調張籍 韓退之(韓愈)詩
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調張籍 韓退之(韓愈)詩<112-#4>Ⅱ中唐詩552 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ1774
調張籍
#1
李杜文章在,光焰萬丈長。不知群兒愚,那用故謗傷。
李白と杜甫はその文学が厳然ひかりと存在している、そのかがやく焔は万丈の長さにも及んでいるものである。
それにどういうわけか私にはわからないが幼稚な子供のような愚かな者たちがいることだ。それはなぜわざわざ彼らを誹謗や中傷したりするのだろう。
蚍蜉撼大樹,可笑不自量。伊我生其後,舉頸遙相望。
大蟻かもしれないが荘厳な大木をゆりうごかそうとしているのだ、そんな身の程知らずなことは笑ってやることしかないだろう。
このわたしは李白杜甫の後に生まれているのであるが、首をのばしてはるか昔まで数多の文学者たちを望んでみる。
夜夢多見之,晝思反微茫。
過去を振り返って夜、夢に出るほどの詩人は李白杜甫を多く見るのであるが、昼に今の文壇のことを評価すると此れと言って評価できる詩人はいないのである。
李杜 文章在り、光焰 万丈長し。
知らず 群児の愚かなる、那にを用ってか故さらに謗傷する。
蚍蜉 大樹を撼かす、笑うべし 自ずから量らざるを。
伊れ我れ其の後に生まれて、頸を挙げて遙かに相い望む。
夜るには夢に多くこれを見るも、昼に思えば反って微茫たり。
#2
徒觀斧鑿痕,不矚治水航。想當施手時,巨刃磨天揚。
ただ単に山峡を削り出しただけの跡を見るという語句をあれこれ議論して添削しても、禹が治水工事を完成させて船の就航が良くなったように詩歌が上手く流れないとみつめる意味がないのである。
想像するに李杜が手を加えるというそんな時は、巨大な刃が天を削り磨き上げ丸くするように振り上げられたにちがいない。
垠崖劃崩豁,乾坤擺雷硠。惟此兩夫子,家居率荒涼。
崖であるべきところはすぽっと切りおとされ、崩されて開かれるのであり、天と地は雷鳴轟き、うちふるえたことであろう。
そうであってもこの文壇両巨頭の二人は、暮らし向きとなるといたってわびしかったのである。
帝欲長吟哦,故遣起且僵。
それは天の神がいつまでも詩を作っていさせようと思われ、わざわざ、起きては倒れ、うまくいくとすかさず難関に向かわせるようになされたのだ。
徒【いたずら】に斧鑿【ふさく】の痕【あと】を觀て,治水の航を矚【み】ず。
想うに手を施す時に當って,巨刃は揚げるをして天を磨る。
垠崖【ぎんがい】劃【かく】として崩豁【ほうかつ】たり,乾坤【けんこん】雷硠【らいろう】を擺【ふる】う。
惟れ此の兩の夫子,家居率【おおむ】ね荒涼たり。
帝長く吟哦【ぎんが】せしめんと欲し,故【こと】さらに起ち且つ僵【たお】れ遣【し】む。
剪翎送籠中,使看百鳥翔。平生千萬篇,金薤垂琳琅。
羽を切ってかごの中に送られたような六朝文学(賦、楽府)、四六駢儷文は宮廷文学は籠の中から飛び立つことはできなかった、百鳥のように朝廷文学のなかで李・杜は心ゆくままに天翔けるのを見せつけたことになる。
一生かけて千篇か万篇かの詩を作るというが、書家の金錯書また倒薤書のすぐれてたくみな文字でもって李・杜の琳琅の美しい玉の詩を垂れ字で書かれるのである。
仙官敕六丁,雷電下取將。流落人間者,太山一毫芒。
道教の神で、天帝の走り使いの任をうける六丁にみことのりをされた、雷をとどろかせ稲光をおとして、この世に下り李杜の力を奪い取って持って行ってしまったということだ。
