中唐詩人選集【Ⅰ李商隠-150】Ⅱ韓退之(韓愈)Ⅶ孟郊(東野)  漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩 訳注解説ブログ

Ⅰ李商隠は難解詩といわれている。約150首紹介済。(晩唐詩人) Ⅱ韓退之(韓愈)-約500首Ⅶ孟郊、中唐の詩人を掲載中。万物の性(さが)をテーマにした哲学的な詩。このブログは基本的に中唐詩人を中心にして掲載する予定。 韓愈詩文のこれまでの掲載分とこれから掲載予定分を時系列で整理した2014.3.29のブログに集約してそこから各年次を見ることができる  kanbuniinkai 検索で、《漢文委員会HP05》サイトあります。漢詩唐詩を理解するための総合サイト:≪漢文委員会 漢詩07≫。

少し、マニアックな晩唐詩人Ⅰ-李商隠150首をまず掲載済み。中唐は盛唐詩人(孟浩然・王維、杜甫、李白)を受け継いだ多様な詩人が出ている。この時代も驚くほど詩が発展している。Ⅱ韓退之(韓愈)500首、Ⅲ柳宗元40首、Ⅳ韋応物、Ⅴ劉長卿、Ⅵ韋荘、Ⅶ孟郊(孟東野)、Ⅷ張籍、Ⅸ賈島、Ⅹ劉禹錫、ほか2012~2020年の予定で気長に進める。同じ中唐ではあるが、白居易のグループについては、李白のブログ350首(2015/6月再開~2018/夏・秋月予定)の後掲載の予定。別に杜甫詩ブログ1500首(2011/7月~2018/8月の予定で)を進行中。詩数につぃては、予定の詩数より多くなる。気まぐれなところがあるのでこの予定が少し変わる場合があり、その節はご容赦ください。                 古詩・謝霊運詩 杜甫詩 韓愈詩 花間集500首全詩 それぞれ毎日ブログしています。 このブログ、索引=語句の「検索」 参考書以上掲載。漢詩力up。

韓昌黎集 巻五

806年-35 全唐詩339_ 7 #2短燈檠歌 #2 Ⅱ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之韓愈詩集8394

全唐詩339_ 7 #2短燈檠歌 #2 

 

2017323

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●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、現在、李白詩全詩 訳注

Ⅰ李白詩

(李白集校注)

744年-070全唐文卷0350-24 漢東紫陽先生碑銘(卷三○(二)一七三四詩文補遺)Ⅰ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 李白詩集8363

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744年-集11字解集 A.古風五十九首之四十 B.古風五十九首之四十四 C.早夏于將軍叔宅Ⅰ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 李白詩集8388

孟浩然

李白詩

謝霊運

司馬相如 《子虛賦 ・上林賦》

揚雄 《甘泉賦》

諸葛亮 出師表

曹植詩65

兩都賦序・西都賦・東都賦

李白全詩

漁父辞(屈原

楚辞・九歌》東君

《楚辞九辯》

 

●唐を代表する 中唐 韓愈 全500首 

Ⅱ韓昌黎詩集・文集校注

806年-35 全唐詩339_ 7 #2短燈檠歌 #2 Ⅱ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之韓愈詩集8394

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806年-集10-【字解集】 ・送區弘南歸 Ⅱ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之韓愈詩集8383

・李商隠詩 (1) 136首の75

・李商隠詩 (2) 135首の61

韓愈1 ・孟郊・張籍と汴州乱41

index-2[800年~804年]27

index-3 805年陽山から江陵36

index-4 806年 39 江陵・国子博士25

index-5 806年39歳(2)25

index-6 807~809年 20

index-7[810年~811年 44歳] 34

index-8 [812年~814年47歳]46

index-9[815年~816年 49歳57

index-10[817年~818年 51歳]「平淮西碑」28

index-11 819年『論佛骨表』左遷 38

index-12 820 國子祭酒18

index-13 821年~822年 22

index-14 57歳・病気のため退職。没す14

韓愈 哲学・儒学「五原」

孟郊

 

●杜甫の全作品1500首を訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"

Ⅲ 杜詩

詳注

767年-83 老病 杜詩詳注(卷一五(三)一二八二)Ⅲ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ8401

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767年-集-7 【字解集】 ・a.甘林 ・b.暇日小園散病將種秋菜督勒 杜詩詳注 Ⅲ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ8354

杜甫詩(1)736~751年  53

杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73

杜甫詩(3)45歳 安史の乱に彷徨う 26

杜甫詩(4)757年、左拾遺 43

杜甫詩(5)758年47歳 左遷 53

杜甫詩(6)759年 三吏三別 44

杜甫詩(7)759年秦州詩 66

杜甫詩(8)759年同谷紀行、成都紀行36

杜甫詩(9)760年、49歳 成都 45

杜甫詩(10)761年、50歳 成都82

杜甫詩(11)762年蜀中転々43

杜甫詩(12)762年 蜀中転々 49

(13)763年蜀中転々 96

 (14)764年 三月成都へ帰る 100

 (15)765年正月幕府を辞す 63

(16-1) 766年雲安、暮春、夔州 168首 の(1)80

(16-2) 766年雲安、暮春、夔州 168首 の(1)81

 

杜甫詩 (17-1)767年夔州・西閣・赤甲・瀼西132

杜甫詩 (17-2) 767年・瀼西・東屯 133

杜甫詩 (18)768年江陵・公安縣・岳州 78

杜甫詩 (19)769年・洞庭湖・潭州・衡州 78

杜甫詩 (20)770年・洞庭湖・潭州・衡州。27

杜甫詩 (21)洩れ分(未詳分)・散文

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●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている。花間集連載開始。

Ⅳブログ詩集

漢・唐・宋詞

花間集 訳注解説(138)回目 韋莊二十五首《巻三-22 女冠子二首其二》 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ8396 (03/23)

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花間-011 字解集128)回目韋莊a.謁金門 b.江城子 c.河傳 d.天仙子五首 【字解集】》 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ8336 (03/14)

 

●花間集全詩●森鴎外の小説の”魚玄機”詩、芸妓”薛濤”詩。唐から五代詩詞。花間集。玉臺新詠連載開始

.唐五代詞詩・女性

・玉臺新詠

玉-041§7 古詩 爲焦仲卿妻作§7-#2〔無名氏〕 Ⅴ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の玉臺新詠巻一ブログ 8397

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玉集-09 定情詩一首 【字解集】漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の玉臺新詠ブログ 8241

●薛濤の全詩

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806-35 全唐詩339_ 7 #2短燈檠歌 #2 Ⅱ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之韓愈詩集8394

夜ごと細字を書いて文章つづりつづけた、両の目はかすみくらんで頭に白く雪をいただいたようになった。その間、常にこの短檠をいつも机の前に置いていた、書籍を読み続け、明け方までそうしているのだから 寝ることもしなかったということなのである。一朝、富貴になってくると 心もおごることになり、歌舞宴楽、何でも出来ることになって、長檠をずらり並べて高だかと掲げられ、帳を高く張って、満堂の真珠や翡翠を照らすのである。ああ、世の中のことはみな例外なしに、若くて出世していない時は一緒になってがんばったものが、出世すると変わっていくものだ、だから、土塀のすみには短い燭台が棄てられているもを見とどけられるであろう。しかし、道を学ぶものは、いかに富貴になろうが、一笑此の短檠を相親しんでいくつもりである。

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806年-35 全唐詩339_ 7 #1短燈檠歌 #1 Ⅱ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之韓愈詩集8388

全唐詩339_ 7 #1短燈檠歌 #1 

 

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Ⅰ李白詩

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744年-集11字解集 A.古風五十九首之四十 B.古風五十九首之四十四 C.早夏于將軍叔宅Ⅰ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 李白詩集8387

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744年-集11字解集 A.古風五十九首之四十 B.古風五十九首之四十四 C.早夏于將軍叔宅Ⅰ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 李白詩集8388

孟浩然

李白詩

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●唐を代表する 中唐 韓愈 全500首 

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806年-35 全唐詩339_ 7 #1短燈檠歌 #1 Ⅱ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之韓愈詩集8388

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806年-集10-【字解集】 ・送區弘南歸 Ⅱ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之韓愈詩集8383

・李商隠詩 (1) 136首の75

・李商隠詩 (2) 135首の61

韓愈1 ・孟郊・張籍と汴州乱41

index-2[800年~804年]27

index-3 805年陽山から江陵36

index-4 806年 39 江陵・国子博士25

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index-12 820 國子祭酒18

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767年-82  白露 杜詩詳注(卷一九(四)一六七四)Ⅲ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ8395

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杜甫詩(1)736~751年  53

杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73

杜甫詩(3)45歳 安史の乱に彷徨う 26

杜甫詩(4)757年、左拾遺 43

杜甫詩(5)758年47歳 左遷 53

杜甫詩(6)759年 三吏三別 44

杜甫詩(7)759年秦州詩 66

杜甫詩(8)759年同谷紀行、成都紀行36

杜甫詩(9)760年、49歳 成都 45

杜甫詩(10)761年、50歳 成都82

杜甫詩(11)762年蜀中転々43

杜甫詩(12)762年 蜀中転々 49

(13)763年蜀中転々 96

 (14)764年 三月成都へ帰る 100

 (15)765年正月幕府を辞す 63

(16-1) 766年雲安、暮春、夔州 168首 の(1)80

(16-2) 766年雲安、暮春、夔州 168首 の(1)81

 

杜甫詩 (17-1)767年夔州・西閣・赤甲・瀼西132

杜甫詩 (17-2) 767年・瀼西・東屯 133

杜甫詩 (18)768年江陵・公安縣・岳州 78

杜甫詩 (19)769年・洞庭湖・潭州・衡州 78

杜甫詩 (20)770年・洞庭湖・潭州・衡州。27

杜甫詩 (21)洩れ分(未詳分)・散文

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漢・唐・宋詞

花間集 訳注解説(137)回目 韋莊二十五首《巻3-21 女冠子二首 其一》 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ8390 (03/22)

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花間-011 字解集128)回目韋莊a.謁金門 b.江城子 c.河傳 d.天仙子五首 【字解集】》 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ8336 (03/14)

 

●花間集全詩●森鴎外の小説の”魚玄機”詩、芸妓”薛濤”詩。唐から五代詩詞。花間集。玉臺新詠連載開始

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玉-041§7 古詩 爲焦仲卿妻作§7-#1〔無名氏〕 Ⅴ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の玉臺新詠巻一ブログ 8391

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玉集-09 定情詩一首 【字解集】漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の玉臺新詠ブログ 8241

●薛濤の全詩

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806-35 全唐詩339_ 7 #1短燈檠歌 #1 Ⅱ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之韓愈詩集8388

(夜長の秋に、部屋に閉じこもって読書をする、夜なべの仕事をするにつけ、長檠は使いづらく、短檠は重宝するという歌)

燭台の長い方、長檠は八尺もあるが、長いだけでむなしくも割合役に立たたないものであり、短い方の燭台、短檠は、便利で、かつ、下が明るく、手元が明るい。短檠は主に私室で用いられるもので、黃簾と綠幕を垂らして正面南の朱閉じてしまうと、風露の氣は自然とは言ってきて、秋も涼しくなってきており、隣の家のように誰もいない部屋はさびしい。だから、空閨の少婦は短檠のもとで遠くにいる夫に思いをはせて衣を裁断し、涙に曇る目も暗くしている、やがて、頭に手をやりほつれ髪を直して、燈心を掻き立てて、寝牀の近くに引き寄せている。我は、歳二十にして家を辞したが、進士試験を受けんがために、太學の儒生とし、東魯の客となって、都に来たのであり、そこで國子博士となり、今に至るのである。


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韓愈103-#3《 巻五28 射訓狐》 #3 韓愈(韓退之) 805年貞元21年 38歳<1596> Ⅱ#3 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6964

韓愈  射訓狐 #3

誰謂停奸計尤劇,意欲唐突羲和烏。侵更歷漏氣彌厲,何由僥倖休須臾。

咨余往射豈得已,候女兩眼張睢盱。梟驚墮梁蛇走竇,一夫斬頸群雛枯。

そこで、許っておくと、反対に、だんだんその姦計は、勢いを増してきて、太陽にさえ唐突しそうなくらいにまで豪放になってゆく。夜が更けて、漏刻の響きが数を増すにしたがって、意気がいよいよ荒くなるうえは、もう彼らを許しておくことはできない。吾輩は、訓狐の目が光っているところをめがけて矢を放った、と、狙いは違わず、見事に的中したのである。さしもの、梟、即ち、訓狐は、にわかに驚いて、梁の上から落ちたのである、又その声につれて、陰悪なことをしていた蛇なども穴の中にもぐりこんでしまったのである。ここで一つの教訓を得たのは、梟の首を切ったならば、その日などもは自然に死んでしまうもので、何事につけても、その、頭株を平らげるというのが肝要なことであるということである。

韓愈103-#3《 巻五28 射訓狐》 #3 韓愈(韓退之)  805年貞元21 38歳<1596 #3 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6964

 

 
  2015年11月24日 の紀頌之5つのBlog  
  ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場  
  Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
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743年(26)李白346 巻四07-《怨歌行【長安見內人出嫁,友人令余代為之。】》(十五入漢宮,) 346Index-23Ⅲ― 2-743年天寶二年43歳 94首-(26)  Ⅰ李白詩1683 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6963  
  孟浩然 詩 index 李白詩index 謝霊運 詩 index 司馬相如 《 子虛賦 ・上林賦 》 揚雄 《 甘泉賦 》  ●諸葛亮(孔明)出師表  
  曹植(曹子建)詩 65首 index 文選 賦)兩都賦序・西都賦・東都賦 (班固) 《李白 全詩》
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(1)漁父辞 屈原 『楚辞・九歌』東君 屈原 《楚辞 『九辯』》 宋玉  <案内>  
  ●唐を代表する 中唐 韓愈 全500首   
  Ⅱ中唐詩・晩唐詩
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韓愈103-#3《 巻五28 射訓狐》 #3 韓愈(韓退之) 805年貞元21年 38歳<1596> Ⅱ#3 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6964  
  ・李商隠詩 (1) 136首の75首 ・李商隠詩 (2) 135首の61首 ●韓愈index-1 ・孟郊、張籍と交遊・汴州乱41首 ●韓愈詩index-2[800年 33歳~804年 37歳]27首 ●韓愈詩index-3 805年 38歳・]陽山から江陵府 36首 ●韓愈詩index-4 806年 39歳 江陵府・権知国子博士 51首(1)25首  
  index-5 806年39歳 50首の(2)25首 index-6[807年~809年 42歳]20首 index-7[810年~811年 44歳] 34首 index-8 [812年~814年47歳]46首 index-9[815年~816年 49歳] 57首 index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首  
  index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首 index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首 index-13 821年~822年 55歳 22首 index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首 韓愈 哲学・儒学「五原」 賦・散文・上奏文・碑文など  
  孟郊 張籍          
  ●杜甫の全作品1500首を訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"  
  Ⅲ杜甫詩全1500首   LiveDoorBlog 767年-2杜甫 《17-39 寄韓諫議》 杜甫詩index-15-767年大暦2年56歲-2 <1057> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6965  
  杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首 杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩)  杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首 杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首 杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首 杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首  
  杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首 杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首 杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首 杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首 杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首 杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首  
  ●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている  
  Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集 Fc2Blog  
               
  ●花間集全詩●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集  
  Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoorBlog 11顧夐 (改)《巻七37更漏子舊歡娛,》『花間集』339全詩訳注解説(改訂版Ver.2.1)-漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-6967  
  薛濤の全詩 花間集(1巻 花間集(2巻 花間集(3巻 花間集(4巻 花間集(5巻  
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  毛文錫31首 花間集5巻 牛希濟11首 花間集5巻 欧陽烱17首 花間集5・6巻 和凝20首 花間集6巻 顧夐56首 花間集6・7巻 孫光憲47首 花間集7・8巻  
  魏承班15首 花間集8・9巻 鹿虔扆6首 花間集9巻 閻選8首 花間集9巻 尹鶚6首 花間集9巻 毛熙震29首 花間集9・10巻 李珣39首 花間集10巻  
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永貞革新とその経緯(2

 

 

こうした改革を手初めに,王叔文らの改革は続行される。以下,その主だったもののみを挙げれば,塩鉄使が毎月皇帝の私用に供する費用として「羨余」と呼ばれる金品を皇室に納めていた悪習を廃止して,それらを正規の通り国庫の収入とした。当時,忠州刺史の陸賛,榔州別駕の鄭慶余,杭州刺史の韓皐,道州刺史の陽城の四人一“彼らはいずれも徳宗代に廉潔や有能がみこまれて宰相や他の要職についた者たちであった”-を都に帰還させた(ただし,陸贄と陽城は帰還の報が届く前に現地で死没している)。又,王叔文は時を移さず家事の任にある杜祐を度支及諸道塩鉄転運使に任じ国家財政を掌る名目的な官職を与え,自らはその副使となってその実質上の責任者となり,国家財政を掌握している。又,軍事権についても右金吾大将軍の苑希朝を検校右僕射兼左右神策・京西諸城鏡行宮兵馬節度使に任じ,これまで宦官に牛耳られていた兵権を奪取した。そうして,絶大な力を有する各地の藩鎭の勢力を削減する計画を進める段階になって,宦官の倶文珍は藩鎭の章皐らの旧勢力と手を組んで二王らの改革政策に対する巻き返しを図ったのであり,倶文珍は順宗の皇太子となった李純を抱え込んで,病身の順宗になりかわって李純が国政に当たるというのを口実にして,稗極的に王叔文らの追い落としを図ることになった。その最中,王叔文はたまたま病気が重くなった母のために全ての任を解いて帰郷せざるをえないことになり,彼が職から離れると皇太子の季純が国政に当たり,李純はほどなくして順宗の内禅を得て即位。これが憲宗である。

 

 

憲宗の臨朝が始まると、順宗という後ろ盾を失った王叔文ら革新派の官僚たちは全てこれまでの職務を解かれ,改革を領導した王叔文は渝州司戸に貶された後に死が下賜され,盟友の王伾は開州司馬に貶されてその地で死没。その他の改革に従事した官僚たちも地方の刺史に貶されることになるが,それでは軽すぎるとする朝議によって,その後改めて彼らは韓泰が虔州司馬,韓嘩が饒州司馬・柳宗元が永州司馬,劉禹錫が朗州司馬,陳諌が台州司馬,凌準が連州司馬,程異が郴州司馬に貶されることになった。

これを世に「八司馬事件」と呼ぶことになる。またこの時,永貞革新に深く関わっていた呂温はたまたま吐事の地に使節として派遣されていたことから,彼ら八人に連坐することを免れていた(往3)。

こうして王叔文によって領導された革新の事業は着々とその成果を積み重ねていたにも拘わらず,わずか八箇月で潰え,その改革に従事した者たちは永く罪人の汚名に甘んずることになるのである。

 

 

 

 

韓愈詩-韓愈103-#3

年:805年貞元21 38

卷別:    卷三四0              文體:    七言古詩

詩題:    射訓狐

【德宗時,裴延齡、韋渠牟等用事,人爭出其門,詩意有所諷也。】

作地點:              目前尚無資料

 

 

射訓狐

(訓狐という鳥は、夜になって飛んできて、悪さをするが、目が光るところを射抜けば見事に的中するし、そうすれば雛どもは、自然と死んでしまう。)

【德宗時,裴延齡、韋渠牟等用事,人爭出其門,詩意有所諷也。】

【德宗の時その末年に,王叔文・王伾(二王)の一党の裴延齡、韋渠牟等によって、夜中に、勝手に詔書を作って、翌朝、それぞれ任命し、猟官をおこない、天下の事を悪企みをしたのである,そして、彼は太子侍読であった折りから親交を得ていた陸淳・呂温・李景倹・韓嘩・韓泰・陳諌・凌準・程異・柳宗元・劉禹錫らを自らの傘下に招き入れておこなったのである,この詩はその巨魁を倒せば、余党は滅びてしまうと諷刺したものである。】

有鳥夜飛名訓狐,矜凶挾狡誇自呼。

訓狐という鳥は、夜になって飛んできて、さまざまの悪戯をする、そして、自分では、訓狐という名を呼んで誇っている

乘時陰黑止我屋,聲勢慷慨非常粗。

現に、夜中の陰黒に乗じて、我が家の屋根に泊まり、いかにも慷慨らしく、且つ非常に麤大な声を出して騒いでいる。

安然大喚誰畏忌,造作百怪非無須。

それが安然として、大声に呼ぶのは、誰を畏忌するのか,ただ、鳴くだけというのならよいのであるが、必ず百怪を造作するというから、まことに憎むべきものである。

#2

聚鬼徵妖自朋扇,擺掉栱桷頹塈塗。

かくて、鬼魅妖魔の類を呼び集め、家の梁や柱をも震わして微動させて、屋根材や斗栱ゆるがせ、漆喰まで衝き壊すから困るのである。

慈母抱兒怕入席,那暇更護雞窠雛。

慈母は、子供を抱いて、座敷の中で小さくなって懼れているぐらいなのであるし、さらに進んで、鶏の巣の中にいる雛を食らうかもしれないのであるが、その時の事態は、それを顧みる暇さえないのである。

我念乾坤德泰大,卵此惡物常勤劬。

そして、我が思うに、乾坤の徳は、広大なもので、かかる悪者を生み出して、常に苦労しているのである。

縱之豈即遽有害,斗柄行拄西南隅。

どうせ天地の徳の大なるに甘えて、悪事を重ねるのであるから、棄てておいたところで、今すぐに外にあるというものではないのかもしれない。北斗七星の柄が西南隅に掛かり、ほどなく夜が明けると、訓狐の鳥目の性質で、見えなくなるから、ほっておけばよいというものもいるのである。

#3

誰謂停奸計尤劇,意欲唐突羲和烏。

そこで、許っておくと、反対に、だんだんその姦計は、勢いを増してきて、太陽にさえ唐突しそうなくらいにまで豪放になってゆく。

侵更歷漏氣彌厲,何由僥倖休須臾。

夜が更けて、漏刻の響きが数を増すにしたがって、意気がいよいよ荒くなるうえは、もう彼らを許しておくことはできない。

咨余往射豈得已,候女兩眼張睢盱。

吾輩は、訓狐の目が光っているところをめがけて矢を放った、と、狙いは違わず、見事に的中したのである。

梟驚墮梁蛇走竇,一夫斬頸群雛枯。

さしもの、梟、即ち、訓狐は、にわかに驚いて、梁の上から落ちたのである、又その声につれて、陰悪なことをしていた蛇なども穴の中にもぐりこんでしまったのである。ここで一つの教訓を得たのは、梟の首を切ったならば、その日などもは自然に死んでしまうもので、何事につけても、その、頭株を平らげるというのが肝要なことであるということである。

 

(訓狐を射る)

【德宗の時,裴延齡、韋渠牟等 事に用いて,人爭うて其の門を出でて、詩意 諷する所有る也。】

鳥有り 夜飛ぶ 訓狐と名づく,凶に矜り 狡を挾んで誇って自ら呼ぶ。

時 陰黑に乘じて 我が屋に止り,聲勢 慷慨 常に非ずして粗なり。

安然 大いに喚んで 誰をか畏忌せん,百怪を造作して 須うる無きに非ず。

#2

鬼を聚め 妖を徵して 自ら朋扇し,栱桷を擺掉して 塗を

慈母は兒を抱いて怕れて席に入り,那ぞ 更に雞窠の雛を護るに暇あらんや。

我念うに乾坤 德 泰はだ大,此の惡物を卵にして 常に勤劬す。

之を縱【はな】すも 豈に即ち 遽【にわか】に害有らんや,斗柄は行く 西南の隅に拄【ささ】えん。

#3

誰か謂わん 奸を停むる 計 尤も劇しと,意 羲和の烏に唐突せんと欲す。

更に侵し 漏を歷て 氣 彌【いよい】よ厲,何に由ってか 僥倖 休むこと須臾【しゅゆ】。

咨あ 余は往いて射る 豈に已むを得んや,女【なんじ】が兩眼の張って 睢盱たるを候【うかが】。

梟は驚いて 梁より墮ち 蛇は竇に走り,一夫 頸を斬って群雛枯る。

 

 

『射訓狐』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

#3

誰謂停奸計尤劇,意欲唐突羲和烏。

侵更歷漏氣彌厲,何由僥倖休須臾。

咨余往射豈得已,候女兩眼張睢盱。

梟驚墮梁蛇走竇,一夫斬頸群雛枯。


(下し文)
#3

誰謂停奸計尤劇,意欲唐突羲和烏。

侵更歷漏氣彌厲,何由僥倖休須臾。

咨余往射豈得已,候女兩眼張睢盱。

梟驚墮梁蛇走竇,一夫斬頸群雛枯。

(現代語訳)
#3

そこで、許っておくと、反対に、だんだんその姦計は、勢いを増してきて、太陽にさえ唐突しそうなくらいにまで豪放になってゆく。

夜が更けて、漏刻の響きが数を増すにしたがって、意気がいよいよ荒くなるうえは、もう彼らを許しておくことはできない。

吾輩は、訓狐の目が光っているところをめがけて矢を放った、と、狙いは違わず、見事に的中したのである。

さしもの、梟、即ち、訓狐は、にわかに驚いて、梁の上から落ちたのである、又その声につれて、陰悪なことをしていた蛇なども穴の中にもぐりこんでしまったのである。ここで一つの教訓を得たのは、梟の首を切ったならば、その日などもは自然に死んでしまうもので、何事につけても、その、頭株を平らげるというのが肝要なことであるということである。


(訳注) #3

射訓狐

(訓狐という鳥は、夜になって飛んできて、悪さをするが、目が光るところを射抜けば見事に的中するし、そうすれば雛どもは、自然と死んでしまう。)

【德宗時,裴延齡、韋渠牟等用事,人爭出其門,詩意有所諷也。】

【德宗の時その末年に,王叔文・王伾(二王)の一党の裴延齡、韋渠牟等によって、夜中に、勝手に詔書を作って、翌朝、それぞれ任命し、猟官をおこない、天下の事を悪企みをしたのである,そして、彼は太子侍読であった折りから親交を得ていた陸淳・呂温・李景倹・韓嘩・韓泰・陳諌・凌準・程異・柳宗元・劉禹錫らを自らの傘下に招き入れておこなったのである,この詩はその巨魁を倒せば、余党は滅びてしまうと諷刺したものである。】

用事 《永貞行》「夜作詔書朝拜官,超資越序曾無難。公然白日受賄賂,火齊磊落堆金盤。」

その揚句には、王叔文や韋執誼などは、夜中に、勝手に詔書を作って、翌朝、それぞれ任命したが、その官の授け方は、如何にも乱暴極まるもので、資格にもかまわず、順序をば飛び越して、少しも憚ることなくやったのである。おまけに、賄賂を白昼公然として受け、「火齊」という珍らしい鉱物を、磊落として金盤に堆く盛ら上げて、持ち込んでくるものがあり、妻はその上に寝臥したという。

 

 

誰謂停奸計尤劇,意欲唐突羲和烏。

そこで、許っておくと、反対に、だんだんその姦計は、勢いを増してきて、太陽にさえ唐突しそうなくらいにまで豪放になってゆく。

羲和烏 古代伝説上の人物,羲氏と和氏。ともに尭帝の下で暦象をつかさどる官にあった。また、太陽の馬車の御者。転じて,日月をいう。其処に仕えている鳥。

神話の女神。帝俊の妻で10個の太陽を産み,毎日産湯をつかわせているという。のち太陽の御者とされ,馬または竜の引く車に太陽を載せて天空をかけるとも。なお,《書経》では非神話化され,羲仲・羲叔・和仲・和叔の4人の総称で,天文をつかさどる官吏。

《山海経(せんがいきよう)》大荒南経によれば,東南海のかなたに羲和の国があって,そこでは羲和という女性が生まれたばかりの太陽に産湯(うぶゆ)を使わせている。羲和は帝俊の妻で,10個の太陽を産んだのだという。すなわち中国古代人の観念では,天には10個の太陽があって,甲乙丙丁の十干の日付けに従い毎日1個ずつ太陽が昇り,10日で一巡する。その太陽を産んだのが羲和である。《山海経》に付けた郭璞(かくはく)の注によれば,羲和は天地創造のはじめから存在し,日月をつかさどってきたという。

 

侵更歷漏氣彌厲,何由僥倖休須臾。

夜が更けて、漏刻の響きが数を増すにしたがって、意気がいよいよ荒くなるうえは、もう彼らを許しておくことはできない。

 

咨余往射豈得已,候女兩眼張睢盱。

吾輩は、訓狐の目が光っているところをめがけて矢を放った、と、狙いは違わず、見事に的中したのである。

○睢肝 小人のよろこび媚びる様子。にらみ廻して、のさばり歩く。知を求めて見聞に努める。老子曰「而睢睢, 而盱盱, 而誰與居。」郭象注に 睢睢盱盱, 跋扈之貌, 人將畏難而疏遠。「去る者日々に疎し」ということ。

韓愈《巻二12 縣齋有懷》「指摘兩憎嫌,睢盱互猜訝。」(指摘して両つながら憎嫌【ぞうけん】し、睢肝【きく】して互いに清訝【さいが】す。おまけに、自分は、遠来のものであるから、よそ者扱いにされ、少しの事でも指摘され、互に恨み嫌うという状態で、ぎょろりと睨み合って、嫉み訝るという始末で、信頼関係はできるものではない。

韓愈91-#8 巻二12 縣齋有懷》 #8 韓愈(韓退之) 805年貞元21年 38歳<1543 Ⅱ#8 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6699

 

梟驚墮梁蛇走竇,一夫斬頸群雛枯。

さしもの、梟、即ち、訓狐は、にわかに驚いて、梁の上から落ちたのである、又その声につれて、陰悪なことをしていた蛇なども穴の中にもぐりこんでしまったのである。ここで一つの教訓を得たのは、梟の首を切ったならば、その日などもは自然に死んでしまうもので、何事につけても、その、頭株を平らげるというのが肝要なことであるということである。

韓愈103-#2《 巻五28 射訓狐》 #2 韓愈(韓退之) 805年貞元21年 38歳<1595> Ⅱ#2 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6959

韓愈  射訓狐#2

聚鬼徵妖自朋扇,擺掉栱桷頹塈塗。慈母抱兒怕入席,那暇更護雞窠雛。

我念乾坤德泰大,卵此惡物常勤劬。縱之豈即遽有害,斗柄行拄西南隅。

かくて、鬼魅妖魔の類を呼び集め、家の梁や柱をも震わして微動させて、屋根材や斗栱ゆるがせ、漆喰まで衝き壊すから困るのである。慈母は、子供を抱いて、座敷の中で小さくなって懼れているぐらいなのであるし、さらに進んで、鶏の巣の中にいる雛を食らうかもしれないのであるが、その時の事態は、それを顧みる暇さえないのである。そして、我が思うに、乾坤の徳は、広大なもので、かかる悪者を生み出して、常に苦労しているのである。どうせ天地の徳の大なるに甘えて、悪事を重ねるのであるから、棄てておいたところで、今すぐに外にあるというものではないのかもしれない。北斗七星の柄が西南隅に掛かり、ほどなく夜が明けると、訓狐の鳥目の性質で、見えなくなるから、ほっておけばよいというものもいるのである。

韓愈103-#2《 巻五28 射訓狐》 #2 韓愈(韓退之)  805年貞元21 38歳<1595 #2 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6959

 

 
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永貞革新とその経緯(1

 

 

貞元二十一(八〇五)年の正月発巳(二十三日),二十六年間の長きにわたり唐王朝に君臨してきた徳宗がみまかると,翌日太子となって久しかった李誦が柩前即位した。これが順宗である0順宗はその折り・痛風を患って物も満足に言えぬ有り様であったが,即位するとすぐさま吏部郎中の韋執誼を尚書左丞,同中書門下平章事に任じ宰相の任に当たらせ,順宗が太子として永く東宮で過ごした折りに太子侍読を務めた王叔文は翰林学士のまま起居舎人として相に任じられ,同じく太子侍読として若き噸宗に仕えた王伾は散騎常侍に任じられ翰林待召を兼ねることになった。王叔文・王伾の二人は翰林学士・翰林待召として順宗に仕え,そのうち王叔文は相の任も兼ね,以後順宗の臨朝下で断行される一連の政治改革はこの王叔文・王伾によって領導されることになる。ただし,この二人は永貞革新が失敗すると,両者が猟官に成功したきっかけが正規の科挙武によるものではなく囲碁や書を善くしたことの昵懇によったことから特に「二王」と呼ばれ,革新政策の破綻が全て彼らの身に科されることになった。また二王のうちでも王叔文の方が順宗からの信任の情が厚く,彼は太子侍読であった折りから親交を得ていた陸淳・呂温・李景倹・韓嘩・韓泰・陳諌・凌準・程異・柳宗元・劉禹錫らを自らの傘下に招き入れ,改革の断行に踏み切るのであるが,けれどもその改革は順宗が即位した八箇月後に噸宗が子の意宗に「内禅」することで,途絶することになる。

 

 

さて,王叔文が順宗を後ろ盾として,柳宗元ら新進気鋭の若手官僚を沸して断行した諸政策は,一言でいえば,当時宮廷内に巣くって絶大な権力を振るっていた宮官の勢力を一掃し,これを正常で健全な行政組織に立ち戻らせることであった〔以下,王芸生氏の所論(注2)を参考にする)。順宗が即位したその日の内に寓官の郭忠政ら十九人に対する俸禄の支給を停止し,その食欲を民に椰旅された京兆平の事実を通州長史に左遷させているが,これらはそれまでの寓官や大官の専横を封ずることを革新の目標に据えでいることを示していよう。王叔文らの改革の様を逐次列挙してゆけば,(1)大赦を行って「大辟」以下の者を赦免した。(2)有能者の捜出とその登用を図った。(3)苛斂を廃し,民衆に負わせた不当な債務を帳消しにした。(4)正規の税以外の雑税を廃した。(5)民衆の皇室に対する供奉の義務は常例以外を廃止した。(6)民の年齢が九〇歳以上の者,及び百歳以上の者に対しては米・絹・綿・羊・酒等を下賜し,九〇歳以上の者に対しては「上佐郡県」,百歳以上の者に対しては「刺史郡県」との名目上の官職を与えた。(7)宮市を廃止した。(8)「五坊小児」を廃止した,等の通りである。この内,(7)の「宮市を廃止した」,なかんずく「宮市」というのは,宮廷内に生活する宵宮や貴族の生活物資を供給するたりに宮廷内に設けられた市場のことで,そこに並べる物資を取り揃えるに当たっては民間からただ同然で散発したために,富市を営む行為は朝廷の民間に対する略奪行為にも等しく,それを「廃止した」というのは,宮市を怨望する民の怒りを取り除くことであった。(8)の「五坊」とは服坊・鶴坊・贋坊・狗坊・髄坊をいい,「小児」とはそこに仕える若年の輩をいう。彼らは五坊のいずれかに所属して捕鳥を生業とする者たちであったが,いつしか役所の権威を嵩にきて民衆を脅し,金品を巻き上げる有り様であった。その様子を韓愈の、順宗実録j(巻二)には「貞元末,五坊小児張輔鳥雀干間里,営為暴横以取銭物(貞元の未年,五坊の小児たちは鳥を捕らえるための網を間里に張り,横暴をなして民から銭物を取り上げた)」と記される。それ故に,五坊の小児を廃止したというのは,彼ら若輩の横暴から民を解放することであった。

 

 

 

 

 

 

韓愈詩-韓愈103-#2

年:805年貞元21 38

卷別:    卷三四0              文體:    七言古詩

詩題:    射訓狐

【德宗時,裴延齡、韋渠牟等用事,人爭出其門,詩意有所諷也。】

作地點:              目前尚無資料

 

 

射訓狐

(訓狐という鳥は、夜になって飛んできて、悪さをするが、目が光るところを射抜けば見事に的中するし、そうすれば雛どもは、自然と死んでしまう。)

【德宗時,裴延齡、韋渠牟等用事,人爭出其門,詩意有所諷也。】

【德宗の時その末年に,王叔文・王伾(二王)の一党の裴延齡、韋渠牟等によって、夜中に、勝手に詔書を作って、翌朝、それぞれ任命し、猟官をおこない、天下の事を悪企みをしたのである,そして、彼は太子侍読であった折りから親交を得ていた陸淳・呂温・李景倹・韓嘩・韓泰・陳諌・凌準・程異・柳宗元・劉禹錫らを自らの傘下に招き入れておこなったのである,この詩はその巨魁を倒せば、余党は滅びてしまうと諷刺したものである。】

有鳥夜飛名訓狐,矜凶挾狡誇自呼。

訓狐という鳥は、夜になって飛んできて、さまざまの悪戯をする、そして、自分では、訓狐という名を呼んで誇っている

乘時陰黑止我屋,聲勢慷慨非常粗。

現に、夜中の陰黒に乗じて、我が家の屋根に泊まり、いかにも慷慨らしく、且つ非常に麤大な声を出して騒いでいる。

安然大喚誰畏忌,造作百怪非無須。

それが安然として、大声に呼ぶのは、誰を畏忌するのか,ただ、鳴くだけというのならよいのであるが、必ず百怪を造作するというから、まことに憎むべきものである。

#2

聚鬼徵妖自朋扇,擺掉栱桷頹塈塗。

かくて、鬼魅妖魔の類を呼び集め、家の梁や柱をも震わして微動させて、屋根材や斗栱ゆるがせ、漆喰まで衝き壊すから困るのである。

慈母抱兒怕入席,那暇更護雞窠雛。

慈母は、子供を抱いて、座敷の中で小さくなって懼れているぐらいなのであるし、さらに進んで、鶏の巣の中にいる雛を食らうかもしれないのであるが、その時の事態は、それを顧みる暇さえないのである。

我念乾坤德泰大,卵此惡物常勤劬。

そして、我が思うに、乾坤の徳は、広大なもので、かかる悪者を生み出して、常に苦労しているのである。

縱之豈即遽有害,斗柄行拄西南隅。

どうせ天地の徳の大なるに甘えて、悪事を重ねるのであるから、棄てておいたところで、今すぐに外にあるというものではないのかもしれない。北斗七星の柄が西南隅に掛かり、ほどなく夜が明けると、訓狐の鳥目の性質で、見えなくなるから、ほっておけばよいというものもいるのである。

#3

誰謂停奸計尤劇,意欲唐突羲和烏。

侵更歷漏氣彌厲,何由僥倖休須臾。

咨余往射豈得已,候女兩眼張睢盱。

梟驚墮梁蛇走竇,一夫斬頸群雛枯。

 

(訓狐を射る)

【德宗の時,裴延齡、韋渠牟等 事に用いて,人爭うて其の門を出でて、詩意 諷する所有る也。】

鳥有り 夜飛ぶ 訓狐と名づく,凶に矜り 狡を挾んで誇って自ら呼ぶ。

時 陰黑に乘じて 我が屋に止り,聲勢 慷慨 常に非ずして粗なり。

安然 大いに喚んで 誰をか畏忌せん,百怪を造作して 須うる無きに非ず。

#2

鬼を聚め 妖を徵して 自ら朋扇し,栱桷を擺掉して 塗を

慈母は兒を抱いて怕れて席に入り,那ぞ 更に雞窠の雛を護るに暇あらんや。

我念うに乾坤 德 泰はだ大,此の惡物を卵にして 常に勤劬す。

之を縱【はな】すも 豈に即ち 遽【にわか】に害有らんや,斗柄は行く 西南の隅に拄【ささ】えん。

#3

誰か謂わん 奸を停むる 計 尤も劇しと,意 羲和の烏に唐突せんと欲す。

更に侵し 漏を歷て 氣 彌【いよい】よ厲,何に由ってか 僥倖 休むこと須臾【しゅゆ】。

咨あ 余は往いて射る 豈に已むを得んや,女【なんじ】が兩眼の張って 睢盱たるを候【うかが】。

梟は驚いて 梁より墮ち 蛇は竇に走り,一夫 頸を斬って群雛枯る。

 

