韓愈(韓退之) 燕喜亭記#7§3-2
宜其於山水飫聞而厭見也。
今其意乃若不足,《傳》曰:「知者樂水,仁者樂山」。
宏中之德與其所好,可謂協矣。
智以謀之,仁以居之,吾知其去是而羽儀於天朝也不遠矣。
遂刻石以記。
だから、その山水において、飽くまで風、水の音を聞き、飽くまで常緑の山河を見ることを楽しまれたのも尤ものことである。ところが今、王宏中の心は、それにも拘らず、満足されていないようである。古人の言を伝える書、『論語』にいう、「智者は水を楽【この】み、仁者は山を楽む」と。王宏中の徳は、その好む所の山や水と善く協【かな】っているということができる。その智はそれで以て物事を謀り考え、仁愛の徳はそれを以て、常に心安んじておられるということである。私には、王宏中がこの地を去って天朝に用いられることは遠くないことがわかるのである。
そこで、そのままこれを石に刻んで記すのである。
87-#7 燕喜亭記 韓愈(韓退之) 804年貞元20年 37歳<1514> Ⅱ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6554
韓愈詩-87-#7
燕喜亭記
(韓愈と同様連州に左遷された王宏中と釋景常と惠師即元惠らと四阿を建てたのでその様を記したもの)
§1-1
太原王宏中在連州,與學佛人景常元慧遊,
大原の王弘中は連州にあって、仏教を学ぶ人、釋景常と惠師即元惠の二人と交わっている。
異日從二人者,行於其居之後,邱荒之間,上高而望,得異處焉。
或る日、二人を従えて、その住居の後方、草木の繁り荒れた丘の間に行き、高みに上って遠くを眺め、すぐれた景色の場所を見つけた。
斬茅而嘉樹列,發石而清泉激,
そこで茅萱を斬り、憲い木が立ちならび、石を掘り出して、清水がほとばしり湧き出した。
輦糞壤,燔椔翳。
悪い土壌を手押し車で運び去り、立ち枯れの木や仆れた枯れ木をあつめて焼き払う。
燕喜亭記§1-1
太原の王弘中は連州に在り。佛を学ぶ人景常・元慧と游ぶ。
異日二人の者に従って、其の居の後、荒邸の間に行き、高きに上って望み、異處を得たり。
茅を斬って嘉樹列り、石を發【あば】いて清泉激す。
糞壤を輦し、椔【し】翳を燔【や】く。
#2§1-2
卻立而視之,出者突然成邱,
あとずさりしてこれをよく見ると、出張っているものは突き出て丘となる。
陷者呀然成穀,窪者為池,而闕者為洞,
落ち込んでいるものは、口をあいたように谷となり、くぼんでいるものは池となり、欠けている所は洞穴となっている。
若有鬼神異物陰來相之。
まるで目に見えぬ霊魂や神、妖怪が、ひそかに来て手伝ってくれたかのように、すはらしくよい眺めになった。
自是宏中與二人者,晨往而夕忘歸焉,
これから宏中と二人の僧とは、朝早く行って、夕暮れにはあまりの楽しさに志るのを忘れるというありさまであった。
乃立屋以避風雨寒暑。
そこで東屋を立てて、風雨寒暑を避けることにした。
§1-2
卻立して之を視るに、出づる者は突然として邱を成し、
陥る者は冴然として穀を成し、窪める者は池と為りて、闕くる者は洞と為り、
鬼神異物、陰に来って之を相くること有るが若し。
是より弘中二人の者と、晨に往いて夕に歸るを忘る。
乃ち臣を立てて以て風雨寒暑を避く。
§2-1
既成,愈請名之,其邱曰「俟德之邱」,
やがで、亭ができ上がった。私、韓愈はこれに名をつけたいと申し出て、その丘を「俟德の丘」という。
蔽於古而顯於今,有俟之道也;
これは、昔は蔽われて世に知られず、今になって顕れたのは、俟(待つ) の道理があったからである。
其石穀曰「謙受之穀」,瀑曰「振鷺之瀑」,
その石の谷を「謙受の谷」といい、瀑を「振鷺の瀑」という。
穀言德,瀑言容也;
これは谷の徳性が、虚しくてへりくだり受け入れるのをいい、操の様子、姿が白いことをいうのである。
其土穀曰「黃金之穀」,
その土の谷を「黄金の谷」という。
既に成る。愈 之に名けんと請ふ。其の邱を「俟德の邱」と日う。
古に蔽ぼれて今に顯わる。俟つの道有るなり。
其の石谷を「謙愛の谷」と日い、瀑を振鷺の瀑と日う。
谷は徳を言ひ、瀑は容を言ふなり。
