中唐詩人選集【Ⅰ李商隠-150】Ⅱ韓退之(韓愈)Ⅶ孟郊(東野)  漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩 訳注解説ブログ

Ⅰ李商隠は難解詩といわれている。約150首紹介済。(晩唐詩人) Ⅱ韓退之(韓愈)-約500首Ⅶ孟郊、中唐の詩人を掲載中。万物の性(さが)をテーマにした哲学的な詩。このブログは基本的に中唐詩人を中心にして掲載する予定。 韓愈詩文のこれまでの掲載分とこれから掲載予定分を時系列で整理した2014.3.29のブログに集約してそこから各年次を見ることができる  kanbuniinkai 検索で、《漢文委員会HP05》サイトあります。漢詩唐詩を理解するための総合サイト:≪漢文委員会 漢詩07≫。

少し、マニアックな晩唐詩人Ⅰ-李商隠150首をまず掲載済み。中唐は盛唐詩人(孟浩然・王維、杜甫、李白)を受け継いだ多様な詩人が出ている。この時代も驚くほど詩が発展している。Ⅱ韓退之(韓愈)500首、Ⅲ柳宗元40首、Ⅳ韋応物、Ⅴ劉長卿、Ⅵ韋荘、Ⅶ孟郊(孟東野)、Ⅷ張籍、Ⅸ賈島、Ⅹ劉禹錫、ほか2012~2020年の予定で気長に進める。同じ中唐ではあるが、白居易のグループについては、李白のブログ350首(2015/6月再開~2018/夏・秋月予定)の後掲載の予定。別に杜甫詩ブログ1500首(2011/7月~2018/8月の予定で)を進行中。詩数につぃては、予定の詩数より多くなる。気まぐれなところがあるのでこの予定が少し変わる場合があり、その節はご容赦ください。                 古詩・謝霊運詩 杜甫詩 韓愈詩 花間集500首全詩 それぞれ毎日ブログしています。 このブログ、索引=語句の「検索」 参考書以上掲載。漢詩力up。

左遷 三度目の嶺南行

《去歲自刑部侍郎以罪貶潮州刺史,・・其後家亦譴逐小女,道死殯之層峰驛旁,・・・》韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <976>漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3864

お前が死んだのは病気で臥せていたところそのまま旅程に出されたために急病死させてしまった。旅中のことであるために仮埋葬で皮付きの傷つき材料の棺であり、数条の藤蔦でこれを縛ったようなもの、これを商山の麓に埋設したのだ。棺の白骨は定めてその寒さに耐えられるものではなかったであろう。

2014年3月9日の紀頌之5つのブログ
●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場
Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
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●杜甫の全作品1141首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"
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杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年;乾元二年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首
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《去歲自刑部侍郎以罪貶潮州刺史,乘驛赴任,其後家亦譴逐小女,道死殯之層峰驛旁,山下蒙恩還朝,過其墓留題驛梁》韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <976> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3864韓愈詩-269

 

 

年:  820年  元和十五年  53歲

卷別: 卷三四四  文體: 七言律詩 

詩題: 去歲自刑部侍郎以罪貶潮州刺史,乘驛赴任,其後家亦譴逐小女,道死殯之層峰驛旁,山下蒙恩還朝,過其墓留題驛梁

【去歲自刑部侍郎以罪貶潮州刺史,乘驛之官,其後家亦譴逐小女,道死殯之層峰驛旁,山下蒙恩還朝,今過其墓留題驛梁】

【去歲自刑部侍郎以罪貶潮州刺史,乘驛之官,其後家亦譴逐小女,道死殯之層峰驛之,山下蒙恩還朝,今過其墓留題驛梁】

【去歲自刑部侍郎以罪貶潮州刺史,乘驛赴任,其後家亦譴逐小女,道死殯之層峰驛之,山下蒙恩還朝,今過其墓留題驛梁】 

及地點:  潮州 (嶺南道東部 潮州 潮州)   ・層峰驛 (山南東道 商州 上洛)     

 

 

去歲自刑部侍郎以罪貶潮州刺史,乘驛赴任,其後家亦譴逐小女,道死殯之層峰驛旁,山下蒙恩還朝,過其墓留題驛梁

(去年は(元和14年正月)「論佛骨表」を上せしにより、刑部侍郎というものから、潮州刺史に貶られ、独り宿次の馬に乗り赴任した。その後、家族も都に留まってはならぬということで追い立てられ、相次いで旅程に上ったが、その途中、層峰驛の旁にて少女一人病死し、その山の下に仮埋葬しておいた。しかるに今次天恩を蒙って、長安に還されることとなり此の山下を通ることになったので、この詩を駅舎の梁上に題したのである。)

數條藤束木皮棺,草殯荒山白骨寒。

お前が死んだのは病気で臥せていたところそのまま旅程に出されたために急病死させてしまった。旅中のことであるために仮埋葬で皮付きの傷つき材料の棺であり、数条の藤蔦でこれを縛ったようなもの、これを商山の麓に埋設したのだ。棺の白骨は定めてその寒さに耐えられるものではなかったであろう。

驚恐入心身已病,扶舁沿路眾知難。

わたしはお前たちに先立って旅立たねばならず、病気のお前のこと、驚き、恐れて、心も身も心配をして出たのだ。お前は無理やり担がれて旅に出たのでとても難しいことだと誰もが思ったのである。

繞墳不暇號三匝,設祭惟聞飯一盤。

お前を伴って旅立つことが出来ず、お前のその時にあってやることもできず、勿論、墓を廻って慟哭、三匝してやることもできなかった。祀ってやるにも、一盤の飯を備えることしかできなかったことは可哀相で仕方なかったのである。

致汝無辜由我罪,百年慚痛淚闌干。

こんなことになった全ては私の大罪によるもので、お前に非は全くないのである。この慙痛の思いは修正消えるものではないもので、この涙は欄干としてたえずながれるのである。

 

去歲 刑部侍郎より罪を以って潮州刺史に貶められ,驛に乘じて赴任し,其の後家も亦た譴逐【けんちく】されて小女,道に死し之を層峰 驛旁に殯し,山下 恩を蒙って朝に還らんとし,其の墓を過りて驛梁【えきりょう】に留題す。

數條の藤は木皮の棺を束ね,荒山にして草殯【そうひん】して 白骨寒し。 

驚恐 心に入って 身已に病み,扶舁【ふと】路に沿って 眾 難きを知る。 

墳を繞って 號【さけ】んで三匝【さんきん】するに暇あらず,祭を設けて惟だ飯一盤を聞く。 

汝 辜【つみ】無きを致すは我が罪に由る,百年 慚痛して 淚 闌干たり。 

韓愈ルート01
 

『去歲自刑部侍郎以罪貶潮州刺史,乘驛赴任,其後家亦譴逐小女,道死殯之層峰驛旁,山下蒙恩還朝,過其墓留題驛梁』 現代語訳と訳註

(本文)

去歲自刑部侍郎以罪貶潮州刺史,乘驛赴任,其後家亦譴逐小女,道死殯之層峰驛旁,山下蒙恩還朝,過其墓留題驛梁

數條藤束木皮棺,草殯荒山白骨寒。

驚恐入心身已病,扶舁沿路眾知難。

繞墳不暇號三匝,設祭惟聞飯一盤。

致汝無辜由我罪,百年慚痛淚闌干。

 

(下し文)

去歲 刑部侍郎より罪を以って潮州刺史に貶められ,驛に乘じて赴任し,其の後家も亦た譴逐【けんちく】されて小女,道に死し之を層峰 驛旁に殯し,山下 恩を蒙って朝に還らんとし,其の墓を過りて驛梁【えきりょう】に留題す。

數條の藤は木皮の棺を束ね,荒山にして草殯【そうひん】して 白骨寒し。 

驚恐 心に入って 身已に病み,扶舁【ふと】路に沿って 眾 難きを知る。 

墳を繞って 號【さけ】んで三匝【さんきん】するに暇あらず,祭を設けて惟だ飯一盤を聞く。 

汝 辜【つみ】無きを致すは我が罪に由る,百年 慚痛して 淚 闌干たり。  

 

(現代語訳)

(去年は(元和14年正月)「論佛骨表」を上せしにより、刑部侍郎というものから、潮州刺史に貶られ、独り宿次の馬に乗り赴任した。その後、家族も都に留まってはならぬということで追い立てられ、相次いで旅程に上ったが、その途中、層峰驛の旁にて少女一人病死し、その山の下に仮埋葬しておいた。しかるに今次天恩を蒙って、長安に還されることとなり此の山下を通ることになったので、この詩を駅舎の梁上に題したのである。)

お前が死んだのは病気で臥せていたところそのまま旅程に出されたために急病死させてしまった。旅中のことであるために仮埋葬で皮付きの傷つき材料の棺であり、数条の藤蔦でこれを縛ったようなもの、これを商山の麓に埋設したのだ。棺の白骨は定めてその寒さに耐えられるものではなかったであろう。

わたしはお前たちに先立って旅立たねばならず、病気のお前のこと、驚き、恐れて、心も身も心配をして出たのだ。お前は無理やり担がれて旅に出たのでとても難しいことだと誰もが思ったのである。

お前を伴って旅立つことが出来ず、お前のその時にあってやることもできず、勿論、墓を廻って慟哭、三匝してやることもできなかった。祀ってやるにも、一盤の飯を備えることしかできなかったことは可哀相で仕方なかったのである。

こんなことになった全ては私の大罪によるもので、お前に非は全くないのである。この慙痛の思いは修正消えるものではないもので、この涙は欄干としてたえずながれるのである。

 

(訳注)

去歲自刑部侍郎以罪貶潮州刺史,乘驛赴任,其後家亦譴逐小女,道死殯之層峰驛旁,山下蒙恩還朝,過其墓留題驛梁

(去年は(元和14年正月)「論佛骨表」を上せしにより、刑部侍郎というものから、潮州刺史に貶られ、独り宿次の馬に乗り赴任した。その後、家族も都に留まってはならぬということで追い立てられ、相次いで旅程に上ったが、その途中、層峰驛の旁にて少女一人病死し、その山の下に仮埋葬しておいた。しかるに今次天恩を蒙って、長安に還されることとなり此の山下を通ることになったので、この詩を駅舎の梁上に題したのである。)

○韓愈の第四女、女拏【じょだ】といい、歳は12歳であった。河陽の韓家の墓地に移された。

○層峰驛 商山の麓にあった駅。(g-4)長安から藍田を経て次の街である。元気なものなら数日の距離である。

○儒教の五経典に『易経』『書経』『詩経』『儀礼』『春秋』がある。そのなかの『儀礼(ぎらい)』は古代中国の官吏階級の通過儀礼である、冠礼、婚礼、喪礼、外交儀礼などを細かく規定したもので、中国の文化の規範としての役割を担ってきた。韓愈は儒者であり、これらにのとった埋葬ができなかったことを師にしたもの。

 

數條藤束木皮棺,草殯荒山白骨寒。

お前が死んだのは病気で臥せていたところそのまま旅程に出されたために急病死させてしまった。旅中のことであるために仮埋葬で皮付きの傷つき材料の棺であり、数条の藤蔦でこれを縛ったようなもの、これを商山の麓に埋設したのだ。棺の白骨は定めてその寒さに耐えられるものではなかったであろう。

○木皮棺 急ごしらえの棺と埋葬の場所をいう。小斂(死者を衣服でくるむ)の用意ができず、粗末なものでくるまった。

○草殯 仮埋葬をすること。

 

驚恐入心身已病,扶舁沿路眾知難。

わたしはお前たちに先立って旅立たねばならず、病気のお前のこと、驚き、恐れて、心も身も心配をして出たのだ。お前は無理やり担がれて旅に出たのでとても難しいことだと誰もが思ったのである。

○扶舁 1 (二人以上で)物を肩にのせて運ぶ。担がれて、かつぐ。2 だます。あざむく。車ではなく、運ばれたもので、数日で死に至ったもの。

 

繞墳不暇號三匝,設祭惟聞飯一盤。

お前を伴って旅立つことが出来ず、お前のその時にあってやることもできず、勿論、墓を廻って慟哭、三匝してやることもできなかった。祀ってやるにも、一盤の飯を備えることしかできなかったことは可哀相で仕方なかったのである。

○繞墳 哭の礼をするため、埋葬したところのまわりをぐるぐる回って弔うこと。

○號三匝 死者に衣服を贈る。死装束の準備。湯灌。死装束の着衣と依代。小斂(死者を衣服でくるむ)の用意。

○飯一盤 死者へ食べ物を捧げる

 

致汝無辜由我罪,百年慚痛淚闌干。

こんなことになった全ては私の大罪によるもので、お前に非は全くないのである。この慙痛の思いは修正消えるものではないもので、この涙は欄干としてたえずながれるのである。

○『荀子』礼論篇に、葬儀の意味について述べてある。

  喪礼とは、死者に対し生者のように仕えるという意味をはっきりと知り、哀戚と恭敬の情を尽くして送葬し、手おちなく埋葬すること以外にない。だから埋葬とは、その形体を敬み葬ることであり、祭祀とは、その神霊に敬み仕えることであり、その銘(死者の名を書いた旗)と誄(るい=人の死を悼んで生前の徳などを追慕して述べる詞)と繋世とは、その名前を敬って後世に伝えることである。生きている人に仕える礼は始めを飾り、死んだ人を送る礼は、終わりを飾る。
 

《酒中留上襄陽李相公》韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <975>漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3859韓愈詩-268

韓愈《酒中留上襄陽李相公》 我々の付き合いは清談の濁り酒の付き合いで、私は濁水のようであり、君は清路の塵のようであり、その出処進退はまるで比較することに意味がないほど明確なことである。嘗て同じように中書省にいたこともあるので、旧知の間ではあれば、今夜ここに会飲して、このひと時を過ごしたいと思うところなのです。私が南方に左遷されている時はこの眼が穿つほどに眺めいって書簡の届かないことをいぶかしく思っていたのであるから、この宴席において大分酔いが回って、耳が熱くなるほど酔っても、そそがれた酒を辞したりはしないで徹底的に飲もうと思っている。


 

2014年3月8日

の紀頌之5つのブログ
●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場
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●唐を代表する中唐の韓愈の儒家としての考えのよくわかる代表作の一つ
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《酒中留上襄陽李相公》韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <975>漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3859韓愈詩-268
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杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首杜甫詩(2)752年;天平勝寶四年、41歳~754年;天平勝寶六年、43歳 73首(青年期・就活の詩) 杜甫詩(3)755年;天平勝寶七年、44歳~756年;至徳元年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)作時757年;至徳二年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首
杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年;乾元二年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首
●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている
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●花間集全詩●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集
Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoor13-10 《 甘州子五首 其一》顧太尉敻(顧夐【こけい】)五十五首Ⅻ唐五代詞・『花間集』全詩訳注解説Gs-463-13-(10) 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3862
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《酒中留上襄陽李相公》韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <975>漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3859韓愈詩-268

 

 

年: 820年  元和十五年  53歲

卷別: 卷三四四  文體: 七言律詩 

詩題: 酒中留上襄陽李相公

〔李逢吉也。愈元和十一年正月為中書舍人,而逢吉以其年二月自舍人拜相。〕

寫作地點: 襄州(山南東道 / 襄州 / 襄州) 

寫及地點:  襄州 (山南東道 襄州 襄州) 別名:襄陽     

交遊人物/: 李逢吉

 

 

酒中留上襄陽李相公

 (ここにおいての宴会で襄陽の李相公に上申いたします。)

李相公は李逢吉である。韓愈は元和十一年正月に中書舍人となる,韓愈が襄陽を通過する際に旧知の李逢吉はに会飲し、酒間に賦して贈ったものである。

濁水汙泥清路塵,還曾同制掌絲綸。 

我々の付き合いは清談の濁り酒の付き合いで、私は濁水のようであり、君は清路の塵のようであり、その出処進退はまるで比較することに意味がないほど明確なことである。嘗て同じように中書省にいたこともあるので、旧知の間ではあれば、今夜ここに会飲して、このひと時を過ごしたいと思うところなのです。

眼穿長訝雙魚斷,耳熱何辭數爵頻。 

私が南方に左遷されている時はこの眼が穿つほどに眺めいって書簡の届かないことをいぶかしく思っていたのであるから、この宴席において大分酔いが回って、耳が熱くなるほど酔っても、そそがれた酒を辞したりはしないで徹底的に飲もうと思っている。

銀燭未銷窗送曙,金釵半醉座添春。 

こうして飲んでいても、まだまだ銀の燭台の火も消えることはなく、窓が白んでくる曙の色合いが送られてくるまでは、君の金杯での酔いはまだ半分ぐらいのものだろうし、その座にまだまだ春の花のように若い娘を携え添わせておかれたらよろしいと思うしだいである。

知公不久歸鈞軸,應許閒官寄病身。 

君は遠からずして天子に召されて、再び相位に着かれることであろうから、節には我が病気がちな私に相応した閒職を与えてもらえたらよいと考えておるところです。

 

酒中留めて襄陽の李相公に上【たてまつ】る

濁水 汙泥【おでい】清路の塵,還た曾て制を同じうして絲綸【しりん】を掌る。 

眼 穿って長く訝【いぶか】る雙魚の斷つるを,耳熱くして 何ぞ辭せむ 數爵の頻なるを。 

銀燭 未だ銷えずして 窗 曙を送る,金釵 半ば醉うて 座して 春に添う。 

公が久しからずして鈞軸にる歸を知る,應に閒官に病身を寄するを許さるべし。 

韓愈安陸南陽白水01 

 

『酒中留上襄陽李相公』 現代語訳と訳註

(本文)

酒中留上襄陽李相公

濁水汙泥清路塵,還曾同制掌絲綸。 

眼穿長訝雙魚斷,耳熱何辭數爵頻。 

銀燭未銷窗送曙,金釵半醉座添春。 

知公不久歸鈞軸,應許閒官寄病身。 

 

 

(下し文)

酒中留めて襄陽の李相公に上【たてまつ】る

濁水 汙泥【おでい】清路の塵,還た曾て制を同じうして絲綸【しりん】を掌る。 

眼 穿って長く訝【いぶか】る雙魚の斷つるを,耳熱くして 何ぞ辭せむ 數爵の頻なるを。 

銀燭 未だ銷えずして 窗 曙を送る,金釵 半ば醉うて 座して 春に添う。 

公が久しからずして鈞軸にる歸を知る,應に閒官に病身を寄するを許さるべし。 

 

 

(現代語訳)

(ここにおいての宴会で襄陽の李相公に上申いたします。)

李相公は李逢吉である。韓愈は元和十一年正月に中書舍人となる,韓愈が襄陽を通過する際に旧知の李逢吉はに会飲し、酒間に賦して贈ったものである。

我々の付き合いは清談の濁り酒の付き合いで、私は濁水のようであり、君は清路の塵のようであり、その出処進退はまるで比較することに意味がないほど明確なことである。嘗て同じように中書省にいたこともあるので、旧知の間ではあれば、今夜ここに会飲して、このひと時を過ごしたいと思うところなのです。

私が南方に左遷されている時はこの眼が穿つほどに眺めいって書簡の届かないことをいぶかしく思っていたのであるから、この宴席において大分酔いが回って、耳が熱くなるほど酔っても、そそがれた酒を辞したりはしないで徹底的に飲もうと思っている。

こうして飲んでいても、まだまだ銀の燭台の火も消えることはなく、窓が白んでくる曙の色合いが送られてくるまでは、君の金杯での酔いはまだ半分ぐらいのものだろうし、その座にまだまだ春の花のように若い娘を携え添わせておかれたらよろしいと思うしだいである。

君は遠からずして天子に召されて、再び相位に着かれることであろうから、節には我が病気がちな私に相応した閒職を与えてもらえたらよいと考えておるところです。

杏の花01韓愈の地図00 

(訳注)

酒中留上襄陽李相公

(ここにおいての宴会で襄陽の李相公に上申いたします。)

〔李逢吉也。愈元和十一年正月為中書舍人,而逢吉以其年二月自舍人拜相。〕

李相公は李逢吉である。韓愈は元和十一年正月に中書舍人となる,韓愈が襄陽を通過する際に旧知の李逢吉はに会飲し、酒間に賦して贈ったものである。李逢吉(758年-835年),字虛舟,隴西狄道(今甘肃臨洮縣)の人,李玄道の曾孫にあたる。父は李顏で疾病が有った,李逢吉は料醫劑により,通方書を遂う。元和九年進士及第し,中書舍人を改める。元和十一年(816年)には中書舍人となり,その年の4月宰相となった。。元和、長慶の兩朝の宰相と為す。牛僧孺と李德裕とに薦舉され,李紳と相互に傾軋す。敬宗年间に,凉国公を封じ,のちに鄭国公と改む。太和年間中に司徒致仕える。九年(835年)正月卒す。謚は曰成。著有《斷金集》,《全唐詩》詩八首存する。

 

濁水汙泥清路塵,還曾同制掌絲綸。 

我々の付き合いは清談の濁り酒の付き合いで、私は濁水のようであり、君は清路の塵のようであり、君の家は詔勅を起草する家系であり、君も必ずそうなるのであり、その出処進退はまるで比較することに意味がないほど明確なことである。嘗て同じように中書省にいたこともあるので、旧知の間ではあれば、今夜ここに会飲して、このひと時を過ごしたいと思うところなのです。

○濁水汙泥清路塵 韓愈と李相公を献上的に比較したもので、嘗ては濁り酒を飲みながら同僚として清談したものだが、今は、韓愈は南方へ左遷され、泥水の中に折るようなものであることに対して、曹植『七哀詩』「君若清路塵,妾若濁水泥。」にもとづくひょうげんをしたもの。(あなたは清らな路上の塵のよう、私はにごり水に沈む泥のようにきれいな水になるのを待つだけなのです。)

七哀詩 魏詩<33-2>文選 哀傷 667 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1885

○掌絲綸 「世掌絲綸」 杜甫『奉和賈至舍人早朝大明宮』「欲知世掌絲綸美。池上於今有鳳毛。」(なるほど賈君の御家は代々詔勅を起草する家系であって、その世襲がいかにみごとであるかを知りたいとおもう、現に今も鳳凰池上に鳳毛とも評すべき君が居らるるのをみればわかることである。)

・世掌 代々つかさどる、父子二代の世襲をさす。・絲綸 王の言、即ち詔勅をいう。「礼記」緇衣に「王言は糸の如く、其の出ぞること綸の如し。王言は綸の如く、其の出ぞること綍の如し。」とある。綸はよりいと、綍はなわ、王の言は出だした所は細くても下へ伝わるにつれて大となることをいう。・美 みごとなこと。

奉和賈至舍人早朝大明宮 杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 236

 

眼穿長訝雙魚斷,耳熱何辭數爵頻。 

私が南方に左遷されている時はこの眼が穿つほどに眺めいって書簡の届かないことをいぶかしく思っていたのであるから、この宴席において大分酔いが回って、耳が熱くなるほど酔っても、そそがれた酒を辞したりはしないで徹底的に飲もうと思っている。

○雙魚斷 李相公からの手紙をいう

○耳熱 顔が赤くなるという意味と同じ。

○數爵頻 盃に頻繁に酒を注がれることをどんなにされたとしてもというほどの意。

 

銀燭未銷窗送曙,金釵半醉座添春。 

こうして飲んでいても、まだまだ銀の燭台の火も消えることはなく、窓が白んでくる曙の色合いが送られてくるまでは、君の金杯での酔いはまだ半分ぐらいのものだろうし、その座にまだまだ春の花のように若い娘を携え添わせておかれたらよろしいと思うしだいである。

 

知公不久歸鈞軸,應許閒官寄病身。 

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○鈞軸 ここでは朝廷の中心である宰相のこと。

《寄隨州周員外》韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <974>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3854韓愈詩-267

韓愈《寄隨州周員外》 お互いに董晉の幕客であった陸長源、孟叔度、邱穎、楊凝等の人たちは、いずれも久しい昔に死んでいて、黄塵に化してしまっていて、今日生き残っているものが誰かあるのだろうか。道家の君は、これまで金丹を服餌することを好んでおられたけれど、別後、定めて、その調合法を伝授してもらったおかげで、南方に行ってもこうして病身の身を救って元気で居られたものであると思っております。


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《寄隨州周員外》韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <974>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3854韓愈詩-267

 

 

年: 820年  元和十五年  53歲

卷別: 卷三四四  文體: 七言絕句 

詩題: 寄隨州周員外 

及地點:  隨州 (山南東道 隨州 隨州) 別名:漢東     

交遊人物: 周愿

 

 

寄隨州周員外

(会いたいと思っていたが会えないのでこのまま長安に向かうので、随州の周君巢刺史に寄せる。)

陸孟丘楊久作塵,同時存者更誰人。 

お互いに董晉の幕客であった陸長源、孟叔度、邱穎、楊凝等の人たちは、いずれも久しい昔に死んでいて、黄塵に化してしまっていて、今日生き残っているものが誰かあるのだろうか。

金丹別後知傳得,乞取刀圭救病身。 

道家の君は、これまで金丹を服餌することを好んでおられたけれど、別後、定めて、その調合法を伝授してもらったおかげで、南方に行ってもこうして病身の身を救って元気で居られたものであると思っております。

 

(隨州周員外に寄す)

陸孟 丘楊 久しく塵と作り,同時に存する者 更に誰人ぞ。 

金丹 別後 知る傳へ得たるを,刀圭を乞取【きつしゅ】して 病身を救う。 

韓愈安陸南陽白水01 

 

『寄隨州周員外』 現代語訳と訳註

(本文)

寄隨州周員外

陸孟丘楊久作塵,同時存者更誰人。 

金丹別後知傳得,乞取刀圭救病身。 

 

(下し文)

(隨州周員外に寄す)

陸、孟、丘、楊 久しく塵と作り,同時に存する者 更に誰人ぞ。 

金丹 別後 知る傳へ得たるを,刀圭を乞取【きつしゅ】して 病身を救う。 

 

(現代語訳)

(会いたいと思っていたが会えないのでこのまま長安に向かうので、随州の周君巢刺史に寄せる。)

お互いに董晉の幕客であった陸長源、孟叔度、邱穎、楊凝等の人たちは、いずれも久しい昔に死んでいて、黄塵に化してしまっていて、今日生き残っているものが誰かあるのだろうか。

道家の君は、これまで金丹を服餌することを好んでおられたけれど、別後、定めて、その調合法を伝授してもらったおかげで、南方に行ってもこうして病身の身を救って元気で居られたものであると思っております。

 

(訳注)

寄隨州周員外

(会いたいと思っていたが会えないのでこのまま長安に向かうので、随州の周君巢刺史に寄せる。)

隨州刺史員外周君巢は下記の詩にも見えた。この詩は途中から彼にあてたもので、会えないので寄せたのだ。

自袁州還京,行次安陸,先寄隨州周員外〔周君巢也,時為隨州刺史。〕

行行指漢東,暫喜笑言同。 

雨雪離江上,蒹葭出夢中。 

面猶含瘴色,眼已見華風。 

歲暮難相值,酣歌未可終。

(この詩は袁州より召されて京に帰ろうとするとき、途中安陸に宿をしようとあらかじめ随州の周君巢刺史に寄せたものである。)

 

陸孟丘楊久作塵,同時存者更誰人。 

お互いに董晉の幕客であった陸長源、孟叔度、邱穎、楊凝等の人たちは、いずれも久しい昔に死んでいて、黄塵に化してしまっていて、今日生き残っているものが誰かあるのだろうか。

○陸孟丘楊 董晉幕府の陸長源、孟叔度、邱穎、楊凝ということ。董晉は(724年-799年),字を混成という,唐河東虞鄉(今の山西省永濟)万歳里の人。開元十二年(724年)生れ,唐玄宗の後期中明に及第を經て,唐肅宗即位の後,秘書省校書郎に任命され,翰林に供職す。歴任したのは衛尉丞、汾州司馬、淮南節度判官、殿中侍御史、主客員外郎、祠部郎中である。

韓愈は792年進士及第し、793・794年上級の博学宏詞科の落第が続いていたころのあと、董晉に随って汴州の観察推官として幕下についたころの同僚であったり、部下であったもの。

 

金丹別後知傳得,乞取刀圭救病身。 

道家の君は、これまで金丹を服餌することを好んでおられたけれど、別後、定めて、その調合法を伝授してもらったおかげで、南方に行ってもこうして病身の身を救って元気で居られたものであると思っております。

○金丹 道教の道士が金石を砕いて練って作ったという不老不死の薬。現在の見方からすれば、ミネラル接種に役立ち、免疫力を付けたということであろう。
韓愈の地図01 

《題廣昌館》韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <973>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3849韓愈詩-266

韓愈《題廣昌館》 このあたりにあった墳墓などは近頃発掘されたものの、様々なものが官道に散らばしているのだ。昔、南陽には、王朝近親者が多くいるのでこの地を検問せず、特別扱いされていたというが、千年後の今日、近親も何もあったものではない。だからこんな有様は、惨澹たるものではないか。


2014年3月6日

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《題廣昌館》韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <973>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3849韓愈詩-266

 

 

作時年:  820年  元和十五年  53歲

卷別: 卷三四四  文體: 七言絕句 

詩題: 題廣昌館【案:在隨州棗陽縣南。】 

及地點:廣昌館 (山南東道 隨州 棗陽)     

白水 (京畿道 同州 白水)     

南陽 (山南東道 鄧州 南陽) 別名:南都     

 

 

題廣昌館

(山南東道 隨州の廣昌館の漢の旧跡が破滅状態になっていることを歎いて題す。)

白水龍飛已幾春,偶逢遺跡問耕人。 

漢の世祖光武帝が白水の地から龍飛の如く出でて、炎運中興の大業を成し遂げてから幾久しく春を迎えたことか。今、たまたまここを通り、その遺跡たる廣昌館に来たが、とりあえず、畑を耕している農民に呼びかけて、いろいろ問うてみた。

丘墳發掘當官路,何處南陽有近親。 

このあたりにあった墳墓などは近頃発掘されたものの、様々なものが官道に散らばしているのだ。昔、南陽には、王朝近親者が多くいるのでこの地を検問せず、特別扱いされていたというが、千年後の今日、近親も何もあったものではない。だからこんな有様は、惨澹たるものではないか。

 

(廣昌館に題す)

白水 龍 飛んで已に幾春,偶【たまた】ま遺跡に逢うて耕人に問う。

丘墳 發掘して官路に當る,何れの處にか 南陽に近親有る。 

 

韓愈安陸南陽白水01

 

 

『題廣昌館』 現代語訳と訳註

(本文)

白水龍飛已幾春,偶逢遺跡問耕人。 

丘墳發掘當官路,何處南陽有近親。 

(異文)

白水龍飛已幾春,偶逢遺跡問耕人【偶尋遺跡問耕人】。

丘墳發掘當官路【丘墳發掘當官道】,何處南陽有近親。 

 

(下し文)

(廣昌館に題す)

白水 龍 飛んで已に幾春,偶【たまた】ま遺跡に逢うて耕人に問う。

丘墳 發掘して官路に當る,何れの處にか 南陽に近親有る。 

 

(現代語訳)

(山南東道 隨州の廣昌館の漢の旧跡が破滅状態になっていることを歎いて題す。)

漢の世祖光武帝が白水の地から龍飛の如く出でて、炎運中興の大業を成し遂げてから幾久しく春を迎えたことか。今、たまたまここを通り、その遺跡たる廣昌館に来たが、とりあえず、畑を耕している農民に呼びかけて、いろいろ問うてみた。

このあたりにあった墳墓などは近頃発掘されたものの、様々なものが官道に散らばしているのだ。昔、南陽には、王朝近親者が多くいるのでこの地を検問せず、特別扱いされていたというが、千年後の今日、近親も何もあったものではない。だからこんな有様は、惨澹たるものではないか。

(訳注)

題廣昌館

(山南東道 隨州の廣昌館の漢の旧跡が破滅状態になっていることを歎いて題す。)

○廣昌館 地名。山南東道 隨州 棗陽のこと。

韓愈が安陸を過ぎ、隋州、南陽郡をずぎて、棗陽に差し掛かり、漢の旧跡が破滅状態になっていることを歎いて詠ったもの。

 

白水龍飛已幾春,偶逢遺跡問耕人。 

漢の世祖光武帝が白水の地から龍飛の如く出でて、炎運中興の大業を成し遂げてから幾久しく春を迎えたことか。今、たまたまここを通り、その遺跡たる廣昌館に来たが、とりあえず、畑を耕している農民に呼びかけて、いろいろ問うてみた。

○白水 京畿道 同州 白水。漢の世祖光武帝がこの地で生まれた。かつてはこの白水、南陽のあたりは賑やかであったが、韓愈がここを通ると荒れ果てていたが、ところ所、旧趾が発掘されたのを見てこの詩を作った。

○龍飛 漢の世祖光武帝がよにでたことをいう。

○遺跡 楚の昭王廟の遺跡。

 

丘墳發掘當官路,何處南陽有近親。 

このあたりにあった墳墓などは近頃発掘されたものの、様々なものが官道に散らばしているのだ。昔、南陽には、王朝近親者が多くいるのでこの地を検問せず、特別扱いされていたというが、千年後の今日、近親も何もあったものではない。だからこんな有様は、惨澹たるものではないか。

○當官路 発掘したものを道路に投げ出している。

○南陽 山南東道 鄧州 南陽) 別名:南都

○有近親 南陽には王朝近親者が多くいる。だから、吏も充分にこの地を検問せず、特別扱いされたという
韓愈の地図01 

《自袁州還京,行次安陸,先寄隨州周員外〔周君巢也,時為隨州刺史。〕》韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <972>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3844韓愈詩-265

韓愈《自袁州還京,行次安陸,先寄隨州周員外》 都に向かう道を行くと、漢東に進んでゆくので、君とお目に書かれれば一緒に談笑することが出来るだろうとそれを当てにしてきた。冬の最中で雨雪寒く振り掛かるころのこと、漢陽から江上の道を離れ、そして、陸路をすすみ、蒹葭が枯れ残ったところを通り、やっとの思いで雲夢澤を抜け出たところである。



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《自袁州還京,行次安陸,先寄隨州周員外〔周君巢也,時為隨州刺史。〕》韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <972>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3844韓愈詩-265

 

 

作時年:  820年  元和十五年  53歲

卷別: 卷三四四  文體: 五言律詩 

詩題:自袁州還京,行次安陸,先寄隨州周員外〔周君巢也,時為隨州刺史。〕

及地點: 袁州 (江南西道 袁州 袁州) 別名:宜春     

長安 (京畿道 京兆府 長安) 別名:京、京師、中京、京城、上都、京畿、西都      

安陸 (淮南道 安州 安陸)     

隨州 (山南東道 隨州 隨州) 別名:漢東     

交遊人物:周愿


 

自袁州還京,行次安陸,先寄隨州周員外

(この詩は袁州より召されて京に帰ろうとするとき、途中安陸に宿をしようとあらかじめ随州の周君巢刺史に寄せたものである。)

行行指漢東,暫喜笑言同。 

都に向かう道を行くと、漢東に進んでゆくので、君とお目に書かれれば一緒に談笑することが出来るだろうとそれを当てにしてきた。

雨雪離江上,蒹葭出夢中。 

冬の最中で雨雪寒く振り掛かるころのこと、漢陽から江上の道を離れ、そして、陸路をすすみ、蒹葭が枯れ残ったところを通り、やっとの思いで雲夢澤を抜け出たところである。

面猶含瘴色,眼已見華風。 

これから先は道路は平らで大分楽になるが、南方の毒気の所から帰ったもので、私の顔も瘴気の色を含んでいるかもしれない。しかし、眼前に中原の華美な風俗、風光を見るのはまことに嬉しいものである。
歲暮難相值,酣歌未可終。 

もっとも、間もなく年も迫ろうかということで、君の方でもご多用で忙しくされているかもしれないのでお逢いすることが出来ないかもしれないと思うので、今夜の酒盛りのたけなわなことに任せて、歌うに任せ、せめてもの心使いとして、ここに一紙にしたためて君に贈るものである。

 

袁州より京に還る,行いて安陸に次し,先づ隨州周員外に寄す〔周君は巢なり,時に隨州刺史を為す。〕

行き行きて漢東を指し,暫く笑言の同じきを喜ぶ。

雨雪 江上を離れ,蒹葭 夢中を出ず。

面 猶お瘴色を含み,眼 已に華風を見る。

歲暮 相い值い難く,酣歌 未だ終る可からず。 

葵00

『自袁州還京,行次安陸,先寄隨州周員外』 現代語訳と訳註

(本文)

自袁州還京,行次安陸,先寄隨州周員外〔周君巢也,時為隨州刺史。〕

行行指漢東,暫喜笑言同。 

雨雪離江上,蒹葭出夢中。 

面猶含瘴色,眼已見華風。 

歲暮難相值,酣歌未可終。 

 

(下し文)

袁州より京に還る,行いて安陸に次し,先づ隨州周員外に寄す〔周員外は周君巢なり,時に隨州刺史を為す。〕

行き行きて漢東を指し,暫く笑言の同じきを喜ぶ。

雨雪 江上を離れ,蒹葭 夢中を出ず。

面 猶お瘴色を含み,眼 已に華風を見る。

歲暮 相い值い難く,酣歌 未だ終る可からず。 

 

(現代語訳)

(この詩は袁州より召されて京に帰ろうとするとき、途中安陸に宿をしようとあらかじめ随州の周君巢刺史に寄せたものである。)

都に向かう道を行くと、漢東に進んでゆくので、君とお目に書かれれば一緒に談笑することが出来るだろうとそれを当てにしてきた。

冬の最中で雨雪寒く振り掛かるころのこと、漢陽から江上の道を離れ、そして、陸路をすすみ、蒹葭が枯れ残ったところを通り、やっとの思いで雲夢澤を抜け出たところである。

これから先は道路は平らで大分楽になるが、南方の毒気の所から帰ったもので、私の顔も瘴気の色を含んでいるかもしれない。しかし、眼前に中原の華美な風俗、風光を見るのはまことに嬉しいものである。

もっとも、間もなく年も迫ろうかということで、君の方でもご多用で忙しくされているかもしれないのでお逢いすることが出来ないかもしれないと思うので、今夜の酒盛りのたけなわなことに任せて、歌うに任せ、せめてもの心使いとして、ここに一紙にしたためて君に贈るものである。

 

(訳注)

自袁州還京,行次安陸,先寄隨州周員外

(この詩は袁州より召されて京に帰ろうとするとき、途中安陸に宿をしようとあらかじめ随州の周君巢刺史に寄せたものである。)

○袁州 江南西道 袁州 、別名:宜春(e-4)

○安陸 淮南道 安州 安陸(d-3)

○隨州 山南東道 隨州、別名:漢東(d-2)

○隨州周員外 周君巢のこと。この時、隨州刺史であった。

韓愈の地図01 

行行指漢東,暫喜笑言同。 

都に向かう道を行くと、漢東に進んでゆくので、君とお目に書かれれば一緒に談笑することが出来るだろうとそれを当てにしてきた。

○行行 謝霊運(康楽) 『苦寒行』「行行日已遠,人馬同時饑。」(行き行きて日已に遠く 人馬 時を同じくして飢う)

○漢東 山南東道 隨州。

 

雨雪離江上,蒹葭出夢中。 

冬の最中で雨雪寒く振り掛かるころのこと、漢陽から江上の道を離れ、そして、陸路をすすみ、蒹葭が枯れ残ったところを通り、やっとの思いで雲夢澤を抜け出たところである。

○離江上

○蒹葭 『詩経・秦風・蒹葭』「兼葭蒼蒼,白露為霜。所謂伊人,在水一方。溯洄從之,道阻且長;溯游從之,宛在水中央。」とある。枯れ始めた陰暦九月の候をいう。河の向こう岸にすむ美しい娘がいる。訪ねようと上流に行くと道が険しく、川を渡るには水が多い。不遇で志を得られぬ、果たせない男、やるせない気持ちを歌ったものである。

杜甫『蒹葭』

摧折不自守,秋風吹若何?

暫時花戴雪,幾處葉沈波。

體弱春苗早,叢長夜露多。

江湖後搖落,亦恐歲蹉跎。

○夢中 雲夢澤のこと。古代中国で湖北省の漢陽(武漢)一帯にあったとされる大湿地。のち、長江と漢水が沖積して平原となった。武漢付近に散在する湖沼はその跡。

 

面猶含瘴色,眼已見華風。 

これから先は道路は平らで大分楽になるが、南方の毒気の所から帰ったもので、私の顔も瘴気の色を含んでいるかもしれない。しかし、眼前に中原の華美な風俗、風光を見るのはまことに嬉しいものである。

○瘴色 瘴:中国南部の熱帯・亜熱帯気候の密林の高温高湿の環境には「瘴气」が充満しており、人間を病気にさせる考えがあったことをいう。

 

歲暮難相值,酣歌未可終。 

もっとも、間もなく年も迫ろうかということで、君の方でもご多用で忙しくされているかもしれいのでお逢いすることが出来ないかもしれないと思うので、今夜の酒盛りのたけなわなことに任せて、歌うに任せ、せめてもの心使いとして、ここに一紙にしたためて君に贈るものである。
韓愈安陸南陽白水01 

《遊西林寺題蕭二兄郎中舊堂〔自注:蕭兄有女出家。〕 》韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <971>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3839韓愈詩-264

韓愈《遊西林寺題蕭二兄郎中舊堂》 蕭兄郎中が没せられて、既に久しいが、よく伝家の業を伝えられ得る才女があるというのは蔡琰中郎のようである。家を相続してゆく男子がないということは、あたかも鄧伯道のように誠に痛ましいことである。今、たまたまこの盧山の旧居跡をたづねると、物有って人なし、ここに昔日知遇の恩を思い出でて、追慕自ら禁ぜず、私としても、老衰の身、幾行の涕が煙霞に降り注ぐだけである。


2014年3月4日

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花間集

  

《遊西林寺題蕭二兄郎中舊堂〔自注:蕭兄有女出家。〕 》韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <971>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3839韓愈詩-264

 

年:820年  元和十五年  53歲

卷別: 卷三四四  文體: 七言絕句 

詩題:遊西林寺題蕭二兄郎中舊堂〔自注:蕭兄有女出家。〕

作地點: 廬山(江南西道 / 江州 / 廬山) 

及地點: 西林寺 (江南西道 江州 廬山)     

廬山 (江南西道 江州 廬山) 別名:廬嶽、匡山     

交遊人物: 蕭存

 

 

遊西林寺題蕭二兄郎中舊堂

(盧山の西林寺に立ち寄る際に旧知の蕭兄郎中の旧居があったのでこの詩を作る。)

〔自注:蕭兄有女出家。〕

〔蕭兄中郎には女の子がいたが家を相続していくものがいなかった。〕

中郎有女能傳業,伯道無兒可保家。 

蕭兄郎中が没せられて、既に久しいが、よく伝家の業を伝えられ得る才女があるというのは蔡琰中郎のようである。家を相続してゆく男子がないということは、あたかも鄧伯道のように誠に痛ましいことである。

偶到匡山曾住處,幾行衰淚落煙霞。 

今、たまたまこの盧山の旧居跡をたづねると、物有って人なし、ここに昔日知遇の恩を思い出でて、追慕自ら禁ぜず、私としても、老衰の身、幾行の涕が煙霞に降り注ぐだけである。

 

西林寺に遊び蕭二兄郎中舊堂に題す。〔自注:蕭兄は女有り家を出す。〕

中郎 女の能く業を傳うる有り,伯道 兒の家を保つ可き無し。 

偶ま 匡山【きょうざん】曾住の處に到れば,幾行の衰淚 煙霞に落つ。 

 

 

『遊西林寺題蕭二兄郎中舊堂』 現代語訳と訳註

(本文)

遊西林寺題蕭二兄郎中舊堂【〔自注:蕭兄有女出家。〕

中郎有女能傳業,伯道無兒可保家。 

偶到匡山曾住處,幾行衰淚落煙霞。 

 

 

(下し文)

西林寺に遊び蕭二兄郎中舊堂に題す。〔自注:蕭兄は女有り家を出す。〕

中郎 女の能く業を傳うる有り,伯道 兒の家を保つ可き無し。 

偶ま 匡山【きょうざん】曾住の處に到れば,幾行の衰淚 煙霞に落つ。 

 

(現代語訳)

(盧山の西林寺に立ち寄る際に旧知の蕭兄郎中の旧居があったのでこの詩を作る。)

〔蕭兄中郎には女の子がいたが家を相続していくものがいなかった。〕

蕭兄郎中が没せられて、既に久しいが、よく伝家の業を伝えられ得る才女があるというのは蔡琰中郎のようである。家を相続してゆく男子がないということは、あたかも鄧伯道のように誠に痛ましいことである。

今、たまたまこの盧山の旧居跡をたづねると、物有って人なし、ここに昔日知遇の恩を思い出でて、追慕自ら禁ぜず、私としても、老衰の身、幾行の涕が煙霞に降り注ぐだけである。

韓愈の地図01 

 

(訳注)

遊西林寺題蕭二兄郎中舊堂

(盧山の西林寺に立ち寄る際に旧知の蕭兄郎中の旧居があったのでこの詩を作る。)

〔自注:蕭兄有女出家。〕

〔蕭兄中郎には女の子がいたが家を相続していくものがいなかった。〕

○西林寺 盧山寺のこと。この寺に立ち寄る際に旧知の蕭兄郎中の旧居があった。

○蕭二兄郎中 蕭存といい、字は伯誠。建中の初め、殿中御史に遷り、四度、比部郎中に遷り、裴延齢の姦を憎疾んで官を去り、風痹によって卒す。

舊堂 故蕭二兄郎中舊堂

 

中郎有女能傳業,伯道無兒可保家。 

蕭兄郎中が没せられて、既に久しいが、よく伝家の業を伝えられ得る才女があるというのは蔡琰中郎のようである。家を相続してゆく男子がないということは、あたかも鄧伯道のように誠に痛ましいことである。

○中郎有女 蔡琰中郎

○鄧伯道 「使鄧伯道無兒。弟子綏服攸喪三年。」(鄧伯道をして兒無かおとずれと。弟の子綏、攸の喪に服すこと三年なり。)天下の者は、自分の子は見苦しいほどに可愛がって甥などは根から構わない。そこで、事から真似ず、古人は子を捨てて甥を養ったと思えばこちらのためになる。

 

偶到匡山曾住處,幾行衰淚落煙霞。 

今、たまたまこの盧山の旧居跡をたづねると、物有って人なし、ここに昔日知遇の恩を思い出でて、追慕自ら禁ぜず、私としても、老衰の身、幾行の涕が煙霞に降り注ぐだけである。

○匡山 盧山のこと。

○曾住處 曾て住居であった所に来ているが、誰もいないこと。後継ぎがいないことをいう。
keikoku00 

《次石頭驛寄江西王十中丞閣老〔仲舒也。時為江南西道觀察使,愈自袁還朝作寄。〕》韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <970>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3834韓愈詩-263

韓愈《次石頭驛寄江西王十中丞閣老》 高い所に上り、試みに首を回らして、豫章郡城を眺めてみる。心は洗われて清々しい気分になる。私は、君の仁徳を慕い、しかもこの度はお目にかかりたいと思っていた次第で、それはちょうど、馬がその群れを離れてしまって悲しい思いで鳴くような気持ちで居ります。これまで、寒い日がつづき、終日雲に覆われておりましたが、夕方になって初めて空が晴れました。風が強く吹いておりましたが、大江も遠い所からようやく穏やかになってきたようです。

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作時年:  820年  元和十五年  53歲

卷別: 卷三四四  文體: 五言律詩 

詩題: 次石頭驛寄江西王十中丞閣老

〔註:仲舒也。時為江南西道觀察使,愈自袁還朝作寄。〕 

作地點: 洪州(江南西道 / 洪州 / 洪州) 

及地點:  石頭驛―江南西道洪州豫章郡    

 

 

次石頭驛寄江西王十中丞閣老

(召されて兗州より帰る際石頭駅を過り、江南西道洪州豫章郡刺史、王仲舒中丞に贈った詩。)

憑高試迴首,一望豫章城。

高い所に上り、試みに首を回らして、豫章郡城を眺めてみる。心は洗われて清々しい気分になる。

人由戀德泣,馬亦別群鳴。

私は、君の仁徳を慕い、しかもこの度はお目にかかりたいと思っていた次第で、それはちょうど、馬がその群れを離れてしまって悲しい思いで鳴くような気持ちで居ります。

寒日夕始照,風江遠漸平。

これまで、寒い日がつづき、終日雲に覆われておりましたが、夕方になって初めて空が晴れました。風が強く吹いておりましたが、大江も遠い所からようやく穏やかになってきたようです。

