【けんさ】多し
蹉跎【さた】として顔遂に低【た】れ、嶊折【さいせつ】して気愈々下る。

3
冶長信非罪、侯生或遭罵。
懐書出皇都、銜涙渡清㶚。
身將老寂寞、志欲死閑暇。
朝食不盈腸、冬衣纔掩髁。
軍書既頻召、戎馬乃連跨。

冶長【やちょう】 信【まこと】に罪に非ず、侯生【こうせい】 或いは罵【ののし】らるるに遭う。
書を懐【いだ】いて皇都を出【い】で、涙を銜んで清㶚【せいは】を渡る。
身は将に寂寞【せきばく】に老いんとし、志は閑暇【かんか】に死なんと欲す。
朝食 腸に盈【み】たず、冬衣 纔【わず】かに䯊【か】を掩【おお】うのみ。
軍書 既に頻【しき】りに召し、戎馬【じゅうば】 乃【すなわ】ち連【しき】りに跨【また】がる。
4
大梁従相公、彭城赴僕射。
弓箭圍狐兔、絲竹羅酒炙。
兩府變荒涼、三年就休暇。
求官去東洛、犯雪過西華。
塵挨紫陌春、風雨霊臺夜。

大梁にて相公【しょうこう】に従い、彭城【ほうじょう】にて僕射【ぼくや】に赴く。
弓箭【きゅうせん】 狐兔【こと】を囲み、糸竹 酒灸【しゅしゃ】を羅【つら】ぬ。
両府 変じて荒涼たり、三年 休暇に就く。
官を求めて東洛に去り、雪を犯して西華に過る。
塵挨【じんあい】 紫陌【しはく】の春、風雨 霊台の夜。 
5
名聾荷朋友、援引乏姻婭。
雖陪彤庭臣、詎縦靑冥靶。
寒空聳危闕、暁色曜脩架。
捐躯辰在丁、鎩翮時方碏。
投荒誠職分、領邑幸寛赦。

名声 朋友に荷【よ】り、援引 姻姫に乏し。
庭臣の臣に陪すと雖も、誼【なん】ぞ青冥【せいめい】の靶【は】を縦【ほしい】ままにせん。

寒空に危闕【きけつ】聾【そび】え、暁色【ぎょうしょく】に修架【しゅうか】曜【かがや】く。
躯【み】を捐【す】つる 辰は丁に在り、翮【はね】を鎩【そ】がるる 時は碏【さ】に方【あた】る。
荒に投ずるは誠に職分、邑【ゆう】を領するは幸いに寛赦【かんしゃ】なり。
6
湖波翻日車、嶺石坼天罅。
毒霧恆薫晝、炎風毎焼夏。
雷威固己加、颶勢仍相借。
氣象杳難測、聾音吁可怕。
夷言聴未慣、越俗循猶乍。

湖波【こは】 日車【にっしゃ】を翻し、嶺石【れいせき】 天罅【てんか】を坼【ひら】く。
毒霧【どくむ】 恒に昼に薫じ、炎風 毎に夏に焼く。
雷威【らいい】 固より己に加わり、颶勢【ぐせい】 仍【なお】相借す。
気象 杳【よう】として測り難し、声音 吁【ああ】 怕【おそ】る可し。
夷言【いごん】は聴くに未だ慣わず、越俗は循【したが】うに猶乍なり。

7
指摘兩憎嫌、睢肝互猜訝。
方言を指さして土地の人も私も両方とも憎み嫌い、きょろきょろ見まわしてどちらも不審そうな顔をする。
秖縁恩未報、豈謂生足藉。
先帝の御恩報じがまだすまぬばかりにこうしているので、私の人生をこの地に託してそれで満足と思っているわけにはいかはない。
嗣皇新繼明、率土日流化。
次の皇帝が新たに聖明の徳を継承され、国のすみずみまで日ごとに教化が流れている。
惟思滌瑕垢、長去事桑柘。
ただ私は心の傷を治したい、いわれのない不名誉の傷をすすぎたいと思うばかりで、そうしたら官界から永久に去って農業に従事したい。
斵嵩開雲扃、厭穎抗風榭。

嵩山を切りひらいてお堂の道場を建て、頴水の岸辺に風を受ける高殿をそびえ立たせよう。

指摘して両つながら憎嫌【ぞうけん】し、睢肝【きく】して互いに清訝【さいが】す。
秖【た】だ恩の未だ報ぜざるに縁り、豈【あに】生の藉【よ】るに足ると謂わんや。
嗣皇【しこう】 新たに明を継ぎ、率土【そつど】 日に化流る。
惟だ思う 瑕垢【かこう】を滌【すすぎ】ぎて、長く去りて桑柘【そうたく】を事とせんことを。
嵩を斬りて雲扃【うんけい】を開き、頴【えい】を圧して風榭【ふうい】を抗【あ】げん。
8
禾麥種満地、梨棗栽繞舎。
兒童稍長成、雀鼠得騙嚇。
官租日輪納、村酒時邀迓。
閑愛老兵愚、歸弄小女奼。
如今便可爾、何用畢婚嫁。

禾麦【かぼく】 種えて地に満ち、梨棗【りそう】 栽えて舎を繞らせん。
児童 稍【やや】長成せば、雀鼠【じゃくそ】 駆嚇【くかく】するを得ん。
官粗【かんそ】 日に輪納し、村酒 時に邀迓【ようが】せん。
閑【しず】かに老農の愚を愛し、帰りて小女の奼【た】なるを弄【ろう】せん。
如今【じょこん】 便【すなわ】ち爾【しか】る可し、何ぞ婚嫁【こんか】を畢【お】わるを用いん。


現代語訳と訳註
(本文) 7

指摘兩憎嫌、睢肝互猜訝。
秖縁恩未報、豈謂生足藉。
嗣皇新繼明、率土日流化。
惟思滌瑕垢、長去事桑柘。
斵嵩開雲扃、厭穎抗風榭。


(下し文)
指摘して両つながら憎嫌【ぞうけん】し、睢肝【きく】して互いに清訝【さいが】す。
秖【た】だ恩の未だ報ぜざるに縁り、豈【あに】生の藉【よ】るに足ると謂わんや。
嗣皇【しこう】 新たに明を継ぎ、率土【そつど】 日に化流る。
惟だ思う 瑕垢【かこう】を滌【すすぎ】ぎて、長く去りて桑柘【そうたく】を事とせんことを。
嵩を斬りて雲扃【うんけい】を開き、頴【えい】を圧して風榭【ふうい】を抗【あ】げん。


(現代語訳)
方言を指さして土地の人も私も両方とも憎み嫌い、きょろきょろ見まわしてどちらも不審そうな顔をする。
先帝の御恩報じがまだすまぬばかりにこうしているので、私の人生をこの地に託してそれで満足と思っているわけにはいかはない。
次の皇帝が新たに聖明の徳を継承され、国のすみずみまで日ごとに教化が流れている。
ただ私は心の傷を治したい、いわれのない不名誉の傷をすすぎたいと思うばかりで、そうしたら官界から永久に去って農業に従事したい。
嵩山を切りひらいてお堂の道場を建て、頴水の岸辺に風を受ける高殿をそびえ立たせよう。


(訳注)
指摘兩憎嫌、睢肝互猜訝。

指摘して両つながら憎嫌【ぞうけん】し、睢肝【きく】して互いに清訝【さいが】す。
方言を指さして土地の人も私も両方とも憎み嫌い、きょろきょろ見まわしてどちらも不審そうな顔をする。
○睢肝 小人のよろこび媚びる様子。にらみ廻して、のさばり歩く。知を求めて見聞に努める。○猜訝 猜はおそれる。きらう。うたがう。訝はむかえる。疑い怪しむ。驚く。


秖縁恩未報、豈謂生足藉。
秖【た】だ恩の未だ報ぜざるに縁り、豈【あに】生の藉【よ】るに足ると謂わんや。
先帝の御恩報じがまだすまぬばかりにこうしているので、私の人生をこの地に託してそれで満足と思っているわけにはいかはない。
恩未報 先帝の死去に伴う御恩報じがまだすまぬ  


嗣皇新繼明、率土日流化。
嗣皇【しこう】 新たに明を継ぎ、率土【そつど】 日に化流る。
次の皇帝が新たに聖明の徳を継承され、国のすみずみまで日ごとに教化が流れている。
嗣皇 次の皇帝。○新繼明 新たに聖明の徳を継承されること。○率土 国のすみずみまで。


惟思滌瑕垢、長去事桑柘。
惟だ思う 瑕垢【かこう】を滌【すすぎ】ぎて、長く去りて桑柘【そうたく】を事とせんことを。
ただ私は心の傷を治したい、いわれのない不名誉の傷をすすぎたいと思うばかりで、そうしたら官界から永久に去って農業に従事したい。
滌瑕垢 傷や垢をきれいに濯ぎたい。○事桑柘 隠遁生活のこと、隠遁者は桑、麻、瓜、黍、などの表現が常套語。 


斵嵩開雲扃、厭穎抗風榭。
嵩を斬りて雲扃【うんけい】を開き、頴【えい】を圧して風榭【ふうい】を抗【あ】げん。
嵩山を切りひらいてお堂の道場を建て、頴水の岸辺に風を受ける高殿をそびえ立たせよう。
○雲扃 雲のかんぬき、戸口。○頴 穎水。○風榭 内室のないお堂、道場のような建物。榭は屋根のある台。

中唐詩-272 縣齋有懐 韓愈 Ⅱ韓退之(韓愈) 紀頌之の漢詩ブログ 韓愈特集-29 #6

縣齋有懐 韓愈(県斉にて懐い有り)
中唐詩-272 縣齋有懐 韓愈 Ⅱ韓退之(韓愈) 紀頌之の漢詩ブログ 韓愈特集-29 #6


湖波翻日車、嶺石坼天罅。
配所へ送られる旅の途中、洞庭湖の波は太陽の運行をゆるがすほどに怒涛坂巻、横嶺の巌石は天空に裂け目を探るかのようにそそり立っている。
毒霧恆薫晝、炎風毎焼夏。
それに触れると病気になるといわれる霧は昼はいつも立ちこめ、南方の熱い風は夏ごとにすべてを焼きつくす。
雷威固己加、颶勢仍相借。
氣象杳難測、聾音吁可怕。
気候はかいもく予測もつかぬし、響きはほんとうに恐ろしい。
夷言聴未慣、越俗循猶乍。
土地の方言にはまだ慣れておらず、南の国の風俗にならおうとしても取ってつけたようになる。

