漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩 中唐詩人選集【Ⅰ李商隠-150】Ⅱ韓退之(韓愈)-500Ⅶ孟郊(東野)賈島張籍柳宗元韋応物

Ⅰ李商隠は難解詩といわれている。約150首紹介済。(晩唐詩人) Ⅱ韓退之(韓愈)-約500首Ⅶ孟郊、中唐の詩人を掲載中。万物の性(さが)をテーマにした哲学的な詩。このブログは基本的に中唐詩人を中心にして掲載する予定。 韓愈詩文のこれまでの掲載分とこれから掲載予定分を時系列で整理した2014.3.29のブログに集約してそこから各年次を見ることができる  kanbuniinkai 検索で、《漢文委員会HP05》サイトあります。漢詩唐詩を理解するための総合サイト:≪漢文委員会 漢詩07≫。

楽府

少し、マニアックな晩唐詩人Ⅰ-李商隠150首をまず掲載済み。中唐は盛唐詩人(孟浩然・王維、杜甫、李白)を受け継いだ多様な詩人が出ている。この時代も驚くほど詩が発展している。Ⅱ韓退之(韓愈)500首、Ⅲ柳宗元40首、Ⅳ韋応物、Ⅴ劉長卿、Ⅵ韋荘、Ⅶ孟郊(孟東野)、Ⅷ張籍、Ⅸ賈島、Ⅹ劉禹錫、ほか2012~2020年の予定で気長に進める。同じ中唐ではあるが、白居易のグループについては、李白のブログ350首(2015/6月再開~2018/夏・秋月予定)の後掲載の予定。別に杜甫詩ブログ1500首(2011/7月~2018/8月の予定で)を進行中。詩数につぃては、予定の詩数より多くなる。気まぐれなところがあるのでこの予定が少し変わる場合があり、その節はご容赦ください。                 古詩・謝霊運詩 杜甫詩 韓愈詩 花間集500首全詩 それぞれ毎日ブログしています。 このブログ、索引=語句の「検索」 参考書以上掲載。漢詩力up。

《桃花源詩》 陶淵明(陶潜)  <#3>714 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2554

陶淵明(陶潜)  《桃花源詩》<#3>暦や記録が無いということであっても、四季の移り変わりで自然と一年はできあがっている。 すなおにしていても、十分なたのしみはあるものだ。 何に智慧を働かせる必要があるというのか。不思議な足どりが隠れてしまってから、五百年が経つ。ある日、神秘な世界(桃花源)が、遮るものがなくなって広々とした視界にあらわれた。

2013年6月20日 同じ日の紀頌之5つのブログ
●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩
Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩《短歌行》 魏武帝 魏詩<86-#2> 古詩源 801 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2553
●唐を代表する中唐の韓愈の儒家としての考えのよくわかる代表作の一つ
Ⅱ中唐詩・晩唐詩《桃花源詩》 陶淵明(陶潜)  <#3>714 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2554
●杜甫の全作品1141首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"
Ⅲ杜甫詩1000詩集姜楚公畫角鷹歌【案:姜皎,上邽人,善畫鷹鳥,官至太常,封楚國公。】 楽府(七言歌行) 成都6-(21) 杜甫 <483>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2555 杜甫詩1000-483-705/1500
●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている
Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集
●●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩
Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性上川主武元衡相國二首 其一 薛濤 唐五代詞・宋詩 薛濤-202-68-#62  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2557
 
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謝靈運詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/1901_shareiun000.html 謝靈運詩 六朝期の山水詩人。この人の詩は上品ですがすがしい男性的な深みのある詩である。後世に多大な影響を残している。
謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。
登永嘉緑嶂山詩 #1 謝霊運 <20> 詩集 386ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67474554.html
登池上樓 #1 謝霊運<25>#1  ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67502196.html
孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩 盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。

李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html
李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人 古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首

 


《桃花源詩》 陶淵明(陶潜)  <#3>714 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2554


桃花源詩
#1
嬴氏亂天紀    賢者避其世
黃綺之商山    伊人亦云逝
往跡浸復湮    來逕遂蕪廢
相命肆農耕    日入從所憩
桑竹垂餘蔭    菽稷隨時藝
(桃花源をうたった詩。こちらの詩はそれを薄く敷衍した感じでもある。多くの聯が対句になっている。)
夏貴公や綺里季たちは商山にゆき、この桃源の人人もその時はるかに去って行ったのである。
かれらは互いにはげましあって農耕にはげみ、日が沈めば何の気がねもなしに休息をとるのだった。
互いに声を掛け合って農業に励んだ。 日が沈んでからは、憩いの時ということに合わせている。 
桑や竹がたっぷりとした木藤を作り二且や粟を季節季節に応じてうえる。
#2
春蠶收長絲    秋熟靡王稅
荒路曖交通    雞犬亙鳴吠
俎豆猶古法    衣裳無新製
童孺縱行歌    斑白歡游詣
草榮識節和    木衰知風厲
春蚕からはゆたかな糸がとれ、秋のみのりにもお上から税金をとりたてられることはない。
草の生い茂った道がはるかにかすんでゆきかい、鶏や犬がのどかになきかわす。
お供えをして、先祖の祭りをするやり方は、今も昔のしきたりに従い、衣裳も新しい型のものはつくらない。
子供たちは気のむくままに歩きながら歌をうたい、ごましお頭の老人たちもたのしげに好き差を訪ね1 19
で歩く。
草木が盛んに生い茂り、花が咲くことで、季節がなごやかになったことを知る。木の葉が一枚一枚と落ちて減っていくことで、秋風のはげしさを知る。  
#3
雖無紀歷志    四時自成歲
暦や記録が無いということであっても、四季の移り変わりで自然と一年はできあがっている。 
怡然有餘樂    於何勞智慧
すなおにしていても、十分なたのしみはあるものだ。 何に智慧を働かせる必要があるというのか。
奇蹤隱五百    一朝敞神界
不思議な足どりが隠れてしまってから、五百年が経つ。ある日、神秘な世界(桃花源)が、遮るものがなくなって広々とした視界にあらわれた。
淳薄既異源    旋復還幽蔽
人情の厚薄の違いは、全く異なったものになった。だから、たちまちに再び、なおもまた覆い隠されてしまった。
借問游方士    焉測塵囂外
世俗の人におたずねするが いったい、この俗世間の外(隠棲世界、桃花源)を想像してみたことはあるのか。 
願言躡輕風    高舉尋吾契
できることならば、軽やかな風に乗りたいものだ。そうすれば、高らかに舞い上がって、わたしの理想に合致したあの桃源郷の人々を尋ねたいとおもうのだ。

#1
瀛氏  天紀を 亂し,賢者  其の世を 避く。
黄綺  商山に 之【ゆ】き,伊【こ】の人も亦 云【ここ】に逝く。
往跡  浸く 復た 湮れ,來る逕  遂に 蕪れ廢る。
相ひ命じて  農耕を肆め,日 入らば  憩ふ所に從ふ。
桑竹は  餘【あまた】の蔭を垂らし,菽稷は  隨時に 藝【う】う。
#2
春の蠶【かいこ】に 長絲を 收め,秋の熟【みのり】に 王の税 靡【な】し。
荒路 曖として 交り通じ,鷄犬  互ひに 鳴き吠ゆ。
俎豆【そとう】は  猶も 古法のごとく,衣裳は  新製 無し。
童孺【どうじゅ】縱【ほしいまま】に行き 歌ひ,斑白  歡び游びて 詣【いた】る。
草の 榮【はなさ】きて  節の和【なご】むを識り,木の衰【おとろ】えて 風の厲【つめ】たきを知る。
#3
紀歴の志【しるし】無しと雖も,四時【しいじ】自ら歳を成す。
怡然【いぜん】として 餘【た】らえる樂しみ有り,何に于【おい】てか 智慧【ちえ】を勞せん。
奇しき蹤【あと】隱るること 五百,一朝【いっちょう】神界【しんかい】を敞【あらは】わせり。
淳【あつ】きと薄きと 既に源を異にし,旋【たちま】ち復【ま】た 幽蔽【いうへい】に還【かへ】る。
借問す  方【ほう】に游ぶの士,焉ぞ測らん  塵囂【じんごう】の外を。
願くは言【ここ】に輕風を躡【ふ】み,高舉【こうきょ】 吾が契を 尋ねん。


終南山06

『桃花源詩』 現代語訳と訳註
 (本文)
#3
雖無紀歷志    四時自成歲
怡然有餘樂    於何勞智慧
奇蹤隱五百    一朝敞神界
淳薄既異源    旋復還幽蔽
借問游方士    焉測塵囂外
願言躡輕風    高舉尋吾契


(下し文) #3
紀歴の志【しるし】無しと雖も,四時【しいじ】自ら歳を成す。
怡然【いぜん】として 餘【た】らえる樂しみ有り,何に于【おい】てか 智慧【ちえ】を勞せん。
奇しき蹤【あと】隱るること 五百,一朝【いっちょう】神界【しんかい】を敞【あらは】わせり。
淳【あつ】きと薄きと 既に源を異にし,旋【たちま】ち復【ま】た 幽蔽【いうへい】に還【かへ】る。
借問す  方【ほう】に游ぶの士,焉ぞ測らん  塵囂【じんごう】の外を。
願くは言【ここ】に輕風を躡【ふ】み,高舉【こうきょ】 吾が契を 尋ねん。


(現代語訳)
暦や記録が無いということであっても、四季の移り変わりで自然と一年はできあがっている。 
すなおにしていても、十分なたのしみはあるものだ。 何に智慧を働かせる必要があるというのか。
不思議な足どりが隠れてしまってから、五百年が経つ。ある日、神秘な世界(桃花源)が、遮るものがなくなって広々とした視界にあらわれた。
人情の厚薄の違いは、全く異なったものになった。だから、たちまちに再び、なおもまた覆い隠されてしまった。
世俗の人におたずねするが いったい、この俗世間の外(隠棲世界、桃花源)を想像してみたことはあるのか。 
できることならば、軽やかな風に乗りたいものだ。そうすれば、高らかに舞い上がって、わたしの理想に合致したあの桃源郷の人々を尋ねたいとおもうのだ。


(訳注)#3
雖無紀歷志、四時自成歲。

暦や記録が無いということであっても、四季の移り変わりで自然と一年はできあがっている。 
・雖無:…が無いといえども。 
・紀歴志:こよみの記録。
・四時:四季。


怡然有餘樂、於何勞智慧。
すなおにしていても、十分なたのしみはあるものだ。 何に智慧を働かせる必要があるというのか。
・怡然:喜び楽しむさま。すなおなさま。 
・餘樂:ゆとりある楽しみ。残りのたのしみ。
・于何:何において。何に。 ・于≒於。


奇蹤隱五百、一朝敞神界。
不思議な足どりが隠れてしまってから、五百年が経つ。ある日、神秘な世界(桃花源)が、遮るものがなくなって広々とした視界にあらわれた。
*註 遺民が桃花源に隠れてから五百年が経った太元年間に武陵の漁師が現れるまでの期間を謂う。 
*註 太元年間に、武陵の漁師がこの桃花源を訪れ、神秘のベールが取り払われたことを謂う。
・奇蹤:不思議な足跡。
・一朝:あるとき。ひとたび。 
・神界:神秘な世界。ここでは桃源郷のことを言う。 
・敞:たかい。遮るものが無くてひろやか。あけ広げる。ほがらか。のびやか。


淳薄既異源、旋復還幽蔽。
人情の厚薄の違いは、全く異なったものになった。だから、たちまちに再び、なおもまた覆い隠されてしまった。
*註 桃源郷の人々の価値観は大きくずれているということ。 
・淳薄:人情が厚いことと薄いこと。 
・淳=醇。醇厚。人情が厚いこと。 
・異源:來源を異とする。
・旋:たちまちに ・復:また。再びまた。 ・還:なおもまた。 
・幽蔽:覆い隠す。


借問游方士、焉測塵囂外。
世俗の人におたずねするが いったい、この俗世間の外(隠棲世界、桃花源)を想像してみたことはあるのか。 
・借問:おたずねしますが。 
・游方士:方の内に游ぶの士。俗世間に住む人。世俗の人。 ・方内:人の世、俗世間。 ・方:国。道、常、道義。宇宙。世界。「莊子」「孔子曰:『彼游於方之外者也,而丘游方之内者也。』」からきている。
・焉:いづくんぞ。なんぞ。疑問、反語。 ・測:憶測する。推測する。想像する。はかる。 
・塵囂:塵埃と騒音。塵埃と騒音の巷。ここは俗世間のこと。


願言躡輕風、高舉尋吾契。
できることならば、軽やかな風に乗りたいものだ。そうすれば、高らかに舞い上がって、わたしの理想に合致したあの桃源郷の人々を尋ねたいとおもうのだ。
・願:ねがわくは。 
・言:無意味の語気助詞。 
・躡:ふむ。(人の足を)ふんずける。(靴を)履く。
・高舉:高く舞い上がる。 
・吾契:わたしと契り合ったもの。自分の理想に合致した。
海棠花04

《桃花源詩》 陶淵明(陶潜)  <#2>713 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2549

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2013年6月19日 同じ日の紀頌之5つのブログ
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李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首

 



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桃花源詩 #1
(桃花源をうたった詩。こちらの詩はそれを薄く敷衍した感じでもある。多くの聯が対句になっている。)
嬴氏亂天紀    賢者避其世
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黃綺之商山    伊人亦云逝
夏貴公や綺里季たちは商山にゆき、この桃源の人人もその時はるかに去って行ったのである。
往跡浸復湮    來逕遂蕪廢
かれらは互いにはげましあって農耕にはげみ、日が沈めば何の気がねもなしに休息をとるのだった。
相命肆農耕    日入從所憩
互いに声を掛け合って農業に励んだ。 日が沈んでからは、憩いの時ということに合わせている。 
桑竹垂餘蔭    菽稷隨時藝
桑や竹がたっぷりとした木藤を作り二且や粟を季節季節に応じてうえる。
#2
春蠶收長絲    秋熟靡王稅
春蚕からはゆたかな糸がとれ、秋のみのりにもお上から税金をとりたてられることはない。
荒路曖交通    雞犬亙鳴吠
草の生い茂った道がはるかにかすんでゆきかい、鶏や犬がのどかになきかわす。
俎豆猶古法    衣裳無新製
お供えをして、先祖の祭りをするやり方は、今も昔のしきたりに従い、衣裳も新しい型のものはつくらない。
童孺縱行歌    斑白歡游詣
子供たちは気のむくままに歩きながら歌をうたい、ごましお頭の老人たちもたのしげに好き差を訪ね1 19
で歩く。

