中唐詩人選集【Ⅰ李商隠-150】Ⅱ韓退之(韓愈)Ⅶ孟郊(東野)  漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩 訳注解説ブログ

Ⅰ李商隠は難解詩といわれている。約150首紹介済。(晩唐詩人) Ⅱ韓退之(韓愈)-約500首Ⅶ孟郊、中唐の詩人を掲載中。万物の性(さが)をテーマにした哲学的な詩。このブログは基本的に中唐詩人を中心にして掲載する予定。 韓愈詩文のこれまでの掲載分とこれから掲載予定分を時系列で整理した2014.3.29のブログに集約してそこから各年次を見ることができる  kanbuniinkai 検索で、《漢文委員会HP05》サイトあります。漢詩唐詩を理解するための総合サイト:≪漢文委員会 漢詩07≫。

少し、マニアックな晩唐詩人Ⅰ-李商隠150首をまず掲載済み。中唐は盛唐詩人(孟浩然・王維、杜甫、李白)を受け継いだ多様な詩人が出ている。この時代も驚くほど詩が発展している。Ⅱ韓退之(韓愈)500首、Ⅲ柳宗元40首、Ⅳ韋応物、Ⅴ劉長卿、Ⅵ韋荘、Ⅶ孟郊(孟東野)、Ⅷ張籍、Ⅸ賈島、Ⅹ劉禹錫、ほか2012~2020年の予定で気長に進める。同じ中唐ではあるが、白居易のグループについては、李白のブログ350首(2015/6月再開~2018/夏・秋月予定)の後掲載の予定。別に杜甫詩ブログ1500首(2011/7月~2018/8月の予定で)を進行中。詩数につぃては、予定の詩数より多くなる。気まぐれなところがあるのでこの予定が少し変わる場合があり、その節はご容赦ください。                 古詩・謝霊運詩 杜甫詩 韓愈詩 花間集500首全詩 それぞれ毎日ブログしています。 このブログ、索引=語句の「検索」 参考書以上掲載。漢詩力up。

index-12 820年元和15年 53歳

403 《早春與張十八博士籍遊楊尚書林亭,寄第三閣老兼呈白馮二閣老》韓愈(韓退之)ID Index-12-504 Ⅱ韓昌黎集<1088>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4424韓愈詩-403

(早春の頃、張籍博士と楊尚書の林亭に遊び、この亭の主の楊嗣復にこの詩を寄せ、それと共に白居易と馮宿にお見せした詩である。【中書省に務める三人、楊嗣復、白居易、馮宿の三人は朝廷そのものが冬の様なものだけど適材であるし、よく務めている、そのままずっといてもらいたい】)楊尚書の別邸にある牆下の溝水は、流れて宮城の濠に入るが、いましも春のはじめ、渠中の氷は暖気のためにことごとく砕けて、渠中にいっぱいに泛んでいる。

 
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 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
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403 《早春與張十八博士籍遊楊尚書林亭,寄第三閣老兼呈白馮二閣老》韓愈(韓退之)ID Index-12-504 Ⅱ韓昌黎集<1088  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4424韓愈詩-403

 

 

製作年:  822  長慶二年  55

卷別: 卷三四四  文體: 七言 

詩題: 早春與張十八博士籍遊楊尚書林亭,寄第三閣老兼呈白馮二閣老

【白居易、馮宿也。第三閣老,楊於陵之子嗣復也。】 

作地點:長安(京畿道 / 京兆府 / 長安

及地點:楊尚書林亭 (京畿道 京兆府 長安)     

交遊人:張籍  當地交遊(京畿道 京兆府長安)

 楊嗣復 書信往來(京畿道 京兆府 長安)

 白居易 書信往來(京畿道 京兆府 長安)

 馮宿  書信往來(京畿道 京兆府 長安)

 

早春與張十八博士籍遊楊尚書林亭,寄第三閣老兼呈白馮二閣老

牆下春渠入禁溝,渠冰初破滿渠浮。

鳳池近日長先暖,流到池時更不流。

 (早春の頃、張籍博士と楊尚書の林亭に遊び、この亭の主の楊嗣復にこの詩を寄せ、それと共に白居易と馮宿にお見せした詩である。【中書省に務める三人、楊嗣復、白居易、馮宿の三人は朝廷そのものが冬の様なものだけど適材であるし、よく務めている、そのままずっといてもらいたい】

楊尚書の別邸にある牆下の溝水は、流れて宮城の濠に入るが、いましも春のはじめ、渠中の氷は暖気のためにことごとく砕けて、渠中にいっぱいに泛んでいる。

中書省は、鳳凰池の称があって、もし実際池があったなら、この頃、真っ先に水が暖かくなっているに相違なく、この渠水が、やがてその池に灌ぎこめばそこに停蓄して、もはや流れることはないだろう。(だからみんなでもう少しここに居ましょう)

早春 張十八博士籍 と楊尚書の林亭に遊び,第三閣老に寄せ兼ねて白馮 二閣老に呈す。

牆下の春渠 禁溝に入り,渠冰 初めて破れて渠に滿ちて浮ぶ。

鳳池 日に近く長く先ず暖かなり,流れて池に到る時に更に 流れず。

寒梅000 

 

『早春與張十八博士籍遊楊尚書林亭,寄第三閣老兼呈白馮二閣老』 現代語訳と訳註

(本文)

早春與張十八博士籍遊楊尚書林亭,寄第三閣老兼呈白馮二閣老

牆下春渠入禁溝,渠冰初破滿渠浮。

鳳池近日長先暖,流到池時更不流。

 

 

(下し文)

早春 張十八博士籍 と楊尚書の林亭に遊び,第三閣老に寄せ兼ねて白馮 二閣老に呈す。

牆下の春渠 禁溝に入り,渠冰 初めて破れて渠に滿ちて浮ぶ。

鳳池 日に近く長く先ず暖かなり,流れて池に到る時に更に 流れず。

 

 

(現代語訳)

(早春の頃、張籍博士と楊尚書の林亭に遊び、この亭の主の楊嗣復にこの詩を寄せ、それと共に白居易と馮宿にお見せした詩である。【中書省に務める三人、楊嗣復、白居易、馮宿の三人は朝廷そのものが冬の様なものだけど適材であるし、よく務めている、そのままずっといてもらいたい】

楊尚書の別邸にある牆下の溝水は、流れて宮城の濠に入るが、いましも春のはじめ、渠中の氷は暖気のためにことごとく砕けて、渠中にいっぱいに泛んでいる。

中書省は、鳳凰池の称があって、もし実際池があったなら、この頃、真っ先に水が暖かくなっているに相違なく、この渠水が、やがてその池に灌ぎこめばそこに停蓄して、もはや流れることはないだろう。(だからみんなでもう少しここに居ましょう)

DCF00198 

 

(訳注)

早春與張十八博士籍遊楊尚書林亭,寄第三閣老兼呈白馮二閣老

(早春の頃、張籍博士と楊尚書の林亭に遊び、この亭の主の楊嗣復にこの詩を寄せ、それと共に白居易と馮宿にお見せした詩である。【中書省に務める三人、楊嗣復、白居易、馮宿の三人は朝廷そのものが冬の様なものだけど適材であるし、よく務めている、そのままずっといてもらいたい】

【白居易、馮宿也。第三閣老,楊於陵之子嗣復也。】

第三閣老は楊於陵の子、嗣復であり、嗣復の家の林亭である。白馮は白居易と馮宿である。張籍博士、と共に白居易と馮宿らと楊嗣復の家の林亭で遊んだ

楊嗣復783年-848年),字繼之,又は字を慶門といい,虢州弘農(今河南省靈寶縣)の人である。

楊於陵の次男で,楊虞卿の一族兄弟である。八能く文をつくる,主考官權 德輿錄の進士と為る,二十博學宏詞科に登り,宰相武元衡に到って賞識を受る。李德裕の政を輔け,湖南觀察使に転じられ。會昌元年(841年)三月被って潮州に貶せられる。唐宣宗の大中の初めに,召されて吏部尚書を為す。卒した諡は孝穆。

白居易 唐の代表的文学者。香山居士と号した。太原(山西省)の人。字により,白楽天とよばれることが多い。家は貧しかったが勉学にはげみ,科挙及第ののち803(貞元19)に任官した。806(元和1)厔(ちゆうちつ)県(陝西省)の尉となり,このとき《長恨歌》を作って詩人としての名声を得た。次いで中央政府入りして翰林学士となり,左拾遺に昇進し,当時の天子憲宗に気に入られ,しばしば意見書を呈上,さらに昇進を重ねて太子左賛善大夫に至ったが,815(元和10)の上奏文が原因で江州(江西省)の司馬に左遷された。

張籍 中唐の詩人。字は文昌。和州烏江(安徽省)あるいは東郡(河南省)の人といわれる。貞元15(799)の進士で国子司業などをつとめる。韓愈の門下のひとり。とりわけ楽府(がふ)に長じ,僚友の王建の作とともに〈張王楽府〉と並称される。官僚としては不遇だった彼には〈征婦怨〉や〈築城詞〉など民衆の苦痛を訴え,為政者を批判する作品が多く,その点杜甫,元結の詩風を受け継ぎ,同時代の大詩人で友人でもあった白居易が絶賛している。

馮宿 766年—836年),字は拱之,婺州の人。貞元中、進士の第に登る。張建封,辟して掌書記と為す。長慶の初め刑部郎中を以て知制誥,太和の初め河南尹と為る。工,刑,二部の郎中,東川節度使を歴たり。集,四十巻。今,詩,二首を存す。

 

牆下春渠入禁溝,渠冰初破滿渠浮。

楊尚書の別邸にある牆下の溝水は、流れて宮城の濠に入るが、いましも春のはじめ、渠中の氷は暖気のためにことごとく砕けて、渠中にいっぱいに泛んでいる。

 

鳳池近日長先暖,流到池時更不流。

中書省は、鳳凰池の称があって、もし実際池があったなら、この頃、真っ先に水が暖かくなっているに相違なく、この渠水が、やがてその池に灌ぎこめばそこに停蓄して、もはや流れることはないだろう。(だからみんなでもう少しここに居ましょう)

鳳池 中書省をいう。鳳凰池 1.禁苑中の池沼をいう。魏晋南北朝の時、省が禁苑にせっちされ掌管机要される。皇帝にもっとも接近した場所にありそのため中書省を鳳凰池と呼ぶようになる。2.唐代になると宰相の中書門下平章事をじようによぶようになる。3. 美しい池水をいうこと。4硯石 

 

 

和韓侍郎題楊舎人林池見寄  白居易

渠入暗流春凍解。風吹日炙不成凝。

鳳池冷暖君諳在。二月因何更有氷。

 楊貴妃清華池002

504-3 《祭柳子厚文》韓愈(韓退之)ID Index-12-504 Ⅱ唐宋八大家読本巻六<1083>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4399韓愈詩-504-3

君のような立派な文章が世間に用いられないでいる。それなのにわれわれのような凡手に天子の詔勅を掌らしめられる。君は人と比べ見た場合、自分の先に出るものはないと思っておられたであろう。それなのに、再び斥けられて朝廷に帰ることができず、群れ飛ぶ小鳥が天を刺して昇るに似て、小才のものほど栄達しているのである。

 
 2014年6月24日の紀頌之5つのブログ 
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 Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
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18-#3 《古風五十九首之十八》Index-32Ⅳ-7 753年天寶十二年53歳582<18-#3> Ⅰ李白詩1170 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4398 
 孟浩然 詩 index李白詩index謝霊運 詩 index司馬相如 《 子虛賦 ・上林賦 》揚雄 《 甘泉賦 》 ●諸葛亮(孔明)出師表 
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504-3 《祭柳子厚文》韓愈(韓退之)ID Index-12-504 Ⅱ唐宋八大家読本巻六<1083>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4399韓愈詩-504-3 
 ・李商隠詩 (1) 136首の75首・李商隠詩 (2) 135首の61首●韓愈index-1 ・孟郊、張籍と交遊・汴州乱41首●韓愈詩index-2[800年 33歳~804年 37歳]27首●韓愈詩index-3 805年 38歳・]陽山から江陵府 36首●韓愈詩index-4 806年 39歳 江陵府・権知国子博士 51首(1)25首 
 index-5 806年39歳 50首の(2)25首index-6[807年~809年 42歳]20首index-7[810年~811年 44歳] 34首index-8 [812年~814年47歳]46首index-9[815年~816年 49歳] 57首index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首 
 index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首index-13 821年~822年 55歳 22首index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首韓愈 哲学・儒学「五原」賦・散文・上奏文・碑文など 
 孟郊張籍     
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 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
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504-3 《祭柳子厚文》韓愈(韓退之)ID Index-12-504 Ⅱ唐宋八大家読本巻六<1083  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4399韓愈詩-504-3

 

 

祭柳子厚文

1(1段目#1)

維年月日。韓愈謹以淸酌庶羞之奠、祭于亡友柳子厚之靈。

これの年月日に、韓愈は謹んで清酒ともろもろの肴を供えて、亡友 柳子厚の霊をお祭りいたすのである。

嗟嗟、子厚而至然邪。

ああ、子厚であろうものが、どうして自分のおもいとは違って死に至ったのであろうか。

自古莫不燃。我又何嗟。

昔から死なないものはないのであるから、それを私はこの上どうして嗟こうか。

人之生世、如夢一覺。

其閒利害、竟亦何校。

その間に発生する利害は、結局、また、何のために比較などしようものか。比較しても仕方のないことで、問題ではないのである。

當其夢時、有樂有悲。

その夢をみているその時は、楽しみもあり、悲しみもあるものである。

 

2(1段目#2)

及其既覺、豈足追惟。

凡物之生、不願爲材。

犧尊靑黄、乃木之災。

子之中棄、天脱馽羈。

玉佩瓊琚、大放厥辭。

富貴無能、磨滅誰紀。

その夢がさめてからあとになって、どうしてそのことを考えなおすだけの値打があろうか。

凡そ物が世に生ずる際に、そのものが有用の材となることをはじめから願っているわけではない。

白玉の佩びものや瓊玉(美玉)の佩び玉のような美しい文章に、その辞句を思う存分に振るった。

富んで貴い者でも、材能がなければ、その人の名はやがて磨り滅んで誰が記録する者があろうか。

 

 

3(1段目#3)

子之自著、表表愈偉。

不善爲斲、血指汗顔。

巧匠旁觀、縮手袖閒。

子之文章、而不用世、

乃令吾徒、嘗帝之制。

子之視人、自以無前。

一斥不復。羣飛刺天。

君が自分自身を著すところの文章は大いに表れて益々すぐれている。

木の削り方を善くせずして、そのうえ指から血を出し、顔には汗を流して苦しむものもいる。

巧みな工匠は傍らで観ているだけで、手を袖の中で縮めて手出しをしないものである。

君のような立派な文章が世間に用いられないでいる。

それなのにわれわれのような凡手に天子の詔勅を掌らしめられる。

君は人と比べ見た場合、自分の先に出るものはないと思っておられたであろう。

それなのに、再び斥けられて朝廷に帰ることができず、群れ飛ぶ小鳥が天を刺して昇るに似て、小才のものほど栄達しているのである。

 

 

(柳子厚を祭る文)

 維【こ】れ年月日、韓愈謹んで淸酌 庶羞【しょしゅう】の奠【てん】を以って、亡友柳子厚の霊を祭る。

嗟嗟(ああ)、子厚にして然るに至れるか。

古より然らざるは莫し。我また何ぞ嗟【なげ】かん。

人の世に生くるは、夢の一覚するが如し。

その間の利害、竟に亦何ぞ校【はか】らん。

その夢みるの時に当たって、楽しみ有り悲しみ有り。

 

その既に覚むるに及んで、豈に追惟【ついい】するに足らんや。

 凡そ物の生ずる、材たるを願わず。

犠尊【ぎそん】の青黄【せいこう】は、乃ち木の災いなり。

子の中ごろ棄てらるる、天の馽羈【ちゅうき】を脱するなり。

玉佩瓊琚【けいきょ】、大いにその辞を放【ほしいまま】にす。

富貴にして能無きは、磨滅して誰か紀さん。

 

子の自ら著せるは、表表として愈【いよい】よ偉【い】なり。

 善く斲【けず】ることを為さざるものは、指を血にし、顔を汗にす。

巧匠【こうしょう】 旁観して、手を袖間【しゅうかん】に縮む。

子の文章にして、世に用いられず、

乃ち吾が徒をして、帝の制を掌【つかさど】らしむ。

子の人を視ること、自ら前無しと以【おも】う。

一たび斥【しりぞ】けられて復【かえ】らず。群飛するもの天を刺す。

 

 

『祭柳子厚文』 現代語訳と訳註

(本文)

 

3(1段目#3)

子之自著、表表愈偉。

不善爲斲、血指汗顔。

巧匠旁觀、縮手袖閒。

子之文章、而不用世、

乃令吾徒、嘗帝之制。

子之視人、自以無前。

一斥不復。羣飛刺天。

 

 

 

(下し文)

子の自ら著せるは、表表として愈【いよい】よ偉【い】なり。

 善く斲【けず】ることを為さざるものは、指を血にし、顔を汗にす。

巧匠【こうしょう】 旁観して、手を袖間【しゅうかん】に縮む。

子の文章にして、世に用いられず、

乃ち吾が徒をして、帝の制を掌【つかさど】らしむ。

子の人を視ること、自ら前無しと以【おも】う。

一たび斥【しりぞ】けられて復【かえ】らず。群飛するもの天を刺す。

 

(現代語訳)

君が自分自身を著すところの文章は大いに表れて益々すぐれている。

木の削り方を善くせずして、そのうえ指から血を出し、顔には汗を流して苦しむものもいる。

巧みな工匠は傍らで観ているだけで、手を袖の中で縮めて手出しをしないものである。

君のような立派な文章が世間に用いられないでいる。

それなのにわれわれのような凡手に天子の詔勅を掌らしめられる。

君は人と比べ見た場合、自分の先に出るものはないと思っておられたであろう。

それなのに、再び斥けられて朝廷に帰ることができず、群れ飛ぶ小鳥が天を刺して昇るに似て、小才のものほど栄達しているのである。

 

 

(訳注) 3(1段目#3)

祭柳子厚文

○柳宗元は、中国中唐の文学者・政治家。字は子厚。本籍地の河東から、「柳河東」「河東先生」と呼ばれる。また、その最後の任地にちなみ「柳柳州」と呼ばれることもある。王維や孟浩然らとともに自然詩人として名を馳せた。散文の分野では、韓愈とともに宋代に連なる古文復興運動を実践し、唐宋八大家の1人に数えられる。

子厚は不遇ではあったが文章に巧みであったことをいう。文章のこと、政治上の業績、及び交遊の情の深かったことなどをあわせ述べているが、その重点は文章のことにあった。

《394柳州羅池廟碑》韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <998  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3974韓愈詩-271

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子之自著、表表愈偉。

君が自分自身を著すところの文章は大いに表れて益々すぐれている。

 

不善爲斲、血指汗顔。

木の削り方を善くせずして、そのうえ指から血を出し、顔には汗を流して苦しむものもいる。

○不善爲斲 上手に木を斬ることをしない。

 

巧匠旁觀、縮手袖閒。

巧みな工匠は傍らで観ているだけで、手を袖の中で縮めて手出しをしないものである。

 

子之文章、而不用世、

君のような立派な文章が世間に用いられないでいる。

 

乃令吾徒、嘗帝之制。

それなのにわれわれのような凡手に天子の詔勅を掌らしめられる。

○制詔勅文をいう。

 

子之視人、自以無前。

君は人と比べ見た場合、自分の先に出るものはないと思っておられたであろう。

○無前プゼソと読んでもよい。その先のものがない。第一位の意味。

 

一斥不復。羣飛刺天。

それなのに、再び斥けられて朝廷に帰ることができず、群れ飛ぶ小鳥が天を刺して昇るに似て、小才のものほど栄達しているのである。

○群飛 むれとぶ小鳥、小才の人を比する。

○刺天 天を刺すように高く昇る。高位に登ること。

 






504-2 《祭柳子厚文》韓愈(韓退之)ID Index-12-504 Ⅱ唐宋八大家読本巻六<1082>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4394韓愈詩-504-2

柳宗元は、中国中唐の文学者・政治家。字は子厚。本籍地の河東から、「柳河東」「河東先生」と呼ばれる。また、その最後の任地にちなみ「柳柳州」と呼ばれることもある。王維や孟浩然らとともに自然詩人として名を馳せた。散文の分野では、韓愈とともに宋代に連なる古文復興運動を実践し、唐宋八大家の1人に数えられる。

 
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祭柳子厚文

1(1段目#1)

維年月日。韓愈謹以淸酌庶羞之奠、祭于亡友柳子厚之靈。

嗟嗟、子厚而至然邪。

自古莫不燃。我又何嗟。

人之生世、如夢一覺。

其閒利害、竟亦何校。

當其夢時、有樂有悲。

これの年月日に、韓愈は謹んで清酒ともろもろの肴を供えて、亡友 柳子厚の霊をお祭りいたすのである。

ああ、子厚であろうものが、どうして自分のおもいとは違って死に至ったのであろうか。

昔から死なないものはないのであるから、それを私はこの上どうして嗟こうか。

その間に発生する利害は、結局、また、何のために比較などしようものか。比較しても仕方のないことで、問題ではないのである。

その夢をみているその時は、楽しみもあり、悲しみもあるものである。

 

2(1段目#2)

及其既覺、豈足追惟。

凡物之生、不願爲材。

犧尊靑黄、乃木之災。

子之中棄、天脱馽羈。

玉佩瓊琚、大放厥辭。

富貴無能、磨滅誰紀。

その夢がさめてからあとになって、どうしてそのことを考えなおすだけの値打があろうか。

凡そ物が世に生ずる際に、そのものが有用の材となることをはじめから願っているわけではない。

白玉の佩びものや瓊玉(美玉)の佩び玉のような美しい文章に、その辞句を思う存分に振るった。

富んで貴い者でも、材能がなければ、その人の名はやがて磨り滅んで誰が記録する者があろうか。

 