湖波【こは】 日車【にっしゃ】を翻し、嶺石【れいせき】 天罅【てんか】を坼【ひら】く。
毒霧【どくむ】 恒に昼に薫じ、炎風 毎に夏に焼く。
雷威【らいい】 固より己に加わり、颶勢【ぐせい】 仍【なお】相借す。
気象 杳【よう】として測り難し、声音 吁【ああ】 怕【おそ】る可し。
夷言【いごん】は聴くに未だ慣わず、越俗は循【したが】うに猶乍なり。

天台山 瓊臺

現代語訳と訳註
(本文)

湖波翻日車、嶺石坼天罅。
毒霧恆薫晝、炎風毎焼夏。
雷威固己加、颶勢仍相借。
氣象杳難測、聾音吁可怕。
夷言聴未慣、越俗循猶乍。

(下し文)
湖波【こは】 日車【にっしゃ】を翻し、嶺石【れいせき】 天罅【てんか】を坼【ひら】く。
毒霧【どくむ】 恒に昼に薫じ、炎風 毎に夏に焼く。
雷威【らいい】 固より己に加わり、颶勢【ぐせい】 仍【なお】相借す。
気象 杳【よう】として測り難し、声音 吁【ああ】 怕【おそ】る可し。
夷言【いごん】は聴くに未だ慣わず、越俗は循【したが】うに猶乍なり。


(現代語訳)
配所へ送られる旅の途中、洞庭湖の波は太陽の運行をゆるがすほどに怒涛坂巻、横嶺の巌石は天空に裂け目を探るかのようにそそり立っている。
それに触れると病気になるといわれる霧は昼はいつも立ちこめ、南方の熱い風は夏ごとにすべてを焼きつくす。
気候はかいもく予測もつかぬし、響きはほんとうに恐ろしい。
土地の方言にはまだ慣れておらず、南の国の風俗にならおうとしても取ってつけたようになる。


(訳注)
湖波翻日車、嶺石坼天罅。

湖波【こは】 日車【にっしゃ】を翻し、嶺石【れいせき】 天罅【てんか】を坼【ひら】く。
配所へ送られる旅の途中、洞庭湖の波は太陽の運行をゆるがすほどに怒涛坂巻、横嶺の巌石は天空に裂け目を探るかのようにそそり立っている。
○湖波 洞庭湖の波は怒涛坂巻○日車 太陽の運行○嶺石 横嶺の巌石○天罅 天空に裂け目を探るかのようにそそり立つ。


毒霧恆薫晝、炎風毎焼夏。
毒霧【どくむ】 恒に昼に薫じ、炎風 毎に夏に焼く。
それに触れると病気になるといわれる霧は昼はいつも立ちこめ、南方の熱い風は夏ごとにすべてを焼きつくす。
○毒霧 瘴癘のこと。マラリアが蚊によって媒介されることは後世のことでこの頃は、高温多湿のせいとされていた。○薫晝 いつも立ちこめ○焼夏 夏ごとにすべてを焼きつくす。


雷威固己加、颶勢仍相借。
雷威【らいい】 固より己に加わり、颶勢【ぐせい】 仍【なお】相借す。
すさまじい雷が鳴っているうえに、激しい風が加わって力を借しているのだ。
○雷威 すさまじい雷が鳴っている○颶勢 激しい風○相借 加わって力を借している。


氣象杳難測、聾音吁可怕。
気象 杳【よう】として測り難し、声音 吁【ああ】 怕【おそ】る可し。
気候はかいもく予測もつかぬし、響きはほんとうに恐ろしい。
○杳 よくわからない。ぼんやりしている。○難測 苦労して予測する。○可怕 おそろしいこと。 


夷言聴未慣、越俗循猶乍。
夷言【いごん】は聴くに未だ慣わず、越俗は循【したが】うに猶乍なり。
土地の方言にはまだ慣れておらず、南の国の風俗にならおうとしても取ってつけたようになる。
○夷言 異民族のことは。方言。○越俗 南国の風俗。五嶺山脈を南に越えると異民族の国とされた。○猶乍 


異俗二首其一 李商隠 紀頌之の漢詩ブログ李商隠特集-73


異俗二首其一
鬼瘧朝朝避、春寒夜夜添。
未驚雷破柱、不報水齊簷。
虎箭侵膚毒、魚鉤刺骨銛。
鳥言成諜訴、多是恨彤襜。
其 二
戸盡懸秦網、家多事越巫。
末曾容獺祭、只是縦猪都。
點封連鼇餌、捜求縛虎符。
賈生兼事鬼、不信有洪爐。

中唐詩-271 縣齋有懐 #5 韓愈 Ⅱ韓退之(韓愈) 紀頌之の漢詩ブログ 韓愈特集-29ー5

縣齋有懐 韓愈(県斉にて懐い有り)
中唐詩-271 縣齋有懐 #5 韓愈 Ⅱ韓退之(韓愈) 紀頌之の漢詩ブログ 韓愈特集-29 

名聾荷朋友、援引乏姻婭。
私の名声の広がりは友だちのおかげよるものである、しかし、官僚の世界で引き上げてもらうには出自血縁、姻戚関係の手づるによるものなのだが、これには乏しかった。
雖陪彤庭臣、詎縦靑冥靶。

朝廷内の赤きお庭に立つことができる監察御史の列には加わりはしたのだが、快馬をとはせて青雲の上を駆けまわるようなめざましい栄達は到底望むことはできない。

寒空聳危闕、暁色曜脩架。
しかし、冬空に高い宮殿が聳え立ち、夜明けの色のなかに長い軒の棟木が輝くときなのである。
捐躯辰在丁、鎩翮時方碏。
わが身を捨てる日は辰の丁の方向、瘴癘の地にあるのだ、観察御史という翼をもがれたのは歳の暮れであったこともあろうに流罪になってしまったのだ。
荒誠職分、領邑幸寛赦。

都を遠く離れた地方へ追いやられるのもたしかに私の職分であり、県令の身分を与えられて一つの町を差配できるのは、寛大な処置にめぐりあった幸運と言わなければならない。

名声 朋友に荷【よ】り、援引 姻姫に乏し。
庭臣の臣に陪すと雖も、誼【なん】ぞ青冥【せいめい】の靶【は】を縦【ほしい】ままにせん。

寒空に危闕【きけつ】聾【そび】え、暁色【ぎょうしょく】に修架【しゅうか】曜【かがや】く。
躯【み】を捐【す】つる 辰は丁に在り、翮【はね】を鎩【そ】がるる 時は碏【さ】に方【あた】る。
荒に投ずるは誠に職分、邑【ゆう】を領するは幸いに寛赦【かんしゃ】なり。

「県斎」とは県令の官舎内にある書斎のことである。ただし官舎といっても、県庁の建物といっしょになっていることが多い。つまり表は県庁で、裏は官舎なのである。県斎も、県令が読書をしたりするプライベートな部屋なのだが、そこを執務室のようにして使うことがある。このあたりの公私の区別は、あまりはっきりしない。めぐむ韓愈は流罪になったのだが、形式上は陽山県令の辞令をもらっているので、陽山という片田舎の範囲内では、県令としてふるまうことができる。


現代語訳と訳註
(本文)

名聾荷朋友、援引乏姻婭。
雖陪彤庭臣、詎縦靑冥靶。

寒空聳危闕、暁色曜脩架。
捐躯辰在丁、鎩翮時方碏。
投荒誠職分、領邑幸寛赦。


(下し文)
名声 朋友に荷【よ】り、援引 姻姫に乏し。
庭臣の臣に陪すと雖も、誼【なん】ぞ青冥【せいめい】の靶【は】を縦【ほしい】ままにせん。

寒空に危闕【きけつ】聾【そび】え、暁色【ぎょうしょく】に修架【しゅうか】曜【かがや】く。
躯【み】を捐【す】つる 辰は丁に在り、翮【はね】を鎩【そ】がるる 時は碏【さ】に方【あた】る。
荒に投ずるは誠に職分、邑【ゆう】を領するは幸いに寛赦【かんしゃ】なり。


(現代語訳)
私の名声の広がりは友だちのおかげよるものである、しかし、官僚の世界で引き上げてもらうには出自血縁、姻戚関係の手づるによるものなのだが、これには乏しかった。
朝廷内の赤きお庭に立つことができる監察御史の列には加わりはしたのだが、快馬をとはせて青雲の上を駆けまわるようなめざましい栄達は到底望むことはできない。
しかし、冬空に高い宮殿が聳え立ち、夜明けの色のなかに長い軒の棟木が輝くときなのである。
わが身を捨てる日は辰の丁の方向、瘴癘の地にあるのだ、観察御史という翼をもがれたのは歳の暮れであったこともあろうに流罪になってしまったのだ。
都を遠く離れた地方へ追いやられるのもたしかに私の職分であり、県令の身分を与えられて一つの町を差配できるのは、寛大な処置にめぐりあった幸運と言わなければならない。


(訳注)
名聾荷朋友、援引乏姻婭。

名声 朋友に荷【よ】り、援引 姻姫に乏し。
私の名声の広がりは友だちのおかげよるものである、しかし、官僚の世界で引き上げてもらうには出自血縁、姻戚関係の手づるによるものなのだが、これには乏しかった。
 おかげよるものである○援引 出自血縁。○姻婭 姻戚関係の手づるによ



雖陪彤庭臣、詎縦靑冥靶。
庭臣の臣に陪すと雖も、誼【なん】ぞ青冥【せいめい】の靶【は】を縦【ほしい】ままにせん。
朝廷内の赤きお庭に立つことができる監察御史の列には加わりはしたのだが、快馬をとはせて青雲の上を駆けまわるようなめざましい栄達は到底望むことはできない。
 参事すること。○彤庭臣 赤きお庭に立つことができる監察御史をしめす。○靑冥靶 青雲の上を駆けまわるようなめざましい栄達



寒空聳危闕、暁色曜脩架。
寒空に危闕【きけつ】聾【そび】え、暁色【ぎょうしょく】に修架【しゅうか】曜【かがや】く。
しかし、冬空に高い宮殿が聳え立ち、夜明けの色のなかに長い軒の棟木が輝くときなのである。
危闕 高い宮殿の門。○脩架 長い軒の棟木。普段は日陰なのに下から光が当たること、不吉なこと、初めての経験をイメージする語である。 



