漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩 中唐詩人選集【Ⅰ李商隠-150】Ⅱ韓退之(韓愈)-500Ⅶ孟郊(東野)賈島張籍柳宗元韋応物

Ⅰ李商隠は難解詩といわれている。約150首紹介済。(晩唐詩人) Ⅱ韓退之(韓愈)-約500首Ⅶ孟郊、中唐の詩人を掲載中。万物の性(さが)をテーマにした哲学的な詩。このブログは基本的に中唐詩人を中心にして掲載する予定。 韓愈詩文のこれまでの掲載分とこれから掲載予定分を時系列で整理した2014.3.29のブログに集約してそこから各年次を見ることができる  kanbuniinkai 検索で、《漢文委員会HP05》サイトあります。漢詩唐詩を理解するための総合サイト:≪漢文委員会 漢詩07≫。

江陵府法曹參軍

少し、マニアックな晩唐詩人Ⅰ-李商隠150首をまず掲載済み。中唐は盛唐詩人(孟浩然・王維、杜甫、李白)を受け継いだ多様な詩人が出ている。この時代も驚くほど詩が発展している。Ⅱ韓退之(韓愈)500首、Ⅲ柳宗元40首、Ⅳ韋応物、Ⅴ劉長卿、Ⅵ韋荘、Ⅶ孟郊(孟東野)、Ⅷ張籍、Ⅸ賈島、Ⅹ劉禹錫、ほか2012~2020年の予定で気長に進める。同じ中唐ではあるが、白居易のグループについては、李白のブログ350首(2015/6月再開~2018/夏・秋月予定)の後掲載の予定。別に杜甫詩ブログ1500首(2011/7月~2018/8月の予定で)を進行中。詩数につぃては、予定の詩数より多くなる。気まぐれなところがあるのでこの予定が少し変わる場合があり、その節はご容赦ください。                 古詩・謝霊運詩 杜甫詩 韓愈詩 花間集500首全詩 それぞれ毎日ブログしています。 このブログ、索引=語句の「検索」 参考書以上掲載。漢詩力up。

憶昨行和張十一 韓退之(韓愈)詩<61-#4>Ⅱ中唐詩366 紀頌之の漢詩ブログ1177

憶昨行和張十一 韓退之(韓愈)詩<61-#4>Ⅱ中唐詩366 紀頌之の漢詩ブログ1177



805年、この年は、中央では、さきに記したように、順宗が即位し、王叔文党が政権をにぎり、まもなく皇太子が摂政となり、王叔文が追放され、順宗が譲位し、自芸子が即位し、永点と改元した、じつにあわただしい年であった。その永貞元年も、韓愈が江陵に到着してまもなく尽き、新しい年をむかえ、新帝憲宗は、元号を「元和」と改めた。806年元和元年正月、江陵には珍しく雪がどっさり降った。雪のふるなかに梅がさき、うぐいすが鳴いた。韓愈には、そのひとつびとつが、楽しく、うれしかったようだ。『早春雪中聞鸎』 韓退之(韓愈)詩<56>Ⅱ中唐詩356 紀頌之の漢詩ブログ1147(早春雪中に鷲を聞く)はその一つである。通常、年が変われば人事報告があるもので、この詩には、いまにも都から、よびもどされようとはかりに、そわそわしているところおもしろい。
しかし、待てどもその便りは、杏の花が散ってもやって来なかったのである。「杏花」杏花 #1 Ⅱ韓退之(韓愈) 紀頌之の漢詩ブログ989 韓愈特集-37-#1
「春に感ず四首」感春四首 其一(1) 韓退之(韓愈)詩<57>Ⅱ中唐詩357 紀頌之の漢詩ブログ1150はこのころの作である。同時期に「憶昨行張十一に和す」がある。これは、韓愈より、一足先に都に帰る張署と交換した詩である。
『贈韓退之』  張署
九疑峰畔二江前,戀闕思鄉日抵年。
白簡趨朝曾竝命,蒼梧左宦一聊翩。
鮫人遠泛漁舟水,鵩鳥閑飛露裏天。
渙汗幾時流率土,扁舟西下共歸田。
(韓退之に贈る)
九疑峰の畔 二江の前,闕を戀ひ 鄉を思うて 自ら年に抵る。
白簡 朝に趨く曾て竝びに命ぜられ,蒼梧に宦を左せらるるも一聊翩たり。
鮫人遠く泛ぶ漁舟の水,鵩鳥 閑に飛ぶ 露裏の天。
渙汗 幾時か 率土に流べば,扁舟 西下して 共に歸田せむ。


88 憶昨行和張十一
憶昨夾鍾之呂初吹灰,上公禮罷元侯回。
かねて過ぎ去ったころのこと、季節の変わり目に吹く爽鐘の呂のはじめて灰を吹いた日のことであった、上代の聖人を祭りをしおえてこの江陵の節度使裴均長官がお帰りになられた
車載牲牢甕舁酒,並召賓客延鄒枚。
車に神に供える牛・羊・豚をの、神酒の甕を担がせている、宴に召された賓客に漢代の枚乗と鄒陽のような文豪たちが居並んだ。
腰金首翠光照耀,絲竹迥發清以哀。
腰には金の佩び玉をつけ、翡翠の羽飾りはきらきら輝いている、遠くからわき起こる管絃楽は清らにも哀れであった。
青天白日花草麗,玉斝屢舉傾金罍。
空は青く晴れ渡り、真昼の太陽は白くふりそそぐ、 花も草もうるわしく広がる、宝玉のさかずきはしばしば飲み干し、黄金色の真鍮の酒壷は傾けられた。
#2
張君名聲座所屬,起舞先醉長松摧。
張君の名声は我々左遷や不遇の一座のものの注目するところとなっている、たから、立ち起きて舞い、まず酔うてしまい、松の巨木さながらくずれてしまう。
宿酲未解舊痁作,深室靜臥聞風雷。
二日酔いのさめないうちに前からのマラリヤの発作が起こってくる、奥の間で絶対安静にしていると高熱に耳鳴りがして大風雷鳴を聞いているようだ。
自期殞命在春序,屈指數日憐嬰孩。
自分の命も最後となる時期かと春の季節のあと追い 命も尽きてしまうものと思っている、もう幾日と指折り数え、赤子を不憫に思うようである。
危辭苦語感我耳,淚落不掩何漼漼。
切ない辛い君の言葉は 耳にするにつけいたましく感じられる、落ちる涙を掩いもしなで、なんとさめざめ涙を流すだけなのだ。
#3
念昔從君渡湘水,大帆夜劃窮高桅。
少し前のことを思い出すと先にきみと一緒に湘水を渡ったときのことだが、大きな帆を夜中に袈けて、 高いマストのある立派な舟でも危険な状態におちいった。
陽山鳥路出臨武,驛馬拒地驅頻隤。
陽山から臨武へは鳥だけが通れるひとすじ道にでた、駅馬もこの地をいやがってむりに走らせると、しきりにつまずきたおれた。
踐蛇茹蠱不擇死,忽有飛詔從天來。
いたるところで蛇をふみつけ、食物の中に毒虫がいたり、死をいとう暇もなかったが、しばらくして、とぶようにやって来る天子の詔勅が天降ることとはなった。
伾文未揃崖州熾,雖得赦宥恒愁猜。
だが王伾・王叔文は斬られはしなくて、崖州の仲間の奴もまだ元気である、わたしは赦免は得たというものの 別の懸念がつきまとっているのだ。

#4
近者三奸悉破碎,羽窟無底幽黃能。
それが近ごろのことで、改革派と称したこの三人の悪者は悉くうちにその思惑は打ち砕かれたのだ。羽山の底なしの洞窟に黄熊が閉じこもった事と同様に、やつらは幽閉せられたということだ。
眼中了了見鄉國,知有歸日眉方開。
私の目にはっきりと故郷の姿を思い浮かべて見ることもできる、帰る日のあるということがまちがいなくあるとわかるし、ひそめた眉がもうじき開けるというものなのだ。
今君縱署天涯吏,投檄北去何難哉。
今、君がたとえはるか天涯の地の下級官吏に任命されたとしても、辞令を投げ返して、北の都に向けて官を去ることもどうしてむつかしいというのか。(君の力なら難しくはないというものだ)
無妄之憂勿藥喜,一善自足禳千災。
「圥妄の憂は薬することなくして喜びあり」とかいうではないか、一の吉報はおのずから千の災いをはらいのけるに十分足るというものだ。
#5
頭輕目朗肌骨健,古劍新劚磨塵埃。
頭は軽く感じ、眼つきは朗らになり、そして、肌も骨も体つきもしゃんとしてきた、古い剣の埃をはらい錆を新たにけずって、チリ埃を払って、いま砥石から出てきたようだ。
殃消禍散百福並,從此直至耇與鮐。
厄病は消え、幸福がいっぱいなり、百もの幸福がいっしょになってやってくるし、これからは 背がまがり皮膚にふぐの皮膚のようなシミのできるまでは元気なはずだ。
嵩山東頭伊洛岸,勝事不假須穿栽。
嵩山の東のふもと、伊水と洛水の岸べ、そこのよさは くどくどせんさくするまでもない。
君當先行我待滿,沮溺可繼窮年推。
きみよ まず行きたまえ わたしは任期の満ちる日待とうとおもう。そして、長沮(ちょうそ)と桀溺(けつでき)と呼ばれる隠者の跡を継いで生涯を終えるまで田を耕そう。


(憶昨行【おくさくこう】張十一に和す
憶ふ昨に夾鍾【きょうしょう】の呂【りょ】の初めて灰【はい】を吹きしとき,上公の禮 罷【おわ】って元侯【げんこう】回【かえ】る。
車には牲牢【せいろう】を載せ甕【かめ】には酒を舁【か】く,賓客を並び召して鄒枚【すうばい】を延【ひ】く。
腰金【ようきん】と首翠【しゅすい】と光照【こうしょう】耀【よう】す,絲竹【しちく】迥【はるか】に發す清にして哀。
青天【せいてん】白日【はくじつ】花草麗【うるわ】し,玉斝【ぎょくか】屢ば舉げて金罍【きんらい】を傾く。
#2
張君の名聲は座の所する屬,起って舞ひ先ず醉いて長松の摧くるごとし。
宿酲【しゅくてい】の未だ解けざるに舊痁【きゅうせん】作【おこ】る,深室【しんしつ】に靜臥【せいが】して風雷を聞く。
自ら期す命を殞【おと】すは春序【しゅんじょ】に在りと,指を屈り日を数へて嬰孩【えんがい】を憐む。
危辭【きじ】苦語【くご】我が耳に感ず,淚落ちて掩はず何ぞ漼漼【さいさい】。
#3
念う昔ごろ君に従って湘水を渡りしが,大帆 夜に割けて 高桅【こうき】窮りき。
陽山の鳥路【ちょうろ】は臨武【りんぶ】に出づるも,驛馬【えきば】地を拒みて驅れども頻りに隤【つまず】く。
蛇を踐み蠱【こ】茹【くち】いて死を擇【えら】ばず,忽【たちま】ち有飛詔【ひしょう】の天より来る有りしも。
伾文【ひぶん】は未だ揃【き】られずして崖州【がいしゅう】も熾【さかん】なり,赦宥【しゃゆう】を得たりと雖も恒に愁猜【しゅうせい】す。

#4
近者【ちかごろ】三奸【さんかん】の悉【ことごと】く破碎【はさい】せられ,羽窟【はくつ】の底無きに黃能【こうたい】を幽す。
眼中に了了として鄉國を見,歸る日有を知って眉【まゆ】方【まさ】に開かむとす。
今は君の縱【たとい】天涯の吏に署せらるるとも,檄を投じて北に去る何ぞ難からむや。
無妄の憂は藥することなくして喜ぶ,一善は自ら千災を禳【はら】うに足る。

#5
頭は軽く目の朗かに肌骨は健かなり,古劍【】新に劚【けず】って塵埃【じんあい】を磨【はら】う。
殃【わざわい】は消え 禍【まがつみ】は散じ 百福 【ひゃくふく】並す,此從より直ちに耇【こう】と鮐【たい】とに至らむ。
嵩山の東頭 伊洛の岸,勝事 穿栽【せんさい】を須【もち】うるを假らず。
君よ當に先行すべし我は満つるを得たむ,沮溺【そでき】繼ぐべし年を窮るまで推【たがや】さむ。


現代語訳と訳註
(本文)
#5
頭輕目朗肌骨健,古劍新劚磨塵埃。
殃消禍散百福並,從此直至耇與鮐。
嵩山東頭伊洛岸,勝事不假須穿栽。
君當先行我待滿,沮溺可繼窮年推。


(下し文) #5
頭は軽く目の朗かに肌骨は健かなり,古劍【】新に劚【けず】って塵埃【じんあい】を磨【はら】う。
殃【わざわい】は消え 禍【まがつみ】は散じ 百福 【ひゃくふく】並す,此從より直ちに耇【こう】と鮐【たい】とに至らむ。
嵩山の東頭 伊洛の岸,勝事 穿栽【せんさい】を須【もち】うるを假らず。
君よ當に先行すべし我は満つるを得たむ,沮溺【そでき】繼ぐべし年を窮るまで推【たがや】さむ。


(現代語訳)
頭は軽く感じ、眼つきは朗らになり、そして、肌も骨も体つきもしゃんとしてきた、古い剣の埃をはらい錆を新たにけずって、チリ埃を払って、いま砥石から出てきたようだ。
厄病は消え、幸福がいっぱいなり、百もの幸福がいっしょになってやってくるし、これからは 背がまがり皮膚にふぐの皮膚のようなシミのできるまでは元気なはずだ。
嵩山の東のふもと、伊水と洛水の岸べ、そこのよさは くどくどせんさくするまでもない。
きみよ まず行きたまえ わたしは任期の満ちる日待とうとおもう。そして、長沮(ちょうそ)と桀溺(けつでき)と呼ばれる隠者の跡を継いで生涯を終えるまで田を耕そう。


(訳注) #5
頭輕目朗肌骨健,古劍新劚磨塵埃。
頭は軽く感じ、眼つきは朗らになり、そして、肌も骨も体つきもしゃんとしてきた、古い剣の埃をはらい錆を新たにけずって、チリ埃を払って、いま砥石から出てきたようだ。
 けずる。さびをけずりとる。


殃消禍散百福並,從此直至耇與鮐。
厄病は消え、幸福がいっぱいなり、百もの幸福がいっしょになってやってくるし、これからは 背がまがり皮膚にふぐの皮膚のようなシミのできるまでは元気なはずだ。
百福並 百もの幸福がいっしょになってやってくる。
 老年になって背の曲がること。
 ふぐ。老人の皮膚にはふぐの皮膚のようなシミのあるところから老人をさす。


嵩山東頭伊洛岸,勝事不假須穿栽。
嵩山の東のふもと、伊水と洛水の岸べ、そこのよさは くどくどせんさくするまでもない。
嵩山 河南有髪討幕の北にある山で五岳(ごがく)は中国の道教の聖地である5つの山のひとつ。この山で、韓愈はおのれのふるさとを指しているのである。東岳 泰山(山東省泰安市泰山区)、 南岳 衡山(湖南省衡陽市衡山県)、 中岳 嵩山(河南省鄭州市登封市)、 西岳 華山(陝西省渭南市華陰市)、 北岳 恒山(山西省大同市渾源県)。
伊洛 伊水と洛水。洛陽のほとりの川である。
穿栽 せんさくする。


君當先行我待滿,沮溺可繼窮年推。
きみよ まず行きたまえ わたしは任期の満ちる日待とうとおもう。そして、長沮(ちょうそ)と桀溺(けつでき)と呼ばれる隠者の跡を継いで生涯を終えるまで田を耕そう。
沮溺 孔子と同時代の隠者で論語に見える長沮(ちょうそ)と桀溺(けつでき)と呼ばれる隠者が並んで畑を耕していた。そこへ馬車に乗った孔子が通りかかった。あいにく渡し場が見つからなかったので、弟子の子路(しろ)に渡し場のあるところをたずねさせた。

憶昨行和張十一 韓退之(韓愈)詩<61-#4>Ⅱ中唐詩366 紀頌之の漢詩ブログ1177

憶昨行和張十一 韓退之(韓愈)詩<61-#4>Ⅱ中唐詩366 紀頌之の漢詩ブログ1177

韓愈より、一足先に都に帰る張署と交換した詩である。
『贈韓退之』  張署
九疑峰畔二江前,戀闕思鄉日抵年。
白簡趨朝曾竝命,蒼梧左宦一聊翩。
鮫人遠泛漁舟水,鵩鳥閑飛露裏天。
渙汗幾時流率土,扁舟西下共歸田。
(韓退之に贈る)
九疑峰の畔 二江の前,闕を戀ひ 鄉を思うて 自ら年に抵る。
白簡 朝に趨く曾て竝びに命ぜられ,蒼梧に宦を左せらるるも一聊翩たり。
鮫人遠く泛ぶ漁舟の水,鵩鳥 閑に飛ぶ 露裏の天。
渙汗 幾時か 率土に流べば,扁舟 西下して 共に歸田せむ。


88 憶昨行和張十一
憶昨夾鍾之呂初吹灰,上公禮罷元侯回。
かねて過ぎ去ったころのこと、季節の変わり目に吹く爽鐘の呂のはじめて灰を吹いた日のことであった、上代の聖人を祭りをしおえてこの江陵の節度使裴均長官がお帰りになられた
車載牲牢甕舁酒,並召賓客延鄒枚。
車に神に供える牛・羊・豚をの、神酒の甕を担がせている、宴に召された賓客に漢代の枚乗と鄒陽のような文豪たちが居並んだ。
腰金首翠光照耀,絲竹迥發清以哀。
腰には金の佩び玉をつけ、翡翠の羽飾りはきらきら輝いている、遠くからわき起こる管絃楽は清らにも哀れであった。
青天白日花草麗,玉斝屢舉傾金罍。
空は青く晴れ渡り、真昼の太陽は白くふりそそぐ、 花も草もうるわしく広がる、宝玉のさかずきはしばしば飲み干し、黄金色の真鍮の酒壷は傾けられた。
#2
張君名聲座所屬,起舞先醉長松摧。
張君の名声は我々左遷や不遇の一座のものの注目するところとなっている、たから、立ち起きて舞い、まず酔うてしまい、松の巨木さながらくずれてしまう。
宿酲未解舊痁作,深室靜臥聞風雷。
二日酔いのさめないうちに前からのマラリヤの発作が起こってくる、奥の間で絶対安静にしていると高熱に耳鳴りがして大風雷鳴を聞いているようだ。
自期殞命在春序,屈指數日憐嬰孩。
自分の命も最後となる時期かと春の季節のあと追い 命も尽きてしまうものと思っている、もう幾日と指折り数え、赤子を不憫に思うようである。
危辭苦語感我耳,淚落不掩何漼漼。
切ない辛い君の言葉は 耳にするにつけいたましく感じられる、落ちる涙を掩いもしなで、なんとさめざめ涙を流すだけなのだ。
#3
念昔從君渡湘水,大帆夜劃窮高桅。
少し前のことを思い出すと先にきみと一緒に湘水を渡ったときのことだが、大きな帆を夜中に袈けて、 高いマストのある立派な舟でも危険な状態におちいった。
陽山鳥路出臨武,驛馬拒地驅頻隤。
陽山から臨武へは鳥だけが通れるひとすじ道にでた、駅馬もこの地をいやがってむりに走らせると、しきりにつまずきたおれた。
踐蛇茹蠱不擇死,忽有飛詔從天來。
いたるところで蛇をふみつけ、食物の中に毒虫がいたり、死をいとう暇もなかったが、しばらくして、とぶようにやって来る天子の詔勅が天降ることとはなった。
伾文未揃崖州熾,雖得赦宥恒愁猜。
だが王伾・王叔文は斬られはしなくて、崖州の仲間の奴もまだ元気である、わたしは赦免は得たというものの 別の懸念がつきまとっているのだ。

#4
近者三奸悉破碎,羽窟無底幽黃能。
それが近ごろのことで、改革派と称したこの三人の悪者は悉くうちにその思惑は打ち砕かれたのだ。羽山の底なしの洞窟に黄熊が閉じこもった事と同様に、やつらは幽閉せられたということだ。
眼中了了見鄉國,知有歸日眉方開。
私の目にはっきりと故郷の姿を思い浮かべて見ることもできる、帰る日のあるということがまちがいなくあるとわかるし、ひそめた眉がもうじき開けるというものなのだ。
今君縱署天涯吏,投檄北去何難哉。
今、君がたとえはるか天涯の地の下級官吏に任命されたとしても、辞令を投げ返して、北の都に向けて官を去ることもどうしてむつかしいというのか。(君の力なら難しくはないというものだ)
無妄之憂勿藥喜,一善自足禳千災。

「圥妄の憂は薬することなくして喜びあり」とかいうではないか、一の吉報はおのずから千の災いをはらいのけるに十分足るというものだ。

#5
頭輕目朗肌骨健,古劍新劚磨塵埃。
殃消禍散百福並,從此直至耇與鮐。
嵩山東頭伊洛岸,勝事不假須穿栽。
君當先行我待滿,沮溺可繼窮年推。

(憶昨行【おくさくこう】張十一に和す)
憶ふ昨に夾鍾【きょうしょう】の呂【りょ】の初めて灰【はい】を吹きしとき,上公の禮 罷【おわ】って元侯【げんこう】回【かえ】る。
車には牲牢【せいろう】を載せ甕【かめ】には酒を舁【か】く,賓客を並び召して鄒枚【すうばい】を延【ひ】く。
腰金【ようきん】と首翠【しゅすい】と光照【こうしょう】耀【よう】す,絲竹【しちく】迥【はるか】に發す清にして哀。
青天【せいてん】白日【はくじつ】花草麗【うるわ】し,玉斝【ぎょくか】屢ば舉げて金罍【きんらい】を傾く。
#2
張君の名聲は座の所する屬,起って舞ひ先ず醉いて長松の摧くるごとし。
宿酲【しゅくてい】の未だ解けざるに舊痁【きゅうせん】作【おこ】る,深室【しんしつ】に靜臥【せいが】して風雷を聞く。
自ら期す命を殞【おと】すは春序【しゅんじょ】に在りと,指を屈り日を数へて嬰孩【えんがい】を憐む。
危辭【きじ】苦語【くご】我が耳に感ず,淚落ちて掩はず何ぞ漼漼【さいさい】。
#3
念う昔ごろ君に従って湘水を渡りしが,大帆 夜に割けて 高桅【こうき】窮りき。
陽山の鳥路【ちょうろ】は臨武【りんぶ】に出づるも,驛馬【えきば】地を拒みて驅れども頻りに隤【つまず】く。
蛇を踐み蠱【こ】茹【くち】いて死を擇【えら】ばず,忽【たちま】ち有飛詔【ひしょう】の天より来る有りしも。
伾文【ひぶん】は未だ揃【き】られずして崖州【がいしゅう】も熾【さかん】なり,赦宥【しゃゆう】を得たりと雖も恒に愁猜【しゅうせい】す。

#4
近者【ちかごろ】三奸【さんかん】の悉【ことごと】く破碎【はさい】せられ,羽窟【はくつ】の底無きに黃能【こうたい】を幽す。
眼中に了了として鄉國を見,歸る日有を知って眉【まゆ】方【まさ】に開かむとす。
今は君の縱【たとい】天涯の吏に署せらるるとも,檄を投じて北に去る何ぞ難からむや。
無妄【むぼう】の憂は藥することなくして喜ぶ,一善は自ら千災を禳【はら】うに足る。

#5
頭は軽く目の朗かに肌骨は健かなり,古劍【】新に劚【けず】って塵埃【じんあい】を磨【はら】う。
殃【わざわい】は消え 禍【まがつみ】は散じ 百福 【ひゃくふく】並す,此從より直ちに耇【こう】と鮐【たい】とに至らむ。
嵩山の東頭 伊洛の岸,勝事 穿栽【せんさい】を須【もち】うるを假らず。
君よ當に先行すべし我は満つるを得たむ,沮溺【そでき】繼ぐべし年を窮るまで推【たがや】さむ。

現代語訳と訳註
(本文)
#4
近者三奸悉破碎,羽窟無底幽黃能。
眼中了了見鄉國,知有歸日眉方開。
今君縱署天涯吏,投檄北去何難哉。
無妄之憂勿藥喜,一善自足禳千災。


(下し文) #4
近者【ちかごろ】三奸【さんかん】の悉【ことごと】く破碎【はさい】せられ,羽窟【はくつ】の底無きに黃能【こうたい】を幽す。
眼中に了了として鄉國を見,歸る日有を知って眉【まゆ】方【まさ】に開かむとす。
今は君の縱【たとい】天涯の吏に署せらるるとも,檄を投じて北に去る何ぞ難からむや。
無妄【むぼう】の憂は藥することなくして喜ぶ,一善は自ら千災を禳【はら】うに足る。


(現代語訳)
それが近ごろのことで、改革派と称したこの三人の悪者は悉くうちにその思惑は打ち砕かれたのだ。羽山の底なしの洞窟に黄熊が閉じこもった事と同様に、やつらは幽閉せられたということだ。
私の目にはっきりと故郷の姿を思い浮かべて見ることもできる、帰る日のあるということがまちがいなくあるとわかるし、ひそめた眉がもうじき開けるというものなのだ。
今、君がたとえはるか天涯の地の下級官吏に任命されたとしても、辞令を投げ返して、北の都に向けて官を去ることもどうしてむつかしいというのか。(君の力なら難しくはないというものだ)
「圥妄の憂は薬することなくして喜びあり」とかいうではないか、一の吉報はおのずから千の災いをはらいのけるに十分足るというものだ。


(訳注) #4
近者三奸悉破碎,羽窟無底幽黃能。
それが近ごろのことで、改革派と称したこの三人の悪者は悉くうちにその思惑は打ち砕かれたのだ。羽山の底なしの洞窟に黄熊が閉じこもった事と同様に、やつらは幽閉せられたということだ。
三奸 王伾、王叔文、韋執誼。順宗が即位し、王叔文党が政権をにぎり、まもなく皇太子が摂政となり、王叔文が追放され、順宗が譲位し、自芸子が即位し、永点と改元した、じつにあわただしい年であった。その永貞元年も、韓愈が江陵に到着してまもなく尽き、新しい年をむかえ、新帝憲宗は、元号を「元和」と改めた。
だが、待ちに待ったその便りは、杏の花のさくころになってもやって来ぬ。
羽窟黃能 羽山の洞窟。『書経』舜典に「共工を幽州に流し、驩兜を崇山に放ち、三苗を三危に竄し、鯀を羽山に極し、四罪して天下威く服す」とある。南に追放された四者のうち鯀の幽閉された山で、江蘇省東海県の西北だとする説と、山東省蓬莱県の東南だとする説とがある。・黃能 熊が羽山に閉じこめられてそのたましいが黄熊になったと『左伝』に見える。黄能は熊の一種。


眼中了了見鄉國,知有歸日眉方開。
私の目にはっきりと故郷の姿を思い浮かべて見ることもできる、帰る日のあるということがまちがいなくあるとわかるし、ひそめた眉がもうじき開けるというものなのだ。


今君縱署天涯吏,投檄北去何難哉。
今、君がたとえはるか天涯の地の下級官吏に任命されたとしても、辞令を投げ返して、北の都に向けて官を去ることもどうしてむつかしいというのか。(君の力なら難しくはないというものだ)
縦署 たとえ任命せられたとしても。
投檄 辞令を投げ返して辞表をさし出す。


無妄之憂勿藥喜,一善自足禳千災。
「圥妄の憂は薬することなくして喜びあり」とかいうではないか、一の吉報はおのずから千の災いをはらいのけるに十分足るというものだ。
無妄之憂勿藥喜 『易経』に「圥妄の疾あるときは、薬すること勿くして喜び有り」ということばがある。圥は無と同じで、無妄とは虚妄のないこと、天理自然で人為を加えないことをいう。虚妄のない誠実の人が 偶然、病を得た場合には、薬をのんだりしなくとも、自然に治癒して喜びがやってくるという。韓愈の詩は、張署の病気も正に無妄の病だったから、治療せずに治ったというのである。

憶昨行和張十一 韓退之(韓愈)詩<61-#3>Ⅱ中唐詩365 紀頌之の漢詩ブログ1174

憶昨行和張十一 韓退之(韓愈)詩<61-#3>Ⅱ中唐詩365 紀頌之の漢詩ブログ1174


韓愈より、一足先に都に帰る張署と交換した詩である。
『贈韓退之』  張署
九疑峰畔二江前,戀闕思鄉日抵年。
白簡趨朝曾竝命,蒼梧左宦一聊翩。
鮫人遠泛漁舟水,鵩鳥閑飛露裏天。
渙汗幾時流率土,扁舟西下共歸田。
(韓退之に贈る)
九疑峰の畔 二江の前,闕を戀ひ 鄉を思うて 自ら年に抵る。
白簡 朝に趨く曾て竝びに命ぜられ,蒼梧に宦を左せらるるも一聊翩たり。
鮫人遠く泛ぶ漁舟の水,鵩鳥 閑に飛ぶ 露裏の天。
渙汗 幾時か 率土に流べば,扁舟 西下して 共に歸田せむ。


88 憶昨行和張十一
憶昨夾鍾之呂初吹灰,上公禮罷元侯回。
かねて過ぎ去ったころのこと、季節の変わり目に吹く爽鐘の呂のはじめて灰を吹いた日のことであった、上代の聖人を祭りをしおえてこの江陵の節度使裴均長官がお帰りになられた
車載牲牢甕舁酒,並召賓客延鄒枚。
車に神に供える牛・羊・豚をの、神酒の甕を担がせている、宴に召された賓客に漢代の枚乗と鄒陽のような文豪たちが居並んだ。
腰金首翠光照耀,絲竹迥發清以哀。
腰には金の佩び玉をつけ、翡翠の羽飾りはきらきら輝いている、遠くからわき起こる管絃楽は清らにも哀れであった。
青天白日花草麗,玉斝屢舉傾金罍。
空は青く晴れ渡り、真昼の太陽は白くふりそそぐ、 花も草もうるわしく広がる、宝玉のさかずきはしばしば飲み干し、黄金色の真鍮の酒壷は傾けられた。
#2
張君名聲座所屬,起舞先醉長松摧。
張君の名声は我々左遷や不遇の一座のものの注目するところとなっている、たから、立ち起きて舞い、まず酔うてしまい、松の巨木さながらくずれてしまう。
宿酲未解舊痁作,深室靜臥聞風雷。
二日酔いのさめないうちに前からのマラリヤの発作が起こってくる、奥の間で絶対安静にしていると高熱に耳鳴りがして大風雷鳴を聞いているようだ。
自期殞命在春序,屈指數日憐嬰孩。
自分の命も最後となる時期かと春の季節のあと追い 命も尽きてしまうものと思っている、もう幾日と指折り数え、赤子を不憫に思うようである。
危辭苦語感我耳,淚落不掩何漼漼。
切ない辛い君の言葉は 耳にするにつけいたましく感じられる、落ちる涙を掩いもしなで、なんとさめざめ涙を流すだけなのだ。
#3
念昔從君渡湘水,大帆夜劃窮高桅。
少し前のことを思い出すと先にきみと一緒に湘水を渡ったときのことだが、大きな帆を夜中に袈けて、 高いマストのある立派な舟でも危険な状態におちいった。
陽山鳥路出臨武,驛馬拒地驅頻隤。
陽山から臨武へは鳥だけが通れるひとすじ道にでた、駅馬もこの地をいやがってむりに走らせると、しきりにつまずきたおれた。
踐蛇茹蠱不擇死,忽有飛詔從天來。
いたるところで蛇をふみつけ、食物の中に毒虫がいたり、死をいとう暇もなかったが、しばらくして、とぶようにやって来る天子の詔勅が天降ることとはなった。
伾文未揃崖州熾,雖得赦宥恒愁猜。

だが王伾・王叔文は斬られはしなくて、崖州の仲間の奴もまだ元気である、わたしは赦免は得たというものの 別の懸念がつきまとっているのだ。

#4
近者三奸悉破碎,羽窟無底幽黃能。
眼中了了見鄉國,知有歸日眉方開。
今君縱署天涯吏,投檄北去何難哉。
無妄之憂勿藥喜,一善自足禳千災。
#5
頭輕目朗肌骨健,古劍新劚磨塵埃。
殃消禍散百福並,從此直至耇與鮐。
嵩山東頭伊洛岸,勝事不假須穿栽。
君當先行我待滿,沮溺可繼窮年推。

(憶昨行【おくさくこう】張十一に和す
憶ふ昨に夾鍾【きょうしょう】の呂【りょ】の初めて灰【はい】を吹きしとき,上公の禮 罷【おわ】って元侯【げんこう】回【かえ】る。
車には牲牢【せいろう】を載せ甕【かめ】には酒を舁【か】く,賓客を並び召して鄒枚【すうばい】を延【ひ】く。
腰金【ようきん】と首翠【しゅすい】と光照【こうしょう】耀【よう】す,絲竹【しちく】迥【はるか】に發す清にして哀。
青天【せいてん】白日【はくじつ】花草麗【うるわ】し,玉斝【ぎょくか】屢ば舉げて金罍【きんらい】を傾く。
#2
張君の名聲は座の所する屬,起って舞ひ先ず醉いて長松の摧くるごとし。
宿酲【しゅくてい】の未だ解けざるに舊痁【きゅうせん】作【おこ】る,深室【しんしつ】に靜臥【せいが】して風雷を聞く。
自ら期す命を殞【おと】すは春序【しゅんじょ】に在りと,指を屈り日を数へて嬰孩【えんがい】を憐む。
危辭【きじ】苦語【くご】我が耳に感ず,淚落ちて掩はず何ぞ漼漼【さいさい】。
#3
念う昔ごろ君に従って湘水を渡りしが,大帆 夜に割けて 高桅【こうき】窮りき。
陽山の鳥路【ちょうろ】は臨武【りんぶ】に出づるも,驛馬【えきば】地を拒みて驅れども頻りに隤【つまず】く。
蛇を踐み蠱【こ】茹【くち】いて死を擇【えら】ばず,忽【たちま】ち有飛詔【ひしょう】の天より来る有りしも。
伾文【ひぶん】は未だ揃【き】られずして崖州【がいしゅう】も熾【さかん】なり,赦宥【しゃゆう】を得たりと雖も恒に愁猜【しゅうせい】す。

#4
近者【ちかごろ】三奸【さんかん】の悉【ことごと】く破碎【はさい】せられ,羽窟【はくつ】の底無きに黃能【こうたい】を幽す。
眼中に了了として鄉國を見,歸る日有を知って眉【まゆ】方【まさ】に開かむとす。
今は君の縱【たとい】天涯の吏に署せらるるとも,檄を投じて北に去る何ぞ難からむや。
無妄の憂は藥することなくして喜ぶ,一善は自ら千災を禳【はら】うに足る。

#5
頭は軽く目の朗かに肌骨は健かなり,古劍【】新に劚【けず】って塵埃【じんあい】を磨【はら】う。
殃【わざわい】は消え 禍【まがつみ】は散じ 百福 【ひゃくふく】並す,此從より直ちに耇【こう】と鮐【たい】とに至らむ。
嵩山の東頭 伊洛の岸,勝事 穿栽【せんさい】を須【もち】うるを假らず。
君よ當に先行すべし我は満つるを得たむ,沮溺【そでき】繼ぐべし年を窮るまで推【たがや】さむ。


現代語訳と訳註
(本文)
 #3
念昔從君渡湘水,大帆夜劃窮高桅。
陽山鳥路出臨武,驛馬拒地驅頻隤。
踐蛇茹蠱不擇死,忽有飛詔從天來。
伾文未揃崖州熾,雖得赦宥恒愁猜。

(下し文) #3
念う昔ごろ君に従って湘水を渡りしが,大帆 夜に割けて 高桅【こうき】窮りき。
陽山の鳥路【ちょうろ】は臨武【りんぶ】に出づるも,驛馬【えきば】地を拒みて驅れども頻りに隤【つまず】く。
蛇を踐み蠱【こ】茹【くち】いて死を擇【えら】ばず,忽【たちま】ち有飛詔【ひしょう】の天より来る有りしも。
伾文【ひぶん】は未だ揃【き】られずして崖州【がいしゅう】も熾【さかん】なり,赦宥【しゃゆう】を得たりと雖も恒に愁猜【しゅうせい】す。


