漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩 中唐詩人選集【Ⅰ李商隠-150】Ⅱ韓退之(韓愈)-500Ⅶ孟郊(東野)賈島張籍柳宗元韋応物

Ⅰ李商隠は難解詩といわれている。約150首紹介済。(晩唐詩人) Ⅱ韓退之(韓愈)-約500首Ⅶ孟郊、中唐の詩人を掲載中。万物の性(さが)をテーマにした哲学的な詩。このブログは基本的に中唐詩人を中心にして掲載する予定。 韓愈詩文のこれまでの掲載分とこれから掲載予定分を時系列で整理した2014.3.29のブログに集約してそこから各年次を見ることができる  kanbuniinkai 検索で、《漢文委員会HP05》サイトあります。漢詩唐詩を理解するための総合サイト:≪漢文委員会 漢詩07≫。

index-13 821~822年―長慶2年 55歳

少し、マニアックな晩唐詩人Ⅰ-李商隠150首をまず掲載済み。中唐は盛唐詩人(孟浩然・王維、杜甫、李白)を受け継いだ多様な詩人が出ている。この時代も驚くほど詩が発展している。Ⅱ韓退之(韓愈)500首、Ⅲ柳宗元40首、Ⅳ韋応物、Ⅴ劉長卿、Ⅵ韋荘、Ⅶ孟郊(孟東野)、Ⅷ張籍、Ⅸ賈島、Ⅹ劉禹錫、ほか2012~2020年の予定で気長に進める。同じ中唐ではあるが、白居易のグループについては、李白のブログ350首(2015/6月再開~2018/夏・秋月予定)の後掲載の予定。別に杜甫詩ブログ1500首(2011/7月~2018/8月の予定で)を進行中。詩数につぃては、予定の詩数より多くなる。気まぐれなところがあるのでこの予定が少し変わる場合があり、その節はご容赦ください。                 古詩・謝霊運詩 杜甫詩 韓愈詩 花間集500首全詩 それぞれ毎日ブログしています。 このブログ、索引=語句の「検索」 参考書以上掲載。漢詩力up。

韓愈143-#10《 巻02-19薦士 -#10》 韓愈(韓退之) 806年貞元22年 39歳-(15)-#10<1715> Ⅱ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7551

韓愈詩-韓愈143-薦士 10

通波非難圖,尺地易可漕。善善不汲汲,後時徒悔懊。
救死具八珍,不如一簞犒。微詩公勿誚,愷悌神所勞。
大河の水を広い大海原へ通ぜしめ、切り開いて進み行くのは、造作もないことで、できない計画ということではない。ただの一尺ほどのわずかなものでも動かし勢いが付けば、漕ぎだすことが容易にできる。(そのように、あなたのちょっとした推挙があればいい。)人の善を善として採用する努力をおこたったとしたら、あとになっていたずらに後悔して残念に思うであろうし、どれほど憂えもだえても役には立たないだろうし、また孟郊にしても、今救ってやらないといけなくて後悔はしたくないのである。孟郊は、本当に餓死寸前の人というほどのものであり、これを救おうとして八珍の料理を山ほどそろえることというけれども、『一瓢箪の食』をもって労ってやれば、それでよいので、もとより、一足飛びに高官にしてほしいというのではないのである。そういうことで、このつまらないかもしれない「薦士」詩を見られて、おせっかいな奴だとおもわれるかもしれないが悪く謗ることのないようしてほしい。私と孟郊の友情に篤いのを『詩経』にあるように、「愷悌の君子」、すなわち、心楽しくて、優しいお方が、この人物を登用されたなら、神からお褒めの言葉を賜るに相違なく、民を父母の情で見るようにしてほしいというものである。

韓昌黎集02-18

薦  士 #10

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 806年貞元22 39-16)#10

 <1715

 

 

 
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  卷337_18 《薦士(薦孟郊于鄭餘慶也)》韓愈 

作時年:

806

貞元22

39

全唐詩卷別:

338 18 

文體:

 五言古詩

韓昌黎集 

18-41

 

 

詩題:

薦  士

序文

作地點:

長安、京師、

 

及地點:

河南 

洛陽 

 

凓陽

 

交遊人物:

鄭餘慶宰相 

張建封 

孟東野

張籍

 

 


薦士10

10

通波非難圖、尺地易可漕。善善不汲汲、後時徒悔懊。

救死具八珍、《周禮·膳夫》:“珍用八物。”又:“食醫掌八珍之齊。”《禮記·則》:“八珍謂淳熬、淳母、炮豚、炮羊、搗珍、漬、熬、肝也。”不如一簞犒。楚與晉戰,或人進王一簞酒,王傾酒於水上,與士共飲。簟音單。不或作無。

微或作數。

微詩公勿誚、微或作數。愷悌神所勞。《詩》:“愷悌君子,神所勞矣。”勞,郎到切。

 

#6
酸寒溧陽尉,五十幾何耄。

彼は溧陽の尉といえば、酸寒の極みともいえるもので、貧乏この上ない上に、出世栄達を夢見る望みも薄い五十代という最早老耄にちかく、これから先の寿命がどれほどのこされていようか。
孜孜營甘旨,辛苦久所冒。
しかも、一家を背負い、孜孜として勉励し、母親の世話を熱心に努め、長いことさまざまな辛苦をなめてきた。

俗流知者誰,指注競嘲傲。

世の俗物どもで彼の真価を知っている者がどれだけあることか。みなうしろ指をさし、われがちにあざわらっている。
聖皇索遺逸,髦士日登造。

聖天子、憲宗皇帝は野に埋もれた才智鋭敏で賢者を求められている、すぐれた人材が日ごとに登用されている。
#6
酸寒【さんかん】たり溧陽【りつよう】の尉、五十 幾何【いくばく】か耄【ぼう】せる。
孜孜【しし】として甘旨【かんし】を営み、辛苦【しんく】久しく冒す所。俗流 知る者は誰ぞ、指注して競って嘲傲【ちょうごう】す。
聖皇 遺逸を索【もと】め、髦士【ぼうし】 日に登造す。

#7
廟堂有賢相,愛遇均覆燾。

孔子のように人の施政をされる廟堂には賢相の鄭余慶宰相があり、才のある人材を愛遇し、重く見る恵みは、天の地をおおう徳にひとしい。
況承歸與張,二公迭嗟悼。
いわんや、承れば、歸登、張建封などという有力者も、孟郊の不遇について、痛く同情し、「才智があるのにどうして認められ、登用されないのか」と哀傷悲嘆された人物であるから、どうにかしてくださるとは思っている。
青冥送吹噓,強箭射魯縞。

物が青空の上に上がるには,大風によって吹き上げられるように朝廷に推挙を待たねばならないし、強い弓で射た矢も末は薄絹をとおす力もないという『漢書、韓安国伝』に見える故事のとおりに、効力がはっきされなかった。

胡為久無成,使以歸期告。

おまけに、孟郊は、久しくしてなすことなく、幕府を任期が満ちそうで、そうなると、免官して郷里へと帰るような羽目になってしまう。
7

廟堂【びょうどう】に賢相有り、愛遇【あいぐう】覆燾【ふとう】に均し。
況んや帰と張と、二公迭【たが】いに嵯悼【さとう】するを承【う】くるをや。
青冥に吹嘘【すいきょ】を送り、強箭【きょうせん】魯縞【ろこう】を射る。胡【なん】為れぞ久しく成る無くして、帰期【きき】を以て告げしむる。

8
霜風破佳菊,嘉節迫吹帽。

今、仲秋になろうとして、東晋の孟嘉の故事にいう「冷たい風が美しい菊を吹き、帽子を風に吹き落とされた」めでたい重陽の節句も迫ってくる。
念將決焉去,感物增戀嫪。

この時、孟郊は、免官になれば、そのまま、決然としてここを去るつもりであろうが、我々としては、孟郊の身の上を思い、ものごとに感じて心残りがあるので何とか引き止めたいと思っている。
彼微水中荇,尚煩左右芼。

『詩経』「周南、関雎」にうたわれているあの水中の朽菜(水草の一種)は、宮女たちが、左右から后妃を助けてえり分けたうえで、お祀りのお供えものにするのと同じよう孟郊のためにあれこれと選んでくれる人があれば初めて廟堂の上に立つことができる。
魯侯國至小,廟鼎猶納郜。

春秋時代の魯侯は至って小さな国を領有していたが、それでも『左伝、桓公二年』によれば、太廟の鼎は宋国の郜から運んできたという、鼎に等しい孟郊を選ばれないわけはないと思うのである。
8
霜風 佳菊【かきく】を破り、嘉節【かせつ】吹帽に迫る。
将に決焉【けつぇん】として去らんとするを念えば、物に感じて恋謬【れんびゅう】を増す。
彼の微なる水中の抒も、尚左右の尾るを煩わす。
魯侯は国 至って小なるも、廟鼎【びょうてい】猶郜【こく】より納る。

#9
幸當擇玉,寧有棄珪瑁。

人を持ちうるには、宰相の鑑識がじゅうようで、「貴玉而賤珉」を泛然と見分けなければならない、貴鄭殿は美しい石と宝玉とを選び分けるにあたり、天子の用いる宝玉を捨てることはないかどうか、幸いにも孟郊は珪瑁という天子の礼に用いられるほどの有能な人材であるから、よもやこれを切り捨てるという理由はないのである。
悠悠我之思,擾擾風中纛。
孟郊は、貧窮の底に沈んでいるから、私の孟郊に対する思いは、はてもなく、限りなく続くのである、そして天子や将軍の旗のように立派な旗であっても風のなかに立てた旗は乱れて落ち着かないでしきりに動くものである。
上言愧無路,日夜惟心禱。

そうかといって、自分も、ぎりぎりの生活であって、天子に意見を上奏しようにも恥ずかしながら術がないのである、したがって、これまで、日夜心の内でただ祈るばかりであったのであるから、此処にこの詩を作ったのである。