 

3(1段目#3)

子之自著、表表愈偉。

不善爲斲、血指汗顔。

巧匠旁觀、縮手袖閒。

子之文章、而不用世、

乃令吾徒、嘗帝之制。

子之視人、自以無前。

一斥不復。羣飛刺天。

 

 

(柳子厚を祭る文)

 維【こ】れ年月日、韓愈謹んで淸酌 庶羞【しょしゅう】の奠【てん】を以って、亡友柳子厚の霊を祭る。

嗟嗟(ああ)、子厚にして然るに至れるか。

古より然らざるは莫し。我また何ぞ嗟【なげ】かん。

人の世に生くるは、夢の一覚するが如し。

その間の利害、竟に亦何ぞ校【はか】らん。

その夢みるの時に当たって、楽しみ有り悲しみ有り。

 

その既に覚むるに及んで、豈に追惟【ついい】するに足らんや。

 凡そ物の生ずる、材たるを願わず。

犠尊【ぎそん】の青黄【せいこう】は、乃ち木の災いなり。

子の中ごろ棄てらるる、天の馽羈【ちゅうき】を脱するなり。

玉佩瓊琚【けいきょ】、大いにその辞を放【ほしいまま】にす。

富貴にして能無きは、磨滅して誰か紀さん。

 

子の自ら著せるは、表表として愈【いよい】よ偉【い】なり。

 善く斲【けず】ることを為さざるものは、指を血にし、顔を汗にす。

巧匠【こうしょう】 旁観して、手を袖間【しゅうかん】に縮む。

子の文章にして、世に用いられず、

乃ち吾が徒をして、帝の制を掌【つかさど】らしむ。

子の人を視ること、自ら前無しと以【おも】う。

一たび斥【しりぞ】けられて復【かえ】らず。群飛するもの天を刺す。

 

 

『祭柳子厚文』 現代語訳と訳註

(本文)

2(1段目#2)

及其既覺、豈足追惟。

凡物之生、不願爲材。

犧尊靑黄、乃木之災。

子之中棄、天脱馽羈。

玉佩瓊琚、大放厥辭。

富貴無能、磨滅誰紀。

 

 

(下し文)

その既に覚むるに及んで、豈に追惟【ついい】するに足らんや。

 凡そ物の生ずる、材たるを願わず。

犠尊【ぎそん】の青黄【せいこう】は、乃ち木の災いなり。

子の中ごろ棄てらるる、天の馽羈【ちゅうき】を脱するなり。

玉佩瓊琚【けいきょ】、大いにその辞を放【ほしいまま】にす。

富貴にして能無きは、磨滅して誰か紀さん。

 

 

(現代語訳)

その夢がさめてからあとになって、どうしてそのことを考えなおすだけの値打があろうか。

凡そ物が世に生ずる際に、そのものが有用の材となることをはじめから願っているわけではない。

白玉の佩びものや瓊玉(美玉)の佩び玉のような美しい文章に、その辞句を思う存分に振るった。

富んで貴い者でも、材能がなければ、その人の名はやがて磨り滅んで誰が記録する者があろうか。

 

 

 

(訳注) 2(1段目#2)

祭柳子厚文

○柳宗元は、中国中唐の文学者・政治家。字は子厚。本籍地の河東から、「柳河東」「河東先生」と呼ばれる。また、その最後の任地にちなみ「柳柳州」と呼ばれることもある。王維や孟浩然らとともに自然詩人として名を馳せた。散文の分野では、韓愈とともに宋代に連なる古文復興運動を実践し、唐宋八大家の1人に数えられる。

子厚は不遇ではあったが文章に巧みであったことをいう。文章のこと、政治上の業績、及び交遊の情の深かったことなどをあわせ述べているが、その重点は文章のことにあった。

《394柳州羅池廟碑》韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <998  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3974韓愈詩-271

403-1(1段の1 《柳子厚墓誌銘(全六段)》韓愈(韓退之)ID 558Ⅱ唐宋八大家読本巻六<1064  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4304韓愈詩-403-1(1段の1

 

及其既覺、豈足追惟。

その夢がさめてからあとになって、どうしてそのことを考えなおすだけの値打があろうか。

○追惟 かつて経験したことを思いめぐらすこと。過去のことをふりかえって思いおこすこと。後から思う。惟は思。回想。

 

凡物之生、不願爲材。

凡そ物が世に生ずる際に、そのものが有用の材となることをはじめから願っているわけではない。

 

犧尊靑黄、乃木之災。

宗廟を祭る犧尊の牛の樽の青や黄に飾られたものが、美しいけれどもそれは却って木にとっては災難である。

○犧尊 嵌松緑石金属絲犧尊(高さ28.5cm、重量5.21kg)のこと。戦国中期(4世紀)に製作された松緑石の象嵌を施した青銅器。商代(殷)の象嵌技術は、東周に伝わることで大きく発展した。象嵌を入れることによって新たな青銅器の流れが生まれた。黄詮の牛を酒樽に刻んだもの。また牛に限らず種々の彫刻のあるもの。『荘子』馬蹄編に「故に純撲残はず、執か犠尊を為さん」と疏に「犠尊は酒器、刻んで牛首を為して、以て宗廟を祭る」とある。また天地篇に「百年の木、破りて犧尊と為し、青黄にして之を文(かざ)る」とある。牛の形に刻んだ犠首杯もある。本性を失うことをいう。

 

子之中棄、天脱馽羈。

木の自然の性を失うことになるからである。君は人生半ばごろから、地方にやられたのは、天による君への束縛を取り除かれたことなのだ。

○馽羈 たづな。二字で束縛。朝臣の仕官の束縛。これを脱するとは、地方官に遠く左遷されて、自由な閑職にあったことをいうために使う。

 

玉佩瓊琚、大放厥辭。

白玉の佩びものや瓊玉(美玉)の佩び玉のような美しい文章に、その辞句を思う存分に振るった。

○玉佩瓊琚 宝や赤玉の佩び玉。美しい文章をいう。『詩経」国風・衛風・木瓜』「投我以木瓜、報之以瓊玉。」(我に投ずるに木瓜を以てす 之に報ゆるに瓊玉を以てす)とある。

 

富貴無能、磨滅誰紀。

富んで貴い者でも、材能がなければ、その人の名はやがて磨り滅んで誰が記録する者があろうか。

李白『襄陽曲四首』其三「峴山臨漢江。 水淥沙如雪。上有墮淚碑。 青苔久磨滅。」

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ああ、子厚であろうものが、どうして自分のおもいとは違って死に至ったのであろうか。昔から死なないものはないのであるから、それを私はこの上どうして嗟こうか。その間に発生する利害は、結局、また、何のために比較などしようものか。比較しても仕方のないことで、問題ではないのである。

 
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504-1 《祭柳子厚文》韓愈(韓退之)ID Index-12-504 Ⅱ唐宋八大家読本巻六<1081  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4389韓愈詩-504-1

 

 

宗元、字は子厚、元和十四年十月五日に柳州で没した。公はその時潮州から衰州に移っていて、翌年国子祭酒となった。この文は衰州での作である。子厚は韓愈と親交があり、古文運動の同志であるから、祭文に子厚を惜しむ情が痛切に見られるのは当然である。

前出の「柳子厚墓誌銘」(巻六)や「柳州羅池廟碑」(巻五)と井せ読めばその友情に心を打たれるものがある。これも隔句押韻文である。

 

 

祭柳子厚文

 維年月日。韓愈謹以淸酌庶羞之奠、祭于亡友柳子厚之靈。嗟嗟、子厚而至然邪。自古莫不燃。我又何嗟。人之生世、如夢一覺。其閒利害、竟亦何校。當其夢時、有樂有悲。及其既覺、豈足追惟。凡物之生、不願爲材。犧尊靑黄、乃木之災。子之中棄、天脱馽羈。玉佩瓊琚、大放厥辭。富貴無能、磨滅誰紀。子之自著、表表愈偉。不善爲斲、血指汗顔。巧匠旁觀、縮手袖閒。子之文章、而不用世、乃令吾徒、嘗帝之制。子之視人、自以無前。一斥不復。羣飛刺天。

 

 嗟嗟子厚、今也則亡。臨絶之音、一何琅琅。徧告諸友、以寄厥子。不鄙謂余、亦託以死。凡今之交、觀勢厚薄。余豈可保、能承子託。非我知子、子實命我。猶有鬼神、寧敢遣堕。念子永歸、無復來期。設祭棺前、矢心以辭。嗚呼哀哉。尚饗。

 

 

祭柳子厚文

1(1段目#1)

維年月日。韓愈謹以淸酌庶羞之奠、祭于亡友柳子厚之靈。

嗟嗟、子厚而至然邪。

自古莫不燃。我又何嗟。

人之生世、如夢一覺。

其閒利害、竟亦何校。

當其夢時、有樂有悲。

これの年月日に、韓愈は謹んで清酒ともろもろの肴を供えて、亡友 柳子厚の霊をお祭りいたすのである。

ああ、子厚であろうものが、どうして自分のおもいとは違って死に至ったのであろうか。

昔から死なないものはないのであるから、それを私はこの上どうして嗟こうか。

その間に発生する利害は、結局、また、何のために比較などしようものか。比較しても仕方のないことで、問題ではないのである。

その夢をみているその時は、楽しみもあり、悲しみもあるものである。

 

2(1段目#2)

及其既覺、豈足追惟。

凡物之生、不願爲材。

犧尊靑黄、乃木之災。

子之中棄、天脱馽羈。

玉佩瓊琚、大放厥辭。

富貴無能、磨滅誰紀。

 

3(1段目#3)

子之自著、表表愈偉。

不善爲斲、血指汗顔。

巧匠旁觀、縮手袖閒。

子之文章、而不用世、

乃令吾徒、嘗帝之制。

子之視人、自以無前。

一斥不復。羣飛刺天。

 

 

(柳子厚を祭る文)

 維【こ】れ年月日、韓愈謹んで淸酌 庶羞【しょしゅう】の奠【てん】を以って、亡友柳子厚の霊を祭る。

嗟嗟(ああ)、子厚にして然るに至れるか。

古より然らざるは莫し。我また何ぞ嗟【なげ】かん。

人の世に生くるは、夢の一覚するが如し。

その間の利害、竟に亦何ぞ校【はか】らん。

その夢みるの時に当たって、楽しみ有り悲しみ有り。

 

その既に覚むるに及んで、豈に追惟【ついい】するに足らんや。

 凡そ物の生ずる、材たるを願わず。

犠尊【ぎそん】の青黄【せいこう】は、乃ち木の災いなり。

子の中ごろ棄てらるる、天の馽羈【ちゅうき】を脱するなり。

玉佩瓊琚【けいきょ】、大いにその辞を放【ほしいまま】にす。

富貴にして能無きは、磨滅して誰か紀さん。

 

子の自ら著せるは、表表として愈【いよい】よ偉【い】なり。

 善く斲【けず】ることを為さざるものは、指を血にし、顔を汗にす。

巧匠【こうしょう】 旁観して、手を袖間【しゅうかん】に縮む。

子の文章にして、世に用いられず、

乃ち吾が徒をして、帝の制を掌【つかさど】らしむ。

子の人を視ること、自ら前無しと以【おも】う。

一たび斥【しりぞ】けられて復【かえ】らず。群飛するもの天を刺す。

 

 

『祭柳子厚文』 現代語訳と訳註

(本文)

祭柳子厚文

維年月日。韓愈謹以淸酌庶羞之奠、祭于亡友柳子厚之靈。

嗟嗟、子厚而至然邪。

自古莫不燃。我又何嗟。

人之生世、如夢一覺。

其閒利害、竟亦何校。

當其夢時、有樂有悲。

 

 

(下し文)

(柳子厚を祭る文)

 維【こ】れ年月日、韓愈謹んで淸酌 庶羞【しょしゅう】の奠【てん】を以って、亡友柳子厚の霊を祭る。

嗟嗟(ああ)、子厚にして然るに至れるか。

古より然らざるは莫し。我また何ぞ嗟【なげ】かん。

人の世に生くるは、夢の一覚するが如し。

その間の利害、竟に亦何ぞ校【はか】らん。

その夢みるの時に当たって、楽しみ有り悲しみ有り。

 

(現代語訳)

これの年月日に、韓愈は謹んで清酒ともろもろの肴を供えて、亡友 柳子厚の霊をお祭りいたすのである。

ああ、子厚であろうものが、どうして自分のおもいとは違って死に至ったのであろうか。

昔から死なないものはないのであるから、それを私はこの上どうして嗟こうか。

その間に発生する利害は、結局、また、何のために比較などしようものか。比較しても仕方のないことで、問題ではないのである。

その夢をみているその時は、楽しみもあり、悲しみもあるものである。

 

 

(訳注) 1(1段目#1)

祭柳子厚文

○柳宗元は、中国中唐の文学者・政治家。字は子厚。本籍地の河東から、「柳河東」「河東先生」と呼ばれる。また、その最後の任地にちなみ「柳柳州」と呼ばれることもある。王維や孟浩然らとともに自然詩人として名を馳せた。散文の分野では、韓愈とともに宋代に連なる古文復興運動を実践し、唐宋八大家の1人に数えられる。

子厚は不遇ではあったが文章に巧みであったことをいう。文章のこと、政治上の業績、及び交遊の情の深かったことなどをあわせ述べているが、その重点は文章のことにあった。

《394柳州羅池廟碑》韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <998  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3974韓愈詩-271

403-1(1段の1 《柳子厚墓誌銘(全六段)》韓愈(韓退之)ID 558Ⅱ唐宋八大家読本巻六<1064  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4304韓愈詩-403-1(1段の1

 

 

維年月日。韓愈謹以淸酌庶羞之奠、祭于亡友柳子厚之靈。

これの年月日に、韓愈は謹んで清酒ともろもろの肴を供えて、亡友 柳子厚の霊をお祭りいたすのである。

○淸酌 古代における祭祀に所用される清酒。

○庶羞之奠 「庶ろのもの 之を奠とするを 羞るものの」と訓ずるとわかりやすい。・庶:1 一般の人。もろびと。「庶民/士庶・衆庶」2 もろもろの。いろいろな。雑多な。「庶政・庶務」3 正妻でない女性から生まれた子。・羞:1 食物をそなえすすめる。ごちそう。「時羞・膳羞」2 はじる。はじ。はじらい。「羞恥/含羞・嬌羞(きょうしゅう)

・奠:1 神仏に物を供えて祭る。「奠茶」2 供え物。「香奠(こうでん)・祭奠・釈奠(せきてん)・奉奠・乞巧奠(きっこうでん)3 位置を定める。「奠都」

 

嗟嗟、子厚而至然邪。

ああ、子厚であろうものが、どうして自分のおもいとは違って死に至ったのであろうか。

○邪 ねじ曲がって正しくないこと。道理にはずれていること。また、その人、さま。道徳的に正しくない意識や考え方など、心の在り方。またそのような心の在り方に基づく行為や事柄。ここでは自分のおもいとは違って死んでしまったこと。

 

自古莫不燃。我又何嗟。

昔から死なないものはないのであるから、それを私はこの上どうして嗟こうか。

 

人之生世、如夢一覺。

人が世に生きているのは、誠にはかなく、夢が一たびさめるようなもので、

 

其閒利害、竟亦何校。

その間に発生する利害は、結局、また、何のために比較などしようものか。比較しても仕方のないことで、問題ではないのである。

〇校 比較する。損得を比べ争う。

 

當其夢時、有樂有悲。

その夢をみているその時は、楽しみもあり、悲しみもあるものである。

403-1(1段の1) 《柳子厚墓誌銘(全六段)》韓愈(韓退之)ID 558Ⅱ唐宋八大家読本巻六<1064>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4304韓愈詩-403-1(1段の1)

(韓愈の親友で古文運動の同志であった柳宗元のために書いた墓誌銘である。)名は子厚といい、諱は宗元という、七代の祖先の慶は拓鉄塊の侍中となり、済陰侯に封ぜられた。曾祖父爽は、唐の宰相となり、裾遂良・韓暖とは、ともに武則天から罪を得て、高宗の朝代に死んだ。



1段の1 《柳子厚墓誌銘(全六段)》韓愈(韓退之)ID 558Ⅱ唐宋八大家読本巻六<1064  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4304韓愈詩-403-11段の1

 

 

820

柳子厚墓誌銘

1段)

子厚,諱宗元。七世祖慶,為拓跋魏侍中,封濟陰公。曾伯祖奭,為唐宰相,與褚遂良、韓瑗,俱得罪武后,死高宗朝。皇考諱鎮,以事母,棄太常博士,求為縣令江南;其後以不能媚權貴,失御史。權貴人死,乃復拜侍御史,號為剛直。所與遊,皆當世名人。

 

2段)

子厚少精敏,無不通達。逮其父時,雖少年,已自成人,能取進士第,嶄然見頭角,眾謂:「柳氏有子矣。」其後以博學宏詞,授集賢殿正字。俊傑廉悍,議論證據今古,出入經史百子。踔厲風發,率常屈其座人,名聲大振,一時皆慕與之交。諸公要人,爭欲令出我門下,交口薦譽之。 貞元十九年,由藍田尉拜監察御史。順宗即位,拜禮部員外郎。遇用事者得罪,例出為刺史;未至,又例貶永州司馬。居閒,益自刻苦,務記覽,為詞章,汎濫停蓄,為深博無涯涘,而自肆於山水間。

3段)

元和中,嘗例召至京師;又偕出為刺史,而子厚得柳州。既至,嘆曰:「是豈不足為政耶?」因其土俗,為設教禁,州人順賴。其俗以男女質錢,約不時贖,子本相侔,則沒為奴婢。子厚與設方計,悉令贖歸。其由貧力不能者,令書其傭,足相當,則使歸其質。觀察使下其法於他州,比一,免而歸者且千人。衡湘以南,為進士者,皆以子厚為師;其經承子厚口講指畫,為文詞者,悉有法度可觀。

4段)

其召至京師,而復為刺史也,中山劉夢得禹錫,亦在遣中,當詣播州。子厚泣曰:「播州非人所居,而夢得親在堂,吾不忍夢得之窮,無辭以白其大人;且萬無母子俱往理。」請於朝,將拜疏,願以柳易播,雖重得罪,死不恨。遇有以夢得事白上者,夢得於是改刺連州。嗚呼!士窮乃見節義。今夫平居里巷相慕悅,酒食遊戲相徵逐,詡詡強笑語,以相取下,握手出於肺肝相示,指天日涕泣,誓生死不相背負,真若可信。一旦臨小利害,僅如毛髮比,反眼若不相識。落陷阱不一引手救,反擠之,又下石焉者,皆是也。此宜禽獸夷狄所不忍為,而其人自視以為得計。聞子厚之風,亦可以少愧矣!

 

5段)

子厚前時少年,勇於為人,不自貴重顧藉,為功業可立就,故坐廢退。既退,又無相知有氣力得位者推挽,故卒死於窮裔。材不為世用,道不行於時也。使子厚在臺省時,自持其身,已能如司馬刺史時,亦自不斥;斥時有人力能舉之,且必復用不窮。然子厚斥不久,窮不極,雖有出於人,其文學辭章,必不能自力以致,必傳於後如今,無疑也。雖使子厚得所願,為將相於一時。以彼易此,孰得孰失,必有能辨之者。

 

6段)

子厚以元和十四年十一月八日卒,年四十七。以十五年七月十日,歸葬萬年先人墓側。子厚有子男二人:長曰周六,始四;季曰周七,子厚卒乃生。女子二人,皆幼。其得歸葬也,費皆出觀察使河東裴君行立。行立有節概,重然諾;與子厚結交,子厚亦為之盡,竟賴其力。葬子厚於萬年之墓者,舅弟盧遵。遵,涿人,性謹慎,學問不厭。自子厚之斥,遵從而家焉,逮其死不去。既往葬子厚。又將經紀其家,庶幾有始終者。銘曰:

是惟子厚之室,既固既安,以利其嗣人。

 

-------------------------------------------------------------------

柳子厚墓誌銘 1段の1

(韓愈の親友で古文運動の同志であった柳宗元のために書いた墓誌銘である。)

子厚,諱宗元。

名は子厚といい、諱は宗元という、

七世祖慶,為拓跋魏侍中,封濟陰公。

七代の祖先の慶は拓鉄塊の侍中となり、済陰侯に封ぜられた。

曾伯祖奭,為唐宰相,

曾祖父爽は、唐の宰相となり、

與褚遂良、韓瑗,

裾遂良・韓暖とは、
俱得罪武后,死高宗朝。

ともに武則天から罪を得て、高宗の朝代に死んだ。

(柳子厚墓誌銘)

1段の1

子厚,諱【いみな】は宗元。

七世の祖慶は,拓跋 魏の侍中と為り,濟陰の公に封ぜらる。

曾伯 祖奭【そせき】は,唐の宰相と為る,

褚遂良【ちょすいりょう】と、韓瑗【あんえん】と,

俱【とも】に武后に罪を得て,高宗の朝に死す。

1段の2

皇考諱鎮,以事母,

棄太常博士,求為縣令江南;

其後以不能媚權貴,失御史。

權貴人死,乃復拜侍御史,號為剛直。

所與遊,皆當世名人。

 

1段の2

皇考 諱は鎮といい,以て母に事【つか】う,

太常の博士を棄てて,江南に縣令と為るを求む;

其の後 權貴に媚びる能わざるを以て,御史を失う。

權貴の人 死して,乃ち復た 侍御史に拜せらる,號して剛直と為す。

與に遊ぶ所なり,皆 當世の名人なり。

 

 

『柳子厚墓誌銘』 現代語訳と訳註

(本文)

柳子厚墓誌銘

1段の1

子厚,諱宗元。七世祖慶,

為拓跋魏侍中,封濟陰公。

曾伯祖奭,為唐宰相,

與褚遂良、韓瑗,

俱得罪武后,死高宗朝。

 

(下し文)

