中唐詩人選集【Ⅰ李商隠-150】Ⅱ韓退之(韓愈)Ⅶ孟郊(東野)  漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩 訳注解説ブログ

Ⅰ李商隠は難解詩といわれている。約150首紹介済。(晩唐詩人) Ⅱ韓退之(韓愈)-約500首Ⅶ孟郊、中唐の詩人を掲載中。万物の性(さが)をテーマにした哲学的な詩。このブログは基本的に中唐詩人を中心にして掲載する予定。 韓愈詩文のこれまでの掲載分とこれから掲載予定分を時系列で整理した2014.3.29のブログに集約してそこから各年次を見ることができる  kanbuniinkai 検索で、《漢文委員会HP05》サイトあります。漢詩唐詩を理解するための総合サイト:≪漢文委員会 漢詩07≫。

少し、マニアックな晩唐詩人Ⅰ-李商隠150首をまず掲載済み。中唐は盛唐詩人(孟浩然・王維、杜甫、李白)を受け継いだ多様な詩人が出ている。この時代も驚くほど詩が発展している。Ⅱ韓退之(韓愈)500首、Ⅲ柳宗元40首、Ⅳ韋応物、Ⅴ劉長卿、Ⅵ韋荘、Ⅶ孟郊(孟東野)、Ⅷ張籍、Ⅸ賈島、Ⅹ劉禹錫、ほか2012~2020年の予定で気長に進める。同じ中唐ではあるが、白居易のグループについては、李白のブログ350首(2015/6月再開~2018/夏・秋月予定)の後掲載の予定。別に杜甫詩ブログ1500首(2011/7月~2018/8月の予定で)を進行中。詩数につぃては、予定の詩数より多くなる。気まぐれなところがあるのでこの予定が少し変わる場合があり、その節はご容赦ください。                 古詩・謝霊運詩 杜甫詩 韓愈詩 花間集500首全詩 それぞれ毎日ブログしています。 このブログ、索引=語句の「検索」 参考書以上掲載。漢詩力up。

index-1 768年―799年 青年期

50-§3-5 《上張僕射書-#10》韓愈(韓退之)ID 799年貞元15年 32歳<1357> Ⅱ唐宋八大家文読本 巻二 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5769

上張僕射書 -10 韓愈  何とぞ至らぬ所を哀れみその愚をふびんに思召して罪をお咎めにならず、私の申し上げたことをお察しくださって、おおいなるご慈愛を賜り、採用されますことをお願い申し上げます。

 
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 Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
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50-§3-5 《上張僕射書-#10》韓愈(韓退之)ID 799年貞元15年 32歳<1357> Ⅱ唐宋八大家文読本 巻二 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5769 
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50-§3-5 《上張僕射書-10》韓愈(韓退之)ID  799年貞元15 32歳<1357 Ⅱ唐宋八大家文読本 巻二 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5769韓愈詩-50-§3-5

 

 

§3-1

愈蒙幸於執事,其所從舊矣。

私が閣下の厚情により、お引き立てを蒙ってかなり久しくなります。

若寬假之,使不失其性,加待之,

もし、私の申し出を大目に見て下さり、それは私の本来もっている性質を失わせることないことで、手厚い待遇いただいておることに甘えて申し上げます。

使足以為名,寅而入,盡辰而退;

それはちょっとした名案考えたものですから、それで満足を得られるはずのもので、まず、通常と同じように夜明け前の寅の刻に登庁し、朝礼等がおわって、辰の刻が過ぎたら一旦退庁します。

申而入,終酉而退,率以為常,亦不廢事。

こんどは、申の刻あたりで、再度登庁し、日没後の酉の刻を終えて退庁するというものです。大体これを就業の決まりとしても仕事全体が止まることなどなく、一切支障が出ることなどないのです。

§3-1

愈の幸【こう】を執事に蒙る、その従【よ】るところ旧【ひさ】し。

若しこれを寛仮【かんか】してその性を失わざらしめ、これを加待【かたい】し、

以って名を為すに足らしむ、「寅にして入り、辰を尽して退き、申にして入り、酉を終えて退く、率【おおむね】以って常と為し、亦た事を廃すことなし。

§3--

天下之人聞執事之於愈如是也,

閣下が私、韓愈に対してこのような案を「加待之」したということは燕の昭王の故事のように世の人が聞き及ぶことになります。

必皆曰:執事之好士也如此,執事之待士以禮如此,

誰もがきっとこう言うでしょう「節度使閣下はこれほどまでに賢士を好んでおられる、節度使閣下が賢士を待遇すること礼に適っておられる。

執事之使人不枉其性而能有容如此,

節度使閣下は人を使われるのにこれほど、その人の本姓を曲げないようにし、寛大に扱っておられるのだと、

執事之欲成人之名如此,執事之厚於故舊如此。

節度使閣下の良い人材を集めて行こうとされることは、このように世の人に閣下の名声を成すことになり、そして、節度使閣下はこれほど子飼いの者、昔馴染みを大切にされるのだ」と。

-2

天下の人、執事の愈に於けること是の如きを聞く、

必ず皆曰わん「執事の士を好むや此なり、執事の士を待つに礼を以ってする此の如し、

執事の人を使うにその性を枉【ま】げずして、能く容るる有る此の如し、

執事の人の名を成さんと欲すること此の如し、執事の故旧に厚きこと此の如し」と。

§3--

又將曰:韓愈之識其所依歸也如此,

また、別の云い方をすれば「韓愈が信頼して帰るところ、これほどまでに身を寄せ頼る相手を見極めている。

韓愈之不諂屈於富貴之人如此

韓愈はこれほどまでに富貴に人に気に入られるように媚びた振る舞いをしたことはない。

韓愈之賢能使其主待之以禮如此,則死於執事之門無悔也。

韓愈はこのように賢明であり、これほどまでに主人が礼遇させてくれたのであり、閣下の御前に死んでも悔いはないと思っている」と。

-3

また将【まさ】に曰う「韓愈のその依帰【いき】する所を識れるや此の如し、

韓愈の富貴の人に諂屈【てんくつ】せざるや此の如し、

韓愈の賢、能くその主をしてこれを待つに礼を以ってせしむること此の如し」と。

則ち執事の門に死すとも悔い無きなり。

§3--

若使隨行而入,逐隊而趨,

もし、役人の行列に従ってただ登庁し、そして、行列に隊をあわせ、その後を追って走り回るだけであったり、

言不敢盡其誠,道有所屈於己;

それに、発言を言うことそのものに誠意、忠誠心がまったくなく、道義において己の信念を枉げることあるとすれば、

天下之人聞執事之於愈如此,

天下の人は閣下のこうした私、韓愈に対する扱いについてこう言うことを聞く事でありましょう。

皆曰:執事之用韓愈,哀其窮,收之而已耳;

皆が言うには「長官が韓愈を採用されたのは彼の窮乏を憐れんで採用されただけのこと、

 

-4

若し行に随って入り、隊を逐【お】って趨【はし】り、

言は敢えてその誠を尽さず、道は己を屈する所有らしめば、

天下の人、執事の愈に於けること此の如きを聞きて、

皆曰う「執事の韓愈を用うる、その窮を哀れみてこれを収むるのみ。

 

§3--

韓愈之事執事,不以道,利之而已耳。

韓愈がこうやって閣下に仕えるのも道義のためではなく、利益と考えただけだ」といわれる。

苟如是,雖日受千金之賜,一九遷其官,感恩則有之矣,

かりそめにもこのようなことをいわれては、日に千金のご下賜を頂き、一年に九回昇進をさせてくださったならば、そのことを恩義に感じ、それに感謝することはありましょうが、

將以稱於天下曰知己知己則未也。

天下に己を知ると賞賛され、彼こそ我を知るすばらしい人物と言われるにはまだほど遠いでありましょう。

伏惟哀其所不足,矜其愚,不錄其罪,察其辭而垂仁采納焉。愈恐懼再拜。

何とぞ至らぬ所を哀れみその愚をふびんに思召して罪をお咎めにならず、私の申し上げたことをお察しくださって、おおいなるご慈愛を賜り、採用されますことをお願い申し上げます。愈、恐懼再拝。

 

-5

韓愈の執事に事うる、道を以ってせず、これを利とするのみ」と。

苟も是の如くんば、日に千金の賜を受け、一歳に九たびその官を遷【うつ】さると雖も、恩に感ずることは則ちこれ有らん。

将【まさ】に以って天下に知己と曰われ称せらども、知己は、則ち未だしなり。

伏して惟【おも】うにその足らざる所を哀れみ、その愚を矜【あわれ】みて、その罪を録せず、その辞を察して、仁を垂れて採納せられよ。愈、恐懼再拝。

 

 

『上張僕射書』 現代語訳と訳註解説
 (
本文)

§3--

韓愈之事執事,不以道,利之而已耳。

苟如是,雖日受千金之賜,一九遷其官,感恩則有之矣,

將以稱於天下曰知己知己則未也。

伏惟哀其所不足,矜其愚,不錄其罪,察其辭而垂仁采納焉。愈恐懼再拜。


(下し文)
韓愈の執事に事うる、道を以ってせず、これを利とするのみ」と。

苟も是の如くんば、日に千金の賜を受け、一歳に九たびその官を遷【うつ】さると雖も、恩に感ずることは則ちこれ有らん。

将【まさ】に以って天下に知己と曰われ称せらども、知己は、則ち未だしなり。

伏して惟【おも】うにその足らざる所を哀れみ、その愚を矜【あわれ】みて、その罪を録せず、その辞を察して、仁を垂れて採納せられよ。愈、恐懼再拝。


(現代語訳)
韓愈がこうやって閣下に仕えるのも道義のためではなく、利益と考えただけだ」といわれる。

かりそめにもこのようなことをいわれては、日に千金のご下賜を頂き、一年に九回昇進をさせてくださったならば、そのことを恩義に感じ、それに感謝することはありましょうが、

天下に己を知ると賞賛され、彼こそ我を知るすばらしい人物と言われるにはまだほど遠いでありましょう。

何とぞ至らぬ所を哀れみその愚をふびんに思召して罪をお咎めにならず、私の申し上げたことをお察しくださって、おおいなるご慈愛を賜り、採用されますことをお願い申し上げます。愈、恐懼再拝。


(訳注) §3--

韓愈三十二歳の時の作、二十八歳で長安での仕官に見きりをつけ、故郷に帰る。翌年秋宣武軍節度使董晋に召されて初めて就職した。ところが董晋が死に、かねて知己の武寧節度使張建封に迎えられた。下級職の規則を適用されたこともあって任官早々文句をつけたのである。それも韓愈独特のしつこい議論の積み重ねや原則論から時に人情に訴え微塵も妥協を許さぬ文面をみると張建封も辟易したことだろう。翌年五月には辞職している。

 

韓愈之事執事,不以道,利之而已耳。

韓愈がこうやって閣下に仕えるのも道義のためではなく、利益と考えただけだ」といわれる。

 

苟如是,雖日受千金之賜,一九遷其官,感恩則有之矣,

かりそめにもこのようなことをいわれては、日に千金のご下賜を頂き、一年に九回昇進をさせてくださったならば、そのことを恩義に感じ、それに感謝することはありましょうが、

千金之賜 《周禮天官大宰》「以九賦斂財賄。一曰邦中之賦,二曰四郊之賦,三曰邦甸之賦,四曰家削之賦,五曰邦縣之賦,六曰邦都之賦,七曰關市之賦,八曰山澤之賦,九曰弊餘之賦。」

九遷 喜遷鶯《南史·到撝傳》:「上又數游撝家,懷其舊德,至是一三遷。」一年之陞遷九次。比官職升得極快。《「詩経」小雅・伐木から》ウグイスが谷から出て喬木(きょうぼく)に移り住むこと。高い地位に昇進することのたとえ。遷鶯(せんおう)

 

將以稱於天下曰知己,知己則未也。

天下に己を知ると賞賛され、彼こそ我を知るすばらしい人物と言われるにはまだほど遠いでありましょう。

 

 

伏惟哀其所不足,矜其愚,不錄其罪,察其辭而垂仁采納焉。愈恐懼再拜。

何とぞ至らぬ所を哀れみその愚をふびんに思召して罪をお咎めにならず、私の申し上げたことをお察しくださって、おおいなるご慈愛を賜り、採用されますことをお願い申し上げます。愈、恐懼再拝。

 

 

張僕射に上【たてまつ】る書

§1-1

九月一日。愈、再拝。牒【ちょう】を受くるの明日。使院中に在り。

小史の院中の故事節目十余事を持し来りて愈に示す有り。

その中の不可なるものは、九月より明年二月の終わりに至るまで、皆晨(あした)に入り、夜に帰り、疾病事故有るに非ざれば、輒【すなわち】出ずるを許さずと有ることなり。

§1-2

当時は初めて命を受けしを以って、敢えて言わざりき。

古人言有りて曰く「人各々能あり不能あり」と。

此【かく】の若【ごと】きものは、愈の能くする所に非ざるなり。

抑えてこれを行わば、必ず狂疾を発し、上は以って公に承事する無く、その将に徳に報ゆる所以とせんとするものを忘れ、下は以って自立する無く、その心と為す所以を喪失せん。

夫れ是の如くんば、則ち安んぞ得て言わざらんや。

§2-1

凡そ執事の愈に択べるものは、その能く晨に入り夜に帰るを為すに非ざらん。必ず将に以ってこれに取ること有らんとす。苟も以ってこれに取ること有らば、晨に入り夜に帰らずと雖も、その取る所のものは、猶在るなり。

下の上に事うるや、その事を一にせず。上の下を使うも、その事を一にせず。

§2-2

力を度【はか】りてこれに処【お】り、その能くせざる所は彊【し】いて為さしめず。

是の故に下と為る者は罪を上に獲【え】ず、上と為る者は怨みを下に得ざるなり。

孟子云える有り「今の諸侯大いに相過ぐる者無きは、その皆その教うる所を臣とするを好みて、その教えを受くる所を臣とするを好まざるを以ってなり」と。

今の時と孟子の時と、また加々【ますます】遠し。皆その命を聞きて奔走する者を好み、その己を直くして道を行う者を好まず。

§2-3

命を聞きて奔走する者は、利を好む者なり。己を直くして道を行う者は、義を好む者なり。

未だ利を好んで而もその君を愛する者は有らず。

未だ義を好んで而もその君を忘るる者は有らず。

今の王公大人、惟だ執事のみ以って此の言を聞(ぶん)すべく、惟だ愈のみ執事に於いて此の言を以って進むべし。

§3-1

愈の幸【こう】を執事に蒙る、その従【よ】るところ旧【ひさ】し。

若しこれを寛仮【かんか】してその性を失わざらしめ、これを加待【かたい】し、

以って名を為すに足らしむ、「寅にして入り、辰を尽して退き、申にして入り、酉を終えて退く、率【おおむね】以って常と為し、亦た事を廃すことなし。

-2

天下の人、執事の愈に於けること是の如きを聞く、

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-4

若し行に随って入り、隊を逐【お】って趨【はし】り、

言は敢えてその誠を尽さず、道は己を屈する所有らしめば、

天下の人、執事の愈に於けること此の如きを聞きて、

皆曰う「執事の韓愈を用うる、その窮を哀れみてこれを収むるのみ。

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韓愈の執事に事うる、道を以ってせず、これを利とするのみ」と。

苟も是の如くんば、日に千金の賜を受け、一歳に九たびその官を遷【うつ】さると雖も、恩に感ずることは則ちこれ有らん。

将【まさ】に以って天下に知己と曰われ称せらども、知己は、則ち未だしなり。

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50-§3-4 《上張僕射書-#9》韓愈(韓退之)ID 799年貞元15年 32歳<1356> Ⅱ唐宋八大家文読本 巻二 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5764

§34 上張僕射書の#9 韓愈  もし、役人の行列に従ってただ登庁し、そして、行列に隊をあわせ、その後を追って走りまわるだけであったり、それに、発言を言うことそのものに誠意、忠誠心がまったくなく、道義において己の信念を枉げることあるとすれば、天下の人は閣下のこうした私、韓愈に対する扱いについてこう言うことを聞く事でありましょう。

 

 
 2015年3月29日の紀頌之5つのBlog 
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 ●唐を代表する 中唐 韓愈 全500首  
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50-§3-4 《上張僕射書-#9》韓愈(韓退之)ID 799年貞元15年 32歳<1356> Ⅱ唐宋八大家文読本 巻二 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5764 
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 Ⅲ杜甫詩全1500首   LiveDoorBlog766年大暦元年55歲-45-#2奉節-36-#2 《巻16-06 八哀詩八首〔六〕故秘書少監武功蘇公源明 -2》 杜甫index-15 杜甫<908-#2> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5765 
 杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩) 杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首 
 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
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50-§3-4 《上張僕射書-9》韓愈(韓退之)ID  799年貞元15 32歳<1356 Ⅱ唐宋八大家文読本 巻二 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5764韓愈詩-50-§3-4

 

 

§3-1

愈蒙幸於執事,其所從舊矣。

私が閣下の厚情により、お引き立てを蒙ってかなり久しくなります。

若寬假之,使不失其性,加待之,

もし、私の申し出を大目に見て下さり、それは私の本来もっている性質を失わせることないことで、手厚い待遇いただいておることに甘えて申し上げます。

使足以為名,寅而入,盡辰而退;

それはちょっとした名案考えたものですから、それで満足を得られるはずのもので、まず、通常と同じように夜明け前の寅の刻に登庁し、朝礼等がおわって、辰の刻が過ぎたら一旦退庁します。

申而入,終酉而退,率以為常,亦不廢事。

こんどは、申の刻あたりで、再度登庁し、日没後の酉の刻を終えて退庁するというものです。大体これを就業の決まりとしても仕事全体が止まることなどなく、一切支障が出ることなどないのです。

§3-1

愈の幸【こう】を執事に蒙る、その従【よ】るところ旧【ひさ】し。

若しこれを寛仮【かんか】してその性を失わざらしめ、これを加待【かたい】し、

以って名を為すに足らしむ、「寅にして入り、辰を尽して退き、申にして入り、酉を終えて退く、率【おおむね】以って常と為し、亦た事を廃すことなし。

§3--

天下之人聞執事之於愈如是也,

閣下が私、韓愈に対してこのような案を「加待之」したということは燕の昭王の故事のように世の人が聞き及ぶことになります。

必皆曰:執事之好士也如此,執事之待士以禮如此,

誰もがきっとこう言うでしょう「節度使閣下はこれほどまでに賢士を好んでおられる、節度使閣下が賢士を待遇すること礼に適っておられる。

執事之使人不枉其性而能有容如此,

節度使閣下は人を使われるのにこれほど、その人の本姓を曲げないようにし、寛大に扱っておられるのだと、

執事之欲成人之名如此,執事之厚於故舊如此。

節度使閣下の良い人材を集めて行こうとされることは、このように世の人に閣下の名声を成すことになり、そして、節度使閣下はこれほど子飼いの者、昔馴染みを大切にされるのだ」と。

-2

天下の人、執事の愈に於けること是の如きを聞く、

必ず皆曰わん「執事の士を好むや此なり、執事の士を待つに礼を以ってする此の如し、

執事の人を使うにその性を枉【ま】げずして、能く容るる有る此の如し、

執事の人の名を成さんと欲すること此の如し、執事の故旧に厚きこと此の如し」と。

§3--

又將曰:韓愈之識其所依歸也如此,

また、別の云い方をすれば「韓愈が信頼して帰るところ、これほどまでに身を寄せ頼る相手を見極めている。

韓愈之不諂屈於富貴之人如此

韓愈はこれほどまでに富貴に人に気に入られるように媚びた振る舞いをしたことはない。

韓愈之賢能使其主待之以禮如此,則死於執事之門無悔也。

韓愈はこのように賢明であり、これほどまでに主人が礼遇させてくれたのであり、閣下の御前に死んでも悔いはないと思っている」と。

-3

また将【まさ】に曰う「韓愈のその依帰【いき】する所を識れるや此の如し、

韓愈の富貴の人に諂屈【てんくつ】せざるや此の如し、

韓愈の賢、能くその主をしてこれを待つに礼を以ってせしむること此の如し」と。

則ち執事の門に死すとも悔い無きなり。

§3--

若使隨行而入,逐隊而趨,

もし、役人の行列に従ってただ登庁し、そして、行列に隊をあわせ、その後を追って走り回るだけであったり、

言不敢盡其誠,道有所屈於己;

それに、発言を言うことそのものに誠意、忠誠心がまったくなく、道義において己の信念を枉げることあるとすれば、

天下之人聞執事之於愈如此,

天下の人は閣下のこうした私、韓愈に対する扱いについてこう言うことを聞く事でありましょう。

皆曰:執事之用韓愈,哀其窮,收之而已耳;

皆が言うには「長官が韓愈を採用されたのは彼の窮乏を憐れんで採用されただけのこと、

 

-4

若し行に随って入り、隊を逐【お】って趨【はし】り、

言は敢えてその誠を尽さず、道は己を屈する所有らしめば、

天下の人、執事の愈に於けること此の如きを聞きて、

皆曰う「執事の韓愈を用うる、その窮を哀れみてこれを収むるのみ。

 

 

『上張僕射書』 現代語訳と訳註解説
 (
本文)
§3--

若使隨行而入,逐隊而趨,

言不敢盡其誠,道有所屈於己;

天下之人聞執事之於愈如此,

皆曰:執事之用韓愈,哀其窮,收之而已耳;


(下し文)
-4

若し行に随って入り、隊を逐【お】って趨【はし】り、

言は敢えてその誠を尽さず、道は己を屈する所有らしめば、

天下の人、執事の愈に於けること此の如きを聞きて、

皆曰う「執事の韓愈を用うる、その窮を哀れみてこれを収むるのみ。

(現代語訳)
もし、役人の行列に従ってただ登庁し、そして、行列に隊をあわせ、その後を追って走りまわるだけであったり、

それに、発言を言うことそのものに誠意、忠誠心がまったくなく、道義において己の信念を枉げることあるとすれば、

天下の人は閣下のこうした私、韓愈に対する扱いについてこう言うことを聞く事でありましょう。

皆が言うには「長官が韓愈を採用されたのは彼の窮乏を憐れんで採用されただけのこと、



(訳注)

§3--

若使隨行而入,逐隊而趨,

もし、役人の行列に従ってただ登庁し、そして、行列に隊をあわせ、その後を追って走りまわるだけであったり、

使隨行 隨行せしめる。役人の行列にただ従って行動させられる。

而趨 『論語、季氏』「鯉趨而過庭。曰、『学礼乎』。対曰、『未也』。『不学礼、無以立』。鯉退而学礼。聞斯二者」。陳亢退而喜曰、「聞一得三。聞詩、聞礼、又聞君子之遠其子也」。(鯉趨りて庭を過ぐ。曰く、『詩を学びたるか』と。対へて曰く、『未だし』と。『詩を学ばざれば、以て言ふこと無し』と。鯉退きて詩を学べり。他日又独り立てり。鯉趨りて庭を過ぐ。『礼を学びたるか』と。対へて曰く、『未だし』と。『礼を学ばざれば、以て立つこと無し』と。鯉退きて礼を学べり」と。陳亢退きて喜びて曰く、「一を聞いて三を得たり。詩を聞き、礼を聞き、又君子の其の子を遠ざくるを聞けり」と。)にもとづくもの。

 

 

言不敢盡其誠,道有所屈於己;

それに、発言を言うことそのものに誠意、忠誠心がまったくなく、道義において己の信念を枉げることあるとすれば、

 

天下之人聞執事之於愈如此,

天下の人は閣下のこうした私、韓愈に対する扱いについてこう言うことを聞く事でありましょう。

 

皆曰:執事之用韓愈,哀其窮,收之而已耳;

皆が言うには「長官が韓愈を採用されたのは彼の窮乏を憐れんで採用されただけのこと、

50-§3-3 《上張僕射書-#8》韓愈(韓退之)ID 799年貞元15年 32歳<1355> Ⅱ唐宋八大家文読本 巻二 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5759

§3-3 《《上張僕射書》-8》韓愈  韓愈はこのように賢明であり、これほどまでに主人が礼遇させてくれたのであり、閣下の御前に死んでも悔いはないと思っている」と。

 

 
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 魏承班15首 花間集8・9巻鹿虔扆6首 花間集9巻閻選8首 花間集9巻尹鶚6首 花間集9巻毛熙震29首 花間集9・10巻李珣39首 花間集10巻 
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50-§3-3 《《上張僕射書》-8》韓愈(韓退之)ID  799年貞元15 32歳<1355> Ⅱ唐宋八大家文読本 巻二 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5759韓愈詩-50-§3-3

 

 

§3-1

愈蒙幸於執事,其所從舊矣。

私が閣下の厚情により、お引き立てを蒙ってかなり久しくなります。

若寬假之,使不失其性,加待之,

もし、私の申し出を大目に見て下さり、それは私の本来もっている性質を失わせることないことで、手厚い待遇いただいておることに甘えて申し上げます。

使足以為名,寅而入,盡辰而退;

それはちょっとした名案考えたものですから、それで満足を得られるはずのもので、まず、通常と同じように夜明け前の寅の刻に登庁し、朝礼等がおわって、辰の刻が過ぎたら一旦退庁します。

申而入,終酉而退,率以為常,亦不廢事。

こんどは、申の刻あたりで、再度登庁し、日没後の酉の刻を終えて退庁するというものです。大体これを就業の決まりとしても仕事全体が止まることなどなく、一切支障が出ることなどないのです。

§3--

天下之人聞執事之於愈如是也,

閣下が私、韓愈に対してこのような案を「加待之」したということは燕の昭王の故事のように世の人が聞き及ぶことになります。

必皆曰:執事之好士也如此,執事之待士以禮如此,

誰もがきっとこう言うでしょう「節度使閣下はこれほどまでに賢士を好んでおられる、節度使閣下が賢士を待遇すること礼に適っておられる。

執事之使人不枉其性而能有容如此,

節度使閣下は人を使われるのにこれほど、その人の本姓を曲げないようにし、寛大に扱っておられるのだと、

執事之欲成人之名如此,執事之厚於故舊如此。

節度使閣下の良い人材を集めて行こうとされることは、このように世の人に閣下の名声を成すことになり、そして、節度使閣下はこれほど子飼いの者、昔馴染みを大切にされるのだ」と。

§3--

又將曰:韓愈之識其所依歸也如此,

また、別の云い方をすれば「韓愈が信頼して帰るところ、これほどまでに身を寄せ頼る相手を見極めている。

韓愈之不諂屈於富貴之人如此

韓愈はこれほどまでに富貴に人に気に入られるように媚びた振る舞いをしたことはない。

韓愈之賢能使其主待之以禮如此,則死於執事之門無悔也。

韓愈はこのように賢明であり、これほどまでに主人が礼遇させてくれたのであり、閣下の御前に死んでも悔いはないと思っている」と。

§3--

若使隨行而入,逐隊而趨,

言不敢盡其誠,道有所屈於己;

天下之人聞執事之於愈如此,

皆曰:執事之用韓愈,哀其窮,收之而已耳;

§3--

韓愈之事執事,不以道,利之而已耳。

苟如是,雖日受千金之賜,一九遷其官,感恩則有之矣,

將以稱於天下曰知己知己則未也。

伏惟哀其所不足,矜其愚,不錄其罪,察其辭而垂仁采納焉。愈恐懼再拜。

§3-1

愈の幸【こう】を執事に蒙る、その従【よ】るところ旧【ひさ】し。

若しこれを寛仮【かんか】してその性を失わざらしめ、これを加待【かたい】し、

以って名を為すに足らしむ、「寅にして入り、辰を尽して退き、申にして入り、酉を終えて退く、率【おおむね】以って常と為し、亦た事を廃すことなし。

-2

天下の人、執事の愈に於けること是の如きを聞く、

必ず皆曰わん「執事の士を好むや此なり、執事の士を待つに礼を以ってする此の如し、

執事の人を使うにその性を枉【ま】げずして、能く容るる有る此の如し、

執事の人の名を成さんと欲すること此の如し、執事の故旧に厚きこと此の如し」と。

-3

また将【まさ】に曰う「韓愈のその依帰【いき】する所を識れるや此の如し、

韓愈の富貴の人に諂屈【てんくつ】せざるや此の如し、

韓愈の賢、能くその主をしてこれを待つに礼を以ってせしむること此の如し」と。

則ち執事の門に死すとも悔い無きなり。

-4

若し行に随って入り、隊を逐【お】って趨【はし】り、

言は敢えてその誠を尽さず、道は己を屈する所有らしめば、

天下の人、執事の愈に於けること此の如きを聞きて、

皆曰う「執事の韓愈を用うる、その窮を哀れみてこれを収むるのみ。

-5

韓愈の執事に事うる、道を以ってせず、これを利とするのみ」と。

苟も是の如くんば、日に千金の賜を受け、一歳に九たびその官を遷【うつ】さると雖も、恩に感ずることは則ちこれ有らん。

将【まさ】に以って天下に知己と曰われ称せらども、知己は、則ち未だしなり。

伏して惟【おも】うにその足らざる所を哀れみ、その愚を矜【あわれ】みて、その罪を録せず、その辞を察して、仁を垂れて採納せられよ。愈、恐懼再拝。

 

 

『上張僕射書』 現代語訳と訳註解説
 (
本文)
§3--

又將曰:韓愈之識其所依歸也如此,

韓愈之不諂屈於富貴之人如此,

韓愈之賢能使其主待之以禮如此,則死於執事之門無悔也。


(下し文) -3

また将【まさ】に曰う「韓愈のその依帰【いき】する所を識れるや此の如し、

韓愈の富貴の人に諂屈【てんくつ】せざるや此の如し、

韓愈の賢、能くその主をしてこれを待つに礼を以ってせしむること此の如し」と。

則ち執事の門に死すとも悔い無きなり。


(現代語訳)
また、別の云い方をすれば「韓愈が信頼して帰るところ、これほどまでに身を寄せ頼る相手を見極めている。

韓愈はこれほどまでに富貴に人に気に入られるように媚びた振る舞いをしたことはない。

韓愈はこのように賢明であり、これほどまでに主人が礼遇させてくれたのであり、閣下の御前に死んでも悔いはないと思っている」と。


(訳注) §3--

上張僕射書

(張僕射にたてまつる書:要望書)

張建封の幕下に入ったばかりの韓愈は、ほどなく建封に手紙を送り、幕府の規則に文句をつけている《上張僕射書》。

 

又將曰:韓愈之識其所依歸也如此,

また、別の云い方をすれば「韓愈が信頼して帰るところ、これほどまでに身を寄せ頼る相手を見極めている。

其所依歸 信頼して帰るところ、身を寄せ頼る相手。

 

韓愈之不諂屈於富貴之人如此,

韓愈はこれほどまでに富貴に人に気に入られるように媚びた振る舞いをしたことはない。

諂屈 媚びへつらって屈する。

 

韓愈之賢能使其主待之以禮如此,則死於執事之門無悔也。

韓愈はこのように賢明であり、これほどまでに主人が礼遇させてくれたのであり、閣下の御前に死んでも悔いはないと思っている」と。

其主待之以禮 そこにおける主人が礼徳を以て待遇してくれる。

50-§3-2 《上張僕射書-#7》韓愈(韓退之)ID 799年貞元15年 32歳<1354> Ⅱ唐宋八大家文読本 巻二 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5754

§3-2 《上張僕射書-7》韓愈  閣下が私、韓愈に対してこのような案を「加待之」したということは燕の昭王の故事のように世の人が聞き及ぶことになります。誰もがきっとこう言うでしょう「節度使閣下はこれほどまでに賢士を好んでおられる、節度使閣下が賢士を待遇すること礼に適っておられる。

 

 
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 ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場 
 Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
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208-#2 《巻12-21 北山獨酌寄韋六 -#2》Index-13 Ⅱ― 8-733年開元二十一年33歳 <208-#2> Ⅰ李白詩1441 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5753 
 孟浩然 詩 index李白詩index謝霊運 詩 index司馬相如 《 子虛賦 ・上林賦 》揚雄 《 甘泉賦 》 ●諸葛亮(孔明)出師表 
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 Ⅱ中唐詩・晩唐詩
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50-§3-2 《上張僕射書-#7》韓愈(韓退之)ID 799年貞元15年 32歳<1354> Ⅱ唐宋八大家文読本 巻二 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5754 
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 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
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50-§3-2 《上張僕射書-7》韓愈(韓退之)ID  799年貞元15 32歳<1354 Ⅱ唐宋八大家文読本 巻二 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5754韓愈詩-50-§3-2

 

 

§3-2 《上張僕射書-7》韓愈

§3-1

愈蒙幸於執事,其所從舊矣。

私が閣下の厚情により、お引き立てを蒙ってかなり久しくなります。

若寬假之,使不失其性,加待之,

もし、私の申し出を大目に見て下さり、それは私の本来もっている性質を失わせることないことで、手厚い待遇いただいておることに甘えて申し上げます。

使足以為名,寅而入,盡辰而退;

それはちょっとした名案考えたものですから、それで満足を得られるはずのもので、まず、通常と同じように夜明け前の寅の刻に登庁し、朝礼等がおわって、辰の刻が過ぎたら一旦退庁します。

申而入,終酉而退,率以為常,亦不廢事。

こんどは、申の刻あたりで、再度登庁し、日没後の酉の刻を終えて退庁するというものです。大体これを就業の決まりとしても仕事全体が止まることなどなく、一切支障が出ることなどないのです。

§3--

天下之人聞執事之於愈如是也,

閣下が私、韓愈に対してこのような案を「加待之」したということは燕の昭王の故事のように世の人が聞き及ぶことになります。

必皆曰:執事之好士也如此,執事之待士以禮如此,

誰もがきっとこう言うでしょう「節度使閣下はこれほどまでに賢士を好んでおられる、節度使閣下が賢士を待遇すること礼に適っておられる。

執事之使人不枉其性而能有容如此,

節度使閣下は人を使われるのにこれほど、その人の本姓を曲げないようにし、寛大に扱っておられるのだと、

執事之欲成人之名如此,執事之厚於故舊如此。

節度使閣下の良い人材を集めて行こうとされることは、このように世の人に閣下の名声を成すことになり、そして、節度使閣下はこれほど子飼いの者、昔馴染みを大切にされるのだ」と。

§3--

又將曰:韓愈之識其所依歸也如此,

韓愈之不諂屈於富貴之人如此,

韓愈之賢能使其主待之以禮如此,則死於執事之門無悔也。

§3--

若使隨行而入,逐隊而趨,

言不敢盡其誠,道有所屈於己;

天下之人聞執事之於愈如此,

皆曰:執事之用韓愈,哀其窮,收之而已耳;

§3--

韓愈之事執事,不以道,利之而已耳。

苟如是,雖日受千金之賜,一九遷其官,感恩則有之矣,

將以稱於天下曰知己知己則未也。

伏惟哀其所不足,矜其愚,不錄其罪,察其辭而垂仁采納焉。愈恐懼再拜。

§3-1

愈の幸【こう】を執事に蒙る、その従【よ】るところ旧【ひさ】し。

若しこれを寛仮【かんか】してその性を失わざらしめ、これを加待【かたい】し、

以って名を為すに足らしむ、「寅にして入り、辰を尽して退き、申にして入り、酉を終えて退く、率【おおむね】以って常と為し、亦た事を廃すことなし。

-2

天下の人、執事の愈に於けること是の如きを聞く、

必ず皆曰わん「執事の士を好むや此なり、執事の士を待つに礼を以ってする此の如し、

執事の人を使うにその性を枉【ま】げずして、能く容るる有る此の如し、

執事の人の名を成さんと欲すること此の如し、執事の故旧に厚きこと此の如し」と。

-3

また将【まさ】に曰う「韓愈のその依帰【いき】する所を識れるや此の如し、

韓愈の富貴の人に諂屈【てんくつ】せざるや此の如し、

韓愈の賢、能くその主をしてこれを待つに礼を以ってせしむること此の如し」と。

則ち執事の門に死すとも悔い無きなり。

-4

若し行に随って入り、隊を逐【お】って趨【はし】り、

言は敢えてその誠を尽さず、道は己を屈する所有らしめば、

天下の人、執事の愈に於けること此の如きを聞きて、

皆曰う「執事の韓愈を用うる、その窮を哀れみてこれを収むるのみ。

-5

韓愈の執事に事うる、道を以ってせず、これを利とするのみ」と。

苟も是の如くんば、日に千金の賜を受け、一歳に九たびその官を遷【うつ】さると雖も、恩に感ずることは則ちこれ有らん。

将【まさ】に以って天下に知己と曰われ称せらども、知己は、則ち未だしなり。

伏して惟【おも】うにその足らざる所を哀れみ、その愚を矜【あわれ】みて、その罪を録せず、その辞を察して、仁を垂れて採納せられよ。愈、恐懼再拝。

 

 

『上張僕射書』 現代語訳と訳註解説
 (
本文)

§3--

天下之人聞執事之於愈如是也,

必皆曰:執事之好士也如此,執事之待士以禮如此,

執事之使人不枉其性而能有容如此,

執事之欲成人之名如此,執事之厚於故舊如此。



(下し文) -2

天下の人、執事の愈に於けること是の如きを聞く、

必ず皆曰わん「執事の士を好むや此なり、執事の士を待つに礼を以ってする此の如し、

執事の人を使うにその性を枉【ま】げずして、能く容るる有る此の如し、

執事の人の名を成さんと欲すること此の如し、執事の故旧に厚きこと此の如し」と。

(現代語訳)
閣下が私、韓愈に対してこのような案を「加待之」したということは燕の昭王の故事のように世の人が聞き及ぶことになります。

誰もがきっとこう言うでしょう「節度使閣下はこれほどまでに賢士を好んでおられる、節度使閣下が賢士を待遇すること礼に適っておられる。

節度使閣下は人を使われるのにこれほど、その人の本姓を曲げないようにし、寛大に扱っておられるのだと、

節度使閣下の良い人材を集めて行こうとされることは、このように世の人に閣下の名声を成すことになり、そして、節度使閣下はこれほど子飼いの者、昔馴染みを大切にされるのだ」と。



(訳注) §3--

 

天下之人聞執事之於愈如是也,

閣下が私、韓愈に対してこのような案を「加待之」したということは燕の昭王の故事のように世の人が聞き及ぶことになります。

戦国時代の燕の王。楽毅や郭隗ら有能な人材を用い、斉に攻められて没落していた燕を再興させて全盛期を築き上げた。

 

必皆曰:執事之好士也如此,執事之待士以禮如此,

誰もがきっとこう言うでしょう「節度使閣下はこれほどまでに賢士を好んでおられる、節度使閣下が賢士を待遇すること礼に適っておられる。

戦国燕の昭王は、名高い郭隗に聞いた。賢人招請の古の道理を踏まえた方法を教示した。

そして、「王が真に広く国中の優れた人物を選んで、その門を訪ねて行けば、王が賢者を其の家まで訪ねられるという評判が天下に立ち、天下の優れた人物たちは、燕に馳せ集まってくるに違いありません」と。

 

執事之使人不枉其性而能有容如此,

節度使閣下は人を使われるのにこれほど、その人の本姓を曲げないようにし、寛大に扱っておられるのだと、

 

執事之欲成人之名如此,執事之厚於故舊如此。

節度使閣下の良い人材を集めて行こうとされることは、このように世の人に閣下の名声を成すことになり、そして、節度使閣下はこれほど子飼いの者、昔馴染みを大切にされるのだ」と。

故舊 子飼いの者、昔馴染みの者。

50-§3-1 《上張僕射書》-#6韓愈(韓退之)ID 799年貞元15年 32歳<1353> Ⅱ唐宋八大家文読本 巻二 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5749

3-1 《上張僕射書》-6韓愈  まず、通常と同じように夜明け前の寅の刻に登庁し、朝礼等がおわって、辰の刻が過ぎたら一旦退庁します。こんどは、申の刻あたりで、再度登庁し、日没後の酉の刻を終えて退庁するというものです。


 
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50-§3-1 《上張僕射書》-#6韓愈(韓退之)ID 799年貞元15年 32歳<1353> Ⅱ唐宋八大家文読本 巻二 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5749 
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 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
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 ●花間集全詩●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集 
 Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoorBlog『花間集』全詩訳注解説(改訂版)-32韋荘110《巻3-10 天仙子五首 其三》三巻10-〈110〉漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-5752 
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50-§3-1 《上張僕射書》-6韓愈(韓退之)ID  799年貞元15 32歳<1353 Ⅱ唐宋八大家文読本 巻二 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5749

 

 

 

韓愈詩-50《上張僕射書》-§3-1

§3-1

愈蒙幸於執事,其所從舊矣。

私が閣下の厚情により、お引き立てを蒙ってかなり久しくなります。

若寬假之,使不失其性,加待之,

もし、私の申し出を大目に見て下さり、それは私の本来もっている性質を失わせることないことで、手厚い待遇いただいておることに甘えて申し上げます。

使足以為名,寅而入,盡辰而退;

それはちょっとした名案考えたものですから、それで満足を得られるはずのもので、まず、通常と同じように夜明け前の寅の刻に登庁し、朝礼等がおわって、辰の刻が過ぎたら一旦退庁します。

申而入,終酉而退,率以為常,亦不廢事。

こんどは、申の刻あたりで、再度登庁し、日没後の酉の刻を終えて退庁するというものです。大体これを就業の決まりとしても仕事全体が止まることなどなく、一切支障が出ることなどないのです。

§3-1

愈の幸【こう】を執事に蒙る、その従【よ】るところ旧【ひさ】し。

若しこれを寛仮【かんか】してその性を失わざらしめ、これを加待【かたい】し、

以って名を為すに足らしむ、「寅にして入り、辰を尽して退き、申にして入り、酉を終えて退く、率【おおむね】以って常と為し、亦た事を廃すことなし。
§3--

天下之人聞執事之於愈如是也,

必皆曰:執事之好士也如此,執事之待士以禮如此,

執事之使人不枉其性而能有容如此,

執事之欲成人之名如此,執事之厚於故舊如此。

§3--

又將曰:韓愈之識其所依歸也如此,

韓愈之不諂屈於富貴之人如此,

韓愈之賢能使其主待之以禮如此,則死於執事之門無悔也。

§3--

若使隨行而入,逐隊而趨,言不敢盡其誠,道有所屈於己;

天下之人聞執事之於愈如此,

皆曰:執事之用韓愈,哀其窮,收之而已耳;

§3--

韓愈之事執事,不以道,利之而已耳。

苟如是,雖日受千金之賜,一九遷其官,感恩則有之矣,

將以稱於天下曰知己知己則未也。

 

伏惟哀其所不足,矜其愚,不錄其罪,察其辭而垂仁采納焉。愈恐懼再拜。


-2

天下の人、執事の愈に於けること是の如きを聞く、

必ず皆曰わん「執事の士を好むや此なり、執事の士を待つに礼を以ってする此の如し、

執事の人を使うにその性を枉【ま】げずして、能く容るる有る此の如し、

執事の人の名を成さんと欲すること此の如し、執事の故旧に厚きこと此の如し」と。

-3

また将【まさ】に曰う「韓愈のその依帰【いき】する所を識れるや此の如し、

韓愈の富貴の人に諂屈【てんくつ】せざるや此の如し、

韓愈の賢、能くその主をしてこれを待つに礼を以ってせしむること此の如し」と。

則ち執事の門に死すとも悔い無きなり。

-4

若し行に随って入り、隊を逐【お】って趨【はし】り、

言は敢えてその誠を尽さず、道は己を屈する所有らしめば、

天下の人、執事の愈に於けること此の如きを聞きて、

皆曰う「執事の韓愈を用うる、その窮を哀れみてこれを収むるのみ。

-5

韓愈の執事に事うる、道を以ってせず、これを利とするのみ」と。

苟も是の如くんば、日に千金の賜を受け、一歳に九たびその官を遷【うつ】さると雖も、恩に感ずることは則ちこれ有らん。

将【まさ】に以って天下に知己と曰われ称せらども、知己は、則ち未だしなり。

伏して惟【おも】うにその足らざる所を哀れみ、その愚を矜【あわれ】みて、その罪を録せず、その辞を察して、仁を垂れて採納せられよ。愈、恐懼再拝。

  

韓愈の地図0055 

『上張僕射書』 現代語訳と訳註解説
 (
本文) 
§3-1

愈蒙幸於執事,其所從舊矣。

若寬假之,使不失其性,加待之,

使足以為名,寅而入,盡辰而退;

申而入,終酉而退,率以為常,亦不廢事。


(下し文)§3-1

愈の幸【こう】を執事に蒙る、その従【よ】るところ旧【ひさ】し。

若しこれを寛仮【かんか】してその性を失わざらしめ、これを加待【かたい】し、

以って名を為すに足らしむ、「寅にして入り、辰を尽して退き、申にして入り、酉を終えて退く、率【おおむね】以って常と為し、亦た事を廃すことなし。


(現代語訳)
私が閣下の厚情により、お引き立てを蒙ってかなり久しくなります。

もし、私の申し出を大目に見て下さり、それは私の本来もっている性質を失わせることないことで、手厚い待遇いただいておることに甘えて申し上げます。

それはちょっとした名案考えたものですから、それで満足を得られるはずのもので、まず、通常と同じように夜明け前の寅の刻に登庁し、朝礼等がおわって、辰の刻が過ぎたら一旦退庁します。

こんどは、申の刻あたりで、再度登庁し、日没後の酉の刻を終えて退庁するというものです。大体これを就業の決まりとしても仕事全体が止まることなどなく、一切支障が出ることなどないのです。

唐時代 韓愈関連05

(訳注) §3-1

 

愈蒙幸於執事,其所從舊矣。

私が閣下の厚情により、お引き立てを蒙ってかなり久しくなります。

 

若寬假之,使不失其性,加待之,

もし、私の申し出を大目に見て下さり、それは私の本来もっている性質を失わせることないことで、手厚い待遇いただいておることに甘えて申し上げます。

・寬假 〔「仮」はゆるす意〕 寛大に扱ってとがめないこと。大目に見ること。

 

使足以為名,寅而入,盡辰而退;

それはちょっとした名案考えたものですから、それで満足を得られるはずのもので、まず、通常と同じように夜明け前の寅の刻に登庁し、朝礼等がおわって、辰の刻が過ぎたら一旦退庁します。

・寅 寅の刻 午前4時の前後2時間頃頃を指す語。

・辰 辰の刻 午前8時の前後2時間頃を指す語。

節度使軍の執務だから、朝の引き継ぎ、朝礼など終ればすることが無く、昼間は、軍の訓練があるが、事務官のすることが無いという意味であり、夕方は点呼、引継ぎがあるということで、この申し入れをした。

 

申而入,終酉而退,率以為常,亦不廢事。

こんどは、申の刻あたりで、再度登庁し、日没後の酉の刻を終えて退庁するというものです。大体これを就業の決まりとしても仕事全体が止まることなどなく、一切支障が出ることなどないのです。

・申 申の刻 午後4時の前後2時間頃を指す語。

・酉 酉の刻 おおむね18時の前後、夕暮れ時が該当する。暮六ツとも言う。

・率以為常 經常的な仕事の規則とする事。《北齊書·司馬子如傳》「及其當還, 高祖及武明後俱有賚遺,率以為常。」とある。

・不廢事 仕事をやめることはない。廢事:仕事をやめる。すたれたこと。《漢書 成帝紀》「故官無廢事,下無逸民,教化流行,風雨和時,百穀用成,眾庶樂業,咸以康寧。

50-#5 〔《上張僕射書》-#5〕韓愈(韓退之)ID 799年貞元15年 32歳<1352> Ⅱ唐宋八大家文読本 巻二 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5744

〔《上張僕射書》-5〕韓愈  今の王公はじめとして、大官たち大勢いる中で、閣下だけがこのことを申し上げることができるお方であります。ただし、私、韓愈だけが閣下に対して申し上げることができるもので進言させていただくのです。

 

 
 2015年3月25日の紀頌之5つのBlog 
 ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場 
 Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
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50-#5 〔《上張僕射書》-#5〕韓愈(韓退之)ID 799年貞元15年 32歳<1352> Ⅱ唐宋八大家文読本 巻二 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5744 
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 ●杜甫の全作品1500首を訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。" 
 Ⅲ杜甫詩全1500首   LiveDoorBlog766年大暦元年55歲-44-#8奉節-35-#8 《巻16-07 八哀詩〔五〕贈秘書監江夏李公邕 -8》 杜甫index-15 杜甫<907-8> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5745 
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 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
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50-5 〔《上張僕射書》-5〕韓愈(韓退之)ID  799年貞元15 32歳<1352> Ⅱ唐宋八大家文読本 巻二 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5744

韓愈詩-50-5

 

 

§2-1

凡執事之擇於愈者,非為其能晨入夜歸也,必將有以取之。

もとより閣下が私、韓愈をご採用になりました訳は、朝未だ来に登庁して夜になって退庁することができるとお考えになってのことであれば違いますが、そういうことでなくきっと役に立つとお考えになったからでしょう。

苟有以取之,雖不晨入而夜歸,其所取者猶在也。

いやしくも何がしかの役に立つ点があります、朝未だ来に登庁したり、夜になってから退庁することでなくても、そのやくだつことができ得るものであり、まちがいなくできるはずであります。

下之事上,不一其事;

下の者が上の人に仕える場合、仕事は一定しておりません。

上之使下,不一其事。

上の人が下の者を使う場合にも一定しておりません。

§2-1

凡そ執事の愈に択べるものは、その能く晨に入り夜に帰るを為すに非ざらん。必ず将に以ってこれに取ること有らんとす。

苟も以ってこれに取ること有らば、晨に入り夜に帰らずと雖も、その取る所のものは、猶在るなり。

下の上に事うるや、その事を一にせず。

上の下を使うも、その事を一にせず。

 

 

§2-2

量力而仕之,度才而處之,其所不能,不強使為,

上の人は部下の能力がどの程度のものであるかを測り、職務を任せるものであって、下の者は自分の才能を考えて職務に努めるのである、できないことは強いてやらせないものではないだろうかとおもいます。

是故為下者不獲罪於上,為上者不得怨於下矣。

でありますから、下に仕える者は上の人からとがめられず、上に立つ人は下の者から恨まれることがないのであります。

孟子有云:今之諸侯無大相過者,

孟子がこのように言っております「今の諸侯に優れた人が居ないのは、

以其皆「好臣其所教,而不好臣其所受教」,

彼らが皆『それは、どこの君主も自分に従う人材を家臣にするのを好んでも、自分の教師となる人材を家臣とするのを好まないからです。』と。

今之時,與孟子之時又加遠矣,

問題は、今の世と、孟子の時代とは時代・社会が違い、そしてまた時が益々隔たっております。

皆好其聞命而奔走者,不好其直己而行道者。

それでも同じなのは、誰もが自分の命令を聞いて奔走する者を好み、己を正しく守って道義を行う者を嫌うのであります。

§2-2

力を度【はか】りてこれに処【お】り、その能くせざる所は彊【し】いて為さしめず。

是の故に下と為る者は罪を上に獲【え】ず、上と為る者は怨みを下に得ざるなり。

孟子云える有り「今の諸侯大いに相過ぐる者無きは、その皆その教うる所を臣とするを好みて、その教えを受くる所を臣とするを好まざるを以ってなり」と。

今の時と孟子の時と、また加々【ますます】遠し。皆その命を聞きて奔走する者を好み、その己を直くして道を行う者を好まず。

§2-3

聞命而奔走者,好利者也;

命令のまま走りまわる者は、利を好む者であります。

直己而行道者,好義者也。

おのれの身を正しく守って道義を実行する者は、義を好む者であります。

未有好利而愛其君者,未有好義而忘其君者。

いまだ、利を好みながら、しかも主君を愛する者などいるはずなどありませんし、また、義を好みおこなうもので、君主への報恩を忘れる者などおりません。

今之王公大人,惟執事可以聞此言,惟愈於執事也可以此言進。

今の王公はじめとして、大官たち大勢いる中で、閣下だけがこのことを申し上げることができるお方であります。ただし、私、韓愈だけが閣下に対して申し上げることができるもので進言させていただくのです。

 

§2-3

命を聞きて奔走する者は、利を好む者なり。己を直くして道を行う者は、義を好む者なり。

未だ利を好んで而もその君を愛する者は有らず。

未だ義を好んで而もその君を忘るる者は有らず。

今の王公大人、惟だ執事のみ以って此の言を聞(ぶん)すべく、惟だ愈のみ執事に於いて此の言を以って進むべし。

 

韓愈の地図0055

『上張僕射書』 現代語訳と訳註解説
 (
本文)

§2-3

聞命而奔走者,好利者也;

直己而行道者,好義者也。

未有好利而愛其君者,未有好義而忘其君者。

今之王公大人,惟執事可以聞此言,惟愈於執事也可以此言進。


(下し文) §2-3

命を聞きて奔走する者は、利を好む者なり。己を直くして道を行う者は、義を好む者なり。

未だ利を好んで而もその君を愛する者は有らず。

未だ義を好んで而もその君を忘るる者は有らず。

今の王公大人、惟だ執事のみ以って此の言を聞(ぶん)すべく、惟だ愈のみ執事に於いて此の言を以って進むべし。

(現代語訳)
命令のまま走りまわる者は、利を好む者であります。

おのれの身を正しく守って道義を実行する者は、義を好む者であります。

いまだ、利を好みながら、しかも主君を愛する者などいるはずなどありませんし、また、義を好みおこなうもので、君主への報恩を忘れる者などおりません。

今の王公はじめとして、大官たち大勢いる中で、閣下だけがこのことを申し上げることができるお方であります。ただし、私、韓愈だけが閣下に対して申し上げることができるもので進言させていただくのです。


01 朝賀の服装
(訳注) §2-3

上張僕射書

(張僕射にたてまつる書:要望書)

張建封の幕下に入ったばかりの韓愈は、ほどなく建封に手紙を送り、幕府の規則に文句をつけている《上張僕射書》。

 

聞命而奔走者,好利者也;

命令のまま走りまわる者は、利を好む者であります。

好利 「好利者、逸出於道義之外、其害顕而浅。」(利を好む者、道義の外に. 逸出し、其の害顕わるるは浅し。)

 

直己而行道者,好義者也。

おのれの身を正しく守って道義を実行する者は、義を好む者であります。

好義者 「未有上好仁而下不好義者也」(未だ上人を好まざれば、下は義のもを好まざるなり。)

 

未有好利而愛其君者,未有好義而忘其君者。

いまだ、利を好みながら、しかも主君を愛する者などいるはずなどありませんし、また、義を好みおこなうもので、君主への報恩を忘れる者などおりません。

有好義 大学傳十章「未有上好仁、而下不好義者也。」(いまだ上【かみ】仁を好みて、下【しも】義を好まざる者あらざるなり。」

《禮記、檀弓下》

・「仁人放流有害無益之者。仁人為能愛人能悪人。」(仁君は国にとって有害無益な家臣をよく見定めて、悪影響が及ばないように遠くへ放逐する。これはただ愛すべき人を愛し、憎むべき人を憎むという当たり前のことをしているだけである。)

・「仁者以財発身、不仁者以身発財。未有上好仁、而下不好義者也。」(仁者は財力を利用して己を高めていくが、不仁の者は己を犠牲にしてまでも財力にこだわる。上の者が仁行に努めているのに、下々が正義を否定するようなことはあり得ない。)

まとめてみると、

・昔の聖王は、仁愛の心を以て民を導き、民もよくそれに応えた

・親を思う心こそ何物にも代えがたい

・財力は仁徳を高める手段に過ぎない

・上の仁行を見倣って、下は正義に目覚める

儒者の「仁」に取り組む姿勢は、慈愛・孝悌に基ずく事に変わりない。

・幸 引き立て。・寛仮 大目にみること。・加待 手厚く待遇する。事を廃せず 仕事にさわらない。 ・依帰 依って帰する、頼ること。・諂屈 へつらって屈服すること。・行 行列。 官を僊 昇進する。・哀 いたみ悲しむ。・矜 気の毒に思う。・知己 自分の心を良く知っている者史記に「士は己を知る者の為に死す」

 

今之王公大人,惟執事可以聞此言,惟愈於執事也可以此言進。

今の王公はじめとして、大官たち大勢いる中で、閣下だけがこのことを申し上げることができるお方であります。ただし、私、韓愈だけが閣下に対して申し上げることができるもので進言させていただくのです。

・執事 家令の意でなく、貴人への手紙の脇付にもちいた。閣下。 

 

50-#4 〔《上張僕射書》-#4〕韓愈(韓退之)ID 799年貞元15年 32歳<1351> Ⅱ唐宋八大家文読本 巻二 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5739

《上張僕射書》-4〕韓愈  上の人は部下の能力がどの程度のものであるかを測り、職務を任せるものであって、下の者は自分の才能を考えて職務に努めるのである、できないことは強いてやらせないものではないだろうかとおもいます。

 

 

 
 2015年3月24日の紀頌之5つのBlog 
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 Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
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 曹植(曹子建)詩 65首 index文選 賦)兩都賦序・西都賦・東都賦 (班固)《李白 全詩》
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 Ⅱ中唐詩・晩唐詩
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50-#4 〔《上張僕射書》-#4〕韓愈(韓退之)ID 799年貞元15年 32歳<1351> Ⅱ唐宋八大家文読本 巻二 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5739 
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 index-5 806年39歳 50首の(2)25首index-6[807年~809年 42歳]20首index-7[810年~811年 44歳] 34首index-8 [812年~814年47歳]46首index-9[815年~816年 49歳] 57首index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首 
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 Ⅲ杜甫詩全1500首   LiveDoorBlog766年大暦元年55歲-44-#7奉節-35-#7 《巻16-07 八哀詩〔五〕贈秘書監江夏李公邕 -7》 杜甫index-15 杜甫<907-7> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5740 
 杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩) 杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首 
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 ●花間集全詩●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集 
 Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoorBlog『花間集』全詩訳注解説(改訂版)-30韋荘108《巻3-08 天仙子五首 其一》三巻8-〈108〉漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-5742 
 薛濤の全詩花間集(1)花間集(2)花間集(3)花間集(4)花間集(5) 
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 温庭筠66首 花間集1・2巻皇甫松11首 花間集二巻韋莊47首 花間集二巻薛昭蘊19首 花間集三巻牛嶠31首 花間集三・四巻張泌27首 花間集四巻 
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50-4 〔《上張僕射書》-4〕韓愈(韓退之)ID  799年貞元15 32歳<1351 Ⅱ唐宋八大家文読本 巻二 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5739韓愈詩-50-4

 

 

 

§2-1

凡執事之擇於愈者,非為其能晨入夜歸也,必將有以取之。

もとより閣下が私、韓愈をご採用になりました訳は、朝未だ来に登庁して夜になって退庁することができるとお考えになってのことであれば違いますが、そういうことでなくきっと役に立つとお考えになったからでしょう。

苟有以取之,雖不晨入而夜歸,其所取者猶在也。

いやしくも何がしかの役に立つ点があります、朝未だ来に登庁したり、夜になってから退庁することでなくても、そのやくだつことができ得るものであり、まちがいなくできるはずであります。

下之事上,不一其事;

下の者が上の人に仕える場合、仕事は一定しておりません。

上之使下,不一其事。

上の人が下の者を使う場合にも一定しておりません。

§2-1

凡そ執事の愈に択べるものは、その能く晨に入り夜に帰るを為すに非ざらん。必ず将に以ってこれに取ること有らんとす。

苟も以ってこれに取ること有らば、晨に入り夜に帰らずと雖も、その取る所のものは、猶在るなり。

下の上に事うるや、その事を一にせず。

上の下を使うも、その事を一にせず。

 

 

§2-2

量力而仕之,度才而處之,其所不能,不強使為,

上の人は部下の能力がどの程度のものであるかを測り、職務を任せるものであって、下の者は自分の才能を考えて職務に努めるのである、できないことは強いてやらせないものではないだろうかとおもいます。

是故為下者不獲罪於上,為上者不得怨於下矣。

でありますから、下に仕える者は上の人からとがめられず、上に立つ人は下の者から恨まれることがないのであります。

孟子有云:今之諸侯無大相過者,

孟子がこのように言っております「今の諸侯に優れた人が居ないのは、

以其皆「好臣其所教,而不好臣其所受教」,

彼らが皆『それは、どこの君主も自分に従う人材を家臣にするのを好んでも、自分の教師となる人材を家臣とするのを好まないからです。』と。

今之時,與孟子之時又加遠矣,

問題は、今の世と、孟子の時代とは時代・社会が違い、そしてまた時が益々隔たっております。

皆好其聞命而奔走者,不好其直己而行道者。

それでも同じなのは、誰もが自分の命令を聞いて奔走する者を好み、己を正しく守って道義を行う者を嫌うのであります。

§2-2

力を度【はか】りてこれに処【お】り、その能くせざる所は彊【し】いて為さしめず。

是の故に下と為る者は罪を上に獲【え】ず、上と為る者は怨みを下に得ざるなり。

孟子云える有り「今の諸侯大いに相過ぐる者無きは、その皆その教うる所を臣とするを好みて、その教えを受くる所を臣とするを好まざるを以ってなり」と。

今の時と孟子の時と、また加々【ますます】遠し。皆その命を聞きて奔走する者を好み、その己を直くして道を行う者を好まず。

§2-3

聞命而奔走者,好利者也;

直己而行道者,好義者也。

未有好利而愛其君者,未有好義而忘其君者。

今之王公大人,惟執事可以聞此言,惟愈於執事也可以此言進。

 

§2-3

命を聞きて奔走する者は、利を好む者なり。己を直くして道を行う者は、義を好む者なり。

未だ利を好んで而もその君を愛する者は有らず。

未だ義を好んで而もその君を忘るる者は有らず。

今の王公大人、惟だ執事のみ以って此の言を聞(ぶん)すべく、惟だ愈のみ執事に於いて此の言を以って進むべし。

 

戦国時代勢力図 

『上張僕射書』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

§2-2

量力而仕之,度才而處之,其所不能,不強使為,

是故為下者不獲罪於上,為上者不得怨於下矣。

孟子有云:今之諸侯無大相過者,以其皆「好臣其所教,而不好臣其所受教」,

今之時,與孟子之時又加遠矣,

皆好其聞命而奔走者,不好其直己而行道者。


(下し文) §2-2

力を度【はか】りてこれに処【お】り、その能くせざる所は彊【し】いて為さしめず。

是の故に下と為る者は罪を上に獲【え】ず、上と為る者は怨みを下に得ざるなり。

孟子云える有り「今の諸侯大いに相過ぐる者無きは、その皆その教うる所を臣とするを好みて、その教えを受くる所を臣とするを好まざるを以ってなり」と。

今の時と孟子の時と、また加々【ますます】遠し。

皆その命を聞きて奔走する者を好み、その己を直くして道を行う者を好まず。

(現代語訳)
上の人は部下の能力がどの程度のものであるかを測り、職務を任せるものであって、下の者は自分の才能を考えて職務に努めるのである、できないことは強いてやらせないものではないだろうかとおもいます。

でありますから、下に仕える者は上の人からとがめられず、上に立つ人は下の者から恨まれることがないのであります。

孟子がこのように言っております「今の諸侯に優れた人が居ないのは、

彼らが皆『それは、どこの君主も自分に従う人材を家臣にするのを好んでも、自分の教師となる人材を家臣とするのを好まないからです。』と。

問題は、今の世と、孟子の時代とは時代・社会が違い、そしてまた時が益々隔たっております。

それでも同じなのは、誰もが自分の命令を聞いて奔走する者を好み、己を正しく守って道義を行う者を嫌うのであります。



(訳注) §2-2

上張僕射書

(張僕射にたてまつる書:要望書)

張建封の幕下に入ったばかりの韓愈は、ほどなく建封に手紙を送り、幕府の規則に文句をつけている《上張僕射書》。

・張僕射 (735年-800年)武寧軍節度使張建封のこと。尚書省右僕射の待遇を受けていたのでかく言う。 建封字を本立といい,兗州の人。788年貞元四年、徐州刺史と為し、徐泗濠節度使となる。796年貞元十二年,檢校右僕射を加られる。公以799年十五年二月汴州之亂,建封に依りて徐せらる。秋,建封闢為節度推官,至是供職。書意以晨入夜歸為不可,其不諂屈於富貴之人可知矣。

武寧軍節度使,又稱徐泗節度使,為唐朝から、五代にかけてげんざいの江蘇省北部に設立さてれた節度使をいう。 782年(唐建中三年)徐海沂密都團練觀察使が徐州を治められるため設けられ,淄青李納控制を實と為し,784年(唐興元元年)廢除。 788年(唐貞元四年)十一月徐泗濠節度使を設ける。800年(唐貞元十六年),廢除,泗州、濠州改歸淮南節度使。

汜水関などの地図 

量力而仕之,度才而處之,其所不能,不強使為,

上の人は部下の能力がどの程度のものであるかを測り、職務を任せるものであって、下の者は自分の才能を考えて職務に努めるのである、できないことは強いてやらせないものではないだろうかとおもいます。

・強 彊と同じ、強いて。 

・量力 部下の能力がどの程度のものであるかを測ること。

・度才 自分の才能をおしはかって考えること。

 

是故為下者不獲罪於上,為上者不得怨於下矣。

でありますから、下に仕える者は上の人からとがめられず、上に立つ人は下の者から恨まれることがないのであります。

・獲 とがめを受ける。 

 

 

孟子有云:今之諸侯無大相過者,

孟子がこのように言っております「今の諸侯に優れた人が居ないのは、

・孟子 戦国時代中国の儒学者。姓は不詳、氏は孟、諱は軻、字は子輿。亜聖とも称される。孟子の「子」とは先生というほどの意。儒教では孔子に次いで重要な人物であり、そのため儒教は別名「孔孟の教え」とも呼ばれる。 あるいはその言行をまとめた書『孟子』。性善説を主張し、仁義による王道政治を目指した。

 

以其皆「好臣其所教,而不好臣其所受教」,

彼らが皆『それは、どこの君主も自分に従う人材を家臣にするのを好んでも、自分の教師となる人材を家臣とするのを好まないからです。』と。

・好臣其所教,而不好臣其所受教 孟子、公孫丑章句下》「今天下地醜徳齊、莫能相尚、無他、好臣其所教、而不好臣其所受教、湯之於伊尹」(この現代、どの国も規模の大きさといい人徳の篤さといい似たり寄ったりでどこも突出することができないでいます。それは、どこの君主も自分に従う人材を家臣にするのを好んでも、自分の教師となる人材を家臣とするのを好まないからです。湯王や桓公は、伊尹や管仲を呼びつけにしませんでした。)

 

今之時,與孟子之時又加遠矣,

問題は、今の世と、孟子の時代とは時代・社会が違い、そしてまた時が益々隔たっております。

 

皆好其聞命而奔走者,不好其直己而行道者。

それでも同じなのは、誰もが自分の命令を聞いて奔走する者を好み、己を正しく守って道義を行う者を嫌うのであります。

・聞 耳に入れる。 

 

 

公孫丑章句下

孟子將朝王、王使人來曰、寡人如就見者也、有寒疾、不可以風、朝將視朝、不識可使寡人得見乎、對曰、不幸而有疾、不能造朝、明日出弔於東郭氏、公孫丑曰、昔者辭以病、今日弔、或者不可乎、曰、昔者疾、今日愈、如之何不弔、王使人問疾、醫來、孟仲子對曰、昔者有王命、有采薪之憂、不能造朝、今病小愈、趨造於朝、我不識能至否乎、使數人要於路曰、請必無歸而造於朝、不得已而之景丑氏宿焉、景子曰、内則父子、外則君臣、人之大倫也、父子主恩、君臣主敬、丑見王之敬子也、未見所以敬王也、曰、惡、是何言也、齊人無以仁義與王言者、豈以仁義爲不美也、其心曰是何足與言仁義也云爾、則不敬莫大乎是、我非堯舜之道、不敢以陳於王前、故齊人莫如我敬王也、景子曰、否、非此之謂也、禮曰、父召無諾、君命召、不俟駕、固將朝也、聞王命而遂不果、宜與夫禮若不相似然、曰、豈謂是與、曾子曰、晉楚之富、不可及也、彼以其富、我以吾仁、彼以其爵、我以吾義、吾何慊乎哉、夫豈不義而曾子言之、是或一道也、天下有逹尊三、爵一、齒一、徳一、朝廷莫如爵、郷黨莫如齒、輔世長民莫如徳、惡得有其一以慢其二哉、將大有爲之君、必有所不召之臣、慾有謀焉則就之、其尊徳樂道不如是、不足與有爲也、故湯之於伊尹、學焉而後臣之、故不勞而王、桓公之於管仲、學焉而後臣之、故不勞而霸、今天下地醜徳齊、莫能相尚、無他、好臣其所教、而不好臣其所受教、湯之於伊尹、桓公之於管仲、則不敢召、管仲且猶不可召、而況不爲管仲者乎。

 

孟子が王(斉宣王)に会見する用意をしていた。そのとき、王から使者があって、言った。

使者「王のお言葉です。『小生、先生の下に行って会見しようと思ったのでありますが、あいにく風邪をこじらしてしまいまして、外の空気に当たることができません。だが先生から朝廷に来ていただければ、そこで会見できると思います。どうですか、小生とお会いできるご都合がつくでしょうか?』」

孟子は使者に回答した。

孟子「申し訳ございませんが、こちらも病をこじらせており、朝廷に参内できません。」(要するに、理由をつけて呼びつけにする王の態度を不誠実とした。)

さて翌日のこと、孟子は外出して斉の家臣の東郭氏の葬儀に出席しようとした。弟子の公孫丑が言った。

公孫丑「昨日使者に病気だと理由をつけたのに、今日になったら葬儀に出かけるというのは、ちょっとまずいんじゃないですか?」

孟子「昨日は病気。今日は治った。葬儀に出るのはいっこうにかまわん。」(こうして外出してしまった。)

その後、王の使者がやって来た。使者は孟子の病状を見舞い、医者まで派遣してきた。留守番の孟仲子(孟子のいとこ)が弁明した。

孟仲子「昨日は王の命がありましたが、『采薪(さいしん)の憂(うれい)』で体が思うように参らず参内できませんでした。本日病気も少しく軽快しましたので、おそらく今は取り急ぎ参内に向っていると思いますが、、、だがなにぶん到着できたかどうかは存じません。」

こうやって言い訳したので、葬儀の帰路に人を待たせて、孟子に「どうか帰宅なさらずに必ず参内してください」と申し上げた。だが孟子は参内せず、斉の家臣の景丑氏の所に行って一泊させてもらったのであった。

主人の景丑は言った。

景丑「内には父子の秩序、外には君臣の秩序。これは人の大倫の道でしょうが。父子の間では恩情が基本で、君臣の間では敬愛が基本です。それがしが見るに、王はこんなにも先生を敬愛しておられるのに、先生がいっこうに王を敬愛していない理由が納得いきませんな。」

孟子「おー、何ということをおっしゃる!この国の人が王と仁義の道をちっとも話そうとしないのは、まさか仁義の道がよくないことだと思われてそうしているのでしょうか?そうではないでしょう。勘ぐるに、王を軽んじてどうせ仁義の道を話すに値しない君主だと思っているからに違いない。だったらそれは不敬の最たるものです。私はね、いにしえの堯舜の道でないと、王の前では何一つ申し上げません。だからこの国の人の王への敬愛など、私の敬愛には及ばないのですよ。」

景丑「いや、今は仁義の道について申したいのではござらん。礼儀です。このようなことが書いてあります。

父が呼びつけたときには、『はーい』とか返事してる暇もなく、すぐ行け。

君主が呼びつけたときには車の用意など気にせず、すぐ行け。

どうです。先生は参内すべきでしょうが。なのに王の命を受けたのに参内しなかった。これは、こういった礼儀にぜんぜん外れているように思いますが?」

孟子「何をおっしゃる。いいですか、かつて孔子の弟子の曾子はこう言いました。

 

私は持てる富では晋公や楚王に到底及ばない。だが、あちらが富を誇るならば、私は仁を誇るだろう。あちらが爵位を誇るならば、私は義を誇るだろう。私のどこが彼らより劣っていようか?

曾子はこの言葉を道理もなく言ったわけではない。ちゃんと正しい道を示しているのです。天下には、最も尊いものが三つあります。すなわち、爵位の身分、年齢の功、そして人徳の道です。朝廷においては、爵位が最も尊重されます。地域社会においては、年功が最も尊重されます。そして世を治め民を率いる事業においては、人徳の道が最も尊重されるのです。この三つのうち一つを持っているからといって、他の二つを軽んじることはできない。曾子の思いはそこにあります。だから、大きなことを成そうとする君主には、必ず呼びつけになどせずに丁重に扱う家臣があり、何か相談しようとするときには君主が臣の下に出向いていくものなのです。君主が人徳の道をここまで尊重し喜んで行わないならば、天下救済の大事業を成すことなど思いもよりません。殷の開祖、湯王(とうおう)の伊尹(いいん)に対する扱いはどうでしたか?まず伊尹を師としてこれに学び、しかる後に家臣としたでしょうが。春秋の覇者、斉の桓公の管仲に対する扱いはどうでしたか?湯王と伊尹の関係と同じだったでしょうが。だから、湯王は労せずして王となり、桓公は労せずして覇者となれたのです。この現代、どの国も規模の大きさといい人徳の篤さといい似たり寄ったりでどこも突出することができないでいます。それは、どこの君主も自分に従う人材を家臣にするのを好んでも、自分の教師となる人材を家臣とするのを好まないからです。湯王や桓公は、伊尹や管仲を呼びつけにしませんでした。最も君主に忠誠厚き管仲ですら呼びつけにしなかったのです。管仲でない者を呼びつけにするようなお考えで、王はいったい何をなさろうというのでしょうか?」

50-#3 〔《上張僕射書》-#3〕韓愈(韓退之)ID 799年貞元15年 32歳<1350> Ⅱ唐宋八大家文読本 巻二 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5734韓愈詩-50-#3

《上張僕射書》-3〕韓愈  もとより閣下が私、韓愈をご採用になりました訳は、朝未だ来に登庁して夜になって退庁することができるとお考えになってのことであれば違いますが、そういうことでなくきっと役に立つとお考えになったからでしょう。

 

 
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50-3 〔《上張僕射書》-3〕韓愈(韓退之)ID  799年貞元1532歳<1350> Ⅱ唐宋八大家文読本 巻二 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5734韓愈詩-50-3

 

 

§2-1

凡執事之擇於愈者,非為其能晨入夜歸也,必將有以取之。

もとより閣下が私、韓愈をご採用になりました訳は、朝未だ来に登庁して夜になって退庁することができるとお考えになってのことであれば違いますが、そういうことでなくきっと役に立つとお考えになったからでしょう。

苟有以取之,雖不晨入而夜歸,其所取者猶在也。

いやしくも何がしかの役に立つ点があります、朝未だ来に登庁したり、夜になってから退庁することでなくても、そのやくだつことができ得るものであり、まちがいなくできるはずであります。

下之事上,不一其事;

下の者が上の人に仕える場合、仕事は一定しておりません。

上之使下,不一其事。

上の人が下の者を使う場合にも一定しておりません。

§2-2

量力而仕之,度才而處之,其所不能,不強使為,

是故為下者不獲罪於上,為上者不得怨於下矣。

孟子有云:今之諸侯無大相過者,

以其皆「好臣其所教,而不好臣其所受教」,

今之時,與孟子之時又加遠矣,

皆好其聞命而奔走者,不好其直己而行道者。

§2-3

聞命而奔走者,好利者也;

直己而行道者,好義者也。

未有好利而愛其君者,未有好義而忘其君者。

今之王公大人,惟執事可以聞此言,惟愈於執事也可以此言進。

§2-1

凡そ執事の愈に択べるものは、その能く晨に入り夜に帰るを為すに非ざらん。必ず将に以ってこれに取ること有らんとす。

苟も以ってこれに取ること有らば、晨に入り夜に帰らずと雖も、その取る所のものは、猶在るなり。

下の上に事うるや、その事を一にせず。

上の下を使うも、その事を一にせず。

§2-2

力を度【はか】りてこれに処【お】り、その能くせざる所は彊【し】いて為さしめず。

是の故に下と為る者は罪を上に獲【え】ず、上と為る者は怨みを下に得ざるなり。

孟子云える有り「今の諸侯大いに相過ぐる者無きは、その皆その教うる所を臣とするを好みて、その教えを受くる所を臣とするを好まざるを以ってなり」と。

今の時と孟子の時と、また加々【ますます】遠し。皆その命を聞きて奔走する者を好み、その己を直くして道を行う者を好まず。

§2-3

命を聞きて奔走する者は、利を好む者なり。己を直くして道を行う者は、義を好む者なり。

未だ利を好んで而もその君を愛する者は有らず。

未だ義を好んで而もその君を忘るる者は有らず。

今の王公大人、惟だ執事のみ以って此の言を聞(ぶん)すべく、惟だ愈のみ執事に於いて此の言を以って進むべし。

 

 

『上張僕射書』 現代語訳と訳註解説
(
本文)
§2-1

凡執事之擇於愈者,非為其能晨入夜歸也,必將有以取之。

苟有以取之,雖不晨入而夜歸,其所取者猶在也。

下之事上,不一其事;

上之使下,不一其事。


(下し文) §2-1

凡そ執事の愈に択べるものは、その能く晨に入り夜に帰るを為すに非ざらん。必ず将に以ってこれに取ること有らんとす。

苟も以ってこれに取ること有らば、晨に入り夜に帰らずと雖も、その取る所のものは、猶在るなり。

下の上に事うるや、その事を一にせず。

上の下を使うも、その事を一にせず。

(現代語訳)
もとより閣下が私、韓愈をご採用になりました訳は、朝未だ来に登庁して夜になって退庁することができるとお考えになってのことであれば違いますが、そういうことでなくきっと役に立つとお考えになったからでしょう。

いやしくも何がしかの役に立つ点があります、朝未だ来に登庁したり、夜になってから退庁することでなくても、そのやくだつことができ得るものであり、まちがいなくできるはずであります。

下の者が上の人に仕える場合、仕事は一定しておりません。
上の人が下の者を使う場合にも一定しておりません。


(訳注) §2-1

 

凡執事之擇於愈者,非為其能晨入夜歸也,必將有以取之。

もとより閣下が私、韓愈をご採用になりました訳は、朝未だ来に登庁して夜になって退庁することができるとお考えになってのことであれば違いますが、そういうことでなくきっと役に立つとお考えになったからでしょう。

・執事 家令の意でなく、貴人への手紙の脇付にもちいた。閣下。 

 

苟有以取之,雖不晨入而夜歸,其所取者猶在也。

いやしくも何がしかの役に立つ点があります、朝未だ来に登庁したり、夜になってから退庁することでなくても、そのやくだつことができ得るものであり、まちがいなくできるはずであります。

 

下之事上,不一其事;

下の者が上の人に仕える場合、仕事は一定しておりません。

 

上之使下,不一其事。

上の人が下の者を使う場合にも一定しておりません。

50-#2 〔《上張僕射書》-#2〕韓愈(韓退之)ID 799年貞元15年 32歳<1349> Ⅱ唐宋八大家文読本 巻二 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5729韓愈詩-50-#2

《上張僕射書》-2〕韓愈  このような規則は私、韓愈の能くするところではありません。それをあえて行なければいけず、このまま続ければ、きっと発狂してしまいそうです、それに、上にたいしては、閣下にご奉公することができないことになり、ひいては、そのご恩に報いる手立てそのものを忘れることになるのです。


50-2 〔《上張僕射書》-2〕韓愈(韓退之)ID  799年貞元15 32歳<1349 Ⅱ唐宋八大家文読本 巻二 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5729韓愈詩-50-2

 

 

上張僕射書 §1 -

(張僕射にたてまつる書:要望書)

九月一日,愈再拜:受牒之明日,在使院中,

九月一日、愈、再拝して申し上げます。武寧軍節度使,又稱徐泗節度使の辞令を受けましたので、翌日、節度使の役所におりますときのことです。

有小吏持院中故事節目十餘事來示愈。

吏員が院中の先例と規則の十余条を持って私、韓愈に見せてくれたのです。

其中不可者,有自九月至明年二月之終,

その中で問題点に気づいた点があったのです。晩秋、九月から翌年盛春二月までのきまりとして、

皆晨入夜歸,非有疾病事故,輒不許出。

日の出に登庁して日が沈みつくした夜になってから退庁すること、病気、事故がある場合以外は、退出を許さぬという一条でありました。

§1 -2

當時以初受命,不敢言,

ただ、その時は、はじめて任命されたばかりでしたので、敢えて申し上げることができませんでした。

古人有言曰:人各有能有不能。

昔の人の言葉にこうあります「人各々できることとできないこと、各得手、不得手があるものだ」と。 

若此者,非愈之所能也。

このような規則は私、韓愈の能くするところではありません。

抑而行之,必發狂疾,上無以承事於公,

それをあえて行なければいけず、このまま続ければ、きっと発狂してしまいそうです、それに、上にたいしては、閣下にご奉公することができないことになり、

忘其將所以報德者;

ひいては、そのご恩に報いる手立てそのものを忘れることになるのです。

下無以自立,喪失其所以為心。

下にむけては自分の身を立てる勉強をすることができず、そのためにしっかりした心がけを持ち続ける事を全てを失ってしまいそうなのです。

夫如是,則安得而不言?

 

当時は初めて命を受けしを以って、敢えて言わざりき。

古人言有りて曰く「人各々能あり不能あり」と。

此【かく】の若【ごと】きものは、愈の能くする所に非ざるなり。

抑えてこれを行わば、必ず狂疾を発し、上は以って公に承事する無く、その将に徳に報ゆる所以とせんとするものを忘れ、下は以って自立する無く、その心と為す所以を喪失せん。

夫れ是の如くんば、則ち安んぞ得て言わざらんや。

 

 

『上張僕射書』 現代語訳と訳註解説
(
本文)
§1 -2

當時以初受命,不敢言,

古人有言曰:人各有能有不能。

若此者,非愈之所能也。

抑而行之,必發狂疾,上無以承事於公,

忘其將所以報德者;

下無以自立,喪失其所以為心。

夫如是,則安得而不言?


(下し文)
(張僕射に上【たてまつ】る書)  §1-2

当時は初めて命を受けしを以って、敢えて言わざりき。

古人言有りて曰く「人各々能あり不能あり」と。

此【かく】の若【ごと】きものは、愈の能くする所に非ざるなり。

抑えてこれを行わば、必ず狂疾を発し、上は以って公に承事する無く、その将に徳に報ゆる所以とせんとするものを忘れ、下は以って自立する無く、その心と為す所以を喪失せん。

夫れ是の如くんば、則ち安んぞ得て言わざらんや。

(現代語訳)
(張僕射にたてまつる書:要望書)§1-2

ただ、その時は、はじめて任命されたばかりでしたので、敢えて申し上げることができませんでした。

昔の人の言葉にこうあります「人各々できることとできないこと、各得手、不得手があるものだ」と。 

このような規則は私、韓愈の能くするところではありません。

それをあえて行なければいけず、このまま続ければ、きっと発狂してしまいそうです、それに、上にたいしては、閣下にご奉公することができないことになり、

ひいては、そのご恩に報いる手立てそのものを忘れることになるのです。

下にむけては自分の身を立てる勉強をすることができず、そのためにしっかりした心がけを持ち続ける事を全てを失ってしまいそうなのです。

それがこの通りでありまして、この規則についてどうして問題ありと、申し上げずにおれましょうか。


(訳注) §1 -2

上張僕射書

(張僕射にたてまつる書:要望書)

張建封の幕下に入ったばかりの韓愈は、ほどなく建封に手紙を送り、幕府の規則に文句をつけている《上張僕射書》。

・張僕射 (735年-800年)武寧軍節度使張建封のこと。尚書省右僕射の待遇を受けていたのでかく言う。 建封字を本立といい,兗州の人。788年貞元四年、徐州刺史と為し、徐泗濠節度使となる。796年貞元十二年,檢校右僕射を加られる。公以799年十五年二月汴州之亂,建封に依りて徐せらる。秋,建封闢為節度推官,至是供職。書意以晨入夜歸為不可,其不諂屈於富貴之人可知矣。

武寧軍節度使,又稱徐泗節度使,為唐朝から、五代にかけてげんざいの江蘇省北部に設立さてれた節度使をいう。 782年(唐建中三年)徐海沂密都團練觀察使が徐州を治められるため設けられ,淄青李納控制を實と為し,784年(唐興元元年)廢除。 788年(唐貞元四年)十一月徐泗濠節度使を設ける。800年(唐貞元十六年),廢除,泗州、濠州改歸淮南節度使。

 

當時以初受命,不敢言,

ただ、その時は、はじめて任命されたばかりでしたので、敢えて申し上げることができませんでした。

當時以初受命 799年秋、韓愈が郷里へ引きあげるつもりで、徐州を去ろうとしたとき、張建封節度使が韓愈を引きとめ、自分のところの幕僚に任命してくれたこと。

 

古人有言曰:人各有能有不能。

昔の人の言葉にこうあります「人各々できることとできないこと、各得手、不得手があるものだ」と。 

有能有不能 人の才能には各得手、不得手あるものだ。才能あるものと才能のない者がいる。

 

若此者,非愈之所能也。

このような規則は私、韓愈の能くするところではありません。

 

抑而行之,必發狂疾,上無以承事於公,

それをあえて行なければいけず、このまま続ければ、きっと発狂してしまいそうです、それに、上にたいしては、閣下にご奉公することができないことになり、

・承事 奉公。 
 

忘其將所以報德者;

ひいては、そのご恩に報いる手立てそのものを忘れることになるのです。

 

下無以自立,喪失其所以為心。

下にむけては自分の身を立てる勉強をすることができず、そのためにしっかりした心がけを持ち続ける事を全てを失ってしまいそうなのです。

自立 ここでは、自分の身を立てること、書物を読むこと、受験勉強をすること。

 

夫如是,則安得而不言?

それがこの通りでありまして、この規則についてどうして問題ありと、申し上げずにおれましょうか。

 
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〔《上張僕射書》-1〕韓愈(張僕射にたてまつる書:要望書)九月一日、愈、再拝して申し上げます。武寧軍節度使,又稱徐泗節度使の辞令を受けましたので、翌日、節度使の役所におりますときのことです。吏員が院中の先例と規則の十余条を持って私、韓愈に見せてくれたのです。

 

 
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 毛文錫31首 花間集5巻牛希濟11首 花間集5巻欧陽烱17首 花間集5・6巻和凝20首 花間集6巻顧夐56首 花間集6・7巻孫光憲47首 花間集7・8巻 
 魏承班15首 花間集8・9巻鹿虔扆6首 花間集9巻閻選8首 花間集9巻尹鶚6首 花間集9巻毛熙震29首 花間集9・10巻李珣39首 花間集10巻 
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上張僕射書 §1 -

(張僕射にたてまつる書:要望書)

九月一日,愈再拜:受牒之明日,在使院中,

九月一日、愈、再拝して申し上げます。武寧軍節度使,又稱徐泗節度使の辞令を受けましたので、翌日、節度使の役所におりますときのことです。

有小吏持院中故事節目十餘事來示愈。

吏員が院中の先例と規則の十余条を持って私、韓愈に見せてくれたのです。

其中不可者,有自九月至明年二月之終,

その中で問題点に気づいた点があったのです。晩秋、九月から翌年盛春二月までのきまりとして、

皆晨入夜歸,非有疾病事故,輒不許出。

日の出に登庁して日が沈みつくした夜になってから退庁すること、病気、事故がある場合以外は、退出を許さぬという一条でありました。

§1 -2

當時以初受命,不敢言,

古人有言曰:人各有能有不能。

若此者,非愈之所能也。

抑而行之,必發狂疾,上無以承事於公,

忘其將所以報德者;

下無以自立,喪失其所以為心。

夫如是,則安得而不言?

 

韓愈の地図0055 

『上張僕射書』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

上張僕射書 §1 -

九月一日,愈再拜:受牒之明日,在使院中,

有小吏持院中故事節目十餘事來示愈。

其中不可者,有自九月至明年二月之終,

皆晨入夜歸,非有疾病事故,輒不許出。



(下し文)
(張僕射に上【たてまつ】る書)  §1

九月一日。愈、再拝。牒【ちょう】を受くるの明日。使院中に在り。

小史の院中の故事節目十余事を持し来りて愈に示す有り。

その中の不可なるものは、九月より明年二月の終わりに至るまで、皆晨(あした)に入り、夜に帰り、疾病事故有るに非ざれば、輒【すなわち】出ずるを許さずと有ることなり。

(現代語訳)
(張僕射にたてまつる書:要望書)

九月一日、愈、再拝して申し上げます。武寧軍節度使,又稱徐泗節度使の辞令を受けましたので、翌日、節度使の役所におりますときのことです。

吏員が院中の先例と規則の十余条を持って私、韓愈に見せてくれたのです。

その中で問題点に気づいた点があったのです。晩秋、九月から翌年盛春二月までのきまりとして、

日の出に登庁して日が沈みつくした夜になってから退庁すること、病気、事故がある場合以外は、退出を許さぬという一条でありました。



(訳注) §1 -

上張僕射書

(張僕射にたてまつる書:要望書)

張建封の幕下に入ったばかりの韓愈は、ほどなく建封に手紙を送り、幕府の規則に文句をつけている《上張僕射書》。

・張僕射 (735年-800年)武寧軍節度使張建封のこと。尚書省右僕射の待遇を受けていたのでかく言う。 建封字を本立といい,兗州の人。788年貞元四年、徐州刺史と為し、徐泗濠節度使となる。796年貞元十二年,檢校右僕射を加られる。公以799年十五年二月汴州之亂,建封に依りて徐せらる。秋,建封闢為節度推官,至是供職。書意以晨入夜歸為不可,其不諂屈於富貴之人可知矣。

武寧軍節度使,又稱徐泗節度使,為唐朝から、五代にかけてげんざいの江蘇省北部に設立さてれた節度使をいう。 782年(唐建中三年)徐海沂密都團練觀察使が徐州を治められるため設けられ,淄青李納控制を實と為し,784年(唐興元元年)廢除。 788年(唐貞元四年)十一月徐泗濠節度使を設ける。800年(唐貞元十六年),廢除,泗州、濠州改歸淮南節度使。

 

九月一日,愈再拜:受牒之明日,在使院中,

九月一日、愈、再拝して申し上げます。武寧軍節度使,又稱徐泗節度使の辞令を受けましたので、翌日、節度使の役所におりますときのことです。

・牒 辞令。(張建封が選んだものを朝廷が牒下する) 

・使院中 節度使幕府の院中(執務室の奥の方)。 

 

有小吏持院中故事節目十餘事來示愈。

吏員が院中の先例と規則の十余条を持って私、韓愈に見せてくれたのです。

・故事 先例

・節目十餘事 規則の十余条、就業規則。

 

其中不可者,有自九月至明年二月之終,

その中で問題点に気づいた点があったのです。晩秋、九月から翌年盛春二月までのきまりとして、

 

皆晨入夜歸,非有疾病事故,輒不許出。

日の出に登庁して日が沈みつくした夜になってから退庁すること、病気、事故がある場合以外は、退出を許さぬという一条でありました。

当時は、夜明けで日が登るまでに登庁し、日が沈めば、退庁するというのが常識である。

50-#0 〔《上張僕射書》-#0〕韓愈(韓退之)ID 799年貞元15年 32歳<1347> Ⅱ唐宋八大家文読本 巻二 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5719

〔《上張僕射書》-0〕韓愈  この手紙の言うところは、いちおうは尤もである。韓愈が認めてほしいと要求した勤務時間は、当時の朝廷の百官のそれとほぼ一致しており、べつに不当ではない。たぶん、董晋の幕府の勤務時間もこうだったのであろう。早朝から夜まで役所に縛りつけておこうとする張建封の規則の方が、無茶だったのである。

 

 
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 Ⅲ杜甫詩全1500首   LiveDoorBlog766年大暦元年55歲-44-#3奉節-35-#3 《巻16-07 八哀詩〔五〕贈秘書監江夏李公邕 -3》 杜甫index-15 杜甫<907-3> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5720 
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50-0 〔《上張僕射書》-0〕韓愈(韓退之)ID  799年貞元15 32歳<1347 Ⅱ唐宋八大家文読本 巻二 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5719

 

 

韓愈詩-50-0

 

汴州の反乱はほどなく鎮圧されたが、韓愈はもう、汴州には帰れない。節度使の幕僚は公式に任命されたものであるが、任命は私的な人選によるので、身分の保証はなかった。節度使が死んだ場合(転任のときも同じことであるが)、後任の節度使は、前任者の幕僚を引き継ぐ義務はない。むしろ自分の人選によって新たに幕僚を任じ、幕府を構成しようとする。もとの幕僚は失業するわけだが、文句は言えないのであって、この点が科挙を経て正式に任命された役人と違うところである。

 

韓愈もせっかく得た幕僚の職を失ったが、運のよいことに、徐州に根拠を置く武寧軍節度使の張建封が、どれほどのつきあいがあったのかはわからないけれども、以前から韓愈を知っていた。汴州から避難して来た韓愈の一家に住居を与え、どうやら衣食にも困らぬ程度に援助してくれたのは、張建封であった。もっとも、韓愈の方ではいつまでも仮住居をしてはおられず、建封に甘えてもいられないので、秋になると、徐州を去ろうとした。郷里へ引きあげるつもりだったのかもしれない。その時、建封が韓愈を引きとめ、自分のところの幕僚に任命してくれた。

 

張建封の幕下に入ったばかりの韓愈は、ほどなく建封に手紙を送り、幕府の規則に文句をつけている《上張僕射書》。

 

(韓文一七、張僕射に上る書)

愈が任命を受けた翌日、幕府に顔を出すと、小役人が来て、役所の規則及び慣例十数か条を示した。幕僚の仕事はどこでも同じようなものだが、執務の細則は節度使が定めるので、幕府によって相違が生ずるのは当然である。新任の幕僚に規則と慣例を示すのも当然の手続きで、それに文句をつける筋はないはずだが、就任早々、うるさい規則を見せつけられたのが、先ず愈の府にさわらしい。しかもその規則の中の一条は、断じて承服しかねるものであった。九月から翌年の二月の末まで

は、毎日早朝に出勤し、夜になってから退庁すべきこと、勤務時間内は病気または事故の場合を除き、役所の外に出ることを許さない、というのである。これを見せられたときは、新任のことでもあり、黙ってお受けしたが、どう考えてみても不服でならない。そこで、この手紙を書いた。

だいたい、あなたが私を採用してくれたのは、早朝に出勤し、夜になって退庁することができる男と考えたためか。ほかに、もっと取り柄があると思ったからではないのか。ほかに取り柄があるのなら、なにも早朝に出勤し、夜に退庁せずとも、任務は果たせるはずである。およそ上に立つ人が下の者を使うときには、才能と性格を考え、できないことは強制しないかわりに、できることを十分に遂行させるよう配慮すべきである。自分はこんな規則を守ることができないし、守れと強制されれば、「必ず狂疾を発せん」。

だから、自分に対しては、寅の刻(だいたい午前四時)に出勤、辰の刻の終り(午前九時)にいったん退庁、申の刻(午後四時)にまた出勤、酉の刻の終り(午後七時)に退庁という方式を認めてほしい。そうすれば、あなたは「士を待つに礼を以てする」ことになるし、自分はそれほどの上官を選んで仕えたことになる。単にあなたが自分の窮状を憐れみ、自分は俸禄が欲しいゆえに、主従の関係が結ばれたということにはならない。あなたと自分とは、知己の関係で強く結ばれたといえるのだ。

 

 

上張僕射書

§1

九月一日,愈再拜:受牒之明日,在使院中,

有小吏持院中故事節目十餘事來示愈。

其中不可者,有自九月至明年二月之終,

皆晨入夜歸,非有疾病事故,輒不許出。

當時以初受命,不敢言,

古人有言曰:人各有能有不能。

若此者,非愈之所能也。

抑而行之,必發狂疾,上無以承事於公,

忘其將所以報德者;

下無以自立,喪失其所以為心。

夫如是,則安得而不言?

§2

凡執事之擇於愈者,非為其能晨入夜歸也,必將有以取之。

苟有以取之,雖不晨入而夜歸,其所取者猶在也。

下之事上,不一其事;上之使下,不一其事。

量力而仕之,度才而處之,其所不能,不強使為,

是故為下者不獲罪於上,為上者不得怨於下矣。

孟子有云:今之諸侯無大相過者,

以其皆「好臣其所教,而不好臣其所受教」,

今之時,與孟子之時又加遠矣,

皆好其聞命而奔走者,不好其直己而行道者。

聞命而奔走者,好利者也;

直己而行道者,好義者也。

未有好利而愛其君者,未有好義而忘其君者。

今之王公大人,惟執事可以聞此言,惟愈於執事也可以此言進。

§3

愈蒙幸於執事,其所從舊矣。

若寬假之,使不失其性,加待之,

使足以為名,寅而入,盡辰而退;

申而入,終酉而退,率以為常,亦不廢事。

天下之人聞執事之於愈如是也,

必皆曰:執事之好士也如此,執事之待士以禮如此,

執事之使人不枉其性而能有容如此,

執事之欲成人之名如此,執事之厚於故舊如此。

又將曰:韓愈之識其所依歸也如此,

韓愈之不諂屈於富貴之人如此,

韓愈之賢能使其主待之以禮如此,則死於執事之門無悔也。

若使隨行而入,逐隊而趨,言不敢盡其誠,道有所屈於己;

天下之人聞執事之於愈如此,

皆曰:執事之用韓愈,哀其窮,收之而已耳;

韓愈之事執事,不以道,利之而已耳。

苟如是,雖日受千金之賜,一九遷其官,感恩則有之矣,

將以稱於天下曰知己知己則未也。

 

伏惟哀其所不足,矜其愚,不錄其罪,察其辭而垂仁采納焉。愈恐懼再拜。

 

張僕射に上【たてまつ】る書

§1

九月一日。愈、再拝。牒【ちょう】を受くるの明日。使院中に在り。

小史の院中の故事節目十余事を持し来りて愈に示す有り。

その中の不可なるものは、九月より明年二月の終わりに至るまで、皆晨(あした)に入り、夜に帰り、疾病事故有るに非ざれば、輒【すなわち】出ずるを許さずと有ることなり。

当時は初めて命を受けしを以って、敢えて言わざりき。

古人言有りて曰く「人各々能あり不能あり」と。

此【かく】の若【ごと】きものは、愈の能くする所に非ざるなり。

抑えてこれを行わば、必ず狂疾を発し、上は以って公に承事する無く、その将に徳に報ゆる所以とせんとするものを忘れ、下は以って自立する無く、その心と為す所以を喪失せん。

夫れ是の如くんば、則ち安んぞ得て言わざらんや。

 

§2

凡そ執事の愈に択べるものは、その能く晨に入り夜に帰るを為すに非ざらん。必ず将に以ってこれに取ること有らんとす。苟も以ってこれに取ること有らば、晨に入り夜に帰らずと雖も、その取る所のものは、猶在るなり。

下の上に事うるや、その事を一にせず。上の下を使うも、その事を一にせず。力を度【はか】りてこれに処【お】り、その能くせざる所は彊【し】いて為さしめず。

是の故に下と為る者は罪を上に獲【え】ず、上と為る者は怨みを下に得ざるなり。

孟子云える有り「今の諸侯大いに相過ぐる者無きは、その皆その教うる所を臣とするを好みて、その教えを受くる所を臣とするを好まざるを以ってなり」と。

今の時と孟子の時と、また加々【ますます】遠し。皆その命を聞きて奔走する者を好み、その己を直くして道を行う者を好まず。

命を聞きて奔走する者は、利を好む者なり。己を直くして道を行う者は、義を好む者なり。

未だ利を好んで而もその君を愛する者は有らず。

未だ義を好んで而もその君を忘るる者は有らず。

今の王公大人、惟だ執事のみ以って此の言を聞(ぶん)すべく、惟だ愈のみ執事に於いて此の言を以って進むべし。

§3

愈の幸【こう】を執事に蒙る、その従【よ】るところ旧【ひさ】し。

若しこれを寛仮【かんか】してその性を失わざらしめ、これを加待【かたい】して以って名を為すに足らしめ、寅にして入り、辰を尽して退き、申にして入り、酉を終えて退き、率【おおむね】以って常を為さば、亦た事を廃せず。

天下の人、執事の愈に於けること是の如きを聞かば、必ず皆曰わん「執事の士を好むや此(し、執事の士を待つに礼を以ってするや此の如し、執事の人を使うにその性を枉【ま】げずして、能く容るる有ること此の如し、執事の人の名を成さんと欲すること此の如し、執事の故旧に厚きこと此の如し」と。

また将【は】た曰わん「韓愈のその依帰【いき】する所を識れるや此の如し、韓愈の富貴の人に諂屈【てんくつ】せざるや此の如し、韓愈の賢、能くその主をしてこれを待つに礼を以ってせしむること此の如し」と。

則ち執事の門に死すとも悔い無きなり。若し行に随って入り、隊を逐【お】って趨【はし】り、言は敢えてその誠を尽さず、道は己を屈する所有らしめば、天下の人、執事の愈に於けること此の如きを聞きて、皆曰わん「執事の韓愈を用うる、その窮を哀れみてこれを収むるのみ。韓愈の執事に事うる、道を以ってせず、これを利とするのみ」と。

苟も是の如くんば、日に千金の賜を受け、一歳に九たびその官を僊【うつ】さると雖も、恩に感ずることは則ちこれ有らん。将【は】た以って天下に称せられて、知己と曰われんには、則ち未だしなり。

伏して惟【おも】うにその足らざる所を哀れみ、その恩を矜【あわれ】みて、その罪を録せず、その辞を察して、仁を垂れて採納せられよ。愈、恐懼再拝。

 

 

この手紙の言うところは、いちおうは尤もである。韓愈が認めてほしいと要求した勤務時間は、当時の朝廷の百官のそれとほぼ一致しており、べつに不当ではない。たぶん、董晋の幕府の勤務時間もこうだったのであろう。早朝から夜まで役所に縛りつけておこうとする張建封の規則の方が、無茶だったのである。

それにしても、就任早々、服務規定に文句をつけるとは、見上げた度胸であった。ただし、注意しておいてよいのは、韓愈の要求がこの規則の改正にあったのではなく、自分だけは特別扱いにしてくれというにあった点である。ほかの幕僚と共同で勤務時間短縮の運動を起せば、反乱と解釈されてもしかたのない時代なので、個別に要求を出すほかはなかったともいえるが、韓愈の意識にあったのは、おそらくそのことではあるまい。平凡な幕僚は、服務規定をまじめに守っていればよいのだ。

自分はもっと大きな使命を持っており、それが建封の役にも立つのだから、特別の待遇をしてくれというのが、本音であったと見られる。

特別扱いにはしない、それがいやなら辞職しろと建封に言われればおしまいになるはずの要求で、ずいぶん大胆なことをしたようだが、韓愈の方にも計算はあったらしい。前からの知りあいでもあり、このくらいのことを言っても怒られることはないと、見通しが立っていたようなのである。手紙の中にも、現代の高官の中で、こんなことが言えるのはあなただけであり、また、あなたにこんなことが言えるのは自分だけだという字句がある。事実、建封がただちに愈の要求を承認したかどうかはわからないが、少なくとも韓愈が怒られもせず、解任もされなかったのは、たしかである。しかし、そうなれば一方で、仲間の幕僚たちの愈に対する風当りが強くなることは、覚悟しなければならな汴州にいたころ(あるいはもう少し遅く、この徐州時代かもしれない)、弟子の張籍が韓愈に手紙をよこし、先生は人と議論をするときにあとへ引こうとしない、どうも負けずざらいなように見えるが、少し注意なさったがよいといさめた。愈はそれに答えて言う。たしかに、自分には御忠告のような点がある。だが、それは「抑も己の勝つを好むに非ざるなり。己の道の勝つを好むなり。己の道の勝つを好むに非ざるなり。己の道は乃ち夫子・孟軻・揚雄の伝へし所の道なり。若し勝たずんは、以て道と為すこと無し」(韓文一四、重ねて張籍に答ふる書)。

身分からいえば、節度使の一幕僚にすぎない。それが孔子以来の「道」を一人で背負ったような顔をしているのである。本人には、もちろんそれだけの自信があったのだが、他人にとっては、おそらくつきあいにくい男だったであろう。

だから張建封の幕下では、まともに彼の相手をする者がなくなったに相違ない。それが彼には不満である。この時期の詩に言う。

41-#1 《0229 齪齪 -#1》韓愈(韓退之)ID 799年貞元15年 32歳<1332 Ⅱ韓昌黎集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5644

41-#2 《0229 齪齪 -#2》韓愈(韓退之)ID 799年貞元15年 32歳<1333 Ⅱ韓昌黎集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5649韓愈詩-41-#2

41-#3 《0229 齪齪 -#3》韓愈(韓退之)ID 799年貞元15年 32歳<1334 Ⅱ韓昌黎集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5654韓愈詩-41-#3

42-#1 《0304 汴泗交流贈張僕射 -#1》韓愈(韓退之)ID 799年貞元15年 32歳<1335 Ⅱ韓昌黎集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5659韓愈詩-42-#1

42-#2 《0304 汴泗交流贈張僕射 -#2》韓愈(韓退之)ID 799年貞元15年 32歳<1336 Ⅱ韓昌黎集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5664韓愈詩-42-#2

43 《0305 (改訂) 忽忽》韓愈(韓退之)ID 799年貞元15年 32歳<1337 Ⅱ韓昌黎集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5669

44-#1 《0306 鳴雁 -#1》韓愈(韓退之)ID 799年貞元15年 32歳<1338 Ⅱ韓昌黎集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5674

44-#2 《0306 鳴雁 -#2》韓愈(韓退之)ID 雉帶箭【案:此愈佐張僕射於徐,獵而作也。】<1339 Ⅱ韓昌黎集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5679

45 《0308 雉帶箭》韓愈(韓退之)ID 799年貞元15年 32歳<1340 Ⅱ韓昌黎集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5684

46 《0531 (改訂)從仕》韓愈(韓退之)ID 799年貞元15年 32歳<1341 Ⅱ韓昌黎集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5689

 

49 《遺13 贈張徐州莫辭酒》韓愈(韓退之)ID 799年貞元15年 32歳<1346> Ⅱ韓昌黎集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5714

《遺13 贈張徐州莫辭酒》韓愈(“朝廷から命が下らずとも、叛乱軍を征伐するため元気を出してほしい、そのためには酒をたらふく飲まねばならない”という詩を張建封徐州節度使に贈る。)

 

 
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49 《遺13 贈張徐州莫辭酒》韓愈(韓退之)ID  799年貞元15 32歳<1346> Ⅱ韓昌黎集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5714韓愈詩-49

 

 

年:799年貞元15 32

卷別:    卷三四五              文體:    雜言古詩

詩題:    贈張徐州莫辭酒【案:見《外集》。】【案:見《遺集》。】

作地點:              徐州(河南道 / 徐州 / 徐州)

及地點:              徐州 (河南道 徐州 徐州) 別名:彭城、徐方  

交遊人物:張建封              當地交遊(河南道 徐州 徐州)

 

 

贈張徐州莫辭酒

(“朝廷から命が下らずとも、叛乱軍を征伐するため元気を出してほしい、そのためには酒をたらふく飲まねばならない”という詩を張建封徐州節度使に贈る。)

莫辭酒,此會固難同。

元気を出すための酒であるから断ってはいけない。このような会合の宴会は、めったに同席することができないから、十分に飲ませてもらいたい。

請看女工機上帛,半作軍人旗上紅。

試みに見てほしいのは、工女が機織りしている帛地は、今は半分ぐらいの出来だけれどやがて上が真っ赤な軍旗になるので、軍隊の準備をしているのだ。

莫辭酒,誰為君王之爪牙。

だから、元気を出すための酒であるから断ってはいけない。天下が騒乱に苦しんでいて誰かが、王朝の爪牙になって征伐しないといけないのである。

春雷三月不作響,戰士豈得來還家。

春三月の黎明を告げる春雷が轟くように、此処の節度軍が叛乱反正の声を轟かさなければ、折角征伐に出かけた戦士も家に帰ることができない。この会合で酒を心行くまで呑もうというのだ。

 

(張徐州に 「酒を辭す莫れ」詩を贈る)

酒を辭す莫れ,此の會 固より同じゅうし難し。

請うて看る 女工 上帛を機するを,半ば作る 軍人の旗上の紅となるを。

酒を辭す莫れ,誰が 君王の爪牙と為らん。

春雷 三月 響くこと作さず,戰士 豈に 來って家に還るを得んや。

 

 

『贈張徐州莫辭酒』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

贈張徐州莫辭酒

莫辭酒,此會固難同。

請看女工機上帛,半作軍人旗上紅。

莫辭酒,誰為君王之爪牙。

春雷三月不作響,戰士豈得來還家。


(下し文)
(張徐州に 「酒を辭す莫れ」詩を贈る)

酒を辭す莫れ,此の會 固より同じゅうし難し。

請うて看る 女工 上帛を機するを,半ば作る 軍人の旗上の紅となるを。

酒を辭す莫れ,誰が 君王の爪牙と為らん。

春雷 三月 響くこと作さず,戰士 豈に 來って家に還るを得んや。

(現代語訳)
(“朝廷から命が下らずとも、叛乱軍を征伐するため元気を出してほしい、そのためには酒をたらふく飲まねばならない”という詩を張建封徐州節度使に贈る。)

元気を出すための酒であるから断ってはいけない。このような会合の宴会は、めったに同席することができないから、十分に飲ませてもらいたい。

試みに見てほしいのは、工女が機織りしている帛地は、今は半分ぐらいの出来だけれどやがて上が真っ赤な軍旗になるので、軍隊の準備をしているのだ。

だから、元気を出すための酒であるから断ってはいけない。天下が騒乱に苦しんでいて誰かが、王朝の爪牙になって征伐しないといけないのである。

春三月の黎明を告げる春雷が轟くように、此処の節度軍が叛乱反正の声を轟かさなければ、折角征伐に出かけた戦士も家に帰ることができない。この会合で酒を心行くまで呑もうというのだ。



(訳注)

贈張徐州莫辭酒

(“朝廷から命が下らずとも、叛乱軍を征伐するため元気を出してほしい、そのためには酒をたらふく飲まねばならない”という詩を張建封徐州節度使に贈る。)

張建封徐州節度使に宴席で工女が機織りの途中の物を見て、軍の戦旗であることから、戦争が近いかもしれないが、戦争に苦しむものの為にも早く凱歌をあげて、清平の世にしなければいけない、だから元気を出した目に酒を十分に飲まなければいけない。朝廷が、叛乱軍を征伐する意思がなく、諸侯、節度使にも討伐命令を出さなかった。そのために、張建封に頑張ってもらいたいと願ってこの詩を書いた。

 

莫辭酒,此會固難同。

元気を出すための酒であるから断ってはいけない。このような会合の宴会は、めったに同席することができないから、十分に飲ませてもらいたい。

固難同 もともとめったに同席することができない。

 

請看女工機上帛,半作軍人旗上紅。

試みに見てほしいのは、工女が機織りしている帛地は、今は半分ぐらいの出来だけれどやがて上が真っ赤な軍旗になるので、軍隊の準備をしているのだ。

機上帛 機を織りかけの帛地。

半作軍人 軍の準備をとりかかっている。

旗上紅 上が真っ赤な軍旗になる。

 

莫辭酒,誰為君王之爪牙。

だから、元気を出すための酒であるから断ってはいけない。天下が騒乱に苦しんでいて誰かが、王朝の爪牙になって征伐しないといけないのである。

王之爪牙 朝廷が、叛乱軍を征伐する意思がなく、諸侯、節度使にも討伐命令を出さなかった。そのために、朝廷に変わって張建封に征伐の先頭に立って頑張ってもらいたい。

 

春雷三月不作響,戰士豈得來還家。

春三月の黎明を告げる春雷が轟くように、此処の節度軍が叛乱反正の声を轟かさなければ、折角征伐に出かけた戦士も家に帰ることができない。この会合で酒を心行くまで呑もうというのだ。

春雷 強力な軍隊が征伐軍の強い意志表明を天下に示すことで、叛乱の戦意をそぐことができる。

48-#3 《外09 贈徐州族姪 -#3》韓愈(韓退之)ID 799年貞元15年 32歳<1345> Ⅱ唐宋八大家文読本 巻二 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5709 韓愈詩-48-#3

《外09 贈徐州族姪  -#3》韓愈  吾らが期待することは、吾が語をして、一片のお世辞であることに留めず、その奇術を以て、時の凊平を助け、大いに世の中のためになるように一つ、働いてもらいたい。

 

 
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48-#3 《外09 贈徐州族姪  -#3》韓愈(韓退之)ID  799年貞元15 32歳<1345 Ⅱ唐宋八大家文読本 巻二 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5709

韓愈詩-48-#3

 

 

年:799年貞元15 32

卷別:    卷三四五              文體:    五言古詩

詩題:    贈徐州族姪【案:見《外集》。】【案:見《遺集》。】

作地點:              徐州(河南道 / 徐州 / 徐州)

及地點:              徐州 (河南道 徐州 徐州) 別名:彭城、徐方  

 

 

贈徐州族姪【案:見《外集》。】【案:見《遺集》。】

(徐州張建封の幕府の職にあるとき、族姪の老成の十二郎の来訪を受けてこれに贈ったのである。)

我年十八九,壯氣起胸中。

私の年齢が1819であったころ、進士試験を受けるため、はじめて長安に上京したころであり、壮気は胸中に沸き起こり、漲っていて、功名もすぐにでも取れるものと思っていた。

作書獻雲闕,辭家逐秋蓬。

そこで、上書して、九重に献じたが無視され、もとより、志を達せず、家を辞して、諸処を漂流し仕官を求めたが、秋蓬を追うようなものであった。

時易遷次,身命多厄窮。

及第するまでにも、歳月というもの、遷り、過ぎやすいものであり、身命をつなぐことにも窮厄多い状態であった。

#2

一名雖云就,片祿不足充。

折角進士に登第することが出来てもわずかばかりの俸禄では何の足しにもなりはしない。

今者復何事,卑棲寄徐戎。

では今を、また、どうするのかといえば、古の徐戎の地に来たって、卑しい住居を寄せた。

蕭條資用盡,濩落門巷空。

身計蕭条として物資は既に底をついて用いるものはなかった、門巷には空しく来訪者はまったくなく、寂寥のきわみであった。

朝眠未能起,遠懷方鬱悰。

そこで、朝寝をして、なかなか起きだすことが出来ず、さまざまのことを思い出し、心はもやもやとして面白くなく、塞ぎ切ってしまうのである。

(徐州族姪【ぞくてつ】に贈る)

我が年 十八 九,壯氣 胸中に起る。

書を作って雲闕に獻じ,家を辭して 秋蓬を逐う。

時 遷次し易く,身命 厄窮多し。

 

一名 云に就くと雖も,片祿 充つるに足らず。

今者は復た何事ぞ,卑棲 徐戎に寄す。

蕭條として 資用盡き,濩落【かくらく】として門巷 空し。

朝眠 未だ起つ能わず,遠懷 方に鬱悰【うつそう】たり。

 

擊門者誰子,問言乃吾宗。

その時門をたたくものがあって、だれかと問えば、わが同宗の族姪であって、やがてむかえいれた。

自云有奇術,探妙知天工。

既往悵何及,將來喜還通。

汝の一身、既往の事は痛めども、それがどうして及ぼうというのか、そういうことなら、将来はどうやらこの世を渡ってゆくことも出来よう。

期我語非佞,當為佐時雍。

吾らが期待することは、吾が語をして、一片のお世辞であることに留めず、その奇術を以て、時の凊平を助け、大いに世の中のためになるように一つ、働いてもらいたい。

 

門を擊つ者は誰の子ぞ,問えば言う 乃ち吾が宗と。

自ら云う 奇術有り,妙を探って天工を知ると。

既往は悵むとも何ぞ及ばん,將來 還た通ずるを喜ぶ。

期す 我が語の佞に非ざるを,當に為に 時雍を佐くべし。

 

 

『贈徐州族姪』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

擊門者誰子,問言乃吾宗。

自云有奇術,探妙知天工。

既往悵何及,將來喜還通。

期我語非佞,當為佐時雍。


(下し文)
門を擊つ者は誰の子ぞ,問えば言う 乃ち吾が宗と。

自ら云う 奇術有り,妙を探って天工を知ると。

既往は悵むとも何ぞ及ばん,將來 還た通ずるを喜ぶ。

期す 我が語の佞に非ざるを,當に為に 時雍を佐くべし。

(現代語訳)
その時門をたたくものがあって、だれかと問えば、わが同宗の族姪であって、やがてむかえいれた。

そして、色々と話した揚げ句には、奇術を覚え込み、宇宙の玄妙なる道理を探って、天工を極めることを知るということで、それが本当なら大したことである。

汝の一身、既往の事は痛めども、それがどうして及ぼうというのか、そういうことなら、将来はどうやらこの世を渡ってゆくことも出来よう。

吾らが期待することは、吾が語をして、一片のお世辞であることに留めず、その奇術を以て、時の凊平を助け、大いに世の中のためになるように一つ、働いてもらいたい。


(訳注)

贈徐州族姪

(徐州張建封の幕府の職にあるとき、族姪の老成の十二郎の来訪を受けてこれに贈ったのである。)

《韓昌黎集外集》の9首目にある。作詩時期について、これまで諸説あったが、現在では、799年とされている。

 

擊門者誰子,問言乃吾宗。

その時門をたたくものがあって、だれかと問えば、わが同宗の族姪であって、やがてむかえいれた。

 

自云有奇術,探妙知天工。

そして、色々と話した揚げ句には、奇術を覚え込み、宇宙の玄妙なる道理を探って、天工を極めることを知るということで、それが本当なら大したことである。

 

既往悵何及,將來喜還通。

汝の一身、既往の事は痛めども、それがどうして及ぼうというのか、そういうことなら、将来はどうやらこの世を渡ってゆくことも出来よう。

既往 過去。また、すんでしまった事柄。《論語、八佾第三》「哀公問社於宰我、宰我對曰、夏后氏以松、殷人以柏、周人以栗、曰、使民戰栗也、子聞之曰、成事不説、遂事不諌、既徃不咎。」(哀公、社を宰我に問う。宰我、対【こた】えて曰わく、夏后氏は松を以てし、殷人は柏を以てし、周人は栗を以てす。曰わく、民をして戦栗せしむるなり。子これを聞きて曰わく、成事は説かず、遂事は諌めず、既往【きおう】は咎めず。)

 

期我語非佞,當為佐時雍。

吾らが期待することは、吾が語をして、一片のお世辞であることに留めず、その奇術を以て、時の凊平を助け、大いに世の中のためになるように一つ、働いてもらいたい。

非佞 一片のお世辞であること。

佐時雍 時の凊平を助け

 

48-#2 《外09 贈徐州族姪 -#2》韓愈(韓退之)ID 799年貞元15年 32歳<1344> Ⅱ韓昌黎集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5704

《外09 贈徐州族姪  -#2》韓愈  折角進士に登第することが出来てもわずかばかりの俸禄では何の足しにもなりはしない。

では今を、また、どうするのかといえば、古の徐戎の地に来たって、卑しい住居を寄せた。


 
 2015年3月17日の紀頌之5つのBlog 
 ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場 
 Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
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202 -#3 《巻18-10 酬崔五郎中 -#3》Index-12 Ⅱ―7 -732年開元二十年32歳 12首 <202 -#3> Ⅰ李白詩1431 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5703 
 孟浩然 詩 index李白詩index謝霊運 詩 index司馬相如 《 子虛賦 ・上林賦 》揚雄 《 甘泉賦 》 ●諸葛亮(孔明)出師表 
 曹植(曹子建)詩 65首 index文選 賦)兩都賦序・西都賦・東都賦 (班固)《李白 全詩》
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48-#2 《外09 贈徐州族姪 -#2》韓愈(韓退之)ID 799年貞元15年 32歳<1344> Ⅱ韓昌黎集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5704 
 ・李商隠詩 (1) 136首の75首・李商隠詩 (2) 135首の61首●韓愈index-1 ・孟郊、張籍と交遊・汴州乱41首●韓愈詩index-2[800年 33歳~804年 37歳]27首●韓愈詩index-3 805年 38歳・]陽山から江陵府 36首●韓愈詩index-4 806年 39歳 江陵府・権知国子博士 51首(1)25首 
 index-5 806年39歳 50首の(2)25首index-6[807年~809年 42歳]20首index-7[810年~811年 44歳] 34首index-8 [812年~814年47歳]46首index-9[815年~816年 49歳] 57首index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首 
 index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首index-13 821年~822年 55歳 22首index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首韓愈 哲学・儒学「五原」賦・散文・上奏文・碑文など 
 孟郊張籍     
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 Ⅲ杜甫詩全1500首   LiveDoorBlog766年大暦元年55歲-43-#6奉節-34-#6 《巻16-06 八哀詩八首〔四〕贈太子太師汝陽郡王璡 -6》 杜甫index-15 杜甫<906-6> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5705 
 杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩) 杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首 
 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
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 ●花間集全詩●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集 
 Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoorBlog『花間集』全詩訳注解説(改訂版)-23韋荘101《巻3-01 謁金門二首 其一》三巻1-〈101〉漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-5707 
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 魚玄機全詩花間集(6)花間集(7)花間集(8)花間集(9)花間集(10) 
 温庭筠66首 花間集1・2巻皇甫松11首 花間集二巻韋莊47首 花間集二巻薛昭蘊19首 花間集三巻牛嶠31首 花間集三・四巻張泌27首 花間集四巻 
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48-#2 《外09 贈徐州族姪  -#2》韓愈(韓退之)ID  799年貞元15 32歳<1344 Ⅱ韓昌黎集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5704韓愈詩-48-#2

 

 

年:799年貞元15 32

卷別:    卷三四五              文體:    五言古詩

詩題:    贈徐州族姪【案:見《外集》。】【案:見《遺集》。】

作地點:              徐州(河南道 / 徐州 / 徐州)

及地點:              徐州 (河南道 徐州 徐州) 別名:彭城、徐方  

 

 

贈徐州族姪【案:見《外集》。】【案:見《遺集》。】

(徐州張建封の幕府の職にあるとき、族姪の老成の十二郎の来訪を受けてこれに贈ったのである。)

我年十八九,壯氣起胸中。

私の年齢が1819であったころ、進士試験を受けるため、はじめて長安に上京したころであり、壮気は胸中に沸き起こり、漲っていて、功名もすぐにでも取れるものと思っていた。

作書獻雲闕,辭家逐秋蓬。

そこで、上書して、九重に献じたが無視され、もとより、志を達せず、家を辞して、諸処を漂流し仕官を求めたが、秋蓬を追うようなものであった。

時易遷次,身命多厄窮。

及第するまでにも、歳月というもの、遷り、過ぎやすいものであり、身命をつなぐことにも窮厄多い状態であった。

#2

一名雖云就,片祿不足充。

折角進士に登第することが出来てもわずかばかりの俸禄では何の足しにもなりはしない。

今者復何事,卑棲寄徐戎。

では今を、また、どうするのかといえば、古の徐戎の地に来たって、卑しい住居を寄せた。

蕭條資用盡,濩落門巷空。

身計蕭条として物資は既に底をついて用いるものはなかった、門巷には空しく来訪者はまったくなく、寂寥のきわみであった。

朝眠未能起,遠懷方鬱悰。

そこで、朝寝をして、なかなか起きだすことが出来ず、さまざまのことを思い出し、心はもやもやとして面白くなく、塞ぎ切ってしまうのである。

#3

擊門者誰子,問言乃吾宗。

自云有奇術,探妙知天工。

既往悵何及,將來喜還通。

期我語非佞,當為佐時雍。

 

(徐州族姪【ぞくてつ】に贈る)

我が年 十八 九,壯氣 胸中に起る。

書を作って雲闕に獻じ,家を辭して 秋蓬を逐う。

時 遷次し易く,身命 厄窮多し。

 

一名 云に就くと雖も,片祿 充つるに足らず。

今者は復た何事ぞ,卑棲 徐戎に寄す。

蕭條として 資用盡き,濩落【かくらく】として門巷 空し。

朝眠 未だ起つ能わず,遠懷 方に鬱悰【うつそう】たり。

 

門を擊つ者は誰の子ぞ,問えば言う 乃ち吾が宗と。

自ら云う 奇術有り,妙を探って天工を知ると。

既往は悵むとも何ぞ及ばん,將來 還た通ずるを喜ぶ。

期す 我が語の佞に非ざるを,當に為に 時雍を佐くべし。

 

唐時代 韓愈関連05 

『贈徐州族姪』 現代語訳と訳註解説
(
本文) 
#2

一名雖云就,片祿不足充。

今者復何事,卑棲寄徐戎。

蕭條資用盡,濩落門巷空。

朝眠未能起,遠懷方鬱悰。


(下し文)
一名 云に就くと雖も,片祿 充つるに足らず。

今者は復た何事ぞ,卑棲 徐戎に寄す。

蕭條として 資用盡き,濩落【かくらく】として門巷 空し。

朝眠 未だ起つ能わず,遠懷 方に鬱悰【うつそう】たり。

(現代語訳)
折角進士に登第することが出来てもわずかばかりの俸禄では何の足しにもなりはしない。

では今を、また、どうするのかといえば、古の徐戎の地に来たって、卑しい住居を寄せた。

身計蕭条として物資は既に底をついて用いるものはなかった、門巷には空しく来訪者はまったくなく、寂寥のきわみであった。

そこで、朝寝をして、なかなか起きだすことが出来ず、さまざまのことを思い出し、心はもやもやとして面白くなく、塞ぎ切ってしまうのである。

汜水関などの地図
(訳注)

贈徐州族姪

(徐州張建封の幕府の職にあるとき、族姪の老成の十二郎の来訪を受けてこれに贈ったのである。)

《韓昌黎集外集》の9首目にある。作詩時期について、これまで諸説あったが、現在では、799年とされている。

 

一名雖云就,片祿不足充。

折角進士に登第することが出来てもわずかばかりの俸禄では何の足しにもなりはしない。

一名雖云就 折角進士に登第することが出来たこと。

片祿 わずかばかりの俸禄。

 

今者復何事,卑棲寄徐戎。

では今を、また、どうするのかといえば、古の徐戎の地に来たって、卑しい住居を寄せた。

卑棲 卑しい住居。

徐戎 徐戎は是れ徐州の戎なり。周書「『徐戎』是徐州之戎也。」とある。

 

蕭條資用盡,濩落門巷空。

身計蕭条として物資は既に底をついて用いるものはなかった、門巷には空しく来訪者はまったくなく、寂寥のきわみであった。

蕭條 ひっそりとしてもの寂しいさま。

資用 物資。

濩落 気落ちして寂しいすがた。濩:雨が滴り落ちること。杜甫·自京赴奉先縣詠懷五百字詩:「居然成濩落,白首甘契闊。」そんな大きな志をもっているうちにそのまま滴り落してしまうのであるが、もとより白髪にいたるまで甘んじて艱難辛苦に耐えているのである。

門巷 「門巷填隘」のこと。門や門前の小道が、人が多く集まることでふさがってしまい、通れなくなるほど狭くなってしまうこと。人が多く集まり、密集しているさまをいう。

 

朝眠未能起,遠懷方鬱悰。

そこで、朝寝をして、なかなか起きだすことが出来ず、さまざまのことを思い出し、心はもやもやとして面白くなく、塞ぎ切ってしまうのである。

鬱悰 心はもやもやとして面白くなく(こころが)不愉快になる。

 

 

 

 

 

貞元十五年(七九九)、愈が三十二歳の二月、節度使董晋が病死した。前にも書いたが、慣例として、人が郷里を離れた土地で(役人の任地もその一つに該当する)死んだ場合、無名の庶民が行き倒れにでもなったのならば別だが、遺族が遺体を引き取り、郷里にある先祖代々の基地まで運んで、埋葬しなければならぬ。火葬の風習がないため、遺体を棺に入れたまま運搬するので、日数も費用もかかるが、これだけは遺族のはたすべき務めとされた。むろん、遺族にそれだけの費用がない場合もあり、そのときは近所の寺などに棺を一時あずけて、金策に奔走することになる。貧窮と放浪のうちに死んだ杜甫などは、棺があずけられたままになり、郷里まで運ばれて埋められたのは、彼の孫の代になってからであった。

 

節度使ともなれば、費用に問題はない。むしろりっぱな行列を組んで、荘重に遺体を運ばなければ、体面にもかかわる。董晋の郷里は虞郷(山西省)で、汴州からはほぽ真西、直線距離で三百キロあまりになるが、中国の広い国土の中では、まず近い方であった。知己と感謝した晋に対する最後の恩返しのつもりであろう、愈は葬送の行列に加わって、汴州を出た。節度使の後任には、董晋の補佐役をつとめていた陸長坂があてられた。

陸長瀬は苛酷な男であった。もともと微温的な董晋の性格に不安を感じた朝廷が、この人物を補佐役につけてよこしたのである。部下の過失を晋が兄のがしてやると、長源が容赦なく摘発するというようなことが、これまでに何度もあった。その長坂が節度使に就任しての第一声は、綱紀の粛正であり、しかもそれをただちに実行した。

 

董晋の寛仁に慣れていた宜武軍の将士が不安を抱いたのは、当然であろう。不安は動揺となり、陸長坂への怒りに変った。晋の遺体を捧じた葬列が汴州の城門を出てから四日の後、ついに将士の反乱が起る。長瀬は怒り狂った兵士たちの手にかかり、むざんな最期をとげた。

その知らせが葬送の一行にとどいたのは、彼らが洛陽の東の催師という町に一泊した夜であった。

このあたりの事実は、事態がいちおう鎮静してから、愈が弟子の張籍に贈った「此の日惜しむに足る可し」と題する五言古詩(韓文二)に詳しい。

27-#17 《此日足可惜贈張籍-17》韓愈(韓退之)ID <1246 Ⅱ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5214韓愈詩-27-#17

 

この時、愈は汴州に妻子を残していた。彼がいつ結婚したのかは明らかでないが、もう長女があった。長男の乗はこの年の生まれだが、詩中に言及するところがないのを見ると、まだ母親の胎内にあったと思われる。妻ももちろんのことだが、まだ乳離れもしていない長女が、戦乱の中でどうしていることか。「騎女 未だ乳を絶たず/これを念うて忘るる能はず、忽ち我が所に在るが如く耳に噂声を聞くが若し」というのが、この時の愈の思いであった。

しかし、そのうちに東から来た旅人があって、情報をもたらした。愈の妻子は無事である。ただ、汗州にいては危険なので、船で脱出し、洛陽とは反対方向、東方の徐州へ落ちのびたという。愈は葬列を洛陽まで送ってから、単身で東へと引き返した。汴州の南を迂回して徐州に着き、妻子と落ちあって、ここに仮の住居を定めたのは、二月も末のことであった。

 

汴州の反乱はほどなく鎮圧されたが、愈はもう、汴州には帰れない。節度使の幕僚は公式に任命されたものであるが、任命は私的な人選によるので、身分の保証はなかった。節度使が死んだ場合(転任のときも同じことであるが)、後任の節度使は、前任者の幕僚を引き継ぐ義務はない。むしろ自分の人選によって新たに幕僚を任じ、幕府を構成しようとする。もとの幕僚は失業するわけだが、文句は言えないのであって、この点が科挙を経て正式に任命された役人と違うところである。

愈もせっかく得た幕僚の職を失ったが、運のよいことに、徐州に根拠を置く武寧軍節度使の張建封が、どれほどのつきあいがあったのかはわからないけれども、以前から愈を知っていた。汴州から避難して来た愈の一家に住居を与え、どうやら衣食にも困らぬ程度に援助してくれたのは、張建封であった。もっとも、愈の方ではいつまでも仮住居をしてはおられず、建封に甘えてもいられないので、秋になると、徐州を去ろうとした。郷里へ引きあげるつもりだったのかもしれない。その時、建封が愈を引きとめ、自分のところの幕僚に任命してくれた。

 

 

799年冬、張建封に随って長安へ、

800年春、長安より、徐州へ帰る。

   5月 徐州より、洛陽に出る。

   冬、長安に行く。

 

48-#1 《外09 贈徐州族姪 -#1》韓愈(韓退之)ID 799年貞元15年 32歳<1343> Ⅱ韓昌黎集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5699

《外09 贈徐州族姪  -#1》韓愈(徐州張建封の幕府の職にあるとき、族姪の老成の十二郎の来訪を受けてこれに贈ったのである。)私の年齢が1819であったころ、進士試験を受けるため、はじめて長安に上京したころであり、壮気は胸中に沸き起こり、漲っていて、功名もすぐにでも取れるものと思っていた。

 
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48-#1 《外09 贈徐州族姪  -#1》韓愈(韓退之)ID  799年貞元15 32歳<1343 Ⅱ韓昌黎集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5699

韓愈詩-48-#1

 

 

年:799年貞元15 32

卷別:    卷三四五              文體:    五言古詩

詩題:    贈徐州族姪【案:見《外集》。】【案:見《遺集》。】

作地點:              徐州(河南道 / 徐州 / 徐州)

及地點:              徐州 (河南道 徐州 徐州) 別名:彭城、徐方  

 

 

贈徐州族姪【案:見《外集》。】【案:見《遺集》。】

(徐州張建封の幕府の職にあるとき、族姪の老成の十二郎の来訪を受けてこれに贈ったのである。)

我年十八九,壯氣起胸中。

私の年齢が1819であったころ、進士試験を受けるため、はじめて長安に上京したころであり、壮気は胸中に沸き起こり、漲っていて、功名もすぐにでも取れるものと思っていた。

作書獻雲闕,辭家逐秋蓬。

そこで、上書して、九重に献じたが無視され、もとより、志を達せず、家を辞して、諸処を漂流し仕官を求めたが、秋蓬を追うようなものであった。

時易遷次,身命多厄窮。

及第するまでにも、歳月というもの、遷り、過ぎやすいものであり、身命をつなぐことにも窮厄多い状態であった。

#2

一名雖云就,片祿不足充。

今者復何事,卑棲寄徐戎。

蕭條資用盡,濩落門巷空。

朝眠未能起,遠懷方鬱悰。

#3

擊門者誰子,問言乃吾宗。

自云有奇術,探妙知天工。

既往悵何及,將來喜還通。

期我語非佞,當為佐時雍。

 

(徐州族姪【ぞくてつ】に贈る)

我が年 十八 九,壯氣 胸中に起る。

書を作って雲闕に獻じ,家を辭して 秋蓬を逐う。

時 遷次し易く,身命 厄窮多し。

 

一名 云に就くと雖も,片祿 充つるに足らず。

今者は復た何事ぞ,卑棲 徐戎に寄す。

蕭條として 資用盡き,濩落【かくらく】として門巷 空し。

朝眠 未だ起つ能わず,遠懷 方に鬱悰【うつそう】たり。

 

門を擊つ者は誰の子ぞ,問えば言う 乃ち吾が宗と。

自ら云う 奇術有り,妙を探って天工を知ると。

既往は悵むとも何ぞ及ばん,將來 還た通ずるを喜ぶ。

期す 我が語の佞に非ざるを,當に為に 時雍を佐くべし。

皇城001 

 

『贈徐州族姪』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

贈徐州族姪【案:見《外集》。】【案:見《遺集》。】

我年十八九,壯氣起胸中。

作書獻雲闕,辭家逐秋蓬。

時易遷次,身命多厄窮。


(下し文)
(徐州族姪【ぞくてつ】に贈る)

我が年 十八 九,壯氣 胸中に起る。

書を作って雲闕に獻じ,家を辭して 秋蓬を逐う。

時 遷次し易く,身命 厄窮多し

(現代語訳)
(徐州張建封の幕府の職にあるとき、族姪の老成の十二郎の来訪を受けてこれに贈ったのである。)

私の年齢が1819であったころ、進士試験を受けるため、はじめて長安に上京したころであり、壮気は胸中に沸き起こり、漲っていて、功名もすぐにでも取れるものと思っていた。

そこで、上書して、九重に献じたが無視され、もとより、志を達せず、家を辞して、諸処を漂流し仕官を求めたが、秋蓬を追うようなものであった。

及第するまでにも、歳月というもの、遷り、過ぎやすいものであり、身命をつなぐことにも窮厄多い状態であった。

10risho長安城の図035
(訳注)

贈徐州族姪

(徐州張建封の幕府の職にあるとき、族姪の老成の十二郎の来訪を受けてこれに贈ったのである。)

《韓昌黎集外集》の9首目にある。作詩時期について、これまで諸説あったが、現在では、799年とされている。

 

我年十八九,壯氣起胸中。

私の年齢が1819であったころ、進士試験を受けるため、はじめて長安に上京したころであり、壮気は胸中に沸き起こり、漲っていて、功名もすぐにでも取れるものと思っていた。

我年十八九 785年、受験の為、上京を決意したのが18歳、徳宗の786年貞元二年、韓愈は単身で長安へ上った。ほかの土地に立ち寄ったらしい形跡はないので、宜州から直接に上京したものと思われる。このとき、彼は十九歳になっていた。

 上京したのは、科挙を受験するため以外には考えられない。ところが後年、愈が崔立之という人にあてた手紙のなかでは、家が貧乏で生計に窮したため、親しい人に相談したところ、役人となれば他人のためになるばかりでなく、俸給がもらえるので自分のためにもなると教えられたと打ち明けているので、18から19になる間、相談しながら上京したのだろう。

29 《讀巻03-12 答崔立之書 -(1)§1-1》韓愈(韓退之)ID 798年貞元14年 31歳<1255 Ⅱ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5259

 

作書獻雲闕,辭家逐秋蓬。

そこで、上書して、九重に献じたが無視され、もとより、志を達せず、家を辞して、諸処を漂流し仕官を求めたが、秋蓬を追うようなものであった。

作書 貞元十一年(795年)一月、韓愈は時の宰相に手紙を送って、仕官を求めた。その「宰相に上る書」は今に残っているが、要するに自分ほどの才能のある人物を放置するのは国家的損失なので、科挙によらずして採用の道を開き、宰相が人材を求めている実を示していただきたいというにある。韓愈はとうとう吏部の試の合格をあきらめて、別のルートで採用してもらおうとしたらしい。しかし宰相とは一面識もないのであるから、これは虫のよすぎる注文であるが、やるだけのことはやるという韓愈の律義さであるが、儒者の上申書は受け取る側が儒者でないと理解はされない。はたして宰相からは返事が来ない。当然のこととして、黙殺されてしまったのである。19日後(二月)、29日後(三月)10日度に宰相に手紙を送ったが、返事は一度もなかった。

20 -(1) 《上宰相書 -(1)》韓愈(韓退之)ID 793年貞元9年 26歳<1179 Ⅱ唐宋八大家文読本 巻三 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4879

21-(1)§1 《上兵部李侍郎書 -1》韓愈(韓退之)ID 795年貞元11年 28歳<1201 Ⅱ唐宋八大家文読本 巻三 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4989

22―(1) 《與少室李拾遺書》韓愈(韓退之)ID 795年貞元11年 28歳<1208 Ⅱ唐宋八大家文読本 巻三 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5024

・雲闕 雲にそびゆる御門、玄武門を言い、皇城をさす。

・辭家逐秋蓬 786年長安に上京、792年進士下に及第するまで7年かかっている。進士科では俸禄はないので翌年から博学宏詞科を三年連続で落第。それで汴州董晉の幕府の職に就くも、799年汴州の乱にまきこまれる。

 

時易遷次,身命多厄窮。

及第するまでにも、歳月というもの、遷り、過ぎやすいものであり、身命をつなぐことにも窮厄多い状態であった。

時易遷次 786年長安に上京して、799年までの14年間が目まぐるしく、貧困の中で過ぎていること。

・身命多厄窮 科挙の受験者というだけでは、納税・徴兵の義務を免除される特典はあるものの、一文の収入もあるわけではない。そこで、家がよほど豊かで十分な仕送りがしてもらえるのならともかく、普通の受験者にとっては、長安は物価の高い所でもあるし、何かの収入を得る道を講じなければならない。

47 《外04 贈河陽李大夫》韓愈(韓退之)ID 799年貞元15年 32歳<1342> Ⅱ韓昌黎集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5694

《外04 贈河陽李大夫》韓愈(徐州より、張建封に随って長安に向う際、河陽節度使李元淳におくったもの)大変義理堅い性格であり、李公のためならば己の身を犠牲にすることすら厭わないと述べている。

 

 
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47 《外04 贈河陽李大夫》韓愈(韓退之)ID  799年貞元15 32歳<1342 Ⅱ韓昌黎集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5694

韓愈詩-47

 

 

年:799年貞元15 32

卷別:    卷三四五              文體:    五言古詩

詩題:    贈河陽李大夫

【李芃,河陽節度使。】【《韓昌黎集外集》。】

作地點:              河陽(都畿道 / 河南府 / 河陽)

及地點:              河陽 (都畿道 河南府 河陽) 別名:潘安縣      

交遊人物/地點:李元淳      書信往來(都畿道 河南府 河陽)

 

 

贈河陽李大夫

(徐州より、張建封に随って長安に向う際、河陽節度使李元淳におくったもの)

四海失巢穴,兩都困塵埃。

生れてこの方、天下四海の内、定住すべき住家もなく、その上、長安洛陽、共に、戦塵の地を巻いて苦しんで、最近では汴州の乱で家族とともに逃げ回ったものです。

感恩由未報,惆悵空一來。

定住し、仕官もままならないため、李公の恩にたいして感ずるものの、未だこれを報いることが出来ていないのでは有りますが、不遇と不運を恨み、嘆いて、空しくここまで来たのであります。

裘破氣不暖,馬羸鳴且哀。

久しく旅をしているもので、その間、裘は敗れ、寒気を遮れず暖かくならず、馬さえも疲れて哀しんでくれているのです。

主人情更重,空使劍鋒摧。

李公のご厚情に対してまことに感謝しており、更に重ねてよろしくお願いしたく、劍鋒を摧くことなどは厭うことなどないということを申し上げます。

 

(河陽李大夫に贈る)

四海 巢穴を失い,兩都 塵埃に困【くるし】む。

恩に感ずるも 由【なお】未だ報いず,惆悵 空しく一たび來る。

裘は破れて 氣 暖かならず,馬は羸【つか】れて 鳴いて且つ哀し。

主人 情 更に重し,空しく 劍鋒をして摧けしむ。

 

洛陽 函谷関002 

『贈河陽李大夫』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

贈河陽李大夫

四海失巢穴,兩都困塵埃。

感恩由未報,惆悵空一來。

裘破氣不暖,馬羸鳴且哀。

主人情更重,空使劍鋒摧。


(下し文)
(河陽李大夫に贈る)

四海 巢穴を失い,兩都 塵埃に困【くるし】む。

恩に感ずるも 由【なお】未だ報いず,惆悵 空しく一たび來る。

裘は破れて 氣 暖かならず,馬は羸【つか】れて 鳴いて且つ哀し。

主人 情 更に重し,空しく 劍鋒をして摧けしむ。

(現代語訳)
(徐州より、張建封に随って長安に向う際、河陽節度使李元淳におくったもの)

生れてこの方、天下四海の内、定住すべき住家もなく、その上、長安洛陽、共に、戦塵の地を巻いて苦しんで、最近では汴州の乱で家族とともに逃げ回ったものです。

定住し、仕官もままならないため、李公の恩にたいして感ずるものの、未だこれを報いることが出来ていないのでは有りますが、不遇と不運を恨み、嘆いて、空しくここまで来たのであります。

久しく旅をしているもので、その間、裘は敗れ、寒気を遮れず暖かくならず、馬さえも疲れて哀しんでくれているのです。

李公のご厚情に対してまことに感謝しており、更に重ねてよろしくお願いしたく、劍鋒を摧くことなどは厭うことなどないということを申し上げます。


汜水関などの地図

(
訳注)

詩文(含異文)贈河陽李大夫  

(徐州より、張建封に随って長安に向う際、河陽節度使李元淳におくったもの)

李大夫 李元淳(?—799年)《唐才子傳》「河陽節度使李元淳、東都留守崔縱、昭義節兩入昭義節度使府,三入東都留守府,故稱六府」 李芃,河陽節度使。

 

四海失巢穴,兩都困塵埃。

生れてこの方、天下四海の内、定住すべき住家もなく、その上、長安洛陽、共に、戦塵の地を巻いて苦しんで、最近では汴州の乱で家族とともに逃げ回ったものです。

四海 天下四海の内をいう。

失巢穴 定住すべき住家もないということ。

兩都 長安と洛陽。

困塵埃 戦火による塵埃、韓愈は汴州の乱では、「健兒爭誇殺留後,連屋累棟燒成灰。」

799年貞元十五年二月三日、董晋が病気のため亡くなったため、ふたたびこの地に乱がおこったのだ。韓愈は、董晋葬送の行列に帯同しており、変事の知らせがとどいたのは、偃師(洛陽の東方)に到着したときであった。葬列には戦闘の準備はしないもので、攻撃をかけられる心配もないかもしれないが、葬列はパニック状態になったが、予定どおり、虞郷を目指して進むほかはなかった。誰もが家に残した家族が心配であった。韓愈の妻子は無事であった。反乱の知らせに続いて東から来た人があって、その話によって事情はかなり明瞭になったのだが、それによると、韓愈の一家は無事ではあったものの、汴州にいたのでは危険なので、舟で脱出し、韓愈とは逆方向の東へと逃げ、徐州(江蘇省)に落ち着いているという。これを聞いた韓愈は、いちおう葬列を洛陽まで送って行ってから、単身で東へと引き返した。汴州の南を迂回して徐州に着き、妻子と再会したのは二月の末になっていた。 
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感恩由未報,惆悵空一來。

定住し、仕官もままならないため、李公の恩にたいして感ずるものの、未だこれを報いることが出来ていないのでは有りますが、不遇と不運を恨み、嘆いて、空しくここまで来たのであります。

感恩 李公に対して恩を感じている.

 猶とおなじ。古字では相通ず。

 

裘破氣不暖【破裘氣不暖】,馬羸鳴且哀【羸馬鳴且哀】。

久しく旅をしているもので、その間、裘は敗れ、寒気を遮れず暖かくならず、馬さえも疲れて哀しんでくれているのです。

この二句は、前句の「未報」の言い訳を述べている。

 

主人情更重,空使劍鋒摧。

李公のご厚情に対してまことに感謝しており、更に重ねてよろしくお願いしたく、劍鋒を摧くことなどは厭うことなどないということを申し上げます。

劍鋒摧 劍鋒を摧くを厭わずの意味であり、劍鋒は剣先がくだけるほど、身を粉にして働くということ。ここでは、大変義理堅い性格であり、李公のためならば己の身を犠牲にすることすら厭わないと述べている。

46 《0531 (改訂)從仕》韓愈(韓退之)ID 799年貞元15年 32歳<1341> Ⅱ韓昌黎集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5689

0531 (改訂)從仕》韓愈(仕官はしたものの、人間として面白くないものである。)少し前に、暇を持て余して暮らしているときには、先のことが不安で食うに事欠くこともあった。ところがこうして仕事に忙殺されると体の方が問題になってくる。こうした惆悵の毎日であると人の世を捨てて隠棲したとつくづく思う、この考えは昔からあることであるし、特別今に始まった事ではないし、現実はそうはいかない。

 

 
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46 0531 (改訂)從仕》韓愈(韓退之)ID  799年貞元15 32歳<1341> Ⅱ韓昌黎集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5689韓愈詩-46

 

 

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張建封の幕府においての作品

齪齪

齪齪當世士,所憂在飢寒。

但見賤者悲,不聞貴者歎。

大賢事業異,遠抱非俗觀。

報國心皎潔,念時涕汍瀾。

 

坐左右,柔指發哀彈。

酒肴雖日陳,感激寧為歡。

秋陰欺白日,泥潦不少乾。

河堤決東郡,老弱隨驚湍。

 

天意固有屬,誰能詰其端。

願辱太守薦,得充諫諍官。

排雲叫閶闔,披腹呈琅玕。

致君豈無術,自進誠獨難。

41-#3 《0229 齪齪 -#3》韓愈(韓退之)ID 799年貞元15年 32歳<1334 Ⅱ韓昌黎集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5654韓愈詩-41-#3

 

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汴泗交流贈張僕射

汴泗交流郡城角,築場十步平如削。

短垣三面繚逶迤,擊鼓騰騰樹赤旗。

新秋朝涼未見日,公早結束來何為。

分曹決勝約前定,百馬攢蹄近相映。

毬驚杖奮合且離,紅牛纓紱黃金羈。

 

側身轉臂著馬腹,霹靂應手神珠馳。

超遙散漫兩閒暇,揮霍紛紜爭變化。

發難得巧意氣粗,讙聲四合壯士呼。

此誠習戰非為劇,豈若安坐行良圖。

當今忠臣不可得,公馬莫走須殺賊。

42-#2 《0304 汴泗交流贈張僕射 -#2》韓愈(韓退之)ID 799年貞元15年 32歳<1336 Ⅱ韓昌黎集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5664韓愈詩-42-#2

 

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鳴雁

嗷嗷鳴雁鳴且飛,窮秋南去春北歸。

去寒就暖識所依,天長地闊棲息稀。

風霜酸苦稻粱微,毛羽摧落身不肥。

 

裴回反顧群侶違,哀鳴欲下洲渚非。

江南水闊朝雲多,草長沙軟無網羅。

閒飛靜集鳴相和,違憂懷惠性匪他,凌風一舉君謂何?

44-#2 《0306 鳴雁 -#2》韓愈(韓退之)ID  799年貞元15 32歳<1339> Ⅱ韓昌黎集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5679韓愈詩-44-#2

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年:799年貞元15 32

卷別:  卷三四0        文體:  五言律詩

詩題:  從仕

作地點:        徐州(河南道 / 徐州 / 徐州)

 

 

從仕  
居閑食不足,從仕力難任。
暇を持て余して暮らしていると先のことが不安で食が細くなりがちになる。仕事に忙殺されていると体の方が問題になってくる。
兩事皆害性,一生恒苦心。
食がたりない「食不足」と身が持たない「力難任」の事柄はどちらも体の害になることである。だけど私の一生は常に苦しみに思う心境が続いている。
黄昏歸私室,惆悵起歎音。
夕方黄昏てきたら私の部屋にかえる。そうすると決まって歎き悲しむことが続いてどうしても口に出してしまう。
棄置人間世,古來非獨今。
こうした惆悵の毎日であると人の世を捨てて隠棲したと思う、この考えは昔からあることであるし、特別今に始まった事ではない。

(仕に從う)
閑に居れば 食 足らず、仕に從へば 力 任【た】へ難し。
兩事 皆 性を害す、一生 恆【つね】に心を苦む。
黄昏【こうこん】私室に歸り、惆悵【ちゅうちょう】して歎音【たんおん】を起す。
人間【にんげん】の世を棄置【きち】せん、古來 獨り今のみに非ず。

 


現代語訳と訳註
(
本文)

從仕  
居閑食不足,從仕力難任。
兩事皆害性,一生恒苦心。
黄昏歸私室,惆悵起歎音。
棄置人間世,古來非獨今。


(下し文) 

(仕に從う)

閑に居れば 食 足らず、仕に從へば 力 任【た】へ難し。

兩事 皆 性を害す、一生 恆【つね】に心を苦む。

黄昏【こうこん】私室に歸り、惆悵【ちゅうちょう】して歎音【たんおん】を起す。

人間【にんげん】の世を棄置【きち】せん、古來 獨り今のみに非ず。


(現代語訳)
(仕官はしたものの、人間として面白くないものである。)

少し前に、暇を持て余して暮らしているときには、先のことが不安で食うに事欠くこともあった。ところがこうして仕事に忙殺されると体の方が問題になってくる。
「食不足」食がたりないとか「力難任」身が持たないという事柄はどちらも体の害になることである。だけど私の一生は常に苦しみに思う心境が続いている。
日暮れて黄昏てくると私の部屋にかえる。そうすると決まってこの幕府での仕事に対して歎き悲しむことが続いてどうしても口に出してしまう。
こうした惆悵の毎日であると人の世を捨てて隠棲したとつくづく思う、この考えは昔からあることであるし、特別今に始まった事ではないし、現実はそうはいかない。

(訳注)
從仕  
(仕官はしたものの、人間として面白くないものである。)

從仕は仕官するということ。しかし、官吏生活の味気ないものとうたった。


居閑食不足,從仕力難任。
少し前に、暇を持て余して暮らしているときには、先のことが不安で食うに事欠くこともあった。ところがこうして仕事に忙殺されると体の方が問題になってくる。
居閑 ひまな状態でいること。「二句は謝霊運の『登池上樓』の「進徳智所拙、退耕力不任」を意識においてつくったとされている。
登池上樓
潛虯媚幽姿,飛鴻響遠音。薄霄愧雲浮,棲川怍淵沉。
進德智所拙,退耕力不任。徇祿反窮海,臥痾對空林。
衾枕昧節候,褰開暫窺臨。傾耳聆波瀾,舉目眺嶇嶔。』
初景革緒風,新陽改故陰。池塘生春草,園柳變鳴禽。
祁祁傷豳歌,萋萋感楚吟。索居易永久,離群難處心。
持操豈獨古,無悶徵在今。』
登池上樓 #2 謝霊運<25>#2  詩集 396 kanbuniinkai紀 頌之漢詩ブログ1005


兩事皆害性,一生恒苦心。
「食不足」食がたりないとか「力難任」身が持たないという事柄はどちらも体の害になることである。だけど私の一生は常に苦しみに思う心境が続いている。
両事 食不足と力難任の二つをさす。

害性 生命を害する。肉体的生命を生、精神的生命を性と表現することがある。現代のサラリーマンにノイローゼ患者が多いのは、性を害しているのである。

恒苦心 長い間ずっと心を苦しめる。陸機の「悪木豈無枝、志士多苦心。」を意識してつくった句だとする。陸機「猛虎行」から》志士は、簡単にはその志を変えないために、こと志と違って苦労することが多い。
猛虎行
渇不飲盗泉水、熱不息悪木陰。
悪木豈無枝、志士多苦心。整駕肅時命、杖策將尋遠。
飢食猛虎窟、寒栖野雀林。日歸功未建、時往歳載陰。
崇雲臨岸駭、鳴條随風吟。靜言幽谷底、長嘯高山岑。
急絃無懦響、亮節難爲音。人生誠未易、曷云開此衿。
眷我耿介懐、俯仰愧古今。

396-4 《猛虎行〔猛虎行贈李宗閔〕》韓愈(韓退之) Ⅱ韓昌黎集 巻五 <1044  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4204韓愈詩-396-4


黄昏歸私室,惆悵起歎音。
日暮れて黄昏てくると私の部屋にかえる。そうすると決まってこの幕府での仕事に対して歎き悲しむことが続いてどうしても口に出してしまう。
惆悵 歎き悲しむさま、韓愈が今日よりさかのぼってうらむ。ここまで心苦なことが、かなりの経過時間そうであったこと。韓愈の尊敬した杜甫に「惆悵再難述」「閭里為我色惆悵」などの句がみえる。
杜甫.『自京赴奉先縣詠懷五百字詩』「榮枯咫尺異,惆悵難再述。」
杜甫『乾元中寓居同谷縣作歌七首之二』「嗚呼二歌兮歌始放,閭里為我色惆悵。」
宋玉『九辨』、
悲哉秋之為氣也!
蕭瑟兮草木搖落而變衰,
憭慄兮若在遠行,
登山臨水兮送將歸,
泬寥兮天高而氣清,
寂寥兮收潦而水清,
悽欷兮薄寒之中人,
愴怳懭悢兮去故而就新,
坎廩兮貧士失職而志不平,
廓落兮羇旅而無友生。
惆悵兮而私自憐。
燕翩翩其辭歸兮,蝉寂漠而無聲。
鴈廱廱而南遊兮,鶤[昆+鳥]雞 啁哳而悲鳴。
獨申旦而不寐兮,哀蟋蟀之宵征。
時亹亹而過中兮,蹇淹留而無成。

九辯 第一~ニ段(とおし) 宋玉  <00-#19>Ⅱもっとも影響を与えた詩文 648 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2224

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棄置人間世,古來非獨今。
こうした惆悵の毎日であると人の世を捨てて隠棲したとつくづく思う、この考えは昔からあることであるし、特別今に始まった事ではないし、現実はそうはいかない。
棄置人間世 隠遁することをいう。

棄置 うっちゃりすてる。

人間世 人間も、人間世も、ともに人間社会のこと。『荘子』に「人間世」の一篇がある。『漢書』の張良伝に、「願はくは人間の事を棄て、赤松子に従ひて遊ばんと欲するのみ」 の語がみえる。豪傑の張良さえ逃げ出したくなる人間世。神経の細い読書人、高級、下級とわず官吏が脱出したくなるのも無理もない。間は閒の俗字。

古来非独今 むかしからそうなのであった。ただ現代、現実としてそうなのではない。

 

45 《0308 雉帶箭》韓愈(韓退之)ID 799年貞元15年 32歳<1340> Ⅱ韓昌黎集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5684

0308 雉帶箭》韓愈  狩猟の初めに鳥獣の隠れ家を探すため、山野を焼き払ったら、その後は極めて静かで、丘の高いと露が平らかであるのが分かった、そこに、雉がいるが、鷹を懼れて、頻りに出たり入ったり、している。

 
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韓愈詩-45

 

 

 

年:799年貞元15 32

卷別:    卷三三八              文體:    七言古詩

詩題:    雉帶箭【案:此愈佐張僕射於徐,獵而作也。】

作地點:              徐州(河南道 / 徐州 / 徐州)

 

 

雉帶箭

(張建封の幕府にいて、狩猟に随行し、雉を射おとす様すを詠ったもの)

原頭火燒靜兀兀,野雉畏鷹出復沒【野雉畏鷹伏欲沒】

將軍欲以巧伏人,盤馬彎弓惜不發。

狩猟の初めに鳥獣の隠れ家を探すため、山野を焼き払ったら、その後は極めて静かで、丘の高いと露が平らかであるのが分かった、そこに、雉がいるが、鷹を懼れて、頻りに出たり入ったり、している。

地形漸窄觀者多,雉驚弓滿勁箭加。

そこに箭を乱発すると、雉は遠くへ飛び去る恐れがあるが、将軍は、射藝に巧みなることを以て人を心副せしめると欲し、馬を乗り回し、弓を弾いて、矢をつがえたまま、なかなか放たない。

沖人決起百餘尺,紅翎白鏃相傾斜【紅翎白鏃隨傾斜】

段々追いこんで、地形の狭い所へ来ると左右にはたくさんの見物人がかたずをのんで控えている。この時遅く、かのとき早く、雉は、驚いて飛びあがり、弓はめいっぱいにひいて、勁箭が加えられた。

將軍仰笑軍吏賀,五色離披馬前墮。

雉はもう逃げられず、大勢いるのも構わず、人をついて百余尺も、たかくとびあがった。白羽の矢は見事に的中し、紅の葉とともに、ばらばらと傾斜して下に落ちてきた。

 

 (雉帶箭)

原頭 火燒いて 靜 兀兀たり,野雉 鷹を畏れて 出でて復た沒す。

將軍 巧を以て人を伏せんと欲,馬を盤らし 弓を彎いて 惜んで發せず。

地形 漸【ようや】く窄く 觀る者多し,雉驚き 弓滿ちて 勁箭 加わる。

人を沖いて決起す 百餘尺,紅翎 白鏃 相い傾斜。

將軍 仰いで笑い 軍吏は賀す,五色 離披として 馬前に墮つ。

 

 

『雉帶箭』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

雉帶箭

原頭火燒靜兀兀,野雉畏鷹出復沒【野雉畏鷹伏欲沒】。

將軍欲以巧伏人,盤馬彎弓惜不發。

地形漸窄觀者多,雉驚弓滿勁箭加。

沖人決起百餘尺,紅翎白鏃相傾斜【紅翎白鏃隨傾斜】。

將軍仰笑軍吏賀,五色離披馬前墮。



(下し文)
(雉帶箭)

原頭 火燒いて 靜 兀兀たり,野雉 鷹を畏れて 出でて復た沒す。

將軍 巧を以て人を伏せんと欲,馬を盤らし 弓を彎いて 惜んで發せず。

地形 漸【ようや】く窄く 觀る者多し,雉驚き 弓滿ちて 勁箭 加わる。

人を沖いて決起す 百餘尺,紅翎 白鏃 相い傾斜。

將軍 仰いで笑い 軍吏は賀す,五色 離披として 馬前に墮つ。

(現代語訳)
(張建封の幕府にいて、狩猟に随行し、雉を射おとす様すを詠ったもの)

狩猟の初めに鳥獣の隠れ家を探すため、山野を焼き払ったら、その後は極めて静かで、丘の高いと露が平らかであるのが分かった、そこに、雉がいるが、鷹を懼れて、頻りに出たり入ったり、している。

そこに箭を乱発すると、雉は遠くへ飛び去る恐れがあるが、将軍は、射藝に巧みなることを以て人を心副せしめると欲し、馬を乗り回し、弓を弾いて、矢をつがえたまま、なかなか放たない。

段々追いこんで、地形の狭い所へ来ると左右にはたくさんの見物人がかたずをのんで控えている。この時遅く、かのとき早く、雉は、驚いて飛びあがり、弓はめいっぱいにひいて、勁箭が加えられた。

雉はもう逃げられず、大勢いるのも構わず、人をついて百余尺も、たかくとびあがった。白羽の矢は見事に的中し、紅の葉とともに、ばらばらと傾斜して下に落ちてきた。


(訳注)

雉帶箭【ちたいせん】

(張建封の幕府にいて、狩猟に随行し、雉を射おとす様すを詠ったもの)

韓愈が張建封の幕府にいて、狩猟に随行し、雉を射おとす様すを詩にしたが、のちに805年貞元21年左遷された陽山の縣齋において追憶して述べている。《縣齋有懐》に「大梁従相公、彭城赴僕射。 弓箭圍狐兔、絲竹羅酒炙。 兩府變荒涼、三年就休暇。塵挨紫陌春、風雨霊臺夜。」(大梁にて相公【しょうこう】に従い、彭城【ほうじょう】にて僕射【ぼくや】に赴く。弓箭【きゅうせん】 狐兔【こと】を囲み、糸竹 酒灸【しゅしゃ】を羅【つら】ぬ。両府 変じて荒涼たり、三年 休暇に就く。官を求めて東洛に去り、雪を犯して西華に過る。

汴州では董晋相公に従い、徐州では張僕射の招きに応じたのだった。

そして弓矢を手にして狐や兔の巻狩をし、音楽が興を添える宴会には酒や肉をならべたものだった。

しかし、どちらの幕府も主が死んで反乱がおこり寂しいものに変わり、私は三年間お勤めしたがお暇をいただく身の上、浪人となった。

官を求めて東洛に去り、雪を犯して西華に過る。さて官職を求めて東の都の洛陽へ行き、雪のなかで西岳の華山を越えるような難儀な旅もした。

そして長安の春では都大路に舞い立つほこりのなかを歩き、霊台(陳西省都県にある)では風雨の一夜を過ごした。

中唐詩-270 縣齋有懐 韓愈 Ⅱ韓退之(韓愈) 紀頌之の漢詩ブログ 韓愈特集-29 #4

この詩は、同時期に作った《齪齪》、《汴泗交流贈張僕射》《忽忽》《鳴雁》のように、張建封に対する諷刺、批判めいた詩ではなく、純粋に、狩猟の様子を実況を叙したもので描写の法は、後世評価されている。

 

原頭火燒靜兀兀,野雉畏鷹出復沒【野雉畏鷹伏欲沒】。

狩猟の初めに鳥獣の隠れ家を探すため、山野を焼き払ったら、その後は極めて静かで、丘の高いと露が平らかであるのが分かった、そこに、雉がいるが、鷹を懼れて、頻りに出たり入ったり、している。

兀兀 儿の上に一を置く指事で、地形のことをいうとしている。丘が台のように高い所で平坦になっている地形。

 

將軍欲以巧伏人,盤馬彎弓惜不發。

そこに箭を乱発すると、雉は遠くへ飛び去る恐れがあるが、将軍は、射藝に巧みなることを以て人を心副せしめると欲し、馬を乗り回し、弓を弾いて、矢をつがえたまま、なかなか放たない。

 

地形漸窄觀者多,雉驚弓滿勁箭加。

段々追いこんで、地形の狭い所へ来ると左右にはたくさんの見物人がかたずをのんで控えている。この時遅く、かのとき早く、雉は、驚いて飛びあがり、弓はめいっぱいにひいて、勁箭が加えられた。

 

沖人決起百餘尺,紅翎白鏃相傾斜【紅翎白鏃隨傾斜】。

雉はもう逃げられず、大勢いるのも構わず、人をついて百余尺も、たかくとびあがった。白羽の矢は見事に的中し、紅の葉とともに、ばらばらと傾斜して下に落ちてきた。

 (鳥の翼や尾の長い)羽根翎子同前.翎毛 língmáo[](1) 〔根〕(大きな)羽根.(2) 〔幅〕鳥類を題材とした中国画.

 石,骨,木,竹,青銅,鉄などでつくり,矢柄(やがら)の一端に着装する。

 

將軍仰笑軍吏賀,五色離披馬前墮。

その有様を見て、将軍は空を仰いで、カンラカラカラと笑い、軍吏どもは、喝采してこれを賀するほどもあらわせず、矢を帯びた雉は、五色離披として、さっと馬上に堕ちてきた。

五色離披 五色の色で散らばること。

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0306 鳴雁 -#2》韓愈  天空間に飛び上がり、そして、しずかに集まり、その友達とともに、鳴いてたがいに呼び合っていたらよいだろう、すべてものの性質を考え、憂うべきところを去って、惠ことを思うのがふつうであるから、風を凌いで、一挙して遠くに去るのは誠に致し方のないことである。自分は久しく李建封の幕府に身を寄せていたが、どうも満足できぬので、立ち去ろうともとっており、それは「違憂懷惠」のしからしむるところ、君の咎めがないことを懇願する所である。

 

 
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 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
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年:799年貞元15 32

卷別:    卷三三八              文體:    七言古詩

詩題:    鳴雁

作地點:              徐州(河南道 / 徐州 / 徐州)

 

 

鳴雁

(忽忽と同時期に韓愈が鬱々として志を得ず、書経と詩経とに見える“まよい雁”に比して詠ったもの。)

嗷嗷鳴雁鳴且飛,窮秋南去春北歸。

雁がゴウゴウと悲しげに鳴きながら飛んでゆく、秋の終わりには南の方に去り、春になれば北の方に帰って行く。

去寒就暖識所依,天長地闊棲息稀。

それというのは、寒さを避け、暖に就くということであり、己のよるべきところをよく認識しているということである。しかるに、今、天空には一羽の雁が飛び、天は長く、地上は広く闊がっているけれど、自分が棲むべきところは何処でもいいわけでなく極めてまれな狭い所なのである。

風霜酸苦稻粱微,毛羽摧落身不肥。

飛び回る中風霜の酸苦に遭遇すればその食べるべき稻粱がわずかなもので見いだせず、羽毛はくずれおち、身は痩せ衰えてしまう。

#2

裴回反顧群侶違,哀鳴欲下洲渚非。

徘徊反顧してその友達を呼んでいるが、その友達というのが一向に見えないのである。こうして、哀鳴して空から大地に下ろうとしてもその身を寄せる洲も渚もないのである。

江南水闊朝雲多,草長沙軟無網羅。

ただ、江南は、水闊く、朝雲多く、その上、時候もあたたかであるから、草は長く沙浜は軟らかで、何かにつけて、網羅のうれいが無いのでまずそこに行こうと思う。

閒飛靜集鳴相和,違憂懷惠性匪他,凌風一舉君謂何?

だからまず、天空間に飛び上がり、そして、しずかに集まり、その友達とともに、鳴いてたがいに呼び合っていたらよいだろう、すべてものの性質を考え、憂うべきところを去って、惠ことを思うのがふつうであるから、風を凌いで、一挙して遠くに去るのは誠に致し方のないことである。自分は久しく李建封の幕府に身を寄せていたが、どうも満足できぬので、立ち去ろうともとっており、それは「違憂懷惠」のしからしむるところ、君の咎めがないことを懇願する所である。

(鳴雁【めいがん】)

嗷嗷【ごうごう】鳴雁 鳴き且つ飛ぶ,窮秋 南に去って 春 北に歸る。

寒を去【さ】け 暖に就いて 依る所を識る,天は長く 地は闊くして 棲息稀れなり。

風霜 酸苦にして 稻粱は微なり,毛羽 摧落して 身 肥えず。

#2

裴回 反顧して 群侶 違う,哀鳴 下らんと欲するも 洲渚 非なり。

江南 水闊くして 朝雲多し,草は長く 沙は軟にして 網羅無し。

閒飛して 靜集 鳴いて相い和し,憂に違い 惠を懷う 性 他に匪ず,凌風 一舉 君 何をか謂う?

 

 

『鳴雁』 現代語訳と訳註解説
 (
本文)

裴回反顧群侶違,哀鳴欲下洲渚非。

江南水闊朝雲多,草長沙軟無網羅。

閒飛靜集鳴相和,違憂懷惠性匪他,凌風一舉君謂何?

裴回反顧群侶違,哀鳴欲下洲渚非。

江南水闊朝雲多【江南水闊朔雲多】,草長沙軟無網羅。

閒飛靜集鳴相和,違憂懷惠性匪他,凌風一舉君謂何?


(下し文)#2

裴回 反顧して 群侶 違う,哀鳴 下らんと欲するも 洲渚 非なり。

江南 水闊くして 朝雲多し,草は長く 沙は軟にして 網羅無し。

閒飛して 靜集 鳴いて相い和し,憂に違い 惠を懷う 性 他に匪ず,凌風 一舉 君 何をか謂う?

(現代語訳)
徘徊反顧してその友達を呼んでいるが、その友達というのが一向に見えないのである。こうして、哀鳴して空から大地に下ろうとしてもその身を寄せる洲も渚もないのである。

ただ、江南は、水闊く、朝雲多く、その上、時候もあたたかであるから、草は長く沙浜は軟らかで、何かにつけて、網羅のうれいが無いのでまずそこに行こうと思う。

だからまず、天空間に飛び上がり、そして、しずかに集まり、その友達とともに、鳴いてたがいに呼び合っていたらよいだろう、すべてものの性質を考え、憂うべきところを去って、惠ことを思うのがふつうであるから、風を凌いで、一挙して遠くに去るのは誠に致し方のないことである。自分は久しく李建封の幕府に身を寄せていたが、どうも満足できぬので、立ち去ろうともとっており、それは「違憂懷惠」のしからしむるところ、君の咎めがないことを懇願する所である。


(訳注)

鳴雁

(忽忽と同時期に韓愈が鬱々として志を得ず、書経と詩経とに見える“まよい雁”に比して詠ったもの。)

 

裴回反顧群侶違,哀鳴欲下洲渚非。

徘徊反顧してその友達を呼んでいるが、その友達というのが一向に見えないのである。こうして、哀鳴して空から大地に下ろうとしてもその身を寄せる洲も渚もないのである。

裴回 徘徊、彷徨のこと。当てもなく歩き回ること。さまようこと。

群侶違 友達を呼んでいるが、その友達というのが一向に見えないのである。

哀鳴 鳥や獣が悲しそうに鳴いている様子。「鴻雁哀鳴」の意味. 「鴻雁哀鳴」離散してさまよう民が、苦労や窮状を訴えることのたとえ。

洲渚 中州の水際。砂があつまってできたところで、何となく集まり堆積したことをいう。

 

江南水闊朝雲多,草長沙軟無網羅。

ただ、江南は、水闊く、朝雲多く、その上、時候もあたたかであるから、草は長く沙浜は軟らかで、何かにつけて、網羅のうれいが無いのでまずそこに行こうと思う。

朝雲多 乾燥していない環境をいう。

網羅 ① 人を束縛するもの。  そのことに関するすべてを残らず集めること。

 

閒飛靜集鳴相和,違憂懷惠性匪他,凌風一舉君謂何?

だからまず、天空間に飛び上がり、そして、しずかに集まり、その友達とともに、鳴いてたがいに呼び合っていたらよいだろう、すべてものの性質を考え、憂うべきところを去って、惠ことを思うのがふつうであるから、風を凌いで、一挙して遠くに去るのは誠に致し方のないことである。自分は久しく李建封の幕府に身を寄せていたが、どうも満足できぬので、立ち去ろうともとっており、それは「違憂懷惠」のしからしむるところ、君の咎めがないことを懇願する所である。

違憂懷惠 (李建封の幕府は規則が多く禄が薄いので)憂が多い所は嫌だからをここを去って、惠の多い所ことを思うのがふつうであるというほどの意。

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0306 鳴雁 -#1》韓愈 (忽忽と同時期に韓愈が鬱々として志を得ず、書経と詩経とに見える“まよい雁”に比して詠ったもの。)雁がゴウゴウと悲しげに鳴きながら飛んでゆく、秋の終わりには南の方に去り、春になれば北の方に帰って行く。

 
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韓愈詩-44-#1

 

 

年:799年貞元15 32

卷別:    卷三三八              文體:    七言古詩

詩題:    鳴雁

作地點:              徐州(河南道 / 徐州 / 徐州)

 

 

鳴雁

(忽忽と同時期に韓愈が鬱々として志を得ず、書経と詩経とに見える“まよい雁”に比して詠ったもの。)

嗷嗷鳴雁鳴且飛,窮秋南去春北歸。

雁がゴウゴウと悲しげに鳴きながら飛んでゆく、秋の終わりには南の方に去り、春になれば北の方に帰って行く。

去寒就暖識所依,天長地闊棲息稀。

それというのは、寒さを避け、暖に就くということであり、己のよるべきところをよく認識しているということである。しかるに、今、天空には一羽の雁が飛び、天は長く、地上は広く闊がっているけれど、自分が棲むべきところは何処でもいいわけでなく極めてまれな狭い所なのである。

風霜酸苦稻粱微,毛羽摧落身不肥。

飛び回る中風霜の酸苦に遭遇すればその食べるべき稻粱がわずかなもので見いだせず、羽毛はくずれおち、身は痩せ衰えてしまう。

#2

裴回反顧群侶違,哀鳴欲下洲渚非。

江南水闊朝雲多,草長沙軟無網羅。

閒飛靜集鳴相和,違憂懷惠性匪他,凌風一舉君謂何?

 

 

(鳴雁【めいがん】)

嗷嗷【ごうごう】鳴雁 鳴き且つ飛ぶ,窮秋 南に去って 春 北に歸る。

寒を去【さ】け 暖に就いて 依る所を識る,天は長く 地は闊くして 棲息稀れなり。

風霜 酸苦にして 稻粱は微なり,毛羽 摧落して 身 肥えず。

#2

裴回 反顧して 群侶 違う,哀鳴 下らんと欲するも 洲渚 非なり。

江南 水闊くして 朝雲多し,草は長く 沙は軟にして 網羅無し。

閒飛して 靜集 鳴いて相い和し,憂に違い 惠を懷う 性 他に匪ず,凌風 一舉 君 何をか謂う?

 

 

『鳴雁』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

鳴雁

嗷嗷鳴雁鳴且飛,窮秋南去春北歸。

去寒就暖識所依,天長地闊棲息稀。

風霜酸苦稻粱微,毛羽摧落身不肥。


鳴雁(含異文)

嗷嗷鳴雁鳴且飛【嗷嗷鴻雁鳴且飛】,窮秋南去春北歸。

去寒就暖識所依【去寒就暖識所處】,天長地闊棲息稀。

風霜酸苦稻粱微,毛羽摧落身不肥【羽毛摧落身不肥】。


(下し文)
(鳴雁【めいがん】)

嗷嗷【ごうごう】鳴雁 鳴き且つ飛ぶ,窮秋 南に去って 春 北に歸る。

寒を去【さ】け 暖に就いて 依る所を識る,天は長く 地は闊くして 棲息稀れなり。

風霜 酸苦にして 稻粱は微なり,毛羽 摧落して 身 肥えず。



(現代語訳)
(忽忽と同時期に韓愈が鬱々として志を得ず、書経と詩経とに見える“まよい雁”に比して詠ったもの。)

雁がゴウゴウと悲しげに鳴きながら飛んでゆく、秋の終わりには南の方に去り、春になれば北の方に帰って行く。

それというのは、寒さを避け、暖に就くということであり、己のよるべきところをよく認識しているということである。しかるに、今、天空には一羽の雁が飛び、天は長く、地上は広く闊がっているけれど、自分が棲むべきところは何処でもいいわけでなく極めてまれな狭い所なのである。

飛び回る中風霜の酸苦に遭遇すればその食べるべき稻粱がわずかなもので見いだせず、羽毛はくずれおち、身は痩せ衰えてしまう。


(訳注)

鳴雁

(忽忽と同時期に韓愈が鬱々として志を得ず、書経と詩経とに見える“まよい雁”に比して詠ったもの。)

 

嗷嗷鳴雁鳴且飛,窮秋南去春北歸。

雁がゴウゴウと悲しげに鳴きながら飛んでゆく、秋の終わりには南の方に去り、春になれば北の方に帰って行く。

嗷嗷 雁がゴウゴウと悲しげに鳴きごえ。

窮秋南去 秋の終わりには南の方に去ってゆく。窮秋:桂秋, けいしゅう, 木犀が咲く秋の季節. 田の実, たのむ. 九月, 先頭へ. 長月, ながつき. 菊の秋, きくのあき. 季秋, きしゅう. 晩秋, ばんしゅう. 暮秋, ぼしゅう. 窮秋, きゅうしゅう. 陰月, いんげつ, 陰の極まった月

 

去寒就暖識所依,天長地闊棲息稀。

それというのは、寒さを避け、暖に就くということであり、己のよるべきところをよく認識しているということである。しかるに、今、天空には一羽の雁が飛び、天は長く、地上は広く闊がっているけれど、自分が棲むべきところは何処でもいいわけでなく極めてまれな狭い所なのである。

 

風霜酸苦稻粱微,毛羽摧落身不肥。

飛び回る中風霜の酸苦に遭遇すればその食べるべき稻粱がわずかなもので見いだせず、羽毛はくずれおち、身は痩せ衰えてしまう。

稻粱微 いねと大粒粟。稻:水稲・晩稲・陸稲。(漢)穀物。粱:大粒のアワ。安史軍に対して援軍をウイグルに求めたためにたいそうな利権を与えてしまったことを云う。

杜甫《官池春雁,二首之一》

自古稻粱多不足,至今鸂鶒亂為群。 

且休悵望看春水,更恐歸飛隔暮雲。

670 《官池春雁,二首之一》 蜀中転々 杜甫 <576  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3190 杜甫詩1000-576-832/1500

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(改訂) 忽忽》韓愈  人が生きて死までのあいだには、哀しみと楽しみがあり、この両者を棄てて、仁徳を淡々とすることである。儒者としては、善悪や損得については、暇な人に任せるのだ。

 

 
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 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
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43 0305 (改訂) 忽忽》韓愈(韓退之)ID  799年貞元15 32歳<1337 Ⅱ韓昌黎集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5669

韓愈詩-43

 

795年 

31 《讀巻04-15 送董卲南序》韓愈(韓退之)ID 795年貞元11年 28歳<1277 Ⅱ唐宋八大家文読本 巻三 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5369

796年 董晋の招きで宣武軍節度使の幕府に入る。

 

797年 病気のため一時求職。

    孟郊が来る。

798年 同所で進士科の予備試験員。

    張籍、この試験合格者の中に有る。

26-#1 《病中贈張十八 -1》韓愈(韓退之)ID 798年貞元14年 31歳<1225 Ⅱ韓昌黎集 巻五 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5109

36-(1) 《巻05-30 答孟郊 -1》韓愈(韓退之)ID 798年貞元十四年311319 Ⅱ韓昌黎集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5579

799年 汴州の乱

25 《暮行河堤上》韓愈(韓退之)ID <1224 Ⅱ韓昌黎集 巻五 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5104

39 《0226(改訂)汴州亂二首其一》韓愈(韓退之)ID 799年貞元15年 32歳<1330 Ⅱ韓昌黎集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5634韓愈詩-39

40 《0227(改訂)汴州亂二首其二》韓愈(韓退之)ID 799年貞元15年 32歳<1331 Ⅱ韓昌黎集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5639

41-#1 《0229 齪齪 -#1》韓愈(韓退之)ID 799年貞元15年 32歳<1332 Ⅱ韓昌黎集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5644

    徐州武寧軍節度使 張建封の幕府に入る。

    韓愈、命受けて長安へ。孟郊、呉、越を遊覧。

    忽忽

800年 春長安より徐州へ帰る。幕府を退く。

    彭城に帰る

    山石    ・孟郊常州に行く。

 

此日足可惜贈張籍」の詩に出た幕府の張建封は、汴州から避難して来た韓愈とその家族に援助の手をさしのべて、住宅の世話をしてくれ、生計のめんどうまで見てくれた。韓愈は当然感謝したのだが、その年799年(貞元十五年)の秋、家族を連れて徐州を去ろうとした。それを建封が引き止めて、自分の幕府の幕僚に任命してくれた。なぜか、韓愈の意にそうものではなかった。

ひとつには建封の設けた服務規定がきびしすぎたのだ。建封の武寧軍の幕府につとめはじめてからまもなく、愈は建封に手紙を送っている。「あなたの幕府の勤務時間は長すぎるし、拘束もきびしすぎるので、自分には特例を設け、もっと余裕のある勤務ができるようにはからって欲しい」と要求しているのだ。

42-#2 0304 汴泗交流贈張僕射 -#2》韓愈(韓退之)ID  799年貞元15 32歳<1336 Ⅱ韓昌黎集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5664韓愈詩-42-#2

 

 

 

忽忽

(つかみどころのない面白くない気持ち。

忽忽乎余未知生之爲樂也,願脱去而無因。

わたしはいままでおもいをそのままにしていて、人生の生きること、仁徳の満足感を未だに知らないでいた。そのつかみどころのない状態から脱け出そうと願うのであるが、その方法がわからない。 

安得長翮大翼如雲生我身。

どうにかして、荘子の大鵬のように長く大きな翼を手に入れて、わたしの身に生(は)やすことができて雲の中に飛ぶことができるのだろうか。

乘風振奮出六合,絶浮塵。

勢いよく風に乗って、力強く羽ばたき、天地と東西南北の六方世界の果てから飛び出すのだ。そしてこの浮き世の俗塵との繋がり汚れた付き合いを絶ちたい。 

死生哀樂兩相棄,是非得失付閒人。

人が生きて死までのあいだには、哀しみと楽しみがあり、この両者を棄てて、仁徳を淡々とすることである。儒者としては、善悪や損得については、暇な人に任せるのだ。

 

忽忽【こつこつ】

忽忽乎【こ】 として 余 未だ生の樂みと爲なすところを知らざる也り,脱去せんと願うに因【よ】し 無し。

安【いづく】んぞ 長翮【ちょうかく】大翼を得て 雲の如く 我が身に生【は】やさん。

風に乘り 振奮して 六合【りくごう】を出いで,浮塵を絶たん。

死生 哀樂【あいらく】 兩【ふたつ】ながら 相い棄て,是非 得失は閒人に付す。

 

韓愈の地図0055 

現代語訳と訳註

(本文) 忽忽

忽忽乎余未知生之爲樂也,願脱去而無因。

安得長翮大翼如雲生我身。

乘風振奮出六合,絶浮塵。

死生哀樂兩相棄,是非得失付閒人。

 

(下し文)

忽忽【こつこつ】

忽忽乎【こ】 として 余 未だ生の樂みと爲なすところを知らざる也り,脱去せんと願うに因【よ】し 無し。

安【いづく】んぞ 長翮【ちょうかく】大翼を得て 雲の如く 我が身に生【は】やさん。

風に乘り 振奮して 六合【りくごう】を出いで,浮塵を絶たん。

死生 哀樂【あいらく】 兩【ふたつ】ながら 相い棄て,是非 得失は閒人に付す。

 

(現代語訳)

(つかみどころのない面白くない気持ち。)

わたしはいままでおもいをそのままにしていて、人生の生きること、仁徳の満足感を未だに知らないでいた。そのつかみどころのない状態から脱け出そうと願うのであるが、その方法がわからない。 

どうにかして、荘子の大鵬のように長く大きな翼を手に入れて、わたしの身に生(は)やすことができて雲の中に飛ぶことができるのだろうか。

勢いよく風に乗って、力強く羽ばたき、天地と東西南北の六方世界の果てから飛び出すのだ。そしてこの浮き世の俗塵との繋がり汚れた付き合いを絶ちたい。 

人が生きて死までのあいだには、哀しみと楽しみがあり、この両者を棄てて、仁徳を淡々とすることである。儒者としては、善悪や損得については、暇な人に任せるのだ。

安史の乱当時の勢力図 

(訳注)

忽忽こつこつ

(つかみどころのない面白くない気持ち。)

○忽忽 思いまようさま。かりそめ。ゆるがせにするさま。物事をかえりみないさま。失意のさま。うっとりするさま。忘れるさま。すみやかに過ぎ去るさま。

貞元十五年董晉薧ず。韓愈、汴州を去って、徐州張建封幕府に依るが不満があったようだ。張建封の設けた服務規定がきびしすぎたようだ。この詩、散文調で、独特の重苦しさがある。

 

忽忽乎余未知生之爲樂也、願脱去而無因。

わたしはいままでおもいをそのままにしていて、人生の生きること、仁徳の満足感を未だに知らないでいた。そのつかみどころのない状態から脱け出そうと願うのであるが、その方法がわからない。 

○忽忽乎 ・~乎 ~として。接尾辞として語尾に用いられ、強く状態を示す。

・余 わたし。・未知 まだ分からない。まだ知らない。・生 自分の持っている性(さが)で生きること。 ・之 ~の。また、実質上語調を整えるもので、散文で使われる語。・爲樂 楽(たのしみ)となす。快楽ではなく、仁徳の満足感をいう。 ・爲 散文でより多く使われる語。・也 ~なり。散文で使われる語で、文末に用い、決断、注意、感慨、疑問、語気などをととのえる。・願 ねがはくは。願望。・脱去 脱け出す。・而 ~が。順接、逆接のどちらにも使う接続語。ここでは逆接で散文で使われる語である。・無因 きっかけがない。よし無し。

 

安得長翮大翼如雲生我身。

どうにかして、荘子の大鵬のように長く大きな翼を手に入れて、わたしの身に生(は)やすことができて雲の中に飛ぶことができるのだろうか。

○安得 〔いづくんぞ~なるを得んや。〕どこに求められよう。どうして~だろうか。

○至老 老齢になっても。年をとっても。 

○長翮 〔ちゃうかく〕長い羽根の根元。 

○大翼 大きな翼(つばさ)。荘子のいう、大鵬の翼のこと。文末に参考。

 

乘風振奮出六合、絶浮塵。

勢いよく風に乗って、力強く羽ばたき、天地と東西南北の六方世界の果てから飛び出すのだ。そしてこの浮き世の俗塵との繋がり汚れた付き合いを絶ちたい。 

○乘風 勢いよいさま。 

○振奮 奮い立つ。奮い立たせる。元気を出す。力強く羽ばたく。 

○六合 〔りくがふ〕天地(上下)と東西南北。六方。世界。・絶 たちきる。きりはなす。 

○浮塵 空中に舞い上がっているほこり。世塵。俗世間の汚れた付き合い、わずらわしさ。

 

死生哀樂兩相棄、是非得失付閒人。

人が生きて死までのあいだには、哀しみと楽しみがあり、この両者を棄てて、仁徳を淡々とすることである。儒者としては、善悪や損得については、暇な人に任せるのだ。

○死生 死ぬことと生きること。 

○哀樂 悲しみと楽しみ。 

○兩 ふたつ。双方。悲しみと楽しみを指す。 

○相棄 (俗世のあらゆる価値あるものを)すてさる。

○是非 善悪。 

○得失 損得。 

○付 まかせる。 

○閒人 ひまじん。

 

 

参考  荘子:「逍遥遊篇」

北冥有魚 ,其名為鯤。鯤之大,不知其幾千里也。化而為鳥,其名為鵬。鵬之背,不知其幾千里也。怒而飛, 其翼若垂天之雲。是鳥也,海運則將徙於南冥。南冥者, 天池也

北冥に魚あり、其の名を鯤と為す。鯤の大いさ其の幾千里なるかを知らず。化して鳥と為るや、其の名を鵬と為す。鵬の背、其の幾千里なるかを知らず。怒して飛べば其の翼は垂天の雲の若し。是の鳥や、海の運くとき則ち将に南冥に徙【うつ】らんとす。南冥とは天池なり。

 

〔荘子が語る「逍遥遊」の世界。開巻劈頭、「鵬鯤」の物語で、一気に彼の物語へと誘い込まれる。〕

 この世界の北の果て、波も冥(くら)い海に魚がいて、その名は鯤という。その鯤の大きさは、いったい何千里あるのか見当もつかないほどの、とてつもない大きさだ。

 この巨大な鯤が(時節が到来し)転身の時を迎えると、姿を変えて鳥となる。その名は鵬という。その背(せな)の広さは幾千里あるのか見当もつかない。

 この鵬という巨大な鳥が、一たび満身の力を奮って大空に飛びたてば、その翼の大きいこと、まるで青空を掩(おお)う雲のようだ。

 この鳥は、(季節風が吹き)海の荒れ狂うときになると、(その大風に乗って飛び上がり)、南の果ての海へと天翔(あまがけ)る。「南の果ての海」とは天の池である。

○逍遥遊(ショウヨウユウ) 何ものにも束縛されることのない自由な境地に心を遊ばせること。

○鯤(コン) はららご。魚のまるい卵。魚子。『爾雅』(釈魚)。 最も微小なものである鯤(はららご)を、北の果ての冥い海に棲(す)む巨大な魚の名に用いたところ、荘子の面目躍如たるところである。しかも、この鯤が、天空をさえぎって飛翔する巨大な鳥に変身するというのである。我々の常識の世界を超越している。

○海の運くとき  嵐で海の荒れること。「運」は「転」。

42-#2 《0304 汴泗交流贈張僕射 -#2》韓愈(韓退之)ID 799年貞元15年 32歳<1336> Ⅱ韓昌黎集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5664韓愈詩-42-#2

韓愈《0304 汴泗交流贈張僕射 -#2特に今の世にあって、国難に身を棄てるというような忠臣はとうてい得られるものではないのであるから、張建封公の馬は、すべからく国難を起こした賊どもをすすんで殺す覚悟をもって下々のものを訓練すべきで、決して逃げ走るものがあってはならないのである。

 

 

42-#2 0304 汴泗交流贈張僕射 -#2》韓愈(韓退之)ID  799年貞元15 32歳<1336 Ⅱ韓昌黎集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5664韓愈詩-42-#2

 

 

年:799年貞元15 32

卷別:    卷三三八              文體:    七言古詩

詩題:    汴泗交流贈張僕射【案:建封。】

作地點:              徐州(河南道 / 徐州 / 徐州)

交遊人物:張建封              書信往來(河南道 徐州 徐州)

 

 

汴泗交流贈張僕射

汴水は徐州の西を流れ、泗水は徐州の南を流れる。その二水のまじわる徐州にいる張僕射公に贈る詩(この詩は張建封に贈って、その打毬に耽ることを諷刺した。打毬は武技の鍛錬であるがこれにあまり懲りすぎると遊芸のようになるという諫言の書ということである。)

汴泗交流郡城角,築場千步平如削。

汴水は徐州の西を流れ、泗水は徐州の南を流れ、郡城の角において合流している。浄土底に、打毬場を設置して、廣さ千歩に渉った地域を平らに削り整地している。

短垣三面繚逶迤,擊鼓騰騰樹赤旗。

そして、短い丈の矢来を三面に回らして、ずっと長く続き、その内では太鼓をどんどんと打ち鳴らして赤い旗を立てて用意をしている。

新秋朝涼未見日,公早結束來何為。

季節も新たな秋を迎え絶好の季節となり、朝の日の出前の涼し時分、張建封公に於かれては、まだ暗い早朝から仕度をされ、親しくこの場に向われ、何を為されるのかと思いきや、すなわち、打毬を催すとのことである。

分曹決勝約前定,百馬攢蹄近相映。

まず、組を分けて、決勝点を設置し、前もって約束を定めて、それぞれの組の多くの者に多くの馬に跨柄世、馬のひずめを近く相映じて、攢めて、決勝に向って駆けまわるのである。

毬驚杖奮合且離,紅牛纓紱黃金羈。

さて、競技になると、毬は驚き転げ回り、杖を奮って毬を撃つと、忽ち合し、そして離れてといった具合で、牛尾の紅い頭飾りや黄金をより込んだおも綱が入り乱れるのである。

 

側身轉臂著馬腹,霹靂應手神珠馳。

競技するものは身を引っ込め、肘を転じて、しっかりと馬腹に体を寄せて落ちないようにし、そして杖を奮って毬を争い、その様子は、霹靂が手に応じて起るのかと怪しまれ、毬は、精神があるかのように頻りに飛び廻るのである。

超遙散漫兩閒暇,揮霍紛紜爭變化。

そして、ゆっくりとして横に広がって整列した中から、二手の者が先方に走って行き、遙か先の片方に毬を打撃して送ったりしている、足並みをそろえ、余裕綽々、あわてず騒がずやっていて、急に変化してやる秘術が有ったりしているのである。

發難得巧意氣粗,讙聲四合壯士呼。

上手なものは、時には一たび毬を受けても容易にこれを発せず、相手の思うつぼにははまらない巧みなことをやり、意気を自分で粗豪にし、その人が勝ちとなれば、四方から大歓声が起こり壮士どもは我を忘れて熱中するのである。

此誠習戰非為劇,豈若安坐行良圖。

この打毬というものは、武技を鍛錬するために練習することのためにできた競技であるはずで、決して遊戯にねっちゅうするものではないのである。ただし、今日の時世からいえば、なかなか打毬どころでなく、帷幄の中に安坐して百戦百勝の良図を回らせることをせねばならないのである。

當今忠臣不可得,公馬莫走須殺賊。

特に今の世にあって、国難に身を棄てるというような忠臣はとうてい得られるものではないのであるから、張建封公の馬は、すべからく国難を起こした賊どもをすすんで殺す覚悟をもって下々のものを訓練すべきで、決して逃げ走るものがあってはならないのである。

 

(汴泗交流 張僕射に贈る)

汴泗 交流す 郡城の角,場を築くこと千步 平らかなること 削るが如し。

短垣 三面 繚って逶迤たり,擊鼓 騰騰 赤旗を樹つ。

新秋 朝涼 未だ日を見ず,公 早に 結束し 來って何をか為さん。

曹を分って 決勝 約 前に定め,百馬 蹄を攢めて 近く相い映ず。

毬は驚き 杖は奮って 合し且つ離る,紅牛の纓紱【えいふつ】黃金の羈。

 

身を側だて 臂を轉じて馬腹に著く,霹靂 手に應じて 神珠 馳す。

超遙して 散漫して 兩てに 閒暇す,揮霍【きかく】紛紜 爭って變化す。

發するに難し 得るに巧みにす 意氣 粗なり,讙聲【かんせい】四に合して 壯士 呼ぶ。

此れの誠は戰を習わすにあり 劇を為すに非ず,豈に若かんや 安坐し 良圖を行う。

當今にって忠臣 得可からず,公の馬 走る莫れ 須からく賊を殺すべし。

 

Ta唐 長安近郊圖  新02洛陽 函谷関002 

『汴泗交流贈張僕射』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

側身轉臂著馬腹,霹靂應手神珠馳。

超遙散漫兩閒暇,揮霍紛紜爭變化。

發難得巧意氣粗,讙聲四合壯士呼。

此誠習戰非為劇,豈若安坐行良圖。

當今忠臣不可得,公馬莫走須殺賊。


(下し文)
身を側だて 臂を轉じて馬腹に著く,霹靂 手に應じて 神珠 馳す。

超遙して 散漫して 兩てに 閒暇す,揮霍【きかく】紛紜 爭って變化す。

發するに難し 得るに巧みにす 意氣 粗なり,讙聲【かんせい】四に合して 壯士 呼ぶ。

此れの誠は戰を習わすにあり 劇を為すに非ず,豈に若かんや 安坐し 良圖を行う。

當今にって忠臣 得可からず,公の馬 走る莫れ 須からく賊を殺すべし。

(現代語訳)
競技するものは身を引っ込め、肘を転じて、しっかりと馬腹に体を寄せて落ちないようにし、そして杖を奮って毬を争い、その様子は、霹靂が手に応じて起るのかと怪しまれ、毬は、精神があるかのように頻りに飛び廻るのである。

そして、ゆっくりとして横に広がって整列した中から、二手の者が先方に走って行き、遙か先の片方に毬を打撃して送ったりしている、足並みをそろえ、余裕綽々、あわてず騒がずやっていて、急に変化してやる秘術が有ったりしているのである。

上手なものは、時には一たび毬を受けても容易にこれを発せず、相手の思うつぼにははまらない巧みなことをやり、意気を自分で粗豪にし、その人が勝ちとなれば、四方から大歓声が起こり壮士どもは我を忘れて熱中するのである。

この打毬というものは、武技を鍛錬するために練習することのためにできた競技であるはずで、決して遊戯にねっちゅうするものではないのである。ただし、今日の時世からいえば、なかなか打毬どころでなく、帷幄の中に安坐して百戦百勝の良図を回らせることをせねばならないのである。

特に今の世にあって、国難に身を棄てるというような忠臣はとうてい得られるものではないのであるから、張建封公の馬は、すべからく国難を起こした賊どもをすすんで殺す覚悟をもって下々のものを訓練すべきで、決して逃げ走るものがあってはならないのである。


(訳注)

汴泗交流贈張僕射 #2

汴水は徐州の西を流れ、泗水は徐州の南を流れる。その二水のまじわる徐州にいる張僕射公に贈る詩(この詩は張建封に贈って、その打毬に耽ることを諷刺した。打毬は武技の鍛錬であるがこれにあまり懲りすぎると遊芸のようになるという諫言の書ということである。)

汴泗 汴水は徐州の西を流れ、泗水は徐州の南を流れる。

張建封 張建封(735年-800年),字本立,州南陽の人,唐代軍事人物。貞元四年、徐州刺史となり、貞元十二年検校右僕射を加えられる。彭城にあること十年、賢を礼し、士に下る。

寓居は兗州(今の山東陽)。歓讀書,能弁論,代宗時,李光弼進討蘇常盗匪,建封自請前去招安,一日降数千人。德宗の時,官至寿州刺史,李希烈反叛,派部下赏赐淮南節度少游和建封,建封却腰之。李希烈又派部将杜少攻打寿州,建封令其将贺兰元均、邵怡等守霍丘秋,叛軍无所克而去。建封因抗敵有功,升徐泗濠度使,與馬燧友善。元十六年卒于徐州任上,年六十六

僕射 ① 中国の官名。もと尚書省の次官で左右一名ずつ置かれ,唐代には宰相の任にあたった。 左・右大臣の唐名。

(打毬) 中央アジアの一角に発したといわれ,西に流れたものがヨーロッパに伝えられて「ポロ」となり,一方,東に流れたものが中国で打毬となり、競技・遊戯となった。馬に騎った者らが2組に分かれ、打毬杖(だきゅうづえ。毬杖)をふるって庭にある毬を自分の組の毬門に早く入れることを競う。

 

側身轉臂著馬腹,霹靂應手神珠馳。

競技するものは身を引っ込め、肘を転じて、しっかりと馬腹に体を寄せて落ちないようにし、そして杖を奮って毬を争い、その様子は、霹靂が手に応じて起るのかと怪しまれ、毬は、精神があるかのように頻りに飛び廻るのである。

側身轉臂著馬腹 この句は馬上から身を乗り出して毬を撃つ時のことをいう。

霹靂 1 かみなり。いかずち。雷鳴。「青天の―」2 雷が激しく鳴ること。落雷すること。また、大きな音が響き渡ること。

神珠馳 毬は、精神があるかのように頻りに飛び廻る。

 

超遙散漫兩閒暇,揮霍紛紜爭變化。

そして、ゆっくりとして横に広がって整列した中から、二手の者が先方に走って行き、遙か先の片方に毬を打撃して送ったりしている、足並みをそろえ、余裕綽々、あわてず騒がずやっていて、急に変化してやる秘術が有ったりしているのである。

超遙 前方に駆け去る。毬から遠ざかったものにパスをする行為。

散漫 毬に集まった後ばらけ散らばる様子。あるいは、整列していたものが拡散する。

兩閒暇 ゆっくりとして横に広がったり、止まったりした動きをする。

揮霍 一生懸命にその技を工夫して行うこと。

紛紜 物事の入り乱れていること。事がもつれること。また、その乱れ。もめごと。ごたごた。

 

發難得巧意氣粗,讙聲四合壯士呼。

上手なものは、時には一たび毬を受けても容易にこれを発せず、相手の思うつぼにははまらない巧みなことをやり、意気を自分で粗豪にし、その人が勝ちとなれば、四方から大歓声が起こり壮士どもは我を忘れて熱中するのである。

 

此誠習戰非為劇,豈若安坐行良圖。

この打毬というものは、武技を鍛錬するために練習することのためにできた競技であるはずで、決して遊戯にねっちゅうするものではないのである。ただし、今日の時世からいえば、なかなか打毬どころでなく、帷幄の中に安坐して百戦百勝の良図を回らせることをせねばならないのである。

 

當今忠臣不可得,公馬莫走須殺賊。

特に今の世にあって、国難に身を棄てるというような忠臣はとうてい得られるものではないのであるから、張建封公の馬は、すべからく国難を起こした賊どもをすすんで殺す覚悟をもって下々のものを訓練すべきで、決して逃げ走るものがあってはならないのである。

42-#1 《0304 汴泗交流贈張僕射 -#1》韓愈(韓退之)ID 799年貞元15年 32歳<1335> Ⅱ韓昌黎集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5659韓愈詩-42-#1

韓愈《0304 汴泗交流贈張僕射 -#1汴水は徐州の西を流れ、泗水は徐州の南を流れる。その二水のまじわる徐州にいる張僕射公に贈る詩(この詩は張建封に贈って、その打毬に耽ることを諷刺した。打毬は武技の鍛錬であるがこれにあまり懲りすぎると遊芸のようになるという諫言の書ということである。)

 

 
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年:799年貞元15 32

卷別:    卷三三八              文體:    七言古詩

詩題:    汴泗交流贈張僕射【案:建封。】

作地點:              徐州(河南道 / 徐州 / 徐州)

交遊人物:張建封              書信往來(河南道 徐州 徐州)

 

 

汴泗交流贈張僕射

汴水は徐州の西を流れ、泗水は徐州の南を流れる。その二水のまじわる徐州にいる張僕射公に贈る詩(この詩は張建封に贈って、その打毬に耽ることを諷刺した。打毬は武技の鍛錬であるがこれにあまり懲りすぎると遊芸のようになるという諫言の書ということである。)

汴泗交流郡城角,築場千步平如削。

汴水は徐州の西を流れ、泗水は徐州の南を流れ、郡城の角において合流している。浄土底に、打毬場を設置して、廣さ千歩に渉った地域を平らに削り整地している。

短垣三面繚逶迤,擊鼓騰騰樹赤旗。

そして、短い丈の矢来を三面に回らして、ずっと長く続き、その内では太鼓をどんどんと打ち鳴らして赤い旗を立てて用意をしている。

新秋朝涼未見日,公早結束來何為。

季節も新たな秋を迎え絶好の季節となり、朝の日の出前の涼し時分、張建封公に於かれては、まだ暗い早朝から仕度をされ、親しくこの場に向われ、何を為されるのかと思いきや、すなわち、打毬を催すとのことである。

分曹決勝約前定,百馬攢蹄近相映。

まず、組を分けて、決勝点を設置し、前もって約束を定めて、それぞれの組の多くの者に多くの馬に跨柄世、馬のひずめを近く相映じて、攢めて、決勝に向って駆けまわるのである。

毬驚杖奮合且離,紅牛纓紱黃金羈。

さて、競技になると、毬は驚き転げ回り、杖を奮って毬を撃つと、忽ち合し、そして離れてといった具合で、牛尾の紅い頭飾りや黄金をより込んだおも綱が入り乱れるのである。

 

側身轉臂著馬腹,霹靂應手神珠馳。

超遙散漫兩閒暇,揮霍紛紜爭變化。

發難得巧意氣粗,讙聲四合壯士呼。

此誠習戰非為劇,豈若安坐行良圖。

當今忠臣不可得,公馬莫走須殺賊。

 

(汴泗交流 張僕射に贈る)

汴泗 交流す 郡城の角,場を築くこと千步 平らかなること 削るが如し。

短垣 三面 繚って逶迤たり,擊鼓 騰騰 赤旗を樹つ。

新秋 朝涼 未だ日を見ず,公 早に 結束し 來って何をか為さん。

曹を分って 決勝 約 前に定め,百馬 蹄を攢めて 近く相い映ず。

毬は驚き 杖は奮って 合し且つ離る,紅牛の纓紱【えいふつ】黃金の羈。

 

身を側だて 臂を轉じて馬腹に著く,霹靂 手に應じて 神珠 馳す。

超遙して 散漫して 兩てに 閒暇す,揮霍【きかく】紛紜 爭って變化す。

發するに難し 得るに巧みにす 意氣 粗なり,讙聲【かんせい】四に合して 壯士 呼ぶ。

此れの誠は戰を習わすにあり 劇を為すに非ず,豈に若かんや 安坐し 良圖を行う。

當今にって忠臣 得可からず,公の馬 走る莫れ 須からく賊を殺すべし。

 

李白図102 

『汴泗交流贈張僕射』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

汴泗交流贈張僕射

汴泗交流郡城角,築場十步平如削。

短垣三面繚逶迤,擊鼓騰騰樹赤旗。

新秋朝涼未見日,公早結束來何為。

分曹決勝約前定,百馬攢蹄近相映。

毬驚杖奮合且離,紅牛纓紱黃金羈。



(下し文)
(汴泗交流 張僕射に贈る)

汴泗 交流す 郡城の角,場を築くこと千步 平らかなること 削るが如し。

短垣 三面 繚って逶迤たり,擊鼓 騰騰 赤旗を樹つ。

新秋 朝涼 未だ日を見ず,公 早に 結束し 來って何をか為さん。

曹を分って 決勝 約 前に定め,百馬 蹄を攢めて 近く相い映ず。

毬は驚き 杖は奮って 合し且つ離る,紅牛の纓紱【えいふつ】黃金の羈。

(現代語訳)
汴水は徐州の西を流れ、泗水は徐州の南を流れる。その二水のまじわる徐州にいる張僕射公に贈る詩(この詩は張建封に贈って、その打毬に耽ることを諷刺した。打毬は武技の鍛錬であるがこれにあまり懲りすぎると遊芸のようになるという諫言の書ということである。)

汴水は徐州の西を流れ、泗水は徐州の南を流れ、郡城の角において合流している。浄土底に、打毬場を設置して、廣さ千歩に渉った地域を平らに削り整地している。

そして、短い丈の矢来を三面に回らして、ずっと長く続き、その内では太鼓をどんどんと打ち鳴らして赤い旗を立てて用意をしている。

季節も新たな秋を迎え絶好の季節となり、朝の日の出前の涼し時分、張建封公に於かれては、まだ暗い早朝から仕度をされ、親しくこの場に向われ、何を為されるのかと思いきや、すなわち、打毬を催すとのことである。

まず、組を分けて、決勝点を設置し、前もって約束を定めて、それぞれの組の多くの者に多くの馬に跨柄世、馬のひずめを近く相映じて、攢めて、決勝に向って駆けまわるのである。

さて、競技になると、毬は驚き転げ回り、杖を奮って毬を撃つと、忽ち合し、そして離れてといった具合で、牛尾の紅い頭飾りや黄金をより込んだおも綱が入り乱れるのである。

唐時代 韓愈関連05
(訳注)

汴泗交流贈張僕射

汴水は徐州の西を流れ、泗水は徐州の南を流れる。その二水のまじわる徐州にいる張僕射公に贈る詩(この詩は張建封に贈って、その打毬に耽ることを諷刺した。打毬は武技の鍛錬であるがこれにあまり懲りすぎると遊芸のようになるという諫言の書ということである。)

汴泗 汴水は徐州の西を流れ、泗水は徐州の南を流れる。

張建封 張建封(735年-800年),字本立,州南陽の人,唐代軍事人物。貞元四年、徐州刺史となり、貞元十二年検校右僕射を加えられる。彭城にあること十年、賢を礼し、士に下る。

寓居は兗州(今の山東陽)。歓讀書,能弁論,代宗時,李光弼進討蘇常盗匪,建封自請前去招安,一日降数千人。德宗の時,官至寿州刺史,李希烈反叛,派部下赏赐淮南節度少游和建封,建封却腰之。李希烈又派部将杜少攻打寿州,建封令其将贺兰元均、邵怡等守霍丘秋,叛軍无所克而去。建封因抗敵有功,升徐泗濠度使,與馬燧友善。元十六年卒于徐州任上,年六十六

僕射 ① 中国の官名。もと尚書省の次官で左右一名ずつ置かれ,唐代には宰相の任にあたった。 左・右大臣の唐名。

(打毬) 中央アジアの一角に発したといわれ,西に流れたものがヨーロッパに伝えられて「ポロ」となり,一方,東に流れたものが中国で打毬となり、競技・遊戯となった。馬に騎った者らが2組に分かれ、打毬杖(だきゅうづえ。毬杖)をふるって庭にある毬を自分の組の毬門に早く入れることを競う。

 

汴泗交流郡城角,築場十步平如削。

汴水は徐州の西を流れ、泗水は徐州の南を流れ、郡城の角において合流している。浄土底に、打毬場を設置して、廣さ千歩に渉った地域を平らに削り整地している。

平如削 その地域を平らに削り整地する

 

短垣三面繚逶迤,擊鼓騰騰樹赤旗。

そして、短い丈の矢来を三面に回らして、ずっと長く続き、その内では太鼓をどんどんと打ち鳴らして赤い旗を立てて用意をしている。

短垣 短い丈の矢来。

繚逶迤 回らして、ずっと長く続く。

 

新秋朝涼未見日,公早結束來何為。

季節も新たな秋を迎え絶好の季節となり、朝の日の出前の涼し時分、張建封公に於かれては、まだ暗い早朝から仕度をされ、親しくこの場に向われ、何を為されるのかと思いきや、すなわち、打毬を催すとのことである。

結束 仕度をすること。

來何為 何を為されるのかと思いきや、すなわち、打毬を催すとのことである。

 

分曹決勝約前定,百馬攢蹄近相映。

まず、組を分けて、決勝点を設置し、前もって約束を定めて、それぞれの組の多くの者に多くの馬に跨柄世、馬のひずめを近く相映じて、攢めて、決勝に向って駆けまわるのである。

分曹 組を分ける。

決勝 ゴールポスト。決勝点を設置する。

約前定 競技のルール。前もって約束を定める。

 

毬驚杖奮合且離,紅牛纓紱黃金羈。

さて、競技になると、毬は驚き転げ回り、杖を奮って毬を撃つと、忽ち合し、そして離れてといった具合で、牛尾の紅い頭飾りや黄金をより込んだおも綱が入り乱れるのである。

合且離 馬が寄せあったり、離れたりすること。毬に集まり毬にはなれる。

紅牛纓紱 牛の尾の気で作って紙の飾るのに編込む。

黃金羈 黄金をより込んだおも綱。

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0229 齪齪 -#3》韓愈  君を堯、舜に致すことについては相当の術があるが、自分で推薦することは、まことに難しいもので、とりあえず、ご依頼するので、何分にも、一美の力を貸し賜わんことを懇願する詞題である。

 
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年:799年貞元15 32

卷別:    卷三三七               韓昌黎集巻二29首目 文體:     五言古詩

詩題:    齪齪

作地點:              徐州(河南道 / 徐州 / 徐州)

及地點:              靈昌 (河南道 滑州 靈昌) 別名:東郡             

 

 

齪齪

(国のためになりたいと焦っている状況にあるのでこの詩を作る。)

齪齪當世士,所憂在飢寒。

当世の士人は、こせこせと焦りに焦っており、ただ、飢寒の状態のみ憂えておるところであった。

但見賤者悲,不聞貴者歎。

富貴に眷恋し、そして、富貴になると貧賤の者のことなど一切考えないところから何時まで経っても貧賤の者の悲しみを見るのみで、貴者がこれがために嘆息するだけで、そのため一肌脱ごうなんて聞いたこともない。

大賢事業異,遠抱非俗觀。

ここに、徐州の刺史の張建封は、世に大賢と称せられる人で、その事業は、世人とことにして遠大なる抱負は、もとより俗物の観念とまったく別であるところなのである。

報國心皎潔,念時涕汍瀾。

そんなところから、報国の心は、あくまで皎潔であるし、時勢のいい日にちがうことを念って日常的に涕を汍瀾するだけであった

 

(齪齪【さくさく】)

齪齪たり 當世の士,憂う所は飢寒に在り。

但だ賤者の悲むを見て,貴者の歎ずるを聞かず。

大賢は事業異なり,遠抱は俗觀に非ず。

國に報いて心 皎潔なり,時を念うて 涕 汍瀾【がんらん】す。

 

坐左右,柔指發哀彈。

もとより、富貴の地位にあるから、左右に美人を侍らせて、その妓女たちは主人公を慰めるために、やわらかい指でもって哀音を発する琴を爪弾く。

酒肴雖日陳,感激寧為歡。

それからまた日々酒と肴を陳して、宴を催していたのだが、平生、家と国の事に感激しているから、そんなことでは、歓楽を得られるわけでもないのである。

秋陰欺白日,泥潦不少乾。

この頃、秋の天気は、雲りばかりでお日さまを見たことがなく、大地は泥だらけで、汚されてしまい、乾くことなど少しもない。

河堤決東郡,老弱隨驚湍。

黄河の堤は、東郡において決壊して、老若男女は逆巻く波に随ってながれさってしまった。

 

 左右に坐し,柔指 哀彈を發す。

酒肴 日に陳すと雖も,感激 寧ろ歡を為さんや。

秋陰 白日を欺き,泥潦 少しも乾かず。

河堤 東郡を決し,老弱 驚湍に隨う。

 

天意固有屬,誰能詰其端。

このような災害を下したのも、畢竟、天意が下々を誡めるためであるが、だれもその端々を詰り問うということもなく、一向平気で打ち澄ましている。

願辱太守薦,得充諫諍官。

とはいえ太守にも考えがある、だから、願わくば、太守の推薦によって、諫諍の官に当てられれば良いと思うのである。

排雲叫閶闔,披腹呈琅玕。

そうすれば、太陽を覆い隠すところの雲を押し開いて、天子の御門の下に号泣し、今日災害の来たという、そのわけを十分に詰問し、己が心服をひらいて、琅玕にも比すべき済世の方策を天子に奏聞したいのである。

致君豈無術,自進誠獨難。

君を堯、舜に致すことについては相当の術があるが、自分で推薦することは、まことに難しいもので、とりあえず、ご依頼するので、何分にも、一美の力を貸し賜わんことを懇願する詞題である。

 

天意 固より 屬する有り,誰か能く 其の端を詰【なじ】らん。

願わくば 太守の薦を辱【かたじけ】のうし,諫諍の官に充つるを得ん。

雲を排して 閶闔【しょうこう】に叫び,腹を披いて 琅玕【ろうかん】を呈す。

君を致す 豈に術 無からんや,自ら進むこと 誠に獨り難し。

汜水関などの地図 

 

齪齪』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

天意固有屬,誰能詰其端。

願辱太守薦,得充諫諍官。

排雲叫閶闔,披腹呈琅玕。

致君豈無術,自進誠獨難。


(下し文)
天意 固より 屬する有り,誰か能く 其の端を詰【なじ】らん。

願わくば 太守の薦を辱【かたじけ】のうし,諫諍の官に充つるを得ん。

雲を排して 閶闔【しょうこう】に叫び,腹を披いて 琅玕【ろうかん】を呈す。

君を致す 豈に術 無からんや,自ら進むこと 誠に獨り難し。

(現代語訳)
このような災害を下したのも、畢竟、天意が下々を誡めるためであるが、だれもその端々を詰り問うということもなく、一向平気で打ち澄ましている。

とはいえ太守にも考えがある、だから、願わくば、太守の推薦によって、諫諍の官に当てられれば良いと思うのである。

そうすれば、太陽を覆い隠すところの雲を押し開いて、天子の御門の下に号泣し、今日災害の来たという、そのわけを十分に詰問し、己が心服をひらいて、琅玕にも比すべき済世の方策を天子に奏聞したいのである。

君を堯、舜に致すことについては相当の術があるが、自分で推薦することは、まことに難しいもので、とりあえず、ご依頼するので、何分にも、一美の力を貸し賜わんことを懇願する詞題である。

太白山001 

 (訳注)

齪齪

(国のためになりたいと焦っている状況にあるのでこの詩を作る。)

799年貞元15 韓愈32歳。2月徐州に到り、張建封を頼る。秋、張建封に上奏により、試協律郎の官にて武寧軍節度推官となるまでのころに作ったもの。

齪齪 ①謹みつとめるというすがた。②こせこせしてあせるすがた。・齪. 歯が触れ合う音を表す漢字である。せわしないというような意味。齷齪(アクセク、アクサク)という熟語がよく知られる。

 

天意固有屬,誰能詰其端。

このような災害を下したのも、畢竟、天意が下々を誡めるためであるが、だれもその端々を詰り問うということもなく、一向平気で打ち澄ましている。

 

願辱太守薦,得充諫諍官。

とはいえ太守にも考えがある、だから、願わくば、太守の推薦によって、諫諍の官に当てられれば良いと思うのである。

 

排雲叫閶闔,披腹呈琅玕。

そうすれば、太陽を覆い隠すところの雲を押し開いて、天子の御門の下に号泣し、今日災害の来たという、そのわけを十分に詰問し、己が心服をひらいて、琅玕にも比すべき済世の方策を天子に奏聞したいのである。

閶闔 天門。楚辭.屈原.離騷:「吾令帝閽開關兮,倚閶闔而望予。」唐.李白.梁甫吟:「閶闔九門不可通,以額叩關閽者怒。」皇宮正門。

琅玕 1 暗緑色または青碧(せいへき)色の半透明の硬玉。また、美しいもののたとえ。2 《色が1に似るところから》青々とした美しい竹。

 

致君豈無術,自進誠獨難。

君を堯、舜に致すことについては相当の術があるが、自分で推薦することは、まことに難しいもので、とりあえず、ご依頼するので、何分にも、一美の力を貸し賜わんことを懇願する詞題である。

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0229 齪齪 -#2》韓愈 もとより、富貴の地位にあるから、左右に美人を侍らせて、その妓女たちは主人公を慰めるために、やわらかい指でもって哀音を発する琴を爪弾く。それからまた日々酒と肴を陳して、宴を催していたのだが、平生、家と国の事に感激しているから、そんなことでは、歓楽を得られるわけでもないのである。

 

 
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詩題:    齪齪

作地點:              徐州(河南道 / 徐州 / 徐州)

及地點:              靈昌 (河南道 滑州 靈昌) 別名:東郡             

 

 

齪齪

(国のためになりたいと焦っている状況にあるのでこの詩を作る。)

齪齪當世士,所憂在飢寒。

当世の士人は、こせこせと焦りに焦っており、ただ、飢寒の状態のみ憂えておるところであった。

但見賤者悲,不聞貴者歎。

富貴に眷恋し、そして、富貴になると貧賤の者のことなど一切考えないところから何時まで経っても貧賤の者の悲しみを見るのみで、貴者がこれがために嘆息するだけで、そのため一肌脱ごうなんて聞いたこともない。

大賢事業異,遠抱非俗觀。

ここに、徐州の刺史の張建封は、世に大賢と称せられる人で、その事業は、世人とことにして遠大なる抱負は、もとより俗物の観念とまったく別であるところなのである。

報國心皎潔,念時涕汍瀾。

そんなところから、報国の心は、あくまで皎潔であるし、時勢のいい日にちがうことを念って日常的に涕を汍瀾するだけであった

 

(齪齪【さくさく】)

齪齪たり 當世の士,憂う所は飢寒に在り。

但だ賤者の悲むを見て,貴者の歎ずるを聞かず。

大賢は事業異なり,遠抱は俗觀に非ず。

國に報いて心 皎潔なり,時を念うて 涕 汍瀾【がんらん】す。

 

坐左右,柔指發哀彈。

もとより、富貴の地位にあるから、左右に美人を侍らせて、その妓女たちは主人公を慰めるために、やわらかい指でもって哀音を発する琴を爪弾く。

酒肴雖日陳,感激寧為歡。

それからまた日々酒と肴を陳して、宴を催していたのだが、平生、家と国の事に感激しているから、そんなことでは、歓楽を得られるわけでもないのである。

秋陰欺白日,泥潦不少乾。

この頃、秋の天気は、雲りばかりでお日さまを見たことがなく、大地は泥だらけで、汚されてしまい、乾くことなど少しもない。

河堤決東郡,老弱隨驚湍。

黄河の堤は、東郡において決壊して、老若男女は逆巻く波に随ってながれさってしまった。

 

 左右に坐し,柔指 哀彈を發す。

酒肴 日に陳すと雖も,感激 寧ろ歡を為さんや。

秋陰 白日を欺き,泥潦 少しも乾かず。

河堤 東郡を決し,老弱 驚湍に隨う。

 

山南東道北部唐州随州01 

齪齪』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

坐左右,柔指發哀彈。

酒肴雖日陳,感激寧為歡。

秋陰欺白日,泥潦不少乾。

河堤決東郡,老弱隨驚湍。


(下し文)
 左右に坐し,柔指 哀彈を發す。

酒肴 日に陳すと雖も,感激 寧ろ歡を為さんや。

秋陰 白日を欺き,泥潦 少しも乾かず。

河堤 東郡を決し,老弱 驚湍に隨う。

(現代語訳)
もとより、富貴の地位にあるから、左右に美人を侍らせて、その妓女たちは主人公を慰めるために、やわらかい指でもって哀音を発する琴を爪弾く。

それからまた日々酒と肴を陳して、宴を催していたのだが、平生、家と国の事に感激しているから、そんなことでは、歓楽を得られるわけでもないのである。

この頃、秋の天気は、雲りばかりでお日さまを見たことがなく、大地は泥だらけで、汚されてしまい、乾くことなど少しもない。

黄河の堤は、東郡において決壊して、老若男女は逆巻く波に随ってながれさってしまった。

華州から秦州同谷成都00
(訳注)

齪齪

(国のためになりたいと焦っている状況にあるのでこの詩を作る。)

799年貞元15 韓愈32歳。2月徐州に到り、張建封を頼る。秋、張建封に上奏により、試協律郎の官にて武寧軍節度推官となるまでのころに作ったもの。

齪齪 ①謹みつとめるというすがた。②こせこせしてあせるすがた。・齪. 歯が触れ合う音を表す漢字である。せわしないというような意味。齷齪(アクセク、アクサク)という熟語がよく知られる。

 

坐左右,柔指發哀彈。

もとより、富貴の地位にあるから、左右に美人を侍らせて、その妓女たちは主人公を慰めるために、やわらかい指でもって哀音を発する琴を爪弾く。

哀彈 哀音を発する琴を爪弾く。

 

酒肴雖日陳,感激寧為歡。

それからまた日々酒と肴を陳して、宴を催していたのだが、平生、家と国の事に感激しているから、そんなことでは、歓楽を得られるわけでもないのである。

 

秋陰欺白日,泥潦不少乾。

この頃、秋の天気は、雲りばかりでお日さまを見たことがなく、大地は泥だらけで、汚されてしまい、乾くことなど少しもない。

秋陰欺白日の二句 秋になってからこれまで、お日さまを見たことがなく、大地は泥に汚されてしまい、いつになったら乾くのか。杜甫『秋雨嘆三首、其三』に全く同義である。

長安布衣誰比數,反鎖衡門守環堵。

老夫不出長蓬蒿,稚子無憂走風雨。

雨聲颼颼催早寒,胡雁翅濕高飛難。

秋來未曾見白日,泥汙後土何時乾?

秋雨嘆三首 其三 杜甫 : kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 誠実な詩人杜甫特集 88

 

河堤決東郡,老弱隨驚湍。

黄河の堤は、東郡において決壊して、老若男女は逆巻く波に随ってながれさってしまった。

東郡 唐の河南道 滑州 靈昌で、漢の東郡である。大業三年(607年),改州為東郡,治白馬縣。唐武德元年(618年)改為滑州,天寶元年(742年)改為靈昌郡,乾元元年(758年)復為滑州。

41-#1 《0229 齪齪 -#1》韓愈(韓退之)ID 799年貞元15年 32歳<1332> Ⅱ韓昌黎集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5644

韓愈《0229 齪齪 -#1富貴に眷恋し、そして、富貴になると貧賤の者のことなど一切考えないところから何時まで経っても貧賤の者の悲しみを見るのみで、貴者がこれがために嘆息するだけで、そのため一肌脱ごうなんて聞いたこともない。

 

 
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41-#1 0229 齪齪 -#1》韓愈(韓退之)ID  799年貞元15 32歳<1332 Ⅱ韓昌黎集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5644

韓愈詩-41-#1

 

 

年:799年貞元15 32

卷別:    卷三三七               韓昌黎集巻二29首目 文體:     五言古詩

詩題:    齪齪

作地點:              徐州(河南道 / 徐州 / 徐州)

及地點:              靈昌 (河南道 滑州 靈昌) 別名:東郡             

 

 

齪齪

(国のためになりたいと焦っている状況にあるのでこの詩を作る。)

齪齪當世士,所憂在飢寒。

当世の士人は、こせこせと焦りに焦っており、ただ、飢寒の状態のみ憂えておるところであった。

但見賤者悲,不聞貴者歎。

富貴に眷恋し、そして、富貴になると貧賤の者のことなど一切考えないところから何時まで経っても貧賤の者の悲しみを見るのみで、貴者がこれがために嘆息するだけで、そのため一肌脱ごうなんて聞いたこともない。

大賢事業異,遠抱非俗觀。

ここに、徐州の刺史の張建封は、世に大賢と称せられる人で、その事業は、世人とことにして遠大なる抱負は、もとより俗物の観念とまったく別であるところなのである。

報國心皎潔,念時涕汍瀾。

そんなところから、報国の心は、あくまで皎潔であるし、時勢のいい日にちがうことを念って日常的に涕を汍瀾するだけであった

 

(齪齪【さくさく】)

齪齪たり 當世の士,憂う所は飢寒に在り。

但だ賤者の悲むを見て,貴者の歎ずるを聞かず。

大賢は事業異なり,遠抱は俗觀に非ず。

國に報いて心 皎潔なり,時を念うて 涕 汍瀾【がんらん】す。

 

坐左右,柔指發哀彈。

酒肴雖日陳,感激寧為歡。

秋陰欺白日,泥潦不少乾。

河堤決東郡,老弱隨驚湍。

 

天意固有屬,誰能詰其端。

願辱太守薦,得充諫諍官。

排雲叫閶闔,披腹呈琅玕。

致君豈無術,自進誠獨難。

 

韓愈の地図0055 

『齪齪』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

齪齪

齪齪當世士,所憂在飢寒。

但見賤者悲,不聞貴者歎。

大賢事業異,遠抱非俗觀。

報國心皎潔,念時涕汍瀾。


(下し文)
(齪齪)

齪齪たり 當世の士,憂う所は飢寒に在り。

但だ賤者の悲むを見て,貴者の歎ずるを聞かず。

大賢は事業異なり,遠抱は俗觀に非ず。

國に報いて心 皎潔なり,時を念うて 涕 汍瀾【がんらん】す。


(現代語訳)
(国のためになりたいと焦っている状況にあるのでこの詩を作る。)

当世の士人は、こせこせと焦りに焦っており、ただ、飢寒の状態のみ憂えておるところであった。

富貴に眷恋し、そして、富貴になると貧賤の者のことなど一切考えないところから何時まで経っても貧賤の者の悲しみを見るのみで、貴者がこれがために嘆息するだけで、そのため一肌脱ごうなんて聞いたこともない。

ここに、徐州の刺史の張建封は、世に大賢と称せられる人で、その事業は、世人とことにして遠大なる抱負は、もとより俗物の観念とまったく別であるところなのである。

そんなところから、報国の心は、あくまで皎潔であるし、時勢のいい日にちがうことを念って日常的に涕を汍瀾するだけであった

玄武門

 (訳注)

齪齪

(国のためになりたいと焦っている状況にあるのでこの詩を作る。)

799年貞元15 韓愈32歳。2月徐州に到り、張建封を頼る。秋、張建封に上奏により、試協律郎の官にて武寧軍節度推官となるまでのころに作ったもの。

齪齪 ①謹みつとめるというすがた。②こせこせしてあせるすがた。・齪. 歯が触れ合う音を表す漢字である。せわしないというような意味。齷齪(アクセク、アクサク)という熟語がよく知られる。

 

齪齪當世士,所憂在飢寒。

齪齪たり 當世の士,憂う所は飢寒に在り。

当世の士人は、こせこせと焦りに焦っており、ただ、飢寒の状態のみ憂えておるところであった。

 

但見賤者悲,不聞貴者歎。

但だ賤者の悲むを見て,貴者の歎ずるを聞かず。

富貴に眷恋し、そして、富貴になると貧賤の者のことなど一切考えないところから何時まで経っても貧賤の者の悲しみを見るのみで、貴者がこれがために嘆息するだけで、そのため一肌脱ごうなんて聞いたこともない。

 

大賢事業異,遠抱非俗觀。

大賢は事業異なり,遠抱は俗觀に非ず。

ここに、徐州の刺史の張建封は、世に大賢と称せられる人で、その事業は、世人とことにして遠大なる抱負は、もとより俗物の観念とまったく別であるところなのである。

遠抱 遠大なる抱負。

俗觀 俗物の観念。

 

報國心皎潔,念時涕汍瀾。

國に報いて心 皎潔なり,時を念うて 涕 汍瀾【がんらん】す。

そんなところから、報国の心は、あくまで皎潔であるし、時勢のいい日にちがうことを念って日常的に涕を汍瀾するだけであった

汍瀾 涙が流れるつづけるようなの姿になる。

40 《0227(改訂)汴州亂二首其二》韓愈(韓退之)ID 799年貞元15年 32歳<1331> Ⅱ韓昌黎集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5639

韓愈《0227(改訂)汴州亂二首其二》火が回ってきて、母親が子を従え、走って逃げている、その人はだれか、その馬の持ち主は誰なのか。あれは後任の節度使である陸長源殿の夫人であり、住居に残されていた子どもだ。


40 0227(改訂)汴州亂二首其二》韓愈(韓退之)ID  799年貞元15 32歳<1331> Ⅱ韓昌黎集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5639韓愈詩-40

 

 

汴州亂其二

葬送の行列に変事の知らせがとどいたのは、偃師(洛陽の東方)に到着したときであった。葬列には戦闘の準備はしないもので、攻撃をかけられる心配もないかもしれないが、葬列はパニック状態になったが、予定どおり、虞郷を目指して進むほかはなかった。誰もが家に残した家族が心配であった。韓愈は、このとき妻を迎えており、長女も生まれていた。まだ乳呑み子である。当然、反乱を起こした兵士たちは、女子供を相手にしないはずではあるが、治安の保てなくなった汴州に限らず、どこでも変事があると、略奪、盗賊が出現する。韓愈の心配はつのった。 

 

 

0226(改訂)汴州亂二首其一》
汴州亂二首 其一
(韓愈が汴州を出て、2日後に乱がおこった。これを聞き及んで、こういう乱がおこるのは、畢竟、朝廷の徳が衰えた身体というので、嘆息してこの詩を作った。)その一

汴州城門朝不開,天狗堕地聲如雷。
その朝、夜明けの鐘が鳴っても、汴州の城門が、朝になっても開けられなかった。天狗星は諸葛孔明が死んだときに落ち、これまで、兵乱の前兆を知らせるため、大きな音をたてて天空を走りこの地に落ちたのである。
健兒爭誇殺留後,連屋累棟燒成灰。

叛乱の兵士たちは先を争って節度使の留後、つまり事務取扱者である陸長源を殺した。幕府の屋根をならべ棟をかさねた留後の居宅、屋敷はその際、すべて焼けてしまい灰となった。

諸侯咫尺不能救,孤士何者自興哀。
元来、汴州は要衝の地であるから、周りには、諸公、潘鎮、ほかの節度使たちは目と鼻の近くにいるにもかかわらず、救助することをしなかった。私のように助けたいと思うものは孤立無援の状態であり、いくら慷慨したところで、哀悼の心をおこすだけで、何の効果もないというものである。


(汴州乱 二首 其の一)
汴州 城門 朝に開かず、天狗 地に堕ちて 声 雷の如し。
健児 争い誇る 留後を殺すと、連屋 累棟 焼けて灰と成る。 
諸侯 咫尺 救う能わず、孤士 何者ぞ 自ら哀しみを興す。
 


汴州乱 其二

(韓愈が汴州を出て、2日後に乱がおこった。これを聞き及んで、こういう乱がおこるのは、畢竟、朝廷の徳が衰えた身体というので、嘆息してこの詩を作った。)その二

母従子走者馬誰、大夫夫人留後見。

火が回ってきて、母親が子を従え、走って逃げている、その人はだれか、その馬の持ち主は誰なのか。あれは後任の節度使である陸長源殿の夫人であり、住居に残されていた子どもだ。

昨日乗車騎大馬、坐者起趨乗者下。

あの人たちは昨日までは車に乗り、肥えた大馬にまたがっていた、ところが今、座っていた者は立ち上がって走って移動しており、乗っていた者は下りるしまつで混乱していた。
廟堂不肯用千戈、鳴呼奈汝母子何。

あの人たちは昨日までは車に乗り、肥えた大馬にまたがっていた、ところが今、座っていた者は立ち上がって走って移動しており、乗っていた者は下りるしまつで混乱していた。
(汴州乱 二首 其の二)

母の子を従えて走る者は誰とか為す、大夫の夫人 留後の児。

昨日は串に乗り大馬に騎るも、坐する者は起ちて趨【はし】り乗る者は下る。

廟堂は肯【あえ】て千戈を用いず、鳴呼 汝 母子を奈何せん。
<!--[if !supportLineBreakNewLine]-->洛陽 函谷関002
<!--[endif]-->

 

汴州乱 二首 現代語訳と訳註
(
本文)
 
汴州乱 二首 其二

母従子走者馬誰、大夫夫人留後見。
昨日乗車騎大馬、坐者起趨乗者下。
廟堂不肯用千戈、鳴呼奈汝母子何。 

(下し文)
(汴州乱 二首 其の一)

母の子を従えて走る者は誰とか為す、大夫の夫人 留後の児。
昨日は串に乗り大馬に騎るも、坐する者は起ちて趨【はし】り乗る者は下る。
廟堂は肯【あえ】て千戈を用いず、鳴呼 汝 母子を奈何せん。 

 

(現代語訳)
(韓愈が汴州を出て、2日後に乱がおこった。これを聞き及んで、こういう乱がおこるのは、畢竟、朝廷の徳が衰えた身体というので、嘆息してこの詩を作った。)その二

火が回ってきて、母親が子を従え、走って逃げている、その人はだれか、その馬の持ち主は誰なのか。あれは後任の節度使である陸長源殿の夫人であり、住居に残されていた子どもだ。
あの人たちは昨日までは車に乗り、肥えた大馬にまたがっていた、ところが今、座っていた者は立ち上がって走って移動しており、乗っていた者は下りるしまつで混乱していた。
あの人たちは昨日までは車に乗り、肥えた大馬にまたがっていた、ところが今、座っていた者は立ち上がって走って移動しており、乗っていた者は下りるしまつで混乱していた。
<!--[if !supportLineBreakNewLine]-->汜水関などの地図
<!--[endif]-->

(訳注)
汴州乱 二首 其二
(韓愈が汴州を出て、2日後に乱がおこった。これを聞き及んで、こういう乱がおこるのは、畢竟、朝廷の徳が衰えた身体というので、嘆息してこの詩を作った。)その二

この詩はこの乱には、礼節・道徳心が存在しない。朝廷は、徳をもって治にあたるべきである。叛乱した軍隊を圧倒する王朝軍が制圧しない限り、流血自体は継続する。そうした状況に、韓愈自身は何もしてやれない。陸長源の夫人とその子とに同情するだけである。

この反乱を放置した朝廷の徳のなさ、無策ぶりを攻撃する。他方、陸長源の妻子を借りて、韓愈自身の妻子は無事をあらわしている。 
<!--[if !supportLineBreakNewLine]-->
<!--[endif]-->

母従子走者馬誰、大夫夫人留後見。
母が子を従えて走る者は誰とか為す、大夫の夫人 留後の児。
火が回ってきて、母親が子を従え、走って逃げている、その人はだれか、その馬の持ち主は誰なのか。あれは後任の節度使である陸長源殿の夫人であり、住居に残されていた子どもだ。
母従子 『汴州亂其一』「健兒爭誇殺留後,連屋累棟燒成灰。」天狗星がこの地に落ち、兵士たちは節度使の留後の事務取扱者である陸長源を殺し、屋根をならべ棟をかさねた屋敷は焼けてしまい灰となった。そこにいた母と子。

走者 走る人。

大夫夫人 節度使の留後の事務取扱者、陸長源の夫人。

留後児。後に残された子供。

 

昨日乗車騎大馬、坐者起趨乗者下。
昨日は車に乗り大馬に騎るも、坐する者は起ちて趨(はし)り乗る者は下る。
あの人たちは昨日までは車に乗り、肥えた大馬にまたがっていた、ところが今、座っていた者は立ち上がって走って移動しており、乗っていた者は下りるしまつで混乱していた。
大馬 肥えた大馬

○騎 速く走れる馬にまたがる

○坐者 車馬の中に座っていたもの。

起趨 立ち上がって走る。

○乗者下 お付で乗っていたもの。


廟堂不肯用千戈、鳴呼奈汝母子何。
廟堂は肯(あえ)て千戈を用いず、鳴呼 汝 母子を奈何せん。 

朝廷は武力を用いようとせず、この事態を収拾するため、あえて、なにもしないというのだ。ああ、私ひとりでは、あなたがた母子に何をしてやれるものだろうか。
○廟堂 中央政庁、朝廷。

○千戈 節度使の軍隊が起したことであるから、その上級の軍が鎮圧すべきである。

函谷関002
<!--[if !supportLineBreakNewLine]-->
<!--[endif]-->



さいわい、韓愈の妻子は無事であった。反乱の知らせに続いて東から来た人があって、その話によって事情はかなり明瞭になったのだが、それによると、韓愈の一家は無事ではあったものの、汴州にいたのでは危険なので、舟で脱出し、韓愈とは逆方向の東へと逃げ、徐州(江蘇省)に落ち着いているという。これを聞いた韓愈は、いちおう葬列を洛陽まで送って行ってから、単身で東へと引き返した。汴州の南を迂回して徐州に着き、妻子と再会したのは二月の末になっていた。 
韓愈はもはや、董晋が死んだとき、汴州での地位を失っている。あらためて探さねばならないのだが、しかし、当座は無事を確認し、喜びあったのであろう。

 
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39 《0226(改訂)汴州亂二首其一》韓愈(韓退之)ID 799年貞元15年 32歳<1330> Ⅱ韓昌黎集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5634韓愈詩-39

韓愈《0226(改訂)汴州亂二首其一》(韓愈が汴州を出て、2日後に乱がおこった。これを聞き及んで、こういう乱がおこるのは、畢竟、朝廷の徳が衰えた身体というので、嘆息してこの詩を作った。)その一

 

 
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39 《0226(改訂)汴州亂二首其一》韓愈(韓退之)ID 799年貞元15年 32歳<1330> Ⅱ韓昌黎集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5634韓愈詩-39 
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39 0226(改訂)汴州亂二首其一》韓愈(韓退之)ID  799年貞元15 32歳<1330> Ⅱ韓昌黎集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5634韓愈詩-39

 

 

韓愈 汴州 にて 
795
年貞元十一年一月、今に残っている「宰相に上る書」には、(自分ほどの才能のある人物を放置するのは国家的損失なので、科挙によらずして採用の道を開き、宰相が人材を求めている実を示していただきたい)という手紙を韓愈は時の宰相に送って、仕官を求めた。科挙の試験に出ない自分の哲学を、自由論文として出し、藁をもつかむ思いであったのだろう。二月、三月と執念深く宰相に手紙を送ったが、返事は一度もなかった。

 《與少室李拾遺書》韓愈

 

五月、困った韓愈は都を後に、郷里の河陽へと帰る。韓愈を養育してくれた兄嫁の鄭氏は、前年に死んでいた。その墓参が目的であり、長安での生活費の一部を持ち帰ること目的であった。
《與衞中行書 -(8)》韓愈


796年貞元十二年六月、汴州(河南省開封市)に本拠を置く宣武軍節度使の幕府に世襲に絡んで紛争が発生した。クーデターを成功させたものが節度使を継承できなかったことから、世情が落ち着かない状態であった。
節度使幕府の軍隊は節度使の傭兵であり、新たに中央からの任じられてきたものの命令には従わないのである。

しかし新任の董晋は温厚な人物で、万事に寛宏であったという。何もなかったような顔で宣武軍に着任し、軍事はいっさい部惟恭にまかせると発言した。これで部惟恭の顔も立ち、宜武軍は混乱から立ち直った。

この董晋の幕下に、韓愈は招かれて入った。節度使は行政・軍政を行なうために幕府を作るが、人事権は、節度使がもっているので、節度使が任命した人事に対して、朝廷が追認した形で辞令を出すのであった。しかし、その節度使一代限りにおいて役職が保障されるもので、節度使が死んだりやめたりしたときには、自動的にその地位を失う。科挙で選ばれた普通の官僚は、皇帝に忠節を尽くす。節度使の意のままに動く部下を必要とした。

礼部の試には合格したが、吏部で落第したという人を幕僚にして幕府を構成するということを、どの節度使がとった方法あった。韓愈も董晋の幕僚となったが、幕僚としての働きは顕著でない。797年貞元十三年には病気だったことが「復志賦」などの作品から、仕事をしたのは、翌年の貞元十四年にからであろう。宣武軍の科挙の予備試験の試験官という仕事であった。

799年貞元十五年二月三日、董晋が病気のため亡くなったため、ふたたびこの地に乱がおこったのだ。
この時の詩が「汴州の乱二首」である。

 

汴州亂二首 其一 
汴州城門朝不開,天狗堕地聲如雷。
健兒爭誇殺留後,連屋累棟燒成灰。
諸侯咫尺不能救,孤士何者自興哀。

其二
母從子走者爲誰,大夫夫人留後兒。
昨日乘車騎大馬,坐者起趨乘者下。
廟堂不肯用幹戈,嗚呼奈汝母子何。



0226(改訂)汴州亂二首其一》
汴州亂二首 其一
(韓愈が汴州を出て、2日後に乱がおこった。これを聞き及んで、こういう乱がおこるのは、畢竟、朝廷の徳が衰えた身体というので、嘆息してこの詩を作った。)その一

汴州城門朝不開,天狗堕地聲如雷。
その朝、夜明けの鐘が鳴っても、汴州の城門が、朝になっても開けられなかった。天狗星は諸葛孔明が死んだときに落ち、これまで、兵乱の前兆を知らせるため、大きな音をたてて天空を走りこの地に落ちたのである。
健兒爭誇殺留後,連屋累棟燒成灰。

叛乱の兵士たちは先を争って節度使の留後、つまり事務取扱者である陸長源を殺した。幕府の屋根をならべ棟をかさねた留後の居宅、屋敷はその際、すべて焼けてしまい灰となった。

諸侯咫尺不能救,孤士何者自興哀。
元来、汴州は要衝の地であるから、周りには、諸公、潘鎮、ほかの節度使たちは目と鼻の近くにいるにもかかわらず、救助することをしなかった。私のように助けたいと思うものは孤立無援の状態であり、いくら慷慨したところで、哀悼の心をおこすだけで、何の効果もないというものである。


其の一
汴州 城門 朝に開かず、天狗 地に堕ちて 声 雷の如し。
健児 争い誇る 留後を殺すと、連屋 累棟 焼けて灰と成る。 
諸侯 咫尺 救う能わず、孤士 何者ぞ 自ら哀しみを興す。
 


0226(改訂)汴州亂二首其一》

汴州乱 其一 現代語訳と訳註
(
本文)
汴州城門朝不開,天狗堕地聲如雷。
健兒爭誇殺留後,連屋累棟燒成灰。
諸侯咫尺不能救,孤士何者自興哀。

(下し文) 其の一
汴州の城門 朝に開かず、天狗 地に堕ちて 声 雷の如し。
健児 争い誇って 留後を殺し、連屋 累棟 焼けて灰と成る。 
諸侯 咫尺なるも救う能わず、孤士 何者ぞ 自ら哀しみを興こす。 

 

(現代語訳)
(韓愈が汴州を出て、2日後に乱がおこった。これを聞き及んで、こういう乱がおこるのは、畢竟、朝廷の徳が衰えた身体というので、嘆息してこの詩を作った。)その一

その朝、夜明けの鐘が鳴っても、汴州の城門が、朝になっても開けられなかった。天狗星は諸葛孔明が死んだときに落ち、これまで、兵乱の前兆を知らせるため、大きな音をたてて天空を走りこの地に落ちたのである。
叛乱の兵士たちは先を争って節度使の留後、つまり事務取扱者である陸長源を殺した。幕府の屋根をならべ棟をかさねた留後の居宅、屋敷はその際、すべて焼けてしまい灰となった。

元来、汴州は要衝の地であるから、周りには、諸公、潘鎮、ほかの節度使たちは目と鼻の近くにいるにもかかわらず、救助することをしなかった。私のように助けたいと思うものは孤立無援の状態であり、いくら慷慨したところで、哀悼の心をおこすだけで、何の効果もないというものである。

洛陽 函谷関002
 (訳注) 0226(改訂)汴州亂二首其一》

汴州亂,二首之一

(韓愈が汴州を出て、2日後に乱がおこった。これを聞き及んで、こういう乱がおこるのは、畢竟、朝廷の徳が衰えた身体というので、嘆息してこの詩を作った。)その一

799年貞元十五年32

卷別:  卷三三七        文體:  七言古詩

詩題:  汴州亂,二首之一

德宗貞元十三年,宣武節度使董晉辟愈為推官。十五年,晉薨,公隨晉喪歸,既出四日。宣武軍亂,殺行軍司馬陸長源。

汴州 汴州(べんしゅう)は中国にかつて存在した州。現在の中華人民共和国河南省開封市に相当する。

南北朝時代、東魏により設置された梁州を前身とする。その後北周により汴州と改称された。

隋朝が成立すると汴州は12県を管轄した。605年(大業元年)に汴州は廃止され、その管轄県は鄭州に移管されている。617年(義寧元年)には再び汴州が設置されている。

大部分は河南道で,一部は河北・淮南・山南の3道に分属していた。唐が滅んだのち,五代では後唐が洛陽に都をおいたほかは,みな東方の汴州(べんしゆう)(開封)を都としたのは,そこが平原に位置し,洛陽に比べていっそう水運の便に恵まれていたからであった。宋代になると汴州は汴京(べんけい)開封府といい,北宋一代にわたり全中国の国都として栄えた唐書地理志「汴州陳留郡は武徳四年、鄭州の俊義・開封・封邱をもっておく」とある。


汴州城門朝不開,天狗堕地聲如雷。
汴州 城門 朝に開かず、天狗 地に堕ちて 声 雷の如し。
その朝、夜明けの鐘が鳴っても、汴州の城門が、朝になっても開けられなかった。天狗星は諸葛孔明が死んだときに落ち、これまで、兵乱の前兆を知らせるため、大きな音をたてて天空を走りこの地に落ちたのである。
城門 夜明けとともに鐘を合図に開けられるものである。

天狗 天狗星。音を立てて落下したり、地上に落ちて燃えたりする、大きな流星。天狗流星。[塵袋]諸葛孔明が死んだときに落ち流星を言う。兵乱がある。もしくは敗軍の前兆とされる。


健兒爭誇殺留後,連屋累棟燒成灰。
健児 争い誇って 留後を殺し、連屋 累棟 焼けて灰と成る。 
叛乱の兵士たちは先を争って節度使の留後、つまり事務取扱者である陸長源を殺した。幕府の屋根をならべ棟をかさねた留後の居宅、屋敷はその際、すべて焼けてしまい灰となった。

○健兒 兵士。

○爭誇 先を争う。間違ったことで反乱を起こす。

○留後 事務取扱者である陸長源のこと。


諸侯咫尺不能救,孤士何者自興哀。
諸侯 咫尺なるも救う能わず、孤士 何者ぞ 自ら哀しみを興こす。
元来、汴州は要衝の地であるから、周りには、諸公、潘鎮、ほかの節度使たちは目と鼻の近くにいるにもかかわらず、救助することをしなかった。私のように助けたいと思うものは孤立無援の状態であり、いくら慷慨したところで、哀悼の心をおこすだけで、何の効果もないというものである。
咫尺 「咫」は中国の周の制度で8寸、「尺」は10寸  1 距離が非常に近いこと。「―の間(かん) 2 貴人の前近くに出て拝謁すること。

汜水関などの地図 

 

天狗は彗星のごとく、天空に見え、雷のごとき音を発する。地に落ちた所を見れば犬のようで、落ちた地方には兵乱がある。もしくは敗軍の前兆とされる。ここではむろん、汴州で兵士たちが反乱を起こしたことをさす。ただ、韓愈はこのとき、どういうわけか陸長源に同情してるともとれるが、正義感たくましい韓愈は、自分たちの利益のみで行動していることに懸念を示しているのと、死者を葬るというセレモニーの期を利用して乱を起こしたという礼節・道徳上の問題を定義しているのである。

38-(4) 《巻02-24(改訂版)嗟哉董生行 -#4》韓愈(韓退之)ID 799年貞元15年 32歳<1329> Ⅱ韓昌黎集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5629

韓愈《巻02-24(改訂版)嗟哉董生行 -#4仕官して天子からから俸禄をもらうというのは、碌な事しかできず、父母を泣かせている連中がいるのである。これはいったいどんな気持ちというのだろうか、ああ 董邵南の徳行するものはいないのである。

 

 
 2015年3月2日の紀頌之5つのブログ 
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192 《巻24-37 寄遠,十一首之九》Index-11 Ⅱ―6 -731年開元十九年31歳 43首 <192> Ⅰ李白詩1416 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5628 
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38-(4) 《巻02-24(改訂版)嗟哉董生行 -#4》韓愈(韓退之)I 799年貞元15年 32歳<1329> Ⅱ韓昌黎集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5629 
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 孟郊張籍     
 ●杜甫の全作品1500首を訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。" 
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38-4) 《巻02-24(改訂版)嗟哉董生行 -#4》韓愈(韓退之)ID  799年貞元15 32歳<1329> Ⅱ韓昌黎集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5629韓愈詩-38-4

 

 

年:799年貞元15 32

卷別: 卷三三七      文體: 雜言古詩

詩題: 嗟哉董生行

作地點:      徐州(河南道 / 徐州 / 徐州)

及地點:      桐柏山 (山南東道 隨州 桐柏山)       

壽州 (淮南道壽州 壽州) 別名:壽陽  

安豐 (淮南道壽州 安豐)     

交遊人物:董召南    

 

 

嗟哉董生行 -#1

(ああ嘆かわしい世だ、敬慕する董邵南の歌。)
淮水出桐柏,山東馳遙遙千里不能休。

淮水は胎簪山を水源にして桐柏山のふもとをめぐり、滔々と流れ出でている、そして、山の東へはるばる馳せ流れる、遙遙千里の間休むことなくどこまでも流れゆく。
淝水出其側,不能千里百里入淮流。

その支流に淝水があり、その水源の傍から出ており、淮水のように千里とはいかないが百里の間屈曲して流れ、淮水に注流する。
壽州屬縣有安豐,唐貞元時縣人董生召南隱居行義於其中。

この二つの河に取り囲まれた、そこに壽州があり、その屬縣の安豐縣というところが有る、唐の徳宗の貞元時代に、その県人の董召南という人が隠遁していて、知識人であるのに仕官せず、民間にいて正義や忠義を心の中に持っていて行いの正しいことをしている。
刺史不能薦,天子不聞名聲。

董邵南は徳行の君子であるがために、州長官ごときがこれを推薦することができないでいたのだ、したがって、天子もその名声を聞き及ぶことはなく、爵禄が門におよぶことがなかったのだ。
(嗟哉【ああ】董生の行【うた】)
准水【わいすい】は桐柏【とうはく】より出で、山東に馳【は】せて 遙遙【ようよう】、千里 休む能【あた】はず。
淝水【ひすい】は其の側【かたわら】に出で、千里なる能はざれども、百里にして淮に入りて 流る。
壽州【じゅしゅう】の屬縣【ぞくけん】に安豊【あんぽう】有り、唐の貞元【ていげん】の時、縣人の董生【とうせい】召南【しょうなん】あり、隠れ居【す】みて 義を其の中【うち】に行ふ。
刺史【しし】は薦むる能はず、天子は名聾を聞かず。

-#2

爵祿不及門,門外惟有吏,日來徵租更索錢。

俸禄が門を開けて家にとどくはずがない、門戸に税吏だけがあり、毎日やって来て納税の督促し、そのうえ「わいろ=小銭」を要求する、これはむかしからそうなのである。
嗟哉董生朝出耕,夜歸讀古人書,盡日不得息。

ああ 董召南、こんなことじゃ朝家を出て畑を耕し、夜帰って古人の書を読むのが毎日のことだが、これじゃ一日中、休むこともできないありさまだ。

或山而樵,或水而漁。

また、ある日は山で木こりをし、ある日は川で漁師をする。
入廚具甘旨,上堂問起居。

そうして、台所に入りご飯仕度でうまいものを作り、奥座敷の親のために、部屋に出向いて鄭重にご機嫌をうかがっている。
#2
爵祿【しゃくろく】門に及ばず、門外 惟【ただ】吏【り】あるのみ、日に来って租を徹し更に餞を索【もと】む。
嗟哉【ああ】董生【とうせい】、朝に出でて耕し、夜は掃って古人の書を読む、尽日 息ふことを得ず。
或は山に樵【しょう】し、或は水に漁す。
厨【くりや】に入って甘旨【かんし】を具【ととの】へ、堂に上って起居を問ふ。

-#3

父母不慼慼,妻子不咨咨。

そうであっても、父母はくよくよしないし、妻子もあくせくしないのである。
嗟哉董生孝且慈,人不識,惟有天翁知,生祥下瑞無時期。

ああ 董邵南、きみは孝行もので情ぶかい、このことを、人は気がつかないことであるが、天の神さまだけはご存じで、ひっきりなしに、幸せな喜ばしいことをおくだしになる。

家有狗乳出求食,雞來哺其兒。

家に仔犬をそだてる母犬がいた、その犬が子を生んで 餌をさがしに出る、すると鶏がやって来て 犬の子に食べさせようとする。
啄啄庭中拾蟲蟻,哺之不食鳴聲悲。

コツコツと庭の虫や蟻を拾ってきて、口移しで食べさせようとするのだが 食べないで悲しげに鳴いている。

#3
父母は戚戚たらず、妻子は咨咨【しし】たらず。
嗟哉【ああ】董生【とうせい】 孝にして且 慈【じ】、人識らず、惟 天翁【てんおう】のみ知る有り、祥を生じ 瑞【ずき】を下し 時期 無し。

家に狗【いぬ】の乳する有り 出でて食を求む、鷄【にわとり】来って その児【こ】を哺【はぐく】まむとす。
啄啄【たくたく】として庭中に蟲蟻【ちゅうぎ】を拾ふ、之を哺【はぐく】ましめむとすれども食はず 鳴く聲悲し。

-#4

徬徨躑躅久不去,以翼來復待狗歸。

鶏は悲しげに鳴き、行ったり来たりうろついて、結局、行ってしまうこともしないでそこにいる。はては、翼をもって小犬をだきかかえ 親犬の帰りを待った。鶏と狛犬が互いに助け合うというのは他ではあるものではなく、董邵南がこれを感化させたもので、天より下された祥瑞である。
嗟哉董生,誰將與儔。

ああ 董邵南の徳行は、誰をきみにくらべることができようか。

時之人,夫妻相虐,兄弟為讎。

顧みれば、今の世間の人というものは、夫婦が互いに苦しめ合い、兄弟同士でがまるで仇のようになる。

食君之祿,而令父母愁,亦獨何心,嗟哉董生無與儔。

仕官して天子からから俸禄をもらうというのは、碌な事しかできず、父母を泣かせている連中がいるのである。

これはいったいどんな気持ちというのだろうか、ああ 董邵南の徳行するものはいないのである。

 

#4
彷徨【ほうこう】し躑躅【てきちょく】して 久しく去らず、翼を以て来り覆うて 狗の歸るを待つ。
嗟哉 董生、誰を以てか與【とも】に儔【たぐ】へむ。
時の人、夫妻 相 虐【さいな】み 兄弟讎【あた】を爲す。
君の祿を食【は】み、而【しか】も 父母をして愁へしむ。
亦 濁り何の心ぞ、嗟哉 董生、與【とも】に儔【たぐ】へむもの無し。

山南東道北部唐州随州01 

《巻02-24(改訂版)嗟哉董生行 -#4

『嗟哉董生行』 現代語訳と訳註解説
(
本文) 
-#4

徨躑躅久不去,以翼來復待狗歸。

嗟哉董生,誰將與儔。

時之人,夫妻相虐,兄弟為讎。

食君之祿,而令父母愁,亦獨何心,嗟哉董生無與儔。

 

(下し文) #4

彷徨【ほうこう】し躑躅【てきちょく】して 久しく去らず、翼を以て来り覆うて 狗の歸るを待つ。

嗟哉 董生、誰を以てか與【とも】に儔【たぐ】へむ。

時の人、夫妻 相 虐【さいな】み 兄弟讎【あた】を爲す。

君の祿を食【は】み、而【しか】も 父母をして愁へしむ。

亦 濁り何の心ぞ、嗟哉 董生、與【とも】に儔【たぐ】へむもの無し。

(現代語訳)
鶏は悲しげに鳴き、行ったり来たりうろついて、結局、行ってしまうこともしないでそこにいる。はては、翼をもって小犬をだきかかえ 親犬の帰りを待った。鶏と狛犬が互いに助け合うというのは他ではあるものではなく、董邵南がこれを感化させたもので、天より下された祥瑞である。
ああ 董邵南の徳行は、誰をきみにくらべることができようか。

顧みれば、今の世間の人というものは、夫婦が互いに苦しめ合い、兄弟同士でがまるで仇のようになる。

仕官して天子からから俸禄をもらうというのは、碌な事しかできず、父母を泣かせている連中がいるのである。

これはいったいどんな気持ちというのだろうか、ああ 董邵南の徳行するものはいないのである。


洛陽 函谷関002(訳注)

《巻02-24(改訂版)嗟哉董生行 -#4


彷徨躑躅久不去,以翼來覆待狗歸。
鶏は悲しげに鳴き、行ったり来たりうろついて、結局、行ってしまうこともしないでそこにいる。はては、翼をもって小犬をだきかかえ 親犬の帰りを待った。鶏と狛犬が互いに助け合うというのは他ではあるものではなく、董邵南がこれを感化させたもので、天より下された祥瑞である。
彷徨 うろつく。

躑躅 行きつもどりつする。


嗟哉董生,誰將與儔?
ああ 董邵南の徳行は、誰をきみにくらべることができようか。

儔「仲間」という意味合いが強いが、「かざす」「覆い隠す」という意味もある。【儔匹(チュウヒツ)】【儔倫(チュウリン)】【儔侶(チュウリョ)】【儔類(チュウルイ)】【儔儷[5136](チュウレイ)】はどれも「仲間」とか「たぐい」の意。
時之人,夫妻相虐,兄弟爲讎。
顧みれば、今の世間の人というものは、夫婦が互いに苦しめ合い、兄弟同士でがまるで仇のようになる。


食君之祿,而令父母愁。
仕官して天子からから俸禄をもらうというのは、碌な事しかできず、父母を泣かせている連中がいるのである。


亦獨何心,嗟哉董生,無與儔。
これはいったいどんな気持ちというのだろうか、ああ 董邵南の徳行するものはいないのである。
Ta唐 長安近郊圖  新02 

38-(3) 《巻02-24(改訂版)嗟哉董生行 -#3》韓愈(韓退之)ID 799年貞元15年 32歳<1328> Ⅱ韓昌黎集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5624

韓愈《巻02-24(改訂版)嗟哉董生行 -#3そうであっても、父母はくよくよしないし、妻子もあくせくしないのである。ああ 董邵南、きみは孝行もので情ぶかい、このことを、人は気がつかないことであるが、天の神さまだけはご存じで、ひっきりなしに、幸せな喜ばしいことをおくだしになる。

 


38-3) 《巻02-24(改訂版)嗟哉董生行 -#3》韓愈(韓退之)ID  799年貞元15 32歳<1328> Ⅱ韓昌黎集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5624韓愈詩-38-3

 

 

年:799年貞元15 32

卷別: 卷三三七      文體: 雜言古詩

詩題: 嗟哉董生行

作地點:      徐州(河南道 / 徐州 / 徐州)

及地點:      桐柏山 (山南東道 隨州 桐柏山)       

壽州 (淮南道壽州 壽州) 別名:壽陽  

安豐 (淮南道壽州 安豐)     

交遊人物:董召南    

 

 

嗟哉董生行 -#1

(ああ嘆かわしい世だ、敬慕する董邵南の歌。)
淮水出桐柏,山東馳遙遙千里不能休。

淮水は胎簪山を水源にして桐柏山のふもとをめぐり、滔々と流れ出でている、そして、山の東へはるばる馳せ流れる、遙遙千里の間休むことなくどこまでも流れゆく。
淝水出其側,不能千里百里入淮流。

その支流に淝水があり、その水源の傍から出ており、淮水のように千里とはいかないが百里の間屈曲して流れ、淮水に注流する。
壽州屬縣有安豐,唐貞元時縣人董生召南隱居行義於其中。

この二つの河に取り囲まれた、そこに壽州があり、その屬縣の安豐縣というところが有る、唐の徳宗の貞元時代に、その県人の董召南という人が隠遁していて、知識人であるのに仕官せず、民間にいて正義や忠義を心の中に持っていて行いの正しいことをしている。
刺史不能薦,天子不聞名聲。

董邵南は徳行の君子であるがために、州長官ごときがこれを推薦することができないでいたのだ、したがって、天子もその名声を聞き及ぶことはなく、爵禄が門におよぶことがなかったのだ。
(嗟哉【ああ】董生の行【うた】)
准水【わいすい】は桐柏【とうはく】より出で、山東に馳【は】せて 遙遙【ようよう】、千里 休む能【あた】はず。
淝水【ひすい】は其の側【かたわら】に出で、千里なる能はざれども、百里にして淮に入りて 流る。
壽州【じゅしゅう】の屬縣【ぞくけん】に安豊【あんぽう】有り、唐の貞元【ていげん】の時、縣人の董生【とうせい】召南【しょうなん】あり、隠れ居【す】みて 義を其の中【うち】に行ふ。
刺史【しし】は薦むる能はず、天子は名聾を聞かず。

-#2

爵祿不及門,門外惟有吏,日來徵租更索錢。

俸禄が門を開けて家にとどくはずがない、門戸に税吏だけがあり、毎日やって来て納税の督促し、そのうえ「わいろ=小銭」を要求する、これはむかしからそうなのである。
嗟哉董生朝出耕,夜歸讀古人書,盡日不得息。

ああ 董召南、こんなことじゃ朝家を出て畑を耕し、夜帰って古人の書を読むのが毎日のことだが、これじゃ一日中、休むこともできないありさまだ。

或山而樵,或水而漁。

また、ある日は山で木こりをし、ある日は川で漁師をする。
入廚具甘旨,上堂問起居。

そうして、台所に入りご飯仕度でうまいものを作り、奥座敷の親のために、部屋に出向いて鄭重にご機嫌をうかがっている。
#2
爵祿【しゃくろく】門に及ばず、門外 惟【ただ】吏【り】あるのみ、日に来って租を徹し更に餞を索【もと】む。
嗟哉【ああ】董生【とうせい】、朝に出でて耕し、夜は掃って古人の書を読む、尽日 息ふことを得ず。
或は山に樵【しょう】し、或は水に漁す。
厨【くりや】に入って甘旨【かんし】を具【ととの】へ、堂に上って起居を問ふ。

-#3

父母不慼慼,妻子不咨咨。

嗟哉董生孝且慈,人不識,惟有天翁知,生祥下瑞無時期。

家有狗乳出求食,雞來哺其兒。

啄啄庭中拾蟲蟻,哺之不食鳴聲悲。

 

#3
父母は戚戚たらず、妻子は咨咨【しし】たらず。
嗟哉【ああ】董生【とうせい】 孝にして且 慈【じ】、人識らず、惟 天翁【てんおう】のみ知る有り、祥を生じ 瑞【ずき】を下し 時期 無し。

家に狗【いぬ】の乳する有り 出でて食を求む、鷄【にわとり】来って その児【こ】を哺【はぐく】まむとす。
啄啄【たくたく】として庭中に蟲蟻【ちゅうぎ】を拾ふ、之を哺【はぐく】ましめむとすれども食はず 鳴く聲悲し。

-#4

徬徨躑躅久不去,以翼來復待狗歸。

嗟哉董生,誰將與儔。

時之人,夫妻相虐,兄弟為讎。

食君之祿,而令父母愁,亦獨何心,嗟哉董生無與儔。

 

#4
彷徨【ほうこう】し躑躅【てきちょく】して 久しく去らず、翼を以て来り覆うて 狗の歸るを待つ。
嗟哉 董生、誰を以てか與【とも】に儔【たぐ】へむ。
時の人、夫妻 相 虐【さいな】み 兄弟讎【あた】を爲す。
君の祿を食【は】み、而【しか】も 父母をして愁へしむ。
亦 濁り何の心ぞ、嗟哉 董生、與【とも】に儔【たぐ】へむもの無し。

山南東道北部唐州随州01 

《巻02-24(改訂版)嗟哉董生行 -#3

『嗟哉董生行』 現代語訳と訳註解説
(
本文)
-#3

父母不慼慼,妻子不咨咨。

嗟哉董生孝且慈,人不識,惟有天翁知,生祥下瑞無時期。

家有狗乳出求食,雞來哺其兒。

啄啄庭中拾蟲蟻,哺之不食鳴聲悲。


(下し文) #3

父母は戚戚たらず、妻子は咨咨【しし】たらず。

嗟哉【ああ】董生【とうせい】 孝にして且 慈【じ】、人識らず、惟 天翁【てんおう】のみ知る有り、祥を生じ 瑞【ずき】を下し 時期 無し。

家に狗【いぬ】の乳する有り 出でて食を求む、鷄【にわとり】来って その児【こ】を哺【はぐく】まむとす。

啄啄【たくたく】として庭中に蟲蟻【ちゅうぎ】を拾ふ、之を哺【はぐく】ましめむとすれども食はず 鳴く聲悲し。

(現代語訳)
そうであっても、父母はくよくよしないし、妻子もあくせくしないのである。
ああ 董邵南、きみは孝行もので情ぶかい、このことを、人は気がつかないことであるが、天の神さまだけはご存じで、ひっきりなしに、幸せな喜ばしいことをおくだしになる。

家に仔犬をそだてる母犬がいた、その犬が子を生んで 餌をさがしに出る、すると鶏がやって来て 犬の子に食べさせようとする。
コツコツと庭の虫や蟻を拾ってきて、口移しで食べさせようとするのだが 食べないで悲しげに鳴いている。
汜水関などの地図
(訳注)  《巻02-24(改訂版)嗟哉董生行 -#3

嗟哉董生行  2
(ああ嘆かわしい世だ、敬慕する董召南の歌。)
嗟哉董生行 底本巻二。董召南というすぐれた民間知識人をたたえたうた。嗟哉は「ああ」。董生は董召南をさす。生はもと学者という意味で、唐の時代には、くん、とか、さん、とかぐらいの敬称として用いられた。は詩体の一種。「男はつらいよ」の寅さんが口上を言うような詩である。このブログでは、漢詩の訳文を「現代詩」として付くことはしない事としている。できるだけ漢詩の意味が深く理解できるように考えて掲載しているが、この詩は、韓愈が啖呵を切るため、あるいは強調するため五言を四言にしたり、七言を六言にしている。その表現については原文に空白にしてあらわした。

董召南 壽州安豐の人。召は邵ともする。韓愈は、別に、《送董卲南序(送董生遊河北序)》をつくっている。“董生は進士に舉げられ,連【しき】りに誌に於て有司に得ず。”而して此の詩を敘り其の孝且つ慈は此の如し。蘇翰林も《蘇州姚氏三瑞堂》をつくっていて、その詩に雲う:“君見ずや 董召南,隱居し 義を行って孝且つ慈なり。天公 亦た人知無きを恐れ,故に雞狗 相い哺兒せられて,又た韓老は作詩を為さしむる。爾來 三百年,名は淮水に與って馳す。”と言っている。この詩はもっぱら、敬慕の意を述べるものである。

《送董卲南序(送董生遊河北序)》燕趙古稱多慷慨悲歌之士。

董生舉進士,連不得志於有司,

懷抱利器,鬱鬱適茲土。

吾知其必有合也。董生勉乎哉!

(董生に対して、燕に行かずに、朝廷に仕えよという意を諷したものである。)

董邵南は寿州(安徽省)安豊の人、孝行ものであった。韓愈は「嗟哉董生行」という詩を贈った。その河北に行くのを送った序である。

貞元中に仕官の道が絶えたので、各地の節度傍らが人材を招いて参謀とし、朝命を奉ぜず専横を極めた。董邵南も河北の潘鎮に招かれて行くのを、韓愈は大義上不賛成の意を含んで、この送序を作って諷した。

31 《讀巻04-15 送董卲南序》韓愈(韓退之)ID 795年貞元11年 28歳<1277 Ⅱ唐宋八大家文読本 巻三 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5369

31-#2 《讀巻04-15-#2 送董卲南序》韓愈(韓退之)ID 795年貞元11年 28歳<1278 Ⅱ唐宋八大家文読本 巻三 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5374

31-#3 《讀巻04-15-#3 送董卲南序》韓愈(韓退之)ID 795年貞元11年 28歳<1279 Ⅱ唐宋八大家文読本 巻三 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5379韓愈詩-31-#3

 

父母不戚戚,妻子不咨咨。
そうであっても、父母はくよくよしないし、妻子もあくせくしないのである。
戚戚 くよくよする。《詩経・大雅 生民之什 行葦》「戚戚兄弟 莫遠具爾」(戚戚たる兄弟遠ざかること莫くして具に爾【ちか】し).

杜甫出塞 九首 其一

戚戚去故裡,悠悠赴交河。

公家有程期,亡命嬰禍羅。

君已富士境,開邊一何多?

父母恩,吞聲行負戈。

これから、がまんをして、もの悲しく思いながら故郷を去るのだ、はるかかなたの交河県の方へと赴くのである。

公家の軍隊には作戦日程があり、何時までに何処へ着くという破れない決まりがあるし、途中で命令違反や、放棄、逃亡すれば刑罰の網は容赦ないのだ。

我が君は己に秦、隋よりずっとたくさんの領地を手に入れておられるのに、なんでまだそんなに多く辺地を成敗して開拓しょうとなさるのであろうか。

天子に与えられたこの命、父母の恩より天子の恩に報いるため、しかたがない、父母の恩愛をふりすてて、泣き声を飲み込んでしながら、ほこを背負いひいて行くのだ。

前出塞九首 其一 杜甫

咨咨 あくせくする。


嗟哉董生、孝且慈,人不識,惟有天翁知,生祥下瑞無時期。
ああ 董邵南、きみは孝行もので情ぶかい、このことを、人は気がつかないことであるが、天の神さまだけはご存じで、ひっきりなしに、幸せな喜ばしいことをおくだしになる。

孝且慈 孝は目上のものに対する、慈は目下のものに対する、やさしさ。

天翁 唐代には、物語の中で、天の神をこういった。天のあるじ、天帝のことである。

生祥下瑞 祥、瑞すなわち奇蹟をあらわした。

無時期 やむときがない。ひっきりなしに、というほどの意。

 

家有狗乳出求食,雞來哺其兒。
家に仔犬をそだてる母犬がいた、その犬が子を生んで 餌をさがしに出る、すると鶏がやって来て 犬の子に食べさせようとする。
 乳をのませる。家有狗乳は、家に仔犬をそだてる母犬がいた。

 口うつしに食物を与えること。


啄啄庭中拾蟲蟻,哺之不食鳴聲悲。
コツコツと庭の虫や蟻を拾ってきて、口移しで食べさせようとするのだが 食べないで悲しげに鳴いている。
啄啄 ついばみついばむ。タクタクという字音が、こつこつついばむさまをたくみに表現している。陶侃「山鷄啄蟲蟻」杜甫《1818 縛鶏行》「家中厭鶏食虫蟻」の句がある。

鳴声悲 仔犬は腹がへって鳴く声が悲しそうだ。

 
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 ●杜甫の全作品1500首を訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。" 
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 杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩) 杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首 
 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
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38-(2) 《巻02-24(改訂版)嗟哉董生行 -#2》韓愈(韓退之)ID 799年貞元15年 32歳<1327> Ⅱ韓昌黎集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5619

韓愈《巻02-24(改訂版)嗟哉董生行 -#2俸禄が門を開けて家にとどくはずがない、門戸に税吏だけがあり、毎日やって来て納税の督促し、そのうえ「わいろ=小銭」を要求する、これはむかしからそうなのである。ああ 董召南、こんなことじゃ朝家を出て畑を耕し、夜帰って古人の書を読むのが毎日のことだが、これじゃ一日中、休むこともできないありさまだ。

 
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 ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場 
 Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
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38-(2) 《巻02-24(改訂版)嗟哉董生行 -#2》韓愈(韓退之)I 799年貞元15年 32歳<1327> Ⅱ韓昌黎集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5619 
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 Ⅲ杜甫詩全1500首   LiveDoorブログ766年大暦元年55歲-41-#2奉節-32-#2 《巻16-04 八哀詩八首〔二〕故司徒李公光弼 -2》 杜甫index-15 杜甫<904-2> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5620 
 杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩) 杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首 
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 Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoor『花間集』全詩訳注解説(改訂版)-6韋荘84《巻2-34 菩薩蠻五首其一》二巻34-〈84〉漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-5622 
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38-2) 《巻02-24(改訂版)嗟哉董生行 -#2》韓愈(韓退之)ID  799年貞元15 32歳<1327> Ⅱ韓昌黎集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5619

 

韓愈詩-38-2

 

 

詩文(含異文)      

爵祿不及門,門外惟有吏,日來徵租更索錢。

嗟哉董生朝出耕【嗟哉董生朝出至】,夜歸讀古人書,盡日不得息。

或山而樵【或山于樵】,或水而漁【或水于漁】。

入廚具甘旨,上堂問起居。

 

父母不慼慼,妻子不咨咨。

嗟哉董生孝且慈,人不識,惟有天翁知,生祥下瑞無時期。

家有狗乳出求食,雞來哺其兒。

啄啄庭中拾蟲蟻,哺之不食鳴聲悲。

 

詩文(含異文)      

徬徨躑躅久不去,以翼來復待狗歸。

嗟哉董生,誰將與儔。

時之人,夫妻相虐,兄弟為讎。

食君之祿,而令父母愁,亦獨何心,嗟哉董生無與儔【嗟哉董生誰將與儔】【嗟哉董生誰與儔】。

 

 

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韓愈詩-38-2

 

 

年:799年貞元15 32

卷別: 卷三三七      文體: 雜言古詩

詩題: 嗟哉董生行

作地點:      徐州(河南道 / 徐州 / 徐州)

及地點:      桐柏山 (山南東道 隨州 桐柏山)       

壽州 (淮南道壽州 壽州) 別名:壽陽  

安豐 (淮南道壽州 安豐)     

交遊人物:董召南    

 

 

嗟哉董生行 -#1

(ああ嘆かわしい世だ、敬慕する董邵南の歌。)
淮水出桐柏,山東馳遙遙千里不能休。

淮水は胎簪山を水源にして桐柏山のふもとをめぐり、滔々と流れ出でている、そして、山の東へはるばる馳せ流れる、遙遙千里の間休むことなくどこまでも流れゆく。
淝水出其側,不能千里百里入淮流。

その支流に淝水があり、その水源の傍から出ており、淮水のように千里とはいかないが百里の間屈曲して流れ、淮水に注流する。
壽州屬縣有安豐,唐貞元時縣人董生召南隱居行義於其中。

この二つの河に取り囲まれた、そこに壽州があり、その屬縣の安豐縣というところが有る、唐の徳宗の貞元時代に、その県人の董召南という人が隠遁していて、知識人であるのに仕官せず、民間にいて正義や忠義を心の中に持っていて行いの正しいことをしている。
刺史不能薦,天子不聞名聲。

董邵南は徳行の君子であるがために、州長官ごときがこれを推薦することができないでいたのだ、したがって、天子もその名声を聞き及ぶことはなく、爵禄が門におよぶことがなかったのだ。
(嗟哉【ああ】董生の行【うた】)
准水【わいすい】は桐柏【とうはく】より出で、山東に馳【は】せて 遙遙【ようよう】、千里 休む能【あた】はず。
淝水【ひすい】は其の側【かたわら】に出で、千里なる能はざれども、百里にして淮に入りて 流る。
壽州【じゅしゅう】の屬縣【ぞくけん】に安豊【あんぽう】有り、唐の貞元【ていげん】の時、縣人の董生【とうせい】召南【しょうなん】あり、隠れ居【す】みて 義を其の中【うち】に行ふ。
刺史【しし】は薦むる能はず、天子は名聾を聞かず。

-#2

爵祿不及門,門外惟有吏,日來徵租更索錢。

俸禄が門を開けて家にとどくはずがない、門戸に税吏だけがあり、毎日やって来て納税の督促し、そのうえ「わいろ=小銭」を要求する、これはむかしからそうなのである。
嗟哉董生朝出耕,夜歸讀古人書,盡日不得息。

ああ 董召南、こんなことじゃ朝家を出て畑を耕し、夜帰って古人の書を読むのが毎日のことだが、これじゃ一日中、休むこともできないありさまだ。

或山而樵,或水而漁。

また、ある日は山で木こりをし、ある日は川で漁師をする。
入廚具甘旨,上堂問起居。

そうして、台所に入りご飯仕度でうまいものを作り、奥座敷の親のために、部屋に出向いて鄭重にご機嫌をうかがっている。
#2
爵祿【しゃくろく】門に及ばず、門外 惟【ただ】吏【り】あるのみ、日に来って租を徹し更に餞を索【もと】む。
嗟哉【ああ】董生【とうせい】、朝に出でて耕し、夜は掃って古人の書を読む、尽日 息ふことを得ず。
或は山に樵【しょう】し、或は水に漁す。
厨【くりや】に入って甘旨【かんし】を具【ととの】へ、堂に上って起居を問ふ。

-#3

父母不慼慼,妻子不咨咨。

嗟哉董生孝且慈,人不識,惟有天翁知,生祥下瑞無時期。

家有狗乳出求食,雞來哺其兒。

啄啄庭中拾蟲蟻,哺之不食鳴聲悲。

-#4

徬徨躑躅久不去,以翼來復待狗歸。

嗟哉董生,誰將與儔。

時之人,夫妻相虐,兄弟為讎。

食君之祿,而令父母愁,亦獨何心,嗟哉董生無與儔。

 

#3
父母は戚戚たらず、妻子は咨咨【しし】たらず。
嗟哉【ああ】董生【とうせい】 孝にして且 慈【じ】、人識らず、惟 天翁【てんおう】のみ知る有り、祥を生じ 瑞【ずき】を下し 時期 無し。

家に狗【いぬ】の乳する有り 出でて食を求む、鷄【にわとり】来って その児【こ】を哺【はぐく】まむとす。
啄啄【たくたく】として庭中に蟲蟻【ちゅうぎ】を拾ふ、之を哺【はぐく】ましめむとすれども食はず 鳴く聲悲し。

#4
彷徨【ほうこう】し躑躅【てきちょく】して 久しく去らず、翼を以て来り覆うて 狗の歸るを待つ。
嗟哉 董生、誰を以てか與【とも】に儔【たぐ】へむ。
時の人、夫妻 相 虐【さいな】み 兄弟讎【あた】を爲す。
君の祿を食【は】み、而【しか】も 父母をして愁へしむ。
亦 濁り何の心ぞ、嗟哉 董生、與【とも】に儔【たぐ】へむもの無し。

Ta唐 長安近郊圖  新02
《巻02-24(改訂版)嗟哉董生行 -#2

『(改訂版)嗟哉董生行』 現代語訳と訳註解説
(
本文)
嗟哉董生行  2

-#2

爵祿不及門,門外惟有吏,日來徵租更索錢。

嗟哉董生朝出耕,夜歸讀古人書,盡日不得息。

或山而樵,或水而漁。

入廚具甘旨,上堂問起居。


(下し文)#2

爵祿【しゃくろく】門に及ばず、門外 惟【ただ】吏【り】あるのみ、日に来って租を徹し更に餞を索【もと】む。

嗟哉【ああ】董生【とうせい】、朝に出でて耕し、夜は掃って古人の書を読む、尽日 息ふことを得ず。

或は山に樵【しょう】し、或は水に漁す。

厨【くりや】に入って甘旨【かんし】を具【ととの】へ、堂に上って起居を問ふ。


(現代語訳)
俸禄が門を開けて家にとどくはずがない、門戸に税吏だけがあり、毎日やって来て納税の督促し、そのうえ「わいろ=小銭」を要求する、これはむかしからそうなのである。
ああ 董召南、こんなことじゃ朝家を出て畑を耕し、夜帰って古人の書を読むのが毎日のことだが、これじゃ一日中、休むこともできないありさまだ。

また、ある日は山で木こりをし、ある日は川で漁師をする。
そうして、台所に入りご飯仕度でうまいものを作り、奥座敷の親のために、部屋に出向いて鄭重にご機嫌をうかがっている。

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(
訳注)

《巻02-24(改訂版)嗟哉董生行 -#2
嗟哉董生行  2
(ああ嘆かわしい世だ、敬慕する董召南の歌。)
嗟哉董生行 底本巻二。董召南というすぐれた民間知識人をたたえたうた。嗟哉は「ああ」。董生は董召南をさす。生はもと学者という意味で、唐の時代には、くん、とか、さん、とかぐらいの敬称として用いられた。は詩体の一種。「男はつらいよ」の寅さんが口上を言うような詩である。このブログでは、漢詩の訳文を「現代詩」として付くことはしない事としている。できるだけ漢詩の意味が深く理解できるように考えて掲載しているが、この詩は、韓愈が啖呵を切るため、あるいは強調するため五言を四言にしたり、七言を六言にしている。その表現については原文に空白にしてあらわした。

董召南 壽州安豐の人。召は邵ともする。韓愈は、別に、送董卲南序(送董生遊河北序》をつくっている。“董生は進士に舉げられ,連【しき】りに誌に於て有司に得ず。”而して此の詩を敘り其の孝且つ慈は此の如し。蘇翰林も《蘇州姚氏三瑞堂》をつくっていて、その詩に雲う:“君見ずや 董召南,隱居し 義を行って孝且つ慈なり。天公 亦た人知無きを恐れ,故に雞狗 相い哺兒せられて,又た韓老は作詩を為さしむる。爾來 三百年,名は淮水に與って馳す。”と言っている。この詩はもっぱら、敬慕の意を述べるものである。

《送董卲南序(送董生遊河北序)》燕趙古稱多慷慨悲歌之士。

董生舉進士,連不得志於有司,

懷抱利器,鬱鬱適茲土。

吾知其必有合也。董生勉乎哉!

(董生に対して、燕に行かずに、朝廷に仕えよという意を諷したものである。)

董邵南は寿州(安徽省)安豊の人、孝行ものであった。韓愈は「嗟哉董生行」という詩を贈った。その河北に行くのを送った序である。

貞元中に仕官の道が絶えたので、各地の節度傍らが人材を招いて参謀とし、朝命を奉ぜず専横を極めた。董邵南も河北の潘鎮に招かれて行くのを、韓愈は大義上不賛成の意を含んで、この送序を作って諷した。

31 《讀巻04-15 送董卲南序》韓愈(韓退之)ID 795年貞元11年 28歳<1277 Ⅱ唐宋八大家文読本 巻三 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5369

31-#2 《讀巻04-15-#2 送董卲南序》韓愈(韓退之)ID 795年貞元11年 28歳<1278 Ⅱ唐宋八大家文読本 巻三 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5374

31-#3 《讀巻04-15-#3 送董卲南序》韓愈(韓退之)ID 795年貞元11年 28歳<1279 Ⅱ唐宋八大家文読本 巻三 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5379韓愈詩-31-#3

 

爵祿不及門,門外惟有吏,日來征租更索錢。
俸禄が門を開けて家にとどくはずがない、門戸に税吏だけがあり、毎日やって来て納税の督促し、そのうえ「わいろ=小銭」を要求する、これはむかしからそうなのである。
○吏 官吏は、天子が直接任命する官と、出先官庁が雇う吏とからなり、吏は書吏とも背丈とも称する。官は転任することが多いが、吏は転任せず、官の下役として官庁の実務にあたった。ここにうたわれる吏は徴税吏である。

更索銭 税金を徴収した上、さらにワイロを出せと請求する。これまた「古来非独今」である。
從仕  (韓愈)
居閑食不足,從仕力難任。
閑に居れば 食ふもの足らず、仕に從へば 力 任へ難し
兩事皆害性,一生恒苦心。兩事 皆 性を害す、一生 恆【つね】に心を苦む。
黄昏歸私室,惆悵起歎音。黄昏【こうこん】私室に歸り、惆悵して歎音【たんおん】を起す。
棄置人間世,古來非獨今。人間【じんかん】の世を棄置【きち】せむに、古來 獨り今のみに非ず。

むかしからそうなのであった。ただ現代、現実としてそうなのではない。

從仕 Ⅱ韓退之(韓愈)詩<41>314 紀頌之の漢詩ブログ 1021

 

唐「天聖戸令」に「人戸をしてその丁口田宅の實を具さしむ」(『続資治通艦長編』巻二五四神宗熙寧七年癸亥条呂恵郷議、『唐令拾遺』240頁)との記録があり、「唐」『唐令拾遺』239頁、『唐令要』巻八五団貌、『冊府元亀』巻四八六邦計部戸籍、などに規定がある。

 「計帳」とは一定の地域の人民の集計表をいう。


嗟哉董生、朝出耕,夜歸讀古人書,盡日不得息。
ああ 董召南、こんなことじゃ朝家を出て畑を耕し、夜帰って古人の書を読むのが毎日のことだが、これじゃ一日中、休むこともできないありさまだ。
古人書 韓愈雜詩』「古史散左右、詩書置後前。」(古史 左右に散じ、詩書 後前【こうぜん】に置く。)とある。古代の歴史の巻々は左右において勉学しているのでどうしても散らばりがちになってしまう。『詩経』『書経』詩人の詩文を前後において私の詩作に生かしている。

古史散左右、詩書置後前。古史 左右に散じ、詩書 後前【こうぜん】に置く
豈殊蠧書蟲、生死文字閒。豈に殊【こと】ならむや 蠧書蟲の、文字の閒に生死するに
古道白愚憃、古言自包纏。古道は自らを愚憃【ぐとう】にし、古言は自らを包纏す。
當今固殊古、誰與爲欣歓。當今は固より古と殊なれり、誰と與にか欣歓をなさむ。
雜詩 #1 Ⅱ-311韓退之(韓愈)40  紀頌之の漢詩ブログ1012


或山而樵,或水而漁。
また、ある日は山で木こりをし、ある日は川で漁師をする。
或山樵、戎水 二つの字を于とするものもある。この語法も韓愈の古文復活を示すところ。詩経を模したもの。


入廚具甘旨,上堂問起居。
そうして、台所に入りご飯仕度でうまいものを作り、奥座敷の親のために、部屋に出向いて鄭重にご機嫌をうかがっている。
 台所。男が親のために、みずから調理することは中国では孝行の定型の一つである。

上堂 家の中で最もよい部屋が堂であって、そこに父母を住まわせる。だから父母のことを堂上ともいう。父母のいる部室に入ることを上堂という。

問起居 起き居が安らかであるかどうかをたずねる。すなわち、ごきげんをぅかがうこと。朝夕起居を問うのが子の親に対する礼儀とされる。

 

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韓愈《巻02-24(改訂版)嗟哉董生行 -#1この二つの河に取り囲まれた、そこに壽州があり、その屬縣の安豐縣というところが有る、唐の徳宗の貞元時代に、その県人の董召南という人が隠遁していて、知識人であるのに仕官せず、民間にいて正義や忠義を心の中に持っていて行いの正しいことをしている。

 
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年:799年貞元15 32

卷別: 卷三三七      文體: 雜言古詩

詩題: 嗟哉董生行

作地點:      徐州(河南道 / 徐州 / 徐州)

及地點:      桐柏山 (山南東道 隨州 桐柏山)       

壽州 (淮南道壽州 壽州) 別名:壽陽  

安豐 (淮南道壽州 安豐)     

交遊人物:董召南    

 

 

嗟哉董生行 -#1

淮水出桐柏,山東馳遙遙千里不能休。

淝水出其側,不能千里百里入淮流。

壽州屬縣有安豐,唐貞元時縣人董生召南隱居行義於其中。

刺史不能薦,天子不聞名聲。

(ああ嘆かわしい世だ、敬慕する董邵南の歌。)
淮水は胎簪山を水源にして桐柏山のふもとをめぐり、滔々と流れ出でている、そして、山の東へはるばる馳せ流れる、遙遙千里の間休むことなくどこまでも流れゆく。
その支流に淝水があり、その水源の傍から出ており、淮水のように千里とはいかないが百里の間屈曲して流れ、淮水に注流する。
この二つの河に取り囲まれた、そこに壽州があり、その屬縣の安豐縣というところが有る、唐の徳宗の貞元時代に、その県人の董召南という人が隠遁していて、知識人であるのに仕官せず、民間にいて正義や忠義を心の中に持っていて行いの正しいことをしている。
董邵南は徳行の君子であるがために、州長官ごときがこれを推薦することができないでいたのだ、したがって、天子もその名声を聞き及ぶことはなく、爵禄が門におよぶことがなかったのだ。
(嗟哉【ああ】董生の行【うた】)
准水【わいすい】は桐柏【とうはく】より出で、山東に馳【は】せて 遙遙【ようよう】、千里 休む能【あた】はず。
淝水【ひすい】は其の側【かたわら】に出で、千里なる能はざれども、百里にして淮に入りて 流る。
壽州【じゅしゅう】の屬縣【ぞくけん】に安豊【あんぽう】有り、唐の貞元【ていげん】の時、縣人の董生【とうせい】召南【しょうなん】あり、隠れ居【す】みて 義を其の中【うち】に行ふ。
刺史【しし】は薦むる能はず、天子は名聾を聞かず。

-#2

爵祿不及門,門外惟有吏,日來徵租更索錢。

嗟哉董生朝出耕,夜歸讀古人書,盡日不得息。

或山而樵,或水而漁。

入廚具甘旨,上堂問起居。

-#3

父母不慼慼,妻子不咨咨。

嗟哉董生孝且慈,人不識,惟有天翁知,生祥下瑞無時期。

家有狗乳出求食,雞來哺其兒。

啄啄庭中拾蟲蟻,哺之不食鳴聲悲。

-#4

徬徨躑躅久不去,以翼來復待狗歸。

嗟哉董生,誰將與儔。

時之人,夫妻相虐,兄弟為讎。

食君之祿,而令父母愁,亦獨何心,嗟哉董生無與儔。

 

#2
爵祿【しゃくろく】門に及ばず、門外 惟【ただ】吏【り】あるのみ、日に来って租を徹し更に餞を索【もと】む。
嗟哉【ああ】董生【とうせい】、朝に出でて耕し、夜は掃って古人の書を読む、尽日 息ふことを得ず。
或は山に樵【しょう】し、或は水に漁す。
厨【くりや】に入って甘旨【かんし】を具【ととの】へ、堂に上って起居を問ふ。

#3
父母は戚戚たらず、妻子は咨咨【しし】たらず。
嗟哉【ああ】董生【とうせい】 孝にして且 慈【じ】、人識らず、惟 天翁【てんおう】のみ知る有り、祥を生じ 瑞【ずき】を下し 時期 無し。

家に狗【いぬ】の乳する有り 出でて食を求む、鷄【にわとり】来って その児【こ】を哺【はぐく】まむとす。
啄啄【たくたく】として庭中に蟲蟻【ちゅうぎ】を拾ふ、之を哺【はぐく】ましめむとすれども食はず 鳴く聲悲し。

#4
彷徨【ほうこう】し躑躅【てきちょく】して 久しく去らず、翼を以て来り覆うて 狗の歸るを待つ。
嗟哉 董生、誰を以てか與【とも】に儔【たぐ】へむ。
時の人、夫妻 相 虐【さいな】み 兄弟讎【あた】を爲す。
君の祿を食【は】み、而【しか】も 父母をして愁へしむ。
亦 濁り何の心ぞ、嗟哉 董生、與【とも】に儔【たぐ】へむもの無し。

韓愈の地図0055
《巻02-24(改訂版)嗟哉董生行 -#1

『(改訂版)嗟哉董生行』 現代語訳と訳註解説
(
本文)
嗟哉董生行  #1
淮水出桐柏,山東馳遙遙千里不能休。

淝水出其側,不能千里百里入淮流。

壽州屬縣有安豐,唐貞元時縣人董生召南隱居行義於其中。

刺史不能薦,天子不聞名聲。

詩文(含異文)      

淮水出桐柏,山東馳遙遙千里不能休【山東馳悠悠千里不能休】。

淝水出其側,不能千里百里入淮流。

壽州屬縣有安豐,唐貞元時縣人董生召南隱居行義於其中。

刺史不能薦,天子不聞名聲。


(下し文)
(嗟哉【ああ】董生の行【うた】)#1
准水【わいすい】は桐柏【とうはく】より出で、山の東に馳【は】せて 遙遙【ようよう】、千里 休む能【あた】はず。
淝水【ひすい】は其の側【かたわら】に出で、千里なる能はざれども、百里 淮に入りて 流る。
壽州【じゅしゅう】の屬縣【ぞくけん】に安豊【あんぽう】有り、唐の貞元【ていげん】の時、縣人の董生【とうせい】召南【しょうなん】あり、隠れ居【す】みて 義を其の中【うち】に行ふ。
刺史【しし】は薦むる能はず、天子は名聾を聞かず。


(現代語訳)
(ああ嘆かわしい世だ、敬慕する董邵南の歌。)
淮水は胎簪山を水源にして桐柏山のふもとをめぐり、滔々と流れ出でている、そして、山の東へはるばる馳せ流れる、遙遙千里の間休むことなくどこまでも流れゆく。
その支流に淝水があり、その水源の傍から出ており、淮水のように千里とはいかないが百里の間屈曲して流れ、淮水に注流する。
この二つの河に取り囲まれた、そこに壽州があり、その屬縣の安豐縣というところが有る、唐の徳宗の貞元時代に、その県人の董召南という人が隠遁していて、知識人であるのに仕官せず、民間にいて正義や忠義を心の中に持っていて行いの正しいことをしている。
董邵南は徳行の君子であるがために、州長官ごときがこれを推薦することができないでいたのだ、したがって、天子もその名声を聞き及ぶことはなく、爵禄が門におよぶことがなかったのだ。

汜水関などの地図(訳注)

《巻02-24(改訂版)嗟哉董生行 -#1
嗟哉董生行  #1
(ああ嘆かわしい世だ、敬慕する董生の歌。)
嗟哉董生行 底本巻二。董召南というすぐれた民間知識人をたたえたうた。嗟哉は「ああ」。董生は董召南をさす。生はもと学者という意味で、唐の時代には、くん、とか、さん、とかぐらいの敬称として用いられた。は詩体の一種。「男はつらいよ」の寅さんが口上を言うような詩である。このブログでは、漢詩の訳文を「現代詩」として付くことはしない事としている。できるだけ漢詩の意味が深く理解できるように考えて掲載しているが、この詩は、韓愈が啖呵を切るため、あるいは強調するため五言を四言にしたり、七言を六言にしている。その表現については原文に空白にしてあらわした。

董召南 壽州安豐の人。召は邵ともする。韓愈は、別に、送董卲南序送董生遊河北序っている。“董生進士,連有司”而して此の詩を敘り其の孝且つ慈は此の如し。蘇翰林も《蘇州姚氏三瑞堂》をつくっていて、その詩に雲う:“君見ずや 董召南,隱居し 義を行って孝且つ慈なり。天公 亦た人知無きを恐れ,故に雞狗 相い哺兒せられて,又た韓老は作詩を為さしむる。爾來 三百年,名は淮水に與って馳す。”と言っている。この詩はもっぱら、敬慕の意を述べるものである。

《送董卲南序(送董生遊河北序)》燕趙古稱多慷慨悲歌之士。

董生舉進士,連不得志於有司,

懷抱利器,鬱鬱適茲土。

吾知其必有合也。董生勉乎哉!

(董生に対して、燕に行かずに、朝廷に仕えよという意を諷したものである。)

董邵南は寿州(安徽省)安豊の人、孝行ものであった。韓愈は「嗟哉董生行」という詩を贈った。その河北に行くのを送った序である。

貞元中に仕官の道が絶えたので、各地の節度傍らが人材を招いて参謀とし、朝命を奉ぜず専横を極めた。董邵南も河北の潘鎮に招かれて行くのを、韓愈は大義上不賛成の意を含んで、この送序を作って諷した。

31 《讀巻04-15 送董卲南序》韓愈(韓退之)ID 795年貞元11 28歳<1277 Ⅱ唐宋八大家文読本 巻三 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5369

31-#2 《讀巻04-15-#2 送董卲南序》韓愈(韓退之)ID 795年貞元11年 28歳<1278 Ⅱ唐宋八大家文読本 巻三 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5374

31-#3 《讀巻04-15-#3 送董卲南序》韓愈(韓退之)ID 795年貞元11年 28歳<1279 Ⅱ唐宋八大家文読本 巻三 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5379韓愈詩-31-#3


淮水出桐柏,山東馳遙遙,千里不能休。
准水【わいすい】は桐柏【とうはく】より出で、山東に馳【は】せて 遙遙【ようよう】、千里 休む能【あた】はず。
淮水は胎簪山を水源にして桐柏山のふもとをめぐり、滔々と流れ出でている、そして、山の東へはるばる馳せ流れる、遙遙千里の間休むことなくどこまでも流れゆく。
推水 推陽平民県胎簪山から流れ出、東北方の桐柏山のふもとをめぐり、遠く東流して洪沢湖に注ぐ河。

遙遙 はるばる。『左伝、昭公二十五』「鸚鵠来巣、遠哉遙遙」(鸚鵠 巣より来たり、遠き遙遙たり)の句がみえる。


淝水出其側,不能千里 ,百里入淮流。
淝水【ひすい】は其の側【かたわら】に出で、千里なる能はざれども、百里 淮に入りて 流る。
その支流に淝水があり、その水源の傍から出ており、淮水のように千里とはいかないが百里の間屈曲して流れ、淮水に注流する。
淝水 九江成徳県広陽郷から流出し西北に走って淮水に注流する。


壽州屬縣有安豐,唐貞元時 ,縣人 董生召南,隱居行義於其中。
壽州【じゅしゅう】の屬縣【ぞくけん】に安豊【あんぽう】有り、唐の貞元【ていげん】の時、縣人の董生【とうせい】召南【しょうなん】あり、隠れ居【す】みて 義を其の中【うち】に行ふ。
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寿州 淮・淝二水の合流点にある。いまは安徽省に属する。

隠居 知識人が仕官せず、民間にいること。中国の通念では、知識人は官文になって社会に奉仕すべきだとされる。それを官吏にならないから隠れ棲むことになる。おのれの意志で仕官しない場合と、望んでもできない場合とがある。董生は後者であった。


刺史不能薦,天子 不聞名聲。
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刺史 州長官

○薦 刺史(州長官)は管下の人材を天子に推薦する義務をもち、唐代には、だいたい毎年、長官が主宰して試験し、合格したものを、長安の郡で行なわれる官吏資格認定試験に送ることになっていた。これを「薦【せん】」という。この詩で「不能薦」というのは、董生が州での試験に合格しなかったことをさす。このような試験にも裏口の存在したこと、「古来非独今」である。『從仕』 (韓愈)を参照。
從仕  (韓愈)
居閑食不足,從仕力難任。
兩事皆害性,一生恒苦心。
黄昏歸私室,惆悵起歎音。
棄置人間世,古來非獨今。

從仕 Ⅱ韓退之(韓愈)詩<41>314 紀頌之の漢詩ブログ 1021

 

淮水出桐柏,山東馳遙遙千里不能休。

淝水出其側,不能千里百里入淮流。

壽州屬縣有安豐,唐貞元時縣人董生召南隱居行義於其中。

刺史不能薦,天子不聞名聲。

(嗟哉【ああ】董生の行【うた】)#1
准水【わいすい】は桐柏【とうはく】より出で、山の東に馳【は】せて 遙遙【ようよう】、千里 休む能【あた】はず。
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刺史【しし】は薦むる能はず、天子は名聾を聞かず。

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37-(5) 《巻02-21 駑驥 -#5》韓愈(韓退之)ID 799年貞元15年 32歳<1325> Ⅱ韓昌黎集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5609

韓愈《巻02-21 駑驥 -#5》 そこで、此詩を作って、平生同心のなかである貴兄に寄せるので、これは我が心中の感慨を述べたものであるから.君にして、之を諒としたならば、せめては、商聲を張り上げて、一度歌ってくれたまえ。

 

 
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188 《巻24-33 寄遠,十一首之五》Index-11 Ⅱ―6 -731年開元十九年31歳 43首 <188> Ⅰ李白詩1412 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5608 
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 Ⅲ杜甫詩全1500首   LiveDoorブログ766年大暦元年55歲-40-#8奉節-31-#8 《巻16-03 八哀詩八首〔一〕贈司空王公思禮 -8》 杜甫index-15 杜甫<903-09> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5610 
 杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩) 杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首 
 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
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37-5 《巻02-21 駑驥 -#5》韓愈(韓退之)ID  799年貞元15 32歳<1325 Ⅱ韓昌黎集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5609韓愈詩-37-5

 

 

年:       799年元十五年32

卷別:    卷三三七              文體:    五言古詩

詩題:    駑驥【駑驥吟示歐陽詹】【詹與愈同第進士,愈以徐州從事朝正於京,詹時為國子鹽四門助教。】

作地點:              長安(京畿道 / 京兆府 / 長安)

及地點:              嵩山 (都畿道 河南府 嵩山) 別名:嵩高山、嵩、嵩丘、嵩高      

交遊人物:歐陽詹 書信でやりとり(京畿道 京兆府 長安)

 

 

駑驥#1

(この詩は、別に〔駑驥吟示歐陽詹〕としていて、世間一般の人たちが駑駘、駄馬であるなか、欧陽詹は騏驥の良馬であるといって贈ったものである。)

駑駘誠齷齪,市者何其稠。

やくざ馬は、まことにこせこせして詰まらぬものであるが、これを市場で買うものは、極めて多いものだ。

力小若易制,價微良易酬。

それは何故かといえば、力乏しきが故に、暴ばれることがなくで、極めて制し易く、価格のやすくして、たやすく買い取ることが出きるからである。

渴飲一斗水,飢食一束芻。

又、これを飼うにしても、格別費用がかかるわけでもなく、のどが渇けば一斗の水を飲ませ、飢えておれば一束の藁を食わせればよいだけのことだ。

嘶鳴當大路,志氣若有餘。

そこで、駑駘は大流行となり、高い声に嘶いて、長安の大道を歩くときなど、志気がありあまって、自分ほど偉いものは無いといふ様に威張って居る。

(駑驥【どき】)

駑駘【どたい】誠に齷齪【あくさく】たり、市ふもの何ぞ其れ稠【おお】き。

力 小なれば 制し易しがごとし、價 微なれば良に酬い易し。

しては一斗の水を飲み、飢えては」一束の芻を食ふ。

嘶鳴して大路に当たり、志気、余りあるが若し。

 

 #2

騏驥生域,自矜無匹儔。

これと反対に、騏驥は中国よりもすっと遠い絶域に産し、自分では他に匹儔のないものと思って居る。

牽驅入市門,行者不為留。

しかし、牽かれて長安の市門に入ると、道ゆく人は、格別目も呉れず、立ち留まって見る人もない位である。

借問價幾何,黃金比嵩丘。

まことに情けない話であるが、それにも理由はあるので、その価格はと問えば、黄金を嵩山ほどに積まねばならないという。

借問行幾何,咫尺視九州。

その代り、一日にどれ位行くかといえば、九州を見ること、さながら咫尺の如くである。

騏驥は絶域に生じ、自ら匹儔なきを矜る。

牽驅して市門に入れば、行くもの爲に留まらず。

借問す 價 幾何ぞ,金 嵩丘に比す。

借問す 行くこと幾何ぞ,咫尺 九州を視る。

 #3

飢食玉山禾,渴飲醴泉流。

この馬を飼うとき、飢えては崑崙に生ずる穀物を以てし、渇すれば仙境に湧くところの醴泉を以てする。

問誰能為御,曠世不可求。

そして、誰が之を御するかといえば、世をむなしゅうしても、その人は見付かることはない。
惟昔穆天子,乘之極遐遊。

唯だ、むかし、周の穆王が特別な八駿の馬に乗って、四方を巡遊したということはあった。

王良執其轡,造父挾其輈。

その馭者の王良は、その手綱を執り、造父はその轅を挟み、そして思うがままに馳駆し、崑崙山の彼方、西王母の居るところに従ったということはあった。

飢えては玉山の禾を食い,渴しては醴泉の流を飲む。

問う誰か能く御を為し,曠世【こうせい】求む可からず。

惟れ昔 穆天子,之に乘じて遐遊【かゆう】を極む。

王良 其の轡を執り,造父 其の輈【ながえ】を挾む。

 #4

因言天外事,茫惚使人愁。

それは、馭者が王良は、騏驥の手綱を執ったということで、そんな馭者は普通いないのであるから天外の事であって、今日では、茫昧恍惚、いたづらに人をして愁へさせるばかりであり、従って、馭し難い騏驥を買おうという者はない。

駑駘謂騏驥,餓死余爾羞。

そこで、駑駘は騏驥を顧みていうには、汝は千里の名馬であっても、御する人がなければ、餓死する外なく、まことに気の毒ではあるが、今さら仕方がないことであって、吾は、汝を以て羞ずべきものと思って居る。

有能必見用,有德必見收。

凡そ能あればこそ用いられものであり、徳あればこそ人に収められるのである、汝の如きは、偉いには相連ないのであろうが、用もなければ徳もないものである。
孰云時與命,通塞皆自由。

世のだれかいう、勿論それには時にあり、命あり、如何に能あり徳あるものでも、そればからは致し方が無いというかも知れないが、時を得て通ずるも、時を失って塞がるも、おのが心次第で、どうでも成るというものだ。

#4

因って天外の事を言い,茫惚 人をして 愁え使む。

駑駘 騏驥に謂う,餓死 余 爾に羞づ。

能 有らば 必ず 用いられん,德 有らば 必ず 收られん。

孰れだ云う 時と命と,通塞 皆 自由なりと。

 

 #5

騏驥不敢言,低徊但垂頭。

人皆劣騏驥,共以駑駘優。

喟余獨興歎,才命不同謀。

寄詩同心子,為我商聲謳。

汝も、少しく考えたらよかろうといった。しかし、騏驥は、唯だ、首を垂れて、何とも返事をしない。

全く、世間の人は、騏驥が劣っているとし、駑駘のほうが優っているとして居るものだ。

これに対して、予は喟然としで嘆息するので、由来、才と命とは一致せず、才あるものは往徒にして命なく、命あるもの必ずしも才があるものではない。

そこで、此詩を作って、平生同心のなかである貴兄に寄せるので、これは我が心中の感慨を述べたものであるから.君にして、之を諒としたならば、せめては、商聲を張り上げて、一度歌ってくれたまえ。


 #5

騏驥 敢えて言わず,低徊して但だ頭を垂る。

人 皆 騏驥を劣れりとし,共に駑駘を以って優れりとす。

喟【き】として 余 獨り歎を興す,才命 謀を同じゅうせず。

詩 同心の子に寄す,我が為に 商聲に謳え。

 

 

 

『駑驥』 現代語訳と訳註解説
(
本文)
#5

騏驥不敢言,低徊但垂頭。

人皆劣騏驥,共以駑駘優。

喟余獨興歎,才命不同謀。

寄詩同心子,為我商聲謳。


(下し文) #5

騏驥 敢えて言わず,低徊して但だ頭を垂る。

人 皆 騏驥を劣れりとし,共に駑駘を以って優れりとす。

喟【き】として 余 獨り歎を興す,才命 謀を同じゅうせず。

詩 同心の子に寄す,我が為に 商聲に謳え。

 

 (現代語訳)
汝も、少しく考えたらよかろうといった。しかし、騏驥は、唯だ、首を垂れて、何とも返事をしない。

全く、世間の人は、騏驥が劣っているとし、駑駘のほうが優っているとして居るものだ。

これに対して、予は喟然としで嘆息するので、由来、才と命とは一致せず、才あるものは往徒にして命なく、命あるもの必ずしも才があるものではない。

そこで、此詩を作って、平生同心のなかである貴兄に寄せるので、これは我が心中の感慨を述べたものであるから.君にして、之を諒としたならば、せめては、商聲を張り上げて、一度歌ってくれたまえ。



(訳注) #5

駑駘と騏驥

(この詩は、別に〔駑驥吟示歐陽詹〕としていて、世間一般の人たちが駑駘、駄馬であるなか、欧陽詹は騏驥の良馬であるといって贈ったものである。)

〔詹與愈同第進士,愈以徐州從事朝正於京,詹時為國子鹽四門助教。】

欧陽唐 中唐における才人のひとりである。798年貞元八年、韓愈・李観・李翺・崔羣・王涯・憑宿・庚承宣と同時に、進士に及第し、その時、龍虎榜と称せられた。「799年貞元十五年の冬、徐州徒事を以て、京に朝す。欧陽詹、時に国子監四門助敦たり、その徒を将卒し、闕下に伏し、韓愈公を挙げて博士となす、この詩、殆んど斯時作るところか」とある。
 

騏驥不敢言,低徊但垂頭。

汝も、少しく考えたらよかろうといった。しかし、騏驥は、唯だ、首を垂れて、何とも返事をしない。

 

人皆劣騏驥,共以駑駘優。

全く、世間の人は、騏驥が劣っているとし、駑駘のほうが優っているとして居るものだ。

 

喟余獨興歎,才命不同謀。

これに対して、予は喟然としで嘆息するので、由来、才と命とは一致せず、才あるものは往徒にして命なく、命あるもの必ずしも才があるものではない。

喟 喟然として、溜息をする姿。

 

寄詩同心子,為我商聲謳。

そこで、此詩を作って、平生同心のなかである貴兄に寄せるので、これは我が心中の感慨を述べたものであるから.君にして、之を諒としたならば、せめては、商聲を張り上げて、一度歌ってくれたまえ。

商聲 阮籍 詠懐詩 「素質由商聲」この游を沈約の注によって由の仮借としものすべてが城苦うらぶれた性質となるのは時節が商(あき)の聲の時節であることを原因とする。

五声(ごせい)は、中国音楽で使われる五つの音高。五音(ごいん)ともいう。宮(きゅう)、商(しょう)、 角(かく)、 徴(ち)、 羽(う)の五つ。音の高低によって並べると、五音音階ができる。

37-(4) 《巻02-21 駑驥 -#4》韓愈(韓退之)ID 799年貞元15年 32歳<1324> Ⅱ韓昌黎集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5604

韓愈《巻02-21 駑驥 -#4》それは、馭者が王良は、騏驥の手綱を執ったということで、そんな馭者は普通いないのであるから天外の事であって、今日では、茫昧恍惚、いたづらに人をして愁へさせるばかりであり、従って、馭し難い騏驥を買おうという者はない。

 
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37-(4) 《巻02-21 駑驥 -#4》韓愈(韓退之)ID 799年貞元15年 32歳<1324> Ⅱ韓昌黎集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5604 
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37-4 《巻02-21 駑驥 -#4》韓愈(韓退之)ID  799年貞元15 32歳<1324 Ⅱ韓昌黎集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5604

 

 

年:       799年元十五年32

卷別:    卷三三七              文體:    五言古詩

詩題:    駑驥【駑驥吟示歐陽詹】【詹與愈同第進士,愈以徐州從事朝正於京,詹時為國子鹽四門助教。】

作地點:              長安(京畿道 / 京兆府 / 長安)

及地點:              嵩山 (都畿道 河南府 嵩山) 別名:嵩高山、嵩、嵩丘、嵩高      

交遊人物:歐陽詹 書信でやりとり(京畿道 京兆府 長安)

 

 

駑驥#1

(この詩は、別に〔駑驥吟示歐陽詹〕としていて、世間一般の人たちが駑駘、駄馬であるなか、欧陽詹は騏驥の良馬であるといって贈ったものである。)

駑駘誠齷齪,市者何其稠。

やくざ馬は、まことにこせこせして詰まらぬものであるが、これを市場で買うものは、極めて多いものだ。

力小若易制,價微良易酬。

それは何故かといえば、力乏しきが故に、暴ばれることがなくで、極めて制し易く、価格のやすくして、たやすく買い取ることが出きるからである。

渴飲一斗水,飢食一束芻。

又、これを飼うにしても、格別費用がかかるわけでもなく、のどが渇けば一斗の水を飲ませ、飢えておれば一束の藁を食わせればよいだけのことだ。

嘶鳴當大路,志氣若有餘。

そこで、駑駘は大流行となり、高い声に嘶いて、長安の大道を歩くときなど、志気がありあまって、自分ほど偉いものは無いといふ様に威張って居る。

(駑驥【どき】)

駑駘【どたい】誠に齷齪【あくさく】たり、市ふもの何ぞ其れ稠【おお】き。

力 小なれば 制し易しがごとし、價 微なれば良に酬い易し。

しては一斗の水を飲み、飢えては」一束の芻を食ふ。

嘶鳴して大路に当たり、志気、余りあるが若し。

 

 #2

騏驥生域,自矜無匹儔。

これと反対に、騏驥は中国よりもすっと遠い絶域に産し、自分では他に匹儔のないものと思って居る。

牽驅入市門,行者不為留。

しかし、牽かれて長安の市門に入ると、道ゆく人は、格別目も呉れず、立ち留まって見る人もない位である。

借問價幾何,黃金比嵩丘。

まことに情けない話であるが、それにも理由はあるので、その価格はと問えば、黄金を嵩山ほどに積まねばならないという。

借問行幾何,咫尺視九州。

その代り、一日にどれ位行くかといえば、九州を見ること、さながら咫尺の如くである。

騏驥は絶域に生じ、自ら匹儔なきを矜る。

牽驅して市門に入れば、行くもの爲に留まらず。

借問す 價 幾何ぞ,金 嵩丘に比す。

借問す 行くこと幾何ぞ,咫尺 九州を視る。

 #3

飢食玉山禾,渴飲醴泉流。

この馬を飼うとき、飢えては崑崙に生ずる穀物を以てし、渇すれば仙境に湧くところの醴泉を以てする。

問誰能為御,曠世不可求。

そして、誰が之を御するかといえば、世をむなしゅうしても、その人は見付かることはない。
惟昔穆天子,乘之極遐遊。

唯だ、むかし、周の穆王が特別な八駿の馬に乗って、四方を巡遊したということはあった。

王良執其轡,造父挾其輈。

その馭者の王良は、その手綱を執り、造父はその轅を挟み、そして思うがままに馳駆し、崑崙山の彼方、西王母の居るところに従ったということはあった。

飢えては玉山の禾を食い,渴しては醴泉の流を飲む。

問う誰か能く御を為し,曠世【こうせい】求む可からず。

惟れ昔 穆天子,之に乘じて遐遊【かゆう】を極む。

王良 其の轡を執り,造父 其の輈【ながえ】を挾む。

 #4

因言天外事,茫惚使人愁。

駑駘謂騏驥,餓死余爾羞。

有能必見用,有德必見收。

孰云時與命,通塞皆自由。

#4

因って天外の事を言い,茫惚 人をして 愁え使む。

駑駘 騏驥に謂う,餓死 余 爾に羞づ。

能 有らば 必ず 用いられん,德 有らば 必ず 收られん。

孰れだ云う 時と命と,通塞 皆 自由なりと。

 #5

騏驥不敢言,低徊但垂頭。

人皆劣騏驥,共以駑駘優。

喟余獨興歎,才命不同謀。

寄詩同心子,為我商聲謳。

辟雍00 

韓愈詩-37-4

『駑驥』 現代語訳と訳註解説
(
本文)
#4

因言天外事,茫惚使人愁。

駑駘謂騏驥,餓死余爾羞。

有能必見用,有德必見收。

孰云時與命,通塞皆自由。

 

 (下し文) #4

因って天外の事を言い,茫惚 人をして 愁え使む。

駑駘 騏驥に謂う,餓死 余 爾に羞づ。

能 有らば 必ず 用いられん,德 有らば 必ず 收られん。

孰れだ云う 時と命と,通塞 皆 自由なりと。

(現代語訳)
それは、馭者が王良は、騏驥の手綱を執ったということで、そんな馭者は普通いないのであるから天外の事であって、今日では、茫昧恍惚、いたづらに人をして愁へさせるばかりであり、従って、馭し難い騏驥を買おうという者はない。

そこで、駑駘は騏驥を顧みていうには、汝は千里の名馬であっても、御する人がなければ、餓死する外なく、まことに気の毒ではあるが、今さら仕方がないことであって、吾は、汝を以て羞ずべきものと思って居る。

凡そ能あればこそ用いられものであり、徳あればこそ人に収められるのである、汝の如きは、偉いには相連ないのであろうが、用もなければ徳もないものである。
世のだれかいう、勿論それには時にあり、命あり、如何に能あり徳あるものでも、そればからは致し方が無いというかも知れないが、時を得て通ずるも、時を失って塞がるも、おのが心次第で、どうでも成るので、汝も、少しく考えたらよかろうといった。

太白山001
(訳注) #4

 

因言天外事,茫惚使人愁。

それは、馭者が王良は、騏驥の手綱を執ったということで、そんな馭者は普通いないのであるから天外の事であって、今日では、茫昧恍惚、いたづらに人をして愁へさせるばかりであり、従って、馭し難い騏驥を買おうという者はない。

天外事 この語の前に行ったこと、ここでは、馭者の王良は、その手綱を執り、造父はその轅を挟み、そして思うがままに馳駆し、崑崙山の彼方、西王母の居るところに従ったということ。

 

駑駘謂騏驥,餓死余爾羞。

そこで、駑駘は騏驥を顧みていうには、汝は千里の名馬であっても、御する人がなければ、餓死する外なく、まことに気の毒ではあるが、今さら仕方がないことであって、吾は、汝を以て羞ずべきものと思って居る。

駑駘謂騏驥 「A謂B」AはBにたいしていう。名馬、駿馬は扱いが誰でもできるというものではないということ。

餓死 世の普通の人は飼育できなくて餓死させてしまう。

余爾羞 飼うことが出来ないものにとっては高い金を払って餓死させたことは恥ということである。

 

有能必見用,有德必見收。

凡そ能あればこそ用いられものであり、徳あればこそ人に収められるのである、汝の如きは、偉いには相連ないのであろうが、用もなければ徳もないものである。

 

孰云時與命,通塞皆自由。

世のだれかいう、勿論それには時にあり、命あり、如何に能あり徳あるものでも、そればからは致し方が無いというかも知れないが、時を得て通ずるも、時を失って塞がるも、おのが心次第で、どうでも成るので、汝も、少しく考えたらよかろうといった。

37-(3) 《巻02-21 駑驥 -#3》韓愈(韓退之)ID 799年貞元15年 32歳<1323> Ⅱ韓昌黎集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5599

韓愈《巻02-21 駑驥 -#3》唯だ、むかし、周の穆王が特別な八駿の馬に乗って、四方を巡遊したということはあった。その馭者の王良は、その手綱を執り、造父はその轅を挟み、そして思うがままに馳駆し、崑崙山の彼方、西王母の居るところに従ったということはあった。

 

 
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年:       799年元十五年32

卷別:    卷三三七              文體:    五言古詩

詩題:    駑驥【駑驥吟示歐陽詹】【詹與愈同第進士,愈以徐州從事朝正於京,詹時為國子鹽四門助教。】

作地點:              長安(京畿道 / 京兆府 / 長安)

及地點:              嵩山 (都畿道 河南府 嵩山) 別名:嵩高山、嵩、嵩丘、嵩高      

交遊人物:歐陽詹 書信でやりとり(京畿道 京兆府 長安)

 

 

駑驥#1

(この詩は、別に〔駑驥吟示歐陽詹〕としていて、世間一般の人たちが駑駘、駄馬であるなか、欧陽詹は騏驥の良馬であるといって贈ったものである。)

駑駘誠齷齪,市者何其稠。

やくざ馬は、まことにこせこせして詰まらぬものであるが、これを市場で買うものは、極めて多いものだ。

力小若易制,價微良易酬。

それは何故かといえば、力乏しきが故に、暴ばれることがなくで、極めて制し易く、価格のやすくして、たやすく買い取ることが出きるからである。

渴飲一斗水,飢食一束芻。

又、これを飼うにしても、格別費用がかかるわけでもなく、のどが渇けば一斗の水を飲ませ、飢えておれば一束の藁を食わせればよいだけのことだ。

嘶鳴當大路,志氣若有餘。

そこで、駑駘は大流行となり、高い声に嘶いて、長安の大道を歩くときなど、志気がありあまって、自分ほど偉いものは無いといふ様に威張って居る。

(駑驥【きき】)

駑駘【どたい】誠に齷齪【あくさく】たり、市ふもの何ぞ其れ稠【おお】き。

力 小なれば 制し易しがごとし、價 微なれば良に酬い易し。

しては一斗の水を飲み、飢えては」一束の芻を食ふ。

嘶鳴して大路に当たり、志気、余りあるが若し。

 

 #2

騏驥生域,自矜無匹儔。

これと反対に、騏驥は中国よりもすっと遠い絶域に産し、自分では他に匹儔のないものと思って居る。

牽驅入市門,行者不為留。

しかし、牽かれて長安の市門に入ると、道ゆく人は、格別目も呉れず、立ち留まって見る人もない位である。

借問價幾何,黃金比嵩丘。

まことに情けない話であるが、それにも理由はあるので、その価格はと問えば、黄金を嵩山ほどに積まねばならないという。

借問行幾何,咫尺視九州。

その代り、一日にどれ位行くかといえば、九州を見ること、さながら咫尺の如くである。

騏驥は絶域に生じ、自ら匹儔なきを矜る。

牽驅して市門に入れば、行くもの爲に留まらず。

借問す 價 幾何ぞ,金 嵩丘に比す。

借問す 行くこと幾何ぞ,咫尺 九州を視る。

 #3

飢食玉山禾,渴飲醴泉流。

この馬を飼うとき、飢えては崑崙に生ずる穀物を以てし、渇すれば仙境に湧くところの醴泉を以てする。

問誰能為御,曠世不可求。

そして、誰が之を御するかといえば、世をむなしゅうしても、その人は見付かることはない。
惟昔穆天子,乘之極遐遊。

唯だ、むかし、周の穆王が特別な八駿の馬に乗って、四方を巡遊したということはあった。

王良執其轡,造父挾其輈。

その馭者の王良は、その手綱を執り、造父はその轅を挟み、そして思うがままに馳駆し、崑崙山の彼方、西王母の居るところに従ったということはあった。

飢えては玉山の禾を食い,渴しては醴泉の流を飲む。

問う誰か能く御を為し,曠世【こうせい】求む可からず。

惟れ昔 穆天子,之に乘じて遐遊【かゆう】を極む。

王良 其の轡を執り,造父 其の輈【ながえ】を挾む。

 #4

因言天外事,茫惚使人愁。

駑駘謂騏驥,餓死余爾羞。

有能必見用,有德必見收。

孰云時與命,通塞皆自由。

 #5

騏驥不敢言,低徊但垂頭。

人皆劣騏驥,共以駑駘優。

喟余獨興歎,才命不同謀。

寄詩同心子,為我商聲謳。

 

 

『駑驥』 現代語訳と訳註解説
(
本文)
#3

飢えては玉山の禾を食い,渴しては醴泉の流を飲む。

問う誰か能く御を為し,曠世【こうせい】求む可からず。

惟れ昔 穆天子,之に乘じて遐遊【かゆう】を極む。

王良 其の轡を執り,造父 其の輈【ながえ】を挾む。


(下し文)
飢食玉山禾,飲醴泉流。

問誰能為御,曠世不可求。

惟昔穆天子,乘之極遐遊。

王良執其轡,造父挾其


(現代語訳)
この馬を飼うとき、飢えては崑崙に生ずる穀物を以てし、渇すれば仙境に湧くところの醴泉を以てする。

そして、誰が之を御するかといえば、世をむなしゅうしても、その人は見付かることはない。
唯だ、むかし、周の穆王が特別な八駿の馬に乗って、四方を巡遊したということはあった。

その馭者の王良は、その手綱を執り、造父はその轅を挟み、そして思うがままに馳駆し、崑崙山の彼方、西王母の居るところに従ったということはあった。


(訳注) #3

 

飢食玉山禾,渴飲醴泉流。

この馬を飼うとき、飢えては崑崙に生ずる穀物を以てし、渇すれば仙境に湧くところの醴泉を以てする。

玉山禾 《山海經》「玉山、是西王母所居也。在崑崙虛北。崑崙之墟,方八百里,高萬仭。上有. 木禾,長五尋,大五圍。」

醴泉 甘い泉、崑崙山中にある泉の水。

 

問誰能為御,曠世不可求。

そして、誰が之を御するかといえば、世をむなしゅうしても、その人は見付かることはない。

 

惟昔穆天子,乘之極遐遊。

唯だ、むかし、周の穆王が特別な八駿の馬に乗って、四方を巡遊したということはあった。

穆天子 穆王(ぼくおう)は周朝の第5代王。西の彼方にある、神々が住むとされた崑崙山にも立ち寄り西王母に会い、西王母が後に入朝したと言う。このことは穆天子伝としてまとめられている。

昭王の子であり、昭王が楚への遠征途上で行方不明になったことより仮に王位に即位、その後に昭王の死が判明したので正式に即位した。彼は中国全土を巡るのに特別な馬(穆王八駿)を走らせていたと言われる。すなわち、土を踏まないほど速い「絶地」、鳥を追い越す「翻羽」、一夜で5,000km走る「奔霄」、自分の影を追い越す「越影」、光よりも速い「踰輝」と「超光」、雲に乗って走る「謄霧」、翼のある「挟翼」の8頭である。穆王はこの馬を駆って犬戎ら異民族を討った。

乘之 周の穆王が全国を巡回するために特別な八駿の馬に乗ったことをいう。

 

王良執其轡,造父挾其輈。

その馭者の王良は、その手綱を執り、造父はその轅を挟み、そして思うがままに馳駆し、崑崙山の彼方、西王母の居るところに従ったということはあった。

王良 「天駟(てんし)」四星つまり“天馬”を司る星とされた。戦国時代(紀元前400年頃)趙の襄王の御者として使えた実在の人物で、王を補佐した有能な人物であった。国の政治を馬を御すことに例えた逸話などが韓非子などで見られる。地平下に沈むことなく天馬を駆り続ける名御者「王良」という御者の姿に見立てていた。

其轡 手綱から轡をいう。

造父 すぐれた御者で、周繆王に寵愛された。繆王は驥・温驪・驊駵・騄耳という四頭の名馬を得、西に巡狩し、楽しんで帰りを忘れた。その間徐の偃王(「韓非子」五蠧編によると、漢東に拠り地は方五百里、仁義を行い、地を割いて朝する者三十六国。その勢力を懼れた楚の文王に伐たれた)乱をなす。造父は繆王の御者として一日に千里を走って国に帰り、乱を伐たせた。繆王は造父に趙を与え、趙氏となった。

其輈 輈:車のかなえ。車の箱の紂王の下から出て先端にヨコギを取り付けて馬に牽かせる棒。転じて、クルマ。

37-(2) 《巻02-21 駑驥 -#2》韓愈(韓退之)ID 799年貞元15年 32歳<1322> Ⅱ韓昌黎集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5594韓愈詩-37-(2)

韓愈《巻02-21 駑驥 -#2》 (牽かれて長安の市門に入ると、道ゆく人は、格別目も呉れず、立ち留まって見る人もない位である。まことに情けない話であるが、それにも理由はあるので、その価格はと問えば、黄金を嵩山ほどに積まねばならないという。

 

 
 2015年2月23日の紀頌之5つのブログ 
 ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場 
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186-#1 《巻24-31 寄遠,十一首之三 -#1》Index-11 Ⅱ―6 -731年開元十九年31歳 43首 <186-#1> Ⅰ李白詩1409 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5593 
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37-(2) 《巻02-21 駑驥 -#2》韓愈(韓退之)ID 799年貞元15年 32歳<1322> Ⅱ韓昌黎集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5594韓愈詩-37-(2) 
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 孟郊張籍     
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 Ⅲ杜甫詩全1500首   LiveDoorブログ766年大暦元年55歲-40-#5奉節-31-#5 《巻16-03 八哀詩八首〔一〕贈司空王公思禮 -5》 杜甫index-15 杜甫<903-06> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5595 
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37-2 《巻02-21 駑驥 -#2》韓愈(韓退之)ID  799年貞元15 32歳<1322 Ⅱ韓昌黎集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5594韓愈詩-37-2

 

 

年:       799年元十五年32

卷別:    卷三三七              文體:    五言古詩

詩題:    駑驥【駑驥吟示歐陽詹】【詹與愈同第進士,愈以徐州從事朝正於京,詹時為國子鹽四門助教。】

作地點:              長安(京畿道 / 京兆府 / 長安)

及地點:              嵩山 (都畿道 河南府 嵩山) 別名:嵩高山、嵩、嵩丘、嵩高      

交遊人物:歐陽詹 書信でやりとり(京畿道 京兆府 長安)

 

 

駑驥#1

(この詩は、別に〔駑驥吟示歐陽詹〕としていて、世間一般の人たちが駑駘、駄馬であるなか、欧陽詹は騏驥の良馬であるといって贈ったものである。)

駑駘誠齷齪,市者何其稠。

やくざ馬は、まことにこせこせして詰まらぬものであるが、これを市場で買うものは、極めて多いものだ。

力小若易制,價微良易酬。

それは何故かといえば、力乏しきが故に、暴ばれることがなくで、極めて制し易く、価格のやすくして、たやすく買い取ることが出きるからである。

渴飲一斗水,飢食一束芻。

又、これを飼うにしても、格別費用がかかるわけでもなく、のどが渇けば一斗の水を飲ませ、飢えておれば一束の藁を食わせればよいだけのことだ。

嘶鳴當大路,志氣若有餘。

そこで、駑駘は大流行となり、高い声に嘶いて、長安の大道を歩くときなど、志気がありあまって、自分ほど偉いものは無いといふ様に威張って居る。

(駑驥【きき】)

駑駘【どたい】誠に齷齪【あくさく】たり、市ふもの何ぞ其れ稠【おお】き。

力 小なれば 制し易しがごとし、價 微なれば良に酬い易し。

しては一斗の水を飲み、飢えては」一束の芻を食ふ。

嘶鳴して大路に当たり、志気、余りあるが若し。

 

 #2

騏驥生域,自矜無匹儔。

牽驅入市門,行者不為留。

借問價幾何,黃金比嵩丘。

借問行幾何,咫尺視九州。

これと反対に、騏驥は中国よりもすっと遠い絶域に産し、自分では他に匹儔のないものと思って居る。

しかし、牽かれて長安の市門に入ると、道ゆく人は、格別目も呉れず、立ち留まって見る人もない位である。

まことに情けない話であるが、それにも理由はあるので、その価格はと問えば、黄金を嵩山ほどに積まねばならないという。

その代り、一日にどれ位行くかといえば、九州を見ること、さながら咫尺の如くである。

騏驥は絶域に生じ、自ら匹儔なきを矜る。

牽驅して市門に入れば、行くもの爲に留まらず。

借問す 價 幾何ぞ,金 嵩丘に比す。

借問す 行くこと幾何ぞ,咫尺 九州を視る。

 #3

飢食玉山禾,渴飲醴泉流。

問誰能為御,曠世不可求。

惟昔穆天子,乘之極遐遊。

王良執其轡,造父挾其輈。

 #4

因言天外事,茫惚使人愁。

駑駘謂騏驥,餓死余爾羞。

有能必見用,有德必見收。

孰云時與命,通塞皆自由。

 #5

騏驥不敢言,低徊但垂頭。

人皆劣騏驥,共以駑駘優。

喟余獨興歎,才命不同謀。

寄詩同心子,為我商聲謳。

Ta唐 長安近郊圖  新02洛陽 函谷関002 

 

『駑驥』 現代語訳と訳註解説
(
本文)
#2

騏驥生域,自矜無匹儔。

牽驅入市門,行者不為留。

借問價幾何,黃金比嵩丘。

借問行幾何,咫尺視九州。

 

(下し文)
騏驥は絶域に生じ、自ら匹儔なきを矜る。

牽驅して市門に入れば、行くもの爲に留まらず。

借問す 價 幾何ぞ,黃金 嵩丘に比す。

借問す 行くこと幾何ぞ,咫尺 九州を視る。

(現代語訳)
これと反対に、騏驥は中国よりもすっと遠い絶域に産し、自分では他に匹儔のないものと思って居る。

しかし、牽かれて長安の市門に入ると、道ゆく人は、格別目も呉れず、立ち留まって見る人もない位である。

まことに情けない話であるが、それにも理由はあるので、その価格はと問えば、黄金を嵩山ほどに積まねばならないという。

その代り、一日にどれ位行くかといえば、九州を見ること、さながら咫尺の如くである。



(訳注) #2

駑驥2

駑駘と騏驥

(この詩は、別に〔駑驥吟示歐陽詹〕としていて、世間一般の人たちが駑駘、駄馬であるなか、欧陽詹は騏驥の良馬であるといって贈ったものである。)

〔詹與愈同第進士,愈以徐州從事朝正於京,詹時為國子鹽四門助教。】

欧陽唐 中唐における才人のひとりである。798年貞元八年、韓愈・李観・李翺・崔羣・王涯・憑宿・庚承宣と同時に、進士に及第し、その時、龍虎榜と称せられた。「799年貞元十五年の冬、徐州徒事を以て、京に朝す。欧陽詹、時に国子監四門助敦たり、その徒を将卒し、闕下に伏し、韓愈公を挙げて博士となす、この詩、殆んど斯時作るところか」とある。

 

騏驥生域,自矜無匹儔。

これと反対に、騏驥は中国よりもすっと遠い絶域に産し、自分では他に匹儔のないものと思って居る。

騏驥 1 よく走るすぐれた馬。駿馬(しゅんめ)2 すぐれた人物。《楚辞九辯》「卻騏驥而不乘兮,策駑駘而取路。」(騏驥を卻【しりぞ】けて 乘らず,駑駘に策【むちうち】て 路を取る。)千里を駆ける駿馬に乗らないままに、足の遅い駄馬にむち打って路を進むということばかり、優れた人物が当世にもちられないのか。

九辯 第五段-1 宋玉  <00-#11>Ⅱもっとも影響を与えた詩文 640 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2184

匹儔 匹敵すること。同じたぐい・仲間とみなすこと。また、その相手。

 

牽驅入市門,行者不為留。

しかし、牽かれて長安の市門に入ると、道ゆく人は、格別目も呉れず、立ち留まって見る人もない位である。

 

借問價幾何,黃金比嵩丘。

まことに情けない話であるが、それにも理由はあるので、その価格はと問えば、黄金を嵩山ほどに積まねばならないという。

嵩丘 嵩山のこと。嵩山 (都畿道 河南府 嵩山) 別名:嵩高山、嵩、嵩丘、嵩高   少室山 (都畿道 河南府 少室山)   嵩山は、五岳の中にあるので中岳という。中国河南省登封市にある山岳群である。その山の二峰、東を太室と云い、西を少室という。南は登封に跨り、北は鞏邑に跨り、西は洛陽に跨り、東は密縣に跨る。その峰を千丈にすると一百五十余里。小室山は穎水の源。。最高峰は標高1440mの太室山である。古代から山岳信仰の場として有名で、北魏時代からは少林寺などの道教、仏教の道場が建立された。

 

借問行幾何,咫尺視九州。

その代り、一日にどれ位行くかといえば、九州を見ること、さながら咫尺の如くである。

咫尺  [「咫」は中国の周の制度で8寸、「尺」は10寸。]1 距離が非常に近いこと。「―の間(かん)2 貴人の前近くに出て拝謁すること。

九州 古代、中国全土を九州に分けたことに由来する雅称のひとつである。 ... 周代以前は中国全土を9つの州に分けて、地域単位として用いていた。 尚書(=書経)』の夏書・禹貢による九州は、冀州、兗州、青州、徐州、揚州、荊州、予州、梁州、雍州を指した。

37-(1) 《巻02-21 駑驥 -#1》韓愈(韓退之)ID 799年貞元15年 32歳<1321> Ⅱ韓昌黎集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5589

韓愈《巻02-21 駑驥 -#1》(この詩は、別に〔駑驥吟示歐陽詹〕としていて、世間一般の人たちが駑駘、駄馬であるなか、欧陽詹は騏驥の良馬であるといって贈ったものである。)やくざ馬は、まことにこせこせして詰まらぬものであるが、これを市場で買うものは、極めて多いものだ。

 
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37-1 《巻02-21 駑驥 -#1》韓愈(韓退之)ID  799年貞元15 32歳<1321 Ⅱ韓昌黎集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5589韓愈詩-37-1

 

 

年:       799年元十五年32

卷別:    卷三三七              文體:    五言古詩

詩題:    駑驥【駑驥吟示歐陽詹】【詹與愈同第進士,愈以徐州從事朝正於京,詹時為國子鹽四門助教。】

作地點:              長安(京畿道 / 京兆府 / 長安)

及地點:              嵩山 (都畿道 河南府 嵩山) 別名:嵩高山、嵩、嵩丘、嵩高      

交遊人物:歐陽詹 書信でやりとり(京畿道 京兆府 長安)

 

 

駑驥#1

駑駘誠齷齪,市者何其稠。

力小若易制,價微良易酬。

渴飲一斗水,飢食一束芻。

嘶鳴當大路,志氣若有餘。

(この詩は、別に〔駑驥吟示歐陽詹〕としていて、世間一般の人たちが駑駘、駄馬であるなか、欧陽詹は騏驥の良馬であるといって贈ったものである。)

やくざ馬は、まことにこせこせして詰まらぬものであるが、これを市場で買うものは、極めて多いものだ。

それは何故かといえば、力乏しきが故に、暴ばれることがなくで、極めて制し易く、価格のやすくして、たやすく買い取ることが出きるからである。

又、これを飼うにしても、格別費用がかかるわけでもなく、のどが渇けば一斗の水を飲ませ、飢えておれば一束の藁を食わせればよいだけのことだ。

そこで、駑駘は大流行となり、高い声に嘶いて、長安の大道を歩くときなど、志気がありあまって、自分ほど偉いものは無いといふ様に威張って居る。

(駑驥【きき】)

駑駘【どたい】誠に齷齪【あくさく】たり、市ふもの何ぞ其れ稠【おお】き。

力 小なれば 制し易しがごとし、價 微なれば良に酬い易し。

しては一斗の水を飲み、飢えては」一束の芻を食ふ。

嘶鳴して大路に当たり、志気、余りあるが若し。

 #2

騏驥生域,自矜無匹儔。

牽驅入市門,行者不為留。

借問價幾何,黃金比嵩丘。

借問行幾何,咫尺視九州。

 #3

飢食玉山禾,渴飲醴泉流。

問誰能為御,曠世不可求。

惟昔穆天子,乘之極遐遊。

王良執其轡,造父挾其輈。

 #4

因言天外事,茫惚使人愁。

駑駘謂騏驥,餓死余爾羞。

有能必見用,有德必見收。

孰云時與命,通塞皆自由。

 #5

騏驥不敢言,低徊但垂頭。

人皆劣騏驥,共以駑駘優。

喟余獨興歎,才命不同謀。

寄詩同心子,為我商聲謳。

Ta唐 長安近郊圖  新02洛陽 函谷関002 

 

 

『駑驥』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

駑驥#1

駑駘誠齷齪,市者何其稠。

力小若易制,價微良易酬。

渴飲一斗水,飢食一束芻。

嘶鳴當大路,志氣若有餘。


(下し文)
(駑驥【きき】)

駑駘【どたい】誠に齷齪【あくさく】たり、市ふもの何ぞ其れ稠【おお】き。

力 小なれば 制し易しがごとし、價 微なれば良に酬い易し。

しては一斗の水を飲み、飢えては」一束の芻を食ふ。

嘶鳴して大路に当たり、志気、余りあるが若し。


(現代語訳)
(この詩は、別に〔駑驥吟示歐陽詹〕としていて、世間一般の人たちが駑駘、駄馬であるなか、欧陽詹は騏驥の良馬であるといって贈ったものである。)

やくざ馬は、まことにこせこせして詰まらぬものであるが、これを市場で買うものは、極めて多いものだ。

それは何故かといえば、力乏しきが故に、暴ばれることがなくで、極めて制し易く、価格のやすくして、たやすく買い取ることが出きるからである。

又、これを飼うにしても、格別費用がかかるわけでもなく、のどが渇けば一斗の水を飲ませ、飢えておれば一束の藁を食わせればよいだけのことだ。

そこで、駑駘は大流行となり、高い声に嘶いて、長安の大道を歩くときなど、志気がありあまって、自分ほど偉いものは無いといふ様に威張って居る。


(訳注)

駑驥#1

駑駘と騏驥

(この詩は、別に〔駑驥吟示歐陽詹〕としていて、世間一般の人たちが駑駘、駄馬であるなか、欧陽詹は騏驥の良馬であるといって贈ったものである。)

〔詹與愈同第進士,愈以徐州從事朝正於京,詹時為國子鹽四門助教。】

欧陽唐 中唐における才人のひとりである。798年貞元八年、韓愈・李観・李翺・崔羣・王涯・憑宿・庚承宣と同時に、進士に及第し、その時、龍虎榜と称せられた。「799年貞元十五年の冬、徐州徒事を以て、京に朝す。欧陽詹、時に国子監四門助敦たり、その徒を将卒し、闕下に伏し、韓愈公を挙げて博士となす、この詩、殆んど斯時作るところか」とある。

 

駑駘誠齷齪,市者何其稠。

やくざ馬は、まことにこせこせして詰まらぬものであるが、これを市場で買うものは、極めて多いものだ。

駑駘 やくざ馬。

齷齪 【あくせく】こせこせして詰まらないこと。《「あくさく」の音変化》細かいことを気にして、落ち着かないさま。目先のことにとらわれて、気持ちがせかせかするさま。

 

力小若易制,價微良易酬。

それは何故かといえば、力乏しきが故に、暴ばれることがなくで、極めて制し易く、価格のやすくして、たやすく買い取ることが出来るからである。

價微良易酬 市場での価格が安価であるから求めやすい。

 

渴飲一斗水,飢食一束芻。

又、これを飼うにしても、格別費用がかかるわけでもなく、のどが渇けば一斗の水を飲ませ、飢えておれば一束の藁を食わせればよいだけのことだ。

 

嘶鳴當大路,志氣若有餘。

そこで、駑駘は大流行となり、高い声に嘶いて、長安の大道を歩くときなど、志気がありあまって、自分ほど偉いものは無いといふ様に威張って居る。

當大路 長安の大道。

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韓愈《巻05-30 答孟郊 -2韓愈門下は古文復興運動を実践し、そのため、自ら鞭うち、何処まで励むか、もとより背馳しているから、世路を矯正してゆくことも難儀で出来ないのである。今の世は、相手が弱ければ、肘を張ってこれにかかり、強ければ、爪をちじ目て、決して揶揄しない。

 

 
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36-(2) 《巻05-30 答孟郊 -2》韓愈(韓退之)ID 798年貞元十四年31歲<1320> Ⅱ韓昌黎集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5584 
 ・李商隠詩 (1) 136首の75首・李商隠詩 (2) 135首の61首●韓愈index-1 ・孟郊、張籍と交遊・汴州乱41首●韓愈詩index-2[800年 33歳~804年 37歳]27首●韓愈詩index-3 805年 38歳・]陽山から江陵府 36首●韓愈詩index-4 806年 39歳 江陵府・権知国子博士 51首(1)25首 
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 index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首index-13 821年~822年 55歳 22首index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首韓愈 哲学・儒学「五原」賦・散文・上奏文・碑文など 
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36-(2) 《巻05-30 答孟郊 -2》韓愈(韓退之)ID  798年貞元十四年311320 Ⅱ韓昌黎集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5584韓愈詩-36-(2)

 

 

年:       798年貞元十四年31

卷別:    卷三四0              文體:    五言古詩

詩題:    答孟郊

作地點:              汴州(河南道 / 汴州 / 汴州)

交遊人物/地點:孟郊          書信往來(河南道 汴州 汴州)

 

 

答孟郊

(孟郊の詩に答える。)

規模背時利,文字覷天巧。

我々の考えは、時世に対しての利にそぐわないものだが、文字文章にもって、造化の覗おうとしている。

人皆餘酒肉,子獨不得飽。

多くの人は、時を得る者にとって酒肉に飽いているもので、孟郊は独り飽くことを知らない。

纔春思已亂,始秋悲又攪。

春になっても、常に思い乱れており、秋は哀しみがいよいよかき乱される。

朝餐動及午,夜諷恆至卯。

米が無くて、諸処に乞う所から、朝の食事はややもすれば、昼と一緒になり、夜は読書に入れ込み、卯の刻、ともすれば暁に及ぶくらいである。

#2

名聲暫羶腥,腸肚鎮煎芻。【芻:火+芻】

名声だけは芳し良いけれど、生臭い上にも生臭く、腸の中には一向に何も取りいれないから脂気が無くて、ただ、煎じているだけなのだ。

古心雖自鞭,世路終難拗。

韓愈門下は古文復興運動を実践し、そのため、自ら鞭うち、何処まで励むか、もとより背馳しているから、世路を矯正してゆくことも難儀で出来ないのである。

弱拒喜張臂,猛拏閒縮爪。

今の世は、相手が弱ければ、肘を張ってこれにかかり、強ければ、爪をちじ目て、決して揶揄しない。

見倒誰肯扶,從嗔我須咬。

人が倒れようと、誰も助け起こしはしないし、腹は立っても、まことにしかたがないから、歯を噛んで、自らこらえる外ないのである。

 

(孟郊に答う)

規模 時利に背き,文字 天巧に覷【うかが】う。

人 皆 酒肉を餘し,子 獨り 飽くことを得ず。

纔【わずか】に春にして思い已に亂れ,始めて秋にして悲しみ又た攪【みだ】る。

朝餐 動【やや】もすれば午に及び,夜諷 恆に卯に至る。

#2

名聲 暫く羶腥【せんせい】,腸肚【ちょうと】鎮【とこし】えに煎芻【せんすう】。

古心 自ら鞭つと雖も,世路 終に拗し難し。

弱拒 喜く臂を張り,猛拏 閒に爪を縮む。

倒るるを見て誰か肯て扶けん,嗔りに從って 我 須らく咬むべし。

 

Ta唐 長安近郊圖  新02洛陽 函谷関002 

『答孟郊』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

#2

名聲暫羶腥,腸肚鎮煎芻。【芻:火+芻】

古心雖自鞭,世路終難拗。

弱拒喜張臂,猛拏閒縮爪。

見倒誰肯扶,從嗔我須咬。

 

(下し文) #2

名聲 暫く羶腥【せんせい】,腸肚【ちょうと】鎮【とこし】えに煎芻【せんすう】。

古心 自ら鞭つと雖も,世路 終に拗し難し。

弱拒 喜く臂を張り,猛拏 閒に爪を縮む。

倒るるを見て誰か肯て扶けん,嗔りに從って 我 須らく咬むべし。

(現代語訳)
名声だけは芳し良いけれど、生臭い上にも生臭く、腸の中には一向に何も取りいれないから脂気が無くて、ただ、煎じているだけなのだ。

韓愈門下は古文復興運動を実践し、そのため、自ら鞭うち、何処まで励むか、もとより背馳しているから、世路を矯正してゆくことも難儀で出来ないのである。

今の世は、相手が弱ければ、肘を張ってこれにかかり、強ければ、爪をちじ目て、決して揶揄しない。

人が倒れようと、誰も助け起こしはしないし、腹は立っても、まことにしかたがないから、歯を噛んで、自らこらえる外ないのである。


(訳注) #2

答孟郊

(孟郊の詩に答える。)

この詩は孟郊《汴州留韓愈》詩に答えたものといわれている。

汴州留韓愈

不飲濁水瀾,空滯此汴河。

坐見繞岸水,盡爲還海波。

四時不在家,弊服斷線多。

遠客獨憔悴,春英落婆娑。

汴水饒曲流,野桑無直柯。

但爲君子心,歎息終靡他。

 

孟郊は、貞元十五年七九九春、汴州をはなれて蘇州各地をめぐり、十六年、五十歳で、はじめて溧陽県の尉に任命され赴任した。溧陽は、いまの江蘇省の南京から約百キロメートル東南のまちで、尉は、警察部長にあたる。県令の季操は官僚肌の男で、孟郊の学問や詩業など眼中になかった。孟郊は、老いた母親まで呼びよせて、しばらく落ちつくつもりだったが、805年永貞元年ついに母を常州の属邑義興にうつし、元和元年、職をもとめて、単身、長安に上って来た。韓愈が帰って来たときには、ほぼ新しい職のめどもついていたのである。

かれらにとっては、四、五年ぶりの再会であった。話題が豊富であった。ほとんど毎晩のように寄り合い、酒をくみ、別れていた間の出来事を語りあい、詩をよせあった。そして、多くの聯句を残した。

 

名聲暫羶腥,腸肚鎮煎芻。【芻:火+芻】

名声だけは芳し良いけれど、生臭い上にも生臭く、腸の中には一向に何も取りいれないから脂気が無くて、ただ、煎じているだけなのだ。

羶腥 羶:なまぐさい。腥:1 生の魚や肉のにおいがする。「魚を料理して手が―・くなる」2 気持ちの悪いにおいがする。また、血のにおいがする。

 

古心雖自鞭,世路終難拗。

韓愈門下は古文復興運動を実践し、そのため、自ら鞭うち、何処まで励むか、もとより背馳しているから、世路を矯正してゆくことも難儀で出来ないのである。

雖自鞭 韓愈グループは古文復興運動を実践したことをいう。古文復興運動は、彼の思想の基盤である儒教の復興と表裏をなすものであり、その観点から著された文章として、「原人」「原道」「原性」などが残されている。その排仏論も、六朝から隋唐にかけての崇仏の傾向を斥け、中国古来の儒教の地位を回復しようとする、彼の儒教復興の姿勢からきたものであった。

 

弱拒喜張臂,猛拏閒縮爪。

今の世は、相手が弱ければ、肘を張ってこれにかかり、強ければ、爪をちじ目て、決して揶揄しない。

 

見倒誰肯扶,從嗔我須咬。

人が倒れようと、誰も助け起こしはしないし、腹は立っても、まことにしかたがないから、歯を噛んで、自らこらえる外ないのである。

36-(1) 《巻05-30 答孟郊 -1》韓愈(韓退之)ID 798年貞元十四年31歲<1319> Ⅱ韓昌黎集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5579

韓愈《巻05-30 答孟郊 -1(孟郊の詩に答える。)我々の考えは、時世に対しての利にそぐわないものだが、文字文章にもって、造化の覗おうとしている。多くの人は、時を得る者にとって酒肉に飽いているもので、孟郊は独り飽くことを知らない。

 
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36-(1) 《巻05-30 答孟郊 -1》韓愈(韓退之)ID  798年貞元十四年311319> Ⅱ韓昌黎集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5579韓愈詩-36-(1)

 

 

年:       798年貞元十四年31

卷別:    卷三四0              文體:    五言古詩

詩題:    答孟郊

作地點:              汴州(河南道 / 汴州 / 汴州)

交遊人物/地點:孟郊          書信往來(河南道 汴州 汴州)

 

 

答孟郊

(孟郊の詩に答える。)

規模背時利,文字覷天巧。

我々の考えは、時世に対しての利にそぐわないものだが、文字文章にもって、造化の覗おうとしている。

人皆餘酒肉,子獨不得飽。

多くの人は、時を得る者にとって酒肉に飽いているもので、孟郊は独り飽くことを知らない。

纔春思已亂,始秋悲又攪。

春になっても、常に思い乱れており、秋は哀しみがいよいよかき乱される。

朝餐動及午,夜諷恆至卯。

米が無くて、諸処に乞う所から、朝の食事はややもすれば、昼と一緒になり、夜は読書に入れ込み、卯の刻、ともすれば暁に及ぶくらいである。

#2

名聲暫羶腥,腸肚鎮煎芻。

古心雖自鞭,世路終難拗。

弱拒喜張臂,猛拏閒縮爪。

見倒誰肯扶,從嗔我須咬。

【芻:火+芻】

 

(孟郊に答う)

規模 時利に背き,文字 天巧に覷【うかが】う。

人 皆 酒肉を餘し,子 獨り 飽くことを得ず。

纔【わずか】に春にして思い已に亂れ,始めて秋にして悲しみ又た攪【みだ】る。

朝餐 動【やや】もすれば午に及び,夜諷 恆に卯に至る。

#2

名聲 暫く羶腥【せんせい】,腸肚【ちょうと】鎮【とこし】えに煎芻【せんすう】。

古心 自ら鞭つと雖も,世路 終に拗し難し。

弱拒 喜く臂を張り,猛拏 閒に爪を縮む。

倒るるを見て誰か肯て扶けん,嗔りに從って 我 須らく咬むべし。

 

汜水関などの地図 

『答孟郊』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

答孟郊

規模背時利,文字覷天巧。

人皆餘酒肉,子獨不得飽。

纔春思已亂,始秋悲又攪。

朝餐動及午,夜諷恆至卯。



(下し文)
(孟郊に答う)

規模 時利に背き,文字 天巧に覷【うかが】う。

人 皆 酒肉を餘し,子 獨り 飽くことを得ず。

纔【わずか】に春にして思い已に亂れ,始めて秋にして悲しみ又た攪【みだ】る。

朝餐 動【やや】もすれば午に及び,夜諷 恆に卯に至る。

(現代語訳)
(孟郊の詩に答える。)

我々の考えは、時世に対しての利にそぐわないものだが、文字文章にもって、造化の覗おうとしている。

多くの人は、時を得る者にとって酒肉に飽いているもので、孟郊は独り飽くことを知らない。

春になっても、常に思い乱れており、秋は哀しみがいよいよかき乱される。

米が無くて、諸処に乞う所から、朝の食事はややもすれば、昼と一緒になり、夜は読書に入れ込み、卯の刻、ともすれば暁に及ぶくらいである。


太白山001
(訳注)

答孟郊

(孟郊の詩に答える。)

この詩は孟郊《汴州留韓愈》詩に答えたものといわれている。

汴州留韓愈

不飲濁水瀾,空滯此汴河。

坐見繞岸水,盡爲還海波。

四時不在家,弊服斷線多。

遠客獨憔悴,春英落婆娑。

汴水饒曲流,野桑無直柯。

但爲君子心,歎息終靡他。

 

孟郊は、貞元十五年七九九春、汴州をはなれて蘇州各地をめぐり、十六年、五十歳で、はじめて溧陽県の尉に任命され赴任した。溧陽は、いまの江蘇省の南京から約百キロメートル東南のまちで、尉は、警察部長にあたる。県令の季操は官僚肌の男で、孟郊の学問や詩業など眼中になかった。孟郊は、老いた母親まで呼びよせて、しばらく落ちつくつもりだったが、805年永貞元年ついに母を常州の属邑義興にうつし、元和元年、職をもとめて、単身、長安に上って来た。韓愈が帰って来たときには、ほぼ新しい職のめどもついていたのである。

かれらにとっては、四、五年ぶりの再会であった。話題が豊富であった。ほとんど毎晩のように寄り合い、酒をくみ、別れていた間の出来事を語りあい、詩をよせあった。そして、多くの聯句を残した。

 

規模背時利,文字覷天巧。

我々の考えは、時世に対しての利にそぐわないものだが、文字文章にもって、造化の覗おうとしている。

 

人皆餘酒肉,子獨不得飽。

多くの人は、時を得る者にとって酒肉に飽いているもので、孟郊は独り飽くことを知らない。

 

纔春思已亂,始秋悲又攪。

春になっても、常に思い乱れており、秋は哀しみがいよいよかき乱される。

秋悲 宋玉『九辨』、

悲哉秋之為氣也!

蕭瑟兮草木搖落而變衰,

憭慄兮若在遠行,

登山臨水兮送將歸,

泬寥兮天高而氣清,

寂寥兮收潦而水清,

悽欷兮薄寒之中人,

愴怳懭悢兮去故而就新,

坎廩兮貧士失職而志不平,

廓落兮羇旅而無友生。

惆悵兮而私自憐。

燕翩翩其辭歸兮,蝉寂漠而無聲。

鴈廱廱而南遊兮,鶤[昆+鳥]雞 啁哳而悲鳴。

獨申旦而不寐兮,哀蟋蟀之宵征。

時亹亹而過中兮,蹇淹留而無成。

九辯 第六・七・八段 まとめ 宋玉  <00-#26>Ⅱもっとも影響を与えた詩文 655 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2259

 

朝餐動及午,夜諷恆至卯。

米が無くて、諸処に乞う所から、朝の食事はややもすれば、昼と一緒になり、夜は読書に入れ込み、卯の刻、ともすれば暁に及ぶくらいである。

朝餐動及午 孟郊はこの時仕事がなく、食事もとれない時期であった。
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35-(12) 《讀巻04-14 送孟東野序 -(12)§4-3》韓愈(韓退之)ID 801年貞元17年 35歳<1318> Ⅱ唐宋八大家文読本 巻三 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5574

韓愈《讀巻04-14 送孟東野序 -(12)§4-3》 孟郊・李翺・張籍の三人の運命は、天上に懸っていて、人事のどうにもできないことである。それにしても彼らは、上位にあってもどうして喜びなどしよう。地位の上下で心を動かすいやしい人物ではない。

 

 
 2015年2月19日の紀頌之5つのブログ 
 ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場 
 Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
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182-#3 《巻24-03 題元丹丘潁陽山居 并序-#3》Index-11 Ⅱ―6 -731年開元十九年31歳 43首 <182-#3> Ⅰ李白詩1405 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5573 
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 曹植(曹子建)詩 65首 index文選 賦)兩都賦序・西都賦・東都賦 (班固)《李白 全詩》
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35-(12) 《讀巻04-14 送孟東野序 -(12)§4-3》韓愈(韓退之)ID 801年貞元17年 35歳<1318> Ⅱ唐宋八大家文読本 巻三 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5574 
 ・李商隠詩 (1) 136首の75首・李商隠詩 (2) 135首の61首●韓愈index-1 ・孟郊、張籍と交遊・汴州乱41首●韓愈詩index-2[800年 33歳~804年 37歳]27首●韓愈詩index-3 805年 38歳・]陽山から江陵府 36首●韓愈詩index-4 806年 39歳 江陵府・権知国子博士 51首(1)25首 
 index-5 806年39歳 50首の(2)25首index-6[807年~809年 42歳]20首index-7[810年~811年 44歳] 34首index-8 [812年~814年47歳]46首index-9[815年~816年 49歳] 57首index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首 
 index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首index-13 821年~822年 55歳 22首index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首韓愈 哲学・儒学「五原」賦・散文・上奏文・碑文など 
 孟郊張籍     
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 Ⅲ杜甫詩全1500首   LiveDoorブログ766年大暦元年55歲-40-#1奉節-31-#1 《巻16-03 八哀詩八首〔一〕贈司空王公思禮 -1》 杜甫index-15 杜甫<903-02> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5575 
 杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩) 杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首 
 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
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 ●花間集全詩●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集 
 Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoor『花間集』全詩訳注解説(改訂版)-75-2皇甫松9《巻2-25 夢江南二首其一》皇甫松12首巻二25-〈75〉漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-5577 
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35-(12) 《讀巻04-14 送孟東野序 -(12)§4-3》韓愈(韓退之)ID  801年貞元17 35歳<1318> Ⅱ唐宋八大家文読本 巻三 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5574韓愈詩-35-(12)

 

 

(10)§4-1

唐之有天下,陳子昂、蘇源明、元結、李白、杜甫、李觀,皆以其所能鳴。

唐王朝が天下を支配することになってからは、陳子昂・蘇源明二刀結・李白・杜甫・李観らが、皆自分のできる所をもって文人として鳴った。

其存而在下者,孟郊東野始以其詩鳴。

唐王朝が天下を支配することになってからは、陳子昂・蘇源明二刀結・李白・杜甫・李観らが、皆自分のできる所をもって文人として鳴った。

其高出魏晉,不懈而及於古,其他浸淫乎漢氏矣。

その現存して低い地位にいる者では、孟郊、字は東野がはじめてその詩をもって鳴っている。

その詩の高くすぐれているものは、魏晋の詩以上に出て、怠らずに努めれば古代の文章にも及ぶであろう。

 (11)§4-2

從吾遊者,李、張籍其尤也。

私に従って遊ぶ者、李翺・張籍はその中でもすぐれている。

三子者之鳴信善矣,

孟郊・李翺・張籍の三人の鳴るのは、まことに善いのである。共に詩文辞賦に秀でているのである。

抑不知天將和其聲,而使鳴國家之盛耶?

それはともかく、私にはわからないが、天は彼らの声をやわらげて、国家の盛運を謳歌させようとするのであろうか(それならば彼らを朝廷は重んじ用いるはずである)。

抑將窮餓其身,思愁其心腸,而使自鳴其不幸耶?

それはともかく、天は彼らの身を苦しめ餓えさせ、心を悲しみぅれえさせて、自分の不幸を鳴らして詩文に表現させようとしているのであろうか。


 (12)§4-3

三子者之命,則懸乎天矣。

孟郊・李翺・張籍の三人の運命は、天上に懸っていて、人事のどうにもできないことである。

其在上也,奚以喜?

それにしても彼らは、上位にあってもどうして喜びなどしよう。地位の上下で心を動かすいやしい人物ではない。

其在下也,奚以悲?

また下位にあってもどうして悲しもう。(栄進より、仁徳と考えるから、地位が低いことを悲しまない。)

東野之役於江南野,有若不釋然者,

孟東野が江南の漂陽の尉に赴任するとき、心の中にきっはりとしないわだかまりがあるような様子がある(その地位が彼のその才学にふさわしくないとおもう)。

故吾道其命於天者以解之。

私は前述のように、その所遇は、天が彼にどのような詩を作らせるつもりか、すべて天から命ぜられるものであることを言って、それでもって、その心の中のわだかまりを解き慰める次第である。

 

(10)§4-1

唐の天下を有【たも】つ,陳子昂、蘇源明、元結、李白、杜甫、李觀,皆 其の能くする所を以て鳴る。

其の存して下に在る者は,孟郊東野 始めて其の詩を以て鳴る。

(11)§4-2

吾に従って溝ぶ者、李翺・張籍は其の尤なり。

三子者の鳴るは、信に善し。

抑【そもそ】も知らず、天 將に其の聲を和げて、国家の盛を鳴らさしめんとするか。

抑も將に其の身を窮餓し、其の心腸を思愁して、自ら其の不幸を鳴らさしめんとするか。

(12)§4-3

三子者の命は、則ち天に懸れり。其の上に在りとも、英を以てか喜ばん。

其の下に在りとも、奚【なに】を以てか悲まん。

東野の江南に役するや、繹然たらざるが若き者有り。

故に吾其の天に命ぜらるる者を道ひて、以て之を解く。

 

 

『送孟東野序』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

(12)§4-3

三子者之命,則懸乎天矣。

其在上也,奚以喜?

其在下也,奚以悲?

東野之役於江南野,有若不釋然者,

故吾道其命於天者以解之。



(下し文) (12)§4-3

三子者の命は、則ち天に懸れり。其の上に在りとも、英を以てか喜ばん。

其の下に在りとも、奚【なに】を以てか悲まん。

東野の江南に役するや、繹然たらざるが若き者有り。

故に吾其の天に命ぜらるる者を道ひて、以て之を解く。

(現代語訳)
孟郊・李翺・張籍の三人の運命は、天上に懸っていて、人事のどうにもできないことである。

それにしても彼らは、上位にあってもどうして喜びなどしよう。地位の上下で心を動かすいやしい人物ではない。

また下位にあってもどうして悲しもう。(栄進より、仁徳と考えるから、地位が低いことを悲しまない。)

孟東野が江南の漂陽の尉に赴任するとき、心の中にきっはりとしないわだかまりがあるような様子がある(その地位が彼のその才学にふさわしくないとおもう)。

私は前述のように、その所遇は、天が彼にどのような詩を作らせるつもりか、すべて天から命ぜられるものであることを言って、それでもって、その心の中のわだかまりを解き慰める次第である。



(訳注) (12)§4-3

 

三子者之命,則懸乎天矣。

孟郊・李翺・張籍の三人の運命は、天上に懸っていて、人事のどうにもできないことである。

 

其在上也,奚以喜?

それにしても彼らは、上位にあってもどうして喜びなどしよう。地位の上下で心を動かすいやしい人物ではない。

奚 (1) なに,なぜ,どこ.(2)奚落[](辛辣な言葉で)冷やかす,あざける.

 

其在下也,奚以悲?

また下位にあってもどうして悲しもう。(栄進より、仁徳と考えるから、地位が低いことを悲しまない。)

 

東野之役於江南野,有若不釋然者,

孟東野が江南の漂陽の尉に赴任するとき、心の中にきっはりとしないわだかまりがあるような様子がある(その地位が彼のその才学にふさわしくないとおもう)。

釋然 疑いや迷いが解けてすっきりするさま。不釋然:展開や結末について理解・同意できない。

 

故吾道其命於天者以解之。

私は前述のように、その所遇は、天が彼にどのような詩を作らせるつもりか、すべて天から命ぜられるものであることを言って、それでもって、その心の中のわだかまりを解き慰める次第である。

 

 

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韓愈《讀巻04-14 送孟東野序 -(11)§4-2》 私に従って遊ぶ者、李翺・張籍はその中でもすぐれている。孟郊・李翺・張籍の三人の鳴るのは、まことに善いのである。共に詩文辞賦に秀でているのである。

 
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韓愈詩-35-(11)

 

 

(10)§4-1

唐之有天下,陳子昂、蘇源明、元結、李白、杜甫、李觀,皆以其所能鳴。

唐王朝が天下を支配することになってからは、陳子昂・蘇源明二刀結・李白・杜甫・李観らが、皆自分のできる所をもって文人として鳴った。

其存而在下者,孟郊東野始以其詩鳴。

唐王朝が天下を支配することになってからは、陳子昂・蘇源明二刀結・李白・杜甫・李観らが、皆自分のできる所をもって文人として鳴った。

其高出魏晉,不懈而及於古,其他浸淫乎漢氏矣。

その現存して低い地位にいる者では、孟郊、字は東野がはじめてその詩をもって鳴っている。

その詩の高くすぐれているものは、魏晋の詩以上に出て、怠らずに努めれば古代の文章にも及ぶであろう。

 (11)§4-2

從吾遊者,李、張籍其尤也。

私に従って遊ぶ者、李翺・張籍はその中でもすぐれている。

三子者之鳴信善矣,

孟郊・李翺・張籍の三人の鳴るのは、まことに善いのである。共に詩文辞賦に秀でているのである。

抑不知天將和其聲,而使鳴國家之盛耶?

それはともかく、私にはわからないが、天は彼らの声をやわらげて、国家の盛運を謳歌させようとするのであろうか(それならば彼らを朝廷は重んじ用いるはずである)。

抑將窮餓其身,思愁其心腸,而使自鳴其不幸耶?

それはともかく、天は彼らの身を苦しめ餓えさせ、心を悲しみぅれえさせて、自分の不幸を鳴らして詩文に表現させようとしているのであろうか。


 (12)§4-3

三子者之命,則懸乎天矣。

其在上也,奚以喜?

其在下也,奚以悲?

東野之役於江南野,有若不釋然者,

故吾道其命於天者以解之。

 

(10)§4-1

唐の天下を有【たも】つ,陳子昂、蘇源明、元結、李白、杜甫、李觀,皆 其の能くする所を以て鳴る。

其の存して下に在る者は,孟郊東野 始めて其の詩を以て鳴る。

(11)§4-2

吾に従って溝ぶ者、李翺・張籍は其の尤なり。

三子者の鳴るは、信に善し。

抑【そもそ】も知らず、天 將に其の聲を和げて、国家の盛を鳴らさしめんとするか。

抑も將に其の身を窮餓し、其の心腸を思愁して、自ら其の不幸を鳴らさしめんとするか。

(12)§4-3

三子者の命は、則ち天に懸れり。其の上に在りとも、英を以てか喜ばん。

其の下に在りとも、奚【なに】を以てか悲まん。

東野の江南に役するや、繹然たらざるが若き者有り。

故に吾其の天に命ぜらるる者を道ひて、以て之を解く。

 

 

『送孟東野序』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

(11)§4-2

從吾遊者,李、張籍其尤也。

三子者之鳴信善矣,

抑不知天將和其聲,而使鳴國家之盛耶?

抑將窮餓其身,思愁其心腸,而使自鳴其不幸耶?


(下し文) (11)§4-2

吾に従って溝ぶ者、李翺・張籍は其の尤なり。

三子者の鳴るは、信に善し。

抑【そもそ】も知らず、天 將に其の聲を和げて、国家の盛を鳴らさしめんとするか。

抑も將に其の身を窮餓し、其の心腸を思愁して、自ら其の不幸を鳴らさしめんとするか。

(現代語訳)
私に従って遊ぶ者、李翺・張籍はその中でもすぐれている。

孟郊・李翺・張籍の三人の鳴るのは、まことに善いのである。共に詩文辞賦に秀でているのである。

それはともかく、私にはわからないが、天は彼らの声をやわらげて、国家の盛運を謳歌させようとするのであろうか(それならば彼らを朝廷は重んじ用いるはずである)。

それはともかく、天は彼らの身を苦しめ餓えさせ、心を悲しみぅれえさせて、自分の不幸を鳴らして詩文に表現させようとしているのであろうか。


(訳注) (11)§4-2

《讀巻04-14 送孟東野序》

(江蘇省の溧陽県の尉となって赴任する孟東野に不平の心があるのを慰めるために、この序を贈った。)

東野のことは《讀巻03-09 與孟東野書》「孟東野に与ふる書」参照。34 《讀巻03-09 與孟東野書》韓愈(韓退之)ID 800年貞元16年 34歳<1300 Ⅱ唐宋八大家文読本 巻三 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5484

 

從吾遊者,李、張籍其尤也。

私に従って遊ぶ者、李翺・張籍はその中でもすぐれている。

○李翺 字は習之、性格が硬くて世に顕れなかった。宰相李達吉の過ちを諌めたために地方に出され應州の知事となった。韓魚に文を学び、『復性書』三巻がある。韓愈の学問を継承発展させた。

○張籍 原籍は呉郡(蘇州)だが、和州烏江(安徽省和県)に生まれた。799年に進士となる。寒門出身のためあまり出世ができず、秘書郎・水部員外郎・主客郎中を経て、師友の韓愈の推薦があり国子博士から国子司業に至った。

 

三子者之鳴信善矣,

孟郊・李翺・張籍の三人の鳴るのは、まことに善いのである。共に詩文辞賦に秀でているのである。

 

抑不知天將和其聲,而使鳴國家之盛耶?

それはともかく、私にはわからないが、天は彼らの声をやわらげて、国家の盛運を謳歌させようとするのであろうか(それならば彼らを朝廷は重んじ用いるはずである)。

 

 

抑將窮餓其身,思愁其心腸,而使自鳴其不幸耶?

それはともかく、天は彼らの身を苦しめ餓えさせ、心を悲しみぅれえさせて、自分の不幸を鳴らして詩文に表現させようとしているのであろうか。

 

 

 

(り こう、772 – 841年)は、唐代中国の文人。字は習之。西涼の武昭王李暠の子孫とも、北魏の尚書左僕射であった李沖の10世の孫とも伝えられる。                                    

              汴州陳留(現在の河南省開封市)人で、本貫は隴西狄道(現在の甘粛省定西市臨洮県)である。                 

              貞元14年(798年)に進士となる。元和年間の初めに国子博士に任命され、元和15年(820年)に史館修撰となり考功員外郎と兼任する。後に朗州と廬州刺史へと左遷され、大和元年(826年)に文宗が即位すると入朝して諫議大夫となり、すぐに知制誥に復帰する。大和7年(833年)に潭州刺史、大和9年(835年)から湖南視察使・検校戸部尚書・襄州刺史・山南東道節度使を経て襄陽(または会昌中鎮)に赴任中に没した。諡は文公。                 

              は韓愈の高弟であり、士を好むところが似ていた。人に一善一能ある時は必ず賞賛し、賢者を推挙する機会を常に求めていたという。                        

              朱伯崑は、「人性本善」という発想は李翺の『復性書』に始まると指摘する。韓愈から排仏の主張を受けついではいるが、彼自身の中では仏教と道教の思想を融合し、むしろ禅宗の達観に接近している。薬山惟儼禅師に贈った詩もあるが、難解で観念的な作品である。                        

              若い頃は皇甫湜とともに韓愈の文章に学ぶ。皇甫湜が韓愈の奇抜な一面を表すのに対し、李翺はその平易な一面を代表するといわれた。ちなみに李翺は韓愈の生前に墓碑銘を委嘱されている。著作は『李文公文集』にまとめられている。                           

798年貞元14年 31   

24-9 《遠遊聯句〔韓愈、李、孟郊〕》韓愈(韓退之)ID 798年貞元14年 31歳<1223 Ⅱ韓昌黎集 巻五 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5099

809年元和4年 42       

送李翺 韓退之(韓愈)詩<89>Ⅱ中唐詩486 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ1537

送李翺 韓退之(韓愈)詩<89-#2>Ⅱ中唐詩487 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ1540

815年元和10年 48   

送李六協律歸荊南【案:。】 韓愈(韓退之) <152>Ⅱ中唐詩731 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2639

 

 

張籍 字は文昌。和州烏江(安徽省)あるいは東郡(河南省)の人といわれる。貞元15(799)の進士で国子司業などをつとめる。韓愈の門下のひとり。とりわけ楽府(がふ)に長じ,僚友の王建の作とともに〈張王楽府〉と並称される。官僚としては不遇だった彼には〈征婦怨〉や〈築城詞〉など民衆の苦痛を訴え,為政者を批判する作品が多く,その点杜甫,元結の詩風を受け継ぎ,同時代の大詩人で友人でもあった白居易が絶賛している。

26-#5 《病中贈張十八 -5》韓愈(韓退之)ID 798年貞元14年 31歳<1229 Ⅱ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5129

27-#17 《此日足可惜贈張籍-17》韓愈(韓退之)ID <1246 Ⅱ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5214韓愈詩-27-#17

 

803年貞元19年 36

詠雪贈張籍

806年元和元年 39

醉贈張祕書

806年元和元年 39

喜侯喜至贈張籍、張徹【案:愈初謫陽山令。元和改元,自江陵掾召國子博士,其從遊如喜、如籍如皆會都下,詩以是作。】

城南聯句 韓愈・孟郊 聯句<64-#1>張籍同席

會合聯句【案:韓愈、張籍、孟郊、張徹】

811年元和6年 44

贈張籍

816年元和11年 49

調張籍 韓退之(韓愈)詩<112-1>Ⅱ中唐詩548 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ1758

調張籍 韓退之(韓愈)詩<112-#2>Ⅱ中唐詩550 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ1766

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調張籍 韓退之(韓愈)詩<112-#4>Ⅱ中唐詩552 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ1774

晚寄張十八助教周郎博士【張籍、周況也。況,愈之從婿。】

題張十八所居【籍】 

奉酬盧給事雲夫四兄曲江荷花行見寄并呈上錢七兄【徽。】閣老張十八助教 韓愈(韓退之) <189>Ⅱ中唐詩804 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ3004

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遊城南十六首:贈張十八助教 韓愈(韓退之) <177>Ⅱ中唐詩788 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2924

820年元和15年 53

《賀張十八祕書得裴司空馬【酬張祕書因騎馬贈詩】》

821年長慶元年 54

雨中寄張博士籍、侯主簿喜

822年長慶2年 55

早春與張十八博士籍遊楊尚書林亭,寄第三閣老兼呈白馮二閣老

同水部張員外籍曲江春遊,寄白二十二舍人

早春呈水部張十八員外,二首之一

早春呈水部張十八員外,二首之二

玩月喜張十八員外以王六祕書至【案:王六,王建也。】

與張十八同效阮步兵一日復一夕

 

 

 

 

張籍詩

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 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
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35-(10) 《讀巻04-14 送孟東野序 -(10)§4-1》韓愈(韓退之)ID  801年貞元17 35歳<1316 Ⅱ唐宋八大家文読本 巻三 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5564韓愈詩-35-(10)

 

 

(10)§4-1

唐之有天下,陳子昂、蘇源明、元結、李白、杜甫、李觀,皆以其所能鳴。

唐王朝が天下を支配することになってからは、陳子昂・蘇源明二刀結・李白・杜甫・李観らが、皆自分のできる所をもって文人として鳴った。

其存而在下者,孟郊東野始以其詩鳴。

唐王朝が天下を支配することになってからは、陳子昂・蘇源明二刀結・李白・杜甫・李観らが、皆自分のできる所をもって文人として鳴った。

其高出魏晉,不懈而及於古,其他浸淫乎漢氏矣。

その現存して低い地位にいる者では、孟郊、字は東野がはじめてその詩をもって鳴っている。

その詩の高くすぐれているものは、魏晋の詩以上に出て、怠らずに努めれば古代の文章にも及ぶであろう。
詩以外の文章も漠代の作品に、水がしみこんで行くように、次第に近づき及ぶであろう。

 (11)§4-2

從吾遊者,李、張籍其尤也。

三子者之鳴信善矣,抑不知天將和其聲,

而使鳴國家之盛耶?

抑將窮餓其身,思愁其心腸,

而使自鳴其不幸耶?

(12)§4-3

三子者之命,則懸乎天矣。

其在上也,奚以喜?

其在下也,奚以悲?

東野之役於江南野,有若不釋然者,

故吾道其命於天者以解之。

 

(10)§4-1

唐の天下を有【たも】つ,陳子昂、蘇源明、元結、李白、杜甫、李觀,皆 其の能くする所を以て鳴る。

其の存して下に在る者は,孟郊東野 始めて其の詩を以て鳴る。

 

 

『送孟東野序』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

(10)§4-1

唐之有天下,陳子昂、蘇源明、元結、李白、杜甫、李觀,皆以其所能鳴。

其存而在下者,孟郊東野始以其詩鳴。

其高出魏晉,不懈而及於古,其他浸淫乎漢氏矣。


(下し文)
(10)§4-1

唐の天下を有【たも】つ,陳子昂、蘇源明、元結、李白、杜甫、李觀,皆 其の能くする所を以て鳴る。

其の存して下に在る者は,孟郊東野 始めて其の詩を以て鳴る。

其高出魏晉,不懈而及於古,其他浸淫乎漢氏矣。

 



(現代語訳)
唐王朝が天下を支配することになってからは、陳子昂・蘇源明二刀結・李白・杜甫・李観らが、皆自分のできる所をもって文人として鳴った。

その現存して低い地位にいる者では、孟郊、字は東野がはじめてその詩をもって鳴っている。

その詩の高くすぐれているものは、魏晋の詩以上に出て、怠らずに努めれば古代の文章にも及ぶであろう。
詩以外の文章も漠代の作品に、水がしみこんで行くように、次第に近づき及ぶであろう。



(訳注)

(10)§4-1

唐之有天下,陳子昂、蘇源明、元結、李白、杜甫、李觀,皆以其所能鳴。

唐王朝が天下を支配することになってからは、陳子昂・蘇源明二刀結・李白・杜甫・李観らが、皆自分のできる所をもって文人として鳴った。

○陳子昂 661 - 702             、字は伯玉、詩文にすぐれ、六朝期の華美さを脱して漢代の建安文学にみられるような堅固さを理想とする詩を作り唐詩の風雅の精神を振興し、盛唐の質実な詩の礎を築いた。心せまく温厚でなかったので、役人に憎まれて殺された。韓愈は高くその才を評価している。

峴山の詩] 陳子昂 峴懷古 李白「峴山懐古」関連 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩李白特集350 -307

○蘇源明 字は弱夫、京兆武功の人、玄宗天寶進士。累官國子司業。文辞にたくみで、天宝年間に有名であった。安祿山の乱で長安が陥落した際,源明は病気と称して偽官を受けなかった。肅宗の時擢知制誥,數陳時政得失。秘書少監に終わる。杜甫、元結等と友となり善くした。 

○元結 字は次山、礼部侍郎を贈られた。「大唐中興頒」及び序を作って、粛宗の中興をたたえた。また『筒中集』の編者で、風雅の古道に帰ることを言い、詩風の復興に寄与した。

○李白 字は太白、蜀の人、詩仙の称がある。玄宗に仕えて翰林学士となる。集二十巻。

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○杜甫 字は子美、李白と並んで李杜と称され、詩聖と称された。杜陵にいたので自ら少陵野老と称した。玄宗に仕えたが、安史の乱に遭い、後に右拾遺となった。晩年厳武の幕下で、検校工部員外郎となったので、後人は「杜工部」と称した。大暦中、洞庭湖畔舟中に没した。『杜工部集』二十巻。

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○李観 字は元賓〕進士に挙げられ、太子校香となった。文章にすぐれ、韓魚と相上下する程であったが、年二十九で卒した。文公に「李元賓墓銘」がある。集六巻。

李観は愈と同じ受験者であったが、愈はこの人を特に評価して、親友としてつきあった。愈は親分肌の人物で、よく後輩の世話をしてやったり、指導をしたりしたが、友人と呼べるものには乏しかった。李観はその数少ない親友の一人である。この詩はニ十五歳と言っているので、この年に作られたことは明白であるが、「賤貧」などという言葉があり、科挙に合格した人の口から出たものとは思えないことばである。

326 《韓愈が尊敬と信頼していた人物で若くして死んだ「李觀」》 韓愈 kanbuniinkai 紀 頌之の詩詞 fc2ブログ 3956 (03/27)

 

其存而在下者,孟郊東野始以其詩鳴。

その現存して低い地位にいる者では、孟郊、字は東野がはじめてその詩をもって鳴っている。

孟郊東野 生]751[]814年、中唐の詩人。武康 (浙江省徳清県) の人。字,東野。初め嵩山に隠棲していたが,都へ出て貞元 12 (796) 年進士に及第。りつ陽 (りつよう) の尉となったが職務をとらず詩をつくっていたので,代理をおいて俸給を半分ずつにしたという。

314 《このブログで取り上げる韓愈と孟郊・韓愈と張籍 の詩案内》 韓愈 kanbuniinkai 紀 頌之の詩詞 fc2ブログ 3896 (03/15)

325 《韓愈の交友者に贈る詩(門下の中で最も多い)「孟郊(孟東野)」》 韓愈 kanbuniinkai 紀 頌之の詩詞 fc2ブログ 3951 (03/26)

 

其高出魏晉,不懈而及於古,其他浸淫乎漢氏矣。

その詩の高くすぐれているものは、魏晋の詩以上に出て、怠らずに努めれば古代の文章にも及ぶであろう。
詩以外の文章も漠代の作品に、水がしみこんで行くように、次第に近づき及ぶであろう。

○浸淫 水のしきこむように次第に近づく形容。

35-(9) 《讀巻04-14 送孟東野序 -(9)§3-3》韓愈(韓退之)ID 801年貞元17年 35歳<1315> Ⅱ唐宋八大家文読本 巻三 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5559

韓愈《讀巻04-14 送孟東野序 -(9)§3-3たといその善く鳴る者があっても、その音声は清んでいて浮いている。その調子はこせこせとして迫まり、その言辞は楽しさが度を越えたり、悲しかったりして感情的である。

 

 
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35-(9) 《讀巻04-14 送孟東野序 -(9)§3-3》韓愈(韓退之)ID  801年貞元17 35歳<1315 Ⅱ唐宋八大家文読本 巻三 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5559韓愈詩-35-(9)

 

 

(7)§3-1

其末也,莊周以其荒唐之辭鳴。

周の末になると、荘周はその大きくとりとめのない言葉をもって鳴った。

楚大國也,其亡也以屈原鳴。

楚は大国であるから、その亡びるときに、屈原を以て楚辞が鳴りひびいた。

臧孫辰、孟軻、荀卿,以道鳴者也。

減孫辰・孟珂・萄卿は道理を以て鳴る者であった。

楊朱、墨翟、管夷吾、晏嬰、老聃、申不害、韓非、慎到、田駢、鄒衍、尸佼、孫武、張儀、蘇秦之屬,皆以其術鳴。

楊朱・墨召・管夷吾・畳嬰・老嗣・申不害・韓非・憐到・田研・秘術・戸佼・孫武・張儀・蘇秦のたぐいは、皆その学術を以て鳴ったのである。

(7)§3-#1

其の末や、荘周其の荒唐の辞を以て鳴る。楚は大国なり。

其の亡ぶるや、屈原を以て鳴る。

臧孫辰、孟軻、荀卿は、道を以て鳴る者なり。

楊朱、墨翟、管夷吾、晏嬰、老聃、申不害、韓非、慎到、田駢、鄒衍、尸佼、孫武、張儀、蘇秦の屬は、皆其の術を以て鳴る。

 (8)§3-2

秦之興,李斯鳴之。

秦が興ると、李斯が鳴った。

漢之時,司馬遷、相如、揚雄,最其善鳴者也。

漢の時には、司馬遷。司馬相加・揚雄が、最も善く鳴る者であった。

其下魏晉氏,鳴者不及於古,然亦未嘗也。

その時が魂・晋の朝代に下ると、その鳴る者が古代のそれに及ばない。

 (8)§3-#2

秦の興るや、李斯 之れに鳴る。

漢の時、司馬遷・相加・揚雄は、最も其の善く鳴る者なり。

其の魏 晋氏に下りては、鳴る者古に及ばず。

然れども亦未だ嘗て絶えざるなり。

 (9)§3-3

就其善者,其聲清以浮,

たといその善く鳴る者があっても、その音声は清んでいて浮いている。

其節數以急,其辭淫以哀,

その調子はこせこせとして迫まり、その言辞は楽しさが度を越えたり、悲しかったりして感情的である。

其志弛以肆。其為言也,

その志操はしまりがなくほしいままである。

亂雜而無章,將天醜其德,

その言辞の性質は乱雑で表現の美しさがない。或いは天がその王朝の徳をみにくいとしている。

莫之顧耶?

これに目をかけることがないのであろうか。

何為乎不明其善鳴者也?

何の故に、その時代の善く鳴る考文人たちを鳴らして、すぐれた文章を作らせないのであろうか。

 

 (9)§3-#3

就【たとい】其の善く鳴る者も、其の聾清にして以て浮、其の節数にして以て急、其の辞淫にして以て哀、其の志弛にして以て肆なり。

其の言為るや、乱雑にして章無し。

將 天其の徳を醜として、之を顧みること莫きか。

何為れぞや、其の善く鳴る者を鳴らさざる。

 

 

『送孟東野序』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

(9)§3-3

就其善者,其聲清以浮,

其節數以急,其辭淫以哀,

其志弛以肆。其為言也

亂雜而無章,將天醜其德,

莫之顧耶?

何為乎不明其善鳴者也?


(下し文)


(現代語訳)
たといその善く鳴る者があっても、その音声は清んでいて浮いている。

その調子はこせこせとして迫まり、その言辞は楽しさが度を越えたり、悲しかったりして感情的である。

その志操はしまりがなくほしいままである。

その言辞の性質は乱雑で表現の美しさがない。或いは天がその王朝の徳をみにくいとしている。

これに目をかけることがないのであろうか。

何の故に、その時代の善く鳴る考文人たちを鳴らして、すぐれた文章を作らせないのであろうか。


(訳注) (9)§3-3

《讀巻04-14 送孟東野序》

(江蘇省の溧陽県の尉となって赴任する孟東野に不平の心があるのを慰めるために、この序を贈った。)

東野のことは《讀巻03-09 與孟東野書》「孟東野に与ふる書」参照。34 《讀巻03-09 與孟東野書》韓愈(韓退之)ID 800年貞元16年 34歳<1300 Ⅱ唐宋八大家文読本 巻三 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5484

 

就其善者,其聲清以浮,

たといその善く鳴る者があっても、その音声は清んでいて浮いている。

○就 たとい。

○清以浮 清澄で美しいが深みがなく浮いている。

 

其節數以急,其辭淫以哀,

その調子はこせこせとして迫まり、その言辞は楽しさが度を越えたり、悲しかったりして感情的である。

○数以急 調子がこせこせとしてゆとりがない。数はしばしは、節調がこまかい。○淫以哀 淫は楽しみが過ぎる。哀は感傷的。

 

其志弛以肆。其為言也

その志操はしまりがなくほしいままである。

○弛以 ゆるみしまりがなくて、またほしいままである。節操がない。

 

亂雜而無章,將天醜其德,

その言辞の性質は乱雑で表現の美しさがない。或いは天がその王朝の徳をみにくいとしている。

○醜其徳 天がその天子の徳をみにくいと思う。共は君主。

 

莫之顧耶

これに目をかけることがないのであろうか。

 

何為乎不明其善鳴者也?

何の故に、その時代の善く鳴る考文人たちを鳴らして、すぐれた文章を作らせないのであろうか。

35-(8) 《讀巻04-14 送孟東野序 -(8)§3-2》韓愈(韓退之)ID 801年貞元17年 35歳<1314> Ⅱ唐宋八大家文読本 巻三 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5554

韓愈《讀巻04-14 送孟東野序 -(8)§3-2》 もしこのまま韓非が登用されてしまえば自分の地位は非常に危うくなる、と考えた李斯は政に韓非の讒言を吹き込んで投獄させて、獄中にいる韓非に毒を渡して有無を言わせずに逸早く死に追い詰めてしまった。

 
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35-(8) 《讀巻04-14 送孟東野序 -(8)§3-2》韓愈(韓退之)ID  801年貞元17 35歳<1314 Ⅱ唐宋八大家文読本 巻三 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5554韓愈詩-35-(8)

 

 

(7)§3-1

其末也,莊周以其荒唐之辭鳴。

周の末になると、荘周はその大きくとりとめのない言葉をもって鳴った。

楚大國也,其亡也以屈原鳴。

楚は大国であるから、その亡びるときに、屈原を以て楚辞が鳴りひびいた。

臧孫辰、孟軻、荀卿,以道鳴者也。

減孫辰・孟珂・萄卿は道理を以て鳴る者であった。

楊朱、墨翟、管夷吾、晏嬰、老聃、申不害、韓非、慎到、田駢、鄒衍、尸佼、孫武、張儀、蘇秦之屬,皆以其術鳴。

楊朱・墨召・管夷吾・畳嬰・老嗣・申不害・韓非・憐到・田研・秘術・戸佼・孫武・張儀・蘇秦のたぐいは、皆その学術を以て鳴ったのである。

(7)§3-#1

其の末や、荘周其の荒唐の辞を以て鳴る。楚は大国なり。

其の亡ぶるや、屈原を以て鳴る。

臧孫辰、孟軻、荀卿は、道を以て鳴る者なり。

楊朱、墨翟、管夷吾、晏嬰、老聃、申不害、韓非、慎到、田駢、鄒衍、尸佼、孫武、張儀、蘇秦の屬は、皆其の術を以て鳴る。

 (8)§3-2

秦之興,李斯鳴之。

秦が興ると、李斯が鳴った。

漢之時,司馬遷、相如、揚雄,最其善鳴者也。

漢の時には、司馬遷。司馬相加・揚雄が、最も善く鳴る者であった。

其下魏晉氏,鳴者不及於古,然亦未嘗也。

その時が魂・晋の朝代に下ると、その鳴る者が古代のそれに及ばない。
しかしながらまた決して絶えなかったのである。

 (8)§3-#2

秦の興るや、李斯 之れに鳴る。

漢の時、司馬遷・相加・揚雄は、最も其の善く鳴る者なり。

其の魏 晋氏に下りては、鳴る者古に及ばず。

然れども亦未だ嘗て絶えざるなり。

 (9)§3-3

就其善者,其聲清以浮,

其節數以急,其辭淫以哀,

其志弛以肆。其為言也,

亂雜而無章,將天醜其德,

莫之顧耶?

何為乎不明其善鳴者也?

 

 (9)§3-#3

就【たとい】其の善く鳴る者も、其の聾清にして以て浮、其の節数にして以て急、其の辞淫にして以て哀、其の志弛にして以て肆なり。

其の言為るや、乱雑にして章無し。

將 天其の徳を醜として、之を顧みること莫きか。

何為れぞや、其の善く鳴る者を鳴らさざる。

 

 

《讀巻04-14 送孟東野序 -(8)§3-2

『送孟東野序』 現代語訳と訳註解説
(
本文) 
(8)§3-2

秦之興,李斯鳴之。

漢之時,司馬遷、相如、揚雄,最其善鳴者也。

其下魏晉氏,鳴者不及於古,然亦未嘗也。


(下し文) (8)§3-#2

秦の興るや、李斯 之れに鳴る。

漢の時、司馬遷・相加・揚雄は、最も其の善く鳴る者なり。

其の魏 晋氏に下りては、鳴る者古に及ばず。

然れども亦未だ嘗て絶えざるなり。

(現代語訳)
秦が興ると、李斯が鳴った。

漢の時には、司馬遷。司馬相加・揚雄が、最も善く鳴る者であった。

その時が魂・晋の朝代に下ると、その鳴る者が古代のそれに及ばない。
しかしながらまた決して絶えなかったのである。


(訳注) (8)§3-2

《讀巻04-14 送孟東野序》

(江蘇省の溧陽県の尉となって赴任する孟東野に不平の心があるのを慰めるために、この序を贈った。)

東野のことは《讀巻03-09 與孟東野書》「孟東野に与ふる書」参照。34 《讀巻03-09 與孟東野書》韓愈(韓退之)ID 800年貞元16年 34歳<1300 Ⅱ唐宋八大家文読本 巻三 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5484

 

秦之興,李斯鳴之。

秦が興ると、李斯が鳴った。

○李斯 韓非と共に育子に学び、法家の術を以て秦の始皇に仕え、韓非を毒死させ、宰相となった。「諌逐客書」がある。楚の北部にある上蔡(現在の河南省駐馬店市上蔡県)の人。

若い頃は小役人として楚に仕えていた。李斯は厠で人の糞尿を食らい人の姿を見て逃げ出すネズミと、兵糧庫の中で人の姿におびえずのうのうと兵糧を食うネズミを見て、「人が居る環境だけで人の賢さなど価値が決まってしまうのか」と嘆き、儒家の荀子の門を叩いた。同門に韓の公子・韓非がおり、共に荀子から学び、秦に入って呂不韋の食客となり、呂不韋からその才能を絶賛され推薦を受けて、秦王政(後の始皇帝)に仕えて、その近侍になった。

李斯は政の命令で他国に潜入し、各国の王族と将軍の間の離間を行い功績を立てて、客卿(他国出身の大臣)となった。

紀元前237年、順調に出世していた李斯だが、この頃に嫪(ろうあい)という他国出身者が反乱を起こしたために、国内で他国出身者の評判が悪くなり、やがて他国人の追放令(逐客令)が出た。このままでは困る李斯は、手紙を政に出して追放令の撤回を求めた。この「諫逐客書」は実に理路整然とした名文で、後に文選にも収録されているほどである。政もこの名文に説得されて追放令の撤回を決めた。実力者の呂不韋が自決した後に、ますます政の信頼が厚くなった李斯だが、その地位を脅かす者がやって来た。かつての同門であった韓非である。政はその前に韓非の著作である『韓非子』を読んで、「この作者と親しく出来るのなら、死んでも悔いは無い。」と言う程に傾倒していたので、もしこのまま韓非が登用されてしまえば自分の地位は非常に危うくなる、と考えた李斯は政に韓非の讒言を吹き込んで投獄させて、獄中にいる韓非に毒を渡して有無を言わせずに逸早く死に追い詰めてしまった。

 

漢之時,司馬遷、相如、揚雄,最其善鳴者也。

漢の時には、司馬遷。司馬相加・揚雄が、最も善く鳴る者であった。

○司馬遷 漢の武帝に仕え、『史記』百三十巻を著した。[](145?[]86

中国,前漢の歴史家。夏陽 (陝西省韓城県) の人。字,子長。生没年については諸説の間にかなりの幅がある。 20歳から父司馬談の命を受けて諸地方を旅行し,古い記録などを集めた。のち郎中となって名をあげ,元封3 ( 108) 年,父の跡を継いで太史令となった。

○相加 司馬相如、蜀の人、賦家として有名、「子虚」「上林」「大人」の諸状を著す。[]179?[]117?  前漢の文学者。成都 (四川省) の人。字,長卿。初め景帝に仕え,のち文人を優遇する梁の孝王のサロンで枚乗 (ばいじょう) ,鄒陽らと交わった。孝王の死後,困窮して郷里にいるうち,富豪の娘卓文君と相知り,駆落ちして結ばれた。

○揚雄  []53[]18  前漢末の文学者,哲学者。成都 (四川省) の人。字,子雲。四十余歳で都へ出て,その博学と文才を認められ,成帝,哀帝,平帝に仕えた。王莽 (おうもう) にも仕え,『劇秦美新』の文を草して王莽を賛美したともいわれる。前漢末の大儒、『法言』『太玄』その他の著書、「甘泉」「長楊」「羽猟」等の諸賦を作る。

 

其下魏晉氏,鳴者不及於古,然亦未嘗也。

その時が魂・晋の朝代に下ると、その鳴る者が古代のそれに及ばない。
しかしながらまた決して絶えなかったのである。

35-(7) 《讀巻04-14 送孟東野序 -(7)§3-1》韓愈(韓退之)ID 801年貞元17年 35歳<1313> Ⅱ唐宋八大家文読本 巻三 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5549

韓愈《讀巻04-14 送孟東野序 -(7)§3-1》 周の末になると、荘周はその大きくとりとめのない言葉をもって鳴った。楚は大国であるから、その亡びるときに、屈原を以て楚辞が鳴りひびいた。

 

 
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35-(7) 《讀巻04-14 送孟東野序 -(7)§3-1》韓愈(韓退之)ID 801年貞元17年 35歳<1313> Ⅱ唐宋八大家文読本 巻三 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5549 
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 杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩) 杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首 
 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
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 Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoor『花間集』全詩訳注解説(改訂版)-70-2皇甫松4《巻2-20 浪濤沙二首其二》皇甫松12首巻二20-〈70〉漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-5552 
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 温庭筠66首 花間集1・2巻皇甫松11首 花間集二巻韋莊47首 花間集二巻薛昭蘊19首 花間集三巻牛嶠31首 花間集三・四巻張泌27首 花間集四巻 
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35-(7) 《讀巻04-14 送孟東野序 -(7)§3-1》韓愈(韓退之)ID  801年貞元17 35歳<1313 Ⅱ唐宋八大家文読本 巻三 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5549韓愈詩-35-(7)

 

戦国時代(紀元前350年頃)東方地図 

(7)§3-1

其末也,莊周以其荒唐之辭鳴。

周の末になると、荘周はその大きくとりとめのない言葉をもって鳴った。

楚大國也,其亡也以屈原鳴。

楚は大国であるから、その亡びるときに、屈原を以て楚辞が鳴りひびいた。

臧孫辰、孟軻、荀卿,以道鳴者也。

減孫辰・孟珂・萄卿は道理を以て鳴る者であった。

楊朱、墨翟、管夷吾、晏嬰、老聃、申不害、韓非、慎到、田駢、鄒衍、尸佼、孫武、張儀、蘇秦之屬,皆以其術鳴。

楊朱・墨召・管夷吾・畳嬰・老嗣・申不害・韓非・憐到・田研・秘術・戸佼・孫武・張儀・蘇秦のたぐいは、皆その学術を以て鳴ったのである。

(8)§3-2

秦之興,李斯鳴之。漢之時,司馬遷、相如、揚雄,最其善鳴者也。其下魏晉氏,鳴者不及於古,然亦未嘗也。

(9)§3-3

就其善者,其聲清以浮,其節數以急,其辭淫以哀,其志弛以肆。其為言也,亂雜而無章,將天醜其德,莫之顧耶?何為乎不明其善鳴者也?

 

(7)§3-#1

其の末や、荘周其の荒唐の辞を以て鳴る。楚は大国なり。

其の亡ぶるや、屈原を以て鳴る。

臧孫辰、孟軻、荀卿は、道を以て鳴る者なり。

楊朱、墨翟、管夷吾、晏嬰、老聃、申不害、韓非、慎到、田駢、鄒衍、尸佼、孫武、張儀、蘇秦の屬は、皆其の術を以て鳴る。

(8)§3-#2

秦の興るや、李斯 之れに鳴る。

漢の時、司馬遷・相加・揚雄は、最も其の善く鳴る者なり。

其の魏 晋氏に下りては、鳴る者古に及ばず。

然れども亦未だ嘗て絶えざるなり。

(9)§3-#3

就【たとい】其の善く鳴る者も、其の聾清にして以て浮、其の節数にして以て急、其の辞淫にして以て哀、其の志弛にして以て肆なり。

其の言為るや、乱雑にして章無し。

將 天其の徳を醜として、之を顧みること莫きか。

何為れぞや、其の善く鳴る者を鳴らさざる。

 

戦国時代勢力図 

《讀巻04-14 送孟東野序 -(7)§3-1

『送孟東野序』 現代語訳と訳註解説
(
本文)
(7)§3-1

其末也,莊周以其荒唐之辭鳴。

楚大國也,其亡也以屈原鳴。

臧孫辰、孟軻、荀卿,以道鳴者也。

楊朱、墨翟、管夷吾、晏嬰、老聃、申不害、韓非、慎到、田駢、鄒衍、尸佼、孫武、張儀、蘇秦之屬,皆以其術鳴。


(下し文)
(7)§3-#1

其の末や、荘周其の荒唐の辞を以て鳴る。楚は大国なり。

其の亡ぶるや、屈原を以て鳴る。

臧孫辰、孟軻、荀卿は、道を以て鳴る者なり。

楊朱、墨翟、管夷吾、晏嬰、老聃、申不害、韓非、慎到、田駢、鄒衍、尸佼、孫武、張儀、蘇秦の屬は、皆其の術を以て鳴る。


(現代語訳)
周の末になると、荘周はその大きくとりとめのない言葉をもって鳴った。

楚は大国であるから、その亡びるときに、屈原を以て楚辞が鳴りひびいた。

減孫辰・孟珂・萄卿は道理を以て鳴る者であった。

楊朱・墨召・管夷吾・畳嬰・老嗣・申不害・韓非・憐到・田研・秘術・戸佼・孫武・張儀・蘇秦のたぐいは、皆その学術を以て鳴ったのである。


(訳注) (7)§3-1

 

其末也,莊周以其荒唐之辭鳴。

周の末になると、荘周はその大きくとりとめのない言葉をもって鳴った。

莊周 荘子(そうし、生没年は厳密には不明だが、紀元前369 - 紀元前286年と推定されている)は、中国の戦国時代の宋国の蒙(現在の河南省商丘あるいは安徽省蒙城)に産まれた思想家で、道教の始祖の一人とされる人物である。荘周(姓=荘、名=周)。字は子休とされるが、字についての確たる根拠に乏しい。

老子と荘子の思想が道教に取り入られる様になると、荘子は道教の祖の一人として崇められるようになり、道教を国教とした唐代は、皇帝玄宗により神格化され、742年に南華真人(なんかしんじん)