漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩 中唐詩人選集【Ⅰ李商隠-150】Ⅱ韓退之(韓愈)-500Ⅶ孟郊(東野)賈島張籍柳宗元韋応物

Ⅰ李商隠は難解詩といわれている。約150首紹介済。(晩唐詩人) Ⅱ韓退之(韓愈)-約500首Ⅶ孟郊、中唐の詩人を掲載中。万物の性(さが)をテーマにした哲学的な詩。このブログは基本的に中唐詩人を中心にして掲載する予定。 韓愈詩文のこれまでの掲載分とこれから掲載予定分を時系列で整理した2014.3.29のブログに集約してそこから各年次を見ることができる  kanbuniinkai 検索で、《漢文委員会HP05》サイトあります。漢詩唐詩を理解するための総合サイト:≪漢文委員会 漢詩07≫。

職方員外郎・国子博士

少し、マニアックな晩唐詩人Ⅰ-李商隠150首をまず掲載済み。中唐は盛唐詩人(孟浩然・王維、杜甫、李白)を受け継いだ多様な詩人が出ている。この時代も驚くほど詩が発展している。Ⅱ韓退之(韓愈)500首、Ⅲ柳宗元40首、Ⅳ韋応物、Ⅴ劉長卿、Ⅵ韋荘、Ⅶ孟郊(孟東野)、Ⅷ張籍、Ⅸ賈島、Ⅹ劉禹錫、ほか2012~2020年の予定で気長に進める。同じ中唐ではあるが、白居易のグループについては、李白のブログ350首(2015/6月再開~2018/夏・秋月予定)の後掲載の予定。別に杜甫詩ブログ1500首(2011/7月~2018/8月の予定で)を進行中。詩数につぃては、予定の詩数より多くなる。気まぐれなところがあるのでこの予定が少し変わる場合があり、その節はご容赦ください。                 古詩・謝霊運詩 杜甫詩 韓愈詩 花間集500首全詩 それぞれ毎日ブログしています。 このブログ、索引=語句の「検索」 参考書以上掲載。漢詩力up。

示児 韓愈(韓退之) <112-#6>Ⅱ中唐詩670 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2334

韓愈 《示児》
816年元和十一年正月49歳、韓愈は中書舎人となり、緋魚袋を賜ったのである。これは中書省に属し、長官の中書令、次官の中書侍郎に次ぐナンバー3の地位で、もちろん韓愈がこれまでに歩んできた出世コースの最高峰である。彼も官界の波に慣れたと見え、順調に昇進している。だから、子供に、自慢し、それをグループの者に自慢したのである。 

2013年5月7日 同じ日の紀頌之5つのブログ
●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩
Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩責躬詩 曹植 魏詩<75ー#4>文選 上 献詩 女性詩757 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2333
●唐を代表する中唐の韓愈の儒家としての考えのよくわかる代表作の一つ
Ⅱ中唐詩・晩唐詩示児 韓愈(韓退之) <112-#6>Ⅱ中唐詩670 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2334
●杜甫の全作品1141首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"
Ⅲ杜甫詩1000詩集病柏 五言古詩 成都5-(24-1) 杜甫 <473-#2>漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2335 杜甫詩1000-473-#2-661/1500
●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている
Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集折楊柳行 その二 謝霊運(康楽) <67> kanbuniinkai 紀 頌之の詩詞ブログ 2336 (05/07)
●●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩
Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性采蓮舟 薛濤 唐五代詞・宋詩 薛濤-158-30-#23  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2337
 
 ■今週の人気記事(漢詩の5ブログ各部門)
 ■主要詩人の一覧・詩目次・ブログindex

『楚辞・九歌』東君 屈原詩<78-#1>505 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1332
http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67664757.html
『楚辞』九辯 第九段―まとめ 宋玉  <00-#35> 664 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2304
http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-rihakujoseishi/archives/6471825.html
安世房中歌十七首(1) 唐山夫人 漢詩 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67710265.html
為焦仲卿妻作 序 漢詩<143>古詩源 巻三 女性詩 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67729401.html
於凊河見輓船士新婚別妻一首 曹丕(魏文帝) 魏詩 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67759129.html
朔風 (一章) 曹植 魏詩<25-#1>文選 雑詩 上  http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67780868.html
謝靈運詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/1901_shareiun000.html 謝靈運詩 六朝期の山水詩人。この人の詩は上品ですがすがしい男性的な深みのある詩である。後世に多大な影響を残している。
謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。
登永嘉緑嶂山詩 #1 謝霊運 <20> 詩集 386ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67474554.html
登池上樓 #1 謝霊運<25>#1  ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67502196.html
孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩 盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。

李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html
李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人 古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首

 

示児 韓愈(韓退之) <112-#6>Ⅱ中唐詩670 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2334


示児 ―#1
始我來京師,止攜一束書。
辛勤三十年,以有此屋廬。
此屋豈為華,於我自有餘。』

#2
中堂高且新,四時登牢蔬。
前榮饌賓親,冠婚之所於。」

庭內無所有,高樹八九株。
有藤婁絡之,春華夏陰敷。」
#3
東堂坐見山,雲風相吹噓。
松果連南亭,外有瓜芋區。」

西偏屋不多,槐榆翳空虛。
山鳥旦夕鳴,有類澗谷居。」
#4
主婦治北堂,膳服適戚疏。
恩封高平君,子孫從朝裾。」

開門問誰來,無非卿大夫。
不知官高卑,玉帶懸金魚。」
#5
問客之所為,峨冠講唐虞。
酒食罷無為,棋槊以相娛。
凡此座中人,十九持鈞樞。」

又問誰與頻,莫與張樊如。
來過亦無事,考評道精粗。」
#6
躚躚媚學子,牆屏日有徒。
以能問不能,其蔽豈可袪。」

嗟我不修飾,事與庸人俱。
安能坐如此,比肩於朝儒。
詩以示兒曹,其無迷厥初。」


終南山04

ともかく、816年元和十一年正月49歳、韓愈は中書舎人となり、緋魚袋を賜ったのである。これは中書省に属し、長官の中書令、次官の中書侍郎に次ぐナンバー3の地位で、もちろん韓愈がこれまでに歩んできた出世コースの最高峰である。彼も官界の波に慣れたと見え、順調に昇進している。だから、子供に、自慢し、それをグループの者に自慢したのである。





示兒 ―#1
始我來京師,止攜一束書。
辛勤三十年,以有此屋廬。
此屋豈為華,於我自有餘。』
(子にしめす)
はじめてわたしが都に出たときのことである。身にたずさえたものはたった一束の書物だけであった。
それからこつこつと苦しみつつ精出すこと三十年になる。そのおかげで長安の靖安里にこの屋敷ができたのだ。
この家は豪華とまではいえないが、わたしにとってはこれだけでも十分すぎるものといえるのである。

#2
中堂高且新,四時登牢蔬。
前榮饌賓親,冠婚之所於。」
庭內無所有,高樹八九株。
有藤婁絡之,春華夏陰敷。」
中央の表座敷きは高くで新らしく、季節、季節に神さまや御先祖にお供えをさし上げる。
堂の南側はお客や親類をもてなすところだ。そして、元服や婚礼の行われるところなのだ。
そのころは庭のなかには何も無く、高い木の八九本だけだった。
その木には藤がからみついていて、春には花がさき夏は葉かげをひろげるだけのものである。

#3
東堂坐見山,雲風相吹噓。
松果連南亭,外有瓜芋區。」
西偏屋不多,槐榆翳空虛。
山鳥旦夕鳴,有類澗谷居。」
東の離れ書斎からは腰かけたまま終南山が見える。山にはつぎつぎと雲がかかっては風が吹き散らしている。
そこから松の木や果樹が南のあずまやまでずっと連なるほど植えている。その外には瓜やさといものはたけが区分けしてある。
西寄りには建て物もすくなく、えんじゅとにれの木ががらんとした地面にかげを落としている。
終南山には山鳥がおり、それが夕べには鳴きさわぐ。その雰囲気は谷間の住まいに類せるものが有るのだ。