默然都不語,應識此時情。

口に出して謂うものではないことはお互いわかっていることなので、私の今の気持ちについてお察しいただけるものと思って、ここに一筆したためる次第です。

 

(石頭驛を次ぎり江西王十中丞閣老に寄す。)

高きに憑て試みに首を迴らし,一に 豫章城を望む。 

人は德を戀うて泣くを由とし,馬は亦た群に別れて鳴く。 

寒日 夕始めて照らし,風江 遠く漸【ようや】く平らかなり。 

默然として都【みな】不らず,應に此の時の情を識る。 

洛陽南陽地図002

 

『次石頭驛寄江西王十中丞閣老』 現代語訳と訳註

(本文)

次石頭驛寄江西王十中丞閣老

憑高試迴首,一望豫章城。 

人由戀德泣,馬亦別群鳴。 

寒日夕始照,風江遠漸平。 

默然都不語,應識此時情。 

 

(下し文)

(石頭驛を次ぎり江西王十中丞閣老に寄す。)

高きに憑て試みに首を迴らし,一に 豫章城を望む。 

人は德を戀うて泣くを由とし,馬は亦た群に別れて鳴く。 

寒日 夕始めて照らし,風江 遠く漸【ようや】く平らかなり。 

默然として都【みな】不らず,應に此の時の情を識る。 

 

(現代語訳)

(召されて兗州より帰る際石頭駅を過り、江南西道洪州豫章郡刺史、王仲舒中丞に贈った詩。)

高い所に上り、試みに首を回らして、豫章郡城を眺めてみる。心は洗われて清々しい気分になる。

私は、君の仁徳を慕い、しかもこの度はお目にかかりたいと思っていた次第で、それはちょうど、馬がその群れを離れてしまって悲しい思いで鳴くような気持ちで居ります。

これまで、寒い日がつづき、終日雲に覆われておりましたが、夕方になって初めて空が晴れました。風が強く吹いておりましたが、大江も遠い所からようやく穏やかになってきたようです。

口に出して謂うものではないことはお互いわかっていることなので、私の今の気持ちについてお察しいただけるものと思って、ここに一筆したためる次第です。

 

(訳注)

次石頭驛寄江西王十中丞閣老

(召されて兗州より帰る際石頭駅を過り、江南西道洪州豫章郡刺史、王仲舒中丞に贈った詩。)

〔註:仲舒也。時為江南西道觀察使,愈自袁還朝作寄。〕 

○石頭驛 江南西道洪州豫章郡

○江西王十中丞閣老 仲舒、字は宏中、大原の人。穆宗の即位のとき召され中書舎人となり、出されて洪州刺史中丞江南西道観察使となる。この詩は、820年  元和十五年  53歲の秋、韓愈が召されて兗州より帰る際石頭駅を過り王仲舒に贈った

 

憑高試迴首,一望豫章城。 

高い所に上り、試みに首を回らして、豫章郡城を眺めてみる。心は洗われて清々しい気分になる。

○豫章城 m-5 地点。
 

人由戀德泣,馬亦別群鳴。 

私は、君の仁徳を慕い、しかもこの度はお目にかかりたいと思っていた次第で、それはちょうど、馬がその群れを離れてしまって悲しい思いで鳴くような気持ちで居ります。

○由戀德泣 君の仁徳に慕うことでやっとなくことが出来るというものだ。

 

寒日夕始照,風江遠漸平。 

これまで、寒い日がつづき、終日雲に覆われておりましたが、夕方になって初めて空が晴れました。風が強く吹いておりましたが、大江も遠い所からようやく穏やかになってきたようです。

○この二句は韓愈のここ最近のおおかれている立場、状況を比喩しているもので、口に出して言えないが推察してくださいというものである。実際には会って話をしたかもしれないが会ってないということにしたのではなかろうか。

 

默然都不語,應識此時情。 

口に出して謂うものではないことはお互いわかっていることなので、私の今の気持ちについてお察しいただけるものと思って、ここに一筆したためる次第です。
DCF00212 

《除官赴闕至江州寄鄂岳李大夫〔李程也。元和十五年,自袁州詔拜國子祭酒,行次盆城作。〕》韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <967>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3819韓愈詩-260-#3

韓愈《除官赴闕至江州寄鄂岳李大夫》 たとえば親身の骨肉のものであっても、とにかく互いに可否し合うということがあるものだ。それに加えて我々は、生来愚鈍であって、人並みに顔色を和らげ、言葉を低くして、調子を合わせることが出来なかったからこのような関係になってしまったのだ。子犯も行き届かなかったのは、私でさえ知っているといった通りで、私が不束なものであることは十分承知している。ということで、貴公におかれても枉げて(つとめて)、私の過失を許してもらいたいと思う次第で、私もすっかり、事を改めて、交誼を全うしたいと思うところであるので、貴公にこれまでのことを忘れてもらいたいのだ。


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《除官赴闕至江州寄鄂岳李大夫〔李程也。元和十五年,自袁州詔拜國子祭酒,行次盆城作。〕》韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <967>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3819韓愈詩-260-#3

 

 

作時年:  820年  元和十五年  53歲

卷別: 卷三四一  文體: 五言古詩 

詩題: 除官赴闕至江州寄鄂岳李大夫〔李程也。元和十五年,自袁州詔拜國子祭酒,行次盆城作。〕 

作地點: 潯陽(江南西道 / 江州 / 潯陽) 

及地點:  江州 (江南西道 江州 江州)     

鄂州 (江南西道 鄂州 鄂州) 別名:江夏     

岳州 (江南西道 岳州 岳州) 別名:沅湘     

湓城 (江南西道 江州 潯陽) 別名:盆城     

交遊人物: 李程

 

除官赴闕至江州寄鄂岳李大夫 #1

(兗州の刺史を除官して新らしく國子祭酒を拝するために長安に向かう際江州に至って鄂岳刺史観察使の李程にこの詩を寄せる)

盆城去鄂渚,風便一日耳。 

盆城といわれている江州は江夏の鄂渚の港から風の都合がよければ一日という極めて便利なところにある。

不枉故人書,無因帆江水。 

ちょっと寄り道にはなるけれど、我が旧友から前もって書簡を寄せられていなかったならば、舟に帆をかけて江水を渡ることなくそのまま行き過ぎたことだろう。

故人辭禮闈,旌節鎮江圻。 

我が友、李程は近頃、朝廷の禮部省より出でて、旌節を賜って六月鄂岳刺史観察使となり、この江辺の要地を鎮撫することになり、まことに目覚ましい立身である。

而我竄逐者,龍鐘初得歸。 

それに引き換え、わたしは、竄逐の身の上で、龍鐘として、老いさらばえてしまい、この度やっとの思いで召し返されることとなった次第で、その相反することはまことに甚だしいものである。

#2

別來已三歲,望望長迢遞。 

君と別れてからもう三年になるが潮州から兗州と遠方にいた時分これを臨んでいても道程遠く隔てていたのである。

咫尺不相聞,平生那可計。 

こうして今、咫尺の地を通りかかってお目見聞できなかったならば平生の有様を話し合うこともできなかったのである。

我齒落且盡,君鬢白幾何。 

さて、会ってみると、君と私は昇進するひとと、罪貶などといろいろ違った環境ではあるが、わたしはは娥だんだん抜けてまさにことごとく抜け落ち、君はというと鬢の白髪が幾分目立つようになった。

年皆過半百,來日苦無多。 

お互いに年齢は五十を過ぎて、今後、来るべき日数は少なく、寿命がもう長くなくなって心細い感じなのである。

少年樂新知,衰暮思故友。 

青年のころというのは、新たに知り合った人を楽しみにするものであるが、こうした老年になれば、昔馴染みの友人を慕わしく思うのが人情で、君との旧懐の念に堪えないのがしごく当たり前のことであった。

#3

譬如親骨肉,寧免相可不。 

たとえば親身の骨肉のものであっても、とにかく互いに可否し合うということがあるものだ。

我昔實愚蠢,不能降色辭。 

それに加えて我々は、生来愚鈍であって、人並みに顔色を和らげ、言葉を低くして、調子を合わせることが出来なかったからこのような関係になってしまったのだ。

子犯亦有言,臣猶自知之。 

子犯も行き届かなかったのは、私でさえ知っているといった通りで、私が不束なものであることは十分承知している。

公其務貰過,我亦請改事。 

ということで、貴公におかれても枉げて(つとめて)、私の過失を許してもらいたいと思う次第で、私もすっかり、事を改めて、交誼を全うしたいと思うところであるので、貴公にこれまでのことを忘れてもらいたいのだ。

桑榆儻可收,願寄相思字。 

例えば、功を桑楡に収めてくれるようにしてくれて、今後もなお更のご厚情を下し賜るならば、どうか時々、相思の書簡詩文の「文字」をもって私に寄せられたいものである。

 

官を除せられて闕に赴むいて江州に至り 鄂岳 李大夫に寄す #1

盆城は、鄂渚を去る,風便 一日 のみ。 

故人の書を枉げざれば,江水に帆する因無し。 

故人 禮闈【れいい】を辭し,旌節 江圻【こうさ】を鎮す。 

而【しか】も我 竄逐【ざんちく】の者,龍鐘【りょうしょう】初めて歸るを得たり。 

#2

別來 已に三歲,望望として長く迢遞【ちょうてい】たり。 

咫尺 相い聞かざれば,平生 那んぞ計る可き。 

我が齒 落ち且つ盡き,君の鬢 白きこと幾何ぞ。 

年 皆 半ば百を過ぎ,來日 苦だ多き無し。 

少年には 新知を樂しみ,衰暮には 故友を思う。 

#3

譬【たと】えば親骨 肉の如きも,寧ろ相い可不するをれんや。 

我 昔 實に愚蠢【ぐとう】にして,色辭【しょくじ】を降す能わず。 

子犯【しはん】も亦た言える有り,臣 猶お自ら之を知る。 

公 其れ務めて過【あやま】ちを貰【ゆる】せ,我も亦た請う事を改めん。 

桑榆 儻【も】し收む可くんば,願わくば相思の字を寄せよ。  

楸001 

 

『除官赴闕至江州寄鄂岳李大夫』 現代語訳と訳註

(本文) #3

譬如親骨肉,寧免相可不。 

我昔實愚蠢,不能降色辭。 

子犯亦有言,臣猶自知之。 

公其務貰過,我亦請改事。 

桑榆儻可收,願寄相思字。 

 

(下し文)#3

譬【たと】えば親骨 肉の如きも,寧ろ相い可不するをれんや。 

我 昔 實に愚蠢【ぐとう】にして,色辭【しょくじ】を降す能わず。 

子犯【しはん】も亦た言える有り,臣 猶お自ら之を知る。 

公 其れ務めて過【あやま】ちを貰【ゆる】せ,我も亦た請う事を改めん。 

桑榆 儻【も】し收む可くんば,願わくば相思の字を寄せよ。

 

(現代語訳)

たとえば親身の骨肉のものであっても、とにかく互いに可否し合うということがあるものだ。

それに加えて我々は、生来愚鈍であって、人並みに顔色を和らげ、言葉を低くして、調子を合わせることが出来なかったからこのような関係になってしまったのだ。

子犯も行き届かなかったのは、私でさえ知っているといった通りで、私が不束なものであることは十分承知している。

ということで、貴公におかれても枉げて(つとめて)、私の過失を許してもらいたいと思う次第で、私もすっかり、事を改めて、交誼を全うしたいと思うところであるので、貴公にこれまでのことを忘れてもらいたいのだ。

例えば、功を桑楡に収めてくれるようにしてくれて、今後もなお更のご厚情を下し賜るならば、どうか時々、相思の書簡詩文の「文字」をもって私に寄せられたいものである。

泰山の夕日 

(訳注) #3

譬如親骨肉,寧免相可不。 

たとえば親身の骨肉のものであっても、とにかく互いに可否し合うということがあるものだ。

○相可不 互いに可否し合う。

 

我昔實愚蠢,不能降色辭。 

それに加えて我々は、生来愚鈍であって、人並みに顔色を和らげ、言葉を低くして、調子を合わせることが出来なかったからこのような関係になってしまったのだ。

○實愚蠢 生来愚鈍であること。実際には、具屯な虫けらほどの者であること。へりくだった言い方。

○降色辭 人並みに顔色を和らげ、言葉を低くして、調子を合わせること。

 

子犯亦有言,臣猶自知之。 

子犯も行き届かなかったのは、私でさえ知っているといった通りで、私が不束なものであることは十分承知している。

○子犯 中国春秋時代の晋の政治家狐偃(こえん)のこと。字は子犯。舅犯、または咎犯(どちらもきゅうはんと読む)と呼ばれる。狐偃は文公の覇業を大いにたすけた。周の襄王が叔帯の乱を避けて鄭に亡命し、諸侯にたすけを求めたが、権威の低下した周王室をあえてたすけようとする諸侯はいなかった。 狐偃は「君は王をたすけて民に義を示すべきです」と文公に進言したので、文公は兵を率いて王室の乱を平定した。

この功により晋は王室から温・原などの中央に近い地を賜り、これがのちの晋の大発展の礎となった。また、諸侯に先駆けて王室をたすけて義を示したことにより、晋の文公の名は天下に轟いた。

 

公其務貰過,我亦請改事。 

ということで、貴公におかれても枉げて(つとめて)、私の過失を許してもらいたいと思う次第で、私もすっかり、事を改めて、交誼を全うしたいと思うところであるので、貴公にこれまでのことを忘れてもらいたいのだ。

○務貰過 ・務:枉げて~、つとめて~。・貰過:過失を許してもらう。

○請改事 事を改めて、交誼を全うしたいと思うところであるので、貴公にこれまでのことを忘れてもらいたい。

 

桑榆儻可收,願寄相思字。 

例えば、功を桑楡に収めてくれるようにしてくれて、今後もなお更のご厚情を下し賜るならば、どうか時々、相思の書簡詩文の「文字」をもって私に寄せられたいものである。

○桑楡に収める。桑は東の畑に植え、楡の木の間に日が堕ちる。毎日コツコツと仕事に精を出す人生に喩える。1日の後半(午後遅く日が落ちてから夜まで)夕方 ・ 逢魔が時 ・ 暮相 ・ 夕景・黄昏をいう。

○相思・長相思 綿の縁語。綿綿と長く続く意をとる。

『古詩十九首之第十八首』

客從遠方來,遺我一端綺。

相去萬餘里,故人心尚爾。

文彩雙鴛鴦,裁為合歡被。

著以長相思,緣以結不解。

以膠投漆中,誰能別離此?

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 蘇伯玉妻『盤中詩』

北上堂,西入階。急機絞,杼聲催。

長嘆息,當語誰。

君有行,妾念之。出有日,還無期。

結巾帶,長相思。君忘妾,未知之。

妾忘君,罪當治。妾有行,宜知之。

盤中詩 蘇伯玉妻 漢詩<141-#2>古詩源 巻二 女性詩579 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1554
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作時年:  820年  元和十五年  53歲

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詩題: 除官赴闕至江州寄鄂岳李大夫〔李程也。元和十五年,自袁州詔拜國子祭酒,行次盆城作。〕 

作地點: 潯陽(江南西道 / 江州 / 潯陽) 

及地點:  江州 (江南西道 江州 江州)     

鄂州 (江南西道 鄂州 鄂州) 別名:江夏     

岳州 (江南西道 岳州 岳州) 別名:沅湘     

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除官赴闕至江州寄鄂岳李大夫 #1

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故人辭禮闈,旌節鎮江圻。 

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而我竄逐者,龍鐘初得歸。 

それに引き換え、わたしは、竄逐の身の上で、龍鐘として、老いさらばえてしまい、この度やっとの思いで召し返されることとなった次第で、その相反することはまことに甚だしいものである。

#2

別來已三歲,望望長迢遞。 

君と別れてからもう三年になるが潮州から兗州と遠方にいた時分これを臨んでいても道程遠く隔てていたのである。

咫尺不相聞,平生那可計。 

こうして今、咫尺の地を通りかかってお目見聞できなかったならば平生の有様を話し合うこともできなかったのである。

我齒落且盡,君鬢白幾何。 

さて、会ってみると、君と私は昇進するひとと、罪貶などといろいろ違った環境ではあるが、わたしはは娥だんだん抜けてまさにことごとく抜け落ち、君はというと鬢の白髪が幾分目立つようになった。

年皆過半百,來日苦無多。 

お互いに年齢は五十を過ぎて、今後、来るべき日数は少なく、寿命がもう長くなくなって心細い感じなのである。

少年樂新知,衰暮思故友。 

青年のころというのは、新たに知り合った人を楽しみにするものであるが、こうした老年になれば、昔馴染みの友人を慕わしく思うのが人情で、君との旧懐の念に堪えないのがしごく当たり前のことであった。

詩人李白5x5#3

譬如親骨肉,寧免相可不。 

我昔實愚蠢,不能降色辭。 

子犯亦有言,臣猶自知之。 

公其務貰過,我亦請改事。 

桑榆儻可收,願寄相思字。 

 

官を除せられて闕に赴むいて江州に至り 鄂岳 李大夫に寄す #1

盆城は、鄂渚を去る,風便 一日 のみ。 

故人の書を枉げざれば,江水に帆する因無し。 

故人 禮闈【れいい】を辭し,旌節 江圻【こうさ】を鎮す。 

而【しか】も我 竄逐【ざんちく】の者,龍鐘【りょうしょう】初めて歸るを得たり。 

#2

別來 已に三歲,望望として長く迢遞【ちょうてい】たり。 

咫尺 相い聞かざれば,平生 那んぞ計る可き。 

我が齒 落ち且つ盡き,君の鬢 白きこと幾何ぞ。 

年 皆 半ば百を過ぎ,來日 苦だ多き無し。 

少年には 新知を樂しみ,衰暮には 故友を思う。 

#3

譬【たと】えば親骨 肉の如きも,寧ろ相い可不するをれんや。 

我 昔 實に愚蠢【ぐとう】にして,色辭【しょくじ】を降す能わず。 

子犯【しはん】も亦た言える有り,臣 猶お自ら之を知る。 

公 其れ務めて過【あやま】ちを貰【ゆる】せ,我も亦た請う事を改めん。 

桑榆 儻【も】し收む可くんば,願わくば相思の字を寄せよ。 

洞庭湖鄂州02 

 

『除官赴闕至江州寄鄂岳李大夫』 現代語訳と訳註

(本文) ##2

別來已三歲,望望長迢遞。 

咫尺不相聞,平生那可計。 

我齒落且盡,君鬢白幾何。 

年皆過半百,來日苦無多。 

少年樂新知,衰暮思故友。 

 

(下し文)

別來 已に三歲,望望として長く迢遞【ちょうてい】たり。 

咫尺 相い聞かざれば,平生 那んぞ計る可き。 

我が齒 落ち且つ盡き,君の鬢 白きこと幾何ぞ。 

年 皆 半ば百を過ぎ,來日 苦だ多き無し。 

少年には 新知を樂しみ,衰暮には 故友を思う。 

 

(現代語訳)

君と別れてからもう三年になるが潮州から兗州と遠方にいた時分これを臨んでいても道程遠く隔てていたのである。

こうして今、咫尺の地を通りかかってお目見聞できなかったならば平生の有様を話し合うこともできなかったのである。

さて、会ってみると、君と私は昇進するひとと、罪貶などといろいろ違った環境ではあるが、わたしはは娥だんだん抜けてまさにことごとく抜け落ち、君はというと鬢の白髪が幾分目立つようになった。

お互いに年齢は五十を過ぎて、今後、来るべき日数は少なく、寿命がもう長くなくなって心細い感じなのである。

青年のころというのは、新たに知り合った人を楽しみにするものであるが、こうした老年になれば、昔馴染みの友人を慕わしく思うのが人情で、君との旧懐の念に堪えないのがしごく当たり前のことであった。

韓愈の地図00 

(訳注) #2

別來已三歲,望望長迢遞。 

君と別れてからもう三年になるが潮州から兗州と遠方にいた時分これを臨んでいても道程遠く隔てていたのである。

○已三歲 817年裴度の呉元濟討伐の行軍司馬となってから、819年「佛骨を論ずる表」で貶せらるまでの間、長安にいた。この詩が820年であるから三年であるから817年の交際で、この時言い争いをしている。

○望望 遠くから希望すること。

○長迢遞 道程遠く隔てていた。

 

咫尺不相聞,平生那可計。 

こうして今、咫尺の地を通りかかってお目見聞できなかったならば平生の有様を話し合うこともできなかったのである。

○咫尺 1 距離が非常に近いこと。「―の間(かん)」2 貴人の前近くに出て拝謁すること。

 

我齒落且盡,君鬢白幾何。 

さて、会ってみると、君と私は昇進するひとと、罪貶などといろいろ違った環境ではあるが、わたしはは娥だんだん抜けてまさにことごとく抜け落ち、君はというと鬢の白髪が幾分目立つようになった。

 

年皆過半百,來日苦無多。 

お互いに年齢は五十を過ぎて、今後、来るべき日数は少なく、寿命がもう長くなくなって心細い感じなのである。

○過半百 百歳は詩的表現で50を超えれば百ということ。

○來日苦無多 今度、来るべき日ははなはだ少ない。

 

少年樂新知,衰暮思故友。

青年のころというのは、新たに知り合った人を楽しみにするものであるが、こうした老年になれば、昔馴染みの友人を慕わしく思うのが人情で、君との旧懐の念に堪えないのがしごく当たり前のことであった。

樂新知 楚辞九歌「樂莫樂兮新相知」とある。

《除官赴闕至江州寄鄂岳李大夫〔李程也。元和十五年,自袁州詔拜國子祭酒,行次盆城作。〕》韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <965>漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3809韓愈詩-260

韓愈《除官赴闕至江州寄鄂岳李大夫〕》 盆城といわれている江州は江夏の鄂渚の港から風の都合がよければ一日という極めて便利なところにある。ちょっと寄り道にはなるけれど、我が旧友から前もって書簡を寄せられていなかったならば、舟に帆をかけて江水を渡ることなくそのまま行き過ぎたことだろう。


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《除官赴闕至江州寄鄂岳李大夫〔李程也。元和十五年,自袁州詔拜國子祭酒,行次盆城作。〕》韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <965>漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3809韓愈詩-260

 

 

作時年:  820年  元和十五年  53歲

卷別: 卷三四一  文體: 五言古詩 

詩題: 除官赴闕至江州寄鄂岳李大夫〔李程也。元和十五年,自袁州詔拜國子祭酒,行次盆城作。〕 

作地點: 潯陽(江南西道 / 江州 / 潯陽) 

及地點:  江州 (江南西道 江州 江州)     

鄂州 (江南西道 鄂州 鄂州) 別名:江夏     

岳州 (江南西道 岳州 岳州) 別名:沅湘     

湓城 (江南西道 江州 潯陽) 別名:盆城     

交遊人物: 李程

 

除官赴闕至江州寄鄂岳李大夫 #1

盆城去鄂渚,風便一日耳。 

不枉故人書,無因帆江水。 

故人辭禮闈,旌節鎮江圻。 

而我竄逐者,龍鐘初得歸。 

(兗州の刺史を除官して新らしく國子祭酒を拝するために長安に向かう際江州に至って鄂岳刺史観察使の李程にこの詩を寄せる)

盆城といわれている江州は江夏の鄂渚の港から風の都合がよければ一日という極めて便利なところにある。

ちょっと寄り道にはなるけれど、我が旧友から前もって書簡を寄せられていなかったならば、舟に帆をかけて江水を渡ることなくそのまま行き過ぎたことだろう。

我が友、李程は近頃、朝廷の禮部省より出でて、旌節を賜って六月鄂岳刺史観察使となり、この江辺の要地を鎮撫することになり、まことに目覚ましい立身である。

それに引き換え、わたしは、竄逐の身の上で、龍鐘として、老いさらばえてしまい、この度やっとの思いで召し返されることとなった次第で、その相反することはまことに甚だしいものである。

#2

別來已三歲,望望長迢遞。 

咫尺不相聞,平生那可計。 

我齒落且盡,君鬢白幾何。 

年皆過半百,來日苦無多。 

少年樂新知,衰暮思故友。 

#3

譬如親骨肉,寧免相可不。 

我昔實愚蠢,不能降色辭。 

子犯亦有言,臣猶自知之。 

公其務貰過,我亦請改事。 

桑榆儻可收,願寄相思字。 

 

官を除せられて闕に赴むいて江州に至り 鄂岳 李大夫に寄す #1

盆城は、鄂渚を去る,風便 一日 のみ。 

故人の書を枉げざれば,江水に帆する因無し。 

故人 禮闈【れいい】を辭し,旌節 江圻【こうさ】を鎮す。 

而【しか】も我 竄逐【ざんちく】の者,龍鐘【りょうしょう】初めて歸るを得たり。 

#2

別來 已に三歲,望望として長く迢遞【ちょうてい】たり。 

咫尺 相い聞かざれば,平生 那んぞ計る可き。 

我が齒 落ち且つ盡き,君の鬢 白きこと幾何ぞ。 

年 皆 半ば百を過ぎ,來日 苦だ多き無し。 

少年には 新知を樂しみ,衰暮には 故友を思う。 

#3

譬【たと】えば親骨 肉の如きも,寧ろ相い可不するをれんや。 

我 昔 實に愚蠢【ぐとう】にして,色辭【しょくじ】を降す能わず。 

子犯【しはん】も亦た言える有り,臣 猶お自ら之を知る。 

公 其れ務めて過【あやま】ちを貰【ゆる】せ,我も亦た請う事を改めん。 

桑榆 儻【も】し收む可くんば,願わくば相思の字を寄せよ。  

 嶺南道圖00

 

『除官赴闕至江州寄鄂岳李大夫』 現代語訳と訳註

(本文) #1

除官赴闕至江州寄鄂岳李大夫 #1

盆城去鄂渚,風便一日耳。 

不枉故人書,無因帆江水。 

故人辭禮闈,旌節鎮江圻。 

而我竄逐者,龍鐘初得歸。 

 

(下し文)

官を除せられて闕に赴むいて江州に至り 鄂岳 李大夫に寄す #1

盆城は、鄂渚を去る,風便 一日 のみ。 

故人の書を枉げざれば,江水に帆する因無し。 

故人 禮闈【れいい】を辭し,旌節 江圻【こうさ】を鎮す。 

而【しか】も我 竄逐【ざんちく】の者,龍鐘【りょうしょう】初めて歸るを得たり。 

 

(現代語訳)

(兗州の刺史を除官して新らしく國子祭酒を拝するために長安に向かう際江州に至って鄂岳刺史観察使の李程にこの詩を寄せる)

盆城といわれている江州は江夏の鄂渚の港から風の都合がよければ一日という極めて便利なところにある。

ちょっと寄り道にはなるけれど、我が旧友から前もって書簡を寄せられていなかったならば、舟に帆をかけて江水を渡ることなくそのまま行き過ぎたことだろう。

我が友、李程は近頃、朝廷の禮部省より出でて、旌節を賜って六月鄂岳刺史観察使となり、この江辺の要地を鎮撫することになり、まことに目覚ましい立身である。

それに引き換え、わたしは、竄逐の身の上で、龍鐘として、老いさらばえてしまい、この度やっとの思いで召し返されることとなった次第で、その相反することはまことに甚だしいものである。

洞庭湖鄂州02 

 

(訳注)

除官赴闕至江州寄鄂岳李大夫 #1

(兗州の刺史を除官して新らしく國子祭酒を拝するために長安に向かう際江州に至って鄂岳刺史観察使の李程にこの詩を寄せる)

○この詩は、821年元和十五年九月、韓愈が兗州から召し還されて、國子祭酒に拝せられようとした時、長安に帰るに江州に立ち寄って作ったものである。詩の内容から、李程があらかじめ、韓愈に書を送って、招いたので、韓愈は江州に立ち寄って会見しこの詩を贈った。

○除官 故官を除去して新官に就くこと。

○鄂岳李大夫 李程のこと。字は表臣。隴西の人。貞元十二年の進士。元和十三年四月禮部侍郎に拝し、六月鄂岳刺史観察使となる。

○鄂岳大夫とは鄂岳観察使で「江南西道江州潯陽郡、鄂州江夏郡、岳州巴陵郡 、岳州沅湘郡 」『唐書地理誌』に属すとある。    

    

盆城去鄂渚,風便一日耳。 

盆城といわれている江州は江夏の鄂渚の港から風の都合がよければ一日という極めて便利なところにある。

○盆城 湓城 (江南西道 江州 潯陽) 別名:盆城。 

○鄂渚 現在の武漢。『楚辞』「九章、渉江」「乗鄂渚而反顧兮、欵秋冬之緒風。」(鄂渚に乗りて反顧すれば、ああ、秋冬の緒風なり。)

 

不枉故人書,無因帆江水。 

ちょっと寄り道にはなるけれど、我が旧友から前もって書簡を寄せられていなかったならば、舟に帆をかけて江水を渡ることなくそのまま行き過ぎたことだろう。

○不枉 ちょっと寄り道にはなるけれど

○故人書 我が旧友から前もって書簡を寄せられていなかったならば

 

故人辭禮闈,旌節鎮江圻。 

我が友、李程は近頃、朝廷の禮部省より出でて、旌節を賜って六月鄂岳刺史観察使となり、この江辺の要地を鎮撫することになり、まことに目覚ましい立身である。

○禮闈 禮部侍郎に拝し、六月鄂岳刺史観察使となる

○旌節 旌節を賜ったこと。

○江圻 江辺の要地。江南西道江州潯陽郡、鄂州江夏郡、岳州巴陵郡 、岳州沅湘郡。

 

而我竄逐者,龍鐘初得歸。 

それに引き換え、わたしは、竄逐の身の上で、龍鐘として、老いさらばえてしまい、この度やっとの思いで召し返されることとなった次第で、その相反することはまことに甚だしいものである。

○竄逐者 罪を得て、潮州に貶められ、兗州に量移されたもので、この度朝廷にやっと召されて戻ることになったということを自嘲気味にいったもの。

○龍鐘初得歸 龍鐘として、老いさらばえてしまい、この度やっとの思いで召し返されることとなった次第で、その相反することはまことに甚だしいものである。

《題秀禪師房》韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <964>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3804韓愈詩-259

韓愈《題秀禪師房》 両岸には、松が生い茂り、その間には橋が架かっていてその長さは百歩行くだけの長さのものである。それを渡り尽くすと秀禪師の僧房で竹牀 莞席が用意してある。そこでしばらくの間、肘を枕に寝そべってみて、それから、起き上がって、今度は、釣り竿を手にして、魚が最も釣れそうな砂浜に降りて行くのである。


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張平子(張衡)《西京賦》(14) #5-2 文選 賦<114―(14)>31分割68回 Ⅱ李白に影響を与えた詩1051 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3803
●唐を代表する中唐の韓愈の儒家としての考えのよくわかる代表作の一つ
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《題秀禪師房》韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <964>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3804韓愈詩-259
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《題秀禪師房》韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <964>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3804韓愈詩-259

 

 

作時年:  820年  元和十五年  53歲

卷別: 卷三四四  文體: 七言絕句 

詩題: 題秀禪師房 

作地點: 目前尚無資料 

交遊人物: 秀禪師

 

 

題秀禪師房

(秀禪師は、宣渓付近に房を構えていて、そこに訪問したもので、そこの壁に題したものである。)

橋夾水松行百步,竹床莞席到僧家。 

両岸には、松が生い茂り、その間には橋が架かっていてその長さは百歩行くだけの長さのものである。それを渡り尽くすと秀禪師の僧房で竹牀 莞席が用意してある。

暫拳一手支頭臥,還把魚竿下釣沙。 

そこでしばらくの間、肘を枕に寝そべってみて、それから、起き上がって、今度は、釣り竿を手にして、魚が最も釣れそうな砂浜に降りて行くのである。

 

秀禪師の房に題す

橋は水松を夾【あわ】せて行くこと百步,竹床 莞席【かんせき】僧家に到る。 

暫く一手を拳げて頭を支えて臥し,還た 魚竿を把って釣沙に下る。

韓愈の地図00 

 

『題秀禪師房』 現代語訳と訳註

(本文)

題秀禪師房

橋夾水松行百步,竹床莞席到僧家。 

暫拳一手支頭臥,還把魚竿下釣沙。 

 

(下し文)

秀禪師の房に題す

橋は水松を夾【あわ】せて行くこと百步,竹床 莞席【かんせき】僧家に到る。 

暫く一手を拳げて頭を支えて臥し,還た 魚竿を把って釣沙に下る。

 

(現代語訳)

(秀禪師は、宣渓付近に房を構えていて、そこに訪問したもので、そこの壁に題したものである。)

両岸には、松が生い茂り、その間には橋が架かっていてその長さは百歩行くだけの長さのものである。それを渡り尽くすと秀禪師の僧房で竹牀 莞席が用意してある。

そこでしばらくの間、肘を枕に寝そべってみて、それから、起き上がって、今度は、釣り竿を手にして、魚が最も釣れそうな砂浜に降りて行くのである。

 泰山の夕日

(訳注)

題秀禪師房

(秀禪師は、宣渓付近に房を構えていて、そこに訪問したもので、そこの壁に題したものである。)

韓愈が潮州に貶められ量移されて、兗州に向かう際に作ったもの。量移とは、唐代に遠方に貶せられ、許されて近い地へ転任させられることをいう。

 

橋夾 水松 行 百步 ,竹牀 莞席 到 僧家 。

両岸には、松が生い茂り、その間には橋が架かっていてその長さは百歩行くだけの長さのものである。それを渡り尽くすと秀禪師の僧房で竹牀 莞席が用意してある。

「竹牀」竹で作ったベッド。

「莞席」器物、生活用品、起居用品、席。

 

暫拳 一手 支頭臥 ,還把 魚竿 下釣 沙 。

そこでしばらくの間、肘を枕に寝そべってみて、それから、起き上がって、今度は、釣り竿を手にして、魚が最も釣れそうな砂浜に降りて行くのである。
2潮州広東00 

《將至韶州,先寄張端公使君借圖經〔將入韶州,先寄張端公使君借圖經〕》韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <963>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3799韓愈詩-258

韓愈《將至韶州,先寄張端公使君借圖經》韶州の曲江の山水を見るにつけ聞くにつけ、十分満足するものであるとするものだが、前もって名前を覚えておかないと、其の地を訪ねても一層難しいという心配があった。そこで、君からこの地の地図を拝借し、それを持って、韶州の界に入ろうを思う。


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女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首
魚玄機 詩 全首130回賦得江邊柳 魚玄機  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-65-1-#五言律詩  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1876
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温庭筠 70首『菩薩蠻 一』温庭筠  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-1-1-#1 花間集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1620
韋荘 50首 菩薩蠻 一 韋荘  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩花間集Gs-247-5-#1  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2617
皇甫松 10首 採蓮子二首  其一 皇甫松  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-307-5-#61  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3082
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《將至韶州,先寄張端公使君借圖經〔將入韶州,先寄張端公使君借圖經〕》韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <963>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3799韓愈詩-258

 

 

作時年:  820年  元和十五年  53歲

卷別: 卷三四四  文體: 七言絕句 

詩題: 將至韶州,先寄張端公使君借圖經〔將入韶州,先寄張端公使君借圖經〕 

及地點:  韶州 (嶺南道東部 韶州 韶州) 別名:東吳     

曲江 (嶺南道東部 韶州 曲江)     

交遊人物/地點: 張蒙 書信往來(嶺南道東部 韶州 韶州)

 

 

將至韶州,先寄張端公使君借圖經〔將入韶州,先寄張端公使君借圖經〕

(韶州に到ろうとするので、まず、刺史の張曙に寄せて、地図を借りようとこの詩を作った)

曲江山水聞來久,恐不知名訪倍難。 

韶州の曲江の山水を見るにつけ聞くにつけ、十分満足するものであるとするものだが、前もって名前を覚えておかないと、其の地を訪ねても一層難しいという心配があった。

願借圖經將入界,每逢佳處便開看。 

そこで、君からこの地の地図を拝借し、それを持って、韶州の界に入ろうを思う。その道すがら、素晴らしい景色を訪れて、そのたびごとに、その地図を開きさえすれば、すぐに名前がわかって、せっかくの名所を見落とさなくて済むことであろう。

 

(將に韶州に至らむとし,先づ張端公使君に寄せて圖經を借る〔將に韶州に入らむとし,先づ張端公使君に寄せて圖經を借る〕)

曲江の山水 聞き來ること久し,恐らくは名を知らず 訪うこと倍【ますま】す難からんことを 

願わくば圖經を借りて將に界に入らむとし,佳處に逢う每に便を開いて看ん。 

浮桟橋00 

 

『將至韶州,先寄張端公使君借圖經』 現代語訳と訳註

(本文)

將至韶州,先寄張端公使君借圖經〔將入韶州,先寄張端公使君借圖經〕

曲江山水聞來久,恐不知名訪倍難。 

願借圖經將入界,每逢佳處便開看。 

 

(下し文)

(將に韶州に至らむとし,先づ張端公使君に寄せて圖經を借る〔將に韶州に入らむとし,先づ張端公使君に寄せて圖經を借る〕)

曲江の山水 聞き來ること久し,恐らくは名を知らず 訪うこと倍【ますま】す難からんことを 

願わくば圖經を借りて將に界に入らむとし,佳處に逢う每に便を開いて看ん。 

 

(現代語訳)

(韶州に到ろうとするので、まず、刺史の張曙に寄せて、地図を借りようとこの詩を作った)

韶州の曲江の山水を見るにつけ聞くにつけ、十分満足するものであるとするものだが、前もって名前を覚えておかないと、其の地を訪ねても一層難しいという心配があった。

そこで、君からこの地の地図を拝借し、それを持って、韶州の界に入ろうを思う。その道すがら、素晴らしい景色を訪れて、そのたびごとに、その地図を開きさえすれば、すぐに名前がわかって、せっかくの名所を見落とさなくて済むことであろう。

sas0002 

(訳注)

將至韶州,先寄張端公使君借圖經〔將入韶州,先寄張端公使君借圖經〕

(韶州に到ろうとするので、まず、刺史の張曙に寄せて、地図を借りようとこの詩を作った)

韶州に至る際に韶州刺史張曙に地図を借りようとしてこの詩を作った。韓愈はこの地図を借りたので韶州に入り、宣渓に宿泊し、駅路は韶州ではないところを通ったために、張曙似合わずに行くため、刺史から書を寄せられた。

 

曲江山水聞來久,恐不知名訪倍難。 

韶州の曲江の山水を見るにつけ聞くにつけ、十分満足するものであるとするものだが、前もって名前を覚えておかないと、其の地を訪ねても一層難しいという心配があった。

曲江 韶州の曲江(g-23)

 

願借圖經將入界,每逢佳處便開看。 

そこで、君からこの地の地図を拝借し、それを持って、韶州の界に入ろうを思う。その道すがら、素晴らしい景色を訪れて、そのたびごとに、その地図を開きさえすれば、すぐに名前がわかって、せっかくの名所を見落とさなくて済むことであろう。
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《從潮州量移袁州,張韶州端公以詩相賀,因酬之〔時憲宗元和十四年十月。〕》韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <962>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3794韓愈詩-257

韓愈《從潮州量移袁州,張韶州端公以詩相賀,因酬之》北の方を望み見て長安の方に向かうということで、塞上に向かう雁に随って一緒に行けばよいということだがそうもいくまい。わずかの間とはいえ南の地に左遷されたのではあるが、兗州はよい所で、わずかに江魚の腹中に葬られるということを免れたということかもしれない。


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《從潮州量移袁州,張韶州端公以詩相賀,因酬之〔時憲宗元和十四年十月。〕》韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <962>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3794韓愈詩-257
●杜甫の全作品1141首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"
Ⅲ杜甫詩1000詩集  LiveDoorブログ 徳2年764-35-2 《揚旗―#2》 ふたたび成都 杜甫<666-#2> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3795 杜甫詩1000-666-#2-953/1500772
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●●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集
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於凊河見輓船士新婚別妻一首 曹丕(魏文帝) 魏詩http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67759129.html
朔風 (一章) 曹植 魏詩<25-#1>文選雑詩 上 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67780868.html
謝靈運詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/1901_shareiun000.html 謝靈運詩六朝期の山水詩人。この人の詩は上品ですがすがしい男性的な深みのある詩である。後世に多大な影響を残している。
謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。
登永嘉緑嶂山詩 #1 謝霊運 <20> 詩集 386ーhttp://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67474554.html
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孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。
李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html 
李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首
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《從潮州量移袁州,張韶州端公以詩相賀,因酬之〔時憲宗元和十四年十月。〕》韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <962>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3794韓愈詩-257

 

 

作時年:819年 元和十四年 52歲

卷別:    卷三四四              文體:  七言律詩

詩題:    從潮州量移袁州,張韶州端公以詩相賀,因酬之〔時憲宗元和十四年十月。〕

潮州 (嶺南道東部 潮州 潮州)            

袁州 (江南西道 袁州 袁州) 別名:宜春          

韶州 (嶺南道東部 韶州 韶州) 別名:東吳       

韶石 (嶺南道東部 韶州 曲江)            

交遊人物/:張蒙  

 

 

從潮州量移袁州,張韶州端公以詩相賀,因酬之

(韓愈が兗州に量移されることの命を受けた時、さっそく韶州において会いたいと張曙に書簡を送って、韶州刺史張曙から慶賀の詩をよこされた。そしてそれに酬ゆるためにしてこの詩を作った。)

〔時憲宗元和十四年十月。〕

〔元和十四十月に兗州に遷って元和十五年正月に兗州に着く際のことである。〕
明時遠逐事何如,遇赦移官罪未除。

この清明なこの世おける朝廷によって、遠地に左遷されたのはよくよくのことで今日恩赦によって兗州に量移されたもののその日承けた罪科がすべて取りのけられたものではないということだ。

北望詎令隨塞雁,南遷纔免葬江魚。

北の方を望み見て長安の方に向かうということで、塞上に向かう雁に随って一緒に行けばよいということだがそうもいくまい。わずかの間とはいえ南の地に左遷されたのではあるが、兗州はよい所で、わずかに江魚の腹中に葬られるということを免れたということかもしれない。

將經貴郡煩留客,先惠高文謝起予。

やがて出発したなら、君郡を通過することは間違いなく、ずいぶんお世話になることとなるであろうとは思うものの、その前に貴君からの慶事の書簡を寄せられ、私の気持ちを私の詩を作ろうとする気を引き起こしてくれたこと、感謝に堪えません。

暫欲繫船韶石下,上賓虞舜整冠裾。

もう少しすれば貴郡の韶州の「韶石」というところに船を繋留して名だたる方々、それは五帝の虞・舜の廟に参詣するために衣冠を整えて上陸致すので、其の地にご案内いただければありがたいのです。

 

(從潮州袁州に量移さる,張韶州端公詩を以て相い賀す,因って之に酬ゆ)〔時に憲宗元和十四年十月なり。〕

明時【めいじ】遠逐【えんちく】事 何如【いかん】,遇赦移官罪未除。

北望 詎ぞ塞雁【さいがん】に隨わしめむ,南遷 纔【わずか】に江魚に葬むるを免る。

將に貴郡をて客を留むるを煩わさんとし,先ず高文を惠んで予を起すを謝す。

暫らく船を韶石の下に繫んとし,虞舜に上賓して冠裾を整えんと欲す。

2潮州広東00 

『從潮州量移袁州,張韶州端公以詩相賀,因酬之』現代語訳と訳註

(本文)

從潮州量移袁州,張韶州端公以詩相賀,因酬之〔時憲宗元和十四年十月。〕

明時遠逐事何如,遇赦移官罪未除。

北望詎令隨塞雁,南遷纔免葬江魚。

將經貴郡煩留客,先惠高文謝起予。

暫欲繫船韶石下,上賓虞舜整冠裾。

 

(下し文)

(從潮州袁州に量移さる,張韶州端公詩を以て相い賀す,因って之に酬ゆ)〔時に憲宗元和十四年十月なり。〕

明時【めいじ】遠逐【えんちく】事 何如【いかん】,遇赦移官罪未除。

北望 詎ぞ塞雁【さいがん】に隨わしめむ,南遷 纔【わずか】に江魚に葬むるを免る。

將に貴郡をて客を留むるを煩わさんとし,先ず高文を惠んで予を起すを謝す。

暫らく船を韶石の下に繫んとし,虞舜に上賓して冠裾を整えんと欲す。

 

(現代語訳)

(韓愈が兗州に量移されることの命を受けた時、さっそく韶州において会いたいと張曙に書簡を送って、韶州刺史張曙から慶賀の詩をよこされた。そしてそれに酬ゆるためにしてこの詩を作った。)

この清明なこの世おける朝廷によって、遠地に左遷されたのはよくよくのことで今日恩赦によって兗州に量移されたもののその日承けた罪科がすべて取りのけられたものではないということだ。

北の方を望み見て長安の方に向かうということで、塞上に向かう雁に随って一緒に行けばよいということだがそうもいくまい。わずかの間とはいえ南の地に左遷されたのではあるが、兗州はよい所で、わずかに江魚の腹中に葬られるということを免れたということかもしれない。

やがて出発したなら、君郡を通過することは間違いなく、ずいぶんお世話になることとなるであろうとは思うものの、その前に貴君からの慶事の書簡を寄せられ、私の気持ちを私の詩を作ろうとする気を引き起こしてくれたこと、感謝に堪えません。

もう少しすれば貴郡の韶州の「韶石」というところに船を繋留して名だたる方々、それは五帝の虞・舜の廟に参詣するために衣冠を整えて上陸致すので、其の地にご案内いただければありがたいのです。 

 泰山の夕日

(訳注)

從潮州量移袁州,張韶州端公以詩相賀,因酬之〔時憲宗元和十四年十月。〕

(韓愈が兗州に量移されることの命を受けた時、さっそく韶州において会いたいと張曙に書簡を送って、韶州刺史張曙から慶賀の詩をよこされた。そしてそれに酬ゆるためにしてこの詩を作った。)

 

明時 遠逐 事 何如,遇赦 移官 罪 未除。

この清明なこの世おける朝廷によって、遠地に左遷されたのはよくよくのことで今日恩赦によって兗州に量移されたもののその日承けた罪科がすべて取りのけられたものではないということだ。

「明時」清明なこの世における朝廷。

「遠逐」遠地に左遷された。

「事何如」よくよくのことである。

「遇赦」今日たまたまうけた恩赦。

「移官罪」その日承けた罪科が量移によってすべて取りのけられたものではないということ。 

 

北望 詎令 隨 塞雁 ,南遷 纔免葬 江魚 。

北の方を望み見て長安の方に向かうということで、塞上に向かう雁に随って一緒に行けばよいということだがそうもいくまい。わずかの間とはいえ南の地に左遷されたのではあるが、兗州はよい所で、わずかに江魚の腹中に葬られるということを免れたということかもしれない。

「北望」北の方を望み見て長安の方に向かうということ。

「塞雁」渡り鳥は北の塞の方に向かって飛んでいく。。

「南遷」南の地に左遷され。

「葬江魚」南方の魚の腹の中に葬り去られる。 

 

將經 貴郡 煩 留客 ,先惠 高文 謝 起予 。

やがて出発したなら、君郡を通過することは間違いなく、ずいぶんお世話になることとなるであろうとは思うものの、その前に貴君からの慶事の書簡を寄せられ、私の気持ちを私の詩を作ろうとする気を引き起こしてくれたこと、感謝に堪えません。

「經」君郡を通過することは間違いないこと。

「高文」貴君からの慶事の書簡を寄せられたこと。

「謝」語義類別:人、行為動作、言語動作、謝。

「起」私の気持ちを私の詩を作ろうとする気を引き起こしてくれたこと。 

 

暫欲 繫船 韶石 下 ,上賓 虞舜 整 冠裾 。

もう少しすれば貴郡の韶州の「韶石」というところに船を繋留して名だたる方々、それは五帝の虞・舜の廟に参詣するために衣冠を整えて上陸致すので、其の地にご案内いただければありがたいのです。

「暫」語義類別:時、時間、範圍時間(時刻)、暫時。

「繫船」語義類別:人、行為動作、一般行為(糸部)、繫。

「韶石」韶州を目標とするときの大岩。

「上賓」ここでは三皇五帝というほどの意味。。

「虞舜」三皇五帝の虞、舜。

「整冠裾」衣冠を整えて。かしこまって服装を整えること。
韓愈の地図01

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《韶州留別張端公使君〔時憲宗元和十四年十月。〕》韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <961>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3789韓愈詩-256