捐躯辰在丁、鎩翮時方碏。
躯【み】を捐【す】つる 辰は丁に在り、翮【はね】を鎩【そ】がるる 時は碏【さ】に方【あた】る。
わが身を捨てる日は辰の丁の方向、瘴癘の地にあるのだ、観察御史という翼をもがれたのは歳の暮れであったこともあろうに流罪になってしまったのだ。
辰在丁 五行思想で南方・「火」をあらわし、流罪の広東の陽山を示す。実際には、陽山の県令である。○鎩翮 翼をもがれた。観察御史は韓愈は意気に感じて仕えていたことをあらわす。



投荒誠職分、領邑幸寛赦。
荒に投ずるは誠に職分、邑【ゆう】を領するは幸いに寛赦【かんしゃ】なり。
都を遠く離れた地方へ追いやられるのもたしかに私の職分であり、県令の身分を与えられて一つの町を差配できるのは、寛大な処置にめぐりあった幸運と言わなければならない。
投荒 都を遠く離れた地方へ追いやられる○領邑 県令の身分を与えられ○寛赦 寛大な処置にめぐりあった幸運


blogram投票ボタン

毎日それぞれ一首(長詩の場合一部分割掲載)kanbuniinkai紀 頌之の漢詩3ブログ
05rihakushi350

李白詩350首kanbuniinkai紀頌之のブログ

700Toho shi

kanbuniinkai11の頌之漢詩 杜甫詩700首



800tousouSenshu
kanbuniinkai10 頌之の漢詩 唐宋詩人選集 Ⅰ李商隠150首 Ⅱ韓退之(韓愈)Ⅶ孟郊
各詩人についてはブログ内の検索を利用したほうが良い場合もあります。
burogutitl770

http://kanshi100x100.blog.fc2.com/


李 白 詩
唐宋詩 
(Ⅰ李商隠Ⅱ韓退之(韓愈))
杜 甫 詩
李白詩INDEX02
李商隠INDEX02
杜甫詩INDEX02

中唐詩-270 縣齋有懐 韓愈 Ⅱ韓退之(韓愈) 紀頌之の漢詩ブログ 韓愈特集-29 #4

中唐詩-270 縣齋有懐 韓愈 Ⅱ韓退之(韓愈) 紀頌之の漢詩ブログ 韓愈特集-29 #4

縣齋有懐 #1
少小筒奇偉、平生足悲咤。
猶嫌子夏儒、肯学樊遅稼。
事業窺皋稷、文章蔑曹謝。
濯纓起江湖、綴珮雑蘭麝。
悠悠指長道、去去策高駕。
(県斉にて懐い有り)
少小より奇偉を尚【たっと】ぶ、平生 悲咤【ひた】するに足る。
猶子夏の儒【じゅ】を嫌う、肯て 樊遅【はんち】の稼【か】を学はんや。
事業 皋稷【こうしょく】を窺【うかが】い、文章 曹謝を蔑【なみ】す。
纓【えい】を濯【すす】いで江湖より起ち、珮【はい】を綴るに蘭麝【らんじゃ】を雑【まじ】う。
悠悠として長道を指し、去【ゆ】き去【ゆ】きて高駕に策【むちう】つ。

#2
誰爲傾国媒、自許連城價。
初随計吏貢、屡入澤宮射。
雖免十上勞、何能一戰覇。
人情忌殊異、世路多權詐。
蹉跎顔逐低、嶊折氣愈下。

誰か傾国の媒【なかだち】と為らん、自ら許す 連城の価【あたい】。
初め計吏に随【したが】いて貢せられ、屢々沢宮【たくきゅう】に入りて射る。
十上【じゅうじょう】の労を免【まぬが】ると雖も、何ぞ能く一戦して覇たらん。
人情 殊異【しゅい】を忌【い】み、世路 権詐【けんさ】多し
蹉跎【さた】として顔遂に低【た】れ、嶊折【さいせつ】して気愈々下る。

#3
冶長信非罪、侯生或遭罵。
懐書出皇都、銜涙渡清㶚。
身將老寂寞、志欲死閑暇。
朝食不盈腸、冬衣纔掩髁。
軍書既頻召、戎馬乃連跨。

冶長【やちょう】 信【まこと】に罪に非ず、侯生【こうせい】 或いは罵【ののし】らるるに遭う。
書を懐【いだ】いて皇都を出【い】で、涙を銜んで清㶚【せいは】を渡る。
身は将に寂寞【せきばく】に老いんとし、志は閑暇【かんか】に死なんと欲す。
朝食 腸に盈【み】たず、冬衣 纔【わず】かに䯊【か】を掩【おお】うのみ。
軍書 既に頻【しき】りに召し、戎馬【じゅうば】 乃【すなわ】ち連【しき】りに跨【また】がる。
#4
大梁従相公、彭城赴僕射。

汴州では董晋相公に従い、徐州では張僕射の招きに応じたのだった。
弓箭圍狐兔、絲竹羅酒炙。
そして弓矢を手にして狐や兔の巻狩をし、音楽が興を添える宴会には酒や肉をならべたものだった。
兩府變荒涼、三年就休暇。
しかし、どちらの幕府も主が死んで反乱がおこり寂しいものに変わり、私は三年間お勤めしたがお暇をいただく身の上、浪人となった。
求官去東洛、犯雪過西華。
官を求めて東洛に去り、雪を犯して西華に過る。さて官職を求めて東の都の洛陽へ行き、雪のなかで西岳の華山を越えるような難儀な旅もした。
塵挨紫陌春、風雨霊臺夜。
そして長安の春では都大路に舞い立つほこりのなかを歩き、霊台(陳西省都県にある)では風雨の一夜を過ごした。

大梁にて相公【しょうこう】に従い、彭城【ほうじょう】にて僕射【ぼくや】に赴く。
弓箭【きゅうせん】 狐兔【こと】を囲み、糸竹 酒灸【しゅしゃ】を羅【つら】ぬ。
両府 変じて荒涼たり、三年 休暇に就く。
官を求めて東洛に去り、雪を犯して西華に過る。
塵挨【じんあい】 紫陌【しはく】の春、風雨 霊台の夜。 

韓愈の地図03

現代語訳と訳註
(本文)

大梁従相公、彭城赴僕射。
弓箭圍狐兔、絲竹羅酒炙。
兩府變荒涼、三年就休暇。
求官去東洛、犯雪過西華。
塵挨紫陌春、風雨霊臺夜。

(下し文)
大梁にて相公【しょうこう】に従い、彭城【ほうじょう】にて僕射【ぼくや】に赴く。
弓箭【きゅうせん】 狐兔【こと】を囲み、糸竹 酒灸【しゅしゃ】を羅【つら】ぬ。
両府 変じて荒涼たり、三年 休暇に就く。
官を求めて東洛に去り、雪を犯して西華に過る。
塵挨【じんあい】 紫陌【しはく】の春、風雨 霊台の夜。 

(現代語訳)
汴州では董晋相公に従い、徐州では張僕射の招きに応じたのだった。
そして弓矢を手にして狐や兔の巻狩をし、音楽が興を添える宴会には酒や肉をならべたものだった。
しかし、どちらの幕府も主が死んで反乱がおこり寂しいものに変わり、私は三年間お勤めしたがお暇をいただく身の上、浪人となった。
官を求めて東洛に去り、雪を犯して西華に過る。さて官職を求めて東の都の洛陽へ行き、雪のなかで西岳の華山を越えるような難儀な旅もした。
そして長安の春では都大路に舞い立つほこりのなかを歩き、霊台(陳西省都県にある)では風雨の一夜を過ごした。


(訳注)
大梁従相公、彭城赴僕射。
大梁にて相公【しょうこう】に従い、彭城【ほうじょう】にて僕射【ぼくや】に赴く。
汴州では董晋相公に従い、徐州では張僕射の招きに応じたのだった。
○大梁 796年貞元十二年六月、汁州(河南省開封市)に本拠を置く宣武軍節度使の幕府の董晋は温厚な人物で、万事に寛宏であった。何軍事はいっさい部惟恭にまかせると発言し宜武軍は混乱から立ち直った。この董晋の幕下に、韓愈は招かれて入った。○相公 宣武軍節度使の幕府の董晋のこと。○彭城 徐州(彭城)へ帰ったのは、880年貞元十六年二月であった。その時作ったのが五言古詩「歸彭城」(彭城に帰る)詩を作っている。○僕射 中国の官名。戦国時代には各政府 、僕射という名称は尚書令の次官である尚書僕射にしか使われなくなる。 隋・唐・五代・宋・金・遼では、皇帝が尚書令に就任したため、尚書僕射が尚書省の実質的長官になる。


弓箭圍狐兔、絲竹羅酒炙。
弓箭【きゅうせん】 狐兔【こと】を囲み、糸竹 酒灸【しゅしゃ】を羅【つら】ぬ。
そして弓矢を手にして狐や兔の巻狩をし、音楽が興を添える宴会には酒や肉をならべたものだった。
○弓箭 弓と矢。弓矢。 2 弓矢を取る身。武士。○狐兔 きつね、うさぎ。○絲竹 絲は弦楽器。竹、笛の楽器。○羅酒炙 宴会に酒や肉をならべたもの。


兩府變荒涼、三年就休暇。
両府 変じて荒涼たり、三年 休暇に就く。
しかし、どちらの幕府も主が死んで反乱がおこり寂しいものに変わり、私は三年間お勤めしたがお暇をいただく身の上、浪人となった。
○兩府 宣武軍節度使の董晋の幕府と死んだ後の幕府。○荒涼 叛乱があり統治が乱れた。○三年 798―800年官を退く。足かけ三年。中国では経過年では表現しない。○休暇 お暇をいただく身の上となった(浪人となった)


求官去東洛、犯雪過西華。
官を求めて東洛に去り、雪を犯して西華に過る。
さて官職を求めて東の都の洛陽へ行き、雪のなかで西岳の華山を越えるような難儀な旅もした。
○求官 官を求める。○東洛 東の都の洛陽○犯雪  ○西華 中国陝西省華陰市にある険しい山。道教の修道院があり、中国五名山の一つで、西岳。


