中唐詩人選集【Ⅰ李商隠-150】Ⅱ韓退之(韓愈)Ⅶ孟郊(東野)  漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩 訳注解説ブログ

Ⅰ李商隠は難解詩といわれている。約150首紹介済。(晩唐詩人) Ⅱ韓退之(韓愈)-約500首Ⅶ孟郊、中唐の詩人を掲載中。万物の性(さが)をテーマにした哲学的な詩。このブログは基本的に中唐詩人を中心にして掲載する予定。 韓愈詩文のこれまでの掲載分とこれから掲載予定分を時系列で整理した2014.3.29のブログに集約してそこから各年次を見ることができる  kanbuniinkai 検索で、《漢文委員会HP05》サイトあります。漢詩唐詩を理解するための総合サイト:≪漢文委員会 漢詩07≫。

少し、マニアックな晩唐詩人Ⅰ-李商隠150首をまず掲載済み。中唐は盛唐詩人(孟浩然・王維、杜甫、李白)を受け継いだ多様な詩人が出ている。この時代も驚くほど詩が発展している。Ⅱ韓退之(韓愈)500首、Ⅲ柳宗元40首、Ⅳ韋応物、Ⅴ劉長卿、Ⅵ韋荘、Ⅶ孟郊(孟東野)、Ⅷ張籍、Ⅸ賈島、Ⅹ劉禹錫、ほか2012~2020年の予定で気長に進める。同じ中唐ではあるが、白居易のグループについては、李白のブログ350首(2015/6月再開~2018/夏・秋月予定)の後掲載の予定。別に杜甫詩ブログ1500首(2011/7月~2018/8月の予定で)を進行中。詩数につぃては、予定の詩数より多くなる。気まぐれなところがあるのでこの予定が少し変わる場合があり、その節はご容赦ください。                 古詩・謝霊運詩 杜甫詩 韓愈詩 花間集500首全詩 それぞれ毎日ブログしています。 このブログ、索引=語句の「検索」 参考書以上掲載。漢詩力up。

韓昌黎集 巻十

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杜相公は、天子に変わり、老子の神霊に向ってご機嫌伺いをして、祭事を摂行して、恭敬愈々加わってくる。それは、例えば、天にあたる月の皎潔であるように、日を捧げる霞の葳蕤たるが如く、天子の御代拜として、物事に、聖意を奉体し、いよいよみごとにやってのけられたのは、誠に恐れ入った次第である。

 
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製作年:  823  長慶三年  56

卷別: 卷三四四  文體: 五言古詩 

詩題: 奉和杜相公太清宮紀事,陳誠上李相公十六韻

及地點:  太清宮 (京畿道 京兆府 西京) 別名:玄元皇帝廟、玄都     

交遊人物: 杜元穎 書信往來(京畿道 京兆府長安)

李逢吉 書信往來(京畿道 京兆府 長安)

 

 

奉和杜相公太清宮紀事,陳誠上李相公十六韻

(この詩は杜元穎が勅命によって、太清宮の祭祀を奉仕し、それがおわってから、事を紀し,誠意を陳べて 十六韻の五言古詩を造り、宰相の上席にいる李相公に上つったものに和してつくったものである)

〔杜元穎也。太清宮,玄元皇帝廟。〕

〔杜相公は杜元穎であり、この詩は老子の太清宮と唐の玄宗と肅宗の二帝の廟についてのべるもの〕

耒耜興國,建夏家。 

#1

昔、后稷は犂鍬を手にし、もっぱら農事に務めて、周家を興し、禹は橇に乗り、ガンジキを履いて、天下を廻り、勤勉でもって苦しんで洪水を治めて、夏の国の基礎を作り上げた。

在功誠可尚,於道詎為華。 

この后稷と禹はその功績の上からいえば、まことに尊うべきものであるが、「道」というものの上において見れば、地味で華々しいというものではない。

象帝威容大,仙宗寶曆 

ここに我が老子は帝位を追贈されただけに、威容洪大であり、その上、仙家の宗祖として、長生不死を得られ、宝暦遙かにして数えることもできないくらいである。

象帝 老子が帝位を追贈されたことをいう。

衛門羅戟槊,圖壁雜龍蛇。 

太清宮は、すなわち老子の廟であり、門には警護の兵隊が矛を並べ、四璧には龍蛇を描いて、さすがに神々しく、且つ厳かなものである。

杜相公【としょうこう】が太清宮 事を紀し,誠を陳べ 李相公に上る十六韻に和し奉る〔杜は元穎なり。太清宮,玄元皇帝の廟なり。〕

耒耜【らいし】國をし,輴【ちゅんるい】夏家を建つ。 

功に在っては誠に尚【たっと】う可く,道に於ては詎んぞ華と為さん。 

象帝 威容 大いに,仙宗 寶曆 かなり 

門を衛って戟槊【げきさく】を羅ね,壁に圖して龍蛇を雜う。 

#2

禮樂追尊盛,乾坤降福遐。 

すでに礼楽は大いに行われるこの清時に当たって追尊の盛儀をおこなわれ、その神霊は乾坤に行き渡って、随所に幸福をくだすのである。

四真皆齒列,二聖亦肩差。 

荘・文・列・庚の四人も真人を贈られて、これに陪し、列席し、玄宗・粛宗二帝の像は肩を並べて左右に侍立している。

陽月時之首,陰泉氣未牙。 

十月は、時の初めというのだが、地下においては、陽気がいまだに兆しを見せず、したがって寒冷をおぼえるくらいなのだ。

殿階鋪水碧,庭炬坼金葩。 

殿階には、碧色の寒水石を敷き詰め,庭上の炬火は、黄金色の花が咲くかと疑われるくらいなのだ。

#2

禮樂 追尊 盛んに,乾坤 福を降すこと遐【はるか】なり。 

四真 皆 齒列し,二聖 亦た 肩差す。

陽月 時の首【はじめ】,陰泉 氣 未だ牙さず。 

殿階 水碧を鋪き,庭炬 金葩【きんぱ】を坼【くじ】く。 

#3

紫極觀忘倦,青詞奏不譁。 

名を紫極というくらいであるから、その森遂まるは、見ても倦むこと檀前に歌い上げる靑詞は、声高らかにされるのではあるが、決してやかましくはないのである。

宮夜闢,嘈唁鼓晨撾。 

夜、なお、暗い時間に、宮門の扉は、噌として、鼓の音が嘈唁として打ち出せば、やがて朝になった。

褻味陳奚取,名香薦孔嘉。 

清淨ならぬものは、もとより供えぬことにしてあるし、名香は、薦められればもっと善いとしてある。

垂祥紛可錄,俾壽浩無涯。 

このようにして、祭祀が行き届いているから、神霊も、自然感応し、祥瑞を垂れているということは、紛として余りありと為すべく、また、人民の寿命をして無窮ならしめるだろうというものである。

#3

紫極 觀て倦むを忘れ,青詞 奏して譁ならず。

【そうこう】として宮 夜に闢き,嘈唁【そうさつ】として鼓 晨に撾【う】つ。 

褻味【せつみ】陳ねて奚【なん】ぞ取らん,名香 薦めて 孔【はなは】だ嘉し。 

祥を垂れて紛として 錄す可し,俾壽をして浩として涯【かぎり】無からしめん。 

#4

貴相山瞻峻,清文玉瑕。 

今次、祭事を奉仕した杜相公は、相貌堂々として、山の峻なるを仰ぐように、自らそのことを記述された詩章は、瑩朗透徹、玉のようで一点の瑕さえない。

代工聲問遠,攝事敬恭加。 

杜相公は、天子に変わり、老子の神霊に向ってご機嫌伺いをして、祭事を摂行して、恭敬愈々加わってくる。

皎潔當天月,葳蕤捧日霞。 

それは、例えば、天にあたる月の皎潔であるように、日を捧げる霞の葳蕤たるが如く、天子の御代拜として、物事に、聖意を奉体し、いよいよみごとにやってのけられたのは、誠に恐れ入った次第である。

唱妍酬亦麗,俯仰但稱嗟。 

そこで、李相公との唱酬を拝見すると、いづれも姸麗であって、文彩爛斑、眼も綵なるばかり、このように申し上げる私としては、俯仰のあまり、ただ、「あっ」と言って感ずるのみである。

#4

貴相 山 峻なるを瞻る,清文 玉 瑕をつ。 

工に代って 聲問 遠く,事を攝して 敬恭 加わる。 

皎潔たり 天に當るの月,葳蕤【いすい】たり日を捧ぐるの霞。 

唱妍【しょうけん】にして 酬 亦た麗,俯仰して但だ 稱嗟。 

 

玄武門 

『奉和杜相公太清宮紀事,陳誠上李相公十六韻』 現代語訳と訳註

(本文) #4

貴相山瞻峻,清文玉瑕。 

代工聲問遠,攝事敬恭加。 

皎潔當天月,葳蕤捧日霞。 

唱妍酬亦麗,俯仰但稱嗟。 

 

(下し文)

#4

貴相 山 峻なるを瞻る,清文 玉 瑕をつ。 

工に代って 聲問 遠く,事を攝して 敬恭 加わる。 

皎潔たり 天に當るの月,葳蕤【いすい】たり日を捧ぐるの霞。 

唱妍【しょうけん】にして 酬 亦た麗,俯仰して但だ 稱嗟。 

 

(現代語訳)

今次、祭事を奉仕した杜相公は、相貌堂々として、山の峻なるを仰ぐように、自らそのことを記述された詩章は、瑩朗透徹、玉のようで一点の瑕さえない。

杜相公は、天子に変わり、老子の神霊に向ってご機嫌伺いをして、祭事を摂行して、恭敬愈々加わってくる。

それは、例えば、天にあたる月の皎潔であるように、日を捧げる霞の葳蕤たるが如く、天子の御代拜として、物事に、聖意を奉体し、いよいよみごとにやってのけられたのは、誠に恐れ入った次第である。

そこで、李相公との唱酬を拝見すると、いづれも姸麗であって、文彩爛斑、眼も綵なるばかり、このように申し上げる私としては、俯仰のあまり、ただ、「あっ」と言って感ずるのみである。

 

(訳注) #4

奉和杜相公太清宮紀事,陳誠上李相公十六韻〔杜元穎也。太清宮,玄元皇帝廟。〕

(このしは杜元穎が勅命によって、太清宮の祭祀を奉仕し、それがおわってから、事を紀し,誠意を陳べて 十六韻の五言古詩を造り、宰相の上席にいる李相公に上つったものに和してつくったものである)#1

杜相公 杜元穎。[]775-838年)字君,京兆杜陵人,如晦五世

和李相公は度々韓愈の詩に述べるが、旧唐書本伝に「元和十一年四月、朝議大夫門下侍郎同平章事を加え、出でて剣南東川節度使となり、長慶二年、召しいれて復た門下侍郎同平章事となる。」とある。(

《奉和李相公題蕭家林亭》

山公自是林園主,歎惜前賢造作時。

巖洞幽深門盡鎖,不因丞相幾人知。

414 《奉和李相公題蕭家林亭【案:逢吉也。】》韓愈(韓退之)ID Index-12-504Ⅱ韓昌黎集822年長慶二年<1101>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4489韓愈詩-414

《和李相公攝事南郊,覽物興懷,呈一二知舊》

燦燦辰角曙,亭亭寒露朝。川原共澄映,雲日還浮飄。上宰嚴祀事,清途振華鑣。圓丘峻且坦,前對南山標。村樹黃複綠,中田稼何饒。顧瞻想岩穀,興歎倦塵囂。惟彼顛瞑者,去公豈不遼。為仁朝自治,用靜兵以銷。勿憚吐捉勤,可歌風雨調。聖賢相遇少,功德今宣昭。

417ー#1 《和李相公攝事南郊覽物興懷呈一二知舊》韓愈(韓退之)ID Index-12-504 823年長慶三年<1111 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4539韓愈詩-417ー#1

〔杜元穎也。太清宮,玄元皇帝廟。〕

〔杜相公は杜元穎であり、この詩は老子の太清宮と唐の玄宗と肅宗の二帝のびょうについてのべるもの〕

辟雍00 

貴相山瞻峻,清文玉瑕。 

今次、祭事を奉仕した杜相公は、相貌堂々として、山の峻なるを仰ぐように、自らそのことを記述された詩章は、瑩朗透徹、玉のようで一点の瑕さえない。

貴相 杜相公は、相貌堂々としていること。

清文玉瑕 のことを記述された詩章は、瑩朗透徹、玉のようで一点の瑕さえないということ。

 

代工聲問遠,攝事敬恭加。 

杜相公は、天子に変わり、老子の神霊に向ってご機嫌伺いをして、祭事を摂行して、恭敬愈々加わってくる。

代工 天工(宇宙)、天子がこれに代わるということ。

攝事 祭事を摂行すること。

 

皎潔當天月,葳蕤捧日霞。 

それは、例えば、天にあたる月の皎潔であるように、日を捧げる霞の葳蕤たるが如く、天子の御代拜として、物事に、聖意を奉体し、いよいよみごとにやってのけられたのは、誠に恐れ入った次第である。

皎潔 白く清らかで汚れのないさま。

當天月・捧日霞 天日は天子君子のことで、月霞は家臣、ここでは杜元穎をさす。

葳蕤 ①形容枝叶繁盛:当薇,枝叶太葳蕤。美;艳丽:妾有腰襦,葳蕤自生光

 

唱妍酬亦麗,俯仰但稱嗟。 

そこで、李相公との唱酬を拝見すると、いづれも姸麗であって、文彩爛斑、眼も綵なるばかり、このように申し上げる私としては、俯仰のあまり、ただ、「あっ」と言って感ずるのみである。

唱妍酬亦麗 李相公と杜相公との唱和をいう。

稱嗟 「あっ」と言って感ずるのみであるということ。

 

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422-#3 《奉和杜相公太清宮紀事,陳誠上李相公十六韻》韓愈(韓退之)ID Index-13-504 Ⅱ韓昌黎集<1122>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4594韓愈詩-422-#3

 

 

製作年:  823  長慶三年  56

卷別: 卷三四四  文體: 五言古詩 

詩題: 奉和杜相公太清宮紀事,陳誠上李相公十六韻

及地點:  太清宮 (京畿道 京兆府 西京) 別名:玄元皇帝廟、玄都     

交遊人物: 杜元穎 書信往來(京畿道 京兆府長安)

李逢吉 書信往來(京畿道 京兆府 長安)

 

 

奉和杜相公太清宮紀事,陳誠上李相公十六韻

(この詩は杜元穎が勅命によって、太清宮の祭祀を奉仕し、それがおわってから、事を紀し,誠意を陳べて 十六韻の五言古詩を造り、宰相の上席にいる李相公に上つったものに和してつくったものである)

〔杜元穎也。太清宮,玄元皇帝廟。〕

〔杜相公は杜元穎であり、この詩は老子の太清宮と唐の玄宗と肅宗の二帝の廟についてのべるもの〕

耒耜興國,建夏家。 

#1

昔、后稷は犂鍬を手にし、もっぱら農事に務めて、周家を興し、禹は橇に乗り、ガンジキを履いて、天下を廻り、勤勉でもって苦しんで洪水を治めて、夏の国の基礎を作り上げた。

在功誠可尚,於道詎為華。 

この后稷と禹はその功績の上からいえば、まことに尊うべきものであるが、「道」というものの上において見れば、地味で華々しいというものではない。

象帝威容大,仙宗寶曆 

ここに我が老子は帝位を追贈されただけに、威容洪大であり、その上、仙家の宗祖として、長生不死を得られ、宝暦遙かにして数えることもできないくらいである。

象帝 老子が帝位を追贈されたことをいう。

衛門羅戟槊,圖壁雜龍蛇。 

太清宮は、すなわち老子の廟であり、門には警護の兵隊が矛を並べ、四璧には龍蛇を描いて、さすがに神々しく、且つ厳かなものである。

杜相公【としょうこう】が太清宮 事を紀し,誠を陳べ 李相公に上る十六韻に和し奉る〔杜は元穎なり。太清宮,玄元皇帝の廟なり。〕

耒耜【らいし】國をし,輴【ちゅんるい】夏家を建つ。 

功に在っては誠に尚【たっと】う可く,道に於ては詎んぞ華と為さん。 

象帝 威容 大いに,仙宗 寶曆 かなり 

門を衛って戟槊【げきさく】を羅ね,壁に圖して龍蛇を雜う。 

#2

禮樂追尊盛,乾坤降福遐。 

すでに礼楽は大いに行われるこの清時に当たって追尊の盛儀をおこなわれ、その神霊は乾坤に行き渡って、随所に幸福をくだすのである。

四真皆齒列,二聖亦肩差。 

荘・文・列・庚の四人も真人を贈られて、これに陪し、列席し、玄宗・粛宗二帝の像は肩を並べて左右に侍立している。

陽月時之首,陰泉氣未牙。 

十月は、時の初めというのだが、地下においては、陽気がいまだに兆しを見せず、したがって寒冷をおぼえるくらいなのだ。

殿階鋪水碧,庭炬坼金葩。 

殿階には、碧色の寒水石を敷き詰め,庭上の炬火は、黄金色の花が咲くかと疑われるくらいなのだ。

#2

禮樂 追尊 盛んに,乾坤 福を降すこと遐【はるか】なり。 

四真 皆 齒列し,二聖 亦た 肩差す。

陽月 時の首【はじめ】,陰泉 氣 未だ牙さず。 

殿階 水碧を鋪き,庭炬 金葩【きんぱ】を坼【くじ】く。 

#3

紫極觀忘倦,青詞奏不譁。 

名を紫極というくらいであるから、その森遂まるは、見ても倦むこと檀前に歌い上げる靑詞は、声高らかにされるのではあるが、決してやかましくはないのである。

宮夜闢,嘈唁鼓晨撾。 

夜、なお、暗い時間に、宮門の扉は、噌として、鼓の音が嘈唁として打ち出せば、やがて朝になった。

褻味陳奚取,名香薦孔嘉。 

清淨ならぬものは、もとより供えぬことにしてあるし、名香は、薦められればもっと善いとしてある。

垂祥紛可錄,俾壽浩無涯。 

このようにして、祭祀が行き届いているから、神霊も、自然感応し、祥瑞を垂れているということは、紛として余りありと為すべく、また、人民の寿命をして無窮ならしめるだろうというものである。

