中唐詩人選集【Ⅰ李商隠-150】Ⅱ韓退之(韓愈)Ⅶ孟郊(東野)  漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩 訳注解説ブログ

Ⅰ李商隠は難解詩といわれている。約150首紹介済。(晩唐詩人) Ⅱ韓退之(韓愈)-約500首Ⅶ孟郊、中唐の詩人を掲載中。万物の性(さが)をテーマにした哲学的な詩。このブログは基本的に中唐詩人を中心にして掲載する予定。 韓愈詩文のこれまでの掲載分とこれから掲載予定分を時系列で整理した2014.3.29のブログに集約してそこから各年次を見ることができる  kanbuniinkai 検索で、《漢文委員会HP05》サイトあります。漢詩唐詩を理解するための総合サイト:≪漢文委員会 漢詩07≫。

少し、マニアックな晩唐詩人Ⅰ-李商隠150首をまず掲載済み。中唐は盛唐詩人(孟浩然・王維、杜甫、李白)を受け継いだ多様な詩人が出ている。この時代も驚くほど詩が発展している。Ⅱ韓退之(韓愈)500首、Ⅲ柳宗元40首、Ⅳ韋応物、Ⅴ劉長卿、Ⅵ韋荘、Ⅶ孟郊(孟東野)、Ⅷ張籍、Ⅸ賈島、Ⅹ劉禹錫、ほか2012~2020年の予定で気長に進める。同じ中唐ではあるが、白居易のグループについては、李白のブログ350首(2015/6月再開~2018/夏・秋月予定)の後掲載の予定。別に杜甫詩ブログ1500首(2011/7月~2018/8月の予定で)を進行中。詩数につぃては、予定の詩数より多くなる。気まぐれなところがあるのでこの予定が少し変わる場合があり、その節はご容赦ください。                 古詩・謝霊運詩 杜甫詩 韓愈詩 花間集500首全詩 それぞれ毎日ブログしています。 このブログ、索引=語句の「検索」 参考書以上掲載。漢詩力up。

國子祭酒

《394#4-3柳州羅池廟碑》韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <1009>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4029韓愈詩-271-12

そしてわれわれに幸福を与え、われわれを長寿の慶びを与えてくれた。悪鬼は山の左に追いやり給え。低い土地で温気に苦しむことなく、高地でも乾き過ぎでない。各種の稲は十分で満ち溢れ、その多いことは蛇や蚊の龍のとぐろを巻いているようであって欲しい。今、この時から始まって世々にありがたく敬うことであろう。

 

2014年4月11日の紀頌之5つのブログ
●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場
Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
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杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首
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394#4-3柳州羅池廟碑》韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <1009  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4029韓愈詩-271-12

 


泰山の夕日 


4段目(#4)-1

荔子丹兮蕉黄。

荔子の実は赤く、芭蕉の実は黄色である、

雜餚蔬兮進侯堂。

山海の魚肉と野莱とを一緒にして、わが御神、柳侯の御堂にささげる。

侯之船兮兩旗。

わが御神、柳侯の御舟に二本の旗がある。

度中流兮風泊之。

進む船は流れの中を渡るのに、風はこれをとどめるのである。

待侯不來兮不知我悲。

わが御神、柳侯は待てども来られない。待つわれわれの悲しみを知らないのだろう。

(#4)-2

侯乘駒兮入廟。

やがて君は駒に乗ってみ、この霊屋に入られる。

慰我民兮不嚬以笑。

わが柳州の民を慰めて、その顔をしかめずに笑顔にさせ給う。

鵝之山兮柳之水。

ここには鵝の山があり、柳の水がある。

桂樹團團兮白石齒齒。

その上には桂の樹がこんもりまーるくこんもりと茂り、白い石は歯の並ぶように列なる。

侯朝出游兮暮來歸。

わが御神、柳侯は朝に出て遊び、暮れには帰って来られる。

春與猿吟兮秋鶴與飛。

春は山の猿とともに吟じ、秋には鶴とともに飛びたつ。

北方之人兮爲侯是非。

北方の長安の人々はわが柳侯の是か非かを評論したりする。

千秋萬兮侯無我違。

千秋 万歳とこえをあげ、わが柳侯はわれわれを離れ去り給うことはない。

(#4)-3

福我兮壽我。

そしてわれわれに幸福を与え、われわれを長寿の慶びを与えてくれた。

驅厲鬼兮山之左。

悪鬼は山の左に追いやり給え。

下無苦濕兮高無幹。

低い土地で温気に苦しむことなく、高地でも乾き過ぎでない。

秔稌充羨兮蛇蛟結蟠。

各種の稲は十分で満ち溢れ、その多いことは蛇や蚊の龍のとぐろを巻いているようであって欲しい。

我民報事兮無怠。

わが柳州の民は、そうなれば、その事に報いて祭ることを怠りはしない。

其始自今兮欽於世世。

それこそ、今、この時から始まって世々にありがたく敬うことであろう。

 


4段目(#4)-1

荔子は丹くして蕉は黄なり。

餚蔬を雜えて 侯の堂に進む。

侯の船には 兩旗あり。

中流を度って 風之を泊す。

侯を待てども來らず 我が悲を知らず。

(#4)-2

侯 駒に乘りて 廟入る。

我が民を慰め 嚬【ひん】せずして以て笑む。

鵝の山 柳の水。

桂樹 團團として 白石 齒齒たり。

侯 朝に出でて游び 暮に來り歸る。

春は猿と吟じ 秋は鶴と與に飛ぶ。

北方の人 侯の是非を爲す。

千秋 萬 侯 我を違うこと無かれ。

(#4)-3

我を福【さいわい】し 我を壽【ことほ】ぐ。

厲鬼を驅り 山の左に。

下くして濕に苦む無く 高くして幹【かわ】く無し。

秔稌【こうと】充羨【じゅうせん】して 蛇蛟【だこう】結蟠【けっぱん】す。

我が民 事を報じて 怠る無し。

其れ今より始めに 於世世に欽【うやま】わん。

 


柳州羅池廟碑00 


柳州羅池廟碑』 現代語訳と訳註

(本文) (#4)-3

福我兮壽我。

驅厲鬼兮山之左。

下無苦濕兮高無幹。

秔稌充羨兮蛇蛟結蟠。

我民報事兮無怠。

其始自今兮欽於世世。

 


(下し文)

(#4)-3

我を福【さいわい】し 我を壽【ことほ】ぐ。

厲鬼を驅り 山の左に。

下くして濕に苦む無く 高くして幹【かわ】く無し。

秔稌【こうと】充羨【じゅうせん】して 蛇蛟【だこう】結蟠【けっぱん】す。

我が民 事を報じて 怠る無し。

其れ今より始めに 於世世に欽【うやま】わん。

 


(現代語訳)

そしてわれわれに幸福を与え、われわれを長寿の慶びを与えてくれた。

悪鬼は山の左に追いやり給え。

低い土地で温気に苦しむことなく、高地でも乾き過ぎでない。

各種の稲は十分で満ち溢れ、その多いことは蛇や蚊の龍のとぐろを巻いているようであって欲しい。

わが柳州の民は、そうなれば、その事に報いて祭ることを怠りはしない。

それこそ、今、この時から始まって世々にありがたく敬うことであろう。

 


(訳注) (#4)-3

柳州羅池廟碑

(柳宗元柳州刺史の羅池廟の碑文並びに詩)#41

広東省の柳州は韓文公の親友柳宗元の流されて刺史となった所であるが、遂にその地で没した。人民はその徳を慕い、霊示によって羅池に廟を建てて祠った(巻六「柳子厚墓誌銘」参照)。退之は碑文並びに詩を作って、石に刻ませたのである。

柳宗元は、中国中唐の文学者・政治家。字は子厚。本籍地の河東から、「柳河東」「河東先生」と呼ばれる。また、その最後の任地にちなみ「柳柳州」と呼ばれることもある。王維や孟浩然らとともに自然詩人として名を馳せた。散文の分野では、韓愈とともに宋代に連なる古文復興運動を実践し、唐宋八大家の1人に数えられる。

 


福我兮壽我。

そしてわれわれに幸福を与え、われわれを長寿の慶びを与えてくれた。

 


驅厲鬼兮山之左。

悪鬼は山の左に追いやり給え。

○厲鬼 厲鬼は偉くない無名の人たちが、死んだら鬼になる。特に殺されたり、自殺したり、無惨に死んだ人たちが厲鬼になる。

 


下無苦濕兮高無幹。

低い土地で温気に苦しむことなく、高地でも乾き過ぎでない。

 


秔稌充羨兮蛇蛟結蟠。

各種の稲は十分で満ち溢れ、その多いことは蛇や蚊の龍のとぐろを巻いているようであって欲しい。

秔稌充羨 各種の稲がみちあまる。は粳、粳(うるち)、は 稲のこと。

蛇蛟結蟠 稲の収穫が、蛇や蛟龍のとぐろを巻くようにうず高く多い形容。 

 


我民報事兮無怠。

わが柳州の民は、そうなれば、その事に報いて祭ることを怠りはしない。

 


其始自今兮欽於世世。

それこそ、今、この時から始まって世々にありがたく敬うことであろう。

○欽 敬しみ、うやまう.

韓愈の地図01



《394#4-2柳州羅池廟碑》韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <1008>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4024韓愈詩-271-11

わが御神、柳侯は朝に出て遊び、暮れには帰って来られる。春は山の猿とともに吟じ、秋には鶴とともに飛びたつ。千秋 万歳とこえをあげ、わが柳侯はわれわれを離れ去り給うことはない。

2014年4月10日の紀頌之5つのブログ
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杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首
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394#4-2柳州羅池廟碑》韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <1008>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4024韓愈詩-271-11

 

 

 

4段目(#4)-1

荔子丹兮蕉黄。

荔子の実は赤く、芭蕉の実は黄色である、

雜餚蔬兮進侯堂。

山海の魚肉と野莱とを一緒にして、わが御神、柳侯の御堂にささげる。

侯之船兮兩旗。

わが御神、柳侯の御舟に二本の旗がある。

度中流兮風泊之。

進む船は流れの中を渡るのに、風はこれをとどめるのである。

待侯不來兮不知我悲。

わが御神、柳侯は待てども来られない。待つわれわれの悲しみを知らないのだろう。

(#4)-2

侯乘駒兮入廟。

やがて君は駒に乗ってみ、この霊屋に入られる。

慰我民兮不嚬以笑。

わが柳州の民を慰めて、その顔をしかめずに笑顔にさせ給う。

鵝之山兮柳之水。

ここには鵝の山があり、柳の水がある。

桂樹團團兮白石齒齒。

その上には桂の樹がこんもりまーるくこんもりと茂り、白い石は歯の並ぶように列なる。

侯朝出游兮暮來歸。

わが御神、柳侯は朝に出て遊び、暮れには帰って来られる。

春與猿吟兮秋鶴與飛。

春は山の猿とともに吟じ、秋には鶴とともに飛びたつ。

北方之人兮爲侯是非。

北方の長安の人々はわが柳侯の是か非かを評論したりする。

千秋萬兮侯無我違。

千秋 万歳とこえをあげ、わが柳侯はわれわれを離れ去り給うことはない。

(#4)-3

福我兮壽我。

驅厲鬼兮山之左。

下無苦濕兮高無幹。

秔稌充羨兮蛇蛟結蟠。

我民報事兮無怠。

其始自今兮欽於世世。

 