1段の1

子厚,諱【いみな】は宗元。

七世の祖慶は,拓跋 魏の侍中と為り,濟陰の公に封ぜらる。

曾伯 祖奭【そせき】は,唐の宰相と為る,

褚遂良【ちょすいりょう】と、韓瑗【あんえん】と,

俱【とも】に武后に罪を得て,高宗の朝に死す。

 

(現代語訳)

(韓愈の親友で古文運動の同志であった柳宗元のために書いた墓誌銘である。)

名は子厚といい、諱は宗元という、

七代の祖先の慶は拓鉄塊の侍中となり、済陰侯に封ぜられた。

曾祖父爽は、唐の宰相となり、

裾遂良・韓暖とは、
ともに武則天から罪を得て、高宗の朝代に死んだ。

 

(訳注) 1段の1

柳子厚墓誌銘

(韓愈の親友で古文運動の同志であった柳宗元のために書いた墓誌銘である。)

子厚は不遇ではあったが文章に巧みであったことをいう。文章のこと、政治上の業績、及び交遊の情の深かったことなどをあわせ述べているが、その重点は文章のことにあった(「祭柳子厚文」、巻五の「羅池廟碑」参照)。《394柳州羅池廟碑》韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <998  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3974韓愈詩-271

唐時代 韓愈関連05 

子厚,諱宗元。

名は子厚といい、諱は宗元という、

○柳宗元は、中国中唐の文学者・政治家。字は子厚。本籍地の河東から、「柳河東」「河東先生」と呼ばれる。また、その最後の任地にちなみ「柳柳州」と呼ばれることもある。王維や孟浩然らとともに自然詩人として名を馳せた。散文の分野では、韓愈とともに宋代に連なる古文復興運動を実践し、唐宋八大家の1人に数えられる。

 

七世祖慶,為拓跋魏侍中,封濟陰公。

七代の祖先の慶は拓鉄塊の侍中となり、済陰侯に封ぜられた。

○拓跋魏 南北朝時代の北朝の一つで,鮮卑族拓跋部が4世紀末から約1世紀半華北に建設した国家。北魏,後魏,拓跋魏などともいう。拓跋部の故地は興安嶺北部と見られ,西遷して盛楽(内モンゴルのホリンゴール)を根拠に諸部族の盟主となり,部族連合によってなる代王国を建設,魏・晋両王朝とも交渉をもった。…

○済陰 山東の済水の南岸。山東と河南,陝西を東西に結ぶ要路上にあり,春秋時代には曹国の国都も置かれる要衝であった。漢代には句陽(こうよう)県,北魏には乗氏県

 

曾伯祖奭,為唐宰相,

曾祖父爽は、唐の宰相となり、

○柳奭 吏部尚書・柳奭を遂州刺史へ左遷。柳奭が扶風まで行った時、岐州長史の于承素が柳奭が禁中での会話を外部へ洩らしたと上奏した。そこで更に降格されて栄州刺史となった。 大唐は、隋の制度を踏襲し、後宮の貴妃、淑妃、徳妃、賢妃は皆一品としていた。

 

與褚遂良、韓瑗,

裾遂良・韓暖とは、

○褚遂良 唐初の名臣、高宗の時の左僕射、書家として有名。唐代の政治家、書家。初唐の三大家の一人。字は登善。河南県公から河南郡公に封ぜられたため褚河南と呼ばれることもある。太宗に仕えて諫言をよくし、後の高宗の教育にもあたった。武則天を皇后に立てることに反対したために左遷され、其の地で死んだ。

○韓瑗 606659)字は伯玉,京兆三原(今西三原)の人。太宗の時、兵部侍郎となる。高宗に武后を迎えないように諌め、褚遂良を救おうとしてきかれず、後に褚遂良と共謀して悪事を企てたという無実の罪で、振州の刺史に流されて死んだ。

 

俱得罪武后,死高宗朝。

ともに武則天から罪を得て、高宗の朝代に死んだ。

○武后 武則天。姓は武、高宗の后となり、政権を執り、高宗の死後、中宗が立ったが、武后はこれを廃して、弟の膚(洩)宗を立て、嗣聖七年にはこれをも廃して自ら帝位につき、則天皇帝と称し、国号を周と改めた。在位十六年、神龍二年(七〇五)中宗復位し、武后は同年十一月に死んだ。年八十一。臣軌二巻の著がある。

○高宗 唐第三代の皇帝の詮号。

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《南海神廟碑-(19)》韓愈(韓退之) Ⅱ唐宋八大家文読本 巻五 <1035>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4159韓愈詩-272-6-2

公はそのためにこの地を去って朝廷に帰ることが遅くなってはならない。しかしまた、にわかに帰朝することになってここにいるわれわれを見捨てないでほしいのだ。それは私が個人的な感情で孔公を慕っていうのではないのである。この南海の神と広州の人民がみな頼みに思うからである。

        
 2014年5月7日の紀頌之5つのブログ 
 ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場 
 Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
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《南海神廟碑-(19)》韓愈(韓退之) Ⅱ唐宋八大家文読本 巻五 <1035  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4159韓愈詩-272-6-2

 

拳の花001 

(18)六段-1

南海之墟,祝融之宅。

南海の奥深く暗い底は、火を司る祝融神の住まいである。

即祀於旁,帝命南伯。

取りもなおさずそのすぐそばに廟を建ておまつりすることを、天子は南方の刺史の長の伯に命ぜられた。

吏隋不躬,正自今公。

しかし役人は怠って身内のことでさえしなかったことを、今の刺史孔公になってから正しく行われるようになった。

明用享錫,右我家邦。

刺史孔公は明らかに神の賜物を受け、わが唐王朝の家と邦とたすけたのである。

惟明天子,惟慎厥使。

これは明天子なればこそ、このような広州の節度使を心つつしんで選任されたということなのだ。

 (19)六段-2

我公在官,神人致喜。

わが公が官にあって、神も人民も皆に喜びを招いた。

海嶺之陬,既足既濡。

五嶺山脈をこえ南海の海との片隅の地であるが、広州ではすでに食は足りており、すでに人民は恵みにうるおった。

胡不均宏,俾執事樞。

どうしてわが公の徳を天下に均しく広めるために、中央の政府で政治の仕事を取り行わせないのであろうか。

公行勿遲,公無遽歸。

公はそのためにこの地を去って朝廷に帰ることが遅くなってはならない。しかしまた、にわかに帰朝することになってここにいるわれわれを見捨てないでほしいのだ。

匪我私公,神人具依。

それは私が個人的な感情で孔公を慕っていうのではないのである。この南海の神と広州の人民がみな頼みに思うからである。

 

(18)六段-1

南海の墟,祝融の宅なり。即ち旁らに祀り,帝 南伯に命ず。

吏 隋【おこた】って躬【みづか】らせず,正すは今の公よりす。

明に用て錫を享【う】け,我が家邦を右【たす】く。

惟れ明天子,惟れ厥の使いを慎しむ。

(19)六段-2

我が公 官に在り,神人 喜び致す。

海嶺の陬,既に足り 既に濡う。

胡ぞ 均宏せずんば,事樞を執ら俾めん。

公 行んとすること遲き勿れ,公 遽【にわ】かに歸える無し。

我れ公に私する匪ず,神人 具に依る。

 

南海神廟碑00 

『南海神廟碑』 現代語訳と訳註

(本文) (19)六段-2

我公在官,神人致喜。

海嶺之陬,既足既濡。

胡不均宏,俾執事樞。

公行勿遲,公無遽歸。

匪我私公,神人具依。

 

 

(下し文)

(19)六段-2

我が公 官に在り,神人 喜び致す。

海嶺の陬,既に足り 既に濡う。

胡ぞ 均宏せずんば,事樞を執ら俾めん。

公 行んとすること遲き勿れ,公 遽【にわ】かに歸える無し。

我れ公に私する匪ず,神人 具に依る。

 

(現代語訳)

わが公が官にあって、神も人民も皆に喜びを招いた。

五嶺山脈をこえ南海の海との片隅の地であるが、広州ではすでに食は足りており、すでに人民は恵みにうるおった。

どうしてわが公の徳を天下に均しく広めるために、中央の政府で政治の仕事を取り行わせないのであろうか。

公はそのためにこの地を去って朝廷に帰ることが遅くなってはならない。しかしまた、にわかに帰朝することになってここにいるわれわれを見捨てないでほしいのだ。

それは私が個人的な感情で孔公を慕っていうのではないのである。この南海の神と広州の人民がみな頼みに思うからである。

 

(訳注) (19)六段-2

南海神廟碑

広州の南海神廟を修築した事を記した碑文である。これを以て広州の刺史孔公の治績を、神も人も喜んでいることを表彰するということが主意である。韓愈、820年、元和15年 53歳の作である。

 

我公在官,神人致喜。

わが公が官にあって、神も人民も皆に喜びを招いた。

 

海嶺之陬,既足既濡。

五嶺山脈をこえ南海の海との片隅の地であるが、広州ではすでに食は足りており、すでに人民は恵みにうるおった。

○海嶺 南海の海と五嶺山脈。

陬 辺都の所。

○濡 恵みにうるおう。

 

胡不均宏,俾執事樞。

どうしてわが公の徳を天下に均しく広めるために、中央の政府で政治の仕事を取り行わせないのであろうか。

均宏 天下に均しく弘める。

俾執事樞 政治の枢機を取り行わせる。朝廷で中心の政治をさせる。相は最も大切なところ。

 

公行勿遲,公無遽歸。

公はそのためにこの地を去って朝廷に帰ることが遅くなってはならない。しかしまた、にわかに帰朝することになってここにいるわれわれを見捨てないでほしいのだ。

 

匪我私公,神人具依。

それは私が個人的な感情で孔公を慕っていうのではないのである。この南海の神と広州の人民がみな頼みに思うからである。

匪我私公 私は公を自分個人のものと考えていうのではない〔私は僻人的感情で考える。
韓愈の地図01 

《南海神廟碑-(18)》韓愈(韓退之) Ⅱ唐宋八大家文読本 巻五 <1034>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4154韓愈詩-272-6-1

南海の奥深く暗い底は、火を司る祝融神の住まいである。取りもなおさずそのすぐそばに廟を建ておまつりすることを、天子は南方の刺史の長の伯に命ぜられた。しかし役人は怠って身内のことでさえしなかったことを、今の刺史孔公になってから正しく行われるようになった。


        
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 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
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《南海神廟碑-(18)》韓愈(韓退之) Ⅱ唐宋八大家文読本 巻五 <1034  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4154韓愈詩-272-6-1

 

 DCF00198

(18)六段-1

南海之墟,祝融之宅。

南海の奥深く暗い底は、火を司る祝融神の住まいである。

即祀於旁,帝命南伯。

取りもなおさずそのすぐそばに廟を建ておまつりすることを、天子は南方の刺史の長の伯に命ぜられた。

吏隋不躬,正自今公。

しかし役人は怠って身内のことでさえしなかったことを、今の刺史孔公になってから正しく行われるようになった。

明用享錫,右我家邦。

刺史孔公は明らかに神の賜物を受け、わが唐王朝の家と邦とたすけたのである。

惟明天子,惟慎厥使。

これは明天子なればこそ、このような広州の節度使を心つつしんで選任されたということなのだ。

 (19)六段-2

我公在官,神人致喜。海嶺之陬,既足既濡。

胡不均宏,俾執事樞。公行勿遲,公無遽歸。

匪我私公,神人具依。

 

(18)六段-1

南海の墟,祝融の宅なり。即ち旁らに祀り,帝 南伯に命ず。

吏 隋【おこた】って躬【みづか】らせず,正すは今の公よりす。

明に用て錫を享【う】け,我が家邦を右【たす】く。

惟れ明天子,惟れ厥の使いを慎しむ。

(19)六段-2

我が公 官に在り,神人 喜び致す。

海嶺の陬,既に足り 既に濡う。

胡ぞ 均宏せずんば,事樞を執ら俾めん。

公 行んとすること遲き勿れ,公 遽【にわ】かに歸える無し。

我れ公に私する匪ず,神人 具に依る。

 

 

『南海神廟碑』 現代語訳と訳註

(本文) (18)六段-1

南海之墟,祝融之宅。即祀於旁,帝命南伯。

吏隋不躬,正自今公。明用享錫,右我家邦。

惟明天子,惟慎厥使。

 

(下し文) (18)六段-1

南海の墟,祝融の宅なり。即ち旁らに祀り,帝 南伯に命ず。

吏 隋【おこた】って躬【みづか】らせず,正すは今の公よりす。

明に用て錫を享【う】け,我が家邦を右【たす】く。

惟れ明天子,惟れ厥の使いを慎しむ。

 

(現代語訳)

南海の奥深く暗い底は、火を司る祝融神の住まいである。

取りもなおさずそのすぐそばに廟を建ておまつりすることを、天子は南方の刺史の長の伯に命ぜられた。

しかし役人は怠って身内のことでさえしなかったことを、今の刺史孔公になってから正しく行われるようになった。

刺史孔公は明らかに神の賜物を受け、わが唐王朝の家と邦とたすけたのである。

これは明天子なればこそ、このような広州の節度使を心つつしんで選任されたということなのだ。

 南海神廟碑00

 

(訳注) (18)六段-1

南海神廟碑

広州の南海神廟を修築した事を記した碑文である。これを以て広州の刺史孔公の治績を、神も人も喜んでいることを表彰するということが主意である。韓愈、820年、元和15年 53歳の作である。

 

 

南海之墟,祝融之宅。

南海の奥深く暗い底は、火を司る祝融神の住まいである。

之墟 陰墟 奥深く暗い底。

○祝融 南方の神の名。火の神。古代の五帝の炎帝の子孫とされ火を司る。そのため火災にあう事を「祝融に遇う」と喩える場合がある。

 

即祀於旁,帝命南伯。

取りもなおさずそのすぐそばに廟を建ておまつりすることを、天子は南方の刺史の長の伯に命ぜられた。

○南伯 南方の刺史の長。

 

吏隋不躬,正自今公。

しかし役人は怠って身内のことでさえしなかったことを、今の刺史孔公になってから正しく行われるようになった。

 

明用享錫,右我家邦。

刺史孔公は明らかに神の賜物を受け、わが唐王朝の家と邦とたすけたのである。

○右 佑、助ける。

 

惟明天子,惟慎厥使。

これは明天子なればこそ、このような広州の節度使を心つつしんで選任されたということなのだ。

慎厥使 その地方の使い、刺史を注意して選任する韓愈の地図01

《南海神廟碑-(17)》韓愈(韓退之) Ⅱ唐宋八大家文読本 巻五 <1033>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4149韓愈詩-272-5-4

神に仕え、人を治めることが、それには手落ちなく十分であるということができるのである。人々はみな、廟の石にこのことを刻み、それでもって孔公の立派な行績を著して、そのあとに詩を続けるようにと、私に願うのであった。


        
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 index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首index-13 821年~822年 55歳 22首index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首韓愈 哲学・儒学「五原」賦・散文・上奏文・碑文など 
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 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
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《南海神廟碑-(17)》韓愈(韓退之) Ⅱ唐宋八大家文読本 巻五 <1033  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4149韓愈詩-272-5-4

 

 

(14)五段-1

始公之至,盡除他名之税,

はじめ公が到着すると、ことごとく他の名目の税を除いた。

罷衣食於官之可去者;

そして、役所で生活する人の中で、去るべきよけいな者を罷めさせた。

四方之使,不以資交;

四方からの使者は、財物を送る交際をすることはなかった。

以身爲帥,燕享有時,賞與以節;

公が身をもって示し人を率いるようにし、宴会などにも一定の時があり、賞を与えることも節度を以て行った。

公藏私蓄,上下與足。

公共の貯蔵も個人の蓄積も、上下ともに十分にできた。

 (15) 五段-2

於是免屬州負逋之緡錢廿巨有四萬,米三萬二千斛。

そのために、属する諸州の背負っている責任の税の銭緒、二十四万貫と、米三万二千料とを免じた。

賦金之州,耗金一八百,

金を納め入れる州の不足金は一年に八百両であった。

困不能償,皆以丐之。

困しんで不足を償うことができないでいたが、皆それをその州に与えた。

加西南守長之俸,誅。

又西南部の守長の俸緑を増加し、罪を責めて殺す権限を与えた。

其尤無良不聽令者,由是皆自重慎法。

守長の中で最も良くないもの、命令を聴かなかった者、これによって皆自ら慎重になって法を大切に守ることとなった。

 (16) 五段-3

人士之落南不能歸者,與流徙之胄百廿八族,用。

また一角の人物で、南方に没落して都に帰ることのできないでいる者と、流し徒された人の子孫百二十八族から、採用する。

其才良,而其無告者。

まず、その中の才能あり善良の者を選び、その苦悩を訴え告げる父母や夫のない者には、緑米を与えた。

其女子可嫁,與之錢財,令無失時。

その女子の嫁にやれる者には、これに銭や財物を与えて、結婚によい時を失うことのないようにさせた。

刑德並流,方地數千里,不識盜

こうして刑罰と恩恵とが並び行きわたって、数千里四方の地は、盗賊を認知することはない。


 (17) 五段-4

山行海宿,不擇處所;

山に行ったり、海上に宿るのにも、場所をえらばず安全であった。

事神治人,其可謂備至耳矣。

それ故、神に仕え、人を治めることが、それには手落ちなく十分であるということができるのである。

鹹願刻廟石,以着厥美,而系以詩。

人々はみな、廟の石にこのことを刻み、それでもって孔公の立派な行績を著して、そのあとに詩を続けるようにと、私に願うのであった。

乃作詩曰:

そこで詩を作って次のようにいう。

杏の花0055 

(14)五段-1

始め公の至る,盡く他の名の税を除く,

官の衣食するのを去る可き者を罷む;

四方の使い,資を以って交らず;

身を以て帥を爲し,燕享 時有り,賞與 節を以てす;

公藏 私蓄し,上下 與に足る。

(15) 五段-2

是に於て屬州負逋の緡錢【びんせん】廿巨【にじゅう】有四萬,米三萬二千斛を免ず。

金を賦するの州,耗金【こうきん】一 八百,

困しんで償う能わず,皆 以て之を丐【あた】わず。

西南の守長の俸を加え,誅す。

其の尤も無良にして令を聽ざる者,是に由て皆自重して法を慎む。

(16) 五段-3

人士の南に落ち 歸る能わざる者と,流徙の胄百廿八【ひゃくにじゅうはち】族と,用す。

其の才良,其の告ぐるなき者を

其の女子の嫁す可きは,之に錢財を與う,時を失う無らしむ。

刑德並び流れ,方地 數千里,盜らず

(17) 五段-4

山行 海宿して,處所を擇【えら】ばず;

神に事える人を治むる,其れ備【つぶ】さに至れりと謂う可きのみ。

鹹【みな】廟石【びょうせき】に刻して,以て厥の美を着わして,系【か】くるに詩を以てせんことを願う。

乃ち詩を作って曰く:

云亭 

 

『南海神廟碑』 現代語訳と訳註

(本文) (17) 五段-4

山行海宿,不擇處所;

事神治人,其可謂備至耳矣。

鹹願刻廟石,以着厥美,而系以詩。

乃作詩曰:

 

(下し文)

(17) 五段-4

山行 海宿して,處所を擇【えら】ばず;

神に事える人を治むる,其れ備【つぶ】さに至れりと謂う可きのみ。

鹹【みな】廟石【びょうせき】に刻して,以て厥の美を着わして,系【か】くるに詩を以てせんことを願う。

乃ち詩を作って曰く:

 

(現代語訳)

山に行ったり、海上に宿るのにも、場所をえらばず安全であった。

それ故、神に仕え、人を治めることが、それには手落ちなく十分であるということができるのである。

人々はみな、廟の石にこのことを刻み、それでもって孔公の立派な行績を著して、そのあとに詩を続けるようにと、私に願うのであった。

そこで詩を作って次のようにいう。

拳の花001 

 (訳注) (17) 五段-4

南海神廟碑

広州の南海神廟を修築した事を記した碑文である。これを以て広州の刺史孔公の治績を、神も人も喜んでいることを表彰するということが主意である。韓愈、820年、元和15年 53歳の作である。

 

山行海宿,不擇處所;

山に行くにも、海上に宿るのにも、場所をえらばず安全であった。

 

事神治人,其可謂備至耳矣。

それ故、神に仕え、人を治めることが、それには手落ちなく十分であるということができるのである。

 

鹹願刻廟石,以着厥美,而系以詩。

人々はみな、廟の石にこのことを刻み、それでもって孔公の立派な行績を著して、そのあとに詩を続けるようにと、私に願うのであった。

/繫 続け連ねる。

 

乃作詩曰:

そこで詩を作って次のようにいう。
DCF00212 








《南海神廟碑-(16)》韓愈(韓退之) Ⅱ唐宋八大家文読本 巻五 <1032>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4144韓愈詩-272-5-3

その中の才能あり善良の者を選び、その苦悩を訴え告げる父母や夫のない者には、緑米を与えた。その女子の嫁にやれる者には、これに銭や財物を与えて、結婚によい時を失うことのないようにさせた。こうして刑罰と恩恵とが並び行きわたって、数千里四方の地は、盗賊を認知することはない。

        
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 ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場 
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 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
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 毛文錫31首 花間集5巻牛希濟11首 花間集5巻欧陽烱17首 花間集5・6巻和凝20首 花間集6巻顧夐56首 花間集6・7巻孫光憲47首 花間集7・8巻 
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《南海神廟碑-(16)》韓愈(韓退之) Ⅱ唐宋八大家文読本 巻五 <1032  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4144韓愈詩-272-5-3

 

 

(14)五段-1

始公之至,盡除他名之税,

はじめ公が到着すると、ことごとく他の名目の税を除いた。

罷衣食於官之可去者;

そして、役所で生活する人の中で、去るべきよけいな者を罷めさせた。

四方之使,不以資交;

四方からの使者は、財物を送る交際をすることはなかった。

以身爲帥,燕享有時,賞與以節;