#3

紫極 觀て倦むを忘れ,青詞 奏して譁ならず。

【そうこう】として宮 夜に闢き,嘈唁【そうさつ】として鼓 晨に撾【う】つ。 

褻味【せつみ】陳ねて奚【なん】ぞ取らん,名香 薦めて 孔【はなは】だ嘉し。 

祥を垂れて紛として 錄す可し,俾壽をして浩として涯【かぎり】無からしめん。 

#4

貴相山瞻峻,清文玉瑕。 

代工聲問遠,攝事敬恭加。 

皎潔當天月,葳蕤捧日霞。 

唱妍酬亦麗,俯仰但稱嗟。 

 

#4

貴相 山 峻なるを瞻る,清文 玉 瑕をつ。 

工に代って 聲問 遠く,事を攝して 敬恭 加わる。 

皎潔たり 天に當るの月,葳蕤【いすい】たり日を捧ぐるの霞。 

唱妍【しょうけん】にして 酬 亦た麗,俯仰して但だ 稱嗟。 

 

 

『奉和杜相公太清宮紀事,陳誠上李相公十六韻』 現代語訳と訳註

(本文) #3

紫極觀忘倦,青詞奏不譁。 

宮夜闢,嘈唁鼓晨撾。 

褻味陳奚取,名香薦孔嘉。 

垂祥紛可錄,俾壽浩無涯。 

 

(下し文)#3

紫極 觀て倦むを忘れ,青詞 奏して譁ならず。

【そうこう】として宮 夜に闢き,嘈唁【そうさつ】として鼓 晨に撾【う】つ。 

褻味【せつみ】陳ねて奚【なん】ぞ取らん,名香 薦めて 孔【はなは】だ嘉し。 

祥を垂れて紛として 錄す可し,俾壽をして浩として涯【かぎり】無からしめん。 

 

(現代語訳)

名を紫極というくらいであるから、その森遂まるは、見ても倦むこと檀前に歌い上げる靑詞は、声高らかにされるのではあるが、決してやかましくはないのである。

夜、なお、暗い時間に、宮門の扉は、噌として、鼓の音が嘈唁として打ち出せば、やがて朝になった。

清淨ならぬものは、もとより供えぬことにしてあるし、名香は、薦められればもっと善いとしてある。

このようにして、祭祀が行き届いているから、神霊も、自然感応し、祥瑞を垂れているということは、紛として余りありと為すべく、また、人民の寿命をして無窮ならしめるだろうというものである。

長安付近図00 

(訳注) #3

奉和杜相公太清宮紀事,陳誠上李相公十六韻〔杜元穎也。太清宮,玄元皇帝廟。〕

(このしは杜元穎が勅命によって、太清宮の祭祀を奉仕し、それがおわってから、事を紀し,誠意を陳べて 十六韻の五言古詩を造り、宰相の上席にいる李相公に上つったものに和してつくったものである)#1

杜相公 杜元穎。[]775-838年)字君,京兆杜陵人,如晦五世

和李相公は度々韓愈の詩に述べるが、旧唐書本伝に「元和十一年四月、朝議大夫門下侍郎同平章事を加え、出でて剣南東川節度使となり、長慶二年、召しいれて復た門下侍郎同平章事となる。」とある。(

《奉和李相公題蕭家林亭》

山公自是林園主,歎惜前賢造作時。

巖洞幽深門盡鎖,不因丞相幾人知。

414 《奉和李相公題蕭家林亭【案:逢吉也。】》韓愈(韓退之)ID Index-12-504Ⅱ韓昌黎集822年長慶二年<1101>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4489韓愈詩-414

《和李相公攝事南郊,覽物興懷,呈一二知舊》

燦燦辰角曙,亭亭寒露朝。川原共澄映,雲日還浮飄。上宰嚴祀事,清途振華鑣。圓丘峻且坦,前對南山標。村樹黃複綠,中田稼何饒。顧瞻想岩穀,興歎倦塵囂。惟彼顛瞑者,去公豈不遼。為仁朝自治,用靜兵以銷。勿憚吐捉勤,可歌風雨調。聖賢相遇少,功德今宣昭。

417ー#1 《和李相公攝事南郊覽物興懷呈一二知舊》韓愈(韓退之)ID Index-12-504 823年長慶三年<1111 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4539韓愈詩-417ー#1

〔杜元穎也。太清宮,玄元皇帝廟。〕

〔杜相公は杜元穎であり、この詩は老子の太清宮と唐の玄宗と肅宗の二帝のびょうについてのべるもの〕

 

紫極觀忘倦,青詞奏不譁。 

名を紫極というくらいであるから、その森遂まるは、見ても倦むこと檀前に歌い上げる靑詞は、声高らかにされるのではあるが、決してやかましくはないのである。

紫極 天宝二年三月、玄元廟を改め、紫極廟とした。《旧唐書玄宗紀》

靑詞 神に奏する詞、夜中,星空の下で酒や乾肉などの供物を並べ,皇帝太一や五星列宿を祭り,文書を上奏する儀礼をいう。

 

宮夜闢,嘈唁鼓晨撾。 

夜、なお、暗い時間に、宮門の扉は、噌として、鼓の音が嘈唁として打ち出せば、やがて朝になった。

 門扉の開く際の高い音がすることで宮門の扉を開ける音。

嘈唁 鼓の音が大きくなっている。

晨撾 朝が来て太鼓をたたくこと。

 

褻味陳奚取,名香薦孔嘉。 

清淨ならぬものは、もとより供えぬことにしてあるし、名香は、薦められればもっと善いとしてある。

褻味 清淨ならぬもの。

 

垂祥紛可錄,俾壽浩無涯。 

このようにして、祭祀が行き届いているから、神霊も、自然感応し、祥瑞を垂れているということは、紛として余りありと為すべく、また、人民の寿命をして無窮ならしめるだろうというものである。
8世紀唐と周辺国00 

422-#2 《奉和杜相公太清宮紀事,陳誠上李相公十六韻》韓愈(韓退之)ID Index-12-504 Ⅱ韓昌黎集<1121>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4589韓愈詩-422-#2

荘・文・列・庚の四人も真人を贈られて、これに陪し、列席し、玄宗・粛宗二帝の像は肩を並べて左右に侍立している。十月は、時の初めというのだが、地下においては、陽気がいまだに兆しを見せず、したがって寒冷をおぼえるくらいなのだ。

 
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 魏承班15首 花間集8・9巻鹿虔扆6首 花間集9巻閻選8首 花間集9巻尹鶚6首 花間集9巻毛熙震29首 花間集9・10巻李珣39首 花間集10巻 
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422-#2 《奉和杜相公太清宮紀事,陳誠上李相公十六韻》韓愈(韓退之)ID Index-12-504 Ⅱ韓昌黎集<1121>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4589韓愈詩-422-#2

 

 

製作年:  823  長慶三年  56

卷別: 卷三四四  文體: 五言古詩 

詩題: 奉和杜相公太清宮紀事,陳誠上李相公十六韻

及地點:  太清宮 (京畿道 京兆府 西京) 別名:玄元皇帝廟、玄都     

交遊人物: 杜元穎 書信往來(京畿道 京兆府長安)

李逢吉 書信往來(京畿道 京兆府 長安)

 

 

奉和杜相公太清宮紀事,陳誠上李相公十六韻
(この詩は杜元穎が勅命によって、太清宮の祭祀を奉仕し、それがおわってから、事を紀し,誠意を陳べて 十六韻の五言古詩を造り、宰相の上席にいる李相公に上つったものに和してつくったものである)
〔杜元穎也。太清宮,玄元皇帝廟。〕

〔杜相公は杜元穎であり、この詩は老子の太清宮と唐の玄宗と肅宗の二帝の廟についてのべるもの〕

耒耜興國,建夏家。 

昔、后稷は犂鍬を手にし、もっぱら農事に務めて、周家を興し、禹は橇に乗り、ガンジキを履いて、天下を廻り、勤勉でもって苦しんで洪水を治めて、夏の国の基礎を作り上げた。

在功誠可尚,於道詎為華。 

この后稷と禹はその功績の上からいえば、まことに尊うべきものであるが、「道」というものの上において見れば、地味で華々しいというものではない。

象帝威容大,仙宗寶曆 

ここに我が老子は帝位を追贈されただけに、威容洪大であり、その上、仙家の宗祖として、長生不死を得られ、宝暦遙かにして数えることもできないくらいである。

衛門羅戟槊,圖壁雜龍蛇。 

#1

象帝 老子が帝位を追贈されたことをいう。

太清宮は、すなわち老子の廟であり、門には警護の兵隊が矛を並べ、四璧には龍蛇を描いて、さすがに神々しく、且つ厳かなものである。

杜相公【としょうこう】が太清宮 事を紀し,誠を陳べ 李相公に上る十六韻に和し奉る〔杜は元穎なり。太清宮,玄元皇帝の廟なり。〕

耒耜【らいし】國をし,輴【ちゅんるい】夏家を建つ。 

功に在っては誠に尚【たっと】う可く,道に於ては詎んぞ華と為さん。 

象帝 威容 大いに,仙宗 寶曆 かなり 

門を衛って戟槊【げきさく】を羅ね,壁に圖して龍蛇を雜う。 

#2

禮樂追尊盛,乾坤降福遐。 

すでに礼楽は大いに行われるこの清時に当たって追尊の盛儀をおこなわれ、その神霊は乾坤に行き渡って、随所に幸福をくだすのである。

四真皆齒列,二聖亦肩差。 

荘・文・列・庚の四人も真人を贈られて、これに陪し、列席し、玄宗・粛宗二帝の像は肩を並べて左右に侍立している。

陽月時之首,陰泉氣未牙。 

十月は、時の初めというのだが、地下においては、陽気がいまだに兆しを見せず、したがって寒冷をおぼえるくらいなのだ。

殿階鋪水碧,庭炬坼金葩。 

殿階には、碧色の寒水石を敷き詰め,庭上の炬火は、黄金色の花が咲くかと疑われるくらいなのだ。

#2

禮樂 追尊 盛んに,乾坤 福を降すこと遐【はるか】なり。 

四真 皆 齒列し,二聖 亦た 肩差す。

陽月 時の首【はじめ】,陰泉 氣 未だ牙さず。 

殿階 水碧を鋪き,庭炬 金葩【きんぱ】を坼【くじ】く。 

#3

紫極觀忘倦,青詞奏不譁。 

宮夜闢,嘈唁鼓晨撾。 

褻味陳奚取,名香薦孔嘉。 

垂祥紛可錄,俾壽浩無涯。 

#4

貴相山瞻峻,清文玉瑕。 

代工聲問遠,攝事敬恭加。 

皎潔當天月,葳蕤捧日霞。 

唱妍酬亦麗,俯仰但稱嗟。 

 

#3

紫極 觀て倦むを忘れ,青詞 奏して譁ならず。

【そうこう】として宮 夜に闢き,嘈唁【そうさつ】として鼓 晨に撾【う】つ。 

褻味【せつみ】陳ねて奚【なん】ぞ取らん,名香 薦めて 孔【はなは】だ嘉し。 

祥を垂れて紛として 錄す可し,俾壽をして浩として涯【かぎり】無からしめん。 

#4

貴相 山 峻なるを瞻る,清文 玉 瑕をつ。 

工に代って 聲問 遠く,事を攝して 敬恭 加わる。 

皎潔たり 天に當るの月,葳蕤【いすい】たり日を捧ぐるの霞。 

唱妍【しょうけん】にして 酬 亦た麗,俯仰して但だ 稱嗟。 

 

Ta唐 長安近郊圖  新02 

 

『奉和杜相公太清宮紀事,陳誠上李相公十六韻』 現代語訳と訳註

(本文)

 #2

禮樂追尊盛,乾坤降福遐。 

四真皆齒列,二聖亦肩差。 

陽月時之首,陰泉氣未牙。 

殿階鋪水碧,庭炬坼金葩。 

 

(下し文)#2

禮樂 追尊 盛んに,乾坤 福を降すこと遐【はるか】なり。 

四真 皆 齒列し,二聖 亦た 肩差す。

陽月 時の首【はじめ】,陰泉 氣 未だ牙さず。 

殿階 水碧を鋪き,庭炬 金葩【きんぱ】を坼【くじ】く。 

 

(現代語訳)

すでに礼楽は大いに行われるこの清時に当たって追尊の盛儀をおこなわれ、その神霊は乾坤に行き渡って、随所に幸福をくだすのである。

荘・文・列・庚の四人も真人を贈られて、これに陪し、列席し、玄宗・粛宗二帝の像は肩を並べて左右に侍立している。

十月は、時の初めというのだが、地下においては、陽気がいまだに兆しを見せず、したがって寒冷をおぼえるくらいなのだ。

殿階には、碧色の寒水石を敷き詰め,庭上の炬火は、黄金色の花が咲くかと疑われるくらいなのだ。

 

(訳注) #2

奉和杜相公太清宮紀事,陳誠上李相公十六韻〔杜元穎也。太清宮,玄元皇帝廟。〕

(このしは杜元穎が勅命によって、太清宮の祭祀を奉仕し、それがおわってから、事を紀し,誠意を陳べて 十六韻の五言古詩を造り、宰相の上席にいる李相公に上つったものに和してつくったものである)#1

杜相公 杜元穎。[]775-838年)字君,京兆杜陵人,如晦五世

和李相公は度々韓愈の詩に述べるが、旧唐書本伝に「元和十一年四月、朝議大夫門下侍郎同平章事を加え、出でて剣南東川節度使となり、長慶二年、召しいれて復た門下侍郎同平章事となる。」とある。(

《奉和李相公題蕭家林亭》

山公自是林園主,歎惜前賢造作時。

巖洞幽深門盡鎖,不因丞相幾人知。

414 《奉和李相公題蕭家林亭【案:逢吉也。】》韓愈(韓退之)ID Index-12-504Ⅱ韓昌黎集822年長慶二年<1101>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4489韓愈詩-414

《和李相公攝事南郊,覽物興懷,呈一二知舊》

燦燦辰角曙,亭亭寒露朝。川原共澄映,雲日還浮飄。上宰嚴祀事,清途振華鑣。圓丘峻且坦,前對南山標。村樹黃複綠,中田稼何饒。顧瞻想岩穀,興歎倦塵囂。惟彼顛瞑者,去公豈不遼。為仁朝自治,用靜兵以銷。勿憚吐捉勤,可歌風雨調。聖賢相遇少,功德今宣昭。

417ー#1 《和李相公攝事南郊覽物興懷呈一二知舊》韓愈(韓退之)ID Index-12-504 823年長慶三年<1111 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4539韓愈詩-417ー#1

〔杜元穎也。太清宮,玄元皇帝廟。〕

〔杜相公は杜元穎であり、この詩は老子の太清宮と唐の玄宗と肅宗の二帝のびょうについてのべるもの〕

 

禮樂追尊盛,乾坤降福遐。 

すでに礼楽は大いに行われるこの清時に当たって追尊の盛儀をおこなわれ、その神霊は乾坤に行き渡って、随所に幸福をくだすのである。

 

四真皆齒列,二聖亦肩差。 

荘・文・列・庚の四人も真人を贈られて、これに陪し、列席し、玄宗・粛宗二帝の像は肩を並べて左右に侍立している。

四真 唐の玄宗の天宝元年(742)、荘子に南華真人、列子に沖虚真人、文子に通玄真人、庚桑子【こうそうし】に洞虚真人の尊号を贈り、これら四真人の著書を真経と呼ぶべしとの詔が下された。すでにそれまでに老子には玄元皇帝の尊号が贈られ道教の神々の中核の位置を占めていたのだが、これらの四子が新たに老子を取り巻く座を与えられることとなったことをいう。

齒列 これに陪し、列席する。

二聖 玄宗と肅宗。

 

陽月時之首,陰泉氣未牙。 

十月は、時の初めというのだが、地下においては、陽気がいまだに兆しを見せず、したがって寒冷をおぼえるくらいなのだ。

陽月 陰暦10月の異称。→陰月 。

未牙 いまだに兆しを見せないこと。

 

殿階鋪水碧,庭炬坼金葩。 

殿階には、碧色の寒水石を敷き詰め,庭上の炬火は、黄金色の花が咲くかと疑われるくらいなのだ。

水碧 碧色の寒水石。

坼金葩 黄金色の花が咲くかと疑われる。
長安付近図00 

422 《奉和杜相公太清宮紀事,陳誠上李相公十六韻》韓愈(韓退之)ID Index-12-504 Ⅱ韓昌黎集<1120>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4584韓愈詩-422

(この詩は杜元穎が勅命によって、太清宮の祭祀を奉仕し、それがおわってから、事を紀し,誠意を陳べて 十六韻の五言古詩を造り、宰相の上席にいる李相公に上つったものに和してつくったものである)〔杜相公は杜元穎であり、この詩は老子の太清宮と唐の玄宗と肅宗の二帝の廟についてのべるもの〕