其の土谷を「黄金の谷」と日う。
§2-2
瀑曰「秩秩之瀑」,穀言容,
その瀑を「秩秩の瀑」という。これは、谷はその土が黄色い姿からいうのである。
瀑言德也;洞曰「寒居之洞」,誌其入時也;
瀑はその性格が、順序正しく落ちていることをいうのである。洞穴を「寒居の洞」という。そこに入る時に、寒気を覚えたのを記念したのである。
池曰「君子之地」,虛以鍾其美,盈以出其惡也;
池を「君子の池」という。それは中が虚しくて、その美しいものを集めていて、水が満ち溢れるときには、その悪水汚物を流し出してしまうからである。
泉之源曰「天澤之泉」,出高而施下也;
泉の源を「天沢の泉」という。高い所に出て、低い所に施しめぐむので、天のうるおしめぐむのに似ているからである。
瀑を「秩秩の操」と日い、谷は容を言う。
瀑は徳を言ふなり。洞を「寒居の洞」と日ふ。其の入る時を志すなり。
池を「君子の池」と日ふ。虚以て其の美を鍾め、盈以て其の悪を出すなり。
泉の源を「天澤の泉」と日ふ。高きに出でて下きに施すなり。
§2-3
合而名之以屋曰「燕喜之亭」,
これに合わせて建物に“飲宴して喜ぶ”という意味で「燕喜亭」という名をつけた。
取詩所謂「魯侯燕喜」者頌也。
『詩経』魯頌悶宮篇にいう所の「魯侯燕喜す」というのに取ってほめたたえたのである。
於是州民之老,聞而相與觀焉,
そこで、ここの州の人民の年寄りが、このことを聞きつけて、相い連れ立って観に来たのである。
曰:吾州之山水名天下,然而無與「燕喜」者比。
そして、云ったのである、“わが州の山水は天下に有名であるが、しかし「燕喜」というこの亭の山水と比べられるものはない。”と。
經營於其側者相接也,而莫直其地。
其の近所に亭を築いたものが、相い接しているのである。しかしこの地の風景に匹敵するものはないのである。
凡天作而地藏之,以遺其人乎?
およそ天がこれを作り、地がこれを今まで蔵しておいて、それを発見する人を待って贈ったのであろうか。
合せて之に名くるに屋を以てして、「燕音の亭」と日ふ。
詩に所謂「魯侯燕喜」する者に取る頌なり。
是に於て州民の老、聞いて相異に観る。
日く、吾が州の山水天下に名あり。然り而して「燕書」といふ者と比する無しと。
其の側に経営する者相接するなり。而も其の地に直る美し。
凡そ天作りて地之を癒し、以て其の人に逼るか。
§3-1
宏中自吏部郎貶秩而來,次其道途所經,
宏中は吏部郎から官位をおとされてこの地に来られたがその道の経て来た所を順次にあげれば、
自藍田入商洛,涉淅湍,臨漢水,升峴首以望方城;
先ず藍田から商山、洛水の地に入り、河南の淅水・湍水を渡り、漢水に臨み、湖北省の峴首山に升り、方城山を望み、
出荊門,下岷江,過洞庭,上湘水,行衡山之下;
荊門を出て、岷江を下り、洞庭湖を過ぎて、湘水に上って、衡山の麓を行き、
繇郴逾嶺,蝯狖所家,魚龍所宮,極幽遐瑰詭之觀。
郴州に寄りそうようにして、五嶺山脈を越えて、猿や黒猿の住む深山、魚龍などの栖む深い水など、奥深く遠く珍しく怪しく美しい眺めを極めて来られた
§3-1
宏中自吏部郎より秩を貶して來り,其の道途 經る所を次する。
藍田より商洛に入り,淅湍を涉り,漢水に臨み,峴首に升って以て方城を望む。
荊門を出て,岷江を下り,洞庭を過ぎて,湘水に上り,衡山の下に行く。
郴に繇り嶺を逾え,蝯狖【えんゆう】の家する所,魚龍の宮する所,幽遐 瑰詭の觀を極む。
§3-2
宜其於山水飫聞而厭見也。
だから、その山水において、飽くまで風、水の音を聞き、飽くまで常緑の山河を見ることを楽しまれたのも尤ものことである。
今其意乃若不足,《傳》曰:「知者樂水,仁者樂山」。
ところが今、王宏中の心は、それにも拘らず、満足されていないようである。古人の言を伝える書、『論語』にいう、「智者は水を楽【この】み、仁者は山を楽む」と。
宏中之德與其所好,可謂協矣。
王宏中の徳は、その好む所の山や水と善く協【かな】っているということができる。
智以謀之,仁以居之,
その智はそれで以て物事を謀り考え、仁愛の徳はそれを以て、常に心安んじておられるということである。
吾知其去是而羽儀於天朝也不遠矣。
私には、王宏中がこの地を去って天朝に用いられることは遠くないことがわかるのである。
遂刻石以記。
そこで、そのままこれを石に刻んで記すのである。
§3-2
宜しく其の山水に於て聞くに飫きて見るに厭くべきなり。
今其の意乃ち足らざるが若し。《傳》に日く、智者は水を樂み、仁者は山を樂むと。
宏中の徳は、其の好む所と協ふと謂ふ可し。
智以て之を謀り、仁以て之に居る。
吾其の是を去って天朝に羽儀するや遠からざるを知る。
遂に石に刻して以て記す。
『燕喜亭記』 現代語訳と訳註解説
(本文)
§3-2
宜其於山水飫聞而厭見也。
今其意乃若不足,《傳》曰:「知者樂水,仁者樂山」。
宏中之德與其所好,可謂協矣。
智以謀之,仁以居之,
吾知其去是而羽儀於天朝也不遠矣。
遂刻石以記。
(下し文)
§3-2
宜しく其の山水に於て聞くに飫きて見るに厭くべきなり。
今其の意乃ち足らざるが若し。《傳》に日く、智者は水を樂み、仁者は山を樂むと。
宏中の徳は、其の好む所と協ふと謂ふ可し。
智以て之を謀り、仁以て之に居る。
吾其の是を去って天朝に羽儀するや遠からざるを知る。
遂に石に刻して以て記す。
(現代語訳)
§3-2
だから、その山水において、飽くまで風、水の音を聞き、飽くまで常緑の山河を見ることを楽しまれたのも尤ものことである。
ところが今、王宏中の心は、それにも拘らず、満足されていないようである。古人の言を伝える書、『論語』にいう、「智者は水を楽【この】み、仁者は山を楽む」と。
王宏中の徳は、その好む所の山や水と善く協【かな】っているということができる。
その智はそれで以て物事を謀り考え、仁愛の徳はそれを以て、常に心安んじておられるということである。
私には、王宏中がこの地を去って天朝に用いられることは遠くないことがわかるのである。
そこで、そのままこれを石に刻んで記すのである。
(訳注) §3-2
燕喜亭記
(韓愈と同様連州に左遷された王宏中と釋景常と惠師即元惠らと四阿を建てたのでその様を記したもの)
宜其於山水飫聞而厭見也。
だから、その山水において、飽くまで風、水の音を聞き、飽くまで常緑の山河を見ることを楽しまれたのも尤ものことである。
○飫 飽く、あくまで。
○厭 嬰()と同じ。いやになるほど……する。
今其意乃若不足,《傳》曰:「知者樂水,仁者樂山」。
ところが今、王宏中の心は、それにも拘らず、満足されていないようである。古人の言を伝える書、『論語』にいう、「智者は水を楽【この】み、仁者は山を楽む」と。
○傳日 《論語‧雍也》篇“子曰:『知者樂水,仁者樂山;知者動,仁者靜;知者樂,仁者壽。』”(子日く、知者は水を楽(警み、仁者は山を楽(巴む。知者は動き、仁者は静かなり。知者は楽【この】み、仁者は寿【いのちなが】し」とある。「孔子說:『智者喜愛水,仁者喜愛山;智者好動,仁者好靜;
智者快樂,仁者長壽。』」とある。朱子注に“知者は事理に達して、周流して滞ることなきは水に似たるあり、故に水を楽む。仁者は義理に安んじて、厚重にして遷らざるは、山に似たるあり。故に山を楽む”という。楽の字は「このむ」と読む説と、「たのしむ」と読む説とがある。韓愈はその後に「其所好」というのによれば、「このむ」と読んだようである。智者は知者とするのが正しいとする。
宏中之德與其所好,可謂協矣。
王宏中の徳は、その好む所の山や水と善く協【かな】っているということができる。
智以謀之,仁以居之,
その智はそれで以て物事を謀り考え、仁愛の徳はそれを以て、常に心安んじておられるということである。
吾知其去是而羽儀於天朝也不遠矣。
私には、王宏中がこの地を去って天朝に用いられることは遠くないことがわかるのである。
○羽儀 鴻の鳥はその進退が優美でその羽振りは儀表(手本)となるという意味、転じて人の模範となることをいう。『易』漸の卦に「鴻漸于陸;其羽可用為儀。」(鴻陸【みち】(天路)に漸【すす】む。其羽以て儀と為す可し)とある。韓愈はここでは、貴ぶべく法るべき儀容を以て朝廷に出仕する意に用いた。
遂刻石以記。
そこで、そのままこれを石に刻んで記すのである。



