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荔子は丹くして蕉は黄なり。

餚蔬を雜えて 侯の堂に進む。

侯の船には 兩旗あり。

中流を度って 風之を泊す。

侯を待てども來らず 我が悲を知らず。

(#4)-2

侯 駒に乘りて 廟入る。

我が民を慰め 嚬【ひん】せずして以て笑む。

鵝の山 柳の水。

桂樹 團團として 白石 齒齒たり。

侯 朝に出でて游び 暮に來り歸る。

春は猿と吟じ 秋は鶴と與に飛ぶ。

北方の人 侯の是非を爲す。

千秋 萬 侯 我を違うこと無かれ。

(#4)-3

我を福【さいわい】し 我を壽【ことほ】ぐ。

厲鬼を驅り 山の左に。

下くして濕に苦む無く 高くして幹【かわ】く無し。

秔稌【こうと】充羨【じゅうせん】して 蛇蛟【だこう】結蟠【けっぱん】す。

我が民 事を報じて 怠る無し。

其れ今より始めに 於世世に欽【うやま】わん。

柳州羅池廟碑00 

 

柳州羅池廟碑』 現代語訳と訳註

(本文) 4段目(#4)-2

侯乘駒兮入廟。

慰我民兮不嚬以笑。

鵝之山兮柳之水。

桂樹團團兮白石齒齒。

侯朝出游兮暮來歸。

春與猿吟兮秋鶴與飛。

北方之人兮爲侯是非。

千秋萬兮侯無我違。

 

 

(下し文)

(#4)-2

侯 駒に乘りて 廟入る。

我が民を慰め 嚬【ひん】せずして以て笑む。

鵝の山 柳の水。

桂樹 團團として 白石 齒齒たり。

侯 朝に出でて游び 暮に來り歸る。

春は猿と吟じ 秋は鶴と與に飛ぶ。

北方の人 侯の是非を爲す。

千秋 萬 侯 我を違うこと無かれ。

 

(現代語訳)

やがて君は駒に乗ってみ、この霊屋に入られる。

わが柳州の民を慰めて、その顔をしかめずに笑顔にさせ給う。

ここには鵝の山があり、柳の水がある。

その上には桂の樹がこんもりまーるくこんもりと茂り、白い石は歯の並ぶように列なる。

わが御神、柳侯は朝に出て遊び、暮れには帰って来られる。

春は山の猿とともに吟じ、秋には鶴とともに飛びたつ。

北方の長安の人々はわが柳侯の是か非かを評論したりする。

千秋 万歳とこえをあげ、わが柳侯はわれわれを離れ去り給うことはない。

 

 

(訳注) (#4)-2

柳州羅池廟碑

(柳宗元柳州刺史の羅池廟の碑文並びに詩)#41

広東省の柳州は韓文公の親友柳宗元の流されて刺史となった所であるが、遂にその地で没した。人民はその徳を慕い、霊示によって羅池に廟を建てて祠った(巻六「柳子厚墓誌銘」参照)。退之は碑文並びに詩を作って、石に刻ませたのである。

柳宗元は、中国中唐の文学者・政治家。字は子厚。本籍地の河東から、「柳河東」「河東先生」と呼ばれる。また、その最後の任地にちなみ「柳柳州」と呼ばれることもある。王維や孟浩然らとともに自然詩人として名を馳せた。散文の分野では、韓愈とともに宋代に連なる古文復興運動を実践し、唐宋八大家の1人に数えられる。

 

侯乘駒兮入廟。

やがて君は駒に乗って、このみ霊屋に入られる。

 

慰我民兮不嚬以笑。

わが柳州の民を慰めて、その顔をしかめずに笑顔にさせ給う。

○不嚬以笑 憂いに顔をしかめはしないで笑をうかべる。

 

鵝之山兮柳之水。

ここには鵝の山があり、柳の水がある。

○鵝之山・柳之水 羅池の山水の名。

 

桂樹團團兮白石齒齒。

その上には桂の樹がこんもりまーるくこんもりと茂り、白い石は歯の並ぶように列なる。

○団団 団(むくこんもりと茂るさま。

○歯歯 歯の並ぶように列なる。

 

侯朝出游兮暮來歸。

わが御神、柳侯は朝に出て遊び、暮れには帰って来られる。

 

春與猿吟兮秋鶴與飛。

春は山の猿とともに吟じ、秋には鶴とともに飛びたつ。

○猿 援とするてくすとあるが同じ。

 

北方之人兮爲侯是非。

北方の長安の人々はわが柳侯の是か非かを評論したりする。

 

千秋萬兮侯無我違。

千秋 万歳とこえをあげ、わが柳侯はわれわれを離れ去り給うことはない。

○違 去る。離れる。
韓愈の地図01 

《394#4-1柳州羅池廟碑》韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <1007>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4019韓愈詩-271-10

荔子の実は赤く、芭蕉の実は黄色である。山海の魚肉と野莱とを一緒にして、わが御神、柳侯の御堂にささげる。わが御神、柳侯の御舟に二本の旗がある。進む船は流れの中を渡るのに、風はこれをとどめるのである。わが御神、柳侯は待てども来られない。待つわれわれの悲しみを知らないのだろう。

2014年4月9日

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394#4-1柳州羅池廟碑》韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <1007>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4019韓愈詩-271-10

 

 

4段目(#4)-1

荔子丹兮蕉黄。

荔子の実は赤く、芭蕉の実は黄色である、

雜餚蔬兮進侯堂。

山海の魚肉と野莱とを一緒にして、わが御神、柳侯の御堂にささげる。

侯之船兮兩旗。

わが御神、柳侯の御舟に二本の旗がある。

度中流兮風泊之。

進む船は流れの中を渡るのに、風はこれをとどめるのである。

待侯不來兮不知我悲。

わが御神、柳侯は待てども来られない。待つわれわれの悲しみを知らないのだろう。

(#4)-2

侯乘駒兮入廟。

慰我民兮不嚬以笑。

鵝之山兮柳之水。

桂樹團團兮白石齒齒。

侯朝出游兮暮來歸。

春與猿吟兮秋鶴與飛。

北方之人兮爲侯是非。

千秋萬兮侯無我違。

(#4)-3

福我兮壽我。

驅厲鬼兮山之左。

下無苦濕兮高無幹。

秔稌充羨兮蛇蛟結蟠。

我民報事兮無怠。

其始自今兮欽於世世。

 

4段目(#4)-1

荔子は丹くして蕉は黄なり。

餚蔬を雜えて 侯の堂に進む。

侯の船には 兩旗あり。

中流を度って 風之を泊す。

侯を待てども來らず 我が悲を知らず。

(#4)-2

(#4)-2

侯 駒に乘りて 廟入る。

我が民を慰め 嚬【ひん】せずして以て笑む。

鵝の山 柳の水。

桂樹 團團として 白石 齒齒たり。

侯 朝に出でて游び 暮に來り歸る。

春は猿と吟じ 秋は鶴と與に飛ぶ。

北方の人 侯の是非を爲す。

千秋 萬 侯 我を違うこと無かれ。

(#4)-3

我を福【さいわい】し 我を壽【ことほ】ぐ。

厲鬼を驅り 山の左に。

下くして濕に苦む無く 高くして幹【かわ】く無し。

秔稌【こうと】充羨【じゅうせん】して 蛇蛟【だこう】結蟠【けっぱん】す。

我が民 事を報じて 怠る無し。

其れ今より始めに 於世世に欽【うやま】わん。

柳州羅池廟碑00 

 

柳州羅池廟碑』 現代語訳と訳註

(本文) 4段目(#4)-1

荔子丹兮蕉黄。

雜餚蔬兮進侯堂。

侯之船兮兩旗。

度中流兮風泊之。

待侯不來兮不知我悲。

 

(下し文)

4段目(#4)-1

荔子は丹くして蕉は黄なり。

餚蔬を雜えて 侯の堂に進む。

侯の船には 兩旗あり。

中流を度って 風之を泊す。

侯を待てども來らず 我が悲を知らず。

 

(現代語訳)

荔子の実は赤く、芭蕉の実は黄色である、

山海の魚肉と野莱とを一緒にして、わが御神、柳侯の御堂にささげる。

わが御神、柳侯の御舟に二本の旗がある。

進む船は流れの中を渡るのに、風はこれをとどめるのである。

わが御神、柳侯は待てども来られない。待つわれわれの悲しみを知らないのだろう。

 

 (訳注) -6 4段目(#4-1

柳州羅池廟碑

(柳宗元柳州刺史の羅池廟の碑文並びに詩)#41

広東省の柳州は韓文公の親友柳宗元の流されて刺史となった所であるが、遂にその地で没した。人民はその徳を慕い、霊示によって羅池に廟を建てて祠った(巻六「柳子厚墓誌銘」参照)。退之は碑文並びに詩を作って、石に刻ませたのである。

柳宗元は、中国中唐の文学者・政治家。字は子厚。本籍地の河東から、「柳河東」「河東先生」と呼ばれる。また、その最後の任地にちなみ「柳柳州」と呼ばれることもある。王維や孟浩然らとともに自然詩人として名を馳せた。散文の分野では、韓愈とともに宋代に連なる古文復興運動を実践し、唐宋八大家の1人に数えられる。

 

荔子丹兮蕉黄。

荔子の実は赤く、芭蕉の実は黄色である、

○荔子 荔枝の果実。福建・広東地方に産する樹で、高さ三丈(十メートル)、葉は矢じりの様な形で平滑、その果実、荔子は龍眼に似て肉は白く汁が多く、美味。皮は赤い色をしている。

○蕉 芭蕉の実は黄色。神への供え物。

 

雜餚蔬兮進侯堂。

山海の魚肉と野莱とを一緒にして、わが御神、柳侯の御堂にささげる。

○餚蔬 餚は魚肉、蔬は野菜。山海の物を供える。

 

侯之船兮兩旗。

わが御神、柳侯の御舟に二本の旗がある。

 

度中流兮風泊之。

進む船は流れの中を渡るのに、風はこれをとどめるのである。

 

待侯不來兮不知我悲。

わが御神、柳侯は待てども来られない。待つわれわれの悲しみを知らないのだろう。
韓愈の地図01 

《394#3-2柳州羅池廟碑》韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <1006>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4014韓愈詩-271-9

韓愈≫柳州羅池廟碑≫3-2そこで「神を迎え、祭り、送る詩」を作って、柳州の民に贈る。大声で歌ってそれをお祭りし、そして、あわせてこれを石に刻ませるのである。柳侯は河東の人、諱は(本名)は宗元、字は子厚ともうされる。


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394#3-2柳州羅池廟碑》韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <1006  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4014韓愈詩-271-9

 

 

3段目(#3)-1

明年春,魏忠、歐陽翼使謝寧來京師,

その翌年春、魏忠・欧陽翼が、謝寧を都にやってきた。

請書其事於石。

その事柄を石碑に書くように私に要請してきた。

餘謂柳侯生能澤其民,

私は思った、「柳侯は、生きている間は、その当該の人民を恵みうるおすことができ、

死能驚動禍福之,

死んではその民を驚かし、禍を他へうごかし、福を与えることができ、

以食其土,可謂靈也已。

それで以てその土地で祭りを受けるという、神の様な不可思議な力あるひとであるというべきである」と。

(#3)-2

作《迎享送神詩》遺柳民,

そこで「神を迎え、祭り、送る詩」を作って、柳州の民に贈る。

伸歌以祀焉,而並刻之。

大声で歌ってそれをお祭りし、そして、あわせてこれを石に刻ませるのである。

柳侯,河東人,諱宗元,字子厚。

柳侯は河東の人、諱は(本名)は宗元、字は子厚ともうされる。

賢而有文章。

賢者であり、徳にすぐれて文章の才がある。

位於朝,光顯矣,

以前には朝廷の高い位につき、輝き顕れたことがあったひとである。

已而擯不用。其辭曰。

やがて押し退けられて用いられなくなった。その詩の辞にいう。

 

(#3)-1

明年春、魏忠・欧陽翼、謝寧をして京師に来らしめて、

其の事を石に書せんことを請ふ。

余謂へらく、柳侯生ては能く其の民を澤し、

死しては能く之を驚動禍福し、

以て其の土に食む。霊と謂ふ可きのみと。

(#3)-2

迎享送紳の詩を作つて、柳民に遣りて

歌つて以て祀り、而して幷せて之を刻せしむ。

柳侯は河東の人、諱は宗元、字は子厚、

賢にして文章有り、

嘗て朝に位し、光顕せり。

已にしてけられて用ひられず。其の斟に曰く。

柳州羅池廟碑00 

 

