中唐詩人選集【Ⅰ李商隠-150】Ⅱ韓退之(韓愈)Ⅶ孟郊(東野)  漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩 訳注解説ブログ

Ⅰ李商隠は難解詩といわれている。約150首紹介済。(晩唐詩人) Ⅱ韓退之(韓愈)-約500首Ⅶ孟郊、中唐の詩人を掲載中。万物の性(さが)をテーマにした哲学的な詩。このブログは基本的に中唐詩人を中心にして掲載する予定。 韓愈詩文のこれまでの掲載分とこれから掲載予定分を時系列で整理した2014.3.29のブログに集約してそこから各年次を見ることができる  kanbuniinkai 検索で、《漢文委員会HP05》サイトあります。漢詩唐詩を理解するための総合サイト:≪漢文委員会 漢詩07≫。

少し、マニアックな晩唐詩人Ⅰ-李商隠150首をまず掲載済み。中唐は盛唐詩人(孟浩然・王維、杜甫、李白)を受け継いだ多様な詩人が出ている。この時代も驚くほど詩が発展している。Ⅱ韓退之(韓愈)500首、Ⅲ柳宗元40首、Ⅳ韋応物、Ⅴ劉長卿、Ⅵ韋荘、Ⅶ孟郊(孟東野)、Ⅷ張籍、Ⅸ賈島、Ⅹ劉禹錫、ほか2012~2020年の予定で気長に進める。同じ中唐ではあるが、白居易のグループについては、李白のブログ350首(2015/6月再開~2018/夏・秋月予定)の後掲載の予定。別に杜甫詩ブログ1500首(2011/7月~2018/8月の予定で)を進行中。詩数につぃては、予定の詩数より多くなる。気まぐれなところがあるのでこの予定が少し変わる場合があり、その節はご容赦ください。                 古詩・謝霊運詩 杜甫詩 韓愈詩 花間集500首全詩 それぞれ毎日ブログしています。 このブログ、索引=語句の「検索」 参考書以上掲載。漢詩力up。

刑部侍邸

《論佛骨表》(18)#11-2韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <901>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3489韓愈詩-227-18

《論佛骨表》(18) 仏がもし霊力があって、禍やたたりをなすことができるならそうなさればよい。およそわざわいがあるということでおとがめがあるならば、私のこの身にお加えなさるがよろしい。


2013年12月24日  の紀頌之5つのブログ
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Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
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●唐を代表する中唐の韓愈の儒家としての考えのよくわかる代表作の一つ
Ⅱ中唐詩・晩唐詩
 
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●杜甫の全作品1141首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"
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●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている
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●●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩
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謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。
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李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
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《論佛骨表》(18)11-2韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <901>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3489韓愈詩-227-18

 

 

(17)11-1

乞以此骨付之有司,投諸水火,

どうかこんな骨は役人に下げ渡されることです、そしてこれを水か火に投げ捨てることです。

根本,斷天下之疑,後代之惑。

これから先、永く仏教がひろく通ずることの根本を絶つこと、天下に欺瞞がひろがることを断絶すること、そして、後世に疑惑が伝わらぬように断つことなのです。

使天下之人,知大聖人之所作為,

天下の人々をして大聖人天子のなされる所は、世の常の人々をはるかに凌いでいるということを知らしめるのです。

出於尋常萬萬也。

天子が上に出ること万々倍の常識であることを知らしめて頂きたい。

豈不盛哉!豈不快哉!

これは何と立派なことではないか。何と心よいことではないか。

 (18)11-2

佛如有靈,能作禍祟,

仏がもし霊力があって、禍やたたりをなすことができるならそうなさればよい。

凡有殃咎,宜加臣身。

およそわざわいがあるということでおとがめがあるならば、私のこの身にお加えなさるがよろしい。

上天鑒臨,臣不怨悔。

上天の神も上からこのわたしを見下ろしておられる。私は臣下として首をはねられても怨んだり悔いたりはいたしません。

無任感激懇悃之至,謹奉表以聞。

私は感激とねんごろなまごころの至りに堪えられないので、謹んでこの上表文を奉り申し上げる、

臣某誠惶誠恐。

誠に申し訳なく誠心誠意申し上げる次第である。

 

泰山の夕日 

『論佛骨表』 現代語訳と訳註

(本文) (18)11-2

佛如有靈,能作禍祟,

凡有殃咎,宜加臣身。

上天鑒臨,臣不怨悔。

無任感激懇悃之至,謹奉表以聞。
臣某誠惶誠恐。

 

(下し文)(佛骨を論ずる表)

(18)11-2

佛如有靈,能作禍祟,

凡有殃咎,宜加臣身。

上天鑒臨,臣不怨悔。

無任感激懇悃之至,謹奉表以聞。
臣某誠惶誠恐。

 

(現代語訳)

仏がもし霊力があって、禍やたたりをなすことができるならそうなさればよい。

およそわざわいがあるということでおとがめがあるならば、私のこの身にお加えなさるがよろしい。

上天の神も上からこのわたしを見下ろしておられる。私は臣下として首をはねられても怨んだり悔いたりはいたしません。

私は感激とねんごろなまごころの至りに堪えられないので、謹んでこの上表文を奉り申し上げる、

誠に申し訳なく誠心誠意申し上げる次第である。

 

(訳注) (18)11-2

佛如有靈,能作禍祟,

仏がもし霊力があって、禍やたたりをなすことができるならそうなさればよい。

有霊 霊力がある。ふしぎな力がある。

禍祟 わぎわいとたたり。

 

凡有殃咎,宜加臣身。

およそわざわいがあるということでおとがめがあるならば、私のこの身にお加えなさるがよろしい。

殃咎 とがめ。わざわい。

 

上天鑒臨,臣不怨悔。

上天の神も上からこのわたしを見下ろしておられる。私は臣下として首をはねられても怨んだり悔いたりはいたしません。

鑒臨 上から照らしのぞむ。

 

無任感激懇悃之至,謹奉表以聞。
私は感激とねんごろなまごころの至りに堪えられないので、謹んでこの上表文を奉り申し上げる、

懇悃 ねんごろなまこと。悃はまごころ。

以聞 申し上げる。上表文につける常用形式語。「いぷん」と読む。

 

臣某誠惶誠恐。

誠に申し訳なく誠心誠意申し上げる次第である。

 

DCF00212 


論佛骨表(2)#1 

臣某言:伏以佛者,夷狄之一法耳,自後漢時流入中國,上古未嘗有也。
《論佛骨表》(1)元和十四年韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <884  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3404韓愈詩-227-1

 (3)#2

昔者黃帝在位百年,年百一十

少昊在位八十年,年百

顓頊在位七十九年,年九十八

帝嚳在位七十年,年百五

帝堯在位九十八年,年百一十八

帝舜及禹,年皆百。此時天下太平,

百姓安樂壽考,然而中國未有佛也。

《論佛骨表》(2)元和十四年韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <885  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3409韓愈詩-227-2
《論佛骨表》(3)元和十四年韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <886  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3414韓愈詩-227-3

#3

其後,殷湯亦年百,湯孫太戊在位七十五年,武丁在位五十九年,書史不言其年壽所極,推其年數,蓋亦俱不減百,周文王年九十七,武王年九十三,穆王在位百年。此時佛法亦未入中國,非因事佛而致然也。

 《論佛骨表》(4)元和十四年韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <887  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3419韓愈詩-227-4

#4

漢明帝時,始有佛法,明帝在位,才十八年耳。其後亂亡相繼,運祚不長。宋、齊、梁、陳、元魏以下,事佛漸謹,年代尤促。惟梁武帝在位四十八年,前後三度舍身施佛,宗廟之祭,不用牲牢,晝日一食,止於菜果。其後竟為侯景所逼,餓死台城,國亦尋滅。事佛求福,乃更得禍。由此觀之,佛不足事,亦可知矣。

《論佛骨表》(5)元和十四年韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <888  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3424韓愈詩-227-5

《論佛骨表》(6)元和十四年韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <889  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3429韓愈詩-227-6ー#4-2 

#5

高祖始受隋禪,則議除之。當時群臣材識不遠,不能深知先王之道、古今之宜,推闡聖明,以救斯弊,其事遂止。臣常恨焉。

《論佛骨表》(7)元和十四年韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <890  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3434韓愈詩-227-7

#6

伏惟睿聖文武皇帝陛下,神聖英武,數千百年已來,未有倫比。即位之初,即不許度人為僧尼、道士,又不許創立寺觀。臣以為高祖之誌,必行於陛下之手,今縱未能即行,豈可恣之轉令盛也!

《論佛骨表》(8)元和十四年韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <891  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3439韓愈詩-227-8

《論佛骨表》(9) #7元和十四年韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <892  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3444韓愈詩-227-9

#7

今聞陛下令群僧迎佛骨於鳳翔,禦樓以觀,舁入大,又令諸寺遞迎供養。臣雖至愚,必知陛下不惑於佛,作此崇奉,以祈福祥也。直以年豐人樂,徇人之心,為京都士庶設詭異之觀,戲玩之具耳。安有聖明若此,而肯信此等事哉!

《論佛骨表》(10)元和十四年韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <893  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3449韓愈詩-227-10

#8然百姓愚冥,易惑難曉,苟見陛下如此,將謂真心事佛。皆云:「天子大聖,猶一心敬信;百姓何人,豈合更惜身命!」焚頂燒指,百十為群,解衣散錢,自朝至暮,轉相仿效。惟恐後時,老少奔波,棄其業次。若不即加禁遏,更曆諸寺,必有斷臂臠身,以為供養者。傷風敗俗,傳笑四方,非細事也。

《論佛骨表》(11)韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <894  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3454韓愈詩-227-11

《論佛骨表》(12)#8-2韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <895  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3459韓愈詩-227-12

#9

夫佛本夷狄之人,與中國言語不通,衣服殊制,口不言先王之法言,身不服先王之法服,不知君臣之義、父子之情。假如其身至今尚在,奉其國命,來朝京師;陛下容而接之,不過宣政一見,禮賓一設,賜衣一襲,衛而出之於境,不令惑眾也。

《論佛骨表》(13)韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <896  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3464韓愈詩-227-13 

《論佛骨表》(14)#9-2韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <897  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3469韓愈詩-227-14

10

況其身死已久,枯朽之骨,凶穢之餘,豈宜令入宮禁?

孔子曰:「敬鬼神而遠之。」古之諸侯行吊於其國,尚令巫祝先以桃茢祓除不祥,然後進吊。今無故取朽穢之物,親臨觀之,巫祝不先,桃茢不用。群臣不言其非,禦史不舉其失,臣實恥之。

《論佛骨表》(15)#10-1韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <898  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3474韓愈詩-227-15 

11 

乞以此骨付之有司,投諸水火,永根本,斷天下之疑,後代之惑。使天下之人,知大聖人之所作為,出於尋常萬萬也。豈不盛哉!豈不快哉!佛如有靈,能作禍祟,凡有殃咎,宜加臣身。上天鑒臨,臣不怨悔。無任感激懇悃之至,謹奉表以聞。
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美女画55101道観 

《論佛骨表》(17)#11-1韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <900>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3484韓愈詩-227-17

韓愈《論佛骨表》(17)どうかこんな骨は役人に下げ渡されることです、そしてこれを水か火に投げ捨てることです。これから先、永く仏教がひろく通ずることの根本を絶つこと、天下に欺瞞がひろがることを断絶すること、そして、後世に疑惑が伝わらぬように断つことなのです。


2013年12月23日  の紀頌之5つのブログ
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李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
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孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
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(17)11-1

乞以此骨付之有司,投諸水火,

どうかこんな骨は役人に下げ渡されることです、そしてこれを水か火に投げ捨てることです。

根本,斷天下之疑,後代之惑。

これから先、永く仏教がひろく通ずることの根本を絶つこと、天下に欺瞞がひろがることを断絶すること、そして、後世に疑惑が伝わらぬように断つことなのです。

使天下之人,知大聖人之所作為,

天下の人々をして大聖人天子のなされる所は、世の常の人々をはるかに凌いでいるということを知らしめるのです。

出於尋常萬萬也。

天子が上に出ること万々倍の常識であることを知らしめて頂きたい。

豈不盛哉!豈不快哉!

これは何と立派なことではないか。何と心よいことではないか。

(18)11-2

佛如有靈,能作禍祟,

凡有殃咎,宜加臣身。

上天鑒臨,臣不怨悔。

無任感激懇悃之至,謹奉表以聞。
臣某誠惶誠恐。

 

泰山の夕日 

 

『論佛骨表』 現代語訳と訳註

(本文) (17)11-1

乞以此骨付之有司,投諸水火,

根本,斷天下之疑,後代之惑。

使天下之人,知大聖人之所作為,

出於尋常萬萬也。

豈不盛哉!豈不快哉!

 

(下し文) (佛骨を論ずる表)

(17)11-1

乞以此骨付之有司,投諸水火,

根本,斷天下之疑,後代之惑。

使天下之人,知大聖人之所作為,

出於尋常萬萬也。

豈不盛哉!豈不快哉!

 

(現代語訳)

どうかこんな骨は役人に下げ渡されることです、そしてこれを水か火に投げ捨てることです。

これから先、永く仏教がひろく通ずることの根本を絶つこと、天下に欺瞞がひろがることを断絶すること、そして、後世に疑惑が伝わらぬように断つことなのです。

天下の人々をして大聖人天子のなされる所は、世の常の人々をはるかに凌いでいるということを知らしめるのです。

天子が上に出ること万々倍の常識であることを知らしめて頂きたい。

これは何と立派なことではないか。何と心よいことではないか。

 

漢文委員会紀頌之タイトル002

(訳注) (17)11-1

乞以此骨付之有司,投諸水火,

どうかこんな骨は役人に下げ渡されることです、そしてこれを水か火に投げ捨てることです。

 

根本,斷天下之疑,後代之惑。

これから先、永く仏教がひろく通ずることの根本を絶つこと、天下に欺瞞がひろがることを断絶すること、そして、後世に疑惑が伝わらぬように断つことなのです。

根本 仏教流伝の根源。

 

使天下之人,知大聖人之所作為,

天下の人々をして大聖人天子のなされる所は、世の常の人々をはるかに凌いでいるということを知らしめるのです。

大聖人 天子を指す。

 

出於尋常萬萬也。

天子が上に出ること万々倍の常識であることを知らしめて頂きたい。

万万 大きいこと。万倍。

 

豈不盛哉!豈不快哉!

これは何と立派なことではないか。何と心よいことではないか。

《論佛骨表》(16)#10-2韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <899>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3479韓愈詩-227-16

《論佛骨表》(16) 今は故なくして朽ち穢れた仏骨を取られ、天子みずからその場に行って御覧になった。巫や祝【かんなぎ】が先に立っているものの、桃の木や葦の穂を用いて祓いをしないのだ。


2013年12月22日  の紀頌之5つのブログ
●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場
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《論佛骨表》(16)10-2韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <899>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3479韓愈詩-227-16

 

(15)10-1

況其身死已久,枯朽之骨,

まして釈迦の身は死んで随分久しときがたっている。その枯れ朽ちた骨なのである。

凶穢之餘,豈宜令入宮禁?

不吉なけがれたものの残余である仏舎利などを、どうして宮城に入れてよろしいであろうか。

孔子曰:「敬鬼神而遠之。」

孔子は言っている、「神や死者の霊魂は敬ってあなどらず、遠ざかってけがさないようにすることだ」と。

古之諸侯行吊於其國,

古代の諸侯は自分の国の中で弔問をする場合にも、

尚令巫祝先以桃茢祓除不祥,然後進吊。

やはり巫(みこ)や祝(かんなぎ)に命じて、その前に、桃や茢(葦の穂)を持って、不吉を祓い除かせて、そのあとで進んで弔ったのである。

 (16)10-2

今無故取朽穢之物,親臨觀之,

今は故なくして朽ち穢れた仏骨を取られ、天子みずからその場に行って御覧になった。

巫祝不先,桃茢不用。

巫や祝【かんなぎ】が先に立っているものの、桃の木や葦の穂を用いて祓いをしないのだ。

群臣不言其非,

群臣はそれがよくないとも言はず、

禦史不舉其失,臣實恥之。

御史もその過ちを取り挙げて責めもしない。私はまことにこれを恥ずかしく思うのである。

 云亭

 

『論佛骨表』 現代語訳と訳註

(本文)

(16)10-2

今無故取朽穢之物,親臨觀之,

巫祝不先,桃茢不用。

群臣不言其非,

禦史不舉其失,臣實恥之。

 

(下し文) (佛骨を論ずる表)

(16)10-2

今故く無して朽穢【きゅうあい】の物を取り,親臨して之を觀る,

巫祝【ふしゅく】先んぜず,桃茢【とうれつ】用いず。

群臣 其の非を言わず,

禦史 其の失を舉げず,臣 實【まこと】に之を恥づ。

 

(現代語訳)

今は故なくして朽ち穢れた仏骨を取られ、天子みずからその場に行って御覧になった。

巫や祝【かんなぎ】が先に立っているものの、桃の木や葦の穂を用いて祓いをしないのだ。

群臣はそれがよくないとも言はず、

御史もその過ちを取り挙げて責めもしない。私はまことにこれを恥ずかしく思うのである。

杏の花0055 

(訳注)

(16)10-2

今無故取朽穢之物,親臨觀之,

今は故なくして朽ち穢れた仏骨を取られ、天子みずからその場に行って御覧になった。

 

巫祝不先,桃茢不用。

巫や祝【かんなぎ】が先に立っているものの、桃の木や葦の穂を用いて祓いをしないのだ。

桃茢 桃の木は鬼が畏れるもの、茢すなわち葦の穂の箒は、不祥を払う。この二つを持って先に立つ

 

群臣不言其非,

群臣はそれがよくないとも言はず、

 

禦史不舉其失,臣實恥之。

御史もその過ちを取り挙げて責めもしない。私はまことにこれを恥ずかしく思うのである。

御史 官吏の欠点を弾劾(琶(罪過を攻撃する)する役。群臣が天子の迷信を諌めないのを責めるべきであるのに取りあげない。御史台(ぎょしだい)は、中国歴史上の官署の一つである。秦、漢の時代にあっては、御史が監察事務の任にあたった。御史の執務する役所を御史府といい、蘭台、憲台とも称した。南朝の梁、陳や北魏、東魏、西魏、北斉の時代に御史台と称された。
泰山の夕日 

《論佛骨表》(15)#10-1韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <898>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3474韓愈詩-227-15

《論佛骨表》(15) まして釈迦の身は死んで随分久しときがたっている。その枯れ朽ちた骨なのである。不吉なけがれたものの残余である仏舎利などを、どうして宮城に入れてよろしいであろうか。


2013年12月21日  の紀頌之5つのブログ
●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場
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『楚辞』九辯 第九段―まとめ 宋玉  <00-#35> 664 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2304  http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-rihakujoseishi/archives/6471825.html
安世房中歌十七首(1) 唐山夫人 漢詩 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67710265.html 
為焦仲卿妻作 序 漢詩<143>古詩源 巻三 女性詩http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67729401.html
於凊河見輓船士新婚別妻一首 曹丕(魏文帝) 魏詩http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67759129.html
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謝靈運詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/1901_shareiun000.html 謝靈運詩六朝期の山水詩人。この人の詩は上品ですがすがしい男性的な深みのある詩である。後世に多大な影響を残している。
謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。
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登池上樓 #1 謝霊運<25>#1  ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67502196.html
孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。
李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html 
李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首
魚玄機 詩 全首130回賦得江邊柳 魚玄機  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-65-1-#五言律詩  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1876
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《論佛骨表》(15)10-1韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <898>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3474韓愈詩-227-15

 

 

(15)10-1

況其身死已久,枯朽之骨,

まして釈迦の身は死んで随分久しときがたっている。その枯れ朽ちた骨なのである。

凶穢之餘,豈宜令入宮禁?

不吉なけがれたものの残余である仏舎利などを、どうして宮城に入れてよろしいであろうか。

孔子曰:「敬鬼神而遠之。」

孔子は言っている、「神や死者の霊魂は敬ってあなどらず、遠ざかってけがさないようにすることだ」と。

古之諸侯行吊於其國,

古代の諸侯は自分の国の中で弔問をする場合にも、

尚令巫祝先以桃茢祓除不祥,然後進吊。

やはり巫(みこ)や祝(かんなぎ)に命じて、その前に、桃や茢(葦の穂)を持って、不吉を祓い除かせて、そのあとで進んで弔ったのである。

 (16)10-2

今無故取朽穢之物,親臨觀之,

巫祝不先,桃茢不用。

群臣不言其非,

禦史不舉其失,臣實恥之。

 

DCF00212 

『論佛骨表』 現代語訳と訳註

(本文)

(15)10-1

況んや其の身死して已に久し,枯朽【こきゅう】の骨,

凶穢【きょうあい】の餘,豈に宜しく宮禁に入ら令む?

孔子曰く:「鬼神を敬し之に遠ざかる。」と。

古の諸侯、吊を其の國に行うや,

尚お巫祝をして先づ桃茢【とうれつ】を以って不祥を祓除【ばつじょ】せ令め,然る後に進み吊す。

 

(下し文)(佛骨を論ずる表)

(15)10-1

況其身死已久,枯朽之骨,

凶穢之餘,豈宜令入宮禁?

孔子曰:「敬鬼神而遠之。」

古之諸侯行吊於其國,

尚令巫祝先以桃茢祓除不祥,然後進吊。

 

(現代語訳)

まして釈迦の身は死んで随分久しときがたっている。その枯れ朽ちた骨なのである。

不吉なけがれたものの残余である仏舎利などを、どうして宮城に入れてよろしいであろうか。

孔子は言っている、「神や死者の霊魂は敬ってあなどらず、遠ざかってけがさないようにすることだ」と。

古代の諸侯は自分の国の中で弔問をする場合にも、

やはり巫(みこ)や祝(かんなぎ)に命じて、その前に、桃や茢(葦の穂)を持って、不吉を祓い除かせて、そのあとで進んで弔ったのである。

 

(訳注)(15)10-1

況其身死已久,枯朽之骨,

まして釈迦の身は死んで随分久しときがたっている。その枯れ朽ちた骨なのである。

 

凶穢之餘,豈宜令入宮禁?

不吉なけがれたものの残余である仏舎利などを、どうして宮城に入れてよろしいであろうか。

凶穢之餘 不吉でけがれた残余のもの、それが仏骨なのである。韓愈は車かを崇める皇帝が短命であることで穢れたものであるというのである。

 

孔子曰:「敬鬼神而遠之。」

孔子は言っている、「神や死者の霊魂は敬ってあなどらず、遠ざかってけがさないようにすることだ」と。

孔子日 『論語』蕹也篇に「樊遅知を問ふ。孔子曰く、民の義を務め、鬼神を敬して之に遠ざかる。知と謂ふべし」とある。神や人の亡魂などは、人力以上のものであるから、敬いはするが、馴れ近づいて汚していけないという意味。

 

古之諸侯行吊於其國,

古代の諸侯は自分の国の中で弔問をする場合にも、

古之諸侯 『礼記』檀弓篇に「君、臣の喪に臨むに、巫祝桃茢戈を執るを以てす」とある。

 

尚令巫祝先以桃茢祓除不祥,然後進吊。

やはり巫(みこ)や祝(かんなぎ)に命じて、その前に、桃や茢(葦の穂)を持って、不吉を祓い除かせて、そのあとで進んで弔ったのである。

桃茢 桃の木は鬼が畏れるもの、茢すなわち葦の穂の箒は、不祥を払う。この二つを持って先に立つ。
 泰山の夕日

《論佛骨表》(14)#9-2韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <897>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3469韓愈詩-227-14

《論佛骨表》(14) たといその身が今に至るまでまだ生きていて、その国王の命を受けて都長安に来てお目見えしても、陛下は受け入れてもてなしてくれるのに、宣政殿で一度会見され、礼賓殿でひとたび賜宴を設けられるもので、衣服ひとかさねを賜り、護衛してこれを国境から出しておやりになるだけで、これを礼拝して民衆をまどわせるようなことはなさらないであろう。


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●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場
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班孟堅(班固)《西都賦》(30)#11-2 文選 賦<112―30>18分割55回 Ⅱ李白に影響を与えた詩984 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3468
●唐を代表する中唐の韓愈の儒家としての考えのよくわかる代表作の一つ
Ⅱ中唐詩・晩唐詩
 
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《論佛骨表》(14)#9-2韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <897>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3469韓愈詩-227-14
●杜甫の全作品1141首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"
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●●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩
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謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。
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孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。
李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html 
李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首
魚玄機 詩 全首130回賦得江邊柳 魚玄機  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-65-1-#五言律詩  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1876
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《論佛骨表》(14)#9-2韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <897>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3469韓愈詩-227-14

 

杏の花0055 

(13)#9-1

夫佛本夷狄之人,與中國言語不通,

一体、仏陀はもともと異民族の人である。中国と言語が通じていないのだ。

衣服殊制,口不言先王之法言,

衣服も作り方が異なり、口に先王の礼法の言説をいいわしないのだ。

身不服先王之法服,

身に先王の制定した服を着けず、

不知君臣之義、父子之情。

君臣の道である義理、父子の間の情愛を知らない。

 (14)#9-2

假如其身至今尚在,奉其國命,

たといその身が今に至るまでまだ生きていて、その国王の命を受けて

來朝京師;陛下容而接之,

都長安に来てお目見えしても、陛下は受け入れてもてなしてくれるのに、

不過宣政一見,禮賓一設,

宣政殿で一度会見され、礼賓殿でひとたび賜宴を設けられるもので、

賜衣一襲,衛而出之於境,不令惑眾也。

衣服ひとかさねを賜り、護衛してこれを国境から出しておやりになるだけで、これを礼拝して民衆をまどわせるようなことはなさらないであろう。

 

 (13)#9-1

夫れ佛は本【もとも】と夷狄【いてき】の人なり,中國と言語通ぜず。

衣服 制を殊にし,口に先王の法言を言わず。

身に先王の法服を服せず。

君臣の義、父子の情を知らず。

(14)#9-2

假如【たとい】其の身今に至るまで尚お在り,其の國命を奉ず。

京師に來朝すとも、陛下容れて 之れに接するに,

宣政【せんせい】に一見し,禮賓【れいひん】を一設し,衣一襲を賜い,衛って之れを境に出たに過ぎず,眾を惑するは令めざるなり。

10risho長安城の図035 

 

『論佛骨表』 現代語訳と訳註

(本文) (14)#9-2

假如其身至今尚在,奉其國命,

來朝京師;陛下容而接之,

不過宣政一見,禮賓一設,

賜衣一襲,衛而出之於境,不令惑眾也。

 

(下し文) (14)#9-2

假如【たとい】其の身今に至るまで尚お在り,其の國命を奉ず。

京師に來朝すとも、陛下容れて 之れに接するに,

宣政【せんせい】に一見し,禮賓【れいひん】を一設し,衣一襲を賜い,衛って之れを境に出たに過ぎず,眾を惑するは令めざるなり。

 

(現代語訳)

たといその身が今に至るまでまだ生きていて、その国王の命を受けて

都長安に来てお目見えしても、陛下は受け入れてもてなしてくれるのに、

宣政殿で一度会見され、礼賓殿でひとたび賜宴を設けられるもので、

衣服ひとかさねを賜り、護衛してこれを国境から出しておやりになるだけで、これを礼拝して民衆をまどわせるようなことはなさらないであろう。

 

唐朝 大明宮2000 

(訳注) (14)#9-2

假如其身至今尚在,奉其國命,

たといその身が今に至るまでまだ生きていて、その国王の命を受けて

○假如 かりにもし。たとひ。

 

來朝京師;陛下容而接之,

都長安に来てお目見えしても、陛下は受け入れてもてなしてくれるのに、

 

不過宣政一見,禮賓一設,

宣政殿で一度会見され、礼賓殿でひとたび賜宴を設けられるもので、

○宜政 宣政殿、殿名、外国使臣の謁見するところ。

○礼賓 礼賓殿、外国人に接待饗宴を賜う殿名。

 

賜衣一襲,衛而出之於境,不令惑眾也。

衣服ひとかさねを賜り、護衛してこれを国境から出しておやりになるだけで、これを礼拝して民衆をまどわせるようなことはなさらないであろう。

〇一襲 衣服ひとかさね。

○境 国境。

花蕊夫人002 

《論佛骨表》(13)韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <896>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3464韓愈詩-227-13

韓愈《論佛骨表》(13) 一体、仏陀はもともと異民族の人である。中国と言語が通じていないのだ。衣服も作り方が異なり、口に先王の礼法の言説をいいわしないのだ。

2013年12月19日  の紀頌之5つのブログ
●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場
Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
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班孟堅(班固)《西都賦》(29)#11(閣道と建章宮)-1 文選 賦<112―29>18分割55回 Ⅱ李白に影響を与えた詩983 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3463
●唐を代表する中唐の韓愈の儒家としての考えのよくわかる代表作の一つ
Ⅱ中唐詩・晩唐詩
 
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《論佛骨表》(13)韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <896>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3464韓愈詩-227-13
●杜甫の全作品1141首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"
Ⅲ杜甫詩1000詩集  LiveDoorブログ 724 《江陵望幸〔註:廣德元年,復以衛伯玉尹江陵。〕》 蜀中転々 杜甫 <631>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3465 杜甫詩1000-631-887/1500
●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている
Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集 Fc2ブログ
●●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩
Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoor 9 8 浣溪紗八首 其六 (薛昭蘊)薛侍郎昭蘊ⅩⅫ唐五代詞・「花間集」 Gs-384-9-#8  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3467
 
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『楚辞・九歌』東君 屈原詩<78-#1>505 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1332http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67664757.html
『楚辞』九辯 第九段―まとめ 宋玉  <00-#35> 664 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2304  http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-rihakujoseishi/archives/6471825.html
安世房中歌十七首(1) 唐山夫人 漢詩 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67710265.html 
為焦仲卿妻作 序 漢詩<143>古詩源 巻三 女性詩http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67729401.html
於凊河見輓船士新婚別妻一首 曹丕(魏文帝) 魏詩http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67759129.html
朔風 (一章) 曹植 魏詩<25-#1>文選雑詩 上 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67780868.html
謝靈運詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/1901_shareiun000.html 謝靈運詩六朝期の山水詩人。この人の詩は上品ですがすがしい男性的な深みのある詩である。後世に多大な影響を残している。
謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。
登永嘉緑嶂山詩 #1 謝霊運 <20> 詩集 386ーhttp://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67474554.html
登池上樓 #1 謝霊運<25>#1  ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67502196.html
孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。
李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html 
李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首
魚玄機 詩 全首130回賦得江邊柳 魚玄機  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-65-1-#五言律詩  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1876
薛濤 詩詞全首100 井梧吟 薛濤 唐五代詞・宋詩 薛濤-136-8-#1  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2227
主に花間集から
温庭筠 70首『菩薩蠻 一』温庭筠  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-1-1-#1 花間集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1620
韋荘 50首 菩薩蠻 一 韋荘  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩花間集Gs-247-5-#1  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2617
皇甫松 10首 採蓮子二首  其一 皇甫松  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-307-5-#61  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3082
牛嶠  20首 女冠子四首 其一 牛嶠  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-312-5-#66  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3107
『花間集』継続中 
杜甫全詩 韓愈全詩 花間集 古詩源 玉台新詠

 

《論佛骨表》(13)韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <896>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3464韓愈詩-227-13

 

 

(13)#9-1

夫佛本夷狄之人,與中國言語不通,

一体、仏陀はもともと異民族の人である。中国と言語が通じていないのだ。

衣服殊制,口不言先王之法言,

衣服も作り方が異なり、口に先王の礼法の言説をいいわしないのだ。

身不服先王之法服,

身に先王の制定した服を着けず、

不知君臣之義、父子之情。

君臣の道である義理、父子の間の情愛を知らない。

 (13)#9-1

夫れ佛は本【もとも】と夷狄【いてき】の人なり,中國と言語通ぜず。

衣服 制を殊にし,口に先王の法言を言わず。

身に先王の法服を服せず。

君臣の義、父子の情を知らず。

(14)
#9-2

假如其身至今尚在,奉其國命,

來朝京師;陛下容而接之,

不過宣政一見,禮賓一設,

賜衣一襲,衛而出之於境,不令惑眾也。

 

(14)#9-2

假如【たとい】其の身今に至るまで尚お在り,其の國命を奉ず。

京師に來朝すとも、陛下容れて 之れに接するに,

宣政【せんせい】に一見し,禮賓【れいひん】を一設し,衣一襲を賜い,衛って之れを境に出たに過ぎず,眾を惑するは令めざるなり。

漢文委員会紀頌之タイトル002 

『論佛骨表』 現代語訳と訳註

(本文) (13)#9-1

夫佛本夷狄之人,與中國言語不通,

衣服殊制,口不言先王之法言,

身不服先王之法服,

不知君臣之義、父子之情。

 

(下し文) (13)#9-1

夫れ佛は本夷狄【いてき】の人なり,中國と言語通ぜず。

衣服 制を殊にし,口に先王の法言を言わず。

身に先王の法服を服せず。

君臣の義、父子の情を知らず。

 

(現代語訳)

一体、仏陀はもともと異民族の人である。中国と言語が通じていないのだ。

衣服も作り方が異なり、口に先王の礼法の言説をいいわしないのだ。

身に先王の制定した服を着けず、

君臣の道である義理、父子の間の情愛を知らない。

 

(訳注) (13)#9-1

夫佛本夷狄之人,與中國言語不通,

一体、仏陀はもともと異民族の人である。中国と言語が通じていないのだ。

○夷狄 東夷・北狄、異民族のこと。釈迦は印度人であることをいう。

 

衣服殊制,口不言先王之法言,

衣服も作り方が異なり、口に先王の礼法の言説をいいわしないのだ。

○法言 礼法上の言説。

 

身不服先王之法服,

身に先王の制定した服を着けず、

○法服 法制上定められた服。天子、卿、大夫、士、庶それぞれ身分上定まった服。

 

不知君臣之義、父子之情。

君臣の道である義理、父子の間の情愛を知らない。
云亭 

《論佛骨表》(12)#8-2韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <895>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3459韓愈詩-227-12

論佛骨表》(12) それをいよいよ次から次へとお互いに倣い真似て伝える、ただ、おくれることを恐れるというし、老人も若者も奔る波のように仏寺に押し寄せて、そのすべき仕事を棄ててしまうという。


2013年12月18日  の紀頌之5つのブログ
●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場
Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
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班孟堅(班固)《西都賦》(28)#10-3 文選 賦<112―28>18分割55回 Ⅱ李白に影響を与えた詩982 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3458
●唐を代表する中唐の韓愈の儒家としての考えのよくわかる代表作の一つ
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●杜甫の全作品1141首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"
Ⅲ杜甫詩1000詩集  LiveDoorブログ 723 《答楊梓州》 蜀中転々 杜甫 <630>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3460 杜甫詩1000-630-886/1500
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●●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩
Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoor 9 7 浣溪紗八首 其五 (薛昭蘊)薛侍郎昭蘊ⅩⅫ唐五代詞・「花間集」 Gs-383-9-#7  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3462
 
 ■最近の人気の文・賦・詩・詞(漢詩の5ブログ各部門)
 ■主要詩人の一覧・詩目次・ブログindex
『楚辞・九歌』東君 屈原詩<78-#1>505 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1332http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67664757.html
『楚辞』九辯 第九段―まとめ 宋玉  <00-#35> 664 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2304  http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-rihakujoseishi/archives/6471825.html
安世房中歌十七首(1) 唐山夫人 漢詩 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67710265.html 
為焦仲卿妻作 序 漢詩<143>古詩源 巻三 女性詩http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67729401.html
於凊河見輓船士新婚別妻一首 曹丕(魏文帝) 魏詩http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67759129.html
朔風 (一章) 曹植 魏詩<25-#1>文選雑詩 上 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67780868.html
謝靈運詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/1901_shareiun000.html 謝靈運詩六朝期の山水詩人。この人の詩は上品ですがすがしい男性的な深みのある詩である。後世に多大な影響を残している。
謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。
登永嘉緑嶂山詩 #1 謝霊運 <20> 詩集 386ーhttp://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67474554.html
登池上樓 #1 謝霊運<25>#1  ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67502196.html
孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。
李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html 
李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首
魚玄機 詩 全首130回賦得江邊柳 魚玄機  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-65-1-#五言律詩  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1876
薛濤 詩詞全首100 井梧吟 薛濤 唐五代詞・宋詩 薛濤-136-8-#1  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2227
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温庭筠 70首『菩薩蠻 一』温庭筠  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-1-1-#1 花間集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1620
韋荘 50首 菩薩蠻 一 韋荘  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩花間集Gs-247-5-#1  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2617
皇甫松 10首 採蓮子二首  其一 皇甫松  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-307-5-#61  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3082
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《論佛骨表》(12)#8-2韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <895>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3459韓愈詩-227-12

 

 

(11)#8-1

然百姓愚冥,易惑難曉,

しかし一般人民は愚かで知が明らかでないので、惑い易く、さとし難いのである。

苟見陛下如此,將謂真心事佛。

いやしくも考えるに、陛下がこのようになさるのを見れば、それはまさに本心から仏に仕えなきると思うのである。

皆云:「天子大聖,猶一心敬信;

だれも皆いう「天子の大聖人が、やはり一心に仏を敬い信じておられる、ということ。

百姓何人,豈合更惜身命!」

一般人民であれば何人に至るまでの者、それは取るに足らぬ微力なものであるとして、どうしてこの上身も命も惜しむべきであるとされるのであろうか、」と。

然れども百姓は愚冥にして、惑ひ易く曉【さと】し難し。

苟【いやし】くも陛下の此の如くなるを見るとせば、將に眞心から佛に事ふと謂い、

皆云はん、「天子大聖すら猶一心に敬信す。

百姓何人ぞ。豈に合【まさ】に更に身命を惜むべけん。」と。

 (12)#8-2

焚頂燒指,百十為群,

頭の頂を火に焼き、指の先を焼いて仏を信心する誠を示したり、十人、百人と群れをなしたりする。

解衣散錢,自朝至暮,

衣服を脱ぎ、銭をまいて仏にそなえ、朝から暮れに至るまで仏のことばかり、

轉相仿效。惟恐後時,

それをいよいよ次から次へとお互いに倣い真似て伝える、ただ、おくれることを恐れるというし、

老少奔波,棄其業次。

老人も若者も奔る波のように仏寺に押し寄せて、そのすべき仕事を棄ててしまうという。

若不即加禁遏,更曆諸寺,

若し直ちに禁止を加えずして、仏骨が更に諸寺を順に廻るならば、

必有斷臂臠身,以為供養者。

必ずわが臂を断ち、身を斬りさいなんで仏に供養をするものがあるであろう。

傷風敗俗,傳笑四方,非細事也。

風習・習俗をそこないやぶって、四方の人々に笑いを伝えひろめることになっては、陛下のために小さな事件ではないのである。

頂を焚き指を焼き、百十群を為し、

衣を解き銭を散じ、朝より暮に至り、

轉た相い仿效し、惟時に後れんことを恐れ

老少奔波して、其の業次を棄てん。

若し即ち禁遏を加へずして、更に諸寺を歴ば、

必ず斷臂臠身、以て供養を為す者有らん。

風を傷り俗を敗り、笑を四方に傳ふるは、細事に非ざるなり。

楠樹03 

『論佛骨表』 現代語訳と訳註

(本文)

 (12)#8-2

焚頂燒指,百十為群,

解衣散錢,自朝至暮,

轉相仿效。惟恐後時,

老少奔波,棄其業次。

若不即加禁遏,更曆諸寺,

必有斷臂臠身,以為供養者。

傷風敗俗,傳笑四方,非細事也。

 

(下し文) (12)#8-2

頂を焚き指を焼き、百十群を為し、

衣を解き銭を散じ、朝より暮に至り、

轉た相い仿效し、惟時に後れんことを恐れ

老少奔波して、其の業次を棄てん。

若し即ち禁遏を加へずして、更に諸寺を歴ば、

必ず斷臂臠身、以て供養を為す者有らん。

風を傷り俗を敗り、笑を四方に傳ふるは、細事に非ざるなり。

 

(現代語訳)

頭の頂を火に焼き、指の先を焼いて仏を信心する誠を示したり、十人、百人と群れをなしたりする。

衣服を脱ぎ、銭をまいて仏にそなえ、朝から暮れに至るまで仏のことばかり、

それをいよいよ次から次へとお互いに倣い真似て伝える、ただ、おくれることを恐れるというし、

老人も若者も奔る波のように仏寺に押し寄せて、そのすべき仕事を棄ててしまうという。

若し直ちに禁止を加えずして、仏骨が更に諸寺を順に廻るならば、

必ずわが臂を断ち、身を斬りさいなんで仏に供養をするものがあるであろう。

風習・習俗をそこないやぶって、四方の人々に笑いを伝えひろめることになっては、陛下のために小さな事件ではないのである。

 

(訳注) (12)#8-2

焚頂燒指,百十為群,

頭の頂を火に焼き、指の先を焼いて仏を信心する誠を示したり、十人、百人と群れをなしたりする。

○焚頂焼指 頭の頂を焼き指を焼いて信心の誠を示す。

 

解衣散錢,自朝至暮,

衣服を脱ぎ、銭をまいて仏にそなえ、朝から暮れに至るまで仏のことばかり、

 

轉相仿效。惟恐後時,

それをいよいよ次から次へとお互いに倣い真似て伝える、ただ、おくれることを恐れるというし、

○轉相仿效 それからそれへと互いにならい真似てつたえる。

 

老少奔波,棄其業次。

老人も若者も奔る波のように仏寺に押し寄せて、そのすべき仕事を棄ててしまうという。

○奔放 はしり寄せる波のように押しよせはしる。

○業次 仕事の場所。生業。

 

若不即加禁遏,更曆諸寺,

若し直ちに禁止を加えずして、仏骨が更に諸寺を順に廻るならば、

○禁遏 抑えとどめる。

 

必有斷臂臠身,以為供養者。

必ずわが臂を断ち、身を斬りさいなんで仏に供養をするものがあるであろう。

○斷臂臠身 わがひじを断ち身を細切れにきざむ。仏のために誠を示す。禅宗の慧可(えか)が自ら臂を断って精進の誠をあらわした故事による。

 

傷風敗俗,傳笑四方,非細事也。

風習・習俗をそこないやぶって、四方の人々に笑いを伝えひろめることになっては、陛下のために小さな事件ではないのである。
DCF00212 

《論佛骨表》(11)韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <894>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3454韓愈詩-227-11

韓愈《論佛骨表》(11)一般人民であれば何人に至るまでの者、それは取るに足らぬ微力なものであるとして、どうしてこの上身も命も惜しむべきであるとされるのであろうか、」と。

2013年12月17日  の紀頌之5つのブログ
●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場
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《論佛骨表》(11)韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <894>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3454韓愈詩-227-11

 

 

(11)#8-1

然百姓愚冥,易惑難曉,

しかし一般人民は愚かで知が明らかでないので、惑い易く、さとし難いのである。

苟見陛下如此,將謂真心事佛。

いやしくも考えるに、陛下がこのようになさるのを見れば、それはまさに本心から仏に仕えなきると思うのである。

皆云:「天子大聖,猶一心敬信;

だれも皆いう「天子の大聖人が、やはり一心に仏を敬い信じておられる、ということ。

百姓何人,豈合更惜身命!」

一般人民であれば何人に至るまでの者、それは取るに足らぬ微力なものであるとして、どうしてこの上身も命も惜しむべきであるとされるのであろうか、」と。

然れども百姓は愚冥にして、惑ひ易く曉【さと】し難し。

苟【いやし】くも陛下の此の如くなるを見るとせば、將に眞心から佛に事ふと謂い、

皆云はん、「天子大聖すら猶一心に敬信す。

百姓何人ぞ。豈に合【まさ】に更に身命を惜むべけん。」と。

 (12)#8-2

焚頂燒指,百十為群,

解衣散錢,自朝至暮,

轉相仿效。惟恐後時,

老少奔波,棄其業次。

若不即加禁遏,更曆諸寺,

必有斷臂臠身,以為供養者。

傷風敗俗,傳笑四方,非細事也。

頂を焚き指を焼き、百十群を為し、

衣を解き銭を散じ、朝より暮に至り、

轉た相い仿效し、惟時に後れんことを恐れ

老少奔波して、其の業次を棄てん。

若し即ち禁遏を加へずして、更に諸寺を歴ば、

必ず斷臂臠身、以て供養を為す者有らん。

風を傷り俗を敗り、笑を四方に傳ふるは、細事に非ざるなり。

甘粛省-嘉峪関 

『論佛骨表』 現代語訳と訳註

(本文) (11)#8-1

然百姓愚冥,易惑難曉,

苟見陛下如此,將謂真心事佛。

皆云:「天子大聖,猶一心敬信;

百姓何人,豈合更惜身命!」

 

(下し文) (11)#8-1

然れども百姓は愚冥にして、惑ひ易く曉【さと】し難し。

苟【いやし】くも陛下の此の如くなるを見るとせば、將に眞心から佛に事ふと謂い、

皆云はん、「天子大聖すら猶一心に敬信す。

百姓何人ぞ。豈に合【まさ】に更に身命を惜むべけん。」と。

 

(現代語訳)

しかし一般人民は愚かで知が明らかでないので、惑い易く、さとし難いのである。

いやしくも考えるに、陛下がこのようになさるのを見れば、それはまさに本心から仏に仕えなきると思うのである。

だれも皆いう「天子の大聖人が、やはり一心に仏を敬い信じておられる、ということ。

般人民であれば何人に至るまでの者、それは取るに足らぬ微力なものであるとして、どうしてこの上身も命も惜しむべきであるとされるのであろうか、」と。

 

 

(訳注) (11)#8-1

然百姓愚冥,易惑難曉,

しかし一般人民は愚かで知が明らかでないので、惑い易く、さとし難いのである。

〇愚冥 おろかで暗い。冥は眼が明らかでない。

 

苟見陛下如此,將謂真心事佛。

いやしくも考えるに、陛下がこのようになさるのを見れば、それはまさに本心から仏に仕えなきると思うのである。

 

皆云:「天子大聖,猶一心敬信;

だれも皆いう「天子の大聖人が、やはり一心に仏を敬い信じておられる、ということ。

 

百姓何人,豈合更惜身命!」

一般人民であれば何人に至るまでの者、それは取るに足らぬ微力なものであるとして、どうしてこの上身も命も惜しむべきであるとされるのであろうか、」と。

○合 応当の意。・・・・・・するのがふさわしい。ねうちがある。「合【まさ】に……すべし」と訓む。

幻日環01 

《論佛骨表》(10)元和十四年韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <893>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3449韓愈詩-227-10

《論佛骨表》(10) 長安の士人、庶民のために、あやしい見せ物や、たわむれもてあそびのための道具を設けなさっただけである。このような聖徳明智のお方でありながら、どうしてこれらのあやしい事を信じることを承知なさることがあろうか。
 

2013年12月16日  の紀頌之5つのブログ
●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場
Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
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班孟堅(班固)《西都賦》(26)#10-1(朝廷の百官) 文選 賦<112―26>18分割55回 Ⅱ李白に影響を与えた詩980 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3448
●唐を代表する中唐の韓愈の儒家としての考えのよくわかる代表作の一つ
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《論佛骨表》(10)元和十四年韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <893>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3449韓愈詩-227-10
●杜甫の全作品1141首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"
Ⅲ杜甫詩1000詩集  LiveDoorブログ 721 《舟前小鵝兒〔自注:漢州城西北角官池作,官池即房公湖。〕》 蜀中転々 杜甫 <628>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3450 杜甫詩1000-628-884/1500
●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている
Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集 Fc2ブログ 225  《贈鄭夫子魴》 孟郊(孟東野)  唐宋詩kanbuniinkai 紀 頌之の詩詞 fc2ブログ 3451 (12/16)
●●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩
Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoor 9 5 浣溪紗八首 其三 (薛昭蘊)薛侍郎昭蘊ⅩⅫ唐五代詞・「花間集」 Gs-381-9-#5  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3452
 
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『楚辞・九歌』東君 屈原詩<78-#1>505 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1332http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67664757.html
『楚辞』九辯 第九段―まとめ 宋玉  <00-#35> 664 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2304  http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-rihakujoseishi/archives/6471825.html
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朔風 (一章) 曹植 魏詩<25-#1>文選雑詩 上 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67780868.html
謝靈運詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/1901_shareiun000.html 謝靈運詩六朝期の山水詩人。この人の詩は上品ですがすがしい男性的な深みのある詩である。後世に多大な影響を残している。
謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。
登永嘉緑嶂山詩 #1 謝霊運 <20> 詩集 386ーhttp://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67474554.html
登池上樓 #1 謝霊運<25>#1  ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67502196.html
孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。
李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html 
李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首
魚玄機 詩 全首130回賦得江邊柳 魚玄機  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-65-1-#五言律詩  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1876
薛濤 詩詞全首100 井梧吟 薛濤 唐五代詞・宋詩 薛濤-136-8-#1  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2227
主に花間集から
温庭筠 70首『菩薩蠻 一』温庭筠  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-1-1-#1 花間集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1620
韋荘 50首 菩薩蠻 一 韋荘  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩花間集Gs-247-5-#1  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2617
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牛嶠  20首 女冠子四首 其一 牛嶠  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-312-5-#66  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3107
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(9)#7-1

今聞陛下令群僧迎佛骨於鳳翔,

今聞くところでは、陛下は多数の僧をして仏骨を鳳翔に抑えさせられた。

禦樓以觀,舁入大

陛下は楼上にお出ましになってこしれを御覧になり、それを大内裡にかつぎ入れられた。

又令諸寺遞迎供養。

また諸寺をして次々と迎えて供養させなさるとのことであった。

臣雖至愚,必知陛下不惑於佛、

私は至って愚かではあるけれども、きっと陛下は仏に惑ってこのようにあがめお仕えなされたのだ。

作此崇奉,以祈福祥也。

それでもって福や目出度いことを祈りをされるというのではないことはわかっている。

(10)72

直以年豐人樂,徇人之心,

ただ、年のみのりが豊かで人民が楽しんでいるので、人々の心に従って、

為京都士庶設詭異之觀,戲玩之具耳。

長安の士人、庶民のために、あやしい見せ物や、たわむれもてあそびのための道具を設けなさっただけである。

安有聖明若此,而肯信此等事哉!