(現代語訳)
少し前のことを思い出すと先にきみと一緒に湘水を渡ったときのことだが、大きな帆を夜中に袈けて、 高いマストのある立派な舟でも危険な状態におちいった。
陽山から臨武へは鳥だけが通れるひとすじ道にでた、駅馬もこの地をいやがってむりに走らせると、しきりにつまずきたおれた。
いたるところで蛇をふみつけ、食物の中に毒虫がいたり、死をいとう暇もなかったが、しばらくして、とぶようにやって来る天子の詔勅が天降ることとはなった。
だが王伾・王叔文は斬られはしなくて、崖州の仲間の奴もまだ元気である、わたしは赦免は得たというものの 別の懸念がつきまとっているのだ。


(訳注) #3
念昔從君渡湘水,大帆夜劃窮高桅。
少し前のことを思い出すと先にきみと一緒に湘水を渡ったときのことだが、大きな帆を夜中に袈けて、 高いマストのあるりっはな舟でも危険な状態におちいった。
従君 韓愈と張署は同時に南方に流され、同じ舟で湖水を渡った。
 さける。
窮高桅 桅はマスト。高いマストのあるりっはな舟でも危険な状態におちいった。


陽山鳥路出臨武,驛馬拒地驅頻隤。
陽山から臨武へは鳥だけが通れるひとすじ道にでた、駅馬もこの地をいやがってむりに走らせると、しきりにつまずきたおれた。
鳥路 鳥だけが通れる道。地上を歩くものはどんな動物でも通れないような峻路。
・臨武 張著の凍窮地、沼州にある。
驅頻隤 むりに走らせると、しきりにつまずきたおれた。


踐蛇茹蠱不擇死,忽有飛詔從天來。
いたるところで蛇をふみつけ、食物の中に毒虫がいたり、死をいとう暇もなかったが、しばらくして、とぶようにやって来る天子の詔勅が天降ることとはなった。
践蛇 いたるところで蛇をふみつける。
茹蠱 食物の中に毒虫がいる。
飛詔 とぶようにやって来る天子の命令。


伾文未揃崖州熾,雖得赦宥恒愁猜。
だが王伾・王叔文は斬られはしなくて、崖州の仲間の奴もまだ元気である、わたしは赦免は得たというものの 別の懸念がつきまとっているのだ。
伾文未揃 王位と王叔文はまだ斬殺さ
れない。
崖州 のちには崖州に流された葦執誼
をさす。
赦宥 ゆるし。
愁猜 推測してうれう。

憶昨行和張十一 韓退之(韓愈)詩<61-#2>Ⅱ中唐詩364 紀頌之の漢詩ブログ1171

憶昨行和張十一 韓退之(韓愈)詩<61-#2>Ⅱ中唐詩364 紀頌之の漢詩ブログ1171


『贈韓退之』    張署
九疑峰畔二江前,戀闕思鄉日抵年。
白簡趨朝曾竝命,蒼梧左宦一聊翩。
鮫人遠泛漁舟水,鵩鳥閑飛露裏天。
渙汗幾時流率土,扁舟西下共歸田。
(韓退之に贈る)
九疑峰の畔 二江の前,闕を戀ひ 鄉を思うて 自ら年に抵る。
白簡 朝に趨く曾て竝びに命ぜられ,蒼梧に宦を左せらるるも一聊翩たり。
鮫人遠く泛ぶ漁舟の水,鵩鳥 閑に飛ぶ 露裏の天。
渙汗 幾時か 率土に流べば,扁舟 西下して 共に歸田せむ。


88 憶昨行和張十一
憶昨夾鍾之呂初吹灰,上公禮罷元侯回。
かねて過ぎ去ったころのこと、季節の変わり目に吹く爽鐘の呂のはじめて灰を吹いた日のことであった、上代の聖人を祭りをしおえてこの江陵の節度使裴均長官がお帰りになられた
車載牲牢甕舁酒,並召賓客延鄒枚。
車に神に供える牛・羊・豚をの、神酒の甕を担がせている、宴に召された賓客に漢代の枚乗と鄒陽のような文豪たちが居並んだ。
腰金首翠光照耀,絲竹迥發清以哀。
腰には金の佩び玉をつけ、翡翠の羽飾りはきらきら輝いている、遠くからわき起こる管絃楽は清らにも哀れであった。
青天白日花草麗,玉斝屢舉傾金罍。

空は青く晴れ渡り、真昼の太陽は白くふりそそぐ、 花も草もうるわしく広がる、宝玉のさかずきはしばしば飲み干し、黄金色の真鍮の酒壷は傾けられた。
#2
張君名聲座所屬,起舞先醉長松摧。
張君の名声は我々左遷や不遇の一座のものの注目するところとなっている、たから、立ち起きて舞い、まず酔うてしまい、松の巨木さながらくずれてしまう。
宿酲未解舊痁作,深室靜臥聞風雷。
二日酔いのさめないうちに前からのマラリヤの発作が起こってくる、奥の間で絶対安静にしていると高熱に耳鳴りがして大風雷鳴を聞いているようだ。
自期殞命在春序,屈指數日憐嬰孩。
自分の命も最後となる時期かと春の季節のあと追い 命も尽きてしまうものと思っている、もう幾日と指折り数え、赤子を不憫に思うようである。
危辭苦語感我耳,淚落不掩何漼漼。

切ない辛い君の言葉は 耳にするにつけいたましく感じられる、落ちる涙を掩いもしなで、なんとさめざめ涙を流すだけなのだ。
#3
念昔從君渡湘水,大帆夜劃窮高桅。
陽山鳥路出臨武,驛馬拒地驅頻隤。
踐蛇茹蠱不擇死,忽有飛詔從天來。
伾文未揃崖州熾,雖得赦宥恒愁猜。
#4
近者三奸悉破碎,羽窟無底幽黃能。
眼中了了見鄉國,知有歸日眉方開。
今君縱署天涯吏,投檄北去何難哉。
無妄之憂勿藥喜,一善自足禳千災。
#5
頭輕目朗肌骨健,古劍新劚磨塵埃。
殃消禍散百福並,從此直至耇與鮐。
嵩山東頭伊洛岸,勝事不假須穿栽。
君當先行我待滿,沮溺可繼窮年推。

(憶昨行【おくさくこう】張十一に和す
憶ふ昨に夾鍾【きょうしょう】の呂【りょ】の初めて灰【はい】を吹きしとき,上公の禮 罷【おわ】って元侯【げんこう】回【かえ】る。
車には牲牢【せいろう】を載せ甕【かめ】には酒を舁【か】く,賓客を並び召して鄒枚【すうばい】を延【ひ】く。
腰金【ようきん】と首翠【しゅすい】と光照【こうしょう】耀【よう】す,絲竹【しちく】迥【はるか】に發す清にして哀。
青天【せいてん】白日【はくじつ】花草麗【うるわ】し,玉斝【ぎょくか】屢ば舉げて金罍【きんらい】を傾く。
#2
張君の名聲は座の所する屬,起って舞ひ先ず醉いて長松の摧くるごとし。
宿酲【しゅくてい】の未だ解けざるに舊痁【きゅうせん】作【おこ】る,深室【しんしつ】に靜臥【せいが】して風雷を聞く。
自ら期す命を殞【おと】すは春序【しゅんじょ】に在りと,指を屈り日を数へて嬰孩【えんがい】を憐む。
危辭【きじ】苦語【くご】我が耳に感ず,淚落ちて掩はず何ぞ漼漼【さいさい】。
#3
念う昔ごろ君に従って湘水を渡りしが,大帆 夜に割けて 高桅【こうき】窮りき。
陽山の鳥路【ちょうろ】は臨武【りんぶ】に出づるも,驛馬【えきば】地を拒みて驅れども頻りに隤【つまず】く。
蛇を踐み蠱【こ】茹【くち】いて死を擇【えら】ばず,忽【たちま】ち有飛詔【ひしょう】の天より来る有りしも。
伾文【ひぶん】は未だ揃【き】られずして崖州【がいしゅう】も熾【さかん】なり,赦宥【しゃゆう】を得たりと雖も恒に愁猜【しゅうせい】す。

#4
近者【ちかごろ】三奸【さんかん】の悉【ことごと】く破碎【はさい】せられ,羽窟【はくつ】の底無きに黃能【こうたい】を幽す。
眼中に了了として鄉國を見,歸る日有を知って眉【まゆ】方【まさ】に開かむとす。
今は君の縱【たとい】天涯の吏に署せらるるとも,檄を投じて北に去る何ぞ難からむや。
無妄の憂は藥することなくして喜ぶ,一善は自ら千災を禳【はら】うに足る。

#5
頭は軽く目の朗かに肌骨は健かなり,古劍【】新に劚【けず】って塵埃【じんあい】を磨【はら】う。
殃【わざわい】は消え 禍【まがつみ】は散じ 百福 【ひゃくふく】並す,此從より直ちに耇【こう】と鮐【たい】とに至らむ。
嵩山の東頭 伊洛の岸,勝事 穿栽【せんさい】を須【もち】うるを假らず。
君よ當に先行すべし我は満つるを得たむ,沮溺【そでき】繼ぐべし年を窮るまで推【たがや】さむ。


現代語訳と訳註
(本文)
#2
張君名聲座所屬,起舞先醉長松摧。
宿酲未解舊痁作,深室靜臥聞風雷。
自期殞命在春序,屈指數日憐嬰孩。
危辭苦語感我耳,淚落不掩何漼漼。


(下し文) #2
張君の名聲は座の所する屬,起って舞ひ先ず醉いて長松の摧くるごとし。
宿酲【しゅくてい】の未だ解けざるに舊痁【きゅうせん】作【おこ】る,深室【しんしつ】に靜臥【せいが】して風雷を聞く。
自ら期す命を殞【おと】すは春序【しゅんじょ】に在りと,指を屈り日を数へて嬰孩【えんがい】を憐む。
危辭【きじ】苦語【くご】我が耳に感ず,淚落ちて掩はず何ぞ漼漼【さいさい】。


(現代語訳)
張君の名声は我々左遷や不遇の一座のものの注目するところとなっている、たから、立ち起きて舞い、まず酔うてしまい、松の巨木さながらくずれてしまう。
二日酔いのさめないうちに前からのマラリヤの発作が起こってくる、奥の間で絶対安静にしていると高熱に耳鳴りがして大風雷鳴を聞いているようだ。
自分の命も最後となる時期かと春の季節のあと追い 命も尽きてしまうものと思っている、もう幾日と指折り数え、赤子を不憫に思うようである。
切ない辛い君の言葉は 耳にするにつけいたましく感じられる、落ちる涙を掩いもしなで、なんとさめざめ涙を流すだけなのだ。


(訳注) #2
張君名聲座所屬,起舞先醉長松摧。
張君の名声は我々左遷や不遇の一座のものの注目するところとなっている、たから、立ち起きて舞い、まず酔うてしまい、松の巨木さながらくずれてしまう。
属 注目する。


宿酲未解舊痁作,深室靜臥聞風雷。
二日酔いのさめないうちに前からのマラリヤの発作が起こってくる、奥の間で絶対安静にしていると高熱に耳鳴りがして大風雷鳴を聞いているようだ。
宿酲 二日酔い。
旧痁 痁はマラリヤ。
聞風雷 高熱に耳鳴りがして大風雷鳴を聞いているようだ。


自期殞命在春序,屈指數日憐嬰孩。
自分の命も最後となる時期かと春の季節のあと追い 命も尽きてしまうものと思っている、もう幾日と指折り数え、赤子を不憫に思うようである。
殞命 いのちつきる。しぬこと。・春序 春の季節.
嬰孩 赤子.


危辭苦語感我耳,淚落不掩何漼漼。
切ない辛い君の言葉は 耳にするにつけいたましく感じられる、落ちる涙を掩いもしなで、なんとさめざめ涙を流すだけなのだ。
危辭苦語 あやぶみおそれることば。
漼漼 さめざめ涙を流すさま。


憶昨行和張十一 韓退之(韓愈)詩<61-#1>Ⅱ中唐詩363 紀頌之の漢詩ブログ1168

憶昨行和張十一 韓退之(韓愈)詩<61-#1>Ⅱ中唐詩363 紀頌之の漢詩ブログ1168


805年、この年は、中央では、順宗が即位し、王叔文党が政権をにぎり、まもなく皇太子が摂政となり、王叔文が追放され、順宗が譲位し、自芸子が即位し、永点と改元した、じつにあわただしい年であった。その永貞元年も、韓愈が江陵に到着してまもなく尽き、新しい年をむかえ、新帝憲宗は、元号を「元和」と改めた。806年元和元年正月、江陵には珍しく雪がどっさり降った。雪のふるなかに梅がさき、うぐいすが鳴いた。韓愈には、そのひとつびとつが、楽しく、うれしかったようだ。早春雪中聞鸎 韓退之(韓愈)詩<56>Ⅱ中唐詩356 紀頌之の漢詩ブログ1147(早春雪中に鷲を聞く)はその一つである。通常、年が変われば人事報告があるもので、この詩には、いまにも都から、よびもどされようとはかりに、そわそわしているところおもしろい。
しかし、待てどもその便りは、杏の花が散ってもやって来なかったのである。『杏花』 #1 Ⅱ韓退之(韓愈) 紀頌之の漢詩ブログ989 韓愈特集-37-#1

「春に感ず四首」感春四首 其一(1) 韓退之(韓愈)詩<57>Ⅱ中唐詩357 紀頌之の漢詩ブログ1150「春に感ず四首」感春四首 其一(1) 韓退之(韓愈)詩<57>Ⅱ中唐詩357 紀頌之の漢詩ブログ1150はこのころの作である。同時期に「憶昨行張十一に和す」がある。これは、韓愈より、一足先に都に帰る張署と交換した詩である。
『贈韓退之』    張署
九疑峰畔二江前,戀闕思鄉日抵年。
白簡趨朝曾竝命,蒼梧左宦一聊翩。
鮫人遠泛漁舟水,鵩鳥閑飛露裏天。
渙汗幾時流率土,扁舟西下共歸田。

(韓退之に贈る)
九疑峰の畔 二江の前,闕を戀ひ 鄉を思うて 自ら年に抵る。
白簡 朝に趨く曾て竝びに命ぜられ,蒼梧に宦を左せらるるも一聊翩たり。
鮫人遠く泛ぶ漁舟の水,鵩鳥 閑に飛ぶ 露裏の天。
渙汗 幾時か 率土に流べば,扁舟 西下して 共に歸田せむ。


88 憶昨行和張十一
かねて過ぎ去ったころの歌、張十一署に和す。
憶昨夾鍾之呂初吹灰,上公禮罷元侯回。
かねて過ぎ去ったころのこと、季節の変わり目に吹く爽鐘の呂のはじめて灰を吹いた日のことであった、上代の聖人を祭りをしおえてこの江陵の節度使裴均長官がお帰りになられた
車載牲牢甕舁酒,並召賓客延鄒枚。
車に神に供える牛・羊・豚をの、神酒の甕を担がせている、宴に召された賓客に漢代の枚乗と鄒陽のような文豪たちが居並んだ。
腰金首翠光照耀,絲竹迥發清以哀。
腰には金の佩び玉をつけ、翡翠の羽飾りはきらきら輝いている、遠くからわき起こる管絃楽は清らにも哀れであった。
青天白日花草麗,玉斝屢舉傾金罍。
空は青く晴れ渡り、真昼の太陽は白くふりそそぐ、 花も草もうるわしく広がる、宝玉のさかずきはしばしば飲み干し、黄金色の真鍮の酒壷は傾けられた。
#2
張君名聲座所屬,起舞先醉長松摧。
宿酲未解舊痁作,深室靜臥聞風雷。
自期殞命在春序,屈指數日憐嬰孩。
危辭苦語感我耳,淚落不掩何漼漼。
#3
念昔從君渡湘水,大帆夜劃窮高桅。
陽山鳥路出臨武,驛馬拒地驅頻隤。
踐蛇茹蠱不擇死,忽有飛詔從天來。
伾文未揃崖州熾,雖得赦宥恒愁猜。
#4
近者三奸悉破碎,羽窟無底幽黃能。
眼中了了見鄉國,知有歸日眉方開。
今君縱署天涯吏,投檄北去何難哉。
無妄之憂勿藥喜,一善自足禳千災。
#5
頭輕目朗肌骨健,古劍新劚磨塵埃。
殃消禍散百福並,從此直至耇與鮐。
嵩山東頭伊洛岸,勝事不假須穿栽。
君當先行我待滿,沮溺可繼窮年推。


(憶昨行【おくさくこう】張十一に和す)
憶ふ昨に夾鍾【きょうしょう】の呂【りょ】の初めて灰【はい】を吹きしとき,上公の禮 罷【おわ】って元侯【げんこう】回【かえ】る。
車には牲牢【せいろう】を載せ甕【かめ】には酒を舁【か】く,賓客を並び召して鄒枚【すうばい】を延【ひ】く。
腰金【ようきん】と首翠【しゅすい】と光照【こうしょう】耀【よう】す,絲竹【しちく】迥【はるか】に發す清にして哀。
青天【せいてん】白日【はくじつ】花草麗【うるわ】し,玉斝【ぎょくか】屢ば舉げて金罍【きんらい】を傾く。

#2
張君の名聲は座の所する屬,起って舞ひ先ず醉いて長松の摧くるごとし。
宿酲【しゅくてい】の未だ解けざるに舊痁【きゅうせん】作【おこ】る,深室【しんしつ】に靜臥【せいが】して風雷を聞く。
自ら期す命を殞【おと】すは春序【しゅんじょ】に在りと,指を屈り日を数へて嬰孩【えんがい】を憐む。
危辭【きじ】苦語【くご】我が耳に感ず,淚落ちて掩はず何ぞ漼漼【さいさい】。
#3
念う昔ごろ君に従って湘水を渡りしが,大帆 夜に割けて 高桅【こうき】窮りき。
陽山の鳥路【ちょうろ】は臨武【りんぶ】に出づるも,驛馬【えきば】地を拒みて驅れども頻りに隤【つまず】く。
蛇を踐み蠱【こ】茹【くち】いて死を擇【えら】ばず,忽【たちま】ち有飛詔【ひしょう】の天より来る有りしも。
伾文【ひぶん】は未だ揃【き】られずして崖州【がいしゅう】も熾【さかん】なり,赦宥【しゃゆう】を得たりと雖も恒に愁猜【しゅうせい】す。

#4
近者【ちかごろ】三奸【さんかん】の悉【ことごと】く破碎【はさい】せられ,羽窟【はくつ】の底無きに黃能【こうたい】を幽す。
眼中に了了として鄉國を見,歸る日有を知って眉【まゆ】方【まさ】に開かむとす。
今は君の縱【たとい】天涯の吏に署せらるるとも,檄を投じて北に去る何ぞ難からむや。
無妄の憂は藥することなくして喜ぶ,一善は自ら千災を禳【はら】うに足る。

#5
頭は軽く目の朗かに肌骨は健かなり,古劍【】新に劚【けず】って塵埃【じんあい】を磨【はら】う。
殃【わざわい】は消え 禍【まがつみ】は散じ 百福 【ひゃくふく】並す,此從より直ちに耇【こう】と鮐【たい】とに至らむ。
嵩山の東頭 伊洛の岸,勝事 穿栽【せんさい】を須【もち】うるを假らず。
君よ當に先行すべし我は満つるを得たむ,沮溺【そでき】繼ぐべし年を窮るまで推【たがや】さむ。


現代語訳と訳註
(本文)

憶昨行和張十一
憶昨夾鍾之呂初吹灰,上公禮罷元侯回。
車載牲牢甕舁酒,並召賓客延鄒枚。
腰金首翠光照耀,絲竹迥發清以哀。
青天白日花草麗,玉斝屢舉傾金罍。


(下し文)
(憶昨行【おくさくこう】張十一に和す
憶ふ昨に夾鍾【きょうしょう】の呂【りょ】の初めて灰【はい】を吹きしとき,上公の禮 罷【おわ】って元侯【げんこう】回【かえ】る。
車には牲牢【せいろう】を載せ甕【かめ】には酒を舁【か】く,賓客を並び召して鄒枚【すうばい】を延【ひ】く。
腰金【ようきん】と首翠【しゅすい】と光照【こうしょう】耀【よう】す,絲竹【しちく】迥【はるか】に發す清にして哀。
青天【せいてん】白日【はくじつ】花草麗【うるわ】し,玉斝【ぎょくか】屢ば舉げて金罍【きんらい】を傾く。


(現代語訳)
かねて過ぎ去ったころの歌、張十一署に和す。
かねて過ぎ去ったころのこと、季節の変わり目に吹く爽鐘の呂のはじめて灰を吹いた日のことであった、上代の聖人を祭りをしおえてこの江陵の節度使裴均長官がお帰りになられた
車に神に供える牛・羊・豚をの、神酒の甕を担がせている、宴に召された賓客に漢代の枚乗と鄒陽のような文豪たちが居並んだ。
腰には金の佩び玉をつけ、翡翠の羽飾りはきらきら輝いている、遠くからわき起こる管絃楽は清らにも哀れであった。
空は青く晴れ渡り、真昼の太陽は白くふりそそぐ、 花も草もうるわしく広がる、宝玉のさかずきはしばしば飲み干し、黄金色の真鍮の酒壷は傾けられた。


(訳注)
憶昨行和張十一
かねて過ぎ去ったころの歌、張十一署に和す。
・憶昨行和張十一底本巻三。江陵での作。憶昨は初句の二字をとった。張十一は張署。
 昔と同じで過ぎ去った日。


憶昨夾鍾之呂初吹灰,上公禮罷元侯回。
かねて過ぎ去ったころのこと、季節の変わり目に吹く爽鐘の呂のはじめて灰を吹いた日のことであった、上代の聖人を祭りをしおえてこの江陵の節度使裴均長官がお帰りになられた
夾鍾1 中国音楽の十二律の一。基音の黄鐘(こうしょう)より三律高い音。日本の十二律の勝絶(しょうせつ)にあたる。2 陰暦2月の異称。・爽饉之呂初吹灰 中国の音律は黄鐘・大呂・大蔟・爽鐘・姑洗・仲呂・蕤賓・林鍾・夷則・南呂・無射・応鍾の十二で偶数並びを陽六、奇数並びを陰六、または六呂という。この十二律を一年の十一月から翌年の十月までに配当する。したがってこの詩では二月、仲春で夾鍾となる。その季節の到来をはかるためには、智閉した部屋の中に机をおき、十二偶のまでつくった律をおき、茨の灰を律の内端につめておく。季節がかわれば、律はその気に感じ、灰は自然に飛散するといわれる。夾鍾の律が火を吹く日は仲春二月のはじめ。
上公 古代の聖人三皇五帝の三公のこと。上公之官は大臣。
元侯 地方長官、ここでは節度使の裴均のこと。


車載牲牢甕舁酒,並召賓客延鄒枚。
車に神に供える牛・羊・豚をの、神酒の甕を担がせている、宴に召された賓客に漢代の枚乗と鄒陽のような文豪たちが居並んだ。
牲牢 神に供える牛・羊・豚など。
鄒枚 漢代の枚乗と鄒陽のような文豪たち。


腰金首翠光照耀,絲竹迥發清以哀。
腰には金の佩び玉をつけ、翡翠の羽飾りはきらきら輝いている、遠くからわき起こる管絃楽は清らにも哀れであった。
腰金首翠 金色の帯玉、礼冠の窮翠の羽かぎり。
糸竹 絃菜館と管楽器。


青天白日花草麗,玉斝屢舉傾金罍。
空は青く晴れ渡り、真昼の太陽は白くふりそそぐ、 花も草もうるわしく広がる、宝玉のさかずきはしばしば飲み干し、黄金色の真鍮の酒壷は傾けられた。
玉斝 玉のさかすき。斝は俗字。
金罍 黄金色の真鍮の酒壷。

感春四首其四 (4) 韓退之(韓愈)詩<60-#2>Ⅱ中唐詩362 紀頌之の漢詩ブログ1165

感春四首其四 (4) 韓退之(韓愈)詩<60-#2>Ⅱ中唐詩362 紀頌之の漢詩ブログ1165



806年元和元年正月、南地の江陵には珍しく雪がどっさり降った。雪のふるなかに梅がさき、うぐいすが鳴いた。韓愈には、そのひとつびとつが、楽しく、うれしかった。うれしくなると詩ができた。「早春雪中聞鸎」(早春雪中に鷲を聞く)はそのひとつである。この詩には、いまにも都から、呼び戻されようとばかりに、そわそわしてしまって、それをうぐいすに言いわけしているようなところがみえる。
だが、待ちに待ったその便りは、杏の花のさくころになってもやって来ぬ。『杏花』『感春四首』(春に感ず四首)『憶昨行和張十一』(憶昨行張十一に和す)は、このころの作である。

83 感春四首 其一
我所思兮在何所,情多地遐兮遍處處。
わたしがいつも心におもうところ、それはどこだというのか、人と長く接すれば情というもの多くの行ったところで育つものであり、それはあちらこちら、遙かな所に点在するのである。
東西南北皆欲往,千江隔兮萬山阻。
東西南北、どこへでも行きたいと思っている。黄河、長江、淮河、あまたある河川に隔てられている、それはあまたの山々によって阻まれているのだ。
春風吹園雜花開,朝日照屋百鳥語。
今も吹いてくる東風、春の風はこの庭に吹き多くの花を咲かせ木々や草を成長させる。朝日はこの建物を照らし あらゆる鳥たちが囀り始めるのである。
三杯取醉不復論,一生長恨奈何許。
いっぱい飲む度、愚痴を言い、三杯も盃を傾けるころには酔いどれてしまい、もう論理が成り立たない。人生にとって理不尽な事への裏には長く続くものであり、これをどうしたらよいというのか。

(春に感ず四首 其の一)
我が思ふ所 何所【いずこ】に在りや、情 多く 地遐【とお】くして處處【しょしょ】に偏【あまね】し
東西南北 皆 住かむと欲すれども、千江 隔たり 萬山【まんざん】阻【へだ】つ。
春風 園を吹いて 雜花 開き、朝日 屋【おく】を照して 百鳥【ひゃくちょう】語る。
三盃 酔を取りて 復た論ぜざれ、一生 長恨 奈【い】何【か】許【ばかり】ぞ と。


84  感春四首 其二
皇天平分成四時,春氣漫誕最可悲。
天は、『楚辞』にいう春夏秋冬の四季は三カ月ずつ平均して配分されている。そして、朝、昼、夕、夜の四時、総運、人運、外運、地運の四運と成している、四季のうちの春の気をとりとめなく過ごしたとすると最も悲しいこととなってしまう。
雜花妝林草蓋地,白日坐上傾天維。
いろんな草花は森林を華やかに飾ってくれて地面を覆っている、真昼の太陽でさえも行楽で喜んでいるこの坐に花曇りとして天からの帷をしてくれているようだ。
蜂喧鳥咽留不得,紅萼萬片從風吹。
花の蜜を取って歩く蜂はうるさく飛んでいる、多くの鳥も囀ることを妨げるものはいない、紅い花弁、花房は風が吹いてきてその花びらを万片というほど散らしている。
豈如秋霜雖慘冽,摧落老物誰惜之。
秋の霜のように万物を凋落させるのは惨酷な上うに見えるかもしれないが、ほっておいてもくたばるような老いぼれどもをくだき落とすのだから、誰がそんなものどもを惜しもうか。
為此徑須沽酒飲,自外天地棄不疑。
ゆく春のためにただちに当たり前のことだけど酒を買って飲むのであるし、自分で天地の外に出ていって天地を棄ててしまっても、そのことに疑問ももたない。
(其の二)
皇天【こうてん】平分【へいぶん】して四時【しじ】と成す,春氣【しゅんき】漫誕【まんたん】として最も悲しむ可し。
雜花【ざつか】妝林【しょうりん】し 草は地を蓋【おお】う,白日【はくじつ】坐上【ざじょう】に 天維【てんい】を傾く。
蜂喧【かまびす】しく鳥咽【むせ】べども留め得ず,紅萼【こうがく】萬片【まんべん】風の吹くに從う。
豈 秋霜の如きは慘冽【さんれつ】と雖ども,老物を摧落【さいらく】する誰か之を惜まん。
此の為めに徑【ただ】ちに須【すべか】らく酒を沽【か】いて飲むべし,自ら天地を外にして 棄てて疑わず。
#2
近憐李杜無檢束,爛漫長醉多文辭。
李白や杜甫が、春になるといい機嫌に酔いどれて、やたらに詩を書き散らしたのを、だらしのないことだと思っていたが、ちかごろになって、かれらも、いまのわたしのような心情だったのだとわかり、共鳴できるようになった。
屈原離騷二十五,不肯餔啜糟與醨。
ところが屈原ときたら、離騒など二十五篇もの文章をつくっているが。その詩の中で漁夫も云っている「その酒かすを食べて、薄い酒を飲めばよいのに」というのをあえてしないのだ。
惜哉此子巧言語,不到聖處寧非癡。
惜しいことにはこの君は言葉がやたらに上手なのに、人間の諸悪・苦しみの根源というところではないにしても聖人とされるところには到達はしていない。
幸逢堯舜明四目,條理品彙皆得宜。
わたしには、「堯舜のように四方の事物に対して正しい観察力、分析力と判断力をおもちになる天子の御時世にあうことができて、ものごとのすじみちや分析が適当である。すべてがうまくいっている。」ということなのか。(とてもそうではない。)
平明出門暮歸舍,酩酊馬上知為誰。
平生は朝、夜明けには家の門を出て夕方暮れれば宿舎に帰る。帰り道、すでに馬上で酩酊していることを知っているからといって誰もができることである。

(其の二 #2)
近ごろ憐む李杜【りと】の檢束【けんそく】無くして,爛漫【らんまん】として長【とこしな】えに醉いて文辭【ぶんじ】多きを。
屈原 離騷 二十五,不肯【あ】えて糟【そう】と醨【り】を餔啜【ほせつ】せず。
惜しい哉 此の子 言語に巧【たくみ】なれども,聖處【せいしょ】に到らず寧【むし】ろ癡【さ】に非らざらんや。
幸【さいわい】に 堯舜【ぎょうしゅん】四目【しもく】を明かにするに逢い,品彙【ひんい】を條理【じょうり】して皆宜しきを得たり。
平明 出門して暮に歸舍し,馬上に酩酊【めいてい】することを知る誰とか為す。

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85  感春四首 其三
朝騎一馬出,暝就一床臥。
朝になるたびに馬にまたがって門を出るのである。そして暮れてくると毎日のことであって床に就くのである。
詩書漸欲拋,節行久已惰。
今まで手放すことなどなかった『詩経』『書経』と『楚辞』詩集を、この頃では、めんどうくさくて、ほったらかしにするように、だんだんなってきたし、節度のある行動というものは儒教徒のつねづね心がけねばならないことなのだが、それもものぐさく、いいかげんにしだしてから、かなりの時間がたってしまった。
冠欹感發禿,語誤驚齒墮。
これでは、役人としての冠が傾いてしまってまるで髪の毛が禿げてしまったと思われてしまい様なものであり、勉強不足で語句を間違えてしまいまるで歯が抜け落ちてしまって驚くのと似ていることになってしまう。
孤負平生心,已矣知何奈。
儒者として平生のこととして心がけるべきことに背いてしまう、それをすんでしまったことだ、どうしようもないじゃないかといってしまっていいのだろうか。

其の三
朝に一馬を騎して出で,暝【くれ】に一床【いっしょう】に就【つ】きて臥す。
詩書【ししょ】漸【ようや】く拋【なげう】たんと欲す,節行【せつこう】久しく已に惰【おこた】れり。
冠 欹【そばだ】ちて 發【かみ】の禿【とく】なるを感ず,語 誤【あやま】ちて 齒の墮【おつ】るに。驚く。
孤負【こふ】す 平生の心,已【やんぬる】矣 知る何奈【いかん】せん。


86  感春四首 其四
我恨不如江頭人,長網橫江遮紫鱗。
わたしは隠遁して川辺で仕事する労働者のように できない自分自身のことを恨むのだけれど、仕掛けの長網を長江に打ちかけ紫鱗の魚をとらえるのである。
獨宿荒陂射鳧雁,賣納租賦官不嗔。
独り江の傍に宿しいばらや雑草の生いしげる荒れた堤で かもとかりを射るのだ、それを撃って租税を支払うこととし、そして貢物とすれば官僚は以下ることはないだろう。
歸來歡笑對妻子,衣食自給寧羞貧。
そうして帰って来て妻子と楽しく歓談すると微笑もでるというものだ、何より衣食を自給自足して貧しいものであってもそれを羞じることはないのだ。
今者無端讀書史,智慧只足勞精神。
それら労働者に対して、いま、わたしはどうかというと五経史書を学ぶことにしている、すると、物事の筋道を立て、計画し、正しく処理していく能力が、ただ、精神をついやすことによって備わってくるのである。
其の四
我は恨む 江頭【こうとう】の人に如かざることを,長網【ちょうもう】江に橫たへ 紫鱗【しりん】を遮【さえぎ】る。
獨り荒陂【こうは】に宿り鳧雁【ふがん】を射,賣りて租賦【そふ】を納めて 官 嗔【いか】らず。
歸り來りて 歡笑して妻子に對し,衣食は自給す 寧【なん】ぞ 貧を羞じむや。
今者【いま】端なくも書史を讀み,智慧【ちけい】は只 精神を勞するに足れり。

花と張0104

感春四首 其四 #2
畫蛇著足無處用,兩鬢霜白趨埃塵。
余計なことをするということの故事にヘビを画くのに「忘れていた」といって足を書き加えた無用のことをしてしまう、そんなことをしているうち両鬢に白髪で真っ白の年齢になってしまい、詩経と書経を学んでゆかなければいけないのに俗世間を走りまわることしかしていないというものだ。
乾愁漫解坐自累,與眾異趣誰相親。
「何の得もないのに空しく愁いている」と「理解する必要もないものを理解して」何となく自分から患っている。人の世に変わった趣向として除かれるようなことを誰がすき好んで親しむというのか。
數杯澆腸雖暫醉,皎皎萬慮醒還新。
数杯の酒を傾けて腸に灌ぎこんだらしばらくの間酔いが回るということではあるが。段々とさまざまな思いがあきらかな状態になり、知らないということは気楽なものだが、何もかもがわかっていると、また新たな心配がつのり、種がたえないのである。
百年未滿不得死,且可勤買拋青春。
人の一生をざっと百年とみたてるとやったことに満足していなくて、いやだいやだと思っても寿命がつきなければ死ぬわけにもゆかぬのだ。そうはいっても、とりあえず、せいぜい酒を買うことさ「拗青春」というやつを。
#2
蛇【へび】を畫【えが】いて足を著【つ】く 用うるに處 無し,兩鬢【りょうびん】霜白【しょうはく】埃塵【あいじん】に趨【はし】る。
乾愁【かんしゅう】漫【みだ】りに解し 坐【そぞろ】に自ら累【わずら】う,眾【しゅう】と趣を異にせば誰か相い親まん。
數杯 腸【はらわた】に澆【そそ】いで 暫く醉うと雖ども,皎皎【こうこう】たる萬慮【ばんりょ】醒めて還【ま】た新【あらた】なり。
百年 未だ滿たず 死するを得ず,且可【しばらく】勤めて拋【はう】青春【せいしゅん】を買【か】へ。


現代語訳と訳註
(本文) 感春四首 其四 #2

畫蛇著足無處用,兩鬢霜白趨埃塵。
乾愁漫解坐自累,與眾異趣誰相親。
數杯澆腸雖暫醉,皎皎萬慮醒還新。
百年未滿不得死,且可勤買拋青春。


(下し文) #2
蛇【へび】を畫【えが】いて足を著【つ】く 用うるに處 無し,兩鬢【りょうびん】霜白【しょうはく】埃塵【あいじん】に趨【はし】る。
乾愁【かんしゅう】漫【みだ】りに解し 坐【そぞろ】に自ら累【わずら】う,眾【しゅう】と趣を異にせば誰か相い親まん。
數杯 腸【はらわた】に澆【そそ】いで 暫く醉うと雖ども,皎皎【こうこう】たる萬慮【ばんりょ】醒めて還【ま】た新【あらた】なり。
百年 未だ滿たず 死するを得ず,且可【しばらく】勤めて拋【はう】青春【せいしゅん】を買【か】へ。