『柳州羅池廟碑』 現代語訳と訳註

(本文) (#3)-2

作《迎享送神詩》遺柳民,

伸歌以祀焉,而並刻之。

柳侯,河東人,諱宗元,字子厚。

賢而有文章。

位於朝,光顯矣,

已而擯不用。其辭曰。

 

(下し文) (#3)-2

迎享送紳の詩を作つて、柳民に遣りて

歌つて以て祀り、而して幷せて之を刻せしむ。

柳侯は河東の人、諱は宗元、字は子厚、

賢にして文章有り、

嘗て朝に位し、光顕せり。

已にして擯けられて用ひられず。其の斟に曰く。

 

(現代語訳)

そこで「神を迎え、祭り、送る詩」を作って、柳州の民に贈る。

大声で歌ってそれをお祭りし、そして、あわせてこれを石に刻ませるのである。

柳侯は河東の人、諱は(本名)は宗元、字は子厚ともうされる。

賢者であり、徳にすぐれて文章の才がある。

以前には朝廷の高い位につき、輝き顕れたことがあったひとである。

やがて押し退けられて用いられなくなった。その詩の辞にいう。

 

(訳注) (#3)-2

作《迎享送神詩》遺柳民,

そこで「神を迎え、祭り、送る詩」を作って、柳州の民に贈る。

○迎享送神詩 神をむかえ、神が祭りを受け、神を送るの詩。

 

伸歌以祀焉,而並刻之。

大声で歌ってそれをお祭りし、そして、あわせてこれを石に刻ませるのである。

 

柳侯,河東人,諱宗元,字子厚。

柳侯は河東の人、諱は(本名)は宗元、字は子厚ともうされる。

 

賢而有文章

賢者であり、徳にすぐれて文章の才がある。

 

位於朝,光顯矣,

以前には朝廷の高い位につき、輝き顕れたことがあったひとである。

○光顕 輝きあらわれる。

 

已而擯不用。其辭曰。

やがて押し退けられて用いられなくなった。その詩の辞にいう。

 押し退けられる。棄てられる。
韓愈の地図01 

《394#3-1柳州羅池廟碑》韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <1005>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4009韓愈詩-271-8

私は思った、柳侯は、生きている間は、その当該の人民を恵みうるおすことができ、死んではその民を驚かし、禍を他へうごかし、福を与えることができ、それで以てその土地で祭りを受けるという、不可思議な力あるものとこそいうべきである、と。

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杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首
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394#3-1柳州羅池廟碑》韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <1005  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4009韓愈詩-271-8

 

 

3段目(#3)-1

明年春,魏忠、歐陽翼使謝寧來京師,

その翌年春、魏忠・欧陽翼が、謝寧を都にやってきた。

請書其事於石。

その事柄を石碑に書くように私に要請してきた。

餘謂柳侯生能澤其民,

私は思った、柳侯は、生きている間は、その当該の人民を恵みうるおすことができ、

死能驚動禍福之,

死んではその民を驚かし、禍を他へうごかし、福を与えることができ、

以食其土,可謂靈也已。

それで以てその土地で祭りを受けるという、不可思議な力あるものとこそいうべきである、と。

(#3)-2

作《迎享送神詩》遺柳民,

伸歌以祀焉,而並刻之。

柳侯,河東人,諱宗元,字子厚。

賢而有文章。

位於朝,光顯矣,

已而擯不用。其辭曰。

 

(#3)-1

明年春、魏忠・欧陽翼、謝寧をして京師に来らしめて、

其の事を石に書せんことを請ふ。

余謂へらく、柳侯生ては能く其の民を澤し、

死しては能く之を驚動禍福し、

以て其の土に食む。霊と謂ふ可きのみと。

(#3)-2

迎享送紳の詩を作つて、柳民に遣りて

歌つて以て祀り、而して幷せて之を刻せしむ。

柳侯は河東の人、諱は宗元、字は子厚、

賢にして文章有り、

嘗て朝に位し、光顕せり。

已にしてけられて用ひられず。其の斟に曰く。

韓愈の地図01 

 

『柳州羅池廟碑』 現代語訳と訳註

(本文) 3段目(#3)-1

明年春,魏忠、歐陽翼使謝寧來京師,

請書其事於石。

餘謂柳侯生能澤其民,

死能驚動禍福之,

以食其土,可謂靈也已。

 

(下し文)

 

 

(現代語訳)

その翌年春、魏忠・欧陽翼が、謝寧を都にやってきた。

その事柄を石碑に書くように私に要請してきた。

私は思った、柳侯は、生きている間は、その当該の人民を恵みうるおすことができ、

死んではその民を驚かし、禍を他へうごかし、福を与えることができ、

それで以てその土地で祭りを受けるという、不可思議な力あるものとこそいうべきである、と。

柳州羅池廟碑00 

 

(訳注) -6 3段目(#3-1

柳州羅池廟碑

(柳宗元柳州刺史の羅池廟の碑文並びに詩)#22

広東省の柳州は韓文公の親友柳宗元の流されて刺史となった所であるが、遂にその地で没した。人民はその徳を慕い、霊示によって羅池に廟を建てて祠った(巻六「柳子厚墓誌銘」参照)。退之は碑文並びに詩を作って、石に刻ませたのである。

柳宗元は、中国中唐の文学者・政治家。字は子厚。本籍地の河東から、「柳河東」「河東先生」と呼ばれる。また、その最後の任地にちなみ「柳柳州」と呼ばれることもある。王維や孟浩然らとともに自然詩人として名を馳せた。散文の分野では、韓愈とともに宋代に連なる古文復興運動を実践し、唐宋八大家の1人に数えられる。

 

3段目(#3)-1

明年春,魏忠、歐陽翼使謝寧來京師,

その翌年春、魏忠・欧陽翼が、謝寧を都にやってきた。

 

請書其事於石。

その事柄を石碑に書くように私に要請してきた。

 

餘謂柳侯生能澤其民,

私は思った、柳侯は、生きている間は、その当該の人民を恵みうるおすことができ、

○沢 恵みうるおす。

 

死能驚動禍福之,

死んではその民を驚かし、禍を他へうごかし、福を与えることができ、

○驚動 驚かし動かす。

 

以食其土,可謂靈也已。

それで以てその土地で祭りを受けるという、不可思議な力あるものとこそいうべきである、と。

○霊 ふしぎな力がある。

《394―#2-2柳州羅池廟碑》韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <1004>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4004韓愈詩-271-7

その月の丙辰の日に廟ができ上がり、大祭をした。折しも立寄った客の李儀がそこで酒に酔った。酔いに任せて神となった柳宗元侯をその広聞であなどり悪口をいったために病気になってしまい、人から支えられて廟の門を出たが、その場で死んだ。

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394―#2-2柳州羅池廟碑》韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <1004  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4004韓愈詩-271-7

 

 

2段目(#2)-1

柳民既皆悦喜。

柳州の住民はすでに皆悦んだ。

常於其部將魏忠、謝寧、歐陽翼飲酒驛亭,謂曰:

その後ある時、柳宗元侯は部下の将魏忠、謝寧、欧陽翼と、宿場の茶屋で酒を飲んでいて語ったことは次のように言ったのだ、

「吾棄於時,而寄於此,與若等好也。

「私は王叔文の党にくみして失敗して流謫されて、此の地に身を寄せ、お前たちと仲善くなったのである。

明年,吾將死,死而爲神。

明年には、私は死ぬであろう。死んだら神となるはずである。

後三年,爲廟祀我。」

だから三年の後には、廟を造って私を祀ってくれるように。」と。

及期而死。

その時期がくると死んだのである。

#2-2

三年孟秋辛卯,侯降於州之後堂,

三年の後の初秋七月の辛卯の日に、柳宗元侯は州の役所の後の広間に神となって降りた。

歐陽翼等見而拜之。

欧陽翼らは見て、柳宗元侯に礼拝した。

其夕,夢翼而告之曰:「館我於羅池。」

その夜のこと、歐陽翼の夢に現れて告げていった、「私を羅池の館に住まわせよ」と。

其月景辰,廟成大祭,過客李儀醉酒,

その月の丙辰の日に廟ができ上がり、大祭をした。折しも立寄った客の李儀がそこで酒に酔った。

慢侮堂上,得疾,扶出廟門即死。

酔いに任せて神となった柳宗元侯をその広聞であなどり悪口をいったために病気になってしまい、人から支えられて廟の門を出たが、その場で死んだ。

 

柳民既に皆悦喜す。

常【かつ】て其の部將 魏忠【ぎちゅう】、謝寧【しゃねい】、歐陽翼【おうようよく】と酒を驛亭に飲んで,謂うて曰く:

「吾 時に棄てられて,此に寄り,若【なんじ】等 と好【よ】き也。

明年,吾 將に死せんとし,死して神と爲らん。

後三年にして,廟を爲【つく】りて我を祀れ。」と。

期に及んで死す。

#2-2

三年 孟秋 辛卯【しんぽう】,侯 州の後堂に降る。

歐陽翼等 見て之を拜す。

其の夕に,翼に夢みえて之を告げて曰く:「我を羅池に館せよ。」と。

其の月 景辰に,廟 成り大祭す,過客 李儀 酒に醉う。

堂上に慢侮【まんぶ】し,疾を得,扶けられて廟門を出でて即ち死す。

韓愈の地図01 

 

『柳州羅池廟碑』 現代語訳と訳註

(本文)2段目(#2)-2

#2-2

三年孟秋辛卯,侯降於州之後堂,

歐陽翼等見而拜之。

其夕,夢翼而告之曰:「館我於羅池。」

其月景辰,廟成大祭,過客李儀醉酒,

慢侮堂上,得疾,扶出廟門即死。

 

 

(下し文)

三年 孟秋 辛卯【しんぽう】,侯 州の後堂に降る。

歐陽翼等 見て之を拜す。

其の夕に,翼に夢みえて之を告げて曰く:「我を羅池に館せよ。」と。

其の月 景辰に,廟 成り大祭す,過客 李儀 酒に醉う。

堂上に慢侮【まんぶ】し,疾を得,扶けられて廟門を出でて即ち死す。

 

(現代語訳)

三年の後の初秋七月の辛卯の日に、柳宗元侯は州の役所の後の広間に神となって降りた。

欧陽翼らは見て、柳宗元侯に礼拝した。

その夜のこと、歐陽翼の夢に現れて告げていった、「私を羅池の館に住まわせよ」と。

その月の丙辰の日に廟ができ上がり、大祭をした。折しも立寄った客の李儀がそこで酒に酔った。

酔いに任せて神となった柳宗元侯をその広聞であなどり悪口をいったために病気になってしまい、人から支えられて廟の門を出たが、その場で死んだ。

柳州羅池廟碑00 

 

(訳注) -6 2段目(#2)-2

柳州羅池廟碑

(柳宗元柳州刺史の羅池廟の碑文並びに詩)#22

広東省の柳州は韓文公の親友柳宗元の流されて刺史となった所であるが、遂にその地で没した。人民はその徳を慕い、霊示によって羅池に廟を建てて祠った(巻六「柳子厚墓誌銘」参照)。退之は碑文並びに詩を作って、石に刻ませたのである。

柳宗元は、中国中唐の文学者・政治家。字は子厚。本籍地の河東から、「柳河東」「河東先生」と呼ばれる。また、その最後の任地にちなみ「柳柳州」と呼ばれることもある。王維や孟浩然らとともに自然詩人として名を馳せた。散文の分野では、韓愈とともに宋代に連なる古文復興運動を実践し、唐宋八大家の1人に数えられる。

 