 

 

作時年:  820年  元和十五年  53歲 

卷別: 卷三四四  文體: 七言律詩 

詩題: 韶州留別張端公使君〔時憲宗元和十四年十月。〕

作地點: 韶州(嶺南道東部 / 韶州 / 韶州) 

及地點: 韶州 (嶺南道東部 韶州 韶州) 別名:東吳     

交遊人物: 張曙(蒙) 當地交遊(嶺南道東部 韶州 韶州)

 

 

韶州留別張端公使君

(韓愈が潮州より兗州に量移されたことによって再び韶州を通過する際、張曙に面会し、その去る時に留別のために作って示したものである。)

〔時憲宗元和十四年十月。〕

〔元和十四十月に兗州に遷って元和十五年正月に兗州に着く際のことである。〕

來往再逢梅柳新,別離一醉綺羅春。

去年も、今年もこの韶州を通過し、そのどちらの時に梅柳が新芽を芽吹いた春の季節である。ことに、今回は、別離に際し、綺羅の筵において一酔することを得たことは感謝に堪えない。

久欽江總文才妙,自歎虞翻骨相屯。

君の文才は六朝後期の江總のように、久しく欽慕していたが、私自身のことは、虞翻と同じように骨相からして不運に遭うものとしてきまっていてしかたのないことと覚悟している。

鳴笛急吹爭落日,清歌緩送款行人。

今しも、別れの宴会の饗がたけなわになって、笛の音が急に鳴り、笛の音が堕ちこんでいくのも、落日と争うように思える。清歌の声はゆっくりと送って、旅ゆく人をとどめるものとしている。
已知奏課當徵拜,那復淹留詠白蘋。

しかし、私は、功課を奏上され、やがて都に召し還されることもあろうから、ここに淹留して白蘋を詠じていることなどしているわけにはいかないのだ。

 

韶州 張端公使君と留別す〔時 憲宗元和十四年十月なり。〕

來往 再び梅柳の新なるに逢う,別離 一たび綺羅の春に醉う。

久しく欽す 江總 文才の妙なるを,自ら歎ず 虞翻 骨相の屯なるを。

鳴笛 急に吹いて落日を爭い,清歌 緩く送って行人を款【とど】む。

已に知る 奏課の當【まさ】に徵拜【ちょうはい】すべきを,那ぞ復た淹留【えんりゅう】して白蘋を詠ぜん。

2潮州広東00


『韶州留別張端公使君』
〔時憲宗元和十四年十月。〕 現代語訳と訳註

(本文)

韶州留別張端公使君〔時憲宗元和十四年十月。〕

來往再逢梅柳新,別離一醉綺羅春。

久欽江總文才妙,自歎虞翻骨相屯。

鳴笛急吹爭落日,清歌緩送款行人。

已知奏課當徵拜,那復淹留詠白蘋。

 

(下し文)

韶州 張端公使君と留別す〔時 憲宗元和十四年十月なり。〕

來往 再び梅柳の新なるに逢う,別離 一たび綺羅の春に醉う。

久しく欽す 江總 文才の妙なるを,自ら歎ず 虞翻 骨相の屯なるを。

鳴笛 急に吹いて落日を爭い,清歌 緩く送って行人を款【とど】む。

已に知る 奏課の當【まさ】に徵拜【ちょうはい】すべきを,那ぞ復た淹留【えんりゅう】して白蘋を詠ぜん。

 

(現代語訳)

(韓愈が潮州より兗州に量移されたことによって再び韶州を通過する際、張曙に面会し、その去る時に留別のために作って示したものである。)

〔元和十四十月に兗州に遷って元和十五年正月に兗州に着く際のことである。〕

去年も、今年もこの韶州を通過し、そのどちらの時に梅柳が新芽を芽吹いた春の季節である。ことに、今回は、別離に際し、綺羅の筵において一酔することを得たことは感謝に堪えない。

君の文才は六朝後期の江總のように、久しく欽慕していたが、私自身のことは、虞翻と同じように骨相からして不運に遭うものとしてきまっていてしかたのないことと覚悟している。

今しも、別れの宴会の饗がたけなわになって、笛の音が急に鳴り、笛の音が堕ちこんでいくのも、落日と争うように思える。清歌の声はゆっくりと送って、旅ゆく人をとどめるものとしている。
しかし、私は、功課を奏上され、やがて都に召し還されることもあろうから、ここに淹留して白蘋を詠じていることなどしているわけにはいかないのだ。

 

(訳注)

韶州留別張端公使君

〔時憲宗元和十四年十月。〕

(韓愈が潮州より兗州に量移されたことによって再び韶州を通過する際、張曙に面会し、その去る時に留別のために作って示したものである。)

〔元和十四十月に兗州に遷って元和十五年正月に兗州に着く際のことである。〕

○張の名は曙 端公は、御史中丞、使君は刺史で、この時、韶州の刺史たる人であった。夏にも詩を唱和している。『晚次宣溪辱韶州張端公使君惠書敘別酬以絕句二章,二首之一』『同、二首之二』とある。

この詩は韓愈が潮州より兗州に量移されたことによって道を北に向い再び韶州を通過する。今度は、夏に唱和していた張曙に面会し、その去る時に留別のために作って示したものである。

toujidaimap 

來往 再逢 梅柳 新 ,別離 一醉 綺羅 春 。

去年も、今年もこの韶州を通過し、そのどちらの時に梅柳が新芽を芽吹いた春の季節である。ことに、今回は、別離に際し、綺羅の筵において一酔することを得たことは感謝に堪えない。

「來往」元和十四年一月「佛骨を論ずる表」を以て潮州に貶められ、三月に潮州に着いた。十月に兗州に遷って元和十五年正月兗州に着いた。韶州を往来上下している。

「梅柳新」意気も帰りも新春の梅柳の新たな芽吹きを見ている。

「綺羅」《「綺」は綾織りの絹布、「羅」は薄い絹布の意》1 美しい衣服。羅綺。「―をまとう」2 外見が華やかなこと。また、うわべを装い飾ること。「―を張る」「―を競う」3 栄華をきわめること。権勢の盛んなこと。

 

久欽 江總 文才 妙 ,自歎 虞翻 骨 相屯。

君の文才は六朝後期の江總のように、久しく欽慕していたが、私自身のことは、三国呉の虞翻と同じように骨相からして不運に遭うものとしてきまっていてしかたのないことと覚悟している。

「久」語義類別:時、時間、相對時間、久。

「欽」欽慕する。

「江總」南朝陳の公主、本名、江總。文華の人。江 総(こう そう、519年 - 594年)は、中国南北朝時代、梁・陳の政治家・文学者。字は総持。済陽郡考城(現河南省)の人。南朝の名門貴族の家に生まれ、梁・陳の高官を歴任し、陳の後主の時代には尚書令(宰相)となるが、後主の宴席にはべり詩文を作るのみで政務に励まず、陳が北朝の隋に滅ぼされる原因を作った一人とされる。

なお初唐の三大家の一人、欧陽詢の出生を題材にした唐代の伝奇小説『補江総白猿伝』は、江総の『白猿伝』を補訂したものとされるが、後世の仮託であるとする見方が一般的である。

「文才」18歳で武陵王蕭紀の法曹参軍として初めて出仕し、その後、梁の武帝に詩才を評価され、当時の重臣・学者たちからも年齢を超えた交友をもって遇された。548年、江総は徐陵とともに東魏への使者に選ばれたが、病気を理由に辞退した。同年、侯景の乱が起こり、翌549年に首都建康が反乱軍によって陥落すると、江総は戦乱を避けて会稽(現浙江省紹興市)に逃れた。さらにおじの広州刺史蕭勃を頼って嶺南に避難し、以後10数年を広州で過ごした。

563年、陳の文帝により中書侍郎として朝廷に召還され、文帝・宣帝に仕えた。宣帝の皇太子陳叔宝(後の後主)は江総を非常に気に入り、彼を自分の太子詹事とするよう懇願し、一緒に長夜の宴を開いたり、お忍びで江総の屋敷に通うほどであった。569年、江総の友人の欧陽紇が広州で反乱を起こし殺されると、江総は彼の唯一の遺児であった欧陽詢をかくまって養育した。

583年、後主が即位すると、江総は彼の信任を受け高官を歴任し、586年には尚書令となった。江総は宰相の位についたものの政務に従事せず、後主と日夜酒宴の席で詩文を作るのみで、人々からは陳喧・孔範らとともに「狎客」と呼ばれていた。589年、隋が陳を滅ぼすと、隋の朝廷に入り上開府となった。594年、江都(現江蘇省揚州市)で死去、享年76。。

「虞翻」三国呉の学者。字は仲翔(ちゆうしよう)。会稽余姚(よよう)(浙江省)の人。呉主孫権に仕え,胆力ある直諫の臣として知られた。ことに〈易〉に通じ,全9巻の《周易注》を著した。いまその一部が清の孫堂による輯本として伝わる。また同じく彼の手になる《国語注》22巻は,清の馬国翰によって輯本が編まれている。さらに《論語》および《老子》の注も著したが,早く散逸した。。

「骨」語義類別:人、身體器官、五臟器官、骨。

 

鳴笛 急吹 爭 落日 ,清歌 緩送 款 行人 。

今しも、別れの宴会の饗がたけなわになって、笛の音が急に鳴り、笛の音が堕ちこんでいくのも、落日と争うように思える。清歌の声はゆっくりと送って、旅ゆく人をとどめるものとしている。

「爭」語義類別:人、行為動作、一般行為(其他部)、爭。

「落日」笛の音が落日を誘うように聞こえること

「清歌」樂曲泛稱、歌。1 すんだ声で歌うこと。また、その歌。2 管弦の伴奏なしに歌うこと。また、その歌。

「款行人」旅ゆく人をとどめるもの。

 

已知 奏課 當徵拜 ,那復淹留 詠 白蘋 。

しかし、私は、功課を奏上され、やがて都に召し還されることもあろうから、ここに淹留して白蘋を詠じていることなどしているわけにはいかないのだ。

「奏」奏上すること。

「課」功課。潮州に行って報告書『』を書いて、認められている。《潮州刺史謝上表》韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <933>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3649韓愈詩-242-1

「徵拜」都に召し還される。

「淹留」長く同じ場所にとどまること。滞留。滞在。

○「白蘋」白蘋 夏から秋にかけて白い花をつける浮草。

《過始興江口感懷》韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <960>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3784韓愈詩-255

韓愈《過始興江口感懷》 始興江口に来て、韶州というところを思い出してみると子供のころ長兄にしたがってこの地に来たのである。今またこうして南に遣って来たのは、その頃のものは誰もいなくてわたし一人だけになっている。


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孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。
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李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
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《過始興江口感懷〔大曆十四年,起居舍人韓會以罪貶韶刺史,愈隨會而遷,時年十歲。至是貶潮州,道過始興,有感而作。〕》韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <960>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3784韓愈詩-255

 

 

年:819年  元和十四年  52歲

卷別: 卷三四四  文體: 七言絕句 

詩題: 過始興江口感懷〔大曆十四年,起居舍人韓會以罪貶韶刺史,愈隨會而遷,時年十歲。至是貶潮州,道過始興,有感而作。〕

地點:  始興江口 (嶺南道東部 韶州 始興)     

2潮州広東00 

過始興江口感懷

(始興江口を過ぎての感懷)

〔大曆十四年,起居舍人韓會以罪貶韶刺史,愈隨會而遷,時年十歲。至是貶潮州,道過始興,有感而作。〕

〔韓愈の兄韓會は大曆十に年起居舍人から罪によって韶州刺史に貶められ,韓愈は大曆十四年,韓會に隨って左遷の任地行ったのである,その時歳は十歲であった。是に至って潮州に貶られ,道を始興を過ぎる,感有っての作。(i―23)〕

憶作兒童隨伯氏,南來今只一身存。 

始興江口に来て、韶州というところを思い出してみると子供のころ長兄にしたがってこの地に来たのである。今またこうして南に遣って来たのは、その頃のものは誰もいなくてわたし一人だけになっている。

目前百口還相逐,舊事無人可共論。 

こうして私のこの旅のお供をして面前を行ったり来たり、旅を一緒にする人が大勢いるけれども、昔のことを語り合えるものは誰もいないのだ。

 

(始興江口を過ぎての感懷)

〔大曆十四年,起居舍人韓會は罪を以て貶められ韶刺史とし,愈は會に隨いて遷とす,時に年十歲なり。是に至て潮州に貶れ,道は始興を過ぎて,感有って作る。〕
憶う 兒童たりし作り伯氏に隨いしを,南に來って今 只だ一身存するのみ。 

目前の百口 還た相い逐えども,舊事 人 共に論ず可きもの 無し。


隋堤01

『過始興江口感懷』 現代語訳と訳註

(本文)

過始興江口感懷
〔大曆十四年,起居舍人韓會以罪貶韶刺史,愈隨會而遷,時年十歲。至是貶潮州,道過始興,有感而作。〕 

憶作兒童隨伯氏,南來今只一身存。 

目前百口還相逐,舊事無人可共論。 

 

(下し文)

(始興江口を過ぎての感懷)

憶う 兒童たりし作り伯氏に隨いしを,南に來って今 只だ一身存するのみ。 

目前の百口 還た相い逐えども,舊事 人 共に論ず可きもの 無し。 

 

(現代語訳)

(始興江口を過ぎての感懷)

〔韓愈の兄韓會は大曆十に年起居舍人から罪によって韶州刺史に貶められ,韓愈は大曆十四年,韓會に隨って左遷の任地行ったのである,その時歳は十歲であった。是に至って潮州に貶られ,道を始興を過ぎる,感有っての作。(i―23)〕

始興江口に来て、韶州というところを思い出してみると子供のころ長兄にしたがってこの地に来たのである。今またこうして南に遣って来たのは、その頃のものは誰もいなくてわたし一人だけになっている。

こうして私のこの旅のお供をして面前を行ったり来たり、旅を一緒にする人が大勢いるけれども、昔のことを語り合えるものは誰もいないのだ。

 

(訳注)

過始興江口感懷

(始興江口を過ぎての感懷)

〔大曆十四年,起居舍人韓會以罪貶韶刺史,愈隨會而遷,時年十歲。至是貶潮州,道過始興,有感而作。〕

〔韓愈の兄韓會は大曆十に年起居舍人から罪によって韶州刺史に貶められ,韓愈は大曆十四年,韓會に隨って左遷の任地行ったのである,その時歳は十歲であった。是に至って潮州に貶られ,道を始興を過ぎる,感有っての作。(i―23)〕

韓會は大曆十四年三月、罪を以て左遷された。

2潮州広東00 

憶作 兒童 隨 伯氏 ,南來 今只 一身 存 。

始興江口に来て、韶州というところを思い出してみると子供のころ長兄にしたがってこの地に来たのである。今またこうして南に遣って来たのは、その頃のものは誰もいなくてわたし一人だけになっている。

「伯氏」親人眷屬、長兄。

 

 

目前 百口 還 相逐 ,舊事 無人 可共論 。

こうして私のこの旅のお供をして面前を行ったり来たり、旅を一緒にする人が大勢いるけれども、昔のことを語り合えるものは誰もいないのだ。

「目前」語義類別:時、時間、範圍時間(今昔)、目前。

「百口」百人。ここでは大勢の人をいう。

「「相逐」追いつ追われつする。ここでは一緒に旅をすること。

「舊事」昔のこと。

「共論」ともに論じあえること。

《晚次宣溪辱韶州張端公使君惠書敘別酬以絕句二章,二首之二〔晚次宣溪,二首之二〕》韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <959>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3779韓愈詩-254

韓愈〔晚次宣溪,二首之二〕貴方はさながら兼金の様な方であり、その作られる詩文は文彩に飛んでおられる見事なものであります、私と云えば、いつもいつも、百首くらいの詩作しているのでありますが、とても恥ずかしくて張使君には及ぶものではないのです。


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孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首
魚玄機 詩 全首130回賦得江邊柳 魚玄機  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-65-1-#五言律詩  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1876
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《晚次宣溪辱韶州張端公使君惠書敘別酬以絕句二章,二首之二〔晚次宣溪,二首之二〕》韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <959>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3779韓愈詩-254

 

 

年:819年  元和十四年  52歲

卷別: 卷三四四  文體: 七言絕句 

詩題: 晚次宣溪辱韶州張端公使君惠書敘別酬以絕句二章,二首之二〔晚次宣溪,二首之二〕 

及地點:  宣溪 (嶺南道東部 韶州 韶州)     

韶州 (嶺南道東部 韶州 韶州) 別名:東吳     

交遊人物: 張蒙

韓愈の地図01 

 

晚次宣溪辱韶州張端公使君惠書敘別酬以絕句二章,二首之二〔晚次宣溪,二首之二〕

(晩に宣渓に入り宿した時、韶州駐在の張御史から餞別の意を込めた手紙をもらい、これに酬ゆるために絶句二首を作った)その二
兼金那足比清文,百首相隨愧使君。 

貴方はさながら兼金の様な方であり、その作られる詩文は文彩に飛んでおられる見事なものであります、私と云えば、いつもいつも、百首くらいの詩作しているのでありますが、とても恥ずかしくて張使君には及ぶものではないのです。

俱是嶺南巡管內,莫欺荒僻斷知聞。 

貴方はさながら兼金の様な方であり、その作られる詩文は文彩に飛んでおられる見事なものであります、私と云えば、いつもいつも、百首くらいの詩作しているのでありますが、とても恥ずかしくて張使君には及ぶものではないのです。 

兼金も那んぞ清文を比するに足らん,百首 相い隨って 使君に愧ず。 

俱に是れ 嶺南巡管の內,荒僻に欺むかれて、知聞を斷つこと莫れ。 

葵00 

『晚次宣溪,二首之二』 現代語訳と訳註

(本文)

晚次宣溪,二首之一

韶州南去接宣溪,雲水蒼茫日向西。 

客淚數行先自落,鷓鴣休傍耳邊啼。 

 

(下し文)

(晚に宣溪を次【よぎ】り韶州【しょうしゅう】張端公 使君【しくん】書を惠し別を敘するを【かたじけの】辱うし、絕句二章を以て酬ゆ,二首の一)

韶州 南に去れば 宣溪に接【むか】い,雲水 蒼茫 日 西に向う。 

客の淚 先ず自ら落ちる 數行なり,鷓鴣【しゃこ】耳邊【じへん】に傍うて啼くを休めよ。 

 

(現代語訳)

(晩に宣渓に入り宿した時、韶州駐在の張御史から餞別の意を込めた手紙をもらい、これに酬ゆるために絶句二首を作った)その二

貴方はさながら兼金の様な方であり、その作られる詩文は文彩に飛んでおられる見事なものであります、私と云えば、いつもいつも、百首くらいの詩作しているのでありますが、とても恥ずかしくて張使君には及ぶものではないのです。

貴方はさながら兼金の様な方であり、その作られる詩文は文彩に飛んでおられる見事なものであります、私と云えば、いつもいつも、百首くらいの詩作しているのでありますが、とても恥ずかしくて張使君には及ぶものではないのです。

 

(訳注)

晚次宣溪辱韶州張端公使君惠書敘別酬以絕句二章,二首之二

(晩に宣渓に入り宿した時、韶州駐在の張御史から餞別の意を込めた手紙をもらい、これに酬ゆるために絶句二首を作った)その二

○宣溪は嶺南道韶州府城の南80里にある。819年  元和十四年  52歲の夏にこの詩を作る。

○張の名は曙 端公は、御史中丞、使君は刺史で、この時、韶州の刺史たる人であった。

○この詩は、韓愈が晩に宣渓に入り宿した時、韶州駐在の張御史から餞別の意を込めた手紙をもらい、これに酬ゆるために絶句二首を作ったということである。

 

兼金 那足比 清文 ,百首 相隨 愧 使君。

貴方はさながら兼金の様な方であり、その作られる詩文は文彩に飛んでおられる見事なものであります、私と云えば、いつもいつも、百首くらいの詩作しているのでありますが、とても恥ずかしくて張使君には及ぶものではないのです。

「兼金」金の上にさらに黄金で飾ったようなひとである。

 

俱是 嶺南 巡管 內 ,莫欺 荒僻 斷 知聞 。

しかし、潮州も、韶州も同じ嶺南節度使の管轄区域内で,そんなにも隔てているわけでもないから、辺鄙で荒れ果てているということにかまけて折角知り合ったのにそのまま音信不通になることがないようにしましょう。

「嶺南 巡管 內」潮州も、韶州も同じ嶺南節度使の管轄区域内。

「荒僻」辺鄙で荒れ果てているということ。
2潮州広東00 

《晚次宣溪辱韶州張端公使君惠書敘別酬以絕句二章,二首之一〔晚次宣溪,二首之一〕》韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <958>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3774韓愈詩-253

韓愈〔晚次宣溪,二首之一〕韶州から南に進んでいけばその地は宣渓に向って接続する。折から、雲と渓谷の水が繋がっているほど蒼茫として、日は西に向かって傾き暮れて行こうとしている。行き行きては八十里ここにお出ましになるのも容易ではないからということでわざわざ書簡をお送りいただいて感謝に堪えない次第であります。

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孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。
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《晚次宣溪辱韶州張端公使君惠書敘別酬以絕句二章,二首之一〔晚次宣溪,二首之一〕》韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <958>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3774韓愈詩-253

 

 

年:819年  元和十四年  52歲

卷別: 卷三四四  文體: 七言絕句 

詩題: 晚次宣溪辱韶州張端公使君惠書敘別酬以絕句二章,二首之一〔晚次宣溪,二首之一〕

地點:  宣溪 (嶺南道東部 韶州 韶州)  / 韶州 (嶺南道東部 韶州 韶州) 別名:東吳     

交遊人物: 張蒙


 

晚次宣溪,二首之一

晚次宣溪辱韶州張端公使君惠書敘別酬以絕句二章,二首之一

(晩に宣渓に入り宿した時、韶州駐在の張御史から餞別の意を込めた手紙をもらい、これに酬ゆるために絶句二首を作った)

韶州南去接宣溪,雲水蒼茫日向西。 

韶州から南に進んでいけばその地は宣渓に向って接続する。折から、雲と渓谷の水が繋がっているほど蒼茫として、日は西に向かって傾き暮れて行こうとしている。

客淚數行先自落,鷓鴣休傍耳邊啼。 

行き行きては八十里ここにお出ましになるのも容易ではないからということでわざわざ書簡をお送りいただいて感謝に堪えない次第であります。それは今も、この頬に涙が数行、自然に流れてやまないほどであり、そこへ鷓鴣が耳の傍で鳴いていて、ますます絶えることが出来なくなるので、しばらく休めと言っているのであります。

 

〔晚次宣溪,二首之一〕

(晚に宣溪を次【よぎ】り韶州【しょうしゅう】張端公 使君【しくん】書を惠し別を敘するを【かたじけの】辱うし、絕句二章を以て酬ゆ,二首の一)

韶州 南に去れば 宣溪に接【むか】い,雲水 蒼茫 日 西に向う。 

客の淚 先ず自ら落ちる 數行なり,鷓鴣【しゃこ】耳邊【じへん】に傍うて啼くを休めよ。 

韓愈の地図01 

 

『晚次宣溪,二首之一』 現代語訳と訳註

(本文)

晚次宣溪,二首之一

韶州南去接宣溪,雲水蒼茫日向西。 

客淚數行先自落,鷓鴣休傍耳邊啼。 

 

(下し文)

(晚に宣溪を次【よぎ】り韶州【しょうしゅう】張端公 使君【しくん】書を惠し別を敘するを【かたじけの】辱うし、絕句二章を以て酬ゆ,二首の一)

韶州 南に去れば 宣溪に接【むか】い,雲水 蒼茫 日 西に向う。 

客の淚 先ず自ら落ちる 數行なり,鷓鴣【しゃこ】耳邊【じへん】に傍うて啼くを休めよ。 

 

(現代語訳)

(晩に宣渓に入り宿した時、韶州駐在の張御史から餞別の意を込めた手紙をもらい、これに酬ゆるために絶句二首を作った)

韶州から南に進んでいけばその地は宣渓に向って接続する。折から、雲と渓谷の水が繋がっているほど蒼茫として、日は西に向かって傾き暮れて行こうとしている。

行き行きては八十里ここにお出ましになるのも容易ではないからということでわざわざ書簡をお送りいただいて感謝に堪えない次第であります。それは今も、この頬に涙が数行、自然に流れてやまないほどであり、そこへ鷓鴣が耳の傍で鳴いていて、ますます絶えることが出来なくなるので、しばらく休めと言っているのであります。

 

(訳注)

晚次宣溪辱韶州張端公使君惠書敘別酬以絕句二章,二首之一

(晩に宣渓に入り宿した時、韶州駐在の張御史から餞別の意を込めた手紙をもらい、これに酬ゆるために絶句二首を作った)

○宣溪は嶺南道韶州府城の南80里にある。819年  元和十四年  52歲の夏にこの詩を作る。

○張の名は曙 端公は、御史中丞、使君は刺史で、この時、韶州の刺史たる人であった。

○この詩は、韓愈が晩に宣渓に入り宿した時、韶州駐在の張御史から餞別の意を込めた手紙をもらい、これに酬ゆるために絶句二首を作ったということである。

 

韶州 南去 接宣溪 ,雲水 蒼茫 日向 西 。

韶州から南に進んでいけばその地は宣渓に向って接続する。折から、雲と渓谷の水が繋がっているほど蒼茫として、日は西に向かって傾き暮れて行こうとしている。

「韶州」(g-22)韶州。

「宣溪」語義類別:地、地名、河湖地名(江河溪流)、宣溪。

「雲水」茫茫として蒼茫としていて、急流で雲に続く様な渓谷である。天に続くほどではないということ。。

「蒼茫」蒼茫の用語解説 - [ト・タル][文][形動タリ]1 見渡すかぎり青々として広いさま。「―たる大海」2 ほの暗いさま。

 

客淚 數行 先 自落 ,鷓鴣 休傍 耳邊 啼 。

行き行きては八十里ここにお出ましになるのも容易ではないからということでわざわざ書簡をお送りいただいて感謝に堪えない次第であります。それは今も、この頬に涙が数行、自然に流れてやまないほどであり、そこへ鷓鴣が耳の傍で鳴いていて、ますます絶えることが出来なくなるので、しばらく休めと言っているのであります。

「客淚」手紙をもらった客、韓愈。

「數行」手紙をもらったことが嬉しくて流す涙。

「鷓鴣」キジ科シャコ属の鳥の総称。茶褐色の羽毛をもつものが多く、コジュケイに似る。約40種がアフリカ・アジア・ヨーロッパに分布。鈎輈【こうちゅう】 力強く鳴く鷓鴣のなきごえ。『本草鷓鴣』「集解、孔志約曰、鷓鴣生江南、形似る母鷄、鳴けば云う鈎輈格磔亅。」(集解、孔志約曰く、鷓鴣は江南に生ず、形母鷄に似る、鳴けば鈎輈格磔【かくたく】と云う)。
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《題臨瀧寺》韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <957>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3769韓愈詩-252

韓愈(臨瀧寺に題す)長安を離れて知らぬ間に既に五千里の遠き地まで来てしまった。この地のことは『隴吏』に述べたが、旅で疲れ果て、衰病の身を助けて、早瀬を下る船に乗り込んだものだ。潮州がいかなるところであるか私はまだその地に到着しないものの能くその地の風土がすごしやすいものと希望して喜んでいる。ただここ湊水(f-23)を見渡す限り、海氣昏昏として起ちこめ、逆巻く急流の流れは空を打つばかりのまことにものすごく恐ろしい所である。


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《題臨瀧寺》韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <957>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3769韓愈詩-252

 

 

年:  819年  元和十四年  52歲

卷別: 卷三四四  文體: 七言絕句 

詩題: 題臨瀧寺 

及地點: 臨瀧寺 (嶺南道東部 韶州 韶州)

        潮陽 (嶺南道東部 潮州 潮陽)     

 

 

題臨瀧寺 

(臨瀧寺に題す)

不覺離家已五千,仍將衰病入瀧船。 

長安を離れて知らぬ間に既に五千里の遠き地まで来てしまった。この地のことは『隴吏』に述べたが、旅で疲れ果て、衰病の身を助けて、早瀬を下る船に乗り込んだものだ。

潮陽未到吾能說,海氣昏昏水拍天。 

潮州がいかなるところであるか私はまだその地に到着しないものの能くその地の風土がすごしやすいものと希望して喜んでいる。ただここ湊水(f-23)を見渡す限り、海氣昏昏として起ちこめ、逆巻く急流の流れは空を打つばかりのまことにものすごく恐ろしい所である。

 

臨瀧寺に題す 

覺えず 家を離れて已に五千,仍お衰病を將って瀧船に入る。 

潮陽 未だ到らず 吾れ能く說【よろこ】び,海氣 昏昏として水 天を拍つ。 

 

 

『題臨瀧寺』 現代語訳と訳註

(本文)

題臨瀧寺 

不覺離家已五千,仍將衰病入瀧船。 

潮陽未到吾能說,海氣昏昏水拍天。 

 

(下し文)

臨瀧寺に題す 

覺えず 家を離れて已に五千,仍お衰病を將って瀧船に入る。 

潮陽 未だ到らず 吾れ能く說【よろこ】び,海氣 昏昏として水 天を拍つ。 

 

(現代語訳)

(臨瀧寺に題す)

長安を離れて知らぬ間に既に五千里の遠き地まで来てしまった。この地のことは『隴吏』に述べたが、旅で疲れ果て、衰病の身を助けて、早瀬を下る船に乗り込んだものだ。

潮州がいかなるところであるか私はまだその地に到着しないものの能くその地の風土がすごしやすいものと希望して喜んでいる。ただここ湊水(f-23)を見渡す限り、海氣昏昏として起ちこめ、逆巻く急流の流れは空を打つばかりのまことにものすごく恐ろしい所である。

幻日環01 

 

(訳注)

題臨瀧寺 

臨瀧は韶州にある県名。現在は曲江県に属す。寺のことは見えないが韓愈『隴吏』と同じ時期、同じ場所である。場所名をとった寺であるが、現在までには廃絶されてない。韓愈が韶州を過る際に作ったもの。

 

不覺離家已五千,仍將衰病入瀧船。 

長安を離れて知らぬ間に既に五千里の遠き地まで来てしまった。この地のことは『隴吏』に述べたが、旅で疲れ果て、衰病の身を助けて、早瀬を下る船に乗り込んだものだ。

 

潮陽未到吾能說,海氣昏昏水拍天。 

潮州がいかなるところであるか私はまだその地に到着しないものの能くその地の風土がすごしやすいものと希望して喜んでいる。ただここ湊水(f-23)を見渡す限り、海氣昏昏として起ちこめ、逆巻く急流の流れは空を打つばかりのまことにものすごく恐ろしい所である。

2潮州広東00

 

 

 

不覺離家已五千,仍將衰病入瀧船。

潮陽未到吾能說【潮州未到吾能說】【潮陽未到人先說】【潮州未到人先說】,海氣昏昏水拍天。 

 

《次鄧州界》韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <956>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3764韓愈詩-251

《次鄧州界》潮州の潮陽はここから南へ行き、賈誼の貶められた長沙までの倍の道のりもあるというが、この身は旅中にあって、絶えず天子のことを思い、また家のことを思うと絶えることが出来ない気持ちになる。そういっても、愁いが来ればこの心をひたすら熱して、火を貯えるのかと疑われ、眼は散々泣き腫らしたから、別後、おのずから花を添えてなぐさめるようなものなのだろう。


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●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場
Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
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張平子(張衡)《西京賦》(6) #2-3 文選 賦<114―(6)>31分割68回 Ⅱ李白に影響を与えた詩1043 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3763
●唐を代表する中唐の韓愈の儒家としての考えのよくわかる代表作の一つ
Ⅱ中唐詩・晩唐詩
 
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《次鄧州界》韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <956>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3764韓愈詩-251
●杜甫の全作品1141首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"
Ⅲ杜甫詩1000詩集  LiveDoorブログ 廣徳2年764-32 《四松#3》 ふたたび成都 杜甫<663-3> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3765 杜甫詩1000-663-3-947/1500766
●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている
Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集 Fc2ブログ 288 《遊城南十六首:把酒》 韓愈 kanbuniinkai 紀 頌之の詩詞 fc2ブログ 3766 (02/17)
●●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集
Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoor 12 -17 柳枝三首  其一 和學士凝(和凝【わぎょう】)二十首ⅩⅫ唐五代詞・「花間集」 Gs-444-12-#17  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3767
 
 ■最近の人気の文・賦・詩・詞(漢詩の5ブログ各部門)
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『楚辞・九歌』東君 屈原詩<78-#1>505 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1332http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67664757.html
『楚辞』九辯 第九段―まとめ 宋玉  <00-#35> 664 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2304  http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-rihakujoseishi/archives/6471825.html
安世房中歌十七首(1) 唐山夫人 漢詩 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67710265.html 
為焦仲卿妻作 序 漢詩<143>古詩源 巻三 女性詩http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67729401.html
於凊河見輓船士新婚別妻一首 曹丕(魏文帝) 魏詩http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67759129.html
朔風 (一章) 曹植 魏詩<25-#1>文選雑詩 上 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67780868.html
謝靈運詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/1901_shareiun000.html 謝靈運詩六朝期の山水詩人。この人の詩は上品ですがすがしい男性的な深みのある詩である。後世に多大な影響を残している。
謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。
登永嘉緑嶂山詩 #1 謝霊運 <20> 詩集 386ーhttp://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67474554.html
登池上樓 #1 謝霊運<25>#1  ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67502196.html
孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。
李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html 
李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首
魚玄機 詩 全首130回賦得江邊柳 魚玄機  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-65-1-#五言律詩  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1876
薛濤 詩詞全首100 井梧吟 薛濤 唐五代詞・宋詩 薛濤-136-8-#1  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2227
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温庭筠 70首『菩薩蠻 一』温庭筠  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-1-1-#1 花間集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1620
韋荘 50首 菩薩蠻 一 韋荘  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩花間集Gs-247-5-#1  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2617
皇甫松 10首 採蓮子二首  其一 皇甫松  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-307-5-#61  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3082
牛嶠  20首 女冠子四首 其一 牛嶠  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-312-5-#66  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3107
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《次鄧州界》韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <956>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3764韓愈詩-251

 

 

年: 元和十四年  819年  52歲

卷別: 卷三四四  文體: 七言律詩 

詩題: 次鄧州界 

作地點: 目前尚無資料 

及地點:  鄧州 (山南東道 鄧州 鄧州)     

潮陽 (嶺南道東部 潮州 潮陽)     

潭州 (江南西道 潭州 潭州) 別名:潭州     

商山 (山南東道 商州 商州) 別名:南山、地肺山、楚山、商顏     

 

 

次鄧州界

(武関を通り過ぎてから、鄧州の界に休息したときに作ったもの)

潮陽南去倍長沙,戀闕那堪又憶家。 

潮州の潮陽はここから南へ行き、賈誼の貶められた長沙までの倍の道のりもあるというが、この身は旅中にあって、絶えず天子のことを思い、また家のことを思うと絶えることが出来ない気持ちになる。

心訝愁來惟貯火,眼知別後自添花。 

そういっても、愁いが来ればこの心をひたすら熱して、火を貯えるのかと疑われ、眼は散々泣き腫らしたから、別後、おのずから花を添えてなぐさめるようなものなのだろう。

商顏暮雪逢人少,鄧鄙春泥見驛賒。 

商山には残雪も多くまだ積もっていて、春猶寒く、行き交う旅人もきわめて少なく、鄧州は辺鄙なところで、雪解けの泥道がぬかるみ、宿場駅はなかなか遠いように感じられる。

早晚王師收海嶽,普將雷雨發萌芽。 

ここらあたりの潘鎮は、なお、王命に服しないものがあるというが、何時、王師はこれらをことごとく平定し、海山を改めて一つにし、そして、この天下に雷雨によって恵みを降らせたまいて、すべての草木が勢いよく成長することを願うのである。

 

(鄧州の界を次【よぎ】る)

潮陽 南に去って長沙に倍す,闕を戀う 那んぞ堪えん 又た家を憶うを。

心訝【いぶか】る 愁い來って惟だ火を貯うるを,眼は知る 別後 自ら花を添うるを。

商顏の暮雪 人に逢うこと少く,鄧鄙の春泥 驛を見ること賒【はるか】なり。

早晚 王師 海嶽を收め,普【あま】ねく雷雨を將って萌芽を發せん。 

終南山06 

 

『次鄧州界』 現代語訳と訳註

(本文)

次鄧州界

潮陽南去倍長沙,戀闕那堪又憶家。 

心訝愁來惟貯火,眼知別後自添花。 

商顏暮雪逢人少,鄧鄙春泥見驛賒。 

早晚王師收海嶽,普將雷雨發萌芽。 

 

(下し文)

(鄧州の界を次【よぎ】る)

潮陽 南に去って長沙に倍す,闕を戀う 那んぞ堪えん 又た家を憶うを。

心訝【いぶか】る 愁い來って惟だ火を貯うるを,眼は知る 別後 自ら花を添うるを。

商顏の暮雪 人に逢うこと少く,鄧鄙の春泥 驛を見ること賒【はるか】なり。

早晚 王師 海嶽を收め,普【あま】ねく雷雨を將って萌芽を發せん。 

 

 

(現代語訳)

(武関を通り過ぎてから、鄧州の界に休息したときに作ったもの)

潮州の潮陽はここから南へ行き、賈誼の貶められた長沙までの倍の道のりもあるというが、この身は旅中にあって、絶えず天子のことを思い、また家のことを思うと絶えることが出来ない気持ちになる。

そういっても、愁いが来ればこの心をひたすら熱して、火を貯えるのかと疑われ、眼は散々泣き腫らしたから、別後、おのずから花を添えてなぐさめるようなものなのだろう。

商山には残雪も多くまだ積もっていて、春猶寒く、行き交う旅人もきわめて少なく、鄧州は辺鄙なところで、雪解けの泥道がぬかるみ、宿場駅はなかなか遠いように感じられる。

ここらあたりの潘鎮は、なお、王命に服しないものがあるというが、何時、王師はこれらをことごとく平定し、海山を改めて一つにし、そして、この天下に雷雨によって恵みを降らせたまいて、すべての草木が勢いよく成長することを願うのである。

 

(訳注)

次鄧州界

(武関を通り過ぎてから、鄧州の界に休息したときに作ったもの)

鄧州南陽郡は山南東道に属す。この詩は、武関を通り過ぎてから、鄧州の界に休息したときに作ったものである。

 

潮陽南去倍長沙,戀闕那堪又憶家。 

潮州の潮陽はここから南へ行き、賈誼の貶められた長沙までの倍の道のりもあるというが、この身は旅中にあって、絶えず天子のことを思い、また家のことを思うと絶えることが出来ない気持ちになる。

○倍長沙 長沙に左遷され中央に戻された賈誼のことを例にとる。前漢文帝に仕えた文臣。若くして洛陽の秀才とうたわれ,文帝の新政に抜擢されて最年少の博士からさらに太中大夫となった。そこで漢王朝の基礎を固める諸制度の改革に乗り出し,文帝もさらに公卿に任じようとしたが,保守的な元老にはばまれ,ついに失脚して長沙に左遷された。その後また召し返され,文帝の子の梁王の太傅(たいふ)となったが,ほどなく梁王が落馬して死に,1年余ののち彼も33歳で死んだ。著述は58編あったといわれるが,現存の《新書》58編はそのままのものでなく,《漢書》賈誼伝や食貨志などの引用文が重要である。

○戀闕 ここでは、天子を指す。古代中国の宮殿,祠廟,陵墓などの門前の両脇に張り出して左右対称に設けられた望楼。中間が闕然として何もないことから,その名がある。闕の名称は西周時代の文献にすでに見える。一般に高い基壇の上に楼閣を立てたが,のちには石造でそのかたちをかたどったもの。天子、帝王あるいは貴人の名が出たとき,これを尊敬していう。

 

心訝愁來惟貯火,眼知別後自添花。 

そういっても、愁いが来ればこの心をひたすら熱して、火を貯えるのかと疑われ、眼は散々泣き腫らしたから、別後、おのずから花を添えてなぐさめるようなものなのだろう。

 

商顏暮雪逢人少,鄧鄙春泥見驛賒。 

商山には残雪も多くまだ積もっていて、春猶寒く、行き交う旅人もきわめて少なく、鄧州は辺鄙なところで、雪解けの泥道がぬかるみ、宿場駅はなかなか遠いように感じられる。

○商顏 商山は長安の東南商州にある山の名、漢の高祖の時四人の老人があり秦の乱をさけでその山に隠れ芝を採ってくらした。中国秦代末期、乱世を避けて陝西(せんせい)省商山に入った東園公・綺里季・夏黄公・里(ろくり)先生の四人の隠士。みな鬚眉(しゅび)が皓白(こうはく)の老人であったのでいう。

○暮雪 春の根雪、冬の積雪が盛春を過ぎようとするのに残雪としてのこっていること。

 

早晚王師收海嶽,普將雷雨發萌芽。 

ここらあたりの潘鎮は、なお、王命に服しないものがあるというが、何時、王師はこれらをことごとく平定し、海山を改めて一つにし、そして、この天下に雷雨によって恵みを降らせたまいて、すべての草木が勢いよく成長することを願うのである。
安陸・南陽・嚢陽 李白00

《武關西逢配流吐蕃〔謫潮州時途中作〕》韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <955> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3759韓愈詩-250

(武関の西で流罪に処津汚れたチベット人に出会ったときの詩)ああ、お前たち異民族であるチベット人よ そういたましげにするな。お前たちの流される湖南で、それも近い土地だからいのちに別条はないだろうから、そう慘然として歎き悲しむには及ぶまい。わたしは今罪が重くて、長安を去ってひとすじに行くみちのりは八千里の彼方である潮州に流されるのである。到底長安に召し返される望みは無いくらいなのだ、これにくらべれてみれば、少しは、自ら慰めることにはなるまいか。


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《武關西逢配流吐蕃〔謫潮州時途中作〕》韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <955> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3759韓愈詩-250

 

 

作時年:  819年  元和十四年  52歲

卷別: 卷三四四  文體: 七言絕句 

詩題: 武關西逢配流吐蕃〔謫潮州時途中作〕 

作地點: 武關(山南東道 / 商州 / 武關) 

及地點: 長安 (京畿道 京兆府 長安) 別名:京、京師、中京、京城、上都、京畿、西都     

 

 

武關西逢配流吐蕃〔謫潮州時途中作〕

(武関の西で流罪に処津汚れたチベット人に出会ったときの詩)

嗟爾戎人莫慘然,湖南地近保生全。 

ああ、お前たち異民族であるチベット人よ そういたましげにするな。お前たちの流される湖南で、それも近い土地だからいのちに別条はないだろうから、そう慘然として歎き悲しむには及ぶまい。

我今罪重無歸望,直去長安路八千。 

わたしは今罪が重くて、長安を去ってひとすじに行くみちのりは八千里の彼方である潮州に流されるのである。到底長安に召し返される望みは無いくらいなのだ、これにくらべれてみれば、少しは、自ら慰めることにはなるまいか。

 

(武關の西に配流の吐蕃に逢う)

〔潮州に謫さるる時の途中作〕

嗟あ、爾じ 戎人 慘然たること莫れ,湖南は地 近くして生を保つことを全からん。

我れ今 罪重うして 歸る望み無し,直ちに長安を去ること路 八千。

toujidaimap 

 

『武關西逢配流吐蕃』 現代語訳と訳註

(本文)

武關西逢配流吐蕃〔謫潮州時途中作〕

嗟爾戎人莫慘然,湖南地近保生全。 

我今罪重無歸望,直去長安路八千。 

 

(下し文)

(武關の西に配流の吐蕃に逢う)

〔潮州に謫さるる時の途中作〕

嗟あ、爾じ 戎人 慘然たること莫れ,湖南は地 近くして生を保つことを全からん。

我れ今 罪重うして 歸る望み無し,直ちに長安を去ること路 八千。

 

(現代語訳)

(武関の西で流罪に処津汚れたチベット人に出会ったときの詩)

ああ、お前たち異民族であるチベット人よ そういたましげにするな。お前たちの流される湖南で、それも近い土地だからいのちに別条はないだろうから、そう慘然として歎き悲しむには及ぶまい。

わたしは今罪が重くて、長安を去ってひとすじに行くみちのりは八千里の彼方である潮州に流されるのである。到底長安に召し返される望みは無いくらいなのだ、これにくらべれてみれば、少しは、自ら慰めることにはなるまいか。

 

(訳注)

武關西逢配流吐蕃〔謫潮州時途中作〕

(武関の西で流罪に処津汚れたチベット人に出会ったときの詩)

○武関西逢配流吐蕃 緯愈が潮州へ貶せられて行く途中、武関の西で流罪に処せられたチベット人に出会ったときの詩。韓愈五十一歳、819年元和十四年正月の作。武関は、今の陝西省商許県の西にある関所。配流は、流罪に処せられること。配も、流刑のことである。吐蕃は1チベット人。唐代、安史の乱後、西方の異民族の国家中、最も力のあったのは、回紇と吐蕃で、絶えず唐の領内に侵入して来ていた。吐蕃は、818年前年元和十三月に、今の寧夏省東南部に人馬して来ているから、今配流せられて行くチベット人たちは、その時の捕虜かもしれない。

 

嗟爾 戎人 莫慘然 ,湖南 地近 保生 全。

ああ、お前たち異民族であるチベット人よ そういたましげにするな。お前たちの流される湖南で、それも近い土地だからいのちに別条はないだろうから、そう慘然として歎き悲しむには及ぶまい。。

○戎人 西方の異民族を戎といった。吐蕃は西方の異民族である。

○湖南 今の湖南省。吐蕃の配流される土地である。

○惨然 痛ましげなさま。

 

我今罪重無歸望,直去長安路八千。 

わたしは今罪が重くて、長安を去ってひとすじに行くみちのりは八千里の彼方である潮州に流されるのである。到底長安に召し返される望みは無いくらいなのだ、これにくらべれてみれば、少しは、自ら慰めることにはなるまいか。

○帰望 長安に帰って来る希望。

○直 ずっとまっすぐ。

○八千 潮州は、韓愈の未達された土地。八千は、八千里(1km=0.576m約四千キロメートル)、韓愈はあっちに寄り、こっちに寄るために倍くらいの距離を移動しているもの。唐代の地理を書いた「元和郎県志」にょれは、長安から潮州まで、直線五千六百二十五里(3,240km)で、八千里まではない。旅程を述べる『通典』によれば七千六百六十七里とされていることから、この表示は正確なものであったのである。

『左遷至藍關示姪孫湘』〔湘,愈姪十二郎之子,登長慶三年進士第。〕

一封朝奏九重天,夕貶潮州路八千。 

欲為聖朝除弊事,肯將衰朽惜殘年。  

雲橫秦嶺家何在,雪擁藍關馬不前。 

知汝遠來應有意,好收吾骨瘴江邊。  
2蜀の山00 

左遷至藍關示姪孫湘〔湘,愈姪十二郎之子,登長慶三年進士第。〕》117韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <954>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3754韓愈詩-249

韓愈《左遷至藍關示姪孫湘》 朝に上奏文を一通、九重おく深い天子さまの宮居にたてまつった。すると夕べには八千里も路程のある潮州に流されることになった。聖明な天子さまのために悪弊を除きたいと思えばこそで、衰えはてた身なのに、今さら老いぼれの年を惜しもうとは思わない。


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左遷至藍關示姪孫湘〔湘,愈姪十二郎之子,登長慶三年進士第。〕》117韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <954>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3754韓愈詩-249
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●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている
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孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。
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李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首
魚玄機 詩 全首130回賦得江邊柳 魚玄機  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-65-1-#五言律詩  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1876
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左遷至藍關示姪孫湘〔湘,愈姪十二郎之子,登長慶三年進士第。〕》117韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <954>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3754韓愈詩-249

 

 

年:  819年  元和十四年  52歲

卷別: 卷三四四  文體: 七言律詩 

詩題: 左遷至藍關示姪孫湘〔湘,愈姪十二郎之子,登長慶三年進士第。〕 

作地點: 藍田關(京畿道 / 京兆府 / 藍田) 

及地點: 藍田關 (京畿道 京兆府 藍田) 別名:藍關     

潮州 (嶺南道東部 潮州 潮州)     

秦嶺 (京畿道 京兆府 藍田)     

九重 (京畿道 京兆府 長安)     

 

 

