漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩 中唐詩人選集【Ⅰ李商隠-150】Ⅱ韓退之(韓愈)-500Ⅶ孟郊(東野)賈島張籍柳宗元韋応物

Ⅰ李商隠は難解詩といわれている。約150首紹介済。(晩唐詩人) Ⅱ韓退之(韓愈)-約500首Ⅶ孟郊、中唐の詩人を掲載中。万物の性(さが)をテーマにした哲学的な詩。このブログは基本的に中唐詩人を中心にして掲載する予定。 韓愈詩文のこれまでの掲載分とこれから掲載予定分を時系列で整理した2014.3.29のブログに集約してそこから各年次を見ることができる  kanbuniinkai 検索で、《漢文委員会HP05》サイトあります。漢詩唐詩を理解するための総合サイト:≪漢文委員会 漢詩07≫。

雑詩

少し、マニアックな晩唐詩人Ⅰ-李商隠150首をまず掲載済み。中唐は盛唐詩人(孟浩然・王維、杜甫、李白)を受け継いだ多様な詩人が出ている。この時代も驚くほど詩が発展している。Ⅱ韓退之(韓愈)500首、Ⅲ柳宗元40首、Ⅳ韋応物、Ⅴ劉長卿、Ⅵ韋荘、Ⅶ孟郊(孟東野)、Ⅷ張籍、Ⅸ賈島、Ⅹ劉禹錫、ほか2012~2020年の予定で気長に進める。同じ中唐ではあるが、白居易のグループについては、李白のブログ350首(2015/6月再開~2018/夏・秋月予定)の後掲載の予定。別に杜甫詩ブログ1500首(2011/7月~2018/8月の予定で)を進行中。詩数につぃては、予定の詩数より多くなる。気まぐれなところがあるのでこの予定が少し変わる場合があり、その節はご容赦ください。                 古詩・謝霊運詩 杜甫詩 韓愈詩 花間集500首全詩 それぞれ毎日ブログしています。 このブログ、索引=語句の「検索」 参考書以上掲載。漢詩力up。

河之水二首寄子侄老成 <44>Ⅱ韓退之(韓愈)詩319 紀頌之の漢詩ブログ 1036

河之水二首寄子侄老成 <44>Ⅱ韓退之(韓愈)詩319 紀頌之の漢詩ブログ 1036


詩経、王風『揚之水』(たばしるみず)
揚之水、不流束薪。
彼其之子、不與我戍申。
懐哉懐哉、曷月予還歸哉。
揚之水、不流束楚。
彼其之子、不與我戍甫。
懐哉懐哉、曷月予還歸哉。

(たばしる水)
揚れる水は、束ねし楚をも流さず。
彼の其の子は、我と與に申を戍らず。
懐う哉 懐う哉、曷【いつ】の月か予【わ】れは還り歸らん哉。

揚れる水は、束ねし薪をも流さず。
彼の其の子は、我と與に甫を戍らず。
懐う哉 懐う哉、曷【いつ】の月か予【わ】れは還り歸らん哉。

平王の時代、あいまいな理由で、国境警備に狩出された近衛兵が、理不尽な配置であること、早く故郷に帰りたいと不平を詠う詩である。同じ語で、一部置き換えて詠う。詩経に多い形である。韓愈はこれを踏襲している。



河之水二首寄子侄老成

河之水,去悠悠。
我不如,水東流。
我有孤侄在海陬,三年不見兮使我生憂。
日複日,夜複夜。
三年不見汝,使我鬢發未老而先化。
  

河之水,悠悠去。
黄河の水、はるかかなたに去り流れていく。
我不如,水東注。
わたしは黄河の流れがあたりまえのこととして東の海に注いでいるのに君にこの思いをそそぐことをしていない情ない身の上だ。
我有孤侄在海浦,三年不見兮使我心苦。
そして、私には君という宣城上元の荘園に孤独にさせ、それは東海の海や入り江の泊まりにそのまま放置しているのと同じことなのだ、もう三年逢っていない、だから心配で仕方がない気持ちがいつも胸が苦しくてたまらない思いだ。
采蕨於山,緡魚於淵。
わたしは高い山にワラビを取りながら君のことを思いやり、君は沈碑潭の淵で釣り糸を垂れて魚を取りながら私の迎えを待っている。
我徂京師,不遠其還。