塵挨紫陌春、風雨霊臺夜。
塵挨【じんあい】 紫陌【しはく】の春、風雨 霊台の夜。 
そして長安の春では都大路に舞い立つほこりのなかを歩き、霊台(陳西省都県にある)では風雨の一夜を過ごした。
○塵挨 世俗、世間。舞い立つほこり。○紫陌春 長安の東西の大道の裴景色。○風雨 春の長雨。○霊臺夜 汴州で反乱がおこり、陳西省都県の霊台で足止めをされた。

blogram投票ボタン

毎日それぞれ一首(長詩の場合一部分割掲載)kanbuniinkai紀 頌之の漢詩3ブログ
05rihakushi350

李白詩350首kanbuniinkai紀頌之のブログ

700Toho shi

kanbuniinkai11の頌之漢詩 杜甫詩700首



800tousouSenshu
kanbuniinkai10 頌之の漢詩 唐宋詩人選集 Ⅰ李商隠150首 Ⅱ韓退之(韓愈)Ⅶ孟郊
各詩人についてはブログ内の検索を利用したほうが良い場合もあります。
burogutitl770

http://kanshi100x100.blog.fc2.com/


李 白 詩
唐宋詩 
(Ⅰ李商隠Ⅱ韓退之(韓愈))
杜 甫 詩
李白詩INDEX02
李商隠INDEX02
杜甫詩INDEX02


中唐詩-269 縣齋有懐 韓愈 Ⅱ韓退之(韓愈) 紀頌之の漢詩ブログ 韓愈特集-29 #3

中唐詩-269 縣齋有懐 韓愈 Ⅱ韓退之(韓愈) 紀頌之の漢詩ブログ 韓愈特集-29 #3


縣齋有懐  #3
冶長信非罪、侯生或遭罵。
孔子の弟子だった公冶長は無実の罪で逮捕されたことがあるが、私も理由はまったくわからないのにひどい目にあい、戦国時代の侯嬴は魏の公子に認められながら従者に悪口を言われたものだが、私もそのように悪口を浴びた。
懐書出皇都、銜涙渡清㶚。
とうとう私は科挙をあきらめ、書物をふところに入れて都春明門をいでて、涙をおさえながら㶚水の清流を越えた。
身將老寂寞、志欲死閑暇。
私のからだはこうして将来に対する期待感がなく寂しいなかに老い朽ち、理想はなすこともない生活のうちに埋もれてしまうのであろう。
朝食不盈腸、冬衣纔掩髁。
それに朝食は腹を満たすほどの量もなく、冬の着物はやっと腰を覆うばかりのものであった。
軍書既頻召、戎馬乃連跨。
ところが、軍隊からの手紙がしきりに私を召喚するので、続けざまに軍馬にまたがる身となった。


796年董晋の招きで宣武軍節度使の幕下に。
797年病気休職
798年董晋死歿。汴州の乱。
汴州亂二首其一 唐宋詩-205Ⅱ韓退之(韓愈) 紀頌之の漢詩ブログ 韓愈特集-6

此日足可惜贈張籍 唐宋詩-207Ⅱ韓退之(韓愈) 紀頌之の漢詩ブログ 韓愈特集-7-#1

忽忽 唐宋詩-218 Ⅱ韓退之(韓愈) 紀頌之の漢詩ブログ 韓愈特集-22


800年五月幕職を退く。
歸彭城 #1(全4回) 韓愈 唐宋詩-219 Ⅱ韓退之(韓愈) 紀頌之の漢詩ブログ 韓愈特集-23



801年身言書判科を受験落第。
將歸贈孟東野房蜀客 韓愈 唐宋詩-228 Ⅱ韓退之(韓愈) 紀頌之の漢詩ブログ 韓愈特集-22

山石 #1(全3回) 韓愈 唐宋詩-226 Ⅱ韓退之(韓愈) 紀頌之の漢詩ブログ 韓愈特集-24



802年四門博士に任官。すぐ休暇を取って洛陽に行き、華山を遊覧。

803年7月四門博士を退任。7月監察御史。
中唐詩-262 落歯#1 四門溥士Ⅱ韓退之(韓愈) 紀頌之の漢詩ブログ 韓愈詩集-27


   12月陽山令に左遷。

804年2月陽山着任
中唐詩-265 湘中 韓愈 Ⅱ韓退之(韓愈) 紀頌之の漢詩ブログ 韓愈特集-22

中唐詩-266 答張十一功曹 韓愈 Ⅱ韓退之(韓愈) 紀頌之の漢詩ブログ 韓愈特集-29


805年陽山県の書斎で作る。

中唐詩-267 縣齋有懐 #1 韓愈 Ⅱ韓退之(韓愈) 紀頌之の漢詩ブログ 韓愈特集-29


   8月恩赦。法曹参軍事を受け、江陵へ。

現代語訳と訳註
(本文)

冶長信非罪、侯生或遭罵。
懐書出皇都、銜涙渡清㶚。
身將老寂寞、志欲死閑暇。
朝食不盈腸、冬衣纔掩髁。
軍書既頻召、戎馬乃連跨。

(下し文)
冶長【やちょう】 信【まこと】に罪に非ず、侯生【こうせい】 或いは罵【ののし】らるるに遭う。
書を懐【いだ】いて皇都を出【い】で、涙を銜んで清㶚【せいは】を渡る。
身は将に寂寞【せきばく】に老いんとし、志は閑暇【かんか】に死なんと欲す。
朝食 腸に盈【み】たず、冬衣 纔【わず】かに䯊【か】を掩【おお】うのみ。
軍書 既に頻【しき】りに召し、戎馬【じゅうば】 乃【すなわ】ち連【しき】りに跨【また】がる。


(現代語訳)
孔子の弟子だった公冶長は無実の罪で逮捕されたことがあるが、私も理由はまったくわからないのにひどい目にあい、戦国時代の侯嬴は魏の公子に認められながら従者に悪口を言われたものだが、私もそのように悪口を浴びた。
とうとう私は科挙をあきらめ、書物をふところに入れて都春明門をいでて、涙をおさえながら㶚水の清流を越えた。
私のからだはこうして将来に対する期待感がなく寂しいなかに老い朽ち、理想はなすこともない生活のうちに埋もれてしまうのであろう。
それに朝食は腹を満たすほどの量もなく、冬の着物はやっと腰を覆うばかりのものであった。
ところが、軍隊からの手紙がしきりに私を召喚するので、続けざまに軍馬にまたがる身となった。


(訳注)
冶長信非罪、侯生或遭罵。

冶長【やちょう】 信【まこと】に罪に非ず、侯生【こうせい】 或いは罵【ののし】らるるに遭う。
孔子の弟子だった公冶長は無実の罪で逮捕されたことがあるが、私も理由はまったくわからないのにひどい目にあい、戦国時代の侯嬴は魏の公子に認められながら従者に悪口を言われたものだが、私もそのように悪口を浴びた。
公冶長 春秋時代の人。字 (あざな) は子長。孔子の門人で女婿。鳥の言葉を解したという。生没年未詳。○生 魏の公子信陵君と食客としてむかえた侯嬴の故事で、侯嬴は失礼な爺だと皆は蔑まれたが、信陵君の器量に感動した。これが噂となって、国中どころか他国にも伝わり、信陵君の名声が大いに高まった。


懐書出皇都、銜涙渡清㶚。
書を懐【いだ】いて皇都を出【い】で、涙を銜んで清㶚【せいは】を渡る。
とうとう私は科挙をあきらめ、書物をふところに入れて都春明門をいでて、涙をおさえながら㶚水の清流を越えた。
 長安城の東の門があり、春明門を出るとます杜陵を水源とした滻水を渡り、その後街道駅の起点となる㶚陵橋には藍田終南山を水源にした㶚水がある両河川は長安東を北に下り渭水に合流する。

長安と何将軍

身將老寂寞、志欲死閑暇。
身は将に寂寞【せきばく】に老いんとし、志は閑暇【かんか】に死なんと欲す。
私のからだはこうして将来に対する期待感がなく寂しいなかに老い朽ち、理想はなすこともない生活のうちに埋もれてしまうのであろう。


朝食不盈腸、冬衣纔掩髁。
朝食 腸に盈【み】たず、冬衣 纔【わず】かに䯊【か】を掩【おお】うのみ。
それに朝食は腹を満たすほどの量もなく、冬の着物はやっと腰を覆うばかりのものであった。


軍書既頻召、戎馬乃連跨。
軍書 既に頻【しき】りに召し、戎馬【じゅうば】 乃【すなわ】ち連【しき】りに跨【また】がる。
ところが、軍隊からの手紙がしきりに私を召喚するので、続けざまに軍馬にまたがる身となった。

中唐詩-268 縣齋有懐 韓愈 Ⅱ韓退之(韓愈) 紀頌之の漢詩ブログ 韓愈特集-29 #2

中唐詩-268 縣齋有懐 韓愈 Ⅱ韓退之(韓愈) 紀頌之の漢詩ブログ 韓愈特集-29 #2


縣齋有懐 #1
少小筒奇偉、平生足悲咤。猶嫌子夏儒、肯学樊遅稼。
事業窺皋稷、文章蔑曹謝。濯纓起江湖、綴珮雑蘭麝。
悠悠指長道、去去策高駕。
#2
誰爲傾国媒、自許連城價。
昔、漢の李延年は有名な歌手であったが、自分の妹が美人だったのを、武帝に売りこもうとして、帝の前で傾国傾城の美人がいるとうたったところから、彼女が武帝の寵愛を受けるいとぐちができたのだが、私にはそのようになかだちとなってくれる人もなかった。
初随計吏貢、屡入澤宮射。
しかしやはり昔、趙王がもっていた宝玉は秦の昭王が十五城と交換しょうと申し入れたほどの名宝で、「連城の壁」と呼ばれたが、自分ではそのような貴重な才能をもっていると自任していた。
雖免十上勞、何能一戰覇。
そこで最初は会計簿を朝廷にたてまつる役人に引率されて上京し、何度も科挙を受験した。
人情忌殊異、世路多權詐。
戦国時代の蘇秦は秦の恵王に意見書を十回ささげたが、全部握りつぶされてしまったという。私はそんなことをする手間は省けたが、一戦して覇者となり得ることなど、できるはずがない。
蹉跎顔逐低、嶊折氣愈下。

