漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩 中唐詩人選集【Ⅰ李商隠-150】Ⅱ韓退之(韓愈)-500Ⅶ孟郊(東野)賈島張籍柳宗元韋応物

Ⅰ李商隠は難解詩といわれている。約150首紹介済。(晩唐詩人) Ⅱ韓退之(韓愈)-約500首Ⅶ孟郊、中唐の詩人を掲載中。万物の性(さが)をテーマにした哲学的な詩。このブログは基本的に中唐詩人を中心にして掲載する予定。 韓愈詩文のこれまでの掲載分とこれから掲載予定分を時系列で整理した2014.3.29のブログに集約してそこから各年次を見ることができる  kanbuniinkai 検索で、《漢文委員会HP05》サイトあります。漢詩唐詩を理解するための総合サイト:≪漢文委員会 漢詩07≫。

韓昌黎集 巻六

少し、マニアックな晩唐詩人Ⅰ-李商隠150首をまず掲載済み。中唐は盛唐詩人(孟浩然・王維、杜甫、李白)を受け継いだ多様な詩人が出ている。この時代も驚くほど詩が発展している。Ⅱ韓退之(韓愈)500首、Ⅲ柳宗元40首、Ⅳ韋応物、Ⅴ劉長卿、Ⅵ韋荘、Ⅶ孟郊(孟東野)、Ⅷ張籍、Ⅸ賈島、Ⅹ劉禹錫、ほか2012~2020年の予定で気長に進める。同じ中唐ではあるが、白居易のグループについては、李白のブログ350首(2015/6月再開~2018/夏・秋月予定)の後掲載の予定。別に杜甫詩ブログ1500首(2011/7月~2018/8月の予定で)を進行中。詩数につぃては、予定の詩数より多くなる。気まぐれなところがあるのでこの予定が少し変わる場合があり、その節はご容赦ください。                 古詩・謝霊運詩 杜甫詩 韓愈詩 花間集500首全詩 それぞれ毎日ブログしています。 このブログ、索引=語句の「検索」 参考書以上掲載。漢詩力up。

76-#18§5-4 《八讀巻六11 祭十二郎文》-18 韓愈(韓退之) 803年貞元19年 38歳<1469> Ⅱ【21分割】 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6329

韓愈-18§5-4 《八讀巻六11 祭十二郎文》

彼有食可守以待終喪,則待終喪而取以來,如不能守以終喪,則遂取以來。其餘奴婢,並令守汝喪。吾力能改葬,終葬汝於先人之兆,然後惟其所願。
彼ら、子供らに食糧があって、それで喪を守って終えるのを待つことができるならは、喪を終えるのを待って引き取って連れて来るであろう。もし喪を守って喪を終えることができなければ、そのまま引き取って連れて来るのがよいであろう。そのほかの男女の使用人たちは、一様にお前の喪を守らせるものである。私の力がお前を改葬することができるならは、最後にお前を先父君の墓所に葬るであろう。それでこそはじめて、その願い通りであろう。

76-18§5-4 《八讀巻六11 祭十二郎文》-18 韓愈(韓退之)  803年貞元19 38歳<1469 Ⅱ【21分割】 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6329

 
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 Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
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76-#18§5-4 《八讀巻六11 祭十二郎文》-18 韓愈(韓退之) 803年貞元19年 38歳<1469> Ⅱ【21分割】 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6329 
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 index-5 806年39歳 50首の(2)25首index-6[807年~809年 42歳]20首index-7[810年~811年 44歳] 34首index-8 [812年~814年47歳]46首index-9[815年~816年 49歳] 57首index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首 
 index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首index-13 821年~822年 55歳 22首index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首韓愈 哲学・儒学「五原」賦・散文・上奏文・碑文など 
 孟郊張籍     
 ●杜甫の全作品1500首を訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。" 
 Ⅲ杜甫詩全1500首   LiveDoorBlog766年-76杜甫 《1817不離西閣,二首之二》 杜甫詩index-15-766年大暦元年55歲-76 <939> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6330 杜甫詩 
 杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩) 杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首 
 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
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 韓愈詩-76-18

12§4-3分割-1

吾兄之盛德,而夭其嗣矣;

私の兄の立派な人格にもかかわらず、その後嗣ぎを若死にさせることになった。

汝之純明宜業其家者,而不克蒙其澤矣。

お前は、これが清純聡明で、その家を護り、保ってゆくことを仕事とするのに宜しいとされていた者が、父の恩沢を蒙ることができなかった。

所謂天者誠難測,而神者誠難明矣;

いわゆる天意は誠に測り難く、神というものは明らかに知り難いのである。

所謂理者不可推,而壽者不可知矣。

いわゆる道理は推知することができず、そして寿命というものは知ることができないのである。

13§4-2

雖然,我自今年來,蒼蒼者欲化而為白矣,

そうではあるけれど、私は今年からは、これまで蒼々としていた髪は、白くなるものがあり、

動搖者欲而落矣,毛血日益衰,

動きゆらいでいた歯は、脱け落ちるものがあったし、髪の毛も血色も日に日に益々衰えたのである。

誌氣日益微,幾何不從汝而死也!

そして、意志と元気も日に日に益ゝかすかに弱くなっていき、どれほどの期間、お前の後を追って死なないでいることができるのであろうか。

死而有知,其幾何離;

死んでも知る力があるならは、お前と離れているのは何ほどであろう。

14§4-3

其無知,悲不幾時,而不悲者無窮期矣。

幽界で必ず会えるであろう。もし知る力がないとすれば、今の悲しみは幾時も続かず、やがて私も死んで、悲しみのない期間が窮まりなく続くであろう。

汝之子始十,吾之子始五

お前の子はやっと十歳、私の子はやっと五歳である。

少而強者不可保,如此孩提者,又可冀其成立邪?

幽界で必ず会えるであろう。もし知る力がないとすれば、今の悲しみは幾時も続かず、やがて私も死んで、悲しみのない期間が窮まりなく続くであろう。

嗚呼哀哉,嗚呼哀哉!

ああ、悲しいことである。ああ哀れなことであるよ。

§4-1

吾が兄の盛徳にして、その嗣を夭せり。

汝の純明にして宜しくその家を業とすべき者、その沢を蒙ること克(あた)わず。

所謂天なるものは誠に測り難く、神【しん】なるものは誠に明らかにし難し。

所謂理なるものは推【お】すべからず、寿なるものは知るべからず。

§4-2

然りと雖も吾今年来、蒼蒼たるもの或いは化して白と為れり。

動揺するもの、或いは脱けて落ちぬ。毛血日に益々衰え、志気日に益々微なり。

幾何【いくばく】か汝に従って死せざらん。

死して知ること有らば、それ幾何か離れん。

§4-3

それ知ること無くんば、悲しむこと幾時ならずして、悲しまざるもの窮まる期【とき】無からん。

汝の子始めて十歳、吾の子始めて五歳なり。

少【わか】くして彊(つよ)き者、保つべからざること此の如し。

孩提【がいてい】なる者、またその成立を冀(こいねが)うべけんや。

嗚呼哀しいかな。嗚呼哀しいかな。

 

15§5-1

汝去年書云:「比得軟病,往往而劇。」

お前からの去年寄越した手紙でいっていた、「このごろ脚気になっていて、時々激しい症状がある」ということだった。

吾曰:是病也,江南之人,常常有之。

私は、この病気は江南の人々に常々ある病気である、

未始以為憂也。

といって、はじめから心配なこととは思っていなかった。

嗚呼!其竟以此而殞其生乎?

ああ、一体、結局これでその生命を落としたのであったか。

抑別有疾而至斯乎?

それはともかく、別に病気があってこうなったのであろうか。

16§5-2

汝之書六月十七日也,東野云:

お前の手紙は六月十七日に出したことになっているのに、東野の書状は、次の様に云っている。

汝歿以六月二日,耿蘭之報無月日:

お前は六月二日に亡くなったといっているのに、耿蘭の報せには死亡の月日がないのだ。

蓋東野之使者不知問家人以月日,

それはたぶん東野の使者が、家人に月日を問うことを知らなかったのであろう。

如耿蘭之報不知當言月日,

秋蘭の報せのようなものは、当然死亡の月日を言わねばならないことを知らなかったのであろう。

17§5-3

東野與吾書,乃問使者,使者妄稱以應之耳。

東野が私にくれた手紙の日付は、そのとき使者に問うて、使者がむやみに適当な月日を称して答えただけなのであろう。

其然乎?其不然乎?