そして私は長安の都に行ったままだけど、そんなに遠くではないやがて君をむかえに帰るよ。



(河の水 二首 子姪老成に寄す)1
河の水、去って悠悠【ゆうゆう】。
我は 如【し】かず、水の東流するに。
我に孤侄【こてん】有り、海陬【かいすう】に在り、三年 見ず、我をして忧【うれえ】を生ぜしむ
日 復 日、夜 復 夜。
三年 汝を見ず、我が鬢髪【びんはつ】をして未だ老いざるに而【しか】も先づ化【か】せしむ。

2.
河の水、悠悠と去る。
我は如かず、水の東注するに。
我に孤姪有り 海浦に在り、三年 見ず我をして心苦ましむ。
蕨を山に采り、魚を淵に緡す。
我 京師に徂くも、遠からず其れ還らむ


現代語訳と訳註
(本文) 2.

河之水,悠悠去。
我不如,水東注。
我有孤侄在海浦,三年不見兮使我心苦。
采蕨於山,緡魚於淵。
我徂京師,不遠其還。


(下し文)
河の水、悠悠と去る。
我は如かず、水の東注するに。
我に孤姪有り 海浦に在り、三年 見ず我をして心苦ましむ。
蕨を山に采り、魚を淵に緡す。
我 京師に徂くも、遠からず其れ還らむ

(現代語訳)
黄河の水、はるかかなたに去り流れていく。
わたしは黄河の流れがあたりまえのこととして東の海に注いでいるのに君にこの思いをそそぐことをしていない情ない身の上だ。
そして、私には君という宣城上元の荘園に孤独にさせ、それは東海の海や入り江の泊まりにそのまま放置しているのと同じことなのだ、もう三年逢っていない、だから心配で仕方がない気持ちがいつも胸が苦しくてたまらない思いだ。
わたしは高い山にワラビを取りながら君のことを思いやり、君は沈碑潭の淵で釣り糸を垂れて魚を取りながら私の迎えを待っている。
そして私は長安の都に行ったままだけど、そんなに遠くではないやがて君をむかえに帰るよ。

嚢陽一帯00

(訳注)
河之水,悠悠去。

黄河の水、はるかかなたに去り流れていく。
悠悠 日本語では悠悠とか悠然とかいう場合は、ゆったりしたとの意で、やや威張った感じに使われるが、中国の詩文では愁いを帯びたことばとして用いられることが多い。


我不如,水東注。
わたしは黄河の流れがあたりまえのこととして東の海に注いでいるのに君にこの思いをそそぐことをしていない情ない身の上だ。


我有孤侄在海浦,三年不見兮使我心苦。
そして、私には君という宣城上元の荘園に孤独にさせ、それは東海の海や入り江の泊まりにそのまま放置しているのと同じことなのだ、もう三年逢っていない、だから心配で仕方がない気持ちがいつも胸が苦しくてたまらない思いだ。

 
采蕨於山,緡魚於淵。
わたしは高い山にワラビを取りながら君のことを思いやり、君は沈碑潭の淵で釣り糸を垂れて魚を取りながら私の迎えを待っている。
采蕨於山 詩経、召南の『草蟲』「渉彼南山、言采其蕨。未見君子、憂いの心、をる彼の南山に捗って、言、其の蕨を采る。未まだ君子を見ざれば、憂いの心惙惙たり。」の句がある。南の山に登って私はワラビを摘む。あなたの御顔を見ぬうちは心配で胸がずきずき痛む。○緡魚於淵 詩経召南の『何彼穠矣』に「其釣維何、維絲伊緡。」(其の釣するは維れ何ぞ、維れ糸を伊れ緡とす)の句がある。行こうにも行けない韓愈を、兵士の妻や、嫁入りの娘に喩え、詩経を釈文してあらわす。挺古詩をいかに巧みに作りうるかが、詩人の才能をはかる一つの尺度とされていた(科挙試験など)。この詩も『詩経』の諸篇とほとんどみわけがつかないぐらいうまく古調を模している点で高く評価されたのであろう。復古主義の韓愈はこうして、子供の時に約束した子供のように思っていた老成に語句の背面にある『詩経』の心を、老成にくみ取らせ、老成が『詩経』を読むたびに韓愈を思い、寂しさを勉学に向かわせようとした。中國の人々は老成と同じ気持ちになって、韓愈の思いやりを読み取ったのである。したがって韓愈のこの詩が人々の中に受け入れられたのであり、華美、美辞麗句、艶歌に向かいがちであった人たちに古き詩文の新しさを感じさせたのである。