李杜の詩はこの人の世にもれ落ちて伝えられたものである、そしてその詩は泰山の中の毛すじ一本ほどとのものでも駄作はないのだ。
我願生兩翅,捕逐出八荒。
われわれにはどうか左右両のつばさを生やしてもらい、天地のはてをこえでまで李杜の詩を世界のはてまで追っかけたいとおもうのである。
翎【はね】を剪って籠中に送り,百鳥の翔けるを看使【し】む。
平生【へいぜい】千萬篇,金薤【きんかい】琳琅【りんろう】を垂る。
仙官【せんかん】六丁【りくてい】に敕し,雷電して下りて取將【しゅしょう】せしむ。
流落せる人間の者,太山の一毫の芒。
我れ願わくば兩翅【りょうしょう】を生じ,捕逐【ほちく】して八荒【はちこう】を出でんことを。
#4
精誠忽交通,百怪入我腸。
精心誠意をもったこころがたちまち李杜の心と通いあうのである、そうして今までにないハイレベルなおびただしい幻想がわたしの腸にはいって来くるのだ。
刺手拔鯨牙,舉瓢酌天漿。
手に刃をもち、抜いた剣の切っ先を相手の方に向けるため翻して鯨の牙をひっこ抜いて、そのあとはひさごを挙げて天の酒を酌み交わすのである。
騰身跨汗漫,不著織女襄。
愛馬にうちまたがってこの身を広大無辺で計り知れない空に昇らせていく、しかし、七夕織姫の馬車のあとおっかけてついていくことはしないのだ。
顧語地上友,經營無太忙。
ふりかえってみて地上の友である張籍君に語ることにすると、「まめまめしく仕事に務め過ぎてはいないのか。」と。
乞君飛霞佩,與我高頡頏。
そして「君に飛霞の佩をあげよう、わたしといっしょに空を自由に飛びまわろうではないか。」と。
#4
精誠【せいせい】忽【たちま】ち交通し,百怪【ひゃっかい】我が腸に入らん。
刺手して鯨牙【げいが】を拔き,瓢【ひさご】を舉げて天漿を酌【くみかわ】さん。
身を騰【あ】げて汗漫【かんまん】に跨がり,織女の襄【じょう】に著【つ】かず。
顧りみて地上の友に語らく,經營【けいえい】太【はなは】だ忙がわしきこと無からんや。
君に飛霞【ひか】の佩【はい】を乞,我れと高く頡頏【けつこう】されたし。

『調張籍』最終回 現代語訳と訳註
(本文)#4
精誠忽交通,百怪入我腸。刺手拔鯨牙,舉瓢酌天漿。騰身跨汗漫,不著織女襄。顧語地上友,經營無太忙。乞君飛霞佩,與我高頡頏。
(下し文)#4
精誠【せいせい】忽【たちま】ち交通し,百怪【ひゃっかい】我が腸に入らん。
刺手して鯨牙【げいが】を拔き,瓢【ひさご】を舉げて天漿を酌【くみかわ】さん。
身を騰【あ】げて汗漫【かんまん】に跨がり,織女の襄【じょう】に著【つ】かず。
顧りみて地上の友に語らく,經營【けいえい】太【はなは】だ忙がわしきこと無からんや。
君に飛霞【ひか】の佩【はい】を乞,我れと高く頡頏【けつこう】されたし。
(現代語訳)
精心誠意をもったこころがたちまち李杜の心と通いあうのである、そうして今までにないハイレベルなおびただしい幻想がわたしの腸にはいって来くるのだ。
手に刃をもち、抜いた剣の切っ先を相手の方に向けるため翻して鯨の牙をひっこ抜いて、そのあとはひさごを挙げて天の酒を酌み交わすのである。
愛馬にうちまたがってこの身を広大無辺で計り知れない空に昇らせていく、しかし、七夕織姫の馬車のあとおっかけてついていくことはしないのだ。
ふりかえってみて地上の友である張籍君に語ることにすると、「まめまめしく仕事に務め過ぎてはいないのか。」と。
そして「君に飛霞の佩をあげよう、わたしといっしょに空を自由に飛びまわろうではないか。」と
(訳註)#4
精誠忽交通,百怪入我腸。
精心誠意をもったこころがたちまち李杜の心と通いあうのである、そうして今までにないハイレベルなおびただしい幻想がわたしの腸にはいって来くるのだ。
