中唐詩人選集【Ⅰ李商隠-150】Ⅱ韓退之(韓愈)Ⅶ孟郊(東野)  漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩 訳注解説ブログ

Ⅰ李商隠は難解詩といわれている。約150首紹介済。(晩唐詩人) Ⅱ韓退之(韓愈)-約500首Ⅶ孟郊、中唐の詩人を掲載中。万物の性(さが)をテーマにした哲学的な詩。このブログは基本的に中唐詩人を中心にして掲載する予定。 韓愈詩文のこれまでの掲載分とこれから掲載予定分を時系列で整理した2014.3.29のブログに集約してそこから各年次を見ることができる  kanbuniinkai 検索で、《漢文委員会HP05》サイトあります。漢詩唐詩を理解するための総合サイト:≪漢文委員会 漢詩07≫。

少し、マニアックな晩唐詩人Ⅰ-李商隠150首をまず掲載済み。中唐は盛唐詩人(孟浩然・王維、杜甫、李白)を受け継いだ多様な詩人が出ている。この時代も驚くほど詩が発展している。Ⅱ韓退之(韓愈)500首、Ⅲ柳宗元40首、Ⅳ韋応物、Ⅴ劉長卿、Ⅵ韋荘、Ⅶ孟郊(孟東野)、Ⅷ張籍、Ⅸ賈島、Ⅹ劉禹錫、ほか2012~2020年の予定で気長に進める。同じ中唐ではあるが、白居易のグループについては、李白のブログ350首(2015/6月再開~2018/夏・秋月予定)の後掲載の予定。別に杜甫詩ブログ1500首(2011/7月~2018/8月の予定で)を進行中。詩数につぃては、予定の詩数より多くなる。気まぐれなところがあるのでこの予定が少し変わる場合があり、その節はご容赦ください。                 古詩・謝霊運詩 杜甫詩 韓愈詩 花間集500首全詩 それぞれ毎日ブログしています。 このブログ、索引=語句の「検索」 参考書以上掲載。漢詩力up。

唐宋八大家文読本 巻三

韓愈145-#1《 全唐文551-11至鄧州北寄上襄陽於相公書 #1》 韓愈(韓退之) 806年貞元22年 39歳-(18)-#1<1721> Ⅱ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7581

韓愈詩-韓愈145-#1

至鄧州北寄上襄陽於相公書 #1

伏蒙示《文武順聖樂辭》《天保樂詩》《讀蔡姬胡笳辭詩》《移族從》並《與京兆書》。
(襄陽から鄧州の北境までの節度府の閣下御制作の文書を讀んだのでこの書を寄せ奉る)

伏して閣下御制作の「文武順聖樂辭」(文武順聖楽の歌辞)、「天保樂詩」(天保楽の詩)「讀蔡琰胡笳辭詩」(蔡琰が胡茄の辞を読むの詩)「移族從」(族従に移し)、幷びに「與京兆書」(京兆に与うる書)をお示し頂いた。

昌黎先生集15-08

至鄧州北寄上襄陽於相公書 #1(上襄陽於相公書)

漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7581 

 806年貞元22年 39歳-(18)#1

 <1721>

 

 

 

 

 

作時年:

806年

貞元22年

39歲

全唐文卷別:

卷551-11 

文體:

書 啓

昌黎先生集 

巻15-08

 

 

詩題:

至鄧州北寄上襄陽於相公書 (上襄陽於相公書)

序文

作地點:

長安(京畿道 / 京兆府 / 長安)

 

及地點:

 

 

交遊人物:

 于頔・襄陽相公

 書簡(襄陽節度使)

 

 

 

 

 

 

交遊人物:

 

 

 

全唐文551-11 至鄧州北寄上襄陽於相公書 #1

伏蒙示《文武順聖樂辭》《天保樂詩》《讀蔡姬胡笳辭詩》《移族從》並《與京兆書》。

自幕府至鄧之北境凡五百餘裏,自庚子至甲辰凡五日,手披目視,口詠其言,心惟其義,且恐且懼,忽若有亡,不知鞍馬之勤,道途之遠也。

夫澗穀之水,深不過咫尺,邱垤之山,高不能逾尋丈,人則狎而玩之。及至臨泰山之懸崖,窺巨海之驚瀾,莫不戰掉悼栗,眩惑而自失。所觀變於前,所守易於內,亦其理宜也。

#4

閣下負超卓之奇材,蓄雄剛之俊德,渾然天成,無有畔岸,而又貴窮乎公相,威動乎區極,天子之毗,諸侯之師。故其文章言語,與事相侔,憚赫若雷霆,浩汗若河漢,正聲諧《韶》《》,勁氣沮金石,豐而不餘一言,約而不失一辭,其事信,其理切。孔子之言曰:「有德者必有言。」信乎其有德且有言也!揚子雲曰:「《商書》灝灝爾,《周書》噩噩爾。」信乎其能灝灝而且噩噩也!

#7

昔者齊君行而失道,管子請釋老馬而隨之;樊遲請學稼,孔子使問之老農。夫馬之智不賢於夷吾,農之能不聖於尼父,然且雲爾者,聖賢之能多,農馬之知專故也。

今愈雖愚且賤,其從事於文,實專且久,則其讚王公之能,而稱大君子之美,不為僭越也。伏惟詳察。愈恐懼再拜。

 

至鄧州北寄上襄陽於相公書 #1(襄陽から鄧州の北境までの節度府の閣下御制作の文書を讀んだのでこの書を寄せ奉る)

伏蒙示《文武順聖樂辭》《天保樂詩》《讀蔡姬胡笳辭詩》《移族從》並《與京兆書》。
伏して閣下御制作の「文武順聖樂辭」(文武順聖楽の歌辞)、「天保樂詩」(天保楽の詩)「讀蔡琰胡笳辭詩」(蔡琰が胡茄の辞を読むの詩)「移族從」(族従に移し)、幷びに「與京兆書」(京兆に与うる書)をお示し頂いた。

唐時代 韓愈関連05 

 

『至鄧州北寄上襄陽於相公書』現代語訳と訳註解説
(
本文)

至鄧州北寄上襄陽於相公書 #1

伏蒙示《文武順聖樂辭》《天保樂詩》《讀蔡姬胡笳辭詩》《移族從》並《與京兆書》。

(下し文)
(至鄧州の北、襄陽の相公の書に寄せ上る) #1

伏して《文武順聖樂の辭》《天保樂の詩》《蔡姬が胡笳の辭を讀むの詩》《族從に移す》びに《京兆に與うるの書》を示し蒙る。

(現代語訳)
至鄧州北寄上襄陽於相公書 #1(襄陽から鄧州の北境までの節度府の閣下御制作の文書を讀んだのでこの書を寄せ奉る)

伏して閣下御制作の「文武順聖樂辭」(文武順聖楽の歌辞)、「天保樂詩」(天保楽の詩)「讀蔡琰胡笳辭詩」(蔡琰が胡茄の辞を読むの詩)「移族從」(族従に移し)、幷びに「與京兆書」(京兆に与うる書)をお示し頂いた。


(訳注) 

至鄧州北寄上襄陽於相公書 #1

(襄陽から鄧州の北境までの節度府の閣下御制作の文書を讀んだのでこの書を寄せ奉る)

1 鄧州 鄧州(とうしゅう)は中国にかつて存在した州。魏晋南北朝時代・隋代、隋朝が成立すると当初は荊州が設置され4郡9県を管轄した。587年(開皇7年)に鄧州と改称、607年(大業3年)、郡制施行に伴い鄧州は南陽郡と改称され下部に8県を管轄した。

2 相公 于襄陽公、襄陽大都督となる。驕蹇不法、ついに朝に入る。

《新唐書地理志》「于頔傳,頔為襄陽節度,襄有髹器,天下以為法。至頔驕蹇,故方帥不法者,稱為『襄樣節度』。」(于頔傳に,頔は襄陽節度と為し,襄に髹器有り,天下以て法と為す。頔 驕蹇に至り,故に方に帥 不法者なり,『襄樣節度』と稱為す。)

 

伏蒙示《文武順聖樂辭》《天保樂詩》《讀蔡姬胡笳辭詩》《移族從》並與《京兆書》。

伏して閣下御制作の「文武順聖樂辭」(文武順聖楽の歌辞)、「天保樂詩」(天保楽の詩)「讀蔡琰胡笳辭詩」(蔡琰が胡茄の辞を読むの詩)「移族從」(族従に移し)、幷びに「與京兆書」(京兆に与うる書)をお示し頂いた。

3 文武順聖樂辭 干公が献上した楽府(歌曲)の名。唐德宗以後、方鎮多製樂舞以献頔、献順聖樂曲、其曲將半行綴皆伏一人舞于中又令女妓爲佾舞 雄徤壯妙號文武順聖楽。

4 天保樂詩 天宝(玄宗の年号)の音通という。

5 讀蔡姬胡笳辭詩 後漢の学者蔡邕の娘、琰、字は文姫、博学で才があった。乱に遭って胡騎に捕らえられて、匈奴に十二年住み、二子があった。曹操が買い取って董祀に嫁にやった。「胡茄十八拍詞」は匈奴での苦しみを歌ったものである。

6 移族從 廻状の手紙を移文、または移という。つかわす。廻読させる。・族従 一族や家来。

7 京兆書 ・京兆 京都の長官、京兆尹の李実。804年監察御史に進んだが、京兆尹・李実を弾劾したとして、連州陽山の縣令に貶謫されたこともあって、この文のように異様なまでの襄陽相公を賞賛したのであろう。

韓愈125《 巻三03 上兵部李侍郎書》 #8§5 韓愈(韓退之) 805年貞元21年 38歳<1636> Ⅱ#8§5 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7158

韓愈  上兵部李侍郎書§5

謹獻舊文一卷,扶樹教道,有所明白;南行詩一卷,舒憂娛悲,雜以瑰怪之言,時俗之好,所以諷於口而聽於耳也。

如賜覽觀,亦有可采,幹黷嚴尊,伏增惶恐。

愈再拜。
謹んで旧作の文章一巻をたてまつる。これは教化道徳を扶け樹立し、明らかにするところの働きがあるというものである。また南行の詩一巻は、憂いをゆるめ、悲しみをなぐさめるもので、それに取捨雑多をまじえて珍奇であやしい言葉をつかい、時俗の好みをうまくつかっている。

しかし、これは私が口に歌ったり、耳に聴くためのものである。もし御覧いただければ、そして、采べきものがあるとみられたのであれば、これは、閣下の尊厳をおかし、けがしているわけでなく、厳かに尊意を持っているということであり、伏して益々かしこみ恐れる次第である。

わたくし、韓愈はこうして頭を下げてお願い申し上げる。 

韓愈125《 巻三03 上兵部李侍郎書》 #8§5 韓愈(韓退之)  805年貞元21年 38歳<1636> Ⅱ#8§5 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7158

 

 
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韓愈125《 巻三03 上兵部李侍郎書》 #8§5 韓愈(韓退之) 805年貞元21年 38歳<1636> Ⅱ#8§5 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7158  
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韓愈詩-韓愈125

上兵部李侍郎書 §1

(兵部侍郎李巽のような人物を見る眼識のある人に遇って、知己を求めなければ、機会を失うといって、採用を願うのである。)

十二月九日,將仕郎守江陵府法曹參軍韓愈,謹上書侍郎閤下:

十二月九日、将仕郎守江陵府法曹参軍韓愈、謹んで書を侍郎閣下にたてまつる。

愈少鄙鈍,於時事都不通曉,

私は幼少から見識は低く智能は鈍く、時世の事について全く通じ知らないのであるが、

家貧不足以自活,應舉覓官,凡二十年矣。

家が貧しく自力で活きるに不充分であるので、科挙に応じて官をも とめること二十年である。

薄命不幸,動遭讒謗,進寸退尺,卒無所成。

しかし運命が薄くふしあわせで、どうかするとありもしない悪口にあい、一寸進めば一尺退く というように、ついに成功する所かないのである。

(兵部李侍郎に上る書)

十二月九日,將仕 郎守 江陵府 法曹參軍の韓愈,謹んで書を侍郎閤下に上【たてまつ】る。

愈 少より鄙鈍【ひどん】,時事に於いて都【すべ】て通曉せず,

家 貧にして以って自活するに足らず,舉に應じて官を覓むること,凡そ二十年なり。

薄命不幸,動もすれば讒謗【ざんぼう】に遭い,寸を進めば尺を退き,卒【つい】に成す所無し。

 

§2-1

性本好文學,因困厄悲愁,

私は生まれつきの性格は、もともと文学を奸み、生活に困っていて、災いに苦しみ悲しみうれっていた。

無所告語,遂得究窮於經傳、

それを告げ語る人も無い境遇であったから、そのまま聖人の教えの書やそれの伝述の書を研究した。

史記、百家之說,沈潛乎訓義,反複乎句讀,

そして、歴史の記録、請子百家の説を研究し、その読み方解義に深く心をひそめ、辞章の句切り読みなどの勉学を繰り返した。

礱磨乎事業,而奮發乎文章。

学問の仕事に錬磨して、文章に力を奮い発することができた。

§2-1

性は本と 文學を好み,困厄 悲愁に因る,

告語する所無く,遂に經傳、史記、百家の說を究窮するを得る。

訓義に沈潛し,句讀を反複し,

事業を礱磨【ろうま】し,而して文章を奮發す。

凡自唐虞以來,編簡所存,

およそ堯・舜からこのかた、書籍に存する所のものを読み、

大之為河海,高之為山嶽,

広大な文章では黄河や大海のようなものであり、高大なものでは山嶽のような 文章であるのだ。

明之為日月,幽之為鬼神,

明らかに輝くものでは、日月のような文章であり、幽玄なものでは鬼神にもたとえられる神秘な文章であるのだ。

纖之為珠璣華實,變之為雷霆風雨,

繊細な文章では真珠や小さい玉、花や実のようなものでもあるのだ。変化の激しいものでは、雷や稲光、風や雨のような文章である。

-2

凡そ唐虞より以來,編簡の存する所なり,

之を大にしては河海を為し,之を高うしては山嶽と為す。

之を明しては日月と為り,之を幽にしては鬼神と為る。

之を纖しては珠璣【しゅき】華實と為り,之を變じては雷霆【らいてい】風雨と為る,

3

奇辭奧旨,靡不通達。

変化の激しいものでは、雷や稲光、風や雨のような文章である。これらのめずらしい文辞、奥深い意味を、私は十分によく理解しないところがない。

惟是鄙鈍不通曉於時事,學成而道益窮,

ただ私の性質は見識いやしく、心の働きがにぶくて、時世の大切な事がらに行きわたり理解できないだけである。学問はでき上がっているのにである。

年老而智益困,私自憐悼,

わが道はますます行きづまり、年を重ねて智恵はますます苦しんでいる。私は人しれず自分を憐みいたむのである。
悔其初心,發禿齒落,不見知己。

その初めに抱いた志を今では悔いている。髪は禿げ歯は抜けてうつろになっても、己を知ってくれる人物に遭遇できないでいる。

 

奇辭 奧旨,通達せざる靡【な】し。

惟だ是れ 鄙鈍【ひどん】時事に通曉せず,學成りて 道 益す窮す。

年老いて 智 益す困しみ,私【ひそか】に自ら憐悼【れんとう】す。

其の初心を悔い,發禿【はつとく】し齒落ち,知己を見ず。

 

§3

夫牛角之歌,辭鄙而義拙;

一体、斉の甯戚の牛角の歌は、斉の桓公に求めたものであるが、その辞はいやしくて、その意義はまずいものであった。

堂下之言,不書於傳記。

鄭の鬷蔑の堂下での言は、伝記に書いてはないから、内容はわからないのである。

齊桓舉以相國,叔向攜手以上,

斉の桓公は甯戚を挙げて国政を相ける宰相となし、晋の叔向は鬷蔑と手をたずさえて堂に上って語った。

然則非言之難為,聽而識之者難遇也!

そうだとすると、人に認められ難いのは、物言うことの難いのでなくて、それを聴いて人物を識別する者の遇い難いのである。 

夫れ牛角の歌,辭 鄙【いやし】くして 義 拙【つたな】し。

堂下の言は,傳記に書せず。

齊桓 舉げて以って國に相たらしめ,叔向 手を攜えて以て上る,

然らば則ち言の為し難きに非らず,聽いて之を識る者 遇い難きなり!

§4-1

伏以閣下內仁而外義,行高而德巨,

伏して思うに、閣下は心の内には仁愛の心を貯え外には筋道正しい行いをされ、その行為は高尚で人格は大きいのであります。

尚賢而與能,哀窮而悼屈,

すぐれた徳のある人を尚び、能力のある人を挙げ用い、行きづまって苦しんでいる者を哀れんで、志を伸ばし得ないでいるものをいたみ悲しまれる。

自江而西,既化而行矣。

江西の地方は、その徳によって感化されてその政道が実行されている。

今者入守內職,為朝廷大臣,

今は政府内の官職を守って、朝廷の大臣と為られた。

-2

當天子新即位,汲汲於理化之日,

いま正月に、天子が新たに即位されたので、政治教化はこの日から汲汲として休みなく勉められることになった。

出言舉事,宜必施設。

言説を出し事業を行ったのであり、必ずその実施の設備をするのがよいのである。

既有聽之之明,又有振之之力,

侍郎はすでにこれを聴いて判断する明智を持ち、またこれを力強く動かす実力があるのである。

寧戚之歌,鬷明之言,

それなのに甯戚の牛角の歌、鬷明の堂下の言のように、知己を求める意をあきらかにし、

不發於左右,則後而失其時矣。

閣下の左右に発し陳べなければ、遅れて時を失うことになるであろう。

 

伏して以【おも】うに閣下 內仁して外義【そとぎ】,行ない高くして德 巨【おおい】なり,

賢を尚【たっと】んで能を與え,窮を哀んで屈を悼む,

江よりして西,既に化して行わる。

今は入りて內職を守り,朝廷の大臣と為る,

-2

天子 新に即位し,理化に汲汲たるの日に當り,

言を出だし事を舉げ,宜しく必ず施設すべし。

既に之れを聽くの明 有り,又た之れを振るの力 有る,

寧戚【ねいせき】の歌,鬷明【そうめい】の言,

左右に發せざれば,則ち後れて其の時を失わん。

 

§5

謹獻舊文一卷,扶樹教道,有所明白;

南行詩一卷,舒憂娛悲,

雜以瑰怪之言,時俗之好,

所以諷於口而聽於耳也。

如賜覽觀,亦有可采,

幹黷嚴尊,伏增惶恐。

愈再拜。

謹んで旧作の文章一巻をたてまつる。これは教化道徳を扶け樹立し、明らかにするところの働きがあるというものである。

また南行の詩一巻は、憂いをゆるめ、悲しみをなぐさめるもので、

それに取捨雑多をまじえて珍奇であやしい言葉をつかい、時俗の好みをうまくつかっている。

しかし、これは私が口に歌ったり、耳に聴くためのものである。

もし御覧いただければ、そして、采べきものがあるとみられたのであれば、

これは、閣下の尊厳をおかし、けがしているわけでなく、厳かに尊意を持っているということであり、伏して益々かしこみ恐れる次第である。

わたくし、韓愈はこうして頭を下げてお願い申し上げる。

§5

謹んで舊文の一卷を獻じ,教道を扶樹し,所明白にする有らん。

南行の詩の一卷は,憂いを舒べ悲みを娛【なぐ】さむ。

雜うるに瑰怪の言を,時俗の好を以ってす。

口に諷して、耳に聽いたりする所以なり。

如し 覽觀を賜り,亦た采る可き有らんとすれば,

嚴尊を幹黷【かんとく】し,伏して惶恐を增すものなり。

愈 再拜す。

 

 

『上兵部李侍郎書』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

§5

謹獻舊文一卷,扶樹教道,有所明白;

南行詩一卷,舒憂娛悲,

雜以瑰怪之言,時俗之好,

所以諷於口而聽於耳也。

如賜覽觀,亦有可采,

幹黷嚴尊,伏增惶恐。

愈再拜。

(下し文)
§5

謹んで舊文の一卷を獻じ,教道を扶樹し,所明白にする有らん。

南行の詩の一卷は,憂いを舒べ悲みを娛【なぐ】さむ。

雜うるに瑰怪の言を,時俗の好を以ってす。

口に諷して、耳に聽いたりする所以なり。

如し 覽觀を賜り,亦た采る可き有らんとすれば,

嚴尊を幹黷【かんとく】し,伏して惶恐を增すものなり。

愈 再拜す。

(現代語訳)
§5

謹んで旧作の文章一巻をたてまつる。これは教化道徳を扶け樹立し、明らかにするところの働きがあるというものである。

また南行の詩一巻は、憂いをゆるめ、悲しみをなぐさめるもので、

それに取捨雑多をまじえて珍奇であやしい言葉をつかい、時俗の好みをうまくつかっている。

しかし、これは私が口に歌ったり、耳に聴くためのものである。

もし御覧いただければ、そして、采べきものがあるとみられたのであれば、

これは、閣下の尊厳をおかし、けがしているわけでなく、厳かに尊意を持っているということであり、伏して益々かしこみ恐れる次第である。

わたくし、韓愈はこうして頭を下げてお願い申し上げる。


(訳注)

兵部李侍郎書

(兵部侍郎李巽のような人物を見る眼識のある人に遇って、知己を求めなければ、機会を失うといって、採用を願うのである。) 

兵部侍郎 国防を担当し、長官を兵部尚書、次官を兵部侍郎という。 兵部は隋唐の時に設置され、武官の人事・兵器・軍政などを担当した。

 

謹獻舊文一卷,扶樹教道,有所明白;

謹んで旧作の文章一巻をたてまつる。これは教化道徳を扶け樹立し、明らかにするところの働きがあるというものである。

39. 扶樹 たすけ立てる。

40. 教道 教化道徳。

 

南行詩一卷,舒憂娛悲,

また南行の詩一巻は、憂いをゆるめ、悲しみをなぐさめるもので、

41. 南行詩 韓愈が陽山の令に遷される時に作った詩である。この時の詩は

index-3[805年貞元21年 38歳] 陽山から江陵府参事軍 39首

index-4[806年元和元年 39歳]江陵府参事軍・権知国子博士 50首の(1)25首

韓愈は五嶺山脈を越えたのは三度ある。幼い12歳時に、779年兄の韶州流刑について行った。二回目がこの詩の謂う803年36歳、京兆尹李実を弾劾したため陽山に貶せられた時で、三度目は819年52歳「佛骨を論ずる表」を上って憲宗の逆鱗に触れ潮州に貶せられた。

index-11819年元和14年 52歳 ・『論佛骨表』を上って潮州に貶せらる 38首

 

雜以瑰怪之言,時俗之好,

それに取捨雑多をまじえて珍奇であやしい言葉をつかい、時俗の好みをうまくつかっている。

42. 瑰怪 珍しくあやしいこと。

 

所以諷於口而聽於耳也。

しかし、これは私が口に歌ったり、耳に聴くためのものである。

43. 諷 口ずさむ。歌う。

 

如賜覽觀,亦有可采,幹黷嚴尊,伏增惶恐。

もし御覧いただければ、そして、采べきものがあるとみられたのであれば、

これは、閣下の尊厳をおかし、けがしているわけでなく、厳かに尊意を持っているということであり、伏して益々かしこみ恐れる次第である。

 

愈再拜。
わたくし、韓愈はこうして頭を下げてお願い申し上げる。

 

 

 


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韓愈125《 巻三03 上兵部李侍郎書》 #7§4-2 韓愈(韓退之) 805年貞元21年 38歳<1635> Ⅱ#7§4-2 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7154

韓愈  上兵部李侍郎書》 #7§4-2

當天子新即位,汲汲於理化之日,出言舉事,宜必施設。

既有聽之之明,又有振之之力,寧戚之歌,鬷明之言,不發於左右,則後而失其時矣。

いま正月に、天子が新たに即位されたので、政治教化はこの日から汲汲として休みなく勉められることになった。言説を出し事業を行ったのであり、必ずその実施の設備をするのがよいのである。侍郎はすでにこれを聴いて判断する明智を持ち、またこれを力強く動かす実力があるのである。それなのに甯戚の牛角の歌、鬷明の堂下の言のように、知己を求める意をあきらかにし、閣下の左右に発し陳べなければ、遅れて時を失うことになるであろう。

韓愈125《 巻三03 上兵部李侍郎書》 #7§4-2 韓愈(韓退之)  805年貞元21年 38歳<1635> Ⅱ#7§4-2 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7154

 

 
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韓愈詩-韓愈125

上兵部李侍郎書 §1

(兵部侍郎李巽のような人物を見る眼識のある人に遇って、知己を求めなければ、機会を失うといって、採用を願うのである。)

十二月九日,將仕郎守江陵府法曹參軍韓愈,謹上書侍郎閤下:

十二月九日、将仕郎守江陵府法曹参軍韓愈、謹んで書を侍郎閣下にたてまつる。

愈少鄙鈍,於時事都不通曉,

私は幼少から見識は低く智能は鈍く、時世の事について全く通じ知らないのであるが、

家貧不足以自活,應舉覓官,凡二十年矣。

家が貧しく自力で活きるに不充分であるので、科挙に応じて官をも とめること二十年である。

薄命不幸,動遭讒謗,進寸退尺,卒無所成。

しかし運命が薄くふしあわせで、どうかするとありもしない悪口にあい、一寸進めば一尺退く というように、ついに成功する所かないのである。

(兵部李侍郎に上る書)

十二月九日,將仕 郎守 江陵府 法曹參軍の韓愈,謹んで書を侍郎閤下に上【たてまつ】る。

愈 少より鄙鈍【ひどん】,時事に於いて都【すべ】て通曉せず,

家 貧にして以って自活するに足らず,舉に應じて官を覓むること,凡そ二十年なり。

薄命不幸,動もすれば讒謗【ざんぼう】に遭い,寸を進めば尺を退き,卒【つい】に成す所無し。

 

§2-1

性本好文學,因困厄悲愁,

私は生まれつきの性格は、もともと文学を奸み、生活に困っていて、災いに苦しみ悲しみうれっていた。

無所告語,遂得究窮於經傳、

それを告げ語る人も無い境遇であったから、そのまま聖人の教えの書やそれの伝述の書を研究した。

史記、百家之說,沈潛乎訓義,反複乎句讀,

そして、歴史の記録、請子百家の説を研究し、その読み方解義に深く心をひそめ、辞章の句切り読みなどの勉学を繰り返した。

礱磨乎事業,而奮發乎文章。

学問の仕事に錬磨して、文章に力を奮い発することができた。

§2-1

性は本と 文學を好み,困厄 悲愁に因る,

告語する所無く,遂に經傳、史記、百家の說を究窮するを得る。

訓義に沈潛し,句讀を反複し,

事業を礱磨【ろうま】し,而して文章を奮發す。

凡自唐虞以來,編簡所存,

およそ堯・舜からこのかた、書籍に存する所のものを読み、

大之為河海,高之為山嶽,

広大な文章では黄河や大海のようなものであり、高大なものでは山嶽のような 文章であるのだ。

明之為日月,幽之為鬼神,

明らかに輝くものでは、日月のような文章であり、幽玄なものでは鬼神にもたとえられる神秘な文章であるのだ。

纖之為珠璣華實,變之為雷霆風雨,

繊細な文章では真珠や小さい玉、花や実のようなものでもあるのだ。変化の激しいものでは、雷や稲光、風や雨のような文章である。

-2

凡そ唐虞より以來,編簡の存する所なり,

之を大にしては河海を為し,之を高うしては山嶽と為す。

之を明しては日月と為り,之を幽にしては鬼神と為る。

之を纖しては珠璣【しゅき】華實と為り,之を變じては雷霆【らいてい】風雨と為る,

3

奇辭奧旨,靡不通達。

変化の激しいものでは、雷や稲光、風や雨のような文章である。これらのめずらしい文辞、奥深い意味を、私は十分によく理解しないところがない。

惟是鄙鈍不通曉於時事,學成而道益窮,

ただ私の性質は見識いやしく、心の働きがにぶくて、時世の大切な事がらに行きわたり理解できないだけである。学問はでき上がっているのにである。

年老而智益困,私自憐悼,

わが道はますます行きづまり、年を重ねて智恵はますます苦しんでいる。私は人しれず自分を憐みいたむのである。
悔其初心,發禿齒落,不見知己。

その初めに抱いた志を今では悔いている。髪は禿げ歯は抜けてうつろになっても、己を知ってくれる人物に遭遇できないでいる。

 

奇辭 奧旨,通達せざる靡【な】し。

惟だ是れ 鄙鈍【ひどん】時事に通曉せず,學成りて 道 益す窮す。

年老いて 智 益す困しみ,私【ひそか】に自ら憐悼【れんとう】す。

其の初心を悔い,發禿【はつとく】し齒落ち,知己を見ず。

 

§3

夫牛角之歌,辭鄙而義拙;

一体、斉の甯戚の牛角の歌は、斉の桓公に求めたものであるが、その辞はいやしくて、その意義はまずいものであった。

堂下之言,不書於傳記。

鄭の鬷蔑の堂下での言は、伝記に書いてはないから、内容はわからないのである。

齊桓舉以相國,叔向攜手以上,

斉の桓公は甯戚を挙げて国政を相ける宰相となし、晋の叔向は鬷蔑と手をたずさえて堂に上って語った。

然則非言之難為,聽而識之者難遇也!