草榮識節和    木衰知風厲

草木が盛んに生い茂り、花が咲くことで、季節がなごやかになったことを知る。木の葉が一枚一枚と落ちて減っていくことで、秋風のはげしさを知る。  
桑畑#3
雖無紀歷志    四時自成歲
怡然有餘樂    於何勞智慧
奇蹤隱五百    一朝敞神界
淳薄既異源    旋復還幽蔽
借問游方士    焉測塵囂外
願言躡輕風    高舉尋吾契
#1
瀛氏  天紀を 亂し,賢者  其の世を 避く。
黄綺  商山に 之【ゆ】き,伊【こ】の人も亦 云【ここ】に逝く。
往跡  浸く 復た 湮れ,來る逕  遂に 蕪れ廢る。
相ひ命じて  農耕を肆め,日 入らば  憩ふ所に從ふ。
桑竹は  餘【あまた】の蔭を垂らし,菽稷は  隨時に 藝【う】う。
#2
春の蠶【かいこ】に 長絲を 收め,秋の熟【みのり】に 王の税 靡【な】し。
荒路 曖として 交り通じ,鷄犬  互ひに 鳴き吠ゆ。
俎豆【そとう】は  猶も 古法のごとく,衣裳は  新製 無し。
童孺【どうじゅ】縱【ほしいまま】に行き 歌ひ,斑白  歡び游びて 詣【いた】る。
草の 榮【はなさ】きて  節の和【なご】むを識り,木の衰【おとろ】えて 風の厲【つめ】たきを知る。
#3
紀歴の志【しるし】無しと雖も,四時【しいじ】自ら歳を成す。
怡然【いぜん】として 餘【た】らえる樂しみ有り,何に于【おい】てか 智慧【ちえ】を勞せん。
奇しき蹤【あと】隱るること 五百,一朝【いっちょう】神界【しんかい】を敞【あらは】わせり。
淳【あつ】きと薄きと 既に源を異にし,旋【たちま】ち復【ま】た 幽蔽【いうへい】に還【かへ】る。
借問す  方【ほう】に游ぶの士,焉ぞ測らん  塵囂【じんごう】の外を。
願くは言【ここ】に輕風を躡【ふ】み,高舉【こうきょ】 吾が契を 尋ねん。


『桃花源詩』 現代語訳と訳註
(本文)
#2
春蠶收長絲    秋熟靡王稅
荒路曖交通    雞犬亙鳴吠
俎豆猶古法    衣裳無新製
童孺縱行歌    斑白歡游詣
草榮識節和    木衰知風厲


(下し文) #2
春の蠶【かいこ】に 長絲を 收め,秋の熟【みのり】に 王の税 靡【な】し。
荒路 曖として 交り通じ,鷄犬  互ひに 鳴き吠ゆ。
俎豆【そとう】は  猶も 古法のごとく,衣裳は  新製 無し。
童孺【どうじゅ】縱【ほしいまま】に行き 歌ひ,斑白  歡び游びて 詣【いた】る。
草の 榮【はなさ】きて  節の和【なご】むを識り,木の衰【おとろ】えて 風の厲【つめ】たきを知る。


(現代語訳)
春蚕からはゆたかな糸がとれ、秋のみのりにもお上から税金をとりたてられることはない。
草の生い茂った道がはるかにかすんでゆきかい、鶏や犬がのどかになきかわす。
お供えをして、先祖の祭りをするやり方は、今も昔のしきたりに従い、衣裳も新しい型のものはつくらない。
子供たちは気のむくままに歩きながら歌をうたい、ごましお頭の老人たちもたのしげに好き差を訪ね1 19
で歩く。
草木が盛んに生い茂り、花が咲くことで、季節がなごやかになったことを知る。木の葉が一枚一枚と落ちて減っていくことで、秋風のはげしさを知る。  


(訳注)
春蠶收長絲、秋熟靡王税。
春蚕からはゆたかな糸がとれ、秋のみのりにもお上から税金をとりたてられることはない。
・春蠶:カイコ。 ・收:手に入れる。収穫する。蛇足だが、「収」「納」のどちらも日本語では「おさめる」と訓んでいるが、「収」は物品を自分の方へ入れることであって、「納」は、それとは逆に、物品を自分の方から上級の他者へ入れてやる(「自分」というものを中心にして言えば「他者へ出す」)ことである。
・秋熟:秋の収穫の時。 ・靡:…が無い。「無」と同じような働きをする。 ・王税:王侯に納める税。


荒路曖交通、鷄犬互鳴吠。
草の生い茂った道がはるかにかすんでゆきかい、鶏や犬がのどかになきかわす。
・荒路:草が繁った道。 ・曖:ぼんやりとしているさま。 ・交通:交わり通じているさま。


俎豆猶古法、衣裳無新製。
お供えをして、先祖の祭りをするやり方は、今も昔のしきたりに従い、衣裳も新しい型のものはつくらない。

・俎豆:お供えをして(先祖の)祭りをすること。祭壇とお供え。 ・俎:祭りのとき、魚肉を載せるお供えの台。 ・豆:祭りのときの供えの高坏。豆字はその象形である。俎豆は「まないた」と「まめ」ではない。 ・猶:今に到るまでずっと。 ・古法:昔の作法。
*衣服は、新しい様式ではなくて、古い形式のものだの意であって、ここは、「(ここの里人は)新たに服をつくることがなく、(古いぼろぼろの衣裳を纏っている)」などではない。


童孺縱行歌、斑白歡游詣。
子供たちは気のむくままに歩きながら歌をうたい、ごましお頭の老人たちもたのしげに好き差を訪ね1 19
で歩く。
*この聯は、長閑なさまを謂う。 
・童孺:こども。 ・縱:ほしいままに。 ・行:行く行く。
・斑白:ごま塩頭。また、その人。ここでは後者の意。 
・歡游:歓び遊ぶ。 
・詣:いたる。行く。進む。伺候する。


草榮識節和、木衰知風厲。
草木が盛んに生い茂り、花が咲くことで、季節がなごやかになったことを知る。木の葉が一枚一枚と落ちて減っていくことで、秋風のはげしさを知る。  
*自然の営みから春が来たことを知るということ。 
・榮:草木が盛んになる。花が咲く。花。 
・節和:季節がなごやかになる。
*自然の営みから秋からが冬を迎えようとしていることを知るということ。 
・木衰:木の葉が一枚一枚と落ちて減っていくことであって、ここは、木がおとろえてくる、ということではない。 
・衰:疎らになる。
・風厲:風がはげしい。
桃園001

《桃花源詩》 陶淵明(陶潜)  <#1>712 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2544

陶淵明(陶潜) 《桃花源詩》 秦の皇帝瀛氏は暴政を行い、世界の秩序をみだしたので、賢者たちは世をのがれて隠遁した。夏貴公や綺里季たちは商山にゆき、この桃源の人人もその時はるかに去って行ったのである。

2013年6月18日 同じ日の紀頌之5つのブログ
●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩
Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩《擬魏太子鄴中集詩八首  平原侯值》 謝靈運 六朝詩<85-#3>平原侯值瑒 799 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2543
●唐を代表する中唐の韓愈の儒家としての考えのよくわかる代表作の一つ
Ⅱ中唐詩・晩唐詩《桃花源詩》 陶淵明(陶潜)  <#1>712 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2544
●杜甫の全作品1141首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"
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Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集
●●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩
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『楚辞』九辯 第九段―まとめ 宋玉  <00-#35> 664 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2304
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謝靈運詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/1901_shareiun000.html 謝靈運詩 六朝期の山水詩人。この人の詩は上品ですがすがしい男性的な深みのある詩である。後世に多大な影響を残している。
謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。
登永嘉緑嶂山詩 #1 謝霊運 <20> 詩集 386ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67474554.html
登池上樓 #1 謝霊運<25>#1  ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67502196.html
孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩 盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。

李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html
李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人 古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首

 


《桃花源詩》 陶淵明(陶潜)  <#1>712 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2544


桃花源詩 #1
(桃花源をうたった詩。)
嬴氏亂天紀    賢者避其世
秦の皇帝瀛氏は暴政を行い、世界の秩序をみだしたので、賢者たちは世をのがれて隠遁した。
黃綺之商山    伊人亦云逝
夏貴公や綺里季たちは商山にゆき、この桃源の人人もその時はるかに去って行ったのである。
往跡浸復湮    來逕遂蕪廢
かれらは互いにはげましあって農耕にはげみ、日が沈めば何の気がねもなしに休息をとるのだった。
相命肆農耕    日入從所憩
互いに声を掛け合って農業に励んだ。 日が沈んでからは、憩いの時ということに合わせている。 
桑竹垂餘蔭    菽稷隨時藝

桑や竹がたっぷりとした木藤を作り二且や粟を季節季節に応じてうえる。
#2
春蠶收長絲    秋熟靡王稅
荒路曖交通    雞犬亙鳴吠
俎豆猶古法    衣裳無新製
童孺縱行歌    斑白歡游詣
草榮識節和    木衰知風厲
#3
雖無紀歷志    四時自成歲
怡然有餘樂    於何勞智慧
奇蹤隱五百    一朝敞神界
淳薄既異源    旋復還幽蔽
借問游方士    焉測塵囂外
願言躡輕風    高舉尋吾契
#1
瀛氏  天紀を 亂し,賢者  其の世を 避く。
黄綺  商山に 之【ゆ】き,伊【こ】の人も亦 云【ここ】に逝く。
往跡  浸く 復た 湮れ,來る逕  遂に 蕪れ廢る。
相ひ命じて  農耕を肆め,日 入らば  憩ふ所に從ふ。
桑竹は  餘【あまた】の蔭を垂らし,菽稷は  隨時に 藝【う】う。

#2
桑畑春の蠶【かいこ】に 長絲を 收め,秋の熟【みのり】に 王の税 靡【な】し。
荒路 曖として 交り通じ,鷄犬  互ひに 鳴き吠ゆ。
俎豆【そとう】は  猶も 古法のごとく,衣裳は  新製 無し。
童孺【どうじゅ】縱【ほしいまま】に行き 歌ひ,斑白  歡び游びて 詣【いた】る。
草の 榮【はなさ】きて  節の和【なご】むを識り,木の衰【おとろ】えて 風の厲【つめ】たきを知る。
#3
紀歴の志【しるし】無しと雖も,四時【しいじ】自ら歳を成す。
怡然【いぜん】として 餘【た】らえる樂しみ有り,何に于【おい】てか 智慧【ちえ】を勞せん。
奇しき蹤【あと】隱るること 五百,一朝【いっちょう】神界【しんかい】を敞【あらは】わせり。
淳【あつ】きと薄きと 既に源を異にし,旋【たちま】ち復【ま】た 幽蔽【いうへい】に還【かへ】る。
借問す  方【ほう】に游ぶの士,焉ぞ測らん  塵囂【じんごう】の外を。
願くは言【ここ】に輕風を躡【ふ】み,高舉【こうきょ】 吾が契を 尋ねん。




『桃花源詩』 現代語訳と訳註
(本文)
#1
嬴氏亂天紀    賢者避其世
黃綺之商山    伊人亦云逝
往跡浸復湮    來逕遂蕪廢
相命肆農耕    日入從所憩
桑竹垂餘蔭    菽稷隨時藝


(下し文) #1
瀛氏  天紀を 亂し,賢者  其の世を 避く。
黄綺  商山に 之【ゆ】き,伊【こ】の人も亦 云【ここ】に逝く。
往跡  浸く 復た 湮れ,來る逕  遂に 蕪れ廢る。
相ひ命じて  農耕を肆め,日 入らば  憩ふ所に從ふ。
桑竹は  餘【あまた】の蔭を垂らし,菽稷は  隨時に 藝【う】う。


(現代語訳)
(桃花源をうたった詩。こちらの詩はそれを薄く敷衍した感じでもある。多くの聯が対句になっている。)
秦の皇帝瀛氏は暴政を行い、世界の秩序をみだしたので、賢者たちは世をのがれて隠遁した。
夏貴公や綺里季たちは商山にゆき、この桃源の人人もその時はるかに去って行ったのである。
かれらは互いにはげましあって農耕にはげみ、日が沈めば何の気がねもなしに休息をとるのだった。
互いに声を掛け合って農業に励んだ。 日が沈んでからは、憩いの時ということに合わせている。 
桑や竹がたっぷりとした木藤を作り二且や粟を季節季節に応じてうえる。


(訳注)
桃花源詩
桃花源をうたった詩。こちらの詩はそれを薄く敷衍した感じでもある。多くの聯が対句になっている。


瀛氏亂天紀、賢者避其世。
秦の皇帝瀛氏は暴政を行い、世界の秩序をみだしたので、賢者たちは世をのがれて隠遁した。
・瀛氏:秦朝の皇帝の姓。ここでは始皇帝を指している。 
・天紀:天ののり。この世の法則。
・賢者 徳のない権力者に屈しないものをいう賢者と施政を仁徳でもって行うものを聖者という。


黄綺之商山、伊人亦云逝。
夏貴公や綺里季たちは商山にゆき、この桃源の人人もその時はるかに去って行ったのである。
・黄綺:二人の人名。夏黄公と綺里季のこと。秦を厭って商山に隠棲した。 ・之:ゆく。ここでは、隠遁したということ。 ・商山:陝西省にある四皓(前出の夏黄公と綺里季の外に、東園公、角里先生)が隠れた山。商州の東にある商嶺というが、詳しい場所は、見つけられない。秦嶺の中の一つか。
・伊人:この人。桃源郷に住む人々を指している。 ・伊:この、これ。彼。 ・云:ここに。語調を整えるために添える助辞。商山四皓。秦末に商山(陝西省商県)に乱を避けて隠居した4人の老人を画題とする絵画にかかれる。四皓とは東園公,夏黄公,甪里(ろくり)先生,綺里季の4人で,鬚眉がみな白かったのでこのように呼ばれた。


往跡浸復湮、來逕遂蕪廢。
かれらは互いにはげましあって農耕にはげみ、日が沈めば何の気がねもなしに休息をとるのだった。
・往跡:行ったあと。 ・浸:やや。ようやく。だんだん。 ・湮:うずもれる。ふさがる。
 ・來逕:来た道。「往跡」の対として使われている。 ・逕:こみち。 ・蕪:あれる。雑草が生い茂る。


相命肆農耕、日入從所憩。
互いに声を掛け合って農業に励んだ。 日が沈んでからは、憩いの時ということに合わせている。 
・相命:互いに声を掛け合って。 ・肆:つとめる。きわめる。
・所:…ところ。動詞の前に附いて、名詞化する。 ・從:調子をあわせる。


桑竹垂餘蔭、菽稷隨時藝。
桑や竹がたっぷりとした木藤を作り二且や粟を季節季節に応じてうえる。
・桑竹:クワの木と竹。 ・餘蔭:ゆたかな木陰。
 ・菽稷:穀類。 ・菽:まめ。豆類の総称。 ・稷:キビ。 ・隨時:適切な時に。 ・藝:うえる。
桃園001

雪後寄崔二十六丞公 韓愈(韓退之) <142-#2>Ⅱ中唐詩704 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2504