一体それでよかったのであろうか、あるいはそうでないのだろうか。

今吾使建中祭汝,吊汝之孤,與汝之乳母。

今度は、私が建中を使いとして、お前を祭らせ、お前の残された子供とその乳母とを弔問させる。

18§5-4

彼有食可守以待終喪,則待終喪而取以來,

彼ら、子供らに食糧があって、それで喪を守って終えるのを待つことができるならは、喪を終えるのを待って引き取って連れて来るであろう。

如不能守以終喪,則遂取以來。

もし喪を守って喪を終えることができなければ、そのまま引き取って連れて来るのがよいであろう。

其餘奴婢,並令守汝喪。

そのほかの男女の使用人たちは、一様にお前の喪を守らせるものである。

吾力能改葬,終葬汝於先人之兆,

私の力がお前を改葬することができるならは、最後にお前を先父君の墓所に葬るであろう。
然後惟其所願。

それでこそはじめて、その願い通りであろう。

 

§5-1

汝が去年の書に云う、此ごろ軟脚の病を得て、往々にして劇【はげ】しと。

吾曰く、是の疾や江南の人 常々にこれ有り。

未だ始めより以って憂いと為さざりしなり。

嗚呼、それ竟に此れを以ってその生を殞【おと】せるか。

抑々【そもそも】別に疾【やまい】有って斯【ここ】に至れるか。

§5-2

汝の書は、六月十七日なり。

東野云う 汝 歿すること六月二日を以ってすと。

耿蘭の報は月日無し。

蓋【けだ】し東野の使者、家人に問うに月日を以ってするを知らず。

耿蘭の報の如きは、当【まさ】に月日を言うべきを知らず。

§5-3

東野 吾に与うる書は、乃ち使者に問いしに、使者 妄称して以ってこれに応【こた】えしのみならん。

それ然るか、それ然らざるか。

今吾建中をして汝を祭り、汝の孤と汝の乳母とを弔せしむ。

§5-4

彼に食有り、守りて以って喪を終うること待つ可くんば、則ち喪を終うるを待って以って来たらん。

その余の奴婢【ぬひ】、並びに汝の喪を守らしむ。

吾が力能く改め葬らば、終に汝を先人の兆【ちょう】に葬らん。

然る後は惟だそれ願うところのままにせん。

 

 

『祭十二郎文』 現代語訳と訳註解説
(
本文)
-18§5-4 《八讀巻六11 祭十二郎文》
彼有食可守以待終喪,則待終喪而取以來,

如不能守以終喪,則遂取以來。

其餘奴婢,並令守汝喪。

吾力能改葬,終葬汝於先人之兆,然後惟其所願。

(下し文)
§5-4

彼に食有り、守りて以って喪を終うること待つ可くんば、則ち喪を終うるを待って以って来たらん。

その余の奴婢【ぬひ】、並びに汝の喪を守らしむ。

吾が力能く改め葬らば、終に汝を先人の兆【ちょう】に葬らん。

然る後は惟だそれ願うところのままにせん。


(現代語訳)
彼ら、子供らに食糧があって、それで喪を守って終えるのを待つことができるならは、喪を終えるのを待って引き取って連れて来るであろう。

もし喪を守って喪を終えることができなければ、そのまま引き取って連れて来るのがよいであろう。

そのほかの男女の使用人たちは、一様にお前の喪を守らせるものである。

私の力がお前を改葬することができるならは、最後にお前を先父君の墓所に葬るであろう。
それでこそはじめて、その願い通りであろう。


(訳注) -18§5-4 《八讀巻六11 祭十二郎文》

祭十二郎文-14

(溧陽の尉をつとめていた孟郊から、韓老成の死を報ずる手紙が来たので、それを受取ってから七日目、韓愈は祭文を書き、使者に持たせて韓老成の霊前にそなえさせた)

○十二郎 排行、一族中の十二番目の男子、韓老成のこと。 

 

有食可守以待終,則待終喪而取以來,

彼ら、子供らに食糧があって、それで喪を守って終えるのを待つことができるならは、喪を終えるのを待って引き取って連れて来るであろう。

○有食 生活資料があって。

○喪 父母の死去に際し、子女は3年間(実際には25ヶ月)の服喪を行い、結婚その他の喜事を忌避する必要があった。前漢代には官人は「丁憂」として3年の服喪期間が定められている。その後の歴代王朝では、孝を統治を基本としていたため、官員は丁憂に際しその職を辞して服喪することが義務付けられ、3年後に復職されるとされた。

 

如不能守以終喪,則遂取以來。

もし喪を守って喪を終えることができなければ、そのまま引き取って連れて来るのがよいであろう。

 

其餘奴婢,並令守汝喪。

そのほかの男女の使用人たちは、一様にお前の喪を守らせるものである。

 

吾力能改葬,終葬汝於先人之

私の力がお前を改葬することができるならは、最後にお前を先父君の墓所に葬るであろう。

○改葬 『儀礼』の「士喪礼篇」は、士の階級にある者が、その両親を葬る際の儀礼を扱っている。内容は死者の魂を呼び戻す儀礼にはじまり、埋葬のあとの虞(ぐ)祭、つまり魂を安んずる祭りまでである。韓愈は、『儀礼』に示された儀式が殆どなされていないことを前提に述べている。

○兆 某所。祭壇の場所。墓地の区域。

 

然後惟其所願。

それでこそはじめて、その願い通りであろう。

○然後惟其所願 そうしてはじめて、ただその願う所のままになろう。それでこそ願い通りというわけである。惟其所願は「ただその願う所のままなり」と読む定式句法。

24-3 《遠遊聯句〔韓愈、李翱、孟郊〕》韓愈(韓退之)ID 798年貞元14年 31歳<1217> Ⅱ韓昌黎集 巻五 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5069韓愈詩-24-3

韓愈《遠遊聯句》#3 江南には、懐古の情を催す遺跡が数多くあるので、時には湘夫人の霊が弾ずる瑟琴の音色が微かに聞こえてきて、雲間の峡樹に棲んでいる猿はより悲しげに啼くという。

 
 2014年11月5日の紀頌之5つのブログ 
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24-3 《遠遊聯句〔韓愈、李翱、孟郊〕》韓愈(韓退之)ID 798年貞元14年 31歳<1217> Ⅱ韓昌黎集 巻五 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5069韓愈詩-24-3 
 ・李商隠詩 (1) 136首の75首・李商隠詩 (2) 135首の61首●韓愈index-1 ・孟郊、張籍と交遊・汴州乱41首●韓愈詩index-2[800年 33歳~804年 37歳]27首●韓愈詩index-3 805年 38歳・]陽山から江陵府 36首●韓愈詩index-4 806年 39歳 江陵府・権知国子博士 51首(1)25首 
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 孟郊張籍     
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 杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩) 杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首 
 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
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24-3 《遠遊聯句〔韓愈、李、孟郊〕》韓愈(韓退之)ID  798年貞元14年 31歳<1217 Ⅱ韓昌黎集 巻五 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5069韓愈詩-24-3

 

 

遠遊聯句 #1

(江南に赴任する孟郊と韓愈・李翺の送別の聯句。)

別腸車輪轉,一日一萬周。 〔孟郊。〕

別離に際して、我がはらわたは心と体も離れ車輪のように回転し、それも一日で、一万回転もするほどである。

離思春冰泮,瀾漫不可收。 〔韓愈。〕

離愁は、春冰が溶けだして、春水があふれることの様に瀾漫として収拾がつかないほどである。

馳光忽以迫,飛轡誰能留。 〔孟郊。〕

日陰は、頻りに馳せていて、暫くすると日はくれてきて、馬を乗り出しても誰も止めることができない。

取之詎灼灼,此去信悠悠。 〔李。〕

ここに、別離を為すことは灼灼として明白であり、ここを去れば、万里の先、悠悠として尽きることが無い。(遠遊聯句)#1

別腸 車輪轉じ,一日 一萬周。 〔孟郊。〕

離思 春冰泮け,瀾漫 收む可からず。〔韓愈。〕

馳光 忽ち以て迫る,飛轡 誰か能く留めん。〔孟郊。〕

之を取ること詎ぞ灼灼たる,此を去って 信に悠悠たり〔李。〕

 

#2

楚客宿江上,夜魂棲浪頭。

自分は楚地の客として長江のほとりに宿をとったとすれば、旅人としての寂しい気持ちは、夜の思いは特に強く、長江の波の中に住んでいるかのように思うことだろう。

曉日生遠岸,水芳綴孤舟。

やがて、暁の日差しが照らされて長江の遠い対岸から日が昇ってくる。岸の水辺に咲く水草の花は、孤舟に連なって風情を作っている。

村飲泊好木,野蔬拾新柔。

水辺の村で飲食をしようと舟を都合の良い木を選んで繋いで停泊した。そこでは新しい野菜を採って軟らかく煮こんでいる。

獨含悽悽別,中結鬱鬱愁。

ひとり、悽悽たる離別の愁いを含んでいて、心の中は鬱鬱とした愁いが鬱血してそれを絶えることができない。

人憶舊行樂,鳥吟新得儔【孟郊。】。

人として思うのは、悵然とした昔の行楽での思い出のことであるし、鳥は新たに友を得て、歓んで啼くことだろうと思うところで、旅の有様はおおよそこんなもんだろう。

楚客 江上に宿せば,夜魂 浪頭に棲む。

曉日 遠岸に生じ,水芳 孤舟を綴る。

村飲 好木に泊し,野蔬 新柔を拾う。

獨り悽悽の別を含んで,中に鬱鬱の愁を結ぶ。

人は舊行の樂を憶い,鳥は新たに得儔をたるを吟ず。 〔孟郊。〕

#3

靈瑟時窅窅,猿夜啾啾。

江南には、懐古の情を催す遺跡が数多くあるので、時には湘夫人の霊が弾ずる瑟琴の音色が微かに聞こえてきて、雲間の峡樹に棲んでいる猿はより悲しげに啼くという。

濤氣尚盛,恨竹淚空幽。

伍子胥の余憤は怒涛となって、その恨みの気風が今なお盛んであるというし、二妃嬪の恨みで染まった班竹には涙の痕が残っている。

長懷無已,多感良自尤。

これらの故事をつぎつぎに思い浮かべていれば、決してやむことなく続くのであるが、本来君は多感であるから、まことに、自分で自分を歎き傷つけてしまうだろう。

即路涉獻,歸期眇涼秋。

乃ち、それは、赴任する道中で、まず、新年に遭い、そして、帰る時期としては、清々しい秋であろうが、何年先かわからないのである。

兩歡日牢落,孤悲坐綢繆。 【韓愈。】

こうして二人が互いに会って歓激し合うことは、日に日に牢落として、その後寂しくなるのであり、一人悲しい心でいると日々そのことが付きまとってくることだろう。#4

觀怪忽蕩漾,叩奇獨冥搜。

海鯨吞明月,浪島沒大漚。

我有一寸鉤,欲釣千丈流。

良知忽然遠,壯志鬱無抽【孟郊。】。

#5

魍魅暫出沒,蛟螭互蟠蟉。

昌言拜舜禹,舉颿凌斗牛。

懷糈饋賢屈,乘桴追聖丘。

飄然天外步,豈肯區中囚【韓愈。】。

#6

楚些待誰弔,賈辭緘恨投。

翳明弗可曉,祕魂安所求。

氣毒放逐域,蓼雜芳菲疇。

當春忽淒涼,不枯亦颼

#7

貉謠眾猥款,巴語相咿

默誓去外俗,嘉願還中州。

江生行既樂,躬輦自相戮。

飲醇趣明代,味腥謝荒陬【孟郊。】。

#8

馳深鼓利楫,趨險驚蜚輶。

繫石沈靳尚,開弓射鴅吺

路暗執屏翳,波驚戮陽侯。

廣泛信縹緲,高行恣浮游。

#9

外患蕭蕭去,中悒稍稍瘳。

振衣造雲闕,跪坐陳清猷。

德風變讒巧,仁氣銷戈矛。

名聲照西海,淑問無時休。

歸哉孟夫子,歸去無夷猶【韓愈。】。

 