そうだとすると、人に認められ難いのは、物言うことの難いのでなくて、それを聴いて人物を識別する者の遇い難いのである。 

夫れ牛角の歌,辭 鄙【いやし】くして 義 拙【つたな】し。

堂下の言は,傳記に書せず。

齊桓 舉げて以って國に相たらしめ,叔向 手を攜えて以て上る,

然らば則ち言の為し難きに非らず,聽いて之を識る者 遇い難きなり!

§4-1

伏以閣下內仁而外義,行高而德巨,

伏して思うに、閣下は心の内には仁愛の心を貯え外には筋道正しい行いをされ、その行為は高尚で人格は大きいのであります。

尚賢而與能,哀窮而悼屈,

すぐれた徳のある人を尚び、能力のある人を挙げ用い、行きづまって苦しんでいる者を哀れんで、志を伸ばし得ないでいるものをいたみ悲しまれる。

自江而西,既化而行矣。

江西の地方は、その徳によって感化されてその政道が実行されている。

今者入守內職,為朝廷大臣,

今は政府内の官職を守って、朝廷の大臣と為られた。

-2

當天子新即位,汲汲於理化之日,

いま正月に、天子が新たに即位されたので、政治教化はこの日から汲汲として休みなく勉められることになった。

出言舉事,宜必施設。

言説を出し事業を行ったのであり、必ずその実施の設備をするのがよいのである。

既有聽之之明,又有振之之力,

侍郎はすでにこれを聴いて判断する明智を持ち、またこれを力強く動かす実力があるのである。

寧戚之歌,鬷明之言,

それなのに甯戚の牛角の歌、鬷明の堂下の言のように、知己を求める意をあきらかにし、

不發於左右,則後而失其時矣。

閣下の左右に発し陳べなければ、遅れて時を失うことになるであろう。

 

伏して以【おも】うに閣下 內仁して外義【そとぎ】,行ない高くして德 巨【おおい】なり,

賢を尚【たっと】んで能を與え,窮を哀んで屈を悼む,

江よりして西,既に化して行わる。

今は入りて內職を守り,朝廷の大臣と為る,

-2

天子 新に即位し,理化に汲汲たるの日に當り,

言を出だし事を舉げ,宜しく必ず施設すべし。

既に之れを聽くの明 有り,又た之れを振るの力 有る,

寧戚【ねいせき】の歌,鬷明【そうめい】の言,

左右に發せざれば,則ち後れて其の時を失わん。

 

§5

謹獻舊文一卷,扶樹教道,有所明白;

南行詩一卷,舒憂娛悲,

雜以瑰怪之言,時俗之好,

所以諷於口而聽於耳也。

如賜覽觀,亦有可采,

幹黷嚴尊,伏增惶恐。

愈再拜。

 

 

『上兵部李侍郎書』
(
本文)

上兵部李侍郎書》 #7§4--2

當天子新即位,汲汲於理化之日,

出言舉事,宜必施設。

既有聽之之明,又有振之之力,

寧戚之歌,鬷明之言,

不發於左右,則後而失其時矣。


(下し文)
上兵部李侍郎書 #7§4--2

天子 新に即位し,理化に汲汲たるの日に當り,

言を出だし事を舉げ,宜しく必ず施設すべし。

既に之れを聽くの明 有り,又た之れを振るの力 有る,

寧戚【ねいせき】の歌,鬷明【そうめい】の言,

左右に發せざれば,則ち後れて其の時を失わん。


(現代語訳)
上兵部李侍郎書 #7§4--2

いま正月に、天子が新たに即位されたので、政治教化はこの日から汲汲として休みなく勉められることになった。

言説を出し事業を行ったのであり、必ずその実施の設備をするのがよいのである。

侍郎はすでにこれを聴いて判断する明智を持ち、またこれを力強く動かす実力があるのである。

それなのに甯戚の牛角の歌、鬷明の堂下の言のように、知己を求める意をあきらかにし、

 

閣下の左右に発し陳べなければ、遅れて時を失うことになるであろう。



(訳注)

兵部李侍郎書

(兵部侍郎李巽のような人物を見る眼識のある人に遇って、知己を求めなければ、機会を失うといって、採用を願うのである。) 

1. 兵部侍郎 国防を担当し、長官を兵部尚書、次官を兵部侍郎という。 兵部は隋唐の時に設置され、武官の人事・兵器・軍政などを担当した。

 

當天子新即位,汲汲於理化之日,

いま正月に、天子が新たに即位されたので、政治教化はこの日から汲汲として休みなく勉められることになった。

39. 天子新即位 805年永貞元年正月、順宗が位についたこと。

40. 理化 治化。政治教化。

 

出言舉事,宜必施設。

言説を出し事業を行ったのであり、必ずその実施の設備をするのがよいのである。

41. 施設 実施する設け、それには人材を要する。

 

既有聽之之明,又有振之之力,

侍郎はすでにこれを聴いて判断する明智を持ち、またこれを力強く動かす実力があるのである。

 

寧戚之歌,鬷明之言,

それなのに甯戚の牛角の歌、鬷明の堂下の言のように、知己を求める意をあきらかにし、

42. 寧戚 甯戚。甯嬴(ネイエイ)【在野】: 甯の旅館の主人。 B.C.628陽処父が衛へ行った帰りに甯を通り、甯嬴の所で泊まった。甯嬴は妻に「わしは長いこと君子を捜していたが、 今やっとみつけた」と言って陽処父について行った。 しかし温山まで行くと、甯嬴は引き帰した。

43. 鬷明 鬷蔑。春秋、鄭の大夫。莊公の外辟、字は、然明。姿かたちは醜悪。

《春秋左傳》〈昭公傳二十八年〉「昔叔向適鄭。鬷蔑惡欲觀叔向。從使之收器者。而往立於堂下。一言而善。叔向將飲酒。聞之曰。必鬷明也。下執其手。以上曰。必鬷明也。 下執其手. 以上。 曰. 昔賈大夫惡. 娶妻而美.三年不言不笑. 御以如。」(叔向鄭に適【ゅ】く。鬷蔑【そうべつ】醜悪(顔がみにくい)、叔向を観んと欲す。使の器を収むる者に従ひて、往いて堂下に立つ。一言して善し。叔向将に酒を飲まんとす。之か聞いて日く、必ず鬷明なりと、下つて其の手を執つて、以て上つて日く、昔 賈大夫惡く. 妻を娶りて美し.三年 言ず笑ず. 遂に故知の如し)とある。鬷蔑の字は然明。故に鬷明ともいう。鄭の大夫。
 

不發於左右,則後而失其時矣。

閣下の左右に発し陳べなければ、遅れて時を失うことになるであろう。

44. 左右 直接李侍郎を指さずその左右という。

 

 

 

 

 

 

 

 

韓愈 兵部李侍郎に上る書 《上兵部李侍郎書》【字解】

 

1 兵部侍郎 国防を担当し、長官を兵部尚書、次官を兵部侍郎という。 兵部は隋唐の時に設置され、武官の人事・兵器・軍政などを担当した。

2. 江陵府 湖北省の省都。

3. 法曹参軍 司法を掌る属官。

4. 鄙鈍 見識が低くのろまである。

5. 都 すべて。

6. 覓官 役職を求める。

7. 薄命 運命が薄い、運がわるい。

8. 讒謗 ありもせぬ罪を言い立てて悪口をいう.

9. 困厄 苦しみこまる。厄は災厄に遇う。

10. 究窮 きわめる。研究する。

11. 史記 『史記』は、中国前漢の武帝の時代に司馬遷によって編纂された中国の歴史書である。正史の第一に数えられる。二十四史のひとつ。計52万6千5百字。著者自身が名付けた書名は『太史公書』であるが、後世に『史記』と呼ばれるようになるとこれが一般的な書名とされるようになった。

12. 百家 諸子百家(しょしひゃっか)とは、中国の春秋戦国時代に現れた学者・学派の総称。「諸子」は孔子、老子、荘子、墨子、孟子、荀子などの人物を指す。「百家」は儒家、道家、墨家、名家、法家などの学派。

13. 沈潛 ① 水底深く沈みかくれること。② 物事に深く没頭すること。

14. 礱磨 すりみがく。石臼と挽き目。動詞としですりみ がく意。

15. 事業 学問上の仕事。学業。

16 唐虞 堯舜、唐は堯の領国の名、虞は舜の天下をたもつときの号。古代の伝説上の帝王,尭と舜。徳をもって天下を治めた理想的な三皇五帝とされる帝王の日二人である。

17. 編簡 文書、書籍。

18. 河海 河は黄河、海は黄河の水が注ぎこむ東海。

19. 山嶽 五嶽の内の嵩山を言う。

20. 幽 ほの暗く明らかでない。幽玄な。隠遁的な静けさをいう。

21. 繊 細くこまかい。

22. 珠璣 珠は真珠のような小粒な玉。璣は円くない玉、小玉。

23. 華実 草木の 花や実。

24 奇辭奧旨 変化の激しいものでは、雷や稲光、風や雨のような文章である。

25 靡 無と同じ。

26 初心 初志。学問に対する志。

27 發禿/髪禿 髪が抜けてはげる。

28 歯落 歯が脱けてうつろになる。《落齒》「去年落一牙,今年落一齒。俄然落六七,落勢殊未已。」(昨年、一牙【いちが】を落ち、今年、一歯【いっし】を落つ。俄然【がぜん】として六七を落ち、落つる勢い殊に未だ己【や】まず。)

70-#1(改訂版Ver.2.1) 《巻04-17 落歯 #1》 (去年落一牙)【4分割】 韓愈(韓退之) 803年貞元19年 38歳<1415> Ⅱ韓昌黎集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6059

29. 牛角之歌 斉の桓公が、夜外出して、雷戚が牛に餌をやりながら、牛の角を叩いて「南山矸,白石爛,生不逢堯與舜禪。 短布單衣適至骭,從昏飯牛薄夜半,長夜漫漫何時旦?」(南山矸【かん】(けわしい)たり、白石爛たり。生まれて堯と舜の禪(ゆずり)に遭はず、短布単衣、適【わず】かに骭【かん】(すねの骨)に至る。昏より牛を飯【か】いて、夜半に薄【いた】る。長夜 漫漫、何れの時にか旦【ぁ】けん)と歌っていた。桓公は車に載せて帰って大夫としたという。これを「飯牛の歌」ともいう。

30. 堂下之言 『左伝』昭公二十八年に「《春秋左傳》〈昭公傳二十八年〉, 昔叔向適鄭。鬷蔑惡欲觀叔向。從使之收器者。而往立於堂下。一言而善。叔向將飲酒。聞之曰。必鬷明也。下執其手。以上曰。必鬷明也。 下執其手. 以上。 曰. 昔賈大夫惡. 娶妻而美. 三年不言不笑. 御以如。」(叔向鄭に適(ゅ)く。鬷蔑【そうべつ】醜悪(顔がみにくい)、叔向を観んと欲す。使の器を収むる者に従ひて、往いて堂下に立つ。一言して善し。叔向将に酒を飲まんとす。之か聞いて日く、必ず鬷明なりと、下つて其の手を執つて、以て上つて日く、云云、遂に故知の如し」とある。鬷蔑の字は然明。故に鬷明ともいう。鄭の大夫。

31.  齊桓舉以相國 斉の桓公は甯戚を挙げて国政を相けるを宰相となした。斉の宰相甯戚(ネイセキ)は、衛の人。斉桓公に用いられようと思い、斉に赴き、牛飼をして牛に飯を食わせる歌を歌った。桓公はこれを聞いて、 甯戚を見出して登用した。

32. 叔向 晋の 羊舌肸(ようぜつ きつ、生没年不詳)のことである。中国春秋時代の晋の政治家。姓は姫、氏は羊舌、諱は肸、字は叔向。羊舌職の子。同母兄に羊舌赤(伯華)、同母弟に羊舌鮒(叔魚)、異母弟に羊舌虎(叔羆)。平公の傅をつとめ、該博をもって知られた賢人。大夫羊舌肸【きつ】、一名羊肸、字は叔向、博学多聞、能く礼講を以て国を治めた。

32. 言之難為 言説のなし難いこと。物を言うのが困難。

33. 巨、大である。

34. 屈 志を伸ばし得ずに、まげている。

35 自江而西 長江の南岸地方の西を江西という。長江下流地域を江東というのに対して言う。

36. 既化而行矣  その徳によって感化されてその政道が実行されている。

37. 内職 政府の内の官職、地方官を外職というのに対語。

38. 朝廷大臣 兵部侍郎。兵馬を司る兵部省の次官。大臣とは重役という意味。

 

五箴(並序)--韓愈(國學治要五-古文治要卷一)

【原文】

人患不知其過,既知之,不能改,是無勇也。余生三十有八年,髮之短者日益白,齒之搖者日益脫,聰明不及於前時,道德日負於初心,其不至於君子而卒為小人也昭昭矣!作《五箴》以訟[1]其惡云。

 

游箴

余少之時,將求多能,蚤[2]夜以孜孜。余今之時,既飽而嬉,蚤夜以無為。嗚呼余乎,其無知乎?君子之棄,而小人之歸乎?

 

言箴

不知言之人,烏[3]可與言?知言之人,默焉而其意已傳。幕中之辯,人反以汝為叛[4]。臺中之評,人反以汝為傾[5]。汝不懲邪,而呶(ㄋㄠˊ撓)呶[6]以害其生邪!

 

行箴

行與義乖,言與法違。後雖無害,汝可以悔。行也無邪,言也無頗。死而不死,汝悔而何。宜悔而休,汝惡曷瘳(ㄔㄡ抽)[7]。宜休而悔,汝善安在。悔不可追,悔不可為。思而斯得,汝則勿思。

 

好惡箴

無善而好,不觀其道。無悖而惡,不詳其故。前之所好,今見其尤。從也為比[8],捨也為讎(ㄔㄡˊ,通仇)。前之所惡,今見其臧(ㄗㄤ贓)[9]。從也為愧,捨也為狂。維讎維比,維狂維愧。於身不祥,於德不義。不義不祥,維惡之大,幾如是為,而不顛沛?齒之尚少,庸有不思。今其老矣,不慎胡為。

 

知名箴

內不足者,急於人知。霈(ㄆㄟˋ沛)[10]焉有餘,厥聞(ㄨㄣˋ問)[11]四馳。今日告汝,知名之法,勿病無聞,病其曄(ㄧㄝˋ葉)曄[12]。昔者子路,惟恐有聞。赫然千載,德譽愈尊。矜汝文章,負汝言語。乘人不能,揜(ㄧㄢˇ,通掩)以自取。汝非其父,汝非其師,不請而教,誰云不欺。欺以賈(ㄍㄨˇ古)[13]憎,揜以媒怨。汝曾不寤[14],以及於難。小人在辱,亦克知悔。及其既寧,終莫能戒。既出汝心,又銘汝前。汝如不顧,禍亦宜然。

 

【注釋】

[1]訟:責備。

[2]蚤:通「早」,表時間。

[3]烏:哪裡,怎麼;與「安、焉、何」同義。

[4]叛:違背。

[5]傾:傾軋、排擠。韓愈在《論天旱人飢狀》中提出「伏請特敕京兆府」停徵賦稅,而京兆尹李實是德宗的幸臣,他不止一次對德宗說「今年雖旱,而穀甚好」,德宗因而認為韓愈是有意傾軋、排擠李實。

[6]呶呶:謂多言也。

[7]瘳:損失、減少。

[8]比:親密。

[9]臧:善。

[10]霈:比喻恩澤。

[11]聞:名聲。

[12]曄曄:盛大的樣子。

[13]賈:招引、招惹。

[14]寤:通「悟」,醒悟。

 

【註】韓愈《五箴》不能視為嚴肅的說教,而是抒發他對黑暗現實的牢騷和不滿,表達他對自己懷才不遇,屢遭排擠打擊的坎坷身世的深沉感嘆。

 

【作者】韓愈(768年-824年)[1],字退之,出生於河南河陽(今河南孟縣),祖籍郡望昌黎郡(今遼寧省義縣),自稱昌黎韓愈,世稱韓昌黎。卒諡文,世稱韓文公。唐代文學家,與柳宗元是當時古文運動的倡導者,合稱「韓柳」。蘇軾稱讚他「文起八代之衰,道濟天下之溺,忠犯人主之怒,勇奪三軍之帥」。散文,詩,均有名。著作有 《昌黎先生集》。

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韓愈  上兵部李侍郎書§4-1

伏以閣下內仁而外義,行高而德巨,尚賢而與能,哀窮而悼屈,自江而西,既化而行矣。

今者入守內職,為朝廷大臣,
伏して思うに、閣下は心の内には仁愛の心を貯え外には筋道正しい行いをされ、その行為は高尚で人格は大きいのであります。すぐれた徳のある人を尚び、能力のある人を挙げ用い、行きづまって苦しんでいる者を哀れんで、志を伸ばし得ないでいるものをいたみ悲しまれる。江西の地方は、その徳によって感化されてその政道が実行されている。今は政府内の官職を守って、朝廷の大臣と為られた。

韓愈125《 巻三03 上兵部李侍郎書》 #6§4-1 韓愈(韓退之)  805年貞元21年 38歳<1634> Ⅱ#6§4-1 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7150



 
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韓愈詩-韓愈125

上兵部李侍郎書 §1

(兵部侍郎李巽のような人物を見る眼識のある人に遇って、知己を求めなければ、機会を失うといって、採用を願うのである。)

十二月九日,將仕郎守江陵府法曹參軍韓愈,謹上書侍郎閤下:

十二月九日、将仕郎守江陵府法曹参軍韓愈、謹んで書を侍郎閣下にたてまつる。

愈少鄙鈍,於時事都不通曉,

私は幼少から見識は低く智能は鈍く、時世の事について全く通じ知らないのであるが、

家貧不足以自活,應舉覓官,凡二十年矣。

家が貧しく自力で活きるに不充分であるので、科挙に応じて官をも とめること二十年である。

薄命不幸,動遭讒謗,進寸退尺,卒無所成。

しかし運命が薄くふしあわせで、どうかするとありもしない悪口にあい、一寸進めば一尺退く というように、ついに成功する所かないのである。

(兵部李侍郎に上る書)

十二月九日,將仕 郎守 江陵府 法曹參軍の韓愈,謹んで書を侍郎閤下に上【たてまつ】る。

愈 少より鄙鈍【ひどん】,時事に於いて都【すべ】て通曉せず,

家 貧にして以って自活するに足らず,舉に應じて官を覓むること,凡そ二十年なり。

薄命不幸,動もすれば讒謗【ざんぼう】に遭い,寸を進めば尺を退き,卒【つい】に成す所無し。

 

§2-1

性本好文學,因困厄悲愁,

私は生まれつきの性格は、もともと文学を奸み、生活に困っていて、災いに苦しみ悲しみうれっていた。

無所告語,遂得究窮於經傳、

それを告げ語る人も無い境遇であったから、そのまま聖人の教えの書やそれの伝述の書を研究した。

史記、百家之說,沈潛乎訓義,反複乎句讀,

そして、歴史の記録、請子百家の説を研究し、その読み方解義に深く心をひそめ、辞章の句切り読みなどの勉学を繰り返した。

礱磨乎事業,而奮發乎文章。

学問の仕事に錬磨して、文章に力を奮い発することができた。

§2-1

性は本と 文學を好み,困厄 悲愁に因る,

告語する所無く,遂に經傳、史記、百家の說を究窮するを得る。

訓義に沈潛し,句讀を反複し,

事業を礱磨【ろうま】し,而して文章を奮發す。

凡自唐虞以來,編簡所存,

およそ堯・舜からこのかた、書籍に存する所のものを読み、

大之為河海,高之為山嶽,

広大な文章では黄河や大海のようなものであり、高大なものでは山嶽のような 文章であるのだ。

明之為日月,幽之為鬼神,

明らかに輝くものでは、日月のような文章であり、幽玄なものでは鬼神にもたとえられる神秘な文章であるのだ。

纖之為珠璣華實,變之為雷霆風雨,

繊細な文章では真珠や小さい玉、花や実のようなものでもあるのだ。変化の激しいものでは、雷や稲光、風や雨のような文章である。

-2

凡そ唐虞より以來,編簡の存する所なり,

之を大にしては河海を為し,之を高うしては山嶽と為す。

之を明しては日月と為り,之を幽にしては鬼神と為る。

之を纖しては珠璣【しゅき】華實と為り,之を變じては雷霆【らいてい】風雨と為る,

3

奇辭奧旨,靡不通達。

変化の激しいものでは、雷や稲光、風や雨のような文章である。これらのめずらしい文辞、奥深い意味を、私は十分によく理解しないところがない。

惟是鄙鈍不通曉於時事,學成而道益窮,

ただ私の性質は見識いやしく、心の働きがにぶくて、時世の大切な事がらに行きわたり理解できないだけである。学問はでき上がっているのにである。

年老而智益困,私自憐悼,

わが道はますます行きづまり、年を重ねて智恵はますます苦しんでいる。私は人しれず自分を憐みいたむのである。
悔其初心,發禿齒落,不見知己。

その初めに抱いた志を今では悔いている。髪は禿げ歯は抜けてうつろになっても、己を知ってくれる人物に遭遇できないでいる。

 

奇辭 奧旨,通達せざる靡【な】し。

惟だ是れ 鄙鈍【ひどん】時事に通曉せず,學成りて 道 益す窮す。

年老いて 智 益す困しみ,私【ひそか】に自ら憐悼【れんとう】す。

其の初心を悔い,發禿【はつとく】し齒落ち,知己を見ず。

 

§3

夫牛角之歌,辭鄙而義拙;

一体、斉の甯戚の牛角の歌は、斉の桓公に求めたものであるが、その辞はいやしくて、その意義はまずいものであった。

堂下之言,不書於傳記。

鄭の鬷蔑の堂下での言は、伝記に書いてはないから、内容はわからないのである。

齊桓舉以相國,叔向攜手以上,

斉の桓公は甯戚を挙げて国政を相ける宰相となし、晋の叔向は鬷蔑と手をたずさえて堂に上って語った。

然則非言之難為,聽而識之者難遇也!

そうだとすると、人に認められ難いのは、物言うことの難いのでなくて、それを聴いて人物を識別する者の遇い難いのである。 

夫れ牛角の歌,辭 鄙【いやし】くして 義 拙【つたな】し。

堂下の言は,傳記に書せず。

齊桓 舉げて以って國に相たらしめ,叔向 手を攜えて以て上る,

然らば則ち言の為し難きに非らず,聽いて之を識る者 遇い難きなり!