(現代語訳)
余計なことをするということの故事にヘビを画くのに「忘れていた」といって足を書き加えた無用のことをしてしまう、そんなことをしているうち両鬢に白髪で真っ白の年齢になってしまい、詩経と書経を学んでゆかなければいけないのに俗世間を走りまわることしかしていないというものだ。
「何の得もないのに空しく愁いている」と「理解する必要もないものを理解して」何となく自分から患っている。人の世に変わった趣向として除かれるようなことを誰がすき好んで親しむというのか。
数杯の酒を傾けて腸に灌ぎこんだらしばらくの間酔いが回るということではあるが。段々とさまざまな思いがあきらかな状態になり、知らないということは気楽なものだが、何もかもがわかっていると、また新たな心配がつのり、種がたえないのである。
人の一生をざっと百年とみたてるとやったことに満足していなくて、いやだいやだと思っても寿命がつきなければ死ぬわけにもゆかぬのだ。そうはいっても、とりあえず、せいぜい酒を買うことさ「拗青春」というやつを。


(訳注) 感春四首 其四 #2
畫蛇著足無處用,兩鬢霜白趨埃塵。
余計なことをするということの故事にヘビを画くのに「忘れていた」といって足を書き加えた無用のことをしてしまう、そんなことをしているうち両鬢に白髪で真っ白の年齢になってしまい、詩経と書経を学んでゆかなければいけないのに俗世間を走りまわることしかしていないというものだ。
画蛇著足 『史記』に見える故事にもとずく。数人の連中が、もらった酒を、蛇の絵を一番にかいたものがもらうというカケをした。一番にかいた男が、酒を貰って飲もうとして、「あ、足を画くのを忘れていた」といって書き加えたら、次の男が、足のあるのは蛇ではないといって、酒を取り上げた。無駄な努力をすること。余計なことをするということ。
趨埃塵 俗世間を走りまわる。 『論語』季氏篇に、孔子の子の伯魚(鯉)が「鯉趨而過庭」(庭を趨って過ぎたとき)、父の孔子が呼びとめて「詩」と「礼」とつまり、詩経と書経を学ぶようにさとしたとあるのにもとづき、子供が父の教えを受けることをいう。に基づいて作る。


乾愁漫解坐自累,與眾異趣誰相親。
「何の得もないのに空しく愁いている」と「理解する必要もないものを理解して」何となく自分から患っている。人の世に変わった趣向として除かれるようなことを誰がすき好んで親しむというのか。
乾愁 なんとなくおこる愁い。「空しく愁ひて益無きなり」(何の得もないのに空しく愁いている)ということ。
漫解 理解する必要もないものを理解して。
 何となく。


數杯澆腸雖暫醉,皎皎萬慮醒還新
数杯の酒を傾けて腸に灌ぎこんだらしばらくの間酔いが回るということではあるが。段々とさまざまな思いがあきらかな状態になり、知らないということは気楽なものだが、何もかもがわかっていると、また新たな心配がつのり、種がたえないのである。
皎皎万慮 さまざまな思いがあきらかな状態にある。知らないということは気楽なものだが、何もかもがわかっていると、心配の種がたえない。皎皎はあきらかなさま・。
・醒還訴 心配を酒でまぎらそうとするが、醒めると、更に新たな様相でせまってくる。還は、また。

 
百年未滿不得死,且可勤買拋青春。
人の一生をざっと百年とみたてるとやったことに満足していなくて、いやだいやだと思っても寿命がつきなければ死ぬわけにもゆかぬのだ。そうはいっても、とりあえず、せいぜい酒を買うことさ「拗青春」というやつを。
・百年 人の一生をざっと百年とみたてる。
不得死 いやだいやだと思っても寿命がつきなければ死ぬわけにもゆかぬ。
且可 しばらく、とりあえず。可は接尾語で意味はない。
勤買 せいぜい買うことさ。
拗青春 酒の銘柄。いい酒には、「土窟春」とか「石凍春」とか、春の宇のつくものが多かった。不老長寿と青春がつきもの。

感春四首其四 (4) 韓退之(韓愈)詩<60-#1>Ⅱ中唐詩361 紀頌之の漢詩ブログ1162

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感春四首 其四
我恨不如江頭人,長網橫江遮紫鱗。
わたしは隠遁して川辺で仕事する労働者のように できない自分自身のことを恨むのだけれど、仕掛けの長網を長江に打ちかけ紫鱗の魚をとらえるのである。
獨宿荒陂射鳧雁,賣納租賦官不嗔。
独り江の傍に宿しいばらや雑草の生いしげる荒れた堤で かもとかりを射るのだ、それを撃って租税を支払うこととし、そして貢物とすれば官僚は以下ることはないだろう。
歸來歡笑對妻子,衣食自給寧羞貧。
そうして帰って来て妻子と楽しく歓談すると微笑もでるというものだ、何より衣食を自給自足して貧しいものであってもそれを羞じることはないのだ。
今者無端讀書史,智慧只足勞精神。

それら労働者に対して、いま、わたしはどうかというと五経史書を学ぶことにしている、すると、物事の筋道を立て、計画し、正しく処理していく能力が、ただ、精神をついやすことによって備わってくるのである。
畫蛇著足無處用,兩鬢霜白趨埃塵。
乾愁漫解坐自累,與眾異趣誰相親。
數杯澆腸雖暫醉,皎皎萬慮醒還新。
百年未滿不得死,且可勤買拋青春。

(感春四首 其の四)
我は恨む 江頭【こうとう】の人に如かざることを,長網【ちょうもう】江に橫たへ 紫鱗【しりん】を遮【さえぎ】る。
獨り荒陂【こうは】に宿り鳧雁【ふがん】を射,賣りて租賦【そふ】を納めて 官 嗔【いか】らず。
歸り來りて 歡笑して妻子に對し,衣食は自給す 寧【なん】ぞ 貧を羞じむや。
今者【いま】端なくも書史を讀み,智慧【ちけい】は只 精神を勞するに足れり。

#2
蛇【へび】を畫【えが】いて足を著【つ】く 用うるに處 無し,兩鬢【りょうびん】霜白【しょうはく】埃塵【あいじん】に趨【はし】る。
乾愁【かんしゅう】漫【みだ】りに解し 坐【そぞろ】に自ら累【わずら】う,眾【しゅう】と趣を異にせば誰か相い親まん。
數杯 腸【はらわた】に澆【そそ】いで 暫く醉うと雖ども,皎皎【こうこう】たる萬慮【ばんりょ】醒めて還【ま】た新【あらた】なり。
百年 未だ滿たず 死するを得ず,且可【しばらく】勤めて拋【はう】青春【せいしゅん】を買【か】へ。


現代語訳と訳註
(本文)感春四首 其四

我恨不如江頭人,長網橫江遮紫鱗。
獨宿荒陂射鳧雁,賣納租賦官不嗔。
歸來歡笑對妻子,衣食自給寧羞貧。
今者無端讀書史,智慧只足勞精神。


(下し文) 感春四首 其の四
我は恨む 江頭【こうとう】の人に如かざることを,長網【ちょうもう】江に橫たへ 紫鱗【しりん】を遮【さえぎ】る。
獨り荒陂【こうは】に宿り鳧雁【ふがん】を射,賣りて租賦【そふ】を納めて 官 嗔【いか】らず。
歸り來りて 歡笑して妻子に對し,衣食は自給す 寧【なん】ぞ 貧を羞じむや。
今者【いま】端なくも書史を讀み,智慧【ちけい】は只 精神を勞するに足れり。


(現代語訳)
わたしは隠遁して川辺で仕事する労働者のように できない自分自身のことを恨むのだけれど、仕掛けの長網を長江に打ちかけ紫鱗の魚をとらえるのである。
独り江の傍に宿しいばらや雑草の生いしげる荒れた堤で かもとかりを射るのだ、それを撃って租税を支払うこととし、そして貢物とすれば官僚は以下ることはないだろう。
そうして帰って来て妻子と楽しく歓談すると微笑もでるというものだ、何より衣食を自給自足して貧しいものであってもそれを羞じることはないのだ。
それら労働者に対して、いま、わたしはどうかというと五経史書を学ぶことにしている、すると、物事の筋道を立て、計画し、正しく処理していく能力が、ただ、精神をついやすことによって備わってくるのである。


(訳注)
感春四首 其四
我恨不如江頭人,長網橫江遮紫鱗。

わたしは隠遁して川辺で仕事する労働者のように できない自分自身のことを恨むのだけれど、仕掛けの長網を長江に打ちかけ紫鱗の魚をとらえるのである。
江頭人 川辺で仕事する労働者。
紫鱗 魚。


獨宿荒陂射鳧雁,賣納租賦官不嗔。
独り江の傍に宿しいばらや雑草の生いしげる荒れた堤で かもとかりを射るのだ、それを撃って租税を支払うこととし、そして貢物とすれば官僚は以下ることはないだろう。
荒陂 いばらや雑草の生いしげる荒れた堤。・鳧雁  かもとかり。


歸來歡笑對妻子,衣食自給寧羞貧。
そうして帰って来て妻子と楽しく歓談すると微笑もでるというものだ、何より衣食を自給自足して貧しいものであってもそれを羞じることはないのだ。


今者無端讀書史,智慧只足勞精神。
それら労働者に対して、いま、わたしはどうかというと五経史書を学ぶことにしている、すると、物事の筋道を立て、計画し、正しく処理していく能力が、ただ、精神をついやすことによって備わってくるのである。
・今者 それら労働者に対して、いま、わたしはどうかというと。
無端 はからずも。

感春四首其三 (3) 韓退之(韓愈)詩<59>Ⅱ中唐詩360 紀頌之の漢詩ブログ1159

感春四首其三 (3) 韓退之(韓愈)詩<59>Ⅱ中唐詩360 紀頌之の漢詩ブログ1159


83 感春四首 其一
我所思兮在何所,情多地遐兮遍處處。
わたしがいつも心におもうところ、それはどこだというのか、人と長く接すれば情というもの多くの行ったところで育つものであり、それはあちらこちら、遙かな所に点在するのである。
東西南北皆欲往,千江隔兮萬山阻。
東西南北、どこへでも行きたいと思っている。黄河、長江、淮河、あまたある河川に隔てられている、それはあまたの山々によって阻まれているのだ。
春風吹園雜花開,朝日照屋百鳥語。
今も吹いてくる東風、春の風はこの庭に吹き多くの花を咲かせ木々や草を成長させる。朝日はこの建物を照らし あらゆる鳥たちが囀り始めるのである。
三杯取醉不復論,一生長恨奈何許。
いっぱい飲む度、愚痴を言い、三杯も盃を傾けるころには酔いどれてしまい、もう論理が成り立たない。人生にとって理不尽な事への裏には長く続くものであり、これをどうしたらよいというのか。 
(春に感ず四首 其の一)
我が思ふ所 何所【いずこ】に在りや、情 多く 地遐【とお】くして處處【しょしょ】に偏【あまね】し
東西南北 皆 住かむと欲すれども、千江 隔たり 萬山【まんざん】阻【へだ】つ。
春風 園を吹いて 雜花 開き、朝日 屋【おく】を照して 百鳥【ひゃくちょう】語る。
三盃 酔を取りて 復た論ぜざれ、一生 長恨 奈【い】何【か】許【ばかり】ぞ と。


84 感春四首 其二
皇天平分成四時,春氣漫誕最可悲。
天は、『楚辞』にいう春夏秋冬の四季は三カ月ずつ平均して配分されている。そして、朝、昼、夕、夜の四時、総運、人運、外運、地運の四運と成している、四季のうちの春の気をとりとめなく過ごしたとすると最も悲しいこととなってしまう。
雜花妝林草蓋地,白日坐上傾天維。
いろんな草花は森林を華やかに飾ってくれて地面を覆っている、真昼の太陽でさえも行楽で喜んでいるこの坐に花曇りとして天からの帷をしてくれているようだ。
蜂喧鳥咽留不得,紅萼萬片從風吹。
花の蜜を取って歩く蜂はうるさく飛んでいる、多くの鳥も囀ることを妨げるものはいない、紅い花弁、花房は風が吹いてきてその花びらを万片というほど散らしている。
豈如秋霜雖慘冽,摧落老物誰惜之。
秋の霜のように万物を凋落させるのは惨酷な上うに見えるかもしれないが、ほっておいてもくたばるような老いぼれどもをくだき落とすのだから、誰がそんなものどもを惜しもうか。
為此徑須沽酒飲,自外天地棄不疑。
ゆく春のためにただちに当たり前のことだけど酒を買って飲むのであるし、自分で天地の外に出ていって天地を棄ててしまっても、そのことに疑問ももたない。
(其の二)
皇天【こうてん】平分【へいぶん】して四時【しじ】と成す,春氣【しゅんき】漫誕【まんたん】として最も悲しむ可し。
雜花【ざつか】妝林【しょうりん】し 草は地を蓋【おお】う,白日【はくじつ】坐上【ざじょう】に 天維【てんい】を傾く。
蜂喧【かまびす】しく鳥咽【むせ】べども留め得ず,紅萼【こうがく】萬片【まんべん】風の吹くに從う。
豈 秋霜の如きは慘冽【さんれつ】と雖ども,老物を摧落【さいらく】する誰か之を惜まん。
此の為めに徑【ただ】ちに須【すべか】らく酒を沽【か】いて飲むべし,自ら天地を外にして 棄てて疑わず。
#2
近憐李杜無檢束,爛漫長醉多文辭。
李白や杜甫が、春になるといい機嫌に酔いどれて、やたらに詩を書き散らしたのを、だらしのないことだと思っていたが、ちかごろになって、かれらも、いまのわたしのような心情だったのだとわかり、共鳴できるようになった。
屈原離騷二十五,不肯餔啜糟與醨。
ところが屈原ときたら、離騒など二十五篇もの文章をつくっているが。その詩の中で漁夫も云っている「その酒かすを食べて、薄い酒を飲めばよいのに」というのをあえてしないのだ。
惜哉此子巧言語,不到聖處寧非癡。
惜しいことにはこの君は言葉がやたらに上手なのに、人間の諸悪・苦しみの根源というところではないにしても聖人とされるところには到達はしていない。
幸逢堯舜明四目,條理品彙皆得宜。
わたしには、「堯舜のように四方の事物に対して正しい観察力、分析力と判断力をおもちになる天子の御時世にあうことができて、ものごとのすじみちや分析が適当である。すべてがうまくいっている。」ということなのか。(とてもそうではない。)
平明出門暮歸舍,酩酊馬上知為誰。
平生は朝、夜明けには家の門を出て夕方暮れれば宿舎に帰る。帰り道、すでに馬上で酩酊していることを知っているからといって誰もができることである。

(其の二 #2)
近ごろ憐む李杜【りと】の檢束【けんそく】無くして,爛漫【らんまん】として長【とこしな】えに醉いて文辭【ぶんじ】多きを。
屈原 離騷 二十五,不肯【あ】えて糟【そう】と醨【り】を餔啜【ほせつ】せず。
惜しい哉 此の子 言語に巧【たくみ】なれども,聖處【せいしょ】に到らず寧【むし】ろ癡【さ】に非らざらんや。
幸【さいわい】に 堯舜【ぎょうしゅん】四目【しもく】を明かにするに逢い,品彙【ひんい】を條理【じょうり】して皆宜しきを得たり。
平明 出門して暮に歸舍し,馬上に酩酊【めいてい】することを知る誰とか為す。


85  感春四首 其三
朝騎一馬出,暝就一床臥。
朝になるたびに馬にまたがって門を出るのである。そして暮れてくると毎日のことであって床に就くのである。
詩書漸欲拋,節行久已惰。
今まで手放すことなどなかった『詩経』『書経』と『楚辞』詩集を、この頃では、めんどうくさくて、ほったらかしにするように、だんだんなってきたし、節度のある行動というものは儒教徒のつねづね心がけねばならないことなのだが、それもものぐさく、いいかげんにしだしてから、かなりの時間がたってしまった。
冠欹感發禿,語誤驚齒墮。
これでは、役人としての冠が傾いてしまってまるで髪の毛が禿げてしまったと思われてしまい様なものであり、勉強不足で語句を間違えてしまいまるで歯が抜け落ちてしまって驚くのと似ていることになってしまう。
孤負平生心,已矣知何奈。
儒者として平生のこととして心がけるべきことに背いてしまう、それをすんでしまったことだ、どうしようもないじゃないかといってしまっていいのだろうか。

其の三
朝に一馬を騎して出で,暝【くれ】に一床【いっしょう】に就【つ】きて臥す。
詩書【ししょ】漸【ようや】く拋【なげう】たんと欲す,節行【せつこう】久しく已に惰【おこた】れり。
冠 欹【そばだ】ちて 發【かみ】の禿【とく】なるを感ず,語 誤【あやま】ちて 齒の墮【おつ】るに。驚く。
孤負【こふ】す 平生の心,已【やんぬる】矣 知る何奈【いかん】せん。


86  感春四首 其四
我恨不如江頭人,長網橫江遮紫鱗。
獨宿荒陂射鳧雁,賣納租賦官不嗔。
歸來歡笑對妻子,衣食自給寧羞貧。
今者無端讀書史,智慧只足勞精神。
其の四
我は恨む 江頭【こうとう】の人に如かざることを,長網【ちょうもう】江に橫たへ 紫鱗【しりん】を遮【さえぎ】る。
獨り荒陂【こうは】に宿り鳧雁【ふがん】を射,賣りて租賦【そふ】を納めて 官 嗔【いか】らず。
歸り來りて 歡笑して妻子に對し,衣食は自給す 寧【なん】ぞ 貧を羞じむや。
今者【いま】端なくも書史を讀み,智慧【ちけい】は只 精神を勞するに足れり。

畫蛇著足無處用,兩鬢霜白趨埃塵。
乾愁漫解坐自累,與眾異趣誰相親。
數杯澆腸雖暫醉,皎皎萬慮醒還新。
百年未滿不得死,且可勤買拋青春。
#2
蛇【へび】を畫【えが】いて足を著【つ】く 用うるに處 無し,兩鬢【りょうびん】霜白【しょうはく】埃塵【あいじん】に趨【はし】る。
乾愁【かんしゅう】漫【みだ】りに解し 坐【そぞろ】に自ら累【わずら】う,眾【しゅう】と趣を異にせば誰か相い親まん。
數杯 腸【はらわた】に澆【そそ】いで 暫く醉うと雖ども,皎皎【こうこう】たる萬慮【ばんりょ】醒めて還【ま】た新【あらた】なり。
百年 未だ滿たず 死するを得ず,且可【しばらく】勤めて拋【はう】青春【せいしゅん】を買【か】へ。


現代語訳と訳註
(本文)
感春四首 其三
朝騎一馬出,暝就一床臥。
詩書漸欲拋,節行久已惰。
冠欹感發禿,語誤驚齒墮。
孤負平生心,已矣知何奈。


(下し文)春を感ず四首 其の三
朝に一馬を騎して出で,暝【くれ】に一床【いっしょう】に就【つ】きて臥す。
詩書【ししょ】漸【ようや】く拋【なげう】たんと欲す,節行【せつこう】久しく已に惰【おこた】れり。
冠 欹【そばだ】ちて 發【かみ】の禿【とく】なるを感ず,語 誤【あやま】ちて 齒の墮【おつ】るに。驚く。
孤負【こふ】す 平生の心,已【やんぬる】矣 知る何奈【いかん】せん。


(現代語訳)
朝になるたびに馬にまたがって門を出るのである。そして暮れてくると毎日のことであって床に就くのである。
今まで手放すことなどなかった『詩経』『書経』と『楚辞』詩集を、この頃では、めんどうくさくて、ほったらかしにするように、だんだんなってきたし、節度のある行動というものは儒教徒のつねづね心がけねばならないことなのだが、それもものぐさく、いいかげんにしだしてから、かなりの時間がたってしまった。
これでは、役人としての冠が傾いてしまってまるで髪の毛が禿げてしまったと思われてしまい様なものであり、勉強不足で語句を間違えてしまいまるで歯が抜け落ちてしまって驚くのと似ていることになってしまう。
儒者として平生のこととして心がけるべきことに背いてしまう、それをすんでしまったことだ、どうしようもないじゃないかといってしまっていいのだろうか。


(訳注) 感春四首 其三
朝騎一馬出,暝就一床臥。
朝になるたびに馬にまたがって門を出るのである。そして暮れてくると毎日のことであって床に就くのである。
 碁方。


詩書漸欲拋,節行久已惰
今まで手放すことなどなかった『詩経』『書経』と『楚辞』詩集を、この頃では、めんどうくさくて、ほったらかしにするように、だんだんなってきたし、節度のある行動というものは儒教徒のつねづね心がけねばならないことなのだが、それもものぐさく、いいかげんにしだしてから、かなりの時間がたってしまった。
・詩書漸欲拋 今まで手放すことなどなかった『詩経』『書経』と『楚辞』詩集を、この頃では、めんどうくさくて、ほったらかしにするように、だんだんなってきた。・詩書はこの場合は『詩経』『書経』と『楚辞』詩集のたぐい。
節行久己惰 節度のある行動というものは儒教徒のつねづね心がけねばならないことなのだが、それもものぐさく、いいかげんにしだしてから、かなりの時間がたつ。


冠欹感發禿,語誤驚齒墮。
これでは、役人としての冠が傾いてしまってまるで髪の毛が禿げてしまったと思われてしまい様なものであり、勉強不足で語句を間違えてしまいまるで歯が抜け落ちてしまって驚くのと似ていることになってしまう。
冠欹 冠がかたむく。・禿 はげる。


孤負平生心,已矣知何奈。
儒者として平生のこととして心がけるべきことに背いてしまう、それをすんでしまったことだ、どうしようもないじゃないかといってしまっていいのだろうか
孤負 そむく。
平生心 平生の志、ねがい。
已矣知何奈 孤負平生心といいかけた自分の心に、すんでしまったことだ、どうしようもないじゃないか、といっているのである。

感春四首 其二(2) 韓退之(韓愈)詩<58-#2>Ⅱ中唐詩359 紀頌之の漢詩ブログ1156

感春四首 其二(2) 韓退之(韓愈)詩<58-#2>Ⅱ中唐詩359 紀頌之の漢詩ブログ1156


83 感春四首 其一
我所思兮在何所,情多地遐兮遍處處。
わたしがいつも心におもうところ、それはどこだというのか、人と長く接すれば情というもの多くの行ったところで育つものであり、それはあちらこちら、遙かな所に点在するのである。
東西南北皆欲往,千江隔兮萬山阻。
東西南北、どこへでも行きたいと思っている。黄河、長江、淮河、あまたある河川に隔てられている、それはあまたの山々によって阻まれているのだ。
春風吹園雜花開,朝日照屋百鳥語。
今も吹いてくる東風、春の風はこの庭に吹き多くの花を咲かせ木々や草を成長させる。朝日はこの建物を照らし あらゆる鳥たちが囀り始めるのである。
三杯取醉不復論,一生長恨奈何許。
いっぱい飲む度、愚痴を言い、三杯も盃を傾けるころには酔いどれてしまい、もう論理が成り立たない。人生にとって理不尽な事への裏には長く続くものであり、これをどうしたらよいというのか。 
(春に感ず四首 其の一)
我が思ふ所 何所【いずこ】に在りや、情 多く 地遐【とお】くして處處【しょしょ】に偏【あまね】し
東西南北 皆 住かむと欲すれども、千江 隔たり 萬山【まんざん】阻【へだ】つ。
春風 園を吹いて 雜花 開き、朝日 屋【おく】を照して 百鳥【ひゃくちょう】語る。
三盃 酔を取りて 復た論ぜざれ、一生 長恨 奈【い】何【か】許【ばかり】ぞ と。


84  感春四首 其二
皇天平分成四時,春氣漫誕最可悲。
天は、『楚辞』にいう春夏秋冬の四季は三カ月ずつ平均して配分されている。そして、朝、昼、夕、夜の四時、総運、人運、外運、地運の四運と成している、四季のうちの春の気をとりとめなく過ごしたとすると最も悲しいこととなってしまう。
雜花妝林草蓋地,白日坐上傾天維。
いろんな草花は森林を華やかに飾ってくれて地面を覆っている、真昼の太陽でさえも行楽で喜んでいるこの坐に花曇りとして天からの帷をしてくれているようだ。
蜂喧鳥咽留不得,紅萼萬片從風吹。
花の蜜を取って歩く蜂はうるさく飛んでいる、多くの鳥も囀ることを妨げるものはいない、紅い花弁、花房は風が吹いてきてその花びらを万片というほど散らしている。
豈如秋霜雖慘冽,摧落老物誰惜之。
秋の霜のように万物を凋落させるのは惨酷な上うに見えるかもしれないが、ほっておいてもくたばるような老いぼれどもをくだき落とすのだから、誰がそんなものどもを惜しもうか。
為此徑須沽酒飲,自外天地棄不疑。
ゆく春のためにただちに当たり前のことだけど酒を買って飲むのであるし、自分で天地の外に出ていって天地を棄ててしまっても、そのことに疑問ももたない。
(其の二)
皇天【こうてん】平分【へいぶん】して四時【しじ】と成す,春氣【しゅんき】漫誕【まんたん】として最も悲しむ可し。
雜花【ざつか】妝林【しょうりん】し 草は地を蓋【おお】う,白日【はくじつ】坐上【ざじょう】に 天維【てんい】を傾く。
蜂喧【かまびす】しく鳥咽【むせ】べども留め得ず,紅萼【こうがく】萬片【まんべん】風の吹くに從う。
豈 秋霜の如きは慘冽【さんれつ】と雖ども,老物を摧落【さいらく】する誰か之を惜まん。
此の為めに徑【ただ】ちに須【すべか】らく酒を沽【か】いて飲むべし,自ら天地を外にして 棄てて疑わず。
#2
近憐李杜無檢束,爛漫長醉多文辭。
李白や杜甫が、春になるといい機嫌に酔いどれて、やたらに詩を書き散らしたのを、だらしのないことだと思っていたが、ちかごろになって、かれらも、いまのわたしのような心情だったのだとわかり、共鳴できるようになった。
屈原離騷二十五,不肯餔啜糟與醨。
ところが屈原ときたら、離騒など二十五篇もの文章をつくっているが。その詩の中で漁夫も云っている「その酒かすを食べて、薄い酒を飲めばよいのに」というのをあえてしないのだ。
惜哉此子巧言語,不到聖處寧非癡。
惜しいことにはこの君は言葉がやたらに上手なのに、人間の諸悪・苦しみの根源というところではないにしても聖人とされるところには到達はしていない。
幸逢堯舜明四目,條理品彙皆得宜。
わたしには、「堯舜のように四方の事物に対して正しい観察力、分析力と判断力をおもちになる天子の御時世にあうことができて、ものごとのすじみちや分析が適当である。すべてがうまくいっている。」ということなのか。(とてもそうではない。)
平明出門暮歸舍,酩酊馬上知為誰。
平生は朝、夜明けには家の門を出て夕方暮れれば宿舎に帰る。帰り道、すでに馬上で酩酊していることを知っているからといって誰もができることである。

(其の二 #2)
近ごろ憐む李杜【りと】の檢束【けんそく】無くして,爛漫【らんまん】として長【とこしな】えに醉いて文辭【ぶんじ】多きを。
屈原 離騷 二十五,不肯【あ】えて糟【そう】と醨【り】を餔啜【ほせつ】せず。
惜しい哉 此の子 言語に巧【たくみ】なれども,聖處【せいしょ】に到らず寧【むし】ろ癡【さ】に非らざらんや。
幸【さいわい】に 堯舜【ぎょうしゅん】四目【しもく】を明かにするに逢い,品彙【ひんい】を條理【じょうり】して皆宜しきを得たり。
平明 出門して暮に歸舍し,馬上に酩酊【めいてい】することを知る誰とか為す。


85  感春四首 其三
朝騎一馬出,暝就一床臥。
詩書漸欲拋,節行久已惰。
冠欹感發禿,語誤驚齒墮。
孤負平生心,已矣知何奈。
其の三
朝に一馬を騎して出で,暝【くれ】に一床【いっしょう】に就【つ】きて臥す。
詩書【ししょ】漸【ようや】く拋【なげう】たんと欲す,節行【せつこう】久しく已に惰【おこた】れり。
冠 欹【そばだ】ちて 發【かみ】の禿【とく】なるを感ず,語 誤【あやま】ちて 齒の墮【おつ】るに。驚く。
孤負【こふ】す 平生の心,已【やんぬる】矣 知る何奈【いかん】せん。

86  感春四首 其四
我恨不如江頭人,長網橫江遮紫鱗。
獨宿荒陂射鳧雁,賣納租賦官不嗔。
歸來歡笑對妻子,衣食自給寧羞貧。
今者無端讀書史,智慧只足勞精神。
其の四
我は恨む 江頭【こうとう】の人に如かざることを,長網【ちょうもう】江に橫たへ 紫鱗【しりん】を遮【さえぎ】る。
獨り荒陂【こうは】に宿り鳧雁【ふがん】を射,賣りて租賦【そふ】を納めて 官 嗔【いか】らず。
歸り來りて 歡笑して妻子に對し,衣食は自給す 寧【なん】ぞ 貧を羞じむや。
今者【いま】端なくも書史を讀み,智慧【ちけい】は只 精神を勞するに足れり。
#2
畫蛇著足無處用,兩鬢霜白趨埃塵。
乾愁漫解坐自累,與眾異趣誰相親。
數杯澆腸雖暫醉,皎皎萬慮醒還新。
百年未滿不得死,且可勤買拋青春。
#2
蛇【へび】を畫【えが】いて足を著【つ】く 用うるに處 無し,兩鬢【りょうびん】霜白【しょうはく】埃塵【あいじん】に趨【はし】る。
乾愁【かんしゅう】漫【みだ】りに解し 坐【そぞろ】に自ら累【わずら】う,眾【しゅう】と趣を異にせば誰か相い親まん。
數杯 腸【はらわた】に澆【そそ】いで 暫く醉うと雖ども,皎皎【こうこう】たる萬慮【ばんりょ】醒めて還【ま】た新【あらた】なり。
百年 未だ滿たず 死するを得ず,且可【しばらく】勤めて拋【はう】青春【せいしゅん】を買【か】へ。



現代語訳と訳註
(本文)感春四首 其二

近憐李杜無檢束,爛漫長醉多文辭。
屈原離騷二十五,不肯餔啜糟與醨。
惜哉此子巧言語,不到聖處寧非癡。
幸逢堯舜明四目,條理品彙皆得宜。
平明出門暮歸舍,酩酊馬上知為誰。


(下し文)(其の二 #2)
近ごろ憐む李杜【りと】の檢束【けんそく】無くして,爛漫【らんまん】として長【とこしな】えに醉いて文辭【ぶんじ】多きを。
屈原 離騷 二十五,不肯【あ】えて糟【そう】と醨【り】を餔啜【ほせつ】せず。
惜しい哉 此の子 言語に巧【たくみ】なれども,聖處【せいしょ】に到らず寧【むし】ろ癡【さ】に非らざらんや。
幸【さいわい】に 堯舜【ぎょうしゅん】四目【しもく】を明かにするに逢い,品彙【ひんき】を條理【じょうり】して皆宜しきを得たり。
平明 出門して暮に歸舍し,馬上に酩酊【めいてい】することを知る誰とか為す。


(現代語訳)
李白や杜甫が、春になるといい機嫌に酔いどれて、やたらに詩を書き散らしたのを、だらしのないことだと思っていたが、ちかごろになって、かれらも、いまのわたしのような心情だったのだとわかり、共鳴できるようになった。
ところが屈原ときたら、離騒など二十五篇もの文章をつくっているが。その詩の中で漁夫も云っている「その酒かすを食べて、薄い酒を飲めばよいのに」というのをあえてしないのだ。
惜しいことにはこの君は言葉がやたらに上手なのに、人間の諸悪・苦しみの根源というところではないにしても聖人とされるところには到達はしていない。
わたしには、「堯舜のように四方の事物に対して正しい観察力、分析力と判断力をおもちになる天子の御時世にあうことができて、ものごとのすじみちや分析が適当である。すべてがうまくいっている。」ということなのか。(とてもそうではない。)
平生は朝、夜明けには家の門を出て夕方暮れれば宿舎に帰る。帰り道、すでに馬上で酩酊していることを知っているからといって誰もができることである。


(訳注) #2
近憐李杜無檢束,爛漫長醉多文辭。
李白や杜甫が、春になるといい機嫌に酔いどれて、やたらに詩を書き散らしたのを、だらしのないことだと思っていたが、ちかごろになって、かれらも、いまのわたしのような心情だったのだとわかり、共鳴できるようになった。
・李杜 盛唐詩人李白701~762、杜甫712~770年のこと。無檢束 だらしのないこと。・爛漫 春爛漫。・長醉 よいどれること。・多文辭 多く詩文を作ること。


屈原離騷二十五,不肯餔啜糟與醨。
ところが屈原ときたら、離騒など二十五篇もの文章をつくっているが。その詩の中で漁夫も云っている「その酒かすを食べて、薄い酒を飲めばよいのに」というのをあえてしないのだ。
屈原 前343-278春秋戦国時代を代表する詩人であり、政治家としては秦の張儀の謀略を見抜き踊らされようとする懐王を必死で諫めたが受け入れられず、楚の将来に絶望して入水自殺した。離騒二十五 強烈な愛国の情から出た詩は楚の詩を集めた『楚辞』の中で代表とされ、その中でも代表作とされる『離騒』は後世の愛国の士から愛された詩篇25作をいう。
不肯鋪畷槽与鴨 漁父曰、「聖人不三凝滞於物、而能与世推移。世人皆濁、何不淈其泥、而揚其波。衆人皆酔、何不餔其糟、而歠其釃。何故深思高挙、自令放為。」漁父曰く、「聖人は物に凝滞せずして、能く世と推移す。世人皆濁らば、何ぞ其の泥を淈して、其の波を揚げざる。衆人皆酔はば、何ぞ其の糟を餔ひて、其の釃を歠らざる。何の故に深く思ひ高く挙がり、自ら放たれしむるを為すや」と。
老漁師は言った。「聖人は物事にこだわらず、世間と共に移り変わるのです。世の人がみな濁っているならば、なぜ(ご自分も一緒に)泥をかき乱し、その濁った波を高くあげようとしないのですか。人々がみな酔っているなら、なぜ(ご自分も)その酒かすを食べて、薄い酒を飲もうとしないのですか。どうして深刻に思い悩み、お高くとまって、自ら追放されるようなことをなさるのですか。」といったが、屈原は「世間が酔ってもわたしは醒めている」といった話がある。
不到聖処 魏の時代に禁酒令が出ると濁酒を賢人、清酒を聖人という隠語がはやった。竹林の七賢人、建安の七賢人をいう。これと「漁父辞」の聖人とをひっかけて、酒の味もわからず聖人にもなれぬ奴、というのだ。


惜哉此子巧言語,不到聖處寧非癡。
惜しいことにはこの君は言葉がやたらに上手なのに、人間の諸悪・苦しみの根源というところではないにしても聖人とされるところには到達はしていない。
癡(ち、痴)は、仏教が教える煩悩のひとつ。 別名を愚癡(ぐち、愚痴)、我癡、また無明ともいう。 万の事物の理にくらき心をさす。 仏教で人間の諸悪・苦しみの根源と考えられている三毒、三不善根のひとつ。


幸逢堯舜明四目,條理品彙皆得宜。
わたしには、「堯舜のように四方の事物に対して正しい観察力、分析力と判断力をおもちになる天子の御時世にあうことができて、ものごとのすじみちや分析が適当である。すべてがうまくいっている。」ということなのか。(とてもそうではない。)
堯舜 古代の聖人、三皇五帝。・明四目 四方の事物に対して正しい観察力と判断力をもっていること。・條理 ものごとのすじみち、道理の論理が整っていること。判断の基準。・品彙【ひんい】品定め。種類別にまとめたもの。分類。分析力。