・精誠 まごころ。精心誠意。
・交通 通じあう。李白・杜甫の心と通うということであろう。
・百怪 いろいろの化け物というべき、詩的幻想をさす。今まではどうやっても思いつかないようなレベルの違う詩的幻想を云う。
刺手拔鯨牙,舉瓢酌天漿。
手に刃をもち、抜いた剣の切っ先を相手の方に向けるため翻して鯨の牙をひっこ抜いて、そのあとはひさごを挙げて天の酒を酌み交わすのである。
・刺手 手に刃を持ちひるがえすこと。この頃の剣は斬るより衝くことが基本で、抜いた剣の切っ先を相手の方に向けるため翻すことを云う。
○鯨牙 鯨の歯。鯨は、海に住む狂暴な動物として、奇怪なものとされた。
○瓢 ひさご。現在の水筒のように用いられた。
○天栄 柴は、飲みもの。天衆は、天の飲料。醍醐・ネタタルのようなもの。
騰身跨汗漫,不著織女襄。
愛馬にうちまたがってこの身を広大無辺で計り知れない空に昇らせていく、しかし、七夕織姫の馬車のあとおっかけてついていくことはしないのだ。
・騰身 からだを空にのぼらせる。
・汗漫 広い漠然としているところへ出て行くさま。広大無辺で計り知れないこと。水面などが広々としてはてしないこと。また、そのさま。『淮南子』≪‧道應訓≫「吾與汗漫期於九垓之外。」とあり、淮南子に見える天界遊行・古代の宇宙観をいう。廬敖という存在が、遠遊して世界を経巡ったと誇ったところ、ある存在がそれをまだまだ小さいことだとして高誘注で「吾与汗漫、期于九垓之上。吾不可以久(私は汗漫と九天の上で逢う約束をしている。お前の相手をしている暇はない)」として雲の彼方へ消えていった、という説話を載せる。杜甫『渼陂行』「琉利汗漫泛舟入,事殊興極憂思集。渼陂行 杜甫 :kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 誠実な詩人杜甫特集 66
李白『廬山謠寄盧侍御虛舟』「先期汗漫九垓上、願接盧敖遊太清。」孟浩然『寄天臺道士』「海上求仙客,三山望幾時。焚香宿華頂,裛露采靈芝。屢躡莓苔滑,將尋汗漫期。倘因松子去,長與世人辭。」盛唐詩 寄天台道士 孟浩然<27> Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集350 -334
・著 くっつく。
・織女襄 織女星の馬車。「詩経」小雅「跂彼織女、終日七襄」「跂たる彼の織女は、日を終えて七たび襄る。」とある。織女星が、一日中かかって七つの星宿をめぐることをいったもの。嚢は、宿すことを意味し、星から星へ、宿場から宿場まで行くことだという。
「織女の嚢に着かず」とは、織女が星から星へと回っていくことをしないということ。
顧語地上友,經營無太忙。
ふりかえってみて地上の友である張籍君に語ることにすると、「まめまめしく仕事に務め過ぎてはいないのか。」と。
・地上友 張籍をさす。
・経営 まめまめしくものごとに勤めること。
・無太忙 ここでは、無は反語。「……ではないか。」無は、しばしは、反語の気持ちをこめて強めのことばとして用いられる。太は、甚だしく。
乞君飛霞佩,與我高頡頏。
そして「君に飛霞の佩をあげよう、わたしといっしょに空を自由に飛びまわろうではないか。」と
・乞 人にものを与える。
・飛霞佩 飛霞は、空にただよう赤いかすみ。佩は、帯玉。腰にさげるかざりの玉。飛霞佩は、それを身につけることによって空を飛ぶ能力が生ずるものとしているのであろう。
・頡頏 上がったり下がったりして飛ぶ。上へ飛ぶことを頡といい、下へ飛ぶことを頏という。「詩経」邶風 邶風燕燕の篇に見えることば。






