韓愈 《雪後寄崔二十六丞公》-#2 御殿には数多の諸公がそろってはいるがこのまま家臣の食を賜るのを止める。旅を共にする駿馬の「驊騮」はふぃちを踏み固めて、踊ってはねたり、静かにしていたりする。

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朔風 (一章) 曹植 魏詩<25-#1>文選 雑詩 上  http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67780868.html
謝靈運詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/1901_shareiun000.html 謝靈運詩 六朝期の山水詩人。この人の詩は上品ですがすがしい男性的な深みのある詩である。後世に多大な影響を残している。
謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。
登永嘉緑嶂山詩 #1 謝霊運 <20> 詩集 386ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67474554.html
登池上樓 #1 謝霊運<25>#1  ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67502196.html
孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩 盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。

李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html
李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人 古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首

 

雪後寄崔二十六丞公 韓愈(韓退之) <142-#2>Ⅱ中唐詩704 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2504



雪後寄崔二十六丞公
(雪が積もった後で崔丞公に寄せる。)
藍田十月雪塞關,我興南望愁群山。
藍田の郷に十月になって積雪があり、動きが取れなく行く道をふさがれてしまった。我々は起き上がって南の方を望むと終南山から続く山々が愁いにひたっている。
攢天嵬嵬凍相映,君乃寄命於其間。
天がここにあつまり、終南山は高くそそり立ち、凍りつきそしてそれぞれを移している。崔くんは少しの間出立の命を置いておくことである。
秩卑俸薄食口眾,豈有酒食開容顏。
役人としての地位が卑しいし、俸禄は薄いのにそれを当てにしている口数は集まってきている。どうしてなのか、酒と肴と食事を用意して顔を集めることにする。

殿前群公賜食罷,驊騮蹋路驕且閑。
御殿には数多の諸公がそろってはいるがこのまま家臣の食を賜るのを止める。旅を共にする駿馬の「驊騮」はふぃちを踏み固めて、踊ってはねたり、静かにしていたりする。
稱多量少鑒裁密,豈念幽桂遺榛菅。
多くの称号を得ているし、貰っている糧は少ない。顔の細やかな変化にも判断する詩さらにこまやかなところまで覗き込む。どうして静かな隠遁する場所は桂が植えてある所で、カバノキや菅や葉のある所ではないと思うのであろうか。
幾欲犯嚴出薦口,氣象硉兀未可攀。
幾ばくかは厳しいことばかりでこころを犯すばかりでなく賞賛することを云いだすことも必要だ。こうした出来事は厳格なものかもしれないがいまだに手を挙げてはじめてはいないのだ。
歸來殞涕揜關臥,心之紛亂誰能刪。
帰って来てみると涙を流すのは嫌なことで門を閉じてかぎを掛けひきこもる。心はというと乱れ飛び散っているが誰といってこれを咎める者はいない。

詩翁憔悴斸荒棘,清玉刻佩聯玦環。
腦脂遮眼臥壯士,大弨挂壁無由彎。
乾坤惠施萬物遂,獨於數子懷偏慳。
朝欷暮唶不可解,我心安得如石頑。 


雪後 崔二十六丞公に寄せる
藍田 十月 雪の塞關,我興 南望して 群山を愁う。
攢天 嵬嵬 凍し相い映り,君 乃ち命を寄せて其間に於いてす。
秩卑 俸薄 食口眾り,豈に 酒食有り 容顏を開く。


殿前の群公は食を賜りて罷る,驊騮 路を蹋みて驕り且つ閑す。
稱多く量少く鑒裁 密にす,豈に念う幽桂は榛菅を遺す。
幾か欲す 嚴を犯し 薦口を出ず,氣象 硉兀 未だ攀ぐ可からず。
歸來て涕を殞がり揜關して臥し,心は之れ紛亂し 誰か能く刪せん。




『雪後寄崔二十六丞公』 現代語訳と訳註
sakura0081(本文)
殿前群公賜食罷,驊騮蹋路驕且閑。
稱多量少鑒裁密,豈念幽桂遺榛菅。
幾欲犯嚴出薦口,氣象硉兀未可攀。
歸來殞涕揜關臥,心之紛亂誰能刪。


(下し文)
殿前の群公は食を賜りて罷る,驊騮 路を蹋みて驕り且つ閑す。
稱多く量少く鑒裁 密にす,豈に念う幽桂は榛菅を遺す。
幾か欲す 嚴を犯し 薦口を出ず,氣象 硉兀 未だ攀ぐ可からず。
歸來て涕を殞がり揜關して臥し,心は之れ紛亂し 誰か能く刪せん。


(現代語訳)
御殿には数多の諸公がそろってはいるがこのまま家臣の食を賜るのを止める。旅を共にする駿馬の「驊騮」はふぃちを踏み固めて、踊ってはねたり、静かにしていたりする。
多くの称号を得ているし、貰っている糧は少ない。顔の細やかな変化にも判断する詩さらにこまやかなところまで覗き込む。どうして静かな隠遁する場所は桂が植えてある所で、カバノキや菅や葉のある所ではないと思うのであろうか。
幾ばくかは厳しいことばかりでこころを犯すばかりでなく賞賛することを云いだすことも必要だ。こうした出来事は厳格なものかもしれないがいまだに手を挙げてはじめてはいないのだ。
帰って来てみると涙を流すのは嫌なことで門を閉じてかぎを掛けひきこもる。心はというと乱れ飛び散っているが誰といってこれを咎める者はいない。


(訳注)
殿前群公賜食罷,驊騮蹋路驕且閑。
御殿には数多の諸公がそろってはいるがこのまま家臣の食を賜るのを止める。旅を共にする駿馬の「驊騮」はふぃちを踏み固めて、踊ってはねたり、静かにしていたりする。
○驊騮 名馬の名前。黒いたてがみの赤の馬。周の穆王が天下を周遊したときに乗ったという八頭立ての駿馬の内の一頭の名前。韓愈『華山女』「掃除眾寺人跡絕,驊騮塞路連輜輧。」(眾寺を掃除して人跡絕え,驊騮【かりゅう】路に塞りて輜輧【しへい】に連なる。)
○蹋路 路を踏み固める。


稱多量少鑒裁密,豈念幽桂遺榛菅。
多くの称号を得ているし、貰っている糧は少ない。顔の細やかな変化にも判断する詩さらにこまやかなところまで覗き込む。どうして静かな隠遁する場所は桂が植えてある所で、カバノキや菅や葉のある所ではないと思うのであろうか。
鑒裁密 鏡で細やかなところまで覗き込む。〔「かがみ(鏡)」と同源。映し見る意から〕規範とすべきもの。模範。手本。亀鑑(きかん)。
○「」カバノキ科の落葉低木。日当たりの良い山野に生える。葉は広卵形で鋸歯(きよし)がある。若葉には紫褐色の斑紋がある。雌雄同株で、三、四月に葉より先に開花。雄花穂はひも状。
○「」菅(スゲ) - カヤツリグサ科の植物。スゲ属。種類が非常に多いことで知られる。葉で菅笠などを作る。


幾欲犯嚴出薦口,氣象硉兀未可攀。
幾ばくかは厳しいことばかりでこころを犯すばかりでなく賞賛することを云いだすことも必要だ。こうした出来事は厳格なものかもしれないがいまだに手を挙げてはじめてはいないのだ。


歸來殞涕揜關臥,心之紛亂誰能刪。
帰って来てみると涙を流すのは嫌なことで門を閉じてかぎを掛けひきこもる。心はというと乱れ飛び散っているが誰といってこれを咎める者はいない。
○殞涕 涙を流すのは嫌なこと。
○揜關臥 門を閉じてかぎを掛けひきこもる。

奉和虢州劉給事使君三堂新題二十一詠:新亭 韓愈(韓退之) <120>Ⅱ中唐詩681 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2389

韓愈 《奉和虢州劉給事使君三堂新題二十一詠:新亭》
湖の水面につき出たあずまやがなかなか良いものだ。日の出とともにあのお方が初めてお出ましになられるという。
 

2013年5月18日 同じ日の紀頌之5つのブログ
●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩
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謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。
登永嘉緑嶂山詩 #1 謝霊運 <20> 詩集 386ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67474554.html
登池上樓 #1 謝霊運<25>#1  ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67502196.html
孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩 盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。

李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html
李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人 古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
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奉和虢州劉給事使君三堂新題二十一詠:新亭 韓愈(韓退之) <120>Ⅱ中唐詩681 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2389


并序:
虢州刺史宅連水池竹林,
往往為亭臺島渚,目其處為三堂。
劉兄自給事中出刺此州,
在任餘歲,職修人治,
州中稱無事,頗復增飾。
從子弟而遊其間,
又作二十一詩以詠其事,
流行京師,文士爭和之。
余與劉善,故亦同作。
miyajima 683虢州刺史の官舎は、川と池と竹林に連続している。さきごろ、亭や台や島や渚をつくって、そこに「三堂」という名をつけた。
劉兄は、給事中の職にあったが、転出してこの州の刺史となり、赴任して一年を超えた。
職務はきちんとととのい、政治もうまくいって、州ではまったく事故がないということだ。
そこで、いくらか、増設改築などをして、子弟たちをつれて、そのほとりで宴遊する。
また二十一首の詩をつくって そのことを詠じた。これが、都にも流行し、文士たちは争って唱和した。
わたしは、劉兄と親しい仲なので、同じようにつくってみた。


奉和虢州劉給事使君三堂新題二十一詠:新亭
湖上新亭好,公來日出初。 
湖の水面につき出たあずまやがなかなか良いものだ。日の出とともにあのお方が初めてお出ましになられるという。
水文浮枕簟,瓦影蔭龜魚。
 
まくらと簟の涼しげなシーツには水の波紋の模様が浮かび上がっている。水面に四阿の瓦の陰に映るとそこに亀や魚が集まってくる。

湖上 新亭 好し,公來る 日出づる初【とき】。 
水文 枕簟【ちんてん】浮び,瓦影【がえい】龜魚【きぎょ】を蔭にす。
 


奉和虢州劉給事使君三堂新題二十一詠『新亭』 現代語訳と訳註
(本文)
奉和虢州劉給事使君三堂新題二十一詠:新亭
湖上新亭好,公來日出初。 
水文浮枕簟,瓦影蔭龜魚。 


(下し文)
湖上 新亭 好し,公來る 日出づる初【とき】。 
水文 枕簟【ちんてん】浮び,瓦影【がえい】龜魚【きぎょ】を蔭にす。 


(現代語訳)
湖の水面につき出たあずまやがなかなか良いものだ。日の出とともにあのお方が初めてお出ましになられるという。
まくらと簟の涼しげなシーツには水の波紋の模様が浮かび上がっている。水面に四阿の瓦の陰に映るとそこに亀や魚が集まってくる。


(訳注)
奉和虢州劉給事使君三堂新題二十一詠:新亭

底本巻九。元和七年(あるいは八年)に韓愈の知人の劉伯弟が侍従の官である給事中から、雛州別史に逢った。劉伯爵は字を素芝といい詺州広平のひとである。
この転任は、病気のため中央の劇務から、比較的ひまな地方官への転出を希望して容れられたものである。翫州は河南省底氏県である。劉は官舎に庭園をいとなみ「三堂」となづけ、これにちなんだ詩をつくった。これに和して韓愈のつくったのが、この詩である。
新亭 新しいあずまや。


湖上新亭好,公來日出初。
湖の水面につき出たあずまやがなかなか良いものだ。日の出とともにあのお方が初めてお出ましになられるという。
・湖上 湖のほとり。上は辺というほどの意味。この場合、湖の水面につき出たあずまやであったのだろう。


水文浮枕簟,瓦影蔭龜魚。 
まくらと簟の涼しげなシーツには水の波紋の模様が浮かび上がっている。水面に四阿の瓦の陰に映るとそこに亀や魚が集まってくる。
・枕簟 枕とたかむしろ。たかむしろは、竹をほそくそいでその皮をあんでつくったむしろ。シーツはたかむしろではないが、どちらもベッドに敷かれるものであり、ここでは、そこにうつってゆらいでいる改紋に重心がかかっているのだから、ここではシーツということである。・清簟 すがすがしい竹むしろ。韓愈は、でっぷりと肥えた人で、暑がりやの汗かきだった。少し親しい人だと、訪ねていった早々に、竹むしろと枕を出させて、ねそべった、というエピソードが残っている『鄭羣贈簟 #1 Ⅱ韓退之(韓愈)307 紀頌之の漢詩ブログ998』寺の客殿にはいって、まず華榻清簟をうたうところ、いかにもかれらしい。この時も、おそらく、杜侍御などほったらかしにして、大好きな簟にごろりと寝ころんだことだろうと思う。
・瓦影 水にうつった屋根瓦のかげ。

琴操十首 (10)殘形操 曾子夢見一狸,不見其首作 韓退之(韓愈)詩<66-#10>Ⅱ中唐詩440 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1399

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 2011/7/11李商隠 1 錦瑟 
 2011/7/11 ~ 2012/1/11 まで毎日掲載 全130首(187回) 
 2012/1/11唐宋 Ⅰ李商隠187 行次西郊作一百韻  白文/現代語訳 (全文) 
     

殘形操(曾子夢見一貍,不見其首作)
そこなわれた形のうた。
(曾子が夢で見た一匹の貍,其の首がみえないのでこの歌を作る。)
有獸維貍兮,我夢得之;
けだものがいた。それはたぬきだった、それをみたのはわたしの夢で見たことだ。
其身孔明兮,而頭不知。
そのからだは大変はっきりしていた、それなのにあたまが分からなかった。
吉兇何為兮,覺坐而思。
吉なのか凶なのか、どちらなのだろうか、ゆめから目ざめて起きあがって考えてみた。
巫鹹上天兮,識者其誰?

吉凶を予言したみこの巫咸は天上にのぼった、いまそれを知っている者は誰だろうか。

現代語訳と訳註
(本文)
殘形操(曾子夢見一貍,不見其首作)
有獸維貍兮,我夢得之;
其身孔明兮,而頭不知。
吉兇何為兮,覺坐而思。
巫鹹上天兮,識者其誰?