人情の常として自分と違っていると嫌うものだし、世間の道にはいろいろとからくりが多いものだ。
落第をくりかえすうちに自然とうつむきがちになり、挫折して意気はますます低くなる。

#3
冶長信非罪、侯生或遭罵。懐書出皇都、銜涙渡清㶚。
身將老寂寞、志欲死閑暇。朝食不盈腸、冬衣纔掩髁。
軍書既頻召、戎馬乃連跨。
#4
大梁従相公、彭城赴僕射。弓箭圍狐免、絲竹羅酒炙。
兩府變荒涼、三年就休暇。求官去東洛、犯雪過西華。
塵挨紫陌春、風雨霊臺夜。
#5
名聾荷朋友、援引乏姻婭。雖陪彤庭臣、詎縦靑冥靶。
寒空聳危闕、暁色曜脩架。捐躯辰在丁、鎩翮時方碏。
投荒誠職分、領邑幸寛赦。
#6
湖波翻日車、嶺石坼天罅。毒霧恆薫晝、炎風毎焼夏。
雷威固己加、颶勢仍相借。氣象杳難測、聾音呼可怕。
夷言聴未慣、越俗循猶乍。
#7
指摘兩憎嫌、睢肝互猜訝。秖縁恩未報、豈謂生足藉。
嗣皇新繼明、率土日流化。惟思滌瑕垢、長去事桑柘。
斵嵩開雲扃、厭穎抗風榭。
#8
禾麥種満地、梨棗栽繞舎。兒童稍長成、雀鼠得騙嚇。
官租日輪納、村酒時邀迓。閑愛老兵愚、歸弄小女奼。
如今便可爾、何用畢婚嫁。


現代語訳と訳註
(本文)

誰爲傾国媒、自許連城價。
初随計吏貢、屡入澤宮射。
雖免十上勞、何能一戰覇。
人情忌殊異、世路多權詐。
蹉跎顔逐低、嶊折氣愈下。


(下し文)
誰か傾国の媒【なかだち】と為らん、自ら許す 連城の価【あたい】。
初め計吏に随【したが】いて貢せられ、屢々沢宮【たくきゅう】に入りて射る。
十上【じゅうじょう】の労を免【まぬが】ると雖も、何ぞ能く一戦して覇たらん。
人情 殊異【しゅい】を忌【い】み、世路 権詐【けんさ】多し
蹉跎【さた】として顔遂に低【た】れ、嶊折【さいせつ】して気愈々下る。


(現代語訳)
昔、漢の李延年は有名な歌手であったが、自分の妹が美人だったのを、武帝に売りこもうとして、帝の前で傾国傾城の美人がいるとうたったところから、彼女が武帝の寵愛を受けるいとぐちができたのだが、私にはそのようになかだちとなってくれる人もなかった。
しかしやはり昔、趙王がもっていた宝玉は秦の昭王が十五城と交換しょうと申し入れたほどの名宝で、「連城の壁」と呼ばれたが、自分ではそのような貴重な才能をもっていると自任していた。
そこで最初は会計簿を朝廷にたてまつる役人に引率されて上京し、何度も科挙を受験した。
戦国時代の蘇秦は秦の恵王に意見書を十回ささげたが、全部握りつぶされてしまったという。私はそんなことをする手間は省けたが、一戦して覇者となり得ることなど、できるはずがない。
人情の常として自分と違っていると嫌うものだし、世間の道にはいろいろとからくりが多いものだ。
落第をくりかえすうちに自然とうつむきがちになり、挫折して意気はますます低くなる。


(訳注)
誰爲傾国媒、自許連城價。

誰か傾国の媒【なかだち】と為らん、自ら許す 連城の価【あたい】。
昔、漢の李延年は有名な歌手であったが、自分の妹が美人だったのを、武帝に売りこもうとして、帝の前で傾国傾城の美人がいるとうたったところから、彼女が武帝の寵愛を受けるいとぐちができたのだが、私にはそのようになかだちとなってくれる人もなかった。
しかしやはり昔、趙王がもっていた宝玉は秦の昭王が十五城と交換しょうと申し入れたほどの名宝で、「連城の壁」と呼ばれたが、自分ではそのような貴重な才能をもっていると自任していた。
傾国 李延年『絶世傾国の歌』「北方有佳人、絶世而獨立。一顧傾人城、再顧傾人國。寧不知傾城與傾國、佳人難再得。」(北方に佳人有り、絶世にして獨立す。一顧すれば人の城を傾け、再顧すれば人の國を傾く。寧んぞ傾城と傾國とを知らざらんや、佳人は再びは得がたし。)連城の璧とは? 〔史記(藺相如伝)〕中国の戦国時代、秦の昭王が一五の城と交換しようといった、趙(ちよう)の恵文王所有の有名な宝玉のこと。転じて、無上の宝の意。


初随計吏貢、屡入澤宮射。
初め計吏に随【したが】いて貢せられ、屢々沢宮【たくきゅう】に入りて射る。
そこで最初は会計簿を朝廷にたてまつる役人に引率されて上京し、何度も科挙を受験した。
計吏貢 会計簿を朝廷にたてまつる役人。○澤宮 めぐみを施す宮殿。周代の宮殿の名前。榭を習わし、士を選んだ場所をいう。『周禮、夏官、司弓矢』「」澤共射椹質之弓矢。」(澤は椹質を射るこの弓矢を共す)。
射は科挙試験を射止めるという意味。


雖免十上勞、何能一戰覇。
十上【じゅうじょう】の労を免【まぬが】ると雖も、何ぞ能く一戦して覇たらん。
戦国時代の蘇秦は秦の恵王に意見書を十回ささげたが、全部握りつぶされてしまったという。私はそんなことをする手間は省けたが、一戦して覇者となり得ることなど、できるはずがない。
十上勞 上奏文十回の、戦国時代の蘇秦最初に周の顕王に近づこうとしたが、蘇秦の経歴を知る王の側近らに信用されず、失敗した。次に秦に向かい、恵文王に進言したが、受け入れられなかった。当時の秦は商鞅が死刑になった直後で、弁舌の士を敬遠していた時期のためである。その後は燕の文公に進言して趙との同盟を成立させ、更に韓・魏・斉・楚の王を説いて回り、戦国七雄のうち秦を除いた六国の間に同盟を成立させ、六国の宰相を兼任した。この時、韓の宣恵王を説いた際に、後に故事成語として知られる「鶏口となるも牛後となることなかれ」という言辞を述べた。何能一戰覇。


人情忌殊異、世路多權詐。
人情 殊異【しゅい】を忌【い】み、世路 権詐【けんさ】多し。
人情の常として自分と違っていると嫌うものだし、世間の道にはいろいろとからくりが多いものだ。


蹉跎顔逐低、嶊折氣愈下。
蹉跎【さた】として顔遂に低【た】れ、嶊折【さいせつ】して気愈々下る。
落第をくりかえすうちに自然とうつむきがちになり、挫折して意気はますます低くなる。

blogram投票ボタン

毎日それぞれ一首(長詩の場合一部分割掲載)kanbuniinkai紀 頌之の漢詩3ブログ
05rihakushi350

李白詩350首kanbuniinkai紀頌之のブログ

700Toho shi

kanbuniinkai11の頌之漢詩 杜甫詩700首



800tousouSenshu
kanbuniinkai10 頌之の漢詩 唐宋詩人選集 Ⅰ李商隠150首 Ⅱ韓退之(韓愈)Ⅶ孟郊
各詩人についてはブログ内の検索を利用したほうが良い場合もあります。
burogutitl770

http://kanshi100x100.blog.fc2.com/

李 白 詩
唐宋詩 
(Ⅰ李商隠Ⅱ韓退之(韓愈))
杜 甫 詩
李白詩INDEX02
李商隠INDEX02
杜甫詩INDEX02

中唐詩-267 縣齋有懐 #1 韓愈 Ⅱ韓退之(韓愈) 紀頌之の漢詩ブログ 韓愈特集-29

中唐詩-267 縣齋有懐 韓愈 Ⅱ韓退之(韓愈) 紀頌之の漢詩ブログ 韓愈特集-29



縣齋有懐
少小筒奇偉、平生足悲咤。
子どものころから人にすぐれて平凡でないのが好きだったが、そんな生き方は溜息をつくのに十分だ。
猶嫌子夏儒、肯学樊遅稼。
子夏(孔子の弟子)のようにまじめ一方の儒者の道も嫌いだし、焚遅(やはり孔子の弟子)のように農業を学ぼうともせぬ。
事業窺皋稷、文章蔑曹謝。
政治の上では皋陶・后稷(どちらも伝説上の名臣)のような仕事がしたいと念じており、文学では曹植・謝霊運、どちらも有名な文学者を見下すほどである。
濯纓起江湖、綴珮雑蘭麝。
民間より起って仕官を志し、腰に帯びた佩び玉に香草をまじえると昔の人、屈原は「離騒」で言ったが、私もそのように修養につとめていた。
悠悠指長道、去去策高駕。