§4-1

伏以閣下內仁而外義,行高而德巨,

伏して思うに、閣下は心の内には仁愛の心を貯え外には筋道正しい行いをされ、その行為は高尚で人格は大きいのであります。

尚賢而與能,哀窮而悼屈,

すぐれた徳のある人を尚び、能力のある人を挙げ用い、行きづまって苦しんでいる者を哀れんで、志を伸ばし得ないでいるものをいたみ悲しまれる。

自江而西,既化而行矣。

江西の地方は、その徳によって感化されてその政道が実行されている。

今者入守內職,為朝廷大臣,

今は政府内の官職を守って、朝廷の大臣と為られた。

-2

當天子新即位,汲汲於理化之日,

出言舉事,宜必施設。

既有聽之之明,又有振之之力,

寧戚之歌,鬷明之言,

不發於左右,則後而失其時矣。

伏して以【おも】うに閣下 內仁して外義【そとぎ】,行ない高くして德 巨【おおい】なり,

賢を尚【たっと】んで能を與え,窮を哀んで屈を悼む,

江よりして西,既に化して行わる。

今は入りて內職を守り,朝廷の大臣と為る,

-2

天子 新に即位し,理化に汲汲たるの日に當り,

言を出だし事を舉げ,宜しく必ず施設すべし。

既に之れを聽くの明 有り,又た之れを振るの力 有る,

寧戚【ねいせき】の歌,鬷明【そうめい】の言,

左右に發せざれば,則ち後れて其の時を失わん。

 

§5

謹獻舊文一卷,扶樹教道,有所明白;

南行詩一卷,舒憂娛悲,

雜以瑰怪之言,時俗之好,

所以諷於口而聽於耳也。

如賜覽觀,亦有可采,

幹黷嚴尊,伏增惶恐。

愈再拜。

 

 

『上兵部李侍郎書』現代語訳と訳註解説
(
本文)

§4-1

伏以閣下內仁而外義,行高而德巨,

尚賢而與能,哀窮而悼屈,

自江而西,既化而行矣。

今者入守內職,為朝廷大臣,

(下し文)
§4-1

伏以閣下內仁而外義,行高而德巨,

尚賢而與能,哀窮而悼屈,

自江而西,既化而行矣。

今者入守內職,為朝廷大臣,

(現代語訳)
§4-1

伏して思うに、閣下は心の内には仁愛の心を貯え外には筋道正しい行いをされ、その行為は高尚で人格は大きいのであります。

すぐれた徳のある人を尚び、能力のある人を挙げ用い、行きづまって苦しんでいる者を哀れんで、志を伸ばし得ないでいるものをいたみ悲しまれる。

江西の地方は、その徳によって感化されてその政道が実行されている。

今は政府内の官職を守って、朝廷の大臣と為られた。


(訳注)

§4-1

兵部李侍郎書

(兵部侍郎李巽のような人物を見る眼識のある人に遇って、知己を求めなければ、機会を失うといって、採用を願うのである。) 

1.兵部侍郎 国防を担当し、長官を兵部尚書、次官を兵部侍郎という。 兵部は隋唐の時に設置され、武官の人事・兵器・軍政などを担当した。

 

伏以閣下內仁而外義,行高而德巨,

伏して思うに、閣下は心の内には仁愛の心を貯え外には筋道正しい行いをされ、その行為は高尚で人格は大きいのであります。

33. 巨、大である。

 

尚賢而與能,哀窮而悼屈,

すぐれた徳のある人を尚び、能力のある人を挙げ用い、行きづまって苦しんでいる者を哀れんで、志を伸ばし得ないでいるものをいたみ悲しまれる。

34. 屈 志を伸ばし得ずに、まげている。

 

自江而西,既化而行矣。

江西の地方は、その徳によって感化されてその政道が実行されている。

35 自江而西 長江の南岸地方の西を江西という。長江下流地域を江東というのに対して言う。

36. 既化而行矣  その徳によって感化されてその政道が実行されている。

 

今者入守內職,為朝廷大臣,

今は政府内の官職を守って、朝廷の大臣と為られた。

37. 内職 政府の内の官職、地方官を外職というのに対語。

38. 朝廷大臣 兵部侍郎。兵馬を司る兵部省の次官。大臣とは重役という意味。

 

 

韓愈 兵部李侍郎に上る書 《上兵部李侍郎書》【字解】

 

1 兵部侍郎 国防を担当し、長官を兵部尚書、次官を兵部侍郎という。 兵部は隋唐の時に設置され、武官の人事・兵器・軍政などを担当した。

2. 江陵府 湖北省の省都。

3. 法曹参軍 司法を掌る属官。

4. 鄙鈍 見識が低くのろまである。

5. 都 すべて。

6. 覓官 役職を求める。

7. 薄命 運命が薄い、運がわるい。

8. 讒謗 ありもせぬ罪を言い立てて悪口をいう.

9. 困厄 苦しみこまる。厄は災厄に遇う。

10. 究窮 きわめる。研究する。

11. 史記 『史記』は、中国前漢の武帝の時代に司馬遷によって編纂された中国の歴史書である。正史の第一に数えられる。二十四史のひとつ。計52万6千5百字。著者自身が名付けた書名は『太史公書』であるが、後世に『史記』と呼ばれるようになるとこれが一般的な書名とされるようになった。

12. 百家 諸子百家(しょしひゃっか)とは、中国の春秋戦国時代に現れた学者・学派の総称。「諸子」は孔子、老子、荘子、墨子、孟子、荀子などの人物を指す。「百家」は儒家、道家、墨家、名家、法家などの学派。

13. 沈潛 ① 水底深く沈みかくれること。② 物事に深く没頭すること。

14. 礱磨 すりみがく。石臼と挽き目。動詞としですりみ がく意。

15. 事業 学問上の仕事。学業。

16 唐虞 堯舜、唐は堯の領国の名、虞は舜の天下をたもつときの号。古代の伝説上の帝王,尭と舜。徳をもって天下を治めた理想的な三皇五帝とされる帝王の日二人である。

17. 編簡 文書、書籍。

18. 河海 河は黄河、海は黄河の水が注ぎこむ東海。

19. 山嶽 五嶽の内の嵩山を言う。

20. 幽 ほの暗く明らかでない。幽玄な。隠遁的な静けさをいう。

21. 繊 細くこまかい。

22. 珠璣 珠は真珠のような小粒な玉。璣は円くない玉、小玉。

23. 華実 草木の 花や実。

24 奇辭奧旨 変化の激しいものでは、雷や稲光、風や雨のような文章である。

25 靡 無と同じ。

26 初心 初志。学問に対する志。

27 發禿/髪禿 髪が抜けてはげる。

28 歯落 歯が脱けてうつろになる。《落齒》「去年落一牙,今年落一齒。俄然落六七,落勢殊未已。」(昨年、一牙【いちが】を落ち、今年、一歯【いっし】を落つ。俄然【がぜん】として六七を落ち、落つる勢い殊に未だ己【や】まず。)

70-#1(改訂版Ver.2.1) 《巻04-17 落歯 #1》 (去年落一牙)【4分割】 韓愈(韓退之) 803年貞元19年 38歳<1415> Ⅱ韓昌黎集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6059

29. 牛角之歌 斉の桓公が、夜外出して、雷戚が牛に餌をやりながら、牛の角を叩いて「南山矸,白石爛,生不逢堯與舜禪。 短布單衣適至骭,從昏飯牛薄夜半,長夜漫漫何時旦?」(南山矸【かん】(けわしい)たり、白石爛たり。生まれて堯と舜の禪(ゆずり)に遭はず、短布単衣、適【わず】かに骭【かん】(すねの骨)に至る。昏より牛を飯【か】いて、夜半に薄【いた】る。長夜 漫漫、何れの時にか旦【ぁ】けん)と歌っていた。桓公は車に載せて帰って大夫としたという。これを「飯牛の歌」ともいう。

30. 堂下之言 『左伝』昭公二十八年に「《春秋左傳》〈昭公傳二十八年〉, 昔叔向適鄭。鬷蔑惡欲觀叔向。從使之收器者。而往立於堂下。一言而善。叔向將飲酒。聞之曰。必鬷明也。下執其手。以上曰。必鬷明也。 下執其手. 以上。 曰. 昔賈大夫惡. 娶妻而美. 三年不言不笑. 御以如。」(叔向鄭に適(ゅ)く。鬷蔑【そうべつ】醜悪(顔がみにくい)、叔向を観んと欲す。使の器を収むる者に従ひて、往いて堂下に立つ。一言して善し。叔向将に酒を飲まんとす。之か聞いて日く、必ず鬷明なりと、下つて其の手を執つて、以て上つて日く、云云、遂に故知の如し」とある。鬷蔑の字は然明。故に鬷明ともいう。鄭の大夫。

31.  齊桓舉以相國 斉の桓公は甯戚を挙げて国政を相けるを宰相となした。斉の宰相甯戚(ネイセキ)は、衛の人。斉桓公に用いられようと思い、斉に赴き、牛飼をして牛に飯を食わせる歌を歌った。桓公はこれを聞いて、 甯戚を見出して登用した。

32. 叔向 晋の 羊舌肸(ようぜつ きつ、生没年不詳)のことである。中国春秋時代の晋の政治家。姓は姫、氏は羊舌、諱は肸、字は叔向。羊舌職の子。同母兄に羊舌赤(伯華)、同母弟に羊舌鮒(叔魚)、異母弟に羊舌虎(叔羆)。平公の傅をつとめ、該博をもって知られた賢人。大夫羊舌肸【きつ】、一名羊肸、字は叔向、博学多聞、能く礼講を以て国を治めた。

32. 言之難為 言説のなし難いこと。物を言うのが困難。

33. 巨、大である。

34. 屈 志を伸ばし得ずに、まげている。

35 自江而西 長江の南岸地方の西を江西という。長江下流地域を江東というのに対して言う。

36. 既化而行矣  その徳によって感化されてその政道が実行されている。

37. 内職 政府の内の官職、地方官を外職というのに対語。

38. 朝廷大臣 兵部侍郎。兵馬を司る兵部省の次官。大臣とは重役という意味。

 

五箴(並序)--韓愈(國學治要五-古文治要卷一)

【原文】

人患不知其過,既知之,不能改,是無勇也。余生三十有八年,髮之短者日益白,齒之搖者日益脫,聰明不及於前時,道德日負於初心,其不至於君子而卒為小人也昭昭矣!作《五箴》以訟[1]其惡云。

 

游箴

余少之時,將求多能,蚤[2]夜以孜孜。余今之時,既飽而嬉,蚤夜以無為。嗚呼余乎,其無知乎?君子之棄,而小人之歸乎?

 

言箴

不知言之人,烏[3]可與言?知言之人,默焉而其意已傳。幕中之辯,人反以汝為叛[4]。臺中之評,人反以汝為傾[5]。汝不懲邪,而呶(ㄋㄠˊ撓)呶[6]以害其生邪!

 

行箴

行與義乖,言與法違。後雖無害,汝可以悔。行也無邪,言也無頗。死而不死,汝悔而何。宜悔而休,汝惡曷瘳(ㄔㄡ抽)[7]。宜休而悔,汝善安在。悔不可追,悔不可為。思而斯得,汝則勿思。

 

好惡箴

無善而好,不觀其道。無悖而惡,不詳其故。前之所好,今見其尤。從也為比[8],捨也為讎(ㄔㄡˊ,通仇)。前之所惡,今見其臧(ㄗㄤ贓)[9]。從也為愧,捨也為狂。維讎維比,維狂維愧。於身不祥,於德不義。不義不祥,維惡之大,幾如是為,而不顛沛?齒之尚少,庸有不思。今其老矣,不慎胡為。

 

知名箴

內不足者,急於人知。霈(ㄆㄟˋ沛)[10]焉有餘,厥聞(ㄨㄣˋ問)[11]四馳。今日告汝,知名之法,勿病無聞,病其曄(ㄧㄝˋ葉)曄[12]。昔者子路,惟恐有聞。赫然千載,德譽愈尊。矜汝文章,負汝言語。乘人不能,揜(ㄧㄢˇ,通掩)以自取。汝非其父,汝非其師,不請而教,誰云不欺。欺以賈(ㄍㄨˇ古)[13]憎,揜以媒怨。汝曾不寤[14],以及於難。小人在辱,亦克知悔。及其既寧,終莫能戒。既出汝心,又銘汝前。汝如不顧,禍亦宜然。

 

【注釋】

[1]訟:責備。

[2]蚤:通「早」,表時間。

[3]烏:哪裡,怎麼;與「安、焉、何」同義。

[4]叛:違背。

[5]傾:傾軋、排擠。韓愈在《論天旱人飢狀》中提出「伏請特敕京兆府」停徵賦稅,而京兆尹李實是德宗的幸臣,他不止一次對德宗說「今年雖旱,而穀甚好」,德宗因而認為韓愈是有意傾軋、排擠李實。

[6]呶呶:謂多言也。

[7]瘳:損失、減少。

[8]比:親密。

[9]臧:善。

[10]霈:比喻恩澤。

[11]聞:名聲。

[12]曄曄:盛大的樣子。

[13]賈:招引、招惹。

[14]寤:通「悟」,醒悟。

 

【註】韓愈《五箴》不能視為嚴肅的說教,而是抒發他對黑暗現實的牢騷和不滿,表達他對自己懷才不遇,屢遭排擠打擊的坎坷身世的深沉感嘆。

 

【作者】韓愈(768年-824年)[1],字退之,出生於河南河陽(今河南孟縣),祖籍郡望昌黎郡(今遼寧省義縣),自稱昌黎韓愈,世稱韓昌黎。卒諡文,世稱韓文公。唐代文學家,與柳宗元是當時古文運動的倡導者,合稱「韓柳」。蘇軾稱讚他「文起八代之衰,道濟天下之溺,忠犯人主之怒,勇奪三軍之帥」。散文,詩,均有名。著作有 《昌黎先生集》。

韓愈125《 巻三03 上兵部李侍郎書》 #5§3  韓愈(韓退之) 805年貞元21年 38歳<1633> Ⅱ#5§3  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7149

韓愈  上兵部李侍郎書 §3

夫牛角之歌,辭鄙而義拙;堂下之言,不書於傳記。

齊桓舉以相國,叔向攜手以上,然則非言之難為,聽而識之者難遇也!
一体、斉の甯戚の牛角の歌は、斉の桓公に求めたものであるが、その辞はいやしくて、その意義はまずいものであった。鄭の鬷蔑の堂下での言は、伝記に書いてはないから、内容はわからないのである。斉の桓公は甯戚を挙げて国政を相ける宰相となし、晋の叔向は鬷蔑と手をたずさえて堂に上って語った。そうだとすると、人に認められ難いのは、物言うことの難いのでなくて、それを聴いて人物を識別する者の遇い難いのである。 

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韓愈詩-韓愈125

上兵部李侍郎書 §1

(兵部侍郎李巽のような人物を見る眼識のある人に遇って、知己を求めなければ、機会を失うといって、採用を願うのである。)

十二月九日,將仕郎守江陵府法曹參軍韓愈,謹上書侍郎閤下:

十二月九日、将仕郎守江陵府法曹参軍韓愈、謹んで書を侍郎閣下にたてまつる。

愈少鄙鈍,於時事都不通曉,

私は幼少から見識は低く智能は鈍く、時世の事について全く通じ知らないのであるが、

家貧不足以自活,應舉覓官,凡二十年矣。

家が貧しく自力で活きるに不充分であるので、科挙に応じて官をも とめること二十年である。

薄命不幸,動遭讒謗,進寸退尺,卒無所成。

しかし運命が薄くふしあわせで、どうかするとありもしない悪口にあい、一寸進めば一尺退く というように、ついに成功する所かないのである。

(兵部李侍郎に上る書)

十二月九日,將仕 郎守 江陵府 法曹參軍の韓愈,謹んで書を侍郎閤下に上【たてまつ】る。

愈 少より鄙鈍【ひどん】,時事に於いて都【すべ】て通曉せず,

家 貧にして以って自活するに足らず,舉に應じて官を覓むること,凡そ二十年なり。

薄命不幸,動もすれば讒謗【ざんぼう】に遭い,寸を進めば尺を退き,卒【つい】に成す所無し。

 

§2-1

性本好文學,因困厄悲愁,

私は生まれつきの性格は、もともと文学を奸み、生活に困っていて、災いに苦しみ悲しみうれっていた。

無所告語,遂得究窮於經傳、

それを告げ語る人も無い境遇であったから、そのまま聖人の教えの書やそれの伝述の書を研究した。

史記、百家之說,沈潛乎訓義,反複乎句讀,

そして、歴史の記録、請子百家の説を研究し、その読み方解義に深く心をひそめ、辞章の句切り読みなどの勉学を繰り返した。

礱磨乎事業,而奮發乎文章。

学問の仕事に錬磨して、文章に力を奮い発することができた。

§2-1

性は本と 文學を好み,困厄 悲愁に因る,

告語する所無く,遂に經傳、史記、百家の說を究窮するを得る。

訓義に沈潛し,句讀を反複し,

事業を礱磨【ろうま】し,而して文章を奮發す。

凡自唐虞以來,編簡所存,

およそ堯・舜からこのかた、書籍に存する所のものを読み、

大之為河海,高之為山嶽,

広大な文章では黄河や大海のようなものであり、高大なものでは山嶽のような 文章であるのだ。

明之為日月,幽之為鬼神,

明らかに輝くものでは、日月のような文章であり、幽玄なものでは鬼神にもたとえられる神秘な文章であるのだ。

纖之為珠璣華實,變之為雷霆風雨,

繊細な文章では真珠や小さい玉、花や実のようなものでもあるのだ。変化の激しいものでは、雷や稲光、風や雨のような文章である。

-2

凡そ唐虞より以來,編簡の存する所なり,

之を大にしては河海を為し,之を高うしては山嶽と為す。

之を明しては日月と為り,之を幽にしては鬼神と為る。

之を纖しては珠璣【しゅき】華實と為り,之を變じては雷霆【らいてい】風雨と為る,

3

奇辭奧旨,靡不通達。

変化の激しいものでは、雷や稲光、風や雨のような文章である。これらのめずらしい文辞、奥深い意味を、私は十分によく理解しないところがない。

惟是鄙鈍不通曉於時事,學成而道益窮,

ただ私の性質は見識いやしく、心の働きがにぶくて、時世の大切な事がらに行きわたり理解できないだけである。学問はでき上がっているのにである。

年老而智益困,私自憐悼,

わが道はますます行きづまり、年を重ねて智恵はますます苦しんでいる。私は人しれず自分を憐みいたむのである。
悔其初心,發禿齒落,不見知己。

その初めに抱いた志を今では悔いている。髪は禿げ歯は抜けてうつろになっても、己を知ってくれる人物に遭遇できないでいる。

 

奇辭 奧旨,通達せざる靡【な】し。

惟だ是れ 鄙鈍【ひどん】時事に通曉せず,學成りて 道 益す窮す。

年老いて 智 益す困しみ,私【ひそか】に自ら憐悼【れんとう】す。

其の初心を悔い,發禿【はつとく】し齒落ち,知己を見ず。

 

§3

夫牛角之歌,辭鄙而義拙;

一体、斉の甯戚の牛角の歌は、斉の桓公に求めたものであるが、その辞はいやしくて、その意義はまずいものであった。

堂下之言,不書於傳記。

鄭の鬷蔑の堂下での言は、伝記に書いてはないから、内容はわからないのである。

齊桓舉以相國,叔向攜手以上,

斉の桓公は甯戚を挙げて国政を相ける宰相となし、晋の叔向は鬷蔑と手をたずさえて堂に上って語った。

然則非言之難為,聽而識之者難遇也!

そうだとすると、人に認められ難いのは、物言うことの難いのでなくて、それを聴いて人物を識別する者の遇い難いのである。 

夫れ牛角の歌,辭 鄙【いやし】くして 義 拙【つたな】し。

堂下の言は,傳記に書せず。

齊桓 舉げて以って國に相たらしめ,叔向 手を攜えて以て上る,

然らば則ち言の為し難きに非らず,聽いて之を識る者 遇い難きなり!

§4-1

伏以閣下內仁而外義,行高而德巨,

尚賢而與能,哀窮而悼屈,

自江而西,既化而行矣。

今者入守內職,為朝廷大臣,

-2

當天子新即位,汲汲於理化之日,

出言舉事,宜必施設。

既有聽之之明,又有振之之力,

寧戚之歌,鬷明之言,

不發於左右,則後而失其時矣。

§5

謹獻舊文一卷,扶樹教道,有所明白;

南行詩一卷,舒憂娛悲,

雜以瑰怪之言,時俗之好,

所以諷於口而聽於耳也。

如賜覽觀,亦有可采,

幹黷嚴尊,伏增惶恐。

愈再拜。

 

 

『上兵部李侍郎書』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

§3

夫牛角之歌,辭鄙而義拙;

堂下之言,不書於傳記。

齊桓舉以相國,叔向攜手以上,

然則非言之難為,聽而識之者難遇也!

(下し文)
§3

夫れ牛角の歌,辭 鄙【いやし】くして 義 拙【つたな】し。

堂下の言は,傳記に書せず。

齊桓 舉げて以って國に相たらしめ,叔向 手を攜えて以て上る,

然らば則ち言の為し難きに非らず,聽いて之を識る者 遇い難きなり!


(現代語訳)
§3

一体、斉の甯戚の牛角の歌は、斉の桓公に求めたものであるが、その辞はいやしくて、その意義はまずいものであった。

鄭の鬷蔑の堂下での言は、伝記に書いてはないから、内容はわからないのである。

斉の桓公は甯戚を挙げて国政を相ける宰相となし、晋の叔向は鬷蔑と手をたずさえて堂に上って語った。

そうだとすると、人に認められ難いのは、物言うことの難いのでなくて、それを聴いて人物を識別する者の遇い難いのである。 


(訳注) §3

兵部李侍郎書§3

(兵部侍郎李巽のような人物を見る眼識のある人に遇って、知己を求めなければ、機会を失うといって、採用を願うのである。) 

1兵部侍郎 国防を担当し、長官を兵部尚書、次官を兵部侍郎という。 兵部は隋唐の時に設置され、武官の人事・兵器・軍政などを担当した。

 

夫牛角之歌,辭鄙而義拙;

一体、斉の甯戚の牛角の歌は、斉の桓公に求めたものであるが、その辞はいやしくて、その意義はまずいものであった。

29. 牛角之歌 斉の桓公が、夜外出して、雷戚が牛に餌をやりながら、牛の角を叩いて「南山矸,白石爛,生不逢堯與舜禪。 短布單衣適至骭,從昏飯牛薄夜半,長夜漫漫何時旦?」(南山矸【かん】(けわしい)たり、白石爛たり。生まれて堯と舜の禪(ゆずり)に遭はず、短布単衣、適【わず】かに骭【かん】(すねの骨)に至る。昏より牛を飯【か】いて、夜半に薄【いた】る。長夜 漫漫、何れの時にか旦【ぁ】けん)と歌っていた。桓公は車に載せて帰って大夫としたという。これを「飯牛の歌」ともいう。

 

堂下之言,不書於傳記。

鄭の鬷蔑の堂下での言は、伝記に書いてはないから、内容はわからないのである。

30. 堂下之言 『左伝』昭公二十八年に「《春秋左傳》〈昭公傳二十八年〉, 昔叔向適鄭。鬷蔑惡欲觀叔向。從使之收器者。而往立於堂下。一言而善。叔向將飲酒。聞之曰。必鬷明也。下執其手。以上曰。必鬷明也。 下執其手. 以上。 曰. 昔賈大夫惡. 娶妻而美. 三年不言不笑. 御以如。」(叔向鄭に適(ゅ)く。鬷蔑【そうべつ】醜悪(顔がみにくい)、叔向を観んと欲す。使の器を収むる者に従ひて、往いて堂下に立つ。一言して善し。叔向将に酒を飲まんとす。之か聞いて日く、必ず鬷明なりと、下つて其の手を執つて、以て上つて日く、云云、遂に故知の如し」とある。鬷蔑の字は然明。故に鬷明ともいう。鄭の大夫。

 

齊桓舉以相國,叔向攜手以上,

斉の桓公は甯戚を挙げて国政を相ける宰相となし、晋の叔向は鬷蔑と手をたずさえて堂に上って語った。

31.  齊桓舉以相國 斉の桓公は甯戚を挙げて国政を相けるを宰相となした。斉の宰相甯戚(ネイセキ)は、衛の人。斉桓公に用いられようと思い、斉に赴き、牛飼をして牛に飯を食わせる歌を歌った。桓公はこれを聞いて、 甯戚を見出して登用した。

32. 叔向 晋の 羊舌肸(ようぜつ きつ、生没年不詳)のことである。中国春秋時代の晋の政治家。姓は姫、氏は羊舌、諱は肸、字は叔向。羊舌職の子。同母兄に羊舌赤(伯華)、同母弟に羊舌鮒(叔魚)、異母弟に羊舌虎(叔羆)。平公の傅をつとめ、該博をもって知られた賢人。大夫羊舌肸【きつ】、一名羊肸、字は叔向、博学多聞、能く礼講を以て国を治めた。

 

然則非言之難為,聽而識之者難遇也!

そうだとすると、人に認められ難いのは、物言うことの難いのでなくて、それを聴いて人物を識別する者の遇い難いのである。 

32. 言之難為 言説のなし難いこと。物を言うのが困難。

 

 

 

韓愈 兵部李侍郎に上る書 《上兵部李侍郎書》【字解】

 

1 兵部侍郎 国防を担当し、長官を兵部尚書、次官を兵部侍郎という。 兵部は隋唐の時に設置され、武官の人事・兵器・軍政などを担当した。

2. 江陵府 湖北省の省都。

3. 法曹参軍 司法を掌る属官。

4. 鄙鈍 見識が低くのろまである。

5. 都 すべて。

6. 覓官 役職を求める。

7. 薄命 運命が薄い、運がわるい。

8. 讒謗 ありもせぬ罪を言い立てて悪口をいう.