(下し文)
殘形操【ざんけいそう】(残【そこな】われた形のうた)
(曾子【そうし】夢に一の貍を見るも,其の首を見ずして作る。)
獣有り 維【こ】れ狸なり、我れ夢に之を得たり。
其の身 孔【はなは】だ明きらかにして、而も頭は知らず。
吉凶 何為ぞや、覚めて坐して思う。
巫鹹【ふかん】天に上ぼれり、識れる者は其れ誰ぞや。


(現代語訳)
そこなわれた形のうた。
(曾子が夢で見た一匹の貍,其の首がみえないのでこの歌を作る。)
けだものがいた。それはたぬきだった、それをみたのはわたしの夢で見たことだ。
そのからだは大変はっきりしていた、それなのにあたまが分からなかった。
吉なのか凶なのか、どちらなのだろうか、ゆめから目ざめて起きあがって考えてみた。
吉凶を予言したみこの巫咸は天上にのぼった、いまそれを知っている者は誰だろうか。


(訳注)
殘形操(曾子夢見一貍,不見其首作)

残形操 (残【そこな】われた形のうた)。
(曾子が夢で見た一匹の貍,其の首がみえないのでこの歌を作る。)
・孔子の高弟である曾子(紀元前506-?年)は、ある日の昼寝のゆめに一匹のたぬきを見たが、からだだけが見えて、あたまが見えなかったので、この歌を作った。
曾子は、孔子および左丘明の弟子で、儒教黎明期の重要人物である。諱は参(しん)。字は子與(しよ)。父は曾皙、子に曾申。十三経の一つ『孝経』は、曾子の門人が孔子の言動をしるしたと称されるものである。


有獸維貍兮,我夢得之;
けだものがいた。それはたぬきだった、それをみたのはわたしの夢で見たことだ。


其身孔明兮,而頭不知。
そのからだは大変はっきりしていた、それなのにあたまが分からなかった。
 非常に。たいへん。甚しいという意味の古語。


吉兇何為兮,覺坐而思。
吉なのか凶なのか、どちらなのだろうか、ゆめから目ざめて起きあがって考えてみた。
吉兇 古代、夢の内容によって吉凶を占うのが巫女であった。○何為 どちらだろうか。


巫鹹上天兮,識者其誰?
吉凶を予言したみこの巫咸は天上にのぼった、いまそれを知っている者は誰だろうか。
巫咸 古代の巫女。未来の吉凶を予言したといわれる。この名で称される巫女は、ひとりでなく、すぐれた予言の能力者に対して、ひろく与えられる普通名詞化した呼び名である。屈原『離騒』十三段「巫咸將夕降兮,懷椒糈而要{陰平}之」○巫咸 神巫の名。天から降ると信ぜられていた。『山海経』征大荒西経に「大荒の中に霊山有り、巫咸・巫圓∵巫扮・巫彭・巫姑・巫真・巫礼・巫抵・巫謝・巫扁、十巫比より升降す。百薬ここに在りとある。
この時代を批判的に詠ったものである。まず、宦官勢力が増大したこと、皇帝が不審死が続いたこと、朝廷内の権力闘争、道教の朝廷への権力癒着、など韓愈はこの詩で、狸を比喩として、これを批判的に述べたものとするとはじめて味わいのある詩となるのである。

琴操十首 (9)別鵠操 商陵穆子,娶妻五年無子。父母欲其改娶,其妻聞之,中夜悲嘯,穆子感之而作 韓退之(韓愈)詩<75-(9)>Ⅱ中唐詩439 漢文委員会 紀頌之の漢詩ブログ1396

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   2011/7/11李商隠 1 錦瑟 
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   2012/1/11 唐宋 Ⅰ李商隠187 行次西郊作一百韻  白文/現代語訳 (全文) 
     

琴操十首  (9)別鵠操
別鵠操
「別かれゆく鶴」のうた。
(商陵穆子,娶妻五年無子。父母欲其改娶,其妻聞之,中夜悲嘯,穆子感之而作。)
(商陵の穆子という人は、妻をめとったが、五年たって子ができなかった。父母は嫁をもらいなおさせようとした。妻がそのことを聞いて、真夜中にため息をついて悲しんでいると、穆子がそれに感じてこの歌を作った。)
雄鵠銜枝來,雌鵠吸泥歸。
雄の鶴は枝をくわえで来るものだ、雌の鶴は泥をついばんで帰るものである。
巢成不生子,大義當乖離。
巣ができ上ってしばらく経過したが子ができない、この社会の大きな倫理にしたがえば別かれなければならないとされる。
江漢水之大,鵠身鳥之微。
長江と漢江は川の大きなものである、つるの身は烏というちっぽけなものであるからかにおおきな川に寄り添えば幸福である。
更無相逢日,且可繞樹相隨飛。
もう逢える日はないだろう、いましばらくは連れそうてこの木のまわりを飛び回ってもいいだろうとおもっている。


現代語訳と訳註
(本文)
別鵠操
雄鵠銜枝來,雌鵠吸泥歸。
巢成不生子,大義當乖離。
江漢水之大,鵠身鳥之微。
更無相逢日,且可繞樹相隨飛。


(下し文)
別鵠操【べつこくそう】
(商陵の穆子【ぼくし】,妻を娶【めと】り 五年までに子無し。父母其の改め娶らんことを欲す,其の妻之を聞きて,中夜に悲しみ嘯【うそぶ】く,穆子之を感じて作る。)
雄鶴は枝だを街んで来たり、雌鶴は泥を啄んで帰る。
巣成って子を生まず、大義 当に帝離すべし。
江漢は水の大なるものなり、鶴の身は鳥の徴なるものなり。
更に相い逢う日無からん、且く樹を繰って相い随って飛ぶべし。


(現代語訳)
「別かれゆく鶴」のうた。
(商陵の穆子という人は、妻をめとったが、五年たって子ができなかった。父母は嫁をもらいなおさせようとした。妻がそのことを聞いて、真夜中にため息をついて悲しんでいると、穆子がそれに感じてこの歌を作った。)
雄の鶴は枝をくわえで来るものだ、雌の鶴は泥をついばんで帰るものである。
巣ができ上ってしばらく経過したが子ができない、この社会の大きな倫理にしたがえば別かれなければならないとされる。
長江と漢江は川の大きなものである、つるの身は烏というちっぽけなものであるからかにおおきな川に寄り添えば幸福である。
もう逢える日はないだろう、いましばらくは連れそうてこの木のまわりを飛び回ってもいいだろうとおもっている。


(訳注)
別鵠操
(商陵穆子,娶妻五年無子。父母欲其改娶,其妻聞之,中夜悲嘯,穆子感之而作。)
「別かれゆく鶴」のうた。
(商陵の穆子という人は、妻をめとったが、五年たって子ができなかった。父母は嫁をもらいなおさせようとした。妻がそのことを聞いて、真夜中にため息をついて悲しんでいると、穆子がそれに感じてこの歌を作った。)
別鵠操「「別かれゆく鶴」のうた。鵠は、こおのとりのことであるが、鶴と通じて用いられることが多い。万葉集でも「たづ」と読ませている。この「別鵠操」つるの意味であろう。
商陵牧子所作也。牧子娶妻五年,無子,父兄欲為改娶。妻聞之,中夜驚起,倚戶悲嘯。牧子聞之,援琴鼓之雲:“痛恩愛之永離,歎別鶴以舒情。”故曰《別鶴操》。後仍為夫婦。」
むかし商陵の穆子という人は、妻をめとったが、五年たって子ができなかった。子がないのは、妻を離婚する七つの理由のひとつであるから、父母はその妻を出して、嫁をもらいなおさせようとした。妻がそのことを聞いて、真夜中にため息をついて悲しんでいると、穆子がそれに感じてこの歌を作った。


雄鵠銜枝來,雌鵠吸泥歸。
雄の鶴は枝をくわえで来るものだ、雌の鶴は泥をついばんで帰るものである。


巢成不生子,大義當乖離。
巣ができ上ってしばらく経過したが子ができない、この社会の大きな倫理にしたがえば別かれなければならないとされる。
大義当乖離 乖も、わかれること。古代中国では、後つぎのないのは、祖先の祭りを絶つため、最大の不孝とされ、たとえほかに欠点がなくても、子のない妻は、大きな「道徳」的見地からいって、離別しなければならなかった。


江漢水之大,鵠身鳥之微。
長江と漢江は川の大きなものである、つるの身は烏というちっぽけなものであるからかにおおきな川に寄り添えば幸福である。
○江漢 長江と漢江。大きな川の代表。つるは水禽であるから、川を持ち出したのであろう。
水之大 大きなものの代表が川である。大きな川があれば、水鳥がそこをよりどころとして住むところであり、水鳥にとっては幸福をもたらすことになる。
鳥之微 鳥の小さなものという意。つるは鳥の中で小さいものとはいえないであろうが、江漢に此すれば、鵬などという空想上の鳥は別とし、どんな大きな鳥でも、微という点では、大差ないであろう。


更無相逢日,且可繞樹相隨飛。
もう逢える日はないだろう、いましばらくは連れそうてこの木のまわりを飛び回ってもいいだろうとおもっている。
 ひとまず。いましばらくは。一時的にする気持ちを示す。

琴操十首 (8)雉朝飛操 牧犢子七十無妻,見雉雙飛,感之而作 韓退之(韓愈)詩<74-(8)>Ⅱ中唐詩438 漢文委員会 紀頌之の漢詩ブログ1393

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琴操十首(8)
雉朝飛操
「ぎじ朝に飛ぶ」
牧犢子七十無妻,見雉雙飛,感之而作 
牧犢子という人は七十になっても、妻がなかったが、雉のめすおすが連れ立って飛んでいるのを見た。これを感じてこの歌を作った。
雉之飛,於朝日。
きじが飛ぶ、朝日のひかりの中に。
群雌孤雄,意氣橫出。
群れをなしたメス烏とたった一羽のオス鳥がいて、威勢のよいのを満ちあふれさせている。
當東而西,當啄而飛。
東にいるかと思えば西に行き、えさをあさるかと思えば飛び上がる。
隨飛隨啄,群雌粥粥。
オス鳥のあとをあるいは飛びあるいはあさり、メス烏たちはすなおについて行く。
嗟我雖人,曾不如彼雉雞。
ああわたしは人間でありながら、それなのにあのきじにも及ばないのだ。
生身七十年,無一妾與妃。
生まれて七十年もたつ身であるが、一人の内妻さえ、妻さえありはしないのだ。


現代語訳と訳註
(本文)
琴操十首(8)雉朝飛操
牧犢子七十無妻,見雉雙飛,感之而作 
雉朝飛操]
雉之飛,於朝日。
群雌孤雄,意氣橫出。
當東而西,當啄而飛。
隨飛隨啄,群雌粥粥。
嗟我雖人,曾不如彼雉雞。
生身七十年,無一妾與妃。


(下し文)
雉朝飛操【ちちょうそう】
牧犢【ぼくとく】子七十にして妻無し,雉【きじ】の雙【な】らび飛ぶを見,之に感じて作る。
雉の飛ぶ、朝の日に干【お】いてす。
群雌孤雄、意気横出す。
東に当たりて西し、啄むに当たりて飛ぶ。
随って飛び随って啄んで、群雌粥粥たり。
嗟我れ人と雄も、曾ち彼の雉鶏にだも如かず。
生身七十年、一りの妾と妃とだも無し。


(現代語訳)
「ぎじ朝に飛ぶ」
牧犢子という人は七十になっても、妻がなかったが、雉のめすおすが連れ立って飛んでいるのを見た。これを感じてこの歌を作った。
きじが飛ぶ、朝日のひかりの中に。
群れをなしたメス烏とたった一羽のオス鳥がいて、威勢のよいのを満ちあふれさせている。
東にいるかと思えば西に行き、えさをあさるかと思えば飛び上がる。
オス鳥のあとをあるいは飛びあるいはあさり、メス烏たちはすなおについて行く。
ああわたしは人間でありながら、それなのにあのきじにも及ばないのだ。
生まれて七十年もたつ身であるが、一人の内妻さえ、妻さえありはしないのだ。


(訳注)
雉朝飛操
牧犢子七十無妻,見雉雙飛,感之而作。

「ぎじ朝に飛ぶ」
牧犢子という人は七十になっても、妻がなかったが、雉のめすおすが連れ立って飛んでいるのを見た。これを感じてこの歌を作った。
雉朝飛操「ぎじ朝に飛ぶ」のうた。
「齊獨沐子所作也。獨沐子年七十無妻,出薪於野,見飛雉雄雌相隨,感之,撫琴而歌曰:“雉朝飛,鳴相和,雌雄群遊於山阿。我獨何命兮未有家,時將暮兮可奈何,嗟嗟暮兮可奈何?”」
斉の宜王(紀元前三四二土三四年在位)のとき、牧犢子という人は七十になっても、妻がなかった。ある日薪を採りに出かけると、雉のめすおすが連れ立って飛んでいるのを見た。
それに心を動かされて、「立派な王さまがいらっしゃって、草木鳥獣にまでめぐみが及んでいるのに、わたしひとりだけがめぐみにあずからぬ。」といい、琴をひいてこの歌をうたい、自分の境遇を悲しんだが、その声は途中で切れてしまったという。


雉之飛,於朝日。
きじが飛んで行く、ちょうど朝日が輝き始めている。


群雌孤雄,意氣橫出。
群れをなしたメス烏とたった一羽のオス鳥がいて、威勢のよいのを満ちあふれさせている。
橫出 横は普通の軌道をはずれるまでという気持ち。だから、「ほしいまま」とか、「みちあふれている」という意味になる。ここでは、意気が「ほとばしりでている」こと。つまり、威勢のよいことをいう。


當東而西,當啄而飛。
東にいるかと思えば西に行き、えさをあさるかと思えば飛び上がる。
当東両所 当は、「ちょうどそのとき」ということ。東にいると思うと西へ行くというありさまをいう。下の「当啄」の当も同じ。


隨飛隨啄,群雌粥粥。
オス鳥のあとをあるいは飛びあるいはあさり、メス烏たちはすなおについて行く。
随飛 随は、「……するままにくっついて」という気持ち。ここは、雄の飛ぶままに、雌がくっついて行くこと。
粥粥 おとなしい形容。


嗟我雖人,曾不如彼雉雞。
ああわたしは人間でありながら、それなのにあのきじにも及ばないのだ。
 それなのに。逆態の接続を示す。
雉鶏 雉は鶏と同類だから、押韻の関係で鶏の字を加えた。雉一字と同じくきじのこと。なお、野鶏といえば、きじのことである。


生身七十年,無一妾與妃。
生まれて七十年もたつ身であるが、一人の内妻さえ、妻さえありはしないのだ。
生身 この身が生まれてから。
 内妻。中国は一夫多妻制。夫の戸籍には入らない、生まれた男子が跡を継ぐ。
 正妻。配偶者という意味で、がんらいは貴人の夫人に対してだけいうものではなかったらしいが、のちにはある一定の身分の夫人に対してのみ用いられるようになった。

琴操十首 (7)履霜操 尹吉甫子伯奇無罪,為後母譖而見逐,自傷作 韓退之(韓愈)詩<66-#7>Ⅱ中唐詩437 紀頌之の漢詩ブログ1390

琴操十首  (7)履霜操  尹吉甫子伯奇無罪,為後母譖而見逐,自傷作 韓退之(韓愈)詩<73-(7)>Ⅱ中唐詩437 紀頌之の漢詩ブログ1390


     
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琴操十首  (7)履霜操 
尹吉甫子伯奇無罪,為後母譖而見逐,自傷作


履霜操
(霜を履んでのうた。)
(尹吉甫子伯奇無罪,為後母譖而見逐,自傷作)
(尹吉甫の子には何の罪もありはしない。後妻の継母の讒言により家を出され、入身自殺をする際にこの詩を作る。)
父兮兒寒,母兮兒饑。
おとうさん わたしは寒さでこごえています、おかあさん わたしは餓えてひもじいのです。
兒罪當笞,逐兒何為?
わたしになにか罪があるならこけ笞で打たれてあたりまえです、なんのためにわたしを追い出したのですか。
兒在中野,以宿以處。
わたしは広野のまんなかですごし、そして夜をあかし日をおくっています。
四無人聲,誰與兒語?
四方見渡すかぎり、人の声も無く、誰もわたしと話しあう人はいません。
兒寒何衣?兒饑何食?
わたしは寒さに震えていますが身につけるものがなにもないのです。こんなこどもが餓えているけど食べるものとて何があるというのですか。
兒行於野,履霜以足。
子供のわたしが広野を行くのに、はだしの足で霜を履んで行くのです。
母生眾兒,有母憐之。
おかあさんはたくさんの子を生んだのですが、母としてその子らには愛おしんでおられる。
獨無母憐,兒寧不悲?