左遷至藍關示姪孫湘

(左遷され潮州に赴く途中、長安東南の初めての関、藍田関に到着したので姪孫韓湘にこの詩を示す)

〔湘,愈姪十二郎之子,登長慶三年進士第。〕

姪孫は、兄弟の孫。湘は、その名。韓湘(794-未詳)は、韓愈の次兄韓介の孫、十二郎韓老成(未詳-803年)の子である。長慶三年(823年)進士になった。
一封朝奏九重天,夕貶潮州路八千。 

朝に上奏文を一通、九重おく深い天子さまの宮居にたてまつった。すると夕べには八千里も路程のある潮州に流されることになった。

欲為聖朝除弊事,肯將衰朽惜殘年。 

聖明な天子さまのために悪弊を除きたいと思えばこそで、衰えはてた身なのに、今さら老いぼれの年を惜しもうとは思わない。

雲橫秦嶺家何在,雪擁藍關馬不前。 

雲は秦嶺山脈にたなびき、わたしの家はどこにあるかもう分からない、雪は藍田関をうずめつくして、わたしの馬は進まない。

知汝遠來應有意,好收吾骨瘴江邊。 

おまえがはるばるやって来たのはきっと何かのつもりあってのことだとわたしには分かる、それならわたしの骨を瘴気たちこめる大江のほとりでとり収めてくれればよいのだ。

 

(左遷されて藍關に至り姪孫【てつそん】湘に示す。)

〔湘は,愈の姪十二郎の子なり,長慶三年の進士に第し登るもの。〕

一封 朝に奏す 九重の天、夕べに潮州に貶せらる 路八千。

聖明の為に弊事を除かんと欲っし、肯えて衰朽を将って残年を惜しまんや。

雲は秦嶺に横たわって家何くにか在る、雪は藍蘭を擁して馬前まず。

知んぬ 汝が遠く来たる 応に意有るべし、好し 吾が骨を瘴江の辺に収めよ。

終南山06 

 

『左遷至藍關示姪孫湘』 現代語訳と訳註

(本文)

左遷至藍關示姪孫湘

〔湘,愈姪十二郎之子,登長慶三年進士第。〕

一封朝奏九重天,夕貶潮州路八千。 

欲為聖朝除弊事,肯將衰朽惜殘年。 

雲橫秦嶺家何在,雪擁藍關馬不前。 

知汝遠來應有意,好收吾骨瘴江邊。 

 

(下し文)

(左遷されて藍關に至り姪孫【てつそん】湘に示す。)

〔湘は,愈の姪十二郎の子なり,長慶三年の進士に第し登るもの。〕

一封 朝に奏す 九重の天、夕べに潮州に貶せらる 路八千。

聖明の為に弊事を除かんと欲っし、肯えて衰朽を将って残年を惜しまんや。

雲は秦嶺に横たわって家何くにか在る、雪は藍蘭を擁して馬前まず。

知んぬ 汝が遠く来たる 応に意有るべし、好し 吾が骨を瘴江の辺に収めよ。

 

(現代語訳)

(左遷され潮州に赴く途中、長安東南の初めての関、藍田関に到着したので姪孫韓湘にこの詩を示す)

朝に上奏文を一通、九重おく深い天子さまの宮居にたてまつった。すると夕べには八千里も路程のある潮州に流されることになった。

聖明な天子さまのために悪弊を除きたいと思えばこそで、衰えはてた身なのに、今さら老いぼれの年を惜しもうとは思わない。

雲は秦嶺山脈にたなびき、わたしの家はどこにあるかもう分からない、雪は藍田関をうずめつくして、わたしの馬は進まない。

おまえがはるばるやって来たのはきっと何かのつもりあってのことだとわたしには分かる、それならわたしの骨を瘴気たちこめる大江のほとりでとり収めてくれればよいのだ。

韓愈の地図01 

(訳注)

左遷至藍關示姪孫湘

(左遷され潮州に赴く途中、長安東南の初めての関、藍田関に到着したので姪孫韓湘にこの詩を示す)

○左遷至農園示姪孫湘 ・左遷:官位を下げられること。むかし、中国では、右を尊んで、左を卑しいとしたところからいう。

ここは、韓愈が、憲宗皇帝(李純)の仏骨を迎えたのに反対して、「仏骨を論ずる表」をたてまつったため、皇帝の激怒を買い、刑部侍郎(刑法をつかさどる役所の次官)から、潮州(今の広東省潮川市)の刺史(州の長官)に転任させられたことをいう。藍関は、藍田関。首都長安から東南にあたる藍田縣(今の陝西省藍田県)の峡谷にある。長安から華中華南へ行く山越えの街道にあたっていた。

 

韓愈が潮州刺史に発令されたのが正月十四日、その日にさっそく出発している。この年正月十四日は、太陽暦では二月十二日になるから、彼れが藍田関に分け入ったとき、雪が深く積もっていたことは、十分想像できる。

 

〔湘,愈姪十二郎之子,登長慶三年進士第。〕

姪孫は、兄弟の孫。湘は、その名。韓湘(794-未詳)は、韓愈の次兄韓介の孫、十二郎韓老成(未詳-803年)の子である。長慶三年(823年)進士になった。
神仙の術を学んだといわれ、八仙の一人に数えられている。この詩は、潮州へ流され行く途中、藍田関についたとき、韓湘に示した詩であって、韓愈五十二歳、元和十四年(
819年)正月(旧暦)十四日から二三日のうちの作である。

 

一封朝奏九重天,夕貶潮州路八千。 

朝に上奏文を一通、九重おく深い天子さまの宮居にたてまつった。すると夕べには八千里も路程のある潮州に流されることになった。

○一封 一通の上奏。封は、封事。天子に上奏する文は、秘密を保つため、黒い袋に封じこまれてたてまつられたので、封事といった。ここは、「仏骨を論ずる表」をさす。

○奏 天子に進言する。

○九重天 天子の住む宮殿。天子の門が九つあり、また天が九重であるとされ、天子を天に此するところからいう。

○夕貶 朝奏とあって、夕貶と受けるように、この時の韓愈に対する処分は、非常にすみやかであった。・貶:官位を下げられること。

○潮川路八干 潮州は、韓愈の未達された土地。八千は、八千里(1km=0.576m約四千キロメートル)、韓愈はあっちに寄り、こっちに寄るために倍くらいの距離を移動しているもの。唐代の地理を書いた「元和郎県志」にょれは、長安から潮州まで、直線五千六百二十五里(3,240km)で、八千里まではない。旅程を述べる『通典』によれば七千六百六十七里とされていることから、この表示は正確なものであったのである。

 

欲為聖朝除弊事,肯將衰朽惜殘年。 

聖明な天子さまのために悪弊を除きたいと思えばこそで、衰えはてた身なのに、今さら老いぼれの年を惜しもうとは思わない。

○聖明 聖明な天子。憲宗皇帝をさす。聖明は、天子の徳についていうことばで、その道はどこにでも通じ、その明は至るところを照らすことをいう。

○弊事 弊害のある事。わるい事。ここは、仏舎利を宮中に迎えることをいう。韓愈は仏教徒になった皇帝は、短命で不運であるということで、仏舎利塔を宮殿内に作るのに反対した「佛骨を論ずる表」を上奏した。《論佛骨表》(1)元和十四年韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <884>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3404韓愈詩-227-1

○肯 承知する。妥協する。ここは、反語で、何とかして……しようとなどは思わない、という意。

○衰朽 年老いてからだのおとろえていること。

○殘年 老いぼれの年。残は、盛りをすぎで、くずれようとする状態をいう。単なる残りというのとは、少こし語感がちがう。敗残というときの残が、よく感じを表わしている。

 

雲橫秦嶺家何在,雪擁藍關馬不前。 

雲は秦嶺山脈にたなびき、わたしの家はどこにあるかもう分からない、雪は藍田関をうずめつくして、わたしの馬は進まない。

○秦嶺 終南山を中心とする秦嶺山脈。長安の南側の連山。

○家何在 自分の住んでいたなつかしい家がどこにあるだろうか。雲がおおいかくして見えない。

○擁 ふさいでまもっている。

○応有意 当然何かつもりがあってのことにちがいない。応は、当然をあらわす助辞。

 

知汝遠來應有意,好收吾骨瘴江邊。 

おまえがはるばるやって来たのはきっと何かのつもりあってのことだとわたしには分かる、それならわたしの骨を瘴気たちこめる大江のほとりでとり収めてくれればよいのだ。

○好収 収めるがよい。好は、そうした処置(ここでは収)を喜ぶ気持ちを表わすことば。

○瘴江 病気をおこすという蒸気の立つ川。特別の川をさすのではなかろう。瘴は、嶺南・華南の高温多湿によって生ずる風土病をひろくいう。
nat0003 

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《元日酬蔡州馬十二尚書去年蔡州元日見寄之什》115韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <953>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3749韓愈詩-248

 

 

作時年:  819年  元和十四年  52歲

卷別: 卷三四四  文體: 七言絕句 

詩題: 元日酬蔡州馬十二尚書去年蔡州元日見寄之什 

及地點: 豫州 (河南道 豫州 豫州) 別名:蔡州     

交遊人物: 馬總

 

元日 酬蔡州馬十二尚書去年蔡州元日見寄之什

(この詩は818年元和13年元日に一詩を韓愈に寄せていたものを翌年の819年元日に唱和したもの。)

元日新詩已去年,蔡州遙寄荷相憐。 

君が元日の新詩を寄せられたのは去年の元日のことで、はるばる蔡州から、平生のお心くばりのたまもので、私にとってはまことにありがたい幸せな事であり、ご返事を怠っていた私といたしまして慚愧に堪えないものであります。

今朝縱有誰人領,自是三峰不敢眠。 

しかし、あの詩が、去年でなく、たとえ今朝ほど到着致したものとしても、だれがその意を領して、御答をしないで居れましょう。ここに今年の元日に至って應酬できることに、やっと心がのびのびできたのであります。

  

(元日 蔡州馬十二尚書の去年の蔡州元日に見寄せられし什に酬ゆ。)

元日の新詩 已に去年のことなり,蔡州より遙かに寄せて相憐を荷う。 

今朝 縱い有りとも誰人か領せん,自ら是れ 三峰 敢えて眠らず。 

 

 

『元日 酬蔡州馬十二尚書去年蔡州元日見寄之什』 現代語訳と訳註

(本文)

元日 酬蔡州馬十二尚書去年蔡州元日見寄之什

元日新詩已去年,蔡州遙寄荷相憐。 

今朝縱有誰人領,自是三峰不敢眠。 

 

(下し文)

(元日 蔡州馬十二尚書の去年の蔡州元日に見寄せられし什に酬ゆ。)

元日の新詩 已に去年のことなり,蔡州より遙かに寄せて相憐を荷う。 

今朝 縱い有りとも誰人か領せん,自ら是れ 三峰 敢えて眠らず。 

 

(現代語訳)

(この詩は818年元和13年元日に一詩を韓愈に寄せていたものを翌年の819年元日に唱和したもの。)

君が元日の新詩を寄せられたのは去年の元日のことで、はるばる蔡州から、平生のお心くばりのたまもので、私にとってはまことにありがたい幸せな事であり、ご返事を怠っていた私といたしまして慚愧に堪えないものであります。

しかし、あの詩が、去年でなく、たとえ今朝ほど到着致したものとしても、だれがその意を領して、御答をしないで居れましょう。ここに今年の元日に至って應酬できることに、やっと心がのびのびできたのであります。

 

 

(訳注)

元日 酬蔡州馬十二尚書去年蔡州元日見寄之什

(この詩は818年元和13年元日に一詩を韓愈に寄せていたものを翌年の819年元日に唱和したもの。)

818年裴度が呉元濟を征伐した。平定後の事後処理に馬摠に命じたので別れるに際してこの詩を酬いる。(蔡州を平定した、裴度は、その時、副位の馬摠を彰義軍留後としてのこし、現地の事後処理を命じた。)詩がある。

酬別留後侍郎〔蔡平,命馬總為留後。〕

為文無出相如右,謀師難居郤縠先。 

歸去雪銷溱洧動,西來旌旆拂晴天。

文をつくったとしても、あの司馬相如の右に出ることなどとても難しいものだ。戦の廟略・戦略については春秋の文公の家臣、郤縠に先んじることはむつかしい。

君がその地を去って帰って來る頃には雪は解け消えて溱水・洧水は流れているだろう。隊列の旗は晴天の空にはためいて西に進むのである。

〇民本巻十。卷三四四  文體: 七言絕句呉元済の乱が平定したのち、裴度は現地の事後処理をさせるため副位の馬摠を彰義軍留後としてのこして、他のものはつれて長安に帰ることにした。このとき韓愈が馬摠に贈った詩である。《酬別留後侍郎〔蔡平,命馬總為留後。〕》韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <838>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3174韓愈詩-210

泰山の夕日 

 

元日新詩已去年,蔡州遙寄荷相憐。 

君が元日の新詩を寄せられたのは去年の元日のことで、はるばる蔡州から、平生のお心くばりのたまもので、私にとってはまことにありがたい幸せな事であり、ご返事を怠っていた私といたしまして慚愧に堪えないものであります。

 

今朝縱有誰人領,自是三峰不敢眠。 

しかし、あの詩が、去年でなく、たとえ今朝ほど到着致したものとしても、だれがその意を領して、御答をしないで居れましょう。ここに今年の元日に至って應酬できることに、やっと心がのびのびできたのであります。

○三峰 諸説あるが、東嶽の泰山、中嶽の嵩山、西嶽の華山を行ったり来たりする忙しさ、信仰に、儒学者として忙しさを示すもの。

 河南郾城05

《題楚昭王廟〔襄州宜城縣驛東北有井,傳是王井,井東北數十步,有昭王廟。〕》韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <952>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3744韓愈詩-247

韓愈《題楚昭王廟》昭王の清涼に覆われて人をして綃魂せしむるところというべきものであるが、ここが古の王都とはどうしても思えないう位である。しかしこの地で育った楚の国のものは昭王が国の滅亡の瀬戸際から回復させたその旧徳を忘れずに、わずか一間ほどの茅屋ではあるものの、昭王廟としてこれを祀っていて、王の霊を千秋の後までも絶やさず讃えていっているのである。

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安世房中歌十七首(1) 唐山夫人 漢詩 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67710265.html 
為焦仲卿妻作 序 漢詩<143>古詩源 巻三 女性詩http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67729401.html
於凊河見輓船士新婚別妻一首 曹丕(魏文帝) 魏詩http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67759129.html
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登池上樓 #1 謝霊運<25>#1  ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67502196.html
孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。
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《題楚昭王廟〔襄州宜城縣驛東北有井,傳是王井,井東北數十步,有昭王廟。〕》韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <952>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3744韓愈詩-247

 

 

作時年:  819年  元和十四年  52歲 

卷別: 卷三四三  文體: 七言絕句 

詩題: 題楚昭王廟〔襄州宜城縣驛東北有井,傳是王井,井東北數十步,有昭王廟。〕 

(楚の昭王の廟に題す。)〔襄州宜城縣驛東北有井,傳是王井,井東北數十步,有昭王廟。〕

作地點: 目前尚無資料 

及地點:  楚昭王廟 (山南東道 襄州 率道)     

 

題楚昭王廟

(楚の昭王の廟に題す。)―潮州に左遷されて、長安よりその地に赴く土地に立ち寄り作った。―

〔襄州宜城縣驛東北有井,傳是王井,井東北數十步,有昭王廟。〕

〔この襄州宜城県の駅は古の宣城内に有り。駅の東北に井戸有り、これを伝えるは昭王の井戸、霊異あり、今に至ってこれを汲むことはない。井戸の東北、数十歩に昭王の廟がある。〕

丘墳滿目衣冠盡,城闕連雲草樹荒。 

見渡す限り、土饅頭、墳墓、陵墓ばかりで、衣冠のひとは、とっくの昔に死んでしまい、城郭の城門だけは高く雲に連なり、周りはというと草樹により荒れ果てたままなのだ。

猶有國人懷舊德,一間茅屋祭昭王。 

しかし、昭王の清涼に覆われて人をして綃魂せしむるところというべきものであるがここが古の王都とはどうしても思えないう位である。しかしこの地で育った楚の国のものは昭王が国の滅亡の瀬戸際から回復させたその旧徳を忘れずに、わずか一間ほどの茅屋ではあるものの、昭王廟としてこれを祀っていて、王の霊を千秋の後までも絶やさず讃えていっているのである。

 

(楚の昭王の廟に題す。)

〔襄州 宜城縣 驛東の北 井有り,是に王の井を傳う,井は東北へ數十步,昭王の廟有り。〕

丘墳 滿目 衣冠 盡き,城闕 連雲 草樹 荒る。 

猶お國人の舊德を懷う有り,一間の茅屋 昭王を祭る。 

 

 

『題楚昭王廟』 現代語訳と訳註

(本文) 題楚昭王廟

〔襄州宜城縣驛東北有井,傳是王井,井東北數十步,有昭王廟。〕

丘墳滿目衣冠盡,城闕連雲草樹荒。 

猶有國人懷舊德,一間茅屋祭昭王。 

 

(下し文)

(楚の昭王の廟に題す。)

〔襄州 宜城縣 驛東の北 井有り,是に王の井を傳う,井は東北へ數十步,昭王の廟有り。〕

丘墳 滿目 衣冠 盡き,城闕 連雲 草樹 荒る。 

猶お國人の舊德を懷う有り,一間の茅屋 昭王を祭る。 

 

(現代語訳)

(楚の昭王の廟に題す。)〔潮州に左遷されて、長安よりその地に赴く土地に立ち寄り作った。〕

見渡す限り、土饅頭、墳墓、陵墓ばかりで、衣冠のひとは、とっくの昔に死んでしまい、城郭の城門だけは高く雲に連なり、周りはというと草樹により荒れ果てたままなのだ。

しかし、昭王の清涼に覆われて人をして綃魂せしむるところというべきものであるがここが古の王都とはどうしても思えないう位である。しかしこの地で育った楚の国のものは昭王が国の滅亡の瀬戸際から回復させたその旧徳を忘れずに、わずか一間ほどの茅屋ではあるものの、昭王廟としてこれを祀っていて、王の霊を千秋の後までも絶やさず讃えていっているのである。

 花瓊

(訳注)

題楚昭王廟

〔襄州宜城縣驛東北有井,傳是王井,井東北數十步,有昭王廟。〕

この襄州宜城県の駅は古の宣城内に有り。駅の東北に井戸有り、これを伝えるは昭王の井戸、霊異あり、今に至ってこれを汲むことはない。井戸の東北、数十歩に昭王の廟がある。旧時には、高木万株あり、多くその名を得ず、歴代あえてこれを剪伐することはなかった。ということで、古松大竹を多くしていた。

もとの廟屋は極めて宏盛であったが、今は草屋一棟のみである。

○元和十四年二月二日、潮州に左遷されて、長安よりその地に赴く土地に立ち寄り作った。以下の作品と同時期のものである。

《路傍堠〔元和十四年出為潮州作〕》―#1 嶺南行(1)-#1韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <902>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3494韓愈詩-228

229嶺南行(2)《食曲河驛》韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <904>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3504韓愈詩-229 嶺南行(2)

230 嶺南行(3)《過南陽〔元和十四年出為潮州作。〕》韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <905>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3509韓愈詩-230 嶺南行(3) 236

《瀧吏-9分割1回目〔元和十四年出為潮州作。〕》嶺南行(4)韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <906>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3514韓愈詩-231

○昭王(しょうおう、? - 紀元前489年、在位:紀元前515年 - 紀元前489年)は、中国春秋時代の楚の王。姓は羋、氏は熊。諱は珍または軫。平王の子。

 

丘墳 滿目 衣冠 盡,城闕 連雲 草樹 荒 。

見渡す限り、土饅頭、墳墓、陵墓ばかりで、衣冠のひとは、とっくの昔に死んでしまい、城郭の城門だけは高く雲に連なり、周りはというと草樹により荒れ果てたままなのだ。

「丘墳」土饅頭、墳墓、陵墓ばかりである。

「滿目」見渡す限り。

「衣冠」職官爵位、士大夫をいう。

「城」都城、城郭。

「闕」城門。

 

猶有 國人 懷 舊德 ,一間 茅屋 祭 昭王 。

しかし、昭王の清涼に覆われて人をして綃魂せしむるところというべきものであるがここが古の王都とはどうしても思えないう位である。しかしこの地で育った楚の国のものは昭王が国の滅亡の瀬戸際から回復させたその旧徳を忘れずに、わずか一間ほどの茅屋ではあるものの、昭王廟としてこれを祀っていて、王の霊を千秋の後までも絶やさず讃えていっているのである。

「舊德」前506年の柏挙の戦いでは、伍子胥率いる呉の軍勢が楚の都郢に攻め入ったので、昭王は都を脱出して隨に逃れた。楚の臣申包胥は秦を訪れ、哀公に救援を求めたが、哀公は当初これに応じなかった。そのため、申包胥は秦の宮廷の庭で7日7晩にわたって泣き続けた。哀公はその忠誠心に感じ入り、ついに楚に援軍を出した。これにより楚は呉軍の撃退に成功し、昭王は郢に戻ることができた。士太夫、農民にとって、虐殺化、奴隷になるのを防いだ昭王に対する感謝の気持ちが千三、四百年の続いているということ。

「一間」一間巾。
杏の白花01 

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《別趙子》#4韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <951>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3739韓愈詩-246

 

 

作時年: 819年  元和十四年  52歲

卷 別: 卷三四一  文體: 五言古詩 

詩 題: 別趙子〔趙子名德,潮州人。愈刺潮,德攝海陽尉,督州學生徒,愈移袁州,欲與俱,不可,詩以別之。〕 

作地點: 揭陽(嶺南道東部 / 潮州 / 揭陽) 〔揭陽,漢縣,屬南海郡,至唐為湘州。〕

及地點:  揭陽 (嶺南道東部 潮州 揭陽) ・袁州 (江南西道 袁州 袁州) 別名:宜春 【袁州。】    

交遊人物/地點: 趙德當地交遊(嶺南道東部 潮州 揭陽)

 

杏の花0055 

別趙子

(趙德君と別れる)

〔趙子名德,潮州人。愈刺潮,德攝海陽尉,督州學生徒,愈移袁州,欲與俱,不可,詩以別之。〕

(趙子 名は德,潮州の人。愈 潮の刺たりしとき,德 海陽尉を攝し,州學の生徒を督す。 愈 袁州に移るとき,與に俱せんと欲すも,「可ならず」,詩以て之と別る。)

我遷於揭陽,君先揭陽居。

私が初めて潮州に左遷された時、君はそれに先立って、掲揚にいた。

揭陽去京華,其里萬有餘。

潮州は長安を去ること、万里以上もあり、まことに僻遠の偏地である。

不謂小郭中,有子可與娛。

そんな小さな城郭の中に、君のごとく共に語るに足る人がいることは、まことに予想せぬことである。

心平而行高,兩通詩與書。

心を平穏にして行いを高くするそして、詩経と書経の両經に精通していて、立派に学問の根底ができている。

#2

婆娑海水南,簸弄明月珠。

而も大海に面した南の僻地に婆娑としてうろついていて、名月の真珠の様な才徳をただもてあそんでおられる。

及我遷宜春,意欲攜以俱。

ところが今や、我々は、兗州に量移されたことにより、君を携え、一緒にその地に行こうと思ったのだ。

擺頭笑且言,我豈不足歟。

ところが君は、首を横に振って笑いながら言ったことは「現在のわれわれの職は格別なものではありません。自分にとっては採るに足らないものでしかないのです。」

又奚為於北,往來以紛如。

「また、どうして、わざわざ北に向かって往来し、その上、身を粉にするめんどうなことを致さねばならないのか。」

(自分は欲得づくではなく、甘んじてこの地方の教育に従事し、それでこの一生を終えたとしても良いと考えており、他の場所に移ろうとは思わないのです。)

#3

海中諸山中,幽子頗不無。

この大海に面した潮州の近隣の諸山中には高士の隠遁者が随分いるという。
相期風濤觀,已久不可渝。

この者たちがここの海上の風濤を見学しようと約束したこともある。それも既久しく歳月を経過したしたのであるが、高士のものとの約束というのは決して反故にすることはないのである。

又嘗疑龍蝦,果誰雄牙鬚。

それから、ここ潮州には、また、様々な海産物があって、その中でも龍蝦は牙鬚の雄大なるを以て、誰もが承知していることなのである。

蚌蠃魚鱉蟲,瞿瞿以狙狙。

その他、上は貝類、エビなど虫偏の甲殻類、から魚や亀類に至るものが、ククとして寄り、ソソとして集まっているところなのだ。

#4

識一已忘十,大同細自殊。

これらのことを調べかけたのであるが、一を知った時にはもう十のことを忘れてしまうし、大筋のことが同じであっても、細かい所では全く異なっているのは自ずからわかっているつもりであった。

欲一窮究之,時歲屢謝除。

だから、ぜひ、いちいち、心行くまで調べたいと思っていたのだが、歳月がしばしば移ってしまったのである。

今子南且北,豈非亦有圖。

しかし、君は一度南下して、この潮州に来られ、まだ一年もたっていないというのに、北に向かい、兗州に遷られるというのである。そのことはご自分にこの潮州の教育水準を揚げたいという意図があって北に行きたくないといわれるのは理解できることである。

人心未嘗同,不可一理區。

なるほど人の心は、基より同じものではない、また、一理を以て区割するわけにいかない。

宜各從所務,未用相賢愚。 

それぞれの持っている志、勤めにしたがって、その天職を全うすればそれでよいのである。何も、互いに賢愚、良し悪しと甲乙を分けてこれを用いることなどないのである。

 

(趙子に別る)

(趙子 名は德,潮州の人。愈 潮の刺たりしとき,德 海陽尉を攝し,州學の生徒を督す。 愈 袁州に移るとき,與に俱せんと欲すも,「可ならず」,詩以て之と別る。)

 

我れ揭陽【けいよう】に遷り,君は先づ揭陽に居る。

揭陽 京華を去る,其の里 萬有う餘。

謂わざりき小郭の中,子が與に娛しむ可き有らんとは。

心 平らかにして行い高し,兩つながら詩と書とに通ず。

 

海水の南に婆娑とし,明月の珠を簸弄【はろう】す。

我が宜春【ぎしゅん】に遷るに及び,意 攜えて以って俱にせんと欲す。

頭を擺って笑い且つう言,我 豈に足らざらん歟【や】。

又 奚【なん】ぞ北に為さん,往來 以て紛如【ふんじょ】たり。

 

海中 諸山の中,幽子 頗ぶる無きにあらず。

風濤の觀を相い期し,已に久しくして渝【かわ】る可からず。

又 嘗て疑う 龍蝦【りょうか】,果して誰か牙鬚【がしゅ】に雄なる。

蚌蠃【ぼうら】魚鱉【ぎょべつ】の蟲【ちゅう】,瞿瞿【くく】以て狙狙【そそ】たり。

 

一を識って已に十を忘る,大は同じゅうして細は自ら殊【こと】なれり。

一たび之を窮究せんと欲す,時歲 屢【しばし】ば謝除【しゃじょ】す。

今 子 南し且つ北す,豈に亦た圖ること有るに非らざらんや。

人心 未だ嘗て同じからず,一理もて區す可からず。

宜しく各【おのお】の務むる所に從うべく,未だ相い賢愚【けんぐ】するを用いず。 

toujidaimap 

 

『別趙子』 現代語訳と訳註

(本文) #4#4

識一已忘十,大同細自殊。

欲一窮究之,時歲屢謝除。

今子南且北,豈非亦有圖。

人心未嘗同,不可一理區。

宜各從所務,未用相賢愚。 

 

(下し文)

一を識って已に十を忘る,大は同じゅうして細は自ら殊【こと】なれり。

一たび之を窮究せんと欲す,時歲 屢【しばし】ば謝除【しゃじょ】す。

今 子 南し且つ北す,豈に亦た圖ること有るに非らざらんや。

人心 未だ嘗て同じからず,一理もて區す可からず。

宜しく各【おのお】の務むる所に從うべく,未だ相い賢愚【けんぐ】するを用いず。 

 

(現代語訳)

これらのことを調べかけたのであるが、一を知った時にはもう十のことを忘れてしまうし、大筋のことが同じであっても、細かい所では全く異なっているのは自ずからわかっているつもりであった。

だから、ぜひ、いちいち、心行くまで調べたいと思っていたのだが、歳月がしばしば移ってしまったのである。

しかし、君は一度南下して、この潮州に来られ、まだ一年もたっていないというのに、北に向かい、兗州に遷られるというのである。そのことはご自分にこの潮州の教育水準を揚げたいという意図があって北に行きたくないといわれるのは理解できることである。

なるほど人の心は、基より同じものではない、また、一理を以て区割するわけにいかない。

それぞれの持っている志、勤めにしたがって、その天職を全うすればそれでよいのである。何も、互いに賢愚、良し悪しと甲乙を分けてこれを用いることなどないのである。

 

DCF00212 

(訳注) #4

別趙子

(趙德君と別れる)

趙子 趙德に當たる。蘇東坡『潮州韓文公廟碑』に進士とあるから、郷貢進士であったひと。

 

識一 已忘 十 ,大同 細 自殊 。

これらのことを調べかけたのであるが、一を知った時にはもう十のことを忘れてしまうし、大筋のことが同じであっても、細かい所では全く異なっているのは自ずからわかっているつもりであった。

 

欲一 窮究 之,時歲 屢謝除 。

だから、ぜひ、いちいち、心行くまで調べたいと思っていたのだが、歳月がしばしば移ってしまったのである。

 

今子 南 且北 ,豈非 亦有 圖 。

しかし、君は一度南下して、この潮州に来られ、まだ一年もたっていないというのに、北に向かい、兗州に遷られるというのである。そのことはご自分にこの潮州の教育水準を揚げたいという意図があって北に行きたくないといわれるのは理解できることである。

「南」南の潮州に来たこと。。

「北」北の兗州に赴任すること

「豈非」是非。

「圖」この潮州の教育水準を揚げたいという意図。 

 

人心 未嘗 同,不可 一理 區。

なるほど人の心は、基より同じものではない、また、一理を以て区割するわけにいかない。

「一理」一つの真理と思える理屈、理論。

 

 宜各從所務,未用 相賢愚 。

それぞれの持っている志、勤めにしたがって、その天職を全うすればそれでよいのである。何も、互いに賢愚、良し悪しと甲乙を分けてこれを用いることなどないのである。

「賢愚」賢愚、良し悪しとなんでも甲乙に分けること。
韓愈の地図01 

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謝靈運詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/1901_shareiun000.html 謝靈運詩六朝期の山水詩人。この人の詩は上品ですがすがしい男性的な深みのある詩である。後世に多大な影響を残している。
謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。
登永嘉緑嶂山詩 #1 謝霊運 <20> 詩集 386ーhttp://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67474554.html
登池上樓 #1 謝霊運<25>#1  ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67502196.html
孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。
李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html 
李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首
魚玄機 詩 全首130回賦得江邊柳 魚玄機  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-65-1-#五言律詩  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1876
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《別趙子》#3韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <950>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3734韓愈詩-245

 

 

作時年: 819年  元和十四年  52歲

卷 別: 卷三四一  文體: 五言古詩 

詩 題: 別趙子〔趙子名德,潮州人。愈刺潮,德攝海陽尉,督州學生徒,愈移袁州,欲與俱,不可,詩以別之。〕 

作地點: 揭陽(嶺南道東部 / 潮州 / 揭陽) 【案:揭陽,漢縣,屬南海郡,至唐為湘州。】

及地點:  揭陽 (嶺南道東部 潮州 揭陽) ・袁州 (江南西道 袁州 袁州) 別名:宜春 【案:袁州。】    

交遊人物/地點: 趙德當地交遊(嶺南道東部 潮州 揭陽)

 

 

別趙子

(趙德君と別れる)

〔趙子名德,潮州人。愈刺潮,德攝海陽尉,督州學生徒,愈移袁州,欲與俱,不可,詩以別之。〕

(趙子 名は德,潮州の人。愈 潮の刺たりしとき,德 海陽尉を攝し,州學の生徒を督す。 愈 袁州に移るとき,與に俱せんと欲すも,「可ならず」,詩以て之と別る。)

我遷於揭陽,君先揭陽居。

私が初めて潮州に左遷された時、君はそれに先立って、掲揚にいた。

揭陽去京華,其里萬有餘。

潮州は長安を去ること、万里以上もあり、まことに僻遠の偏地である。

不謂小郭中,有子可與娛。

そんな小さな城郭の中に、君のごとく共に語るに足る人がいることは、まことに予想せぬことである。

心平而行高,兩通詩與書。

心を平穏にして行いを高くするそして、詩経と書経の両經に精通していて、立派に学問の根底ができている。

#2

婆娑海水南,簸弄明月珠。

而も大海に面した南の僻地に婆娑としてうろついていて、名月の真珠の様な才徳をただもてあそんでおられる。

及我遷宜春,意欲攜以俱。

ところが今や、我々は、兗州に量移されたことにより、君を携え、一緒にその地に行こうと思ったのだ。

擺頭笑且言,我豈不足歟。

ところが君は、首を横に振って笑いながら言ったことは「現在のわれわれの職は格別なものではありません。自分にとっては採るに足らないものでしかないのです。」

又奚為於北,往來以紛如。

「また、どうして、わざわざ北に向かって往来し、その上、身を粉にするめんどうなことを致さねばならないのか。」

(自分は欲得づくではなく、甘んじてこの地方の教育に従事し、それでこの一生を終えたとしても良いと考えており、他の場所に移ろうとは思わないのです。)

#3

海中諸山中,幽子頗不無。

この大海に面した潮州の近隣の諸山中には高士の隠遁者が随分いるという。
相期風濤觀,已久不可渝。

この者たちがここの海上の風濤を見学しようと約束したこともある。それも既久しく歳月を経過したしたのであるが、高士のものとの約束というのは決して反故にすることはないのである。

又嘗疑龍蝦,果誰雄牙鬚。

それから、ここ潮州には、また、様々な海産物があって、その中でも龍蝦は牙鬚の雄大なるを以て、誰もが承知していることなのである。

蚌蠃魚鱉蟲,瞿瞿以狙狙。

その他、上は貝類、エビなど虫偏の甲殻類、から魚や亀類に至るものが、ククとして寄り、ソソとして集まっているところなのだ。

#4

識一已忘十,大同細自殊。

欲一窮究之,時歲屢謝除。

今子南且北,豈非亦有圖。

人心未嘗同,不可一理區。

宜各從所務,未用相賢愚。 

蝦蟇02 

(趙子に別る)

我れ揭陽【けいよう】に遷り,君は先づ揭陽に居る。

揭陽 京華を去る,其の里 萬有う餘。

謂わざりき小郭の中,子が與に娛しむ可き有らんとは。

心 平らかにして行い高し,兩つながら詩と書とに通ず。

 

海水の南に婆娑とし,明月の珠を簸弄【はろう】す。

我が宜春【ぎしゅん】に遷るに及び,意 攜えて以って俱にせんと欲す。

頭を擺って笑い且つう言,我 豈に足らざらん歟【や】。

又 奚【なん】ぞ北に為さん,往來 以て紛如【ふんじょ】たり。

 

海中 諸山の中,幽子 頗ぶる無きにあらず。

風濤の觀を相い期し,已に久しくして渝【かわ】る可からず。

又 嘗て疑う 龍蝦【りょうか】,果して誰か牙鬚【がしゅ】に雄なる。

蚌蠃【ぼうら】魚鱉【ぎょべつ】の蟲【ちゅう】,瞿瞿【くく】以て狙狙【そそ】たり。

 

一を識って已に十を忘る,大は同じゅうして細は自ら殊【こと】なれり。

一たび之を窮究せんと欲す,時歲 屢【しばし】ば謝除【しゃじょ】す。

今 子 南し且つ北す,豈に亦た圖ること有るに非らざらんや。

人心 未だ嘗て同じからず,一理もて區す可からず。

宜しく各【おのお】の務むる所に從うべく,未だ相い賢愚【けんぐ】するを用いず。 

toujidaimap 

 

『別趙子』 現代語訳と訳註

(本文) #3

海中諸山中,幽子【案:隱士也。】頗不無。

相期風濤觀,已久不可渝。

又嘗疑龍蝦,果誰雄牙鬚。

蚌蠃魚鱉蟲,瞿瞿以狙狙。

 

(下し文)

海中 諸山の中,幽子 頗ぶる無きにあらず。

風濤の觀を相い期し,已に久しくして渝【かわ】る可からず。

又 嘗て疑う 龍蝦【りょうか】,果して誰か牙鬚【がしゅ】に雄なる。

蚌蠃【ぼうら】魚鱉【ぎょべつ】の蟲【ちゅう】,瞿瞿【くく】以て狙狙【そそ】たり。

 

(現代語訳)

この大海に面した潮州の近隣の諸山中には高士の隠遁者が随分いるという。

この者たちがここの海上の風濤を見学しようと約束したこともある。それも既久しく歳月を経過したしたのであるが、高士のものとの約束というのは決して反故にすることはないのである。

それから、ここ潮州には、また、様々な海産物があって、その中でも龍蝦は牙鬚の雄大なるを以て、誰もが承知していることなのである。

その他、上は貝類、エビなど虫偏の甲殻類、から魚や亀類に至るものが、ククとして寄り、ソソとして集まっているところなのだ。

 

(訳注) #3

別趙子

(趙德君と別れる)

趙子 趙德に當たる。蘇東坡『潮州韓文公廟碑』に進士とあるから、郷貢進士であったひと。

 

海中 諸山 中,幽子 頗不無 。

この大海に面した潮州の近隣の諸山中には高士の隠遁者が随分いるという。

「海中」位置的な意味で、大海に面した潮州の近隣というほどのいみ。。

「幽子」隠遁者のことだが、この頃の隠遁者は奥地に家族とは言って普通の生活をするものが多く、自然の恵みを受ける地域は生活がしやすいという意味で、最高の土地であった。

「頗不無」韓愈の面白くない冗談。否定の否定。

 

相期 風濤 觀 ,已久 不可 渝。

この者たちがここの海上の風濤を見学しようと約束したこともある。それも既久しく歳月を経過したしたのであるが、高士のものとの約束というのは決して反故にすることはないのである。

「期風濤觀」東シナ海の怒涛逆巻く景色を観察しようという約束。

「已久不可渝」ずいぶん時間経過しているけれど、儒者の約束は決して忘れるものではないという意味。。

 

又嘗疑 龍蝦 ,果誰 雄 牙鬚 。

それから、ここ潮州には、また、様々な海産物があって、その中でも龍蝦は牙鬚の雄大なるを以て、誰もが承知していることなのである。

「龍蝦」龍と蝦。水生兩棲のもたち。

「牙鬚」齒とひげ。食べるものの全てのものというほどの意味。

 

蚌蠃 魚鱉 蟲 ,瞿瞿 以狙狙 。

その他、上は貝類、エビなど虫偏の甲殻類、から魚や亀類に至るものが、ククとして寄り、ソソとして集まっているところなのだ。

「蚌」語義類別:物、生物、動物專名(水生兩棲)、蝦(えび)蜆(しじみ)螺(つび)蚌(どぶがい)-蝦はカとも読み、エビのことです。

「蠃」蝦、えび。

「魚鱉」ぎょべつ、魚の合稱。

「蟲」語義類別:物、生物、動物指稱(泛稱)、蟲。

『史記・匈奴列伝』「元元萬民下及魚鱉上及飛鳥跂行喙息蠕動之類莫不就安利而辟危殆」【訓読】元元萬民、下は魚鱉に及び、上は飛鳥及ぶ、跂行喙息、蠕動之類にして、安利に就かざるはなく、而して危殆を辟く。【意味】元来すべての民はおろか、下は魚から上は鳥、虫けらやもぞもぞ動くものに至るまで、安心して生活することを望まないものはなく、危険は避けようとするものである。
韓愈の地図01 

《別趙子》#2韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <949>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3729韓愈詩-244

《別趙子》#2韓愈「また、どうして、わざわざ北に向かって往来し、その上、身を粉にするめんどうなことを致さねばならないのか。」(自分は欲得づくではなく、甘んじてこの地方の教育に従事し、それでこの一生を終えたとしても良いと考えており、他の場所に移ろうとは思わないのです。)


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李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html 
李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首
魚玄機 詩 全首130回賦得江邊柳 魚玄機  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-65-1-#五言律詩  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1876
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主に花間集から
温庭筠 70首『菩薩蠻 一』温庭筠  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-1-1-#1 花間集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1620
韋荘 50首 菩薩蠻 一 韋荘  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩花間集Gs-247-5-#1  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2617
皇甫松 10首 採蓮子二首  其一 皇甫松  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-307-5-#61  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3082
牛嶠  20首 女冠子四首 其一 牛嶠  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-312-5-#66  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3107
『花間集』継続中 
杜甫全詩韓愈全詩李白全集文選花間集 古詩源 玉台新詠

 

《別趙子》#2韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <949>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3729韓愈詩-244

 

 

作時年: 819年  元和十四年  52歲

卷 別: 卷三四一  文體: 五言古詩 

詩 題: 別趙子〔趙子名德,潮州人。愈刺潮,德攝海陽尉,督州學生徒,愈移袁州,欲與俱,不可,詩以別之。〕 

作地點: 揭陽(嶺南道東部 / 潮州 / 揭陽) 【案:揭陽,漢縣,屬南海郡,至唐為湘州。】

及地點:  揭陽 (嶺南道東部 潮州 揭陽) ・袁州 (江南西道 袁州 袁州) 別名:宜春 【案:袁州。】    

交遊人物/地點: 趙德當地交遊(嶺南道東部 潮州 揭陽)

 

 

別趙子

(趙德君と別れる)

〔趙子名德,潮州人。愈刺潮,德攝海陽尉,督州學生徒,愈移袁州,欲與俱,不可,詩以別之。〕

(趙子 名は德,潮州の人。愈 潮の刺たりしとき,德 海陽尉を攝し,州學の生徒を督す。 愈 袁州に移るとき,與に俱せんと欲すも,「可ならず」,詩以て之と別る。)

我遷於揭陽,君先揭陽居。

私が初めて潮州に左遷された時、君はそれに先立って、掲揚にいた。

揭陽去京華,其里萬有餘。

潮州は長安を去ること、万里以上もあり、まことに僻遠の偏地である。

不謂小郭中,有子可與娛。

そんな小さな城郭の中に、君のごとく共に語るに足る人がいることは、まことに予想せぬことである。

心平而行高,兩通詩與書。

心を平穏にして行いを高くするそして、詩経と書経の両經に精通していて、立派に学問の根底ができている。

#2

婆娑海水南,簸弄明月珠。

而も大海に面した南の僻地に婆娑としてうろついていて、名月の真珠の様な才徳をただもてあそんでおられる。

及我遷宜春,意欲攜以俱。

ところが今や、我々は、兗州に量移されたことにより、君を携え、一緒にその地に行こうと思ったのだ。

擺頭笑且言,我豈不足歟。

ところが君は、首を横に振って笑いながら言ったことは「現在のわれわれの職は格別なものではありません。自分にとっては採るに足らないものでしかないのです。」

又奚為於北,往來以紛如。

「また、どうして、わざわざ北に向かって往来し、その上、身を粉にするめんどうなことを致さねばならないのか。」

(自分は欲得づくではなく、甘んじてこの地方の教育に従事し、それでこの一生を終えたとしても良いと考えており、他の場所に移ろうとは思わないのです。)

#3

海中諸山中,幽子【案:隱士也。】頗不無。

相期風濤觀,已久不可渝。

又嘗疑龍蝦,果誰雄牙鬚。

蚌蠃魚鱉蟲,瞿瞿以狙狙。

#4

識一已忘十,大同細自殊。

欲一窮究之,時歲屢謝除。

今子南且北,豈非亦有圖。

人心未嘗同,不可一理區。

宜各從所務,未用相賢愚。 

 

(趙子に別る)

我れ揭陽【けいよう】に遷り,君は先づ揭陽に居る。

揭陽 京華を去る,其の里 萬有う餘。

謂わざりき小郭の中,子が與に娛しむ可き有らんとは。

心 平らかにして行い高し,兩つながら詩と書とに通ず。

 

海水の南に婆娑とし,明月の珠を簸弄【はろう】す。

我が宜春【ぎしゅん】に遷るに及び,意 攜えて以って俱にせんと欲す。

頭を擺って笑い且つう言,我 豈に足らざらん歟【や】。

又 奚【なん】ぞ北に為さん,往來 以て紛如【ふんじょ】たり。

 

海中 諸山の中,幽子 頗ぶる無きにあらず。

風濤の觀を相い期し,已に久しくして渝【かわ】る可からず。

又 嘗て疑う 龍蝦【りょうか】,果して誰か牙鬚【がしゅ】に雄なる。

蚌蠃【ぼうら】魚鱉【ぎょべつ】の蟲【ちゅう】,瞿瞿【くく】以て狙狙【そそ】たり。

 

一を識って已に十を忘る,大は同じゅうして細は自ら殊【こと】なれり。

一たび之を窮究せんと欲す,時歲 屢【しばし】ば謝除【しゃじょ】す。

今 子 南し且つ北す,豈に亦た圖ること有るに非らざらんや。

人心 未だ嘗て同じからず,一理もて區す可からず。

宜しく各【おのお】の務むる所に從うべく,未だ相い賢愚【けんぐ】するを用いず。 

韓愈の地図01 

 

 

『別趙子』 現代語訳と訳註

(本文) #2

婆娑海水南,簸弄明月珠。

及我遷宜春,意欲攜以俱。

擺頭笑且言,我豈不足歟。

又奚為於北,往來以紛如。

 

(下し文)

海水の南に婆娑とし,明月の珠を簸弄【はろう】す。

我が宜春【ぎしゅん】に遷るに及び,意 攜えて以って俱にせんと欲す。

頭を擺って笑い且つう言,我 豈に足らざらん歟【や】。

又 奚【なん】ぞ北に為さん,往來 以て紛如【ふんじょ】たり。

 

(現代語訳)

而も大海に面した南の僻地に婆娑としてうろついていて、名月の真珠の様な才徳をただもてあそんでおられる。

ところが今や、我々は、兗州に量移されたことにより、君を携え、一緒にその地に行こうと思ったのだ。

ところが君は、首を横に振って笑いながら言ったことは「現在のわれわれの職は格別なものではありません。自分にとっては採るに足らないものでしかないのです。」

「また、どうして、わざわざ北に向かって往来し、その上、身を粉にするめんどうなことを致さねばならないのか。」

(自分は欲得づくではなく、甘んじてこの地方の教育に従事し、それでこの一生を終えたとしても良いと考えており、他の場所に移ろうとは思わないのです。)

 

 

(訳注) #2

別趙子

(趙德君と別れる)

趙子 趙德に當たる。蘇東坡『潮州韓文公廟碑』に進士とあるから、郷貢進士であったひと。

 

婆娑 海水 南 ,簸弄 明月 珠 。

而も大海に面した南の僻地に婆娑としてうろついていて、名月の真珠の様な才徳をただもてあそんでおられる。

「婆娑」1 舞う人の衣の袖がひるがえるさま。「得意の事得意の人に遇えば―として起舞し」〈岡倉天心・狩野芳崖〉

2 ただ物の影などが揺れ動くさま。

「海水南」大海に面した南の僻地。

「簸弄」もてあそぶこと。

「明月珠」天文、月、月。真珠。趙子に対する誉め言葉。

 

及我 遷 宜春 ,意欲 攜 以俱。

ところが今や、我々は、兗州に量移されたことにより、君を携え、一緒にその地に行こうと思ったのだ。

「宜春」山東省兗州。(g-1)

 

 

擺頭 笑 且言 ,我豈 不足 歟。

ところが君は、首を横に振って笑いながら言ったことは「現在のわれわれの職は格別なものではありません。自分にとっては採るに足らないものでしかないのです。」

「擺頭」首を横に振って。

 

又奚為於北 ,往來 以紛如。

「また、どうして、わざわざ北に向かって往来し、その上、身を粉にするめんどうなことを致さねばならないのか。」

(自分は欲得づくではなく、甘んじてこの地方の教育に従事し、それでこの一生を終えたとしても良いと考えており、他の場所に移ろうとは思わないのです。)