三年孟秋辛卯,侯降於州之後堂,

三年の後の初秋七月の辛卯の日に、柳宗元侯は州の役所の後の広間に神となって降りた。

○辛卯(かのとう、しんぼう)は、干支の一つ。 干支の組み合わせの28番目で、前は庚寅、次は壬辰である。陰陽五行では、十干の辛は陰の金、十二支の卯は陰の木で、相剋(金剋木)である。

 

歐陽翼等見而拜之。

欧陽翼らは見て、柳宗元侯に礼拝した。

○之 柳宗元候。

 

其夕,夢翼而告之曰:「館我於羅池。

その夜のこと、歐陽翼の夢に現れて告げていった、「私を羅池の館に住まわせよ」と。

 

其月景辰,廟成大祭,過客李儀醉酒,

その月の丙辰の日に廟ができ上がり、大祭をした。折しも立寄った客の李儀がそこで酒に酔った。

○景辰 景は正しくは丙とあるべきであるが、唐の世祖の昞の音に近いので避けて景とした。丙辰(ひのえたつ、へいしん)は、干支の一つ。 干支の組み合わせの53番目で、前は乙卯、次は丁巳である。陰陽五行では、十干の丙は陽の火、十二支の辰は陽の土で、相生(火生土)である。

 

慢侮堂上,得疾,扶出廟門即死。

酔いに任せて神となった柳宗元侯をその広聞であなどり悪口をいったために病気になってしまい、人から支えられて廟の門を出たが、その場で死んだ。

○慢侮 あなどり悪口をいった

《394-#2-1柳州羅池廟碑》韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <1003>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3999韓愈詩-271-6

「私は王叔文の党にくみして失敗して流謫されて、此の地に身を寄せ、お前たちと仲善くなったのである。明年には、私は死ぬであろう。死んだら神となるはずである。だから三年の後には、廟を造って私を祀ってくれるように。」と。その時期がくると死んだのである。

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●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場
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index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首index-13 821年~822年 55歳 22首index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首韓愈 哲学・儒学「五原」賦・散文・上奏文・碑文など
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杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首
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2段目(#2)-1

柳民既皆悦喜。

柳州の住民はすでに皆悦んだ。

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その後ある時、柳宗元侯は部下の将魏忠、謝寧、欧陽翼と、宿場の茶屋で酒を飲んでいて語ったことは次のように言ったのだ、

「吾棄於時,而寄於此,與若等好也。

「私は王叔文の党にくみして失敗して流謫されて、此の地に身を寄せ、お前たちと仲善くなったのである。
明年,吾將死,死而爲神。

明年には、私は死ぬであろう。死んだら神となるはずである。

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だから三年の後には、廟を造って私を祀ってくれるように。」と。

及期而死。

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#2-2

三年孟秋辛卯,侯降於州之後堂,

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其夕,夢翼而告之曰:「館我於羅池。」

其月景辰,廟成大祭,過客李儀醉酒,

慢侮堂上,得疾,扶出廟門即死。

 

柳民既に皆悦喜す。

常【かつ】て其の部將 魏忠【ぎちゅう】、謝寧【しゃねい】、歐陽翼【おうようよく】と酒を驛亭に飲んで,謂うて曰く:

「吾 時に棄てられて,此に寄り,若【なんじ】等 と好【よ】き也。

明年,吾 將に死せんとし,死して神と爲らん。

後三年にして,廟を爲【つく】りて我を祀れ。と。

んで

#2-2

三年 孟秋 辛卯【しんぽう】,侯 州の後堂に降る。

歐陽翼等 見て之を拜す。

其の夕に,翼に夢みえて之を告げて曰く:「我を羅池に館せよ。と。

其の月 景辰に,廟 成り大祭す,過客 李儀 酒に醉う。

堂上に慢侮【まんぶ】し,疾を得,扶けられて廟門を出でて即ち死す。

韓愈の地図01 

 

『柳州羅池廟碑』 現代語訳と訳註

(本文)2段目(#2)-1

柳民既皆悦喜。

常於其部將魏忠、謝寧、歐陽翼飲酒驛亭,謂曰:

「吾棄於時,而寄於此,與若等好也。

明年,吾將死,死而爲神。

後三年,爲廟祀我。」

及期而死。

 

(下し文)

柳民既に皆悦喜す。

常【かつ】て其の部將 魏忠【ぎちゅう】、謝寧【しゃねい】、歐陽翼【おうようよく】と酒を驛亭に飲んで,謂うて曰く:

「吾 時に棄てられて,此に寄り,若【なんじ】等 と好【よ】き也。

明年,吾 將に死せんとし,死して神と爲らん。

後三年にして,廟を爲【つく】りて我を祀れ。」と。

期に及んで死す。

 

(現代語訳)

(柳宗元柳州刺史の羅池廟の碑文並びに詩)#21

柳州の住民はすでに皆悦んだ。

その後ある時、柳宗元侯は部下の将魏忠、謝寧、欧陽翼と、宿場の茶屋で酒を飲んでいて語ったことは次のように言ったのだ、

「私は王叔文の党にくみして失敗して流謫されて、此の地に身を寄せ、お前たちと仲善くなったのである。

明年には、私は死ぬであろう。死んだら神となるはずである。

だから三年の後には、廟を造って私を祀ってくれるように。」と。

その時期がくると死んだのである。

 

柳州羅池廟碑00 

(訳注) -6 2段目(#2)-1

柳州羅池廟碑

(柳宗元柳州刺史の羅池廟の碑文並びに詩)#21

広東省の柳州は韓文公の親友柳宗元の流されて刺史となった所であるが、遂にその地で没した。人民はその徳を慕い、霊示によって羅池に廟を建てて祠った(巻六「柳子厚墓誌銘」参照)。退之は碑文並びに詩を作って、石に刻ませたのである。

柳宗元は、中国中唐の文学者・政治家。字は子厚。本籍地の河東から、「柳河東」「河東先生」と呼ばれる。また、その最後の任地にちなみ「柳柳州」と呼ばれることもある。王維や孟浩然らとともに自然詩人として名を馳せた。散文の分野では、韓愈とともに宋代に連なる古文復興運動を実践し、唐宋八大家の1人に数えられる。

 

柳民既皆悦喜。

柳州の住民はすでに皆悦んだ。

 

常於其部將魏忠、謝寧、歐陽翼飲酒驛亭,謂曰:

その後ある時、柳宗元侯は部下の将魏忠、謝寧、欧陽翼と、宿場の茶屋で酒を飲んでいて語ったことは次のように言ったのだ、

○常 嘗に通用、かつて。

○駅亭 宿場の休憩用の建物。宿場茶屋、亭。みずうまや。唐代では全国の陸駅1297に対して水駅は260,水陸兼用の駅は86に達した。古代の駅伝制で船や水夫を配置した駅公文書を通送する郵と、旅行者を送る駅伝制とし、その後、 1 里の長さは時代によって変るが、 30 里ごとに 1 駅を置くことは唐代まで変わらなかった。中国では主要交通路上に黄河や揚子江のような大きな河川・運河・湖沼などがあるために,駅伝制の駅を設けるにあたっては,駅馬や駅丁を配置した陸路の駅のほかに,船と丁(水夫)を配置した水駅を設けて舟運を利用することとした。

 

「吾棄於時,而寄於此,與若等好也。

「私は王叔文の党にくみして失敗して流謫されて、此の地に身を寄せ、お前たちと仲善くなったのである。

○棄於時 王叔文の党にくみして失敗して流謫されたこと。

 

明年,吾將死,死而爲神。

明年には、私は死ぬであろう。死んだら神となるはずである。

 

後三年,爲廟祀我。」

だから三年の後には、廟を造って私を祀ってくれるように。」と。

後三年 服喪の期間は、殷周の時代より3年であり、何もしてはならない。

 

及期而死。

その時期がくると死んだのである。
カンナ223 

《394柳州羅池廟碑》1段目(#1)-5韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <1002>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3994韓愈詩-271-5

先の時代は、人民は貧しく、男女の子を互いに人質として金を借りていた。久しくかかってもその金を払って買いもどさなければ、すべて没収して使役人とする風習があった。質となった子供の労賃を以て元本を除き去り、悉く奪い取って父母の下に帰へされた。また精神の構築のため孔子廟を大いに修築された。

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394柳州羅池廟碑》1段目(#1)-5韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <1002  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3994韓愈詩-271-5

 

柳州羅池廟碑 1段目(#1)-1

(柳宗元柳州刺史の羅池廟の碑文並びに詩)#1-1

羅池廟者,故刺史柳侯廟也。

羅池廟は、もとの刺史柳侯(柳宗元)の廟である。

柳侯爲州,不鄙夷其民,

柳侯が州を治めるのに、モの人民を辺鄙な土地の異民族としてあつかいはしなかった。

動以禮法。三年,民各自矜奮曰:

取り扱うのに、文化の進んだものと同じく、礼義法度を以てしたのである。三年で、人民は各々自分を重んじ奮い立った。

「茲土雖遠京師,吾等亦天氓,

この土地は都から遠ざかっているけれども、われらも天の民である。

今天幸惠仁侯,若不化服,我則非人。」

今幸いにも仁愛の君を恵まれた。もしその徳に感化して服従しなければ、我々は人間でない」と。

-2

於是老幼相教語,莫違侯令。

そして「そこで老人から若いものまで、互いに教えとしての語というと、君公の命令に違反してはならない」ということだ。

凡有所爲於其閭及於其家,皆曰:

凡そその郷村の中や自分の家で何かを為そうとする者は、皆いう:

「吾侯聞之,得無不可於意否?」

「わか君がこれを聞いて、心によくないとされないか、どうであろうか、」と。

莫不忖度而後從事。

柳侯の心意をはかり考えて仕事をしないものはなかった。

-3

凡令之期,民勸趨之,

凡そ命令の期日には、民は自ら進んで集まってくる。

無有後先,必以其時。

後れたり、先んじたりする者がいなくて、必ず其の時を以て行われたのである。

於是民業有經,公無負租,

そこでは、人民の仕事には一定の収入があり、役所には未納の租税がないのである。

流逋四歸,樂生興事。

流民や逃亡民たちも、四方から帰って来て、生活を楽しみ仕事を盛んにおこしたのである。

-4

宅有新屋,步有新船,

宅地には新しい家屋が築かれ、船つき場には新造船がならぶ。

池園潔修,豬牛鴨雞,肥大蕃息。

池や園畠は清潔に整頓され、豚や牛から、鴨や鶏などの家畜は肥えて大きく繁殖したのだ。

子嚴父詔,婦夫指,

家庭では、子は父の告げる言葉を敬しみいましめ、妻は夫の考えに従順にし、円満である。

嫁娶葬送,各有條法,

嫁入り、嫁取りや葬式などに、各々一定の筋目や法則があって

出相弟長,入相慈孝。

家の外に出ては互いに年長者、子弟の礼を守り、家庭内では親子互いに慈しみと孝心を尽くすのであった。

-5

先時,民貧以男女相質,

先の時代は、人民は貧しく、男女の子を互いに人質として金を借りていた。

久不得贖,盡沒爲隸。

久しくかかってもその金を払って買いもどさなければ、すべて没収して使役人とする風習があった。

我侯之至,案國之故,

わが君公がこの州に来られて、その国の古い記録簿を調べられた。

以傭除本,悉奪歸之。

質となった子供の労賃を以て元本を除き去り、悉く奪い取って父母の下に帰へされた。

大修孔子廟。城郭巷道,

また精神の構築のため孔子廟を大いに修築された。そして、城郭や巷の道路などを整備し、

皆治使端正,樹以名木。

皆、丹念に整え正して、名木を植えたのである。

 

 