平明出門暮歸舍,酩酊馬上知為誰。
平生は朝、夜明けには家の門を出て夕方暮れれば宿舎に帰る。帰り道、すでに馬上で酩酊していることを知っているからといって誰もができることである。
酩酊馬上 山簡の故事に基づく。山簡のこと。字は季倫。西晋時代の人。竹林の七賢の一人、山濤の子。公は一般に尊称であるが、ここでは、とくに尊敬と親しみの気特がこもっている。山簡、あざなは季倫。荊州の地方長官として嚢陽にいたとき、常に酔っぱらっては高陽の池にあそび(野酒)、酩酊したあげく、白い帽子をさかさに被り、馬にのって歩いた。それが評判となり、そのことをうたった歌までできた。話は「世説」にある。 ○高陽 嚢陽にある池の名。 
 


感春四首 其二(2) 韓退之(韓愈)詩<58-#1>Ⅱ中唐詩358 紀頌之の漢詩ブログ1153

感春四首 其二(2) 韓退之(韓愈)詩<58-#1>Ⅱ中唐詩358 紀頌之の漢詩ブログ1153



83 感春四首 其一
我所思兮在何所,情多地遐兮遍處處。
東西南北皆欲往,千江隔兮萬山阻。
春風吹園雜花開,朝日照屋百鳥語。
三杯取醉不復論,一生長恨奈何許。
(春に感ず四首 其の一)
我が思ふ所 何所【いずこ】に在りや、情 多く 地遐【とお】くして處處【しょしょ】に偏【あまね】し
東西南北 皆 住かむと欲すれども、千江 隔たり 萬山【まんざん】阻【へだ】つ。
春風 園を吹いて 雜花 開き、朝日 屋【おく】を照して 百鳥【ひゃくちょう】語る。
三盃 酔を取りて 復た論ぜざれ、一生 長恨 奈【い】何【か】許【ばかり】ぞ と。


84 感春四首 其二
皇天平分成四時,春氣漫誕最可悲。
雜花妝林草蓋地,白日坐上傾天維。
蜂喧鳥咽留不得,紅萼萬片從風吹。
豈如秋霜雖慘冽,摧落老物誰惜之。
為此徑須沽酒飲,自外天地棄不疑。

(其の二)
皇天【こうてん】平分【へいぶん】して四時【しじ】と成す,春氣【しゅんき】漫誕【まんたん】として最も悲しむ可し。
雜花【ざつか】妝林【しょうりん】し 草は地を蓋【おお】う,白日【はくじつ】坐上【ざじょう】に 天維【てんい】を傾く。
蜂喧【かまびす】しく鳥咽【むせ】べども留め得ず,紅萼【こうがく】萬片【まんべん】風の吹くに從う。
豈 秋霜の如きは慘冽【さんれつ】と雖ども,老物を摧落【さいらく】する誰か之を惜まん。
此の為めに徑【ただ】ちに須【すべか】らく酒を沽【か】いて飲むべし,自ら天地を外にして 棄てて疑わず。

#2
近憐李杜無檢束,爛漫長醉多文辭。
屈原離騷二十五,不肯餔啜糟與醨。
惜哉此子巧言語,不到聖處寧非癡。
幸逢堯舜明四目,條理品彙皆得宜。
平明出門暮歸舍,酩酊馬上知為誰。

(其の二 #2)
近ごろ憐む李杜【りと】の檢束【けんそく】無くして,爛漫【らんまん】として長【とこしな】えに醉いて文辭【ぶんじ】多きを。
屈原 離騷 二十五,不肯【あ】えて糟【そう】と醨【り】を餔啜【ほせつ】せず。
惜しい哉 此の子 言語に巧【たくみ】なれども,聖處【せいしょ】に到らず寧【むし】ろ癡【さ】に非らざらんや。
幸【さいわい】に 堯舜【ぎょうしゅん】四目【しもく】を明かにするに逢い,品彙【ひんい】を條理【じょうり】して皆宜しきを得たり。
平明 出門して暮に歸舍し,馬上に酩酊【めいてい】することを知る誰とか為す。


85 感春四首 其三
朝騎一馬出,暝就一床臥。
詩書漸欲拋,節行久已惰。
冠欹感發禿,語誤驚齒墮。
孤負平生心,已矣知何奈。

其の三
朝に一馬を騎して出で,暝【くれ】に一床【いっしょう】に就【つ】きて臥す。
詩書【ししょ】漸【ようや】く拋【なげう】たんと欲す,節行【せつこう】久しく已に惰【おこた】れり。
冠 欹【そばだ】ちて 發【かみ】の禿【とく】なるを感ず,語 誤【あやま】ちて 齒の墮【おつ】るに。驚く。
孤負【こふ】す 平生の心,已【やんぬる】矣 知る何奈【いかん】せん。

86 感春四首 其四
我恨不如江頭人,長網橫江遮紫鱗。
獨宿荒陂射鳧雁,賣納租賦官不嗔。
歸來歡笑對妻子,衣食自給寧羞貧。
今者無端讀書史,智慧只足勞精神。

其の四
我は恨む 江頭【こうとう】の人に如かざることを,長網【ちょうもう】江に橫たへ 紫鱗【しりん】を遮【さえぎ】る。
獨り荒陂【こうは】に宿り鳧雁【ふがん】を射,賣りて租賦【そふ】を納めて 官 嗔【いか】らず。
歸り來りて 歡笑して妻子に對し,衣食は自給す 寧【なん】ぞ 貧を羞じむや。
今者【いま】端なくも書史を讀み,智慧【ちけい】は只 精神を勞するに足れり。
#2
畫蛇著足無處用,兩鬢霜白趨埃塵。
乾愁漫解坐自累,與眾異趣誰相親。
數杯澆腸雖暫醉,皎皎萬慮醒還新。
百年未滿不得死,且可勤買拋青春。
#2
蛇【へび】を畫【えが】いて足を著【つ】く 用うるに處 無し,兩鬢【りょうびん】霜白【しょうはく】埃塵【あいじん】に趨【はし】る。
乾愁【かんしゅう】漫【みだ】りに解し 坐【そぞろ】に自ら累【わずら】う,眾【しゅう】と趣を異にせば誰か相い親まん。
數杯 腸【はらわた】に澆【そそ】いで 暫く醉うと雖ども,皎皎【こうこう】たる萬慮【ばんりょ】醒めて還【ま】た新【あらた】なり。
百年 未だ滿たず 死するを得ず,且可【しばらく】勤めて拋【はう】青春【せいしゅん】を買【か】へ。

83 感春四首 其一
我所思兮在何所,情多地遐兮遍處處。
わたしがいつも心におもうところ、それはどこだというのか、人と長く接すれば情というもの多くの行ったところで育つものであり、それはあちらこちら、遙かな所に点在するのである。
東西南北皆欲往,千江隔兮萬山阻。
東西南北、どこへでも行きたいと思っている。黄河、長江、淮河、あまたある河川に隔てられている、それはあまたの山々によって阻まれているのだ。
春風吹園雜花開,朝日照屋百鳥語。
今も吹いてくる東風、春の風はこの庭に吹き多くの花を咲かせ木々や草を成長させる。朝日はこの建物を照らし あらゆる鳥たちが囀り始めるのである。
三杯取醉不復論,一生長恨奈何許。
いっぱい飲む度、愚痴を言い、三杯も盃を傾けるころには酔いどれてしまい、もう論理が成り立たない。人生にとって理不尽な事への裏には長く続くものであり、これをどうしたらよいというのか。



84  感春四首 其二
皇天平分成四時,春氣漫誕最可悲。
天は、『楚辞』にいう春夏秋冬の四季は三カ月ずつ平均して配分されている。そして、朝、昼、夕、夜の四時、総運、人運、外運、地運の四運と成している、四季のうちの春の気をとりとめなく過ごしたとすると最も悲しいこととなってしまう。
雜花妝林草蓋地,白日坐上傾天維。
いろんな草花は森林を華やかに飾ってくれて地面を覆っている、真昼の太陽でさえも行楽で喜んでいるこの坐に花曇りとして天からの帷をしてくれているようだ。
蜂喧鳥咽留不得,紅萼萬片從風吹。
花の蜜を取って歩く蜂はうるさく飛んでいる、多くの鳥も囀ることを妨げるものはいない、紅い花弁、花房は風が吹いてきてその花びらを万片というほど散らしている。
豈如秋霜雖慘冽,摧落老物誰惜之。
秋の霜のように万物を凋落させるのは惨酷な上うに見えるかもしれないが、ほっておいてもくたばるような老いぼれどもをくだき落とすのだから、誰がそんなものどもを惜しもうか。
為此徑須沽酒飲,自外天地棄不疑。
ゆく春のためにただちに当たり前のことだけど酒を買って飲むのであるし、自分で天地の外に出ていって天地を棄ててしまっても、そのことに疑問ももたない。
#2
近憐李杜無檢束,爛漫長醉多文辭。
屈原離騷二十五,不肯餔啜糟與醨。
惜哉此子巧言語,不到聖處寧非癡。
幸逢堯舜明四目,條理品彙皆得宜。
平明出門暮歸舍,酩酊馬上知為誰。

85  感春四首 其三
朝騎一馬出,暝就一床臥。
詩書漸欲拋,節行久已惰。
冠欹感發禿,語誤驚齒墮。
孤負平生心,已矣知何奈。

86  感春四首 其四
我恨不如江頭人,長網橫江遮紫鱗。
獨宿荒陂射鳧雁,賣納租賦官不嗔。
歸來歡笑對妻子,衣食自給寧羞貧。
今者無端讀書史,智慧只足勞精神。

畫蛇著足無處用,兩鬢霜白趨埃塵。
乾愁漫解坐自累,與眾異趣誰相親。
數杯澆腸雖暫醉,皎皎萬慮醒還新。
百年未滿不得死,且可勤買拋青春。

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現代語訳と訳註
(本文)
感春四首 其二
皇天平分成四時,春氣漫誕最可悲。
雜花妝林草蓋地,白日坐上傾天維。
蜂喧鳥咽留不得,紅萼萬片從風吹。
豈如秋霜雖慘冽,摧落老物誰惜之。
為此徑須沽酒飲,自外天地棄不疑。


(下し文)
皇天平分成四時,春氣漫誕最可悲。
雜花妝林草蓋地,白日坐上傾天維。
蜂喧鳥咽留不得,紅萼萬片從風吹。
豈如秋霜雖慘冽,摧落老物誰惜之。
為此徑須沽酒飲,自外天地棄不疑。


(現代語訳)
天は、『楚辞』にいう春夏秋冬の四季は三カ月ずつ平均して配分されている。そして、朝、昼、夕、夜の四時、総運、人運、外運、地運の四運と成している、四季のうちの春の気をとりとめなく過ごしたとすると最も悲しいこととなってしまう。
いろんな草花は森林を華やかに飾ってくれて地面を覆っている、真昼の太陽でさえも行楽で喜んでいるこの坐に花曇りとして天からの帷をしてくれているようだ。
花の蜜を取って歩く蜂はうるさく飛んでいる、多くの鳥も囀ることを妨げるものはいない、紅い花弁、花房は風が吹いてきてその花びらを万片というほど散らしている。
秋の霜のように万物を凋落させるのは惨酷な上うに見えるかもしれないが、ほっておいてもくたばるような老いぼれどもをくだき落とすのだから、誰がそんなものどもを惜しもうか。
ゆく春のためにただちに当たり前のことだけど酒を買って飲むのであるし、自分で天地の外に出ていって天地を棄ててしまっても、そのことに疑問ももたない。


(訳注)感春四首 其二
皇天平分成四時,春氣漫誕最可悲。
天は、『楚辞』にいう春夏秋冬の四季は三カ月ずつ平均して配分されている。そして、朝、昼、夕、夜の四時、総運、人運、外運、地運の四運と成している、四季のうちの春の気をとりとめなく過ごしたとすると最も悲しいこととなってしまう。
皇天平分 春夏秋冬の四季は三カ月ずつ平均して配分されている。『楚辞』に「皇天は四時を平分す」という句が見える。○四時 春夏秋冬の四季。四運。朝、昼、夕、夜。浄土教、禅宗の時の考え方。一般的には五行思想であった。 ○春氣 四季のうちの春の気。その気が、他の気、夏、秋、冬など別のの気を兼ねて受けもつことはいけないこと、悲しむべきことする。○漫誕 すずろに。とりとめなく。


雜花妝林草蓋地,白日坐上傾天維。
いろんな草花は森林を華やかに飾ってくれて地面を覆っている、真昼の太陽でさえも行楽で喜んでいるこの坐に花曇りとして天からの帷をしてくれているようだ。
・白日匪上傾天維 白く輝く太陽のいる座に天のカーテンが煩く。日なたもかげる。
留不待 花の散ってゆくのを留めることはできない。


蜂喧鳥咽留不得,紅萼萬片從風吹。
花の蜜を取って歩く蜂はうるさく飛んでいる、多くの鳥も囀ることを妨げるものはいない、紅い花弁、花房は風が吹いてきてその花びらを万片というほど散らしている。


豈如秋霜雖慘冽,摧落老物誰惜之。
秋の霜のように万物を凋落させるのは惨酷な上うに見えるかもしれないが、ほっておいてもくたばるような老いぼれどもをくだき落とすのだから、誰がそんなものどもを惜しもうか。
豈如秋霜雖慘冽 秋の霜のように万物を凋落させるのは惨酷な上うに見えるかもしれないが。
摧落老物誰惜之 ほっておいてもくたばるような老いぼれどもをくだき落とすのだから、誰がそんなものどもを惜しもうか。


為此徑須沽酒飲,自外天地棄不疑。
ゆく春のためにただちに当たり前のことだけど酒を買って飲むのであるし、自分で天地の外に出ていって天地を棄ててしまっても、そのことに疑問ももたない。
為此 ゆく春のために。○徑 ただちに。○自外天地 自分で天地の外に出ていって。○棄不疑 天地を棄ててしまい、そのことに疑問ももたない。

感春四首 其一(1) 韓退之(韓愈)詩<57>Ⅱ中唐詩357 紀頌之の漢詩ブログ1150

感春四首 其一(1) 韓退之(韓愈)詩<57>Ⅱ中唐詩357 紀頌之の漢詩ブログ1150

806年元和元年正月、南地の江陵には珍しく雪がどっさり降った。雪のふるなかに梅がさき、うぐいすが鳴いた。韓愈には、そのひとつびとつが、楽しく、うれしかった。うれしくなると詩ができた。『早春雪中聞鸎』(早春雪中に鷲を聞く)はそのひとつである。この詩には、いまにも都から、呼び戻されようとばかりに、そわそわしてしまって、それを鶯に言い訳しているようなところがみえる。
だが、待ちに待ったその便りは、杏の花のさくころになってもやって来ない。『杏花』『感春四首』(春に感ず四首)『憶昨行和張十一』(憶昨行張十一に和す)は、このころの作である。



83 感春四首 其一
我所思兮在何所,情多地遐兮遍處處。
東西南北皆欲往,千江隔兮萬山阻。
春風吹園雜花開,朝日照屋百鳥語。
三杯取醉不復論,一生長恨奈何許。
(春に感ず四首 其の一)
我が思ふ所 何所【いずこ】に在りや、情 多く 地遐【とお】くして處處【しょしょ】に偏【あまね】し
東西南北 皆 住かむと欲すれども、千江 隔たり 萬山【まんざん】阻【へだ】つ。
春風 園を吹いて 雜花 開き、朝日 屋【おく】を照して 百鳥【ひゃくちょう】語る。
三盃 酔を取りて 復た論ぜざれ、一生 長恨 奈【い】何【か】許【ばかり】ぞ と。


84  感春四首 其二
皇天平分成四時,春氣漫誕最可悲。
雜花妝林草蓋地,白日坐上傾天維。
蜂喧鳥咽留不得,紅萼萬片從風吹。
豈如秋霜雖慘冽,摧落老物誰惜之。
為此徑須沽酒飲,自外天地棄不疑。

(其の二)
皇天【こうてん】平分【へいぶん】して四時【しじ】と成す,春氣【しゅんき】漫誕【まんたん】として最も悲しむ可し。
雜花【ざつか】妝林【しょうりん】し 草は地を蓋【おお】う,白日【はくじつ】坐上【ざじょう】に 天維【てんい】を傾く。
蜂喧【かまびす】しく鳥咽【むせ】べども留め得ず,紅萼【こうがく】萬片【まんべん】風の吹くに從う。
豈 秋霜の如きは慘冽【さんれつ】と雖ども,老物を摧落【さいらく】する誰か之を惜まん。
此の為めに徑【ただ】ちに須【すべか】らく酒を沽【か】いて飲むべし,自ら天地を外にして 棄てて疑わず。

#2
近憐李杜無檢束,爛漫長醉多文辭。
屈原離騷二十五,不肯餔啜糟與醨。
惜哉此子巧言語,不到聖處寧非癡。
幸逢堯舜明四目,條理品彙皆得宜。
平明出門暮歸舍,酩酊馬上知為誰。

(其の二 #2)
近ごろ憐む李杜【りと】の檢束【けんそく】無くして,爛漫【らんまん】として長【とこしな】えに醉いて文辭【ぶんじ】多きを。
屈原 離騷 二十五,不肯【あ】えて糟【そう】と醨【り】を餔啜【ほせつ】せず。
惜しい哉 此の子 言語に巧【たくみ】なれども,聖處【せいしょ】に到らず寧【むし】ろ癡【さ】に非らざらんや。
幸【さいわい】に 堯舜【ぎょうしゅん】四目【しもく】を明かにするに逢い,品彙【ひんい】を條理【じょうり】して皆宜しきを得たり。
平明 出門して暮に歸舍し,馬上に酩酊【めいてい】することを知る誰とか為す。


85  感春四首 其三
朝騎一馬出,暝就一床臥。
詩書漸欲拋,節行久已惰。
冠欹感發禿,語誤驚齒墮。
孤負平生心,已矣知何奈。

其の三
朝に一馬を騎して出で,暝【くれ】に一床【いっしょう】に就【つ】きて臥す。
詩書【ししょ】漸【ようや】く拋【なげう】たんと欲す,節行【せつこう】久しく已に惰【おこた】れり。
冠 欹【そばだ】ちて 發【かみ】の禿【とく】なるを感ず,語 誤【あやま】ちて 齒の墮【おつ】るに。驚く。
孤負【こふ】す 平生の心,已【やんぬる】矣 知る何奈【いかん】せん。

86  感春四首 其四
我恨不如江頭人,長網橫江遮紫鱗。
獨宿荒陂射鳧雁,賣納租賦官不嗔。
歸來歡笑對妻子,衣食自給寧羞貧。
今者無端讀書史,智慧只足勞精神。

其の四
我は恨む 江頭【こうとう】の人に如かざることを,長網【ちょうもう】江に橫たへ 紫鱗【しりん】を遮【さえぎ】る。
獨り荒陂【こうは】に宿り鳧雁【ふがん】を射,賣りて租賦【そふ】を納めて 官 嗔【いか】らず。
歸り來りて 歡笑して妻子に對し,衣食は自給す 寧【なん】ぞ 貧を羞じむや。
今者【いま】端なくも書史を讀み,智慧【ちけい】は只 精神を勞するに足れり。
#2
畫蛇著足無處用,兩鬢霜白趨埃塵。
乾愁漫解坐自累,與眾異趣誰相親。
數杯澆腸雖暫醉,皎皎萬慮醒還新。
百年未滿不得死,且可勤買拋青春。
#2
蛇【へび】を畫【えが】いて足を著【つ】く 用うるに處 無し,兩鬢【りょうびん】霜白【しょうはく】埃塵【あいじん】に趨【はし】る。
乾愁【かんしゅう】漫【みだ】りに解し 坐【そぞろ】に自ら累【わずら】う,眾【しゅう】と趣を異にせば誰か相い親まん。
數杯 腸【はらわた】に澆【そそ】いで 暫く醉うと雖ども,皎皎【こうこう】たる萬慮【ばんりょ】醒めて還【ま】た新【あらた】なり。
百年 未だ滿たず 死するを得ず,且可【しばらく】勤めて拋【はう】青春【せいしゅん】を買【か】へ。




感春四首 其一
我所思兮在何所,情多地遐兮遍處處。
わたしがいつも心におもうところ、それはどこだというのか、人と長く接すれば情というもの多くの行ったところで育つものであり、それはあちらこちら、遙かな所に点在するのである。
東西南北皆欲往,千江隔兮萬山阻。
東西南北、どこへでも行きたいと思っている。黄河、長江、淮河、あまたある河川に隔てられている、それはあまたの山々によって阻まれているのだ。
春風吹園雜花開,朝日照屋百鳥語。
今も吹いてくる東風、春の風はこの庭に吹き多くの花を咲かせ木々や草を成長させる。朝日はこの建物を照らし あらゆる鳥たちが囀り始めるのである。
三杯取醉不復論,一生長恨奈何許。
いっぱい飲む度、愚痴を言い、三杯も盃を傾けるころには酔いどれてしまい、もう論理が成り立たない。人生にとって理不尽な事への裏には長く続くものであり、これをどうしたらよいというのか。 

(春に感ず四首 其の一)
我が思ふ所 何所【いずこ】に在りや、情 多く 地遐【とお】くして處處【しょしょ】に偏【あまね】し。
東西南北 皆 住かむと欲すれども、千江 隔たり 萬山【まんざん】阻【へだ】つ。
春風 園を吹いて 雜花 開き、朝日 屋【おく】を照して 百鳥【ひゃくちょう】語る。
三盃 酔を取りて 復た論ぜざれ、一生 長恨 奈【い】何【か】許【ばかり】ぞ と。



現代語訳と訳註
(本文)

感春四首 其一
我所思兮在何所,情多地遐兮遍處處。
東西南北皆欲往,千江隔兮萬山阻。
春風吹園雜花開,朝日照屋百鳥語。
三杯取醉不復論,一生長恨奈何許。


(下し文)
(春に感ず四首 其の一)
我が思ふ所 何所【いずこ】に在りや、情 多く 地遐【とお】くして處處【しょしょ】に偏【あまね】し
東西南北 皆 住かむと欲すれども、千江 隔たり 萬山【まんざん】阻【へだ】つ。
春風 園を吹いて 雜花 開き、朝日 屋【おく】を照して 百鳥【ひゃくちょう】語る。
三盃 酔を取りて 復た論ぜざれ、一生 長恨 奈【い】何【か】許【ばかり】ぞ と。

(現代語訳)
わたしがいつも心におもうところ、それはどこだというのか、人と長く接すれば情というもの多くの行ったところで育つものであり、それはあちらこちら、遙かな所に点在するのである。
東西南北、どこへでも行きたいと思っている。黄河、長江、淮河、あまたある河川に隔てられている、それはあまたの山々によって阻まれているのだ。
今も吹いてくる東風、春の風はこの庭に吹き多くの花を咲かせ木々や草を成長させる。朝日はこの建物を照らし あらゆる鳥たちが囀り始めるのである。


(訳注)
感春四首 其一

・感春四首 底本巻三。杏花と同じころの作。


我所思兮在何所,情多地遐兮遍處處。
わたしがいつも心におもうところ、それはどこだというのか、人と長く接すれば情というもの多くの行ったところで育つものであり、それはあちらこちら、遙かな所に点在するのである。
所思 思う対象。・兮 韻文の語句の中間につけて意気のあがる勢いを示すまたは末尾につけて一時語勢をとどめ調える。訓読では読まない。詩経、史記、老子など古い詩には多く出る。韓愈は復古主義であるから多く使う。
情多地遐兮編処処 人生のこと、詩文のこと、どこでもぎろんをたたk愛すべきひとはたくさんいる、ただ遠いところにいるだけなのだ。遠いところになら、あちらにも、こちらにも、いっぱいいる。


東西南北皆欲往,千江隔兮萬山阻。
東西南北、どこへでも行きたいと思っている。黄河、長江、淮河、あまたある河川に隔てられている、それはあまたの山々によって阻まれているのだ。


春風吹園雜花開,朝日照屋百鳥語
今も吹いてくる東風、春の風はこの庭に吹き多くの花を咲かせ木々や草を成長させる。朝日はこの建物を照らし あらゆる鳥たちが囀り始めるのである。
春風吹園雜花開 都から朗報をさびしく待つ、孤独なわたしにはかかわりなく、春風は園に吹き、さまざまの花がさきみだれ、万物を成長させるが、私はここで埋もれてしまうのか、 という程度の意味。


三杯取醉不復論,一生長恨奈何許。
いっぱい飲む度、愚痴を言い、三杯も盃を傾けるころには酔いどれてしまい、もう論理が成り立たない。人生にとって理不尽な事への裏には長く続くものであり、これをどうしたらよいというのか。 
三杯取酔不復諭、一生長恨奈何許。 酒を呑む度に理不尽な罪を着せられ、永嘉に流され、恩赦で罪を説かれたとしても元の地位さえつけてくれない。こうした怨み、長恨を酒を傾けるごとに長々と論じている。三杯の酒は酔うほどにわからなくなり、同じことの繰り返しであったり、論理が、滅裂になったりする。この自分の人生どうしたらいいのか、隠遁したら、自分の意見を、仲間と戦わしてきた正論を進めることはできない。このジレンマどうにかしてくれ。同時期に作った韓愈『早春雪中聞鸎』(早春雪中に鶯を聞く)と詩の内容は同じである。
朝鸎雪裏新,雪樹眼前春。
帶澀先迎氣,侵寒已報人。
共矜初聽早,誰貴後聞頻。
暫囀那成曲,孤鳴豈及辰。
風霜徒自保,桃李詎相親。
寄謝幽棲友,辛勤不為身。

早春雪中聞鸎 韓退之(韓愈)詩<56>Ⅱ中唐詩356 紀頌之の漢詩ブログ1147

早春雪中聞鸎 韓退之(韓愈)詩<56>Ⅱ中唐詩356 紀頌之の漢詩ブログ1147
254早春雪中聞鸎(早春雪中に鶯を聞く)

806年早春江陵府法曹参軍亊の時作る。

早春雪中聞鸎
朝鸎雪裏新,雪樹眼前春。
帶澀先迎氣,侵寒已報人。
   
共矜初聽早,誰貴後聞頻。
暫囀那成曲,孤鳴豈及辰。
   
風霜徒自保,桃李詎相親。
寄謝幽棲友,辛勤不為身。

早春、まだ雪がある中、鸎のこえを聞く。
朝になってうぐいすが庭中の雪のなかではじめて鳴いた、雪をおく樹々に春は目の前ということを知らせてくれる。
鶯も鳴き初めで、渋みを帯びた声ではあるが、まずその早春の気を迎えるのだ、寒さをおかしてくれて、人に春をつげ知らしてくれたのだ。
人々はともに初めて聞きくこと早春であることを ほこりにしあっている、後から聞いたのではなんど聞いたところで誰が貴いものと思うであろうか。
けさは暫く鳴いていたが、あれで一曲歌ったことにはなっていたのだろうか、ひとりで鳴いていたけれど、 うまく時節に合っているのだろうか、他のうぐいすと競いあってこそ歌声が洗練されるというものだ。
風霜に耐えて自分自身をきびしく保つのもいいのであるが、春の盛りの桃やスモモとどうして互いに仲よくなれるというのであろうか
君にだけにひとこと言わせてもらうのを許してもらいたいことだが、静かに隠棲して友と過ごしたいということを、辛い勤めに励むのも身のためばかりじゃないのだ。


(早春雪中に鶯を聞く)
朝鸎【ちょうおう】雪裏【せつり】に新なり、雪樹【せつじゅ】眼前の春。
澀【じゅう】を帯びて先づ気を迎へ、寒を侵して己に人に報ず。
共に解る 初めて聴きしことの早きを、誰か貴ばむ後に聞くことの頻なるを。
暫く囀【さえず】るも那んぞ曲を成さむ、孤鳴【こめい】豈に辰【とき】に及ぼむや。
風霜に徒に自ら保たむも、桃李 詎【なん】ぞ相親まむ。
寄謝す 幽棲【ゆうせい】の友、辛勤【しんきん】するは身の馬ならず。


現代語訳と訳註
(本文)

朝鶯雪裏新,雪樹眼前春。
帶澀先迎氣,侵寒已報人。
共矜初聽早,誰貴後聞頻。
暫囀那成曲,孤鳴豈及辰。
風霜徒自保,桃李詎相親。
寄謝幽棲友,辛勤不為身。

(下し文) (早春雪中に鶯を聞く)
朝鸎【ちょうおう】雪裏【せつり】に新なり、雪樹【せつじゅ】眼前の春。
澀【じゅう】を帯びて先づ気を迎へ、寒を侵して己に人に報ず。
共に解る 初めて聴きしことの早きを、誰か貴ばむ後に聞くことの頻なるを。
暫く囀【さえず】るも那んぞ曲を成さむ、孤鳴【こめい】豈に辰【とき】に及ぼむや。
風霜に徒に自ら保たむも、桃李 詎【なん】ぞ相親まむ。
寄謝す 幽棲【ゆうせい】の友、辛勤【しんきん】するは身の馬ならず。


(現代語訳)
早春、まだ雪がある中、鸎のこえを聞く。
朝になってうぐいすが庭中の雪のなかではじめて鳴いた、雪をおく樹々に春は目の前ということを知らせてくれる。
鶯も鳴き初めで、渋みを帯びた声ではあるが、まずその早春の気を迎えるのだ、寒さをおかしてくれて、人に春をつげ知らしてくれたのだ。
人々はともに初めて聞きくこと早春であることを ほこりにしあっている、後から聞いたのではなんど聞いたところで誰が貴いものと思うであろうか。
けさは暫く鳴いていたが、あれで一曲歌ったことにはなっていたのだろうか、ひとりで鳴いていたけれど、 うまく時節に合っているのだろうか、他のうぐいすと競いあってこそ歌声が洗練されるというものだ。
風霜に耐えて自分自身をきびしく保つのもいいのであるが、春の盛りの桃やスモモとどうして互いに仲よくなれるというのであろうか
君にだけにひとこと言わせてもらうのを許してもらいたいことだが、静かに隠棲して友と過ごしたいということを、辛い勤めに励むのも身のためばかりじゃないのだ。


 (訳注)
早春雪中聞鸎

早春、まだ雪がある中、鸎のこえを聞く。 
・鸎 ウグイス黄莺コウライウグイス.莺歌燕舞 yīng gē yan wǔ《成》(鴬が歌い燕が舞う>)すばらしい春の景色(のような状勢)を形容.


朝鶯雪裏新,雪樹眼前春。
朝になってうぐいすが庭中の雪のなかではじめて鳴いた、雪をおく樹々に春は目の前ということを知らせてくれる。
雪裏 雪の中で。


帶澀先迎氣,侵寒已報人。
鶯も鳴き初めで、渋みを帯びた声ではあるが、まずその早春の気を迎えるのだ、寒さをおかしてくれて、人に春をつげ知らしてくれたのだ。
帯渋 声がまだ十分なめらかでない。・報人 人に春をつげ知らす。

   
共矜初聽早,誰貴後聞頻。
人々はともに初めて聞きくこと早春であることを ほこりにしあっている、後から聞いたのではなんど聞いたところで誰が貴いものと思うであろうか。


暫囀那成曲,孤鳴豈及辰。
けさは暫く鳴いていたが、あれで一曲歌ったことにはなっていたのだろうか、ひとりで鳴いていたけれど、 うまく時節に合っているのだろうか、他のうぐいすと競いあってこそ歌声が洗練されるというものだ。
孤鳴隻及辰 うぐいすも、他のうぐいすと競いあってこそ歌声が洗練されるのだ。孤独を守っていては、人々が聞いてくれようという時になっても、うまい工合にうたえず、せっかくのチャンスを失ってしまいはしないか。ことに、文学や芸術というものは、人に誉めそやされてこそ豊艶な光を放つようになるのだ。
   

風霜徒自保,桃李詎相親。
風霜に耐えて自分自身をきびしく保つのもいいのであるが、春の盛りの桃やスモモとどうして互いに仲よくなれるというのであろうか
風霜徒自保 風霜の中でひたすら我慢して、自らを保つのはむだなことだ。・桃李 人々にしたわれるもの。春の盛り桃李に、その時になって急にものを言ったとしてうまくゆかないというのである。


寄謝幽棲友,辛勤不為身。
君にだけにひとこと言わせてもらうのを許してもらいたいことだが、静かに隠棲して友と過ごしたいということを、辛い勤めに励むのも身のためばかりじゃないのだ。
不為身 自分の身のためにするのではない。自分の地位を高めれば、人々が注目してくれ、意見も聞いてもらえるようになろう。そうすればわれわれの理想が実際にうつされやすくなるだろう。それが、世の人々に、より多く貢献することになるのではないか。そしてその窮極が隠棲するということになる。

陪杜侍御遊湘西兩寺獨宿有題一首,因獻楊常侍(5) 韓退之(韓愈)詩<55-#5>Ⅱ中唐詩355 紀頌之の漢詩ブログ1144

陪杜侍御遊湘西兩寺獨宿有題一首,因獻楊常侍(5) 韓退之(韓愈)詩<55-#5>Ⅱ中唐詩355 紀頌之の漢詩ブログ1144


805年 貞元二十一年、順宗の即位で、韓愈は大赦にあい、夏の終わりごろ陽山をたち、友人の張署がいる郴州にゆき、新任の命令を待った。ふたりは、もう一人の友李方叔とともに、同じとき監察御史から左遷され、ともに南方僻地の県令となっていた。このたびの異動では、韓愈と張署のふたりが、共に、江陵府の法曹参軍事となった。正式の任命書をうけとると、韓愈は任地に向かい、途中、衡山に立ち寄り『謁衡獄廟遂宿獄寺題門樓』「衡嶽廟に閲し、遂に嶽寺に宿り、門樓に題す」、『岣嶁山』「岣嶁の山」、『別盈上人』「盈上人に別る」、『祝融峰』「祝融の峰」などの詩をつくった。

さらに北上して、潭州、いまの湖南省長沙市に入り、その地方の長官である湖南観察使の楊憑をたずね、その部下の侍御史の社某の案内で湘西寺に遊び『陪杜侍御遊湘西兩寺獨宿有題一首』「杜侍御に陪して湘西両寺に游び独宿し、一首題あり、因って楊常侍に献ず」をつくった。
805年 この年は、中央では、順宗が即位し、王叔文党が政権をにぎり、まもなく皇太子が摂政となり、王叔文が追放され、順宗が譲位し、皇太子が即位し、永貞と改元した実に慌ただしい年で朝廷内の大混乱の杜詩であったとされる。その永貞元年も、韓愈が江陵に到着してまもなくおわる。新しい年をむかえ、新帝憲宗は、元号を「元和」と改めた。


大廈棟方隆,巨川楫行剡。
あなたこそは興隆していく大きな家を支える棟木のようなお方である。書経や易経でいう大河を渡らせた船の楫として仕上げの削りを受けているような信頼のおける方なのである。
經營誠少暇,遊宴固已歉。
常侍の仕事に夢中に務めていて少しの暇もおもちにならぬ誠実なお方である、わたしのために宴会をひらかれなかったのも、儒者として質素倹約をもとにしており、凶作などで民が苦しんでいることに対し後ろめたさをお感じになるからでしょう。
旅程愧淹留,徂歲嗟荏苒。
旅路の予定として愚図愚図と逗留していることについて恥ずかしく、ああ、なすことのないまま歳月が過ごしてしまっていることか。
平生每多感,柔翰遇頻染。
わたしは平生から折にふれ感動しやすい性格をしてる。ここで感じたことを墨をしっかりふくませた筆でしきりにしきりに書きつけるのである。
輾轉嶺猿鳴,曙燈青睒睒。
寝返りをうつと高い嶺で猿の悲しい叫びが耳に聞えてくる、そして、眠りの浅いままに、明け方の燈火は睒睒と青くゆらいでいるのである。