三峡 巫山十二峰001 

『遠遊聯句』 現代語訳と訳註解説

(本文)

#3 〔韓愈〕:

靈瑟時窅窅,猿夜啾啾。

濤氣尚盛,恨竹淚空幽。

長懷無已,多感良自尤。

即路涉獻,歸期眇涼秋。

兩歡日牢落,孤悲坐綢繆【韓愈。】。

 

(下し文) #3

靈瑟 時に窅窅たり,猿【いんえん】夜に啾啾たり。

濤  氣 尚お盛んに,恨竹 淚 空しく幽なり。

長懷 【はなは】だ已む無く,多感 良に自ら尤む。

路に即いて獻,歸期 涼秋に眇たり。

兩歡 日に牢落し,孤悲 坐に綢繆す。 【韓愈。】

 

(現代語訳)

江南には、懐古の情を催す遺跡が数多くあるので、時には湘夫人の霊が弾ずる瑟琴の音色が微かに聞こえてきて、雲間の峡樹に棲んでいる猿はより悲しげに啼くという。

伍子胥の余憤は怒涛となって、その恨みの気風が今なお盛んであるというし、二妃嬪の恨みで染まった班竹には涙の痕が残っている。

これらの故事をつぎつぎに思い浮かべていれば、決してやむことなく続くのであるが、本来君は多感であるから、まことに、自分で自分を歎き傷つけてしまうだろう。

乃ち、それは、赴任する道中で、まず、新年に遭い、そして、帰る時期としては、清々しい秋であろうが、何年先かわからないのである。

こうして二人が互いに会って歓激し合うことは、日に日に牢落として、その後寂しくなるのであり、一人悲しい心でいると日々そのことが付きまとってくることだろう。

 

韓愈の地図0055 

(訳注) #3

 (遠遊聯句)

(江南に赴任する孟郊と韓愈・李翺の送別の聯句。)

○遠遊 元和三年、孟郊が溧陽尉に任ぜられて、江南に赴任するということで、孟郊20韻を中心にして、韓愈19韻、李翺1韻を聯句とした。孟郊が遠方にしか赴任する所がなく、ふてくされているのを慰めるための聯句ということである。

 

#3 〔韓愈〕:

靈瑟時窅窅,猿夜啾啾。

江南には、懐古の情を催す遺跡が数多くあるので、時には湘夫人の霊が弾ずる瑟琴の音色が微かに聞こえてきて、雲間の峡樹に棲んでいる猿はより悲しげに啼くという。

靈瑟 楚辞・遠游「使湘靈鼓瑟兮」(湘靈をして瑟を鼓せしめ・・・」湘水の女神に瑟琴を弾かせて(禹の両妃娥皇と女英が九韶の曲をうたった)

猿 は雲が太陽を蔽うことをいう。猿が雲の間にいることをいう。それぐらい渓谷に響き渡ることをいう。楚辞・九辯「忠昭昭而願見兮,然曀而莫達。(忠 昭昭として見わるるを願えども,然く曀【いんえい】して達する莫し。)

 

濤氣尚盛,恨竹淚空幽。

伍子胥の余憤は怒涛となって、その恨みの気風が今なお盛んであるというし、二妃嬪の恨みで染まった班竹には涙の痕が残っている。

 伍子胥【ごししょ】(?~前485 中国,春秋時代の楚の人。名は員(うん)。父と兄が楚の平王に殺されたため呉に奔(はし)り,呉を助けて楚を破り,平王の墓をあばいてその屍(しかばね)に鞭(むち)打った。呉王夫差が越王勾践を会稽山に破ったとき,勾践を殺すよう勧めて退けられ,のち讒言(ざんげん)により自殺。

恨竹 斑湘江の川の神は「湘妃」「湘君」といい、娥皇と女英の二人の女神からなる。娥皇と女英は舜帝の妃であったが、舜が没すると悲しんで川に身を投じ、以後川の神となった。斑竹の表面にある斑紋は、娥皇と女英の涙が落ちた跡が残って斑になったという言い伝えがあり、湘江竹、湘竹、涙竹などの別名がある。

春秋時代から戦国時代にかけてこの地にあった楚の人々は、湘水神を崇めた。楚の人であった屈原にも『湘夫人』という漢詩がある。

楚の地に伝わる湘妃などの神話、桃源郷をはじめとする伝説、およびこの地を流浪した屈原の詩により、風光明媚な湘江流域は神話的想像力や詩的想像力をかきたてる土地とみなされるようになっていった。これを背景に、洞庭湖から湘江、瀟水にかけての地域には瀟湘八景という名所が設定され、中国をはじめ東アジアで書画の題材となってきた。

 

長懷無已,多感良自尤。

これらの故事をつぎつぎに思い浮かべていれば、決してやむことなく続くのであるが、本来君は多感であるから、まことに、自分で自分を歎き傷つけてしまうだろう。

 

即路涉獻,歸期眇涼秋。

乃ち、それは、赴任する道中で、まず、新年に遭い、そして、帰る時期としては、清々しい秋であろうが、何年先かわからないのである。

 

兩歡日牢落,孤悲坐綢繆【韓愈。】。

こうして二人が互いに会って歓激し合うことは、日に日に牢落として、その後寂しくなるのであり、一人悲しい心でいると日々そのことが付きまとってくることだろう。

牢落 おちぶれるさまをいうのだが、孟郊が落ちぶれているというのではない。唐の制度は地方官として良い官僚としての実績を重ねないと高官にはなれないということが前提にある。相手が昇っていくことを強調するための謙遜の語。

杜甫《送樊二十三侍禦赴漢中判官》「居人莽牢落,遊子封迢遞。」(居人 莽(もう)として 牢落たり、 遊子 方(まさ)に 迢遞(ちょうてい)たり。)

この居残る自分は茫漠としているけれど地方官を頑張れば中央政府で高官になれるよ。(私のように中央にいるだけでは出世はしないのだ。)旅人たる君はこの上り坂のように役人としての坂を上っていくのだ。

綢繆 1 まつわりつくこと。また、糸などをからめて結ぶこと。「未だ陰雨せざるに牖戸を―せしめよと」〈東海散士・佳人之奇遇〉2 むつみあうこと。なれしたしむこと。

24-2 《遠遊聯句〔韓愈、李翱、孟郊〕》韓愈(韓退之)ID 798年貞元14年 31歳<1216> Ⅱ韓昌黎集 巻五 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5064韓愈詩-24-2

《遠遊聯句》〔孟郊の句〕:自分は楚地の客として長江のほとりに宿をとったとすれば、旅人としての寂しい気持ちは、夜の思いは特に強く、長江の波の中に住んでいるかのように思うことだろう。

 
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24-2 《遠遊聯句〔韓愈、李、孟郊〕》韓愈(韓退之)ID  798年貞元14年 31歳<1216 Ⅱ韓昌黎集 巻五 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5064韓愈詩-24-2

 

 

遠遊聯句 #1

(江南に赴任する孟郊と韓愈・李翺の送別の聯句。)

別腸車輪轉,一日一萬周。 〔孟郊。〕

別離に際して、我がはらわたは心と体も離れ車輪のように回転し、それも一日で、一万回転もするほどである。

離思春冰泮,瀾漫不可收。 〔韓愈。〕

離愁は、春冰が溶けだして、春水があふれることの様に瀾漫として収拾がつかないほどである。

馳光忽以迫,飛轡誰能留。 〔孟郊。〕

日陰は、頻りに馳せていて、暫くすると日はくれてきて、馬を乗り出しても誰も止めることができない。

取之詎灼灼,此去信悠悠。 〔李。〕

ここに、別離を為すことは灼灼として明白であり、ここを去れば、万里の先、悠悠として尽きることが無い。(遠遊聯句)#1

別腸 車輪轉じ,一日 一萬周。 〔孟郊。〕

離思 春冰泮け,瀾漫 收む可からず。〔韓愈。〕

馳光 忽ち以て迫る,飛轡 誰か能く留めん。〔孟郊。〕

之を取ること詎ぞ灼灼たる,此を去って 信に悠悠たり〔李。〕

 

