中唐詩人選集【Ⅰ李商隠-150】Ⅱ韓退之(韓愈)Ⅶ孟郊(東野)  漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩 訳注解説ブログ

Ⅰ李商隠は難解詩といわれている。約150首紹介済。(晩唐詩人) Ⅱ韓退之(韓愈)-約500首Ⅶ孟郊、中唐の詩人を掲載中。万物の性(さが)をテーマにした哲学的な詩。このブログは基本的に中唐詩人を中心にして掲載する予定。 韓愈詩文のこれまでの掲載分とこれから掲載予定分を時系列で整理した2014.3.29のブログに集約してそこから各年次を見ることができる  kanbuniinkai 検索で、《漢文委員会HP05》サイトあります。漢詩唐詩を理解するための総合サイト:≪漢文委員会 漢詩07≫。

少し、マニアックな晩唐詩人Ⅰ-李商隠150首をまず掲載済み。中唐は盛唐詩人(孟浩然・王維、杜甫、李白)を受け継いだ多様な詩人が出ている。この時代も驚くほど詩が発展している。Ⅱ韓退之(韓愈)500首、Ⅲ柳宗元40首、Ⅳ韋応物、Ⅴ劉長卿、Ⅵ韋荘、Ⅶ孟郊(孟東野)、Ⅷ張籍、Ⅸ賈島、Ⅹ劉禹錫、ほか2012~2020年の予定で気長に進める。同じ中唐ではあるが、白居易のグループについては、李白のブログ350首(2015/6月再開~2018/夏・秋月予定)の後掲載の予定。別に杜甫詩ブログ1500首(2011/7月~2018/8月の予定で)を進行中。詩数につぃては、予定の詩数より多くなる。気まぐれなところがあるのでこの予定が少し変わる場合があり、その節はご容赦ください。                 古詩・謝霊運詩 杜甫詩 韓愈詩 花間集500首全詩 それぞれ毎日ブログしています。 このブログ、索引=語句の「検索」 参考書以上掲載。漢詩力up。

韓昌黎集 巻六

76-#18§5-4 《八讀巻六11 祭十二郎文》-18 韓愈(韓退之) 803年貞元19年 38歳<1469> Ⅱ【21分割】 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6329

韓愈-18§5-4 《八讀巻六11 祭十二郎文》

彼有食可守以待終喪,則待終喪而取以來,如不能守以終喪,則遂取以來。其餘奴婢,並令守汝喪。吾力能改葬,終葬汝於先人之兆,然後惟其所願。
彼ら、子供らに食糧があって、それで喪を守って終えるのを待つことができるならは、喪を終えるのを待って引き取って連れて来るであろう。もし喪を守って喪を終えることができなければ、そのまま引き取って連れて来るのがよいであろう。そのほかの男女の使用人たちは、一様にお前の喪を守らせるものである。私の力がお前を改葬することができるならは、最後にお前を先父君の墓所に葬るであろう。それでこそはじめて、その願い通りであろう。

76-18§5-4 《八讀巻六11 祭十二郎文》-18 韓愈(韓退之)  803年貞元19 38歳<1469 Ⅱ【21分割】 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6329

 
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 Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
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76-#18§5-4 《八讀巻六11 祭十二郎文》-18 韓愈(韓退之) 803年貞元19年 38歳<1469> Ⅱ【21分割】 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6329 
 ・李商隠詩 (1) 136首の75首・李商隠詩 (2) 135首の61首●韓愈index-1 ・孟郊、張籍と交遊・汴州乱41首●韓愈詩index-2[800年 33歳~804年 37歳]27首●韓愈詩index-3 805年 38歳・]陽山から江陵府 36首●韓愈詩index-4 806年 39歳 江陵府・権知国子博士 51首(1)25首 
 index-5 806年39歳 50首の(2)25首index-6[807年~809年 42歳]20首index-7[810年~811年 44歳] 34首index-8 [812年~814年47歳]46首index-9[815年~816年 49歳] 57首index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首 
 index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首index-13 821年~822年 55歳 22首index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首韓愈 哲学・儒学「五原」賦・散文・上奏文・碑文など 
 孟郊張籍     
 ●杜甫の全作品1500首を訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。" 
 Ⅲ杜甫詩全1500首   LiveDoorBlog766年-76杜甫 《1817不離西閣,二首之二》 杜甫詩index-15-766年大暦元年55歲-76 <939> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6330 杜甫詩 
 杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩) 杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首 
 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
 ●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている 
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 韓愈詩-76-18

12§4-3分割-1

吾兄之盛德,而夭其嗣矣;

私の兄の立派な人格にもかかわらず、その後嗣ぎを若死にさせることになった。

汝之純明宜業其家者,而不克蒙其澤矣。

お前は、これが清純聡明で、その家を護り、保ってゆくことを仕事とするのに宜しいとされていた者が、父の恩沢を蒙ることができなかった。

所謂天者誠難測,而神者誠難明矣;

いわゆる天意は誠に測り難く、神というものは明らかに知り難いのである。

所謂理者不可推,而壽者不可知矣。

いわゆる道理は推知することができず、そして寿命というものは知ることができないのである。

13§4-2

雖然,我自今年來,蒼蒼者欲化而為白矣,

そうではあるけれど、私は今年からは、これまで蒼々としていた髪は、白くなるものがあり、

動搖者欲而落矣,毛血日益衰,

動きゆらいでいた歯は、脱け落ちるものがあったし、髪の毛も血色も日に日に益々衰えたのである。

誌氣日益微,幾何不從汝而死也!

そして、意志と元気も日に日に益ゝかすかに弱くなっていき、どれほどの期間、お前の後を追って死なないでいることができるのであろうか。

死而有知,其幾何離;

死んでも知る力があるならは、お前と離れているのは何ほどであろう。

14§4-3

其無知,悲不幾時,而不悲者無窮期矣。

幽界で必ず会えるであろう。もし知る力がないとすれば、今の悲しみは幾時も続かず、やがて私も死んで、悲しみのない期間が窮まりなく続くであろう。

汝之子始十,吾之子始五

お前の子はやっと十歳、私の子はやっと五歳である。

少而強者不可保,如此孩提者,又可冀其成立邪?

幽界で必ず会えるであろう。もし知る力がないとすれば、今の悲しみは幾時も続かず、やがて私も死んで、悲しみのない期間が窮まりなく続くであろう。

嗚呼哀哉,嗚呼哀哉!

ああ、悲しいことである。ああ哀れなことであるよ。

§4-1

吾が兄の盛徳にして、その嗣を夭せり。

汝の純明にして宜しくその家を業とすべき者、その沢を蒙ること克(あた)わず。

所謂天なるものは誠に測り難く、神【しん】なるものは誠に明らかにし難し。

所謂理なるものは推【お】すべからず、寿なるものは知るべからず。

§4-2

然りと雖も吾今年来、蒼蒼たるもの或いは化して白と為れり。

動揺するもの、或いは脱けて落ちぬ。毛血日に益々衰え、志気日に益々微なり。

幾何【いくばく】か汝に従って死せざらん。

死して知ること有らば、それ幾何か離れん。

§4-3

それ知ること無くんば、悲しむこと幾時ならずして、悲しまざるもの窮まる期【とき】無からん。

汝の子始めて十歳、吾の子始めて五歳なり。

少【わか】くして彊(つよ)き者、保つべからざること此の如し。

孩提【がいてい】なる者、またその成立を冀(こいねが)うべけんや。

嗚呼哀しいかな。嗚呼哀しいかな。

 

15§5-1

汝去年書云:「比得軟病,往往而劇。」

お前からの去年寄越した手紙でいっていた、「このごろ脚気になっていて、時々激しい症状がある」ということだった。

吾曰:是病也,江南之人,常常有之。

私は、この病気は江南の人々に常々ある病気である、

未始以為憂也。

といって、はじめから心配なこととは思っていなかった。

嗚呼!其竟以此而殞其生乎?

ああ、一体、結局これでその生命を落としたのであったか。

抑別有疾而至斯乎?

それはともかく、別に病気があってこうなったのであろうか。

16§5-2

汝之書六月十七日也,東野云:

お前の手紙は六月十七日に出したことになっているのに、東野の書状は、次の様に云っている。

汝歿以六月二日,耿蘭之報無月日:

お前は六月二日に亡くなったといっているのに、耿蘭の報せには死亡の月日がないのだ。

蓋東野之使者不知問家人以月日,

それはたぶん東野の使者が、家人に月日を問うことを知らなかったのであろう。

如耿蘭之報不知當言月日,

秋蘭の報せのようなものは、当然死亡の月日を言わねばならないことを知らなかったのであろう。

17§5-3

東野與吾書,乃問使者,使者妄稱以應之耳。

東野が私にくれた手紙の日付は、そのとき使者に問うて、使者がむやみに適当な月日を称して答えただけなのであろう。

其然乎?其不然乎?

一体それでよかったのであろうか、あるいはそうでないのだろうか。

今吾使建中祭汝,吊汝之孤,與汝之乳母。

今度は、私が建中を使いとして、お前を祭らせ、お前の残された子供とその乳母とを弔問させる。

18§5-4

彼有食可守以待終喪,則待終喪而取以來,

彼ら、子供らに食糧があって、それで喪を守って終えるのを待つことができるならは、喪を終えるのを待って引き取って連れて来るであろう。

如不能守以終喪,則遂取以來。

もし喪を守って喪を終えることができなければ、そのまま引き取って連れて来るのがよいであろう。

其餘奴婢,並令守汝喪。

そのほかの男女の使用人たちは、一様にお前の喪を守らせるものである。

吾力能改葬,終葬汝於先人之兆,

私の力がお前を改葬することができるならは、最後にお前を先父君の墓所に葬るであろう。
然後惟其所願。

それでこそはじめて、その願い通りであろう。

 

§5-1

汝が去年の書に云う、此ごろ軟脚の病を得て、往々にして劇【はげ】しと。

吾曰く、是の疾や江南の人 常々にこれ有り。

未だ始めより以って憂いと為さざりしなり。

嗚呼、それ竟に此れを以ってその生を殞【おと】せるか。

抑々【そもそも】別に疾【やまい】有って斯【ここ】に至れるか。

§5-2

汝の書は、六月十七日なり。

東野云う 汝 歿すること六月二日を以ってすと。

耿蘭の報は月日無し。

蓋【けだ】し東野の使者、家人に問うに月日を以ってするを知らず。

耿蘭の報の如きは、当【まさ】に月日を言うべきを知らず。

§5-3

東野 吾に与うる書は、乃ち使者に問いしに、使者 妄称して以ってこれに応【こた】えしのみならん。

それ然るか、それ然らざるか。

今吾建中をして汝を祭り、汝の孤と汝の乳母とを弔せしむ。

§5-4

彼に食有り、守りて以って喪を終うること待つ可くんば、則ち喪を終うるを待って以って来たらん。

その余の奴婢【ぬひ】、並びに汝の喪を守らしむ。

吾が力能く改め葬らば、終に汝を先人の兆【ちょう】に葬らん。

然る後は惟だそれ願うところのままにせん。

 

 

『祭十二郎文』 現代語訳と訳註解説
(
本文)
-18§5-4 《八讀巻六11 祭十二郎文》
彼有食可守以待終喪,則待終喪而取以來,

如不能守以終喪,則遂取以來。

其餘奴婢,並令守汝喪。

吾力能改葬,終葬汝於先人之兆,然後惟其所願。

(下し文)
§5-4

彼に食有り、守りて以って喪を終うること待つ可くんば、則ち喪を終うるを待って以って来たらん。

その余の奴婢【ぬひ】、並びに汝の喪を守らしむ。

吾が力能く改め葬らば、終に汝を先人の兆【ちょう】に葬らん。

然る後は惟だそれ願うところのままにせん。


(現代語訳)
彼ら、子供らに食糧があって、それで喪を守って終えるのを待つことができるならは、喪を終えるのを待って引き取って連れて来るであろう。

もし喪を守って喪を終えることができなければ、そのまま引き取って連れて来るのがよいであろう。

そのほかの男女の使用人たちは、一様にお前の喪を守らせるものである。

私の力がお前を改葬することができるならは、最後にお前を先父君の墓所に葬るであろう。
それでこそはじめて、その願い通りであろう。


(訳注) -18§5-4 《八讀巻六11 祭十二郎文》

祭十二郎文-14

(溧陽の尉をつとめていた孟郊から、韓老成の死を報ずる手紙が来たので、それを受取ってから七日目、韓愈は祭文を書き、使者に持たせて韓老成の霊前にそなえさせた)

○十二郎 排行、一族中の十二番目の男子、韓老成のこと。 

 

有食可守以待終,則待終喪而取以來,

彼ら、子供らに食糧があって、それで喪を守って終えるのを待つことができるならは、喪を終えるのを待って引き取って連れて来るであろう。

○有食 生活資料があって。

○喪 父母の死去に際し、子女は3年間(実際には25ヶ月)の服喪を行い、結婚その他の喜事を忌避する必要があった。前漢代には官人は「丁憂」として3年の服喪期間が定められている。その後の歴代王朝では、孝を統治を基本としていたため、官員は丁憂に際しその職を辞して服喪することが義務付けられ、3年後に復職されるとされた。

 

如不能守以終喪,則遂取以來。

もし喪を守って喪を終えることができなければ、そのまま引き取って連れて来るのがよいであろう。

 

其餘奴婢,並令守汝喪。

そのほかの男女の使用人たちは、一様にお前の喪を守らせるものである。

 

吾力能改葬,終葬汝於先人之

私の力がお前を改葬することができるならは、最後にお前を先父君の墓所に葬るであろう。

○改葬 『儀礼』の「士喪礼篇」は、士の階級にある者が、その両親を葬る際の儀礼を扱っている。内容は死者の魂を呼び戻す儀礼にはじまり、埋葬のあとの虞(ぐ)祭、つまり魂を安んずる祭りまでである。韓愈は、『儀礼』に示された儀式が殆どなされていないことを前提に述べている。

○兆 某所。祭壇の場所。墓地の区域。

 

然後惟其所願。

それでこそはじめて、その願い通りであろう。

○然後惟其所願 そうしてはじめて、ただその願う所のままになろう。それでこそ願い通りというわけである。惟其所願は「ただその願う所のままなり」と読む定式句法。

24-3 《遠遊聯句〔韓愈、李翱、孟郊〕》韓愈(韓退之)ID 798年貞元14年 31歳<1217> Ⅱ韓昌黎集 巻五 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5069韓愈詩-24-3

韓愈《遠遊聯句》#3 江南には、懐古の情を催す遺跡が数多くあるので、時には湘夫人の霊が弾ずる瑟琴の音色が微かに聞こえてきて、雲間の峡樹に棲んでいる猿はより悲しげに啼くという。

 
 2014年11月5日の紀頌之5つのブログ 
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24-3 《遠遊聯句〔韓愈、李翱、孟郊〕》韓愈(韓退之)ID 798年貞元14年 31歳<1217> Ⅱ韓昌黎集 巻五 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5069韓愈詩-24-3 
 ・李商隠詩 (1) 136首の75首・李商隠詩 (2) 135首の61首●韓愈index-1 ・孟郊、張籍と交遊・汴州乱41首●韓愈詩index-2[800年 33歳~804年 37歳]27首●韓愈詩index-3 805年 38歳・]陽山から江陵府 36首●韓愈詩index-4 806年 39歳 江陵府・権知国子博士 51首(1)25首 
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 index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首index-13 821年~822年 55歳 22首index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首韓愈 哲学・儒学「五原」賦・散文・上奏文・碑文など 
 孟郊張籍     
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 Ⅲ杜甫詩全1500首   LiveDoorブログ766年大暦元年55歲-1-2 《別蔡十四著作 -#2》 杜甫index-15 杜甫<864-#2> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5070 
 杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩) 杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首 
 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
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24-3 《遠遊聯句〔韓愈、李、孟郊〕》韓愈(韓退之)ID  798年貞元14年 31歳<1217 Ⅱ韓昌黎集 巻五 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5069韓愈詩-24-3

 

 

遠遊聯句 #1

(江南に赴任する孟郊と韓愈・李翺の送別の聯句。)

別腸車輪轉,一日一萬周。 〔孟郊。〕

別離に際して、我がはらわたは心と体も離れ車輪のように回転し、それも一日で、一万回転もするほどである。

離思春冰泮,瀾漫不可收。 〔韓愈。〕

離愁は、春冰が溶けだして、春水があふれることの様に瀾漫として収拾がつかないほどである。

馳光忽以迫,飛轡誰能留。 〔孟郊。〕

日陰は、頻りに馳せていて、暫くすると日はくれてきて、馬を乗り出しても誰も止めることができない。

取之詎灼灼,此去信悠悠。 〔李。〕

ここに、別離を為すことは灼灼として明白であり、ここを去れば、万里の先、悠悠として尽きることが無い。(遠遊聯句)#1

別腸 車輪轉じ,一日 一萬周。 〔孟郊。〕

離思 春冰泮け,瀾漫 收む可からず。〔韓愈。〕

馳光 忽ち以て迫る,飛轡 誰か能く留めん。〔孟郊。〕

之を取ること詎ぞ灼灼たる,此を去って 信に悠悠たり〔李。〕

 

#2

楚客宿江上,夜魂棲浪頭。

自分は楚地の客として長江のほとりに宿をとったとすれば、旅人としての寂しい気持ちは、夜の思いは特に強く、長江の波の中に住んでいるかのように思うことだろう。

曉日生遠岸,水芳綴孤舟。

やがて、暁の日差しが照らされて長江の遠い対岸から日が昇ってくる。岸の水辺に咲く水草の花は、孤舟に連なって風情を作っている。

村飲泊好木,野蔬拾新柔。

水辺の村で飲食をしようと舟を都合の良い木を選んで繋いで停泊した。そこでは新しい野菜を採って軟らかく煮こんでいる。

獨含悽悽別,中結鬱鬱愁。

ひとり、悽悽たる離別の愁いを含んでいて、心の中は鬱鬱とした愁いが鬱血してそれを絶えることができない。

人憶舊行樂,鳥吟新得儔【孟郊。】。

人として思うのは、悵然とした昔の行楽での思い出のことであるし、鳥は新たに友を得て、歓んで啼くことだろうと思うところで、旅の有様はおおよそこんなもんだろう。

楚客 江上に宿せば,夜魂 浪頭に棲む。

曉日 遠岸に生じ,水芳 孤舟を綴る。

村飲 好木に泊し,野蔬 新柔を拾う。

獨り悽悽の別を含んで,中に鬱鬱の愁を結ぶ。

人は舊行の樂を憶い,鳥は新たに得儔をたるを吟ず。 〔孟郊。〕

#3

靈瑟時窅窅,猿夜啾啾。

江南には、懐古の情を催す遺跡が数多くあるので、時には湘夫人の霊が弾ずる瑟琴の音色が微かに聞こえてきて、雲間の峡樹に棲んでいる猿はより悲しげに啼くという。

濤氣尚盛,恨竹淚空幽。

伍子胥の余憤は怒涛となって、その恨みの気風が今なお盛んであるというし、二妃嬪の恨みで染まった班竹には涙の痕が残っている。

長懷無已,多感良自尤。

これらの故事をつぎつぎに思い浮かべていれば、決してやむことなく続くのであるが、本来君は多感であるから、まことに、自分で自分を歎き傷つけてしまうだろう。

即路涉獻,歸期眇涼秋。

乃ち、それは、赴任する道中で、まず、新年に遭い、そして、帰る時期としては、清々しい秋であろうが、何年先かわからないのである。

兩歡日牢落,孤悲坐綢繆。 【韓愈。】

こうして二人が互いに会って歓激し合うことは、日に日に牢落として、その後寂しくなるのであり、一人悲しい心でいると日々そのことが付きまとってくることだろう。#4

觀怪忽蕩漾,叩奇獨冥搜。

海鯨吞明月,浪島沒大漚。

我有一寸鉤,欲釣千丈流。

良知忽然遠,壯志鬱無抽【孟郊。】。

#5

魍魅暫出沒,蛟螭互蟠蟉。

昌言拜舜禹,舉颿凌斗牛。

懷糈饋賢屈,乘桴追聖丘。

飄然天外步,豈肯區中囚【韓愈。】。

#6

楚些待誰弔,賈辭緘恨投。

翳明弗可曉,祕魂安所求。

氣毒放逐域,蓼雜芳菲疇。

當春忽淒涼,不枯亦颼

#7

貉謠眾猥款,巴語相咿

默誓去外俗,嘉願還中州。

江生行既樂,躬輦自相戮。

飲醇趣明代,味腥謝荒陬【孟郊。】。

#8

馳深鼓利楫,趨險驚蜚輶。

繫石沈靳尚,開弓射鴅吺

路暗執屏翳,波驚戮陽侯。

廣泛信縹緲,高行恣浮游。

#9

外患蕭蕭去,中悒稍稍瘳。

振衣造雲闕,跪坐陳清猷。

德風變讒巧,仁氣銷戈矛。

名聲照西海,淑問無時休。

歸哉孟夫子,歸去無夷猶【韓愈。】。

 

三峡 巫山十二峰001 

『遠遊聯句』 現代語訳と訳註解説

(本文)

#3 〔韓愈〕:

靈瑟時窅窅,猿夜啾啾。

濤氣尚盛,恨竹淚空幽。

長懷無已,多感良自尤。

即路涉獻,歸期眇涼秋。

兩歡日牢落,孤悲坐綢繆【韓愈。】。

 

(下し文) #3

靈瑟 時に窅窅たり,猿【いんえん】夜に啾啾たり。

濤  氣 尚お盛んに,恨竹 淚 空しく幽なり。

長懷 【はなは】だ已む無く,多感 良に自ら尤む。

路に即いて獻,歸期 涼秋に眇たり。

兩歡 日に牢落し,孤悲 坐に綢繆す。 【韓愈。】

 

(現代語訳)

江南には、懐古の情を催す遺跡が数多くあるので、時には湘夫人の霊が弾ずる瑟琴の音色が微かに聞こえてきて、雲間の峡樹に棲んでいる猿はより悲しげに啼くという。

伍子胥の余憤は怒涛となって、その恨みの気風が今なお盛んであるというし、二妃嬪の恨みで染まった班竹には涙の痕が残っている。

これらの故事をつぎつぎに思い浮かべていれば、決してやむことなく続くのであるが、本来君は多感であるから、まことに、自分で自分を歎き傷つけてしまうだろう。

乃ち、それは、赴任する道中で、まず、新年に遭い、そして、帰る時期としては、清々しい秋であろうが、何年先かわからないのである。

こうして二人が互いに会って歓激し合うことは、日に日に牢落として、その後寂しくなるのであり、一人悲しい心でいると日々そのことが付きまとってくることだろう。

 

韓愈の地図0055 

(訳注) #3

 (遠遊聯句)

(江南に赴任する孟郊と韓愈・李翺の送別の聯句。)

○遠遊 元和三年、孟郊が溧陽尉に任ぜられて、江南に赴任するということで、孟郊20韻を中心にして、韓愈19韻、李翺1韻を聯句とした。孟郊が遠方にしか赴任する所がなく、ふてくされているのを慰めるための聯句ということである。

 

#3 〔韓愈〕:

靈瑟時窅窅,猿夜啾啾。

江南には、懐古の情を催す遺跡が数多くあるので、時には湘夫人の霊が弾ずる瑟琴の音色が微かに聞こえてきて、雲間の峡樹に棲んでいる猿はより悲しげに啼くという。

靈瑟 楚辞・遠游「使湘靈鼓瑟兮」(湘靈をして瑟を鼓せしめ・・・」湘水の女神に瑟琴を弾かせて(禹の両妃娥皇と女英が九韶の曲をうたった)