#4
主婦治北堂,膳服適戚疏。
恩封高平君,子孫從朝裾。」
開門問誰來,無非卿大夫。
不知官高卑,玉帶懸金魚。」
主婦は北の座敷を管理し、人に出す食膳も人前に出るときの服装も、親しいものと縁の薄いものとの区別にかなうようにする。
わが君の御恩によって高平君に封ぜられ、参内するときは子や孫がその裾について行くことにする。
門をあけて来る者は誰かと問えば、昔の卿・大夫に相当する朝廷のおえら方はかりと答える。
官位の高位か卑下かは別問題であって、みな宝石で飾った帯をしめ、それに魚の形をした金色の札を入れた袋をさげている。
#5
問客之所為,峨冠講唐虞。
酒食罷無為,棋槊以相娛。
凡此座中人,十九持鈞樞。」
又問誰與頻,莫與張樊如。
來過亦無事,考評道精粗。」
その客人たちのすることは何かと問えば、冠を高くそばだたせて真剣に堯・舜の事跡を論ずるのである。
酒食の宴が終わってすることがなければ、囲碁だの双六だのを娯楽とする。
だいたいこの座につらなる人の十人のうち九人までは政治の中枢にたずさわる人々である。」
また誰といちばんよくつきあっているかと問えば、張籍・樊宗師たちに過ぎる者はない。
彼らがうちへ来るのは、ほかに用事があるわけではなく、聖人の教えた道にたいしてそれが純粋か否かを議論しあうのだ。」
#6
躚躚媚學子,牆屏日有徒。
軽やかに動く学問好きな若者たちで、私の家の塀のなか私の学派は日ごとに仲間がふえていく。
以能問不能,其蔽豈可袪。」

しかし、能力をもっている彼らは、能力のない私に道を問うている。彼らの考え違いのある後輩を指導して派閥グループ維持していくことはもうやめにしよう。
嗟我不修飾,事與庸人俱。
ああ、私が学問によって教養を身につけることにつとめなければ、なにごとにつけても凡庸な人々なみの待遇を受けたであろう。
安能坐如此,比肩於朝儒。
座ったままでこのとおりでいる。だから、朝廷の儒者たちと肩をならべることが、どうしてできるというのであろう。
詩以示兒曹,其無迷厥初。」
しかし、こうして詩を作って子どもたちに示す。初心がどうであったかを忘れ、迷うようなことがあってはならないということだ。

躚躚【せんせん】として媚【うるわ】しき學子,牆屏【しょうへい】に日【ひび】に徒有り。
能を以って不能に問う,其の蔽 豈に袪【のぞ】く可けんや。」

嗟【ああ】我れ不修飾せざらましかば,事 庸人と俱【とも】にならん。
安【いずく】んぞ能く坐ながら如此くのくにして,肩を朝儒に比らべん。
詩して以って兒曹に示す,其れ厥【そ】の初じめに迷うこと無れ。」


『示児』 現代語訳と訳註
(本文)
#6
躚躚媚學子,牆屏日有徒。
以能問不能,其蔽豈可袪。」

嗟我不修飾,事與庸人俱。
安能坐如此,比肩於朝儒。
詩以示兒曹,其無迷厥初。」


(下し文) #6
躚躚【せんせん】として媚【うるわ】しき學子,牆屏【しょうへい】に日【ひび】に徒有り。
能を以って不能に問う,其の蔽 豈に袪【のぞ】く可けんや。」

嗟【ああ】我れ不修飾せざらましかば,事 庸人と俱【とも】にならん。
安【いずく】んぞ能く坐ながら如此くのくにして,肩を朝儒に比らべん。
詩して以って兒曹に示す,其れ厥【そ】の初じめに迷うこと無れ。」


(現代語訳)
軽やかに動く学問好きな若者たちで、私の家の塀のなか私の学派は日ごとに仲間がふえていく。
しかし、能力をもっている彼らは、能力のない私に道を問うている。彼らの考え違いのある後輩を指導して派閥グループ維持していくことはもうやめにしよう。
ああ、私が学問によって教養を身につけることにつとめなければ、なにごとにつけても凡庸な人々なみの待遇を受けたであろう。
座ったままでこのとおりでいる。だから、朝廷の儒者たちと肩をならべることが、どうしてできるというのであろう。
しかし、こうして詩を作って子どもたちに示す。初心がどうであったかを忘れ、迷うようなことがあってはならないということだ。


(訳注) #6
○示児 自分の男の子に読ませるために作った詩。韓愈には、韓昶【かんちょう】(799-855年)という子があった。この詩は、元和十年(815年)ごろの作。元和十年とすれば、韓愈48歳、韓昶17歳。韓愈が心の底に持っていた立身出世主義を露骨に出した作品で、新興成金のおやじが、むすこに自分の成功談を得得と話している。


<青年たちが訪問することをいう。>
躚躚媚學子,牆屏日有徒。
軽やかに動く学問好きな若者たちで、私の家の塀のなか私の学派は日ごとに仲間がふえていく。
○躚躚媚學子 躚躚は、あたりをめぐり歩くさま。媚は、若くて美しいこと。學子は、学生。子は、男子をひろくよぶ云い方。
○牆屏 牆は、土べい。屏は、門のつきあたりに設けて、家の中が直接外から見えないようにするかき。しとみ。人は、その左右を通って出入りする。
○徒 なかま。生徒。


以能問不能,其蔽豈可袪。」
しかし、能力をもっている彼らは、能力のない私に道を問うている。彼らの考え違いのある後輩を指導して派閥グループ維持していくことはもうやめにしよう。
○以能問不能 自分に才能がありながら、才能のないものにたずねて、いっそう自分の学問をひろめよう与ること。「論語」都側篇に見えることば。
○其蔽 韓愈のところへ訪問して誉学生たちの疑問。薇は、本来分かるべきものが何かにおおわれて分かっていないこと。
○豈可袪 とりのぞくことができようか。すなわち、蓋われて分かっていないことについて、そのおおいを取り除くことはできない、ということ。反語である。袪は、がんらい袖を挙げるということ、ここは、取り上げてのぞく意に用いた。韓愈は、最初は、よく後輩のものを引き立でたが、官位が高くなってからは、それをしないようになった。


<自分がこのように苗的な地位を得たのは、学問につとめたからであるといって結びとする。>
嗟我不修飾,事與庸人俱。
ああ、私が学問によって教養を身につけることにつとめなければ、なにごとにつけても凡庸な人々なみの待遇を受けたであろう。
○業不修飾 修飾は、かざること、ここでは・学問によって教養を身につけること。
○庸人 つまらぬありふれた人。


安能坐如此,比肩於朝儒。
座ったままでこのとおりでいる。だから、朝廷の儒者たちと肩をならべることが、どうしてできるというのであろう。
○安 どうして。ここは反語。
○坐 じっとしたままで。何豊ずとも。
○朝儒 朝廷に仕えている儒者。


詩以示兒曹,其無迷厥初。」
しかし、こうして詩を作って子どもたちに示す。初心がどうであったかを忘れ、迷うようなことがあってはならないということだ。
○兒曹 こどもたち。曹はなかま。
○其 ことばの調子を強めることば。
○迷厥初 厥は、「其」の古いことば。

示児 韓愈(韓退之) <112-#5>Ⅱ中唐詩669 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2329

韓愈 《示児》 
その客人たちのすることは何かと問えば、冠を高くそばだたせて真剣に堯・舜の事跡を論ずるのである。
酒食の宴が終わってすることがなければ、囲碁だの双六だのを娯楽とする。