#2

楚客宿江上,夜魂棲浪頭。

自分は楚地の客として長江のほとりに宿をとったとすれば、旅人としての寂しい気持ちは、夜の思いは特に強く、長江の波の中に住んでいるかのように思うことだろう。

曉日生遠岸,水芳綴孤舟。

やがて、暁の日差しが照らされて長江の遠い対岸から日が昇ってくる。岸の水辺に咲く水草の花は、孤舟に連なって風情を作っている。

村飲泊好木,野蔬拾新柔。

水辺の村で飲食をしようと舟を都合の良い木を選んで繋いで停泊した。そこでは新しい野菜を採って軟らかく煮こんでいる。

獨含悽悽別,中結鬱鬱愁。

ひとり、悽悽たる離別の愁いを含んでいて、心の中は鬱鬱とした愁いが鬱血してそれを絶えることができない。

人憶舊行樂,鳥吟新得儔【孟郊。】。

人として思うのは、悵然とした昔の行楽での思い出のことであるし、鳥は新たに友を得て、歓んで啼くことだろうと思うところで、旅の有様はおおよそこんなもんだろう。

楚客 江上に宿せば,夜魂 浪頭に棲む。

曉日 遠岸に生じ,水芳 孤舟を綴る。

村飲 好木に泊し,野蔬 新柔を拾う。

獨り悽悽の別を含んで,中に鬱鬱の愁を結ぶ。

人は舊行の樂を憶い,鳥は新たに得儔をたるを吟ず。 〔孟郊。〕

 

#3

靈瑟時窅窅,猿夜啾啾。

濤氣尚盛,恨竹淚空幽。

長懷無已,多感良自尤。

即路涉獻,歸期眇涼秋。

兩歡日牢落,孤悲坐綢繆【韓愈。】。

#4

觀怪忽蕩漾,叩奇獨冥搜。

海鯨吞明月,浪島沒大漚。

我有一寸鉤,欲釣千丈流。

良知忽然遠,壯志鬱無抽【孟郊。】。

#5

魍魅暫出沒,蛟螭互蟠蟉。

昌言拜舜禹,舉颿凌斗牛。

懷糈饋賢屈,乘桴追聖丘。

飄然天外步,豈肯區中囚【韓愈。】。

#6

楚些待誰弔,賈辭緘恨投。

翳明弗可曉,祕魂安所求。

氣毒放逐域,蓼雜芳菲疇。

當春忽淒涼,不枯亦颼

#7

貉謠眾猥款,巴語相咿

默誓去外俗,嘉願還中州。

江生行既樂,躬輦自相戮。

飲醇趣明代,味腥謝荒陬【孟郊。】。

#8

馳深鼓利楫,趨險驚蜚輶。

繫石沈靳尚,開弓射鴅吺

路暗執屏翳,波驚戮陽侯。

廣泛信縹緲,高行恣浮游。

#9

外患蕭蕭去,中悒稍稍瘳。

振衣造雲闕,跪坐陳清猷。

德風變讒巧,仁氣銷戈矛。

名聲照西海,淑問無時休。

歸哉孟夫子,歸去無夷猶【韓愈。】。

韓愈の地図0055 

『遠遊聯句』 現代語訳と訳註解説

(本文) #2

〔孟郊〕:

楚客宿江上,夜魂棲浪頭。

曉日生遠岸,水芳綴孤舟。

村飲泊好木,野蔬拾新柔。

獨含悽悽別,中結鬱鬱愁。

人憶舊行樂,鳥吟新得儔。 〔孟郊。〕

 

 (下し文) #2

〔孟郊〕:

楚客 江上に宿せば,夜魂 浪頭に棲む。

曉日 遠岸に生じ,水芳 孤舟を綴る。

村飲 好木に泊し,野蔬 新柔を拾う。

獨り悽悽の別を含んで,中に鬱鬱の愁を結ぶ。

人は舊行の樂を憶い,鳥は新たに得儔をたるを吟ず。 〔孟郊。〕

 

(現代語訳)

〔孟郊の句〕:

自分は楚地の客として長江のほとりに宿をとったとすれば、旅人としての寂しい気持ちは、夜の思いは特に強く、長江の波の中に住んでいるかのように思うことだろう。

やがて、暁の日差しが照らされて長江の遠い対岸から日が昇ってくる。岸の水辺に咲く水草の花は、孤舟に連なって風情を作っている。

水辺の村で飲食をしようと舟を都合の良い木を選んで繋いで停泊した。そこでは新しい野菜を採って軟らかく煮こんでいる。

ひとり、悽悽たる離別の愁いを含んでいて、心の中は鬱鬱とした愁いが鬱血してそれを絶えることができない。

人として思うのは、悵然とした昔の行楽での思い出のことであるし、鳥は新たに友を得て、歓んで啼くことだろうと思うところで、旅の有様はおおよそこんなもんだろう。

云亭 

(訳注)

(遠遊聯句)2

(江南に赴任する孟郊と韓愈・李翺の送別の聯句。)

○遠遊 元和三年、孟郊が溧陽尉に任ぜられて、江南に赴任するということで、孟郊20韻を中心にして、韓愈19韻、李翺1韻を聯句とした。孟郊が遠方にしか赴任する所がなく、ふてくされているのを慰めるための聯句ということである。

 

〔孟郊〕:

楚客宿江上,夜魂棲浪頭。

自分は楚地の客として長江のほとりに宿をとったとすれば、旅人としての寂しい気持ちは、夜の思いは特に強く、長江の波の中に住んでいるかのように思うことだろう。

 

曉日生遠岸,水芳綴孤舟。

やがて、暁の日差しが照らされて長江の遠い対岸から日が昇ってくる。岸の水辺に咲く水草の花は、孤舟に連なって風情を作っている。

水芳 岸の水辺に咲く水草の花。

綴 連なって風情を作っている。

 

村飲泊好木,野蔬拾新柔。

水辺の村で飲食をしようと舟を都合の良い木を選んで繋いで停泊した。そこでは新しい野菜を採って軟らかく煮こんでいる。

村飲 水辺の村で飲食をする。

 

獨含悽悽別,中結鬱鬱愁。

ひとり、悽悽たる離別の愁いを含んでいて、心の中は鬱鬱とした愁いが鬱血してそれを絶えることができない。

 

人憶舊行樂,鳥吟新得儔。 

人として思うのは、悵然とした昔の行楽での思い出のことであるし、鳥は新たに友を得て、歓んで啼くことだろうと思うところで、旅の有様はおおよそこんなもんだろう。

舊行樂 昔の行楽での思い出のこと。

416-#4 《示爽》韓愈(韓退之)ID Index-12-504 Ⅱ韓昌黎集823年長慶三年<1110>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4534韓愈詩-416-#4

私は年をとって世の中のことには関心が薄くなり、以前からの型どおりにつとめて、居すわりを続けている。朝廷の百官のなかに厚かましくも加わっているしまつで、それ自体が疑いもなく罪なのだ。

 
 2014年7月21日の紀頌之5つのブログ 
 ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場 
 Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
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36 《古風五十九首之三十六》Index-32Ⅳ-7 753年天寶十二年53歳583古風,五十九首之二十五世道日交喪, <36> Ⅰ李白詩1194 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4518 
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416-#4 《示爽》韓愈(韓退之)ID Index-12-504 Ⅱ韓昌黎集823年長慶三年<1110>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4534韓愈詩-416-#4 
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 index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首index-13 821年~822年 55歳 22首index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首韓愈 哲学・儒学「五原」賦・散文・上奏文・碑文など 
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 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
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416-#4 《示爽》韓愈(韓退之)ID Index-12-504 Ⅱ韓昌黎集823年長慶三年<1110  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4534韓愈詩-416-#4

 

 

製作年:823年 長慶三年56

卷別:, 卷三四一, 文體:, 五言古詩.

詩題: 示爽. 詩序:.

及地點:宣城(江南西道宣州宣城) 別名:宛陵.

 

 

示爽  #1

宣城去京國,裏數逾三千。

念汝欲別我,解裝具盤筵。

日昏不能散,起坐相引牽。

冬夜豈不長,達旦燈燭然。

(爽に示す)

宣城(安徽省)は都から、里数にして三千を超えている。

おまえが私と別れその遠い道を旅しようとしているのを思い、しばらく旅装を解かせて酒肴をととのえた。

日が暮れても散会とすることができず、立ち上がるのも座るのも、たがいに牽制しあっている。

冬の夜は長くないわけはないのだが、朝まで灯を燃やし続けた。

#2

座中悉親故,誰肯舍汝眠。

念汝將一身,西來曾幾年。

名科掩眾俊,州考居吏前。

今從府公召,府公又時賢。

この宴席の一座にある人々はすべて親戚故旧のものなのだから、おまえの遠行をおくるのであるから、おまえを置いて眠ろうなどとする人があるものか。

思えは、おまえが身ひとつで、西の方のこの長安の都へ来てから何年がたっただろうか。

科挙、進士試験ではおまえの名前が名だたる受験者たちをおさえ、州庁の勤務評定ではいつも役人たちの先頭に立っていた。

そのおまえが今度は府公の招きに応ずることとなったが、その府公は時の賢者であられる。

#3

時輩千百人,孰不謂汝妍。

汝來江南近,裏閭故依然。

昔日同戲兒,看汝立路邊。

人生但如此,其實亦可憐。

宣州の刺史から招かれて遠くその地に赴くとのことであるが、刺史たるものも、一時の名賢であって、その眷顧をうけたのは、もとより、めいよといわねばならず、同輩たち何千何百人よりあつまったところで、おまえの才能を立派だといわぬ者はないのである。

おまえが江南の宣州付近に来たとき、そこには我が韓家の別業がなお存在し、村里のたたずまいがもとのままなのを見るであろう。

そして、むかしいっしょに遊んだ子供たちがおまえを見てうやうやしく道はたに立ってお前を迎えてくれるだろう。

人生というものはこのようなものであり、立身出世は、なかなか容易なことではなく、おまえはまずよいほうであるとして、愛すべきものではないだろうか。

#4

吾老世味薄,因循致留連。

私は年をとって世の中のことには関心が薄くなり、以前からの型どおりにつとめて、居すわりを続けている。


顏班行,何實非罪愆。

朝廷の百官のなかに厚かましくも加わっているしまつで、それ自体が疑いもなく罪なのだ。

才短難自力,懼終莫洗湔。

才能には乏しいので努力してみてもむずかしい。ついにはぬぐいきれぬ汚点を残すのではないかと気がかりだ。

臨分不汝誑,有路即歸田。

別れに臨んでおまえに嘘はつくまい。即座に官職を辞して田園に帰る道が開けているのだ。

 