大廈【たいか】棟 方【まさ】に隆【たか】く、巨川【きょせん】楫【かじ】行く削【けず】る。
経営【けいえい】して誠に暇【いとま】少く、遊宴【ゆうえん】は固【もと】より己【すで】に歉【あきた】りず。
旅程【りょてい】 淹留【えんりゅう】を愧【は】ぢ、徂歲【そさい】 荏苒【じんぜん】を嗟【さ】す
平生【へいぜい】毎【つね】に感ずること多く、柔翰【じゅうかん】遇【たまた】ま頻【しきり】に染む。
展転【てんでん】して 嶺猿【れいえん】鳴き、曙燈【しょとう】 青くして睒睒【せんせん】たり。


現代語訳と訳註
(本文)

大廈棟方隆,巨川楫行剡。經營誠少暇,遊宴固已歉。
旅程愧淹留,徂歲嗟荏苒。平生每多感,柔翰遇頻染。
輾轉嶺猿鳴,曙燈青睒睒。


(下し文)#5
大廈【たいか】棟 方【まさ】に隆【たか】く、巨川【きょせん】楫【かじ】行く削【けず】る。
経営【けいえい】して誠に暇【いとま】少く、遊宴【ゆうえん】は固【もと】より己【すで】に歉【あきた】りず。
旅程【りょてい】 淹留【えんりゅう】を愧【は】ぢ、徂歲【そさい】 荏苒【じんぜん】を嗟【さ】す
平生【へいぜい】毎【つね】に感ずること多く、柔翰【じゅうかん】遇【たまた】ま頻【しきり】に染む。
展転【てんでん】して 嶺猿【れいえん】鳴き、曙燈【しょとう】 青くして睒睒【せんせん】たり。


(現代語訳)
あなたこそは興隆していく大きな家を支える棟木のようなお方である。書経や易経でいう大河を渡らせた船の楫として仕上げの削りを受けているような信頼のおける方なのである。
常侍の仕事に夢中に務めていて少しの暇もおもちにならぬ誠実なお方である、わたしのために宴会をひらかれなかったのも、儒者として質素倹約をもとにしており、凶作などで民が苦しんでいることに対し後ろめたさをお感じになるからでしょう。
旅路の予定として愚図愚図と逗留していることについて恥ずかしく、ああ、なすことのないまま歳月が過ごしてしまっていることか。
わたしは平生から折にふれ感動しやすい性格をしてる。ここで感じたことを墨をしっかりふくませた筆でしきりにしきりに書きつけるのである。
寝返りをうつと高い嶺で猿の悲しい叫びが耳に聞えてくる、そして、眠りの浅いままに、明け方の燈火は睒睒と青くゆらいでいるのである。


(訳注)
大廈棟方隆,巨川楫行剡。
あなたこそは興隆していく大きな家を支える棟木のようなお方である。書経や易経でいう大河を渡らせた船の楫として仕上げの削りを受けているような信頼のおける方なのである。
 廈:おおきな家。寄棟の家。
巨川楫行剡 『書経』商書説命「若済巨川、用汝作舟楫。」(若し巨川を済らば、汝を用で舟楫と作さむ)殷の高宗が、夢に傅説を見、彼を得、彼のことを、巨川を渡るときの楫、日照りの時の霖雨に喩えた『書』説命上「若濟巨川、用汝作舟楫、若歳大旱、用汝作霖雨」とあり『易経』繋辞下伝に「蓋帝尭舜垂衣裳而天下治、蓋取諸乾坤、刳木為舟、剡木作楫、舟楫之利、以済不通、致遠以利天下、蓋取諸渙」(木を刳【えぐ】りて舟と為し、木を剟【けず】りて楫と為し、舟楫の利、以て通せざるを済し、遠きを致して以て天下を刺す)とある。、「黄帝や尭舜が衣裳を垂れたまま、ことさらの作為も施さずに天下が無事に治まったのは、おそらく乾坤の卦(乾坤は天地、天地の変化は無為自然)から思いついたことであろう。また木を刳り抜いて舟をつくり、木を剡(けず)って楫をつくり、これら舟と楫の便利さによって、今まで通れなかった水上に人を渡し遠方にまで行きつけるようにして天下の人々を利したのは、おそらく渙の卦(坎下巽上、坎は水、巽は木、すなわち水上に浮かぶ木の象)から思いついたことであろう。つまり楊常侍が今や巨川をわたす舟の楫としての信頼をうけ政治家としての仕上げのけずりをうけている人だ、ということ。
 

經營誠少暇,遊宴固已歉。
常侍の仕事に夢中に務めていて少しの暇もおもちにならぬ誠実なお方である、わたしのために宴会をひらかれなかったのも、儒者として質素倹約をもとにしており、凶作などで民が苦しんでいることに対し後ろめたさをお感じになるからでしょう。
遊宴固已歉 わたしのために宴会をひらかれなかったのも、儒者として質素倹約をもとにしており、凶作などで民が苦しんでいることに対し後ろめたさをお感じになるからでしょう。・ (1) 凶作,不作歉年凶年.(2) すまないと思う気持ち,遺憾(い/かん)の意抱歉申し訳なく思う.歉疚 ]気がとがめる,良心がうずく.歉收 凶作に見舞われる
 

旅程愧淹留,徂歲嗟荏苒。
旅路の予定として愚図愚図と逗留していることについて恥ずかしく、ああ、なすことのないまま歳月が過ごしてしまっていることか。
荏苒【じんぜん】なすことのないまま歳月が過ぎるさま。また、物事が延び延びになるさま。


平生每多感,柔翰遇頻染。
わたしは平生から折にふれ感動しやすい性格をしてる。ここで感じたことを墨をしっかりふくませた筆でしきりにしきりに書きつけるのである。
柔翰 墨をしっかりふくませた筆。
頻染 しきりに書きつける。


輾轉嶺猿鳴,曙燈青睒睒。
寝返りをうつと高い嶺で猿の悲しい叫びが耳に聞えてくる、そして、眠りの浅いままに、明け方の燈火は睒睒と青くゆらいでいるのである。
曙燈青睒睒 睒睒はひかりかがやくさま。眠りが浅く淡々と夜が明けていく表現に使われる。

陪杜侍御遊湘西兩寺獨宿有題一首,因獻楊常侍(4) 韓退之(韓愈) 詩<55-#4>Ⅱ中唐詩354 紀頌之の漢詩ブログ1141

陪杜侍御遊湘西兩寺獨宿有題一首,因獻楊常侍(4) 韓退之(韓愈) 詩<55-#4>Ⅱ中唐詩354 紀頌之の漢詩ブログ1141


椒蘭爭妒忌,絳灌共讒諂。
唐の王椒文や漢の呉子蘭は凄まじい妬みと怨みにより政権を争った。周勃と濯嬰は共に讒言したり、こびへつらうことで政権を握った。
誰令悲生腸,坐使淚盈臉。
屈原や賈誼とわたしとは、時代をへだて環境を異にするが、罪なくして貶められ、謫せられ、長沙のほとりをさまよう点では同じだ。だがわたしの場合、誰が悲しみを共にしてくれるのであろうかというのである。そしてそぞろに、頬に涙をあふれさせていてくれるのか。
翻飛乏羽翼,指摘困瑕玷。
天上に飛翔するにはわたしは羽翼をもっているわけではなく、そのうえ、いわれのない指摘をされ、その欠点によってこの苦しみをしているのである。
珥貂藩維重,政化類分陝。
揚常侍は貂の尾と金璫とを插み、蝉をつけて飾りとした冠つけ藩屏の重責を良くわかっておられる方である。あなたの治績は隣を境に国政を分担された周の周公と召公にも似るお方なのだ。
禮賢道何優,奉己事苦儉。
賢者には礼をつくしてなんと優遇されることが本道であり、しかも自分の生活に対してはなんときびしい質素倹約をしておられるのだ。


椒蘭【しょうらん】 爭ひて妒忌【とき】し、絳灌【こうかん】 共に讒諂【ざんてん】す。
誰か悲をして腸に生ぜしめ、坐【そぞろ】に涙をして臉【ほほ】に盈【み】てしむる。
翻飛【はんひ】せむとするも羽翼【うよく】に乏しく、指摘【してき】して瑕玷【かてん】に困【くるし】めらる。
貂【ちょう】を珥【さしはさ】んで藩維【はんい】重く、政化は陝【せん】を分ちしに類【に】たり。
賢を礼して 道 何ぞ優【ゆう】なる、己【おのれ】を奉ずるに 事 苦【はなは】だ倹【けん】なり。


現代語訳と訳註
(本文)

椒蘭爭妒忌,絳灌共讒諂。
誰令悲生腸,坐使淚盈臉。
翻飛乏羽翼,指摘困瑕玷。
珥貂藩維重,政化類分陝。
禮賢道何優,奉己事苦儉。

(下し文) #4
椒蘭【しょうらん】 爭ひて妒忌【とき】し、絳灌【こうかん】 共に讒諂【ざんてん】す。
誰か悲をして腸に生ぜしめ、坐【そぞろ】に涙をして臉【ほほ】に盈【み】てしむる。
翻飛【はんひ】せむとするも羽翼【うよく】に乏しく、指摘【してき】して瑕玷【かてん】に困【くるし】めらる。
貂【ちょう】を珥【さしはさ】んで藩維【はんい】重く、政化は陝【せん】を分ちしに類【に】たり。
賢を礼して 道 何ぞ優【ゆう】なる、己【おのれ】を奉ずるに 事 苦【はなは】だ倹【けん】なり。


(現代語訳)
唐の王椒文や漢の呉子蘭は凄まじい妬みと怨みにより政権を争った。周勃と濯嬰は共に讒言したり、こびへつらうことで政権を握った。
屈原や賈誼とわたしとは、時代をへだて環境を異にするが、罪なくして貶められ、謫せられ、長沙のほとりをさまよう点では同じだ。だがわたしの場合、誰が悲しみを共にしてくれるのであろうかというのである。そしてそぞろに、頬に涙をあふれさせていてくれるのか。
天上に飛翔するにはわたしは羽翼をもっているわけではなく、そのうえ、いわれのない指摘をされ、その欠点によってこの苦しみをしているのである。
揚常侍は貂の尾と金璫とを插み、蝉をつけて飾りとした冠つけ藩屏の重責を良くわかっておられる方である。あなたの治績は隣を境に国政を分担された周の周公と召公にも似るお方なのだ。
賢者には礼をつくしてなんと優遇されることが本道であり、しかも自分の生活に対してはなんときびしい質素倹約をしておられるのだ。


 (訳注)
椒蘭爭妒忌,絳灌共讒諂。
唐の王椒文や漢の呉子蘭は凄まじい妬みと怨みにより政権を争った。周勃と濯嬰は共に讒言したり、こびへつらうことで政権を握った。
椒蘭 王椒文(おうしゅくぶん)805年正月徳宗が崩御、順宗が即位し、気に入られていた王叔文は王伾と組んで政権を握った。しかし、凄まじい妬みと怨みにより七月には政権を追われやがて八月憲宗の即位に伴い名がされ翌年には殺された。この王叔文の事件で韓愈は都に復帰できるのである。 ・蘭  呉子蘭(ごしらん、生年不詳~200年)、名は不詳で子蘭は後漢朝の将軍。献帝が董承に曹操暗殺の密勅を出した際、董承に協力していた将軍。 しかし事が露見し、董承らと共に殺された。・妒忌 ねたむ,嫉妬する,
絳灌 周勃と濯嬰。周勃(しゅう ぼつ、? - 紀元前169年)は、中国の秦末から前漢初期にかけての武将、政治家。子は世子の周勝之、条侯・周亜夫、平曲侯・周堅らがいる。爵位は絳侯。諡号は武侯。・灌嬰(かん えい、? - 紀元前176年)は、中国の秦・前漢時代の武将。 ・讒諂 讒言することと、こびへつらうこと。諂う【へつらう】相手の気に入るようにふるまう。機嫌をとる。おもねる。


誰令悲生腸,坐使淚盈臉。
屈原や賈誼とわたしとは、時代をへだて環境を異にするが、罪なくして貶められ、謫せられ、長沙のほとりをさまよう点では同じだ。だがわたしの場合、誰が悲しみを共にしてくれるのであろうかというのである。そしてそぞろに、頬に涙をあふれさせていてくれるのか。
誰令悲 屈原や賈誼とわたしとは、時代をへだて環境を異にするが、罪なくして貶められ、謫せられ、長沙のほとりをさまよう点では同じだ。だがわたしの場合、誰が悲しみを共にしてくれるのであろうかというのである。


翻飛乏羽翼,指摘困瑕玷。
天上に飛翔するにはわたしは羽翼をもっているわけではなく、そのうえ、いわれのない指摘をされ、その欠点によってこの苦しみをしているのである。
瑕玷 欠点。


珥貂藩維重,政化類分陝。
揚常侍は貂の尾と金璫とを插み、蝉をつけて飾りとした冠つけ藩屏の重責を良くわかっておられる方である。あなたの治績は隣を境に国政を分担された周の周公と召公にも似るお方なのだ。
・珥 漢代に侍中・常侍の冠には、貂の尾と金璫とを插み、蝉をつけて飾りとした。珥はさしはさむ。あるいは耳を飾る玉。揚常侍に対していいかけていることばだ。・藩維 藩は王庭の藩屏、維は天下を維持すること。揚常侍は監察使だから諸侯にひとしい地位だ、とたたえているのだ。・分陝 周の周公と召公は隣の地を境として天下の政治を二分して担当したことをいう。


禮賢道何優,奉己事苦儉。
賢者には礼をつくしてなんと優遇されることが本道であり、しかも自分の生活に対してはなんときびしい質素倹約をしておられるのだ。

陪杜侍御遊湘西兩寺獨宿有題一首,因獻楊常侍(3) 韓退之(韓愈)詩<55-#3>Ⅱ中唐詩353 紀頌之の漢詩ブログ1138

陪杜侍御遊湘西兩寺獨宿有題一首,因獻楊常侍(3) 韓退之(韓愈)詩<55-#3>Ⅱ中唐詩353 紀頌之の漢詩ブログ1138


幸逢車馬歸,獨宿門不掩。
程好い機転に、わたしを送るためにやってきた車や馬が帰ってくれたのは幸せに感じることだ。ひとりで過ごす宿の気楽さで戸口をしめることもしないのだ。
山樓黑無月,漁火燦星點。
山車の楼台は月もない漆黒のなかに沈んでいく、漁火は星かと見まちがえるかのようにキラリと遠く燦いている。
夜風一何喧,杉檜屢磨颭。
夜風が吹きそのなんという騒がしさを起すのだろう、杉や檜がひっきりなしに擦れ合いざわめいている。
猶疑在波濤,怵惕夢成魘。
その風と木々の音はまるで波涛に漂うような錯覚におちいってしまう、それでびっくりして目覚めると 夢にうなされているのだった。
靜思屈原沈,遠憶賈誼貶。
冷静に考えればここは屈原が身を沈めたところである、遠い昔の世ながらおもいかえせば、賈誼が流されたのもここである。


幸に軍馬の帰るに逢ひ、濁り宿って 門 掩【おお】はず
山楼【さんろう】 黒くして 月無く、漁火【ぎょか】 燦【さん】として 星のごとく點ず。
夜風 一に何ぞ喧【かまびす】しき、杉檜【さんかい】 屡【しばし】ば磨颭【ません】す。
猶は疑ふらくは波涛【はとう】に在るがごとく、怵惕【じゅつてき】して 夢 魘【えん】を成す。
静に屈原の沈みしを思い、遠く賈誼【かぎ】の貶【へん】せられしを憶ふ。


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現代語訳と訳註
(本文)

幸逢車馬歸,獨宿門不掩。山樓黑無月,漁火燦星點。
夜風一何喧,杉檜屢磨颭。猶疑在波濤,怵惕夢成魘。
靜思屈原沈,遠憶賈誼貶。

(下し文)#3
幸に軍馬の帰るに逢ひ、濁り宿って 門 掩【おお】はず
山楼【さんろう】 黒くして 月無く、漁火【ぎょか】 燦【さん】として 星のごとく點ず。
夜風 一に何ぞ喧【かまびす】しき、杉檜【さんかい】 屡【しばし】ば磨颭【ません】す。
猶は疑ふらくは波涛【はとう】に在るがごとく、怵惕【じゅつてき】して 夢 魘【えん】を成す。
静に屈原の沈みしを思い、遠く賈誼【かぎ】の貶【へん】せられしを憶ふ。

(現代語訳)
程好い機転に、わたしを送るためにやってきた車や馬が帰ってくれたのは幸せに感じることだ。ひとりで過ごす宿の気楽さで戸口をしめることもしないのだ。
山車の楼台は月もない漆黒のなかに沈んでいく、漁火は星かと見まちがえるかのようにキラリと遠く燦いている。
夜風が吹きそのなんという騒がしさを起すのだろう、杉や檜がひっきりなしに擦れ合いざわめいている。
その風と木々の音はまるで波涛に漂うような錯覚におちいってしまう、それでびっくりして目覚めると 夢にうなされているのだった。
冷静に考えればここは屈原が身を沈めたところである、遠い昔の世ながらおもいかえせば、賈誼が流されたのもここである。


(訳注)
幸逢車馬歸,獨宿門不掩。
程好い機転に、わたしを送るためにやってきた車や馬が帰ってくれたのは幸せに感じることだ。ひとりで過ごす宿の気楽さで戸口をしめることもしないのだ。
幸逢車馬歸 わたしを送るためにやってきた車や馬が帰ってくれたのは幸せだ。相手が気をきかせてくれたことを感謝しているのだ。


山樓黑無月,漁火燦星點。
山車の楼台は月もない漆黒のなかに沈んでいく、漁火は星かと見まちがえるかのようにキラリと遠く燦いている。


夜風一何喧,杉檜屢磨颭。
夜風が吹きそのなんという騒がしさを起すのだろう、杉や檜がひっきりなしに擦れ合いざわめいている。
・磨颭 磨はすれる。颭は風が吹いて波立つ。立つ。山楼崇拝月からここまでの四旬は、山寺の夜を映してまことに美しい。


猶疑在波濤,怵惕夢成魘。
その風と木々の音はまるで波涛に漂うような錯覚におちいってしまう、それでびっくりして目覚めると 夢にうなされているのだった。
・猶疑在波濤 杉や槍の木立の波だち騒ぐ音を暗い部屋で聞いているといつの間にか、嵐ふく波涛の中に漂うているかと錯覚する。その錯覚がただちにかれを陽山左遷の回想へと駆りたて、洞庭湖上の苦しい体験に結びつくのだ。

中唐詩-295 岳陽樓別竇司直 #1 Ⅱ韓退之(韓愈) 紀頌之の漢詩ブログ 韓愈特集-36-#1

怵惕 おそれて心が安らかでないさま。 ・夢成魘 夢の中でうなされる。


靜思屈原沈,遠憶賈誼貶。
冷静に考えればここは屈原が身を沈めたところである、遠い昔の世ながらおもいかえせば、賈誼が流されたのもここである。
・屈原沈 屈原は名は平、原はその字、号は霊均。戦国時代の楚の人。楚王の一族で、懐王に仕え、三閭大夫となり国政にたずさわって信任されたが、懐王の弟の令尹子蘭や大夫の子槭に妬まれ、王からも疎まれるようになった。懐王の子㐮王はかれを長抄に追放した。「離騒」はじめ楚辞の諸篇はかれの作である。長沙
を放浪中、ついに汨羅の淵に投身自殺した。
要誼茫 漢代の洛陽の人。わずか二十歳で孝文帝に召されて博士となり、一年のうちに大中大夫となり、法制の改革にカをつくしたが、重臣である絳侯の周勃や穎陰侯の潅嬰に妬まれ、長沙王の傅に左遷された。のち梁の懐王の大将となり、三十三歳で死んだ。屈原とともに、すぐれた才能をもつがゆえに不遇であった文人としてよく例にひかれる。

李白行路難三首 其一 李白 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白183』参照。

賈誼 漢の孝文帝劉恒(紀元前202-157年)に仕えた文人賈誼(紀元前201―169年)のこと。洛陽の人。諸吉家の説に通じ、二十歳で博士となった。一年後、太中大夫すなわち内閣建議官となり、法律の改革にのりだして寵任されたが、若輩にして高官についたことを重臣たちに嫉まれ、長沙王の傅に左遷された。のち呼び戻され、孝文帝の鬼神の事に関する質問に答え、弁説して夜にまで及び、孝文帝は坐席をのりだして聴き入ったと伝えられる。その後、孝文帝の少子である梁の懐王の傅となり、まもなく三十三歳を以て死んだ。屈原を弔う文及び鵩(みみずく)の賦が有名。賈誼が長沙にいた時、「目鳥 其の承塵に集まる」。目鳥はふくろうに似た鳥というが、詩文のなかのみにあらわれ、その家の主人の死を予兆する不吉な鳥とされる。賈誼はその出現におびえ、「鵩鳥の賦」(『文選』巻一三)を著した。

李商隠「賈生」 李商隠:紀頌之の漢詩ブログ李商隠特集 64 参照

贈劉司戸蕡  李商隠

哭劉蕡  李商隠 :紀頌之の漢詩ブログ李商隠特集 36 

寄令狐郎中 李商隠 :紀頌之の漢詩ブログ李商隠特集 37 

杜司勲  李商隠 :紀頌之の漢詩ブログ李商隠特集 38

哭劉司戸二首 其一 李商隠 :紀頌之の漢詩ブログ李商隠特集 39 

哭劉司戸二首其二 李商隠:紀頌之の漢詩ブログ李商隠特集 40

潭州 李商隠 :紀頌之の漢詩ブログ李商隠特集 41


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陪杜侍御遊湘西兩寺獨宿有題一首,因獻楊常侍(2) 韓退之(韓愈)詩<55-#2>Ⅱ中唐詩352 紀頌之の漢詩ブログ1135

陪杜侍御遊湘西兩寺獨宿有題一首,因獻楊常侍(2) 韓退之(韓愈)詩<55-#2>Ⅱ中唐詩352 紀頌之の漢詩ブログ1135

#2
是時秋之殘,暑氣尚未斂。
時はすでに秋から冬への秋の終わりになっている、それなのに暑気はなお収まらないのである。
群行忘後先,朋息棄拘檢。
一行はあとさき忘れて群がり歩んでいる、休みもいっしょにとりながら他人行儀なところがないのである。
客堂喜空涼,華榻有清簟。
到着した客殿がカラリと涼しいのがとてもうれしい、そして美しい長椅子にすがすがしい竹簟さえしつらえてあるのだ。
澗蔬煮蒿芹,水果剝菱芡。
渓流でとれたかおりゆかしいヨモギやセリの精進料理があり、清涼の果物には菱やミズブキの実が割いていれてある。
伊餘夙所慕,陪賞亦雲忝。
これこそわたしがずっと前から望んだことなのだ、案内してくれる方が また実に良い人でありがたい。

#2

是の時 秋の残【おわり】なるも、暑気【しょき】尚 未だ斂【おさ】まらず。
羣行【ぐんこう】して後先【こうせん】を忘れ、朋に息【いこ】ふに拘檢【こうけん】を棄つ。
客堂【かくどう】に空涼【くうりょう】を喜び、華榻【かとう】に清簟【せいてん】有り。
澗疏【かんそ】嵩芹【こうきん】を煮、水果【すいか】菱芡【りょうけん】を剥【さ】く。
伊【こ】れ余【わ】が夙【つと】に慕ふ所、陪賞【ばいしょう】亦た云【ここ】に忝【かたじけ】なし。


現代語訳と訳註
(本文)

是時秋之殘,暑氣尚未斂。羣行忘後先,朋息棄拘檢。
客堂喜空涼,華榻有清簟。澗蔬煮蒿芹,水果剝菱芡。
伊餘夙所慕,陪賞亦雲忝。


(下し文)#2
是の時 秋の残【おわり】なるも、暑気【しょき】尚 未だ斂【おさ】まらず。
羣行【ぐんこう】して後先【こうせん】を忘れ、朋に息【いこ】ふに拘檢【こうけん】を棄つ。
客堂【かくどう】に空涼【くうりょう】を喜び、華榻【かとう】に清簟【せいてん】有り。
澗疏【かんそ】嵩芹【こうきん】を煮、水果【すいか】菱芡【りょうけん】を剥【さ】く。
伊【こ】れ余【わ】が夙【つと】に慕ふ所、陪賞【ばいしょう】亦た云【ここ】に忝【かたじけ】なし。


 (現代語訳)
時はすでに秋から冬への秋の終わりになっている、それなのに暑気はなお収まらないのである。
一行はあとさき忘れて群がり歩んでいる、休みもいっしょにとりながら他人行儀なところがないのである。
到着した客殿がカラリと涼しいのがとてもうれしい、そして美しい長椅子にすがすがしい竹簟さえしつらえてあるのだ。
渓流でとれたかおりゆかしいヨモギやセリの精進料理があり、清涼の果物には菱やミズブキの実が割いていれてある。
これこそわたしがずっと前から望んだことなのだ、案内してくれる方が また実に良い人でありがたい。


(訳注)
是時秋之殘,暑氣尚未斂。
時はすでに秋から冬への秋の終わりになっている、それなのに暑気はなお収まらないのである。
秋之残 残はそこないやぶれてわずかにのこるという意味で、おわりに近いこと。秋の終わり。
・斂 暑さが収斂していくこと。
 

羣行忘後先,朋息棄拘檢。
一行はあとさき忘れて群がり歩んでいる、休みもいっしょにとりながら他人行儀なところがないのである。
羣行忘後先 軍は群と同じ。むれ立ってゆき、主客、あとさきなどを忘れる。○朋恩棄拘検 いっしょに休んで、客は休んでも、主人は休んでほならないなどいった他人行儀なことはしない。


客堂喜空涼,華榻有清簟。
到着した客殿がカラリと涼しいのがとてもうれしい、そして美しい長椅子にすがすがしい竹簟さえしつらえてあるのだ。
空涼 人気がなく掠しい。涼は俗字。・華榻 美しい長椅子。ベッドとして使用することもある。・清簟 すがすがしい竹むしろ。韓愈は、でっぷりと肥えた人で、暑がりやの汗かきだった。少し親しい人だと、訪ねていった早々に、竹むしろと枕を出させて、ねそべった、というエピソードが残っている鄭羣贈簟 #1 Ⅱ韓退之(韓愈)詩307 紀頌之の漢詩ブログ998寺の客殿にはいって、まず華榻清簟をうたうところ、いかにもかれらしい。この時も、おそらく、杜侍御などほったらかしにして、大好きな簟にごろりと寝ころんだことだろうと思う。


澗蔬煮蒿芹,水果剝菱芡。
渓流でとれたかおりゆかしいヨモギやセリの精進料理があり、清涼の果物には菱やミズブキの実が割いていれてある。
澗疏 谷間でとれた蔬菜。・蒿芹 ヨモギとセリ。・菱芡 ヒシとミズブキ。


伊餘夙所慕,陪賞亦雲忝。
これこそわたしがずっと前から望んだことなのだ、案内してくれる方が また実に良い人でありがたい。
陪賞 案内してくれる方がいること。お供して鑑賞させてもらう。



陪杜侍御遊湘西兩寺獨宿有題一首,因獻楊常侍(杜侍御に陪して湘西両寺に遊び独り宿って一首題あり。因って楊常侍に献ず。)
#1 
長沙千里平,勝地猶在險。

況當江闊處,鬥起勢匪漸。

深林高玲瓏,青山上琬琰。

路窮臺殿辟,佛事煥且儼。

剖竹走泉源,開廊架崖广。
長沙 千里 平かなれど、勝地【しょうち】は猶は険に在り。
況んや 江の闊【ひろ】き処に当たって、鬥起【とき】すること勢の漸【ぜん】に匪【あら】ざるをや。
深林 高くして 玲瓏【れいろう】たり、青山 上に 琬琰【えんえん】たり。
路 窮まって 台殿【だいでん】聞け、仏事【ぶつじ】 煥【かん】として且つ儼【げん】なり。
竹を剖【さ】いて泉源【せんげん】を走らせ、廊を開いて崖广【がいげん】に架く。
#2 
是時秋之殘,暑氣尚未斂。

群行忘後先,朋息棄拘檢。

客堂喜空涼,華榻有清簟。

澗蔬煮蒿芹,水果剝菱芡。

伊餘夙所慕,陪賞亦雲忝。
是の時 秋の残【おわり】なるも、暑気【しょき】尚 未だ斂【おさ】まらず。
羣行【ぐんこう】して後先【こうせん】を忘れ、朋に息【いこ】ふに拘檢【こうけん】を棄つ。
客堂【かくどう】に空涼【くうりょう】を喜び、華榻【かとう】に清簟【せいてん】有り。
澗疏【かんそ】嵩芹【こうきん】を煮、水果【すいか】菱芡【りょうけん】を剥【さ】く。
伊【こ】れ余【わ】が夙【つと】に慕ふ所、陪賞【ばいしょう】亦た云【ここ】に忝【かたじけ】なし。
#3 
幸逢車馬歸,獨宿門不掩。

山樓黑無月,漁火燦星點。

夜風一何喧,杉檜屢磨颭。

猶疑在波濤,怵惕夢成魘。

靜思屈原沈,遠憶賈誼貶。
幸に軍馬の帰るに逢ひ、濁り宿って 門 掩【おお】はず
山楼【さんろう】 黒くして 月無く、漁火【ぎょか】 燦【さん】として 星のごとく點ず。
夜風 一に何ぞ喧【かまびす】しき、杉檜【さんかい】 屡【しばし】ば磨颭【ません】す。
猶は疑ふらくは波涛【はとう】に在るがごとく、怵惕【じゅつてき】して 夢 魘【えん】を成す。
静に屈原の沈みしを思い、遠く賈誼【かぎ】の貶【へん】せられしを憶ふ。
#4 
椒蘭爭妒忌,絳灌共讒諂。

誰令悲生腸,坐使淚盈臉。

翻飛乏羽翼,指摘困瑕玷。

珥貂藩維重,政化類分陝。

禮賢道何優,奉己事苦儉。

椒蘭【しょうらん】 爭ひて妒忌【とき】し、絳灌【こうかん】 共に讒諂【ざんてん】す。
誰か悲をして腸に生ぜしめ、坐【そぞろ】に涙をして臉【ほほ】に盈【み】てしむる。
翻飛【はんひ】せむとするも羽翼【うよく】に乏しく、指摘【してき】して瑕玷【かてん】に困【くるし】めらる。
貂【ちょう】を珥【さしはさ】んで藩維【はんい】重く、政化は陝【せん】を分ちしに類【に】たり。
賢を礼して 道 何ぞ優【ゆう】なる、己【おのれ】を奉ずるに 事 苦【はなは】だ倹【けん】なり。
#5 
大廈棟方隆,巨川楫行剡。

經營誠少暇,遊宴固已歉。

旅程愧淹留,徂
嗟荏苒。

平生每多感,柔翰遇頻染。

輾轉嶺猿鳴,曙燈青睒睒。
大廈【たいか】棟 方【まさ】に隆【たか】く、巨川【きょせん】楫【かじ】行く削【けず】る。
経営【けいえい】して誠に暇【いとま】少く、遊宴【ゆうえん】は固【もと】より己【すで】に歉【あきた】りず。
旅程【りょてい】 淹留【えんりゅう】を愧【は】ぢ、徂
【そさい】 荏苒【じんぜん】を嗟【さ】す
平生【へいぜい】毎【つね】に感ずること多く、柔翰【じゅうかん】遇【たまた】ま頻【しきり】に染む。

陪杜侍御遊湘西兩寺獨宿有題一首,因獻楊常侍(1) 韓退之(韓愈)詩<55-#1>Ⅱ中唐詩351 紀頌之の漢詩ブログ1132

陪杜侍御遊湘西兩寺獨宿有題一首,因獻楊常侍(1) 韓退之(韓愈)詩<55-#1>Ⅱ中唐詩351 紀頌之の漢詩ブログ1132

805年 貞元二十一年、順宗の即位で、韓愈は大赦にあい、夏の終わりごろ陽山をたち、友人の張署がいる郴州にゆき、新任の命令を待った。ふたりは、もう一人の友李方叔とともに、同じとき監察御史から左遷され、ともに南方僻地の県令となっていた。このたびの異動では、韓愈と張署のふたりが、共に、江陵府の法曹参軍事となった。正式の任命書をうけとると、韓愈は任地に向かい、途中、衡山に立ち寄り『謁衡獄廟遂宿獄寺題門樓』「衡嶽廟に閲し、遂に嶽寺に宿り、門樓に題す」、『岣嶁山』「岣嶁の山」、『別盈上人』「盈上人に別る」、『祝融峰』「祝融の峰」などの詩をつくった。

さらに北上して、潭州、いまの湖南省長沙市に入り、その地方の長官である湖南観察使の楊憑をたずね、その部下の侍御史の社某の案内で湘西寺に遊び『陪杜侍御遊湘西兩寺獨宿有題一首』「杜侍御に陪して湘西両寺に游び独宿し、一首題あり、因って楊常侍に献ず」をつくったのがこの詩である。

805年 この年は、中央では、順宗が即位し、王叔文党が政権をにぎり、まもなく皇太子が摂政となり、王叔文が追放され、順宗が譲位し、皇太子が即位し、永貞と改元した実に慌ただしい年で朝廷内の大混乱の杜詩であったとされる。その永貞元年も、韓愈が江陵に到着してまもなくおわる。新しい年をむかえ、新帝憲宗は、元号を「元和」と改めた。

岳陽樓003

陪杜侍御遊湘西兩寺獨宿有題一首,因獻楊常侍
地方の長官である湖南観察使の楊憑をたずね、その部下の侍御史の社某の案内で湘西寺に遊び独り宿して一首を作った。これに因んで揚憑常侍に献上する。
長沙千里平,勝地猶在險。
長沙は「一望千里の大平原」であるが、その景勝の地はやはり険岨に存在するのである。
況當江闊處,鬥起勢匪漸。
ましてや湘江は大きく広がり、下流では洞庭湖に濯ぐあたりは一望千里になる所である。上流の景勝地では両岸にぬっと門のようがけがに立つ、急流があり、段々急になる形状ではない。
深林高玲瓏,青山上琬琰。
緑深い林がありその間に玉のように光りかがやく水の滝があざやかに高いところにある。その木々の絨毯上には青くかすんだ山が、美女が横たわっているようにうねっている。
路窮臺殿辟,佛事煥且儼。
路登って窮まったところにふいに楼台や仏殿がひらけている。その仏殿のかざりや設備は荘厳のきらめきと美しいのである。
剖竹走泉源,開廊架崖广。
竹を剖いた懸樋は泉の水を走らせている。廊下が開けて崖のところまでつきでたように屋形にかかっている。
#2
是時秋之殘,暑氣尚未斂。羣行忘後先,朋息棄拘檢。
客堂喜空涼,華榻有清簟。澗蔬煮蒿芹,水果剝菱芡。
伊餘夙所慕,陪賞亦雲忝。
#3
幸逢車馬歸,獨宿門不掩。山樓黑無月,漁火燦星點。
夜風一何喧,杉檜屢磨颭。猶疑在波濤,怵惕夢成魘。
靜思屈原沈,遠憶賈誼貶。
#4
椒蘭爭妒忌,絳灌共讒諂。誰令悲生腸,坐使淚盈臉。
翻飛乏羽翼,指摘困瑕玷。珥貂藩維重,政化類分陝。
禮賢道何優,奉己事苦儉。
#5
大廈棟方隆,巨川楫行剡。經營誠少暇,遊宴固已歉。
旅程愧淹留,徂歲嗟荏苒。平生每多感,柔翰遇頻染。
輾轉嶺猿鳴,曙燈青睒睒。





現代語訳と訳註
(本文)
長沙千里平,勝地猶在險。況當江闊處,鬥起勢匪漸。
深林高玲瓏,青山上琬琰。路窮臺殿辟,佛事煥且儼。
剖竹走泉源,開廊架崖广。

(下し文)#1
(杜侍御に陪して湘西両寺に遊び独り宿って一首題あり。因って楊常侍に献ず。)
長沙 千里 平かなれど、勝地【しょうち】は猶は険に在り。
況んや 江の闊【ひろ】き処に当たって、鬥起【とき】すること勢の漸【ぜん】に匪【あら】ざるをや。
深林 高くして 玲瓏【れいろう】たり、青山 上に 琬琰【えんえん】たり。
路 窮まって 台殿【だいでん】聞け、仏事【ぶつじ】 煥【かん】として且つ儼【げん】なり。
竹を剖【さ】いて泉源【せんげん】を走らせ、廊を開いて崖广【がいげん】に架く。