2013年5月6日 同じ日の紀頌之5つのブログ
●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩
Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩責躬詩 曹植 魏詩<75ー#3>古詩源 巻三 女性詩756 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2328
●唐を代表する中唐の韓愈の儒家としての考えのよくわかる代表作の一つ
Ⅱ中唐詩・晩唐詩示児 韓愈(韓退之) <112-#5>Ⅱ中唐詩669 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2329
●杜甫の全作品1141首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"
Ⅲ杜甫詩1000詩集病柏 五言古詩 成都5-(24) 杜甫 <473-#1>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2330 杜甫詩1000-473-#1-660/1500
●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている
Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集折楊柳行 その一 謝霊運(康楽) <66> kanbuniinkai 紀 頌之の詩詞ブログ 2331 (05/06)
●●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩
Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性秋泉 薛濤 唐五代詞・宋詩 薛濤-157-29-#22  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2332
 
 ■今週の人気記事(漢詩の5ブログ各部門)
 ■主要詩人の一覧・詩目次・ブログindex

『楚辞・九歌』東君 屈原詩<78-#1>505 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1332
http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67664757.html
『楚辞』九辯 第九段―まとめ 宋玉  <00-#35> 664 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2304
http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-rihakujoseishi/archives/6471825.html
安世房中歌十七首(1) 唐山夫人 漢詩 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67710265.html
為焦仲卿妻作 序 漢詩<143>古詩源 巻三 女性詩 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67729401.html
於凊河見輓船士新婚別妻一首 曹丕(魏文帝) 魏詩 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67759129.html
朔風 (一章) 曹植 魏詩<25-#1>文選 雑詩 上  http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67780868.html
謝靈運詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/1901_shareiun000.html 謝靈運詩 六朝期の山水詩人。この人の詩は上品ですがすがしい男性的な深みのある詩である。後世に多大な影響を残している。
謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。
登永嘉緑嶂山詩 #1 謝霊運 <20> 詩集 386ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67474554.html
登池上樓 #1 謝霊運<25>#1  ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67502196.html
孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩 盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。

李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html
李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人 古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首

 

示児 韓愈(韓退之) <112-#5>Ⅱ中唐詩669 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2329

この詩は中書舎人に転任し、緋魚袋を賜って舞い上がっていたころに書いているので、韓愈の俗物性を諸に著しているものとして有名なのである。宋の蘇軾はこの詩を全部「利禄の事」しか言っていないと評する。そのなかに「聖賢の事」を言うのが高級で「利禄の事」は低級だとする考え方が見えるが、それが儒教であり、蘇軾も伝統的な儒教の価値観に拘束され、きっちり体制内での論争をしているのに過ぎないのである。韓愈のように舞い上がって単純に俗物性をむき出しにしているのは、根が正直なだけである。その時代に適応した儒教であって、時代背景等を考慮すると大差はない。

本物の儒者であったら、歴史上表に出るものではなく、必ず餓死するはずであり、儒者の誰もが、三顧の礼で迎えられたいと思っている以上、五十歩百歩であろうと思う。
王朝政治しか経験していない国での、老荘思想、儒教思想、仏教においても体制内であるから成立したのであり、その底辺に流れる思想に五行思想が粘着性の高いものとして存在している。どの王朝もその前の退化した王朝よりよいのは建国して、良く持っても数十年すると腐敗、贈収賄の政治が繰り返され、宦官による陰湿、頽廃はどの時代も受け継がれている。

歴史上の人物を客観的に見て純粋な儒教は存在していない。共産主義が王朝制になる国柄である。

ともかく、816年元和十一年正月49歳、韓愈は中書舎人となり、緋魚袋を賜ったのである。これは中書省に属し、長官の中書令、次官の中書侍郎に次ぐナンバー3の地位で、もちろん韓愈がこれまでに歩んできた出世コースの最高峰である。彼も官界の波に慣れたと見え、順調に昇進している。だから、子供に、自慢し、それをグループの者に自慢したのである。


示兒 ―#1
(子にしめす)
始我來京師,止攜一束書。
はじめてわたしが都に出たときのことである。身にたずさえたものはたった一束の書物だけであった。
辛勤三十年,以有此屋廬。
それからこつこつと苦しみつつ精出すこと三十年になる。そのおかげで長安の靖安里にこの屋敷ができたのだ。
此屋豈為華,於我自有餘。』
この家は豪華とまではいえないが、わたしにとってはこれだけでも十分すぎるものといえるのである。

#2
中堂高且新,四時登牢蔬。
中央の表座敷きは高くで新らしく、季節、季節に神さまや御先祖にお供えをさし上げる。
前榮饌賓親,冠婚之所於。」
堂の南側はお客や親類をもてなすところだ。そして、元服や婚礼の行われるところなのだ。
詩人055庭內無所有,高樹八九株。
そのころは庭のなかには何も無く、高い木の八九本だけだった。
有藤婁絡之,春華夏陰敷。」

その木には藤がからみついていて、春には花がさき夏は葉かげをひろげるだけのものである。

#3
東堂坐見山,雲風相吹噓。
東の離れ書斎からは腰かけたまま終南山が見える。山にはつぎつぎと雲がかかっては風が吹き散らしている。
松果連南亭,外有瓜芋區。」
そこから松の木や果樹が南のあずまやまでずっと連なるほど植えている。その外には瓜やさといものはたけが区分けしてある。
西偏屋不多,槐榆翳空虛。
西寄りには建て物もすくなく、えんじゅとにれの木ががらんとした地面にかげを落としている。
山鳥旦夕鳴,有類澗谷居。」

終南山には山鳥がおり、それが夕べには鳴きさわぐ。その雰囲気は谷間の住まいに類せるものが有るのだ。

桑摘女00#4
主婦治北堂,膳服適戚疏。
主婦は北の座敷を管理し、人に出す食膳も人前に出るときの服装も、親しいものと縁の薄いものとの区別にかなうようにする。
恩封高平君,子孫從朝裾。」

わが君の御恩によって高平君に封ぜられ、参内するときは子や孫がその裾について行くことにする。
開門問誰來,無非卿大夫。
門をあけて来る者は誰かと問えば、昔の卿・大夫に相当する朝廷のおえら方はかりと答える。
不知官高卑,玉帶懸金魚。」

官位の高位か卑下かは別問題であって、みな宝石で飾った帯をしめ、それに魚の形をした金色の札を入れた袋をさげている。
#5
問客之所為,峨冠講唐虞。
その客人たちのすることは何かと問えば、冠を高くそばだたせて真剣に堯・舜の事跡を論ずるのである。
酒食罷無為,棋槊以相娛。
酒食の宴が終わってすることがなければ、囲碁だの双六だのを娯楽とする。
凡此座中人,十九持鈞樞。」
だいたいこの座につらなる人の十人のうち九人までは政治の中枢にたずさわる人々である。」
又問誰與頻,莫與張樊如。
また誰といちばんよくつきあっているかと問えば、張籍・樊宗師たちに過ぎる者はない。
來過亦無事,考評道精粗。」
らがうちへ来るのは、ほかに用事があるわけではなく、聖人の教えた道にたいしてそれが純粋か否かを議論しあうのだ。」

客の為す所を問えば,冠を峨【たか】くして唐虞【とうぐ】を講ず。
酒食罷んで為す無くば,棋槊【きさく】以って相い娛しむ。
凡そ此の座中の人,十に九は鈞樞【きんきゅう】を持れり。」
又 誰れと與に頻【しきり】なると問えば,張と樊と與に如くは莫し。
來たり過ぐる亦た事無く,道の精粗【せいそ】を考評す。」


『示兒』 現代語訳と訳註
(本文)
#5
問客之所為,峨冠講唐虞。
酒食罷無為,棋槊以相娛。
凡此座中人,十九持鈞樞。」

又問誰與頻,莫與張樊如。
來過亦無事,考評道精粗。」


(下し文)
客の為す所を問えば,冠を峨【たか】くして唐虞【とうぐ】を講ず。
酒食罷んで為す無くば,棋槊【きさく】以って相い娛しむ。
凡そ此の座中の人,十に九は鈞樞【きんきゅう】を持れり。」
又 誰れと與に頻【しきり】なると問えば,張と樊と與に如くは莫し。
來たり過ぐる亦た事無く,道の精粗【せいそ】を考評す。」