「北」語義類別:地、空間、方向、北。

「往來」語義類別:人、行為動作、一般行為(人部)、來往。

朱槿花・佛桑華

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韓愈(趙德君と別れる)私が初めて潮州に左遷された時、君はそれに先立って、掲揚にいた。潮州は長安を去ること、万里以上もあり、まことに僻遠の偏地である。そんな小さな城郭の中に、君のごとく共に語るに足る人がいることは、まことに予想せぬことである。心を平穏にして行いを高くするそして、詩経と書経の両經に精通していて、立派に学問の根底ができている。


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李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
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《別趙子》#1韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <948>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3724韓愈詩-243

 

 

作時年: 819年  元和十四年  52歲

卷 別: 卷三四一  文體: 五言古詩 

詩 題: 別趙子〔趙子名德,潮州人。愈刺潮,德攝海陽尉,督州學生徒,愈移袁州,欲與俱,不可,詩以別之。〕 

作地點: 揭陽(嶺南道東部 / 潮州 / 揭陽) 【案:揭陽,漢縣,屬南海郡,至唐為湘州。】

及地點:  揭陽 (嶺南道東部 潮州 揭陽) ・袁州 (江南西道 袁州 袁州) 別名:宜春 【案:袁州。】    

交遊人物/地點: 趙德當地交遊(嶺南道東部 潮州 揭陽)

 

 

別趙子

(趙德君と別れる)

〔趙子名德,潮州人。愈刺潮,德攝海陽尉,督州學生徒,愈移袁州,欲與俱,不可,詩以別之。〕

(趙子 名は德,潮州の人。愈 潮の刺たりしとき,德 海陽尉を攝し,州學の生徒を督す。 愈 袁州に移るとき,與に俱せんと欲すも,「可ならず」,詩以て之と別る。)

我遷於揭陽,君先揭陽居。

私が初めて潮州に左遷された時、君はそれに先立って、掲揚にいた。

揭陽去京華,其里萬有餘。

潮州は長安を去ること、万里以上もあり、まことに僻遠の偏地である。

不謂小郭中,有子可與娛。

そんな小さな城郭の中に、君のごとく共に語るに足る人がいることは、まことに予想せぬことである。

心平而行高,兩通詩與書。

心を平穏にして行いを高くするそして、詩経と書経の両經に精通していて、立派に学問の根底ができている。

#2

婆娑海水南,簸弄明月珠。

及我遷宜春,意欲攜以俱。

擺頭笑且言,我豈不足歟。

又奚為於北,往來以紛如。

#3

海中諸山中,幽子【案:隱士也。】頗不無。

相期風濤觀,已久不可渝。

又嘗疑龍蝦,果誰雄牙鬚。

蚌蠃魚鱉蟲,瞿瞿以狙狙。

#4

識一已忘十,大同細自殊。

欲一窮究之,時歲屢謝除。

今子南且北,豈非亦有圖。

人心未嘗同,不可一理區。

宜各從所務,未用相賢愚。 

 

(趙子に別る)

我れ揭陽【けいよう】に遷り,君は先づ揭陽に居る。

揭陽 京華を去る,其の里 萬有う餘。

謂わざりき小郭の中,子が與に娛しむ可き有らんとは。

心 平らかにして行い高し,兩つながら詩と書とに通ず。

 

海水の南に婆娑とし,明月の珠を簸弄【はろう】す。

我が宜春【ぎしゅん】に遷るに及び,意 攜えて以って俱にせんと欲す。

頭を擺って笑い且つう言,我 豈に足らざらん歟【や】。

又 奚【なん】ぞ北に為さん,往來 以て紛如【ふんじょ】たり。

 

海中 諸山の中,幽子 頗ぶる無きにあらず。

風濤の觀を相い期し,已に久しくして渝【かわ】る可からず。

又 嘗て疑う 龍蝦【りょうか】,果して誰か牙鬚【がしゅ】に雄なる。

蚌蠃【ぼうら】魚鱉【ぎょべつ】の蟲【ちゅう】,瞿瞿【くく】以て狙狙【そそ】たり。

 

一を識って已に十を忘る,大は同じゅうして細は自ら殊【こと】なれり。

一たび之を窮究せんと欲す,時歲 屢【しばし】ば謝除【しゃじょ】す。

今 子 南し且つ北す,豈に亦た圖ること有るに非らざらんや。

人心 未だ嘗て同じからず,一理もて區す可からず。

宜しく各【おのお】の務むる所に從うべく,未だ相い賢愚【けんぐ】するを用いず。  

韓愈の地図01 

『別趙子』 現代語訳と訳註

(本文)

別趙子

我遷於揭陽,君先揭陽居。

揭陽去京華,其里萬有餘。

不謂小郭中,有子可與娛。

心平而行高,兩通詩與書。

 

(下し文)

(趙子に別る)

我れ揭陽【けいよう】に遷り,君は先づ揭陽に居る。

揭陽 京華を去る,其の里 萬有う餘。

謂わざりき小郭の中,子が與に娛しむ可き有らんとは。

心 平らかにして行い高し,兩つながら詩と書とに通ず。

 

(現代語訳)

(趙德君と別れる)

私が初めて潮州に左遷された時、君はそれに先立って、掲揚にいた。

潮州は長安を去ること、万里以上もあり、まことに僻遠の偏地である。

そんな小さな城郭の中に、君のごとく共に語るに足る人がいることは、まことに予想せぬことである。

心を平穏にして行いを高くするそして、詩経と書経の両經に精通していて、立派に学問の根底ができている。

 

(訳注)

別趙子

(趙德君と別れる)

趙子 趙德に當たる。蘇東坡『潮州韓文公廟碑』に進士とあるから、郷貢進士であったひと。

紅蓼00 

我遷 於揭陽 ,君先 揭陽 居 。

私が初めて潮州に左遷された時、君はそれに先立って、掲揚にいた。

「揭陽」 (嶺南道東部 / 潮州 / 揭陽) 揭陽は漢の縣で,南海郡に屬す,唐に至りて湘州の治と為す。廣州記に言う、「大庚,始安、臨賀、桂陽、揭陽を五嶺と為す。」五嶺(湖南から福建広東にある山、大庚・始安・臨賀・桂陽・掲陽の五嶺山脈)西から東の順に、越城嶺(えつじょうれい)、都龐嶺(とほうれい)、萌渚嶺(ほうしょれい)、騎田嶺(きでんれい)、大庾嶺(だいゆれい)の五つの山並みが組み合わさっているためこの名がある。唐朝の宰相・張九齢が大庾嶺を切り開いて「梅関古道」を築いて以後、嶺南地区の開発がようやく進んできた。また古代以来の中国の統治者たちは南嶺を行政区画を作る上で利用してきており、南嶺は諸省区の境界線および辺縁の地となってきた。

 

揭陽 去 京華 ,其里 萬 有餘 。

潮州は長安を去ること、万里以上もあり、まことに僻遠の偏地である。

「揭陽」地名、行政地名、揭陽。

「京華」京師。 都、長安。

「萬有餘」荘子逍遥遊編「衆人皆有餘」に基づく。

 

不謂 小郭 中 ,有子 可與娛 。

そんな小さな城郭の中に、君のごとく共に語るに足る人がいることは、まことに予想せぬことである。

「小郭」小さな城郭。

「可與娛」娛樂活動、娛樂。 詩経 鄭風「聊可與娛」とある。

 

心平 而行 高 ,兩通 詩 與書 。

心を平穏にして行いを高くするそして、詩経と書経の両經に精通していて、立派に学問の根底ができている。

「心平而行高」、心神氣力の狀態をいう。

「兩通」両經に精通する。立派に学問の根底ができている。

「詩與書」詩經と尚書(書経)。
2蜀の山00 

《潮州刺史謝上表》(15)韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <947>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3719韓愈詩-242-(15) 15分割

《潮州刺史謝上表》(15) 伏して思いますのに、皇帝陛下、万物を育てる天地の父として、子を愛する母としてみてください。そして、私をかわいそうだと思って下さい。恩に感じ宮城の門間を恋い慕い、心に恥じおそれ、ねんごろに心せまるきわみに構えません。謹んで上表文に書き記して、お詫びを申し上げます。


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『花間集』継続中 
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《潮州刺史謝上表》(15)韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <947>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3719韓愈詩-242-(15) 15分割

(広東省潮州に左遷された韓愈が、罪を許されて召還され、中央政府に用いられることを願い、謝して奉った上表文である。)家臣の私が申し上げます。私は人並みはずれて激しく無分別な考えの愚かなもので、礼儀法度もわきまえておりませんでした。

 

 

潮州に着いたのは、819年元和14年の3月25日であった。長安を出てから三か月若の日数がかかったわけである。流罪とはいえ形式上は潮州刺史の辞令をもらって赴任したのであるから、到着の報告書を作成した。その「潮州刺史謝上表」は、恭順の意がのべられ、死罪になっても文句のないところであること。流罪になったのはまことに寛大な処置で、自分はここの地方長官として天子の恩徳を住民に告げた」ということが書かれている。その一方、哀願もしていて、こんな片田舎では生活できないから、一日も早く呼びもどしてほしいと訴えている。北方生まれの韓愈にとって、南での生活はすべてが異様であり、耐えがたいものだったのだ。三度目の嶺南行である。 

 

(14)#9-1

當此之際,所謂千載一時不可逢之嘉會,

この報告することを得られた時に当たり、いわゆる千載の一時として、遇い難いよい出合いなのであります。

而臣負嬰釁,自拘海島,

しかし、私は罪を負って罰をうけ、それは自分の過ちからの結果で、この海島に拘束されたのです。

戚戚嗟嗟,日與死迫,

心は戚戚とうれい、嗟嗟なげいきました。それからは毎日、死にむかって近づいているのです。

曾不得奏薄技於從官之內、隸禦之間,

それなのに、つたない文筆の技によるこの文章を侍従の官のうち、側近の下役人の所から順にこうしてご報告申し上げるのです。

窮思畢精,以贖罪過,

思いをきわめ、たましいをつくして、それでもって罪過をあがなうことができずにいるのです。

 (15)#9-2

懷痛窮天,死不閉目,

ただ痛む心を、天のはてともいうべきこの地に思い抱いて、死んでも目を閉じることができないことでしょう。

瞻望宸極,魂神飛去。

北極星をあおぎ見望むさきには宮城があり、魂と精神は飛んで行くばかりであります。

伏惟皇帝陛下,天地父母,

伏して思いますのに、皇帝陛下、万物を育てる天地の父として、子を愛する母としてみてください。

哀而憐之,無任感恩戀闕慚惶懇迫之至。

そして、私をかわいそうだと思って下さい。恩に感じ宮城の門間を恋い慕い、心に恥じおそれ、ねんごろに心せまるきわみに構えません。

謹附表陳謝以聞。

謹んで上表文に書き記して、お詫びを申し上げます。

 

此の際に當って,所謂る千載の一時逢う可からざるの嘉會なり。

而るに臣 罪を負う釁【きん】に嬰【かか】り,自ら海島に拘わる。

戚戚【せきせき】嗟嗟【ささ】,日に死と迫る。

曾【すなわ】ち薄技【はくぎ】於從官の內、隸禦【れいぎょ】の間に奏し,思いを窮め精を畢【つく】し,以て罪過を贖【あがな】うを得ず,

痛を窮天に懷【いだ】き,死して目を閉じず。

宸極【しんきょく】を瞻望【せんぼう】し,魂神 飛び去る。

伏して惟【おも】う皇帝陛下は,天地 父母なり,

哀【あわれ】んで之を憐み,恩に感じ闕を戀い慚惶【ざんこう】懇迫【こんぱく】の至【いたり】に任【あた】る無し。

謹みて表に附し陳謝して以聞す。

韓愈の地図01 

 

『潮州刺史謝上表』現代語訳と訳註

(本文) (15)#9-2

懷痛窮天,死不閉目,

瞻望宸極,魂神飛去。

伏惟皇帝陛下,天地父母,

哀而憐之,無任感恩戀闕慚惶懇迫之至。

謹附表陳謝以聞。

 

(下し文) (15)#9-2

痛を窮天に懷【いだ】き,死して目を閉じず。

宸極【しんきょく】を瞻望【せんぼう】し,魂神 飛び去る。

伏して惟【おも】う皇帝陛下は,天地 父母なり,

哀【あわれ】んで之を憐み,恩に感じ闕を戀い慚惶【ざんこう】懇迫【こんぱく】の至【いたり】に任【あた】る無し。

謹みて表に附し陳謝して以聞す。

 

(現代語訳)

ただ痛む心を、天のはてともいうべきこの地に思い抱いて、死んでも目を閉じることができないことでしょう。

北極星をあおぎ見望むさきには宮城があり、魂と精神は飛んで行くばかりであります。

伏して思いますのに、皇帝陛下、万物を育てる天地の父として、子を愛する母としてみてください。

そして、私をかわいそうだと思って下さい。恩に感じ宮城の門間を恋い慕い、心に恥じおそれ、ねんごろに心せまるきわみに構えません。

謹んで上表文に書き記して、お詫びを申し上げます。

 

 

(訳注) (15)#9-2

懷痛窮天,死不閉目,

ただ痛む心を、天のはてともいうべきこの地に思い抱いて、死んでも目を閉じることができないことでしょう。

 

瞻望宸極,魂神飛去。

北極星をあおぎ見望むさきには宮城があり、魂と精神は飛んで行くばかりであります。

○陪望辰棒 北極星をあおぎ見望む。寅は北辰、極は天の柱。二字で北極星、朝廷宮城をいう。

 

伏惟皇帝陛下,天地父母,

伏して思いますのに、皇帝陛下、万物を育てる天地の父として、子を愛する母としてみてください。

 

哀而憐之,無任感恩戀闕慚惶懇迫之至。

そして、私をかわいそうだと思って下さい。恩に感じ宮城の門間を恋い慕い、心に恥じおそれ、ねんごろに心せまるきわみに構えません。

○恋閥 宮城の門前左右にある闕という高楼を恋しく思う。朝廷の門を恋うる。

 

謹附表陳謝以聞。

謹んで上表文に書き記して、お詫びを申し上げます。

○付表 上表文に書きつけて。
唐長安城図 




















潮州刺史謝上表 韓愈

#1

臣某言:臣以狂妄戇愚,不識禮度,上表陳佛骨事,言涉不敬,正名定罪,萬死猶輕。陛下哀臣愚忠,恕臣狂直,謂臣言雖可罪,心亦無他,特屈刑章,以臣為潮州刺史。既免刑誅,又獲祿食,聖恩宏大,天地莫量,破腦刳心,豈足為謝!臣某誠惶誠恐,頓首頓首。

#2

臣以正月十四日,蒙恩除潮州刺史,

即日奔馳上道,經涉嶺海,

水陸萬裏,以今月二十五日,到州上訖。

與官吏百姓等相見,具言朝廷治平,

天子神聖,威武慈仁,

子養億兆人庶,無有親疏遠邇,

雖在萬裏之外,嶺海之陬,

待之一如畿甸之間,輦轂之下。

(4)#2-2

有善必聞,有惡必見,

早朝晚罷,兢兢業業,

惟恐四海之內,天地之中,一物不得其所,

故遣刺史麵問百姓疾苦,

苟有不便,得以上陳。

(5)#3

國家憲章完具,為治日久,

守令承奉詔條,違犯者鮮,

雖在蠻荒,無不安泰。

聞臣所稱聖德,惟知鼓舞讙歡呼,

不勞施為,坐以無事。

臣某誠惶誠恐,頓首頓首。

(6)#4

臣所領州,在廣府極東界上,

去廣府雖雲才二千裏,然往來動皆經月。

過海口,下惡水。

濤瀧壯猛,難計程期;

颶風鱷魚,患禍不測。

州南近界,漲海連天;

毒霧瘴氛,日夕發作。

(7)#5

臣少多病,年才五十,

發白齒落,理不久長,

加以罪犯至重,所處又極遠惡,

憂惶慚悸,死亡無日。

單立一身,朝無親黨,

居蠻夷之地,與魑魅為群,

苟非陛下哀而念之,誰肯為臣言者?

(8)#6-1

臣受性愚陋,人事多所不通,

惟酷好學問文章,

未嚐一日暫廢,實為時輩所見推許。

臣於當時之文,亦未有過人者。

至於論述陛下功德,與《詩》《書》相表裏;

(9) #6-2

作為歌詩,薦之郊廟;

紀泰山之封,鏤白玉之牒;

鋪張對天之閎休,揚厲無前之偉績,

編之乎《詩》《書》之策而無愧,措之乎天地之間而無虧。

雖使古人複生,臣亦未肯多讓。

(10)#7

伏以大唐受命有天下,四海之內,

莫不臣妾,南北東西,

地各萬裏。自天寶之後,

政治少懈,文致未優,

武克不剛,孽臣奸隸,

蠹居棋處,搖毒自防,

外順內悖,父死子代,

以祖以孫,如古諸侯,

自擅其地,不貢不朝,

六七十年。四聖傳序,以至陛下。

(11)#8-1

陛下即位以來,躬親聽斷;

旋乾轉坤,關機闔開;

雷厲風飛,日月所照;

天戈所麾,莫不寧順;

大宇之下,生息理極。

(12)#8-2

高祖創制天下,其功大矣,而治未太平也;

太宗太平矣,而大功所立,鹹在高祖之代。

非如陛下承天寶之後,接因循之餘,

六七十年之外,赫然興起,

南麵指麾,而致此巍巍之治功也。

(13)#8-3

宜定樂章,以告神明,

東巡泰山,奏功皇天,

具著顯庸,明示得意,

使永永年代,服我成烈。

(14)#9-1

當此之際,所謂千載一時不可逢之嘉會,

而臣負罪嬰,自拘海島,

戚戚嗟嗟,日與死迫,

曾不得奏薄技於從官之內、隸禦之間,

窮思畢精,以贖罪過,

(15)#9-2

懷痛窮天,死不閉目,

瞻望宸極,魂神飛去。

伏惟皇帝陛下,天地父母,

哀而憐之,無任感恩戀闕慚惶懇迫之至。

謹附表陳謝以聞。

    

《潮州刺史謝上表》(14)韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <946>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3714韓愈詩-242-(14) 15分割

《潮州刺史謝上表》(14) 広東省潮州に左遷された韓愈が、罪を許されて召還され、中央政府に用いられることを願い、謝して奉った上表文である。つたない文筆の技によるこの文章を侍従の官のうち、側近の下役人の所から順にこうしてご報告申し上げるのです。

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《潮州刺史謝上表》(14)韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <946>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3714韓愈詩-242-(14) 15分割

(広東省潮州に左遷された韓愈が、罪を許されて召還され、中央政府に用いられることを願い、謝して奉った上表文である。)家臣の私が申し上げます。私は人並みはずれて激しく無分別な考えの愚かなもので、礼儀法度もわきまえておりませんでした。

 

 

潮州に着いたのは、819年元和14年の3月25日であった。長安を出てから三か月若の日数がかかったわけである。流罪とはいえ形式上は潮州刺史の辞令をもらって赴任したのであるから、到着の報告書を作成した。その「潮州刺史謝上表」は、恭順の意がのべられ、死罪になっても文句のないところであること。流罪になったのはまことに寛大な処置で、自分はここの地方長官として天子の恩徳を住民に告げた」ということが書かれている。その一方、哀願もしていて、こんな片田舎では生活できないから、一日も早く呼びもどしてほしいと訴えている。北方生まれの韓愈にとって、南での生活はすべてが異様であり、耐えがたいものだったのだ。三度目の嶺南行である。

sas0002

 

 

 

(14)#9-1

當此之際,所謂千載一時不可逢之嘉會,

この報告することを得られた時に当たり、いわゆる千載の一時として、遇い難いよい出合いなのであります。

而臣負嬰釁,自拘海島,

しかし、私は罪を負って罰をうけ、それは自分の過ちからの結果で、この海島に拘束されたのです。

戚戚嗟嗟,日與死迫,

心は戚戚とうれい、嗟嗟なげいきました。それからは毎日、死にむかって近づいているのです。

曾不得奏薄技於從官之內、隸禦之間,

それなのに、つたない文筆の技によるこの文章を侍従の官のうち、側近の下役人の所から順にこうしてご報告申し上げるのです。

窮思畢精,以贖罪過,

思いをきわめ、たましいをつくして、それでもって罪過をあがなうことができずにいるのです。

 (15)#9-2

懷痛窮天,死不閉目,

瞻望宸極,魂神飛去。

伏惟皇帝陛下,天地父母,

哀而憐之,無任感恩戀闕慚惶懇迫之至。

謹附表陳謝以聞。

 

此の際に當って,所謂る千載の一時逢う可からざるの嘉會なり。

而るに臣 罪を負う釁【きん】に嬰【かか】り,自ら海島に拘わる。

戚戚【せきせき】嗟嗟【ささ】,日に死と迫る。

曾【すなわ】ち薄技【はくぎ】於從官の內、隸禦【れいぎょ】の間に奏し,思いを窮め精を畢【つく】し,以て罪過を贖【あがな】うを得ず,

痛を窮天に懷【いだ】き,死して目を閉じず。

宸極【しんきょく】を瞻望【せんぼう】し,魂神 飛び去る。

伏して惟【おも】う皇帝陛下は,天地 父母なり,

哀【あわれ】んで之を憐み,恩に感じ闕を戀い慚惶【ざんこう】懇迫【こんぱく】の至【いたり】に任【あた】る無し。

謹みて表に附し陳謝して以聞す。

韓愈の地図01 

 

『潮州刺史謝上表』現代語訳と訳註

(本文) (14)#9-1

當此之際,所謂千載一時不可逢之嘉會,

而臣負罪嬰釁,自拘海島,

戚戚嗟嗟,日與死迫,

曾不得奏薄技於從官之內、隸禦之間,

窮思畢精,以贖罪過,

 

(下し文) (14)#9-1

此の際に當って,所謂る千載の一時逢う可からざるの嘉會なり。

而るに臣 罪を負う釁【きん】に嬰【かか】り,自ら海島に拘わる。

戚戚【せきせき】嗟嗟【ささ】,日に死と迫る。

曾【すなわ】ち薄技【はくぎ】於從官の內、隸禦【れいぎょ】の間に奏し,思いを窮め精を畢【つく】し,以て罪過を贖【あがな】うを得ず,

 

(現代語訳)

この報告することを得られた時に当たり、いわゆる千載の一時として、遇い難いよい出合いなのであります。

しかし、私は罪を負って罰をうけ、それは自分の過ちからの結果で、この海島に拘束されたのです。

心は戚戚とうれい、嗟嗟なげいきました。それからは毎日、死にむかって近づいているのです。

それなのに、つたない文筆の技によるこの文章を侍従の官のうち、側近の下役人の所から順にこうしてご報告申し上げるのです。

思いをきわめ、たましいをつくして、それでもって罪過をあがなうことができずにいるのです。


(訳注) (14)#9-1

當此之際,所謂千載一時不可逢之嘉會,

この報告することを得られた時に当たり、いわゆる千載の一時として、遇い難いよい出合いなのであります。

○嘉会 好い出会い。

 

而臣負嬰釁,自拘海島,

しかし、私は罪を負って罰をうけ、それは自分の過ちからの結果で、この海島に拘束されたのです。

○嬰釁 刑罰にかかる。嬰はきず、つみ、刑罰。釁は罷る。

○海島 潮州。広東省から海に出でついたのでこういう表現をした。実際には大陸内の海岸に近い所にある。(f-5)

 

戚戚嗟嗟,日與死迫,

心は戚戚とうれい、嗟嗟なげいきました。それからは毎日、死にむかって近づいているのです。

○戚成 心うれえるさま。

○嗟嗟 なげくさま。

 

曾不得奏薄技於從官之內、隸禦之間,

それなのに、つたない文筆の技によるこの文章を侍従の官のうち、側近の下役人の所から順にこうしてご報告申し上げるのです。

○宵 乃と同じ意。それなのに。

○薄技 つまらぬわざ、文筆の技、文章を謙遜していう。

○従官 侍従の官。

○隷御 おそば付きを御という。隷は下役人。小者。

 

窮思畢精,以贖罪過,

思いをきわめ、たましいをつくして、それでもって罪過をあがなうことができずにいるのです。

○畢精 まごころ、精神をつくす。

○贖 あがなう。つぐなう。
2潮州広東00 

《潮州刺史謝上表》(13)韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <945>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3709韓愈詩-242-(13)

韓愈《潮州刺史謝上表》(13) このようでありますから、陛下は神を祀る礼楽制度と刑九章を作り定められて、それでもつて神のごとくこの治績を告げられた。東のかた山東の泰山に巡幸ありますと、功勲を天神に申し上げるのであります。


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●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場
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《潮州刺史謝上表》(13)韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <945>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3709韓愈詩-242-(13)
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於凊河見輓船士新婚別妻一首 曹丕(魏文帝) 魏詩http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67759129.html
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謝靈運詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/1901_shareiun000.html 謝靈運詩六朝期の山水詩人。この人の詩は上品ですがすがしい男性的な深みのある詩である。後世に多大な影響を残している。
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孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
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(11)#8-1

陛下即位以來,躬親聽斷;

陛下は御即位以来、御自身で政事を聴いて裁断を下されます。

旋乾轉坤,關機闔開;

あれほど危かった天下をもとどおりにかえされ、地を正しい位置に転じ、全く旧来と一変し、その万物生々のからくりの動きが、或いは閉じ、或いは開いて順調に活動するように政治を運用なされた。

雷厲風飛,日月所照;

あれほど危かった天下をもとどおりにかえされ、地を正しい位置に転じ、全く旧来と一変し、その万物生々のからくりの動きが、或いは閉じ、或いは開いて順調に活動するように政治を運用なされた。

天戈所麾,莫不寧順;

天の振るうほこともいうべき陛下の軍隊のさしまねくところ、天下に安らぎ順わないものはない。

大宇之下,生息理極。

大いなる天のもと万人万物の生息する秩序が平安で「太平の治」はここにその極致に至ったのであります。

 (12)#8-2

高祖創制天下,其功大矣,而治未太平也;

唐の高祖李淵がはじめて天下を支配されて、その功は大きかったのですが、しかもその治はまだ太平ではなかった。

太宗太平矣,而大功所立,鹹在高祖之代。

唐朝の第2代皇帝太宗、李世民が天下を太平にされましたが、その大功の立ったわけは、みな高祖の御代にありました。

非如陛下承天寶之後,接因循之餘,

それは陛下が天宝の乱後を承けて、長いしきたりに因り従った後をうけついだことです。

六七十年之外,赫然興起,

六、七十年の後に、かがやかしく盛んに立ち上がられた。

南麵指麾,而致此巍巍之治功也。

南面して皇位につき天下にさしずをなさって、この高大な政治の手柄を得られたようなのではありませんでした。

 (13)#8-3

宜定樂章,以告神明,

このようでありますから、陛下は神を祀る礼楽制度と刑九章を作り定められて、それでもつて神のごとくこの治績を告げられた。

東巡泰山,奏功皇天,

東のかた山東の泰山に巡幸ありますと、功勲を天神に申し上げるのであります。

具著顯庸,明示得意,

具体的に顕著になっている天子の御功績を指し示し、天下に明確に思い通りを成し遂げたことを示されたのであります。

使永永年代,服我成烈。

このことは永年、後の代まで、わが天子の完成した功業の輝く光に従わせることになるのでございます。

 

(11)#8-1

陛下 即位 以來,躬 親【みづか】ら聽斷【ちょうだん】す。

乾を旋【めぐ】らし坤を轉じ,關機 闔開【こうかい】す。

雷厲【らいれい】風飛し,日月 照る所なり。

天戈【てんか】麾【さしまね】く所,寧順【ねいじゅん】ならざるは莫し

大宇の下,生息の理 極まれり。

(12)#8-2

高祖 創めて天下を制す,其の功大なり。

而れども 治 未だ太平ならざるなり。

太宗は太平なりき、而れども大功の立つ所は,鹹【みな】高祖の代に在り。

陛下が天寶の後を承け,因循の餘を接【う】け,

六七十年の外,赫然として興起し,

南麵【なんめん】指麾【しき】して,而れど此の巍巍【きぎ】の治功を致すが如きに非らざるなり。

(13)#8-3

宜しく樂章を定めて,以て神明に告ぐ。

東のかた泰山を巡りて,功を皇天に奏す。

具【つぶ】さに顯庸【けんよう】を著し,明らかに得意を示す。

永永 年代をして,我が成烈に服せ使むべし。

唐長安城図 

 

『潮州刺史謝上表』現代語訳と訳註

(本文) (13)#8-3

宜定樂章,以告神明,

東巡泰山,奏功皇天,

具著顯庸,明示得意,

使永永年代,服我成烈。

 

(下し文)(13)#8-3

宜しく樂章を定めて,以て神明に告ぐ。

東のかた泰山を巡りて,功を皇天に奏す。

具【つぶ】さに顯庸【けんよう】を著し,明らかに得意を示す。

永永 年代をして,我が成烈に服せ使むべし。

 

(現代語訳)

このようでありますから、陛下は神を祀る礼楽制度と刑九章を作り定められて、それでもつて神のごとくこの治績を告げられた。

東のかた山東の泰山に巡幸ありますと、功勲を天神に申し上げるのであります。

具体的に顕著になっている天子の御功績を指し示し、天下に明確に思い通りを成し遂げたことを示されたのであります。

このことは永年、後の代まで、わが天子の完成した功業の輝く光に従わせることになるのでございます。

 

韓愈の地図01 

(訳注) (13)#8-3

宜定樂章,以告神明,

このようでありますから、陛下は神を祀る礼楽制度と刑九章を作り定められて、それでもつて神のごとくこの治績を告げられた。

○樂章 古代専制国家の政治秩序は、法制と礼楽制度によって維持される。古典的国制の根幹をなしたものが礼楽制度であり、楽制であった。漢代から唐代初期に至るまでのうち、特に隋の楽制改革が国家統一、帝国的特質をかくりつした。これと刑九章の条文を作った事。

○神明 天子が神として礼楽制度と刑法を明確にした。

 

東巡泰山,奏功皇天,

東のかた山東の泰山に巡幸ありますと、功勲を天神に申し上げるのであります。

○東巡 西に対しては守ることを重視し、長安から東に巡狩(行幸)する。天子の威光を直接示した。東嶽泰山は東にありここで封禅する。

○皇天 皇は美称。天のこと。

 

具著顯庸,明示得意,

具体的に顕著になっている天子の御功績を指し示し、天下に明確に思い通りを成し遂げたことを示されたのであります。

○顕庸 顕はあきらか、顕著。庸は功、いさお、功績。

 

使永永年代,服我成烈。

このことは永年、後の代まで、わが天子の完成した功業の輝く光に従わせることになるのでございます。

○我成烈 わが陛下の完成した功業のかがやき。

泰山の夕日 

《潮州刺史謝上表》(12)韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <944>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3704韓愈詩-242-(12)

《潮州刺史謝上表》(12) 唐朝の第2代皇帝太宗、李世民が天下を太平にされましたが、その大功の立ったわけは、みな高祖の御代にありました。それは陛下が天宝の乱後を承けて、長いしきたりに因り従った後をうけついだことです。六、七十年の後に、かがやかしく盛んに立ち上がられた。

2014年2月5日 の紀頌之5つのブログ
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女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
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《潮州刺史謝上表》(12)韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <944>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3704韓愈詩-242-(12)

 

 

(11)#8-1

陛下即位以來,躬親聽斷;

陛下は御即位以来、御自身で政事を聴いて裁断を下されます。

旋乾轉坤,關機闔開;

あれほど危かった天下をもとどおりにかえされ、地を正しい位置に転じ、全く旧来と一変し、その万物生々のからくりの動きが、或いは閉じ、或いは開いて順調に活動するように政治を運用なされた。

雷厲風飛,日月所照;

あれほど危かった天下をもとどおりにかえされ、地を正しい位置に転じ、全く旧来と一変し、その万物生々のからくりの動きが、或いは閉じ、或いは開いて順調に活動するように政治を運用なされた。

天戈所麾,莫不寧順;

天の振るうほこともいうべき陛下の軍隊のさしまねくところ、天下に安らぎ順わないものはない。

大宇之下,生息理極。

大いなる天のもと万人万物の生息する秩序が平安で「太平の治」はここにその極致に至ったのであります。

 (12)#8-2

高祖創制天下,其功大矣,而治未太平也;

唐の高祖李淵がはじめて天下を支配されて、その功は大きかったのですが、しかもその治はまだ太平ではなかった。

太宗太平矣,而大功所立,鹹在高祖之代。

唐朝の第2代皇帝太宗、李世民が天下を太平にされましたが、その大功の立ったわけは、みな高祖の御代にありました。

非如陛下承天寶之後,接因循之餘,

それは陛下が天宝の乱後を承けて、長いしきたりに因り従った後をうけついだことです。

六七十年之外,赫然興起,

六、七十年の後に、かがやかしく盛んに立ち上がられた。

南麵指麾,而致此巍巍之治功也。

南面して皇位につき天下にさしずをなさって、この高大な政治の手柄を得られたようなのではありませんでした。

 (13)#8-3

宜定樂章,以告神明,

東巡泰山,奏功皇天,

具著顯庸,明示得意,

使永永年代,服我成烈。

 

(11)#8-1

陛下 即位 以來,躬 親【みづか】ら聽斷【ちょうだん】す。

乾を旋【めぐ】らし坤を轉じ,關機 闔開【こうかい】す。

雷厲【らいれい】風飛し,日月 照る所なり。

天戈【てんか】麾【さしまね】く所,寧順【ねいじゅん】ならざるは莫し

大宇の下,生息の理 極まれり。

(12)#8-2

高祖 創めて天下を制す,其の功大なり。

而れども 治 未だ太平ならざるなり。

太宗は太平なりき、而れども大功の立つ所は,鹹【みな】高祖の代に在り。

陛下が天寶の後を承け,因循の餘を接【う】け,

六七十年の外,赫然として興起し,

南麵【なんめん】指麾【しき】して,而れど此の巍巍【きぎ】の治功を致すが如きに非らざるなり。

(13)#8-3

宜しく樂章を定めて,以て神明に告ぐ。

東のかた泰山を巡りて,功を皇天に奏す。

具【つぶ】さに顯庸【けんよう】を著し,明らかに得意を示す。

永永 年代をして,我が成烈に服せ使むべし。

終南山06 

 

『潮州刺史謝上表』現代語訳と訳註

(本文)(12)#8-2

高祖創制天下,其功大矣,而治未太平也;

太宗太平矣,而大功所立,鹹在高祖之代。

非如陛下承天寶之後,接因循之餘,

六七十年之外,赫然興起,

南麵指麾,而致此巍巍之治功也。

 

(下し文) (12)#8-2

高祖 創めて天下を制す,其の功大なり。

而れども 治 未だ太平ならざるなり。

太宗は太平なりき、而れども大功の立つ所は,鹹【みな】高祖の代に在り。

陛下が天寶の後を承け,因循の餘を接【う】け,

六七十年の外,赫然として興起し,

南麵【なんめん】指麾【しき】して,而れど此の巍巍【きぎ】の治功を致すが如きに非らざるなり。

 

(現代語訳)

唐の高祖李淵がはじめて天下を支配されて、その功は大きかったのですが、しかもその治はまだ太平ではなかった。

唐朝の第2代皇帝太宗、李世民が天下を太平にされましたが、その大功の立ったわけは、みな高祖の御代にありました。

それは陛下が天宝の乱後を承けて、長いしきたりに因り従った後をうけついだことです。

六、七十年の後に、かがやかしく盛んに立ち上がられた。

南面して皇位につき天下にさしずをなさって、この高大な政治の手柄を得られたようなのではありませんでした。

韓愈の地図01 

(訳注) (12)#8-2

高祖創制天下,其功大矣,而治未太平也;

唐の高祖、李淵がはじめて天下を支配されて、その功は大きかったのですが、しかもその治はまだ太平ではなかった。

○高祖 李淵は、唐の初代皇帝。隋末の混乱の中で長安を落として根拠地とし、恭帝侑を隋の正統として立てたうえで、その禅譲により唐を建国した。 李淵の出自である隴西李氏は、史書では西涼の武昭王の末裔で、隴西郡成紀県を本貫とする漢民族ということになっている。

 

太宗太平矣,而大功所立,鹹在高祖之代。

唐朝の第2代皇帝太宗、李世民が天下を太平にされましたが、その大功の立ったわけは、みな高祖の御代にありました。

○太宗 李世民は、唐朝の第2代皇帝。高祖李淵の次男で、兄の李建成を殺害し皇帝に即位した。唐王朝の基礎を固める善政を行い、中国史上最高の名君の一人と称えられる。

 

非如陛下承天寶之後,接因循之餘,

それは陛下が天宝の乱後を承けて、長いしきたりに因り従った後をうけついだことです。

○大宅之後 天宝十四年安疎山の乱の後。

○因循 困りしたがう。前からのしきたりに従って改めない。

 

六七十年之外,赫然興起,

六、七十年の後に、かがやかしく盛んに立ち上がられた。

○六七十年 安史の乱755-763年、この上奏文の時期は819年~820年で64・65年である。

○赫然 かがやかしい。

 

南麵指麾,而致此巍巍之治功也。

南面して皇位につき天下にさしずをなさって、この高大な政治の手柄を得られたようなのではありませんでした。

〇南麵 宮中で天子の座位について南面して臣下にのぞむ。

○巍巍 高大の形容。
杏の白花01 

《潮州刺史謝上表》(11)韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <943>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3699韓愈詩-242-(11)

韓愈《潮州刺史謝上表》(11) 陛下は御即位以来、御自身で政事を聴いて裁断を下されます。あれほど危かった天下をもとどおりにかえされ、地を正しい位置に転じ、全く旧来と一変し、その万物生々のからくりの動きが、或いは閉じ、或いは開いて順調に活動するように政治を運用なされた。


2014年2月4日 の紀頌之5つのブログ
●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場
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班孟堅(班固)《東都賦》(28)#14(東都漢の美点)-3 文選 賦 賦<113―28>18分割35回 Ⅱ李白に影響を与えた詩1030 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3698
●唐を代表する中唐の韓愈の儒家としての考えのよくわかる代表作の一つ
Ⅱ中唐詩・晩唐詩
 
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《潮州刺史謝上表》(11)韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <943>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3699韓愈詩-242-(11)
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Ⅲ杜甫詩1000詩集  LiveDoorブログ 廣徳2年764-9-4 《別唐十五誡因寄禮部賈侍郎》 蜀中転々 杜甫 <659-4>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3700 杜甫詩1000-659-4-934/1500753-4
●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている
Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集 Fc2ブログ 275 《病鴟》 韓愈  kanbuniinkai 紀 頌之の詩詞 fc2ブログ 3701 (02/04)
●●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集
Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoor 12 -4 臨江仙二首其二 和學士凝二十首ⅩⅫ唐五代詞・「花間集」 Gs-431-12-#4  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3702
 
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『楚辞・九歌』東君 屈原詩<78-#1>505 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1332http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67664757.html
『楚辞』九辯 第九段―まとめ 宋玉  <00-#35> 664 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2304  http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-rihakujoseishi/archives/6471825.html
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為焦仲卿妻作 序 漢詩<143>古詩源 巻三 女性詩http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67729401.html
於凊河見輓船士新婚別妻一首 曹丕(魏文帝) 魏詩http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67759129.html
朔風 (一章) 曹植 魏詩<25-#1>文選雑詩 上 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67780868.html
謝靈運詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/1901_shareiun000.html 謝靈運詩六朝期の山水詩人。この人の詩は上品ですがすがしい男性的な深みのある詩である。後世に多大な影響を残している。
謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。
登永嘉緑嶂山詩 #1 謝霊運 <20> 詩集 386ーhttp://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67474554.html
登池上樓 #1 謝霊運<25>#1  ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67502196.html
孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。
李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html 
李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首
魚玄機 詩 全首130回賦得江邊柳 魚玄機  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-65-1-#五言律詩  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1876
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皇甫松 10首 採蓮子二首  其一 皇甫松  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-307-5-#61  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3082
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《潮州刺史謝上表》(11)韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <943>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3699韓愈詩-242-(11)

 

 

(11)#8-1

陛下即位以來,躬親聽斷;

陛下は御即位以来、御自身で政事を聴いて裁断を下されます。

旋乾轉坤,關機闔開;

あれほど危かった天下をもとどおりにかえされ、地を正しい位置に転じ、全く旧来と一変し、その万物生々のからくりの動きが、或いは閉じ、或いは開いて順調に活動するように政治を運用なされた。

雷厲風飛,日月所照;

あれほど危かった天下をもとどおりにかえされ、地を正しい位置に転じ、全く旧来と一変し、その万物生々のからくりの動きが、或いは閉じ、或いは開いて順調に活動するように政治を運用なされた。

天戈所麾,莫不寧順;

天の振るうほこともいうべき陛下の軍隊のさしまねくところ、天下に安らぎ順わないものはない。

大宇之下,生息理極。

大いなる天のもと万人万物の生息する秩序が平安で「太平の治」はここにその極致に至ったのであります。

 (12)#8-2

高祖創制天下,其功大矣,而治未太平也;

太宗太平矣,而大功所立,鹹在高祖之代。

非如陛下承天寶之後,接因循之餘,

六七十年之外,赫然興起,

南麵指麾,而致此巍巍之治功也。

(13)#8-3

宜定樂章,以告神明,

東巡泰山,奏功皇天,

具著顯庸,明示得意,

使永永年代,服我成烈。

 

(11)#8-1

陛下 即位 以來,躬 親【みづか】ら聽斷【ちょうだん】す。

乾を旋【めぐ】らし坤を轉じ,關機 闔開【こうかい】す。

雷厲【らいれい】風飛し,日月 照る所なり。

天戈【てんか】麾【さしまね】く所,寧順【ねいじゅん】ならざるは莫し

大宇の下,生息の理 極まれり。

(12)#8-2

高祖 創めて天下を制す,其の功大なり。

而れども 治 未だ太平ならざるなり。

太宗は太平なりき、而れども大功の立つ所は,鹹【みな】高祖の代に在り。

陛下が天寶の後を承け,因循の餘を接【う】け,

六七十年の外,赫然として興起し,

南麵【なんめん】指麾【しき】して,而れど此の巍巍【きぎ】の治功を致すが如きに非らざるなり。

(13)#8-3

宜しく樂章を定めて,以て神明に告ぐ。

東のかた泰山を巡りて,功を皇天に奏す。

具【つぶ】さに顯庸【けんよう】を著し,明らかに得意を示す。

永永 年代をして,我が成烈に服せ使むべし。

DCF00212 

 

『潮州刺史謝上表』現代語訳と訳註

(本文)

(11)#8-1

陛下即位以來,躬親聽斷;

旋乾轉坤,關機闔開;

雷厲風飛,日月所照;

天戈所麾,莫不寧順;

大宇之下,生息理極。

 

(下し文)

陛下 即位 以來,躬 親【みづか】ら聽斷【ちょうだん】す。

乾を旋【めぐ】らし坤を轉じ,關機 闔開【こうかい】す。

雷厲【らいれい】風飛し,日月 照る所なり。

天戈【てんか】麾【さしまね】く所,寧順【ねいじゅん】ならざるは莫し

大宇の下,生息の理 極まれり。

 

(現代語訳)

陛下は御即位以来、御自身で政事を聴いて裁断を下されます。

あれほど危かった天下をもとどおりにかえされ、地を正しい位置に転じ、全く旧来と一変し、その万物生々のからくりの動きが、或いは閉じ、或いは開いて順調に活動するように政治を運用なされた。

あれほど危かった天下をもとどおりにかえされ、地を正しい位置に転じ、全く旧来と一変し、その万物生々のからくりの動きが、或いは閉じ、或いは開いて順調に活動するように政治を運用なされた。

天の振るうほこともいうべき陛下の軍隊のさしまねくところ、天下に安らぎ順わないものはない。

大いなる天のもと万人万物の生息する秩序が平安で「太平の治」はここにその極致に至ったのであります。

韓愈の地図01 

 

(訳注) (11)#8-1

陛下即位以來,躬親聽斷;

陛下は御即位以来、御自身で政事を聴いて裁断を下されます。

 

旋乾轉坤,關機闔開;

あれほど危かった天下をもとどおりにかえされ、地を正しい位置に転じ、全く旧来と一変し、その万物生々のからくりの動きが、或いは閉じ、或いは開いて順調に活動するように政治を運用なされた。

○旋乾転坤 易の乾は天、坤は地をあらはす卦である。天地をもとにかえしめぐらす。唐の天下を快復する形容。安史の乱で危うく転覆しかけたものが中興していること。

○關機闔開 關機は機関、万物生々のからくりの働きが閉じたり開いたりする。天地造物老の働きと同じく、万民を生々発展させる政治の働きを発動するのに喩えている。

 

雷厲風飛,日月所照;

雷がはげしく風が吹き飛ぶように、御威霊は壮大に行われ、日月があまねく照らすように、人民をみそなわせられる。

○雷厲風飛 雷のはげしく風の勢いよく飛ぶのにも比べられる、威光のさかんなこと。

○日月所照 日や月の光があまねく照るように、人民をあまねく照覧する。

 

天戈所麾,莫不寧順;

天の振るうほこともいうべき陛下の軍隊のさしまねくところ、天下に安らぎ順わないものはない。

○天戈 天子の軍隊。天の振るうほこ、武器にたとえる。

○麾 さしまわく。さしずする。

 

大宇之下,生息理極。

大いなる天のもと万人万物の生息する秩序が平安で「太平の治」はここにその極致に至ったのであります。

○生息理極 理は治、万民万物が生き長らえる太平の治がその極点に達した。理(治)は秩序平安。
唐長安城図 

《潮州刺史謝上表》(10)韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <942>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3694韓愈詩-242-(10)

《潮州刺史謝上表》(10) 朝廷にみつぎ物を出さず、天子に入朝することもせず、六、七十年を経過したのです。この間に四代の聖天子が伝え承けられて、今上陛下の御代になったのであります。


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《潮州刺史謝上表》(10)韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <942>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3694韓愈詩-242-(10)

 

 

(10)#7

伏以大唐受命有天下,四海之內,莫不臣妾,

伏し謹んで思いますのに、わが大唐が天命を受けて天下宕して天子となって、四海の内の男は臣に女は侍女とならないものはなく、

南北東西,地各萬裏。

南北東西、いずれも空は一万里ありました。

自天寶之後,政治少懈,文致未優,武克不剛。

天宝の後、政治が少しおこたり、文治のありさまはまだ十分でなく、武力は強剛ではなかったのです。

孽臣奸隸,蠹居棋處,搖毒自防,外順內悖。

わざわいをなす臣やよこしまな家来は、木に木食虫がいるように、碁石の散在するように各所におり、毒を振るい動かして自分を防ぎ、外面は王朝に順っているが内心は王のようになってもとってきたのです。
父死子代,以祖以孫,如古諸侯,自擅其地,

父が死ねば子が代わり立ち、祖父となり孫となって相継いで地方に割拠し、古代の諸侯のように、自分でその地を自由にするようになりました。
不貢不朝,六七十年。

朝廷にみつぎ物を出さず、天子に入朝することもせず、六、七十年を経過したのです。

四聖傳序,以至陛下。

この間に四代の聖天子が伝え承けられて、今上陛下の御代になったのであります。

(10)#7

伏して以【おも】うに、大唐命を受けて天下を有【たも】つ。四海の内、臣妾たらざるは莫し。

南北東西、地各のと萬里なり。

天賓の後より、政治少しく懈り、文致未だ優ならず、武克剛ならず。

孽臣【げつしん】奸隸【かんれい】蠹居【ときょ】棋處【ききょ】,毒を搖【うごか】し自ら防ぐ。外は順ひ内は悖【もと】る。

父死して子代り、以て祖以て孫、古の諸侯の如く、自ら其の地を擅【ほしいまま】にす。

貢せず朝せず、六七十年。

四聖 傳序して、以て陛下に至る。

 

唐長安城図 

『潮州刺史謝上表』現代語訳と訳註

(本文)

(10)#7

伏以大唐受命有天下,四海之內,

莫不臣妾,南北東西,

地各萬裏。自天寶之後,

政治少懈,文致未優,

武克不剛,孽臣奸隸,

蠹居棋處,搖毒自防,

外順內悖,父死子代,

以祖以孫,如古諸侯,

自擅其地,不貢不朝,

六七十年。四聖傳序,以至陛下。

 

 

(下し文) (10)#7

伏して以【おも】うに、大唐命を受けて天下を有【たも】つ。

四海の内、臣妾たらざるは莫く、南北東西、地各のと萬里なり。

天賓の後より、政治少しく懈り、文致未だ優ならず、武克剛ならず。

孽臣【げつしん】奸隸【かんれい】蠹居【ときょ】棋處【ききょ】,毒を搖【うごか】し自ら防ぐ。外は順ひ内は悖【もと】り、

父死して子代り、以て祖以て孫、古の諸侯の如く、自ら其の地を擅【ほしいまま】にし、

貢せず朝せず、六七十年、四聖傳序して、以て陛下に至る。

 