 
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製作年:  823  長慶三年  56

卷別: 卷三四四  文體: 五言古詩 

詩題: 奉和杜相公太清宮紀事,陳誠上李相公十六韻

及地點:  太清宮 (京畿道 京兆府 西京) 別名:玄元皇帝廟、玄都     

交遊人物: 杜元穎 書信往來(京畿道 京兆府長安)

李逢吉 書信往來(京畿道 京兆府 長安)

 

甘粛省-嘉峪関 

奉和杜相公太清宮紀事,陳誠上李相公十六韻

(この詩は杜元穎が勅命によって、太清宮の祭祀を奉仕し、それがおわってから、事を紀し,誠意を陳べて 十六韻の五言古詩を造り、宰相の上席にいる李相公に上つったものに和してつくったものである)


〔杜元穎也。太清宮,玄元皇帝廟。〕

杜相公は杜元穎であり、この詩は老子の太清宮と唐の玄宗と肅宗の二帝の廟についてのべるもの〕

#1

耒耜興國,建夏家。 

昔、后稷は犂鍬を手にし、もっぱら農事に務めて、周家を興し、禹は橇に乗り、ガンジキを履いて、天下を廻り、勤勉でもって苦しんで洪水を治めて、夏の国の基礎を作り上げた。

在功誠可尚,於道詎為華。 

この后稷と禹はその功績の上からいえば、まことに尊うべきものであるが、「道」というものの上において見れば、地味で華々しいというものではない。

象帝威容大,仙宗寶曆 

ここに我が老子は帝位を追贈されただけに、威容洪大であり、その上、仙家の宗祖として、長生不死を得られ、宝暦遙かにして数えることもできないくらいである。象帝 老子が帝位を追贈されたことをいう。

衛門羅戟槊,圖壁雜龍蛇。 

太清宮は、すなわち老子の廟であり、門には警護の兵隊が矛を並べ、四璧には龍蛇を描いて、さすがに神々しく、且つ厳かなものである。

杜相公【としょうこう】が太清宮 事を紀し,誠を陳べ 李相公に上る十六韻に和し奉る〔杜は元穎なり。太清宮,玄元皇帝の廟なり。〕

耒耜【らいし】國をし,輴【ちゅんるい】夏家を建つ。 

功に在っては誠に尚【たっと】う可く,道に於ては詎んぞ華と為さん。 

象帝 威容 大いに,仙宗 寶曆 かなり 

門を衛って戟槊【げきさく】を羅ね,壁に圖して龍蛇を雜う。 

#2

禮樂追尊盛,乾坤降福遐。 

四真皆齒列,二聖亦肩差。 

陽月時之首,陰泉氣未牙。 

殿階鋪水碧,庭炬坼金葩。 

#3

紫極觀忘倦,青詞奏不譁。 

宮夜闢,嘈唁鼓晨撾。 

褻味陳奚取,名香薦孔嘉。 

垂祥紛可錄,俾壽浩無涯。 

#4

貴相山瞻峻,清文玉瑕。 

代工聲問遠,攝事敬恭加。 

皎潔當天月,葳蕤捧日霞。 

唱妍酬亦麗,俯仰但稱嗟。 

#2

禮樂 追尊 盛んに,乾坤 福を降すこと遐【はるか】なり。 

四真 皆 齒列し,二聖 亦た 肩差す。

陽月 時の首【はじめ】,陰泉 氣 未だ牙さず。 

殿階 水碧を鋪き,庭炬 金葩【きんぱ】を坼【くじ】く。 

#3

紫極 觀て倦むを忘れ,青詞 奏して譁ならず。

【そうこう】として宮 夜に闢き,嘈唁【そうさつ】として鼓 晨に撾【う】つ。 

褻味【せつみ】陳ねて奚【なん】ぞ取らん,名香 薦めて 孔【はなは】だ嘉し。 

祥を垂れて紛として 錄す可し,俾壽をして浩として涯【かぎり】無からしめん。 

#4

貴相 山 峻なるを瞻る,清文 玉 瑕をつ。 

工に代って 聲問 遠く,事を攝して 敬恭 加わる。 

皎潔たり 天に當るの月,葳蕤【いすい】たり日を捧ぐるの霞。 

唱妍【しょうけん】にして 酬 亦た麗,俯仰して但だ 稱嗟。  

 

閶闔門001

 

『奉和杜相公太清宮紀事,陳誠上李相公十六韻』 現代語訳と訳註

(本文)

奉和杜相公太清宮紀事,陳誠上李相公十六韻〔杜元穎也。太清宮,玄元皇帝廟。〕

耒耜興國,建夏家。 

在功誠可尚,於道詎為華。 

象帝威容大,仙宗寶曆 

衛門羅戟槊,圖壁雜龍蛇。 

 

(下し文)

杜相公【としょうこう】が太清宮 事を紀し,誠を陳べ 李相公に上る十六韻に和し奉る〔杜は元穎なり。太清宮,玄元皇帝の廟なり。〕

耒耜【らいし】國を興し,輴【ちゅんるい】夏家を建つ。 

功に在っては誠に尚【たっと】う可く,道に於ては詎んぞ華と為さん。 

象帝 威容 大いに,仙宗 寶曆 かなり。 

門を衛って戟槊【げきさく】を羅ね,壁に圖して龍蛇を雜う。 

 

(現代語訳)

(このしは杜元穎が勅命によって、太清宮の祭祀を奉仕し、それがおわってから、事を紀し,誠意を陳べて 十六韻の五言古詩を造り、宰相の上席にいる李相公に上つったものに和してつくったものである)

〔杜相公は杜元穎であり、この詩は老子の太清宮と唐の玄宗と肅宗の二帝のびょうについてのべるもの〕

#1

昔、后稷は犂鍬を手にし、もっぱら農事に務めて、周家を興し、禹は橇に乗り、ガンジキを履いて、天下を廻り、勤勉でもって苦しんで洪水を治めて、夏の国の基礎を作り上げた。

この后稷と禹はその功績の上からいえば、まことに尊うべきものであるが、「道」というものの上において見れば、地味で華々しいというものではない。

ここに我が老子は帝位を追贈されただけに、威容洪大であり、その上、仙家の宗祖として、長生不死を得られ、宝暦遙かにして数えることもできないくらいである。

象帝 老子が帝位を追贈されたことをいう。

太清宮は、すなわち老子の廟であり、門には警護の兵隊が矛を並べ、四璧には龍蛇を描いて、さすがに神々しく、且つ厳かなものである。

 

(訳注)

奉和杜相公太清宮紀事,陳誠上李相公十六韻〔杜元穎也。太清宮,玄元皇帝廟。〕

(このしは杜元穎が勅命によって、太清宮の祭祀を奉仕し、それがおわってから、事を紀し,誠意を陳べて 十六韻の五言古詩を造り、宰相の上席にいる李相公に上つったものに和してつくったものである)#1

杜相公 杜元穎。[]775-838年)字君,京兆杜陵人,如晦五世

和李相公は度々韓愈の詩に述べるが、旧唐書本伝に「元和十一年四月、朝議大夫門下侍郎同平章事を加え、出でて剣南東川節度使となり、長慶二年、召しいれて復た門下侍郎同平章事となる。」とある。(

《奉和李相公題蕭家林亭》

山公自是林園主,歎惜前賢造作時。

巖洞幽深門盡鎖,不因丞相幾人知。

414 《奉和李相公題蕭家林亭【案:逢吉也。】》韓愈(韓退之)ID Index-12-504Ⅱ韓昌黎集822年長慶二年<1101>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4489韓愈詩-414

《和李相公攝事南郊,覽物興懷,呈一二知舊》

燦燦辰角曙,亭亭寒露朝。川原共澄映,雲日還浮飄。上宰嚴祀事,清途振華鑣。圓丘峻且坦,前對南山標。村樹黃複綠,中田稼何饒。顧瞻想岩穀,興歎倦塵囂。惟彼顛瞑者,去公豈不遼。為仁朝自治,用靜兵以銷。勿憚吐捉勤,可歌風雨調。聖賢相遇少,功德今宣昭。

417ー#1 《和李相公攝事南郊覽物興懷呈一二知舊》韓愈(韓退之)ID Index-12-504 823年長慶三年<1111 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4539韓愈詩-417ー#1

〔杜元穎也。太清宮,玄元皇帝廟。〕

杜相公杜元穎であり、この詩は老子の太清宮と唐の玄宗と肅宗の二帝のびょうについてのべるもの〕

 

耒耜興國,建夏家。 

昔、后稷は犂鍬を手にし、もっぱら農事に務めて、周家を興し、禹は橇に乗り、ガンジキを履いて、天下を廻り、勤勉でもって苦しんで洪水を治めて、夏の国の基礎を作り上げた。

耒耜 農機具の犂鍬など。

國 周家を國といい、卲に封じられた后稷、名は奔

建夏家 書経に“水には船に乗り、陸には車に乗り、泥にはそりに乗り、山にはガンジキに乗る。”禹はこれらによって、天下を歴巡し、洪水を平らげて、夏国を建設した。

 

在功誠可尚,於道詎為華。 

この后稷と禹はその功績の上からいえば、まことに尊うべきものであるが、「道」というものの上において見れば、地味で華々しいというものではない。

詎為華 決して華やかな事ではなく、地味な仕事をする。

 

象帝威容大,仙宗寶曆 

ここに我が老子は帝位を追贈されただけに、威容洪大であり、その上、仙家の宗祖として、長生不死を得られ、宝暦遙かにして数えることもできないくらいである。

象帝 老子が帝位を追贈されたことをいう。

仙宗 仙道・仙家の宗祖。

寶曆 長生不死を得られ、宝暦遙かにして数えることもできないくらいのこと。

 

衛門羅戟槊,圖壁雜龍蛇。 

太清宮は、すなわち老子の廟であり、門には警護の兵隊が矛を並べ、四璧には龍蛇を描いて、さすがに神々しく、且つ厳かなものである。

戟槊 戟も槊のホコ、武器のこと。

圖壁 太清廟の四面の壁。
Ta唐 長安近郊圖  新02 

421 《早春呈水部張十八員外,二首之二》韓愈(韓退之)ID Index-12-504 Ⅱ韓昌黎集<1119>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4579韓愈詩-421

こで、君に依頼したいのは、まず、江頭に行ってもらって看てもらいたいのだ。それは柳の緑が既に深くなっているのか、未だにそうはなっていないのか、見てきて教えてくれ。もし緑深くなっているようなら、老骨に鞭うって、春のけしを見て回ろうと思うのだ。

 
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 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
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421 《早春呈水部張十八員外,二首之二》韓愈(韓退之)ID Index-12-504 Ⅱ韓昌黎集<1119  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4579韓愈詩-421

 

 

 

製作年:  823  長慶三年  56

卷別: 卷三四四  文體: 七言 

詩題:早春呈水部張十八員外,二首之二

交遊人物: 張籍  書信往來(京畿道 京兆府 長安)

 

 

早春呈水部張十八員外,二首之二

莫道官忙身老大,即無年少逐春心。 

憑君先到江頭看,柳色如今深未深。 

(春は名のみのころ、水部の張籍に贈呈する詩、823  長慶三年  56の作。)の二

言っても仕方のないことだが、私も、役所仕事が忙しく、おまけに年を取ってしまった。そうはいっても少年のころ、何処までも春を追い回すような心がなくなってしまったというわけでもない。

そこで、君に依頼したいのは、まず、江頭に行ってもらって看てもらいたいのだ。それは柳の緑が既に深くなっているのか、未だにそうはなっていないのか、見てきて教えてくれ。もし緑深くなっているようなら、老骨に鞭うって、春のけしを見て回ろうと思うのだ。

 

(早春 水部張十八員外に呈す,二首の

道う莫れ 官忙しく身は老大なり,即ち 年少 春を逐う心無しと。

君に憑って 先ず 江頭に到って看ん,柳色 如今 深きか 未だ深からざるかを。 

隋堤01 

 

 『早春呈水部張十八員外,二首之二』 現代語訳と訳註

(本文)

早春呈水部張十八員外,二首之二

莫道官忙身老大,即無年少逐春心。 

憑君先到江頭看,柳色如今深未深。 

 

 (下し文)

(早春 水部張十八員外に呈す,二首の二)

道う莫れ 官忙しく身は老大なり,即ち 年少 春を逐う心無しと。

君に憑って 先ず 江頭に到って看ん,柳色 如今 深きか 未だ深からざるかを。 

 

(現代語訳)

(春は名のみのころ、水部の張籍に贈呈する詩、823  長慶三年  56の作。)の二

言っても仕方のないことだが、私も、役所仕事が忙しく、おまけに年を取ってしまった。そうはいっても少年のころ、何処までも春を追い回すような心がなくなってしまったというわけでもない。

そこで、君に依頼したいのは、まず、江頭に行ってもらって看てもらいたいのだ。それは柳の緑が既に深くなっているのか、未だにそうはなっていないのか、見てきて教えてくれ。もし緑深くなっているようなら、老骨に鞭うって、春のけしを見て回ろうと思うのだ。

 

真竹002 

(訳注)

早春呈水部張十八員外,二首之二 

(春は名のみのころ、水部の張籍に贈呈する詩、823  長慶三年  56の作。)の二

 

 

莫道官忙身老大,即無年少逐春心。 

言っても仕方のないことだが、私も、役所仕事が忙しく、おまけに年を取ってしまった。そうはいっても少年のころ、何処までも春を追い回すような心がなくなってしまったというわけでもない。

老大 年を取ってしまったこと。

年少逐春心 少年のころ、何処までも好奇心旺盛で、春の景色を訪ね追い回すような心。

 

憑君先到江頭看,柳色如今深未深。 

そこで、君に依頼したいのは、まず、江頭に行ってもらって看てもらいたいのだ。それは柳の緑が既に深くなっているのか、未だにそうはなっていないのか、見てきて教えてくれ。もし緑深くなっているようなら、老骨に鞭うって、春のけしを見て回ろうと思うのだ。

江頭 運河から渭水にかけての土手に柳が植えられていたことをいう。

如今 只今。
長安付近図00 

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車馬の行き交う都大路に春の小雨がしとしとと降るだけで、あらゆるものが潤うが道路が小雨のためにバターを練ったような状態になる、草木は初めて芽を吹き、遠くから見ると緑色であるが近寄ってみるとまだ何にもなっていないのだ。

 
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製作年:  823  長慶三年  56

卷別: 卷三四四  文體: 七言 

詩題: 早春呈水部張十八員外,二首之一 

交遊人物: 張籍  書信往來(京畿道 京兆府 長安)

 

 

早春呈水部張十八員外,二首之一 

(春は名のみのころ、水部の張籍に贈呈する詩、823  長慶三年  56の作。

天街小雨潤如酥,草色遙看近卻無。 

最是一年春好處,勝煙柳滿皇都。 

車馬の行き交う都大路に春の小雨がしとしとと降るだけで、あらゆるものが潤うが道路が小雨のためにバターを練ったような状態になる、草木は初めて芽を吹き、遠くから見ると緑色であるが近寄ってみるとまだ何にもなっていないのだ。

この場所は、一年中で春景色が一番よいという、いましもその季節になったということだ、みどりに煙った柳が天子の住む都、長安に一杯に広がるので一番の景勝ということになるのだ。

 

(早春 水部張十八員外に呈す,二首の一) 

天街 小雨にして 潤うて酥の如し,草色 遙に看るも 近うて卻って無し。 

最も是れ 一年 春 好きの處,えて 勝る煙柳の皇都に滿る。 

 

楊貴妃清華池002 

 

『早春呈水部張十八員外,二首之一』 現代語訳と訳註

(本文)

早春呈水部張十八員外,二首之一 

天街小雨潤如酥,草色遙看近卻無。 

最是一年春好處,勝煙柳滿皇都。 

 

(含異文)

天街小雨潤如酥,草色遙看近卻無。

最是一年春好處,勝煙柳滿皇都【勝花柳滿皇都】。 

 

(下し文)

(早春 水部張十八員外に呈す,二首の一) 

天街 小雨にして 潤うて酥の如し,草色 遙に看るも 近うて卻って無し。 

最も是れ 一年 春 好きの處,えて 勝る煙柳の皇都に滿る。 

 

(現代語訳)

(春は名のみのころ、水部の張籍に贈呈する詩、823  長慶三年  56の作。

車馬の行き交う都大路に春の小雨がしとしとと降るだけで、あらゆるものが潤うが道路が小雨のためにバターを練ったような状態になる、草木は初めて芽を吹き、遠くから見ると緑色であるが近寄ってみるとまだ何にもなっていないのだ。

この場所は、一年中で春景色が一番よいという、いましもその季節になったということだ、みどりに煙った柳が天子の住む都、長安に一杯に広がるので一番の景勝ということになるのだ。

唐長安城図 

 

(訳注)

早春呈水部張十八員外,二首之一 

(春は名のみのころ、水部の張籍に贈呈する詩、823  長慶三年  56の作。

 

 

天街小雨潤如酥,草色遙看近卻無。 

車馬の行き交う都大路に春の小雨がしとしとと降るだけで、あらゆるものが潤うが道路が小雨のためにバターを練ったような状態になる、草木は初めて芽を吹き、遠くから見ると緑色であるが近寄ってみるとまだ何にもなっていないのだ。

天街 都大路

潤如酥 馬や牛で路が小雨のためにバターを練ったような状態になること。

 

最是一年春好處,勝煙柳滿皇都。 

この場所は、一年中で春景色が一番よいという、いましもその季節になったということだ、みどりに煙った柳が天子の住む都、長安に一派にに広がるので一番の景勝ということになるのだ。

