漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩 中唐詩人選集【Ⅰ李商隠-150】Ⅱ韓退之(韓愈)-500Ⅶ孟郊(東野)賈島張籍柳宗元韋応物

Ⅰ李商隠は難解詩といわれている。約150首紹介済。(晩唐詩人) Ⅱ韓退之(韓愈)-約500首Ⅶ孟郊、中唐の詩人を掲載中。万物の性(さが)をテーマにした哲学的な詩。このブログは基本的に中唐詩人を中心にして掲載する予定。 韓愈詩文のこれまでの掲載分とこれから掲載予定分を時系列で整理した2014.3.29のブログに集約してそこから各年次を見ることができる  kanbuniinkai 検索で、《漢文委員会HP05》サイトあります。漢詩唐詩を理解するための総合サイト:≪漢文委員会 漢詩07≫。

唐宋八大家読本巻六

少し、マニアックな晩唐詩人Ⅰ-李商隠150首をまず掲載済み。中唐は盛唐詩人(孟浩然・王維、杜甫、李白)を受け継いだ多様な詩人が出ている。この時代も驚くほど詩が発展している。Ⅱ韓退之(韓愈)500首、Ⅲ柳宗元40首、Ⅳ韋応物、Ⅴ劉長卿、Ⅵ韋荘、Ⅶ孟郊(孟東野)、Ⅷ張籍、Ⅸ賈島、Ⅹ劉禹錫、ほか2012~2020年の予定で気長に進める。同じ中唐ではあるが、白居易のグループについては、李白のブログ350首(2015/6月再開~2018/夏・秋月予定)の後掲載の予定。別に杜甫詩ブログ1500首(2011/7月~2018/8月の予定で)を進行中。詩数につぃては、予定の詩数より多くなる。気まぐれなところがあるのでこの予定が少し変わる場合があり、その節はご容赦ください。                 古詩・謝霊運詩 杜甫詩 韓愈詩 花間集500首全詩 それぞれ毎日ブログしています。 このブログ、索引=語句の「検索」 参考書以上掲載。漢詩力up。

76-#21 《八讀巻六11 祭十二郎文》-#21-§6-3 韓愈(韓退之) 803年貞元19年 38歳<1472> Ⅱ【21分割】 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6344

韓愈  祭十二郎文》-21§6-3 

當求數頃之田於伊潁之上,以待餘年,教吾子與汝子,幸其長成,吾女與汝女,待其嫁,如此而已。

嗚呼!言有窮而情不可終,汝其知也邪?其不知也邪?嗚呼哀哉!尚饗。
当然、かの隠遁の地で、数頃の田を伊州や穎川のほとりに求めて、それで以て死ぬまでの残る年を待って暮らしを求めていた。私の子とお前の子のこのことを教えて、こいねがうのは、この子らのすこやかな成長を祈るのである。私の娘とお前の娘とは、その嫁にやる時を得たねばならない。ただこのようにするだけである。ああ、言葉には窮まりがあるけれども、情は述べ終えることができない。お前は私のこの情がわかるだろうか。それともわからないだろうか。ああ悲しいことよ。どうかこの祭りを饗けられよ。

76-21 《八讀巻六11 祭十二郎文》-21-§6-3 韓愈(韓退之)  803年貞元19 36歳<1472 Ⅱ【21分割】 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6344

 
 2015年7月23日の紀頌之5つのBlog 
 ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場 
 Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
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280 《巻二十四26白田馬上聞鶯》Index-19 Ⅱー14-739年開元二十七年39歳 <280> Ⅰ李白詩1558 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6338 
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 Ⅱ中唐詩・晩唐詩
 
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76-#21 《八讀巻六11 祭十二郎文》-#21-§6-3 韓愈(韓退之) 803年貞元19年 38歳<1472> Ⅱ【21分割】 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6344 
 ・李商隠詩 (1) 136首の75首・李商隠詩 (2) 135首の61首●韓愈index-1 ・孟郊、張籍と交遊・汴州乱41首●韓愈詩index-2[800年 33歳~804年 37歳]27首●韓愈詩index-3 805年 38歳・]陽山から江陵府 36首●韓愈詩index-4 806年 39歳 江陵府・権知国子博士 51首(1)25首 
 index-5 806年39歳 50首の(2)25首index-6[807年~809年 42歳]20首index-7[810年~811年 44歳] 34首index-8 [812年~814年47歳]46首index-9[815年~816年 49歳] 57首index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首 
 index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首index-13 821年~822年 55歳 22首index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首韓愈 哲学・儒学「五原」賦・散文・上奏文・碑文など 
 孟郊張籍     
 ●杜甫の全作品1500首を訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。" 
 Ⅲ杜甫詩全1500首   LiveDoorBlog766年-79杜甫 《1716西閣,二首之二》 杜甫詩index-15-766年大暦元年55歲-79 <942> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6345 
 杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩) 杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首 
 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
 ●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている 
 Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集 Fc2Blog 
        
 ●花間集全詩●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集 
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韓愈詩-76-21

19§6-1 -3分割】

嗚呼!汝病吾不知時,汝歿吾不知日,

ああ、お前が病んだのに、私はその時を知らず、お前が歿したのも、私はその日を知らないのである。

生不能相養於共居,歿不能撫汝以盡哀,

生きているときは、互いに養い合って一緒に居ることもできず。致したときにはお前の身体を撫でて哀しみを尽くすことができず、

斂不憑其棺,窆不臨其穴,

入棺のときもその棺に漏号かかって別れを惜しむこともできず、埋葬のときには、その穴のそばに居ることもできなかった。

吾行負神明,而使汝夭,

私の行動が神に負いていたために、お前を若死にさせてしまった、

不孝不慈,而不得與汝相養以生,相守以死。

親に不孝子孫に慈しみがないので、お前と養い合って生き、互いに守り合って死ぬことができなかった。

20§6-2 

一在天之涯,一在地之角,

一人は天の果てにいて、一人は地の片隅にある。

生而影不與吾形相依,死而魂不與吾夢相接,

生きてはお前の影が私の身と相依り添うことなく、死んではお前の魂が、私の夢であっても遭うことがないのである。

吾實為之,其又何尤?

誠にさびしいことであるが、これは私が実際にしたのである。一体その上何をとがめようか。

彼蒼者天,曷其有極!

あの蒼く深いのは天、天にはどうして極まりがあろう。

自今已往,吾其無意於人世矣。

それ故はてなき天にこの悲しみを訴えることなどできようか。今からのちは、私は人の世に意欲がなくなった。

21§6-3 

當求數頃之田於伊潁之上,以待餘年,

当然、かの隠遁の地で、数頃の田を伊州や穎川のほとりに求めて、それで以て死ぬまでの残る年を待って暮らしを求めていた。

教吾子與汝子,幸其長成,

私の子とお前の子のこのことを教えて、こいねがうのは、この子らのすこやかな成長を祈るのである。

吾女與汝女,待其嫁,如此而已。

私の娘とお前の娘とは、その嫁にやる時を得たねばならない。ただこのようにするだけである。

嗚呼!言有窮而情不可終,

ああ、言葉には窮まりがあるけれども、情は述べ終えることができない。

汝其知也邪?其不知也邪?

お前は私のこの情がわかるだろうか。それともわからないだろうか。

嗚呼哀哉!尚饗。

ああ悲しいことよ。どうかこの祭りを饗けられよ。

§6-1

嗚呼、汝の病むに吾時を知らず、汝の歿するに吾日を知らず。

生きては相養いて以って共に居ること能わず。

歿しては汝を撫して以って哀しみを尽すを得ず。

歛【れん】するにその棺に憑【よ】らず窆【へん】するにその穴に臨まず。

吾が行い神明に負【そむ】いて汝をして夭せしむ。

不孝不慈にして、汝と相養いて以って生き、相守りて以って死するを得ず。

§6-2

一【いつ】は天の涯に在り、一は地の角に在り。

生きて影の吾が形と相依らず、死して魂の吾が夢と相接せず。

吾実【まこと】にこれを為せり、それまた何をか尤(とが)めん。

彼【か】の蒼たるものは天、曷【いつ】かそれ極まり有らん。

 今より已往【いおう】、吾それ人生に意無し。

§6-3

当に数頃【すうけい】の田を伊潁【いえい】の上【ほとり】に求めて、以って余年を待つべし。

吾が子と汝が子を教えて、その成るを幸(ねが)わん。

吾が女【むすめ】と汝が女とを長じて、その嫁するを待たん。此の如きのみ。

嗚呼、言窮まり有って情終【お】うべからず。

汝それ知れるか、それ知らざるか。

嗚呼哀しいかな。尚【ねが】わくは饗【う】けよ。

 

 

『祭十二郎文』 現代語訳と訳註解説

(本文)
21§6-3 

當求數頃之田於伊潁之上,以待餘年,

教吾子與汝子,幸其長成,

吾女與汝女,待其嫁,如此而已。

嗚呼!言有窮而情不可終,

汝其知也邪?其不知也邪?