(現代語訳)

伏し謹んで思いますのに、わが大唐が天命を受けて天下宕して天子となって、四海の内の男は臣に女は侍女とならないものはなく、

南北東西、いずれも空は一万里ありました。

天宝の後、政治が少しおこたり、文治のありさまはまだ十分でなく、武力は強剛ではなかったのです。

わざわいをなす臣やよこしまな家来は、木に木食虫がいるように、碁石の散在するように各所におり、毒を振るい動かして自分を防ぎ、外面は王朝に順っているが内心は王のようになってもとってきたのです。

父が死ねば子が代わり立ち、祖父となり孫となって相継いで地方に割拠し、古代の諸侯のように、自分でその地を自由にするようになりました。

朝廷にみつぎ物を出さず、天子に入朝することもせず、六、七十年を経過したのです。

この間に四代の聖天子が伝え承けられて、今上陛下の御代になったのであります。

 

 

(訳注) (10)#7

伏以大唐受命有天下,四海之內,莫不臣妾,

伏し謹んで思いますのに、わが大唐が天命を受けて天下宕して天子となって、四海の内の男は臣に女は侍女とならないものはなく、

○天宝 玄宗皇霊位の元号の=七四千七五五)。

 

南北東西,地各萬裏。

南北東西、いずれも空は一万里ありました。

 

自天寶之後,政治少懈,文致未優,武克不剛。

天宝の後、政治が少しおこたり、文治のありさまはまだ十分でなく、武力は強剛ではなかったのです。

○懈 怠惰。

○文致 文教の趣。

○武克 武力の強いこと、勝つの義。

 

孽臣奸隸,蠹居棋處,搖毒自防,外順內悖,

わざわいをなす臣やよこしまな家来は、木に木食虫がいるように、碁石の散在するように各所におり、毒を振るい動かして自分を防ぎ、外面は王朝に順っているが内心は王のようになってもとってきたのです。

○孽臣 わざわいをなす臣下。

○奸隸 よこしまなしもベ。隷は下役人、家来。

○蠹居 木に虫食いがあるように方々に居る。きくいむし。

○棋處 碁石が盤の所々にあるように居る。

○搖毒自防 毒を動かして自分寄る。害毒を起こして自分の勢力を防衛する、節度使の割拠をいう。

○悖 1 道理にそむく。反する。「人の道に―・る」2 ねじり曲がる。ゆがむ。また、ゆがめる。藩鎮は小国王、節度使は国王と化していた。

 

 

父死子代,以祖以孫,如古諸侯,自擅其地,

父が死ねば子が代わり立ち、祖父となり孫となって相継いで地方に割拠し、古代の諸侯のように、自分でその地を自由にするようになりました。

 

不貢不朝,六七十年。

朝廷にみつぎ物を出さず、天子に入朝することもせず、六、七十年を経過したのです。

○六七十年 安史の乱(755年)から元和十四年(819年)まで64年。

 

四聖傳序,以至陛下。

この間に四代の聖天子が伝え承けられて、今上陛下の御代になったのであります。

○四聖 粛宗・代宗・憲宗・順宗の四帝をさす。

○伝序 伝えて次第に進む。伝え及ぶ。
韓愈の地図01 

《潮州刺史謝上表》(9) 韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <941>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3689韓愈詩-242-(9)

《潮州刺史謝上表》(9)『詩経』『書経』の書籍の中に編入しても、恥ずかしいところがなく、これ天地の間に置いても、何ら不完全なところがなく著すのです。古の人をしてまたふたたびこの世に生き返らせたところで、私は、多く彼らに譲ることを決して承知しないでありましょう。


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●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場
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班孟堅(班固)《東都賦》(26)#14(東都漢の美点)-1 文選 賦 賦<113―26>18分割35回 Ⅱ李白に影響を与えた詩1028 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3688
●唐を代表する中唐の韓愈の儒家としての考えのよくわかる代表作の一つ
Ⅱ中唐詩・晩唐詩
 
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《潮州刺史謝上表》(9) 韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <941>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3689韓愈詩-242-(9)
●杜甫の全作品1141首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"
Ⅲ杜甫詩1000詩集  LiveDoorブログ 廣徳2年764-9-2 《別唐十五誡因寄禮部賈侍郎》 蜀中転々 杜甫 <659-2>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3690 杜甫詩1000-659-2-932/1500753-2
●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている
Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集 Fc2ブログ 273 《符讀書城南》 韓愈  kanbuniinkai 紀 頌之の詩詞 fc2ブログ 3691 (02/02)
●●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集
Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoor 12 -2 小重山二首其二 和學士凝二十首ⅩⅫ唐五代詞・「花間集」 Gs-429-12-#2  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3692
 
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『楚辞・九歌』東君 屈原詩<78-#1>505 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1332http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67664757.html
『楚辞』九辯 第九段―まとめ 宋玉  <00-#35> 664 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2304  http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-rihakujoseishi/archives/6471825.html
安世房中歌十七首(1) 唐山夫人 漢詩 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67710265.html 
為焦仲卿妻作 序 漢詩<143>古詩源 巻三 女性詩http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67729401.html
於凊河見輓船士新婚別妻一首 曹丕(魏文帝) 魏詩http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67759129.html
朔風 (一章) 曹植 魏詩<25-#1>文選雑詩 上 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67780868.html
謝靈運詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/1901_shareiun000.html 謝靈運詩六朝期の山水詩人。この人の詩は上品ですがすがしい男性的な深みのある詩である。後世に多大な影響を残している。
謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。
登永嘉緑嶂山詩 #1 謝霊運 <20> 詩集 386ーhttp://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67474554.html
登池上樓 #1 謝霊運<25>#1  ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67502196.html
孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。
李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html 
李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首
魚玄機 詩 全首130回賦得江邊柳 魚玄機  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-65-1-#五言律詩  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1876
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《潮州刺史謝上表》(9) 韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <941>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3689韓愈詩-242-(9)

 

 

(8)#6-1

臣受性愚陋,人事多所不通,

私は受けた生まれつきがおろかでいやしく、世の中の人間関係の事には通じない所が多いのです。

惟酷好學問文章,

ただはなはだ学問や文章が好きなのです。

未嚐一日暫廢,實為時輩所見推許。

いまだ一日も、暫くの間も、やめたことはありませんでした。それが実に現代の人々の私を推し許されたわけであります。

臣於當時之文,亦未有過人者。

わたくしはその当世風の文章においては、また人よりすぐれたところはありません。

至於論述陛下功德,與《詩》《書》相表裏;

陛下のお手柄や御人格をあげつらい述べて、古代の『詩経』や『書経』と、たがいに表と裏との関係で相一致するものとなすのであります。

 (9) #6-2

作為歌詩,薦之郊廟;

詩や歌を作って、天子が城外で天を祭られる郊の祭りや御霊屋に祖先を祭られる際にそれを薦め歌うこと、

紀泰山之封,鏤白玉之牒;

天子が泰山で天神を祭られることを記し、白玉の書礼にそれをきざみつけること、

鋪張對天之閎休,揚厲無前之偉績,

天に対する壮大なめでたい祭りを陳べ著して大きく伝え、これまで全くなかった偉大な“いさおし”を揚げ著したものとなること、

編之乎《詩》《書》之策而無愧,措之乎天地之間而無虧。

これらを『詩経』『書経』の書籍の中に編入しても、恥ずかしいところがなく、これ天地の間に置いても、何ら不完全なところがなく著すのです。

雖使古人複生,臣亦未肯多讓。

古の人をしてまたふたたびこの世に生き返らせたところで、私は、多く彼らに譲ることを決して承知しないでありましょう。

 

(8)#6-1

臣 受性 愚陋【ぐろう】,人事 通ぜざる所多し。

惟だ酷【はなは】だ學問 文章を好む。

未だ嚐て一日も暫らくも廢せず,實に時輩【じはい】の推許せらるるを見る所と為る。

臣 當時の文に於いて,亦た未だ人に過ぐる者有らず。

陛下の功德を論述し,與《詩》と《書》とを相い表裏するに至る。

(9) #6-2

歌詩を作為し,之を郊廟に薦める。

泰山の封を紀し,白玉の牒に鏤【ちりば】めむ。

對天の閎休【こうきゅう】を鋪張【ほちょう】し,無前の偉績【いせき】を揚厲す。

之を 《詩》と《書》との策に編じて愧づる無く,之を天地の間に措いて虧【か】くる無し。

古人をして複た生ぜしむと雖も,臣 亦た未だ肯えて多くは讓らず。

泰山の夕日 

 

『潮州刺史謝上表』現代語訳と訳註

(本文) (9) #6-2

作為歌詩,薦之郊廟;

紀泰山之封,鏤白玉之牒;

鋪張對天之閎休,揚厲無前之偉績,

編之乎《詩》《書》之策而無愧,措之乎天地之間而無虧。

雖使古人複生,臣亦未肯多讓。

 

 

(下し文) (9) #6-2

歌詩を作為し,之を郊廟に薦める。

泰山の封を紀し,白玉の牒に鏤【ちりば】めむ。

對天の閎休【こうきゅう】を鋪張【ほちょう】し,無前の偉績【いせき】を揚厲す。

之を 《詩》と《書》との策に編じて愧づる無く,之を天地の間に措いて虧【か】くる無し。

古人をして複た生ぜしむと雖も,臣 亦た未だ肯えて多くは讓らず。

 

(現代語訳)

詩や歌を作って、天子が城外で天を祭られる郊の祭りや御霊屋に祖先を祭られる際にそれを薦め歌うこと、

天子が泰山で天神を祭られることを記し、白玉の書礼にそれをきざみつけること、

天に対する壮大なめでたい祭りを陳べ著して大きく伝え、これまで全くなかった偉大な“いさおし”を揚げ著したものとなること、

これらを『詩経』『書経』の書籍の中に編入しても、恥ずかしいところがなく、これ天地の間に置いても、何ら不完全なところがなく著すのです。

古の人をしてまたふたたびこの世に生き返らせたところで、私は、多く彼らに譲ることを決して承知しないでありましょう。

 

(訳注) (9) #6-2

作為歌詩,薦之郊廟;

詩や歌を作って、天子が城外で天を祭られる郊の祭りや御霊屋に祖先を祭られる際にそれを薦め歌うこと、

○郊廟 郊は城廓の外、天子は郊において天地を祭る。その祭の名。廟はみたまや、御霊屋で祖先の霊を祭る。

○薦 すすめる。詩歌薦めるとは、献じ歌うこと。

 

紀泰山之封,鏤白玉之牒;

天子が泰山で天神を祭られることを記し、白玉の書礼にそれをきざみつけること、

○泰山之封 天子が即位の後、泰山に登って壇を築いて祭るのを封という。封の儀式は泰山の山頂で天の神をまつるもので、禅の儀式は泰山のふもとである梁父で地の神をまつるものである。梁父山・社首山(=蒿里山)が挙げられる。

○牒 札。文書をしるした板。文書、通等

 

鋪張對天之閎休,揚厲無前之偉績,

天に対する壮大なめでたい祭りを陳べ著して大きく伝え、これまで全くなかった偉大な“いさおし”を揚げ著したものとなること、

○鋪張 陳べあらわす。

○對天之閎休 天に対する大いなるめでたい祭りのこと。

○揚厲 發揚に同じ。高く揚げあらわす。

○無前之偉績 これまでに無かったすぐれたいさおし。績は仕事の結果。

 

編之乎《詩》《書》之策而無愧,措之乎天地之間而無虧。

これらを『詩経』『書経』の書籍の中に編入しても、恥ずかしいところがなく、これ天地の間に置いても、何ら不完全なところがなく著すのです。

○措 置くに同じ。

○無虧 欠けたところがない。完全である。

 

雖使古人複生,臣亦未肯多讓。

古の人をしてまたふたたびこの世に生き返らせたところで、私は、多く彼らに譲ることを決して承知しないでありましょう。
韓愈の地図01 

《潮州刺史謝上表》(8)韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <940>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3684韓愈詩-242-(8)

《潮州刺史謝上表》(8) 私は受けた生まれつきがおろかでいやしく、世の中の人間関係の事には通じない所が多いのです。ただはなはだ学問や文章が好きなのです。いまだ一日も、暫くの間も、やめたことはありませんでした。それが実に現代の人々の私を推し許されたわけであります。


2014年2月1日 の紀頌之5つのブログ
●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場
Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
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班孟堅(班固)《東都賦》(25) 文選 賦 賦<113―25>18分割35回 Ⅱ李白に影響を与えた詩1027 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3683
●唐を代表する中唐の韓愈の儒家としての考えのよくわかる代表作の一つ
Ⅱ中唐詩・晩唐詩
 
 LiveDoorブログ
《潮州刺史謝上表》(8)韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <940>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3684韓愈詩-242-(8)
●杜甫の全作品1141首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"
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●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている
Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集 Fc2ブログ 272 《嘲魯連子》 韓愈  kanbuniinkai 紀 頌之の詩詞 fc2ブログ 3686 (02/01)
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Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoor 12 -1 小重山二首其一 和學士凝二十首ⅩⅫ唐五代詞・「花間集」 Gs-428-12-#1  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3687
 
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謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。
登永嘉緑嶂山詩 #1 謝霊運 <20> 詩集 386ーhttp://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67474554.html
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孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。
李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html 
李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首
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《潮州刺史謝上表》(8)韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <940>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3684韓愈詩-242-(8)

 

(8)#6-1

臣受性愚陋,人事多所不通,

私は受けた生まれつきがおろかでいやしく、世の中の人間関係の事には通じない所が多いのです。

惟酷好學問文章,

ただはなはだ学問や文章が好きなのです。

未嚐一日暫廢,實為時輩所見推許。

いまだ一日も、暫くの間も、やめたことはありませんでした。それが実に現代の人々の私を推し許されたわけであります。

臣於當時之文,亦未有過人者。

わたくしはその当世風の文章においては、また人よりすぐれたところはありません。

至於論述陛下功德,與《詩》《書》相表裏;

陛下のお手柄や御人格をあげつらい述べて、古代の『詩経』や『書経』と、たがいに表と裏との関係で相一致するものとなすのであります。

 (9) #6-2

作為歌詩,薦之郊廟;

紀泰山之封,鏤白玉之牒;

鋪張對天之閎休,揚厲無前之偉績,

編之乎《詩》《書》之策而無愧,措之乎天地之間而無虧。

雖使古人複生,臣亦未肯多讓。

 

(8)#6-1

臣 受性 愚陋【ぐろう】,人事 通ぜざる所多し。

惟だ酷【はなは】だ學問 文章を好む。

未だ嚐て一日も暫らくも廢せず,實に時輩【じはい】の推許せらるるを見る所と為る。

臣 當時の文に於いて,亦た未だ人に過ぐる者有らず。

陛下の功德を論述し,與《詩》と《書》とを相い表裏するに至る。

(9) #6-2

歌詩を作為し,之を郊廟に薦める。

泰山の封を紀し,白玉の牒に鏤【ちりば】めむ。

對天の閎休【こうきゅう】を鋪張【ほちょう】し,無前の偉績【いせき】を揚厲す。

之を 《詩》と《書》との策に編じて愧づる無く,之を天地の間に措いて虧【か】くる無し。

古人をして複た生ぜしむと雖も,臣 亦た未だ肯えて多くは讓らず。

韓愈の地図01 

 

『潮州刺史謝上表』現代語訳と訳註

(本文)

(8)#6-1

臣受性愚陋,人事多所不通,

惟酷好學問文章,

未嚐一日暫廢,實為時輩所見推許。

臣於當時之文,亦未有過人者。

至於論述陛下功德,與《詩》《書》相表裏;

 

 

(下し文) (8)#6-1

臣 受性 愚陋【ぐろう】,人事 通ぜざる所多し。

惟だ酷【はなは】だ學問 文章を好む。

未だ嚐て一日も暫らくも廢せず,實に時輩【じはい】の推許せらるるを見る所と為る。

臣 當時の文に於いて,亦た未だ人に過ぐる者有らず。

陛下の功德を論述し,與《詩》と《書》とを相い表裏するに至る。

 

 

(現代語訳)

私は受けた生まれつきがおろかでいやしく、世の中の人間関係の事には通じない所が多いのです。

ただはなはだ学問や文章が好きなのです。

いまだ一日も、暫くの間も、やめたことはありませんでした。それが実に現代の人々の私を推し許されたわけであります。

わたくしはその当世風の文章においては、また人よりすぐれたところはありません。

陛下のお手柄や御人格をあげつらい述べて、古代の『詩経』や『書経』と、たがいに表と裏との関係で相一致するものとなすのであります。

甘粛省-嘉峪関 

 

(訳注) (8)#6-1

臣受性愚陋,人事多所不通,

私は受けた生まれつきがおろかでいやしく、世の中の人間関係の事には通じない所が多いのです。

○愚陋【ぐろう】おろかでいやしい・こと(さま)。愚劣。

 

惟酷好學問文章,

ただはなはだ学問や文章が好きなのです。

 

未嚐一日暫廢,實為時輩所見推許。

いまだ一日も、暫くの間も、やめたことはありませんでした。それが実に現代の人々の私を推し許されたわけであります。

○推許 推称して認め許す。

 

臣於當時之文,亦未有過人者。

わたくしはその当世風の文章においては、また人よりすぐれたところはありません。

 

至於論述陛下功德,與《詩》《書》相表裏;

陛下のお手柄や御人格をあげつらい述べて、古代の『詩経』や『書経』と、たがいに表と裏との関係で相一致するものとなすのであります。

○詩書 『詩経』中国最古の詩集。五経の一つ。孔子以来,儒家の経典とされた。諸国の民謡を集めた〈風〉,宮廷の音楽〈雅〉,宗廟の祭祀の楽歌〈頌〉の三部分から成る。〈風〉は,〈国風〉とも呼ばれ,周南・召南・邶(はい)・鄘(よう)・衛・王・鄭・斉・魏・唐・秦・陳・檜・曹・豳(ひん)の15国160編,〈雅〉は,小雅74編・大雅31編,〈頌〉は,周頌31編・魯頌4編・商頌5編を収める。風は,結婚,恋愛,狩猟,建築,労働,出征,農事など当時の人民の生活の各方面を題材に,愛の喜び,死者への哀悼,肉親への思い,搾取者への憎悪,時間の推移への恐れ,時代の悪さへの悲嘆など,さまざまの感情を率直にうたう。

『書経』中国の経書。五経の一つ。先秦では単に《書》といい,漢代からは《尚書》と呼ばれ,宋以後《書経》と称される。《書》は史官の記録に由来する中国最古の文献であり,早くから民族の古典として尊ばれており,儒家はそれを自己の経典としたのである。周王朝の創業者である文王,武王,周公を主人公とする諸編,〈周書〉のいわゆる五誥(ごこう)がその根幹であった。ところが諸子百家との論争がさかんに展開されるころに,儒家の理念を投影した尭・舜の世の記録(〈虞書〉)や,禹および夏王朝の記録(〈夏書〉),殷王朝の記録(〈商書〉)が加上された。

○表裏 表となり裏となり相一致する。
2蜀の山00 

《潮州刺史謝上表》(7)韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <939>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3679韓愈詩-242-(7)

《潮州刺史謝上表》(7) 私は若いときから病気が多く、今年で五十をわずかにすぎたばかりなのです。髪は白く、歯はぬけ落ちてしまいました。道理として久しくは生きないでありましょう。その上、罪を犯したことは極めて重く、住むところは都から極めて遠く劣悪条件であります。


2014年1月31日 の紀頌之5つのブログ
●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場
Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
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班孟堅(班固)《東都賦》(24) 文選 賦 賦<113―24>18分割38回 Ⅱ李白に影響を与えた詩1026 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3678
●唐を代表する中唐の韓愈の儒家としての考えのよくわかる代表作の一つ
Ⅱ中唐詩・晩唐詩
 
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《潮州刺史謝上表》(7)韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <939>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3679韓愈詩-242-(7)
●杜甫の全作品1141首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"
Ⅲ杜甫詩1000詩集  LiveDoorブログ 廣徳2年764-8-2 《贈別賀蘭銛》 蜀中転々 杜甫 <658-2>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3680 杜甫詩1000-658-2-930/1500752-2
●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている
Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集 Fc2ブログ
●●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集
Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoor 11 -17 鳳樓春一首 歐陽舍人炯十七首ⅩⅫ唐五代詞・「花間集」 Gs-427-11-#17  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3682
 
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『楚辞・九歌』東君 屈原詩<78-#1>505 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1332http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67664757.html
『楚辞』九辯 第九段―まとめ 宋玉  <00-#35> 664 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2304  http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-rihakujoseishi/archives/6471825.html
安世房中歌十七首(1) 唐山夫人 漢詩 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67710265.html 
為焦仲卿妻作 序 漢詩<143>古詩源 巻三 女性詩http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67729401.html
於凊河見輓船士新婚別妻一首 曹丕(魏文帝) 魏詩http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67759129.html
朔風 (一章) 曹植 魏詩<25-#1>文選雑詩 上 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67780868.html
謝靈運詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/1901_shareiun000.html 謝靈運詩六朝期の山水詩人。この人の詩は上品ですがすがしい男性的な深みのある詩である。後世に多大な影響を残している。
謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。
登永嘉緑嶂山詩 #1 謝霊運 <20> 詩集 386ーhttp://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67474554.html
登池上樓 #1 謝霊運<25>#1  ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67502196.html
孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。
李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html 
李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首
魚玄機 詩 全首130回賦得江邊柳 魚玄機  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-65-1-#五言律詩  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1876
薛濤 詩詞全首100 井梧吟 薛濤 唐五代詞・宋詩 薛濤-136-8-#1  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2227
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温庭筠 70首『菩薩蠻 一』温庭筠  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-1-1-#1 花間集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1620
韋荘 50首 菩薩蠻 一 韋荘  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩花間集Gs-247-5-#1  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2617
皇甫松 10首 採蓮子二首  其一 皇甫松  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-307-5-#61  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3082
牛嶠  20首 女冠子四首 其一 牛嶠  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-312-5-#66  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3107
『花間集』継続中 
杜甫全詩 韓愈全詩 李白全集 文選 花間集 古詩源 玉台新詠

 

《潮州刺史謝上表》(7)韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <939>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3679韓愈詩-242-(7)

 

 

(5)#3

國家憲章完具,為治日久,

国家の基本的な方針や施策・法律の条文は完全にそなわっていて、治まることは久しくなっています。

守令承奉詔條,違犯者鮮,

郡の太守や県の令らは、みことのりの箇条を受け戴いて、それにそむき犯すものは殆んどいません。

雖在蠻荒,無不安泰。

南方の異民族の遠域の地にいても、人民は安らかでないものはありません。

聞臣所稱聖德,惟知鼓舞讙歡呼,

たたえまつる陛下の御聖徳を聞いて、世の人々はただ感動して鼓を鳴らし舞って、喜び叫ぶはかりです。

不勞施為,坐以無事。

彼らを治めるために何らの方策を施す苦労がなく、坐ったまま無為にして無事でございます。

臣某誠惶誠恐,頓首頓首。

私韓愈は、真心より恐れかしこみ、頓首し、重ねて頓首して申し上げます。

 (6)#4

臣所領州,在廣府極東界上,

私が支配、把握している州は、広州府の極めて東の界の付近にあります。

去廣府雖雲才二千裏,然往來動皆經月。

広州にむかって長安を去ることわずか二千里であるというけれども、しかし往ったり、来たりするのに、どうやっても一月を過ぎます。

過海口,下惡水。

そのうえ、海口を過ぎてから、大洪水のため悪水を下ることになったのです。

濤瀧壯猛,難計程期;

怒涛や激流がさかんに勢い猛く、旅行行程、期日を計りがたいのです。

颶風鱷魚,患禍不測。

つむじ風やワニなど、心配やわざわいが測ることができないのです。

州南近界,漲海連天;

州の南の近いところでは、みなぎる海はそのなみは天に連ならなるほどです。

毒霧瘴氛,日夕發作。

毒のある霧や熱病のもととなる蒸し熱い気など、朝夕におこっております。 

 (7)#5

臣少多病,年才五十,

私は若いときから病気が多く、今年で五十をわずかにすぎたばかりなのです。

發白齒落,理不久長,

髪は白く、歯はぬけ落ちてしまいました。道理として久しくは生きないでありましょう。

加以罪犯至重,所處又極遠惡,

その上、罪を犯したことは極めて重く、住むところは都から極めて遠く劣悪条件であります。

憂惶慚悸,死亡無日。

心は憂いおそれ、自分の行いについて、はずかしく反省しており、このままでは死亡するのもあと日がないことでしょう。

單立一身,朝無親黨,

そして単身赴任し、仲間などなく孤立して、朝廷の有力者に親しい仲間もありません。

居蠻夷之地,與魑魅為群,

この南蛮の異民族の地にすまいして、山林の妖怪変化と群れをなしております。

苟非陛下哀而念之,誰肯為臣言者?

かりそめにも陛下が哀れんで心にかけて下さるのでなければ、誰が私のために言うことを承知するでしょうか。誰も弁じてくれないでしょう。

韓愈の地図01 

 

『潮州刺史謝上表』現代語訳と訳註

(本文)

(7)#5

臣少多病,年才五十,

發白齒落,理不久長,

加以罪犯至重,所處又極遠惡,

憂惶慚悸,死亡無日。

單立一身,朝無親黨,

居蠻夷之地,與魑魅為群,

苟非陛下哀而念之,誰肯為臣言者?

 

(下し文) (7)#5

臣 少【わか】きより多病,年 才【わずか】に五十にす。

發【かみ】白く齒落つ,理として久長ならじ,

加うるに罪犯 至重なるを以てし,處る所 又た極めて遠惡し,

憂惶【ゆうこう】慚悸【どうき】,死亡も日無からん。

單立【ぜんりつ】一身,朝に親黨【しんとう】無し。

蠻夷【ばんい】の地に居し,魑魅と群を為す。

苟【いやし】くも陛下 哀れんで之を念うにら非ざれば,誰か肯えて臣が為に言う者あらん?

 

(現代語訳)

私は若いときから病気が多く、今年で五十をわずかにすぎたばかりなのです。

髪は白く、歯はぬけ落ちてしまいました。道理として久しくは生きないでありましょう。

その上、罪を犯したことは極めて重く、住むところは都から極めて遠く劣悪条件であります。

心は憂いおそれ、自分の行いについて、はずかしく反省しており、このままでは死亡するのもあと日がないことでしょう。

そして単身赴任し、仲間などなく孤立して、朝廷の有力者に親しい仲間もありません。

この南蛮の異民族の地にすまいして、山林の妖怪変化と群れをなしております。

かりそめにも陛下が哀れんで心にかけて下さるのでなければ、誰が私のために言うことを承知するでしょうか。誰も弁じてくれないでしょう。

 

(訳注)  (7)#5

潮州刺史謝上表 韓愈

(広東省潮州に左遷された韓退之が、罪を許されて召還され、中央政府に用いられることを願い、謝して奉った上表文である。)刺史はその州の知事、長官のことである。

 

臣少多病,年才五十,

私は若いときから病気が多く、今年で五十をわずかにすぎたばかりなのです。

 

發白齒落,理不久長,

髪は白く、歯はぬけ落ちてしまいました。道理として久しくは生きないでありましょう。

○齒落 35歳の時に歯が抜けたことをのべている。

中唐詩-262 落歯#1 四門溥士Ⅱ韓退之(韓愈) 紀頌之の漢詩ブログ 韓愈詩集-27

韓愈35歳の時の作品で『与崔群書』(崔群に与うる書)というのがある。この中で、既に白髪交じりであったことをのべている。

自分の老いを必要以上に強調しているところが認められる。自分の兄弟や叔父たちは、みな丈夫であったが若死にした。自分のように今から歯が抜け、目はかすみ、白髪が生えているありさまでは儒者たるもの、痩せ我慢をしたがる韓愈のことだから、寂しいというようなせりふはめったに口にしないが。(韓愈はこのとき三十五歳なのに)、そう長くはもたないだろうとも書いている。

 それは、見た目にもショッキングなできごとであったろう「歯が抜け落ちた」のだ。歯槽膿漏であった。

○理不久長 道理として長生きはしないはずである。

 

加以罪犯至重,所處又極遠惡,

その上、罪を犯したことは極めて重く、住むところは都から極めて遠く劣悪条件であります。

 

憂惶慚悸,死亡無日。

心は憂いおそれ、自分の行いについて、はずかしく反省しており、このままでは死亡するのもあと日がないことでしょう。

○慚悸 自分の行いについて、残念に思い、反省すること。恥ずかしく思うこと。謝意を表明する際などに用いられる。

 

單立一身,朝無親黨,

そして単身赴任し、仲間などなく孤立して、朝廷の有力者に親しい仲間もありません。

 

居蠻夷之地,與魑魅為群,

この南蛮の異民族の地にすまいして、山林の妖怪変化と群れをなしております。

○魑魅 魑魅(すだま・ちみ)は、霊魂または、山林の気・沢や石の精、物の怪や化け物など。魑魅魍魎(ちみもうりょう)とは、山の怪物や川の怪物。様々な化け物、妖怪変化。魑魅は山の怪、魍魎は川の怪であり、一般には山河すべての怪として魑魅魍魎の名で用いられることが多い。

 

苟非陛下哀而念之,誰肯為臣言者?

かりそめにも陛下が哀れんで心にかけて下さるのでなければ、誰が私のために言うことを承知するでしょうか。誰も弁じてくれないでしょう。
2潮州広東00 

《潮州刺史謝上表》(6)韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <938>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3674韓愈詩-242-(6)

《潮州刺史謝上表》(6)広州にむかって長安を去ることわずか二千里であるというけれども、しかし往ったり、来たりするのに、どうやっても一月を過ぎます。そのうえ、海口を過ぎてから、大洪水のため悪水を下ることになったのです。


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《潮州刺史謝上表》(6)韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <938>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3674韓愈詩-242-(6)

 

 

(5)#3

國家憲章完具,為治日久,

国家の基本的な方針や施策・法律の条文は完全にそなわっていて、治まることは久しくなっています。

守令承奉詔條,違犯者鮮,

郡の太守や県の令らは、みことのりの箇条を受け戴いて、それにそむき犯すものは殆んどいません。

雖在蠻荒,無不安泰。

南方の異民族の遠域の地にいても、人民は安らかでないものはありません。

聞臣所稱聖德,惟知鼓舞讙歡呼,

たたえまつる陛下の御聖徳を聞いて、世の人々はただ感動して鼓を鳴らし舞って、喜び叫ぶはかりです。

不勞施為,坐以無事。

彼らを治めるために何らの方策を施す苦労がなく、坐ったまま無為にして無事でございます。

臣某誠惶誠恐,頓首頓首。

私韓愈は、真心より恐れかしこみ、頓首し、重ねて頓首して申し上げます。

 (6)#4

臣所領州,在廣府極東界上,

私が支配、把握している州は、広州府の極めて東の界の付近にあります。

去廣府雖雲才二千裏,然往來動皆經月。

広州にむかって長安を去ることわずか二千里であるというけれども、しかし往ったり、来たりするのに、どうやっても一月を過ぎます。

過海口,下惡水。

そのうえ、海口を過ぎてから、大洪水のため悪水を下ることになったのです。

濤瀧壯猛,難計程期;

怒涛や激流がさかんに勢い猛く、旅行行程、期日を計りがたいのです。

颶風鱷魚,患禍不測。

つむじ風やワニなど、心配やわざわいが測ることができないのです。

州南近界,漲海連天;

州の南の近いところでは、みなぎる海はそのなみは天に連ならなるほどです。

毒霧瘴氛,日夕發作。

毒のある霧や熱病のもととなる蒸し熱い気など、朝夕におこっております。

 

 (7)#4

臣少多病,年才五十,

發白齒落,理不久長,

加以罪犯至重,所處又極遠惡,

憂惶慚悸,死亡無日。

單立一身,朝無親黨,

居蠻夷之地,與魑魅為群,

苟非陛下哀而念之,誰肯為臣言者?

 

 

『潮州刺史謝上表』現代語訳と訳註

(本文) (6)#4

臣所領州,在廣府極東界上,

去廣府雖雲才二千裏,然往來動皆經月。

過海口,下惡水。

濤瀧壯猛,難計程期;

颶風鱷魚,患禍不測。

州南近界,漲海連天;

毒霧瘴氛,日夕發作。

 

(下し文) (6)#4

臣が領する所の州は,廣府 極東 界上に在り。

廣府を去ること才【わずか】に二千裏と雲【い】うと雖も,然れども往來動【やや】もすれば皆月を經【へ】る。

海口を過ぎ,惡水を下る。

濤瀧【とうろう】壯猛【そうもう】,程期を計り難し;

颶風【ぐふう】鱷魚【がくぎょ】,患禍測れず。

州南の近界,漲海 天に連る;

毒霧 瘴氛,日夕【にっせき】發作す。

 

(現代語訳)

私が支配、把握している州は、広州府の極めて東の界の付近にあります。

広州にむかって長安を去ることわずか二千里であるというけれども、しかし往ったり、来たりするのに、どうやっても一月を過ぎます。

そのうえ、海口を過ぎてから、大洪水のため悪水を下ることになったのです。

怒涛や激流がさかんに勢い猛く、旅行行程、期日を計りがたいのです。

つむじ風やワニなど、心配やわざわいが測ることができないのです。

州の南の近いところでは、みなぎる海はそのなみは天に連ならなるほどです。

毒のある霧や熱病のもととなる蒸し熱い気など、朝夕におこっております。

2潮州広東00 

 

(訳注) (6)#4

臣所領州,在廣府極東界上,

私が支配、把握している州は、広州府の極めて東の界の付近にあります。

○広府 広東省広州省

 

去廣府雖雲才二千裏,然往來動皆經月。

広州にむかって長安を去ることわずか二千里であるというけれども、しかし往ったり、来たりするのに、どうやっても一月を過ぎます。

○動 どうかすると。ややもすればと読む

 

過海口,下惡水。

そのうえ、海口を過ぎてから、大洪水のため悪水を下ることになったのです。

○海口 広東省の韓江の中流の地名。

○悪水 韓愈が洪水で避難したところ。広東省潮安県の韓江をいう。悪漢と同じ。韓愈が鰐の害を除いた川。《宿曾江口示姪孫湘,二首之一#1〔湘,字北渚,老成之子,愈兄弇之孫。此赴潮州作也。〕》韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <926>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3614韓愈詩-239-1

《宿曾江口示姪孫湘,二首之一〔湘,字北渚,老成之子,愈兄弇之孫。此赴潮州作也。〕》#2 韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <927>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3619韓愈詩-239-2

 

濤瀧壯猛,難計程期;

怒涛や激流がさかんに勢い猛く、旅行行程、期日を計りがたいのです。

○瀧 瀧音ラウ、早瀬。急流。日本の「たき」とは異なる。

○程期 樫はみちのり、期は日程。期日。

 

颶風鱷魚,患禍不測。

つむじ風やワニなど、心配やわざわいが測ることができないのです。

○親風 つむじ風。突風。

○鰐魚 わに。

 

州南近界,漲海連天;

州の南の近いところでは、みなぎる海はそのなみは天に連ならなるほどです。

 

毒霧瘴氛,日夕發作。

毒のある霧や熱病のもととなる蒸し熱い気など、朝夕におこっております。

○瘴氛 湿気の多い熱い水蒸気で熱病のもととなるもの。瘴氛は熱病。蚊が異常にいること、マラリアのことである。

○日夕 正午前から夕方までの時間帯。
韓愈の地図01 

《潮州刺史謝上表》(5) 韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <937>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3669韓愈詩-242-(5)

韓愈《潮州刺史謝上表》(5) 国家の基本的な方針や施策・法律の条文は完全にそなわっていて、治まることは久しくなっています。郡の太守や県の令らは、みことのりの箇条を受け戴いて、それにそむき犯すものは殆んどいません。


2014年1月29日 の紀頌之5つのブログ
●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場
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《潮州刺史謝上表》(5) 韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <937>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3669韓愈詩-242-(5)
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Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoor 11 -15 賀明朝二首 其二 歐陽舍人炯十七首ⅩⅫ唐五代詞・「花間集」 Gs-425-11-#15  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3672
 
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登永嘉緑嶂山詩 #1 謝霊運 <20> 詩集 386ーhttp://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67474554.html
登池上樓 #1 謝霊運<25>#1  ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67502196.html
孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。
李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html 
李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
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李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首
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《潮州刺史謝上表》(5) 韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <937>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3669韓愈詩-242-(5)

 

 

(5)#3

國家憲章完具,為治日久,

国家の基本的な方針や施策・法律の条文は完全にそなわっていて、治まることは久しくなっています。

守令承奉詔條,違犯者鮮,

郡の太守や県の令らは、みことのりの箇条を受け戴いて、それにそむき犯すものは殆んどいません。

雖在蠻荒,無不安泰。

南方の異民族の遠域の地にいても、人民は安らかでないものはありません。

聞臣所稱聖德,惟知鼓舞讙歡呼,

私韓愈のたたえまつる陛下の御聖徳を聞いて、世の人々はただ感動して鼓を鳴らし舞って、喜び叫ぶはかりです。
不勞施為,坐以無事。

彼らを治めるために何らの方策を施す苦労がなく、坐ったまま無為にして無事でございます。

臣某誠惶誠恐,頓首頓首。

私韓愈は、真心より恐れかしこみ、頓首し、重ねて頓首して申し上げます。

 (6)#4

臣所領州,在廣府極東界上,

去廣府雖雲才二千裏,然往來動皆經月。

過海口,下惡水。

濤瀧壯猛,難計程期;

颶風鱷魚,患禍不測。

州南近界,漲海連天;

毒霧瘴氛,日夕發作。

(7)#4

臣少多病,年才五十,

發白齒落,理不久長,

加以罪犯至重,所處又極遠惡,

憂惶慚悸,死亡無日。

單立一身,朝無親黨,

居蠻夷之地,與魑魅為群,

苟非陛下哀而念之,誰肯為臣言者?

 

 2潮州広東00

 

 

『潮州刺史謝上表』現代語訳と訳註

(本文) (5)#3

國家憲章完具,為治日久,

守令承奉詔條,違犯者鮮,

雖在蠻荒,無不安泰。

聞臣所稱聖德,惟知鼓舞讙歡呼,

不勞施為,坐以無事。

臣某誠惶誠恐,頓首頓首。

 

(下し文) (5)#3

国家の憲章は完具し、治を為すこと日久し。

守令詔條を承奉し、違犯する者鮮【すくな】し。

蠻荒に在りと雖も、安泰ならざる無し。

臣が稱する所の聖徳を聞いて、惟だ鼓舞し、誰呼するを知るのみ。

施為【しい】を勞せずして、坐して以て事無し。

臣某 誠惶し誠恐せる,頓首とし頓首とす。

 

(現代語訳)

国家の基本的な方針や施策・法律の条文は完全にそなわっていて、治まることは久しくなっています。

郡の太守や県の令らは、みことのりの箇条を受け戴いて、それにそむき犯すものは殆んどいません。

南方の異民族の遠域の地にいても、人民は安らかでないものはありません。

私韓愈がたたえまつる陛下の御聖徳を聞いて、世の人々はただ感動して鼓を鳴らし舞って、喜び叫ぶはかりです。

彼らを治めるために何らの方策を施す苦労がなく、坐ったまま無為にして無事でございます。

私韓愈は、真心より恐れかしこみ、頓首し、重ねて頓首して申し上げます。

 

 

(訳注) (5)#3

國家憲章完具,為治日久,

国家の基本的な方針や施策・法律の条文は完全にそなわっていて、治まることは久しくなっています。

○憲章 1 重要で根本的なことを定めた取り決め。特に、基本的な方針や施策などをうたった宣言書や協約。「国連―」「児童―」2 憲法の規則、典章。

 

守令承奉詔條,違犯者鮮,

郡の太守や県の令らは、みことのりの箇条を受け戴いて、それにそむき犯すものは殆んどいません。

○守令 郡守や県令、長官。。

 

雖在蠻荒,無不安泰。

南方の異民族の遠域の地にいても、人民は安らかでないものはありません。

○蛮荒 南蛮の荒遠の地。荒は遠い国の意味。岳の天下の区分で、蛮夷は五服のうちで荒服に属した。

 

聞臣所稱聖德,惟知鼓舞讙歡呼,

私韓愈がたたえまつる陛下の御聖徳を聞いて、世の人々はただ感動して鼓を鳴らし舞って、喜び叫ぶはかりです。

○鼓舞 鼓を鳴らし舞わす。元気づける意味であるが、転じて感激して奮発する意味に用いる。

○歡呼 歓んでさけぶ。

 

不勞施為,坐以無事。

彼らを治めるために何らの方策を施す苦労がなく、坐ったまま無為にして無事でございます。

 

臣某誠惶誠恐,頓首頓首。

私韓愈は、真心より恐れかしこみ、頓首し、重ねて頓首して申し上げます。

○頓首 丁重なおじぎをする。頓首は頭を地に打ちつけて礼をする。叩頭に同じく、手紙、上表文に用いる儀礼語。
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《潮州刺史謝上表》韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <936>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3664韓愈詩-242-(4)

韓愈《潮州刺史謝上表》 早朝の朝礼にお出ましになって政務を見、夜おそくになってお仕事をおわりにする、絶えず御心配に心やすまることなく、ただ四海のうち、天地の中に一つの物でもその妥当な在り場所を得ないかもしれないと恐れておられる。それ故、刺史をつかわして、一般人民のなやみ苦しみをまのあたりに問わせなさるのである。


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皇甫松 10首 採蓮子二首  其一 皇甫松  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-307-5-#61  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3082
牛嶠  20首 女冠子四首 其一 牛嶠  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-312-5-#66  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3107
『花間集』継続中 
杜甫全詩 韓愈全詩 李白全集 文選 花間集 古詩源 玉台新詠

 

《潮州刺史謝上表》韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <936>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3664韓愈詩-242-(4)

 

 

248-(3)#2-1

臣以正月十四日,蒙恩除潮州刺史,

私は正月十四日に、恩命を蒙り潮州刺史に任ぜられました。

即日奔馳上道,經涉嶺海,

そしてその日のうちに奔り馳せて出発して、五嶺山脈を越え、広東から海を過ぎ渡りました。

水陸萬裏,以今月二十五日,到州上訖。

その間、水に進み、陸を行くこと万里にもなり、今月(三月)二十五日をもって潮州の役所に到着して、赴任の旅はおわりました。

與官吏百姓等相見,具言朝廷治平,

すぐに、潮州の官吏や一般人民らと会見し、詳しく申しましたことは、「朝廷は治まり平安とする施政をしていること。」

天子神聖,威武慈仁,

「天子は神のごとくすぐれ給こと。」、「御威光いかめしく御慈愛深いこと。」

子養億兆人庶,無有親疏遠邇,

「億兆の庶民を子のごとく養われること。」、「親しいもの疎いもの、遠い近いということでの区別などはされないこと。」

雖在萬裏之外,嶺海之陬,

「朝廷より万里の外、山海の片隅の地にあっても、

待之一如畿甸之間,輦轂之下。

これをもて扱うことはまったく畿内の地方、天子の御車近くの京都と同じようであること。」

 (4)#2-2

有善必聞,有惡必見,

善いことがあれは必ずこれを聞かれ、悪事があれは必ずこれを御覧になる。

早朝晚罷,兢兢業業,

早朝の朝礼にお出ましになって政務を見、夜おそくになってお仕事をおわりにする、絶えず御心配に心やすまることなく、

惟恐四海之內,天地之中,一物不得其所,

ただ四海のうち、天地の中に一つの物でもその妥当な在り場所を得ないかもしれないと恐れておられる。

故遣刺史麵問百姓疾苦,

それ故、刺史をつかわして、一般人民のなやみ苦しみをまのあたりに問わせなさるのである。

苟有不便,得以上陳。

かりそめにも政務に具合いのわるいことがあるならば、それをお上に申し陳述することができる、とでいうとされました。

 

臣 正月十四日を以て,恩を蒙りて潮州の刺史に除せられ,

即日 奔馳【ほんち】して道に上り,嶺海を經涉【けいしょう】す。

水陸 萬裏【ばんり】にして,今月二十五日を以て,州上【しゅうじょう】に到り訖【おわ】る。

官吏百姓等と相い見て,具【つぶさ】に言う 朝廷治平なり。

天子神聖にして,威武 慈仁なり。

億兆の人庶を子養して,親疏【しんそ】遠邇【えんじ】有る無し。

萬裏の外に,嶺海の陬【すう】に在ると雖も,

之を待つこと一に畿甸【きでん】の間,輦轂【れんこく】の下の如し。

(4)#2-2

善有れば必ず聞き,惡有れば必ず見る。

早に朝し晚に罷み,兢兢 業業たり,

惟【ただ】し四海の內,天地の中,一物も其の所を得ざるを恐る。

故に刺史を遣わし 百姓の疾苦を麵問【めんもん】せしむ。

苟【いやし】くも不便【ふべん】有らば,以て上陳するを得んと。

 

sas0002 

 

『潮州刺史謝上表』現代語訳と訳註

(本文)

(4)#2-2

有善必聞,有惡必見,

早朝晚罷,兢兢業業,

惟恐四海之內,天地之中,一物不得其所,

故遣刺史麵問百姓疾苦,

苟有不便,得以上陳。

 

 

(下し文) (4)#2-2

善有れば必ず聞き,惡有れば必ず見る。

早に朝し晚に罷み,兢兢 業業たり,

惟【ただ】し四海の內,天地の中,一物も其の所を得ざるを恐る。

故に刺史を遣わし 百姓の疾苦を麵問【めんもん】せしむ。

苟【いやし】くも不便【ふべん】有らば,以て上陳するを得んと。

 

(現代語訳)

善いことがあれは必ずこれを聞かれ、悪事があれは必ずこれを御覧になる。

早朝の朝礼にお出ましになって政務を見、夜おそくになってお仕事をおわりにする、絶えず御心配に心やすまることなく、

ただ四海のうち、天地の中に一つの物でもその妥当な在り場所を得ないかもしれないと恐れておられる。

それ故、刺史をつかわして、一般人民のなやみ苦しみをまのあたりに問わせなさるのである。

かりそめにも政務に具合いのわるいことがあるならば、それをお上に申し陳述することができる、とでいうとされました。

葵00 

 

(訳注) (4)#2-2

有善必聞,有惡必見,

善いことがあれは必ずこれを聞かれ、悪事があれは必ずこれを御覧になる。

 

早朝晚罷,兢兢業業,

早朝の朝礼にお出ましになって政務を見、夜おそくになってお仕事をおわりにする、絶えず御心配に心やすまることなく、

○兢兢業業 兢は戒め慎む、業はあやぶみおそれる。絶えず用心し心配する形容。

 

惟恐四海之內,天地之中,一物不得其所,

ただ四海のうち、天地の中に一つの物でもその妥当な在り場所を得ないかもしれないと恐れておられる。

○四海 天下四方。中国全土。四方の果て崖の先には海であるということ、中華思想である。

 

故遣刺史麵問百姓疾苦,

それ故、刺史をつかわして、一般人民のなやみ苦しみをまのあたりに問わせなさるのである。

○麵問 面とむかって問う。まのあたり問う。

 

苟有不便,得以上陳。

かりそめにも政務に具合いのわるいことがあるならば、それをお上に申し陳述することができる、とでいうとされました。
2潮州広東00 

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●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場
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謝靈運詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/1901_shareiun000.html 謝靈運詩六朝期の山水詩人。この人の詩は上品ですがすがしい男性的な深みのある詩である。後世に多大な影響を残している。
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《潮州刺史謝上表》韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <935>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3659韓愈詩-242-(3)

 

 