9. 困厄 苦しみこまる。厄は災厄に遇う。

10. 究窮 きわめる。研究する。

11. 史記 『史記』は、中国前漢の武帝の時代に司馬遷によって編纂された中国の歴史書である。正史の第一に数えられる。二十四史のひとつ。計52万6千5百字。著者自身が名付けた書名は『太史公書』であるが、後世に『史記』と呼ばれるようになるとこれが一般的な書名とされるようになった。

12. 百家 諸子百家(しょしひゃっか)とは、中国の春秋戦国時代に現れた学者・学派の総称。「諸子」は孔子、老子、荘子、墨子、孟子、荀子などの人物を指す。「百家」は儒家、道家、墨家、名家、法家などの学派。

13. 沈潛 ① 水底深く沈みかくれること。② 物事に深く没頭すること。

14. 礱磨 すりみがく。石臼と挽き目。動詞としですりみ がく意。

15. 事業 学問上の仕事。学業。

16 唐虞 堯舜、唐は堯の領国の名、虞は舜の天下をたもつときの号。古代の伝説上の帝王,尭と舜。徳をもって天下を治めた理想的な三皇五帝とされる帝王の日二人である。

17. 編簡 文書、書籍。

18. 河海 河は黄河、海は黄河の水が注ぎこむ東海。

19. 山嶽 五嶽の内の嵩山を言う。

20. 幽 ほの暗く明らかでない。幽玄な。隠遁的な静けさをいう。

21. 繊 細くこまかい。

22. 珠璣 珠は真珠のような小粒な玉。璣は円くない玉、小玉。

23. 華実 草木の 花や実。

24 奇辭奧旨 変化の激しいものでは、雷や稲光、風や雨のような文章である。

25 靡 無と同じ。

26 初心 初志。学問に対する志。

27 發禿/髪禿 髪が抜けてはげる。

28 歯落 歯が脱けてうつろになる。《落齒》「去年落一牙,今年落一齒。俄然落六七,落勢殊未已。」(昨年、一牙【いちが】を落ち、今年、一歯【いっし】を落つ。俄然【がぜん】として六七を落ち、落つる勢い殊に未だ己【や】まず。)

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29. 牛角之歌 斉の桓公が、夜外出して、雷戚が牛に餌をやりながら、牛の角を叩いて「南山矸,白石爛,生不逢堯與舜禪。 短布單衣適至骭,從昏飯牛薄夜半,長夜漫漫何時旦?」(南山矸【かん】(けわしい)たり、白石爛たり。生まれて堯と舜の禪(ゆずり)に遭はず、短布単衣、適【わず】かに骭【かん】(すねの骨)に至る。昏より牛を飯【か】いて、夜半に薄【いた】る。長夜 漫漫、何れの時にか旦【ぁ】けん)と歌っていた。桓公は車に載せて帰って大夫としたという。これを「飯牛の歌」ともいう。

30. 堂下之言 『左伝』昭公二十八年に「《春秋左傳》〈昭公傳二十八年〉, 昔叔向適鄭。鬷蔑惡欲觀叔向。從使之收器者。而往立於堂下。一言而善。叔向將飲酒。聞之曰。必鬷明也。下執其手。以上曰。必鬷明也。 下執其手. 以上。 曰. 昔賈大夫惡. 娶妻而美. 三年不言不笑. 御以如。」(叔向鄭に適(ゅ)く。鬷蔑【そうべつ】醜悪(顔がみにくい)、叔向を観んと欲す。使の器を収むる者に従ひて、往いて堂下に立つ。一言して善し。叔向将に酒を飲まんとす。之か聞いて日く、必ず鬷明なりと、下つて其の手を執つて、以て上つて日く、云云、遂に故知の如し」とある。鬷蔑の字は然明。故に鬷明ともいう。鄭の大夫。

31.  齊桓舉以相國 斉の桓公は甯戚を挙げて国政を相けるを宰相となした。斉の宰相甯戚(ネイセキ)は、衛の人。斉桓公に用いられようと思い、斉に赴き、牛飼をして牛に飯を食わせる歌を歌った。桓公はこれを聞いて、 甯戚を見出して登用した。

32. 叔向 晋の 羊舌肸(ようぜつ きつ、生没年不詳)のことである。中国春秋時代の晋の政治家。姓は姫、氏は羊舌、諱は肸、字は叔向。羊舌職の子。同母兄に羊舌赤(伯華)、同母弟に羊舌鮒(叔魚)、異母弟に羊舌虎(叔羆)。平公の傅をつとめ、該博をもって知られた賢人。大夫羊舌肸【きつ】、一名羊肸、字は叔向、博学多聞、能く礼講を以て国を治めた。

32. 言之難為 言説のなし難いこと。物を言うのが困難。

 

 

五箴(並序)--韓愈(國學治要五-古文治要卷一)

【原文】

人患不知其過,既知之,不能改,是無勇也。余生三十有八年,髮之短者日益白,齒之搖者日益脫,聰明不及於前時,道德日負於初心,其不至於君子而卒為小人也昭昭矣!作《五箴》以訟[1]其惡云。

 

游箴

余少之時,將求多能,蚤[2]夜以孜孜。余今之時,既飽而嬉,蚤夜以無為。嗚呼余乎,其無知乎?君子之棄,而小人之歸乎?

 

言箴

不知言之人,烏[3]可與言?知言之人,默焉而其意已傳。幕中之辯,人反以汝為叛[4]。臺中之評,人反以汝為傾[5]。汝不懲邪,而呶(ㄋㄠˊ撓)呶[6]以害其生邪!

 

行箴

行與義乖,言與法違。後雖無害,汝可以悔。行也無邪,言也無頗。死而不死,汝悔而何。宜悔而休,汝惡曷瘳(ㄔㄡ抽)[7]。宜休而悔,汝善安在。悔不可追,悔不可為。思而斯得,汝則勿思。

 

好惡箴

無善而好,不觀其道。無悖而惡,不詳其故。前之所好,今見其尤。從也為比[8],捨也為讎(ㄔㄡˊ,通仇)。前之所惡,今見其臧(ㄗㄤ贓)[9]。從也為愧,捨也為狂。維讎維比,維狂維愧。於身不祥,於德不義。不義不祥,維惡之大,幾如是為,而不顛沛?齒之尚少,庸有不思。今其老矣,不慎胡為。

 

知名箴

內不足者,急於人知。霈(ㄆㄟˋ沛)[10]焉有餘,厥聞(ㄨㄣˋ問)[11]四馳。今日告汝,知名之法,勿病無聞,病其曄(ㄧㄝˋ葉)曄[12]。昔者子路,惟恐有聞。赫然千載,德譽愈尊。矜汝文章,負汝言語。乘人不能,揜(ㄧㄢˇ,通掩)以自取。汝非其父,汝非其師,不請而教,誰云不欺。欺以賈(ㄍㄨˇ古)[13]憎,揜以媒怨。汝曾不寤[14],以及於難。小人在辱,亦克知悔。及其既寧,終莫能戒。既出汝心,又銘汝前。汝如不顧,禍亦宜然。

 

【注釋】

[1]訟:責備。

[2]蚤:通「早」,表時間。

[3]烏:哪裡,怎麼;與「安、焉、何」同義。

[4]叛:違背。

[5]傾:傾軋、排擠。韓愈在《論天旱人飢狀》中提出「伏請特敕京兆府」停徵賦稅,而京兆尹李實是德宗的幸臣,他不止一次對德宗說「今年雖旱,而穀甚好」,德宗因而認為韓愈是有意傾軋、排擠李實。

[6]呶呶:謂多言也。

[7]瘳:損失、減少。

[8]比:親密。

[9]臧:善。

[10]霈:比喻恩澤。

[11]聞:名聲。

[12]曄曄:盛大的樣子。

[13]賈:招引、招惹。

[14]寤:通「悟」,醒悟。

 

【註】韓愈《五箴》不能視為嚴肅的說教,而是抒發他對黑暗現實的牢騷和不滿,表達他對自己懷才不遇,屢遭排擠打擊的坎坷身世的深沉感嘆。

 

【作者】韓愈(768年-824年)[1],字退之,出生於河南河陽(今河南孟縣),祖籍郡望昌黎郡(今遼寧省義縣),自稱昌黎韓愈,世稱韓昌黎。卒諡文,世稱韓文公。唐代文學家,與柳宗元是當時古文運動的倡導者,合稱「韓柳」。蘇軾稱讚他「文起八代之衰,道濟天下之溺,忠犯人主之怒,勇奪三軍之帥」。散文,詩,均有名。著作有 《昌黎先生集》。

韓愈125《 巻三03 上兵部李侍郎書》 #4§2-3 韓愈(韓退之) 805年貞元21年 38歳<1632> Ⅱ#4§2-3 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7144

韓愈  上兵部李侍郎書 §2-3

奇辭奧旨,靡不通達。惟是鄙鈍不通曉於時事,學成而道益窮,

年老而智益困,私自憐悼,悔其初心,發禿齒落,不見知己。
変化の激しいものでは、雷や稲光、風や雨のような文章である。これらのめずらしい文辞、奥深い意味を、私は十分によく理解しないところがない。ただ私の性質は見識いやしく、心の働きがにぶくて、時世の大切な事がらに行きわたり理解できないだけである。学問はでき上がっているのにである。わが道はますます行きづまり、年を重ねて智恵はますます苦しんでいる。私は人しれず自分を憐みいたむのである。その初めに抱いた志を今では悔いている。髪は禿げ歯は抜けてうつろになっても、己を知ってくれる人物に遭遇できないでいる。

韓愈125《 巻三03 上兵部李侍郎書》 #4§2-3 韓愈(韓退之)  805年貞元21年 38歳<1632> Ⅱ#4§2-3 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7144

 

 
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韓愈詩-韓愈125

上兵部李侍郎書 §1

(兵部侍郎李巽のような人物を見る眼識のある人に遇って、知己を求めなければ、機会を失うといって、採用を願うのである。)

十二月九日,將仕郎守江陵府法曹參軍韓愈,謹上書侍郎閤下:

十二月九日、将仕郎守江陵府法曹参軍韓愈、謹んで書を侍郎閣下にたてまつる。

愈少鄙鈍,於時事都不通曉,

私は幼少から見識は低く智能は鈍く、時世の事について全く通じ知らないのであるが、

家貧不足以自活,應舉覓官,凡二十年矣。

家が貧しく自力で活きるに不充分であるので、科挙に応じて官をも とめること二十年である。

薄命不幸,動遭讒謗,進寸退尺,卒無所成。

しかし運命が薄くふしあわせで、どうかするとありもしない悪口にあい、一寸進めば一尺退く というように、ついに成功する所かないのである。

(兵部李侍郎に上る書)

十二月九日,將仕 郎守 江陵府 法曹參軍の韓愈,謹んで書を侍郎閤下に上【たてまつ】る。

愈 少より鄙鈍【ひどん】,時事に於いて都【すべ】て通曉せず,

家 貧にして以って自活するに足らず,舉に應じて官を覓むること,凡そ二十年なり。

薄命不幸,動もすれば讒謗【ざんぼう】に遭い,寸を進めば尺を退き,卒【つい】に成す所無し。

 

§2-1

性本好文學,因困厄悲愁,

私は生まれつきの性格は、もともと文学を奸み、生活に困っていて、災いに苦しみ悲しみうれっていた。

無所告語,遂得究窮於經傳、

それを告げ語る人も無い境遇であったから、そのまま聖人の教えの書やそれの伝述の書を研究した。

史記、百家之說,沈潛乎訓義,反複乎句讀,

そして、歴史の記録、請子百家の説を研究し、その読み方解義に深く心をひそめ、辞章の句切り読みなどの勉学を繰り返した。

礱磨乎事業,而奮發乎文章。

学問の仕事に錬磨して、文章に力を奮い発することができた。

§2-1

性は本と 文學を好み,困厄 悲愁に因る,

告語する所無く,遂に經傳、史記、百家の說を究窮するを得る。

訓義に沈潛し,句讀を反複し,

事業を礱磨【ろうま】し,而して文章を奮發す。

凡自唐虞以來,編簡所存,

およそ堯・舜からこのかた、書籍に存する所のものを読み、

大之為河海,高之為山嶽,

広大な文章では黄河や大海のようなものであり、高大なものでは山嶽のような 文章であるのだ。

明之為日月,幽之為鬼神,

明らかに輝くものでは、日月のような文章であり、幽玄なものでは鬼神にもたとえられる神秘な文章であるのだ。

纖之為珠璣華實,變之為雷霆風雨,

繊細な文章では真珠や小さい玉、花や実のようなものでもあるのだ。変化の激しいものでは、雷や稲光、風や雨のような文章である。

-2

凡そ唐虞より以來,編簡の存する所なり,

之を大にしては河海を為し,之を高うしては山嶽と為す。

之を明しては日月と為り,之を幽にしては鬼神と為る。

之を纖しては珠璣【しゅき】華實と為り,之を變じては雷霆【らいてい】風雨と為る,

3

奇辭奧旨,靡不通達。

変化の激しいものでは、雷や稲光、風や雨のような文章である。これらのめずらしい文辞、奥深い意味を、私は十分によく理解しないところがない。

惟是鄙鈍不通曉於時事,學成而道益窮,

ただ私の性質は見識いやしく、心の働きがにぶくて、時世の大切な事がらに行きわたり理解できないだけである。学問はでき上がっているのにである。

年老而智益困,私自憐悼,

わが道はますます行きづまり、年を重ねて智恵はますます苦しんでいる。私は人しれず自分を憐みいたむのである。
悔其初心,發禿齒落,不見知己。

その初めに抱いた志を今では悔いている。髪は禿げ歯は抜けてうつろになっても、己を知ってくれる人物に遭遇できないでいる。

 

奇辭 奧旨,通達せざる靡【な】し。

惟だ是れ 鄙鈍【ひどん】時事に通曉せず,學成りて 道 益す窮す。

年老いて 智 益す困しみ,私【ひそか】に自ら憐悼【れんとう】す。

其の初心を悔い,發禿【はつとく】し齒落ち,知己を見ず。

 

 

『上兵部李侍郎書』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

§2-3

奇辭奧旨,靡不通達。

惟是鄙鈍不通曉於時事,學成而道益窮,

年老而智益困,私自憐悼,

悔其初心,發禿齒落,不見知己。

(下し文)
§2-3

奇辭 奧旨,通達せざる靡【な】し。

惟だ是れ 鄙鈍【ひどん】時事に通曉せず,學成りて 道 益す窮す。

年老いて 智 益す困しみ,私【ひそか】に自ら憐悼【れんとう】す。

其の初心を悔い,發禿【はつとく】し齒落ち,知己を見ず。

(現代語訳)
§2-3

変化の激しいものでは、雷や稲光、風や雨のような文章である。これらのめずらしい文辞、奥深い意味を、私は十分によく理解しないところがない。

ただ私の性質は見識いやしく、心の働きがにぶくて、時世の大切な事がらに行きわたり理解できないだけである。学問はでき上がっているのにである。

わが道はますます行きづまり、年を重ねて智恵はますます苦しんでいる。私は人しれず自分を憐みいたむのである。

その初めに抱いた志を今では悔いている。髪は禿げ歯は抜けてうつろになっても、己を知ってくれる人物に遭遇できないでいる。


(訳注)

兵部李侍郎書 §2-3

(兵部侍郎李巽のような人物を見る眼識のある人に遇って、知己を求めなければ、機会を失うといって、採用を願うのである。) 

1兵部侍郎 国防を担当し、長官を兵部尚書、次官を兵部侍郎という。 兵部は隋唐の時に設置され、武官の人事・兵器・軍政などを担当した。

 

奇辭奧旨,靡不通達。

変化の激しいものでは、雷や稲光、風や雨のような文章である。これらのめずらしい文辞、奥深い意味を、私は十分によく理解しないところがない。

24 奇辭奧旨 変化の激しいものでは、雷や稲光、風や雨のような文章である。

25 靡 無と同じ。

 

惟是鄙鈍不通曉於時事,學成而道益窮,

ただ私の性質は見識いやしく、心の働きがにぶくて、時世の大切な事がらに行きわたり理解できないだけである。学問はでき上がっているのにである。

 4. 鄙鈍 見識が低くのろまである。

 

年老而智益困,私自憐悼,

わが道はますます行きづまり、年を重ねて智恵はますます苦しんでいる。私は人しれず自分を憐みいたむのである。

 

悔其初心,發禿齒落,不見知己。

その初めに抱いた志を今では悔いている。髪は禿げ歯は抜けてうつろになっても、己を知ってくれる人物に遭遇できないでいる。

26 初心 初志。学問に対する志。

27 發禿/髪禿 髪が抜けてはげる。

28 歯落 歯が脱けてうつろになる。《落齒》「去年落一牙,今年落一齒。俄然落六七,落勢殊未已。」(昨年、一牙【いちが】を落ち、今年、一歯【いっし】を落つ。俄然【がぜん】として六七を落ち、落つる勢い殊に未だ己【や】まず。)

70-#1(改訂版Ver.2.1) 《巻04-17 落歯 #1》 (去年落一牙)【4分割】 韓愈(韓退之) 803年貞元19年 38歳<1415> Ⅱ韓昌黎集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6059

韓愈125《 巻三03 上兵部李侍郎書》 #3§2-2 韓愈(韓退之) 805年貞元21年 38歳<1631> Ⅱ#3§2-2 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7139

韓愈  上兵部李侍郎書 ♯3§2-2

凡自唐虞以來,編簡所存,大之為河海,高之為山嶽,明之為日月,幽之為鬼神,

纖之為珠璣華實,變之為雷霆風雨,

およそ堯・舜からこのかた、書籍に存する所のものを読み、広大な文章では黄河や大海のようなものであり、高大なものでは山嶽のような 文章であるのだ。明らかに輝くものでは、日月のような文章であり、幽玄なものでは鬼神にもたとえられる神秘な文章であるのだ。繊細な文章では真珠や小さい玉、花や実のようなものでもあるのだ。変化の激しいものでは、雷や稲光、風や雨のような文章である。

韓愈125《 巻三03 上兵部李侍郎書》 #3§2-2 韓愈(韓退之)  805年貞元21年 38歳<1631> Ⅱ#3§2-2 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7139


 
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韓愈125《 巻三03 上兵部李侍郎書》 #3§2-2 韓愈(韓退之) 805年貞元21年 38歳<1631> Ⅱ#3§2-2 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7139  
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  index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首 index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首 index-13 821年~822年 55歳 22首 index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首 韓愈 哲学・儒学「五原」 賦・散文・上奏文・碑文など  
  孟郊 張籍          
  ●杜甫の全作品1500首を訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"  
  Ⅲ杜甫詩全1500首   LiveDoorBlog 767年-11-#2杜甫 《19-05 園官送菜》#2 杜甫詩index-15-767年大暦2年56歲-11-#2 <1092> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7140  
  杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首 杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩)  杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首 杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首 杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首 杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首  
  杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首 杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首 杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首 杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首 杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首 杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首  
  ●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている  
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  温庭筠66首 花間集1・2巻 皇甫松11首 花間集二巻 韋莊47首 花間集二巻 薛昭蘊19首 花間集三巻 牛嶠31首 花間集三・四巻 張泌27首 花間集四巻  
  毛文錫31首 花間集5巻 牛希濟11首 花間集5巻 欧陽烱17首 花間集5・6巻 和凝20首 花間集6巻 顧夐56首 花間集6・7巻 孫光憲47首 花間集7・8巻  
  魏承班15首 花間集8・9巻 鹿虔扆6首 花間集9巻 閻選8首 花間集9巻 尹鶚6首 花間集9巻 毛熙震29首 花間集9・10巻 李珣39首 花間集10巻  
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韓愈詩-韓愈125

上兵部李侍郎書 §1

(兵部侍郎李巽のような人物を見る眼識のある人に遇って、知己を求めなければ、機会を失うといって、採用を願うのである。)

十二月九日,將仕郎守江陵府法曹參軍韓愈,謹上書侍郎閤下:

十二月九日、将仕郎守江陵府法曹参軍韓愈、謹んで書を侍郎閣下にたてまつる。

愈少鄙鈍,於時事都不通曉,

私は幼少から見識は低く智能は鈍く、時世の事について全く通じ知らないのであるが、

家貧不足以自活,應舉覓官,凡二十年矣。

家が貧しく自力で活きるに不充分であるので、科挙に応じて官をも とめること二十年である。

薄命不幸,動遭讒謗,進寸退尺,卒無所成。

しかし運命が薄くふしあわせで、どうかするとありもしない悪口にあい、一寸進めば一尺退く というように、ついに成功する所かないのである。

(兵部李侍郎に上る書)

十二月九日,將仕 郎守 江陵府 法曹參軍の韓愈,謹んで書を侍郎閤下に上【たてまつ】る。

愈 少より鄙鈍【ひどん】,時事に於いて都【すべ】て通曉せず,

家 貧にして以って自活するに足らず,舉に應じて官を覓むること,凡そ二十年なり。

薄命不幸,動もすれば讒謗【ざんぼう】に遭い,寸を進めば尺を退き,卒【つい】に成す所無し。

 

§2-1

性本好文學,因困厄悲愁,

私は生まれつきの性格は、もともと文学を奸み、生活に困っていて、災いに苦しみ悲しみうれっていた。

無所告語,遂得究窮於經傳、

それを告げ語る人も無い境遇であったから、そのまま聖人の教えの書やそれの伝述の書を研究した。

史記、百家之說,沈潛乎訓義,反複乎句讀,

そして、歴史の記録、請子百家の説を研究し、その読み方解義に深く心をひそめ、辞章の句切り読みなどの勉学を繰り返した。

礱磨乎事業,而奮發乎文章。

学問の仕事に錬磨して、文章に力を奮い発することができた。

§2-1

性は本と 文學を好み,困厄 悲愁に因る,

告語する所無く,遂に經傳、史記、百家の說を究窮するを得る。

訓義に沈潛し,句讀を反複し,

事業を礱磨【ろうま】し,而して文章を奮發す。

凡自唐虞以來,編簡所存,

およそ堯・舜からこのかた、書籍に存する所のものを読み、

大之為河海,高之為山嶽,

広大な文章では黄河や大海のようなものであり、高大なものでは山嶽のような 文章であるのだ。

明之為日月,幽之為鬼神,

明らかに輝くものでは、日月のような文章であり、幽玄なものでは鬼神にもたとえられる神秘な文章であるのだ。

纖之為珠璣華實,變之為雷霆風雨,

繊細な文章では真珠や小さい玉、花や実のようなものでもあるのだ。変化の激しいものでは、雷や稲光、風や雨のような文章である。

-2

凡そ唐虞より以來,編簡の存する所なり,

之を大にしては河海を為し,之を高うしては山嶽と為す。

之を明しては日月と為り,之を幽にしては鬼神と為る。

之を纖しては珠璣【しゅき】華實と為り,之を變じては雷霆【らいてい】風雨と為る,

 

 

『上兵部李侍郎書』現代語訳と訳註解説

(本文) (3)§2-2

凡自唐虞以來,編簡所存,

大之為河海,高之為山嶽,

明之為日月,幽之為鬼神,

纖之為珠璣華實,變之為雷霆風雨,

 

(下し文)

凡そ唐虞より以來,編簡の存する所なり,

之を大にしては河海を為し,之を高うしては山嶽と為す。

之を明しては日月と為り,之を幽にしては鬼神と為る。

之を纖しては珠璣【しゅき】華實と為り,之を變じては雷霆【らいてい】風雨と為る,

 

(現代語訳)

およそ堯・舜からこのかた、書籍に存する所のものを読み、

広大な文章では黄河や大海のようなものであり、高大なものでは山嶽のような 文章であるのだ。

明らかに輝くものでは、日月のような文章であり、幽玄なものでは鬼神にもたとえられる神秘な文章であるのだ。

繊細な文章では真珠や小さい玉、花や実のようなものでもあるのだ。

変化の激しいものでは、雷や稲光、風や雨のような文章である。

(訳注) 

兵部李侍郎書 §2-2

(兵部侍郎李巽のような人物を見る眼識のある人に遇って、知己を求めなければ、機会を失うといって、採用を願うのである。) 

1兵部侍郎 国防を担当し、長官を兵部尚書、次官を兵部侍郎という。 兵部は隋唐の時に設置され、武官の人事・兵器・軍政などを担当した。

 

凡自唐虞以來,編簡所存,

およそ堯・舜からこのかた、書籍に存する所のものを読み、

16 唐虞 堯舜、唐は堯の領国の名、虞は舜の天下をたもつときの号。古代の伝説上の帝王,尭と舜。徳をもって天下を治めた理想的な三皇五帝とされる帝王の日二人である。

17. 編簡 文書、書籍。

 

大之為河海,高之為山嶽,

広大な文章では黄河や大海のようなものであり、高大なものでは山嶽のような 文章であるのだ。

28. 河海 河は黄河、海は黄河の水が注ぎこむ東海。

19. 山嶽 五嶽の内の嵩山を言う。

 

明之為日月,幽之為鬼神,

明らかに輝くものでは、日月のような文章であり、幽玄なものでは鬼神にもたとえられる神秘な文章であるのだ。

20. 幽 ほの暗く明らかでない。幽玄な。隠遁的な静けさをいう。

 

纖之為珠璣華實,變之為雷霆風雨,

繊細な文章では真珠や小さい玉、花や実のようなものでもあるのだ。

21. 繊 細くこまかい。

22. 珠璣 珠は真珠のような小粒な玉。璣は円くない玉、小玉。

23. 華実 草木の 花や実。

 

 

 

 

韓愈 兵部李侍郎に上る書 《上兵部李侍郎書》【字解】

 

1 兵部侍郎 国防を担当し、長官を兵部尚書、次官を兵部侍郎という。 兵部は隋唐の時に設置され、武官の人事・兵器・軍政などを担当した。

2. 江陵府 湖北省の省都。

3. 法曹参軍 司法を掌る属官。

4. 鄙鈍 見識が低くのろまである。

5. 都 すべて。

6. 覓官 役職を求める。

7. 薄命 運命が薄い、運がわるい。

8. 讒謗 ありもせぬ罪を言い立てて悪口をいう.

9. 困厄 苦しみこまる。厄は災厄に遇う。

10. 究窮 きわめる。研究する。

11. 史記 『史記』は、中国前漢の武帝の時代に司馬遷によって編纂された中国の歴史書である。正史の第一に数えられる。二十四史のひとつ。計52万6千5百字。著者自身が名付けた書名は『太史公書』であるが、後世に『史記』と呼ばれるようになるとこれが一般的な書名とされるようになった。

12. 百家 諸子百家(しょしひゃっか)とは、中国の春秋戦国時代に現れた学者・学派の総称。「諸子」は孔子、老子、荘子、墨子、孟子、荀子などの人物を指す。「百家」は儒家、道家、墨家、名家、法家などの学派。

13. 沈潛 ① 水底深く沈みかくれること。② 物事に深く没頭すること。

14. 礱磨 すりみがく。石臼と挽き目。動詞としですりみ がく意。

15. 事業 学問上の仕事。学業。

16 唐虞 堯舜、唐は堯の領国の名、虞は舜の天下をたもつときの号。古代の伝説上の帝王,尭と舜。徳をもって天下を治めた理想的な三皇五帝とされる帝王の日二人である。

17. 編簡 文書、書籍。

18. 河海 河は黄河、海は黄河の水が注ぎこむ東海。

19. 山嶽 五嶽の内の嵩山を言う。

20. 幽 ほの暗く明らかでない。幽玄な。隠遁的な静けさをいう。

21. 繊 細くこまかい。

22. 珠璣 珠は真珠のような小粒な玉。璣は円くない玉、小玉。

23. 華実 草木の 花や実。

 

 

五箴(並序)--韓愈(國學治要五-古文治要卷一)

【原文】

人患不知其過,既知之,不能改,是無勇也。余生三十有八年,髮之短者日益白,齒之搖者日益脫,聰明不及於前時,道德日負於初心,其不至於君子而卒為小人也昭昭矣!作《五箴》以訟[1]其惡云。

 

游箴

余少之時,將求多能,蚤[2]夜以孜孜。余今之時,既飽而嬉,蚤夜以無為。嗚呼余乎,其無知乎?君子之棄,而小人之歸乎?

 

言箴

不知言之人,烏[3]可與言?知言之人,默焉而其意已傳。幕中之辯,人反以汝為叛[4]。臺中之評,人反以汝為傾[5]。汝不懲邪,而呶(ㄋㄠˊ撓)呶[6]以害其生邪!

