韓愈-#18§5-4 《八讀巻六11 祭十二郎文》
彼有食可守以待終喪,則待終喪而取以來,如不能守以終喪,則遂取以來。其餘奴婢,並令守汝喪。吾力能改葬,終葬汝於先人之兆,然後惟其所願。
彼ら、子供らに食糧があって、それで喪を守って終えるのを待つことができるならは、喪を終えるのを待って引き取って連れて来るであろう。もし喪を守って喪を終えることができなければ、そのまま引き取って連れて来るのがよいであろう。そのほかの男女の使用人たちは、一様にお前の喪を守らせるものである。私の力がお前を改葬することができるならは、最後にお前を先父君の墓所に葬るであろう。それでこそはじめて、その願い通りであろう。
76-#18§5-4 《八讀巻六11 祭十二郎文》-18 韓愈(韓退之) 803年貞元19年 38歳<1469> Ⅱ【21分割】 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6329
韓愈詩-76-#18
#12§4-3分割-1
吾兄之盛德,而夭其嗣矣;
私の兄の立派な人格にもかかわらず、その後嗣ぎを若死にさせることになった。
汝之純明宜業其家者,而不克蒙其澤矣。
お前は、これが清純聡明で、その家を護り、保ってゆくことを仕事とするのに宜しいとされていた者が、父の恩沢を蒙ることができなかった。
所謂天者誠難測,而神者誠難明矣;
いわゆる天意は誠に測り難く、神というものは明らかに知り難いのである。
所謂理者不可推,而壽者不可知矣。
いわゆる道理は推知することができず、そして寿命というものは知ることができないのである。
#13§4-2
雖然,我自今年來,蒼蒼者欲化而為白矣,
そうではあるけれど、私は今年からは、これまで蒼々としていた髪は、白くなるものがあり、
動搖者欲脫而落矣,毛血日益衰,
動きゆらいでいた歯は、脱け落ちるものがあったし、髪の毛も血色も日に日に益々衰えたのである。
誌氣日益微,幾何不從汝而死也!
そして、意志と元気も日に日に益ゝかすかに弱くなっていき、どれほどの期間、お前の後を追って死なないでいることができるのであろうか。
死而有知,其幾何離;
死んでも知る力があるならは、お前と離れているのは何ほどであろう。
#14§4-3
其無知,悲不幾時,而不悲者無窮期矣。
幽界で必ず会えるであろう。もし知る力がないとすれば、今の悲しみは幾時も続かず、やがて私も死んで、悲しみのない期間が窮まりなく続くであろう。
汝之子始十歲,吾之子始五歲,
お前の子はやっと十歳、私の子はやっと五歳である。
少而強者不可保,如此孩提者,又可冀其成立邪?
幽界で必ず会えるであろう。もし知る力がないとすれば、今の悲しみは幾時も続かず、やがて私も死んで、悲しみのない期間が窮まりなく続くであろう。
嗚呼哀哉,嗚呼哀哉!
ああ、悲しいことである。ああ哀れなことであるよ。
§4-1
吾が兄の盛徳にして、その嗣を夭せり。
汝の純明にして宜しくその家を業とすべき者、その沢を蒙ること克(あた)わず。
所謂天なるものは誠に測り難く、神【しん】なるものは誠に明らかにし難し。
所謂理なるものは推【お】すべからず、寿なるものは知るべからず。
§4-2
然りと雖も吾今年来、蒼蒼たるもの或いは化して白と為れり。
動揺するもの、或いは脱けて落ちぬ。毛血日に益々衰え、志気日に益々微なり。
幾何【いくばく】か汝に従って死せざらん。
死して知ること有らば、それ幾何か離れん。
§4-3
それ知ること無くんば、悲しむこと幾時ならずして、悲しまざるもの窮まる期【とき】無からん。
汝の子始めて十歳、吾の子始めて五歳なり。
少【わか】くして彊(つよ)き者、保つべからざること此の如し。
孩提【がいてい】なる者、またその成立を冀(こいねが)うべけんや。
嗚呼哀しいかな。嗚呼哀しいかな。
#15§5-1
汝去年書云:「比得軟腳病,往往而劇。」
お前からの去年寄越した手紙でいっていた、「このごろ脚気になっていて、時々激しい症状がある」ということだった。
吾曰:是病也,江南之人,常常有之。
私は、この病気は江南の人々に常々ある病気である、
未始以為憂也。
といって、はじめから心配なこととは思っていなかった。
嗚呼!其竟以此而殞其生乎?
ああ、一体、結局これでその生命を落としたのであったか。
抑別有疾而至斯乎?
それはともかく、別に病気があってこうなったのであろうか。
#16§5-2
汝之書六月十七日也,東野云:
お前の手紙は六月十七日に出したことになっているのに、東野の書状は、次の様に云っている。
汝歿以六月二日,耿蘭之報無月日:
お前は六月二日に亡くなったといっているのに、耿蘭の報せには死亡の月日がないのだ。
蓋東野之使者不知問家人以月日,
それはたぶん東野の使者が、家人に月日を問うことを知らなかったのであろう。
如耿蘭之報不知當言月日,
秋蘭の報せのようなものは、当然死亡の月日を言わねばならないことを知らなかったのであろう。
#17§5-3
東野與吾書,乃問使者,使者妄稱以應之耳。
東野が私にくれた手紙の日付は、そのとき使者に問うて、使者がむやみに適当な月日を称して答えただけなのであろう。
其然乎?其不然乎?