ただ一人、わたしにとって愛おしんでくれる母はいないのです、子供のわたしが悲しまないでにおられましょうか。


現代語訳と訳註
(本文)
履霜操
(尹吉甫子伯奇無罪,為後母譖而見逐,自傷作)
父兮兒寒,母兮兒饑。
兒罪當笞,逐兒何為?
兒在中野,以宿以處。
四無人聲,誰與兒語?
兒寒何衣?兒饑何食?
兒行於野,履霜以足。
母生眾兒,有母憐之。
獨無母憐,兒寧不悲?


(下し文)
履霜操【りそうそう】
(尹【いん】吉甫【きっぽ】が子 伯奇【はっき】罪無くして,後母【こうぼ】に譖【そし】られて逐われ,自ずから傷みて作る)
父よ 兒【こ】寒【こご】えたり,母よ 兒饑【う】えたり。
兒罪あらば當に笞【むち】うつべし,兒を逐うて何為れぞ?
兒 中野に在りて,以て宿し以て處【お】る。
四もに人の聲無し,誰か兒と語る?
兒寒【こご】えたれども何をか衣【き】ん?兒饑えたれども何をか食らわん?
兒 野を行くときに,霜を履むに足を以ってす。
母 眾兒【しゅうじ】を生めり,母の之を憐れむ有り。
獨り母の憐れむ無し,兒寧んぞ悲しまざらんや?


(現代語訳)
(霜を履んでのうた。)
(尹吉甫の子には何の罪もありはしない。後妻の継母の讒言により家を出され、入身自殺をする際にこの詩を作る。)
おとうさん わたしは寒さでこごえています、おかあさん わたしは餓えてひもじいのです。
わたしになにか罪があるならこけ笞で打たれてあたりまえです、なんのためにわたしを追い出したのですか。
わたしは広野のまんなかですごし、そして夜をあかし日をおくっています。
四方見渡すかぎり、人の声も無く、誰もわたしと話しあう人はいません。
わたしは寒さに震えていますが身につけるものがなにもないのです。こんなこどもが餓えているけど食べるものとて何があるというのですか。
子供のわたしが広野を行くのに、はだしの足で霜を履んで行くのです。
おかあさんはたくさんの子を生んだのですが、母としてその子らには愛おしんでおられる。
ただ一人、わたしにとって愛おしんでくれる母はいないのです、子供のわたしが悲しまないでにおられましょうか。


(訳注)
履霜操
履霜操 「霜を履んでのうた。」尹吉甫の子の伯奇は、何の咎もないのに、まま母が尹吉甫に悪しざまに告げ口したので、家をおい出された。伯奇ははすを編んで着物とし、やまなしの花を採って食物とし、朝あけに霜をふみながら、自分の境遇を悲しんで、琴を引きつつ、このうたを作り、歌がおわると、川に身を投げて死んだ。子供の身になって、大人の男性が詠んでいる。
蔡邕の『履霜操』では宣王がこのことを聞きおよんで「此のことは子が親をしたい、孝行なこととした詩である」とされ、後妻は追われ、射殺された。


(尹吉甫子伯奇無罪,為後母譖而見逐,自傷作)
尹吉甫の子には何の罪もありはしない。後妻の継母の讒言により家を出され、入身自殺をする際にこの詩を作る。
父の尹吉甫は、周の宣王(紀元前827-782年在位)のときの大臣、四方の異民族との戦いに功績があった。「詩経」にその名が見える。『詩経、大雅、蕩之什』[烝民]P518「吉甫作誦、穆如清風。」(吉甫誦を作る、穆として清風の如し。)


父兮兒寒,母兮兒饑。
おとうさん わたしは寒さでこごえています、おかあさん わたしは餓えてひもじいのです。
 こども。伯奇の自称。


兒罪當笞,逐兒何為?
わたしになにか罪があるならこけ笞で打たれてあたりまえです、なんのためにわたしを追い出したのですか。
遂児何為 「何為逐児」をおきかえて疑問を強調した。わたくしを追い出されたのはどういうわけか。


兒在中野,以宿以處。
わたしは広野のまんなかですごし、そして夜をあかし日をおくっています。
中野 広野のまんなか。


四無人聲,誰與兒語?
四方見渡すかぎり、人の声も無く、誰もわたしと話しあう人はいません。


兒寒何衣?兒饑何食?
わたしは寒さに震えていますが身につけるものがなにもないのです。こんなこどもが餓えているけど食べるものとて何があるというのですか。


兒行於野,履霜以足。
子供のわたしが広野を行くのに、はだしの足で霜を履んで行くのです。


母生眾兒,有母憐之。
おかあさんはたくさんの子を生んだのですが、母としてその子らには愛おしんでおられる。
有母燐之 その子供たちをいとおしむ母がある。「有・之、無・獨」の字の位置が下の「母憐」と同じ語を使っている。


獨無母憐,兒寧不悲?
ただ一人、わたしにとって愛おしんでくれる母はいないのです、子供のわたしが悲しまないでにおられましょうか。



蔡邕《履霜操》者,尹吉甫之子伯奇所作也。吉甫,周上卿也,有子伯奇。伯奇母死,吉甫更娶後妻,生子曰伯邦。乃譖伯奇於吉甫曰:“伯奇見妾有美色,然有欲心。” 吉甫曰:“伯奇為人慈仁,豈有此也?” 妻曰:“試置妾空房中,君登樓而察之。” 後妻知伯奇仁孝,乃取毒蜂綴衣領,伯奇前持之。於是吉甫大怒,放伯奇於野。伯奇編水荷而衣之,采花而食之,清朝履霜,自傷無罪見逐,乃援琴而鼓之曰:“ 履朝霜兮采晨寒,考不明其心兮聽讒言,孤恩別離兮摧肺肝,何辜皇天兮遭斯愆。痛歿不同兮恩有偏,誰說顧兮知我冤。” 宣王出遜,吉甫從之,伯奇乃作歌,以言感之於宣王。宣王聞之,曰:“此孝子之辭也。” 吉甫乃求伯奇於野而感悟,遂射殺後妻。

琴操十首 (6)岐山操 周公為太王作 韓退之(韓愈)詩<72-(6)>Ⅱ中唐詩436 紀頌之の漢詩ブログ1387

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琴操十首(6)岐山操 周公為太王作


岐山操 周公為太王作
我家於豳,自我先公。
わたしたちが豳に住みついたのは、御先祖さまの大王九世の祖公劉ときからだ。
伊我承序,敢有不同。
わたしか後継者として世襲しても、同じようにしないといけないのだ。
今狄之人,將土我疆。
ところがいま狄の国の人たちが、わたしの領土を占領しようとしている。
民為我戰,誰使死傷?
人民はわたしのために戦おうとするが、その人たちを死なせたり賜つけたりできるものか。
彼岐有岨,我往獨處。
あの岐山には要害の地がある、わたしはそこへ行。てひとり住むことにしよう。
爾莫余追,無思我悲。

君たちはわたしのあとからついて来てはいけない、わたしのことを思って悲しんでもいけないのだ。


現代語訳と訳註
(本文)
岐山操 周公為太王作
我家於豳,自我先公。
伊我承序,敢有不同。
今狄之人,將土我疆。
民為我戰,誰使死傷?
彼岐有岨,我往獨處。
爾莫余追,無思我悲。


(下し文)
岐山操【ぎざんそう】 (周公 太王の為に作る)
我れ豳【ひん】に家すること,我が先公【せんこう】よりす。
伊【こ】れ我れ序を承【う】けて,敢えて不同じからざること有らんや。
今 狄【てき】の人,將に我が疆【さかい】に土【お】らんとす。
民 我が為に戰い,誰か死傷せ使【し】めん?
彼の岐に岨【そ】有り,我れ往きて獨り處【お】らん。
爾 余【わ】れを追うこと莫れ,我れを思うて悲しむこと無し。


(現代語訳)
わたしたちが豳に住みついたのは、御先祖さまの大王九世の祖公劉ときからだ。
わたしか後継者として世襲しても、同じようにしないといけないのだ。
ところがいま狄の国の人たちが、わたしの領土を占領しようとしている。
人民はわたしのために戦おうとするが、その人たちを死なせたり賜つけたりできるものか。
あの岐山には要害の地がある、わたしはそこへ行。てひとり住むことにしよう。
君たちはわたしのあとからついて来てはいけない、わたしのことを思って悲しんでもいけないのだ。


(訳注)
岐山操
岐山は岐州に在り,現在の陝西省岐山縣であるやまである。
周公為太王作
岐州の陽に居をもっていた。太王といわれるものは,古公【ここう】亶父【たんふ】である。『孟子、梁惠王篇』に太王は豳【ひん】に土地所有の部族長であった,狄【てき】の主族が侵入してそのとき狄の種族が攻撃してきたので、人民は戦おうと望んだが、大王は自分の人民を戦わせるに忍びず、その土地を狄人にゆだねて、豳を去り岐山の南がわ梁山に移住した。
すると、そこの人民たちは、[仁人だ]といって、あとに随って移住したといわれる。
周公が大王にかわってそのときの心持ちをうたったとして作ったのがこの歌である。


我家於豳,自我先公。
わたしたちが豳に住みついたのは、御先祖さまの大王九世の祖公劉ときからだ。
我家於豳自我先公 周の部族が、豳に住むようになったのは、『詩経、大雅、公劉篇』に大王九世の祖公劉のときからである。豳は長安の北、黄河支流渭水の支流涇水の流域で岐山を南に控えた高原地帯である。
公劉のときから古公亶父まで数百年そこに住んだ、農耕部族である。『詩経、豳風』にその生活の様子を歌ものである。


伊我承序,敢有不同
わたしか後継者として世襲しても、同じようにしないといけないのだ。
 ことばのはじめにくる。調子をととのえることば。
承序 伝えられる順序にあたってそれを承けつぐ。
敢有不同 敢は文のはじめに来るとしばしば反語となる。ここも反語である。


今狄之人,將土我疆。
ところがいま狄の国の人たちが、わたしの領土を占領しようとしている。
○狄 北方の異民族を総称するいい方。
○土 その土地を所有する。「土」を動詞として用いた。
 領地。


民為我戰,誰使死傷?
人民はわたしのために戦おうとするが、その人たちを死なせたり賜つけたりできるものか。


彼岐有岨,我往獨處。
あの岐山には要害の地がある、わたしはそこへ行。てひとり住むことにしよう。
 けわしい要害の地。
 住む。居住する


爾莫余追,無思我悲。
君たちはわたしのあとからついて来てはいけない、わたしのことを思って悲しんでもいけないのだ。

琴操十首 (5)拘幽操 文王羑裏作 韓退之(韓愈)詩<71-(5)>Ⅱ中唐詩435 紀頌之の漢詩ブログ1384

琴操十首  (5)拘幽操  文王羑裏作 韓退之(韓愈)詩<71-(5)>Ⅱ中唐詩435 紀頌之の漢詩ブログ1384

     
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琴操十首(5)拘幽操 文王羑裏作
拘幽操
目窈窈兮,其凝其盲。
目はくろぐろとしているが、こりかたまってしまいなに一つ見えないのだ。
耳肅肅兮,聽不聞聲。
耳はシーンシーンとしているけれど、いくらすましても声はきこえない。
朝不日出兮,夜不見月與星。
朝になっても日は出ず、夜るに月も星さえも見えない。
有知無知兮,為死為生?
知覚があるだろうかそれともないのか、死んでいるのだろうかそれとも生きているのか。
嗚呼,臣罪當誅兮,天王聖明。

ああ、わたしの罪は処刑に相当するのだ、天子の徳はまちがいがないことなのだ。


現代語訳と訳註
(本文)
拘幽操 文王羑裏作
目窈窈兮,其凝其盲。
耳肅肅兮,聽不聞聲。
朝不日出兮,夜不見月與星。
有知無知兮,為死為生?
嗚呼,臣罪當誅兮,天王聖明。


(下し文) 拘幽操【こうゆうそう】
文王 羑裏【ゆうり】に作る
目 窈窈【ゆうゆう】として,其れ凝り 其れ盲【めし】い。
耳 肅肅【しゅくしゅく】として,聽けども聲を聞かず。
朝 不日の出でず,夜 月と星とを見ず。
知有りや 知無しや,死と為さんや 生と為さんや?
嗚呼【ああ】,臣が罪は誅【ちゅう】に當り,天王は聖明なり。


(現代語訳)
目はくろぐろとしているが、こりかたまってしまいなに一つ見えないのだ。
耳はシーンシーンとしているけれど、いくらすましても声はきこえない。
朝になっても日は出ず、夜るに月も星さえも見えない。
知覚があるだろうかそれともないのか、死んでいるのだろうかそれとも生きているのか。
ああ、わたしの罪は処刑に相当するのだ、天子の徳はまちがいがないことなのだ。


(訳注)
拘幽操

・拘幽操「ひとやにとらわれ」のうた。
文王羑裏作
蔡邕『琴操』「文王備修道德,百姓親附。是時崇侯虎與文王列為諸侯,德不能及文王,常嫉妒之。乃譖文王於紂曰:“西伯昌,聖人也。長子發、中子旦,皆聖人也。三聖合謀,將不利於君,君其慮之。紂用其言,乃囚文王於羑裏,擇日欲殺之。於是文王四臣太顛、閎夭、散宜生、南宮適之徒,往見文王。文王為反目者,紂之好色也。文王在羑裏時,演八卦以為六十四卦,作鬱尼之辭。」
(文王、徳を修め、百姓親附す。崇侯虎、これを疾み、紂に謗って日く、西伯昌は聖人なり。長子発中子旦、皆聖人なり。三聖、謀を合す。君其れ之を慮へ。と。乃ち文王か羑裏に囚へ、将に之を殺さむとす。ここにおいて、文王の四臣、散宜生の徒、美女大見白馬来鼠を得て、以て紂に献ず。紂遂に西伯を出す。文王、羑裏に在りしとき、易の八卦を演じて六十四となし、鬱厄の辞を作る)