(現代語訳)
その客人たちのすることは何かと問えば、冠を高くそばだたせて真剣に堯・舜の事跡を論ずるのである。
酒食の宴が終わってすることがなければ、囲碁だの双六だのを娯楽とする。
だいたいこの座につらなる人の十人のうち九人までは政治の中枢にたずさわる人々である。
また誰といちばんよくつきあっているかと問えば、張籍・樊宗師たちに過ぎる者はない。
彼らがうちへ来るのは、ほかに用事があるわけではなく、聖人の教えた道にたいしてそれが純粋か否かを議論しあうのだ

(訳注) #5
問客之所為,峨冠講唐虞。
その客人たちのすることは何かと問えば、冠を高くそばだたせて真剣に堯・舜の事跡を論ずるのである。
⋆問客之所為以下四聯 来客のようすをいう。
○峨冠 朝廷の官吏のかぶる正装時の冠。
○唐虞 中国の伝説上の聖天子である陶唐氏(尭(ぎょう))と有虞氏(舜(しゅん))を併せてよぶ名。また、その二人の治めた時代。とうぐさんだい【唐虞三代】尭と舜に、夏・殷(いん)・周の3代を加えた呼び名。


酒食罷無為,棋槊以相娛。
酒食の宴が終わってすることがなければ、囲碁だの双六だのを娯楽とする。
○罷 おわる。
○棋槊 棋は、囲碁。槊は、すご六。


凡此座中人,十九持鈞樞。」
だいたいこの座につらなる人の十人のうち九人までは政治の中枢にたずさわる人々である。
○十九 十人のうち九人は。
○鈞樞 鈞は、陶器をつくるろくろ。あるいは、はかり。樞は、ひらき戸を開閉する軸となるところ。要するに、鈞も樞も、支配するということ。○秉鈞 『詩経、小雅、節南山』に「秉国之鈞、四方是維。」(国の釣を乗る、四方を是れ維ぐ。)とある、宰相は国中の均衡をたもつものである、ここは宰相の地位をさしていう。
杜甫『奉贈鮮於京兆二十韻』「破膽遭前政,陰謀獨秉鈞。」(破胆前政の陰謀独り鈞を秉るに遭う) 宰相たる者は一国の公平を手にするものであるということを独りで独占する。


又問誰與頻,莫與張樊如。
また誰といちばんよくつきあっているかと問えば、張籍・樊宗師たちに過ぎる者はない。
○又問誰与頻 来客のうちでも頻繁にやって来るもののことをいう。与は、……といっし上に。
○莫與張樊如 與張樊は、上句の「誰」を受けて、「與張樊」といっしょにいる、張と樊に交わる。莫如は、
及ぶものはない、
張は、張籍(「張籍を調る」詩参照。調張籍 韓退之(韓愈)詩<112-1>Ⅱ中唐詩548 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ1758張籍の屋敷は、韓愈と同じ靖安里にあった。
・樊は、樊宗師。字を紹述といい,今の山西省永濟、河中の人。韓愈のごく親しい文学者であるが、その文は、「作文力求奇古。至不可句讀。」ということでわかりにくいので有名であった。韓愈がその墓誌銘を書いている。


來過亦無事,考評道精粗。」
彼らがうちへ来るのは、ほかに用事があるわけではなく、聖人の教えた道にたいしてそれが純粋か否かを議論しあうのだ。
○無事 用事が無い。
○考評道精粗 道は、儒教の遣。精粗は、純粋か否か、純粋さの強度をいう。儒教の道として、どういうのがもっとも純粋かということを考え批評しあうのである。

示児 韓愈(韓退之) <112-#4>Ⅱ中唐詩668 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2324

韓愈 《示児》 
自分の男の子に読ませるために作った詩。韓愈には、韓昶【かんちょう】(799-855年)という子があった。この詩は、元和十年(815年)ごろの作。辺鄙な、不鱒雪片すみという感じがある。この一段は、やしきのまう鳥さえ朝夕さえずりで、何かしら谷間の住まいのような趣きがある。

2013年5月5日 同じ日の紀頌之5つのブログ
●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩
Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩責躬詩 曹植 魏詩<75ー#2>古詩源 巻三 女性詩755 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2323
●唐を代表する中唐の韓愈の儒家としての考えのよくわかる代表作の一つ
Ⅱ中唐詩・晩唐詩示児 韓愈(韓退之) <112-#4>Ⅱ中唐詩668 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2324
●杜甫の全作品1141首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"
Ⅲ杜甫詩1000詩集贈花卿 七言絶句 成都5-(23) 杜甫 <472>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2325 杜甫詩1000-472-659/1500
●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている
Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集登臨海嶠發疆中作,與從弟惠連,可見羊何共和之。 謝霊運(康楽) <65> kanbuniinkai 紀 頌之の詩詞ブログ 2326 (05/05)
●●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩
Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性憶荔枝 薛濤 唐五代詞・宋詩 薛濤-156-28-#21  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2327
 
 ■今週の人気記事(漢詩の5ブログ各部門)
 ■主要詩人の一覧・詩目次・ブログindex

『楚辞・九歌』東君 屈原詩<78-#1>505 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1332
http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67664757.html
『楚辞』九辯 第九段―まとめ 宋玉  <00-#35> 664 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2304
http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-rihakujoseishi/archives/6471825.html
安世房中歌十七首(1) 唐山夫人 漢詩 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67710265.html
為焦仲卿妻作 序 漢詩<143>古詩源 巻三 女性詩 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67729401.html
於凊河見輓船士新婚別妻一首 曹丕(魏文帝) 魏詩 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67759129.html
朔風 (一章) 曹植 魏詩<25-#1>文選 雑詩 上  http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67780868.html
謝靈運詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/1901_shareiun000.html 謝靈運詩 六朝期の山水詩人。この人の詩は上品ですがすがしい男性的な深みのある詩である。後世に多大な影響を残している。
謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。
登永嘉緑嶂山詩 #1 謝霊運 <20> 詩集 386ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67474554.html
登池上樓 #1 謝霊運<25>#1  ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67502196.html
孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩 盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。

李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html
李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人 古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首

 

示児 韓愈(韓退之) <112-#4>Ⅱ中唐詩668 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2324


示兒 ―#1
(子にしめす)
始我來京師,止攜一束書。
はじめてわたしが都に出たときのことである。身にたずさえたものはたった一束の書物だけであった。
辛勤三十年,以有此屋廬。
それからこつこつと苦しみつつ精出すこと三十年になる。そのおかげで長安の靖安里にこの屋敷ができたのだ。
此屋豈為華,於我自有餘。』

この家は豪華とまではいえないが、わたしにとってはこれだけでも十分すぎるものといえるのである。

#2
中堂高且新,四時登牢蔬。
中央の表座敷きは高くで新らしく、季節、季節に神さまや御先祖にお供えをさし上げる。
前榮饌賓親,冠婚之所於。」
堂の南側はお客や親類をもてなすところだ。そして、元服や婚礼の行われるところなのだ。
詩人055庭內無所有,高樹八九株。
そのころは庭のなかには何も無く、高い木の八九本だけだった。
有藤婁絡之,春華夏陰敷。」

その木には藤がからみついていて、春には花がさき夏は葉かげをひろげるだけのものである。

#3
東堂坐見山,雲風相吹噓。
東の離れ書斎からは腰かけたまま終南山が見える。山にはつぎつぎと雲がかかっては風が吹き散らしている。
松果連南亭,外有瓜芋區。」
そこから松の木や果樹が南のあずまやまでずっと連なるほど植えている。その外には瓜やさといものはたけが区分けしてある。
西偏屋不多,槐榆翳空虛。
西寄りには建て物もすくなく、えんじゅとにれの木ががらんとした地面にかげを落としている。
山鳥旦夕鳴,有類澗谷居。」