248-(3)#2-1

臣以正月十四日,蒙恩除潮州刺史,

私は正月十四日に、恩命を蒙り潮州刺史に任ぜられました。

即日奔馳上道,經涉嶺海,

そしてその日のうちに奔り馳せて出発して、五嶺山脈を越え、広東から海を過ぎ渡りました。

水陸萬裏,以今月二十五日,到州上訖。

その間、水に進み、陸を行くこと万里にもなり、今月(三月)二十五日をもって潮州の役所に到着して、赴任の旅はおわりました。

與官吏百姓等相見,具言朝廷治平,

すぐに、潮州の官吏や一般人民らと会見し、詳しく申しましたことは、「朝廷は治まり平安とする施政をしていること。」

天子神聖,威武慈仁,

「天子は神のごとくすぐれ給こと。」、「御威光いかめしく御慈愛深いこと。」

子養億兆人庶,無有親疏遠邇,

「億兆の庶民を子のごとく養われること。」、「親しいもの疎いもの、遠い近いということでの区別などはされないこと。」

雖在萬裏之外,嶺海之陬,

「朝廷より万里の外、山海の片隅の地にあっても、

待之一如畿甸之間,輦轂之下。

これをもて扱うことはまったく畿内の地方、天子の御車近くの京都と同じようであること。」

 (4)#2-2

有善必聞,有惡必見,

早朝晚罷,兢兢業業,

惟恐四海之內,天地之中,一物不得其所,

故遣刺史麵問百姓疾苦,

苟有不便,得以上陳。

 

臣 正月十四日を以て,恩を蒙りて潮州の刺史に除せられ,

即日 奔馳【ほんち】して道に上り,嶺海を經涉【けいしょう】す。

水陸 萬裏【ばんり】にして,今月二十五日を以て,州上【しゅうじょう】に到り訖【おわ】る。

官吏百姓等と相い見て,具【つぶさ】に言う 朝廷治平なり。

天子神聖にして,威武 慈仁なり。

億兆の人庶を子養して,親疏【しんそ】遠邇【えんじ】有る無し。

萬裏の外に,嶺海の陬【すう】に在ると雖も,

之を待つこと一に畿甸【きでん】の間,輦轂【れんこく】の下の如し。

(4)#2-2

善有れば必ず聞き,惡有れば必ず見る。

早に朝し晚に罷み,兢兢 業業たり,

惟【ただ】し四海の內,天地の中,一物も其の所を得ざるを恐る。

故に刺史を遣わし 百姓の疾苦を麵問【めんもん】せしむ。

苟【いやし】くも不便【ふべん】有らば,以て上陳するを得んと。

漢文委員会紀頌之タイトル002 

 

『潮州刺史謝上表』現代語訳と訳註

(本文) 3)#2-1

臣以正月十四日,蒙恩除潮州刺史,

即日奔馳上道,經涉嶺海,

水陸萬裏,以今月二十五日,到州上訖。

與官吏百姓等相見,具言朝廷治平,

天子神聖,威武慈仁,

子養億兆人庶,無有親疏遠邇,

雖在萬裏之外,嶺海之陬,

待之一如畿甸之間,輦轂之下。

 

(下し文)

臣 正月十四日を以て,恩を蒙りて潮州の刺史に除せられ,

即日 奔馳【ほんち】して道に上り,嶺海を經涉【けいしょう】す。

水陸 萬裏【ばんり】にして,今月二十五日を以て,州上【しゅうじょう】に到り訖【おわ】る。

官吏百姓等と相い見て,具【つぶさ】に言う 朝廷治平なり。

天子神聖にして,威武 慈仁なり。

億兆の人庶を子養して,親疏【しんそ】遠邇【えんじ】有る無し。

萬裏の外に,嶺海の陬【すう】に在ると雖も,

之を待つこと一に畿甸【きでん】の間,輦轂【れんこく】の下の如し。

DCF00212 

(現代語訳)

私は正月十四日に、恩命を蒙り潮州刺史に任ぜられました。

そしてその日のうちに奔り馳せて出発して、五嶺山脈を越え、広東から海を過ぎ渡りました。

その間、水に進み、陸を行くこと万里にもなり、今月(三月)二十五日をもって潮州の役所に到着して、赴任の旅はおわりました。

すぐに、潮州の官吏や一般人民らと会見し、詳しく申しましたことは、「朝廷は治まり平安とする施政をしていること。」

「天子は神のごとくすぐれ給こと。」、「御威光いかめしく御慈愛深いこと。」

「億兆の庶民を子のごとく養われること。」、「親しいもの疎いもの、遠い近いということでの区別などはされないこと。」

「朝廷より万里の外、山海の片隅の地にあっても、

これをもて扱うことはまったく畿内の地方、天子の御車近くの京都と同じようであること。」

 

 

(訳注) 3)#2-1

臣以正月十四日,蒙恩除潮州刺史,

私は正月十四日に、恩命を蒙り潮州刺史に任ぜられました。

○蒙恩 天子の恩により命をこうむって。御命令で。

○除 官に任ぜられる。旧官を除去して新官につかせる。

 

即日奔馳上道,經涉嶺海,

そしてその日のうちに奔り馳せて出発して、五嶺山脈を越え、広東から海を過ぎ渡りました。

○経渉 山をこえ海を渡る。

○嶺海 山海、嶺は五嶺(湖南から福建広東にある山、大庚・始安・臨賀・桂陽・掲陽の五嶺山脈)、海は南シナ海、途中、嵐にあって、内陸に避難した。『宿曾江口示姪孫湘,二首』之一 之二。

 

水陸萬裏,以今月二十五日,到州上訖。

その間、水に進み、陸を行くこと万里にもなり、今月(三月)二十五日をもって潮州の役所に到着して、赴任の旅はおわりました。

○訖 了と同じ。

 

與官吏百姓等相見,具言朝廷治平,

すぐに、潮州の官吏や一般人民らと会見し、詳しく申しましたことは、「朝廷は治まり平安とする施政をしていること。」

○具 つぶさ。くわしく。漏なく。

 

天子神聖,威武慈仁,

「天子は神のごとくすぐれ給こと。」、「御威光いかめしく御慈愛深いこと。」

 

子養億兆人庶,無有親疏遠邇,

「億兆の庶民を子のごとく養われること。」、「親しいもの疎いもの、遠い近いということでの区別などはされないこと。」

○子養 子として養う。父母のような慈愛で生活を守る。

○人庶 人民。民庶とすべきところ、唐の太宗の世民という名を避けて人庶とした。庶は数多い人。

○遠邇 遠いと近いと。邇はちかい。

 

雖在萬裏之外,嶺海之陬,

「朝廷より万里の外、山海の片隅の地にあっても、

○陬 辺地。片隅の地。

 

待之一如畿甸之間,輦轂之下。

これをもて扱うことはまったく畿内の地方、天子の御車近くの京都と同じようであること。」

〇歳甸 故は天子直轄の地。王都を去る五百里以内の地、甸も畿に同じ、直隷の地。郊外ともいう。

○輦穀 輦は天子の車、轂はこしき。車輪の中央、輻(ふく)(矢)の集まる所。その下とは天子の御座所に近い地。京都。
2潮州広東00 

《潮州刺史謝上表》韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <934>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3654韓愈詩-242-(2)#1-2

韓愈《潮州刺史謝上表》陛下は私の愚かな忠義心をあわれに思い、私の常識はずれた正直を思いやり下さったものである。私の謂わんとする言辞は罪すべきものであるけれど、心にはまた他意がないと思召してくださった。


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《潮州刺史謝上表》韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <934>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3654韓愈詩-242-(2)#1-2

 

 

潮州に着いたのは、819年元和14年の3月25日であった。長安を出てから三か月若の日数がかかったわけである。流罪とはいえ形式上は潮州刺史の辞令をもらって赴任したのであるから、到着の報告書を作成した。その「潮州刺史謝上表」は、恭順の意がのべられ、死罪になっても文句のないところであること。流罪になったのはまことに寛大な処置で、自分はここの地方長官として天子の恩徳を住民に告げた」ということが書かれている。その一方、哀願もしていて、こんな片田舎では生活できないから、一日も早く呼びもどしてほしいと訴えている。北方生まれの韓愈にとって、南での生活はすべてが異様であり、耐えがたいものだったのだ。三度目の嶺南行である。

 

 

潮州刺史謝上表 韓愈

#1

臣某言:臣以狂妄戇愚,不識禮度,上表陳佛骨事,言涉不敬,正名定罪,萬死猶輕。陛下哀臣愚忠,恕臣狂直,謂臣言雖可罪,心亦無他,特屈刑章,以臣為潮州刺史。既免刑誅,又獲祿食,聖恩宏大,天地莫量,破腦刳心,豈足為謝!臣某誠惶誠恐,頓首頓首。

#2

臣以正月十四日,蒙恩除潮州刺史,即日奔馳上道,經涉嶺海,水陸萬裏,以今月二十五日,到州上訖。與官吏百姓等相見,具言朝廷治平,天子神聖,威武慈仁,子養億兆人庶,無有親疏遠邇,雖在萬裏之外,嶺海之陬,待之一如畿甸之間,輦轂之下。有善必聞,有惡必見,早朝晚罷,兢兢業業,惟恐四海之內,天地之中,一物不得其所,故遣刺史麵問百姓疾苦,苟有不便,得以上陳。

#3

國家憲章完具,為治日久,守令承奉詔條,違犯者鮮,雖在蠻荒,無不安泰。聞臣所稱聖德,惟知鼓舞讙歡呼,不勞施為,坐以無事。臣某誠惶誠恐,頓首頓首。

#4

臣所領州,在廣府極東界上,去廣府雖雲才二千裏,然往來動皆經月。過海口,下惡水。濤瀧壯猛,難計程期;颶風鱷魚,患禍不測。州南近界,漲海連天;毒霧瘴氛,日夕發作。

#4

臣少多病,年才五十,發白齒落,理不久長,加以罪犯至重,所處又極遠惡,憂惶慚悸,死亡無日。單立一身,朝無親黨,居蠻夷之地,與魑魅為群,苟非陛下哀而念之,誰肯為臣言者?

#5

臣受性愚陋,人事多所不通,惟酷好學問文章,未嚐一日暫廢,實為時輩所見推許。臣於當時之文,亦未有過人者。至於論述陛下功德,與《詩》《書》相表裏;作為歌詩,薦之郊廟;紀泰山之封,鏤白玉之牒;鋪張對天之閎休,揚厲無前之偉績,編之乎《詩》《書》之策而無愧,措之乎天地之間而無虧。雖使古人複生,臣亦未肯多讓。

#6

伏以大唐受命有天下,四海之內,莫不臣妾,南北東西,地各萬裏。自天寶之後,政治少懈,文致未優,武克不剛,孽臣奸隸,蠹居棋處,搖毒自防,外順內悖,父死子代,以祖以孫,如古諸侯,自擅其地,不貢不朝,六七十年。四聖傳序,以至陛下。

#7

陛下即位以來,躬親聽斷;旋乾轉坤,關機闔開;雷厲風飛,日月所照;天戈所麾,莫不寧順;大宇之下,生息理極。高祖創制天下,其功大矣,而治未太平也;太宗太平矣,而大功所立,鹹在高祖之代。非如陛下承天寶之後,接因循之餘,六七十年之外,赫然興起,南麵指麾,而致此巍巍之治功也。宜定樂章,以告神明,東巡泰山,奏功皇天,具著顯庸,明示得意,使永永年代,服我成烈。

#8

當此之際,所謂千載一時不可逢之嘉會,而臣負罪嬰,自拘海島,戚戚嗟嗟,日與死迫,曾不得奏薄技於從官之內、隸禦之間,窮思畢精,以贖罪過,懷痛窮天,死不閉目,瞻望宸極,魂神飛去。伏惟皇帝陛下,天地父母,哀而憐之,無任感恩戀闕慚惶懇迫之至。謹附表陳謝以聞。

2蜀の山00 

潮州刺史謝上表 韓愈

(広東省潮州に左遷された韓退之が、罪を許されて召還され、中央政府に用いられることを願い、謝して奉った上表文である。)

(1)#1-1

臣某言:臣以狂妄戇愚,不識禮度,

家臣の私が申し上げます。私は人並みはずれて激しく無分別な考えの愚かなもので、礼儀法度もわきまえておりませんでした。

上表陳佛骨事,言涉不敬,

仏骨のことを論じた表をたてまつって、陳述も致し、その言辞が不敬にわたってもおりました。

正名定罪,萬死猶輕。

その名分を正して罪を定めるならは、万死もなお軽く、全く生命はないはずのものでありました。

(2)#1-2

陛下哀臣愚忠,恕臣狂直,

しかし、陛下は私の愚かな忠義心をあわれに思い、私の常識はずれた正直を思いやり下さったものである。

謂臣言雖可罪,心亦無他,

私の謂わんとする言辞は罪すべきものであるけれど、心にはまた他意がないと思召してくださった。

特屈刑章,以臣為潮州刺史。

刑の条文をまげ改めてまでも、この私を潮州の刺史となされました。

既免刑誅,又獲祿食,

すでに罪刑を下し殺されるということを免じられて、その上、役人としての食俸禄を得ることができました。

聖恩宏大,天地莫量,

このことは、聖天子の御恩が弘大であること、それは天地大きさを量ることのできないことにも似ている。

破腦刳心,豈足為謝!

これに対して、脳を砕き破り、心臓を切り裂いても、どうして御礼申し上げるに足りましょうか。

臣某誠惶誠恐,頓首頓首。

私韓愈は、真心より恐れかしこみ、頓首し、重ねて頓首して申し上げます。

 

2潮州広東00 

(潮州刺史【しし】謝【しゃ】上表【じょうひょう】)#1

臣の某は言う:臣 狂妄【きょうぼう】戇愚【とうぐ】,不識禮度をらざるを以てす。,

上表して佛骨の事を陳べ,言 不敬【ふけい】に涉る,

名を正し罪を定めば,萬死も猶お輕し。

 

陛下 臣が愚忠を哀み,臣が狂直を恕す。

謂【おもえ】らく臣の言 罪とす可しと雖も,心は亦た他無しと。

特に刑章を屈し,臣を以て潮州の刺史と為す。

既に刑誅を免れ,又 祿食を獲たり。

聖恩 宏大にして,天地 量る莫れ。

腦を破り刳心を【さ】くとも,豈に謝を為すに足らんや!

臣某 誠惶し誠恐せる,頓首とし頓首とす。

 

 

『潮州刺史謝上表』現代語訳と訳註

(本文)  (2)#1-2

陛下哀臣愚忠,恕臣狂直,

謂臣言雖可罪,心亦無他,

特屈刑章,以臣為潮州刺史。

既免刑誅,又獲祿食,

聖恩宏大,天地莫量,

破腦刳心,豈足為謝!

臣某誠惶誠恐,頓首頓首。

 

(下し文)

陛下 臣が愚忠を哀み,臣が狂直を恕す。

謂【おもえ】らく臣の言 罪とす可しと雖も,心は亦た他無しと。

特に刑章を屈し,臣を以て潮州の刺史と為す。

既に刑誅を免れ,又 祿食を獲たり。

聖恩 宏大にして,天地 量る莫れ。

腦を破り刳心を【さ】くとも,豈に謝を為すに足らんや!

臣某 誠惶し誠恐せる,頓首とし頓首とす。

 

(現代語訳)

しかし、陛下は私の愚かな忠義心をあわれに思い、私の常識はずれた正直を思いやり下さったものである。

私の謂わんとする言辞は罪すべきものであるけれど、心にはまた他意がないと思召してくださった。

刑の条文をまげ改めてまでも、この私を潮州の刺史となされました。

すでに罪刑を下し殺されるということを免じられて、その上、役人としての食俸禄を得ることができました。

このことは、聖天子の御恩が弘大であること、それは天地大きさを量ることのできないことにも似ている。

これに対して、脳を砕き破り、心臓を切り裂いても、どうして御礼申し上げるに足りましょうか。

私韓愈は、真心より恐れかしこみ、頓首し、重ねて頓首して申し上げます。

 

 

(訳注)(2)#1-2

陛下哀臣愚忠,恕臣狂直,

しかし、陛下は私の愚かなしん忠義心をあわれに思い、私の常識はずれた正直を思いやり下さったものである。

○愚忠 問題の『佛骨を論ずる表』は天子を批判するものではなく、仏教を信ずるより、古来よりの儒教を国教にすべきというもので、忠義心からのものであった。

 

謂臣言雖可罪,心亦無他,

私の謂わんとする言辞は罪すべきものであるけれど、心にはまた他意がないと思召してくださった。

 

特屈刑章,以臣為潮州刺史。

刑の条文をまげ改めてまでも、この私を潮州の刺史となされました。

○屈刑章 刑九章の条文を曲げること。

 

既免刑誅,又獲祿食,

すでに罪刑を下し殺されるということを免じられて、その上、役人としての食俸禄を得ることができました。

 

聖恩宏大,天地莫量,

このことは、聖天子の御恩が弘大であること、それは天地大きさを量ることのできないことにも似ている。

○天地莫量 天子の御恩が天地のごとく量り切れない。

 

破腦刳心,豈足為謝!

これに対して、脳を砕き破り、心臓を切り裂いても、どうして御礼申し上げるに足りましょうか。

○破腦刳心 脳を打ち破り、心臓を切り割いて、わが身を打ちくだき切り割いても。

 

臣某誠惶誠恐,頓首頓首。

私韓愈は、真心より恐れかしこみ、頓首し、重ねて頓首して申し上げます。

○頓首 丁重なおじぎをする。頓首は頭を地に打ちつけて礼をする。叩頭に同じく、手紙、上表文に用いる儀礼語。
泰山の夕日 

《潮州刺史謝上表》韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <933>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3649韓愈詩-242-1

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朔風 (一章) 曹植 魏詩<25-#1>文選雑詩 上 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67780868.html
謝靈運詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/1901_shareiun000.html 謝靈運詩六朝期の山水詩人。この人の詩は上品ですがすがしい男性的な深みのある詩である。後世に多大な影響を残している。
謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。
登永嘉緑嶂山詩 #1 謝霊運 <20> 詩集 386ーhttp://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67474554.html
登池上樓 #1 謝霊運<25>#1  ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67502196.html
孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。
李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html 
李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首
魚玄機 詩 全首130回賦得江邊柳 魚玄機  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-65-1-#五言律詩  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1876
薛濤 詩詞全首100 井梧吟 薛濤 唐五代詞・宋詩 薛濤-136-8-#1  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2227
主に花間集から
温庭筠 70首『菩薩蠻 一』温庭筠  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-1-1-#1 花間集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1620
韋荘 50首 菩薩蠻 一 韋荘  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩花間集Gs-247-5-#1  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2617
皇甫松 10首 採蓮子二首  其一 皇甫松  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-307-5-#61  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3082
牛嶠  20首 女冠子四首 其一 牛嶠  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-312-5-#66  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3107
『花間集』継続中 
杜甫全詩 韓愈全詩 李白全集 文選 花間集 古詩源 玉台新詠


《潮州刺史謝上表》韓愈
(韓退之) Ⅱ中唐詩 <933>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3649韓愈詩-242-1

 

 

潮州に着いたのは、819年元和14年の3月25日であった。長安を出てから三か月若の日数がかかったわけである。流罪とはいえ形式上は潮州刺史の辞令をもらって赴任したのであるから、到着の報告書を作成した。その「潮州刺史謝上表」は、恭順の意がのべられ、死罪になっても文句のないところであること。流罪になったのはまことに寛大な処置で、自分はここの地方長官として天子の恩徳を住民に告げた」ということが書かれている。その一方、哀願もしていて、こんな片田舎では生活できないから、一日も早く呼びもどしてほしいと訴えている。北方生まれの韓愈にとって、南での生活はすべてが異様であり、耐えがたいものだったのだ。三度目の嶺南行である。

 

 

潮州刺史謝上表 韓愈

#1

臣某言:臣以狂妄戇愚,不識禮度,上表陳佛骨事,言涉不敬,正名定罪,萬死猶輕。陛下哀臣愚忠,恕臣狂直,謂臣言雖可罪,心亦無他,特屈刑章,以臣為潮州刺史。既免刑誅,又獲祿食,聖恩宏大,天地莫量,破腦刳心,豈足為謝!臣某誠惶誠恐,頓首頓首。

#2

臣以正月十四日,蒙恩除潮州刺史,即日奔馳上道,經涉嶺海,水陸萬裏,以今月二十五日,到州上訖。與官吏百姓等相見,具言朝廷治平,天子神聖,威武慈仁,子養億兆人庶,無有親疏遠邇,雖在萬裏之外,嶺海之陬,待之一如畿甸之間,輦轂之下。有善必聞,有惡必見,早朝晚罷,兢兢業業,惟恐四海之內,天地之中,一物不得其所,故遣刺史麵問百姓疾苦,苟有不便,得以上陳。

#3

國家憲章完具,為治日久,守令承奉詔條,違犯者鮮,雖在蠻荒,無不安泰。聞臣所稱聖德,惟知鼓舞讙歡呼,不勞施為,坐以無事。臣某誠惶誠恐,頓首頓首。

#4

臣所領州,在廣府極東界上,去廣府雖雲才二千裏,然往來動皆經月。過海口,下惡水。濤瀧壯猛,難計程期;颶風鱷魚,患禍不測。州南近界,漲海連天;毒霧瘴氛,日夕發作。

#4

臣少多病,年才五十,發白齒落,理不久長,加以罪犯至重,所處又極遠惡,憂惶慚悸,死亡無日。單立一身,朝無親黨,居蠻夷之地,與魑魅為群,苟非陛下哀而念之,誰肯為臣言者?

#5

臣受性愚陋,人事多所不通,惟酷好學問文章,未嚐一日暫廢,實為時輩所見推許。臣於當時之文,亦未有過人者。至於論述陛下功德,與《詩》《書》相表裏;作為歌詩,薦之郊廟;紀泰山之封,鏤白玉之牒;鋪張對天之閎休,揚厲無前之偉績,編之乎《詩》《書》之策而無愧,措之乎天地之間而無虧。雖使古人複生,臣亦未肯多讓。

#6

伏以大唐受命有天下,四海之內,莫不臣妾,南北東西,地各萬裏。自天寶之後,政治少懈,文致未優,武克不剛,孽臣奸隸,蠹居棋處,搖毒自防,外順內悖,父死子代,以祖以孫,如古諸侯,自擅其地,不貢不朝,六七十年。四聖傳序,以至陛下。

#7

陛下即位以來,躬親聽斷;旋乾轉坤,關機闔開;雷厲風飛,日月所照;天戈所麾,莫不寧順;大宇之下,生息理極。高祖創制天下,其功大矣,而治未太平也;太宗太平矣,而大功所立,鹹在高祖之代。非如陛下承天寶之後,接因循之餘,六七十年之外,赫然興起,南麵指麾,而致此巍巍之治功也。宜定樂章,以告神明,東巡泰山,奏功皇天,具著顯庸,明示得意,使永永年代,服我成烈。

#8

當此之際,所謂千載一時不可逢之嘉會,而臣負罪嬰,自拘海島,戚戚嗟嗟,日與死迫,曾不得奏薄技於從官之內、隸禦之間,窮思畢精,以贖罪過,懷痛窮天,死不閉目,瞻望宸極,魂神飛去。伏惟皇帝陛下,天地父母,哀而憐之,無任感恩戀闕慚惶懇迫之至。謹附表陳謝以聞。

 

潮州刺史謝上表 #1

(広東省潮州に左遷された韓退之が、罪を許されて召還され、中央政府に用いられることを願い、謝して奉った上表文である。)

臣某言:臣以狂妄戇愚,不識禮度,

家臣の私が申し上げます。私は人並みはずれて激しく無分別な考えの愚かなもので、礼儀法度もわきまえておりませんでした。

上表陳佛骨事,言涉不敬,

仏骨のことを論じた表をたてまつって、陳述も致し、その言辞が不敬にわたってもおりました。

正名定罪,萬死猶輕。

その名分を正して罪を定めるならは、万死もなお軽く、全く生命はないはずのものでありました。

#2

陛下哀臣愚忠,恕臣狂直,

謂臣言雖可罪,心亦無他,

特屈刑章,以臣為潮州刺史。

既免刑誅,又獲祿食,

聖恩宏大,天地莫量,

破腦刳心,豈足為謝!

臣某誠惶誠恐,頓首頓首。

 

(潮州刺史【しし】謝【しゃ】上表【じょうひょう】)#1

臣の某は言う:臣 狂妄【きょうぼう】戇愚【とうぐ】,不識禮度をらざるを以てす。,

上表して佛骨の事を陳べ,言 不敬【ふけい】に涉る,

名を正し罪を定めば,萬死も猶お輕し。

 

陛下 臣が愚忠を哀み,臣が狂直を恕す。

謂【おもえ】らく臣の言 罪とす可しと雖も,心は亦た他無しと。

特に刑章を屈し,臣を以て潮州の刺史と為す。

既に刑誅を免れ,又 祿食を獲たり。

聖恩 宏大にして,天地 量る莫れ。

腦を破り刳心を【さ】くとも,豈に謝を為すに足らんや!

臣某 誠惶し誠恐せる,頓首とし頓首とす。

 

 

『潮州刺史謝上表』現代語訳と訳註

(本文) #1

臣某言:臣以狂妄戇愚,不識禮度,

上表陳佛骨事,言涉不敬,

正名定罪,萬死猶輕。

 

(下し文)

(潮州刺史【しし】謝【しゃ】上表【じょうひょう】)#1

臣の某は言う:臣 狂妄【きょうぼう】戇愚【とうぐ】,不識禮度をらざるを以てす。,

上表して佛骨の事を陳べ,言 不敬【ふけい】に涉る,

名を正し罪を定めば,萬死も猶お輕し。

 

(現代語訳)

(広東省潮州に左遷された韓退之が、罪を許されて召還され、中央政府に用いられることを願い、謝して奉った上表文である。)

家臣の私が申し上げます。私は人並みはずれて激しく無分別な考えの愚かなもので、礼儀法度もわきまえておりませんでした。

仏骨のことを論じた表をたてまつって、陳述も致し、その言辞が不敬にわたってもおりました。

その名分を正して罪を定めるならは、万死もなお軽く、全く生命はないはずのものでありました。

 

(訳注)

潮州刺史謝上表 韓愈 #1

(広東省潮州に左遷された韓退之が、罪を許されて召還され、中央政府に用いられることを願い、謝して奉った上表文である。)刺史はその州の知事、長官のことである。

2潮州広東00 

臣某言:臣以狂妄戇愚,不識禮度,

家臣の私が申し上げます。私は人並みはずれて激しく無分別な考えの愚かなもので、礼儀法度もわきまえておりませんでした。

○狂妄 常識はずれのむやみな。常軌を逸してわけのわからぬ。○戇愚 二字とも愚かなこと。戇は正直ではあるが智の少ないこと。

○礼度 礼儀法度、身分による行為形式と制度。

 

上表陳佛骨事,言涉不敬,

仏骨のことを論じた表をたてまつって、陳述も致し、その言辞が不敬にわたってもおりました。

○佛骨事 《論佛骨表》(1)元和十四年韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <884>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3404韓愈詩-227-1

18回に分割して訳注しているので参照。

 

正名定罪,萬死猶輕。

その名分を正して罪を定めるならは、万死もなお軽く、全く生命はないはずのものでありました。

○正名 名分を正す。名目を正す。

○万死 絶対な死。死を免れない。
DCF00212
 

《答柳柳州食蝦蟆》韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <932>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3644韓愈詩-241-#4

韓愈《答柳柳州食蝦蟆》それなのに君はまたどうしたことだろうか、甘いものを食べるのと高級な肉料理とくらべて喜んで食べているということを。孟子も言っている、「狩猟の獲物をくらべるのでも土地の風俗に同調しょうとつとめるもの」だし、親からもらったこの身を全うするのこそ孝行である。


2014年1月24日 の紀頌之5つのブログ
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《答柳柳州食蝦蟆》韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <932>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3644韓愈詩-241-#4
●杜甫の全作品1141首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"
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李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首
魚玄機 詩 全首130回賦得江邊柳 魚玄機  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-65-1-#五言律詩  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1876
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温庭筠 70首『菩薩蠻 一』温庭筠  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-1-1-#1 花間集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1620
韋荘 50首 菩薩蠻 一 韋荘  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩花間集Gs-247-5-#1  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2617
皇甫松 10首 採蓮子二首  其一 皇甫松  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-307-5-#61  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3082
牛嶠  20首 女冠子四首 其一 牛嶠  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-312-5-#66  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3107
『花間集』継続中 
杜甫全詩 韓愈全詩 李白全集 文選 花間集 古詩源 玉台新詠

 

《答柳柳州食蝦蟆》韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <932>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3644韓愈詩-241-#4

 

 

三度の嶺南行
一度目は779年12歳のころ。
二度目は803年 36歳陽山の県令に貶められる。
三度目は今回819年潮州刺史に、52歳。
 

 

答柳柳州食蝦蟆 #1

(柳柳州、柳宗元柳州刺史の「蝦蟆を食う」詩に答える)

蝦蟆雖水居,水特變形貌。 

蝦蟆は水のなかに棲むものだが、水に棲む動物のなかでも特に変わった形をしている。

強號為蛙蛤,於實無所校。 

強いて蛙を水属のなかに入れているが、実際はほかに似たものがないのだ。

雖然兩股長,其奈脊皴皰。 

二本の脚は長いが、背中のいぼいぼはどうしようもない。

跳躑雖云高,意不離濘淖。

跳び上がるのは高いけれども、心はぬかるみから離れてはいないのだ。

#2 

鳴聲相呼和,無理只取鬧。 

鳴き声は呼びあって合唱し、筋みちも何もなく、ただやかましいだけだ。

周公所不堪,灑灰垂典教。 

周公もそのうるさいのに耐えかねたのであろう、灰をかけることをわざわざ教えとして垂れたもうた。

我棄愁海濱,恆願眠不覺。 

私は聖天子から見捨てられ、こうして、潮州の海浜で憂愁の日々を送っている。いつも願うのは、一度眠りこんだら目がさめないことだ。

叵堪朋類多,沸耳作驚爆。

ところがえびばく蝦蟇は同類が多くて、沸きかえるほどに爆竹の音を耳に響かせるような鳴き声をたてるのにはやりきれない。

#3 

端能敗笙磬,仍工亂學校。 

たしかにこれは妙なる音楽の音色をもだめにしてしまうほどのものであり、しかもうまい具合に学校で読書する声をもかき乱してしまうものだ。

雖蒙句踐禮,竟不聞報效。 

越王句践のあいさつ(檄)は受けたけれど、恩返しというほどの働きをした話を聞いていない。

大戰元鼎年,孰強孰敗橈。 

漢の元鼎の年に大合戦があったとのことだが、どちらが強くてどちらが負けたのか。

居然當鼎味,豈不辱釣罩。

それが料理の基本になっている、これは魚をとる道具をけがすものではないか。

#4

余初不下喉,近亦能稍稍。 

私は始めのうちは食べようとしても喉を通らなかったが、近ごろではまた少しずつ慣れてきた。

常懼染蠻夷,失平生好樂。 

それでもこわいもので蛮夷の風習に染まって、平生の好みを失ってしまうのではないかといつも気がかりなのだ。

而君復何為,甘食比豢豹。 

それなのに君はまたどうしたことだろうか、甘いものを食べるのと高級な肉料理とくらべて喜んで食べているということを。

獵較務同俗,全身斯為孝。 

孟子も言っている、「狩猟の獲物をくらべるのでも土地の風俗に同調しょうとつとめるもの」だし、親からもらったこの身を全うするのこそ孝行である。

哀哉思慮深,未見許回櫂。 

ああ悲しいことに君の思慮は深いのだが、都へと帰る舟に乗りこむことはまだ許されていない。君はまだ帰してもらえない。

(柳柳州の「蝦蟆を食う」に答う)

蝦蟆は水に居ると雖も,水 特に形貌を變ず。 

強いて號すは蛙蛤【あこう】と為す,實に於て校【くら】ぶる所無し。 

兩の股 長しと雖然【いえど】も,其れ脊の皴皰【しゅんぽう】を奈【いか】んせん。 

跳躑【ちょうてき】すること高しと云うと雖も,意は濘淖【ねいとう】を離れず。

 

鳴聲 相い呼びて和し,理 無くして只だ鬧【どう】を取るのみ。 

周公 堪えざる所,灰を灑ぎて典教を垂る。 

我 棄てられて海濱に愁い,恆【つね】に眠り覺めざるを願う。 

堪え叵【がた】し朋類の多くすを,耳に沸いて驚爆を作すに。

 

端【つまびら】かにすれば能く笙磬【しょうけい】を敗り,仍【な】お工みに學校を亂る。 

句踐の禮を蒙むると雖も,竟に報效せしを聞かず。 

大戰あるは元鼎の年なり,孰【いず】れか強く孰れか敗橈【はいとう】せる。 

居然として鼎味に當り,豈に釣罩【ちょうとう】を辱【はずか】しめざらんや。

 

余 初めは喉より下らざるも,近ごろは亦た能く稍稍たり。 

常に懼る 蠻夷に染るを,平生の好樂を失うを。 

而も君 復た何為【なんす】れぞ,甘食 豢豹【かんぴょう】に比ぶれば。 

獵較【りょうこう】 俗に同じきに務め,身を全うする 斯れを孝と為す。 

哀しい哉 思慮深くして,未だ許櫂を回らすをされざること見ん。 

蝦蟇01 

 

『答柳柳州食蝦蟆』 現代語訳と訳註

(本文) #4

余初不下喉,近亦能稍稍。 

常懼染蠻夷,失平生好樂。 

而君復何為,甘食比豢豹。 

獵較務同俗,全身斯為孝。 

哀哉思慮深,未見許回櫂。 

 

(下し文)

余 初めは喉より下らざるも,近ごろは亦た能く稍稍たり。 

常に懼る 蠻夷に染るを,平生の好樂を失うを。 

而も君 復た何為【なんす】れぞ,甘食 豢豹【かんぴょう】に比ぶれば。 

獵較【りょうこう】 俗に同じきに務め,身を全うする 斯れを孝と為す。 

哀しい哉 思慮深くして,未だ許櫂を回らすをされざること見ん。 

 

(現代語訳)

私は始めのうちは食べようとしても喉を通らなかったが、近ごろではまた少しずつ慣れてきた。

それでもこわいもので蛮夷の風習に染まって、平生の好みを失ってしまうのではないかといつも気がかりなのだ。

それなのに君はまたどうしたことだろうか、甘いものを食べるのと高級な肉料理とくらべて喜んで食べているということを。

孟子も言っている、「狩猟の獲物をくらべるのでも土地の風俗に同調しょうとつとめるもの」だし、親からもらったこの身を全うするのこそ孝行である。

ああ悲しいことに君の思慮は深いのだが、都へと帰る舟に乗りこむことはまだ許されていない。君はまだ帰してもらえない。

sas0002 

 

(訳注) #4

余初不下喉,近亦能稍稍。 

私は始めのうちは食べようとしても暇を通らなかったが、近ごろではまた少しずつ慣れてきた。

 

常懼染蠻夷,失平生好樂。 

それでもこわいもので蛮夷の風習に染まって、平生の好みを失ってしまうのではないかといつも気がかりなのだ。

○蛮夷 蛮夷戎狄。中華思想における支配民族(漢民族、漢人とは限らない)による異民族への蔑称を意味する。戎狄(じゅうてき)や、蛮夷(ばんい)とも呼ばれた。 中華(華の中)に対し、夷狄は外世界(華の外)を指す言葉で【未開・野蛮】を意味する。

 

而君復何為,甘食比豢豹。 

それなのに君はまたどうしたことだろうか、甘いものを食べるのと高級な肉料理とくらべて喜んで食べているということを。

○豢豹 めずらしいものを食べるために豹を飼育する。

 

獵較務同俗,全身斯為孝。 

孟子も言っている、「狩猟の獲物をくらべるのでも土地の風俗に同調しょうとつとめるもの」だし、親からもらったこの身を全うするのこそ孝行である。

○獵較務同俗 『孟子』に魯の国の風俗で、狩猟の獲物をくらべることが記されており、孔子もその風俗を重んじて獲物を比べたという。『孟子·万章下』「孔子之仕於魯也, 魯人獵較, 孔子亦獵較。」

 

哀哉思慮深,未見許回櫂。 

ああ悲しいことに君の思慮は深いのだが、都へと帰る舟に乗りこむことはまだ許されていない。君はまだ帰してもらえない。
2潮州広東00 

《答柳柳州食蝦蟆》韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <931>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3639韓愈詩-241-#3

韓愈《答柳柳州食蝦蟆》#3 たしかにこれは妙なる音楽の音色をもだめにしてしまうほどのものであり、しかもうまい具合に学校で読書する声をもかき乱してしまうものだ。越王句践のあいさつ(檄)は受けたけれど、恩返しというほどの働きをした話を聞いていない。


2014年1月23日 の紀頌之5つのブログ
●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場
Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
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班孟堅(班固) 《東都賦》(16)#9(狩りの作法)-1 文選 賦<113―16>18分割55回 Ⅱ李白に影響を与えた詩1018 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3638
●唐を代表する中唐の韓愈の儒家としての考えのよくわかる代表作の一つ
Ⅱ中唐詩・晩唐詩
 
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《答柳柳州食蝦蟆》韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <931>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3639韓愈詩-241-#3
●杜甫の全作品1141首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"
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●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている
Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集 Fc2ブログ 263 《招揚之罦一首》 韓愈  kanbuniinkai 紀 頌之の詩詞 fc2ブログ 3641 (01/23)
●●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集
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『楚辞・九歌』東君 屈原詩<78-#1>505 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1332http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67664757.html
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安世房中歌十七首(1) 唐山夫人 漢詩 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67710265.html 
為焦仲卿妻作 序 漢詩<143>古詩源 巻三 女性詩http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67729401.html
於凊河見輓船士新婚別妻一首 曹丕(魏文帝) 魏詩http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67759129.html
朔風 (一章) 曹植 魏詩<25-#1>文選雑詩 上 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67780868.html
謝靈運詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/1901_shareiun000.html 謝靈運詩六朝期の山水詩人。この人の詩は上品ですがすがしい男性的な深みのある詩である。後世に多大な影響を残している。
謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。
登永嘉緑嶂山詩 #1 謝霊運 <20> 詩集 386ーhttp://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67474554.html
登池上樓 #1 謝霊運<25>#1  ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67502196.html
孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。
李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html 
李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首
魚玄機 詩 全首130回賦得江邊柳 魚玄機  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-65-1-#五言律詩  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1876
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温庭筠 70首『菩薩蠻 一』温庭筠  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-1-1-#1 花間集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1620
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『花間集』継続中 
杜甫全詩 韓愈全詩 李白全集 文選 花間集 古詩源 玉台新詠

 

《答柳柳州食蝦蟆》韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <931>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3639韓愈詩-241-#3

 
三度の嶺南行
一度目は779年12歳のころ。
二度目は803年 36歳陽山の県令に貶められる。
三度目は今回819年潮州刺史に、52歳。
 

 

答柳柳州食蝦蟆 #1

(柳柳州、柳宗元柳州刺史の「蝦蟆を食う」詩に答える)

蝦蟆雖水居,水特變形貌。 

蝦蟆は水のなかに棲むものだが、水に棲む動物のなかでも特に変わった形をしている。

強號為蛙蛤,於實無所校。 

強いて蛙を水属のなかに入れているが、実際はほかに似たものがないのだ。

雖然兩股長,其奈脊皴皰。 

二本の脚は長いが、背中のいぼいぼはどうしようもない。

跳躑雖云高,意不離濘淖。

跳び上がるのは高いけれども、心はぬかるみから離れてはいないのだ。

#2 

鳴聲相呼和,無理只取鬧。 

鳴き声は呼びあって合唱し、筋みちも何もなく、ただやかましいだけだ。

周公所不堪,灑灰垂典教。 

周公もそのうるさいのに耐えかねたのであろう、灰をかけることをわざわざ教えとして垂れたもうた。

我棄愁海濱,恆願眠不覺。 

私は聖天子から見捨てられ、こうして、潮州の海浜で憂愁の日々を送っている。いつも願うのは、一度眠りこんだら目がさめないことだ。

叵堪朋類多,沸耳作驚爆。

ところがえびばく蝦蟇は同類が多くて、沸きかえるほどに爆竹の音を耳に響かせるような鳴き声をたてるのにはやりきれない。

#3 

端能敗笙磬,仍工亂學校。 

たしかにこれは妙なる音楽の音色をもだめにしてしまうほどのものであり、しかもうまい具合に学校で読書する声をもかき乱してしまうものだ。

雖蒙句踐禮,竟不聞報效。 

越王句践のあいさつ(檄)は受けたけれど、恩返しというほどの働きをした話を聞いていない。

大戰元鼎年,孰強孰敗橈。 

漢の元鼎の年に大合戦があったとのことだが、どちらが強くてどちらが負けたのか。

居然當鼎味,豈不辱釣罩。

それが料理の基本になっている、これは魚をとる道具をけがすものではないか。

#4

余初不下喉,近亦能稍稍。 

常懼染蠻夷,失平生好樂。 

而君復何為,甘食比豢豹。 

獵較務同俗,全身斯為孝。 

哀哉思慮深,未見許回櫂。 

 

(柳柳州の「蝦蟆を食う」に答う)

蝦蟆は水に居ると雖も,水 特に形貌を變ず。 

強いて號すは蛙蛤【あこう】と為す,實に於て校【くら】ぶる所無し。 

兩の股 長しと雖然【いえど】も,其れ脊の皴皰【しゅんぽう】を奈【いか】んせん。 

跳躑【ちょうてき】すること高しと云うと雖も,意は濘淖【ねいとう】を離れず。

 

鳴聲 相い呼びて和し,理 無くして只だ鬧【どう】を取るのみ。 

周公 堪えざる所,灰を灑ぎて典教を垂る。 

我 棄てられて海濱に愁い,恆【つね】に眠り覺めざるを願う。 

堪え叵【がた】し朋類の多くすを,耳に沸いて驚爆を作すに。

 

端【つまびら】かにすれば能く笙磬【しょうけい】を敗り,仍【な】お工みに學校を亂る。 

句踐の禮を蒙むると雖も,竟に報效せしを聞かず。 

大戰あるは元鼎の年なり,孰【いず】れか強く孰れか敗橈【はいとう】せる。 

居然として鼎味に當り,豈に釣罩【ちょうとう】を辱【はずか】しめざらんや。

 

余 初めは喉より下らざるも,近ごろは亦た能く稍稍たり。 

常に懼る 蠻夷に染るを,平生の好樂を失うを。 

而も君 復た何為【なんす】れぞ,甘食 豢豹【かんぴょう】に比ぶれば。 

獵較【りょうこう】 俗に同じきに務め,身を全うする 斯れを孝と為す。 

哀しい哉 思慮深くして,未だ許櫂を回らすをされざること見ん。 

蝦蟇01 

 

『答柳柳州食蝦蟆』現代語訳と訳註

(本文)

端能敗笙磬,仍工亂學校。 

雖蒙句踐禮,竟不聞報效。 

大戰元鼎年,孰強孰敗橈。 

居然當鼎味,豈不辱釣罩。

 

 

(下し文)

端【つまびら】かにすれば能く笙磬【しょうけい】を敗り,仍【な】お工みに學校を亂る。 

句踐の禮を蒙むると雖も,竟に報效せしを聞かず。 

大戰あるは元鼎の年なり,孰【いず】れか強く孰れか敗橈【はいとう】せる。 

居然として鼎味に當り,豈に釣罩【ちょうとう】を辱【はずか】しめざらんや。

 

(現代語訳)

たしかにこれは妙なる音楽の音色をもだめにしてしまうほどのものであり、しかもうまい具合に学校で読書する声をもかき乱してしまうものだ。

越王句践のあいさつ(檄)は受けたけれど、恩返しというほどの働きをした話を聞いていない。

漢の元鼎の年に大合戦があったとのことだが、どちらが強くてどちらが負けたのか。

それが料理の基本になっている、これは魚をとる道具をけがすものではないか。

 

 

(訳注)

端能敗笙磬,仍工亂學校。 

たしかにこれは妙なる音楽の音色をもだめにしてしまうほどのものであり、しかもうまい具合に学校で読書する声をもかき乱してしまうものだ。

○端 はた、へり、ふち。正しい。初め。偏らない。本源。つまびらか。

○笙磬 たくさんの管楽器や打楽器の音が調和しているという意味から、多くの人が心を一つにして仲良くすることの例えにいう。『詩経・小雅・鼓鐘』「鼓鍾欽欽、鼓瑟鼓琴、笙磬同音。以雅以南、以籥不僭」に基づく。「笙」は「ふえ」、「磬」は「うちならし」。鼓も鐘も琴も瑟もみなみな音楽ではそれぞれの楽器が乱れてはいけません。

 

雖蒙句踐禮,竟不聞報效。 

越王句践のあいさつ(檄)は受けたけれど、恩返しというほどの働きをした話を聞いていない。

○句踐禮 『韓非子』に越王句践が呉との戦争に出かけたとき、怒った蛙がいたのであいさつした。その理由をたずねられたとき、句践は、蛙の勇ましさを尊敬したのだと答えた。これを聞いて、越の兵士はみな奮いたったという

 

大戰元鼎年,孰強孰敗橈。 

漢の元鼎の年に大合戦があったとのことだが、どちらが強くてどちらが負けたのか。

○元鼎年 『漢書』に武帝の元鼎五年(紀元前112年)、蛙の大合戦があったという記事がある。

 

居然當鼎味,豈不辱釣罩。

それが料理の基本になっている、これは魚をとる道具をけがすものではないか。

○釣罩 釣などで使う魚を捕える円筒形の竹かご。罩:(1) (~儿)覆い,カバー口罩マスク.(2) (~儿)上っ張り.(3) 養鶏用の竹かご.(4) うけ.
蝦蟇02 

《答柳柳州食蝦蟆》韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <930>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3634韓愈詩-241-#2

《答柳柳州食蝦蟆》韓愈 私は聖天子から見捨てられ、こうして、潮州の海浜で憂愁の日々を送っている。いつも願うのは、一度眠りこんだら目がさめないことだ。ところがえびばく蝦蟇は同類が多くて、沸きかえるほどに爆竹の音を耳に響かせるような鳴き声をたてるのにはやりきれない。


2014年1月22日 の紀頌之5つのブログ
●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場
Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
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班孟堅(班固)《東都賦》(15)#8(行列の威容)―2 文選 賦<113―13>18分割55回 Ⅱ李白に影響を与えた詩1017 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3633
●唐を代表する中唐の韓愈の儒家としての考えのよくわかる代表作の一つ
Ⅱ中唐詩・晩唐詩
 
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《答柳柳州食蝦蟆》韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <929>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3629韓愈詩-241-#1
●杜甫の全作品1141首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"
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●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている
Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集 Fc2ブログ 262 《石鼓歌》 韓愈 kanbuniinkai 紀 頌之の詩詞 fc2ブログ 3636 (01/22)
●●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集
Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoor 11 -8 南鄉子八首 其四 歐陽舍人炯十七首ⅩⅫ唐五代詞・「花間集」 Gs-418-11-#8  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3637
 
 ■最近の人気の文・賦・詩・詞(漢詩の5ブログ各部門)
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『楚辞・九歌』東君 屈原詩<78-#1>505 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1332http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67664757.html
『楚辞』九辯 第九段―まとめ 宋玉  <00-#35> 664 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2304  http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-rihakujoseishi/archives/6471825.html
安世房中歌十七首(1) 唐山夫人 漢詩 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67710265.html 
為焦仲卿妻作 序 漢詩<143>古詩源 巻三 女性詩http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67729401.html
於凊河見輓船士新婚別妻一首 曹丕(魏文帝) 魏詩http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67759129.html
朔風 (一章) 曹植 魏詩<25-#1>文選雑詩 上 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67780868.html
謝靈運詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/1901_shareiun000.html 謝靈運詩六朝期の山水詩人。この人の詩は上品ですがすがしい男性的な深みのある詩である。後世に多大な影響を残している。
謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。
登永嘉緑嶂山詩 #1 謝霊運 <20> 詩集 386ーhttp://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67474554.html
登池上樓 #1 謝霊運<25>#1  ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67502196.html
孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。
李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html 
李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首
魚玄機 詩 全首130回賦得江邊柳 魚玄機  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-65-1-#五言律詩  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1876
薛濤 詩詞全首100 井梧吟 薛濤 唐五代詞・宋詩 薛濤-136-8-#1  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2227
主に花間集から
温庭筠 70首『菩薩蠻 一』温庭筠  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-1-1-#1 花間集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1620
韋荘 50首 菩薩蠻 一 韋荘  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩花間集Gs-247-5-#1  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2617
皇甫松 10首 採蓮子二首  其一 皇甫松  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-307-5-#61  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3082
牛嶠  20首 女冠子四首 其一 牛嶠  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-312-5-#66  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3107
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杜甫全詩 韓愈全詩 李白全集 文選 花間集 古詩源 玉台新詠


《答柳柳州食蝦蟆》韓愈
(韓退之) Ⅱ中唐詩 <930>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3634韓愈詩-241-#2

 

 