公が身をもって示し人を率いるようにし、宴会などにも一定の時があり、賞を与えることも節度を以て行った。

公藏私蓄,上下與足。

公共の貯蔵も個人の蓄積も、上下ともに十分にできた。

 (15) 五段-2

於是免屬州負逋之緡錢廿巨有四萬,米三萬二千斛。

そのために、属する諸州の背負っている責任の税の銭緒、二十四万貫と、米三万二千料とを免じた。

賦金之州,耗金一八百,

金を納め入れる州の不足金は一年に八百両であった。

困不能償,皆以丐之。

困しんで不足を償うことができないでいたが、皆それをその州に与えた。

加西南守長之俸,誅。

又西南部の守長の俸緑を増加し、罪を責めて殺す権限を与えた。

其尤無良不聽令者,由是皆自重慎法。

守長の中で最も良くないもの、命令を聴かなかった者、これによって皆自ら慎重になって法を大切に守ることとなった。

 (16) 五段-3

人士之落南不能歸者,與流徙之胄百廿八族,用。

また一角の人物で、南方に没落して都に帰ることのできないでいる者と、流し徒された人の子孫百二十八族から、採用する。

其才良,而其無告者。

まず、その中の才能あり善良の者を選び、その苦悩を訴え告げる父母や夫のない者には、緑米を与えた。

其女子可嫁,與之錢財,令無失時。

その女子の嫁にやれる者には、これに銭や財物を与えて、結婚によい時を失うことのないようにさせた。

刑德並流,方地數千里,不識盜

こうして刑罰と恩恵とが並び行きわたって、数千里四方の地は、盗賊を認知することはない。

 (17) 五段-4

山行海宿,不擇處所;

事神治人,其可謂備至耳矣。

鹹願刻廟石,以着厥美,而系以詩。

乃作詩曰:

 

(14)五段-1

始め公の至る,盡く他の名の税を除く,

官の衣食するのを去る可き者を罷む;

四方の使い,資を以って交らず;

身を以て帥を爲し,燕享 時有り,賞與 節を以てす;

公藏 私蓄し,上下 與に足る。

(15) 五段-2

是に於て屬州負逋の緡錢【びんせん】廿巨【にじゅう】有四萬,米三萬二千斛を免ず。

金を賦するの州,耗金【こうきん】一 八百,

困しんで償う能わず,皆 以て之を丐【あた】わず。

西南の守長の俸を加え,誅す。

其の尤も無良にして令を聽ざる者,是に由て皆自重して法を慎む。

(16) 五段-3

人士の南に落ち 歸る能わざる者と,流徙の胄百廿八【ひゃくにじゅうはち】族と,用す。

其の才良,其の告ぐるなき者を

其の女子の嫁す可きは,之に錢財を與う,時を失う無らしむ。

刑德並び流れ,方地 數千里,盜らず

(17) 五段-4

山行 海宿して,處所を擇【えら】ばず;

神に事える人を治むる,其れ備【つぶ】さに至れりと謂う可きのみ。

鹹【みな】廟石【びょうせき】に刻して,以て厥の美を着わして,系【か】くるに詩を以てせんことを願う。

乃ち詩を作って曰く:

 

嶺南道圖00 

『南海神廟碑』-(16) 現代語訳と訳註

(本文) (16) 五段-3

人士之落南不能歸者,與流徙之胄百廿八族,用。

其才良,而其無告者。

其女子可嫁,與之錢財,令無失時。

刑德並流,方地數千里,不識盜

 

(下し文) (16) 五段-3

人士の南に落ち 歸る能わざる者と,流徙の胄百廿八【ひゃくにじゅうはち】族と,用す。

其の才良,其の告ぐるなき者をす。

其の女子の嫁す可きは,之に錢財を與う,時を失う無らしむ。

刑德並び流れ,方地 數千里,盜を識らず;

 

(現代語訳)

また一角の人物で、南方に没落して都に帰ることのできないでいる者と、流し徒された人の子孫百二十八族から、採用する。

まず、その中の才能あり善良の者を選び、その苦悩を訴え告げる父母や夫のない者には、緑米を与えた。

その女子の嫁にやれる者には、これに銭や財物を与えて、結婚によい時を失うことのないようにさせた。

こうして刑罰と恩恵とが並び行きわたって、数千里四方の地は、盗賊を認知することはない。

 

紅蓼00 

(訳注)  (16) 五段-3

南海神廟碑

広州の南海神廟を修築した事を記した碑文である。これを以て広州の刺史孔公の治績を、神も人も喜んでいることを表彰するということが主意である。韓愈、820年、元和15年 53歳の作である。

 

人士之落南不能歸者,與流徙之胄百廿八族,用。

また一角の人物で、南方に没落して都に帰ることのできないでいる者と、流し徒された人の子孫百二十八族から、採用する。

○落南 海南方で没落している。

流徙 流し遷れた者。

胄 子孫。

 

其才良,而其無告者。

まず、その中の才能あり善良の者を選び、その苦悩を訴え告げる父母や夫のない者には、緑米を与えた。

 政府の倉の米。秩持米。

 

其女子可嫁,與之錢財,令無失時。

その女子の嫁にやれる者には、これに銭や財物を与えて、結婚によい時を失うことのないようにさせた。

無失 父なく、夫のない孤児・寡婦。苦しみを訴える者の無い人。

 

刑德並流,方地數千里,不識盜

こうして刑罰と恩恵とが並び行きわたって、数千里四方の地は、盗賊を認知することはない。
杏の白花01 

《南海神廟碑-(15)》韓愈(韓退之) Ⅱ唐宋八大家文読本 巻五 <1031>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4139韓愈詩-272-5-2

困しんで不足を償うことができないでいたが、皆それをその州に与えた。又西南部の守長の俸緑を増加し、罪を責めて殺す権限を与えた。守長の中で最も良くないもの、命令を聴かなかった者、これによって皆自ら慎重になって法を大切に守ることとなった。


        
 2014年5月3日の紀頌之5つのブログ 
 ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場 
 Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
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 ・李商隠詩 (1) 136首の75首・李商隠詩 (2) 135首の61首●韓愈index-1 ・孟郊、張籍と交遊・汴州乱41首●韓愈詩index-2[800年 33歳~804年 37歳]27首●韓愈詩index-3 805年 38歳・]陽山から江陵府 36首●韓愈詩index-4 806年 39歳 江陵府・権知国子博士 51首(1)25首 
 index-5 806年39歳 50首の(2)25首index-6[807年~809年 42歳]20首index-7[810年~811年 44歳] 34首index-8 [812年~814年47歳]46首index-9[815年~816年 49歳] 57首index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首 
 index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首index-13 821年~822年 55歳 22首index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首韓愈 哲学・儒学「五原」賦・散文・上奏文・碑文など 
 孟郊張籍 
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 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
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 温庭筠66首 花間集1・2巻皇甫松11首 花間集二巻韋莊47首 花間集二巻薛昭蘊19首 花間集三巻牛嶠31首 花間集三・四巻張泌27首 花間集四巻 
 毛文錫31首 花間集5巻牛希濟11首 花間集5巻欧陽烱17首 花間集5・6巻和凝20首 花間集6巻顧夐56首 花間集6・7巻孫光憲47首 花間集7・8巻 
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《南海神廟碑-(15)》韓愈(韓退之) Ⅱ唐宋八大家文読本 巻五 <1031  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4139韓愈詩-272-5-2

 

 

(14)五段-1

始公之至,盡除他名之税,

はじめ公が到着すると、ことごとく他の名目の税を除いた。

罷衣食於官之可去者;

そして、役所で生活する人の中で、去るべきよけいな者を罷めさせた。

四方之使,不以資交;

四方からの使者は、財物を送る交際をすることはなかった。

以身爲帥,燕享有時,賞與以節;

公が身をもって示し人を率いるようにし、宴会などにも一定の時があり、賞を与えることも節度を以て行った。

公藏私蓄,上下與足。

公共の貯蔵も個人の蓄積も、上下ともに十分にできた。

杏の花01
 (15)
五段-2

於是免屬州負逋之緡錢廿巨有四萬,米三萬二千斛。

そのために、属する諸州の背負っている責任の税の銭緒、二十四万貫と、米三万二千料とを免じた。

賦金之州,耗金一八百,

金を納め入れる州の不足金は一年に八百両であった。

困不能償,皆以丐之。

困しんで不足を償うことができないでいたが、皆それをその州に与えた。

加西南守長之俸,誅。

又西南部の守長の俸緑を増加し、罪を責めて殺す権限を与えた。

其尤無良不聽令者,由是皆自重慎法。

守長の中で最も良くないもの、命令を聴かなかった者、これによって皆自ら慎重になって法を大切に守ることとなった。

 (16) 五段-3

人士之落南不能歸者,與流徙之胄百廿八族,用。

其才良,而其無告者。

其女子可嫁,與之錢財,令無失時。

刑德並流,方地數千里,不識盜

(17) 五段-4

山行海宿,不擇處所;

事神治人,其可謂備至耳矣。

鹹願刻廟石,以着厥美,而系以詩。

乃作詩曰:

 

(14)五段-1

始め公の至る,盡く他の名の税を除く,

官の衣食するのを去る可き者を罷む;

四方の使い,資を以って交らず;

身を以て帥を爲し,燕享 時有り,賞與 節を以てす;

公藏 私蓄し,上下 與に足る。

(15) 五段-2

是に於て屬州負逋の緡錢【びんせん】廿巨【にじゅう】有四萬,米三萬二千斛を免ず。

金を賦するの州,耗金【こうきん】一 八百,

困しんで償う能わず,皆 以て之を丐【あた】わず。

西南の守長の俸を加え,誅す。

其の尤も無良にして令を聽ざる者,是に由て皆自重して法を慎む。

(16) 五段-3

人士の南に落ち 歸る能わざる者と,流徙の胄百廿八【ひゃくにじゅうはち】族と,用す。

其の才良,其の告ぐるなき者を

其の女子の嫁す可きは,之に錢財を與う,時を失う無らしむ。

刑德並び流れ,方地 數千里,盜らず

(17) 五段-4

山行 海宿して,處所を擇【えら】ばず;

神に事える人を治むる,其れ備【つぶ】さに至れりと謂う可きのみ。

鹹【みな】廟石【びょうせき】に刻して,以て厥の美を着わして,系【か】くるに詩を以てせんことを願う。

乃ち詩を作って曰く:

 

南海神廟碑00 

『南海神廟碑』-(15) 現代語訳と訳註

(本文) (15) 五段-2

於是免屬州負逋之緡錢廿巨有四萬,米三萬二千斛。

賦金之州,耗金一八百,

困不能償,皆以丐之。

加西南守長之俸,誅。

其尤無良不聽令者,由是皆自重慎法。

 

(下し文)  (15) 五段-2

是に於て屬州負逋の緡錢【びんせん】廿巨【にじゅう】有四萬,米三萬二千斛を免ず。

金を賦するの州,耗金【こうきん】一 八百,

困しんで償う能わず,皆 以て之を丐【あた】わず。

西南の守長の俸を加え,誅す。

其の尤も無良にして令を聽ざる者,是に由て皆自重して法を慎む。

 

(現代語訳)

そのために、属する諸州の背負っている責任の税の銭緒、二十四万貫と、米三万二千料とを免じた。

金を納め入れる州の不足金は一年に八百両であった。

困しんで不足を償うことができないでいたが、皆それをその州に与えた。

又西南部の守長の俸緑を増加し、罪を責めて殺す権限を与えた。

守長の中で最も良くないもの、命令を聴かなかった者、これによって皆自ら慎重になって法を大切に守ることとなった。

 

 (訳注)  (15) 五段-2

南海神廟碑

広州の南海神廟を修築した事を記した碑文である。これを以て広州の刺史孔公の治績を、神も人も喜んでいることを表彰するということが主意である。韓愈、820年、元和15年 53歳の作である。

 

於是免屬州負逋之緡錢廿巨有四萬,米三萬二千斛。

そのために、属する諸州の背負っている責任の税の銭緒、二十四万貫と、米三万二千料とを免じた。

負逋之緡錢 責任額の緡にさした銭(千枚一貫)。負も通も負い目、負担。緡:錢を千枚をさしたかたまり。

 

賦金之州,耗金一八百,

金を納め入れる州の不足金は一年に八百両であった。

○賦金 金を税として納める。

○耗金 減損金。不足金。

 

困不能償,皆以丐之。

困しんで不足を償うことができないでいたが、皆それをその州に与えた。

 

加西南守長之俸,誅。

又西南部の守長の俸緑を増加し、罪を責めて殺す権限を与えた。

 

其尤無良不聽令者,由是皆自重慎法。

守長の中で最も良くないもの、命令を聴かなかった者、これによって皆自ら慎重になって法を大切に守ることとなった。
韓愈の地図01 




《南海神廟碑-(14)》韓愈(韓退之) Ⅱ唐宋八大家文読本 巻五 <1030>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4134韓愈詩-272-5-1

南海神廟碑-(14)》韓愈≫はじめ公が到着すると、ことごとく他の名目の税を除いた。そして、役所で生活する人の中で、去るべきよけいな者を罷めさせた。四方からの使者は、財物を送る交際をすることはなかった。

        
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《南海神廟碑-(14)》韓愈(韓退之) Ⅱ唐宋八大家文読本 巻五 <1030  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4134韓愈詩-272-5-1

 

 

(14)五段-1

始公之至,盡除他名之税,

はじめ公が到着すると、ことごとく他の名目の税を除いた。

罷衣食於官之可去者;

そして、役所で生活する人の中で、去るべきよけいな者を罷めさせた。

四方之使,不以資交;

四方からの使者は、財物を送る交際をすることはなかった。

以身爲帥,燕享有時,賞與以節;

公が身をもって示し人を率いるようにし、宴会などにも一定の時があり、賞を与えることも節度を以て行った。

公藏私蓄,上下與足。

公共の貯蔵も個人の蓄積も、上下ともに十分にできた。

 (15) 五段-2

於是免屬州負逋之緡錢廿巨有四萬,米三萬二千斛。

賦金之州,耗金一八百,

困不能償,皆以丐之。

加西南守長之俸,誅。

其尤無良不聽令者,由是皆自重慎法。

(16) 五段-3

人士之落南不能歸者,與流徙之胄百廿八族,用。

其才良,而其無告者。

其女子可嫁,與之錢財,令無失時。

刑德並流,方地數千里,不識盜

(17) 五段-4

山行海宿,不擇處所;

事神治人,其可謂備至耳矣。

鹹願刻廟石,以着厥美,而系以詩。

乃作詩曰:

 

(14)五段-1

始め公の至る,盡く他の名の税を除く,

官の衣食するのを去る可き者を罷む;

四方の使い,資を以って交らず;

身を以て帥を爲し,燕享 時有り,賞與 節を以てす;

公藏 私蓄し,上下 與に足る。

(15) 五段-2

是に於て屬州負逋の緡錢【びんせん】廿巨【にじゅう】有四萬,米三萬二千斛を免ず。

金を賦するの州,耗金【こうきん】一 八百,

困しんで償う能わず,皆 以て之を丐【あた】わず。

西南の守長の俸を加え,誅す。

其の尤も無良にして令を聽ざる者,是に由て皆自重して法を慎む。

(16) 五段-3

人士の南に落ち 歸る能わざる者と,流徙の胄百廿八【ひゃくにじゅうはち】族と,用す。

其の才良,其の告ぐるなき者を

其の女子の嫁す可きは,之に錢財を與う,時を失う無らしむ。

刑德並び流れ,方地 數千里,盜らず

(17) 五段-4

山行 海宿して,處所を擇【えら】ばず;

神に事える人を治むる,其れ備【つぶ】さに至れりと謂う可きのみ。

鹹【みな】廟石【びょうせき】に刻して,以て厥の美を着わして,系【か】くるに詩を以てせんことを願う。

乃ち詩を作って曰く:

026 

 

『南海神廟碑』-(14) 現代語訳と訳註

(本文) (14)五段-1

始公之至,盡除他名之税,

罷衣食於官之可去者;

四方之使,不以資交;

以身爲帥,燕享有時,賞與以節;

公藏私蓄,上下與足。

 

(下し文) (14)五段-1

始め公の至る,盡く他の名の税を除く,

官の衣食するのを去る可き者を罷む;

四方の使い,資を以って交らず;

身を以て帥を爲し,燕享 時有り,賞與 節を以てす;

公藏 私蓄し,上下 與に足る。

 

(現代語訳)

はじめ公が到着すると、ことごとく他の名目の税を除いた。

そして、役所で生活する人の中で、去るべきよけいな者を罷めさせた。

四方からの使者は、財物を送る交際をすることはなかった。

公が身をもって示し人を率いるようにし、宴会などにも一定の時があり、賞を与えることも節度を以て行った。

公共の貯蔵も個人の蓄積も、上下ともに十分にできた。

南海神廟碑00 

 (訳注) (14)五段-1

南海神廟碑

広州の南海神廟を修築した事を記した碑文である。これを以て広州の刺史孔公の治績を、神も人も喜んでいることを表彰するということが主意である。韓愈、820年、元和15年 53歳の作である。

 

始公之至,盡除他名之税,

はじめ公が到着すると、ことごとく他の名目の税を除いた。

○他名之税 本税の外の名目の税。

 

罷衣食於官之可去者;

そして、役所で生活する人の中で、去るべきよけいな者を罷めさせた。

 

四方之使,不以資交;

四方からの使者は、財物を送る交際をすることはなかった。

○以資交 資財を贈る交際。

 

以身爲帥,燕享有時,賞與以節;

公が身をもって示し人を率いるようにし、宴会などにも一定の時があり、賞を与えることも節度を以て行った。

○以身為帥 わが身を以て衆を帥(拍)いる。紬の音ソツ。○燕享 宴会や饗応。

 

公藏私蓄,上下與足。

公共の貯蔵も個人の蓄積も、上下ともに十分にできた。

 韓愈の地図01

《南海神廟碑-(13)》韓愈(韓退之) Ⅱ唐宋八大家文読本 巻五 <1029>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4129韓愈詩-272-4-4

南海神廟碑-(13)≫韓愈≫その翌年のその時、公はまた断固として行って、おこたらずに益々つつしんで祭られた。それによって、その歳も大いにおだやかに調和し、老人も若者も歌詠して楽しんだ。


        
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 ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場 
 Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
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1―(1) 《李白詩全集 卷一 (古詩五十九首) 古風五十九首 》 Ⅰ李白詩1116 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4128  
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 曹植(曹子建)詩 65首 index文選 賦)兩都賦序・西都賦・東都賦 (班固)《李白 全詩》
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 ・李商隠詩 (1) 136首の75首・李商隠詩 (2) 135首の61首●韓愈index-1 ・孟郊、張籍と交遊・汴州乱41首●韓愈詩index-2[800年 33歳~804年 37歳]27首●韓愈詩index-3 805年 38歳・]陽山から江陵府 36首●韓愈詩index-4 806年 39歳 江陵府・権知国子博士 51首(1)25首 
 index-5 806年39歳 50首の(2)25首index-6[807年~809年 42歳]20首index-7[810年~811年 44歳] 34首index-8 [812年~814年47歳]46首index-9[815年~816年 49歳] 57首index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首 
 index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首index-13 821年~822年 55歳 22首index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首韓愈 哲学・儒学「五原」賦・散文・上奏文・碑文など 
 孟郊張籍     
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 杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩) 杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首 
 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
 ●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている 
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 ●花間集全詩●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集 
 Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoor 
 薛濤の全詩花間集(1)花間集(2)花間集(3)花間集(4)花間集(5) 
 魚玄機全詩●花間集(6)●花間集(7)●花間集(8)●花間集(9)●花間集(10) 
 温庭筠66首 花間集1・2巻皇甫松11首 花間集二巻韋莊47首 花間集二巻薛昭蘊19首 花間集三巻牛嶠31首 花間集三・四巻張泌27首 花間集四巻 
 毛文錫31首 花間集5巻牛希濟11首 花間集5巻欧陽烱17首 花間集5・6巻和凝20首 花間集6巻顧夐56首 花間集6・7巻孫光憲47首 花間集7・8巻 
 魏承班15首 花間集8・9巻鹿虔扆6首 花間集9巻閻選8首 花間集9巻尹鶚6首 花間集9巻毛熙震29首 花間集9・10巻李珣39首 花間集10巻 
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《南海神廟碑-(13)》韓愈(韓退之) Ⅱ唐宋八大家文読本 巻五 <1029  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4129韓愈詩-272-4-4

 

紅蓼00

(10)四段-1

公遂升舟,風雨少弛,

公はそのまま舟に乗ったら、風雨はやや穏やかになった。

棹夫奏功,雲陰解駁,

櫂を漕ぐ人夫たちの努力の結果が奏功し、雲の暗さもまばらとなっていった。


光穿漏,波伏不興。

日の光が雲をうがち漏れて射しはじめ、静まり伏した波は起こらなかった。


省牲之夕,載載陰;

供え物の犠牲を調べ見た夕べは、晴れて明るくなったりまた陰ったりであった。


將事之夜,天地開除,月星明既。

祭事を行ったその夜は、天地は晴れて雲もなく、月や星が明るく数繁く輝いた。


五鼓既作,牽牛正中,

五更を告げる太鼓もすでに鳴りわたり、牽牛星は中天にあった。
公乃盛服執笏,以入即事。

公はそこで立派な服装でしょう笏を手に持ち、そして廟に入って神事に従事した。

 

公 遂に舟に升り,風雨 少しく弛む,

棹夫 功を奏して,雲陰 駁を解く,

日光 穿ち漏れ,波 伏して興らず。

牲を省みるの夕,載【すなわ】ち暘【て】り載ち陰る;