(柳州羅池廟の碑)#1-1

羅池廟は、故の刺史柳侯の廟なり。

柳侯の州を爲むる、其の民を鄙夷とせず、

動すに禮法を以てす。三年にして、民各の自ら衿奮して曰く、

「玆の土京師に遠かると雖も、吾等も亦天氓、今天幸に仁侯を恵む、

若し化服せずんば、我は則ち人に非ず」と。

#1-2

是に於て老少相敎語す、侯の令に違うこと莫れと。

几そ其の郷閭、及び其の家に爲す所有れば、皆日く、

「吾が侯之を聞いて、意に可ならざる無きを得んや否や」と。

忖度して後に事に從わざる莫し。

#1-3

凡そ令の期には、民 之に勸趨して,後有る無く,必ず其時を以てす。

是に於て民業 經に有り,公に負租無く,

流逋 四歸し,生を樂み事を興す。

#1-4

宅に新屋有り,步に新船有り,

池園 潔修し,豬牛 鴨雞あり,肥大し蕃息す。

子 嚴み 父 詔し,婦 い 夫 指す,

嫁娶 葬送し,各の條法有り,

出でては相い弟長し,入りては相い慈孝なり。

#1-5

先時,民貧しく 男女を以て相い質す,

久しく贖【あがな】うを得ざれば,盡く沒して隸と爲す。

我が侯の至る,國の故を案じ,

傭を以て本を除き,悉く奪って之を歸す。

大いに孔子の廟を修む。

城郭 巷道し,皆治めて端正なら使め,樹うるに名木を以てす。

韓愈の地図01 

 

『柳州羅池廟碑』 現代語訳と訳註

(本文) -5

先時,民貧以男女相質,

久不得贖,盡沒爲隸。

我侯之至,案國之故,

以傭除本,悉奪歸之。

大修孔子廟。城郭巷道,

皆治使端正,樹以名木。

 

(下し文) #1-5

先時,民貧しく 男女を以て相い質す,

久しく贖【あがな】うを得ざれば,盡く沒して隸と爲す。

我が侯の至る,國の故を案じ,

傭を以て本を除き,悉く奪って之を歸す。

大いに孔子の廟を修む。

城郭 巷道し,皆治めて端正なら使め,樹うるに名木を以てす。

 

 

(現代語訳)

(柳宗元柳州刺史の羅池廟の碑文並びに詩)#1-5

先の時代は、人民は貧しく、男女の子を互いに人質として金を借りていた。

久しくかかってもその金を払って買いもどさなければ、すべて没収して使役人とする風習があった。

わが君公がこの州に来られて、その国の古い記録簿を調べられた。

質となった子供の労賃を以て元本を除き去り、悉く奪い取って父母の下に帰へされた。

また精神の構築のため孔子廟を大いに修築された。そして、城郭や巷の道路などを整備し、

皆、丹念に整え正して、名木を植えたのである。

 

(訳注) -5

柳州羅池廟碑

(柳宗元柳州刺史の羅池廟の碑文並びに詩)#1-5

広東省の柳州は韓文公の親友柳宗元の流されて刺史となった所であるが、遂にその地で没した。人民はその徳を慕い、霊示によって羅池に廟を建てて祠った(巻六「柳子厚墓誌銘」参照)。退之は碑文並びに詩を作って、石に刻ませたのである。

柳宗元は、中国中唐の文学者・政治家。字は子厚。本籍地の河東から、「柳河東」「河東先生」と呼ばれる。また、その最後の任地にちなみ「柳柳州」と呼ばれることもある。王維や孟浩然らとともに自然詩人として名を馳せた。散文の分野では、韓愈とともに宋代に連なる古文復興運動を実践し、唐宋八大家の1人に数えられる。

 

先時,民貧以男女相質,

先の時代は、人民は貧しく、男女の子を互いに人質として金を借りていた。

○質 人質にして金を借りる。

 

久不得贖,盡沒爲隸。

久しくかかってもその金を払って買いもどさなければ、すべて没収して使役人とする風習があった。

 

我侯之至,案國之故,

わが君公がこの州に来られて、その国の古い記録簿を調べられた。

○国之故 その国の古簿書。

 

以傭除本,悉奪歸之。

質となった子供の労賃を以て元本を除き去り、悉く奪い取って父母の下に帰へされた。

○以傭除本 労賃を以て元本を差し引く。

 

大修孔子廟。城郭巷道,

また精神の構築のため孔子廟を大いに修築された。そして、城郭や巷の道路などを整備し、

 

皆治使端正,樹以名木。

皆、丹念に整え正して、名木を植えたのである。

《394柳州羅池廟碑》1段目(#1)-4韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <1001>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3989韓愈詩-271-4

庭では、子は父の告げる言葉を敬しみいましめ、妻は夫の考えに従順にし、円満である。嫁入り、嫁取りや葬式などに、各々一定の筋目や法則があって、家の外に出ては互いに年長者、子弟の礼を守り、家庭内では親子互いに慈しみと孝心を尽くすのであった。


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柳州羅池廟碑 1段目(#1)-1

(柳宗元柳州刺史の羅池廟の碑文並びに詩)#1-1

羅池廟者,故刺史柳侯廟也。

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柳侯爲州,不鄙夷其民,

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動以禮法。三年,民各自矜奮曰:

取り扱うのに、文化の進んだものと同じく、礼義法度を以てしたのである。三年で、人民は各々自分を重んじ奮い立った。

「茲土雖遠京師,吾等亦天氓,

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今天幸惠仁侯,若不化服,我則非人。」

今幸いにも仁愛の君を恵まれた。もしその徳に感化して服従しなければ、我々は人間でない」と。

-2

於是老幼相教語,莫違侯令。

そして「そこで老人から若いものまで、互いに教えとしての語というと、君公の命令に違反してはならない」ということだ。

凡有所爲於其閭及於其家,皆曰:

凡そその郷村の中や自分の家で何かを為そうとする者は、皆いう:

「吾侯聞之,得無不可於意否?」

「わか君がこれを聞いて、心によくないとされないか、どうであろうか、」と。

莫不忖度而後從事。

柳侯の心意をはかり考えて仕事をしないものはなかった。

-3

凡令之期,民勸趨之,

凡そ命令の期日には、民は自ら進んで集まってくる。

無有後先,必以其時。

後れたり、先んじたりする者がいなくて、必ず其の時を以て行われたのである。

於是民業有經,公無負租,

そこでは、人民の仕事には一定の収入があり、役所には未納の租税がないのである。

流逋四歸,樂生興事。

流民や逃亡民たちも、四方から帰って来て、生活を楽しみ仕事を盛んにおこしたのである。

-4

宅有新屋,步有新船,

宅地には新しい家屋が築かれ、船つき場には新造船がならぶ。

池園潔修,豬牛鴨雞,肥大蕃息。

池や園畠は清潔に整頓され、豚や牛から、鴨や鶏などの家畜は肥えて大きく繁殖したのだ。

子嚴父詔,婦夫指,

家庭では、子は父の告げる言葉を敬しみいましめ、妻は夫の考えに従順にし、円満である。

嫁娶葬送,各有條法,

嫁入り、嫁取りや葬式などに、各々一定の筋目や法則があって

出相弟長,入相慈孝。

家の外に出ては互いに年長者、子弟の礼を守り、家庭内では親子互いに慈しみと孝心を尽くすのであった。

-5

先時,民貧以男女相質,

久不得贖,盡沒爲隸。

我侯之至,案國之故,

以傭除本,悉奪歸之。

大修孔子廟。城郭巷道,

皆治使端正,樹以名木。

 

(柳州羅池廟の碑)#1-1

羅池廟は、故の刺史柳侯の廟なり。

柳侯の州を爲むる、其の民を鄙夷とせず、

動すに禮法を以てす。三年にして、民各の自ら衿奮して曰く、

「玆の土京師に遠かると雖も、吾等も亦天氓、今天幸に仁侯を恵む、

若し化服せずんば、我は則ち人に非ず」と。

#1-2

是に於て老少相敎語す、侯の令に違うこと莫れと。

几そ其の郷閭、及び其の家に爲す所有れば、皆日く、

「吾が侯之を聞いて、意に可ならざる無きを得んや否や」と。

忖度して後に事に從わざる莫し。

#1-3

凡そ令の期には、民 之に勸趨して,
有る無く,必ず其時を以てす。

是に於て民業 經に有り,公に負租無く,

流逋 四歸し,生を樂み事を興す。

#1-4

宅に新屋有り,步に新船有り,

池園 潔修し,豬牛 鴨雞あり,肥大し蕃息す。

子 嚴み 父 詔し,婦 い 夫 指す,

嫁娶 葬送し,各の條法有り,

出でては相い弟長し,入りては相い慈孝なり。

#1-5

先時,民貧しく 男女を以て相い質す,

久しく贖【あがな】うを得ざれば,盡く沒して隸と爲す。

我が侯の至る,國の故を案じ,

傭を以て本を除き,悉く奪って之を歸す。

大いに孔子の廟を修む。

城郭 巷道し,皆治めて端正なら使め,樹うるに名木を以てす。

 泰山の夕日

 

『柳州羅池廟碑』 現代語訳と訳註

(本文)- #1-4

宅有新屋,步有新船,

池園潔修,豬牛鴨雞,肥大蕃息。

子嚴父詔,婦夫指,

嫁娶葬送,各有條法,

出相弟長,入相慈孝。

 

(下し文) #1-4

宅に新屋有り,步に新船有り,

池園 潔修し,豬牛 鴨雞あり,肥大し蕃息す。

子 嚴み 父 詔し,婦 い 夫 指す,

嫁娶 葬送し,各の條法有り,

出でては相い弟長し,入りては相い慈孝なり。

 

(現代語訳)

(柳宗元柳州刺史の羅池廟の碑文並びに詩)#1-4

宅地には新しい家屋が築かれ、船つき場には新造船がならぶ。

池や園畠は清潔に整頓され、豚や牛から、鴨や鶏などの家畜は肥えて大きく繁殖したのだ。

家庭では、子は父の告げる言葉を敬しみいましめ、妻は夫の考えに従順にし、円満である。

嫁入り、嫁取りや葬式などに、各々一定の筋目や法則があって

家の外に出ては互いに年長者、子弟の礼を守り、家庭内では親子互いに慈しみと孝心を尽くすのであった。

tasogare45000 

 

(訳注) -4

柳州羅池廟碑

(柳宗元柳州刺史の羅池廟の碑文並びに詩)#1-4

広東省の柳州は韓文公の親友柳宗元の流されて刺史となった所であるが、遂にその地で没した。人民はその徳を慕い、霊示によって羅池に廟を建てて祠った(巻六「柳子厚墓誌銘」参照)。退之は碑文並びに詩を作って、石に刻ませたのである。

柳宗元は、中国中唐の文学者・政治家。字は子厚。本籍地の河東から、「柳河東」「河東先生」と呼ばれる。また、その最後の任地にちなみ「柳柳州」と呼ばれることもある。王維や孟浩然らとともに自然詩人として名を馳せた。散文の分野では、韓愈とともに宋代に連なる古文復興運動を実践し、唐宋八大家の1人に数えられる。

 

宅有新屋,步有新船,

宅地には新しい家屋が築かれ、船つき場には新造船がならぶ。

○歩 川の舟つき場。

 

池園潔修,豬牛鴨雞,肥大蕃息。

池や園畠は清潔に整頓され、豚や牛から、鴨や鶏などの家畜は肥えて大きく繁殖したのだ。

 

子嚴父詔,婦夫指,

家庭では、子は父の告げる言葉を敬しみいましめ、妻は夫の考えに従順にし、円満である。

 

嫁娶葬送,各有條法,

嫁入り、嫁取りや葬式などに、各々一定の筋目や法則があって

 

出相弟長,入相慈孝。

家の外に出ては互いに年長者、子弟の礼を守り、家庭内では親子互いに慈しみと孝心を尽くすのであった。

唐時代 韓愈関連05 

《394柳州羅池廟碑》1段目(#1)-2韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <999>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3979韓愈詩-271-2

そして「そこで老人から若いものまで、互いに教えとしての語というと、君公の命令に違反してはならない」ということだ。凡そその郷村の中や自分の家で何かを為そうとする者は、皆いう:「わか君がこれを聞いて、心によくないとされないか、どうであろうか、」と。柳侯の心意をはかり考えて仕事をしないものはなかった。