最是一年春好處 この場所は、一年中で春景色が一番よいという季節になったということ。

煙柳 みどりに煙った柳。

皇都 天子の住む都、長安。
隋堤01 

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韓愈《送鄭尚書赴南海》 尚書は、ひと度その地に臨んで施政を行えば、清平にして、采篇なども怒らず、風も静かであるから、鴎なども、陸から去って海に浮び、それに、官僚としても清廉であることから、古の孟嘗のように一度ここを去った真珠貝なども、またぞろ、もとの所へ戻って来ることだろう。

 
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 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
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製作年:  823  長慶三年  56

卷別: 卷三四四  文體: 五言古詩 

詩題: 送鄭尚書【案:權。】赴南海 

及地點:  南海 (嶺南道東部 廣州 南海)     

番禺 (嶺南道東部 廣州 南海)     

武王臺 (嶺南道東部 廣州 廣州) 別名:越王台     

交遊人物: 鄭權 書信往來(京畿道 京兆府 長安)

 

 

送鄭尚書赴南海 

(鄭尚書が廣州南海郡に赴かれるを送別してこの詩をつくる。)

番禺軍府盛,欲暫停杯。 

番禺の節度府は、管轄する地域が広大で、その勢威は盛んである。そこでその地の風土を説明しようとしてしばらく盃を留めて、ゆっくりと語ることにしよう。

蓋海旂幢出,連天觀閣開。 

鄭尚書がこの度赴任される道すがら、はたさしものは、海を蔽うほどに髙く掲げだし、やがて、南海に近くなれば、樓観亭閣の天に接して開くのが見える。

衙時龍集,上日馬人來。 

もとより、野蛮で荒れ果てたところであるから、役所の執務時間には、采珠を業務とする蜑戸のものどもがあつまってきて、元日には、参賀のために、馬留人どもまでやってくる。

風靜鶢鶋去,官廉蚌蛤迴。 

尚書は、ひと度その地に臨んで施政を行えば、清平にして、采篇なども怒らず、風も静かであるから、鴎なども、陸から去って海に浮び、それに、官僚としても清廉であることから、古の孟嘗のように一度ここを去った真珠貝なども、またぞろ、もとの所へ戻って来ることだろう。

貨通師子國,樂奏武王臺。 

常に獅子国と交通して、かの土地の物貨を輸入し、古の趙佗の古跡たる武王台において、楽を奏じて、官も民も心のどかに落ち着くこともできるだろう。

事事皆殊異,無嫌屈大才。 

南海は、事事物物、中土と違っているが、右の次第で、施政にも張り合いがあるというもので、折角の大才を屈することをもって嫌いと為さず、せいぜい力を盡して、朝旨にかなうようにされたらよいのではなかろうか。

 

(鄭尚書の南海に赴くを送る) 

番禺 軍府盛んなり,かんと欲して暫く 杯を停む。 

海を蓋うて 旂幢【きどう】出で,天に連って觀閣開く。 

衙時【がじ】龍集まり,上日 馬人來る。 

風靜かにして 鶢鶋【rんきょ】去り,官廉にして蚌蛤【ぼうこう】迴える。 

貨は師子國に通じ,樂は武王臺に奏す。 

事事 皆 殊異なり,嫌う無れ 大才を屈するを。 

閶闔門001 

 

『送鄭尚書赴南海』 現代語訳と訳註

(本文)

送鄭尚書赴南海 

番禺軍府盛,欲暫停杯。 

蓋海旂幢出,連天觀閣開。 

衙時龍集,上日馬人來。 

風靜鶢鶋去,官廉蚌蛤迴。 

貨通師子國,樂奏武王臺。 

事事皆殊異,無嫌屈大才。 

 

(含異文)

送鄭尚書【案:權。】赴南海 

番【案:音潘。】禺【案:音愚。】軍府盛,欲暫停杯。

蓋海旂幢出,連天觀閣開。衙時龍集,上日馬人來。

風靜鶢鶋去,官廉蚌蛤迴。貨通師子國,樂奏武王臺。

事事皆殊異,無嫌屈大才。 

 

(下し文)

(鄭尚書の南海に赴くを送る) 

番禺 軍府盛んなり,かんと欲して暫く 杯を停む。 

海を蓋うて 旂幢【きどう】出で,天に連って觀閣開く。 

衙時【がじ】龍集まり,上日 馬人來る。 

風靜かにして 鶢鶋【rんきょ】去り,官廉にして蚌蛤【ぼうこう】迴える。 

貨は師子國に通じ,樂は武王臺に奏す。 

事事 皆 殊異なり,嫌う無れ 大才を屈するを。 

 

(現代語訳)

(鄭尚書が廣州南海郡に赴かれるを送別してこの詩をつくる。)

番禺の節度府は、管轄する地域が広大で、その勢威は盛んである。そこでその地の風土を説明しようとしてしばらく盃を留めて、ゆっくりと語ることにしよう。

鄭尚書がこの度赴任される道すがら、はたさしものは、海を蔽うほどに髙く掲げだし、やがて、南海に近くなれば、樓観亭閣の天に接して開くのが見える。

もとより、野蛮で荒れ果てたところであるから、役所の執務時間には、采珠を業務とする蜑戸のものどもがあつまってきて、元日には、参賀のために、馬留人どもまでやってくる。

尚書は、ひと度その地に臨んで施政を行えば、清平にして、采篇なども怒らず、風も静かであるから、鴎なども、陸から去って海に浮び、それに、官僚としても清廉であることから、古の孟嘗のように一度ここを去った真珠貝なども、またぞろ、もとの所へ戻って来ることだろう。

常に獅子国と交通して、かの土地の物貨を輸入し、古の趙佗の古跡たる武王台において、楽を奏じて、官も民も心のどかに落ち着くこともできるだろう。

南海は、事事物物、中土と違っているが、右の次第で、施政にも張り合いがあるというもので、折角の大才を屈することをもって嫌いと為さず、せいぜい力を盡して、朝旨にかなうようにされたらよいのではなかろうか。

 

唐時代 韓愈関連05 

(訳注)

送鄭尚書赴南海 

(鄭尚書が廣州南海郡に赴かれるを送別してこの詩をつくる。)

鄭尚書 鄭尚書は、名を權、汴州開封の人。

尚書 中国の官名。秦(しん)代に設置され、初めは天子の文書の授受をつかさどる小官だったが、しだいに地位が上がり、唐代~明代には六部の長官となった。

南海 廣州南海郡。嶺南は州を七十の内、二十二は嶺南節度府に隷す、その内四十余は四府に分かち、府ごとに帥を置く。

 

番禺軍府盛,欲暫停杯。 

番禺の節度府は、管轄する地域が広大で、その勢威は盛んである。そこでその地の風土を説明しようとしてしばらく盃を留めて、ゆっくりと語ることにしよう。

番禺 南海縣のことを漢代では番禺縣という。番山と禺山があり、そのことで名づくとされる。

軍府 節度軍の幕府。

 

蓋海旂幢出,連天觀閣開。 

鄭尚書がこの度赴任される道すがら、はたさしものは、海を蔽うほどに髙く掲げだし、やがて、南海に近くなれば、樓観亭閣の天に接して開くのが見える。

旂幢 節度軍の旗。

觀閣 樓観亭閣。

 

衙時龍集,上日馬人來。 

もとより、野蛮で荒れ果てたところであるから、役所の執務時間には、采珠を業務とする蜑戸のものどもがあつまってきて、元日には、参賀のために、馬留人どもまでやってくる。

衙時 役所の執務時間。

 采珠を業務とする蜑戸のものども。

上日 元日。

馬人 馬留人。南蛮人の精鋭。

 

風靜鶢鶋去,官廉蚌蛤迴。 

尚書は、ひと度その地に臨んで施政を行えば、清平にして、采篇なども怒らず、風も静かであるから、鴎なども、陸から去って海に浮び、それに、官僚としても清廉であることから、古の孟嘗のように一度ここを去った真珠貝なども、またぞろ、もとの所へ戻って来ることだろう。

鶢鶋 かもめ。

官廉蚌蛤迴 官僚としても清廉であることから、古の孟嘗のように一度ここを去った真珠貝なども、またぞろ、もとの所へ戻って来る。

 

貨通師子國,樂奏武王臺。 

常に獅子国と交通して、かの土地の物貨を輸入し、古の趙佗の古跡たる武王台において、楽を奏じて、官も民も心のどかに落ち着くこともできるだろう。

師子國 マレーシア半島に存在した国。

武王臺 漢の廣州府、趙佗の古跡たる武王台

 

事事皆殊異,無嫌屈大才。 

南海は、事事物物、中土と違っているが、右の次第で、施政にも張り合いがあるというもので、折角の大才を屈することをもって嫌いと為さず、せいぜい力を盡して、朝旨にかなうようにされたらよいのではなかろうか。

殊異 普通見るものと違っている。
8世紀唐と周辺国00 

419 《枯樹》韓愈(韓退之)ID Index-12-504 Ⅱ韓昌黎集823年長慶三年<1116>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4564韓愈詩-419

韓愈《枯樹》老樹は枯れてしまって、枝もなく、葉もなく、したがって風霜もまた降りたとしてもそれによって凋んだり傷んだりすることはない。横っ腹に穴が開いていて人が通れることもあるし、皮は向けてしまい、有が巣を作ったと見えて、しきりにその中に尋ねて入ってゆく。

 
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製作年:  823  長慶三年  56

卷別: 卷三四四  文體: 五言律詩 

    韓昌黎集 巻十

詩題: 枯樹 

 

 

枯樹 

(老木を見て、全く邪魔にすることはなく、役に立たないものとすることはない。)

老樹無枝葉,風霜不復侵。 

老樹は枯れてしまって、枝もなく、葉もなく、したがって風霜もまた降りたとしてもそれによって凋んだり傷んだりすることはない。

腹穿人可過,皮剝蟻還尋。 

横っ腹に穴が開いていて人が通れることもあるし、皮は向けてしまい、有が巣を作ったと見えて、しきりにその中に尋ねて入ってゆく。

寄託惟朝菌,依投暮禽。 

こうしたことに生を寄託するというのは晦朔を知らない朝菌だけであって、もはや夕方に鳥が巣に帰るといってもこんな樹にかえることはない。

猶堪持改火,未肯但空心。 

しかし、これを持って、火を改めるに用いることはできるので、何も中心まで空虚で、全く役に立たないというものでもないのである。

 

(枯樹) 

老樹 枝葉無く,風霜 復た侵さず。

腹は穿って 人 過ぐ可く,皮は剝けて 蟻 還た尋ぬ。

寄託 惟だ 朝菌,依投 暮禽をつ。

猶お 持して火をむ改るに堪えたり,未だ肯て 但だ空心ならず。

sas0011

 

『枯樹』 現代語訳と訳註

(本文)

枯樹 

老樹無枝葉,風霜不復侵。 

腹穿人可過,皮剝蟻還尋。 

寄託惟朝菌,依投暮禽。 

猶堪持改火,未肯但空心。 

 

(下し文)

(枯樹) 

老樹 枝葉無く,風霜 復た侵さず。

腹は穿って 人 過ぐ可く,皮は剝けて 蟻 還た尋ぬ。

寄託 惟だ 朝菌,依投 暮禽をつ。

猶お 持して火をむ改るに堪えたり,未だ肯て 但だ空心ならず。

 

(現代語訳)

(老木を見て、全く邪魔にすることはなく、役に立たないものとすることはない。)

老樹は枯れてしまって、枝もなく、葉もなく、したがって風霜もまた降りたとしてもそれによって凋んだり傷んだりすることはない。

横っ腹に穴が開いていて人が通れることもあるし、皮は向けてしまい、有が巣を作ったと見えて、しきりにその中に尋ねて入ってゆく。

こうしたことに生を寄託するというのは晦朔を知らない朝菌だけであって、もはや夕方に鳥が巣に帰るといってもこんな樹にかえることはない。

しかし、これを持って、火を改めるに用いることはできるので、何も中心まで空虚で、全く役に立たないというものでもないのである。

 

(訳注)

枯樹 

(老木を見て、全く邪魔にすることはなく、役に立たないものとすることはない。)

韓愈哲学というほどの物でなく、律詩としても、あんまり、良いものともいえない。二十四節季「寒食」の際に作ったものか。

寒食(ハンシク)は冬至から数えて105日目に行われる名節。端午(단오)、秋夕(추석)、旧正月(설날)とともに韓国の4大名節のひとつに数えられる。中国の介子推の伝説や改火儀礼に由来するといわれ、この日には火を使わずに冷たいものを食べる習慣がある

 

老樹無枝葉,風霜不復侵。 

老樹は枯れてしまって、枝もなく、葉もなく、したがって風霜もまた降りたとしてもそれによって凋んだり傷んだりすることはない。

 

腹穿人可過,皮剝蟻還尋。 

横っ腹に穴が開いていて人が通れることもあるし、皮は向けてしまい、有が巣を作ったと見えて、しきりにその中に尋ねて入ってゆく。

腹穿 横っ腹に穴が開いている。

 

寄託惟朝菌,依投暮禽。 

こうしたことに生を寄託するというのは晦朔を知らない朝菌だけであって、もはや夕方に鳥が巣に帰るといってもこんな樹にかえることはない。

朝菌 《荘子逍遥遊》「朝菌不知晦朔。」(朝菌は晦朔を知らず)「晦朔」は月の晦日(みそか)・朔日(ついたち)の意〕 限られた境遇にあるものは,広い世界があることを知らない。短命のたとえ。

暮禽 夕方に鳥が巣に帰ること。

 

猶堪持改火,未肯但空心。 

しかし、これを持って、火を改めるに用いることはできるので、何も中心まで空虚で、全く役に立たないというものでもないのである。

改火 古代の改火儀礼、新しい火の陽火で各季節の気を招くこと。古い火は生命力が失われ人間に対しても悪い影響を与えるとし、古い火は消し新しい 火を入れる改火儀礼が周期的に行われることをいう.老木の方がよく燃える。

空心 中心部が空になっている。

414 《奉和李相公題蕭家林亭【案:逢吉也。】》韓愈(韓退之)ID Index-12-504 Ⅱ韓昌黎集822年長慶二年<1101>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4489韓愈詩-414

(李逢吉が蕭氏の林亭に遊んで、詩を題したことにより、それに和して作ったもの。)君が蕭氏の林亭におけるは、さながら西晋の山簡が高陽の池におけると同じで、我こそ林園の主人と思えるようで、随意に幽賞せられ、そして、蕭氏の前代の人々がここを経営した時を追想してみて感慨に堪えないのである。

 
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 index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首index-13 821年~822年 55歳 22首index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首韓愈 哲学・儒学「五原」賦・散文・上奏文・碑文など 
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 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
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年:  822  長慶二年  55

卷別: 卷三四四  文體: 七言 

詩題: 奉和李相公題蕭家林亭【李相公:李逢吉也。】 

及地點: 蕭家林亭 (京畿道 京兆府 長安)     

交遊人物/地點: 李逢吉 書信往來(京畿道 京兆府 長安)

 

nat0026 

奉和李相公題蕭家林亭

山公自是林園主,歎惜前賢造作時。

巖洞幽深門盡鎖,不因丞相幾人知。

(李逢吉が蕭氏の林亭に遊んで、詩を題したことにより、それに和して作ったもの。)

君が蕭氏の林亭におけるは、さながら西晋の山簡が高陽の池におけると同じで、我こそ林園の主人と思えるようで、随意に幽賞せられ、そして、蕭氏の前代の人々がここを経営した時を追想してみて感慨に堪えないのである。

その林園は巖洞幽深にしてその門扉はことごとく閉じ、丞相自らここに遊んで詩を作られたから人も成程と、了知したのであるが、そうでなければ、その存在を知っているのものは、幾人もなかったであろう。

(李相公【りしょうこう】蕭家【せっか】林亭に題し和し奉る)

山公 自ら是れ林園の主,歎惜す 前賢 造作の時。

巖洞 幽深 門 盡く鎖ず,丞相に因らずんば 幾人か知らん。

 

Ta唐 長安近郊圖  新02 

『奉和李相公題蕭家林亭』 現代語訳と訳註

(本文)

奉和李相公題蕭家林亭

山公自是林園主,歎惜前賢造作時。

巖洞幽深門盡鎖,不因丞相幾人知。

 

(下し文)

(李相公【りしょうこう】蕭家【せっか】林亭に題し和し奉る)

山公 自ら是れ林園の主,歎惜す 前賢 造作の時。

巖洞 幽深 門 盡く鎖ず,丞相に因らずんば 幾人か知らん。

 

(現代語訳)

(李逢吉が蕭氏の林亭に遊んで、詩を題したことにより、それに和して作ったもの。)

君が蕭氏の林亭におけるは、さながら西晋の山簡が高陽の池におけると同じで、我こそ林園の主人と思えるようで、随意に幽賞せられ、そして、蕭氏の前代の人々がここを経営した時を追想してみて感慨に堪えないのである。

その林園は巖洞幽深にしてその門扉はことごとく閉じ、丞相自らここに遊んで詩を作られたから人も成程と、了知したのであるが、そうでなければ、その存在を知っているのものは、幾人もなかったであろう。

 

(訳注)

奉和李相公題蕭家林亭

(李逢吉が蕭氏の林亭に遊んで、詩を題したことにより、それに和して作ったもの。)

 

山公自是林園主,歎惜前賢造作時。

君が蕭氏の林亭におけるは、さながら西晋の山簡が高陽の池におけると同じで、我こそ林園の主人と思えるようで、随意に幽賞せられ、そして、蕭氏の前代の人々がここを経営した時を追想してみて感慨に堪えないのである。