そして遙かに長安の道、いわゆる出世街道を目ざし、名馬に鞭うってどんどん進んで行った。

誰爲傾国媒、自許連城價。
初随計吏貢、屡入澤宮射。
雖免十上勞、何能一戰覇。
人情忌殊異、世路多權詐。
蹉跎顔逐低、嶊折氣愈下。


冶長信非罪、侯生或遭罵。
懐書出皇都、銜涙渡清㶚。
身將老寂寞、志欲死閑暇。
朝食不盈腸、冬衣纔掩髁。
軍書既頻召、戎馬乃連跨。


大梁従相公、彭城赴僕射。
弓箭圍狐免、絲竹羅酒炙。
兩府變荒涼、三年就休暇。
求官去東洛、犯雪過西華。
塵挨紫陌春、風雨霊臺夜。


名聾荷朋友、援引乏姻婭。
雖陪彤庭臣、詎縦靑冥靶。
寒空聳危闕、暁色曜脩架。
捐躯辰在丁、鎩翮時方碏。
投荒誠職分、領邑幸寛赦。


湖波翻日車、嶺石坼天罅。
毒霧恆薫晝、炎風毎焼夏。
雷威固己加、颶勢仍相借。
氣象杳難測、聾音呼可怕。
夷言聴未慣、越俗循猶乍。


指摘兩憎嫌、睢肝互猜訝。
秖縁恩未報、豈謂生足藉。
嗣皇新繼明、率土日流化。
惟思滌瑕垢、長去事桑柘。
斵嵩開雲扃、厭穎抗風榭。


禾麥種満地、梨棗栽繞舎。
兒童稍長成、雀鼠得騙嚇。
官租日輪納、村酒時邀迓。
閑愛老兵愚、歸弄小女奼。
如今便可爾、何用畢婚嫁。




「県斎」とは県令の官舎内にある書斎のことである。ただし官舎といっても、県庁の建物といっしょになっていることが多い。つまり表は県庁で、裏は官舎なのである。県斎も、県令が読書をしたりするプライベートな部屋なのだが、そこを執務室のようにして使うことがある。このあたりの公私の区別は、あまりはっきりしない。めぐむ韓愈は流罪になったのだが、形式上は陽山県令の辞令をもらっているので、陽山という片田舎の範囲内では、県令としてふるまうことができる。
この詩のなかの言葉から見れば、このときの韓愈は新帝順宗の即位をすでに知っていた。即位の儀式が挙行されれば、慣例として大赦が行なわれる。そこで韓愈も、大赦の恩典に浴して青天白日の身となり、そのかわりに官界から引退して農耕に余生を送ろうと哀訴しているのである。のちにもう一度述べるが、韓愈は順宗の側近ににらまれたのがこのたびの流罪の原田となったのではないかという疑念を抱いていた。だがこの際、そんなことを問題にしてはいられない。ひたすら哀訴嘆願するはかりであった。


縣齋有懐#1
少小筒奇偉、平生足悲咤。
猶嫌子夏儒、肯学樊遅稼。
事業窺皋稷、文章蔑曹謝。
濯纓起江湖、綴珮雑蘭麝。
悠悠指長道、去去策高駕。
(県斉にて懐い有り)
少小より奇偉を尚【たっと】ぶ、平生 悲咤【ひた】するに足る。
猶子夏の儒【じゅ】を嫌う、肯て 樊遅【はんち】の稼【か】を学はんや。
事業 皋稷【こうしょく】を窺【うかが】い、文章 曹謝を蔑【なみ】す。
纓【えい】を濯【すす】いで江湖より起ち、珮【はい】を綴るに蘭麝【らんじゃ】を雑【まじ】う。
悠悠として長道を指し、去【ゆ】き去【ゆ】きて高駕に策【むちう】つ。

#2
誰爲傾国媒、自許連城價。
初随計吏貢、屡入澤宮射。
雖免十上勞、何能一戰覇。
人情忌殊異、世路多權詐。
蹉跎顔逐低、嶊折氣愈下。

誰か傾国の媒【なかだち】と為らん、自ら許す 連城の価【あたい】。
初め計吏に随【したが】いて貢せられ、屢々沢宮【たくきゅう】に入りて射る。
十上【じゅうじょう】の労を免【まぬが】ると雖も、何ぞ能く一戦して覇たらん。
人情 殊異【しゅい】を忌【い】み、世路 権詐【けんさ】多し
蹉跎【さた】として顔遂に低【た】れ、嶊折【さいせつ】して気愈々下る。

#3
冶長信非罪、侯生或遭罵。
懐書出皇都、銜涙渡清㶚。
身將老寂寞、志欲死閑暇。
朝食不盈腸、冬衣纔掩髁。
軍書既頻召、戎馬乃連跨。

冶長【やちょう】 信【まこと】に罪に非ず、侯生【こうせい】 或いは罵【ののし】らるるに遭う。
書を懐【いだ】いて皇都を出【い】で、涙を銜んで清㶚【せいは】を渡る。
身は将に寂寞【せきばく】に老いんとし、志は閑暇【かんか】に死なんと欲す。
朝食 腸に盈【み】たず、冬衣 纔【わず】かに䯊【か】を掩【おお】うのみ。
軍書 既に頻【しき】りに召し、戎馬【じゅうば】 乃【すなわ】ち連【しき】りに跨【また】がる。

#4
大梁従相公、彭城赴僕射。
弓箭圍狐兔、絲竹羅酒炙。
兩府變荒涼、三年就休暇。
求官去東洛、犯雪過西華。
塵挨紫陌春、風雨霊臺夜。

大梁にて相公【しょうこう】に従い、彭城【ほうじょう】にて僕射【ぼくや】に赴く。
弓箭【きゅうせん】 狐兔【こと】を囲み、糸竹 酒灸【しゅしゃ】を羅【つら】ぬ。
両府 変じて荒涼たり、三年 休暇に就く。
官を求めて東洛に去り、雪を犯して西華に過る。
塵挨【じんあい】 紫陌【しはく】の春、風雨 霊台の夜。 

#5
名聾荷朋友、援引乏姻婭。
雖陪彤庭臣、詎縦靑冥靶。
寒空聳危闕、暁色曜脩架。
捐躯辰在丁、鎩翮時方碏。
投荒誠職分、領邑幸寛赦。

名声 朋友に荷【よ】り、援引 姻姫に乏し。
庭臣の臣に陪すと雖も、誼【なん】ぞ青冥【せいめい】の靶【は】を縦【ほしい】ままにせん。

寒空に危闕【きけつ】聾【そび】え、暁色【ぎょうしょく】に修架【しゅうか】曜【かがや】く。
躯【み】を捐【す】つる 辰は丁に在り、翮【はね】を鎩【そ】がるる 時は碏【さ】に方【あた】る。
荒に投ずるは誠に職分、邑【ゆう】を領するは幸いに寛赦【かんしゃ】なり。

#6
湖波翻日車、嶺石坼天罅。
毒霧恆薫晝、炎風毎焼夏。
雷威固己加、颶勢仍相借。
氣象杳難測、聾音吁可怕。
夷言聴未慣、越俗循猶乍。

湖波【こは】 日車【にっしゃ】を翻し、嶺石【れいせき】 天罅【てんか】を坼【ひら】く。
毒霧【どくむ】 恒に昼に薫じ、炎風 毎に夏に焼く。
雷威【らいい】 固より己に加わり、颶勢【ぐせい】 仍【なお】相借す。
気象 杳【よう】として測り難し、声音 吁【ああ】 怕【おそ】る可し。
夷言【いごん】は聴くに未だ慣わず、越俗は循【したが】うに猶乍なり。

#7
指摘兩憎嫌、睢肝互猜訝。
秖縁恩未報、豈謂生足藉。
嗣皇新繼明、率土日流化。
惟思滌瑕垢、長去事桑柘。
斵嵩開雲扃、厭穎抗風榭。

指摘して両つながら憎嫌【ぞうけん】し、睢肝【きく】して互いに清訝【さいが】す。
秖【た】だ恩の未だ報ぜざるに縁り、豈【あに】生の藉【よ】るに足ると謂わんや。
嗣皇【しこう】 新たに明を継ぎ、率土【そつど】 日に化流る。
惟だ思う 瑕垢【かこう】を滌【すすぎ】ぎて、長く去りて桑柘【そうたく】を事とせんことを。
嵩を斬りて雲扃【うんけい】を開き、頴【えい】を圧して風榭【ふうい】を抗【あ】げん。

#8
禾麥種満地、梨棗栽繞舎。
兒童稍長成、雀鼠得騙嚇。
官租日輪納、村酒時邀迓。
閑愛老兵愚、歸弄小女奼。
如今便可爾、何用畢婚嫁。

禾麦【かぼく】 種えて地に満ち、梨棗【りそう】 栽えて舎を繞らせん。
児童 稍【やや】長成せば、雀鼠【じゃくそ】 駆嚇【くかく】するを得ん。
官粗【かんそ】 日に輪納し、村酒 時に邀迓【ようが】せん。
閑【しず】かに老農の愚を愛し、帰りて小女の奼【た】なるを弄【ろう】せん。
如今【じょこん】 便【すなわ】ち爾【しか】る可し、何ぞ婚嫁【こんか】を畢【お】わるを用いん。


(1)
県斎」とは県令の官舎内にある書斎のことである。ただし官舎といっても、県庁の建物といっしょになっていることが多い。つまり表は県庁で、裏は官舎なのである。県斎も、県令が読書をしたりするプライベートな部屋なのだが、そこを執務室のようにして使うことがある。このあたりの公私の区別は、あまりはっきりしない。めぐむ韓愈は流罪になったのだが、形式上は陽山県令の辞令をもらっているので、陽山という片田舎の範囲内では、県令としてふるまうことができる。
この詩のなかの言葉から見れば、このときの韓愈は新帝順宗の即位をすでに知っていた。即位の儀式が挙行されれば、慣例として大赦が行なわれる。そこで韓愈も、大赦の恩典に浴して青天白日の身となり、そのかわりに官界から引退して農耕に余生を送ろうと哀訴しているのである。のちにもう一度述べるが、韓愈は順宗の側近ににらまれたのがこのたびの流罪の原田となったのではないかという疑念を抱いていた。だがこの際、そんなことを問題にしてはいられない。ひたすら哀訴嘆願するはかりであった。


現代語訳と訳註
(本文)
縣齋有懐

少小筒奇偉、平生足悲咤。
猶嫌子夏儒、肯学樊遅稼。
事業窺皋稷、文章蔑曹謝。
濯纓起江湖、綴珮雑蘭麝。
悠悠指長道、去去策高駕。


(下し文) (県斉にて懐い有り)#1
少小より奇偉を尚【たっと】ぶ、平生 悲咤【ひた】するに足る。
猶子夏の儒【じゅ】を嫌う、肯て 樊遅【はんち】の稼【か】を学はんや。
事業 皋稷【こうしょく】を窺【うかが】い、文章 曹謝を蔑【なみ】す。
纓【えい】を濯【すす】いで江湖より起ち、珮【はい】を綴るに蘭麝【らんじゃ】を雑【まじ】う。
悠悠として長道を指し、去【ゆ】き去【ゆ】きて高駕に策【むちう】つ。


(現代語訳)
子どものころから人にすぐれて平凡でないのが好きだったが、そんな生き方は溜息をつくのに十分だ。
子夏(孔子の弟子)のようにまじめ一方の儒者の道も嫌いだし、焚遅(やはり孔子の弟子)のように農業を学ぼうともせぬ。
政治の上では皋陶・后稷(どちらも伝説上の名臣)のような仕事がしたいと念じており、文学では曹植・謝霊運、どちらも有名な文学者を見下すほどである。
民間より起って仕官を志し、腰に帯びた佩び玉に香草をまじえると昔の人、屈原は「離騒」で言ったが、私もそのように修養につとめていた。
そして遙かに長安の道、いわゆる出世街道を目ざし、名馬に鞭うってどんどん進んで行った。