猿 は雲が太陽を蔽うことをいう。猿が雲の間にいることをいう。それぐらい渓谷に響き渡ることをいう。楚辞・九辯「忠昭昭而願見兮,然曀而莫達。(忠 昭昭として見わるるを願えども,然く曀【いんえい】して達する莫し。)

 

濤氣尚盛,恨竹淚空幽。

伍子胥の余憤は怒涛となって、その恨みの気風が今なお盛んであるというし、二妃嬪の恨みで染まった班竹には涙の痕が残っている。

 伍子胥【ごししょ】(?~前485 中国,春秋時代の楚の人。名は員(うん)。父と兄が楚の平王に殺されたため呉に奔(はし)り,呉を助けて楚を破り,平王の墓をあばいてその屍(しかばね)に鞭(むち)打った。呉王夫差が越王勾践を会稽山に破ったとき,勾践を殺すよう勧めて退けられ,のち讒言(ざんげん)により自殺。

恨竹 斑湘江の川の神は「湘妃」「湘君」といい、娥皇と女英の二人の女神からなる。娥皇と女英は舜帝の妃であったが、舜が没すると悲しんで川に身を投じ、以後川の神となった。斑竹の表面にある斑紋は、娥皇と女英の涙が落ちた跡が残って斑になったという言い伝えがあり、湘江竹、湘竹、涙竹などの別名がある。

春秋時代から戦国時代にかけてこの地にあった楚の人々は、湘水神を崇めた。楚の人であった屈原にも『湘夫人』という漢詩がある。

楚の地に伝わる湘妃などの神話、桃源郷をはじめとする伝説、およびこの地を流浪した屈原の詩により、風光明媚な湘江流域は神話的想像力や詩的想像力をかきたてる土地とみなされるようになっていった。これを背景に、洞庭湖から湘江、瀟水にかけての地域には瀟湘八景という名所が設定され、中国をはじめ東アジアで書画の題材となってきた。

 

長懷無已,多感良自尤。

これらの故事をつぎつぎに思い浮かべていれば、決してやむことなく続くのであるが、本来君は多感であるから、まことに、自分で自分を歎き傷つけてしまうだろう。

 

即路涉獻,歸期眇涼秋。

乃ち、それは、赴任する道中で、まず、新年に遭い、そして、帰る時期としては、清々しい秋であろうが、何年先かわからないのである。

 

兩歡日牢落,孤悲坐綢繆【韓愈。】。

こうして二人が互いに会って歓激し合うことは、日に日に牢落として、その後寂しくなるのであり、一人悲しい心でいると日々そのことが付きまとってくることだろう。

牢落 おちぶれるさまをいうのだが、孟郊が落ちぶれているというのではない。唐の制度は地方官として良い官僚としての実績を重ねないと高官にはなれないということが前提にある。相手が昇っていくことを強調するための謙遜の語。

杜甫《送樊二十三侍禦赴漢中判官》「居人莽牢落,遊子封迢遞。」(居人 莽(もう)として 牢落たり、 遊子 方(まさ)に 迢遞(ちょうてい)たり。)

この居残る自分は茫漠としているけれど地方官を頑張れば中央政府で高官になれるよ。(私のように中央にいるだけでは出世はしないのだ。)旅人たる君はこの上り坂のように役人としての坂を上っていくのだ。

綢繆 1 まつわりつくこと。また、糸などをからめて結ぶこと。「未だ陰雨せざるに牖戸を―せしめよと」〈東海散士・佳人之奇遇〉2 むつみあうこと。なれしたしむこと。

24-2 《遠遊聯句〔韓愈、李翱、孟郊〕》韓愈(韓退之)ID 798年貞元14年 31歳<1216> Ⅱ韓昌黎集 巻五 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5064韓愈詩-24-2

《遠遊聯句》〔孟郊の句〕:自分は楚地の客として長江のほとりに宿をとったとすれば、旅人としての寂しい気持ちは、夜の思いは特に強く、長江の波の中に住んでいるかのように思うことだろう。

 
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24-2 《遠遊聯句〔韓愈、李、孟郊〕》韓愈(韓退之)ID  798年貞元14年 31歳<1216 Ⅱ韓昌黎集 巻五 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5064韓愈詩-24-2

 

 

遠遊聯句 #1

(江南に赴任する孟郊と韓愈・李翺の送別の聯句。)

別腸車輪轉,一日一萬周。 〔孟郊。〕

別離に際して、我がはらわたは心と体も離れ車輪のように回転し、それも一日で、一万回転もするほどである。

離思春冰泮,瀾漫不可收。 〔韓愈。〕

離愁は、春冰が溶けだして、春水があふれることの様に瀾漫として収拾がつかないほどである。

馳光忽以迫,飛轡誰能留。 〔孟郊。〕

日陰は、頻りに馳せていて、暫くすると日はくれてきて、馬を乗り出しても誰も止めることができない。

取之詎灼灼,此去信悠悠。 〔李。〕

ここに、別離を為すことは灼灼として明白であり、ここを去れば、万里の先、悠悠として尽きることが無い。(遠遊聯句)#1

別腸 車輪轉じ,一日 一萬周。 〔孟郊。〕

離思 春冰泮け,瀾漫 收む可からず。〔韓愈。〕

馳光 忽ち以て迫る,飛轡 誰か能く留めん。〔孟郊。〕

之を取ること詎ぞ灼灼たる,此を去って 信に悠悠たり〔李。〕

 

#2

楚客宿江上,夜魂棲浪頭。

自分は楚地の客として長江のほとりに宿をとったとすれば、旅人としての寂しい気持ちは、夜の思いは特に強く、長江の波の中に住んでいるかのように思うことだろう。

曉日生遠岸,水芳綴孤舟。

やがて、暁の日差しが照らされて長江の遠い対岸から日が昇ってくる。岸の水辺に咲く水草の花は、孤舟に連なって風情を作っている。

村飲泊好木,野蔬拾新柔。

水辺の村で飲食をしようと舟を都合の良い木を選んで繋いで停泊した。そこでは新しい野菜を採って軟らかく煮こんでいる。

獨含悽悽別,中結鬱鬱愁。

ひとり、悽悽たる離別の愁いを含んでいて、心の中は鬱鬱とした愁いが鬱血してそれを絶えることができない。

人憶舊行樂,鳥吟新得儔【孟郊。】。

人として思うのは、悵然とした昔の行楽での思い出のことであるし、鳥は新たに友を得て、歓んで啼くことだろうと思うところで、旅の有様はおおよそこんなもんだろう。

楚客 江上に宿せば,夜魂 浪頭に棲む。

曉日 遠岸に生じ,水芳 孤舟を綴る。

村飲 好木に泊し,野蔬 新柔を拾う。

獨り悽悽の別を含んで,中に鬱鬱の愁を結ぶ。

人は舊行の樂を憶い,鳥は新たに得儔をたるを吟ず。 〔孟郊。〕

 

#3

靈瑟時窅窅,猿夜啾啾。

濤氣尚盛,恨竹淚空幽。

長懷無已,多感良自尤。

即路涉獻,歸期眇涼秋。

兩歡日牢落,孤悲坐綢繆【韓愈。】。

#4

觀怪忽蕩漾,叩奇獨冥搜。

海鯨吞明月,浪島沒大漚。

我有一寸鉤,欲釣千丈流。

良知忽然遠,壯志鬱無抽【孟郊。】。

#5

魍魅暫出沒,蛟螭互蟠蟉。

昌言拜舜禹,舉颿凌斗牛。

懷糈饋賢屈,乘桴追聖丘。

飄然天外步,豈肯區中囚【韓愈。】。

#6

楚些待誰弔,賈辭緘恨投。

翳明弗可曉,祕魂安所求。

氣毒放逐域,蓼雜芳菲疇。

當春忽淒涼,不枯亦颼

#7

貉謠眾猥款,巴語相咿

默誓去外俗,嘉願還中州。

江生行既樂,躬輦自相戮。

飲醇趣明代,味腥謝荒陬【孟郊。】。

#8

馳深鼓利楫,趨險驚蜚輶。

繫石沈靳尚,開弓射鴅吺

路暗執屏翳,波驚戮陽侯。

廣泛信縹緲,高行恣浮游。

#9

外患蕭蕭去,中悒稍稍瘳。

振衣造雲闕,跪坐陳清猷。

德風變讒巧,仁氣銷戈矛。

名聲照西海,淑問無時休。

歸哉孟夫子,歸去無夷猶【韓愈。】。

韓愈の地図0055 

『遠遊聯句』 現代語訳と訳註解説

(本文) #2

〔孟郊〕:

楚客宿江上,夜魂棲浪頭。

曉日生遠岸,水芳綴孤舟。

村飲泊好木,野蔬拾新柔。

獨含悽悽別,中結鬱鬱愁。

人憶舊行樂,鳥吟新得儔。 〔孟郊。〕

 

 (下し文) #2

〔孟郊〕:

楚客 江上に宿せば,夜魂 浪頭に棲む。

曉日 遠岸に生じ,水芳 孤舟を綴る。

村飲 好木に泊し,野蔬 新柔を拾う。

獨り悽悽の別を含んで,中に鬱鬱の愁を結ぶ。

人は舊行の樂を憶い,鳥は新たに得儔をたるを吟ず。 〔孟郊。〕

 

(現代語訳)

〔孟郊の句〕:

自分は楚地の客として長江のほとりに宿をとったとすれば、旅人としての寂しい気持ちは、夜の思いは特に強く、長江の波の中に住んでいるかのように思うことだろう。

やがて、暁の日差しが照らされて長江の遠い対岸から日が昇ってくる。岸の水辺に咲く水草の花は、孤舟に連なって風情を作っている。

水辺の村で飲食をしようと舟を都合の良い木を選んで繋いで停泊した。そこでは新しい野菜を採って軟らかく煮こんでいる。

ひとり、悽悽たる離別の愁いを含んでいて、心の中は鬱鬱とした愁いが鬱血してそれを絶えることができない。

人として思うのは、悵然とした昔の行楽での思い出のことであるし、鳥は新たに友を得て、歓んで啼くことだろうと思うところで、旅の有様はおおよそこんなもんだろう。

云亭 

(訳注)

(遠遊聯句)2

(江南に赴任する孟郊と韓愈・李翺の送別の聯句。)

○遠遊 元和三年、孟郊が溧陽尉に任ぜられて、江南に赴任するということで、孟郊20韻を中心にして、韓愈19韻、李翺1韻を聯句とした。孟郊が遠方にしか赴任する所がなく、ふてくされているのを慰めるための聯句ということである。

 

〔孟郊〕:

楚客宿江上,夜魂棲浪頭。

自分は楚地の客として長江のほとりに宿をとったとすれば、旅人としての寂しい気持ちは、夜の思いは特に強く、長江の波の中に住んでいるかのように思うことだろう。

 

曉日生遠岸,水芳綴孤舟。

やがて、暁の日差しが照らされて長江の遠い対岸から日が昇ってくる。岸の水辺に咲く水草の花は、孤舟に連なって風情を作っている。

水芳 岸の水辺に咲く水草の花。

綴 連なって風情を作っている。

 

村飲泊好木,野蔬拾新柔。

水辺の村で飲食をしようと舟を都合の良い木を選んで繋いで停泊した。そこでは新しい野菜を採って軟らかく煮こんでいる。

村飲 水辺の村で飲食をする。

 

獨含悽悽別,中結鬱鬱愁。

ひとり、悽悽たる離別の愁いを含んでいて、心の中は鬱鬱とした愁いが鬱血してそれを絶えることができない。

 

人憶舊行樂,鳥吟新得儔。 

人として思うのは、悵然とした昔の行楽での思い出のことであるし、鳥は新たに友を得て、歓んで啼くことだろうと思うところで、旅の有様はおおよそこんなもんだろう。

舊行樂 昔の行楽での思い出のこと。

416-#4 《示爽》韓愈(韓退之)ID Index-12-504 Ⅱ韓昌黎集823年長慶三年<1110>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4534韓愈詩-416-#4

私は年をとって世の中のことには関心が薄くなり、以前からの型どおりにつとめて、居すわりを続けている。朝廷の百官のなかに厚かましくも加わっているしまつで、それ自体が疑いもなく罪なのだ。

 
 2014年7月21日の紀頌之5つのブログ 
 ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場 
 Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
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36 《古風五十九首之三十六》Index-32Ⅳ-7 753年天寶十二年53歳583古風,五十九首之二十五世道日交喪, <36> Ⅰ李白詩1194 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4518 
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416-#4 《示爽》韓愈(韓退之)ID Index-12-504 Ⅱ韓昌黎集823年長慶三年<1110>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4534韓愈詩-416-#4 
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 index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首index-13 821年~822年 55歳 22首index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首韓愈 哲学・儒学「五原」賦・散文・上奏文・碑文など 
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 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
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416-#4 《示爽》韓愈(韓退之)ID Index-12-504 Ⅱ韓昌黎集823年長慶三年<1110  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4534韓愈詩-416-#4

 

 

製作年:823年 長慶三年56

卷別:, 卷三四一, 文體:, 五言古詩.

詩題: 示爽. 詩序:.

及地點:宣城(江南西道宣州宣城) 別名:宛陵.

 

 

示爽  #1

宣城去京國,裏數逾三千。

念汝欲別我,解裝具盤筵。

日昏不能散,起坐相引牽。

冬夜豈不長,達旦燈燭然。

(爽に示す)

宣城(安徽省)は都から、里数にして三千を超えている。

おまえが私と別れその遠い道を旅しようとしているのを思い、しばらく旅装を解かせて酒肴をととのえた。

日が暮れても散会とすることができず、立ち上がるのも座るのも、たがいに牽制しあっている。

冬の夜は長くないわけはないのだが、朝まで灯を燃やし続けた。

#2

座中悉親故,誰肯舍汝眠。

念汝將一身,西來曾幾年。

名科掩眾俊,州考居吏前。

今從府公召,府公又時賢。

この宴席の一座にある人々はすべて親戚故旧のものなのだから、おまえの遠行をおくるのであるから、おまえを置いて眠ろうなどとする人があるものか。

思えは、おまえが身ひとつで、西の方のこの長安の都へ来てから何年がたっただろうか。

科挙、進士試験ではおまえの名前が名だたる受験者たちをおさえ、州庁の勤務評定ではいつも役人たちの先頭に立っていた。

そのおまえが今度は府公の招きに応ずることとなったが、その府公は時の賢者であられる。

#3

時輩千百人,孰不謂汝妍。

汝來江南近,裏閭故依然。

昔日同戲兒,看汝立路邊。

人生但如此,其實亦可憐。

宣州の刺史から招かれて遠くその地に赴くとのことであるが、刺史たるものも、一時の名賢であって、その眷顧をうけたのは、もとより、めいよといわねばならず、同輩たち何千何百人よりあつまったところで、おまえの才能を立派だといわぬ者はないのである。

おまえが江南の宣州付近に来たとき、そこには我が韓家の別業がなお存在し、村里のたたずまいがもとのままなのを見るであろう。

そして、むかしいっしょに遊んだ子供たちがおまえを見てうやうやしく道はたに立ってお前を迎えてくれるだろう。

人生というものはこのようなものであり、立身出世は、なかなか容易なことではなく、おまえはまずよいほうであるとして、愛すべきものではないだろうか。

#4

吾老世味薄,因循致留連。

私は年をとって世の中のことには関心が薄くなり、以前からの型どおりにつとめて、居すわりを続けている。


顏班行,何實非罪愆。

朝廷の百官のなかに厚かましくも加わっているしまつで、それ自体が疑いもなく罪なのだ。

才短難自力,懼終莫洗湔。

才能には乏しいので努力してみてもむずかしい。ついにはぬぐいきれぬ汚点を残すのではないかと気がかりだ。

臨分不汝誑,有路即歸田。

別れに臨んでおまえに嘘はつくまい。即座に官職を辞して田園に帰る道が開けているのだ。

 

(爽に示す) #1

宣城は京国を去ること、里数 三千を逾えたり。

汝の我に別れんと欲するを念い、装を解きて盤筵を具う。

日昏くして散ずること能わず、起坐して相引牽す。

冬夜 豈に長からざらんや、旦に達するまで 灯燭然ゆ。

#2

座中は悉く親故、誰か肯て汝を捨てて眠らん。

念えは 汝は一身を将て、西来曾て幾年ぞ。

名科 衆俊を掩い、州考 吏の前に居る。

今 府公の召に従う、府公は 又 時の賢なり。

#3

時輩 千百人、敦か 汝を妍と謂わざらん。

汝 江南の近くに来たらば、裏閭 故より依然たらん。

昔日 同戯の児、汝を看て路辺に立たん。

人生 但だ此くの如し、其れ 実に亦た憐れむ可し。

#4

吾老いて世味薄し、因循として留連するを致す。

強顔なり 班行の内、何ぞ実に罪愆に非ざらん。

才短くして自ら力むること難し、終に洗湔する莫きを懼る。

分れに臨んで汝を誑【あざむ】かず、路有らば 即ち田に帰らん。

 

 DCF00212

『示爽』 現代語訳と訳註

(本文) #4

吾老世味薄,因循致留連。強顏班行,何實非罪愆。

才短難自力,懼終莫洗湔。臨分不汝誑,有路即歸田。

 

(下し文)

吾老いて世味薄し、因循として留連するを致す。

強顔なり 班行の内、何ぞ実に罪愆に非ざらん。

才短くして自ら力むること難し、終に洗湔する莫きを懼る。

分れに臨んで汝を誑【あざむ】かず、路有らば 即ち田に帰らん。

 

(現代語訳)

私は年をとって世の中のことには関心が薄くなり、以前からの型どおりにつとめて、居すわりを続けている。

朝廷の百官のなかに厚かましくも加わっているしまつで、それ自体が疑いもなく罪なのだ。

才能には乏しいので努力してみてもむずかしい。ついにはぬぐいきれぬ汚点を残すのではないかと気がかりだ。

別れに臨んでおまえに嘘はつくまい。即座に官職を辞して田園に帰る道が開けているのだ。

01 朝賀の服装 

(訳注) #4

示爽  

「爽」という人物はこの詩から見ると韓愈の一族のようだが、詳しいことはわからない。愈の息子あるいは甥に、爽という名の人は見あたらないからである。もっとも、韓愈の甥のすべての名が残っているわけではないし、大家族のもとでは従兄弟の息子も甥としてあっかわれることがあるので、その一人だったのかもしれない。そこでこの爽とは前に出た韓湘のことだとか、湘の子だとかいう説がある。韓愈の作った墓誌に年十九で死んだとし、何処にも仕えたことはなかったとしている。それぞれに根拠は示されているのだが、「爽」という名前は、この詩以外には出てこないのは若くして死んだからであろう。

いずれにしても、爽は宜城から長安へ出て来て科挙を受け(これが韓氏の別業が宣城にあることの証拠となっている)、めでたく合格した。そしてどこか地方官庁の役人をつとめていたらしいが、江南をおさめる高官(「府公」である。観察使などの地位にある人かと思われる)の招碑を受けて、行くこととなった。その旅立ちに際して作ったのが、この詩である。詩の最後にもう隠退したいようなことを言うのは、いつもの愈の口癖であるが、今度は老年が近づいているので、多少とも実感をもって読み取ることが可能であろう。事実、韓愈が官界の表面から姿を消す日は、間近に迫っていた。

 

吾老世味薄,因循致留連。

私は年をとって世の中のことには関心が薄くなり、以前からの型どおりにつとめて、居すわりを続けている。

世味薄 世の中のことには関心が薄くなってきた。

因循 ぐずぐずすること。

致留連 そのまま居座る。

 

強顏班行,何實非罪愆。

朝廷の百官のなかに厚かましくも加わっているしまつで、それ自体が疑いもなく罪なのだ。

強顏 厚顔。あつかましい。

 

才短難自力,懼終莫洗湔。

才能には乏しいので努力してみてもむずかしい。ついにはぬぐいきれぬ汚点を残すのではないかと気がかりだ。

洗湔 昔の過去を洗い雪ぐ。

 

臨分不汝誑,有路即歸田。

別れに臨んでおまえに嘘はつくまい。即座に官職を辞して田園に帰る道が開けているのだ。
韓愈の地図0055 

416-#3 《示爽》韓愈(韓退之)ID Index-12-504 Ⅱ韓昌黎集823年長慶三年<1109>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4529韓愈詩-416-#3

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 ・李商隠詩 (1) 136首の75首・李商隠詩 (2) 135首の61首●韓愈index-1 ・孟郊、張籍と交遊・汴州乱41首●韓愈詩index-2[800年 33歳~804年 37歳]27首●韓愈詩index-3 805年 38歳・]陽山から江陵府 36首●韓愈詩index-4 806年 39歳 江陵府・権知国子博士 51首(1)25首 
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 杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩) 杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首 
 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
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 魚玄機全詩●花間集(6)●花間集(7)●花間集(8)●花間集(9)●花間集(10) 
 温庭筠66首 花間集1・2巻皇甫松11首 花間集二巻韋莊47首 花間集二巻薛昭蘊19首 花間集三巻牛嶠31首 花間集三・四巻張泌27首 花間集四巻 
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製作年:823年 長慶三年56

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詩題: 示爽. 詩序:.

及地點:宣城(江南西道宣州宣城) 別名:宛陵.