山公 山簡のこと。字は季倫。西晋時代の人。竹林の七賢の一人、山濤の子。公は一般に尊称であるが、ここでは、とくに尊敬と親しみの気特がこもっている。山簡、あざなは季倫。荊州の地方長官として嚢陽にいたとき、常に酔っぱらっては高陽の池(佳園池)にあそび(野酒)、酩酊したあげく、白い帽子をさかさに被り、馬にのって歩いた。それが評判となり、そのことをうたった歌までできた。話は「世説」にある。 ・高陽 嚢陽にある池の名。 ・白接蘺 接蘺は帽子。

「襄陽歌」の冒頭部分にいう「傍人借問笑何事,笑殺山公酔似泥」も,表面的には山簡の故事をふまえているが、李白自身の事でもある。

「秋浦歌十七首」其七の「酔上山公馬」,「江夏贈章南陵水」の「山公酔後能騎馬」,「留別廣陵諸公」の「山公欲倒鞭」,さらに「尋魯城北お居士失道落蒼耳中見通置酒摘蒼耳作」に「酎宋上馬去,却笑高陽池」,「魯中都東棲酔起作」に「昨日東棲酔,還應倒接羅」というように,泥酔したまま馬に跨り,帽子を逆さまにかぶった滑稽な酔態を詠むものである。

「答友人贈烏紗帽」、「襄陽曲四首」などもこのブログに掲載している

山公、謝安など一見飲んだくれであるもことに及べが力を発揮する李白の矜持の表現である。

前賢 蕭氏の前代の人々をいう。

造作 経営すること。

 

巖洞幽深門盡鎖,不因丞相幾人知。

その林園は巖洞幽深にしてその門扉はことごとく閉じ、丞相自らここに遊んで詩を作られたから人も成程と、了知したのであるが、そうでなければ、その存在を知っているのものは、幾人もなかったであろう。

丞相 李相公をさす。
長安城郭015 

413 《和僕射相公朝迴見寄》韓愈(韓退之)ID Index-12-504 Ⅱ韓昌黎集822年長慶二年<1100>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4484韓愈詩-413

(裴度が、参朝して帰宅し、その時の感懐を詩にして寄せてきた、それに韓愈が、和して詠ったものである。)〔時に牛李の黨が熾し、裴度は其の間に介し,累ねて謗讟【ぼうとく】に遭う,故に愈詩は高蹈の語に有る。〕

 
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製作年:822  長慶二年  55

卷別: 卷三四四  文體: 五言律詩 

詩題: 和僕射相公朝迴見寄〔時牛李黨熾,裴度介其間,累遭謗讟,故愈詩有高蹈之語。〕 

交遊人物/地點: 裴度 書信往來(京畿道 京兆府 長安)

 

 

和僕射相公朝迴見寄

(裴度が、参朝して帰宅し、その時の感懐を詩にして寄せてきた、それに韓愈が、和して詠ったものである。)

〔時牛李黨熾,裴度介其間,累遭謗讟,故愈詩有高蹈之語。〕 

〔時に牛李の黨が熾し、裴度は其の間に介し,累ねて謗讟【ぼうとく】に遭う,故に愈詩は高蹈の語に有る。〕

盡瘁年將久,公今始暫閒。

裴度宰相は国家のために奮闘努力されてこの方、年、既に久しいのですが、今しも、やっと閒地に就かれた。

事隨憂共減,詩與酒俱還。

政治は憂いにしたがってともに滅して、再び詩と酒という風流なことへとたちかえられたのである。

放意機衡外,收身矢石間。

そうしたことはまことに喜ばしいことであり、ここに、心意を朝廷の外に放たれられたのであり、矢の石間に身を収められたのである。

秋臺風日迥,正好看前山。

そして、この秋、臺に登れば風日朗らかに晴れ渡り、前面にある終南山の一帯の山々がくっきりと見えるのはまことに心地の良いと途ではありませんか。(折角、ご自宅にかえられたのであれば、牛李の諍いに対して私は中立であります、右か左かの争いよりも終南山を眺めて風流に過ごされた蘿よいのではないでしょうか。)

 

(僕射相公の朝より迴って見寄せらるるに和す)

盡瘁【じんすい】年 將に久しからんとし,公 今始じめて暫く閒なり。

事は憂に隨って共に減じ,詩は酒と俱に還る。

意を放つ 機衡の外,身を收む 矢石の間。

秋臺 風日迥【はる】かなり,正に前山を看るに好し。

 

李白図102

『和僕射相公朝迴見寄』 現代語訳と訳註

(本文)

和僕射相公朝迴見寄

盡瘁年將久,公今始暫閒。

事隨憂共減,詩與酒俱還。

放意機衡外,收身矢石間。

秋臺風日迥,正好看前山。

 

(下し文)

(僕射相公の朝より迴って見寄せらるるに和す)

盡瘁【じんすい】年 將に久しからんとし,公 今始じめて暫く閒なり。

事は憂に隨って共に減じ,詩は酒と俱に還る。

意を放つ 機衡の外,身を收む 矢石の間。

秋臺 風日迥【はる】かなり,正に前山を看るに好し。

 

(現代語訳)

(裴度が、参朝して帰宅し、その時の感懐を詩にして寄せてきた、それに韓愈が、和して詠ったものである。)

〔時に牛李の黨が熾し、裴度は其の間に介し,累ねて謗讟【ぼうとく】に遭う,故に愈詩は高蹈の語に有る。〕

裴度宰相は国家のために奮闘努力されてこの方、年、既に久しいのですが、今しも、やっと閒地に就かれた。

政治は憂いにしたがってともに滅して、再び詩と酒という風流なことへとたちかえられたのである。

そうしたことはまことに喜ばしいことであり、ここに、心意を朝廷の外に放たれられたのであり、矢の石間に身を収められたのである。

そして、この秋、臺に登れば風日朗らかに晴れ渡り、前面にある終南山の一帯の山々がくっきりと見えるのはまことに心地の良いと途ではありませんか。(折角、ご自宅にかえられたのであれば、牛李の諍いに対して私は中立であります、右か左かの争いよりも終南山を眺めて風流に過ごされた蘿よいのではないでしょうか。)

 

 

(訳注)

和僕射相公朝迴見寄

(裴度が、参朝して帰宅し、その時の感懐を詩にして寄せてきた、それに韓愈が、和して詠ったものである。)

《奉和僕射裴相公感恩言志》と同時期の策である。〔822年穆宗長慶二年,裴度罷め,李逢吉相と為る。〕

〔時牛李黨熾,裴度介其間,累遭謗讟,故愈詩有高蹈之語。〕

(時に牛李の黨が熾し、裴度は其の間に介し,累ねて謗讟【ぼうとく】に遭う,故に愈詩は高蹈の語に有る。)

 

盡瘁年將久,公今始暫閒。

裴度宰相は国家のために奮闘努力されてこの方、年、既に久しいのですが、今しも、やっと閒地に就かれた。

盡瘁 朝廷の事、ここでは、牛李の諍いの間に立って見も痩せ細ってしまったという意味。

 

事隨憂共減,詩與酒俱還。

政治は憂いにしたがってともに滅して、再び詩と酒という風流なことへとたちかえられたのである。

詩與酒俱還 詩と酒とを俱にできる閒地(別荘)に還られたこと。

 

放意機衡外,收身矢石間。

そうしたことはまことに喜ばしいことであり、ここに、心意を朝廷の外に放たれられたのであり、矢の石間に身を収められたのである。

意 心意。

機衡 枢機権衡:朝廷を処置するほどの大方針。

 

秋臺風日迥,正好看前山。

そして、この秋、臺に登れば風日朗らかに晴れ渡り、前面にある終南山の一帯の山々がくっきりと見えるのはまことに心地の良いと途ではありませんか。(折角、ご自宅にかえられたのであれば、牛李の諍いに対して私は中立であります、右か左かの争いよりも終南山を眺めて風流に過ごされた蘿よいのではないでしょうか。)
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(裴度が、参朝して帰宅し、その時の感懐を詩にして寄せてきた、それに韓愈が、僕射裴相公の恩に感じて志を言うに和し奉ると詠ったものである。)裴度宰相は、文武二つながらの功績をあげられたのち、居ながらにして百官の師表となり、その声望はまことに素晴らしいものである。

 
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 温庭筠66首 花間集1・2巻皇甫松11首 花間集二巻韋莊47首 花間集二巻薛昭蘊19首 花間集三巻牛嶠31首 花間集三・四巻張泌27首 花間集四巻 
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年:  822  長慶二年  55

卷別: 卷三四四  文體: 五言律詩 

詩題: 奉和僕射裴相公感恩言志〔穆宗長慶二年,裴度罷,李逢吉為相。〕 

交遊人物/地點: 裴度 書信往來(京畿道 京兆府 長安)

 

 

奉和僕射裴相公感恩言志

(裴度が、参朝して帰宅し、その時の感懐を詩にして寄せてきた、それに韓愈が、僕射裴相公の恩に感じて志を言うに和し奉ると詠ったものである。)

文武功成後,居為百辟師。 

裴度宰相は、文武二つながらの功績をあげられたのち、居ながらにして百官の師表となり、その声望はまことに素晴らしいものである。

林園窮勝事,鐘鼓樂清時。 

しかし、優遊として閒地に就き、林園にあって思う存分、面白い遊びをほしいままにし、つねに、鐘鼓の音楽を奏でておられた。

擺落遺高論,雕鐫出小詩。 

そこで、多事の世事をふるい落として、高尚なる議論を口にせず、せっかく修辞の工夫を凝らし精彩な小詩をつくられておられる。

自然無不可,范蠡爾其誰。 

古から、大名のもとには久しくおりがたいというものであるが、裴度宰相のもとであれば自然、不可ということなどありえない、越王句践の忠臣であった、范蠡などでも「汝は誰なのか?」とまるで話にならないということだ。

 

僕射裴相公の恩に感じて志を言うに和し奉る

文武 功成すの後,居ながら百辟の師と為る。 

林園 勝事を窮め,鐘鼓 清時を樂しむ。 

擺落【はいらく】して 高論を遺れ,雕鐫【ちょうせん】して 小詩を出す。 

自然に不可なる無し,范蠡【はんれい】爾じ其れ誰ぞ。 

 

『奉和僕射裴相公感恩言志』 現代語訳と訳註

(本文)

奉和僕射裴相公感恩言志

文武功成後,居為百辟師。 

林園窮勝事,鐘鼓樂清時。 

擺落遺高論,雕鐫出小詩。 

自然無不可,范蠡爾其誰。 

 

(含異文)

奉和僕射裴相公感恩言志

文武功成後【文武成功後】,居為百辟師。

林園窮勝事,鐘鼓樂清時。

擺落遺高論,雕鐫出小詩。

自然無不可,范蠡爾其誰。

 

(下し文)

(僕射裴相公の恩に感じて志を言うに和し奉る)

文武 功成すの後,居ながら百辟の師と為る。 

林園 勝事を窮め,鐘鼓 清時を樂しむ。 

擺落【はいらく】して 高論を遺れ,雕鐫【ちょうせん】して 小詩を出す。 

自然に不可なる無し,范蠡【はんれい】爾じ其れ誰ぞ。 

長安城郭015 

(現代語訳)

(裴度が、参朝して帰宅し、その時の感懐を詩にして寄せてきた、それに韓愈が、僕射裴相公の恩に感じて志を言うに和し奉ると詠ったものである。)

裴度宰相は、文武二つながらの功績をあげられたのち、居ながらにして百官の師表となり、その声望はまことに素晴らしいものである。

しかし、優遊として閒地に就き、林園にあって思う存分、面白い遊びをほしいままにし、つねに、鐘鼓の音楽を奏でておられた。

そこで、多事の世事をふるい落として、高尚なる議論を口にせず、せっかく修辞の工夫を凝らし精彩な小詩をつくられておられる。

古から、大名のもとには久しくおりがたいというものであるが、裴度宰相のもとであれば自然、不可ということなどありえない、越王句践の忠臣であった、范蠡などでも「汝は誰なのか?」とまるで話にならないということだ。

 

(訳注)

奉和僕射裴相公感恩言志

(裴度が、参朝して帰宅し、その時の感懐を詩にして寄せてきた、それに韓愈が、僕射裴相公の恩に感じて志を言うに和し奉ると詠ったものである。)

822年穆宗長慶二年,裴度罷め,李逢吉相と為る。〕

 

文武功成後,居為百辟師。 

裴度宰相は、文武二つながらの功績をあげられたのち、居ながらにして百官の師表となり、その声望はまことに素晴らしいものである。

文武功成 裴度は朝廷内では宰相として政治をし、淮西の乱を司令官として平定したことをいう。

同李二十八夜次襄城

周楚仍連接,川原乍屈盤。

雲垂天不暖,塵漲雪猶乾。

印綬歸台室,旌旗別將壇。

欲知迎候盛,騎火萬星攢。

(李正封に同行して襄城に宿する。)

呉元済が謀叛した淮南の地は、古代の周と楚であり、そこは隣接し地形も連なっている。川原がひろがり、高原がつづいたらき、たちまち上下左右にうねっているのだ。

その上、雲はひくく垂れて、天からの暖かくなることが全くないのだ。塵は一帯を覆い尽くし、そこに雪が降るが猶おかんきで乾いている。

呉元済が謀叛して印綬を盗み取ったが、平定されて宰相の率いる台室に帰ってきた。攻め入る軍のかかげる旌旗がゆれ、將壇に別れをつげるのである。

凱旋の道すがら盛んな歓迎され、それに応えようとしている。騎馬の兵士の持つかがり火はまるで萬星があつまったほどにあかるいのだ。

《同李二十八夜次襄城》韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <839  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3179韓愈詩-211

《過襄城》韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <840  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3184韓愈詩-212

平淮西碑 韓愈(韓退之) <163-#24-2>Ⅱ中唐詩767 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2819

百辟師 朝廷の百官。

 

林園窮勝事,鐘鼓樂清時。 

しかし、優遊として閒地に就き、林園にあって思う存分、面白い遊びをほしいままにし、つねに、鐘鼓の音楽を奏でておられた。

窮勝事 面白い遊びをほしいままにする。

鐘鼓 ここでは音楽をいう。

清時 清平の時、太平の世。

 

擺落遺高論,雕鐫出小詩。 

そこで、多事の世事をふるい落として、高尚なる議論を口にせず、せっかく修辞の工夫を凝らし精彩な小詩をつくられておられる。

擺落 ふるい落とす。

雕鐫 雕刻、修辞の精彩なることをいう。

 

自然無不可,范蠡爾其誰。 

古から、大名のもとには久しくおりがたいというものであるが、裴度宰相のもとであれば自然、不可ということなどありえない、越王句践の忠臣であった、范蠡などでも「汝は誰なのか?」とまるで話にならないということだ。

・范蠡 春秋時代の越王句践(こうせん)の忠臣。生没年不詳。句践を助けて呉を討ち会稽の恥をそそいだが,越が天下に覇をとなえると句践のもとを去り,海路斉に行った。彼はここで鴟夷子皮(しいしひ)と号し数千万の財をたくわえて斉の宰相となったが,散財して今度は交易の要地である陶(とう)(山東省定陶県)に行って朱公と称し,再び巨万の富を得た。しかし今度もまた,すべて貧者に分け与えてしまったという。いわば中国商人の元祖であるが,これら《史記》に見える彼の事跡には多分に後世の作為があり,伝説の域を脱しない。あるいは、勾践が復仇をとげて凱旋すると、呉の重臣伍負が、斉を討つことに反対して殺されたことを思い、勝利をおさめた勾践のもとにあって、伍員のような運命にめぐりあうこ之を恐れ、西施をつれて隠遁して五湖に泛び、斉にいって大富家となった。

唐長安城図02 

411 《鎮州路上謹酬裴司空相公重見寄》韓愈(韓退之)ID Index-12-504 Ⅱ韓昌黎集822年長慶二年<1098>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4474韓愈詩-411

(この詩は鎮州へ赴く途上、裴度が重ねて留守役の東都から資を寄せたから、同様にそれに酬いたもの。)私はこの度、勅命を受けて、山東節度軍の鎮州城を包囲している者たちへの鎮撫するために、一日300里という急ぎの旅をするという、馬を馳せての工程であります。

 
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製作年:822  長慶二年  55

卷別: 卷三四四  文體: 七言 

詩題: 鎮州路上謹酬裴司空相公重見寄 

及地點:  恒州 (河北道南部 恒州 恒州) 別名:鎮州     

交遊人物: 裴度 書信往來(京畿道 京兆府 長安)

 

長慶二年(822)二月、朝廷は王延湊の希望を全面的に認めて、王廷湊を節度使に任じ、兵士たちは反乱者だが、これにもおとがめはないものと決定した。その旨を告げて、成徳軍にいっさいの軍事行動をやめさせ、牛元翼に対する包囲を解くよう説得する宣諭使に選ばれたのが韓愈であり、副使には駕部郎中の呉丹という人が任命された。

 

このような使者に韓愈が選ばれたのは、兵部侍郎という身分がら当然であったともいえるが、これは危険な任務であった。王廷湊は札つきの乱暴者だし、その部下の兵士たちも反乱をおこしたあとなので、気が立っている。彼らの要求をのんだからよいようなものの、それでも交渉しだいで、相手がどう出るかわからない。都の百官のなかには、韓愈の安否を気づかう老さえあった。

 