このような聖徳明智のお方でありながら、どうしてこれらのあやしい事を信じることを承知なさることがあろうか。

函谷関長安地図座標005 

 

『論佛骨表』 現代語訳と訳註

(本文) (10)72

直以年豐人樂,徇人之心,

為京都士庶設詭異之觀,戲玩之具耳。

安有聖明若此,而肯信此等事哉!

 

(下し文) (10)72

直だ 年豐かに人樂しむを以て,人の心に徇【したが】い,

京都 士庶【ししょ】の為に、詭異の觀,戲玩【ぎかん】の具を設けるのみ。

安んぞ聖明此の若く,而肯えて此等の事を信ずること有らん哉!

 

(現代語訳)

ただ、年のみのりが豊かで人民が楽しんでいるので、人々の心に従って、

長安の士人、庶民のために、あやしい見せ物や、たわむれもてあそびのための道具を設けなさっただけである。

このような聖徳明智のお方でありながら、どうしてこれらのあやしい事を信じることを承知なさることがあろうか。

云亭 

 

(訳注) (10)72

直以年豐人樂,徇人之心,

ただ、年のみのりが豊かで人民が楽しんでいるので、人々の心に従って、

狗 したがう。

 

為京都士庶設詭異之觀,戲玩之具耳。

長安の士人、庶民のために、あやしい見せ物や、たわむれもてあそびのための道具を設けなさっただけである。

詭異之観 あやしくめずらしい見もの。詭はまたあざむく。人の目をごまかすあやしい見せ物。

戯玩之具 たわむれもてあそびのための道具。

 

安有聖明若此,而肯信此等事哉!

このような聖徳明智のお方でありながら、どうしてこれらのあやしい事を信じることを承知なさることがあろうか。

《論佛骨表》(8)元和十四年韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <891>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3439韓愈詩-227-8

《論佛骨表》(8) 御即位のはじめに、すぐさま人を俗世から離れさせて僧尼や道士とすることを許さないことである。私は常に思っていた、高祖の仏教を険こうとの御志が陛下の手で行われるであろう、と。

2013年12月14日  の紀頌之5つのブログ
●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場
Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
LiveDoorブログ
班孟堅(班固)《西都賦》(24)#9―3 文選 賦<112―24>18分割55回 Ⅱ李白に影響を与えた詩978 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3438
●唐を代表する中唐の韓愈の儒家としての考えのよくわかる代表作の一つ
Ⅱ中唐詩・晩唐詩
 
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●杜甫の全作品1141首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"
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●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている
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●●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩
Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoor 浣溪紗八首 其一 (薛昭蘊)薛侍郎昭蘊  ⅩⅫ唐五代詞・「花間集」 Gs-379-9-#3  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3442
 
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謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。
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孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。
李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html 
李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
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《論佛骨表》(8)元和十四年韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <891>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3439韓愈詩-227-8

 

 

(5)#4-1

漢明帝時,始有佛法,

後漢の明帝の時、はじめて仏法が存在したが、

明帝在位,才十八年耳。

明帝は帝位に在ることわずかに十八年だけであった。

其後亂亡相繼,運祚不長。

そして、その後、国は乱れたり、亡んだりすることが相継いだのであり、国運も帝位も長くなかったのである。

宋、齊、梁、陳、元魏以下,

南朝の宋・斉・梁・陳や北朝の元魏より以下、

事佛漸謹,年代尤促。

仏教のおしえに仕えることが段々と謹みて敬われるようになったが、王朝の年代は最も短いものでしかなかったのである。

 (6)#4-2

惟梁武帝在位四十八年,

ただ梁の武帝は在位四十八年で、

前後三度舍身施佛,宗廟之祭,

その間前後あわせて三度も身を捨て仏に献げて、僧侶となり、祖先のみたまやの祭りにも犠牲の肉を用いず、

不用牲牢,晝日一食,止於菜果。

昼の間は一食、それもただ野菜や果物だけであった。

其後竟為侯景所逼,餓死台城,

その後とうとう侯景のために迫られて、台城の中で餓死し、国もまたついで滅んでしまった。

國亦尋滅。事佛求福,乃更得禍。

仏につかえて福を求めたはずなのに、すなわち、さらに一層の禍を得たのであった。

由此觀之,佛不足事,亦可知矣。

これをもって観れば、仏は仕えるだけのねうちがないこともまたよくわかるのである

 (7)#5

高祖始受隋禪,則議除之。

唐の高祖皇帝がはじめて隋からの禅譲を受けて天子の位に即かれたときには、この仏教を除き去ろうと諮儀相談された。

當時群臣材識不遠,不能深知先王之道、

当時の群臣は才力も見識も遠くを見抜くことができず、深く儒家の先王の道ともとめた。

古今之宜,推闡聖明,

古今に通ずる宜しい処置を知って、聖徳明智の高祖の御心を推し広め明らかにした。

以救斯弊,其事遂止。

この仏教の弊害を救うことができなかったため、その事は遂に取り止めになった。

臣常恨焉。

私は平素これを残念に思っていた。

 (8)#6

伏惟睿聖文武皇帝陛下,神聖英武,

伏して謹み思うに、睿聖文武皇帝陛下は、神のごとくひいでて武勇におわしますのである。

數千百年已來,未有倫比。

それは幾千年幾百年以来より、まだそのたぐいの無いおかたであるのだ。

即位之初,即不許度人為僧尼、道士,

御即位のはじめに、すぐさま人を俗世から離れさせて僧尼や道士とすることを許さないことである。

又不許創立寺觀。

以為高祖之誌,必行於陛下之手,

私は常に思っていた、高祖の仏教を険こうとの御志が陛下の手で行われるであろう、と。

今縱未能即行,豈可恣之轉令盛也!

今たとい、まだ、すぐさま行うことはできなくとも、どうしてその仏教を勝手にふるまわせ、ますます盛んにならせてよいであろうか、と。

美女画55101道観 

 

『論佛骨表』 現代語訳と訳註

(本文) (8)#6

伏惟睿聖文武皇帝陛下,神聖英武,

數千百年已來,未有倫比。

即位之初,即不許度人為僧尼、

道士,又不許創立寺觀。

以為高祖之誌,必行於陛下之手,

今縱未能即行,豈可恣之轉令盛也!

 

(下し文) (8)#6

伏して惟【おもんみ】るに睿聖【えいせい】文武【もんぶ】皇帝陛下,神聖【しんせい】英武【えいぶ】,

數千百年 已來【いらい】,未だ倫比【りんぴ】有らず。

即位の初めに,即ち人を度して僧尼【そうに】、

道士【どうし】と為すを許さず。

又た寺觀を創立するを許さず。

臣 【つね】に以為【おもえ】らく高祖の誌【こころざし】,必ず陛下の手に行われんと。

今 縱【たと】い未だ即ち行う能わずとも,豈に之を恣【ほしいまま】にし轉【うた】た盛んならしむ可けんや!

 

(現代語訳)

伏して謹み思うに、睿聖文武皇帝陛下は、神のごとくひいでて武勇におわしますのである。

それは幾千年幾百年以来より、まだそのたぐいの無いおかたであるのだ。

御即位のはじめに、すぐさま人を俗世から離れさせて僧尼や道士とすることを許さないことである。

また仏寺や道観を新たに立てることを許されなかったのである。

私は常に思っていた、高祖の仏教を険こうとの御志が陛下の手で行われるであろう、と。

今たとい、まだ、すぐさま行うことはできなくとも、どうしてその仏教を勝手にふるまわせ、ますます盛んにならせてよいであろうか、と。

 

(訳注) (8)#6

伏惟睿聖文武皇帝陛下,神聖英武。

伏して謹み思うに、睿聖文武皇帝陛下は、神のごとくひいでて武勇におわしますのである。

睿聖文武皇帝 憲宗の尊号。臣下が随意に用いた敬称ではない。

神聖 神のようにすぐれた。二字で神の意味。

英武 すぐれて、たけく勇ましい。

 

數千百年已來,未有倫比。

それは幾千年幾百年以来より、まだそのたぐいの無いおかたであるのだ。

数千百年 幾千年幾百年。

倫比 たぐい、同類。

 

即位之初,即不許度人為僧尼、道士,

御即位のはじめに、すぐさま人を俗世から離れさせて僧尼や道士とすることを許さないことである。

度人 俗人から離脱させる¢済度する。

道士 道教の修行考

 

又不許創立寺觀。

また仏寺や道観を新たに立てることを許されなかったのである。

寺観 寺院、仏教では寺といい、道教では観という。僧尼道士の居住する所。

 

以為高祖之誌,必行於陛下之手,

私は常に思っていた、高祖の仏教を険こうとの御志が陛下の手で行われるであろう、と。

 

今縱未能即行,豈可恣之轉令盛也!

今たとい、まだ、すぐさま行うことはできなくとも、どうしてその仏教を勝手にふるまわせ、ますます盛んにならせてよいであろうか、と。

恣 勝手にする。

転 いよいよ。ますます。それからそれへと転ずる義。
漢文委員会紀頌之タイトル002 

《論佛骨表》(7)元和十四年韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <890>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3434韓愈詩-227-7

《論佛骨表》(7) 古今に通ずる宜しい処置を知って、聖徳明智の高祖の御心を推し広め明らかにした。この仏教の弊害を救うことができなかったため、その事は遂に取り止めになった。


2013年12月13日  の紀頌之5つのブログ
●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場
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孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。
李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html 
李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首
魚玄機 詩 全首130回賦得江邊柳 魚玄機  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-65-1-#五言律詩  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1876
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牛嶠  20首 女冠子四首 其一 牛嶠  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-312-5-#66  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3107
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(5)#4-1

漢明帝時,始有佛法,

後漢の明帝の時、はじめて仏法が存在したが、

明帝在位,才十八年耳。

明帝は帝位に在ることわずかに十八年だけであった。

其後亂亡相繼,運祚不長。

そして、その後、国は乱れたり、亡んだりすることが相継いだのであり、国運も帝位も長くなかったのである。

宋、齊、梁、陳、元魏以下,

南朝の宋・斉・梁・陳や北朝の元魏より以下、

事佛漸謹,年代尤促。

仏教のおしえに仕えることが段々と謹みて敬われるようになったが、王朝の年代は最も短いものでしかなかったのである。

 (6)#4-2

惟梁武帝在位四十八年,

ただ梁の武帝は在位四十八年で、

前後三度舍身施佛,宗廟之祭,

その間前後あわせて三度も身を捨て仏に献げて、僧侶となり、祖先のみたまやの祭りにも犠牲の肉を用いず、

不用牲牢,晝日一食,止於菜果。

昼の間は一食、それもただ野菜や果物だけであった。

其後竟為侯景所逼,餓死台城,

その後とうとう侯景のために迫られて、台城の中で餓死し、国もまたついで滅んでしまった。

國亦尋滅。事佛求福,乃更得禍。

仏につかえて福を求めたはずなのに、すなわち、さらに一層の禍を得たのであった。

由此觀之,佛不足事,亦可知矣。

これをもって観れば、仏は仕えるだけのねうちがないこともまたよくわかるのである

 (7)#5

高祖始受隋禪,則議除之。

唐の高祖皇帝がはじめて隋からの禅譲を受けて天子の位に即かれたときには、この仏教を除き去ろうと諮儀相談された。

當時群臣材識不遠,不能深知先王之道、

当時の群臣は才力も見識も遠くを見抜くことができず、深く儒家の先王の道ともとめた。

古今之宜,推闡聖明,

古今に通ずる宜しい処置を知って、聖徳明智の高祖の御心を推し広め明らかにした。

以救斯弊,其事遂止。

この仏教の弊害を救うことができなかったため、その事は遂に取り止めになった。

臣常恨焉。

私は平素これを残念に思っていた。

 (8)#6

伏惟睿聖文武皇帝陛下,神聖英武,

數千百年已來,未有倫比。

即位之初,即不許度人為僧尼、

道士,又不許創立寺觀。

以為高祖之誌,必行於陛下之手,

今縱未能即行,豈可恣之轉令盛也!

 

 

『論佛骨表』 現代語訳と訳註

(本文) (7)#5

高祖始受隋禪,則議除之。

當時群臣材識不遠,不能深知先王之道、

古今之宜,推闡聖明,

以救斯弊,其事遂止。

臣常恨焉。

 

(下し文) (7)#5

高祖 始めて隋の禪を受け,則ち之を除かんと議す。

當時 群臣【ぐんしん】材識【ざいしき】遠からず,深く先王の道を知るを能わず、

古今の宜,聖明を推闡【すいせん】し,

以って斯の弊を救い,其の事遂に止む。

臣常に恨む。

 

(現代語訳)

唐の高祖皇帝がはじめて隋からの禅譲を受けて天子の位に即かれたときには、この仏教を除き去ろうと諮儀相談された。

当時の群臣は才力も見識も遠くを見抜くことができず、深く儒家の先王の道ともとめた。

古今に通ずる宜しい処置を知って、聖徳明智の高祖の御心を推し広め明らかにした。

この仏教の弊害を救うことができなかったため、その事は遂に取り止めになった。

私は平素これを残念に思っていた。

云亭 

(訳注) (7)#5

高祖始受隋禪,則議除之。

唐の高祖皇帝がはじめて隋からの禅譲を受けて天子の位に即かれたときには、この仏教を除き去ろうと諮儀相談された。

高祖 李淵、618年、5月帝を称した。

 

當時群臣材識不遠,不能深知先王之道、

当時の群臣は才力も見識も遠くを見抜くことができず、深く儒家の先王の道ともとめた。

材識 才能見識。

不遠 遠くを見通すことがなかった。短見。

 

古今之宜,推闡聖明,

古今に通ずる宜しい処置を知って、聖徳明智の高祖の御心を推し広め明らかにした。

古今之宜 古今を通ずる宜しい処置。宜は義に通ずる。正しくよい行い。

推闡 推しひろめあきらかにする。

 

以救斯弊,其事遂止。

この仏教の弊害を救うことができなかったため、その事は遂に取り止めになった。

 

臣常恨焉。

私は平素これを残念に思っていた。
甘粛省-嘉峪関 

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《論佛骨表》(6) ただ梁の武帝は在位四十八年で、その間前後あわせて三度も身を捨て仏に献げて、僧侶となり、祖先のみたまやの祭りにも犠牲の肉を用いず、昼の間は一食、それもただ野菜や果物だけであった。その後とうとう侯景のために迫られて、台城の中で餓死し、国もまたついで滅んでしまった。

2013年12月12日  の紀頌之5つのブログ
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Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
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●●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩
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謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。
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孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。
李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html 
李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首
魚玄機 詩 全首130回賦得江邊柳 魚玄機  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-65-1-#五言律詩  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1876
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温庭筠 70首『菩薩蠻 一』温庭筠  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-1-1-#1 花間集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1620
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『花間集』継続中 
杜甫全詩 韓愈全詩 花間集 古詩源 玉台新詠

 

《論佛骨表》(6)元和十四年韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <889>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3429韓愈詩-227-6ー#4-2

 

 

#3

其後,殷湯亦年百

その後殷の湯もまた年百歳、

湯孫太戊在位七十五年,

湯王の孫大成は在位七十五年、

武丁在位五十九年,書史不言其年壽所極,

武丁は在位五十九年、文書歴史等にその年寿の終わった歳を言っていないけれども、

推其年數,蓋亦俱不減百

その年数を推しはかれば、たぶんまたともに首歳よりは減らないであろう。

周文王年九十七

周の文王は年九十七歳、

武王年九十三,穆王在位百年。

武王は年九十三歳、穆壬は在位百年であった。

此時佛法亦未入中國,非因事佛而致然也。

この時には仏教は前と同じくまだ中国に入っていなかった。仏に仕えるおかげでそのように長寿を招いたのではない。

 

(5)#4-1

漢明帝時,始有佛法,

後漢の明帝の時、はじめて仏法が存在したが、

明帝在位,才十八年耳。

明帝は帝位に在ることわずかに十八年だけであった。

其後亂亡相繼,運祚不長。

そして、その後、国は乱れたり、亡んだりすることが相継いだのであり、国運も帝位も長くなかったのである。

宋、齊、梁、陳、元魏以下,

南朝の宋・斉・梁・陳や北朝の元魏より以下、

事佛漸謹,年代尤促。

仏教のおしえに仕えることが段々と謹みて敬われるようになったが、王朝の年代は最も短いものでしかなかったのである。

 (6)#4-2

惟梁武帝在位四十八年,

ただ梁の武帝は在位四十八年で、

前後三度舍身施佛,宗廟之祭,不用牲牢,

その間前後あわせて三度も身を捨て仏に献げて、僧侶となり、祖先のみたまやの祭りにも犠牲の肉を用いず、

晝日一食,止於菜果。

昼の間は一食、それもただ野菜や果物だけであった。

其後竟為侯景所逼,餓死台城,

その後とうとう侯景のために迫られて、台城の中で餓死し、国もまたついで滅んでしまった。

國亦尋滅。事佛求福,乃更得禍。

仏につかえて福を求めたはずなのに、すなわち、さらに一層の禍を得たのであった。

由此觀之,佛不足事,亦可知矣。

これをもって観れば、仏は仕えるだけのねうちがないこともまたよくわかるのである

函谷関長安地図座標005 

 

『論佛骨表』 現代語訳と訳註

(本文)

惟梁武帝在位四十八年,

前後三度舍身施佛,宗廟之祭,

不用牲牢,晝日一食,止於菜果。

其後竟為侯景所逼,

餓死台城,國亦尋滅。

事佛求福,乃更得禍。

由此觀之,佛不足事,亦可知矣。

 

(下し文)

惟だ梁の武帝の在位は四十八年,

前後 三度身を舍て佛に施し,宗廟の祭に,

牲牢【せいろう】を用いず,晝日【ちゅうじつ】一食,於菜果【さいか】に止【とど】まる。

其の後 竟【つい】に侯景【こうけい】の逼【せま】る所と為る。

台城して餓死して,國も亦た尋【つ】いで滅【ほろ】ぶ。

佛に事【つか】えて福を求め,乃ち更に禍を得たり。

此れにって之を觀れば,佛の事【つか】うるに足らざることも,亦た知る可きなり。

 

 

(現代語訳)

ただ梁の武帝は在位四十八年で、

その間前後あわせて三度も身を捨て仏に献げて、僧侶となり、祖先のみたまやの祭りにも犠牲の肉を用いず、

昼の間は一食、それもただ野菜や果物だけであった。

その後とうとう侯景のために迫られて、台城の中で餓死し、国もまたついで滅んでしまった。

仏につかえて福を求めたはずなのに、すなわち、さらに一層の禍を得たのであった。

これをもって観れば、仏は仕えるだけのねうちがないこともまたよくわかるのである

 

 

(訳注)

惟梁武帝在位四十八年,

ただ梁の武帝は在位四十八年で、

 

前後三度舍身施佛,宗廟之祭,不用牲牢,

その間前後あわせて三度も身を捨て仏に献げて、僧侶となり、祖先のみたまやの祭りにも犠牲の肉を用いず、

捨身 梁の武帝は、同番寺にあること三度、袈裟(紺)を着て自ら放光般若(㌍)経を講じ、天下に詔して、寺を建てさせ、僧となることを奨励したので、人は仏心天子と呼んだ。

牲牢 牛羊家などの犠牲の肉。牢は供物の肉。

 

晝日一食,止於菜果。

昼の間は一食、それもただ野菜や果物だけであった。

 

其後竟為侯景所逼,餓死台城,國亦尋滅。

その後とうとう侯景のために迫られて、台城の中で餓死し、国もまたついで滅んでしまった。

侯景 (503-552)字は万景、中国北境の人。弓の達人。南北朝末期の武将。侯周の孫、侯標の子[1]。侯景の叛乱(中国語版)の首謀者。北魂の時、定州の刺史、高歓が魏の相となり、朱栄を討った時、降って司馬行台となり、548年十万の兵をひきいて河南を制した、後に梁に降り、阿南王に封ぜられたが、

翌年、かえって叛いて金陵(建康)を囲み、台城を陥れ、武帝にせまられて餓死した。簡文帝を立てたが、またこれを殺して自ら立ち、漢帝と称した。しかし太始2年(552年)3月、江陵(湖北省)で梁帝に即位していた蕭繹が派遣した王僧弁及び陳霸先の義兵によって都を追われ、その途上で殺害された。

台城 台とは台閣、禁中の省庁を台省といったことから、晋宋梁陳のころは宮城のことを台城と称した。

 

事佛求福,乃更得禍。

仏につかえて福を求めたはずなのに、すなわち、さらに一層の禍を得たのであった。

 

由此觀之,佛不足事,亦可知矣。

これをもって観れば、仏は仕えるだけのねうちがないこともまたよくわかるのである
甘粛省-嘉峪関 

《論佛骨表》(5)元和十四年韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <888>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3424韓愈詩-227-5

《論佛骨表》(5) 後漢の明帝の時、はじめて仏法が存在したが、明帝は帝位に在ることわずかに十八年だけであった。そして、その後、国は乱れたり、亡んだりすることが相継いだのであり、国運も帝位も長くなかったのである。

2013年12月11日  の紀頌之5つのブログ
●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場
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●唐を代表する中唐の韓愈の儒家としての考えのよくわかる代表作の一つ
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『楚辞』九辯 第九段―まとめ 宋玉  <00-#35> 664 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2304  http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-rihakujoseishi/archives/6471825.html
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朔風 (一章) 曹植 魏詩<25-#1>文選雑詩 上 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67780868.html
謝靈運詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/1901_shareiun000.html 謝靈運詩六朝期の山水詩人。この人の詩は上品ですがすがしい男性的な深みのある詩である。後世に多大な影響を残している。
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孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。
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女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首
魚玄機 詩 全首130回賦得江邊柳 魚玄機  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-65-1-#五言律詩  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1876
薛濤 詩詞全首100 井梧吟 薛濤 唐五代詞・宋詩 薛濤-136-8-#1  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2227
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温庭筠 70首『菩薩蠻 一』温庭筠  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-1-1-#1 花間集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1620
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皇甫松 10首 採蓮子二首  其一 皇甫松  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-307-5-#61  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3082
牛嶠  20首 女冠子四首 其一 牛嶠  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-312-5-#66  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3107
『花間集』継続中 
杜甫全詩 韓愈全詩 花間集 古詩源 玉台新詠

 

《論佛骨表》(5)元和十四年韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <888>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3424韓愈詩-227-5

 

 

#3

其後,殷湯亦年百

その後殷の湯もまた年百歳、

湯孫太戊在位七十五年,

湯王の孫大成は在位七十五年、

武丁在位五十九年,書史不言其年壽所極,

武丁は在位五十九年、文書歴史等にその年寿の終わった歳を言っていないけれども、

推其年數,蓋亦俱不減百

その年数を推しはかれば、たぶんまたともに首歳よりは減らないであろう。

周文王年九十七

周の文王は年九十七歳、

武王年九十三,穆王在位百年。

武王は年九十三歳、穆壬は在位百年であった。

此時佛法亦未入中國,非因事佛而致然也。

この時には仏教は前と同じくまだ中国に入っていなかった。仏に仕えるおかげでそのように長寿を招いたのではない。

 

(5)#4-1

漢明帝時,始有佛法,

後漢の明帝の時、はじめて仏法が存在したが、

明帝在位,才十八年耳。

明帝は帝位に在ることわずかに十八年だけであった。

其後亂亡相繼,運祚不長。

そして、その後、国は乱れたり、亡んだりすることが相継いだのであり、国運も帝位も長くなかったのである。

宋、齊、梁、陳、元魏以下,

南朝の宋・斉・梁・陳や北朝の元魏より以下、

事佛漸謹,年代尤促。

仏教のおしえに仕えることが段々と謹みて敬われるようになったが、王朝の年代は最も短いものでしかなかったのである。

 (6)#4-2

惟梁武帝在位四十八年,

前後三度舍身施佛,宗廟之祭,

不用牲牢,晝日一食,止於菜果。

其後竟為侯景所逼,餓死台城,

國亦尋滅。事佛求福,乃更得禍。

由此觀之,佛不足事,亦可知矣。

函谷関長安地図座標005 

 

『論佛骨表』 現代語訳と訳註

(本文) (5)#4-1

漢明帝時,始有佛法,

明帝在位,才十八年耳。

其後亂亡相繼,運祚不長。

宋、齊、梁、陳、元魏以下,

事佛漸謹,年代尤促。

 

(下し文) (5)#4-1

漢の明帝の時,始めて佛法有り。

明帝の在位は,才【わずか】に十八年のみ。

其の後、亂、亡、相い繼ぎ,運祚【うんそ】長からず。

宋、齊、梁、陳、元魏【げんぎ】以下,

佛に事【つか】うること漸【ようや】く謹むも,年代尤【もっと】も促【せま】る。

 

(現代語訳)

後漢の明帝の時、はじめて仏法が存在したが、

明帝は帝位に在ることわずかに十八年だけであった。

そして、その後、国は乱れたり、亡んだりすることが相継いだのであり、国運も帝位も長くなかったのである。

南朝の宋・斉・梁・陳や北朝の元魏より以下、

仏教のおしえに仕えることが段々と謹みて敬われるようになったが、王朝の年代は最も短いものでしかなかったのである。

 

(訳注) (5)#4-1

漢明帝時,始有佛法,

後漢の明帝の時、はじめて仏法が存在したが、

 後漢のこと。明帝のことは題意参照。

 

明帝在位,才十八年耳。

明帝は帝位に在ることわずかに十八年だけであった。

 

其後亂亡相繼,運祚不長。

そして、その後、国は乱れたり、亡んだりすることが相継いだのであり、国運も帝位も長くなかったのである。

運祚 運は国運、祚は王所、王のさいわい。王位のこと。

 

宋、齊、梁、陳、元魏以下,

南朝の宋・斉・梁・陳や北朝の元魏より以下、

宋斉梁陳 南北朝の南朝の門報じ仏教は盛んであった。南北朝期は、儒教に飽き、嫌われたのである。道教と仏教が好まれた。

元魏 北魏、北朝では北魏の時に仏教が盛んであった。北魂の孝文帝は拓跋姓を改めて元と称したので元魏という。北魏(ほくぎ、拼音:Bĕiwèi386 - 534年)は、中国の南北朝時代に鮮卑族の拓跋氏によって建てられた国。前秦崩壊後に独立し、華北を統一して五胡十六国時代を終焉させた。

国号は魏であるが、戦国時代の魏や三国時代の魏などと区別するため、通常はこの拓跋氏の魏を北魏と呼んでいる。また三国時代の魏は曹氏が建てたことからこれを曹魏と呼ぶのに対して、拓跋氏の魏はその漢風姓である元氏からとって元魏(げんぎ)と呼ぶこともある(広義には東魏と西魏もこれに含まれる)。さらに国号の由来から、曹魏のことを前魏、元魏のことを後魏(こうぎ)と呼ぶこともある。

 

事佛漸謹,年代尤促。

仏教のおしえに仕えることが段々と謹みて敬われるようになったが、王朝の年代は最も短いものでしかなかったのである。

漸謹 だんだん手厚く敬う。

尤促 最も短い。促はせまる。間隔かせまくなる。近い。
云亭 

《論佛骨表》(4)元和十四年韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <887>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3419韓愈詩-227-4

《論佛骨表》(4) その後殷の湯もまた年百歳、湯王の孫大成は在位七十五年、武丁は在位五十九年、文書歴史等にその年寿の終わった歳を言っていないけれども、その年数を推しはかれば、たぶんまたともに首歳よりは減らないであろう。

2013年12月10日  の紀頌之5つのブログ
●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場
Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
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班孟堅(班固) 《西都賦》(20)#8(數々の宮殿)-1 文選 賦<112―20>18分割55回 Ⅱ李白に影響を与えた詩974 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3418
●唐を代表する中唐の韓愈の儒家としての考えのよくわかる代表作の一つ
Ⅱ中唐詩・晩唐詩
 
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《論佛骨表》(4)元和十四年韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <887>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3419韓愈詩-227-4
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Ⅲ杜甫詩1000詩集  LiveDoorブログ 715 《王閬州筵奉酬十一舅惜別之作》 蜀中転々 杜甫 <622>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3420 杜甫詩1000-622-878/1500五言律詩
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●●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩
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謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。
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李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html 
李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首
魚玄機 詩 全首130回賦得江邊柳 魚玄機  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-65-1-#五言律詩  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1876
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《論佛骨表》(4)元和十四年韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <887>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3419韓愈詩-227-4

 

 

#3

其後,殷湯亦年百

その後殷の湯もまた年百歳、

湯孫太戊在位七十五年,

湯王の孫大成は在位七十五年、

武丁在位五十九年,書史不言其年壽所極,

武丁は在位五十九年、文書歴史等にその年寿の終わった歳を言っていないけれども、

推其年數,蓋亦俱不減百

その年数を推しはかれば、たぶんまたともに首歳よりは減らないであろう。

周文王年九十七

周の文王は年九十七歳、

武王年九十三,穆王在位百年。

武王は年九十三歳、穆壬は在位百年であった。

此時佛法亦未入中國,非因事佛而致然也。

この時には仏教は前と同じくまだ中国に入っていなかった。仏に仕えるおかげでそのように長寿を招いたのではない。

其の後、殷湯も亦た年 百歳、

湯の孫、太戊は位に在ること七十五年、

武丁は在位、五十九年、

書史其の年壽【ねんじゅ】の極まる所を言はざれども、其の年数を推すに、蓋し亦た供に百歳に減ぜず。

周の文王は年が九十七歳、武王は年が九十三歳、穆王は在位、百年なりき。

此の時、佛法亦た未だ中国に入らず。佛に事【つか】うるに因って然るを致すに非ざるなり。 

幻日環01 

『論佛骨表』 現代語訳と訳註

(本文) #3

其後,殷湯亦年百

湯孫太戊在位七十五年,

武丁在位五十九年,書史不言其年壽所極,

推其年數,蓋亦俱不減百

周文王年九十七

武王年九十三,穆王在位百年。

此時佛法亦未入中國,非因事佛而致然也。

 

(下し文)

其の後、殷湯も亦た年 百歳、

湯の孫、太戊は位に在ること七十五年、

武丁は在位、五十九年、

書史其の年壽【ねんじゅ】の極まる所を言はざれども、其の年数を推すに、蓋し亦た供に百歳に減ぜず。

周の文王は年が九十七歳、武王は年が九十三歳、穆王は在位、百年なりき。

此の時、佛法亦た未だ中国に入らず。佛に事【つか】うるに因って然るを致すに非ざるなり。

 

 (現代語訳)

その後殷の湯もまた年百歳、

湯王の孫大成は在位七十五年、

武丁は在位五十九年、文書歴史等にその年寿の終わった歳を言っていないけれども、

その年数を推しはかれば、たぶんまたともに首歳よりは減らないであろう。

周の文王は年九十七歳、

武王は年九十三歳、穆壬は在位百年であった。

この時には仏教は前と同じくまだ中国に入っていなかった。仏に仕えるおかげでそのように長寿を招いたのではない。

 

(訳注) #3

其後,殷湯亦年百

その後殷の湯もまた年百歳、

○殷湯 中国古代殷王朝の創設者。殷の始祖契(せつ)より14世目。武湯,武王,天乙,成湯ともいわれ,卜辞では唐(湯と同音),成,大乙と書く。亳(はく)(河南省偃師県)に都をおき,伊尹(いいん)などの賢臣を用い,異民族をも心服させ,その徳は禽獣にもおよんだという。夏の属国の韋(河南省滑県南東),昆吾(河南省許昌県東)などを滅ぼして疆域を拡大した。夏王の桀は暴政を行い,人心が離反したので,これを攻めて滅ぼし,殷王朝を創設した。

 

湯孫太戊在位七十五年,

湯王の孫大成は在位七十五年、

○太戊 殷の第9代の帝。帝太庚の子。帝雍己の弟。なお卜辞では帝雍己の前に即位したとされる。

中宗は、賢人伊陟を相とし、殷を復興させた。参朝しなかった諸侯もこのときには、参朝するようになったという。

 

武丁在位五十九年,書史不言其年壽所極,

武丁は在位五十九年、文書歴史等にその年寿の終わった歳を言っていないけれども、

○武丁 武丁(ぶてい)は殷朝の第22代帝。太子時代には賢人の甘盤について学問を修めた。 武丁は、衰えた殷を復興させようと考えていたが、補佐する者がいなかったので、即位してから3年間は自ら政治に口を出さなかった。ある夜に説(えつ)という名の聖人を夢に見たが、群臣の中にはこのような人物はいなかった。そこで、方々に人を遣わしてこの人物を探させると、道を作る労役者の中にこの人物がいた。武丁が話してみると、まことに聖人であったために、傅(ふ)という姓を与え、傅説と呼んだ。傅説の補佐で殷はまた復興した。

○書史 文書、歴史など。

○所極 寿命の窮まった歳。

 

 

推其年數,蓋亦俱不減百

その年数を推しはかれば、たぶんまたともに首歳よりは減らないであろう。

 

周文王年九十七

周の文王は年九十七歳、

○周文 (? - 紀元前1152年-紀元前1056年 寿命 97才)は、中国の周朝の始祖。姓は姫、諱は昌。父季歴と母太任の子。周王朝の創始者である武王の父にあたる。文王は商に仕えて、三公(特に重要な三人の諸侯)の地位にあり、父である季歴の死後に周の地を受け継ぎ、岐山のふもとより本拠地を灃河(渭河の支流である。湖南省の澧水とは字が異なる)の西岸の豊邑(正しくは豐邑。後の長安の近く)に移し、仁政を行ってこの地を豊かにしていた。

 

武王年九十三,穆王在位百年。

武王は年九十三歳、穆壬は在位百年であった。

○武王 、周朝の創始者。殷を滅ぼし、周を立てた。文王の次子。同母兄に伯邑考、同母弟に管叔鮮、周公旦、蔡叔度、霍叔処、康叔封らがいる。子は成王、唐叔虞(晋の開祖)、邘叔、応叔、韓叔ら。

穆王(ぼくおう)は周朝の第5代王。 昭王の子であり、昭王が楚への遠征途上で行方不明になったことより仮に王位に即位、その後に昭王の死が判明したので正式に即位した。 彼は中国全土を巡るのに特別な馬(穆王八駿)を走らせていたと言われる。 

 

此時佛法亦未入中國,非因事佛而致然也。

この時には仏教は前と同じくまだ中国に入っていなかった。仏に仕えるおかげでそのように長寿を招いたのではない。

○致然 そのような結果を来す。致は招く、至らす。
sas0009 

《論佛骨表》(3)元和十四年韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <886>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3414韓愈詩-227-3

《論佛骨表》(3) むかし五帝のはじめの黄帝は在位百年、年は百十歳、少昊は在位八十年、年は百歳、顓頊は在位七十九年、年九十八歳、帝堯は在位九十八年、年百十八歳、帝舜及び夏の萬王は年は皆百歳であった。この時には天下は太平に治まり、帝舜及び夏の禹王は年は皆百歳であった。

2013年12月9日  の紀頌之5つのブログ
●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場
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孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
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皇甫松 10首 採蓮子二首  其一 皇甫松  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-307-5-#61  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3082
牛嶠  20首 女冠子四首 其一 牛嶠  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-312-5-#66  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3107
『花間集』継続中 
杜甫全詩 韓愈全詩 花間集 古詩源 玉台新詠

《論佛骨表》(3)元和十四年韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <886  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3414韓愈詩-227-3

 

 

論佛骨表 (2)#1 

臣某言:伏以佛者,夷狄之一法耳。

家臣である韓愈が申しあげます、拝伏し謹んで思んばかりますのに、仏の教えは異民族の夷秋の一つの教えにすぎず、

自後漢時流入中國。

後漢の時初めて入り、それからから流布していってわが中国にひろがったのであります。
上古未嘗有也。

上古時代にはまだかつて無かったのでありす。

 

臣某言う、伏して以【おも】うに佛者は,夷狄【いてき】の一法のみ。

後漢の時より流れて中國に入る。

上古 未だ嘗て有らざる也。

 

(3)#2

昔者黃帝在位百年,年百一十

むかし五帝のはじめの黄帝は在位百年、年は百十歳、

少昊在位八十年,年百

少昊は在位八十年、年は百歳、

顓頊在位七十九年,年九十八

顓頊は在位七十九年、年九十八歳、

帝嚳在位七十年,年百五

帝嚳は在位七十年、年百五歳。
帝堯在位九十八年,年百一十八

帝堯は在位九十八年、年百十八歳、

帝舜及禹,年皆百。此時天下太平,

帝舜及び夏の萬王は年は皆百歳であった。この時には天下は太平に治まり、

百姓安樂壽考,然而中國未有佛也。

一般人民は安楽に暮らし、長命であった。そうではあるが、中国にまだ仏教はなかったのである。これらの帝王の長寿、天下の太平長寿は仏教とは関係がないのである。

昔は黃帝の在位が百年,年百一十

少昊【しょうこう】在位八十年,年百

顓頊【せんぎょく】在位七十九年,年九十八

帝嚳【ていこく】在位七十年,年百五

帝堯【ていぎょう】在位九十八年,年百一十八

帝舜及び禹,年皆百なり。此の時、天下太平,

百姓、安樂壽考【じゅこう】なりき,然り而して中國に未だ佛 有らざりしなり。

 

漢文委員会紀頌之タイトル002 

論佛骨表』 現代語訳と訳註

(本文) (3)#2

昔者黃帝在位百年,年百一十

少昊在位八十年,年百

顓頊在位七十九年,年九十八

帝嚳在位七十年,年百五

帝堯在位九十八年,年百一十八

帝舜及禹,年皆百。此時天下太平,

百姓安樂壽考,然而中國未有佛也。

 

(下し文) (3)#2

昔は黃帝の在位が百年,年百一十

少昊【しょうこう】在位八十年,年百

顓頊【せんぎょく】在位七十九年,年九十八

帝嚳【ていこく】在位七十年,年百五

帝堯【ていぎょう】在位九十八年,年百一十八

帝舜及び禹,年皆百なり。此の時、天下太平,

百姓、安樂壽考【じゅこう】なりき,然り而して中國に未だ佛 有らざりしなり。

 

(現代語訳)

むかし五帝のはじめの黄帝は在位百年、年は百十歳、

少昊は在位八十年、年は百歳、

顓頊は在位七十九年、年九十八歳、

帝堯は在位九十八年、年百十八歳、

帝舜及び夏の萬王は年は皆百歳であった。この時には天下は太平に治まり、

帝舜及び夏の禹王は年は皆百歳であった。この時には天下は太平に治まり、

一般人民は安楽に暮らし、長命であった。そうではあるが、中国にまだ仏教はなかったのである。これらの帝王の長寿、天下の太平長寿は仏教とは関係がないのである。

 

(訳注) (3)#2

昔者黃帝在位百年,年百一十

むかし五帝のはじめの黄帝は在位百年、年は百十歳、

○黃帝 黄帝(こうてい)は神話伝説上では、三皇の治世を継ぎ、中国を統治した五帝の最初の帝であるとされる。また、三皇のうちに数えられることもある。(紀元前2510年~紀元前2448年)。司馬遷『史記』「五帝本紀」に於いて五帝を一応歴史の範疇内に置いたものであるが、「黄帝伝説は史実とは思っていないが、黄帝伝説のあるところに限って共通の民俗風土があり、いくばくかの史実が紛れ込んでいることは否定できない。よって、これらを記録することに価値を見出すものである。」炎帝・黄帝・少昊・顓頊・嚳・尭・舜・禹、いわゆる三皇五帝である。

 

少昊在位八十年,年百

少昊は在位八十年、年は百歳、

○少昊(しょうこう)は、義和の国と称された東夷族の国の領主にして黄帝の子。中国古代の五帝の一人。

 

顓頊在位七十九年,年九十八

顓頊は在位七十九年、年九十八歳、

○顓頊(せんぎょく)は、史記に記される帝王で、名は高陽。あるいは、高陽に都して高陽氏と称したと言われている。五帝の1人で、黄帝の後を継いで帝位に就いた。在位78年と言われている。

 

帝嚳在位七十年,年百五

帝嚳は在位七十年、年百五歳。

○嚳(こく)は、上古中国神話上の帝王。名は高辛。あるいは、高辛に都して、高辛氏と称したと言われている。五帝のひとりで、顓頊(センギョク)の後を継いで、帝位に就いた。

 

帝堯在位九十八年,年百一十八

帝堯は在位九十八年、年百十八歳、

○堯(尭、ぎょう)は中国神話に登場する君主。姓は伊祁(いき)、名は放勲(ほうくん)。陶、次いで唐に封建されたので陶唐氏ともいう。儒家により神聖視され、聖人と崇められた。

 

帝舜及禹,年皆百。此時天下太平,

帝舜及び夏の禹王は年は皆百歳であった。この時には天下は太平に治まり、

○舜(しゅん)は中国神話に登場する君主。五帝の一人。姓は姚(よう)、名は重華(ちょうか)、虞氏(ぐし)と称した。儒家により神聖視され、堯(ぎょう)と並んで堯舜と呼ばれて聖人と崇められた。また、二十四孝として数えられている。

○禹 帝顓頊の孫にあたる。また、帝顓頊は同じく五帝の一人の黄帝の孫であるので、禹は黄帝の玄孫にあたる。塗山氏の女を娶り、啓という皇子をなした。禹は人徳を持ち、人々に尊敬される人物であった。また、卓越した政治能力を持っていたが、それでいて自らを誇ることはなかったという。

 

百姓安樂壽考,然而中國未有佛也。

一般人民は安楽に暮らし、長命であった。そうではあるが、中国にまだ仏教はなかったのである。これらの帝王の長寿、天下の太平長寿は仏教とは関係がないのである。

○百姓 天子以外の多くの姓の人、一般人民、後世は農民をいう場合もある。

○寿考 命長く年老いるまで生きている。考は老。

甘粛省-嘉峪関 

《論佛骨表》(2)元和十四年韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <885>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3409韓愈詩-227-2

《論佛骨表》(2) 家臣である韓愈が申しあげます、拝伏し謹んで思んばかりますのに、仏の教えは異民族の夷秋の一つの教えにすぎず、後漢の時初めて入り、それからから流布していってわが中国にひろがったのであります。


2013年12月8日  の紀頌之5つのブログ
●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場
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謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。
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孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。
李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html 
李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
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《論佛骨表》(2)元和十四年韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <885  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3409韓愈詩-227-2

 

 

○佛骨を論ずる表

長安のずっと西に鳳翔(安史の乱の際、粛宗が行在所を設置、杜甫が長安で安史軍に軟禁されていたところから脱出して駆けつけたところ)があり、そこの法門寺という寺に釈尊の指の骨と伝えられるものがあって、普段は大切にしまわれているのだが、三十年ごとに開帳があり、誰でも拝むことができる。

その年は天下太平、五穀豊穣だと伝えられていたが、元和十四年(819)がその開帳の年にあたった。正月、憲宗は法門寺へ勅使を送って仏骨を迎えさせ、宮中で三日間供養してから長安の諸寺に回すことを命じ、市民一般に礼拝を許した。人々は争って仏骨を拝み、後生を厭い、喜捨をしすぎて倒産する老さえ出るしまつだった。

 

孔孟の「道」を守る韓愈がこれを苦々しく見ていたことは、いうまでもない。これというのも皇帝が仏教を信仰するので、万民がそれにならうのだ。そう思った韓愈は、「仏骨を論ずる表」という意見書を憲宗皇帝にささげ、仏舎利を捨てて仏教の信仰を停止せよと論じた。

 

 

論佛骨表

論佛骨表【佛骨を論ずる表】

(釈迦の分骨を崇めることについて論じる上奏文)
(2)#1 

臣某言:伏以佛者,夷狄之一法耳。

家臣である韓愈が申しあげます、拝伏し謹んで思んばかりますのに、仏の教えは異民族の夷秋の一つの教えにすぎず、
自後漢時流入中國。

後漢の時初めて入り、それからから流布していってわが中国にひろがったのであります。

上古未嘗有也。

上古時代にはまだかつて無かったのでありす。

 

臣某言う、伏して以【おも】うに佛者は,夷狄【いてき】の一法のみ。

後漢の時より流れて中國に入る。

上古 未だ嘗て有らざる也。

 

 

論佛骨表』 現代語訳と訳註

(本文)

臣某言:伏以佛者,

夷狄之一法耳,

自後漢時流入中國,

上古未嘗有也。

 

(下し文)

臣某言う、伏して以【おも】うに佛者は,夷狄【いてき】の一法のみ。

後漢の時より流れて中國に入る。

上古 未だ嘗て有らざる也。

 

(現代語訳)

論佛骨表【佛骨を論ずる表】

(釈迦の分骨を崇めることについて論じる上奏文)
家臣である韓愈が申しあげます、拝伏し謹んで思んばかりますのに、仏の教えは異民族の夷秋の一つの教えにすぎず、

後漢の時初めて入り、それからから流布していってわが中国にひろがったのであります。

上古時代にはまだかつて無かったのでありす。

 

 

(訳注)

論佛骨表【佛骨を論ずる表】

(釈迦の分骨を崇めることについて論じる上奏文)

臣某言:伏以佛者,夷狄之一法耳,

家臣である韓愈が申しあげます、拝伏し謹んで思んばかりますのに、仏の教えは異民族の夷秋の一つの教えにすぎず、

 韓愈のこと。上表の本文には韓愈の名を記したのであるが、これは草稿であるから「某」と名を略したのである。

伏以 拝伏して思いみるに。以は思う。

 

自後漢時流入中國。

後漢の時初めて入り、それからから流布していってわが中国にひろがったのであります。

自後漢時 後漢の明帝は、夢に金人(金銅の像)を見た。その形は長大で、光明を放っていた。覚めて後これを群臣に問うた。答えるものがいった、西方に神あり、仏と名づける。身長一丈六尺で、金色である、と。帝は使いを天竺(印度)に遣わし、仏法を問わしめた。

 

上古未嘗有也。

上古時代にはまだかつて無かったのでありす。

云亭

2)#1 

臣某言:伏以佛者,夷狄之一法耳,自後漢時流入中國,上古未嘗有也。

 (3)#2

昔者黃帝在位百年,年百一十

少昊在位八十年,年百

顓頊在位七十九年,年九十八

帝嚳在位七十年,年百五

帝堯在位九十八年,年百一十八

帝舜及禹,年皆百。此時天下太平,

百姓安樂壽考,然而中國未有佛也。


#3

其後,殷湯亦年百,湯孫太戊在位七十五年,武丁在位五十九年,書史不言其年壽所極,推其年數,蓋亦俱不減百,周文王年九十七,武王年九十三,穆王在位百年。此時佛法亦未入中國,非因事佛而致然也。

 

#4

漢明帝時,始有佛法,明帝在位,才十八年耳。其後亂亡相繼,運祚不長。宋、齊、梁、陳、元魏以下,事佛漸謹,年代尤促。惟梁武帝在位四十八年,前後三度舍身施佛,宗廟之祭,不用牲牢,晝日一食,止於菜果。其後竟為侯景所逼,餓死台城,國亦尋滅。事佛求福,乃更得禍。由此觀之,佛不足事,亦可知矣。

 

#5

高祖始受隋禪,則議除之。當時群臣材識不遠,不能深知先王之道、古今之宜,推闡聖明,以救斯弊,其事遂止。臣常恨焉。

#6

伏惟睿聖文武皇帝陛下,神聖英武,數千百年已來,未有倫比。即位之初,即不許度人為僧尼、道士,又不許創立寺觀。臣以為高祖之誌,必行於陛下之手,今縱未能即行,豈可恣之轉令盛也!