 

『射訓狐』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

#2

聚鬼徵妖自朋扇,擺掉栱桷頹塈塗。

慈母抱兒怕入席,那暇更護雞窠雛。

我念乾坤德泰大,卵此惡物常勤劬。

縱之豈即遽有害,斗柄行拄西南隅。


(下し文)
#2

鬼を聚め 妖を徵して 自ら朋扇し,栱桷を擺掉して 塗をす。

慈母は兒を抱いて怕れて席に入り,那ぞ 更に雞窠の雛を護るに暇あらんや。

我念うに乾坤 德 泰はだ大,此の惡物を卵にして 常に勤劬す。

之を縱【はな】すも 豈に即ち 遽【にわか】に害有らんや,斗柄は行く 西南の隅に拄【ささ】えん。

(現代語訳)
#2

かくて、鬼魅妖魔の類を呼び集め、家の梁や柱をも震わして微動させて、屋根材や斗栱ゆるがせ、漆喰まで衝き壊すから困るのである。

慈母は、子供を抱いて、座敷の中で小さくなって懼れているぐらいなのであるし、さらに進んで、鶏の巣の中にいる雛を食らうかもしれないのであるが、その時の事態は、それを顧みる暇さえないのである。

そして、我が思うに、乾坤の徳は、広大なもので、かかる悪者を生み出して、常に苦労しているのである。

どうせ天地の徳の大なるに甘えて、悪事を重ねるのであるから、棄てておいたところで、今すぐに外にあるというものではないのかもしれない。北斗七星の柄が西南隅に掛かり、ほどなく夜が明けると、訓狐の鳥目の性質で、見えなくなるから、ほっておけばよいというものもいるのである。


(訳注)

射訓狐

(訓狐という鳥は、夜になって飛んできて、悪さをするが、目が光るところを射抜けば見事に的中するし、そうすれば雛どもは、自然と死んでしまう。)

【德宗時,裴延齡、韋渠牟等用事,人爭出其門,詩意有所諷也。】

【德宗の時その末年に,王叔文・王伾(二王)の一党の裴延齡、韋渠牟等によって、夜中に、勝手に詔書を作って、翌朝、それぞれ任命し、猟官をおこない、天下の事を悪企みをしたのである,そして、彼は太子侍読であった折りから親交を得ていた陸淳・呂温・李景倹・韓嘩・韓泰・陳諌・凌準・程異・柳宗元・劉禹錫らを自らの傘下に招き入れておこなったのである,この詩はその巨魁を倒せば、余党は滅びてしまうと諷刺したものである。】

用事 《永貞行》「夜作詔書朝拜官,超資越序曾無難。公然白日受賄賂,火齊磊落堆金盤。」

その揚句には、王叔文や韋執誼などは、夜中に、勝手に詔書を作って、翌朝、それぞれ任命したが、その官の授け方は、如何にも乱暴極まるもので、資格にもかまわず、順序をば飛び越して、少しも憚ることなくやったのである。おまけに、賄賂を白昼公然として受け、「火齊」という珍らしい鉱物を、磊落として金盤に堆く盛ら上げて、持ち込んでくるものがあり、妻はその上に寝臥したという。 

聚鬼徵妖自朋扇,擺掉栱桷頹塈塗。

かくて、鬼魅妖魔の類を呼び集め、家の梁や柱をも震わして微動させて、屋根材や斗栱ゆるがせ、漆喰まで衝き壊すから困るのである。

聚鬼徵妖 鬼魅妖魔の類を呼び集める。

栱桷 屋根の骨組みの上に板材を張っていく楚一番細い垂木を「桷」といい、その屋根の気を支える三部材(斗,栱,尾垂木)にようことから棟梁の類しめすもの。 斗栱の用語解説 - 建築用語。建築物の梁や桁 (けた) にかかってくる上部の荷重を集中して柱に伝える役目をもつ部材の総称。組物ともいう。原則として斗,栱,尾垂木 (おたるき) の三部材で構成される。桷】木-07-11. 音讀. ㄐㄩㄝˊ. 釋義. 方形的屋椽,即榱。文解字:「桷,榱也,椽方曰桷。 」漢書.卷九十一.貨殖傳.序:「及周室衰,禮法墮, 諸侯刻桷丹楹,大夫山節藻梲。」

 (屋根・壁に)泥や塗料を塗る.ここは漆喰をいう。

 

慈母抱兒怕入席,那暇更護雞窠雛。

慈母は、子供を抱いて、座敷の中で小さくなって懼れているぐらいなのであるし、さらに進んで、鶏の巣の中にいる雛を食らうかもしれないのであるが、その時の事態は、それを顧みる暇さえないのである。

 

我念乾坤德泰大,卵此惡物常勤劬。

そして、我が思うに、乾坤の徳は、広大なもので、かかる悪者を生み出して、常に苦労しているのである。

 

縱之豈即遽有害,斗柄行拄西南隅。

どうせ天地の徳の大なるに甘えて、悪事を重ねるのであるから、棄てておいたところで、今すぐに外にあるというものではないのかもしれない。北斗七星の柄が西南隅に掛かり、ほどなく夜が明けると、訓狐の鳥目の性質で、見えなくなるから、ほっておけばよいというものもいるのである。

斗柄行拄西南隅 北斗七星の柄杓の柄が西南隅に掛かると、ほどなく夜が明けるということで、訓狐は夜行性の鳥で、目の性質で、明るくなると見えなくなる。王叔文や王伾のやり方は、朝廷内で力をつけて権勢をふるうというのではなく、順宗の名を借りて、勝手に進める改革であるから、体の弱い順宗がいつまでも続くわけはないという意味であろう。

韓愈103-#1《 巻五28 射訓狐》 #1 韓愈(韓退之) 805年貞元21年 38歳<1594> Ⅱ#1 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6954韓愈詩-韓愈103-#1

韓愈  射訓狐 #1

【德宗時,裴延齡、韋渠牟等用事,人爭出其門,詩意有所諷也。】有鳥夜飛名訓狐,矜凶挾狡誇自呼。

乘時陰黑止我屋,聲勢慷慨非常粗。安然大喚誰畏忌,造作百怪非無須。

(訓狐という鳥は、夜になって飛んできて、悪さをするが、目が光るところを射抜けば見事に的中するし、そうすれば雛どもは、自然と死んでしまう。)

【德宗の時その末年に,王叔文・王伾(二王)の一党の裴延齡、韋渠牟等によって、夜中に、勝手に詔書を作って、翌朝、それぞれ任命し、猟官をおこない、天下の事を悪企みをしたのである,そして、彼は太子侍読であった折りから親交を得ていた陸淳・呂温・李景倹・韓嘩・韓泰・陳諌・凌準・程異・柳宗元・劉禹錫らを自らの傘下に招き入れておこなったのである,この詩はその巨魁を倒せば、余党は滅びてしまうと諷刺したものである。】訓狐という鳥は、夜になって飛んできて、さまざまの悪戯をする、そして、自分では、訓狐という名を呼んで誇っている。現に、夜中の陰黒に乗じて、我が家の屋根に泊まり、いかにも慷慨らしく、且つ非常に麤大な声を出して騒いでいる。それが安然として、大声に呼ぶのは、誰を畏忌するのか,ただ、鳴くだけというのならよいのであるが、必ず百怪を造作するというから、まことに憎むべきものである。

韓愈103-#1《 巻五28 射訓狐》 #1 韓愈(韓退之)  805年貞元21 38歳<1594 #1 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6954韓愈詩-韓愈103-#1

 

 
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年:805年貞元21 38

卷別:    卷三四0              文體:    七言古詩

詩題:    射訓狐

【德宗時,裴延齡、韋渠牟等用事,人爭出其門,詩意有所諷也。】

作地點:              目前尚無資料

 

 

射訓狐

(訓狐という鳥は、夜になって飛んできて、悪さをするが、目が光るところを射抜けば見事に的中するし、そうすれば雛どもは、自然と死んでしまう。)

【德宗時,裴延齡、韋渠牟等用事,人爭出其門,詩意有所諷也。】

【德宗の時その末年に,王叔文・王伾(二王)の一党の裴延齡、韋渠牟等によって、夜中に、勝手に詔書を作って、翌朝、それぞれ任命し、猟官をおこない、天下の事を悪企みをしたのである,そして、彼は太子侍読であった折りから親交を得ていた陸淳・呂温・李景倹・韓嘩・韓泰・陳諌・凌準・程異・柳宗元・劉禹錫らを自らの傘下に招き入れておこなったのである,この詩はその巨魁を倒せば、余党は滅びてしまうと諷刺したものである。】

有鳥夜飛名訓狐,矜凶挾狡誇自呼。

訓狐という鳥は、夜になって飛んできて、さまざまの悪戯をする、そして、自分では、訓狐という名を呼んで誇っている

乘時陰黑止我屋,聲勢慷慨非常粗。

現に、夜中の陰黒に乗じて、我が家の屋根に泊まり、いかにも慷慨らしく、且つ非常に麤大な声を出して騒いでいる。

安然大喚誰畏忌,造作百怪非無須。

それが安然として、大声に呼ぶのは、誰を畏忌するのか,ただ、鳴くだけというのならよいのであるが、必ず百怪を造作するというから、まことに憎むべきものである。

#2

聚鬼徵妖自朋扇,擺掉栱桷頹塈塗。

慈母抱兒怕入席,那暇更護雞窠雛。

我念乾坤德泰大,卵此惡物常勤劬。

#3

縱之豈即遽有害,斗柄行拄西南隅。

誰謂停奸計尤劇,意欲唐突羲和烏。

侵更歷漏氣彌厲,何由僥倖休須臾。

咨余往射豈得已,候女兩眼張睢盱。

 

(訓狐を射る)

【德宗の時,裴延齡、韋渠牟等 事に用いて,人爭うて其の門を出でて、詩意 諷する所有る也。】

鳥有り 夜飛ぶ 訓狐と名づく,凶に矜り 狡を挾んで誇って自ら呼ぶ。

時 陰黑に乘じて 我が屋に止り,聲勢 慷慨 常に非ずして粗なり。

安然 大いに喚んで 誰をか畏忌せん,百怪を造作して 須うる無きに非ず。

 

『射訓狐』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

射訓狐

【德宗時,裴延齡、韋渠牟等用事,人爭出其門,詩意有所諷也。】

有鳥夜飛名訓狐,矜凶挾狡誇自呼。

乘時陰黑止我屋,聲勢慷慨非常粗。

安然大喚誰畏忌,造作百怪非無須。

(下し文)
(訓狐を射る)

【德宗の時,裴延齡、韋渠牟等 事に用いて,人爭うて其の門を出でて、詩意 諷する所有る也。】

鳥有り 夜飛ぶ 訓狐と名づく,凶に矜り 狡を挾んで誇って自ら呼ぶ。

時 陰黑に乘じて 我が屋に止り,聲勢 慷慨 常に非ずして粗なり。

安然 大いに喚んで 誰をか畏忌せん,百怪を造作して 須うる無きに非ず。

(現代語訳)
(訓狐という鳥は、夜になって飛んできて、悪さをするが、目が光るところを射抜けば見事に的中するし、そうすれば雛どもは、自然と死んでしまう。)

【德宗の時その末年に,王叔文・王伾(二王)の一党の裴延齡、韋渠牟等によって、夜中に、勝手に詔書を作って、翌朝、それぞれ任命し、猟官をおこない、天下の事を悪企みをしたのである,そして、彼は太子侍読であった折りから親交を得ていた陸淳・呂温・李景倹・韓嘩・韓泰・陳諌・凌準・程異・柳宗元・劉禹錫らを自らの傘下に招き入れておこなったのである,この詩はその巨魁を倒せば、余党は滅びてしまうと諷刺したものである。】

訓狐という鳥は、夜になって飛んできて、さまざまの悪戯をする、そして、自分では、訓狐という名を呼んで誇っている

現に、夜中の陰黒に乗じて、我が家の屋根に泊まり、いかにも慷慨らしく、且つ非常に麤大な声を出して騒いでいる。

それが安然として、大声に呼ぶのは、誰を畏忌するのか,ただ、鳴くだけというのならよいのであるが、必ず百怪を造作するというから、まことに憎むべきものである。



(訳注)

射訓狐

(訓狐という鳥は、夜になって飛んできて、悪さをするが、目が光るところを射抜けば見事に的中するし、そうすれば雛どもは、自然と死んでしまう。)

【德宗時,裴延齡、韋渠牟等用事,人爭出其門,詩意有所諷也。】

【德宗の時その末年に,王叔文・王伾(二王)の一党の裴延齡、韋渠牟等によって、夜中に、勝手に詔書を作って、翌朝、それぞれ任命し、猟官をおこない、天下の事を悪企みをしたのである,そして、彼は太子侍読であった折りから親交を得ていた陸淳・呂温・李景倹・韓嘩・韓泰・陳諌・凌準・程異・柳宗元・劉禹錫らを自らの傘下に招き入れておこなったのである,この詩はその巨魁を倒せば、余党は滅びてしまうと諷刺したものである。】

用事 《永貞行》「夜作詔書朝拜官,超資越序曾無難。公然白日受賄賂,火齊磊落堆金盤。」

その揚句には、王叔文や韋執誼などは、夜中に、勝手に詔書を作って、翌朝、それぞれ任命したが、その官の授け方は、如何にも乱暴極まるもので、資格にもかまわず、順序をば飛び越して、少しも憚ることなくやったのである。おまけに、賄賂を白昼公然として受け、「火齊」という珍らしい鉱物を、磊落として金盤に堆く盛ら上げて、持ち込んでくるものがあり、妻はその上に寝臥したという。

 

有鳥夜飛名訓狐,矜凶挾狡誇自呼。

訓狐という鳥は、夜になって飛んできて、さまざまの悪戯をする、そして、自分では、訓狐という名を呼んで誇っている

矜凶挾狡誇自呼 唐《五行志》「休留一名訓狐,或曰訓狐,其聲也,因以名之。」

 

乘時陰黑止我屋,聲勢慷慨非常粗。

現に、夜中の陰黒に乗じて、我が家の屋根に泊まり、いかにも慷慨らしく、且つ非常に麤大な声を出して騒いでいる。

 

安然大喚誰畏忌,造作百怪非無須

それが安然として、大声に呼ぶのは、誰を畏忌するのか,ただ、鳴くだけというのならよいのであるが、必ず百怪を造作するというから、まことに憎むべきものである。

73-#5 《巻05-14 題炭谷湫祠堂》-#5 韓愈(韓退之) 803年貞元19年 38歳<1432> Ⅱ韓昌黎集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6144

韓愈  題炭谷湫祠#5

妍英雜豔實,星瑣黃朱斑。石級皆險滑,顛躋莫牽攀。

龍區雛眾碎,付與宿已頒。棄去可奈何,吾其死茅菅。

かういふ訳で、愚民どもが渇仰して、神霊の場所と信じて居るのは、どうも、いたしかたの無い話かもしれないし、これを警醒するために、龍を亡ぼそうとすれば、吾は菅茅の間に死ななければならないのである、しかし、これほどのことでさうまでにする必要もないから、棄て去って、そこに立ち寄るまいと患つたのである。

73-#5 《巻05-14 題炭谷湫祠堂》-#5 韓愈(韓退之)  803年貞元19 38歳<1432> Ⅱ韓昌黎集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6144

 
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256 -#3 《巻十四11潁陽別元丹丘之淮陽 -#3》Index-18 Ⅱ―12-738年開元二十六年38歳 <256 -#3> Ⅰ李白詩1519 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6143 
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韓愈詩-73-#5

年:803年貞元19 38

卷別: 卷三四0              文體:    五言古詩

詩題: 題炭谷湫祠堂

【案:在京兆之南,終南之下,祈雨之所也。〈南山〉、〈秋懷詩〉皆見之。】

及地點:              澄源夫人湫廟 (京畿道 京兆府 萬年) 別名:湫、湫祠堂             

 

 

題炭谷湫祠堂  #1

(終南山炭谷の澄源夫人廟に立ち寄ったが、)神仏を信仰しない韓愈は龍女などを祀るのはよろしくないので、この詩を作って神仏に頼るのをやめようという。)#1

萬生都陽明,幽暗鬼所寰。

生き歳し生けるもの、万種生物、皆太陽の光の輝く方に向っているが、鬼、妖怪の類いだけは幽暗のところにいるものだ。

嗟龍獨何智,出入人鬼間。

龍湫の龍は、不思議な知恵を持っていると見えて、山の長城の明るい処の片隅の沼に陣取り、人界と鬼界との間に出入しているわけである。

不知誰為助,若執造化關。

さてこの龍をだれが補助するか知らないが、まるで造化の関門を手にとっているようなものである。

厭處平地水,巢居插天山。

この龍は、平地に住むことを厭うて、天にさしはさむような終南山の絶頂に巣居るというのだ。

#2

列峰若指,石盂仰環環。

その炭谷の左右には、群峰指を集めたるが如く、その間に、沼は、石臼の如く、環環として円く、上を仰いで居る。

巨靈高其捧,保此一掬慳。

その沼の石臼の中の水は、巨靈が高く捧げて,わざわざ盛ったので、さも惜しいように一掬の水をここに保っているのはいかにも不思議である。

森沈固含蓄,本以儲陰姦。

その水は、森沈としで深く青く、いかさま龍を住まして居ると見える。

蒙擁護,群嬉傲天頑。

魚鱉も、龍の御蔭で、誰にも捕えられることなく、群遊して、如何なる物をも恐れず、自由自在に跋扈するという。

#3

翾翾棲託禽,飛飛一何閑。

沼の周囲なる一帯の樹林に棲む鳥も、翾翾と飛び廻って、さも長閑に見える。

祠堂像侔真,擢玉紆煙鬟。

祠堂なる龍女の像は、生けるが如く、煙と見間違えるほどの髪髻には、宝玉を飾としている。

群怪儼伺候,恩威在其顏。

その前後左右には様様の羣怪が儼として伺候し、恩威 ふたつながら一に龍女の顔色に在る訳で、いずれも恐れ入って居る。

我來日正中,悚惕思先還。

私が此に来たのは、真昼の時分であったが、身の毛がよだつほどの恐怖であって、直ちに引き返えそうとした。

#4

寄立尺寸地,敢言來途艱。

それは、祠堂に接する尺寸の地に自分が立って居て、格別、道が困難で、内に這い入れないというわけはない。

吁無吹毛刃,血此牛蹄殷。

しかし、自分に、かの「吹毛の利剣」があったならば、龍を引き摺り出して、斬り殺し、この牛蹄の水溜りのような沼の水を真っ赤にそめたのだが、そうできないのは、残念至極である。

至令乘水旱,鼓舞寡與鰥。

おもへば、洪水旱魃の際など、地方の寡婦鰥夫どもが、雨乞のために此にきて、鼓を鳴らしたら、踊ったらして、その間には、風俗を紊乱するような事もあるが、これを懲罰することの無いのは、如何にも腹立しい評で、自分は、覚えず、身震ひをして、引き返さうとしたのである。

林叢鎮冥冥,窮年無由刪。

祠堂の近傍は、樹木が生い茂って、長しへに冥冥として居る。おまけに、何人も斧を入れて、これを伐採されることはないのである。

#5

妍英雜實,星瑣朱斑。

それが残って、美しい花が艶質をまじえ、祠堂の格子窓の扉の所に、黄色や赤の花が、やたらに点綴している。

石級皆險滑,顛躋莫牽攀。

そこに通ずる石段には、苔が蒸して居て、足が滑るから、つるつるところげ落ちるところがある。墜ちて仕舞えば引き上げることもできない。

龍區雛碎,付與宿已頒。

この様な厖雜なる区域に、鳥の小さな雛などがたくさん集まってきて、一たびそこに放たれると、わずか一宿して、大きな物となって分配される。

棄去可奈何,吾其死茅菅。

かういふ訳で、愚民どもが渇仰して、神霊の場所と信じて居るのは、どうも、いたしかたの無い話かもしれないし、これを警醒するために、龍を亡ぼそうとすれば、吾は菅茅の間に死ななければならないのである、しかし、これほどのことでさうまでにする必要もないから、棄て去って、そこに立ち寄るまいと患つたのである。

 

炭谷湫の祠堂に題 す) #1

萬生 陽明に都し,幽暗は鬼の寰する所。

嗟 龍 獨り何ぞ智にして,人鬼の間に出入する。

知らず 誰か助くることを為し,造化の關を執るが若し。

平地の水に處ることを厭うて,巢居す 天に插むの山。

#2

列峰 指を攢むるが若く,石盂 仰げば 環環たり。

巨靈 高く其れ捧げ,此の一掬の慳を保つ。

森沈 固より含蓄,本と以て陰姦を儲う。

魚鱉【ぎょべつ】擁護を蒙り,群嬉して 天頑に傲る。

#3

翾翾たり 棲託の禽,飛飛 一に何ぞ閑なる。

祠堂 像 真に侔し,玉を擢げて煙鬟を紆う。

群怪 儼として伺候し,恩威 其の顏に在り。

我 來って 日 正に中し,悚惕 先づ還らんことを思う。

#4

寄立す 尺寸の地,敢て來途の艱を言んや。

吁 吹毛の刃の,此の牛蹄に血ぬって殷くする無し。

水旱に乘じて,寡と鰥とを鼓舞せ令むるに至る。

林叢 鎮えに 冥冥たり,年を窮めて 刪るに由し無し。

#5

妍英 豔實を雜う,星瑣 黃朱 斑る。

石級 皆 險滑,顛躋 牽攀する莫し。

龍區 雛眾 碎なり,付與 宿 已に頒なり。

棄て去って奈何にす可き,吾 其れ茅菅に死せん。
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Ta唐 長安近郊圖  新02 

『題炭谷湫祠堂』 現代語訳と訳註解説
(
本文) 
)
#5

妍英雜豔實,星瑣黃朱斑。

石級皆險滑,顛躋莫牽攀。

龍區雛碎,付與宿已頒。

棄去可奈何,吾其死茅菅。

(下し文)


(現代語訳)
それが残って、美しい花が艶質をまじえ、祠堂の格子窓の扉の所に、黄色や赤の花が、やたらに点綴している。

そこに通ずる石段には、苔が蒸して居て、足が滑るから、つるつるところげ落ちるところがある。墜ちて仕舞えば引き上げることもできない。

この様な厖雜なる区域に、鳥の小さな雛などがたくさん集まってきて、一たびそこに放たれると、わずか一宿して、大きな物となって分配される。

かういふ訳で、愚民どもが渇仰して、神霊の場所と信じて居るのは、どうも、いたしかたの無い話かもしれないし、これを警醒するために、龍を亡ぼそうとすれば、吾は菅茅の間に死ななければならないのである、しかし、これほどのことでさうまでにする必要もないから、棄て去って、そこに立ち寄るまいと患つたのである。



(訳注) #5

題炭谷湫祠堂 

(終南山炭谷の澄源夫人廟に立ち寄ったが、)神仏を信仰しない韓愈は龍女などを祀るのはよろしくないので、この詩を作って神仏に頼るのをやめようという。)

炭谷湫 長安城南萬年縣60里にある。そこに、澄源夫人の湫廟は終南山の炭谷にある。長安南の杜陵から山に入った時、南山の山中にある池を見た。ここは、雨乞いの場所であり、韓愈の詩、《巻一13南山詩》、《巻一18秋懐詩十一首之四》、で、これを見る。

韓愈《巻一13南山詩》「因緣窺其湫,凝湛閟陰獸。」(因縁【いんえん】して其の湫【しゅう】を窺【うたが】えば、凝湛【ぎょうたん】として陰獸【いんきゅう】を閟【と】ざす。)杜墅より山にはいって、雨山の山中にある池を見たことである。

【案:在京兆之南,終南之下,祈雨之所也。〈南山〉、〈秋懷詩〉皆見之。】

南山詩 韓退之(韓愈)詩<63-#10>Ⅱ中唐詩386 紀頌之の漢詩ブログ1237

韓愈《巻一18秋懐詩十一首之四》「清曉卷書坐,南山見高棱。其下澄湫水,有蛟寒可罾。」清曉【せいぎょう】書を卷いて坐するに,南山 高棱を見【あらわ】す。其下 澄湫【ちょうしゅう】の水,蛟 寒に罾すべきもの有り。

秋懐詩十一首(4) 韓愈 韓退之(韓愈)詩<104>Ⅱ中唐詩539 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ1722

 

妍英雜豔實,星瑣黃朱斑。

それが残って、美しい花が艶質をまじえ、祠堂の格子窓の扉の所に、黄色や赤の花が、やたらに点綴している。

星瑣 祠堂の格子の扉。

 

石級皆險滑,顛躋莫牽攀。

そこに通ずる石段には、苔が蒸して居て、足が滑るから、つるつるところげ落ちるところがある。墜ちて仕舞えば引き上げることもできない。

顛躋 1.  墜落。 史記宋微子世家》: 微子 曰:太師, 少師, 我其發出往?吾家保于喪?今女無故告予, 顛躋, 如之何其?’” 裴駰 集解引 馬融 曰:躋, 猶墜也。 恐顛墜于非義, 當如之何也。” 2.  困頓挫折。

牽攀 ものにつかまり、又はひっぱりあう。1.猶牽纏。 三國魏曹操《秋胡行》之一:去去不可追, 長恨相牽攀。” 明劉基《旅興》詩之七:人生百間, 苦樂相牽攀。” 2.牽拉。 唐杜甫《彭衙行》:一旬半雷雨, 泥濘相牽攀。” 凡そ十日のうち半分は雷があり雨の日だ、道はぬかるみで、なにかに掴まったり、手でひっぱりあったりしてやっと進めるのだ。

彭衙行 #2 杜甫 133 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 132#2

 

龍區雛眾碎,付與宿已頒。

この様な厖雜なる区域に、鳥の小さな雛などがたくさん集まってきて、一たびそこに放たれると、わずか一宿して、大きな物となって分配される。

 砕ける,ばらばらになる茶杯碎了茶わんが粉々に割れた.我的心都碎了僕の心はもう砕けてしまった.机シュレッダー.━ [](1) ばらばらな,不完全な,ちぎれた碎布布切れ.(2) 話がくどい

 分ける。分配する。分散させる。

 

棄去可奈何,吾其死茅菅。

かういふ訳で、愚民どもが渇仰して、神霊の場所と信じて居るのは、どうも、いたしかたの無い話かもしれないし、これを警醒するために、龍を亡ぼそうとすれば、吾は菅茅の間に死ななければならないのである、しかし、これほどのことでさうまでにする必要もないから、棄て去って、そこに立ち寄るまいと患つたのである。
太白山001 

73-#4 《巻05-14 題炭谷湫祠堂》-#4 韓愈(韓退之) 803年貞元19年 38歳<1431> Ⅱ韓昌黎集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6139

韓愈  題炭谷湫祠堂#4

寄立尺寸地,敢言來途艱。吁無吹毛刃,血此牛蹄殷。

至令乘水旱,鼓舞寡與鰥。林叢鎮冥冥,窮年無由刪。
おもへば、洪水旱魃の際など、地方の寡婦鰥夫どもが、雨乞のために此にきて、鼓を鳴らしたら、踊ったらして、その間には、風俗を紊乱するような事もあるが、これを懲罰することの無いのは、如何にも腹立しい評で、自分は、覚えず、身震ひをして、引き返さうとしたのである。祠堂の近傍は、樹木が生い茂って、長しへに冥冥として居る。おまけに、何人も斧を入れて、これを伐採されることはないのである。

73-#4 《巻05-14 題炭谷湫祠堂》-#4 韓愈(韓退之)  803年貞元19 38歳<1431 Ⅱ韓昌黎集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6139

 
 2015年6月12日の紀頌之5つのBlog 
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 韓愈詩-73-#4

年:803年貞元19 38

卷別: 卷三四0              文體:    五言古詩

詩題: 題炭谷湫祠堂

【案:在京兆之南,終南之下,祈雨之所也。〈南山〉、〈秋懷詩〉皆見之。】

及地點:              澄源夫人湫廟 (京畿道 京兆府 萬年) 別名:湫、湫祠堂             

 

 

題炭谷湫祠堂  #1

(終南山炭谷の澄源夫人廟に立ち寄ったが、)神仏を信仰しない韓愈は龍女などを祀るのはよろしくないので、この詩を作って神仏に頼るのをやめようという。)#1

萬生都陽明,幽暗鬼所寰。

生き歳し生けるもの、万種生物、皆太陽の光の輝く方に向っているが、鬼、妖怪の類いだけは幽暗のところにいるものだ。

嗟龍獨何智,出入人鬼間。

龍湫の龍は、不思議な知恵を持っていると見えて、山の長城の明るい処の片隅の沼に陣取り、人界と鬼界との間に出入しているわけである。

不知誰為助,若執造化關。

さてこの龍をだれが補助するか知らないが、まるで造化の関門を手にとっているようなものである。

厭處平地水,巢居插天山。

この龍は、平地に住むことを厭うて、天にさしはさむような終南山の絶頂に巣居るというのだ。

#2

列峰若指,石盂仰環環。

その炭谷の左右には、群峰指を集めたるが如く、その間に、沼は、石臼の如く、環環として円く、上を仰いで居る。

巨靈高其捧,保此一掬慳。

その沼の石臼の中の水は、巨靈が高く捧げて,わざわざ盛ったので、さも惜しいように一掬の水をここに保っているのはいかにも不思議である。

森沈固含蓄,本以儲陰姦。

その水は、森沈としで深く青く、いかさま龍を住まして居ると見える。

蒙擁護,群嬉傲天頑。

魚鱉も、龍の御蔭で、誰にも捕えられることなく、群遊して、如何なる物をも恐れず、自由自在に跋扈するという。

#3

翾翾棲託禽,飛飛一何閑。

沼の周囲なる一帯の樹林に棲む鳥も、翾翾と飛び廻って、さも長閑に見える。

祠堂像侔真,擢玉紆煙鬟。

祠堂なる龍女の像は、生けるが如く、煙と見間違えるほどの髪髻には、宝玉を飾としている。

群怪儼伺候,恩威在其顏。

その前後左右には様様の羣怪が儼として伺候し、恩威 ふたつながら一に龍女の顔色に在る訳で、いずれも恐れ入って居る。

我來日正中,悚惕思先還。

私が此に来たのは、真昼の時分であったが、身の毛がよだつほどの恐怖であって、直ちに引き返えそうとした。

#4

寄立尺寸地,敢言來途艱。

それは、祠堂に接する尺寸の地に自分が立って居て、格別、道が困難で、内に這い入れないというわけはない。

吁無吹毛刃,血此牛蹄殷。

しかし、自分に、かの「吹毛の利剣」があったならば、龍を引き摺り出して、斬り殺し、この牛蹄の水溜りのような沼の水を真っ赤にそめたのだが、そうできないのは、残念至極である。

至令乘水旱,鼓舞寡與鰥。

おもへば、洪水旱魃の際など、地方の寡婦鰥夫どもが、雨乞のために此にきて、鼓を鳴らしたら、踊ったらして、その間には、風俗を紊乱するような事もあるが、これを懲罰することの無いのは、如何にも腹立しい評で、自分は、覚えず、身震ひをして、引き返さうとしたのである。

林叢鎮冥冥,窮年無由刪。

祠堂の近傍は、樹木が生い茂って、長しへに冥冥として居る。おまけに、何人も斧を入れて、これを伐採されることはないのである。

#5

妍英雜豔實,星瑣黃朱斑。

石級皆險滑,顛躋莫牽攀。

龍區雛眾碎,付與宿已頒。

棄去可奈何,吾其死茅菅。

 

炭谷湫の祠堂に題 す) #1

萬生 陽明に都し,幽暗は鬼の寰する所。

嗟 龍 獨り何ぞ智にして,人鬼の間に出入する。

知らず 誰か助くることを為し,造化の關を執るが若し。

平地の水に處ることを厭うて,巢居す 天に插むの山。

#2

列峰 指を攢むるが若く,石盂 仰げば 環環たり。

巨靈 高く其れ捧げ,此の一掬の慳を保つ。

森沈 固より含蓄,本と以て陰姦を儲う。

魚鱉【ぎょべつ】擁護を蒙り,群嬉して 天頑に傲る。

#3

翾翾たり 棲託の禽,飛飛 一に何ぞ閑なる。

祠堂 像 真に侔し,玉を擢げて煙鬟を紆う。

群怪 儼として伺候し,恩威 其の顏に在り。

我 來って 日 正に中し,悚惕 先づ還らんことを思う。

#4

寄立す 尺寸の地,敢て來途の艱を言んや。

吁 吹毛の刃の,此の牛蹄に血ぬって殷くする無し。

水旱に乘じて,寡と鰥とを鼓舞せ令むるに至る。

林叢 鎮えに 冥冥たり,年を窮めて 刪るに由し無し。

#5

妍英 豔實を雜う,星瑣 黃朱 斑る。

石級 皆 險滑,顛躋 牽攀する莫し。

龍區 雛眾 碎なり,付與 宿 已に頒なり。

棄て去って奈何にす可き,吾 其れ茅菅に死せん。
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Ta唐 長安近郊圖  新02 

『題炭谷湫祠堂』 現代語訳と訳註解説
(
本文) 
#4

寄立尺寸地,敢言來途艱。

吁無吹毛刃,血此牛蹄殷。

至令乘水旱,鼓舞寡與鰥。

林叢鎮冥冥,窮年無由刪。

(下し文) #4

寄立す 尺寸の地,敢て來途の艱を言んや。

吁 吹毛の刃の,此の牛蹄に血ぬって殷くする無し。

水旱に乘じて,寡と鰥とを鼓舞せ令むるに至る。

林叢 鎮えに 冥冥たり,年を窮めて 刪るに由し無し。

(現代語訳) #4

それは、祠堂に接する尺寸の地に自分が立って居て、格別、道が困難で、内に這い入れないというわけはない。

しかし、自分に、かの「吹毛の利剣」があったならば、龍を引き摺り出して、斬り殺し、この牛蹄の水溜りのような沼の水を真っ赤にそめたのだが、そうできないのは、残念至極である。

おもへば、洪水旱魃の際など、地方の寡婦鰥夫どもが、雨乞のために此にきて、鼓を鳴らしたら、踊ったらして、その間には、風俗を紊乱するような事もあるが、これを懲罰することの無いのは、如何にも腹立しい評で、自分は、覚えず、身震ひをして、引き返さうとしたのである。

祠堂の近傍は、樹木が生い茂って、長しへに冥冥として居る。おまけに、何人も斧を入れて、これを伐採されることはないのである。


(訳注) #4

題炭谷湫祠堂 

(終南山炭谷の澄源夫人廟に立ち寄ったが、)神仏を信仰しない韓愈は龍女などを祀るのはよろしくないので、この詩を作って神仏に頼るのをやめようという。)

炭谷湫 長安城南萬年縣60里にある。そこに、澄源夫人の湫廟は終南山の炭谷にある。長安南の杜陵から山に入った時、南山の山中にある池を見た。ここは、雨乞いの場所であり、韓愈の詩、《巻一13南山詩》、《巻一18秋懐詩十一首之四》、で、これを見る。

韓愈《巻一13南山詩》「因緣窺其湫,凝湛閟陰獸。」(因縁【いんえん】して其の湫【しゅう】を窺【うたが】えば、凝湛【ぎょうたん】として陰獸【いんきゅう】を閟【と】ざす。)杜墅より山にはいって、雨山の山中にある池を見たことである。

【案:在京兆之南,終南之下,祈雨之所也。〈南山〉、〈秋懷詩〉皆見之。】

南山詩 韓退之(韓愈)詩<63-#10>Ⅱ中唐詩386 紀頌之の漢詩ブログ1237

韓愈《巻一18秋懐詩十一首之四》「清曉卷書坐,南山見高棱。其下澄湫水,有蛟寒可罾。」清曉【せいぎょう】書を卷いて坐するに,南山 高棱を見【あらわ】す。其下 澄湫【ちょうしゅう】の水,蛟 寒に罾すべきもの有り。

秋懐詩十一首(4) 韓愈 韓退之(韓愈)詩<104>Ⅱ中唐詩539 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ1722

 

寄立尺寸地,敢言來途艱。

それは、祠堂に接する尺寸の地に自分が立って居て、格別、道が困難で、内に這い入れないというわけはない。

 

吁無吹毛刃,血此牛蹄殷。

しかし、自分に、かの「吹毛の利剣」があったならば、龍を引き摺り出して、斬り殺し、この牛蹄の水溜りのような沼の水を真っ赤にそめたのだが、そうできないのは、残念至極である。

吹毛刃 剣鋒の利きことけを毛を吹きつけても之を断つことをうる。杜甫《巻二三15 冬晚送長孫漸舍人歸州》「匣裡雌雄劍,吹毛任選將。」

牛蹄殷 殷は赤黒色。「我、豈に吹毛の剣の、この牛蹄の涔のみずをして殷ならしむるなからんや」ということで龍を殺して其の地を赤黒せめるということ。

 

至令乘水旱,鼓舞寡與鰥。

おもへば、洪水旱魃の際など、地方の寡婦鰥夫どもが、雨乞のために此にきて、鼓を鳴らしたら、踊ったらして、その間には、風俗を紊乱するような事もあるが、これを懲罰することの無いのは、如何にも腹立しい評で、自分は、覚えず、身震ひをして、引き返さうとしたのである。

 寡婦(かふ)とは、夫と死別または離別し、再婚していない女性のことである。

 鰥夫- 妻のいない男。また、妻を失った男。男やもめ。

 

林叢鎮冥冥,窮年無由刪。

祠堂の近傍は、樹木が生い茂って、長しへに冥冥として居る。おまけに、何人も斧を入れて、これを伐採されることはないのである。

 文章中の一部の文字・語句を削除する,削る.余分な木を伐採する。

73-#3 《巻05-14 題炭谷湫祠堂》-#3 韓愈(韓退之) 803年貞元19年 38歳<1430> Ⅱ韓昌黎集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6134

題炭谷湫祠堂 -#3 韓愈  

翾翾棲託禽,飛飛一何閑。祠堂像侔真,擢玉紆煙鬟。

群怪儼伺候,恩威在其顏。我來日正中,悚惕思先還。

祠堂なる龍女の像は、生けるが如く、煙と見間違えるほどの髪髻には、宝玉を飾としている。その前後左右には様様の羣怪が儼として伺候し、恩威 ふたつながら一に龍女の顔色に在る訳で、いずれも恐れ入って居る。私が此に来たのは、真昼の時分であったが、身の毛がよだつほどの恐怖であって、直ちに引き返えそうとした。

73-#3 《巻05-14 題炭谷湫祠堂》-#3 韓愈(韓退之)  803年貞元19 38歳<1430 Ⅱ韓昌黎集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6134

