漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩 中唐詩人選集【Ⅰ李商隠-150】Ⅱ韓退之(韓愈)-500Ⅶ孟郊(東野)賈島張籍柳宗元韋応物

Ⅰ李商隠は難解詩といわれている。約150首紹介済。(晩唐詩人) Ⅱ韓退之(韓愈)-約500首Ⅶ孟郊、中唐の詩人を掲載中。万物の性(さが)をテーマにした哲学的な詩。このブログは基本的に中唐詩人を中心にして掲載する予定。 韓愈詩文のこれまでの掲載分とこれから掲載予定分を時系列で整理した2014.3.29のブログに集約してそこから各年次を見ることができる  kanbuniinkai 検索で、《漢文委員会HP05》サイトあります。漢詩唐詩を理解するための総合サイト:≪漢文委員会 漢詩07≫。

左遷 三度目の嶺南行

少し、マニアックな晩唐詩人Ⅰ-李商隠150首をまず掲載済み。中唐は盛唐詩人(孟浩然・王維、杜甫、李白)を受け継いだ多様な詩人が出ている。この時代も驚くほど詩が発展している。Ⅱ韓退之(韓愈)500首、Ⅲ柳宗元40首、Ⅳ韋応物、Ⅴ劉長卿、Ⅵ韋荘、Ⅶ孟郊(孟東野)、Ⅷ張籍、Ⅸ賈島、Ⅹ劉禹錫、ほか2012~2020年の予定で気長に進める。同じ中唐ではあるが、白居易のグループについては、李白のブログ350首(2015/6月再開~2018/夏・秋月予定)の後掲載の予定。別に杜甫詩ブログ1500首(2011/7月~2018/8月の予定で)を進行中。詩数につぃては、予定の詩数より多くなる。気まぐれなところがあるのでこの予定が少し変わる場合があり、その節はご容赦ください。                 古詩・謝霊運詩 杜甫詩 韓愈詩 花間集500首全詩 それぞれ毎日ブログしています。 このブログ、索引=語句の「検索」 参考書以上掲載。漢詩力up。

《去歲自刑部侍郎以罪貶潮州刺史,・・其後家亦譴逐小女,道死殯之層峰驛旁,・・・》韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <976>漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3864

お前が死んだのは病気で臥せていたところそのまま旅程に出されたために急病死させてしまった。旅中のことであるために仮埋葬で皮付きの傷つき材料の棺であり、数条の藤蔦でこれを縛ったようなもの、これを商山の麓に埋設したのだ。棺の白骨は定めてその寒さに耐えられるものではなかったであろう。

2014年3月9日の紀頌之5つのブログ
●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場
Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
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張平子(張衡)《西京賦》(26)(建章宮〔二〕)#11-1 文選 賦<114―(26)>31分割68回 Ⅱ李白に影響を与えた詩1063 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3863
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曹植(曹子建)詩 65首 index文選 賦)兩都賦序・西都賦・東都賦 (班固)
●唐を代表する 中唐 韓愈 全500首 
Ⅱ中唐詩・晩唐詩
 
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●杜甫の全作品1141首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"
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《去自刑部侍郎以罪貶潮州刺史,乘驛赴任,其後家亦譴逐小女,道死殯之層峰驛旁,山下蒙恩還朝,過其墓留題驛梁》韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <976> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3864韓愈詩-269

 

 

年:  820  元和十五年  53

卷別: 卷三四四  文體: 七言律詩 

詩題: 自刑部侍郎以罪貶潮州刺史,乘驛赴任,其後家亦譴逐小女,道死殯之層峰驛旁,山下蒙恩還朝,過其墓留題驛梁

【去自刑部侍郎以罪貶潮州刺史,乘驛之官,其後家亦譴逐小女,道死殯之層峰驛旁,山下蒙恩還朝,今過其墓留題驛梁】

【去自刑部侍郎以罪貶潮州刺史,乘驛之官,其後家亦譴逐小女,道死殯之層峰驛,山下蒙恩還朝,今過其墓留題驛梁】

【去自刑部侍郎以罪貶潮州刺史,乘驛赴任,其後家亦譴逐小女,道死殯之層峰驛,山下蒙恩還朝,今過其墓留題驛梁】 

及地點:  潮州 (嶺南道東部 潮州 潮州)   ・層峰驛 (山南東道 商州 上洛)     

 

 

自刑部侍郎以罪貶潮州刺史,乘驛赴任,其後家亦譴逐小女,道死殯之層峰驛旁,山下蒙恩還朝,過其墓留題驛梁

(去年は(元和14年正月)「論佛骨表」を上せしにより、刑部侍郎というものから、潮州刺史に貶られ、独り宿次の馬に乗り赴任した。その後、家族も都に留まってはならぬということで追い立てられ、相次いで旅程に上ったが、その途中、層峰驛の旁にて少女一人病死し、その山の下に仮埋葬しておいた。しかるに今次天恩を蒙って、長安に還されることとなり此の山下を通ることになったので、この詩を駅舎の梁上に題したのである。)

數條藤束木皮棺,草殯荒山白骨寒。

お前が死んだのは病気で臥せていたところそのまま旅程に出されたために急病死させてしまった。旅中のことであるために仮埋葬で皮付きの傷つき材料の棺であり、数条の藤蔦でこれを縛ったようなもの、これを商山の麓に埋設したのだ。棺の白骨は定めてその寒さに耐えられるものではなかったであろう。

驚恐入心身已病,扶舁沿路眾知難。

わたしはお前たちに先立って旅立たねばならず、病気のお前のこと、驚き、恐れて、心も身も心配をして出たのだ。お前は無理やり担がれて旅に出たのでとても難しいことだと誰もが思ったのである。

繞墳不暇號三匝,設祭惟聞飯一盤。

お前を伴って旅立つことが出来ず、お前のその時にあってやることもできず、勿論、墓を廻って慟哭、三匝してやることもできなかった。祀ってやるにも、一盤の飯を備えることしかできなかったことは可哀相で仕方なかったのである。

致汝無辜由我罪,百年慚痛淚闌干。

こんなことになった全ては私の大罪によるもので、お前に非は全くないのである。この慙痛の思いは修正消えるものではないもので、この涙は欄干としてたえずながれるのである。

 

 刑部侍郎より罪を以って潮州刺史に貶められ,驛に乘じて赴任し,其の後家も亦た譴逐【けんちく】されて小女,道に死し之を層峰 驛旁に殯し,山下 恩を蒙って朝に還らんとし,其の墓を過りて驛梁【えきりょう】に留題す。

數條の藤は木皮の棺を束ね,荒山にして草殯【そうひん】して 白骨寒し。 

驚恐 心に入って 身已に病み,扶舁【ふと】路に沿って 眾 難きを知る。 

墳を繞って 號【さけ】んで三匝【さんきん】するに暇あらず,祭を設けて惟だ飯一盤を聞く。 

汝 辜【つみ】無きを致すは我が罪に由る,百年 慚痛して 淚 闌干たり。 

韓愈ルート01
 

『去自刑部侍郎以罪貶潮州刺史,乘驛赴任,其後家亦譴逐小女,道死殯之層峰驛旁,山下蒙恩還朝,過其墓留題驛梁』 現代語訳と訳註

(本文)

自刑部侍郎以罪貶潮州刺史,乘驛赴任,其後家亦譴逐小女,道死殯之層峰驛旁,山下蒙恩還朝,過其墓留題驛梁

數條藤束木皮棺,草殯荒山白骨寒。

驚恐入心身已病,扶舁沿路眾知難。

繞墳不暇號三匝,設祭惟聞飯一盤。

致汝無辜由我罪,百年慚痛淚闌干。

 

(下し文)

 刑部侍郎より罪を以って潮州刺史に貶められ,驛に乘じて赴任し,其の後家も亦た譴逐【けんちく】されて小女,道に死し之を層峰 驛旁に殯し,山下 恩を蒙って朝に還らんとし,其の墓を過りて驛梁【えきりょう】に留題す。

數條の藤は木皮の棺を束ね,荒山にして草殯【そうひん】して 白骨寒し。 

驚恐 心に入って 身已に病み,扶舁【ふと】路に沿って 眾 難きを知る。 

墳を繞って 號【さけ】んで三匝【さんきん】するに暇あらず,祭を設けて惟だ飯一盤を聞く。 

汝 辜【つみ】無きを致すは我が罪に由る,百年 慚痛して 淚 闌干たり。  

 

(現代語訳)

(去年は(元和14年正月)「論佛骨表」を上せしにより、刑部侍郎というものから、潮州刺史に貶られ、独り宿次の馬に乗り赴任した。その後、家族も都に留まってはならぬということで追い立てられ、相次いで旅程に上ったが、その途中、層峰驛の旁にて少女一人病死し、その山の下に仮埋葬しておいた。しかるに今次天恩を蒙って、長安に還されることとなり此の山下を通ることになったので、この詩を駅舎の梁上に題したのである。)

お前が死んだのは病気で臥せていたところそのまま旅程に出されたために急病死させてしまった。旅中のことであるために仮埋葬で皮付きの傷つき材料の棺であり、数条の藤蔦でこれを縛ったようなもの、これを商山の麓に埋設したのだ。棺の白骨は定めてその寒さに耐えられるものではなかったであろう。

わたしはお前たちに先立って旅立たねばならず、病気のお前のこと、驚き、恐れて、心も身も心配をして出たのだ。お前は無理やり担がれて旅に出たのでとても難しいことだと誰もが思ったのである。

お前を伴って旅立つことが出来ず、お前のその時にあってやることもできず、勿論、墓を廻って慟哭、三匝してやることもできなかった。祀ってやるにも、一盤の飯を備えることしかできなかったことは可哀相で仕方なかったのである。

こんなことになった全ては私の大罪によるもので、お前に非は全くないのである。この慙痛の思いは修正消えるものではないもので、この涙は欄干としてたえずながれるのである。

 

(訳注)

自刑部侍郎以罪貶潮州刺史,乘驛赴任,其後家亦譴逐小女,道死殯之層峰驛旁,山下蒙恩還朝,過其墓留題驛梁

(去年は(元和14年正月)「論佛骨表」を上せしにより、刑部侍郎というものから、潮州刺史に貶られ、独り宿次の馬に乗り赴任した。その後、家族も都に留まってはならぬということで追い立てられ、相次いで旅程に上ったが、その途中、層峰驛の旁にて少女一人病死し、その山の下に仮埋葬しておいた。しかるに今次天恩を蒙って、長安に還されることとなり此の山下を通ることになったので、この詩を駅舎の梁上に題したのである。)

韓愈の第四女、女拏【じょだ】といい、歳は12歳であった。河陽の韓家の墓地に移された。

層峰驛 商山の麓にあった駅。(-4)長安から藍田を経て次の街である。元気なものなら数日の距離である。

儒教の五経典に『易経』『書経』『詩経』『儀礼』『春秋』がある。そのなかの『儀礼(ぎらい)』は古代中国の官吏階級の通過儀礼である、冠礼、婚礼、喪礼、外交儀礼などを細かく規定したもので、中国の文化の規範としての役割を担ってきた。韓愈は儒者であり、これらにのとった埋葬ができなかったことを師にしたもの。

 

數條藤束木皮棺,草殯荒山白骨寒。

お前が死んだのは病気で臥せていたところそのまま旅程に出されたために急病死させてしまった。旅中のことであるために仮埋葬で皮付きの傷つき材料の棺であり、数条の藤蔦でこれを縛ったようなもの、これを商山の麓に埋設したのだ。棺の白骨は定めてその寒さに耐えられるものではなかったであろう。

木皮棺 急ごしらえの棺と埋葬の場所をいう。小斂(死者を衣服でくるむ)の用意ができず、粗末なものでくるまった。

草殯 仮埋葬をすること。

 

驚恐入心身已病,扶舁沿路眾知難。

わたしはお前たちに先立って旅立たねばならず、病気のお前のこと、驚き、恐れて、心も身も心配をして出たのだ。お前は無理やり担がれて旅に出たのでとても難しいことだと誰もが思ったのである。

扶舁 1 (二人以上で)物を肩にのせて運ぶ。担がれて、かつぐ。2 だます。あざむく。車ではなく、運ばれたもので、数日で死に至ったもの。

 

繞墳不暇號三匝,設祭惟聞飯一盤。

お前を伴って旅立つことが出来ず、お前のその時にあってやることもできず、勿論、墓を廻って慟哭、三匝してやることもできなかった。祀ってやるにも、一盤の飯を備えることしかできなかったことは可哀相で仕方なかったのである。

繞墳 哭の礼をするため、埋葬したところのまわりをぐるぐる回って弔うこと。

號三匝 死者に衣服を贈る。死装束の準備。湯灌。死装束の着衣と依代。小斂(死者を衣服でくるむ)の用意。

飯一盤 死者へ食べ物を捧げる

 

致汝無辜由我罪,百年慚痛淚闌干。

こんなことになった全ては私の大罪によるもので、お前に非は全くないのである。この慙痛の思いは修正消えるものではないもので、この涙は欄干としてたえずながれるのである。

『荀子』礼論篇に、葬儀の意味について述べてある。

  喪礼とは、死者に対し生者のように仕えるという意味をはっきりと知り、哀戚と恭敬の情を尽くして送葬し、手おちなく埋葬すること以外にない。だから埋葬とは、その形体を敬み葬ることであり、祭祀とは、その神霊に敬み仕えることであり、その銘(死者の名を書いた旗)と誄(るい=人の死を悼んで生前の徳などを追慕して述べる詞)と繋世とは、その名前を敬って後世に伝えることである。生きている人に仕える礼は始めを飾り、死んだ人を送る礼は、終わりを飾る。
 