韓愈は敵地に乗りこむようなこのたびの使命を見事に果たし、戦闘行為の停止を約束させて引きあげる。しかしこの時期に作られた同じ種類の詩も一様に威勢が悪く、強情我慢で大見得を切りたがる韓愈のこれまでの詩とは趣きを異にしている。あるいはこれが、韓愈の老境を示す一つのあらわれ(本人はそれと意識しなかったかもしれないが)だったのかもしれない。

韓愈は使命を果たした。牛元翼は自力で包囲網を破り、脱出したが、王廷湊がそのあとを追わせなかったのは、戦闘停止という約束があったからであろう。帰還しためぐみ韓愈は長慶二年の九月二十四日、吏部侍郎に転任することとなった。

 

 

鎮州路上謹酬裴司空相公重見寄

銜命山東撫亂師,日馳三百自嫌遲。

風霜滿面無人識,何處如今更有詩。

(この詩は鎮州へ赴く途上、裴度が重ねて留守役の東都から資を寄せたから、同様にそれに酬いたもの。)

私はこの度、勅命を受けて、山東節度軍の鎮州城を包囲している者たちへの鎮撫するために、一日300里という急ぎの旅をするという、馬を馳せての工程であります。

それほど急いでも、もどかしくてたまらぬくらい北地というのは春が遅くいまだに風霜厳しく顏前面に吹き荒び、誰が誰やら識別もできないくらいになるのです。そんなことでここがどこやらと毎日急いでいる関係上、もっと細やかに詩文を作ってお送りせねばならないのに、毎日それどころではないのです。

(鎮州路上 謹んで裴司空相公の重ねて見寄せらるるに酬ゆ)

命を銜んで山東に亂師を撫し,日に 三百を馳せ自ら遲きを嫌う。

風霜 滿面 人の識る無し,何の處にか 如今 更に詩有る。

 

 

『鎮州路上謹酬裴司空相公重見寄』 現代語訳と訳註

(本文)

鎮州路上謹酬裴司空相公重見寄

銜命山東撫亂師,日馳三百自嫌遲。

風霜滿面無人識,何處如今更有詩。

 

(下し文)

(鎮州路上 謹んで裴司空相公の重ねて見寄せらるるに酬ゆ)

命を銜んで山東に亂師を撫し,日に 三百を馳せ自ら遲きを嫌う。

風霜 滿面 人の識る無し,何の處にか 如今 更に詩有る。

 

(現代語訳)

(この詩は鎮州へ赴く途上、裴度が重ねて留守役の東都から資を寄せたから、同様にそれに酬いたもの。)

私はこの度、勅命を受けて、山東節度軍の鎮州城を包囲している者たちへの鎮撫するために、一日300里という急ぎの旅をするという、馬を馳せての工程であります。

それほど急いでも、もどかしくてたまらぬくらい北地というのは春が遅くいまだに風霜厳しく顏前面に吹き荒び、誰が誰やら識別もできないくらいになるのです。そんなことでここがどこやらと毎日急いでいる関係上、もっと細やかに詩文を作ってお送りせねばならないのに、毎日それどころではないのです。

 

黄河二首の背景 杜甫 

(訳注)

鎮州路上謹酬裴司空相公重見寄

(この詩は鎮州へ赴く途上、裴度が重ねて留守役の東都から資を寄せたから、同様にそれに酬いたもの。)

前回の詩は、

奉使鎮州,行次承天,行營奉酬裴司空

竄逐三年海上歸,逢公復此著征衣。 

旋吟佳句還鞭馬,恨不身先去鳥飛。 

(使いを鎮州に奉じ,承天,行營に行次し 裴司空に酬い奉る)

竄逐 三年 海上より歸り,公に逢うて復た此に 征衣を著く。

旋【たちま】ち 佳句を吟じて 還た馬を鞭ち,恨むらくは 身 去鳥に先って飛ばざるを。 

 

銜命山東撫亂師,日馳三百自嫌遲。

私はこの度、勅命を受けて、山東節度軍の鎮州城を包囲している者たちへの鎮撫するために、一日300里という急ぎの旅をするという、馬を馳せての工程であります。

○銜命 勅命を受け、宣諭使となる。

○山東 鎮州

○亂師 成徳軍にいっさいの軍事行動をやめさせ、牛元翼に対する包囲を解くよう王廷湊を説得するのだが、王廷湊はウイグル系の札つきの乱暴者だし、その部下の兵士たちも反乱をおこしたあとなので、気が立っていることからこういう表現をする。

○三百 約173km1里は576m)

 

風霜滿面無人識,何處如今更有詩。

それほど急いでも、もどかしくてたまらぬくらい北地というのは春が遅くいまだに風霜厳しく顏前面に吹き荒び、誰が誰やら識別もできないくらいになるのです。そんなことでここがどこやらと毎日急いでいる関係上、もっと細やかに詩文を作ってお送りせねばならないのに、毎日それどころではないのです。

○無人識 識別する人がいない。

唐時代 太原地図622

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「佛骨を論ずる表」によって罪を受け、潮州に三年竄逐されたこと、三年の久しきにおよびやがて袁州から帰京いたし、この度、詔を奉じてでかけ、また貴公にお会いでき、ここに征衣を著けて発程したわけであります。

 
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 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
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「南山有高樹行」の事件は、李宗閲たちの失脚という結果を招きはしたものの、韓愈は長慶元年(821)の七月二十六日、彼は兵部侍即に転じており、地位は安泰ということであった。兵部は軍事行政全般を管轄する役所で、韓愈はそこの次官となったわけである。国子祭酒も軽い身分ではないが、こんどの兵部侍即は直接行政にタッチする職だけに、政治的な手腕も揮うことができ、出世である。

 

この年、鎮州(河北省正定県)に本拠を置く成徳軍節度使の田弘正が士卒のことをかまわず贅沢な生活をしていたため兵士の不満がつのり、部下の将校の一人である王廷湊がそれにつけこんで兵士を扇動し、クーデターをおこしたのである。王延湊はウイグル人の血を引く勇猛な将校であった。

 

田弘正は弘正の殺害に成功すると、自分をその後任とするよう朝廷に要求し、かつ武力で近隣の節度使を攻撃し、勢力範囲を拡張しようとした。これに対して魏博節度使の李愬は、田弘正の弔い合戦を旗じるしに部将の牛元翼を差し向けたが、逆に王廷湊の軍によって包囲されてしまった。

長慶二年(822)二月、朝廷は王延湊の希望を全面的に認めて、王廷湊を節度使に任じ、兵士たちは反乱者だが、これにもおとがめはないものと決定した。その旨を告げて、成徳軍にいっさいの軍事行動をやめさせ、牛元翼に対する包囲を解くよう説得する宣諭使に選ばれたのが韓愈であり、副使には駕部郎中の呉丹という人が任命された。

 

このような使者に韓愈が選ばれたのは、兵部侍郎という身分がら当然であったともいえるが、これは危険な任務であった。王廷湊は札つきの乱暴者だし、その部下の兵士たちも反乱をおこしたあとなので、気が立っている。彼らの要求をのんだからよいようなものの、それでも交渉しだいで、相手がどう出るかわからない。都の百官のなかには、韓愈の安否を気づかう老さえあった。

 

 

製作年:  822  長慶二年  55

卷別: 卷三四四  文體: 七言 

詩題: 奉使鎮州,行次承天,行營奉酬裴司空【案:時穆宗長慶二年。】 

作地點: 承天軍(河東道 / 太原府 / 承天軍

及地點:  恒州 (河北道南部 恒州 恒州) 別名:鎮州     

承天軍 (河東道 太原府 承天軍) 別名:承天     

交遊人物: 裴度 書信往來(京畿道 京兆府 長安)

 

 

奉使鎮州,行次承天,行營奉酬裴司空

竄逐三年海上歸,逢公復此著征衣。 

旋吟佳句還鞭馬,恨不身先去鳥飛。 

(王廷湊を招撫するため、使命を帯びて鎮州に向かう時、承天の行営に宿した時に、東都に留守であった裴度から、詩が寄せられたから、これに酬いるために作ったものである。)

「佛骨を論ずる表」によって罪を受け、潮州に三年竄逐されたこと、三年の久しきにおよびやがて袁州から帰京いたし、この度、詔を奉じてでかけ、また貴公にお会いでき、ここに征衣を著けて発程したわけであります。

そして、はからずもわたくしに寄懐の佳作を贈っていただき、これに高吟しつつ、激励の意味に感激し、早く化の地に行きたい気持ちになり、馬に鞭うって出発いたしましたが、この身は肥満で、去鳥に先立って、鎮州まで一っ跳びに飛んでゆくこともできないことが残念なのです。

 

(使いを鎮州に奉じ,承天,行營に行次し 裴司空に酬い奉る)

竄逐 三年 海上より歸り,公に逢うて復た此に 征衣を著く。

旋【たちま】ち 佳句を吟じて 還た馬を鞭ち,恨むらくは 身 去鳥に先って飛ばざるを。 

唐時代 太原地図622 

 

『奉使鎮州,行次承天,行營奉酬裴司空』 現代語訳と訳註

(本文)

奉使鎮州,行次承天,行營奉酬裴司空

竄逐三年海上歸,逢公復此著征衣。 

旋吟佳句還鞭馬,恨不身先去鳥飛。 

 

 

(下し文)

(使いを鎮州に奉じ,承天,行營に行次し 裴司空に酬い奉る)

竄逐 三年 海上より歸り,公に逢うて復た此に 征衣を著く。

旋【たちま】ち 佳句を吟じて 還た馬を鞭ち,恨むらくは 身 去鳥に先って飛ばざるを。 

 

(現代語訳)

(王廷湊を招撫するため、使命を帯びて鎮州に向かう時、承天の行営に宿した時に、東都に留守であった裴度から、詩が寄せられたから、これに酬いるために作ったものである。)

「佛骨を論ずる表」によって罪を受け、潮州に三年竄逐されたこと、三年の久しきにおよびやがて袁州から帰京いたし、この度、詔を奉じてでかけ、また貴公にお会いでき、ここに征衣を著けて発程したわけであります。

そして、はからずもわたくしに寄懐の佳作を贈っていただき、これに高吟しつつ、激励の意味に感激し、早く化の地に行きたい気持ちになり、馬に鞭うって出発いたしましたが、この身は肥満で、去鳥に先立って、鎮州まで一っ跳びに飛んでゆくこともできないことが残念なのです。

 

 

(訳注)

奉使鎮州,行次承天,行營奉酬裴司空

(王廷湊を招撫するため、使命を帯びて鎮州に向かう時、承天の行営に宿した時に、東都に留守であった裴度から、詩が寄せられたから、これに酬いるために作ったものである。)

○奉使鎮州 王廷湊を招撫

404 《奉使常山早次太原呈副使郎中》韓愈(韓退之)ID Index-12-504 Ⅱ韓昌黎集<1090  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4434韓愈詩-404

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李白図102

竄逐三年海上歸,逢公復此著征衣。 

「佛骨を論ずる表」によって罪を受け、潮州に三年竄逐されたこと、三年の久しきにおよびやがて袁州から帰京いたし、この度、詔を奉じてでかけ、また貴公にお会いでき、ここに征衣を著けて発程したわけであります。

竄逐三年 818年「」819年正月潮州刺史へ貶せられ、820年袁州刺史、821年兵部侍郎に転任するまでの足かけ三年のこと。《論佛骨表》(1)元和十四年韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <884  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3404韓愈詩-227-1

 

 

 

旋吟佳句還鞭馬,恨不身先去鳥飛。 

そして、はからずもわたくしに寄懐の佳作を贈っていただき、これに高吟しつつ、激励の意味に感激し、早く化の地に行きたい気持ちになり、馬に鞭うって出発いたしましたが、この身は肥満で、去鳥に先立って、鎮州まで一っ跳びに飛んでゆくこともできないことが残念なのです。

 

 

 

 

 

韓愈は敵地に乗りこむようなこのたびの使命を見事に果たし、戦闘行為の停止を約束させて引きあげる。しかしこの時期に作られた同じ種類の詩も一様に威勢が悪く、強情我慢で大見得を切りたがる韓愈のこれまでの詩とは趣きを異にしている。あるいはこれが、韓愈の老境を示す一つのあらわれ(本人はそれと意識しなかったかもしれないが)だったのかもしれない。

韓愈は使命を果たした。牛元翼は自力で包囲網を破り、脱出したが、王廷湊がそのあとを追わせなかったのは、戦闘停止という約束があったからであろう。帰還しためぐみ韓愈は長慶二年の九月二十四日、吏部侍郎に転任することとなった。

 

409 《送桂州嚴大夫同用南字【送桂州嚴大夫同用南字赴任】》韓愈(韓退之)ID Index-12-504 Ⅱ韓昌黎集822年長慶二年<1096>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4464韓愈詩-409

君のこの度赴任せられる桂州は、湘江の南にあって、古くからよく聞く八株の桂樹が森々として繁っているところである。湘江はその地を繞って、青羅帶を抱くように、四境の郡山は翠色細やかにして碧玉の簪をかざしたようであるという。

 
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409 《送桂州嚴大夫同用南字【送桂州嚴大夫同用南字赴任】》韓愈(韓退之)ID Index-12-504 Ⅱ韓昌黎集822年長慶二年<1096  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4464韓愈詩-409

 

 

年:822  長慶二年  55

卷別: 卷三四四  文體: 五言律詩 

詩題: 送桂州嚴大夫同用南字【送桂州嚴大夫同用南字赴任】【嚴謨也。】 

及地點:  桂州 (嶺南道東部 桂州 桂州)     

交遊人物/地點: 嚴謨 書信往來(嶺南道東部 桂州 桂州)

 

 

送桂州嚴大夫同用南字

(厳謨太夫が桂州都督となって赴任するのを送った。その時に韻に「南」を互いに使って詩を作った。)

蒼蒼森八桂,茲地在湘南。 

君のこの度赴任せられる桂州は、湘江の南にあって、古くからよく聞く八株の桂樹が森々として繁っているところである。

江作青羅帶,山如碧玉篸。 

湘江はその地を繞って、青羅帶を抱くように、四境の郡山は翠色細やかにして碧玉の簪をかざしたようであるという。

多輸翠羽,家自種黃甘。 

桂州は、南土の暖暑なところであるから、戸ごとに翡翠の羽を上納し、また、蜜柑を栽培して、その風土が我々の知るところと随分違っておるのだ。

遠勝登仙去,飛鸞不假驂。 

君がその様に遠地に赴くということではあるが、そのような風物を留め感賞されることであろうから、仙人となって天井に登り、鸞にまたがり驂する暇はとてもないことを考えれば、それに勝っていることであろう。

 

(桂州の嚴大夫を送る。同じく「南」字を用う。)

蒼蒼として八桂を森とし,茲の地 湘南に在り。 

江は青羅帶を作し,山は碧玉 篸の如し。 

多く 翠羽を輸【いた】し,家 自ら黃甘を種う。 

遠く勝る 登仙して去り,飛鸞 驂する假あらざる。 

 

唐時代 韓愈関連05 

『送桂州嚴大夫同用南字』 現代語訳と訳註

(本文)

送桂州嚴大夫同用南字

蒼蒼森八桂,茲地在湘南。 

江作青羅帶,山如碧玉篸。 

多輸翠羽,家自種黃甘。 

遠勝登仙去,飛鸞不假驂。 

 

(下し文)

(桂州の嚴大夫を送る。同じく「南」字を用う。)

蒼蒼として八桂を森とし,茲の地 湘南に在り。 

江は青羅帶を作し,山は碧玉 篸の如し。 

多く 翠羽を輸【いた】し,家 自ら黃甘を種う。 

遠く勝る 登仙して去り,飛鸞 驂する假あらざる。 

 

(現代語訳)

(厳謨太夫が桂州都督となって赴任するのを送った。その時に韻に「南」を互いに使って詩を作った。)

君のこの度赴任せられる桂州は、湘江の南にあって、古くからよく聞く八株の桂樹が森々として繁っているところである。

湘江はその地を繞って、青羅帶を抱くように、四境の郡山は翠色細やかにして碧玉の簪をかざしたようであるという。

桂州は、南土の暖暑なところであるから、戸ごとに翡翠の羽を上納し、また、蜜柑を栽培して、その風土が我々の知るところと随分違っておるのだ。

君がその様に遠地に赴くということではあるが、そのような風物を留め感賞されることであろうから、仙人となって天井に登り、鸞にまたがり驂する暇はとてもないことを考えれば、それに勝っていることであろう。

 

蝦蟇02 

(訳注)

送桂州嚴大夫同用南字

(厳謨太夫が桂州都督となって赴任するのを送った。その時に韻に「南」を互いに使って詩を作った。)

 

蒼蒼森八桂,茲地在湘南。

君のこの度赴任せられる桂州は、湘江の南にあって、古くからよく聞く八株の桂樹が森々として繁っているところである。

八桂 八株の桂樹が森々として繁っているところ桂林八桂。秦代に桂林郡,漢代に始安県が置かれ,唐代に臨桂県と改められた。明・清代には桂林府の治所であった。古来,中原から嶺南へ行くにも,逆に嶺南地方から中原に北上するにも必ず通らねばならない要衝の地で,非常に古い歴史都市である。

湘南 長江中下流に位置し、洞庭湖の南に広がるため、湖南と呼ばれる。北部は洞庭湖平野、中部は丘陵地帯、南部は山岳地帯となっている。水稲生産が盛んで、中国の主要な米産地である。南の広東・広西両省区との間には南嶺山脈が走る。主な河川は長江で、湖南省内を貫く河川は洞庭湖を経て長江に流入する。洞庭湖に入る「湖南省四大河川」には、湘江、資江、沅江(げんこう)、澧水(れいすい)がある。その他の河川には、汨羅江(べきらこう)や、湘江の支流・瀟水(しょうすい)などがあり、いずれも水運に利用されている。桂林は湘水と離水の分水嶺であり、北に湘水、南に、離水となる。