 

行箴

行與義乖,言與法違。後雖無害,汝可以悔。行也無邪,言也無頗。死而不死,汝悔而何。宜悔而休,汝惡曷瘳(ㄔㄡ抽)[7]。宜休而悔,汝善安在。悔不可追,悔不可為。思而斯得,汝則勿思。

 

好惡箴

無善而好,不觀其道。無悖而惡,不詳其故。前之所好,今見其尤。從也為比[8],捨也為讎(ㄔㄡˊ,通仇)。前之所惡,今見其臧(ㄗㄤ贓)[9]。從也為愧,捨也為狂。維讎維比,維狂維愧。於身不祥,於德不義。不義不祥,維惡之大,幾如是為,而不顛沛?齒之尚少,庸有不思。今其老矣,不慎胡為。

 

知名箴

內不足者,急於人知。霈(ㄆㄟˋ沛)[10]焉有餘,厥聞(ㄨㄣˋ問)[11]四馳。今日告汝,知名之法,勿病無聞,病其曄(ㄧㄝˋ葉)曄[12]。昔者子路,惟恐有聞。赫然千載,德譽愈尊。矜汝文章,負汝言語。乘人不能,揜(ㄧㄢˇ,通掩)以自取。汝非其父,汝非其師,不請而教,誰云不欺。欺以賈(ㄍㄨˇ古)[13]憎,揜以媒怨。汝曾不寤[14],以及於難。小人在辱,亦克知悔。及其既寧,終莫能戒。既出汝心,又銘汝前。汝如不顧,禍亦宜然。

 

【注釋】

[1]訟:責備。

[2]蚤:通「早」,表時間。

[3]烏:哪裡,怎麼;與「安、焉、何」同義。

[4]叛:違背。

[5]傾:傾軋、排擠。韓愈在《論天旱人飢狀》中提出「伏請特敕京兆府」停徵賦稅,而京兆尹李實是德宗的幸臣,他不止一次對德宗說「今年雖旱,而穀甚好」,德宗因而認為韓愈是有意傾軋、排擠李實。

[6]呶呶:謂多言也。

[7]瘳:損失、減少。

[8]比:親密。

[9]臧:善。

[10]霈:比喻恩澤。

[11]聞:名聲。

[12]曄曄:盛大的樣子。

[13]賈:招引、招惹。

[14]寤:通「悟」,醒悟。

 

【註】韓愈《五箴》不能視為嚴肅的說教,而是抒發他對黑暗現實的牢騷和不滿,表達他對自己懷才不遇,屢遭排擠打擊的坎坷身世的深沉感嘆。

 

【作者】韓愈(768年-824年)[1],字退之,出生於河南河陽(今河南孟縣),祖籍郡望昌黎郡(今遼寧省義縣),自稱昌黎韓愈,世稱韓昌黎。卒諡文,世稱韓文公。唐代文學家,與柳宗元是當時古文運動的倡導者,合稱「韓柳」。蘇軾稱讚他「文起八代之衰,道濟天下之溺,忠犯人主之怒,勇奪三軍之帥」。散文,詩,均有名。著作有 《昌黎先生集》。

韓愈125《 巻三03 上兵部李侍郎書》 #2§2-1 韓愈(韓退之) 805年貞元21年 38歳<1630> Ⅱ#2§2-1 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7134

韓愈  上兵部李侍郎書§2-1

性本好文學,因困厄悲愁,無所告語,遂得究窮於經傳、史記、百家之說,沈潛乎訓義,反複乎句讀,礱磨乎事業,而奮發乎文章。

私は生まれつきの性格は、もともと文学を奸み、生活に困っていて、災いに苦しみ悲しみうれっていた。それを告げ語る人も無い境遇であったから、そのまま聖人の教えの書やそれの伝述の書を研究した。そして、歴史の記録、請子百家の説を研究し、その読み方解義に深く心をひそめ、辞章の句切り読みなどの勉学を繰り返した。学問の仕事に錬磨して、文章に力を奮い発することができた。

韓愈125《 巻三03 上兵部李侍郎書》 #2§2-1 韓愈(韓退之)  805年貞元21年 38歳<1630> Ⅱ#2§2-1 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7134


 
  2015年12月28日 の紀頌之5つのBlog  
  ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場  
  Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
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李白372 巻五 24-《秋思》(春陽如昨日) 372728年開元十六年28歲 <李白372> Ⅰ李白詩1717 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7133  
  ●孟浩然 詩 index ●李白詩index ●謝霊運 詩 index ●司馬相如 《 子虛賦 ・上林賦 》 ●揚雄 《 甘泉賦 》  ●諸葛亮(孔明)出師表  
  曹植(曹子建)詩 65首 index 文選 賦)兩都賦序・西都賦・東都賦 (班固) 《李白 全詩》
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(1)漁父辞 屈原 『楚辞・九歌』東君 屈原 《楚辞 『九辯』》 宋玉  <案内>  
  ●唐を代表する 中唐 韓愈 全500首   
  Ⅱ中唐詩・晩唐詩
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韓愈125《 巻三03 上兵部李侍郎書》 #2§2-1 韓愈(韓退之) 805年貞元21年 38歳<1630> Ⅱ#2§2-1 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7134  
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  Ⅲ杜甫詩全1500首   LiveDoorBlog 767年-11-#1杜甫 《19-05 園官送菜》#1 杜甫詩index-15-767年大暦2年56歲-11-#1 <1091> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7135  
  杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首 杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩)  杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首 杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首 杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首 杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首  
  杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首 杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首 杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首 杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首 杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首 杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首  
  ●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている  
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  ●花間集全詩●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集  
  Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoorBlog 12孫光憲《巻八21清平樂二首其二》『花間集』373全詩訳注解説(改訂版Ver.2.1)-漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-7137  
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  ●魚玄機全詩 ●花間集(6巻 ●花間集(7巻 ●花間集(8巻 ●花間集(9巻 ●花間集10巻  
  温庭筠66首 花間集1・2巻 皇甫松11首 花間集二巻 韋莊47首 花間集二巻 薛昭蘊19首 花間集三巻 牛嶠31首 花間集三・四巻 張泌27首 花間集四巻  
  毛文錫31首 花間集5巻 牛希濟11首 花間集5巻 欧陽烱17首 花間集5・6巻 和凝20首 花間集6巻 顧夐56首 花間集6・7巻 孫光憲47首 花間集7・8巻  
  魏承班15首 花間集8・9巻 鹿虔扆6首 花間集9巻 閻選8首 花間集9巻 尹鶚6首 花間集9巻 毛熙震29首 花間集9・10巻 李珣39首 花間集10巻  
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 韓愈詩-韓愈125

上兵部李侍郎書 §1

(兵部侍郎李巽のような人物を見る眼識のある人に遇って、知己を求めなければ、機会を失うといって、採用を願うのである。)

十二月九日,將仕郎守江陵府法曹參軍韓愈,謹上書侍郎閤下:

十二月九日、将仕郎守江陵府法曹参軍韓愈、謹んで書を侍郎閣下にたてまつる。

愈少鄙鈍,於時事都不通曉,

私は幼少から見識は低く智能は鈍く、時世の事について全く通じ知らないのであるが、

家貧不足以自活,應舉覓官,凡二十年矣。

家が貧しく自力で活きるに不充分であるので、科挙に応じて官をも とめること二十年である。

薄命不幸,動遭讒謗,進寸退尺,卒無所成。

しかし運命が薄くふしあわせで、どうかするとありもしない悪口にあい、一寸進めば一尺退く というように、ついに成功する所かないのである。

(兵部李侍郎に上る書)

十二月九日,將仕 郎守 江陵府 法曹參軍の韓愈,謹んで書を侍郎閤下に上【たてまつ】る。

愈 少より鄙鈍【ひどん】,時事に於いて都【すべ】て通曉せず,

家 貧にして以って自活するに足らず,舉に應じて官を覓むること,凡そ二十年なり。

薄命不幸,動もすれば讒謗【ざんぼう】に遭い,寸を進めば尺を退き,卒【つい】に成す所無し。

 

§2-1

性本好文學,因困厄悲愁,

私は生まれつきの性格は、もともと文学を奸み、生活に困っていて、災いに苦しみ悲しみうれっていた。

無所告語,遂得究窮於經傳、

それを告げ語る人も無い境遇であったから、そのまま聖人の教えの書やそれの伝述の書を研究した。

史記、百家之說,沈潛乎訓義,反複乎句讀,

そして、歴史の記録、請子百家の説を研究し、その読み方解義に深く心をひそめ、辞章の句切り読みなどの勉学を繰り返した。

礱磨乎事業,而奮發乎文章。

学問の仕事に錬磨して、文章に力を奮い発することができた。

§2-1

性は本と 文學を好み,困厄 悲愁に因る,

告語する所無く,遂に經傳、史記、百家の說を究窮するを得る。

訓義に沈潛し,句讀を反複し,

事業を礱磨【ろうま】し,而して文章を奮發す。

-2

凡自唐虞以來,編簡所存,

大之為河海,高之為山嶽,

明之為日月,幽之為鬼神,

纖之為珠璣華實,變之為雷霆風雨,

-3

奇辭奧旨,靡不通達。

惟是鄙鈍不通曉於時事,學成而道益窮,

年老而智益困,私自憐悼,

悔其初心,發禿齒落,不見知己。

-2 

凡そ唐虞より以來,編簡の存する所なり,

之を大にしては河海を為し,之を高うしては山嶽と為す。

之を明しては日月と為り,之を幽にしては鬼神と為る。

之を纖しては珠璣【しゅき】華實と為り,之を變じては雷霆【らいてい】風雨と為る,

-3

奇辭 奧旨,通達せざる靡【な】し。

惟だ是れ 鄙鈍【ひどん】時事に通曉せず,學成りて 道 益す窮す。

年老いて 智 益す困しみ,私【ひそか】に自ら憐悼【れんとう】す。

其の初心を悔い,發禿【はつとく】し齒落ち,知己を見ず。

 

 

『上兵部李侍郎書』 現代語訳と訳註解説

(本文)

§2-1

性本好文學,因困厄悲愁,

無所告語,遂得究窮於經傳、

史記、百家之說,沈潛乎訓義,反複乎句讀,

礱磨乎事業,而奮發乎文章。

 

(下し文)

§2-1

性は本と 文學を好み,困厄 悲愁に因る,

告語する所無く,遂に經傳、史記、百家の說を究窮するを得る。

訓義に沈潛し,句讀を反複し,

事業を礱磨【ろうま】し,而して文章を奮發す。

 

(現代語訳)

§2-1

私は生まれつきの性格は、もともと文学を奸み、生活に困っていて、災いに苦しみ悲しみうれっていた。

それを告げ語る人も無い境遇であったから、そのまま聖人の教えの書やそれの伝述の書を研究した。

そして、歴史の記録、請子百家の説を研究し、その読み方解義に深く心をひそめ、辞章の句切り読みなどの勉学を繰り返した。

学問の仕事に錬磨して、文章に力を奮い発することができた。

 

(訳注) 

兵部李侍郎書§2-1

(兵部侍郎李巽のような人物を見る眼識のある人に遇って、知己を求めなければ、機会を失うといって、採用を願うのである。) 

1.兵部侍郎 国防を担当し、長官を兵部尚書、次官を兵部侍郎という。 兵部は隋唐の時に設置され、武官の人事・兵器・軍政などを担当した。

 

性本好文學,因困厄悲愁,

私は生まれつきの性格は、もともと文学を奸み、生活に困っていて、災いに苦しみ悲しみうれっていた。

9. 困厄 苦しみこまる。厄は災厄に遇う。

 

無所告語,遂得究窮於經傳、

それを告げ語る人も無い境遇であったから、そのまま聖人の教えの書やそれの伝述の書を研究した。

10. 究窮 きわめる。研究する。

 

史記、百家之說,沈潛乎訓義,反複乎句讀,

そして、歴史の記録、請子百家の説を研究し、その読み方解義に深く心をひそめ、辞章の句切り読みなどの勉学を繰り返した。

11. 史記 『史記』は、中国前漢の武帝の時代に司馬遷によって編纂された中国の歴史書である。正史の第一に数えられる。二十四史のひとつ。計52万6千5百字。著者自身が名付けた書名は『太史公書』であるが、後世に『史記』と呼ばれるようになるとこれが一般的な書名とされるようになった。

12. 百家 諸子百家(しょしひゃっか)とは、中国の春秋戦国時代に現れた学者・学派の総称。「諸子」は孔子、老子、荘子、墨子、孟子、荀子などの人物を指す。「百家」は儒家、道家、墨家、名家、法家などの学派。

13. 沈潛 ① 水底深く沈みかくれること。② 物事に深く没頭すること。

 

礱磨乎事業,而奮發乎文章。

学問の仕事に錬磨して、文章に力を奮い発することができた。

14. 礱磨 すりみがく。石臼と挽き目。動詞としですりみ がく意。

15. 事業 学問上の仕事。学業。

 

 

 

韓愈 兵部李侍郎に上る書 《上兵部李侍郎書》【字解】

 

1 兵部侍郎 国防を担当し、長官を兵部尚書、次官を兵部侍郎という。 兵部は隋唐の時に設置され、武官の人事・兵器・軍政などを担当した。

2. 江陵府 湖北省の省都。

3. 法曹参軍 司法を掌る属官。

4. 鄙鈍 見識が低くのろまである。

5. 都 すべて。

6. 覓官 役職を求める。

7. 薄命 運命が薄い、運がわるい。

8. 讒謗 ありもせぬ罪を言い立てて悪口をいう.

9. 困厄 苦しみこまる。厄は災厄に遇う。

10. 究窮 きわめる。研究する。

11. 史記 『史記』は、中国前漢の武帝の時代に司馬遷によって編纂された中国の歴史書である。正史の第一に数えられる。二十四史のひとつ。計52万6千5百字。著者自身が名付けた書名は『太史公書』であるが、後世に『史記』と呼ばれるようになるとこれが一般的な書名とされるようになった。

12. 百家 諸子百家(しょしひゃっか)とは、中国の春秋戦国時代に現れた学者・学派の総称。「諸子」は孔子、老子、荘子、墨子、孟子、荀子などの人物を指す。「百家」は儒家、道家、墨家、名家、法家などの学派。

13. 沈潛 ① 水底深く沈みかくれること。② 物事に深く没頭すること。

14. 礱磨 すりみがく。石臼と挽き目。動詞としですりみ がく意。

15. 事業 学問上の仕事。学業。

 

五箴(並序)--韓愈(國學治要五-古文治要卷一)

【原文】

人患不知其過,既知之,不能改,是無勇也。余生三十有八年,髮之短者日益白,齒之搖者日益脫,聰明不及於前時,道德日負於初心,其不至於君子而卒為小人也昭昭矣!作《五箴》以訟[1]其惡云。

 

游箴

余少之時,將求多能,蚤[2]夜以孜孜。余今之時,既飽而嬉,蚤夜以無為。嗚呼余乎,其無知乎?君子之棄,而小人之歸乎?

 

言箴

不知言之人,烏[3]可與言?知言之人,默焉而其意已傳。幕中之辯,人反以汝為叛[4]。臺中之評,人反以汝為傾[5]。汝不懲邪,而呶(ㄋㄠˊ撓)呶[6]以害其生邪!

 

行箴

行與義乖,言與法違。後雖無害,汝可以悔。行也無邪,言也無頗。死而不死,汝悔而何。宜悔而休,汝惡曷瘳(ㄔㄡ抽)[7]。宜休而悔,汝善安在。悔不可追,悔不可為。思而斯得,汝則勿思。

 

好惡箴

無善而好,不觀其道。無悖而惡,不詳其故。前之所好,今見其尤。從也為比[8],捨也為讎(ㄔㄡˊ,通仇)。前之所惡,今見其臧(ㄗㄤ贓)[9]。從也為愧,捨也為狂。維讎維比,維狂維愧。於身不祥,於德不義。不義不祥,維惡之大,幾如是為,而不顛沛?齒之尚少,庸有不思。今其老矣,不慎胡為。

 

知名箴

內不足者,急於人知。霈(ㄆㄟˋ沛)[10]焉有餘,厥聞(ㄨㄣˋ問)[11]四馳。今日告汝,知名之法,勿病無聞,病其曄(ㄧㄝˋ葉)曄[12]。昔者子路,惟恐有聞。赫然千載,德譽愈尊。矜汝文章,負汝言語。乘人不能,揜(ㄧㄢˇ,通掩)以自取。汝非其父,汝非其師,不請而教,誰云不欺。欺以賈(ㄍㄨˇ古)[13]憎,揜以媒怨。汝曾不寤[14],以及於難。小人在辱,亦克知悔。及其既寧,終莫能戒。既出汝心,又銘汝前。汝如不顧,禍亦宜然。

 

【注釋】

[1]訟:責備。

[2]蚤:通「早」,表時間。

[3]烏:哪裡,怎麼;與「安、焉、何」同義。

[4]叛:違背。

[5]傾:傾軋、排擠。韓愈在《論天旱人飢狀》中提出「伏請特敕京兆府」停徵賦稅,而京兆尹李實是德宗的幸臣,他不止一次對德宗說「今年雖旱,而穀甚好」,德宗因而認為韓愈是有意傾軋、排擠李實。

[6]呶呶:謂多言也。

[7]瘳:損失、減少。

[8]比:親密。

[9]臧:善。

[10]霈:比喻恩澤。

[11]聞:名聲。

[12]曄曄:盛大的樣子。

[13]賈:招引、招惹。

[14]寤:通「悟」,醒悟。

 

【註】韓愈《五箴》不能視為嚴肅的說教,而是抒發他對黑暗現實的牢騷和不滿,表達他對自己懷才不遇,屢遭排擠打擊的坎坷身世的深沉感嘆。

 

【作者】韓愈(768年-824年)[1],字退之,出生於河南河陽(今河南孟縣),祖籍郡望昌黎郡(今遼寧省義縣),自稱昌黎韓愈,世稱韓昌黎。卒諡文,世稱韓文公。唐代文學家,與柳宗元是當時古文運動的倡導者,合稱「韓柳」。蘇軾稱讚他「文起八代之衰,道濟天下之溺,忠犯人主之怒,勇奪三軍之帥」。散文,詩,均有名。著作有 《昌黎先生集》。

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韓愈  上兵部李侍郎書§1

十二月九日,將仕郎守江陵府法曹參軍韓愈,謹上書侍郎閤下:愈少鄙鈍,於時事都不通曉,家貧不足以自活,應舉覓官,凡二十年矣。

薄命不幸,動遭讒謗,進寸退尺,卒無所成。

(兵部侍郎李巽のような人物を見る眼識のある人に遇って、知己を求めなければ、機会を失うといって、採用を願うのである。) 十二月九日、将仕郎守江陵府法曹参軍韓愈、謹んで書を侍郎閣下にたてまつる。私は幼少から見識は低く智能は鈍く、時世の事について全く通じ知らないのであるが、家が貧しく自力で活きるに不充分であるので、科挙に応じて官をも とめること二十年である。しかし運命が薄くふしあわせで、どうかするとありもしない悪口にあい、一寸進めば一尺退く というように、ついに成功する所かないのである。

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韓愈は宮市の弊害を論じた意見書を上奏した。宮市とは、宮中で必要な物資を業者から買い入れることをいう。当然なことのようだが、これが購入担当の匡官たちの役得となった。彼らは宮中御用と言いたて、法外に安い価格で物資を買いあげてしまう。ほとんど掠奪といぇる場合さえあった。自居易の「新楽府」のうちの「売炭翁」は、このために泣かされた炭焼きの爺さんを描き出した。爺さんは炭を牛車に積み、苦労して長安の町まで売りに来るが、そこで宮市の使者につかまり、申しわけ程度の代価とひきかえに、炭を全部持って行かれてしまう。このように民衆を苦しめる宮市を廃止すべきだと韓愈が主張したのが、彼の流罪のほんとうの原因であったのである。

 

 

韓愈がもらった職は、江陵府の法曹参軍であった。府庁の中で司法事務を管掌する、末端の官僚である。榔州の刺史(州家)は愈の召還を奏請したのだが、その上官である湖南観察使(使家)が握りつぶし、不運にも(玖珂)やはり刑蛮の地である江陵(今の湖北省江陵。愈はこんなことを言っているが、陽山よりはもちろん都に近い大都会である)に移住を許されただけだというのである。

ここに一つの問題がある。当時の湖南観察使の楊漁は、柳宗元の妻の父であった。愈の陽山へ流されたのが王叔文一派のさしがねとするならば、彼らが順宗を擁して時めいている時期に、愈を簡単に召還するはずがない。幹部の柳宗元の義父ともなれば、その辺の事情は察していたであろうから、中央からの指令はなくとも、楊憑が勝手に奏請を握りつぶしたのだろうと、推測する説がある。事実か香かは確かめようもないが、「使家は抑へ」とうたった愈が、そこに気をまわしていた可能性は大きい。

任地は刑蛮の江陵、しかも法曹参軍という「卑官」である。官僚が罪を犯すことがあると、流罪とか左遷とかの処罰を受けるが、庶民とは違って、笞や杖で叩かれることはない。その身分を重んじ、屈辱的な刑は遠慮するのである。ところが法曹参軍など、「判司」と総称される役人には、それが適用されない。庶民と同様に、叩かれることもあった。

自分のかつての同僚たちは、たいがい出世コースを歩いている。こう言ったときの韓愈は、おそらく柳宗元や劉禹錫を思い浮べていたのであろう。朝廷への道(天路)は暗く険しく、彼らのあとを迫って登ることもできない。

彼はますます絶望的な気特になった。このころ、自戒の意味をこめて五つのいましめ、「五箴」(韓文一二)を書いたが、その序文には言う。

余生三十有八年,髮之短者日益白,齒之搖者日益脫

余、生れて三十有八年、髪の短き者は日ごとに益と白く、歯の揺らぐ者は日ごとに益々脱す。

聡明は前時に及ばず、道徳は日ごとに初心に負く。

そして五箴の一つである「游箴」(遊ぶことのいましめ)には、

余少之時,將求多能,蚤夜以孜孜。余今之時,既飽而嬉,蚤夜以無為。

余、少き時、将に多能を求めんとし、蚤夜以て孜孜たり(朝晩努力していた)。

余、今の時、既に飽いて嬉しみ、蚤夜以て為すこと無し。

これらには、もとより現在のわが身への自嘲がこめられていよう。しかし、前途に希望を失ってしまっては、さすがの彼も、往年の壮気を呼びもどすすべがなかったように見える。

翌年は憲宗の元和元年(八〇六)である。愈は三十九歳の正月を江陵で迎えた。そして「春に感ず」と題する四首の詩(韓文三)を作ったが、その第三首には言う。

 感春四首 其三
朝騎一馬出,暝就一床臥。
詩書漸欲
拋,節行久已惰。
冠欹感發禿,語誤驚齒墮。
孤負平生心,已矣知何奈。

朝に一馬を騎して出で,暝【くれ】に一床【いっしょう】に就【つ】きて臥す。
詩書【ししょ】漸【ようや】く
拋【なげう】たんと欲す,節行【せつこう】久しく已に惰【おこた】れり。
冠 欹【そばだ】ちて 發【かみ】の禿【とく】なるを感ず,語 誤【あやま】ちて 齒の墮【おつ】るに。驚く。
孤負【こふ】す 平生の心,已【やんぬる】矣 知る何奈【いかん】せん。

 

法曹参軍には供をする者もないので、朝、出勤するときは馬が一頭だけ。妻子もいないので、夜、寝るときはベッドが一つきり。学問(詩書)もだんだんと拗棄しかけてきた。正しい行為を守ろうとしたのも、とっくの昔におろそかとなっている。冠が傾いた。それで自分の髪が薄くなったのだと気づく。言葉を言い違えた。これも歯がぬけたためと、悲しい。今の自分は、平素の信念にそむいてしまった。しかし、もうしかたがない。これをどうしたらよいのだろう。

 

 

 

上兵部李侍郎書 §1

(兵部侍郎李巽のような人物を見る眼識のある人に遇って、知己を求めなければ、機会を失うといって、採用を願うのである。)

十二月九日,將仕郎守江陵府法曹參軍韓愈,謹上書侍郎閤下:

十二月九日、将仕郎守江陵府法曹参軍韓愈、謹んで書を侍郎閣下にたてまつる。

愈少鄙鈍,於時事都不通曉,

私は幼少から見識は低く智能は鈍く、時世の事について全く通じ知らないのであるが、

家貧不足以自活,應舉覓官,凡二十年矣。

家が貧しく自力で活きるに不充分であるので、科挙に応じて官をも とめること二十年である。

薄命不幸,動遭讒謗,進寸退尺,卒無所成。

しかし運命が薄くふしあわせで、どうかするとありもしない悪口にあい、一寸進めば一尺退く というように、ついに成功する所かないのである。

(兵部李侍郎に上る書)

十二月九日,將仕 郎守 江陵府 法曹參軍の韓愈,謹んで書を侍郎閤下に上【たてまつ】る。

愈 少より鄙鈍【ひどん】,時事に於いて都【すべ】て通曉せず,

家 貧にして以って自活するに足らず,舉に應じて官を覓むること,凡そ二十年なり。

薄命不幸,動もすれば讒謗【ざんぼう】に遭い,寸を進めば尺を退き,卒【つい】に成す所無し。

§2

性本好文學,因困厄悲愁,

無所告語,遂得究窮於經傳、

史記、百家之說,沈潛乎訓義,反複乎句讀,

礱磨乎事業,而奮發乎文章。

-2

凡自唐虞以來,編簡所存,

大之為河海,高之為山嶽,

明之為日月,幽之為鬼神,

纖之為珠璣華實,變之為雷霆風雨,

奇辭奧旨,靡不通達。

惟是鄙鈍不通曉於時事,學成而道益窮,

年老而智益困,私自憐悼,

悔其初心,發禿齒落,不見知己。

§3

夫牛角之歌,辭鄙而義拙;

堂下之言,不書於傳記。

齊桓舉以相國,叔向攜手以上,

然則非言之難為,聽而識之者難遇也!