終南山には山鳥がおり、それが夕べには鳴きさわぐ。その雰囲気は谷間の住まいに類せるものが有るのだ。

桑摘女00#4
主婦治北堂,膳服適戚疏。
主婦は北の座敷を管理し、人に出す食膳も人前に出るときの服装も、親しいものと縁の薄いものとの区別にかなうようにする。
恩封高平君,子孫從朝裾。」

わが君の御恩によって高平君に封ぜられ、参内するときは子や孫がその裾について行くことにする。
開門問誰來,無非卿大夫。
門をあけて来る者は誰かと問えば、昔の卿・大夫に相当する朝廷のおえら方はかりと答える。
不知官高卑,玉帶懸金魚。」

官位の高位か卑下かは別問題であって、みな宝石で飾った帯をしめ、それに魚の形をした金色の札を入れた袋をさげている。
主婦は 北堂を治め、膳服【ぜんぷく】戚疏【せきそ】に適【かな】う。
恩は 高平君に封ぜられ、子孫 朝裾【ちょうきょ】に従う。
門を開きて誰か来たると問えば、卿大夫に非らざること無し。
官の高卑を知らず、玉帯 金魚を懸けたり。


『示兒』 現代語訳と訳註
(本文)
#4
主婦治北堂,膳服適戚疏。
恩封高平君,子孫從朝裾。」

開門問誰來,無非卿大夫。
不知官高卑,玉帶懸金魚。」


(下し文)
主婦は 北堂を治め、膳服【ぜんぷく】戚疏【せきそ】に適【かな】う。
恩は 高平君に封ぜられ、子孫 朝裾【ちょうきょ】に従う。
門を開きて誰か来たると問えば、卿大夫に非らざること無し。
官の高卑を知らず、玉帯 金魚を懸けたり。


(現代語訳)#4
主婦は北の座敷を管理し、人に出す食膳も人前に出るときの服装も、親しいものと縁の薄いものとの区別にかなうようにする。
わが君の御恩によって高平君に封ぜられ、参内するときは子や孫がその裾について行くことにする。
門をあけて来る者は誰かと問えば、昔の卿・大夫に相当する朝廷のおえら方はかりと答える。
官位の高位か卑下かは別問題であって、みな宝石で飾った帯をしめ、それに魚の形をした金色の札を入れた袋をさげている。


(訳注)
○示児
 自分の男の子に読ませるために作った詩。韓愈には、韓昶【かんちょう】(799-855年)という子があった。この詩は、元和十年(815年)ごろの作。辺鄙な、不鱒雪片すみという感じがある。この一段は、やしきのまう鳥さえ朝夕さえずりで、何かしら谷間の住まいのような趣きがある。


主婦治北堂,膳服適戚疏。
主婦は北の座敷を管理し、人に出す食膳も人前に出るときの服装も、親しいものと縁の薄いものとの区別にかなうようにする。
○主婦 主人の正妻のことをいう。私生活を象徴する
○北堂 韓愈夫人をいう。韓池からいえば、母に当たる。此の段は、やしきの北堂のことから、妻北の樗堂の北がわの居間をいうこともあるが、ここは、そうでないであろう。主婦の管理する棟である。あたかも、寝殿造りの北の対のごとし。
○膳服 食膳と眼御。すなわち食事と衣服その他の 餅身の廻り晶。
○適戚疏 通は、それぞれに適当なようにする。戚は、親しい人。疎は、疎遠な人。


恩封高平君,子孫從朝裾。」
わが君の御恩によって高平君に封ぜられ、参内するときは子や孫がその裾について行くことにする。
○恩封高平君 官吏の妻は、夫の身分にしたがって、県君とか郡君とか国夫人などという称号を与えられ、何かのお祝いや季節季節の儀式には、参朝することになっていた。韓愈の夫人は、高平郡君という称号を賜わっていた。恩は、天子の御恩で、ということ。称号を賜わることは、恩恵と考えられた。封は、大名にすること、この場合は、称号を賜わるにすぎない。
○子孫従朝裾 韓愈夫人が、参内するとき、礼服を着ると、子や孫が、そのあとからついて来る。朝裾は、朝廷へ参内するときの礼服のすそ。


開門問誰來,無非卿大夫。
門をあけて来る者は誰かと問えば、昔の卿・大夫に相当する朝廷のおえら方はかりと答える。
○関門間誰来 この段から数段は、韓愈の交友をいう。ここは、その総説である。
○卿大夫 高級官電がんらい、中国の古代の階級制度で、諸侯の家老にあたるものを、大夫といい、そのうちでも上級のものを卿といった。


不知官高卑,玉帶懸金魚。」
官位の高位か卑下かは別問題であって、みな宝石で飾った帯をしめ、それに魚の形をした金色の札を入れた袋をさげている。
○不知官高卑 高卑は、どれだけの高さ。不知は、疑問の語気を表わすことばで、下に疑問文
がつづく。……かしら。
○玉帶懸金魚 身分を示すものとして朝廷から賜わる。位階によって色が違い、金色は地位が高い。金魚袋は、魚の形をした一種の鑑札(魚符)を、袋(魚袋)に入れで、帯につりさげたもの。がんらい、五品以上の官が所持し三品以上は金、四品は銀、五品は銅で作られたが、のち官品(官位)にあまり関係なく、勅旨で個人に賜わるようになったけ金魚は、高い地位の官吏であることをしめす。

示児 韓愈(韓退之) <112-#3>Ⅱ中唐詩667 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2319

韓愈 《示児》 
東の離れ書斎からは腰かけたまま終南山が見える。山にはつぎつぎと雲がかかっては風が吹き散らしている。
そこから松の木や果樹が南のあずまやまでずっと連なるほど植えている。その外には瓜やさといものはたけが区分けしてある。

2013年5月4日 同じ日の紀頌之5つのブログ
●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩
Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩責躬詩 魏詩<75ー#1>古詩源 巻三 女性詩754 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2318
●唐を代表する中唐の韓愈の儒家としての考えのよくわかる代表作の一つ
Ⅱ中唐詩・晩唐詩示児 韓愈(韓退之) <112-#3>Ⅱ中唐詩667 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2319
●杜甫の全作品1141首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"
Ⅲ杜甫詩1000詩集戲作花卿歌  七言歌行  成都5-(22) 杜甫 <471>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2320 杜甫詩1000-471-658/1500
●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている
Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集豫章行 謝霊運(康楽) <64> kanbuniinkai 紀 頌之の詩詞ブログ 2321 (05/04)
●●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩
Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性朱槿花 薛濤 唐五代詞・宋詩 薛濤-155-27-#20  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2322
 
 ■今週の人気記事(漢詩の5ブログ各部門)
 ■主要詩人の一覧・詩目次・ブログindex

『楚辞・九歌』東君 屈原詩<78-#1>505 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1332
http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67664757.html
『楚辞』九辯 第九段―まとめ 宋玉  <00-#35> 664 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2304
http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-rihakujoseishi/archives/6471825.html
安世房中歌十七首(1) 唐山夫人 漢詩 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67710265.html
為焦仲卿妻作 序 漢詩<143>古詩源 巻三 女性詩 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67729401.html
於凊河見輓船士新婚別妻一首 曹丕(魏文帝) 魏詩 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67759129.html
朔風 (一章) 曹植 魏詩<25-#1>文選 雑詩 上  http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67780868.html
謝靈運詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/1901_shareiun000.html 謝靈運詩 六朝期の山水詩人。この人の詩は上品ですがすがしい男性的な深みのある詩である。後世に多大な影響を残している。
謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。
登永嘉緑嶂山詩 #1 謝霊運 <20> 詩集 386ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67474554.html
登池上樓 #1 謝霊運<25>#1  ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67502196.html
孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩 盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。

李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html
李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人 古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首

 

示児 韓愈(韓退之) <112-#3>Ⅱ中唐詩667 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2319