(訳注)
縣齋有懐(県斉にて懐い有り)
少小尚奇偉、平生足悲咤。
少小より奇偉を尚【たっと】ぶ、平生 悲咤【ひた】するに足る。
子どものころから人にすぐれて平凡でないのが好きだったが、そんな生き方は溜息をつくのに十分だ。
少小 子どものころ。○尚奇偉 すぐれて平凡でないのを好む。○平生 へいじょう。ふだん。ひごろ。往年。○足悲咤 哀しみ歎くことに十分である。


猶嫌子夏儒、肯学樊遅稼。
猶子夏の儒【じゅ】を嫌う、肯て 樊遅【はんち】の稼【か】を学はんや。
子夏(孔子の弟子)のようにまじめ一方の儒者の道も嫌いだし、焚遅(やはり孔子の弟子)のように農業を学ぼうともせぬ。
子夏儒 子夏は孔子の弟子の中でも儒者として教条的である。○樊遅稼 孔子の弟子で農業に従事した。
子路第十三 「樊遅請學稼。子曰。吾不如老農。」樊遅、稼を学ばんと請う。子の曰く、吾れ老農に如かず。圃を為くることを学ばんと請う。


事業窺皋稷、文章蔑曹謝。
事業 皋稷【こうしょく】を窺【うかが】い、文章 曹謝を蔑【なみ】す。
政治の上では皋陶・后稷(どちらも伝説上の名臣)のような仕事がしたいと念じており、文学では曹植・謝霊運、どちらも有名な文学者を見下すほどである。
○事業 仕事。わざ。○窺皋 皋陶(皐陶). コウヨウ. 中国神話. 堯帝の法官. 堯(ぎょう)の時代に五刑を定めたとされる神で、裁判で判決を下すのに獬豸(かいち)という聖獣を用いたことで知られる。獬豸は一角の羊で、生まれながらに有罪者を見分けることができる不思議な獣である。后稷 后稷(こうしょく)は、伝説上の周王朝の姫姓の祖先。中国の農業の神として信仰されている。○文章 文学。○曹謝 曹植・謝霊運。


濯纓起江湖、綴珮雑蘭麝。
纓【えい】を濯【すす】いで江湖より起ち、珮【はい】を綴るに蘭麝【らんじゃ】を雑【まじ】う。
民間より起って仕官を志し、腰に帯びた佩び玉に香草をまじえると昔の人、屈原は「離騒」で言ったが、私もそのように修養につとめていた。
濯纓 官僚がつける冠の纓を結ぶのであるが、清廉潔白のために、或は隠遁するために、濯ぐ。○江湖 湘江、洞庭湖。○綴珮 腰に帯びた佩び玉○雑蘭麝 蘭の花と麝香(じゃこう)の香り。また、よい香り。


悠悠指長道、去去策高駕。
悠悠として長道を指し、去【ゆ】き去【ゆ】きて高駕に策【むちう】つ。
そして遙かに長安の道、いわゆる出世街道を目ざし、名馬に鞭うってどんどん進んで行った。
悠悠 ゆうゆうとして、はるかなさま。○指長道 長安への道を目指すこと。○去去 去りゆくさま。○策高駕 名馬にまたがって鞭を打つ。

中唐詩-266 答張十一功曹 韓愈 Ⅱ韓退之(韓愈) 紀頌之の漢詩ブログ 韓愈特集-29

答張十一功曹 韓愈-<29>

この803年の事件(通説では7月観察御史に任ぜられ、間もなく京兆尹李実を弾劾したが、逆にわずか2カ月で流罪となったものである。この弾劾自体は個人攻撃というものでなく、不作・凶作期の徴税方法について見識を示したものである)で3人流罪にとき流された張署という人があった。これは都に近い武功の尉から監察御史となっていたが、やはり流罪の処分を受けて臨武に流されることとなった。ほかにも一人が別の土地へ流されており、同時に監察御史が三人も流罪となったのだから、何かあったことは確実である。ただ、歴史的事実で不明な点が多い場合の原因は宦官が関係していることが多い。この段階になって、宦官勢力は、軍隊の中枢にまで触角をひろげていた。(ただ、翌年には流罪は説かれている)

 湖南省を南から北へと流れて縦断する湘江をかなり源流に近くなったあたりに臨武があり、そこから山越えをして、陽山に行き着く。二つの町のあいだは、直線距離にすればたいしたことはないが、五嶺山脈によって、互いに隔絶されている。配所へ行くのに、韓愈と張署とは別々にずらされてが赴任したのだが、先に臨武に到着してい張署と詩を交換したのである。


答張十一功曹
山淨江空水見沙,哀猿啼處兩三家。
(湘江の最上流部にきたようだ)山はきよらかであかるい、江川にはまったく人影もない、水は少ないので川砂の堆積がある。ここでも悲しげに猿が啼くあたりに、二、三軒の家が見えている。
篔簹競長纖纖笋,躑跼閑開豔豔花。
この地方特産の篔簹の竹はあちこちにわれがちに細い筍をのばしている、つつじは静かに美しい花を咲かせている。
未報恩波知死所,莫令炎瘴送生涯。
いまだに天子のご恩にまだ報いていないので、死に場所は心得ていてここでは死ねない。瘴癘の地に特有の暑さと瘴病の毒気のなかで、一生を終わらせてはならないのだ。
吟君詩罷看雙鬓,鬥覺霜毛一半加。

君から送ってきた詩を吟じ終えてわが両の鬢を見れば、白髪が半ばまで数を一気に増したのに気づくのである。

(張十一功菅に答う)
山浄く江空しくして水は沙を見【あら】わす、哀猿【あいえん】啼く処 両三家。
篔簹【いんとう】競いて長ず纖纖【せんせん】たる笋【たけのこ】、躑躅【てきしょく】閑かに開く豔豔【えんえん】たる花。
未だ恩波【おんは】を報ぜず死所を知る、炎瘴をして生涯を送らしむること莫かれ。
君が詩を吟じ罷【お】わりて双鬢【そうびん】を看れば、斗【たちま】ち覚ゆ霜毛の一半加わるを。

韓愈の地図01

現代語訳と訳註
(本文)
答張十一功曹
山淨江空水見沙,哀猿啼處兩三家。
篔簹競長纖纖笋,躑跼閑開豔豔花。
未報恩波知死所,莫令炎瘴送生涯。
吟君詩罷看雙鬓,鬥覺霜毛一半加。


(下し文) (張十一功菅に答う)
山浄く江空しくして水は沙を見【あら】わす、哀猿【あいえん】啼く処 両三家。
篔簹【いんとう】競いて長ず纖纖【せんせん】たる笋【たけのこ】、躑躅【てきしょく】閑かに開く豔豔【えんえん】たる花。
未だ恩波【おんは】を報ぜず死所を知る、炎瘴をして生涯を送らしむること莫かれ。
君が詩を吟じ罷【お】わりて双鬢【そうびん】を看れば、斗【たちま】ち覚ゆ霜毛の一半加わるを。


(現代語訳)
(湘江の最上流部にきたようだ)山はきよらかであかるい、江川にはまったく人影もない、水は少ないので川砂の堆積がある。ここでも悲しげに猿が啼くあたりに、二、三軒の家が見えている。
この地方特産の篔簹の竹はあちこちにわれがちに細い筍をのばしている、つつじは静かに美しい花を咲かせている。
いまだに天子のご恩にまだ報いていないので、死に場所は心得ていてここでは死ねない。瘴癘の地に特有の暑さと瘴病の毒気のなかで、一生を終わらせてはならないのだ。
君から送ってきた詩を吟じ終えてわが両の鬢を見れば、白髪が半ばまで数を一気に増したのに気づくのである。

韓愈の地図03

(訳注)
山淨江空水見沙,哀猿啼處兩三家。

(湘江の最上流部にきたようだ)山はきよらかであかるい、江川にはまったく人影もない、水は少ないので川砂の堆積がある。ここでも悲しげに猿が啼くあたりに、二、三軒の家が見えている。
山淨 山は汚れていない。きよい、澄んでいる,清くあかるい。○江空 川には人影もなく。○水見沙 水は少なくて川砂が現われている。


篔簹競長纖纖笋,躑躅閑開豔豔花。
この地方特産の篔簹の竹はあちこちにわれがちに細い筍をのばしている、つつじは静かに美しい花を咲かせている。
篔簹 竹の名前。偃竹。蘇軾「篔簹谷偃竹記」から。(竹の絵を描くとき、胸中にその構図を描いたのち始める意から)前もって立てている計画。十分な見通しということに使っている。○躑躅 つつじ。あしをとめる。またたたずむこと。ゆきつもどりつする。通常「躑跼」をつかう。○閑開 しずかにひらく。○豔豔花 つややかな花。あでやかな花。つつじのはな。華。


未報恩波知死所,莫令炎瘴送生涯。
いまだに天子のご恩にまだ報いていないので、死に場所は心得ていてここでは死ねない。瘴癘の地に特有の暑さと瘴病の毒気のなかで、一生を終わらせてはならないのだ。
炎瘴 瘴癘の地 湿熱の気候風土によって起こる熱病や皮膚病。


吟君詩罷看雙鬓,鬥覺霜毛一半加。
君から送ってきた詩を吟じ終えてわが両の鬢を見れば、白髪が半ばまで数を一気に増したのに気づくのである。
霜毛一半加 白髪が半ばまで数を増した。韓愈数えの37歳である。中国において、若白髪は、自分の思いとは違った行動をとる場合の情況を白髪に喩える常套句である。韓愈は、35歳で歯が落ち始め、37歳で白髪頭になったということではない。詩的表現と見る。ただし、歯については、残り20本と具体的に示しているので詩的表現ではなかろう。


●張十一功曹」とは、前に名をあげた張署のことである。この詩は臨武に流された張署から愈のもとに送られてきた詩に答えたもので、署の詩も現在残っている。●署にこんな所で死ぬなといっているのは、愈自身のここでは死なないぞという決意を表わしたものである。●この詩は張署が先に配所に着いていて、あとから臨武を通りかかった韓愈に、面会は許されないので、詩を贈答して友情を確かめあった。韓愈が陽山に着いたのは804貞元二十年の2月であった。