周の文王は、善政を施し、徳行にはげんだので、人民たちは文王に心を寄せた。そこで、殷の紂王(暴君の代名詞紂王))に、文王は人望を集め野心をいだいていると、謹言したものがあって、紂王は、文王を羑裏というところに監禁した。文王が監禁されているときの心持ちを述べたものとして作った歌である。
幽閉された時期に、周易を書いた。その後、昌は財宝と領地を帝辛に献上して釈放され、西伯(西の統括をする諸侯の事)に任じられた。
国許に帰った昌は紂王に目を付けられないようにしながら仁政を行った。
羑裏は、今の河南省湯陰県付近にあった。


目窈窈兮,其凝其盲。
目はくろぐろとしているが、こりかたまってしまいなに一つ見えないのだ。
・訪窃 まっくらな形容。
・凝 目がこちこちになって、見えないこと。


耳肅肅兮,聽不聞聲。
耳はシーンシーンとしているけれど、いくらすましても声はきこえない。
粛粛 静かな様子をいう。シーンシーンという耳鳴りの昔。あるいは風の音だけが聞える状況である。
 注意してきくこと。下の「聞」がきこえてくる意であるのに対する。


朝不日出兮,夜不見月與星。
朝になっても日は出ず、夜るに月も星さえも見えない。


有知無知兮,為死為生?
知覚があるだろうかそれともないのか、死んでいるのだろうかそれとも生きているのか。
有知無知 知覚があるかないかさえ分からない。
為死為生 死んでいるのか生きているのかも分からない。


嗚呼,臣罪當誅兮,天王聖明。
ああ、わたしの罪は処刑に相当するのだ、天子の徳はまちがいがないことなのだ。
臣罪当誅 わたしは今のこの罰が当然なほどの罪を犯している。罪のない文王が自ら罪ありといっているのは、反省的な文王の徳の高さをあらわすものだ。
天王 天子のこと。肘をさす。「春秋」に見えるいい方である。
聖明 天子の徳についていうことば。その道はどこにでも通じ、その明は至るところを照らすことをいう。天子さまは何でも御存知だ、まちがいがない、という心持ちを持つ。


蔡邕 『琴操』《拘幽操》
者,文王拘於羑裏而作也。文王備修道德,百姓親附。文王有二子,周公、武王皆聖。是時崇侯虎與文王列為諸侯,德不能及文王,常嫉妒之。乃譖文王於紂曰:“西伯昌,聖人也。長子發、中子旦,皆聖人也。三聖合謀,將不利於君,君其慮之。” 紂用其言,乃囚文王於 裏,擇日欲殺之。於是文王四臣太顛、閎夭、散宜生、南宮適之徒,往見文王。文王為反目者,紂之好色也;桴其腹者,言欲得奇寶也;蹀躞其足者,使疾迅也。於是乃周流海內,經曆風土,得美女二人、水中大貝、白馬朱鬣,以獻於紂。陳於中庭,紂見之,仰天而歎曰:“嘻哉,此誰寶?” 散宜生趨而進曰:“是西伯之寶,以贖刑罪。” 紂曰:“於寡人何其厚也!” 立出西伯。紂謂宜生:“譖岐侯者,長鼻決耳也。” 宜生還,以狀告文王,乃知崇侯譖之。文王在 裏時,演八卦以為六十四卦,作鬱尼之辭:“困於石,據於蒺藜。” 乃申憤以作歌曰:“ 殷道溷溷,浸濁煩兮。朱紫相合,不別分兮。迷亂聲色,信讒言兮。炎炎之虐,使我愆兮。無辜桎梏,誰所宣兮。幽閉牢,由其言兮。遘我四人,憂勤勤兮。得此珍玩,且解大患兮。倉皇迄命,遺後昆兮。作此象變,兆在昌兮。欽承祖命,天下不喪兮。遂臨下土,在聖明兮。討暴除亂,誅逆王兮."


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文王(ぶんのう、ぶんおう、? - 紀元前1152年-紀元前1056年 寿命 97才)は、中国の周朝の始祖。姓は姫、諱は昌。父季歴と母太任の子。周王朝の創始者である武王の父にあたる。
文王は商に仕えて、三公(特に重要な三人の諸侯)の地位にあり、父である季歴の死後に周の地を受け継ぎ、岐山のふもとより本拠地を灃河(渭河の支流である。湖南省の澧水とは字が異なる)の西岸の豊邑(正しくは豐邑。後の長安の近く)に移し、仁政を行ってこの地を豊かにしていた。
この時の商王は暴君の代名詞紂王(帝辛)であった。ある時に昌と同じく三公の一人、鄂崇禹が残酷な殺され方をした事で思わずため息をついたが、これを紂のやり方に不満があると讒言された昌は羑里(ゆうり)に幽閉された。幽閉された時期に、周易を書いた。その後、昌は財宝と領地を帝辛に献上して釈放され、西伯(西の統括をする諸侯の事)に任じられた。
国許に帰った昌は紂王に目を付けられないようにしながら仁政を行った。ある時に虞とゼイという小国が互いの間の紛争の調停を頼むために周にやってきたが、周の人民はあぜを譲り合い、老人を敬する気風があったので、自分達がつまらない事で争っている事に二つの国の君主は恥ずかしくなって、昌に会わずに国許に帰った。
その後、領土を広げ、また太公望呂尚を軍師に迎えた。紂王の無道に見切りを付けた諸侯はみんな昌を頼るようになったが、最後まで商の臣下としてあり続けた。死後息子の武王が文王の積み上げた物を基盤として商を倒し、周王朝を立てた。武王は昌に対し文王と追号した。後世、特に儒家からは武王と並んで聖王として崇められ、為政者の手本となった。


琴操十首 (4)越裳操 周公作 韓退之(韓愈)詩<70-(4)>Ⅱ中唐詩434 紀頌之の漢詩ブログ1381

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琴操十首  (4)越裳操  周公作



越裳操
雨之施,物以孳。
雨が天下にあまねくふって、万物はそのために発育する。
我何意於彼為?
自分が意図を以て彼らのために何かをするというのか、そうではなくて、むこうの成果がどうであろうが徳が自ずから及んでそうさせることとするのである。
自周之先,其艱其勤。
周の先王たちのむかしから、徳について苦労を、しまた徳について勤勉であった。
以有疆宇,私我後人。
そして国家ができ土地を保ったのであり、われわれ子孫に伝えられ、今の自分たちがあるのである。
我祖在上,四方在下。
そうしてわれわれの大祖達は天上に有って見守り、四方の民草は下にいるのである。
厥臨孔威,敢戲以侮。
その監視はとてもきびしく威厳を保っているし、あえて戯れでもって外国(越裳)を下にみてあなどったりしてはいけはない。
孰荒於門?孰治於田?
誰かの家門で荒淫していないだろうか、田畑では懸命に耕作したりしているだろうか。
四海既均,越裳是臣。
四方の天下がひとしく治まっていればこそ、越裳の国までが我が臣民となったのである。


現代語訳と訳註
(本文)
越裳操 周公作
雨之施,物以孳。
我何意於彼為?
自周之先,其艱其勤。
以有疆宇,私我後人。
我祖在上,四方在下。
厥臨孔威,敢戲以侮。
孰荒於門?孰治於田?
四海既均,越裳是臣。


(下し文)
越裳操【しょうそう】周公作る
雨の施し、物ここを以て孳【しげ】し。
我れ何ぞ彼れの為【しわざ】に意あらん?
周の先より、其れ艱【なや】み其れ勤【つと】めん。
以て疆宇【きょうう】を有【たも】ちて、我が後人に私【のこ】す。
我が祖 上に在す、四方 下に在り。
厥【そ】の臨【のぞ】むや孔【はなは】だ威【い】あり、敢えて戯むれて以て侮【あなど】らんや。
執【たれ】か門に荒【すさ】びて、執【たれ】か田に治【おさ】めん。
四海 既に均し、越裳【えつしょう】是れ臣たり。


(現代語訳)
雨が天下にあまねくふって、万物はそのために発育する。
自分が意図を以て彼らのために何かをするというのか、そうではなくて、むこうの成果がどうであろうが徳が自ずから及んでそうさせることとするのである。
周の先王たちのむかしから、徳について苦労を、しまた徳について勤勉であった。
そして国家ができ土地を保ったのであり、われわれ子孫に伝えられ、今の自分たちがあるのである。
そうしてわれわれの大祖達は天上に有って見守り、四方の民草は下にいるのである。
その監視はとてもきびしく威厳を保っているし、あえて戯れでもって外国(越裳)を下にみてあなどったりしてはいけはない。
誰かの家門で荒淫していないだろうか、田畑では懸命に耕作したりしているだろうか。
四方の天下がひとしく治まっていればこそ、越裳の国までが我が臣民となったのである。


(訳注)
越裳操 周公作

越裳【えつしょう】のうた。越裳は、今の越南(ヴェトナム)よりもっと南にあった国。『韓詩外傳』「周成王之時,越裳氏重九譯而至,獻白雉於周公,曰:‘吾受命國之黃發言曰:久矣,天不迅雷疾雨也,海不波溢,三年於茲矣。意者中國有聖人乎,盍往朝之?於是乃來。’”韓本註引《後漢•南蠻誌》,事同而文少異。《古琴操》曰:“於戲嗟嗟,非旦之力,乃文王之德。”
周の成王の時、越裳氏、九譯を重ねて至り,白雉を周公に獻じて,曰く:吾れ命を受く、國の黃髪を言いて曰く:久し、天迅雷疾雨せず也,海波 溢れず、ここ三年に於てをや。おもうに、中國に聖人あるか?,盍んぞ往いて朝せざると。ここにおいて乃ち來る。’と。”蔡邕の琴操十二首では「曰:戲れに嗟嗟,旦だ之の力に非ざり,乃ち文王の德なり。」
周の成王の時、越裳の国がはるばるとやって来て、周王にいった。「わが国では、長いあいだひどい雷もはげしい雨もございませんし、海が津浪をおこすことも、三年ばかりございません。中国に聖人がいらっしゃるからではないだろうか、往って御機嫌うかがいいたしましょう、というわけでまいりました。」と。そこで
周公が作った歌に擬して作られた。


雨之施,物以孳。
雨が天下にあまねくふって、万物はそのために発育する。
雨之施 雨が降ること。雲が空に流れ動いて雨が降り、万物をうるおして恩恵を施すこと。また、天子の恩恵が広く行き渡るたとえ。天下が太平であることのたとえ。『易経、乾卦』「彖曰.大哉乾元.萬物資始.乃統天.雲行雨施.品物流形.大明終始.六位時成.時乘六龍以御天.乾道變化.各正性命.保合大和.乃利貞.首出庶物.萬國咸寧.」〔彖(たん)に曰く、大なるかな乾元。万物資(と)りて始む、乃(すなわ)ち天を統ぶ。雲行き雨施し、品物、形を流(し)く。大いに終始を明らかにし、六位時に成る。時に六龍に乗りて、以って天を御す。乾道変化して、各性命を正す。大和を保合して、乃ち利貞なり。首として庶物を出でて、万国咸(ことごと)く寧(やす)し。〕
 繁殖する。


我何意於彼為?
自分が意図を以て彼らのために何かをするというのか、そうではなくて、むこうの成果がどうであろうが徳が自ずから及んでそうさせることとするのである。
我何意於彼為 向こうがそうすることを、こちらが糸としていたわけではない。雨は万物を生育し、繁殖させるために降ったわけではない。越裳の国が來貢したのも、周公が意図した結果としてやって来たのではないこと、徳が自ずから及んでそうさせたということである。


自周之先,其艱其勤。
周の先王たちのむかしから、徳について苦労をし、また徳について勤勉であった。
周之先 周の国の先祖は、古代の聖天子なる堯舜に仕えて農業を司どった后禝であり、その子孫は代代農業につとめた。また、韓愈『琴操十首、⑥岐山操』にあるように、異民族になやまされつつも、その民を大切にしたといわれる。それらのことを、「自周之先,其艱其勤。」(周の先より、其れ難み其れ勤しむ。)というのである。
 徳。


以有疆宇,私我後人。
そして国家ができ土地を保ったのであり、われわれ子孫に伝えられ、今の自分たちがあるのである。
疆宇 土地、国家。
 私有とする。


我祖在上,四方在下。
そうしてわれわれの大祖達は天上に有って見守り、四方の民草は下にいるのである。
 非常に。「甚だしい」という意味の古いことば。


厥臨孔威,敢戲以侮。
その監視はとてもきびしく威厳を保っているし、あえて戯れでもって外国(越裳)を下にみてあなどったりしてはいけはない。


孰荒於門?孰治於田?
誰かの家門で荒淫していないだろうか、田畑では懸命に耕作したりしているだろうか。
○荒 めちゃくちゃな遊びをする。荒淫、淫乱、頽廃的な遊び。


四海既均,越裳是臣。
四方の天下がひとしく治まっていればこそ、越裳の国までが我が臣民となったのである。


琴操十首 (3)龜山操 孔子以季桓子受齊女樂,諫不從,望龜山而作。 韓退之(韓愈)詩<69-(3)>Ⅱ中唐詩433 紀頌之の漢詩ブログ1378

琴操十首  (3)龜山操  孔子以季桓子受齊女樂,諫不從,望龜山而作。 韓退之(韓愈)詩<69-(3)>Ⅱ中唐詩433 紀頌之の漢詩ブログ1378

     
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琴操十首(3)龜山操 
(孔子以季桓子受齊女樂,諫不從,望龜山而作。)
魯の国の司法長官であったとき、孔子が家老の季桓子が斉の国から贈られた樂女たちにうつつを抜かしたことを諌めたが、いっこうに従わない。この国を去るにあたって亀山を眺めて作った。
龜山操
龜之氛兮,不能雲雨。
亀山のもっている気は、雲となり雨となることができない。
龜之橛兮,不中梁柱。
亀山のひこばえの木は、梁や柱にすることができるものではない。
龜之大兮,祗以奄魯。
亀山はその大きさが、ただ魯の国をおおいかくすだけのことである。
知將隳兮,哀莫余伍。
いまに国が崩壊するとわかっていても、かなしいことにわたしの同志となるものがないのだ。
周公有鬼兮,嗟余歸輔。

周公の神霊がいまもいますなら、ああ、わたしを祖国を輔けるために、もう一度祖国へ帰らせてほしいのだ。


現代語訳と訳註
(本文)