一体それでよかったのであろうか、あるいはそうでないのだろうか。
今吾使建中祭汝,吊汝之孤,與汝之乳母。
今度は、私が建中を使いとして、お前を祭らせ、お前の残された子供とその乳母とを弔問させる。
#18§5-4
彼有食可守以待終喪,則待終喪而取以來,
彼ら、子供らに食糧があって、それで喪を守って終えるのを待つことができるならは、喪を終えるのを待って引き取って連れて来るであろう。
如不能守以終喪,則遂取以來。
もし喪を守って喪を終えることができなければ、そのまま引き取って連れて来るのがよいであろう。
其餘奴婢,並令守汝喪。
そのほかの男女の使用人たちは、一様にお前の喪を守らせるものである。
吾力能改葬,終葬汝於先人之兆,
私の力がお前を改葬することができるならは、最後にお前を先父君の墓所に葬るであろう。
然後惟其所願。
それでこそはじめて、その願い通りであろう。
§5-1
汝が去年の書に云う、此ごろ軟脚の病を得て、往々にして劇【はげ】しと。
吾曰く、是の疾や江南の人 常々にこれ有り。
未だ始めより以って憂いと為さざりしなり。
嗚呼、それ竟に此れを以ってその生を殞【おと】せるか。
抑々【そもそも】別に疾【やまい】有って斯【ここ】に至れるか。
§5-2
汝の書は、六月十七日なり。
東野云う 汝 歿すること六月二日を以ってすと。
耿蘭の報は月日無し。
蓋【けだ】し東野の使者、家人に問うに月日を以ってするを知らず。
耿蘭の報の如きは、当【まさ】に月日を言うべきを知らず。
§5-3
東野 吾に与うる書は、乃ち使者に問いしに、使者 妄称して以ってこれに応【こた】えしのみならん。
それ然るか、それ然らざるか。
今吾建中をして汝を祭り、汝の孤と汝の乳母とを弔せしむ。
§5-4
彼に食有り、守りて以って喪を終うること待つ可くんば、則ち喪を終うるを待って以って来たらん。
その余の奴婢【ぬひ】、並びに汝の喪を守らしむ。
吾が力能く改め葬らば、終に汝を先人の兆【ちょう】に葬らん。
然る後は惟だそれ願うところのままにせん。
『祭十二郎文』 現代語訳と訳註解説
(本文) -#18§5-4 《八讀巻六11 祭十二郎文》
彼有食可守以待終喪,則待終喪而取以來,
如不能守以終喪,則遂取以來。
其餘奴婢,並令守汝喪。
吾力能改葬,終葬汝於先人之兆,然後惟其所願。
(下し文)
§5-4
彼に食有り、守りて以って喪を終うること待つ可くんば、則ち喪を終うるを待って以って来たらん。
その余の奴婢【ぬひ】、並びに汝の喪を守らしむ。
吾が力能く改め葬らば、終に汝を先人の兆【ちょう】に葬らん。
然る後は惟だそれ願うところのままにせん。
(現代語訳)
彼ら、子供らに食糧があって、それで喪を守って終えるのを待つことができるならは、喪を終えるのを待って引き取って連れて来るであろう。
もし喪を守って喪を終えることができなければ、そのまま引き取って連れて来るのがよいであろう。
そのほかの男女の使用人たちは、一様にお前の喪を守らせるものである。
私の力がお前を改葬することができるならは、最後にお前を先父君の墓所に葬るであろう。
それでこそはじめて、その願い通りであろう。
(訳注) -#18§5-4 《八讀巻六11 祭十二郎文》
祭十二郎文-#14
(溧陽の尉をつとめていた孟郊から、韓老成の死を報ずる手紙が来たので、それを受取ってから七日目、韓愈は祭文を書き、使者に持たせて韓老成の霊前にそなえさせた)
○十二郎 排行、一族中の十二番目の男子、韓老成のこと。
彼有食可守以待終喪,則待終喪而取以來,
彼ら、子供らに食糧があって、それで喪を守って終えるのを待つことができるならは、喪を終えるのを待って引き取って連れて来るであろう。
○有食 生活資料があって。
○喪 父母の死去に際し、子女は3年間(実際には25ヶ月)の服喪を行い、結婚その他の喜事を忌避する必要があった。前漢代には官人は「丁憂」として3年の服喪期間が定められている。その後の歴代王朝では、孝を統治を基本としていたため、官員は丁憂に際しその職を辞して服喪することが義務付けられ、3年後に復職されるとされた。
如不能守以終喪,則遂取以來。
もし喪を守って喪を終えることができなければ、そのまま引き取って連れて来るのがよいであろう。
其餘奴婢,並令守汝喪。
そのほかの男女の使用人たちは、一様にお前の喪を守らせるものである。
吾力能改葬,終葬汝於先人之兆,
私の力がお前を改葬することができるならは、最後にお前を先父君の墓所に葬るであろう。
○改葬 『儀礼』の「士喪礼篇」は、士の階級にある者が、その両親を葬る際の儀礼を扱っている。内容は死者の魂を呼び戻す儀礼にはじまり、埋葬のあとの虞(ぐ)祭、つまり魂を安んずる祭りまでである。韓愈は、『儀礼』に示された儀式が殆どなされていないことを前提に述べている。
○兆 某所。祭壇の場所。墓地の区域。
然後惟其所願。
それでこそはじめて、その願い通りであろう。
○然後惟其所願 そうしてはじめて、ただその願う所のままになろう。それでこそ願い通りというわけである。惟其所願は「ただその願う所のままなり」と読む定式句法。