 
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韓愈詩-73-#3

年:803年貞元19 38

卷別: 卷三四0              文體:    五言古詩

詩題: 題炭谷湫祠堂

【案:在京兆之南,終南之下,祈雨之所也。〈南山〉、〈秋懷詩〉皆見之。】

及地點:              澄源夫人湫廟 (京畿道 京兆府 萬年) 別名:湫、湫祠堂             

 

 

題炭谷湫祠堂  #1

(終南山炭谷の澄源夫人廟に立ち寄ったが、)神仏を信仰しない韓愈は龍女などを祀るのはよろしくないので、この詩を作って神仏に頼るのをやめようという。)#1

萬生都陽明,幽暗鬼所寰。

生き歳し生けるもの、万種生物、皆太陽の光の輝く方に向っているが、鬼、妖怪の類いだけは幽暗のところにいるものだ。

嗟龍獨何智,出入人鬼間。

龍湫の龍は、不思議な知恵を持っていると見えて、山の長城の明るい処の片隅の沼に陣取り、人界と鬼界との間に出入しているわけである。

不知誰為助,若執造化關。

さてこの龍をだれが補助するか知らないが、まるで造化の関門を手にとっているようなものである。

厭處平地水,巢居插天山。

この龍は、平地に住むことを厭うて、天にさしはさむような終南山の絶頂に巣居るというのだ。

#2

列峰若指,石盂仰環環。

その炭谷の左右には、群峰指を集めたるが如く、その間に、沼は、石臼の如く、環環として円く、上を仰いで居る。

巨靈高其捧,保此一掬慳。

その沼の石臼の中の水は、巨靈が高く捧げて,わざわざ盛ったので、さも惜しいように一掬の水をここに保っているのはいかにも不思議である。

森沈固含蓄,本以儲陰姦。

その水は、森沈としで深く青く、いかさま龍を住まして居ると見える。

蒙擁護,群嬉傲天頑。

魚鱉も、龍の御蔭で、誰にも捕えられることなく、群遊して、如何なる物をも恐れず、自由自在に跋扈するという。

#3

翾翾棲託禽,飛飛一何閑。

沼の周囲なる一帯の樹林に棲む鳥も、翾翾と飛び廻って、さも長閑に見える。

祠堂像侔真,擢玉紆煙鬟。

祠堂なる龍女の像は、生けるが如く、煙と見間違えるほどの髪髻には、宝玉を飾としている。

群怪儼伺候,恩威在其顏。

その前後左右には様様の羣怪が儼として伺候し、恩威 ふたつながら一に龍女の顔色に在る訳で、いずれも恐れ入って居る。

我來日正中,悚惕思先還。

私が此に来たのは、真昼の時分であったが、身の毛がよだつほどの恐怖であって、直ちに引き返えそうとした。

#4

寄立尺寸地,敢言來途艱。

吁無吹毛刃,血此牛蹄殷。

至令乘水旱,鼓舞寡與鰥。

林叢鎮冥冥,窮年無由刪。

#5

妍英雜豔實,星瑣黃朱斑。

石級皆險滑,顛躋莫牽攀。

龍區雛眾碎,付與宿已頒。

棄去可奈何,吾其死茅菅。

 

炭谷湫の祠堂に題 す) #1

萬生 陽明に都し,幽暗は鬼の寰する所。

嗟 龍 獨り何ぞ智にして,人鬼の間に出入する。

知らず 誰か助くることを為し,造化の關を執るが若し。

平地の水に處ることを厭うて,巢居す 天に插むの山。

#2

列峰 指を攢むるが若く,石盂 仰げば 環環たり。

巨靈 高く其れ捧げ,此の一掬の慳を保つ。

森沈 固より含蓄,本と以て陰姦を儲う。

魚鱉【ぎょべつ】擁護を蒙り,群嬉して 天頑に傲る。

#3

翾翾たり 棲託の禽,飛飛 一に何ぞ閑なる。

祠堂 像 真に侔し,玉を擢げて煙鬟を紆う。

群怪 儼として伺候し,恩威 其の顏に在り。

我 來って 日 正に中し,悚惕 先づ還らんことを思う。

#4

寄立す 尺寸の地,敢て來途の艱を言んや。

吁 吹毛の刃の,此の牛蹄に血ぬって殷くする無し。

水旱に乘じて,寡と鰥とを鼓舞せ令むるに至る。

林叢 鎮えに 冥冥たり,年を窮めて 刪るに由し無し。

#5

妍英 豔實を雜う,星瑣 黃朱 斑る。

石級 皆 險滑,顛躋 牽攀する莫し。

龍區 雛眾 碎なり,付與 宿 已に頒なり。

棄て去って奈何にす可き,吾 其れ茅菅に死せん。
 

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『題炭谷湫祠堂』 現代語訳と訳註解説
(
本文) 
#3

翾翾棲託禽,飛飛一何閑。

祠堂像侔真,擢玉紆煙鬟。

群怪儼伺候,恩威在其顏。

我來日正中,悚惕思先還。

(下し文)
#3

翾翾たり 棲託の禽,飛飛 一に何ぞ閑なる。

祠堂 像 真に侔し,玉を擢げて煙鬟を紆う。

群怪 儼として伺候し,恩威 其の顏に在り。

我 來って 日 正に中し,悚惕 先づ還らんことを思う。
 

(現代語訳)
#3

沼の周囲なる一帯の樹林に棲む鳥も、翾翾と飛び廻って、さも長閑に見える。

祠堂なる龍女の像は、生けるが如く、煙と見間違えるほどの髪髻には、宝玉を飾としている。

その前後左右には様様の羣怪が儼として伺候し、恩威 ふたつながら一に龍女の顔色に在る訳で、いずれも恐れ入って居る。

私が此に来たのは、真昼の時分であったが、身の毛がよだつほどの恐怖であって、直ちに引き返えそうとした。


(訳注) #3

Ta唐 長安近郊圖  新02 

翾翾棲託禽,飛飛一何閑。

沼の周囲なる一帯の樹林に棲む鳥も、翾翾と飛び廻って、さも長閑に見える。

○翾翾 大空に飛び上がって舞う姿をいう。飛翔的樣子《韓詩外傳》卷九:夫鳳凰之初起也, 翾翾十步之雀, 喔咿而笑之。” 漢蔡邕《篆勢》:若行若飛, 岐岐翾翾。

○一何閑 それを一たび見ると、何と長閑な興慶であろうかと思う。

 

祠堂像侔真,擢玉紆煙鬟。

祠堂なる龍女の像は、生けるが如く、煙とみま違えるほどの髪髻には、宝玉を飾としている。

侔真 生けるが如く。・侔:相等。文選·任昉·王文憲集序:「一言之譽,東陵侔於西山。」

煙鬟 煙とみま地ガエル科のような髪の形。

 

群怪儼伺候,恩威在其顏。

その前後左右には様様の羣怪が儼として伺候し、恩威 ふたつながら一に龍女の顔色に在る訳で、いずれも恐れ入って居る。

伺候/祗候 【しこう】1 貴人のそばに奉仕すること。2 目上の人のご機嫌伺いをすること。

 

我來日正中,悚惕思先還。

私が此に来たのは、真昼の時分であったが、身の毛がよだつほどの恐怖であって、直ちに引き返えそうとした。

悚惕 1.恐懼;惶恐。2.常用為奏章或書信中的套語。3.警惕。4.敬畏。

73-#2 《巻05-14 題炭谷湫祠堂》-#2 韓愈(韓退之) 803年貞元19年 38歳<1429> Ⅱ韓昌黎集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6129

韓愈  題炭谷湫祠堂#2

列峰若攢指,石盂仰環環。巨靈高其捧,保此一掬慳。

森沈固含蓄,本以儲陰姦。魚鱉蒙擁護,群嬉傲天頑。

その炭谷の左右には、群峰指を集めたるが如く、その間に、沼は、石臼の如く、環環として円く、上を仰いで居る。その沼の石臼の中の水は、巨靈が高く捧げて,わざわざ盛ったので、さも惜しいように一掬の水をここに保っているのはいかにも不思議である。

73-#2 《巻05-14 題炭谷湫祠堂》-#2 韓愈(韓退之)  803年貞元19 38歳<1429 Ⅱ韓昌黎集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6129

 
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73-#2 《巻05-14 題炭谷湫祠堂》-#2 韓愈(韓退之) 803年貞元19年 38歳<1429> Ⅱ韓昌黎集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6129 
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 index-5 806年39歳 50首の(2)25首index-6[807年~809年 42歳]20首index-7[810年~811年 44歳] 34首index-8 [812年~814年47歳]46首index-9[815年~816年 49歳] 57首index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首 
 index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首index-13 821年~822年 55歳 22首index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首韓愈 哲学・儒学「五原」賦・散文・上奏文・碑文など 
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韓愈詩-73-#2

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詩題: 題炭谷湫祠堂

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及地點:              澄源夫人湫廟 (京畿道 京兆府 萬年) 別名:湫、湫祠堂             

 

 

題炭谷湫祠堂  #1

(終南山炭谷の澄源夫人廟に立ち寄ったが、)神仏を信仰しない韓愈は龍女などを祀るのはよろしくないので、この詩を作って神仏に頼るのをやめようという。)#1

萬生都陽明,幽暗鬼所寰。

生き歳し生けるもの、万種生物、皆太陽の光の輝く方に向っているが、鬼、妖怪の類いだけは幽暗のところにいるものだ。

嗟龍獨何智,出入人鬼間。

龍湫の龍は、不思議な知恵を持っていると見えて、山の長城の明るい処の片隅の沼に陣取り、人界と鬼界との間に出入しているわけである。

不知誰為助,若執造化關。

さてこの龍をだれが補助するか知らないが、まるで造化の関門を手にとっているようなものである。

厭處平地水,巢居插天山。

この龍は、平地に住むことを厭うて、天にさしはさむような終南山の絶頂に巣居るというのだ。

#2

列峰若指,石盂仰環環。

その炭谷の左右には、群峰指を集めたるが如く、その間に、沼は、石臼の如く、環環として円く、上を仰いで居る。

巨靈高其捧,保此一掬慳。

その沼の石臼の中の水は、巨靈が高く捧げて,わざわざ盛ったので、さも惜しいように一掬の水をここに保っているのはいかにも不思議である。

森沈固含蓄,本以儲陰姦。

その水は、森沈としで深く青く、いかさま龍を住まして居ると見える。

蒙擁護,群嬉傲天頑。

魚鱉も、龍の御蔭で、誰にも捕えられることなく、群遊して、如何なる物をも恐れず、自由自在に跋扈するという。

#3

翾翾棲託禽,飛飛一何閑。

祠堂像侔真,擢玉紆煙鬟。

群怪儼伺候,恩威在其顏。

我來日正中,悚惕思先還。

#4

寄立尺寸地,敢言來途艱。

吁無吹毛刃,血此牛蹄殷。

至令乘水旱,鼓舞寡與鰥。

林叢鎮冥冥,窮年無由刪。

#5

妍英雜豔實,星瑣黃朱斑。

石級皆險滑,顛躋莫牽攀。

龍區雛眾碎,付與宿已頒。

棄去可奈何,吾其死茅菅。

 

炭谷湫の祠堂に題 す) #1

萬生 陽明に都し,幽暗は鬼の寰する所。

嗟 龍 獨り何ぞ智にして,人鬼の間に出入する。

知らず 誰か助くることを為し,造化の關を執るが若し。

平地の水に處ることを厭うて,巢居す 天に插むの山。

#2

列峰 指を攢むるが若く,石盂 仰げば 環環たり。

巨靈 高く其れ捧げ,此の一掬の慳を保つ。

森沈 固より含蓄,本と以て陰姦を儲う。

魚鱉【ぎょべつ】擁護を蒙り,群嬉して 天頑に傲る。

#3

翾翾たり 棲託の禽,飛飛 一に何ぞ閑なる。

祠堂 像 真に侔し,玉を擢げて煙鬟を紆う。

群怪 儼として伺候し,恩威 其の顏に在り。

我 來って 日 正に中し,悚惕 先づ還らんことを思う。

#4

寄立す 尺寸の地,敢て來途の艱を言んや。

吁 吹毛の刃の,此の牛蹄に血ぬって殷くする無し。

水旱に乘じて,寡と鰥とを鼓舞せ令むるに至る。

林叢 鎮えに 冥冥たり,年を窮めて 刪るに由し無し。

#5

妍英 豔實を雜う,星瑣 黃朱 斑る。

石級 皆 險滑,顛躋 牽攀する莫し。

龍區 雛眾 碎なり,付與 宿 已に頒なり。

棄て去って奈何にす可き,吾 其れ茅菅に死せん。

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長安付近図00 

『題炭谷湫祠堂』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

#2

列峰若攢指,石盂仰環環。

巨靈高其捧,保此一掬慳。

森沈固含蓄,本以儲陰姦。

魚鱉蒙擁護,群嬉傲天頑。



(下し文) #2

列峰 指を攢むるが若く,石盂 仰げば 環環たり。

巨靈 高く其れ捧げ,此の一掬の慳を保つ。

森沈 固より含蓄,本と以て陰姦を儲う。

魚鱉【ぎょべつ】擁護を蒙り,群嬉して 天頑に傲る。

(現代語訳)
その炭谷の左右には、群峰指を集めたるが如く、その間に、沼は、石臼の如く、環環として円く、上を仰いで居る。

その沼の石臼の中の水は、巨靈が高く捧げて,わざわざ盛ったので、さも惜しいように一掬の水をここに保っているのはいかにも不思議である。

その水は、森沈としで深く青く、いかさま龍を住まして居ると見える。

魚鱉も、龍の御蔭で、誰にも捕えられることなく、群遊して、如何なる物をも恐れず、自由自在に跋扈するという。


(訳注) #2

題炭谷湫祠堂  #1

(終南山炭谷の澄源夫人廟に立ち寄ったが、)神仏を信仰しない韓愈は龍女などを祀るのはよろしくないので、この詩を作って神仏に頼るのをやめようという。)

炭谷湫 長安城南萬年縣60里にある。そこに、澄源夫人の湫廟は終南山の炭谷にある。長安南の杜陵から山に入った時、南山の山中にある池を見た。ここは、雨乞いの場所であり、韓愈の詩、《巻一13南山詩》、《巻一18秋懐詩十一首之四》、で、これを見る。

韓愈《巻一13南山詩》「因緣窺其湫,凝湛閟陰獸。」(因縁【いんえん】して其の湫【しゅう】を窺【うたが】えば、凝湛【ぎょうたん】として陰獸【いんきゅう】を閟【と】ざす。)杜墅より山にはいって、雨山の山中にある池を見たことである。

【案:在京兆之南,終南之下,祈雨之所也。〈南山〉、〈秋懷詩〉皆見之。】

南山詩 韓退之(韓愈)詩<63-#10>Ⅱ中唐詩386 紀頌之の漢詩ブログ1237

韓愈《巻一18秋懐詩十一首之四》「清曉卷書坐,南山見高棱。其下澄湫水,有蛟寒可罾。」清曉【せいぎょう】書を卷いて坐するに,南山 高棱を見【あらわ】す。其下 澄湫【ちょうしゅう】の水,蛟 寒に罾すべきもの有り。

秋懐詩十一首(4) 韓愈 韓退(韓愈)詩<104>Ⅱ中唐詩539 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ1722

 

列峰若攢指,石盂仰環環。

その炭谷の左右には、群峰指を集めたるが如く、その間に、沼は、石臼の如く、環環として円く、上を仰いで居る。

石盂 石臼。左傳. 《名號研究》:左襄二十二鄭子曰「子侯。石盂,歸而討之」,石盂為鄭人,蓋氏名,石制條。杜注以石盂即石,大宰石

 

巨靈高其捧,保此一掬慳。

その沼の石臼の中の水は、巨靈が高く捧げて,わざわざ盛ったので、さも惜しいように一掬の水をここに保っているのはいかにも不思議である。

一掬 水などを両手ですくうこと。ひとすくい。また、わずかな量をいう。

 

森沈固含蓄,本以儲陰姦。

その水は、森沈としで深く青く、いかさま龍を住まして居ると見える。

森沈 飽照の詩に「銅溪晝森沉。乳竇夜涓滴。」とある。

陰姦 龍をさす、南山の詩に「因緣窺其湫,凝湛閟陰獸。」“何かのついでに山の池をのぞいてみることになる、瀞と水をたたえている底に竜をひそめている。”というと同じ。

 

魚鱉蒙擁護,群嬉傲天頑。

魚鱉も、龍の御蔭で、誰にも捕えられることなく、群遊して、如何なる物をも恐れず、自由自在に跋扈するという。

魚鱉 魚と鱉(すっぽん)。 《周禮天官鱉人》:以時簎魚鱉龜蜃凡貍物。” 《禮記中庸》:黿鼉蛟龍魚鱉生焉。”
Nature1-003 

73-#1 《巻05-14 題炭谷湫祠堂》#1 (萬生都陽明,) 韓愈(韓退之) 803年貞元19年 38歳<1428> Ⅱ韓昌黎集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6124

韓愈  題炭谷湫祠堂  #1  

萬生都陽明,幽暗鬼所寰。嗟龍獨何智,出入人鬼間。

不知誰為助,若執造化關。厭處平地水,巢居插天山。
(終南山炭谷の澄源夫人廟に立ち寄ったが、)神仏を信仰しない韓愈は龍女などを祀るのはよろしくないので、この詩を作って神仏に頼るのをやめようという。)#1 生き歳し生けるもの、万種生物、皆太陽の光の輝く方に向っているが、鬼、妖怪の類いだけは幽暗のところにいるものだ。龍湫の龍は、不思議な知恵を持っていると見えて、山の長城の明るい処の片隅の沼に陣取り、人界と鬼界との間に出入しているわけである。

73-#1 《巻05-14 題炭谷湫祠堂》#1 (萬生都陽明,) 韓愈(韓退之)  803年貞元19 38歳<1428 Ⅱ韓昌黎集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6124韓愈詩-73-#1

 
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年:803年貞元19 38

卷別: 卷三四0              文體:    五言古詩

詩題: 題炭谷湫祠堂

【案:在京兆之南,終南之下,祈雨之所也。〈南山〉、〈秋懷詩〉皆見之。】

及地點:              澄源夫人湫廟 (京畿道 京兆府 萬年) 別名:湫、湫祠堂             

 

 

題炭谷湫祠堂  #1

(終南山炭谷の澄源夫人廟に立ち寄ったが、)神仏を信仰しない韓愈は龍女などを祀るのはよろしくないので、この詩を作って神仏に頼るのをやめようという。)#1

萬生都陽明,幽暗鬼所寰。

生き歳し生けるもの、万種生物、皆太陽の光の輝く方に向っているが、鬼、妖怪の類いだけは幽暗のところにいるものだ。

嗟龍獨何智,出入人鬼間。

龍湫の龍は、不思議な知恵を持っていると見えて、山の長城の明るい処の片隅の沼に陣取り、人界と鬼界との間に出入しているわけである。

不知誰為助,若執造化關。

さてこの龍をだれが補助するか知らないが、まるで造化の関門を手にとっているようなものである。

厭處平地水,巢居插天山。

この龍は、平地に住むことを厭うて、天にさしはさむような終南山の絶頂に巣居るというのだ。

#2

列峰若攢指,石盂仰環環。

巨靈高其捧,保此一掬慳。

森沈固含蓄,本以儲陰姦。

魚鱉蒙擁護,群嬉傲天頑。

#3

翾翾棲託禽,飛飛一何閑。

祠堂像侔真,擢玉紆煙鬟。

群怪儼伺候,恩威在其顏。

我來日正中,悚惕思先還。

#4

寄立尺寸地,敢言來途艱。

吁無吹毛刃,血此牛蹄殷。

至令乘水旱,鼓舞寡與鰥。

林叢鎮冥冥,窮年無由刪。

#5

妍英雜豔實,星瑣黃朱斑。

石級皆險滑,顛躋莫牽攀。

龍區雛眾碎,付與宿已頒。

棄去可奈何,吾其死茅菅。

 

炭谷湫の祠堂に題 す) #1

萬生 陽明に都し,幽暗は鬼の寰する所。

嗟 龍 獨り何ぞ智にして,人鬼の間に出入する。

知らず 誰か助くることを為し,造化の關を執るが若し。

平地の水に處ることを厭うて,巢居す 天に插むの山。

#2

列峰 指を攢むるが若く,石盂 仰げば 環環たり。

巨靈 高く其れ捧げ,此の一掬の慳を保つ。

森沈 固より含蓄,本と以て陰姦を儲う。

魚鱉【ぎょべつ】擁護を蒙り,群嬉して 天頑に傲る。

#3

翾翾たり 棲託の禽,飛飛 一に何ぞ閑なる。

祠堂 像 真に侔し,玉を擢げて煙鬟を紆う。

群怪 儼として伺候し,恩威 其の顏に在り。

我 來って 日 正に中し,悚惕 先づ還らんことを思う。

#4

寄立す 尺寸の地,敢て來途の艱を言んや。

吁 吹毛の刃の,此の牛蹄に血ぬって殷くする無し。

水旱に乘じて,寡と鰥とを鼓舞せ令むるに至る。

林叢 鎮えに 冥冥たり,年を窮めて 刪るに由し無し。

#5

妍英 豔實を雜う,星瑣 黃朱 斑る。

石級 皆 險滑,顛躋 牽攀する莫し。

龍區 雛眾 碎なり,付與 宿 已に頒なり。

棄て去って奈何にす可き,吾 其れ茅菅に死せん。

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『題炭谷湫祠堂』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

題炭谷湫祠堂  #1

萬生都陽明,幽暗鬼所寰。

嗟龍獨何智,出入人鬼間。

不知誰為助,若執造化關。

厭處平地水,巢居插天山。

(下し文)

炭谷湫の祠堂に題 す) #1

萬生 陽明に都し,幽暗は鬼の寰する所。

嗟 龍 獨り何ぞ智にして,人鬼の間に出入する。

知らず 誰か助くることを為し,造化の關を執るが若し。

平地の水に處ることを厭うて,巢居す 天に插むの山。

(現代語訳)
(終南山炭谷の澄源夫人廟に立ち寄ったが、)神仏を信仰しない韓愈は龍女などを祀るのはよろしくないので、この詩を作って神仏に頼るのをやめようという。)#1

生き歳し生けるもの、万種生物、皆太陽の光の輝く方に向っているが、鬼、妖怪の類いだけは幽暗のところにいるものだ。

龍湫の龍は、不思議な知恵を持っていると見えて、山の長城の明るい処の片隅の沼に陣取り、人界と鬼界との間に出入しているわけである。

さてこの龍をだれが補助するか知らないが、まるで造化の関門を手にとっているようなものである。

この龍は、平地に住むことを厭うて、天にさしはさむような終南山の絶頂に巣居るというのだ。

nat0022
(訳注)

題炭谷湫祠堂  #1

(終南山炭谷の澄源夫人廟に立ち寄ったが、)神仏を信仰しない韓愈は龍女などを祀るのはよろしくないので、この詩を作って神仏に頼るのをやめようという。)

炭谷湫 長安城南萬年縣60里にある。そこに、澄源夫人の湫廟は終南山の炭谷にある。長安南の杜陵から山に入った時、南山の山中にある池を見た。ここは、雨乞いの場所であり、韓愈の詩、《巻一13南山詩》、《巻一18秋懐詩十一首之四》、で、これを見る。

韓愈《巻一13南山詩》「因緣窺其湫,凝湛閟陰獸。」(因縁【いんえん】して其の湫【しゅう】を窺【うたが】えば、凝湛【ぎょうたん】として陰獸【いんきゅう】を閟【と】ざす。)杜墅より山にはいって、雨山の山中にある池を見たことである。

【案:在京兆之南,終南之下,祈雨之所也。〈南山〉、〈秋懷詩〉皆見之。】

南山詩 韓退之(韓愈)詩<63-#10>Ⅱ中唐詩386 紀頌之の漢詩ブログ1237

韓愈《巻一18秋懐詩十一首之四》「清曉卷書坐,南山見高棱。其下澄湫水,有蛟寒可罾。」清曉【せいぎょう】書を卷いて坐するに,南山 高棱を見【あらわ】す。其下 澄湫【ちょうしゅう】の水,蛟 寒に罾すべきもの有り。

秋懐詩十一首(4) 韓愈 韓退之(韓愈)詩<104>Ⅱ中唐詩539 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ1722

 

萬生都陽明,幽暗鬼所寰。

生き歳し生けるもの、万種生物、皆太陽の光の輝く方に向っているが、鬼、妖怪の類いだけは幽暗のところにいるものだ。

所寰 居るところ。

 

嗟龍獨何智,出入人鬼間。

龍湫の龍は、不思議な知恵を持っていると見えて、山の長城の明るい処の片隅の沼に陣取り、人界と鬼界との間に出入しているわけである。

 

不知誰為助,若執造化關。

さてこの龍をだれが補助するか知らないが、まるで造化の関門をてにとっているようなものである。

 

厭處平地水,巢居插天山。

この龍は、平地に住むことを厭うて、天にさしはさむような終南山の絶頂に巣居るというのだ。

巢居插天山 湫は元々平地にあったが、一日の風雷があったために南山の上にうつった、龍移伝説をいう。

大蜃おおはまぐりの害を防ぐために龍神を呼んで住まわせたという龍移伝説のある池のことは、李商隠《桂林》「紳護青楓岸、龍移白石湫。」
長安付近図00 

62 -#2(改訂版) 《巻05-29 將歸贈孟東野房蜀客》 (君門不可入,) 韓愈(韓退之)ID 《 801年貞元17年 34歳》<1379> Ⅱ韓昌黎集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5879

韓愈(改訂版) 《巻05-29 將歸贈孟東野房蜀客》我々儒者にとっては、許由のように穎水の清らかな水で汚れた社会の出来事を聞いてきた耳を洗い、單父のように、それを聞いて牛に水を飲ませなかったと静かに山に入ろうと思う、そして箕山に入れば平坦で地勢もなだらかで、隠遁するにはもってこいというものである。

 

 
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 Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
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225-#2 《巻8-2 贈從兄襄陽少府皓 -#2》Index-14 Ⅱ― 9-734年開元二十二年34歳 <225-#2> Ⅰ李白詩1466 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5878 
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(1)漁父辞 屈原『楚辞・九歌』東君 屈原《楚辞 『九辯』》 宋玉  <案内> 
 ●唐を代表する 中唐 韓愈 全500首  
 Ⅱ中唐詩・晩唐詩
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62 -#2(改訂版) 《巻05-29 將歸贈孟東野房蜀客》 (君門不可入,) 韓愈(韓退之)ID 《 801年貞元17年 34歳》<1379> Ⅱ韓昌黎集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5879 
 ・李商隠詩 (1) 136首の75首・李商隠詩 (2) 135首の61首●韓愈index-1 ・孟郊、張籍と交遊・汴州乱41首●韓愈詩index-2[800年 33歳~804年 37歳]27首●韓愈詩index-3 805年 38歳・]陽山から江陵府 36首●韓愈詩index-4 806年 39歳 江陵府・権知国子博士 51首(1)25首 
 index-5 806年39歳 50首の(2)25首index-6[807年~809年 42歳]20首index-7[810年~811年 44歳] 34首index-8 [812年~814年47歳]46首index-9[815年~816年 49歳] 57首index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首 
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62 -#2(改訂版) 《巻05-29 將歸贈孟東野房蜀客》 (君門不可入,) 韓愈(韓退之)ID  801年貞元17年 34歳》1379 Ⅱ韓昌黎集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5879

 

 

韓愈詩-62 -#2

年:801年貞元17年 34

卷別:    卷三四0              文體:    五言古詩

詩題:    將歸贈孟東野房蜀客【案:蜀客名次卿。】

作地點:              長安(京畿道 / 京兆府 / 長安)

交遊人物:孟郊    書信往來(京畿道 京兆府 長安)

 

(改訂版)

將歸贈孟東野房蜀客

801801年貞元17年 34歳三月、長安から、洛陽に行くときに、孟東野と房項卿に留別したもの。)

君門不可入,勢利互相推。【勢力互相推】

都に上って、調選に随い、折角一官を得たいと思っていたが「門に入る可からず」というところだ、君も知っての通り、今、勢利ある人たちが、政争を事としていて、政権争奪がなされ、たがいに勢力争いをしている。

借問讀書客,胡為在京師。

だから、勉学に集中できる状態でないから、読書の客など京師にいたってしかたがないということだ。

舉頭未能對,閉眼聊自思。

こんなことだから、頭をあげれば叩かれるから、これに対する良い方法はなく、眼を閉じて、じっとして一人で自問自答とするのみである。

 

(將に歸らんとして 孟東野、房蜀客に贈る)

君 門に入る可からず,勢利 互いに相い推す。【勢力 互いに相い推す】

借問す 讀書の客,胡ん為れぞ 京師に在るや。

頭を舉げて未だ對うる能わず,眼を閉じて聊か自ら思う。

 

倏忽十六年,終朝苦寒飢。

はじめて上京して、はやいもので二十六年になる、この間、終日、援助を受けるような門下に入っていないので、試験及第の為、空腹と寒さに苦しんできた。

宦途竟寥落,鬢髮坐差池。

官に就くことは、汚れた門下に入っていないので、その途は本の微かなもので、志を果しておらず、鬢髮をしろくなるのもうまく世渡りをすることができないためでもある。

潁水清且寂,箕山坦而夷。

我々儒者にとっては、許由のように穎水の清らかな水で汚れた社会の出来事を聞いてきた耳を洗い、單父のように、それを聞いて牛に水を飲ませなかったと静かに山に入ろうと思う、そして箕山に入れば平坦で地勢もなだらかで、隠遁するにはもってこいというものである。

如今便當去,咄咄無自疑。

そこで、今、私は、心に決してまた疑うこともなく、都を後にするため、悔しいけれど此処を立ち去ろうとするのである。

 

倏忽【しゅくこつ】十六年,終朝 寒飢に苦む。

宦途 竟に寥落たり,鬢髮 差池に坐す。

潁水 清 且つ寂,箕山 坦に而て夷。

如今 便ち當に去り,咄咄 自ら疑う無かれ。

 

(改訂版)

『將歸贈孟東野房蜀客』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

倏忽十六年,終朝苦寒飢。

宦途竟寥落,鬢髮坐差池。

潁水清且寂,箕山坦而夷。

如今便當去,咄咄無自疑。


(下し文)
倏忽【しゅくこつ】十六年,終朝 寒飢に苦む。

宦途 竟に寥落たり,鬢髮 差池に坐す。

潁水 清 且つ寂,箕山 坦に而て夷。

如今 便ち當に去り,咄咄 自ら疑う無かれ。

(現代語訳)
はじめて上京して、はやいもので二十六年になる、この間、終日、援助を受けるような門下に入っていないので、試験及第の為、空腹と寒さに苦しんできた。

官に就くことは、汚れた門下に入っていないので、その途は本の微かなもので、志を果しておらず、鬢髮をしろくなるのもうまく世渡りをすることができないためでもある。

我々儒者にとっては、許由のように穎水の清らかな水で汚れた社会の出来事を聞いてきた耳を洗い、單父のように、それを聞いて牛に水を飲ませなかったと静かに山に入ろうと思う、そして箕山に入れば平坦で地勢もなだらかで、隠遁するにはもってこいというものである。

洛陽 函谷関002

(訳注) (改訂版)

將歸贈孟東野房蜀客

801801年貞元17年 34歳三月、長安から、洛陽に行くときに、孟東野と房項卿に留別したもの。)

 

倏忽十六年,終朝苦寒飢。

はじめて上京して、はやいもので二十六年になる、この間、終日、援助を受けるような門下に入っていないので、試験及第の為、空腹と寒さに苦しんできた。

倏忽 時間がきわめて短いさま。たちまち。

 

宦途竟寥落,鬢髮坐差池。

官に就くことは、汚れた門下に入っていないので、その途は本の微かなもので、志を果しておらず、鬢髮をしろくなるのもうまく世渡りをすることができないためでもある。

坐差池 差池 互い違いになること。不ぞろいであること。SV構文である。〔ついに、宦途は寥落〕:〔いつの間にか、鬢發は差池〕出世はできないし、頭は薄くなってきた。

 

潁水清且寂,箕山坦而夷。

我々儒者にとっては、許由のように穎水の清らかな水で汚れた社会の出来事を聞いてきた耳を洗い、單父のように、それを聞いて牛に水を飲ませなかったと静かに山に入ろうと思う、そして箕山に入れば平坦で地勢もなだらかで、隠遁するにはもってこいというものである。

潁水・箕山 この語は、たびたび出る。

韓愈《巻03-15 贈侯喜》

便當提攜妻與子,南入箕潁無還時。

それでも、自分は妻子を提携して、南の方、許由と單父のように箕山穎水の間に分け入って、再び世間には戻ってこないと思っている。

提攜妻與子 漢の謝安(字は安石)が始寧(会稽紹興市の東の上虞県の西南)に隠居して朝廷のお召しに応じなかったのは「東山高臥」といって有名な講である。山上に謝安の建てた白雲・明月の二亭の跡がある。また、かれが妓女を携えて遊んだ寄薇洞の跡もある。○携 佳人=美人=芸妓を携える。謝安の故事をふまえる。府城臥竜山南にあった白樓亭のこと。『会稽志卷第九』山府城の卧龍山府に其東麓に治据されていた。隸山陰陽經雲种山、また別名として重山は越大夫の种所葬られた太平御覧种山の名とした處である。山南道で旧と傳えられる白楼亭は今の遺址は関連性からいうと不確かであるが、山頂にある城隍祠ああって、其の西南の越王台の下にある。李白『贈僧崖公』「手秉玉麈尾, 如登白樓亭。」会稽記 「浙江又東北、重山を径す、西山の上に白楼亭あり。」とある。

入箕潁無還時 箕頴は「箕山頴水」、むかし許由・巣父が堯から天下を譲られたのを避けてそこにのがれた故事、世俗に超越する考えをいう。 杜甫《》「数奇謫関塞、道広存箕潁。」(それが不幸にも命数がちぐはぐでこんな辺地の関所と塞の地にながされたのだけれど、依然として道は広大でひらかれていて「箕穎の心」崇高な心をもっておられる。)

*この二句は、隠遁の願望を世俗の汚れを超越した、「箕穎の心」崇高な心を持って生きたいというもの。

 

李白《巻12-21 北山獨酌寄韋六 -#1

巢父將許由,未聞買山隱。

巢父と許由は耳を洗って隠遁したものだが、ところが山を買ってしかる後に隠遁したというような話は未だに聞いたことが無い。

巢父・許由 許由と巣父の故事による。許由は、中国古代の三皇五帝時代の人と伝わる、伝説の隠者である。伝説によれば、許由は陽城槐里の人でその人格の廉潔さは世に名高く、当時の堯帝がその噂を聞き彼に帝位を譲ろうと申し出るが、それを聞いた許由は箕山に隠れてしまう。さらに堯帝が高い地位をもって許由に報いようとすると、許由は潁水のほとりにおもむき「汚らわしいことを聞いた」と、その流れで自分の耳をすすいだという。

それを見聞きしていたやはり伝説の高士として知られる巣父は、まさに牛にその川の水を飲ませようとしていたが、「牛に汚れた水を飲ませるわけにはいかぬ」と立ち去ったという。

買山 もっぱら山を使い、自分の為だけのために支配するために購入する。《世新語/排調》「支道林因人就深公買印山,深公答曰:「未聞巢、由買山而隱。」(支道林 因て人 深公に就いて印山を買う,深公 答えて曰く:「未だ巢、由の山を買うて而隱るるを聞かず。」)

208-#1 《巻12-21 北山獨酌寄韋六 -#1Index-13 Ⅱ― 8-733年開元二十一年33歳 <208-#1> Ⅰ李白詩1440 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5748

 

李白《巻08-40 贈嵩山焦煉師 并序 -(2)

下瓢酌潁水,舞鶴來伊川。

そこには、許由と巣父の故事にいう耳を洗ったし、弾いてきた牛に飲ませなかった高潔の隠士の理想の姿をうんできた穎水があり、仙界へ載せて行ってくれる鶴が舞い踊る渭水のほとりにやってくる。

下瓢 穎水についての許由と巣父の故事を暗用するもの。許由・巣父はともに中国古代の伝説上の帝王堯(ぎょう)の時代の高士。許由は、堯が自分に帝位を譲ろうというのを聞いて汚れた耳を頴川で洗って箕山に隠れ、巣父は、そのような汚れた川の水は飲ませられないと牽いてきた牛にその川の水を飲ませなかった、という。俗世に汚れることを忌み嫌う高潔の隠士の理想の姿としているもの。

潁水 穎水の源は少室山。

172-3 《巻08-40 贈嵩山焦煉師 并序 -(2)Index-11 Ⅱ―6 -731年開元十九年31 43首 <172-3> Ⅰ李白詩1386 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5478

 

李白《行路難 三首 其三》 

有耳莫洗潁川水 有口莫食首陽蕨 
儒虚思想の許由は、仕官の誘いに故郷の潁川の水耳を洗って無視をした、同じ儒教者の伯夷、叔齊はにげて 首陽山の蕨を食べついには餓死した。こういうことはしてはいけない。
有耳莫洗潁川水 、堯の時代の許由という高潔の士は、堯から天子の位をゆずろうと相談をもちかけられたとき、それを受けつけなかったばかりか、穎水の北にゆき隠居した。堯が又、かれを招いて九州の長(当時全国を九つの州に分けていた)にしようとした時、かれはこういぅ話をきくと耳が汚れると言って、すぐさま穎水の川の水で耳を洗った。○首陽蕨 伯夷、叔齊のかくれた首陽山のわらび。彼等は、祖国殷を征服した周の国の禄を食むのを拒み、この山に隠れワラビを食べて暮らし、ついに餓死した。陶淵明「擬古九首其八
陶淵明「飲酒其二
積善云有報、夷叔在西山。
善惡苟不應、何事立空言。
九十行帶索、飢寒况當年。
不賴固窮節、百世當誰傳。

行路難 三首 其三 李白 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白185

 

 

如今便當去,咄咄無自疑。

そこで、今、私は、心に決してまた疑うこともなく、都を後にするため、悔しいけれど此処を立ち去ろうとするのである。

咄咄 驚いたりくやしがったりするさま。またそのために舌打ちをしたり声を発したりするさま。

62 -#1(改訂版) 《巻05-29 將歸贈孟東野房蜀客》 (君門不可入) 韓愈(韓退之) 801年貞元17年 34歳<1378> Ⅱ韓昌黎集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5874

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 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
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韓愈詩-62 -#1

年:801年貞元17年 34

卷別:    卷三四0              文體:    五言古詩

詩題:    將歸贈孟東野房蜀客【案:蜀客名次卿。】

作地點:              長安(京畿道 / 京兆府 / 長安)

交遊人物:孟郊    書信往來(京畿道 京兆府 長安)

 

 

將歸贈孟東野房蜀客

801801年貞元17年 34歳三月、長安から、洛陽に行くときに、孟東野と房項卿に留別したもの。)

君門不可入,勢利互相推。【勢力互相推】

都に上って、調選に随い、折角一官を得たいと思っていたが「門に入る可からず」というところだ、君も知っての通り、今、勢利ある人たちが、政争を事としていて、政権争奪がなされ、たがいに勢力争いをしている。