我徂京師,不遠其還。
そして私は長安の都に行ったままだけど、そんなに遠くではないやがて君をむかえに帰るよ。

河之水二首寄子侄老成 <43>Ⅱ韓退之(韓愈)詩318 紀頌之の漢詩ブログ 1033

河之水二首寄子侄老成 <43>Ⅱ韓退之(韓愈)詩318 紀頌之の漢詩ブログ 1033

河之水二首寄子侄老成

河之水,去悠悠。
河の水二首このように思う甥の老成に寄せる。
我不如,水東流。
わたしは黄河の流れがあたりまえのこととして東流しているように君のところへ行くことをしていない情ない身の上だ。
我有孤侄在海陬,三年不見兮使我生憂。
そして、私には君という宣城上元の荘園に孤独にさせている甥がいるのだ、もう三年逢っていない、だから心配で仕方がない気持ちがいつも胸が詰まる思いだ。
日複日,夜複夜。
夜一日すぎて、また一日がやって來る、一夜あけて、また一夜が来る。
三年不見汝,使我鬢發未老而先化。
本当に三年も君と会っていないと、目はぼうっとかすみ、髪はすっかり白くなってしまった。
  

河之水,悠悠去。
我不如,水東注。
我有孤侄在海浦,三年不見兮使我心苦。
采蕨於山,緡魚於淵。
我徂京師,不遠其還。


(河の水 二首 子姪老成に寄す)1
河の水、去って悠悠【ゆうゆう】。
我は 如【し】かず、水の東流するに。
我に孤侄【こてん】有り、海陬【かいすう】に在り、三年 見ず、我をして忧【うれえ】を生ぜしむ
日 復 日、夜 復 夜。
三年 汝を見ず、我が鬢髪【びんはつ】をして未だ老いざるに而【しか】も先づ化【か】せしむ。

2.
河の水、悠悠と去る。
我は如かず、水の東注するに。
我に孤姪有り 海浦に在り、三年 見ず我をして心苦ましむ。
蕨を山に采り、魚を淵に緡す。
我 京師に徂くも、遠からず其れ還らむ

現代語訳と訳註
(本文) 1

河之水,去悠悠。
我不如,水東流。
我有孤侄在海陬,三年不見兮使我生憂。
日複日,夜複夜。
三年不見汝,使我鬢發未老而先化。


(下し文) (河の水 二首 子姪老成に寄す)1
河の水、去って悠悠【ゆうゆう】。
我は 如【し】かず、水の東流するに。
我に孤侄【こてん】有り、海陬【かいすう】に在り、三年 見ず、我をして忧【うれえ】を生ぜしむ
日 復 日、夜 復 夜。
三年 汝を見ず、我が鬢髪【びんはつ】をして未だ老いざるに而【しか】も先づ化【か】せしむ。


(現代語訳)
河の水二首このように思う甥の老成に寄せる。
わたしは黄河の流れがあたりまえのこととして東流しているように君のところへ行くことをしていない情ない身の上だ。
そして、私には君という宣城上元の荘園に孤独にさせている甥がいるのだ、もう三年逢っていない、だから心配で仕方がない気持ちがいつも胸が詰まる思いだ。
夜一日すぎて、また一日がやって來る、一夜あけて、また一夜が来る。
本当に三年も君と会っていないと、目はぼうっとかすみ、髪はすっかり白くなってしまった。


(訳注)
河之水二首寄子侄老成

河の水二首このように思う甥の老成に寄せる。
河之水二首 底本巻三。この題も『詩経』にならったもの。二首が、少しばかりの語をのぞいて、互いにほとんど同じであるところも『詩経』をまねたものである。○子侄 侄は甥のこと。子の字は以前韓愈が一緒に住んでいたことを意味し、このように思う(十二郎を祭る文)とするもの。あるいは、誤って加わった文字だとする説があるが従えない。○老成 韓愈の次兄韓介の子で、長兄韓会の養子となり、十二郎とよばれた韓老成である。韓老成四歳、韓愈14歳の時、兄韓会が左遷先(韶州・現広東省曲江県)で死去、兄嫁と甥の老成と共に戦乱の中、死物狂いで、洛陽まで帰った。その後兄嫁も死に、老成と二人、死んだ兄の荘園で暮らす経験を持つもの。十九歳、老成9歳になって、韓愈は受験で出る。この時「しばらく別れるが必ず一緒に棲む」と約束して出発する。何回か再会し、汴州の乱がおこるまで1年一緒に暮らすが、その後、老成と死に別れする。その詩に対しての詩が『祭十二郎文(十二郎を祭る文)』である。