 

 

示爽  #1

宣城去京國,裏數逾三千。

念汝欲別我,解裝具盤筵。

日昏不能散,起坐相引牽。

冬夜豈不長,達旦燈燭然。

(爽に示す)

宣城(安徽省)は都から、里数にして三千を超えている。

おまえが私と別れその遠い道を旅しようとしているのを思い、しばらく旅装を解かせて酒肴をととのえた。

日が暮れても散会とすることができず、立ち上がるのも座るのも、たがいに牽制しあっている。

冬の夜は長くないわけはないのだが、朝まで灯を燃やし続けた。

#2

座中悉親故,誰肯舍汝眠。

念汝將一身,西來曾幾年。

名科掩眾俊,州考居吏前。

今從府公召,府公又時賢。

この宴席の一座にある人々はすべて親戚故旧のものなのだから、おまえの遠行をおくるのであるから、おまえを置いて眠ろうなどとする人があるものか。

思えは、おまえが身ひとつで、西の方のこの長安の都へ来てから何年がたっただろうか。

科挙、進士試験ではおまえの名前が名だたる受験者たちをおさえ、州庁の勤務評定ではいつも役人たちの先頭に立っていた。

そのおまえが今度は府公の招きに応ずることとなったが、その府公は時の賢者であられる。

#3

時輩千百人,孰不謂汝妍。

汝來江南近,裏閭故依然。

昔日同戲兒,看汝立路邊。

人生但如此,其實亦可憐。

宣州の刺史から招かれて遠くその地に赴くとのことであるが、刺史たるものも、一時の名賢であって、その眷顧をうけたのは、もとより、めいよといわねばならず、同輩たち何千何百人よりあつまったところで、おまえの才能を立派だといわぬ者はないのである。

おまえが江南の宣州付近に来たとき、そこには我が韓家の別業がなお存在し、村里のたたずまいがもとのままなのを見るであろう。

そして、むかしいっしょに遊んだ子供たちがおまえを見てうやうやしく道はたに立ってお前を迎えてくれるだろう。

人生というものはこのようなものであり、立身出世は、なかなか容易なことではなく、おまえはまずよいほうであるとして、愛すべきものではないだろうか。

#4

吾老世味薄,因循致留連。強顏班行,何實非罪愆。

才短難自力,懼終莫洗湔。臨分不汝誑,有路即歸田。

 

(爽に示す) #1

宣城は京国を去ること、里数 三千を逾えたり。

汝の我に別れんと欲するを念い、装を解きて盤筵を具う。

日昏くして散ずること能わず、起坐して相引牽す。

冬夜 豈に長からざらんや、旦に達するまで 灯燭然ゆ。

#2

座中は悉く親故、誰か肯て汝を捨てて眠らん。

念えは 汝は一身を将て、西来曾て幾年ぞ。

名科 衆俊を掩い、州考 吏の前に居る。

今 府公の召に従う、府公は 又 時の賢なり。

#3

時輩 千百人、敦か 汝を妍と謂わざらん。

汝 江南の近くに来たらば、裏閭 故より依然たらん。

昔日 同戯の児、汝を看て路辺に立たん。

人生 但だ此くの如し、其れ 実に亦た憐れむ可し。

#4

吾老いて世味薄し、因循として留連するを致す。

強顔なり 班行の内、何ぞ実に罪愆に非ざらん。

才短くして自ら力むること難し、終に洗湔する莫きを懼る。

分れに臨んで汝を誑【あざむ】かず、路有らば 即ち田に帰らん。

韓愈の地図0055 

『示爽』 現代語訳と訳註

(本文)  #3

時輩千百人,孰不謂汝妍。

汝來江南近,裏閭故依然。

昔日同戲兒,看汝立路邊。

人生但如此,其實亦可憐。

 

(下し文)

 

 

(現代語訳)

宣州の刺史から招かれて遠くその地に赴くとのことであるが、刺史たるものも、一時の名賢であって、その眷顧をうけたのは、もとより、めいよといわねばならず、同輩たち何千何百人よりあつまったところで、おまえの才能を立派だといわぬ者はないのである。

おまえが江南の宣州付近に来たとき、そこには我が韓家の別業がなお存在し、村里のたたずまいがもとのままなのを見るであろう。

そして、むかしいっしょに遊んだ子供たちがおまえを見てうやうやしく道はたに立ってお前を迎えてくれるだろう。

人生というものはこのようなものであり、立身出世は、なかなか容易なことではなく、おまえはまずよいほうであるとして、愛すべきものではないだろうか。

 

(訳注) #3

示爽  

「爽」という人物はこの詩から見ると韓愈の一族のようだが、詳しいことはわからない。愈の息子あるいは甥に、爽という名の人は見あたらないからである。もっとも、韓愈の甥のすべての名が残っているわけではないし、大家族のもとでは従兄弟の息子も甥としてあっかわれることがあるので、その一人だったのかもしれない。そこでこの爽とは前に出た韓湘のことだとか、湘の子だとかいう説がある。韓愈の作った墓誌に年十九で死んだとし、何処にも仕えたことはなかったとしている。それぞれに根拠は示されているのだが、「爽」という名前は、この詩以外には出てこないのは若くして死んだからであろう。

いずれにしても、爽は宜城から長安へ出て来て科挙を受け(これが韓氏の別業が宣城にあることの証拠となっている)、めでたく合格した。そしてどこか地方官庁の役人をつとめていたらしいが、江南をおさめる高官(「府公」である。観察使などの地位にある人かと思われる)の招碑を受けて、行くこととなった。その旅立ちに際して作ったのが、この詩である。詩の最後にもう隠退したいようなことを言うのは、いつもの愈の口癖であるが、今度は老年が近づいているので、多少とも実感をもって読み取ることが可能であろう。事実、韓愈が官界の表面から姿を消す日は、間近に迫っていた。

 

時輩千百人,孰不謂汝妍。

宣州の刺史から招かれて遠くその地に赴くとのことであるが、刺史たるものも、一時の名賢であって、その眷顧をうけたのは、もとより、めいよといわねばならず、同輩たち何千何百人よりあつまったところで、おまえの才能を立派だといわぬ者はないのである。

 

汝來江南近,裏閭故依然。

おまえが江南の宣州付近に来たとき、そこには我が韓家の別業がなお存在し、村里のたたずまいがもとのままなのを見るであろう。

裏閭故依然 宣城は長江下流域、江南にあって、韓愈の別業があった。

 

昔日同戲兒,看汝立路邊。

そして、むかしいっしょに遊んだ子供たちがおまえを見てうやうやしく道はたに立ってお前を迎えてくれるだろう。

 

人生但如此,其實亦可憐。

人生というものはこのようなものであり、立身出世は、なかなか容易なことではなく、おまえはまずよいほうであるとして、愛すべきものではないだろうか。
Ta唐 長安近郊圖  新02 

416-#2 《示爽》韓愈(韓退之)ID Index-12-504 Ⅱ韓昌黎集823年長慶三年<1108>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4524韓愈詩-416-#2

韓愈《示爽》-#2科挙、進士試験ではおまえの名前が名だたる受験者たちをおさえ、州庁の勤務評定ではいつも役人たちの先頭に立っていた。そのおまえが今度は府公の招きに応ずることとなったが、その府公は時の賢者であられる。

 
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 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
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416-#2 《示爽》韓愈(韓退之)ID Index-12-504 Ⅱ韓昌黎集823年長慶三年<1108  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4524韓愈詩-416-#2

 

 

製作年:823年 長慶三年56

卷別:, 卷三四一, 文體:, 五言古詩.

詩題: 示爽. 詩序:.

及地點:宣城(江南西道宣州宣城) 別名:宛陵.

 

 

示爽  #1

(爽に示す)

宣城去京國,裏數逾三千。

宣城(安徽省)は都から、里数にして三千を超えている。

念汝欲別我,解裝具盤筵。

おまえが私と別れその遠い道を旅しようとしているのを思い、しばらく旅装を解かせて酒肴をととのえた。

日昏不能散,起坐相引牽。

日が暮れても散会とすることができず、立ち上がるのも座るのも、たがいに牽制しあっている。

冬夜豈不長,達旦燈燭然

冬の夜は長くないわけはないのだが、朝まで灯を燃やし続けた。

#2

座中悉親故,誰肯舍汝眠。

この宴席の一座にある人々はすべて親戚故旧のものなのだから、おまえの遠行をおくるのであるから、おまえを置いて眠ろうなどとする人があるものか。

念汝將一身,西來曾幾年。

思えは、おまえが身ひとつで、西の方のこの長安の都へ来てから何年がたっただろうか。

名科掩眾俊,州考居吏前。

科挙、進士試験ではおまえの名前が名だたる受験者たちをおさえ、州庁の勤務評定ではいつも役人たちの先頭に立っていた。

今從府公召,府公又時賢。

そのおまえが今度は府公の招きに応ずることとなったが、その府公は時の賢者であられる。

#3

時輩千百人,孰不謂汝妍。汝來江南近,裏閭故依然。

昔日同戲兒,看汝立路邊。人生但如此,其實亦可憐。

#4

吾老世味薄,因循致留連。強顏班行,何實非罪愆。

才短難自力,懼終莫洗湔。臨分不汝誑,有路即歸田。

 

(爽に示す) #1

宣城は京国を去ること、里数 三千を逾えたり。

汝の我に別れんと欲するを念い、装を解きて盤筵を具う。

日昏くして散ずること能わず、起坐して相引牽す。

冬夜 豈に長からざらんや、旦に達するまで 灯燭然ゆ。

#2

座中は悉く親故、誰か肯て汝を捨てて眠らん。

念えは 汝は一身を将て、西来曾て幾年ぞ。

名科 衆俊を掩い、州考 吏の前に居る。

今 府公の召に従う、府公は 又 時の賢なり。

#3

時輩 千百人、敦か 汝を妍と謂わざらん。

汝 江南の近くに来たらば、裏閭 故より依然たらん。

昔日 同戯の児、汝を看て路辺に立たん。

人生 但だ此くの如し、其れ 実に亦た憐れむ可し。

#4

吾老いて世味薄し、因循として留連するを致す。

強顔なり 班行の内、何ぞ実に罪愆に非ざらん。

才短くして自ら力むること難し、終に洗湔する莫きを懼る。

分れに臨んで汝を誑【あざむ】かず、路有らば 即ち田に帰らん。

韓愈の地図0055 

『示爽』 現代語訳と訳註

(本文) #2

座中悉親故,誰肯舍汝眠。

念汝將一身,西來曾幾年。

名科掩眾俊,州考居吏前。

今從府公召,府公又時賢。

 

 

(下し文) #2

座中は悉く親故、誰か肯て汝を捨てて眠らん。

念えは 汝は一身を将て、西来曾て幾年ぞ。

名科 衆俊を掩い、州考 吏の前に居る。

今 府公の召に従う、府公は 又 時の賢なり。

 

(現代語訳)

この宴席の一座にある人々はすべて親戚故旧のものなのだから、おまえの遠行をおくるのであるから、おまえを置いて眠ろうなどとする人があるものか。

思えは、おまえが身ひとつで、西の方のこの長安の都へ来てから何年がたっただろうか。

科挙、進士試験ではおまえの名前が名だたる受験者たちをおさえ、州庁の勤務評定ではいつも役人たちの先頭に立っていた。

そのおまえが今度は府公の招きに応ずることとなったが、その府公は時の賢者であられる。

 

 (訳注) #2

示爽  

「爽」という人物はこの詩から見ると韓愈の一族のようだが、詳しいことはわからない。愈の息子あるいは甥に、爽という名の人は見あたらないからである。もっとも、韓愈の甥のすべての名が残っているわけではないし、大家族のもとでは従兄弟の息子も甥としてあっかわれることがあるので、その一人だったのかもしれない。そこでこの爽とは前に出た韓湘のことだとか、湘の子だとかいう説がある。韓愈の作った墓誌に年十九で死んだとし、何処にも仕えたことはなかったとしている。それぞれに根拠は示されているのだが、「爽」という名前は、この詩以外には出てこないのは若くして死んだからであろう。

いずれにしても、爽は宜城から長安へ出て来て科挙を受け(これが韓氏の別業が宣城にあることの証拠となっている)、めでたく合格した。そしてどこか地方官庁の役人をつとめていたらしいが、江南をおさめる高官(「府公」である。観察使などの地位にある人かと思われる)の招碑を受けて、行くこととなった。その旅立ちに際して作ったのが、この詩である。詩の最後にもう隠退したいようなことを言うのは、いつもの愈の口癖であるが、今度は老年が近づいているので、多少とも実感をもって読み取ることが可能であろう。事実、韓愈が官界の表面から姿を消す日は、間近に迫っていた。

 

座中悉親故,誰肯舍汝眠。

この宴席の一座にある人々はすべて親戚故旧のものなのだから、おまえの遠行をおくるのであるから、おまえを置いて眠ろうなどとする人があるものか。

 

念汝將一身,西來曾幾年。

思えは、おまえが身ひとつで、西の方のこの長安の都へ来てから何年がたっただろうか。

西來 西京、長安にくること。

 

名科掩眾俊,州考居吏前。

科挙、進士試験ではおまえの名前が名だたる受験者たちをおさえ、州庁の勤務評定ではいつも役人たちの先頭に立っていた。

名科 科挙、進士試験のこと。

州考 州庁の勤務評定。あるいは、郷貢進士の試験の評定。

 

今從府公召,府公又時賢。

そのおまえが今度は府公の招きに応ずることとなったが、その府公は時の賢者であられる。

府公 刺史をさす。

時賢 一代の名賢。
Ta唐 長安近郊圖  新02 

416-#1 《示爽》韓愈(韓退之)ID Index-12-504 Ⅱ韓昌黎集823年長慶三年<1107>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4519韓愈詩-416-#1

韓愈《示爽》(爽に示す)宣城(安徽省)は都から、里数にして三千を超えている。おまえが私と別れその遠い道を旅しようとしているのを思い、しばらく旅装を解かせて酒肴をととのえた。

 
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 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
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 魚玄機全詩●花間集(6)●花間集(7)●花間集(8)●花間集(9)●花間集(10) 
 温庭筠66首 花間集1・2巻皇甫松11首 花間集二巻韋莊47首 花間集二巻薛昭蘊19首 花間集三巻牛嶠31首 花間集三・四巻張泌27首 花間集四巻 
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示爽  #1

(爽に示す)

宣城去京國,裏數逾三千。

宣城(安徽省)は都から、里数にして三千を超えている。

念汝欲別我,解裝具盤筵。

おまえが私と別れその遠い道を旅しようとしているのを思い、しばらく旅装を解かせて酒肴をととのえた。

日昏不能散,起坐相引牽。

日が暮れても散会とすることができず、立ち上がるのも座るのも、たがいに牽制しあっている。

冬夜豈不長,達旦燈燭然。

冬の夜は長くないわけはないのだが、朝まで灯を燃やし続けた。

#2

座中悉親故,誰肯舍汝眠。念汝將一身,西來曾幾年。

名科掩眾俊,州考居吏前。今從府公召,府公又時賢。

#3

時輩千百人,孰不謂汝妍。汝來江南近,裏閭故依然。

昔日同戲兒,看汝立路邊。人生但如此,其實亦可憐。

#4

吾老世味薄,因循致留連。強顏班行,何實非罪愆。

才短難自力,懼終莫洗湔。臨分不汝誑,有路即歸田。

 

(爽に示す) #1

宣城は京国を去ること、里数 三千を逾えたり。

汝の我に別れんと欲するを念い、装を解きて盤筵を具う。

日昏くして散ずること能わず、起坐して相引牽す。

冬夜 豈に長からざらんや、旦に達するまで 灯燭然ゆ。

#2

座中は悉く親故、誰か肯て汝を捨てて眠らん。

念えは 汝は一身を将て、西来曾て幾年ぞ。

名科 衆俊を掩い、州考 吏の前に居る。

今 府公の召に従う、府公は 又 時の賢なり。

#3

時輩 千百人、敦か 汝を妍と謂わざらん。

汝 江南の近くに来たらば、裏閭 故より依然たらん。

昔日 同戯の児、汝を看て路辺に立たん。

人生 但だ此くの如し、其れ 実に亦た憐れむ可し。

#4

吾老いて世味薄し、因循として留連するを致す。

強顔なり 班行の内、何ぞ実に罪愆に非ざらん。

才短くして自ら力むること難し、終に洗湔する莫きを懼る。

分れに臨んで汝を誑【あざむ】かず、路有らば 即ち田に帰らん。

 

『示爽』 現代語訳と訳註

(本文)

示爽  #1

宣城去京國,裏數逾三千。

念汝欲別我,解裝具盤筵。

日昏不能散,起坐相引牽。

冬夜豈不長,達旦燈燭然。

 

(下し文)

(爽に示す) #1

宣城は京国を去ること、里数 三千を逾えたり。

汝の我に別れんと欲するを念い、装を解きて盤筵を具う。

日昏くして散ずること能わず、起坐して相引牽す。

冬夜 豈に長からざらんや、旦に達するまで 灯燭然ゆ。

 

(現代語訳)

(爽に示す)

宣城(安徽省)は都から、里数にして三千を超えている。

おまえが私と別れその遠い道を旅しようとしているのを思い、しばらく旅装を解かせて酒肴をととのえた。

日が暮れても散会とすることができず、立ち上がるのも座るのも、たがいに牽制しあっている。

冬の夜は長くないわけはないのだが、朝まで灯を燃やし続けた。

 douteikoshoko297

(訳注)

示爽  #1

「爽」という人物はこの詩から見ると韓愈の一族のようだが、詳しいことはわからない。愈の息子あるいは甥に、爽という名の人は見あたらないからである。もっとも、韓愈の甥のすべての名が残っているわけではないし、大家族のもとでは従兄弟の息子も甥としてあっかわれることがあるので、その一人だったのかもしれない。そこでこの爽とは前に出た韓湘のことだとか、湘の子だとかいう説がある。韓愈の作った墓誌に年十九で死んだとし、何処にも仕えたことはなかったとしている。それぞれに根拠は示されているのだが、「爽」という名前は、この詩以外には出てこないのは若くして死んだからであろう。

いずれにしても、爽は宜城から長安へ出て来て科挙を受け(これが韓氏の別業が宣城にあることの証拠となっている)、めでたく合格した。そしてどこか地方官庁の役人をつとめていたらしいが、江南をおさめる高官(「府公」である。観察使などの地位にある人かと思われる)の招碑を受けて、行くこととなった。その旅立ちに際して作ったのが、この詩である。詩の最後にもう隠退したいようなことを言うのは、いつもの愈の口癖であるが、今度は老年が近づいているので、多少とも実感をもって読み取ることが可能であろう。事実、韓愈が官界の表面から姿を消す日は、間近に迫っていた。

 

宣城去京國,裏數逾三千。

宣城(安徽省)は都から、里数にして三千を超えている。

宣城 長江デルタ地域に位置し、江蘇省・浙江省と隣接する宣城は、文房四宝(筆・墨・紙・硯)の故郷であり、山水と樹木の豊かな都市であり、優れた自然環境と悠久の文化・歴史を誇っている。

 

念汝欲別我,解裝具盤筵。

おまえが私と別れその遠い道を旅しようとしているのを思い、しばらく旅装を解かせて酒肴をととのえた。

解裝 しばらく旅装をとく。

具盤筵 楽しい宴席を共にする。

 

日昏不能散,起坐相引牽。

日が暮れても散会とすることができず、立ち上がるのも座るのも、たがいに牽制しあっている。

 

冬夜豈不長,達旦燈燭然。

冬の夜は長くないわけはないのだが、朝まで灯を燃やし続けた。
韓愈の地図0055 

406 《鎮州初歸》韓愈(韓退之)ID Index-12-504 Ⅱ韓昌黎集<1092>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4444韓愈詩-406

お前たちのその情についてはよく理解するものではあるが、我家の小園の桃李は私が出発の時はまだつぼみも付けずにあったものである。我家の桃李は私が帰るのを待ち受けて一斉にほころび裂こうとしておるのだ。だから自然に帰り道を急ごうとすることになってしまう。心ならずも、この街の楊柳たちを振り切って先を急ぐのだ。

 
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 ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場 
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23 -#1《古風五十九首之二十三》Index-24Ⅲ-2 745年天寶四年45歳420古風,五十九首之二十三秋露白如玉, <23> Ⅰ李白詩1173 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4413 
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406 《鎮州初歸》韓愈(韓退之)ID Index-12-504 Ⅱ韓昌黎集<1092  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4444韓愈詩-406

 

 

鎮州(河北省正定県)に本拠を置く成徳軍節度使の田弘正が士卒のことをかまわず贅沢な生活をしていたため兵士の不満がつのり、部下の将校の一人である王廷湊がそれにつけこんで兵士を扇動し、クーデターをおこしたのである。王延湊はウイグル人の血を引く勇猛な将校であった。

 

王延湊は田弘正の殺害に成功すると、自分をその後任とするよう朝廷に要求し、かつ武力で近隣の節度使を攻撃し、勢力範囲を拡張しようとした。これに対して魏博節度使の李愬は、田弘正の弔い合戦を旗じるしに部将の牛元翼を差し向けたが、逆に王廷湊の軍によって包囲されてしまった。

長慶二年(822)二月、朝廷は王延湊の希望を全面的に認めて、王廷湊を節度使に任じ、兵士たちは反乱者だが、これにもおとがめはないものと決定した。その旨を告げて、成徳軍にいっさいの軍事行動をやめさせ、牛元翼に対する包囲を解くよう説得する宣諭使に選ばれたのが韓愈であり、副使には駕部郎中の呉丹という人が任命された。

 

これから朝廷の使者として反乱軍のなかへ乗りこむにしては、威勢のよくない詩である。韓愈は敵地に乗りこむようなこのたびの使命を見事に果たし、戦闘行為の停止を約束させて引きあげる。しかしこの時期に作られた同じ種類の詩も一様に威勢が悪く、強情我慢で大見得を切りたがる韓愈のこれまでの詩とは趣きを異にしている。あるいはこれが、韓愈の老境を示す一つのあらわれ(本人はそれと意識しなかったかもしれないが)だったのかもしれない。

韓愈は使命を果たした。牛元翼は自力で包囲網を破り、脱出したが、王廷湊がそのあとを追わせなかったのは、戦闘停止という約束があったからであろう。帰還しためぐみ韓愈は長慶二年の九月二十四日、吏部侍郎に転任することとなった。

 

 

製作年:  822  長慶二年  55

卷別: 卷三四四  文體: 七言 

詩題: 鎮州初歸 

及地點:  恒州 (河北道南部 恒州 恒州) 別名:鎮州     

 

 

鎮州初歸 

別來楊柳街頭樹,擺弄春風只欲飛。 

還有小園桃李在,留花不發待郎歸。 

(この詩は韓愈が詔を奉じて鎮州常山の王廷湊を招撫しにでかけ、王廷湊を叱咤して屈服させた。鎮州を出発するとき副行駕部郎中の丹に示したものである。)

ここ鎮州を出発し、別れるにあたって街頭の楊柳に別れを告げるものだがその楊柳もさすがに心ありげに、春風に震い、弄ばれてはいるものの、さすがに我が方に靡こうとしているようだ。

お前たちのその情についてはよく理解するものではあるが、我家の小園の桃李は私が出発の時はまだつぼみも付けずにあったものである。我家の桃李は私が帰るのを待ち受けて一斉にほころび裂こうとしておるのだ。だから自然に帰り道を急ごうとすることになってしまう。心ならずも、この街の楊柳たちを振り切って先を急ぐのだ。

 

(鎮州初歸) 

別來 楊柳 街頭の樹,春風に擺弄【はいろう】して只だ 飛ばんと欲す。

還た 小園 桃李 在る有り,花を留めて發せず 郎の歸えるを待つ。 

taigennankin88 

 

『鎮州初歸』 現代語訳と訳註

(本文)

鎮州初歸 

別來楊柳街頭樹,擺弄春風只欲飛。 

還有小園桃李在,留花不發待郎歸。 

 

(下し文)

(鎮州初歸) 

別來 楊柳 街頭の樹,春風に擺弄【はいろう】して只だ 飛ばんと欲す。

還た 小園 桃李 在る有り,花を留めて發せず 郎の歸えるを待つ。 

 

(現代語訳)

(この詩は韓愈が詔を奉じて鎮州常山の王廷湊を招撫しにでかけ、王廷湊を叱咤して屈服させた。鎮州を出発するとき副行駕部郎中の丹に示したものである。)

ここ鎮州を出発し、別れるにあたって街頭の楊柳に別れを告げるものだがその楊柳もさすがに心ありげに、春風に震い、弄ばれてはいるものの、さすがに我が方に靡こうとしているようだ。

お前たちのその情についてはよく理解するものではあるが、我家の小園の桃李は私が出発の時はまだつぼみも付けずにあったものである。我家の桃李は私が帰るのを待ち受けて一斉にほころび裂こうとしておるのだ。だから自然に帰り道を急ごうとすることになってしまう。心ならずも、この街の楊柳たちを振り切って先を急ぐのだ。


終南山06

(訳注)

鎮州初歸 

(この詩は韓愈が詔を奉じて鎮州常山の王廷湊を招撫しにでかけ、王廷湊を叱咤して屈服させた。鎮州を出発するとき副行駕部郎中の丹に示したものである。)

 

別來楊柳街頭樹,擺弄春風只欲飛。 

ここ鎮州を出発し、別れるにあたって街頭の楊柳に別れを告げるものだがその楊柳もさすがに心ありげに、春風に震い、弄ばれてはいるものの、さすがに我が方に靡こうとしているようだ。

○楊柳街頭樹 楊柳は別れに際して女性がその枝でリーフを作って見送る「折楊柳」であるが、送別の宴の行われる高樓の傍に植えてあるので、通常花街の女妓のことを言う。

○擺弄春風只欲飛 芸妓遊びのことを示す句である。

 

還有小園桃李在,留花不發待郎歸。 

お前たちのその情についてはよく理解するものではあるが、我家の小園の桃李は私が出発の時はまだつぼみも付けずにあったものである。我家の桃李は私が帰るのを待ち受けて一斉にほころび裂こうとしておるのだ。だから自然に帰り道を急ごうとすることになってしまう。心ならずも、この街の楊柳たちを振り切って先を急ぐのだ。