《酒中留上襄陽李相公》韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <975>漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3859韓愈詩-268

韓愈《酒中留上襄陽李相公》 我々の付き合いは清談の濁り酒の付き合いで、私は濁水のようであり、君は清路の塵のようであり、その出処進退はまるで比較することに意味がないほど明確なことである。嘗て同じように中書省にいたこともあるので、旧知の間ではあれば、今夜ここに会飲して、このひと時を過ごしたいと思うところなのです。私が南方に左遷されている時はこの眼が穿つほどに眺めいって書簡の届かないことをいぶかしく思っていたのであるから、この宴席において大分酔いが回って、耳が熱くなるほど酔っても、そそがれた酒を辞したりはしないで徹底的に飲もうと思っている。


 

2014年3月8日

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●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場
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●唐を代表する中唐の韓愈の儒家としての考えのよくわかる代表作の一つ
Ⅱ中唐詩・晩唐詩
 
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・李商隠詩 (1) 136首の75首・李商隠詩 (2) 135首の61首●韓愈index-1 ・孟郊、張籍と交遊・汴州乱41首●韓愈詩index-2[800年 33歳~804年 37歳]27首●韓愈詩index-3 805年 38歳・]陽山から江陵府 36首●韓愈詩index-4 806年 39歳 江陵府・権知国子博士 51首(1)25首
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杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首杜甫詩(2)752年;天平勝寶四年、41歳~754年;天平勝寶六年、43歳 73首(青年期・就活の詩) 杜甫詩(3)755年;天平勝寶七年、44歳~756年;至徳元年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)作時757年;至徳二年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首
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Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoor13-10 《 甘州子五首 其一》顧太尉敻(顧夐【こけい】)五十五首Ⅻ唐五代詞・『花間集』全詩訳注解説Gs-463-13-(10) 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3862
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《酒中留上襄陽李相公》韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <975>漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3859韓愈詩-268

 

 

年: 820  元和十五年  53

卷別: 卷三四四  文體: 七言律詩 

詩題: 酒中留上襄陽李相公

〔李逢吉也。愈元和十一年正月為中書舍人,而逢吉以其年二月自舍人拜相。〕

寫作地點: 襄州(山南東道 / 襄州 / 襄州

寫及地點:  襄州 (山南東道 襄州 襄州) 別名:襄陽     

交遊人物/ 李逢吉

 

 

酒中留上襄陽李相公

 (ここにおいての宴会で襄陽の李相公に上申いたします。)

李相公は李逢吉である。韓愈は元和十一年正月に中書舍人となる,韓愈が襄陽を通過する際に旧知の李逢吉はに会飲し、酒間に賦して贈ったものである。

濁水汙泥清路塵,還曾同制掌絲綸。 

我々の付き合いは清談の濁り酒の付き合いで、私は濁水のようであり、君は清路の塵のようであり、その出処進退はまるで比較することに意味がないほど明確なことである。嘗て同じように中書省にいたこともあるので、旧知の間ではあれば、今夜ここに会飲して、このひと時を過ごしたいと思うところなのです。

眼穿長訝雙魚斷,耳熱何辭數爵頻。 

私が南方に左遷されている時はこの眼が穿つほどに眺めいって書簡の届かないことをいぶかしく思っていたのであるから、この宴席において大分酔いが回って、耳が熱くなるほど酔っても、そそがれた酒を辞したりはしないで徹底的に飲もうと思っている。

銀燭未銷窗送曙,金釵半醉座添春。 

こうして飲んでいても、まだまだ銀の燭台の火も消えることはなく、窓が白んでくる曙の色合いが送られてくるまでは、君の金杯での酔いはまだ半分ぐらいのものだろうし、その座にまだまだ春の花のように若い娘を携え添わせておかれたらよろしいと思うしだいである。

知公不久歸鈞軸,應許閒官寄病身。 

君は遠からずして天子に召されて、再び相位に着かれることであろうから、節には我が病気がちな私に相応した閒職を与えてもらえたらよいと考えておるところです。

 

酒中留めて襄陽の李相公に上【たてまつ】る

濁水 汙泥【おでい】清路の塵,還た曾て制を同じうして絲綸【しりん】を掌る。 

眼 穿って長く訝【いぶか】る雙魚の斷つるを,耳熱くして 何ぞ辭せむ 數爵の頻なるを。 

銀燭 未だ銷えずして 窗 曙を送る,金釵 半ば醉うて 座して 春に添う。 

公が久しからずして鈞軸にる歸を知る,應に閒官に病身を寄するを許さるべし。 

韓愈安陸南陽白水01 

 

『酒中留上襄陽李相公』 現代語訳と訳註

(本文)

酒中留上襄陽李相公

濁水汙泥清路塵,還曾同制掌絲綸。 

眼穿長訝雙魚斷,耳熱何辭數爵頻。 

銀燭未銷窗送曙,金釵半醉座添春。 

知公不久歸鈞軸,應許閒官寄病身。 

 

 

(下し文)

酒中留めて襄陽の李相公に上【たてまつ】る

濁水 汙泥【おでい】清路の塵,還た曾て制を同じうして絲綸【しりん】を掌る。 

眼 穿って長く訝【いぶか】る雙魚の斷つるを,耳熱くして 何ぞ辭せむ 數爵の頻なるを。 

銀燭 未だ銷えずして 窗 曙を送る,金釵 半ば醉うて 座して 春に添う。 

公が久しからずして鈞軸にる歸を知る,應に閒官に病身を寄するを許さるべし。 

 

 

(現代語訳)

(ここにおいての宴会で襄陽の李相公に上申いたします。)

李相公は李逢吉である。韓愈は元和十一年正月に中書舍人となる,韓愈が襄陽を通過する際に旧知の李逢吉はに会飲し、酒間に賦して贈ったものである。

我々の付き合いは清談の濁り酒の付き合いで、私は濁水のようであり、君は清路の塵のようであり、その出処進退はまるで比較することに意味がないほど明確なことである。嘗て同じように中書省にいたこともあるので、旧知の間ではあれば、今夜ここに会飲して、このひと時を過ごしたいと思うところなのです。

私が南方に左遷されている時はこの眼が穿つほどに眺めいって書簡の届かないことをいぶかしく思っていたのであるから、この宴席において大分酔いが回って、耳が熱くなるほど酔っても、そそがれた酒を辞したりはしないで徹底的に飲もうと思っている。

こうして飲んでいても、まだまだ銀の燭台の火も消えることはなく、窓が白んでくる曙の色合いが送られてくるまでは、君の金杯での酔いはまだ半分ぐらいのものだろうし、その座にまだまだ春の花のように若い娘を携え添わせておかれたらよろしいと思うしだいである。

君は遠からずして天子に召されて、再び相位に着かれることであろうから、節には我が病気がちな私に相応した閒職を与えてもらえたらよいと考えておるところです。

杏の花01韓愈の地図00 

(訳注)

酒中留上襄陽李相公

(ここにおいての宴会で襄陽の李相公に上申いたします。)

〔李逢吉也。愈元和十一年正月為中書舍人,而逢吉以其年二月自舍人拜相。〕

李相公は李逢吉である。韓愈は元和十一年正月に中書舍人となる,韓愈が襄陽を通過する際に旧知の李逢吉はに会飲し、酒間に賦して贈ったものである。李逢吉(758年-835年),字虛舟,西狄道(今甘臨洮縣)の人,李玄道の曾孫にあたる。父は李顏で疾病が有った,李逢吉は料醫劑により,通方書を遂う。元和九年進士及第し,中書舍人を改める。元和十一年(816年)には中書舍人となり,その年の4月宰相となった。。元和、長慶の兩朝の宰相と為す。牛僧孺と李德裕とに薦舉され,李紳と相互に傾軋す。敬宗年,凉国公を封じ,のちに国公と改む。太和年間司徒致仕える。九年(835年)正月卒す。謚は曰成。著有《斷金集》,《全唐詩》詩八首存する。

 

濁水泥清路塵,還曾同制掌絲綸。 

我々の付き合いは清談の濁り酒の付き合いで、私は濁水のようであり、君は清路の塵のようであり、君の家は詔勅を起草する家系であり、君も必ずそうなるのであり、その出処進退はまるで比較することに意味がないほど明確なことである。嘗て同じように中書省にいたこともあるので、旧知の間ではあれば、今夜ここに会飲して、このひと時を過ごしたいと思うところなのです。

濁水汙泥清路塵 韓愈と李相公を献上的に比較したもので、嘗ては濁り酒を飲みながら同僚として清談したものだが、今は、韓愈は南方へ左遷され、泥水の中に折るようなものであることに対して、曹植『七哀詩』「君若清路塵,妾若濁水泥。」にもとづくひょうげんをしたもの。(あなたは清らな路上の塵のよう、私はにごり水に沈む泥のようにきれいな水になるのを待つだけなのです。)

七哀詩 魏詩<33-2>文選 哀傷 667 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1885

掌絲綸 「世掌絲綸」 杜甫『奉和賈至舍人早朝大明宮』「欲知世掌絲綸美。池上於今有鳳毛。」(なるほど賈君の御家は代々詔勅を起草する家系であって、その世襲がいかにみごとであるかを知りたいとおもう、現に今も鳳凰池上に鳳毛とも評すべき君が居らるるのをみればわかることである。)

・世掌 代々つかさどる、父子二代の世襲をさす。・絲綸 王の言、即ち詔勅をいう。「礼記」緇衣に「王言は糸の如く、其の出ぞること綸の如し。王言は綸の如く、其の出ぞること綍の如し。」とある。綸はよりいと、綍はなわ、王の言は出だした所は細くても下へ伝わるにつれて大となることをいう。・美 みごとなこと。

奉和賈至舍人早朝大明宮 杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 236

 

眼穿長訝雙魚斷,耳熱何辭數爵頻。 

私が南方に左遷されている時はこの眼が穿つほどに眺めいって書簡の届かないことをいぶかしく思っていたのであるから、この宴席において大分酔いが回って、耳が熱くなるほど酔っても、そそがれた酒を辞したりはしないで徹底的に飲もうと思っている。

雙魚斷 李相公からの手紙をいう

耳熱 顔が赤くなるという意味と同じ。

數爵頻 盃に頻繁に酒を注がれることをどんなにされたとしてもというほどの意。

 

銀燭未銷窗送曙,金釵半醉座添春。 

こうして飲んでいても、まだまだ銀の燭台の火も消えることはなく、窓が白んでくる曙の色合いが送られてくるまでは、君の金杯での酔いはまだ半分ぐらいのものだろうし、その座にまだまだ春の花のように若い娘を携え添わせておかれたらよろしいと思うしだいである。

 

知公不久歸鈞軸,應許閒官寄病身。 

君は遠からずして天子に召されて、再び相位に着かれることであろうから、節には我が病気がちな私に相応した閒職を与えてもらえたらよいと考えておるところです。

鈞軸 ここでは朝廷の中心である宰相のこと。

《寄隨州周員外》韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <974>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3854韓愈詩-267

韓愈《寄隨州周員外》 お互いに董晉の幕客であった陸長源、孟叔度、邱穎、楊凝等の人たちは、いずれも久しい昔に死んでいて、黄塵に化してしまっていて、今日生き残っているものが誰かあるのだろうか。道家の君は、これまで金丹を服餌することを好んでおられたけれど、別後、定めて、その調合法を伝授してもらったおかげで、南方に行ってもこうして病身の身を救って元気で居られたものであると思っております。


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《寄隨州周員外》韓愈(韓退之Ⅱ中唐詩 <974>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3854韓愈詩-267

 

 

年: 820  元和十五年  53

卷別: 卷三四四  文體: 七言 

詩題: 寄隨州周員外 

及地點:  隨州 (山南東道 隨州 隨州別名:漢東     

交遊人物: 周愿

 

 

寄隨州周員外

(会いたいと思っていたが会えないのでこのまま長安に向かうので、随州の周君巢刺史に寄せる。)

陸孟丘楊久作塵,同時存者更誰人。 

お互いに董晉の幕客であった陸長源、孟叔度、邱穎、楊凝等の人たちは、いずれも久しい昔に死んでいて、黄塵に化してしまっていて、今日生き残っているものが誰かあるのだろうか。

金丹別後知傳得,乞取刀圭救病身。 

道家の君は、これまで金丹を服餌することを好んでおられたけれど、別後、定めて、その調合法を伝授してもらったおかげで、南方に行ってもこうして病身の身を救って元気で居られたものであると思っております。

 

(隨州周員外に寄す)

陸孟 丘楊 久しく塵と作り,同時に存する者 更に誰人ぞ。 

金丹 別後 知る傳へ得たるを,刀圭を乞取【きつしゅ】して 病身を救う。 

韓愈安陸南陽白水01 

 

『寄隨州周員外』 現代語訳と訳註

(本文)

寄隨州周員外

陸孟丘楊久作塵,同時存者更誰人。 

金丹別後知傳得,乞取刀圭救病身。 

 

(下し文)

(隨州周員外に寄す)

陸、孟、丘、楊 久しく塵と作り,同時に存する者 更に誰人ぞ。 

金丹 別後 知る傳へ得たるを,刀圭を乞取【きつしゅ】して 病身を救う。 

 

(現代語訳)

(会いたいと思っていたが会えないのでこのまま長安に向かうので、随州の周君巢刺史に寄せる。)

お互いに董晉の幕客であった陸長源、孟叔度、邱穎、楊凝等の人たちは、いずれも久しい昔に死んでいて、黄塵に化してしまっていて、今日生き残っているものが誰かあるのだろうか。