鶴翎不天生,變化在啄

鶴は、品格の良い鳥であるが、天然、自然に成長するものではなく、親鳥が抱いてふ化させ、餌を啄んでこれを与え続けた結果、やっと成長し、飛べることができるのである。それは孟郊にしてみても、上位にいる人が啄抱の労をとって、世話をしてやらないと、才能ある者も誰かの推挙がなければ、能力を発拝できないということなのである。
幸いに玉【みんぎょく】を択ぶに当たり、寧くんぞ珪瑁【けいぼう】を棄つること有らんや。
悠悠たり 我の思い、擾擾【じょうじょう】たり 風中の纛【はた】。
上言【じょうごん】路無きを愧じ、日夜 惟だ心に蒔るのみ。
鶴翎【かくれい】天生ぜず、変化 啄【たくほう】に在り。

10
通波非難圖,尺地易可漕。

大河の水を広い大海原へ通ぜしめ、切り開いて進み行くのは、造作もないことで、できない計画ということではない。ただの一尺ほどのわずかなものでも動かし勢いが付けば、漕ぎだすことが容易にできる。(そのように、あなたのちょっとした推挙があればいい。)
善善不汲汲,後時徒悔懊。
る努力をおこたったとしたら、あとになっていたずらに後悔して残念に思うであろうし、どれほど憂えもだえても役には立たないだろうし、また孟郊にしても、今救ってやらないといけなくて後悔はしたくないのである。
救死具八珍,不如一簞犒。

人の善を善として採用す孟郊は、本当に餓死寸前の人というほどのものであり、これを救おうとして八珍の料理を山ほどそろえることというけれども、『一瓢箪の食』をもって労ってやれば、それでよいので、もとより、一足飛びに高官にしてほしいというのではないのである。

微詩公勿誚,愷悌神所勞。

そういうことで、このつまらないかもしれない「薦士」詩を見られて、おせっかいな奴だとおもわれるかもしれないが悪く謗ることのないようしてほしい。私と孟郊の友情に篤いのを『詩経』にあるように、「愷悌の君子」、すなわち、心楽しくて、優しいお方が、この人物を登用されたなら、神からお褒めの言葉を賜るに相違なく、民を父母の情で見るようにしてほしいというものである。

通波 図り難きに非ず、尺地 漕ぐ可きこと易し。
善を善として汲汲たらずんば、後時 徒らに悔懊【かいおう】せん。
死を救うに八珍を具【そな】うるは、一箪【いったん】の犒に如かず。
微詩【びし】云 誚【そし】る勿かれ、愷悌【がいてい】は神の労【ねぎら】う所なり。


洛陽 函谷関002

『薦士』現代語訳と訳註解説
(
本文)

10

通波非難圖,尺地易可漕。

善善不汲汲,後時徒悔懊。

救死具八珍,不如一簞犒。

微詩公勿誚,愷悌神所勞。

(下し文)
通波 図り難きに非ず、尺地 漕ぐ可きこと易し。
善を善として汲汲たらずんば、後時 徒らに悔懊【かいおう】せん。
死を救うに八珍を具【そな】うるは、一箪【いったん】の犒に如かず。
微詩【びし】云 誚【そし】る勿かれ、愷悌【がいてい】は神の労【ねぎら】う所なり。

(現代語訳)
10

大河の水を広い大海原へ通ぜしめ、切り開いて進み行くのは、造作もないことで、できない計画ということではない。ただの一尺ほどのわずかなものでも動かし勢いが付けば、漕ぎだすことが容易にできる。(そのように、あなたのちょっとした推挙があればいい。)
人の善を善として採用する努力をおこたったとしたら、あとになっていたずらに後悔して残念に思うであろうし、どれほど憂えもだえても役には立たないだろうし、また孟郊にしても、今救ってやらないといけなくて後悔はしたくないのである。
孟郊は、本当に餓死寸前の人というほどのものであり、これを救おうとして八珍の料理を山ほどそろえることというけれども、『一瓢箪の食』をもって労ってやれば、それでよいので、もとより、一足飛びに高官にしてほしいというのではないのである。

そういうことで、このつまらないかもしれない「薦士」詩を見られて、おせっかいな奴だとおもわれるかもしれないが悪く謗ることのないようしてほしい。私と孟郊の友情に篤いのを『詩経』にあるように、「愷悌の君子」、すなわち、心楽しくて、優しいお方が、この人物を登用されたなら、神からお褒めの言葉を賜るに相違なく、民を父母の情で見るようにしてほしいというものである。

(訳注) 10

薦士(薦孟郊于鄭餘慶也) (#1)
(東野は、ひとまず凓陽に赴任したが、遠地の一卑官でもあり、到底、栄転もなければ、家族を呼び寄せて生活もできないことから、一門を大事に思う韓愈は、ひどく之を気の毒に思い、汴州から、この詩を鄭餘慶にたてまつって、吸引の恵を垂れむこと嘱望したのである。)

汜水関などの地図 

通波非難圖,尺地易可漕。
大河の水を広い大海原へ通ぜしめ、切り開いて進み行くのは、造作もないことで、できない計画ということではない。ただの一尺ほどのわずかなものでも動かし勢いが付けば、漕ぎだすことが容易にできる。(そのように、あなたのちょっとした推挙があればいい。)
65 通波 波を切り開いて進むこと。当たり前のこととして川の水が海の波に通づること。

66  はかりごと。計画。

67 尺地 一尺ほどのわずかな土地。


善善不汲汲,後時徒悔懊。
人の善を善として採用する努力をおこたったとしたら、あとになっていたずらに後悔して残念に思うであろうし、どれほど憂えもだえても役には立たないだろうし、また孟郊にしても、今救ってやらないといけなくて後悔はしたくないのである。
68 善善不汲汲 人の善意を信じ、善意に頼ることとその及ぼす力を及ぼす力として頼りにしないこと。
69
 悔懊 後悔して残念に思い、憂えもだえる。・:悔悟・悔恨・悔悛(かいしゅん)/後悔・追悔。:深く思い悩む。憂えもだえる。「懊悩」


救死具八珍,不如一簞犒。
孟郊は、本当に餓死寸前の人というほどのものであり、これを救おうとして八珍の料理を山ほどそろえることというけれども、『一瓢箪の食』をもって労ってやれば、それでよいので、もとより、一足飛びに高官にしてほしいというのではないのである。

70 八珍 品数の多い、上等の料理。《周禮·膳夫》「珍用八物。」(珍、八物を用う。)又「食醫掌八珍之齊。」(食醫に八珍の齊を掌る。)

《禮記·則》「八珍謂淳熬、淳母、炮豚、炮羊、搗珍、漬、熬、肝也。”不如一簞犒。楚與晉戰,或人進王一簞酒,王傾酒於水上,與士共飲。簟音單。不或作無。」(八珍とは、淳熬、淳母、炮豚、炮羊、搗珍、漬、熬、肝を謂うなり。”一簞の犒如くなし。楚と晉との戰い,或る人が王に一簞酒を進め,王は水上に酒を傾け,士と共に飲む。)


微詩公勿誚,愷悌神所勞。
そういうことで、このつまらないかもしれない「薦士」詩を見られて、おせっかいな奴だとおもわれるかもしれないが悪く謗ることのないようしてほしい。私と孟郊の友情に篤いのを『詩経』にあるように、「愷悌の君子」、すなわち、心楽しくて、優しいお方が、この人物を登用されたなら、神からお褒めの言葉を賜るに相違なく、民を父母の情で見るようにしてほしいというものである。
71 詩 ここでいう詩は韓愈のこの「薦士」をいう。

72 公勿誚 悪く考えないでほしい。

73 誚:せめる。そしる。

74 愷悌 安らぎを楽しむ。《詩経大雅・泂酌【けいしゃく】》「教以臣、所以敬天下之爲人君者也。詩云、愷悌君子、民之父母。()教うるに臣をもってするは、天下の人の 君 たる者を敬するゆえんなり。 詩に云く: 愷悌 【がいてい】の君子は民の父母なり。 
Ta唐 長安近郊圖  新02 

422-#4 《奉和杜相公太清宮紀事,陳誠上李相公十六韻》韓愈(韓退之)ID Index-13-504 Ⅱ韓昌黎集<1123>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4599韓愈詩-422-#4

杜相公は、天子に変わり、老子の神霊に向ってご機嫌伺いをして、祭事を摂行して、恭敬愈々加わってくる。それは、例えば、天にあたる月の皎潔であるように、日を捧げる霞の葳蕤たるが如く、天子の御代拜として、物事に、聖意を奉体し、いよいよみごとにやってのけられたのは、誠に恐れ入った次第である。

 
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 ●唐を代表する 中唐 韓愈 全500首  
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製作年:  823  長慶三年  56

卷別: 卷三四四  文體: 五言古詩 

詩題: 奉和杜相公太清宮紀事,陳誠上李相公十六韻

及地點:  太清宮 (京畿道 京兆府 西京) 別名:玄元皇帝廟、玄都     

交遊人物: 杜元穎 書信往來(京畿道 京兆府長安)

李逢吉 書信往來(京畿道 京兆府 長安)

 

 

奉和杜相公太清宮紀事,陳誠上李相公十六韻

(この詩は杜元穎が勅命によって、太清宮の祭祀を奉仕し、それがおわってから、事を紀し,誠意を陳べて 十六韻の五言古詩を造り、宰相の上席にいる李相公に上つったものに和してつくったものである)

〔杜元穎也。太清宮,玄元皇帝廟。〕

〔杜相公は杜元穎であり、この詩は老子の太清宮と唐の玄宗と肅宗の二帝の廟についてのべるもの〕

耒耜興國,建夏家。 

#1

昔、后稷は犂鍬を手にし、もっぱら農事に務めて、周家を興し、禹は橇に乗り、ガンジキを履いて、天下を廻り、勤勉でもって苦しんで洪水を治めて、夏の国の基礎を作り上げた。