(爽に示す) #1

宣城は京国を去ること、里数 三千を逾えたり。

汝の我に別れんと欲するを念い、装を解きて盤筵を具う。

日昏くして散ずること能わず、起坐して相引牽す。

冬夜 豈に長からざらんや、旦に達するまで 灯燭然ゆ。

#2

座中は悉く親故、誰か肯て汝を捨てて眠らん。

念えは 汝は一身を将て、西来曾て幾年ぞ。

名科 衆俊を掩い、州考 吏の前に居る。

今 府公の召に従う、府公は 又 時の賢なり。

#3

時輩 千百人、敦か 汝を妍と謂わざらん。

汝 江南の近くに来たらば、裏閭 故より依然たらん。

昔日 同戯の児、汝を看て路辺に立たん。

人生 但だ此くの如し、其れ 実に亦た憐れむ可し。

#4

吾老いて世味薄し、因循として留連するを致す。

強顔なり 班行の内、何ぞ実に罪愆に非ざらん。

才短くして自ら力むること難し、終に洗湔する莫きを懼る。

分れに臨んで汝を誑【あざむ】かず、路有らば 即ち田に帰らん。

 

 DCF00212

『示爽』 現代語訳と訳註

(本文) #4

吾老世味薄,因循致留連。強顏班行,何實非罪愆。

才短難自力,懼終莫洗湔。臨分不汝誑,有路即歸田。

 

(下し文)

吾老いて世味薄し、因循として留連するを致す。

強顔なり 班行の内、何ぞ実に罪愆に非ざらん。

才短くして自ら力むること難し、終に洗湔する莫きを懼る。

分れに臨んで汝を誑【あざむ】かず、路有らば 即ち田に帰らん。

 

(現代語訳)

私は年をとって世の中のことには関心が薄くなり、以前からの型どおりにつとめて、居すわりを続けている。

朝廷の百官のなかに厚かましくも加わっているしまつで、それ自体が疑いもなく罪なのだ。

才能には乏しいので努力してみてもむずかしい。ついにはぬぐいきれぬ汚点を残すのではないかと気がかりだ。

別れに臨んでおまえに嘘はつくまい。即座に官職を辞して田園に帰る道が開けているのだ。

01 朝賀の服装 

(訳注) #4

示爽  

「爽」という人物はこの詩から見ると韓愈の一族のようだが、詳しいことはわからない。愈の息子あるいは甥に、爽という名の人は見あたらないからである。もっとも、韓愈の甥のすべての名が残っているわけではないし、大家族のもとでは従兄弟の息子も甥としてあっかわれることがあるので、その一人だったのかもしれない。そこでこの爽とは前に出た韓湘のことだとか、湘の子だとかいう説がある。韓愈の作った墓誌に年十九で死んだとし、何処にも仕えたことはなかったとしている。それぞれに根拠は示されているのだが、「爽」という名前は、この詩以外には出てこないのは若くして死んだからであろう。

いずれにしても、爽は宜城から長安へ出て来て科挙を受け(これが韓氏の別業が宣城にあることの証拠となっている)、めでたく合格した。そしてどこか地方官庁の役人をつとめていたらしいが、江南をおさめる高官(「府公」である。観察使などの地位にある人かと思われる)の招碑を受けて、行くこととなった。その旅立ちに際して作ったのが、この詩である。詩の最後にもう隠退したいようなことを言うのは、いつもの愈の口癖であるが、今度は老年が近づいているので、多少とも実感をもって読み取ることが可能であろう。事実、韓愈が官界の表面から姿を消す日は、間近に迫っていた。

 

吾老世味薄,因循致留連。

私は年をとって世の中のことには関心が薄くなり、以前からの型どおりにつとめて、居すわりを続けている。

世味薄 世の中のことには関心が薄くなってきた。

因循 ぐずぐずすること。

致留連 そのまま居座る。

 

強顏班行,何實非罪愆。

朝廷の百官のなかに厚かましくも加わっているしまつで、それ自体が疑いもなく罪なのだ。

強顏 厚顔。あつかましい。

 

才短難自力,懼終莫洗湔。

才能には乏しいので努力してみてもむずかしい。ついにはぬぐいきれぬ汚点を残すのではないかと気がかりだ。

洗湔 昔の過去を洗い雪ぐ。

 

臨分不汝誑,有路即歸田。

別れに臨んでおまえに嘘はつくまい。即座に官職を辞して田園に帰る道が開けているのだ。
韓愈の地図0055 

416-#3 《示爽》韓愈(韓退之)ID Index-12-504 Ⅱ韓昌黎集823年長慶三年<1109>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4529韓愈詩-416-#3

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 ・李商隠詩 (1) 136首の75首・李商隠詩 (2) 135首の61首●韓愈index-1 ・孟郊、張籍と交遊・汴州乱41首●韓愈詩index-2[800年 33歳~804年 37歳]27首●韓愈詩index-3 805年 38歳・]陽山から江陵府 36首●韓愈詩index-4 806年 39歳 江陵府・権知国子博士 51首(1)25首 
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 杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩) 杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首 
 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
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 魚玄機全詩●花間集(6)●花間集(7)●花間集(8)●花間集(9)●花間集(10) 
 温庭筠66首 花間集1・2巻皇甫松11首 花間集二巻韋莊47首 花間集二巻薛昭蘊19首 花間集三巻牛嶠31首 花間集三・四巻張泌27首 花間集四巻 
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製作年:823年 長慶三年56

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詩題: 示爽. 詩序:.

及地點:宣城(江南西道宣州宣城) 別名:宛陵.

 

 

示爽  #1

宣城去京國,裏數逾三千。

念汝欲別我,解裝具盤筵。

日昏不能散,起坐相引牽。

冬夜豈不長,達旦燈燭然。

(爽に示す)

宣城(安徽省)は都から、里数にして三千を超えている。

おまえが私と別れその遠い道を旅しようとしているのを思い、しばらく旅装を解かせて酒肴をととのえた。

日が暮れても散会とすることができず、立ち上がるのも座るのも、たがいに牽制しあっている。

冬の夜は長くないわけはないのだが、朝まで灯を燃やし続けた。

#2

座中悉親故,誰肯舍汝眠。

念汝將一身,西來曾幾年。

名科掩眾俊,州考居吏前。

今從府公召,府公又時賢。

この宴席の一座にある人々はすべて親戚故旧のものなのだから、おまえの遠行をおくるのであるから、おまえを置いて眠ろうなどとする人があるものか。

思えは、おまえが身ひとつで、西の方のこの長安の都へ来てから何年がたっただろうか。

科挙、進士試験ではおまえの名前が名だたる受験者たちをおさえ、州庁の勤務評定ではいつも役人たちの先頭に立っていた。

そのおまえが今度は府公の招きに応ずることとなったが、その府公は時の賢者であられる。

#3

時輩千百人,孰不謂汝妍。

汝來江南近,裏閭故依然。

昔日同戲兒,看汝立路邊。

人生但如此,其實亦可憐。

宣州の刺史から招かれて遠くその地に赴くとのことであるが、刺史たるものも、一時の名賢であって、その眷顧をうけたのは、もとより、めいよといわねばならず、同輩たち何千何百人よりあつまったところで、おまえの才能を立派だといわぬ者はないのである。

おまえが江南の宣州付近に来たとき、そこには我が韓家の別業がなお存在し、村里のたたずまいがもとのままなのを見るであろう。

そして、むかしいっしょに遊んだ子供たちがおまえを見てうやうやしく道はたに立ってお前を迎えてくれるだろう。

人生というものはこのようなものであり、立身出世は、なかなか容易なことではなく、おまえはまずよいほうであるとして、愛すべきものではないだろうか。

#4

吾老世味薄,因循致留連。強顏班行,何實非罪愆。

才短難自力,懼終莫洗湔。臨分不汝誑,有路即歸田。

 

(爽に示す) #1

宣城は京国を去ること、里数 三千を逾えたり。

汝の我に別れんと欲するを念い、装を解きて盤筵を具う。

日昏くして散ずること能わず、起坐して相引牽す。

冬夜 豈に長からざらんや、旦に達するまで 灯燭然ゆ。

#2

座中は悉く親故、誰か肯て汝を捨てて眠らん。

念えは 汝は一身を将て、西来曾て幾年ぞ。

名科 衆俊を掩い、州考 吏の前に居る。

今 府公の召に従う、府公は 又 時の賢なり。

#3

時輩 千百人、敦か 汝を妍と謂わざらん。

汝 江南の近くに来たらば、裏閭 故より依然たらん。

昔日 同戯の児、汝を看て路辺に立たん。

人生 但だ此くの如し、其れ 実に亦た憐れむ可し。

#4

吾老いて世味薄し、因循として留連するを致す。

強顔なり 班行の内、何ぞ実に罪愆に非ざらん。

才短くして自ら力むること難し、終に洗湔する莫きを懼る。

分れに臨んで汝を誑【あざむ】かず、路有らば 即ち田に帰らん。

韓愈の地図0055 

『示爽』 現代語訳と訳註

(本文)  #3

時輩千百人,孰不謂汝妍。

汝來江南近,裏閭故依然。

昔日同戲兒,看汝立路邊。

人生但如此,其實亦可憐。

 

(下し文)

 

 

(現代語訳)