§4-1

伏以閣下內仁而外義,行高而德巨,

尚賢而與能,哀窮而悼屈,

自江而西,既化而行矣。

今者入守內職,為朝廷大臣,

-2

當天子新即位,汲汲於理化之日,

出言舉事,宜必施設。

既有聽之之明,又有振之之力,

寧戚之歌,鬷明之言,

不發於左右,則後而失其時矣。

§5

謹獻舊文一卷,扶樹教道,有所明白;

南行詩一卷,舒憂娛悲,

雜以瑰怪之言,時俗之好,

所以諷於口而聽於耳也。

如賜覽觀,亦有可采,

幹黷嚴尊,伏增惶恐。

愈再拜。

 

 


『上兵部李侍郎書』 現代語訳と訳註解説

(本文)

上兵部李侍郎書§1

十二月九日,將仕郎守江陵府法曹參軍韓愈,謹上書侍郎閤下:

愈少鄙鈍,於時事都不通曉,

家貧不足以自活,應舉覓官,凡二十年矣。

薄命不幸,動遭讒謗,進寸退尺,卒無所成。

 

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34-07§4-2 《讀巻03-09 與孟東野書 -7》韓愈(韓退之)ID 801年貞元17年 35歳<1306> Ⅱ唐宋八大家文読本 巻三 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5514

韓愈《讀巻03-09 與孟東野書 -7》ただお大切になされてお仕合わせになることをねがう。私、韓愈は、このごろ眼病がむやみと激しくなって、またいちいち詳しくは記せないのです。韓愈は再拝いたす。

 

 

34-07§4-2 《讀巻03-09 與孟東野書 -7》韓愈(韓退之)ID  801年貞元17年 35歳<1306> Ⅱ唐宋八大家文読本 巻三 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5514

韓愈詩-34-07§4-2

 

 

《讀巻03-09 與孟東野書》

與孟東野書

(孟東野に興ふる書)

§1-#1

與足下别久矣,以吾心之思足下,知足下懸懸於吾也。

足下と別れてから久しくなる。私の心が足下を思うことを以て、足下も心に懸けて思っておられることがわかる。

各以事牽,不可合並,

けれども二人とも各々仕事のために牽かれて一緒になることができない。

其於人人,非足下之爲見

他の人々においては、足下の物の見方と同じではない。

而日與之處,足下知吾心樂否也。

しかもそれらの人々と共に居るのである。足下は私が心から楽しんでいるか、どうかがわかるであろうか。

《讀巻03-09 與孟東野書 -3》

§1-#2

吾言之而聽者誰歟?

私が物を言っても、聴く者は誰であろうか。

吾倡之而和者誰歟?

私が詩を唱っても、これに答える人は誰であろうか。

言無聽也,倡無和也,

物を言っても聴く者がない。詩を唱っても和する者がない。

獨行而無徒也,是非無所與同也,足下知吾心樂否也。

独り事を行って仲間がいない。是も非も自分と一致する者がいないのである。足下は私の心が楽しむか、楽しまないかがわかるであろうか。

 

§1-#1

足下と別るること久し。吾が心の足下を思ふを以て、足下も吾に懸懸たるを知るなり。

各と事を以て牽かれて合井す可からず。

其の人人に於ける、足下の鬼を為すに非ず。

而して日七に之と盛る。足下吾が心の欒否を知るや。

§1-#2

吾之を言ひて、聴く者は誰ぞや。

吾之を唱へて、和する者は誰そや。

言へども聴く無きなり。唱ふれども和する無きなり。

猪行して徒無きなり。是非輿に同じうする所無きなり。足下吾が心の欒否を知るや。

 

§2-#1

足下才高氣清,行古道,處今世。

足下は、才能は高くすぐれ、気持ちは清らかで、古人の道を行って、今の世に住んでいる。

無田而衣食,事親左右無違。

耕作すべき田もなくて、やっと衣食している。貧窮のうちにも親につかえて左に右に、何くれとなく心を配り、孝行の道に違わない。

足下之用心勤矣。

足下は心を用いることにまことに努力しておられる。

足下之處身勞且苦矣。

足下が身をこの世に置くには、まことに苦労しておられる。

混混與世相濁,獨其心追古人而從之。

混沌と世と共に濁りながらも、その心はひとり古人を追い慕ってその道に従っている。

足下之道,其使吾悲也。

足下の生き方は、それこそ私を悲しませるのである。

 

足下 才高く 氣清し,古道を行いて,今世に處る。

田無くして 衣食し,親に事えて左右違うこと無し。

足下 之の心を用うること勤めたり。

足下 之の身を處する 勞して且つ苦めり。

混混として 世と相い濁り,獨り其の心 古人を追いて之に從う。

足下 之れ道なり,其れ吾を使て 悲しましむ也。

 

§3-#1

去年春,脱汴州之亂,幸不死,

去年の春に、汴州の乱をのがれて、幸いに死ななかった。

無所於歸,遂來於此。

落ち着く所も無かったので、そのままここに来た。

主人與吾有故,

この徐州の主人は、節度使、張建封で私ともとからの知り合いの関係があった。

哀其窮,居吾於符離睢上。

私の窮しているのを哀れんで、私を符離の睢水という川のほとりに居らせた。

§3-#2

及秋,將辭去,

秋になって辞し去ろうとした。

因被留以職事,

そうしたが、ついでに節度使府の職務を以て留められた。

默默在此,行一年矣。

その後黙々としてここにいることが、もう一年になろうとしている。

到今年秋,聊複辭去,

今年の秋になったら、しばらくまた辞し去るであろう。

江湖餘樂也,

三江五湖の遠い桃源郷に、自由に生きるのが、私の楽しみである。

與足下終,幸矣!

足下と共に江湖に終わるならば、幸いである。

 

§3-#1

去年の春、汴州の乱を脱して、幸に死せず。

歸するに所無く、遂に此に来る。

主人吾と故有り、

其の窮を哀んで、吾を符離の睢上に居けり。

§3-#2

秋に及んで将に辞し去らんとす。

因って甫むるに職事を以てせらる。

点々として此に在ること、行に一年。

今年の秋に到らば、聊か復新し去らん。

江湖は余が樂なり。

足下と終らば、幸なり。

 

§4-#1

李習之娶吾亡兄之女,

李習之(李翺)は私の亡兄の娘をめとることになった。

期在後月,朝夕當來此。

その期日は来月にあり、その上、朝から夕までのうちに当然ここに来るにちがいない。

張籍在和州居喪,家甚貧。

張籍は和州にいて喪に服している。家は甚だ貧しい。

恐足下不知,故具此白,

恐らく足下は知らないだろうから、それ故詳しくここに申したのである。

冀足下一來相視也。

どうか、足下も一度来て会ってみられよ。

§4-#2

自彼至此雖遠,要皆舟行可至,

そちらから当地まで遠くても、要するに舟旅で来れるのである。

速圖之,吾之望也。

速くその計画をしなさい。それは私の望みである。

春且盡,時氣向熱,

春は尽きようとしていて、気候は熱さに向かうのだから、

惟侍奉吉慶。

ただお大切になされてお仕合わせになることをねがう。

愈眼疾比劇,甚無聊,不複一一。愈再拜。

私、韓愈は、このごろ眼病がむやみと激しくなって、またいちいち詳しくは記せないのです。韓愈は再拝いたす。

§4-#1

李習之吾が亡兄之女を娶る,

期 後月に在り,朝夕に當に此に來り。

張籍 和州に在り喪に居り,家 甚だ貧し。

恐らくは足下 知らざらん,故に具【つぶさ】に此に白す。

冀【こいねが】わくば足下 一たび來って相い視んことを。

§4-#2

彼より此に至る遠しと雖も,要するに皆 舟行 至る可し。

速かに之を圖れり,吾の望なり。

春 且【まさ】に盡んとし,時に氣 熱に向う。

惟だ 侍 奉吉慶。

愈が眼疾 比のごろ劇,甚 無聊【むりょう】,複た一一せず。愈 再拜す。

 

『與孟東野書』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

§4-#2

自彼至此雖遠,要皆舟行可至,速圖之,吾之望也。

春且盡,時氣向熱,惟侍奉吉慶。

愈眼疾比劇,甚無聊,不複一一。愈再拜。


(下し文)
§4-#2

彼より此に至る遠しと雖も,要するに皆 舟行 至る可し。

速かに之を圖れり,吾の望なり。

春 且【まさ】に盡んとし,時に氣 熱に向う。

惟だ 侍 奉吉慶。

愈が眼疾 比のごろ劇,甚 無聊【むりょう】,複た一一せず。愈 再拜す。

(現代語訳)
そちらから当地まで遠くても、要するに舟旅で来れるのである。

速くその計画をしなさい。それは私の望みである。

春は尽きようとしていて、気候は熱さに向かうのだから、

ただお大切になされてお仕合わせになることをねがう。

私、韓愈は、このごろ眼病がむやみと激しくなって、またいちいち詳しくは記せないのです。韓愈は再拝いたす。



(訳注) §4-#2

(孟東野に興ふる書)

 孟東野(751年 - 814年)、名は郊、湖州武康の人。若くして常山に隠れて出ず、性質は孤独で人と合わなかったが、韓愈と一たび会って親交を結んで、その教えを受けた。五十歳で深陽の尉となったが、日々詩を作って仕事をせず、事務か滞ったという。卒して貞曜先生という。巻六に 「貞陪先生墓誌銘」がある。

この文は、韓愈が徐州の役所にあって、打ちあけて語れる人がいないので、昔の孟郊との交遊を想起して、書いた手紙「與孟東野書」である。

 

自彼至此雖遠,要皆舟行可至,

そちらから当地まで遠くても、要するに舟旅で来れるのである。

○彼 孟郊の居た湖州(浙江省)武康。

 

速圖之,吾之望也。

速くその計画をしなさい。それは私の望みである。

 

春且盡,時氣向熱,

春は尽きようとしていて、気候は熱さに向かうのだから、

 

惟侍奉吉慶。

ただお大切になされてお仕合わせになることをねがう。

 

愈眼疾比劇,甚無聊,不複一一。愈再拜。

私、韓愈は、このごろ眼病がむやみと激しくなって、またいちいち詳しくは記せないのです。韓愈は再拝いたす。

34-06§4-1 《讀巻03-09 與孟東野書 -6》韓愈(韓退之)ID 801年貞元17年 35歳<1305> Ⅱ唐宋八大家文読本 巻三 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5509

韓愈§4-1《讀巻03-09 與孟東野書 -6》李習之(李翺)は私の亡兄の娘をめとることになった。その期日は来月にあり、その上、朝から夕までのうちに当然ここに来るにちがいない。張籍は和州にいて喪に服している。家は甚だ貧しい。

 

 
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韓愈詩-34-06§4-1

 

 

 

§3-#1

去年春,脱汴州之亂,幸不死,

去年の春に、汴州の乱をのがれて、幸いに死ななかった。

無所於歸,遂來於此。

落ち着く所も無かったので、そのままここに来た。

主人與吾有故,

この徐州の主人は、節度使、張建封で私ともとからの知り合いの関係があった。

哀其窮,居吾於符離睢上。

私の窮しているのを哀れんで、私を符離の睢水という川のほとりに居らせた。

§3-#2

及秋,將辭去,

秋になって辞し去ろうとした。

因被留以職事,

そうしたが、ついでに節度使府の職務を以て留められた。

默默在此,行一年矣。

その後黙々としてここにいることが、もう一年になろうとしている。

到今年秋,聊複辭去,

今年の秋になったら、しばらくまた辞し去るであろう。

江湖餘樂也,

三江五湖の遠い桃源郷に、自由に生きるのが、私の楽しみである。

與足下終,幸矣!

足下と共に江湖に終わるならば、幸いである。

 

§3-#1

去年の春、汴州の乱を脱して、幸に死せず。

歸するに所無く、遂に此に来る。

主人吾と故有り、

其の窮を哀んで、吾を符離の睢上に居けり。

§3-#2

秋に及んで将に辞し去らんとす。

因って甫むるに職事を以てせらる。

点々として此に在ること、行に一年。

今年の秋に到らば、聊か復新し去らん。

江湖は余が樂なり。

足下と終らば、幸なり。

 

§4-#1

李習之娶吾亡兄之女,

李習之(李翺)は私の亡兄の娘をめとることになった。

期在後月,朝夕當來此。

その期日は来月にあり、その上、朝から夕までのうちに当然ここに来るにちがいない。

張籍在和州居喪,家甚貧。

張籍は和州にいて喪に服している。家は甚だ貧しい。

恐足下不知,故具此白,

恐らく足下は知らないだろうから、それ故詳しくここに申したのである。

冀足下一來相視也。

どうか、足下も一度来て会ってみられよ。

§4-#2

自彼至此雖遠,要皆舟行可至,速圖之,吾之望也。

春且盡,時氣向熱,惟侍奉吉慶。

愈眼疾比劇,甚無聊,不複一一。愈再拜。

§4-#1

李習之吾が亡兄之女を娶る,

期 後月に在り,朝夕に當に此に來り。

張籍 和州に在り喪に居り,家 甚だ貧し。

恐らくは足下 知らざらん,故に具【つぶさ】に此に白す。

冀【こいねが】わくば足下 一たび來って相い視んことを。

§4-#2

彼より此に至る遠しと雖も,要するに皆 舟行 至る可し。

速かに之を圖れり,吾の望なり。

春 且【まさ】に盡んとし,時に氣 熱に向う。

惟だ 侍 奉吉慶。

愈が眼疾 比のごろ劇,甚 無聊【むりょう】,複た一一せず。愈 再拜す。

Ta唐 長安近郊圖  新02洛陽 函谷関002 

『與孟東野書』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

§4-#1

李習之娶吾亡兄之女,

期在後月,朝夕當來此。

張籍在和州居喪,家甚貧。

恐足下不知,故具此白,

冀足下一來相視也。

 

(下し文) §4-#1

李習之吾が亡兄之女を娶る,

期 後月に在り,朝夕に當に此に來り。

張籍 和州に在り喪に居り,家 甚だ貧し。

恐らくは足下 知らざらん,故に具【つぶさ】に此に白す。

冀【こいねが】わくば足下 一たび來って相い視んことを。

(現代語訳)
李習之(李翺)は私の亡兄の娘をめとることになった。

その期日は来月にあり、その上、朝から夕までのうちに当然ここに来るにちがいない。

張籍は和州にいて喪に服している。家は甚だ貧しい。

恐らく足下は知らないだろうから、それ故詳しくここに申したのである。

どうか、足下も一度来て会ってみられよ。

函谷関002

(訳注) §4-#1

(孟東野に興ふる書)

 孟東野(751年 - 814年)、名は郊、湖州武康の人。若くして常山に隠れて出ず、性質は孤独で人と合わなかったが、韓愈と一たび会って親交を結んで、その教えを受けた。五十歳で深陽の尉となったが、日々詩を作って仕事をせず、事務か滞ったという。卒して貞曜先生という。巻六に 「貞陪先生墓誌銘」がある。

この文は、韓愈が徐州の役所にあって、打ちあけて語れる人がいないので、昔の孟郊との交遊を想起して、書いた手紙「與孟東野書」である。

 

李習之娶吾亡兄之女,

李習之は私の亡兄の娘をめとることになった。

○李習之 李 翺(り こう、772年 – 841年)は、唐代中国の文人。字は習之。西涼の武昭王李暠の子孫とも、北魏の尚書左僕射であった李沖の10世の孫とも伝えられる。                                       

・汴州陳留(現在の河南省開封市)人で、本貫は隴西狄道(現在の甘粛省定西市臨洮県)である。                           

・貞元14年(798年)に進士となる。元和年間の初めに国子博士に任命され、元和15年(820年)に史館修撰となり考功員外郎と兼任する。後に朗州と廬州刺史へと左遷され、大和元年(826年)に文宗が即位すると入朝して諫議大夫となり、すぐに知制誥に復帰する。大和7年(833年)に潭州刺史、大和9年(835年)から湖南視察使・検校戸部尚書・襄州刺史・山南東道節度使を経て襄陽(または会昌中鎮)に赴任中に没した。諡は文公。                           

・李翱は韓愈の高弟であり、士を好むところが似ていた。人に一善一能ある時は必ず賞賛し、賢者を推挙する機会を常に求めていたという。                    

・朱伯崑は、「人性本善」という発想は李翺の『復性書』に始まると指摘する。韓愈から排仏の主張を受けついではいるが、彼自身の中では仏教と道教の思想を融合し、むしろ禅宗の達観に接近している。薬山惟儼禅師に贈った詩もあるが、難解で観念的な作品である。                        

・若い頃は皇甫湜とともに韓愈の文章に学ぶ。皇甫湜が韓愈の奇抜な一面を表すのに対し、李翺はその平易な一面を代表するといわれた。ちなみに李翺は韓愈の生前に墓碑銘を委嘱されている。著作は『李文公文集』にまとめられている。                           

・24-9 《遠遊聯句〔韓愈、李翱、孟郊〕》韓愈(韓退之)ID 798年貞元14年 31歳<1223> Ⅱ韓昌黎集 巻五 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5099

・送李翺 韓退之(韓愈)詩<89>Ⅱ中唐詩486 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ1537

・送李六協律歸荊南【李翱】 

○亡兄 名は弇。

 

期在後月,朝夕當來此。

その期日は来月にあり、その上、朝から夕までのうちに当然ここに来るにちがいない。

○朝夕 朝から夕方、一日かからないうちの時間。

 

張籍在和州居喪,家甚貧。

張籍は和州にいて喪に服している。家は甚だ貧しい。

○張籍 字は文昌。和州烏江(安徽省)あるいは東郡(河南省)の人といわれる。貞元15年(799)の進士で国子司業などをつとめる。韓愈の門下のひとり。とりわけ楽府(がふ)に長じ,僚友の王建の作とともに〈張王楽府〉と並称される。官僚としては不遇だった彼には〈征婦怨〉や〈築城詞〉など民衆の苦痛を訴え,為政者を批判する作品が多く,その点杜甫,元結の詩風を受け継ぎ,同時代の大詩人で友人でもあった白居易が絶賛している。

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・奉酬盧給事雲夫四兄曲江荷花行見寄并呈上錢七兄【徽。】閣老張十八助教 韓愈(韓退之) <189>Ⅱ中唐詩804 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ3004

 

雨中寄張博士籍、侯主簿喜

早春與張十八博士籍遊楊尚書林亭,寄第三閣老兼呈白馮二閣老

同水部張員外籍曲江春遊,寄白二十二舍人

早春呈水部張十八員外,二首之一

早春呈水部張十八員外,二首之二

玩月喜張十八員外以王六祕書至【案:王六,王建也。】

與張十八同效阮步兵一日復一夕

 

○和州 安徽省にある。

 

 

恐足下不知,故具此白,

恐らく足下は知らないだろうから、それ故詳しくここに申したのである。

 

冀足下一來相視也。

どうか、足下も一度来て会ってみられよ。

34-05§3-2 《讀巻03-09 與孟東野書 -5》韓愈(韓退之)ID 801年貞元17年 35歳<1304> Ⅱ唐宋八大家文読本 巻三 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5504

韓愈§3-2 《讀巻03-09 與孟東野書 -5》今年の秋になったら、しばらくまた辞し去るであろう。三江五湖の遠い桃源郷に、自由に生きるのが、私の楽しみである。足下と共に江湖に終わるならば、幸いである。

 

 
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韓愈詩-34-05§3-2

 

 

§3-#1

去年春,脱汴州之亂,幸不死,

去年の春に、汴州の乱をのがれて、幸いに死ななかった。

無所於歸,遂來於此。

落ち着く所も無かったので、そのままここに来た。

主人與吾有故,

この徐州の主人は、節度使、張建封で私ともとからの知り合いの関係があった。

哀其窮,居吾於符離睢上。

私の窮しているのを哀れんで、私を符離の睢水という川のほとりに居らせた。

§3-#2

及秋,將辭去,

秋になって辞し去ろうとした。

因被留以職事,

そうしたが、ついでに節度使府の職務を以て留められた。

默默在此,行一年矣。

その後黙々としてここにいることが、もう一年になろうとしている。

到今年秋,聊複辭去,

今年の秋になったら、しばらくまた辞し去るであろう。

江湖餘樂也,

三江五湖の遠い桃源郷に、自由に生きるのが、私の楽しみである。

與足下終,幸矣!

足下と共に江湖に終わるならば、幸いである。

 

§3-#1

去年の春、汴州の乱を脱して、幸に死せず。

歸するに所無く、遂に此に来る。

主人吾と故有り、

其の窮を哀んで、吾を符離の睢上に居けり。

§3-#2

秋に及んで将に辞し去らんとす。

因って甫むるに職事を以てせらる。

点々として此に在ること、行に一年。

今年の秋に到らば、聊か復新し去らん。

江湖は余が樂なり。

足下と終らば、幸なり。

汜水関などの地図 

§4-#1

李習之娶吾亡兄之女,期在後月,朝夕當來此。

張籍在和州居喪,家甚貧。

恐足下不知,故具此白,冀足下一來相視也。

§4-#2

自彼至此雖遠,要皆舟行可至,速圖之,吾之望也。

春且盡,時氣向熱,惟侍奉吉慶。

愈眼疾比劇,甚無聊,不複一一。愈再拜。

 

洛陽 函谷関002 

『與孟東野書』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

§3-#2

及秋,將辭去,

因被留以職事,

默默在此,行一年矣。

到今年秋,聊複辭去,

江湖餘樂也,

與足下終,幸矣!


(下し文)
§3-#2

秋に及んで将に辞し去らんとす。

因って甫むるに職事を以てせらる。

点々として此に在ること、行に一年。

今年の秋に到らば、聊か復新し去らん。

江湖は余が樂なり。

足下と終らば、幸なり。

(現代語訳)
秋になって辞し去ろうとした。

そうしたが、ついでに節度使府の職務を以て留められた。

その後黙々としてここにいることが、もう一年になろうとしている。

今年の秋になったら、しばらくまた辞し去るであろう。

三江五湖の遠い桃源郷に、自由に生きるのが、私の楽しみである。

足下と共に江湖に終わるならば、幸いである。



(訳注) §3-#2

(孟東野に興ふる書)

 孟東野(751年 - 814年)、名は郊、湖州武康の人。若くして常山に隠れて出ず、性質は孤独で人と合わなかったが、韓愈と一たび会って親交を結んで、その教えを受けた。五十歳で深陽の尉となったが、日々詩を作って仕事をせず、事務か滞ったという。卒して貞曜先生という。巻六に 「貞陪先生墓誌銘」がある。

この文は、韓愈が徐州の役所にあって、打ちあけて語れる人がいないので、昔の孟郊との交遊を想起して、書いた手紙「與孟東野書」である。

 

及秋,將辭去,

秋になって辞し去ろうとした。

 

因被留以職事,

そうしたが、ついでに節度使府の職務を以て留められた。

○職事 節度府の推官。

 

默默在此,行一年矣。

その後黙々としてここにいることが、もう一年になろうとしている。

○行 行々く(ゆくゆく)と読んでもよい。一般にここでは「将(まさに)」と同じに読んでいるのに従う。そろそろ……なろうとする。

 

到今年秋,聊複辭去,

今年の秋になったら、しばらくまた辞し去るであろう。

 

江湖餘樂也,

三江五湖の遠い桃源郷に、自由に生きるのが、私の楽しみである。

○江湖 三江五湖、朝廷に対して民間、隠士の居る所をいう。江南地方の江湖は、朝廷から遠い田舎ということ。陶潜の桃源郷をいう。

 

與足下終,幸矣!

足下と共に江湖に終わるならば、幸いである。

34-04§3-1 《讀巻03-09 與孟東野書 -4》韓愈(韓退之)ID 801年貞元17年 35歳<1303> Ⅱ唐宋八大家文読本 巻三 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5499

韓愈《讀巻03-09 與孟東野書 -4》この徐州の主人は、節度使、張建封で私ともとからの知り合いの関係があった。私の窮しているのを哀れんで、私を符離の睢水という川のほとりに居らせた。

 
 2015年2月4日の紀頌之5つのブログ 
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174 《巻17-07 送友人入蜀》Index-11 Ⅱ―6 -731年開元十九年31歳 43首 <174> Ⅰ李白詩1386 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5478 
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34-04§3-1 《讀巻03-09 與孟東野書 -4》韓愈(韓退之)ID 801年貞元17年 35歳<1303> Ⅱ唐宋八大家文読本 巻三 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5499 
 ・李商隠詩 (1) 136首の75首・李商隠詩 (2) 135首の61首●韓愈index-1 ・孟郊、張籍と交遊・汴州乱41首●韓愈詩index-2[800年 33歳~804年 37歳]27首●韓愈詩index-3 805年 38歳・]陽山から江陵府 36首●韓愈詩index-4 806年 39歳 江陵府・権知国子博士 51首(1)25首 
 index-5 806年39歳 50首の(2)25首index-6[807年~809年 42歳]20首index-7[810年~811年 44歳] 34首index-8 [812年~814年47歳]46首index-9[815年~816年 49歳] 57首index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首 
 index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首index-13 821年~822年 55歳 22首index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首韓愈 哲学・儒学「五原」賦・散文・上奏文・碑文など 
 孟郊張籍     
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 杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩) 杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首 
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 Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoor『花間集』全詩訳注解説(改訂版)-1溫庭筠61《巻2-11 河傳三首其三》溫庭筠66首巻二11-〈61〉漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-5502 
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§3-#1

去年春,脱汴州之亂,幸不死,

去年の春に、汴州の乱をのがれて、幸いに死ななかった。

無所於歸,遂來於此。

落ち着く所も無かったので、そのままここに来た。

主人與吾有故,

この徐州の主人は、節度使、張建封で私ともとからの知り合いの関係があった。

哀其窮,居吾於符離睢上。

私の窮しているのを哀れんで、私を符離の睢水という川のほとりに居らせた。

§3-#2

及秋,將辭去,

因被留以職事,

默默在此,行一年矣。

到今年秋,聊複辭去,

江湖餘樂也,

與足下終,幸矣!