#7

今聞陛下令群僧迎佛骨於鳳翔,禦樓以觀,舁入大,又令諸寺遞迎供養。臣雖至愚,必知陛下不惑於佛,作此崇奉,以祈福祥也。直以年豐人樂,徇人之心,為京都士庶設詭異之觀,戲玩之具耳。安有聖明若此,而肯信此等事哉!

#8

然百姓愚冥,易惑難曉,苟見陛下如此,將謂真心事佛。皆云:「天子大聖,猶一心敬信;百姓何人,豈合更惜身命!」焚頂燒指,百十為群,解衣散錢,自朝至暮,轉相仿效。惟恐後時,老少奔波,棄其業次。若不即加禁遏,更曆諸寺,必有斷臂臠身,以為供養者。傷風敗俗,傳笑四方,非細事也。

#9

夫佛本夷狄之人,與中國言語不通,衣服殊制,口不言先王之法言,身不服先王之法服,不知君臣之義、父子之情。假如其身至今尚在,奉其國命,來朝京師;陛下容而接之,不過宣政一見,禮賓一設,賜衣一襲,衛而出之於境,不令惑眾也。

 

10

況其身死已久,枯朽之骨,凶穢之餘,豈宜令入宮禁?

孔子曰:「敬鬼神而遠之。」古之諸侯行吊於其國,尚令巫祝先以桃茢祓除不祥,然後進吊。今無故取朽穢之物,親臨觀之,巫祝不先,桃茢不用。群臣不言其非,禦史不舉其失,臣實恥之。

 

11 

乞以此骨付之有司,投諸水火,永根本,斷天下之疑,後代之惑。使天下之人,知大聖人之所作為,出於尋常萬萬也。豈不盛哉!豈不快哉!佛如有靈,能作禍祟,凡有殃咎,宜加臣身。上天鑒臨,臣不怨悔。無任感激懇悃之至,謹奉表以聞。
臣某誠惶誠恐。

  

《論佛骨表》(1)元和十四年韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <884>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3404韓愈詩-227-1

《論佛骨表》仏教は夷狄の教えであって、中国の先王の教えではない。故にこれを奉ずると禍いがあって福がない。これを排絶するがよいという主旨の上表文である。


2013年12月7日 の紀頌之5つのブログ
●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場
Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
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班孟堅(班固)《西都賦》(17)#6-2 文選 賦<112―17>18分割55回 Ⅱ李白に影響を与えた詩971 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3403
●唐を代表する中唐の韓愈の儒家としての考えのよくわかる代表作の一つ
Ⅱ中唐詩・晩唐詩
 
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李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
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拳の花001 

○淮西の乱について

万事が愈の思うとおりに運んだのではない。憲宗は涯西の乱が平定したのを機会に、記念碑の建立を計画し、その碑に刻む文章は恵に執筆を命じた。その「准西を平らぐる碑」平淮西碑 韓愈(韓退之) <163-#0>Ⅱ中唐詩743 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2699

平淮西碑 韓愈(韓退之) <163-#1>Ⅱ中唐詩744 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2704

の文章は元和十三年(818)に書きあげられ、いったんは石に刻まれた。ところがこの碑文について、猛烈な反対がおこった。記述が正確でないというのである。たしかに愈の書き方は、准西の乱を平らげた第一の功労者は裴度であるとの立場から、裴度のことを善くのに多くの筆をついやしており、済州に一番乗りした李愬なども軽く触れてあるにすぎない。

この淮西の乱を成敗し、凱旋するのを以下の詩としてあらわした。

《過鴻溝》韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <833  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3149韓愈詩-205

《送張侍郎》韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <834  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3154韓愈詩-206

《贈刑部馬侍郎》韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <835  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3159韓愈詩-207

《奉和裴相公東征,途經女几山下作》韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <836  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3164韓愈詩-208

《郾城晚飲奉贈副使馬侍郎及馮李二員外》韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <837  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3169韓愈詩-209

《酬別留後侍郎〔蔡平,命馬總為留後。〕》韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <838  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3174韓愈詩-210

《同李二十八夜次襄城》韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <839  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3179韓愈詩-211

《過襄城》韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <840  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3184韓愈詩-212

《宿神龜招李二十八、馮十七》韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <841  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3189韓愈詩-213

《次硤石》韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <842  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3194韓愈詩-214

《和李司勳過連昌宮》韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <843  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3199韓愈詩-215

《次潼關先寄張十二閣老使君〔張賈也。〕》韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <844  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3204韓愈詩-216

 

《次潼關上都統相公》韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <845  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3209韓愈詩-217

《桃林夜賀晉公》韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <846  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3214韓愈詩-218

《晉公破賊回重拜台司,以詩示幕中賓客,愈奉和》韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <847  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3219韓愈詩-219

《晚秋郾城夜會聯句》韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <848  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3224韓愈詩-220

これでは文句が出るのももっともである。結局、韓愈の文章を刻んだ石はすり消され、碑文はあらためて翰林学士の段文昌という人物が執筆することとなった。

しかしこの事件は、韓愈の出世のさまたげとなるものではなかったし、彼に精神的なショックを与えるものでもなかったらしい。高級官僚のなかでの彼の地位は学問・文学のスペシャリストとして万人が認めるものだったうえに、准西の乱での働きによって、文書力のみならず、政治的手腕もある男だと人々に感じさせたのだ。彼の地位はますます安泰になったということができる。元和十三年(818)四月、礼楽に関する規定や慣習を整理、改正する詳定礼楽使に鄭余慶が任命されたときも、特に奏請して韓愈を副使に兼務させている。このことは朝廷内、官界での韓愈の地位が安定したことを示すものである。

漢文委員会紀頌之タイトル002 

 

○佛骨を論ずる表について

長安のずっと西に鳳翔(安史の乱の際、粛宗が行在所を設置、杜甫が長安で安史軍に軟禁されていたところから脱出して駆けつけたところ)があり、そこの法門寺という寺に釈尊の指の骨と伝えられるものがあって、普段は大切にしまわれているのだが、三十年ごとに開帳があり、誰でも拝むことができる。

その年は天下太平、五穀豊穣だと伝えられていたが、元和十四年(819)がその開帳の年にあたった。正月、憲宗は法門寺へ勅使を送って仏骨を迎えさせ、宮中で三日間供養してから長安の諸寺に回すことを命じ、市民一般に礼拝を許した。人々は争って仏骨を拝み、後生を厭い、喜捨をしすぎて倒産する老さえ出るしまつだった。

 

孔孟の「道」を守る韓愈がこれを苦々しく見ていたことは、いうまでもない。これというのも皇帝が仏教を信仰するので、万民がそれにならうのだ。そう思った韓愈は、「仏骨を論ずる表」という意見書を憲宗皇帝にささげ、仏舎利を捨てて仏教の信仰を停止せよと論じた。

その理由は、二つの点に要約することができる。一つは、上古の帝王たち、三皇五帝はみな百歳前後の長命だったのに(神話時代なのでみな長命なことになっているのだが、韓愈の時代には史実と信ぜられていた)、仏教が渡来してからは、歴代の皇帝のなかにはあつく仏を信じた人があったにもかかわらず、すべて短命であり、非業の最期をとげた人さえいる。仏を信じても、福が授かるわけではないのだ。第二に、釈迦とはもともと夷狄の人であって、彼が生前に中国を訪れたとしたら、かりに歓迎したとしても、夷狄が中国へ来たときの礼法以上には出ないであろう。ましてその骨など、あがめるには及ばぬものであるから、すみやかに焼きすてていただきたい。

 

これを読んだ憲宗は激怒して、韓愈の上奏文を宰相たちに見せたうえ、死刑にせよと命じた。宰相の裴度、崔群たちがとりなすと、憲宗は、仏教が渡来してからの皇帝は全部短命だったとは、臣下たる者の口にすべき言葉ではないと言ったものだ。憲宗は不老不死の薬の擒になっていた皇帝である。仏教を信仰した皇帝はみな短命だなどと不遜な物言いに対し、また、作文力のうまさに、気分を害したのである。本気で韓愈を死刑にしたがっていたわけではないので、デキレースであって、裴度たちのとりなしを受け入れた形で韓愈の死刑を免じ、かわりに潮州へ流すこととした。形式上は潮州刺史に任ずる旨の辞令を出し、都から追ったのである。潮州は今の広東省に属し、福建省との境に近い海岸の町で、当時においては未開野蛮の土地である。

その辞令が出たのは元和十四年正月十四日のことで、実質上は流罪なのだから、とりあっかいも罪人なみとなることは、やむを得ない。韓愈の屋敷へいきなり役人が来て、その場で出発を催促するのであった。そして韓愈が出て行ったあとで、家族も長安から追放の処分を受け、韓愈のあとを追って旅に出た。十二歳になる四女の挐はたまたま病中であったが、これも病床に残ることは許されず、ともに旅へと出たのであった(この娘はついに旅の途中で死んでしまい、韓愈の一行はその遺体を道はたに仮埋葬して、旅を続ける)。

 寒花004

 

 

論佛骨表

仏教は夷秋の教えであって、中国の先王の教えではない。故にこれを奉ずると禍いがあって福がない。これを排絶するがよいという主旨の上表文である。

 

論佛骨表

#1 

臣某言:伏以佛者,夷狄之一法耳,自後漢時流入中國,上古未嘗有也。

#2 

昔者黃帝在位百年,年百一十;少昊在位八十年,年百;顓頊在位七十九年,年九十八;帝嚳在位七十年,年百五;帝堯在位九十八年,年百一十八;帝舜及禹,年皆百。此時天下太平,百姓安樂壽考,然而中國未有佛也。


#3

其後,殷湯亦年百,湯孫太戊在位七十五年,武丁在位五十九年,書史不言其年壽所極,推其年數,蓋亦俱不減百,周文王年九十七,武王年九十三,穆王在位百年。此時佛法亦未入中國,非因事佛而致然也。

 

#4

漢明帝時,始有佛法,明帝在位,才十八年耳。其後亂亡相繼,運祚不長。宋、齊、梁、陳、元魏以下,事佛漸謹,年代尤促。惟梁武帝在位四十八年,前後三度舍身施佛,宗廟之祭,不用牲牢,晝日一食,止於菜果。其後竟為侯景所逼,餓死台城,國亦尋滅。事佛求福,乃更得禍。由此觀之,佛不足事,亦可知矣。

 

#5

高祖始受隋禪,則議除之。當時群臣材識不遠,不能深知先王之道、古今之宜,推闡聖明,以救斯弊,其事遂止。臣常恨焉。

 


伏惟睿聖文武皇帝陛下,神聖英武,數千百年已來,未有倫比。即位之初,即不許度人為僧尼、道士,又不許創立寺觀。臣以為高祖之誌,必行於陛下之手,今縱未能即行,豈可恣之轉令盛也!

 

#7

今聞陛下令群僧迎佛骨於鳳翔,禦樓以觀,舁入大,又令諸寺遞迎供養。臣雖至愚,必知陛下不惑於佛,作此崇奉,以祈福祥也。直以年豐人樂,徇人之心,為京都士庶設詭異之觀,戲玩之具耳。安有聖明若此,
而肯信此等事哉!


#8

然百姓愚冥,易惑難曉,苟見陛下如此,將謂真心事佛。皆云:「天子大聖,猶一心敬信;百姓何人,豈合更惜身命!」焚頂燒指,百十為群,解衣散錢,自朝至暮,轉相仿效。惟恐後時,老少奔波,棄其業次。若不即加禁遏,更曆諸寺,必有斷臂臠身,以為供養者。傷風敗俗,傳笑四方,非細事也。

 

#9

夫佛本夷狄之人,與中國言語不通,衣服殊制,口不言先王之法言,身不服先王之法服,不知君臣之義、父子之情。假如其身至今尚在,奉其國命,來朝京師;陛下容而接之,不過宣政一見,禮賓一設,賜衣一襲,衛而出之於境,不令惑眾也。

 

#10

況其身死已久,枯朽之骨,凶穢之餘,豈宜令入宮禁?

孔子曰:「敬鬼神而遠之。」古之諸侯行吊於其國,尚令巫祝先以桃茢祓除不祥,然後進吊。今無故取朽穢之物,親臨觀之,巫祝不先,桃茢不用。群臣不言其非,禦史不舉其失,臣實恥之。

 

#11 

乞以此骨付之有司,投諸水火,永根本,斷天下之疑,後代之惑。使天下之人,知大聖人之所作為,出於尋常萬萬也。豈不盛哉!豈不快哉!佛如有靈,能作禍祟,凡有殃咎,宜加臣身。上天鑒臨,臣不怨悔。無任感激懇悃之至,謹奉表以聞。
臣某誠惶誠恐。

《獨釣,四首之四》元和十三年韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <883>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3399韓愈詩-226

《獨釣,四首之四》期待していた待つところの人は、とうとう来なかったから、日暮れになって、誰と一緒に帰ろうか、まことに心寂しいことである。


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《獨釣,四首之四》元和十三年韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <883  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3399韓愈詩-226

 

 

『獨釣,四首』元和十三年の作にまちがいなく、四首の連作のうち第一首は、概要、第二首季節は春、夏、第三首に「秋晨」、第四首に「秋半」の語があり、秋である。また通常の隠者は山林に隠棲するものだが、ほんとうの隠者は俗世間のなかにあって、それでも隠逸の心を失わないものだとする観念があり、「吏隠」はその一つで、身分は役人だが精神的には隠者であることをいう。むかし老子が柱下の史という低い身分の役人となったと伝えられるのが、その先例である。刑部侍郎は高官だが、韓愈はここで「吏隠」を気取って見せているのである。

だが韓愈の言うように「太平」だと、どうも力のこもった詩は生まれにくいらしい。この詩にしても、軽く作ったという感じがする。しかしょくしたもので、韓愈が「吏隠」を気取り始めると、彼の生涯における最大の事件が発生するのである。

 

 

卷別: 卷三四四  文體: 五言律詩 

詩題: 獨釣,四首之四【獨酌,四首之四】 

作地點: 長安(京畿道 / 京兆府 / 長安

 

 

獨釣,四首之一

(子供らに自慢できるだけ獨りでたくさん釣り上げる,四首の内その一) 

侯家林館勝,偶入得垂竿。

侯家の邸宅には林に囲まれた別館があって、景勝に恵まれている。時折りここに来ては釣り糸を垂れるのである。

曲樹行藤角,平池散芡盤。

岸辺に曲った老樹に藤の切り株に連なっており、池冲には水面にミズブキの大きな葉が散布している。羽沈知食駛,緡細覺牽難。

暫くすると、浮子が沈んだので、魚が餌をひくのがはやくするのがわかるが、釣り糸が北手切れそうだから引き上げることは難しい。

聊取夸兒女,條繫從鞍。

何と言っても、たくさん釣りあげて、子らに威張ってみせようというので、從者にもゆっくりと待ってもらうためた馬を楡の枝に繋がせて落ち着いて釣りをすることにしたのだ。

 

(獨り釣る,四首の一) 

侯家 林館 勝たり ,偶【たまた】ま入りて竿を垂るるを得たり

曲樹 藤角に行【つら】なり ,平池 芡盤【けんばん】を散ず。

羽 沈んで 食の駛【はや】きを知り,緡【いと】細くして牽くことの難きを覺ゆ

聊【いささ】か兒女に夸【ほこ】るを取る 【ゆじょう】從鞍【じゅうあん】を繫ぐ

 

獨酌,四首之二

(いやな仕事をさぼって侯家の林館の池で釣りをするが、こうして詩を作るのは精彩を失わないためだ。四首の内その二)

一逕向池斜,池塘野草花。 

侯家の林館に入ってみると、一筋の道がある、池に向かって堤を斜めに通じている。堤塘のうえには、野草が花を咲かせている。

雨多添柳耳,水長減蒲芽。 

ちかごろ、雨の日が多くて 柳の樹に茸が生えてくるほどだ。水嵩が著しく増していて、蒲の芽が水中に没していて、おおいに減ってしまったようだ。

坐厭親刑柄,來傍釣車。 

わたしはいま、刑部に奉職して、刑部の枅柄・仕置することではあるが、心の中では、花花だ是を厭なものとしている。したがって、暇を盗んではここにきて、釣り人の残した釣り車に沿うようにして、こうして釣り糸を垂れているのだ。

太平公事少,吏隱詎相 

淮西の乱など征伐されて、太平の御代になっており、公的な仕事もはなはだ少なくなって、さながら、吏隠といってもよいくらい状況である。だからこのような詩を作って精彩を失わないようにしなくてはならないのだ。

獨酌,四首之二

一逕 池に向いて斜なり,池塘は野草の花さく。 

雨多くして柳耳を添【そ】え,水長じて蒲芽を減ず。 

坐ろに刑柄【けいへい】に親しむを厭【いと】い,【ひそか】に來って釣車に傍【そ】う 

太平なれば公事少く,吏隱【りいん】詎【なん】ぞ相い【はるか】ならむ

楊貴妃清華池002 

獨釣,四首之三

(いやな仕事をさぼって侯家の林館の池で釣りをするが、こうして詩を作るのは精彩を失わないためだ。四首の内その三) 

獨往南塘上,秋晨景氣醒。 

ひとり池の南側の土手の上に向かって昇ってゆく、秋の朝、放射冷却でかなり冷え込み、せっかく晴れ渡っているものの霜が溶けていない枯れ葉の景色は興醒めになる。

露排四岸草,風約半池萍。 

興醒めは、夜露がおびただしく下って池の四面の岸の草を押さえつけていることであり、風が池の半分にしかも一か所に浮草を束ねてしまっているのだ。

鳥下見人寂,魚來聞餌馨。 

風がやんだら、鳥が空から降りてきて、辺りに人の気配がないことを慶び、魚は餌の匂いを嗅ぎつけて追々集まってくる。

所嗟無可召,不得倒吾瓶。 

こんな景色でもだれかここに招きよせて、せっかく用意した酒瓶を空にするまで一緒に飲み倒すことが出来ないものだろうか。

獨り釣る,四首之三

獨り往く南塘の上,秋晨【しゅうしん】景氣【けいき】醒【さ】む。 

露は排す 四岸の草,風は約す 半池の萍【うきぐさ】。  

鳥は下る 人の寂たるを見て,魚は來る 餌の馨【かんば】しきを聞く。 

嗟する所は召さる可き無くして,吾が瓶【へい】を倒すを得ざるを。

 

yamanoki04獨釣,四首之四

(いやな仕事をさぼって侯家の林館の池で釣りをするが、こうして詩を作るのは精彩を失わないためだ。四首の内その四) 

秋半百物變,谿魚去不來。

秋も半ばになって、百物次第に変じて凋落に赴き、渓魚もどこかにかくれて、ひとたびさっていったものは再びここにかえってくることはない。

風能坼芡觜,露亦染梨腮。

西風颯颯として、ミズブキの葉の先端を吹き折り、露にうるおっていて、梨のみの表皮を赤く染めている。

遠岫重疊出,寒花散亂開。

眺め遣れば、遠くの山々の重壘錯出するのがくっきりと見え、ここには寒花が散乱して、あちこちに開いている。

所期終莫至,日暮與誰迴。

期待していた待つところの人は、とうとう来なかったから、日暮れになって、誰と一緒に帰ろうか、まことに心寂しいことである。

秋 半ばして百物 変じ、谿魚 去って来らず。

風は能く芡觜【けんし】を坼【くじ】き、も亦た梨敵【りさい】を染む。

遠咄【えんしゅう】重盛【ちょうじょう】して出で、塞花 散乱として開く。

期する所 終【つい】に至る莫し、日暮 誰と興にか廻らん。   

 

 

『獨釣,四首之四』 現代語訳と訳註

(本文)

獨釣,四首之四

秋半百物變,谿魚去不來。

風能坼芡觜,露亦染梨腮。

遠岫重疊出,寒花散亂開。

所期終莫至,日暮與誰迴。

 

 

(下し文)

秋 半ばして百物 変じ、谿魚 去って来らず。

風は能く芡觜【けんし】を坼【くじ】き、も亦た梨敵【りさい】を染む。

遠咄【えんしゅう】重盛【ちょうじょう】して出で、塞花 散乱として開く。

期する所 終【つい】に至る莫し、日暮 誰と興にか廻らん。

隋堤01 

(現代語訳)

(いやな仕事をさぼって侯家の林館の池で釣りをするが、こうして詩を作るのは精彩を失わないためだ。四首の内その四) 

秋も半ばになって、百物次第に変じて凋落に赴き、渓魚もどこかにかくれて、ひとたびさっていったものは再びここにかえってくることはない。

西風颯颯として、ミズブキの葉の先端を吹き折り、露にうるおっていて、梨のみの表皮を赤く染めている。

眺め遣れば、遠くの山々の重壘錯出するのがくっきりと見え、ここには寒花が散乱して、あちこちに開いている。

期待していた待つところの人は、とうとう来なかったから、日暮れになって、誰と一緒に帰ろうか、まことに心寂しいことである。

 

 

(訳注)

獨酌,四首之三

(いやな仕事をさぼって侯家の林館の池で釣りをするが、こうして詩を作るのは精彩を失わないためだ。四首の内その四) 

韓愈長安に刑部侍郎としている時にだれか侯家にあたる邸宅の池で釣りをしたもの。刑務所の役人であることが嫌であった韓愈は時々抜け出して釣りをした。其の

 

秋半百物變,谿魚去不來。

秋も半ばになって、百物次第に変じて凋落に赴き、渓魚もどこかにかくれて、ひとたびさっていったものは再びここにかえってくることはない。

・秋半日物変 この句と第二句あたりには、前の詩の終わりのところの気分が、さらに強められて出ているようである。秋半:陰暦八月をいう。

 

風能坼芡觜,露亦染梨腮。

西風颯颯として、ミズブキの葉の先端を吹き折り、露にうるおっていて、梨のみの表皮を赤く染めている。

・芡觜 みずぶきの葉の先端。

・梨腮 なしのあご。ここは梨の実が色づくことをいっている。律詩、【首聯】【頷聯】【頸聯】【尾聯】風能以下の頷聯】【頸聯】の四句はことにうつくしく絶妙である。

 

遠岫重疊出,寒花散亂開。

眺め遣れば、遠くの山々の重壘錯出するのがくっきりと見え、ここには寒花が散乱して、あちこちに開いている。

・岫- 1 山の洞穴。2 山の峰。

 

所期終莫至,日暮與誰迴。

期待していた待つところの人は、とうとう来なかったから、日暮れになって、誰と一緒に帰ろうか、まことに心寂しいことである。

・所期 期待したあいて。

・この詩には恋の感情に似たものがある。韓愈はあらわな恋の歌はほとんどつくらなかったが、いまのわれわれからみればそうとれるような詩はかなり多くある。もっとも、その相手が女性なのか男性なのか、恋人であるよりは友人であったのだろう。
nat0010

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登池上樓 #1 謝霊運<25>#1  ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67502196.html
孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。
李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html 
李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首
魚玄機 詩 全首130回賦得江邊柳 魚玄機  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-65-1-#五言律詩  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1876
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《獨釣,四首之三》元和十三年韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <882  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3394韓愈詩-225

  

卷別: 卷三四四  文體: 五言律詩 

詩題: 獨釣,四首之三

作地點: 長安(京畿道 / 京兆府 / 長安

 

獨釣,四首之三

(いやな仕事をさぼって侯家の林館の池で釣りをするが、こうして詩を作るのは精彩を失わないためだ。四首の内その三) 

獨往南塘上,秋晨景氣醒。 

ひとり池の南側の土手の上に向かって昇ってゆく、秋の朝、放射冷却でかなり冷え込み、せっかく晴れ渡っているものの霜が溶けていない枯れ葉の景色は興醒めになる。

露排四岸草,風約半池萍。 

興醒めは、夜露がおびただしく下って池の四面の岸の草を押さえつけていることであり、風が池の半分にしかも一か所に浮草を束ねてしまっているのだ。

鳥下見人寂,魚來聞餌馨。 

風がやんだら、鳥が空から降りてきて、辺りに人の気配がないことを慶び、魚は餌の匂いを嗅ぎつけて追々集まってくる。

所嗟無可召,不得倒吾瓶。 

こんな景色でもだれかここに招きよせて、せっかく用意した酒瓶を空にするまで一緒に飲み倒すことが出来ないものだろうか。

獨り釣る,四首之三

獨り往く南塘の上,秋晨【しゅうしん】景氣【けいき】醒【さ】む。 

露は排す 四岸の草,風は約す 半池の萍【うきぐさ】。 

鳥は下る 人の寂たるを見て,魚は來る 餌の馨【かんば】しきを聞く。 

嗟する所は召さる可き無くして,吾が瓶【へい】を倒すを得ざるを。   

yamanoki04 

『獨釣,四首之三』 現代語訳と訳註

(本文)

獨釣,四首之三

獨往南塘上,秋晨景氣醒。 

露排四岸草,風約半池萍。 

鳥下見人寂,魚來聞餌馨。 

所嗟無可召,不得倒吾瓶。 

 

 

(下し文)

獨り釣る,四首之三

獨り往く南塘の上,秋晨【しゅうしん】景氣【けいき】醒【さ】む。 

露は排す 四岸の草,風は約す 半池の萍【うきぐさ】。 

鳥は下る 人の寂たるを見て,魚は來る 餌の馨【かんば】しきを聞く。 

嗟する所は召さる可き無くして,吾が瓶【へい】を倒すを得ざるを。 

 

 

(現代語訳)

(いやな仕事をさぼって侯家の林館の池で釣りをするが、こうして詩を作るのは精彩を失わないためだ。四首の内その三) 

ひとり池の南側の土手の上に向かって昇ってゆく、秋の朝、放射冷却でかなり冷え込み、せっかく晴れ渡っているものの霜が溶けていない枯れ葉の景色は興醒めになる。

興醒めは、夜露がおびただしく下って池の四面の岸の草を押さえつけていることであり、風が池の半分にしかも一か所に浮草を束ねてしまっているのだ。

風がやんだら、鳥が空から降りてきて、辺りに人の気配がないことを慶び、魚は餌の匂いを嗅ぎつけて追々集まってくる。

こんな景色でもだれかここに招きよせて、せっかく用意した酒瓶を空にするまで一緒に飲み倒すことが出来ないものだろうか。

 

 

(訳注)

獨酌,四首之三

(いやな仕事をさぼって侯家の林館の池で釣りをするが、こうして詩を作るのは精彩を失わないためだ。四首の内その三) 

韓愈長安に刑部侍郎としている時にだれか侯家にあたる邸宅の池で釣りをしたもの。刑務所の役人であることが嫌であった韓愈は時々抜け出して釣りをした。其の

 

 

獨往南塘上,秋晨景氣醒。 

ひとり池の南側の土手の上に向かって昇ってゆく、秋の朝、放射冷却でかなり冷え込み、せっかく晴れ渡っているものの霜が溶けていない枯れ葉の景色は興醒めになる。

・南塘上 池の南側の土手、北に向かって斜面を為すため朝早くには霜が溶けていない。

・秋晨 秋の明け方、午前中、放射冷却でかなり冷え込む。

・景氣醒 はれわたっているものの霜が溶けていない枯れ葉の景色を興醒めと云っている。

 

露排四岸草,風約半池萍。 

興醒めは、夜露がおびただしく下って池の四面の岸の草を押さえつけていることであり、風が池の半分にしかも一か所に浮草を束ねてしまっているのだ。

・約 集約する。束ねる。

 

鳥下見人寂,魚來聞餌馨。 

風がやんだら、鳥が空から降りてきて、辺りに人の気配がないことを慶び、魚は餌の匂いを嗅ぎつけて追々集まってくる。

 

所嗟無可召,不得倒吾瓶。 

こんな景色でもだれかここに招きよせて、せっかく用意した酒瓶を空にするまで一緒に飲み倒すことが出来ないものだろうか。

・無可召 だれかここに招きよせたいがいない。

・倒吾瓶 わたしがせっかく用意した酒瓶を空にするまで一緒に飲み倒すこと。
楊貴妃清華池002 

《獨釣,四首之二》元和十三年韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <881>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3389韓愈詩-224

韓愈《獨釣,四首之二》侯家の林館に入ってみると、一筋の道がある、池に向かって堤を斜めに通じている。堤塘のうえには、野草が花を咲かせている。ちかごろ、雨の日が多くて 柳の樹に茸が生えてくるほどだ。水嵩が著しく増していて、蒲の芽が水中に没していて、おおいに減ってしまったようだ。
 

2013年12月4日  の紀頌之5つのブログ
●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場
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李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html 
李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首
魚玄機 詩 全首130回賦得江邊柳 魚玄機  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-65-1-#五言律詩  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1876
薛濤 詩詞全首100 井梧吟 薛濤 唐五代詞・宋詩 薛濤-136-8-#1  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2227
主に花間集から
温庭筠 70首『菩薩蠻 一』温庭筠  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-1-1-#1 花間集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1620
韋荘 50首 菩薩蠻 一 韋荘  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩花間集Gs-247-5-#1  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2617
皇甫松 10首 採蓮子二首  其一 皇甫松  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-307-5-#61  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3082
牛嶠  20首 女冠子四首 其一 牛嶠  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-312-5-#66  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3107
『花間集』継続中 
杜甫全詩 韓愈全詩 花間集 古詩源 玉台新詠

 

《獨釣,四首之二》元和十三年韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <881  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3389韓愈詩-224

 

 

卷別: 卷三四四  文體: 五言律詩 

詩題: 獨釣,四首之二

作地點: 長安(京畿道 / 京兆府 / 長安

 

 

獨酌,四首之二

(いやな仕事をさぼって侯家の林館の池で釣りをするが、こうして詩を作るのは精彩を失わないためだ。四首の内その二)

一逕向池斜,池塘野草花。 

侯家の林館に入ってみると、一筋の道がある、池に向かって堤を斜めに通じている。堤塘のうえには、野草が花を咲かせている。

雨多添柳耳,水長減蒲芽。 

ちかごろ、雨の日が多くて 柳の樹に茸が生えてくるほどだ。水嵩が著しく増していて、蒲の芽が水中に没していて、おおいに減ってしまったようだ。

坐厭親刑柄,來傍釣車。 

わたしはいま、刑部に奉職して、刑部の枅柄・仕置することではあるが、心の中では、花花だ是を厭なものとしている。したがって、暇を盗んではここにきて、釣り人の残した釣り車に沿うようにして、こうして釣り糸を垂れているのだ。

太平公事少,吏隱詎相 

淮西の乱など征伐されて、太平の御代になっており、公的な仕事もはなはだ少なくなって、さながら、吏隠といってもよいくらい状況である。だからこのような詩を作って精彩を失わないようにしなくてはならないのだ。

獨酌,四首之二

一逕 池に向いて斜なり,池塘は野草の花さく。 

雨多くして柳耳を添【そ】え,水長じて蒲芽を減ず。 

坐ろに刑柄【けいへい】に親しむを厭【いと】い,【ひそか】に來って釣車に傍【そ】う 

太平なれば公事少く,吏隱【りいん】詎【なん】ぞ相い【はるか】ならむ

楊貴妃清華池002 

 

『獨酌,四首之二』 現代語訳と訳註

(本文)

獨酌,四首之二

一逕向池斜,池塘野草花。 

雨多添柳耳,水長減蒲芽。 

坐厭親刑柄,來傍釣車。 

太平公事少,吏隱詎相 

 

(下し文)

獨酌,四首之二

一逕 池に向いて斜なり,池塘は野草の花さく。 

雨多くして柳耳を添【そ】え,水長じて蒲芽を減ず。 

坐ろに刑柄【けいへい】に親しむを厭【いと】い,【ひそか】に來って釣車に傍【そ】う 

太平なれば公事少く,吏隱【りいん】詎【なん】ぞ相い【はるか】ならむ

 

(現代語訳)

(いやな仕事をさぼって侯家の林館の池で釣りをするが、こうして詩を作るのは精彩を失わないためだ。四首の内その二)

侯家の林館に入ってみると、一筋の道がある、池に向かって堤を斜めに通じている。堤塘のうえには、野草が花を咲かせている。

ちかごろ、雨の日が多くて 柳の樹に茸が生えてくるほどだ。水嵩が著しく増していて、蒲の芽が水中に没していて、おおいに減ってしまったようだ。

わたしはいま、刑部に奉職して、刑部の枅柄・仕置することではあるが、心の中では、花花だ是を厭なものとしている。したがって、暇を盗んではここにきて、釣り人の残した釣り車に沿うようにして、こうして釣り糸を垂れているのだ。

淮西の乱など征伐されて、太平の御代になっており、公的な仕事もはなはだ少なくなって、さながら、吏隠といってもよいくらい状況である。だからこのような詩を作って精彩を失わないようにしなくてはならないのだ。

 

(訳注)

獨酌,四首之二

(いやな仕事をさぼって侯家の林館の池で釣りをするが、こうして詩を作るのは精彩を失わないためだ。四首の内その二) 

韓愈長安に刑部侍郎としている時にだれか侯家にあたる邸宅の池で釣りをしたもの。刑務所の役人であることが嫌であった韓愈は時々抜け出して釣りをした。其の二

 

一逕向池斜,池塘野草花。 

侯家の林館に入ってみると、一筋の道がある、池に向かって堤を斜めに通じている。堤塘のうえには、野草が花を咲かせている。

・地塘 池のつつみ。

 

雨多添柳耳,水長減蒲芽。 

ちかごろ、雨の日が多くて 柳の樹に茸が生えてくるほどだ。水嵩が著しく増していて、蒲の芽が水中に没していて、おおいに減ってしまったようだ。

・柳耳 柳の木にはえるきのこ。

・蒲芽 ガマの芽。雨多、水長の二句は実によく日然ん写している。

 

坐厭親刑柄,來傍釣車。 

わたしはいま、刑部に奉職して、刑部の枅柄・仕置することではあるが、心の中では、花花だ是を厭なものとしている。したがって、暇を盗んではここにきて、釣り人の残した釣り車に沿うようにして、こうして釣り糸を垂れているのだ。

・刑柄 刑獄をつかさどる官をいう。このとき掩忠は刑部侍即であった。韓愈はしばしば司法畑にはいっているが、その職をあまり好まなかった。「赴江陵途中寄贈王二十補闕李十一拾遺李二十六員外翰林三學士」「生平企仁義,所學皆孔周。早知大理官,不別三後儔。何況親犴獄,敲搒發奸。懸知失事勢,恐自罹罝罘。湘水清且急,涼風日修修。

中唐詩-290 赴江陵途中寄贈王二十補闕李十一拾遺李二十六員外翰林三學士 #9 Ⅱ韓退之(韓愈) 紀頌之の漢詩ブログ 韓愈特集-35-#9

中唐詩-291 赴江陵途中寄贈王二十補闕李十一拾遺李二十六員外翰林三學士 #10 Ⅱ韓退之(韓愈) 紀頌之の漢詩ブログ 韓愈特集-35-#10

・釣車 釣をするために高官、富貴の者がのってきた車。車の陰に隠れていることを云うほどの者華

 

太平公事少,吏隱詎相 

淮西の乱など征伐されて、太平の御代になっており、公的な仕事もはなはだ少なくなって、さながら、吏隠といってもよいくらい状況である。だからこのような詩を作って精彩を失わないようにしなくてはならないのだ。

・吏隱 すぐれた才能をもちながらひくい官職にいる人のことをいう。伯陽は老子のことで、韓愈以前の人も老子を吏隠の典型とみていたようだ。「吏隠」の文字は杜甫の詩にもみえる。『白水崔少府十九翁高齋三十韻』#3「吏隱適情性,茲焉其窟宅。白水見舅氏,諸翁乃仙伯。」

白水崔少府十九翁高齋三十韻 杜甫 123 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 121-3
云亭 

《獨釣,四首之一》元和十三年韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <880>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3384韓愈詩-223

韓愈《獨釣,四首之一》侯家の邸宅には林に囲まれた別館があって、景勝に恵まれている。時折りここに来ては釣り糸を垂れるのである。岸辺に曲った老樹に藤の切り株に連なっており、池冲には水面にミズブキの大きな葉が散布している。 


2013年12月3日  の紀頌之5つのブログ
●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場
Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
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班孟堅(班固)《西都賦》(13)#5-2 文選 賦<112―13>18分割55回 Ⅱ李白に影響を与えた詩967 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3383
●唐を代表する中唐の韓愈の儒家としての考えのよくわかる代表作の一つ
Ⅱ中唐詩・晩唐詩
 
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《獨釣,四首之一》元和十三年韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <880>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3384韓愈詩-223
●杜甫の全作品1141首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"
Ⅲ杜甫詩1000詩集  LiveDoorブログ 708 《薄暮》 蜀中転々 杜甫 <615>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3385 杜甫詩1000-615-871/1500
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●●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩
Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoor 紗窗恨 毛文錫【もうぶんせき】  ⅩⅫ唐五代詞・「花間集」 Gs-368-8-#4  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3387
 
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『楚辞・九歌』東君 屈原詩<78-#1>505 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1332http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67664757.html
『楚辞』九辯 第九段―まとめ 宋玉  <00-#35> 664 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2304  http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-rihakujoseishi/archives/6471825.html
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為焦仲卿妻作 序 漢詩<143>古詩源 巻三 女性詩http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67729401.html
於凊河見輓船士新婚別妻一首 曹丕(魏文帝) 魏詩http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67759129.html
朔風 (一章) 曹植 魏詩<25-#1>文選雑詩 上 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67780868.html
謝靈運詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/1901_shareiun000.html 謝靈運詩六朝期の山水詩人。この人の詩は上品ですがすがしい男性的な深みのある詩である。後世に多大な影響を残している。
謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。
登永嘉緑嶂山詩 #1 謝霊運 <20> 詩集 386ーhttp://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67474554.html
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孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。
李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html 
李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
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年:818  元和十三年  51

卷別: 卷三四四  文體: 五言律詩 

詩題: 獨釣,四首之一 

作地點: 長安(京畿道 / 京兆府 / 長安

 

 

獨釣,四首之一

(子供らに自慢できるだけ獨りでたくさん釣り上げる,四首の内その一) 

侯家林館勝,偶入得垂竿。

侯家の邸宅には林に囲まれた別館があって、景勝に恵まれている。時折りここに来ては釣り糸を垂れるのである。

曲樹行藤角,平池散芡盤。

岸辺に曲った老樹に藤の切り株に連なっており、池冲には水面にミズブキの大きな葉が散布している。羽沈知食駛,緡細覺牽難。

暫くすると、浮子が沈んだので、魚が餌をひくのがはやくするのがわかるが、釣り糸が北手切れそうだから引き上げることは難しい。

聊取夸兒女,條繫從鞍。

何と言っても、たくさん釣りあげて、子らに威張ってみせようというので、從者にもゆっくりと待ってもらうためた馬を楡の枝に繋がせて落ち着いて釣りをすることにしたのだ。

 

(獨り釣る,四首の一) 

侯家 林館 勝たり ,偶【たまた】ま入りて竿を垂るるを得たり

曲樹 藤角に行【つら】なり ,平池 芡盤【けんばん】を散ず。

羽 沈んで 食の駛【はや】きを知り,緡【いと】細くして牽くことの難きを覺ゆ

聊【いささ】か兒女に夸【ほこ】るを取る 【ゆじょう】從鞍【じゅうあん】を繫ぐ

楠樹01 

獨釣,四首之一』 現代語訳と訳註

(本文)

獨釣,四首之一

侯家林館勝,偶入得垂竿。

曲樹行藤角,平池散芡盤。

羽沈知食駛,緡細覺牽難。

聊取夸兒女,條繫從鞍。

 

(下し文)

(獨り釣る,四首の一) 

侯家 林館 勝たり ,偶【たまた】ま入りて竿を垂るるを得たり

曲樹 藤角に行【つら】なり ,平池 芡盤【けんばん】を散ず。

羽 沈んで 食の駛【はや】きを知り,緡【いと】細くして牽くことの難きを覺ゆ

聊【いささ】か兒女に夸【ほこ】るを取る 【ゆじょう】從鞍【じゅうあん】を繫ぐ

 

(現代語訳)

(子供らに自慢できるだけ獨りでたくさん釣り上げる,四首の内その一) 

侯家の邸宅には林に囲まれた別館があって、景勝に恵まれている。時折りここに来ては釣り糸を垂れるのである。

岸辺に曲った老樹に藤の切り株に連なっており、池冲には水面にミズブキの大きな葉が散布している。 

暫くすると、浮子が沈んだので、魚が餌をひくのがはやくするのがわかるが、釣り糸が北手切れそうだから引き上げることは難しい。

何と言っても、たくさん釣りあげて、子らに威張ってみせようというので、從者にもゆっくりと待ってもらうためた馬を楡の枝に繋がせて落ち着いて釣りをすることにしたのだ。

 

(訳注)

yamanoki04獨釣,四首之一 

(子供らに自慢できるだけ獨りでたくさん釣り上げる,四首の内その一) 

韓愈長安に刑部侍郎としている時にだれか侯家にあたる邸宅の池で釣りをしたもの。刑務所の役人であることが嫌であった韓愈は時々抜け出して釣りをした。

 

侯家 林館 ,偶入 垂竿

侯家の邸宅には林に囲まれた別館があって、景勝に恵まれている。時折りここに来ては釣り糸を垂れるのである。

・侯家 身分の高い人の林園などのある立派な家。

・林館 林泉に富んだ別館。

 

曲樹 藤角 ,平池 芡盤

岸辺に曲った老樹に藤の切り株に連なっており、池冲には水面にミズブキの大きな葉が散布している。 

・曲樹 まがりくねった樹。老木。

・行 つらなる。

・藤角 藤の切り株。

・芡盤 一年生水草のミズブキ丸い大きな葉。

 

羽沈 食駛,緡細 牽難

暫くすると、浮子が沈んだので、魚が餌をひくのがはやくするのがわかるが、釣り糸が北手切れそうだから引き上げることは難しい。

・羽 釣糸につけるウキのこと。

・食駛 魚の食いつくのがはやい。

・緡細 つり糸。

・牽難 いとがきれそうに思われて思い切ってひっばれない。

 

聊取 兒女 繫從

何と言っても、たくさん釣りあげて、子らに威張ってみせようというので、從者にもゆっくりと待ってもらうためた馬を楡の枝に繋がせて落ち着いて釣りをすることにしたのだ。

・夸兒女 こどもたちにこんなに大きいのがとれたぞと自慢する。威張ってみせる。

・從鞍 従者ののっていた馬。それをつなぐとは、腰をおちつけて釣るため′従にもそのつもりでくつろがすのである。

《送李員外院長分司東都》元和十三年韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <879>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3379韓愈詩-222

韓愈《送李員外院長分司東都》去年の秋、白露の降りるころ、あなたは覊旅の身になって、裴度相公の東征に従って出掛けたのである。今年は春景色が動きはじめるころ、王事に駆逐し、あらたに洛陽の留守となり、この長安に別れを告げ、赴任することになった。
 