示兒 ―#1
(子にしめす)
始我來京師,止攜一束書。
はじめてわたしが都に出たときのことである。身にたずさえたものはたった一束の書物だけであった。
辛勤三十年,以有此屋廬。
それからこつこつと苦しみつつ精出すこと三十年になる。そのおかげで長安の靖安里にこの屋敷ができたのだ。
此屋豈為華,於我自有餘。』
この家は豪華とまではいえないが、わたしにとってはこれだけでも十分すぎるものといえるのである。

#2
中堂高且新,四時登牢蔬。
中央の表座敷きは高くで新らしく、季節季節に神さまや御先祖にお供えをさし上げる。
前榮饌賓親,冠婚之所於。」
堂の南側はお客や親類をもてなすところだ。そして、元服や婚礼の行われるところなのだ。
庭內無所有,高樹八九株。
そのころは庭のなかには何も無く、高い木の八九本だけだった。
有藤婁絡之,春華夏陰敷。」

その木には藤がからみついていて、春には花がさき夏は葉かげをひろげるだけのものである。

#3
東堂坐見山,雲風相吹噓。
東の離れ書斎からは腰かけたまま終南山が見える。山にはつぎつぎと雲がかかっては風が吹き散らしている。
松果連南亭,外有瓜芋區。」
そこから松の木や果樹が南のあずまやまでずっと連なるほど植えている。その外には瓜やさといものはたけが区分けしてある。
西偏屋不多,槐榆翳空虛。
西寄りには建て物もすくなく、えんじゅとにれの木ががらんとした地面にかげを落としている。
山鳥旦夕鳴,有類澗谷居。」

終南山には山鳥がおり、それが夕べには鳴きさわぐ。その雰囲気は谷間の住まいに類せるものが有るのだ。
東堂は坐して山を見、雲と風と相い吹噓【すいきょ】す。
松果【しょうか】南亭に連なり、外には瓜芋【かう】の区有り。
西偏【せいへん】は屋多からず、槐榆【かいゆ】空虚に翳【かざ】す。
山鳥 旦【あした】に夕べに鳴き、澗谷【かんこく】の居に類せること有り。


『示児』 現代語訳と訳註
(本文)
#3
東堂坐見山,雲風相吹噓。
松果連南亭,外有瓜芋區。」
西偏屋不多,槐榆翳空虛。
山鳥旦夕鳴,有類澗谷居。」


(下し文)
東堂は坐して山を見、雲と風と相い吹噓【すいきょ】す。
松果【しょうか】南亭に連なり、外には瓜芋【かう】の区有り。
西偏【せいへん】は屋多からず、槐榆【かいゆ】空虚に翳【かざ】す。
山鳥 旦【あした】に夕べに鳴き、澗谷【かんこく】の居に類せること有り。


終南山06(現代語訳)
東の離れ書斎からは腰かけたまま終南山が見える。山にはつぎつぎと雲がかかっては風が吹き散らしている。
そこから松の木や果樹が南のあずまやまでずっと連なるほど植えている。その外には瓜やさといものはたけが区分けしてある。
西寄りには建て物もすくなく、えんじゅとにれの木ががらんとした地面にかげを落としている。
終南山には山鳥がおり、それが朝夕には鳴きさわぐ。その雰囲気は谷間の住まいに類せるものが有るのだ。


(訳注)#3
<この段は、やしきの東から南、西にかけてのありさまをいう。>
東堂坐見山,雲風相吹噓。
東の離れ書斎からは腰かけたまま終南山が見える。山にはつぎつぎと雲がかかっては風が吹き散らしている。
終南山03○東堂坐見山 東堂は、東の離れのざしき。屋敷の東がわをいう。おそらく韓愈の書斎・居間であろう。坐は、腰をおろしてじっとしたままで。山は、南方向に聳える終南山である。坐見山とは、東堂から見はらしのきくことを示す。
○雲風相吹噓 東堂から見える山のありさまをいう。嘘も、吹とほぼ同じく、ふくということ。山に雲がかかると風が吹きはらい、吹きはらうと、また雲が追いかけて来て山にかかる、というようなありさまをいう。


松果連南亭,外有瓜芋區。」
そこから松の木や果樹が南のあずまやまでずっと連なるほど植えている。その外には瓜やさといものはたけが区分けしてある。
○松果 松と果樹。
○南亭 やしきの南の方にあるあずまや。
○瓜芋区 瓜やさといものはたけ。区はブロックに分けていること。


西偏屋不多,槐榆翳空虛。
西寄りには建て物もすくなく、えんじゅとにれの木ががらんとした地面にかげを落としている。
○西偏 西がわ。偏は、かたよったところ。辺都な、西寄りのところをいう。
○槐榆 槐は、えんじゅ。榆は、にれ。夕日を避ける西側に植える木。


山鳥旦夕鳴,有類澗谷居。」
終南山には山鳥がおり、それが朝夕には鳴きさわぐ。その雰囲気は谷間の住まいに類せるものが有るのだ。
○山烏 山に住む鳥。特定の鳥をさすのではない。
○瑚谷 間も、谷と同じく、たに。

示児 韓愈(韓退之) <112-#1>Ⅱ中唐詩665 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2309

韓愈 《示児》 
自分の男の子に読ませるために作った詩。韓愈には、韓昶【かんちょう】(799-855年)という子があった。この詩は、元和十年(815年)ごろの作。

2013年5月3日 同じ日の紀頌之5つのブログ
●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩
Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩上責躬應詔詩表 曹植 魏詩<74-#7>古詩源 巻三 女性詩753 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2313
●唐を代表する中唐の韓愈の儒家としての考えのよくわかる代表作の一つ
Ⅱ中唐詩・晩唐詩示児 韓愈(韓退之) <112-#1>Ⅱ中唐詩665 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2309
●杜甫の全作品1141首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"
Ⅲ杜甫詩1000詩集徐卿二子歌楽府(七言歌行) 成都5-(21) 杜甫 <470>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2315 杜甫詩1000-470-657/1500
●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている
Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集苦寒行 謝霊運(康楽)<63> kanbuniinkai 紀 頌之の詩詞ブログ 2316 (05/03)
●●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩
Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性金燈花 薛濤 唐五代詞・宋詩 薛濤-154-26-#19  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2317
 
 ■今週の人気記事(漢詩の5ブログ各部門)
 ■主要詩人の一覧・詩目次・ブログindex

『楚辞・九歌』東君 屈原詩<78-#1>505 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1332
http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67664757.html
『楚辞』九辯 第九段―まとめ 宋玉  <00-#35> 664 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2304
http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-rihakujoseishi/archives/6471825.html
安世房中歌十七首(1) 唐山夫人 漢詩 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67710265.html
為焦仲卿妻作 序 漢詩<143>古詩源 巻三 女性詩 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67729401.html
於凊河見輓船士新婚別妻一首 曹丕(魏文帝) 魏詩 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67759129.html
朔風 (一章) 曹植 魏詩<25-#1>文選 雑詩 上  http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67780868.html
謝靈運詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/1901_shareiun000.html 謝靈運詩 六朝期の山水詩人。この人の詩は上品ですがすがしい男性的な深みのある詩である。後世に多大な影響を残している。
謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。
登永嘉緑嶂山詩 #1 謝霊運 <20> 詩集 386ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67474554.html
登池上樓 #1 謝霊運<25>#1  ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67502196.html
孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩 盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。

李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html
李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人 古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首

 

示児 韓愈(韓退之) <112-#1>Ⅱ中唐詩665 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2309