借問讀書客,胡為在京師。

だから、勉学に集中できる状態でないから、読書の客など京師にいたってしかたがないということだ。

舉頭未能對,閉眼聊自思。

こんなことだから、頭をあげれば叩かれるから、これに対する良い方法はなく、眼を閉じて、じっとして一人で自問自答とするのみである。

 

(將に歸らんとして 孟東野、房蜀客に贈る)

君 門に入る可からず,勢利 互いに相い推す。【勢力 互いに相い推す】

借問す 讀書の客,胡ん為れぞ 京師に在るや。

頭を舉げて未だ對うる能わず,眼を閉じて聊か自ら思う。

 

倏忽十六年,終朝苦寒飢。

宦途竟寥落,鬢髮坐差池。

潁水清且寂,箕山坦而夷。

如今便當去,咄咄無自疑。

 

(將歸贈孟東野房蜀客)

君門不可入,勢利互相推。

借問讀書客,胡為在京師。

舉頭未能對,閉眼聊自思。

 

倏忽十六年,終朝苦寒飢。

宦途竟寥落,鬢髮坐差池。

潁水清且寂,箕山坦而夷。

如今便當去,咄咄無自疑。

Ta唐 長安近郊圖  新02洛陽 函谷関002 

 

 

『將歸贈孟東野房蜀客』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

將歸贈孟東野房蜀客

君門不可入,勢利互相推。【勢力互相推】

借問讀書客,胡為在京師。

舉頭未能對,閉眼聊自思。



(下し文)
(將に歸らんとして 孟東野、房蜀客に贈る)

君 門に入る可からず,勢利 互いに相い推す。【勢力 互いに相い推す】

借問す 讀書の客,胡ん為れぞ 京師に在るや。

頭を舉げて未だ對うる能わず,眼を閉じて聊か自ら思う。

(現代語訳)
801801年貞元17年 34歳三月、長安から、洛陽に行くときに、孟東野と房項卿に留別したもの。)

都に上って、調選に随い、折角一官を得たいと思っていたが「門に入る可からず」というところだ、君も知っての通り、今、勢利ある人たちが、政争を事としていて、政権争奪がなされ、たがいに勢力争いをしている。

だから、勉学に集中できる状態でないから、読書の客など京師にいたってしかたがないということだ。

こんなことだから、頭をあげれば叩かれるから、これに対する良い方法はなく、眼を閉じて、じっとして一人で自問自答とするのみである。


(訳注)

將歸贈孟東野房蜀客

801801年貞元17年 34歳三月、長安から、洛陽に行くときに、孟東野と房項卿に留別したもの。)

孟東野 孟郊。751 - 814年 唐代の詩人。字は東野、諡は貞曜先生という。

湖州武康(浙江省)の出身。狷介不羈で人嫌いのために、若い頃は河南省嵩山に隠れた。798年、50歳の時に三度目で進士に及第し、江蘇省律栗陽の尉となった。一生不遇で、憲宗の時代に没する。

詩は困窮・怨恨・憂愁を主題としたものが多く、表現は奇異。韓愈とならんで「韓孟」と称せられる。蘇軾は賈島とならべて「郊寒島痩」、つまり孟郊は殺風景で賈島は貧弱と評す。韓愈が推奨するところの詩人であり、「送孟東野序」が知られている。『孟東野集』10巻がある。

孟郊は、貞元十五年七九九春、汴州をはなれて蘇州各地をめぐり、十六年、五十歳で、はじめて溧陽県の尉に任命され赴任した。溧陽は、いまの江蘇省の南京から約百キロメートル東南のまちで、尉は、警察部長にあたる。県令の季操は官僚肌の男で、孟郊の学問や詩業など眼中になかった。孟郊は、老いた母親まで呼びよせて、しばらく落ちつくつもりだったが、805年永貞元年ついに母を常州の属邑義興にうつし、元和元年、職をもとめて、単身、長安に上って来た。韓愈が帰って来たときには、ほぼ新しい職のめどもついていたのである。

かれらにとっては、四、五年ぶりの再会であった。話題が豊富であった。ほとんど毎晩のように寄り合い、酒をくみ、別れていた間の出来事を語りあい、詩をよせあった。そして、多くの聯句を残した。

房蜀客 房某、字は項卿、名次卿といった。韓愈の友人である。

 

君門不可入,勢利互相推。【勢力互相推】

都に上って、調選に随い、折角一官を得たいと思っていたが「門に入る可からず」というところだ、君も知っての通り、今、勢利ある人たちが、政争を事としていて、政権争奪がなされ、たがいに勢力争いをしている。

勢利互相推 玄宗朝に勃発した安史の乱により唐の国勢は大きく傾き、地方に節度使が半独立状態で割拠した藩鎮が跋扈するようになった。この状況に対して憲宗朝に於いて杜黄裳・武元衝・李吉甫らの主導により藩鎮に対して武力を使って政府に反抗的な藩鎮を討伐する強硬策が行われ一定の成果を収め、唐は中興時代を迎えた。しかし武力討伐に使われた費用は財政を悪化させ、また藩鎮に対抗するために作られた神策軍は宦官の勢力に組み込まれ、朝廷における宦官の勢力は極めて大きなものとなった。

その最中の元和3年(808年)、牛李の党争の発端となる事件が起こる。この年の科挙進士科に牛僧孺・皇甫湜・李宗閔の3人が合格した。この時の論策にて三人は時の失政に対して批判を行い、これが一旦は憲宗に受け入れられた。しかしこの時の宰相[3]李吉甫と宦官とが憲宗に泣訴し、逆に牛僧孺たち3人は中央を追われ、辟召を受けて地方に転出させられた。

科挙試験にも反映され、受ける前、書生の段階から色分けされて、どちらの門に入るか決めないと合格しずらかった、韓愈門下はどちらにも組しなかったことをいう。

 

借問讀書客,胡為在京師。

だから、勉学に集中できる状態でないから、読書の客など京師にいたってしかたがないということだ。

 

舉頭未能對,閉眼聊自思。

こんなことだから、頭をあげれば叩かれるから、これに対する良い方法はなく、眼を閉じて、じっとして一人で自問自答とするのみである。

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0531 (改訂)從仕》韓愈(仕官はしたものの、人間として面白くないものである。)少し前に、暇を持て余して暮らしているときには、先のことが不安で食うに事欠くこともあった。ところがこうして仕事に忙殺されると体の方が問題になってくる。こうした惆悵の毎日であると人の世を捨てて隠棲したとつくづく思う、この考えは昔からあることであるし、特別今に始まった事ではないし、現実はそうはいかない。

 

 
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張建封の幕府においての作品

齪齪

齪齪當世士,所憂在飢寒。

但見賤者悲,不聞貴者歎。

大賢事業異,遠抱非俗觀。

報國心皎潔,念時涕汍瀾。

 

坐左右,柔指發哀彈。

酒肴雖日陳,感激寧為歡。

秋陰欺白日,泥潦不少乾。

河堤決東郡,老弱隨驚湍。

 

天意固有屬,誰能詰其端。

願辱太守薦,得充諫諍官。

排雲叫閶闔,披腹呈琅玕。

致君豈無術,自進誠獨難。

41-#3 《0229 齪齪 -#3》韓愈(韓退之)ID 799年貞元15年 32歳<1334 Ⅱ韓昌黎集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5654韓愈詩-41-#3

 

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汴泗交流贈張僕射

汴泗交流郡城角,築場十步平如削。

短垣三面繚逶迤,擊鼓騰騰樹赤旗。

新秋朝涼未見日,公早結束來何為。

分曹決勝約前定,百馬攢蹄近相映。

毬驚杖奮合且離,紅牛纓紱黃金羈。

 

側身轉臂著馬腹,霹靂應手神珠馳。

超遙散漫兩閒暇,揮霍紛紜爭變化。

發難得巧意氣粗,讙聲四合壯士呼。

此誠習戰非為劇,豈若安坐行良圖。

當今忠臣不可得,公馬莫走須殺賊。

42-#2 《0304 汴泗交流贈張僕射 -#2》韓愈(韓退之)ID 799年貞元15年 32歳<1336 Ⅱ韓昌黎集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5664韓愈詩-42-#2

 

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鳴雁

嗷嗷鳴雁鳴且飛,窮秋南去春北歸。

去寒就暖識所依,天長地闊棲息稀。

風霜酸苦稻粱微,毛羽摧落身不肥。

 

裴回反顧群侶違,哀鳴欲下洲渚非。

江南水闊朝雲多,草長沙軟無網羅。

閒飛靜集鳴相和,違憂懷惠性匪他,凌風一舉君謂何?

44-#2 《0306 鳴雁 -#2》韓愈(韓退之)ID  799年貞元15 32歳<1339> Ⅱ韓昌黎集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5679韓愈詩-44-#2

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年:799年貞元15 32

卷別:  卷三四0        文體:  五言律詩

詩題:  從仕

作地點:        徐州(河南道 / 徐州 / 徐州)

 

 

從仕  
居閑食不足,從仕力難任。
暇を持て余して暮らしていると先のことが不安で食が細くなりがちになる。仕事に忙殺されていると体の方が問題になってくる。
兩事皆害性,一生恒苦心。
食がたりない「食不足」と身が持たない「力難任」の事柄はどちらも体の害になることである。だけど私の一生は常に苦しみに思う心境が続いている。
黄昏歸私室,惆悵起歎音。
夕方黄昏てきたら私の部屋にかえる。そうすると決まって歎き悲しむことが続いてどうしても口に出してしまう。
棄置人間世,古來非獨今。
こうした惆悵の毎日であると人の世を捨てて隠棲したと思う、この考えは昔からあることであるし、特別今に始まった事ではない。

(仕に從う)
閑に居れば 食 足らず、仕に從へば 力 任【た】へ難し。
兩事 皆 性を害す、一生 恆【つね】に心を苦む。
黄昏【こうこん】私室に歸り、惆悵【ちゅうちょう】して歎音【たんおん】を起す。
人間【にんげん】の世を棄置【きち】せん、古來 獨り今のみに非ず。

 


現代語訳と訳註
(
本文)

從仕  
居閑食不足,從仕力難任。
兩事皆害性,一生恒苦心。
黄昏歸私室,惆悵起歎音。
棄置人間世,古來非獨今。


(下し文) 

(仕に從う)

閑に居れば 食 足らず、仕に從へば 力 任【た】へ難し。

兩事 皆 性を害す、一生 恆【つね】に心を苦む。

黄昏【こうこん】私室に歸り、惆悵【ちゅうちょう】して歎音【たんおん】を起す。

人間【にんげん】の世を棄置【きち】せん、古來 獨り今のみに非ず。


(現代語訳)
(仕官はしたものの、人間として面白くないものである。)

少し前に、暇を持て余して暮らしているときには、先のことが不安で食うに事欠くこともあった。ところがこうして仕事に忙殺されると体の方が問題になってくる。
「食不足」食がたりないとか「力難任」身が持たないという事柄はどちらも体の害になることである。だけど私の一生は常に苦しみに思う心境が続いている。
日暮れて黄昏てくると私の部屋にかえる。そうすると決まってこの幕府での仕事に対して歎き悲しむことが続いてどうしても口に出してしまう。
こうした惆悵の毎日であると人の世を捨てて隠棲したとつくづく思う、この考えは昔からあることであるし、特別今に始まった事ではないし、現実はそうはいかない。

(訳注)
從仕  
(仕官はしたものの、人間として面白くないものである。)

從仕は仕官するということ。しかし、官吏生活の味気ないものとうたった。


居閑食不足,從仕力難任。
少し前に、暇を持て余して暮らしているときには、先のことが不安で食うに事欠くこともあった。ところがこうして仕事に忙殺されると体の方が問題になってくる。
居閑 ひまな状態でいること。「二句は謝霊運の『登池上樓』の「進徳智所拙、退耕力不任」を意識においてつくったとされている。
登池上樓
潛虯媚幽姿,飛鴻響遠音。薄霄愧雲浮,棲川怍淵沉。
進德智所拙,退耕力不任。徇祿反窮海,臥痾對空林。
衾枕昧節候,褰開暫窺臨。傾耳聆波瀾,舉目眺嶇嶔。』
初景革緒風,新陽改故陰。池塘生春草,園柳變鳴禽。
祁祁傷豳歌,萋萋感楚吟。索居易永久,離群難處心。
持操豈獨古,無悶徵在今。』
登池上樓 #2 謝霊運<25>#2  詩集 396 kanbuniinkai紀 頌之漢詩ブログ1005


兩事皆害性,一生恒苦心。
「食不足」食がたりないとか「力難任」身が持たないという事柄はどちらも体の害になることである。だけど私の一生は常に苦しみに思う心境が続いている。
両事 食不足と力難任の二つをさす。

害性 生命を害する。肉体的生命を生、精神的生命を性と表現することがある。現代のサラリーマンにノイローゼ患者が多いのは、性を害しているのである。

恒苦心 長い間ずっと心を苦しめる。陸機の「悪木豈無枝、志士多苦心。」を意識してつくった句だとする。陸機「猛虎行」から》志士は、簡単にはその志を変えないために、こと志と違って苦労することが多い。
猛虎行
渇不飲盗泉水、熱不息悪木陰。
悪木豈無枝、志士多苦心。整駕肅時命、杖策將尋遠。
飢食猛虎窟、寒栖野雀林。日歸功未建、時往歳載陰。
崇雲臨岸駭、鳴條随風吟。靜言幽谷底、長嘯高山岑。
急絃無懦響、亮節難爲音。人生誠未易、曷云開此衿。
眷我耿介懐、俯仰愧古今。

396-4 《猛虎行〔猛虎行贈李宗閔〕》韓愈(韓退之) Ⅱ韓昌黎集 巻五 <1044  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4204韓愈詩-396-4


黄昏歸私室,惆悵起歎音。
日暮れて黄昏てくると私の部屋にかえる。そうすると決まってこの幕府での仕事に対して歎き悲しむことが続いてどうしても口に出してしまう。
惆悵 歎き悲しむさま、韓愈が今日よりさかのぼってうらむ。ここまで心苦なことが、かなりの経過時間そうであったこと。韓愈の尊敬した杜甫に「惆悵再難述」「閭里為我色惆悵」などの句がみえる。
杜甫.『自京赴奉先縣詠懷五百字詩』「榮枯咫尺異,惆悵難再述。」
杜甫『乾元中寓居同谷縣作歌七首之二』「嗚呼二歌兮歌始放,閭里為我色惆悵。」
宋玉『九辨』、
悲哉秋之為氣也!
蕭瑟兮草木搖落而變衰,
憭慄兮若在遠行,
登山臨水兮送將歸,
泬寥兮天高而氣清,
寂寥兮收潦而水清,
悽欷兮薄寒之中人,
愴怳懭悢兮去故而就新,
坎廩兮貧士失職而志不平,
廓落兮羇旅而無友生。
惆悵兮而私自憐。
燕翩翩其辭歸兮,蝉寂漠而無聲。
鴈廱廱而南遊兮,鶤[昆+鳥]雞 啁哳而悲鳴。
獨申旦而不寐兮,哀蟋蟀之宵征。
時亹亹而過中兮,蹇淹留而無成。

九辯 第一~ニ段(とおし) 宋玉  <00-#19>Ⅱもっとも影響を与えた詩文 648 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2224

 九辯 第九段―まとめ 宋玉  <00-#35>Ⅱもっとも影響を与えた詩文 664 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2304


棄置人間世,古來非獨今。
こうした惆悵の毎日であると人の世を捨てて隠棲したとつくづく思う、この考えは昔からあることであるし、特別今に始まった事ではないし、現実はそうはいかない。
棄置人間世 隠遁することをいう。

棄置 うっちゃりすてる。

人間世 人間も、人間世も、ともに人間社会のこと。『荘子』に「人間世」の一篇がある。『漢書』の張良伝に、「願はくは人間の事を棄て、赤松子に従ひて遊ばんと欲するのみ」 の語がみえる。豪傑の張良さえ逃げ出したくなる人間世。神経の細い読書人、高級、下級とわず官吏が脱出したくなるのも無理もない。間は閒の俗字。

古来非独今 むかしからそうなのであった。ただ現代、現実としてそうなのではない。

 

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韓愈《巻05-30 答孟郊 -2韓愈門下は古文復興運動を実践し、そのため、自ら鞭うち、何処まで励むか、もとより背馳しているから、世路を矯正してゆくことも難儀で出来ないのである。今の世は、相手が弱ければ、肘を張ってこれにかかり、強ければ、爪をちじ目て、決して揶揄しない。

 

 
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 杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩) 杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首 
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36-(2) 《巻05-30 答孟郊 -2》韓愈(韓退之)ID  798年貞元十四年311320 Ⅱ韓昌黎集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5584韓愈詩-36-(2)

 

 

年:       798年貞元十四年31

卷別:    卷三四0              文體:    五言古詩

詩題:    答孟郊

作地點:              汴州(河南道 / 汴州 / 汴州)

交遊人物/地點:孟郊          書信往來(河南道 汴州 汴州)

 

 

答孟郊

(孟郊の詩に答える。)

規模背時利,文字覷天巧。

我々の考えは、時世に対しての利にそぐわないものだが、文字文章にもって、造化の覗おうとしている。

人皆餘酒肉,子獨不得飽。

多くの人は、時を得る者にとって酒肉に飽いているもので、孟郊は独り飽くことを知らない。

纔春思已亂,始秋悲又攪。

春になっても、常に思い乱れており、秋は哀しみがいよいよかき乱される。

朝餐動及午,夜諷恆至卯。

米が無くて、諸処に乞う所から、朝の食事はややもすれば、昼と一緒になり、夜は読書に入れ込み、卯の刻、ともすれば暁に及ぶくらいである。

#2

名聲暫羶腥,腸肚鎮煎芻。【芻:火+芻】

名声だけは芳し良いけれど、生臭い上にも生臭く、腸の中には一向に何も取りいれないから脂気が無くて、ただ、煎じているだけなのだ。

古心雖自鞭,世路終難拗。

韓愈門下は古文復興運動を実践し、そのため、自ら鞭うち、何処まで励むか、もとより背馳しているから、世路を矯正してゆくことも難儀で出来ないのである。

弱拒喜張臂,猛拏閒縮爪。

今の世は、相手が弱ければ、肘を張ってこれにかかり、強ければ、爪をちじ目て、決して揶揄しない。

見倒誰肯扶,從嗔我須咬。

人が倒れようと、誰も助け起こしはしないし、腹は立っても、まことにしかたがないから、歯を噛んで、自らこらえる外ないのである。

 

(孟郊に答う)

規模 時利に背き,文字 天巧に覷【うかが】う。

人 皆 酒肉を餘し,子 獨り 飽くことを得ず。

纔【わずか】に春にして思い已に亂れ,始めて秋にして悲しみ又た攪【みだ】る。

朝餐 動【やや】もすれば午に及び,夜諷 恆に卯に至る。

#2

名聲 暫く羶腥【せんせい】,腸肚【ちょうと】鎮【とこし】えに煎芻【せんすう】。

古心 自ら鞭つと雖も,世路 終に拗し難し。

弱拒 喜く臂を張り,猛拏 閒に爪を縮む。

倒るるを見て誰か肯て扶けん,嗔りに從って 我 須らく咬むべし。

 

Ta唐 長安近郊圖  新02洛陽 函谷関002 

『答孟郊』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

#2

名聲暫羶腥,腸肚鎮煎芻。【芻:火+芻】

古心雖自鞭,世路終難拗。

弱拒喜張臂,猛拏閒縮爪。

見倒誰肯扶,從嗔我須咬。

 

(下し文) #2

名聲 暫く羶腥【せんせい】,腸肚【ちょうと】鎮【とこし】えに煎芻【せんすう】。

古心 自ら鞭つと雖も,世路 終に拗し難し。

弱拒 喜く臂を張り,猛拏 閒に爪を縮む。

倒るるを見て誰か肯て扶けん,嗔りに從って 我 須らく咬むべし。

(現代語訳)
名声だけは芳し良いけれど、生臭い上にも生臭く、腸の中には一向に何も取りいれないから脂気が無くて、ただ、煎じているだけなのだ。

韓愈門下は古文復興運動を実践し、そのため、自ら鞭うち、何処まで励むか、もとより背馳しているから、世路を矯正してゆくことも難儀で出来ないのである。

今の世は、相手が弱ければ、肘を張ってこれにかかり、強ければ、爪をちじ目て、決して揶揄しない。

人が倒れようと、誰も助け起こしはしないし、腹は立っても、まことにしかたがないから、歯を噛んで、自らこらえる外ないのである。


(訳注) #2

答孟郊

(孟郊の詩に答える。)

この詩は孟郊《汴州留韓愈》詩に答えたものといわれている。

汴州留韓愈

不飲濁水瀾,空滯此汴河。

坐見繞岸水,盡爲還海波。

四時不在家,弊服斷線多。

遠客獨憔悴,春英落婆娑。

汴水饒曲流,野桑無直柯。

但爲君子心,歎息終靡他。

 

孟郊は、貞元十五年七九九春、汴州をはなれて蘇州各地をめぐり、十六年、五十歳で、はじめて溧陽県の尉に任命され赴任した。溧陽は、いまの江蘇省の南京から約百キロメートル東南のまちで、尉は、警察部長にあたる。県令の季操は官僚肌の男で、孟郊の学問や詩業など眼中になかった。孟郊は、老いた母親まで呼びよせて、しばらく落ちつくつもりだったが、805年永貞元年ついに母を常州の属邑義興にうつし、元和元年、職をもとめて、単身、長安に上って来た。韓愈が帰って来たときには、ほぼ新しい職のめどもついていたのである。

かれらにとっては、四、五年ぶりの再会であった。話題が豊富であった。ほとんど毎晩のように寄り合い、酒をくみ、別れていた間の出来事を語りあい、詩をよせあった。そして、多くの聯句を残した。

 

名聲暫羶腥,腸肚鎮煎芻。【芻:火+芻】

名声だけは芳し良いけれど、生臭い上にも生臭く、腸の中には一向に何も取りいれないから脂気が無くて、ただ、煎じているだけなのだ。

羶腥 羶:なまぐさい。腥:1 生の魚や肉のにおいがする。「魚を料理して手が―・くなる」2 気持ちの悪いにおいがする。また、血のにおいがする。

 

古心雖自鞭,世路終難拗。

韓愈門下は古文復興運動を実践し、そのため、自ら鞭うち、何処まで励むか、もとより背馳しているから、世路を矯正してゆくことも難儀で出来ないのである。

雖自鞭 韓愈グループは古文復興運動を実践したことをいう。古文復興運動は、彼の思想の基盤である儒教の復興と表裏をなすものであり、その観点から著された文章として、「原人」「原道」「原性」などが残されている。その排仏論も、六朝から隋唐にかけての崇仏の傾向を斥け、中国古来の儒教の地位を回復しようとする、彼の儒教復興の姿勢からきたものであった。

 

弱拒喜張臂,猛拏閒縮爪。

今の世は、相手が弱ければ、肘を張ってこれにかかり、強ければ、爪をちじ目て、決して揶揄しない。

 

見倒誰肯扶,從嗔我須咬。

人が倒れようと、誰も助け起こしはしないし、腹は立っても、まことにしかたがないから、歯を噛んで、自らこらえる外ないのである。

36-(1) 《巻05-30 答孟郊 -1》韓愈(韓退之)ID 798年貞元十四年31歲<1319> Ⅱ韓昌黎集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5579

韓愈《巻05-30 答孟郊 -1(孟郊の詩に答える。)我々の考えは、時世に対しての利にそぐわないものだが、文字文章にもって、造化の覗おうとしている。多くの人は、時を得る者にとって酒肉に飽いているもので、孟郊は独り飽くことを知らない。

 
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36-(1) 《巻05-30 答孟郊 -1》韓愈(韓退之)ID  798年貞元十四年311319> Ⅱ韓昌黎集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5579韓愈詩-36-(1)

 

 

年:       798年貞元十四年31

卷別:    卷三四0              文體:    五言古詩

詩題:    答孟郊

作地點:              汴州(河南道 / 汴州 / 汴州)

交遊人物/地點:孟郊          書信往來(河南道 汴州 汴州)

 

 

答孟郊

(孟郊の詩に答える。)

規模背時利,文字覷天巧。

我々の考えは、時世に対しての利にそぐわないものだが、文字文章にもって、造化の覗おうとしている。

人皆餘酒肉,子獨不得飽。

多くの人は、時を得る者にとって酒肉に飽いているもので、孟郊は独り飽くことを知らない。

纔春思已亂,始秋悲又攪。

春になっても、常に思い乱れており、秋は哀しみがいよいよかき乱される。

朝餐動及午,夜諷恆至卯。

米が無くて、諸処に乞う所から、朝の食事はややもすれば、昼と一緒になり、夜は読書に入れ込み、卯の刻、ともすれば暁に及ぶくらいである。

#2

名聲暫羶腥,腸肚鎮煎芻。

古心雖自鞭,世路終難拗。

弱拒喜張臂,猛拏閒縮爪。

見倒誰肯扶,從嗔我須咬。

【芻:火+芻】

 

(孟郊に答う)

規模 時利に背き,文字 天巧に覷【うかが】う。

人 皆 酒肉を餘し,子 獨り 飽くことを得ず。

纔【わずか】に春にして思い已に亂れ,始めて秋にして悲しみ又た攪【みだ】る。

朝餐 動【やや】もすれば午に及び,夜諷 恆に卯に至る。

#2

名聲 暫く羶腥【せんせい】,腸肚【ちょうと】鎮【とこし】えに煎芻【せんすう】。

古心 自ら鞭つと雖も,世路 終に拗し難し。

弱拒 喜く臂を張り,猛拏 閒に爪を縮む。

倒るるを見て誰か肯て扶けん,嗔りに從って 我 須らく咬むべし。

 

汜水関などの地図 

『答孟郊』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

答孟郊

規模背時利,文字覷天巧。

人皆餘酒肉,子獨不得飽。

纔春思已亂,始秋悲又攪。

朝餐動及午,夜諷恆至卯。



(下し文)
(孟郊に答う)

規模 時利に背き,文字 天巧に覷【うかが】う。

人 皆 酒肉を餘し,子 獨り 飽くことを得ず。

纔【わずか】に春にして思い已に亂れ,始めて秋にして悲しみ又た攪【みだ】る。

朝餐 動【やや】もすれば午に及び,夜諷 恆に卯に至る。

(現代語訳)
(孟郊の詩に答える。)

我々の考えは、時世に対しての利にそぐわないものだが、文字文章にもって、造化の覗おうとしている。

多くの人は、時を得る者にとって酒肉に飽いているもので、孟郊は独り飽くことを知らない。

春になっても、常に思い乱れており、秋は哀しみがいよいよかき乱される。

米が無くて、諸処に乞う所から、朝の食事はややもすれば、昼と一緒になり、夜は読書に入れ込み、卯の刻、ともすれば暁に及ぶくらいである。


太白山001
(訳注)

答孟郊

(孟郊の詩に答える。)

この詩は孟郊《汴州留韓愈》詩に答えたものといわれている。

汴州留韓愈

不飲濁水瀾,空滯此汴河。

坐見繞岸水,盡爲還海波。

四時不在家,弊服斷線多。

遠客獨憔悴,春英落婆娑。

汴水饒曲流,野桑無直柯。

但爲君子心,歎息終靡他。

 

孟郊は、貞元十五年七九九春、汴州をはなれて蘇州各地をめぐり、十六年、五十歳で、はじめて溧陽県の尉に任命され赴任した。溧陽は、いまの江蘇省の南京から約百キロメートル東南のまちで、尉は、警察部長にあたる。県令の季操は官僚肌の男で、孟郊の学問や詩業など眼中になかった。孟郊は、老いた母親まで呼びよせて、しばらく落ちつくつもりだったが、805年永貞元年ついに母を常州の属邑義興にうつし、元和元年、職をもとめて、単身、長安に上って来た。韓愈が帰って来たときには、ほぼ新しい職のめどもついていたのである。

かれらにとっては、四、五年ぶりの再会であった。話題が豊富であった。ほとんど毎晩のように寄り合い、酒をくみ、別れていた間の出来事を語りあい、詩をよせあった。そして、多くの聯句を残した。

 

規模背時利,文字覷天巧。

我々の考えは、時世に対しての利にそぐわないものだが、文字文章にもって、造化の覗おうとしている。

 

人皆餘酒肉,子獨不得飽。

多くの人は、時を得る者にとって酒肉に飽いているもので、孟郊は独り飽くことを知らない。

 

纔春思已亂,始秋悲又攪。

春になっても、常に思い乱れており、秋は哀しみがいよいよかき乱される。

秋悲 宋玉『九辨』、

悲哉秋之為氣也!

蕭瑟兮草木搖落而變衰,

憭慄兮若在遠行,

登山臨水兮送將歸,

泬寥兮天高而氣清,

寂寥兮收潦而水清,

悽欷兮薄寒之中人,

愴怳懭悢兮去故而就新,

坎廩兮貧士失職而志不平,

廓落兮羇旅而無友生。

惆悵兮而私自憐。

燕翩翩其辭歸兮,蝉寂漠而無聲。

鴈廱廱而南遊兮,鶤[昆+鳥]雞 啁哳而悲鳴。

獨申旦而不寐兮,哀蟋蟀之宵征。

時亹亹而過中兮,蹇淹留而無成。

九辯 第六・七・八段 まとめ 宋玉  <00-#26>Ⅱもっとも影響を与えた詩文 655 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2259

 

朝餐動及午,夜諷恆至卯。

米が無くて、諸処に乞う所から、朝の食事はややもすれば、昼と一緒になり、夜は読書に入れ込み、卯の刻、ともすれば暁に及ぶくらいである。

朝餐動及午 孟郊はこの時仕事がなく、食事もとれない時期であった。
函谷関002 

26-#5 《病中贈張十八 -5》韓愈(韓退之)ID 798年貞元14年 31歳<1229> Ⅱ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5129

韓愈《病中贈張十八 -5すると張籍は、おなごのような声をして和睦のようなことばをはいてきて、酒壺一杯の酒を持ち、羊の腸を綴って降参したのだ。君の理論は崑崙山より流れ出る水路の水のようでまるで黄河の流れのようである、自分、張籍は普通の山から落ちて流れる早瀬のようなものである。

 

 
 2014年11月17日の紀頌之5つのブログ 
 ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場 
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133-1 《安州應城玉女湯作【《荊州記》云:「(常)有玉女乘車投此泉。」】-1》Index- 9Ⅱ―4-729年開元十七年29歳 <133-1> Ⅰ李白詩1316 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5128 
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26-#5 《病中贈張十八 -5》韓愈(韓退之)ID 798年貞元14年 31歳<1229> Ⅱ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5129 
 ・李商隠詩 (1) 136首の75首・李商隠詩 (2) 135首の61首●韓愈index-1 ・孟郊、張籍と交遊・汴州乱41首●韓愈詩index-2[800年 33歳~804年 37歳]27首●韓愈詩index-3 805年 38歳・]陽山から江陵府 36首●韓愈詩index-4 806年 39歳 江陵府・権知国子博士 51首(1)25首 
 index-5 806年39歳 50首の(2)25首index-6[807年~809年 42歳]20首index-7[810年~811年 44歳] 34首index-8 [812年~814年47歳]46首index-9[815年~816年 49歳] 57首index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首 
 index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首index-13 821年~822年 55歳 22首index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首韓愈 哲学・儒学「五原」賦・散文・上奏文・碑文など 
 孟郊張籍     
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 Ⅲ杜甫詩全1500首   LiveDoorブログ766年大暦元年55歲-6 《水閣朝霽奉簡嚴雲安【雲安嚴明府】》 杜甫index-15 杜甫<869> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5165 
 杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩) 杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首 
 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
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26-#5 《病中贈張十八 -5》韓愈(韓退之)ID  798年貞元14年 31歳<1229 Ⅱ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5129韓愈詩-26-#5

 

 

年:798年貞元十四年31

卷別:    卷三四0              文體:    五言古詩

韓昌黎集 巻五

詩題:    病中贈張十八

作地點:              汴州(河南道 / 汴州 / 汴州)

及地點:              崑崙山 (隴右道東部 肅州 崑崙山)    

交遊人物:張籍    書信往來(河南道 汴州 汴州)

 

 

病中贈張十八 -1

(病気静養中の張籍との論議をまとめて詩にして贈る)

中虛得暴下,避冷臥北窗。

不蹋曉鼓朝,安眠聽逢逢。

籍也處閭里,抱能未施邦。

文章自戲,金石日擊撞。

近頃、胃腸を悪くして、腹の中を空虚にしても、頻りに下痢を催すので、冷気をさけて北窓のもとに臥せっている。

夜明け前の 登朝の知らせる太鼓の音が聴こえても土を踏んでゆくこともできない。だから、ただ安眠して太鼓の逢逢となる音をきいているだけなのだ。

張籍よ、お前は長安の閭里に住んでいて、十分な才能を秘めており、未だこれを一斛の政治に役立て、施すことはできていない。

文章をもって我が門下での娯楽としているが、その作品は、金石が日々に擊撞するように絶えず心に鳴り響くほどである。

(病中の張十八に贈る) -1

中虛 暴下を得たり,冷を避けて北窗に臥す。

曉鼓を蹋んで朝さず,安眠して逢逢を聽く。

籍也 閭里に處し,能を抱いて未だ邦に施さず。

文章 自ら【ごぎ】金石 日に擊撞【げきとう】。

 

-2

龍文百斛鼎,筆力可獨扛。

談舌久不掉,非君亮誰雙。

扶几導之言,曲節初摐摐

半途喜開鑿,派別失大江。

つくる文章といえば、面に龍の模様を彫り、中には百斛ものを盛るような鼎を一人で持ち上げるような筆力なのである。

ところが、張籍は我が門下に来て、文章だけでとても自分の才能を充分発揮できないから、弁舌でもってしようと思ったのだが、そのお相手がいないと久しく弁舌をふるえなかったということで、ここへ来て「君以外にしかるべきものがいない」から来てやった。

そんなことで、病気の私は、机に助けられて座ることができ、その弁舌の紆余曲節をはじめから机をたたきながら調子を上げて話すのを聞かされたのである。

おもしろいけれど、中途から横道にそれ、人の通らぬところを開鑿し、大江の水があふれ出して別の所に流れを作ってしまったようであった。

-2

龍文 百斛の鼎,筆力 獨り扛【あ】ぐ可し。

談舌 久しく掉【ふる】わず,君に非らざれば 亮【まこと】に誰か雙せん。

几を扶け之を導いて言う,曲節 初めて 摐摐【そうそう】たり。

半途 喜んで開鑿【かいさく】し,派別 大江を失う。

 

-3

吾欲盈其氣,不令見麾幢。

牛羊滿田野,解旆束空杠。

傾尊與斟酌,四壁堆罌缸。

玄帷隔雪風,照爐釘明釭。

私が口を出すと懼れて頓挫するだろうというので、わざと先方の気を満たそうとして伏兵を置いて、敵を欺くようなこころもちで、指図旗を見せようとしないのである。

そして牛と羊を野に放って田野を満たし、旗を解き去って、棹だけになったものを束ねて片付けて、張籍にものを言わせようと企てたのである。

そこで大盃を傾けて、共に飲んで、部屋の四面の壁に酒の甕をいくつも積んでどんなに飲んでも構わないための用意をしたのである。

その時は冬の時期であり、吹雪が激しいので、黒い幃を回りに垂らして、雪の風が入らないようにし、亦、夜になって、炉に十分の火を起こし、その上、明かりをともして、徹夜して喋っても良い様にしたのである。

-吾 其の氣を盈たしめんと欲し,麾幢【きとう】を見せ令めず。

牛羊 田野に滿ち,旆を解いて空杠を束ぬ。

尊を傾けて與に斟酌【しんしゃく】し,四壁 罌缸【おうこう】を堆す。

玄帷 雪風を隔て,爐を照らして明釭を釘つ。

 

4

夜闌縱捭闔,哆口疏眉厖。

勢侔高陽翁,坐約齊橫降。

連日挾所有,形軀頓胮肛。

將歸乃徐謂,子言得無

回軍與角逐,斫樹收窮龐。

すると張籍は、夜が更けるにしたがってますます弁舌のリズムをアップさせて開合抑揚をほしいままにして、口に任せて、得意絶頂では、眉毛をひき、起ちあがって動いていくかと思うほどである。

その勢いは高陽の翁といわれたかの酈食其が斉の田横の所に乗り込んで、居ながらにして、72城を陥落させたようなものである。

その晩から喋りつづけてあきもせず、それでも得意げにしゃべり続け、連日連夜、非常におごり高ぶった心持が形体の上にも表れるほどであった。

まさに張籍は勝ち誇ったようにして帰ろうとするかのようで、おもむろに口を開いて言うには、一体、君の今まで喋ったことは、蕪雑極まったもので、道理にかなったものではないと一蹴しておくのである。

自分の軍勢をめぐらして一緒に角逐し、丁度、孫臏が樹を白くし、龐涓をおびき寄せて、これを打ち取ったようにこれを説破したのである。

夜闌【たけなわ】にして捭闔【はいこう】を縱にし,哆口【しゃこう】にして疏眉厖【ぼう】たり。

勢は 高陽の翁,坐ながら齊橫を約して 降すに侔【ひと】し。

連日 有る所を挾んで,形軀 頓に胮肛【ほうこう】たり。

將に歸らんとして乃ち徐【おもむろ】に謂う,子の言は【ぼう】たる無きを得んや。

軍を回らして與に角逐【かくちく】,樹を斫って窮龐【きゅうほう】を收む。

 

-5

雌聲吐款要,酒壺綴羊腔。

すると張籍は、おなごのような声をして和睦のようなことばをはいてきて、酒壺一杯の酒を持ち、羊の腸を綴って降参したのだ。

君乃崑崙渠,籍乃嶺頭瀧。

君の理論は崑崙山より流れ出る水路の水のようでまるで黄河の流れのようである、自分、張籍は普通の山から落ちて流れる早瀬のようなものである。

譬如蟻蛭微,詎可陵崆岇。

また、自分は、蟻の塔の様な小さなものであるのに、君、韓愈は、崆岇とした山岳を凌ぐほどであるからとても太刀打ちできないのである。

幸願終賜之,斬拔櫱與樁。

しかし、幸いにしてお願いしたいのは、これから、始終面倒を見て教えを乞いたいのであり、つまらぬ考えの根っこが残っていれば容赦なくぶった斬ってもらってその気が本当に成長するようにしてもらいたい。

從此識歸處,東流水淙淙。

こうして、張籍の本音のところをサラけてくれて自覚したようで、これなら、大河の水が淙淙と東流して行く様に、間違いなく成長して行ってくれることと思うのである。

 

雌聲にして款要を吐き,酒壺、羊腔を綴る。

君 乃ち崑崙の渠,籍 乃ち嶺頭の瀧。

譬えば蟻蛭の微なるが如し,詎んぞ崆岇【こうごう】を陵ぐ可けんや。

幸いに願わくば 終に之を賜い,櫱【けつ】と樁【とう】とを斬拔せよ。

此れより歸處を識り,東流 水淙淙たり。

辟雍00 

 

『病中贈張十八』 現代語訳と訳註解説

(本文)  -5

雌聲吐款要,酒壺綴羊腔。

君乃崑崙渠,籍乃嶺頭瀧。

譬如蟻蛭微,詎可陵崆岇。

幸願終賜之,斬拔櫱與樁。

從此識歸處,東流水淙淙。

 