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孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首
魚玄機 詩 全首130回賦得江邊柳 魚玄機  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-65-1-#五言律詩  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1876
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温庭筠 70首『菩薩蠻 一』温庭筠  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-1-1-#1 花間集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1620
韋荘 50首 菩薩蠻 一 韋荘  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩花間集Gs-247-5-#1  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2617
皇甫松 10首 採蓮子二首  其一 皇甫松  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-307-5-#61  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3082
牛嶠  20首 女冠子四首 其一 牛嶠  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-312-5-#66  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3107
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《送李員外院長分司東都》元和十三年韓愈
(韓退之) Ⅱ中唐詩 <879  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3379韓愈詩-222

 

 

作時年:818  元和十三年  51

卷別: 卷三四四  文體: 五言律詩 

詩題: 送李員外院長分司東都 

及地點:東都 (都畿道 河南府 東都) 別名:東京     

交遊人物/地點: 李正封

云亭 

 

送李員外院長分司東都

(李正封司勲外郎図書秘書院長が東都洛陽の留守役、分司として赴任するのを送別する。)

去年秋露下,羈旅逐東征。

去年の秋、白露の降りるころ、あなたは覊旅の身になって、裴度相公の東征に従って出掛けたのである。

春光動,驅馳別上京。

今年は春景色が動きはじめるころ、王事に駆逐し、あらたに洛陽の留守となり、この長安に別れを告げ、赴任することになった。

飲中相顧色,送後獨歸情。

そこでこの別館において酒を呑む間は、互いに見交わし、顧みて、別れの愁いが顔に現れ、君を送って後には、一人帰ろうとしてもその情に耐えきれないだろう。

兩地無千里,因風數寄聲。

洛陽と長安とは、相へだつとはいえ、千里も遠くはないので、時々風の便りに、言伝をして近況を知らせてもらいたい。

函谷関長安地図座標005 

 

『送李員外院長分司東都』 現代語訳と訳註

(本文)

送李員外院長分司東都

去年秋露下,羈旅逐東征。

春光動,驅馳別上京。

飲中相顧色,送後獨歸情。

兩地無千里,因風數寄聲。

 

(下し文)

(李員外院長の東都に分司たるに送る)

去年 秋露下り,羈旅 東征を逐う。

 春光動き,驅馳【くち】上京に別る。

飲中 相い顧みるの色,送後 獨歸の情。

兩地 千里無し,風に因って數しば聲を寄せよ。

 

(現代語訳)

(李正封司勲外郎図書秘書院長が東都洛陽の留守役、分司として赴任するのを送別する。)

去年の秋、白露の降りるころ、あなたは覊旅の身になって、裴度相公の東征に従って出掛けたのである。

今年は春景色が動きはじめるころ、王事に駆逐し、あらたに洛陽の留守となり、この長安に別れを告げ、赴任することになった。

そこでこの別館において酒を呑む間は、互いに見交わし、顧みて、別れの愁いが顔に現れ、君を送って後には、一人帰ろうとしてもその情に耐えきれないだろう。

洛陽と長安とは、相へだつとはいえ、千里も遠くはないので、時々風の便りに、言伝をして近況を知らせてもらいたい。

 

(訳注)

送李員外院長分司東都

(李正封司勲外郎図書秘書院長が東都洛陽の留守役、分司として赴任するのを送別する。)

・李員 李二十八は李正封。やはり裴度の幕下となり従軍し、郾城で韓愈と長い聯句をつくっている。襄城は河南省襄城県。

《晚秋郾城夜會聯句》韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <848  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3224韓愈詩-220

(李司勳外郎「連昌宮を過る」詩に唱和する。)

・李司勳 別のテクストでは李二十八とある。これは李正封で、司勲外郎であった。

《和李司勳過連昌宮》韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <843  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3199韓愈詩-215

《宿神龜招李二十八、馮十七》韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <841  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3189韓愈詩-213

《同李二十八夜次襄城》韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <839  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブロ3179韓愈詩-211

・院長 図籍秘書であり、淮西平定の史実を記録するいんちょうである。

・分司 東都洛陽の留守役のこと。

・禦史中丞 前漢以降の官職名。 前漢においては、御史大夫の二人の丞(副官)のうちの一人(秩千石)であるが、御史中丞は殿中の蘭台におり、図籍秘書を掌り、刺史を監督し、侍御史を統率した。

・行軍司馬 安史の乱以降に置かれた元帥府の属官。元帥(天下兵馬元帥)には親王が任命されるので、副元帥が事実上の統率者となる。幕職には、行軍長史、行軍司馬、掌書記、判官、参謀、兵馬使などがある。

 

 

去年 秋露 ,羈旅 東征

去年の秋、白露の降りるころ、あなたは覊旅の身になって、裴度相公の東征に従って出掛けたのである。

「東征」『晚秋郾城夜會聯句』の序文に「元和十二年七月,以裴度守門下侍郎同平章事,充淮西宣慰處置使,以韓愈兼禦史中丞,充行軍司馬,以李正封兼侍禦史,為判官,從度出征。」とある。元和十二年(817)、韓愈が五十歳となった年の七月、憲宗皇帝は裴度を宰相(守門下侍郎同平章事)に任ぜられ、膠着状態と患っている淮西の乱を一挙に解決せよと命じ淮西宣慰處置使とした。裴度はこの命令を受けると、韓愈を自分の部下にいただきたいと朝廷へ願い出た。そこで韓愈を御史中丞に任ずるむねの辞令が下り、兼ねて裴度の軍の行軍司馬を命ぜられた。李正封は兼ねて侍禦史とされ、判官と為さしめられ,裴度に從って出征することになる。

 

春光 ,驅馳 上京

今年は春景色が動きはじめるころ、王事に駆逐し、あらたに洛陽の留守となり、この長安に別れを告げ、赴任することになった。

「今」今年。

「春光動」春景色が動きはじめるころ。早春間もないころ。

「上京」長安のこと。

去年 秋露 羈旅 逐 東征

 春光 驅馳 別 上京

律詩の絶対条件である【頷聯】【頸聯】については対句よりも、【首聯】【頷聯】が隔句対となっている方が強い。

 

飲中 相顧 ,送後 獨歸

そこでこの別館において酒を呑む間は、互いに見交わし、顧みて、別れの愁いが顔に現れ、君を送って後には、一人帰ろうとしてもその情に耐えきれないだろう。

 

兩地 千里 ,因風 寄聲

洛陽と長安とは、相へだつとはいえ、千里も遠くはないので、時々風の便りに、言伝をして近況を知らせてもらいたい。

「無千里」千里も遠くはない。

飲中 相 顧色,送後 獨 歸情。

兩地 無 千里,因風 數 寄聲。

【頸聯】【尾聯】についても隔句対ということで初唐盛唐期の律詩とは若干変化していくことがわかる面白い詩である。この形態は、古詩に見られるものではある。
華州から秦州同谷成都00 

《讀皇甫湜公安園池詩書其後〔一本為二首。〕》元和十三年韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <878>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3374韓愈詩-221ー#4

韓愈《讀皇甫湜公安園池詩書其後》人生は百年というが、まことに短いもので、じきにすぎて、しまうから、君子たるものは、平生切々として、勉強をして、閑暇など中るべきはずで、その楽々と苑池の詩などを作っているようなものは、我が徒に非ずと云いたいくらいで、皇甫湜ともあるものが、よろしく反省すべきである。


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《讀皇甫湜公安園池詩書其後〔一本為二首。〕》元和十三年韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <878>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3374韓愈詩-221ー#4
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女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
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《讀皇甫湜公安園池詩書其後〔一本為二首。〕》元和十三年韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <878  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3374韓愈詩-221ー#4

 

作時: 818  元和十三年  51

卷別: 卷三四一  文體: 五言古詩 

詩題: 讀皇甫湜公安園池詩書其後〔一本為二首。〕 

及地點: 公安園池 (山南東道 荊州 公安)     

交遊人: 皇甫湜 (山南東道 襄州 襄陽)

 

221-#1

讀皇甫湜公安園池詩書其後

(皇甫湜の公安園池の詩を寄せたのでそれを読んで返したその後の詩)

晉人目二子,其猶吹一

戴晋人は堯と舜を目標とすること、尋常の人に同じく、格別えらいとも思わず、いくら堯舜を誉め立てて話しても、息を吹きかけること位に思っている。

區區自其下,顧肯掛牙舌。

元来区区として、堯舜のことに甘んずるようでは、到底つまらぬ人で、歯牙にかかるにも足らず、そこ得行くと戴晋人はちょっと奇矯のようではあるが、一面からいえば、最も至極なことである。

《春秋》書王法,不誅其人身。

「春秋」は孔子が王法に基づいて褒貶したもので、はあるが、何もその人の身を誅するがためにしたのではなく、あくまで道にかなったもので、儒教の正義はまさしくここにある。

《爾雅》注蟲魚,定非磊落人。

「爾雅」のごときは、ほんの字書で蟲魚名を注したるにすぎず、そんなことをしているのは、決して、磊落のひとではない。

221-#2

湜也困公安,不自閑窮年。

(今皇甫松の作った園地の詩をみると、取りも直さず爾雅の蟲魚を注したるが如く、春秋の王方には全然関係なく要するに取るに足らない技ということなのだ。)皇甫湜は小吏として、公安の地に苦しみ、のんきに年を極めることが出来ず、平生大いに弱っている。

枉智思掎摭,糞壤穢豈有臧。

そんなことをしているのはもし、智を枉げて、何かを引き上げ、拾い出して、一の仕事やらかそうと思うのであれば、よろしくそのものを選ぶべく糞壤汚穢とも称すべき取るにたらないこの苑池などが何になろう。

誠不如兩忘,但以一概量。

それよりも苑池などは、二つながら忘れ去り、それは尋常一様のものとして見るが良いので、その手をつけなければいけない範囲は、ほかにいくらもある。

221-#3

我有一池水,蒲葦生其間。 

元来、苑池などは瑣瑣たるもので、まったく話にもならない。我が家にも、一つ池があって、蒲葦の類がその間に叢生している。

蟲魚沸相嚼,日夜不得閑。 

そして、蟲や魚が自然とその内に沸いて、互いにかみ合い、日夜、暇なことは全くない。

我初往觀之,其後益不觀。

我も初めは行くとしてこれを見て、いささか打ち興じたが、その後、次第にこれを見ないようになった。

221-#4

觀之亂我意,不如不觀完。 

なんとなれば、これを見ると蟲魚の互いに噛む状態から、様々なことを連想するからで、それよりも、苑池などを観ずして、心を打ち澄ましていた方が、遙かによい。

用將濟諸人,捨得業孔顏。 

いやしくも、男子たるものは、志を立てること、よろしく第成るべく、幸いにして、世に用いられるならば、治国平天下の素願を遂げて、あまねく諸人を救済し、不幸にして世に用いられないときは、退いて孔子と顔回のことを行い、儒者の業として、大道を不朽に伝えるが宜しい。

百年詎幾時,君子不可閑。 

人生は百年というが、まことに短いもので、じきにすぎて、しまうから、君子たるものは、平生切々として、勉強をして、閑暇など中るべきはずで、その楽々と苑池の詩などを作っているようなものは、我が徒に非ずと云いたいくらいで、皇甫湜ともあるものが、よろしく反省すべきである。

 

#1(皇甫湜【こうほしょく】公安の園池の詩を讀み、其の後に書す)

晉人 二子を目す,其れ猶お一【いちげつ】をくがごとし

區區として其下よりせば,顧みるに肯えて牙舌【がぜつ】に掛らむや。

《春秋》は王法を書す,其の人の身を誅せず。

《爾雅》は注蟲魚【ちゅうぎょ】をす,定めて磊落【らいらく】の人に非ず。

#2

湜【しょく】や公安に困【くるし】み,自ら閑に年を窮めず。

智を枉げて掎摭【きしょう】せむことを思う,糞壤【ふんじょう】【おあい】豈に臧【よき】ころらむ

誠に如かず兩つながら忘れ,但だ一概を以って量る。

 

我に一池の水有り,蒲葦【ほい】其の間に生ず。 

蟲魚【ちゅうぎょ】沸いて相い嚼【か】み,日夜 閑なるを得ず。 

我 初め往うて之を觀る,其の後 益【ますま】す觀ず。 

 

之を觀れば我が意を亂る,如かず 觀ずして完うするに。 

用うるとき將に諸人を濟【すく】わんとす,捨るときは孔顏を業とすつを得む。 

百年 詎【なん】ぞ幾時ぞ,君子 閑なる可からず。 

楊貴妃清華池002 

 

『讀皇甫湜公安園池詩書其後』 現代語訳と訳註

(本文)

觀之亂我意,不如不觀完。 

用將濟諸人,捨得業孔顏。 

百年詎幾時,君子不可閑。 

 

(下し文)

之を觀れば我が意を亂る,如かず 觀ずして完うするに。 

用うるとき將に諸人を濟【すく】わんとす,捨るときは孔顏を業とすつを得む。 

百年 詎【なん】ぞ幾時ぞ,君子 閑なる可からず。 

 

 

(現代語訳)

なんとなれば、これを見ると蟲魚の互いに噛む状態から、様々なことを連想するからで、それよりも、苑池などを観ずして、心を打ち澄ましていた方が、遙かによい。

いやしくも、男子たるものは、志を立てること、よろしく第成るべく、幸いにして、世に用いられるならば、治国平天下の素願を遂げて、あまねく諸人を救済し、不幸にして世に用いられないときは、退いて孔子と顔回のことを行い、儒者の業として、大道を不朽に伝えるが宜しい。

人生は百年というが、まことに短いもので、じきにすぎて、しまうから、君子たるものは、平生切々として、勉強をして、閑暇など中るべきはずで、その楽々と苑池の詩などを作っているようなものは、我が徒に非ずと云いたいくらいで、皇甫湜ともあるものが、よろしく反省すべきである。

 

(訳注)

觀之亂我意,不如不觀完。 

なんとなれば、これを見ると蟲魚の互いに噛む状態から、様々なことを連想するからで、それよりも、苑池などを観ずして、心を打ち澄ましていた方が、遙かによい。

・觀之 園池の実態を見ること。

・觀完 苑池などを観ずして、心を打ち澄ましていた方が、遙かによい。

 

用將濟諸人,捨得業孔顏。 

いやしくも、男子たるものは、志を立てること、よろしく第成るべく、幸いにして、世に用いられるならば、治国平天下の素願を遂げて、あまねく諸人を救済し、不幸にして世に用いられないときは、退いて孔子と顔回のことを行い、儒者の業として、大道を不朽に伝えるが宜しい。

・用將 幸いにして、世に用いられること。

・濟諸人 男子たるものは、志を立てていること、治国平天下の素願を遂げて、あまねく諸人を救済すること。

・捨得業孔顏 不幸にして世に用いられないときは、退いて孔子と顔回のことを行い、儒者の業として、大道をすすむこと。孔顏:春秋末期の儒者。顔淵でも知られる。回は名。字は子淵。孔子の門人。一を聞いて十を知る俊秀で,学識と徳行がともに高く,だれからも愛され,孔子のもっとも信頼した,第一の高弟であった。

 

百年詎幾時,君子不可閑。 

人生は百年というが、まことに短いもので、じきにすぎて、しまうから、君子たるものは、平生切々として、勉強をして、閑暇など中るべきはずで、その楽々と苑池の詩などを作っているようなものは、我が徒に非ずと云いたいくらいで、皇甫湜ともあるものが、よろしく反省すべきである。

・百年 人生は百年。
花蕊夫人002 

《讀皇甫湜公安園池詩書其後〔一本為二首。〕》元和十三年韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <877>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3369韓愈詩-221ー#3

韓愈《讀皇甫湜公安園池詩書其後》元来、苑池などは瑣瑣たるもので、まったく話にもならない。我が家にも、一つ池があって、蒲葦の類がその間に叢生している。そして、蟲や魚が自然とその内に沸いて、互いにかみ合い、日夜、暇なことは全くない。


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《讀皇甫湜公安園池詩書其後〔一本為二首。〕》元和十三年韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <877  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3369韓愈詩-221ー#3

 

 

作時: 818  元和十三年  51

卷別: 卷三四一  文體: 五言古詩 

詩題: 讀皇甫湜公安園池詩書其後〔一本為二首。〕 

及地點: 公安園池 (山南東道 荊州 公安)     

交遊人: 皇甫湜 (山南東道 襄州 襄陽)

 

221-#1

讀皇甫湜公安園池詩書其後

(皇甫湜の公安園池の詩を寄せたのでそれを読んで返したその後の詩)

晉人目二子,其猶吹一

戴晋人は堯と舜を目標とすること、尋常の人に同じく、格別えらいとも思わず、いくら堯舜を誉め立てて話しても、息を吹きかけること位に思っている。

區區自其下,顧肯掛牙舌。

元来区区として、堯舜のことに甘んずるようでは、到底つまらぬ人で、歯牙にかかるにも足らず、そこ得行くと戴晋人はちょっと奇矯のようではあるが、一面からいえば、最も至極なことである。

《春秋》書王法,不誅其人身。

「春秋」は孔子が王法に基づいて褒貶したもので、はあるが、何もその人の身を誅するがためにしたのではなく、あくまで道にかなったもので、儒教の正義はまさしくここにある。

《爾雅》注蟲魚,定非磊落人。

「爾雅」のごときは、ほんの字書で蟲魚名を注したるにすぎず、そんなことをしているのは、決して、磊落のひとではない。

221-#2

湜也困公安,不自閑窮年。

(今皇甫松の作った園地の詩をみると、取りも直さず爾雅の蟲魚を注したるが如く、春秋の王方には全然関係なく要するに取るに足らない技ということなのだ。)皇甫湜は小吏として、公安の地に苦しみ、のんきに年を極めることが出来ず、平生大いに弱っている。

枉智思掎摭,糞壤穢豈有臧。

そんなことをしているのはもし、智を枉げて、何かを引き上げ、拾い出して、一の仕事やらかそうと思うのであれば、よろしくそのものを選ぶべく糞壤汚穢とも称すべき取るにたらないこの苑池などが何になろう。

誠不如兩忘,但以一概量。

それよりも苑池などは、二つながら忘れ去り、それは尋常一様のものとして見るが良いので、その手をつけなければいけない範囲は、ほかにいくらもある。

221-#3

我有一池水,蒲葦生其間。 

元来、苑池などは瑣瑣たるもので、まったく話にもならない。我が家にも、一つ池があって、蒲葦の類がその間に叢生している。

蟲魚沸相嚼,日夜不得閑。 

そして、蟲や魚が自然とその内に沸いて、互いにかみ合い、日夜、暇なことは全くない。

我初往觀之,其後益不觀。

我も初めは行くとしてこれを見て、いささか打ち興じたが、その後、次第にこれを見ないようになった。

221-#4

觀之亂我意,不如不觀完。 

用將濟諸人,捨得業孔顏。 

百年詎幾時,君子不可閑。 

 

#1(皇甫湜【こうほしょく】公安の園池の詩を讀み、其の後に書す)

晉人 二子を目す,其れ猶お一【いちげつ】をくがごとし

區區として其下よりせば,顧みるに肯えて牙舌【がぜつ】に掛らむや。

《春秋》は王法を書す,其の人の身を誅せず。

《爾雅》は注蟲魚【ちゅうぎょ】をす,定めて磊落【らいらく】の人に非ず。

#2

湜【しょく】や公安に困【くるし】み,自ら閑に年を窮めず。

智を枉げて掎摭【きしょう】せむことを思う,糞壤【ふんじょう】【おあい】豈に臧【よき】ころらむ

誠に如かず兩つながら忘れ,但だ一概を以って量る。

 

我に一池の水有り,蒲葦【ほい】其の間に生ず。 

蟲魚【ちゅうぎょ】沸いて相い嚼【か】み,日夜 閑なるを得ず。 

我 初め往うて之を觀る,其の後 益【ますま】す觀ず。 

 

之を觀れば我が意を亂る,如かず 觀ずして完うするに。 

用うるとき將に諸人を濟【すく】わんとす,捨るときは孔顏を業とすつを得む。 

百年 詎【なん】ぞ幾時ぞ,君子 閑なる可からず。 

 

DCF00004 

 

『讀皇甫湜公安園池詩書其後』 現代語訳と訳註

(本文)

我有一池水,蒲葦生其間。 

蟲魚沸相嚼,日夜不得閑。 

我初往觀之,其後益不觀。

 

 

(下し文)

我に一池の水有り,蒲葦【ほい】其の間に生ず。 

蟲魚【ちゅうぎょ】沸いて相い嚼【か】み,日夜 閑なるを得ず。 

我 初め往うて之を觀る,其の後 益【ますま】す觀ず。 

之を觀れば我が意を亂る,如かず 觀ずして完うするに。 

用うるとき將に諸人を濟【すく】わんとす,捨るときは孔顏を業とすつを得む。 

百年 詎【なん】ぞ幾時ぞ,君子 閑なる可からず。 

 

(現代語訳)

元来、苑池などは瑣瑣たるもので、まったく話にもならない。我が家にも、一つ池があって、蒲葦の類がその間に叢生している。

そして、蟲や魚が自然とその内に沸いて、互いにかみ合い、日夜、暇なことは全くない。

我も初めは行くとしてこれを見て、いささか打ち興じたが、その後、次第にこれを見ないようになった。

 

 

(訳注)

我有一池水,蒲葦生其間。 

元来、苑池などは瑣瑣たるもので、まったく話にもならない。我が家にも、一つ池があって、蒲葦の類がその間に叢生している。

・蒲葦(ほい)1 草の名。ガマ。2 木の名。カワヤナギ。「蒲柳」3 ばくちを打つ。

 

蟲魚沸相嚼,日夜不得閑。 

そして、蟲や魚が自然とその内に沸いて、互いにかみ合い、日夜、暇なことは全くない。

・嚼 1 上下の歯で物を挟んだり、砕いたりする。2 歯を立てて傷つける。3 歯車の歯などがぴったりと合わさる。

 

我初往觀之,其後益不觀。

我も初めは行くとしてこれを見て、いささか打ち興じたが、その後、次第にこれを見ないようになった。
魚玄機55021

《讀皇甫湜公安園池詩書其後〔一本為二首。〕》元和十三年韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <876>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3364韓愈詩-221ー#2

韓愈《讀皇甫湜公安園池詩書其後》(今皇甫松の作った園地の詩をみると、取りも直さず爾雅の蟲魚を注したるが如く、春秋の王方には全然関係なく要するに取るに足らない技ということなのだ。)皇甫湜は小吏として、公安の地に苦しみ、のんきに年を極めることが出来ず、平生大いに弱っている。


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●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場
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班孟堅(班固)《西都賦》(9)#3-3 文選 賦<112―9>18分割55回 Ⅱ李白に影響を与えた詩963 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3363
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《讀皇甫湜公安園池詩書其後〔一本為二首。〕》元和十三年韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <876>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3364韓愈詩-221ー#2
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謝靈運詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/1901_shareiun000.html 謝靈運詩六朝期の山水詩人。この人の詩は上品ですがすがしい男性的な深みのある詩である。後世に多大な影響を残している。
謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。
登永嘉緑嶂山詩 #1 謝霊運 <20> 詩集 386ーhttp://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67474554.html
登池上樓 #1 謝霊運<25>#1  ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67502196.html
孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。
李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html 
李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首
魚玄機 詩 全首130回賦得江邊柳 魚玄機  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-65-1-#五言律詩  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1876
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主に花間集から
温庭筠 70首『菩薩蠻 一』温庭筠  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-1-1-#1 花間集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1620
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『花間集』継続中 
杜甫全詩 韓愈全詩 花間集 古詩源 玉台新詠

 

《讀皇甫湜公安園池詩書其後〔一本為二首。〕》元和十三年韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <876  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3364韓愈詩-221ー#2

 

 

作時: 818  元和十三年  51

卷別: 卷三四一  文體: 五言古詩 

詩題: 讀皇甫湜公安園池詩書其後〔一本為二首。〕 

及地點: 公安園池 (山南東道 荊州 公安)     

交遊人: 皇甫湜 (山南東道 襄州 襄陽)

 

221-#1

讀皇甫湜公安園池詩書其後

(皇甫湜の公安園池の詩を寄せたのでそれを読んで返したその後の詩)

晉人目二子,其猶吹一

戴晋人は堯と舜を目標とすること、尋常の人に同じく、格別えらいとも思わず、いくら堯舜を誉め立てて話しても、息を吹きかけること位に思っている。

區區自其下,顧肯掛牙舌。

元来区区として、堯舜のことに甘んずるようでは、到底つまらぬ人で、歯牙にかかるにも足らず、そこ得行くと戴晋人はちょっと奇矯のようではあるが、一面からいえば、最も至極なことである。

《春秋》書王法,不誅其人身。

「春秋」は孔子が王法に基づいて褒貶したもので、はあるが、何もその人の身を誅するがためにしたのではなく、あくまで道にかなったもので、儒教の正義はまさしくここにある。

《爾雅》注蟲魚,定非磊落人。

「爾雅」のごときは、ほんの字書で蟲魚名を注したるにすぎず、そんなことをしているのは、決して、磊落のひとではない。

221-#2

湜也困公安,不自閑窮年。

(今皇甫松の作った園地の詩をみると、取りも直さず爾雅の蟲魚を注したるが如く、春秋の王方には全然関係なく要するに取るに足らない技ということなのだ。)皇甫湜は小吏として、公安の地に苦しみ、のんきに年を極めることが出来ず、平生大いに弱っている。

枉智思掎摭,糞壤穢豈有臧。

そんなことをしているのはもし、智を枉げて、何かを引き上げ、拾い出して、一の仕事やらかそうと思うのであれば、よろしくそのものを選ぶべく糞壤汚穢とも称すべき取るにたらないこの苑池などが何になろう。

誠不如兩忘,但以一概量。

それよりも苑池などは、二つながら忘れ去り、それは尋常一様のものとして見るが良いので、その手をつけなければいけない範囲は、ほかにいくらもある。

221-#3

我有一池水,蒲葦生其間。 

蟲魚沸相嚼,日夜不得閑。 

我初往觀之,其後益不觀。

221-#4

觀之亂我意,不如不觀完。 

用將濟諸人,捨得業孔顏。 

百年詎幾時,君子不可閑。 

 

#1(皇甫湜【こうほしょく】公安の園池の詩を讀み、其の後に書す)

晉人 二子を目す,其れ猶お一【いちげつ】をくがごとし

區區として其下よりせば,顧みるに肯えて牙舌【がぜつ】に掛らむや。

《春秋》は王法を書す,其の人の身を誅せず。

《爾雅》は注蟲魚【ちゅうぎょ】をす,定めて磊落【らいらく】の人に非ず。

#2

湜【しょく】や公安に困【くるし】み,自ら閑に年を窮めず。

智を枉げて掎摭【きしょう】せむことを思う,糞壤【ふんじょう】【おあい】豈に臧【よき】ころらむ

誠に如かず兩つながら忘れ,但だ一概を以って量る。

 

我に一池の水有り,蒲葦【ほい】其の間に生ず。 

蟲魚【ちゅうぎょ】沸いて相い嚼【か】み,日夜 閑なるを得ず。 

我 初め往うて之を觀る,其の後 益【ますま】す觀ず。 

 

之を觀れば我が意を亂る,如かず 觀ずして完うするに。 

用うるとき將に諸人を濟【すく】わんとす,捨るときは孔顏を業とすつを得む。 

百年 詎【なん】ぞ幾時ぞ,君子 閑なる可からず。 

楊貴妃清華池002 

『讀皇甫湜公安園池詩書其後』 現代語訳と訳註

(本文)

湜也困公安,不自閑窮年。

枉智思掎摭,糞壤穢豈有臧。

誠不如兩忘,但以一概量。

 

(下し文)

湜【しょく】や公安に困【くるし】み,不自ら閑に年を窮めず。

智を枉げて掎摭【きしょう】せむことを思う,糞壤【ふんじょう】【おあい】豈に臧【よき】ころらむ

誠に如かず兩つながら忘れ,但だ一概を以って量る。

 

(現代語訳)

(今皇甫松の作った園地の詩をみると、取りも直さず爾雅の蟲魚を注したるが如く、春秋の王方には全然関係なく要するに取るに足らない技ということなのだ。)皇甫湜は小吏として、公安の地に苦しみ、のんきに年を極めることが出来ず、平生大いに弱っている。

そんなことをしているのはもし、智を枉げて、何かを引き上げ、拾い出して、一の仕事やらかそうと思うのであれば、よろしくそのものを選ぶべく糞壤汚穢とも称すべき取るにたらないこの苑池などが何になろう。

それよりも苑池などは、二つながら忘れ去り、それは尋常一様のものとして見るが良いので、その手をつけなければいけない範囲は、ほかにいくらもある。

  

(訳注)

湜也 困公安 ,不自 窮年

(今皇甫松の作った園地の詩をみると、取りも直さず爾雅の蟲魚を注したるが如く、春秋の王方には全然関係なく要するに取るに足らない技ということなのだ。)皇甫湜は小吏として、公安の地に苦しみ、のんきに年を極めることが出来ず、平生大いに弱っている。

「湜」皇甫湜(こうほしょく)777835,中国中唐代散文家。字は持正,唐の睦州新安の人(今浙江建德淳安)。牛李黨派に属す。韓愈門下で,韓愈の唱える學古文復活に随う。

石佛谷 皇甫湜 詩<94-1>Ⅱ中唐詩498 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ1573

陸渾山火和皇甫湜用其韻(湜時為陸渾尉) 韓退之(韓愈)詩<93-#0>Ⅱ中唐詩493 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ1558

「公安」湖北省州市長江南岸。安梅園が古代より有名。

 

枉智 掎摭 ,糞壤 豈有 臧。

そんなことをしているのはもし、智を枉げて、何かを引き上げ、拾い出して、一の仕事やらかそうと思うのであれば、よろしくそのものを選ぶべく糞壤汚穢とも称すべき取るにたらないこの苑池などが何になろう。

「智」儒学をまなぶものとしての智。

「掎摭」何かを引き上げ、拾い出して、一の仕事やること。

「糞壤」くそみたいなところ。

污穢なくて身分的に最低な事

「豈有」とるにたらない。

 

誠不 如兩忘 ,但以一概

それよりも苑池などは、二つながら忘れ去り、それは尋常一様のものとして見るが良いので、その手をつけなければいけない範囲は、ほかにいくらもある。

「誠」誠意。まじめなこと

「兩忘」二つながら忘れ去り。一切忘れること。

「一概量」尋常一様のものとしての範囲。
云亭 

《讀皇甫湜公安園池詩書其後〔一本為二首。〕》元和十三年韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <875>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3359韓愈詩-221ー#1

韓愈(皇甫湜の公安園池の詩を寄せたのでそれを読んで返したその後の詩)戴晋人は堯と舜を目標とすること、尋常の人に同じく、格別えらいとも思わず、いくら堯舜を誉め立てて話しても、息を吹きかけること位に思っている。



2013年11月28日  の紀頌之5つのブログ
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孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首
魚玄機 詩 全首130回賦得江邊柳 魚玄機  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-65-1-#五言律詩  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1876
薛濤 詩詞全首100 井梧吟 薛濤 唐五代詞・宋詩 薛濤-136-8-#1  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2227
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温庭筠 70首『菩薩蠻 一』温庭筠  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-1-1-#1 花間集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1620
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皇甫松 10首 採蓮子二首  其一 皇甫松  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-307-5-#61  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3082
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《讀皇甫湜公安園池詩書其後〔一本為二首。〕》元和十三年韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <875  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3359韓愈詩-221ー#1

 

 

作時: 818  元和十三年  51

卷別: 卷三四一  文體: 五言古詩 

詩題: 讀皇甫湜公安園池詩書其後〔一本為二首。〕 

及地點: 公安園池 (山南東道 荊州 公安)     

交遊人: 皇甫湜 (山南東道 襄州 襄陽)

 

221-#1

讀皇甫湜公安園池詩書其後

(皇甫湜の公安園池の詩を寄せたのでそれを読んで返したその後の詩)

晉人目二子,其猶吹一

戴晋人は堯と舜を目標とすること、尋常の人に同じく、格別えらいとも思わず、いくら堯舜を誉め立てて話しても、息を吹きかけること位に思っている。

區區自其下,顧肯掛牙舌。

元来区区として、堯舜のことに甘んずるようでは、到底つまらぬ人で、歯牙にかかるにも足らず、そこ得行くと戴晋人はちょっと奇矯のようではあるが、一面からいえば、最も至極なことである。

《春秋》書王法,不誅其人身。

「春秋」は孔子が王法に基づいて褒貶したもので、はあるが、何もその人の身を誅するがためにしたのではなく、あくまで道にかなったもので、儒教の正義はまさしくここにある。

《爾雅》注蟲魚,定非磊落人。

「爾雅」のごときは、ほんの字書で蟲魚名を注したるにすぎず、そんなことをしているのは、決して、磊落のひとではない。

 

湜也困公安,不自閑窮年。

枉智思掎摭,糞壤穢豈有臧。

誠不如兩忘,但以一概量。

 

我有一池水,蒲葦生其間。 

蟲魚沸相嚼,日夜不得閑。 

我初往觀之,其後益不觀。

 

觀之亂我意,不如不觀完。 

用將濟諸人,捨得業孔顏。 

百年詎幾時,君子不可閑。 

 

(皇甫湜【こうほしょく】公安の園池の詩を讀み、其の後に書す)

晉人 二子を目す,其れ猶お一【いちげつ】をくがごとし

區區として其下よりせば,顧みるに肯えて牙舌【がぜつ】に掛らむや。

《春秋》は王法を書す,其の人の身を誅せず。

《爾雅》は注蟲魚【ちゅうぎょ】をす,定めて磊落【らいらく】の人に非ず。

湜【しょく】や公安に困【くるし】み,不自ら閑に年を窮めず。

智を枉げて掎摭【きしょう】せむことを思う,糞壤【ふんじょう】【おあい】豈に臧【よき】ころらむ

誠に如かず兩つながら忘れ,但だ一概を以って量る。

 

我に一池の水有り,蒲葦【ほい】其の間に生ず。 

蟲魚【ちゅうぎょ】沸いて相い嚼【か】み,日夜 閑なるを得ず。 

我 初め往うて之を觀る,其の後 益【ますま】す觀ず。 

之を觀れば我が意を亂る,如かず 觀ずして完うするに。 

用うるとき將に諸人を濟【すく】わんとす,捨るときは孔顏を業とすつを得む。 

百年 詎【なん】ぞ幾時ぞ,君子 閑なる可からず。 

云亭 

『讀皇甫湜公安園池詩書其後』 現代語訳と訳註

(本文)

讀皇甫湜公安園池詩書其後

晉人目二子,其猶吹一

區區自其下,顧肯掛牙舌。

《春秋》書王法,不誅其人身。

《爾雅》注蟲魚,定非磊落人。

 

(下し文)

晉人 二子を目す,其れ猶お一【いちげつ】を吹くがごとし。

區區として其下よりせば,顧みるに肯えて牙舌【がぜつ】に掛らむや。

《春秋》は王法を書す,其の人の身を誅せず。

《爾雅》は注蟲魚【ちゅうぎょ】をす,定めて磊落【らいらく】の人に非ず。

 

(現代語訳)

(皇甫湜の公安園池の詩を寄せたのでそれを読んで返したその後の詩)

戴晋人は堯と舜を目標とすること、尋常の人に同じく、格別えらいとも思わず、いくら堯舜を誉め立てて話しても、息を吹きかけること位に思っている。

元来区区として、堯舜のことに甘んずるようでは、到底つまらぬ人で、歯牙にかかるにも足らず、そこ得行くと戴晋人はちょっと奇矯のようではあるが、一面からいえば、最も至極なことである。

「春秋」は孔子が王法に基づいて褒貶したもので、はあるが、何もその人の身を誅するがためにしたのではなく、あくまで道にかなったもので、儒教の正義はまさしくここにある。

「爾雅」のごときは、ほんの字書で蟲魚名を注したるにすぎず、そんなことをしているのは、決して、磊落のひとではない。

 

(訳注)

讀皇甫湜公安園池詩書其後

(皇甫湜の公安園池の詩を寄せたのでそれを読んで返したその後の詩)

この詩は皇甫湜が公安縣に赴任し、その地にある園地に遊んで詩を作り、それを韓愈に寄せたのでその詩の後ろに題するために作った。

皇甫湜にこんな詩を作っているようではだめで、もっと儒学を勉強しなさいというものである。

 

晉人 二子 ,其猶吹

戴晋人は堯と舜を目標とすること、尋常の人に同じく、格別えらいとも思わず、いくら堯舜を誉め立てて話しても、息を吹きかけること位に思っている。

「晉人目」晉人。

「二子」堯と舜

「一」小さな音の意)風の吹き過ぎる際の小さな音。荘子‐則陽「恵子曰、夫吹 也、猶有 也。吹 剣首 者、 而已矣。堯 .

 

區區 自其下 ,顧肯 牙舌

元来区区として、堯舜のことに甘んずるようでは、到底つまらぬ人で、歯牙にかかるにも足らず、そこ得行くと戴晋人はちょっと奇矯のようではあるが、一面からいえば、最も至極なことである。

「區區」(1)ばらばらでまとまりのないさま。まちまち。 (2)小さくてとるに足りないさま。

「牙舌」歯牙舌。

 

《春秋 》書 王法 ,不誅 其人

「春秋」は孔子が王法に基づいて褒貶したもので、はあるが、何もその人の身を誅するがためにしたのではなく、あくまで道にかなったもので、儒教の正義はまさしくここにある。

「春秋」春秋時代に関する編年体の歴史書である。儒教では、孔子の手が加わった、もしくは孔子が作ったとされ、その聖典である経書(五経または六経)の一つとされている。

「書」語義類別:人、行為動作、一般行為(宀部)、寫。

「王法」儒者の正義の法をいう。

 

《爾雅 》注 蟲魚 ,定非 磊落

「爾雅」のごときは、ほんの字書で蟲魚名を注したるにすぎず、そんなことをしているのは、決して、磊落のひとではない。

「爾雅」古代の字書。いま伝わる本は全19篇。著者,著作の年代,ともに未詳。ただし周公旦の著作といい,あるいは孔子の作といい,またあるいは孔子の弟子の作というのは,いずれもこの字書を重視し,できるだけ由緒正しいものに仕立てようというためであろう。《爾疋(じが)》とも書くが,いずれも〈爾〉は〈邇〉すなわち〈近〉,〈雅〉もしくは〈疋〉は〈正〉,全体として〈正しきに近づく〉意だとされ,もと《五経》をその正しい意味において読むための字書だとされた。

「蟲魚」むしと魚。

「磊落」度量が広く、小事にこだわらないこと。また、そのさま。
真竹002 

《晚秋郾城夜會聯句〔韓愈、李正封〕》最終回(27)-#25韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <874>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3354韓愈詩-220-#25

〔韓愈、李正封〕《晚秋郾城夜會聯句》最終回(27)ここに聯句を為し、詩を作って、淮西征伐の本末は、到底詳述することが出来ないに相違ないが、糟粕、なお余味を存するものとして、どうか世に残しておきたいものである。


2013年11月27日  の紀頌之5つのブログ
●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場
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女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
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25

雪下收新息,陽生過京索。

思えば雪降る時、蔡州をおとしいれて呉元濟を擒にし、一陽来復の冬至の時分に凱旋して、亰索地方を通過した。

爾牛時寢訛,我僕或歌咢。(正封)

汝らの牛も、先には徴発されて、輺重を運搬していたが、今後放し飼いにされて、寢るも、動くも、勝手次第になるし、わがしもべも、先には戦地に従行して、ずいぶん苦労したが、これからは歌ったり、鼓を打ったりして、十分休息をすることが出来る。

帝載彌天地,臣辭劣螢爝。

天子の事業は、天地の間にわたって、洪大無辺なるに反して、臣の言辞は、蛍火のごとく、はなはだ拙劣なるものである。

爲詩安能詳,庶用存糟粕。(愈)

ここに聯句を為し、詩を作って、淮西征伐の本末は、到底詳述することが出来ないに相違ないが、糟粕、なお余味を存するものとして、どうか世に残しておきたいものである。

 

雪 下って新息を收め,陽 生じて京索を過ぎむ。

爾じの牛 時に寢訛【しんか】,我が僕 或は歌咢【かがく】。(正封)

帝の載【とし】天地に彌【わた】り,臣の辭 螢爝【けいしゃく】よりも劣【つたな】し。

詩を爲【つく】って安んぞ能く詳【つまびらか】にせむ,庶【こいねが】はくば用って糟粕を存せむ。(愈)

甘粛省-嘉峪関 

 

『晚秋郾城夜會聯句』 現代語訳と訳註

(本文)

雪下收新息,陽生過京索。

爾牛時寢訛,我僕或歌咢。(正封)

帝載彌天地,臣辭劣螢爝。

爲詩安能詳,庶用存糟粕。(愈)

 

(下し文)

雪 下って新息を收め,陽 生じて京索を過ぎむ。

爾じの牛 時に寢訛【しんか】,我が僕 或は歌咢【かがく】。(正封)

帝の載【とし】天地に彌【わた】り,臣の辭 螢爝【けいしゃく】よりも劣【つたな】し。

詩を爲【つく】って安んぞ能く詳【つまびらか】にせむ,庶【こいねが】はくば用って糟粕を存せむ。(愈)

 

(現代語訳)

思えば雪降る時、蔡州をおとしいれて呉元濟を擒にし、一陽来復の冬至の時分に凱旋して、亰索地方を通過した。

汝らの牛も、先には徴発されて、輺重を運搬していたが、今後放し飼いにされて、寢るも、動くも、勝手次第になるし、わがしもべも、先には戦地に従行して、ずいぶん苦労したが、これからは歌ったり、鼓を打ったりして、十分休息をすることが出来る。

天子の事業は、天地の間にわたって、洪大無辺なるに反して、臣の言辞は、蛍火のごとく、はなはだ拙劣なるものである。

ここに聯句を為し、詩を作って、淮西征伐の本末は、到底詳述することが出来ないに相違ないが、糟粕、なお余味を存するものとして、どうか世に残しておきたいものである。

 

 

(訳注)

雪下收新息,陽生過京索。

思えば雪降る時、蔡州をおとしいれて呉元濟を擒にし、一陽来復の冬至の時分に凱旋して、亰索地方を通過した。

・新息 蔡州にある新息縣をいう。蔡州をおとしいれて呉元濟を擒にしたことをしめす。

・陽生 冬至の一陽来復の時分をいう。

・京索 京は県名、策は部落、地域といった意味と考える。漢書皇帝紀「楚と濚陽の南、京策の間に戦う」とある。

 

爾牛時寢訛,我僕或歌咢。(正封)

汝らの牛も、先には徴発されて、輺重を運搬していたが、今後放し飼いにされて、寢るも、動くも、勝手次第になるし、わがしもべも、先には戦地に従行して、ずいぶん苦労したが、これからは歌ったり、鼓を打ったりして、十分休息をすることが出来る。

・寢訛 寢るも、動くも、勝手次第になり、放し飼いにされること。

・咢 鼓を敲くこと。

 

帝載彌天地,臣辭劣螢爝。

天子の事業は、天地の間にわたって、洪大無辺なるに反して、臣の言辞は、蛍火のごとく、はなはだ拙劣なるものである。

・帝載 天子の事業。

・劣螢爝 蛍火のごとく、はなはだ拙劣なるものであることをいう。

 

爲詩安能詳,庶用存糟粕。(愈)

ここに聯句を為し、詩を作って、淮西征伐の本末は、到底詳述することが出来ないに相違ないが、糟粕、なお余味を存するものとして、どうか世に残しておきたいものである。

・糟粕 先人のまねをするだけで、独創性のないことのたとえ。『荘子(天道)』「君之所読者、古人之糟魄已矣」聖人の道は言語や文章で表すことはできない。書物に残っている聖人の言はその糟粕(かす)のようなものである。
幻日環01 

《晚秋郾城夜會聯句〔韓愈、李正封〕》(26)-#24韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <873>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3349韓愈詩-220-#24

〔韓愈、李正封〕《晚秋郾城夜會聯句》(26)池の蓮は、秋、実が熟して房を破り、中庭の若竹は夏にずんずん伸びて、皮が禿げるくらいになるくらい歳月は遠慮なく押し移ってゆく。願うことには、天子の五歳一度遵守せられるに陪同して、恆嶽と岱山に朝し、一年三度の狩猟にしたがって、長楊五柞、両故宮の間に宿したいというところであるし、


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●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場
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『花間集』継続中 
杜甫全詩 韓愈全詩 花間集 古詩源 玉台新詠

 

《晚秋郾城夜會聯句〔韓愈、李正封〕》(26)-#24韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <873>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3349韓愈詩-220-#24

 

21

山多離隱豹,野有求伸蠖。

推選羣材,薦延搜一鶚。(正封)

左右供諂譽,親交獻諛噱。

名聲載揄揚,權勢實熏灼。(愈)

いまの世には、群賢ことごとく朝に在るも、尚遺賢無きにしも非ずで、山には隠れていた霧の中から離れて、文彩すでに成りし豹も多く、野には、今まで屈したが、これから大いに伸びようとする尺蠖もある。

草野賢良、既に少なからざる上は、その羣材を検閲して、多くの鷥鳥の中から一羽の鶚を探り出すとおなじく、しかるべきものを推選して、蔓延せねばならない。

左右の侍者は、お気にいるようなことをいってから、相公の才徳を誉めそやして、親交の輩は、諛言を呈して笑いを献ずるが、それは、その場合に限るのであって、国家の大事に至っては掛かる手合いを相手にせず、別に相談されるべき人がいくらもあろう。

今や、相公の名声は、いよいよ上がり、権勢は、あらゆるものを薫灼せんばかり。

山には隱を離るる豹多く,野には伸ぶるをむるの蠖【わく】有り。

推選 羣材をし,薦延【すいえん】一鶚【いちがく】搜る。(正封)

左右 供諂譽【てんよ】をし,親交 諛噱【ゆうやく】を獻ず。

名聲 載ち揄揚【ゆよう】,權勢 實に熏灼【くんしゃく】。(愈)

 

22

道舊生感激,當歌發酬酢。

羣孫輕綺紈,下客豐醴酪。(正封)

窮天貢琛異,匝海賜酺醵。

作樂鼓還槌,從禽弓始彍。(愈)

自分としては、幸いに久しい前から、知遇をかたじけのうすることによって、ありし昔のことを言いだして、感激を生じ、歌を歌って歓しく過ごすべきことに代えて、酒の献酬をしている。

相公の羣孫は、軽くして精巧なる絹物を召され、賓客中の最下なものまでも、芳醇な酒などを十分に頂戴しているのである。

そうであるから、天下を極めて、珍しき品々を献上し、海をめぐって集めた珍味を以て、饗応されたのである。

その時になって、音楽を成して、鼓をなんども拍してkれて、鳥を射撃たんとして弓を張るのである。

舊を道うて感激を生じ,歌に當って酬酢【しゅうさく】を發す。

羣孫 綺紈【きがん】を輕くし,下客 醴酪【れいらく】を豐にす。(正封)