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《394柳州羅池廟碑》1段目(#1)-2韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <999>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3979韓愈詩-271-2
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394柳州羅池廟碑》1段目(#1)-2韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <999  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3979韓愈詩-271-2


柳州羅池廟碑 1段目(#1)-1

(柳宗元柳州刺史の羅池廟の碑文並びに詩)#1-1

羅池廟者,故刺史柳侯廟也。

羅池廟は、もとの刺史柳侯(柳宗元)の廟である。

柳侯爲州,不鄙夷其民,

柳侯が州を治めるのに、モの人民を辺鄙な土地の異民族としてあつかいはしなかった。

動以禮法。三年,民各自矜奮曰:

取り扱うのに、文化の進んだものと同じく、礼義法度を以てしたのである。三年で、人民は各々自分を重んじ奮い立った。

「茲土雖遠京師,吾等亦天氓,

この土地は都から遠ざかっているけれども、われらも天の民である。

今天幸惠仁侯,若不化服,我則非人。」

今幸いにも仁愛の君を恵まれた。もしその徳に感化して服従しなければ、我々は人間でない」と。

-2

於是老幼相教語,莫違侯令。

そして「そこで老人から若いものまで、互いに教えとしての語というと、君公の命令に違反してはならない」ということだ。

凡有所爲於其鄉閭及於其家,皆曰:

凡そその郷村の中や自分の家で何かを為そうとする者は、皆いう:

「吾侯聞之,得無不可於意否?」

「わか君がこれを聞いて、心によくないとされないか、どうであろうか、」と。

莫不忖度而後從事。

柳侯の心意をはかり考えて仕事をしないものはなかった。

-3

凡令之期,民勸趨之,

無有後先,必以其時。

於是民業有經,公無負租,

流逋四歸,樂生興事。

-4

宅有新屋,步有新船,

池園潔修,豬牛鴨雞,肥大蕃息。

子嚴父詔,婦夫指,

嫁娶葬送,各有條法,

出相弟長,入相慈孝。

-5

先時,民貧以男女相質,

久不得贖,盡沒爲隸。

我侯之至,案國之故,

以傭除本,悉奪歸之。

大修孔子廟。城郭巷道,

皆治使端正,樹以名木。





(柳州羅池廟の碑)#1-1

羅池廟は、故の刺史柳侯の廟なり。

柳侯の州を爲むる、其の民を鄙夷とせず、

動すに禮法を以てす。三年にして、民各の自ら衿奮して曰く、

「玆の土京師に遠かると雖も、吾等も亦天氓、今天幸に仁侯を恵む、

若し化服せずんば、我は則ち人に非ず」と。

#1-2

是に於て老少相敎語す、侯の令に違うこと莫れと。

几そ其の郷閭、及び其の家に爲す所有れば、皆日く、

「吾が侯之を聞いて、意に可ならざる無きを得んや否や」と。

忖度して後に事に從わざる莫し。

#1-3

凡そ令の期には、民 之に勸趨して,後有る無く,必ず其時を以てす。

是に於て民業 經に有り,公に負租無く,

流逋 四歸し,生を樂み事を興す。

#1-4

宅に新屋有り,步に新船有り,

池園 潔修し,豬牛 鴨雞あり,肥大し蕃息す。

子 嚴み 父 詔し,婦 い 夫 指す,

嫁娶 葬送し,各の條法有り,

出でては相い弟長し,入りては相い慈孝なり。

#1-5

先時,民貧しく 男女を以て相い質す,

久しく贖【あがな】うを得ざれば,盡く沒して隸と爲す。

我が侯の至る,國の故を案じ,

傭を以て本を除き,悉く奪って之を歸す。

大いに孔子の廟を修む。

城郭 巷道し,皆治めて端正なら使め,樹うるに名木を以てす。


『柳州羅池廟碑』 現代語訳と訳註

(本文) #1-2

於是老幼相教語,莫違侯令。

凡有所爲於其閭及於其家,皆曰:

「吾侯聞之,得無不可於意否?」

莫不忖度而後從事。


(下し文) #1-2

是に於て老少相敎語す、侯の令に違うこと莫れと。

几そ其の郷閭、及び其の家に爲す所有れば、皆日く、

「吾が侯之を聞いて、意に可ならざる無きを得んや否や」と。

忖度して後に事に從わざる莫し。


(現代語訳)

そして「そこで老人から若いものまで、互いに教えとしての語というと、君公の命令に違反してはならない」ということだ。

凡そその郷村の中や自分の家で何かを為そうとする者は、皆いう:

「わか君がこれを聞いて、心によくないとされないか、どうであろうか、」と。

柳侯の心意をはかり考えて仕事をしないものはなかった。

唐時代 韓愈関連05

(訳注)

柳州羅池廟碑

(柳宗元柳州刺史の羅池廟の碑文並びに詩)#1-1

広東省の柳州は韓文公の親友柳宗元の流されて刺史となった所であるが、遂にその地で没した。人民はその徳を慕い、霊示によって羅池に廟を建てて祠った(巻六「柳子厚墓誌銘」参照)。退之は碑文並びに詩を作って、石に刻ませたのである。

柳宗元は、中国中唐の文学者・政治家。字は子厚。本籍地の河東から、「柳河東」「河東先生」と呼ばれる。また、その最後の任地にちなみ「柳柳州」と呼ばれることもある。王維や孟浩然らとともに自然詩人として名を馳せた。散文の分野では、韓愈とともに宋代に連なる古文復興運動を実践し、唐宋八大家の1人に数えられる。



於是老幼相教語,莫違侯令。

そして「そこで老人から若いものまで、互いに教えとしての語というと、君公の命令に違反してはならない」ということだ。


凡有所爲於其
閭及於其家,皆曰:
凡そその郷村の中や自分の家で何かを為そうとする者は、皆いう:

 郷里の門。郷村の中。
 

「吾侯聞之,得無不可於意否?」

「わか君がこれを聞いて、心によくないとされないか、どうであろうか、」と。 


莫不忖度而後從事。

柳侯の心意をはかり考えて仕事をしないものはなかった。

○忖度 他人の心を推しはかる。『詩経』小雅 谷風之什 巧言篇 に「他人有心、予忖度之」(他人心有り 予之を忖度す)。

 

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《394柳州羅池廟碑》韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <998>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3974韓愈詩-271

首韓愈全496首。柳宗元は尊敬していた。その碑文の訳注。羅池廟は柳宗元の廟である。柳侯が州を治めるのに、その人民を辺鄙な土地の異民族として扱いはしなかった。礼義法度を以て接した。三年で、人民は各々自分を重んじ奮い立った。



394柳州羅池廟碑》韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <998  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3974韓愈詩-271

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●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場
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・李商隠詩 (1) 136首の75首・李商隠詩 (2) 135首の61首●韓愈index-1 ・孟郊、張籍と交遊・汴州乱41首●韓愈詩index-2[800年 33歳~804年 37歳]27首●韓愈詩index-3 805年 38歳・]陽山から江陵府 36首●韓愈詩index-4 806年 39歳 江陵府・権知国子博士 51首(1)25首
index-5 806年39歳 50首の(2)25首index-6[807年~809年 42歳]20首index-7[810年~811年 44歳] 34首index-8 [812年~814年47歳]46首index-9[815年~816年 49歳] 57首index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首
index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首index-13 821年~822年 55歳 22首index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首韓愈 哲学・儒学「五原」賦・散文・上奏文・碑文など
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杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首
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柳州羅池廟碑



1段目(#1)

  羅池廟者,故刺史柳侯廟也。柳侯爲州,不鄙夷其民,動以禮法。三年,民各自矜奮曰:「茲土雖遠京師,吾等亦天氓,今天幸惠仁侯,若不化服,我則非人。

  於是老幼相教語,莫違侯令。凡有所爲於其閭及於其家,皆曰:「吾侯聞之,得無不可於意否?」莫不忖度而後從事。凡令之期,民勸趨之,無有後先,必以其時。於是民業有經,公無負租,流逋四歸,樂生興事。宅有新屋,步有新船,池園潔修,豬牛鴨雞,肥大蕃息。子嚴父詔,婦夫指,嫁娶葬送,各有條法,出相弟長,入相慈孝。先時,民貧以男女相質,久不得贖,盡沒爲隸。我侯之至,案國之故,以傭除本,悉奪歸之。大修孔子廟。城郭巷道,皆治使端正,樹以名木。





2段目(#2)

柳民既皆悦喜。常於其部將魏忠、謝寧、歐陽翼飲酒驛亭,謂曰:「吾棄於時,而寄於此,與若等好也。明年,吾將死,死而爲神。後三年,爲廟祀我。」及期而死。三年孟秋辛卯,侯降於州之後堂,歐陽翼等見而拜之。其夕,夢翼而告之曰:「館我於羅池。」其月景辰,廟成大祭,過客李儀醉酒,慢侮堂上,得疾,扶出廟門即死。





3段目(#3)

明年春,魏忠、歐陽翼使謝寧來京師,請書其事於石。餘謂柳侯生能澤其民,死能驚動禍福之,以食其土,可謂靈也已。作《迎享送神詩》遺柳民,伸歌以祀焉,而並刻之。柳侯,河東人,諱宗元,字子厚。賢而有文章。位於朝,光顯矣,已而擯不用。其辭曰:





4段目(#4)

荔子丹兮蕉黄。雜餚蔬兮進侯堂。

侯之船兮兩旗。度中流兮風泊之。

待侯不來兮不知我悲。侯乘駒兮入廟。

慰我民兮不嚬以笑。鵝之山兮柳之水。

桂樹團團兮白石齒齒。侯朝出游兮暮來歸。

春與猿吟兮秋鶴與飛。北方之人兮爲侯是非。

千秋萬兮侯無我違。福我兮壽我。

驅厲鬼兮山之左。下無苦濕兮高無幹。

秔稌充羨兮蛇蛟結蟠。我民報事兮無怠。

其始自今兮欽於世世。







柳州羅池廟碑 1段目(#1)-1

羅池廟者,故刺史柳侯廟也。

柳侯爲州,不鄙夷其民,

動以禮法。三年,民各自矜奮曰:

「茲土雖遠京師,吾等亦天氓,

今天幸惠仁侯,若不化服,我則非人。

(柳宗元柳州刺史の羅池廟の碑文並びに詩)#1-1

羅池廟は、もとの刺史柳侯(柳宗元)の廟である。

柳侯が州を治めるのに、モの人民を辺鄙な土地の異民族としてあつかいはしなかった。

取り扱うのに、文化の進んだものと同じく、礼義法度を以てしたのである。三年で、人民は各々自分を重んじ奮い立った。

この土地は都から遠ざかっているけれども、われらも天の民である。

今幸いにも仁愛の君を恵まれた。もしその徳に感化して服従しなければ、我々は人間でない」と。

-2

於是老幼相教語,莫違侯令。

凡有所爲於其閭及於其家,皆曰:

「吾侯聞之,得無不可於意否?」

莫不忖度而後從事。

-3

凡令之期,民勸趨之,

無有後先,必以其時。

於是民業有經,公無負租,

流逋四歸,樂生興事。

-4

宅有新屋,步有新船,

池園潔修,豬牛鴨雞,肥大蕃息。

子嚴父詔,婦夫指,

嫁娶葬送,各有條法,

出相弟長,入相慈孝。

-5

先時,民貧以男女相質,

久不得贖,盡沒爲隸。

我侯之至,案國之故,

以傭除本,悉奪歸之。

大修孔子廟。城郭巷道,

皆治使端正,樹以名木。





(柳州羅池廟の碑)#1-1

羅池廟は、故の刺史柳侯の廟なり。

柳侯の州を爲むる、其の民を鄙夷とせず、

動すに禮法を以てす。三年にして、民各の自ら衿奮して曰く、

「玆の土京師に遠かると雖も、吾等も亦天氓、今天幸に仁侯を恵む、

若し化服せずんば、我は則ち人に非ず」と。

#1-2

是に於て老少相敎語す、侯の令に違うこと莫れと。

几そ其の郷閭、及び其の家に爲す所有れば、皆日く、

「吾が侯之を聞いて、意に可ならざる無きを得んや否や」と。

忖度して後に事に從わざる莫し。

#1-3

凡そ令の期には、民 之に勸趨して,後有る無く,必ず其時を以てす。

是に於て民業 經に有り,公に負租無く,

流逋 四歸し,生を樂み事を興す。

#1-4

宅に新屋有り,步に新船有り,

池園 潔修,豬牛 鴨雞あり,肥大蕃息

 み  ,婦 い  

嫁娶 葬送し,各の條法有り,

出でては相い弟長し,入りては相い慈孝なり。

#1-5

先時,民貧しく 男女を以て相い質す,

久しく贖【あがな】うを得ざれば,盡く沒して隸と爲す。

我が侯の至る,國の故を案じ,

傭を以て本を除き,悉く奪って之を歸す。

いに孔子

城郭 巷道し,皆治めて端正なら使め,樹うるに名木を以てす。





『柳州羅池廟碑』 現代語訳と訳註

(本文) 1段目(#1)-1

羅池廟者,故刺史柳侯廟也。

柳侯爲州,不鄙夷其民,

動以禮法。三年,民各自矜奮曰:

「茲土雖遠京師,吾等亦天氓,

今天幸惠仁侯,若不化服,我則非人。」



(下し文)

(柳州羅池廟の碑)#-1

羅池廟は、故の刺史柳侯の廟なり。

柳侯の州を爲むる、其の民を鄙夷とせず、

動すに禮法を以てす。三年にして、民各の自ら衿奮して曰く、

「玆の土京師に遠かると雖も、吾等も亦天氓、今天幸に仁侯を恵む、

若し化服せずんば、我は則ち人に非ず」と。





(現代語訳)

(柳宗元柳州刺史の羅池廟の碑文並びに詩)#1-1

羅池廟は、もとの刺史柳侯(柳宗元)の廟である。

柳侯が州を治めるのに、モの人民を辺鄙な土地の異民族としてあつかいはしなかった。

取り扱うのに、文化の進んだものと同じく、礼義法度を以てしたのである。三年で、人民は各々自分を重んじ奮い立った。

この土地は都から遠ざかっているけれども、われらも天の民である。

今幸いにも仁愛の君を恵まれた。もしその徳に感化して服従しなければ、我々は人間でない」と。



(訳注)

柳州羅池廟碑

(柳宗元柳州刺史の羅池廟の碑文並びに詩)#1-1

広東省の柳州は韓文公の親友柳宗元の流されて刺史となった所であるが、遂にその地で没した。人民はその徳を慕い、霊示によって羅池に廟を建てて祠った(巻六「柳子厚墓誌銘」参照)。退之は碑文並びに詩を作って、石に刻ませたのである。

柳宗元は、中国中唐の文学者・政治家。字は子厚。本籍地の河東から、「柳河東」「河東先生」と呼ばれる。また、その最後の任地にちなみ「柳柳州」と呼ばれることもある。王維や孟浩然らとともに自然詩人として名を馳せた。散文の分野では、韓愈とともに宋代に連なる古文復興運動を実践し、唐宋八大家の1人に数えられる。



羅池廟者,故刺史柳侯廟也。

羅池廟は、もとの刺史柳侯(柳宗元)の廟である。



柳侯爲州,不鄙夷其民,

柳侯が州を治めるのに、モの人民を辺鄙な土地の異民族としてあつかいはしなかった。



動以禮法。三年,民各自矜奮曰:

取り扱うのに、文化の進んだものと同じく、礼義法度を以てしたのである。三年で、人民は各々自分を重んじ奮い立った。

○矜奮 自重して奮起した。衿は重んずる。敬しむ。



「茲土雖遠京師,吾等亦天氓,

この土地は都から遠ざかっているけれども、われらも天の民である。

○天氓 天民に同じ。人民は天命を受けて民となっているので、天民という。 氓は他国から往って服する民の意味で、民に同じ。現在の亡命者ということをふくむ。



今天幸惠仁侯,若不化服,我則非人。」

今幸いにも仁愛の君を恵まれた。もしその徳に感化して服従しなければ、我々は人間でない」と。

《賀張十八祕書得裴司空馬【酬張祕書因騎馬贈詩】》韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <977>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3869韓愈詩-270

韓愈《賀張十八祕書得裴司空馬》 裴度司空から遠くはるばる良馬を贈られ、はじめてこれを飼育してこの頃は元気に育っている。毛色は鮮やかな桃花のようであり、両目は煌煌としてかがやくことかがみのようである。夕日の西に傾くころになるといつも君とクツワを並べて語りながら乗り回したものであったが、やがて春風が吹くようにでもなれば、また鞍を並べて、遠乗りをすることとしよう。


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《賀張十八祕書得裴司空馬【酬張祕書因騎馬贈詩】》韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <977>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3869韓愈詩-270

 

年:  820  元和十五年  53

卷別: 卷三四四  文體: 七言律詩 

卷別: 卷三四四  文體: 七言律詩 

詩題: 賀張十八祕書得裴司空馬【酬張祕書因騎馬贈詩】 

交遊人物/地點: 張籍 書信往來(京畿道 京兆府 長安)

裴度 詩文提及(京畿道 京兆府 長安)

 

 

賀張十八祕書得裴司空馬

(張籍秘書が裴度司空公から良馬を贈られたのでそれをお祝いしてこの詩を贈る。)

司空遠寄養初成,毛色桃花眼鏡明。 

裴度司空から遠くはるばる良馬を贈られ、はじめてこれを飼育してこの頃は元気に育っている。毛色は鮮やかな桃花のようであり、両目は煌煌としてかがやくことかがみのようである。

落日已曾交轡語,春風還擬並鞍行。 

夕日の西に傾くころになるといつも君とクツワを並べて語りながら乗り回したものであったが、やがて春風が吹くようにでもなれば、また鞍を並べて、遠乗りをすることとしよう。

長令奴僕知飢渴,須著賢良待性情。 

どんなに名馬であっても常々奴僕に言い聞かせて決して飢餓、枯渇にさせてはならないことであり、すべて、賢良にしておき、そして、その性格、情緒をよく見て厚くこれを待遇しなければならない。

旦夕公歸伸拜謝,免勞騎去逐雙旌。 

今、裴度司空公は北の外におられるが、いずれはお帰りになるだろうから、司空の雙旌をおいかけてわざわざでかけることはなく、その馬を馴らして、十分可愛がってやることだ。

 

(張十八祕書の裴司空の馬を得るを賀す)

司空 遠く寄せて養う初めて成り,毛色は桃花 眼は鏡のごとく明なり。 

落日 已に曾て轡を交えて語り,春風 還た擬す 鞍を並べて行かんと。 

長しく奴僕をして飢渴を知ら令む,須らく賢良をもて性情を待たしむべし。 

旦だ夕べに 公 歸って拜謝を伸ぶれば,騎し去り雙旌を逐うを勞するを免れん。 

 

 

『賀張十八祕書得裴司空馬』 現代語訳と訳註

(本文)

賀張十八祕書得裴司空馬

司空遠寄養初成,毛色桃花眼鏡明。 

落日已曾交轡語,春風還擬並鞍行。 

長令奴僕知飢渴,須著賢良待性情。 

旦夕公歸伸拜謝,免勞騎去逐雙旌。 

 

(下し文)

(張十八祕書の裴司空の馬を得るを賀す)

司空 遠く寄せて養う初めて成り,毛色は桃花 眼は鏡のごとく明なり。 

落日 已に曾て轡を交えて語り,春風 還た擬す 鞍を並べて行かんと。 

長しく奴僕をして飢渴を知ら令む,須らく賢良をもて性情を待たしむべし。 

旦だ夕べに 公 歸って拜謝を伸ぶれば,騎し去り雙旌を逐うを勞するを免れん。 

 

(現代語訳)

(張籍秘書が裴度司空公から良馬を贈られたのでそれをお祝いしてこの詩を贈る。)

裴度司空から遠くはるばる良馬を贈られ、はじめてこれを飼育してこの頃は元気に育っている。毛色は鮮やかな桃花のようであり、両目は煌煌としてかがやくことかがみのようである。

夕日の西に傾くころになるといつも君とクツワを並べて語りながら乗り回したものであったが、やがて春風が吹くようにでもなれば、また鞍を並べて、遠乗りをすることとしよう。

どんなに名馬であっても常々奴僕に言い聞かせて決して飢餓、枯渇にさせてはならないことであり、すべて、賢良にしておき、そして、その性格、情緒をよく見て厚くこれを待遇しなければならない。

今、裴度司空公は北の外におられるが、いずれはお帰りになるだろうから、司空の雙旌をおいかけてわざわざでかけることはなく、その馬を馴らして、十分可愛がってやることだ。

 

(訳注)

賀張十八祕書得裴司空馬

(張籍秘書が裴度司空公から良馬を贈られたのでそれをお祝いしてこの詩を贈る。)

○張十八祕書 韓愈門下張籍のこと。

○裴司空 裴度公:司空【しくう】とは。周の六卿の一。冬官の長で、土木・水利などの 建築事業をつかさどった。前漢では大司空、後漢・唐では再び司空となり、三公の一。官制 において、最高位に位置する3つの官職のこと。秦や前漢では行政を司る丞相(大司徒)、 軍事を司る太尉(大司馬)、監察・政策立案を司る御史大夫(大司空)の3官が三公と 呼ばれた。

 

司空遠寄養初成,毛色桃花眼鏡明。 

裴度司空から遠くはるばる良馬を贈られ、はじめてこれを飼育してこの頃は元気に育っている。毛色は鮮やかな桃花のようであり、両目は煌煌としてかがやくことかがみのようである。

 

落日已曾交轡語,春風還擬並鞍行。 

夕日の西に傾くころになるといつも君とクツワを並べて語りながら乗り回したものであったが、やがて春風が吹くようにでもなれば、また鞍を並べて、遠乗りをすることとしよう。

 

長令奴僕知飢渴,須著賢良待性情。 

どんなに名馬であっても常々奴僕に言い聞かせて決して飢餓、枯渇にさせてはならないことであり、すべて、賢良にしておき、そして、その性格、情緒をよく見て厚くこれを待遇しなければならない。

 

旦夕公歸伸拜謝,免勞騎去逐雙旌。 

今、裴度司空公は北の外におられるが、いずれはお帰りになるだろうから、司空の雙旌をおいかけてわざわざでかけることはなく、その馬を馴らして、十分可愛がってやることだ。

○旦夕公歸伸拜謝 裴度公は北地に赴任していてこの馬を送ってきたもので、この時、張籍は 七言律詩 『謝裴司馬寄馬』を作っている。

騄耳新駒駿得名、司空遠自寄書生。乍離華厩移蹄澁、初到貧家擧眼驚。

毎被閒人來借問、多尋古寺獨騎行。長思歳旦沙堤上、得従鳴珂傍火城。

裴度『酬張秘書因寄馬贈』

滿城馳逐皆求馬,古寺閒行獨與君。代步本慚非逸足,緣情何幸枉高文。

若逢佳麗從將換,莫共駑駘角出群。飛控著鞭能顧我,當時王粲亦從軍。

韓愈はこの二人の唱和を讀んで、張籍に寄せたのだ。
tasogare45000

《詠燈花同侯十一》韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <969>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3829韓愈詩-262

韓愈《詠燈花同侯十一》さらにこの燈火が明るく照らし続けてくれるので、わずらわしいことがおこる。というのはそんな寒い夜明るく照らしてくれるために赤ん坊がおなかに宿るという慶事の出来事がおこることでもって、その家の主人に良い知らせがもたらせるということだ。

2014年3月2日

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《詠燈花同侯十一》韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <969  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3829韓愈詩-262

