漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩 中唐詩人選集【Ⅰ李商隠-150】Ⅱ韓退之(韓愈)-500Ⅶ孟郊(東野)賈島張籍柳宗元韋応物

Ⅰ李商隠は難解詩といわれている。約150首紹介済。(晩唐詩人) Ⅱ韓退之(韓愈)-約500首Ⅶ孟郊、中唐の詩人を掲載中。万物の性(さが)をテーマにした哲学的な詩。このブログは基本的に中唐詩人を中心にして掲載する予定。 韓愈詩文のこれまでの掲載分とこれから掲載予定分を時系列で整理した2014.3.29のブログに集約してそこから各年次を見ることができる  kanbuniinkai 検索で、《漢文委員会HP05》サイトあります。漢詩唐詩を理解するための総合サイト:≪漢文委員会 漢詩07≫。

index-1 768年―799年 青年期

少し、マニアックな晩唐詩人Ⅰ-李商隠150首をまず掲載済み。中唐は盛唐詩人(孟浩然・王維、杜甫、李白)を受け継いだ多様な詩人が出ている。この時代も驚くほど詩が発展している。Ⅱ韓退之(韓愈)500首、Ⅲ柳宗元40首、Ⅳ韋応物、Ⅴ劉長卿、Ⅵ韋荘、Ⅶ孟郊(孟東野)、Ⅷ張籍、Ⅸ賈島、Ⅹ劉禹錫、ほか2012~2020年の予定で気長に進める。同じ中唐ではあるが、白居易のグループについては、李白のブログ350首(2015/6月再開~2018/夏・秋月予定)の後掲載の予定。別に杜甫詩ブログ1500首(2011/7月~2018/8月の予定で)を進行中。詩数につぃては、予定の詩数より多くなる。気まぐれなところがあるのでこの予定が少し変わる場合があり、その節はご容赦ください。                 古詩・謝霊運詩 杜甫詩 韓愈詩 花間集500首全詩 それぞれ毎日ブログしています。 このブログ、索引=語句の「検索」 参考書以上掲載。漢詩力up。

30-(8) §3-3 《讀巻05-05 畫記 -(8)》韓愈(韓退之)ID 795年貞元11年 28歳<1276> Ⅱ唐宋八大家文読本 巻三 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5364

韓愈《讀巻05-05 畫記 -(8) §3-3私は前から甚だこの画を愛していたが、一方では趙君の事で心を動かされた。そのためにこれを趙君に贈り、そしてその画の内容である人や物の形状と数とを文章に記して、時折これを観て、それで以て自分の心を慰めるのである。

 

 
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30-(8) §3-3 《讀巻05-05 畫記 -(8)》韓愈(韓退之)ID 795年貞元11年 28歳<1276> Ⅱ唐宋八大家文読本 巻三 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5364 
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30-(8) §3-3 《讀巻05-05 畫記 -(8)》韓愈(韓退之)ID  795年貞元11 28歳<1276 Ⅱ唐宋八大家文読本 巻三 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5364

韓愈詩-30-(8) §3-3

 

 

(6)§3-1

貞元甲戌年,余在京師甚無事。

貞元十年甲戌((794年)の年、私は長安の都にいて、甚だ閑で何もする事がなかった。

同居有獨孤生申叔者,始得其畫而與余彈棊。

同居の人に独孤生申叔という者があって、はじめてこの画を手に入れたが、それは、私との将棊の駒を弾じく遊戯をしたからであった。

余幸勝而獲焉,意甚惜之。

私は幸いに勝ってその画を得たのであるが、私は心にこの画を甚だ大切に考えたのである。

以為非一工人之所能運思。

思うには、これは一人の画工の思案をめぐらすことのできるものではなかろう。

蓋藂集眾工人之所長耳,雖百金不願易也。

それはたぶん多くの画工が得意なところを集めてでき上がったのに違いない、ということで、それ故、百両の金でもこの画と取りかえようとは願わなかった。

 (7)-2

明年,出京師至河陽,與二三客論畫品格,因出而觀之。

翌年都を出て河陽に至って、二、三の客と画の品格について論じたついでに、この画を出して見せた。

座有趙侍御者,君子人也,見之戚然若有感然。

その場に遇侍御という人がいて、学徳のある君子らしい人であった。その人がこの画を見て、悲しそうな様子で、深く心を動かすことがあるようであった。

少而進曰:「噫!余之手摸也。

しばらくして進み出ていった、ああ、私の自分の手で写したものである。

亡之且二十年矣,余少時常有志乎茲事。

この画を失ってからもう二十年になろうとしているけれど、私は若い時、常に画をかくことに志があった。

得國本,人事而摸得之。

国の最良の画工の描いた古い手本を得て、世間の人との事がらを一切絶って、これを模写し得たのである。

 

(8) -3

遊閩中而喪焉。

ところが後に閩中に旅をした時に、これを失ってしまった。

居閒處獨,時往來余懷也,以其始為之勞而夙好之篤也。

閑な暮らしで、独りでいる時など、時に私の心の中にこの画のことが往き来するのである。その始めて描いた時に苦労したのと、幼少の時の愛好が深かったためである。

今雖遇之,力不能為已,且命工人存其大都焉。」

今この画に出遭っても、力は之を写すことができないので取りあえず画工に命じてその大凡を保存させよう、とした。

 

余既甚愛之,又感趙君之事,因以贈之,而記其人物之形狀與數,而時觀之以自釋焉。

私は前から甚だこの画を愛していたが、一方では趙君の事で心を動かされた。そのためにこれを趙君に贈り、そしてその画の内容である人や物の形状と数とを文章に記して、時折これを観て、それで以て自分の心を慰めるのである。

 

(6)§3-1

貞元甲戌の年,余 京師に在りて甚だ事無し,同居に獨孤生申叔という者有り。始めて其の畫を得て 而して余と棊を彈ず。

余 幸いに勝って焉を獲たり,意 甚だ之を惜む。

以為【おもえ】らく一工人の能く思いを運らす所に非らず,

蓋し眾工人の長ずる所を藂集【そうしゅう】するのみ,百金と雖も易うるを願わざるなり。

(7)-2

明年,京師を出でて河陽に至り,二三客と畫の品格を論じ,因りて出して之を觀【しめ】す。座に趙侍御という者有り。

君子人なり,之を見て戚然として感ずる有るが若く然り。

少して進んで曰く:「噫!余の之手ずから摸せるなり。

之を亡いて且に二十年にならんとし,余 少時常に乎茲の事に志有り。

國本を得て,人事をちて之を摸得たり。

 

(8) -3

閩中【びんちゅう】に遊んで喪えり。

居閒 處獨,時に余が懷に往來するなり,其の始めて為るの勞して 夙【つと】に好むの篤きに以ってなり。

今 之に遇うと雖も,力 為すこと能わず,且く工人に命じて 其の大都【おおよそ】を存せしめんと。」

 

余 既に甚だ之を愛し,又た趙君の事に感じて,因りて以之を贈りて,其の人物の形狀と數とを記して,時に之を觀て以て自ら釋すなり。

 

 

『畫記』 現代語訳と訳註解説

(本文) (8)§3-3

遊閩中而喪焉。

居閒處獨,時往來余懷也,以其始為之勞而夙好之篤也。

今雖遇之,力不能為已,且命工人存其大都焉。」

 

余既甚愛之,又感趙君之事,因以贈之,而記其人物之形狀與數,而時觀之以自釋焉。

 

(下し文) (8) -3

閩中【びんちゅう】に遊んで喪えり。

居閒 處獨,時に余が懷に往來するなり,其の始めて為るの勞して 夙【つと】に好むの篤きに以ってなり。

今 之に遇うと雖も,力 為すこと能わず,且く工人に命じて 其の大都【おおよそ】を存せしめんと。」

 

余 既に甚だ之を愛し,又た趙君の事に感じて,因りて以之を贈りて,其の人物の形狀と數とを記して,時に之を觀て以て自ら釋すなり。

 

(現代語訳)

ところが後に閩中に旅をした時に、これを失ってしまった。

閑な暮らしで、独りでいる時など、時に私の心の中にこの画のことが往き来するのである。その始めて描いた時に苦労したのと、幼少の時の愛好が深かったためである。

今この画に出遭っても、力は之を写すことができないので取りあえず画工に命じてその大凡を保存させよう、とした。

私は前から甚だこの画を愛していたが、一方では趙君の事で心を動かされた。そのためにこれを趙君に贈り、そしてその画の内容である人や物の形状と数とを文章に記して、時折これを観て、それで以て自分の心を慰めるのである。

 

(訳注)