道家の君は、これまで金丹を服餌することを好んでおられたけれど、別後、定めて、その調合法を伝授してもらったおかげで、南方に行ってもこうして病身の身を救って元気で居られたものであると思っております。

 

(訳注)

寄隨州周員外

(会いたいと思っていたが会えないのでこのまま長安に向かうので、随州の周君巢刺史に寄せる。)

隨州刺史員外周君巢は下記の詩にも見えた。この詩は途中から彼にあてたもので、会えないので寄せたのだ。

自袁州還京,行次安陸,先寄隨州周員外〔周君巢也,時為隨州刺史。〕

行行指漢東,暫喜笑言同。 

雨雪離江上,蒹葭出夢中。 

面猶含瘴色,眼已見華風。 

暮難相酣歌未可終。

(この詩は袁州より召されて京に帰ろうとするとき、途中安陸に宿をしようとあらかじめ随州の周君巢刺史に寄せたものである。)

 

陸孟丘楊久作塵,同時存者更誰人。 

お互いに董晉の幕客であった陸長源、孟叔度、邱穎、楊凝等の人たちは、いずれも久しい昔に死んでいて、黄塵に化してしまっていて、今日生き残っているものが誰かあるのだろうか。

○陸孟丘楊 董晉幕府の陸長源、孟叔度、邱穎、楊凝ということ。董晉は(724年-799年),字を混成という,唐河(今の山西省永濟)万里の人。開元十二年(724年)生れ,唐玄宗の後期中明に及第を經て,唐肅宗即位の後,秘書省校書郎に任命され,翰林に供職す。任したのは尉丞、汾州司馬、淮南度判官、殿中侍御史、主客外郎、祠部郎中である

韓愈は792年進士及第し、793794年上級の博学宏詞科の落第が続いていたころのあと、董晉に随って汴州の観察推官として幕下についたころの同僚であったり、部下であったもの。

 

金丹別後知傳得,乞取刀圭救病身。 

道家の君は、これまで金丹を服餌することを好んでおられたけれど、別後、定めて、その調合法を伝授してもらったおかげで、南方に行ってもこうして病身の身を救って元気で居られたものであると思っております。

○金丹 道教の道士が金石を砕いて練って作ったという不老不死の薬。現在の見方からすれば、ミネラル接種に役立ち、免疫力を付けたということであろう。
韓愈の地図01 

《題廣昌館》韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <973>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3849韓愈詩-266

韓愈《題廣昌館》 このあたりにあった墳墓などは近頃発掘されたものの、様々なものが官道に散らばしているのだ。昔、南陽には、王朝近親者が多くいるのでこの地を検問せず、特別扱いされていたというが、千年後の今日、近親も何もあったものではない。だからこんな有様は、惨澹たるものではないか。


2014年3月6日

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《題廣昌館》韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <973>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3849韓愈詩-266

 

 

作時年:  820  元和十五年  53

卷別: 卷三四四  文體: 七言 

詩題: 題廣昌館【案:在隨州棗陽縣南。】 

及地點:廣昌館 (山南東道 隨州 棗陽)     

白水 (京畿道 同州 白水)     

南陽 (山南東道 鄧州 南陽) 別名:南都     

 

 

題廣昌館

(山南東道 隨州の廣昌館の漢の旧跡が破滅状態になっていることを歎いて題す。)

白水龍飛已幾春,偶逢遺跡問耕人。 

漢の世祖光武帝が白水の地から龍飛の如く出でて、炎運中興の大業を成し遂げてから幾久しく春を迎えたことか。今、たまたまここを通り、その遺跡たる廣昌館に来たが、とりあえず、畑を耕している農民に呼びかけて、いろいろ問うてみた。

丘墳發掘當官路,何處南陽有近親。 

このあたりにあった墳墓などは近頃発掘されたものの、様々なものが官道に散らばしているのだ。昔、南陽には、王朝近親者が多くいるのでこの地を検問せず、特別扱いされていたというが、千年後の今日、近親も何もあったものではない。だからこんな有様は、惨澹たるものではないか。

 

(廣昌館に題す)

白水 龍 飛んで已に幾春,偶【たまた】ま遺跡に逢うて耕人に問う。

丘墳 發掘して官路に當る,何れの處にか 南陽に近親有る。 

 

韓愈安陸南陽白水01

 

 

『題廣昌館』 現代語訳と訳註

(本文)

白水龍飛已幾春,偶逢遺跡問耕人。 

丘墳發掘當官路,何處南陽有近親。 

(異文)

白水龍飛已幾春,偶逢遺跡問耕人【偶尋遺跡問耕人】。

丘墳發掘當官路【丘墳發掘當官道】,何處南陽有近親。 

 

(下し文)

(廣昌館に題す)

白水 龍 飛んで已に幾春,偶【たまた】ま遺跡に逢うて耕人に問う。

丘墳 發掘して官路に當る,何れの處にか 南陽に近親有る。 

 

(現代語訳)

(山南東道 隨州の廣昌館の漢の旧跡が破滅状態になっていることを歎いて題す。)

漢の世祖光武帝が白水の地から龍飛の如く出でて、炎運中興の大業を成し遂げてから幾久しく春を迎えたことか。今、たまたまここを通り、その遺跡たる廣昌館に来たが、とりあえず、畑を耕している農民に呼びかけて、いろいろ問うてみた。

このあたりにあった墳墓などは近頃発掘されたものの、様々なものが官道に散らばしているのだ。昔、南陽には、王朝近親者が多くいるのでこの地を検問せず、特別扱いされていたというが、千年後の今日、近親も何もあったものではない。だからこんな有様は、惨澹たるものではないか。

(訳注)

題廣昌館

(山南東道 隨州の廣昌館の漢の旧跡が破滅状態になっていることを歎いて題す。)

廣昌館 地名。山南東道 隨州 棗陽のこと。

韓愈が安陸を過ぎ、隋州、南陽郡をずぎて、棗陽に差し掛かり、漢の旧跡が破滅状態になっていることを歎いて詠ったもの。

 

白水龍飛已幾春,偶逢遺跡問耕人。 

漢の世祖光武帝が白水の地から龍飛の如く出でて、炎運中興の大業を成し遂げてから幾久しく春を迎えたことか。今、たまたまここを通り、その遺跡たる廣昌館に来たが、とりあえず、畑を耕している農民に呼びかけて、いろいろ問うてみた。

白水 京畿道 同州 白水。漢の世祖光武帝がこの地で生まれた。かつてはこの白水、南陽のあたりは賑やかであったが、韓愈がここを通ると荒れ果てていたが、ところ所、旧趾が発掘されたのを見てこの詩を作った。

龍飛 漢の世祖光武帝がよにでたことをいう。

遺跡 楚の昭王廟の遺跡。

 

丘墳發掘當官路,何處南陽有近親。 

このあたりにあった墳墓などは近頃発掘されたものの、様々なものが官道に散らばしているのだ。昔、南陽には、王朝近親者が多くいるのでこの地を検問せず、特別扱いされていたというが、千年後の今日、近親も何もあったものではない。だからこんな有様は、惨澹たるものではないか。

當官路 発掘したものを道路に投げ出している。

南陽 山南東道 鄧州 南陽) 別名:南都

有近親 南陽には王朝近親者が多くいる。だから、吏も充分にこの地を検問せず、特別扱いされたという
韓愈の地図01 

《自袁州還京,行次安陸,先寄隨州周員外〔周君巢也,時為隨州刺史。〕》韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <972>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3844韓愈詩-265

韓愈《自袁州還京,行次安陸,先寄隨州周員外》 都に向かう道を行くと、漢東に進んでゆくので、君とお目に書かれれば一緒に談笑することが出来るだろうとそれを当てにしてきた。冬の最中で雨雪寒く振り掛かるころのこと、漢陽から江上の道を離れ、そして、陸路をすすみ、蒹葭が枯れ残ったところを通り、やっとの思いで雲夢澤を抜け出たところである。



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《自袁州還京,行次安陸,先寄隨州周員外〔周君巢也,時為隨州刺史。〕》韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <972>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3844韓愈詩-265

 

 

作時年:  820  元和十五年  53

卷別: 卷三四四  文體: 五言律詩 

詩題:自袁州還京,行次安陸,先寄隨州周員外〔周君巢也,時為隨州刺史。〕

及地點: 袁州 (江南西道 袁州 袁州) 別名:宜春     

長安 (京畿道 京兆府 長安) 別名:京、京師、中京、京城、上都、京畿、西都      

安陸 (淮南道 安州 安陸)     

隨州 (山南東道 隨州 隨州) 別名:漢東     

交遊人物:周愿


 

自袁州還京,行次安陸,先寄隨州周員外

(この詩は袁州より召されて京に帰ろうとするとき、途中安陸に宿をしようとあらかじめ随州の周君巢刺史に寄せたものである。)

行行指漢東,暫喜笑言同。 

都に向かう道を行くと、漢東に進んでゆくので、君とお目に書かれれば一緒に談笑することが出来るだろうとそれを当てにしてきた。

雨雪離江上,蒹葭出夢中。 

冬の最中で雨雪寒く振り掛かるころのこと、漢陽から江上の道を離れ、そして、陸路をすすみ、蒹葭が枯れ残ったところを通り、やっとの思いで雲夢澤を抜け出たところである。

面猶含瘴色,眼已見華風。 

これから先は道路は平らで大分楽になるが、南方の毒気の所から帰ったもので、私の顔も瘴気の色を含んでいるかもしれない。しかし、眼前に中原の華美な風俗、風光を見るのはまことに嬉しいものである。
暮難相酣歌未可終。 

もっとも、間もなく年も迫ろうかということで、君の方でもご多用で忙しくされているかもしれないのでお逢いすることが出来ないかもしれないと思うので、今夜の酒盛りのたけなわなことに任せて、歌うに任せ、せめてもの心使いとして、ここに一紙にしたためて君に贈るものである。

 

袁州より京に還る,行いて安陸に次し,先づ隨州周員外に寄す〔周君は巢なり,時に隨州刺史を為す。〕

行き行きて漢東を指し,暫く笑言の同じきを喜ぶ。

雨雪 江上を離れ,蒹葭 夢中を出ず。

面 猶お瘴色を含み,眼 已に華風を見る。

暮 相い難く,酣歌 未だ終る可からず。 

葵00

自袁州還京,行次安陸,先寄隨州周員外』 現代語訳と訳註

(本文)

自袁州還京,行次安陸,先寄隨州周員外〔周君巢也,時為隨州刺史。〕

行行指漢東,暫喜笑言同。 

雨雪離江上,蒹葭出夢中。 

面猶含瘴色,眼已見華風。 

暮難相酣歌未可終。 

 

(下し文)

袁州より京に還る,行いて安陸に次し,先づ隨州周員外に寄す〔周員外は周君巢なり,時に隨州刺史を為す。〕

行き行きて漢東を指し,暫く笑言の同じきを喜ぶ。

雨雪 江上を離れ,蒹葭 夢中を出ず。

面 猶お瘴色を含み,眼 已に華風を見る。

暮 相い難く,酣歌 未だ終る可からず。 

 

(現代語訳)

(この詩は袁州より召されて京に帰ろうとするとき、途中安陸に宿をしようとあらかじめ随州の周君巢刺史に寄せたものである。)

都に向かう道を行くと、漢東に進んでゆくので、君とお目に書かれれば一緒に談笑することが出来るだろうとそれを当てにしてきた。

冬の最中で雨雪寒く振り掛かるころのこと、漢陽から江上の道を離れ、そして、陸路をすすみ、蒹葭が枯れ残ったところを通り、やっとの思いで雲夢澤を抜け出たところである。

これから先は道路は平らで大分楽になるが、南方の毒気の所から帰ったもので、私の顔も瘴気の色を含んでいるかもしれない。しかし、眼前に中原の華美な風俗、風光を見るのはまことに嬉しいものである。

もっとも、間もなく年も迫ろうかということで、君の方でもご多用で忙しくされているかもしれないのでお逢いすることが出来ないかもしれないと思うので、今夜の酒盛りのたけなわなことに任せて、歌うに任せ、せめてもの心使いとして、ここに一紙にしたためて君に贈るものである。

 

(訳注)

自袁州還京,行次安陸,先寄隨州周員外

(この詩は袁州より召されて京に帰ろうとするとき、途中安陸に宿をしようとあらかじめ随州の周君巢刺史に寄せたものである。)

袁州 江南西道 袁州 、別名:宜春(e-4)

安陸 淮南道 安州 安陸(d-3)

隨州 山南東道 隨州、別名:漢東(d-2)

隨州周員外 周君巢のこと。この時、隨州刺史であった。

韓愈の地図01 

行行指漢東,暫喜笑言同。 

都に向かう道を行くと、漢東に進んでゆくので、君とお目に書かれれば一緒に談笑することが出来るだろうとそれを当てにしてきた。

行行 謝霊運(康楽) 『苦寒行』「行行日已遠,人馬同時饑。」(行き行きて日已に遠く 人馬 時を同じくして飢う)

漢東 山南東道 隨州。

 

雨雪離江上,蒹葭出夢中。 

冬の最中で雨雪寒く振り掛かるころのこと、漢陽から江上の道を離れ、そして、陸路をすすみ、蒹葭が枯れ残ったところを通り、やっとの思いで雲夢澤を抜け出たところである。

離江上

蒹葭 『詩経・秦風・蒹葭』「兼葭蒼蒼,白露為霜。所謂伊人,在水一方。溯洄從之,道阻且長;溯游從之,宛在水中央。」とある。枯れ始めた陰暦九月の候をいう。河の向こう岸にすむ美しい娘がいる。訪ねようと上流に行くと道が険しく、川を渡るには水が多い。不遇で志を得られぬ、果たせない男、やるせない気持ちを歌ったものである。

杜甫『蒹葭』

摧折不自守,秋風吹若何?