 

§3-#1

去年の春、汴州の乱を脱して、幸に死せず。

歸するに所無く、遂に此に来る。

主人吾と故有り、

其の窮を哀んで、吾を符離の睢上に居けり。

§3-#2

秋に及んで将に辞し去らんとす。

因って甫むるに職事を以てせらる。

点々として此に在ること、行に一年。

今年の秋に到らば、聊か復新し去らん。

江湖は余が樂なり。

足下と終らば、幸なり。

 

§4-#1

李習之娶吾亡兄之女,期在後月,朝夕當來此。

張籍在和州居喪,家甚貧。

恐足下不知,故具此白,冀足下一來相視也。

§4-#2

自彼至此雖遠,要皆舟行可至,速圖之,吾之望也。

春且盡,時氣向熱,惟侍奉吉慶。

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『與孟東野書』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

§3-#1

去年春,脱汴州之亂,幸不死,

無所於歸,遂來於此。

主人與吾有故,

哀其窮,居吾於符離睢上。


(下し文)
§3-#1

去年の春、汴州の乱を脱して、幸に死せず。

歸するに所無く、遂に此に来る。

主人吾と故有り、

其の窮を哀んで、吾を符離の睢上に居けり。

(現代語訳)
去年の春に、汴州の乱をのがれて、幸いに死ななかった。

落ち着く所も無かったので、そのままここに来た。

この徐州の主人は、節度使、張建封で私ともとからの知り合いの関係があった。

私の窮しているのを哀れんで、私を符離の睢水という川のほとりに居らせた。


(訳注)

(孟東野に興ふる書)

 孟東野(751年 - 814年)、名は郊、湖州武康の人。若くして常山に隠れて出ず、性質は孤独で人と合わなかったが、韓愈と一たび会って親交を結んで、その教えを受けた。五十歳で深陽の尉となったが、日々詩を作って仕事をせず、事務か滞ったという。卒して貞曜先生という。巻六に 「貞陪先生墓誌銘」がある。

この文は、韓愈が徐州の役所にあって、打ちあけて語れる人がいないので、昔の孟郊との交遊を想起して、書いた手紙「與孟東野書」である。

汜水関などの地図 

§3-#1

去年春,脱汴州之亂,幸不死,

去年の春に、汴州の乱をのがれて、幸いに死ななかった。

○汴州 河南省開封県。

翌796年貞元十二年六月、汁州(河南省開封市)に本拠を置く宣武軍節度使の幕府に世襲に絡んで紛争が発生した。クーデターを成功させたものが節度使を継承できなかったことから、世情が落ち着かない状態であった。

節度使幕府の軍隊は節度使の傭兵であり、新たに中央からの任じられてきたものの命令には従わないのである。

 

しかし新任の董晋は温厚な人物で、万事に寛宏であったという。何もなかったような顔で宣武軍に着任し、軍事はいっさい部惟恭にまかせると発言した。これで部惟恭の顔も立ち、宜武軍は混乱から立ち直った。

この董晋の幕下に、韓愈は招かれて入った。節度使は行政・軍政を行なうために幕府を作るが、人事権は、節度使がもっているので、節度使が任命した人事に対して、朝廷が追認した形で辞令を出すのであった。しかし、その節度使一代限りにおいて役職が保障されるもので、節度使が死んだりやめたりしたときには、自動的にその地位を失う。科挙で選ばれた普通の官僚は、皇帝に忠節を尽くす。節度使の意のままに動く部下を必要とした。

礼部の試には合格したが、吏部で落第したという人を幕僚にして幕府を構成するということを、どの節度使がとった方法あった。韓愈も董晋の幕僚となったが、幕僚としての働きは顕著でない。797年貞元十三年には病気だったことが「復志賦」などの作品から、仕事をしたのは、翌年の貞元十四年にからであろう。宣武軍の科挙の予備試験の試験官という仕事であった。

799年貞元十五年二月三日、董晋が病気のため亡くなったため、ふたたびこの地に乱がおこったのだ。

この時の詩が「汴州の乱二首」である。

汴州亂二首 其一

汴州城門朝不開,天狗堕地聲如雷。

健兒爭誇殺留後,連屋累棟燒成灰。

諸侯咫尺不能救,孤士何者自興哀。

汴州亂二首其一 唐宋詩-205Ⅱ韓退之(韓愈) 紀頌之の漢詩ブログ 韓愈特集-6

其二

母從子走者爲誰,大夫夫人留後兒。

昨日乘車騎大馬,坐者起趨乘者下。

廟堂不肯用幹戈,嗚呼奈汝母子何。

汴州亂二首其二 唐宋詩-206Ⅱ韓退之(韓愈) 紀頌之の漢詩ブログ 韓愈特集-7

 

無所於歸,遂來於此。

落ち着く所も無かったので、そのままここに来た。

 

主人與吾有故,

この徐州の主人は、節度使、張建封で私ともとからの知り合いの関係があった。

○主人 徐州の節度使、張建封。

 

哀其窮,居吾於符離睢上。

私の窮しているのを哀れんで、私を符離の睢水という川のほとりに居らせた。

○符離 安徽省宿県の地。

 

34-03§2 《讀巻03-09 與孟東野書 -3》韓愈(韓退之)ID 801年貞元17年 35歳<1302> Ⅱ唐宋八大家文読本 巻三 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5494

韓愈《讀巻03-09 與孟東野書 -3》耕作すべき田もなくて、やっと衣食している。貧窮のうちにも親につかえて左に右に、何くれとなく心を配り、孝行の道に違わない。足下は心を用いることにまことに努力しておられる。

 

 
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34-03§2 《讀巻03-09 與孟東野書 -3》韓愈(韓退之)ID  801年貞元17年 35歳<1302> Ⅱ唐宋八大家文読本 巻三 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5494

韓愈詩-34-03§2

 

 

《讀巻03-09 與孟東野書》

與孟東野書

(孟東野に興ふる書)

§1-#1

與足下别久矣,以吾心之思足下,知足下懸懸於吾也。

足下と別れてから久しくなる。私の心が足下を思うことを以て、足下も心に懸けて思っておられることがわかる。

各以事牽,不可合並,

けれども二人とも各々仕事のために牽かれて一緒になることができない。

其於人人,非足下之爲見

他の人々においては、足下の物の見方と同じではない。

而日與之處,足下知吾心樂否也。

しかもそれらの人々と共に居るのである。足下は私が心から楽しんでいるか、どうかがわかるであろうか。

《讀巻03-09 與孟東野書 -3》

§1-#2

吾言之而聽者誰歟?

私が物を言っても、聴く者は誰であろうか。

吾倡之而和者誰歟?

私が詩を唱っても、これに答える人は誰であろうか。

言無聽也,倡無和也,

物を言っても聴く者がない。詩を唱っても和する者がない。

獨行而無徒也,是非無所與同也,足下知吾心樂否也。

独り事を行って仲間がいない。是も非も自分と一致する者がいないのである。足下は私の心が楽しむか、楽しまないかがわかるであろうか。

 

§1-#1

足下と別るること久し。吾が心の足下を思ふを以て、足下も吾に懸懸たるを知るなり。

各と事を以て牽かれて合井す可からず。

其の人人に於ける、足下の鬼を為すに非ず。

而して日七に之と盛る。足下吾が心の欒否を知るや。

§1-#2

吾之を言ひて、聴く者は誰ぞや。

吾之を唱へて、和する者は誰そや。

言へども聴く無きなり。唱ふれども和する無きなり。

猪行して徒無きなり。是非輿に同じうする所無きなり。足下吾が心の欒否を知るや。

 

§2-#1

足下才高氣清,行古道,處今世。

足下は、才能は高くすぐれ、気持ちは清らかで、古人の道を行って、今の世に住んでいる。

無田而衣食,事親左右無違。

耕作すべき田もなくて、やっと衣食している。貧窮のうちにも親につかえて左に右に、何くれとなく心を配り、孝行の道に違わない。

足下之用心勤矣。

足下は心を用いることにまことに努力しておられる。

足下之處身勞且苦矣。

足下が身をこの世に置くには、まことに苦労しておられる。

混混與世相濁,獨其心追古人而從之。

混沌と世と共に濁りながらも、その心はひとり古人を追い慕ってその道に従っている。

足下之道,其使吾悲也。

足下の生き方は、それこそ私を悲しませるのである。

 

足下 才高く 氣清し,古道を行いて,今世に處る。

田無くして 衣食し,親に事えて左右違うこと無し。

足下 之の心を用うること勤めたり。

足下 之の身を處する 勞して且つ苦めり。

混混として 世と相い濁り,獨り其の心 古人を追いて之に從う。

足下 之れ道なり,其れ吾を使て 悲しましむ也。

§3-#1

去年春,脱汴州之亂,幸不死,無所於歸,遂來於此。

主人與吾有故,哀其窮,居吾於符離睢上。

§3-#2

及秋,將辭去,因被留以職事,默默在此,行一年矣。

到今年秋,聊複辭去,江湖餘樂也,與足下終,幸矣!

 

§4-#1

李習之娶吾亡兄之女,期在後月,朝夕當來此。

張籍在和州居喪,家甚貧。

恐足下不知,故具此白,冀足下一來相視也。

§4-#2

自彼至此雖遠,要皆舟行可至,速圖之,吾之望也。

春且盡,時氣向熱,惟侍奉吉慶。

愈眼疾比劇,甚無聊,不複一一。愈再拜。

Ta唐 長安近郊圖  新02洛陽 函谷関002 

 

『與孟東野書』 現代語訳と訳註解説
(
本文)
§2-#1

足下才高氣清,行古道,處今世。

無田而衣食,事親左右無違。

足下之用心勤矣。

足下之處身勞且苦矣。

混混與世相濁,獨其心追古人而從之。

足下之道,其使吾悲也。


(下し文)
足下 才高く 氣清し,古道を行いて,今世に處る。

田無くして 衣食し,親に事えて左右違うこと無し。

足下 之の心を用うること勤めたり。

足下 之の身を處する 勞して且つ苦めり。

混混として 世と相い濁り,獨り其の心 古人を追いて之に從う。

足下 之れ道なり,其れ吾を使て 悲しましむ也。


(現代語訳)
足下は、才能は高くすぐれ、気持ちは清らかで、古人の道を行って、今の世に住んでいる。

耕作すべき田もなくて、やっと衣食している。貧窮のうちにも親につかえて左に右に、何くれとなく心を配り、孝行の道に違わない。

足下は心を用いることにまことに努力しておられる。

足下が身をこの世に置くには、まことに苦労しておられる。

混沌と世と共に濁りながらも、その心はひとり古人を追い慕ってその道に従っている。

足下の生き方は、それこそ私を悲しませるのである。


(訳注) §2-#1

(孟東野に興ふる書)

 孟東野(751年 - 814年)、名は郊、湖州武康の人。若くして常山に隠れて出ず、性質は孤独で人と合わなかったが、韓愈と一たび会って親交を結んで、その教えを受けた。五十歳で深陽の尉となったが、日々詩を作って仕事をせず、事務か滞ったという。卒して貞曜先生という。巻六に 「貞陪先生墓誌銘」がある。

この文は、韓愈が徐州の役所にあって、打ちあけて語れる人がいないので、昔の孟郊との交遊を想起して、書いた手紙「與孟東野書」である。

 

足下才高氣清,行古道,處今世。

足下は、才能は高くすぐれ、気持ちは清らかで、古人の道を行って、今の世に住んでいる。

○古道 古の聖人の説く正しい生き方。

 

無田而衣食,事親左右無違。

耕作すべき田もなくて、やっと衣食している。貧窮のうちにも親につかえて左に右に、何くれとなく心を配り、孝行の道に違わない。

○無田而衣食 農業で米蚕を作らずに、士人として僅かな収入で衣食をしている。○左右無違 左にも右にも、何でも孝道に違わない。

 

足下之用心勤矣。

足下は心を用いることにまことに努力しておられる。

 

足下之處身勞且苦矣。

足下が身をこの世に置くには、まことに苦労しておられる。

○処身 身をこの世にうまく処置する。今の世に暮らして行くのに。

 

混混與世相濁,獨其心追古人而從之。

混沌と世と共に濁りながらも、その心はひとり古人を追い慕ってその道に従っている。

○混混 にごる形容。混沌に同じ

 

足下之道,其使吾悲也。

足下の生き方は、それこそ私を悲しませるのである。

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韓愈《讀巻03-09 與孟東野書 -2》独り事を行って仲間がいない。是も非も自分と一致する者がいないのである。足下は私の心が楽しむか、楽しまないかがわかるであろうか。

 

 
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《讀巻03-09 與孟東野書》

與孟東野書

(孟東野に興ふる書)

§1-#1

與足下别久矣,以吾心之思足下,知足下懸懸於吾也。

足下と別れてから久しくなる。私の心が足下を思うことを以て、足下も心に懸けて思っておられることがわかる。

各以事牽,不可合並,

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而日與之處,足下知吾心樂否也。

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§1-#2

吾言之而聽者誰歟?

私が物を言っても、聴く者は誰であろうか。

吾倡之而和者誰歟?

私が詩を唱っても、これに答える人は誰であろうか。

言無聽也,倡無和也,

物を言っても聴く者がない。詩を唱っても和する者がない。

獨行而無徒也,是非無所與同也,足下知吾心樂否也。

独り事を行って仲間がいない。是も非も自分と一致する者がいないのである。足下は私の心が楽しむか、楽しまないかがわかるであろうか。

 

§1-#1

足下と別るること久し。吾が心の足下を思ふを以て、足下も吾に懸懸たるを知るなり。

各と事を以て牽かれて合井す可からず。

其の人人に於ける、足下の鬼を為すに非ず。

而して日七に之と盛る。足下吾が心の欒否を知るや。

§1-#2

吾之を言ひて、聴く者は誰ぞや。

吾之を唱へて、和する者は誰そや。

言へども聴く無きなり。唱ふれども和する無きなり。

猪行して徒無きなり。是非輿に同じうする所無きなり。足下吾が心の欒否を知るや。

 

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『與孟東野書』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

§1-#2

吾言之而聽者誰歟?

吾倡之而和者誰歟?

言無聽也,倡無和也,

獨行而無徒也,是非無所與同也,足下知吾心樂否也。


(下し文) §1-#2

吾之を言ひて、聴く者は誰ぞや。

吾之を唱へて、和する者は誰そや。

言へども聴く無きなり。唱ふれども和する無きなり。

猪行して徒無きなり。是非輿に同じうする所無きなり。足下吾が心の欒否を知るや。

(現代語訳)
私が物を言っても、聴く者は誰であろうか。

私が詩を唱っても、これに答える人は誰であろうか。

物を言っても聴く者がない。詩を唱っても和する者がない。

独り事を行って仲間がいない。是も非も自分と一致する者がいないのである。足下は私の心が楽しむか、楽しまないかがわかるであろうか。


韓愈の地図0055
(訳注) §1-#2

(孟東野に興ふる書)

 孟東野(751年 - 814年)、名は郊、湖州武康の人。若くして常山に隠れて出ず、性質は孤独で人と合わなかったが、韓愈と一たび会って親交を結んで、その教えを受けた。五十歳で深陽の尉となったが、日々詩を作って仕事をせず、事務か滞ったという。卒して貞曜先生という。巻六に 「貞陪先生墓誌銘」がある。

この文は、韓愈が徐州の役所にあって、打ちあけて語れる人がいないので、昔の孟郊との交遊を想起して、書いた手紙「與孟東野書」である。
 

吾言之而聽者誰歟?

私が物を言っても、聴く者は誰であろうか。

 

吾倡之而和者誰歟?

私が詩を唱っても、これに答える人は誰であろうか。

○唱 詩を唱う。

 

言無聽也,倡無和也,

物を言っても聴く者がない。詩を唱っても和する者がない。

○和 答えて詩を作る。

 

獨行而無徒也,是非無所與同也,足下知吾心樂否也。

独り事を行って仲間がいない。是も非も自分と一致する者がいないのである。足下は私の心が楽しむか、楽しまないかがわかるであろうか。

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韓愈《讀巻03-09 與孟東野書》この文は、韓愈が徐州の役所にあって、打ちあけて語れる人がいないので、昔の孟郊との交遊を想起して、書いた手紙「與孟東野書」である。

 

 
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172-#4 《巻08-40 贈嵩山焦煉師 并序 -(3)》Index-11 Ⅱ―6 -731年開元十九年31歳 43首 <172-#4> Ⅰ李白詩1387 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5483 
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34 《讀巻03-09 與孟東野書》韓愈(韓退之)ID  800年貞元16年 34歳<1300> Ⅱ唐宋八大家文読本 巻三 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5484

韓愈詩-34

 

 

孟郊は、貞元十五年七九九春、汴州をはなれて蘇州各地をめぐり、十六年、五十歳で、はじめて溧陽県の尉に任命され赴任した。溧陽は、いまの江蘇省の南京から約百キロメートル東南のまちで、尉は、警察部長にあたる。県令の季操は官僚肌の男で、孟郊の学問や詩業など眼中になかった。孟郊は、老いた母親まで呼びよせて、しばらく落ちつくつもりだったが、805年永貞元年ついに母を常州の属邑義興にうつし、元和元年、職をもとめて、単身、長安に上って来た。韓愈が帰って来たときには、ほぼ新しい職のめどもついていたのである。

かれらにとっては、四、五年ぶりの再会であった。話題が豊富であった。ほとんど毎晩のように寄り合い、酒をくみ、別れていた間の出来事を語りあい、詩をよせあった。そして、多くの聯句を残した。

 

 

《讀巻03-09 與孟東野書》

與孟東野書

(孟東野に興ふる書)

§1-#1

與足下别久矣,以吾心之思足下,知足下懸懸於吾也。

足下と別れてから久しくなる。私の心が足下を思うことを以て、足下も心に懸けて思っておられることがわかる。

各以事牽,不可合並,

けれども二人とも各々仕事のために牽かれて一緒になることができない。

其於人人,非足下之爲見

他の人々においては、足下の物の見方と同じではない。

而日與之處,足下知吾心樂否也。

しかもそれらの人々と共に居るのである。足下は私が心から楽しんでいるか、どうかがわかるであろうか。

§1-#1

足下と別るること久し。吾が心の足下を思ふを以て、足下も吾に懸懸たるを知るなり。

各と事を以て牽かれて合井す可からず。

其の人人に於ける、足下の鬼を為すに非ず。

而して日七に之と盛る。足下吾が心の欒否を知るや。

§1-#2

吾言之而聽者誰歟?

吾倡之而和者誰歟?

言無聽也,倡無和也,

獨行而無徒也,是非無所與同也,足下知吾心樂否也。

§1-#2

吾之を言ひて、聴く者は誰ぞや。

吾之を唱へて、和する者は誰そや。

言へども聴く無きなり。唱ふれども和する無きなり。

猪行して徒無きなり。是非輿に同じうする所無きなり。足下吾が心の欒否を知るや。 

§2-#1

足下才高氣清,行古道,處今世,無田而衣食,事親左右無違,足下之用心勤矣,足下之處身勞且苦矣。

混混與世相濁,獨其心追古人而從之,足下之道,其使吾悲也。

 

§3-#1

去年春,脱汴州之亂,幸不死,無所於歸,遂來於此。

主人與吾有故,哀其窮,居吾於符離睢上。

§3-#2

及秋,將辭去,因被留以職事,默默在此,行一年矣。

到今年秋,聊複辭去,江湖餘樂也,與足下終,幸矣!

 

§4-#1

李習之娶吾亡兄之女,期在後月,朝夕當來此。

張籍在和州居喪,家甚貧。

恐足下不知,故具此白,冀足下一來相視也。

§4-#2

自彼至此雖遠,要皆舟行可至,速圖之,吾之望也。

春且盡,時氣向熱,惟侍奉吉慶。

愈眼疾比劇,甚無聊,不複一一。愈再拜。

 

韓愈の地図0055 

 

『與孟東野書』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

與孟東野書

§1-#1

與足下别久矣,以吾心之思足下,知足下懸懸於吾也。

各以事牽,不可合並,

其於人人,非足下之爲見

而日與之處,足下知吾心樂否也。


(下し文)
§1-#1

足下と別るること久し。吾が心の足下を思ふを以て、足下も吾に懸懸たるを知るなり。

各と事を以て牽かれて合井す可からず。

其の人人に於ける、足下の鬼を為すに非ず。

而して日七に之と盛る。足下吾が心の欒否を知るや。

(現代語訳)
足下と別れてから久しくなる。私の心が足下を思うことを以て、足下も心に懸けて思っておられることがわかる。

けれども二人とも各々仕事のために牽かれて一緒になることができない。

他の人々においては、足下の物の見方と同じではない。

しかもそれらの人々と共に居るのである。足下は私が心から楽しんでいるか、どうかがわかるであろうか。



(訳注) 與孟東野書 §1-#1

(孟東野に興ふる書)

 孟東野(751年 - 814年)、名は郊、湖州武康の人。若くして常山に隠れて出ず、性質は孤独で人と合わなかったが、韓愈と一たび会って親交を結んで、その教えを受けた。五十歳で深陽の尉となったが、日々詩を作って仕事をせず、事務か滞ったという。卒して貞曜先生という。巻六に 「貞陪先生墓誌銘」がある。

この文は、韓愈が徐州の役所にあって、打ちあけて語れる人がいないので、昔の孟郊との交遊を想起して、書いた手紙「與孟東野書」である。

 

與足下别久矣,以吾心之思足下,知足下懸懸於吾也。

足下と別れてから久しくなる。私の心が足下を思うことを以て、足下も心に懸けて思っておられることがわかる。

○懸懸 心にかけて思う形容。また遠隔の義に用いることもある。

 

各以事牽,不可合並,

けれども二人とも各々仕事のために牽かれて一緒になることができない。

○合並 一緒に会合すること。

 

其於人人,非足下之爲見

他の人々においては、足下の物の見方と同じではない。

○為見 見解をなす。見方。

 

而日與之處,足下知吾心樂否也。

しかもそれらの人々と共に居るのである。足下は私が心から楽しんでいるか、どうかがわかるであろうか。

 

 

 

 

 

孟 郊(もう こう、751年 - 814年)は中国・唐代の詩人。字は東野、諡は貞曜先生という。湖州武康(浙江省)の出身。狷介不羈で人嫌いのために、若い頃は河南省嵩山に隠れた。798年、50歳の時に三度目で進士に及第し、江蘇省溧陽の尉となった。一生不遇で、憲宗の時代に没する。詩は困窮・怨恨・憂愁を主題としたものが多く、表現は奇異。韓愈とならんで「韓孟」と称せられる。蘇軾は賈島とならべて「郊寒島痩」、つまり孟郊は殺風景で賈島は貧弱と評す。韓愈が推奨するところの詩人であり、「送孟東野序」が知られている。『孟東野集』10巻がある。

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韓愈《讀巻03-12 答崔立之書 -(14)§6-2》一かどの人物、士というものは、もとより自分を真に知ってくれる人に対して心の中を存分に打ちあけ述べるのである。足下が無けれは、私の常識はずれの勝手なこの言葉を発表のしょうがなかったであろう (韓愈再拝いたす)。


29-§6-2 《讀巻03-12 答崔立之書 -(14)§6-2》韓愈(韓退之)ID  798年貞元14年 31歳<1268> Ⅱ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5324

韓愈詩-29-§6-2

 

 

 
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韓愈《讀巻03-12 答崔立之書 -(13)§6-1》これをわが宰相に申し上げ、これを吾が君に薦めて、その結果、上は卿・大夫の位を希って天下を治め、下は一武夫として城の上の一防壁を取って登り、国のために尽くそうと思うところなのだ。

 
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29-§6-1 《讀巻03-12 答崔立之書 -(13)§6-1》韓愈(韓退之)ID  798年貞元14年 31歳<1267> Ⅱ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5319

韓愈詩-29-§6-1

 

 

§6 -1

方今天下風俗尚有未及於古者。

只今の天下の風俗は、まだ古代の淳美なのに及ばないところがある。

邊境尚有被甲執兵者,主上不得怡,而宰相以為憂。

外国との境ではここのところまだ鎧を着て武器を手にして防衛しなければならないので、天子は心安んじてたのしむことができず、宰相はそれを憂いとしている。

仆雖不賢,亦且潛究其得失。

僕は徳の賢というほどの者ではないけれど、また、とにかく、いまは、政治の当を得ているか、失敗か、を考え、きわめなければいけない。

致之乎吾相,薦之乎吾君,上希卿大夫之位,下猶取一障而乘之。

これをわが宰相に申し上げ、これを吾が君に薦めて、その結果、上は卿・大夫の位を希って天下を治め、下は一武夫として城の上の一防壁を取って登り、国のために尽くそうと思うところなのだ。

-2

若都不可得,猶將耕於寬間之野,

釣於寂寞之濱,求國家之遺事,

考賢人哲士之終始,作唐之一經,垂之於無窮。

誅奸諛於既死,發潛德之幽光。

二者將必有一可。

足下以為仆之玉凡幾獻,而足凡幾刖也,

又所謂者果誰哉?

再克之刑信如何也?

士固信於知己,微足下無以發吾之狂言。愈再拜。

 

§6 -1

方今 天下の風俗 尚お未だ古えに及ばざる者有り。

邊境 尚お有甲を被むり兵を執る者,主上 怡ぶことを得ず,而して宰相 以て憂を為す。

仆 賢ならずと雖も,亦た且つ潛かに其の得失を究む。

之を吾が相に致し,之を吾が君に薦めて,上は卿大夫の位を希い,下は猶お一障を取って之に乘ぜん。

-2

若都不可得,猶將耕於寬間之野,釣於寂寞之濱,求國家之遺事,考賢人哲士之終始,作唐之一經,垂之於無窮,誅奸諛於既死,發潛德之幽光。

二者將必有一可。

足下以為仆之玉凡幾獻,而足凡幾刖也,

又所謂者果誰哉?

再克之刑信如何也?