將事を【おこな】うの夜,天地 開除し,月星 明概なり。

五鼓 既に作【おこ】り,牽牛 正に中す。

公 乃ち盛服して笏【こつ】を執【と】り,以て入りて事に即【つ】く。

(11)四段-2

文武賓屬,俯首聽位,
各執其職。

文武の官、幕賓や属官などは、皆首をたれてかしこみ、その座席にいて命を聴き、担当の職務を取り行った。

牲肥酒香,
樽爵淨潔,

犠牲は肥え、酒は香ばしくそなえ、酒樽や盃は清潔なものである。

降登有數,
神具醉飽。

階段を降り、登るにも一定の数に合致、神はみな十分に酔い飽きるまでである。

海之百靈祕怪,
慌惚畢出,

海の百霊や秘かに棲む寄怪のものも、ぼんやりとまたありありとことごとく現れ出るのである。

蜿蜿蛇蛇,來享飲食。

うねり続いて来て、自ら安んじ、満足して飲食を受けるのであった。

文武 賓屬【ひんぞく】,首を俯して位に聽き,各【おのお】の其の職を執る。

牲 肥え 酒 香しく,樽爵【そんしゃく】淨潔にす,

降登 數有り,神 具に醉飽す。

海の百靈 祕怪にし,慌惚として 畢【ことごと】く出ず,

蜿蜿【えんえん】蛇蛇【いい】として,來って飲食を享す。

 

 (12)四段-3

闔廟鏇艫,祥飆送帆,

廟の門を閉じて、舟のへさきをめぐらして帰途につく、すると目出度い疾風が帆を送ってくれる。

旗纛旄麾,飛颺靄,

旗や毛羽の飾り旗、から牛の毛の飾り旗や指揮の小旗など、飛びひるがえり日差しを掩ほどの盛んな有様であった。

饒鼓嘲轟,高管嗷噪,

銅羅や太鼓がさわがしくとどろき、高い笛の音はけたたましくさわぎまわる。

武夫奮掉,工師唱和,

武人は棹を奮って漕ぎ、船頭たちは声を合わせて唱う。

穹龜長魚,踴躍後先,

甲の丸く高い亀や長い魚などが、踊り飛び上がって後先になって送ってくる。

乾端坤倪,軒豁呈露。

天のはて、地のきわみまで見はるかせは、高く広くあらゆる物が姿をあらわし示していた。

祀之之,風災熄滅,

南海神を祀った歳は、風の災いが消えてなくなる。

人厭魚蟹,五穀胥熟。

人々は魚や蟹にあきて、五穀は皆熟した。

廟を闔【と】じ艫を鏇【めぐ】らせば,祥飆【しょうひょう】帆を送る,

旗纛【きとう】旄麾【ぼうき】,飛颺【ひよう】靄【あんあい】たり,

饒鼓【とうこ】嘲轟【とうこう】,高管嗷噪【きょうそう】,

武夫 掉を奮い,工師唱和す,

穹龜【きゅうき】長魚,踴躍【ようやく】後先す,

乾端【けんたん】坤倪【こんげい】,軒豁【けんかつ】呈露す。

之を祀るの,風災 熄滅【そくめつ】す,

人 魚蟹【ぎょかい】に厭【あ】き,五穀 胥【みな】熟す。

 (13)四段-4

明年祀歸,又廣廟宮而大之:

翌年祀りが終わって帰ると、また廟の宮殿を測り、大きくするのである。

治其庭壇,改作東西兩序,

其の庭と家まわりの壇とを修理し、東西にひろがる土塀を改造する。

齋庖之房,百用具修。

物忌みの部屋と庖などにつづいて、あらゆる用具がみな修理された。

明年其時,公又固往,不懈益虔,

その翌年のその時、公はまた断固として行って、おこたらずに益々つつしんで祭られた。

仍大和,耋艾歌詠。

それによって、その歳も大いにおだやかに調和し、老人も若者も歌詠して楽しんだ。

 

 (13)四段-4

明年 祀りて歸り,又 廟宮を廣げて之を大いにす:

其の庭壇を治め,東西の兩序を改作す,

齋庖の房,百用 具に修む。

明年 其の時,公 又た固く往く,懈【おこた】らずして益【ますま】す虔【つつし】めり,

 仍って大いに和し,耋艾【てつがい】の歌 詠ず。

 

韓愈の地図01

『南海神廟碑』 現代語訳と訳註

(本文)  (13)四段-4

明年祀歸,又廣廟宮而大之:

治其庭壇,改作東西兩序,

齋庖之房,百用具修。

明年其時,公又固往,不懈益虔,

仍大和,耋艾歌詠。

 

(下し文) (13)四段-4

明年 祀りて歸り,又 廟宮を廣げて之を大いにす:

其の庭壇を治め,東西の兩序を改作す,

齋庖の房,百用 具に修む。

明年 其の時,公 又た固く往く,懈【おこた】らずして益【ますま】す虔【つつし】めり,

 仍って大いに和し,耋艾【てつがい】の歌 詠ず。

 

(現代語訳)

翌年祀りが終わって帰ると、また廟の宮殿を測り、大きくするのである。

其の庭と家まわりの壇とを修理し、東西にひろがる土塀を改造する。

物忌みの部屋と庖などにつづいて、あらゆる用具がみな修理された。

その翌年のその時、公はまた断固として行って、おこたらずに益々つつしんで祭られた。

それによって、その歳も大いにおだやかに調和し、老人も若者も歌詠して楽しんだ。

 

 

(訳注) (13)四段-4

明年祀歸,又廣廟宮而大之:

翌年祀りが終わって帰ると、また廟の宮殿を測り、大きくするのである。

〇廣 はかってひろげる。望する。

 

治其庭壇,改作東西兩序,

其の庭と家まわりの壇とを修理し、東西にひろがる土塀を改造する。

○序 堂の東西にある嘉。堂と外とを分ける牆。

 

齋庖之房,百用具修。

物忌みの部屋と庖などにつづいて、あらゆる用具がみな修理された。

○斎庖 物忌みの室と庖(くりや)の部屋。

 

明年其時,公又固往,不懈益虔,

その翌年のその時、公はまた断固として行って、おこたらずに益々つつしんで祭られた。

○固往 どうしてもとかたくなに往く。

 

仍大和,耋艾歌詠

それによって、その歳も大いにおだやかに調和し、老人も若者も歌詠して楽しんだ。

〇歳仍大和 歳の気候がそれによって大いにおだやかであった。和は調和。

耋艾 老人と若者。
南海神廟碑00 

《南海神廟碑-(12)》韓愈(韓退之) Ⅱ唐宋八大家文読本 巻五 <1028>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4124韓愈詩-272-4-3

廟の門を閉じて、舟のへさきをめぐらして帰途につく、すると目出度い疾風が帆を送ってくれる。旗や毛羽の飾り旗、から牛の毛の飾り旗や指揮の小旗など、飛びひるがえり日差しを掩ほどの盛んな有様であった。

        
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《南海神廟碑-(12)》韓愈(韓退之) Ⅱ唐宋八大家文読本 巻五 <1028  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4124韓愈詩-272-4-3

 

 

(10)四段-1

(10)四段-1

公遂升舟,風雨少弛,

公はそのまま舟に乗ったら、風雨はやや穏やかになった。

棹夫奏功,雲陰解駁,

櫂を漕ぐ人夫たちの努力の結果が奏功し、雲の暗さもまばらとなっていった。


光穿漏,波伏不興。

日の光が雲をうがち漏れて射しはじめ、静まり伏した波は起こらなかった。


省牲之夕,載載陰;

供え物の犠牲を調べ見た夕べは、晴れて明るくなったりまた陰ったりであった。


將事之夜,天地開除,月星明既。

祭事を行ったその夜は、天地は晴れて雲もなく、月や星が明るく数繁く輝いた。


五鼓既作,牽牛正中,

五更を告げる太鼓もすでに鳴りわたり、牽牛星は中天にあった。
公乃盛服執笏,以入即事。

公はそこで立派な服装でしょう笏を手に持ち、そして廟に入って神事に従事した。

 

公 遂に舟に升り,風雨 少しく弛む,

棹夫 功を奏して,雲陰 駁を解く,

日光 穿ち漏れ,波 伏して興らず。

牲を省みるの夕,載【すなわ】ち暘【て】り載ち陰る;

將事を【おこな】うの夜,天地 開除し,月星 明概なり。

五鼓 既に作【おこ】り,牽牛 正に中す。

公 乃ち盛服して笏【こつ】を執【と】り,以て入りて事に即【つ】く。

(11)四段-2

文武賓屬,俯首聽位,
各執其職。

文武の官、幕賓や属官などは、皆首をたれてかしこみ、その座席にいて命を聴き、担当の職務を取り行った。

牲肥酒香,
樽爵淨潔,

犠牲は肥え、酒は香ばしくそなえ、酒樽や盃は清潔なものである。

降登有數,
神具醉飽。

階段を降り、登るにも一定の数に合致、神はみな十分に酔い飽きるまでである。

海之百靈祕怪,
慌惚畢出,

海の百霊や秘かに棲む寄怪のものも、ぼんやりとまたありありとことごとく現れ出るのである。

蜿蜿蛇蛇,來享飲食。

うねり続いて来て、自ら安んじ、満足して飲食を受けるのであった。

文武 賓屬【ひんぞく】,首を俯して位に聽き,各【おのお】の其の職を執る。

牲 肥え 酒 香しく,樽爵【そんしゃく】淨潔にす,

降登 數有り,神 具に醉飽す。

海の百靈 祕怪にし,慌惚として 畢【ことごと】く出ず,

蜿蜿【えんえん】蛇蛇【いい】として,來って飲食を享す。

 

 (12)四段-3

闔廟鏇艫,祥飆送帆,

廟の門を閉じて、舟のへさきをめぐらして帰途につく、すると目出度い疾風が帆を送ってくれる。

旗纛旄麾,飛颺靄,

旗や毛羽の飾り旗、から牛の毛の飾り旗や指揮の小旗など、飛びひるがえり日差しを掩ほどの盛んな有様であった。

饒鼓嘲轟,高管嗷噪,

銅羅や太鼓がさわがしくとどろき、高い笛の音はけたたましくさわぎまわる。

武夫奮掉,工師唱和,

武人は棹を奮って漕ぎ、船頭たちは声を合わせて唱う。

穹龜長魚,踴躍後先,

甲の丸く高い亀や長い魚などが、踊り飛び上がって後先になって送ってくる。

乾端坤倪,軒豁呈露。

天のはて、地のきわみまで見はるかせは、高く広くあらゆる物が姿をあらわし示していた。

祀之之,風災熄滅,

南海神を祀った歳は、風の災いが消えてなくなる。

人厭魚蟹,五穀胥熟。

人々は魚や蟹にあきて、五穀は皆熟した。

廟を闔【と】じ艫を鏇【めぐ】らせば,祥飆【しょうひょう】帆を送る,

旗纛【きとう】旄麾【ぼうき】,飛颺【ひよう】靄【あんあい】たり,

饒鼓【とうこ】嘲轟【とうこう】,高管嗷噪【きょうそう】,

武夫 掉を奮い,工師唱和す,

穹龜【きゅうき】長魚,踴躍【ようやく】後先す,

乾端【けんたん】坤倪【こんげい】,軒豁【けんかつ】呈露す。

之を祀るの,風災 熄滅【そくめつ】す,

人 魚蟹【ぎょかい】に厭【あ】き,五穀 胥【みな】熟す。

 (13)四段-4

明年祀歸,又廣廟宮而大之:

治其庭壇,改作東西兩序,

齋庖之房,百用具修。

明年其時,公又固往,不懈益虔,

仍大和,耋艾歌詠。

 

 (13)四段-4

明年 祀りて歸り,又 廟宮を廣げて之を大いにす:

其の庭壇を治め,東西の兩序を改作す,

齋庖の房,百用 具に修む。

明年 其の時,公 又た固く往く,懈【おこた】らずして益【ますま】す虔【つつし】めり,

 仍って大いに和し,耋艾【てつがい】の歌 詠ず。

 

南海神廟碑00 

『南海神廟碑』 現代語訳と訳註

(本文) (12)四段-3

闔廟鏇艫,祥飆送帆,

旗纛旄麾,飛颺靄,

饒鼓嘲轟,高管嗷噪,

武夫奮掉,工師唱和,

穹龜長魚,踴躍後先,

乾端坤倪,軒豁呈露。

祀之之,風災熄滅,

人厭魚蟹,五穀胥熟。

 

(下し文) (12)四段-3

廟を闔【と】じ艫を鏇【めぐ】らせば,祥飆【しょうひょう】帆を送る,

旗纛【きとう】旄麾【ぼうき】,飛颺【ひよう】【あんあい】たり

饒鼓【とうこ】嘲轟【とうこう】,高管嗷噪【きょうそう】

武夫 掉を奮い,工師唱和す,

穹龜【きゅうき】長魚,踴躍【ようやく】後先す,

乾端【けんたん】坤倪【こんげい】,軒豁【けんかつ】呈露す。

之を祀るの,風災 熄滅【そくめつ】す

人 魚蟹【ぎょかい】に【あ】き,五穀 胥【みな】熟す。

 

(現代語訳)

廟の門を閉じて、舟のへさきをめぐらして帰途につく、すると目出度い疾風が帆を送ってくれる。

旗や毛羽の飾り旗、から牛の毛の飾り旗や指揮の小旗など、飛びひるがえり日差しを掩ほどの盛んな有様であった。

銅羅や太鼓がさわがしくとどろき、高い笛の音はけたたましくさわぎまわる。

武人は棹を奮って漕ぎ、船頭たちは声を合わせて唱う。

甲の丸く高い亀や長い魚などが、踊り飛び上がって後先になって送ってくる。

天のはて、地のきわみまで見はるかせは、高く広くあらゆる物が姿をあらわし示していた。

南海神を祀った歳は、風の災いが消えてなくなる。

人々は魚や蟹にあきて、五穀は皆熟した。

 

泰山の夕日 

(訳注) (12)四段-3

南海神廟碑

広州の南海神廟を修築した事を記した碑文である。これを以て広州の刺史孔公の治績を、神も人も喜んでいることを表彰するということが主意である。韓愈、820年、元和15年 53歳の作である。

 

闔廟鏇艫,祥飆送帆,

廟の門を閉じて、舟のへさきをめぐらして帰途につく、すると目出度い疾風が帆を送ってくれる。

闔 閉じる。

艫 へさき。舟の先。肺の反対。

祥飆 めでたい疾風。飆は旋風。下から上に吹きあげる突風。祥はしあわせなの意。

 

旗纛旄麾,飛颺靄,

旗や毛羽の飾り旗、から牛の毛の飾り旗や指揮の小旗など、飛びひるがえり日差しを掩ほどの盛んな有様であった。

纛 毛羽のある旗。

旄 から牛の毛で飾った旗。

 揮の小旗。

靄 たなびいて日光を蔽う。

 

饒鼓嘲轟,高管嗷噪,

銅羅や太鼓がさわがしくとどろき、高い笛の音はけたたましくさわぎまわる。

饒 銅鑼

嘲轟 鳴りとどろく。

○高管 かん高い笛の音。

嗷噪 さけびさわぐ。

 

武夫奮掉,工師唱和,

武人は棹を奮って漕ぎ、船頭たちは声を合わせて唱う。

○工師 技術者の長、ここでは船頭。

 

穹龜長魚,踴躍後先,

甲の丸く高い亀や長い魚などが、踊り飛び上がって後先になって送ってくる。

穹龜 亀の甲の円く高くなったもの。

○後先 あとになりさきになる。送って行く。

 

乾端坤倪,軒豁呈露。

天のはて、地のきわみまで見はるかせは、高く広くあらゆる物が姿をあらわし示していた。

乾端坤倪 乾坤は天地・もはて極み。天地のきわみ。

軒豁 高くひらけて見える。

○呈露 さらけ出して見せる。

 

祀之之,風災熄滅,

南海神を祀った歳は、風の災いが消えてなくなる。

○熄滅 消えてなくなる。

 

人厭魚蟹,五穀胥熟。

人々は魚や蟹にあきて、五穀は皆熟した。

 皆。

《南海神廟碑-(11)》韓愈(韓退之) Ⅱ唐宋八大家文読本 巻五 <1027>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4119韓愈詩-272-4-2

文武の官、幕賓や属官などは、皆首をたれてかしこみ、その座席にいて命を聴き、担当の職務を取り行った。階段を降り、登るにも一定の数に合致、神はみな十分に酔い飽きるまでである。


        
 2014年4月29日の紀頌之5つのブログ 
 ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場 
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 ・李商隠詩 (1) 136首の75首・李商隠詩 (2) 135首の61首●韓愈index-1 ・孟郊、張籍と交遊・汴州乱41首●韓愈詩index-2[800年 33歳~804年 37歳]27首●韓愈詩index-3 805年 38歳・]陽山から江陵府 36首●韓愈詩index-4 806年 39歳 江陵府・権知国子博士 51首(1)25首 
 index-5 806年39歳 50首の(2)25首index-6[807年~809年 42歳]20首index-7[810年~811年 44歳] 34首index-8 [812年~814年47歳]46首index-9[815年~816年 49歳] 57首index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首 
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 孟郊張籍     
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 杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩) 杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首 
 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
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 薛濤の全詩花間集(1)花間集(2)花間集(3)花間集(4)花間集(5) 
 魚玄機全詩●花間集(6)●花間集(7)●花間集(8)●花間集(9)●花間集(10) 
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 毛文錫31首 花間集5巻牛希濟11首 花間集5巻欧陽烱17首 花間集5・6巻和凝20首 花間集6巻顧夐56首 花間集6・7巻孫光憲47首 花間集7・8巻 
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 杏の花01

(10)四段-1

公遂升舟,風雨少弛,

公はそのまま舟に乗ったら、風雨はやや穏やかになった。

棹夫奏功,雲陰解駁,

櫂を漕ぐ人夫たちの努力の結果が奏功し、雲の暗さもまばらとなっていった。


光穿漏,波伏不興。

日の光が雲をうがち漏れて射しはじめ、静まり伏した波は起こらなかった。


省牲之夕,載載陰;

供え物の犠牲を調べ見た夕べは、晴れて明るくなったりまた陰ったりであった。


將事之夜,天地開除,月星明既。

祭事を行ったその夜は、天地は晴れて雲もなく、月や星が明るく数繁く輝いた。


五鼓既作,牽牛正中,

五更を告げる太鼓もすでに鳴りわたり、牽牛星は中天にあった。
公乃盛服執笏,以入即事。

公はそこで立派な服装でしょう笏を手に持ち、そして廟に入って神事に従事した。

 

公 遂に舟に升り,風雨 少しく弛む,

棹夫 功を奏して,雲陰 駁を解く,

日光 穿ち漏れ,波 伏して興らず。

牲を省みるの夕,載【すなわ】ち暘【て】り載ち陰る;

將事を【おこな】うの夜,天地 開除し,月星 明概なり。

五鼓 既に作【おこ】り,牽牛 正に中す。

公 乃ち盛服して笏【こつ】を執【と】り,以て入りて事に即【つ】く。

(11)四段-2

文武賓屬,俯首聽位,
各執其職。

文武の官、幕賓や属官などは、皆首をたれてかしこみ、その座席にいて命を聴き、担当の職務を取り行った。

牲肥酒香,
樽爵淨潔,

犠牲は肥え、酒は香ばしくそなえ、酒樽や盃は清潔なものである。

降登有數,
神具醉飽。

階段を降り、登るにも一定の数に合致、神はみな十分に酔い飽きるまでである。

海之百靈祕怪,
慌惚畢出,

海の百霊や秘かに棲む寄怪のものも、ぼんやりとまたありありとことごとく現れ出るのである。

蜿蜿蛇蛇,來享飲食。

うねり続いて来て、自ら安んじ、満足して飲食を受けるのであった。

文武 賓屬【ひんぞく】,首を俯して位に聽き,各【おのお】の其の職を執る。

牲 肥え 酒 香しく,樽爵【そんしゃく】淨潔にす,

降登 數有り,神 具に醉飽す。

海の百靈 祕怪にし,慌惚として 畢【ことごと】く出ず,

蜿蜿【えんえん】蛇蛇【いい】として,來って飲食を享す。

 

 (12)四段-3

  (12)四段-3

闔廟鏇艫,祥飆送帆,

旗纛旄麾,飛颺靄,

饒鼓嘲轟,高管嗷噪,

武夫奮掉,工師唱和,

穹龜長魚,踴躍後先,

乾端坤倪,軒豁呈露。

祀之之,風災熄滅,

人厭魚蟹,五穀胥熟。

廟を闔【と】じ艫を鏇【めぐ】らせば,祥飆【しょうひょう】帆を送る,

旗纛【きとう】旄麾【ぼうき】,飛颺【ひよう】靄【あんあい】たり,

饒鼓【とうこ】嘲轟【とうこう】,高管嗷噪【きょうそう】,

武夫 掉を奮い,工師唱和す,

穹龜【きゅうき】長魚,踴躍【ようやく】後先す,

乾端【けんたん】坤倪【こんげい】,軒豁【けんかつ】呈露す。

之を祀るの,風災 熄滅【そくめつ】す,

人 魚蟹【ぎょかい】に厭【あ】き,五穀 胥【みな】熟す。

 (13)四段-4

明年祀歸,又廣廟宮而大之:

治其庭壇,改作東西兩序,

齋庖之房,百用具修。

明年其時,公又固往,不懈益虔,

仍大和,耋艾歌詠。

 

 (13)四段-4

明年 祀りて歸り,又 廟宮を廣げて之を大いにす:

其の庭壇を治め,東西の兩序を改作す,

齋庖の房,百用 具に修む。

明年 其の時,公 又た固く往く,懈【おこた】らずして益【ますま】す虔【つつし】めり,

 仍って大いに和し,耋艾【てつがい】の歌 詠ず。

 

南海神廟碑00 

 

『南海神廟碑』 現代語訳と訳註

(本文) (11)四段-2

文武賓屬,俯首聽位,各執其職。

牲肥酒香,樽爵淨潔,

降登有數,神具醉飽。

海之百靈祕怪,慌惚畢出,

蜿蜿蛇蛇,來享飲食。

 

(下し文) (11)四段-2

文武 賓屬【ひんぞく】,首を俯して位に聽き,各【おのお】の其の職を執る。

牲 肥え 酒 香しく,樽爵【そんしゃく】淨潔にす,

降登 數有り,神 具に醉飽す。

海の百靈 祕怪にし,慌惚として 畢【ことごと】く出ず,

蜿蜿【えんえん】蛇蛇【いい】として,來って飲食を享す。

 

(現代語訳)