(現代語訳)
地方の長官である湖南観察使の楊憑をたずね、その部下の侍御史の社某の案内で湘西寺に遊び独り宿して一首を作った。これに因んで揚憑常侍に献上する。
長沙は「一望千里の大平原」であるが、その景勝の地はやはり険岨に存在するのである。
ましてや湘江は大きく広がり、下流では洞庭湖に濯ぐあたりは一望千里になる所である。上流の景勝地では両岸にぬっと門のようがけがに立つ、急流があり、段々急になる形状ではない。
緑深い林がありその間に玉のように光りかがやく水の滝があざやかに高いところにある。その木々の絨毯上には青くかすんだ山が、美女が横たわっているようにうねっている。
路登って窮まったところにふいに楼台や仏殿がひらけている。その仏殿のかざりや設備は荘厳のきらめきと美しいのである。
竹を剖いた懸樋は泉の水を走らせている。廊下が開けて崖のところまでつきでたように屋形にかかっている。


(訳注)
・陪杜侍御瀞湘丙両寺独宿有越因献物常侍 
楊常侍は揚憑で官は左散騎常侍、湖南江西観察任であった。


長沙千里平,勝地猶在險。
長沙は「一望千里の大平原・湿原」であるが、その景勝の地はやはり険岨に存在するのである。
・長沙 湖南省の中心。長沙の名は早くも『逸周書』に見え、春秋戦国時代には楚国に属し、成王のとき黔中郡が置かれたことに始まる。秦代に秦36郡のひとつとして長沙郡が設置されている。漢代初には呉芮を封じて臨湘県を都とする長沙王国が設置され、5代46年間続いた。長沙王国の相である軑侯利蒼一族の墓所として有名な馬王堆漢墓を今に伝える。隋唐代から清末にかけて潭州の中心として発展。・平 「一望千里の大平原・湿原」当時、雨季には、洞庭湖の面積が10倍になるという。


況當江闊處,鬥起勢匪漸。
ましてや湘江は大きく広がり、下流では洞庭湖に濯ぐあたりは一望千里になる所である。上流の景勝地では両岸にぬっと門のようがけがに立つ、急流があり、段々急になる形状ではない。
・江 湘江、湘水(しょうすい)は、湖南省最大の川で、洞庭湖に注ぐ長江右岸の支流である。長さは856km。・斗起 角だって鋭く突き起こる。
・勢匪漸 だんだん高まる状勢ではない。段々急になる形状ではない。


深林高玲瓏,青山上琬琰。
緑深い林がありその間に玉のように光りかがやく水の滝があざやかに高いところにある。その木々の絨毯上には青くかすんだ山が、美女が横たわっているようにうねっている。
・玲瓏 玉のように光りかがやくさま。木々の間に他気が珠と輝く水を吐き出す。この文字にはすきとおる感覚があるので滝を宝飾と見立てる。
・上琬琰 琬琰は女性の美しい肢体をあらわす語である。緑の木々が絨毯や寝床をあらわしその上に薄着根を羽織ったような青くかすんだ山が美女が横たわっているようにあるという景色である。【前漢•司馬相如傳】鼂采琬琰。 【註】琬琰,美玉名。又人名。」楚辭.屈原.遠遊:「吸飛泉之微液兮,懷琬琰之華英。」


路窮臺殿辟,佛事煥且儼。
路登って窮まったところにふいに楼台や仏殿がひらけている。その仏殿のかざりや設備は荘厳のきらめきと美しいのである。
・仏事 仏殿のかざりや設備。・煥且儼 てりかがやき、美しい。


剖竹走泉源,開廊架崖广。
竹を剖いた懸樋は泉の水を走らせている。廊下が開けて崖のところまでつきでたように屋形にかかっている。
・開廊架崖广 廻廊が開け延び、その先に崖に突き出たような家がある、というほどの意味である。山岳仏教の寺院、道教の寺観はほとんどそうである。雪舟の山水画に出てくる仏寺の姿に、この句を思わせるようなのがある。广は一方ががけのところに造られた家。



陪杜侍御遊湘西兩寺獨宿有題一首,因獻楊常侍(杜侍御に陪して湘西両寺に遊び独り宿って一首題あり。因って楊常侍に献ず。)
#1 
長沙千里平,勝地猶在險。

況當江闊處,鬥起勢匪漸。

深林高玲瓏,青山上琬琰。

路窮臺殿辟,佛事煥且儼。

剖竹走泉源,開廊架崖广。
長沙 千里 平かなれど、勝地【しょうち】は猶は険に在り。
況んや 江の闊【ひろ】き処に当たって、鬥起【とき】すること勢の漸【ぜん】に匪【あら】ざるをや。
深林 高くして 玲瓏【れいろう】たり、青山 上に 琬琰【えんえん】たり。
路 窮まって 台殿【だいでん】聞け、仏事【ぶつじ】 煥【かん】として且つ儼【げん】なり。
竹を剖【さ】いて泉源【せんげん】を走らせ、廊を開いて崖广【がいげん】に架く。
#2 
是時秋之殘,暑氣尚未斂。

群行忘後先,朋息棄拘檢。

客堂喜空涼,華榻有清簟。

澗蔬煮蒿芹,水果剝菱芡。

伊餘夙所慕,陪賞亦雲忝。
是の時 秋の残【おわり】なるも、暑気【しょき】尚 未だ斂【おさ】まらず。
羣行【ぐんこう】して後先【こうせん】を忘れ、朋に息【いこ】ふに拘檢【こうけん】を棄つ。
客堂【かくどう】に空涼【くうりょう】を喜び、華榻【かとう】に清簟【せいてん】有り。
澗疏【かんそ】嵩芹【こうきん】を煮、水果【すいか】菱芡【りょうけん】を剥【さ】く。
伊【こ】れ余【わ】が夙【つと】に慕ふ所、陪賞【ばいしょう】亦た云【ここ】に忝【かたじけ】なし。
#3 
幸逢車馬歸,獨宿門不掩。

山樓黑無月,漁火燦星點。

夜風一何喧,杉檜屢磨颭。

猶疑在波濤,怵惕夢成魘。

靜思屈原沈,遠憶賈誼貶。
幸に軍馬の帰るに逢ひ、濁り宿って 門 掩【おお】はず
山楼【さんろう】 黒くして 月無く、漁火【ぎょか】 燦【さん】として 星のごとく點ず。
夜風 一に何ぞ喧【かまびす】しき、杉檜【さんかい】 屡【しばし】ば磨颭【ません】す。
猶は疑ふらくは波涛【はとう】に在るがごとく、怵惕【じゅつてき】して 夢 魘【えん】を成す。
静に屈原の沈みしを思い、遠く賈誼【かぎ】の貶【へん】せられしを憶ふ。
#4 
椒蘭爭妒忌,絳灌共讒諂。

誰令悲生腸,坐使淚盈臉。

翻飛乏羽翼,指摘困瑕玷。

珥貂藩維重,政化類分陝。

禮賢道何優,奉己事苦儉。

椒蘭【しょうらん】 爭ひて妒忌【とき】し、絳灌【こうかん】 共に讒諂【ざんてん】す。
誰か悲をして腸に生ぜしめ、坐【そぞろ】に涙をして臉【ほほ】に盈【み】てしむる。
翻飛【はんひ】せむとするも羽翼【うよく】に乏しく、指摘【してき】して瑕玷【かてん】に困【くるし】めらる。
貂【ちょう】を珥【さしはさ】んで藩維【はんい】重く、政化は陝【せん】を分ちしに類【に】たり。
賢を礼して 道 何ぞ優【ゆう】なる、己【おのれ】を奉ずるに 事 苦【はなは】だ倹【けん】なり。
#5 
大廈棟方隆,巨川楫行剡。

經營誠少暇,遊宴固已歉。

旅程愧淹留,徂
嗟荏苒。

平生每多感,柔翰遇頻染。

輾轉嶺猿鳴,曙燈青睒睒。
大廈【たいか】棟 方【まさ】に隆【たか】く、巨川【きょせん】楫【かじ】行く削【けず】る。
経営【けいえい】して誠に暇【いとま】少く、遊宴【ゆうえん】は固【もと】より己【すで】に歉【あきた】りず。
旅程【りょてい】 淹留【えんりゅう】を愧【は】ぢ、徂
【そさい】 荏苒【じんぜん】を嗟【さ】す
平生【へいぜい】毎【つね】に感ずること多く、柔翰【じゅうかん】遇【たまた】ま頻【しきり】に染む。

祝融峰 韓退之(韓愈)詩<54>Ⅱ中唐詩350 紀頌之の漢詩ブログ1129

祝融峰 韓退之(韓愈)詩<54>Ⅱ中唐詩350 紀頌之の漢詩ブログ1129


この詩は805年夏、陽山の県令を解かれ、陽山を出発し、郴州で次の赴任地の命を待った8月江陵府法曹参軍事の命を受け江陵へ向か際、五嶽の衡山にたちよったものである。韓愈は、王涯たち「三学士」に運動してもらって都へ召還されようとしたのだが、三人がはたして口をきいてくれたのか、きいてはくれたが効果がなかったのか、確実なことはわからないが、とにかく韓愈たちは都へ呼びもどしてはもらえなかった。


祝融峰
禅の玄関である祝融峰
曾到祝融峰頂上, 歩隨明月宿禅関。
先日、衡山の一絶で峰は群山を繞らし,その中心の独尊の位置にある祝融峰の高きところに登った。歩くに任せて進むと下界の月は盡きてもここはまだ清光低からずという明月を見るそして、「玄妙なる関所、真理への関門」であるこの寺に宿をした。
夜深一陣打窓雨, 臥聴風雷在半山。
夜が更けてきて、風雨がひとしきり激しく吹き降りし、雨は窓をはげしくたたいた、横になったままで山の中腹のところにあって風穴雷池・陰風怒号を聞いたのだ。

祝融峰
曾て祝融峰の頂上に到り, 歩隨して明月し、禅関に宿す。
夜深して一陣 雨に窓を打つ, 臥して聴く風雷 半山に在り。



現代語訳と訳註
(本文)
祝融峰
曾到祝融峰頂上, 歩隨明月宿禅関。
夜深一陣打窓雨, 臥聴風雷在半山。


(下し文)
祝融峰
曾て祝融峰の頂上に到り, 歩隨して明月し、禅関に宿す。
夜深して一陣 雨に窓を打つ, 臥して聴く風雷 半山に在り。


(現代語訳)
禅の玄関である祝融峰
先日、衡山の一絶で峰は群山を繞らし,その中心の独尊の位置にある祝融峰の高きところに登った。歩くに任せて進むと下界の月は盡きてもここはまだ清光低からずという明月を見るそして、「玄妙なる関所、真理への関門」であるこの寺に宿をした。
夜が更けてきて、風雨がひとしきり激しく吹き降りし、雨は窓をはげしくたたいた、横になったままで山の中腹のところにあって風穴雷池・陰風怒号を聞いたのだ。

(訳注)
祝融峰
禅の玄関である祝融峰
祝融峰 海拔1290米で,衡山の最高峰であり,古代帝王三皇の一の祝融が曾てここに栖息奏楽し,死後もこの地に葬ったので,この名があると伝わる。祝融峰の高きことは衡山の一絶である。峰は群山を繞らし,その中心の“独尊”の位置にある。
風穴雷池・甘泉と涌流・洞穴
山高く風強きがゆえに,“草木は堅痩”で,蒼松は低矮である。峰頂には祝融殿があり,その旁には望月台や,風穴雷池がある。風穴は“雨の降らんとするや陰風怒号する(毎雨將作,陰風怒号,自其穴而発)”。雷池は古人の禱雨の場所であり,旁には甘泉が涌流する。峰下には羅漢洞、舍身崖、会仙橋などの景観点がある。
<頂上>峰頂の気象は変化に富み,“煙靄未だ盡きず澄徹”なる時,“四望すれば渺然として極るところを知らず”,“大海の只中にいる”が如くである。
<月>月明く星稀なる夜には,月西に沈み“下界の月は盡きても ,ここはまだ清光低からず(人間朗魄巳皆盡 ,此地清光猶未低)”(孫應鰲)の趣きがある。
<日>日の出に至っては,尚更に多くの登山者の感動するところである。古くから,多くの文人雅士が雲集し詩篇を残している。



曾到祝融峰頂上, 歩隨明月宿禅関。
先日、衡山の一絶で峰は群山を繞らし,その中心の独尊の位置にある祝融峰の高きところに登った。歩くに任せて進むと下界の月は盡きてもここはまだ清光低からずという明月を見るそして、「玄妙なる関所、真理への関門」であるこの寺に宿をした。
明月 月明く星稀なる夜には,月西に沈み“下界の月は盡きても ,ここはまだ清光低からず(人間朗魄巳皆盡 ,此地清光猶未低)”(孫應鰲:1584年沒明代の学者)の趣きがある。・禅関 関は禅語で玄関の関 「禅関」とは「玄妙なる関所、真理への関門」という意味である。


夜深一陣打窓雨, 臥聴風雷在半山。
夜が更けてきて、風雨がひとしきり激しく吹き降りし、雨は窓をはげしくたたいた、横になったままで山の中腹のところにあって風穴雷池・陰風怒号を聞いたのだ。
一陣 風や雨がひとしきり激しく吹いたり降ったりすること。山高く風強きがゆえに,“草木は堅痩”で,蒼松は低矮である。峰頂には祝融殿があり,その旁には望月台や,風穴雷池がある。風穴は“雨の降らんとするや陰風怒号する(毎雨將作,陰風怒号,自其穴而発)”。雷池は古人の禱雨の場所であり,旁には甘泉が涌流する。峰下には羅漢洞、舍身崖、会仙橋などの景観点がある。




衡山は,また岣嶁山あるいは虎山とも呼ばれ,その俊秀をもって天下に聞こえ,“五岳の独秀”との誉れが高い。その位置は湖南省衡山県の西である。旧志では現在の岳麓山や石鼓山をも衡山に含めており,“回雁(峰)を首とし,岳麓を足”として,“周回八百里”と謂う。東南に湘江を俯瞰し,江上に舟を泛べてここを過れば,“帆は湘水に隨って転じ, 処処に衡山を見”,湘水は山下を巡り,五折して北へ去る。魏源は《衡岳吟》の中で五岳の雄姿を比較してこのように描写した:“恒山は行くが如く,岱山は坐るが如く,華山は立つが如く,嵩山は臥すが如く,ただ南岳は独り朱雀の飛ぶが如く垂雲大なり”。南岳の山形は朱雀の如く,山間を繞る煙雲は飄動して止まらず,72峰は真に太空を翱翔する神鳥のようである。

別盈上人 韓退之(韓愈)詩<53>Ⅱ中唐詩349 紀頌之の漢詩ブログ1126

別盈上人 韓退之(韓愈)詩<53>Ⅱ中唐詩349 紀頌之の漢詩ブログ1126
805年順宗永貞元年 七言絕句


別盈上人
盈上人と別れる
山僧愛山出無期,俗士牽俗來何時。
この山で修行の僧侶は山を愛でており、この山を出る約束時などは有りはしない、わたしなど世俗の士であるため、世俗にひかれているのでいつかまた来るということなのだ。
祝融峰下一回首,即是此生長別離。

祝融峯のすその野ほとりをひと度振り返り、みわたしてみたのである、この山の世界はこの人の世とは永久の別れということなのだ。

盈上人に別る
山僧 山を愛して出づるに期無し,俗士は俗に牽かる 来ること何れの時ならむ。
祝融峰 下に一たび首を廻さば,即ち是れ 比の生の長き別離なり。



現代語訳と訳註
(本文)
別盈上人
山僧愛山出無期,俗士牽俗來何時。
祝融峰下一回首,即是此生長別離。


(下し文) 盈上人に別る
山僧 山を愛して出づるに期無し,俗士は俗に牽かる 来ること何れの時ならむ。
祝融峰 下に一たび首を廻さば,即ち是れ 比の生の長き別離なり。


(現代語訳)
盈上人と別れる
この山で修行の僧侶は山を愛でており、この山を出る約束時などは有りはしない、わたしなど世俗の士であるため、世俗にひかれているのでいつかまた来るということなのだ。
祝融峯のすその野ほとりをひと度振り返り、みわたしてみたのである、この山の世界はこの人の世とは永久の別れということなのだ。


(訳注)
別盈上人

盈上人と別れる
・別盈上人 民本巻九。衡山で韓危がとまった寺にいる僧におくった詩。この僧は同じ寺の希操上人の弟子の誠盈という人だろうといわれ、般若経読誦の功をつんだ高徳の僧だったらしい。
盈上人,即誡盈律師,時居衡山中院
柳宗元『衡山中院大律師塔銘』
「誡盈,蓋衡山中院大律師希操之弟子也。」夫佛門號律師者,率以輕重等持,守戒精嚴著稱

韓愈が五嶺山脈の南、陽山に流刑されて2年,805年順宗の永貞元年,大赦され,陽山から帰る時、衡山、湘州に立ち寄った。赴任先が決まらず、報せを待つ間、衡嶽廟に拝謁、嶽寺にしゅくはくした。
韓愈『謁衡嶽廟遂宿嶽寺題門樓』盈師の所で作ったものである。


山僧愛山出無期,俗士牽俗來何時。
この山で修行の僧侶は山を愛でており、この山を出る約束時などは有りはしない、わたしなど世俗の士であるため、世俗にひかれているのでいつかまた来るということなのだ。
出無期 山を出る時などはなさそうだ、というほどの意。・俗士 相手が僧だから、自分のことをこう謙称している。・牽俗 世俗のことに牽制せられる。宋玉の「招魂」に「俗に牽かれて蕪猿たり」という語が見える。
韓愈が僧に贈った詩としては珍しく素直な作品だ。盈上人がそれだけすぐれた僧だったのだろう.


祝融峰下一回首,即是此生長別離。
祝融峯のすその野ほとりをひと度振り返り、みわたしてみたのである、この山の世界はこの人の世とは永久の別れということなのだ。
祝融峰 海拔1290米で,衡山の最高峰であり,古代帝王三皇の一の祝融が曾てここに栖息奏楽し,死後もこの地に葬ったので,この名があると伝わる。祝融峰の高きことは衡山の一絶である。峰は群山を繞らし,その中心の“独尊”の位置にある。山高く風強きがゆえに,“草木は堅痩”で,蒼松は低矮である。峰頂には祝融殿があり,その旁には望月台や,風穴雷池がある。風穴は“雨の降らんとするや陰風怒号する(毎雨將作,陰風怒号,自其穴而発)”。雷池は古人の禱雨の場所であり,旁には甘泉が涌流する。峰下には羅漢洞、舍身崖、会仙橋などの景観点がある。峰頂の気象は変化に富み,“煙靄未だ盡きず澄徹”なる時,“四望すれば渺然として極るところを知らず”,“大海の只中にいる”が如くである。月明く星稀なる夜には,月西に沈み“下界の月は盡きても ,ここはまだ清光低からず(人間朗魄巳皆盡 ,此地清光猶未低)”(孫應鰲)の趣きがある。日の出に至っては,尚更に多くの登山者の感動するところである。古くから,多くの文人雅士が雲集し詩篇を残している。

岣嶁山 韓退之(韓愈)詩<52>Ⅱ中唐詩348 紀頌之の漢詩ブログ1123

岣嶁山 韓退之(韓愈)詩<52>Ⅱ中唐詩348 紀頌之の漢詩ブログ1123

岣嶁山
岣嶁山尖神禹碑,字青石赤形模奇。
岣嶁山の鋭く尖った頂に古代の聖王禹の碑がある、文字は青色で、石は赤く、形は奇抜なものなのだ。
蝌蚪拳身薤倒披,鸞飄鳳泊拿虎螭。
それはおたまじゃくしが身をかがめ、らっきょうが 逆さにぶら下がったようなかたちであり、鸞が飛び 、鳳がそれの泊まって、虎と螭がつかみ合うように見えるという。
事嚴跡秘鬼莫窺,道人獨上偶見之,我來咨嗟涕漣洏。
事実は厳粛なものであり、形跡は秘密なものである、 だから鬼神にさえも窺知を許さないというものなのだ。それは、道敦の修行者がなんとかひとり上ることできて偶然これを発見したそうだ。我々もここにやって来たがなげいてしまい、涙がしとどに流れて止まらないのだ。
千搜萬索何處有,森森綠樹猿猱悲。

干遍探し、万遍も探索したのだが、いったい何処にあるというのか、ただそこでは、森森とした静かな緑樹の林に猿と猱共が、悲しく泣いているだけなのだ。


岣嶁山【こうろうさん】 尖【せん】の神禹の碑、字 青く 石 赤く 形慕【けいも】 奇に。
蝌蚪【かと】 身を拳【かが】め 薤【かい】 倒【さかさま】に披【ひら】き、鸞【らん】 飄【ただよ】ひ 鳳 泊って 虎と螭【みずち】とを拿【つか】む。
事 嚴【げん】に 跡 秘【ひ】にして 鬼【き】も窺【うあたが】ふ莫し、道人【どうじん】 獨り上って 偶【たまた】ま之を見き と、我 來って咨嗟【しさ】し 涕【なみだ】 漣洏【れんじ】たり。
干搜【せんそう】萬索【ばんさく】するも 何れの處にか有り、森森【しんしん】たる緑樹【りょくじゅ】に 猿猱【えんどう】の悲めるのみ。


現代語訳と訳註
(本文)
岣嶁山
岣嶁山尖神禹碑,字青石赤形模奇。
蝌蚪拳身薤倒披,鸞飄鳳泊拿虎螭。
事嚴跡秘鬼莫窺,道人獨上偶見之,我來咨嗟涕漣洏。
千搜萬索何處有,森森綠樹猿猱悲。

(下し文)岣嶁山
岣嶁山【こうろうさん】 尖【せん】の神禹の碑、字 青く 石 赤く 形慕【けいも】 奇に。
蝌蚪【かと】 身を拳【かが】め 薤【かい】 倒【さかさま】に披【ひら】き、鸞【らん】 飄【ただよ】ひ 鳳 泊って 虎と螭【みずち】とを拿【つか】む。
事 嚴【げん】に 跡 秘【ひ】にして 鬼【き】も窺【うあたが】ふ莫し、道人【どうじん】 獨り上って 偶【たまた】ま之を見き と、我 來って咨嗟【しさ】し 涕【なみだ】 漣洏【れんじ】たり。
干搜【せんそう】萬索【ばんさく】するも 何れの處にか有り、森森【しんしん】たる緑樹【りょくじゅ】に 猿猱【えんどう】の悲めるのみ。



(現代語訳)
岣嶁山の鋭く尖った頂に古代の聖王禹の碑がある、文字は青色で、石は赤く、形は奇抜なものなのだ。
それはおたまじゃくしが身をかがめ、らっきょうが 逆さにぶら下がったようなかたちであり、鸞が飛び 、鳳がそれの泊まって、虎と螭がつかみ合うように見えるという。
事実は厳粛なものであり、形跡は秘密なものである、 だから鬼神にさえも窺知を許さないというものなのだ。それは、道敦の修行者がなんとかひとり上ることできて偶然これを発見したそうだ。我々もここにやって来たがなげいてしまい、涙がしとどに流れて止まらないのだ。
干遍探し、万遍も探索したのだが、いったい何処にあるというのか、ただそこでは、森森とした静かな緑樹の林に猿と猱共が、悲しく泣いているだけなのだ。


(訳注)岣嶁山
岣嶁山尖神禹碑,字青石赤形模奇。

岣嶁山の鋭く尖った頂に古代の聖王禹の碑がある、文字は青色で、石は赤く、形は奇抜なものなのだ。
岣嶁山 底木巻三。中国,湖南省の中東部,衡山県の西15kmにある山。その南・東・北の3面を湘江がめぐって流れる。隋の文帝(在位581‐604)以後,南岳として尊ばれ五岳の一つとなった。岣嶁山(こうろうざん)とも呼ばれる。周囲約400kmで,花コウ岩より成る断層山脈で,山容は雄大。72峰あり祝融(1290m),天柱,芙蓉,紫蓋,石廩(せきりん)の5峰が有名。山中に南台寺,祝聖寺などの大寺院があり礼拝者が絶えず,天台・禅の名僧が駐錫したという。岣嶁山は衡山の峯の別名で岣も嶁も山の頂という意味だから、これが衡山の主峯だとする説もある。又、別名に虎山ともいう。古代の聖王禹の廟が安置してある。禹が治水事業を完成したとき山壁に功績を刻みつけたという伝説がある。岬嗜碑と名づけ中国最古の碑とされる。


蝌蚪拳身薤倒披,鸞飄鳳泊拿虎螭。
それはおたまじゃくしが身をかがめ、らっきょうが 逆さにぶら下がったようなかたちであり、鸞が飛び 、鳳がそれの泊まって、虎と螭がつかみ合うように見えるという。
蝌蚪 おたまじゃくし。古代の文字に科斗を組み合わせたような形のものがあった。碑の文字のことをいっている。
薤倒披 これも碑の文字の形容。ラッキョウをさかさにひろげたような。・鸞飄鳳泊拿虎螭 碑面全体のようすを形容しているのである。


事嚴跡秘鬼莫窺,道人獨上偶見之,我來咨嗟涕漣洏。
事実は厳粛なものであり、形跡は秘密なものである、 だから鬼神にさえも窺知を許さないというものなのだ。それは、道敦の修行者がなんとかひとり上ることできて偶然これを発見したそうだ。我々もここにやって来たがなげいてしまい、涙がしとどに流れて止まらないのだ。
道人 神仙の道をえたひと、道敦の修行者。仏教の僧、修験者をさしていうこともある。・咨嗟 なげく。・漣洏 涙のしとどに流れるさま。

 
千搜萬索何處有,森森綠樹猿猱悲。
干遍探し、万遍も探索したのだが、いったい何処にあるというのか、ただそこでは、森森とした静かな緑樹の林に猿と猱共が、悲しく泣いているだけなのだ。
猿猱 猿と猱サル ・神禹碑は道教の徒がつくったような伝説におおわれ、しかも道教の徒以外に見たというものがいない。韓愈はその伝説がいつわりであることをあばくため、この山に上った。案の定、碑などはなかったということでこの詩は生まれた。又この衡山を舞台にした詩が以下のものである。

謁衡獄廟遂宿獄寺題門樓 韓退之(韓愈)詩<51-#4>Ⅱ中唐詩347 紀頌之の漢詩ブログ1120

謁衡獄廟遂宿獄寺題門樓 韓退之(韓愈)詩<51-#4>Ⅱ中唐詩347 紀頌之の漢詩ブログ1120


この詩は805年夏、陽山の県令を解かれ、陽山を出発し、郴州で次の赴任地の命を待った8月江陵府法曹参軍事の命を受け江陵へ向か際、五嶽の衡山にたちよったものである。韓愈は、王涯たち「三学士」に運動してもらって都へ召還されようとしたのだが、三人がはたして口をきいてくれたのか、きいてはくれたが効果がなかったのか、確実なことはわからないが、とにかく韓愈たちは都へ呼びもどしてはもらえなかった。呼びもどしてもらえぬ以上、江陵幕府へ赴任するほかはない。



謁衡獄廟遂宿岳寺題門樓
衡嶽廟に拝謁してとうとう衡山にある仏寺の宿坊に宿し、その楼門に題す詩
五嶽祭秩皆三公,四方環鎮嵩當中。
五嶽は祭典序列はみな三公待遇である。天下四方に位置し、嵩山を中心にして天下鎮守するのである。
火維地荒足妖怪,天假神柄專其雄。
赤道に位置するといわれてきたこの地は荒廃し、妖怪どもがあまた棲息した、そして天は衡山に神の権能を賦与し、それらを雄伏させようとされたのだ。
噴雲洩霧藏半腹,雖有絕頂誰能窮。
雲を吹き出し、霧をもらしていて、中腹以上にいくとかくれている。頂上はもとより存在しているといっても、誰が見きわめえたというのか。
我來正逢秋雨節,陰氣晦昧無清風。

私はここへ来て正に秋雨の季節に逢ってしまった。秋雨の陰湿の気、ぶきみに暗いし、ここではすがすがしい風は吹かないのである。

#2
潛心默禱若有應,豈非正直能感通。
そうして、心を静かに潜めるようにして黙祷したら、それに応えてくれたように思われるのだ。それで正直であることが出来ない様でどうしてよく神仏に祈り、悟ことができようか。
須臾靜掃眾峰出,仰見突兀撐青空。
しばらくすると 静かに暗い陰気の雲は掃われて 連峰の山々が姿を現わしている。見あげれば 高く抜きん出て立ち青空をささえていた。
紫蓋連延接天柱,石廩騰擲堆祝融。
衡山七十二峯の紫蓋は連なって延び 天をささえる天柱と接しており、石稟は飛騰し、祝融は淮積岩をあらわにし、衡山四絶景を構成する。
森然魄動下馬拜,松柏一徑趨靈宮。

山は森然として神霊な動きをしており、わたしは馬を下りて拝礼するのである。松柏の間を行く一筋の小径には霊宮にはしり通じている。

#3
粉牆丹柱動光彩,鬼物圖畫填青紅。
白い漆喰の壁と丹塗の柱はきらきらと互いに映えている。鬼神や霊獣が青や紅の絵の具でもり上げて描かれてあった。
升階傴僂薦脯酒,欲以菲薄明其衷。
陵廟の階をのぼってゆき、ぬかずいて、乾肉と酒とを供えた。お粗末かもしれないが、奉謝の誠意をあらわそうと思ったからだ。
廟令老人識神意,睢盱偵伺能鞠躬。
そこの年老いた宮司は神慮をうかがうことができると認識した。つまらぬ人がにこにこと媚びヘつらう顔色を見て身を丸くしてぺこべこお辞儀をする。
手持杯珓導我擲,云此最吉餘難同。
そして貝占をしてみなさいとわたしに二枚の貝殼を 投げさせた。それで卦が出てこのように言ったのだ
「最もよい吉であり、こんな卦はめったに出るものではない」などと。

#4
竄逐蠻荒幸不死,衣食才足甘長終。
野蛮の荒地に鼠逐せられたということであったが 辛くも死のみまぬかれた身である、衣食もなんとかわずかに足りたのであるし、寿命をながらえることになったのであるから、まずよしとせねばならない。
侯王將相望久絕,神縱欲福難為功。
王侯将相のぞむような野心はとっくのむかしに無くなっている、神がたとえ幸福を与えようとなされたのだとしても、これが御利益などとは思われはしない。
夜投佛寺上高閣,星月掩映雲朣朧。
夜になって山中の仏寺を宿とし、そこの高い鐘楼に上ってみた。星や月を覆って光を帯びた薄雲があたりを ぼんやりと照らし始めている。
猿鳴鐘動不知曙,杲杲寒日生於東。
猿が啼き叫ぶそして鐘が鳴るけれど、まだ明け方になってはいないはずである。よく見るとキラキラ冷たく輝く太陽が東方に生まれていて木の上にのぽり切っているのだ。


(衡嶽【こうがく】廟に謁し、遂に嶽寺に宿り、門樓【もんろう】に題す。)
五嶽の祭秩【さいちつ】皆 三公【さんこう】、四方に環【めぐ】り鎮【ちん】して 嵩【すう】は中に當る。
火維【かい】地荒れて 妖怪【ようかい】足【おお】く、天 神柄【しんぺい】を瑕【か】して 其の雄を専にす。
雲を噴き 霧を泄【もら】して 半腹を蔵【ぞう】す、絶頂有りと雖も 誰か能く窮めむ。
我来って 正に 秋雨の節に逢ふ、陰気【いんき】晦昧【かいまい】として 清風無し。
#2
心を潜めて默禱【もくとう】すれば 応【こたえ】有るが若し、豈に 正直なるに非ずんば 能く感通【かんつう】せむや。
須臾【しばらく】して 靜かに掃って 衆峯【しゅうほう】出づ、仰いで見るに 突冗【とつごつ】として 青空を撐【ささ】ヘ。
紫蓋【しがい】連り延びて 天柱に接し、石廩【せきりん】騰擲【とうてき】し 祝融【しゅくゆう】堆し。
森然【しんぜん】として魄【はく】動き 馬を下って拝す、松柏の一徑【いっけい】霊宮【れいきゅう】に趨【おもむ】く。
#3
粉牆【ふんしょう】丹柱【たんちゅう】光彩【こうさい】を勤し、鬼物【きぶつ】の圖畫【とが】青紅【せいこう】を填【うづ】む。
階に升【のぼ】って傴僂【うろう】し 脯酒【ほしゅ】を薦む、菲薄【ひはく】を以て 其の衷を明にせんと欲す。
廟令【びょうれい】の老人 神意【しんい】を識る と、睢盱【いく】偵伺【ていし】して 能く鞠躬【きくきゅう】す。
手に盃珓【はいこう】を持して 我をして擲【なげう】たしむ、云ふ 此れ最も吉にして餘【よ】は同じうし難し と。
#4
蠻荒【ばんこう】に竄逐【ざんちく】せられ 幸に死せざるも、衣食【いしょく】緩【わずか】に足りて長【とこしえ】に 終らんことに甘んず。
侯王【こうおう】將相【しょうそう】たらんとする望は 久しく絶ちたり、神 縦【たと】い福【さいわい】せんと欲すとも 功を錫し難し。
夜 佛寺【ぶつじ】に投じて 高閣に上る、星月 掩映【えんえい】して 雲 朣朧【とうろう】たり。
猿鳴き 鐘動いて 曙を知らず、杲杲【こうこう】たる寒日【かんじつ】東に生ず。


現代語訳と訳註
(本文)
#4
竄逐蠻荒幸不死,衣食才足甘長終。
侯王將相望久絕,神縱欲福難為功。
夜投佛寺上高閣,星月掩映雲朣朧。
猿鳴鐘動不知曙,杲杲寒日生於東。

(下し文) #4
蠻荒【ばんこう】に竄逐【ざんちく】せられ 幸に死せざるも、衣食【いしょく】緩【わずか】に足りて長【とこしえ】に 終らんことに甘んず。
侯王【こうおう】將相【しょうそう】たらんとする望は 久しく絶ちたり、神 縦【たと】い福【さいわい】せんと欲すとも 功を錫し難し。
夜 佛寺【ぶつじ】に投じて 高閣に上る、星月 掩映【えんえい】して 雲 朣朧【とうろう】たり。
猿鳴き 鐘動いて 曙を知らず、杲杲【こうこう】たる寒日【かんじつ】東に生ず。


(現代語訳)
野蛮の荒地に鼠逐せられたということであったが 辛くも死のみまぬかれた身である、衣食もなんとかわずかに足りたのであるし、寿命をながらえることになったのであるから、まずよしとせねばならない。
王侯将相のぞむような野心はとっくのむかしに無くなっている、神がたとえ幸福を与えようとなされたのだとしても、これが御利益などとは思われはしない。
夜になって山中の仏寺を宿とし、そこの高い鐘楼に上ってみた。星や月を覆って光を帯びた薄雲があたりを ぼんやりと照らし始めている。
猿が啼き叫ぶそして鐘が鳴るけれど、まだ明け方になってはいないはずである。よく見るとキラキラ冷たく輝く太陽が東方に生まれていて木の上にのぽり切っているのだ。


(訳注)#4
竄逐蠻荒幸不死,衣食才足甘長終。

蠻荒【ばんこう】に竄逐【ざんちく】せられ 幸に死せざるも、衣食【いしょく】緩【わずか】に足りて長【とこしえ】に 終らんことに甘んず。
野蛮の荒地に鼠逐せられたということであったが 辛くも死のみまぬかれた身である、衣食もなんとかわずかに足りたのであるし、寿命をながらえることになったのであるから、まずよしとせねばならない。
鼠逐 罪ある人を遠くへ追いやること。五嶺山脈を越えた向こうに行くことは死を意味した。・蛮荒 野蛮の荒地。瘴癘の地。・幸不死 死なないだけが幸福というような身の上。