河之水,去悠悠。
黄河の水、はるかかなたに流れ去っていく。


我不如,水東流。
わたしは黄河の流れがあたりまえのこととして東流しているように君のところへ行くことをしていない情ない身の上だ。
我不如水東流 東海のほとりに住むおまえに会いにもゆけないわたしは、東の方に流れてゆく川水にも及ばない情ない身の上だ。


我有孤侄在海陬,三年不見兮使我生憂。
そして、私には君という宣城上元の荘園に孤独にさせている甥がいるのだ、もう三年逢っていない、だから心配で仕方がない気持ちがいつも胸が詰まる思いだ。
孤姪 親のない甥。○海陬【かいすう】 海(みずうみ)のほとり。このとき老成は、宣城上元の荘園にいた。・宜城酒:裏陽が名酒の産地であつた。襄州宜城(現在湖北宜城県)・雲夢:古代中国で湖北省の武漢一帯にあったとされる大湿地。のち、長江と漢水が沖積して平原となった。武漢付近に散在する湖沼はその跡。宜城は海岸のまちではないが大湿地帯で、湖が散在していること。漢水により、荘園が水没した経験からこの表現になったのではないか。


日複日,夜複夜。
夜一日すぎて、また一日がやって來る、一夜あけて、また一夜が来る。
日夜日夜復 夜一日すぎて、また一日がやって來る、一夜あけて、また一夜が来る。おとついも会えず、きのうも食えず、またきょうも会えなかった。そんな嘆きが、このくりかえされる語と句とから、読む者の胸に、自然に、痛切に、響いてくる。古い詩によく使われた句だ。


三年不見汝,使我鬢發未老而先化。
本当に三年も君と会っていないと、目はぼうっとかすみ、髪はすっかり白くなってしまった。
未老而先化 韓愈は「十二郎を祭る文」の中で「吾、年いまだ四十ならざるに、しかも視は茫茫として、髪は蒼蒼たりしといっている。目はぼうっとかすみ、髪はすっかり白くなってしまった、というのである。又別に、『落歯』「去年落一牙、今年落一齒。俄然落六七、落勢殊未已。」(昨年、一牙【いちが】を落ち、今年、一歯【いっし】を落つ。俄然【がぜん】として六七を落ち、落つる勢い殊に未だ己【や】まず。)に、三十代で歯槽膿漏で苦しんだ。その白髪の、なんと悲痛にひびいてくる。

嗟哉董生行 <42>#2Ⅱ韓退之(韓愈)詩316 紀頌之の漢詩ブログ 1027

嗟哉董生行 <42>#2Ⅱ韓退之(韓愈)詩316 紀頌之の漢詩ブログ 1027
嗟哉董生行(韓愈 唐詩 底本二巻)
(嗟哉【ああ】董生の行【うた】)


嗟哉董生行  #1
淮水出桐柏,山東馳遙遙、千里不能休;
淝水出其側,不能千里, 百里入淮流。
壽州屬縣有安豐,唐 貞元時,縣人 董生召南,隱居行義於其中。
刺史不能薦,天子 不聞名聲。
#2
爵祿不及門,門外惟有吏,日來征租更索錢。
俸禄が門を開けて家にとどくはずがない、門戸に税吏だけがあり、毎日やって来て納税の督促し、そのうえ「わいろ=小銭」を要求する。
嗟哉董生,朝出耕夜歸讀古人書,盡日不得息。
ああ 董くん、こんなことじゃ朝家を出て畑を耕し、夜帰って古人の書を読む毎日だが、昼の間休むこともできないありさまだ。
或山而樵,或水而漁。
また、ある日は山で木こりをし、ある日は川で漁師をする。
入廚具甘旨,上堂問起居。
台所に入りごはんしたくをうまいものをつくり、奥座敷の親のためにごきげんをうかがっている。
父母不戚戚,妻子不咨咨。
父母はくよくよせず、妻子もあくせくしない。
嗟哉董生孝且慈,人不識,惟有天翁知,生祥下瑞無時期。