○小園 自宅の庭園。

○桃李 自宅の庭園の桃李。我が妻子。

○待郎歸 劉郎の帰りを待っている。

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早春の時期、春を気配を感じさせる風光の変化をあらわしたころに長安を出発し、別れをつげた。詔を奉じて鎮州常山の王廷湊を招撫しにでかけるために次第に北上したが、この辺塞の地は二月と謂うのにこの地は特別に寒いのである。

 
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田弘正は弘正の殺害に成功すると、自分をその後任とするよう朝廷に要求し、かつ武力で近隣の節度使を攻撃し、勢力範囲を拡張しようとした。これに対して魏博節度使の李愬は、田弘正の弔い合戦を旗じるしに部将の牛元翼を差し向けたが、逆に王廷湊の軍によって包囲されてしまった。

長慶二年(822)二月、朝廷は王延湊の希望を全面的に認めて、王廷湊を節度使に任じ、兵士たちは反乱者だが、これにもおとがめはないものと決定した。その旨を告げて、成徳軍にいっさいの軍事行動をやめさせ、牛元翼に対する包囲を解くよう説得する宣諭使に選ばれたのが韓愈であり、副使には駕部郎中の呉丹という人が任命された。

 

これから朝廷の使者として反乱軍のなかへ乗りこむにしては、威勢のよくない詩である。韓愈は敵地に乗りこむようなこのたびの使命を見事に果たし、戦闘行為の停止を約束させて引きあげる。しかしこの時期に作られた同じ種類の詩も一様に威勢が悪く、強情我慢で大見得を切りたがる恵のこれまでの詩とは趣きを異にしている。あるいはこれが、韓愈の老境を示す一つのあらわれ(本人はそれと意識しなかったかもしれないが)だったのかもしれない。

恵は使命を果たした。牛元翼は自力で包囲網を破り、脱出したが、王廷湊がそのあとを追わせなかったのは、戦闘停止という約束があったからであろう。帰還しためぐみ韓愈は長慶二年の九月二十四日、吏部侍郎に転任することとなった。

 

 

製作年:  822  長慶二年  55

卷別: 卷三四四  文體: 七言 

詩題: 夕次壽陽驛題郎中詩後 

作地點: 目前尚無資料 

及地點:  壽陽驛 (河東道 太原府 壽陽)     

長安 (京畿道 京兆府 長安) 別名:京、京師、中京、京城、上都、京畿、西都     

交遊人物: 當地交遊(河東道 太原府 壽陽)

 

 

夕次壽陽驛題郎中詩後

風光欲動別長安,春半城邊特地寒。 

不見園花兼巷柳,馬頭惟有月團團。 

(壽陽驛に宿した時に作った詩である)

早春の時期、春を気配を感じさせる風光の変化をあらわしたころに長安を出発し、別れをつげた。詔を奉じて鎮州常山の王廷湊を招撫しにでかけるために次第に北上したが、この辺塞の地は二月と謂うのにこの地は特別に寒いのである。

このあたりでは、園中の花にしても、巷頭の柳にしても、未だに春の気配が見合ないのである。夜になると急ぐ馬車の前にはまあるいまん丸の月が高く照らすばかりで荒涼凄寂そのものである。

 

(夕べに 壽陽驛に次【やど】し 郎中の詩後に題す)

風光 動かんと欲して長安に別る,春半ばにして城邊 特地に寒し。

園花と巷柳とを見ず,馬頭 惟だ月の團團たるのみ有る。 

唐時代 太原地図622


『次壽陽驛題郎中詩後』 現代語訳と訳註

(本文)

夕次壽陽驛題郎中詩後

風光欲動別長安,春半城邊特地寒。

不見園花兼巷柳,馬頭惟有月團團。 

 

 

(下し文)

(夕べに 壽陽驛に次【やど】し 郎中の詩後に題す)

風光 動かんと欲して長安に別る,春半ばにして城邊 特地に寒し。

園花と巷柳とを見ず,馬頭 惟だ月の團團たるのみ有る。 

 

(現代語訳)

(壽陽驛に宿した時に作った詩である)

早春の時期、春を気配を感じさせる風光の変化をあらわしたころに長安を出発し、別れをつげた。詔を奉じて鎮州常山の王廷湊を招撫しにでかけるために次第に北上したが、この辺塞の地は二月と謂うのにこの地は特別に寒いのである。

このあたりでは、園中の花にしても、巷頭の柳にしても、未だに春の気配が見合ないのである。夜になると急ぐ馬車の前にはまあるいまん丸の月が高く照らすばかりで荒涼凄寂そのものである。

 

toujidaimap 

(訳注)

夕次壽陽驛題郎中詩後

 (この詩は韓愈が詔を奉じて鎮州常山の王廷湊を招撫しにでかけた時、壽陽驛に宿した時に副行駕部郎中の丹に示したものである。)


 

風光欲動別長安,春半城邊特地寒。

早春のじき、春を気配を感じさせる風光の変化をあらわしたころに長安を出発し、別れをつげた。詔を奉じて鎮州常山の王廷湊を招撫しにでかけるために次第に北上したが、この辺塞の地は二月と謂うのにこの地は特別に寒いのである。

風光欲動別 早春のじき、春を気配を感じさせる風光の変化をいう。

特地寒 この辺はまだ寒さが残るというほどの意。

 

不見園花兼巷柳,馬頭惟有月團團。 

このあたりでは、園中の花にしても、巷頭の柳にしても、未だに春の気配が見合ないのである。夜になると急ぐ馬車の前にはまあるいまん丸の月が高く照らすばかりで荒涼凄寂そのものである。

404 《奉使常山早次太原呈副使吳郎中》韓愈(韓退之)ID Index-12-504 Ⅱ韓昌黎集<1090>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4434韓愈詩-404

(この詩は韓愈が詔を奉じて鎮州常山の王廷湊を招撫しにでかけた時、太原に宿して朝出掛けに副行駕部郎中の丹に示したものである。)とうとうと時を知らせる太鼓の音が聞こえてくる。朝、その昔で起きだしてみれば、都にいて朝廷に参内するときのようだ。

 
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404 《奉使常山早次太原呈副使郎中》韓愈(韓退之)ID Index-12-504 Ⅱ韓昌黎集<1090>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4434韓愈詩-404

 

「南山有高樹行」の事件は、李宗閲たちの失脚という結果を招きはしたものの、韓愈は長慶元年(821)の七月二十六日、彼は兵部侍即に転じており、地位は安泰ということであった。兵部は軍事行政全般を管轄する役所で、韓愈はそこの次官となったわけである。国子祭酒も軽い身分ではないが、こんどの兵部侍即は直接行政にタッチする職だけに、政治的な手腕も揮うことができ、出世である。

 

この年、鎮州(河北省正定県)に本拠を置く成徳軍節度使の田弘正が士卒のことをかまわず贅沢な生活をしていたため兵士の不満がつのり、部下の将校の一人である王廷湊がそれにつけこんで兵士を扇動し、クーデターをおこしたのである。王延湊はウイグル人の血を引く勇猛な将校であった。

 

田弘正は弘正の殺害に成功すると、自分をその後任とするよう朝廷に要求し、かつ武力で近隣の節度使を攻撃し、勢力範囲を拡張しようとした。これに対して魏博節度使の李愬は、田弘正の弔い合戦を旗じるしに部将の牛元翼を差し向けたが、逆に王廷湊の軍によって包囲されてしまった。

長慶二年(822)二月、朝廷は王延湊の希望を全面的に認めて、王廷湊を節度使に任じ、兵士たちは反乱者だが、これにもおとがめはないものと決定した。その旨を告げて、成徳軍にいっさいの軍事行動をやめさせ、牛元翼に対する包囲を解くよう説得する宣諭使に選ばれたのが韓愈であり、副使には駕部郎中の呉丹という人が任命された。

 

このような使者に韓愈が選ばれたのは、兵部侍郎という身分がら当然であったともいえるが、これは危険な任務であった。王廷湊は札つきの乱暴者だし、その部下の兵士たちも反乱をおこしたあとなので、気が立っている。彼らの要求をのんだからよいようなものの、それでも交渉しだいで、相手がどう出るかわからない。都の百官のなかには、韓愈の安否を気づかう老さえあった。

 

 

年:822  長慶二年  55

卷別: 卷三四四  文體: 五言律詩 

詩題: 奉使常山早次太原呈副使郎中〔愈使鎮州,丹以駕部郎中副行。〕

及地點:  常山 (江南東道 衢州 常山)     

太原府 (河東道 太原府 太原府) 別名:太原、并州     

交遊人: 當地交遊(河東道 太原府 太原)

 

 

奉使常山早次太原呈副使郎中〔愈使鎮州,丹以駕部郎中副行。〕

朗朗聞街鼓,晨起似朝時。 

翻翻走驛馬,春盡是歸期。 

地失嘉禾處,風存蟋蟀辭。 

暮齒良多感,無事涕垂頤。 

(この詩は韓愈が詔を奉じて鎮州常山の王廷湊を招撫しにでかけた時、太原に宿して朝出掛けに副行駕部郎中の丹に示したものである。)

とうとうと時を知らせる太鼓の音が聞こえてくる。朝、その昔で起きだしてみれば、都にいて朝廷に参内するときのようだ。

軽やかに駅継ぎの馬を走らせて旅をして、春の尽きるころが帰る時期となるだろう。

この土地はその昔、唐叔という人が変わった稲を発見して周の天子に献上したところから「嘉禾」という地名がついて、唐叔の子孫が代々このあたりに封ぜられることとなった。すなわち晋の国の起源であり、太原は晋の重要な都会である。その唐叔のことは昔の話で、今は尋ねるすべもないが、『詩経』国風のなかに「蟋蟀」という詩が残っており、これが唐叔の遺風を示すもので、晋の人々の遠い将来のことを考える気風がそれにあらわれているという。

人間、老年になるとまったく感じやすくなるものだ。べつだんのこともないのに涙は顎までも垂れてくる。

 

(使いを常山に奉じて 早に太原に次し 副使郎中にす。)

朗朗として 街鼓を聞く,晨起 朝時に似たり。

翻翻として 驛馬を走らせ,春 盡く 是れ歸える期なり。

地は 嘉禾【かかい】の處を失い,風は蟋蟀【しつしゅつ】の辭を存す。

暮齒 良に多感なり,無事にして 涕 頤に垂る。

toujidaimap 

『奉使常山早次太原呈副使郎中』 現代語訳と訳註

(本文)

奉使常山早次太原呈副使郎中〔愈使鎮州,丹以駕部郎中副行。〕

朗朗聞街鼓,晨起似朝時。 

翻翻走驛馬,春盡是歸期。 

地失嘉禾處,風存蟋蟀辭。 

暮齒良多感,無事涕垂頤。 

 

(下し文)

(使いを常山に奉じて 早に太原に次し 副使郎中に呈す。)

朗朗として 街鼓を聞く,晨起 朝時に似たり。

翻翻として 驛馬を走らせ,春 盡く 是れ歸える期なり。

地は 嘉禾【かかい】の處を失い,風は蟋蟀【しつしゅつ】の辭を存す。

暮齒 良に多感なり,無事にして 涕 頤に垂る。

 

(現代語訳)

(この詩は韓愈が詔を奉じて鎮州常山の王廷湊を招撫しにでかけた時、太原に宿して朝出掛けに副行駕部郎中の丹に示したものである。)

とうとうと時を知らせる太鼓の音が聞こえてくる。朝、その昔で起きだしてみれば、都にいて朝廷に参内するときのようだ。

軽やかに駅継ぎの馬を走らせて旅をして、春の尽きるころが帰る時期となるだろう。

この土地はその昔、唐叔という人が変わった稲を発見して周の天子に献上したところから「嘉禾」という地名がついて、唐叔の子孫が代々このあたりに封ぜられることとなった。すなわち晋の国の起源であり、太原は晋の重要な都会である。その唐叔のことは昔の話で、今は尋ねるすべもないが、『詩経』国風のなかに「蟋蟀」という詩が残っており、これが唐叔の遺風を示すもので、晋の人々の遠い将来のことを考える気風がそれにあらわれているという。

人間、老年になるとまったく感じやすくなるものだ。べつだんのこともないのに涙は顎までも垂れてくる。

 

韓愈の地図00 

(訳注)

奉使常山早次太原呈副使郎中

〔愈使鎮州,丹以駕部郎中副行。〕

(この詩は韓愈が詔を奉じて鎮州常山の王廷湊を招撫しにでかけた時、太原に宿して朝出掛けに副行駕部郎中の丹に示したものである。)

 

朗朗 聞 街鼓 ,晨起 似朝時 。

とうとうと時を知らせる太鼓の音が聞こえてくる。朝、その昔で起きだしてみれば、都にいて朝廷に参内するときのようだ。

「朗朗」太鼓の音が響き聽こえてくる、その音。

「聞街鼓」時を知らせる太鼓の音が聞こえてきておこされたことをいう。

 

翻翻 走 驛馬 ,春盡 是 歸期 。

軽やかに駅継ぎの馬を走らせて旅をして、春の尽きるころが帰る時期となるだろう。

「翻翻」馬の走る音。

「驛馬」駅伝制で30里ごとにおかれた駅に替え馬が置かれた。長安を中心とした各地方につながる道路、水路が整備されていった。道路には、30里(約17km)ごとに駅站(駅館、公営の宿)が置かれ、公文書を運ぶ政府の使者や地方へ赴任し、帰ってくる官僚が利用した。駅站の近くには、往々において民間の宿が存在した。宿の名称の最後には、『駅』、『館』、『店』とつくことが多かった。唐全土には1,639もの駅站が存在し、水駅が260、水陸駅が86か所設置されていた。駅站を利用できる政府関係者は、食糧、運送、宿泊が無料であった。また、道路の五里ごとに『里隔柱』という標識が置かれ、十里ごとに別の標識を立てられた。幹線道路沿いには多数の店舗が建ち並び、交通は大いに発達した。

 

地失 嘉禾處 ,風存 蟋蟀 辭 。

この土地はその昔、唐叔という人が変わった稲を発見して周の天子に献上したところから「嘉禾」という地名がついて、唐叔の子孫が代々このあたりに封ぜられることとなった。すなわち晋の国の起源であり、太原は晋の重要な都会である。その唐叔のことは昔の話で、今は尋ねるすべもないが、『詩経』国風のなかに「蟋蟀」という詩が残っており、これが唐叔の遺風を示すもので、晋の人々の遠い将来のことを考える気風がそれにあらわれているという。

「嘉禾處」唐叔

唐風は晉詩であるが、唐の名を存するのは、邶・鄘の君が罪無くして滅ぼされたのを憫れむの意を著し、晉は族を幷せ宗を滅ぼした不正を悪んで、唐の名を存したものであるとも見られる。唐は、もと、帝堯の旧都で、禹貢(うこう)冀(き)州の域、大行恆山の西、大原大岳の野にある。周の成王が弟の叔虞(しゅくぐ)を封じて唐侯とした。

《逸話》周公旦が唐の乱を平定したおり、成王(武王の子)が、弟の叔虞と戯れ、桐     の葉を削って珪(けい 諸侯に与える印の玉)となし、叔虞に与えて、君を封ずと言った。太史(役職 丞相 太尉 御史大夫に次ぐ)の史佚(しいつ)が「天子に戯言なし」といさめて、ついに叔虞を封じて唐侯となし、晉陽(今の太原)に都した。

「處」太原のこと。

「風」詩経国風、唐風。

「蟋蟀」詩経国風、唐風、「蟋蟀」のこと。

「辭」文體、辭:賦。

 

暮齒 良多感 ,無事 涕 垂頤 。

人間、老年になるとまったく感じやすくなるものだ。べつだんのこともないのに涙は顎までも垂れてくる。

「暮齒」老年になること。

「多感」ちょっとしたことにも感情を動かされること。感じやすいこと。また、そのさま。 
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403 《和裴僕射相公假山十一韻》韓愈(韓退之)ID Index-12-504 Ⅱ韓昌黎集<1087>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4419韓愈詩-403

昔、傅説は版築のあいだに居たのでその身分ははなはだ卑しいし、太公望は、渭水の磻谿に釣して文王を引き寄せたというのは、それはいかにも過激な事ではなかろうか。我が裴度公はこれと異にして功徳は既に成り立っており、それで身を引いて閒地に逍遥し、世間のつまらぬことは断じて採りあげもせずここにすごす。

 
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製作年:  822  長慶二年  55

卷別: 卷三四二  文體: 五言古詩 

詩題: 和裴僕射相公假山十一韻 

遊人物/地點: 裴度 書信往來(京畿道 京兆府 長安)

 

 

和裴僕射相公假山十一韻

(裴僕射相公(裴度)は宰相をやめて家居するに当たり、屋敷の庭に築山を造り、それによってこの詩を作って和した)

公乎真愛山,看山旦連夕。 

裴僕射相公は心から山を愛せられ、よって、庭中に築山を造り、その山を眺められるのは、朝から夕方に及ぶ位である。

猶嫌山在眼,不得著歷。 

しかし、山が腹中であるだけで、脚を著けて、そこに登れぬのを甚だ遺憾に思っていた。

枉語山中人,丐我澗側石。 

もつと大きく築き上げようというので、柾げて山中の人に語り、我に澗畔の石を輿へよといわれた。

有來應公須,歸必載金帛。 

そこで公のもとめに應じて、石を運び込むものがあると、歸りには、車-ぱい金帛を載せて、その謝礼に當てられた。

當軒乍駢羅,隨勢忽開坼。 

その石を軒に近く並べ連ね、高下の勢に惰って、開いて据え付ける。

 

有洞若神剜,有巖類天划。 

流石に奇趣があるので、洞窟は髪の力でえぐったようであるし、巌は天然が刻画した如く、人工とは見えない。

終朝巖洞間,歌鼓燕賓戚。 

この厳洞がすでにここにできあがっているがために、終日賓客戚属をそこに会し、歌と鼓などで興を添ええて酒宴がもようされるのである。

孰謂衡霍期,近在王侯宅。 

衡霍のような名山に互いに出会おうと約束するようなことはよういにするわけにはいかないけれども、それがこのような王侯の邸宅でもってやすやすとできるというのはまことに思いがけぬことである。

傅氏築已卑,磻谿釣何激。 

昔、傅説は版築のあいだに居たのでその身分ははなはだ卑しいし、太公望は、渭水の磻谿に釣して文王を引き寄せたというのは、それはいかにも過激な事ではなかろうか。

逍遙功德下,不與事相摭。 

我が裴度公はこれと異にして功徳は既に成り立っており、それで身を引いて閒地に逍遥し、世間のつまらぬことは断じて採りあげもせずここにすごす。

樂我盛明朝,於焉傲今昔。 

そして、盛名の朝に会えるのを楽しみつつ、世俗を離れたこの地において逸興をほしいままにして、昔と今に傲っておられるところなのだ。 

 

 裴僕射相公の假山十一韻に和す

公や真に山を愛す、山を看て、旦、夕に連る。

猶お嫌ふ、山の眼に在るを、脚を著けて歷るを得ず。

柾げて山中の人に語る、我に澗側の石を丐へよ。

來って、公の須に應するあらば、歸るとき、必ず金帛を載す。

軒に當って、乍ち駢羅し、勢に随って、忽ち開坼す。

 

洞あり、神の剜るが若く、巌あり、天の劃せるに類す。

終朝 巖洞の間、歌鼓、賓戚を燕す。

孰れか謂わん 衡霍の期,近く王侯の宅に在らん。 

傅氏、築くこと、すでに卑し、磻谿、釣.何ぞ激せる。

功徳の下に逍遙し、事と相摭せず。

我が盛明の朝を楽しみ、焉に今昔に倣る。

 

 

『和裴僕射相公假山十一韻』 現代語訳と訳註

(本文) #2

有洞若神剜,有巖類天划。 

終朝巖洞間,歌鼓燕賓戚。 

孰謂衡霍期,近在王侯宅。 

傅氏築已卑,磻谿釣何激。 

逍遙功德下,不與事相摭。 

樂我盛明朝,於焉傲今昔。 

 

 

(下し文)

洞あり、神の剜るが若く、巌あり、天の劃せるに類す。

終朝 巖洞の間、歌鼓、賓戚を燕す。

孰れか謂わん 衡霍の期,近く王侯の宅に在らん。 

傅氏、築くこと、すでに卑し、磻谿、釣.何ぞ激せる。

功徳の下に逍遙し、事と相摭せず。

我が盛明の朝を楽しみ、焉に今昔に倣る。

 

(現代語訳)

(裴僕射相公(裴度)は宰相をやめて家居するに当たり、屋敷の庭に築山を造り、それによってこの詩を作って和した)#2

流石に奇趣があるので、洞窟は髪の力でえぐったようであるし、巌は天然が刻画した如く、人工とは見えない。

この厳洞がすでにここにできあがっているがために、終日賓客戚属をそこに会し、歌と鼓などで興を添ええて酒宴がもようされるのである。

衡霍のような名山に互いに出会おうと約束するようなことはよういにするわけにはいかないけれども、それがこのような王侯の邸宅でもってやすやすとできるというのはまことに思いがけぬことである。

昔、傅説は版築のあいだに居たのでその身分ははなはだ卑しいし、太公望は、渭水の磻谿に釣して文王を引き寄せたというのは、それはいかにも過激な事ではなかろうか。

我が裴度公はこれと異にして功徳は既に成り立っており、それで身を引いて閒地に逍遥し、世間のつまらぬことは断じて採りあげもせずここにすごす。

そして、盛名の朝に会えるのを楽しみつつ、世俗を離れたこの地において逸興をほしいままにして、昔と今に傲っておられるところなのだ。

 

(訳注)

和裴僕射相公假山十一韻

裴僕射相公(裴度)は宰相をやめて家居するに当たり、屋敷の庭に築山を造り、それによってこの詩を作って和した、

裴僕射相公 裴度。

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假山 つきやま。

 

有洞若神剜,有巖類天划。 

流石に奇趣があるので、洞窟は髪の力でえぐったようであるし、巌は天然が刻画した如く、人工とは見えない。

○神剜 神の力でえぐる。

○天划 天然のガで彫刻する

 

終朝巖洞間,歌鼓燕賓戚。 

この厳洞がすでにここにできあがっているがために、終日賓客戚属をそこに会し、歌と鼓などで興を添ええて酒宴がもようされるのである。

○歌鼓 歌と打楽器。歌を謡い鼓をたたく、音楽のことをいう。

○賓戚 賓客、親戚。

 

孰謂衡霍期,近在王侯宅。 

衡霍のような名山に互いに出会おうと約束するようなことはよういにするわけにはいかないけれども、それがこのような王侯の邸宅でもってやすやすとできるというのはまことに思いがけぬことである。

○衡霍 衡は五岳の一つ衡山のこと。霍は霍山のことで、安徽省六安市に位置する。六安瓜片(緑茶)の産地。謝靈運『初發石首城』「游當羅浮行,息必廬霍期。越海淩三山,遊湘曆九嶷。欽聖若旦暮,懷賢亦淒其。皎皎明發心,不為寒欺。」游びには當に羅浮【らふ】に行くべし,息うは必ず廬 霍に期す。海を越えて三山を淩ぎ,湘に遊びて九嶷【きゅうぎ】を曆ん。欽聖【きんせい】旦暮【たんぼ】の若く,懷賢【かいけん】亦た 淒其【せいき】たり。皎皎【きょうきょう】明發を心し,寒に欺【あざむ】かるるを為さず。」にある「盧山」を「衡山」にしている。

初発石首城 謝霊運(康楽) 詩<56-#3>Ⅱ李白に影響を与えた詩446 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1155

 