侯王將相望久絕,神縱欲福難為功。
侯王【こうおう】將相【しょうそう】たらんとする望は 久しく絶ちたり、神 縦【たと】い福【さいわい】せんと欲すとも 功を錫し難し。
王侯将相のぞむような野心はとっくのむかしに無くなっている、神がたとえ幸福を与えようとなされたのだとしても、これが御利益などとは思われはしない。
侯王将相 諸侯・国王・将軍・宰相。高い地位の人をいう。・望久絶 望みを持たなくなってから長い時間がたつ。・ かりにそういうことがあったところで。


夜投佛寺上高閣,星月掩映雲朣朧。
夜 佛寺【ぶつじ】に投じて 高閣に上る、星月 掩映【えんえい】して 雲 朣朧【とうろう】たり。
夜になって山中の仏寺を宿とし、そこの高い鐘楼に上ってみた。星や月を覆って光を帯びた薄雲があたりを ぼんやりと照らし始めている。
掩映 拾は掩と同じで、おおうこと。おは反映する。てりはえる。・朣朧 月かげの明るくなりかけるさま。潘岳の「秋興賦」に「月は朣朧として光を含めり」という有名な句がある。


猿鳴鐘動不知曙,杲杲寒日生於東。
猿鳴き 鐘動いて 曙を知らず、杲杲【こうこう】たる寒日【かんじつ】東に生ず。
猿が啼き叫ぶそして鐘が鳴るけれど、まだ明け方になってはいないはずである。よく見るとキラキラ冷たく輝く太陽が東方に生まれていて木の上にのぽり切っているのだ。
不知曙 明方だとはわからなかった・唐の詩ではよく、知りでいることを知らずといい、わからないことを知るという場合がある。一種の反語である。
杲杲 キラキラ。コウコウとかがやく。杲は太陽が木の上にのぽり切ったさま。




#4
蠻荒【ばんこう】に竄逐【ざんちく】せられ 幸に死せざるも、衣食【いしょく】緩【わずか】に足りて長【とこしえ】に 終らんことに甘んず。
侯王【こうおう】將相【しょうそう】たらんとする望は 久しく絶ちたり、神 縦【たと】い福【さいわい】せんと欲すとも 功を錫し難し。
夜 佛寺【ぶつじ】に投じて 高閣に上る、星月 掩映【えんえい】して 雲 朣朧【とうろう】たり。
猿鳴き 鐘動いて 曙を知らず、杲杲【こうこう】たる寒日【かんじつ】東に生ず。


謁衡獄廟遂宿獄寺題門樓 韓退之(韓愈)詩<51-#3>Ⅱ中唐詩346 紀頌之の漢詩ブログ1117

謁衡獄廟遂宿獄寺題門樓 韓退之(韓愈)詩<51-#3>Ⅱ中唐詩346 紀頌之の漢詩ブログ1117


この詩は805年夏、陽山の県令を解かれ、陽山を出発し、郴州で次の赴任地の命を待った8月江陵府法曹参軍事の命を受け江陵へ向か際、五嶽の衡山にたちよったものである。韓愈は、王涯たち「三学士」に運動してもらって都へ召還されようとしたのだが、三人がはたして口をきいてくれたのか、きいてはくれたが効果がなかったのか、確実なことはわからないが、とにかく韓愈たちは都へ呼びもどしてはもらえなかった。呼びもどしてもらえぬ以上、江陵幕府へ赴任するほかはない。

謁衡獄廟遂宿岳寺題門樓
衡嶽廟に拝謁してとうとう衡山にある仏寺の宿坊に宿し、その楼門に題す詩
五嶽祭秩皆三公,四方環鎮嵩當中。
五嶽は祭典序列はみな三公待遇である。天下四方に位置し、嵩山を中心にして天下鎮守するのである。
火維地荒足妖怪,天假神柄專其雄。
赤道に位置するといわれてきたこの地は荒廃し、妖怪どもがあまた棲息した、そして天は衡山に神の権能を賦与し、それらを雄伏させようとされたのだ。
噴雲洩霧藏半腹,雖有絕頂誰能窮。
雲を吹き出し、霧をもらしていて、中腹以上にいくとかくれている。頂上はもとより存在しているといっても、誰が見きわめえたというのか。
我來正逢秋雨節,陰氣晦昧無清風。

私はここへ来て正に秋雨の季節に逢ってしまった。秋雨の陰湿の気、ぶきみに暗いし、ここではすがすがしい風は吹かないのである。

#2
潛心默禱若有應,豈非正直能感通。
そうして、心を静かに潜めるようにして黙祷したら、それに応えてくれたように思われるのだ。それで正直であることが出来ない様でどうしてよく神仏に祈り、悟ことができようか。
須臾靜掃眾峰出,仰見突兀撐青空。
しばらくすると 静かに暗い陰気の雲は掃われて 連峰の山々が姿を現わしている。見あげれば 高く抜きん出て立ち青空をささえていた。
紫蓋連延接天柱,石廩騰擲堆祝融。
衡山七十二峯の紫蓋は連なって延び 天をささえる天柱と接しており、石稟は飛騰し、祝融は淮積岩をあらわにし、衡山四絶景を構成する。
森然魄動下馬拜,松柏一徑趨靈宮。

山は森然として神霊な動きをしており、わたしは馬を下りて拝礼するのである。松柏の間を行く一筋の小径には霊宮にはしり通じている。

#3
粉牆丹柱動光彩,鬼物圖畫填青紅。
白い漆喰の壁と丹塗の柱はきらきらと互いに映えている。鬼神や霊獣が青や紅の絵の具でもり上げて描かれてあった。
升階傴僂薦脯酒,欲以菲薄明其衷。
陵廟の階をのぼってゆき、ぬかずいて、乾肉と酒とを供えた。お粗末かもしれないが、奉謝の誠意をあらわそうと思ったからだ。
廟令老人識神意,睢盱偵伺能鞠躬。
そこの年老いた宮司は神慮をうかがうことができると認識した。つまらぬ人がにこにこと媚びヘつらう顔色を見て身を丸くしてぺこべこお辞儀をする。
手持杯珓導我擲,云此最吉餘難同。
そして貝占をしてみなさいとわたしに二枚の貝殼を 投げさせた。それで卦が出てこのように言ったのだ
「最もよい吉であり、こんな卦はめったに出るものではない」などと。

#4
竄逐蠻荒幸不死,衣食才足甘長終。
侯王將相望久絕,神縱欲福難為功。
夜投佛寺上高閣,星月掩映雲朣朧。
猿鳴鐘動不知曙,杲杲寒日生於東。

(衡嶽【こうがく】廟に謁し、遂に嶽寺に宿り、門樓【もんろう】に題す。)
五嶽の祭秩【さいちつ】皆 三公【さんこう】、四方に環【めぐ】り鎮【ちん】して 嵩【すう】は中に當る。
火維【かい】地荒れて 妖怪【ようかい】足【おお】く、天 神柄【しんぺい】を瑕【か】して 其の雄を専にす。
雲を噴き 霧を泄【もら】して 半腹を蔵【ぞう】す、絶頂有りと雖も 誰か能く窮めむ。
我来って 正に 秋雨の節に逢ふ、陰気【いんき】晦昧【かいまい】として 清風無し。
#2
心を潜めて默禱【もくとう】すれば 応【こたえ】有るが若し、豈に 正直なるに非ずんば 能く感通【かんつう】せむや。
須臾【しばらく】して 靜かに掃って 衆峯【しゅうほう】出づ、仰いで見るに 突冗【とつごつ】として 青空を撐【ささ】ヘ。
紫蓋【しがい】連り延びて 天柱に接し、石廩【せきりん】騰擲【とうてき】し 祝融【しゅくゆう】堆し。
森然【しんぜん】として魄【はく】動き 馬を下って拝す、松柏の一徑【いっけい】霊宮【れいきゅう】に趨【おもむ】く。
#3
粉牆【ふんしょう】丹柱【たんちゅう】光彩【こうさい】を勤し、鬼物【きぶつ】の圖畫【とが】青紅【せいこう】を填【うづ】む。
階に升【のぼ】って傴僂【うろう】し 脯酒【ほしゅ】を薦む、菲薄【ひはく】を以て 其の衷を明にせんと欲す。
廟令【びょうれい】の老人 神意【しんい】を識る と、睢盱【いく】偵伺【ていし】して 能く鞠躬【きくきゅう】す。
手に盃珓【はいこう】を持して 我をして擲【なげう】たしむ、云ふ 此れ最も吉にして餘【よ】は同じうし難し と。
#4
蠻荒【ばんこう】に竄逐【ざんちく】せられ 幸に死せざるも、衣食【いしょく】緩【わずか】に足りて長【とこしえ】に 終らんことに甘んず。
侯王【こうおう】將相【しょうそう】たらんとする望は 久しく絶ちたり、神 縦【たと】い福【さいわい】せんと欲すとも 功を錫し難し。
夜 佛寺【ぶつじ】に投じて 高閣に上る、星月 掩映【えんえい】して 雲 朣朧【とうろう】たり。
猿鳴き 鐘動いて 曙を知らず、杲杲【こうこう】たる寒日【かんじつ】東に生ず。


現代語訳と訳註
(本文) #3

粉牆丹柱動光彩,鬼物圖畫填青紅。
升階傴僂薦脯酒,欲以菲薄明其衷。
廟令老人識神意,睢盱偵伺能鞠躬。
手持杯珓導我擲,云此最吉餘難同。


(下し文) #3
粉牆【ふんしょう】丹柱【たんちゅう】光彩【こうさい】を勤し、鬼物【きぶつ】の圖畫【とが】青紅【せいこう】を填【うづ】む。
階に升【のぼ】って傴僂【うろう】し 脯酒【ほしゅ】を薦む、菲薄【ひはく】を以て 其の衷を明にせんと欲す。
廟令【びょうれい】の老人 神意【しんい】を識る と、睢盱【いく】偵伺【ていし】して 能く鞠躬【きくきゅう】す。
手に盃珓【はいこう】を持して 我をして擲【なげう】たしむ、云ふ 此れ最も吉にして餘【よ】は同じうし難し と。


(現代語訳)
白い漆喰の壁と丹塗の柱はきらきらと互いに映えている。鬼神や霊獣が青や紅の絵の具でもり上げて描かれてあった。
陵廟の階をのぼってゆき、ぬかずいて、乾肉と酒とを供えた。お粗末かもしれないが、奉謝の誠意をあらわそうと思ったからだ。
そこの年老いた宮司は神慮をうかがうことができると認識した。つまらぬ人がにこにこと媚びヘつらう顔色を見て身を丸くしてぺこべこお辞儀をする。
そして貝占をしてみなさいとわたしに二枚の貝殼を 投げさせた。それで卦が出てこのように言ったのだ
「最もよい吉であり、こんな卦はめったに出るものではない」などと。


 (訳注)#3
粉牆丹柱動光彩,鬼物圖畫填青紅。
粉牆【ふんしょう】丹柱【たんちゅう】光彩【こうさい】を勤し、鬼物【きぶつ】の圖畫【とが】青紅【せいこう】を填【うづ】む。
白い漆喰の壁と丹塗の柱はきらきらと互いに映えている。鬼神や霊獣が青や紅の絵の具でもり上げて描かれてあった。
粉牆 白く漆喰の壁。・鬼 鬼神と霊獣。・填青紅青や紅の絵の具が凹凸に塗り込めてある。


升階傴僂薦脯酒,欲以菲薄明其衷。
階に升【のぼ】って傴僂【うろう】し 脯酒【ほしゅ】を薦む、菲薄【ひはく】を以て 其の衷を明にせんと欲す。
陵廟の階をのぼってゆき、ぬかずいて、乾肉と酒とを供えた。お粗末かもしれないが、奉謝の誠意をあらわそうと思ったからだ。
傴僂 うやうやしくぬかずく。傴はせぐくまる。僂はまげる。・脯酒 乾肉と酒。おそなえにする。・菲薄 非も薄もうすいことで、粗末というほどの意。・衷 誠。


廟令老人識神意,睢盱偵伺能鞠躬。
廟令【びょうれい】の老人 神意【しんい】を識る と、睢盱【いく】偵伺【ていし】して 能く鞠躬【きくきゅう】す。
そこの年老いた宮司は神慮をうかがうことができると認識した。つまらぬ人がにこにこと媚びヘつらう顔色を見て身を丸くしてぺこべこお辞儀をする。
廟令 神主。・睢盱 つまらぬ人がにこにこと媚びヘつらうさま。・鞠躬 身を丸くしてぺこべこお辞儀をする。


手持杯珓導我擲,云此最吉餘難同。
手に盃珓【はいこう】を持して 我をして擲【なげう】たしむ、云ふ 此れ最も吉にして餘【よ】は同じうし難し と。
そして貝占をしてみなさいとわたしに二枚の貝殼を 投げさせた。それで卦が出てこのように言ったのだ
「最もよい吉であり、こんな卦はめったに出るものではない」などと。
盃竣 貝殼占い。二板の貝殼を投げてその表裏の出方で占う。・余難同 他の人は、同じ卦は出にくい。

謁衡獄廟遂宿獄寺題門樓 韓退之(韓愈)詩<51-#2>Ⅱ中唐詩345 紀頌之の漢詩ブログ1114

謁衡獄廟遂宿獄寺題門樓 韓退之(韓愈)詩<51-#2>Ⅱ中唐詩345 紀頌之の漢詩ブログ1114


この詩は805年夏、陽山の県令を解かれ、陽山を出発し、郴州で次の赴任地の命を待った8月江陵府法曹参軍事の命を受け江陵へ向か際、五嶽の衡山にたちよったものである。韓愈は、王涯たち「三学士」に運動してもらって都へ召還されようとしたのだが、三人がはたして口をきいてくれたのか、きいてはくれたが効果がなかったのか、確実なことはわからないが、とにかく韓愈たちは都へ呼びもどしてはもらえなかった。呼びもどしてもらえぬ以上、江陵幕府へ赴任するほかはない。


謁衡獄廟遂宿岳寺題門樓
衡嶽廟に拝謁してとうとう衡山にある仏寺の宿坊に宿し、その楼門に題す詩
五嶽祭秩皆三公,四方環鎮嵩當中。
五嶽は祭典序列はみな三公待遇である。天下四方に位置し、嵩山を中心にして天下鎮守するのである。
火維地荒足妖怪,天假神柄專其雄。
赤道に位置するといわれてきたこの地は荒廃し、妖怪どもがあまた棲息した、そして天は衡山に神の権能を賦与し、それらを雄伏させようとされたのだ。
噴雲洩霧藏半腹,雖有絕頂誰能窮。
雲を吹き出し、霧をもらしていて、中腹以上にいくとかくれている。頂上はもとより存在しているといっても、誰が見きわめえたというのか。
我來正逢秋雨節,陰氣晦昧無清風。

私はここへ来て正に秋雨の季節に逢ってしまった。秋雨の陰湿の気、ぶきみに暗いし、ここではすがすがしい風は吹かないのである。

#2
潛心默禱若有應,豈非正直能感通。
そうして、心を静かに潜めるようにして黙祷したら、それに応えてくれたように思われるのだ。それで正直であることが出来ない様でどうしてよく神仏に祈り、悟ことができようか。
須臾靜掃眾峰出,仰見突兀撐青空。
しばらくすると 静かに暗い陰気の雲は掃われて 連峰の山々が姿を現わしている。見あげれば 高く抜きん出て立ち青空をささえていた。
紫蓋連延接天柱,石廩騰擲堆祝融。
衡山七十二峯の紫蓋は連なって延び 天をささえる天柱と接しており、石稟は飛騰し、祝融は淮積岩をあらわにし、衡山四絶景を構成する。
森然魄動下馬拜,松柏一徑趨靈宮。

山は森然として神霊な動きをしており、わたしは馬を下りて拝礼するのである。松柏の間を行く一筋の小径には霊宮にはしり通じている。

#3
粉牆丹柱動光彩,鬼物圖畫填青紅。
升階傴僂薦脯酒,欲以菲薄明其衷。
廟令老人識神意,睢盱偵伺能鞠躬。
手持杯珓導我擲,云此最吉餘難同。
#4
竄逐蠻荒幸不死,衣食才足甘長終。
侯王將相望久絕,神縱欲福難為功。
夜投佛寺上高閣,星月掩映雲朣朧。
猿鳴鐘動不知曙,杲杲寒日生於東。

(衡嶽【こうがく】廟に謁し、遂に嶽寺に宿り、門樓【もんろう】に題す。)
五嶽の祭秩【さいちつ】皆 三公【さんこう】、四方に環【めぐ】り鎮【ちん】して 嵩【すう】は中に當る。
火維【かい】地荒れて 妖怪【ようかい】足【おお】く、天 神柄【しんぺい】を瑕【か】して 其の雄を専にす。
雲を噴き 霧を泄【もら】して 半腹を蔵【ぞう】す、絶頂有りと雖も 誰か能く窮めむ。
我来って 正に 秋雨の節に逢ふ、陰気【いんき】晦昧【かいまい】として 清風無し。
#2
心を潜めて默禱【もくとう】すれば 応【こたえ】有るが若し、豈に 正直なるに非ずんば 能く感通【かんつう】せむや。
須臾【しばらく】して 靜かに掃って 衆峯【しゅうほう】出づ、仰いで見るに 突冗【とつごつ】として 青空を撐【ささ】ヘ。
紫蓋【しがい】連り延びて 天柱に接し、石廩【せきりん】騰擲【とうてき】し 祝融【しゅくゆう】堆し。
森然【しんぜん】として魄【はく】動き 馬を下って拝す、松柏の一徑【いっけい】霊宮【れいきゅう】に趨【おもむ】く。
#3
粉牆【ふんしょう】丹柱【たんちゅう】光彩【こうさい】を勤し、鬼物【きぶつ】の圖畫【とが】青紅【せいこう】を填【うづ】む。
階に升【のぼ】って傴僂【うろう】し 脯酒【ほしゅ】を薦む、菲薄【ひはく】を以て 其の衷を明にせんと欲す。
廟令【びょうれい】の老人 神意【しんい】を識る と、睢盱【いく】偵伺【ていし】して 能く鞠躬【きくきゅう】す。
手に盃珓【はいこう】を持して 我をして擲【なげう】たしむ、云ふ 此れ最も吉にして餘【よ】は同じうし難し と。
#4
蠻荒【ばんこう】に竄逐【ざんちく】せられ 幸に死せざるも、衣食【いしょく】緩【わずか】に足りて長【とこしえ】に 終らんことに甘んず。
侯王【こうおう】將相【しょうそう】たらんとする望は 久しく絶ちたり、神 縦【たと】い福【さいわい】せんと欲すとも 功を錫し難し。
夜 佛寺【ぶつじ】に投じて 高閣に上る、星月 掩映【えんえい】して 雲 朣朧【とうろう】たり。
猿鳴き 鐘動いて 曙を知らず、杲杲【こうこう】たる寒日【かんじつ】東に生ず。


現代語訳と訳註
(本文) #2

潛心默禱若有應,豈非正直能感通。
須臾靜掃眾峰出,仰見突兀撐青空。
紫蓋連延接天柱,石廩騰擲堆祝融。
森然魄動下馬拜,松柏一徑趨靈宮。


(下し文) #2
心を潜めて默禱【もくとう】すれば 応【こたえ】有るが若し、豈に 正直なるに非ずんば 能く感通【かんつう】せむや。
須臾【しゅゆ】にして 靜かに掃って 衆峯【しゅうほう】出づ、仰いで見るに 突冗【とつごつ】として 青空を撐【ささ】ヘ。
紫蓋【しがい】連り延びて 天柱に接し、石廩【せきりん】騰擲【とうてき】し 祝融【しゅくゆう】淮し。
森然【しんぜん】として魄【はく】動き 馬を下って拝す、松柏の一徑【いっけい】霊宮【れいきゅう】に趨【おもむ】く。


(現代語訳)
そうして、心を静かに潜めるようにして黙祷したら、それに応えてくれたように思われるのだ。それで正直であることが出来ない様でどうしてよく神仏に祈り、悟ことができようか。
しばらくすると 静かに暗い陰気の雲は掃われて 連峰の山々が姿を現わしている。見あげれば 高く抜きん出て立ち青空をささえていた。
衡山七十二峯の紫蓋は連なって延び 天をささえる天柱と接しており、石稟は飛騰し、祝融は淮積岩をあらわにし、衡山四絶景を構成する。
山は森然として神霊な動きをしており、わたしは馬を下りて拝礼するのである。松柏の間を行く一筋の小径には霊宮にはしり通じている。


(訳注)#2
潛心默禱若有應,豈非正直能感通。

心を潜めて默禱【もくとう】すれば 応【こたえ】有るが若し、嶽に 正直なるに非ずんば 能く感通【かんつう】せむや。
そうして、心を静かに潜めるようにして黙祷したら、それに応えてくれたように思われるのだ。それで正直であることが出来ない様でどうしてよく神仏に祈り、悟ことができようか。
能感通 其の理の極まる処能く感通知識し来りて、初めて事物に応接するし、禱ぎ・神仏に祈り、悟ことができようか。


須臾靜掃眾峰出,仰見突兀撐青空。
須臾【しばらく】して 靜かに掃って 衆峯【しゅうほう】出づ、仰いで見るに 突冗【とつごつ】として 青空を撐【ささ】ヘ。
しばらくすると 静かに暗い陰気の雲は掃われて 連峰の山々が姿を現わしている。見あげれば 高く抜きん出て立ち青空をささえていた。
須臾 しばらくの時間。1000兆分の1であることを示す漢字文化圏における数の単位である。逡巡の1/10、瞬息の10倍に当たる。・静掃 しずかに、くらい陰気を掃いのぞいて。・眾峰 峰が多いこと。連峰の山々。・突尤 高くぬきんでてたつさま。


紫蓋連延接天柱,石廩騰擲堆祝融。
紫蓋【しがい】連り延びて 天柱に接し、石廩【せきりん】騰擲【とうてき】し 祝融【しゅくゆう】堆し。
衡山七十二峯の紫蓋は連なって延び 天をささえる天柱と接しており、石稟は飛騰し、祝融は淮積岩をあらわにし、衡山四絶景を構成する。
紫蓋 衡山七十二峯の一つで、祝融、天柱、芙蓉、紫蓋、石稟の五峯が最も有名である。祝融峰が衡山において最高峰であり,海拔1290米。五嶽(陰陽五行説に基づき、木行=、火行=、土行=、金行=西、水行= の各方位に位置する、5つの山が聖山とされる。衡山は南嶽)の南嶽に四絶景がある:祝融峰は高さ,方廣寺は谷が深いこと,藏經殿は秀美であり,水簾洞は奇怪な洞窟。 衡山を登るには必ず祝融を登るとされる。芙蓉、石厦、天柱、祝融とともにその最も高い峯をいう。


森然魄動下馬拜,松柏一徑趨靈宮。
森然【しんぜん】として魄【はく】動き 馬を下って拝す、松柏の一徑【いっけい】霊宮【れいきゅう】に趨【おもむ】く。
山は森然として神霊な動きをしており、わたしは馬を下りて拝礼するのである。松柏の間を行く一筋の小径には霊宮にはしり通じている。
森然 シンとして。・魄 ここでは神霊をさす。


謁衡獄廟遂宿獄寺題門樓 韓退之(韓愈)詩<51-#1>Ⅱ中唐詩344 紀頌之の漢詩ブログ1111

謁衡獄廟遂宿獄寺題門樓 韓退之(韓愈)詩<51-#1>Ⅱ中唐詩344 紀頌之の漢詩ブログ1111


謁衡獄廟遂宿岳寺題門樓
衡嶽廟に拝謁してとうとう衡山にある仏寺の宿坊に宿し、その楼門に題す詩
五嶽祭秩皆三公,四方環鎮嵩當中。
五嶽は祭典序列はみな三公待遇である。天下四方に位置し、嵩山を中心にして天下鎮守するのである。
火維地荒足妖怪,天假神柄專其雄。
赤道に位置するといわれてきたこの地は荒廃し、妖怪どもがあまた棲息した、そして天は衡山に神の権能を賦与し、それらを雄伏させようとされたのだ。
噴雲洩霧藏半腹,雖有絕頂誰能窮。
雲を吹き出し、霧をもらしていて、中腹以上にいくとかくれている。頂上はもとより存在しているといっても、誰が見きわめえたというのか。
我來正逢秋雨節,陰氣晦昧無清風。

私はここへ来て正に秋雨の季節に逢ってしまった。秋雨の陰湿の気、ぶきみに暗いし、ここではすがすがしい風は吹かないのである。

#2
潛心默禱若有應,豈非正直能感通。
須臾靜掃眾峰出,仰見突兀撐青空。
紫蓋連延接天柱,石廩騰擲堆祝融。
森然魄動下馬拜,松柏一徑趨靈宮。
#3

粉牆丹柱動光彩,鬼物圖畫填青紅。
升階傴僂薦脯酒,欲以菲薄明其衷。
廟令老人識神意,睢盱偵伺能鞠躬。
手持杯珓導我擲,云此最吉餘難同。
#4

竄逐蠻荒幸不死,衣食才足甘長終。
侯王將相望久絕,神縱欲福難為功。
夜投佛寺上高閣,星月掩映雲朣朧。
猿鳴鐘動不知曙,杲杲寒日生於東。

(衡嶽【こうがく】廟に謁し、遂に嶽寺に宿り、門樓【もんろう】に題す。)
五嶽の祭秩【さいちつ】皆 三公【さんこう】、四方に環【めぐ】り鎮【ちん】して 嵩【すう】は中に當る。
火維【かい】地荒れて 妖怪【ようかい】足【おお】く、天 神柄【しんぺい】を瑕【か】して 其の雄を専にす。
雲を噴き 霧を泄【もら】して 半腹を蔵【ぞう】す、絶頂有りと雖も 誰か能く窮めむ。
我来って 正に 秋雨の節に逢ふ、陰気【いんき】晦昧【かいまい】として 清風無し。
#2
心を潜めて默禱【もくとう】すれば 応【こたえ】有るが若し、豈に 正直なるに非ずんば 能く感通【かんつう】せむや。
須臾【しばらく】して 靜かに掃って 衆峯【しゅうほう】出づ、仰いで見るに 突冗【とつごつ】として 青空を撐【ささ】ヘ。
紫蓋【しがい】連り延びて 天柱に接し、石廩【せきりん】騰擲【とうてき】し 祝融【しゅくゆう】堆し。
森然【しんぜん】として魄【はく】動き 馬を下って拝す、松柏の一徑【いっけい】霊宮【れいきゅう】に趨【おもむ】く。#3
粉牆【ふんしょう】丹柱【たんちゅう】光彩【こうさい】を勤し、鬼物【きぶつ】の圖畫【とが】青紅【せいこう】を填【うづ】む。
階に升【のぼ】って傴僂【うろう】し 脯酒【ほしゅ】を薦む、菲薄【ひはく】を以て 其の衷を明にせんと欲す。
廟令【びょうれい】の老人 神意【しんい】を識る と、睢盱【いく】偵伺【ていし】して 能く鞠躬【きくきゅう】す。
手に盃珓【はいこう】を持して 我をして擲【なげう】たしむ、云ふ 此れ最も吉にして餘【よ】は同じうし難し と。
#4
蠻荒【ばんこう】に竄逐【ざんちく】せられ 幸に死せざるも、衣食【いしょく】緩【わずか】に足りて長【とこしえ】に 終らんことに甘んず。
侯王【こうおう】將相【しょうそう】たらんとする望は 久しく絶ちたり、神 縦【たと】い福【さいわい】せんと欲すとも 功を錫し難し。
夜 佛寺【ぶつじ】に投じて 高閣に上る、星月 掩映【えんえい】して 雲 朣朧【とうろう】たり。
猿鳴き 鐘動いて 曙を知らず、杲杲【こうこう】たる寒日【かんじつ】東に生ず。


現代語訳と訳註
(本文)

謁衡獄廟遂宿岳寺題門樓
五嶽祭秩皆三公,四方環鎮嵩當中。
火維地荒足妖怪,天假神柄專其雄。
噴雲洩霧藏半腹,雖有絕頂誰能窮。
我來正逢秋雨節,陰氣晦昧無清風。


(下し文)
(衡嶽【こうがく】廟に謁し、遂に嶽寺に宿り、門樓【もんろう】に題す。)
五嶽の祭秩【さいちつ】皆 三公【さんこう】、四方に環【めぐ】り鎮【ちん】して 嵩【すう】は中に當る。
火維【かい】地荒れて 妖怪【ようかい】足【おお】く、天 神柄【しんぺい】を瑕【か】して 其の雄を専にす。
雲を噴き 霧を泄【もら】して 半腹を蔵【ぞう】す、絶頂有りと雖も 誰か能く窮めむ。
我来って 正に 秋雨の節に逢ふ、陰気【いんき】晦昧【かいまい】として 清風無し。


(現代語訳)
衡嶽廟に拝謁してとうとう衡山にある仏寺の宿坊に宿し、その楼門に題す詩
五嶽は祭典序列はみな三公待遇である。天下四方に位置し、嵩山を中心にして天下鎮守するのである。
赤道に位置するといわれてきたこの地は荒廃し、妖怪どもがあまた棲息した、そして天は衡山に神の権能を賦与し、それらを雄伏させようとされたのだ。
雲を吹き出し、霧をもらしていて、中腹以上にいくとかくれている。頂上はもとより存在しているといっても、誰が見きわめえたというのか。
私はここへ来て正に秋雨の季節に逢ってしまった。秋雨の陰湿の気、ぶきみに暗いし、ここではすがすがしい風は吹かないのである。


(訳注)#1
謁衡岳廟遂宿獄寺題門樓
衡嶽【こうがく】廟に謁し、遂に嶽寺に宿り、門樓【もんろう】に題す。 
衡嶽廟に拝謁してとうとう衡山にある仏寺の宿坊に宿し、その楼門に題す詩
謁衡岳廟 底本巻三。衡岳廟は衡山の山霊を祭る嗣である。衡山は中国五岳の一つで、湖南省卸南県の南方にあたり、衡山県の西三十里の地にあり、南岳とよぱれた。永貞元年九月中下句、槨州から新任地江陵へ向かう途中の作。・岳寺 衡山にある仏寺。・門楼 楼門。


五嶽祭秩皆三公,四方環鎮嵩當中。
五嶽の祭秩【さいちつ】皆 三公【さんこう】、四方に環【めぐ】り鎮【ちん】して 嵩【すう】は中に當る。
五嶽は祭典序列はみな三公待遇である。天下四方に位置し、嵩山を中心にして天下鎮守するのである。
五岳祭秩皆三公『礼記』王制に「天子は天下の名山大川を祭る。五岳は三公に視へ、四涜は諸侯に視ふ。」とある。五岳とは
華山(西嶽;2,160m陝西省渭南市華陰市)
嵩山(中嶽;1,440m河南省鄭州市登封市)、
泰山(東嶽;1,545m山東省泰安市泰山区)、
衡山(南嶽;1,298m湖南省衡陽市衡山県)、
恒山(北嶽;2,016,m山西省大同市渾源県)
これを祭るとぎ、その祭器や犠牲の数を、三公すなわち国家の元老たる太師・太傅・太保を正餐にまねく場合になぞらえ、四涜すなわち長江・黄河・淮江・済河の四大川を祭るときは、諸侯になぞらえる、というのである。


火維地荒足妖怪,天假神柄專其雄。
火維【かい】地荒れて 妖怪【ようかい】足【おお】く、天 神柄【しんぺい】を瑕【か】して 其の雄を専にす。
赤道に位置するといわれてきたこの地は荒廃し、妖怪どもがあまた棲息した、そして天は衡山に神の権能を賦与し、それらを雄伏させようとされたのだ。
火維 赤道に位置するもの。衡山は 『初学記』に「南岳衡山は朱陵の霊台、太虚の宝洞にして、上は冥宿を承け、徳を銓り物を釣ぶ。放に衡山と名づく。下は離宮に踞し、位を火郷に摂り、赤帝その嶺に館し、祝融その陽に託す。故に南岳と号す」。と記すように南方熱帯の地にある山だ。・天仮神柄 天が衡山に神としての権能を貸し与えた。


噴雲洩霧藏半腹,雖有絕頂誰能窮。
雲を噴き 霧を泄【もら】して 半腹を蔵【ぞう】す、絶頂有りと雖も 誰か能く窮めむ。
雲を吹き出し、霧をもらしていて、中腹以上にいくとかくれている。頂上はもとより存在しているといっても、誰が見きわめえたというのか。


我來正逢秋雨節,陰氣晦昧無清風。
我来って 正に 秋雨の節に逢ふ、陰気【いんき】晦昧【かいまい】として 清風無し。
私はここへ来て正に秋雨の季節に逢ってしまった。秋雨の陰湿の気、ぶきみに暗いし、ここではすがすがしい風は吹かないのである。
晦昧 くらい。

鄭羣贈簟 #3 Ⅱ韓退之(韓愈)詩309 紀頌之の漢詩ブログ1006

鄭羣贈簟 #3 Ⅱ韓退之(韓愈)詩309 紀頌之の漢詩ブログ1006
(鄭群 簟を贈る)

江陵の夏は格別蒸し暑くて、肥満体系の韓愈にとって、しのぎかねるものだった。これまで、陽山では左遷とはいえ、県令とうい知事というトップの職であった。暑さに加え、法曹参軍というかなり不満な地位であり、仕事始めであり、職務を怠慢にすることはできない。そうしたときにもらった「箪」だから、自分の立場を理解してくれたように思われて、韓愈としては単に「箪」をもらったことへの謝意だけではなく、知己を得たわけで、深い感謝をささげている。

鄭羣贈簟
蘄州笛竹天下知,鄭君所寶尤瑰奇。
擕來當晝不得臥,一府傳看黄琉璃。
體堅色淨又藏節,盡眼凝滑無瑕疵。
法曹貧賤眾所易,腰腹空大何能爲?』

自從五月困暑濕,如坐深甑遭蒸炊。
手磨袖拂心語口,慢膚多汗真相宜。
日暮歸來獨惆悵,有賣直欲傾家資。
誰謂故人知我意,卷送八尺含風漪。』

呼奴掃地鋪未了,光彩照耀驚童兒。
下男を呼び地面を掃いて敷かせたはじめたが、まだ敷きおわらぬうちに、美しい光が輝きだして子どもたちを驚かせた。
青蠅側翅蚤虱避,肅肅疑有清飆吹。
青繩も羽根をひそめてよけているし、ノミやシラミは逃げだしていく。そよそよとした清涼風が吹いてきたのかと見まちがえるほどだ。
倒身甘寢百疾愈,卻願天日恒炎曦。
からだを倒してその上に寝そべってみれば、さまざまな病気もなおってしまうだろう、これがあるなら、かえって太陽がいつもかんかん照りつけてほしいと願うほどだ。
明珠青玉不足報,贈子相好無時衰。』

これほどの物のお返しとしては、真珠や青玉などでは返礼にならぬ。君にはいつまでも衰えることのない好誼を贈ることにする。(何にも勝るものを贈られ、これ以上のない喜びをいう。)


(鄭群 簟を贈る)#1
蘄州【きしゅう】の笛竹【ちくてき】は天下知る、鄭君の宝とする所 尤【もっと】も壊奇【かいき】なり。
携え来たり昼に当たるも臥すを得ず、一府伝え看る 黄瑠璃【こうるり】。
体堅く色浄く 又節を蔵す、尽眼【じんがん】凝滑にして瑕疵【かし】無し。
法曹は貧賤【ひんせん】にして衆の易【あなど】る所、腰腹空しく大なるも何をか能【よ】く為さん。

#2
五月自従り 暑湿に困【くる】しみ、深甑【しんそう】に坐して蒸炊【じょうすい】に遭うが如し。
手を磨し袖を払いて 心口に語る、慢膚【まんぷ】汗多きは真【まこと】に相宜【よろ】しと。
日暮れて帰り来たり 独り惆悵【ちゅうちょう】し、売る有らば直ちに家資を傾けんと欲す。
誰か謂【おも】わん 故人我が意を知り、八尺の含風【がんふう】漪【い】を巻いて送らんとは。