ああ 董くん、きみは孝行もので情ぶかい、このことは人は気もつかぬことであるが、天の神さまだけはご存じで、しょっちゅう幸せな喜ばしいことをおくだしになる。
#3
家有狗乳出求食,雞來哺其兒。
啄啄庭中拾蟲蟻,哺之不食鳴聲悲。
彷徨躑躅久不去,以翼來覆待狗歸。
嗟哉董生,誰將與儔?
時之人,夫妻相虐,兄弟爲讎。
食君之祿,而令父母愁。
亦獨何心,嗟哉董生無與儔。

(嗟哉【ああ】董生の行【うた】)#1
准水【わいすい】は桐柏【とうはく】より出で、山東に馳【は】せて 遙遙【ようよう】、千里 休む能【あた】はず。
淝水【ひすい】は其の側【かたわら】に出で、千里なる能はざれども、百里にして淮に入りて 流る。
壽州【じゅしゅう】の屬縣【ぞくけん】に安豊【あんぽう】有り、唐の貞元【ていげん】の時、縣人の董生【とうせい】召南【しょうなん】あり、隠れ居【す】みて 義を其の中【うち】に行ふ。
刺史【しし】は薦むる能はず、天子は名聾を聞かず。
#2
爵祿【しゃくろく】門に及ばず、門外 惟【ただ】吏【り】あるのみ、日に来って租を徹し更に餞を索【もと】む。
嗟哉【ああ】董生【とうせい】、朝に出でて耕し、夜は掃って古人の書を読む、尽日 息ふことを得ず。
或は山に樵【しょう】し、或は水に漁す。
厨【くりや】に入って甘旨【かんし】を具【ととの】へ、堂に上って起居を問ふ。
父母は戚戚たらず、妻子は咨咨【しし】たらず。
嗟哉【ああ】董生【とうせい】 孝にして且 慈【じ】、人識らず、惟 天翁【てんおう】のみ知る有り、祥を生じ 瑞【ずき】を下し 時期 無し。

#3
家に狗【いぬ】の乳する有り 出でて食を求む、鷄【にわとり】来って その児【こ】を哺【はぐく】まむとす。
啄啄【たくたく】として庭中に蟲蟻【ちゅうぎ】を拾ふ、之を哺【はぐく】ましめむとすれども食はず 鳴く聲悲し。
彷徨【ほうこう】し躑躅【てきちょく】して 久しく去らず、翼を以て来り覆うて 狗の歸るを待つ。
嗟哉 董生、誰を以てか與【とも】に儔【たぐ】へむ。
時の人、夫妻 相 虐【さいな】み 兄弟讎【あた】を爲す。
君の祿を食【は】み、而【しか】も 父母をして愁へしむ。
亦 濁り何の心ぞ、嗟哉 董生、與【とも】に儔【たぐ】へむもの無し。



現代語訳と訳註
(本文) #2

爵祿不及門,門外惟有吏,日來征租更索錢。
嗟哉董生、朝出耕,夜歸讀古人書,盡日不得息。
或山而樵,或水而漁。
入廚具甘旨,上堂問起居。
父母不戚戚,妻子不咨咨。
嗟哉董生孝且慈,人不識,惟有天翁知,生祥下瑞無時期。


(下し文)#2
爵祿【しゃくろく】門に及ばず、門外 惟【ただ】吏【り】あるのみ、日に来って租を徹し更に餞を索【もと】む。
嗟哉【ああ】董生【とうせい】、朝に出でて耕し、夜は掃って古人の書を読む、尽日 息ふことを得ず。
或は山に樵【しょう】し、或は水に漁す。
厨【くりや】に入って甘旨【かんし】を具【ととの】へ、堂に上って起居を問ふ。
父母は戚戚たらず、妻子は咨咨【しし】たらず。
嗟哉【ああ】董生【とうせい】 孝にして且 慈【じ】、人識らず、惟 天翁【てんおう】のみ知る有り、祥を生じ 瑞【ずき】を下し 時期 無し。