 

江作青羅帶,山如碧玉篸【音簪。】。

湘江はその地を繞って、青羅帶を抱くように、四境の郡山は翠色細やかにして碧玉の簪をかざしたようであるという。

江作青羅帶 湘江はその地を繞って、青羅帶を抱くようにつくる。

山如碧玉篸 四境の郡山は翠色細やかにして碧玉の簪をかざす。

 

多輸翠羽,家自種黃甘。

桂州は、南土の暖暑なところであるから、戸ごとに翡翠の羽を上納し、また、蜜柑を栽培して、その風土が我々の知るところと随分違っておるのだ。

輸翠羽 貴人は翡翠の羽で首飾りとする。

 

遠勝登仙去,飛鸞不假驂。 

君がその様に遠地に赴くということではあるが、そのような風物を留め感賞されることであろうから、仙人となって天井に登り、鸞にまたがり驂する暇はとてもないことを考えれば、それに勝っていることであろう。

2蜀の山00 

408 《和水部張員外宣政衙,賜百官櫻桃詩》韓愈(韓退之)ID Index-12-504 Ⅱ韓昌黎集<1094>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4454韓愈詩-408

櫻桃は古くから珍重されてきた、漢の帝室ではこれを明光殿の前に植えたという、その前、炎帝は本草經をあらわし、櫻桃のことが書かれている。いまや満朝の臣下、官僚らが同じく雨露の恵みを受けていることに喩えようもなく、こうして、賜を拝して、宮中から退潮する。

 
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408 《和水部張員外宣政衙,賜百官櫻桃詩》韓愈(韓退之)ID Index-12-504 Ⅱ韓昌黎集<1094>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4454韓愈詩-408 
 ・李商隠詩 (1) 136首の75首・李商隠詩 (2) 135首の61首●韓愈index-1 ・孟郊、張籍と交遊・汴州乱41首●韓愈詩index-2[800年 33歳~804年 37歳]27首●韓愈詩index-3 805年 38歳・]陽山から江陵府 36首●韓愈詩index-4 806年 39歳 江陵府・権知国子博士 51首(1)25首 
 index-5 806年39歳 50首の(2)25首index-6[807年~809年 42歳]20首index-7[810年~811年 44歳] 34首index-8 [812年~814年47歳]46首index-9[815年~816年 49歳] 57首index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首 
 index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首index-13 821年~822年 55歳 22首index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首韓愈 哲学・儒学「五原」賦・散文・上奏文・碑文など 
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 杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩) 杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首 
 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
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 Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoor14-400《漁歌子二首》孫光憲(60)Ⅻ唐五代詞・『花間集』全詩訳注解説Gs-583-14-(400) 花間集 巻第八 (四十八首)漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4462 
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408

《和水部張員外宣政衙,賜百官櫻桃詩》韓愈(韓退之)ID Index-12-504 Ⅱ韓昌黎集<1094  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4454韓愈詩-408

 

 

製作年:822  長慶二年  55

卷別: 卷三四四  文體: 七言律詩 

詩題: 和水部張員外宣政衙,賜百官櫻桃詩 

及地點:  宣政殿 (京畿道 京兆府 長安)     

明光殿 (京畿道 京兆府 長安)     

交遊人物: 張籍 書信往來(京畿道 京兆府 長安)

 

 

和水部張員外宣政衙,賜百官櫻桃詩  

漢家舊種明光殿,炎帝還書本草經。 

豈似滿朝承雨露,共看傳賜出青冥。 

香隨翠籠擎初到,色映銀盤寫未停。 

食罷自知無所報,空然慚汗仰皇扃。 

(水部張員外郎の張籍が宣政院の衙詰め所で,百官に櫻桃を賜割り、自分も頂戴した。そのことで、詩を一首作ったのでこれに韓愈が和した。)

櫻桃は古くから珍重されてきた、漢の帝室ではこれを明光殿の前に植えたという、その前、炎帝は本草經をあらわし、櫻桃のことが書かれている。

いまや満朝の臣下、官僚らが同じく雨露の恵みを受けていることに喩えようもなく、こうして、賜を拝して、宮中から退潮する。

その桜桃の実は、緑の竹かごに持ってあって、奉げて持ち出して来たときは、普通でない香りがするし、やがてこれを銀盤に入れる時は、その色が互いに映じあってまことに見事でなかなか移動することはできない。

それからこれを食し終わってから、よくよく考えてみれば天子の恩に報いるに由なく、つくねんとして慙汗を流し、嶷峩たる宮闕をのみ仰いでいるのは、我ながら、まことに不甲斐ないことである。

 

水部張員外の宣政衙に,百官櫻桃を賜うの詩に和す  

漢家 舊と明光殿に種うる,炎帝 還た 本草經に書す。 

豈に似んや 滿朝 雨露を承るに,共に看る傳賜の青冥を出づるに。 

香は翠籠に隨って 擎げて初めて到り,色は銀盤に映じて 寫して未だ停まらず。 

食して罷んで 自ら知る 報ずる所無きを,空然 慚汗 皇扃を仰ぐ。 

 

玄武門 

『和水部張員外宣政衙,賜百官櫻桃詩』 現代語訳と訳註

(本文)

和水部張員外宣政衙,賜百官櫻桃詩  

漢家舊種明光殿,炎帝還書本草經。 

豈似滿朝承雨露,共看傳賜出青冥。 

香隨翠籠擎初到,色映銀盤寫未停。 

食罷自知無所報,空然慚汗仰皇扃。 

 

 (含異文)

漢家舊種明光殿,炎帝還書本草經。

豈似滿朝承雨露,共看傳賜出青冥。

香隨翠籠擎初到【香隨翠籠擎初重】,色映銀盤寫未停【色照銀盤寫未停】【色映銀盤瀉未停】【色照銀盤瀉未停】。

食罷自知無所報,空然慚汗仰皇扃。 

 

(下し文)

水部張員外の宣政衙に,百官櫻桃を賜うの詩に和す 

漢家 舊と明光殿に種うる,炎帝 還た 本草經に書す。 

豈に似んや 滿朝 雨露を承るに,共に看る傳賜の青冥を出づるに。 

香は翠籠に隨って 擎げて初めて到り,色は銀盤に映じて 寫して未だ停まらず。 

食して罷んで 自ら知る 報ずる所無きを,空然 慚汗 皇扃を仰ぐ。 

 

(現代語訳)

(水部張員外郎の張籍が宣政院の衙詰め所で,百官に櫻桃を賜割り、自分も頂戴した。そのことで、詩を一首作ったのでこれに韓愈が和した。)

櫻桃は古くから珍重されてきた、漢の帝室ではこれを明光殿の前に植えたという、その前、炎帝は本草經をあらわし、櫻桃のことが書かれている。

いまや満朝の臣下、官僚らが同じく雨露の恵みを受けていることに喩えようもなく、こうして、賜を拝して、宮中から退潮する。

その桜桃の実は、緑の竹かごに持ってあって、奉げて持ち出して来たときは、普通でない香りがするし、やがてこれを銀盤に入れる時は、その色が互いに映じあってまことに見事でなかなか移動することはできない。

それからこれを食し終わってから、よくよく考えてみれば天子の恩に報いるに由なく、つくねんとして慙汗を流し、嶷峩たる宮闕をのみ仰いでいるのは、我ながら、まことに不甲斐ないことである。

 

 

(訳注)

和水部張員外宣政衙,賜百官櫻桃詩  

(水部張員外郎の張籍が宣政院の衙詰め所で,百官に櫻桃を賜割り、自分も頂戴した。そのことで、詩を一首作ったのでこれに韓愈が和した。)

「朝日敕百官櫻桃」詩  張籍

仙果人間都未有,今朝忽見下天門。

捧盤小吏初宣勅,當殿羣臣共拜恩。

日色遙分門下坐,露香才出禁中園。

每年重此先偏待,願得千春奉至尊。

 

漢家舊種明光殿,炎帝還書本草經。 

櫻桃は古くから珍重されてきた、漢の帝室ではこれを明光殿の前に植えたという、その前、炎帝は本草經をあらわし、櫻桃のことが書かれている。

○明光殿 漢長安城、明光殿の名。「未央官の漸台の北西に桂官あり。中に明光殿あり。皆金玉珠璣もて簾箔を為り、処処明月の珠あり、金階玉階、昼夜光明あり」(『三秦記』)。「漢の武帝故事に天子明光宮、桂宮、長楽官を起し、皆輦道(行幸路)相属き、懸棟(宙づりの棟木あり)、飛閣(かけはし)もて北に度り、宮中より西のかた城に上り、神明台(未央宮の西南上林苑中の建章宮にあり)に至る」(漢唐長安位置図参照)。明光宮の宵は殿のこと。華道は右の文によると吊った置舎やかけはしがある。閣道のこと。これで閣道の大体を知ることができる。

張平子(張衡)《西京賦》(18)(閣道)

於是鉤陳之外,閣道穹隆。

屬長樂與明光,徑北通乎桂宮。

命般爾之巧匠,盡變態乎其中。

於是後宮不移,樂不徙懸。

是に於て鉤陳の外、閣道穹隆とす。

長樂と明光とに屬き、径に北のかた桂官に通す。

般爾の巧匠に命じ、變態を其の中に盡せり。

是に於て後宮移さず、欒、懸を徙さず。

(閣道) さて、未央宮の外には、閣道が空に長く弧を画いてできている。

長楽官と明光殿とは閣道によって連接し、まっすぐ正殿の北のかた、桂官に通ずるのである。

古の魯般・王爾のようなすぐれた名工に命じ、絶妙な工夫の限りをこらし、豪華な細工物で閣道内はつくられた。

こうして、後宮の宮人も移らず、楽器もそのつり台、支持台などを動かさずにすんだのだ。

張平子(張衡)《西京(18)(閣道)#8-1 文選 賦<114―(18)>31分割68回 Ⅱ李白に影響を与えた詩1055 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3823

<!--[if !vml]-->漢長安図02帝 

本草經 。365種の薬物を上品・中品・下品の三品に分類して記述している。上品は無毒で長期服用が可能な養命薬、中品は毒にもなり得る養性薬、下品は毒が強く長期服用が不可能な治病薬としている[3][4]

 

500年(永元2年)、南朝の陶弘景は本書を底本に『神農本草経注』3巻を撰し、さらに『本草経集注』7巻を撰した。陶弘景は内容を730種余りの薬物に増広(ぞうこう)している。

 

豈似滿朝承雨露,共看傳賜出青冥。 

いまや満朝の臣下、官僚らが同じく雨露の恵みを受けていることに喩えようもなく、こうして、賜を拝して、宮中から退潮する。

○出青冥 朝廷、宮殿を天上に喩えて青冥といったので中から退潮することをいう。

 

香隨翠籠擎初到,色映銀盤寫未停。 

その桜桃の実は、緑の竹かごに持ってあって、奉げて持ち出して来たときは、普通でない香りがするし、やがてこれを銀盤に入れる時は、その色が互いに映じあってまことに見事でなかなか移動することはできない。

○翠籠擎初到 緑の竹かごに持ってあって、奉げて持ち出して来たことをいう。

○銀盤寫未停 銀盤に入れる時は、その色が互いに映じあってまことに見事でなかなか移動することはできない。

 

食罷自知無所報,空然慚汗仰皇扃。 

それからこれを食し終わってから、よくよく考えてみれば天子の恩に報いるに由なく、つくねんとして慙汗を流し、嶷峩たる宮闕をのみ仰いでいるのは、我ながら、まことに不甲斐ないことである。

○慚汗 恥じ入って汗が出ること。

○皇扃 嶷峩たる宮闕のこと。
唐長安城図02 

407 《同水部張員外籍曲江春遊,寄白二十二舍人》韓愈(韓退之)ID Index-12-504 Ⅱ韓昌黎集<1093>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4449韓愈詩-407

曲江の池水は、溶溶として満ちていて、そこに咲く千樹の杏花は真っ盛りで、最も感賞に良い時期である。我々二人はここに風流の興をほしいままにしているが、君はどんなに忙しいことがあってこられないのかまことに遺憾の至りである。

 
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407 《同水部張員外籍曲江春遊,寄白二十二舍人》韓愈(韓退之)ID Index-12-504 Ⅱ韓昌黎集<1093>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4449韓愈詩-407

 

 

製作年:  822  長慶二年  55

卷別: 卷三四四  文體: 七言 

詩題: 同水部張員外籍曲江春遊,寄白二十二舍人 

作地點: 恒州(河北道南部 / 恒州 / 恒州

及地點:  樂遊原 (京畿道 京兆府 長安) 別名:宜春北苑、宜春北院、宜春苑、太平公主山莊、曲江、樂遊苑、樂遊園、江頭     

交遊人: 張籍 書信往來(京畿道 京兆府長安)

白居易 當地交遊(京畿道 京兆府 長安) 

 

 

同水部張員外籍曲江春遊,寄白二十二舍人 

(張籍と共に春日、曲江に遊び、杏花を感賞し、仍て中書舎人の白居易に寄せたのである。)

漠漠輕陰晚自開,青天白日映樓臺。 

花が咲き誇り、花霞みに花曇りも、晩方になって、はじめて晴れ渡り、青天白日が樓臺に映し、また一層眺めることを増したのだ。

曲江水滿花千樹,有底忙時不肯來。 

今しも曲江の池水は、溶溶として満ちていて、そこに咲く千樹の杏花は真っ盛りで、最も感賞に良い時期である。我々二人はここに風流の興をほしいままにしているが、君はどんなに忙しいことがあってこられないのかまことに遺憾の至りである。

 

(水部張員外籍と同じく曲江に春遊し,寄白二十二舍人にす)

漠漠たる輕陰 晚に自ら開く,青天 白日 樓臺に映ず。

曲江 水滿ち花千樹,底【なん】の忙しき時有って肯えて來らざる。 

 

唐 長安図 基本図00 

『同水部張員外籍曲江春遊,寄白二十二舍人』 現代語訳と訳註

(本文)

同水部張員外籍曲江春遊,寄白二十二舍人 

漠漠輕陰晚自開,青天白日映樓臺。 

曲江水滿花千樹,有底忙時不肯來。

 

(下し文)

(水部張員外籍と同じく曲江に春遊し,寄白二十二舍人にす)

漠漠たる輕陰 晚に自ら開く,青天 白日 樓臺に映ず。

曲江 水滿ち花千樹,底【なん】の忙しき時有って肯えて來らざる。 

 

(現代語訳)

(張籍と共に春日、曲江に遊び、杏花を感賞し、仍て中書舎人の白居易に寄せたのである。)

花が咲き誇り、花霞みに花曇りも、晩方になって、はじめて晴れ渡り、青天白日が樓臺に映し、また一層眺めることを増したのだ。

今しも曲江の池水は、溶溶として満ちていて、そこに咲く千樹の杏花は真っ盛りで、最も感賞に良い時期である。我々二人はここに風流の興をほしいままにしているが、君はどんなに忙しいことがあってこられないのかまことに遺憾の至りである。

 

杏00紅白花00 

(訳注)

同水部張員外籍曲江春遊,寄白二十二舍人 

(張籍と共に春日、曲江に遊び、杏花を感賞し、仍て中書舎人の白居易に寄せたのである。)

○曲江 長安中心部より東南東数キロのところにある池の名。風光明媚な所。漢・武帝がここに宜春苑を造営した。(地図の赤線は長安城の城郭、青印が曲江) ・曲:くま。この池はかなり曲線があり、池の奥深いところ。池の湾曲した部分をいう。春は、牡丹、梨、杏などすべての花が咲き誇る歓楽地であった。 

韓愈 『杏花』 #1

居鄰北郭古寺空,杏花兩株能白紅。

曲江滿園不可到,看此寧避雨與風 ?

二年流竄出嶺外,所見草木多異同。』

居隣【きょりん】の北郭 古寺空しく、杏花両株 能【よ】く白紅。
曲江満園 到る可からず、此を看て 寧【いず】くんぞ雨と風とを避けん。 
二年流竄【りゅうざん】して嶺外【れいがい】に出で、見し所の草木 異同多し。』

杏花 #1 Ⅱ韓退之(韓愈) 紀頌之の漢詩ブログ989 韓愈特集-37-#1

奉酬盧給事雲夫四兄曲江荷花行見寄并呈上錢七兄閣老張十八助教

太白山高三百里,負雪崔嵬插花裡。 

玉山前卻不復來,曲江汀瀅水平盃。 

我時相思不覺一回首,天門九扇相當開。 

上界真人足官府,豈如散仙鞭笞鸞鳳終日相追陪。 

太白山は高し三百里,雪を負うて、崔嵬、花裡【かり】插【さしはさ】む。 

玉山 前に卻りて 復た來らず,曲江 汀瀅【ていえい】として 水 盃に平かなし。 

我 時に相い思うて 覺えず一び 首を回らす,天門 九扇 相い當って開く。

上界の真人 官府足れり,豈に如かむや 散仙の鸞鳳を鞭笞【べんち】して 終日 相い追陪するに。 

《奉酬盧給事雲夫四兄曲江荷花行見寄并呈上錢七兄【案:徽。】閣老張十八助教》韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <812  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3044韓愈詩-192

 

漠漠輕陰晚自開,青天白日映樓臺。 

花が咲き誇り、花霞みに花曇りも、晩方になって、はじめて晴れ渡り、青天白日が樓臺に映し、また一層眺めることを増したのだ。

漠漠 

 

曲江水滿花千樹,有底忙時不肯來。 

今しも曲江の池水は、溶溶として満ちていて、そこに咲く千樹の杏花は真っ盛りで、最も感賞に良い時期である。我々二人はここに風流の興をほしいままにしているが、君はどんなに忙しいことがあってこられないのかまことに遺憾の至りである。

 

 

楊貴妃清華池002 

 

 

 

酬韓侍郎張博士雨後遊曲江見寄(唐·白居易)

 

七言句押尤韻顯示自動注.