(孔子以季桓子受齊女樂,諫不從,望龜山而作。)
龜山操
龜之氛兮,不能雲雨。
龜之橛兮,不中梁柱。
龜之大兮,祗以奄魯。
知將隳兮,哀莫余伍。
周公有鬼兮,嗟余歸輔。


(下し文)
(孔子 季桓子が齊の女樂を受け,諫むるも不從わざるを以って,龜山を望みて作る。)
龜山操
龜の氛【ふん】は,雲雨【うんう】する能わず。
龜の橛【けつ】は,梁柱【りょうちゅう】に中【あた】らず。
龜の大なるは,祗【た】だ以って魯を奄【おお】う。
將【まさ】に隳【やぶ】れむとするを知も,余【われ】と伍する莫きを哀【かな】しむ。
周公 鬼 有らば,嗟【ああ】余【われ】をして歸り輔【たす】けしめよ。


(現代語訳)
魯の国の司法長官であったとき、孔子が家老の季桓子が斉の国から贈られた樂女たちにうつつを抜かしたことを諌めたが、いっこうに従わない。この国を去るにあたって亀山を眺めて作った。
亀山のもっている気は、雲となり雨となることができない。
亀山のひこばえの木は、梁や柱にすることができるものではない。
亀山はその大きさが、ただ魯の国をおおいかくすだけのことである。
いまに国が崩壊するとわかっていても、かなしいことにわたしの同志となるものがないのだ。
周公の神霊がいまもいますなら、ああ、わたしを祖国を輔けるために、もう一度祖国へ帰らせてほしいのだ。


(訳注)
琴操十首(3)龜山操 
(孔子以季桓子受齊女樂,諫不從,望龜山而作。)
魯の国の司法長官であったとき、孔子が家老の季桓子が斉の国から贈られた樂女たちにうつつを抜かしたことを諌めたが、いっこうに従わない。この国を去るにあたって亀山を眺めて作った。
いまに国が崩壊するとわかっていても、かなしいことにわたしの同志となるものがないのだ。


龜山操
○亀山操「亀山」のうた。亀山は、今の山東省泗水県の東北にある山。孔子が魯の国の司法長官であったとき、家老の季桓子が斉の国からわいろとしで贈られた踊り子たちを受け入れて、いっこう政治を顧りみなかったので、孔子はそれを諌めたが、季桓子は聞き入れない、そこで魯の国に希望を失しない、国を離れようとするとき、亀山をながめたとして作った歌である。亀山は、季氏を象徴する。
『史記』に「桓子、卒に斉の女楽を受け、三日政を聴かず、郊するに又膰爼を大夫に致さず。孔子遂に行く」とある。桓子は魯の国の家老季氏、女楽とは女の楽人歌手。当時、孔子は魯の大司寇すなわち司法長官であった。郊はまつり、祭にはおそなえした焼肉などのお下りを家老たちにわけるのが礼儀とされた。
季桓子は、対抗國の策略にのって女の歌手にうつつをぬかし、政治を怠り、礼儀をかえりみなかりたので、孔子はこの国を去った。
季氏受齊女樂,三日不聽政,郊又不致燔俎於大夫。孔子時為魯大司寇,遂行,宿於屯。而師己送曰:‘夫子則非罪。’孔子曰:‘吾歌可夫?’曰:‘彼婦之口,可以出走。彼婦之謁,可以死敗。蓋優哉遊哉,維以卒歲。’師己反,季子曰:‘孔子亦何言’,師己以實告。季氏喟然嘆曰:‘夫子罪我以群婢也。’”又《古操》雲:“予欲望魯兮,龜山蔽之。手無斧柯,奈龜山何?”譬季氏於龜山,托勢利於斧柯也。亀山は山東省泗水県の東にある。『太平御覧』には『水経注』をひいて「亀山は博県十五里に在り。昔、夫子、政道の陵遅を傷む。故に山を望んで操を懐ふ。故に琴操に斉の亀山操あり。山北は即ち亀陰の田なり。春秋の定公十年、斉人、亀陰の田に來帰する、これなり」という。


龜之氛兮,不能雲雨
亀山のもっている気は、雲となり雨となることができない。
 気。山の包蔵する気が石にふれて雲となると考えられた。
雲雨 農業を主産業とする古代中国では、雨は大切なもので、雲雨をおこすことは、人民に恩恵を与えることを象徴する。


龜之橛兮,不中梁柱。
亀山のひこばえの木は、梁や柱にすることができるものではない。
 ひこばえ。
不中 その役目をしない。
梁柱 家のはりとはしら。国家の支えを比喩する。


龜之大兮,祗以奄魯。
亀山はその大きさが、ただ魯の国をおおいかくすだけのことである。
 おおう。掩うと同じ。


知將隳兮,哀莫余伍。
いまに国が崩壊するとわかっていても、かなしいことにわたしの同志となるものがないのだ。
 くずれる。
 同志。


周公有鬼兮,嗟余歸輔。
周公の神霊がいまもいますなら、ああ、わたしを祖国を輔けるために、もう一度祖国へ帰らせてほしいのだ。
○周公魯の国に大名として初じめて封ぜられた人。名は且、周の武王の弟で、且つ武王の子成王の摂政として諸制度を定め、周の国家の基礎を築いた。古来聖人の一人とされる。
 神霊。

琴操十首 (2)猗蘭操 孔子傷不逢時作 韓退之(韓愈)詩<68-(2)>Ⅱ中唐詩432 紀頌之の漢詩ブログ1375

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琴操十首(2)猗蘭操
(孔子傷不逢時作)
(孔子が時節に合致しない物事に心を痛めてこの詩を作る。)
蘭之猗猗,揚揚其香。
色つやのよい蘭が美しくよく茂っている、ようようといせいのよいその香がただよっている。
不采而佩,於蘭何傷?
だからといって身に佩びるため採りはしない、かといって蘭の方は傷み悲しむわけはないだろう。
今天之旋,其曷為然?
ただ今の天の定めた廻りあわせは、どうしてこんなことなのだろうか。
我行四方,以日以年。
わたしは四方の国国に旅して、日をかさね年をかさねている。
雪霜貿貿,薺麥之茂。
ぼうぼうとした中、雪や霜がふるとき、そんな時でもなずなとむぎは茂るものだ。
子如不傷,我不爾覯。
蘭!もし君が傷み悲しむ状態でなければ、わたしが君にあうことはなかったであろう。
薺麥之茂,薺麥之有。
なずなとむぎの茂るのは、なずなとむぎの本性である。
君子之傷,君子之守。

君子が傷み悲しむのは、君子が節操を守っているからなのだ。


現代語訳と訳註
(本文)
猗蘭操
(孔子傷不逢時作)
蘭之猗猗,揚揚其香。
不采而佩,於蘭何傷?
今天之旋,其曷為然?
我行四方,以日以年。
雪霜貿貿,薺麥之茂。
子如不傷,我不爾覯。
薺麥之茂,薺麥之有。
君子之傷,君子之守。


(下し文)
(2)猗蘭操【いらんそう】
(孔子 時の逢わざること傷んで作る)
蘭の猗猗【いい】たる,揚揚【ようよう】たり其の香。
採りて佩【お】びずとも、蘭に於いて何ぞ傷まん。
今天の旋【めぐ】る、其れ曷【なん】為【す】れぞ然る。
我が四方に行くは、日を以てし年を以てす。
雪霜 貿貿【ぼうぼう】として、薺麥【せいばく】の茂きあり。
子【なんじ】如【も】し傷まずんば、我れ爾【まんじ】を覯【み】じ。
薺麥【せいばく】の茂きは、薺麥【せいばく】の有なり。
君子の傷むは、君子の守なり。


(現代語訳)
(孔子が時節に合致しない物事に心を痛めてこの詩を作る。)
色つやのよい蘭が美しくよく茂っている、ようようといせいのよいその香がただよっている。
だからといって身に佩びるため採りはしない、かといって蘭の方は傷み悲しむわけはないだろう。
ただ今の天の定めた廻りあわせは、どうしてこんなことなのだろうか。
わたしは四方の国国に旅して、日をかさね年をかさねている。
ぼうぼうとした中、雪や霜がふるとき、そんな時でもなずなとむぎは茂るものだ。
蘭!もし君が傷み悲しむ状態でなければ、わたしが君にあうことはなかったであろう。
なずなとむぎの茂るのは、なずなとむぎの本性である。
君子が傷み悲しむのは、君子が節操を守っているからなのだ。


(訳注)
琴操十首(2)猗蘭操(孔子傷不逢時作)

 『楚辞 離 騒』「扈江離與闢芷兮、紉秋蘭以為佩。」(江離と闢芷を扈り、秋蘭を紉いで以って佩と為す。)芳しい江離と闢芷とを身にまとい、秋蘭を繋いで帯ものとし、薫り高く身を世おうのである。
猗蘭操 「生き生きとした蘭」 のうた。

蔡邕『琴操、猗蘭操』の序文として
孔子歷聘諸侯,莫能用。自衛反魯,隱谷之中,見香蘭獨茂,喟然嘆曰:“夫蘭當為王者香,今乃獨茂,與眾草為伍。”乃止車,援琴鼓之。自傷不逢時,托辭於香蘭雲。
<序文の下し文>
孔子 諸侯に歷聘【れきへい】せしも,能く用いる莫れ。衛より魯に反るとき,隱谷の中に,香蘭の獨り茂るを見る,喟然【きぜん】として嘆じて曰く:“夫れ蘭は當に王者の香たるべし,今乃ち獨り茂り,眾草【しゅうそう】と伍を為す。”と。乃ち車を止め,琴を援って之れを鼓す。自ら時に逢わざるを傷み,辭を香蘭に托して雲【い】う。
孔子が、諸侯を歴訪して、自分を国政に用いるように求めたが、諸侯は任用することができず、孔子は自分の祖国魯に帰ろうとして、人知れぬ谷間を通りすぎると、香おり高い蘭がひとりぼっちでさいていたので、それを見て、時節にあわないのをわが身にひきくらべつつなげいたとして作った歌である。


(孔子傷不逢時作)
孔子が時節に合致しない物事に心を痛めてこの詩を作る。


蘭之猗猗,揚揚其香。
色つやのよい蘭が美しくよく茂っている、ようようといせいのよいその香がただよっている。
猗猗 美しくよく茂っている形容。
揚揚 いせいよいさま。


不采而佩,於蘭何傷?
だからといって身に佩びるため採りはしない、かといって蘭の方は傷み悲しむわけはないだろう。
 からだにつける。帯にさげるといういみ。香りのよい草をからだにつけることは、「楚辞」以来、君子のすることとされ、それは美徳を身に具えていることの象徴であった。ここで、香のよい蘭が、身につけられることは、その才能によって用いられることを象徴する。蘭が孔子に佩びることを許されなかったとしても蘭はその草花の中で威風堂々咲いているから傷つくことはないだろう という意味。


今天之旋,其曷為然?
ただ今の天の定めた廻りあわせは、どうしてこんなことなのだろうか。
曷為 「何為」と同じく、どうしてという意。


我行四方,以日以年。
わたしは四方の国国に旅して、日をかさね年をかさねている。


雪霜貿貿,薺麥之茂。
ぼうぼうとした中、雪や霜がふるとき、そんな時でもなずなとむぎは茂るものだ。
貿貿 くもってくらい形容。
葬麦 葬はなずな。なずなとむぎは、秋冬の寒いときに芽が出るこという。この二つの植物で小人、すなわちつまらぬ人間にたとえ、そのつまらぬものが寒い中おいしげることをいう。


子如不傷,我不爾覯。
蘭!もし君が傷み悲しむ状態でなければ、わたしが君にあうことはなかったであろう。


薺麥之茂,薺麥之有。
なずなとむぎの茂るのは、なずなとむぎの本性である。○搬 あう。○有 もちまえ。固有の性質。


君子之傷,君子之守。
君子が傷み悲しむのは、君子が節操を守っているからなのだ。
 節操を守る。

琴操十首 (1)將歸操 孔子之趙聞殺鳴犢作 韓退之(韓愈)詩<67-(1)>Ⅱ中唐詩431 紀頌之の漢詩ブログ1372

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孔子之趙聞殺鳴犢作 (1)將歸操  琴操十首

(孔子【こうし】趙【ちょう】に之【ゆ】かしむとし,鳴犢【めいとく】を殺されしこと聞きて作る。
)
琴操十首。將歸操
「まさに帰らんとすの曲」を弾く。
(孔子之趙,聞殺鳴犢作。)

(孔子が趙に往くとして出かけたが、(竇)鳴犢の殺されたことを聞いてこの詩を作る。)
趙殺鳴犢,孔子臨河,歎而作歌曰:
狄之水兮風揚波,舟楫顛倒更相加。歸來歸來,胡為斯疑。)
(孔子【こうし】趙【ちょう】に之【ゆ】かしむとし,鳴犢【めいとく】を殺されしこと聞きて作る。
趙 鳴犢を殺せし,孔子 河に臨みて,歎じて作歌し曰く:狄之水 風 波を揚ぐ,舟楫 顛倒し更に相加し,歸り來る歸り來る胡んぞ斯れを為す。)

狄之水兮,其色幽幽;
狄の川、その川の色はくろぐろと無気味だ。
我將濟兮,不得其由。
わたしはわたろうとするのであるが、その術がないのである。
涉其淺兮,石齧我足;
浅瀬を徒渉すると、石がわたしの足をきずつける。
乘其深兮,龍入我舟。
深みを舟に乗って行けば、竜が舟にはいって来る。
我濟而悔兮,將安歸尤。
わたしが川をわたってから後悔しても、いったいその責任をどこへ持って行けるのだろうか。
歸兮歸兮,無與石鬥兮,無應龍求。

帰ろう 帰ろうよ、石なんかと争うことはいらないのであり、竜の要求どおりにすることはいらないのだ。

琴操【きんそう】十首。將歸【しょうき】操
狄の水,其の色 幽幽たり;
我れ將に濟【わた】らんとして,其の由【すべ】を得ず。
其の淺きところ涉【わた】らんとすれば,石 我が足を齧【か】む;
其の深きに乘ずれば,龍 我が舟に入る。
我れ 濟って悔いあらば,將【は】た安【いず】くにか尤【とがめ】を歸せん。
歸らんかな歸らんかな,石と鬥【たたか】うことけん,龍の求めに應ずること無けん。

天台山 瓊臺



現代語訳と訳註
(序文本文)
孔子之趙,聞殺鳴犢作。
趙殺鳴犢,孔子臨河,歎而作歌曰:
狄之水兮風揚波,舟楫顛倒更相加。歸來歸來,胡為斯疑。
(序文下し文)
孔子【こうし】趙【ちょう】に之【ゆ】かしむとし,鳴犢【めいとく】を殺されしこと聞きて作る。
趙 鳴犢を殺せし,孔子 河に臨みて,歎じて作歌し曰く:
狄之水 風 波を揚ぐ,舟楫 顛倒し更に相加し。
歸り來る 歸り來る 胡んぞ斯れを為す。

(序文現代語訳)
孔子が晋の国の家老である趙簡子の招きを受けて、その領地超へ行こうとしたが、彼れがその協力を得てのし上がることのできた有能な家老竇鳴犢を殺したことを聞き、河を渡って超に行くのをやめ、なげいて作ったとして模擬した歌である。
 “孔子臨狄水而歌曰:‘狄水衍兮風揚沙,船楫顛倒更相加。歸來歸來兮,胡為斯疑?’