 

 

作時年:  820  元和十五年  53

卷別: 卷三四四  文體: 五言律詩 

詩題: 詠燈花同侯十一 

作地點: 長安(京畿道 / 京兆府 / 長安

交遊人物: 侯喜  

杏の花01 

(燈花を詠ず侯十一と同じゅうす)

今夕 何の夕を知るや,花 然ゆ錦帳の中にら。 

自能く 雪に當って暖く,那ぞ肯えて春の紅なるを待たん。 

黃裡 金粟を排し,釵頭 玉蟲を綴る。 

更に煩わす 喜事を將って,來って主人公に報ぜよ。 

 

詠燈花同侯十一

(侯喜君と同じように「燈花」を詠う。)

今夕知何夕,花然錦帳中。

今日の夕方は何という夕方であろうか、燈火は花のように錦帳の中に燃えている。

自能當雪暖,那肯待春紅。

おりしもこの時、雪が降って来たけれど燈火によって暖かく感じられる。これならどうして春の赤い花さく季節を待たねばならないのか、春の行楽で幔幕の中にいるのと同じではないか。

黃裡排金粟,釵頭綴玉蟲。

傍らにいる女は花鈿の化粧をし、花鈿の黄色の蕊の中には金粟を排しているのかと見ましがえるほどである。カンザシの先には、玉虫の羽をつづっている。そんな様に蚊帳の中ではいろんなものが面白く見えるのだ。

更煩將喜事,來報主人公。 

さらにこの燈火が明るく照らし続けてくれるので、わずらわしいことがおこる。というのはそんな寒い夜明るく照らしてくれるために赤ん坊がおなかに宿るという慶事の出来事がおこることでもって、その家の主人に良い知らせがもたらせるということだ。

 カンナ223

 

『詠燈花同侯十一』 現代語訳と訳註

(本文)

詠燈花同侯十一

今夕知何夕,花然錦帳中。

自能當雪暖,那肯待春紅。

黃裡排金粟,釵頭綴玉蟲。

更煩將喜事,來報主人公。 

 

 

(下し文)

(燈花を詠ず侯十一と同じゅうす)

今夕 何の夕を知るや,花 然ゆ錦帳の中にら。 

自能く 雪に當って暖く,那ぞ肯えて春の紅なるを待たん。 

黃裡 金粟を排し,釵頭 玉蟲を綴る。 

更に煩わす 喜事を將って,來って主人公に報ぜよ。 

 

(現代語訳)

(侯喜君と同じように「燈花」を詠う。)

今日の夕方は何という夕方であろうか、燈火は花のように錦帳の中に燃えている。

おりしもこの時、雪が降って来たけれど燈火によって暖かく感じられる。これならどうして春の赤い花さく季節を待たねばならないのか、春の行楽で幔幕の中にいるのと同じではないか。

傍らにいる女は花鈿の化粧をし、花鈿の黄色の蕊の中には金粟を排しているのかと見ましがえるほどである。カンザシの先には、玉虫の羽をつづっている。そんな様に蚊帳の中ではいろんなものが面白く見えるのだ。

さらにこの燈火が明るく照らし続けてくれるので、わずらわしいことがおこる。というのはそんな寒い夜明るく照らしてくれるために赤ん坊がおなかに宿るという慶事の出来事がおこることでもって、その家の主人に良い知らせがもたらせるということだ。

 

(訳注)

詠燈花同侯十一

(侯喜君と同じように「燈花」を詠う。)

燈花 燈火に丁子ができたものであるが、普通に①. ともした明かり。とうか。ともし。  . 存在・実在などのあかしのたとえ。

同侯十一 『送侯喜』(賜暇を願い出た侯喜を許可し見送る)別に『喜侯喜至寄張籍張徹』五言古詩というのがあり韓愈の門下性である。また、821年、長慶元年『雨中寄張博士籍、侯主簿喜』の時は韓愈が國子祭酒の大学総長であり、長官であったので、主簿は大学書記官で直属上司であった。

○夜長の冬に明かりをともしていると、古女房でも燈火のもとでは花鈿を施し、奇麗なカンザシを付けた美しい妓女にも見えるので、赤ちゃんがおなかにできるという「六福喜事」の報告があるというもの、クソ真面目な韓愈のおやじギャグというところで面白い。玉台新詠や花間集に出て來る用語を使った詩でも韓愈だとこうなるのである。


 

今夕知何夕,花然錦帳中。

今日の夕方は何という夕方であろうか、燈火は花のように錦帳の中に燃えている。

錦帳 冬に暖をとるため部屋の中に衝立、蚊帳のように隙間風を防いだ。春には野外に幔幕を張って遊ぶというこよに喩えたもの。

花鈿02

自能當雪暖,那肯待春紅。
おりしもこの時、雪が降って来たけれど燈火によって暖かく感じられる。これならどうして春の赤い花さく季節を待たねばならないのか、春の行楽で幔幕の中にいるのと同じではないか。

春紅 春には赤い花が咲く。蚊帳の中で燈火を囲んでいることが、春の行楽で、幔幕の中花を囲んで女妓酒を呑み遊ぶことに喩えている。

 

黃裡排金粟,釵頭綴玉蟲。

傍らにいる女は花鈿の化粧をし、花鈿の黄色の蕊の中には金粟を排しているのかと見ましがえるほどである。カンザシの先には、玉虫の羽をつづっている。そんな様に蚊帳の中ではいろんなものが面白く見えるのだ。

金粟 金が米粒のように作ってある髪飾り。ここでは、額の化粧に花の蕊のような形に、黄色が金色に見えていることをいう。

鈿 花鈿の用語解説 - 仏粧は唐代に入ってからさらに中国の特徴的な化粧として完成した。〈的〉は紅で眉間にさまざまな紋様を描く〈花鈿(かでん)・花子(かし)〉に発達し,また唇の両側に黒点や緑点を描く〈靨鈿(ようでん)・粧靨(しようよう)〉がうまれた。さらに女子俑(よう)に見られるように両ほおに紅で華やかな草花模様を描くようになった。

 

更煩將喜事,來報主人公。 

さらにこの燈火が明るく照らし続けてくれるので、わずらわしいことがおこる。というのはそんな寒い夜明るく照らしてくれるために赤ん坊がおなかに宿るという慶事の出来事がおこることでもって、その家の主人に良い知らせがもたらせるということだ。

喜事 (1) めでたいこと,慶事. (2) 結婚,婚礼喜事結婚式を挙げる.カササギの鳴き声を聞くとよいことが起こると一般に言い伝えられている.六福喜事:赤ちゃんができることをいう。男女の結婚は、紅喜事と言い、お葬式は白喜事とされ、人間が生まれてから死後の法事まで、まとめて「白喜事」と言う。

主人公 その家の主人。
 

《送侯喜》韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <968>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3824韓愈詩-261

韓愈《送侯喜》 世の時勢に遅れてしまい、全くの落伍者になってしまったので、都登路の車馬絡駅の塵埃を一人トボトボと歩くというのが億劫になって、今日、賜暇を願い出て長官たる私と別れて何処へ行こうというのか、気分転換、心機一転の作としては大いに結構なことである。正月、一般の業務の始まるころまでにはどうしても帰ってきてもらわねばなるまい。


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《送侯喜》韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <968  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3824韓愈詩-261

 

 

年:820  元和十五年  53

卷別: 卷三四三  文體: 七言 

詩題: 送侯喜 

寫作地點: 長安(京畿道 / 京兆府 / 長安

交遊人物/地點: 侯喜 當地交遊(京畿道 京兆府 長安)

 

 

送侯喜

(賜暇を願い出た侯喜を許可し見送る)

已作龍鐘後時者,懶於街裡蹋塵埃。 

君はもうすでに衰老という世代になっていて、世の時勢に遅れてしまい、全くの落伍者になってしまったので、都登路の車馬絡駅の間を、塵埃を踏みつつ一人トボトボと歩くというのが億劫になってしまったようだ。

如今便別長官去,直到新年衙日來。 

それももっともな事であろうが、今日、賜暇を願い出て長官たる私と別れて何処へ行こうというのか、気分転換、心機一転の作としては大いに結構なことであるが、しかし、正月、一般の業務の始まるころまでにはどうしても帰ってきてもらわねばなるまい。

 

(侯喜を送る)

已に龍鐘【りょうしょう】時に後るるものと作り,於街裡【がいり】に塵埃【じんあい】を蹋むより懶【ものう】し。 

今の如き 便ち長官に別れて去り,直ちに新年の衙日【がじつ】に到って來【こら】れよ。 

甘粛省-嘉峪関 

 

『送侯喜』 現代語訳と訳註

(本文)

送侯喜

已作龍鐘後時者,懶於街裡蹋塵埃。 

如今便別長官去,直到新年衙日來。 

 

 

(下し文)

(侯喜を送る)

已に龍鐘【りょうしょう】時に後るるものと作り,於街裡【がいり】に塵埃【じんあい】を蹋むより懶【ものう】し。 

今の如き 便ち長官に別れて去り,直ちに新年の衙日【がじつ】に到って來【こら】れよ。 

 

(現代語訳)

(賜暇を願い出た侯喜を許可し見送る)

君はもうすでに衰老という世代になっていて、世の時勢に遅れてしまい、全くの落伍者になってしまったので、都登路の車馬絡駅の間を、塵埃を踏みつつ一人トボトボと歩くというのが億劫になってしまったようだ。

それももっともな事であろうが、今日、賜暇を願い出て長官たる私と別れて何処へ行こうというのか、気分転換、心機一転の作としては大いに結構なことであるが、しかし、正月、一般の業務の始まるころまでにはどうしても帰ってきてもらわねばなるまい。

杏の花0055 

(訳注)

送侯喜

(賜暇を願い出た侯喜を許可し見送る)

別に『喜侯喜至寄張籍張徹』五言古詩というのがあり韓愈の門下性である。また、821年、長慶元年『雨中寄張博士籍、侯主簿喜』の時は韓愈が國子祭酒の大学総長であり、長官であったので、主簿は大学書記官で直属上司であった。

 

已作 龍鐘 後時 ,懶於 街裡 塵埃

君はもうすでに衰老という世代になっていて、世の時勢に遅れてしまい、全くの落伍者になってしまったので、都登路の車馬絡駅の間を、塵埃を踏みつつ一人トボトボと歩くというのが億劫になってしまったようだ。

「已作」すでに~と作す。

「龍鐘」衰老という世代になっているころ。生理狀態で、老いてる状況をいう。『除官赴闕至江州寄鄂岳李大夫』「盆城去鄂渚,風便一日耳。不枉故人書,無因帆江水。故人辭禮闈,旌節鎮江圻。而我竄逐者,龍鐘初得歸。 (官を除せられて闕に赴むいて江州に至り 鄂岳 李大夫に寄す)盆城は、鄂渚を去る,風便 一日 のみ。故人の書を枉げざれば,江水に帆する因無し。故人 禮闈【れいい】を辭し,旌節 江圻【こうさ】を鎮す。而【しか】も我 竄逐【ざんちく】の者,龍鐘【りょうしょう】初めて歸るを得たり。

「後時者」世の時勢に遅れてしまい、全くの落伍者。

「街裡蹋塵埃」都登路の車馬各駅の間を塵埃をふぃみつつつ一人トボトボと歩く。

 

 

如今 便別 長官 ,直到 新年 衙日

それももっともな事であろうが、今日、賜暇を願い出て長官たる私と別れて何処へ行こうというのか、気分転換、心機一転の作としては大いに結構なことであるが、しかし、正月、一般の業務の始まるころまでにはどうしても帰ってきてもらわねばなるまい。

「別長官」賜暇を願い出て長官たる私と別れる。

「去」何処へ行こうということ。

「到」帰ってきてもらわねばなるまい。

「新年衙日來」節慶、新年正月、一般の業務の始まるころまでにはどうしても。

 10risho長安城の図035

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