天を窮めて琛異【らんい】を貢し,海を匝【めぐ】って酺醵【ほきゃく】を賜う。

樂を作して鼓 還た槌ち,禽を從【お】うて弓 始めて彍【は】る。(愈)

 

23

取歡移日飲,求勝通宵博。

五白氣爭呼,六奇心運度。(正封)

恩澤誠布濩,嚚頑已簫勺。

告成上云亭,考古垂矩矱。(愈)

歓楽を求めて夜飲に日の遷るを忘れ、勝ちを求めて徹宵、博塞の游をなすこともある。

博塞における賽の目の五白は、気合で転がしだすのであるし、また、陳平のごとく、六度までも奇計をなして毫も窮せざる心を持って運度とするからである。

今や天子の恩沢は、布き渡らぬ隈もなく、嚚頑にして教化しがたき賊徒も追々慣れて親しむようになり、簫勺の楽を聞くようになった。

うであればその成功を告げ封禅の義を行って、雲亭二山に登ることもあるべく、古の興亡盛衰を考えて、法度を天下後世に垂れるようにしたいのである。

 

24

前堂清夜吹,東第良晨酌。

わたしとしても、またその通りで前堂に置いては、清夜に管を吹き、東第においては、良晨に酒を酌み朝夕優遊しているのであるが、

池蓮拆秋房,院竹飜夏籜。(正封)

池の蓮は、秋、実が熟して房を破り、中庭の若竹は夏にずんずん伸びて、皮が禿げるくらいになるくらい歳月は遠慮なく押し移ってゆく。

五狩朝恆岱,三畋宿楊柞。

願うことには、天子の五歳一度遵守せられるに陪同して、恆嶽と岱山に朝し、一年三度の狩猟にしたがって、長楊五柞、両故宮の間に宿したいというところであるし、

農書乍討論,馬法長懸格。(愈)

乱を起こした賊共は既に平定されて、世は清平になったから、農業に関する古書を討論し、司馬法などの兵書は、今後全く不要になってしまった。

 

云亭 

『晚秋郾城夜會聯句』〔韓愈、李正封〕 現代語訳と訳註

(本文)24

前堂清夜吹,東第良晨酌。

池蓮拆秋房,院竹飜夏籜。(正封)

五狩朝恆岱,三畋宿楊柞。

農書乍討論,馬法長懸格。(愈)

 

(下し文) 24

前堂 清夜の吹,東第 良晨の酌。

池蓮 秋房を拆り,院竹 夏籜【かたく】を飜す。(正封)

五狩 恆岱【こうだい】朝し,三畋【さんぶん】楊柞に宿す。

農書 乍【たちま】ち討論,馬法【ばほう】長く懸格【けんかく】。(愈)

 

(現代語訳)

わたしとしても、またその通りで前堂に置いては、清夜に管を吹き、東第においては、良晨に酒を酌み朝夕優遊しているのであるが、

池の蓮は、秋、実が熟して房を破り、中庭の若竹は夏にずんずん伸びて、皮が禿げるくらいになるくらい歳月は遠慮なく押し移ってゆく。

願うことには、天子の五歳一度遵守せられるに陪同して、恆嶽と岱山に朝し、一年三度の狩猟にしたがって、長楊五柞、両故宮の間に宿したいというところであるし、

乱を起こした賊共は既に平定されて、世は清平になったから、農業に関する古書を討論し、司馬法などの兵書は、今後全く不要になってしまった。

 

 

(訳注) 24

前堂清夜吹,東第良晨酌。

わたしとしても、またその通りで前堂に置いては、清夜に管を吹き、東第においては、良晨に酒を酌み朝夕優遊しているのであるが、

・清夜吹 清夜に管楽器を吹くこと。

・良晨酌 良晨に酒を酌み朝夕優遊する。

 

池蓮拆秋房,院竹飜夏籜。(正封)

池の蓮は、秋、実が熟して房を破り、中庭の若竹は夏にずんずん伸びて、皮が禿げるくらいになるくらい歳月は遠慮なく押し移ってゆく。

・夏籜 夏にずんずん伸びて、皮が禿げるくらいになるくらい歳月は遠慮なく押し移ってゆく

 

五狩朝恆岱,三畋宿楊柞。

願うことには、天子の五歳一度遵守せられるに陪同して、恆嶽と岱山に朝し、一年三度の狩猟にしたがって、長楊五柞、両故宮の間に宿したいというところであるし、

・恆岱 五岳(ごがく)道教の聖地である5つの山の北岳と東岳のこと。恒山(北嶽;2,016,m山西省大同市渾源県)と泰山(東嶽;1,545m山東省泰安市泰山区)のこと。

・楊柞 長楊宮。もと秦の離宮で、漢代に修理された。五柞宮も漢代の故宮。

 

農書乍討論,馬法長懸格。(愈)

乱を起こした賊共は既に平定されて、世は清平になったから、農業に関する古書を討論し、司馬法などの兵書は、今後全く不要になってしまった。

・馬法 司馬法などの兵書。
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《晚秋郾城夜會聯句〔韓愈、李正封〕》(25)-#23韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <872>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3344韓愈詩-220-#23

〔韓愈、李正封〕《晚秋郾城夜會聯句》(25) 博塞における賽の目の五白は、気合で転がしだすのであるし、また、陳平のごとく、六度までも奇計をなして毫も窮せざる心を持って運度とするからである。今や天子の恩沢は、布き渡らぬ隈もなく、嚚頑にして教化しがたき賊徒も追々慣れて親しむようになり、簫勺の楽を聞くようになった。


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●●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩
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安世房中歌十七首(1) 唐山夫人 漢詩 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67710265.html 
為焦仲卿妻作 序 漢詩<143>古詩源 巻三 女性詩http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67729401.html
於凊河見輓船士新婚別妻一首 曹丕(魏文帝) 魏詩http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67759129.html
朔風 (一章) 曹植 魏詩<25-#1>文選雑詩 上 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67780868.html
謝靈運詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/1901_shareiun000.html 謝靈運詩六朝期の山水詩人。この人の詩は上品ですがすがしい男性的な深みのある詩である。後世に多大な影響を残している。
謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。
登永嘉緑嶂山詩 #1 謝霊運 <20> 詩集 386ーhttp://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67474554.html
登池上樓 #1 謝霊運<25>#1  ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67502196.html
孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。
李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html 
李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首
魚玄機 詩 全首130回賦得江邊柳 魚玄機  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-65-1-#五言律詩  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1876
薛濤 詩詞全首100 井梧吟 薛濤 唐五代詞・宋詩 薛濤-136-8-#1  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2227
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温庭筠 70首『菩薩蠻 一』温庭筠  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-1-1-#1 花間集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1620
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『花間集』継続中 
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《晚秋郾城夜會聯句〔韓愈、李正封〕》(25)-#23韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <872>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3344韓愈詩-220-#23

 

 

#21

山多離隱豹,野有求伸蠖。

いまの世には、群賢ことごとく朝に在るも、尚遺賢無きにしも非ずで、山には隠れていた霧の中から離れて、文彩すでに成りし豹も多く、野には、今まで屈したが、これから大いに伸びようとする尺蠖もある。

推選羣材,薦延搜一鶚。(正封)

草野賢良、既に少なからざる上は、その羣材を検閲して、多くの鷥鳥の中から一羽の鶚を探り出すとおなじく、しかるべきものを推選して、蔓延せねばならない。

左右供諂譽,親交獻諛噱。

左右の侍者は、お気にいるようなことをいってから、相公の才徳を誉めそやして、親交の輩は、諛言を呈して笑いを献ずるが、それは、その場合に限るのであって、国家の大事に至っては掛かる手合いを相手にせず、別に相談されるべき人がいくらもあろう。

名聲載揄揚,權勢實熏灼。(愈)

今や、相公の名声は、いよいよ上がり、権勢は、あらゆるものを薫灼せんばかり。

山には隱を離るる豹多く,野には伸ぶるをむるの蠖【わく】有り。

推選 羣材をし,薦延【すいえん】一鶚【いちがく】搜る。(正封)

左右 供諂譽【てんよ】をし,親交 諛噱【ゆうやく】を獻ず。

名聲 載ち揄揚【ゆよう】,權勢 實に熏灼【くんしゃく】。

#22

道舊生感激,當歌發酬酢。

自分としては、幸いに久しい前から、知遇をかたじけのうすることによって、ありし昔のことを言いだして、感激を生じ、歌を歌って歓しく過ごすべきことに代えて、酒の献酬をしている。

羣孫輕綺紈,下客豐醴酪。(正封)

相公の羣孫は、軽くして精巧なる絹物を召され、賓客中の最下なものまでも、芳醇な酒などを十分に頂戴しているのである。

窮天貢琛異,匝海賜酺醵。

そうであるから、天下を極めて、珍しき品々を献上し、海をめぐって集めた珍味を以て、饗応されたのである。

作樂鼓還槌,從禽弓始彍。(愈)

その時になって、音楽を成して、鼓をなんども拍してkれて、鳥を射撃たんとして弓を張るのである。

舊を道うて感激を生じ,歌に當って酬酢【しゅうさく】を發す。

羣孫 綺紈【きがん】を輕くし,下客 醴酪【れいらく】を豐にす。(正封)

天を窮めて琛異【らんい】を貢し,海を匝【めぐ】って酺醵【ほきゃく】を賜う。

樂を作して鼓 還た槌ち,禽を從【お】うて弓 始めて彍【は】る。(愈)

 

#23

取歡移日飲,求勝通宵博。

歓楽を求めて夜飲に日の遷るを忘れ、勝ちを求めて徹宵、博塞の游をなすこともある。

五白氣爭呼,六奇心運度。(正封)

博塞における賽の目の五白は、気合で転がしだすのであるし、また、陳平のごとく、六度までも奇計をなして毫も窮せざる心を持って運度とするからである。

恩澤誠布濩,嚚頑已簫勺。

今や天子の恩沢は、布き渡らぬ隈もなく、嚚頑にして教化しがたき賊徒も追々慣れて親しむようになり、簫勺の楽を聞くようになった。

告成上云亭,考古垂矩矱。(愈)

うであればその成功を告げ封禅の義を行って、雲亭二山に登ることもあるべく、古の興亡盛衰を考えて、法度を天下後世に垂れるようにしたいのである。

歡を取り 日を移して飲み,勝を求めて宵を通じて博す。

五白【ごさい】 氣 爭呼【そうこ】し,六奇 心 運度【うんたく】す。(正封)

恩澤 誠に布濩【ふご】し,嚚頑【ぎんがん】已に簫勺【しょうしゃくす】。

成を告げて云亭に上り,古えを考えて矩矱【くかく】に垂る。(愈) 

云亭 

『晚秋郾城夜會聯句』〔韓愈、李正封〕 現代語訳と訳註

(本文) 23

取歡移日飲,求勝通宵博。

五白氣爭呼,六奇心運度。(正封)

恩澤誠布濩,嚚頑已簫勺。

告成上云亭,考古垂矩矱。(愈)

 

(下し文) 23

歡を取り 日を移して飲み,勝を求めて宵を通じて博す。

五白【ごさい】 氣 爭呼【そうこ】し,六奇 心 運度【うんたく】す。(正封)

恩澤 誠に布濩【ふご】し,嚚頑【ぎんがん】已に簫勺【しょうしゃくす】。

成を告げて云亭に上り,古えを考えて矩矱【くかく】に垂る。(愈)

 

(現代語訳)

歓楽を求めて夜飲に日の遷るを忘れ、勝ちを求めて徹宵、博塞の游をなすこともある。

博塞における賽の目の五白は、気合で転がしだすのであるし、また、陳平のごとく、六度までも奇計をなして毫も窮せざる心を持って運度とするからである。

今や天子の恩沢は、布き渡らぬ隈もなく、嚚頑にして教化しがたき賊徒も追々慣れて親しむようになり、簫勺の楽を聞くようになった。

うであればその成功を告げ封禅の義を行って、雲亭二山に登ることもあるべく、古の興亡盛衰を考えて、法度を天下後世に垂れるようにしたいのである。

 

(訳注) 23

取歡移日飲,求勝通宵博。

歓楽を求めて夜飲に日の遷るを忘れ、勝ちを求めて徹宵、博塞の游をなすこともある。

通宵博 夜通し賭博をする。荘子、外篇駢拇第八「問穀奚事、則博塞以遊。」「賊与穀一一人相与牧羊、而倶亡其羊。問臧奚事、則抉莢謊書。間穀実事、則博塞以遊。一一人者事業不同、其於亡羊、均也。」

 

五白氣爭呼,六奇心運度。(正封)

博塞における賽の目の五白は、気合で転がしだすのであるし、また、陳平のごとく、六度までも奇計をなして毫も窮せざる心を持って運度とするからである。

・五白 『楚辞·招魂』「成梟而牟,呼五白些。」梟(一の目)が出て倍勝ちになろうと五白(五の目)のよい目を大声で叫ぶ。

・六奇 六度までの奇計。陳平(未詳- 紀元前178年)は、中国秦末から前漢初期にかけての政治家・軍師で、魏咎・項羽などに仕官するものの長続きせず、最終的には劉邦に仕え、項羽との戦い(楚漢戦争)の中で危機に陥る劉邦を、さまざまな献策(奇計)で救った。その後、劉邦の遺言により丞相となり、呂雉亡き後の呂氏一族を謀で滅ぼして劉氏の政権を守るという功績を立てた。

 

恩澤誠布濩,嚚頑已簫勺。

今や天子の恩沢は、布き渡らぬ隈もなく、嚚頑にして教化しがたき賊徒も追々慣れて親しむようになり、簫勺の楽を聞くようになった。

・布濩 恩沢が隅々まで行き渡ること。遍布。布散。

・嚚頑 意地悪くまた頑固な人。頑冥で、かたくなに口を開かないこと。

・簫勺 簫は舜の楽で勺は周の楽でもって賊軍を一掃すること。。

唐山夫人『安世房中歌十七首(5)』 五

有奸,紛亂東北。詔撫成師,武臣承德。

行樂交逆,《簫》、《勺》群慝。肅為濟哉,蓋定燕國。

国土を侵略してくる異民族、匈奴がある、彼等はわが東北地方騒乱を起こしていた。

これを伐つために、高祖は詔をくだされ、兵を起こし騒乱を平定した民を安んじられた。武臣はよく皇帝の徳意をうけて命に従ったのである。

軍隊は和楽して行軍するので、遠近の民はみなよろこんで迎えた、ついに群がる悪賊を徹底的に壊滅させたのである。

まことに厳粛にして威儀多きことをいきわたらせたのである、今や燕国をしてことごく平定ならしめた。

 

 

告成上云亭,考古垂矩矱。(愈)

そうであればその成功を告げ封禅の義を行って、雲亭二山に登ることもあるべく、古の興亡盛衰を考えて、法度を天下後世に垂れるようにしたいのである。

云亭 云云山亭亭山合称である古代帝王が封禅を行った嵩山、泰山を云う。

《晚秋郾城夜會聯句〔韓愈、李正封〕》(24)-#22韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <871>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3339韓愈詩-220-#22

〔韓愈、李正封〕《晚秋郾城夜會聯句》(24) 相公の羣孫は、軽くして精巧なる絹物を召され、賓客中の最下なものまでも、芳醇な酒などを十分に頂戴しているのである。そうであるから、天下を極めて、珍しき品々を献上し、海をめぐって集めた珍味を以て、饗応されたのである。
 

2013年11月24日  の紀頌之5つのブログ
●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場
Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
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班孟堅(班固)《西都賦》(4)#2-2 文選 賦<112―4>18分割55回 Ⅱ李白に影響を与えた詩958 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3338
●唐を代表する中唐の韓愈の儒家としての考えのよくわかる代表作の一つ
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《晚秋郾城夜會聯句〔韓愈、李正封〕》(24)-#22韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <871>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3339韓愈詩-220-#22
●杜甫の全作品1141首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"
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謝靈運詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/1901_shareiun000.html 謝靈運詩六朝期の山水詩人。この人の詩は上品ですがすがしい男性的な深みのある詩である。後世に多大な影響を残している。
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登池上樓 #1 謝霊運<25>#1  ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67502196.html
孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。
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李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首
魚玄機 詩 全首130回賦得江邊柳 魚玄機  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-65-1-#五言律詩  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1876
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温庭筠 70首『菩薩蠻 一』温庭筠  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-1-1-#1 花間集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1620
韋荘 50首 菩薩蠻 一 韋荘  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩花間集Gs-247-5-#1  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2617
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『花間集』継続中 
杜甫全詩 韓愈全詩 花間集 古詩源 玉台新詠

《晚秋郾城夜會聯句〔韓愈、李正封〕》(24)-#22韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <871>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3339韓愈詩-220-#22

 

 

#20

洗沐恣蘭芷,割烹厭腗

湯浴みをしたり、髪を洗ったりするときは、蘭芷の香料を加え、割烹は腸詰に飽きるくらい。

喜顏非忸怩,達志無隕穫。(正封)

喜ばしき顔をされたところで、もとその功勲によって至当のことであるから、決して恥入ることもなく、既に志を達したうえは、決して困迫されることはない。

詼諧酒席展,慷慨戎裝著。

その酒の席に於けることで詼諧を弄し、戎裝を著毛ては、慷慨の気象がりりしい。

斬馬祭旄纛,炰羔禮芒屩。(愈)

先に出陣の際には、馬を斬って旄纛を祀ったが、今や都に凱旋し、羊の肉を包みに焼にして、行李をはいているような窮士をも禮せられる。

洗沐【せんもく】蘭芷【らんし】を恣【ほしいまま】にし,割烹【かっぽう】腗【ひきゃく】に厭【あ】く。

顏を喜ばして忸怩【ちくじ】に非ず,志を達して隕穫【えんかく】する無し。(正封)

詼諧【かいかい】酒席を展べ,慷慨【こうがい】戎裝【じゅうそう】を著く。

馬を斬って旄纛【ぼうとう】を祭り,羔【こう】を炰して芒屩【ぼうきゃく】を禮す。(愈)

 

#21

山多離隱豹,野有求伸蠖。

いまの世には、群賢ことごとく朝に在るも、尚遺賢無きにしも非ずで、山には隠れていた霧の中から離れて、文彩すでに成りし豹も多く、野には、今まで屈したが、これから大いに伸びようとする尺蠖もある。

推選羣材,薦延搜一鶚。(正封)

草野賢良、既に少なからざる上は、その羣材を検閲して、多くの鷥鳥の中から一羽の鶚を探り出すとおなじく、しかるべきものを推選して、蔓延せねばならない。

左右供諂譽,親交獻諛噱。

左右の侍者は、お気にいるようなことをいってから、相公の才徳を誉めそやして、親交の輩は、諛言を呈して笑いを献ずるが、それは、その場合に限るのであって、国家の大事に至っては掛かる手合いを相手にせず、別に相談されるべき人がいくらもあろう。

名聲載揄揚,權勢實熏灼。(愈)

今や、相公の名声は、いよいよ上がり、権勢は、あらゆるものを薫灼せんばかり。

鷹将

山には隱を離るる豹多く,野には伸ぶるをむるの蠖【わく】有り。

推選 羣材をし,薦延【すいえん】一鶚【いちがく】搜る。(正封)

左右 供諂譽【てんよ】をし,親交 諛噱【ゆうやく】を獻ず。

名聲 載ち揄揚【ゆよう】,權勢 實に熏灼【くんしゃく】。

22

道舊生感激,當歌發酬酢。

自分としては、幸いに久しい前から、知遇をかたじけのうすることによって、ありし昔のことを言いだして、感激を生じ、歌を歌って歓しく過ごすべきことに代えて、酒の献酬をしている。

羣孫輕綺紈,下客豐醴酪。(正封)

相公の羣孫は、軽くして精巧なる絹物を召され、賓客中の最下なものまでも、芳醇な酒などを十分に頂戴しているのである。

窮天貢琛異,匝海賜酺醵。

そうであるから、天下を極めて、珍しき品々を献上し、海をめぐって集めた珍味を以て、饗応されたのである。

作樂鼓還槌,從禽弓始彍。(愈)

その時になって、音楽を成して、鼓をなんども拍してkれて、鳥を射撃たんとして弓を張るのである。

舊を道うて感激を生じ,歌に當って酬酢【しゅうさく】を發す。

羣孫 綺紈【きがん】を輕くし,下客 醴酪【れいらく】を豐にす。(正封)

天を窮めて琛異【らんい】を貢し,海を匝【めぐ】って酺醵【ほきゃく】を賜う。

樂を作して鼓 還た槌ち,禽を從【お】うて弓 始めて彍【は】る。(愈)

 

 

『晚秋郾城夜會聯句』〔韓愈、李正封〕 現代語訳と訳註

(本文)  22

道舊生感激,當歌發酬酢。

羣孫輕綺紈,下客豐醴酪。(正封)

窮天貢琛異,匝海賜酺醵。

作樂鼓還槌,從禽弓始彍。(愈)

 

(下し文) 22

舊を道うて感激を生じ,歌に當って酬酢【しゅうさく】を發す。

羣孫 綺紈【きがん】を輕くし,下客 醴酪【れいらく】を豐にす。(正封)

天を窮めて琛異【らんい】を貢し,海を匝【めぐ】って酺醵【ほきゃく】を賜う。

樂を作して鼓 還た槌ち,禽を從【お】うて弓 始めて彍【は】る。(愈)

 

(現代語訳)

自分としては、幸いに久しい前から、知遇をかたじけのうすることによって、ありし昔のことを言いだして、感激を生じ、歌を歌って歓しく過ごすべきことに代えて、酒の献酬をしている。

相公の羣孫は、軽くして精巧なる絹物を召され、賓客中の最下なものまでも、芳醇な酒などを十分に頂戴しているのである。

そうであるから、天下を極めて、珍しき品々を献上し、海をめぐって集めた珍味を以て、饗応されたのである。

その時になって、音楽を成して、鼓をなんども拍してkれて、鳥を射撃たんとして弓を張るのである。

 

(訳注) 22

道舊生感激,當歌發酬酢。

自分としては、幸いに久しい前から、知遇をかたじけのうすることによって、ありし昔のことを言いだして、感激を生じ、歌を歌って歓しく過ごすべきことに代えて、酒の献酬をしている。

・當歌 覆いに詠うべきである。   曹操『短歌行』「対酒当歌、人生幾何。」酒を飲もうとしている時は、歌を歌って歓しく過ごすべきである。人の命はどれほどのものだというのだろうか。

《短歌行》 魏武帝  魏詩<86-#1 古詩源 800 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2548

 

 

羣孫輕綺紈,下客豐醴酪。(正封)

相公の羣孫は、軽くして精巧なる絹物を召され、賓客中の最下なものまでも、芳醇な酒などを十分に頂戴しているのである。

・綺紈 精巧なる練絹物。紈:練り絹。

・醴酪 酒。芳醇な酒。

 

窮天貢琛異,匝海賜酺醵。

そうであるから、天下を極めて、珍しき品々を献上し、海をめぐって集めた珍味を以て、饗応されたのである。

・琛 珍しい宝。珍しいしなじな。

・酺醵 酺:酒盛り。天子から飲食をいただき宴会を開くこと。醵:金銭を払って酒盛をする。

 

作樂鼓還槌,從禽弓始彍。(愈)

その時になって、音楽を成して、鼓をなんども拍してkれて、鳥を射撃たんとして弓を張るのである。

《晚秋郾城夜會聯句〔韓愈、李正封〕》(23)-#21韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <870>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3334韓愈詩-220-#21

《晚秋郾城夜會聯句〔韓愈、李正封〕》(23)草野賢良、既に少なからざる上は、その羣材を検閲して、多くの鷥鳥の中から一羽の鶚を探り出すとおなじく、しかるべきものを推選して、蔓延せねばならない。左右の侍者は、お気にいるようなことをいってから、相公の才徳を誉めそやして、親交の輩は、諛言を呈して笑いを献ずるが、それは、その場合に限るのであって、国家の大事に至っては掛かる手合いを相手にせず、別に相談されるべき人がいくらもあろう。


2013年11月23日  の紀頌之5つのブログ
●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場
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《晚秋郾城夜會聯句〔韓愈、李正封〕》(23)-#21韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <870>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3334韓愈詩-220-#21

 

 

20

洗沐恣蘭芷,割烹厭腗

湯浴みをしたり、髪を洗ったりするときは、蘭芷の香料を加え、割烹は腸詰に飽きるくらい。

喜顏非忸怩,達志無隕穫。(正封)

喜ばしき顔をされたところで、もとその功勲によって至当のことであるから、決して恥入ることもなく、既に志を達したうえは、決して困迫されることはない。

詼諧酒席展,慷慨戎裝著。

その酒の席に於けることで詼諧を弄し、戎裝を著毛ては、慷慨の気象がりりしい。

斬馬祭旄纛,炰羔禮芒屩。(愈)

先に出陣の際には、馬を斬って旄纛を祀ったが、今や都に凱旋し、羊の肉を包みに焼にして、行李をはいているような窮士をも禮せられる。

洗沐【せんもく】蘭芷【らんし】を恣【ほしいまま】にし,割烹【かっぽう】腗【ひきゃく】に厭【あ】く。

顏を喜ばして忸怩【ちくじ】に非ず,志を達して隕穫【えんかく】する無し。(正封)

詼諧【かいかい】酒席を展べ,慷慨【こうがい】戎裝【じゅうそう】を著く。

馬を斬って旄纛【ぼうとう】を祭り,羔【こう】を炰して芒屩【ぼうきゃく】を禮す。(愈)

 

21

山多離隱豹,野有求伸蠖。

いまの世には、群賢ことごとく朝に在るも、尚遺賢無きにしも非ずで、山には隠れていた霧の中から離れて、文彩すでに成りし豹も多く、野には、今まで屈したが、これから大いに伸びようとする尺蠖もある。

推選羣材,薦延搜一鶚。(正封)

草野賢良、既に少なからざる上は、その羣材を検閲して、多くの鷥鳥の中から一羽の鶚を探り出すとおなじく、しかるべきものを推選して、蔓延せねばならない。

左右供諂譽,親交獻諛噱。

左右の侍者は、お気にいるようなことをいってから、相公の才徳を誉めそやして、親交の輩は、諛言を呈して笑いを献ずるが、それは、その場合に限るのであって、国家の大事に至っては掛かる手合いを相手にせず、別に相談されるべき人がいくらもあろう。

名聲載揄揚,權勢實熏灼。(愈)

今や、相公の名声は、いよいよ上がり、権勢は、あらゆるものを薫灼せんばかり。

鷹将

山には隱を離るる豹多く,野には伸ぶるをむるの蠖【わく】有り。

推選 羣材をし,薦延【すいえん】一鶚【いちがく】搜る。(正封)

左右 供諂譽【てんよ】をし,親交 諛噱【ゆうやく】を獻ず。

名聲 載ち揄揚【ゆよう】,權勢 實に熏灼【くんしゃく】。(愈)

 

 

『晚秋郾城夜會聯句』〔韓愈、李正封〕 現代語訳と訳註

(本文) 21

山多離隱豹,野有求伸蠖。

推選羣材,薦延搜一鶚。(正封)

左右供諂譽,親交獻諛噱。

名聲載揄揚,權勢實熏灼。(愈)

 

(下し文) 21

山には隱を離るる豹多く,野には伸ぶるをむるの蠖【わく】有り。

推選 羣材を,薦延【すいえん】一鶚【いちがく】搜る。(正封)

左右 供諂譽【てんよ】をし,親交 諛噱【ゆうやく】を獻ず。

名聲 載ち揄揚【ゆよう】,權勢 實に熏灼【くんしゃく】。(愈)

 

(現代語訳)

いまの世には、群賢ことごとく朝に在るも、尚遺賢無きにしも非ずで、山には隠れていた霧の中から離れて、文彩すでに成りし豹も多く、野には、今まで屈したが、これから大いに伸びようとする尺蠖もある。

草野賢良、既に少なからざる上は、その羣材を検閲して、多くの鷥鳥の中から一羽の鶚を探り出すとおなじく、しかるべきものを推選して、蔓延せねばならない。

左右の侍者は、お気にいるようなことをいってから、相公の才徳を誉めそやして、親交の輩は、諛言を呈して笑いを献ずるが、それは、その場合に限るのであって、国家の大事に至っては掛かる手合いを相手にせず、別に相談されるべき人がいくらもあろう。

今や、相公の名声は、いよいよ上がり、権勢は、あらゆるものを薫灼せんばかり。

 

 

(訳注) 21

山多離隱豹,野有求伸蠖。

いまの世には、群賢ことごとく朝に在るも、尚遺賢無きにしも非ずで、山には隠れていた霧の中から離れて、文彩すでに成りし豹も多く、野には、今まで屈したが、これから大いに伸びようとする尺蠖もある。

・蠖 尺蠖:尺取虫(しゃくとりむし)の古名。

 

推選羣材,薦延搜一鶚。(正封)

草野賢良、既に少なからざる上は、その羣材を検閲して、多くの鷥鳥の中から一羽の鶚を探り出すとおなじく、しかるべきものを推選して、蔓延せねばならない。

・鶚 タカ目ミサゴ科の猛鳥。全長60センチメートルほどで翼が細長く、腹が白いのでカモメに似る。海岸や湖沼にすみ、魚を見つけると水面に急降下し、足でつかみとって食べる。南米と極地を除く全世界に広く分布。

 

左右供諂譽,親交獻諛噱。

左右の侍者は、お気にいるようなことをいってから、相公の才徳を誉めそやして、親交の輩は、諛言を呈して笑いを献ずるが、それは、その場合に限るのであって、国家の大事に至っては掛かる手合いを相手にせず、別に相談されるべき人がいくらもあろう。

・諛噱 諛:へつらうへつらう。おもねる。噱:大笑いする。

 

名聲載揄揚,權勢實熏灼。(愈)

今や、相公の名声は、いよいよ上がり、権勢は、あらゆるものを薫灼せんばかり。

・名聲 裴度、相公の名声。

・熏灼 くすぶらし焼くこと。また、苦しめ悩ますこと。鸕鷀005

《晚秋郾城夜會聯句〔韓愈、李正封〕》(22)-#20韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <869>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3329韓愈詩-220-#20

〔韓愈、李正封〕《晚秋郾城夜會聯句》(22) 喜ばしき顔をされたところで、もとその功勲によって至当のことであるから、決して恥入ることもなく、既に志を達したうえは、決して困迫されることはない。その酒の席に於けることで詼諧を弄し、戎裝を著毛ては、慷慨の気象がりりしい。
 

2013年11月22日  の紀頌之5つのブログ
●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場
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班孟堅(班固)《西都賦》(2)#1-2 文選 賦<112―2>18分割55回 Ⅱ李白に影響を与えた詩956 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3328
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《晚秋郾城夜會聯句〔韓愈、李正封〕》(22)-#20韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <869>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3329韓愈詩-220-#20
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●●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩
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『楚辞』九辯 第九段―まとめ 宋玉  <00-#35> 664 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2304  http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-rihakujoseishi/archives/6471825.html
安世房中歌十七首(1) 唐山夫人 漢詩 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67710265.html 
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於凊河見輓船士新婚別妻一首 曹丕(魏文帝) 魏詩http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67759129.html
朔風 (一章) 曹植 魏詩<25-#1>文選雑詩 上 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67780868.html
謝靈運詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/1901_shareiun000.html 謝靈運詩六朝期の山水詩人。この人の詩は上品ですがすがしい男性的な深みのある詩である。後世に多大な影響を残している。
謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。
登永嘉緑嶂山詩 #1 謝霊運 <20> 詩集 386ーhttp://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67474554.html
登池上樓 #1 謝霊運<25>#1  ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67502196.html
孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。
李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html 
李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首
魚玄機 詩 全首130回賦得江邊柳 魚玄機  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-65-1-#五言律詩  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1876
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温庭筠 70首『菩薩蠻 一』温庭筠  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-1-1-#1 花間集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1620
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『花間集』継続中 
杜甫全詩 韓愈全詩 花間集 古詩源 玉台新詠

 

《晚秋郾城夜會聯句〔韓愈、李正封〕》(22)-#20韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <869>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3329韓愈詩-220-#20

 

20

洗沐恣蘭芷,割烹厭腗

湯浴みをしたり、髪を洗ったりするときは、蘭芷の香料を加え、割烹は腸詰に飽きるくらい。

喜顏非忸怩,達志無隕穫。(正封)

喜ばしき顔をされたところで、もとその功勲によって至当のことであるから、決して恥入ることもなく、既に志を達したうえは、決して困迫されることはない。

詼諧酒席展,慷慨戎裝著。

その酒の席に於けることで詼諧を弄し、戎裝を著毛ては、慷慨の気象がりりしい。

斬馬祭旄纛,炰羔禮芒屩。(愈)

先に出陣の際には、馬を斬って旄纛を祀ったが、今や都に凱旋し、羊の肉を包みに焼にして、行李をはいているような窮士をも禮せられる。

 

洗沐【せんもく】蘭芷【らんし】を恣【ほしいまま】にし,割烹【かっぽう】腗【ひきゃく】に厭【あ】く。

顏を喜ばして忸怩【ちくじ】に非ず,志を達して隕穫【えんかく】する無し。(正封)

詼諧【かいかい】酒席を展べ,慷慨【こうがい】戎裝【じゅうそう】を著く。

馬を斬って旄纛【ぼうとう】を祭り,羔【こう】を炰して芒屩【ぼうきゃく】を禮す。(愈)

杏の花0055 

『晚秋郾城夜會聯句』〔韓愈、李正封〕 現代語訳と訳註

(本文) 20

洗沐恣蘭芷,割烹厭腗

喜顏非忸怩,達志無隕穫。(正封)

詼諧酒席展,慷慨戎裝著。

斬馬祭旄纛,炰羔禮芒屩。(愈)

 

kagaribi00

(下し文) 20

洗沐【せんもく】蘭芷【らんし】を恣【ほしいまま】にし,割烹【かっぽう】腗【ひきゃく】に厭【あ】く

顏を喜ばして忸怩【ちくじ】に非ず,志を達して隕穫【えんかく】する無し。(正封)

詼諧【かいかい】酒席を展べ,慷慨【こうがい】戎裝【じゅうそう】を著く。

馬を斬って旄纛【ぼうとう】を祭り,羔【こう】を炰して芒屩【ぼうきゃく】を禮す。(愈)

 

(現代語訳)

湯浴みをしたり、髪を洗ったりするときは、蘭芷の香料を加え、割烹は腸詰に飽きるくらい。

喜ばしき顔をされたところで、もとその功勲によって至当のことであるから、決して恥入ることもなく、既に志を達したうえは、決して困迫されることはない。

その酒の席に於けることで詼諧を弄し、戎裝を著毛ては、慷慨の気象がりりしい。

先に出陣の際には、馬を斬って旄纛を祀ったが、今や都に凱旋し、羊の肉を包みに焼にして、行李をはいているような窮士をも禮せられる。

 

(訳注) 20

洗沐恣蘭芷,割烹厭腗

湯浴みをしたり、髪を洗ったりするときは、蘭芷の香料を加え、割烹は腸詰に飽きるくらい。

・洗沐 髪を洗う。『楚辞・九歌、第二、雲忠君』「浴蘭湯兮沐芳、華采衣兮若英。」蘭湯:フジバカマとよろいぐさを入れた香湯。芷:よろいぐさ。

・腗 秘蔵腎臓を取り去り、腸詰にして炙るのをという。『詩経』「嘉肴腗」にある

 

喜顏非忸怩,達志無隕穫。(正封)

喜ばしき顔をされたところで、もとその功勲によって至当のことであるから、決して恥入ることもなく、既に志を達したうえは、決して困迫されることはない。

・忸怩 はずる。はにかむ。

・隕穫 喪失志氣。儒者の諦めの心。

 

詼諧酒席展,慷慨戎裝著。

その酒の席に於けることで詼諧を弄し、戎裝を著毛ては、慷慨の気象がりりしい。

・詼諧 - こっけいな言動をしてふざけること。おどけ。

 

斬馬祭旄纛,炰羔禮芒屩。(愈)

先に出陣の際には、馬を斬って旄纛を祀ったが、今や都に凱旋し、羊の肉を包みに焼にして、行李をはいているような窮士をも禮せられる。

・旄纛 旄牛の尾、竿(さお)の先端につける、犛牛(やく)・馬の尾の黒毛を束ねた飾り。竜像などの幡(はた)をかけ、即位式・大嘗祭(だいじょうさい)などに用いる。

・炰羔 羊を煮て、包み焼きをする。

・芒屩 芒:1 稲などの穀物の実の先端にある針状の突起。のぎ。「芒種」2 物の細くとがった先端。「光芒」 屩:くつしき。
10risho長安城の図035 

《晚秋郾城夜會聯句〔韓愈、李正封〕》(21)-#19韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <868>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3324韓愈詩-220-#19

〔韓愈、李正封〕《晚秋郾城夜會聯句》(21) そうであれば、笑いを買うのに金をなげうち、すなわち、若返りの薬を求めるべく、かくいうお偉いお方は何時までも達者でいてもらいたいものである。先祖の廟には酒器を配して備え、老親の居られる堂上においては鍾馨を鳴らして楽を奏るのである。


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李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html 
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女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
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李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首
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《晚秋郾城夜會聯句〔韓愈、李正封〕》(21)-#19韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <868>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3324韓愈詩-220-#19

 

 

19

惟當早富貴,豈得暫寂寞。

もとより、これは偶然ではなく、実を云えば、もっと富貴になるべく、どういうわけか、しばしなりとも寂寞なる不得意の境地におられるべきはずではなかったのである。

但擲雇笑金,仍祈却老藥。(正封)

そうであれば、笑いを買うのに金をなげうち、すなわち、若返りの薬を求めるべく、かくいうお偉いお方は何時までも達者でいてもらいたいものである。

歿廟配尊斝,生堂合鑮。

先祖の廟には酒器を配して備え、老親の居られる堂上においては鍾馨を鳴らして楽を奏るのである。

安行庇松篁,高臥枕莞蒻。(愈)

のどかに散歩するときには、松竹の陰に憩い、楽々と高臥するときには、薄縁の上に枕されるのである。

惟だ當に早く富貴なるべし,豈に暫くも寂寞なるを得んや。

但だ雇笑の金を擲【なげう】ち,仍お却老の藥を祈【もと】む。(正封)

歿廟【ぼつびょう】尊斝【そんか】に配し,生堂【しょうどう】鑮【きょうはく】を合す。

安行【あんこう】松篁【しょうこう】に庇【かく】れ,高臥【こうが】莞蒻【かんじゃく】をに枕す。(愈)

真竹002 

『晚秋郾城夜會聯句』〔韓愈、李正封〕 現代語訳と訳註

(本文) 19

惟當早富貴,豈得暫寂寞。

但擲雇笑金,仍祈却老藥。(正封)

歿廟配尊斝,生堂合鑮。

安行庇松篁,高臥枕莞蒻。(愈)

 

(下し文) 19

惟だ當に早く富貴なるべし,豈に暫くも寂寞なるを得んや。

但だ雇笑の金を擲【なげう】ち,仍お却老の藥を祈【もと】む。(正封)

歿廟【ぼつびょう】尊斝【そんか】に配し,生堂【しょうどう】【きょうはく】を合す

安行【あんこう】松篁【しょうこう】に【かく】れ,高臥【こうが】莞蒻【かんじゃく】をに(愈)

 

(現代語訳)

もとより、これは偶然ではなく、実を云えば、もっと富貴になるべく、どういうわけか、しばしなりとも寂寞なる不得意の境地におられるべきはずではなかったのである。

そうであれば、笑いを買うのに金をなげうち、すなわち、若返りの薬を求めるべく、かくいうお偉いお方は何時までも達者でいてもらいたいものである。

先祖の廟には酒器を配して備え、老親の居られる堂上においては鍾馨を鳴らして楽を奏るのである。

のどかに散歩するときには、松竹の陰に憩い、楽々と高臥するときには、薄縁の上に枕されるのである。

 

 

(訳注) 19

惟當早富貴,豈得暫寂寞。

もとより、これは偶然ではなく、実を云えば、もっと富貴になるべく、どういうわけか、しばしなりとも寂寞なる不得意の境地におられるべきはずではなかったのである。

 

但擲雇笑金,仍祈却老藥。(正封)

そうであれば、笑いを買うのに金をなげうち、すなわち、若返りの薬を求めるべく、かくいうお偉いお方は何時までも達者でいてもらいたいものである。

 

歿廟配尊斝,生堂合鑮。

先祖の廟には酒器を配して備え、老親の居られる堂上においては鍾馨を鳴らして楽を奏るのである。

尊斝 おおさかずき、斝(か)は二里頭期・商代前期・商代後期を通じて重要視された彝器(いき)の一つで、酒を温めるための器である。斝は、王墓や重要な貴族などの墓から出土する程度で、貴重なものであった。酒器

鑮 鍾馨を鳴らして楽を奏る

 

安行庇松篁,高臥枕莞蒻。(愈)

のどかに散歩するときには、松竹の陰に憩い、楽々と高臥するときには、薄縁の上に枕されるのである。

安行 のんびり歩行する。

松篁 松と竹が群がって生えている所。たけやぶ。

莞蒻 薄縁の上。いぐさでおったうすいしきもの。

莞:[音]カン(クヮン)(呉)(漢) [訓]い1 植物の名。フトイ。また、イで織ったむしろ。「莞席」2 にこやかに笑うさま。蒻:若いガマ。
楠樹03 

《晚秋郾城夜會聯句〔韓愈、李正封〕》(20)-#18韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <867>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3319韓愈詩-220-#18

〔韓愈、李正封〕《晚秋郾城夜會聯句》(20) そういうこともあって、裴度公の誘掖招接を得たものは、龍門に上ったのと同じような名誉なものであるし、ここに参趨して馳駆するものは、葵霍がおのずと太陽の方に向くのと同じような忠君の精神を抱いているものに限るのである。その暇なときにあたっては青い眉の女どもが、長袖をかざして舞いをなし、頬の紅の妓女が笛を吹いて興をたすける。

2013年11月20日  の紀頌之5つのブログ
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謝靈運詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/1901_shareiun000.html 謝靈運詩六朝期の山水詩人。この人の詩は上品ですがすがしい男性的な深みのある詩である。後世に多大な影響を残している。
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李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html 
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女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
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#16

印從負鼎佩,門爲登壇鑿。

裴度公は古の伊尹が鼎爼を負うて、湯に用いられたのと同じく、今の天子に抜擢されて、印綬を佩び、また漢の高祖が壇を設けて、韓信を大將に拝せしが如く、特に壇に登るがために、門をさえ開かれたくらいである。

再入更顯嚴,九遷彌謇諤。(正封)

かくて再び朝廷に入って、いよいよ顕厳の位に上り、ひと月に九度官を移されたというように、暫くの間に昇進し、そして、顕厳の節、諤諤の言をもって、朝廷の風気を一新せられた。

賓筵盡狐趙,導騎多衛霍。

そこで、凱旋の賓筵に列するものは、孤偃趙衰に比すべき名臣輩であるし、案内をして先導する騎兵は、衛靑・霍去病のような堂々たる武臣である。

國史擅芬芳,宮娃分綽約。(愈)

国史は、裴度公の功業を記して、その芳芬を千古にほしいままにすべく、入朝の際は、綽約たる宮娃に導かれて、奥御殿まで参入することを許される。

印は鼎【かなえ】を負うに從って佩び,門は壇に登るが爲に鑿【ほ】る。

再び入って更に顯嚴【けんげん】,九たび遷って彌【いよい】よ謇諤【けんがく】。(正封)

賓筵【ひんえん】盡【ことごと】く狐趙,導騎【どうき】多くは衛霍【えいかく】。

國史 芬芳【ふんほう】擅【ほしいまま】にし,宮娃【きゅうあい】綽約【しゃくやく】を分つ。(愈)

 

#17

丹掖列鵷鷺,洪爐衣狐貉。

そこで、内廷の丹掖においては、群臣が鵷鷺の列を並べ整えて、折からの寒さに際し、おおきな炉のまわりに、狐貉を着た貴臣どもが並んでいる。

摛文揮月毫,講劒淬霜鍔。(正封)

その間に文を作っては、月の中の兎の毛で作ったような筆を振るって、これを書にする。そして、剣法の話をしては、剣の霜鍔を磨いたのが目の前に見えるような気がする。

命衣備藻火,賜樂兼拊搏。

天子より授けられた朝衣には、藻火粉米の十二の模様が明らかに見え、また、特に賜った楽には、琴瑟の類を持ち併せている。

兩廂鋪𣰽,五鼎調勺藥。(愈)

その東西両廂には立派な毛氈を敷き列ね、五鼎を列ねて調理して、芍薬の根を以て、その味を調和させるのである。

#17

丹掖【たんえき】鵷鷺【あんう】を列ね,洪爐【こうろ】狐貉【こかく】を衣る。

文を摛【の】べて月毫【げつごう】を揮い,劒【けん】を講じて霜鍔【そうがく】を淬【みが】く。(正封)

命衣 藻火【そうか】を備え,賜樂【しがく】拊搏【ふはく】を兼ぬ。

兩廂【りょうしょう】鋪𣰽【くゆ】を【し】き,五鼎【ごてい】勺藥【しゃくやく】を【ととの】調う。(愈)

18

帶垂蒼玉佩,轡蹙黃金絡。

一家にある時は佩びに蒼玉を垂らしていて、外に出るときは、たずなに黄金をより込んだ綱を用いる。

誘接登龍,趨馳狀傾藿。(正封)

そういうこともあって、裴度公の誘掖招接を得たものは、龍門に上ったのと同じような名誉なものであるし、ここに参趨して馳駆するものは、葵霍がおのずと太陽の方に向くのと同じような忠君の精神を抱いているものに限るのである。

青娥翳長袖,紅頰吹鳴籥。

その暇なときにあたっては青い眉の女どもが、長袖をかざして舞いをなし、頬の紅の妓女が笛を吹いて興をたすける。

儻不忍辛勤,何由恣歡謔。(愈)

裴度公は、今まで随分、辛苦勤労を為された結果として、かくのごとく、歓楽游躍を究められているので、もとより、偶然ではなく、実を云えば、もっと富貴になるべく、暫しなりとも寂寞なる不得意の境地におられるべきはずではなかったのである。

18

帶は蒼玉の佩を垂れ,轡は黃金の絡を蹙【ちぢ】む。

誘接 登龍と,趨馳【すうち】傾藿【けいかく】に【かたど】る。(正封)

青娥【せいが】長袖を翳【かざ】し,紅頰【こうきょう】鳴籥【めいやく】を吹く。

儻【も】し辛勤を忍びずんば,何に由ってか歡謔【かんんぎゃく】を恣【ほしいまま】にせん。(愈)

kairo10680 

『晚秋郾城夜會聯句』 現代語訳と訳註

(本文) 18

帶垂蒼玉佩,轡蹙黃金絡。

誘接登龍,趨馳狀傾藿。(正封)

青娥翳長袖,紅頰吹鳴籥。

儻不忍辛勤,何由恣歡謔。(愈)

 