在功誠可尚,於道詎為華。 

この后稷と禹はその功績の上からいえば、まことに尊うべきものであるが、「道」というものの上において見れば、地味で華々しいというものではない。

象帝威容大,仙宗寶曆 

ここに我が老子は帝位を追贈されただけに、威容洪大であり、その上、仙家の宗祖として、長生不死を得られ、宝暦遙かにして数えることもできないくらいである。

象帝 老子が帝位を追贈されたことをいう。

衛門羅戟槊,圖壁雜龍蛇。 

太清宮は、すなわち老子の廟であり、門には警護の兵隊が矛を並べ、四璧には龍蛇を描いて、さすがに神々しく、且つ厳かなものである。

杜相公【としょうこう】が太清宮 事を紀し,誠を陳べ 李相公に上る十六韻に和し奉る〔杜は元穎なり。太清宮,玄元皇帝の廟なり。〕

耒耜【らいし】國をし,輴【ちゅんるい】夏家を建つ。 

功に在っては誠に尚【たっと】う可く,道に於ては詎んぞ華と為さん。 

象帝 威容 大いに,仙宗 寶曆 かなり 

門を衛って戟槊【げきさく】を羅ね,壁に圖して龍蛇を雜う。 

#2

禮樂追尊盛,乾坤降福遐。 

すでに礼楽は大いに行われるこの清時に当たって追尊の盛儀をおこなわれ、その神霊は乾坤に行き渡って、随所に幸福をくだすのである。

四真皆齒列,二聖亦肩差。 

荘・文・列・庚の四人も真人を贈られて、これに陪し、列席し、玄宗・粛宗二帝の像は肩を並べて左右に侍立している。

陽月時之首,陰泉氣未牙。 

十月は、時の初めというのだが、地下においては、陽気がいまだに兆しを見せず、したがって寒冷をおぼえるくらいなのだ。

殿階鋪水碧,庭炬坼金葩。 

殿階には、碧色の寒水石を敷き詰め,庭上の炬火は、黄金色の花が咲くかと疑われるくらいなのだ。

#2

禮樂 追尊 盛んに,乾坤 福を降すこと遐【はるか】なり。 

四真 皆 齒列し,二聖 亦た 肩差す。

陽月 時の首【はじめ】,陰泉 氣 未だ牙さず。 

殿階 水碧を鋪き,庭炬 金葩【きんぱ】を坼【くじ】く。 

#3

紫極觀忘倦,青詞奏不譁。 

名を紫極というくらいであるから、その森遂まるは、見ても倦むこと檀前に歌い上げる靑詞は、声高らかにされるのではあるが、決してやかましくはないのである。

宮夜闢,嘈唁鼓晨撾。 

夜、なお、暗い時間に、宮門の扉は、噌として、鼓の音が嘈唁として打ち出せば、やがて朝になった。

褻味陳奚取,名香薦孔嘉。 

清淨ならぬものは、もとより供えぬことにしてあるし、名香は、薦められればもっと善いとしてある。

垂祥紛可錄,俾壽浩無涯。 

このようにして、祭祀が行き届いているから、神霊も、自然感応し、祥瑞を垂れているということは、紛として余りありと為すべく、また、人民の寿命をして無窮ならしめるだろうというものである。

#3

紫極 觀て倦むを忘れ,青詞 奏して譁ならず。

【そうこう】として宮 夜に闢き,嘈唁【そうさつ】として鼓 晨に撾【う】つ。 

褻味【せつみ】陳ねて奚【なん】ぞ取らん,名香 薦めて 孔【はなは】だ嘉し。 

祥を垂れて紛として 錄す可し,俾壽をして浩として涯【かぎり】無からしめん。 

#4

貴相山瞻峻,清文玉瑕。 

今次、祭事を奉仕した杜相公は、相貌堂々として、山の峻なるを仰ぐように、自らそのことを記述された詩章は、瑩朗透徹、玉のようで一点の瑕さえない。

代工聲問遠,攝事敬恭加。 

杜相公は、天子に変わり、老子の神霊に向ってご機嫌伺いをして、祭事を摂行して、恭敬愈々加わってくる。

皎潔當天月,葳蕤捧日霞。 

それは、例えば、天にあたる月の皎潔であるように、日を捧げる霞の葳蕤たるが如く、天子の御代拜として、物事に、聖意を奉体し、いよいよみごとにやってのけられたのは、誠に恐れ入った次第である。

唱妍酬亦麗,俯仰但稱嗟。 

そこで、李相公との唱酬を拝見すると、いづれも姸麗であって、文彩爛斑、眼も綵なるばかり、このように申し上げる私としては、俯仰のあまり、ただ、「あっ」と言って感ずるのみである。

#4

貴相 山 峻なるを瞻る,清文 玉 瑕をつ。 

工に代って 聲問 遠く,事を攝して 敬恭 加わる。 

皎潔たり 天に當るの月,葳蕤【いすい】たり日を捧ぐるの霞。 

唱妍【しょうけん】にして 酬 亦た麗,俯仰して但だ 稱嗟。 

 

玄武門 

『奉和杜相公太清宮紀事,陳誠上李相公十六韻』 現代語訳と訳註

(本文) #4

貴相山瞻峻,清文玉瑕。 

代工聲問遠,攝事敬恭加。 

皎潔當天月,葳蕤捧日霞。 

唱妍酬亦麗,俯仰但稱嗟。 

 

(下し文)

#4

貴相 山 峻なるを瞻る,清文 玉 瑕をつ。 

工に代って 聲問 遠く,事を攝して 敬恭 加わる。 

皎潔たり 天に當るの月,葳蕤【いすい】たり日を捧ぐるの霞。 

唱妍【しょうけん】にして 酬 亦た麗,俯仰して但だ 稱嗟。 

 

(現代語訳)

今次、祭事を奉仕した杜相公は、相貌堂々として、山の峻なるを仰ぐように、自らそのことを記述された詩章は、瑩朗透徹、玉のようで一点の瑕さえない。

杜相公は、天子に変わり、老子の神霊に向ってご機嫌伺いをして、祭事を摂行して、恭敬愈々加わってくる。

それは、例えば、天にあたる月の皎潔であるように、日を捧げる霞の葳蕤たるが如く、天子の御代拜として、物事に、聖意を奉体し、いよいよみごとにやってのけられたのは、誠に恐れ入った次第である。

そこで、李相公との唱酬を拝見すると、いづれも姸麗であって、文彩爛斑、眼も綵なるばかり、このように申し上げる私としては、俯仰のあまり、ただ、「あっ」と言って感ずるのみである。

 

(訳注) #4

奉和杜相公太清宮紀事,陳誠上李相公十六韻〔杜元穎也。太清宮,玄元皇帝廟。〕

(このしは杜元穎が勅命によって、太清宮の祭祀を奉仕し、それがおわってから、事を紀し,誠意を陳べて 十六韻の五言古詩を造り、宰相の上席にいる李相公に上つったものに和してつくったものである)#1

杜相公 杜元穎。[]775-838年)字君,京兆杜陵人,如晦五世

和李相公は度々韓愈の詩に述べるが、旧唐書本伝に「元和十一年四月、朝議大夫門下侍郎同平章事を加え、出でて剣南東川節度使となり、長慶二年、召しいれて復た門下侍郎同平章事となる。」とある。(

《奉和李相公題蕭家林亭》

山公自是林園主,歎惜前賢造作時。

巖洞幽深門盡鎖,不因丞相幾人知。

414 《奉和李相公題蕭家林亭【案:逢吉也。】》韓愈(韓退之)ID Index-12-504Ⅱ韓昌黎集822年長慶二年<1101>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4489韓愈詩-414

《和李相公攝事南郊,覽物興懷,呈一二知舊》

燦燦辰角曙,亭亭寒露朝。川原共澄映,雲日還浮飄。上宰嚴祀事,清途振華鑣。圓丘峻且坦,前對南山標。村樹黃複綠,中田稼何饒。顧瞻想岩穀,興歎倦塵囂。惟彼顛瞑者,去公豈不遼。為仁朝自治,用靜兵以銷。勿憚吐捉勤,可歌風雨調。聖賢相遇少,功德今宣昭。

417ー#1 《和李相公攝事南郊覽物興懷呈一二知舊》韓愈(韓退之)ID Index-12-504 823年長慶三年<1111 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4539韓愈詩-417ー#1

〔杜元穎也。太清宮,玄元皇帝廟。〕

〔杜相公は杜元穎であり、この詩は老子の太清宮と唐の玄宗と肅宗の二帝のびょうについてのべるもの〕

辟雍00 

貴相山瞻峻,清文玉瑕。 

今次、祭事を奉仕した杜相公は、相貌堂々として、山の峻なるを仰ぐように、自らそのことを記述された詩章は、瑩朗透徹、玉のようで一点の瑕さえない。

貴相 杜相公は、相貌堂々としていること。

清文玉瑕 のことを記述された詩章は、瑩朗透徹、玉のようで一点の瑕さえないということ。

 

代工聲問遠,攝事敬恭加。 

杜相公は、天子に変わり、老子の神霊に向ってご機嫌伺いをして、祭事を摂行して、恭敬愈々加わってくる。

代工 天工(宇宙)、天子がこれに代わるということ。

攝事 祭事を摂行すること。

 

皎潔當天月,葳蕤捧日霞。 

それは、例えば、天にあたる月の皎潔であるように、日を捧げる霞の葳蕤たるが如く、天子の御代拜として、物事に、聖意を奉体し、いよいよみごとにやってのけられたのは、誠に恐れ入った次第である。

皎潔 白く清らかで汚れのないさま。

當天月・捧日霞 天日は天子君子のことで、月霞は家臣、ここでは杜元穎をさす。

葳蕤 ①形容枝叶繁盛:当薇,枝叶太葳蕤。美;艳丽:妾有腰襦,葳蕤自生光

 

唱妍酬亦麗,俯仰但稱嗟。 

そこで、李相公との唱酬を拝見すると、いづれも姸麗であって、文彩爛斑、眼も綵なるばかり、このように申し上げる私としては、俯仰のあまり、ただ、「あっ」と言って感ずるのみである。

唱妍酬亦麗 李相公と杜相公との唱和をいう。

稱嗟 「あっ」と言って感ずるのみであるということ。

 

415-#5 《鄆州谿堂詩》韓愈(韓退之)ID Index-12-504 Ⅱ韓昌黎集822年長慶二年<1106>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4514韓愈詩-415-#5

閑暇の折々は、馬總公自ら中流にいて、左右に詩書を置いて、時たまこれを繙かれる。

願わくは、人民どもを厭い棄却することはなく、そして、その治下をよく扶育していよいよ功績をあげられるようであろう。

 
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製作年:  822  長慶二年  55

卷別: 卷三四五  文體: 四言古詩 

詩題: 鄆州谿堂詩〔馬總為鄆曹濮節度觀察等使,為堂於居之西北隅,號曰谿堂。】【從《文集》錄入。】 

及地點:  鄆州谿堂 (河南道 鄆州 鄆州)