(現代語訳)#2
俸禄が門を開けて家にとどくはずがない、門戸に税吏だけがあり、毎日やって来て納税の督促し、そのうえ「わいろ=小銭」を要求する。
ああ 董くん、こんなことじゃ朝家を出て畑を耕し、夜帰って古人の書を読む毎日だが、昼の間休むこともできないありさまだ。
また、ある日は山で木こりをし、ある日は川で漁師をする。
台所に入りごはんしたくをうまいものをつくり、奥座敷の親のためにごきげんをうかがっている。
父母はくよくよせず、妻子もあくせくしない。
ああ 董くん、きみは孝行もので情ぶかい、このことは人は気もつかぬことであるが、天の神さまだけはご存じで、しょっちゅう幸せな喜ばしいことをおくだしになる。


(訳注)#2
爵祿不及門,門外惟有吏,日來征租更索錢。

俸禄が門を開けて家にとどくはずがない、門戸に税吏だけがあり、毎日やって来て納税の督促し、そのうえ「わいろ=小銭」を要求する。
○吏 官吏は、天子が直接任命する官と、出先官庁がやとう吏とからなり、吏は書吏とも背丈とも称する。官は転任することが多いが、吏は転任せず、官の下役として官庁の実務にあたった。ここにうたわれる吏は緻税吏である。・吏索銭 税金を徴収した上、さらにワイロを出せと請求する。これまた「古来非独今」である。
從仕  (韓愈)
居閑食不足,從仕力難任。
兩事皆害性,一生恒苦心。
黄昏歸私室,惆悵起歎音。
棄置人間世,古來非獨今。


嗟哉董生、朝出耕,夜歸讀古人書,盡日不得息。
ああ 董くん、こんなことじゃ朝家を出て畑を耕し、夜帰って古人の書を読む毎日だが、昼の間休むこともできないありさまだ。
古人書 韓愈『雜詩』「古史散左右、詩書置後前。」(古史 左右に散じ、詩書 後前【こうぜん】に置く。)とある。古代の歴史の巻々は左右において勉学しているのでどうしても散らばりがちになってしまう。『詩経』『書経』詩人の詩文を前後において私の詩作に生かしている。


或山而樵,或水而漁。
また、ある日は山で木こりをし、ある日は川で漁師をする。
或山樵、戎水 二つの字を于とするものもある。この語法も韓愈の古文復活を示すところ。詩経を模したもの。


入廚具甘旨,上堂問起居。
台所に入りご飯仕度でうまいものを作り、奥座敷の親のためにご機嫌をうかがっている。
 台所。男が親のために、みずから調理することは中国では孝行の定型の一つである。○上堂 家の中で最もよい部屋が堂であって、そこに父母を住まわせる。だから父母のことを堂上ともいう。父母のいる部室に入ることを上堂という。○問起居 起き居が安らかであるかどうかをたずねる。すなわち、ごきげんをぅかがうこと。朝夕起居を問うのが子の親に対する礼儀とされる。


父母不戚戚,妻子不咨咨。
父母はくよくよせず、妻子もあくせくしない。
戚戚 くよくよする。○咨咨 あくせくする。


嗟哉董生、孝且慈,人不識,惟有天翁知,生祥下瑞無時期。
ああ 董くん、きみは孝行もので情ぶかい、このことは人は気もつかぬことであるが、天の神さまだけはご存じで、しょっちゅう幸せな喜ばしいことをおくだしになる。

孝且慈 孝は目上のものに対する、慈は目下のものに対する、やさしさ。○天翁 唐代には、物語の中で、天の神をこういった。天のあるじ、天帝のことである。○生祥下瑞 祥、瑞すなわち奇蹟をあらわした。○無時期 やむときがない。ひっきりなしに、というほどの意。

嗟哉董生行 <42>#1Ⅱ韓退之(韓愈)詩315 紀頌之の漢詩ブログ 1024

嗟哉董生行 <42>#1Ⅱ韓退之(韓愈)詩315 紀頌之の漢詩ブログ 1024
嗟哉董生行(韓愈 唐詩 底本二巻)
(嗟哉【ああ】董生の行【うた】)