#3
奴を呼び地を掃【はら】って鋪【し】かしむること未だ了【お】わらざるに、光彩照耀して童児を驚かす。
青蠅【せいよう】は翅を側【そば】め蚤虱【そうしつ】は避け、粛粛【しゅくしゅく】として清飈【せいひょう】の吹くこと有るかと疑う。
身を倒して甘寝【かんしん】し百疾【ひゃくしつ】愈【い】え、却って願う 天日の恒に炎曦【えんぎ】なるを。
明珠・青玉も報ゆるに足らず、子【し】に相好【よ】くして時として衰うる無きを贈らん。


現代語訳と訳註
(本文)

呼奴掃地鋪未了,光彩照耀驚童兒。
青蠅側翅蚤虱避,肅肅疑有清飆吹。
倒身甘寢百疾愈,卻願天日恒炎曦。
明珠青玉不足報,贈子相好無時衰。』

(下し文) #3
奴を呼び地を掃【はら】って鋪【し】かしむること未だ了【お】わらざるに、光彩照耀して童児を驚かす。
青蠅【せいよう】は翅を側【そば】め蚤虱【そうしつ】は避け、粛粛【しゅくしゅく】として清飈【せいひょう】の吹くこと有るかと疑う。
身を倒して甘寝【かんしん】し百疾【ひゃくしつ】愈【い】え、却って願う 天日の恒に炎曦【えんぎ】なるを。
明珠・青玉も報ゆるに足らず、子【し】に相好【よ】くして時として衰うる無きを贈らん。


(現代語訳)
下男を呼び地面を掃いて敷かせたはじめたが、まだ敷きおわらぬうちに、美しい光が輝きだして子どもたちを驚かせた。
青繩も羽根をひそめてよけているし、ノミやシラミは逃げだしていく。そよそよとした清涼風が吹いてきたのかと見まちがえるほどだ。
からだを倒してその上に寝そべってみれば、さまざまな病気もなおってしまうだろう、これがあるなら、かえって太陽がいつもかんかん照りつけてほしいと願うほどだ。
これほどの物のお返しとしては、真珠や青玉などでは返礼にならぬ。君にはいつまでも衰えることのない好誼を贈ることにする。(何にも勝るものを贈られ、これ以上のない喜びをいう。)


(訳注)
呼奴掃地鋪未了,光彩照耀驚童兒。

下男を呼び地面を掃いて敷かせたはじめたが、まだ敷きおわらぬうちに、美しい光が輝きだして子どもたちを驚かせた。
 めしつかい。捕虜。○ 敷く。○童兒 童は10歳前後で、兒はそれ以下。


青蠅側翅蚤虱避,肅肅疑有清飆吹。
青繩も羽根をひそめてよけているし、ノミやシラミは逃げだしていく。そよそよとした清涼風が吹いてきたのかと見まちがえるほどだ。
青蠅側翅 青繩も羽根をひそめてよけている○蚤虱避 ノミやシラミは逃げだしていく。○清飆 清涼風。


倒身甘寢百疾愈,卻願天日恒炎曦。
からだを倒してその上に寝そべってみれば、さまざまな病気もなおってしまうだろう、これがあるなら、かえって太陽がいつもかんかん照りつけてほしいと願うほどだ。
甘寢 だらっとして横になる。○百疾愈 さまざまな病気もなおってしまう。○ いつも。○炎曦 かんかん照りつけること。


明珠青玉不足報,贈子相好無時衰。』
これほどの物のお返しとしては、真珠や青玉などでは返礼にならぬ。君にはいつまでも衰えることのない好誼を贈ることにする。(何にも勝るものを贈られ、これ以上のない喜びをいう。)
明珠 真珠。○青玉 鋼玉石の一種。装飾品。竹、桐の別名○贈子相好 君には好誼を贈ろう。

鄭羣贈簟 #2 Ⅱ韓退之(韓愈)詩308 紀頌之の漢詩ブログ1003

鄭羣贈簟 #2 Ⅱ韓退之(韓愈)詩308 紀頌之の漢詩ブログ1003
(鄭群 簟を贈る)

江陵の夏は格別蒸し暑くて、肥満体系の韓愈にとって、しのぎかねるものだった。これまで、陽山では左遷とはいえ、県令とうい知事というトップの職であった。暑さに加え、法曹参軍というかなり不満な地位であり、仕事始めであり、職務を怠慢にすることはできない。そうしたときにもらった「箪」だから、自分の立場を理解してくれたように思われて、韓愈としては単に「箪」をもらったことへの謝意だけではなく、知己を得たわけで、深い感謝をささげている。(3回の内2回目)

鄭羣贈簟
蘄州笛竹天下知,鄭君所寶尤瑰奇。
擕來當晝不得臥,一府傳看黄琉璃。
體堅色淨又藏節,盡眼凝滑無瑕疵。
法曹貧賤眾所易,腰腹空大何能爲?』

自從五月困暑濕,如坐深甑遭蒸炊。
五月のころから暑さと湿気に悩まされるが、たとえば深い甑のなかに座って、蒸される目にあっているようなものだ。
手磨袖拂心語口,慢膚多汗真相宜。
手をこすったり袖で払ったりして、心にあることをもらしてひとりごとをいう。肥満体はとかく汗をかきやすいものだとはほんとうによく言ったものだと。
日暮歸來獨惆悵,有賣直欲傾家資。
日が暮れてから家に帰ってきて一人悲しい思いにとらわれ、よい竹むしろを売るものがあれば、すぐに家産を傾けてもいいとさえ思うほどだ。
誰謂故人知我意,卷送八尺含風漪。』
ところが思いがけないことに、旧友がわたくしの気持を知って、長さ八尺の含風浹を巻いて、贈ってくれた。

呼奴掃地鋪未了,光彩照耀驚童兒。
青蠅側翅蚤虱避,肅肅疑有清飆吹。
倒身甘寢百疾愈,卻願天日恒炎曦。
明珠青玉不足報,贈子相好無時衰。』

(鄭群 簟を贈る)#1
蘄州【きしゅう】の笛竹【ちくてき】は天下知る、鄭君の宝とする所 尤【もっと】も壊奇【かいき】なり。
携え来たり昼に当たるも臥すを得ず、一府伝え看る 黄瑠璃【こうるり】。
体堅く色浄く 又節を蔵す、尽眼【じんがん】凝滑にして瑕疵【かし】無し。
法曹は貧賤【ひんせん】にして衆の易【あなど】る所、腰腹空しく大なるも何をか能【よ】く為さん。

#2
五月自従り 暑湿に困【くる】しみ、深甑【しんそう】に坐して蒸炊【じょうすい】に遭うが如し。
手を磨し袖を払いて 心口に語る、慢膚【まんぷ】汗多きは真【まこと】に相宜【よろ】しと。
日暮れて帰り来たり 独り惆悵【ちゅうちょう】し、売る有らば直ちに家資を傾けんと欲す。
誰か謂【おも】わん 故人我が意を知り、八尺の含風【がんふう】漪【い】を巻いて送らんとは。

#3
奴を呼び地を掃【はら】って鋪【し】かしむること未だ了【お】わらざるに、光彩照耀して童児を驚かす。
青蠅【せいよう】は翅を側【そば】め蚤虱【そうしつ】は避け、粛粛【しゅくしゅく】として清飈【せいひょう】の吹くこと有るかと疑う。
身を倒して甘寝【かんしん】し百疾【ひゃくしつ】愈【い】え、却って願う 天日の恒に炎曦【えんぎ】なるを。
明珠・青玉も報ゆるに足らず、子【し】に相好【よ】くして時として衰うる無きを贈らん。


現代語訳と訳註
(本文)

自從五月困暑濕,如坐深甑遭蒸炊。
手磨袖拂心語口,慢膚多汗真相宜。
日暮歸來獨惆悵,有賣直欲傾家資。
誰謂故人知我意,卷送八尺含風漪。』


(下し文) #2
五月自従り 暑湿に困【くる】しみ、深甑【しんそう】に坐して蒸炊【じょうすい】に遭うが如し。
手を磨し袖を払いて 心口に語る、慢膚【まんぷ】汗多きは真【まこと】に相宜【よろ】しと。
日暮れて帰り来たり 独り惆悵【ちゅうちょう】し、売る有らば直ちに家資を傾けんと欲す。
誰か謂【おも】わん 故人我が意を知り、八尺の含風【がんふう】漪【い】を巻いて送らんとは。


(現代語訳)
五月のころから暑さと湿気に悩まされるが、たとえば深い甑のなかに座って、蒸される目にあっているようなものだ。
手をこすったり袖で払ったりして、心にあることをもらしてひとりごとをいう。肥満体はとかく汗をかきやすいものだとはほんとうによく言ったものだと。
日が暮れてから家に帰ってきて一人悲しい思いにとらわれ、よい竹むしろを売るものがあれば、すぐに家産を傾けてもいいとさえ思うほどだ。
ところが思いがけないことに、旧友がわたくしの気持を知って、長さ八尺の含風浹を巻いて、贈ってくれた。


(訳注)
自從五月困暑濕,如坐深甑遭蒸炊。

五月のころから暑さと湿気に悩まされるが、たとえば深い甑のなかに座って、蒸される目にあっているようなものだ。
 蒸し室甕。甑:(こしき)柾目の杉材と竹輪、及び鉄輪、ムシロ、わら縄、しゅろ縄 米を蒸す用具で、釜の上に据え猿を置き、甑布をひいて米を入れる。米を入れ終わると布を掛けムシロをのせ、蒸し米をつくる。


手磨袖拂心語口,慢膚多汗真相宜。
手をこすったり袖で払ったりして、心にあることをもらしてひとりごとをいう。肥満体はとかく汗をかきやすいものだとはほんとうによく言ったものだと。


日暮歸來獨惆悵,有賣直欲傾家資。
日が暮れてから家に帰ってきて一人悲しい思いにとらわれ、よい竹むしろを売るものがあれば、すぐに家産を傾けてもいいとさえ思うほどだ。
惆悵 恨み嘆くこと。
痩馬行  杜甫
去歲奔波逐餘寇,驊騮不慣不得將。
士卒多騎內廄馬,惆悵恐是病乘黃。
當時歷塊誤一蹶,委棄非汝能周防。
見人慘澹若哀訴,失主錯莫無晶光。
天寒遠放雁為伴,日暮不收烏啄瘡。
誰家且養願終惠,更試明年春草長。』

杏花  韓愈
・・・・・・・
鷓鴣鈎輈猿叫歇,杳杳深谷攢青楓。
豈如此樹一來翫,若在京國情何窮。
今旦胡為忽惆悵,萬片飄泊隨西東。
明年更發應更好,道人莫忘鄰家翁。』


誰謂故人知我意,卷送八尺含風漪。』
ところが思いがけないことに、旧友がわたくしの気持を知って、長さ八尺の含風浹を巻いて、贈ってくれた。
八尺含風漪 長さ八尺の風を含んださざなみという名の“竹むしろ”。

鄭羣贈簟 #1 Ⅱ韓退之(韓愈)詩307 紀頌之の漢詩ブログ998

鄭羣贈簟 #1 Ⅱ韓退之(韓愈)詩307 紀頌之の漢詩ブログ998
(鄭群 簟を贈る)

江陵の夏は格別蒸し暑くて、肥満体系の韓愈にとって、しのぎかねるものだった。これまで、陽山では左遷とはいえ、県令とうい知事というトップの職であった。暑さに加え、法曹参軍というかなり不満な地位であり、仕事始めであり、職務を怠慢にすることはできない。そうしたときにもらった「箪」だから、自分の立場を理解してくれたように思われて、韓愈としては単に「箪」をもらったことへの謝意だけではなく、知己を得たわけで、深い感謝をささげている。

鄭羣贈簟
鄭侍御史に簟を贈られる
蘄州笛竹天下知,鄭君所寶尤瑰奇。
蘄州(湖北省蘄春県)の笛竹は天下にその名を知られたものだが、鄭君が宝物にしている竹は特にすぐれて珍しく、美しいものだ。
擕來當晝不得臥,一府傳看黄琉璃。
それを持って来たのはちょうど昼だったが、その上に寝ることもならず、黄色の瑠璃のような竹を幕府の役所じゅうの人が統々と手渡しして見入る。
體堅色淨又藏節,盡眼凝滑無瑕疵。
その本体は堅く色はさっぱりとしているうえに節も見えぬようになっており、目のとどくところはすべてつるつるとしていて悪い所が全くない。
法曹貧賤眾所易,腰腹空大何能爲?』
法曹参軍は俸禄が低いし、地位も低い職で、人々に軽く見られているようだ。太って腰や腹ばかりが大きくても何ができるというのだろうか。

自從五月困暑濕,如坐深甑遭蒸炊。
手磨袖拂心語口,慢膚多汗真相宜。
日暮歸來獨惆悵,有賣直欲傾家資。
誰謂故人知我意,卷送八尺含風漪。』

呼奴掃地鋪未了,光彩照耀驚童兒。
青蠅側翅蚤虱避,肅肅疑有清飆吹。
倒身甘寢百疾愈,卻願天日恒炎曦。
明珠青玉不足報,贈子相好無時衰。』

(鄭群 簟を贈る)#1
蘄州【きしゅう】の笛竹【ちくてき】は天下知る、鄭君の宝とする所 尤【もっと】も壊奇【かいき】なり。
携え来たり昼に当たるも臥すを得ず、一府伝え看る 黄瑠璃【こうるり】。
体堅く色浄く 又節を蔵す、尽眼【じんがん】凝滑にして瑕疵【かし】無し。
法曹は貧賤【ひんせん】にして衆の易【あなど】る所、腰腹空しく大なるも何をか能【よ】く為さん。

#2
五月自従り 暑湿に困【くる】しみ、深甑【しんそう】に坐して蒸炊【じょうすい】に遭うが如し。
手を磨し袖を払いて 心口に語る、慢膚【まんぷ】汗多きは真【まこと】に相宜【よろ】しと。
日暮れて帰り来たり 独り惆悵【ちゅうちょう】し、売る有らば直ちに家資を傾けんと欲す。
誰か謂【おも】わん 故人我が意を知り、八尺の含風【がんふう】漪【い】を巻いて送らんとは。

#3
奴を呼び地を掃【はら】って鋪【し】かしむること未だ了【お】わらざるに、光彩照耀して童児を驚かす。
青蠅【せいよう】は翅を側【そば】め蚤虱【そうしつ】は避け、粛粛【しゅくしゅく】として清飈【せいひょう】の吹くこと有るかと疑う。
身を倒して甘寝【かんしん】し百疾【ひゃくしつ】愈【い】え、却って願う 天日の恒に炎曦【えんぎ】なるを。
明珠・青玉も報ゆるに足らず、子【し】に相好【よ】くして時として衰うる無きを贈らん。


現代語訳と訳註
(本文)

蘄州笛竹天下知,鄭君所寶尤瑰奇。
擕來當晝不得臥,一府傳看黄琉璃。
體堅色淨又藏節,盡眼凝滑無瑕疵。
法曹貧賤眾所易,腰腹空大何能爲?』

(下し文) (鄭群 簟を贈る)#1
蘄州【きしゅう】の笛竹【ちくてき】は天下知る、鄭君の宝とする所 尤【もっと】も壊奇【かいき】なり。
携え来たり昼に当たるも臥すを得ず、一府伝え看る 黄瑠璃【こうるり】。
体堅く色浄く 又節を蔵す、尽眼【じんがん】凝滑にして瑕疵【かし】無し。
法曹は貧賤【ひんせん】にして衆の易【あなど】る所、腰腹空しく大なるも何をか能【よ】く為さん。


(現代語訳)
鄭侍御史に簟を贈られる
蘄州(湖北省蘄春県)の笛竹は天下にその名を知られたものだが、鄭君が宝物にしている竹は特にすぐれて珍しく、美しいものだ。
それを持って来たのはちょうど昼だったが、その上に寝ることもならず、黄色の瑠璃のような竹を幕府の役所じゅうの人が統々と手渡しして見入る。
その本体は堅く色はさっぱりとしているうえに節も見えぬようになっており、目のとどくところはすべてつるつるとしていて悪い所が全くない。
法曹参軍は俸禄が低いし、地位も低い職で、人々に軽く見られているようだ。太って腰や腹ばかりが大きくても何ができるというのだろうか。


(訳注)
鄭羣贈簟

鄭侍御史に簟を贈られる
鄭群 殿中侍御史の肩書をもって刑南節度使裴均の幕僚として江陵に勤務していた人物である。○ シーツに似た寝具で、竹を編んで作る。夏はその上に寝ると、涼しいわけである。


蘄州笛竹天下知,鄭君所寶尤瑰奇。
蘄州(湖北省蘄春県)の笛竹は天下にその名を知られたものだが、鄭君が宝物にしている竹は特にすぐれて珍しく、美しいものだ。
蘄州 湖北省武漢市の近郊の黄岡市の蘄春県方面である。蘄州は隋の時代に設定されたもので、二郡(斉昌郡、永安郡)三県(斉昌県・蘄水県・浠水県)を刑南節度使が治めていた。○ もっとも。瑰奇 優れて珍しい。


擕來當晝不得臥,一府傳看黄琉璃。
それを持って来たのはちょうど昼だったが、その上に寝ることもならず、黄色の瑠璃のような竹を幕府の役所じゅうの人が統々と手渡しして見入る。
 たずさえる。笛を持参してくる。○黄琉璃 黄色の瑠璃のようである。


體堅色淨又藏節,盡眼凝滑無瑕疵。
その本体は堅く色はさっぱりとしているうえに節も見えぬようになっており、目のとどくところはすべてつるつるとしていて悪い所が全くない。
體堅 笛の本体は堅い。○色淨 色はさっぱりとしている○又藏節 節も見えないようになっている。


法曹貧賤眾所易,腰腹空大何能爲?』
法曹参軍は俸禄が低いし、地位も低い職で、人々に軽く見られているようだ。太って腰や腹ばかりが大きくても何ができるというのだろうか。
法曹 江陵の幕府での韓愈の役、法曹参軍。○貧賤 俸禄が低いし、地位も低い職。○腰腹空大 韓愈は太っていたことをいう。

杏花 #3 Ⅱ韓退之(韓愈) 紀頌之の漢詩ブログ995中唐306 韓愈特集-37-#3

杏花 #3 Ⅱ韓退之(韓愈) 紀頌之の漢詩ブログ995中唐306 韓愈特集-37-#3


韓愈 杏花 #1
居鄰北郭古寺空,杏花兩株能白紅。
曲江滿園不可到,看此寧避雨與風 ?
二年流竄出嶺外,所見草木多異同。』

冬寒不嚴地恆泄,陽氣發亂無全功。
浮花浪蘂鎮長有,纔開還落瘴霧中。
山榴躑躅少意思,照耀黃紫徒為叢。』

鷓鴣鈎輈猿叫歇,杳杳深谷攢青楓。
鷓鴣が鳴き、猿の叫びがやむとき、底も知れぬ深い谷の奥に青々とした楓がいっぱいに茂っている。
豈如此樹一來翫,若在京國情何窮。
このような杏の木は一度来て見て楽しむだけですまされようか。もし都にあったならば無限の物思いを催させるものとなったであろうものを。
今旦胡為忽惆悵,萬片飄泊隨西東。
今朝はふと悲しみの心が湧いたが、なぜだろう。それは杏の花が一万片の花びらとなって空中にただよい、風の吹くまま西へ東へと飛んでいってしまったからだ。
明年更發應更好,道人莫忘鄰家翁。』

来年また花が咲いたらおそらくもっときれいになるだろう。修行僧侶さま、杏の花を見たがっている隣りの歳よりを忘れないでほしい。
 
 
杏花
居隣【きょりん】の北郭 古寺空しく、杏花両株 能【よ】く白紅。
曲江満園 到る可からず、此を看て 寧【いず】くんぞ雨と風とを避けん。 
二年流竄【りゅうざん】して嶺外【れいがい】に出で、見し所の草木 異同多し。』
#2
冬寒【とうかん】厳【げん】ならず 地恒に泄【も】らし、陽気 発乱して全功無し。
浮花 浪蘂【ろうずい】 鎮長【ちんちょう】に有り、纔かに開いて 還た落つ 瘴霧【しょうむ】の中。
山榴【さんりゅう】躑躅【てきちょく】 意思少なく、   黄紫を照耀【しょうよう】して徒【いたず】らに叢【そう】を為す。』
#3
鷓鴣【しゃこ】鈎輈【こうちゅう】として猿の叫び歇【や】み、杳杳【ようよう】たる深谷 青楓【せいふう】を攢【あつ】む。
壹如【あにし】かんや此の樹の一たび来翫【らいがん】するに、若し京国【けいこく】に在らば 情何ぞ窮まらん。
今且【こんたん】胡為【なんす】れぞ忽【たちま】ち惆悵【ちょうちょう】する、万片飄泊【ひょうはく】して西東に随う。
明年更に発【ひら】けば応【まさ】に更に奸かるべし、道人【どうじん】忘るる莫かれ隣家の翁【おう】。


現代語訳と訳註
(本文)

鷓鴣鈎輈猿叫歇,杳杳深谷攢青楓。
豈如此樹一來翫,若在京國情何窮。
今旦胡為忽惆悵,萬片飄泊隨西東。
明年更發應更好,道人莫忘鄰家翁。』

(下し文) #3
鷓鴣【しゃこ】鈎輈【こうちゅう】として猿の叫び歇【や】み、杳杳【ようよう】たる深谷 青楓【せいふう】を攢【あつ】む。
壹如【あにし】かんや此の樹の一たび来翫【らいがん】するに、若し京国【けいこく】に在らば 情何ぞ窮まらん。
今且【こんたん】胡為【なんす】れぞ忽【たちま】ち惆悵【ちょうちょう】する、万片飄泊【ひょうはく】して西東に随う。
明年更に発【ひら】けば応【まさ】に更に奸かるべし、道人【どうじん】忘るる莫かれ隣家の翁【おう】。

(現代語訳)
麟鵠が鳴き、猿の叫びがやむとき、底も知れぬ深い谷の奥に青々とした楓がいっぱいに茂っている。
このような杏の木は一度来て見て楽しむだけですまされようか。もし都にあったならば無限の物思いを催させるものとなったであろうものを。
今朝はふと悲しみの心が湧いたが、なぜだろう。それは杏の花が一万片の花びらとなって空中にただよい、風の吹くまま西へ東へと飛んでいってしまったからだ。
来年また花が咲いたらおそらくもっときれいになるだろう。修行僧侶さま、杏の花を見たがっている隣りの歳よりを忘れないでほしい。


(訳注)
鷓鴣鈎輈猿叫歇,杳杳深谷攢青楓。

麟鵠が鳴き、猿の叫びがやむとき、底も知れぬ深い谷の奥に青々とした楓がいっぱいに茂っている。
鈎輈【こうちゅう】 力強く鳴く鷓鴣のなきごえ。『本草鷓鴣』「集解、孔志約曰、鷓鴣生江南、形似る母鷄、鳴けば云う鈎輈格磔亅。」(集解、孔志約曰く、鷓鴣は江南に生ず、形母鷄に似る、鳴けば鈎輈格磔【かくたく】と云う)


豈如此樹一來翫,若在京國情何窮。
このような杏の木は一度来て見て楽しむだけですまされようか。もし都にあったならば無限の物思いを催させるものとなったであろうものを。


今旦胡為忽惆悵,萬片飄泊隨西東。
今朝はふと悲しみの心が湧いたが、なぜだろう。それは杏の花が一万片の花びらとなって空中にただよい、風の吹くまま西へ東へと飛んでいってしまったからだ。


明年更發應更好,道人莫忘鄰家翁。』
来年また花が咲いたらおそらくもっときれいになるだろう。修行僧侶さま、杏の花を見たがっている隣りの歳よりを忘れないでほしい。

 この詩は江陵に着いて初めての歳をむかえ、元和元年の春の作である。ここに見える「古寺」は、金鑾寺である。また、

杏花 #2 Ⅱ韓退之(韓愈) 紀頌之の漢詩ブログ992中唐305 韓愈特集-37-#2

杏花 #2 Ⅱ韓退之(韓愈) 紀頌之の漢詩ブログ992中唐305 韓愈特集-37-#2
(杏花)

韓愈 杏花 #1
居鄰北郭古寺空,杏花兩株能白紅。
曲江滿園不可到,看此寧避雨與風 ?
二年流竄出嶺外,所見草木多異同。』

冬寒不嚴地恆泄,陽氣發亂無全功。
冬の寒さはあまり厳しくなくて、地面からは暖かい気が漏れており、万物を生長させる陽気はやたらに立ちのぼって、造化の完全なはたらきはない。
浮花浪蘂鎮長有,纔開還落瘴霧中。
季節はずれに咲いているあだ花はいつでもあって、それが南方特有の毒気を帯びているという霧のなかで咲いたかと思うとまた散ってしまう。
山榴躑躅少意思,照耀黃紫徒為叢。』
サツキやツツジも風情に乏しく、黄色や紫の花を輝かせるが、草むらをなしているだけのことだ。

鷓鴣鈎輈猿叫歇,杳杳深谷攢青楓。
豈如此樹一來翫,若在京國情何窮。
今旦胡為忽惆悵,萬片飄泊隨西東。
明年更發應更好,道人莫忘鄰家翁。』

  
杏花
居隣【きょりん】の北郭 古寺空しく、杏花両株 能【よ】く白紅。
曲江満園 到る可からず、此を看て 寧【いず】くんぞ雨と風とを避けん。 
二年流竄【りゅうざん】して嶺外【れいがい】に出で、見し所の草木 異同多し。』
#2
冬寒【とうかん】厳【げん】ならず 地恒に泄【も】らし、陽気 発乱して全功無し。
浮花 浪蘂【ろうずい】 鎮長【ちんちょう】に有り、纔かに開いて 還た落つ 瘴霧【しょうむ】の中。
山榴【さんりゅう】躑躅【てきちょく】 意思少なく、   黄紫を照耀【しょうよう】して徒【いたず】らに叢【そう】を為す。』

#3
鷓鴣【しゃこ】鈎輈【こうしゅう】として猿の叫び歇【や】み、杳杳【ようよう】たる深谷 青楓【せいふう】を攢【あつ】む。
壹如【あにし】かんや此の樹の一たび来翫【らいがん】するに、若し京国【けいこく】に在らば 情何ぞ窮まらん。
今且【こんたん】胡為【なんす】れぞ忽【たちま】ち惆悵【ちょうちょう】する、万片飄泊【ひょうはく】して西東に随う。
明年更に発【ひら】けば応【まさ】に更に奸かるべし、道人【どうじん】忘るる莫かれ隣家の翁【おう】。



現代語訳と訳註
(本文)

冬寒不嚴地恆泄,陽氣發亂無全功。
浮花浪蘂鎮長有,纔開還落瘴霧中。
山榴躑躅少意思,照耀黃紫徒為叢。』


(下し文) #2
冬寒【とうかん】厳【げん】ならず 地恒に泄【も】らし、陽気 発乱して全功無し。
浮花 浪蘂【ろうずい】 鎮長【ちんちょう】に有り、纔かに開いて 還た落つ 瘴霧【しょうむ】の中。
山榴【さんりゅう】躑躅【てきちょく】 意思少なく、   黄紫を照耀【しょうよう】して徒【いたず】らに叢【そう】を為す。』


(現代語訳)
冬の寒さはあまり厳しくなくて、地面からは暖かい気が漏れており、万物を生長させる陽気はやたらに立ちのぼって、造化の完全なはたらきはない。
季節はずれに咲いているあだ花はいつでもあって、それが南方特有の毒気を帯びているという霧のなかで咲いたかと思うとまた散ってしまう。
サツキやツツジも風情に乏しく、黄色や紫の花を輝かせるが、草むらをなしているだけのことだ。

(訳注)
冬寒不嚴地恒泄,陽氣發亂無全功。

冬の寒さはあまり厳しくなくて、地面からは暖かい気が漏れており、万物を生長させる陽気はやたらに立ちのぼって、造化の完全なはたらきはない。
地恒泄 地面からは暖かい気があふれている。○發亂 やたらに立ちのぼる陽炎をいう。○無全功 造化の完全なはたらきはない。


浮花浪蘂鎮長有,纔開還落瘴霧中
季節はずれに咲いているあだ花はいつでもあって、それが南方特有の毒気を帯びているという霧のなかで咲いたかと思うとまた散ってしまう。
浮花 浮花○浪蘂 あだ花○瘴霧中 瘴癘の地の空気中に有る毒気をいう。(実際には蚊によって媒介されていたマラリヤをいう。)


山榴躑躅少意思,照耀黃紫徒為叢。』
サツキやツツジも風情に乏しく、黄色や紫の花を輝かせるが、草むらをなしているだけのことだ。
山榴 「さつき(皐月)」の古名。山奥の岩肌などに自生する。盆栽などで親しまれている。サツキツツジ(皐月躑躅)などとも呼ばれており、他のツツジに比べ一ヶ月程度遅い、旧暦の五月(皐月)の頃に一斉に咲き揃うところからその名が付いたと言われる。○躑躅 ツツジ。おおむね常緑若しくは落葉性の低木から高木で、葉は常緑または落葉性で互生、果実は蒴花である。4月から5月の春先にかけて漏斗型の特徴的な形の花(先端が五裂している)を数個、枝先につける。杜鵑花(とけんか)、杜鵑はほととぎすの別名。

杏花 #1 Ⅱ韓退之(韓愈) 紀頌之の漢詩ブログ989 韓愈特集-37-#1

杏花 #1 Ⅱ韓退之(韓愈) 紀頌之の漢詩ブログ989 韓愈特集-37-#1
(杏花)


江陵府法曹參軍に赴任
 韓愈が江陵に到着したのは正確には何月何日のことだったか、はっきりしない。ともかく法曹参軍というのは、韓愈にとっては屈辱的な身分であり、そのことは韓愈自身はもちろんのこと、周囲の人々にとってもわかっていたはずで、普通ならこんな職にある人ではないと、誰もが知っていたろう。しかし韓愈は、周囲のそんな目に甘えも反発もせず、法曹参軍のつとめを真面目に果たしていたらしい。真面目に勤めていれば、いつかはそれが中央にも聞こえて、都に呼びもどしてもらえるとの期待をもったからのようである。だから彼は、己れの「卑官」について愚痴は言うものの、こんな任命をした朝廷に対して文句をつけようとはせず、ひたすら恭順の態度を表わしているのである。806年、元和元年、三十九歳の春を、愈はこのようにして江陵で迎えた。


韓愈 杏花 #1
居鄰北郭古寺空,杏花兩株能白紅。
私の住居の隣り、北の外城にある古寺はがらんとして何もないけれど、杏の花が二か所の束になって、みごとな白と紅の花がいっぱいだ。
曲江滿園不可到,看此寧避雨與風 ?
都の曲江の、園いっぱいに咲きほこる杏の花までは出かけて行くこともできないので、せめてこの花で心を慰めようとする、だけど雨や風を避けたりするほどのものではない。
二年流竄出嶺外,所見草木多異同。』
私は二年間、五嶺山脈の南、瘴癘の地に流されていたのだが、そこでは目にふれた草木はとかく自分がいままで知っているものとは違っていた。
#2
冬寒不嚴地恆泄,陽氣發亂無全功。
浮花浪蘂鎮長有,纔開還落瘴霧中。
山榴躑躅少意思,照耀黃紫徒為叢。』
#3
鷓鴣鈎輈猿叫歇,杳杳深谷攢青楓。
豈如此樹一來翫,若在京國情何窮。
今旦胡為忽惆悵,萬片飄泊隨西東。
明年更發應更好,道人莫忘鄰家翁。』

  
杏花
居隣【きょりん】の北郭 古寺空しく、杏花両株 能【よ】く白紅。
曲江満園 到る可からず、此を看て 寧【いず】くんぞ雨と風とを避けん。 
二年流竄【りゅうざん】して嶺外【れいがい】に出で、見し所の草木 異同多し。』

#2
冬寒【とうかん】厳【げん】ならず 地恒に泄【も】らし、陽気 発乱して全功無し。
浮花 浪蘂【ろうずい】 鎮長【ちんちょう】に有り、纔かに開いて 還た落つ 瘴霧【しょうむ】の中。
山榴【さんりゅう】躑躅【てきちょく】 意思少なく、   黄紫を照耀【しょうよう】して徒【いたず】らに叢【そう】を為す。』
#3
鷓鴣【しゃこ】鈎輈【こうしゅう】として猿の叫び歇【や】み、杳杳【ようよう】たる深谷 青楓【せいふう】を攢【あつ】む。
壹如【あにし】かんや此の樹の一たび来翫【らいがん】するに、若し京国【けいこく】に在らば 情何ぞ窮まらん。
今且【こんたん】胡為【なんす】れぞ忽【たちま】ち惆悵【ちょうちょう】する、万片飄泊【ひょうはく】して西東に随う。
明年更に発【ひら】けば応【まさ】に更に奸かるべし、道人【どうじん】忘るる莫かれ隣家の翁【おう】。


現代語訳と訳註
(本文)
杏花 #1
居鄰北郭古寺空,杏花兩株能白紅。
曲江滿園不可到,看此寧避雨與風 ?
二年流竄出嶺外,所見草木多異同。』


(下し文) 杏花
居隣【きょりん】の北郭 古寺空しく、杏花両株 能【よ】く白紅。
曲江満園 到る可からず、此を看て 寧【いず】くんぞ雨と風とを避けん。 
二年流竄【りゅうざん】して嶺外【れいがい】に出で、見し所の草木 異同多し。』


(現代語訳)
私の住居の隣り、北の外城にある古寺はがらんとして何もないけれど、杏の花が二か所の束になって、みごとな白と紅の花がいっぱいだ。
都の曲江の、園いっぱいに咲きほこる杏の花までは出かけて行くこともできないので、せめてこの花で心を慰めようとする、だけど雨や風を避けたりするほどのものではない。
私は二年間、五嶺山脈の南、瘴癘の地に流されていたのだが、そこでは目にふれた草木はとかく自分がいままで知っているものとは違っていた。

杏00紅白花00

(訳注)
居鄰北郭古寺空,杏花兩株能白紅。

私の住居の隣り、北の外城にある古寺はがらんとして何もないけれど、杏の花が二か所の束になって、みごとな白と紅の花がいっぱいだ。
○居鄰 江陵府について居を構えた。その隣にある。○北郭 城郭の北にある。○古寺 金鑾寺。○杏花 春(現代暦3月下旬から4月頃)に、桜よりもやや早く淡紅の花を咲かせ、初夏にウメに似た実を付ける。美しいため花見の対象となる。杏の花は咲き始めは紅色だが、しだいに白くなっていくとされるが、紅種もあるので、白紅としたもの。○兩株 二本に限らず、花の塊が二か所であろう。


曲江滿園不可到,看此寧避雨與風。
都の曲江の、園いっぱいに咲きほこる杏の花までは出かけて行くこともできないので、せめてこの花で心を慰めようとする、だけど雨や風を避けたりするほどのものではない。
○曲江 長安中心部より東南東数キロのところにある池の名。風光明媚な所。漢・武帝がここに宜春苑を造営した。(地図の赤線は長安城の城郭、青印が曲江) ・曲:くま。この池はかなり曲線があり、池の奥深いところ。池の湾曲した部分をいう。春は、牡丹、梨、杏などすべての花が咲き誇る歓楽地であった。


二年流竄出嶺外,所見草木多異同。
私は二年間、五嶺山脈の南、瘴癘の地に流されていたのだが、そこでは目にふれた草木はとかく自分がいままで知っているものとは違っていた。
嶺外 西から東の順に、越城嶺(えつじょうれい)、都龐嶺(とほうれい)、萌渚嶺(ほうしょれい)、騎田嶺(きでんれい)、大庾嶺(だいゆれい)の五つの山並みが組み合わさっているためこの名がある。
南嶺山脈は歴史的に天然の障壁となっており、嶺南(広東省および広西チワン族自治区)と中原の間の交通の妨げであった。嶺南には中原の政治的支配や文化が十分に及ばない時期もあり、華北の人間は嶺南を「蛮夷の地」と呼んできた。唐朝の宰相・張九齢が大庾嶺を切り開いて「梅関古道」を築いて以後、嶺南地区の開発がようやく進んできた。また古代以来の中国の統治者たちは南嶺を行政区画を作る上で利用してきており、南嶺は諸省区の境界線および辺縁の地となってきた。

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紀 頌之

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