〈畫記〉7.§3-2

(韓愈が人から画巻を手に入れて、また他人に記文して贈った画巻の詩文である。画の代わりにこの文を残したいというのである。)

時に韓愈は年28歳(795年貞元11 )であった。画中の人や物をいちいち数え上げて描写した筆法には韓文の俳諧味が既に見える。

795年貞元11年は三度博学宏詞科を受験して落第、河陽に帰って墓参し、冬長安に戻る。

この詩文の画記は克明に人馬の状、雑物の数を挙げて記し、この画に代わる、文字による画としているのは、極めて特異な作品である。特に百二十三人と、馬八十三頭、その他二百五十一の物を記録して、自らの記憶の便にしたことも、韓愈のこの画に対する愛情の深さを物語るものであろう。ただ愛玩の絵画の記であるから、その発想表現は自ら諧謔、滑椿の趣向が生まれるのが、中国詩文の通例である。特にこの文では馬の描写に精彩がある。杜甫はじめ多くの詩人が画馬の詩に傑作を残したのを、韓愈は散文において試みたと見ることもできる。

 

遊閩中而喪焉。

ところが後に閩中に旅をした時に、これを失ってしまった。

閩中 郡名、福建省の地方をという。

 

居閒處獨,時往來余懷也,以其始為之勞而夙好之篤也。

閑な暮らしで、独りでいる時など、時に私の心の中にこの画のことが往き来するのである。その始めて描いた時に苦労したのと、幼少の時の愛好が深かったためである。

居閒 閑暇な生活に居る。

處獨 孤独に処る時。

○夙好之篤 若いころの好みが熱心であった。

 

今雖遇之,力不能為已,且命工人存其大都焉。」

今この画に出遭っても、力は之を写すことができないので取りあえず画工に命じてその大凡を保存させよう、とした。

○大都 おおよそ。あらまし。

 

余既甚愛之,又感趙君之事,因以贈之,而記其人物之形狀與數,而時觀之以自釋焉。

私は前から甚だこの画を愛していたが、一方では趙君の事で心を動かされた。そのためにこれを趙君に贈り、そしてその画の内容である人や物の形状と数とを文章に記して、時折これを観て、それで以て自分の心を慰めるのである。

○自釈 自分で画を手放した恨みをなぐさめる。釈はゆるめ解く。

22―(5) 《與少室李拾遺書》韓愈(韓退之)ID 795年貞元11年 28歳<1212> Ⅱ唐宋八大家文読本 巻三 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5044

韓愈《與少室李拾遺書》(5)また漏れ聞くところでは、朝廷の考えは必ず拾遺公を出仕させようとしているということだ。使者が拾遺公の所に往って、もし承知されなければ、すぐさま河南府長官が必ず引き継いで行くであろう。

 
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22―(5) 《與少室李拾遺書》韓愈(韓退之)ID 795年貞元11年 28歳<1212> Ⅱ唐宋八大家文読本 巻三 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5044 
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22―(5) 《與少室李拾遺書》韓愈(韓退之)ID  795年貞元11 28歳<1212 Ⅱ唐宋八大家文読本 巻三 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5044


韓愈詩
-22―(5)

 與少室李拾遺書

(1)§1

與少室李拾遺書

十二月某日,愈頓首:

伏承天恩,詔河南敦拾遺公,

朝廷之士,引頸東望,

若景星鳳凰之始見也,爭先睹之為快。

(嵩山(河南省)の少室山の李渤拾遺に与える書状。)

十二月某日、愈頓首して申す。

伏して承るに、天子のお恵み深く、河南府に詔を下されて、手厚く李拾遺公におさとしがあったということである。

朝廷の人々は、頚を伸ばして東を望んだのだ。

目出度い星や聖天子の世に出るという時に鳳皇がはじめて現れるたかのように、先を争って見るのを喜びとしている。

 

十二月某日,愈 頓首【とんしゅ】す:

伏して承る 天恩,河南に詔りして 敦く拾遺公に,と。

朝廷の士,頸を引いて東望す,

景星 鳳凰の始めて見るが若きなり,先を爭いて 之を睹るを快と為す。

 (2)§21

方今天子仁聖,小大之事,

皆出宰相,樂善言如,不得聞。

自即大位已來,於今四年,凡所施者,無不得宜。

勤儉之聲,寬大之政,幽閨婦女、草野小人,飽聞而厭道之。

愈不通於古,請問先生,世非太平之運歟?

ただ今、天子は仁愛であり極めて聡明にあらせられ、小大すべての事は、

皆宰相の考えに出て、善い言葉を楽しま れること、これを久しく聞かれなかったかのように熱心に耳を傾けられ、

それ故ご即位以来今まで四年、およそ施し行われたところの事は、宜しきを得ないものはなかった。

そして政に勤め倹約であるという評判と寛大に人ゆるす政治は、

奥深い座敷、閨の婦女も、草深い民間の被治者たちも、皆飽きるまで聞き、飽きるまでこれをいうのである。

私、韓愈は古代の事が十分に分からないので、どうか先生にお伺いしたいことは、世は太平の運ではないのか。

方に今、天子 仁聖なり,小大の事,皆 宰相に出づ,

善言を樂しむこと,聞くを得ざるが如し。

大位に即くより已來【いらい】,今に於いて四年,凡そ施す所の者,宜しく得ざる無し。

勤儉の聲,寬大の政,幽閨の婦女、草野の小人も,飽くまで聞いて 厭くまで之を道う。

愈 古に通ぜず,先生に請い問う,世 太平の運にら非ざるか?

 (3)§22

加又有非人力而至者,年穀熟衍,符貺委至;

幹紀之奸,不戰而拘累;

強梁之凶,銷鑠縮栗,迎風而委伏。

其有一事未就正,自視若不成人。

四海之所環,無一夫甲而兵者。

若此時也,拾遺公不疾起與天下之士君子樂成而享之,斯無時矣。

又それに加えて、人の力でなくて、やって来るものがある。

年の田の稔りが熟しあまりがあり、瑞祥のたまものが重なり至り、

法を犯した謀反人、悪人が、戦わずして捕縛された。

強くて暴れる謀反人、悪人が、消滅し縮み恐れ、草が風を迎えるように随い伏す、というようなことがあり、

その一つの事でも正しくならなければ、在位の君子は自身を視ること、不完全な人間のようである。

四海の内、天下は、一人の男も鎧を着て武器を執る者がいない。

このような時に、拾遺公が速かに起ち上がって天下の士、君子と政道の完成を楽しんで、その幸せを身に受けなければ、その時がないであろう。

 

加うるに又た人力非らずして至る有者り,年穀【ねんこく】熟衍【じゅくえん】,符貺【ふきゅう】委至【いち】す。

紀を幹【おか】すの奸も,戰わずして拘累せらる。

強梁の凶も,銷鑠【しょうしゃく】縮栗も,風を迎えて委伏する。

其の一事未だ正に就かざる有れば,自ら視ること不成人の若し。

四海の環る所,一夫も甲して兵する者無し。

此くの若き時や,拾遺公 疾く起ちて與天下の士君子と成るを樂しんで之を享けずんば,斯れ時無からんや。

 

(4)§3

昔者孔子知不可為而為之不已,足跡接於諸侯之國。

今可為之時,自藏深山,

牢關而固距,即與仁義者異守矣。

想拾遺公冠帶就車,惠然肯來,

抒所蓄積,以補綴盛德之有闕遺,

利加於時,名垂於將來,

踴躍悚企,傾刻以冀。

むかし孔子は、道を行うことができないことを知りながら、これを行おうとしてやまず、その足あとは天下の諸侯の国々に続いていた。

もし拾遺公が、仕えて政をすることができる時世に、ひとりで深山に隠れ、

門をしっかりととざし、固く人のさそいをふせいで出ないのは、とりもなおさず、孔子のような仁義を行う者と守る道が違うのである。

想うに拾遺公が、冠をかぶり帯をしめて、礼服に身を正し、車に乗り、機嫌よく朝廷に来ることを承諾し、

平素から心にたくわえ積んだ抱負をのべて、天子の立派な徳のとう闕けて手落ちのある所を補い綴るならば、

その利益はその時世に加わり、その名誉は将来に伝わるであろう。

躍り上がって心おそれ爪立ちしながら、暫くのうちに公の来られることをこいねがうのである。

昔は 孔子為す可からざるをりて 之を為して已まず,足跡 諸侯の國に接す。

今 為す可きの時,自ら深山に藏る,

牢關して固く距ぐは,即ち仁義の者と守を異にす。

想うに拾遺公 冠帶して車に就き,惠然として肯て來る,

蓄積する所を抒べ,以って盛德の闕遺有るを補綴せば,

利 時に加わり,名 將來に垂れん,

踴躍して悚企し,傾刻以って冀【こいねが】う。

(5)§4

又竊聞朝廷之議,必起拾遺公。

使者往,若不許,即河南必繼以行;

拾遺征君若不至,必加高秩,

如是則辭少就多,傷於廉而害於義,拾遺公必不為也。

善人斯進其類,皆有望於拾遺公,

拾遺公儻不為起,是使眾善人不與斯人施也。

また漏れ聞くところでは、朝廷の考えは必ず拾遺公を出仕させようとしているということだ。

使者が拾遺公の所に往って、もし承知されなければ、すぐさま河南府長官が必ず引き継いで行くであろう。

拾遺征君がもし朝廷に往かないならば、必ずそれよりも高い官秩を加えて招かれるであろう。

このようであれば、少禄を辞して多禄に行き、廉目正しく無欲な徳を傷つけて、正しい筋道をそこなうことになる。拾遺公はきっとこういう行いはされないであろう。

善人であればこそ善人の同類のものを進め仕官させようとするものであるから、皆拾遺公にこれを望んでいることがあるのである。

拾遺公がもし起ち上がって仕えることをしないならば、多数の善人たちをして、この善人である公の施しにあずかって進仕することをなくさせるのである。

(5)§4

又た竊に聞く 朝廷の議,必ず拾遺公を起さんとす、と。

使者は往き,若し許さずんば,即ち河南必ず繼いで以て行かん。

拾遺征君 若し至らずんば,必ず高秩を加えん。

是の如くんば則ち少を辭し多に就き,廉に傷って 義に害あり,拾遺公 必ず為さざるなり。

善人 斯に其の類を進むれば,皆 於拾遺公に望むこと有り。

拾遺公 儻に起つを為さずんば,是に 眾 善人をして斯の人に施に與【あずか】らざなり。

 (6)§5

由拾遺公而使天子不盡得良臣,君子不盡得顯位,

人庶不盡被惠利,其害不為細。

必望審察而遠思之,務使合於孔子之道。

幸甚!愈再拜。

 

Ta唐 長安近郊圖  新02 

『與少室李拾遺書』 現代語訳と訳註解説

(本文) (5)§4

又竊聞朝廷之議,必起拾遺公。

使者往,若不許,即河南必繼以行;

拾遺征君若不至,必加高秩,

如是則辭少就多,傷於廉而害於義,拾遺公必不為也。

善人斯進其類,皆有望於拾遺公,

拾遺公儻不為起,是使眾善人不與斯人施也。

 

(下し文) (5)§4

又た竊に聞く 朝廷の議,必ず拾遺公を起さんとす、と。

使者は往き,若し許さずんば,即ち河南必ず繼いで以て行かん。

拾遺征君 若し至らずんば,必ず高秩を加えん。

是の如くんば則ち少を辭し多に就き,廉に傷って 義に害あり,拾遺公 必ず為さざるなり。

善人 斯に其の類を進むれば,皆 於拾遺公に望むこと有り。

拾遺公 儻に起つを為さずんば,是に 眾 善人をして斯の人に施に與【あずか】らざなり。

 

(現代語訳)

また漏れ聞くところでは、朝廷の考えは必ず拾遺公を出仕させようとしているということだ。

使者が拾遺公の所に往って、もし承知されなければ、すぐさま河南府長官が必ず引き継いで行くであろう。

拾遺征君がもし朝廷に往かないならば、必ずそれよりも高い官秩を加えて招かれるであろう。

このようであれば、少禄を辞して多禄に行き、廉目正しく無欲な徳を傷つけて、正しい筋道をそこなうことになる。拾遺公はきっとこういう行いはされないであろう。

善人であればこそ善人の同類のものを進め仕官させようとするものであるから、皆拾遺公にこれを望んでいることがあるのである。

拾遺公がもし起ち上がって仕えることをしないならば、多数の善人たちをして、この善人である公の施しにあずかって進仕することをなくさせるのである。

汜水関などの地図 

(訳注) (5)§4

與少室李拾遺書

(嵩山(河南省)の少室山の李渤拾遺に与える書状。)

○李渤 (773831) 渤、字は濬之(しゅんし)、少室山に隠れて出ず。元和の初めに、右拾遺の官を以て徴されたが、辞して行かなかった。退之はこれに書を送って仕官を勧めたので、出て仕えた。両山に石室があるので大室山、少室山と名付けた。唐の穆宗(李恒)が即位すると、考功員外郎として召された。元和十五年(820)、宰相や大臣が凡庸で政治を誤らせていると上書したため、権臣たちに憎まれた。このため虔州刺史として出向させられた。長慶元年(821)、江州刺史に転じた。かれは「白鹿洞」で読書し、後世に拡張されて白鹿洞書院が建てられると、中国四大書院の筆頭に列せられた。

○拾遺 左右拾遺の官は、天子の遺漏したことを拾い諌める役。

 

又竊聞朝廷之議,必起拾遺公。

また漏れ聞くところでは、朝廷の考えは必ず拾遺公を出仕させようとしているということだ。

○竊聞 私だけが聞いている。公開の話ではない。遠慮して「漏れ聞くところでは」というほどの意。

 

使者往,若不許,即河南必繼以行;

使者が拾遺公の所に往って、もし承知されなければ、すぐさま河南府長官が必ず引き継いで行くであろう。

○河南、河南府長官。府尹。

 

拾遺征君若不至,必加高秩,

拾遺征君がもし朝廷に往かないならば、必ずそれよりも高い官秩を加えて招かれるであろう。

○征君 朝廷から召されされても出仕しない人を征君と呼ぶ。李拾遺は一度辞退しているのでこういった。

 

如是則辭少就多,傷於廉而害於義,拾遺公必不為也。

このようであれば、少禄を辞して多禄に行き、廉目正しく無欲な徳を傷つけて、正しい筋道をそこなうことになる。拾遺公はきっとこういう行いはされないであろう。

○如 もし。

 

善人斯進其類,皆有望於拾遺公,

善人であればこそ善人の同類のものを進め仕官させようとするものであるから、皆拾遺公にこれを望んでいることがあるのである。

 

拾遺公儻不為起,是使眾善人不與斯人施也。

拾遺公がもし起ち上がって仕えることをしないならば、多数の善人たちをして、この善人である公の施しにあずかって進仕することをなくさせるのである。

○斯人施 このように善い人である拾遺公が同類を進め仕えさせるという恩恵。

太白山001 

22ー(3)§2-2 《與少室李拾遺書》韓愈(韓退之)ID 795年貞元11年 28歳<1210> Ⅱ唐宋八大家文読本 巻三 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5034

又それに加えて、人の力でなくて、やって来るものがある。年の田の稔りが熟しあまりがあり、瑞祥のたまものが重なり至り、法を犯した謀反人、悪人が、戦わずして捕縛された。

 
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22ー(3)§2-2 《與少室李拾遺書》韓愈(韓退之)ID  795年貞元11 28歳<1210 Ⅱ唐宋八大家文読本 巻三 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5034

韓愈詩-22―(3)§2-2

 

 

與少室李拾遺書

(1)§1

與少室李拾遺書

(嵩山(河南省)の少室山の李渤拾遺に与える書状。)

十二月某日,愈頓首:

十二月某日、愈頓首して申す。

伏承天恩,詔河南敦拾遺公,

伏して承るに、天子のお恵み深く、河南府に詔を下されて、手厚く李拾遺公におさとしがあったということである。

朝廷之士,引頸東望,

朝廷の人々は、頚を伸ばして東を望んだのだ。

若景星鳳凰之始見也,爭先睹之為快。

目出度い星や聖天子の世に出るという時に鳳皇がはじめて現れるたかのように、先を争って見るのを喜びとしている。

 

十二月某日,愈 頓首【とんしゅ】す:

伏して承る 天恩,河南に詔りして 敦く拾遺公に,と。

朝廷の士,頸を引いて東望す,

景星 鳳凰の始めて見るが若きなり,先を爭いて 之を睹るを快と為す。

 (2)§2-1

方今天子仁聖,小大之事,

ただ今、天子は仁愛であり極めて聡明にあらせられ、小大すべての事は、

皆出宰相,樂善言如,不得聞。

皆宰相の考えに出て、善い言葉を楽しま れること、これを久しく聞かれなかったかのように熱心に耳を傾けられ、

自即大位已來,於今四年,凡所施者,無不得宜。

それ故ご即位以来今まで四年、およそ施し行われたところの事は、宜しきを得ないものはなかった。

勤儉之聲,寬大之政,

そして政に勤め倹約であるという評判と寛大に人ゆるす政治は、

幽閨婦女、草野小人,飽聞而厭道之。

奥深い座敷、閨の婦女も、草深い民間の被治者たちも、皆飽きるまで聞き、飽きるまでこれをいうのである。

愈不通於古,請問先生,世非太平之運歟?

私、韓愈は古代の事が十分に分からないので、どうか先生にお伺いしたいことは、世は太平の運ではないのか。

方に今、天子 仁聖なり,小大の事,皆 宰相に出づ,

善言を樂しむこと,聞くを得ざるが如し。

大位に即くより已來【いらい】,今に於いて四年,凡そ施す所の者,宜しく得ざる無し。

勤儉の聲,寬大の政,幽閨の婦女、草野の小人も,飽くまで聞いて 厭くまで之を道う。

愈 古に通ぜず,先生に請い問う,世 太平の運にら非ざるか?

 (3)§22

加又有非人力而至者,

又それに加えて、人の力でなくて、やって来るものがある。

年穀熟衍,符貺委至;

年の田の稔りが熟しあまりがあり、瑞祥のたまものが重なり至り、

幹紀之奸,不戰而拘累;

法を犯した謀反人、悪人が、戦わずして捕縛された。

強梁之凶,銷鑠縮栗,迎風而委伏。

強くて暴れる謀反人、悪人が、消滅し縮み恐れ、草が風を迎えるように随い伏す、というようなことがあり、

其有一事未就正,自視若不成人。

その一つの事でも正しくならなければ、在位の君子は自身を視ること、不完全な人間のようである。

四海之所環,無一夫甲而兵者。

四海の内、天下は、一人の男も鎧を着て武器を執る者がいない。

若此時也,拾遺公不疾起與天下之士君子樂成而享之,斯無時矣。

このような時に、拾遺公が速かに起ち上がって天下の士、君子と政道の完成を楽しんで、その幸せを身に受けなければ、その時がないであろう。

 

加うるに又た人力非らずして至る有者り,年穀【ねんこく】熟衍【じゅくえん】,符貺【ふきゅう】委至【いち】す。

紀を幹【おか】すの奸も,戰わずして拘累せらる。

強梁の凶も,銷鑠【しょうしゃく】縮栗も,風を迎えて委伏する。

其の一事未だ正に就かざる有れば,自ら視ること不成人の若し。

四海の環る所,一夫も甲して兵する者無し。

此くの若き時や,拾遺公 疾く起ちて與天下の士君子と成るを樂しんで之を享けずんば,斯れ時無からんや。
函谷関002 

汜水関などの地図 

 

『與少室李拾遺書』 現代語訳と訳註解説

(本文) (3)§22

加又有非人力而至者,年穀熟衍,符貺委至;

幹紀之奸,不戰而拘累;

強梁之凶,銷鑠縮栗,迎風而委伏。

其有一事未就正,自視若不成人。

四海之所環,無一夫甲而兵者。

若此時也,拾遺公不疾起與天下之士君子樂成而享之,斯無時矣。

 

(下し文)

加うるに又た人力非らずして至る有者り,年穀【ねんこく】熟衍【じゅくえん】,符貺【ふきゅう】委至【いち】す。

紀を幹【おか】すの奸も,戰わずして拘累せらる。

強梁の凶も,銷鑠【しょうしゃく】縮栗も,風を迎えて委伏する。

其の一事未だ正に就かざる有れば,自ら視ること不成人の若し。

四海の環る所,一夫も甲して兵する者無し。

此くの若き時や,拾遺公 疾く起ちて與天下の士君子と成るを樂しんで之を享けずんば,斯れ時無からんや。

 

(現代語訳)

又それに加えて、人の力でなくて、やって来るものがある。

年の田の稔りが熟しあまりがあり、瑞祥のたまものが重なり至り、

法を犯した謀反人、悪人が、戦わずして捕縛された。

強くて暴れる謀反人、悪人が、消滅し縮み恐れ、草が風を迎えるように随い伏す、というようなことがあり、

その一つの事でも正しくならなければ、在位の君子は自身を視ること、不完全な人間のようである。

四海の内、天下は、一人の男も鎧を着て武器を執る者がいない。

このような時に、拾遺公が速かに起ち上がって天下の士、君子と政道の完成を楽しんで、その幸せを身に受けなければ、その時がないであろう。

 

太白山001 

(訳注) (3)§22

與少室李拾遺書

(嵩山(河南省)の少室山の李渤拾遺に与える書状。)

○李渤 (773831) 渤、字は濬之(しゅんし)、少室山に隠れて出ず。元和の初めに、右拾遺の官を以て徴されたが、辞して行かなかった。退之はこれに書を送って仕官を勧めたので、出て仕えた。両山に石室があるので大室山、少室山と名付けた。唐の穆宗(李恒)が即位すると、考功員外郎として召された。元和十五年(820)、宰相や大臣が凡庸で政治を誤らせていると上書したため、権臣たちに憎まれた。このため虔州刺史として出向させられた。長慶元年(821)、江州刺史に転じた。かれは「白鹿洞」で読書し、後世に拡張されて白鹿洞書院が建てられると、中国四大書院の筆頭に列せられた。

○拾遺 左右拾遺の官は、天子の遺漏したことを拾い諌める役。

 

加又有非人力而至者,

又それに加えて、人の力でなくて、やって来るものがある。

 

年穀熟衍,符貺委至;

年の田の稔りが熟しあまりがあり、瑞祥のたまものが重なり至り、

熟衍 熟して溢れる。

符貺 符は目出たいしるし、睨は賜物。天与の瑞兆。

○委至 委は禾ぶ)が積み重なること。重なり

 

幹紀之奸,不戰而拘累;

法を犯した謀反人、悪人が、戦わずして捕縛された。

○幹紀之奸,不戰而拘累 紀綱(法令)をおかす悪人か戦わずして捕縛される。806年元和元年、西川節度使劉闢や李錡が捕らえられたこと

 

強梁之凶,銷鑠縮栗,迎風而委伏。

強くて暴れる謀反人、悪人が、消滅し縮み恐れ、草が風を迎えるように随い伏す、というようなことがあり、

強梁之凶,銷鑠縮栗 強く暴れる悪者が消滅し縮み恐れる。王承宗が徳州と桂(に)州の地を献じたこと。

○委伏 随い伏す。

 

其有一事未就正,自視若不成人。

その一つの事でも正しくならなければ、在位の君子は自身を視ること、不完全な人間のようである。

 

四海之所環,無一夫甲而兵者。

四海の内、天下は、一人の男も鎧を着て武器を執る者がいない。

○甲而兵 鎧を着て武器を持つ。

 

若此時也,拾遺公不疾起與天下之士君子樂成而享之,斯無時矣。

このような時に、拾遺公が速かに起ち上がって天下の士、君子と政道の完成を楽しんで、その幸せを身に受けなければ、その時がないであろう。

○斯無時矣 それこそ時機がないであろう。

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ただ今、天子は仁愛であり極めて聡明にあらせられ、小大すべての事は、皆宰相の考えに出て、善い言葉を楽しま れること、これを久しく聞かれなかったかのように熱心に耳を傾けられ、それ故ご即位以来今まで四年、およそ施し行われたところの事は、宜しきを得ないものはなかった。

 
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22ー(2)§2-1 《與少室李拾遺書》韓愈(韓退之)ID  795年貞元11 28歳<1209> Ⅱ唐宋八大家文読本 巻三 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5029

韓愈詩-22ー(2)§2-1

 

 

 

與少室李拾遺書

(1)§1

與少室李拾遺書

(嵩山(河南省)の少室山の李渤拾遺に与える書状。)

十二月某日,愈頓首:

十二月某日、愈頓首して申す。

伏承天恩,詔河南敦拾遺公,

伏して承るに、天子のお恵み深く、河南府に詔を下されて、手厚く李拾遺公におさとしがあったということである。

朝廷之士,引頸東望,

朝廷の人々は、頚を伸ばして東を望んだのだ。

若景星鳳凰之始見也,爭先睹之為快。

目出度い星や聖天子の世に出るという時に鳳皇がはじめて現れるたかのように、先を争って見るのを喜びとしている。

 

十二月某日,愈 頓首【とんしゅ】す:

伏して承る 天恩,河南に詔りして 敦く拾遺公に,と。

朝廷の士,頸を引いて東望す,

景星 鳳凰の始めて見るが若きなり,先を爭いて 之を睹るを快と為す。

 (2)§21

方今天子仁聖,小大之事,

ただ今、天子は仁愛であり極めて聡明にあらせられ、小大すべての事は、

皆出宰相,樂善言如,不得聞。

皆宰相の考えに出て、善い言葉を楽しま れること、これを久しく聞かれなかったかのように熱心に耳を傾けられ、

自即大位已來,於今四年,凡所施者,無不得宜。

それ故ご即位以来今まで四年、およそ施し行われたところの事は、宜しきを得ないものはなかった。

勤儉之聲,寬大之政,

そして政に勤め倹約であるという評判と寛大に人ゆるす政治は、

幽閨婦女、草野小人,飽聞而厭道之。

奥深い座敷、閨の婦女も、草深い民間の被治者たちも、皆飽きるまで聞き、飽きるまでこれをいうのである。

愈不通於古,請問先生,世非太平之運歟?

私、韓愈は古代の事が十分に分からないので、どうか先生にお伺いしたいことは、世は太平の運ではないのか。

方に今、天子 仁聖なり,小大の事,皆 宰相に出づ,

善言を樂しむこと,聞くを得ざるが如し。

大位に即くより已來【いらい】,今に於いて四年,凡そ施す所の者,宜しく得ざる無し。

勤儉の聲,寬大の政,幽閨の婦女、草野の小人も,飽くまで聞いて 厭くまで之を道う。

愈 古に通ぜず,先生に請い問う,世 太平の運にら非ざるか?

 (3)§22

加又有非人力而至者,年穀熟衍,符貺委至;幹紀之奸,不戰而拘累;強梁之凶,銷鑠縮栗,迎風而委伏。其有一事未就正,自視若不成人。四海之所環,無一夫甲而兵者。若此時也,拾遺公不疾起與天下之士君子樂成而享之,斯無時矣。

 

汜水関などの地図 

『與少室李拾遺書』 現代語訳と訳註解説

(本文) (2)§21

方今天子仁聖,小大之事,

皆出宰相,樂善言如,不得聞。

自即大位已來,於今四年,凡所施者,無不得宜。

勤儉之聲,寬大之政,幽閨婦女、草野小人,飽聞而厭道之。

愈不通於古,請問先生,世非太平之運歟?

 

(下し文) (2)§21

方に今、天子 仁聖なり,小大の事,皆 宰相に出づ,

善言を樂しむこと,聞くを得ざるが如し。

大位に即くより已來【いらい】,今に於いて四年,凡そ施す所の者,宜しく得ざる無し。

勤儉の聲,寬大の政,幽閨の婦女、草野の小人も,飽くまで聞いて 厭くまで之を道う。

愈 古に通ぜず,先生に請い問う,世 太平の運にら非ざるか?

 

(現代語訳)

ただ今、天子は仁愛であり極めて聡明にあらせられ、小大すべての事は、

皆宰相の考えに出て、善い言葉を楽しま れること、これを久しく聞かれなかったかのように熱心に耳を傾けられ、

それ故ご即位以来今まで四年、およそ施し行われたところの事は、宜しきを得ないものはなかった。

そして政に勤め倹約であるという評判と寛大に人ゆるす政治は、

奥深い座敷、閨の婦女も、草深い民間の被治者たちも、皆飽きるまで聞き、飽きるまでこれをいうのである。

私、韓愈は古代の事が十分に分からないので、どうか先生にお伺いしたいことは、夜は太平の運ではないのか。

 

辟雍00 

(訳注) (2)§21

與少室李拾遺書

(嵩山(河南省)の少室山の李渤拾遺に与える書状。)

○李渤 (773831) 渤、字は濬之(しゅんし)、少室山に隠れて出ず。元和の初めに、右拾遺の官を以て徴されたが、辞して行かなかった。退之はこれに書を送って仕官を勧めたので、出て仕えた。両山に石室があるので大室山、少室山と名付けた。唐の穆宗(李恒)が即位すると、考功員外郎として召された。元和十五年(820)、宰相や大臣が凡庸で政治を誤らせていると上書したため、権臣たちに憎まれた。このため虔州刺史として出向させられた。長慶元年(821)、江州刺史に転じた。かれは「白鹿洞」で読書し、後世に拡張されて白鹿洞書院が建てられると、中国四大書院の筆頭に列せられた。

○拾遺 左右拾遺の官は、天子の遺漏したことを拾い諌める役。

 

 

方今天子仁聖,小大之事,

ただ今、天子は仁愛であり極めて聡明にあらせられ、小大すべての事は、

仁聖 仁愛ふかくと仁徳がたかいこと。

 

皆出宰相,樂善言如,不得聞。

皆宰相の考えに出て、善い言葉を楽しま れること、これを久しく聞かれなかったかのように熱心に耳を傾けられ、

 

自即大位已來,於今四年,凡所施者,無不得宜。

それ故ご即位以来今まで四年、およそ施し行われたところの事は、宜しきを得ないものはなかった。

大位 位の高い人。

 

勤儉之聲,寬大之政,

そして政に勤め倹約であるという評判と寛大に人ゆるす政治は、

 

幽閨婦女、草野小人,飽聞而厭道之。

奥深い座敷、閨の婦女も、草深い民間の被治者たちも、皆飽きるまで聞き、飽きるまでこれをいうのである。

幽閨 奥深い座敷・閨に幽閉されている。寵愛を失って閨に幽閉状態にある妾。

草野 民間人。

小人 取るに足らない、つまらない人。

 

愈不通於古,請問先生,世非太平之運歟?

私、韓愈は古代の事が十分に分からないので、どうか先生にお伺いしたいことは、世は太平の運ではないのか。

不通於古 古代の事が十分に分からない。三皇五帝の仁徳の政治の実際について詳しく知らない(謙遜語)。

19-#1 《醉留東野 #1》韓愈(韓退之)ID 798年貞元14年 31歳<1177> Ⅱ韓昌黎集 巻三 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4869韓愈詩-19-#1

むかし、李白や杜甫の詩を読んだことが原因で、そのことで。二人が一緒に寄り添って詩を読むことだできなかったことを残念に思っている。

 
 2014年9月26日の紀頌之5つのブログ 
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 Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
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19-#1 《醉留東野 #1》韓愈(韓退之)ID 798年貞元14年 31歳<1177> Ⅱ韓昌黎集 巻三 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4869韓愈詩-19-#1 
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 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
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798年貞元14年 31

 

21


天星送楊凝郎中賀正

天星牢落雞喔咿,

22


酔留東野  韓退之(韓愈)詩<77-#1

昔年因讀李白杜甫詩,

 

 

酔留東野  韓退之(韓愈)詩<77-#2

 

23


病中贈張十八

中虛得暴下,

24


答孟郊

規模背時利,

25

補遺

知音者誠希【案:見《外集》。】【案:見《遺集》。】

知音者誠希,

26


遠遊聯句【案:韓愈、李、孟郊】

別腸車輪轉,

 

 

貞元十二年(七九六)、愈は二十九歳。この年六月、汀州(河南省開封)にある宜武軍節度使の幕府に内紛が起った。

節度使は李万栄という人であったが、このころ重病にかかったので、息子のれん廼が職務を代行していた。ところが廼は気の荒い人だったらしく、気に入らぬ部下は手あたり次第に殺してしまう。無法とわかっていても、幕府の中では節度使に専決権があるので、文句のつけようがない。そこで万栄の側近であった鄧惟恭という人がクーデターを決行し、廼を捕縛して、都へ送ってしまった。朝廷ではこれを受けて、廼を処罰し、東都留守(洛陽の長官である)の董晋に宜武軍節度使の職務を代行せよと命じた。

節度使は自分が人選して、幕府を構成する。董晋も東都留守としての部下を連れて行くわけにはいかないので、新たに幕僚を集めなければならない。とりあえず洛陽で人員を構成し、それを従えて汴州へ乗りこむわけである。そこで選ばれた幕僚の一人に、愈が入っていた。

なぜ董晋が愈を選んだのか、詳しいことはわからない。それまでに深いつきあいがあったとも見えないし、晋が愈の才能を特に買っていたわけでもないらしいのである。愈にしてみれば、以前には貢耽の幕僚になりたいと志願してことわられたのに、こんどは思いがけなく、幕僚の職がころがりこんで来たことになる

ただ、多少の推測は可能であろう。董晋は突然に、宜武軍節度使の任命を受けた。しかもクーデターの直後だけに、赴任は急を要する。内示があって、しかるべき準備期間を経て、用意を撃凡てから赴任するという、通常の転任とは違う。緊急に幕僚を集めたいとなれば、広く天下の人材に思いを及ぼす余裕はあるまい。どうしても手近の人間でまにあわせなければならない、となれば、南陽から洛陽に出て来ていた愈は、ちょうど都合のよい人員であった。

愈の立場も、貢耽にことわられた時とは違っている。あのときの愈は、まだ郷貢の進士であった。

進士の科の受験資格はあっても、まだ合格はしていない、いわば海のものとも山のものともわからぬ存在である。だが、こんどは進士の科に及第という履歴が加わっていた。吏部では落第しても、学問・文学に関しては、いちおう礼部が保証してくれた形になっている。節度使の幕僚としては、最も使いやすい。幕僚にならないかと声をかけて、辞退される恐れも、まずない。

ただし、董晋の赴任には危険がともなっていた。彼が任命を受けた直後、李万栄が死んでしまったので、彼は代行でなく、正式の節度使ということになったのである。しかし、クーデターの張本人である鄧惟恭は、そうは考えない。もともと、廼を追いはらって自分が節度使になるつもりだったのである。しかも汴州の軍隊は、クーデターから引き続き、彼が掌握していた。

だから、董晋の一行が汴州まであと百キロ足らずの鄭州まで来ても、宜武軍からは音沙汰がない。

新任の節度使が来るのだから、本来ならばしかるべき部隊を出迎えによこし、先導して汴州に入城させる礼をとるべきところなのである。幕僚だけで手兵を持たぬ晋が入城しようとし、鄧惟恭の抵抗にあったとすれば、重大な問題に発展する恐れがあった。

しかし、記録によれば、董晋はしこく温和な人物であった。出迎えが来ないからといって怒りもせず、べつに意気ごむこともなく、何ごともなかったような顔でまっすぐ汴州に入城し、緊張している鄧惟恭にはおだやかに挨拶をして、即座に軍事は一任すると告げた。みなが拍子ぬけした形になって、内紛は自然におさまってしまう。

これが、愈が政治に直接触れた最初の体験であった。このときの事件に、彼はぺつに働きがあったとも見えないが、「天下を憂える」と壮語した彼のことだから、やる気は十分にあったであろう。

あるいは、自分の運勢もここから開けると希望を抱いたかもしれない。しかも董晋の幕僚中、彼は最年少であった。それを採用してくれた晋の知遇に、彼は感激せざるを得ない。

董晋のもとでの幕僚生活は足かけ四年間続くのだが、その二年目の貞元十三年(七九七)七月、病気にかかって、一時休職となった。そのとき、過去を追懐し、現状を述べようとして作ったのが、さきに引用した「復志賦」(韓文一)である。その中で彼は、洛陽でぶらぶらしていた自分を招いてくれた董晋の恩義を述べ、「小人の恵みを懐ふすら、猶其の至愚を献ぜんことを知る。余は牛馬に異なれるに因り、寧んぞ水を飲み易を求め、門下に伏して黙然とし、歳年を克ふるまで以て康娯するに止まらんや」と、決意のほどを示した。

だから、病気がなおって晋の幕府にもどった後も、彼は熱心に勤務を続けたと判断してよかろう。

だが、それよりも重要なのは、このころから彼について文学を学ぼうとする人々が出てきたことであった。

たとえば漏宿という人があって、愈に指導を求めたらしく、それに答えた手紙が残っている(韓文一七、漏宿に与へて文を論ずる書)。それによれば、宿は自作の賦一首を愈に送って批評を求めたが、愈は「実に意思有り、但力めてこれを為れ」とはめてから、文学についての自分の体験を語っている。

自分は長いこと文章を書いてきたが、いつも自分でよい出来だと思っていると、人は必ず悪いと言う。いくらかよい出来だと思えば、いくらかけなされる。大いによい出来だと思えば、大いにけなされる。時には行きがかり上、世俗の文章を書くこともあって、自分では恥ずかしいのだが、人に見せると、よい出来だと言う。いくらか恥ずかしいと思えば、いくらかはめられる。大いに恥ずかしいと思えば、大いにはめられる。してみれば、「知らず、古文は、真に今の世に何の用かあらん。然れども知者の知るを挨たんのみ」。

愈はここで、自分が「古文」の道に進むことを、はっきりと宣言した。古文にいくら熟達しても、はめてはもらえない。古文は今の世においては、役に立たないものなのである。しかし、それが正しいことは、わかる者にはわかる。あるいは百世の後、聖人が現れて正しさを証明してくれるかもしれない。漏宿にこう訓誠を与えてから、彼は近況について語る。

……近ごろ李斯、僕に従って文を学び、頗る得る所有り。然れども其の人、家貧しくして事多く、未だ其の業を卒ふる能はず。張籍なる者有り、年は劫より長じたれども、亦僕に学ぶ。其の文、期と相上下す(よい勝負である)。二一年これを業とせば、至るに庶幾からん。

李翺は後年、節度使にまで出世し、師の学風を継いで、学者・文人として名を得た人物である。張籍は散文作家よりむしろ詩人として、中庸期の詩壇の一方の雄となった。後世の学者が言う「韓門」は、このころから形をなし始めたと見てよかろう。自分の若い時代とほぼ同様の境遇にある後輩たちに対して、今の世には無用のものだと言いながら、愈は古文の道を教えた。それでも教えを受けたいと希望する後輩は、愈にとっては同志の士である。同志も得られたし、上官の晋の知遇もある。生計の道も、どうやら立った。愈の心境も、ようやく落ちついたのであろう。「知者の知るを簸たんのみ」というような余裕のある言葉は、こうした心のゆとりが生み出したものに違いない。

ところが貞元十五年(七九九)、愈が三十二歳の二月、節度使董晋が病死した。前にも書いたが、慣例として、人が郷里を離れた土地で(役人の任地もその一つに該当する)死んだ場合、無名の庶民が行き倒れにでもなったのならば別だが、遺族が遺体を引き取り、郷里にある先祖代々の基地まで運んで、埋葬しなければならぬ。火葬の風習がないため、遺体を棺に入れたまま運搬するので、日数も費用もかかるが、これだけは遺族のはたすべき務めとされた。むろん、遺族にそれだけの費用がない場合もあり、そのときは近所の寺などに棺を一時あずけて、金策に奔走することになる。貧窮と放浪のうちに死んだ杜甫などは、棺があずけられたままになり、郷里まで運ばれて埋められたのは、彼の孫の代になってからであった。

節度使ともなれば、費用に問題はない。むしろりっぱな行列を組んで、荘重に遺体を運ばなければ、体面にもかかわる。董晋の郷里は虞郷(山西省)で、汴州からははぽ真西、直線距離で三百キロあまりになるが、中国の広い国土の中では、まず近い方であった。知己と感謝した晋に対する最後の恩返しのつもりであろう、愈は葬送の行列に加わって、汴州を出た。節度使の後任には、董晋の補佐役をつとめていた陸長坂があてられた。

陸長瀬は苛酷な男であった。もともと微温的な董晋の性格に不安を感じた朝廷が、この人物を補佐役につけてよこしたのである。部下の過失を晋が兄のがしてやると、長源が容赦なく摘発するというようなことが、これまでに何度もあった。その長坂が節度使に就任しての第一声は、綱紀の粛正であり、しかもそれをただちに実行した。

董晋の寛仁に慣れていた宜武軍の将士が不安を抱いたのは、当然であろう。不安は動揺となり、陸長坂への怒りに変った。晋の遺体を捧じた葬列が汗州の城門を出てから四日の後、ついに将士の反乱が起る。長瀬は怒り狂った兵士たちの手にかかり、むざんな最期をとげた。

その知らせが葬送の一行にとどいたのは、彼らが洛陽の東の催師という町に一泊した夜であった。

このあたりの事実は、事態がいちおう鎮静してから、愈が弟子の張籍に贈った「此の日惜しむに足る可し」と題する五言古詩(韓文二)に詳しい。

 

この時、愈は汴州に妻子を残していた。彼がいつ結婚したのかは明らかでないが、もう長女があった。長男の乗はこの年の生まれだが、詩中に言及するところがないのを見ると、まだ母親の胎内にあったと思われる。妻ももちろんのことだが、まだ乳離れもしていない長女が、戦乱の中でどうしていることか。「騎女 未だ乳を絶たず/これを念うて忘るる能はず、忽ち我が所に在るが如く耳に噂声を聞くが若し」というのが、この時の愈の思いであった。

しかし、そのうちに東から来た旅人があって、情報をもたらした。愈の妻子は無事である。ただ、汗州にいては危険なので、船で脱出し、洛陽とは反対方向、東方の徐州へ落ちのびたという。愈は葬列を洛陽まで送ってから、単身で東へと引き返した。汴州の南を迂回して徐州に着き、妻子と落ちあって、ここに仮の住居を定めたのは、二月も末のことであった。

汴州の反乱はほどなく鎮圧されたが、愈はもう、汴州には帰れない。節度使の幕僚は公式に任命されたものであるが、任命は私的な人選によるので、身分の保証はなかった。節度使が死んだ場合(転任のときも同じことであるが)、後任の節度使は、前任者の幕僚を引き継ぐ義務はない。むしろ自分の人選によって新たに幕僚を任じ、幕府を構成しようとする。もとの幕僚は失業するわけだが、文句は言えないのであって、この点が科挙を経て正式に任命された役人と違うところである。

愈もせっかく得た幕僚の職を失ったが、運のよいことに、徐州に根拠を置く武寧軍節度使の張建封が、どれほどのつきあいがあったのかはわからないけれども、以前から愈を知っていた。汴州から避難して来た愈の一家に住居を与え、どうやら衣食にも困らぬ程度に援助してくれたのは、張建封であった。もっとも、愈の方ではいつまでも仮住居をしてはおられず、建封に甘えてもいられないので、秋になると、徐州を去ろうとした。郷里へ引きあげるつもりだったのかもしれない。その時、建封が愈を引きとめ、自分のところの幕僚に任命してくれた。

 

函谷関002 

作年: 798年貞元十四年31   

卷別: 卷三四0  文體: 雜言古詩 

詩題: 醉留東野 

作地點: 汴州(河南道 / 汴州 / 汴州

交遊人物: 孟郊 當地交遊(河南道 汴州 汴州)

 

 

醉留東野 #1

昔年因讀李白杜甫詩,長恨二人不相從。 

吾與東野生並世,如何復躡二子蹤。 

東野不得官,白首誇龍鐘。 

韓子稍姦黠,自慚青蒿倚長松。 

#2

低頭拜東野,願得終始如蛩。 

東野不迴頭,有如寸筳撞鉅鐘。 

我願身為雲,東野變為龍。 

四方上下逐東野,雖有離別無由逢。 

 

 

太白山001 

 

醉留東野
酔っぱらって帰っていく孟郊を引き留める。
昔年因讀李白杜甫詩,長恨二人不相從。
むかし、李白や杜甫の詩を読んだことが原因で、そのことで。二人が一緒に寄り添って詩を読むことだできなかったことを残念に思っている。
吾與東野生並世,如何複躡二子蹤。
わたしと孟郊とは同じ時代をいきているが、どうしてまた李白、杜甫の二人の跡を踏むのだろうか。(わたしと孟郊も、李白・杜甫の場合と同様に、離れて一緒になれないのだろうか。)
東野不得官,白首誇龍鍾。
孟郊(孟東野)君は官職を得ることが無く、しらが頭で、年老いてつかれて病むようにみえるがじつはげんきがよいのだ。
韓子稍奸黠,自慚青蒿倚長松。」
わたし韓愈は、ややずるくて悪賢いかもしれませんが、その頼りない青いヨモギのようなわたしが、大きな松の木に寄りかかっていることを羞じてはいるのです。 
低頭拜東野,原得終始如蛩。
東野不回頭,有如寸筳撞巨鍾。
我願身為雲,東野變為龍。
四方上下逐東野,雖有離別無由逢。」


醉って東野を留む
昔年 李白杜甫の詩を讀むことに 因【よ】りて,長く恨む二人相ひ從はざりしことを。
吾と東野と生まれて世に並べたり,如何【いかん】ぞ 復【また】二子の蹤【あと】を躡【ふ】まん。
東野は官を得ず,白首 龍鍾【りょうしょう】たるに誇る。
韓子は稍【や】姦黠【かんかつ】たり,自ら慚【は】づ青蒿【せいこう】長松【ちょうそう】に倚れることを。」
低頭して東野を拜し,願はくは終始 蛩【きょきょう】の如くなることを得ん。
東野は頭【こうべ】を迴らさず,寸筳【すんてい】鉅鐘【きょしょう】を撞【つ】くが 如【ごと】くなること有り。
我 願はくは身の雲と爲り,東野は變じて龍と爲らんことを。
四方 上下【じょうげ】東野を逐【お】い,離別 有りと雖【いへど】も 逢ふに由【よし】無し。


現代語訳と訳註
(
本文)

昔年因讀李白杜甫詩,長恨二人不相從。
吾與東野生並世,如何複躡二子蹤。
東野不得官,白首誇龍鍾。
韓子稍奸黠,自慚青蒿倚長松。」


(下し文) 醉留東野
昔年 李白杜甫の詩を讀むことに 因【よ】りて,長く恨む二人相ひ從はざりしことを。
吾と東野と生まれて世に並べたり,如何【いかん】ぞ 復【また】二子の蹤【あと】を躡【ふ】まん。
東野は官を得ず,白首 龍鍾【りょうしょう】たるに誇る。
韓子は稍【や】姦黠【かんかつ】たり,自ら慚【は】づ青蒿【せいこう】長松【ちょうそう】に倚れることを。」


(現代語訳)
(孟東野は志を得ず、送別に酔い、できものならを引き留めたいと詠う。)
むかし、李白や杜甫の詩を読んだことが原因で、そのことで。二人が一緒に寄り添って詩を読むことだできなかったことを残念に思っている。
わたしと孟郊とは同じ時代をいきているが、どうしてまた李白、杜甫の二人の跡を踏むのだろうか。(わたしと孟郊も、李白・杜甫の場合と同様に、離れて一緒になれないのだろうか。)
孟郊(孟東野)君は官職を得ることが無く、しらが頭で、年老いてつかれて病むようにみえるがじつはげんきがよいのだ。

わたし韓愈は、ややずるくて悪賢いかもしれませんが、その頼りない青いヨモギのようなわたしが、大きな松の木に寄りかかっていることを羞じてはいるのです。 
三峡 巫山十二峰001
(訳注)
醉留東野
(孟東野は志を得ず、送別に酔い、できものならを引き留めたいと詠う。)
楽府・古詩系統引き継いだものだった。
孟郊は、韓愈より年長であるが、韓愈の方がいつも官に推腰する方の立ち場にあり、ふつう韓愈の門人のうちに数えられている詩人である。詩人としては、貧窮生活を率直にうたい、抒情性に富んだすぐれた詩を作っている
韓愈が孟郊について

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436-#6 《孟生詩【孟先生詩】》韓愈(韓退之)ID <1148 Ⅱ韓昌黎集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4724韓愈詩-436-#6


・東野:孟郊の字。孟郊は中唐の詩人。湖州武康(現・浙江省湖州)の人。不遇な一生を送った。751年(天寶十年)~814年(元和九年)。諡は貞曜先生。


昔年因讀李白杜甫詩、長恨二人不相從。
むかし、李白や杜甫の詩を読んだことが原因で、そのことで。二人が一緒に寄り添って詩を読むことだできなかったことを残念に思っている。 
昔年 むかし。 
 …のために。…が(原因)のために。…に因(よ)って。また、因(よ)る。起因する。 
李白杜甫詩 李白と杜甫は、盛唐の同世代人でありながら、この二人は、744年天宝三載洛陽ではじめてあって、翌745年四載曲皐で別かれるまで、行動を共にした相識であったが、その後は、めぐりあって話す機会がなく、いたずらにその友情を詩に寄せで送るばかりであった。杜甫が李白示した詩は15首に上る。李白の方は4首確認できる。
長恨 いつも残念に思ってる。・長:いつも。ずっと。≒常。
二人 ふたり。ここでは、李白、杜甫のことになる。 
相從 いっしょに寄り添う。・從:したがう。附き添う。


吾與東野生並世、如何復躡二子蹤。
わたしと孟郊とは同じ時代をいきているが、どうしてまた李白、杜甫の二人の跡を踏むのだろうか。(わたしと孟郊も、李白・杜甫の場合と同様に、離れて一緒になれないのだろうか。)
 わたし。ここでは、作者・韓愈のことになる。
並世 同世代に肩を並べる。
如何 どうして。・復:また。
 ふむ。(足を)ふみつける。追う。追いかける。(くつを)はく。 
二子 ふたりの人。ふたりの男子。ここでは、李白、杜甫のことになる。 
 あと。あしあと。行為のあと。物事のあとかた。


東野不得官、白首誇龍鍾。
孟郊(孟東野)君は官職を得ることが無く、しらが頭で、年老いてつかれて病むようにみえるがじつはげんきがよいのだ。
不得官 官職に就けない。
白首 しらがあたま。 
誇龍鍾 年老いてつかれて病むようにみえるがじつはげんきがよい。・龍鍾 年老いてつかれて病むさま。失意のさま。行きなやむさま。

韓子稍姦黠、自慚青蒿倚長松。
わたし韓愈は、ややずるくて悪賢いかもしれませんが、その頼りない青いヨモギのようなわたしが、大きな松の木に寄りかかっていることを羞じてはいるのです。 
韓子 韓愈。 
 やや。 
姦黠 ずるくて悪賢い。
 面目なく思う。面目が無くはずかしい。はじる。自動詞。軽く用いる。 
青蒿 青いヨモギ。青いわら。作者自身のことを指す。 
 寄りかかる。たのむ。すがる。 
長松 大きな松の樹。

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丁度紙魚が書物を食い荒し、文字と文字、書物と書物のなかで死んでいくのと同じではないか、わたしは受験のための書物に前後左右をはさまれ そして死んでゆくあのダニとどこが違うのだ

 
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441-#1 《雜詩》韓愈(韓退之)ID  795年貞元11年 28歳<1162 Ⅱ韓昌黎集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4794韓愈詩-441-#1

 

 

 

 

 

795年貞元11年 28

 

17

 巻二

馬厭穀

馬厭穀兮,

18

 巻五

雜詩 #1

古史散左右,

 

 

雜詩 #2

 

 

 

雜詩 #3

 

19

 補遺

苦寒歌【案:見《外集》。】

黃昏苦寒歌,

 

 

作年:    795年貞元十一年28

卷別:    卷三四0              文體:    五言古詩

韓昌黎集 巻五

詩題:    雜詩

 

雜詩 #1

古史散左右,詩書置後前。

豈殊蠹書蟲,生死文字間。

古道自愚蠢,古言自包纏。

當今固殊古,誰與為欣歡。』

(今この時生活する中で心にうかんだことを述べたもの)

古代の歴史の巻々は左右において勉学しているのでどうしても散らばりがちになってしまう。『詩経』『書経』詩人の詩文を研究して、前後において私の詩作に生かしている。
丁度紙魚が書物を食い荒し、文字と文字、書物と書物のなかで死んでいくのと同じではないか、わたしは受験のための書物に前後左右をはさまれ そして死んでゆくあのダニとどこが違うのだ
昔の人のいうことは、まず自分を愚か者であるとするところから始まり、「子曰く」という言葉は、自分自身を包みまといつき束縛することばでもあるのだ。
私の生きているいま、基本的に昔とは事情が違っている。誰となら一緒に喜ぶことができるというのか。(教えを守りぬいて古人と喜びを享受できないのか。)
 #2

獨攜無言子,共升崑崙顛。

長風飄襟裾,遂起飛高圓。

下視禹九州,一塵集豪端。

遨嬉未云幾,下已億萬年。

 #3

向者夸奪子,萬墳厭其

惜哉抱所見,白黑未及分。

慷慨為悲詫,淚如九河翻。

指摘相告語,雖還今誰親。

翩然下大荒,被髮騎麒麟。

 

雜詩 #1
古史 左右に散じ、詩書 後前【こうぜん】に置く。
豈に殊【こと】ならむや 蠧書蟲【としょちゅう】の、文字の閒に生死するに。
古道【こどう】は自らを愚憃【ぐとう】にし、古言【こげん】は自らを包纏【ほうてん】す。
當今は固より古しえと殊【こと】なれり、誰と與【とも】にか欣歓をなさむ。』

#2
獨り無言子を攜へ、共に昇る崑崙【こんろん】の巓【いただき】。
長風【ちょうふう】襟裾【きんきょ】を飄し、逐に起て高圓【こうえん】に飛ぶ。
下 禹の九州を覛る、一塵 豪端に集【とど】まるを。
遨嬉【ごうぎ】すること未だ云【ここ】に幾【いくばく】ならん、下は已に億萬年。
向者【さき】の夸奪子【かだっし】、萬墳【まんふん】其の巓【いただき】厭【おそ】う。』
#3
惜しい哉【かな】所見を抱きしに、白黒【はくこく】未だ分【わか】つに及ばず。
慷慨【こうがい】悲咤【ひた】をなし、涙は九河【きゅうが】の翻えるが如し。
指摘【してき】して相【あい】告語【こくご】す、還ると雖も今や誰とか親【したし】まむ。
翩然【へんぜん】大荒【たいこう】に下らむとし、被髪【ひはつ】して騏驎【きりん】に騎【き】す。』

 

 

現代語訳と訳註
(
本文)

古史散左右、詩書置後前。
豈殊蠧書蟲、生死文字閒。
古道白愚憃、古言自包纏。
當今固殊古、誰與爲欣歓。』

 

(下し文) #1
古史 左右に散じ、詩書 後前【こうぜん】に置く。
豈に殊【こと】ならむや 蠧書蟲【としょちゅう】の、文字の閒に生死するに。
古道【こどう】は自らを愚憃【ぐとう】にし、古言【こげん】は自らを包纏【ほうてん】す。
當今は固より古しえと殊【こと】なれり、誰と與【とも】にか欣歓をなさむ。』


(現代語訳)
(今この時生活する中で心にうかんだことを述べたもの)

古代の歴史の巻々は左右において勉学しているのでどうしても散らばりがちになってしまう。『詩経』『書経』詩人の詩文を研究して、前後において私の詩作に生かしている。
丁度紙魚が書物を食い荒し、文字と文字、書物と書物のなかで死んでいくのと同じではないか、わたしは受験のための書物に前後左右をはさまれ そして死んでゆくあのダニとどこが違うのだ
昔の人のいうことは、まず自分を愚か者であるとするところから始まり、「子曰く」という言葉は、自分自身を包みまといつき束縛することばでもあるのだ。
私の生きているいま、基本的に昔とは事情が違っている。誰となら一緒に喜ぶことができるというのか。(教えを守りぬいて古人と喜びを享受できないのか。)
文具-峡
(訳注)
雜詩

(今この時生活する中で心にうかんだことを述べたもの)

王粲、曹植、杜甫、皆雑詩がある。「無題」とする場合もある。風刺、特別な感情を込める場合、詩題をわざと目立たない、無造作なものにした。さりげない、つまらないもの・・・そのなかにこそ詩人の思いを凝らしているものである。この詩は儒者である韓愈が、兎角世に受け入れられないという不満を述べ、富貴利達を得たものが、盛衰があり、往々遷謫の憂き目に遭うことを嘲ったものである。


#1
古史散左右、詩書置後前。

古史 左右に散じ、詩書 後前【こうぜん】に置く。
古代の歴史の巻々は左右において勉学しているのでどうしても散らばりがちになってしまう。『詩経』『書経』詩人の詩文を研究して、前後において私の詩作に生かしている。
○古史 古典、古体、古辞、古文学、歴史書、古文書をいう。

詩書 『詩経』『書経』楚辞、古詩、詩賦など、韓愈の時代には、杜甫の詩集がないだけで、六朝、謝霊運、初唐詩、孟浩然、李白、王維、などは発表されていた。


豈殊蠧書蟲、生死文字閒。
豈に殊【こと】ならむや 蠧書蟲【としょちゅう】の、文字の閒に生死するに。
丁度紙魚が書物を食い荒し、文字と文字、書物と書物のなかで死んでいくのと同じではないか、わたしは受験のための書物に前後左右をはさまれ そして死んでゆくあのダニとどこが違うのだ
蠧書蟲 書物を食い荒すシミ。ケダニ、紙魚。
斡愈のこの詩は屈原の「離騒」あたりをお手本にしたのであろうか、読書人がくわだてる現実からの脱出には、古今を一にするものがあって、おもしろい。


古道自愚憃、古言自包纏。
古道【こどう】は自らを愚憃【ぐとう】にし、古言【こげん】は自らを包纏【ほうてん】す。
昔の人のいうことは、まず自分を愚か者であるとするところから始まり、「子曰く」という言葉は、自分自身を包みまといつき束縛することばでもあるのだ。
愚憃 おろかでにぶいこと。後漢書『張酺傳』「臣實愚憃、不及大體。」(臣實に愚憃にして、大體に及ばざる。)また、韓非子にみえる。

包纒 包みまといつくさま。束縛。


當今固殊古、誰與爲欣歓。』
當今は固より古しえと殊【こと】なれり、誰と與【とも】にか欣歓をなさむ。』
私の生きているいま、基本的に昔とは事情が違っている。誰となら一緒に喜ぶことができるというのか。(教えを守りぬいて古人と喜びを享受できないのか。)
欣歓 喜び楽しむこと。荘子『盗跖』「怵惕之恐、欣歓之喜、不監於心。」(怵惕之恐れ、欣歓之喜びは、於心に監みず。)
辟雍00 

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