文武の官、幕賓や属官などは、皆首をたれてかしこみ、その座席にいて命を聴き、担当の職務を取り行った。

犠牲は肥え、酒は香ばしくそなえ、酒樽や盃は清潔なものである。

階段を降り、登るにも一定の数に合致、神はみな十分に酔い飽きるまでである。

海の百霊や秘かに棲む寄怪のものも、ぼんやりとまたありありとことごとく現れ出るのである。

うねり続いて来て、自ら安んじ、満足して飲食を受けるのであった。

韓愈の地図01 

(訳注) (11)四段-2

南海神廟碑

広州の南海神廟を修築した事を記した碑文である。これを以て広州の刺史孔公の治績を、神も人も喜んでいることを表彰するということが主意である。韓愈、820年、元和15年 53歳の作である。

 

文武賓屬,俯首聽位,各執其職。

文武の官、幕賓や属官などは、皆首をたれてかしこみ、その座席にいて命を聴き、担当の職務を取り行った。

○聽位 その座席に居て命を聞く。

 

牲肥酒香,樽爵淨潔,

犠牲は肥え、酒は香ばしくそなえ、酒樽や盃は清潔なものである。

○浄潔 静潔に通用する。静は浄、活である。清潔。

 

降登有數,神具醉飽。

階段を降り、登るにも一定の数に合致、神はみな十分に酔い飽きるまでである。

○降登 階段の登り降りもその数に定則がある。

 

海之百靈祕怪,慌惚畢出,

海の百霊や秘かに棲む寄怪のものも、ぼんやりとまたありありとことごとく現れ出るのである。

○秘怪 海に誓みかくれる怪物。竜蛇の類い。

○慌惚 ぼんやりとしかもありありと見える。

 

蜿蜿蛇蛇,來享飲食。

うねり続いて来て、自ら安んじ、満足して飲食を受けるのであった。

○蜿蜿蛇蛇 うねりのたくる。龍蛇の進むさま。ここは自ら安んじ、満足するさまの意がある。

《南海神廟碑-(10)》韓愈(韓退之) Ⅱ唐宋八大家文読本 巻五 <1026>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4114 韓愈詩-272-4-1

櫂を漕ぐ人夫たちの努力の結果が奏功し、雲の暗さもまばらとなっていった。日の光が雲をうがち漏れて射しはじめ、静まり伏した波は起こらなかった。供え物の犠牲を調べ見た夕べは、晴れて明るくなったりまた陰ったりであった。


        
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《南海神廟碑-(10)》韓愈(韓退之) Ⅱ唐宋八大家文読本 巻五 <1026  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4114 韓愈詩-272-4-1

 

 

(10)四段-1

公遂升舟,風雨少弛,

公はそのまま舟に乗ったら、風雨はやや穏やかになった。

棹夫奏功,雲陰解駁,

櫂を漕ぐ人夫たちの努力の結果が奏功し、雲の暗さもまばらとなっていった。


光穿漏,波伏不興。

日の光が雲をうがち漏れて射しはじめ、静まり伏した波は起こらなかった。


省牲之夕,載載陰;

供え物の犠牲を調べ見た夕べは、晴れて明るくなったりまた陰ったりであった。


將事之夜,天地開除,月星明既。

祭事を行ったその夜は、天地は晴れて雲もなく、月や星が明るく数繁く輝いた。


五鼓既作,牽牛正中,

五更を告げる太鼓もすでに鳴りわたり、牽牛星は中天にあった。
公乃盛服執笏,以入即事。

公はそこで立派な服装でしょう笏を手に持ち、そして廟に入って神事に従事した。

 

公 遂に舟に升り,風雨 少しく弛む,

棹夫 功を奏して,雲陰 駁を解く,

日光 穿ち漏れ,波 伏して興らず。

牲を省みるの夕,載【すなわ】ち暘【て】り載ち陰る;

將事を【おこな】うの夜,天地 開除し,月星 明概なり。

五鼓 既に作【おこ】り,牽牛 正に中す。

公 乃ち盛服して笏【こつ】を執【と】り,以て入りて事に即【つ】く。

(11)四段-2

文武賓屬,俯首聽位,

各執其職。牲肥酒香,

樽爵淨潔,降登有數,

神具醉飽。海之百靈祕怪,

慌惚畢出,蜿蜿蛇蛇,來享飲食。

文武 賓屬【ひんぞく】,首を俯して位に聽き,各【おのお】の其の職を執る。

牲 肥え 酒 香しく,樽爵【そんしゃく】淨潔にす,

降登 數有り,神 具に醉飽す。

海の百靈 祕怪にし,慌惚として 畢【ことごと】く出ず,

蜿蜿【えんえん】蛇蛇【いい】として,來って飲食を享す。

  (12)四段-3

闔廟鏇艫,祥飆送帆,

旗纛旄麾,飛颺靄,

饒鼓嘲轟,高管嗷噪,

武夫奮掉,工師唱和,

穹龜長魚,踴躍後先,

乾端坤倪,軒豁呈露。

祀之之,風災熄滅,

人厭魚蟹,五穀胥熟。

廟を闔【と】じ艫を鏇【めぐ】らせば,祥飆【しょうひょう】帆を送る,

旗纛【きとう】旄麾【ぼうき】,飛颺【ひよう】靄【あんあい】たり,

饒鼓【とうこ】嘲轟【とうこう】,高管嗷噪【きょうそう】,

武夫 掉を奮い,工師唱和す,

穹龜【きゅうき】長魚,踴躍【ようやく】後先す,

乾端【けんたん】坤倪【こんげい】,軒豁【けんかつ】呈露す。

之を祀るの,風災 熄滅【そくめつ】す,

人 魚蟹【ぎょかい】に厭【あ】き,五穀 胥【みな】熟す。

 (13)四段-4

明年祀歸,又廣廟宮而大之:

治其庭壇,改作東西兩序,

齋庖之房,百用具修。

明年其時,公又固往,不懈益虔,

仍大和,耋艾歌詠。

 

 (13)四段-4

明年 祀りて歸り,又 廟宮を廣げて之を大いにす:

其の庭壇を治め,東西の兩序を改作す,

齋庖の房,百用 具に修む。

明年 其の時,公 又た固く往く,懈【おこた】らずして益【ますま】す虔【つつし】めり,

 仍って大いに和し,耋艾【てつがい】の歌 詠ず。

 

南海神廟碑00  

『南海神廟碑』 現代語訳と訳註

(本文) (10)四段-1

公遂升舟,風雨少弛,

棹夫奏功,雲陰解駁,

光穿漏,波伏不興。

省牲之夕,載載陰;

將事之夜,天地開除,

月星明既。五鼓既作,

牽牛正中,公乃盛服執笏,以入即事。

 

(下し文) (10)四段-1

公 遂に舟に升り,風雨 少しく弛む,

棹夫 功を奏して,雲陰 駁を解く,

日光 穿ち漏れ,波 伏して興らず。

牲を省みるの夕,載【すなわ】ち暘【て】り載ち陰る;

將事を【おこな】うの夜,天地 開除し,月星 明既なり。

五鼓 既に作【おこ】り,牽牛 正に中す。

公 乃ち盛服して笏【こつ】を執【と】り,以て入りて事に即【つ】く。

 

(現代語訳)

公はそのまま舟に乗ったら、風雨はやや穏やかになった。

櫂を漕ぐ人夫たちの努力の結果が奏功し、雲の暗さもまばらとなっていった。

日の光が雲をうがち漏れて射しはじめ、静まり伏した波は起こらなかった。

供え物の犠牲を調べ見た夕べは、晴れて明るくなったりまた陰ったりであった。

祭事を行ったその夜は、天地は晴れて雲もなく、月や星が明るく数繁く輝いた。

五更を告げる太鼓もすでに鳴りわたり、牽牛星は中天にあった。
公はそこで立派な服装でしょう笏を手に持ち、そして廟に入って神事に従事した。

 

(訳注)(10)四段-1

南海神廟碑

広州の南海神廟を修築した事を記した碑文である。これを以て広州の刺史孔公の治績を、神も人も喜んでいることを表彰するということが主意である。韓愈、820年、元和15年 53歳の作である。

 

公遂升舟,風雨少弛,

公はそのまま舟に乗ったら、風雨はやや穏やかになった。

 

棹夫奏功,雲陰解駁,

櫂を漕ぐ人夫たちの努力の結果が奏功し、雲の暗さもまばらとなっていった。

○奏功 功を為すと同じ。事が効を現すのを奏功という。また奏効ともいう。

○駁 雜じる。まだら。雲が散るさま。

 

日光穿漏,波伏不興。

日の光が雲をうがち漏れて射しはじめ、静まり伏した波は起こらなかった。

○波伏 静かに伏し凪いだ波。

 

省牲之夕,載暘載陰;

供え物の犠牲を調べ見た夕べは、晴れて明るくなったりまた陰ったりであった。

○省 調べて視る。様子量る。

○載暘載陰 晴れたり曇ったり、載は「すなわち、…したり……した。」という語助字。

 

將事之夜,天地開除,月星明既。

祭事を行ったその夜は、天地は晴れて雲もなく、月や星が明るく数繁く輝いた。

○将事 車叢。行う。

○概 音キ、桐密。星の多い形容。

 

五鼓既作,牽牛正中,

五更を告げる太鼓もすでに鳴りわたり、牽牛星は中天にあった。

〇五鼓 五更を報ずる太鼓。五更: 1 一夜を初更(甲夜)・二更(乙夜(いつや))・三更(丙夜)・四更(丁夜)・五更(戊夜(ぼや))に五等分した称。2 五更の第五。およそ現在の午前3時から午前5時、または午前4時から午前6時ころにあたる。この知らせで家を出て朝廷に夜明けまでにはいる。

○牽牛 星名。

○正中 空の真ん中にある。
 

公乃盛服執笏,以入即事。

公はそこで立派な服装でしょう笏を手に持ち、そして廟に入って神事に従事した。

○笏 官位にある者が礼服(らいふく)または束帯を着用する際,威儀をととのえるにあたって右手に持つ細長い板をいう。中国ではコツと呼び,すでに周代から使われていた。

《南海神廟碑-(9)》韓愈(韓退之) Ⅱ唐宋八大家文読本 巻五 <1025>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4109韓愈詩-272-3-3

南海神廟碑-(9)》韓愈≫そこで州の役所の文武の官吏およそ百人ばかりそろえた。それが代わり合って見え、かわるがわる諌めたけれども、皆に軽く両手を胸先に組む会釈をして、退けて聴き入れなかった。


        
 2014年4月27日の紀頌之5つのブログ 
 ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場 
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李白index- 41 《762年廣德元年春、宜城から涇縣陵陽に遊ぶ。寶應元年62歳陵陽から金陵に行き、晩秋、当塗に帰り11月李陽冰宅で死ぬ。》1112kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4108 
 孟浩然 詩 index李白詩index謝霊運 詩 index司馬相如 《 子虛賦 ・上林賦 》揚雄 《 甘泉賦 》 ●諸葛亮(孔明)出師表 
 曹植(曹子建)詩 65首 index文選 賦)兩都賦序・西都賦・東都賦 (班固)《李白 全詩》
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 ・李商隠詩 (1) 136首の75首・李商隠詩 (2) 135首の61首●韓愈index-1 ・孟郊、張籍と交遊・汴州乱41首●韓愈詩index-2[800年 33歳~804年 37歳]27首●韓愈詩index-3 805年 38歳・]陽山から江陵府 36首●韓愈詩index-4 806年 39歳 江陵府・権知国子博士 51首(1)25首 
 index-5 806年39歳 50首の(2)25首index-6[807年~809年 42歳]20首index-7[810年~811年 44歳] 34首index-8 [812年~814年47歳]46首index-9[815年~816年 49歳] 57首index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首 
 index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首index-13 821年~822年 55歳 22首index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首韓愈 哲学・儒学「五原」賦・散文・上奏文・碑文など 
 孟郊張籍     
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 杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩) 杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首 
 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
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 魚玄機全詩●花間集(6)●花間集(7)●花間集(8)●花間集(9)●花間集(10) 
 温庭筠66首 花間集1・2巻皇甫松11首 花間集二巻韋莊47首 花間集二巻薛昭蘊19首 花間集三巻牛嶠31首 花間集三・四巻張泌27首 花間集四巻 
 毛文錫31首 花間集5巻牛希濟11首 花間集5巻欧陽烱17首 花間集5・6巻和凝20首 花間集6巻顧夐56首 花間集6・7巻孫光憲47首 花間集7・8巻 
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《南海神廟碑-(9)》韓愈(韓退之) Ⅱ唐宋八大家文読本 巻五 <1025  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4109韓愈詩-272-3-3

 

紅蓼00 

(7)三段-1

元和十二年,始詔用前尚書右丞國子祭酒魯國孔公爲廣州刺史

元和十二年始めて詔して、前の尚書右国子祭酒魯国の孔公を以て広州の刺史に任じた。

兼御史大夫,以殿南服。

そして兼務として兼御史大夫に任じて、南方の地区を鎮め治めさせられた。

公正直方嚴,中心樂易,祗慎所職;

公は正直で几張面で厳格な人であるが、内心は穏やかに安らかであって、職務をつつしみ勤めるひとである。

治人以明,事神以誠;

人を治めるのに明智を以てし、神に仕えるのに誠意・真心を以てする。

内外單盡,不爲表爆。

内面、外面のことはことごとく、表面を取り繕い、上辺を飾ることをしないのである。

 

8)三段-2

至州之明年,將夏,祝冊自京師至,

広州の役所に到着した翌年、夏になろうとする時に、南海神の祝祭の文書が都からとどいた。

吏以時告,公乃齋祓視冊,誓群有司曰:

官吏は祭祀の時期を孔公に告げた。公はそこで物忌みして身を祓い清めてからその公文書を観て、多くの役人たちに誓っていった。

「冊有皇帝名,乃上所自署,

「公文書には皇帝の名があって、そこで天子の自ら御名を書き記されたものである。

其文曰:『嗣天子某,謹遣官某敬祭。』

その文には次のように言っている、『お世嗣ぎの天子某が、謹んで役人某を遺して、敬い祭るとある。』と。
其恭且嚴如是,敢有不承!

そのうやうやしく、また、いかめしいことがこのようである。押し切って命令を受けないことがあろうか。

 

 (9)三段-3

明日,吾將宿廟下,以供晨事。」

明日、私は海神の霊廟の下を宿として、そうして早朝の神事を仕えまつろう」というのである。

明日,吏以風雨白,不聽。

翌日役人は風や雨が激しいことを刺史に申しいれたが、聴き入れることはない。

於是州府文武吏士,凡百數,

そこで州の役所の文武の官吏およそ百人ばかりそろえた。

交謁更諫,皆揖而退。

それが代わり合って見え、かわるがわる諌めたけれども、皆に軽く両手を胸先に組む会釈をして、退けて聴き入れなかった。

 

(7)三段-1

元和十二年,始めて詔して 前の尚書右丞國子祭酒 魯國の孔公を用って廣州の刺史兼ね御史大夫と爲して,以て南服を殿【しず】む。

公は正直 方嚴,中心 樂易,職とする所を祗慎【ししん】す;

人を治むるに明を以てし,神に事【つか】うるに誠を以てす;

内外 單【ことご】とく盡して,表爆を爲さず。

(8)三段-2

州に至るの明年,將に夏ならんとし,祝冊 京師より至る,

吏 時を以って告ぎ,公 乃ち齋祓【さいふつ】して冊を視て,群有司に誓って曰く:

「冊に皇帝の名有りて,乃ち上の自署する所とす,

其の文に曰く:『嗣天子某,謹んで官某を遣わして敬んで祭る。』と。

其の恭 且つ嚴なること是の如し,敢て承けざる有らんや!

(9)三段-3

明日,吾 將に廟下に宿して,以て供晨事にせんとす。」と。

明日,吏 風雨を以てすと白【もう】す,聽かず。

是の於て州府の文武 吏士,凡そ百數,交【こもご】も謁して更に諫【いさ】む,皆 揖【ゆう】して退【しりぞ】く。

朱槿花・佛桑華 

 

『南海神廟碑』 現代語訳と訳註

(本文)  (9)三段-3

明日,吾將宿廟下,以供晨事。」

明日,吏以風雨白,不聽。

於是州府文武吏士,凡百數,

交謁更諫,皆揖而退。

 

(下し文) (9)三段-3

明日,吾 將に廟下に宿して,以て供晨事にせんとす。」と。

明日,吏 風雨を以てすと白【もう】す,聽かず。

是の於て州府の文武 吏士,凡そ百數,交【こもご】も謁して更に諫【いさ】む,皆 揖【ゆう】して退【しりぞ】く。

 

(現代語訳)

明日、私は海神の霊廟の下を宿として、そうして早朝の神事を仕えまつろう」というのである。

翌日役人は風や雨が激しいことを刺史に申しいれたが、聴き入れることはない。

そこで州の役所の文武の官吏およそ百人ばかりそろえた。

それが代わり合って見え、かわるがわる諌めたけれども、皆に軽く両手を胸先に組む会釈をして、退けて聴き入れなかった。

 

(訳注) (9)三段-3

南海神廟碑

広州の南海神廟を修築した事を記した碑文である。これをを以て広州の刺史孔公の治績を、神も人も喜んでいることを表彰するということが主意である。韓愈、820年、元和15年 53歳、五十三歳の作である。

 

明日,吾將宿廟下,以供晨事。」

明日、私は海神の霊廟の下を宿として、そうして早朝の神事を仕えまつろう」というのである。

 

明日,吏以風雨白,不聽。

翌日役人は風や雨が激しいことを刺史に申しいれたが、聴き入れることはない。

 

於是州府文武吏士,凡百數,

そこで州の役所の文武の官吏およそ百人ばかりそろえた。

○凡百数 すべて古人ばかり。

 

交謁更諫,皆揖而退。

それが代わり合って見え、かわるがわる諌めたけれども、皆に軽く両手を胸先に組む会釈をして、退けて聴き入れなかった。

○揖而退 揖は胸に手をこまねく礼。挨拶して退出させるだけで、その意見に従わないことをいう。

韓愈の地図01 

《南海神廟碑-(8)》韓愈(韓退之) Ⅱ唐宋八大家文読本 巻五 <1024>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4104韓愈詩-272-3-2

南海神廟碑-(8)》韓愈≫広州の役所に到着した翌年、夏になろうとする時に、南海神の祝祭の文書が都からとどいた。官吏は祭祀の時期を孔公に告げた。公はそこで物忌みして身を祓い清めてからその公文書を観て、多くの役人たちに誓っていった。


        
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《南海神廟碑

-(8)》韓愈(韓退之) Ⅱ唐宋八大家文読本 巻五 <1024  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4104韓愈詩-272-3-2

 

 

(7)三段-1

元和十二年,始詔用前尚書右丞國子祭酒魯國孔公爲廣州刺史

元和十二年始めて詔して、前の尚書右国子祭酒魯国の孔公を以て広州の刺史に任じた。

兼御史大夫,以殿南服。

そして兼務として兼御史大夫に任じて、南方の地区を鎮め治めさせられた。

公正直方嚴,中心樂易,祗慎所職;

公は正直で几張面で厳格な人であるが、内心は穏やかに安らかであって、職務をつつしみ勤めるひとである。

治人以明,事神以誠;

人を治めるのに明智を以てし、神に仕えるのに誠意・真心を以てする。

内外單盡,不爲表爆。

内面、外面のことはことごとく、表面を取り繕い、上辺を飾ることをしないのである。

 

8)三段-2

至州之明年,將夏,祝冊自京師至,

広州の役所に到着した翌年、夏になろうとする時に、南海神の祝祭の文書が都からとどいた。

吏以時告,公乃齋祓視冊,誓群有司曰:

官吏は祭祀の時期を孔公に告げた。公はそこで物忌みして身を祓い清めてからその公文書を観て、多くの役人たちに誓っていった。

「冊有皇帝名,乃上所自署,

「公文書には皇帝の名があって、そこで天子の自ら御名を書き記されたものである。

其文曰:『嗣天子某,謹遣官某敬祭。』

その文には次のように言っている、『お世嗣ぎの天子某が、謹んで役人某を遺して、敬い祭るとある。』と。
其恭且嚴如是,敢有不承!

そのうやうやしく、また、いかめしいことがこのようである。押し切って命令を受けないことがあろうか。

 

 (9)三段-3

明日,吾將宿廟下,以供晨事。」

明日,吏以風雨白,不聽。

於是州府文武吏士,凡百數,

交謁更諫,皆揖而退。

 

(7)三段-1

元和十二年,始めて詔して 前の尚書右丞國子祭酒 魯國の孔公を用って廣州の刺史兼ね御史大夫と爲して,以て南服を殿【しず】む。

公は正直 方嚴,中心 樂易,職とする所を祗慎【ししん】す;

人を治むるに明を以てし,神に事【つか】うるに誠を以てす;

内外 單【ことご】とく盡して,表爆を爲さず。

(8)三段-2

州に至るの明年,將に夏ならんとし,祝冊 京師より至る,

吏 時を以って告ぎ,公 乃ち齋祓【さいふつ】して冊を視て,群有司に誓って曰く:

「冊に皇帝の名有りて,乃ち上の自署する所とす,

其の文に曰く:『嗣天子某,謹んで官某を遣わして敬んで祭る。』と。

其の恭 且つ嚴なること是の如し,敢て承けざる有らんや!

(9)三段-3

明日,吾 將に廟下に宿して,以て供晨事にせんとす。」と。

明日,吏 風雨を以てすと白【もう】す,聽かず。

是の於て州府の文武 吏士,凡そ百數,交【こもご】も謁して更に諫【いさ】む,皆 揖【ゆう】して退【しりぞ】く。

南海神廟碑00 

 

『南海神廟碑』 現代語訳と訳註

(本文) 8)三段-2

至州之明年,將夏,祝冊自京師至,

吏以時告,公乃齋祓視冊,誓群有司曰:

「冊有皇帝名,乃上所自署,

其文曰:『嗣天子某,謹遣官某敬祭。』

其恭且嚴如是,敢有不承!

 

(下し文)

州に至るの明年,將に夏ならんとし,祝冊 京師より至る,

吏 時を以って告ぎ,公 乃ち齋祓【さいふつ】して冊を視て,群有司に誓って曰く:

「冊に皇帝の名有りて,乃ち上の自署する所とす,

其の文に曰く:『嗣天子某,謹んで官某を遣わして敬んで祭る。』と。

其の恭 且つ嚴なること是の如し,敢て承けざる有らんや!

 

(現代語訳)

広州の役所に到着した翌年、夏になろうとする時に、南海神の祝祭の文書が都からとどいた。

官吏は祭祀の時期を孔公に告げた。公はそこで物忌みして身を祓い清めてからその公文書を観て、多くの役人たちに誓っていった。

「公文書には皇帝の名があって、そこで天子の自ら御名を書き記されたものである。

その文には次のように言っている、『お世嗣ぎの天子某が、謹んで役人某を遺して、敬い祭るとある。』と。
そのうやうやしく、また、いかめしいことがこのようである。押し切って命令を受けないことがあろうか。

 

韓愈の地図01

(訳注) 8)三段-2

南海神廟碑

広州の南海神廟を修築した事を記した碑文である。これをを以て広州の刺史孔公の治績を、神も人も喜んでいることを表彰するということが主意である。韓愈、820年、元和15年 53歳、五十三歳の作である。

 

至州之明年,將夏,祝冊自京師至,

広州の役所に到着した翌年、夏になろうとする時に、南海神の祝祭の文書が都からとどいた。

○祝冊 祭りを告げる文書。朝廷からの祭りの祝い文。

 

吏以時告,公乃齋祓視冊,誓群有司曰:

官吏は祭祀の時期を孔公に告げた。公はそこで物忌みして身を祓い清めてからその公文書を観て、多くの役人たちに誓っていった。

○齋祓 物忌みして身を祓い清める。

○視冊 その公文書を観る。

 

「冊有皇帝名,乃上所自署,

「公文書には皇帝の名があって、そこで天子の自ら御名を書き記されたものである。

 

其文曰:『嗣天子某,謹遣官某敬祭。』

その文には次のように言っている、『お世嗣ぎの天子某が、謹んで役人某を遺して、敬い祭るとある。』と。

○嗣天子 世嗣ぎの天子。

 

其恭且嚴如是,敢有不承!

そのうやうやしく、また、いかめしいことがこのようである。押し切って命令を受けないことがあろうか。

《南海神廟碑-(7)》韓愈(韓退之) Ⅱ唐宋八大家文読本 巻五 <1023>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4099韓愈詩-272-3-1

南海神廟碑-(7)》韓愈≫公は正直で几張面で厳格な人であるが、内心は穏やかに安らかであって、職務をつつしみ勤めるひとである。人を治めるのに明智を以てし、神に仕えるのに誠意・真心を以てする。


        
 2014年4月25日の紀頌之5つのブログ 
 ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場 
 Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
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李白index- 39 《760年上元元年60歳 春、武昌、夏、潯陽に行き、初秋から江南、歴陽の各地に遊ぶ。》李白詩 全詩<李白index- 39> Ⅰ李白詩1110 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4098 
 孟浩然 詩 index李白詩index謝霊運 詩 index司馬相如 《 子虛賦 ・上林賦 》揚雄 《 甘泉賦 》 ●諸葛亮(孔明)出師表 
 曹植(曹子建)詩 65首 index文選 賦)兩都賦序・西都賦・東都賦 (班固)《李白 全詩》
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 ・李商隠詩 (1) 136首の75首・李商隠詩 (2) 135首の61首●韓愈index-1 ・孟郊、張籍と交遊・汴州乱41首●韓愈詩index-2[800年 33歳~804年 37歳]27首●韓愈詩index-3 805年 38歳・]陽山から江陵府 36首●韓愈詩index-4 806年 39歳 江陵府・権知国子博士 51首(1)25首 
 index-5 806年39歳 50首の(2)25首index-6[807年~809年 42歳]20首index-7[810年~811年 44歳] 34首index-8 [812年~814年47歳]46首index-9[815年~816年 49歳] 57首index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首 
 index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首index-13 821年~822年 55歳 22首index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首韓愈 哲学・儒学「五原」賦・散文・上奏文・碑文など 
 孟郊張籍     
 ●杜甫の全作品1500首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。" 
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 杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩) 杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首 
 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
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 ●花間集全詩●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集 
 Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoor13-328《荷葉盃九首,其四》顧太尉敻(顧夐【こけい】)五十五首Ⅻ唐五代詞・『花間集』全詩訳注解説Gs-511-13-(328) 花間集 巻第七漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4102  
 薛濤の全詩花間集(1)花間集(2)花間集(3)花間集(4)花間集(5) 
 魚玄機全詩●花間集(6)●花間集(7)●花間集(8)●花間集(9)●花間集(10) 
 温庭筠66首 花間集1・2巻皇甫松11首 花間集二巻韋莊47首 花間集二巻薛昭蘊19首 花間集三巻牛嶠31首 花間集三・四巻張泌27首 花間集四巻 
 毛文錫31首 花間集5巻牛希濟11首 花間集5巻欧陽烱17首 花間集5・6巻和凝20首 花間集6巻顧夐56首 花間集6・7巻孫光憲47首 花間集7・8巻 
 魏承班15首 花間集8・9巻鹿虔扆6首 花間集9巻閻選8首 花間集9巻尹鶚6首 花間集9巻毛熙震29首 花間集9・10巻李珣39首 花間集10巻 
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《南海神廟碑-(7)》韓愈(韓退之) Ⅱ唐宋八大家文読本 巻五 <1023  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4099韓愈詩-272-3-1

 

 

(7)三段-1

元和十二年,始詔用前尚書右丞國子祭酒魯國孔公爲廣州刺史

元和十二年始めて詔して、前の尚書右国子祭酒魯国の孔公を以て広州の刺史に任じた。

兼御史大夫,以殿南服。

そして兼務として兼御史大夫に任じて、南方の地区を鎮め治めさせられた。

公正直方嚴,中心樂易,祗慎所職;

公は正直で几張面で厳格な人であるが、内心は穏やかに安らかであって、職務をつつしみ勤めるひとである。

治人以明,事神以誠;

人を治めるのに明智を以てし、神に仕えるのに誠意・真心を以てする。

内外單盡,不爲表爆。

内面、外面のことはことごとく、表面を取り繕い、上辺を飾ることをしないのである。

 

8)三段-2

至州之明年,將夏,祝冊自京師至,

吏以時告,公乃齋祓視冊,誓群有司曰:

「冊有皇帝名,乃上所自署,

其文曰:『嗣天子某,謹遣官某敬祭。』

其恭且嚴如是,敢有不承!

(9)三段-3

明日,吾將宿廟下,以供晨事。」

明日,吏以風雨白,不聽。

於是州府文武吏士,凡百數,

交謁更諫,皆揖而退。

 

(7)三段-1

元和十二年,始めて詔して 前の尚書右丞國子祭酒 魯國の孔公を用って廣州の刺史兼ね御史大夫と爲して,以て南服を殿【しず】む。

公は正直 方嚴,中心 樂易,職とする所を祗慎【ししん】す;

人を治むるに明を以てし,神に事【つか】うるに誠を以てす;

内外 單【ことご】とく盡して,表爆を爲さず。

(8)三段-2

州に至るの明年,將に夏ならんとし,祝冊 京師より至る,

吏 時を以って告ぎ,公 乃ち齋祓【さいふつ】して冊を視て,群有司に誓って曰く:

「冊に皇帝の名有りて,乃ち上の自署する所とす,

其の文に曰く:『嗣天子某,謹んで官某を遣わして敬んで祭る。』と。

其の恭 且つ嚴なること是の如し,敢て承けざる有らんや!

(9)三段-3

明日,吾 將に廟下に宿して,以て供晨事にせんとす。」と。

明日,吏 風雨を以てすと白【もう】す,聽かず。

是の於て州府の文武 吏士,凡そ百數,交【こもご】も謁して更に諫【いさ】む,皆 揖【ゆう】して退【しりぞ】く。

 

南海神廟碑00 

『南海神廟碑』 現代語訳と訳註

(本文) (7)三段-1

元和十二年,始詔用前尚書右丞國子祭酒魯國孔公爲廣州刺史兼御史大夫,以殿南服。

公正直方嚴,中心樂易,祗慎所職;

治人以明,事神以誠;

内外單盡,不爲表爆。

 

(下し文)

元和十二年,始めて詔して 前の尚書右丞國子祭酒 魯國の孔公を用って廣州の刺史兼ね御史大夫と爲して,以て南服を殿【しず】む。

公は正直 方嚴,中心 樂易,職とする所を祗慎【ししん】す;

人を治むるに明を以てし,神に事【つか】うるに誠を以てす;

内外 單【ことご】とく盡して,表爆を爲さず。

 

(現代語訳)

元和十二年始めて詔して、前の尚書右国子祭酒魯国の孔公を以て広州の刺史に任じた。

そして兼務として兼御史大夫に任じて、南方の地区を鎮め治めさせられた。

公は正直で几張面で厳格な人であるが、内心は穏やかに安らかであって、職務をつつしみ勤めるひとである。

人を治めるのに明智を以てし、神に仕えるのに誠意・真心を以てする。

内面、外面のことはことごとく、表面を取り繕い、上辺を飾ることをしないのである。

 

韓愈の地図01 

(訳注) (7)三段-1

南海神廟碑

広州の南海神廟を修築した事を記した碑文である。これをを以て広州の刺史孔公の治績を、神も人も喜んでいることを表彰するということが主意である。韓愈、820年、元和15年 53歳、五十三歳の作である。

 

元和十二年,始詔用前尚書右丞國子祭酒魯國孔公爲廣州刺史。

元和十二年始めて詔して、前の尚書右国子祭酒魯国の孔公を以て広州の刺史に任じた。

○孔公 817年元和十二年七月に、孔鄈を嶺南節度使に任じた。

 

兼御史大夫,以殿南服。

そして兼務として兼御史大夫に任じて、南方の地区を鎮め治めさせられた。

○殿南服 南服をしずむと読む。殿は鎮圧、定、さだむと訓じてもよい。『詩経』小雅采篇に「天子の邦殿む」とある。南服は五嶺山脈の南方の邦国。天子に服する邦国を服といぅ。

 

公正直方嚴,中心樂易,祗慎所職;

公は正直で几張面で厳格な人であるが、内心は穏やかに安らかであって、職務をつつしみ勤めるひとである。

○砥慎 二字共つつしむの義。

 

治人以明,事神以誠;

人を治めるのに明智を以てし、神に仕えるのに誠意・真心を以てする。

 

内外單盡,不爲表爆。

内面、外面のことはことごとく、表面を取り繕い、上辺を飾ることをしないのである。

○単 すべて、ことごとく。

○表爆 表面を飾る。爆は外衣の限界を超える。ここは外見はどうでもよいということ。
tasogare45000 

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《南海神廟碑-(6)》韓愈(韓退之) Ⅱ唐宋八大家文読本 巻五 <1022>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4094韓愈詩-272-2-3

役人はますます物を供えず、随って神は人々を顧みて祭りを受けることをしなくなるのだ。そのため秋の暴風、あやしい雨が、吹き起こって定めなく、人はその害を蒙るのであった。


        
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《南海神廟碑-(6)》韓愈(韓退之) Ⅱ唐宋八大家文読本 巻五 <1022  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4094韓愈詩-272-2-3

 

 

(4)二段-1

而刺史常節度五嶺諸軍,

そして比の広州の刺史は、当然五嶺地方の諸軍を指し図した。

仍觀察其郡邑,於南方事無所不統,

それはやはり其の郡の都市を観察して地方を治めなければならないからであり、南方の政治軍事において、統べて支配しないものはないのである。

地大以遠,故常選用重人。

その土地は大きくて遠く京師から離れている。それ故、重臣を選んで用いることになる。

既貴而富,且不習海事,

重人はすでに貴い官について財も富み、その上、海の事に慣れていないのである。

又當祀時海常多大風,將往皆憂戚。

また祭りの時に当たって、海は常に大風が多い。南海神を祭りに扶胥の港に行こうとするときは、皆憂い盛んでいくのである。

 (5)二段-2

既進,觀顧怖悸,故常以疾爲解,

やがて船が進み、そして眺め見まわして、おそれ胸さわぎするのであった。それ故に常に病気を以て言いわけをしたのだ。

而委事於其副,其來已久。

そうして仕事を副官にまかせた。そのようなしきたりはすでに久しいのである。

故明宮齋廬,上雨旁風,無所蓋障;

故に清められた神殿、物いみの小屋も、上は雨ふり四方は風が吹き込み、屋根の蓋も、周囲の風の障りもない有様であった。

牲酒瘠酸,取具臨時;

犠牲は宿せて、酒は貧弱で酸っぱく、祭具もその時々の間に合わせのものを用いる。

 (6)二段-3

水陸之品,狼籍籩豆;

水陸の供え物の類も、竹製の入れ物、木の盛り器に散乱している。

薦裸興俯,不中儀式;

神に供え物を薦め、酒を祭壇にそそぐ裸の礼に、身を起こし下にうち伏す動作も儀式の定めにあたらない。

吏滋不供,神不顧享;

役人はますます物を供えず、随って神は人々を顧みて祭りを受けることをしなくなるのだ。

盲風怪雨,發作無節,人蒙其害。

そのため秋の暴風、あやしい雨が、吹き起こって定めなく、人はその害を蒙るのであった。

韓愈の地図01 

(4)二段-1

而して刺史は常に五嶺の諸軍を節度し,

仍ち其の郡邑を觀察すべく,南方の事に於いて統べざる所無し,

地 大に以って遠く,故に常に重人を選用す。

既に貴くして富み,且つ海事に習わず,

又 祀時に當りて 海 常に大風多く,將に往んとして 皆憂戚す。

(5)二段-2

既に進み,觀顧して怖悸【ふき】し,故に常に疾を以って解を爲す,

而して事を其の副に委ね,其の來るは已に久し。

故に明宮齋廬【さいろ】に,上雨 旁風し,蓋障【がいしょう】する所無し;

牲酒 瘠酸【せきさん】にして,具を臨時に取る;

(6)二段-3

水陸の品,籩豆に狼籍たり;

薦裸 興俯し,儀式に中【あた】らず;

吏 滋【ますま】す供せず,神 顧りみ享【う】けず;

盲風怪雨,發作して節無く,人 其の害を蒙る。

 

南海神廟碑00 

『南海神廟碑』 現代語訳と訳註

(本文)(6)二段-3

水陸之品,狼籍籩豆;

薦裸興俯,不中儀式;

吏滋不供,神不顧享;

盲風怪雨,發作無節,人蒙其害。

 

 

(下し文) (6)二段-3

水陸の品,籩豆に狼籍たり;

薦裸 興俯し,儀式に中【あた】らず;

吏 滋【ますま】す供せず,神 顧りみ享【う】けず;

盲風怪雨,發作して節無く,人 其の害を蒙る。

 

(現代語訳)

水陸の供え物の類も、竹製の入れ物、木の盛り器に散乱している。

神に供え物を薦め、酒を祭壇にそそぐ裸の礼に、身を起こし下にうち伏す動作も儀式の定めにあたらない。

役人はますます物を供えず、随って神は人々を顧みて祭りを受けることをしなくなるのだ。

そのため秋の暴風、あやしい雨が、吹き起こって定めなく、人はその害を蒙るのであった。

 

 

(訳注) (5)二段-3

南海神廟碑

広州の南海神廟を修築した事を記した碑文である。これをを以て広州の刺史孔公の治績を、神も人も喜んでいることを表彰するということが主意である。韓愈、820年、元和15年 53歳、五十三歳の作である。

 

水陸之品,狼籍籩豆;

水陸の供え物の類も、竹製の入れ物、木の盛り器に散乱している。

○狼籍 散り乱れる。狼の臥した跡は草が籍(敷)き伏していることからいう。

○籩豆 籩は竹編みの供え物入れ。豆は木で作った塩肉を入れる物。

 

薦裸興俯,不中儀式;

神に供え物を薦め、酒を祭壇にそそぐ裸の礼に、身を起こし下にうち伏す動作も儀式の定めにあたらない。

○薦裸 薦は神に供え物を進める。裸は鬱鬯の酒(鬱金草をひたし色香をつけた酒)を条項にそそいで神霊を降す儀式。

○興僻 身を起こし、身を伏す礼拝の動作。

 

吏滋不供,神不顧享;

役人はますます物を供えず、随って神は人々を顧みて祭りを受けることをしなくなるのだ。

○滋 ますます。いよいよ。

○顧享 神よ。 神が祭る人を顧みてその供え物を享けて福を下す。

 

盲風怪雨,發作無節,人蒙其害。

そのため秋の暴風、あやしい雨が、吹き起こって定めなく、人はその害を蒙るのであった。

○盲風 秋に吹く暴風をいう。

○怪雨 気味悪い雨。

○発作 おこる。発しおこる。

 韓愈(韓退之)02

《南海神廟碑-(5)》韓愈(韓退之) Ⅱ唐宋八大家文読本 巻五 <1021>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4089韓愈詩-272-2-2

やがて船が進み、そして眺め見まわして、おそれ胸さわぎするのであった。それ故に常に病気を以て言いわけをしたのだ。そうして仕事を副官にまかせた。そのようなしきたりはすでに久しいのである。

        
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 ・李商隠詩 (1) 136首の75首・李商隠詩 (2) 135首の61首●韓愈index-1 ・孟郊、張籍と交遊・汴州乱41首●韓愈詩index-2[800年 33歳~804年 37歳]27首●韓愈詩index-3 805年 38歳・]陽山から江陵府 36首●韓愈詩index-4 806年 39歳 江陵府・権知国子博士 51首(1)25首 
 index-5 806年39歳 50首の(2)25首index-6[807年~809年 42歳]20首index-7[810年~811年 44歳] 34首index-8 [812年~814年47歳]46首index-9[815年~816年 49歳] 57首index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首 
 index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首index-13 821年~822年 55歳 22首index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首韓愈 哲学・儒学「五原」賦・散文・上奏文・碑文など 
 孟郊張籍 
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 杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩) 杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首 
 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
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《南海神廟碑-(5)》韓愈(韓退之Ⅱ唐宋八大家文読本 巻五 <1021  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4089韓愈詩-272-2-2

 

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(4)二段-1

而刺史常節度五嶺諸軍,

そして比の広州の刺史は、当然五嶺地方の諸軍を指し図した。

仍觀察其郡邑,於南方事無所不統,

それはやはり其の郡の都市を観察して地方を治めなければならないからであり、南方の政治軍事において、統べて支配しないものはないのである。

地大以遠,故常選用重人。

その土地は大きくて遠く京師から離れている。それ故、重臣を選んで用いることになる。

既貴而富,且不習海事,

重人はすでに貴い官について財も富み、その上、海の事に慣れていないのである。

又當祀時海常多大風,將往皆憂戚。

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 (5)二段-2

既進,觀顧怖悸,故常以疾爲解,

やがて船が進み、そして眺め見まわして、おそれ胸さわぎするのであった。それ故に常に病気を以て言いわけをしたのだ。

而委事於其副,其來已久。

そうして仕事を副官にまかせた。そのようなしきたりはすでに久しいのである。

故明宮齋廬,上雨旁風,無所蓋障;

故に清められた神殿、物いみの小屋も、上は雨ふり四方は風が吹き込み、屋根の蓋も、周囲の風の障りもない有様であった。

牲酒瘠酸,取具臨時;

犠牲は宿せて、酒は貧弱で酸っぱく、祭具もその時々の間に合わせのものを用いる。

 (6)二段-3

水陸之品,狼籍籩豆;

薦裸興俯,不中儀式;

吏滋不供,神不顧享;

盲風怪雨,發作無節,人蒙其害。

 

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而して刺史は常に五嶺の諸軍を節度し,

仍ち其の郡邑を觀察すべく,南方の事に於いて統べざる所無し,

地 大に以って遠く,故に常に重人を選用す。

既に貴くして富み,且つ海事に習わず,

又 祀時に當りて 海 常に大風多く,將に往んとして 皆憂戚す。

(5)二段-2

既に進み,觀顧して怖悸【ふき】し,故に常に疾を以って解を爲す,

而して事を其の副に委ね,其の來るは已に久し。

故に明宮齋廬【さいろ】に,上雨 旁風し,蓋障【がいしょう】する所無し;

牲酒 瘠酸【せきさん】にして,具を臨時に取る;

(6)二段-3

水陸の品,籩豆に狼籍たり;

薦裸 興俯し,儀式に中【あた】らず;

吏 滋【ますま】す供せず,神 顧りみ享【う】けず;

盲風怪雨,發作して節無く,人 其の害を蒙る。

 

南海神廟碑00 

『南海神廟碑』 現代語訳と訳註

(本文)(5)二段-2

既進,觀顧怖悸,故常以疾爲解,

而委事於其副,其來已久。

故明宮齋廬,上雨旁風,無所蓋障;

牲酒瘠酸,取具臨時;

 

(下し文)

(5)二段-2

既に進み,觀顧して怖悸【ふき】し,故に常に疾を以って解を爲す,

而して事を其の副に委ね,其の來るは已に久し。

故に明宮齋廬【さいろ】に,上雨 旁風し,蓋障【がいしょう】する所無し;

牲酒 瘠酸【せきさん】にして,具を臨時に取る;

 

(現代語訳)

やがて船が進み、そして眺め見まわして、おそれ胸さわぎするのであった。それ故に常に病気を以て言いわけをしたのだ。

そうして仕事を副官にまかせた。そのようなしきたりはすでに久しいのである。

故に清められた神殿、物いみの小屋も、上は雨ふり四方は風が吹き込み、屋根の蓋も、周囲の風の障りもない有様であった。

犠牲は宿せて、酒は貧弱で酸っぱく、祭具もその時々の間に合わせのものを用いる。

 

(訳注) (5)二段-2

南海神廟碑

広州の南海神廟を修築した事を記した碑文である。これをを以て広州の刺史孔公の治績を、神も人も喜んでいることを表彰するということが主意である。韓愈、820年、元和15年 53歳、五十三歳の作である。