宣州の刺史から招かれて遠くその地に赴くとのことであるが、刺史たるものも、一時の名賢であって、その眷顧をうけたのは、もとより、めいよといわねばならず、同輩たち何千何百人よりあつまったところで、おまえの才能を立派だといわぬ者はないのである。

おまえが江南の宣州付近に来たとき、そこには我が韓家の別業がなお存在し、村里のたたずまいがもとのままなのを見るであろう。

そして、むかしいっしょに遊んだ子供たちがおまえを見てうやうやしく道はたに立ってお前を迎えてくれるだろう。

人生というものはこのようなものであり、立身出世は、なかなか容易なことではなく、おまえはまずよいほうであるとして、愛すべきものではないだろうか。

 

(訳注) #3

示爽  

「爽」という人物はこの詩から見ると韓愈の一族のようだが、詳しいことはわからない。愈の息子あるいは甥に、爽という名の人は見あたらないからである。もっとも、韓愈の甥のすべての名が残っているわけではないし、大家族のもとでは従兄弟の息子も甥としてあっかわれることがあるので、その一人だったのかもしれない。そこでこの爽とは前に出た韓湘のことだとか、湘の子だとかいう説がある。韓愈の作った墓誌に年十九で死んだとし、何処にも仕えたことはなかったとしている。それぞれに根拠は示されているのだが、「爽」という名前は、この詩以外には出てこないのは若くして死んだからであろう。

いずれにしても、爽は宜城から長安へ出て来て科挙を受け(これが韓氏の別業が宣城にあることの証拠となっている)、めでたく合格した。そしてどこか地方官庁の役人をつとめていたらしいが、江南をおさめる高官(「府公」である。観察使などの地位にある人かと思われる)の招碑を受けて、行くこととなった。その旅立ちに際して作ったのが、この詩である。詩の最後にもう隠退したいようなことを言うのは、いつもの愈の口癖であるが、今度は老年が近づいているので、多少とも実感をもって読み取ることが可能であろう。事実、韓愈が官界の表面から姿を消す日は、間近に迫っていた。

 

時輩千百人,孰不謂汝妍。

宣州の刺史から招かれて遠くその地に赴くとのことであるが、刺史たるものも、一時の名賢であって、その眷顧をうけたのは、もとより、めいよといわねばならず、同輩たち何千何百人よりあつまったところで、おまえの才能を立派だといわぬ者はないのである。

 

汝來江南近,裏閭故依然。

おまえが江南の宣州付近に来たとき、そこには我が韓家の別業がなお存在し、村里のたたずまいがもとのままなのを見るであろう。

裏閭故依然 宣城は長江下流域、江南にあって、韓愈の別業があった。

 

昔日同戲兒,看汝立路邊。

そして、むかしいっしょに遊んだ子供たちがおまえを見てうやうやしく道はたに立ってお前を迎えてくれるだろう。

 

人生但如此,其實亦可憐。

人生というものはこのようなものであり、立身出世は、なかなか容易なことではなく、おまえはまずよいほうであるとして、愛すべきものではないだろうか。
Ta唐 長安近郊圖  新02 

416-#2 《示爽》韓愈(韓退之)ID Index-12-504 Ⅱ韓昌黎集823年長慶三年<1108>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4524韓愈詩-416-#2

韓愈《示爽》-#2科挙、進士試験ではおまえの名前が名だたる受験者たちをおさえ、州庁の勤務評定ではいつも役人たちの先頭に立っていた。そのおまえが今度は府公の招きに応ずることとなったが、その府公は時の賢者であられる。

 
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 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
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416-#2 《示爽》韓愈(韓退之)ID Index-12-504 Ⅱ韓昌黎集823年長慶三年<1108  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4524韓愈詩-416-#2

 

 

製作年:823年 長慶三年56

卷別:, 卷三四一, 文體:, 五言古詩.

詩題: 示爽. 詩序:.

及地點:宣城(江南西道宣州宣城) 別名:宛陵.

 

 

示爽  #1

(爽に示す)

宣城去京國,裏數逾三千。

宣城(安徽省)は都から、里数にして三千を超えている。

念汝欲別我,解裝具盤筵。

おまえが私と別れその遠い道を旅しようとしているのを思い、しばらく旅装を解かせて酒肴をととのえた。

日昏不能散,起坐相引牽。

日が暮れても散会とすることができず、立ち上がるのも座るのも、たがいに牽制しあっている。

冬夜豈不長,達旦燈燭然

冬の夜は長くないわけはないのだが、朝まで灯を燃やし続けた。

#2

座中悉親故,誰肯舍汝眠。

この宴席の一座にある人々はすべて親戚故旧のものなのだから、おまえの遠行をおくるのであるから、おまえを置いて眠ろうなどとする人があるものか。

念汝將一身,西來曾幾年。

思えは、おまえが身ひとつで、西の方のこの長安の都へ来てから何年がたっただろうか。

名科掩眾俊,州考居吏前。

科挙、進士試験ではおまえの名前が名だたる受験者たちをおさえ、州庁の勤務評定ではいつも役人たちの先頭に立っていた。

今從府公召,府公又時賢。

そのおまえが今度は府公の招きに応ずることとなったが、その府公は時の賢者であられる。

#3

時輩千百人,孰不謂汝妍。汝來江南近,裏閭故依然。

昔日同戲兒,看汝立路邊。人生但如此,其實亦可憐。

#4

吾老世味薄,因循致留連。強顏班行,何實非罪愆。

才短難自力,懼終莫洗湔。臨分不汝誑,有路即歸田。

 

(爽に示す) #1

宣城は京国を去ること、里数 三千を逾えたり。

汝の我に別れんと欲するを念い、装を解きて盤筵を具う。

日昏くして散ずること能わず、起坐して相引牽す。

冬夜 豈に長からざらんや、旦に達するまで 灯燭然ゆ。

#2

座中は悉く親故、誰か肯て汝を捨てて眠らん。

念えは 汝は一身を将て、西来曾て幾年ぞ。

名科 衆俊を掩い、州考 吏の前に居る。

今 府公の召に従う、府公は 又 時の賢なり。

#3

時輩 千百人、敦か 汝を妍と謂わざらん。

汝 江南の近くに来たらば、裏閭 故より依然たらん。

昔日 同戯の児、汝を看て路辺に立たん。

人生 但だ此くの如し、其れ 実に亦た憐れむ可し。

#4

吾老いて世味薄し、因循として留連するを致す。

強顔なり 班行の内、何ぞ実に罪愆に非ざらん。

才短くして自ら力むること難し、終に洗湔する莫きを懼る。

分れに臨んで汝を誑【あざむ】かず、路有らば 即ち田に帰らん。

韓愈の地図0055 

『示爽』 現代語訳と訳註

(本文) #2

座中悉親故,誰肯舍汝眠。

念汝將一身,西來曾幾年。

名科掩眾俊,州考居吏前。

今從府公召,府公又時賢。

 

 

(下し文) #2

座中は悉く親故、誰か肯て汝を捨てて眠らん。

念えは 汝は一身を将て、西来曾て幾年ぞ。

名科 衆俊を掩い、州考 吏の前に居る。

今 府公の召に従う、府公は 又 時の賢なり。

 

(現代語訳)

この宴席の一座にある人々はすべて親戚故旧のものなのだから、おまえの遠行をおくるのであるから、おまえを置いて眠ろうなどとする人があるものか。

思えは、おまえが身ひとつで、西の方のこの長安の都へ来てから何年がたっただろうか。

科挙、進士試験ではおまえの名前が名だたる受験者たちをおさえ、州庁の勤務評定ではいつも役人たちの先頭に立っていた。

そのおまえが今度は府公の招きに応ずることとなったが、その府公は時の賢者であられる。

 

 (訳注) #2

示爽  

「爽」という人物はこの詩から見ると韓愈の一族のようだが、詳しいことはわからない。愈の息子あるいは甥に、爽という名の人は見あたらないからである。もっとも、韓愈の甥のすべての名が残っているわけではないし、大家族のもとでは従兄弟の息子も甥としてあっかわれることがあるので、その一人だったのかもしれない。そこでこの爽とは前に出た韓湘のことだとか、湘の子だとかいう説がある。韓愈の作った墓誌に年十九で死んだとし、何処にも仕えたことはなかったとしている。それぞれに根拠は示されているのだが、「爽」という名前は、この詩以外には出てこないのは若くして死んだからであろう。

いずれにしても、爽は宜城から長安へ出て来て科挙を受け(これが韓氏の別業が宣城にあることの証拠となっている)、めでたく合格した。そしてどこか地方官庁の役人をつとめていたらしいが、江南をおさめる高官(「府公」である。観察使などの地位にある人かと思われる)の招碑を受けて、行くこととなった。その旅立ちに際して作ったのが、この詩である。詩の最後にもう隠退したいようなことを言うのは、いつもの愈の口癖であるが、今度は老年が近づいているので、多少とも実感をもって読み取ることが可能であろう。事実、韓愈が官界の表面から姿を消す日は、間近に迫っていた。

 

座中悉親故,誰肯舍汝眠。

この宴席の一座にある人々はすべて親戚故旧のものなのだから、おまえの遠行をおくるのであるから、おまえを置いて眠ろうなどとする人があるものか。

 

念汝將一身,西來曾幾年。

思えは、おまえが身ひとつで、西の方のこの長安の都へ来てから何年がたっただろうか。

西來 西京、長安にくること。

 

名科掩眾俊,州考居吏前。

科挙、進士試験ではおまえの名前が名だたる受験者たちをおさえ、州庁の勤務評定ではいつも役人たちの先頭に立っていた。

名科 科挙、進士試験のこと。

州考 州庁の勤務評定。あるいは、郷貢進士の試験の評定。

 