中唐詩-265 湘中 韓愈 Ⅱ韓退之(韓愈) 紀頌之の漢詩ブログ 韓愈特集-28

中唐詩-265 湘中 韓愈 Ⅱ韓退之(韓愈) 紀頌之の漢詩ブログ 韓愈特集-28
 
最初の流罪
 韓愈が流罪の処分を受けたのは貞元十九年〈803〉の冬、流された先は陽山(広東省)であった。
このとき流された張署という人があった。これは都に近い武功の尉から監察御史となっていたが、やはり流罪の処分を受けて臨武に流されることとなった。ほかにも一人が別の土地へ流されており、同時に監察御史が三人も流罪となったのだから、何かの事件があったことは確実である。食糧不安、従来通りの税取立て等々に対しての民衆の不平不満のガス抜きとして、誰かを流罪という形で処分したのであろう。
 急な抜擢をされ、そして2カ月で流罪、この件については、資料的にも無い様なので、これ以上の推測は避けることにする。
韓愈の地図01

韓愈は、湖南省を南から北へと流れて縦断する湘江にのってd-3からd-5にむかって南下している。当時の旅は基本船旅である。かなり源流に近くなったあたりに臨武がある。そこからさらに山越えをすれば、陽山に行き着く。今の行政区画でいえば、臨武は湖南省に、陽山は広東省に属する。二つの町のあいだは、直線距離にすればたいしたことはないが、山があるので、互いに隔絶されている。広西の佳林と湘江は秦の始皇帝の土木工事により運河が作られていたので、今の香港方面に行く場合は桂林を経由するルートが常識的なのだが、韓愈は流罪であるから、配所へ行くのに、観光旅行ではない。韓愈と張署とが連れだって旅することが許されるはずもなかった。しかし、同じく流された者として、連帯感を持ったのは間違いないことで資料的にも詩の交歓というものが残っている。

『湘中』は804年韓愈37歳流罪の途中での詩。

湘中
猿愁魚踊水翻波、自古流傳是汨羅。
蘋藻満盤無塵奠、空聞漁父叩舷歌。

(湘中) 
猿愁え魚踊って水波を翻【ひるがえ】し、古【いにし】え自【よ】り流伝す走れ汨羅【べきら】たりと。
頻藻【ひんそう】盤に満つるも奠【そな】うる処無く、空しく聞く漁父の舷【ふなばた】を叩いて歌うを


現代語訳と訳註
(本文)
湘中
猿愁魚踊水翻波、自古流傳是汨羅。
蘋藻満盤無塵奠、空聞漁父叩舷歌。


(下し文)
(湘中) 
猿愁え魚踊って水波を翻【ひるがえ】し、古え自り流伝す走れ汨羅【べきら】たりと。
頻藻【ひんそう】盤に満つるも奠【そな】うる処無く、空しく聞く漁父の舷【ふなばた】を叩いて歌うを


(現代語訳)

猿は悲しげな鳴き声をあげ、魚ははねて、川の水は波をわきたたせている。昔からの言い伝えによれば、ここが旧羅なのだという。
水草は皿いっぱいに盛ったが、さてどこにそなえて屈原の霊を祭ったものだろう。屈原に対して漁父が船端を叩きながらうたった舟歌がいまはむなしく聞こえてくる。

 (訳注) 湘中
湘中 湘江の船旅の途中の詩。五嶺(現・南嶺)山脈を流域を源流にして北流して洞庭湖に流入する、長江の支流である。韓愈は長安C-1から陽山d-5に流罪されたのだ。

猿愁魚踊水翻波、自古流傳是汨羅。
猿は悲しげな鳴き声をあげ、魚ははねて、川の水は波をわきたたせている。昔からの言い伝えによれば、ここが旧羅なのだという。
猿愁 中国南部の猿は、手長猿、悲鳴のような啼き方をする。孟浩然『宿桐廬江寄廣陵舊遊』「山暝聽猿愁,滄江急夜流。」(山暝【くらく】して猿愁を聽き,滄江【そうこう】急ぎて夜に流る。)李白『尋高鳳石門山中元丹邱』「寂寂聞猿愁、行行見云收。」(寂寂(せきせき)として猿の愁うるを聞き、行行雲の収まるを見る。)○汨羅 今の湖南省長抄の付近の川の名で、その昔、戦国時代末期の楚の屈原は、政敵に謹言されて都を放逐され、洞庭湖畔を放浪した末、旧羅江に身を投げて自殺した。彼の痛憤は「離騒」「九章」などの韻文にうたわれ、それらは『楚辞』に収められている。
李白『江上吟』
木蘭之枻沙棠舟,玉簫金管坐兩頭。
美酒尊中置千斛,載妓隨波任去留。
仙人有待乘黄鶴,海客無心隨白鴎。
屈平詞賦懸日月,楚王臺榭空山丘。
興酣落筆搖五嶽,詩成笑傲凌滄洲。
功名富貴若長在,漢水亦應西北流。
木蘭(もくらん)の枻(かい) 沙棠(さとう)の舟,
玉簫(ぎょくしょう) 金管(きんかん)  兩頭(りょうとう)に 坐(ざ)す。
美酒 尊中(そんちゅう)千斛(せんこく)を置き,妓を載せて波に 隨ひて去留(きょりゅう)に 任(まか)す。
仙人 待つ有りて 黄鶴(こうかく)に 乘り,海客(かいきゃく)心 無くして 白鴎(はくおう) 隨(したが)ふ。
屈平(くっぺい)の詞賦(しふ)は 日月(じつげつ)を 懸(か)くるも,楚王(そおう)の臺榭(だいしゃ)は 山丘(さんきゅう)に 空し。
興(きょう)酣(たけなは)にして 筆(ふで)を 落とせば  五嶽を 搖(うご)かし,詩 成りて 笑傲(しょうごう)すれば  滄洲(そうしゅう)を 凌(しの)ぐ。
功名(こうみょう)富貴(ふうき) 若(も)し 長(とこしな)へに在(あ)らば,漢水(かんすい)も亦(ま)た 應(まさ)に 西北に 流るべし。
李白『秋浦歌十七首 其六』
愁作秋浦客。 強看秋浦花。
山川如剡縣。 風日似長沙
愁えて秋浦の客と作(な)り、強(し)いて秋浦の花を看(み)る。
山川(さんせん)は  剡県(せんけん)の如く、風日(ふうじつ)は  長沙(ちょうさ)に似るに。

李白『贈王判官時余歸隱居廬山屏風疊』(王判官に贈る 時に余帰隠し廬山屏風畳に居る)
贈王判官時余歸隱居廬山屏風疊 李白 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集350 -232

李白、杜甫、李商隠、韓愈、多くの詩人がは洞庭湖について、屈原に関してたくさん詩を作っている。


蘋藻満盤無塵奠、空聞漁父叩舷歌。
水草は皿いっぱいに盛ったが、さてどこにそなえて屈原の霊を祭ったものだろう。屈原に対して漁父が船端を叩きながらうたった舟歌がいまはむなしく聞こえてくる。
蘋藻 かたばみ藻と水藻。水草。この水藻を敬ってお供えをするということに基づいている。『左傳、㐮公二十八』「済澤之阿、行两潦之蘋藻、寘諸宗室、季蘭尸之、敬也。敬可棄乎。」(済澤之阿、行潦の蘋藻も、諸を宗室に寘【お】き、季蘭これを尸【つかさど】るは、敬なり。敬として棄つく可けん乎。)とある。屈原の祭壇が分からないのである。○漁父 隠遁者のこと。『楚辞』のなかにはまた「漁父」という一篇があり、現在では後世の人の作とされるが、韓愈の時代には屈原が作ったものと信じられていた。「漁父」とは「漁師のおやじ」という意味で、ここの漁父は隠者であり、屈原が、「挙世みな酔う」なかで自分一人正気でいるこんな目にあっているのだというと、それなら、自分もその酒の余りを飲み、世の中の人たちといっしょに酔ったらよいではないかという。しかし、屈原と漁父とでは、しょせん生き方が違う。それを知った漁父は、ふなはたを叩いて歌をうたいながら舟を濯ぎ去る。


この詩は愈が配流の旅の途中、洞羅にさしかかって作ったものである。同じく都から追放された者として、彼はわが身を屈原になぞらえているのである。ただし汨羅江のほとりに漁師の歌・舟歌はいくらも聞けたであろうが、現代の漁父は、一人も韓愈のそばへ舟を濯ぎ寄せ、声をかけようとはしてくれなかった。左遷、流刑の旅である。気軽に声をかけてくれる者はいない。その寂しさを屈原の孤独と重ねているのである。

『答盧仝』(孟郊 唐詩
「楚屈入水死,詩孟踏雪僵。」(
楚の屈は 水に入りて死し、詩の孟は雪を踏んで僵【たおれ】る。)
楚の屈原は世をはかなみ湘水に入水して死んだ。詩人である孟郊は、作詩に雪道を歩いて倒れて死んでしまうほどの努力をしている。
○楚屈 戦国時代の楚の政治家、詩人。氏は屈。諱は平または正則。字が原。春秋戦国時代を代表する詩人であり、政治家としては秦の張儀の謀略を見抜き踊らされようとする懐王を必死で諫めたが受け入れられず、楚の将来に絶望して入水自殺した
中唐詩 Ⅶ孟郊(孟東野) 答盧仝#1 <24> kanbun-iinkai紀頌之の漢詩ブログ248


李商隠『楚宮』 「湘波如涙色漻漻、楚厲迷魂逐恨遙。」(湘波 涙如 色漻漻【りょうりょう】たり、楚厲【それい】の迷魂 恨みを逐いて遙かなり。)
楚宮 李商隠 :kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ李商隠特集 55


李商隠 『潭州』「潭州官舎暮樓空、今古無端人望中。湘涙浅深滋竹色、楚歌重畳怨蘭叢。」(潭州の官舎 暮楼空し、今古 端なくも人望中る。湘涙 浅深 竹色を涼し、楚歌 重畳 蘭叢を怨む。)
潭州 李商隠 :kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ李商隠特集 41




記事検索
livedoor 天気
記事検索
プロフィール

紀 頌之

Twitter プロフィール
カテゴリ別アーカイブ
QRコード
QRコード
  • ライブドアブログ