 

 

鄆州谿堂詩 #1

(谿堂の建設意義など馬總の徳を宣伝するためにと韓愈に詩の依頼が来て作ったものである)

帝奠九廛,有葉有年。 

天子が九州の国土を治められしより、ここ何代を経、何年を過ぎたであろうか。

有荒不條,河岱之間。 

しかるに、荒獏の地があって兎角治まらないことがあり、それも黄河と泰山の間においてのことである。

及我憲考,一收正之。 

先帝天子である憲宗の御宇にこれを治めて始末をつける。

視邦選侯,以公來尸。 

邦土をしっかり巡視し、区画をして、節度たるべき人を選定する。そこに馬總公が任命され、司るところとなった。

公來尸之,人始未信。 

馬總公は勅命を畏み、やがて赴任し、その地を治められたのであるが、その地の人民は初めのうちは馬總公を信頼しなかったのである。

 #2

公不飲食,以訓以徇。 

そこで馬總公は飲食する暇もなく、これを教えこれを徇【とな】え、力を盡して世話をされた。

孰飢無食,孰呻孰歎。 

誰が餓えているのか、食べるものがないのか、誰がうなって呻いているのか、誰が嘆息しているのか。

孰冤不問,不得分願。 

誰か冤罪を受けているも、問題にもされず、また分願を得ていないで、苦しんでいる。

孰為邦蟊,節根之螟。 

誰がこの国の害蟲となるのか稲の節や根に食い入る蟲のようであろうか。

羊很狼貪,以口覆城。

或は羊のように意地悪く狼のように貪欲に貪る。そして碌な事を喋らず、城を覆すようなことをするのか。

  #3

吹之喣之,摩手拊之。 

此れを吹いてやり、これを暖めてやり、手を摩してこれを拊してやる。

箴之石之,膊而磔之。 

これに鍼をうってやりこれに薬をのませ、ひどい奴は仕方ないからさらし者にしたうえで磔にする。

凡公四封,既富以彊。 

こうして、馬總公は四方の境界の内は既に富み、それでもっと強くなっているのである。

謂公吾父,孰違公令。 

馬總公を尊崇して、我が父とすることとし、これを徹底する。しかし、その令にだれが違うことがあろうか。

可以師征,不寧守邦。

こうなれば軍隊を繰り出して、各地の叛乱をしているものを征伐することが出来るというもので、むしろ自分の封土を守るだけではないのである。

  #4

公作谿堂,播播流水。 

このようにして馬總公の領域内がすっかり治まったから、谿堂をその邸宅内に建てられたが、その名の示す通り、流水が播播として平らかに下っている。

淺有蒲蓮,深有葭葦。 

そして、水の浅い所には、蒲や蓮が生えているし、深い所では蒹葦などがぬきでている。

公以賓燕,其鼓駭駭。 

馬總公賓客を会して宴を開かれるときは、鼓声駭駭として鳴り響くのが常である。

公燕谿堂,賓校醉飽。 

馬總公の新築の谿堂において宴が開かれるときは、賓客たる将校の面々は酒に酔いさかなに飽きるものである。

流有跳魚,岸有集鳥。

そこで、眺め遣れば、流れには魚が飛び跳ねあがり、岸には鳥があつまってくる。

既歌以舞,其鼓考考。 

そうなると、興を助けるのに、既に歌が盛り上がり、毎も盛んにされる。それに合わせて鼓が考考と打ち鳴らされ、にぎやかになる。

 #5

公在谿堂,公御琴瑟。 

ここは宴会に使用するだけでなく、馬總公は谿堂において、琴瑟を御される。

賓贊,稽經諏律。 

そして官僚どもをここに会して經を稽え 律を諏い、治国済民のことについていろいろ研究された。

施用不差,人用不屈。 

これを実際に施して差し違うことはなく、人がこれを用いても屈挫することはない。

谿有蘋瓜,有龜有魚。 

この御堂の名にしおう、渓の中には、浮草もあり、菰もあり、亀もいれば、さかなもいる。

公在中流,右詩左書。 

閑暇の折々は、馬總公自ら中流にいて、左右に詩書を置いて、時たまこれを繙かれる。

無我斁遺,此邦是庥。 

願わくは、人民どもを厭い棄却することはなく、そして、その治下をよく扶育していよいよ功績をあげられるようであろう。

 

鄆州【うんしゅう】谿堂【けいどう】の詩 #1

帝九廛を奠【さだ】め,葉有り 年有り。 

荒有り 條【おさ】めず,河岱の間。 

我が憲考に及び,一び 之を收正す。 

邦を視 侯を選び,公を以て來り尸【つかさど】らしむ。 

公 來って之を尸【つかさど】る,人 始めは未だ信ぜず。 

 #2

公 飲食せず,以て訓【おし】え以て徇【とな】う。 

孰れか飢えて食無き,孰れか呻【うめ】き孰れか歎ずる。 

孰れか冤問われず,分願を得ず。 

孰れか邦の蟊【ぼう】と為る,節根の螟【めい】のごとき。

羊は很 狼は貪,口を以て城を覆【くつがえ】す。

  #3

之を吹き之を喣【あたた】め,手を摩して之を拊【なで】る。

之を箴【しん】し 之を石し,膊【はく】して 之を磔す。

凡そ公四封,既でに 富んで以て彊し。

公を吾が父と謂う,孰れか 公の令に違わん。 

師を以って征す可く,寧ろ邦を守らざらむや。

  #4

公 谿堂を作り,播播たる流水。 

淺きには蒲蓮有り,深きには葭葦有り。

公以て賓を燕し,其の鼓 駭駭【がいがい】たり。 

公 谿堂に燕し,賓校【ひんこう】醉飽【すいほう】。 

流に跳魚有り,岸に集鳥有り。

既に歌い 以て舞う,其の鼓 考考たり。 

 #5

公 谿堂に在り,公 琴瑟を御す。

公 【およ】び賓贊,稽を經【かんが】え 律を諏【と】う。

施用 差わず,人用 屈せず。 

谿【たに】に 蘋瓜有り,龜有り 魚有り。

公 中流に在り,詩を右にし 書を左にす。 

我を斁【いと】い遺るる無く,此の邦を是れ庥【おお】へ。  

楊貴妃清華池002 

 

『鄆州谿堂詩』 現代語訳と訳註

(本文) #5

公在谿堂,公御琴瑟。 

賓贊,稽經諏律。 

施用不差,人用不屈。 

谿有蘋瓜,有龜有魚。 

公在中流,右詩左書。 

無我斁遺,此邦是庥。 

 

(下し文)

公 谿堂に在り,公 琴瑟を御す。

公 【およ】び賓贊,稽を經【かんが】え 律を諏【と】う。

施用 差わず,人用 屈せず。 

谿【たに】に 蘋瓜有り,龜有り 魚有り。

公 中流に在り,詩を右にし 書を左にす。 

我を斁【いと】い遺るる無く,此の邦を是れ庥【おお】へ。  

 

(現代語訳)

ここは宴会に使用するだけでなく、馬總公は谿堂において、琴瑟を御される。

そして官僚どもをここに会して經を稽え 律を諏い、治国済民のことについていろいろ研究された。

これを実際に施して差し違うことはなく、人がこれを用いても屈挫することはない。

この御堂の名にしおう、渓の中には、浮草もあり、菰もあり、亀もいれば、さかなもいる。

閑暇の折々は、馬總公自ら中流にいて、左右に詩書を置いて、時たまこれを繙かれる。

願わくは、人民どもを厭い棄却することはなく、そして、その治下をよく扶育していよいよ功績をあげられるようであろう。

 

長安城郭015 

(訳注) #5

鄆州谿堂詩  

馬總が尚書右僕射を拝し、扶風縣開国伯に封ぜられたことに感謝し、その記念として一堂をその住宅の西北隅につくって、谿堂と号した。この谿堂の建設意義など馬總の徳を宣伝するためにと韓愈に詩の依頼が来て作ったものである。

 

公在谿堂,公御琴瑟。 

ここは宴会に使用するだけでなく、馬總公は谿堂において、琴瑟を御される。

琴瑟 1 琴と瑟(大琴)。2 むつまじい夫婦仲のたとえ。

賓贊,稽經諏律。 

そして官僚どもをここに会して經を稽え 律を諏い、治国済民のことについていろいろ研究された。

賓贊 賓客として参賛する人々。

稽經諏律 經を稽え 律を諏い、治国済民のことについていろいろ研究される。

經 ① 仏の教えを記した文章。仏の説いた言葉をそのまま伝えるという形式をとる。三蔵の一。契経(かいきよう)。 十二分経の一。経のうち,散文で記された部分のこと。

律 ① おきて。法律。特に,古代,犯罪・刑罰について定めた刑法典。令とともに中国で秦・漢時代に発達し,隋・唐時代に大成。

 

施用不差,人用不屈。 

これを実際に施して差し違うことはなく、人がこれを用いても屈挫することはない。

屈 屈挫する。

 

谿有蘋瓜,有龜有魚。 

この御堂の名にしおう、渓の中には、浮草もあり、菰もあり、亀もいれば、さかなもいる。

 

公在中流,右詩左書。 

閑暇の折々は、馬總公自ら中流にいて、左右に詩書を置いて、時たまこれを繙かれる。

詩書「詩経」と「書経」。

 

無我斁遺,此邦是庥。 

願わくは、人民どもを厭い棄却することはなく、そして、その治下をよく扶育していよいよ功績をあげられるようであろう。

斁遺 厭い棄却する。

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このようにして馬總公の領域内がすっかり治まったから、谿堂をその邸宅内に建てられたが、その名の示す通り、流水が播播として平らかに下っている。そして、水の浅い所には、蒲や蓮が生えているし、深い所では蒹葦などがぬきでている。馬總公賓客を会して宴を開かれるときは、鼓声駭駭として鳴り響くのが常である。

 
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製作年:  822  長慶二年  55

卷別: 卷三四五  文體: 四言古詩 

詩題: 鄆州谿堂詩〔馬總為鄆曹濮節度觀察等使,為堂於居之西北隅,號曰谿堂。】【從《文集》錄入。】 

及地點:  鄆州谿堂 (河南道 鄆州 鄆州)