答柳柳州食蝦蟆 #1

(柳柳州、柳宗元柳州刺史の「蝦蟆を食う」詩に答える)

蝦蟆雖水居,水特變形貌。 

蝦蟆は水のなかに棲むものだが、水に棲む動物のなかでも特に変わった形をしている。

強號為蛙蛤,於實無所校。 

強いて蛙を水属のなかに入れているが、実際はほかに似たものがないのだ。

雖然兩股長,其奈脊皴皰。 

二本の脚は長いが、背中のいぼいぼはどうしようもない。

跳躑雖云高,意不離濘淖。

跳び上がるのは高いけれども、心はぬかるみから離れてはいないのだ。

#2 

鳴聲相呼和,無理只取鬧。 

鳴き声は呼びあって合唱し、筋みちも何もなく、ただやかましいだけだ。

周公所不堪,灑灰垂典教。 

周公もそのうるさいのに耐えかねたのであろう、灰をかけることをわざわざ教えとして垂れたもうた。

我棄愁海濱,恆願眠不覺。 

私は聖天子から見捨てられ、こうして、潮州の海浜で憂愁の日々を送っている。いつも願うのは、一度眠りこんだら目がさめないことだ。

叵堪朋類多,沸耳作驚爆。

ところがえびばく蝦蟇は同類が多くて、沸きかえるほどに爆竹の音を耳に響かせるような鳴き声をたてるのにはやりきれない。

#3 

端能敗笙磬,仍工亂學校。 

雖蒙句踐禮,竟不聞報效。 

大戰元鼎年,孰強孰敗橈。 

居然當鼎味,豈不辱釣罩。

#4

余初不下喉,近亦能稍稍。 

常懼染蠻夷,失平生好樂。 

而君復何為,甘食比豢豹。 

獵較務同俗,全身斯為孝。 

哀哉思慮深,未見許回櫂。 

 

(柳柳州の「蝦蟆を食う」に答う)

蝦蟆は水に居ると雖も,水 特に形貌を變ず。 

強いて號すは蛙蛤【あこう】と為す,實に於て校【くら】ぶる所無し。 

兩の股 長しと雖然【いえど】も,其れ脊の皴皰【しゅんぽう】を奈【いか】んせん。 

跳躑【ちょうてき】すること高しと云うと雖も,意は濘淖【ねいとう】を離れず。

 

鳴聲 相い呼びて和し,理 無くして只だ鬧【どう】を取るのみ。 

周公 堪えざる所,灰を灑ぎて典教を垂る。 

我 棄てられて海濱に愁い,恆【つね】に眠り覺めざるを願う。 

堪え叵【がた】し朋類の多くすを,耳に沸いて驚爆を作すに。

 

端端【つまびら】かにすれば能く笙磬【しょうけい】を敗り,仍【な】お工みに學校を亂る。 

句踐の禮を蒙むると雖も,竟に報效せしを聞かず。 

大戰あるは元鼎の年なり,孰【いず】れか強く孰れか敗橈【はいとう】せる。 

居然として鼎味に當り,豈に釣罩【ちょうとう】を辱【はずか】しめざらんや。

 

余 初めは喉より下らざるも,近ごろは亦た能く稍稍たり。 

常に懼る 蠻夷に染るを,平生の好樂を失うを。 

而も君 復た何為【なんす】れぞ,甘食 豢豹【かんぴょう】に比ぶれば。 

獵較【りょうこう】 俗に同じきに務め,身を全うする 斯れを孝と為す。 

哀しい哉 思慮深くして,未だ許櫂を回らすをされざること見ん。 

2蜀の山00

 

『答柳柳州食蝦蟆』現代語訳と訳註

(本文)

答柳柳州食蝦蟆 #2 

鳴聲相呼和,無理只取鬧。 

周公所不堪,灑灰垂典教。 

我棄愁海濱,恆願眠不覺。 

叵堪朋類多,沸耳作驚爆。

 

(下し文)

鳴聲 相い呼びて和し,理 無くして只だ鬧【どう】を取るのみ。 

周公 堪えざる所,灰を灑ぎて典教を垂る。 

我 棄てられて海濱に愁い,恆【つね】に眠り覺めざるを願う。 

堪え叵【がた】し朋類の多くすを,耳に沸いて驚爆を作すに。

 

(現代語訳)

鳴き声は呼びあって合唱し、筋みちも何もなく、ただやかましいだけだ。

周公もそのうるさいのに耐えかねたのであろう、灰をかけることをわざわざ教えとして垂れたもうた。

私は聖天子から見捨てられ、こうして、潮州の海浜で憂愁の日々を送っている。いつも願うのは、一度眠りこんだら目がさめないことだ。

ところが蝦幕は同類が多くて、沸きかえるほどに爆竹の音を耳に響かせるような鳴き声をたてるのにはやりきれない。

sas0002 

 

 (訳注)

答柳柳州食蝦蟆#2

(柳柳州、柳宗元柳州刺史の「蝦蟆を食う」詩に答える)

○柳柳州 韓愈の親友の柳宗元のこと。当時は柳州(広西壮族自治区柳州市)刺史となっていたので、こう呼ぶ。柳宗元は王伾・王叔文の一党として永州(湖南省零陵県)へ流されたが、赦免があるというので一時都へ召還されたことがある。しかし、結局都に残ることは許されず、柳州刺史の辞令をもらって赴任したのである。柳宗元は河東(山西省永済県)の人で、韓愈と同じく北方の出身である。それが嶺南へ来たのだから、何かと違った風習にとまどうことが多かったである。

 

鳴聲相呼和,無理只取鬧。 

鳴き声は呼びあって合唱し、筋みちも何もなく、ただやかましいだけだ。

○鬧 騒がしいという意味。喧鬧/諠鬧【けんとう】とは。意味や解説。[名・形動]さわがしいこと。また、そのさま。

 

周公所不堪,灑灰垂典教。 

周公もそのうるさいのに耐えかねたのであろう、灰をかけることをわざわざ教えとして垂れたもうた。

○周公 周公の定めた制度を記録したと伝えられる『周礼』のなかに、実のつかない菊を焼いた灰をかければ、蛙は退治できるとある。

 

我棄愁海濱,恆願眠不覺。 

私は聖天子から見捨てられ、こうして、潮州の海浜で憂愁の日々を送っている。いつも願うのは、一度眠りこんだら目がさめないことだ。

○我棄 この度の潮州に左遷されたこと。

○眠不覺 一度眠りこんだら目がさめないこと。中王朝手には二度と呼び戻されないのではないかという心配の気持ちを云う。

 

叵堪朋類多,沸耳作驚爆。

ところが蝦幕は同類が多くて、沸きかえるほどに爆竹の音を耳に響かせるような鳴き声をたてるのにはやりきれない。

 

 

端能敗笙磬,仍工亂學校。 

雖蒙句踐禮,竟不聞報效。 

大戰元鼎年,孰強孰敗橈。 

居然當鼎味,豈不辱釣罩。

 

余初不下喉,近亦能稍稍。 

常懼染蠻夷,失平生好樂。 

而君復何為,甘食比豢豹。 

獵較務同俗,全身斯為孝。 

哀哉思慮深,未見許回櫂。  
2潮州広東00 

《答柳柳州食蝦蟆》韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <929>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3629韓愈詩-241-#1

韓愈《答柳柳州食蝦蟆》 柳宗元は韓愈が潮州に流されたことを知っており、同じ北方人としての共感をこめて、この詩を贈ったわけである。韓愈もやはり蛙を食べさせられて参っていたので、幾分の諧謔はまじえながらも、この詩を作って答えたものである。


2014年1月21日 の紀頌之5つのブログ
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登永嘉緑嶂山詩 #1 謝霊運 <20> 詩集 386ーhttp://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67474554.html
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李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html 
李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
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《答柳柳州食蝦蟆》韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <929>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3629韓愈詩-241-#1

 

 

作時年:819年  元和十四年  52歲 

卷別: 卷三四一  文體: 五言古詩 

詩題: 答柳柳州食蝦蟆 

及地點:  柳州 (嶺南道東部 柳州 柳州)     

交遊人物: 柳宗元

流罪とはいえ形式上は潮札刺史の辞令をもらって赴任したのだから、到着の報告書を送らねばならない。その「潮州刺史謝上表」には、恭順の意がのべられ、死罪になっても文句のないところを流罪になったのはまことにありがたい処置で、自分はここの地方長官として天子の恩徳を住民に告げたというようなことが書かれている一方、哀願の調子もあって、こんな片田舎では生活できないから、一日も早く呼びもどしてほしいと訴えている。北方生まれの韓愈にとって、南での生活はすべてが異様であり、耐えがたいものだったのである。

――予定―― 《潮州刺史謝上表》韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <933>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3649韓愈詩-242-1

 

 

答柳柳州食蝦蟆 #1

(柳柳州、柳宗元柳州刺史の「蝦蟆を食う」詩に答える)

蝦蟆雖水居,水特變形貌。 

蝦蟆は水のなかに棲むものだが、水に棲む動物のなかでも特に変わった形をしている。

強號為蛙蛤,於實無所校。 

強いて蛙を水属のなかに入れているが、実際はほかに似たものがないのだ。

雖然兩股長,其奈脊皴皰。 

二本の脚は長いが、背中のいぼいぼはどうしようもない。

跳躑雖云高,意不離濘淖。

跳び上がるのは高いけれども、心はぬかるみから離れてはいないのだ。

#2 

鳴聲相呼和,無理只取鬧。 

周公所不堪,灑灰垂典教。 

我棄愁海濱,恆願眠不覺。 

叵堪朋類多,沸耳作驚爆。

#3 

端能敗笙磬,仍工亂學校。 

雖蒙句踐禮,竟不聞報效。 

大戰元鼎年,孰強孰敗橈。 

居然當鼎味,豈不辱釣罩。

#4

余初不下喉,近亦能稍稍。 

常懼染蠻夷,失平生好樂。 

而君復何為,甘食比豢豹。 

獵較務同俗,全身斯為孝。 

哀哉思慮深,未見許回櫂。 

 

(柳柳州の「蝦蟆を食う」に答う)

蝦蟆は水に居ると雖も,水 特に形貌を變ず。 

強いて號すは蛙蛤【あこう】と為す,實に於て校【くら】ぶる所無し。 

兩の股 長しと雖然【いえど】も,其れ脊の皴皰【しゅんぽう】を奈【いか】んせん。 

跳躑【ちょうてき】すること高しと云うと雖も,意は濘淖【ねいとう】を離れず。

 

鳴聲 相い呼びて和し,理 無くして只だ鬧【どう】を取るのみ。 

周公 堪えざる所,灰を灑ぎて典教を垂る。 

我 棄てられて海濱に愁い,恆【つね】に眠り覺めざるを願う。 

堪え叵【がた】し朋類の多くすを,耳に沸いて驚爆を作すに。

 

端端【つまびら】かにすれば能く笙磬【しょうけい】を敗り,仍【な】お工みに學校を亂る。 

句踐の禮を蒙むると雖も,竟に報效せしを聞かず。 

大戰あるは元鼎の年なり,孰【いず】れか強く孰れか敗橈【はいとう】せる。 

居然として鼎味に當り,豈に釣罩【ちょうとう】を辱【はずか】しめざらんや。

 

余 初めは喉より下らざるも,近ごろは亦た能く稍稍たり。 

常に懼る 蠻夷に染るを,平生の好樂を失うを。 

而も君 復た何為【なんす】れぞ,甘食 豢豹【かんぴょう】に比ぶれば。 

獵較【りょうこう】 俗に同じきに務め,身を全うする 斯れを孝と為す。 

哀しい哉 思慮深くして,未だ許櫂を回らすをされざること見ん。 

くちなしの花DCF00004 

 

『答柳柳州食蝦蟆』現代語訳と訳註

(本文)

答柳柳州食蝦蟆 #1

蝦蟆雖水居,水特變形貌。 

強號為蛙蛤,於實無所校。 

雖然兩股長,其奈脊皴皰。 

跳躑雖云高,意不離濘淖。

 

(下し文)

(柳柳州の「蝦蟆を食う」に答う)

蝦蟆は水に居ると雖も,水 特に形貌を變ず。 

強いて號すは蛙蛤【あこう】と為す,實に於て校【くら】ぶる所無し。 

兩の股 長しと雖然【いえど】も,其れ脊の皴皰【しゅんぽう】を奈【いか】んせん。 

跳躑【ちょうてき】すること高しと云うと雖も,意は濘淖【ねいとう】を離れず。

 

(現代語訳)

(柳柳州、柳宗元柳州刺史の「蝦蟆を食う」詩に答える)

蝦蟆は水のなかに棲むものだが、水に棲む動物のなかでも特に変わった形をしている。

強いて蛙を水属のなかに入れているが、実際はほかに似たものがないのだ。

二本の脚は長いが、背中のいぼいぼはどうしようもない。

跳び上がるのは高いけれども、心はぬかるみから離れてはいないのだ。

 

(訳注)

答柳柳州食蝦蟆

(柳柳州、柳宗元柳州刺史の「蝦蟆を食う」詩に答える)

○柳柳州 韓愈の親友の柳宗元のこと。当時は柳州(広西壮族自治区柳州市)刺史となっていたので、こう呼ぶ。柳宗元は王伾・王叔文の一党として永州(湖南省零陵県)へ流されたが、赦免があるというので一時都へ召還されたことがある。しかし、結局都に残ることは許されず、柳州刺史の辞令をもらって赴任したのである。柳宗元は河東(山西省永済県)の人で、韓愈と同じく北方の出身である。それが嶺南へ来たのだから、何かと違った風習にとまどうことが多かったである。

北にはない蛙を食べる習慣もその一つである。蝦蟆というが、実際には食用蛙のようなもので、嶺南では特に珍しい食物ではなかったが、初めてこれを食べさせられる身になってみれば、たいへんなことであった。柳宗元の「蝦蟆を食う」という詩は現在残っていないが、食卓に蛙が出たのでびっくりしたものの、これも天命としてあきらめて食べたという内容をもつものだったであろう。柳宗元は韓愈が潮州に流されたことを知っており、同じ北方人としての共感をこめて、この詩を贈ったわけである。韓愈もやはり蛙を食べさせられて参っていたので、幾分の諧謔はまじえながらも、この詩を作って答えたものである。

 

蝦蟆雖水居,水特變形貌。 

蝦蟆は水のなかに棲むものだが、水に棲む動物のなかでも特に変わった形をしている。

○蝦蟆/蝦蟇 【がまがえる】. ヒキガエルの別名。がま。ここは食用ガエル。

 

強號為蛙蛤,於實無所校。 

強いて蛙を水属のなかに入れているが、実際はほかに似たものがないのだ。

○蛙蛤 食用蛙。

○校 くらべる。かんがえる。えらぶ。むくいる。

 

雖然兩股長,其奈脊皴皰。 

二本の脚は長いが、背中のいぼいぼはどうしようもない。

○脊皴皰 しわ、あかぎれ、みずぶくれ、ニキビなどの肌の様子。

 

跳躑雖云高,意不離濘淖。

跳び上がるのは高いけれども、心はぬかるみから離れてはいないのだ。

○跳躑 上下跳躍。

○濘淖 濘とは、ぬかるみという意味  淖はどろ。

2潮州広東00 

《宿曾江口示姪孫湘,二首之二〔湘,字北渚,老成之子,愈兄弇之孫。此赴潮州作也。〕》韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <928>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3624韓愈詩-240

《宿曾江口―その二》よく見ると林間には人が住んでいないようだけれど、林間の澗水からさらさらと小川の水が、舟が進むいきおいのはげしい流れに注ぎ込んでいる。こうした景色を見るにつけても、ああ、私がしでかした「佛骨を論ずる表」は下手を打ってしまったことだろう、その結果が自分の身に降りかかって、こうした南蛮の地に貶められたのだ。
 

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●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場
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●唐を代表する中唐の韓愈の儒家としての考えのよくわかる代表作の一つ
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《宿曾江口示姪孫湘,二首之二〔湘,字北渚,老成之子,愈兄弇之孫。此赴潮州作也。〕》韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <928>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3624韓愈詩-240
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『楚辞・九歌』東君 屈原詩<78-#1>505 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1332http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67664757.html
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為焦仲卿妻作 序 漢詩<143>古詩源 巻三 女性詩http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67729401.html
於凊河見輓船士新婚別妻一首 曹丕(魏文帝) 魏詩http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67759129.html
朔風 (一章) 曹植 魏詩<25-#1>文選雑詩 上 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67780868.html
謝靈運詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/1901_shareiun000.html 謝靈運詩六朝期の山水詩人。この人の詩は上品ですがすがしい男性的な深みのある詩である。後世に多大な影響を残している。
謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。
登永嘉緑嶂山詩 #1 謝霊運 <20> 詩集 386ーhttp://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67474554.html
登池上樓 #1 謝霊運<25>#1  ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67502196.html
孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。
李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html 
李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首
魚玄機 詩 全首130回賦得江邊柳 魚玄機  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-65-1-#五言律詩  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1876
薛濤 詩詞全首100 井梧吟 薛濤 唐五代詞・宋詩 薛濤-136-8-#1  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2227
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温庭筠 70首『菩薩蠻 一』温庭筠  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-1-1-#1 花間集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1620
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皇甫松 10首 採蓮子二首  其一 皇甫松  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-307-5-#61  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3082
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《宿曾江口示姪孫湘,二首之二〔湘,字北渚,老成之子,愈兄弇之孫。此赴潮州作也。〕》韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <928>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3624韓愈詩-240

 

 

卷別: 卷三四一  文體: 五言律詩 

詩題: 宿曾江口示姪孫湘,二首之二〔湘,字北渚,老成之子,愈兄弇之孫。此赴潮州作也。〕

及地點:  曾江口 (嶺南道東部 廣州 增城)     

 

 

宿曾江口示姪孫湘,二首之一

(この詩は潮州に赴く途中、曾江の合流点近くに投宿し洪水氾濫のようすを見るに及んで、賦して従行の姪孫韓湘に示したもの。二首の一)

〔湘,字北渚,老成之子,愈兄弇之孫。此赴潮州作也。〕

〔姪孫湘は、韓湘、字は北渚、老成の子、韓愈の兄韓弇【かんえん】の孫である。この詩は潮州に赴く途中で作ったものである。〕
雲昏水奔流,天水漭相圍。 

雲は暗く垂れこみ河口の洪水は凄まじく奔流している。天から降る雨水量は河水と一緒になって氾濫して宅地をとりかこんでいる。

三江滅無口,其誰識涯圻。 

ここで合流する三江はそれぞれの河口は全く消え果てなくなっってしまう。何処が岸なのか、誰であっても全く分からないほどである。

暮宿投民村,高處水半扉。 

暮れかかってきてここにきて、これ以上は動きも取れず、宿を探して、民村を探し当て、そこに行き着くと、そこは随分高い所にあるのに洪水は門扉の中ほどにも及んでいる。

犬雞俱上屋,不復走與飛。

そこに飼っている犬と鶏は難を避けてみんな屋根の上に上がっている。走り回ることも飛び上がることもできないで困ったものである。

 

篙舟入其家,暝聞屋中唏。 

やがて船をまわし、棹さしてその家に入ることが出来たが、夕暮れ時の暗い中で、その家の隅の方で悲しげに人の泣く声が聞こえてくる。

問知歲常然,哀此為生微。 

どうしたのかと様子を尋ねてみると、こういう洪水は毎年のようにあることで、この悲しい様な出来事は、この地方住民の生活状態を極めて貧困にするもので気の毒な事としか思えない。

海風吹寒晴,波揚眾星輝。 

そうしている間に今度は海からの強風が吹き寄せ、この寒空の晴れた部分からの薄明かりで、波しぶきが上がったのが星空の輝く星があつまったように見えてくる。

仰視北斗高,不知路所歸。 

仰ぎよくよく見つめてみると高い所にあるのが長安の都を示す北斗七星だというものの全くわかりはしないので、これではゆくべき道もわからないものが、帰るべき道までもわからないという痛嘆することしかないというものだ。

 

宿曾江口示姪孫湘,二首之二〔湘,字北渚,老成之子,愈兄弇之孫。此赴潮州作也。〕

(この詩は潮州に赴く途中、曾江の合流点近くに投宿し洪水氾濫のようすを見るに及んで、賦して従行の姪孫韓湘に示したもの。二首の二)

舟行忘故道,屈曲高林間。 

今まで通ってきた街道を離れて舟に乗っていくと両岸に高い林の間を折れ曲がって進んでゆく。

林間無所有,奔流但潺潺。 

よく見ると林間には人が住んでいないようだけれど、林間の澗水からさらさらと小川の水が、舟が進むいきおいのはげしい流れに注ぎ込んでいる。

嗟我亦拙謀,致身落南蠻。 

こうした景色を見るにつけても、ああ、私がしでかした「佛骨を論ずる表」は下手を打ってしまったことだろう、その結果が自分の身に降りかかって、こうした南蛮の地に貶められたのだ。

茫然失所詣,無路何能還。 

詣でるところのなくなってしまった今の自分は漠然として、つかみどころのない状態であり、こうして進んでいるけれど長安に帰る道がなくどうして又帰ることが出来るのだろうか。

 

曾江の口に宿し、姪孫湘に示す,二首の一

〔湘は,字を北渚とし,老成の子であり,愈の兄弇【えん】の孫である。此れは潮州に赴むくときの作なり。〕

舟は行く 故ある道を忘れて,屈曲せる 高林の間。 

林間は所有する無し,奔流 但だ潺潺とす。 

嗟あ我は亦た拙謀し,身 南蠻に落つるに致す。 

茫然として 所詣を失い,何ぞ能く還る路無し。

 

2潮州広東00 

『宿曾江口示姪孫湘,二首之二』 現代語訳と訳註

(本文)

宿曾江口示姪孫湘,二首之二〔湘,字北渚,老成之子,愈兄弇之孫。此赴潮州作也。〕

舟行忘故道,屈曲高林間。 

林間無所有,奔流但潺潺。 

嗟我亦拙謀,致身落南蠻。 

茫然失所詣,無路何能還。 

 

 

(下し文)

曾江の口に宿し、姪孫湘に示す,二首の一

〔湘は,字を北渚とし,老成の子であり,愈の兄弇【えん】の孫である。此れは潮州に赴むくときの作なり。〕

舟は行く 故ある道を忘れて,屈曲せる 高林の間。 

林間は所有する無し,奔流 但だ潺潺とす。 

嗟あ我は亦た拙謀し,身 南蠻に落つるに致す。 

茫然として 所詣を失い,何ぞ能く還る路無し。 

 

 

(現代語訳)

(この詩は潮州に赴く途中、曾江の合流点近くに投宿し洪水氾濫のようすを見るに及んで、賦して従行の姪孫韓湘に示したもの。二首の二)

今まで通ってきた街道を離れて舟に乗っていくと両岸に高い林の間を折れ曲がって進んでゆく。

よく見ると林間には人が住んでいないようだけれど、林間の澗水からさらさらと小川の水が、舟が進むいきおいのはげしい流れに注ぎ込んでいる。

こうした景色を見るにつけても、ああ、私がしでかした「佛骨を論ずる表」は下手を打ってしまったことだろう、その結果が自分の身に降りかかって、こうした南蛮の地に貶められたのだ。

詣でるところのなくなってしまった今の自分は漠然として、つかみどころのない状態であり、こうして進んでいるけれど長安に帰る道がなくどうして又帰ることが出来るのだろうか。

 

(訳注)

keikoku00宿曾江口示姪孫湘,二首之二

(この詩は潮州に赴く途中、曾江の合流点近くに投宿し洪水氾濫のようすを見るに及んで、賦して従行の姪孫韓湘に示したもの。二首の二)

 

舟行 忘 故道 ,屈曲 高林 間 。

今まで通ってきた街道を離れて舟に乗っていくと両岸に高い林の間を折れ曲がって進んでゆく。

「故道」語義類別:地、地理、街道巷弄、道。

「屈曲」語義類別:物、形容詞彙(物)、景物形態、曲折。

「高林間」語義類別:地、自然景觀、林原莽漠、林。

 

林間 無 所有 ,奔流 但潺潺 。

よく見ると林間には人が住んでいないようだけれど、林間の澗水からさらさらと小川の水が、舟が進むいきおいのはげしい流れに注ぎ込んでいる。

「奔流」勢いの激しい流れ。

「潺潺」浅い川などの水がさらさらと流れるさま。

 

嗟我 亦拙謀 ,致身 落 南蠻 。

こうした景色を見るにつけても、ああ、私がしでかした「佛骨を論ずる表」は下手を打ってしまったことだろう、その結果が自分の身に降りかかって、こうした南蛮の地に貶められたのだ。

「拙」つたないこと。へた。

「南蠻」、四夷のひとつであり、中国大陸を制した朝廷が南方の帰順しない異民族に対して用いた蔑称である。

 

 

茫然 失所詣 ,無路 何能 還 。

詣でるところのなくなってしまった今の自分は漠然として、つかみどころのない状態であり、こうして進んでいるけれど長安に帰る道がなくどうして又帰ることが出来るのだろうか。

「茫然」1 漠然としてつかみどころのないさま。「―とした前途」「必要あることを弁ぜず…―たる論を主張するは」〈鉄腸・花間鶯〉2 1 あっけにとられているさま。「意外な成り行きに―とする」2 気抜けしてぼんやりしているさま。

「詣」1 高い所・境地に行きつく。「造詣」2 社寺にもうでる。天子のもとに詣でていたことを云う。

《宿曾江口示姪孫湘,二首之一〔湘,字北渚,老成之子,愈兄弇之孫。此赴潮州作也。〕》#2 韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <927>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3619韓愈詩-239-2

韓愈《宿曾江口示姪孫湘,二首之一》#2 洪水は毎年のようにあることで、この悲しい様な出来事は、この地方住民の生活状態を極めて貧困にするもので気の毒な事としか思えない。そうしている間に今度は海からの強風が吹き寄せ、この寒空の晴れた部分からの薄明かりで、波しぶきが上がったのが星空の輝く星があつまったように見えてくる。


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《宿曾江口示姪孫湘,二首之一〔湘,字北渚,老成之子,愈兄弇之孫。此赴潮州作也。〕》#2 韓愈
(韓退之) Ⅱ中唐詩 <927>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3619韓愈詩-239-2

 

 

年: 819年  元和十四年  52歲

卷別: 卷三四一  文體: 五言古詩 

詩題: 宿曾江口示姪孫湘,二首之一〔湘,字北渚,老成之子,愈兄弇之孫。此赴潮州作也。〕 

及地點:  曾江口 (嶺南道東部 廣州 增城)     

 

 

宿曾江口示姪孫湘,二首之一

(この詩は潮州に赴く途中、曾江の合流点近くに投宿し洪水氾濫のようすを見るに及んで、賦して従行の姪孫韓湘に示したもの。二首の一)

〔湘,字北渚,老成之子,愈兄弇之孫。此赴潮州作也。〕

〔姪孫湘は、韓湘、字は北渚、老成の子、韓愈の兄韓弇【かんえん】の孫である。この詩は潮州に赴く途中で作ったものである。〕
雲昏水奔流,天水漭相圍。 

雲は暗く垂れこみ河口の洪水は凄まじく奔流している。天から降る雨水量は河水と一緒になって氾濫して宅地をとりかこんでいる。

三江滅無口,其誰識涯圻。 

ここで合流する三江はそれぞれの河口は全く消え果てなくなっってしまう。何処が岸なのか、誰であっても全く分からないほどである。

暮宿投民村,高處水半扉。 

暮れかかってきてここにきて、これ以上は動きも取れず、宿を探して、民村を探し当て、そこに行き着くと、そこは随分高い所にあるのに洪水は門扉の中ほどにも及んでいる。

犬雞俱上屋,不復走與飛。

そこに飼っている犬と鶏は難を避けてみんな屋根の上に上がっている。走り回ることも飛び上がることもできないで困ったものである。

 

篙舟入其家,暝聞屋中唏。 

やがて船をまわし、棹さしてその家に入ることが出来たが、夕暮れ時の暗い中で、その家の隅の方で悲しげに人の泣く声が聞こえてくる。

問知歲常然,哀此為生微。 

どうしたのかと様子を尋ねてみると、こういう洪水は毎年のようにあることで、この悲しい様な出来事は、この地方住民の生活状態を極めて貧困にするもので気の毒な事としか思えない。

海風吹寒晴,波揚眾星輝。 

そうしている間に今度は海からの強風が吹き寄せ、この寒空の晴れた部分からの薄明かりで、波しぶきが上がったのが星空の輝く星があつまったように見えてくる。

仰視北斗高,不知路所歸。 

仰ぎよくよく見つめてみると高い所にあるのが長安の都を示す北斗七星だというものの全くわかりはしないので、これではゆくべき道もわからないものが、帰るべき道までもわからないという痛嘆することしかないというものだ。

 

曾江の口に宿し、姪孫湘に示す,二首の一

〔湘は,字を北渚とし,老成の子であり,愈の兄弇【えん】の孫である。此れは潮州に赴むくときの作なり。〕

雲昏くして 水 流れを奔り,天水 漭【よう】として相い圍む。 

三江 滅して口無く,其れ誰か涯圻【がいき】を識らむ。 

暮れに民村に投じて宿し,高處 水半ばにして扉ず。 

犬雞 俱に屋に上り,復た走と飛とをならず。

 

舟に篙【さお】さして 其の家に入り,暝【くれ】て屋中に唏【な】くを聞く。 

問うて知るは 歲 常然たるを,此れを哀むは 生を為すの微なるを。 

海風 寒晴に吹き,波揚 星輝に眾る。 

仰ぎて 北斗の高きを視,路 歸える所を知らず。

 

広東曾城 

『宿曾江口示姪孫湘,二首之一』 現代語訳と訳註

(本文)

篙舟入其家,暝聞屋中唏。 

問知歲常然,哀此為生微。 

海風吹寒晴,波揚眾星輝。 

仰視北斗高,不知路所歸。

 

(下し文)

舟に篙【さお】さして 其の家に入り,暝【くれ】て屋中に唏【な】くを聞く。 

問うて知るは 歲 常然たるを,此れを哀むは 生を為すの微なるを。 

海風 寒晴に吹き,波揚 星輝に眾る。 

仰ぎて 北斗の高きを視,路 歸える所を知らず。

 

(現代語訳)

やがて船をまわし、棹さしてその家に入ることが出来たが、夕暮れ時の暗い中で、その家の隅の方で悲しげに人の泣く声が聞こえてくる。

どうしたのかと様子を尋ねてみると、こういう洪水は毎年のようにあることで、この悲しい様な出来事は、この地方住民の生活状態を極めて貧困にするもので気の毒な事としか思えない。

そうしている間に今度は海からの強風が吹き寄せ、この寒空の晴れた部分からの薄明かりで、波しぶきが上がったのが星空の輝く星があつまったように見えてくる。

仰ぎよくよく見つめてみると高い所にあるのが長安の都を示す北斗七星だというものの全くわかりはしないので、これではゆくべき道もわからないものが、帰るべき道までもわからないという痛嘆することしかないというものだ。

 

 

(訳注) #2

宿曾江口示姪孫湘,二首之一

(この詩は潮州に赴く途中、曾江の合流点近くに投宿し洪水氾濫のようすを見るに及んで、賦して従行の姪孫韓湘に示したもの。二首の一)

2潮州広東00 

篙舟 入 其家 ,暝聞 屋中 唏 。

やがて船をまわし、棹さしてその家に入ることが出来たが、夕暮れ時の暗い中で、その家の隅の方で悲しげに人の泣く声が聞こえてくる。

「篙」交通工具の棹さし。

 

問知 歲 常然,哀此 為生 微 。

どうしたのかと様子を尋ねてみると、こういう洪水は毎年のようにあることで、この悲しい様な出来事は、この地方住民の生活状態を極めて貧困にするもので気の毒な事としか思えない。

「歲常然」範圍時間(年)、毎年のようにあること。

「為生微」地方住民の生活状態を極めて貧困にするもの。

 

海風 吹 寒晴 ,波揚 眾星輝 。

そうしている間に今度は海からの強風が吹き寄せ、この寒空の晴れた部分からの薄明かりで、波しぶきが上がったのが星空の輝く星があつまったように見えてくる。

「寒晴」雲の切れ間、冷寒。

「波揚」波に風が吹き付けしぶきを吹きあげる。

「星輝」水しぶきにわずがな光があつまり星屑のように見える。

 

仰視 北斗 高 ,不知 路 所歸 。

仰ぎよくよく見つめてみると高い所にあるのが長安の都を示す北斗七星だというものの全くわかりはしないので、これではゆくべき道もわからないものが、帰るべき道までもわからないという痛嘆することしかないというものだ。

「北斗」北斗七星。北は長安のあるところであるのであり、北斗七星は象徴である。その北斗七星もよくわからないから帰り道がわからない。
sas0002 

《宿曾江口示姪孫湘,二首之一#1〔湘,字北渚,老成之子,愈兄弇之孫。此赴潮州作也。〕》韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <926>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3614韓愈詩-239-1

《宿曾江口示姪孫湘,二首之一》#1 韓愈 〔姪孫湘は、韓湘、字は北渚、老成の子、韓愈の兄韓弇【かんえん】の孫である。この詩は潮州に赴く途中で作ったものである。〕
雲は暗く垂れこみ河口の洪水は凄まじく奔流している。天から降る雨水量は河水と一緒になって氾濫して宅地をとりかこんでいる。ここで合流する三江はそれぞれの河口は全く消え果てなくなっってしまう。 何処が岸なのか、誰であっても全く分からないほどである。


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《宿曾江口示姪孫湘,二首之一#1〔湘,字北渚,老成之子,愈兄弇之孫。此赴潮州作也。〕》韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <926>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3614韓愈詩-239-1

 

 

年: 819年  元和十四年  52歲

卷別: 卷三四一  文體: 五言古詩 

詩題: 宿曾江口示姪孫湘,二首之一〔湘,字北渚,老成之子,愈兄弇之孫。此赴潮州作也。〕 

及地點:  曾江口 (嶺南道東部 廣州 增城)     

 

 

宿曾江口示姪孫湘,二首之一
(この詩は潮州に赴く途中、曾江の合流点近くに投宿し洪水氾濫のようすを見るに及んで、賦して従行の姪孫韓湘に示したもの。二首の一)
〔湘,字北渚,老成之子,愈兄弇之孫。此赴潮州作也。〕

〔姪孫湘は、韓湘、字は北渚、老成の子、韓愈の兄韓弇【かんえん】の孫である。この詩は潮州に赴く途中で作ったものである。〕

雲昏水奔流,天水漭相圍。 

雲は暗く垂れこみ河口の洪水は凄まじく奔流している。天から降る雨水量は河水と一緒になって氾濫して宅地をとりかこんでいる。

三江滅無口,其誰識涯圻。 

ここで合流する三江はそれぞれの河口は全く消え果てなくなっってしまう。何処が岸なのか、誰であっても全く分からないほどである。

暮宿投民村,高處水半扉。 

暮れかかってきてここにきて、これ以上は動きも取れず、宿を探して、民村を探し当て、そこに行き着くと、そこは随分高い所にあるのに洪水は門扉の中ほどにも及んでいる。

犬雞俱上屋,不復走與飛。

そこに飼っている犬と鶏は難を避けてみんな屋根の上に上がっている。走り回ることも飛び上がることもできないで困ったものである。 

篙舟入其家,暝聞屋中唏。 

問知歲常然,哀此為生微。 

海風吹寒晴,波揚眾星輝。 

仰視北斗高,不知路所歸。 

 

曾江の口に宿し、姪孫湘に示す,二首の一

〔湘は,字を北渚とし,老成の子であり,愈の兄弇【えん】の孫である。此れは潮州に赴むくときの作なり。〕

雲昏くして 水 流れを奔り,天水 漭【よう】として相い圍む。 

三江 滅して口無く,其れ誰か涯圻【がいき】を識らむ。 

暮れに民村に投じて宿し,高處 水半ばにして扉ず。 

犬雞 俱に屋に上り,復た走と飛とをならず。

 

舟に篙【さお】さして 其の家に入り,暝【くれ】て屋中に唏【な】くを聞く。 

問うて知るは 歲 常然たるを,此れを哀むは 生を為すの微なるを。 

海風 寒晴に吹き,波揚 星輝に眾る。 

仰ぎて 北斗の高きを視,路 歸える所を知らず。

 

 

『宿曾江口示姪孫湘,二首之一』 現代語訳と訳註

(本文)

宿曾江口示姪孫湘,二首之一〔湘,字北渚,老成之子,愈兄弇之孫。此赴潮州作也。〕

雲昏水奔流,天水漭相圍。 

三江滅無口,其誰識涯圻。 

暮宿投民村,高處水半扉。 

犬雞俱上屋,不復走與飛。

 

 

(下し文)

曾江の口に宿し、姪孫湘に示す,二首の一

〔湘は,字を北渚とし,老成の子であり,愈の兄弇【えん】の孫である。此れは潮州に赴むくときの作なり。〕

雲昏くして 水 流れを奔り,天水 漭【よう】として相い圍む。 

三江 滅して口無く,其れ誰か涯圻【がいき】を識らむ。 

暮れに民村に投じて宿し,高處 水半ばにして扉ず。 

犬雞 俱に屋に上り,復た走と飛とをならず。

 

(現代語訳)

(この詩は潮州に赴く途中、曾江の合流点近くに投宿し洪水氾濫のようすを見るに及んで、賦して従行の姪孫韓湘に示したもの。二首の一)

〔姪孫湘は、韓湘、字は北渚、老成の子、韓愈の兄韓弇【かんえん】の孫である。この詩は潮州に赴く途中で作ったものである。〕

雲は暗く垂れこみ河口の洪水は凄まじく奔流している。天から降る雨水量は河水と一緒になって氾濫して宅地をとりかこんでいる。

ここで合流する三江はそれぞれの河口は全く消え果てなくなっってしまう。何処が岸なのか、誰であっても全く分からないほどである。

暮れかかってきてここにきて、これ以上は動きも取れず、宿を探して、民村を探し当て、そこに行き着くと、そこは随分高い所にあるのに洪水は門扉の中ほどにも及んでいる。

そこに飼っている犬と鶏は難を避けてみんな屋根の上に上がっている。走り回ることも飛び上がることもできないで困ったものである。

 

 

(訳注)

宿曾江口示姪孫湘,二首之一

(この詩は潮州に赴く途中、曾江の合流点近くに投宿し洪水氾濫のようすを見るに及んで、賦して従行の姪孫韓湘に示したもの。二首の一)

〔湘,字北渚,老成之子,愈兄弇之孫。此赴潮州作也。〕

〔姪孫湘は、韓湘、字は北渚、老成の子、韓愈の兄韓弇【かんえん】の孫である。この詩は潮州に赴く途中で作ったものである。〕

○曾江 曾江は廣城府増城縣にあって、三江の合流する所である。韓愈がここに来たときは洪水のときで三江混じて一になり、河口もわからないほどであった。

広東曾城 

 

雲昏 水 奔流 ,天水 漭 相圍 。

雲は暗く垂れこみ河口の洪水は凄まじく奔流している。天から降る雨水量は河水と一緒になって氾濫して宅地をとりかこんでいる。

「雲昏」雲が厚く低く垂れこんで暗くなる。

「奔流」洪水が濁流として凄まじく。

「天水」天から降る雨水量。

「漭」洪水により広々としている様子。

「圍」洪水が敷地や家を取り囲むこと。 

 

三江 滅 無口 ,其誰 識 涯圻 。

ここで合流する三江はそれぞれの河口は全く消え果てなくなっってしまう。何処が岸なのか、誰であっても全く分からないほどである。

「三江」増江、循江、河源水の三江。

「涯」沙洲島嶼、岸。 

 

暮宿 投 民村 ,高處 水 半扉 。

暮れかかってきてここにきて、これ以上は動きも取れず、宿を探して、民村を探し当て、そこに行き着くと、そこは随分高い所にあるのに洪水は門扉の中ほどにも及んでいる。

 

犬雞 俱上屋 ,不復 走 與飛 。

そこに飼っている犬と鶏は難を避けてみんな屋根の上に上がっている。走り回ることも飛び上がることもできないで困ったものである。
2潮州広東00 

《初南食貽元十八協律 》韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <925>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3609韓愈詩-238-3

韓愈《初南食貽元十八協律 #3》 わたしは、へびにむかって「お前をとらえて売ったのは、何も私の罪であるということはないのだ。くわえて、お前を屠らずしてはなったのは情けがあるということではないか。」こうした恩に報いるため、霊珠を贈り賜うことを望んでいないということか。さいわいにして、わたしを他の者といっしょに嫌怨しないようにしてくれといった。


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《初南食貽元十八協律 》韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <925>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3609韓愈詩-238-3
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孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。
李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html 
李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
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『花間集』継続中 
杜甫全詩 韓愈全詩 李白全集 文選 花間集 古詩源 玉台新詠

 

《初南食貽元十八協律 》韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <925>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3609韓愈詩-238-3

 

 

作時年:819年  元和十四年  52歲

卷別: 卷三四一  文體: 五言古詩 

詩題: 初南食貽元十八協律 

交遊人物: 元集虛 當地交遊

 

 

初南食貽元十八協律  #1

(初めて南方の料理を食べたことにより、賦して元協律に贈ったもの。)

鱟實如惠文,骨眼相負行。 

兜かには、実際惠文の冠のような形をしており、それが海を泳ぐときは、背上の眼をきらめかし、雌が牡をおうて行くということである。

蠔相黏為山,百十各自生。 

牡蠣は、互いに点着して一塊をなしており、その大きさは山のように幾百幾千というものが、個々別々に生をなしている。

蒲魚尾如蛇,口眼不相營。 

蒲魚には蛇のような尻尾があり、その端っこに口があるというから、目と口とは全く関係がないということである。

蛤即是蝦蟆,同實浪異名。 

山蛤は、すなわち蝦蟇で実は同じではあるが、みだりにその名が異なっているのである。

山蛤は、すなわち蝦蟇で実は同じではあるが、みだりにその名が異なっているのである。

#2

章舉馬甲柱,鬥以怪自呈。 

章舉(たこ)と馬甲柱(かいばしら)は、奇怪なものとしてどちらが勝かその先頭に立つものである。

其餘數十種,莫不可歎驚。 

その種類も数十種をあまるだけあり、一つとして歎驚を値するものはないということはないのだ。

我來禦魑魅,自宜味南烹。 

わたしは魑魅にあたるために、この地に投ぜられた貶謫されたの身であるので、否が応でもこの南方の料理をよろしく味わうのである。

調以鹹與酸,芼以椒與橙。 

その南方の料理は甘酸をもって調理し、胡椒や橙汁で味をつけて喰うようになっている。

腥臊始發越,咀吞面汗騂。 

薬味を加えていない羊肉はひどく嫌なにおいがするだけに始めて南の国を旅立ちたいと思うし、慣れないものはなかなか口にできず、咀嚼して無理に飲み下すと、顔に脂汗が流れるくらいである。

#3

惟蛇舊所識,實憚口眼獰。 

しかし、これらはまだ酔いとして、蛇は従前見て知っているが、その口、目、その獰猛で、邪悪なようすを心に憚っていたのでどうしても喰う気にはなれない。

開籠聽其去,鬱屈尚不平。 

かごをひらいて、その逃れ去るにまかせてみると、そこに依然としてドグロを巻いていて、どうやら捕えられたことを不平に思っているらしい。
賣爾非我罪,不屠豈非情。 

そこでわたしは、へびにむかって「お前をとらえて売ったのは、何も私の罪であるということはないのだ。くわえて、お前を屠らずしてはなったのは情けがあるということではないか。」
不祈靈珠報,幸無嫌怨并。 

こうした恩に報いるため、霊珠を贈り賜うことを望んでいないということか。さいわいにして、わたしを他の者といっしょに嫌怨しないようにしてくれといった。

聊歌以記之,又以告同行。 

南方の料理の品目は、ざっとこれまで述べたとおりであるが、いささかではあるが、これを詩歌にして記して、且つ同行の人々に告げる次第である。

 

(初めて南食し元十八協律に貽【おく】る )

鱟【こう】は實に惠文の如く,骨眼 相い負うて行く。 

蠔【ごう】は相い黏【てん】して山と為し,百十 各の自生す。 

蒲魚は尾 蛇の如く,口眼 相い營まず。 

蛤は即ち是れ蝦蟆【かほ】,實を同して浪【みだ】りに名を異にす。 

 

章舉と馬甲柱は,鬥わすに怪を以って自ら呈す。 

其の餘 數十種あり,歎驚【たんけい】す可からざる莫し。 

我來って魑魅【ちみ】に禦る,自ら宜しく南烹【なんぽう】を味わうべし。 

調するに鹹【かん】と酸とを以ってし,芼するに椒と橙とを以ってす。 

腥臊【せいそう】始めて越を發し,咀吞【そとん】すれば 面汗騂【あか】し。 

 

惟だ蛇のみは舊識る所ろ,實に口眼の獰【どう】なるを憚る。 

籠を開いて其の去るを聽【ゆる】せば,鬱屈【うっくつ】して尚お不平なり。 

爾を賣るは我が罪に非らず,屠【ほう】らざるは豈に情非らずや。 

靈珠の報を祈らず,幸いにして嫌怨【けんえん】を并【あわ】す無かれ。 

聊か歌うて以って之を記し,又た以って同行に告ぐ。

2蜀の山00 

 

『初南食貽元十八協律』 現代語訳と訳註

(本文)

惟蛇舊所識,實憚口眼獰。 

開籠聽其去,鬱屈尚不平。 

賣爾非我罪,不屠豈非情。 

不祈靈珠報,幸無嫌怨并。 

聊歌以記之,又以告同行。 

 

(下し文)

惟だ蛇のみは舊識る所ろ,實に口眼の獰【どう】なるを憚る。 

籠を開いて其の去るを聽【ゆる】せば,鬱屈【うっくつ】して尚お不平なり。 

爾を賣るは我が罪に非らず,屠【ほう】らざるは豈に情非らずや。 

靈珠の報を祈らず,幸いにして嫌怨【けんえん】を并【あわ】す無かれ。 

聊か歌うて以って之を記し,又た以って同行に告ぐ。

 

(現代語訳)

しかし、これらはまだ酔いとして、蛇は従前見て知っているが、その口、目、その獰猛で、邪悪なようすを心に憚っていたのでどうしても喰う気にはなれない。

かごをひらいて、その逃れ去るにまかせてみると、そこに依然としてドグロを巻いていて、どうやら捕えられたことを不平に思っているらしい。
そこでわたしは、へびにむかって「お前をとらえて売ったのは、何も私の罪であるということはないのだ。くわえて、お前を屠らずしてはなったのは情けがあるということではないか。」

こうした恩に報いるため、霊珠を贈り賜うことを望んでいないということか。さいわいにして、わたしを他の者といっしょに嫌怨しないようにしてくれといった。

南方の料理の品目は、ざっとこれまで述べたとおりであるが、いささかではあるが、これを詩歌にして記して、且つ同行の人々に告げる次第である。

 

 

(訳注)

初南食貽元十八協律  #3

(初めて南方の料理を食べたことにより、賦して元協律に贈ったもの。)

 

 

惟蛇 舊 所識 ,實憚 口眼 獰 。

しかし、これらはまだ酔いとして、蛇は従前見て知っているが、その口、目、その獰猛で、邪悪なようすを心に憚っていたのでどうしても喰う気にはなれない。

「獰」獰猛で、邪悪なようす。

 

開籠 聽 其去 ,鬱屈 尚不平。

かごをひらいて、その逃れ去るにまかせてみると、そこに依然としてドグロを巻いていて、どうやら捕えられたことを不平に思っているらしい。

「鬱屈」ドグロを巻いている。

 

賣爾 非 我罪 ,不屠 豈非 情 。

そこでわたしは、へびにむかって「お前をとらえて売ったのは、何も私の罪であるということはないのだ。くわえて、お前を屠らずしてはなったのは情けがあるということではないか。」

 

不祈 靈珠 報 ,幸無 嫌怨 并。

こうした恩に報いるため、霊珠を贈り賜うことを望んでいないということか。さいわいにして、わたしを他の者といっしょに嫌怨しないようにしてくれといった。

「靈珠」恩に報いて贈ってくれる玉石、珠。

 

聊歌 以記之 ,又以告 同行 。

南方の料理の品目は、ざっとこれまで述べたとおりであるが、いささかではあるが、これを詩歌にして記して、且つ同行の人々に告げる次第である。

「聊歌」謙遜して言う韓愈が作る詩歌。
2潮州広東00 

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