暫時花戴雪,幾處葉沈波。

體弱春苗早,叢長夜露多。

江湖後搖落,亦恐蹉跎。

夢中 雲夢澤のこと。古代中国で湖北省の漢陽(武漢)一帯にあったとされる大湿地。のち、長江と漢水が沖積して平原となった。武漢付近に散在する湖沼はその跡。

 

面猶含瘴色,眼已見華風。 

これから先は道路は平らで大分楽になるが、南方の毒気の所から帰ったもので、私の顔も瘴気の色を含んでいるかもしれない。しかし、眼前に中原の華美な風俗、風光を見るのはまことに嬉しいものである。

瘴色 瘴:中国南部の熱帯・亜熱帯気候の密林の高温高湿の環境には「瘴气」が充満しており、人間を病気にさせる考えがあったことをいう。

 

暮難相酣歌未可終。 

もっとも、間もなく年も迫ろうかということで、君の方でもご多用で忙しくされているかもしれいのでお逢いすることが出来ないかもしれないと思うので、今夜の酒盛りのたけなわなことに任せて、歌うに任せ、せめてもの心使いとして、ここに一紙にしたためて君に贈るものである。
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《遊西林寺題蕭二兄郎中舊堂〔自注:蕭兄有女出家。〕 》韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <971>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3839韓愈詩-264

韓愈《遊西林寺題蕭二兄郎中舊堂》 蕭兄郎中が没せられて、既に久しいが、よく伝家の業を伝えられ得る才女があるというのは蔡琰中郎のようである。家を相続してゆく男子がないということは、あたかも鄧伯道のように誠に痛ましいことである。今、たまたまこの盧山の旧居跡をたづねると、物有って人なし、ここに昔日知遇の恩を思い出でて、追慕自ら禁ぜず、私としても、老衰の身、幾行の涕が煙霞に降り注ぐだけである。


2014年3月4日

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《遊西林寺題蕭二兄郎中舊堂〔自注:蕭兄有女出家。〕 》韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <971>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3839韓愈詩-264

 

年:820  元和十五年  53

卷別: 卷三四四  文體: 七言 

詩題:遊西林寺題蕭二兄郎中舊堂〔自注:蕭兄有女出家。〕

作地點: 廬山(江南西道 / 江州 / 廬山

及地點: 西林寺 (江南西道 江州 廬山)     

廬山 (江南西道 江州 廬山) 別名:廬嶽、匡山     

交遊人物: 蕭存

 

 

遊西林寺題蕭二兄郎中舊堂

(盧山の西林寺に立ち寄る際に旧知の蕭兄郎中の旧居があったのでこの詩を作る。)

〔自注:蕭兄有女出家。〕

〔蕭兄中郎には女の子がいたが家を相続していくものがいなかった。〕

中郎有女能傳業,伯道無兒可保家。 

蕭兄郎中が没せられて、既に久しいが、よく伝家の業を伝えられ得る才女があるというのは蔡琰中郎のようである。家を相続してゆく男子がないということは、あたかも鄧伯道のように誠に痛ましいことである。

偶到匡山曾住處,幾行衰淚落煙霞。 

今、たまたまこの盧山の旧居跡をたづねると、物有って人なし、ここに昔日知遇の恩を思い出でて、追慕自ら禁ぜず、私としても、老衰の身、幾行の涕が煙霞に降り注ぐだけである。

 

西林寺に遊び蕭二兄郎中舊堂に題す。〔自注:蕭兄は女有り家を出す。〕

中郎 女の能く業を傳うる有り,伯道 兒の家を保つ可き無し。 

偶ま 匡山【きょうざん】曾住の處に到れば,幾行の衰淚 煙霞に落つ。 

 

 

『遊西林寺題蕭二兄郎中舊堂』 現代語訳と訳註

(本文)

遊西林寺題蕭二兄郎中舊堂【〔自注:蕭兄有女出家。〕

中郎有女能傳業,伯道無兒可保家。 

偶到匡山曾住處,幾行衰淚落煙霞。 

 

 

(下し文)

西林寺に遊び蕭二兄郎中舊堂に題す。〔自注:蕭兄は女有り家を出す。〕

中郎 女の能く業を傳うる有り,伯道 兒の家を保つ可き無し。 

偶ま 匡山【きょうざん】曾住の處に到れば,幾行の衰淚 煙霞に落つ。 

 

(現代語訳)

(盧山の西林寺に立ち寄る際に旧知の蕭兄郎中の旧居があったのでこの詩を作る。)

〔蕭兄中郎には女の子がいたが家を相続していくものがいなかった。〕

蕭兄郎中が没せられて、既に久しいが、よく伝家の業を伝えられ得る才女があるというのは蔡琰中郎のようである。家を相続してゆく男子がないということは、あたかも鄧伯道のように誠に痛ましいことである。

今、たまたまこの盧山の旧居跡をたづねると、物有って人なし、ここに昔日知遇の恩を思い出でて、追慕自ら禁ぜず、私としても、老衰の身、幾行の涕が煙霞に降り注ぐだけである。

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(訳注)

遊西林寺題蕭二兄郎中舊堂

(盧山の西林寺に立ち寄る際に旧知の蕭兄郎中の旧居があったのでこの詩を作る。)

〔自注:蕭兄有女出家。〕

〔蕭兄中郎には女の子がいたが家を相続していくものがいなかった。〕

○西林寺 盧山寺のこと。この寺に立ち寄る際に旧知の蕭兄郎中の旧居があった。

○蕭二兄郎中 蕭存といい、字は伯誠。建中の初め、殿中御史に遷り、四度、比部郎中に遷り、裴延齢の姦を憎疾んで官を去り、風痹によって卒す。

舊堂 故蕭二兄郎中舊堂

 

中郎有女能傳業,伯道無兒可保家。 

蕭兄郎中が没せられて、既に久しいが、よく伝家の業を伝えられ得る才女があるというのは蔡琰中郎のようである。家を相続してゆく男子がないということは、あたかも鄧伯道のように誠に痛ましいことである。

○中郎有女 蔡琰中郎

○鄧伯道 「使鄧伯道無兒。弟子綏服攸喪三年。」(鄧伯道をして兒無かおとずれと。弟の子綏、攸の喪に服すこと三年なり。)天下の者は、自分の子は見苦しいほどに可愛がって甥などは根から構わない。そこで、事から真似ず、古人は子を捨てて甥を養ったと思えばこちらのためになる。

 

偶到匡山曾住處,幾行衰淚落煙霞。 

今、たまたまこの盧山の旧居跡をたづねると、物有って人なし、ここに昔日知遇の恩を思い出でて、追慕自ら禁ぜず、私としても、老衰の身、幾行の涕が煙霞に降り注ぐだけである。

○匡山 盧山のこと。

○曾住處 曾て住居であった所に来ているが、誰もいないこと。後継ぎがいないことをいう。
keikoku00 

《次石頭驛寄江西王十中丞閣老〔仲舒也。時為江南西道觀察使,愈自袁還朝作寄。〕》韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <970>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3834韓愈詩-263

韓愈《次石頭驛寄江西王十中丞閣老》 高い所に上り、試みに首を回らして、豫章郡城を眺めてみる。心は洗われて清々しい気分になる。私は、君の仁徳を慕い、しかもこの度はお目にかかりたいと思っていた次第で、それはちょうど、馬がその群れを離れてしまって悲しい思いで鳴くような気持ちで居ります。これまで、寒い日がつづき、終日雲に覆われておりましたが、夕方になって初めて空が晴れました。風が強く吹いておりましたが、大江も遠い所からようやく穏やかになってきたようです。

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《次石頭驛寄江西王十中丞閣老〔仲舒也。時為江南西道觀察使,愈自袁還朝作寄。〕》韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <970>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3834韓愈詩-263

 

 

作時年:  820  元和十五年  53

卷別: 卷三四四  文體: 五言律詩 

詩題: 次石頭驛寄江西王十中丞閣老

〔註:仲舒也。時為江南西道觀察使,愈自袁還朝作寄。〕 

作地點: 洪州(江南西道 / 洪州 / 洪州

及地點:  石頭驛―江南西道洪州豫章郡    

 

 

次石頭驛寄江西王十中丞閣老

(召されて兗州より帰る際石頭駅を過り、江南西道洪州豫章郡刺史、王仲舒中丞に贈った詩。)

憑高試迴首,一望豫章城。

高い所に上り、試みに首を回らして、豫章郡城を眺めてみる。心は洗われて清々しい気分になる。

人由戀德泣,馬亦別群鳴。

私は、君の仁徳を慕い、しかもこの度はお目にかかりたいと思っていた次第で、それはちょうど、馬がその群れを離れてしまって悲しい思いで鳴くような気持ちで居ります。

寒日夕始照,風江遠漸平。

これまで、寒い日がつづき、終日雲に覆われておりましたが、夕方になって初めて空が晴れました。風が強く吹いておりましたが、大江も遠い所からようやく穏やかになってきたようです。

默然都不語,應識此時情。

口に出して謂うものではないことはお互いわかっていることなので、私の今の気持ちについてお察しいただけるものと思って、ここに一筆したためる次第です。

 

(石頭驛を次ぎり江西王十中丞閣老に寄す。)

高きに憑て試みに首を迴らし,一に 豫章城を望む。 

人は德を戀うて泣くを由とし,馬は亦た群に別れて鳴く。 

寒日 夕始めて照らし,風江 遠く漸【ようや】く平らかなり。 

默然として都【みな】不らず,應に此の時の情を識る。 

洛陽南陽地図002

 

『次石頭驛寄江西王十中丞閣老』 現代語訳と訳註

(本文)

次石頭驛寄江西王十中丞閣老

憑高試迴首,一望豫章城。 

人由戀德泣,馬亦別群鳴。 

寒日夕始照,風江遠漸平。 

默然都不語,應識此時情。 

 

(下し文)

(石頭驛を次ぎり江西王十中丞閣老に寄す。)

高きに憑て試みに首を迴らし,一に 豫章城を望む。 

人は德を戀うて泣くを由とし,馬は亦た群に別れて鳴く。 

寒日 夕始めて照らし,風江 遠く漸【ようや】く平らかなり。 

默然として都【みな】不らず,應に此の時の情を識る。 

 

(現代語訳)

(召されて兗州より帰る際石頭駅を過り、江南西道洪州豫章郡刺史、王仲舒中丞に贈った詩。)

高い所に上り、試みに首を回らして、豫章郡城を眺めてみる。心は洗われて清々しい気分になる。

私は、君の仁徳を慕い、しかもこの度はお目にかかりたいと思っていた次第で、それはちょうど、馬がその群れを離れてしまって悲しい思いで鳴くような気持ちで居ります。

これまで、寒い日がつづき、終日雲に覆われておりましたが、夕方になって初めて空が晴れました。風が強く吹いておりましたが、大江も遠い所からようやく穏やかになってきたようです。

口に出して謂うものではないことはお互いわかっていることなので、私の今の気持ちについてお察しいただけるものと思って、ここに一筆したためる次第です。

 

(訳注)

次石頭驛寄江西王十中丞閣老

(召されて兗州より帰る際石頭駅を過り、江南西道洪州豫章郡刺史、王仲舒中丞に贈った詩。)

〔註:仲舒也。時為江南西道觀察使,愈自袁還朝作寄。〕 

○石頭驛 江南西道洪州豫章郡

○江西王十中丞閣老 仲舒、字は宏中、大原の人。穆宗の即位のとき召され中書舎人となり、出されて洪州刺史中丞江南西道観察使となる。この詩は、820  元和十五年  53の秋、韓愈が召されて兗州より帰る際石頭駅を過り王仲舒に贈った

 

憑高試迴首,一望豫章城。 

高い所に上り、試みに首を回らして、豫章郡城を眺めてみる。心は洗われて清々しい気分になる。

○豫章城 - 地点。
 

人由戀德泣,馬亦別群鳴。 

私は、君の仁徳を慕い、しかもこの度はお目にかかりたいと思っていた次第で、それはちょうど、馬がその群れを離れてしまって悲しい思いで鳴くような気持ちで居ります。

○由戀德泣 君の仁徳に慕うことでやっとなくことが出来るというものだ。

 

寒日夕始照,風江遠漸平。 

これまで、寒い日がつづき、終日雲に覆われておりましたが、夕方になって初めて空が晴れました。風が強く吹いておりましたが、大江も遠い所からようやく穏やかになってきたようです。

○この二句は韓愈のここ最近のおおかれている立場、状況を比喩しているもので、口に出して言えないが推察してくださいというものである。実際には会って話をしたかもしれないが会ってないということにしたのではなかろうか。

 

默然都不語,應識此時情。 

口に出して謂うものではないことはお互いわかっていることなので、私の今の気持ちについてお察しいただけるものと思って、ここに一筆したためる次第です。
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《除官赴闕至江州寄鄂岳李大夫〔李程也。元和十五年,自袁州詔拜國子祭酒,行次盆城作。〕》韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <967>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3819韓愈詩-260-#3

韓愈《除官赴闕至江州寄鄂岳李大夫》 たとえば親身の骨肉のものであっても、とにかく互いに可否し合うということがあるものだ。それに加えて我々は、生来愚鈍であって、人並みに顔色を和らげ、言葉を低くして、調子を合わせることが出来なかったからこのような関係になってしまったのだ。子犯も行き届かなかったのは、私でさえ知っているといった通りで、私が不束なものであることは十分承知している。ということで、貴公におかれても枉げて(つとめて)、私の過失を許してもらいたいと思う次第で、私もすっかり、事を改めて、交誼を全うしたいと思うところであるので、貴公にこれまでのことを忘れてもらいたいのだ。