(下し文)

雌聲にして款要を吐き,酒壺、羊腔を綴る。

君 乃ち崑崙の渠,籍 乃ち嶺頭の瀧。

譬えば蟻蛭の微なるが如し,詎んぞ崆岇【こうごう】を陵ぐ可けんや。

幸いに願わくば 終に之を賜い,櫱【けつ】と樁【とう】とを斬拔せよ。

此れより歸處を識り,東流 水淙淙たり。

 

(現代語訳)

すると張籍は、おなごのような声をして和睦のようなことばをはいてきて、酒壺一杯の酒を持ち、羊の腸を綴って降参したのだ。

君の理論は崑崙山より流れ出る水路の水のようでまるで黄河の流れのようである、自分、張籍は普通の山から落ちて流れる早瀬のようなものである。

また、自分は、蟻の塔の様な小さなものであるのに、君、韓愈は、崆岇とした山岳を凌ぐほどであるからとても太刀打ちできないのである。

しかし、幸いにしてお願いしたいのは、これから、始終面倒を見て教えを乞いたいのであり、つまらぬ考えの根っこが残っていれば容赦なくぶった斬ってもらってその気が本当に成長するようにしてもらいたい。

こうして、張籍の本音のところをサラけてくれて自覚したようで、これなら、大河の水が淙淙と東流して行く様に、間違いなく成長して行ってくれることと思うのである。

汜水関などの地図 

(訳注) -5

病中贈張十八 

(病気静養中の張籍との論議をまとめて詩にして贈る)

病気静養中に張籍が来て、何かと議論をしたが、韓愈は初めからただ聞き方に専念し、可否、反論、結論は全く言わなかったが、張籍の意見を十分いい尽くしたと思えたので、張籍の誤っているところを指摘し、納得させた。この詩はそれについての経過を一首の詩にしたものである。

 

雌聲吐款要,酒壺綴羊腔。

すると張籍は、おなごのような声をして和睦のようなことばをはいてきて、酒壺一杯の酒を持ち、羊の腸を綴って降参したのだ。

雌聲 雌猫の声のようにいう。猫なで声。妓女が媚びるような言い方をする。

吐款要 和睦を申し込む。

綴羊腔 羊の腸を綴って降参した

 

君乃崑崙渠,籍乃嶺頭瀧。

君の理論は崑崙山より流れ出る水路の水のようでまるで黄河の流れのようである、自分、張籍は普通の山から落ちて流れる早瀬のようなものである。

崑崙渠 崑崙山より流れ出る水路の水のようでまるで黄河の流れのようである。

嶺頭瀧 普通の山から落ちて流れる早瀬のようなもの。

 

譬如蟻蛭微,詎可陵崆岇。

また、自分は、蟻の塔の様な小さなものであるのに、君、韓愈は、崆岇とした山岳を凌ぐほどであるからとても太刀打ちできないのである。

陵崆岇 山石高峻な山を凌ぐほど大きい。

 

幸願終賜之,斬拔櫱與樁。

しかし、幸いにしてお願いしたいのは、これから、始終面倒を見て教えを乞いたいのであり、つまらぬ考えの根っこが残っていれば容赦なくぶった斬ってもらってその気が本当に成長するようにしてもらいたい。

櫱與樁 櫱:ひこばえ。木の切り株から新しく出た芽。樁:切り株。木の根っこ。

 

從此識歸處,東流水淙淙。

こうして、張籍の本音のところをサラけてくれて自覚したようで、これなら、大河の水が淙淙と東流して行く様に、間違いなく成長して行ってくれることと思うのである。

26-#4 《病中贈張十八 -4》韓愈(韓退之)ID 798年貞元14年 31歳<1228> Ⅱ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5124

韓愈《病中贈張十八 -4すると張籍は、夜が更けるにしたがってますます弁舌のリズムをアップさせて開合抑揚をほしいままにして、口に任せて、得意絶頂では、眉毛をひき、起ちあがって動いていくかと思うほどである。

 

 
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26-#4 《病中贈張十八 -4》韓愈(韓退之)ID  798年貞元14年 31歳<1228 Ⅱ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5124韓愈詩-26-#4

 

 

年:798年貞元十四年31

卷別:    卷三四0              文體:    五言古詩

韓昌黎集 巻五

詩題:    病中贈張十八

作地點:              汴州(河南道 / 汴州 / 汴州)

及地點:              崑崙山 (隴右道東部 肅州 崑崙山)    

交遊人物:張籍    書信往來(河南道 汴州 汴州)

 

 

病中贈張十八 -1

(病気静養中の張籍との論議をまとめて詩にして贈る)

中虛得暴下,避冷臥北窗。

近頃、胃腸を悪くして、腹の中を空虚にしても、頻りに下痢を催すので、冷気をさけて北窓のもとに臥せっている。

不蹋曉鼓朝,安眠聽逢逢。

夜明け前の 登朝の知らせる太鼓の音が聴こえても土を踏んでゆくこともできない。だから、ただ安眠して太鼓の逢逢となる音をきいているだけなのだ。

籍也處閭里,抱能未施邦。

張籍よ、お前は長安の閭里に住んでいて、十分な才能を秘めており、未だこれを一斛の政治に役立て、施すことはできていない。

文章自戲,金石日擊撞。

文章をもって我が門下での娯楽としているが、その作品は、金石が日々に擊撞するように絶えず心に鳴り響くほどである。

(病中の張十八に贈る) -1

中虛 暴下を得たり,冷を避けて北窗に臥す。

曉鼓を蹋んで朝さず,安眠して逢逢を聽く。

籍也 閭里に處し,能を抱いて未だ邦に施さず。

文章 自ら【ごぎ】金石 日に擊撞【げきとう】。

 

-2

龍文百斛鼎,筆力可獨扛。

つくる文章といえば、面に龍の模様を彫り、中には百斛ものを盛るような鼎を一人で持ち上げるような筆力なのである。

談舌久不掉,非君亮誰雙。

ところが、張籍は我が門下に来て、文章だけでとても自分の才能を充分発揮できないから、弁舌でもってしようと思ったのだが、そのお相手がいないと久しく弁舌をふるえなかったということで、ここへ来て「君以外にしかるべきものがいない」から来てやった。

扶几導之言,曲節初摐摐

そんなことで、病気の私は、机に助けられて座ることができ、その弁舌の紆余曲節をはじめから机をたたきながら調子を上げて話すのを聞かされたのである。

半途喜開鑿,派別失大江。

おもしろいけれど、中途から横道にそれ、人の通らぬところを開鑿し、大江の水があふれ出して別の所に流れを作ってしまったようであった。

-2

龍文 百斛の鼎,筆力 獨り扛【あ】ぐ可し。

談舌 久しく掉【ふる】わず,君に非らざれば 亮【まこと】に誰か雙せん。

几を扶け之を導いて言う,曲節 初めて 摐摐【そうそう】たり。

半途 喜んで開鑿【かいさく】し,派別 大江を失う。

 

-3

吾欲盈其氣,不令見麾幢。

私が口を出すと懼れて頓挫するだろうというので、わざと先方の気を満たそうとして伏兵を置いて、敵を欺くようなこころもちで、指図旗を見せようとしないのである。

牛羊滿田野,解旆束空杠。

そして牛と羊を野に放って田野を満たし、旗を解き去って、棹だけになったものを束ねて片付けて、張籍にものを言わせようと企てたのである。

傾尊與斟酌,四壁堆罌缸。

そこで大盃を傾けて、共に飲んで、部屋の四面の壁に酒の甕をいくつも積んでどんなに飲んでも構わないための用意をしたのである。

玄帷隔雪風,照爐釘明釭。

その時は冬の時期であり、吹雪が激しいので、黒い幃を回りに垂らして、雪の風が入らないようにし、亦、夜になって、炉に十分の火を起こし、その上、明かりをともして、徹夜して喋っても良い様にしたのである。

-吾 其の氣を盈たしめんと欲し,麾幢【きとう】を見せ令めず。

牛羊 田野に滿ち,旆を解いて空杠を束ぬ。

尊を傾けて與に斟酌【しんしゃく】し,四壁 罌缸【おうこう】を堆す。

玄帷 雪風を隔て,爐を照らして明釭を釘つ。

 

4

夜闌縱捭闔,哆口疏眉厖。

すると張籍は、夜が更けるにしたがってますます弁舌のリズムをアップさせて開合抑揚をほしいままにして、口に任せて、得意絶頂では、眉毛をひき、起ちあがって動いていくかと思うほどである。

勢侔高陽翁,坐約齊橫降。

その勢いは高陽の翁といわれたかの酈食其が斉の田横の所に乗り込んで、居ながらにして、72城を陥落させたようなものである。

連日挾所有,形軀頓胮肛。

その晩から喋りつづけてあきもせず、それでも得意げにしゃべり続け、連日連夜、非常におごり高ぶった心持が形体の上にも表れるほどであった。

將歸乃徐謂,子言得無

まさに張籍は勝ち誇ったようにして帰ろうとするかのようで、おもむろに口を開いて言うには、一体、君の今まで喋ったことは、蕪雑極まったもので、道理にかなったものではないと一蹴しておくのである。

回軍與角逐,斫樹收窮龐。

自分の軍勢をめぐらして一緒に角逐し、丁度、孫臏が樹を白くし、龐涓をおびき寄せて、これを打ち取ったようにこれを説破したのである。

夜闌【たけなわ】にして捭闔【はいこう】を縱にし,哆口【しゃこう】にして疏眉厖【ぼう】たり。

勢は 高陽の翁,坐ながら齊橫を約して 降すに侔【ひと】し。

連日 有る所を挾んで,形軀 頓に胮肛【ほうこう】たり。

將に歸らんとして乃ち徐【おもむろ】に謂う,子の言は【ぼう】たる無きを得んや。

軍を回らして與に角逐【かくちく】,樹を斫って窮龐【きゅうほう】を收む。

 

-5

雌聲吐款要,酒壺綴羊腔。

君乃崑崙渠,籍乃嶺頭瀧。

譬如蟻蛭微,詎可陵崆山兇。

幸願終賜之,斬拔櫱與樁。

從此識歸處,東流水淙淙。

 

 

『病中贈張十八』 現代語訳と訳註解説

(本文) -4

夜闌縱捭闔,哆口疏眉厖。

勢侔高陽翁,坐約齊橫降。

連日挾所有,形軀頓胮肛。

將歸乃徐謂,子言得無

回軍與角逐,斫樹收窮龐。

 

(含異文)

夜闌縱捭【案:音擺。】闔,哆口疏眉厖。勢侔高陽翁,坐約齊橫降【案:音杭。】。

連日挾所有,形軀頓?【案:音滂。】肛。將歸乃徐謂,子言得無【案:音厖。】。

回軍與角逐,斫樹收窮龐。

 

(下し文)- 4

夜闌【たけなわ】にして捭闔【はいこう】を縱にし,哆口【しゃこう】にして疏眉厖【ぼう】たり。

勢は 高陽の翁,坐ながら齊橫を約して 降すに侔【ひと】し。

連日 有る所を挾んで,形軀 頓に胮肛【ほうこう】たり。

將に歸らんとして乃ち徐【おもむろ】に謂う,子の言は【ぼう】たる無きを得んや

軍を回らして與に角逐【かくちく】,樹を斫って窮龐【きゅうほう】を收む。

 

(現代語訳)

すると張籍は、夜が更けるにしたがってますます弁舌のリズムをアップさせて開合抑揚をほしいままにして、口に任せて、得意絶頂では、眉毛をひき、起ちあがって動いていくかと思うほどである。

その勢いは高陽の翁といわれたかの酈食其が斉の田横の所に乗り込んで、居ながらにして、72城を陥落させたようなものである。

その晩から喋りつづけてあきもせず、それでも得意げにしゃべり続け、連日連夜、非常におごり高ぶった心持が形体の上にも表れるほどであった。

まさに張籍は勝ち誇ったようにして帰ろうとするかのようで、おもむろに口を開いて言うには、一体、君の今まで喋ったことは、蕪雑極まったもので、道理にかなったものではないと一蹴しておくのである。

自分の軍勢をめぐらして一緒に角逐し、丁度、孫臏が樹を白くし、龐涓をおびき寄せて、これを打ち取ったようにこれを説破したのである。

 

 

(訳注) ‐ 4

病中贈張十八 

(病気静養中の張籍との論議をまとめて詩にして贈る)

病気静養中に張籍が来て、何かと議論をしたが、韓愈は初めからただ聞き方に専念し、可否、反論、結論は全く言わなかったが、張籍の意見を十分いい尽くしたと思えたので、張籍の誤っているところを指摘し、納得させた。この詩はそれについての経過を一首の詩にしたものである。

 

夜闌縱捭闔,哆口疏眉厖。

すると張籍は、夜が更けるにしたがってますます弁舌のリズムをアップさせて開合抑揚をほしいままにして、口に任せて、得意絶頂では、眉毛をひき、起ちあがって動いていくかと思うほどである。

・捭闔 捭闔縱橫.捭闔,開合。開合抑揚をほしいままにする。

・哆口 口に任せて饒舌る。

・疏眉厖 眉毛を立て動かして喋る。

 

勢侔高陽翁,坐約齊橫降。

その勢いは高陽の翁といわれたかの酈食其が斉の田横の所に乗り込んで、居ながらにして、72城を陥落させたようなものである。

高陽翁,坐約齊橫降 『史記、田儋傳「田横は秦の末期、兄の田栄、従兄の田儋と共に郷里の狄県で挙兵し、田儋が自立して斉王となった。しかし田儋は秦の章邯に包囲された魏王魏咎を救援に出て敗北して殺された。斉の人間はそれを聞くと元の斉王建の弟である田仮を王に立てたので、田栄はそれを怒った。田栄も章邯に追われたが楚の項梁に助けられ、田栄は田仮を攻撃し、田仮は楚に逃げた。田栄は田儋の子の田市を王に立て、自分はその宰相となり、田横は将となって斉を平定した。漢の将である韓信が趙を落とし、斉を攻めようとしていたので、斉は歴山のそばに兵を集めて阻もうとした。そんな折、漢は説客酈食其を派遣して斉との同盟を持ちかけてきた。田横はそれを受け入れ、漢に対する守備を止めた。しかし自己の功績が無くなることを恐れた韓信は斉へ侵攻し、斉の軍を撃破した。斉王田広と田横は報復として酈食其を煮殺して逃げた。項羽は斉を救うため龍且を派遣したが、韓信に破れ、斉王田広は捕らえられた。田横はそれを聞くと自分が王になったが、漢将灌嬰に破れて梁の彭越の元へ落ち延び、斉は漢によって平定された。このとき、72城を陥落させたという。

 

連日挾所有,形軀頓胮肛。

その晩から喋りつづけてあきもせず、それでも得意げにしゃべり続け、連日連夜、非常におごり高ぶった心持が形体の上にも表れるほどであった。

・胮肛 おおきなかおをする。非常におごり高ぶった顔をする。

 

將歸乃徐謂,子言得無

まさに張籍は勝ち誇ったようにして帰ろうとするかのようで、おもむろに口を開いて言うには、一体、君の今まで喋ったことは、蕪雑極まったもので、道理にかなったものではないと一蹴しておくのである。

・得無 蕪雑極まったもので、道理にかなったものではない(と一蹴しておくこと)。

 

回軍與角逐,斫樹收窮龐。

自分の軍勢をめぐらして一緒に角逐し、丁度、孫臏が樹を白くし、龐涓をおびき寄せて、これを打ち取ったようにこれを説破したのである。

・斫樹收窮龐 馬陵の戦いでの逸話。木の枝に板を吊るして「龐涓死于此樹之下(龐涓この樹の下にて死せん)」と書き記し、道の両側の兵を伏した。

孫臏 孫臏は、中国戦国時代の斉の軍人・思想家。兵家の代表的人物の一人。孫武の子孫であるとされ、孫武と同じく孫子と呼ばれる。『孫臏兵法』は孫臏の手によると推定されている。この他、『孫臏拳』も彼が創始したと伝えられている。

龐涓 将軍まで出世した事を祝ってもらおうと孫臏を魏に招いた龐涓は、孫臏に魏へ仕官を世話しようと言って滞在を長引かせ、狩りを名目に孫臏を魏の公室の陵墓がある山へと誘い出し、スパイの罪を着せた。

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韓愈《病中贈張十八 -3そこで大盃を傾けて、共に飲んで、部屋の四面の壁に酒の甕をいくつも積んでどんなに飲んでも構わないための用意をしたのである。その時は冬の時期であり、吹雪が激しいので、黒い幃を回りに垂らして、雪の風が入らないようにし、

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26-#3 《病中贈張十八 -3》韓愈(韓退之)ID  798年貞元14年 31歳<1227 Ⅱ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5119韓愈詩-26-#3

 

 

年:798年貞元十四年31

卷別:    卷三四0              文體:    五言古詩

韓昌黎集 巻五

詩題:    病中贈張十八

作地點:              汴州(河南道 / 汴州 / 汴州)

及地點:              崑崙山 (隴右道東部 肅州 崑崙山)    

交遊人物:張籍    書信往來(河南道 汴州 汴州)

 

 

病中贈張十八 -1

(病気静養中の張籍との論議をまとめて詩にして贈る)

中虛得暴下,避冷臥北窗。

近頃、胃腸を悪くして、腹の中を空虚にしても、頻りに下痢を催すので、冷気をさけて北窓のもとに臥せっている。

不蹋曉鼓朝,安眠聽逢逢。

夜明け前の 登朝の知らせる太鼓の音が聴こえても土を踏んでゆくこともできない。だから、ただ安眠して太鼓の逢逢となる音をきいているだけなのだ。

籍也處閭里,抱能未施邦。

張籍よ、お前は長安の閭里に住んでいて、十分な才能を秘めており、未だこれを一斛の政治に役立て、施すことはできていない。

文章自戲,金石日擊撞。

文章をもって我が門下での娯楽としているが、その作品は、金石が日々に擊撞するように絶えず心に鳴り響くほどである。

(病中の張十八に贈る) -1

中虛 暴下を得たり,冷を避けて北窗に臥す。

曉鼓を蹋んで朝さず,安眠して逢逢を聽く。

籍也 閭里に處し,能を抱いて未だ邦に施さず。

文章 自ら【ごぎ】金石 日に擊撞【げきとう】。

 

-2

龍文百斛鼎,筆力可獨扛。

つくる文章といえば、面に龍の模様を彫り、中には百斛ものを盛るような鼎を一人で持ち上げるような筆力なのである。

談舌久不掉,非君亮誰雙。

ところが、張籍は我が門下に来て、文章だけでとても自分の才能を充分発揮できないから、弁舌でもってしようと思ったのだが、そのお相手がいないと久しく弁舌をふるえなかったということで、ここへ来て「君以外にしかるべきものがいない」から来てやった。

扶几導之言,曲節初摐摐

そんなことで、病気の私は、机に助けられて座ることができ、その弁舌の紆余曲節をはじめから机をたたきながら調子を上げて話すのを聞かされたのである。

半途喜開鑿,派別失大江。

おもしろいけれど、中途から横道にそれ、人の通らぬところを開鑿し、大江の水があふれ出して別の所に流れを作ってしまったようであった。

-2

龍文 百斛の鼎,筆力 獨り扛【あ】ぐ可し。

談舌 久しく掉【ふる】わず,君に非らざれば 亮【まこと】に誰か雙せん。

几を扶け之を導いて言う,曲節 初めて 摐摐【そうそう】たり。

半途 喜んで開鑿【かいさく】し,派別 大江を失う。

 

-3

吾欲盈其氣,不令見麾幢。

私が口を出すと懼れて頓挫するだろうというので、わざと先方の気を満たそうとして伏兵を置いて、敵を欺くようなこころもちで、指図旗を見せようとしないのである。

牛羊滿田野,解旆束空杠。

そして牛と羊を野に放って田野を満たし、旗を解き去って、棹だけになったものを束ねて片付けて、張籍にものを言わせようと企てたのである。

傾尊與斟酌,四壁堆罌缸。

そこで大盃を傾けて、共に飲んで、部屋の四面の壁に酒の甕をいくつも積んでどんなに飲んでも構わないための用意をしたのである。

玄帷隔雪風,照爐釘明釭。

その時は冬の時期であり、吹雪が激しいので、黒い幃を回りに垂らして、雪の風が入らないようにし、亦、夜になって、炉に十分の火を起こし、その上、明かりをともして、徹夜して喋っても良い様にしたのである。

-吾 其の氣を盈たしめんと欲し,麾幢【きとう】を見せ令めず。

牛羊 田野に滿ち,旆を解いて空杠を束ぬ。

尊を傾けて與に斟酌【しんしゃく】し,四壁 罌缸【おうこう】を堆す。

玄帷 雪風を隔て,爐を照らして明釭を釘つ。

 

4

夜闌縱捭闔,哆口疏眉厖。

勢侔高陽翁,坐約齊橫降。

連日挾所有,形軀頓胮肛。

將歸乃徐謂,子言得無

回軍與角逐,斫樹收窮龐。

-5

雌聲吐款要,酒壺綴羊腔。

君乃崑崙渠,籍乃嶺頭瀧。

譬如蟻蛭微,詎可陵崆山兇。

幸願終賜之,斬拔櫱與樁。

從此識歸處,東流水淙淙。

長安付近図00 

 

『病中贈張十八』 現代語訳と訳註解説

(本文) -3

吾欲盈其氣,不令見麾幢。

牛羊滿田野,解旆束空杠。

傾尊與斟酌,四壁堆罌缸。

玄帷隔雪風,照爐釘明釭。

 

(下し文) -3

吾 其の氣を盈たしめんと欲し,麾幢【きとう】を見せ令めず。

牛羊 田野に滿ち,旆を解いて空杠を束ぬ。

尊を傾けて與に斟酌【しんしゃく】し,四壁 罌缸【おうこう】を堆す。

玄帷 雪風を隔て,爐を照らして明釭を釘つ。

 

(現代語訳)

私が口を出すと懼れて頓挫するだろうというので、わざと先方の気を満たそうとして伏兵を置いて、敵を欺くようなこころもちで、指図旗を見せようとしないのである。

そして牛と羊を野に放って田野を満たし、旗を解き去って、棹だけになったものを束ねて片付けて、張籍にものを言わせようと企てたのである。

そこで大盃を傾けて、共に飲んで、部屋の四面の壁に酒の甕をいくつも積んでどんなに飲んでも構わないための用意をしたのである。

その時は冬の時期であり、吹雪が激しいので、黒い幃を回りに垂らして、雪の風が入らないようにし、亦、夜になって、炉に十分の火を起こし、その上、明かりをともして、徹夜して喋っても良い様にしたのである。

nat0022 

 

(訳注) -3

病中贈張十八 

(病気静養中の張籍との論議をまとめて詩にして贈る)

病気静養中に張籍が来て、何かと議論をしたが、韓愈は初めからただ聞き方に専念し、可否、反論、結論は全く言わなかったが、張籍の意見を十分いい尽くしたと思えたので、張籍の誤っているところを指摘し、納得させた。この詩はそれについての経過を一首の詩にしたものである。

 

吾欲盈其氣,不令見麾幢。

私が口を出すと懼れて頓挫するだろうというので、わざと先方の気を満たそうとして伏兵を置いて、敵を欺くようなこころもちで、指図旗を見せようとしないのである。

麾幢 幢麾 [ハタとホコ]ハタサシモノ。幢という,儀仗として用いる矛。

1名詞 古代,軍隊の指揮に用いた指図旗.2((文語文[昔の書き言葉])) 旗を用いて軍隊の向かうところを指図する.軍隊を指揮して前進させる.

 

牛羊滿田野,解旆束空杠。

そして牛と羊を野に放って田野を満たし、旗を解き去って、棹だけになったものを束ねて片付けて、張籍にものを言わせようと企てたのである。

解旆束空杠 旗を解き去って、棹だけになったものを束ねて片付けること。

 

傾尊與斟酌,四壁堆罌缸。

そこで大盃を傾けて、共に飲んで、部屋の四面の壁に酒の甕をいくつも積んでどんなに飲んでも構わないための用意をしたのである。

斟酌 酒をくみ分ける意① 相手の事情・心情などをくみとること。② 手加減すること。手ごころ。③ 条件などを考え合わせて,適当に取捨選択すること。④ 遠慮すること。ためらい。

堆罌缸 酒の甕をいくつも積んでどんなに飲んでも構わないための用意する。

 

玄帷隔雪風,照爐釘明釭。

その時は冬の時期であり、吹雪が激しいので、黒い幃を回りに垂らして、雪の風が入らないようにし、亦、夜になって、炉に十分の火を起こし、その上、明かりをともして、徹夜して喋っても良い様にしたのである。

玄帷 黒い幃を回りに垂らす。

釘明釭 明かりをともす。

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韓愈《病中贈張十八 -2張籍は我が門下に来て、文章だけでとても自分の才能を充分発揮できないから、弁舌でもってしようと思ったのだが、そのお相手がいないと久しく弁舌をふるえなかったということで、ここへ来て「君以外にしかるべきものがいない」から来てやった。

 
 2014年11月14日の紀頌之5つのブログ 
 ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場 
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130 《黃鶴樓送孟浩然之廣陵 》Index-8 Ⅱ―3 728年開元十六年28歳 7首 故人西辭黃鶴樓,<130> Ⅰ李白詩1313 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5113 
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26-#2 《病中贈張十八 -2》韓愈(韓退之)ID 798年貞元14年 31歳<1226> Ⅱ韓昌黎集 巻五 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5114 
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年:798年貞元十四年31

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詩題:    病中贈張十八

作地點:              汴州(河南道 / 汴州 / 汴州)

及地點:              崑崙山 (隴右道東部 肅州 崑崙山)    

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病中贈張十八 -1

(病気静養中の張籍との論議をまとめて詩にして贈る)

中虛得暴下,避冷臥北窗。

近頃、胃腸を悪くして、腹の中を空虚にしても、頻りに下痢を催すので、冷気をさけて北窓のもとに臥せっている。

不蹋曉鼓朝,安眠聽逢逢。

夜明け前の 登朝の知らせる太鼓の音が聴こえても土を踏んでゆくこともできない。だから、ただ安眠して太鼓の逢逢となる音をきいているだけなのだ。

籍也處閭里,抱能未施邦。

張籍よ、お前は長安の閭里に住んでいて、十分な才能を秘めており、未だこれを一斛の政治に役立て、施すことはできていない。

文章自戲,金石日擊撞。

文章をもって我が門下での娯楽としているが、その作品は、金石が日々に擊撞するように絶えず心に鳴り響くほどである。

(病中の張十八に贈る) -1

中虛 暴下を得たり,冷を避けて北窗に臥す。

曉鼓を蹋んで朝さず,安眠して逢逢を聽く。

籍也 閭里に處し,能を抱いて未だ邦に施さず。

文章 自ら【ごぎ】金石 日に擊撞【げきとう】。

-2

龍文百斛鼎,筆力可獨扛。

つくる文章といえば、面に龍の模様を彫り、中には百斛ものを盛るような鼎を一人で持ち上げるような筆力なのである。

談舌久不掉,非君亮誰雙。

ところが、張籍は我が門下に来て、文章だけでとても自分の才能を充分発揮できないから、弁舌でもってしようと思ったのだが、そのお相手がいないと久しく弁舌をふるえなかったということで、ここへ来て「君以外にしかるべきものがいない」から来てやった。

扶几導之言,曲節初摐摐

そんなことで、病気の私は、机に助けられて座ることができ、その弁舌の紆余曲節をはじめから机をたたきながら調子を上げて話すのを聞かされたのである。

半途喜開鑿,派別失大江。

おもしろいけれど、中途から横道にそれ、人の通らぬところを開鑿し、大江の水があふれ出して別の所に流れを作ってしまったようであった。

-2

龍文 百斛の鼎,筆力 獨り扛【あ】ぐ可し。

談舌 久しく掉【ふる】わず,君に非らざれば 亮【まこと】に誰か雙せん。

几を扶け之を導いて言う,曲節 初めて 摐摐【そうそう】たり。

半途 喜んで開鑿【かいさく】し,派別 大江を失う。

-3

吾欲盈其氣,不令見麾幢。

牛羊滿田野,解旆束空杠。

傾尊與斟酌,四壁堆罌缸。

玄帷隔雪風,照爐釘明釭。

-4

夜闌縱捭闔,哆口疏眉厖。

勢侔高陽翁,坐約齊橫降。

連日挾所有,形軀頓胮肛。

將歸乃徐謂,子言得無

回軍與角逐,斫樹收窮龐。

-5

雌聲吐款要,酒壺綴羊腔。

君乃崑崙渠,籍乃嶺頭瀧。

譬如蟻蛭微,詎可陵崆山兇。

幸願終賜之,斬拔櫱與樁。

從此識歸處,東流水淙淙。

 

唐 長安図 基本図00 

『病中贈張十八』 現代語訳と訳註解説

(本文) -2

龍文百斛鼎,筆力可獨扛。

談舌久不掉,非君亮誰雙。

扶几導之言,曲節初摐摐

半途喜開鑿,派別失大江。

 

(含異文)

龍文百斛鼎,筆力可獨扛。談舌久不掉,非君亮誰雙。

扶几導之言,曲節初摐摐【案:音窗。】。半途喜開鑿,派別失大江。

 

(下し文) -2

龍文 百斛の鼎,筆力 獨り扛【あ】ぐ可し。

談舌 久しく掉【ふる】わず,君に非らざれば 亮【まこと】に誰か雙せん。

几を扶け之を導いて言う,曲節 初めて 摐摐【そうそう】たり

半途 喜んで開鑿【かいさく】し,派別 大江を失う。

 

(現代語訳)

つくる文章といえば、面に龍の模様を彫り、中には百斛ものを盛るような鼎を一人で持ち上げるような筆力なのである。

ところが、張籍は我が門下に来て、文章だけでとても自分の才能を充分発揮できないから、弁舌でもってしようと思ったのだが、そのお相手がいないと久しく弁舌をふるえなかったということで、ここへ来て「君以外にしかるべきものがいない」から来てやった。

そんなことで、病気の私は、机に助けられて座ることができ、その弁舌の紆余曲節をはじめから机をたたきながら調子を上げて話すのを聞かされたのである。

おもしろいけれど、中途から横道にそれ、人の通らぬところを開鑿し、大江の水があふれ出して別の所に流れを作ってしまったようであった。

 

(訳注)  -2

病中贈張十八 

(病気静養中の張籍との論議をまとめて詩にして贈る)

病気静養中に張籍が来て、何かと議論をしたが、韓愈は初めからただ聞き方に専念し、可否、反論、結論は全く言わなかったが、張籍の意見を十分いい尽くしたと思えたので、張籍の誤っているところを指摘し、納得させた。この詩はそれについての経過を一首の詩にしたものである。

 

龍文百斛鼎,筆力可獨扛。

つくる文章といえば、面に龍の模様を彫り、中には百斛ものを盛るような鼎を一人で持ち上げるような筆力なのである。

龍文百斛鼎 百斛の大盤の鼎での面に龍の模様を彫ってある。10斗,すなわち100升に等しい。中国の漢の時代に10斗に等しい容量の単位を斛(こく)と定め,石(せき)は120斤=4鈞(きん)に等しい質量の単位であったが,宋の末に至り5斗を斛とし,10斗を石(せき)とした。ただし5斗を斛とする。

扛 差し上げる。

 

談舌久不掉,非君亮誰雙。

ところが、張籍は我が門下に来て、文章だけでとても自分の才能を充分発揮できないから、弁舌でもってしようと思ったのだが、そのお相手がいないと久しく弁舌をふるえなかったということで、ここへ来て「君以外にしかるべきものがいない」から来てやった。

談舌久不掉 相手がいないと久しく弁舌をふるえなかったという意。

 

扶几導之言,曲節初摐摐

そんなことで、病気の私は、机に助けられて座ることができ、その弁舌の紆余曲節をはじめから机をたたきながら調子を上げて話すのを聞かされたのである。

摐摐 弁士が机をたたきながら調子を上げて話すこと。

 

半途喜開鑿,派別失大江。

おもしろいけれど、中途から横道にそれ、人の通らぬところを開鑿し、大江の水があふれ出して別の所に流れを作ってしまったようであった。

半途喜開鑿,派別失大江 この二句は、話が横道にそれたばかりか、横道の話が本流になったことをいう。
01 朝賀の服装 

26-#1 《病中贈張十八 -1》韓愈(韓退之)ID 798年貞元14年 31歳<1225> Ⅱ韓昌黎集 巻五 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5109

韓愈《病中贈張十八 -1夜明け前の 登朝の知らせる太鼓の音が聴こえても土を踏んでゆくこともできない。だから、ただ安眠して太鼓の逢逢となる音をきいているだけなのだ。張籍よ、お前は長安の閭里に住んでいて、十分な才能を秘めており、未だこれを一斛の政治に役立て、施すことはできていない。

 
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26-#1 《病中贈張十八 -1》韓愈(韓退之)ID  798年貞元14年 31歳<1225> Ⅱ韓昌黎集 巻五 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5109韓愈詩-26-#1

 

 

年:798年貞元十四年31

卷別:    卷三四0              文體:    五言古詩

韓昌黎集 巻五

詩題:    病中贈張十八

作地點:              汴州(河南道 / 汴州 / 汴州)

及地點:              崑崙山 (隴右道東部 肅州 崑崙山)    

交遊人物:張籍    書信往來(河南道 汴州 汴州)

 

 

病中贈張十八 -1

(病気静養中の張籍との論議をまとめて詩にして贈る)
中虛得暴下,避冷臥北窗。

近頃、胃腸を悪くして、腹の中を空虚にしても、頻りに下痢を催すので、冷気をさけて北窓のもとに臥せっている。

不蹋曉鼓朝,安眠聽逢逢。

夜明け前の 登朝の知らせる太鼓の音が聴こえても土を踏んでゆくこともできない。だから、ただ安眠して太鼓の逢逢となる音をきいているだけなのだ。

籍也處閭里,抱能未施邦。

張籍よ、お前は長安の閭里に住んでいて、十分な才能を秘めており、未だこれを一斛の政治に役立て、施すことはできていない。

文章自戲,金石日擊撞。

文章をもって我が門下での娯楽としているが、その作品は、金石が日々に擊撞するように絶えず心に鳴り響くほどである。

(病中の張十八に贈る) -1

中虛 暴下を得たり,冷を避けて北窗に臥す。

曉鼓を蹋んで朝さず,安眠して逢逢を聽く。

籍也 閭里に處し,能を抱いて未だ邦に施さず。

文章 自ら【ごぎ】金石 日に擊撞【げきとう】。

-2

龍文百斛鼎,筆力可獨扛。

談舌久不掉,非君亮誰雙。

扶几導之言,曲節初摐摐

半途喜開鑿,派別失大江。

-3

吾欲盈其氣,不令見麾幢。

牛羊滿田野,解旆束空杠。

傾尊與斟酌,四壁堆罌缸。

玄帷隔雪風,照爐釘明釭。

-4

夜闌縱捭闔,哆口疏眉厖。

勢侔高陽翁,坐約齊橫降。

連日挾所有,形軀頓胮肛。

將歸乃徐謂,子言得無

回軍與角逐,斫樹收窮龐。

-5

雌聲吐款要,酒壺綴羊腔。

君乃崑崙渠,籍乃嶺頭瀧。

譬如蟻蛭微,詎可陵崆山兇。

幸願終賜之,斬拔櫱與樁。

從此識歸處,東流水淙淙。

汜水関などの地図 

 

『病中贈張十八』 現代語訳と訳註解説

(本文)

病中贈張十八 -1

中虛得暴下,避冷臥北窗。

不蹋曉鼓朝,安眠聽逢逢。

籍也處閭里,抱能未施邦。

文章自戲,金石日擊撞。

 

(下し文)

(病中の張十八に贈る) -1

中虛 暴下を得たり,冷を避けて北窗に臥す。

曉鼓を蹋んで朝さず,安眠して逢逢を聽く。

籍也 閭里に處し,能を抱いて未だ邦に施さず。

文章 自ら戲【ごぎ】,金石 日に擊撞【げきとう】。

 

(現代語訳)

(病気静養中の張籍との論議をまとめて詩にして贈る)

近頃、胃腸を悪くして、腹の中を空虚にしても、頻りに下痢を催すので、冷気をさけて北窓のもとに臥せっている。

夜明け前の 登朝の知らせる太鼓の音が聴こえても土を踏んでゆくこともできない。だから、ただ安眠して太鼓の逢逢となる音をきいているだけなのだ。

張籍よ、お前は長安の閭里に住んでいて、十分な才能を秘めており、未だこれを一斛の政治に役立て、施すことはできていない。

文章をもって我が門下での娯楽としているが、その作品は、金石が日々に擊撞するように絶えず心に鳴り響くほどである。

 

辟雍00 

(訳注)

病中贈張十八 -1

(病気静養中の張籍との論議をまとめて詩にして贈る)

病気静養中に張籍が来て、何かと議論をしたが、韓愈は初めからただ聞き方に専念し、可否、反論、結論は全く言わなかったが、張籍の意見を十分いい尽くしたと思えたので、張籍の誤っているところを指摘し、納得させた。この詩はそれについての経過を一首の詩にしたものである。

張十八 張籍。字は文昌。和州烏江(安徽省)あるいは東郡(河南省)の人といわれる。貞元15(799)の進士で国子司業などをつとめる。韓愈の門下のひとり。とりわけ楽府(がふ)に長じ,僚友の王建の作とともに〈張王楽府〉と並称される。官僚としては不遇だった彼には〈征婦怨〉や〈築城詞〉など民衆の苦痛を訴え,為政者を批判する作品が多く,その点杜甫,元結の詩風を受け継ぎ,同時代の大詩人で友人でもあった白居易が絶賛している。

 

中虛得暴下,避冷臥北窗。

近頃、胃腸を悪くして、腹の中を空虚にしても、頻りに下痢を催すので、冷気をさけて北窓のもとに臥せっている。

中虛 胃腸を悪くして、腹の中を空虚にする。

暴下 頻りに下痢を催す。

 

不蹋曉鼓朝,安眠聽逢逢。

夜明け前の 登朝の知らせる太鼓の音が聴こえても土を踏んでゆくこともできない。だから、ただ安眠して太鼓の逢逢となる音をきいているだけなのだ。

曉鼓 登朝の知らせをする太鼓の音。夜明け時には、整列を終える。

朝 朝廷に出かけること。朝礼に出る。

逢逢【ほうほう】  鼓声。『詩経、大雅、霊台』「鼉鼓逢逢 矇瞍奏公.」(鼉鼓逢逢たり 矇瞍公を奏す.