嗟哉董生行  #1
ああ嘆かわしい世だね、董くんに歌う。
淮水出桐柏,山東馳遙遙、千里不能休;
淮水は胎簪山を水源にして桐柏山のふもとをめぐり流れ出でている、山の東へはるばる馳せ流れる、千里の間休んだりすることはない。
淝水出其側,不能千里, 百里入淮流。
支流に淝水があり、その水源の傍から出ており、千里とはいかないが百里を過ぎると淮水に注入し合流する。
壽州屬縣有安豐,唐 貞元時,縣人 董生召南,隱居行義於其中。
そこに壽州があり、屬縣の安豐が有るのだ、唐の徳宗の貞元時代に、その県人の董召南くんがいる、その男は知識人なのに仕官せず、民間にいるが正義や忠義を心の中に持っていて行いの正しいことをしている。
刺史不能薦,天子 不聞名聲。

州長官はその男を推薦しようとはしないのだ、だから天子は彼の名声を聞き及ぶことはないのだ。

#2
爵祿不及門,門外惟有吏,日來征租更索錢。
嗟哉董生,朝出耕夜歸讀古人書,盡日不得息。
或山而樵,或水而漁。
入廚具甘旨,上堂問起居。
父母不戚戚,妻子不咨咨。
嗟哉董生孝且慈,人不識,惟有天翁知,生祥下瑞無時期。
#3
家有狗乳出求食,雞來哺其兒。
啄啄庭中拾蟲蟻,哺之不食鳴聲悲。
彷徨躑躅久不去,以翼來覆待狗歸。
嗟哉董生,誰將與儔?
時之人,夫妻相虐,兄弟爲讎。
食君之祿,而令父母愁。
亦獨何心,嗟哉董生無與儔。


(嗟哉【ああ】董生の行【うた】)
准水【わいすい】は桐柏【とうはく】より出で、山東に馳【は】せて 遙遙【ようよう】、千里 休む能【あた】はず。
淝水【ひすい】は其の側【かたわら】に出で、千里なる能はざれども、百里にして淮に入りて 流る。
壽州【じゅしゅう】の屬縣【ぞくけん】に安豊【あんぽう】有り、唐の貞元【ていげん】の時、縣人の董生【とうせい】召南【しょうなん】あり、隠れ居【す】みて 義を其の中【うち】に行ふ。
刺史【しし】は薦むる能はず、天子は名聾を聞かず。

#2
爵祿【しゃくろく】門に及ばず、門外 惟【ただ】吏【り】あるのみ、日に来って租を徹し更に餞を索【もと】む。
嗟哉【ああ】董生【とうせい】、朝に出でて耕し、夜は掃って古人の書を読む、尽日 息ふことを得ず。
或は山に樵【しょう】し、或は水に漁す。
厨【くりや】に入って甘旨【かんし】を具【ととの】へ、堂に上って起居を問ふ。
父母は戚戚たらず、妻子は咨咨【しし】たらず。
嗟哉【ああ】董生【とうせい】 孝にして且 慈【じ】、人識らず、惟 天翁【てんおう】のみ知る有り、祥を生じ 瑞【ずき】を下し 時期 無し。
#3

家に狗【いぬ】の乳する有り 出でて食を求む、鷄【にわとり】来って その児【こ】を哺【はぐく】まむとす。
啄啄【たくたく】として庭中に蟲蟻【ちゅうぎ】を拾ふ、之を哺【はぐく】ましめむとすれども食はず 鳴く聲悲し。
彷徨【ほうこう】し躑躅【てきちょく】して 久しく去らず、翼を以て来り覆うて 狗の歸るを待つ。
嗟哉 董生、誰を以てか與【とも】に儔【たぐ】へむ。
時の人、夫妻 相 虐【さいな】み 兄弟讎【あた】を爲す。
君の祿を食【は】み、而【しか】も 父母をして愁へしむ。
亦 濁り何の心ぞ、嗟哉 董生、與【とも】に儔【たぐ】へむもの無し。



現代語訳と訳註
(本文) 嗟哉董生行  #1

淮水出桐柏,山東馳遙遙、千里不能休;
淝水出其側,不能千里  ,百里入淮流。
壽州屬縣有安豐,唐 貞元時,縣人 董生召南,隱居行義於其中。
刺史不能薦,天子 不聞名聲。


(下し文) (嗟哉【ああ】董生の行【うた】)#1
准水【わいすい】は桐柏【とうはく】より出で、山東に馳【は】せて 遙遙【ようよう】、千里 休む能【あた】はず。
淝水【ひすい】は其の側【かたわら】に出で、千里なる能はざれども、百里にして淮に入りて 流る。
壽州【じゅしゅう】の屬縣【ぞくけん】に安豊【あんぽう】有り、唐の貞元【ていげん】の時、縣人の董生【とうせい】召南【しょうなん】あり、隠れ居【す】みて 義を其の中【うち】に行ふ。
刺史【しし】は薦むる能はず、天子は名聾を聞かず。


(現代語訳)#1
ああ嘆かわしい世だね、董くんに歌う。
淮水は胎簪山を水源にして桐柏山のふもとをめぐり流れ出でている、山の東へはるばる馳せ流れる、千里の間休んだりすることはない。
支流に淝水があり、その水源の傍から出ており、千里とはいかないが百里を過ぎると淮水に注入し合流する。
そこに壽州があり、屬縣の安豐が有るのだ、唐の徳宗の貞元時代に、その県人の董召南くんがいる、その男は知識人なのに仕官せず、民間にいるが正義や忠義を心の中に持っていて行いの正しいことをしている。
州長官はその男を推薦しようとはしないのだ、だから天子は彼の名声を聞き及ぶことはないのだ。


(訳注) 嗟哉董生行  #1
ああ嘆かわしい世だね、董くんに歌う。
嗟哉董生行 底本巻二。董召南というすぐれた民間知識人をたたえたうた。嗟哉は「ああ」。董生は董召南をさす。生はもと学者という意味で、唐の時代には、くん、とか、さん、とかぐらいの敬称として用いられた。は詩体の一種。「男はつらいよ」の寅さんが口上を言うような詩である。このブログでは、漢詩の訳文を「現代詩」として付くことはしない事としている。できるだけ漢詩の意味が深く理解できるように考えて掲載しているが、この詩は、韓愈が啖呵を切るため、あるいは強調するため五言を四言にしたり、七言を六言にしている。その表現については原文に空白にしてあらわした。


淮水出桐柏,山東馳遙遙,千里不能休;
淮水は胎簪山を水源にして桐柏山のふもとをめぐり流れ出でている、山の東へはるばる馳せ流れる、千里の間休んだりすることはない。
推水 推陽平民県胎簪山から流れ出、東北方の桐柏山のふもとをめぐり、遠く東流して洪沢湖に注ぐ河。○遙遙 はるばる。『左伝、昭公二十五』「鸚鵠来巣、遠哉遙遙」(鸚鵠 巣より来たり、遠き遙遙たり)の句がみえる。


淝水出其側,不能千里 ,百里入淮流。
支流に淝水があり、その水源の傍から出ており、千里とはいかないが百里を過ぎると淮水に注入し合流する。
淝水 九江成徳県広陽郷から流出し西北に走って淮水に合流する。


壽州屬縣有安豐,唐貞元時 ,縣人 董生召南,隱居行義於其中。
そこに壽州があり、屬縣の安豐が有るのだ、唐の徳宗の貞元時代に、その県人の董召南くんがいる、その男は知識人なのに仕官せず、民間にいるが正義や忠義を心の中に持っていて行いの正しいことをしている。
寿州 淮・淝二水の合流点にある。いまは安徽省に属する。○隠居 知識人が仕官せず、民間にいること。中国の通念では、知識人は官文になって社会に奉仕すべきだとされる。それを官吏にならないから隠れ棲むことになる。おのれの意志で仕官しない場合と、望んでもできない場合とがある。董生は後者であった。


刺史不能薦,天子 不聞名聲。
州長官はその男を推薦しようとはしないのだ、だから天子は彼の名声を聞き及ぶことはないのだ。
刺史 州長官。○薦 州長官は管下の人材を天子に推薦する義務をもち、唐代には、だいたい毎年、長官が主宰して試験し、合格したものを、長安の郡で行なわれる官吏資格認定試験に送ることになっていた。これを「薦【せん】」という。この詩で「不能薦」というのは、董生が州での試験に合格しなかったことをさす。このような試験にも裏口の存在したこと、「古来非独今」である。『從仕』 (韓愈)を参照。

從仕  (韓愈)
居閑食不足,從仕力難任。
兩事皆害性,一生恒苦心。
黄昏歸私室,惆悵起歎音。
棄置人間世,古來非獨今。

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