今從府公召,府公又時賢。

そのおまえが今度は府公の招きに応ずることとなったが、その府公は時の賢者であられる。

府公 刺史をさす。

時賢 一代の名賢。
Ta唐 長安近郊圖  新02 

416-#1 《示爽》韓愈(韓退之)ID Index-12-504 Ⅱ韓昌黎集823年長慶三年<1107>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4519韓愈詩-416-#1

韓愈《示爽》(爽に示す)宣城(安徽省)は都から、里数にして三千を超えている。おまえが私と別れその遠い道を旅しようとしているのを思い、しばらく旅装を解かせて酒肴をととのえた。

 
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 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
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 魚玄機全詩●花間集(6)●花間集(7)●花間集(8)●花間集(9)●花間集(10) 
 温庭筠66首 花間集1・2巻皇甫松11首 花間集二巻韋莊47首 花間集二巻薛昭蘊19首 花間集三巻牛嶠31首 花間集三・四巻張泌27首 花間集四巻 
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示爽  #1

(爽に示す)

宣城去京國,裏數逾三千。

宣城(安徽省)は都から、里数にして三千を超えている。

念汝欲別我,解裝具盤筵。

おまえが私と別れその遠い道を旅しようとしているのを思い、しばらく旅装を解かせて酒肴をととのえた。

日昏不能散,起坐相引牽。

日が暮れても散会とすることができず、立ち上がるのも座るのも、たがいに牽制しあっている。

冬夜豈不長,達旦燈燭然。

冬の夜は長くないわけはないのだが、朝まで灯を燃やし続けた。

#2

座中悉親故,誰肯舍汝眠。念汝將一身,西來曾幾年。

名科掩眾俊,州考居吏前。今從府公召,府公又時賢。

#3

時輩千百人,孰不謂汝妍。汝來江南近,裏閭故依然。

昔日同戲兒,看汝立路邊。人生但如此,其實亦可憐。

#4

吾老世味薄,因循致留連。強顏班行,何實非罪愆。

才短難自力,懼終莫洗湔。臨分不汝誑,有路即歸田。

 

(爽に示す) #1

宣城は京国を去ること、里数 三千を逾えたり。

汝の我に別れんと欲するを念い、装を解きて盤筵を具う。

日昏くして散ずること能わず、起坐して相引牽す。

冬夜 豈に長からざらんや、旦に達するまで 灯燭然ゆ。

#2

座中は悉く親故、誰か肯て汝を捨てて眠らん。

念えは 汝は一身を将て、西来曾て幾年ぞ。

名科 衆俊を掩い、州考 吏の前に居る。

今 府公の召に従う、府公は 又 時の賢なり。

#3

時輩 千百人、敦か 汝を妍と謂わざらん。

汝 江南の近くに来たらば、裏閭 故より依然たらん。

昔日 同戯の児、汝を看て路辺に立たん。

人生 但だ此くの如し、其れ 実に亦た憐れむ可し。

#4

吾老いて世味薄し、因循として留連するを致す。

強顔なり 班行の内、何ぞ実に罪愆に非ざらん。

才短くして自ら力むること難し、終に洗湔する莫きを懼る。

分れに臨んで汝を誑【あざむ】かず、路有らば 即ち田に帰らん。

 

『示爽』 現代語訳と訳註

(本文)

示爽  #1

宣城去京國,裏數逾三千。

念汝欲別我,解裝具盤筵。

日昏不能散,起坐相引牽。

冬夜豈不長,達旦燈燭然。

 

(下し文)

(爽に示す) #1

宣城は京国を去ること、里数 三千を逾えたり。

汝の我に別れんと欲するを念い、装を解きて盤筵を具う。

日昏くして散ずること能わず、起坐して相引牽す。

冬夜 豈に長からざらんや、旦に達するまで 灯燭然ゆ。

 

(現代語訳)

(爽に示す)

宣城(安徽省)は都から、里数にして三千を超えている。

おまえが私と別れその遠い道を旅しようとしているのを思い、しばらく旅装を解かせて酒肴をととのえた。

日が暮れても散会とすることができず、立ち上がるのも座るのも、たがいに牽制しあっている。

冬の夜は長くないわけはないのだが、朝まで灯を燃やし続けた。

 douteikoshoko297

(訳注)

示爽  #1

「爽」という人物はこの詩から見ると韓愈の一族のようだが、詳しいことはわからない。愈の息子あるいは甥に、爽という名の人は見あたらないからである。もっとも、韓愈の甥のすべての名が残っているわけではないし、大家族のもとでは従兄弟の息子も甥としてあっかわれることがあるので、その一人だったのかもしれない。そこでこの爽とは前に出た韓湘のことだとか、湘の子だとかいう説がある。韓愈の作った墓誌に年十九で死んだとし、何処にも仕えたことはなかったとしている。それぞれに根拠は示されているのだが、「爽」という名前は、この詩以外には出てこないのは若くして死んだからであろう。

いずれにしても、爽は宜城から長安へ出て来て科挙を受け(これが韓氏の別業が宣城にあることの証拠となっている)、めでたく合格した。そしてどこか地方官庁の役人をつとめていたらしいが、江南をおさめる高官(「府公」である。観察使などの地位にある人かと思われる)の招碑を受けて、行くこととなった。その旅立ちに際して作ったのが、この詩である。詩の最後にもう隠退したいようなことを言うのは、いつもの愈の口癖であるが、今度は老年が近づいているので、多少とも実感をもって読み取ることが可能であろう。事実、韓愈が官界の表面から姿を消す日は、間近に迫っていた。

 

宣城去京國,裏數逾三千。

宣城(安徽省)は都から、里数にして三千を超えている。

宣城 長江デルタ地域に位置し、江蘇省・浙江省と隣接する宣城は、文房四宝(筆・墨・紙・硯)の故郷であり、山水と樹木の豊かな都市であり、優れた自然環境と悠久の文化・歴史を誇っている。

 

念汝欲別我,解裝具盤筵。

おまえが私と別れその遠い道を旅しようとしているのを思い、しばらく旅装を解かせて酒肴をととのえた。

解裝 しばらく旅装をとく。

具盤筵 楽しい宴席を共にする。

 

日昏不能散,起坐相引牽。

日が暮れても散会とすることができず、立ち上がるのも座るのも、たがいに牽制しあっている。

 

冬夜豈不長,達旦燈燭然。

冬の夜は長くないわけはないのだが、朝まで灯を燃やし続けた。
韓愈の地図0055 

406 《鎮州初歸》韓愈(韓退之)ID Index-12-504 Ⅱ韓昌黎集<1092>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4444韓愈詩-406

お前たちのその情についてはよく理解するものではあるが、我家の小園の桃李は私が出発の時はまだつぼみも付けずにあったものである。我家の桃李は私が帰るのを待ち受けて一斉にほころび裂こうとしておるのだ。だから自然に帰り道を急ごうとすることになってしまう。心ならずも、この街の楊柳たちを振り切って先を急ぐのだ。

 
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 ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場 
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23 -#1《古風五十九首之二十三》Index-24Ⅲ-2 745年天寶四年45歳420古風,五十九首之二十三秋露白如玉, <23> Ⅰ李白詩1173 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4413 
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406 《鎮州初歸》韓愈(韓退之)ID Index-12-504 Ⅱ韓昌黎集<1092  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4444韓愈詩-406

 

 

鎮州(河北省正定県)に本拠を置く成徳軍節度使の田弘正が士卒のことをかまわず贅沢な生活をしていたため兵士の不満がつのり、部下の将校の一人である王廷湊がそれにつけこんで兵士を扇動し、クーデターをおこしたのである。王延湊はウイグル人の血を引く勇猛な将校であった。

 

王延湊は田弘正の殺害に成功すると、自分をその後任とするよう朝廷に要求し、かつ武力で近隣の節度使を攻撃し、勢力範囲を拡張しようとした。これに対して魏博節度使の李愬は、田弘正の弔い合戦を旗じるしに部将の牛元翼を差し向けたが、逆に王廷湊の軍によって包囲されてしまった。

長慶二年(822)二月、朝廷は王延湊の希望を全面的に認めて、王廷湊を節度使に任じ、兵士たちは反乱者だが、これにもおとがめはないものと決定した。その旨を告げて、成徳軍にいっさいの軍事行動をやめさせ、牛元翼に対する包囲を解くよう説得する宣諭使に選ばれたのが韓愈であり、副使には駕部郎中の呉丹という人が任命された。

 

これから朝廷の使者として反乱軍のなかへ乗りこむにしては、威勢のよくない詩である。韓愈は敵地に乗りこむようなこのたびの使命を見事に果たし、戦闘行為の停止を約束させて引きあげる。しかしこの時期に作られた同じ種類の詩も一様に威勢が悪く、強情我慢で大見得を切りたがる韓愈のこれまでの詩とは趣きを異にしている。あるいはこれが、韓愈の老境を示す一つのあらわれ(本人はそれと意識しなかったかもしれないが)だったのかもしれない。

韓愈は使命を果たした。牛元翼は自力で包囲網を破り、脱出したが、王廷湊がそのあとを追わせなかったのは、戦闘停止という約束があったからであろう。帰還しためぐみ韓愈は長慶二年の九月二十四日、吏部侍郎に転任することとなった。

 

 

製作年:  822  長慶二年  55

卷別: 卷三四四  文體: 七言 

詩題: 鎮州初歸 

及地點:  恒州 (河北道南部 恒州 恒州) 別名:鎮州     

 

 

鎮州初歸 

別來楊柳街頭樹,擺弄春風只欲飛。 

還有小園桃李在,留花不發待郎歸。 

(この詩は韓愈が詔を奉じて鎮州常山の王廷湊を招撫しにでかけ、王廷湊を叱咤して屈服させた。鎮州を出発するとき副行駕部郎中の丹に示したものである。)