 

 

鄆州谿堂詩 #1

(谿堂の建設意義など馬總の徳を宣伝するためにと韓愈に詩の依頼が来て作ったものである)

帝奠九廛,有葉有年。 

天子が九州の国土を治められしより、ここ何代を経、何年を過ぎたであろうか。

有荒不條,河岱之間。 

しかるに、荒獏の地があって兎角治まらないことがあり、それも黄河と泰山の間においてのことである。

及我憲考,一收正之。 

先帝天子である憲宗の御宇にこれを治めて始末をつける。

視邦選侯,以公來尸。 

邦土をしっかり巡視し、区画をして、節度たるべき人を選定する。そこに馬總公が任命され、司るところとなった。

公來尸之,人始未信。 

馬總公は勅命を畏み、やがて赴任し、その地を治められたのであるが、その地の人民は初めのうちは馬總公を信頼しなかったのである。

 #2

公不飲食,以訓以徇。 

そこで馬總公は飲食する暇もなく、これを教えこれを徇【とな】え、力を盡して世話をされた。

孰飢無食,孰呻孰歎。 

誰が餓えているのか、食べるものがないのか、誰がうなって呻いているのか、誰が嘆息しているのか。

孰冤不問,不得分願。 

誰か冤罪を受けているも、問題にもされず、また分願を得ていないで、苦しんでいる。

孰為邦蟊,節根之螟。 

誰がこの国の害蟲となるのか稲の節や根に食い入る蟲のようであろうか。

羊很狼貪,以口覆城。

或は羊のように意地悪く狼のように貪欲に貪る。そして碌な事を喋らず、城を覆すようなことをするのか。

  #3

吹之喣之,摩手拊之。 

此れを吹いてやり、これを暖めてやり、手を摩してこれを拊してやる。

箴之石之,膊而磔之。 

これに鍼をうってやりこれに薬をのませ、ひどい奴は仕方ないからさらし者にしたうえで磔にする。

凡公四封,既富以彊。 

こうして、馬總公は四方の境界の内は既に富み、それでもっと強くなっているのである。

謂公吾父,孰違公令。 

馬總公を尊崇して、我が父とすることとし、これを徹底する。しかし、その令にだれが違うことがあろうか。

可以師征,不寧守邦。

こうなれば軍隊を繰り出して、各地の叛乱をしているものを征伐することが出来るというもので、むしろ自分の封土を守るだけではないのである。

  #4

公作谿堂,播播流水。 

このようにして馬總公の領域内がすっかり治まったから、谿堂をその邸宅内に建てられたが、その名の示す通り、流水が播播として平らかに下っている。

淺有蒲蓮,深有葭葦。 

そして、水の浅い所には、蒲や蓮が生えているし、深い所では蒹葦などがぬきでている。

公以賓燕,其鼓駭駭。 

馬總公賓客を会して宴を開かれるときは、鼓声駭駭として鳴り響くのが常である。

公燕谿堂,賓校醉飽。 

馬總公の新築の谿堂において宴が開かれるときは、賓客たる将校の面々は酒に酔いさかなに飽きるものである。

流有跳魚,岸有集鳥。

そこで、眺め遣れば、流れには魚が飛び跳ねあがり、岸には鳥があつまってくる。

既歌以舞,其鼓考考。 

そうなると、興を助けるのに、既に歌が盛り上がり、毎も盛んにされる。それに合わせて鼓が考考と打ち鳴らされ、にぎやかになる。

 #5

公在谿堂,公御琴瑟。 

賓贊,稽經諏律。 

施用不差,人用不屈。 

谿有蘋瓜,有龜有魚。 

公在中流,右詩左書。 

無我斁遺,此邦是庥。 

 

鄆州【うんしゅう】谿堂【けいどう】の詩 #1

帝九廛を奠【さだ】め,葉有り 年有り。 

荒有り 條【おさ】めず,河岱の間。 

我が憲考に及び,一び 之を收正す。 

邦を視 侯を選び,公を以て來り尸【つかさど】らしむ。 

公 來って之を尸【つかさど】る,人 始めは未だ信ぜず。 

 #2

公 飲食せず,以て訓【おし】え以て徇【とな】う。 

孰れか飢えて食無き,孰れか呻【うめ】き孰れか歎ずる。 

孰れか冤問われず,分願を得ず。 

孰れか邦の蟊【ぼう】と為る,節根の螟【めい】のごとき。

羊は很 狼は貪,口を以て城を覆【くつがえ】す。

  #3

之を吹き之を喣【あたた】め,手を摩して之を拊【なで】る。

之を箴【しん】し 之を石し,膊【はく】して 之を磔す。

凡そ公四封,既でに 富んで以て彊し。

公を吾が父と謂う,孰れか 公の令に違わん。 

師を以って征す可く,寧ろ邦を守らざらむや。

  #4

公 谿堂を作り,播播たる流水。 

淺きには蒲蓮有り,深きには葭葦有り。

公以て賓を燕し,其の鼓 駭駭【がいがい】たり。 

公 谿堂に燕し,賓校【ひんこう】醉飽【すいほう】。 

流に跳魚有り,岸に集鳥有り。

既に歌い 以て舞う,其の鼓 考考たり。 

 #5

公 谿堂に在り,公 琴瑟を御す。

公 【およ】び賓贊,稽を經【かんが】え 律を諏【と】う。

施用 差わず,人用 屈せず。 

谿【たに】に 蘋瓜有り,龜有り 魚有り。

公 中流に在り,詩を右にし 書を左にす。 

我を斁【いと】い遺るる無く,此の邦を是れ庥【おお】へ。  

Ta唐 長安近郊圖  新02 

 

『鄆州谿堂詩』 現代語訳と訳註

(本文)  #4

公作谿堂,播播流水。 

淺有蒲蓮,深有葭葦。 

公以賓燕,其鼓駭駭。 

公燕谿堂,賓校醉飽。 

流有跳魚,岸有集鳥。

既歌以舞,其鼓考考。 

 

(下し文) #4

公 谿堂を作り,播播たる流水。 

淺きには蒲蓮有り,深きには葭葦有り。

公以て賓を燕し,其の鼓 駭駭【がいがい】たり。 

公 谿堂に燕し,賓校【ひんこう】醉飽【すいほう】。 

流に跳魚有り,岸に集鳥有り。

既に歌い 以て舞う,其の鼓 考考たり。 

 

(現代語訳)

このようにして馬總公の領域内がすっかり治まったから、谿堂をその邸宅内に建てられたが、その名の示す通り、流水が播播として平らかに下っている。

そして、水の浅い所には、蒲や蓮が生えているし、深い所では蒹葦などがぬきでている。

馬總公賓客を会して宴を開かれるときは、鼓声駭駭として鳴り響くのが常である。

馬總公の新築の谿堂において宴が開かれるときは、賓客たる将校の面々は酒に酔いさかなに飽きるものである。

そこで、眺め遣れば、流れには魚が飛び跳ねあがり、岸には鳥があつまってくる。

そうなると、興を助けるのに、既に歌が盛り上がり、毎も盛んにされる。それに合わせて鼓が考考と打ち鳴らされ、にぎやかになる。

楊貴妃清華池002 

(訳注)#4

鄆州谿堂詩  

馬總が尚書右僕射を拝し、扶風縣開国伯に封ぜられたことに感謝し、その記念として一堂をその住宅の西北隅につくって、谿堂と号した。この谿堂の建設意義など馬總の徳を宣伝するためにと韓愈に詩の依頼が来て作ったものである。

 

公作谿堂,播播流水。 

このようにして馬總公の領域内がすっかり治まったから、谿堂をその邸宅内に建てられたが、その名の示す通り、流水が播播として平らかに下っている。

○播播 平らかに流れる様子をいう。

 

淺有蒲蓮,深有葭葦。 

そして、水の浅い所には、蒲や蓮が生えているし、深い所では蒹葦などがぬきでている。

 

公以賓燕,其鼓駭駭。 

馬總公賓客を会して宴を開かれるときは、鼓声駭駭として鳴り響くのが常である。

○駭駭 太鼓の音が雷のように鳴り響くことをいう。

 

公燕谿堂,賓校醉飽。 

馬總公の新築の谿堂において宴が開かれるときは、賓客たる将校の面々は酒に酔いさかなに飽きほどに用意されたのである。

○燕谿堂 新築の谿堂において宴が開かれることをいう。

○賓校 賓客たる将校のこと。

 

流有跳魚,岸有集鳥。

そこで、眺め遣れば、流れには魚が飛び跳ねあがり、岸には鳥があつまってくる。

 

既歌以舞,其鼓考考。 

そうなると、興を助けるのに、既に歌が盛り上がり、毎も盛んにされる。それに合わせて鼓が考考と打ち鳴らされ、にぎやかになる。

○考考 歌や音楽に合わせて馴らされる太鼓と音。
 

415-#3 《鄆州谿堂詩》韓愈(韓退之)ID Index-12-504 Ⅱ韓昌黎集822年長慶二年<1104>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4504韓愈詩-415-#3

こうして、馬總公は四方の境界の内は既に富み、それでもっと強くなっているのである。馬總公を尊崇して、我が父とすることとし、これを徹底する。しかし、その令にだれが違うことがあろうか。こうなれば軍隊を繰り出して、各地の叛乱をしているものを征伐することが出来るというもので、むしろ自分の封土を守るだけではないのである。

 
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 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
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415-#3 《鄆州谿堂詩》韓愈(韓退之)ID Index-12-504 Ⅱ韓昌黎集822年長慶二年<1104  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4504韓愈詩-415-#3

 

 

製作年:  822  長慶二年  55

卷別: 卷三四五  文體: 四言古詩 

詩題: 鄆州谿堂詩〔馬總為鄆曹濮節度觀察等使,為堂於居之西北隅,號曰谿堂。】【從《文集》錄入。】 

及地點:  鄆州谿堂 (河南道 鄆州 鄆州)

 

 

鄆州谿堂詩 #1

(谿堂の建設意義など馬總の徳を宣伝するためにと韓愈に詩の依頼が来て作ったものである)

帝奠九廛,有葉有年。 

天子が九州の国土を治められしより、ここ何代を経、何年を過ぎたであろうか。

有荒不條,河岱之間。 

しかるに、荒獏の地があって兎角治まらないことがあり、それも黄河と泰山の間においてのことである。

及我憲考,一收正之。 

先帝天子である憲宗の御宇にこれを治めて始末をつける。

視邦選侯,以公來尸。 

邦土をしっかり巡視し、区画をして、節度たるべき人を選定する。そこに馬總公が任命され、司るところとなった。

公來尸之,人始未信。 

馬總公は勅命を畏み、やがて赴任し、その地を治められたのであるが、その地の人民は初めのうちは馬總公を信頼しなかったのである。

 #2

公不飲食,以訓以徇。 

そこで馬總公は飲食する暇もなく、これを教えこれを徇【とな】え、力を盡して世話をされた。

孰飢無食,孰呻孰歎。 

誰が餓えているのか、食べるものがないのか、誰がうなって呻いているのか、誰が嘆息しているのか。

孰冤不問,不得分願。 

誰か冤罪を受けているも、問題にもされず、また分願を得ていないで、苦しんでいる。

孰為邦蟊,節根之螟。 

誰がこの国の害蟲となるのか稲の節や根に食い入る蟲のようであろうか。

羊很狼貪,以口覆城。

或は羊のように意地悪く狼のように貪欲に貪る。そして碌な事を喋らず、城を覆すようなことをするのか。

  #3

吹之喣之,摩手拊之。 

此れを吹いてやり、これを暖めてやり、手を摩してこれを拊してやる。

箴之石之,膊而磔之。 

これに鍼をうってやりこれに薬をのませ、ひどい奴は仕方ないからさらし者にしたうえで磔にする。

凡公四封,既富以彊。 

こうして、馬總公は四方の境界の内は既に富み、それでもっと強くなっているのである。

謂公吾父,孰違公令。 

馬總公を尊崇して、我が父とすることとし、これを徹底する。しかし、その令にだれが違うことがあろうか。

可以師征,不寧守邦。

こうなれば軍隊を繰り出して、各地の叛乱をしているものを征伐することが出来るというもので、むしろ自分の封土を守るだけではないのである。

  #4

公作谿堂,播播流水。 

淺有蒲蓮,深有葭葦。 

公以賓燕,其鼓駭駭。 

公燕谿堂,賓校醉飽。 

流有跳魚,岸有集鳥。

既歌以舞,其鼓考考。 

 #5

公在谿堂,公御琴瑟。 

賓贊,稽經諏律。 

施用不差,人用不屈。 

谿有蘋瓜,有龜有魚。 

公在中流,右詩左書。 

無我斁遺,此邦是庥。 

 

鄆州【うんしゅう】谿堂【けいどう】の詩 #1

帝九廛を奠【さだ】め,葉有り 年有り。 

荒有り 條【おさ】めず,河岱の間。 

我が憲考に及び,一び 之を收正す。 

邦を視 侯を選び,公を以て來り尸【つかさど】らしむ。 

公 來って之を尸【つかさど】る,人 始めは未だ信ぜず。 

 #2

公 飲食せず,以て訓【おし】え以て徇【とな】う。 

孰れか飢えて食無き,孰れか呻【うめ】き孰れか歎ずる。 

孰れか冤問われず,分願を得ず。 

孰れか邦の蟊【ぼう】と為る,節根の螟【めい】のごとき。

羊は很 狼は貪,口を以て城を覆【くつがえ】す。

  #3

之を吹き之を喣【あたた】め,手を摩して之を拊【なで】る。

之を箴【しん】し 之を石し,膊【はく】して 之を磔す。

凡そ公四封,既でに 富んで以て彊し。

公を吾が父と謂う,孰れか 公の令に違わん。 

師を以って征す可く,寧ろ邦を守らざらむや。

  #4

公 谿堂を作り,播播たる流水。 

淺きには蒲蓮有り,深きには葭葦有り。

公以て賓を燕し,其の鼓 駭駭【がいがい】たり。 

公 谿堂に燕し,賓校【ひんこう】醉飽【すいほう】。 

流に跳魚有り,岸に集鳥有り。

既に歌い 以て舞う,其の鼓 考考たり。 

 #5

公 谿堂に在り,公 琴瑟を御す。

公 【およ】び賓贊,稽を經【かんが】え 律を諏【と】う。

施用 差わず,人用 屈せず。 

谿【たに】に 蘋瓜有り,龜有り 魚有り。

公 中流に在り,詩を右にし 書を左にす。 

我を斁【いと】い遺るる無く,此の邦を是れ庥【おお】へ。  

 

杏の花01 

『鄆州谿堂詩』 現代語訳と訳註

(本文)  #3

吹之喣之,摩手拊之。 

箴之石之,膊而磔之。 

凡公四封,既富以彊。 

謂公吾父,孰違公令。 

可以師征,不寧守邦。

 

(下し文)

之を吹き之を喣【あたた】め,手を摩して之を拊【なで】る。

之を箴【しん】し 之を石し,膊【はく】して 之を磔す。

凡そ公四封,既でに 富んで以て彊し。

公を吾が父と謂う,孰れか 公の令に違わん。 

師を以って征す可く,寧ろ邦を守らざらむや。

 

(現代語訳)

此れを吹いてやり、これを暖めてやり、手を摩してこれを拊してやる。

これに鍼をうってやりこれに薬をのませ、ひどい奴は仕方ないからさらし者にしたうえで磔にする。

こうして、馬總公は四方の境界の内は既に富み、それでもっと強くなっているのである。

馬總公を尊崇して、我が父とすることとし、これを徹底する。しかし、その令にだれが違うことがあろうか。

こうなれば軍隊を繰り出して、各地の叛乱をしているものを征伐することが出来るというもので、むしろ自分の封土を守るだけではないのである。

 

閶闔門001 

(訳注)  #3

吹之喣之,摩手拊之。 

此れを吹いてやり、これを暖めてやり、手を摩してこれを拊してやる。

喣之 これを暖めてやること。

拊之 拊とは。たたく拊膺(悲しみに)胸をたたく.拊掌()手をたたく,拍手する.

 

箴之石之,膊而磔之。 

これに鍼をうってやりこれに薬をのませ、ひどい奴は仕方ないからさらし者にしたうえで磔にする。

箴之 鍼灸をすること。ここは鍼をうつこと。

石之 薬石を与える。

膊而磔之 ひどい奴は仕方ないからさらし者にしたうえで磔にするという意。

 

凡公四封,既富以彊。 

こうして、馬總公は四方の境界の内は既に富み、それでもっと強くなっているのである。

四封 四方の境界の内、自分の封土を富国強兵にするということをいう。

 

謂公吾父,孰違公令。 

馬總公を尊崇して、我が父とすることとし、これを徹底する。しかし、その令にだれが違うことがあろうか。

吾父 尊崇して、我が父とすること。

 

可以師征,不寧守邦。

こうなれば軍隊を繰り出して、各地の叛乱をしているものを征伐することが出来るというもので、むしろ自分の封土を守るだけではないのである。
DCF00198 

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415-#2

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製作年:  822  長慶二年  55

卷別: 卷三四五  文體: 四言古詩 

詩題: 鄆州谿堂詩〔馬總為鄆曹濮節度觀察等使,為堂於居之西北隅,號曰谿堂。】【從《文集》錄入。】 

及地點:  鄆州谿堂 (河南道 鄆州 鄆州)

 

 

鄆州谿堂詩 #1

(谿堂の建設意義など馬總の徳を宣伝するためにと韓愈に詩の依頼が来て作ったものである)

帝奠九廛,有葉有年。 

天子が九州の国土を治められしより、ここ何代を経、何年を過ぎたであろうか。

有荒不條,河岱之間。 

しかるに、荒獏の地があって兎角治まらないことがあり、それも黄河と泰山の間においてのことである。

及我憲考,一收正之。 

先帝天子である憲宗の御宇にこれを治めて始末をつける。

視邦選侯,以公來尸。 

邦土をしっかり巡視し、区画をして、節度たるべき人を選定する。そこに馬總公が任命され、司るところとなった。

公來尸之,人始未信。 

馬總公は勅命を畏み、やがて赴任し、その地を治められたのであるが、その地の人民は初めのうちは馬總公を信頼しなかったのである。

 #2

公不飲食,以訓以徇。 

そこで馬總公は飲食する暇もなく、これを教えこれを徇【とな】え、力を盡して世話をされた。

孰飢無食,孰呻孰歎。 

誰が餓えているのか、食べるものがないのか、誰がうなって呻いているのか、誰が嘆息しているのか。

孰冤不問,不得分願。 

誰か冤罪を受けているも、問題にもされず、また分願を得ていないで、苦しんでいる。

孰為邦蟊,節根之螟。 

誰がこの国の害蟲となるのか稲の節や根に食い入る蟲のようであろうか。

羊很狼貪,以口覆城。

或は羊のように意地悪く狼のように貪欲に貪る。そして碌な事を喋らず、城を覆すようなことをするのか。

  #3

吹之喣之,摩手拊之。 

箴之石之,膊而磔之。 

凡公四封,既富以彊。 

謂公吾父,孰違公令。 

可以師征,不寧守邦。

  #4

公作谿堂,播播流水。 

淺有蒲蓮,深有葭葦。 

公以賓燕,其鼓駭駭。 

公燕谿堂,賓校醉飽。 

流有跳魚,岸有集鳥。

既歌以舞,其鼓考考。 

 #5

公在谿堂,公御琴瑟。 

賓贊,稽經諏律。 

施用不差,人用不屈。 

谿有蘋瓜,有龜有魚。 

公在中流,右詩左書。 

無我斁遺,此邦是庥。 

 

鄆州【うんしゅう】谿堂【けいどう】の詩 #1

帝九廛を奠【さだ】め,葉有り 年有り。 

荒有り 條【おさ】めず,河岱の間。 

我が憲考に及び,一び 之を收正す。 

邦を視 侯を選び,公を以て來り尸【つかさど】らしむ。 

公 來って之を尸【つかさど】る,人 始めは未だ信ぜず。 

 #2

公 飲食せず,以て訓【おし】え以て徇【とな】う。 

孰れか飢えて食無き,孰れか呻【うめ】き孰れか歎ずる。 

孰れか冤問われず,分願を得ず。 

孰れか邦の蟊【ぼう】と為る,節根の螟【めい】のごとき。

羊は很 狼は貪,口を以て城を覆【くつがえ】す。

  #3

之を吹き之を喣【あたた】め,手を摩して之を拊【なで】る。

之を箴【しん】し 之を石し,膊【はく】して 之を磔す。

凡そ公四封,既でに 富んで以て彊し。

公を吾が父と謂う,孰れか 公の令に違わん。 

師を以って征す可く,寧ろ邦を守らざらむや。

  #4

公 谿堂を作り,播播たる流水。 

淺きには蒲蓮有り,深きには葭葦有り。

公以て賓を燕し,其の鼓 駭駭【がいがい】たり。 

公 谿堂に燕し,賓校【ひんこう】醉飽【すいほう】。 

流に跳魚有り,岸に集鳥有り。

既に歌い 以て舞う,其の鼓 考考たり。 

 #5

公 谿堂に在り,公 琴瑟を御す。

公 【およ】び賓贊,稽を經【かんが】え 律を諏【と】う。

施用 差わず,人用 屈せず。 

谿【たに】に 蘋瓜有り,龜有り 魚有り。

公 中流に在り,詩を右にし 書を左にす。 

我を斁【いと】い遺るる無く,此の邦を是れ庥【おお】へ。  

 

Ta唐 長安近郊圖  新02 

『鄆州谿堂詩』 現代語訳と訳註

(本文)

 #2

公不飲食,以訓以徇。 

孰飢無食,孰呻孰歎。 

孰冤不問,不得分願。 

孰為邦蟊,節根之螟。 

羊很狼貪,以口覆城。

 

(下し文)

 #2

公 飲食せず,以て訓【おし】え以て徇【とな】う。 

孰れか飢えて食無き,孰れか呻【うめ】き孰れか歎ずる。 

孰れか冤問われず,分願を得ず。 

孰れか邦の蟊【ぼう】と為る,節根の螟【めい】のごとき。

羊は很 狼は貪,口を以て城を覆【くつがえ】す。

 

(現代語訳)

そこで馬總公は飲食する暇もなく、これを教えこれを徇【とな】え、力を盡して世話をされた。

誰が餓えているのか、食べるものがないのか、誰がうなって呻いているのか、誰が嘆息しているのか。

誰か冤罪を受けているも、問題にもされず、また分願を得ていないで、苦しんでいる。

誰がこの国の害蟲となるのか稲の節や根に食い入る蟲のようであろうか。

或は羊のように意地悪く狼のように貪欲に貪る。そして碌な事を喋らず、城を覆すようなことをするのか。

カンナ223 

(訳注)

鄆州谿堂詩 2

馬總が尚書右僕射を拝し、扶風縣開国伯に封ぜられたことに感謝し、その記念として一堂をその住宅の西北隅につくって、谿堂と号した。この谿堂の建設意義など馬總の徳を宣伝するためにと韓愈に詩の依頼が来て作ったものである。

 

公不飲食,以訓以徇。 

そこで馬總公は飲食する暇もなく、これを教えこれを徇【とな】え、力を盡して世話をされた。

 

孰飢無食,孰呻孰歎。 

誰が餓えているのか、食べるものがないのか、誰がうなって呻いているのか、誰が嘆息しているのか。

 

孰冤不問,不得分願。 

誰か冤罪を受けているも、問題にもされず、また分願を得ていないで、苦しんでいる。

分願 事件の顛末を一部始終を願い出て記録すること。

 

孰為邦蟊,節根之螟。 

誰がこの国の害蟲となるのか稲の節や根に食い入る蟲のようであろうか。

○蟊 国の根を食う虫。

○螟 稲の節や苗を食う虫、

 

羊很狼貪,以口覆城。

或は羊のように意地悪く狼のように貪欲に貪る。そして碌な事を喋らず、城を覆すようなことをするのか。

羊很 羊のように意地悪く。羊は根性が悪い。

狼貪 狼のように貪欲に貪る。

以口覆城 つまらぬ事を喋舌っているあいだに、城を破る。

415 《鄆州谿堂詩》韓愈(韓退之)ID Index-12-504 Ⅱ韓昌黎集822年長慶二年<1102>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4494韓愈詩-415

(谿堂の建設意義など馬總の徳を宣伝するためにと韓愈に詩の依頼が来て作ったものである)天子が九州の国土を治められしより、ここ何代を経、何年を過ぎたであろうか。

しかるに、荒獏の地があって兎角治まらないことがあり、それも黄河と泰山の間においてのことである。

 
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 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
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415 《鄆州谿堂詩【馬總為鄆曹濮節度觀察等使,為堂於居之西北隅,號曰谿堂。】【案:從《文集》錄入。】》韓愈(韓退之)ID Index-12-504 Ⅱ韓昌黎集822年長慶二年<1102  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4494韓愈詩-415

 

 

製作年:  822  長慶二年  55

卷別: 卷三四五  文體: 四言古詩 

詩題: 鄆州谿堂詩〔馬總為鄆曹濮節度觀察等使,為堂於居之西北隅,號曰谿堂。】【從《文集》錄入。】 

及地點:  鄆州谿堂 (河南道 鄆州 鄆州)

 

 

鄆州谿堂詩 #1

(谿堂の建設意義など馬總の徳を宣伝するためにと韓愈に詩の依頼が来て作ったものである)

帝奠九廛,有葉有年。 

天子が九州の国土を治められしより、ここ何代を経、何年を過ぎたであろうか。

有荒不條,河岱之間。 

しかるに、荒獏の地があって兎角治まらないことがあり、それも黄河と泰山の間においてのことである。

及我憲考,一收正之。 

先帝天子である憲宗の御宇にこれを治めて始末をつける。

視邦選侯,以公來尸。 

邦土をしっかり巡視し、区画をして、節度たるべき人を選定する。そこに馬總公が任命され、司るところとなった。

公來尸之,人始未信。 

馬總公は勅命を畏み、やがて赴任し、その地を治められたのであるが、その地の人民は初めのうちは馬總公を信頼しなかったのである。

 #2

公不飲食,以訓以徇。 

孰飢無食,孰呻孰歎。 

孰冤不問,不得分願。 

孰為邦蟊,節根之螟。 

羊很狼貪,以口覆城。

  #3

吹之喣之,摩手拊之。 

箴之石之,膊而磔之。 

凡公四封,既富以彊。 

謂公吾父,孰違公令。 

可以師征,不寧守邦。

  #4

公作谿堂,播播流水。 

淺有蒲蓮,深有葭葦。 

公以賓燕,其鼓駭駭。 

公燕谿堂,賓校醉飽。 

流有跳魚,岸有集鳥。

既歌以舞,其鼓考考。 

 #5

公在谿堂,公御琴瑟。 

賓贊,稽經諏律。 

施用不差,人用不屈。 

谿有蘋瓜,有龜有魚。 

公在中流,右詩左書。 

無我斁遺,此邦是庥。 

 

鄆州【うんしゅう】谿堂【けいどう】の詩 #1

帝九廛を奠【さだ】め,葉有り 年有り。 

荒有り 條【おさ】めず,河岱の間。 

我が憲考に及び,一び 之を收正す。 

邦を視 侯を選び,公を以て來り尸【つかさど】らしむ。 

公 來って之を尸【つかさど】る,人 始めは未だ信ぜず。 

 #2

公 飲食せず,以て訓【おし】え以て徇【とな】う。 

孰れか飢えて食無き,孰れか呻【うめ】き孰れか歎ずる。 

孰れか冤問われず,分願を得ず。 

孰れか邦の蟊【ぼう】と為る,節根の螟【めい】のごとき。

羊は很 狼は貪,口を以て城を覆【くつがえ】す。

  #3

之を吹き之を喣【あたた】め,手を摩して之を拊【なで】る。

之を箴【しん】し 之を石し,膊【はく】して 之を磔す。

凡そ公四封,既でに 富んで以て彊し。

公を吾が父と謂う,孰れか 公の令に違わん。 

師を以って征す可く,寧ろ邦を守らざらむや。

  #4

公 谿堂を作り,播播たる流水。 

淺きには蒲蓮有り,深きには葭葦有り。

公以て賓を燕し,其の鼓 駭駭【がいがい】たり。 

公 谿堂に燕し,賓校【ひんこう】醉飽【すいほう】。 

流に跳魚有り,岸に集鳥有り。

既に歌い 以て舞う,其の鼓 考考たり。 

 #5

公 谿堂に在り,公 琴瑟を御す。

公 【およ】び賓贊,稽を經【かんが】え 律を諏【と】う。

施用 差わず,人用 屈せず。 

谿【たに】に 蘋瓜有り,龜有り 魚有り。

公 中流に在り,詩を右にし 書を左にす。 

我を斁【いと】い遺るる無く,此の邦を是れ庥【おお】へ。   

 

楊貴妃清華池002 

『鄆州谿堂詩』 現代語訳と訳註

(本文)

鄆州谿堂詩 #1

帝奠九廛,有葉有年。 

有荒不條,河岱之間。 

及我憲考,一收正之。 

視邦選侯,以公來尸。 

公來尸之,人始未信。 

 

(下し文)

鄆州【うんしゅう】谿堂【けいどう】の詩 #1

帝九廛を奠【さだ】め,葉有り 年有り。 

荒有り 條【おさ】めず,河岱の間。 

我が憲考に及び,一び 之を收正す。 

邦を視 侯を選び,公を以て來り尸【つかさど】らしむ。 

公 來って之を尸【つかさど】る,人 始めは未だ信ぜず。 

 

(現代語訳)

(谿堂の建設意義など馬總の徳を宣伝するためにと韓愈に詩の依頼が来て作ったものである)

天子が九州の国土を治められしより、ここ何代を経、何年を過ぎたであろうか。

しかるに、荒獏の地があって兎角治まらないことがあり、それも黄河と泰山の間においてのことである。

先帝天子である憲宗の御宇にこれを治めて始末をつける。

邦土をしっかり巡視し、区画をして、節度たるべき人を選定する。そこに馬總公が任命され、司るところとなった。

馬總公は勅命を畏み、やがて赴任し、その地を治められたのであるが、その地の人民は初めのうちは馬總公を信頼しなかったのである。

 