傅氏築已卑,磻谿釣何激。 

昔、傅説は版築のあいだに居たのでその身分ははなはだ卑しいし、太公望は、渭水の磻谿に釣して文王を引き寄せたというのは、それはいかにも過激な事ではなかろうか。

○傅氏 中国古代、殷(いん)の高宗の宰相。高宗が聖人を得た夢によって土木工事に従事していたところを登用され、中興の業を完成したといわれる。武丁:ある夜に説(えつ)という名の聖人を夢に見たが、群臣の中にはこのような人物はいなかった。そこで、方々に人を遣わしてこの人物を探した。武丁が話してみると、まことに聖人であったために、傅(ふ)という姓を与え、傅説と呼んだ。傅説の補佐で殷はまた復興した。

○磻谿釣 文王は猟に出る前に占いをしたところ、獣ではなく人材を得ると出た。狩猟に出ると、落魄して渭水で釣りをしていた呂尚に出会った。二人は語り合い、文王は「吾が太公[ 2]が待ち望んでいた人物である」と喜んだ。そして呂尚は文王に軍師として迎えられ、太公望と号した。

 

逍遙功德下,不與事相摭。 

我が裴度公はこれと異にして功徳は既に成り立っており、それで身を引いて閒地に逍遥し、世間のつまらぬことは断じて採りあげもせずここにすごす。

○不與事相摭 世間のつまらぬことは断じて採りあげもしない。

 

樂我盛明朝,於焉傲今昔。 

そして、盛名の朝に会えるのを楽しみつつ、世俗を離れたこの地において逸興をほしいままにして、昔と今に傲っておられるところなのだ。

396-4 《猛虎行〔猛虎行贈李宗閔〕》韓愈(韓退之) Ⅱ韓昌黎集 巻五 <1044>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4204韓愈詩-396-4

親故の者であっても交誼を保つことが出来ないようなら、不慮に起こることに対応することが出来ないのである。ある時、慢心してひとり好き勝手なことをしてしまうと人は誰でもお前のことを信じて助けてくれることはなくなるということなのだ。

        
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396-4 《猛虎行〔猛虎行贈李宗閔〕》韓愈(韓退之) Ⅱ韓昌黎集巻五 <1044>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4204韓愈詩-396-4

 

 

製作年:  821  長慶元年  54 

卷別: 卷三四一  文體: 五言古詩 

詩題: 猛虎行〔猛虎行贈李宗閔〕

〔初度伐蔡,引宗閔為彰義觀察判官。蔡平,進知制誥。長慶初,錢徽典貢舉,宗閔托所親於徽,德裕及紳、稹共發其事,宗閔坐貶劍州刺史,俄復為中書舍人,由是嫌怨顯結。縉紳之禍,四十餘年不解。此贈詩,宗閔復入後作也。〕 

 

821年長慶元年 54

 

395

395-1 《南山有高樹行贈李宗閔》韓愈(韓退之) Ⅱ韓昌黎集 巻五 <1036  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4164韓愈詩-395-1

南山有高樹,

396

猛虎行〔猛虎行贈李宗閔〕

猛虎雖云惡,

397

朝賀歸呈同官

薄雲蔽秋曦,

398

朝歸

峨峨進賢冠,

399

杏園送張徹侍御歸使

東風花樹下,

400

雨中寄張博士籍、侯主簿喜

放朝還不報,

401

奉和兵部張侍郎酬,鄆州馬尚書祗召,途中見寄,開緘之日,馬帥已再領鄆州之作

來朝當路日,

 

猛虎行 #1

猛虎雖云惡,亦各有匹儕。

猛虎というものはその性質は極めて毒悪であるが、それがまた各々同類があって一党をなしている。

群行深谷間,百獸望風低。

そして群れをなして深浅幽谷のあいだをゆく、するとあらゆる獣類はその威風を臨んだばかりで恐れ入って平伏してしまう。

身食黃熊父,子食赤豹麛。

猛虎自身は黃熊の父をも食らうというし、そして自分の子には赤豹の麛を当てがって食わしめる。

擇肉於熊豹,肯視兔與貍。

熊豹の肉をわざわざ選ぶくらいであるから兔やタヌキのような小さな獣類には見向きもしないのである。

#2

正晝當谷眠,眼有百步威。

真昼に谷間に眠っているのに、その眼力は百歩離れても見通せるほどの威力があるのでどんな獣類も近づくことはない。

自矜無當對,氣性縱以乖。

猛虎は自分に敵対する者は全くいないことを誇りにしていて、その気性はわがままそのものであり、その上道理に合わないことさえあえてするというものである。

朝怒殺其子,暮還食其妃。

一度怒れば、親としての骨肉情さえも忘れ、その朝には自分の子さえ殺してしまう、夕べには妻であるメスを食らうことさえあるのである。

匹儕四散走,猛虎還孤棲。

そうなってくるとそこにいる同類の者どもはその猛威をおそれ、四方に逃散し、走り去り、猛虎はその住まいに一人帰って来るのである。

#3

狐鳴門兩旁,烏鵲從噪之。

きつねはその同類たちが逃散したのを洞窟の正門の両脇で守る宮人のようにまず泣くのである、それに追随して烏鵲達もこれと一緒に騒いだ。

出逐猴入居,虎不知所歸。

猛虎はこれがうるさくてこれらの騒ぐ者たちを追っ払おうとした隙に、猿の群れがこの住居に入って占拠して入口を塞いだため、猛虎は帰るところを失って、平常心を失ってしまった。

誰云猛虎惡,中路正悲啼。

此れを持って誰が猛虎は極悪非道というであろうか、帰るところを失ってその途中でまごついていて悲啼しているというのは、逆に憐れというものではないか。

豹來銜其尾,熊來攫其頤。

そうすると前に猛虎親子に喰われた豹がやって来てその尻尾を銜えるし、熊は猛虎の頤に掴みかかって仇をとろうとするのである。

#4

猛虎死不辭,但慚前所為。

猛虎である以上死ぬことはいとわないものであるが、その前に横暴、理不尽な事をしたその諸行に比較して今度のこれはあまりに恥ずかしいことと思うのである。

虎坐無助死,況如汝細微。

こうなると猛虎は助けるものがいないから、力尽きて死ぬしかなくその場にじっとしてしんだのである。猛虎でさえこんな有様であるからお前如き細微なものはどんな死に方をするのであろうか。

故當結以信,親當結以私。

こんな結果になるということは予想しないにしても、猛虎は同類、親族まで食って孤立したことによって死んだのであり、一方、猛虎に被害を受けた者たちは互いに愛した審で大同団結し、それで一大勢力を作り成功したわけである。古くから関係のあるものお互いを親しみ合って、信義をもって行動し、特別な関係のあるものは私情をもって団結し、互いに助け合うようにすれば、仇を打たれるようなことはないのである。

親故且不保,人誰信汝為。 

親故の者であっても交誼を保つことが出来ないようなら、不慮に起こることに対応することが出来ないのである。ある時、慢心してひとり好き勝手なことをしてしまうと人は誰でもお前のことを信じて助けてくれることはなくなるということなのだ。 

#1

猛虎惡と云うと雖も,亦た各の匹儕【ひっせい】有り。

深谷の間を群行すれば,百獸 風を望んで低る。

身は黃熊【こうゆう】の父を食い,子には赤豹の麛【べい】を食わしむ。

肉を熊豹に擇ぶ,肯て兔と貍とを視んや。

#2

正晝【せいちゅう】 谷に當って眠り,眼に百步の威有り。

自ら當對無きを矜って,氣性 縱にして以って乖【もと】れり。

朝に怒って其の子を殺し,暮に還って其の妃を食む。

匹儕【ひっせい】四に散走し,猛虎 還た孤棲す。

#3

狐は門の兩旁に鳴き,烏鵲【うじゃく】從って噪之二【さわ】ぐ。

出でては逐えば猴入って居り,虎は歸える所を知らず。

誰か云う猛虎惡しと,中路にして正に悲み啼く。

豹 來って其の尾を銜み,熊 來って其の頤【おとがい】を攫【つか】む。

#4

猛虎は 死 辭せず,但だ 前の為す所に慚ず。

虎 坐ながら助け無くして死す,況んや汝の細微なるが如し。

故に當に結ぶに信を以ってすべし,親には當に結ぶに以私をってす。

親故すら 且つ保たずんば,人 誰か汝を信ずるを為さん。 

甘粛省-嘉峪関 

 

『猛虎行』 現代語訳と訳註

(本文)猛虎死不辭,但慚前所為。

虎坐無助死【虎兕無助死】,況如汝細微。

故當結以信,親當結以私。

親故且不保,人誰信汝為。 

 

(下し文)

猛虎は 死 辭せず,但だ 前の為す所に慚ず。

虎 坐ながら助け無くして死す,況んや汝の細微なるが如し。

故に當に結ぶに信を以ってすべし,親には當に結ぶに以私をってす。

親故すら 且つ保たずんば,人 誰か汝を信ずるを為さん。 

 

(現代語訳)

猛虎である以上死ぬことはいとわないものであるが、その前に横暴、理不尽な事をしたその諸行に比較して今度のこれはあまりに恥ずかしいことと思うのである。

こうなると猛虎は助けるものがいないから、力尽きて死ぬしかなくその場にじっとしてしんだのである。猛虎でさえこんな有様であるからお前如き細微なものはどんな死に方をするのであろうか。

こんな結果になるということは予想しないにしても、猛虎は同類、親族まで食って孤立したことによって死んだのであり、一方、猛虎に被害を受けた者たちは互いに愛した審で大同団結し、それで一大勢力を作り成功したわけである。古くから関係のあるものお互いを親しみ合って、信義をもって行動し、特別な関係のあるものは私情をもって団結し、互いに助け合うようにすれば、仇を打たれるようなことはないのである。

親故の者であっても交誼を保つことが出来ないようなら、不慮に起こることに対応することが出来ないのである。ある時、慢心してひとり好き勝手なことをしてしまうと人は誰でもお前のことを信じて助けてくれることはなくなるということなのだ。

 

杏の花0055 

(訳注)

猛虎行【猛虎行贈李宗閔】

〔初度伐蔡,引宗閔為彰義觀察判官。蔡平,進知制誥。長慶初,錢徽典貢舉,宗閔托所親於徽,德裕及紳、稹共發其事,宗閔坐貶劍州刺史,俄復為中書舍人,由是嫌怨顯結。縉紳之禍,四十餘年不解。此贈詩,宗閔復入後作也。〕

(初めて度蔡を伐つ,引いて宗閔 彰義の觀察判官と為す。蔡 平らぐ,進めて知制 誥たり。長慶の初め,錢徽 貢舉を典どる,宗閔 所親を徽に托するや,德裕 及び紳、稹 共に其の事を發し,宗閔 坐して 劍州の刺史に貶され,俄【にわか】に復た中書舍人と為る,是に由って嫌怨【けんえん】顯わに結ぶ。縉紳の禍い,四十餘年解けず。此の贈詩は,宗閔初めて貶せられし時の作なり。)


穆宗の822年長慶元年、韓愈は五十四歳の正月を国子祭酒として長安で迎えた。

この年に行なわれた科挙に不正があると、翰林学士の李紳が同僚の李徳祐・元稹とともに訴えた。この年の科挙は銭徽が知貢挙(試験委員長)で、裴度の息子や中書舎人の李宗閔の婿などが合格した。

当時では、受験生の名をあらかじめ試験官に吹きこんでおくのは誰でもやっていたことで、かくべつ違法とも意識されていなかった。李紳も合格させたい受験生があり、名前を錢徽に吹きこんでおいたが、落第した。問題はここにあるわけで、李紳・元稹・李徳裕の三人は穆宗皇帝の前で、銭微と李宗閔たちとが結託して不正をはたらいていると意見を述べた。しかし事実は錢徽に頼みこんでいたのは宗閔だけではなかったわけで、李紳からの依頼の手紙も錢徽の手もとに残っていた。

それを皇帝に見せて身の潔白を証明すべきだとすすめる人もあったが、錢徽は、私信はあくまでも公開すべきではないといって焼き捨て、いっさい申し開きをしなかった。結局この年の四月に天子の裁定が下って、銭徽・李宗閔は流罪となり、科挙は最初からやり直しということになって、新しい知貢挙も任命された。
 

これは一科挙の問題ではなく、当時の政治問題を背景とした事件である。すなわち、科挙によって任官した挙子と父祖の功によって任官した任子との争いがこの時期よりしだいに表面化してくる。李徳裕は任子派、李宗閔は挙子派のそれぞれ中心人物であったが、これが抗争の一つのはしりとなった。

国子監諸学の学生はそれだけで科挙の受験資格はもつものの、国子祭酒は制度上科挙とはかかわりをもたない。
 

韓愈は直接のかかわりのないものであったが、李宗閔に同情したのである。それは①韓愈自身が挙子の出身であるということ、②宗閔の人格をわかっていた。③李宗閔はかつて淮西の乱のとき、韓愈とともに招かれて裴度の幕下に入ったという仲間意識があったためである。ただ、宗閔は朝廷からお咎めを受けた身であるから、同情を露骨に表わすことはできなかったので、遠まわしな表現の詩を作るほかはなかったということなのだ。贈った先の相手、宗閔には完全に韓愈の思いは理解できればよかったのだ。

 

猛虎死不辭,但慚前所為。

猛虎である以上死ぬことはいとわないものであるが、その前に横暴、理不尽な事をしたその諸行に比較して今度のこれはあまりに恥ずかしいことと思うのである。

○但慚前所為 #2「自矜無當對,氣性縱以乖。朝怒殺其子,暮還食其妃。」(自ら當對無きを矜って,氣性 縱にして以って乖【もと】れり。朝に怒って其の子を殺し,暮に還って其の妃を食む。)

 

虎坐無助死,況如汝細微。

こうなると猛虎は助けるものがいないから、力尽きて死ぬしかなくその場にじっとしてしんだのである。猛虎でさえこんな有様であるからお前如き細微なものはどんな死に方をするのであろうか。

 

故當結以信,親當結以私。

こんな結果になるということは予想しないにしても、猛虎は同類、親族まで食って孤立したことによって死んだのであり、一方、猛虎に被害を受けた者たちは互いに愛した審で大同団結し、それで一大勢力を作り成功したわけである。古くから関係のあるものお互いを親しみ合って、信義をもって行動し、特別な関係のあるものは私情をもって団結し、互いに助け合うようにすれば、仇を打たれるようなことはないのである。

 

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長安城郭015--------------------------------------------------------------------------------

 

詩文(含異文)

猛虎雖云惡,亦各有匹儕。

群行深谷間,百獸望風低。

身食黃熊父,子食赤豹麛。

擇肉於熊豹,肯視兔與貍。

 

正晝當谷眠,眼有百步威。

自矜無當對,氣性縱以乖。

朝怒殺其子,暮還食其妃【暮還飧其妃】。

匹儕四散走,猛虎還孤棲。

 

狐鳴門兩旁,烏鵲從噪之。

出逐猴入居【出逐蜼入居】,虎不知所歸。

誰云猛虎惡,中路正悲啼。

豹來銜其尾,熊來攫其頤。

 

猛虎死不辭,但慚前所為。

虎坐無助死【虎兕無助死】,況如汝細微。

故當結以信,親當結以私。

親故且不保,人誰信汝為。  

396-3 《猛虎行〔猛虎行贈李宗閔〕》韓愈(韓退之) Ⅱ韓昌黎集 巻五 <1043>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4199韓愈詩-396-3

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396-3 《猛虎行〔猛虎行贈李宗閔〕》韓愈(韓退之) Ⅱ韓昌黎集 巻五 <1043  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4199韓愈詩-396-3

 

 

猛虎行 #1

猛虎雖云惡,亦各有匹儕。

猛虎というものはその性質は極めて毒悪であるが、それがまた各々同類があって一党をなしている。

群行深谷間,百獸望風低。

そして群れをなして深浅幽谷のあいだをゆく、するとあらゆる獣類はその威風を臨んだばかりで恐れ入って平伏してしまう。

身食黃熊父,子食赤豹麛。

猛虎自身は黃熊の父をも食らうというし、そして自分の子には赤豹の麛を当てがって食わしめる。

擇肉於熊豹,肯視兔與貍。

熊豹の肉をわざわざ選ぶくらいであるから兔やタヌキのような小さな獣類には見向きもしないのである。

#2

正晝當谷眠,眼有百步威。

真昼に谷間に眠っているのに、その眼力は百歩離れても見通せるほどの威力があるのでどんな獣類も近づくことはない。

自矜無當對,氣性縱以乖。

猛虎は自分に敵対する者は全くいないことを誇りにしていて、その気性はわがままそのものであり、その上道理に合わないことさえあえてするというものである。

朝怒殺其子,暮還食其妃。

一度怒れば、親としての骨肉情さえも忘れ、その朝には自分の子さえ殺してしまう、夕べには妻であるメスを食らうことさえあるのである。

匹儕四散走,猛虎還孤棲。

そうなってくるとそこにいる同類の者どもはその猛威をおそれ、四方に逃散し、走り去り、猛虎はその住まいに一人帰って来るのである。

#3

狐鳴門兩旁,烏鵲從噪之。

きつねはその同類たちが逃散したのを洞窟の正門の両脇で守る宮人のようにまず泣くのである、それに追随して烏鵲達もこれと一緒に騒いだ。

出逐猴入居,虎不知所歸。

猛虎はこれがうるさくてこれらの騒ぐ者たちを追っ払おうとした隙に、猿の群れがこの住居に入って占拠して入口を塞いだため、猛虎は帰るところを失って、平常心を失ってしまった。

誰云猛虎惡,中路正悲啼。

此れを持って誰が猛虎は極悪非道というであろうか、帰るところを失ってその途中でまごついていて悲啼しているというのは、逆に憐れというものではないか。

豹來銜其尾,熊來攫其頤。

そうすると前に猛虎親子に喰われた豹がやって来てその尻尾を銜えるし、熊は猛虎の頤に掴みかかって仇をとろうとするのである。

#4

猛虎死不辭,但慚前所為。

虎坐無助死【虎兕無助死】,況如汝細微。

故當結以信,親當結以私。

親故且不保,人誰信汝為。 

 

#1

猛虎惡と云うと雖も,亦た各の匹儕【ひっせい】有り。

深谷の間を群行すれば,百獸 風を望んで低る。

身は黃熊【こうゆう】の父を食い,子には赤豹の麛【べい】を食わしむ。

肉を熊豹に擇ぶ,肯て兔と貍とを視んや。

#2

正晝【せいちゅう】 谷に當って眠り,眼に百步の威有り。

自ら當對無きを矜って,氣性 縱にして以って乖【もと】れり。

朝に怒って其の子を殺し,暮に還って其の妃を食む。

匹儕【ひっせい】四に散走し,猛虎 還た孤棲す。

#3

狐は門の兩旁に鳴き,烏鵲【うじゃく】從って噪之二【さわ】ぐ。

出でては逐えば猴入って居り,虎は歸える所を知らず。

誰か云う猛虎惡しと,中路にして正に悲み啼く。

豹 來って其の尾を銜み,熊 來って其の頤【おとがい】を攫【つか】む。

#4

猛虎は 死 辭せず,但だ 前の為す所に慚ず。

虎 坐ながら助け無くして死す,況んや汝の細微なるが如し。

故に當に結ぶに信を以ってすべし,親には當に結ぶに以私をってす。

親故すら 且つ保たずんば,人 誰か汝を信ずるを為さん。 

 辟雍00

 

『猛虎行』 現代語訳と訳註

(本文)#3

狐鳴門兩旁,烏鵲從噪之。

出逐猴入居【出逐蜼入居】,虎不知所歸。

誰云猛虎惡,中路正悲啼。

豹來銜其尾,熊來攫其頤。

 

(下し文) #3

狐は門の兩旁に鳴き,烏鵲【うじゃく】從って噪之二【さわ】ぐ。

出でては逐えば猴入って居り,虎は歸える所を知らず。

誰か云う猛虎惡しと,中路にして正に悲み啼く。

豹 來って其の尾を銜み,熊 來って其の頤【おとがい】を攫【つか】む。

 

(現代語訳)

きつねはその同類たちが逃散したのを洞窟の正門の両脇で守る宮人のようにまず泣くのである、それに追随して烏鵲達もこれと一緒に騒いだ。

猛虎はこれがうるさくてこれらの騒ぐ者たちを追っ払おうとした隙に、猿の群れがこの住居に入って占拠して入口を塞いだため、猛虎は帰るところを失って、平常心を失ってしまった。

此れを持って誰が猛虎は極悪非道というであろうか、帰るところを失ってその途中でまごついていて悲啼しているというのは、逆に憐れというものではないか。

そうすると前に猛虎親子に喰われた豹がやって来てその尻尾を銜えるし、熊は猛虎の頤に掴みかかって仇をとろうとするのである。

 

 

(訳注) #3

〔初度伐蔡,引宗閔為彰義觀察判官。蔡平,進知制誥。長慶初,錢徽典貢舉,宗閔托所親於徽,德裕及紳、稹共發其事,宗閔坐貶劍州刺史,俄復為中書舍人,由是嫌怨顯結。縉紳之禍,四十餘年不解。此贈詩,宗閔復入後作也。〕

(初めて度蔡を伐つ,引いて宗閔 彰義の觀察判官と為す。蔡 平らぐ,進めて知制 誥たり。長慶の初め,錢徽 貢舉を典どる,宗閔 所親を徽に托するや,德裕 及び紳、稹 共に其の事を發し,宗閔 坐して 劍州の刺史に貶され,俄【にわか】に復た中書舍人と為る,是に由って嫌怨【けんえん】顯わに結ぶ。縉紳の禍い,四十餘年解けず。此の贈詩は,宗閔初めて貶せられし時の作なり。)

 

狐鳴門兩旁,烏鵲從噪之。

きつねはその同類たちが逃散したのを洞窟の正門の両脇で守る宮人のようにまず泣くのである、それに追随して烏鵲達もこれと一緒に騒いだ。

○この二句は宮殿に仕える門番と仲の者たちが騒ぐことをいうが、宦官と宮女に対して李宗閔がこの猛虎のようにふるまったことをいうのであろう。

 

出逐猴入居,虎不知所歸。

猛虎はこれがうるさくてこれらの騒ぐ者たちを追っ払おうとした隙に、猿の群れがこの住居に入って占拠して入口を塞いだため、猛虎は帰るところを失って、平常心を失ってしまった。

○猴入居 猿の群れがこの住居に入って占拠して入口を塞い出猛虎が入れなくする。

○不知 猛虎は帰るところを失って、平常心を失ってしまうことをいう。 

 

誰云猛虎惡,中路正悲啼。

此れを持って誰が猛虎は極悪非道というであろうか、帰るところを失ってその途中でまごついていて悲啼しているというのは、逆に憐れというものではないか。

○中路 帰るところを失ってその途中でまごついていることをいう。

 

豹來銜其尾,熊來攫其頤。

そうすると前に猛虎親子に喰われた豹がやって来てその尻尾を銜えるし、熊は猛虎の頤に掴みかかって仇をとろうとするのである。
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396-2 《猛虎行〔猛虎行贈李宗閔〕》韓愈(韓退之) Ⅱ韓昌黎集 巻五 <1042>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4194韓愈詩-396-2

猛虎は自分に敵対する者は全くいないことを誇りにしていて、その気性はわがままそのものであり、その上道理に合わないことさえあえてするというものである。一度怒れば、親としての骨肉情さえも忘れ、その朝には自分の子さえ殺してしまう、夕べには妻であるメスを食らうことさえあるのである。

        
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396-2 《猛虎行〔猛虎行贈李宗閔〕》韓愈(韓退之) Ⅱ韓昌黎集 巻五 <1042  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4194韓愈詩-396-2

 

 