 

籍也處閭里,抱能未施邦。

張籍よ、お前は長安の閭里に住んでいて、十分な才能を秘めており、未だこれを一斛の政治に役立て、施すことはできていない。

閭里 長安の閭里に住んでいること。

 

文章自戲,金石日擊撞。

文章をもって我が門下での娯楽としているが、その作品は、金石が日々に擊撞するように絶えず心に鳴り響くほどである。

擊撞 ・撞:1 つく。2 つき当たる。さしさわる。

24-4 《遠遊聯句〔韓愈、李翱、孟郊〕》韓愈(韓退之)ID 798年貞元14年 31歳<1218> Ⅱ韓昌黎集 巻五 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5074

《遠遊聯句〔韓愈、李、孟郊〕》江南は、随所にめずらしいものがたくさんあるから、これを見ては心を蕩漾せしめ、そして、更に冥搜をついやすのである。


24-4 《遠遊聯句〔韓愈、李、孟郊〕》韓愈(韓退之)ID  798年貞元14年 31歳<1218 Ⅱ韓昌黎集 巻五 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5074
韓愈詩-24-4

 

 

遠遊聯句 #1

(江南に赴任する孟郊と韓愈・李翺の送別の聯句。)

別腸車輪轉,一日一萬周。 〔孟郊。〕

別離に際して、我がはらわたは心と体も離れ車輪のように回転し、それも一日で、一万回転もするほどである。

離思春冰泮,瀾漫不可收。 〔韓愈。〕

離愁は、春冰が溶けだして、春水があふれることの様に瀾漫として収拾がつかないほどである。

馳光忽以迫,飛轡誰能留。 〔孟郊。〕

日陰は、頻りに馳せていて、暫くすると日はくれてきて、馬を乗り出しても誰も止めることができない。

取之詎灼灼,此去信悠悠。 〔李。〕

ここに、別離を為すことは灼灼として明白であり、ここを去れば、万里の先、悠悠として尽きることが無い。

(遠遊聯句)#1

別腸 車輪轉じ,一日 一萬周。 〔孟郊。〕

離思 春冰泮け,瀾漫 收む可からず。〔韓愈。〕

馳光 忽ち以て迫る,飛轡 誰か能く留めん。〔孟郊。〕

之を取ること詎ぞ灼灼たる,此を去って 信に悠悠たり〔李。〕

 

〔孟郊〕:#2

楚客宿江上,夜魂棲浪頭。

自分は楚地の客として長江のほとりに宿をとったとすれば、旅人としての寂しい気持ちは、夜の思いは特に強く、長江の波の中に住んでいるかのように思うことだろう。

曉日生遠岸,水芳綴孤舟。

やがて、暁の日差しが照らされて長江の遠い対岸から日が昇ってくる。岸の水辺に咲く水草の花は、孤舟に連なって風情を作っている。

村飲泊好木,野蔬拾新柔。

水辺の村で飲食をしようと舟を都合の良い木を選んで繋いで停泊した。そこでは新しい野菜を採って軟らかく煮こんでいる。

獨含悽悽別,中結鬱鬱愁。

ひとり、悽悽たる離別の愁いを含んでいて、心の中は鬱鬱とした愁いが鬱血してそれを絶えることができない。

人憶舊行樂,鳥吟新得儔 【孟郊。】

人として思うのは、悵然とした昔の行楽での思い出のことであるし、鳥は新たに友を得て、歓んで啼くことだろうと思うところで、旅の有様はおおよそこんなもんだろう。〔ここまで孟郊〕

楚客 江上に宿せば,夜魂 浪頭に棲む。

曉日 遠岸に生じ,水芳 孤舟を綴る。

村飲 好木に泊し,野蔬 新柔を拾う。

獨り悽悽の別を含んで,中に鬱鬱の愁を結ぶ。

人は舊行の樂を憶い,鳥は新たに得儔をたるを吟ず。 〔孟郊。〕

 

〔韓愈〕:#3

靈瑟時窅窅,猿夜啾啾。

江南には、懐古の情を催す遺跡が数多くあるので、時には湘夫人の霊が弾ずる瑟琴の音色が微かに聞こえてきて、雲間の峡樹に棲んでいる猿はより悲しげに啼くという。

濤氣尚盛,恨竹淚空幽。

伍子胥の余憤は怒涛となって、その恨みの気風が今なお盛んであるというし、二妃嬪の恨みで染まった班竹には涙の痕が残っている。

長懷無已,多感良自尤。

これらの故事をつぎつぎに思い浮かべていれば、決してやむことなく続くのであるが、本来君は多感であるから、まことに、自分で自分を歎き傷つけてしまうだろう。

即路涉獻,歸期眇涼秋。

乃ち、それは、赴任する道中で、まず、新年に遭い、そして、帰る時期としては、清々しい秋であろうが、何年先かわからないのである。

兩歡日牢落,孤悲坐綢繆。 【韓愈。】

こうして二人が互いに会って歓激し合うことは、日に日に牢落として、その後寂しくなるのであり、一人悲しい心でいると日々そのことが付きまとってくることだろう。〔ここまで韓愈〕

靈瑟 時に窅窅たり,猿【いんえん】夜に啾啾たり。

憤濤  氣 尚お盛んに,恨竹 淚 空しく幽なり。

長懷 【はなは】だ已む無く,多感 良に自ら尤む。

路に即いて獻を涉り,歸期 涼秋に眇たり。

兩歡 日に牢落し,孤悲 坐に綢繆す。 【韓愈。】

#4

觀怪忽蕩漾,叩奇獨冥搜。

江南は、随所にめずらしいものがたくさんあるから、これを見ては心を蕩漾せしめ、そして、更に冥搜をついやすのである。

海鯨吞明月,浪島沒大漚。

海中にいる長鯨の目はキラキラとして明月を呑んだかと疑われるほどで、波間に没する島は、泡のようである。

我有一寸鉤,欲釣千丈流。

我々は一寸もある大きい釣針を持っているから、千丈の深い流れに臨んで、釣り糸を垂れようと思うのである。

良知忽然遠,壯志鬱無抽【孟郊。】。

しかし、この都を離れること既に遠く、さしもの壮心、空しく鬱結して、抽出できないのは誠に残念なのである。〔ここまで孟郊〕

〔孟郊。〕:

怪を觀て 忽ち 蕩漾,奇を叩て 獨り 冥搜。

海鯨 明月を吞み,浪島 大漚を沒す。

我に一寸の鉤有り,千丈の流に釣んと欲す。

良に知る 忽然として遠きを,壯志 鬱として抽くなし。 〔孟郊。〕

#5

魍魅暫出沒,蛟螭互蟠蟉。

昌言拜舜禹,舉颿凌斗牛。

懷糈饋賢屈,乘桴追聖丘。

飄然天外步,豈肯區中囚【韓愈。】。

#6

楚些待誰弔,賈辭緘恨投。

翳明弗可曉,祕魂安所求。

氣毒放逐域,蓼雜芳菲疇。

當春忽淒涼,不枯亦颼

#7

貉謠眾猥款,巴語相咿

默誓去外俗,嘉願還中州。

江生行既樂,躬輦自相戮。

飲醇趣明代,味腥謝荒陬【孟郊。】。

#8

馳深鼓利楫,趨險驚蜚輶。

繫石沈靳尚,開弓射鴅吺

路暗執屏翳,波驚戮陽侯。

廣泛信縹緲,高行恣浮游。

#9

外患蕭蕭去,中悒稍稍瘳。

振衣造雲闕,跪坐陳清猷。

德風變讒巧,仁氣銷戈矛。

名聲照西海,淑問無時休。

歸哉孟夫子,歸去無夷猶【韓愈。】。

三峡 巫山十二峰001 

 

『遠遊聯句』 現代語訳と訳註解説

(本文)

〔孟郊。〕:

觀怪忽蕩漾,叩奇獨冥搜。

海鯨吞明月,浪島沒大漚。

我有一寸鉤,欲釣千丈流。

良知忽然遠,壯志鬱無抽。〔孟郊。〕

 

(下し文)

〔孟郊。〕:

怪を觀て 忽ち 蕩漾,奇を叩て 獨り 冥搜。

海鯨 明月を吞み,浪島 大漚を沒す。

我に一寸の鉤有り,千丈の流に釣んと欲す。

良に知る 忽然として遠きを,壯志 鬱として抽くなし。 〔孟郊。〕

 

(現代語訳)

江南は、随所にめずらしいものがたくさんあるから、これを見ては心を蕩漾せしめ、そして、更に冥搜をついやすのである。

海中にいる長鯨の目はキラキラとして明月を呑んだかと疑われるほどで、波間に没する島は、泡のようである。

我々は一寸もある大きい釣針を持っているから、千丈の深い流れに臨んで、釣り糸を垂れようと思うのである。

しかし、この都を離れること既に遠く、さしもの壮心、空しく鬱結して、抽出できないのは誠に残念なのである。〔ここまで孟郊〕

 

云亭 

(訳注)

(遠遊聯句)

(江南に赴任する孟郊と韓愈・李翺の送別の聯句。)

○遠遊 元和三年、孟郊が溧陽尉に任ぜられて、江南に赴任するということで、孟郊20韻を中心にして、韓愈19韻、李翺1韻を聯句とした。孟郊が遠方にしか赴任する所がなく、ふてくされているのを慰めるための聯句ということである。

 

〔孟郊。〕:

觀怪忽蕩漾,叩奇獨冥搜。

江南は、随所にめずらしいものがたくさんあるから、これを見ては心を蕩漾せしめ、そして、更に冥搜をついやすのである。

蕩漾 ふわふわと泛んでいるさま。

冥搜 ふらふらとさがしあるくさま。

 

海鯨吞明月,浪島沒大漚。

海中にいる長鯨の目はキラキラとして明月を呑んだかと疑われるほどで、波間に没する島は、泡のようである。

海鯨 海中にいる長鯨の目をいう。

 

我有一寸鉤,欲釣千丈流。

我々は一寸もある大きい釣針を持っているから、千丈の深い流れに臨んで、釣り糸を垂れようと思うのである。

 

良知忽然遠,壯志鬱無抽。〔孟郊。〕

しかし、この都を離れること既に遠く、さしもの壮心、空しく鬱結して、抽出できないのは誠に残念なのである。〔ここまで孟郊〕
韓愈の地図0055 

 
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24-4 《遠遊聯句〔韓愈、李翱、孟郊〕》韓愈(韓退之)ID 798年貞元14年 31歳<1218> Ⅱ韓昌黎集 巻五 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5074 
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 孟郊張籍     
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 杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩) 杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首 
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19-#2 《醉留東野 #2》韓愈(韓退之)ID 798年貞元14年 31歳<1178> Ⅱ韓昌黎集 巻三 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4874韓愈詩-19-#2

孟郊君に頭を下げて拝してお願いしたい。願いが叶うならば、ずっといつまでも仲良しである「魖」と「蛩蛩」との二種の獣のようにありたいものだ。 

 
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 ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場 
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19-#2 《醉留東野 #2》韓愈(韓退之)ID 798年貞元14年 31歳<1178> Ⅱ韓昌黎集 巻三 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4874韓愈詩-19-#2 
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19-#2 《醉留東野 #2》韓愈(韓退之)ID  798年貞元14年 31歳<1178 Ⅱ韓昌黎集 巻三 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4874韓愈詩-19-#2

 

 

醉留東野
(孟東野は志を得ず、送別に酔い、できものならを引き留めたいと詠う。)
昔年因讀李白杜甫詩,長恨二人不相從。
むかし、李白や杜甫の詩を読んだことが原因で、そのことで。二人が一緒に寄り添って詩を読むことだできなかったことを残念に思っている。
吾與東野生並世,如何複躡二子蹤。
わたしと孟郊とは同じ時代をいきているが、どうしてまた李白、杜甫の二人の跡を踏むのだろうか。(わたしと孟郊も、李白・杜甫の場合と同様に、離れて一緒になれないのだろうか。)
東野不得官,白首誇龍鍾。
孟郊(孟東野)君は官職を得ることが無く、しらが頭で、年老いてつかれて病むようにみえるがじつはげんきがよいのだ。
韓子稍奸黠,自慚青蒿倚長松。」
わたし韓愈は、ややずるくて悪賢いかもしれませんが、その頼りない青いヨモギのようなわたしが、大きな松の木に寄りかかっていることを羞じてはいるのです。
低頭拜東野,原得終始如蛩。
孟郊君に頭を下げて拝してお願いしたい。願いが叶うならば、ずっといつまでも仲良しである「魖」と「蛩蛩」との二種の獣のようにありたいものだ。 
東野不回頭,有如寸筳撞巨鍾。
孟郊君は、ふりかえりもしない。たとえば、小さな竹の小枝で大きな釣り鐘をつくような無意味なことはしない。
我願身為雲,東野變為龍。
わたしはできることならば、我が身を雲として変身させたなら、孟郊君は大物の竜と変じさせよう。 
四方上下逐東野,雖有離別無由逢。」
全国各地、上下の各階層から孟郊くんは追いかけまわされ、いそがしくなるだろう。これではここで別れるということがあると、こんどなかなか出逢ことができないだろうね。(だから詩題の「醉留東野」ということで引き止めるのだ。) 


醉留東野
昔年 李白杜甫の詩を讀むことに因【よ】りて,長く恨む二人相ひ從はざりしことを。
吾と東野と生まれて世に並べたり,如何【いかん】ぞ 復【また】二子の蹤【あと】を躡【ふ】まん。
東野は官を得ず,白首 龍鍾【りょうしょう】たるに誇る。
韓子は稍【や】姦黠【かんかつ】たり,自ら慚【は】づ青蒿【せいこう】長松【ちょうそう】に倚れることを。」
低頭して東野を拜し,願はくは終始 
蛩【きょきょう】の如くなることを得ん。
東野は頭【こうべ】を迴らさず,寸筳【すんてい】鉅鐘【きょしょう】を撞【つ】くが 如【ごと】くなること有り。
我 願はくは身の雲と爲り,東野は變じて龍と爲らんことを。
四方 上下【じょうげ】東野を逐【お】い,離別 有りと雖【いへど】も 逢ふに由【よし】無し。

辟雍00
現代語訳と訳註
(
本文)

低頭拜東野,原得終始如蛩。
東野不回頭,有如寸筳撞巨鍾。
我願身為雲,東野變為龍。
四方上下逐東野,雖有離別無由逢。」


(下し文)
低頭して東野を拜し,願はくは終始 蛩【きょきょう】の如くなることを得ん。
東野は頭【こうべ】を迴らさず,寸筳【すんてい】鉅鐘【きょしょう】を撞【つ】くが 如【ごと】くなること有り。
我 願はくは身の雲と爲り,東野は變じて龍と爲らんことを。
四方 上下【じょうげ】東野を逐【お】い,離別 有りと雖【いへど】も 逢ふに由【よし】無し。


(現代語訳)
孟郊君に頭を下げて拝してお願いしたい。願いが叶うならば、ずっといつまでも仲良しである「魖」と「蛩蛩」との二種の獣のようにありたいものだ。 
孟郊君は、ふりかえりもしない。たとえば、小さな竹の小枝で大きな釣り鐘をつくような無意味なことはしない。
わたしはできることならば、我が身を雲として変身させたなら、孟郊君は大物の竜と変じさせよう。 
全国各地、上下の各階層から孟郊くんは追いかけまわされ、いそがしくなるだろう。これではここで別れるということがあると、こんどなかなか出逢ことができないだろうね。(だから詩題の「醉留東野」ということで引き止めるのだ。) 


(訳注)
低頭拜東野、願得終始如
蛩。
孟郊君に頭を下げて拝してお願いしたい。願いが叶うならば、ずっといつまでも仲良しである「魖」と「蛩蛩」との二種の獣のようにありたいものだ。 
低頭 頭を下げて。 
 拝してお願いしたい。
願得 願いが叶う。 
終始 ずっといつまでも。 
 前足の長く足の速い『魖』と前足の短く速く走れない『蛩蛩』」との二獣がのことで、常に寄り添いたすけあっている動物といわれる。


東野不迴頭、有如寸筳撞鉅鐘。
孟郊君は、ふりかえりもしない。たとえば、小さな竹の小枝で大きな釣り鐘をつくような無意味なことはしない。 
迴頭 ふり返る。
有如 (譬えば)…のような。 
寸筳 小さな竹の小枝。 ・筳 竹の小枝。ひくだ。機糸をまく管。 
 (鐘を)つく。 
鉅鐘 巨大な釣り鐘。 ・大きな。=巨。はがね。 *ここは、身の程知らずなことはしない、無意味なことはしない、という意。


我願身爲雲、東野變爲龍。
わたしはできることならば、我が身を雲として変身させたなら、孟郊君は大物の竜と変じさせよう。 
 韓愈の身体。 
爲雲 雲となる。龍は雲を得てはじめて天に昇ることができる。
變爲 …となる。 
 池の中の物から天を駆け巡る瑞獣。孟郊(孟東野)に対して斯くなるようにと願っているということ。


四方上下逐東野、雖有離別無由逢。
全国各地、上下の各階層から孟郊くんは追いかけまわされ、いそがしくなるだろう。これではここで別れるということがあると、こんどなかなか出逢ことができないだろうね。(だから詩題の「醉留東野」ということで引き止めるのだ。) 
四方 全国各地。 
上下 身分の高い階層や下級階層から。 
 追いかける。
雖有 …であるとはいっても。 
離別 別離。別れる。 
無由逢 出逢うわけがない。・無由 よしなし。・ 理由。わけ。・(偶然に)出逢う。
<!--[if !supportLineBreakNewLine]-->汜水関などの地図
<!--[endif]-->

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醉留東野
昔年因讀李白杜甫詩,長恨二人不相從。
吾與東野生並世,如何複躡二子蹤。
東野不得官,白首誇龍鍾。
韓子稍奸黠,自慚青蒿倚長松。
低頭拜東野,原得終始如
蛩。
東野不回頭,有如寸筳撞巨鍾。
我願身為雲,東野變為龍。
四方上下逐東野,雖有離別無由逢。

19-#1 《醉留東野 #1》韓愈(韓退之)ID 798年貞元14年 31歳<1177> Ⅱ韓昌黎集 巻三 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4869韓愈詩-19-#1

むかし、李白や杜甫の詩を読んだことが原因で、そのことで。二人が一緒に寄り添って詩を読むことだできなかったことを残念に思っている。

 
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94-#2 《荊門浮舟望蜀江 -#2》index-5 1-5 725年開元十三年25歳 <94-#2> Ⅰ李白詩1264 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4868 
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19-#1 《醉留東野 #1》韓愈(韓退之)ID 798年貞元14年 31歳<1177> Ⅱ韓昌黎集 巻三 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4869韓愈詩-19-#1 
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798年貞元14年 31

 

21


天星送楊凝郎中賀正

天星牢落雞喔咿,

22


酔留東野  韓退之(韓愈)詩<77-#1

昔年因讀李白杜甫詩,

 

 

酔留東野  韓退之(韓愈)詩<77-#2

 

23


病中贈張十八

中虛得暴下,

24


答孟郊

規模背時利,

25

補遺

知音者誠希【案:見《外集》。】【案:見《遺集》。】

知音者誠希,

26


遠遊聯句【案:韓愈、李、孟郊】

別腸車輪轉,

 

 

貞元十二年(七九六)、愈は二十九歳。この年六月、汀州(河南省開封)にある宜武軍節度使の幕府に内紛が起った。

節度使は李万栄という人であったが、このころ重病にかかったので、息子のれん廼が職務を代行していた。ところが廼は気の荒い人だったらしく、気に入らぬ部下は手あたり次第に殺してしまう。無法とわかっていても、幕府の中では節度使に専決権があるので、文句のつけようがない。そこで万栄の側近であった鄧惟恭という人がクーデターを決行し、廼を捕縛して、都へ送ってしまった。朝廷ではこれを受けて、廼を処罰し、東都留守(洛陽の長官である)の董晋に宜武軍節度使の職務を代行せよと命じた。

節度使は自分が人選して、幕府を構成する。董晋も東都留守としての部下を連れて行くわけにはいかないので、新たに幕僚を集めなければならない。とりあえず洛陽で人員を構成し、それを従えて汴州へ乗りこむわけである。そこで選ばれた幕僚の一人に、愈が入っていた。

なぜ董晋が愈を選んだのか、詳しいことはわからない。それまでに深いつきあいがあったとも見えないし、晋が愈の才能を特に買っていたわけでもないらしいのである。愈にしてみれば、以前には貢耽の幕僚になりたいと志願してことわられたのに、こんどは思いがけなく、幕僚の職がころがりこんで来たことになる

ただ、多少の推測は可能であろう。董晋は突然に、宜武軍節度使の任命を受けた。しかもクーデターの直後だけに、赴任は急を要する。内示があって、しかるべき準備期間を経て、用意を撃凡てから赴任するという、通常の転任とは違う。緊急に幕僚を集めたいとなれば、広く天下の人材に思いを及ぼす余裕はあるまい。どうしても手近の人間でまにあわせなければならない、となれば、南陽から洛陽に出て来ていた愈は、ちょうど都合のよい人員であった。

愈の立場も、貢耽にことわられた時とは違っている。あのときの愈は、まだ郷貢の進士であった。

進士の科の受験資格はあっても、まだ合格はしていない、いわば海のものとも山のものともわからぬ存在である。だが、こんどは進士の科に及第という履歴が加わっていた。吏部では落第しても、学問・文学に関しては、いちおう礼部が保証してくれた形になっている。節度使の幕僚としては、最も使いやすい。幕僚にならないかと声をかけて、辞退される恐れも、まずない。

ただし、董晋の赴任には危険がともなっていた。彼が任命を受けた直後、李万栄が死んでしまったので、彼は代行でなく、正式の節度使ということになったのである。しかし、クーデターの張本人である鄧惟恭は、そうは考えない。もともと、廼を追いはらって自分が節度使になるつもりだったのである。しかも汴州の軍隊は、クーデターから引き続き、彼が掌握していた。

だから、董晋の一行が汴州まであと百キロ足らずの鄭州まで来ても、宜武軍からは音沙汰がない。

新任の節度使が来るのだから、本来ならばしかるべき部隊を出迎えによこし、先導して汴州に入城させる礼をとるべきところなのである。幕僚だけで手兵を持たぬ晋が入城しようとし、鄧惟恭の抵抗にあったとすれば、重大な問題に発展する恐れがあった。

しかし、記録によれば、董晋はしこく温和な人物であった。出迎えが来ないからといって怒りもせず、べつに意気ごむこともなく、何ごともなかったような顔でまっすぐ汴州に入城し、緊張している鄧惟恭にはおだやかに挨拶をして、即座に軍事は一任すると告げた。みなが拍子ぬけした形になって、内紛は自然におさまってしまう。

これが、愈が政治に直接触れた最初の体験であった。このときの事件に、彼はぺつに働きがあったとも見えないが、「天下を憂える」と壮語した彼のことだから、やる気は十分にあったであろう。

あるいは、自分の運勢もここから開けると希望を抱いたかもしれない。しかも董晋の幕僚中、彼は最年少であった。それを採用してくれた晋の知遇に、彼は感激せざるを得ない。

董晋のもとでの幕僚生活は足かけ四年間続くのだが、その二年目の貞元十三年(七九七)七月、病気にかかって、一時休職となった。そのとき、過去を追懐し、現状を述べようとして作ったのが、さきに引用した「復志賦」(韓文一)である。その中で彼は、洛陽でぶらぶらしていた自分を招いてくれた董晋の恩義を述べ、「小人の恵みを懐ふすら、猶其の至愚を献ぜんことを知る。余は牛馬に異なれるに因り、寧んぞ水を飲み易を求め、門下に伏して黙然とし、歳年を克ふるまで以て康娯するに止まらんや」と、決意のほどを示した。

だから、病気がなおって晋の幕府にもどった後も、彼は熱心に勤務を続けたと判断してよかろう。

だが、それよりも重要なのは、このころから彼について文学を学ぼうとする人々が出てきたことであった。

たとえば漏宿という人があって、愈に指導を求めたらしく、それに答えた手紙が残っている(韓文一七、漏宿に与へて文を論ずる書)。それによれば、宿は自作の賦一首を愈に送って批評を求めたが、愈は「実に意思有り、但力めてこれを為れ」とはめてから、文学についての自分の体験を語っている。

自分は長いこと文章を書いてきたが、いつも自分でよい出来だと思っていると、人は必ず悪いと言う。いくらかよい出来だと思えば、いくらかけなされる。大いによい出来だと思えば、大いにけなされる。時には行きがかり上、世俗の文章を書くこともあって、自分では恥ずかしいのだが、人に見せると、よい出来だと言う。いくらか恥ずかしいと思えば、いくらかはめられる。大いに恥ずかしいと思えば、大いにはめられる。してみれば、「知らず、古文は、真に今の世に何の用かあらん。然れども知者の知るを挨たんのみ」。

愈はここで、自分が「古文」の道に進むことを、はっきりと宣言した。古文にいくら熟達しても、はめてはもらえない。古文は今の世においては、役に立たないものなのである。しかし、それが正しいことは、わかる者にはわかる。あるいは百世の後、聖人が現れて正しさを証明してくれるかもしれない。漏宿にこう訓誠を与えてから、彼は近況について語る。

……近ごろ李斯、僕に従って文を学び、頗る得る所有り。然れども其の人、家貧しくして事多く、未だ其の業を卒ふる能はず。張籍なる者有り、年は劫より長じたれども、亦僕に学ぶ。其の文、期と相上下す(よい勝負である)。二一年これを業とせば、至るに庶幾からん。

李翺は後年、節度使にまで出世し、師の学風を継いで、学者・文人として名を得た人物である。張籍は散文作家よりむしろ詩人として、中庸期の詩壇の一方の雄となった。後世の学者が言う「韓門」は、このころから形をなし始めたと見てよかろう。自分の若い時代とほぼ同様の境遇にある後輩たちに対して、今の世には無用のものだと言いながら、愈は古文の道を教えた。それでも教えを受けたいと希望する後輩は、愈にとっては同志の士である。同志も得られたし、上官の晋の知遇もある。生計の道も、どうやら立った。愈の心境も、ようやく落ちついたのであろう。「知者の知るを簸たんのみ」というような余裕のある言葉は、こうした心のゆとりが生み出したものに違いない。

ところが貞元十五年(七九九)、愈が三十二歳の二月、節度使董晋が病死した。前にも書いたが、慣例として、人が郷里を離れた土地で(役人の任地もその一つに該当する)死んだ場合、無名の庶民が行き倒れにでもなったのならば別だが、遺族が遺体を引き取り、郷里にある先祖代々の基地まで運んで、埋葬しなければならぬ。火葬の風習がないため、遺体を棺に入れたまま運搬するので、日数も費用もかかるが、これだけは遺族のはたすべき務めとされた。むろん、遺族にそれだけの費用がない場合もあり、そのときは近所の寺などに棺を一時あずけて、金策に奔走することになる。貧窮と放浪のうちに死んだ杜甫などは、棺があずけられたままになり、郷里まで運ばれて埋められたのは、彼の孫の代になってからであった。

節度使ともなれば、費用に問題はない。むしろりっぱな行列を組んで、荘重に遺体を運ばなければ、体面にもかかわる。董晋の郷里は虞郷(山西省)で、汴州からははぽ真西、直線距離で三百キロあまりになるが、中国の広い国土の中では、まず近い方であった。知己と感謝した晋に対する最後の恩返しのつもりであろう、愈は葬送の行列に加わって、汴州を出た。節度使の後任には、董晋の補佐役をつとめていた陸長坂があてられた。

陸長瀬は苛酷な男であった。もともと微温的な董晋の性格に不安を感じた朝廷が、この人物を補佐役につけてよこしたのである。部下の過失を晋が兄のがしてやると、長源が容赦なく摘発するというようなことが、これまでに何度もあった。その長坂が節度使に就任しての第一声は、綱紀の粛正であり、しかもそれをただちに実行した。

董晋の寛仁に慣れていた宜武軍の将士が不安を抱いたのは、当然であろう。不安は動揺となり、陸長坂への怒りに変った。晋の遺体を捧じた葬列が汗州の城門を出てから四日の後、ついに将士の反乱が起る。長瀬は怒り狂った兵士たちの手にかかり、むざんな最期をとげた。

その知らせが葬送の一行にとどいたのは、彼らが洛陽の東の催師という町に一泊した夜であった。

このあたりの事実は、事態がいちおう鎮静してから、愈が弟子の張籍に贈った「此の日惜しむに足る可し」と題する五言古詩(韓文二)に詳しい。

 

この時、愈は汴州に妻子を残していた。彼がいつ結婚したのかは明らかでないが、もう長女があった。長男の乗はこの年の生まれだが、詩中に言及するところがないのを見ると、まだ母親の胎内にあったと思われる。妻ももちろんのことだが、まだ乳離れもしていない長女が、戦乱の中でどうしていることか。「騎女 未だ乳を絶たず/これを念うて忘るる能はず、忽ち我が所に在るが如く耳に噂声を聞くが若し」というのが、この時の愈の思いであった。

しかし、そのうちに東から来た旅人があって、情報をもたらした。愈の妻子は無事である。ただ、汗州にいては危険なので、船で脱出し、洛陽とは反対方向、東方の徐州へ落ちのびたという。愈は葬列を洛陽まで送ってから、単身で東へと引き返した。汴州の南を迂回して徐州に着き、妻子と落ちあって、ここに仮の住居を定めたのは、二月も末のことであった。

汴州の反乱はほどなく鎮圧されたが、愈はもう、汴州には帰れない。節度使の幕僚は公式に任命されたものであるが、任命は私的な人選によるので、身分の保証はなかった。節度使が死んだ場合(転任のときも同じことであるが)、後任の節度使は、前任者の幕僚を引き継ぐ義務はない。むしろ自分の人選によって新たに幕僚を任じ、幕府を構成しようとする。もとの幕僚は失業するわけだが、文句は言えないのであって、この点が科挙を経て正式に任命された役人と違うところである。

愈もせっかく得た幕僚の職を失ったが、運のよいことに、徐州に根拠を置く武寧軍節度使の張建封が、どれほどのつきあいがあったのかはわからないけれども、以前から愈を知っていた。汴州から避難して来た愈の一家に住居を与え、どうやら衣食にも困らぬ程度に援助してくれたのは、張建封であった。もっとも、愈の方ではいつまでも仮住居をしてはおられず、建封に甘えてもいられないので、秋になると、徐州を去ろうとした。郷里へ引きあげるつもりだったのかもしれない。その時、建封が愈を引きとめ、自分のところの幕僚に任命してくれた。

 

函谷関002 

作年: 798年貞元十四年31   

卷別: 卷三四0  文體: 雜言古詩 

詩題: 醉留東野 

作地點: 汴州(河南道 / 汴州 / 汴州

交遊人物: 孟郊 當地交遊(河南道 汴州 汴州)

 

 

醉留東野 #1

昔年因讀李白杜甫詩,長恨二人不相從。 

吾與東野生並世,如何復躡二子蹤。 

東野不得官,白首誇龍鐘。 

韓子稍姦黠,自慚青蒿倚長松。 

#2

低頭拜東野,願得終始如蛩。 

東野不迴頭,有如寸筳撞鉅鐘。 

我願身為雲,東野變為龍。 

四方上下逐東野,雖有離別無由逢。 

 

 

太白山001 

 

醉留東野
酔っぱらって帰っていく孟郊を引き留める。
昔年因讀李白杜甫詩,長恨二人不相從。
むかし、李白や杜甫の詩を読んだことが原因で、そのことで。二人が一緒に寄り添って詩を読むことだできなかったことを残念に思っている。
吾與東野生並世,如何複躡二子蹤。
わたしと孟郊とは同じ時代をいきているが、どうしてまた李白、杜甫の二人の跡を踏むのだろうか。(わたしと孟郊も、李白・杜甫の場合と同様に、離れて一緒になれないのだろうか。)
東野不得官,白首誇龍鍾。
孟郊(孟東野)君は官職を得ることが無く、しらが頭で、年老いてつかれて病むようにみえるがじつはげんきがよいのだ。
韓子稍奸黠,自慚青蒿倚長松。」
わたし韓愈は、ややずるくて悪賢いかもしれませんが、その頼りない青いヨモギのようなわたしが、大きな松の木に寄りかかっていることを羞じてはいるのです。 
低頭拜東野,原得終始如蛩。
東野不回頭,有如寸筳撞巨鍾。
我願身為雲,東野變為龍。
四方上下逐東野,雖有離別無由逢。」


醉って東野を留む
昔年 李白杜甫の詩を讀むことに 因【よ】りて,長く恨む二人相ひ從はざりしことを。
吾と東野と生まれて世に並べたり,如何【いかん】ぞ 復【また】二子の蹤【あと】を躡【ふ】まん。
東野は官を得ず,白首 龍鍾【りょうしょう】たるに誇る。
韓子は稍【や】姦黠【かんかつ】たり,自ら慚【は】づ青蒿【せいこう】長松【ちょうそう】に倚れることを。」
低頭して東野を拜し,願はくは終始 蛩【きょきょう】の如くなることを得ん。
東野は頭【こうべ】を迴らさず,寸筳【すんてい】鉅鐘【きょしょう】を撞【つ】くが 如【ごと】くなること有り。
我 願はくは身の雲と爲り,東野は變じて龍と爲らんことを。
四方 上下【じょうげ】東野を逐【お】い,離別 有りと雖【いへど】も 逢ふに由【よし】無し。


現代語訳と訳註
(
本文)

昔年因讀李白杜甫詩,長恨二人不相從。
吾與東野生並世,如何複躡二子蹤。
東野不得官,白首誇龍鍾。
韓子稍奸黠,自慚青蒿倚長松。」


(下し文) 醉留東野
昔年 李白杜甫の詩を讀むことに 因【よ】りて,長く恨む二人相ひ從はざりしことを。
吾と東野と生まれて世に並べたり,如何【いかん】ぞ 復【また】二子の蹤【あと】を躡【ふ】まん。
東野は官を得ず,白首 龍鍾【りょうしょう】たるに誇る。
韓子は稍【や】姦黠【かんかつ】たり,自ら慚【は】づ青蒿【せいこう】長松【ちょうそう】に倚れることを。」


(現代語訳)
(孟東野は志を得ず、送別に酔い、できものならを引き留めたいと詠う。)
むかし、李白や杜甫の詩を読んだことが原因で、そのことで。二人が一緒に寄り添って詩を読むことだできなかったことを残念に思っている。
わたしと孟郊とは同じ時代をいきているが、どうしてまた李白、杜甫の二人の跡を踏むのだろうか。(わたしと孟郊も、李白・杜甫の場合と同様に、離れて一緒になれないのだろうか。)
孟郊(孟東野)君は官職を得ることが無く、しらが頭で、年老いてつかれて病むようにみえるがじつはげんきがよいのだ。

わたし韓愈は、ややずるくて悪賢いかもしれませんが、その頼りない青いヨモギのようなわたしが、大きな松の木に寄りかかっていることを羞じてはいるのです。 
三峡 巫山十二峰001
(訳注)
醉留東野
(孟東野は志を得ず、送別に酔い、できものならを引き留めたいと詠う。)
楽府・古詩系統引き継いだものだった。
孟郊は、韓愈より年長であるが、韓愈の方がいつも官に推腰する方の立ち場にあり、ふつう韓愈の門人のうちに数えられている詩人である。詩人としては、貧窮生活を率直にうたい、抒情性に富んだすぐれた詩を作っている
韓愈が孟郊について

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436-#6 《孟生詩【孟先生詩】》韓愈(韓退之)ID <1148 Ⅱ韓昌黎集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4724韓愈詩-436-#6


・東野:孟郊の字。孟郊は中唐の詩人。湖州武康(現・浙江省湖州)の人。不遇な一生を送った。751年(天寶十年)~814年(元和九年)。諡は貞曜先生。


昔年因讀李白杜甫詩、長恨二人不相從。
むかし、李白や杜甫の詩を読んだことが原因で、そのことで。二人が一緒に寄り添って詩を読むことだできなかったことを残念に思っている。 
昔年 むかし。 
 …のために。…が(原因)のために。…に因(よ)って。また、因(よ)る。起因する。 
李白杜甫詩 李白と杜甫は、盛唐の同世代人でありながら、この二人は、744年天宝三載洛陽ではじめてあって、翌745年四載曲皐で別かれるまで、行動を共にした相識であったが、その後は、めぐりあって話す機会がなく、いたずらにその友情を詩に寄せで送るばかりであった。杜甫が李白示した詩は15首に上る。李白の方は4首確認できる。
長恨 いつも残念に思ってる。・長:いつも。ずっと。≒常。
二人 ふたり。ここでは、李白、杜甫のことになる。 
相從 いっしょに寄り添う。・從:したがう。附き添う。


吾與東野生並世、如何復躡二子蹤。
わたしと孟郊とは同じ時代をいきているが、どうしてまた李白、杜甫の二人の跡を踏むのだろうか。(わたしと孟郊も、李白・杜甫の場合と同様に、離れて一緒になれないのだろうか。)
 わたし。ここでは、作者・韓愈のことになる。
並世 同世代に肩を並べる。
如何 どうして。・復:また。
 ふむ。(足を)ふみつける。追う。追いかける。(くつを)はく。 
二子 ふたりの人。ふたりの男子。ここでは、李白、杜甫のことになる。 
 あと。あしあと。行為のあと。物事のあとかた。


東野不得官、白首誇龍鍾。
孟郊(孟東野)君は官職を得ることが無く、しらが頭で、年老いてつかれて病むようにみえるがじつはげんきがよいのだ。
不得官 官職に就けない。
白首 しらがあたま。 
誇龍鍾 年老いてつかれて病むようにみえるがじつはげんきがよい。・龍鍾 年老いてつかれて病むさま。失意のさま。行きなやむさま。

韓子稍姦黠、自慚青蒿倚長松。
わたし韓愈は、ややずるくて悪賢いかもしれませんが、その頼りない青いヨモギのようなわたしが、大きな松の木に寄りかかっていることを羞じてはいるのです。 
韓子 韓愈。 
 やや。 
姦黠 ずるくて悪賢い。
 面目なく思う。面目が無くはずかしい。はじる。自動詞。軽く用いる。 
青蒿 青いヨモギ。青いわら。作者自身のことを指す。 
 寄りかかる。たのむ。すがる。 
長松 大きな松の樹。

441-#3 《雜詩》韓愈(韓退之)ID 795年貞元11年 28歳<1164> Ⅱ韓昌黎集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4804韓愈詩-441-#3

世間の悪しき風潮や社会の不正などを、怒り嘆き、かなしみにあふれるのだ。この悲しみの涙は九河の流れをひとつに束ねたかわがひるがえったようにとどまらない。一緒に来た無言子は相手に向かって、下界を指さし、こう告げた。「彼方に帰ったとしても、もはや親しみ語るものもありはしない。」

 
 2014年9月13日の紀頌之5つのブログ 
 ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場 
 Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
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441-#3 《雜詩》韓愈(韓退之)ID 795年貞元11年 28歳<1164> Ⅱ韓昌黎集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4804韓愈詩-441-#3 
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 孟郊張籍     
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 Ⅲ杜甫詩全1500首   LiveDoorブログ765年永泰元年54歲-14 《弊廬遣興奉寄嚴公》 杜甫index-15 杜甫<814> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4805 杜甫詩1500-814-1132/2500 
 杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩) 杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首 
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441-#3

《雜詩》韓愈(韓退之)ID  795年貞元11年 28歳<1164> Ⅱ韓昌黎集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4804韓愈詩-441-#3

 

 

 

 

795年貞元11年 28

 

17

 巻二

馬厭穀

馬厭穀兮,

18

 巻五

雜詩 #1

古史散左右,

 

 

雜詩 #2

 

 

 

雜詩 #3

 

19

 補遺

苦寒歌【案:見《外集》。】

黃昏苦寒歌,

 

 

作年:    795年貞元十一年28

卷別:    卷三四0              文體:    五言古詩

韓昌黎集 巻五

詩題:    雜詩

 

雜詩 #1

古史散左右,詩書置後前。

豈殊蠹書蟲,生死文字間。

古道自愚蠢,古言自包纏。

當今固殊古,誰與為欣歡。』

(今この時生活する中で心にうかんだことを述べたもの)

古代の歴史の巻々は左右において勉学しているのでどうしても散らばりがちになってしまう。『詩経』『書経』詩人の詩文を研究して、前後において私の詩作に生かしている。
丁度紙魚が書物を食い荒し、文字と文字、書物と書物のなかで死んでいくのと同じではないか、わたしは受験のための書物に前後左右をはさまれ そして死んでゆくあのダニとどこが違うのだ
昔の人のいうことは、まず自分を愚か者であるとするところから始まり、「子曰く」という言葉は、自分自身を包みまといつき束縛することばでもあるのだ。
私の生きているいま、基本的に昔とは事情が違っている。誰となら一緒に喜ぶことができるというのか。(教えを守りぬいて古人と喜びを享受できないのか。)
 #2

獨攜無言子,共升崑崙顛。

長風飄襟裾,遂起飛高圓。

下視禹九州,一塵集豪端。

遨嬉未云幾,下已億萬年。

向者夸奪子,萬墳厭其

独り無言子を携えて、共に崑崙の頂点に登るのである。

長風に向って襟裾を飄エスト、この身は知らず識らず、天に飛び上がって、下の世界を見るようになった。

禹の九州と云えば下々からすれば、たいそうなものだが、天上から見れば、豪毛の一端に塵埃が留まったようなものにすぎないのである。

こうして天上にあって遨嬉することが、未だどれほどの期間が経ったわけではないし、それが下界においては、既に億万年を経過しているのである。

そこで首を回らしてよく見ると、先に自分と心を異にしていた夸奪のもの度は、誰もみんな墳墓にほおむられ、土饅頭に脳天を圧迫されているというものだ。

 #3

惜哉抱所見,白黑未及分。

慷慨為悲詫,淚如九河翻。

指摘相告語,雖還今誰親。

翩然下大荒,被髮騎麒麟。

残念なことだが、わたしには別の考えがあった。物の白黒、善悪を分別し、考え直すものもないではなかったということだ。
世間の悪しき風潮や社会の不正などを、怒り嘆き、かなしみにあふれるのだ。この悲しみの涙は九河の流れをひとつに束ねたかわがひるがえったようにとどまらない。
一緒に来た無言子は相手に向かって、下界を指さし、こう告げた。「彼方に帰ったとしても、もはや親しみ語るものもありはしない。」
髪ふりさばき、千里走るという騏驎に騎乗して、ひらりと翻り、果てしない天空に下って行った。

 

雜詩 #1
古史 左右に散じ、詩書 後前【こうぜん】に置く。
豈に殊【こと】ならむや 蠧書蟲【としょちゅう】の、文字の閒に生死するに。
古道【こどう】は自らを愚憃【ぐとう】にし、古言【こげん】は自らを包纏【ほうてん】す。
當今は固より古しえと殊【こと】なれり、誰と與【とも】にか欣歓をなさむ。』

#2
獨り無言子を攜へ、共に昇る崑崙【こんろん】の巓【いただき】。
長風【ちょうふう】襟裾【きんきょ】を飄し、逐に起て高圓【こうえん】に飛ぶ。
下 禹の九州を覛る、一塵 豪端に集【とど】まるを。
遨嬉【ごうぎ】すること未だ云【ここ】に幾【いくばく】ならん、下は已に億萬年。

向者【さき】の夸奪子【かだっし】、萬墳【まんふん】其の巓【いただき】厭【おそ】う。』
#3

惜しい哉【かな】所見を抱きしに、白黒【はくこく】未だ分【わか】つに及ばず。
慷慨【こうがい】悲咤【ひた】をなし、涙は九河【きゅうが】の翻えるが如し。
指摘【してき】して相【あい】告語【こくご】す、還ると雖も今や誰とか親【したし】まむ。
翩然【へんぜん】大荒【たいこう】に下らむとし、被髪【ひはつ】して騏驎【きりん】に騎【き】す。』

 

01boudake5

現代語訳と訳註
(
本文)
 #3

惜哉抱所見,白黑未及分。

慷慨為悲詫,淚如九河翻。

指摘相告語,雖還今誰親。

翩然下大荒,被髮騎麒麟。

 

(下し文)

惜しい哉【かな】所見を抱きしに、白黒【はくこく】未だ分【わか】つに及ばず。

慷慨【こうがい】悲咤【ひた】をなし、涙は九河【きゅうが】の翻えるが如し。

指摘【してき】して相【あい】告語【こくご】す、還ると雖も今や誰とか親【したし】まむ。

翩然【へんぜん】大荒【たいこう】に下らむとし、被髪【ひはつ】して騏驎【きりん】に騎【き】す。』

 

(現代語訳)

残念なことだが、わたしには別の考えがあった。物の白黒、善悪を分別し、考え直すものもないではなかったということだ。
世間の悪しき風潮や社会の不正などを、怒り嘆き、かなしみにあふれるのだ。この悲しみの涙は九河の流れをひとつに束ねたかわがひるがえったようにとどまらない。
一緒に来た無言子は相手に向かって、下界を指さし、こう告げた。「彼方に帰ったとしても、もはや親しみ語るものもありはしない。」
髪ふりさばき、千里走るという騏驎に騎乗して、ひらりと翻り、果てしない天空に下って行った。

 

駅亭の 隠遁 

(訳注)

 

惜哉抱所見、白黒未及分。
残念なことだが、わたしには別の考えがあった。物の白黒、善悪を分別し、考え直すものもないではなかったということだ。
所見 かんがえ。

白黒 善悪。


慷慨爲悲咤、涙如九河翻。
世間の悪しき風潮や社会の不正などを、怒り嘆き、かなしみにあふれるのだ。この悲しみの涙は九河の流れをひとつに束ねたかわがひるがえったようにとどまらない。
慷慨【こうがい】[名・形動](スル)1 世間の悪しき風潮や社会の不正などを、怒り嘆くこと。「社会の矛盾を―する」「悲憤―」2 意気が盛んなこと。また、そのさま。

○悲咤 かなしみなげく。

九河 『禹貢』「九河之名,徒駭太史馬頰覆釜胡蘇簡絜鉤槃鬲津.」周の時代、斉の桓公がこれを塞いで一本の河とした。今の河間弓高から東、平原の鬲・般まで、至る所にその名残がある。」槃は『爾雅』九河の鉤槃の河である。


指摘相告語、雖還今誰親。
一緒に来た無言子は相手に向かって、下界を指さし、こう告げた。「彼方に帰ったとしても、もはや親しみ語るものもありはしない。」


翩然下大荒、被髪騎騏驎。』
髪ふりさばき、千里走るという騏驎に騎乗して、ひらりと翻り、果てしない天空に下って行った。
○倒句読み。

大荒 ①大凶年。大飢饉。 ②中国からきわめて遠い地。日月の入る所『山海經、大荒東經』「大荒之中有山、名曰合虚。日月所出。」(大荒の中に山あり。名を日月出といふ。)③そら、天、虚空。ここでは③の.意味

○騏驎 一日に千里を走るというすぐれた馬。

○この詩は李白『古風五十九首 其三十九』を源泉としつつ韓愈独自のものを歌ったもので、宋の王安石はここから多くのものを学んで多く作っている。

江行寄遠 李白 3

渡荊門送別 李白 5

『古風五十九首 其三十九』 李白178

 

441-#1 《雜詩》韓愈(韓退之)ID 795年貞元11年 28歳<1162> Ⅱ韓昌黎集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4794韓愈詩-441-#1

丁度紙魚が書物を食い荒し、文字と文字、書物と書物のなかで死んでいくのと同じではないか、わたしは受験のための書物に前後左右をはさまれ そして死んでゆくあのダニとどこが違うのだ

 
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795年貞元11年 28

 

17

 巻二

馬厭穀

馬厭穀兮,

18

 巻五

雜詩 #1

古史散左右,

 

 

雜詩 #2

 

 

 

雜詩 #3

 

19

 補遺

苦寒歌【案:見《外集》。】

黃昏苦寒歌,

 

 

作年:    795年貞元十一年28

卷別:    卷三四0              文體:    五言古詩

韓昌黎集 巻五

詩題:    雜詩

 

雜詩 #1

古史散左右,詩書置後前。

豈殊蠹書蟲,生死文字間。

古道自愚蠢,古言自包纏。

當今固殊古,誰與為欣歡。』

(今この時生活する中で心にうかんだことを述べたもの)

古代の歴史の巻々は左右において勉学しているのでどうしても散らばりがちになってしまう。『詩経』『書経』詩人の詩文を研究して、前後において私の詩作に生かしている。
丁度紙魚が書物を食い荒し、文字と文字、書物と書物のなかで死んでいくのと同じではないか、わたしは受験のための書物に前後左右をはさまれ そして死んでゆくあのダニとどこが違うのだ
昔の人のいうことは、まず自分を愚か者であるとするところから始まり、「子曰く」という言葉は、自分自身を包みまといつき束縛することばでもあるのだ。
私の生きているいま、基本的に昔とは事情が違っている。誰となら一緒に喜ぶことができるというのか。(教えを守りぬいて古人と喜びを享受できないのか。)
 #2

獨攜無言子,共升崑崙顛。

長風飄襟裾,遂起飛高圓。

下視禹九州,一塵集豪端。

遨嬉未云幾,下已億萬年。

 #3

向者夸奪子,萬墳厭其

惜哉抱所見,白黑未及分。

慷慨為悲詫,淚如九河翻。

指摘相告語,雖還今誰親。

翩然下大荒,被髮騎麒麟。

 

雜詩 #1
古史 左右に散じ、詩書 後前【こうぜん】に置く。
豈に殊【こと】ならむや 蠧書蟲【としょちゅう】の、文字の閒に生死するに。
古道【こどう】は自らを愚憃【ぐとう】にし、古言【こげん】は自らを包纏【ほうてん】す。
當今は固より古しえと殊【こと】なれり、誰と與【とも】にか欣歓をなさむ。』

#2
獨り無言子を攜へ、共に昇る崑崙【こんろん】の巓【いただき】。
長風【ちょうふう】襟裾【きんきょ】を飄し、逐に起て高圓【こうえん】に飛ぶ。
下 禹の九州を覛る、一塵 豪端に集【とど】まるを。
遨嬉【ごうぎ】すること未だ云【ここ】に幾【いくばく】ならん、下は已に億萬年。
向者【さき】の夸奪子【かだっし】、萬墳【まんふん】其の巓【いただき】厭【おそ】う。』
#3
惜しい哉【かな】所見を抱きしに、白黒【はくこく】未だ分【わか】つに及ばず。
慷慨【こうがい】悲咤【ひた】をなし、涙は九河【きゅうが】の翻えるが如し。
指摘【してき】して相【あい】告語【こくご】す、還ると雖も今や誰とか親【したし】まむ。
翩然【へんぜん】大荒【たいこう】に下らむとし、被髪【ひはつ】して騏驎【きりん】に騎【き】す。』

 

 

現代語訳と訳註
(
本文)

古史散左右、詩書置後前。
豈殊蠧書蟲、生死文字閒。
古道白愚憃、古言自包纏。
當今固殊古、誰與爲欣歓。』

 

(下し文) #1
古史 左右に散じ、詩書 後前【こうぜん】に置く。
豈に殊【こと】ならむや 蠧書蟲【としょちゅう】の、文字の閒に生死するに。
古道【こどう】は自らを愚憃【ぐとう】にし、古言【こげん】は自らを包纏【ほうてん】す。
當今は固より古しえと殊【こと】なれり、誰と與【とも】にか欣歓をなさむ。』


(現代語訳)
(今この時生活する中で心にうかんだことを述べたもの)

古代の歴史の巻々は左右において勉学しているのでどうしても散らばりがちになってしまう。『詩経』『書経』詩人の詩文を研究して、前後において私の詩作に生かしている。
丁度紙魚が書物を食い荒し、文字と文字、書物と書物のなかで死んでいくのと同じではないか、わたしは受験のための書物に前後左右をはさまれ そして死んでゆくあのダニとどこが違うのだ
昔の人のいうことは、まず自分を愚か者であるとするところから始まり、「子曰く」という言葉は、自分自身を包みまといつき束縛することばでもあるのだ。
私の生きているいま、基本的に昔とは事情が違っている。誰となら一緒に喜ぶことができるというのか。(教えを守りぬいて古人と喜びを享受できないのか。)
文具-峡
(訳注)
雜詩

(今この時生活する中で心にうかんだことを述べたもの)

王粲、曹植、杜甫、皆雑詩がある。「無題」とする場合もある。風刺、特別な感情を込める場合、詩題をわざと目立たない、無造作なものにした。さりげない、つまらないもの・・・そのなかにこそ詩人の思いを凝らしているものである。この詩は儒者である韓愈が、兎角世に受け入れられないという不満を述べ、富貴利達を得たものが、盛衰があり、往々遷謫の憂き目に遭うことを嘲ったものである。


#1
古史散左右、詩書置後前。

古史 左右に散じ、詩書 後前【こうぜん】に置く。
古代の歴史の巻々は左右において勉学しているのでどうしても散らばりがちになってしまう。『詩経』『書経』詩人の詩文を研究して、前後において私の詩作に生かしている。
○古史 古典、古体、古辞、古文学、歴史書、古文書をいう。

詩書 『詩経』『書経』楚辞、古詩、詩賦など、韓愈の時代には、杜甫の詩集がないだけで、六朝、謝霊運、初唐詩、孟浩然、李白、王維、などは発表されていた。


豈殊蠧書蟲、生死文字閒。
豈に殊【こと】ならむや 蠧書蟲【としょちゅう】の、文字の閒に生死するに。
丁度紙魚が書物を食い荒し、文字と文字、書物と書物のなかで死んでいくのと同じではないか、わたしは受験のための書物に前後左右をはさまれ そして死んでゆくあのダニとどこが違うのだ
蠧書蟲 書物を食い荒すシミ。ケダニ、紙魚。
斡愈のこの詩は屈原の「離騒」あたりをお手本にしたのであろうか、読書人がくわだてる現実からの脱出には、古今を一にするものがあって、おもしろい。


古道自愚憃、古言自包纏。
古道【こどう】は自らを愚憃【ぐとう】にし、古言【こげん】は自らを包纏【ほうてん】す。
昔の人のいうことは、まず自分を愚か者であるとするところから始まり、「子曰く」という言葉は、自分自身を包みまといつき束縛することばでもあるのだ。
愚憃 おろかでにぶいこと。後漢書『張酺傳』「臣實愚憃、不及大體。」(臣實に愚憃にして、大體に及ばざる。)また、韓非子にみえる。

包纒 包みまといつくさま。束縛。


當今固殊古、誰與爲欣歓。』
當今は固より古しえと殊【こと】なれり、誰と與【とも】にか欣歓をなさむ。』
私の生きているいま、基本的に昔とは事情が違っている。誰となら一緒に喜ぶことができるというのか。(教えを守りぬいて古人と喜びを享受できないのか。)
欣歓 喜び楽しむこと。荘子『盗跖』「怵惕之恐、欣歓之喜、不監於心。」(怵惕之恐れ、欣歓之喜びは、於心に監みず。)
辟雍00 

436-#6 《孟生詩【孟先生詩】》韓愈(韓退之)ID <1148> Ⅱ韓昌黎集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4724韓愈詩-436-#6

古の卞和は、足を切られるのもいとわず、三度玉を献じて、はじめて志を達したという故事のように、孟郊は一度進士試験を落第したということに気を腐らさず、秋の砧の音がするころには、次の試験のために上京してくるつもりで、とりあえず徐州へ行って勉強すればよいのである。

 
 2014年8月28日の紀頌之5つのブログ 
 ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場 
 Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
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71 《登錦城散花樓》Index-2Ⅰ- 2-720年開元八年20歳12登錦城散花樓日照錦城頭, <60> Ⅰ李白詩1224 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4668 
 孟浩然 詩 index李白詩index謝霊運 詩 index司馬相如 《 子虛賦 ・上林賦 》揚雄 《 甘泉賦 》 ●諸葛亮(孔明)出師表 
 曹植(曹子建)詩 65首 index文選 賦)兩都賦序・西都賦・東都賦 (班固)《李白 全詩》
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(1)漁父辞 屈原『楚辞・九歌』東君 屈原《楚辞 『九辯』》 宋玉  <案内> 
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436-#6 《孟生詩【孟先生詩】》韓愈(韓退之)ID <1148> Ⅱ韓昌黎集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4724韓愈詩-436-#6 
 ・李商隠詩 (1) 136首の75首・李商隠詩 (2) 135首の61首●韓愈index-1 ・孟郊、張籍と交遊・汴州乱41首●韓愈詩index-2[800年 33歳~804年 37歳]27首●韓愈詩index-3 805年 38歳・]陽山から江陵府 36首●韓愈詩index-4 806年 39歳 江陵府・権知国子博士 51首(1)25首 
 index-5 806年39歳 50首の(2)25首index-6[807年~809年 42歳]20首index-7[810年~811年 44歳] 34首index-8 [812年~814年47歳]46首index-9[815年~816年 49歳] 57首index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首 
 index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首index-13 821年~822年 55歳 22首index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首韓愈 哲学・儒学「五原」賦・散文・上奏文・碑文など 
 孟郊張籍     
 ●杜甫の全作品1500首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。" 
 Ⅲ杜甫詩全1500首   LiveDoorブログ765年永泰元年54歲-02 《營屋》 杜甫index-14 764年 杜甫<801-#2> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4725 杜甫詩1500-801-#2-1116/2500765年永泰元年54歲-02 
 杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩) 杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首 
 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
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436-#6 《孟生詩【孟先生詩】》韓愈(韓退之)ID  1148 Ⅱ韓昌黎集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4724韓愈詩-436-#6

 

 

 

制作年:              793年貞元九年26

卷別:    卷三四0              文體:    五言古詩

詩題:    孟生詩【孟先生詩】【案:孟郊下第,送之謁徐州張建封也。】

及地點:              徐州 (河南道 徐州 徐州) 別名:彭城、徐方  

泰山 (河南道 兗州 泰山) 別名:岱宗、岱、東岳      

九重 (京畿道 京兆府 長安)           

交遊人物:孟郊    書信往來(京畿道 京兆府 長安)

 

孟生詩 #1

(孟郊(東野)孟郊が徐州に赴くについて、孟郊を激励する詩)

孟生江海士,古貌又古心。

孟東野は長江と東海の間の生まれで、風采も心も共に古めかしい人間である。

嘗讀古人書,謂言古猶今。

曾て 古人の書を読んでいて、いわゆる堯舜の時代も、やはり、今日のようだと思い込んでいたのである。

作詩三百首,窅默咸池音。

作っている詩は三百篇もあり、堯の楽「咸池」の音にも比すべき高い調べも、窅默していても仕方がないということだ。

騎驢到京國,欲和熏風琴。

そんなことがあって、驢馬に乗って、都長安に上り、これを天子の五絃薫風の琴の調子に合わせてはじめて世にあらわしたいと決心して出てきたのだ。

#2

豈識天子居,九重鬱沈沈。

ところが、今の世は簡単なことではなく先ず、天子の住まわれているところを知らねばならないが、九重の門と幾重にも曲った奥深き所におられるということである。

一門百夫守,無籍不可尋。

一門ごとに、百人の番兵がいて、門鑑を持たぬ者は中に入ることは不可能なのだ。

晶光蕩相射,旗戟翩以森。

そうはいっても日月の光は蕩蕩として互いに相射するものではあるが、はたさしものや矛などでいかめしく護衛しているのである。

遷延乍卻走,驚怪靡自任。

このように厳しい守りに対してたじろぎ、すぐに引き返すのであり、驚いて、怪しむものは自制心さえなくそうというものである。

#3

舉頭看白日,泣涕下霑襟。

首をあげて、白日をみれば、涙が自然に下って、襟を濡らしてやまない。

朅來遊公卿,莫肯低華簪。

天子に謁見することは、到底難しいから、今度は、公卿の間に遊ぼうとしたが、その公卿もまた華簪を垂れている。

諒非軒冕族,應對多差參。

お辞儀をして、孟郊(東野)を迎えるものなどなく、軒冕の族というわけでもない普通の人士は応対さえしてくれない。

萍蓬風波急,桑日月侵。

かくて、孟郊(東野)は浮草が風波に漂わされたように、ぐずぐずしているうちに日出の桑畑から、日の入りの楡林に沈み、月もやがてしずむように、おいおいとしをとるのだ。

#4

奈何從進士,此路轉嶇嶔。

いかにして、進士に及第して官僚になろうという、この立身出世の道はそう簡単に出来るようなものではないのである。

異質忌處群,孤芳難寄林。

孟郊(孟東野)はもとより、異質のものであって、群小人の中に交じっていることなどできることはできない性格で、孤芳が雑木林に生えて安穏出来ることが困難というのと同じである。

誰憐松桂性,競愛桃李陰。

松桂のような立派な本質は、誰も好むものはなく、桃李の花が咲いて、それが一杯にさいて影になるようなほうが、俗受けがよいというものである。

朝悲辭樹葉,夕感歸巢禽。

そこで、孟郊(孟東野)は、朝に落葉の樹を辞するのを見て、わが身のはかなきを悲しみ、夕べに、巣に帰る鳥を見て、早く故郷に帰りたいと思ったのだ。

顧我多慷慨,窮簷時見臨。

その間、韓退之は慷慨の人だといって交わりを結び、孟郊(孟東野)はしばしば我がむさくるしい軒端の家を訪ねてくれた。

#5

宵靜相對,髮白聆苦吟。

或る時、宵において静かに相対坐し、白髪頭になるまで、孟郊(孟東野)の苦吟するのを聞いたことがある。

采蘭起幽念,眇然望東南。

やがて、孟郊(孟東野)は、かの古い詩に見るように、蘭を采るにつけて、故郷に帰って母と一緒にいたいというので、渺然として東南の方を望んだのである。

修且阻,兩地無數金。

この秦の地、長安と呉の地とは、相去ること何千里というくらい、数金さえ持ち合わせぬということで、とても旅ができないということなのだ。

我論徐方牧,好古天下欽。

そこでどうしたものかといろいろ自分としても考えて頼み込んだのが、刻下徐州の長官たる張建封は、古を好んで、天下の人から敬慕されているくらいの人なのである。

竹實鳳所食,德馨神所歆。

竹の実は、鳳凰にして初めて食らうべく、神の享けられるは、黍稷の馨し気にあらずして、徳の馨しきにあるということから、東野を歓迎してくれるのはこの人を置いてほかにいないのである。

#6

求觀眾丘小,必上泰山岑。

孟郊は人の幕客になることは好まないかもしれないが、衆丘の小なるを観んと欲せば、必ず泰山の頂に上るものである。

求觀眾流細,必泛滄溟深。

眾流の細なるを観んと欲せば、かならず滄溟の深きに泛ぶを要する通りというものである。

子其聽我言,可以當所箴。

孟郊は座右の箴として、世間のことを知るためには、私の謂うことを聞き入れて、張建封の様な方の幕中に遊ぶ必要があるのである。

既獲則思返,無為久滯淫。

そうして金を貯えて長安に帰って来ればよいので、何時までも幕客のままでそこに留まれと言っているのではない。

卞和試三獻,期子在秋砧。

古の卞和は、足を切られるのもいとわず、三度玉を献じて、はじめて志を達したという故事のように、孟郊は一度進士試験を落第したということに気を腐らさず、秋の砧の音がするころには、次の試験のために上京してくるつもりで、とりあえず徐州へ行って勉強すればよいのである。

 

(孟生の詩):#1

孟生 江海の士,古貌 又た 古心。

嘗て古人の書を讀み,謂うて言う 古も猶お今のごとし。

詩を作ること 三百首,窅默【ようもく】たり 咸池音。

驢に騎して京國に到り,熏風の琴に和せんと欲す。

#2

豈に識んや 天子の居,九重 鬱として沈沈たるを。

一門 百夫守る,籍無くば尋ねる可からず。

晶光 蕩として相い射る,旗戟 翩として以て森たり。

遷延 乍ち卻走【きゃくそう】,驚怪 自ら任【と】うる靡【な】し。

#3

頭を舉げて白日を看,泣涕 下って襟を霑す。

朅來【けつらい】公卿に遊び,肯えて華簪を低るる莫し。

諒【まこと】に軒冕【けんべん】の族にら非ず,應對 多くは差參す。

萍蓬 風波急なり,桑 日月侵す。

#4

奈何んぞ進士に從う,此の路 轉た嶇嶔【くきん】。

異質 群に處るを忌まる,孤芳 林に寄せ難し。

誰か松桂の性を憐まん,競うて桃李の陰を愛す。

朝には樹を辭するの葉を悲み,夕には巢に歸るの禽に感ず。

我を顧みて慷慨多し,窮簷【きゅうえん】時に臨み見る。

#5

清宵 靜かに相い對し,髮白くして苦吟を聆く。

蘭をって幽念を起し,眇然として東南を望む。

 【なご】うして且つ阻だたる,兩地 數金無し。

我 徐方の牧を論ず,古を好んで天下欽す。

竹實は鳳の食する所,德馨は神 歆【きん】する所。

#6

眾丘の小を觀んことを求むれば,必ず泰山の岑に上らん。

眾流の細を觀んことを求むれば,必ず滄溟の深きに泛べ。

子 其れ我が言を聽かば,以って所箴【しょしん】に當る可し。

既に獲ば 則ち返らんを思い,久しく滯淫することを為す無かれ。

卞和 試みに三獻,子を期すること 秋砧【しゅうちん】在り。

云亭

 

『孟生詩』 現代語訳と訳註

(本文) #6

求觀眾丘小,必上泰山岑。

求觀眾流細,必泛滄溟深。

子其聽我言,可以當所箴。

既獲則思返,無為久滯淫。

卞和試三獻,期子在秋砧。

 

(下し文) #6

眾丘の小を觀んことを求むれば,必ず泰山の岑に上らん。

眾流の細を觀んことを求むれば,必ず滄溟の深きに泛べ。

子 其れ我が言を聽かば,以って所箴【しょしん】に當る可し。

既に獲ば 則ち返らんを思い,久しく滯淫することを為す無かれ。

卞和 試みに三獻,子を期すること 秋砧【しゅうちん】在り。

 

(現代語訳)

孟郊は人の幕客になることは好まないかもしれないが、衆丘の小なるを観んと欲せば、必ず泰山の頂に上るものである。

眾流の細なるを観んと欲せば、かならず滄溟の深きに泛ぶを要する通りというものである。

孟郊は座右の箴として、世間のことを知るためには、私の謂うことを聞き入れて、張建封の様な方の幕中に遊ぶ必要があるのである。

そうして金を貯えて長安に帰って来ればよいので、何時までも幕客のままでそこに留まれと言っているのではない。

古の卞和は、足を切られるのもいとわず、三度玉を献じて、はじめて志を達したという故事のように、孟郊は一度進士試験を落第したということに気を腐らさず、秋の砧の音がするころには、次の試験のために上京してくるつもりで、とりあえず徐州へ行って勉強すればよいのである。

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(訳注) #6

孟生詩 

(孟郊(孟東野)が徐州に赴くについて、孟郊を激励する詩)

この詩は、孟郊(東野)がほとんど五十にして上京し、進士試験を受験、落第した。韓愈は衣食の確保のため、徐州節度使の張建封に紹介し、愈々、孟郊が徐州に赴くについてこの詩を作った。

 

求觀眾丘小,必上泰山岑。

孟郊は人の幕客になることは好まないかもしれないが、衆丘の小なるを観んと欲せば、必ず泰山の頂に上るものである。

眾丘小 『孟子』尽心上、「揚子法言」学行篇に、孔子が泰山に登って天下を小としたとあるが、儒教の型にはまって、結局他人と同じようにするせこせこした部分を批判し、もっと自然にすべきであると説いていることを示す。

杜甫《望嶽》「會當凌絶頂,一覽衆山小。

望嶽 杜甫 <7> kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ98 杜甫詩 700- 7

 

求觀眾流細,必泛滄溟深。

眾流の細なるを観んと欲せば、かならず滄溟の深きに泛ぶを要する通りというものである。

 

子其聽我言,可以當所箴。

孟郊は座右の箴として、世間のことを知るためには、私の謂うことを聞き入れて、張建封の様な方の幕中に遊ぶ必要があるのである。

 

既獲則思返,無為久滯淫。

そうして金を貯えて長安に帰って来ればよいので、何時までも幕客のままでそこに留まれと言っているのではない。

 

卞和試三獻,期子在秋砧。

古の卞和は、足を切られるのもいとわず、三度玉を献じて、はじめて志を達したという故事のように、孟郊は一度進士試験を落第したということに気を腐らさず、秋の砧の音がするころには、次の試験のために上京してくるつもりで、とりあえず徐州へ行って勉強すればよいのである。

卞和 秋時代の楚()の人。山中で得た宝玉の原石を楚の王(れいおう)に献じたが信じてもらえず左足を切られ、次の武王のときにも献じたが、ただの石だとして右足を切られた。文王が位につき、これを磨かせると、はたして玉であったので、この玉を「和氏(かし)の璧(たま)」と称した。のち、趙(ちょう)の恵文王がこの玉を得たが、秦の昭王が15の城と交換したいと言ったので、「連城の璧」とも称された。

秋砧 

杜甫《擣衣》

  亦知戍不返,秋至拭清砧。已近苦寒月,況經長別心。

  寧辭擣衣倦,一寄塞垣深。用盡閨中力,君聽空外音。

搗衣(擣衣)【とうい】砧【きぬた】で衣を打つこと。「擣【う】つ砧を臼にいれ、布を杵(棒杵)でつく。砧でつくのは洗濯ではなく、冬用の厚いごわごわした布を柔軟にするため。搗衣(擣衣) 杜甫 <295> kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1352 杜甫詩 700- 415

李白『子夜呉歌其三 秋』「長安一片月、万戸擣衣声。秋風吹不尽、総是玉関情。何日平胡虜、良人罷遠征。」(長安 一片の月、万戸衣を擣つの声。秋風 吹いて尽きず、総て是れ玉関【ぎょくかん】の情。何【いず】れの日か胡虜【こりょ】を平らげ、良人 遠征を罷【や】めん。)李白24 子夜呉歌其三 秋 25 冬

 謝惠連 『擣衣』 

衡紀無淹度,晷運倐如催。白露滋園菊,秋風落庭槐。

肅肅莎雞羽,烈烈寒螿啼。夕陰結空,宵月皓中閨。

美人戒裳服,端飾相招攜。簪玉出北房,鳴金步南階。

高砧響發,楹長杵聲哀。微芳起兩袖,輕汗染雙題。

紈素既已成,君子行未歸。裁用笥中刀,縫為萬里衣。

盈篋自余手,幽緘候君開。腰帶準疇昔,不知今是非。

 

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そこでどうしたものかといろいろ自分としても考えて頼み込んだのが、刻下徐州の長官たる張建封は、古を好んで、天下の人から敬慕されているくらいの人なのである。竹の実は、鳳凰にして初めて食らうべく、神の享けられるは、黍稷の馨し気にあらずして、徳の馨しきにあるということから、東野を歓迎してくれるのはこの人を置いてほかにいないのである。

 
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 温庭筠66首 花間集1・2巻皇甫松11首 花間集二巻韋莊47首 花間集二巻薛昭蘊19首 花間集三巻牛嶠31首 花間集三・四巻張泌27首 花間集四巻 
 毛文錫31首 花間集5巻牛希濟11首 花間集5巻欧陽烱17首 花間集5・6巻和凝20首 花間集6巻顧夐56首 花間集6・7巻孫光憲47首 花間集7・8巻 
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制作年:              793年貞元九年26

卷別:    卷三四0              文體:    五言古詩

詩題:    孟生詩【孟先生詩】【案:孟郊下第,送之謁徐州張建封也。】

及地點:              徐州 (河南道 徐州 徐州) 別名:彭城、徐方  

泰山 (河南道 兗州 泰山) 別名:岱宗、岱、東岳      

九重 (京畿道 京兆府 長安)           

交遊人物:孟郊    書信往來(京畿道 京兆府 長安)

 

孟生詩 #1

(孟郊(東野)孟郊が徐州に赴くについて、孟郊を激励する詩)

孟生江海士,古貌又古心。

孟東野は長江と東海の間の生まれで、風采も心も共に古めかしい人間である。

嘗讀古人書,謂言古猶今。

曾て 古人の書を読んでいて、いわゆる堯舜の時代も、やはり、今日のようだと思い込んでいたのである。

作詩三百首,窅默咸池音。

作っている詩は三百篇もあり、堯の楽「咸池」の音にも比すべき高い調べも、窅默していても仕方がないということだ。

騎驢到京國,欲和熏風琴。

そんなことがあって、驢馬に乗って、都長安に上り、これを天子の五絃薫風の琴の調子に合わせてはじめて世にあらわしたいと決心して出てきたのだ。

#2

豈識天子居,九重鬱沈沈。

ところが、今の世は簡単なことではなく先ず、天子の住まわれているところを知らねばならないが、九重の門と幾重にも曲った奥深き所におられるということである。

一門百夫守,無籍不可尋。

一門ごとに、百人の番兵がいて、門鑑を持たぬ者は中に入ることは不可能なのだ。

晶光蕩相射,旗戟翩以森。

そうはいっても日月の光は蕩蕩として互いに相射するものではあるが、はたさしものや矛などでいかめしく護衛しているのである。

遷延乍卻走,驚怪靡自任。

このように厳しい守りに対してたじろぎ、すぐに引き返すのであり、驚いて、怪しむものは自制心さえなくそうというものである。

#3

舉頭看白日,泣涕下霑襟。

首をあげて、白日をみれば、涙が自然に下って、襟を濡らしてやまない。

朅來遊公卿,莫肯低華簪。

天子に謁見することは、到底難しいから、今度は、公卿の間に遊ぼうとしたが、その公卿もまた華簪を垂れている。

諒非軒冕族,應對多差參。

お辞儀をして、孟郊(東野)を迎えるものなどなく、軒冕の族というわけでもない普通の人士は応対さえしてくれない。

萍蓬風波急,桑日月侵。

かくて、孟郊(東野)は浮草が風波に漂わされたように、ぐずぐずしているうちに日出の桑畑から、日の入りの楡林に沈み、月もやがてしずむように、おいおいとしをとるのだ。

#4

奈何從進士,此路轉嶇嶔。

いかにして、進士に及第して官僚になろうという、この立身出世の道はそう簡単に出来るようなものではないのである。

異質忌處群,孤芳難寄林。

孟郊(孟東野)はもとより、異質のものであって、群小人の中に交じっていることなどできることはできない性格で、孤芳が雑木林に生えて安穏出来ることが困難というのと同じである。

誰憐松桂性,競愛桃李陰。

松桂のような立派な本質は、誰も好むものはなく、桃李の花が咲いて、それが一杯にさいて影になるようなほうが、俗受けがよいというものである。

朝悲辭樹葉,夕感歸巢禽。

そこで、孟郊(孟東野)は、朝に落葉の樹を辞するのを見て、わが身のはかなきを悲しみ、夕べに、巣に帰る鳥を見て、早く故郷に帰りたいと思ったのだ。

顧我多慷慨,窮簷時見臨。

その間、韓退之は慷慨の人だといって交わりを結び、孟郊(孟東野)はしばしば我がむさくるしい軒端の家を訪ねてくれた。

#5

宵靜相對,髮白聆苦吟。

或る時、宵において静かに相対坐し、白髪頭になるまで、孟郊(孟東野)の苦吟するのを聞いたことがある。

采蘭起幽念,眇然望東南。

やがて、孟郊(孟東野)は、かの古い詩に見るように、蘭を采るにつけて、故郷に帰って母と一緒にいたいというので、渺然として東南の方を望んだのである。

修且阻,兩地無數金。

この秦の地、長安と呉の地とは、相去ること何千里というくらい、数金さえ持ち合わせぬということで、とても旅ができないということなのだ。

我論徐方牧,好古天下欽。

そこでどうしたものかといろいろ自分としても考えて頼み込んだのが、刻下徐州の長官たる張建封は、古を好んで、天下の人から敬慕されているくらいの人なのである。

竹實鳳所食,德馨神所歆。

竹の実は、鳳凰にして初めて食らうべく、神の享けられるは、黍稷の馨し気にあらずして、徳の馨しきにあるということから、東野を歓迎してくれるのはこの人を置いてほかにいないのである。

#6

求觀眾丘小,必上泰山岑。

求觀眾流細,必泛滄溟深。

子其聽我言,可以當所箴。

既獲則思返,無為久滯淫。

卞和試三獻,期子在秋砧。

 

(孟生の詩):#1

孟生 江海の士,古貌 又た 古心。

嘗て古人の書を讀み,謂うて言う 古も猶お今のごとし。

詩を作ること 三百首,窅默【ようもく】たり 咸池音。

驢に騎して京國に到り,熏風の琴に和せんと欲す。

#2

豈に識んや 天子の居,九重 鬱として沈沈たるを。

一門 百夫守る,籍無くば尋ねる可からず。

晶光 蕩として相い射る,旗戟 翩として以て森たり。

遷延 乍ち卻走【きゃくそう】,驚怪 自ら任【と】うる靡【な】し。

#3

頭を舉げて白日を看,泣涕 下って襟を霑す。

朅來【けつらい】公卿に遊び,肯えて華簪を低るる莫し。

諒【まこと】に軒冕【けんべん】の族にら非ず,應對 多くは差參す。

萍蓬 風波急なり,桑 日月侵す。

#4

奈何んぞ進士に從う,此の路 轉た嶇嶔【くきん】。

異質 群に處るを忌まる,孤芳 林に寄せ難し。

誰か松桂の性を憐まん,競うて桃李の陰を愛す。

朝には樹を辭するの葉を悲み,夕には巢に歸るの禽に感ず。

我を顧みて慷慨多し,窮簷【きゅうえん】時に臨み見る。

#5

清宵 靜かに相い對し,髮白くして苦吟を聆く。

蘭をって幽念を起し,眇然として東南を望む。

 【なご】うして且つ阻だたる,兩地 數金無し。

我 徐方の牧を論ず,古を好んで天下欽す。

竹實は鳳の食する所,德馨は神 歆【きん】する所。

#6

眾丘の小を觀んことを求むれば,必ず泰山の岑に上らん。

眾流の細を觀んことを求むれば,必ず滄溟の深きに泛べ。

子 其れ我が言を聽かば,以って所箴【しょしん】に當る可し。

既に獲ば 則ち返らんを思い,久しく滯淫することを為す無かれ。

卞和 試みに三獻,子を期すること 秋砧【しゅうちん】在り。

韓愈の地図0055 

 

『孟生詩』 現代語訳と訳註

(本文) #5

宵靜相對,髮白聆苦吟。

采蘭起幽念,眇然望東南。

修且阻,兩地無數金。

我論徐方牧,好古天下欽。

竹實鳳所食,德馨神所歆。

 

(下し文) #5

清宵 靜かに相い對し,髮白くして苦吟を聆く。

蘭をって幽念を起し,眇然として東南を望む。

 修【なご】うして且つ阻だたる,兩地 數金無し。

我 徐方の牧を論ず,古を好んで天下欽す。

竹實は鳳の食する所,德馨は神 歆【きん】する所。

 

(現代語訳)

或る時、宵において静かに相対坐し、白髪頭になるまで、孟郊(孟東野)の苦吟するのを聞いたことがある。

やがて、孟郊(孟東野)は、かの古い詩に見るように、蘭を采るにつけて、故郷に帰って母と一緒にいたいというので、渺然として東南の方を望んだのである。

この秦の地、長安と呉の地とは、相去ること何千里というくらい、数金さえ持ち合わせぬということで、とても旅ができないということなのだ。

そこでどうしたものかといろいろ自分としても考えて頼み込んだのが、刻下徐州の長官たる張建封は、古を好んで、天下の人から敬慕されているくらいの人なのである。

竹の実は、鳳凰にして初めて食らうべく、神の享けられるは、黍稷の馨し気にあらずして、徳の馨しきにあるということから、東野を歓迎してくれるのはこの人を置いてほかにいないのである。

 

01 朝賀の服装 

(訳注) #5

孟生詩 

(孟郊(孟東野)が徐州に赴くについて、孟郊を激励する詩)

この詩は、孟郊(東野)がほとんど五十にして上京し、進士試験を受験、落第した。韓愈は衣食の確保のため、徐州節度使の張建封に紹介し、愈々、孟郊が徐州に赴くについてこの詩を作った。

 

宵靜相對,髮白聆苦吟。

或る時、宵において静かに相対坐し、白髪頭になるまで、孟郊(孟東野)の苦吟するのを聞いたことがある。

 

采蘭起幽念,眇然望東南。

やがて、孟郊(孟東野)は、かの古い詩に見るように、蘭を采るにつけて、故郷に帰って母と一緒にいたいというので、渺然として東南の方を望んだのである。

采蘭 親を思い、帰ることを思うという親孝行の気持ちをいう。

 

修且阻,兩地無數金。

この秦の地、長安と呉の地とは、相去ること何千里というくらい、数金さえ持ち合わせぬということで、とても旅ができないということなのだ。

 秦の地、長安と呉の地。呉は孟郊の故郷。

 

我論徐方牧,好古天下欽。

そこでどうしたものかといろいろ自分としても考えて頼み込んだのが、刻下徐州の長官たる張建封は、古を好んで、天下の人から敬慕されているくらいの人なのである。

徐方牧 徐州の長官たる張建封のこと。

 

竹實鳳所食,德馨神所歆。

竹の実は、鳳凰にして初めて食らうべく、神の享けられるは、黍稷の馨し気にあらずして、徳の馨しきにあるということから、東野を歓迎してくれるのはこの人を置いてほかにいないのである。

竹實 鳳凰は梧桐しか棲まず、竹の実以外に食べないとされる。

德馨 『書経』君陳編「我聞曰至治馨香感于神明。黍稷非馨。明徳惟馨。爾尚式時周公之猷訓。」(我聞く、曰く、至治の馨香、神明に感ず。黍稷馨しきに非ず。明徳惟れ馨し。爾尚(ねがは)くば時(こ)の周公の猷訓に式(のっと)れ。)とある。
辟雍00 

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いかにして、進士に及第して官僚になろうという、この立身出世の道はそう簡単に出来るようなものではないのである。孟郊(孟東野)はもとより、異質のものであって、群小人の中に交じっていることなどできることはできない性格で、孤芳が雑木林に生えて安穏出来ることが困難というのと同じである。

 
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436-#4 《孟生詩【孟先生詩】》韓愈(韓退之)ID  1146 Ⅱ韓昌黎集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4714韓愈詩-436-#4

 

 

制作年:              793年貞元九年26

卷別:    卷三四0              文體:    五言古詩

詩題:    孟生詩【孟先生詩】【案:孟郊下第,送之謁徐州張建封也。】

及地點:              徐州 (河南道 徐州 徐州) 別名:彭城、徐方  

泰山 (河南道 兗州 泰山) 別名:岱宗、岱、東岳      

九重 (京畿道 京兆府 長安)           

交遊人物:孟郊    書信往來(京畿道 京兆府 長安)

 

孟生詩 #1

(孟郊(東野)孟郊が徐州に赴くについて、孟郊を激励する詩)

孟生江海士,古貌又古心。

孟東野は長江と東海の間の生まれで、風采も心も共に古めかしい人間である。

嘗讀古人書,謂言古猶今。

曾て 古人の書を読んでいて、いわゆる堯舜の時代も、やはり、今日のようだと思い込んでいたのである。

作詩三百首,窅默咸池音。

作っている詩は三百篇もあり、堯の楽「咸池」の音にも比すべき高い調べも、窅默していても仕方がないということだ。

騎驢到京國,欲和熏風琴。

そんなことがあって、驢馬に乗って、都長安に上り、これを天子の五絃薫風の琴の調子に合わせてはじめて世にあらわしたいと決心して出てきたのだ。

#2

豈識天子居,九重鬱沈沈。

ところが、今の世は簡単なことではなく先ず、天子の住まわれているところを知らねばならないが、九重の門と幾重にも曲った奥深き所におられるということである。

一門百夫守,無籍不可尋。

一門ごとに、百人の番兵がいて、門鑑を持たぬ者は中に入ることは不可能なのだ。

晶光蕩相射,旗戟翩以森。

そうはいっても日月の光は蕩蕩として互いに相射するものではあるが、はたさしものや矛などでいかめしく護衛しているのである。

遷延乍卻走,驚怪靡自任。

このように厳しい守りに対してたじろぎ、すぐに引き返すのであり、驚いて、怪しむものは自制心さえなくそうというものである。

#3

舉頭看白日,泣涕下霑襟。

首をあげて、白日をみれば、涙が自然に下って、襟を濡らしてやまない。

朅來遊公卿,莫肯低華簪。

天子に謁見することは、到底難しいから、今度は、公卿の間に遊ぼうとしたが、その公卿もまた華簪を垂れている。

諒非軒冕族,應對多差參。

お辞儀をして、孟郊(東野)を迎えるものなどなく、軒冕の族というわけでもない普通の人士は応対さえしてくれない。

萍蓬風波急,桑日月侵。

かくて、孟郊(東野)は浮草が風波に漂わされたように、ぐずぐずしているうちに日出の桑畑から、日の入りの楡林に沈み、月もやがてしずむように、おいおいとしをとるのだ。

#4

奈何從進士,此路轉嶇嶔。

いかにして、進士に及第して官僚になろうという、この立身出世の道はそう簡単に出来るようなものではないのである。

異質忌處群,孤芳難寄林。

孟郊(孟東野)はもとより、異質のものであって、群小人の中に交じっていることなどできることはできない性格で、孤芳が雑木林に生えて安穏出来ることが困難というのと同じである。

誰憐松桂性,競愛桃李陰。

松桂のような立派な本質は、誰も好むものはなく、桃李の花が咲いて、それが一杯にさいて影になるようなほうが、俗受けがよいというものである。

朝悲辭樹葉,夕感歸巢禽。

そこで、孟郊(孟東野)は、朝に落葉の樹を辞するのを見て、わが身のはかなきを悲しみ、夕べに、巣に帰る鳥を見て、早く故郷に帰りたいと思ったのだ。

顧我多慷慨,窮簷時見臨。

その間、韓退之は慷慨の人だといって交わりを結び、孟郊(孟東野)はしばしば我がむさくるしい軒端の家を訪ねてくれた。

#5

宵靜相對,髮白聆苦吟。

采蘭起幽念,眇然望東南。

修且阻,兩地無數金。

我論徐方牧,好古天下欽。

竹實鳳所食,德馨神所歆。

#6

求觀眾丘小,必上泰山岑。

求觀眾流細,必泛滄溟深。

子其聽我言,可以當所箴。

既獲則思返,無為久滯淫。

卞和試三獻,期子在秋砧。

 

(孟生の詩):#1

孟生 江海の士,古貌 又た 古心。

嘗て古人の書を讀み,謂うて言う 古も猶お今のごとし。

詩を作ること 三百首,窅默【ようもく】たり 咸池音。

驢に騎して京國に到り,熏風の琴に和せんと欲す。

#2

豈に識んや 天子の居,九重 鬱として沈沈たるを。

一門 百夫守る,籍無くば尋ねる可からず。

晶光 蕩として相い射る,旗戟 翩として以て森たり。

遷延 乍ち卻走【きゃくそう】,驚怪 自ら任【と】うる靡【な】し。

#3

頭を舉げて白日を看,泣涕 下って襟を霑す。

朅來【けつらい】公卿に遊び,肯えて華簪を低るる莫し。

諒【まこと】に軒冕【けんべん】の族にら非ず,應對 多くは差參す。

萍蓬 風波急なり,桑 日月侵す。

#4

奈何んぞ進士に從う,此の路 轉た嶇嶔【くきん】。

異質 群に處るを忌まる,孤芳 林に寄せ難し。

誰か松桂の性を憐まん,競うて桃李の陰を愛す。

朝には樹を辭するの葉を悲み,夕には巢に歸るの禽に感ず。

我を顧みて慷慨多し,窮簷【きゅうえん】時に臨み見る。

#5

清宵 靜かに相い對し,髮白くして苦吟を聆く。

蘭をって幽念を起し,眇然として東南を望む。

 【なご】うして且つ阻だたる,兩地 數金無し。

我 徐方の牧を論ず,古を好んで天下欽す。

竹實は鳳の食する所,德馨は神 歆【きん】する所。

#6

眾丘の小を觀んことを求むれば,必ず泰山の岑に上らん。

眾流の細を觀んことを求むれば,必ず滄溟の深きに泛べ。

子 其れ我が言を聽かば,以って所箴【しょしん】に當る可し。

既に獲ば 則ち返らんを思い,久しく滯淫することを為す無かれ。

卞和 試みに三獻,子を期すること 秋砧【しゅうちん】在り。

燕麦003 

 

『孟生詩』 現代語訳と訳註

(本文) #4

奈何從進士,此路轉嶇嶔。

異質忌處群,孤芳難寄林。

誰憐松桂性,競愛桃李陰。

朝悲辭樹葉,夕感歸巢禽。

顧我多慷慨,窮簷時見臨。

 

(下し文) #4

奈何んぞ進士に從う,此の路 轉た嶇嶔【くきん】。

異質 群に處るを忌まる,孤芳 林に寄せ難し。

誰か松桂の性を憐まん,競うて桃李の陰を愛す。

朝には樹を辭するの葉を悲み,夕には巢に歸るの禽に感ず。

我を顧みて慷慨多し,窮簷【きゅうえん】時に臨み見る。

 

(現代語訳)

いかにして、進士に及第して官僚になろうという、この立身出世の道はそう簡単に出来るようなものではないのである。

孟郊(孟東野)はもとより、異質のものであって、群小人の中に交じっていることなどできることはできない性格で、孤芳が雑木林に生えて安穏出来ることが困難というのと同じである。

松桂のような立派な本質は、誰も好むものはなく、桃李の花が咲いて、それが一杯にさいて影になるようなほうが、俗受けがよいというものである。

そこで、孟郊(孟東野)は、朝に落葉の樹を辞するのを見て、わが身のはかなきを悲しみ、夕べに、巣に帰る鳥を見て、早く故郷に帰りたいと思ったのだ。

その間、韓退之は慷慨の人だといって交わりを結び、孟郊(孟東野)はしばしば我がむさくるしい軒端の家を訪ねてくれた。

 

 

(訳注) #4

孟生詩 

(孟郊(東野)孟郊が徐州に赴くについて、孟郊を激励する詩)

この詩は、孟郊(東野)がほとんど五十にして上京し、進士試験を受験、落第した。韓愈は衣食の確保のため、徐州節度使の張建封に紹介し、愈々、孟郊が徐州に赴くについてこの詩を作った。

 

奈何從進士,此路轉嶇嶔。

いかにして、進士に及第して官僚になろうという、この立身出世の道はそう簡単に出来るようなものではないのである。

嶇嶔 峻険な山道。

 

異質忌處群,孤芳難寄林。

孟郊(孟東野)はもとより、異質のものであって、群小人の中に交じっていることなどできることはできない性格で、孤芳が雑木林に生えて安穏出来ることが困難というのと同じである。

忌處群 群小人の中に交じっていることなどできることはできない性格。

孤芳 李白《古風五十九首之三十七》I「群沙穢明珠、眾草凌孤芳。」(群沙 明珠を穢【けが】し、眾草 孤芳 凌【しの】ぐ。)

37-#1 《古風五十九首之三十七》Index-26Ⅳ-1 747年天寶六年47歳466古風,五十九首之三十七 燕臣昔慟哭, <37> Ⅰ李白詩1197 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4533

 

誰憐松桂性,競愛桃李陰。

松桂のような立派な本質は、誰も好むものはなく、桃李の花が咲いて、それが一杯にさいて影になるようなほうが、俗受けがよいというものである。

 

朝悲辭樹葉,夕感歸巢禽。

そこで、孟郊(孟東野)は、朝に落葉の樹を辞するのを見て、わが身のはかなきを悲しみ、夕べに、巣に帰る鳥を見て、早く故郷に帰りたいと思ったのだ。

 

顧我多慷慨,窮簷時見臨。

その間、韓退之は慷慨の人だといって交わりを結び、孟郊(孟東野)はしばしば我がむさくるしい軒端の家を訪ねてくれた。
甘粛省-嘉峪関 

436-#3 《孟生詩【孟先生詩】》韓愈(韓退之)ID <1145> Ⅱ韓昌黎集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4709韓愈詩-436-#3

お辞儀をして、孟郊(東野)を迎えるものなどなく、軒冕の族というわけでもない普通の人士は応対さえしてくれない。かくて、孟郊(東野)は浮草が風波に漂わされたように、ぐずぐずしているうちに日出の桑畑から、日の入りの楡林に沈み、月もやがてしずむように、おいおいとしをとるのだ。

 
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 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
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436-#3 《孟生詩【孟先生詩】》韓愈(韓退之)ID  1145> Ⅱ韓昌黎集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4709韓愈詩-436-#3

 

 

制作年:              793年貞元九年26

卷別:    卷三四0              文體:    五言古詩

詩題:    孟生詩【孟先生詩】【案:孟郊下第,送之謁徐州張建封也。】

及地點:              徐州 (河南道 徐州 徐州) 別名:彭城、徐方  

泰山 (河南道 兗州 泰山) 別名:岱宗、岱、東岳      

九重 (京畿道 京兆府 長安)           

交遊人物:孟郊    書信往來(京畿道 京兆府 長安)

 

孟生詩 #1

(孟郊(東野)孟郊が徐州に赴くについて、孟郊を激励する詩)

孟生江海士,古貌又古心。

孟東野は長江と東海の間の生まれで、風采も心も共に古めかしい人間である。

嘗讀古人書,謂言古猶今。

曾て 古人の書を読んでいて、いわゆる堯舜の時代も、やはり、今日のようだと思い込んでいたのである。

作詩三百首,窅默咸池音。

作っている詩は三百篇もあり、堯の楽「咸池」の音にも比すべき高い調べも、窅默していても仕方がないということだ。

騎驢到京國,欲和熏風琴。

そんなことがあって、驢馬に乗って、都長安に上り、これを天子の五絃薫風の琴の調子に合わせてはじめて世にあらわしたいと決心して出てきたのだ。

#2

豈識天子居,九重鬱沈沈。

ところが、今の世は簡単なことではなく先ず、天子の住まわれているところを知らねばならないが、九重の門と幾重にも曲った奥深き所におられるということである。

一門百夫守,無籍不可尋。

一門ごとに、百人の番兵がいて、門鑑を持たぬ者は中に入ることは不可能なのだ。

晶光蕩相射,旗戟翩以森。

そうはいっても日月の光は蕩蕩として互いに相射するものではあるが、はたさしものや矛などでいかめしく護衛しているのである。

遷延乍卻走,驚怪靡自任。

このように厳しい守りに対してたじろぎ、すぐに引き返すのであり、驚いて、怪しむものは自制心さえなくそうというものである。

#3

舉頭看白日,泣涕下霑襟。

首をあげて、白日をみれば、涙が自然に下って、襟を濡らしてやまない。

朅來遊公卿,莫肯低華簪。

天子に謁見することは、到底難しいから、今度は、公卿の間に遊ぼうとしたが、その公卿もまた華簪を垂れている。

諒非軒冕族,應對多差參。

お辞儀をして、孟郊(東野)を迎えるものなどなく、軒冕の族というわけでもない普通の人士は応対さえしてくれない。

萍蓬風波急,桑日月侵。

かくて、孟郊(東野)は浮草が風波に漂わされたように、ぐずぐずしているうちに日出の桑畑から、日の入りの楡林に沈み、月もやがてしずむように、おいおいとしをとるのだ。

#4

奈何從進士,此路轉嶇嶔。異質忌處群,孤芳難寄林。

誰憐松桂性,競愛桃李陰。朝悲辭樹葉,夕感歸巢禽。

顧我多慷慨,窮簷時見臨。

#5

宵靜相對,髮白聆苦吟。采蘭起幽念,眇然望東南。

修且阻,兩地無數金。我論徐方牧,好古天下欽。

竹實鳳所食,德馨神所歆。

#6

求觀眾丘小,必上泰山岑。求觀眾流細,必泛滄溟深。

子其聽我言,可以當所箴。既獲則思返,無為久滯淫。

卞和試三獻,期子在秋砧。

 

(孟生の詩):#1

孟生 江海の士,古貌 又た 古心。

嘗て古人の書を讀み,謂うて言う 古も猶お今のごとし。

詩を作ること 三百首,窅默【ようもく】たり 咸池音。

驢に騎して京國に到り,熏風の琴に和せんと欲す。

#2

豈に識んや 天子の居,九重 鬱として沈沈たるを。

一門 百夫守る,籍無くば尋ねる可からず。

晶光 蕩として相い射る,旗戟 翩として以て森たり。

遷延 乍ち卻走【きゃくそう】,驚怪 自ら任【と】うる靡【な】し。

#3

頭を舉げて白日を看,泣涕 下って襟を霑す。

朅來【けつらい】公卿に遊び,肯えて華簪を低るる莫し。

諒【まこと】に軒冕【けんべん】の族にら非ず,應對 多くは差參す。

萍蓬 風波急なり,桑 日月侵す。

#4

奈何んぞ進士に從う,此の路 轉た嶇嶔【くきん】。

異質 群に處るを忌まる,孤芳 林に寄せ難し。

誰か松桂の性を憐まん,競うて桃李の陰を愛す。

朝には樹を辭するの葉を悲み,夕には巢に歸るの禽に感ず。

我を顧みて慷慨多し,窮簷【きゅうえん】時に臨み見る。

#5

清宵 靜かに相い對し,髮白くして苦吟を聆く。

蘭をって幽念を起し,眇然として東南を望む。

 【なご】うして且つ阻だたる,兩地 數金無し。

我 徐方の牧を論ず,古を好んで天下欽す。

竹實は鳳の食する所,德馨は神 歆【きん】する所。

#6

眾丘の小を觀んことを求むれば,必ず泰山の岑に上らん。

眾流の細を觀んことを求むれば,必ず滄溟の深きに泛べ。

子 其れ我が言を聽かば,以って所箴【しょしん】に當る可し。

既に獲ば 則ち返らんを思い,久しく滯淫することを為す無かれ。

卞和 試みに三獻,子を期すること 秋砧【しゅうちん】在り。

01 朝賀の服装 

 

『孟生詩』 現代語訳と訳註

(本文) #3

舉頭看白日,泣涕下霑襟。

朅來遊公卿,莫肯低華簪。

諒非軒冕族,應對多差參。

萍蓬風波急,桑日月侵。

 

(下し文) #3

頭を舉げて白日を看,泣涕 下って襟を霑す。

朅來【けつらい】公卿に遊び,肯えて華簪を低るる莫し。

諒【まこと】に軒冕【けんべん】の族にら非ず,應對 多くは差參す。

萍蓬 風波急なり,桑 日月侵す。

 

(現代語訳)

首をあげて、白日をみれば、涙が自然に下って、襟を濡らしてやまない。

天子に謁見することは、到底難しいから、今度は、公卿の間に遊ぼうとしたが、その公卿もまた華簪を垂れている。

お辞儀をして、孟郊(東野)を迎えるものなどなく、軒冕の族というわけでもない普通の人士は応対さえしてくれない。

かくて、孟郊(東野)は浮草が風波に漂わされたように、ぐずぐずしているうちに日出の桑畑から、日の入りの楡林に沈み、月もやがてしずむように、おいおいとしをとるのだ。

 

(訳注) #3

孟生詩 

(孟郊(東野)孟郊が徐州に赴くについて、孟郊を激励する詩)

この詩は、孟郊(東野)がほとんど五十にして上京し、進士試験を受験、落第した。韓愈は衣食の確保のため、徐州節度使の張建封に紹介し、愈々、孟郊が徐州に赴くについてこの詩を作った。

 

舉頭看白日,泣涕下霑襟。

首をあげて、白日をみれば、涙が自然に下って、襟を濡らしてやまない。

 

朅來遊公卿,莫肯低華簪。

天子に謁見することは、到底難しいから、今度は、公卿の間に遊ぼうとしたが、その公卿もまた華簪を垂れている。

 

諒非軒冕族,應對多差參。

お辞儀をして、孟郊(東野)を迎えるものなどなく、軒冕の族というわけでもない普通の人士は応対さえしてくれない。

軒冕 ① 古代中国で、大夫(たいふ)以上の人の乗る車と、かぶる冠。② 高位高官。また、その人。

差參 參差におなじ。① 長短の等しくないさま。そろわないさま。 「枝葉-として生繁り/読本・弓張月 拾遺」 入りまじるさま。入り組むさま。

 

萍蓬風波急,桑日月侵。

かくて、孟郊(東野)は浮草が風波に漂わされたように、ぐずぐずしているうちに日出の桑畑から、日の入りの楡林に沈み、月もやがてしずむように、おいおいとしをとるのだ。

 桑畑は東にあり、西の寝れの端に日が沈むこと、朝から晩まで一生懸命励むことをいう。織蚕は女子の基本作業であり、こまめな作業が必要なのである。

漢の無名氏『陌上桑』 

日出東南隅,照我秦氏樓。秦氏有好女,自名為羅敷。

羅敷喜蠶桑,採桑城南隅。青絲為籠係,桂枝為籠鉤。

日は東南隅に出でて、我が案氏の榎を照らす。

秦氏に好女有り、自ら名つけて羅敦と為す。

羅敷荒桑を善くし、桑を城の南隅に探る。

青緑をは籠系と為し、桂枝をば寵鈎と為す。

陌上桑行 古詩漢楽府<55>古詩源 巻五 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩

種桑
詩人陳條柯、亦有美攘剔。
前修爲誰故、後事資紡績。
媿微富敎益、浮陽騖嘉日。
蓺桑迨閒隙、疏欄發近郛、長行達廣場。
曠流始毖泉、湎塗猶跬跡。
俾比將長成、慰我海外役。

種桑 謝霊運<19>  詩集 385
 
桑畑

436-#2 《孟生詩【孟先生詩】》韓愈(韓退之)ID <1144> Ⅱ韓昌黎集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4704韓愈詩-436-#2

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 杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩) 杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首 
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制作年:              793年貞元九年26

卷別:    卷三四0              文體:    五言古詩

詩題:    孟生詩【孟先生詩】【案:孟郊下第,送之謁徐州張建封也。】

及地點:              徐州 (河南道 徐州 徐州) 別名:彭城、徐方  

泰山 (河南道 兗州 泰山) 別名:岱宗、岱、東岳      

九重 (京畿道 京兆府 長安)           

交遊人物:孟郊    書信往來(京畿道 京兆府 長安)

 

孟生詩 #1

孟生江海士,古貌又古心。

嘗讀古人書,謂言古猶今。

作詩三百首,窅默咸池音。

騎驢到京國,欲和熏風琴。

(孟郊(東野)孟郊が徐州に赴くについて、孟郊を激励する詩)

孟東野は長江と東海の間の生まれで、風采も心も共に古めかしい人間である。

曾て 古人の書を読んでいて、いわゆる堯舜の時代も、やはり、今日のようだと思い込んでいたのである。

作っている詩は三百篇もあり、堯の楽「咸池」の音にも比すべき高い調べも、窅默していても仕方がないということだ。

そんなことがあって、驢馬に乗って、都長安に上り、これを天子の五絃薫風の琴の調子に合わせてはじめて世にあらわしたいと決心して出てきたのだ。

#2

豈識天子居,九重鬱沈沈。

一門百夫守,無籍不可尋。

晶光蕩相射,旗戟翩以森。

遷延乍卻走,驚怪靡自任。

ところが、今の世は簡単なことではなく先ず、天子の住まわれているところを知らねばならないが、九重の門と幾重にも曲った奥深き所におられるということである。

一門ごとに、百人の番兵がいて、門鑑を持たぬ者は中に入ることは不可能なのだ。

そうはいっても日月の光は蕩蕩として互いに相射するものではあるが、はたさしものや矛などでいかめしく護衛しているのである。

このように厳しい守りに対してたじろぎ、すぐに引き返すのであり、驚いて、怪しむものは自制心さえなくそうというものである。

#3

舉頭看白日,泣涕下霑襟。朅來遊公卿,莫肯低華簪。

諒非軒冕族,應對多差參。萍蓬風波急,桑日月侵。

#4

奈何從進士,此路轉嶇嶔。異質忌處群,孤芳難寄林。

誰憐松桂性,競愛桃李陰。朝悲辭樹葉,夕感歸巢禽。

顧我多慷慨,窮簷時見臨。

#5

宵靜相對,髮白聆苦吟。采蘭起幽念,眇然望東南。

修且阻,兩地無數金。我論徐方牧,好古天下欽。

竹實鳳所食,德馨神所歆。

#6

求觀眾丘小,必上泰山岑。求觀眾流細,必泛滄溟深。

子其聽我言,可以當所箴。既獲則思返,無為久滯淫。

卞和試三獻,期子在秋砧。

 

(孟生の詩):#1

孟生 江海の士,古貌 又た 古心。

嘗て古人の書を讀み,謂うて言う 古も猶お今のごとし。

詩を作ること 三百首,窅默【ようもく】たり 咸池音。

驢に騎して京國に到り,熏風の琴に和せんと欲す。

#2

豈に識んや 天子の居,九重 鬱として沈沈たるを。

一門 百夫守る,籍無くば尋ねる可からず。

晶光 蕩として相い射る,旗戟 翩として以て森たり。

遷延 乍ち卻走【きゃくそう】,驚怪 自ら任【と】うる靡【な】し。

#3

頭を舉げて白日を看,泣涕 下って襟を霑す。

朅來【けつらい】公卿に遊び,肯えて華簪を低るる莫し。

諒【まこと】に軒冕【けんべん】の族にら非ず,應對 多くは差參す。

萍蓬 風波急なり,桑 日月侵す。

#4

奈何んぞ進士に從う,此の路 轉た嶇嶔【くきん】。

異質 群に處るを忌まる,孤芳 林に寄せ難し。

誰か松桂の性を憐まん,競うて桃李の陰を愛す。

朝には樹を辭するの葉を悲み,夕には巢に歸るの禽に感ず。

我を顧みて慷慨多し,窮簷【きゅうえん】時に臨み見る。

#5

清宵 靜かに相い對し,髮白くして苦吟を聆く。

蘭をって幽念を起し,眇然として東南を望む。

 【なご】うして且つ阻だたる,兩地 數金無し。

我 徐方の牧を論ず,古を好んで天下欽す。

竹實は鳳の食する所,德馨は神 歆【きん】する所。

#6

眾丘の小を觀んことを求むれば,必ず泰山の岑に上らん。

眾流の細を觀んことを求むれば,必ず滄溟の深きに泛べ。

子 其れ我が言を聽かば,以って所箴【しょしん】に當る可し。

既に獲ば 則ち返らんを思い,久しく滯淫することを為す無かれ。

卞和 試みに三獻,子を期すること 秋砧【しゅうちん】在り。

 

玄武門 

『孟生詩』 現代語訳と訳註

(本文) #2

豈識天子居,九重鬱沈沈。

一門百夫守,無籍不可尋。

晶光蕩相射,旗戟翩以森。

遷延乍卻走,驚怪靡自任。

 

(下し文)#2

豈に識んや 天子の居,九重 鬱として沈沈たるを。

一門 百夫守る,籍無くば尋ねる可からず。

晶光 蕩として相い射る,旗戟 翩として以て森たり。

遷延 乍ち卻走【きゃくそう】,驚怪 自ら任【と】うる靡【な】し。

 

(現代語訳)

ところが、今の世は簡単なことではなく先ず、天子の住まわれているところを知らねばならないが、九重の門と幾重にも曲った奥深き所におられるということである。

一門ごとに、百人の番兵がいて、門鑑を持たぬ者は中に入ることは不可能なのだ。

そうはいっても日月の光は蕩蕩として互いに相射するものではあるが、はたさしものや矛などでいかめしく護衛しているのである。

このように厳しい守りに対してたじろぎ、すぐに引き返すのであり、驚いて、怪しむものは自制心さえなくそうというものである。

閶闔門001 

(訳注) #2

孟生詩 

(孟郊(東野)孟郊が徐州に赴くについて、孟郊を激励する詩)

この詩は、孟郊(東野)がほとんど五十にして上京し、進士試験を受験、落第した。韓愈は衣食の確保のため、徐州節度使の張建封に紹介し、愈々、孟郊が徐州に赴くについてこの詩を作った。

 

 

豈識天子居,九重鬱沈沈。

ところが、今の世は簡単なことではなく先ず、天子の住まわれているところを知らねばならないが、九重の門と幾重にも曲った奥深き所におられるということである。

九重《楚辭補註》卷八〈九辯〉~88 豈不鬱陶而思君兮,君之門以九重

沈沈 宮城の奥深いこと。

 

一門百夫守,無籍不可尋。

一門ごとに、百人の番兵がいて、門鑑を持たぬ者は中に入ることは不可能なのだ。

無籍 門鑑を持たぬ者。

 

晶光蕩相射,旗戟翩以森。

そうはいっても日月の光は蕩蕩として互いに相射するものではあるが、はたさしものや矛などでいかめしく護衛しているのである。

晶光 日月の光。

 

遷延乍卻走,驚怪靡自任。

このように厳しい守りに対してたじろぎ、すぐに引き返すのであり、驚いて、怪しむものは自制心さえなくそうというものである。

遷延 あとすざりすること。

靡自任 自制心さえなくなること。
唐朝 大明宮2000
長安城皇城図 

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作っている詩は三百篇もあり、堯の楽「咸池」の音にも比すべき高い調べも、窅默していても仕方がないということだ。そんなことがあって、驢馬に乗って、都長安に上り、これを天子の五絃薫風の琴の調子に合わせてはじめて世にあらわしたいと決心して出てきたのだ。

 
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436-#1 《孟生詩【孟先生詩】【案:孟郊下第,送之謁徐州張建封也。】》韓愈(韓退之)ID  1143 Ⅱ韓昌黎集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4699韓愈詩-436-#1

 

 

制作年:              793年貞元九年26

卷別:    卷三四0              文體:    五言古詩

詩題:    孟生詩【孟先生詩】【案:孟郊下第,送之謁徐州張建封也。】

及地點:              徐州 (河南道 徐州 徐州) 別名:彭城、徐方  

泰山 (河南道 兗州 泰山) 別名:岱宗、岱、東岳      

九重 (京畿道 京兆府 長安)           

交遊人物:孟郊    書信往來(京畿道 京兆府 長安)

 

孟生詩 #1

(孟郊(東野)孟郊が徐州に赴くについて、孟郊を激励する詩)

孟生江海士,古貌又古心。

孟東野は長江と東海の間の生まれで、風采も心も共に古めかしい人間である。

嘗讀古人書,謂言古猶今。

曾て 古人の書を読んでいて、いわゆる堯舜の時代も、やはり、今日のようだと思い込んでいたのである。

作詩三百首,窅默咸池音。

作っている詩は三百篇もあり、堯の楽「咸池」の音にも比すべき高い調べも、窅默していても仕方がないということだ。

騎驢到京國,欲和熏風琴。

そんなことがあって、驢馬に乗って、都長安に上り、これを天子の五絃薫風の琴の調子に合わせてはじめて世にあらわしたいと決心して出てきたのだ。

#2

豈識天子居,九重鬱沈沈。一門百夫守,無籍不可尋。

晶光蕩相射,旗戟翩以森。遷延乍卻走,驚怪靡自任。

#3

舉頭看白日,泣涕下霑襟。朅來遊公卿,莫肯低華簪。

諒非軒冕族,應對多差參。萍蓬風波急,桑日月侵。

#4

奈何從進士,此路轉嶇嶔。異質忌處群,孤芳難寄林。

誰憐松桂性,競愛桃李陰。朝悲辭樹葉,夕感歸巢禽。

顧我多慷慨,窮簷時見臨。

#5

宵靜相對,髮白聆苦吟。采蘭起幽念,眇然望東南。

修且阻,兩地無數金。我論徐方牧,好古天下欽。

竹實鳳所食,德馨神所歆。

#6

求觀眾丘小,必上泰山岑。求觀眾流細,必泛滄溟深。

子其聽我言,可以當所箴。既獲則思返,無為久滯淫。

卞和試三獻,期子在秋砧。

 

(孟生の詩):#1

孟生 江海の士,古貌 又た 古心。

嘗て古人の書を讀み,謂うて言う 古も猶お今のごとし。

詩を作ること 三百首,窅默【ようもく】たり 咸池音。

驢に騎して京國に到り,熏風の琴に和せんと欲す。

#2

豈に識んや 天子の居,九重 鬱として沈沈たるを。

一門 百夫守る,籍無くば尋ねる可からず。

晶光 蕩として相い射る,旗戟 翩として以て森たり。

遷延 乍ち卻走【きゃくそう】,驚怪 自ら任【と】うる靡【な】し。

#3

頭を舉げて白日を看,泣涕 下って襟を霑す。

朅來【けつらい】公卿に遊び,肯えて華簪を低るる莫し。

諒【まこと】に軒冕【けんべん】の族にら非ず,應對 多くは差參す。

萍蓬 風波急なり,桑 日月侵す。

#4

奈何んぞ進士に從う,此の路 轉た嶇嶔【くきん】。

異質 群に處るを忌まる,孤芳 林に寄せ難し。

誰か松桂の性を憐まん,競うて桃李の陰を愛す。

朝には樹を辭するの葉を悲み,夕には巢に歸るの禽に感ず。

我を顧みて慷慨多し,窮簷【きゅうえん】時に臨み見る。

#5

清宵 靜かに相い對し,髮白くして苦吟を聆く。

蘭をって幽念を起し,眇然として東南を望む。

 【なご】うして且つ阻だたる,兩地 數金無し。

我 徐方の牧を論ず,古を好んで天下欽す。

竹實は鳳の食する所,德馨は神 歆【きん】する所。

#6

眾丘の小を觀んことを求むれば,必ず泰山の岑に上らん。

眾流の細を觀んことを求むれば,必ず滄溟の深きに泛べ。

子 其れ我が言を聽かば,以って所箴【しょしん】に當る可し。

既に獲ば 則ち返らんを思い,久しく滯淫することを為す無かれ。

卞和 試みに三獻,子を期すること 秋砧【しゅうちん】在り。

Nature1-003 

 

『孟生詩』 現代語訳と訳註

(本文) #1

孟生江海士,古貌又古心。嘗讀古人書,謂言古猶今。

作詩三百首,窅默咸池音。騎驢到京國,欲和熏風琴。

 

(下し文)

 (孟生の詩):#1

孟生 江海の士,古貌 又た 古心。

嘗て古人の書を讀み,謂うて言う 古も猶お今のごとし。

詩を作ること 三百首,窅默【ようもく】たり 咸池音。

驢に騎して京國に到り,熏風の琴に和せんと欲す。

 

(現代語訳)

(孟郊(東野)孟郊が徐州に赴くについて、孟郊を激励する詩)

孟東野は長江と東海の間の生まれで、風采も心も共に古めかしい人間である。

曾て 古人の書を読んでいて、いわゆる堯舜の時代も、やはり、今日のようだと思い込んでいたのである。

作っている詩は三百篇もあり、堯の楽「咸池」の音にも比すべき高い調べも、窅默していても仕方がないということだ。

そんなことがあって、驢馬に乗って、都長安に上り、これを天子の五絃薫風の琴の調子に合わせてはじめて世にあらわしたいと決心して出てきたのだ。

 

(訳注)

孟生詩 #1

(孟郊(東野)孟郊が徐州に赴くについて、孟郊を激励する詩)

この詩は、孟郊(東野)がほとんど五十にして上京し、進士試験を受験、落第した。韓愈は衣食の確保のため、徐州節度使の張建封に紹介し、愈々、孟郊が徐州に赴くについてこの詩を作った。

 

孟生江海士,古貌又古心。

孟東野は長江と東海の間の生まれで、風采も心も共に古めかしい人間である。

 

嘗讀古人書,謂言古猶今。

曾て 古人の書を読んでいて、いわゆる堯舜の時代も、やはり、今日のようだと思い込んでいたのである。

 

作詩三百首,窅默咸池音。

作っている詩は三百篇もあり、堯の楽「咸池」の音にも比すべき高い調べも、窅默していても仕方がないということだ。

○窅默 仕方がないと黙っていること。

○咸池 絃の楽。堯帝が洞庭で「咸池の楽」を奏し、洞庭の魚をも舞わせる。荘子』天運篇「咸池樂論」…『荘子』の外篇咸池の楽とは黄帝が作曲したとされる最も秀れた音楽のひとつ 聖人黄帝と、成という名の修道者の問答「懼れ」秀れた音楽はまず人間のパトスをうち、人間の内面に衝撃を与えるものであって、最初に懼れが来る。

 

騎驢到京國,欲和熏風琴。

そんなことがあって、驢馬に乗って、都長安に上り、これを天子の五絃薫風の琴の調子に合わせてはじめて世にあらわしたいと決心して出てきたのだ。

○熏風琴 「五弦の琴を弾じ、南風の詩を歌ひて天下治まる。」ということの基づく。薫風は初夏、若葉の香りを送るようにさわやかに吹く南風をいう言葉で。上古の舜帝が

五弦琴を弾きながら歌ったと伝えられるもの。『礼記注疏』「舜弾五弦之琴其辞」「南風之薫兮。可以解吾民之慍兮。南風之時兮。可以阜吾民之財兮。弾五絃之琴而天下治。

 

 

「郊寒島痩」屈折された文学
宋の蘇軾は「祭柳子玉文」(『蘇軾文集』巻六十三、中華書局、一九八六)の中で、孟郊と賈島の詩の特色を「郊寒島痩」ということばで批評した。孟郊は寒く、賈島は痩せているという。「寒」「痩」という評語は、孟郊と賈島の詩を否定したものではなく、そこに新しい美意識を認めるのである。既に孟郊の「交友」友情、愛情について、「求友」  「擇友」  「結交」 「勸友」 「審交」   結愛  の六首を見た。    
孟郊の「人」について、「寒地百姓吟」(巻三)を例に挙げて、孟郊が「人」をどのように描いているか見てみよう。この詩には、「為鄭相、其年居河南、畿内百姓、大蒙矜卹」という自注がついている。宰相をつとめた鄭余慶が河南尹となり、人民のために尽くしたのを讃えた詩で、元和元年(八〇六)、五十六歳の作。孟郊は鄭余慶の下で、河南水陸運従軍、試協律郎の職に就いていた。

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