職方員外郎
河南県令としての韓愈が節度使のかってに任命した部下を取り締まったことは、前に述べた。この話が長安まで伝わったとき、当時の皇帝の憲宗は、「韓愈は我を助くる者なり」といったといぅ。節度使や匡官の横暴に対し、朝廷の権威を回復したいというのが、憲宗の念願やあった。その日からは、節度使の威力にも屈せぬ韓愈は、頼もしい男とうつったのであろう。
811年元和六年の秋、韓愈は職方員外郎に任ずるむねの辞令を受けた。職方は兵部に属し、軍事上必要な地図の制作や要塞の管理にあたる。員外郎はそこの事務官である。この任命は洛陽にいる愈を長安に呼びもどして朝廷の官僚とし、憲宗の味方にしようとする意図から出たものであった。韓愈もそれを理想としていたので、この点では君臣の考えが一致していたということができる。
しかし韓愈は、行くさきざきで問題をおこす男であった。そのころ長安東方の華陰県に柳潤という県令がおり、不正をはたらいたというかどで直属上官の華州刺史から処罰を受けていたのを不満とし、治下の農民を煽動して不穏の動きがあった。たまたま韓愈がそこを通りかかった、というのは、職務上、地方へ出張していたのであろう。そしてこの事態を見、刺史が地位を利用して県令を迫害しているのだと思い、柳潤の再審理を請願する上奏文を奉呈した。朝廷ではこれを受理し、再審を行なったところ、真実はどうだったかわからないが、柳潤が不正をはたらいたという新しい証拠が出てきた。柳はいっそう重い処罰を受けるし、彼の再審を請求した韓愈も、面目を失う結果となってしまった。


作者: 韓愈
皇帝紀年: 元和十年
寫作時間: 815年
寫作年紀: 48歲
卷別: 卷三四二  文體: 五言古詩
詩題: 示兒


示児 ―#1
始我來京師,止攜一束書。
辛勤三十年,以有此屋廬。
此屋豈為華,於我自有餘。』

#2
中堂高且新,四時登牢蔬。
前榮饌賓親,冠婚之所於。」

庭內無所有,高樹八九株。
有藤婁絡之,春華夏陰敷。」
#3
東堂坐見山,雲風相吹噓。
松果連南亭,外有瓜芋區。」

西偏屋不多,槐榆翳空虛。
山鳥旦夕鳴,有類澗谷居。」
#4
主婦治北堂,膳服適戚疏。
恩封高平君,子孫從朝裾。」

開門問誰來,無非卿大夫。
不知官高卑,玉帶懸金魚。」
#5
問客之所為,峨冠講唐虞。
酒食罷無為,棋槊以相娛。
凡此座中人,十九持鈞樞。」

又問誰與頻,莫與張樊如。
來過亦無事,考評道精粗。」
#6
躚躚媚學子,牆屏日有徒。
以能問不能,其蔽豈可袪。」

嗟我不修飾,事與庸人俱。
安能坐如此,比肩於朝儒。
詩以示兒曹,其無迷厥初。」


示児 ―#1
(子にしめす)
始我來京師,止攜一束書。
はじめてわたしが都に出たときのことである。身にたずさえたものはたった一束の書物だけであった。
辛勤三十年,以有此屋廬。
それからこつこつと苦しみつつ精出すこと三十年になる。そのおかげで長安の靖安里にこの屋敷ができたのだ。
此屋豈為華,於我自有餘。』

この家は豪華とまではいえないが、わたしにとってはこれだけでも十分すぎるものといえるのである。

(児に示す)
始め我れ京師に来たりしとき、止だ一束の書を携うるのみ。
辛勤すること三十年にして、以て此の屋盧有り。
此の屋豈華なりと為さんや、我れに於いては自のずから余り有り。


#2
中堂高且新,四時登牢蔬。
前榮饌賓親,冠婚之所於。」
庭內無所有,高樹八九株。
有藤婁絡之,春華夏陰敷。」



『示児』 現代語訳と訳註
(本文) 
―#1
始我來京師,止攜一束書。
辛勤三十年,以有此屋廬。
此屋豈為華,於我自有餘。


(下し文)
始め我れ京師に来たりしとき、止だ一束の書を携うるのみ。
辛勤すること三十年にして、以て此の屋盧有り。
此の屋豈華なりと為さんや、我れに於いては自のずから余り有り。


(現代語訳)
(子にしめす)
はじめてわたしが都に出たときのことである。身にたずさえたものはたった一束の書物だけであった。
それからこつこつと苦しみつつ精出すこと三十年になる。そのおかげで長安の靖安里にこの屋敷ができたのだ。
この家は豪華とまではいえないが、わたしにとってはこれだけでも十分すぎるものといえるのである。


(訳注)示児 ―#1
○示児 自分の男の子に読ませるために作った詩。韓愈には、韓昶【かんちょう】(799-855年)という子があった。この詩は、元和十年(815年)ごろの作。元和十年とすれば、韓愈48歳、韓昶17歳。韓愈が心の底に持っていた立身出世主義を露骨に出した作品で、新興成金のおやじが、むすこに自分の成功談を得得と話している趣きがあり、宋の蘇軾(1036-1101年)は、「示す所は皆利禄の事なり。」といって、杜甫のその子杜宗武に示した詩が、皆聖賢の事であるのと、対此している。この「児に示す」詩によく似た内容の韓愈の詩に、同じころに作られた「符(韓昶の幼名)城南に読書す」(集巻六)の詩があり、ともに韓愈が一面に持っていた俗人ぶりをよく示している。隠遁しない儒家思想は凡そこのようなものであり、立身出世のための儒家思想なのである。現在においても出世のための共産主義思想という一見結びつきそうにないことなのに矛盾がないのが中國の思想である。隠遁者であっても三顧の礼で迎えられることを夢見ているのが儒家なのである。
長篇であるから、意味の上での区分を」で示し、6段に分けて掲載することにする。


始我來京師,止攜一束書。
はじめてわたしが都に出たときのことである。身にたずさえたものはたった一束の書物だけであった。
○始我来京師 この一段は、序にあたる。韓愈がはじめて京師、すなわち首都長安に出て来たのは、貞元二年(786年)のこと。
○止 ただそれだけ。
○一束書 ひとくくりの書物。当時の書物は巻き物であった。


辛勤三十年,以有此屋廬。
それからこつこつと苦しみつつ精出すこと三十年になる。そのおかげで長安の靖安里にこの屋敷ができたのだ。
○辛勤 こつこつと苦しみつつ精出すさま。
〇三十年 貞元二年(786年)より足掛け三十年といえば、元和十年(815年)になる。ただし、この頃の衆知は概数であるので凡そではある。二十年を過ぎれば三十年である。
○以 「辛勤三十年」のおかげでもって。 
○屋廬 韓愈の屋敷。長安の靖安里にあった。張籍、元稹も同じ一角に屋敷があった。


此屋豈為華,於我自有餘。
この家は豪華とまではいえないが、わたしにとってはこれだけでも十分すぎるものといえるのである。
○於我 じぶんにとっては。
○自 それだけで。ほかのものがなくても、という心持ちを示す助辞。

示兒 韓愈(韓退之) <112-#2>Ⅱ中唐詩666 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2314

韓愈 《示兒》 
そのころは庭のなかには何も無く、高い木の八九本だけだった。
その木には藤がからみついていて、春には花がさき夏は葉かげをひろげるだけのものである。



2013年5月2日 同じ日の紀頌之5つのブログ
●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩
Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩上責躬應詔詩表 曹植 漢詩<74-#6>Ⅱ李白に影響を与えた詩752 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2308
●唐を代表する中唐の韓愈の儒家としての考えのよくわかる代表作の一つ
Ⅱ中唐詩・晩唐詩示兒 韓愈(韓退之) <112-#2>Ⅱ中唐詩666 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2314
●杜甫の全作品1141首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"
Ⅲ杜甫詩1000詩集百憂集行 杜甫 五言古詩 成都5-(20)<469>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2310 杜甫詩1000-469-656/1500
●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている
Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集長歌行 謝霊運(康楽)<62> kanbuniinkai 紀 頌之の詩詞ブログ 2311 (05/02)
●●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩
Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性柳絮詠 薛濤 唐五代詞・宋詩 薛濤-153-25-#18  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2312
 
 ■今週の人気記事(漢詩の5ブログ各部門)
 ■主要詩人の一覧・詩目次・ブログindex

『楚辞・九歌』東君 屈原詩<78-#1>505 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1332
http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67664757.html
『楚辞』九辯 第九段―まとめ 宋玉  <00-#35> 664 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2304
http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-rihakujoseishi/archives/6471825.html
安世房中歌十七首(1) 唐山夫人 漢詩 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67710265.html
為焦仲卿妻作 序 漢詩<143>古詩源 巻三 女性詩 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67729401.html
於凊河見輓船士新婚別妻一首 曹丕(魏文帝) 魏詩 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67759129.html
朔風 (一章) 曹植 魏詩<25-#1>文選 雑詩 上  http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67780868.html
謝靈運詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/1901_shareiun000.html 謝靈運詩 六朝期の山水詩人。この人の詩は上品ですがすがしい男性的な深みのある詩である。後世に多大な影響を残している。
謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。
登永嘉緑嶂山詩 #1 謝霊運 <20> 詩集 386ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67474554.html
登池上樓 #1 謝霊運<25>#1  ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67502196.html
孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩 盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。

李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html
李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人 古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首

 

示兒 韓愈(韓退之) <112-#2>Ⅱ中唐詩666 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2314


示兒 ―#1
(子にしめす)
始我來京師,止攜一束書。
はじめてわたしが都に出たときのことである。身にたずさえたものはたった一束の書物だけであった。
辛勤三十年,以有此屋廬。
それからこつこつと苦しみつつ精出すこと三十年になる。そのおかげで長安の靖安里にこの屋敷ができたのだ。
此屋豈為華,於我自有餘。』

この家は豪華とまではいえないが、わたしにとってはこれだけでも十分すぎるものといえるのである。

#2
中堂高且新,四時登牢蔬。
中央の表座敷きは高くで新らしく、季節季節に神さまや御先祖にお供えをさし上げる。
前榮饌賓親,冠婚之所於。」
堂の南側はお客や親類をもてなすところだ。そして、元服や婚礼の行われるところなのだ。
庭內無所有,高樹八九株。
そのころは庭のなかには何も無く、高い木の八九本だけだった。
有藤婁絡之,春華夏陰敷。」

その木には藤がからみついていて、春には花がさき夏は葉かげをひろげるだけのものである。

中堂 高うして且た新たなり、四時に牢蔬【ろうそ】を登ぐ。
前栄は賓親【ひんしん】を饌【せん】し、冠婚の於いてする所なり。」
庭内には有る所無く、高き樹 八九株【はちきゅうしゅ】のみ。
藤有りて之を婁絡【ろうらく】し,春 華【はな】やいで夏 陰に敷く。」

#3
終南山03東堂坐見山,雲風相吹噓。
松果連南亭,外有瓜芋區。」
西偏屋不多,槐榆翳空虛。
山鳥旦夕鳴,有類澗谷居。」


『示兒』 現代語訳と訳註
(本文)
#2
中堂高且新,四時登牢蔬。
前榮饌賓親,冠婚之所於。」
庭內無所有,高樹八九株。
有藤婁絡之,春華夏陰敷。」


(下し文)
中堂 高うして且た新たなり、四時に牢蔬【ろうそ】を登ぐ。
前栄は賓親【ひんしん】を饌【せん】し、冠婚の於いてする所なり。」
庭内には有る所無く、高き樹 八九株【はちきゅうしゅ】のみ。
藤有りて之を婁絡【ろうらく】し,春 華【はな】やいで夏 陰に敷く。」


(現代語訳)
中央の表座敷きは高くで新らしく、季節季節に神さまや御先祖にお供えをさし上げる。
堂の南側はお客や親類をもてなすところだ。そして、元服や婚礼の行われるところなのだ。
そのころは庭のなかには何も無く、高い木の八九本だけだった。
その木には藤がからみついていて、春には花がさき夏は葉かげをひろげるだけのものである。


(訳注)#2
○示児
 自分の男の子に読ませるために作った詩。韓愈には、韓昶【かんちょう】(799-855年)という子があった。この詩は、元和十年(815年)ごろの作。元和十年とすれば、韓愈48歳、韓昶17歳。韓愈が心の底に持っていた立身出世主義を露骨に出した作品で、新興成金のおやじが、むすこに自分の成功談を得得と話している。


(以下数段にわたって、自分のやしきのありさまを、分けて描写する。
この段は、中央にある母星につい、ていう。)
中堂高且新,四時登牢蔬。
中央の表座敷きは高くで新らしく、季節季節に神さまや御先祖にお供えをさし上げる。
○中堂 中堂は、まん中にある母屋。堂は、座敷にあたるおもてむきの部屋をいう。なお、東に厨、西に寝床、、南には門、中堂は、堂のまん中という意味もある。ここでは、下にある東堂・北堂に対して、中央にある堂ということである。
○且 ここでは、二つの形容詞コ卓と「新」とを、並列の関係で結びつける助辞。また。
〇四時 四季。季節の変わり目には、定まった祭祀が行われる。後漢書に「餘帝四時春以正月,夏以四月,秋以七月,冬以十月及臘,一歲五祀。」とある。
○登 祭り机の上にのせて神霊にささげる。
○牢疏 牢は、神霊にささげる犠牲もの。豚、牛や羊が、犠牲として用いられ、現在でも豚の丸焼きがそなえられる。疏は、野菜。ひろくは、穀物を含んだ植物性の食物をさす。祭祀のときは、稲を嘉疏という(「礼記」曲礼下篇)から、地産の野菜、穀類をさす。


前榮饌賓親,冠婚之所於。」
堂の南側はお客や親類をもてなすところだ。そして、元服や婚礼の行われるところなのだ。
○前栄 栄は、のき。前栄は、堂の南側(堂は南向きに作られる)の庭に近いたたきの部分、走部ささえられた軒は長く広い部分をいう。寝殿造りの南の府の間に当たる。ここは、草堂の前栄である。
○饌 ごちそうする。
○賓親 賓客や親戚。
○冠婚 冠は、子どもが成人したしるしに冠を始めてつけさせる儀式。元服、婚は、婚礼。
○所於 行われる場所である。所は、その下に来ることばを名詞化する働きのある助辞。於は、場所を示す助辞。


庭內無所有,高樹八九株。
そのころは庭のなかには何も無く、高い木の八九本だけだった。
○庭内無所有 無所有は、有るものが無い。何も無い。


有藤婁絡之,春華夏陰敷。」
その木には藤がからみついていて、春には花がさき夏は葉かげをひろげるだけのものである。
○婁絡之 婁絡は、からみつく。之は、高樹をさす。
○春華夏陰敷 この庭のようすは韓愈『感春三首』に詳しく述べている。 感春三首其一
偶坐藤樹下,暮春下旬間。
藤陰已可庇,落蕊還漫漫。
亹亹新葉大,瓏瓏晚花乾。
青天高寥寥,兩蝶飛翻翻。
時節適當爾,懷悲自無端。
其二
黄黄蕪菁花,桃李事已退。
狂風簸枯榆,狼藉九衢内。
春序一如此,汝顏安足賴。
誰能駕飛車,相從觀海外。
其三
晨游百花林,朱朱兼白白。
柳枝弱而細,懸樹垂百尺。
左右同來人,金紫貴顯劇。
嬌童爲我歌,哀響跨箏笛。

豔姬蹋筵舞,清眸刺劍戟。
心懷平生友,莫一在燕席。
死者長眇芒,生者困乖隔。
少年真可喜,老大百無益。
このブログでは“感春三首 其一韓愈(韓退之) <113>Ⅱ中唐詩671 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2339” から4回にわたって掲載している。

記事検索
livedoor 天気
記事検索
プロフィール

紀 頌之

Twitter プロフィール
カテゴリ別アーカイブ
QRコード
QRコード
  • ライブドアブログ