猛虎行 #1

猛虎雖云惡,亦各有匹儕。

猛虎というものはその性質は極めて毒悪であるが、それがまた各々同類があって一党をなしている。

群行深谷間,百獸望風低。

そして群れをなして深浅幽谷のあいだをゆく、するとあらゆる獣類はその威風を臨んだばかりで恐れ入って平伏してしまう。

身食黃熊父,子食赤豹麛。

猛虎自身は黃熊の父をも食らうというし、そして自分の子には赤豹の麛を当てがって食わしめる。

擇肉於熊豹,肯視兔與貍。

熊豹の肉をわざわざ選ぶくらいであるから兔やタヌキのような小さな獣類には見向きもしないのである。

#2

正晝當谷眠,眼有百步威。

真昼に谷間に眠っているのに、その眼力は百歩離れても見通せるほどの威力があるのでどんな獣類も近づくことはない。

自矜無當對,氣性縱以乖。

猛虎は自分に敵対する者は全くいないことを誇りにしていて、その気性はわがままそのものであり、その上道理に合わないことさえあえてするというものである。

朝怒殺其子,暮還食其妃【暮還飧其妃】。

一度怒れば、親としての骨肉情さえも忘れ、その朝には自分の子さえ殺してしまう、夕べには妻であるメスを食らうことさえあるのである。

匹儕四散走,猛虎還孤棲。

そうなってくるとそこにいる同類の者どもはその猛威をおそれ、四方に逃散し、走り去り、猛虎はその住まいに一人帰って来るのである。

#3

狐鳴門兩旁,烏鵲從噪之。

出逐猴入居【出逐蜼入居】,虎不知所歸。

誰云猛虎惡,中路正悲啼。

豹來銜其尾,熊來攫其頤。

#4

猛虎死不辭,但慚前所為。

虎坐無助死【虎兕無助死】,況如汝細微。

故當結以信,親當結以私。

親故且不保,人誰信汝為。 

 

#1

猛虎惡と云うと雖も,亦た各の匹儕【ひっせい】有り。

深谷の間を群行すれば,百獸 風を望んで低る。

身は黃熊【こうゆう】の父を食い,子には赤豹の麛【べい】を食わしむ。

肉を熊豹に擇ぶ,肯て兔と貍とを視んや。

#2

正晝【せいちゅう】 谷に當って眠り,眼に百步の威有り。

自ら當對無きを矜って,氣性 縱にして以って乖【もと】れり。

朝に怒って其の子を殺し,暮に還って其の妃を食む。

匹儕【ひっせい】四に散走し,猛虎 還た孤棲す。

#3

狐は門の兩旁に鳴き,烏鵲【うじゃく】從って噪之二【さわ】ぐ。

出でては逐えば猴入って居り,虎は歸える所を知らず。

誰か云う猛虎惡しと,中路にして正に悲み啼く。

豹 來って其の尾を銜み,熊 來って其の頤【おとがい】を攫【つか】む。

#4

猛虎は 死 辭せず,但だ 前の為す所に慚ず。

虎 坐ながら助け無くして死す,況んや汝の細微なるが如し。

故に當に結ぶに信を以ってすべし,親には當に結ぶに以私をってす。

親故すら 且つ保たずんば,人 誰か汝を信ずるを為さん。 

長安城郭015

 

『猛虎行』 現代語訳と訳註

(本文)#2

正晝當谷眠,眼有百步威。

自矜無當對,氣性縱以乖。

朝怒殺其子,暮還食其妃【暮還飧其妃】。

匹儕四散走,猛虎還孤棲。

 

(下し文)

正晝【せいちゅう】 谷に當って眠り,眼に百步の威有り。

自ら當對無きを矜って,氣性 縱にして以って乖【もと】れり。

朝に怒って其の子を殺し,暮に還って其の妃を食む。

匹儕【ひっせい】四に散走し,猛虎 還た孤棲す。

 

(現代語訳)

真昼に谷間に眠っているのに、その眼力は百歩離れても見通せるほどの威力があるのでどんな獣類も近づくことはない。

猛虎は自分に敵対する者は全くいないことを誇りにしていて、その気性はわがままそのものであり、その上道理に合わないことさえあえてするというものである。

一度怒れば、親としての骨肉情さえも忘れ、その朝には自分の子さえ殺してしまう、夕べには妻であるメスを食らうことさえあるのである。

そうなってくるとそこにいる同類の者どもはその猛威をおそれ、四方に逃散し、走り去り、猛虎はその住まいに一人帰って来るのである。

 

(訳注)#2

〔初度伐蔡,引宗閔為彰義觀察判官。蔡平,進知制誥。長慶初,錢徽典貢舉,宗閔托所親於徽,德裕及紳、稹共發其事,宗閔坐貶劍州刺史,俄復為中書舍人,由是嫌怨顯結。縉紳之禍,四十餘年不解。此贈詩,宗閔復入後作也。〕

(初めて度蔡を伐つ,引いて宗閔 彰義の觀察判官と為す。蔡 平らぐ,進めて知制 誥たり。長慶の初め,錢徽 貢舉を典どる,宗閔 所親を徽に托するや,德裕 及び紳、稹 共に其の事を發し,宗閔 坐して 劍州の刺史に貶され,俄【にわか】に復た中書舍人と為る,是に由って嫌怨【けんえん】顯わに結ぶ。縉紳の禍い,四十餘年解けず。此の贈詩は,宗閔初めて貶せられし時の作なり。)

 

正晝當谷眠,眼有百步威。

真昼に谷間に眠っているのに、その眼力は百歩離れても見通せるほどの威力があるのでどんな獣類も近づくことはない。

○正晝當谷眠,眼有百步威 李宗閔という人物は才敏且つ傲慢であった

 

自矜無當對,氣性縱以乖。

猛虎は自分に敵対する者は全くいないことを誇りにしていて、その気性はわがままそのものであり、その上道理に合わないことさえあえてするというものである。

○無當對 自分に敵対する者は全くいない。

○縱以乖 わがままその者であり、その上道理に合わないことさえあえてする。

 

朝怒殺其子,暮還食其妃。

一度怒れば、親としての骨肉情さえも忘れ、その朝には自分の子さえ殺してしまう、夕べには妻であるメスを食らうことさえあるのである。

○朝怒殺其子,暮還食其妃 自分の肉親、親族、一族にも横暴であったことをいう。.

 

匹儕四散走,猛虎還孤棲。

そうなってくるとそこにいる同類の者どもはその猛威をおそれ、四方に逃散し、走り去り、猛虎はその住まいに一人帰って来るのである。

○匹儕四散走,猛虎還孤棲 ついには味方するものがいなくなった地うこと。○匹儕 仲間。同類。一党。
唐朝 大明宮2000 

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猛虎というものはその性質は極めて毒悪であるが、それがまた各々同類があって一党をなしている。そして群れをなして深浅幽谷のあいだをゆく、するとあらゆる獣類はその威風を臨んだばかりで恐れ入って平伏してしまう。

        
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396-1

《猛虎行【猛虎行贈李宗閔】》韓愈(韓退之) Ⅱ唐宋八大家文読本 巻五 <1040  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4184韓愈詩-396-1

 

 

製作年:  821  長慶元年  54 

卷別: 卷三四一  文體: 五言古詩 

詩題: 猛虎行【猛虎行贈李宗閔】

〔初度伐蔡,引宗閔為彰義觀察判官。蔡平,進知制誥。長慶初,錢徽典貢舉,宗閔托所親於徽,德裕及紳、稹共發其事,宗閔坐貶劍州刺史,俄復為中書舍人,由是嫌怨顯結。縉紳之禍,四十餘年不解。此贈詩,宗閔復入後作也。〕  

 

821年長慶元年 54

 

395

395-1 《南山有高樹行贈李宗閔》韓愈(韓退之) Ⅱ韓昌黎集 巻五 <1036  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4164韓愈詩-395-1

南山有高樹,

396

猛虎行〔猛虎行贈李宗閔〕

猛虎雖云惡,

397

朝賀歸呈同官

薄雲蔽秋曦,

398

朝歸

峨峨進賢冠,

399

杏園送張徹侍御歸使

東風花樹下,

400

雨中寄張博士籍、侯主簿喜

放朝還不報,

401

奉和兵部張侍郎酬,鄆州馬尚書祗召,途中見寄,開緘之日,馬帥已再領鄆州之作

來朝當路日,

 

猛虎行 #1

猛虎雖云惡,亦各有匹儕。

猛虎というものはその性質は極めて毒悪であるが、それがまた各々同類があって一党をなしている。

群行深谷間,百獸望風低。

そして群れをなして深浅幽谷のあいだをゆく、するとあらゆる獣類はその威風を臨んだばかりで恐れ入って平伏してしまう。

身食黃熊父,子食赤豹麛。

猛虎自身は黃熊の父をも食らうというし、そして自分の子には赤豹の麛を当てがって食わしめる。

擇肉於熊豹,肯視兔與貍。

熊豹の肉をわざわざ選ぶくらいであるから兔やタヌキのような小さな獣類には見向きもしないのである。

#2

正晝當谷眠,眼有百步威。

自矜無當對,氣性縱以乖。

朝怒殺其子,暮還食其妃【暮還飧其妃】。

匹儕四散走,猛虎還孤棲。

#3

狐鳴門兩旁,烏鵲從噪之。

出逐猴入居【出逐蜼入居】,虎不知所歸。

誰云猛虎惡,中路正悲啼。

豹來銜其尾,熊來攫其頤。

#4

猛虎死不辭,但慚前所為。

虎坐無助死【虎兕無助死】,況如汝細微。

故當結以信,親當結以私。

親故且不保,人誰信汝為。 

 

#1

猛虎惡と云うと雖も,亦た各の匹儕【ひっせい】有り。

深谷の間を群行すれば,百獸 風を望んで低る。

身は黃熊【こうゆう】の父を食い,子には赤豹の麛【べい】を食わしむ。

肉を熊豹に擇ぶ,肯て兔と貍とを視んや。

#2

正晝【せいちゅう】 谷に當って眠り,眼に百步の威有り。

自ら當對無きを矜って,氣性 縱にして以って乖【もと】れり。

朝に怒って其の子を殺し,暮に還って其の妃を食む。

匹儕【ひっせい】四に散走し,猛虎 還た孤棲す。

#3

狐は門の兩旁に鳴き,烏鵲【うじゃく】從って噪之二【さわ】ぐ。

出でては逐えば猴入って居り,虎は歸える所を知らず。

誰か云う猛虎惡しと,中路にして正に悲み啼く。

豹 來って其の尾を銜み,熊 來って其の頤【おとがい】を攫【つか】む。

#4

猛虎は 死 辭せず,但だ 前の為す所に慚ず。

虎 坐ながら助け無くして死す,況んや汝の細微なるが如し。

故に當に結ぶに信を以ってすべし,親には當に結ぶに以私をってす。

親故すら 且つ保たずんば,人 誰か汝を信ずるを為さん。 

 

唐長安城図02

『猛虎行』 現代語訳と訳註

(本文)#1

猛虎行

猛虎雖云惡,亦各有匹儕。

群行深谷間,百獸望風低。

身食黃熊父,子食赤豹麛。

擇肉於熊豹,肯視兔與貍。

 

(下し文)#2

正晝【せいちゅう】 谷に當って眠り,眼に百步の威有り。

自ら當對無きを矜って,氣性 縱にして以って乖【もと】れり。

朝に怒って其の子を殺し,暮に還って其の妃を食む。

匹儕【ひっせい】四に散走し,猛虎 還た孤棲す。

 

(現代語訳)

猛虎というものはその性質は極めて毒悪であるが、それがまた各々同類があって一党をなしている。

そして群れをなして深浅幽谷のあいだをゆく、するとあらゆる獣類はその威風を臨んだばかりで恐れ入って平伏してしまう。

猛虎自身は黃熊の父をも食らうというし、そして自分の子には赤豹の麛を当てがって食わしめる。

熊豹の肉をわざわざ選ぶくらいであるから兔やタヌキのような小さな獣類には見向きもしないのである。
 

(訳注)

猛虎行【猛虎行贈李宗閔】

〔初度伐蔡,引宗閔為彰義觀察判官。蔡平,進知制誥。長慶初,錢徽典貢舉,宗閔托所親於徽,德裕及紳、稹共發其事,宗閔坐貶劍州刺史,俄復為中書舍人,由是嫌怨顯結。縉紳之禍,四十餘年不解。此贈詩,宗閔復入後作也。〕

(初めて度蔡を伐つ,引いて宗閔 彰義の觀察判官と為す。蔡 平らぐ,進めて知制 誥たり。長慶の初め,錢徽 貢舉を典どる,宗閔 所親を徽に托するや,德裕 及び紳、稹 共に其の事を發し,宗閔 坐して 劍州の刺史に貶され,俄【にわか】に復た中書舍人と為る,是に由って嫌怨【けんえん】顯わに結ぶ。縉紳の禍い,四十餘年解けず。此の贈詩は,宗閔初めて貶せられし時の作なり。)


穆宗の822年長慶元年、韓愈は五十四歳の正月を国子祭酒として長安で迎えた。

この年に行なわれた科挙に不正があると、翰林学士の李紳が同僚の李徳祐・元稹とともに訴えた。この年の科挙は銭徽が知貢挙(試験委員長)で、裴度の息子や中書舎人の李宗閔の婿などが合格した。

当時では、受験生の名をあらかじめ試験官に吹きこんでおくのは誰でもやっていたことで、かくべつ違法とも意識されていなかった。李紳も合格させたい受験生があり、名前を錢徽に吹きこんでおいたが、落第した。問題はここにあるわけで、李紳・元稹・李徳裕の三人は穆宗皇帝の前で、銭微と李宗閔たちとが結託して不正をはたらいていると意見を述べた。しかし事実は錢徽に頼みこんでいたのは宗閔だけではなかったわけで、李紳からの依頼の手紙も錢徽の手もとに残っていた。

それを皇帝に見せて身の潔白を証明すべきだとすすめる人もあったが、錢徽は、私信はあくまでも公開すべきではないといって焼き捨て、いっさい申し開きをしなかった。結局この年の四月に天子の裁定が下って、銭徽・李宗閔は流罪となり、科挙は最初からやり直しということになって、新しい知貢挙も任命された。
 

これは一科挙の問題ではなく、当時の政治問題を背景とした事件である。すなわち、科挙によって任官した挙子と父祖の功によって任官した任子との争いがこの時期よりしだいに表面化してくる。李徳裕は任子派、李宗閔は挙子派のそれぞれ中心人物であったが、これが抗争の一つのはしりとなった。

国子監諸学の学生はそれだけで科挙の受験資格はもつものの、国子祭酒は制度上科挙とはかかわりをもたない。
 

韓愈は直接のかかわりのないものであったが、李宗閔に同情したのである。それは①韓愈自身が挙子の出身であるということ、②宗閔の人格をわかっていた。③李宗閔はかつて淮西の乱のとき、韓愈とともに招かれて裴度の幕下に入ったという仲間意識があったためである。ただ、宗閔は朝廷からお咎めを受けた身であるから、同情を露骨に表わすことはできなかったので、遠まわしな表現の詩を作るほかはなかったということなのだ。贈った先の相手、宗閔には完全に韓愈の思いは理解できればよかったのだ。

 

猛虎雖云惡,亦各有匹儕。

猛虎というものはその性質は極めて毒悪であるが、それがまた各々同類があって一党をなしている。

○匹儕 仲間。同類。一党。

 

群行深谷間,百獸望風低。

そして群れをなして深浅幽谷のあいだをゆく、するとあらゆる獣類はその威風を臨んだばかりで恐れ入って平伏してしまう。

○望風低 威風を臨んだばかりで恐れ入って平伏してしまう。

 

身食黃熊父,子食赤豹麛。

猛虎自身は黃熊の父をも食らうというし、そして自分の子には赤豹の麛を当てがって食わしめる。

○黃熊 昔、文王が羌里に囚われた時、散宜生が黃熊を得て以て紂に献じ、西白の難を免れ占めたということがあって珍しいものであるということ。書経に「黄帝を有熊となし」とあるがここでは違う。

○赤豹麛 『楚辞、九歌』 「乗赤豹兮從文狸。」麛は鹿の子であるがここは単に子供のこと。

 

擇肉於熊豹,肯視兔與貍。

熊豹の肉をわざわざ選ぶくらいであるから兔やタヌキのような小さな獣類には見向きもしないのである。
百舌鳥03 

395-5 《南山有高樹行贈李宗閔》韓愈(韓退之) Ⅱ韓昌黎集 巻五 <1040>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4184韓愈詩-395-5

《南山有高樹行贈李宗閔》韓愈≫韓愈は直接のかかわりのないものであったが、李宗閔に同情したのである。それは①韓愈自身が挙子の出身であるということ、②宗閔の人格をわかっていた。③李宗閔はかつて淮西の乱のとき、韓愈とともに招かれて裴度の幕下に入ったという仲間意識があったためである。

        
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395-5 《南山有高樹行贈李宗閔》韓愈(韓退之) Ⅱ韓昌黎集 巻五 <1040  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4184韓愈詩-395-5

 

初度伐蔡,引宗閔為彰義觀察判官。蔡平,進知制誥。長慶初,錢徽典貢舉,宗閔托所親於徽,德裕及紳、稹共發其事,宗閔坐貶劍州刺史,俄復為中書舍人,由是嫌怨顯結。縉紳之禍,四十餘年不解。此贈詩,宗閔初貶時作也。

(初めて度蔡を伐つ,引いて宗閔 彰義の觀察判官と為す。蔡 平らぐ,進めて知制 誥たり。長慶の初め,錢徽 貢舉を典どる,宗閔 所親を徽に托するや,德裕 及び紳、稹 共に其の事を發し,宗閔 坐して 劍州の刺史に貶され,俄【にわか】に復た中書舍人と為る,是に由って嫌怨【けんえん】顯わに結ぶ。縉紳の禍い,四十餘年解けず。此の贈詩は,宗閔初めて貶せられし時の作なり。)

穆宗の822年長慶元年、韓愈は五十四歳の正月を国子祭酒として長安で迎えた。

この年に行なわれた科挙に不正があると、翰林学士の李紳が同僚の李徳祐・元稹とともに訴えた。この年の科挙は銭徽が知貢挙(試験委員長)で、裴度の息子や中書舎人の李宗閔の婿などが合格した。当時では、受験生の名をあらかじめ試験官に吹きこんでおくのは誰でもやっていたことで、かくべつ違法とも意識されていなかった。李紳も合格させたい受験生があり、名前を錢徽に吹きこんでおいたが、落第した。問題はここにあるわけで、李紳・元稹・李徳裕の三人は穆宗皇帝の前で、銭微と李宗閔たちとが結託して不正をはたらいていると意見を述べた。しかし事実は錢徽に頼みこんでいたのは宗閔だけではなかったわけで、李紳からの依頼の手紙も錢徽の手もとに残っていた。それを皇帝に見せて身の潔白を証明すべきだとすすめる人もあったが、錢徽は、私信はあくまでも公開すべきではないといって焼き捨て、いっさい申し開きをしなかった。結局この年の四月に天子の裁定が下って、銭徽・李宗閔は流罪となり、科挙は最初からやり直しということになって、新しい知貢挙も任命された。

これは一科挙の問題ではなく、当時の政治問題を背景とした事件である。すなわち、科挙によって任官した挙子と父祖の功によって任官した任子との争いがこの時期よりしだいに表面化してくる。李徳裕は任子派、李宗閔は挙子派のそれぞれ中心人物であったが、これが抗争の一つのはしりとなった。

国子監諸学の学生はそれだけで科挙の受験資格はもつものの、国子祭酒は制度上科挙とはかかわりをもたない。

韓愈は直接のかかわりのないものであったが、李宗閔に同情したのである。それは①韓愈自身が挙子の出身であるということ、②宗閔の人格をわかっていた。③李宗閔はかつて淮西の乱のとき、韓愈とともに招かれて裴度の幕下に入ったという仲間意識があったためである。ただ、宗閔は朝廷からお咎めを受けた身であるから、同情を露骨に表わすことはできなかったので、遠まわしな表現の詩を作るほかはなかったということなのだ。贈った先の相手、宗閔には完全に韓愈の思いは理解できればよかったのだ。

 

南山有高樹行贈李宗閔 #1

(終南山にはその花の蕊と葉が見事に曲線美を描いて一面に垂れさがる高樹木がある歌を李宗閔殿におくる。)

南山有高樹,花葉何衰衰【案:考張衡〈南都賦〉,當作蓑蓑。】

南山に高い樹がある。その花の蕊と葉が見事に曲線美を描いて一面に垂れさがることだろうか。

上有鳳皇巢,鳳皇乳且棲。

樹の上には鳳凰が巣をかけ、鳳凰はそこで子を生み、ねぐらとしている。

四旁多長枝,群鳥所托依。

樹の四方には長い枝が多く、そこに素晴らしい鳥が群をなし身を寄せている。

黃鵠據其高,眾鳥接其卑【眾鳥棲其卑】。

なかでも黄鵠は高いところにおり、ほかの鳥どもは低いところにいるわけだ。

#2

不知何山鳥,羽毛有光輝。

どこの山の鳥だろうか、羽根に輝きのある美しい鳥がいる。

飛飛擇所處,正得眾所希。

飛んで来てとまる枝を選び、まさに鳥どもの皆が望むその場所を確保した。

上承鳳皇恩,自期永不衰。

上からうける鳳凰の恩愛と信頼は分け隔てないものと思っていたし、当然それが永久に変わるものではないと信じていたのだ。

中與黃鵠群,不自隱其私。

したがってなかでは黄鶴の群れと仲間になっていることだから、個人的な秘密を隠そうともしなかったのである。

#3

下視眾鳥群,汝徒竟何為。

ところが「上の鳥は下にいる鳥どもの群を見くだしている」と、「おまえらには結局何もできるものではないと思っていた」と思われていた。

不知挾丸子,心默有所規。

弾丸をもっている人がでたのは思いがけないことであった、それは、胸に一物を抱きながらその鳥を狙っている者であった。

彈汝枝葉間,汝翅不覺摧。

その弾丸はおまえたちの鳥を葉のあいだから撃ちこまれたのだ、それでおまえの羽根は知らぬまにくだかれてしまった。

或言由黃鵠,黃鵠豈有之。

黃鵠のせいだという人もあるが、黄鵠がそんなことをするはずがない。

#4

慎勿猜眾鳥,眾鳥不足猜。

ここに至ると、集まっている鳥の群れをよく注視して鳥どもすべてを疑うということをしてはいけない、それらの鳥たちは疑うに足るだけのちからがない存在なのである。

無人語鳳皇,汝屈安得知。

誰も鳳と皇に証拠を出して上告するものはいないのだ、だから、おまえが理由もなくひどい目にあっているのを鳳と皇が知るよしもないということだ。

黃鵠得汝去,婆娑弄毛衣。

お前に期待を持っていた黄鶴はおまえが行ってしまったので、そこでただ、ばたばたと羽根を動かしているだけだ。

前汝下視鳥,各議汝瑕疵。

以前におまえが見くだしていた烏どもは、いまでは口々におまえの欠点を言いたてている。

#5

汝豈無朋匹,有口莫肯開。

おまえには友だちがいないわけではないのだが、その友達がここで口を開こうとすることができないのだ。

汝落蒿艾間,幾時復能飛。

おまえはこの度一旦、草の間に落ちたが、いつの日にか、また飛べるようになるのだろうか、きっとそうなる。

哀哀故山友,中夜思汝悲。

故山の友人仲間たちは何にもできない心さみしいおもいであり、夜半に集まっておまえのことを思って悲しんでいる。

路遠翅翎短,不得持汝歸。

今は、おまえの貶ちた所までの道のりは遠く、私の羽根は短い。おまえをつれて帰ってやりたいが、それもできない。(もう少し我慢をしてくれ。)