 

既進,觀顧怖悸,故常以疾爲解,

やがて船が進み、そして眺め見まわして、おそれ胸さわぎするのであった。それ故に常に病気を以て言いわけをしたのだ。

○怖惇 おそれ胸さわぐ。博もおそれる。

○為解 弁解とする

 

而委事於其副,其來已久。

そうして仕事を副官にまかせた。そのようなしきたりはすでに久しいのである。

 

故明宮齋廬,上雨旁風,無所蓋障;

故に清められた神殿、物いみの小屋も、上は雨ふり四方は風が吹き込み、屋根の蓋も、周囲の風の障りもない有様であった。

○明宮 神殿のこと

○齋廬 物の忌み清めをする小屋、廬はいおり。

○上雨旁風 上から雨漏り、横から風が吹き込む。

○蓋障 蓋は雨をふせぐ屋根、障は風を受ける壁、土塀など。

 

牲酒瘠酸,取具臨時;

犠牲は宿せて、酒は貧弱で酸っぱく、祭具もその時々の間に合わせのものを用いる。

○瘠酸 犠酒をうけていう。犠牲は宿せ、酒は古くて酸味がある。
韓愈の地図01 





 

《南海神廟碑-(4)》韓愈(韓退之) Ⅱ唐宋八大家文読本 巻五 <1020>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4084韓愈詩-272-2-1

それはやはり其の郡の都市を観察して地方を治めなければならないからであり、南方の政治軍事において、統べて支配しないものはないのである。その土地は大きくて遠く京師から離れている。それ故、重臣を選んで用いることになる。


        
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《南海神廟碑-(4)》韓愈(韓退之) Ⅱ唐宋八大家文読本 巻五 <1020  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4084韓愈詩-272-2-1

 

 

(4)二段-1

而刺史常節度五嶺諸軍,

そして比の広州の刺史は、当然五嶺地方の諸軍を指し図した。

仍觀察其郡邑,於南方事無所不統,

それはやはり其の郡の都市を観察して地方を治めなければならないからであり、南方の政治軍事において、統べて支配しないものはないのである。

地大以遠,故常選用重人。

その土地は大きくて遠く京師から離れている。それ故、重臣を選んで用いることになる。

既貴而富,且不習海事,

重人はすでに貴い官について財も富み、その上、海の事に慣れていないのである。

又當祀時海常多大風,將往皆憂戚。

また祭りの時に当たって、海は常に大風が多い。南海神を祭りに扶胥の港に行こうとするときは、皆憂い盛んでいくのである。

 (5)二段-2

既進,觀顧怖悸,故常以疾爲解,

而委事於其副,其來已久。

故明宮齋廬,上雨旁風,無所蓋障;

牲酒瘠酸,取具臨時;

(6)二段-3

水陸之品,狼籍籩豆;

薦裸興俯,不中儀式;

吏滋不供,神不顧享;

盲風怪雨,發作無節,人蒙其害。

 

(4)二段-1

而して刺史は常に五嶺の諸軍を節度し,

仍ち其の郡邑を觀察すべく,南方の事に於いて統べざる所無し,

地 大に以って遠く,故に常に重人を選用す。

既に貴くして富み,且つ海事に習わず,

又 祀時に當りて 海 常に大風多く,將に往んとして 皆憂戚す。

(5)二段-2

既に進み,觀顧して怖悸【ふき】し,故に常に疾を以って解を爲す,

而して事を其の副に委ね,其の來るは已に久し。

故に明宮齋廬【さいろ】に,上雨 旁風し,蓋障【がいしょう】する所無し;

牲酒 瘠酸【せきさん】にして,具を臨時に取る;

(6)二段-3

水陸の品,籩豆に狼籍たり;

薦裸 興俯し,儀式に中【あた】らず;

吏 滋【ますま】す供せず,神 顧りみ享【う】けず;

盲風怪雨,發作して節無く,人 其の害を蒙る。

南海神廟碑00 

 

『南海神廟碑』 現代語訳と訳註

(本文) (4)二段-1

而刺史常節度五嶺諸軍,

仍觀察其郡邑,於南方事無所不統,

地大以遠,故常選用重人。

既貴而富,且不習海事,

又當祀時海常多大風,將往皆憂戚。

 

(下し文) (4)二段-1

而して刺史は常に五嶺の諸軍を節度し,

仍ち其の郡邑を觀察すべく,南方の事に於いて統べざる所無し,

地 大に以って遠く,故に常に重人を選用す。

既に貴くして富み,且つ海事に習わず,

又 祀時に當りて 海 常に大風多く,將に往んとして 皆憂戚す。

 

(現代語訳)

そして比の広州の刺史は、当然五嶺地方の諸軍を指し図した。

それはやはり其の郡の都市を観察して地方を治めなければならないからであり、南方の政治軍事において、統べて支配しないものはないのである。

その土地は大きくて遠く京師から離れている。それ故、重臣を選んで用いることになる。

重人はすでに貴い官について財も富み、その上、海の事に慣れていないのである。

また祭りの時に当たって、海は常に大風が多い。南海神を祭りに扶胥の港に行こうとするときは、皆憂い盛んでいくのである。

寒梅000 

(訳注) (4)二段-1

南海神廟碑

広州の南海神廟を修築した事を記した碑文である。これをを以て広州の刺史孔公の治績を、神も人も喜んでいることを表彰するということが主意である。韓愈、820年、元和15年 53歳、五十三歳の作である。

 

而刺史常節度五嶺諸軍,

そして比の広州の刺史は、当然五嶺地方の諸軍を指し図した。

〇五嶺 潮撃福建の境の大痛∵始安・臨賀・桂陽・掲陽の五山傾。

 

仍觀察其郡邑,於南方事無所不統,

それはやはり其の郡の都市を観察して地方を治めなければならないからであり、南方の政治軍事において、統べて支配しないものはないのである。

 

地大以遠,故常選用重人。

その土地は大きくて遠く京師から離れている。それ故、重臣を選んで用いることになる。

○重人 重要な人物。

 

既貴而富,且不習海事,

重人はすでに貴い官について財も富み、その上、海の事に慣れていないのである。

 

又當祀時海常多大風,將往皆憂戚。

また祭りの時に当たって、海は常に大風が多い。南海神を祭りに扶胥の港に行こうとするときは、皆憂い盛んでいくのである。
韓愈の地図01 

《南海神廟碑》韓愈(韓退之) Ⅱ唐宋八大家文読本 巻五 <1018>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4074韓愈詩-272-1-2

天宝年間に、玄宗皇帝は思われた、いにしえの爵位は公爵・侯爵より貴いものは無い。故に海や山の祭りの格式、供物の犠牲や絹布の数量もきまっている、公・侯に見ならってその例により、これが尊崇の極みを大神にささげるわけのものであった。


        
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《南海神廟碑》韓愈(韓退之) Ⅱ唐宋八大家文読本 巻五 <1018  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4074韓愈詩-272-1-2

 

 

一段-1

海於天地間爲物最巨。

海は天地の間で、最も巨大な物である。

自三代聖王,莫不祀事,

夏・殷・周三代の聖王より以来、祀り仕えない王はなかった。

考於傳記,而南海神次最貴,

これを伝記の書に考えてみるに、南海の神の位は最も貴くて、

在北東西三神、河伯之上,

北海、東海、西海の三神や黄河の神、河伯の上にある。

號爲「祝融」

祝融と号していた。

一段-2

天寶中,天子以爲古爵莫貴於公侯,

天宝年間に、玄宗皇帝は思われた、いにしえの爵位は公爵・侯爵より貴いものは無い。

故海嶽之祝,犧幣之數,

故に海や山の祭りの格式、供物の犠牲や絹布の数量もきまっている、

放而依之,所以致崇極於大神。

公・侯に見ならってその例により、これが尊崇の極みを大神にささげるわけのものであった。

今王亦爵也,而禮海嶽,

今は王も爵位であり、そして海や山岳に礼を以て仕える。

尚循公侯之事,虛王儀而不用,

まだ、公・侯の格式の行事に循って、王の儀礼があるのをむなしく用いないでいる。

非致崇極之意也。

崇敬の極みをささげるの意思ではないのである、ということなのである。

一段-3

由是冊尊南海神爲「廣利王」,

祝號祭式,與次俱升。

因其故廟,易而新之,

在今廣州治之東南,海道八十里,

扶胥之口,黄木之灣。

常以立夏氣至,命廣州刺史行事祠下,事訖驛聞。

 

一段-1

海は天地の間において物爲ること最も巨なり。

三代の聖王より,祀事せざる莫し,

傳記に考えて,南海の神は次 最も貴し,

北、東、西の三神は、河伯の上に在る,

號して「祝融」と爲す。

一段-2

天寶中,天子以爲【おもえ】らく古の爵は公、侯より貴きは莫し,

故に海嶽の祝,犧幣【ぎへい】の數,

放【なら】って之に依り,崇極を大神に致す所以【ゆえん】なり。

今 王も亦た爵なりて,而して海嶽を禮す,

尚お公侯の事に循【したが】い,王儀を虛【むな】しゅうして用いざる,

崇極を致すの意に非ずなり。

一段-3

是に由りて冊して南海の神を尊んで「廣利王」と爲す,

祝號【しゅくごう】祭式【さいしき】,次と俱に升【のぼ】る。

其の故廟に因り,易くして之をに新す,

今の廣州の治の東南,海道八十里に在る,

扶胥【ふしょ】の口,黄木の灣あり。

常に立夏の氣至るを以って,廣州の刺史に命じて事 祠下【しか】に行わしめ,事 訖【おわ】って 驛 聞す。

南海神廟碑00 

 

『南海神廟碑』 現代語訳と訳註

(本文) 一段-2

天寶中,天子以爲古爵莫貴於公侯,

故海嶽之祝,犧幣之數,

放而依之,所以致崇極於大神。

今王亦爵也,而禮海嶽,

尚循公侯之事,虛王儀而不用,

非致崇極之意也。

 

(下し文)

一段-2

天寶中,天子以爲【おもえ】らく古の爵は公、侯より貴きは莫し,

故に海嶽の祝,犧幣【ぎへい】の數,

放【なら】って之に依り,崇極を大神に致す所以【ゆえん】なり。

今 王も亦た爵なりて,而して海嶽を禮す,

尚お公侯の事に循【したが】い,王儀を虛【むな】しゅうして用いざる,

崇極を致すの意に非ずなり。

 

(現代語訳)

天宝年間に、玄宗皇帝は思われた、いにしえの爵位は公爵・侯爵より貴いものは無い。

故に海や山の祭りの格式、供物の犠牲や絹布の数量もきまっている、

公・侯に見ならってその例により、これが尊崇の極みを大神にささげるわけのものであった。

今は王も爵位であり、そして海や山岳に礼を以て仕える。

まだ、公・侯の格式の行事に循って、王の儀礼があるのをむなしく用いないでいる。

崇敬の極みをささげるの意思ではないのである、ということなのである。

 

(訳注) 一段-2

南海神廟碑

広州の南海神廟を修築した事を記した碑文である。これをを以て広州の刺史孔公の治績を、神も人も喜んでいることを表彰するということが主意である。韓愈、820年、元和15年 53歳、五十三歳の作である。
 

天寶中,天子以爲古爵莫貴於公侯,

天宝年間に、玄宗皇帝は思われた、いにしえの爵位は公爵・侯爵より貴いものは無い。

 

故海嶽之祝,犧幣之數,

故に海や山の祭りの格式、供物の犠牲や絹布の数量もきまっている、

○海嶽 四海、五岳のこと。

○祝 祭典などの時に用いる神の称号格式。視は祈り祭るの義であるが、ここは後の「祝号」 の略であろう。

○犠幣 供え物の犠牲(牛羊等)やぬさ(絹布) など。

 

放而依之,所以致崇極於大神。

公・侯に見ならってその例により、これが尊崇の極みを大神にささげるわけのものであった。

○放 傚、ならう。

○致崇極 崇ぶ極みをささげる。致は神にささげる。『礼記』王制に「天子は天下の名山大川を祭り、五岳は三公に視(なぞら)う。四瀆(しとく)(長江・准水・黄河・漢水)は諸侯に視う。」とある。

 

今王亦爵也,而禮海嶽,

今は王も爵位であり、そして海や山岳に礼を以て仕える。

 

尚循公侯之事,虛王儀而不用,

まだ、公・侯の格式の行事に循って、王の儀礼があるのをむなしく用いないでいる。

○虚王俵 王の儀式があるのに、これを空虚にして用いない。

 

非致崇極之意也。

崇敬の極みをささげるの意思ではないのである、ということなのである。
韓愈の地図01 

392《南海神廟碑》韓愈(韓退之) Ⅱ唐宋八大家文読本 巻五 <1017>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4069韓愈詩-272-1-1

広州の南海神廟を修築した事を記した碑文である。これをを以て広州の刺史孔公の治績を、神も人も喜んでいることを表彰するということが主意である。韓愈、820年、元和15年 53歳、五十三歳の作である。


        
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 index-5 806年39歳 50首の(2)25首index-6[807年~809年 42歳]20首index-7[810年~811年 44歳] 34首index-8 [812年~814年47歳]46首index-9[815年~816年 49歳] 57首index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首 
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《南海神廟碑》韓愈(韓退之) Ⅱ唐宋八大家文読本 巻五 <1017  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4069韓愈詩-272-1-1

 

唐宋八大家文読本 巻五

index-12        392       820年元和15年 53

 

 

南海神廟碑

一段

  海於天地間爲物最巨。自三代聖王,莫不祀事,考於傳記,而南海神次最貴,在北東西三神、河伯之上,號爲「祝融」。天寶中,天子以爲古爵莫貴於公侯,故海嶽之祝,犧幣之數,放而依之,所以致崇極於大神。今王亦爵也,而禮海嶽,尚循公侯之事,虛王儀而不用,非致崇極之意也。由是冊尊南海神爲「廣利王」,祝號祭式,與次俱升。因其故廟,易而新之,在今廣州治之東南,海道八十里,扶胥之口,黄木之灣。常以立夏氣至,命廣州刺史行事祠下,事訖驛聞。

二段

而刺史常節度五嶺諸軍,仍觀察其郡邑,於南方事無所不統,地大以遠,故常選用重人。既貴而富,且不習海事,又當祀時海常多大風,將往皆憂戚。既進,觀顧怖悸,故常以疾爲解,而委事於其副,其來已久。故明宮齋廬,上雨旁風,無所蓋障;牲酒瘠酸,取具臨時;水陸之品,狼籍籩豆;薦裸興俯,不中儀式;吏滋不供,神不顧享;盲風怪雨,發作無節,人蒙其害。

 

三段

  元和十二年,始詔用前尚書右丞國子祭酒魯國孔公爲廣州刺史兼御史大夫,以殿南服。公正直方嚴,中心樂易,祗慎所職;治人以明,事神以誠;内外單盡,不爲表爆。至州之明年,將夏,祝冊自京師至,吏以時告,公乃齋祓視冊,誓群有司曰:「冊有皇帝名,乃上所自署,其文曰:『嗣天子某,謹遣官某敬祭。』其恭且嚴如是,敢有不承!明日,吾將宿廟下,以供晨事。」明日,吏以風雨白,不聽。於是州府文武吏士,凡百數,交謁更諫,皆揖而退。

四段

公遂升舟,風雨少弛,棹夫奏功,雲陰解駁,目光穿漏,波伏不興。省牲之夕,載載陰;將事之夜,天地開除,月星明既。五鼓既作,牽牛正中,公乃盛服執笏,以入即事。文武賓屬,俯首聽位,各執其職。牲肥酒香,樽爵淨潔,降登有數,神具醉飽。海之百靈祕怪,慌惚畢出,蜿蜿蛇蛇,來享飲食。闔廟鏇艫,祥飆送帆,旗纛旄麾,飛颺靄,饒鼓嘲轟,高管嗷噪,武夫奮掉,工師唱和,穹龜長魚,踴躍後先,乾端坤倪,軒豁呈露。祀之之,風災熄滅,人厭魚蟹,五穀胥熟。明年祀歸,又廣廟宮而大之:治其庭壇,改作東西兩序,齋庖之房,百用具修。明年其時,公又固往,不懈益虔,仍大和,耋艾歌詠。

 

五段

  始公之至,盡除他名之税,罷衣食於官之可去者;四方之使,不以資交;以身爲帥,燕享有時,賞與以節;公藏私蓄,上下與足。於是免屬州負逋之緡錢廿巨有四萬,米三萬二千斛。賦金之州,耗金一八百,困不能償,皆以丐之。加西南守長之俸,誅。其尤無良不聽令者,由是皆自重慎法。人士之落南不能歸者,與流徙之胄百廿八族,用。其才良,而其無告者。其女子可嫁,與之錢財,令無失時。刑德並流,方地數千里,不識盜;山行海宿,不擇處所;事神治人,其可謂備至耳矣。鹹願刻廟石,以着厥美,而系以詩。乃作詩曰:

 

 

六段

南海之墟,祝融之宅。即祀於旁,帝命南伯。

吏隋不躬,正自今公。明用享錫,右我家邦。

惟明天子,惟慎厥使。我公在官,神人致喜。

海嶺之陬,既足既濡。胡不均宏,俾執事樞。

公行勿遲,公無遽歸。匪我私公,神人具依。

 

 南海神廟碑00

一段-1

海於天地間爲物最巨。

海は天地の間で、最も巨大な物である。

自三代聖王,莫不祀事,

夏・殷・周三代の聖王より以来、祀り仕えない王はなかった。

考於傳記,而南海神次最貴,

これを伝記の書に考えてみるに、南海の神の位は最も貴くて、

在北東西三神、河伯之上,

北海、東海、西海の三神や黄河の神、河伯の上にある。

號爲「祝融」。

祝融と号していた。一段-2

天寶中,天子以爲古爵莫貴於公侯,

故海嶽之祝,犧幣之數,

放而依之,所以致崇極於大神。

今王亦爵也,而禮海嶽,

尚循公侯之事,虛王儀而不用,

非致崇極之意也。

一段-3

由是冊尊南海神爲「廣利王」,

祝號祭式,與次俱升。

因其故廟,易而新之,

在今廣州治之東南,海道八十里,

扶胥之口,黄木之灣。

常以立夏氣至,命廣州刺史行事祠下,事訖驛聞。

 

一段-1

海は天地の間において物爲ること最も巨なり。

三代の聖王より,祀事せざる莫し,

傳記に考えて,南海の神は次 最も貴し,

北、東、西の三神は、河伯の上に在る,

號して「祝融」と爲す。

一段-2

天寶中,天子以爲【おもえ】らく古の爵は公、侯より貴きは莫し,

故に海嶽の祝,犧幣【ぎへい】の數,

放【なら】って之に依り,崇極を大神に致す所以【ゆえん】なり。

今 王も亦た爵なりて,而して海嶽を禮す,

尚お公侯の事に循【したが】い,王儀を虛【むな】しゅうして用いざる,

崇極を致すの意に非ずなり。

一段-3

是に由りて冊して南海の神を尊んで「廣利王」と爲す,

祝號【しゅくごう】祭式【さいしき】,次と俱に升【のぼ】る。

其の故廟に因り,易くして之をに新す,

今の廣州の治の東南,海道八十里に在る,

扶胥【ふしょ】の口,黄木の灣あり。

常に立夏の氣至るを以って,廣州の刺史に命じて事 祠下【しか】に行わしめ,事 訖【おわ】って 驛 聞す。

 

 

『南海神廟碑』 現代語訳と訳註

(本文) 一段-1

海於天地間爲物最巨。

自三代聖王,莫不祀事,

考於傳記,而南海神次最貴,

在北東西三神、河伯之上,

號爲「祝融」。

 

(下し文)一段-1

海は天地の間において物爲ること最も巨なり。

三代の聖王より,祀事せざる莫し,

傳記に考えて,南海の神は次 最も貴し,

北、東、西の三神は、河伯の上に在る,

號して「祝融」と爲す。

 

(現代語訳)

海は天地の間で、最も巨大な物である。

夏・殷・周三代の聖王より以来、祀り仕えない王はなかった。

これを伝記の書に考えてみるに、南海の神の位は最も貴くて、

北海、東海、西海の三神や黄河の神、河伯の上にある。

祝融と号していた。

 韓愈の地図01

(訳注)

広州の南海神廟を修築した事を記した碑文である。これをを以て広州の刺史孔公の治績を、神も人も喜んでいることを表彰するということが主意である。韓愈、820年、元和15年 53歳、五十三歳の作である。

 

一段-1

海於天地間爲物最巨。

海は天地の間で、最も巨大な物である。

○巨 大きい。

 

自三代聖王,莫不祀事,

夏・殷・周三代の聖王より以来、祀り仕えない王はなかった。

○祀事 まつりつかえる。

 

考於傳記,而南海神次最貴,

これを伝記の書に考えてみるに、南海の神の位は最も貴くて、

○伝記 古文書。

○次 席次、席順。

 

在北東西三神、河伯之上,

北海、東海、西海の三神や黄河の神、河伯の上にある。

○河伯 黄河の神、自棺、馬夷ともいう水仙。

 

號爲「祝融」。

祝融と号していた。

○祝融 『山海経』に南方は祝融の神が掌る。獣身人面、両龍に串を引かせる、と。江に火の神とある。南海はその支配する所。

「祝融」(シュクユウ)とは、炎帝の子孫とされ火を司る南方の神であり、その末裔と言う設定で「三国志演義」に登場する架空の人物である。三国志演義の中では「祝融夫人」とも呼ばれる。

祝融神

古代中国の火と南の方位を司る神で、「山海経」「史記」「墨子」にて語られている。

その姿は獣の顔をした人型の神と言われ、洪水を起こす水神「共工」と戦っては不周山に共工の頭をぶつけて勝利し、天帝の命をうけては殷が夏を滅ぼす際に火を降らせたりしたと言われている。三国志演義に登場する駝鳥夫人「祝融」は、この火神の末裔を自称している。
2潮州広東00 

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