 

小園新種紅櫻樹,閑遶花行便當遊。

何必更隨鞍馬隊,衝泥蹋雨曲江頭。

401 《奉和兵部張侍郎酬,鄆州馬尚書祗召,途中見寄,開緘之日,馬帥已再領鄆州之作》韓愈(韓退之) Ⅱ韓昌黎集 巻五 <1053>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4249韓愈詩-401

馬摠が召されて朝廷にあがるその朝廷に向かうその道の途中で、出会ったところ、そこに詔を承り、轅を返して赴任することで都には上れなかった。それで再び鄆州に歸任することになったが、馬摠尚書がむかうのは古の須句國である。それに先立ち官を遷して少昊の職官爵位である検校刑部尚書を加えられたことは喜ばしいことである。

 

        
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 index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首index-13 821年~822年 55歳 22首index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首韓愈 哲学・儒学「五原」賦・散文・上奏文・碑文など 
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401

《奉和兵部張侍郎酬,鄆州馬尚書祗召,途中見寄,開緘之日,馬帥已再領鄆州之作》韓愈(韓退之) Ⅱ韓昌黎集 巻五 <1053>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4249韓愈詩-401

 

 

製作年:  821  長慶元年  54

卷別: 卷三四四  文體: 五言律詩 

詩題: 奉和兵部張侍郎【張賈。】酬,鄆州馬尚書【馬摠。】祗召,途中見寄,開緘之日,馬帥已再領鄆州之作 

地點:  鄆州 (河南道 鄆州 鄆州) 別名:東平     

須昌 (河南道 鄆州 須昌) 別名:須句國     

交遊人物: 張賈 書信往來(京畿道 京兆府 長安)

馬摠 書信往來(河南道 鄆州 鄆州)

 

 

奉和兵部張侍郎酬,鄆州馬尚書祗召,途中見寄,開緘之日,馬帥已再領鄆州之作

(張賈兵部侍郎が馬摠鄆州尚書となって召された時に途中で観て寄せた新しい詩に酬いた詩。馬帥は詔を承け鄆州に歸任することになり張賈から寄越した手紙の封を開く日に唱和して作る。)

來朝當路日,承詔改轅時。 

馬摠が召されて朝廷にあがるその朝廷に向かうその道の途中で、出会ったところ、そこに詔を承り、轅を返して赴任することで都には上れなかった。

再領須句國,仍遷少昊司。 

それで再び鄆州に歸任することになったが、馬摠尚書がむかうのは古の須句國である。それに先立ち官を遷して少昊の職官爵位である検校刑部尚書を加えられたことは喜ばしいことである。

暖風抽宿麥,清雨卷歸旗。 

今、春のこの時暖かき東風は去年植えた麥の苗が抽出したように長く伸びる。清々しい雨が馬摠尚書が帰還する行列の遷都にある旗を巻きつかせて進んでいる。

寄新珠玉,長吟慰我思。 

幸いにも張賈が新たに作った詩にこうして寄せるのである、そしてその詩を楽しく吟じて、両君に対する親愛の情でもって慰めたいのだ。

 

兵部張侍郎が,鄆州【うんしゅう】馬尚書の祗召,途中に寄せられしに酬い,緘を開くの日,馬帥 已に再び鄆州【うんしゅう】を領するの作に和し奉る

來朝して路に當るの日,詔を承けて轅【ながえ】を改めるの時。 

再び領す須句【しゅこう】の國,仍って遷す少昊【しょうこう】の司。 

暖風 宿麥に抽き,清雨 歸旗を卷く。 

賴【さいわい】に新珠玉を寄し,長吟して我が思いを慰む。 

楊貴妃清華池002 

 

『奉和兵部張侍郎酬,鄆州馬尚書祗召,途中見寄,開緘之日,馬帥已再領鄆州之作』 現代語訳と訳註

(本文)

奉和兵部張侍郎酬,鄆州馬尚書祗召,途中見寄,開緘之日,馬帥已再領鄆州之作

來朝當路日,承詔改轅時。 

再領須句國,仍遷少昊司。 

暖風抽宿麥,清雨卷歸旗。 

賴寄新珠玉,長吟慰我思。 

 

(下し文)

兵部張侍郎が,鄆州【うんしゅう】馬尚書の祗召,途中に寄せられしに酬い,緘を開くの日,馬帥 已に再び鄆州【うんしゅう】を領するの作に和し奉る

來朝して路に當るの日,詔を承けて轅【ながえ】を改めるの時。 

再び領す須句【しゅこう】の國,仍って遷す少昊【しょうこう】の司。 

暖風 宿麥に抽き,清雨 歸旗を卷く。 

賴【さいわい】に新珠玉を寄し,長吟して我が思いを慰む。 

 

(現代語訳)

(張賈兵部侍郎が馬摠鄆州尚書となって召された時に途中で観て寄せた新しい詩に酬いた詩。馬帥は詔を承け鄆州に歸任することになり張賈から寄越した手紙の封を開く日に唱和して作る。)

馬摠が召されて朝廷にあがるその朝廷に向かうその道の途中で、出会ったところ、そこに詔を承り、轅を返して赴任することで都には上れなかった。

それで再び鄆州に歸任することになったが、馬摠尚書がむかうのは古の須句國である。それに先立ち官を遷して少昊の職官爵位である検校刑部尚書を加えられたことは喜ばしいことである。

今、春のこの時暖かき東風は去年植えた麥の苗が抽出したように長く伸びる。清々しい雨が馬摠尚書が帰還する行列の遷都にある旗を巻きつかせて進んでいる。

幸いにも張賈が新たに作った詩にこうして寄せるのである、そしてその詩を楽しく吟じて、両君に対する親愛の情でもって慰めたいのだ。

 杏00紅白花00

(訳注)

奉和兵部張侍郎酬,鄆州馬尚書祗召,途中見寄,開緘之日,馬帥已再領鄆州之作

(張賈兵部侍郎が馬摠鄆州尚書となって召された時に途中で観て寄せた新しい詩に酬いた詩。馬帥は詔を承け鄆州に歸任することになり張賈から寄越した手紙の封を開く日に唱和して作る。)

 

來朝 當路 ,承詔 改轅

馬摠が召されて朝廷にあがるその朝廷に向かうその道の途中で、出会ったところ、そこに詔を承り、轅を返して赴任することで都には上れなかった。

「來朝」馬摠が召されて朝廷にあがること。

「當路」朝廷に向かうその道の途中のこと。

「承詔 改轅」詔を承け鄆州に歸任したことをいう。。

 

再領須句國 ,仍遷 少昊

それで再び鄆州に歸任することになったが、馬摠尚書がむかうのは古の須句國である。それに先立ち官を遷して少昊の職官爵位である検校刑部尚書を加えられたことは喜ばしいことである。

「須句國」山東省東榮で、戦国の國名、須句國。

「少昊」秋の三か月の君王帝號で、少昊(傳中の上代の帝王)。

「司」職官爵位、司をいうが、ここは馬摠がこの度、検校刑部尚書を加えられたことをいう。

 

暖風 宿麥 ,清雨 歸旗

今、春のこの時暖かき東風は去年植えた麥の苗が抽出したように長く伸びる。清々しい雨が馬摠尚書が帰還する行列の遷都にある旗を巻きつかせて進んでいる。

「宿麥」去年植えた麥。 麦は多年草である。

 

賴寄 珠玉 長吟 我思

幸いにも張賈が新たに作った詩にこうして寄せるのである、そしてその詩を楽しく吟じて、両君に対する親愛の情でもって慰めたいのだ。

「賴寄 珠玉」幸いにも張賈が新たに作った詩にこうして寄せることをいう。「新珠玉」は張賈が新たに作った詩をいう。

400 《雨中寄張博士籍、侯主簿喜》韓愈(韓退之) Ⅱ韓昌黎集 巻十 <1052>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4244韓愈詩-400

雨が降って朝廷の仕事が休みになったというけれどその連絡が来ないので、例によって朝儀に間に合うように出勤しようと足を進めていた。そうしたら途中で知らせが届き、雨の中道はぬかるんでいるが、泥道を踏んでとぼとぼと家に帰る。この頃雨降りの日が多く天候氣象の節制なくやたら、陰雨がつづいて雨に慣れっこになってしまい、雷はしきりになっていることもあり、気持ちも萎えて元気がなくなる。

        
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400 《雨中寄張博士籍、侯主簿喜》韓愈(韓退之) Ⅱ韓昌黎集 巻十 <1052>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4244韓愈詩-400

 

 

製作年:  821  長慶元年  54

卷別: 卷三四四  文體: 五言律詩 

詩題: 雨中寄張博士籍、侯主簿喜 

作地點: 目前尚無資料 

交遊人物: 張籍 書信往來(京畿道 京兆府長安)

 侯喜 書信往來(京畿道 京兆府 長安)

 

 

雨中寄張博士籍、侯主簿喜

(雨が降る中思いついたことを門下の張籍博士と侯喜主簿に詩にして寄せる)

放朝還不報,半路蹋泥歸。

雨が降って朝廷の仕事が休みになったというけれどその連絡が来ないので、例によって朝儀に間に合うように出勤しようと足を進めていた。そうしたら途中で知らせが届き、雨の中道はぬかるんでいるが、泥道を踏んでとぼとぼと家に帰る。

雨慣曾無節,雷頻自失威。

この頃雨降りの日が多く天候氣象の節制なくやたら、陰雨がつづいて雨に慣れっこになってしまい、雷はしきりになっていることもあり、気持ちも萎えて元気がなくなる。

見牆生菌遍,憂麥作蛾飛。

しかし、こんなに雨が降ると土塀の根っこにはなんだかよくわからない苔化、茸か何かが生えてくるというのはまだ酔いが、心配なのはせっかくこれから冬を越して育ってほしい麦が蛾となって飛んでしまい不作になってしまうことなのだ。

晚偏蕭索,誰當救晉饑。 

こんな年の暮なので単衣に淋しく天候不良の不景気な状況であるから、すべての人々が餓えに苦しみことになるだろう、このようないにしえの晉の国のように、誰か救世主が出て救ってくれるだろうかとは思うけれど、飢饉などにならないように祈るばかりである。

(雨中 張博士籍、侯主簿喜に寄す)

放朝 還って報ぜず,半路 泥を蹋んで歸る。

雨 慣れて 曾て節無く,雷 頻りにして 自ら威を失う。

牆に見る 菌を生じて遍くを,麥に憂う 蛾と作って飛ぶを。

晚 偏えに蕭索し,誰か 當に晉の饑を救わん。 

 

唐 長安図 基本図00 

『雨中寄張博士籍、侯主簿喜』 現代語訳と訳註

(本文)

雨中寄張博士籍、侯主簿喜

放朝還不報,半路蹋泥歸。

雨慣曾無節,雷頻自失威。

見牆生菌遍,憂麥作蛾飛。

晚偏蕭索,誰當救晉饑。 

 

 

(下し文)

(雨中 張博士籍、侯主簿喜に寄す)

放朝 還って報ぜず,半路 泥を蹋んで歸る。

雨 慣れて 曾て節無く,雷 頻りにして 自ら威を失う。

牆に見る 菌を生じて遍くを,麥に憂う 蛾と作って飛ぶを。

晚 偏えに蕭索し,誰か 當に晉の饑を救わん。 

 

(現代語訳)

(雨が降る中思いついたことを門下の張籍博士と侯喜主簿に詩にして寄せる)

雨が降って朝廷の仕事が休みになったというけれどその連絡が来ないので、例によって朝儀に間に合うように出勤しようと足を進めていた。そうしたら途中で知らせが届き、雨の中道はぬかるんでいるが、泥道を踏んでとぼとぼと家に帰る。

この頃雨降りの日が多く天候氣象の節制なくやたら、陰雨がつづいて雨に慣れっこになってしまい、雷はしきりになっていることもあり、気持ちも萎えて元気がなくなる。

しかし、こんなに雨が降ると土塀の根っこにはなんだかよくわからない苔化、茸か何かが生えてくるというのはまだ酔いが、心配なのはせっかくこれから冬を越して育ってほしい麦が蛾となって飛んでしまい不作になってしまうことなのだ。

こんな年の暮なので単衣に淋しく天候不良の不景気な状況であるから、すべての人々が餓えに苦しみことになるだろう、このようないにしえの晉の国のように、誰か救世主が出て救ってくれるだろうかとは思うけれど、飢饉などにならないように祈るばかりである。

01 朝賀の服装 

(訳注)

雨中寄張博士籍、侯主簿喜

(雨が降る中思いついたことを門下の張籍博士と侯喜主簿に詩にして寄せる)

「張籍」 中唐の詩人。字は文昌。和州烏江(安徽省)あるいは東郡(河南省)の人といわれる。貞元15(799)の進士で国子司業などをつとめる。韓愈の門下のひとり。とりわけ楽府(がふ)に長じ,僚友の王建の作とともに〈張王楽府〉と並称される。官僚としては不遇だった彼には〈征婦怨〉や〈築城詞〉など民衆の苦痛を訴え,為政者を批判する作品が多く,その点杜甫,元結の詩風を受け継ぎ,同時代の大詩人で友人でもあった白居易が絶賛している。

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<!--[if !supportLists]-->  <!--[endif]-->早春與張十八博士籍遊楊尚書林亭,寄第三閣老兼呈白馮二閣老【案:白居易、馮宿也。第三閣老,楊於陵之子嗣復也。】

<!--[if !supportLists]-->  <!--[endif]-->早春呈水部張十八員外,二首之一

<!--[if !supportLists]-->  <!--[endif]-->早春呈水部張十八員外,二首之二

<!--[if !supportLists]-->  <!--[endif]-->玩月喜張十八員外以王六祕書至【案:王六,王建也。】

<!--[if !supportLists]-->  <!--[endif]-->與張十八同效阮步兵一日復一夕

「侯喜」

《送侯喜》韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <968  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3824韓愈詩-261

<!--[if !supportLists]-->  <!--[endif]-->『喜侯喜至寄張籍張徹』五言古詩というのがあり韓愈の門下生である。

<!--[if !supportLists]-->  <!--[endif]-->821年、長慶元年『雨中寄張博士籍、侯主簿喜』の時は韓愈が國子祭酒の大学総長であり、長官であったので、主簿は大学書記官で直属上司であった。

 

放朝 還不 報 ,半路 蹋泥 歸 。

雨が降って朝廷の仕事が休みになったというけれどその連絡が来ないので、例によって朝儀に間に合うように出勤しようと足を進めていた。そうしたら途中で知らせが届き、雨の中道はぬかるんでいるが、泥道を踏んでとぼとぼと家に帰る。

「放朝」朝廷の執務をやめて休業すること

「半路 蹋泥 歸」雨が降って朝廷の仕事が休みになったというけれどその連絡が来ないので、朝儀に間に合うように出勤しようと足を進めていたら途中で知らせが届いた。雨の中道はぬかるんで、泥道を踏んで家に帰るということ。

 

雨慣 曾 無節 ,雷頻 自失威 。

この頃雨降りの日が多く天候氣象の節制なくやたら、陰雨がつづいて雨に慣れっこになってしまい、雷はしきりになっていることもあり、気持ちも萎えて元気がなくなる。

「無節」天候氣象の節制なくやたら、陰雨がつづくこと。

 

見牆 生菌 遍,憂麥 作 蛾飛 。

しかし、こんなに雨が降ると土塀の根っこにはなんだかよくわからない苔化、茸か何かが生えてくるというのはまだ酔いが、心配なのはせっかくこれから冬を越して育ってほしい麦が蛾となって飛んでしまい不作になってしまうことなのだ。

「麥 作 蛾」麦が蛾となって飛んでしまい不作になること。麦蛾:鱗翅目キバガ科の昆虫。開張1.31.7cm。翅は細長く,縁毛は後翅では翅より長い。淡黄色で,前翅に12個の暗色紋をもつことがある。ほとんど全世界に分布する。年1回発生の地域もあるが,温暖地では年に56回発生するところもあり,24時間暖房の家屋や倉庫では,年中発生が続く。初夏に畑の麦穂に産卵し,麦粒に食入した幼虫は,納屋や倉庫内で成長する。ガは屋内でも産卵し,もみ米や玄米などを数粒集めてつづり食害する。

 

偏蕭索 ,誰當 救 晉饑 。

こんな年の暮なので単衣に淋しく天候不良の不景気な状況であるから、すべての人々が餓えに苦しみことになるだろう、このようないにしえの晉の国のように、誰か救世主が出て救ってくれるだろうかとは思うけれど、飢饉などにならないように祈るばかりである。

「救 晉饑」《春秋左傳·僖公十三年》「冬,晉荐饑,使乞糴于秦。秦伯謂子桑、與諸乎。」(冬,晉荐り饑ゆ,糴を秦に乞わしむ。秦伯子桑に謂う、諸を與えんか、と。)雨が多く麦蛾が発生し、備蓄穀物に被害が発生、食料が不足、敵の秦から安く穀物を買うことにしたことをいう。
楊貴妃清華池002 

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