 

(「南山に高樹有る行」李宗閔に贈る) #1

南山に高樹有り,花葉 何んぞ 衰衰たる。

上に鳳皇の巢有り,鳳皇 乳して 且つ棲む。

四旁に 長枝多く,群鳥 托依する所なり。

黃鵠 其の高きところに據り,眾鳥 其の卑きに接す。

#2

知らず何れの山鳥ぞ,羽毛 光輝有り。

飛飛として 所處を擇び,正に眾希【こいねが】う所を得たり。

上は鳳皇の恩を承り,自ら期す 永く衰えざるを。

中は黃鵠と群し,自ら其の私を隱さず。

#3

下は眾鳥の群を視る,汝が徒 竟に何為れぞ。

知らず 挾丸子,心に默して規る所有るを。

汝を枝葉の間に彈ず,汝の翅 摧くを覺えず。

或は言う 「黃鵠に由る」と,黃鵠は豈に之に有らん。

#4

慎んで眾鳥を猜う勿れ,眾鳥を猜うに足らず。

人 鳳皇に語る無く,汝が屈 安んぞ知ることを得ん。

黃鵠 汝が去るを得て,婆娑 毛衣を弄す。

前に汝が下視せし鳥,各の汝が瑕疵を議す。

#5

汝 豈に朋匹無からんや,口有るは肯えて開く莫れ。

汝 蒿艾の間に落ち,幾時か 復た能く飛ばん。

哀哀たり 故山の友,中夜 汝を思い悲しむ。

路 遠く 翅翎短く,汝を持して歸えるを得ず。

 

大鷹01 

 

『南山有高樹行贈李宗閔』 現代語訳と訳註

(本文)

汝豈無朋匹,有口莫肯開。

汝落蒿艾間,幾時復能飛。

哀哀故山友,中夜思汝悲。

路遠翅翎短,不得持汝歸【不能持汝歸】。 

 

(下し文) #5

汝 豈に朋匹無からんや,口有るは肯えて開く莫れ。

汝 蒿艾の間に落ち,幾時か 復た能く飛ばん。

哀哀たり 故山の友,中夜 汝を思い悲しむ。

路 遠く 翅翎短く,汝を持して歸えるを得ず。

 

(現代語訳)

おまえには友だちがいないわけではないのだが、その友達がここで口を開こうとすることができないのだ。

おまえはこの度一旦、草の間に落ちたが、いつの日にか、また飛べるようになるのだろうか、きっとそうなる。

故山の友人仲間たちは何にもできない心さみしいおもいであり、夜半に集まっておまえのことを思って悲しんでいる。

今は、おまえの貶ちた所までの道のりは遠く、私の羽根は短い。おまえをつれて帰ってやりたいが、それもできない。(もう少し我慢をしてくれ。)

 

 

(訳注)

汝豈無朋匹,有口莫肯開。

おまえには友だちがいないわけではないのだが、その友達がここで口を開こうとすることができないのだ。

 

汝落蒿艾間,幾時復能飛。

おまえはこの度一旦、草の間に落ちたが、いつの日にか、また飛べるようになるのだろうか、きっとそうなる。

○蒿艾間 草々の間。罪となって貶せられたこと。

 

哀哀故山友,中夜思汝悲。

故山の友人仲間たちは何にもできない心さみしいおもいであり、夜半に集まっておまえのことを思って悲しんでいる。

○故山友 裴度門下であり、幕下であった仲間たちをいう。

 

路遠翅翎短,不得持汝歸。 

今は、おまえの貶ちた所までの道のりは遠く、私の羽根は短い。おまえをつれて帰ってやりたいが、それもできない。(もう少し我慢をしてくれ。)

○翅翎 羽の芯とつばさ。政治的に、合法的には助けてあげられる方法をいう。 
終南山06 

395-4 《南山有高樹行贈李宗閔》韓愈(韓退之) Ⅱ韓昌黎集 巻五 <1039>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4179韓愈詩-395-4

お前に期待を持っていた黄鶴はおまえが行ってしまったので、そこでただ、ばたばたと羽根を動かしているだけだ。以前におまえが見くだしていた烏どもは、いまでは口々におまえの欠点を言いたてている。

        
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 Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
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395-4 《南山有高樹行贈李宗閔》韓愈(韓退之) Ⅱ韓昌黎集 巻五 <1039  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4179韓愈詩-395-4

 

初度伐蔡,引宗閔為彰義觀察判官。蔡平,進知制誥。長慶初,錢徽典貢舉,宗閔托所親於徽,德裕及紳、稹共發其事,宗閔坐貶劍州刺史,俄復為中書舍人,由是嫌怨顯結。縉紳之禍,四十餘年不解。此贈詩,宗閔初貶時作也。

(初めて度蔡を伐つ,引いて宗閔 彰義の觀察判官と為す。蔡 平らぐ,進めて知制 誥たり。長慶の初め,錢徽 貢舉を典どる,宗閔 所親を徽に托するや,德裕 及び紳、稹 共に其の事を發し,宗閔 坐して 劍州の刺史に貶され,俄【にわか】に復た中書舍人と為る,是に由って嫌怨【けんえん】顯わに結ぶ。縉紳の禍い,四十餘年解けず。此の贈詩は,宗閔初めて貶せられし時の作なり。)

穆宗の822年長慶元年、韓愈は五十四歳の正月を国子祭酒として長安で迎えた。

この年に行なわれた科挙に不正があると、翰林学士の李紳が同僚の李徳祐・元稹とともに訴えた。この年の科挙は銭徽が知貢挙(試験委員長)で、裴度の息子や中書舎人の李宗閔の婿などが合格した。当時では、受験生の名をあらかじめ試験官に吹きこんでおくのは誰でもやっていたことで、かくべつ違法とも意識されていなかった。李紳も合格させたい受験生があり、名前を錢徽に吹きこんでおいたが、落第した。問題はここにあるわけで、李紳・元稹・李徳裕の三人は穆宗皇帝の前で、銭微と李宗閔たちとが結託して不正をはたらいていると意見を述べた。しかし事実は錢徽に頼みこんでいたのは宗閔だけではなかったわけで、李紳からの依頼の手紙も錢徽の手もとに残っていた。それを皇帝に見せて身の潔白を証明すべきだとすすめる人もあったが、錢徽は、私信はあくまでも公開すべきではないといって焼き捨て、いっさい申し開きをしなかった。結局この年の四月に天子の裁定が下って、銭徽・李宗閔は流罪となり、科挙は最初からやり直しということになって、新しい知貢挙も任命された。

これは一科挙の問題ではなく、当時の政治問題を背景とした事件である。すなわち、科挙によって任官した挙子と父祖の功によって任官した任子との争いがこの時期よりしだいに表面化してくる。李徳裕は任子派、李宗閔は挙子派のそれぞれ中心人物であったが、これが抗争の一つのはしりとなった。

国子監諸学の学生はそれだけで科挙の受験資格はもつものの、国子祭酒は制度上科挙とはかかわりをもたない。

韓愈は直接のかかわりのないものであったが、李宗閔に同情したのである。それは①韓愈自身が挙子の出身であるということ、②宗閔の人格をわかっていた。③李宗閔はかつて淮西の乱のとき、韓愈とともに招かれて裴度の幕下に入ったという仲間意識があったためである。ただ、宗閔は朝廷からお咎めを受けた身であるから、同情を露骨に表わすことはできなかったので、遠まわしな表現の詩を作るほかはなかったということなのだ。贈った先の相手、宗閔には完全に韓愈の思いは理解できればよかったのだ。

 

南山有高樹行贈李宗閔 #1

(終南山にはその花の蕊と葉が見事に曲線美を描いて一面に垂れさがる高樹木がある歌を李宗閔殿におくる。)

南山有高樹,花葉何衰衰【案:考張衡〈南都賦〉,當作蓑蓑。】

南山に高い樹がある。その花の蕊と葉が見事に曲線美を描いて一面に垂れさがることだろうか。

上有鳳皇巢,鳳皇乳且棲。

樹の上には鳳凰が巣をかけ、鳳凰はそこで子を生み、ねぐらとしている。

四旁多長枝,群鳥所托依。

樹の四方には長い枝が多く、そこに素晴らしい鳥が群をなし身を寄せている。

黃鵠據其高,眾鳥接其卑【眾鳥棲其卑】。

なかでも黄鵠は高いところにおり、ほかの鳥どもは低いところにいるわけだ。

#2

不知何山鳥,羽毛有光輝。

どこの山の鳥だろうか、羽根に輝きのある美しい鳥がいる。

飛飛擇所處,正得眾所希。

飛んで来てとまる枝を選び、まさに鳥どもの皆が望むその場所を確保した。

上承鳳皇恩,自期永不衰。

上からうける鳳凰の恩愛と信頼は分け隔てないものと思っていたし、当然それが永久に変わるものではないと信じていたのだ。

中與黃鵠群,不自隱其私。

したがってなかでは黄鶴の群れと仲間になっていることだから、個人的な秘密を隠そうともしなかったのである。

#3

下視眾鳥群,汝徒竟何為。

ところが「上の鳥は下にいる鳥どもの群を見くだしている」と、「おまえらには結局何もできるものではないと思っていた」と思われていた。

不知挾丸子,心默有所規。

弾丸をもっている人がでたのは思いがけないことであった、それは、胸に一物を抱きながらその鳥を狙っている者であった。

彈汝枝葉間,汝翅不覺摧。

その弾丸はおまえたちの鳥を葉のあいだから撃ちこまれたのだ、それでおまえの羽根は知らぬまにくだかれてしまった。

或言由黃鵠,黃鵠豈有之。

黃鵠のせいだという人もあるが、黄鵠がそんなことをするはずがない。

#4

慎勿猜眾鳥,眾鳥不足猜。

ここに至ると、集まっている鳥の群れをよく注視して鳥どもすべてを疑うということをしてはいけない、それらの鳥たちは疑うに足るだけのちからがない存在なのである。

無人語鳳皇,汝屈安得知。

誰も鳳と皇に証拠を出して上告するものはいないのだ、だから、おまえが理由もなくひどい目にあっているのを鳳と皇が知るよしもないということだ。

黃鵠得汝去,婆娑弄毛衣。

お前に期待を持っていた黄鶴はおまえが行ってしまったので、そこでただ、ばたばたと羽根を動かしているだけだ。

前汝下視鳥,各議汝瑕疵。

以前におまえが見くだしていた烏どもは、いまでは口々におまえの欠点を言いたてている。

#5

汝豈無朋匹,有口莫肯開。

汝落蒿艾間,幾時復能飛。

哀哀故山友,中夜思汝悲。

路遠翅翎短,不得持汝歸【不能持汝歸】。

 

(「南山に高樹有る行」李宗閔に贈る) #1

南山に高樹有り,花葉 何んぞ 衰衰たる。

上に鳳皇の巢有り,鳳皇 乳して 且つ棲む。

四旁に 長枝多く,群鳥 托依する所なり。

黃鵠 其の高きところに據り,眾鳥 其の卑きに接す。

#2

知らず何れの山鳥ぞ,羽毛 光輝有り。

飛飛として 所處を擇び,正に眾希【こいねが】う所を得たり。

上は鳳皇の恩を承り,自ら期す 永く衰えざるを。

中は黃鵠と群し,自ら其の私を隱さず。

#3

下は眾鳥の群を視る,汝が徒 竟に何為れぞ。

知らず 挾丸子,心に默して規る所有るを。

汝を枝葉の間に彈ず,汝の翅 摧くを覺えず。

或は言う 「黃鵠に由る」と,黃鵠は豈に之に有らん。

#4

慎んで眾鳥を猜う勿れ,眾鳥を猜うに足らず。

人 鳳皇に語る無く,汝が屈 安んぞ知ることを得ん。

黃鵠 汝が去るを得て,婆娑 毛衣を弄す。

前に汝が下視せし鳥,各の汝が瑕疵を議す。

#5

汝 豈に朋匹無からんや,口有るは肯えて開く莫れ。

汝 蒿艾の間に落ち,幾時か 復た能く飛ばん。

哀哀たり 故山の友,中夜 汝を思い悲しむ。

路 遠く 翅翎短く,汝を持して歸えるを得ず。

幻日環01 

 

『南山有高樹行贈李宗閔』 現代語訳と訳註

(本文) #4

慎勿猜眾鳥,眾鳥不足猜【眾鳥不足疑】。

無人語鳳皇,汝屈安得知。

黃鵠得汝去,婆娑弄毛衣。

前汝下視鳥,各議汝瑕疵。

 

 

(下し文)  #4

慎んで眾鳥を猜う勿れ,眾鳥を猜うに足らず。

人 鳳皇に語る無く,汝が屈 安んぞ知ることを得ん。

黃鵠 汝が去るを得て,婆娑 毛衣を弄す。

前に汝が下視せし鳥,各の汝が瑕疵を議す。

 

(現代語訳)  #4

ここに至ると、集まっている鳥の群れをよく注視して鳥どもすべてを疑うということをしてはいけない、それらの鳥たちは疑うに足るだけのちからがない存在なのである。

誰も鳳と皇に証拠を出して上告するものはいないのだ、だから、おまえが理由もなくひどい目にあっているのを鳳と皇が知るよしもないということだ。

お前に期待を持っていた黄鶴はおまえが行ってしまったので、そこでただ、ばたばたと羽根を動かしているだけだ。

以前におまえが見くだしていた烏どもは、いまでは口々におまえの欠点を言いたてている。

 

(訳注)  #4

(終南山にはその花の蕊と葉が見事に曲線美を描いて一面に垂れさがる高樹木がある歌を李宗閔殿におくる。)

この詩は「鳳凰」を韓愈と宗閔らと幕下に入った裴度公、「挾丸子」を李徳祐・李紳・元稹らの貶せられた者たちに喩えて詠い、この詩を上篇とし南山猛虎行を下篇としてつくった。

 

慎勿猜眾鳥,眾鳥不足猜。

ここに至ると、集まっている鳥の群れをよく注視して鳥どもすべてを疑うということをしてはいけない、それらの鳥たちは疑うに足るだけのちからがない存在なのである。

○猜眾鳥 黃鵠ではない一般的な官僚まで猜疑心をもってうらむことはいけない。

○不足猜 その眾鳥には君を貶めるだけの力量はない。

 

無人語鳳皇,汝屈安得知

誰も鳳と皇に証拠を出して上告するものはいないのだ、だから、おまえが理由もなくひどい目にあっているのを鳳と皇が知るよしもないということだ。

○語鳳皇 錢徽と李宗閔を弁護擁護して、その罪を救うための上申してくれること。

○汝屈 おまえが理由もなくひどい目にあっていること。こういう言い方をする場合、宦官の仕業と言っていると解釈すべきである。この頃絶大な勢力、天子への影響力のみならず、宗教界、商人、あらゆる階層に絶対堤権力を持っていた。

 

黃鵠得汝去,婆娑弄毛衣。

お前に期待を持っていた黄鶴はおまえが行ってしまったので、そこでただ、ばたばたと羽根を動かしているだけだ。

○婆娑 1 舞う人の衣の袖がひるがえるさま。2 物の影などが揺れ動くさま。

 

前汝下視鳥,各議汝瑕疵。

以前におまえが見くだしていた烏どもは、いまでは口々におまえの欠点を言いたてている。

○瑕疵 欠点・欠陥のあることをいう。
終南山03 

395-3 《南山有高樹行贈李宗閔》韓愈(韓退之) Ⅱ韓昌黎集 巻五 <1038>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4174韓愈詩-395-3

その弾丸はおまえたちの鳥を葉のあいだから撃ちこまれたのだ、それでおまえの羽根は知らぬまにくだかれてしまった。黃鵠のせいだという人もあるが、黄鵠がそんなことをするはずがない。

        
 2014年5月10日の紀頌之5つのブログ 
 ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場 
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 ・李商隠詩 (1) 136首の75首・李商隠詩 (2) 135首の61首●韓愈index-1 ・孟郊、張籍と交遊・汴州乱41首●韓愈詩index-2[800年 33歳~804年 37歳]27首●韓愈詩index-3 805年 38歳・]陽山から江陵府 36首●韓愈詩index-4 806年 39歳 江陵府・権知国子博士 51首(1)25首 
 index-5 806年39歳 50首の(2)25首index-6[807年~809年 42歳]20首index-7[810年~811年 44歳] 34首index-8 [812年~814年47歳]46首index-9[815年~816年 49歳] 57首index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首 
 index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首index-13 821年~822年 55歳 22首index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首韓愈 哲学・儒学「五原」賦・散文・上奏文・碑文など 
 孟郊張籍     
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 杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩) 杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首 
 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
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395-3 《南山有高樹行贈李宗閔》韓愈(韓退之) Ⅱ韓昌黎集 巻五 <1038  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4174韓愈詩-395-3

 

杏の花0055 

初度伐蔡,引宗閔為彰義觀察判官。蔡平,進知制誥。長慶初,錢徽典貢舉,宗閔托所親於徽,德裕及紳、稹共發其事,宗閔坐貶劍州刺史,俄復為中書舍人,由是嫌怨顯結。縉紳之禍,四十餘年不解。此贈詩,宗閔初貶時作也。

(初めて度蔡を伐つ,引いて宗閔 彰義の觀察判官と為す。蔡 平らぐ,進めて知制 誥たり。長慶の初め,錢徽 貢舉を典どる,宗閔 所親を徽に托するや,德裕 及び紳、稹 共に其の事を發し,宗閔 坐して 劍州の刺史に貶され,俄【にわか】に復た中書舍人と為る,是に由って嫌怨【けんえん】顯わに結ぶ。縉紳の禍い,四十餘年解けず。此の贈詩は,宗閔初めて貶せられし時の作なり。)

穆宗の822年長慶元年、韓愈は五十四歳の正月を国子祭酒として長安で迎えた。

この年に行なわれた科挙に不正があると、翰林学士の李紳が同僚の李徳祐・元稹とともに訴えた。この年の科挙は銭徽が知貢挙(試験委員長)で、裴度の息子や中書舎人の李宗閔の婿などが合格した。当時では、受験生の名をあらかじめ試験官に吹きこんでおくのは誰でもやっていたことで、かくべつ違法とも意識されていなかった。李紳も合格させたい受験生があり、名前を錢徽に吹きこんでおいたが、落第した。問題はここにあるわけで、李紳・元稹・李徳裕の三人は穆宗皇帝の前で、銭微と李宗閔たちとが結託して不正をはたらいていると意見を述べた。しかし事実は錢徽に頼みこんでいたのは宗閔だけではなかったわけで、李紳からの依頼の手紙も錢徽の手もとに残っていた。それを皇帝に見せて身の潔白を証明すべきだとすすめる人もあったが、錢徽は、私信はあくまでも公開すべきではないといって焼き捨て、いっさい申し開きをしなかった。結局この年の四月に天子の裁定が下って、銭徽・李宗閔は流罪となり、科挙は最初からやり直しということになって、新しい知貢挙も任命された。

これは一科挙の問題ではなく、当時の政治問題を背景とした事件である。すなわち、科挙によって任官した挙子と父祖の功によって任官した任子との争いがこの時期よりしだいに表面化してくる。李徳裕は任子派、李宗閔は挙子派のそれぞれ中心人物であったが、これが抗争の一つのはしりとなった。

国子監諸学の学生はそれだけで科挙の受験資格はもつものの、国子祭酒は制度上科挙とはかかわりをもたない。

韓愈は直接のかかわりのないものであったが、李宗閔に同情したのである。それは①韓愈自身が挙子の出身であるということ、②宗閔の人格をわかっていた。③李宗閔はかつて淮西の乱のとき、韓愈とともに招かれて裴度の幕下に入ったという仲間意識があったためである。ただ、宗閔は朝廷からお咎めを受けた身であるから、同情を露骨に表わすことはできなかったので、遠まわしな表現の詩を作るほかはなかったということなのだ。贈った先の相手、宗閔には完全に韓愈の思いは理解できればよかったのだ。

 

南山有高樹行贈李宗閔 #1

(終南山にはその花の蕊と葉が見事に曲線美を描いて一面に垂れさがる高樹木がある歌を李宗閔殿におくる。)

南山有高樹,花葉何衰衰【案:考張衡〈南都賦〉,當作蓑蓑。】

南山に高い樹がある。その花の蕊と葉が見事に曲線美を描いて一面に垂れさがることだろうか。

上有鳳皇巢,鳳皇乳且棲。

樹の上には鳳凰が巣をかけ、鳳凰はそこで子を生み、ねぐらとしている。

四旁多長枝,群鳥所托依。

樹の四方には長い枝が多く、そこに素晴らしい鳥が群をなし身を寄せている。

黃鵠據其高,眾鳥接其卑【眾鳥棲其卑】。

なかでも黄鵠は高いところにおり、ほかの鳥どもは低いところにいるわけだ。

#2

不知何山鳥,羽毛有光輝。

どこの山の鳥だろうか、羽根に輝きのある美しい鳥がいる。

飛飛擇所處,正得眾所希。

飛んで来てとまる枝を選び、まさに鳥どもの皆が望むその場所を確保した。

上承鳳皇恩,自期永不衰。

上からうける鳳凰の恩愛と信頼は分け隔てないものと思っていたし、当然それが永久に変わるものではないと信じていたのだ。

中與黃鵠群,不自隱其私。

したがってなかでは黄鶴の群れと仲間になっていることだから、個人的な秘密を隠そうともしなかったのである。

#3

下視眾鳥群,汝徒竟何為。

ところが「上の鳥は下にいる鳥どもの群を見くだしている」と、「おまえらには結局何もできるものではないと思っていた」と思われていた。

不知挾丸子,心默有所規。

弾丸をもっている人がでたのは思いがけないことであった、それは、胸に一物を抱きながらその鳥を狙っている者であった。

彈汝枝葉間,汝翅不覺摧。

その弾丸はおまえたちの鳥を葉のあいだから撃ちこまれたのだ、それでおまえの羽根は知らぬまにくだかれてしまった。

或言由黃鵠,黃鵠豈有之。

黃鵠のせいだという人もあるが、黄鵠がそんなことをするはずがない。

#4

慎勿猜眾鳥,眾鳥不足猜【眾鳥不足疑】。

無人語鳳皇,汝屈安得知。

黃鵠得汝去,婆娑弄毛衣。

前汝下視鳥,各議汝瑕疵。

#5

汝豈無朋匹,有口莫肯開。

汝落蒿艾間,幾時復能飛。

哀哀故山友,中夜思汝悲。

路遠翅翎短,不得持汝歸【不能持汝歸】。

 

(「南山に高樹有る行」李宗閔に贈る) #1

南山に高樹有り,花葉 何んぞ 衰衰たる。

上に鳳皇の巢有り,鳳皇 乳して 且つ棲む。

四旁に 長枝多く,群鳥 托依する所なり。

黃鵠 其の高きところに據り,眾鳥 其の卑きに接す。

#2

知らず何れの山鳥ぞ,羽毛 光輝有り。

飛飛として 所處を擇び,正に眾希【こいねが】う所を得たり。

上は鳳皇の恩を承り,自ら期す 永く衰えざるを。

中は黃鵠と群し,自ら其の私を隱さず。

#3

下は眾鳥の群を視る,汝が徒 竟に何為れぞ。

知らず 挾丸子,心に默して規る所有るを。

汝を枝葉の間に彈ず,汝の翅 摧くを覺えず。

或は言う 「黃鵠に由る」と,黃鵠は豈に之に有らん。

#4

慎んで眾鳥を猜う勿れ,眾鳥を猜うに足らず。

人 鳳皇に語る無く,汝が屈 安んぞ知ることを得ん。

黃鵠 汝が去るを得て,婆娑 毛衣を弄す。

前に汝が下視せし鳥,各の汝が瑕疵を議す。

#5

汝 豈に朋匹無からんや,口有るは肯えて開く莫れ。

汝 蒿艾の間に落ち,幾時か 復た能く飛ばん。

哀哀たり 故山の友,中夜 汝を思い悲しむ。

路 遠く 翅翎短く,汝を持して歸えるを得ず。

函谷関長安地図座標005 

 

『南山有高樹行贈李宗閔』 現代語訳と訳註

(本文) #3

下視眾鳥群,汝徒竟何為。

不知挾丸子,心默有所規。

彈汝枝葉間,汝翅不覺摧。

或言由黃鵠,黃鵠豈有之。

 

(下し文)#3

下は眾鳥の群を視る,汝が徒 竟に何為れぞ。

知らず 挾丸子,心に默して規る所有るを。

汝を枝葉の間に彈ず,汝の翅 摧くを覺えず。

或は言う 「黃鵠に由る」と,黃鵠は豈に之に有らん。

 

(現代語訳)

ところが「上の鳥は下にいる鳥どもの群を見くだしている」と、「おまえらには結局何もできるものではないと思っていた」と思われていた。

弾丸をもっている人がでたのは思いがけないことであった、それは、胸に一物を抱きながらその鳥を狙っている者であった。

その弾丸はおまえたちの鳥を葉のあいだから撃ちこまれたのだ、それでおまえの羽根は知らぬまにくだかれてしまった。

黃鵠のせいだという人もあるが、黄鵠がそんなことをするはずがない。

 

(訳注)

(終南山にはその花の蕊と葉が見事に曲線美を描いて一面に垂れさがる高樹木がある歌を李宗閔殿におくる。)

この詩は「鳳凰」を韓愈と宗閔らと幕下に入った裴度公、「挾丸子」を李徳祐・李紳・元稹らの貶せられた者たちに喩えて詠い、この詩を上篇とし南山猛虎行を下篇としてつくった。

 

下視眾鳥群,汝徒竟何為。

ところが「上の鳥は下にいる鳥どもの群を見くだしている」と、「おまえらには結局何もできるものではないと思っていた」と思われていた。

○ここからの8句は挙子はの有名な者たちと任子派からも煙たがられていた李宗閔を標的にしたことを比喩している。

 

不知挾丸子,心默有所規。

弾丸をもっている人がでたのは思いがけないことであった、それは、胸に一物を抱きながらその鳥を狙っている者であった。

○挾丸子 錢徽と李宗閔を撃ち取ろうとする者のこと。

 

彈汝枝葉間,汝翅不覺摧。

その弾丸はおまえたちの鳥を葉のあいだから撃ちこまれたのだ、それでおまえの羽根は知らぬまにくだかれてしまった。

○この二句 「不正科挙試験の事件」翰林学士の訴えによるもの。

 

或言由黃鵠,黃鵠豈有之。

黃鵠のせいだという人もあるが、黄鵠がそんなことをするはずがない。

○黃鵠 裴度の門下、幕下のもの。或は裴度自身。

長安付近図00 

395-2 《南山有高樹行贈李宗閔》韓愈(韓退之) Ⅱ韓昌黎集 巻五 <1037>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4169韓愈詩-395-2

南山有高樹行贈李宗閔》韓愈≫ 上からうける鳳凰の恩愛と信頼は分け隔てないものと思っていたし、当然それが永久に変わるものではないと信じていたのだ。したがってなかでは黄鶴の群れと仲間になっていることだから、個人的な秘密を隠そうともしなかったのである。

        
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395-2 《南山有高樹行贈李宗閔》韓愈(韓退之) Ⅱ韓昌黎集 巻五 <1037  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4169韓愈詩-395-2

 

 

初度伐蔡,引宗閔為彰義觀察判官。蔡平,進知制誥。長慶初,錢徽典貢舉,宗閔托所親於徽,德裕及紳、稹共發其事,宗閔坐貶劍州刺史,俄復為中書舍人,由是嫌怨顯結。縉紳之禍,四十餘年不解。此贈詩,宗閔初貶時作也。

(初めて度蔡を伐つ,引いて宗閔 彰義の觀察判官と為す。蔡 平らぐ,進めて知制 誥たり。長慶の初め,錢徽 貢舉を典どる,宗閔 所親を徽に托するや,德裕 及び紳、稹 共に其の事を發し,宗閔 坐して 劍州の刺史に貶され,俄【にわか】に復た中書舍人と為る,是に由って嫌怨【けんえん】顯わに結ぶ。縉紳の禍い,四十餘年解けず。此の贈詩は,宗閔初めて貶せられし時の作なり。)

 

南山有高樹行贈李宗閔 #1

(終南山にはその花の蕊と葉が見事に曲線美を描いて一面に垂れさがる高樹木がある歌を李宗閔殿におくる。)

南山有高樹,花葉何衰衰【案:考張衡〈南都賦〉,當作蓑蓑。】

南山に高い樹がある。その花の蕊と葉が見事に曲線美を描いて一面に垂れさがることだろうか。

上有鳳皇巢,鳳皇乳且棲。

樹の上には鳳凰が巣をかけ、鳳凰はそこで子を生み、ねぐらとしている。

四旁多長枝,群鳥所托依。

樹の四方には長い枝が多く、そこに素晴らしい鳥が群をなし身を寄せている。

黃鵠據其高,眾鳥接其卑【眾鳥棲其卑】。

なかでも黄鵠は高いところにおり、ほかの鳥どもは低いところにいるわけだ。

#2

不知何山鳥,羽毛有光輝。

どこの山の鳥だろうか、羽根に輝きのある美しい鳥がいる。

飛飛擇所處,正得眾所希。

飛んで来てとまる枝を選び、まさに鳥どもの皆が望むその場所を確保した。

上承鳳皇恩,自期永不衰。

上からうける鳳凰の恩愛と信頼は分け隔てないものと思っていたし、当然それが永久に変わるものではないと信じていたのだ。

中與黃鵠群,不自隱其私。

したがってなかでは黄鶴の群れと仲間になっていることだから、個人的な秘密を隠そうともしなかったのである。

#3

下視眾鳥群,汝徒竟何為。

不知挾丸子,心默有所規。

彈汝枝葉間,汝翅不覺摧。

或言由黃鵠,黃鵠豈有之。

#4

慎勿猜眾鳥,眾鳥不足猜【眾鳥不足疑】。

無人語鳳皇,汝屈安得知。

黃鵠得汝去,婆娑弄毛衣。

前汝下視鳥,各議汝瑕疵。

#5

汝豈無朋匹,有口莫肯開。

汝落蒿艾間,幾時復能飛。

哀哀故山友,中夜思汝悲。

路遠翅翎短,不得持汝歸【不能持汝歸】。

 

(「南山に高樹有る行」李宗閔に贈る) #1

南山に高樹有り,花葉 何んぞ 衰衰たる。

上に鳳皇の巢有り,鳳皇 乳して 且つ棲む。

四旁に 長枝多く,群鳥 托依する所なり。

黃鵠 其の高きところに據り,眾鳥 其の卑きに接す。

#2

知らず何れの山鳥ぞ,羽毛 光輝有り。

飛飛として 所處を擇び,正に眾希【こいねが】う所を得たり。

上は鳳皇の恩を承り,自ら期す 永く衰えざるを。

中は黃鵠と群し,自ら其の私を隱さず。

#3

下は眾鳥の群を視る,汝が徒 竟に何為れぞ。

知らず 挾丸子,心に默して規る所有るを。

汝を枝葉の間に彈ず,汝の翅 摧くを覺えず。

或は言う 「黃鵠に由る」と,黃鵠は豈に之に有らん。

#4

慎んで眾鳥を猜う勿れ,眾鳥を猜うに足らず。

人 鳳皇に語る無く,汝が屈 安んぞ知ることを得ん。

黃鵠 汝が去るを得て,婆娑 毛衣を弄す。

前に汝が下視せし鳥,各の汝が瑕疵を議す。

#5

汝 豈に朋匹無からんや,口有るは肯えて開く莫れ。

汝 蒿艾の間に落ち,幾時か 復た能く飛ばん。

哀哀たり 故山の友,中夜 汝を思い悲しむ。

路 遠く 翅翎短く,汝を持して歸えるを得ず。

甘粛省-嘉峪関 

 

『南山有高樹行贈李宗閔』 現代語訳と訳註

(本文)#2

不知何山鳥,羽毛有光輝。

飛飛擇所處,正得眾所希。

上承鳳皇恩,自期永不衰。

中與黃鵠群,不自隱其私。

 

 

(下し文) #2

知らず何れの山鳥ぞ,羽毛 光輝有り。

飛飛として 所處を擇び,正に眾希【こいねが】う所を得たり。

上は鳳皇の恩を承り,自ら期す 永く衰えざるを。

中は黃鵠と群し,自ら其の私を隱さず。

 

 

(現代語訳)

どこの山の鳥だろうか、羽根に輝きのある美しい鳥がいる。

飛んで来てとまる枝を選び、まさに鳥どもの皆が望むその場所を確保した。

上からうける鳳凰の恩愛と信頼は分け隔てないものと思っていたし、当然それが永久に変わるものではないと信じていたのだ。

したがってなかでは黄鶴の群れと仲間になっていることだから、個人的な秘密を隠そうともしなかったのである。

 杏の花0055

 

(訳注) #2

南山有高樹行贈李宗閔

(終南山にはその花の蕊と葉が見事に曲線美を描いて一面に垂れさがる高樹木がある歌を李宗閔殿におくる。)

この詩は「鳳凰」を韓愈と宗閔らと幕下に入った裴度公、「挾丸子」を李徳祐・李紳・元稹らの貶せられた者たちに喩えて詠い、この詩を上篇とし南山猛虎行を下篇としてつくった。

 

不知何山鳥,羽毛有光輝。

どこの山の鳥だろうか、羽根に輝きのある美しい鳥がいる。

○何山鳥 挙子派は身分が低いものも優秀であれば推薦で受験できた。

○羽毛有光輝 挙子派の中には、李紳・元稹・李徳祐の名だたる詩人がおり、また、任子派は家柄や富貴の者の子であるから権威だけをよりどころとする。ここでは李宗閔が、挙子派の中で才智に溢れ、力を持っていたというほどの意味で各派が一枚岩ではないことを表現する。

 

飛飛擇所處,正得眾所希。

飛んで来てとまる枝を選び、まさに鳥どもの皆が望むその場所を確保した。

○正得 李宗閔は挙子派であっても力を発揮しそれ相応の地位を確保した。

 

上承鳳皇恩,自期永不衰。

上からうける鳳凰の恩愛と信頼は分け隔てないものと思っていたし、当然それが永久に変わるものではないと信じていたのだ。

○鳳皇恩 鳳は裴度で、皇は天子。天子の恩と・裴度からの信頼。

○自期永不衰 この句は李宗閔が朝廷内で、官僚を見くびり、高慢であったこと、上からの信頼が絶代と思い込んでいたこと、を韓愈は指摘している。

 

中與黃鵠群,不自隱其私。

したがってなかでは黄鶴の群れと仲間になっていることだから、個人的な秘密を隠そうともしなかったのである。

○不自隱其私 李宗閔は自派の推薦が通るものと公言していたこと、それが他派からの諫言により発覚したことをいい、李宗閔の詰めの甘さをいうものである。
函谷関長安地図座標001 

395-1 《南山有高樹行贈李宗閔》韓愈(韓退之) Ⅱ韓昌黎集 巻五 <1036>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4164韓愈詩-395-1

(終南山にはその花の蕊と葉が見事に曲線美を描いて一面に垂れさがる高樹木がある歌を李宗閔殿におくる。)樹の上には鳳凰が巣をかけ、鳳凰はそこで子を生み、ねぐらとしている。樹の四方には長い枝が多く、そこに素晴らしい鳥が群をなし身を寄せている。

        
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 index-5 806年39歳 50首の(2)25首index-6[807年~809年 42歳]20首index-7[810年~811年 44歳] 34首index-8 [812年~814年47歳]46首index-9[815年~816年 49歳] 57首index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首 
 index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首index-13 821年~822年 55歳 22首index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首韓愈 哲学・儒学「五原」賦・散文・上奏文・碑文など 
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 杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩) 杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首 
 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
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395-1 《南山有高樹行贈李宗閔》韓愈(韓退之) Ⅱ韓昌黎集 巻五 <1036  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4164韓愈詩-395-1

index-13821年長慶元年 54歳~822年長慶2年 55歳  ・兵部侍郎・吏部侍郎に転任。22首

 

製作年:  821  長慶元年  54

卷別: 巻六 卷三四一  文體: 五言古詩 

詩題: 南山有高樹行贈李宗閔

〔初度伐蔡,引宗閔為彰義觀察判官。蔡平,進知制誥。長慶初,錢徽典貢舉,宗閔托所親於徽,德裕及紳、稹共發其事,宗閔坐貶劍州刺史,俄復為中書舍人,由是嫌怨顯結。縉紳之禍,四十餘年不解。此贈詩,宗閔初貶時作也。〕 

交遊人物/ 李宗閔   劍南道北部 劍州

 

初度伐蔡,引宗閔為彰義觀察判官。蔡平,進知制誥。長慶初,錢徽典貢舉,宗閔托所親於徽,德裕及紳、稹共發其事,宗閔坐貶劍州刺史,俄復為中書舍人,由是嫌怨顯結。縉紳之禍,四十餘年不解。此贈詩,宗閔初貶時作也。

(初めて度蔡を伐つ,引いて宗閔 彰義の觀察判官と為す。蔡 平らぐ,進めて知制 誥たり。長慶の初め,錢徽 貢舉を典どる,宗閔 所親を徽に托するや,德裕 及び紳、稹 共に其の事を發し,宗閔 坐して 劍州の刺史に貶され,俄【にわか】に復た中書舍人と為る,是に由って嫌怨【けんえん】顯わに結ぶ。縉紳の禍い,四十餘年解けず。此の贈詩は,宗閔初めて貶せられし時の作なり。)


穆宗の
822年長慶元年、韓愈は五十四歳の正月を国子祭酒として長安で迎えた。

この年に行なわれた科挙に不正があると、翰林学士の李紳が同僚の李徳祐・元稹とともに訴えた。この年の科挙は銭徽が知貢挙(試験委員長)で、裴度の息子や中書舎人の李宗閔の婿などが合格した。

当時では、受験生の名をあらかじめ試験官に吹きこんでおくのは誰でもやっていたことで、かくべつ違法とも意識されていなかった。李紳も合格させたい受験生があり、名前を錢徽に吹きこんでおいたが、落第した。問題はここにあるわけで、李紳・元稹・李徳裕の三人は穆宗皇帝の前で、銭微と李宗閔たちとが結託して不正をはたらいていると意見を述べた。しかし事実は錢徽に頼みこんでいたのは宗閔だけではなかったわけで、李紳からの依頼の手紙も錢徽の手もとに残っていた。

それを皇帝に見せて身の潔白を証明すべきだとすすめる人もあったが、錢徽は、私信はあくまでも公開すべきではないといって焼き捨て、いっさい申し開きをしなかった。結局この年の四月に天子の裁定が下って、銭徽・李宗閔は流罪となり、科挙は最初からやり直しということになって、新しい知貢挙も任命された。
 

これは一科挙の問題ではなく、当時の政治問題を背景とした事件である。すなわち、科挙によって任官した挙子と父祖の功によって任官した任子との争いがこの時期よりしだいに表面化してくる。李徳裕は任子派、李宗閔は挙子派のそれぞれ中心人物であったが、これが抗争の一つのはしりとなった。

国子監諸学の学生はそれだけで科挙の受験資格はもつものの、国子祭酒は制度上科挙とはかかわりをもたない。
 

韓愈は直接のかかわりのないものであったが、李宗閔に同情したのである。それは①韓愈自身が挙子の出身であるということ、②宗閔の人格をわかっていた。③李宗閔はかつて淮西の乱のとき、韓愈とともに招かれて裴度の幕下に入ったという仲間意識があったためである。ただ、宗閔は朝廷からお咎めを受けた身であるから、同情を露骨に表わすことはできなかったので、遠まわしな表現の詩を作るほかはなかったということなのだ。贈った先の相手、宗閔には完全に韓愈の思いは理解できればよかったのだ。

 


南山有高樹行贈李宗閔 #1

南山有高樹,花葉何衰衰。

上有鳳皇巢,鳳皇乳且棲。

四旁多長枝,群鳥所托依。

黃鵠據其高,眾鳥接其卑。

#2

不知何山鳥,羽毛有光輝。

飛飛擇所處,正得眾所希。

上承鳳皇恩,自期永不衰。

中與黃鵠群,不自隱其私。

#3

下視眾鳥群,汝徒竟何為。

不知挾丸子,心默有所規。

彈汝枝葉間,汝翅不覺摧。

或言由黃鵠,黃鵠豈有之。

#4

慎勿猜眾鳥,眾鳥不足猜【眾鳥不足疑】。

無人語鳳皇,汝屈安得知。

黃鵠得汝去,婆娑弄毛衣。

前汝下視鳥,各議汝瑕疵。

#5

汝豈無朋匹,有口莫肯開。

汝落蒿艾間,幾時復能飛。

哀哀故山友,中夜思汝悲。

路遠翅翎短,不得持汝歸【不能持汝歸】。

 

(「南山に高樹有る行」李宗閔に贈る) #1

南山に高樹有り,花葉 何んぞ 衰衰たる。

上に鳳皇の巢有り,鳳皇 乳して 且つ棲む。

四旁に 長枝多く,群鳥 托依する所なり。

黃鵠 其の高きところに據り,眾鳥 其の卑きに接す。

#2

知らず何れの山鳥ぞ,羽毛 光輝有り。

飛飛として 所處を擇び,正に眾希【こいねが】う所を得たり。

上は鳳皇の恩を承り,自ら期す 永く衰えざるを。

中は黃鵠と群し,自ら其の私を隱さず。

#3

下は眾鳥の群を視る,汝が徒 竟に何為れぞ。

知らず 挾丸子,心に默して規る所有るを。

汝を枝葉の間に彈ず,汝の翅 摧くを覺えず。

或は言う 「黃鵠に由る」と,黃鵠は豈に之に有らんや。

#4

慎んで眾鳥を猜う勿れ,眾鳥を猜うに足らず。

人 鳳皇に語る無く,汝が屈 安んぞ知ることを得んや。

黃鵠 汝が去るを得て,婆娑 毛衣を弄す。

前に汝が下視せし鳥,各の汝が瑕疵を議す。

#5

汝 豈に朋匹無からんや,口有るは肯えて開く莫れ。

汝 蒿艾の間に落ち,幾時か 復た能く飛ばん。

哀哀たり 故山の友,中夜 汝を思い悲しむ。

路 遠く 翅翎短く,汝を持して歸えるを得ず。

 

終南山06 

『南山有高樹行贈李宗閔』 現代語訳と訳註

(本文)  #1

南山有高樹行贈李宗閔

南山有高樹,花葉何衰衰。

上有鳳皇巢,鳳皇乳且棲。

四旁多長枝,群鳥所托依。

黃鵠據其高,眾鳥接其卑。

 

(下し文)  #1

(「南山に高樹有る行」李宗閔に贈る) #1

南山に高樹有り,花葉 何んぞ 衰衰たる。

上に鳳皇の巢有り,鳳皇 乳して 且つ棲む。

四旁に 長枝多く,群鳥 托依する所なり。

黃鵠 其の高きところに據り,眾鳥 其の卑きに接す。

 

(現代語訳)  #1

(終南山にはその花の蕊と葉が見事に曲線美を描いて一面に垂れさがる高樹木がある歌を李宗閔殿におくる。)

南山に高い樹がある。その花の蕊と葉が見事に曲線美を描いて一面に垂れさがることだろうか。

樹の上には鳳凰が巣をかけ、鳳凰はそこで子を生み、ねぐらとしている。

樹の四方には長い枝が多く、そこに素晴らしい鳥が群をなし身を寄せている。

なかでも黄鵠は高いところにおり、ほかの鳥どもは低いところにいるわけだ。

 

(訳注)  #1

南山有高樹行贈李宗閔

(終南山にはその花の蕊と葉が見事に曲線美を描いて一面に垂れさがる高樹木がある歌を李宗閔殿におくる。)

この詩は「鳳凰」を韓愈と宗閔らと幕下に入った裴度公、「挾丸子」を李徳祐・李紳・元稹らの貶せられた者たちに喩えて詠い、この詩を上篇とし南山猛虎行を下篇としてつくった。

漢文委員会紀頌之タイトル002 

南山有高樹,花葉何蓑蓑。

南山に高い樹がある。その花の蕊と葉が見事に曲線美を描いて一面に垂れさがることだろうか。

・南山 韓愈『南山詩』南山詩は20分割して紹介している。 南山は、唐の首都長安の南にそびえる終南山。ここでは、終南山や太白山を含め、秦蹴山脈全体を称して南山といっているようである。806年元和元年、江陵(現湖北省)から長安に召還され、権知国子博士となったときの作。韓愈三十九歳。韓愈の詩中、最大の長篇で、一百二韻二百四句を去声「宥」韻一つで押韻するという枝巧をこらし、南山をいろいろの角度から描写しようとした。従来「賦」の文学手法を、詩に用いようとしたもので、韓愈が一番精魂込めた作品である。杜甫の長詩「北征」と、優劣が論ぜられるほど、中国詩の歴史上からも、屈指の力作とされる。336 《韓昌黎集 巻一 12南山詩》 韓愈 kanbuniinkai 紀 頌之の詩詞 fc2ブログ 4006 (04/06)

終南山は、西岳の太白山376m、と中岳の嵩山1440mのあいだにあり、渭水の南、20002900mの山でなる。中国,陝西省南部,秦嶺のうち西安南方の一帯をさす。また秦嶺全体をいう場合もある。その名は西安すなわち長安の南にあたることに由来し,関中盆地では,渭河以北の北山に対し南山とも称する。標高20002900m。北側は大断層崖をなし,断層線にそって驪山(りざん)などの温泉が湧出する。渭河と漢水流域とを結ぶ交通の要所で,子午道などの〈桟道(さんどう)〉が開かれ,しばしば抗争の地ともなった。安史の乱のように洛陽が敵側に抑えられた場合には漢水と終南山を越え藍田を経て長安と結ぶラインが生命線となった。

・衰衰 花の蕊が下に向いている様子をいう。花の蕊が曲線美を描いて一面に垂れさがる。張衡『南都賦』,當作蓑蓑。

其木則檉松楔,槾柏杻橿,楓柙櫨櫪,帝女之桑。枒栟櫚,柘檍檀。結根竦本,垂條蟬媛。布綠葉之萋萋,敷華蘂之蓑蓑。(綠葉の萋萋たるを布き,華蘂の蓑蓑たるを敷く。)

 

上有鳳皇巢,鳳皇乳且棲。

樹の上には鳳凰が巣をかけ、鳳凰はそこで子を生み、ねぐらとしている。

・乳且棲 ヒナをそこで養うこととそこをすまいとすること。

 

四旁多長枝,群鳥所托依。

樹の四方には長い枝が多く、そこに素晴らしい鳥が群をなし身を寄せている。

 

黃鵠據其高,眾鳥接其卑。

なかでも黄鵠は高いところにおり、ほかの鳥どもは低いところにいるわけだ。

・黃鵠 黄鶴(黄鵠)伝説 『列異伝』 に出る故事。 子安にたすけられた鶴 (黄鵠) が、子安の死後、三年間その墓の上でかれを思って鳴きつづけ、鶴は死んだが子安は蘇って千年の寿命を保ったという。 ここでは、鶴が命の恩人である子安を思う心の強さを宗閔の崇高さに喩えたもの。
泰山の夕日02 

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