(下し文) 18

帶は蒼玉の佩を垂れ,轡は黃金の絡を蹙【ちぢ】む。

誘接 登龍とい,趨馳【すうち】傾藿【けいかく】に狀【かたど】る。(正封)

青娥【せいが】長袖を翳【かざ】し,紅頰【こうきょう】鳴籥【めいやく】を吹く。

儻【も】し辛勤を忍びずんば,何に由ってか歡謔【かんんぎゃく】を恣【ほしいまま】にせん。(愈)

 

(現代語訳)

一家にある時は佩びに蒼玉を垂らしていて、外に出るときは、たずなに黄金をより込んだ綱を用いる。

そういうこともあって、裴度公の誘掖招接を得たものは、龍門に上ったのと同じような名誉なものであるし、ここに参趨して馳駆するものは、葵霍がおのずと太陽の方に向くのと同じような忠君の精神を抱いているものに限るのである。

その暇なときにあたっては青い眉の女どもが、長袖をかざして舞いをなし、頬の紅の妓女が笛を吹いて興をたすける。

裴度公は、今まで随分、辛苦勤労を為された結果として、かくのごとく、歓楽游躍を究められているので、もとより、偶然ではなく、実を云えば、もっと富貴になるべく、暫しなりとも寂寞なる不得意の境地におられるべきはずではなかったのである。

 

(訳注) 18

帶垂蒼玉佩,轡蹙黃金絡。

一家にある時は佩びに蒼玉を垂らしていて、外に出るときは、たずなに黄金をより込んだ綱を用いる。

 

誘接登龍,趨馳狀傾藿。(正封)

そういうこともあって、裴度公の誘掖招接を得たものは、龍門に上ったのと同じような名誉なものであるし、ここに参趨して馳駆するものは、葵霍がおのずと太陽の方に向くのと同じような忠君の精神を抱いているものに限るのである。

・登龍 成功へといたる難しい関門を突破したことをいう。『後漢書』李膺伝に語られた故事に由来する。それによると、李膺は宦官の横暴に憤りこれを粛正しようと試みるなど公明正大な人物であり、司隷校尉に任じられるなど宮廷の実力者でもあった(党錮の禁を参照)。もし若い官吏の中で彼に才能を認められた者があったならば、それはすなわち将来の出世が約束されたということであった。このため彼に選ばれた人のことを、流れの急な龍門という河を登りきった鯉は龍になるという伝説になぞらえて、「竜門に登った」と形容したという。

なお「竜門」とは夏朝の皇帝・禹がその治水事業において山西省の黄河上流にある竜門山を切り開いてできた急流のことである。

・傾藿 葵霍がおのずと太陽の方に向く「葵霍傾太陽,物性固莫奪」

 

青娥翳長袖,紅頰吹鳴籥。

その暇なときにあたっては青い眉の女どもが、長袖をかざして舞いをなし、頬の紅の妓女が笛を吹いて興をたすける。

・青娥 青い眉の女ども

 

儻不忍辛勤,何由恣歡謔。(愈)

裴度公は、今まで随分、辛苦勤労を為された結果として、かくのごとく、歓楽游躍を究められているので、もとより、偶然ではなく、実を云えば、もっと富貴になるべく、暫しなりとも寂寞なる不得意の境地におられるべきはずではなかったのである。

・辛勤 辛苦勤労。

・歡謔 歓楽游躍。
五重塔(1) 

《晚秋郾城夜會聯句〔韓愈、李正封〕》(19)-#17韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <866>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3314韓愈詩-220-#17

〔韓愈、李正封〕《晚秋郾城夜會聯句》(19)その間に文を作っては、月の中の兎の毛で作ったような筆を振るって、これを書にする。そして、剣法の話をしては、剣の霜鍔を磨いたのが目の前に見えるような気がする。天子より授けられた朝衣には、藻火粉米の十二の模様が明らかに見え、また、特に賜った楽には、琴瑟の類を持ち併せている。

 

2013年11月19日 の紀頌之5つのブログ
●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場
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16

印從負鼎佩,門爲登壇鑿。

裴度公は古の伊尹が鼎爼を負うて、湯に用いられたのと同じく、今の天子に抜擢されて、印綬を佩び、また漢の高祖が壇を設けて、韓信を大將に拝せしが如く、特に壇に登るがために、門をさえ開かれたくらいである。

再入更顯嚴,九遷彌謇諤。(正封)

かくて再び朝廷に入って、いよいよ顕厳の位に上り、ひと月に九度官を移されたというように、暫くの間に昇進し、そして、顕厳の節、諤諤の言をもって、朝廷の風気を一新せられた。

賓筵盡狐趙,導騎多衛霍。

そこで、凱旋の賓筵に列するものは、孤偃趙衰に比すべき名臣輩であるし、案内をして先導する騎兵は、衛靑・霍去病のような堂々たる武臣である。

國史擅芬芳,宮娃分綽約。(愈)

国史は、裴度公の功業を記して、その芳芬を千古にほしいままにすべく、入朝の際は、綽約たる宮娃に導かれて、奥御殿まで参入することを許される。

印は鼎【かなえ】を負うに從って佩び,門は壇に登るが爲に鑿【ほ】る。

再び入って更に顯嚴【けんげん】,九たび遷って彌【いよい】よ謇諤【けんがく】。(正封)

賓筵【ひんえん】盡【ことごと】く狐趙,導騎【どうき】多くは衛霍【えいかく】。

國史 芬芳【ふんほう】擅【ほしいまま】にし,宮娃【きゅうあい】綽約【しゃくやく】を分つ。(愈)

 

17

丹掖列鵷鷺,洪爐衣狐貉。

そこで、内廷の丹掖においては、群臣が鵷鷺の列を並べ整えて、折からの寒さに際し、おおきな炉のまわりに、狐貉を着た貴臣どもが並んでいる。

摛文揮月毫,講劒淬霜鍔。(正封)

その間に文を作っては、月の中の兎の毛で作ったような筆を振るって、これを書にする。そして、剣法の話をしては、剣の霜鍔を磨いたのが目の前に見えるような気がする。

命衣備藻火,賜樂兼拊搏。

天子より授けられた朝衣には、藻火粉米の十二の模様が明らかに見え、また、特に賜った楽には、琴瑟の類を持ち併せている。

兩廂鋪𣰽,五鼎調勺藥。(愈)

その東西両廂には立派な毛氈を敷き列ね、五鼎を列ねて調理して、芍薬の根を以て、その味を調和させるのである。

17

丹掖【たんえき】鵷鷺【あんう】を列ね,洪爐【こうろ】狐貉【こかく】を衣る。

文を摛【の】べて月毫【げつごう】を揮い,劒【けん】を講じて霜鍔【そうがく】を淬【みが】く。(正封)

命衣 藻火【そうか】を備え,賜樂【しがく】拊搏【ふはく】を兼ぬ。

兩廂【りょうしょう】鋪𣰽【くゆ】を【し】き,五鼎【ごてい】勺藥【しゃくやく】を【ととの】調う。(愈)

18

帶垂蒼玉佩,轡蹙黃金絡。

誘接登龍,趨馳狀傾藿。(正封)

青娥翳長袖,紅頰吹鳴籥。

儻不忍辛勤,何由恣歡謔。(愈)

18

帶は蒼玉の佩を垂れ,轡は黃金の絡を蹙【ちぢ】む。

誘接 登龍と,趨馳【すうち】傾藿【けいかく】に【かたど】る。(正封)

青娥【せいが】長袖を翳【かざ】し,紅頰【こうきょう】鳴籥【めいやく】を吹く。

儻【も】し辛勤を忍びずんば,何に由ってか歡謔【かんんぎゃく】を恣【ほしいまま】にせん。(愈)

唐朝 大明宮2000 

『晚秋郾城夜會聯句』 現代語訳と訳註

(本文) 17

丹掖列鵷鷺,洪爐衣狐貉。

摛文揮月毫,講劒淬霜鍔。(正封)

命衣備藻火,賜樂兼拊搏。

兩廂鋪𣰽,五鼎調勺藥。(愈)

 

(下し文) 17

丹掖【たんえき】鵷鷺【あんう】を列ね,洪爐【こうろ】狐貉【こかく】を衣る。

文を摛【の】べて月毫【げつごう】を揮い,劒【けん】を講じて霜鍔【そうがく】を淬【みが】く。(正封)

命衣 藻火【そうか】を備え,賜樂【しがく】拊搏【ふはく】を兼ぬ。

兩廂【りょうしょう】鋪𣰽【くゆ】を【し】き,五鼎【ごてい】勺藥【しゃくやく】を【ととの】調。(愈)

 

(現代語訳)

そこで、内廷の丹掖においては、群臣が鵷鷺の列を並べ整えて、折からの寒さに際し、おおきな炉のまわりに、狐貉を着た貴臣どもが並んでいる。

その間に文を作っては、月の中の兎の毛で作ったような筆を振るって、これを書にする。そして、剣法の話をしては、剣の霜鍔を磨いたのが目の前に見えるような気がする。

天子より授けられた朝衣には、藻火粉米の十二の模様が明らかに見え、また、特に賜った楽には、琴瑟の類を持ち併せている。

その東西両廂には立派な毛氈を敷き列ね、五鼎を列ねて調理して、芍薬の根を以て、その味を調和させるのである。

 

 

(訳注) 17

丹掖列鵷鷺,洪爐衣狐貉。

そこで、内廷の丹掖においては、群臣が鵷鷺の列を並べ整えて、折からの寒さに際し、おおきな炉のまわりに、狐貉を着た貴臣どもが並んでいる。

・洪爐 おおきな炉のまわり

・狐貉 キツネとムジナ。また、その皮で作った衣服。防寒の衣服。

 

摛文揮月毫,講劒淬霜鍔。(正封)

その間に文を作っては、月の中の兎の毛で作ったような筆を振るって、これを書にする。そして、剣法の話をしては、剣の霜鍔を磨いたのが目の前に見えるような気がする。

・霜鍔 剣のつばが霜のように白いことをいう。

 

命衣備藻火,賜樂兼拊搏。

天子より授けられた朝衣には、藻火粉米の十二の模様が明らかに見え、また、特に賜った楽には、琴瑟の類を持ち併せている。

・命衣備藻火 法服は天子の服であり、日・月・星座・山・龍・華虫・藻・火・粉・米・黻(ふつ=亞に似た模様)・黼(ほ=斧の模様)の十二の模様がついていた。

・賜樂兼拊搏 特に賜った楽と四代の樂器(拊搏):大琴、大瑟,中琴、小瑟、敲いて奏る琴・瑟のこと。

 花蕊夫人002

兩廂鋪𣰽,五鼎調勺藥。(愈)

その東西両廂には立派な毛氈を敷き列ね、五鼎を列ねて調理して、芍薬の根を以て、その味を調和させるのである。

・廂 ①. 建物の外壁から差し出した,日光・雨などを防ぐための小さな片流れの屋根。のき。 ②. 寝殿造りなどで,母屋(もや)の外側に付加された細長い下屋(げや)部分。

・勺藥 韓愈芍藥【元和中知制誥寓直禁中作。】

浩態狂香昔未逢,紅燈爍爍綠盤籠。 

覺來獨對情驚恐,身在仙宮第幾重。

〔元和年間、「知制誥」の職にあった時に宮中にたまたま当直している時につくる。〕

芍薬は仙人の世界にあるべきで、人間の者ではない。そこに居合わせた人でないとこの詩の本当の意味は分からないということなのだろう。何処にスパイが居るかわからない暗黒の時代になっているので意味不明というか、中身がないというか、浅薄庸近というべき詩である。

ボタン科の多年草。学名 Paeonia lactiflora。高さ約60cm。葉は複葉。初夏、大形の紅・白色などのボタンに似た花を開く。アジア大陸北東部の原産。品種も多い。

牡丹が「花王」と呼ばれるのに対し、芍薬は花の宰相、「花相」と呼ばれる。ボタンが樹木であるのに対して、シャクヤクは草本である。そのため、冬には地上部が枯れてしまい休眠する。ボタンの台木として使用されるが、シャクヤク自体の花も美しく、中国の宋代には育種が始まったという。

・知制誥【ちせいこう】天子の命令を起草する官。

・禁中 禁門(禁闕)の内部、すなわち天子が住む宮中。
10risho長安城の図035 

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〔韓愈、李正封〕《晚秋郾城夜會聯句》(18)かくて再び朝廷に入って、いよいよ顕厳の位に上り、ひと月に九度官を移されたというように、暫くの間に昇進し、そして、顕厳の節、諤諤の言をもって、朝廷の風気を一新せられた。そこで、凱旋の賓筵に列するものは、孤偃趙衰に比すべき名臣輩であるし、案内をして先導する騎兵は、衛靑・霍去病のような堂々たる武臣である。
 

2013年11月18日  の紀頌之5つのブログ
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孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。
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孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首
魚玄機 詩 全首130回賦得江邊柳 魚玄機  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-65-1-#五言律詩  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1876
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《晚秋郾城夜會聯句〔韓愈、李正封〕》(18)-#16韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <865>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3309韓愈詩-220-#16

  

15

洪赦方下究,武飆亦旁魄。

大赦の詮議は下々まで行き渡り、武威は飄風の如く四海隅々までいきわたっている。

南據定蠻陬,北攫空朔漠。(正封)

そこで南には根拠地を定めて、蛮族を平定し、北にむけては地を略して、砂漠をむなしくする。

儒生愜教化,武士猛刺斫。

儒家はその身にふさわしく、教化を務め、武人は、刺撃斫殺に猛々しく厳然としてひかえている以上は、何ら心配もないのである。

吾相兩優游,他人雙落莫。(愈)

私の知才を知っていただいている宰相の裴度公は優游して、国家の至治を楽しみ、その余の小人輩は、全く落莫として、段々に朝廷から退けられてしまった。

洪赦【こうしゃ】方【まさ】に下究【かきゅう】,武飆【ぶひょう】亦た旁魄【ほうはく】。

南に據【よ】って蠻陬【はんそう】を定め,北に攫【つか】んで朔漠【さくばく】を空しうす。(正封)

儒生 教化に愜【かな】い,武士 刺斫【さつしゃく】を猛【たけ】くす。

吾が相 兩つながら 優游,他人 雙びに 落莫【らくばく】。(愈)

 

16

印從負鼎佩,門爲登壇鑿。

裴度公は古の伊尹が鼎爼を負うて、湯に用いられたのと同じく、今の天子に抜擢されて、印綬を佩び、また漢の高祖が壇を設けて、韓信を大將に拝せしが如く、特に壇に登るがために、門をさえ開かれたくらいである。

再入更顯嚴,九遷彌謇諤。(正封)

かくて再び朝廷に入って、いよいよ顕厳の位に上り、ひと月に九度官を移されたというように、暫くの間に昇進し、そして、顕厳の節、諤諤の言をもって、朝廷の風気を一新せられた。

賓筵盡狐趙,導騎多衛霍。

そこで、凱旋の賓筵に列するものは、孤偃趙衰に比すべき名臣輩であるし、案内をして先導する騎兵は、衛靑・霍去病のような堂々たる武臣である。

國史擅芬芳,宮娃分綽約。(愈)

国史は、裴度公の功業を記して、その芳芬を千古にほしいままにすべく、入朝の際は、綽約たる宮娃に導かれて、奥御殿まで参入することを許される。

 

印は鼎【かなえ】を負うに從って佩び,門は壇に登るが爲に鑿【ほ】る。

再び入って更に顯嚴【けんげん】,九たび遷って彌【いよい】よ謇諤【けんがく】。(正封)

賓筵【ひんえん】盡【ことごと】く狐趙,導騎【どうき】多くは衛霍【えいかく】。

國史 芬芳【ふんほう】擅【ほしいまま】にし,宮娃【きゅうあい】綽約【しゃくやく】を分つ。(愈)

sas0009 

 

『晚秋郾城夜會聯句』 現代語訳と訳註

(本文) 16

印從負鼎佩,門爲登壇鑿。

再入更顯嚴,九遷彌謇諤。(正封)

賓筵盡狐趙,導騎多衛霍。

國史擅芬芳,宮娃分綽約。(愈)

 

(下し文) 16

印は鼎【かなえ】を負うに從って佩び,門は壇に登るが爲に鑿【ほ】る。

再び入って更に顯嚴【けんげん】,九たび遷って彌【いよい】よ謇諤【けんがく】。(正封)

賓筵【ひんえん】盡【ことごと】く狐趙,導騎【どうき】多くは衛霍【えいかく】。

國史 芬芳【ふんほう】擅【ほしいまま】にし,宮娃【きゅうあい】綽約【しゃくやく】を分つ。(愈)

 

(現代語訳)

裴度公は古の伊尹が鼎爼を負うて、湯に用いられたのと同じく、今の天子に抜擢されて、印綬を佩び、また漢の高祖が壇を設けて、韓信を大將に拝せしが如く、特に壇に登るがために、門をさえ開かれたくらいである。

かくて再び朝廷に入って、いよいよ顕厳の位に上り、ひと月に九度官を移されたというように、暫くの間に昇進し、そして、顕厳の節、諤諤の言をもって、朝廷の風気を一新せられた。

そこで、凱旋の賓筵に列するものは、孤偃趙衰に比すべき名臣輩であるし、案内をして先導する騎兵は、衛靑・霍去病のような堂々たる武臣である。

国史は、裴度公の功業を記して、その芳芬を千古にほしいままにすべく、入朝の際は、綽約たる宮娃に導かれて、奥御殿まで参入することを許される。

 

bijo01(訳注) 16

印從負鼎佩,門爲登壇鑿。

裴度公は古の伊尹が鼎爼を負うて、湯に用いられたのと同じく、今の天子に抜擢されて、印綬を佩び、また漢の高祖が壇を設けて、韓信を大將に拝せしが如く、特に壇に登るがために、門をさえ開かれたくらいである。

・鼎 鼎爼:1 かなえと、まないた。ともに料理に使う道具。2 かなえで煮られ、まないたの上で切られること。死ぬべき運命にあることのたとえ。

・壇 1 土を小高く盛り、上を平らにした所。「花壇・祭壇」2 他より一段高くした設備。「壇上/演壇・教壇・降壇・登壇・仏壇」3 学芸の専門家の社会。歌壇・画壇

・鑿 木材、石材、金属等に穴を穿ったり、溝を刻んだりするのに用いる工具。

 

再入更顯嚴,九遷彌謇諤。(正封)

かくて再び朝廷に入って、いよいよ顕厳の位に上り、ひと月に九度官を移されたというように、暫くの間に昇進し、そして、顕厳の節、諤諤の言をもって、朝廷の風気を一新せられた。

・顯嚴 高級官僚。

・謇諤 正しいことを遠慮せず直言すること。遠慮なく直言・論議すること。別名 蹇愕、侃諤.

 

賓筵盡狐趙,導騎多衛霍。

そこで、凱旋の賓筵に列するものは、孤偃趙衰に比すべき名臣輩であるし、案内をして先導する騎兵は、衛靑・霍去病のような堂々たる武臣である。

・狐趙 孤偃趙衰

・衛霍 衛靑・霍去病。衛靑:? - 元封5年(紀元前106年))は、前漢の武帝に仕えた武将。河東平陽(山西省臨汾)出身。字は仲卿。爵位は長平侯。母親は婢であった衛媼(えいおん)。幼少時に下級官吏の鄭季(ていき)の家に引き取られていたため、父親は鄭季とされる。霍 去病:(かく きょへい、紀元前140 - 紀元前117年)は、前漢の武帝時代の武将である。父は、霍仲孺。異母弟は、大司馬大将軍になり、武帝後の政治を取り仕切った霍光。

 

國史擅芬芳,宮娃分綽約。(愈)

国史は、裴度公の功業を記して、その芳芬を千古にほしいままにすべく、入朝の際は、綽約たる宮娃に導かれて、奥御殿まで参入することを許される。

・芬芳 よい香り。また、よい香りをただよわせること。

・宮娃 (「娃」は美女の意)宮中に仕えている女性。李賀『宮娃歌』

・綽約 姿がしなやかで優しいさま。たおやかなさま。

《晚秋郾城夜會聯句〔韓愈、李正封〕》(17)-#15韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <864>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3304韓愈詩-220-#15

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(15)-#13

聲明動朝闕,光寵耀京洛。

従軍の将士は、今度大功をたてたるによって、赫赫たる声名は、朝闕を動かし、光輝寵栄は京洛に輝くばかり、

旁午降絲綸,中堅擁鼓鐸。(正封)

天子よりも打ちつづけに詔勅を下して、その入京を促がされ、よって行列を整え、中軍には鼓鐸を擁し、しずしずと練りだして、都に帰って來る。

密坐列珠翠,高門塗粉雘。

その都においての邸宅では、妻妾共が密坐して珠玉翡翠を列ね、高門は赤や白で塗りなおして、何時帰着してもよいようになっている。

跋朝賀書飛,塞路歸鞍躍。(愈)

この間、擧朝の人々は、爭って慶賀の書を送り、一行の歸鞍は道を塞ぐほどで、いそいそと勢いよくやってくるのである。

聲明 朝闕を動かし,光寵 京洛に耀【かがや】く。

旁午【ほうご】絲綸【しりん】を降【くだ】し,中堅 鼓鐸【こたく】を擁す。(正封)

密坐【みつざ】珠翠【しゅすい】を列ね,高門 粉雘【ふんわく】を塗る。

朝を跋【こぞ】りて賀書 飛び,路を塞いで歸鞍【きあん】躍る。(愈)

 

 (16)-#14

魏闕橫雲漢,秦關束巖崿。

眺め遣れば、九重の城闕は、高く雲漢に横たわり、秦地の関門は険阻によって、さすがに形勝の固めである。

拜迎羅櫜鞬,問遺結囊橐。(正封)

さて、いよいよ全軍が都に近ずくとこれを拝迎する武人たちは、箙や弓嚢でもって整列し、これを慰労して、物品を贈るものは、嚢に入れて、固くその口を結んである。

江淮永清晏,宇宙重開拓。

呉元濟は既に成敗されたことによって、泗水から淮西にかけては、これによって清平無事であって、宇宙が再び開かれたような感がある。

是日號升平,此年名作噩。(愈)

今この日を以て、世は、昇平であり、おまけに今年は、酉年にあたっておごそかな変革の年になるとされたことであった

魏闕 雲漢に橫わり,秦關【しんかん】巖崿【がんがく】を束【つか】ぬ。

拜迎【はいげい】櫜鞬【こうけん】を羅【つら】ね,問遺【もんい】囊橐【のうたく】結ぶ。(正封)

江淮【こうわい】永く清晏,宇宙 重ねて開拓。

是の日 升平と號し,此の年 作噩【さくがき】と名づく。(愈)

杏の花0055 

15

洪赦方下究,武飆亦旁魄。

大赦の詮議は下々まで行き渡り、武威は飄風の如く四海隅々までいきわたっている。

南據定蠻陬,北攫空朔漠。(正封)

そこで南には根拠地を定めて、蛮族を平定し、北にむけては地を略して、砂漠をむなしくする。

儒生愜教化,武士猛刺斫。

儒家はその身にふさわしく、教化を務め、武人は、刺撃斫殺に猛々しく厳然としてひかえている以上は、何ら心配もないのである。

吾相兩優游,他人雙落莫。(愈)

私の知才を知っていただいている宰相の裴度公は優游して、国家の至治を楽しみ、その余の小人輩は、全く落莫として、段々に朝廷から退けられてしまった。

洪赦【こうしゃ】方【まさ】に下究【かきゅう】,武飆【ぶひょう】亦た旁魄【ほうはく】。

南に據【よ】って蠻陬【はんそう】を定め,北に攫【つか】んで朔漠【さくばく】を空しうす。(正封)

儒生 教化に愜【かな】い,武士 刺斫【さつしゃく】を猛【たけ】くす。

吾が相 兩つながら 優游,他人 雙びに 落莫【らくばく】。(愈)

 

 唐時代 韓愈関連01

『晚秋郾城夜會聯句』 現代語訳と訳註

(本文) 15

洪赦方下究,武飆亦旁魄。

南據定蠻陬,北攫空朔漠。(正封)

儒生愜教化,武士猛刺斫。

吾相兩優游,他人雙落莫。(愈)

 

(下し文) 15

洪赦【こうしゃ】方【まさ】に下究【かきゅう】,武飆【ぶひょう】亦た旁魄【ほうはく】。

南に據【よ】って蠻陬【はんそう】を定め,北に攫【つか】んで朔漠【さくばく】を空しうす。(正封)

儒生 教化に愜【かな】い,武士 刺斫【さつしゃく】を猛【たけ】くす。

吾が相 兩つながら 優游,他人 雙びに 落莫【らくばく】。(愈)

 

(現代語訳)

大赦の詮議は下々まで行き渡り、武威は飄風の如く四海隅々までいきわたっている。

そこで南には根拠地を定めて、蛮族を平定し、北にむけては地を略して、砂漠をむなしくする。

儒家はその身にふさわしく、教化を務め、武人は、刺撃斫殺に猛々しく厳然としてひかえている以上は、何ら心配もないのである。

私の知才を知っていただいている宰相の裴度公は優游して、国家の至治を楽しみ、その余の小人輩は、全く落莫として、段々に朝廷から退けられてしまった。

 

(訳注) 15

洪赦方下究,武飆亦旁魄。

大赦の詮議は下々まで行き渡り、武威は飄風の如く四海隅々までいきわたっている。

・赦 大赦の詮議

・下究 下々まで行き渡り

・武飆 武威は飄風

・旁魄 四海隅々までいきわたること。

 

南據定蠻陬,北攫空朔漠。(正封)

そこで南には根拠地を定めて、蛮族を平定し、北にむけては地を略して、砂漠をむなしくする。

・南據 南に根拠地

・蠻陬 蛮族 南の田舎もの。

・北攫 北にむけては地を略して

・朔漠 北方の砂漠。

 

儒生愜教化,武士猛刺斫。

儒家はその身にふさわしく、教化を務め、武人は、刺撃斫殺に猛々しく厳然としてひかえている以上は、何ら心配もないのである。

・愜 満足に思う,意にかなう惬怀満足する

・刺斫 刺撃斫殺。切り裂いて殺す。なぐりころす。

 

吾相兩優游,他人雙落莫。(愈)

私の知才を知っていただいている宰相の裴度公は優游して、国家の至治を楽しみ、その余の小人輩は、全く落莫として、段々に朝廷から退けられてしまった。
幻日環01 

《晚秋郾城夜會聯句〔韓愈、李正封〕》(16)-#14韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <863>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3299韓愈詩-220-#14

〔韓愈、李正封〕《晚秋郾城夜會聯句》(16)さて、いよいよ全軍が都に近ずくとこれを拝迎する武人たちは、箙や弓嚢でもって整列し、これを慰労して、物品を贈るものは、嚢に入れて、固くその口を結んである。呉元濟は既に成敗されたことによって、泗水から淮西にかけては、これによって清平無事であって、宇宙が再び開かれたような感がある。


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●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場
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《晚秋郾城夜會聯句〔韓愈、李正封〕》(16)-#14韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <863>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3299韓愈詩-220-#14

 

 

(13)-#11

藁街陳鈇鉞,桃塞興錢鎛。

その後始末として、長安の外国人居留地である藁街には、斧鉞を陳列して声威を示し、桃林の塞には田器を備えて、開墾の用意を成している。

地理畫封疆,天文埽寥廓。(正封)

地理上、天子の直轄地と潘鎮との境界を画して、天文においては、大空を払って、妖氛を消滅させるように致したい。

天子憫瘡痍,將軍禁鹵掠。

今の天子は聖明におわす故に、蒼生の創痍に悩むを哀憫せられ、将軍は令を下して、奪掠を禁じる。

策勳封龍,歸獸獲麟脚。(愈)

功勲あるものを策して、諸侯に封じ、猟をした時に麒麟を得るに相違なく、世は追々と太平に復帰することであろう。

藁街【おうがい】鈇鉞【ふえつ】を陳【つら】ね,桃塞【とうさい】錢鎛【せんはく】を興す。

地理 封疆【ほうきょう】を畫す,天文 寥廓【りょうかく】を埽う。(正封)

天子 瘡痍【そうい】を憫【あわれ】み,將軍 鹵掠【ろりゃく】を禁ず。

勳を策して 龍ぜられ,歸獸 麟脚を獲たり。(愈)

 (14)-#12

詰誅敬王怒,給復哀人瘼。

その暴慢を詰責して、誅罰するにあたりては、王の前日の怒りを敬して、みだりにこれを許さず、しかし、人民の止めるものに対しては、同情を表して、租税を免じ、かつこれを使役せぬようにしたい。

澤髮解兜鍪,酡顏傾鑿落。(正封)

将士の凱旋に当たっては、重苦しい兜を脱ぎ棄てて、梳る髪にはつやを生じ、よっては顔を赤くしつつ、杯を傾ける。

安存惟恐晚,洗雪不論昨。

厚生の道によって、人民を安存させることにたいしては、なんの手落ちもなく、速やかに行うべく、既に罪科を洗い清め、翻然として正に復歸したものに対しては、昔日のことを論じない方がよろしいとされる。

暮鳥已安巢,春蠶看滿箔。(愈)

かくのごとくすれば、暮鳥がその巢に帰り、安心するように、銘々落ち着くところを得て、春になれば、蚕を飼って箔上に満ち、次第に殖産の発展を図ることもできるのである。

詰誅【きつちゅう】王の怒を敬【つつし】み,給復 人の瘼【はく】を哀む。

澤髮【たくはつ】兜鍪【とうぼう】をき,酡顏【たがん】鑿落【さくらく】傾く。(正封)

安存【あんそん】惟だ晚からむことを恐れ,洗雪 昨を論ぜず。

暮鳥 已に巢に安んじ,春蠶【しゅんさん】箔に滿つるを看る。(愈)

 (15)-#13

聲明動朝闕,光寵耀京洛。

従軍の将士は、今度大功をたてたるによって、赫赫たる声名は、朝闕を動かし、光輝寵栄は京洛に輝くばかり、

旁午降絲綸,中堅擁鼓鐸。(正封)

天子よりも打ちつづけに詔勅を下して、その入京を促がされ、よって行列を整え、中軍には鼓鐸を擁し、しずしずと練りだして、都に帰って來る。

密坐列珠翠,高門塗粉雘。

その都においての邸宅では、妻妾共が密坐して珠玉翡翠を列ね、高門は赤や白で塗りなおして、何時帰着してもよいようになっている。

跋朝賀書飛,塞路歸鞍躍。(愈)

この間、擧朝の人々は、爭って慶賀の書を送り、一行の歸鞍は道を塞ぐほどで、いそいそと勢いよくやってくるのである。

聲明 朝闕を動かし,光寵 京洛に耀【かがや】く。

旁午【ほうご】絲綸【しりん】を降【くだ】し,中堅 鼓鐸【こたく】を擁す。(正封)

密坐【みつざ】珠翠【しゅすい】を列ね,高門 粉雘【ふんわく】を塗る。

朝を跋【こぞ】りて賀書 飛び,路を塞いで歸鞍【きあん】躍る。(愈)

 (16)-#14

魏闕橫雲漢,秦關束巖崿。

眺め遣れば、九重の城闕は、高く雲漢に横たわり、秦地の関門は険阻によって、さすがに形勝の固めである。

拜迎羅櫜鞬,問遺結囊橐。(正封)

さて、いよいよ全軍が都に近ずくとこれを拝迎する武人たちは、箙や弓嚢でもって整列し、これを慰労して、物品を贈るものは、嚢に入れて、固くその口を結んである。

江淮永清晏,宇宙重開拓。

呉元濟は既に成敗されたことによって、泗水から淮西にかけては、これによって清平無事であって、宇宙が再び開かれたような感がある。

是日號升平,此年名作噩。(愈)

今この日を以て、世は、昇平であり、おまけに今年は、酉年にあたっておごそかな変革の年になるとされたことであった

 

魏闕 雲漢に橫わり,秦關【しんかん】巖崿【がんがく】を束【つか】ぬ。

拜迎【はいげい】櫜鞬【こうけん】を羅【つら】ね,問遺【もんい】囊橐【のうたく】結ぶ。(正封)

江淮【こうわい】永く清晏,宇宙 重ねて開拓。

是の日 升平と號し,此の年 作噩【さくがき】と名づく。(愈)

 

kagaribi00 

『晚秋郾城夜會聯句』 現代語訳と訳註

(本文) (16)-#14

魏闕橫雲漢,秦關束巖崿。

拜迎羅櫜鞬,問遺結囊橐。(正封)

江淮永清晏,宇宙重開拓。

是日號升平,此年名作噩。(愈)

 

 

(下し文) (16)-#14

魏闕 雲漢に橫わり,秦關【しんかん】巖崿【がんがく】を束【つか】ぬ。

拜迎【はいげい】櫜鞬【こうけん】を羅【つら】ね,問遺【もんい】囊橐【のうたく】結ぶ。(正封)

江淮【こうわい】永く清晏,宇宙 重ねて開拓。

是の日 升平と號し,此の年 作噩【さくがき】と名づく。(愈)

 

 

(現代語訳)

眺め遣れば、九重の城闕は、高く雲漢に横たわり、秦地の関門は険阻によって、さすがに形勝の固めである。

さて、いよいよ全軍が都に近ずくとこれを拝迎する武人たちは、箙や弓嚢でもって整列し、これを慰労して、物品を贈るものは、嚢に入れて、固くその口を結んである。

呉元濟は既に成敗されたことによって、泗水から淮西にかけては、これによって清平無事であって、宇宙が再び開かれたような感がある。

今この日を以て、世は、昇平であり、おまけに今年は、酉年にあたっておごそかな変革の年になるとされたことであった

 

 

(訳注) (16)-#14

魏闕橫雲漢,秦關束巖崿。

眺め遣れば、九重の城闕は、高く雲漢に横たわり、秦地の関門は険阻によって、さすがに形勝の固めである。

・魏闕 古代の宮門において九重の闕門をいう。『莊子·讓王』「身在江海之上,心居乎魏闕之下、奈何。」(身は江海の上に在り,心は魏闕の下に居る、奈何と。)私は江海のほとりで隠遁生活をしていますが、心には魏の宮門のことが忘れられないのです。どうしたらよいのでしょう。生命を尊重すれば名誉心がなくなると答えるくだりがあり、これに基づいている。

・秦關 秦にとっての函谷関、潼関をいう。

・巖崿 峻險険阻であること。

 

拜迎羅櫜鞬,問遺結囊橐。(正封)

さて、いよいよ全軍が都に近ずくとこれを拝迎する武人たちは、箙や弓嚢でもって整列し、これを慰労して、物品を贈るものは、嚢に入れて、固くその口を結んである。

・櫜 弓衣也,甲衣也。又受箭器也。箙【えびら】

・鞬 馬上盛弓矢器。弓嚢【きゅうのう】。

・囊橐 物品を贈るものは、嚢に入れること。

 

江淮永清晏,宇宙重開拓。

呉元濟は既に成敗されたことによって、泗水から淮西にかけては、これによって清平無事であって、宇宙が再び開かれたような感がある。

・江淮 前に述べたこの詩(11)9に見た「軸轤亙淮泗,旌連夏鄂。」(軸轤【じくろ】淮泗【わいし】に亙り,旌【はいせい】夏鄂【かがく】に連なる。)の地域である黄河下流域から、淮水をへて長江下流域までをいう。

 

是日號升平,此年名作噩。(愈)

今この日を以て、世は、昇平であり、おまけに今年は、酉年にあたっておごそかな変革の年になるとされたことであった

噩 おごそかなさま。恐ろしげな噩梦悪夢.噩耗 èhào[](親しい人や敬愛する人の)訃報.817年元和十二年は、丁酉の年である。西暦年を12で割って1が余る年が酉の年となる。 酉の月は旧暦8月(概ね新暦9月); 酉の刻は日暮れの18時を中心とする約2時間。=夕刻(ゆうこく)という。日暮れの18時(夕方6時)を正酉(しょうゆう)ということがある。 酉の方は西の方角である。
甘粛省-嘉峪関 

《晚秋郾城夜會聯句〔韓愈、李正封〕》(15)-#13韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <862>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3294韓愈詩-220-#13

〔韓愈、李正封〕《晚秋郾城夜會聯句》(15) 天子よりも打ちつづけに詔勅を下して、その入京を促がされ、よって行列を整え、中軍には鼓鐸を擁し、しずしずと練りだして、都に帰って來る。その都においての邸宅では、妻妾共が密坐して珠玉翡翠を列ね、高門は赤や白で塗りなおして、何時帰着してもよいようになっている。


2013年11月15日 の紀頌之5つのブログ
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《晚秋郾城夜會聯句〔韓愈、李正封〕》(15)-#13韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <862>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3294韓愈詩-220-#13

 

 

(13)-#11

藁街陳鈇鉞,桃塞興錢鎛。

その後始末として、長安の外国人居留地である藁街には、斧鉞を陳列して声威を示し、桃林の塞には田器を備えて、開墾の用意を成している。

地理畫封疆,天文埽寥廓。(正封)

地理上、天子の直轄地と潘鎮との境界を画して、天文においては、大空を払って、妖氛を消滅させるように致したい。

天子憫瘡痍,將軍禁鹵掠。

今の天子は聖明におわす故に、蒼生の創痍に悩むを哀憫せられ、将軍は令を下して、奪掠を禁じる。

策勳封龍,歸獸獲麟脚。(愈)

功勲あるものを策して、諸侯に封じ、猟をした時に麒麟を得るに相違なく、世は追々と太平に復帰することであろう。

藁街【おうがい】鈇鉞【ふえつ】を陳【つら】ね,桃塞【とうさい】錢鎛【せんはく】を興す。

地理 封疆【ほうきょう】を畫す,天文 寥廓【りょうかく】を埽う。(正封)

天子 瘡痍【そうい】を憫【あわれ】み,將軍 鹵掠【ろりゃく】を禁ず。

勳を策して 龍ぜられ,歸獸 麟脚を獲たり。(愈)

 (14)-#12

詰誅敬王怒,給復哀人瘼。

その暴慢を詰責して、誅罰するにあたりては、王の前日の怒りを敬して、みだりにこれを許さず、しかし、人民の止めるものに対しては、同情を表して、租税を免じ、かつこれを使役せぬようにしたい。

澤髮解兜鍪,酡顏傾鑿落。(正封)

将士の凱旋に当たっては、重苦しい兜を脱ぎ棄てて、梳る髪にはつやを生じ、よっては顔を赤くしつつ、杯を傾ける。

安存惟恐晚,洗雪不論昨。

厚生の道によって、人民を安存させることにたいしては、なんの手落ちもなく、速やかに行うべく、既に罪科を洗い清め、翻然として正に復歸したものに対しては、昔日のことを論じない方がよろしいとされる。

暮鳥已安巢,春蠶看滿箔。(愈)

かくのごとくすれば、暮鳥がその巢に帰り、安心するように、銘々落ち着くところを得て、春になれば、蚕を飼って箔上に満ち、次第に殖産の発展を図ることもできるのである。

詰誅【きつちゅう】王の怒を敬【つつし】み,給復 人の瘼【はく】を哀む。

澤髮【たくはつ】兜鍪【とうぼう】をき,酡顏【たがん】鑿落【さくらく】傾く。(正封)

安存【あんそん】惟だ晚からむことを恐れ,洗雪 昨を論ぜず。

暮鳥 已に巢に安んじ,春蠶【しゅんさん】箔に滿つるを看る。(愈)

 (15)-#13

聲明動朝闕,光寵耀京洛。

従軍の将士は、今度大功をたてたるによって、赫赫たる声名は、朝闕を動かし、光輝寵栄は京洛に輝くばかり、

旁午降絲綸,中堅擁鼓鐸。(正封)

天子よりも打ちつづけに詔勅を下して、その入京を促がされ、よって行列を整え、中軍には鼓鐸を擁し、しずしずと練りだして、都に帰って來る。

密坐列珠翠,高門塗粉雘。

その都においての邸宅では、妻妾共が密坐して珠玉翡翠を列ね、高門は赤や白で塗りなおして、何時帰着してもよいようになっている。

跋朝賀書飛,塞路歸鞍躍。(愈)

この間、擧朝の人々は、爭って慶賀の書を送り、一行の歸鞍は道を塞ぐほどで、いそいそと勢いよくやってくるのである。

聲明 朝闕を動かし,光寵 京洛に耀【かがや】く。

旁午【ほうご】絲綸【しりん】を降【くだ】し,中堅 鼓鐸【こたく】を擁す。(正封)

密坐【みつざ】珠翠【しゅすい】を列ね,高門 粉雘【ふんわく】を塗る。

朝を跋【こぞ】りて賀書 飛び,路を塞いで歸鞍【きあん】躍る。(愈)

 (16)-#14

魏闕橫雲漢,秦關束巖崿。

拜迎羅櫜鞬,問遺結囊橐。(正封)

江淮永清晏,宇宙重開拓。

是日號升平,此年名作噩。(愈)

魏闕 雲漢に橫わり,秦關【しんかん】巖崿【がんがく】を束【つか】ぬ。

拜迎【はいげい】櫜鞬【こうけん】を羅【つら】ね,問遺【もんい】囊橐【のうたく】結ぶ。(正封)

江淮【こうわい】永く清晏,宇宙 重ねて開拓。

是の日 升平と號し,此の年 作噩【さくがき】と名づく。(愈)

桑摘女00 

 

『晚秋郾城夜會聯句』 現代語訳と訳註

(本文) (15)-#13

聲明動朝闕,光寵耀京洛。

旁午降絲綸,中堅擁鼓鐸。(正封)

密坐列珠翠,高門塗粉雘。

跋朝賀書飛,塞路歸鞍躍。(愈)

 

 

(下し文) (15)-#13

聲明 朝闕を動かし,光寵 京洛に耀【かがや】く。

旁午【ほうご】絲綸【しりん】を降【くだ】し,中堅 鼓鐸【こたく】を擁す。(正封)

密坐【みつざ】珠翠【しゅすい】を列ね,高門 粉雘【ふんわく】を塗る。

朝を跋【こぞ】りて賀書 飛び,路を塞いで歸鞍【きあん】躍る。(愈)

 

 

燕麦003(現代語訳)

従軍の将士は、今度大功をたてたるによって、赫赫たる声名は、朝闕を動かし、光輝寵栄は京洛に輝くばかり、

天子よりも打ちつづけに詔勅を下して、その入京を促がされ、よって行列を整え、中軍には鼓鐸を擁し、しずしずと練りだして、都に帰って來る。

その都においての邸宅では、妻妾共が密坐して珠玉翡翠を列ね、高門は赤や白で塗りなおして、何時帰着してもよいようになっている。

この間、擧朝の人々は、爭って慶賀の書を送り、一行の歸鞍は道を塞ぐほどで、いそいそと勢いよくやってくるのである。

 

 

(訳注) (15)-#13

聲明動朝闕,光寵耀京洛。

従軍の将士は、今度大功をたてたるによって、赫赫たる声名は、朝闕を動かし、光輝寵栄は京洛に輝くばかり、

 

旁午降絲綸,中堅擁鼓鐸。(正封)

天子よりも打ちつづけに詔勅を下して、その入京を促がされ、よって行列を整え、中軍には鼓鐸を擁し、しずしずと練りだして、都に帰って來る。

・絲綸 王の言葉である。彼らは、彼らの知性や理性でもっても抗えない何かが訪れるのを待っているのだ。ここでは詔勅とする。

・鼓鐸 太鼓とかね。青銅製の〈かね〉の一種。中国では有柄有舌の〈かね〉をさす。すなわち,筒状の身(かねの本体)の閉じた方の端に長い柄が直立し,他端は開いたまま終わる。身の内側につるした発音用の棒(舌(ぜつ))を振り鳴らす。

 

密坐列珠翠,高門塗粉雘。

その都においての邸宅では、妻妾共が密坐して珠玉翡翠を列ね、高門は赤や白で塗りなおして、何時帰着してもよいようになっている。

・珠翠 宝珠と翡翠。女性の装飾品。

・粉雘 赤と白の両色をいう。ここでは赤や白で塗りなおす。

 

跋朝賀書飛,塞路歸鞍躍。(愈)

この間、擧朝の人々は、爭って慶賀の書を送り、一行の歸鞍は道を塞ぐほどで、いそいそと勢いよくやってくるのである。

《晚秋郾城夜會聯句〔韓愈、李正封〕》(14)-#12韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <861>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3289韓愈詩-220-#12

〔韓愈、李正封〕《晚秋郾城夜會聯句》(14)将士の凱旋に当たっては、重苦しい兜を脱ぎ棄てて、梳る髪にはつやを生じ、よっては顔を赤くしつつ、杯を傾ける。厚生の道によって、人民を安存させることにたいしては、なんの手落ちもなく、速やかに行うべく、既に罪科を洗い清め、翻然として正に復歸したものに対しては、昔日のことを論じない方がよろしいとされる。

2013年11月14日  の紀頌之5つのブログ
●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場
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班孟堅(班固) 《兩都賦序》(2) 文選 賦<111―2>13分割41回 Ⅱ李白に影響を与えた詩948 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3288
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《晚秋郾城夜會聯句〔韓愈、李正封〕》(14)-#12韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <861>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3289韓愈詩-220-#12
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●●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩
Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoor 臨江仙 一首 張泌【ちょうひつ】  ⅩⅫ唐五代詞・ 「花間集」 Gs-349-7-#11  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3292
 
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登池上樓 #1 謝霊運<25>#1  ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67502196.html
孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。
李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html 
李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首
魚玄機 詩 全首130回賦得江邊柳 魚玄機  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-65-1-#五言律詩  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1876
薛濤 詩詞全首100 井梧吟 薛濤 唐五代詞・宋詩 薛濤-136-8-#1  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2227
主に花間集から
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《晚秋郾城夜會聯句〔韓愈、李正封〕》(14)-#12韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <861>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3289韓愈詩-220-#12

 

 

(13)-#11

藁街陳鈇鉞,桃塞興錢鎛。

その後始末として、長安の外国人居留地である藁街には、斧鉞を陳列して声威を示し、桃林の塞には田器を備えて、開墾の用意を成している。

地理畫封疆,天文埽寥廓。(正封)

地理上、天子の直轄地と潘鎮との境界を画して、天文においては、大空を払って、妖氛を消滅させるように致したい。

天子憫瘡痍,將軍禁鹵掠。

今の天子は聖明におわす故に、蒼生の創痍に悩むを哀憫せられ、将軍は令を下して、奪掠を禁じる。

策勳封龍,歸獸獲麟脚。(愈)

功勲あるものを策して、諸侯に封じ、猟をした時に麒麟を得るに相違なく、世は追々と太平に復帰することであろう。

藁街【おうがい】鈇鉞【ふえつ】を陳【つら】ね,桃塞【とうさい】錢鎛【せんはく】を興す。

地理 封疆【ほうきょう】を畫す,天文 寥廓【りょうかく】を埽う。(正封)

天子 瘡痍【そうい】を憫【あわれ】み,將軍 鹵掠【ろりゃく】を禁ず。

勳を策して 龍ぜられ,歸獸 麟脚を獲たり。(愈)

 (14)-#12

詰誅敬王怒,給復哀人瘼。

その暴慢を詰責して、誅罰するにあたりては、王の前日の怒りを敬して、みだりにこれを許さず、しかし、人民の止めるものに対しては、同情を表して、租税を免じ、かつこれを使役せぬようにしたい。

澤髮解兜鍪,酡顏傾鑿落。(正封)

将士の凱旋に当たっては、重苦しい兜を脱ぎ棄てて、梳る髪にはつやを生じ、よっては顔を赤くしつつ、杯を傾ける。

安存惟恐晚,洗雪不論昨。

厚生の道によって、人民を安存させることにたいしては、なんの手落ちもなく、速やかに行うべく、既に罪科を洗い清め、翻然として正に復歸したものに対しては、昔日のことを論じない方がよろしいとされる。

暮鳥已安巢,春蠶看滿箔。(愈)

かくのごとくすれば、暮鳥がその巢に帰り、安心するように、銘々落ち着くところを得て、春になれば、蚕を飼って箔上に満ち、次第に殖産の発展を図ることもできるのである。

詰誅【きつちゅう】王の怒を敬【つつし】み,給復 人の瘼【はく】を哀む。

澤髮【たくはつ】兜鍪【とうぼう】をき,酡顏【たがん】鑿落【さくらく】傾く。(正封)

安存【あんそん】惟だ晚からむことを恐れ,洗雪 昨を論ぜず。

暮鳥 已に巢に安んじ,春蠶【しゅんさん】箔に滿つるを看る。(愈)

 (15)-#13

聲明動朝闕,光寵耀京洛。

旁午降絲綸,中堅擁鼓鐸。(正封)

密坐列珠翠,高門塗粉雘。

跋朝賀書飛,塞路歸鞍躍。(愈)

聲明 朝闕を動かし,光寵 京洛に耀【かがや】く。

旁午【ほうご】絲綸【しりん】を降【くだ】し,中堅 鼓鐸【こたく】を擁す。(正封)

密坐【みつざ】珠翠【しゅすい】を列ね,高門 粉雘【ふんわく】を塗る。

朝を跋【こぞ】りて賀書 飛び,路を塞いで歸鞍【きあん】躍る。(愈)

 (16)-#14

魏闕橫雲漢,秦關束巖崿。

拜迎羅櫜鞬,問遺結囊橐。(正封)

江淮永清晏,宇宙重開拓。

是日號升平,此年名作噩。(愈)

魏闕 雲漢に橫わり,秦關【しんかん】巖崿【がんがく】を束【つか】ぬ。

拜迎【はいげい】櫜鞬【こうけん】を羅【つら】ね,問遺【もんい】囊橐【のうたく】結ぶ。(正封)

江淮【こうわい】永く清晏,宇宙 重ねて開拓。

是の日 升平と號し,此の年 作噩【さくがき】と名づく。(愈)

 

杏の白花013 

『晚秋郾城夜會聯句』 現代語訳と訳註

(本文) (14)-#12

詰誅敬王怒,給復哀人瘼。

澤髮解兜鍪,酡顏傾鑿落。(正封)

安存惟恐晚,洗雪不論昨。

暮鳥已安巢,春蠶看滿箔。(愈)

 

 

(下し文) (14)-#12

詰誅【きつちゅう】王の怒を敬【つつし】み,給復 人の瘼【はく】を哀む。

澤髮【たくはつ】兜鍪【とうぼう】をき,酡顏【たがん】鑿落【さくらく】傾く。(正封)

安存【あんそん】惟だ晚からむことを恐れ,洗雪 昨を論ぜず。

暮鳥 已に巢に安んじ,春蠶【しゅんさん】箔に滿つるを看る。(愈)

 

 

(現代語訳)

その暴慢を詰責して、誅罰するにあたりては、王の前日の怒りを敬して、みだりにこれを許さず、しかし、人民の止めるものに対しては、同情を表して、租税を免じ、かつこれを使役せぬようにしたい。

将士の凱旋に当たっては、重苦しい兜を脱ぎ棄てて、梳る髪にはつやを生じ、よっては顔を赤くしつつ、杯を傾ける。

厚生の道によって、人民を安存させることにたいしては、なんの手落ちもなく、速やかに行うべく、既に罪科を洗い清め、翻然として正に復歸したものに対しては、昔日のことを論じない方がよろしいとされる。

かくのごとくすれば、暮鳥がその巢に帰り、安心するように、銘々落ち着くところを得て、春になれば、蚕を飼って箔上に満ち、次第に殖産の発展を図ることもできるのである。

 

 

(訳注) (14)-#12

詰誅敬王怒,給復哀人瘼。

その暴慢を詰責して、誅罰するにあたりては、王の前日の怒りを敬して、みだりにこれを許さず、しかし、人民の止めるものに対しては、同情を表して、租税を免じ、かつこれを使役せぬようにしたい。

・詰誅 詰責して、誅罰する。

・瘼 病,困苦。

 

澤髮解兜鍪,酡顏傾鑿落。(正封)

将士の凱旋に当たっては、重苦しい兜を脱ぎ棄てて、梳る髪にはつやを生じ、よっては顔を赤くしつつ、杯を傾ける。

・澤髮 梳る髪にはつやを生じる。

・兜鍪 かぶと。

・鑿 鑿(のみ)は、木材、石材、金属等に穴を穿ったり、溝を刻んだりするのに用いる工具。

 

安存惟恐晚,洗雪不論昨。

厚生の道によって、人民を安存させることにたいしては、なんの手落ちもなく、速やかに行うべく、既に罪科を洗い清め、翻然として正に復歸したものに対しては、昔日のことを論じない方がよろしいとされる。

 

暮鳥已安巢,春蠶看滿箔。(愈)

かくのごとくすれば、暮鳥がその巢に帰り、安心するように、銘々落ち着くところを得て、春になれば、蚕を飼って箔上に満ち、次第に殖産の発展を図ることもできるのである。

・暮鳥 夕方になって山の巣に帰ることをいう。

・春蠶 春になれば、蚕を飼う。

・滿箔 箔上に満ち、次第に殖産の発展を図る。
甘粛省-嘉峪関 

《晚秋郾城夜會聯句〔韓愈、李正封〕》(13)-#11韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <860>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3284韓愈詩-220-#11

〔韓愈、李正封〕《晚秋郾城夜會聯句》地理上、天子の直轄地と潘鎮との境界を画して、天文においては、大空を払って、妖氛を消滅させるように致したい。今の天子は聖明におわす故に、蒼生の創痍に悩むを哀憫せられ、将軍は令を下して、奪掠を禁じる。


2013年11月13日  の紀頌之5つのブログ
●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場
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謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。
登永嘉緑嶂山詩 #1 謝霊運 <20> 詩集 386ーhttp://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67474554.html
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孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。
李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html 
李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首
魚玄機 詩 全首130回賦得江邊柳 魚玄機  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-65-1-#五言律詩  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1876
薛濤 詩詞全首100 井梧吟 薛濤 唐五代詞・宋詩 薛濤-136-8-#1  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2227
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温庭筠 70首『菩薩蠻 一』温庭筠  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-1-1-#1 花間集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1620
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皇甫松 10首 採蓮子二首  其一 皇甫松  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-307-5-#61  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3082
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《晚秋郾城夜會聯句〔韓愈、李正封〕》(13)-#11韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <860>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3284韓愈詩-220-#11  

 

 

(13)-#11

藁街陳鈇鉞,桃塞興錢鎛。

その後始末として、長安の外国人居留地である藁街には、斧鉞を陳列して声威を示し、桃林の塞には田器を備えて、開墾の用意を成している。

地理畫封疆,天文埽寥廓。(正封)

地理上、天子の直轄地と潘鎮との境界を画して、天文においては、大空を払って、妖氛を消滅させるように致したい。

天子憫瘡痍,將軍禁鹵掠。

今の天子は聖明におわす故に、蒼生の創痍に悩むを哀憫せられ、将軍は令を下して、奪掠を禁じる。

策勳封龍,歸獸獲麟脚。(愈)

功勲あるものを策して、諸侯に封じ、猟をした時に麒麟を得るに相違なく、世は追々と太平に復帰することであろう。

藁街【おうがい】鈇鉞【ふえつ】を陳【つら】ね,桃塞【とうさい】錢鎛【せんはく】を興す。

地理 封疆【ほうきょう】を畫す,天文 寥廓【りょうかく】を埽う。(正封)

天子 瘡痍【そうい】を憫【あわれ】み,將軍 鹵掠【ろりゃく】を禁ず。

勳を策して 龍ぜられ,歸獸 麟脚を獲たり。(愈)

 (14)-#12

詰誅敬王怒,給復哀人瘼。

澤髮解兜鍪,酡顏傾鑿落。(正封)

安存惟恐晚,洗雪不論昨。

暮鳥已安巢,春蠶看滿箔。(愈)

詰誅【きつちゅう】王の怒を敬【つつし】み,給復 人の瘼【はく】を哀む。

澤髮【たくはつ】兜鍪【とうぼう】をき,酡顏【たがん】鑿落【さくらく】傾く。(正封)

安存【あんそん】惟だ晚からむことを恐れ,洗雪 昨を論ぜず。

暮鳥 已に巢に安んじ,春蠶【しゅんさん】箔に滿つるを看る。(愈)

 (15)-#13

聲明動朝闕,光寵耀京洛。旁午降絲綸,中堅擁鼓鐸。(正封)

密坐列珠翠,高門塗粉雘。跋朝賀書飛,塞路歸鞍躍。(愈)

(16)-#14

魏闕橫雲漢,秦關束巖崿。拜迎羅櫜鞬,問遺結囊橐。(正封)

江淮永清晏,宇宙重開拓。是日號升平,此年名作噩。(愈)

楊柳00005 

 

『晚秋郾城夜會聯句』 現代語訳と訳註

(本文) (13)-#11

藁街陳鈇鉞,桃塞興錢鎛。

地理畫封疆,天文埽寥廓。(正封)

天子憫瘡痍,將軍禁鹵掠。

策勳封龍,歸獸獲麟脚。(愈)

 

 

(下し文) (13)-#11

藁街【おうがい】鈇鉞【ふえつ】を陳【つら】ね,桃塞【とうさい】錢鎛【せんはく】を興す。

地理 封疆【ほうきょう】を畫す,天文 寥廓【りょうかく】を埽う。(正封)

天子 瘡痍【そうい】を憫【あわれ】み,將軍 鹵掠【ろりゃく】を禁ず。

勳を策して 龍ぜられ,歸獸 麟脚を獲たり。(愈)

 

(現代語訳)

その後始末として、長安の外国人居留地である藁街には、斧鉞を陳列して声威を示し、桃林の塞には田器を備えて、開墾の用意を成している。

地理上、天子の直轄地と潘鎮との境界を画して、天文においては、大空を払って、妖氛を消滅させるように致したい。

今の天子は聖明におわす故に、蒼生の創痍に悩むを哀憫せられ、将軍は令を下して、奪掠を禁じる。

功勲あるものを策して、諸侯に封じ、猟をした時に麒麟を得るに相違なく、世は追々と太平に復帰することであろう。

 

(訳注) (13)-#11

藁街陳鈇鉞,桃塞興錢鎛。

その後始末として、長安の外国人居留地である藁街には、斧鉞を陳列して声威を示し、桃林の塞には田器を備えて、開墾の用意を成している。

・藁街 長安の外国人居留地のこと。

・鈇鉞 斧、薪刀。

・桃塞 桃林塞。潼関県は関中平原の東部、秦嶺山脈の北、渭河、洛河の南、華山の東に位置し、山西、陝西、河南の3省を結ぶ交通の要衝であり、古来より軍事家による争奪の地となった。殷代は定国に属し桃林と称されていた。周代になると畿内地域とされ渭汭と称された。春秋時代には晋に属し桃林塞と称され秦に対抗する戦略拠点とされた。前453年、魏に属するようになり、前332年に寧秦県が設置された。

・錢鎛 鎛- (くわ)の一種。草刈りに用いた農具という。

 

地理畫封疆,天文埽寥廓。(正封)

地理上、天子の直轄地と潘鎮との境界を画して、天文においては、大空を払って、妖氛を消滅させるように致したい。

・寥廓 広々として果てしない.天空寥廓=大空は広々として果てしない.寥廓的天空=果てしない大空.

 

天子憫瘡痍,將軍禁鹵掠。

今の天子は聖明におわす故に、蒼生の創痍に悩むを哀憫せられ、将軍は令を下して、奪掠を禁じる。

・瘡痍 創傷。滿眼創傷。

・鹵掠 かすめ取ること。

 

策勳封龍,歸獸獲麟脚。(愈)

功勲あるものを策して、諸侯に封じ、猟をした時に麒麟を得るに相違なく、世は追々と太平に復帰することであろう。

・龍 龍額侯. 相關人物韓. 《晉書》卷五十五《衛青傳》 「都尉韓從大將軍出窳渾,至匈奴右賢王庭,為麾下搏戰獲王,以千三百為龍侯。」
kyoko113 

《晚秋郾城夜會聯句〔韓愈、李正封〕》(12)-#10韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <859>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3279韓愈詩-220-#10

〔韓愈、李正封〕《晚秋郾城夜會聯句》いま、呉元濟以下の一味の者には、罪悪貫盈、首をはねてもおっつかぬくらいで、なかなか、そんな生易しいことでは済まされないから仕方がない。予は、行軍司馬に任じて、賊徒の処罰を司るものであるが、本来の性情は、渓谷山河に遊ぶことを好むものである。


2013年11月12日 の紀頌之5つのブログ
●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場
Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
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司馬相如 《上林賦 》(41)―#13-5  文選 賦<110-#13-5>13分割41回 Ⅱ李白に影響を与えた詩946 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3278 (上林賦―最終回)
●唐を代表する中唐の韓愈の儒家としての考えのよくわかる代表作の一つ
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《晚秋郾城夜會聯句〔韓愈、李正封〕》(12)-#10韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <859>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3279韓愈詩-220-#10
●杜甫の全作品1141首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"
Ⅲ杜甫詩1000詩集  LiveDoorブログ688 《陪李梓州、王閬州、蘇遂州、李果州四使君登惠義寺》 蜀中転々 杜甫 <594>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3280 杜甫詩1000-594-850/1500
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安世房中歌十七首(1) 唐山夫人 漢詩 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67710265.html 
為焦仲卿妻作 序 漢詩<143>古詩源 巻三 女性詩http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67729401.html
於凊河見輓船士新婚別妻一首 曹丕(魏文帝) 魏詩http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67759129.html
朔風 (一章) 曹植 魏詩<25-#1>文選雑詩 上 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67780868.html
謝靈運詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/1901_shareiun000.html 謝靈運詩六朝期の山水詩人。この人の詩は上品ですがすがしい男性的な深みのある詩である。後世に多大な影響を残している。
謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。
登永嘉緑嶂山詩 #1 謝霊運 <20> 詩集 386ーhttp://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67474554.html
登池上樓 #1 謝霊運<25>#1  ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67502196.html
孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。
李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html 
李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首
魚玄機 詩 全首130回賦得江邊柳 魚玄機  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-65-1-#五言律詩  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1876
薛濤 詩詞全首100 井梧吟 薛濤 唐五代詞・宋詩 薛濤-136-8-#1  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2227
主に花間集から
温庭筠 70首『菩薩蠻 一』温庭筠  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-1-1-#1 花間集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1620
韋荘 50首 菩薩蠻 一 韋荘  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩花間集Gs-247-5-#1  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2617
皇甫松 10首 採蓮子二首  其一 皇甫松  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-307-5-#61  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3082
牛嶠  20首 女冠子四首 其一 牛嶠  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-312-5-#66  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3107
『花間集』継続中 
杜甫全詩 韓愈全詩 花間集 古詩源 玉台新詠
 

《晚秋郾城夜會聯句〔韓愈、李正封〕》(12)-#10韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <859>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3279韓愈詩-220-#10

 

 

(9)-#7

摧鋒若貙兕,超乘如猱玃。

虎や犀のように賊の鋒もこれを侵してくることが難しく、その勢い込んで飛び越えてくることはさながら、山猿のようである。

逢掖服飜慙,縵胡纓可愕。(正封)

ここに至れば、おおきな袖の衣服を着ている儒者の吾輩は自ら顧みて、その無能を愧じるべく、無地で粗い冠の紐を結んで威張っている壮士どもも、とても及ばないもののとして、驚き入るであろう。

星隕聞雊雉,師興隨唳鶴。

やがて、大星天よりおちて、野雉しきりに鳴き、いよいよ賊の滅ぶる吉兆として知られ、負けたものは、鶴の啼く声にさえ、驚くというのに、王師は、そのあとに追々乗り込んでくる。

虎豹貪犬羊,鷹鸇憎鳥雀。(愈)

その勢いに乗じて、賊を追撃するは、虎豹の犬羊羣中に入るがごとき、鷹鸇が鳥雀を憎んで、これを追いたてるようである。 

鋒【ほう】を摧【くだ】いて 貙兕【ちゅじ】の若く,超乘して 猱玃【じゅうかく】の如く。

逢掖【ほうえき】 服 飜って慙じ,縵胡【まんんこ】 纓【えい】 愕【おどろ】く可し。(正封)

星隕【お】ちて 雊雉【こうち】を聞き,師 興って 唳鶴【れいかく】に隨う。

虎豹 犬羊を貪【むさぼ】り,鷹鸇【ようせん】 鳥雀【ちょうじゃく】を憎む。(愈)

 

 (11)-#9

軸轤亙淮泗,旌連夏鄂。

そのようすは轆櫓の軸を相いふくんで淮水から、泗水にかけて満ちていて、王朝軍の旌は遠く長江流域の夏口から鄂州にも連なるくらいである。

大野縱氐羌,長河浴騮駱。(正封)

大野には、西方の氐族、羌族の雇兵をはなって、その自在なる活動をゆるし、長河においては、見事な騚馬を浴占めた。

東西競角逐,遠近施矰繳。

呉元濟の賊どもの走るを追って東西に角逐の戦法で攻撃し、遠近に網や射ぐるみを敷設して、少しも逃がさぬように準備している。

人怨童聚謠,天殃鬼行虐。(愈)

賊にしいたげられた無辜の人民は怨嗟して童謡も随所に行われたくらいだから、その賊に対しては、天より禍をくだし、鬼より虐病をはやらせ、内外から攻めたてて、決してこれを許さない。

軸轤【じくろ】淮泗【わいし】に亙り,旌【はいせい】夏鄂【かがく】に連なる。

大野 氐羌【ていきゅう】縱【ほしいまま】にし,長河 騮駱【りゅうらく】を浴す。(正封)

東西 競うて角逐【かくちく】し,遠近 矰繳【そうしゃく】を施す。

人怨【じんえん】童 謠を聚め,天殃【てんのう】鬼 虐を行う。(愈)

 

 (12)-10

漢刑支郡黜,周制閑田削。

諸侯にたいして、罪ある時、漢の刑法では、その四辺の地をけずり、周の制度では、閑田をとりあげるという罰をうけることである。

侯社退無功,鬼薪懲不恪。(正封)

諸侯の廟社においては、無功の人を退け、王命に逆らった者には、三年間、宗廟付属の他秋宜ひろいをするということではあるが、いま、呉元濟以下の一味の者には、罪悪貫盈、首をはねてもおっつかぬくらいで、なかなか、そんな生易しいことでは済まされないから仕方がない。

余雖司斧鑕,情本尚丘壑。

予は、行軍司馬に任じて、賊徒の処罰を司るものであるが、本来の性情は、渓谷山河に遊ぶことを好むものである。

且待獻俘囚,終當返耕穫。(愈)

やがて、捕虜を朝廷に引き渡した後は、官を辞して、躬耕に従事したいと思う。

 

漢刑【かんけい】支郡【しぐん】黜【しりぞ】けられ,周制 閑田【かんでん】削らる。

侯社 無功を退け,鬼薪【きしん】不恪【しかく】を懲【こ】らす。(正封)

余 斧鑕【ふしつ】を司ると雖も,情 本【もとも】と丘壑【きゅうがく】を尚【とうお】う。

且【しいばら】く俘囚【ふしゅう】を獻ずるう待て,終に當に耕穫【こうかく】に返えるべし。(愈)

韓愈地図1000 

 

『晚秋郾城夜會聯句』 現代語訳と訳註

(本文) (12)-10

漢刑支郡黜,周制閑田削。

侯社退無功,鬼薪懲不恪。(正封)

余雖司斧鑕,情本尚丘壑。

且待獻俘囚,終當返耕穫。(愈)

 

 

(下し文) (12)-10

漢刑【かんけい】支郡【しぐん】黜【しりぞ】けられ,周制 閑田【かんでん】削らる。

侯社 無功を退け,鬼薪【きしん】不恪【しかく】を懲【こ】らす。(正封)

余 斧鑕【ふしつ】を司ると雖も,情 本【もとも】と丘壑【きゅうがく】を尚【とうお】う。

且【しいばら】く俘囚【ふしゅう】を獻ずるう待て,終に當に耕穫【こうかく】に返えるべし。(愈)

 

 

(現代語訳)

諸侯にたいして、罪ある時、漢の刑法では、その四辺の地をけずり、周の制度では、閑田をとりあげるという罰をうけることである。

諸侯の廟社においては、無功の人を退け、王命に逆らった者には、三年間、宗廟付属の他秋宜ひろいをするということではあるが、いま、呉元濟以下の一味の者には、罪悪貫盈、首をはねてもおっつかぬくらいで、なかなか、そんな生易しいことでは済まされないから仕方がない。

予は、行軍司馬に任じて、賊徒の処罰を司るものであるが、本来の性情は、渓谷山河に遊ぶことを好むものである。

やがて、捕虜を朝廷に引き渡した後は、官を辞して、躬耕に従事したいと思う。

 

 

(訳注) (12)-10

漢刑支郡黜,周制閑田削。

諸侯にたいして、罪ある時、漢の刑法では、その四辺の地をけずり、周の制度では、閑田をとりあげるという罰をうけることである。

 

 

侯社退無功,鬼薪懲不恪。(正封)

諸侯の廟社においては、無功の人を退け、王命に逆らった者には、三年間、宗廟付属の他秋宜ひろいをするということではあるが、いま、呉元濟以下の一味の者には、罪悪貫盈、首をはねてもおっつかぬくらいで、なかなか、そんな生易しいことでは済まされないから仕方がない。

・侯社 諸侯の廟社。

・鬼薪 王命に逆らう者に、罰刑として三年間、宗廟付属施設の薪拾いをさせるというのがある。

・懲不恪 呉元濟以下の一味の者には、罪悪貫盈、首をはねてもおっつかぬくらいで、なかなか、そんな生易しいことでは済まされないから仕方がない。。

 

 

余雖司斧鑕,情本尚丘壑。

予は、行軍司馬に任じて、賊徒の処罰を司るものであるが、本来の性情は、渓谷山河に遊ぶことを好むものである。

・斧鑕 古代の腰斬刑具の一種である。漢書˙卷三十一˙陳勝項籍傳:「將軍何不還兵與諸侯為從,南面稱孤?孰與身伏斧鑕,妻子為戮乎?」

 

且待獻俘囚,終當返耕穫。(愈)

やがて、捕虜を朝廷に引き渡した後は、官を辞して、躬耕に従事したいと思う。

獻俘囚 捕虜を朝廷に引き渡すこと。甘粛省-嘉峪関

《晚秋郾城夜會聯句〔韓愈、李正封〕》(11)-#9韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <858>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3274韓愈詩-220-#9

《晚秋郾城夜會聯句》(11) 大野には、西方の氐族、羌族の雇兵をはなって、その自在なる活動をゆるし、長河においては、見事な騚馬を浴占めた。呉元濟の賊どもの走るを追って東西に角逐の戦法で攻撃し、遠近に網や射ぐるみを敷設して、少しも逃がさぬように準備している。


2013年11月11日 の紀頌之5つのブログ
●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場
Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
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司馬相如 《上林賦 》(40)―#13-4  文選 賦<110-#13-4>13分割41回 Ⅱ李白に影響を与えた詩945 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3273
●唐を代表する中唐の韓愈の儒家としての考えのよくわかる代表作の一つ
Ⅱ中唐詩・晩唐詩
 
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《晚秋郾城夜會聯句〔韓愈、李正封〕》(11)-#9韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <858>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3274韓愈詩-220-#9
●杜甫の全作品1141首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"
Ⅲ杜甫詩1000詩集  LiveDoorブログ687 《登牛頭山亭子》 蜀中転々 杜甫 <593>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3275 杜甫詩1000-593-849/1500
●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている
Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集 Fc2ブログ70  謝靈運(謝康楽) 《擬魏太子鄴中集詩八首  平原侯值(曹植)》 魏詩  kanbuniinkai 紀 頌之の詩詞 fc2ブログ 3276 (11/11)
●●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩
Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoor浣渓沙 十首 其八 張泌【ちょうひつ】  ⅩⅫ唐五代詞・ 「花間集」 Gs-346-7-#8  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3277
 
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謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。
登永嘉緑嶂山詩 #1 謝霊運 <20> 詩集 386ーhttp://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67474554.html
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孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。
李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html 
李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首
魚玄機 詩 全首130回賦得江邊柳 魚玄機  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-65-1-#五言律詩  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1876
薛濤 詩詞全首100 井梧吟 薛濤 唐五代詞・宋詩 薛濤-136-8-#1  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2227
主に花間集から
温庭筠 70首『菩薩蠻 一』温庭筠  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-1-1-#1 花間集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1620
韋荘 50首 菩薩蠻 一 韋荘  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩花間集Gs-247-5-#1  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2617
皇甫松 10首 採蓮子二首  其一 皇甫松  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-307-5-#61  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3082
牛嶠  20首 女冠子四首 其一 牛嶠  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-312-5-#66  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3107
『花間集』継続中 
杜甫全詩 韓愈全詩 花間集 古詩源 玉台新詠
 

《晚秋郾城夜會聯句〔韓愈、李正封〕》(11)-#9韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <858>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3274韓愈詩-220-#9

 

 

(9)-#7

摧鋒若貙兕,超乘如猱玃。

虎や犀のように賊の鋒もこれを侵してくることが難しく、その勢い込んで飛び越えてくることはさながら、山猿のようである。

逢掖服飜慙,縵胡纓可愕。(正封)

ここに至れば、おおきな袖の衣服を着ている儒者の吾輩は自ら顧みて、その無能を愧じるべく、無地で粗い冠の紐を結んで威張っている壮士どもも、とても及ばないもののとして、驚き入るであろう。

星隕聞雊雉,師興隨唳鶴。

やがて、大星天よりおちて、野雉しきりに鳴き、いよいよ賊の滅ぶる吉兆として知られ、負けたものは、鶴の啼く声にさえ、驚くというのに、王師は、そのあとに追々乗り込んでくる。

虎豹貪犬羊,鷹鸇憎鳥雀。(愈)

その勢いに乗じて、賊を追撃するは、虎豹の犬羊羣中に入るがごとき、鷹鸇が鳥雀を憎んで、これを追いたてるようである。 

鋒【ほう】を摧【くだ】いて 貙兕【ちゅじ】の若く,超乘して 猱玃【じゅうかく】の如く。

逢掖【ほうえき】 服 飜って慙じ,縵胡【まんんこ】 纓【えい】 愕【おどろ】く可し。(正封)

星隕【お】ちて 雊雉【こうち】を聞き,師 興って 唳鶴【れいかく】に隨う。

虎豹 犬羊を貪【むさぼ】り,鷹鸇【ようせん】 鳥雀【ちょうじゃく】を憎む。(愈)

 

 (11)-#9

軸轤亙淮泗,旌連夏鄂。

そのようすは轆櫓の軸を相いふくんで淮水から、泗水にかけて満ちていて、王朝軍の旌は遠く長江流域の夏口から鄂州にも連なるくらいである。

大野縱氐羌,長河浴騮駱。(正封)

大野には、西方の氐族、羌族の雇兵をはなって、その自在なる活動をゆるし、長河においては、見事な騚馬を浴占めた。

東西競角逐,遠近施矰繳。

呉元濟の賊どもの走るを追って東西に角逐の戦法で攻撃し、遠近に網や射ぐるみを敷設して、少しも逃がさぬように準備している。

人怨童聚謠,天殃鬼行虐。(愈)

賊にしいたげられた無辜の人民は怨嗟して童謡も随所に行われたくらいだから、その賊に対しては、天より禍をくだし、鬼より虐病をはやらせ、内外から攻めたてて、決してこれを許さない。

軸轤【じくろ】淮泗【わいし】に亙り,旌【はいせい】夏鄂【かがく】に連なる。

大野 氐羌【ていきゅう】縱【ほしいまま】にし,長河 騮駱【りゅうらく】を浴す。(正封)

東西 競うて角逐【かくちく】し,遠近 矰繳【そうしゃく】を施す。

人怨【じんえん】童 謠を聚め,天殃【てんのう】鬼 虐を行う。(愈)

 (12)-10

漢刑支郡黜,周制閑田削。

侯社退無功,鬼薪懲不恪。(正封)

余雖司斧鑕,情本尚丘壑。

且待獻俘囚,終當返耕穫。(愈)

 

韓愈地図1000 

『晚秋郾城夜會聯句』 現代語訳と訳註

(本文) (11)-#9

軸轤亙淮泗,旌連夏鄂。

大野縱氐羌,長河浴騮駱。(正封)

東西競角逐,遠近施矰繳。

人怨童聚謠,天殃鬼行虐。(愈)

 

 

(下し文) (11)-#9

軸轤【じくろ】淮泗【わいし】に亙り,【はいせい】夏鄂【かがく】に連なる。

大野 氐羌【ていきゅう】【ほしいまま】にし,長河 騮駱【りゅうらく】を浴す。(正封)

東西 競うて角逐【かくちく】し,遠近 矰繳【そうしゃく】を施す。

人怨【じんえん】童 謠を聚め,天殃【てんのう】鬼 虐を行う。(愈)

 

 

 

(現代語訳)

そのようすは轆櫓の軸を相いふくんで淮水から、泗水にかけて満ちていて、王朝軍の旌は遠く長江流域の夏口から鄂州にも連なるくらいである。

大野には、西方の氐族、羌族の雇兵をはなって、その自在なる活動をゆるし、長河においては、見事な騚馬を浴占めた。

呉元濟の賊どもの走るを追って東西に角逐の戦法で攻撃し、遠近に網や射ぐるみを敷設して、少しも逃がさぬように準備している。

賊にしいたげられた無辜の人民は怨嗟して童謡も随所に行われたくらいだから、その賊に対しては、天より禍をくだし、鬼より虐病をはやらせ、内外から攻めたてて、決してこれを許さない。

 

 

(訳注) (11)-#9

軸轤亙淮泗,旌連夏鄂。

そのようすは轆櫓の軸を相いふくんで淮水から、泗水にかけて満ちていて、王朝軍の旌は遠く長江流域の夏口から鄂州にも連なるくらいである。

・軸轤 轆櫓の軸をまわして影響し、波及していく様子をいう。

・淮泗 淮水、泗水地方のこと。黄河下流域と長江の下流域の間に挿まれた地域のこと。

・夏鄂 長江流域の夏口から鄂州、荊州を云う

 

大野縱氐羌,長河浴騮駱。(正封)

大野には、西方の氐族、羌族の雇兵をはなって、その自在なる活動をゆるし、長河においては、見事な騚馬を浴占めた。

氐羌 氐(てい)は、かつて中国の青海湖(現在の青海省)周辺に存在した民族。チベット系というのが有力で、紀元前2世紀ごろから青海で遊牧生活を営んでいた。近くには同じく遊牧を生業とする羌族がいた。

・騮駱 西方の駿馬で紫騮馬と駱駝で大河を渡ったということ。 

 

東西競角逐,遠近施矰繳。

呉元濟の賊どもの走るを追って東西に角逐の戦法で攻撃し、遠近に網や射ぐるみを敷設して、少しも逃がさぬように準備している。

・角逐 攻撃の戦法。

・矰繳 《「射()(くる)み」の意》飛んでいる鳥を捕らえるための仕掛け。矢に網や長い糸をつけて、当たるとそれが絡みつくようにしたもの。

 

人怨童聚謠,天殃鬼行虐。(愈)

賊にしいたげられた無辜の人民は怨嗟して童謡も随所に行われたくらいだから、その賊に対しては、天より禍をくだし、鬼より虐病をはやらせ、内外から攻めたてて、決してこれを許さない。

・殃 1 人に不幸をもたらす物事。また、その結果である不幸な出来事。災厄。災難。「口は―の元」「―が振りかかる」2 不快であること。多く、感動表現に用いる。sas0009

《晚秋郾城夜會聯句〔韓愈、李正封〕》(10)-#8韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <857>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3269韓愈詩-220-#8

《晚秋郾城夜會聯句》(10)賊の報では、倉庫も空になり、兵糧も尽き果てて仕舞えば、戦卒皆飢餓に迫り、月の夜に、物見に出たところで、様々な失態をしでかしてしまうことになるだろう。果ては凶暴逆賊同士が互いに踏み合い、かみ合い、同士討ちをして、いよいよ王師に便宜を与えるという始末であった。


2013年11月10日  の紀頌之5つのブログ
●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場
Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
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司馬相如 《上林賦 》(39)―#13-3  文選 賦<110-#13-3>13分割41回 Ⅱ李白に影響を与えた詩944 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3268
●唐を代表する中唐の韓愈の儒家としての考えのよくわかる代表作の一つ
Ⅱ中唐詩・晩唐詩
 
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孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。
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李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
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《晚秋郾城夜會聯句〔韓愈、李正封〕》(10)-#8韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <857>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3269韓愈詩-220-#8

 

 

(4)-#2

遇主貴陳力,夷凶匪兼弱。

そうはいっても主に仕える身は自分の力を尽くすのはとうといことであり、凶悪な徒を平定するを旨として、必ずしも、弱者を兼幷するのではない。

百牢犒輿師,千購首惡。(正封)

いたるところの人民は百牢を持って王師を迎え、そして、元凶の首をその地域千戸に示して罪を償わせるのである。こうして今しも、大いに軍事を盡すべきである。

平生恥論兵,末暮不輕諾。

私は、平生、道義を講じて兵を論ずるを愧じ、ことに晩年、世なれたる上は、輕諾を為さず、一度うんと言えば、必ず成し遂げる覚悟である。

徒然感恩義,誰復論勳爵。(愈)

しかし、よくよくかんがえると、恩義に感じたうえは、あくまで心力を盡すつもりで、勲爵などには頓着するものではないのだ。

主に遇うて力を陳ぶるを貴きこととし,凶を夷【たいら】ぐるは弱を兼ぬるに匪らず。

百牢 輿師を犒【ねぎら】い,千 首惡を購【あらが】う。(正封)

平生 兵を論ずるを恥じ,末暮 輕しく諾せず。

徒然として 恩義を感ず,誰か復た勳爵【くんしゃく】を論ぜむ。(愈)

 

 

(5)-#3

多士被霑汚,小夷施毒蠚。

多くの士太夫は、叛乱の賊にけがされ、呉元濟は小夷であるといえども、毒虫が人を指すかのように、酷い害毒を流しているのである。

何當鑄劒戟,相與歸臺閣。(正封)

そうであれば、剣戟を鋳造して用い、それで、賊徒を誅夷し、皆引き揃って凱旋し、やがて、台閣に帰着したいものである。

室婦歎鳴鸛,家人祝喜鵲。

夫の家を守る家の褄として鶴が鳴く声を聞いて、主人のつつがなくカササギ橋を渡って帰って來ることを祈り喜ぶものである。

終朝考蓍龜,何日親烝礿。(愈)

終日、笙竹を握り、亀甲を焼いて占い、いつ賊を平らげて清平の世に立ち返り、そして、夏礿秋烝の例祭をできることになろうかと、絶えず心に念じているのである。

多士 霑 汚【お】被られ,小夷 毒蠚【どくちゃく】を施す。

何ぞ當に劒戟【けんげき】を鑄て,相い與に臺閣【だいかく】に歸るべき。(正封)

室婦は鳴鸛【めいかん】を歎じ,家人は喜鵲【きじゃく】を祝す。

終朝 蓍龜【しき】を考えて,何れの日にか 烝礿【じょうやく】を親【みづか】らせむ。


(6)
-#4

間使斷津梁,潛軍索林薄。

そこで偵察に出たものは、舟などを引き上げて津梁を断ち、賊軍が川を渡ってこないようにし、ひそかに派遣した捜索隊は、しきりに林や藪を探って、賊の伏兵でもおればひっ捕らえる手筈である。

紅塵羽書靖,大水沙囊涸。(正封)

幸いにして、羽書というものが稀少ではあるが紅塵も起らざるべく、大水も出つくしてしまえば、土嚢も必要ないというもので、その後にはその渇くに任せる。

銘山子所工,插羽余何怍。

平定において功なった後には、石に刻し、石碑に銘するは、君の得意とするところであるし、警報急に至って、羽を檄文に挿んであったところで、我々は格別驚いたりするものではない。

未足煩刀俎,祗應輸管鑰。(愈)

元来、呉元濟のような謀叛人は刀爼を煩わせる必要もなく、天兵、境に臨めば、直ちに管鑰を差し出して降伏すればよいのである。

 

間使 津梁【しんりょう】を斷ち,潛軍 林薄【りんぼ】を索【あなぐ】る。

紅塵 羽書【うしょ】靖【しずか】に,大水 沙囊【さのう】涸【か】る。(正封)

山に銘ずるは 子が工みなる所,羽を插むは 余何ぞ怍【は】じむ。

未だ 刀俎【とうそ】を煩わずに足らず,祗だ應に 管鑰【かんやく】を輸【つく】るべし。(愈)

 

7)-#5

雨矢逐天狼,電矛驅海若。

雨が降るように矢玉が飛んでくる、天狼の星に応じて侵略を異とする暴賊をも容易に追い払い、その電撃稲光のような矛は海若さえ駆けり退けることが出来る。

靈誅固無縱,力戰誰敢却。(正封)

神霊の誅罰は決して許すことはなく、賊の運命も、もとより定まったものであるし、王師はたとえ危険に臨んだところで、力戦して、決して退却することはない。

峨峨雲梯翔,赫赫火箭著。

雲梯は峨峨として空中を翔けり、城壁を超える、火箭は赫赫として、何処でも燃え尽きせめこんだ。

連空隳雉堞,照夜焚城郭。(愈)

その雲梯を持ってすれば、空に連なるような高い城壁でも、難なく打ち破れるし、その火箭をもってすれば、いかに堅固な城郭でも仕舞に焼き払われてしまうというものだ。

 

雨矢【うし】天狼を逐い,電矛【でんぼう】海若を驅る。

靈誅【れいちゅう】固より縱【ゆる】す無く,力戰 誰か敢て却【しりぞ】かむ。(正封)

峨峨として 雲梯 翔けり,赫赫として 火箭 著く。

空にって雉堞【ちちょう】を隳【やぶ】り,夜を照して城郭を焚く。(愈)

西湖蘇東坡堤02 

(10)-#8

燒陂除積聚,灌壘失依託。

憑軾諭昏迷,執殳征暴虐。(正封)

倉空戰卒飢,月黑探兵錯。

兇徒更蹈藉,逆族相啗嚼。(愈)

又、堤防を焼き払って、賊の蓄えておいた輺重を奪い、城塁を水攻めにして、そのよりどころとするところを失わしめるのである。

しかし、ただ殺戮を事とするばかりでなく、辯令を聞かない暴賊のものは、仕方ないから大きな矛をふるってやっつける。

賊の報では、倉庫も空になり、兵糧も尽き果てて仕舞えば、戦卒皆飢餓に迫り、月の夜に、物見に出たところで、様々な失態をしでかしてしまうことになるだろう。

果ては凶暴逆賊同士が互いに踏み合い、かみ合い、同士討ちをして、いよいよ王師に便宜を与えるという始末であった。

 

燒陂をいて 積聚【ししゅう】を除き,壘【るい】に灌【かん】して依託を失う。

軾に憑って昏迷【こんめい】を諭【さと】し,殳【ほこ】を執って暴虐【ぼうぎゃく】を征す。(正封)

倉は空しくして戰卒を飢え,月は黑くして探兵【たんぺい】錯【あや】まる。

兇徒 更に蹈藉【とうぜき】し,逆族 相い 啗嚼【たんしゅく】す。(愈)

 

 (11)-#9

軸轤亙淮泗,旌連夏鄂。大野縱氐羌,長河浴騮駱。(正封)

東西競角逐,遠近施矰繳。人怨童聚謠,天殃鬼行虐。(愈)

(12)-10

漢刑支郡黜,周制閑田削。侯社退無功,鬼薪懲不恪。(正封)

余雖司斧鑕,情本尚丘壑。且待獻俘囚,終當返耕穫。(愈)

 

 

 

『晚秋郾城夜會聯句』 現代語訳と訳註

(本文) (10)-#8

燒陂除積聚,灌壘失依託。

憑軾諭昏迷,執殳征暴虐。(正封)

倉空戰卒飢,月黑探兵錯。

兇徒更蹈藉,逆族相啗嚼。(愈)

 

 

 

(下し文) (10)-#8

燒陂をいて 積聚【ししゅう】を除き,壘【るい】に灌【かん】して依託を失う。

軾に憑って昏迷【こんめい】を諭【さと】し,殳【ほこ】を執って暴虐【ぼうぎゃく】を征す。(正封)

倉は空しくして戰卒を飢え,月は黑くして探兵【たんぺい】錯【あや】まる。

兇徒 更に蹈藉【とうぜき】し,逆族 相い 啗嚼【たんしゅく】す。(愈)

 

 

(現代語訳)

又、堤防を焼き払って、賊の蓄えておいた輺重を奪い、城塁を水攻めにして、そのよりどころとするところを失わしめるのである。

しかし、ただ殺戮を事とするばかりでなく、辯令を聞かない暴賊のものは、仕方ないから大きな矛をふるってやっつける。

賊の報では、倉庫も空になり、兵糧も尽き果てて仕舞えば、戦卒皆飢餓に迫り、月の夜に、物見に出たところで、様々な失態をしでかしてしまうことになるだろう。

果ては凶暴逆賊同士が互いに踏み合い、かみ合い、同士討ちをして、いよいよ王師に便宜を与えるという始末であった。

 

 

(訳注) (10)-#8

燒陂除積聚,灌壘失依託。

又、堤防を焼き払って、賊の蓄えておいた輺重を奪い、城塁を水攻めにして、そのよりどころとするところを失わしめるのである。

・燒陂 陂は堤防で、堤防保護の草木を焼き払って、攻めていくこと。

・灌壘 城塁を水攻めにする。

・失依託 そのよりどころとするところを失わしめる。

 

憑軾諭昏迷,執殳征暴虐。(正封)

しかし、ただ殺戮を事とするばかりでなく、辯令を聞かない暴賊のものは、仕方ないから大きな矛をふるってやっつける。

・昏迷 意志の表出を欠き,外界の刺激に対しても反応がみられず,精神活動があたかも停止しているかのようにみえる状態が意識の障害なしに現れることがある。

 

倉空戰卒飢,月黑探兵錯。

賊の報では、倉庫も空になり、兵糧も尽き果てて仕舞えば、戦卒皆飢餓に迫り、月の夜に、物見に出たところで、様々な失態をしでかしてしまうことになるだろう。

 

 

兇徒更蹈藉,逆族相啗嚼。(愈)

果ては凶暴逆賊同士が互いに踏み合い、かみ合い、同士討ちをして、いよいよ王師に便宜を与えるという始末であった。

兇徒 殺人・謀反などの悪行を働く者。また、その仲間。

・蹈藉 『莊子·達生』「羸兵為人馬所蹈藉。」

・逆族 呉元濟のこと。

・啗嚼 かみ合い、同士討ちをすることをいう。
甘粛省-嘉峪関 

《晚秋郾城夜會聯句〔韓愈、李正封〕》(9)-#7韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <856>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3264韓愈詩-220-#7

《晚秋郾城夜會聯句〔韓愈、李正封〕》(9) やがて、大星天よりおちて、野雉しきりに鳴き、いよいよ賊の滅ぶる吉兆として知られ、負けたものは、鶴の啼く声にさえ、驚くというのに、王師は、そのあとに追々乗り込んでくる。


2013年11月9日 の紀頌之5つのブログ
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Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
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孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。
李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html 
李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首
魚玄機 詩 全首130回賦得江邊柳 魚玄機  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-65-1-#五言律詩  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1876
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《晚秋郾城夜會聯句〔韓愈、李正封〕》(9)-#7韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <856  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3264韓愈詩-220-#7         

 

 

(6)-#4

間使斷津梁,潛軍索林薄。

そこで偵察に出たものは、舟などを引き上げて津梁を断ち、賊軍が川を渡ってこないようにし、ひそかに派遣した捜索隊は、しきりに林や藪を探って、賊の伏兵でもおればひっ捕らえる手筈である。

紅塵羽書靖,大水沙囊涸。(正封)

幸いにして、羽書というものが稀少ではあるが紅塵も起らざるべく、大水も出つくしてしまえば、土嚢も必要ないというもので、その後にはその渇くに任せる。

銘山子所工,插羽余何怍。

平定において功なった後には、石に刻し、石碑に銘するは、君の得意とするところであるし、警報急に至って、羽を檄文に挿んであったところで、我々は格別驚いたりするものではない。

未足煩刀俎,祗應輸管鑰。(愈)

元来、呉元濟のような謀叛人は刀爼を煩わせる必要もなく、天兵、境に臨めば、直ちに管鑰を差し出して降伏すればよいのである。

 

7)-#5

雨矢逐天狼,電矛驅海若。

雨が降るように矢玉が飛んでくる、天狼の星に応じて侵略を異とする暴賊をも容易に追い払い、その電撃稲光のような矛は海若さえ駆けり退けることが出来る。

靈誅固無縱,力戰誰敢却。(正封)

神霊の誅罰は決して許すことはなく、賊の運命も、もとより定まったものであるし、王師はたとえ危険に臨んだところで、力戦して、決して退却することはない。

峨峨雲梯翔,赫赫火箭著。

雲梯は峨峨として空中を翔けり、城壁を超える、火箭は赫赫として、何処でも燃え尽きせめこんだ。

連空隳雉堞,照夜焚城郭。(愈)

その雲梯を持ってすれば、空に連なるような高い城壁でも、難なく打ち破れるし、その火箭をもってすれば、いかに堅固な城郭でも仕舞に焼き払われてしまうというものだ。

 

#6

軍門宣一令,廟算建三略。

軍門においては、将軍が絶対の権力を持っていて、ただ一令を宣言するのみであるが、廟堂において、あらがじめ算段をして、上中下の三計をたてて、その用意は極めて周到である。

雷鼓揭千槍,浮橋交萬筰。(正封)

雷鼓、一度鳴れば、千槍、並びに揚がり、もし浮橋を架せむとすれば、おおくの竹策を交えて、見る間に出来上がる。

蹂野馬雲騰,映原旗火鑠。

広野を蹂躙する馬は、砂煙をあげてゆくのは雲が湧くようなもので、平原に映ずるはたさしものは、火のように輝いている。

疲氓墜將拯,殘虜狂可縛。(愈)

賊のために、散々な目に遭っている良民にとっては一度は苦しむも、やがて救済せられるべく、これに反して、残虐を異とする醜虜は以下に狂い廻るとも、いつかは縛り上げようと思ったのだ。

 

 

(9)-#7

摧鋒若貙兕,超乘如猱玃。

虎や犀のように賊の鋒もこれを侵してくることが難しく、その勢い込んで飛び越えてくることはさながら、山猿のようである。

逢掖服飜慙,縵胡纓可愕。(正封)

ここに至れば、おおきな袖の衣服を着ている儒者の吾輩は自ら顧みて、その無能を愧じるべく、無地で粗い冠の紐を結んで威張っている壮士どもも、とても及ばないもののとして、驚き入るであろう。

星隕聞雊雉,師興隨唳鶴。

やがて、大星天よりおちて、野雉しきりに鳴き、いよいよ賊の滅ぶる吉兆として知られ、負けたものは、鶴の啼く声にさえ、驚くというのに、王師は、そのあとに追々乗り込んでくる。

虎豹貪犬羊,鷹鸇憎鳥雀。(愈)

その勢いに乗じて、賊を追撃するは、虎豹の犬羊羣中に入るがごとき、鷹鸇が鳥雀を憎んで、これを追いたてるようである。 

鋒【ほう】を摧【くだ】いて 貙兕【ちゅじ】の若く,超乘して 猱玃【じゅうかく】の如く。

逢掖【ほうえき】 服 飜って慙じ,縵胡【まんんこ】 纓【えい】 愕【おどろ】く可し。(正封)

星隕【お】ちて 雊雉【こうち】を聞き,師 興って 唳鶴【れいかく】に隨う。

虎豹 犬羊を貪【むさぼ】り,鷹鸇【ようせん】 鳥雀【ちょうじゃく】を憎む。(愈)

 

(10)-#8

燒陂除積聚,灌壘失依託。憑軾諭昏迷,執殳征暴虐。(正封)

倉空戰卒飢,月黑探兵錯。兇徒更蹈藉,逆族相啗嚼。(愈)

(11)-#9

軸轤亙淮泗,旌連夏鄂。大野縱氐羌,長河浴騮駱。(正封)

東西競角逐,遠近施矰繳。人怨童聚謠,天殃鬼行虐。(愈)

(12)-10

漢刑支郡黜,周制閑田削。侯社退無功,鬼薪懲不恪。(正封)

余雖司斧鑕,情本尚丘壑。且待獻俘囚,終當返耕穫。(愈)

 

王屋山01 

 

『晚秋郾城夜會聯句』 現代語訳と訳註

(本文) (9)-#7

摧鋒若貙兕,超乘如猱玃。

逢掖服飜慙,縵胡纓可愕。(正封)

星隕聞雊雉,師興隨唳鶴。

虎豹貪犬羊,鷹鸇憎鳥雀。(愈)

 

 

(下し文) (9)-#7

鋒【ほう】を摧【くだ】いて 貙兕【ちゅじ】の若く,超乘して 猱玃【じゅうかく】の如く。

逢掖【ほうえき】 服 飜って慙じ,縵胡【まんんこ】 纓【えい】 愕【おどろ】く可し。(正封)

星隕【お】ちて 雊雉【こうち】を聞き,師 興って 唳鶴【れいかく】に隨う。

虎豹 犬羊を貪【むさぼ】り,鷹鸇【ようせん】 鳥雀【ちょうじゃく】を憎む。(愈)

 

 

(現代語訳)

虎や犀のように賊の鋒もこれを侵してくることが難しく、その勢い込んで飛び越えてくることはさながら、山猿のようである。

ここに至れば、おおきな袖の衣服を着ている儒者の吾輩は自ら顧みて、その無能を愧じるべく、無地で粗い冠の紐を結んで威張っている壮士どもも、とても及ばないもののとして、驚き入るであろう。

やがて、大星天よりおちて、野雉しきりに鳴き、いよいよ賊の滅ぶる吉兆として知られ、負けたものは、鶴の啼く声にさえ、驚くというのに、王師は、そのあとに追々乗り込んでくる。

その勢いに乗じて、賊を追撃するは、虎豹の犬羊羣中に入るがごとき、鷹鸇が鳥雀を憎んで、これを追いたてるようである。

 

 

(訳注) (9)-#7

摧鋒若貙兕,超乘如猱玃。

虎や犀のように賊の鋒もこれを侵してくることが難しく、その勢い込んで飛び越えてくることはさながら、山猿のようである。

・鋒 1 刃物の先端。ほこさき。「鋒鋩(ほうぼう)/鋭鋒・機鋒」2 軍隊の先陣。「先鋒」3 物事の鋭い勢い。

・貙兕 :虎である。大如狗のおおきさであり、貍のような色である。:メスの犀(さい)の古称.

 

逢掖服飜慙,縵胡纓可愕。(正封)

ここに至れば、おおきな袖の衣服を着ている儒者の吾輩は自ら顧みて、その無能を愧じるべく、無地で粗い冠の紐を結んで威張っている壮士どもも、とても及ばないもののとして、驚き入るであろう。

・逢掖 儒者の服、袖の大きな服。「逢」は大きい、ゆるやかなこと、「掖」は腋の下。

・縵胡纓 李白『侠客行』「趙客縵胡纓」とあり、無地で粗い冠の紐のこと。

『荘子説剣篇』 「周善為剣。」太子曰「然吾王所見剣士、皆蓬頭、突鬢、垂冠、曼胡之纓、短後衣、嗔目而語難、王乃説之。・・・」にもとづいている

 

星隕聞雊雉,師興隨唳鶴。

やがて、大星天よりおちて、野雉しきりに鳴き、いよいよ賊の滅ぶる吉兆として知られ、負けたものは、鶴の啼く声にさえ、驚くというのに、王師は、そのあとに追々乗り込んでくる。

・星隕 戦の潮目が変わる兆候を云う。《蜀(しょく)の諸葛孔明(しょかつこうめい)が五丈原で死んだとき、大星が陣中に落ちたという「蜀書」諸葛亮伝の故事から》将軍が陣中で死ぬ。英雄・偉人が死ぬ。

 

虎豹貪犬羊,鷹鸇憎鳥雀。(愈)

その勢いに乗じて、賊を追撃するは、虎豹の犬羊羣中に入るがごとき、鷹鸇が鳥雀を憎んで、これを追いたてるようである。

虎豹貪犬羊 虎豹が犬羊羣中に入ってその肉を貪る。羊很狼貪:乱暴な羊のように飼い主のいうことを聞かず、狼のように貪欲である意。 気質があらあらしく道理に従わず、さらには欲が果てしなく深いことの例え。

鷹鸇 タカとハヤブサ。
大鷹01 

《晚秋郾城夜會聯句〔韓愈、李正封〕》(8)-#6韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <855>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3259韓愈詩-220-#6

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《晚秋郾城夜會聯句〔韓愈、李正封〕》
(8)-#6韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <855  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3259韓愈詩-220-#6

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(6)
-#4

間使斷津梁,潛軍索林薄。

紅塵羽書靖,大水沙囊涸。(正封)

銘山子所工,插羽余何怍。

未足煩刀俎,祗應輸管鑰。(愈)

そこで偵察に出たものは、舟などを引き上げて津梁を断ち、賊軍が川を渡ってこないようにし、ひそかに派遣した捜索隊は、しきりに林や藪を探って、賊の伏兵でもおればひっ捕らえる手筈である。

幸いにして、羽書というものが稀少ではあるが紅塵も起らざるべく、大水も出つくしてしまえば、土嚢も必要ないというもので、その後にはその渇くに任せる。

平定において功なった後には、石に刻し、石碑に銘するは、君の得意とするところであるし、警報急に至って、羽を檄文に挿んであったところで、我々は格別驚いたりするものではない。

元来、呉元濟のような謀叛人は刀爼を煩わせる必要もなく、天兵、境に臨めば、直ちに管鑰を差し出して降伏すればよいのである。

 

間使 津梁【しんりょう】を斷ち,潛軍 林薄【りんぼ】を索【あなぐ】る。

紅塵 羽書【うしょ】靖【しずか】に,大水 沙囊【さのう】涸【か】る。(正封)

山に銘ずるは 子が工みなる所,羽を插むは 余何ぞ怍【は】じむ。

未だ 刀俎【とうそ】を煩わずに足らず,祗だ應に 管鑰【かんやく】を輸【つく】るべし。(愈)

 

7)-#5

雨矢逐天狼,電矛驅海若。

靈誅固無縱,力戰誰敢却。(正封)

峨峨雲梯翔,赫赫火箭著。

連空隳雉堞,照夜焚城郭。(愈)

雨が降るように矢玉が飛んでくる、天狼の星に応じて侵略を異とする暴賊をも容易に追い払い、その電撃稲光のような矛は海若さえ駆けり退けることが出来る。

神霊の誅罰は決して許すことはなく、賊の運命も、もとより定まったものであるし、王師はたとえ危険に臨んだところで、力戦して、決して退却することはない。

雲梯は峨峨として空中を翔けり、城壁を超える、火箭は赫赫として、何処でも燃え尽きせめこんだ。

その雲梯を持ってすれば、空に連なるような高い城壁でも、難なく打ち破れるし、その火箭をもってすれば、いかに堅固な城郭でも仕舞に焼き払われてしまうというものだ。

 

雨矢【うし】天狼を逐い,電矛【でんぼう】海若を驅る。

靈誅【れいちゅう】固より縱【ゆる】す無く,力戰 誰か敢て却【しりぞ】かむ。(正封)

峨峨として 雲梯 翔けり,赫赫として 火箭 著く。

空にって雉堞【ちちょう】を隳【やぶ】り,夜を照して城郭を焚く。(愈)

 

#6

軍門宣一令,廟算建三略。

軍門においては、将軍が絶対の権力を持っていて、ただ一令を宣言するのみであるが、廟堂において、あらがじめ算段をして、上中下の三計をたてて、その用意は極めて周到である。


雷鼓揭千槍,浮橋交萬筰。(正封)

雷鼓、一度鳴れば、千槍、並びに揚がり、もし浮橋を架せむとすれば、おおくの竹策を交えて、見る間に出来上がる。

蹂野馬雲騰,映原旗火鑠。

広野を蹂躙する馬は、砂煙をあげてゆくのは雲が湧くようなもので、平原に映ずるはたさしものは、火のように輝いている。

疲氓墜將拯,殘虜狂可縛。(愈)

賊のために、散々な目に遭っている良民にとっては一度は苦しむも、やがて救済せられるべく、これに反して、残虐を異とする醜虜は以下に狂い廻るとも、いつかは縛り上げようと思ったのだ。

 

軍門 一令を宣べ,廟算【びょうさん】三略を建つ。

雷鼓 千槍を揭げ,浮橋 萬筰【まんさく】を交う。(正封)

野を蹂【ふみにじ】りて 馬 雲騰し,原に映じて 旗 火鑠【かしゃく】す。

疲氓【ひぼう】墜ちて將に拯【すく】わむとし,殘虜【ざんりょ】狂して縛す可し。(愈)

 

 幻日環01

 

『晚秋郾城夜會聯句』 現代語訳と訳註

(本文) #6

軍門宣一令,廟算建三略。

雷鼓揭千槍,浮橋交萬筰。(正封)

蹂野馬雲騰,映原旗火鑠。

疲氓墜將拯,殘虜狂可縛。(愈)

 

 

 

(下し文) #6

軍門 一令を宣べ,廟算【びょうさん】三略を建つ。

雷鼓 千槍を揭げ,浮橋 萬筰【まんさく】を交う。(正封)

野を蹂【ふみにじ】りて 馬 雲騰し,原に映じて 旗 火鑠【かしゃく】す。

疲氓【ひぼう】墜ちて將に拯【すく】わむとし,殘虜【ざんりょ】狂して縛す可し。(愈)

 

 

 

(現代語訳)

軍門においては、将軍が絶対の権力を持っていて、ただ一令を宣言するのみであるが、廟堂において、あらがじめ算段をして、上中下の三計をたてて、その用意は極めて周到である。

雷鼓、一度鳴れば、千槍、並びに揚がり、もし浮橋を架せむとすれば、おおくの竹策を交えて、見る間に出来上がる。

広野を蹂躙する馬は、砂煙をあげてゆくのは雲が湧くようなもので、平原に映ずるはたさしものは、火のように輝いている。

賊のために、散々な目に遭っている良民にとっては一度は苦しむも、やがて救済せられるべく、これに反して、残虐を異とする醜虜は以下に狂い廻るとも、いつかは縛り上げようと思ったのだ。

 

 

(訳注) #6

軍門宣一令,廟算建三略。

軍門においては、将軍が絶対の権力を持っていて、ただ一令を宣言するのみであるが、廟堂において、あらがじめ算段をして、上中下の三計をたてて、その用意は極めて周到である。

軍門宣一令 軍門においては、将軍が絶対の権力を持っていくこと。

三略 上中下の三つの計事をたてる。

 

雷鼓揭千槍,浮橋交萬筰。(正封)

雷鼓、一度鳴れば、千槍、並びに揚がり、もし浮橋を架せむとすれば、おおくの竹策を交えて、見る間に出来上がる。

・千槍 号令で、槍を一気に掲げ勝鬨を挙げるような場面をいう。

・浮橋 箱舟をつなぎ合わせて、軍馬が大河を渡る。

・萬筰 浮橋には竹をあんだもので覆われ、歩きやすくする。

浮桟橋00 

蹂野馬雲騰,映原旗火鑠。

広野を蹂躙する馬は、砂煙をあげてゆくのは雲が湧くようなもので、平原に映ずるはたさしものは、火のように輝いている。


 

疲氓墜將拯,殘虜狂可縛。(愈)

賊のために、散々な目に遭っている良民にとっては一度は苦しむも、やがて救済せられるべく、これに反して、残虐を異とする醜虜は以下に狂い廻るとも、いつかは縛り上げようと思ったのだ。
韓愈地図1000 

《晚秋郾城夜會聯句〔韓愈、李正封〕》(7)-#5韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <854>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3254韓愈詩-220-#5

〔韓愈、李正封〕《晚秋郾城夜會聯句》(7)  雨が降るように矢玉が飛んでくる、天狼の星に応じて侵略を異とする暴賊をも容易に追い払い、その電撃稲光のような矛は海若さえ駆けり退けることが出来る。

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《晚秋郾城夜會聯句〔韓愈、李正封〕》

(7)-#5韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <854  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3254韓愈詩-220-#5

 

(4)-#2

遇主貴陳力,夷凶匪兼弱。

そうはいっても主に仕える身は自分の力を尽くすのはとうといことであり、凶悪な徒を平定するを旨として、必ずしも、弱者を兼幷するのではない。

百牢犒輿師,千購首惡。(正封)

いたるところの人民は百牢を持って王師を迎え、そして、元凶の首をその地域千戸に示して罪を償わせるのである。こうして今しも、大いに軍事を盡すべきである。

平生恥論兵,末暮不輕諾。

私は、平生、道義を講じて兵を論ずるを愧じ、ことに晩年、世なれたる上は、輕諾を為さず、一度うんと言えば、必ず成し遂げる覚悟である。

徒然感恩義,誰復論勳爵。(愈)

しかし、よくよくかんがえると、恩義に感じたうえは、あくまで心力を盡すつもりで、勲爵などには頓着するものではないのだ。

主に遇うて力を陳ぶるを貴きこととし,凶を夷【たいら】ぐるは弱を兼ぬるに匪らず。

百牢 輿師を犒【ねぎら】い,千 首惡を購【あらが】う。(正封)

平生 兵を論ずるを恥じ,末暮 輕しく諾せず。

徒然として 恩義を感ず,誰か復た勳爵【くんしゃく】を論ぜむ。(愈)

 

 

(5)-#3

多士被霑汚,小夷施毒蠚。

多くの士太夫は、叛乱の賊にけがされ、呉元濟は小夷であるといえども、毒虫が人を指すかのように、酷い害毒を流しているのである。

何當鑄劒戟,相與歸臺閣。(正封)

そうであれば、剣戟を鋳造して用い、それで、賊徒を誅夷し、皆引き揃って凱旋し、やがて、台閣に帰着したいものである。

室婦歎鳴鸛,家人祝喜鵲。

夫の家を守る家の褄として鶴が鳴く声を聞いて、主人のつつがなくカササギ橋を渡って帰って來ることを祈り喜ぶものである。

終朝考蓍龜,何日親烝礿。(愈)

終日、笙竹を握り、亀甲を焼いて占い、いつ賊を平らげて清平の世に立ち返り、そして、夏礿秋烝の例祭をできることになろうかと、絶えず心に念じているのである。

多士 霑 汚【お】被られ,小夷 毒蠚【どくちゃく】を施す。

何ぞ當に劒戟【けんげき】を鑄て,相い與に臺閣【だいかく】に歸るべき。(正封)

室婦は鳴鸛【めいかん】を歎じ,家人は喜鵲【きじゃく】を祝す。

終朝 蓍龜【しき】を考えて,何れの日にか 烝礿【じょうやく】を親【みづか】らせむ。


(6)
-#4

間使斷津梁,潛軍索林薄。

そこで偵察に出たものは、舟などを引き上げて津梁を断ち、賊軍が川を渡ってこないようにし、ひそかに派遣した捜索隊は、しきりに林や藪を探って、賊の伏兵でもおればひっ捕らえる手筈である。

紅塵羽書靖,大水沙囊涸。(正封)

幸いにして、羽書というものが稀少ではあるが紅塵も起らざるべく、大水も出つくしてしまえば、土嚢も必要ないというもので、その後にはその渇くに任せる。

銘山子所工,插羽余何怍。

平定において功なった後には、石に刻し、石碑に銘するは、君の得意とするところであるし、警報急に至って、羽を檄文に挿んであったところで、我々は格別驚いたりするものではない。

未足煩刀俎,祗應輸管鑰。(愈)

元来、呉元濟のような謀叛人は刀爼を煩わせる必要もなく、天兵、境に臨めば、直ちに管鑰を差し出して降伏すればよいのである。

 

間使 津梁【しんりょう】を斷ち,潛軍 林薄【りんぼ】を索【あなぐ】る。

紅塵 羽書【うしょ】靖【しずか】に,大水 沙囊【さのう】涸【か】る。(正封)

山に銘ずるは 子が工みなる所,羽を插むは 余何ぞ怍【は】じむ。

未だ 刀俎【とうそ】を煩わずに足らず,祗だ應に 管鑰【かんやく】を輸【つく】るべし。(愈)

 

7)-#5

雨矢逐天狼,電矛驅海若。

雨が降るように矢玉が飛んでくる、天狼の星に応じて侵略を異とする暴賊をも容易に追い払い、その電撃稲光のような矛は海若さえ駆けり退けることが出来る。

靈誅固無縱,力戰誰敢却。(正封)

神霊の誅罰は決して許すことはなく、賊の運命も、もとより定まったものであるし、王師はたとえ危険に臨んだところで、力戦して、決して退却することはない。

峨峨雲梯翔,赫赫火箭著。

雲梯は峨峨として空中を翔けり、城壁を超える、火箭は赫赫として、何処でも燃え尽きせめこんだ。

連空隳雉堞,照夜焚城郭。(愈)

その雲梯を持ってすれば、空に連なるような高い城壁でも、難なく打ち破れるし、その火箭をもってすれば、いかに堅固な城郭でも仕舞に焼き払われてしまうというものだ。

 

雨矢【うし】天狼を逐い,電矛【でんぼう】海若を驅る。

靈誅【れいちゅう】固より縱【ゆる】す無く,力戰 誰か敢て却【しりぞ】かむ。(正封)

峨峨として 雲梯 翔けり,赫赫として 火箭 著く。

空にって雉堞【ちちょう】を隳【やぶ】り,夜を照して城郭を焚く。(愈)

 

#6

軍門宣一令,廟算建三略。雷鼓揭千槍,浮橋交萬筰。(正封)

蹂野馬雲騰,映原旗火鑠。疲氓墜將拯,殘虜狂可縛。(愈)

 韓愈地図1000

 

『晚秋郾城夜會聯句』 現代語訳と訳註

(本文) #5

雨矢逐天狼,電矛驅海若。

靈誅固無縱,力戰誰敢却。(正封)

峨峨雲梯翔,赫赫火箭著。

連空隳雉堞,照夜焚城郭。(愈)

 

 

 

(下し文) #5

雨矢【うし】天狼を逐い,電矛【でんぼう】海若を驅る。

靈誅【れいちゅう】固より縱【ゆる】す無く,力戰 誰か敢て却【しりぞ】かむ。(正封)

峨峨として 雲梯 翔けり,赫赫として 火箭 著く。

空にって雉堞【ちちょう】を隳【やぶ】り,夜を照して城郭を焚く。(愈)

 

 

(現代語訳) #5

雨が降るように矢玉が飛んでくる、天狼の星に応じて侵略を異とする暴賊をも容易に追い払い、その電撃稲光のような矛は海若さえ駆けり退けることが出来る。

神霊の誅罰は決して許すことはなく、賊の運命も、もとより定まったものであるし、王師はたとえ危険に臨んだところで、力戦して、決して退却することはない。

雲梯は峨峨として空中を翔けり、城壁を超える、火箭は赫赫として、何処でも燃え尽きせめこんだ。

その雲梯を持ってすれば、空に連なるような高い城壁でも、難なく打ち破れるし、その火箭をもってすれば、いかに堅固な城郭でも仕舞に焼き払われてしまうというものだ。

 

 

(訳注)#5

雨矢 逐 天狼,電矛 驅 海若。

雨が降るように矢玉が飛んでくる、天狼の星に応じて侵略を異とする暴賊をも容易に追い払い、その電撃稲光のような矛は海若さえ駆けり退けることが出来る。

・雨矢 逐天狼 『楚辞、九歌、東君』「青雲衣兮白霓裳、舉長矢兮射天狼。」(青雲の衣白霓の裳、長矢を舉げて天狼を射る。)太陽のわたしは青雲の上衣に白霓の裳をつける、太陽光線の長矢を以て天狼星を射る。『楚辞・九歌』東君 屈原詩<78-#3>Ⅱ李白に影響を与えた詩507 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1338

・驅海若 海若は海の神で、海を自在に駆けている。

 

靈誅 固 無縱,力戰 誰敢却。(正封)

神霊の誅罰は決して許すことはなく、賊の運命も、もとより定まったものであるし、王師はたとえ危険に臨んだところで、力戦して、決して退却することはない。

・靈誅 神霊の誅罰。

・力戰 絶対に負けない闘いをする。

 

峨峨 雲梯 翔,赫赫 火箭 著。

雲梯は峨峨として空中を翔けり、城壁を超える、火箭は赫赫として、何処でも燃え尽きせめこんだ。

・雲梯 折りたたみ式のはしごが搭載されたもので、そのはしごを伸ばし、城壁に掛けて攻め込んでいた。 これが「雲にも届きそうなはしご」ということで「雲梯」と名付けられ、のちに遊戯施設の名前に用いられるようになった。

・火箭 1 昔の戦いで火をつけて射た矢。敵の施設や物資に火をつける目的で用いたもの。火矢(ひや)2 艦船が信号に用いる火具。

 

連空 隳 雉堞,照夜 焚 城郭。(愈)

その雲梯を持ってすれば、空に連なるような高い城壁でも、難なく打ち破れるし、その火箭をもってすれば、いかに堅固な城郭でも仕舞に焼き払われてしまうというものだ。

・隳 くずれる。難なく打ち破れる

・雉堞 (城壁の上部に作られた小さな垣)姫垣。
DCF00044 

《晚秋郾城夜會聯句〔韓愈、李正封〕》(6)-#4韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <853>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3249韓愈詩-220-#4

《晚秋郾城夜會聯句〔韓愈、李正封〕》(6) そこで偵察に出たものは、舟などを引き上げて津梁を断ち、賊軍が川を渡ってこないようにし、ひそかに派遣した捜索隊は、しきりに林や藪を探って、賊の伏兵でもおればひっ捕らえる手筈である。


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《晚秋郾城夜會聯句〔韓愈、李正封〕》(6)-#4韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <853  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3249韓愈詩-220-#4

 

 

#4

間使斷津梁,潛軍索林薄。紅塵羽書靖,大水沙囊涸。(正封)

銘山子所工,插羽余何怍。未足煩刀俎,祗應輸管鑰。(愈)

#5

雨矢逐天狼,電矛驅海若。靈誅固無縱,力戰誰敢却。(正封)

峨峨雲梯翔,赫赫火箭著。連空隳雉堞,照夜焚城郭。(愈)

#6

軍門宣一令,廟算建三略。雷鼓揭千槍,浮橋交萬筰。(正封)

蹂野馬雲騰,映原旗火鑠。疲氓墜將拯,殘虜狂可縛。(愈)

 

#4

間使斷津梁,潛軍索林薄。

そこで偵察に出たものは、舟などを引き上げて津梁を断ち、賊軍が川を渡ってこないようにし、ひそかに派遣した捜索隊は、しきりに林や藪を探って、賊の伏兵でもおればひっ捕らえる手筈である。

紅塵羽書靖,大水沙囊涸。(正封)

幸いにして、羽書というものが稀少ではあるが紅塵も起らざるべく、大水も出つくしてしまえば、土嚢も必要ないというもので、その後にはその渇くに任せる。

銘山子所工,插羽余何怍。

平定において功なった後には、石に刻し、石碑に銘するは、君の得意とするところであるし、警報急に至って、羽を檄文に挿んであったところで、我々は格別驚いたりするものではない。

未足煩刀俎,祗應輸管鑰。(愈)

元来、呉元濟のような謀叛人は刀爼を煩わせる必要もなく、天兵、境に臨めば、直ちに管鑰を差し出して降伏すればよいのである。

 

間使 津梁【しんりょう】を斷ち,潛軍 林薄【りんぼ】を索【あなぐ】る。

紅塵 羽書【うしょ】靖【しずか】に,大水 沙囊【さのう】涸【か】る。(正封)

山に銘ずるは 子が工みなる所,羽を插むは 余何ぞ怍【は】じむ。

未だ 刀俎【とうそ】を煩わずに足らず,祗だ應に 管鑰【かんやく】を輸【つく】るべし。(愈)

隋堤01 

 

『晚秋郾城夜會聯句』 現代語訳と訳註

(本文) #4

間使斷津梁,潛軍索林薄。

紅塵羽書靖,大水沙囊涸。(正封)

銘山子所工,插羽余何怍。

未足煩刀俎,祗應輸管鑰。(愈)

 

 

(下し文) #4

間使 津梁【しんりょう】を斷ち,潛軍 林薄【りんぼ】を索【あなぐ】る。

紅塵 羽書【うしょ】靖【しずか】に,大水 沙囊【さのう】涸【か】る。(正封)

山に銘ずるは 子が工みなる所,羽を插むは 余何ぞ怍【は】じむ。

未だ 刀俎【とうそ】を煩わずに足らず,祗だ應に 管鑰【かんやく】を輸【つく】るべし。(愈)

 

 

(現代語訳)

そこで偵察に出たものは、舟などを引き上げて津梁を断ち、賊軍が川を渡ってこないようにし、ひそかに派遣した捜索隊は、しきりに林や藪を探って、賊の伏兵でもおればひっ捕らえる手筈である。

幸いにして、羽書というものが稀少ではあるが紅塵も起らざるべく、大水も出つくしてしまえば、土嚢も必要ないというもので、その後にはその渇くに任せる。

平定において功なった後には、石に刻し、石碑に銘するは、君の得意とするところであるし、警報急に至って、羽を檄文に挿んであったところで、我々は格別驚いたりするものではない。

元来、呉元濟のような謀叛人は刀爼を煩わせる必要もなく、天兵、境に臨めば、直ちに管鑰を差し出して降伏すればよいのである。

 

 

(訳注) #4

間使 斷津梁,潛軍 索林薄。

そこで偵察に出たものは、舟などを引き上げて津梁を断ち、賊軍が川を渡ってこないようにし、ひそかに派遣した捜索隊は、しきりに林や藪を探って、賊の伏兵でもおればひっ捕らえる手筈である。

間使 人を監視し、報告をさせる。間者のこと。

・潛軍 民間人を集め、訓練し、それを国軍化すること。

索林薄 草木をかき分けて進むこと。

 

 

紅塵 羽書 靖,大水 沙囊涸。(正封)

幸いにして、羽書というものが稀少ではあるが紅塵も起らざるべく、大水も出つくしてしまえば、土嚢も必要ないというもので、その後にはその渇くに任せる。

紅塵 夕日に染まる軍の蒙塵が天を被うこと。軍を進めて脅威を感じる勢いであることを云う。

羽書 昔、中国で緊急の触れ文に鳥の羽を挟んだところから、急を要する檄文(げきぶん)。飛檄(ひげき)。羽書(うしょ)。「羽檄(うげき)」に同じ。ここではこの羽書により、戦争がおさまったことを云う。

沙囊涸。川を堰き止めて水攻めにすること。

 

 

銘山 子所工,插羽 余何怍。

平定において功なった後には、石に刻し、石碑に銘するは、君の得意とするところであるし、警報急に至って、羽を檄文に挿んであったところで、我々は格別驚いたりするものではない。

銘山 憲、大いに匈奴を破り、燕然山に登り、石に刻して功を勒し、班固をして銘を作らしむとある。韓愈「平淮西碑」ブログ全20平淮西碑 韓愈(韓退之) <163-#0>Ⅱ中唐詩743 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2699

李商隠『韓碑』5回 平准西碑 (韓碑)#1 李商隠136 紀頌之の漢詩ブログ李商隠特集150- 136-#1

插羽 羽檄。檄文に羽をさしはさむことを云う。

 

 

未足煩 刀俎,祗應 輸管鑰。(愈)

元来、呉元濟のような謀叛人は刀爼を煩わせる必要もなく、天兵、境に臨めば、直ちに管鑰を差し出して降伏すればよいのである。

刀俎 庖丁とまないた。

・輸管鑰 1 (かぎ)。2 竹笛。
幻日環01 

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《晚秋郾城夜會聯句〔韓愈、李正封〕》(5) 終日、笙竹を握り、亀甲を焼いて占い、いつ賊を平らげて清平の世に立ち返り、そして、夏礿秋烝の例祭をできることになろうかと、絶えず心に念じているのである。


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●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場
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登永嘉緑嶂山詩 #1 謝霊運 <20> 詩集 386ーhttp://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67474554.html
登池上樓 #1 謝霊運<25>#1  ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67502196.html
孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。
李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html 
李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首
魚玄機 詩 全首130回賦得江邊柳 魚玄機  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-65-1-#五言律詩  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1876
薛濤 詩詞全首100 井梧吟 薛濤 唐五代詞・宋詩 薛濤-136-8-#1  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2227
主に花間集から
温庭筠 70首『菩薩蠻 一』温庭筠  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-1-1-#1 花間集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1620
韋荘 50首 菩薩蠻 一 韋荘  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩花間集Gs-247-5-#1  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2617
皇甫松 10首 採蓮子二首  其一 皇甫松  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-307-5-#61  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3082
牛嶠  20首 女冠子四首 其一 牛嶠  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-312-5-#66  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3107
『花間集』継続中 
杜甫全詩 韓愈全詩 花間集 古詩源 玉台新詠
 

《晚秋郾城夜會聯句〔韓愈、李正封〕》(5)-#3韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <852  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3244韓愈詩-220-#3

 


(3)-#1

從軍古云樂,談笑青油幕。

従軍はいにしえよりずいぶん楽しいものだというけれど、なるほど、青油幕の将軍陣幕にあって、談笑したのだ。

燈明夜觀棊,月暗秋城柝。(正封上中丞)

夜、燈火の明るいもとで、将棋を見るとか、月明かりが暗い秋の城の時には拍子木を敲いて夜警をするのも楽しいことである。

羈客方寂歷,驚烏時落泊。

あきのよながいえをはなれた羈客として、ひとり者悲しく、物に驚く烏が夜になって騒ぎ立てる。

語闌壯氣衰,酒醒寒砧作。(愈奉院長)

人と話をしていても、もはや終わりになりかかった壮気は自然に衰え、おまけに酒に酔ったのが醒めてしまったり、寒空に砧の打つのを聞いていると従軍を楽しいというべきではないと思うのである。

(3)-#1

從軍 古へ樂しと云う,談笑す青油の幕。

燈は明らかなり 夜觀の棊【き】,月は暗し秋城の柝【たく】。(正封)

羈客方【まさ】に寂歷【せきれき】,驚烏【けいう】時に落泊【らくはく】。

語 闌【たけなわ】にして壯氣衰【おとろ】え,酒 醒めて寒砧【かんちん】作【おこ】る。(愈)

 

 

 (4)-#2

遇主貴陳力,夷凶匪兼弱。

そうはいっても主に仕える身は自分の力を尽くすのはとうといことであり、凶悪な徒を平定するを旨として、必ずしも、弱者を兼幷するのではない。

百牢犒輿師,千購首惡。(正封)

いたるところの人民は百牢を持って王師を迎え、そして、元凶の首をその地域千戸に示して罪を償わせるのである。こうして今しも、大いに軍事を盡すべきである。

平生恥論兵,末暮不輕諾。

私は、平生、道義を講じて兵を論ずるを愧じ、ことに晩年、世なれたる上は、輕諾を為さず、一度うんと言えば、必ず成し遂げる覚悟である。

徒然感恩義,誰復論勳爵。(愈)

しかし、よくよくかんがえると、恩義に感じたうえは、あくまで心力を盡すつもりで、勲爵などには頓着するものではないのだ。

主に遇うて力を陳ぶるを貴きこととし,凶を夷【たいら】ぐるは弱を兼ぬるに匪らず。

百牢 輿師を犒【ねぎら】い,千 首惡を購【あらが】う。(正封)

平生 兵を論ずるを恥じ,末暮 輕しく諾せず。

徒然として 恩義を感ず,誰か復た勳爵【くんしゃく】を論ぜむ。(愈)

 

(5)-#3

多士被霑汚,小夷施毒蠚。

多くの士太夫は、叛乱の賊にけがされ、呉元濟は小夷であるといえども、毒虫が人を指すかのように、酷い害毒を流しているのである。

何當鑄劒戟,相與歸臺閣。(正封)

そうであれば、剣戟を鋳造して用い、それで、賊徒を誅夷し、皆引き揃って凱旋し、やがて、台閣に帰着したいものである。
室婦歎鳴鸛,家人祝喜鵲。

夫の家を守る家の褄として鶴が鳴く声を聞いて、主人のつつがなくカササギ橋を渡って帰って來ることを祈り喜ぶものである。
終朝考蓍龜,何日親烝礿。(愈)

終日、笙竹を握り、亀甲を焼いて占い、いつ賊を平らげて清平の世に立ち返り、そして、夏礿秋烝の例祭をできることになろうかと、絶えず心に念じているのである。

多士 霑 汚【お】被られ,小夷 毒蠚【どくちゃく】を施す。

何ぞ當に劒戟【けんげき】を鑄て,相い與に臺閣【だいかく】に歸るべき。(正封)

室婦は鳴鸛【めいかん】を歎じ,家人は喜鵲【きじゃく】を祝す。

終朝 蓍龜【しき】を考えて,何れの日にか 烝礿【じょうやく】を親【みづか】らせむ。

 

隋堤01 

晚秋郾城夜會聯句』 現代語訳と訳註

(本文) (5)-#3

多士被霑汚,小夷施毒蠚。

何當鑄劒戟,相與歸臺閣。(正封)

室婦歎鳴鸛,家人祝喜鵲。

終朝考蓍龜,何日親烝礿。(愈)

 

 

 

(下し文) (5)-#3

多士 霑 汚【お】被られ,小夷 毒蠚【どくちゃく】を施す。

何ぞ當に劒戟【けんげき】を鑄て,相い與に臺閣【だいかく】に歸るべき。(正封)

室婦は鳴鸛【めいかん】を歎じ,家人は喜鵲【きじゃく】を祝す。

終朝 蓍龜【しき】を考えて,何れの日にか 烝礿【じょうやく】を親【みづか】らせむ。(愈)

 

 

 

(現代語訳)

多くの士太夫は、叛乱の賊にけがされ、呉元濟は小夷であるといえども、毒虫が人を指すかのように、酷い害毒を流しているのである。

そうであれば、剣戟を鋳造して用い、それで、賊徒を誅夷し、皆引き揃って凱旋し、やがて、台閣に帰着したいものである。

夫の家を守る家の褄として鶴が鳴く声を聞いて、主人のつつがなくカササギ橋を渡って帰って來ることを祈り喜ぶものである。

終日、笙竹を握り、亀甲を焼いて占い、いつ賊を平らげて清平の世に立ち返り、そして、夏礿秋烝の例祭をできることになろうかと、絶えず心に念じているのである。

 

 

(訳注) (5)-#3

多士被霑汚,小夷施毒蠚。

多くの士太夫は、叛乱の賊にけがされ、呉元濟は小夷であるといえども、毒虫が人を指すかのように、酷い害毒を流しているのである。

・小夷 ここでは、呉元濟をいう。

・毒蠚 毒虫が毒を持って挿すこと。反乱を起こしたことを云う。『漢新書、賈誼·禮』「攫囓搏擊之獸鮮,毒蠚猛叨之蟲密。」とある。

 

何當鑄劒戟,相與歸臺閣。(正封)

そうであれば、剣戟を鋳造して用い、それで、賊徒を誅夷し、皆引き揃って凱旋し、やがて、台閣に帰着したいものである。

 

室婦歎鳴鸛,家人祝喜鵲。

夫の家を守る家の褄として鶴が鳴く声を聞いて、主人のつつがなくカササギ橋を渡って帰って來ることを祈り喜ぶものである。

・歎鳴鸛 詩經.豳風.東山:「鸛鳴于垤, 婦歎于室。」毛亨.傳:「垤,螘塚也。」「鸛は垤に鳴き, 婦は室に歎く。」毛亨.傳:「垤,螘塚也。」コウノトリはアリ塚に啼き、婦人はその部屋で嘆くのだろう。

・祝喜鵲 旧暦の77日の七夕の日に天の川上にできる橋の名前である。この橋は織姫と彦星が出会うためにできることから、鵲橋とは男女が良縁で結ばれる事を意味する。ここではカササギを見ることで会えなかった人に逢えるという喜びを云うことから予期せぬ喜びといったところか。

 

終朝考蓍龜,何日親烝礿。(愈)

終日、笙竹を握り、亀甲を焼いて占い、いつ賊を平らげて清平の世に立ち返り、そして、夏礿秋烝の例祭をできることになろうかと、絶えず心に念じているのである。

・親烝礿 夏礿秋烝の例祭
真竹002 

《晚秋郾城夜會聯句〔韓愈、李正封〕》(4)-#2韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <851>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3239韓愈詩-220-#2

《晚秋郾城夜會聯句〔韓愈、李正封〕》(4)しかし、よくよくかんがえると、恩義に感じたうえは、あくまで心力を盡すつもりで、勲爵などには頓着するものではないのだ。

 

2013年11月4日 の紀頌之5つのブログ
●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場
Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
LiveDoorブログ
司馬相如《上林賦 》(33)― #11-3 文選 賦<110-#11-3>13分割40回 Ⅱ李白に影響を与えた詩938 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3238
●唐を代表する中唐の韓愈の儒家としての考えのよくわかる代表作の一つ
Ⅱ中唐詩・晩唐詩
 
 LiveDoorブログ
《晚秋郾城夜會聯句〔韓愈、李正封〕》(4)-#2韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <851>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3239韓愈詩-220-#2
●杜甫の全作品1141首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"
Ⅲ杜甫詩1000詩集  LiveDoorブログ680 《上牛頭寺》 蜀中転々5P16 杜甫 <586>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3240 杜甫詩1000-586-842/1500
●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている
Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集 Fc2ブログ63  謝靈運 《擬魏太子鄴中集詩八首  魏太子》(曹丕) 魏詩  kanbuniinkai 紀 頌之の詩詞 fc2ブログ 3241 (11/04)
●●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩
Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoor浣渓沙 十首 其一 張泌【ちょうひつ】  ⅩⅫ唐五代詞・ 「花間集」 Gs-339-7-#1  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3242
 
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謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。
登永嘉緑嶂山詩 #1 謝霊運 <20> 詩集 386ーhttp://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67474554.html
登池上樓 #1 謝霊運<25>#1  ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67502196.html
孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。
李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html 
李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首
魚玄機 詩 全首130回賦得江邊柳 魚玄機  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-65-1-#五言律詩  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1876
薛濤 詩詞全首100 井梧吟 薛濤 唐五代詞・宋詩 薛濤-136-8-#1  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2227
主に花間集から
温庭筠 70首『菩薩蠻 一』温庭筠  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-1-1-#1 花間集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1620
韋荘 50首 菩薩蠻 一 韋荘  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩花間集Gs-247-5-#1  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2617
皇甫松 10首 採蓮子二首  其一 皇甫松  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-307-5-#61  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3082
牛嶠  20首 女冠子四首 其一 牛嶠  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-312-5-#66  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3107
『花間集』継続中 
杜甫全詩 韓愈全詩 花間集 古詩源 玉台新詠
《晚秋郾城夜會聯句〔韓愈、李正封〕》

(4)-#2韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <851  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3239韓愈詩-220-#2

 

(3)-#1

從軍古云樂,談笑青油幕。

従軍はいにしえよりずいぶん楽しいものだというけれど、なるほど、青油幕の将軍陣幕にあって、談笑したのだ。

燈明夜觀棊,月暗秋城柝。(正封上中丞)

夜、燈火の明るいもとで、将棋を見るとか、月明かりが暗い秋の城の時には拍子木を敲いて夜警をするのも楽しいことである。

羈客方寂歷,驚烏時落泊。

あきのよながいえをはなれた羈客として、ひとり者悲しく、物に驚く烏が夜になって騒ぎ立てる。

語闌壯氣衰,酒醒寒砧作。(愈奉院長)

人と話をしていても、もはや終わりになりかかった壮気は自然に衰え、おまけに酒に酔ったのが醒めてしまったり、寒空に砧の打つのを聞いていると従軍を楽しいというべきではないと思うのである。

(3)-#1

從軍 古へ樂しと云う,談笑す青油の幕。

燈は明らかなり 夜觀の棊【き】,月は暗し秋城の柝【たく】。(正封)

羈客方【まさ】に寂歷【せきれき】,驚烏【けいう】時に落泊【らくはく】。

語 闌【たけなわ】にして壯氣衰【おとろ】え,酒 醒めて寒砧【かんちん】作【おこ】る。(愈)

 

 

 (4)-#2

遇主貴陳力,夷凶匪兼弱。

そうはいっても主に仕える身は自分の力を尽くすのはとうといことであり、凶悪な徒を平定するを旨として、必ずしも、弱者を兼幷するのではない。

百牢犒輿師,千購首惡。(正封)

いたるところの人民は百牢を持って王師を迎え、そして、元凶の首をその地域千戸に示して罪を償わせるのである。こうして今しも、大いに軍事を盡すべきである。

平生恥論兵,末暮不輕諾。

私は、平生、道義を講じて兵を論ずるを愧じ、ことに晩年、世なれたる上は、輕諾を為さず、一度うんと言えば、必ず成し遂げる覚悟である。

徒然感恩義,誰復論勳爵。(愈)

しかし、よくよくかんがえると、恩義に感じたうえは、あくまで心力を盡すつもりで、勲爵などには頓着するものではないのだ。

主に遇うて力を陳ぶるを貴きこととし,凶を夷【たいら】ぐるは弱を兼ぬるに匪らず。

百牢 輿師を犒【ねぎら】い,千 首惡を購【あらが】う。(正封)

平生 兵を論ずるを恥じ,末暮 輕しく諾せず。

徒然として 恩義を感ず,誰か復た勳爵【くんしゃく】を論ぜむ。(愈)

(5)-#3

多士被霑汚,小夷施毒蠚。何當鑄劒戟,相與歸臺閣。(正封)

室婦歎鳴鸛,家人祝喜鵲。終朝考蓍龜,何日親烝礿。(愈)

幻日環01 

 

晚秋郾城夜會聯句』 現代語訳と訳註

(本文) (4)-#2

遇主貴陳力,夷凶匪兼弱。

百牢犒輿師,千購首惡。(正封)

平生恥論兵,末暮不輕諾。

徒然感恩義,誰復論勳爵。(愈)

 

 

(下し文) (4)-#2

主に遇うて力を陳ぶるを貴きこととし,凶を夷【たいら】ぐるは弱を兼ぬるに匪らず。

百牢 輿師を犒【ねぎら】い,千 首惡を購【あらが】う。(正封)

平生 兵を論ずるを恥じ,末暮 輕しく諾せず。

徒然として 恩義を感ず,誰か復た勳爵【くんしゃく】を論ぜむ。(愈)

 

 

(現代語訳)

そうはいっても主に仕える身は自分の力を尽くすのはとうといことであり、凶悪な徒を平定するを旨として、必ずしも、弱者を兼幷するのではない。

いたるところの人民は百牢を持って王師を迎え、そして、元凶の首をその地域千戸に示して罪を償わせるのである。こうして今しも、大いに軍事を盡すべきである。

私は、平生、道義を講じて兵を論ずるを愧じ、ことに晩年、世なれたる上は、輕諾を為さず、一度うんと言えば、必ず成し遂げる覚悟である。

しかし、よくよくかんがえると、恩義に感じたうえは、あくまで心力を盡すつもりで、勲爵などには頓着するものではないのだ。

 

 

(訳注) (4)-#2

遇主貴陳力,夷凶匪兼弱。

そうはいっても主に仕える身は自分の力を尽くすのはとうといことであり、凶悪な徒を平定するを旨として、必ずしも、弱者を兼幷するのではない。

・陳力 論語に見える字面。

兼弱 兼弱攻昧と書経にある。弱い者いじめ。弱者を兼幷する。

 

百牢犒輿師,千購首惡。(正封)

いたるところの人民は百牢を持って王師を迎え、そして、元凶の首をその地域千戸に示して罪を償わせるのである。こうして今しも、大いに軍事を盡すべきである。

百牢 牢は牛羊の肉。たくさんの牛の肉や羊の肉でもって。

輿師, 輿は衆。衆人の師。

 集落の全部。千戸というのはその地域全体を云う。

首惡 諸侯は首悪

 

平生恥論兵,末暮不輕諾。

私は、平生、道義を講じて兵を論ずるを愧じ、ことに晩年、世なれたる上は、輕諾を為さず、一度うんと言えば、必ず成し遂げる覚悟である。

末暮不 晩年のこと。

 

徒然感恩義,誰復論勳爵。(愈)

しかし、よくよくかんがえると、恩義に感じたうえは、あくまで心力を盡すつもりで、勲爵などには頓着するものではないのだ。

・徒然 1 することがなくて退屈なこと。また、そのさま。手持ちぶさた。2 つくづくと物思いにふけること。隋堤01

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