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《除官赴闕至江州寄鄂岳李大夫〔李程也。元和十五年,自袁州詔拜國子祭酒,行次盆城作。〕》韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <967  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3819韓愈詩-260-#3

 

 

作時年:  820  元和十五年  53

卷別: 卷三四一  文體: 五言古詩 

詩題: 除官赴闕至江州寄鄂岳李大夫〔李程也。元和十五年,自袁州詔拜國子祭酒,行次盆城作。〕 

作地點: 潯陽(江南西道 / 江州 / 潯陽

及地點:  江州 (江南西道 江州 江州)     

鄂州 (江南西道 鄂州 鄂州) 別名:江夏     

岳州 (江南西道 岳州 岳州) 別名:沅湘     

湓城 (江南西道 江州 潯陽) 別名:盆城     

交遊人物: 李程

 

除官赴闕至江州寄鄂岳李大夫 #1

(兗州の刺史を除官して新らしく國子祭酒を拝するために長安に向かう際江州に至って鄂岳刺史観察使の李程にこの詩を寄せる)

盆城去鄂渚,風便一日耳。 

盆城といわれている江州は江夏の鄂渚の港から風の都合がよければ一日という極めて便利なところにある。

不枉故人書,無因帆江水。 

ちょっと寄り道にはなるけれど、我が旧友から前もって書簡を寄せられていなかったならば、舟に帆をかけて江水を渡ることなくそのまま行き過ぎたことだろう。

故人辭禮闈,旌節鎮江圻。 

我が友、李程は近頃、朝廷の禮部省より出でて、旌節を賜って六月鄂岳刺史観察使となり、この江辺の要地を鎮撫することになり、まことに目覚ましい立身である。

而我竄逐者,龍鐘初得歸。 

それに引き換え、わたしは、竄逐の身の上で、龍鐘として、老いさらばえてしまい、この度やっとの思いで召し返されることとなった次第で、その相反することはまことに甚だしいものである。

#2

別來已三望望長迢遞。 

君と別れてからもう三年になるが潮州から兗州と遠方にいた時分これを臨んでいても道程遠く隔てていたのである。

咫尺不相聞,平生那可計。 

こうして今、咫尺の地を通りかかってお目見聞できなかったならば平生の有様を話し合うこともできなかったのである。

我齒落且盡,君鬢白幾何。 

さて、会ってみると、君と私は昇進するひとと、罪貶などといろいろ違った環境ではあるが、わたしはは娥だんだん抜けてまさにことごとく抜け落ち、君はというと鬢の白髪が幾分目立つようになった。

年皆過半百,來日苦無多。 

お互いに年齢は五十を過ぎて、今後、来るべき日数は少なく、寿命がもう長くなくなって心細い感じなのである。

少年樂新知,衰暮思故友。 

青年のころというのは、新たに知り合った人を楽しみにするものであるが、こうした老年になれば、昔馴染みの友人を慕わしく思うのが人情で、君との旧懐の念に堪えないのがしごく当たり前のことであった。

#3

譬如親骨肉,寧免相可不。 

たとえば親身の骨肉のものであっても、とにかく互いに可否し合うということがあるものだ。

我昔實愚蠢,不能降色辭。 

それに加えて我々は、生来愚鈍であって、人並みに顔色を和らげ、言葉を低くして、調子を合わせることが出来なかったからこのような関係になってしまったのだ。

子犯亦有言,臣猶自知之。 

子犯も行き届かなかったのは、私でさえ知っているといった通りで、私が不束なものであることは十分承知している。

公其務貰過,我亦請改事。 

ということで、貴公におかれても枉げて(つとめて)、私の過失を許してもらいたいと思う次第で、私もすっかり、事を改めて、交誼を全うしたいと思うところであるので、貴公にこれまでのことを忘れてもらいたいのだ。

儻可收,願寄相思字。 

例えば、功を桑楡に収めてくれるようにしてくれて、今後もなお更のご厚情を下し賜るならば、どうか時々、相思の書簡詩文の「文字」をもって私に寄せられたいものである。

 

官を除せられて闕に赴むいて江州に至り 鄂岳 李大夫に寄す #1

盆城は、鄂渚を去る,風便 一日 のみ。 

故人の書を枉げざれば,江水に帆する因無し。 

故人 禮闈【れいい】を辭し,旌節 江圻【こうさ】を鎮す。 

而【しか】も我 竄逐【ざんちく】の者,龍鐘【りょうしょう】初めて歸るを得たり。 

#2

別來 已に三望望として長く迢遞【ちょうてい】たり。 

咫尺 相い聞かざれば,平生 那んぞ計る可き。 

我が齒 落ち且つ盡き,君の鬢 白きこと幾何ぞ。 

年 皆 半ば百を過ぎ,來日 苦だ多き無し。 

少年には 新知を樂しみ,衰暮には 故友を思う。 

#3

譬【たと】えば親骨 肉の如きも,寧ろ相い可不するをれんや。 

我 昔 實に愚蠢【ぐとう】にして,色辭【しょくじ】を降す能わず。 

子犯【しはん】も亦た言える有り,臣 猶お自ら之を知る。 

公 其れ務めて過【あやま】ちを貰【ゆる】せ,我も亦た請う事を改めん。 

 【も】し收む可くんば,願わくば相思の字を寄せよ。  

楸001 

 

『除官赴闕至江州寄鄂岳李大夫』 現代語訳と訳註

(本文) #3

譬如親骨肉,寧免相可不。 

我昔實愚蠢,不能降色辭。 

子犯亦有言,臣猶自知之。 

公其務貰過,我亦請改事。 

儻可收,願寄相思字。 

 

(下し文)#3

譬【たと】えば親骨 肉の如きも,寧ろ相い可不するをれんや。 

我 昔 實に愚蠢【ぐとう】にして,色辭【しょくじ】を降す能わず。 

子犯【しはん】も亦た言える有り,臣 猶お自ら之を知る。 

公 其れ務めて過【あやま】ちを貰【ゆる】せ,我も亦た請う事を改めん。 

 儻【も】し收む可くんば,願わくば相思の字を寄せよ。

 

(現代語訳)

たとえば親身の骨肉のものであっても、とにかく互いに可否し合うということがあるものだ。

それに加えて我々は、生来愚鈍であって、人並みに顔色を和らげ、言葉を低くして、調子を合わせることが出来なかったからこのような関係になってしまったのだ。

子犯も行き届かなかったのは、私でさえ知っているといった通りで、私が不束なものであることは十分承知している。

ということで、貴公におかれても枉げて(つとめて)、私の過失を許してもらいたいと思う次第で、私もすっかり、事を改めて、交誼を全うしたいと思うところであるので、貴公にこれまでのことを忘れてもらいたいのだ。

例えば、功を桑楡に収めてくれるようにしてくれて、今後もなお更のご厚情を下し賜るならば、どうか時々、相思の書簡詩文の「文字」をもって私に寄せられたいものである。

泰山の夕日 

(訳注) #3

譬如親骨肉,寧免相可不。 

たとえば親身の骨肉のものであっても、とにかく互いに可否し合うということがあるものだ。

相可不 互いに可否し合う。

 

我昔實愚蠢,不能降色辭。 

それに加えて我々は、生来愚鈍であって、人並みに顔色を和らげ、言葉を低くして、調子を合わせることが出来なかったからこのような関係になってしまったのだ。

實愚蠢 生来愚鈍であること。実際には、具屯な虫けらほどの者であること。へりくだった言い方。

降色辭 人並みに顔色を和らげ、言葉を低くして、調子を合わせること。

 

子犯亦有言,臣猶自知之。 

子犯も行き届かなかったのは、私でさえ知っているといった通りで、私が不束なものであることは十分承知している。

子犯 中国春秋時代の晋の政治家狐偃(こえん)のこと。字は子犯。舅犯、または咎犯(どちらもきゅうはんと読む)と呼ばれる。狐偃は文公の覇業を大いにたすけた。周の襄王が叔帯の乱を避けて鄭に亡命し、諸侯にたすけを求めたが、権威の低下した周王室をあえてたすけようとする諸侯はいなかった。 狐偃は「君は王をたすけて民に義を示すべきです」と文公に進言したので、文公は兵を率いて王室の乱を平定した。

この功により晋は王室から温・原などの中央に近い地を賜り、これがのちの晋の大発展の礎となった。また、諸侯に先駆けて王室をたすけて義を示したことにより、晋の文公の名は天下に轟いた。

 

公其務貰過,我亦請改事。 

ということで、貴公におかれても枉げて(つとめて)、私の過失を許してもらいたいと思う次第で、私もすっかり、事を改めて、交誼を全うしたいと思うところであるので、貴公にこれまでのことを忘れてもらいたいのだ。

務貰過 ・務:枉げて~、つとめて~。・貰過:過失を許してもらう。

請改事 事を改めて、交誼を全うしたいと思うところであるので、貴公にこれまでのことを忘れてもらいたい。

 

儻可收,願寄相思字。 

例えば、功を桑楡に収めてくれるようにしてくれて、今後もなお更のご厚情を下し賜るならば、どうか時々、相思の書簡詩文の「文字」をもって私に寄せられたいものである。

桑楡に収める。桑は東の畑に植え、楡の木の間に日が堕ちる。毎日コツコツと仕事に精を出す人生に喩える。1日の後半(午後遅く日が落ちてから夜まで)夕方 逢魔が時 暮相 夕景・黄昏をいう。

相思・長相思 綿の縁語。綿綿と長く続く意をとる。

『古詩十九首之第十八首』

客從遠方來,遺我一端綺。

相去萬餘里,故人心尚爾。

文彩雙鴛鴦,裁為合歡被。

著以長相思,緣以結不解。

以膠投漆中,誰能別離此?

古詩十九首之十八 漢の無名氏(18) 漢詩<106>Ⅱ李白に影響を与えた詩540 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1437

 蘇伯玉妻『盤中詩』

北上堂,西入階。急機絞,杼聲催。

長嘆息,當語誰。

君有行,妾念之。出有日,還無期。

結巾帶,長相思。君忘妾,未知之。

妾忘君,罪當治。妾有行,宜知之。

盤中詩 蘇伯玉妻 漢詩<141-#2>古詩源 巻二 女性詩579 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1554
云亭 

《除官赴闕至江州寄鄂岳李大夫〔李程也。元和十五年,自袁州詔拜國子祭酒,行次盆城作。〕》韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <966>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3814韓愈詩-260-#2

韓愈《除官赴闕至江州寄鄂岳李大夫》君と別れてからもう三年になるが潮州から兗州と遠方にいた時分これを臨んでいても道程遠く隔てていたのである。こうして今、咫尺の地を通りかかってお目見聞できなかったならば平生の有様を話し合うこともできなかったのである。さて、会ってみると、君と私は昇進するひとと、罪貶などといろいろ違った環境ではあるが、わたしはは娥だんだん抜けてまさにことごとく抜け落ち、君はというと鬢の白髪が幾分目立つようになった。


2014年2月27日の紀頌之5つのブログ
●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場
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作時年:  820  元和十五年  53

卷別: 卷三四一  文體: 五言古詩 

詩題: 除官赴闕至江州寄鄂岳李大夫〔李程也。元和十五年,自袁州詔拜國子祭酒,行次盆城作。〕 

作地點: 潯陽(江南西道 / 江州 / 潯陽

及地點:  江州 (江南西道 江州 江州)     

鄂州 (江南西道 鄂州 鄂州) 別名:江夏     

岳州 (江南西道 岳州 岳州) 別名:沅湘     

湓城 (江南西道 江州 潯陽) 別名:盆城     

交遊人物: 李程

 

除官赴闕至江州寄鄂岳李大夫 #1

(兗州の刺史を除官して新らしく國子祭酒を拝するために長安に向かう際江州に至って鄂岳刺史観察使の李程にこの詩を寄せる)

盆城去鄂渚,風便一日耳。 

盆城といわれている江州は江夏の鄂渚の港から風の都合がよければ一日という極めて便利なところにある。

不枉故人書,無因帆江水。 

ちょっと寄り道にはなるけれど、我が旧友から前もって書簡を寄せられていなかったならば、舟に帆をかけて江水を渡ることなくそのまま行き過ぎたことだろう。

故人辭禮闈,旌節鎮江圻。 

我が友、李程は近頃、朝廷の禮部省より出でて、旌節を賜って六月鄂岳刺史観察使となり、この江辺の要地を鎮撫することになり、まことに目覚ましい立身である。

而我竄逐者,龍鐘初得歸。 

それに引き換え、わたしは、竄逐の身の上で、龍鐘として、老いさらばえてしまい、この度やっとの思いで召し返されることとなった次第で、その相反することはまことに甚だしいものである。

#2

別來已三望望長迢遞。 

君と別れてからもう三年になるが潮州から兗州と遠方にいた時分これを臨んでいても道程遠く隔てていたのである。

咫尺不相聞,平生那可計。 

こうして今、咫尺の地を通りかかってお目見聞できなかったならば平生の有様を話し合うこともできなかったのである。

我齒落且盡,君鬢白幾何。 

さて、会ってみると、君と私は昇進するひとと、罪貶などといろいろ違った環境ではあるが、わたしはは娥だんだん抜けてまさにことごとく抜け落ち、君はというと鬢の白髪が幾分目立つようになった。