(訳注)

鄆州谿堂詩 #1

馬總が尚書右僕射を拝し、扶風縣開国伯に封ぜられたことに感謝し、その記念として一堂をその住宅の西北隅につくって、谿堂と号した。この谿堂の建設意義など馬總の徳を宣伝するためにと韓愈に詩の依頼が来て作ったものである。

 

帝奠九廛,有葉有年。 

天子が九州の国土を治められしより、ここ何代を経、何年を過ぎたであろうか。

○奠 さだむ

○九廛 九州。

 

有荒不條,河岱之間。 

しかるに、荒獏の地があって兎角治まらないことがあり、それも黄河と泰山の間においてのことである。

○有荒 荒獏の地

○不條 おさまらず。

○河岱 黄河と泰山。

 

及我憲考,一收正之。 

先帝天子である憲宗の御宇にこれを治めて始末をつける。

○憲考 天子の先考。憲宗をいう。

 

視邦選侯,以公來尸。 

邦土をしっかり巡視し、区画をして、節度たるべき人を選定する。そこに馬總公が任命され、司るところとなった。

○尸 つかさどる。

 

公來尸之,人始未信。 

馬總公は勅命を畏み、やがて赴任し、その地を治められたのであるが、その地の人民は初めのうちは馬總公を信頼しなかったのである。
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414 《奉和李相公題蕭家林亭【案:逢吉也。】》韓愈(韓退之)ID Index-12-504 Ⅱ韓昌黎集822年長慶二年<1101>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4489韓愈詩-414

(李逢吉が蕭氏の林亭に遊んで、詩を題したことにより、それに和して作ったもの。)君が蕭氏の林亭におけるは、さながら西晋の山簡が高陽の池におけると同じで、我こそ林園の主人と思えるようで、随意に幽賞せられ、そして、蕭氏の前代の人々がここを経営した時を追想してみて感慨に堪えないのである。

 
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414 《奉和李相公題蕭家林亭【案:逢吉也。】》韓愈(韓退之)ID Index-12-504 Ⅱ韓昌黎集822年長慶二年<1101>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4489韓愈詩-414 
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 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
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414 《奉和李相公題蕭家林亭【案:逢吉也。】》韓愈(韓退之)ID Index-12-504 Ⅱ韓昌黎集822年長慶二年<1101  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4489韓愈詩-414

 

 

年:  822  長慶二年  55

卷別: 卷三四四  文體: 七言 

詩題: 奉和李相公題蕭家林亭【李相公:李逢吉也。】 

及地點: 蕭家林亭 (京畿道 京兆府 長安)     

交遊人物/地點: 李逢吉 書信往來(京畿道 京兆府 長安)

 

nat0026 

奉和李相公題蕭家林亭

山公自是林園主,歎惜前賢造作時。

巖洞幽深門盡鎖,不因丞相幾人知。

(李逢吉が蕭氏の林亭に遊んで、詩を題したことにより、それに和して作ったもの。)

君が蕭氏の林亭におけるは、さながら西晋の山簡が高陽の池におけると同じで、我こそ林園の主人と思えるようで、随意に幽賞せられ、そして、蕭氏の前代の人々がここを経営した時を追想してみて感慨に堪えないのである。

その林園は巖洞幽深にしてその門扉はことごとく閉じ、丞相自らここに遊んで詩を作られたから人も成程と、了知したのであるが、そうでなければ、その存在を知っているのものは、幾人もなかったであろう。

(李相公【りしょうこう】蕭家【せっか】林亭に題し和し奉る)

山公 自ら是れ林園の主,歎惜す 前賢 造作の時。

巖洞 幽深 門 盡く鎖ず,丞相に因らずんば 幾人か知らん。

 

Ta唐 長安近郊圖  新02 

『奉和李相公題蕭家林亭』 現代語訳と訳註

(本文)

奉和李相公題蕭家林亭

山公自是林園主,歎惜前賢造作時。

巖洞幽深門盡鎖,不因丞相幾人知。

 

(下し文)

(李相公【りしょうこう】蕭家【せっか】林亭に題し和し奉る)

山公 自ら是れ林園の主,歎惜す 前賢 造作の時。

巖洞 幽深 門 盡く鎖ず,丞相に因らずんば 幾人か知らん。

 

(現代語訳)

(李逢吉が蕭氏の林亭に遊んで、詩を題したことにより、それに和して作ったもの。)

君が蕭氏の林亭におけるは、さながら西晋の山簡が高陽の池におけると同じで、我こそ林園の主人と思えるようで、随意に幽賞せられ、そして、蕭氏の前代の人々がここを経営した時を追想してみて感慨に堪えないのである。

その林園は巖洞幽深にしてその門扉はことごとく閉じ、丞相自らここに遊んで詩を作られたから人も成程と、了知したのであるが、そうでなければ、その存在を知っているのものは、幾人もなかったであろう。

 

(訳注)

奉和李相公題蕭家林亭

(李逢吉が蕭氏の林亭に遊んで、詩を題したことにより、それに和して作ったもの。)

 

山公自是林園主,歎惜前賢造作時。

君が蕭氏の林亭におけるは、さながら西晋の山簡が高陽の池におけると同じで、我こそ林園の主人と思えるようで、随意に幽賞せられ、そして、蕭氏の前代の人々がここを経営した時を追想してみて感慨に堪えないのである。

山公 山簡のこと。字は季倫。西晋時代の人。竹林の七賢の一人、山濤の子。公は一般に尊称であるが、ここでは、とくに尊敬と親しみの気特がこもっている。山簡、あざなは季倫。荊州の地方長官として嚢陽にいたとき、常に酔っぱらっては高陽の池(佳園池)にあそび(野酒)、酩酊したあげく、白い帽子をさかさに被り、馬にのって歩いた。それが評判となり、そのことをうたった歌までできた。話は「世説」にある。 ・高陽 嚢陽にある池の名。 ・白接蘺 接蘺は帽子。

「襄陽歌」の冒頭部分にいう「傍人借問笑何事,笑殺山公酔似泥」も,表面的には山簡の故事をふまえているが、李白自身の事でもある。

「秋浦歌十七首」其七の「酔上山公馬」,「江夏贈章南陵水」の「山公酔後能騎馬」,「留別廣陵諸公」の「山公欲倒鞭」,さらに「尋魯城北お居士失道落蒼耳中見通置酒摘蒼耳作」に「酎宋上馬去,却笑高陽池」,「魯中都東棲酔起作」に「昨日東棲酔,還應倒接羅」というように,泥酔したまま馬に跨り,帽子を逆さまにかぶった滑稽な酔態を詠むものである。

「答友人贈烏紗帽」、「襄陽曲四首」などもこのブログに掲載している

山公、謝安など一見飲んだくれであるもことに及べが力を発揮する李白の矜持の表現である。

前賢 蕭氏の前代の人々をいう。

造作 経営すること。

 

巖洞幽深門盡鎖,不因丞相幾人知。

その林園は巖洞幽深にしてその門扉はことごとく閉じ、丞相自らここに遊んで詩を作られたから人も成程と、了知したのであるが、そうでなければ、その存在を知っているのものは、幾人もなかったであろう。

丞相 李相公をさす。
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413 《和僕射相公朝迴見寄》韓愈(韓退之)ID Index-12-504 Ⅱ韓昌黎集822年長慶二年<1100>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4484韓愈詩-413

(裴度が、参朝して帰宅し、その時の感懐を詩にして寄せてきた、それに韓愈が、和して詠ったものである。)〔時に牛李の黨が熾し、裴度は其の間に介し,累ねて謗讟【ぼうとく】に遭う,故に愈詩は高蹈の語に有る。〕

 
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 Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
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30-#1 《古風五十九首之三十》Index-32Ⅳ-7 753年天寶十二年53歳583古風,五十九首之二十五世道日交喪, <30-#1> Ⅰ李白詩1187 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4483 
 孟浩然 詩 index李白詩index謝霊運 詩 index司馬相如 《 子虛賦 ・上林賦 》揚雄 《 甘泉賦 》 ●諸葛亮(孔明)出師表 
 曹植(曹子建)詩 65首 index文選 賦)兩都賦序・西都賦・東都賦 (班固)《李白 全詩》
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(1)漁父辞 屈原『楚辞・九歌』東君 屈原《楚辞 『九辯』》 宋玉  <案内> 
 ●唐を代表する 中唐 韓愈 全500首  
 Ⅱ中唐詩・晩唐詩
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413 《和僕射相公朝迴見寄》韓愈(韓退之)ID Index-12-504 Ⅱ韓昌黎集822年長慶二年<1100>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4484韓愈詩-413 
 ・李商隠詩 (1) 136首の75首・李商隠詩 (2) 135首の61首●韓愈index-1 ・孟郊、張籍と交遊・汴州乱41首●韓愈詩index-2[800年 33歳~804年 37歳]27首●韓愈詩index-3 805年 38歳・]陽山から江陵府 36首●韓愈詩index-4 806年 39歳 江陵府・権知国子博士 51首(1)25首 
 index-5 806年39歳 50首の(2)25首index-6[807年~809年 42歳]20首index-7[810年~811年 44歳] 34首index-8 [812年~814年47歳]46首index-9[815年~816年 49歳] 57首index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首 
 index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首index-13 821年~822年 55歳 22首index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首韓愈 哲学・儒学「五原」賦・散文・上奏文・碑文など 
 孟郊張籍     
 ●杜甫の全作品1500首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。" 
 Ⅲ杜甫詩全1500首   LiveDoorブログ廣徳2年764-99-#1 《寄董卿嘉榮十韻》 杜甫index-14 764年 杜甫<771-#1> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4485 杜甫詩1500-771-#1-1068/2500 
 杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩) 杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首 
 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
 ●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている 
 Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集 Fc2ブログ 
        
 ●花間集全詩●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集 
 Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoor7-405《柳枝五首其二》牛給事嶠(牛嶠)Ⅻ唐五代詞・『花間集』全詩訳注解説Gs-588-7-(405) 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4487 
 薛濤の全詩花間集(1)花間集(2)