(本文)
(孔子之趙聞殺鳴犢作)
狄之水兮,其色幽幽;
我將濟兮,不得其由。
涉其淺兮,石齧我足;
乘其深兮,龍入我舟。
我濟而悔兮,將安歸尤。
歸兮歸兮,無與石鬥兮,無應龍求。


(下し文)
琴操【きんそう】十首。將歸【しょうき】操
(孔子之趙聞殺鳴犢作)
狄【てき】の水,其の色 幽幽たり;
我れ將に濟【わた】らんとして,其の由【すべ】を得ず。
其の淺きところ涉【わた】らんとすれば,石 我が足を齧【か】む;
其の深きに乘ずれば,龍 我が舟に入る。
我れ 濟って悔いあらば,將【は】た安【いず】くにか尤【とがめ】を歸せん。
歸らんかな歸らんかな,石と鬥【たたか】うことけん,龍の求めに應ずること無けん。


(現代語訳)
「まさに帰らんとすの曲」を弾く。
(孔子が趙に往くとして出かけたが、(竇)鳴犢の殺されたことを聞いてこの詩を作る。)
狄の川、その川の色はくろぐろと無気味だ。わたしはわたろうとするのであるが、その術がないのである。
浅瀬を徒渉すると、石がわたしの足をきずつける。深みを舟に乗って行けば、竜が舟にはいって来る。
わたしが川をわたってから後悔しても、いったいその責任をどこへ持って行けるのだろうか。
帰ろう 帰ろうよ、石なんかと争うことはいらないのであり、竜の要求どおりにすることはいらないのだ。


(訳注)
琴操十首。將歸操 
「まさに帰らんとすの曲」を弾く。
将帰操 「將に帰らんとす」(さあかえろう)のうた。
韓愈は、この蔡邕の著といわれるものにもとづいて新しくその歌詞を作ったわけである。操は、「憂愁して作る、これを命づけて操と日う。


この詩は、『史記、孔子世家』孔子既不得用於衛,將西見趙簡子。至於河而聞竇鳴犢﹑舜華之死也,臨河而歎曰:“美哉水,洋洋乎!丘之不濟此,命也夫!”子貢趨而進曰:“敢問何謂也?”孔子曰:“竇鳴犢,舜華,晉國之賢大夫也。趙簡子未得志之時,須此兩人而後從政;及其已得志,殺之乃從政。丘聞之也,刳胎殺夭則麒麟不至郊,竭澤涸漁則蛟龍不合陰陽,覆巢毀卵則鳳皇不翔。何則?君子諱傷其類也。夫鳥獸之於不義也尚知辟之,而況乎丘哉!


蔡邕 4.
《將歸操》
者,孔子之所作也。
趙簡子循執玉帛,以聘孔子。
孔子將往,未至,渡狄水,
聞趙殺其賢大夫竇鳴犢,喟然而歎之曰:
“夫趙之所以治者,鳴犢之力也。
殺鳴犢而聘餘,何丘之往也?
夫燔林而田,則麒麟不至;
覆巢破卵,則鳳皇不翔。
鳥獸尚惡傷類,而況君子哉?”
於是援琴而鼓之雲:
“翱翔於衛,複我舊居;從吾所好,其樂隻且。”


(孔子之趙聞殺鳴犢作)
孔子が趙に往くとして出かけたが、(竇)鳴犢の殺されたことを聞いてこの詩を作る。
◎孔子はもはや老いて政治を見ようともしない衛の霊公の元をまたも去って、晋の実力者の趙簡子(ちょうかんし)のところに行こうと決意した。だが、黄河にまで至ったときに趙簡子が大夫の竇鳴犢(とうめいとく)と舜華(しゅんか)を殺したことを聞いて、「ああ水は美しく、広大だ!余がこの川を渡らないのも天命なのか!」と嘆息したという。子貢がその言葉の意味を聞くと、孔子は「竇鳴犢と舜華は、晋の賢大夫。君子は同類を損なうことを、忌み嫌うのだ」と言ったという。そして一曲を作って、二人の死を悲しんだという(『史記』孔子世家)。


狄之水兮,其色幽幽;我將濟兮,不得其由。
狄の川、その川の色はくろぐろと無気味だ。わたしはわたろうとするのであるが、その術がないのである。
狄之水 今の山東省済南市附近は、むかし狄の領地であった。そこを流れる済水を狄水というが、 狄【てき】[訓]えびす である。古代中国で、北方の異民族。広く、異民族や野蛮人。「夷狄(いてき)・戎狄(じゅうてき)・北狄」その川を渡ると夷狄の地である。○幽幽 くろい形容。○済 川をわたること。○ 手段。方法。手がかり。


涉其淺兮,石齧我足;乘其深兮,龍入我舟。
浅瀬を徒渉すると、石がわたしの足をきずつける。深みを舟に乗って行けば、竜が舟にはいって来る。
 徒渉する。〇 ここでは、石のかどが足をきずつけること。○ 舟に乗って川をわたること。○竜入我舟 古代の神話的天子の南が長江を渡るとき、竜が南の舟を背に負うたので、人みな色を失しのうたが、南は平然としていたという「准南子」に見える故事をふんでいるといわれる。ここでは、危難にせまられることを意味する。


我濟而悔兮,將安歸尤。
わたしが川をわたってから後悔しても、いったいその責任をどこへ持って行けるのだろうか。
将安 将は、それでは。安は、どこ。○竜求 自分を食べようとする竜の要求。


歸兮歸兮,無與石鬥兮,無應龍求。
帰ろう 帰ろうよ、石なんかと争うことはいらないのであり、竜の要求どおりにすることはいらないのだ。


琴操十首 (0)序  韓退之(韓愈)詩<66-#0>Ⅱ中唐詩430 紀頌之の漢詩ブログ1369

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琴操十首 
琴操 琴うた。本来は、楽曲をさしたものであろうが、その一つ一つの曲に、由来がつき、その故事にもとづいて歌詞が作られるようになった。それらを編した書として、後漢の蔡邕(132-192年)に「琴操」がある。後漢末期の政治家・儒者・書家。字は伯喈(はくかい)。陳留郡圉県の人。蔡琰(蔡文姫)の父。熹平石経の揮毫者の一人で、飛白体の創始者とされる。
献帝の時代に入り董卓が権力を握ると、董卓は都に知識人らを招き、学者として高名だった蔡邕も招聘された。蔡邕は断ろうとしたが断りきれずに再び朝廷に出仕し、ここでも厚遇された。 董卓が王允らにより殺されると、厚くもてなされていた蔡邕は深く悲しんだ。これを知った王允は激怒し、蔡邕を投獄。間もなく処刑された。三国志の初めごろに登場してくる。
蔡邕の『琴操十二首』についてその題のみあげると、《伐檀操》《騶虞操》《白駒操》《將歸操》《猗蘭操》《龜山操》《越裳操》《拘幽操》《履霜操》《雉朝飛操》《別鶴操》《殘形操》である。後半太字について韓愈の十首にあるものである。


韓愈は、この蔡邕の著といわれるものにもとづいて新しくその歌詞を作ったわけである。操は、「憂愁して作る、これを命づけて操と日う。言うこころは、窮すれば則ち独りその身を善くして、その操を失しなわざるなり。」と、謝希逸(南北朝の末の謝荘〔421-466年〕)の「琴論」にあり、「操:ひく」ことであろう。韓愈の「琴操」の制作された年は不明であるが、その新しい詩風を求めようとする意欲的な態度から考えて「南山の詩」「城南聯歌」などの作られた806年元和初年の作とした。韓愈は四十歳前後であった。詩風からいって晩年のものとは思えない。


蔡邕『琴操十二首』

1.《伐檀操》者,魏國女之所作也。傷賢者隱避,素餐在位,閔傷怨曠,失其嘉會。夫聖王之製,能治人者食於人,治於人者食於田。今賢者隱退伐木,小人在位食祿,懸珍奇,積百穀,並包有土,德澤不加百姓。傷痛上之不知,王道之不施,仰天長歎,援琴而鼓之.


2.《白駒操》者,失朋友之所作也。其友賢居任也。衰亂之世,君無道,不可匡輔,依違成風,諫不見受。國士詠而思之,援琴而長歌。


3.《騶虞操》者,邵國之女所作也。古者聖王在上,君子在位,役不逾時,不失嘉會。內無怨女,外無曠夫。及周道衰微,禮義廢弛,強淩弱,眾暴寡,萬民騷動,百姓愁苦;男怨於外,女傷其內,內外無主:內迫性情,外逼禮義。欲傷所讒,而不逢時,於是援琴而歌。


4.《將歸操》者,孔子之所作也。趙簡子循執玉帛,以聘孔子。孔子將往,未至,渡狄水,聞趙殺其賢大夫竇鳴犢,喟然而歎之曰:“夫趙之所以治者,鳴犢之力也。殺鳴犢而聘餘,何丘之往也?夫燔林而田,則麒麟不至;覆巢破卵,則鳳皇不翔。鳥獸尚惡傷類,而況君子哉?” 於是援琴而鼓之雲:“翱翔於衛,複我舊居;從吾所好,其樂隻且。”


5.《猗蘭操》者,孔子所作也。孔子曆聘諸侯,諸侯莫能任。自衛反魯,過隱穀之中,見薌蘭獨茂,喟然歎曰:“夫蘭當為王者香,今乃獨茂,與眾草為伍,譬猶賢者不逢時,與鄙夫為倫也。” 乃止車援琴鼓之雲:“ 習習穀風,以陰以雨。之子於歸,遠送於野。何彼蒼天,不得其所。逍遙九州,無所定處。世人暗蔽,不知賢者。年紀逝邁,一身將老。”自傷不逢時,托辭於薌蘭雲。


6.《龜山操》者,孔子所作也。齊人饋女樂,季桓子受之,魯君閉門不聽朝。當此之時,季氏專政,上僭天子,下畔大夫,賢聖斥逐,讒邪滿朝。孔子欲諫不得,退而望魯,魯有龜山蔽之。辟季氏於龜山,托勢位於斧柯;季氏專政,猶龜山蔽魯也。傷政道之淩遲,閔百姓不得其所,欲誅季氏,而力不能。於是援琴而歌雲:“予欲望魯兮,龜山蔽之。手無斧柯,奈龜山何?”


7.《越裳操》者,周公之所作也。周公輔成王,成文王之王道,天下太平,萬國和會,江黃納貢,越裳重九譯而來獻白雉,執贄曰:“吾君在外國也,頃無迅風暴雨,意者中國有聖人乎?故遣臣來。”周公於是仰天而歎之。乃援琴而鼓之,其章曰:“於戲嗟嗟,非旦之力,乃文王之德。”遂受之,獻於文王之廟。


8《拘幽操》者,文王拘於 裏而作也。文王備修道德,百姓親附。文王有二子,周公、武王皆聖。是時崇侯虎與文王列為諸侯,德不能及文王,常嫉妒之。乃譖文王於紂曰:“西伯昌,聖人也。長子發、中子旦,皆聖人也。三聖合謀,將不利於君,君其慮之。” 紂用其言,乃囚文王於 裏,擇日欲殺之。於是文王四臣太顛、閎夭、散宜生、南宮適之徒,往見文王。文王為反目者,紂之好色也;桴其腹者,言欲得奇寶也;蹀躞其足者,使疾迅也。於是乃周流海內,經曆風土,得美女二人、水中大貝、白馬朱鬣,以獻於紂。陳於中庭,紂見之,仰天而歎曰:“嘻哉,此誰寶?” 散宜生趨而進曰:“是西伯之寶,以贖刑罪。” 紂曰:“於寡人何其厚也!” 立出西伯。紂謂宜生:“譖岐侯者,長鼻決耳也。” 宜生還,以狀告文王,乃知崇侯譖之。文王在 裏時,演八卦以為六十四卦,作鬱尼之辭:“困於石,據於蒺藜。” 乃申憤以作歌曰:“ 殷道溷溷,浸濁煩兮。朱紫相合,不別分兮。迷亂聲色,信讒言兮。炎炎之虐,使我愆兮。無辜桎梏,誰所宣兮。幽閉牢,由其言兮。遘我四人,憂勤勤兮。得此珍玩,且解大患兮。倉皇迄命,遺後昆兮。作此象變,兆在昌兮。欽承祖命,天下不喪兮。遂臨下土,在聖明兮。討暴除亂,誅逆王兮."


蔡邕にはない ◎岐山操 韓愈

9.《履霜操》者,尹吉甫之子伯奇所作也。吉甫,周上卿也,有子伯奇。伯奇母死,吉甫更娶後妻,生子曰伯邦。乃譖伯奇於吉甫曰:“伯奇見妾有美色,然有欲心。” 吉甫曰:“伯奇為人慈仁,豈有此也?” 妻曰:“試置妾空房中,君登樓而察之。” 後妻知伯奇仁孝,乃取毒蜂綴衣領,伯奇前持之。於是吉甫大怒,放伯奇於野。伯奇編水荷而衣之,采花而食之,清朝履霜,自傷無罪見逐,乃援琴而鼓之曰:“ 履朝霜兮采晨寒,考不明其心兮聽讒言,孤恩別離兮摧肺肝,何辜皇天兮遭斯愆。痛歿不同兮恩有偏,誰說顧兮知我冤。” 宣王出遜,吉甫從之,伯奇乃作歌,以言感之於宣王。宣王聞之,曰:“此孝子之辭也。” 吉甫乃求伯奇於野而感悟,遂射殺後妻


10.《雉朝飛操》者,齊獨沐子所作也。獨沐子年七十無妻,出薪於野,見飛雉雄雌相隨,感之,撫琴而歌曰:“雉朝飛,鳴相和,雌雄群遊於山阿。我獨何命兮未有家,時將暮兮可奈何,嗟嗟暮兮可奈何?”


11.《別鶴操》者,商陵牧子所作也。牧子娶妻五年,無子,父兄欲為改娶。妻聞之,中夜驚起,倚戶悲嘯。牧子聞之,援琴鼓之雲:“痛恩愛之永離,歎別鶴以舒情。”故曰《別鶴操》。後仍為夫婦。


12.《殘形操》者,曾子所作也。曾子鼓琴,墨子立外而聽之。曲終,入曰:“善哉鼓琴!身已成矣,而曾未得其首也。” 曾子曰:“吾晝臥見一狸,見其身而不見其頭,起而為之弦,因而殘形。”

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