嗚呼哀哉!尚饗。

(下し文) 21§6-3

当に数頃【すうけい】の田を伊潁【いえい】の上【ほとり】に求めて、以って余年を待つべし。

吾が子と汝が子を教えて、その成るを幸(ねが)わん。

吾が女【むすめ】と汝が女とを長じて、その嫁するを待たん。此の如きのみ。

嗚呼、言窮まり有って情終【お】うべからず。

汝それ知れるか、それ知らざるか。

嗚呼哀しいかな。尚【ねが】わくは饗【う】けよ。

(現代語訳)
当然、かの隠遁の地で、数頃の田を伊州や穎川のほとりに求めて、それで以て死ぬまでの残る年を待って暮らしを求めていた。

私の子とお前の子のこのことを教えて、こいねがうのは、この子らのすこやかな成長を祈るのである。

私の娘とお前の娘とは、その嫁にやる時を得たねばならない。ただこのようにするだけである。

ああ、言葉には窮まりがあるけれども、情は述べ終えることができない。

お前は私のこの情がわかるだろうか。それともわからないだろうか。

ああ悲しいことよ。どうかこの祭りを饗けられよ。


(訳注)

祭十二郎文-21§6-3 

(溧陽の尉をつとめていた孟郊から、韓老成の死を報ずる手紙が来たので、それを受取ってから七日目、韓愈は祭文を書き、使者に持たせて韓老成の霊前にそなえさせた)

○十二郎 排行、一族中の十二番目の男子、韓老成のこと。 

 

當求數頃之田於伊潁之上,以待餘年,

当然、かの隠遁の地で、数頃の田を伊州や穎川のほとりに求めて、それで以て死ぬまでの残る年を待って暮らしを求めていた。

○頃 田百畝の広さ。

○伊穎 河南省の伊水と穎水の二川の名。古来世捨人の住んだ土地。

○余年 死ぬまでの残年。

 

教吾子與汝子,幸其長成,

私の子とお前の子のこのことを教えて、こいねがうのは、この子らのすこやかな成長を祈るのである。

○幸 こいねがわくば~。

○長成 すこやかな成長。

 

吾女與汝女,待其嫁,如此而已。

私の娘とお前の娘とは、その嫁にやる時を得たねばならない。ただこのようにするだけである。

 

嗚呼!言有窮而情不可終,

ああ、言葉には窮まりがあるけれども、情は述べ終えることができない。

 

汝其知也邪?其不知也邪?

お前は私のこの情がわかるだろうか。それともわからないだろうか。

○知也邪 私のこの情がわかるだろうか。

 

嗚呼哀哉!尚饗。

ああ悲しいことよ。どうかこの祭りを饗けられよ。

○尚饗 どうかこの祭りを饗けられよ。

76-#20 《八讀巻六11 祭十二郎文》-#20-§6-2 韓愈(韓退之) 803年貞元19年 38歳<1471> Ⅱ【21分割】 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6339

韓愈 祭十二郎文》-20-§6-2 

一在天之涯,一在地之角,生而影不與吾形相依,死而魂不與吾夢相接,吾實為之,其又何尤?彼蒼者天,曷其有極!自今已往,吾其無意於人世矣。
一人は天の果てにいて、一人は地の片隅にある。生きてはお前の影が私の身と相依り添うことなく、死んではお前の魂が、私の夢であっても遭うことがないのである。誠にさびしいことであるが、これは私が実際にしたのである。一体その上何をとがめようか。あの蒼く深いのは天、天にはどうして極まりがあろう。それ故はてなき天にこの悲しみを訴えることなどできようか。今からのちは、私は人の世に意欲がなくなった。

76-20 《八讀巻六11 祭十二郎文》-20-§6-2 韓愈(韓退之)  803年貞元19 38歳<1471 Ⅱ【21分割】 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6339

 
 2015年7月22日の紀頌之5つのBlog 
 ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場 
 Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
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279 《卷23-04擬古,十二首之一》Index-19 Ⅱー14-739年開元二十七年39歳 <279> Ⅰ李白詩1557 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6333 
 孟浩然 詩 index李白詩index謝霊運 詩 index司馬相如 《 子虛賦 ・上林賦 》揚雄 《 甘泉賦 》 ●諸葛亮(孔明)出師表 
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76-#20 《八讀巻六11 祭十二郎文》-#20-§6-2 韓愈(韓退之) 803年貞元19年 38歳<1471> Ⅱ【21分割】 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6339 
 ・李商隠詩 (1) 136首の75首・李商隠詩 (2) 135首の61首●韓愈index-1 ・孟郊、張籍と交遊・汴州乱41首●韓愈詩index-2[800年 33歳~804年 37歳]27首●韓愈詩index-3 805年 38歳・]陽山から江陵府 36首●韓愈詩index-4 806年 39歳 江陵府・権知国子博士 51首(1)25首 
 index-5 806年39歳 50首の(2)25首index-6[807年~809年 42歳]20首index-7[810年~811年 44歳] 34首index-8 [812年~814年47歳]46首index-9[815年~816年 49歳] 57首index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首 
 index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首index-13 821年~822年 55歳 22首index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首韓愈 哲学・儒学「五原」賦・散文・上奏文・碑文など 
 孟郊張籍     
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 杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩) 杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首 
 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
 ●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている 
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 ●花間集全詩●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集 
 Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoorBlog7毛文錫《巻五13接賢賓一首》『花間集』214全詩訳注解説(改訂版Ver.2.1)-漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-6342 
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 韓愈詩-76-20

19§6-1 -3分割】

嗚呼!汝病吾不知時,汝歿吾不知日,

ああ、お前が病んだのに、私はその時を知らず、お前が歿したのも、私はその日を知らないのである。

生不能相養於共居,歿不能撫汝以盡哀,

生きているときは、互いに養い合って一緒に居ることもできず。致したときにはお前の身体を撫でて哀しみを尽くすことができず、

斂不憑其棺,窆不臨其穴,

入棺のときもその棺に漏号かかって別れを惜しむこともできず、埋葬のときには、その穴のそばに居ることもできなかった。

吾行負神明,而使汝夭,

私の行動が神に負いていたために、お前を若死にさせてしまった、

不孝不慈,而不得與汝相養以生,相守以死。

親に不孝子孫に慈しみがないので、お前と養い合って生き、互いに守り合って死ぬことができなかった。

20§6-2 

一在天之涯,一在地之角,

一人は天の果てにいて、一人は地の片隅にある。

生而影不與吾形相依,死而魂不與吾夢相接,

生きてはお前の影が私の身と相依り添うことなく、死んではお前の魂が、私の夢であっても遭うことがないのである。

吾實為之,其又何尤?

誠にさびしいことであるが、これは私が実際にしたのである。一体その上何をとがめようか。

彼蒼者天,曷其有極!

あの蒼く深いのは天、天にはどうして極まりがあろう。

自今已往,吾其無意於人世矣。

それ故はてなき天にこの悲しみを訴えることなどできようか。今からのちは、私は人の世に意欲がなくなった。

21§6-3 

當求數頃之田於伊潁之上,以待餘年,

教吾子與汝子,幸其長成,

吾女與汝女,待其嫁,如此而已。

嗚呼!言有窮而情不可終,

汝其知也邪?其不知也邪?

嗚呼哀哉!尚饗。

§6-1

嗚呼、汝の病むに吾時を知らず、汝の歿するに吾日を知らず。

生きては相養いて以って共に居ること能わず。

歿しては汝を撫して以って哀しみを尽すを得ず。

歛【れん】するにその棺に憑【よ】らず窆【へん】するにその穴に臨まず。

吾が行い神明に負【そむ】いて汝をして夭せしむ。

不孝不慈にして、汝と相養いて以って生き、相守りて以って死するを得ず。

§6-2

一【いつ】は天の涯に在り、一は地の角に在り。

生きて影の吾が形と相依らず、死して魂の吾が夢と相接せず。

吾実【まこと】にこれを為せり、それまた何をか尤(とが)めん。

彼【か】の蒼たるものは天、曷【いつ】かそれ極まり有らん。

 今より已往【いおう】、吾それ人生に意無し。

§6-3

当に数頃【すうけい】の田を伊潁【いえい】の上【ほとり】に求めて、以って余年を待つべし。

吾が子と汝が子を教えて、その成るを幸(ねが)わん。

吾が女【むすめ】と汝が女とを長じて、その嫁するを待たん。此の如きのみ。

嗚呼、言窮まり有って情終【お】うべからず。

汝それ知れるか、それ知らざるか。

嗚呼哀しいかな。尚【ねが】わくは饗【う】けよ。

 

 

『祭十二郎文』 現代語訳と訳註解説

(本文)
20§6-2 

一在天之涯,一在地之角,

生而影不與吾形相依,死而魂不與吾夢相接,

吾實為之,其又何尤?

彼蒼者天,曷其有極!自今已往,吾其無意於人世矣。

(下し文)
一【いつ】は天の涯に在り、一は地の角に在り。

生きて影の吾が形と相依らず、死して魂の吾が夢と相接せず。

吾実【まこと】にこれを為せり、それまた何をか尤(とが)めん。

彼【か】の蒼たるものは天、曷【いつ】かそれ極まり有らん。

 今より已往【いおう】、吾それ人生に意無し。

(現代語訳)
一人は天の果てにいて、一人は地の片隅にある。

生きてはお前の影が私の身と相依り添うことなく、死んではお前の魂が、私の夢であっても遭うことがないのである。

誠にさびしいことであるが、これは私が実際にしたのである。一体その上何をとがめようか。

あの蒼く深いのは天、天にはどうして極まりがあろう。

それ故はてなき天にこの悲しみを訴えることなどできようか。今からのちは、私は人の世に意欲がなくなった。


(訳注) 20§6-2 

祭十二郎文-14

(溧陽の尉をつとめていた孟郊から、韓老成の死を報ずる手紙が来たので、それを受取ってから七日目、韓愈は祭文を書き、使者に持たせて韓老成の霊前にそなえさせた)

○十二郎 排行、一族中の十二番目の男子、韓老成のこと。 

 

一在天之涯,一在地之角,

一人は天の果てにいて、一人は地の片隅にある。

 

生而影不與吾形相依,死而魂不與吾夢相接,

生きてはお前の影が私の身と相依り添うことなく、死んではお前の魂が、私の夢であっても遭うことがないのである。

○接 遇う。

 

吾實為之,其又何尤?

誠にさびしいことであるが、これは私が実際にしたのである。一体その上何をとがめようか。

 

彼蒼者天,曷其有極!

あの蒼く深いのは天、天にはどうして極まりがあろう。

○曷其有極 どうして至り極まることがあろうか。天に訴えようにも、天ははてがない。誰に訴えることもできない。『詩経』小雅蓼我篤に「異天極り岡(な)LLとあり、巧言篇には「悠々たり異天」とある。

 

自今已往,吾其無意於人世矣。

それ故はてなき天にこの悲しみを訴えることなどできようか。今からのちは、私は人の世に意欲がなくなった。

76-#19 《八讀巻六11 祭十二郎文》-#19-§6-1 韓愈(韓退之) 803年貞元19年 38歳<1470> Ⅱ【21分割】 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6334

韓愈《八讀巻六11 祭十二郎文》19§6-1 -3分割】

嗚呼!汝病吾不知時,汝歿吾不知日,生不能相養於共居,歿不能撫汝以盡哀,斂不憑其棺,不臨其穴,吾行負神明,而使汝夭,不孝不慈,而不得與汝相養以生,相守以死。
ああ、お前が病んだのに、私はその時を知らず、お前が歿したのも、私はその日を知らないのである。生きているときは、互いに養い合って一緒に居ることもできず。致したときにはお前の身体を撫でて哀しみを尽くすことができず、入棺のときもその棺に漏号かかって別れを惜しむこともできず、埋葬のときには、その穴のそばに居ることもできなかった。私の行動が神に負いていたために、お前を若死にさせてしまった、親に不孝子孫に慈しみがないので、お前と養い合って生き、互いに守り合って死ぬことができなかった。

76-19 《八讀巻六11 祭十二郎文》-19-§6-1 韓愈(韓退之)  803年貞元19 38歳<1470 Ⅱ【21分割】 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6334

 
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韓愈詩-76《八讀巻六11 祭十二郎文》-19

 

19§6-1 -3分割】

嗚呼!汝病吾不知時,汝歿吾不知日,

ああ、お前が病んだのに、私はその時を知らず、お前が歿したのも、私はその日を知らないのである。

生不能相養於共居,歿不能撫汝以盡哀,

生きているときは、互いに養い合って一緒に居ることもできず。致したときにはお前の身体を撫でて哀しみを尽くすことができず、

斂不憑其棺,窆不臨其穴,

入棺のときもその棺に漏号かかって別れを惜しむこともできず、埋葬のときには、その穴のそばに居ることもできなかった。

吾行負神明,而使汝夭,

私の行動が神に負いていたために、お前を若死にさせてしまった、

不孝不慈,而不得與汝相養以生,相守以死。

親に不孝子孫に慈しみがないので、お前と養い合って生き、互いに守り合って死ぬことができなかった。

20§6-2 

一在天之涯,一在地之角,

生而影不與吾形相依,死而魂不與吾夢相接,

吾實為之,其又何尤?

彼蒼者天,曷其有極!自今已往,吾其無意於人世矣。

21§6-3 

當求數頃之田於伊潁之上,以待餘年,

教吾子與汝子,幸其長成,

吾女與汝女,待其嫁,如此而已。

嗚呼!言有窮而情不可終,

汝其知也邪?其不知也邪?

嗚呼哀哉!尚饗。

§6-1

嗚呼、汝の病むに吾時を知らず、汝の歿するに吾日を知らず。

生きては相養いて以って共に居ること能わず。

歿しては汝を撫して以って哀しみを尽すを得ず。

歛【れん】するにその棺に憑【よ】らず窆【へん】するにその穴に臨まず。

吾が行い神明に負【そむ】いて汝をして夭せしむ。

不孝不慈にして、汝と相養いて以って生き、相守りて以って死するを得ず。

§6-2

一【いつ】は天の涯に在り、一は地の角に在り。

生きて影の吾が形と相依らず、死して魂の吾が夢と相接せず。

吾実【まこと】にこれを為せり、それまた何をか尤(とが)めん。

彼【か】の蒼たるものは天、曷【いつ】かそれ極まり有らん。

 今より已往【いおう】、吾それ人生に意無し。

§6-3

当に数頃【すうけい】の田を伊潁【いえい】の上【ほとり】に求めて、以って余年を待つべし。

吾が子と汝が子を教えて、その成るを幸(ねが)わん。

吾が女【むすめ】と汝が女とを長じて、その嫁するを待たん。此の如きのみ。

嗚呼、言窮まり有って情終【お】うべからず。

汝それ知れるか、それ知らざるか。

嗚呼哀しいかな。尚【ねが】わくは饗【う】けよ。

 

 

『祭十二郎文』 現代語訳と訳註解説
(
本文) 
19§6-1 -3分割】

嗚呼!汝病吾不知時,汝歿吾不知日,

生不能相養於共居,歿不能撫汝以盡哀,

斂不憑其棺,不臨其穴,

吾行負神明,而使汝夭,

不孝不慈,而不得與汝相養以生,相守以死。

(下し文)
§6-1

嗚呼、汝の病むに吾時を知らず、汝の歿するに吾日を知らず。

生きては相養いて以って共に居ること能わず。

歿しては汝を撫して以って哀しみを尽すを得ず。

歛【れん】するにその棺に憑【よ】らず【へん】するにその穴に臨まず。

吾が行い神明に負【そむ】いて汝をして夭せしむ。

不孝不慈にして、汝と相養いて以って生き、相守りて以って死するを得ず。

(現代語訳) 19§6-1 -3分割】

ああ、お前が病んだのに、私はその時を知らず、お前が歿したのも、私はその日を知らないのである。

生きているときは、互いに養い合って一緒に居ることもできず。致したときにはお前の身体を撫でて哀しみを尽くすことができず、

入棺のときもその棺に漏号かかって別れを惜しむこともできず、埋葬のときには、その穴のそばに居ることもできなかった。

私の行動が神に負いていたために、お前を若死にさせてしまった、

親に不孝子孫に慈しみがないので、お前と養い合って生き、互いに守り合って死ぬことができなかった。


(訳注) 19§6-1 -3分割】

嗚呼!汝病吾不知時,汝歿吾不知日,

ああ、お前が病んだのに、私はその時を知らず、お前が歿したのも、私はその日を知らないのである。

 

生不能相養於共居,歿不能撫汝以盡哀,

生きているときは、互いに養い合って一緒に居ることもできず。致したときにはお前の身体を撫でて哀しみを尽くすことができず、

○相養 互いに助け養い合う。養は生活の資を供する。

○撫 死者の身を撫でて哭する。

 

斂不憑其棺,窆不臨其穴,

入棺のときもその棺に漏号かかって別れを惜しむこともできず、埋葬のときには、その穴のそばに居ることもできなかった。

 おさめる。入棺。

○憑 棺にもたれて別れを悲しむ。

○窆 葬るために穴に棺を下す。

 

吾行負神明,而使汝夭,

私の行動が神に負いていたために、お前を若死にさせてしまった、

○神明 神々。

 

不孝不慈,而不得與汝相養以生,相守以死。

親に不孝子孫に慈しみがないので、お前と養い合って生き、互いに守り合って死ぬことができなかった。

○不慈 子や孫をいつくしまない。孝子慈孫というときは、祖父母に愛情をつくすのを音という。

76-#17 《八讀巻六11 祭十二郎文》-17 韓愈(韓退之) 803年貞元19年 38歳<1468> Ⅱ【21分割】 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6324

韓愈  祭十二郎文》-17§5-3

東野與吾書,乃問使者,使者妄稱以應之耳。其然乎?其不然乎?今吾使建中祭汝,吊汝之孤,與汝之乳母。

東野が私にくれた手紙はの日付は、そのとき使者に問うて、使者がむやみに適当な月日を称して答えただけなのであろう。一体それでよかったのであろうか、あるいはそうでないのだろうか。今度は、私が建中を使いとして、お前を祭らせ、お前の残された子供とその乳母とを弔問させる。

76-17 《八讀巻六11 祭十二郎文》-17 韓愈(韓退之)  803年貞元19 38歳<1468 Ⅱ【21分割】 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6324

 
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76-#17 《八讀巻六11 祭十二郎文》-17 韓愈(韓退之) 803年貞元19年 38歳<1468> Ⅱ【21分割】 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6324 
 ・李商隠詩 (1) 136首の75首・李商隠詩 (2) 135首の61首●韓愈index-1 ・孟郊、張籍と交遊・汴州乱41首●韓愈詩index-2[800年 33歳~804年 37歳]27首●韓愈詩index-3 805年 38歳・]陽山から江陵府 36首●韓愈詩index-4 806年 39歳 江陵府・権知国子博士 51首(1)25首 
 index-5 806年39歳 50首の(2)25首index-6[807年~809年 42歳]20首index-7[810年~811年 44歳] 34首index-8 [812年~814年47歳]46首index-9[815年~816年 49歳] 57首index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首 
 index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首index-13 821年~822年 55歳 22首index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首韓愈 哲学・儒学「五原」賦・散文・上奏文・碑文など 
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 杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩) 杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首 
 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
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 毛文錫31首 花間集5巻牛希濟11首 花間集5巻欧陽烱17首 花間集5・6巻和凝20首 花間集6巻顧夐56首 花間集6・7巻孫光憲47首 花間集7・8巻 
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韓愈詩-76-17
15§5-1

汝去年書云:「比得軟病,往往而劇。」

お前からの去年寄越した手紙でいっていた、「このごろ脚気になっていて、時々激しい症状がある」ということだった。

吾曰:是病也,江南之人,常常有之。

私は、この病気は江南の人々に常々ある病気である、

未始以為憂也。

といって、はじめから心配なこととは思っていなかった。

嗚呼!其竟以此而殞其生乎?

ああ、一体、結局これでその生命を落としたのであったか。

抑別有疾而至斯乎?

それはともかく、別に病気があってこうなったのであろうか。

16§5-2

汝之書六月十七日也,東野云:

お前の手紙は六月十七日に出したことになっているのに、東野の書状は、次の様に云っている。

汝歿以六月二日,耿蘭之報無月日:

お前は六月二日に亡くなったといっているのに、耿蘭の報せには死亡の月日がないのだ。

蓋東野之使者不知問家人以月日,

それはたぶん東野の使者が、家人に月日を問うことを知らなかったのであろう。

如耿蘭之報不知當言月日,

秋蘭の報せのようなものは、当然死亡の月日を言わねばならないことを知らなかったのであろう。

17§5-3

東野與吾書,乃問使者,使者妄稱以應之耳。

東野が私にくれた手紙の日付は、そのとき使者に問うて、使者がむやみに適当な月日を称して答えただけなのであろう。

其然乎?其不然乎?

一体それでよかったのであろうか、あるいはそうでないのだろうか。

今吾使建中祭汝,吊汝之孤,與汝之乳母。

今度は、私が建中を使いとして、お前を祭らせ、お前の残された子供とその乳母とを弔問させる。

18§5-4

彼有食可守以待終喪,則待終喪而取以來,如不能守以終喪,則遂取以來。其餘奴婢,並令守汝喪。吾力能改葬,終葬汝於先人之兆,然後惟其所願。

 

§5-1

汝が去年の書に云う、此ごろ軟脚の病を得て、往々にして劇【はげ】しと。

吾曰く、是の疾や江南の人 常々にこれ有り。

未だ始めより以って憂いと為さざりしなり。

嗚呼、それ竟に此れを以ってその生を殞【おと】せるか。

抑々【そもそも】別に疾【やまい】有って斯【ここ】に至れるか。

§5-2

汝の書は、六月十七日なり。

東野云う 汝 歿すること六月二日を以ってすと。

耿蘭の報は月日無し。

蓋【けだ】し東野の使者、家人に問うに月日を以ってするを知らず。

耿蘭の報の如きは、当【まさ】に月日を言うべきを知らず。

§5-3

東野 吾に与うる書は、乃ち使者に問いしに、使者 妄称して以ってこれに応【こた】えしのみならん。

それ然るか、それ然らざるか。

今吾建中をして汝を祭り、汝の孤と汝の乳母とを弔せしむ。

§5-4

彼に食有り、守りて以って喪を終うること待つ可くんば、則ち喪を終うるを待って以って来たらん。

その余の奴婢【ぬひ】、並びに汝の喪を守らしむ。

吾が力能く改め葬らば、終に汝を先人の兆【ちょう】に葬らん。

然る後は惟だそれ願うところのままにせん。

 

 

『祭十二郎文』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

東野與吾書,乃問使者,使者妄稱以應之耳。

其然乎?其不然乎?

今吾使建中祭汝,吊汝之孤,與汝之乳母。

(下し文)
東野 吾に与うる書は、乃ち使者に問いしに、使者 妄称して以ってこれに応【こた】えしのみならん。

それ然るか、それ然らざるか。

今吾建中をして汝を祭り、汝の孤と汝の乳母とを弔せしむ。

(現代語訳)
東野が私にくれた手紙はの日付は、そのとき使者に問うて、使者がむやみに適当な月日を称して答えただけなのであろう。

一体それでよかったのであろうか、あるいはそうでないのだろうか。

今度は、私が建中を使いとして、お前を祭らせ、お前の残された子供とその乳母とを弔問させる。


(訳注) 17§5-3【4分割】《八讀巻六11 祭十二郎文》

祭十二郎文-14

(溧陽の尉をつとめていた孟郊から、韓老成の死を報ずる手紙が来たので、それを受取ってから七日目、韓愈は祭文を書き、使者に持たせて韓老成の霊前にそなえさせた)

○十二郎 排行、一族中の十二番目の男子、韓老成のこと。 

 

東野與吾書,乃問使者,使者妄稱以應之耳。

東野が私にくれた手紙の日付は、そのとき使者に問うて、使者がむやみに適当な月日を称して答えただけなのであろう。

○妄称 むやみにいう。よいかげんに称する。

 

其然乎?其不然乎?

一体それでよかったのであろうか、あるいはそうでないのだろうか。

 

今吾使建中祭汝,吊汝之孤,與汝之乳母。

今度は、私が建中を使いとして、お前を祭らせ、お前の残された子供とその乳母とを弔問させる。

76-#16 《八讀巻六11 祭十二郎文》-16 韓愈(韓退之) 803年貞元19年 38歳<1467> Ⅱ【21分割】 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6319韓愈詩-76-#16

韓愈  祭十二郎文》16§5-2

汝之書六月十七日也,東野云:汝歿以六月二日,耿蘭之報無月日:蓋東野之使者不知問家人以月日,如耿蘭之報不知當言月日,
お前の手紙は六月十七日に出したことになっているのに、東野の書状は、次の様に云っている。お前は六月二日に亡くなったといっているのに、耿蘭の報せには死亡の月日がないのだ。それはたぶん東野の使者が、家人に月日を問うことを知らなかったのであろう。秋蘭の報せのようなものは、当然死亡の月日を言わねばならないことを知らなかったのであろう。

76-16 《八讀巻六11 祭十二郎文》-16 韓愈(韓退之)  803年貞元19 38歳<1467 Ⅱ【21分割】 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6319韓愈詩-76-16

 
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 Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
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 孟郊張籍     
 ●杜甫の全作品1500首を訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。" 
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 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
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15§5-1

汝去年書云:「比得軟病,往往而劇。」

お前からの去年寄越した手紙でいっていた、「このごろ脚気になっていて、時々激しい症状がある」ということだった。

吾曰:是病也,江南之人,常常有之。

私は、この病気は江南の人々に常々ある病気である、

未始以為憂也。

といって、はじめから心配なこととは思っていなかった。

嗚呼!其竟以此而殞其生乎?

ああ、一体、結局これでその生命を落としたのであったか。

抑別有疾而至斯乎?

それはともかく、別に病気があってこうなったのであろうか。

16§5-2

汝之書六月十七日也,東野云:

お前の手紙は六月十七日に出したことになっているのに、東野の書状は、次の様に云っている。

汝歿以六月二日,耿蘭之報無月日:

お前は六月二日に亡くなったといっているのに、耿蘭の報せには死亡の月日がないのだ。

蓋東野之使者不知問家人以月日,

それはたぶん東野の使者が、家人に月日を問うことを知らなかったのであろう。

如耿蘭之報不知當言月日,

秋蘭の報せのようなものは、当然死亡の月日を言わねばならないことを知らなかったのであろう。

17§5-3

東野與吾書,乃問使者,使者妄稱以應之耳。

其然乎?其不然乎?

今吾使建中祭汝,吊汝之孤,與汝之乳母。

18§5-4

彼有食可守以待終喪,則待終喪而取以來,如不能守以終喪,則遂取以來。其餘奴婢,並令守汝喪。吾力能改葬,終葬汝於先人之兆,然後惟其所願。

 

§5-1

汝が去年の書に云う、此ごろ軟脚の病を得て、往々にして劇【はげ】しと。

吾曰く、是の疾や江南の人 常々にこれ有り。

未だ始めより以って憂いと為さざりしなり。

嗚呼、それ竟に此れを以ってその生を殞【おと】せるか。

抑々【そもそも】別に疾【やまい】有って斯【ここ】に至れるか。

§5-2

汝の書は、六月十七日なり。

東野云う 汝 歿すること六月二日を以ってすと。

耿蘭の報は月日無し。

蓋【けだ】し東野の使者、家人に問うに月日を以ってするを知らず。

耿蘭の報の如きは、当【まさ】に月日を言うべきを知らず。

§5-3

東野 吾に与うる書は、乃ち使者に問いしに、使者 妄称して以ってこれに応【こた】えしのみならん。

それ然るか、それ然らざるか。

今吾建中をして汝を祭り、汝の孤と汝の乳母とを弔せしむ。

§5-4

彼に食有り、守りて以って喪を終うること待つ可くんば、則ち喪を終うるを待って以って来たらん。

その余の奴婢【ぬひ】、並びに汝の喪を守らしむ。

吾が力能く改め葬らば、終に汝を先人の兆【ちょう】に葬らん。

然る後は惟だそれ願うところのままにせん。

 

 

『祭十二郎文』 現代語訳と訳註解説
(
本文) 
16§5-2

汝之書六月十七日也,東野云:

汝歿以六月二日,耿蘭之報無月日:

蓋東野之使者不知問家人以月日,

如耿蘭之報不知當言月日,

(下し文) §5-2

汝の書は、六月十七日なり。

東野云う 汝 歿すること六月二日を以ってすと。

耿蘭の報は月日無し。

蓋【けだ】し東野の使者、家人に問うに月日を以ってするを知らず。

耿蘭の報の如きは、当【まさ】に月日を言うべきを知らず。

(現代語訳)
お前の手紙は六月十七日に出したことになっているのに、東野の書状は、次の様に云っている。

お前は六月二日に亡くなったといっているのに、耿蘭の報せには死亡の月日がないのだ。

それはたぶん東野の使者が、家人に月日を問うことを知らなかったのであろう。

秋蘭の報せのようなものは、当然死亡の月日を言わねばならないことを知らなかったのであろう。


(訳注) 16§5-2【4分割】《八讀巻六11 祭十二郎文》

祭十二郎文

(溧陽の尉をつとめていた孟郊から、韓老成の死を報ずる手紙が来たので、それを受取ってから七日目、韓愈は祭文を書き、使者に持たせて韓老成の霊前にそなえさせた)

○十二郎 排行、一族中の十二番目の男子、韓老成のこと。 

 

汝之書六月十七日也,東野云:

お前の手紙は六月十七日に出したことになっているのに、東野の書状は、次の様に云っている。

○汝之書 韓老成から韓愈にあてた最後の手紙。去年の書ではない。

 

汝歿以六月二日,耿蘭之報無月日:

お前は六月二日に亡くなったといっているのに、耿蘭の報せには死亡の月日がないのだ。

耿蘭之報 韓老成から韓愈にあてた最後の手紙で、光り輝く芳蘭の知らせ(遺言)ということ。

【耿耿】こうこう. 光が明らかなようす。きらきらと光るようす。ひかり輝くさま。 「耿耿と照る月」; 気にかかることがあって、気持ちが落ち着かないようす。 【耿然】こうぜん. 明るく光るさま。心がはればれとしたようす。

 

蓋東野之使者不知問家人以月日,

それはたぶん東野の使者が、家人に月日を問うことを知らなかったのであろう。

東野 孟郊 詩は困窮・怨恨・憂愁を主題としたものが多く、表現は奇異。韓愈とならんで「韓孟」と称せられる。蘇軾は賈島とならべて「郊寒島痩」、つまり孟郊は殺風景で賈島は貧弱と評す。韓愈が推奨するところの詩人であり、「送孟東野序」が知られている。

 

如耿蘭之報不知當言月日,

秋蘭の報せのようなものは、当然死亡の月日を言わねばならないことを知らなかったのであろう。

76-#15 《八讀巻六11 祭十二郎文》-15 韓愈(韓退之) 803年貞元19年 38歳<1466> Ⅱ【21分割】 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6314

韓愈  祭十二郎文 #15§5-1

汝去年書云:「比得軟病,往往而劇。」吾曰:是病也,江南之人,常常有之。未始以為憂也。

嗚呼!其竟以此而殞其生乎?抑別有疾而至斯乎?

お前からの去年寄越した手紙でいっていた、「このごろ脚気になっていて、時々激しい症状がある」ということだった。私は、この病気は江南の人々に常々ある病気である、といって、はじめから心配なこととは思っていなかった。ああ、一体、結局これでその生命を落としたのであったか。それはともかく、別に病気があってこうなったのであろうか。

76-15 《八讀巻六11 祭十二郎文》-15 韓愈(韓退之)  803年貞元19 38歳<1466 Ⅱ【21分割】 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6314

 
 2015年7月17日の紀頌之5つのBlog 
 ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場 
 Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
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275 《巻十七10送麴十少府》Index-19 Ⅱー14-739年開元二十七年39歳 <275> Ⅰ李白詩1553 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6313 
 孟浩然 詩 index李白詩index謝霊運 詩 index司馬相如 《 子虛賦 ・上林賦 》揚雄 《 甘泉賦 》 ●諸葛亮(孔明)出師表 
 曹植(曹子建)詩 65首 index文選 賦)兩都賦序・西都賦・東都賦 (班固)《李白 全詩》
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(1)漁父辞 屈原『楚辞・九歌』東君 屈原《楚辞 『九辯』》 宋玉  <案内> 
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 Ⅱ中唐詩・晩唐詩
 
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76-#15 《八讀巻六11 祭十二郎文》-15 韓愈(韓退之) 803年貞元19年 38歳<1466> Ⅱ【21分割】 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6314 
 ・李商隠詩 (1) 136首の75首・李商隠詩 (2) 135首の61首●韓愈index-1 ・孟郊、張籍と交遊・汴州乱41首●韓愈詩index-2[800年 33歳~804年 37歳]27首●韓愈詩index-3 805年 38歳・]陽山から江陵府 36首●韓愈詩index-4 806年 39歳 江陵府・権知国子博士 51首(1)25首 
 index-5 806年39歳 50首の(2)25首index-6[807年~809年 42歳]20首index-7[810年~811年 44歳] 34首index-8 [812年~814年47歳]46首index-9[815年~816年 49歳] 57首index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首 
 index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首index-13 821年~822年 55歳 22首index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首韓愈 哲学・儒学「五原」賦・散文・上奏文・碑文など 
 孟郊張籍     
 ●杜甫の全作品1500首を訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。" 
 Ⅲ杜甫詩全1500首   LiveDoorBlog766年-73杜甫 《1812西閣口號【案:呈元二十一。】》 杜甫詩index-15-766年大暦元年55歲-73 <936> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6315 
 杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩) 杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首 
 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
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 Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoorBlog7毛文錫《巻五08喜遷鶯一首》『花間集』209全詩訳注解説(改訂版Ver.2.1)-漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-6317 
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 温庭筠66首 花間集1・2巻皇甫松11首 花間集二巻韋莊47首 花間集二巻薛昭蘊19首 花間集三巻牛嶠31首 花間集三・四巻張泌27首 花間集四巻 
 毛文錫31首 花間集5巻牛希濟11首 花間集5巻欧陽烱17首 花間集5・6巻和凝20首 花間集6巻顧夐56首 花間集6・7巻孫光憲47首 花間集7・8巻 
 魏承班15首 花間集8・9巻鹿虔扆6首 花間集9巻閻選8首 花間集9巻尹鶚6首 花間集9巻毛熙震29首 花間集9・10巻李珣39首 花間集10巻 
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韓愈詩

-76-15

 

十二郎の名は老成、率府参軍韓介の子、韓愈の兄の子である。韓介には二子あり、百川と老成、起居舎人会(韓愈の長兄)に子がなかったので、老成にその後を嗣がせた。老成には湘と滂との二子があった。百川が死んだので韓愈は滂をその祖父韓介の後嗣とした。

韓会と韓介は仲卿の子であったが、会、介、百川の三人が先に死んだので、それ故に文中に「吾が上に三兄有り、不幸にして皆早世せり、先人の後を承くる者は、孫に在りてはただ汝のみ、子に在りてはただ吾のみ」という。しかし滂が祖父韓介の後を嗣いだとする説のほかに叔父百川の嗣となったという説もある。十二郎とは排行の順が十二番目の男子。貞元十九年の作である。

 

貞元19(803)四月、彼の妻の母が死んだ。六十九歳。姓は西氏、河南法曹をつとめた(これもさほど地位の高くない地方官である)慮胎という人に嫁ぎ、夫に死に別れてからは、女手ひとつで二男三女を育てあげた。その末の娘が韓愈の妻である(韓文三四、河南府法曹参軍慮府君夫人苗氏墓誌銘)。

そして五月には、江南にいた甥の韓老成が死んだ。韓愈が汴州にいたころ、韓老成が一度たずねて来たが、それ以後は全く会っていない。前年、韓老成からの手紙に脚気の気味があると言ってきたが、江南にはよくある風土病と、韓愈はさほど気にしなかった。ところがこの年、溧陽の尉をつとめていた孟郊から、ふいに韓老成の死を報ずる手紙が来たのである。それを受取ってから七日目、韓愈は祭文を書き、使者に持たせて韓老成の霊前にそなえさせた。

 

 

15§5-1

汝去年書云:「比得軟病,往往而劇。」

お前からの去年寄越した手紙でいっていた、「このごろ脚気になっていて、時々激しい症状がある」ということだった。

吾曰:是病也,江南之人,常常有之。

私は、この病気は江南の人々に常々ある病気である、

未始以為憂也。

といって、はじめから心配なこととは思っていなかった。

嗚呼!其竟以此而殞其生乎?

ああ、一体、結局これでその生命を落としたのであったか。

抑別有疾而至斯乎?

それはともかく、別に病気があってこうなったのであろうか。

16§5-2

汝之書六月十七日也,東野云:

汝歿以六月二日,耿蘭之報無月日:

蓋東野之使者不知問家人以月日,

如耿蘭之報不知當言月日,

17§5-3

東野與吾書,乃問使者,使者妄稱以應之耳。

其然乎?其不然乎?

今吾使建中祭汝,吊汝之孤,與汝之乳母。

18§5-4

彼有食可守以待終喪,則待終喪而取以來,如不能守以終喪,則遂取以來。其餘奴婢,並令守汝喪。吾力能改葬,終葬汝於先人之兆,然後惟其所願。

 

§5-1

汝が去年の書に云う、此ごろ軟脚の病を得て、往々にして劇【はげ】しと。

吾曰く、是の疾や江南の人 常々にこれ有り。

未だ始めより以って憂いと為さざりしなり。

嗚呼、それ竟に此れを以ってその生を殞【おと】せるか。

抑々【そもそも】別に疾【やまい】有って斯【ここ】に至れるか。

§5-2

汝の書は、六月十七日なり。

東野云う 汝 歿すること六月二日を以ってすと。

耿蘭の報は月日無し。

蓋【けだ】し東野の使者、家人に問うに月日を以ってするを知らず。

耿蘭の報の如きは、当【まさ】に月日を言うべきを知らず。

§5-3

東野 吾に与うる書は、乃ち使者に問いしに、使者 妄称して以ってこれに応【こた】えしのみならん。

それ然るか、それ然らざるか。

今吾建中をして汝を祭り、汝の孤と汝の乳母とを弔せしむ。

§5-4

彼に食有り、守りて以って喪を終うること待つ可くんば、則ち喪を終うるを待って以って来たらん。

その余の奴婢【ぬひ】、並びに汝の喪を守らしむ。

吾が力能く改め葬らば、終に汝を先人の兆【ちょう】に葬らん。

然る後は惟だそれ願うところのままにせん。

 

 

『祭十二郎文』 現代語訳と訳註解説
(
本文) 
15§5-1

汝去年書云:「比得軟病,往往而劇。」

吾曰:是病也,江南之人,常常有之。未始以為憂也。

嗚呼!其竟以此而殞其生乎?抑別有疾而至斯乎?

(下し文)
§5-1

汝が去年の書に云う、此ごろ軟脚の病を得て、往々にして劇【はげ】しと。

吾曰く、是の疾や江南の人 常々にこれ有り。

未だ始めより以って憂いと為さざりしなり。

嗚呼、それ竟に此れを以ってその生を殞【おと】せるか。

抑々【そもそも】別に疾【やまい】有って斯【ここ】に至れるか。

(現代語訳)
お前からの去年寄越した手紙でいっていた、「このごろ脚気になっていて、時々激しい症状がある」ということだった。

私は、この病気は江南の人々に常々ある病気である、

といって、はじめから心配なこととは思っていなかった。

ああ、一体、結局これでその生命を落としたのであったか。

それはともかく、別に病気があってこうなったのであろうか。


(訳注) 15§5-1【4分割】《八讀巻六11 祭十二郎文》

祭十二郎文-14

(溧陽の尉をつとめていた孟郊から、韓老成の死を報ずる手紙が来たので、それを受取ってから七日目、韓愈は祭文を書き、使者に持たせて韓老成の霊前にそなえさせた)

○十二郎 排行、一族中の十二番目の男子、韓老成のこと。 

 

汝去年書云:「比得軟病,往往而劇。」

お前からの去年寄越した手紙でいっていた、「このごろ脚気になっていて、時々激しい症状がある」ということだった。

 ビタミンB1の欠乏により起こる病気。倦怠感(けんたいかん)・手足のしびれ・むくみなどから始まり、末梢神経の麻痺(まひ)や心臓衰弱を呈する。

往往而劇 時々激しい症状がある。

 

吾曰:是病也,江南之人,常常有之。

私は、この病気は江南の人々に常々ある病気である、

常常有之 常々ある病気である。

 

未始以為憂也。

といって、はじめから心配なこととは思っていなかった。

 

嗚呼!其竟以此而殞其生乎?

ああ、一体、結局これでその生命を落としたのであったか。

 

抑別有疾而至斯乎?

それはともかく、別に病気があってこうなったのであろうか。

76-#14 《八讀巻六11 祭十二郎文》-14 韓愈(韓退之) 803年貞元19年 38歳<1465> Ⅱ【18分割】 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6309

韓愈14 《八讀巻六11 祭十二郎文》-14§4-3

其無知,悲不幾時,而不悲者無窮期矣。汝之子始十,吾之子始五少而強者不可保,如此孩提者,又可冀其成立邪?

嗚呼哀哉,嗚呼哀哉!
幽界で必ず会えるであろう。もし知る力がないとすれば、今の悲しみは幾時も続かず、やがて私も死んで、悲しみのない期間が窮まりなく続くであろう。お前の子はやっと十歳、私の子はやっと五歳である。若くて強い者が生きるとは保証できないことははっきりした、このお前の場合のようなことがあるからである、笑いはじめて抱きかかえるほどの幼児も、それが立派に一人前の人間に成長することをこいねがうことができようか。ああ、悲しいことである。ああ哀れなことであるよ。

76-14 《八讀巻六11 祭十二郎文》-14 韓愈(韓退之)  803年貞元19 38歳<1465 Ⅱ【18分割】 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6309
韓愈詩-76-14

 
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76-#14 《八讀巻六11 祭十二郎文》-14 韓愈(韓退之) 803年貞元19年 38歳<1465> Ⅱ【18分割】 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6309 
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 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
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十二郎の名は老成、率府参軍韓介の子、韓愈の兄の子である。韓介には二子あり、百川と老成、起居舎人会(韓愈の長兄)に子がなかったので、老成にその後を嗣がせた。老成には湘と滂との二子があった。百川が死んだので韓愈は滂をその祖父韓介の後嗣とした。

韓会と韓介は仲卿の子であったが、会、介、百川の三人が先に死んだので、それ故に文中に「吾が上に三兄有り、不幸にして皆早世せり、先人の後を承くる者は、孫に在りてはただ汝のみ、子に在りてはただ吾のみ」という。しかし滂が祖父韓介の後を嗣いだとする説のほかに叔父百川の嗣となったという説もある。十二郎とは排行の順が十二番目の男子。貞元十九年の作である。

 

貞元19(803)四月、彼の妻の母が死んだ。六十九歳。姓は西氏、河南法曹をつとめた(これもさほど地位の高くない地方官である)慮胎という人に嫁ぎ、夫に死に別れてからは、女手ひとつで二男三女を育てあげた。その末の娘が韓愈の妻である(韓文三四、河南府法曹参軍慮府君夫人苗氏墓誌銘)。

そして五月には、江南にいた甥の韓老成が死んだ。韓愈が汴州にいたころ、韓老成が一度たずねて来たが、それ以後は全く会っていない。前年、韓老成からの手紙に脚気の気味があると言ってきたが、江南にはよくある風土病と、韓愈はさほど気にしなかった。ところがこの年、溧陽の尉をつとめていた孟郊から、ふいに韓老成の死を報ずる手紙が来たのである。それを受取ってから七日目、韓愈は祭文を書き、使者に持たせて韓老成の霊前にそなえさせた。

 

 

§4-3分割-1

吾兄之盛德,而夭其嗣矣;

私の兄の立派な人格にもかかわらず、その後嗣ぎを若死にさせることになった。

汝之純明宜業其家者,而不克蒙其澤矣。

お前は、これが清純聡明で、その家を護り、保ってゆくことを仕事とするのに宜しいとされていた者が、父の恩沢を蒙ることができなかった。

所謂天者誠難測,而神者誠難明矣;

いわゆる天意は誠に測り難く、神というものは明らかに知り難いのである。

所謂理者不可推,而壽者不可知矣。

いわゆる道理は推知することができず、そして寿命というものは知ることができないのである。

§4-2

雖然,我自今年來,蒼蒼者欲化而為白矣,

そうではあるけれど、私は今年からは、これまで蒼々としていた髪は、白くなるものがあり、

動搖者欲而落矣,毛血日益衰,

動きゆらいでいた歯は、脱け落ちるものがあったし、髪の毛も血色も日に日に益々衰えたのである。

誌氣日益微,幾何不從汝而死也!

そして、意志と元気も日に日に益ゝかすかに弱くなっていき、どれほどの期間、お前の後を追って死なないでいることができるのであろうか。

死而有知,其幾何離;

死んでも知る力があるならは、お前と離れているのは何ほどであろう。

§4-3

其無知,悲不幾時,而不悲者無窮期矣。

幽界で必ず会えるであろう。もし知る力がないとすれば、今の悲しみは幾時も続かず、やがて私も死んで、悲しみのない期間が窮まりなく続くであろう。

汝之子始十,吾之子始五

お前の子はやっと十歳、私の子はやっと五歳である。

少而強者不可保,如此孩提者,又可冀其成立邪?

幽界で必ず会えるであろう。もし知る力がないとすれば、今の悲しみは幾時も続かず、やがて私も死んで、悲しみのない期間が窮まりなく続くであろう。

嗚呼哀哉,嗚呼哀哉!

ああ、悲しいことである。ああ哀れなことであるよ。

§4-1

吾が兄の盛徳にして、その嗣を夭せり。

汝の純明にして宜しくその家を業とすべき者、その沢を蒙ること克(あた)わず。

所謂天なるものは誠に測り難く、神【しん】なるものは誠に明らかにし難し。

所謂理なるものは推【お】すべからず、寿なるものは知るべからず。

§4-2

然りと雖も吾今年来、蒼蒼たるもの或いは化して白と為れり。

動揺するもの、或いは脱けて落ちぬ。毛血日に益々衰え、志気日に益々微なり。

幾何【いくばく】か汝に従って死せざらん。

死して知ること有らば、それ幾何か離れん。

§4-3

それ知ること無くんば、悲しむこと幾時ならずして、悲しまざるもの窮まる期【とき】無からん。

汝の子始めて十歳、吾の子始めて五歳なり。

少【わか】くして彊(つよ)き者、保つべからざること此の如し。

孩提【がいてい】なる者、またその成立を冀(こいねが)うべけんや。

嗚呼哀しいかな。嗚呼哀しいかな。

 

 

『祭十二郎文』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

#14§4-3

其無知,悲不幾時,而不悲者無窮期矣。

汝之子始十,吾之子始五

少而強者不可保,如此孩提者,又可冀其成立邪?

嗚呼哀哉,嗚呼哀哉!

(下し文) §4-3

それ知ること無くんば、悲しむこと幾時ならずして、悲しまざるもの窮まる期【とき】無からん。

汝の子始めて十歳、吾の子始めて五歳なり。

少【わか】くして彊(つよ)き者、保つべからざること此の如し。

孩提【がいてい】なる者、またその成立を冀(こいねが)うべけんや。

嗚呼哀しいかな。嗚呼哀しいかな。

(現代語訳) §4-3

幽界で必ず会えるであろう。もし知る力がないとすれば、今の悲しみは幾時も続かず、やがて私も死んで、悲しみのない期間が窮まりなく続くであろう。

お前の子はやっと十歳、私の子はやっと五歳である。

若くて強い者が生きるとは保証できないことははっきりした、このお前の場合のようなことがあるからである、笑いはじめて抱きかかえるほどの幼児も、それが立派に一人前の人間に成長することをこいねがうことができようか。

ああ、悲しいことである。ああ哀れなことであるよ。


(訳注) §4-3《八讀巻六11 祭十二郎文》-14§4-3分割-§4-3

祭十二郎文-14

(溧陽の尉をつとめていた孟郊から、韓老成の死を報ずる手紙が来たので、それを受取ってから七日目、韓愈は祭文を書き、使者に持たせて韓老成の霊前にそなえさせた)

○十二郎 排行、一族中の十二番目の男子、韓老成のこと。 

 

其無知,悲不幾時,而不悲者無窮期矣。

幽界で必ず会えるであろう。もし知る力がないとすれば、今の悲しみは幾時も続かず、やがて私も死んで、悲しみのない期間が窮まりなく続くであろう。

○不悲者無窮期 知覚がなくなれば、悲しみのないことが窮まりない期間続くであろう。

 

汝之子始十,吾之子始五

お前の子はやっと十歳、私の子はやっと五歳である。

 

少而強者不可保,如此孩提者,又可冀其成立邪?

若くて強い者が生きるとは保証できないことははっきりした、このお前の場合のようなことがあるからである、笑いはじめて抱きかかえるほどの幼児も、それが立派に一人前の人間に成長することをこいねがうことができようか。

 

嗚呼哀哉,嗚呼哀哉!

ああ、悲しいことである。ああ哀れなことであるよ。

76-#13 《八讀巻六11 祭十二郎文》-13 韓愈(韓退之) 803年貞元19年 38歳<1464> Ⅱ【18分割】 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6304

韓愈  祭十二郎文》-13§4-2

雖然,我自今年來,蒼蒼者欲化而為白矣,動搖者欲而落矣,毛血日益衰,誌氣日益微,幾何不從汝而死也!死而有知,其幾何離;
そうではあるけれど、私は今年からは、これまで蒼々としていた髪は、白くなるものがあり、動きゆらいでいた歯は、脱け落ちるものがあったし、髪の毛も血色も日に日に益々衰えたのである。そして、意志と元気も日に日に益ゝかすかに弱くなっていき、どれほどの期間、お前の後を追って死なないでいることができるのであろうか。

 

76-13 《八讀巻六11 祭十二郎文》-13 韓愈(韓退之)  803年貞元19 38歳<1464 Ⅱ【18分割】 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6304

 
 2015年7月15日の紀頌之5つのBlog 
 ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場 
 Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
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273#2 《卷十五09送楊山人歸天台#2》Index-19 Ⅱー14-739年開元二十七年39歳 【2分割】<273#2> Ⅰ李白詩1551 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6303 
 孟浩然 詩 index李白詩index謝霊運 詩 index司馬相如 《 子虛賦 ・上林賦 》揚雄 《 甘泉賦 》 ●諸葛亮(孔明)出師表 
 曹植(曹子建)詩 65首 index文選 賦)兩都賦序・西都賦・東都賦 (班固)《李白 全詩》
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(1)漁父辞 屈原『楚辞・九歌』東君 屈原《楚辞 『九辯』》 宋玉  <案内> 
 ●唐を代表する 中唐 韓愈 全500首  
 Ⅱ中唐詩・晩唐詩
 
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76-#13 《八讀巻六11 祭十二郎文》-13 韓愈(韓退之) 803年貞元19年 38歳<1464> Ⅱ【18分割】 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6304 
 ・李商隠詩 (1) 136首の75首・李商隠詩 (2) 135首の61首●韓愈index-1 ・孟郊、張籍と交遊・汴州乱41首●韓愈詩index-2[800年 33歳~804年 37歳]27首●韓愈詩index-3 805年 38歳・]陽山から江陵府 36首●韓愈詩index-4 806年 39歳 江陵府・権知国子博士 51首(1)25首 
 index-5 806年39歳 50首の(2)25首index-6[807年~809年 42歳]20首index-7[810年~811年 44歳] 34首index-8 [812年~814年47歳]46首index-9[815年~816年 49歳] 57首index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首 
 index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首index-13 821年~822年 55歳 22首index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首韓愈 哲学・儒学「五原」賦・散文・上奏文・碑文など 
 孟郊張籍     
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 杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩) 杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首 
 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
 ●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている 
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 ●花間集全詩●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集 
 Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoorBlog7毛文錫《巻五06虞美人二首其二》『花間集』207全詩訳注解説(改訂版Ver.2.1)-漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-6307 
 薛濤の全詩花間集(1巻花間集(2巻花間集(3巻花間集(4巻花間集(5巻 
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韓愈詩-76-13 

韓愈詩-76- 祭十二郎文

十二郎の名は老成、率府参軍韓介の子、韓愈の兄の子である。韓介には二子あり、百川と老成、起居舎人会(韓愈の長兄)に子がなかったので、老成にその後を嗣がせた。老成には湘と滂との二子があった。百川が死んだので韓愈は滂をその祖父韓介の後嗣とした。

韓会と韓介は仲卿の子であったが、会、介、百川の三人が先に死んだので、それ故に文中に「吾が上に三兄有り、不幸にして皆早世せり、先人の後を承くる者は、孫に在りてはただ汝のみ、子に在りてはただ吾のみ」という。しかし滂が祖父韓介の後を嗣いだとする説のほかに叔父百川の嗣となったという説もある。十二郎とは排行の順が十二番目の男子。貞元十九年の作である。

 

貞元19(803)四月、彼の妻の母が死んだ。六十九歳。姓は西氏、河南法曹をつとめた(これもさほど地位の高くない地方官である)慮胎という人に嫁ぎ、夫に死に別れてからは、女手ひとつで二男三女を育てあげた。その末の娘が韓愈の妻である(韓文三四、河南府法曹参軍慮府君夫人苗氏墓誌銘)。

そして五月には、江南にいた甥の韓老成が死んだ。韓愈が汴州にいたころ、韓老成が一度たずねて来たが、それ以後は全く会っていない。前年、韓老成からの手紙に脚気の気味があると言ってきたが、江南にはよくある風土病と、韓愈はさほど気にしなかった。ところがこの年、溧陽の尉をつとめていた孟郊から、ふいに韓老成の死を報ずる手紙が来たのである。それを受取ってから七日目、韓愈は祭文を書き、使者に持たせて韓老成の霊前にそなえさせた。

 

 

§4-3分割-1

吾兄之盛德,而夭其嗣矣;

私の兄の立派な人格にもかかわらず、その後嗣ぎを若死にさせることになった。

汝之純明宜業其家者,而不克蒙其澤矣。

お前は、これが清純聡明で、その家を護り、保ってゆくことを仕事とするのに宜しいとされていた者が、父の恩沢を蒙ることができなかった。

所謂天者誠難測,而神者誠難明矣;

いわゆる天意は誠に測り難く、神というものは明らかに知り難いのである。

所謂理者不可推,而壽者不可知矣。

いわゆる道理は推知することができず、そして寿命というものは知ることができないのである。

§4-2

雖然,我自今年來,蒼蒼者欲化而為白矣,

そうではあるけれど、私は今年からは、これまで蒼々としていた髪は、白くなるものがあり、

動搖者欲而落矣,毛血日益衰,

動きゆらいでいた歯は、脱け落ちるものがあったし、髪の毛も血色も日に日に益々衰えたのである。

誌氣日益微,幾何不從汝而死也!

そして、意志と元気も日に日に益ゝかすかに弱くなっていき、どれほどの期間、お前の後を追って死なないでいることができるのであろうか。

死而有知,其幾何離;

死んでも知る力があるならは、お前と離れているのは何ほどであろう。
§4-3

其無知,悲不幾時,而不悲者無窮期矣。

汝之子始十,吾之子始五

少而強者不可保,如此孩提者,又可冀其成立邪?

嗚呼哀哉,嗚呼哀哉!

§4-1

吾が兄の盛徳にして、その嗣を夭せり。

汝の純明にして宜しくその家を業とすべき者、その沢を蒙ること克(あた)わず。

所謂天なるものは誠に測り難く、神【しん】なるものは誠に明らかにし難し。

所謂理なるものは推【お】すべからず、寿なるものは知るべからず。

§4-2

然りと雖も吾今年来、蒼蒼たるもの或いは化して白と為れり。

動揺するもの、或いは脱けて落ちぬ。毛血日に益々衰え、志気日に益々微なり。

幾何【いくばく】か汝に従って死せざらん。

死して知ること有らば、それ幾何か離れん。

§4-3

それ知ること無くんば、悲しむこと幾時ならずして、悲しまざるもの窮まる期【とき】無からん。

汝の子始めて十歳、吾の子始めて五歳なり。

少【わか】くして彊(つよ)き者、保つべからざること此の如し。

孩提【がいてい】なる者、またその成立を冀(こいねが)うべけんや。

嗚呼哀しいかな。嗚呼哀しいかな。

 

 

『祭十二郎文』 現代語訳と訳註解説
(
本文
§4-2

雖然,我自今年來,蒼蒼者欲化而為白矣,

動搖者欲而落矣,毛血日益衰,

誌氣日益微,幾何不從汝而死也!

死而有知,其幾何離;

(下し文) §4-2

然りと雖も吾今年来、蒼蒼たるもの或いは化して白と為れり。

動揺するもの、或いは脱けて落ちぬ。毛血日に益々衰え、志気日に益々微なり。

幾何【いくばく】か汝に従って死せざらん。

死して知ること有らば、それ幾何か離れん。

(現代語訳) §4-2

そうではあるけれど、私は今年からは、これまで蒼々としていた髪は、白くなるものがあり、

動きゆらいでいた歯は、脱け落ちるものがあったし、髪の毛も血色も日に日に益々衰えたのである。

そして、意志と元気も日に日に益ゝかすかに弱くなっていき、どれほどの期間、お前の後を追って死なないでいることができるのであろうか。

死んでも知る力があるならは、お前と離れているのは何ほどであろう。


(訳注)  《八讀巻六11 祭十二郎文》-13§4-3分割-§4-2

祭十二郎文-13

(溧陽の尉をつとめていた孟郊から、韓老成の死を報ずる手紙が来たので、それを受取ってから七日目、韓愈は祭文を書き、使者に持たせて韓老成の霊前にそなえさせた)

○十二郎 排行、一族中の十二番目の男子、韓老成のこと。 

 

雖然,我自今年來,蒼蒼者欲化而為白矣,

そうではあるけれど、私は今年からは、これまで蒼々としていた髪は、白くなるものがあり、

 

動搖者欲而落矣,毛血日益衰,

動きゆらいでいた歯は、脱け落ちるものがあったし、髪の毛も血色も日に日に益々衰えたのである。

○毛血 毛髪と血色。

 

誌氣日益微,幾何不從汝而死也!

そして、意志と元気も日に日に益ゝかすかに弱くなっていき、どれほどの期間、お前の後を追って死なないでいることができるのであろうか。

○微 かすかに弱くなる

 

死而有知,其幾何離;

死んでも知る力があるならは、お前と離れているのは何ほどであろう。

有知 知覚がある。死者に知る力があるならば。

幾何離 今お前と別離しても、やがて自分もあとから死んで、幽界でお前に会えるから、離れていることはいくはくであろう。わずかの期間であるの意。

76-#12 《八讀巻六11 祭十二郎文》-12 韓愈(韓退之) 803年貞元19年 38歳<1463> Ⅱ【18分割】 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6299

韓愈《八讀巻六11 祭十二郎文》-12-§4-3分割-1

吾兄之盛德,而夭其嗣矣;汝之純明宜業其家者,而不克蒙其澤矣。

所謂天者誠難測,而神者誠難明矣;所謂理者不可推,而壽者不可知矣。

私の兄の立派な人格にもかかわらず、その後嗣ぎを若死にさせることになった。お前は、これが清純聡明で、その家を護り、保ってゆくことを仕事とするのに宜しいとされていた者が、父の恩沢を蒙ることができなかった。いわゆる天意は誠に測り難く、神というものは明らかに知り難いのである。

76-12 《八讀巻六11 祭十二郎文》-12 韓愈(韓退之)  803年貞元19 38歳<1463 Ⅱ【18分割】 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6299

 
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韓愈詩-76-12

韓愈詩-76- 祭十二郎文

十二郎の名は老成、率府参軍韓介の子、韓愈の兄の子である。韓介には二子あり、百川と老成、起居舎人会(韓愈の長兄)に子がなかったので、老成にその後を嗣がせた。老成には湘と滂との二子があった。百川が死んだので韓愈は滂をその祖父韓介の後嗣とした。

韓会と韓介は仲卿の子であったが、会、介、百川の三人が先に死んだので、それ故に文中に「吾が上に三兄有り、不幸にして皆早世せり、先人の後を承くる者は、孫に在りてはただ汝のみ、子に在りてはただ吾のみ」という。しかし滂が祖父韓介の後を嗣いだとする説のほかに叔父百川の嗣となったという説もある。十二郎とは排行の順が十二番目の男子。貞元十九年の作である。

 

貞元19(803)四月、彼の妻の母が死んだ。六十九歳。姓は西氏、河南法曹をつとめた(これもさほど地位の高くない地方官である)慮胎という人に嫁ぎ、夫に死に別れてからは、女手ひとつで二男三女を育てあげた。その末の娘が韓愈の妻である(韓文三四、河南府法曹参軍慮府君夫人苗氏墓誌銘)。

そして五月には、江南にいた甥の韓老成が死んだ。韓愈が汴州にいたころ、韓老成が一度たずねて来たが、それ以後は全く会っていない。前年、韓老成からの手紙に脚気の気味があると言ってきたが、江南にはよくある風土病と、韓愈はさほど気にしなかった。ところがこの年、溧陽の尉をつとめていた孟郊から、ふいに韓老成の死を報ずる手紙が来たのである。それを受取ってから七日目、韓愈は祭文を書き、使者に持たせて韓老成の霊前にそなえさせた。

 

 

§4-3分割-1

吾兄之盛德,而夭其嗣矣;

私の兄の立派な人格にもかかわらず、その後嗣ぎを若死にさせることになった。

汝之純明宜業其家者,而不克蒙其澤矣。

お前は、これが清純聡明で、その家を護り、保ってゆくことを仕事とするのに宜しいとされていた者が、父の恩沢を蒙ることができなかった。

所謂天者誠難測,而神者誠難明矣;

いわゆる天意は誠に測り難く、神というものは明らかに知り難いのである。

所謂理者不可推,而壽者不可知矣。

いわゆる道理は推知することができず、そして寿命というものは知ることができないのである。

§4-2

雖然,我自今年來,蒼蒼者欲化而為白矣,

動搖者欲而落矣,毛血日益衰,

誌氣日益微,幾何不從汝而死也!

死而有知,其幾何離;

§4-3

其無知,悲不幾時,而不悲者無窮期矣。

汝之子始十,吾之子始五

少而強者不可保,如此孩提者,又可冀其成立邪?

嗚呼哀哉,嗚呼哀哉!

 

吾が兄の盛徳にして、その嗣を夭せり。

汝の純明にして宜しくその家を業とすべき者、その沢を蒙ること克(あた)わず。

所謂天なるものは誠に測り難く、神(しん)なるものは誠に明らかにし難し。

所謂理なるものは推()すべからず、寿なるものは知るべからず。

 

然りと雖も吾今年来、蒼蒼たるもの或いは化して白と為れり。

動揺するもの、或いは脱けて落ちぬ。毛血日に益々衰え、志気日に益々微なり。

幾何(いくばく)か汝に従って死せざらん。

死して知ること有らば、それ幾何か離れん。

 

それ知ること無くんば、悲しむこと幾時ならずして、悲しまざるもの窮まる期(とき)無からん。

汝の子始めて十歳、吾の子始めて五歳なり。

(わか)くして彊(つよ)き者、保つべからざること此の如し。

孩提(がいてい)なる者、またその成立を冀(こいねが)うべけんや。

嗚呼哀しいかな。嗚呼哀しいかな。

 

 

『祭十二郎文』 現代語訳と訳註解説
(
本文)
《八讀巻六11 祭十二郎文》-12-§4-3分割-1

吾兄之盛德,而夭其嗣矣;

汝之純明宜業其家者,而不克蒙其澤矣。

所謂天者誠難測,而神者誠難明矣;

所謂理者不可推,而壽者不可知矣。


(下し文) 12-§4-3分割-1
吾が兄の盛徳にして、その嗣を夭せり。

汝の純明にして宜しくその家を業とすべき者、その沢を蒙ること克(あた)わず。

所謂天なるものは誠に測り難く、神(しん)なるものは誠に明らかにし難し。

所謂理なるものは推()すべからず、寿なるものは知るべからず。

(現代語訳) 12-§4-3分割-1

私の兄の立派な人格にもかかわらず、その後嗣ぎを若死にさせることになった。

お前は、これが清純聡明で、その家を護り、保ってゆくことを仕事とするのに宜しいとされていた者が、父の恩沢を蒙ることができなかった。

いわゆる天意は誠に測り難く、神というものは明らかに知り難いのである。

いわゆる道理は推知することができず、そして寿命というものは知ることができないのである。


(訳注) 《八讀巻六11 祭十二郎文》-12-§4-3分割-1

祭十二郎文-12

(溧陽の尉をつとめていた孟郊から、韓老成の死を報ずる手紙が来たので、それを受取ってから七日目、韓愈は祭文を書き、使者に持たせて韓老成の霊前にそなえさせた)

○十二郎 排行、一族中の十二番目の男子、韓老成のこと。 

 

吾兄之盛德,而夭其嗣矣;

私の兄の立派な人格にもかかわらず、その後嗣ぎを若死にさせることになった。

 

汝之純明宜業其家者,而不克蒙其澤矣。

お前は、これが清純聡明で、その家を護り、保ってゆくことを仕事とするのに宜しいとされていた者が、父の恩沢を蒙ることができなかった。

○業其家 その家を営む。家を保つことを仕事とする。別本に業を栄に作る。それならば家を「繁栄させる」の意。

 

所謂天者誠難測,而神者誠難明矣;

いわゆる天意は誠に測り難く、神というものは明らかに知り難いのである。

 

所謂理者不可推,而壽者不可知矣。

いわゆる道理は推知することができず、そして寿命というものは知ることができないのである。

76-#11 《八讀巻六11 祭十二郎文》-11 韓愈(韓退之) 803年貞元19年 38歳<1462> Ⅱ【18分割】 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6294

韓愈《八讀巻六11 祭十二郎文》11§3-4

少者強者而夭歿,長者袁者而全存乎?未可以為信也,夢也,傳之非其真也;東野之書,耿蘭之報,何為而在吾側也?

嗚呼!其信然矣。
年若く元気な者が若死にし、年長の衰えた者が永らえ安全なのであろうか。

そんなことが道理であろうはずがないのであり、夢としかおもえないのである。

やっぱり、通知が真実であろうはずはなく、間違いである。しかし、東野の手紙がなぜここにある。

そして、耿蘭の通報が、どうしてここにとどけられ、どうして私のそばにあるのであろう。

ああ、そうかんがえれば、それこそほんとうにお前は死んだのであった。

76-11 《八讀巻六11 祭十二郎文》-11 韓愈(韓退之)  803年貞元19 38歳<1462 Ⅱ【18分割】 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6294韓愈詩-76-11

 

 
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 ・李商隠詩 (1) 136首の75首・李商隠詩 (2) 135首の61首●韓愈index-1 ・孟郊、張籍と交遊・汴州乱41首●韓愈詩index-2[800年 33歳~804年 37歳]27首●韓愈詩index-3 805年 38歳・]陽山から江陵府 36首●韓愈詩index-4 806年 39歳 江陵府・権知国子博士 51首(1)25首 
 index-5 806年39歳 50首の(2)25首index-6[807年~809年 42歳]20首index-7[810年~811年 44歳] 34首index-8 [812年~814年47歳]46首index-9[815年~816年 49歳] 57首index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首 
 index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首index-13 821年~822年 55歳 22首index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首韓愈 哲学・儒学「五原」賦・散文・上奏文・碑文など 
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