年皆過半百,來日苦無多。 

お互いに年齢は五十を過ぎて、今後、来るべき日数は少なく、寿命がもう長くなくなって心細い感じなのである。

少年樂新知,衰暮思故友。 

青年のころというのは、新たに知り合った人を楽しみにするものであるが、こうした老年になれば、昔馴染みの友人を慕わしく思うのが人情で、君との旧懐の念に堪えないのがしごく当たり前のことであった。

詩人李白5x5#3

譬如親骨肉,寧免相可不。 

我昔實愚蠢,不能降色辭。 

子犯亦有言,臣猶自知之。 

公其務貰過,我亦請改事。 

儻可收,願寄相思字。 

 

官を除せられて闕に赴むいて江州に至り 鄂岳 李大夫に寄す #1

盆城は、鄂渚を去る,風便 一日 のみ。 

故人の書を枉げざれば,江水に帆する因無し。 

故人 禮闈【れいい】を辭し,旌節 江圻【こうさ】を鎮す。 

而【しか】も我 竄逐【ざんちく】の者,龍鐘【りょうしょう】初めて歸るを得たり。 

#2

別來 已に三望望として長く迢遞【ちょうてい】たり。 

咫尺 相い聞かざれば,平生 那んぞ計る可き。 

我が齒 落ち且つ盡き,君の鬢 白きこと幾何ぞ。 

年 皆 半ば百を過ぎ,來日 苦だ多き無し。 

少年には 新知を樂しみ,衰暮には 故友を思う。 

#3

譬【たと】えば親骨 肉の如きも,寧ろ相い可不するをれんや。 

我 昔 實に愚蠢【ぐとう】にして,色辭【しょくじ】を降す能わず。 

子犯【しはん】も亦た言える有り,臣 猶お自ら之を知る。 

公 其れ務めて過【あやま】ちを貰【ゆる】せ,我も亦た請う事を改めん。 

 【も】し收む可くんば,願わくば相思の字を寄せよ。 

洞庭湖鄂州02 

 

『除官赴闕至江州寄鄂岳李大夫』 現代語訳と訳註

(本文) ##2

別來已三,望望長迢遞。 

咫尺不相聞,平生那可計。 

我齒落且盡,君鬢白幾何。 

年皆過半百,來日苦無多。 

少年樂新知,衰暮思故友。 

 

(下し文)

別來 已に三,望望として長く迢遞【ちょうてい】たり。 

咫尺 相い聞かざれば,平生 那んぞ計る可き。 

我が齒 落ち且つ盡き,君の鬢 白きこと幾何ぞ。 

年 皆 半ば百を過ぎ,來日 苦だ多き無し。 

少年には 新知を樂しみ,衰暮には 故友を思う。 

 

(現代語訳)

君と別れてからもう三年になるが潮州から兗州と遠方にいた時分これを臨んでいても道程遠く隔てていたのである。

こうして今、咫尺の地を通りかかってお目見聞できなかったならば平生の有様を話し合うこともできなかったのである。

さて、会ってみると、君と私は昇進するひとと、罪貶などといろいろ違った環境ではあるが、わたしはは娥だんだん抜けてまさにことごとく抜け落ち、君はというと鬢の白髪が幾分目立つようになった。

お互いに年齢は五十を過ぎて、今後、来るべき日数は少なく、寿命がもう長くなくなって心細い感じなのである。

青年のころというのは、新たに知り合った人を楽しみにするものであるが、こうした老年になれば、昔馴染みの友人を慕わしく思うのが人情で、君との旧懐の念に堪えないのがしごく当たり前のことであった。

韓愈の地図00 

(訳注) #2

別來已三望望長迢遞。 

君と別れてからもう三年になるが潮州から兗州と遠方にいた時分これを臨んでいても道程遠く隔てていたのである。

○已三 817年裴度の呉元濟討伐の行軍司馬となってから、819年「佛骨を論ずる表」で貶せらるまでの間、長安にいた。この詩が820年であるから三年であるから817年の交際で、この時言い争いをしている。

○望望 遠くから希望すること。

○長迢遞 道程遠く隔てていた

 

咫尺不相聞,平生那可計。 

こうして今、咫尺の地を通りかかってお目見聞できなかったならば平生の有様を話し合うこともできなかったのである。

○咫尺 1 距離が非常に近いこと。「―の間(かん)2 貴人の前近くに出て拝謁すること。

 

我齒落且盡,君鬢白幾何。 

さて、会ってみると、君と私は昇進するひとと、罪貶などといろいろ違った環境ではあるが、わたしはは娥だんだん抜けてまさにことごとく抜け落ち、君はというと鬢の白髪が幾分目立つようになった。

 

年皆過半百,來日苦無多。 

お互いに年齢は五十を過ぎて、今後、来るべき日数は少なく、寿命がもう長くなくなって心細い感じなのである。

○過半百 百歳は詩的表現で50を超えれば百ということ。

○來日苦無多 今度、来るべき日ははなはだ少ない。

 

少年樂新知,衰暮思故友。

青年のころというのは、新たに知り合った人を楽しみにするものであるが、こうした老年になれば、昔馴染みの友人を慕わしく思うのが人情で、君との旧懐の念に堪えないのがしごく当たり前のことであった。

樂新知 楚辞九歌「樂莫樂兮新相知」とある。

《除官赴闕至江州寄鄂岳李大夫〔李程也。元和十五年,自袁州詔拜國子祭酒,行次盆城作。〕》韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <965>漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3809韓愈詩-260

韓愈《除官赴闕至江州寄鄂岳李大夫〕》 盆城といわれている江州は江夏の鄂渚の港から風の都合がよければ一日という極めて便利なところにある。ちょっと寄り道にはなるけれど、我が旧友から前もって書簡を寄せられていなかったならば、舟に帆をかけて江水を渡ることなくそのまま行き過ぎたことだろう。


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《除官赴闕至江州寄鄂岳李大夫〔李程也。元和十五年,自袁州詔拜國子祭酒,行次盆城作。〕》韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <965>漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3809韓愈詩-260

 

 

作時年:  820  元和十五年  53

卷別: 卷三四一  文體: 五言古詩 

詩題: 除官赴闕至江州寄鄂岳李大夫〔李程也。元和十五年,自袁州詔拜國子祭酒,行次盆城作。〕 

作地點: 潯陽(江南西道 / 江州 / 潯陽

及地點:  江州 (江南西道 江州 江州)     

鄂州 (江南西道 鄂州 鄂州) 別名:江夏     

岳州 (江南西道 岳州 岳州) 別名:沅湘     

湓城 (江南西道 江州 潯陽) 別名:盆城     

交遊人物: 李程

 

除官赴闕至江州寄鄂岳李大夫 #1

盆城去鄂渚,風便一日耳。 

不枉故人書,無因帆江水。 

故人辭禮闈,旌節鎮江圻。 

而我竄逐者,龍鐘初得歸。 

(兗州の刺史を除官して新らしく國子祭酒を拝するために長安に向かう際江州に至って鄂岳刺史観察使の李程にこの詩を寄せる)

盆城といわれている江州は江夏の鄂渚の港から風の都合がよければ一日という極めて便利なところにある。

ちょっと寄り道にはなるけれど、我が旧友から前もって書簡を寄せられていなかったならば、舟に帆をかけて江水を渡ることなくそのまま行き過ぎたことだろう。

我が友、李程は近頃、朝廷の禮部省より出でて、旌節を賜って六月鄂岳刺史観察使となり、この江辺の要地を鎮撫することになり、まことに目覚ましい立身である。

それに引き換え、わたしは、竄逐の身の上で、龍鐘として、老いさらばえてしまい、この度やっとの思いで召し返されることとなった次第で、その相反することはまことに甚だしいものである。

#2

別來已三望望長迢遞。 

咫尺不相聞,平生那可計。 

我齒落且盡,君鬢白幾何。 

年皆過半百,來日苦無多。 

少年樂新知,衰暮思故友。 

#3

譬如親骨肉,寧免相可不。 

我昔實愚蠢,不能降色辭。 

子犯亦有言,臣猶自知之。 

公其務貰過,我亦請改事。 

儻可收,願寄相思字。 

 

官を除せられて闕に赴むいて江州に至り 鄂岳 李大夫に寄す #1

盆城は、鄂渚を去る,風便 一日 のみ。 

故人の書を枉げざれば,江水に帆する因無し。 

故人 禮闈【れいい】を辭し,旌節 江圻【こうさ】を鎮す。 

而【しか】も我 竄逐【ざんちく】の者,龍鐘【りょうしょう】初めて歸るを得たり。 

#2

別來 已に三望望として長く迢遞【ちょうてい】たり。 

咫尺 相い聞かざれば,平生 那んぞ計る可き。 

我が齒 落ち且つ盡き,君の鬢 白きこと幾何ぞ。 

年 皆 半ば百を過ぎ,來日 苦だ多き無し。 

少年には 新知を樂しみ,衰暮には 故友を思う。 

#3

譬【たと】えば親骨 肉の如きも,寧ろ相い可不するをれんや。 

我 昔 實に愚蠢【ぐとう】にして,色辭【しょくじ】を降す能わず。 

子犯【しはん】も亦た言える有り,臣 猶お自ら之を知る。 

公 其れ務めて過【あやま】ちを貰【ゆる】せ,我も亦た請う事を改めん。 

 【も】し收む可くんば,願わくば相思の字を寄せよ。  

 嶺南道圖00

 

『除官赴闕至江州寄鄂岳李大夫』 現代語訳と訳註

(本文) #1

除官赴闕至江州寄鄂岳李大夫 #1

盆城去鄂渚,風便一日耳。 

不枉故人書,無因帆江水。 

故人辭禮闈,旌節鎮江圻。 

而我竄逐者,龍鐘初得歸。 

 

(下し文)

官を除せられて闕に赴むいて江州に至り 鄂岳 李大夫に寄す #1

盆城は、鄂渚を去る,風便 一日 のみ。 

故人の書を枉げざれば,江水に帆する因無し。 

故人 禮闈【れいい】を辭し,旌節 江圻【こうさ】を鎮す。 

而【しか】も我 竄逐【ざんちく】の者,龍鐘【りょうしょう】初めて歸るを得たり。 

 

(現代語訳)

(兗州の刺史を除官して新らしく國子祭酒を拝するために長安に向かう際江州に至って鄂岳刺史観察使の李程にこの詩を寄せる)

盆城といわれている江州は江夏の鄂渚の港から風の都合がよければ一日という極めて便利なところにある。

ちょっと寄り道にはなるけれど、我が旧友から前もって書簡を寄せられていなかったならば、舟に帆をかけて江水を渡ることなくそのまま行き過ぎたことだろう。

我が友、李程は近頃、朝廷の禮部省より出でて、旌節を賜って六月鄂岳刺史観察使となり、この江辺の要地を鎮撫することになり、まことに目覚ましい立身である。

それに引き換え、わたしは、竄逐の身の上で、龍鐘として、老いさらばえてしまい、この度やっとの思いで召し返されることとなった次第で、その相反することはまことに甚だしいものである。

洞庭湖鄂州02 

 

(訳注)

除官赴闕至江州寄鄂岳李大夫 #1

(兗州の刺史を除官して新らしく國子祭酒を拝するために長安に向かう際江州に至って鄂岳刺史観察使の李程にこの詩を寄せる)

この詩は、821年元和十五年九月、韓愈が兗州から召し還されて、國子祭酒に拝せられようとした時、長安に帰るに江州に立ち寄って作ったものである。詩の内容から、李程があらかじめ、韓愈に書を送って、招いたので、韓愈は江州に立ち寄って会見しこの詩を贈った。

除官 故官を除去して新官に就くこと。

鄂岳李大夫 李程のこと。字は表臣。隴西の人。貞元十二年の進士。元和十三年四月禮部侍郎に拝し、六月鄂岳刺史観察使となる。

鄂岳大夫とは鄂岳観察使で「江南西道江州潯陽郡、鄂州江夏郡、岳州巴陵郡 、岳州沅湘郡 」『唐書地理誌』に属すとある。    

    

盆城去鄂渚,風便一日耳。 

盆城といわれている江州は江夏の鄂渚の港から風の都合がよければ一日という極めて便利なところにある。

盆城 湓城 (江南西道 江州 潯陽) 別名:盆城。 

鄂渚 現在の武漢。『楚辞』「九章、渉江」「乗鄂渚而反顧兮、欵秋冬之緒風。」(鄂渚に乗りて反顧すれば、ああ、秋冬の緒風なり。)

 

不枉故人書,無因帆江水。 

ちょっと寄り道にはなるけれど、我が旧友から前もって書簡を寄せられていなかったならば、舟に帆をかけて江水を渡ることなくそのまま行き過ぎたことだろう。

不枉 ちょっと寄り道にはなるけれど

故人書 我が旧友から前もって書簡を寄せられていなかったならば

 

故人辭禮闈,旌節鎮江圻。 

我が友、李程は近頃、朝廷の禮部省より出でて、旌節を賜って六月鄂岳刺史観察使となり、この江辺の要地を鎮撫することになり、まことに目覚ましい立身である。

禮闈 禮部侍郎に拝し、六月鄂岳刺史観察使となる

旌節 旌節を賜ったこと。

江圻 江辺の要地。江南西道江州潯陽郡、鄂州江夏郡、岳州巴陵郡 、岳州沅湘郡。

 

而我竄逐者,龍鐘初得歸。 

それに引き換え、わたしは、竄逐の身の上で、龍鐘として、老いさらばえてしまい、この度やっとの思いで召し返されることとなった次第で、その相反することはまことに甚だしいものである。

竄逐者 罪を得て、潮州に貶められ、兗州に量移されたもので、この度朝廷にやっと召されて戻ることになったということを自嘲気味にいったもの。

龍鐘初得歸 龍鐘として、老いさらばえてしまい、この度やっとの思いで召し返されることとなった次第で、その相反することはまことに甚だしいものである。

《題秀禪師房》韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <964>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3804韓愈詩-259

韓愈《題秀禪師房》 両岸には、松が生い茂り、その間には橋が架かっていてその長さは百歩行くだけの長さのものである。それを渡り尽くすと秀禪師の僧房で竹牀 莞席が用意してある。そこでしばらくの間、肘を枕に寝そべってみて、それから、起き上がって、今度は、釣り竿を手にして、魚が最も釣れそうな砂浜に降りて行くのである。


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張平子(張衡)《西京賦》(14) #5-2 文選 賦<114―(14)>31分割68回 Ⅱ李白に影響を与えた詩1051 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3803
●唐を代表する中唐の韓愈の儒家としての考えのよくわかる代表作の一つ
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《題秀禪師房》韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <964>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3804韓愈詩-259
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《題秀禪師房》韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <964  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3804韓愈詩-259

 

 

作時年:  820  元和十五年  53

卷別: 卷三四四  文體: 七言 

詩題: 題秀禪師房 

作地點: 目前尚無資料 

交遊人物: 秀禪師

 

 

題秀禪師房

(秀禪師は、宣渓付近に房を構えていて、そこに訪問したもので、そこの壁に題したものである。)

橋夾水松行百步,竹床莞席到僧家。 

両岸には、松が生い茂り、その間には橋が架かっていてその長さは百歩行くだけの長さのものである。それを渡り尽くすと秀禪師の僧房で竹牀 莞席が用意してある。

暫拳一手支頭臥,還把魚竿下釣沙。 

そこでしばらくの間、肘を枕に寝そべってみて、それから、起き上がって、今度は、釣り竿を手にして、魚が最も釣れそうな砂浜に降りて行くのである。

 

秀禪師の房に題す

橋は水松を夾【あわ】せて行くこと百步,竹床 莞席【かんせき】僧家に到る。 

暫く一手を拳げて頭を支えて臥し,還た 魚竿を把って釣沙に下る。

韓愈の地図00 

 

『題秀禪師房』 現代語訳と訳註

(本文)

題秀禪師房

橋夾水松行百步,竹床莞席到僧家。 

暫拳一手支頭臥,還把魚竿下釣沙。 

 

(下し文)

秀禪師の房に題す

橋は水松を夾【あわ】せて行くこと百步,竹床 莞席【かんせき】僧家に到る。 

暫く一手を拳げて頭を支えて臥し,還た 魚竿を把って釣沙に下る。

 

(現代語訳)

(秀禪師は、宣渓付近に房を構えていて、そこに訪問したもので、そこの壁に題したものである。)

両岸には、松が生い茂り、その間には橋が架かっていてその長さは百歩行くだけの長さのものである。それを渡り尽くすと秀禪師の僧房で竹牀 莞席が用意してある。

そこでしばらくの間、肘を枕に寝そべってみて、それから、起き上がって、今度は、釣り竿を手にして、魚が最も釣れそうな砂浜に降りて行くのである。

 泰山の夕日

(訳注)

題秀禪師房

(秀禪師は、宣渓付近に房を構えていて、そこに訪問したもので、そこの壁に題したものである。)

韓愈が潮州に貶められ量移されて、兗州に向かう際に作ったもの。量移とは、唐代に遠方に貶せられ、許されて近い地へ転任させられることをいう。

 

橋夾 水松 百步 ,竹牀 莞席 僧家

両岸には、松が生い茂り、その間には橋が架かっていてその長さは百歩行くだけの長さのものである。それを渡り尽くすと秀禪師の僧房で竹牀 莞席が用意してある。

「竹牀」竹で作ったベッド。

「莞席」器物、生活用品、起居用品、席。

 

暫拳 一手 支頭臥 ,還把 魚竿 下釣

そこでしばらくの間、肘を枕に寝そべってみて、それから、起き上がって、今度は、釣り竿を手にして、魚が最も釣れそうな砂浜に降りて行くのである。
2潮州広東00 

《將至韶州,先寄張端公使君借圖經〔將入韶州,先寄張端公使君借圖經〕》韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <963>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3799韓愈詩-258

韓愈《將至韶州,先寄張端公使君借圖經》韶州の曲江の山水を見るにつけ聞くにつけ、十分満足するものであるとするものだが、前もって名前を覚えておかないと、其の地を訪ねても一層難しいという心配があった。そこで、君からこの地の地図を拝借し、それを持って、韶州の界に入ろうを思う。


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《將至韶州,先寄張端公使君借圖經〔將入韶州,先寄張端公使君借圖經〕》韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <963  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3799韓愈詩-258

 

 

作時年:  820  元和十五年  53

卷別: 卷三四四  文體: 七言 

詩題: 將至韶州,先寄張端公使君借圖經〔將入韶州,先寄張端公使君借圖經〕 

及地點:  韶州 (嶺南道東部 韶州 韶州) 別名:東     

曲江 (嶺南道東部 韶州 曲江)     

交遊人物/地點: 張蒙 書信往來(嶺南道東部 韶州 韶州)

 

 

將至韶州,先寄張端公使君借圖經〔將入韶州,先寄張端公使君借圖經〕

(韶州に到ろうとするので、まず、刺史の張曙に寄せて、地図を借りようとこの詩を作った)

曲江山水聞來久,恐不知名訪倍難。 

韶州の曲江の山水を見るにつけ聞くにつけ、十分満足するものであるとするものだが、前もって名前を覚えておかないと、其の地を訪ねても一層難しいという心配があった。

願借圖經將入界,每逢佳處便開看。 

そこで、君からこの地の地図を拝借し、それを持って、韶州の界に入ろうを思う。その道すがら、素晴らしい景色を訪れて、そのたびごとに、その地図を開きさえすれば、すぐに名前がわかって、せっかくの名所を見落とさなくて済むことであろう。

 

(將に韶州に至らむとし,先づ張端公使君に寄せて圖經を借る〔將に韶州に入らむとし,先づ張端公使君に寄せて圖經を借る〕)

曲江の山水 聞き來ること久し,恐らくは名を知らず 訪うこと倍【ますま】す難からんことを 

願わくば圖經を借りて將に界に入らむとし,佳處に逢う每に便を開いて看ん。 

浮桟橋00 

 

『將至韶州,先寄張端公使君借圖經』 現代語訳と訳註

(本文)

將至韶州,先寄張端公使君借圖經〔將入韶州,先寄張端公使君借圖經〕

曲江山水聞來久,恐不知名訪倍難。 

願借圖經將入界,每逢佳處便開看。 

 

(下し文)

(將に韶州に至らむとし,先づ張端公使君に寄せて圖經を借る〔將に韶州に入らむとし,先づ張端公使君に寄せて圖經を借る〕)

曲江の山水 聞き來ること久し,恐らくは名を知らず 訪うこと倍【ますま】す難からんことを 

願わくば圖經を借りて將に界に入らむとし,佳處に逢う每に便を開いて看ん。 

 

(現代語訳)

(韶州に到ろうとするので、まず、刺史の張曙に寄せて、地図を借りようとこの詩を作った)

韶州の曲江の山水を見るにつけ聞くにつけ、十分満足するものであるとするものだが、前もって名前を覚えておかないと、其の地を訪ねても一層難しいという心配があった。

そこで、君からこの地の地図を拝借し、それを持って、韶州の界に入ろうを思う。その道すがら、素晴らしい景色を訪れて、そのたびごとに、その地図を開きさえすれば、すぐに名前がわかって、せっかくの名所を見落とさなくて済むことであろう。

sas0002 

(訳注)

將至韶州,先寄張端公使君借圖經〔將入韶州,先寄張端公使君借圖經〕

(韶州に到ろうとするので、まず、刺史の張曙に寄せて、地図を借りようとこの詩を作った)

韶州に至る際に韶州刺史張曙に地図を借りようとしてこの詩を作った。韓愈はこの地図を借りたので韶州に入り、宣渓に宿泊し、駅路は韶州ではないところを通ったために、張曙似合わずに行くため、刺史から書を寄せられた。

 

曲江山水聞來久,恐不知名訪倍難。 

韶州の曲江の山水を見るにつけ聞くにつけ、十分満足するものであるとするものだが、前もって名前を覚えておかないと、其の地を訪ねても一層難しいという心配があった。

曲江 韶州の曲江(23

 

願借圖經將入界,每逢佳處便開看。 

そこで、君からこの地の地図を拝借し、それを持って、韶州の界に入ろうを思う。その道すがら、素晴らしい景色を訪れて、そのたびごとに、その地図を開きさえすれば、すぐに名前がわかって、せっかくの名所を見落とさなくて済むことであろう。
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《從潮州量移袁州,張韶州端公以詩相賀,因酬之〔時憲宗元和十四年十月。〕》韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <962>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3794韓愈詩-257

韓愈《從潮州量移袁州,張韶州端公以詩相賀,因酬之》北の方を望み見て長安の方に向かうということで、塞上に向かう雁に随って一緒に行けばよいということだがそうもいくまい。わずかの間とはいえ南の地に左遷されたのではあるが、兗州はよい所で、わずかに江魚の腹中に葬られるということを免れたということかもしれない。


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為焦仲卿妻作 序 漢詩<143>古詩源 巻三 女性詩http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67729401.html
於凊河見輓船士新婚別妻一首 曹丕(魏文帝) 魏詩http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67759129.html
朔風 (一章) 曹植 魏詩<25-#1>文選雑詩 上 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67780868.html
謝靈運詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/1901_shareiun000.html 謝靈運詩六朝期の山水詩人。この人の詩は上品ですがすがしい男性的な深みのある詩である。後世に多大な影響を残している。
謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。
登永嘉緑嶂山詩 #1 謝霊運 <20> 詩集 386ーhttp://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67474554.html
登池上樓 #1 謝霊運<25>#1  ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67502196.html
孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。
李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html 
李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首
魚玄機 詩 全首130回賦得江邊柳 魚玄機  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-65-1-#五言律詩  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1876
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《從潮州量移袁州,張韶州端公以詩相賀,因酬之〔時憲宗元和十四年十月。〕》韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <962  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3794韓愈詩-257

 

 

作時年:819年 元和十四年 52

卷別:    卷三四四              文體:  七言律詩

詩題:    從潮州量移袁州,張韶州端公以詩相賀,因酬之〔時憲宗元和十四年十月。〕

潮州 (嶺南道東部 潮州 潮州)            

袁州 (江南西道 袁州 袁州) 別名:宜春          

韶州 (嶺南道東部 韶州 韶州) 別名:東       

韶石 (嶺南道東部 韶州 曲江)            

交遊人物/:張蒙  

 

 

從潮州量移袁州,張韶州端公以詩相賀,因酬之

(韓愈が兗州に量移されることの命を受けた時、さっそく韶州において会いたいと張曙に書簡を送って、韶州刺史張曙から慶賀の詩をよこされた。そしてそれに酬ゆるためにしてこの詩を作った。)

〔時憲宗元和十四年十月。〕

〔元和十四十月に兗州に遷って元和十五年正月に兗州に着く際のことである。〕
明時遠逐事何如,遇赦移官罪未除。

この清明なこの世おける朝廷によって、遠地に左遷されたのはよくよくのことで今日恩赦によって兗州に量移されたもののその日承けた罪科がすべて取りのけられたものではないということだ。

北望詎令隨塞雁,南遷纔免葬江魚。

北の方を望み見て長安の方に向かうということで、塞上に向かう雁に随って一緒に行けばよいということだがそうもいくまい。わずかの間とはいえ南の地に左遷されたのではあるが、兗州はよい所で、わずかに江魚の腹中に葬られるということを免れたということかもしれない。

將經貴郡煩留客,先惠高文謝起予。

やがて出発したなら、君郡を通過することは間違いなく、ずいぶんお世話になることとなるであろうとは思うものの、その前に貴君からの慶事の書簡を寄せられ、私の気持ちを私の詩を作ろうとする気を引き起こしてくれたこと、感謝に堪えません。

暫欲繫船韶石下,上賓虞舜整冠裾。

もう少しすれば貴郡の韶州の「韶石」というところに船を繋留して名だたる方々、それは五帝の虞・舜の廟に参詣するために衣冠を整えて上陸致すので、其の地にご案内いただければありがたいのです。

 

(從潮州袁州に量移さる,張韶州端公詩を以て相い賀す,因って之に酬ゆ)〔時に憲宗元和十四年十月なり。〕

明時【めいじ】遠逐【えんちく】事 何如【いかん】,遇赦移官罪未除。

北望 詎ぞ塞雁【さいがん】に隨わしめむ,南遷 纔【わずか】に江魚に葬むるを免る。

將に貴郡をて客を留むるを煩わさんとし,先ず高文を惠んで予を起すを謝す。

暫らく船を韶石の下に繫んとし,虞舜に上賓して冠裾を整えんと欲す。

2潮州広東00 

『從潮州量移袁州,張韶州端公以詩相賀,因酬之』現代語訳と訳註

(本文)

從潮州量移袁州,張韶州端公以詩相賀,因酬之〔時憲宗元和十四年十月。〕

明時遠逐事何如,遇赦移官罪未除。

北望詎令隨塞雁,南遷纔免葬江魚。

將經貴郡煩留客,先惠高文謝起予。

暫欲繫船韶石下,上賓虞舜整冠裾。

 

(下し文)

(從潮州袁州に量移さる,張韶州端公詩を以て相い賀す,因って之に酬ゆ)〔時に憲宗元和十四年十月なり。〕

明時【めいじ】遠逐【えんちく】事 何如【いかん】,遇赦移官罪未除。

北望 詎ぞ塞雁【さいがん】に隨わしめむ,南遷 纔【わずか】に江魚に葬むるを免る。

將に貴郡をて客を留むるを煩わさんとし,先ず高文を惠んで予を起すを謝す。

暫らく船を韶石の下に繫んとし,虞舜に上賓して冠裾を整えんと欲す。

 

(現代語訳)

(韓愈が兗州に量移されることの命を受けた時、さっそく韶州において会いたいと張曙に書簡を送って、韶州刺史張曙から慶賀の詩をよこされた。そしてそれに酬ゆるためにしてこの詩を作った。)

この清明なこの世おける朝廷によって、遠地に左遷されたのはよくよくのことで今日恩赦によって兗州に量移されたもののその日承けた罪科がすべて取りのけられたものではないということだ。

北の方を望み見て長安の方に向かうということで、塞上に向かう雁に随って一緒に行けばよいということだがそうもいくまい。わずかの間とはいえ南の地に左遷されたのではあるが、兗州はよい所で、わずかに江魚の腹中に葬られるということを免れたということかもしれない。

やがて出発したなら、君郡を通過することは間違いなく、ずいぶんお世話になることとなるであろうとは思うものの、その前に貴君からの慶事の書簡を寄せられ、私の気持ちを私の詩を作ろうとする気を引き起こしてくれたこと、感謝に堪えません。

もう少しすれば貴郡の韶州の「韶石」というところに船を繋留して名だたる方々、それは五帝の虞・舜の廟に参詣するために衣冠を整えて上陸致すので、其の地にご案内いただければありがたいのです。 

 泰山の夕日

(訳注)

從潮州量移袁州,張韶州端公以詩相賀,因酬之〔時憲宗元和十四年十月。〕

(韓愈が兗州に量移されることの命を受けた時、さっそく韶州において会いたいと張曙に書簡を送って、韶州刺史張曙から慶賀の詩をよこされた。そしてそれに酬ゆるためにしてこの詩を作った。)

 

明時 遠逐 何如,遇赦 移官 未除。

この清明なこの世おける朝廷によって、遠地に左遷されたのはよくよくのことで今日恩赦によって兗州に量移されたもののその日承けた罪科がすべて取りのけられたものではないということだ。

「明時」清明なこの世における朝廷。

「遠逐」遠地に左遷された。

「事何如」よくよくのことである。

「遇赦」今日たまたまうけた恩赦。

「移官罪」その日承けた罪科が量移によってすべて取りのけられたものではないということ。 

 

北望 詎令 塞雁 ,南遷 纔免葬 江魚

北の方を望み見て長安の方に向かうということで、塞上に向かう雁に随って一緒に行けばよいということだがそうもいくまい。わずかの間とはいえ南の地に左遷されたのではあるが、兗州はよい所で、わずかに江魚の腹中に葬られるということを免れたということかもしれない。

「北望」北の方を望み見て長安の方に向かうということ。

「塞雁」渡り鳥は北の塞の方に向かって飛んでいく。。

「南遷」南の地に左遷され。

「葬江魚」南方の魚の腹の中に葬り去られる。 

 

將經 貴郡 留客 ,先惠 高文 起予

やがて出発したなら、君郡を通過することは間違いなく、ずいぶんお世話になることとなるであろうとは思うものの、その前に貴君からの慶事の書簡を寄せられ、私の気持ちを私の詩を作ろうとする気を引き起こしてくれたこと、感謝に堪えません。

「經」君郡を通過することは間違いないこと。

「高文」貴君からの慶事の書簡を寄せられたこと。

「謝」語義類別:人、行為動作、言語動作、謝。

「起」私の気持ちを私の詩を作ろうとする気を引き起こしてくれたこと。 

 

暫欲 繫船 韶石 ,上賓 虞舜 冠裾

もう少しすれば貴郡の韶州の「韶石」というところに船を繋留して名だたる方々、それは五帝の虞・舜の廟に参詣するために衣冠を整えて上陸致すので、其の地にご案内いただければありがたいのです。

「暫」語義類別:時、時間、範圍時間(時刻)、暫時。

「繫船」語義類別:人、行為動作、一般行為(糸部)、繫。

「韶石」韶州を目標とするときの大岩。

「上賓」ここでは三皇五帝というほどの意味。。

「虞舜」三皇五帝の虞、舜。

「整冠裾」衣冠を整えて。かしこまって服装を整えること。
韓愈の地図01

《韶州留別張端公使君〔時憲宗元和十四年十月。〕》韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <961>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3789韓愈詩-256

韓愈《韶州留別張端公使君》君の文才は六朝後期の江總のように、久しく欽慕していたが、私自身のことは、虞翻と同じように骨相からして不運に遭うものとしてきまっていてしかたのないことと覚悟している。しかし、私は、功課を奏上され、やがて都に召し還されることもあろうから、ここに淹留して白蘋を詠じていることなどしているわけにはいかないのだ。


2014年2月22日 の紀頌之5つのブログ
●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場
Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
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張平子(張衡)《西京賦》(11)#4-2 文選 賦<114―(11)>31分割68回 Ⅱ李白に影響を与えた詩1048 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3788
●唐を代表する中唐の韓愈の儒家としての考えのよくわかる代表作の一つ
Ⅱ中唐詩・晩唐詩
 
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《韶州留別張端公使君〔時憲宗元和十四年十月。〕》韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <961>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3789韓愈詩-256
●杜甫の全作品1141首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"
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《韶州留別張端公使君〔時憲宗元和十四年十月。〕》韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <961  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3789韓愈詩-256

 

 

作時年:  820  元和十五年  53 

卷別: 卷三四四  文體: 七言律詩 

詩題: 韶州留別張端公使君〔時憲宗元和十四年十月。〕

作地點: 韶州(嶺南道東部 / 韶州 / 韶州

及地點: 韶州 (嶺南道東部 韶州 韶州) 別名:東     

交遊人物: 張曙(蒙) 當地交遊(嶺南道東部 韶州 韶州)

 

 

韶州留別張端公使君

(韓愈が潮州より兗州に量移されたことによって再び韶州を通過する際、張曙に面会し、その去る時に留別のために作って示したものである。)

〔時憲宗元和十四年十月。〕

〔元和十四十月に兗州に遷って元和十五年正月に兗州に着く際のことである。〕

來往再逢梅柳新,別離一醉綺羅春。

去年も、今年もこの韶州を通過し、そのどちらの時に梅柳が新芽を芽吹いた春の季節である。ことに、今回は、別離に際し、綺羅の筵において一酔することを得たことは感謝に堪えない。

久欽江總文才妙,自歎虞翻骨相屯。

君の文才は六朝後期の江總のように、久しく欽慕していたが、私自身のことは、虞翻と同じように骨相からして不運に遭うものとしてきまっていてしかたのないことと覚悟している。

鳴笛急吹爭落日,清歌緩送款行人。

今しも、別れの宴会の饗がたけなわになって、笛の音が急に鳴り、笛の音が堕ちこんでいくのも、落日と争うように思える。清歌の声はゆっくりと送って、旅ゆく人をとどめるものとしている。
已知奏課當徵拜,那復淹留詠白蘋。

しかし、私は、功課を奏上され、やがて都に召し還されることもあろうから、ここに淹留して白蘋を詠じていることなどしているわけにはいかないのだ。

 

韶州 張端公使君と留別す〔時 憲宗元和十四年十月なり。〕

來往 再び梅柳の新なるに逢う,別離 一たび綺羅の春に醉う。

久しく欽す 江總 文才の妙なるを,自ら歎ず 虞翻 骨相の屯なるを。

鳴笛 急に吹いて落日を爭い,清歌 緩く送って行人を款【とど】む。

已に知る 奏課の當【まさ】に徵拜【ちょうはい】すべきを,那ぞ復た淹留【えんりゅう】して白蘋を詠ぜん。

2潮州広東00


『韶州留別張端公使君』
〔時憲宗元和十四年十月。〕 現代語訳と訳註

(本文)

韶州留別張端公使君〔時憲宗元和十四年十月。〕

來往再逢梅柳新,別離一醉綺羅春。

久欽江總文才妙,自歎虞翻骨相屯。

鳴笛急吹爭落日,清歌緩送款行人。

已知奏課當徵拜,那復淹留詠白蘋。

 

(下し文)

韶州 張端公使君と留別す〔時 憲宗元和十四年十月なり。〕

來往 再び梅柳の新なるに逢う,別離 一たび綺羅の春に醉う。

久しく欽す 江總 文才の妙なるを,自ら歎ず 虞翻 骨相の屯なるを。

鳴笛 急に吹いて落日を爭い,清歌 緩く送って行人を款【とど】む。

已に知る 奏課の當【まさ】に徵拜【ちょうはい】すべきを,那ぞ復た淹留【えんりゅう】して白蘋を詠ぜん。

 

(現代語訳)

(韓愈が潮州より兗州に量移されたことによって再び韶州を通過する際、張曙に面会し、その去る時に留別のために作って示したものである。)

〔元和十四十月に兗州に遷って元和十五年正月に兗州に着く際のことである。〕

去年も、今年もこの韶州を通過し、そのどちらの時に梅柳が新芽を芽吹いた春の季節である。ことに、今回は、別離に際し、綺羅の筵において一酔することを得たことは感謝に堪えない。

君の文才は六朝後期の江總のように、久しく欽慕していたが、私自身のことは、虞翻と同じように骨相からして不運に遭うものとしてきまっていてしかたのないことと覚悟している。

今しも、別れの宴会の饗がたけなわになって、笛の音が急に鳴り、笛の音が堕ちこんでいくのも、落日と争うように思える。清歌の声はゆっくりと送って、旅ゆく人をとどめるものとしている。
しかし、私は、功課を奏上され、やがて都に召し還されることもあろうから、ここに淹留して白蘋を詠じていることなどしているわけにはいかないのだ。

 

(訳注)

韶州留別張端公使君

〔時憲宗元和十四年十月。〕

(韓愈が潮州より兗州に量移されたことによって再び韶州を通過する際、張曙に面会し、その去る時に留別のために作って示したものである。)

〔元和十四十月に兗州に遷って元和十五年正月に兗州に着く際のことである。〕

○張の名は曙 端公は、御史中丞、使君は刺史で、この時、韶州の刺史たる人であった。夏にも詩を唱和している。『晚次宣溪辱韶州張端公使君惠書敘別酬以句二章,二首之一』『同、二首之二』とある。

この詩は韓愈が潮州より兗州に量移されたことによって道を北に向い再び韶州を通過する。今度は、夏に唱和していた張曙に面会し、その去る時に留別のために作って示したものである。

toujidaimap 

來往 再逢 梅柳 ,別離 一醉 綺羅

去年も、今年もこの韶州を通過し、そのどちらの時に梅柳が新芽を芽吹いた春の季節である。ことに、今回は、別離に際し、綺羅の筵において一酔することを得たことは感謝に堪えない。

「來往」元和十四年一月「佛骨を論ずる表」を以て潮州に貶められ、三月に潮州に着いた。十月に兗州に遷って元和十五年正月兗州に着いた。韶州を往来上下している。

「梅柳新」意気も帰りも新春の梅柳の新たな芽吹きを見ている。

「綺羅」《「綺」は綾織りの絹布、「羅」は薄い絹布の意》1 美しい衣服。羅綺。「―をまとう」2 外見が華やかなこと。また、うわべを装い飾ること。「―を張る」「―を競う」3 栄華をきわめること。権勢の盛んなこと。

 

久欽 江總 文才 ,自歎 虞翻 相屯。

君の文才は六朝後期の江總のように、久しく欽慕していたが、私自身のことは、三国呉の虞翻と同じように骨相からして不運に遭うものとしてきまっていてしかたのないことと覚悟している。

「久」語義類別:時、時間、相對時間、久。

「欽」欽慕する。

「江總」南朝陳の公主、本名、江總。文華の人。江 総(こう そう、519 - 594年)は、中国南北朝時代、梁・陳の政治家・文学者。字は総持。済陽郡考城(現河南省)の人。南朝の名門貴族の家に生まれ、梁・陳の高官を歴任し、陳の後主の時代には尚書令(宰相)となるが、後主の宴席にはべり詩文を作るのみで政務に励まず、陳が北朝の隋に滅ぼされる原因を作った一人とされる。

なお初唐の三大家の一人、欧陽詢の出生を題材にした唐代の伝奇小説『補江総白猿伝』は、江総の『白猿伝』を補訂したものとされるが、後世の仮託であるとする見方が一般的である。

「文才」18歳で武陵王蕭紀の法曹参軍として初めて出仕し、その後、梁の武帝に詩才を評価され、当時の重臣・学者たちからも年齢を超えた交友をもって遇された。548年、江総は徐陵とともに東魏への使者に選ばれたが、病気を理由に辞退した。同年、侯景の乱が起こり、翌549年に首都建康が反乱軍によって陥落すると、江総は戦乱を避けて会稽(現浙江省紹興市)に逃れた。さらにおじの広州刺史蕭勃を頼って嶺南に避難し、以後10数年を広州で過ごした。

563年、陳の文帝により中書侍郎として朝廷に召還され、文帝・宣帝に仕えた。宣帝の皇太子陳叔宝(後の後主)は江総を非常に気に入り、彼を自分の太子詹事とするよう懇願し、一緒に長夜の宴を開いたり、お忍びで江総の屋敷に通うほどであった。569年、江総の友人の欧陽紇が広州で反乱を起こし殺されると、江総は彼の唯一の遺児であった欧陽詢をかくまって養育した。

583年、後主が即位すると、江総は彼の信任を受け高官を歴任し、586