ここ鎮州を出発し、別れるにあたって街頭の楊柳に別れを告げるものだがその楊柳もさすがに心ありげに、春風に震い、弄ばれてはいるものの、さすがに我が方に靡こうとしているようだ。

お前たちのその情についてはよく理解するものではあるが、我家の小園の桃李は私が出発の時はまだつぼみも付けずにあったものである。我家の桃李は私が帰るのを待ち受けて一斉にほころび裂こうとしておるのだ。だから自然に帰り道を急ごうとすることになってしまう。心ならずも、この街の楊柳たちを振り切って先を急ぐのだ。

 

(鎮州初歸) 

別來 楊柳 街頭の樹,春風に擺弄【はいろう】して只だ 飛ばんと欲す。

還た 小園 桃李 在る有り,花を留めて發せず 郎の歸えるを待つ。 

taigennankin88 

 

『鎮州初歸』 現代語訳と訳註

(本文)

鎮州初歸 

別來楊柳街頭樹,擺弄春風只欲飛。 

還有小園桃李在,留花不發待郎歸。 

 

(下し文)

(鎮州初歸) 

別來 楊柳 街頭の樹,春風に擺弄【はいろう】して只だ 飛ばんと欲す。

還た 小園 桃李 在る有り,花を留めて發せず 郎の歸えるを待つ。 

 

(現代語訳)

(この詩は韓愈が詔を奉じて鎮州常山の王廷湊を招撫しにでかけ、王廷湊を叱咤して屈服させた。鎮州を出発するとき副行駕部郎中の丹に示したものである。)

ここ鎮州を出発し、別れるにあたって街頭の楊柳に別れを告げるものだがその楊柳もさすがに心ありげに、春風に震い、弄ばれてはいるものの、さすがに我が方に靡こうとしているようだ。

お前たちのその情についてはよく理解するものではあるが、我家の小園の桃李は私が出発の時はまだつぼみも付けずにあったものである。我家の桃李は私が帰るのを待ち受けて一斉にほころび裂こうとしておるのだ。だから自然に帰り道を急ごうとすることになってしまう。心ならずも、この街の楊柳たちを振り切って先を急ぐのだ。


終南山06

(訳注)

鎮州初歸 

(この詩は韓愈が詔を奉じて鎮州常山の王廷湊を招撫しにでかけ、王廷湊を叱咤して屈服させた。鎮州を出発するとき副行駕部郎中の丹に示したものである。)

 

別來楊柳街頭樹,擺弄春風只欲飛。 

ここ鎮州を出発し、別れるにあたって街頭の楊柳に別れを告げるものだがその楊柳もさすがに心ありげに、春風に震い、弄ばれてはいるものの、さすがに我が方に靡こうとしているようだ。

○楊柳街頭樹 楊柳は別れに際して女性がその枝でリーフを作って見送る「折楊柳」であるが、送別の宴の行われる高樓の傍に植えてあるので、通常花街の女妓のことを言う。

○擺弄春風只欲飛 芸妓遊びのことを示す句である。

 

還有小園桃李在,留花不發待郎歸。 

お前たちのその情についてはよく理解するものではあるが、我家の小園の桃李は私が出発の時はまだつぼみも付けずにあったものである。我家の桃李は私が帰るのを待ち受けて一斉にほころび裂こうとしておるのだ。だから自然に帰り道を急ごうとすることになってしまう。心ならずも、この街の楊柳たちを振り切って先を急ぐのだ。

○小園 自宅の庭園。

○桃李 自宅の庭園の桃李。我が妻子。

○待郎歸 劉郎の帰りを待っている。

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早春の時期、春を気配を感じさせる風光の変化をあらわしたころに長安を出発し、別れをつげた。詔を奉じて鎮州常山の王廷湊を招撫しにでかけるために次第に北上したが、この辺塞の地は二月と謂うのにこの地は特別に寒いのである。

 
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田弘正は弘正の殺害に成功すると、自分をその後任とするよう朝廷に要求し、かつ武力で近隣の節度使を攻撃し、勢力範囲を拡張しようとした。これに対して魏博節度使の李愬は、田弘正の弔い合戦を旗じるしに部将の牛元翼を差し向けたが、逆に王廷湊の軍によって包囲されてしまった。

長慶二年(822)二月、朝廷は王延湊の希望を全面的に認めて、王廷湊を節度使に任じ、兵士たちは反乱者だが、これにもおとがめはないものと決定した。その旨を告げて、成徳軍にいっさいの軍事行動をやめさせ、牛元翼に対する包囲を解くよう説得する宣諭使に選ばれたのが韓愈であり、副使には駕部郎中の呉丹という人が任命された。

 

これから朝廷の使者として反乱軍のなかへ乗りこむにしては、威勢のよくない詩である。韓愈は敵地に乗りこむようなこのたびの使命を見事に果たし、戦闘行為の停止を約束させて引きあげる。しかしこの時期に作られた同じ種類の詩も一様に威勢が悪く、強情我慢で大見得を切りたがる恵のこれまでの詩とは趣きを異にしている。あるいはこれが、韓愈の老境を示す一つのあらわれ(本人はそれと意識しなかったかもしれないが)だったのかもしれない。

恵は使命を果たした。牛元翼は自力で包囲網を破り、脱出したが、王廷湊がそのあとを追わせなかったのは、戦闘停止という約束があったからであろう。帰還しためぐみ韓愈は長慶二年の九月二十四日、吏部侍郎に転任することとなった。

 

 

製作年:  822  長慶二年  55

卷別: 卷三四四  文體: 七言 

詩題: 夕次壽陽驛題郎中詩後 

作地點: 目前尚無資料 

及地點:  壽陽驛 (河東道 太原府 壽陽)     

長安 (京畿道 京兆府 長安) 別名:京、京師、中京、京城、上都、京畿、西都     

交遊人物: 當地交遊(河東道 太原府 壽陽)

 

 

夕次壽陽驛題郎中詩後

風光欲動別長安,春半城邊特地寒。 

不見園花兼巷柳,馬頭惟有月團團。 

(壽陽驛に宿した時に作った詩である)

早春の時期、春を気配を感じさせる風光の変化をあらわしたころに長安を出発し、別れをつげた。詔を奉じて鎮州常山の王廷湊を招撫しにでかけるために次第に北上したが、この辺塞の地は二月と謂うのにこの地は特別に寒いのである。

このあたりでは、園中の花にしても、巷頭の柳にしても、未だに春の気配が見合ないのである。夜になると急ぐ馬車の前にはまあるいまん丸の月が高く照らすばかりで荒涼凄寂そのものである。

 

(夕べに 壽陽驛に次【やど】し 郎中の詩後に題す)

風光 動かんと欲して長安に別る,春半ばにして城邊 特地に寒し。

園花と巷柳とを見ず,馬頭 惟だ月の團團たるのみ有る。 

唐時代 太原地図622


『次壽陽驛題郎中詩後』 現代語訳と訳註

(本文)

夕次壽陽驛題郎中詩後

風光欲動別長安,春半城邊特地寒。

不見園花兼巷柳,馬頭惟有月團團。 

 

 

(下し文)

(夕べに 壽陽驛に次【やど】し 郎中の詩後に題す)

風光 動かんと欲して長安に別る,春半ばにして城邊 特地に寒し。

園花と巷柳とを見ず,馬頭 惟だ月の團團たるのみ有る。 

 

(現代語訳)

(壽陽驛に宿した時に作った詩である)

早春の時期、春を気配を感じさせる風光の変化をあらわしたころに長安を出発し、別れをつげた。詔を奉じて鎮州常山の王廷湊を招撫しにでかけるために次第に北上したが、この辺塞の地は二月と謂うのにこの地は特別に寒いのである。

このあたりでは、園中の花にしても、巷頭の柳にしても、未だに春の気配が見合ないのである。夜になると急ぐ馬車の前にはまあるいまん丸の月が高く照らすばかりで荒涼凄寂そのものである。

 

toujidaimap 

(訳注)

夕次壽陽驛題郎中詩後

 (この詩は韓愈が詔を奉じて鎮州常山の王廷湊を招撫しにでかけた時、壽陽驛に宿した時に副行駕部郎中の丹に示したものである。)


 

風光欲動別長安,春半城邊特地寒。

早春のじき、春を気配を感じさせる風光の変化をあらわしたころに長安を出発し、別れをつげた。詔を奉じて鎮州常山の王廷湊を招撫しにでかけるために次第に北上したが、この辺塞の地は二月と謂うのにこの地は特別に寒いのである。

風光欲動別 早春のじき、春を気配を感じさせる風光の変化をいう。

特地寒 この辺はまだ寒さが残るというほどの意。

 

不見園花兼巷柳,馬頭惟有月團團。 

このあたりでは、園中の花にしても、巷頭の柳にしても、未だに春の気配が見合ないのである。夜になると急ぐ馬車の前にはまあるいまん丸の月が高く照らすばかりで荒涼凄寂そのものである。

404 《奉使常山早次太原呈副使吳郎中》韓愈(韓退之)ID Index-12-504 Ⅱ韓昌黎集<1090>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4434韓愈詩-404

(この詩は韓愈が詔を奉じて鎮州常山の王廷湊を招撫しにでかけた時、太原に宿して朝出掛けに副行駕部郎中の丹に示したものである。)とうとうと時を知らせる太鼓の音が聞こえてくる。朝、その昔で起きだしてみれば、都にいて朝廷に参内するときのようだ。

 
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 孟郊張籍     
 ●杜甫の全作品1500首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。" 
 Ⅲ杜甫詩全1500首   LiveDoorブログ廣徳2年764-98-#1 《贈王二十四侍御契四十韻》 杜甫index-14 764年贈王二十四侍御契四十韻 杜甫<770-#1> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4435 杜甫詩1500-770-#1-1058/2500 
 杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩)