そしてわれわれに幸福を与え、われわれを長寿の慶びを与えてくれた。悪鬼は山の左に追いやり給え。低い土地で温気に苦しむことなく、高地でも乾き過ぎでない。各種の稲は十分で満ち溢れ、その多いことは蛇や蚊の龍のとぐろを巻いているようであって欲しい。今、この時から始まって世々にありがたく敬うことであろう。
《394#4-3柳州羅池廟碑》韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <1009> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4029韓愈詩-271-12
4段目(#4)-1
荔子丹兮蕉黄。
荔子の実は赤く、芭蕉の実は黄色である、
雜餚蔬兮進侯堂。
山海の魚肉と野莱とを一緒にして、わが御神、柳侯の御堂にささげる。
侯之船兮兩旗。
わが御神、柳侯の御舟に二本の旗がある。
度中流兮風泊之。
進む船は流れの中を渡るのに、風はこれをとどめるのである。
待侯不來兮不知我悲。
わが御神、柳侯は待てども来られない。待つわれわれの悲しみを知らないのだろう。
(#4)-2
侯乘駒兮入廟。
やがて君は駒に乗ってみ、この霊屋に入られる。
慰我民兮不嚬以笑。
わが柳州の民を慰めて、その顔をしかめずに笑顔にさせ給う。
鵝之山兮柳之水。
ここには鵝の山があり、柳の水がある。
桂樹團團兮白石齒齒。
その上には桂の樹がこんもりまーるくこんもりと茂り、白い石は歯の並ぶように列なる。
侯朝出游兮暮來歸。
わが御神、柳侯は朝に出て遊び、暮れには帰って来られる。
春與猿吟兮秋鶴與飛。
春は山の猿とともに吟じ、秋には鶴とともに飛びたつ。
北方之人兮爲侯是非。
北方の長安の人々はわが柳侯の是か非かを評論したりする。
千秋萬歲兮侯無我違。
千秋 万歳とこえをあげ、わが柳侯はわれわれを離れ去り給うことはない。
(#4)-3
福我兮壽我。
そしてわれわれに幸福を与え、われわれを長寿の慶びを与えてくれた。
驅厲鬼兮山之左。
悪鬼は山の左に追いやり給え。
下無苦濕兮高無幹。
低い土地で温気に苦しむことなく、高地でも乾き過ぎでない。
秔稌充羨兮蛇蛟結蟠。
各種の稲は十分で満ち溢れ、その多いことは蛇や蚊の龍のとぐろを巻いているようであって欲しい。
我民報事兮無怠。
わが柳州の民は、そうなれば、その事に報いて祭ることを怠りはしない。
其始自今兮欽於世世。
それこそ、今、この時から始まって世々にありがたく敬うことであろう。
4段目(#4)-1
荔子は丹くして蕉は黄なり。
餚蔬を雜えて 侯の堂に進む。
侯の船には 兩旗あり。
中流を度って 風之を泊す。
侯を待てども來らず 我が悲を知らず。
(#4)-2
侯 駒に乘りて 廟入る。
我が民を慰め 嚬【ひん】せずして以て笑む。
鵝の山 柳の水。
桂樹 團團として 白石 齒齒たり。
侯 朝に出でて游び 暮に來り歸る。
春は猿と吟じ 秋は鶴と與に飛ぶ。
北方の人 侯の是非を爲す。
千秋 萬歲 侯 我を違うこと無かれ。
(#4)-3
我を福【さいわい】し 我を壽【ことほ】ぐ。
厲鬼を驅り 山の左に。
下くして濕に苦む無く 高くして幹【かわ】く無し。
秔稌【こうと】充羨【じゅうせん】して 蛇蛟【だこう】結蟠【けっぱん】す。
我が民 事を報じて 怠る無し。
其れ今より始めに 於世世に欽【うやま】わん。
『柳州羅池廟碑』 現代語訳と訳註
(本文) (#4)-3
福我兮壽我。
驅厲鬼兮山之左。
下無苦濕兮高無幹。
秔稌充羨兮蛇蛟結蟠。
我民報事兮無怠。
其始自今兮欽於世世。
(下し文)
(#4)-3
我を福【さいわい】し 我を壽【ことほ】ぐ。
厲鬼を驅り 山の左に。
下くして濕に苦む無く 高くして幹【かわ】く無し。
秔稌【こうと】充羨【じゅうせん】して 蛇蛟【だこう】結蟠【けっぱん】す。
我が民 事を報じて 怠る無し。
其れ今より始めに 於世世に欽【うやま】わん。
(現代語訳)
そしてわれわれに幸福を与え、われわれを長寿の慶びを与えてくれた。
悪鬼は山の左に追いやり給え。
低い土地で温気に苦しむことなく、高地でも乾き過ぎでない。
各種の稲は十分で満ち溢れ、その多いことは蛇や蚊の龍のとぐろを巻いているようであって欲しい。
わが柳州の民は、そうなれば、その事に報いて祭ることを怠りはしない。
それこそ、今、この時から始まって世々にありがたく敬うことであろう。
(訳注) (#4)-3
柳州羅池廟碑
(柳宗元柳州刺史の羅池廟の碑文並びに詩)#4-1
広東省の柳州は韓文公の親友柳宗元の流されて刺史となった所であるが、遂にその地で没した。人民はその徳を慕い、霊示によって羅池に廟を建てて祠った(巻六「柳子厚墓誌銘」参照)。退之は碑文並びに詩を作って、石に刻ませたのである。
柳宗元は、中国中唐の文学者・政治家。字は子厚。本籍地の河東から、「柳河東」「河東先生」と呼ばれる。また、その最後の任地にちなみ「柳柳州」と呼ばれることもある。王維や孟浩然らとともに自然詩人として名を馳せた。散文の分野では、韓愈とともに宋代に連なる古文復興運動を実践し、唐宋八大家の1人に数えられる。
福我兮壽我。
そしてわれわれに幸福を与え、われわれを長寿の慶びを与えてくれた。
驅厲鬼兮山之左。
悪鬼は山の左に追いやり給え。
○厲鬼 厲鬼は偉くない無名の人たちが、死んだら鬼になる。特に殺されたり、自殺したり、無惨に死んだ人たちが厲鬼になる。
下無苦濕兮高無幹。
低い土地で温気に苦しむことなく、高地でも乾き過ぎでない。
秔稌充羨兮蛇蛟結蟠。
各種の稲は十分で満ち溢れ、その多いことは蛇や蚊の龍のとぐろを巻いているようであって欲しい。
○秔稌充羨 各種の稲がみちあまる。秔は粳、粳(うるち)、稌は 稲のこと。
○蛇蛟結蟠 稲の収穫が、蛇や蛟龍のとぐろを巻くようにうず高く多い形容。
我民報事兮無怠。
わが柳州の民は、そうなれば、その事に報いて祭ることを怠りはしない。
其始自今兮欽於世世。
それこそ、今、この時から始まって世々にありがたく敬うことであろう。
○欽 敬しみ、うやまう.