士固信於知己,微足下無以發吾之狂言。愈再拜。

安史の乱当時の勢力図 

 

『答崔立之書』 現代語訳と訳註解説

(本文) (13)- §6 -1

方今天下風俗尚有未及於古者。

邊境尚有被甲執兵者,主上不得怡,而宰相以為憂。

仆雖不賢,亦且潛究其得失。

致之乎吾相,薦之乎吾君,上希卿大夫之位,下猶取一障而乘之。

 

(下し文) §6 -1

方今 天下の風俗 尚お未だ古えに及ばざる者有り。

邊境 尚お有甲を被むり兵を執る者,主上 怡ぶことを得ず,而して宰相 以て憂を為す。

仆 賢ならずと雖も,亦た且つ潛かに其の得失を究む。

之を吾が相に致し,之を吾が君に薦めて,上は卿大夫の位を希い,下は猶お一障を取って之に乘ぜん。

 

 

(現代語訳)

只今の天下の風俗は、まだ古代の淳美なのに及ばないところがある。

外国との境ではここのところまだ鎧を着て武器を手にして防衛しなければならないので、天子は心安んじてたのしむことができず、宰相はそれを憂いとしている。

僕は徳の賢というほどの者ではないけれど、また、とにかく、いまは、政治の当を得ているか、失敗か、を考え、きわめなければいけない。

これをわが宰相に申し上げ、これを吾が君に薦めて、その結果、上は卿・大夫の位を希って天下を治め、下は一武夫として城の上の一防壁を取って登り、国のために尽くそうと思うところなのだ。

 汜水関などの地図

(訳注) §6 -1

答崔立之書

(韓愈が三度吏部の試験に及第せず、立之が書を与えて激励した。それに対する.返書である。試験に合格しなくとも、男子の本質には変化はないことを述べて、不屈の精神を表示した文章である。)

崔立之、名は斯立、立之はその字である。博陵の人で元和元年には大理評事、すなわち裁判所の下級判事であった。韓愈の詩にはこの人に贈るものが頗る多い。ずいぶん親しい調子で、からかったりもしているから、弟子のひとりだったのであろう。

「答崔立之書」

「贈崔立之」

贈崔立之 韓退之(韓愈)詩<65-#1>Ⅱ中唐詩428 紀頌之の漢詩ブログ1363

贈崔立之 韓退之(韓愈)詩<65-#2>Ⅱ中唐詩429 紀頌之の漢詩ブログ1366

 

方今天下風俗尚有未及於古者。

方今 天下の風俗 尚お未だ古えに及ばざる者有り。

只今の天下の風俗は、まだ古代の淳美なのに及ばないところがある。

○天下風俗 儒教文化が、六朝以来頽廃になり、唐朝により一時健全化したが、天子が頽廃であることが天下泰平であるという宦官の考え方が蔓延している。

 

邊境尚有被甲執兵者,主上不得怡,而宰相以為憂。

邊境 尚お有甲を被むり兵を執る者,主上 怡ぶことを得ず,而して宰相 以て憂を為す。

外国との境ではここのところまだ鎧を着て武器を手にして防衛しなければならないので、天子は心安んじてたのしむことができず、宰相はそれを憂いとしている。

被甲執兵 

○被甲執兵 鎧を着て武器を握る。戦線に立つ。国境紛争が常侍ある。

○怡 よろこびたのしむ。

 

仆雖不賢,亦且潛究其得失。

仆 賢ならずと雖も,亦た且つ潛かに其の得失を究む。

僕は徳の賢というほどの者ではないけれど、また、とにかく、いまは、政治の当を得ているか、失敗か、を考え、きわめなければいけない。

 

致之乎吾相,薦之乎吾君,上希卿大夫之位,下猶取一障而乘之。

之を吾が相に致し,之を吾が君に薦めて,上は卿大夫の位を希い,下は猶お一障を取って之に乘ぜん。

これをわが宰相に申し上げ、これを吾が君に薦めて、その結果、上は卿・大夫の位を希って天下を治め、下は一武夫として城の上の一防壁を取って登り、国のために尽くそうと思うところなのだ。

〇一障 城上の一防壁。 

29-§5-2 《讀巻03-12 答崔立之書 -(12)§5-2》韓愈(韓退之)ID 798年貞元14年 31歳<1266> Ⅱ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5314韓愈詩-29-§5-2

韓愈《讀巻03-12 答崔立之書 -(12)§5-2》卞和氏が二度も足を斬られても患いと思わなかったように、二度の失敗ぐらいは忍ばねはならないというもので、また強力な敵をして再び勝たせてはならねと思っておられる。

 

 
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29-§5-2 《讀巻03-12 答崔立之書 -(12)§5-2》韓愈(韓退之)ID  798年貞元14年 31歳<1266> Ⅱ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5314韓愈詩-29-§5-2

 

 

§5

故凡仆之汲汲於進者,其小得蓋欲以具裘葛、養窮孤。

それ故、僕の進士に応ずるのに休むことなくつとめるのは、それで得る地位が小であれは、たぶん、それでもって冬の皮ごろもや夏の蔦織衣を準備し困っているみなし児を養おうと思うであろう。

其大得蓋欲以同吾之所樂於人耳。

その得た地位が大きい場合には、たぶん、それでもって自分の楽しむ所のことを世の人々と共にしたいと思うだけであろう。

其他可否,自計已熟,誠不待人而後知。

その他の可能か否かは、自分で計画したものが、もはや十分に熱しているから、誠に他人から言われるのを待ってはじめて知るのではない。他のさしずを待たないのである。

今足下乃複比之獻玉者,以為必俟工人之剖,然後見知於天下,

今足下は、それなのにまたこれを玉を献じた楚の和氏にたとえて、必ず細工人が荒玉を割って磨くのを待って、はじめて天下に知られるということなのである。

雖兩刖足不為病,且無使者再克。

卞和氏が二度も足を斬られても患いと思わなかったように、二度の失敗ぐらいは忍ばねはならないというもので、また強力な敵をして再び勝たせてはならねと思っておられる。

誠足下相勉之意厚也。

誠に足下が私をはげましてくださる心は厚いことである。

然仕進者,豈舍此而無門哉?

しかし仕官する者には、どうしてこの博学宏辞の科を捨てて、ほかに進む路がないであろうか。

足下謂我必待是而後進者,

足下は、私に必ずこの試験の及第を待って、その後仕官せよといわれる。

尤非相悉之辭也。

しかも、そのことは、私の心をよく知り悉した者の言葉ではない。

仆之玉固未嚐獻。

卞和のように僕の玉は、はじめからお上に献じたことはないのである。

而足固未嚐刖,足下無為為我戚戚也。

足ももとより、未だ斬られたことはないし、僕の最も大切な操守は、まだ誰にも献げてはいないのであり、これまで二度の失敗を足斬りの刑のような大打撃とは考えていない。足下、私のために痛く心配をしないで頂きたい。

 

§5

故に凡そ仆の進むに於て汲汲たる者は,其の小しく得れば蓋し以って裘葛を具、窮孤を養わんと欲す。

其の大いに得れば 蓋し以って吾の樂しむ所を於人に同じゅうせんと欲すすのみ。其の他の可否は,自ら計ること已に熟せり。

誠に人を待って後に知らざるなり。

今 足下 乃ち複た之を玉を獻ずる者に比して,以為【おもえ】らく必ず工人の剖を俟って,然る後に天下に知られん。

 

兩つながら足を刖【らる】と雖も病と為さず。

且つ使者をして再び克たしむること無れと。

誠に足下 相い勉【はげ】ますの意厚きなり。

然れども仕進の者,豈に此れを舍てて門無からんや?

足下 我を必ず是を待って後に進む者と謂えり。

尤も相悉【そうしつ】の辭に非ざるなり。

仆の玉は 固より未だ嚐て獻ぜず。

而して足固より未だ嚐て刖られず。

足下 我が為に戚戚たるを為し無れ。

 

 

『答崔立之書』 現代語訳と訳註解説

(本文) (12)-§5-2

雖兩刖足不為病,且無使者再克。

誠足下相勉之意厚也。

然仕進者,豈舍此而無門哉?

足下謂我必待是而後進者,

尤非相悉之辭也。

仆之玉固未嚐獻。

而足固未嚐刖,足下無為為我戚戚也。

 

 (下し文)

兩つながら足を刖【らる】と雖も病と為さず。

且つ使者をして再び克たしむること無れと。

誠に足下 相い勉【はげ】ますの意厚きなり。

然れども仕進の者,豈に此れを舍てて門無からんや?

足下 我を必ず是を待って後に進む者と謂えり。

尤も相悉【そうしつ】の辭に非ざるなり。

仆の玉は 固より未だ嚐て獻ぜず。

而して足固より未だ嚐て刖られず。

足下 我が為に戚戚たるを為し無れ

 

(現代語訳)

卞和氏が二度も足を斬られても患いと思わなかったように、二度の失敗ぐらいは忍ばねはならないというもので、また強力な敵をして再び勝たせてはならねと思っておられる。

誠に足下が私をはげましてくださる心は厚いことである。

しかし仕官する者には、どうしてこの博学宏辞の科を捨てて、ほかに進む路がないであろうか。

足下は、私に必ずこの試験の及第を待って、その後仕官せよといわれる。

しかも、そのことは、私の心をよく知り悉した者の言葉ではない。

卞和のように僕の玉は、はじめからお上に献じたことはないのである。

足ももとより、未だ斬られたことはないし、僕の最も大切な操守は、まだ誰にも献げてはいないのであり、これまで二度の失敗を足斬りの刑のような大打撃とは考えていない。足下、私のために痛く心配をしないで頂きたい。

 

 

(訳注) (12)-§5-2

答崔立之書

(韓愈が三度吏部の試験に及第せず、立之が書を与えて激励した。それに対する.返書である。試験に合格しなくとも、男子の本質には変化はないことを述べて、不屈の精神を表示した文章である。)

崔立之、名は斯立、立之はその字である。博陵の人で元和元年には大理評事、すなわち裁判所の下級判事であった。韓愈の詩にはこの人に贈るものが頗る多い。ずいぶん親しい調子で、からかったりもしているから、弟子のひとりだったのであろう。

「答崔立之書」

「贈崔立之」

贈崔立之 韓退之(韓愈)詩<65-#1>Ⅱ中唐詩428 紀頌之の漢詩ブログ1363

贈崔立之 韓退之(韓愈)詩<65-#2>Ⅱ中唐詩429 紀頌之の漢詩ブログ1366

 

雖兩刖足不為病,且無使勍者再克。

兩つながら足を刖【らる】と雖も病と為さず。且つ使者をして再び克たしむること無れと。

卞和氏が二度も足を斬られても患いと思わなかったように、二度の失敗ぐらいは忍ばねはならないというもので、また強力な敵をして再び勝たせてはならねと思っておられる。

〇兩刖足 二度肢きりの刑にされた。両足を失った。韓愈が二度落第したことを喩える。

○勍 音ケィ、強い。

○剋 魁に作るのは俗字、克。

 

誠足下相勉之意厚也。

誠に足下 相い勉【はげ】ますの意厚きなり。

誠に足下が私をはげましてくださる心は厚いことである。

 

然仕進者,豈舍此而無門哉?

然れども仕進の者,豈に此れを舍てて門無からんや?

しかし仕官する者には、どうしてこの博学宏辞の科を捨てて、ほかに進む路がないであろうか。

 

足下謂我必待是而後進者,

足下 我を必ず是を待って後に進む者と謂えり。

足下は、私に必ずこの試験の及第を待って、その後仕官せよといわれる。

 

尤非相悉之辭也。

尤も相悉【そうしつ】の辭に非ざるなり。

しかも、そのことは、私の心をよく知り悉した者の言葉ではない。

○相悉 相つくす。互いに相手を知りつくす。

 

仆之玉固未嚐獻。

仆の玉は 固より未だ嚐て獻ぜず。

卞和のように僕の玉は、はじめからお上に献じたことはないのである。

 

而足固未嚐刖,足下無為為我戚戚也。

而して足固より未だ嚐て刖られず。足下 我が為に戚戚たるを為し無れ。

足ももとより、未だ斬られたことはないし、僕の最も大切な操守は、まだ誰にも献げてはいないのであり、これまで二度の失敗を足斬りの刑のような大打撃とは考えていない。足下、私のために痛く心配をしないで頂きたい。

○戚戚 甚だ心配する。戚はうれう。悲しむ。

29-§5-1 《讀巻03-12 答崔立之書 -(11)§5-1》韓愈(韓退之)ID 798年貞元14年 31歳<1265> Ⅱ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5309

韓愈《讀巻03-12 答崔立之書 -(11)§5-1》今足下は、それなのにまたこれを玉を献じた楚の和氏にたとえて、必ず細工人が荒玉を割って磨くのを待って、はじめて天下に知られるということなのである。

 
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29-§5-1 《讀巻03-12 答崔立之書 -(11)§5-1》韓愈(韓退之)ID  798年貞元14年 31歳<1265> Ⅱ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5309韓愈詩-29-§5-1

 

 

§5

故凡仆之汲汲於進者,其小得蓋欲以具裘葛、養窮孤。

それ故、僕の進士に応ずるのに休むことなくつとめるのは、それで得る地位が小であれは、たぶん、それでもって冬の皮ごろもや夏の蔦織衣を準備し困っているみなし児を養おうと思うであろう。

其大得蓋欲以同吾之所樂於人耳。

その得た地位が大きい場合には、たぶん、それでもって自分の楽しむ所のことを世の人々と共にしたいと思うだけであろう。

其他可否,自計已熟,誠不待人而後知。

その他の可能か否かは、自分で計画したものが、もはや十分に熱しているから、誠に他人から言われるのを待ってはじめて知るのではない。他のさしずを待たないのである。

今足下乃複比之獻玉者,以為必俟工人之剖,然後見知於天下,

今足下は、それなのにまたこれを玉を献じた楚の和氏にたとえて、必ず細工人が荒玉を割って磨くのを待って、はじめて天下に知られるということなのである。

雖兩刖足不為病,且無使者再克。

誠足下相勉之意厚也。

然仕進者,豈舍此而無門哉?

足下謂我必待是而後進者,

尤非相悉之辭也。

仆之玉固未嚐獻。

而足固未嚐刖,足下無為為我戚戚也。

 

§5

故に凡そ仆の進むに於て汲汲たる者は,其の小しく得れば蓋し以って裘葛を具、窮孤を養わんと欲す。

其の大いに得れば 蓋し以って吾の樂しむ所を於人に同じゅうせんと欲すすのみ。其の他の可否は,自ら計ること已に熟せり。

誠に人を待って後に知らざるなり。

今 足下 乃ち複た之を玉を獻ずる者に比して,以為【おもえ】らく必ず工人の剖を俟って,然る後に天下に知られん。

 

兩つながら足を刖【らる】と雖も病と為さず。

且つ使者をして再び克たしむること無れと。

誠に足下 相い勉【はげ】ますの意厚きなり。

然れども仕進の者,豈に此れを舍てて門無からんや?

足下 我を必ず是を待って後に進む者と謂えり。

尤も相悉【そうしつ】の辭に非ざるなり。

仆の玉は 固より未だ嚐て獻ぜず。

而して足固より未だ嚐て刖られず。

足下 我が為に戚戚たるを為し無れ。

 

洛陽 函谷関002 

『答崔立之書』 現代語訳と訳註解説

(本文) §5

故凡仆之汲汲於進者,其小得蓋欲以具裘葛、養窮孤。

其大得蓋欲以同吾之所樂於人耳。

其他可否,自計已熟,誠不待人而後知。

今足下乃複比之獻玉者,以為必俟工人之剖,然後見知於天下,

 

(下し文) §5

故に凡そ仆の進むに於て汲汲たる者は,其の小しく得れば蓋し以って裘葛を具、窮孤を養わんと欲す。

其の大いに得れば 蓋し以って吾の樂しむ所を於人に同じゅうせんと欲すすのみ。其の他の可否は,自ら計ること已に熟せり。

誠に人を待って後に知らざるなり。

今 足下 乃ち複た之を玉を獻ずる者に比して,以為【おもえ】らく必ず工人の剖を俟って,然る後に天下に知られん。

 

(現代語訳)

それ故、僕の進士に応ずるのに休むことなくつとめるのは、それで得る地位が小であれは、たぶん、それでもって冬の皮ごろもや夏の蔦織衣を準備し困っているみなし児を養おうと思うであろう。

その得た地位が大きい場合には、たぶん、それでもって自分の楽しむ所のことを世の人々と共にしたいと思うだけであろう。

その他の可能か否かは、自分で計画したものが、もはや十分に熱しているから、誠に他人から言われるのを待ってはじめて知るのではない。他のさしずを待たないのである。

今足下は、それなのにまたこれを玉を献じた楚の和氏にたとえて、必ず細工人が荒玉を割って磨くのを待って、はじめて天下に知られるということなのである。

Ta唐 長安近郊圖  新02 

(訳注) §5

答崔立之書

(韓愈が三度吏部の試験に及第せず、立之が書を与えて激励した。それに対する.返書である。試験に合格しなくとも、男子の本質には変化はないことを述べて、不屈の精神を表示した文章である。)

崔立之、名は斯立、立之はその字である。博陵の人で元和元年には大理評事、すなわち裁判所の下級判事であった。韓愈の詩にはこの人に贈るものが頗る多い。ずいぶん親しい調子で、からかったりもしているから、弟子のひとりだったのであろう。

「答崔立之書」

「贈崔立之」

贈崔立之 韓退之(韓愈)詩<65-#1>Ⅱ中唐詩428 紀頌之の漢詩ブログ1363

贈崔立之 韓退之(韓愈)詩<65-#2>Ⅱ中唐詩429 紀頌之の漢詩ブログ1366

 

故凡仆之汲汲於進者,其小得蓋欲以具裘葛、養窮孤。

故に凡そ仆の進むに於て汲汲たる者は,其の小しく得れば蓋し以って裘葛を具、窮孤を養わんと欲す。

それ故、僕の進士に応ずるのに休むことなくつとめるのは、それで得る地位が小であれは、たぶん、それでもって冬の皮ごろもや夏の蔦織衣を準備し困っているみなし児を養おうと思うであろう。

○裘葛 冬の皮衣、夏の葛の繊維で織った衣。

 

其大得蓋欲以同吾之所樂於人耳。

其の大いに得れば 蓋し以って吾の樂しむ所を於人に同じゅうせんと欲すすのみ。

その得た地位が大きい場合には、たぶん、それでもって自分の楽しむ所のことを世の人々と共にしたいと思うだけであろう。

 

其他可否,自計已熟,誠不待人而後知。

其の他の可否は,自ら計ること已に熟せり。誠に人を待って後に知らざるなり。

その他の可能か否かは、自分で計画したものが、もはや十分に熱しているから、誠に他人から言われるのを待ってはじめて知るのではない。他のさしずを待たないのである。

 

今足下乃複比之獻玉者,以為必俟工人之剖,然後見知於天下,

今 足下 乃ち複た之を玉を獻ずる者に比して,以為【おもえ】らく必ず工人の剖を俟って,然る後に天下に知られん。

今足下は、それなのにまたこれを玉を献じた楚の和氏にたとえて、必ず細工人が荒玉を割って磨くのを待って、はじめて天下に知られるということなのである。

○献玉者 『韓非子』和氏篇にある説話。楚の和氏、即ち卞和が璞を楚の山中で得て、厲王に献じた。王は信ぜず、譎としてその左足を刖にした。武王が即位したので再び献じたが、また譎として右足を斬られた。文王が立った時、卞和氏は荊山のふもとで、璞を抱いて泣いていた。王がこれを問わせると、「私は足を斬られたのを悲しんでいるのではなく、宝石を石といい、貞心ある士を譎といわれるのが悲しい」といった。王がその石を磨かせると果たして玉を得た。そのまま名づけて「和氏の璧」といった。

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韓愈《讀巻03-12 答崔立之書 -(10)§4-2》もし、かの今の試験上手の者と愚かで不明瞭な試験の中で競争させるならば、彼らが落第の辱めを受けるのが、僕には確かにわかっている。

 
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 杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩) 杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首 
 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
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 ●花間集全詩●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集 
 Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoor『花間集』全詩訳注解説(改訂)-1溫庭筠22《巻1-22 歸國遙二首其二》溫庭筠66首巻一22-〈22〉漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-5307 
 薛濤の全詩花間集(1)花間集(2)花間集(3)花間集(4)花間集(5) 
 魚玄機全詩●花間集(6)●花間集(7)●花間集(8)●花間集(9)●花間集(10) 
 温庭筠66首 花間集1・2巻皇甫松11首 花間集二巻韋莊47首 花間集二巻薛昭蘊19首 花間集三巻牛嶠31首 花間集三・四巻張泌27首 花間集四巻 
 毛文錫31首 花間集5巻牛希濟11首 花間集5巻欧陽烱17首 花間集5・6巻和凝20首 花間集6巻顧夐56首 花間集6・7巻孫光憲47首 花間集7・8巻 
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29-§4-2 《讀巻03-12 答崔立之書 -(10)§4-2》韓愈(韓退之)ID  798年貞元14年 31歳<1264> Ⅱ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5304
韓愈詩-29-§4-2

 

 

§4-1

夫所謂博學者,豈今之所謂者乎?

かのいわゆる五子の儒者の博学とは、どうして今のいうところの博学であろうか。

夫所謂宏詞者,豈今之所謂者乎?

かのいわゆる宏詞辞とは、どうして今のいうところの宏詞辞であろうか。今の博学宏辞というのは有名無実、その実体は誠に低級なものである。

誠使古之豪傑之士,若屈原、孟軻、司馬遷、相如、揚雄之徒,進於是選,必知其懷慚?

誠に古のすぐれひいでた人物である、屈原・孟輌・司馬遷・司馬相加・揚雄らの仲間のような人々を、この博学宏詞辞科の選試験に進み、応じさせるならば、その試験官である博学者たちが恥ずかしい思いをするのは必定である。

乃不自進而已耳。

すなわち、こんな博学者が試験官であれば、自ら進んで受験しないであろうことは必ずわかり切っている。

-2

設使與夫今之善進取者,競於蒙昧之中,仆必知其辱焉。

もし、かの今の試験上手の者と愚かで不明瞭な試験の中で競争させるならば、彼らが落第の辱めを受けるのが、僕には確かにわかっている。

然彼五子者,且使生於今之世,

しかし彼ら五人の古代儒者たちが、仮にもし今の世に生れたとしたら、

其道雖不顯於天下,其自負何如哉!

彼らの抱いていた道は天下に顕れずとも、自ら頼む心のうちは果たしてどうなることであったろうか。

肯與夫鬥筲者決得失於一夫之目,而為之憂樂哉!

かの一斗か一斗二升の小箱のような小度量の人物と、勝敗をつまらない試験官の目にきめられて、それで心配をしたり喜んだりなどすることを承知するであろうか。絶対にそんなことはしないであろう。

 

§4-1

夫の所謂る博學の者は,豈に今の謂う所の者ならんや?

夫の所謂る宏詞の者は,豈に今の謂う所の者ならんや?

誠に古えの豪傑の士,屈原、孟軻、司馬遷、相如、揚雄も徒の若きをして,是の選に進ま使めば,必ず知其の慚を懷かんや?

乃ち自ら進まざるを已のみ。

-2

設し夫の今の善く進取する者と,蒙昧の中に競は使めば,仆 必ず其の辱めらるるを知る。

然れども、彼の五子の者,且りに今の世に於て生れ使む,

其の道 天下に於て顯れずと雖も,其の自負 何如んぞ哉!

肯て夫の鬥筲の者と得失を於一夫の目に決して,而して之が憂樂を為さんや哉!

 

 

『答崔立之書』-(10)§4-2現代語訳と訳註解説 

(本文) -2

設使與夫今之善進取者,競於蒙昧之中,仆必知其辱焉。

然彼五子者,且使生於今之世,

其道雖不顯於天下,其自負何如哉!

肯與夫鬥筲者決得失於一夫之目,而為之憂樂哉!

 

(下し文) -2

設し夫の今の善く進取する者と,蒙昧の中に競は使めば,仆 必ず其の辱めらるるを知る。

然れども、彼の五子の者,且りに今の世に於て生れ使む,

其の道 天下に於て顯れずと雖も,其の自負 何如んぞ哉!

肯て夫の鬥筲の者と得失を於一夫の目に決して,而して之が憂樂を為さんや哉!

 

(現代語訳)

もし、かの今の試験上手の者と愚かで不明瞭な試験の中で競争させるならば、彼らが落第の辱めを受けるのが、僕には確かにわかっている。

しかし彼ら五人の古代儒者たちが、仮にもし今の世に生れたとしたら、

彼らの抱いていた道は天下に顕れずとも、自ら頼む心のうちは果たしてどうなることであったろうか。

かの一斗か一斗二升の小箱のような小度量の人物と、勝敗をつまらない試験官の目にきめられて、それで心配をしたり喜んだりなどすることを承知するであろうか。絶対にそんなことはしないであろう。

 

 

(訳注) 2

答崔立之書

(韓愈が三度吏部の試験に及第せず、立之が書を与えて激励した。それに対する.返書である。試験に合格しなくとも、男子の本質には変化はないことを述べて、不屈の精神を表示した文章である。)

崔立之、名は斯立、立之はその字である。博陵の人で元和元年には大理評事、すなわち裁判所の下級判事であった。韓愈の詩にはこの人に贈るものが頗る多い。ずいぶん親しい調子で、からかったりもしているから、弟子のひとりだったのであろう。

「答崔立之書」

「贈崔立之」

贈崔立之 韓退之(韓愈)詩<65-#1>Ⅱ中唐詩428 紀頌之の漢詩ブログ1363

贈崔立之 韓退之(韓愈)詩<65-#2>Ⅱ中唐詩429 紀頌之の漢詩ブログ1366

 

設使與夫今之善進取者,競於蒙昧之中,仆必知其辱焉。

設し夫の今の善く進取する者と,蒙昧の中に競は使めば,仆 必ず其の辱めらるるを知る。

もし、かの今の試験上手の者と愚かで不明瞭な試験の中で競争させるならば、彼らが落第の辱めを受けるのが、僕には確かにわかっている。

○設 もし。

○善進取 上手に試験に応じて成功する。試験上手。

○蒙昧 愚かで暗い。わけのわからぬ不明瞭な。

 

然彼五子者,且使生於今之世,

然れども、彼の五子の者,且りに今の世に於て生れ使む,

しかし彼ら五人の古代儒者たちが、仮にもし今の世に生れたとしたら、

 

其道雖不顯於天下,其自負何如哉!

其の道 天下に於て顯れずと雖も,其の自負 何如んぞ哉!

彼らの抱いていた道は天下に顕れずとも、自ら頼む心のうちは果たしてどうなることであったろうか。

○自負 自分の力を心だのみにする。

 

肯與夫鬥筲者決得失於一夫之目,而為之憂樂哉!

肯て夫の鬥筲の者と得失を於一夫の目に決して,而して之が憂樂を為さんや哉!

かの一斗か一斗二升の小箱のような小度量の人物と、勝敗をつまらない試験官の目にきめられて、それで心配をしたり喜んだりなどすることを承知するであろうか。絶対にそんなことはしないであろう。

○鬥筲 斗は十升、筍は一斗二升の入る竹の器、小さい器、才短く量の浅い人物を形容して斗筲の器という。『論語』子路篇に「斗筲の人、何ぞ算ふるに足らん」とある。

〇一夫 つまらぬ一人の試験官。

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韓愈《讀巻03-12 答崔立之書 -(9)§4-1》 誠に古のすぐれひいでた人物である、屈原・孟輌・司馬遷・司馬相加・揚雄らの仲間のような人々を、この博学宏詞辞科の選試験に進み、応じさせるならば、その試験官である博学者たちが恥ずかしい思いをするのは必定である。

 
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29-§4-1 《讀巻03-12 答崔立之書 -(9)§4-1》韓愈(韓退之)ID  798年貞元14年 31歳<1263> Ⅱ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5299
韓愈詩-29-§4-1

 

 

§4-1

夫所謂博學者,豈今之所謂者乎?

かのいわゆる五子の儒者の博学とは、どうして今のいうところの博学であろうか。

夫所謂宏詞者,豈今之所謂者乎?

かのいわゆる宏詞辞とは、どうして今のいうところの宏詞辞であろうか。今の博学宏辞というのは有名無実、その実体は誠に低級なものである。

誠使古之豪傑之士,若屈原、孟軻、司馬遷、相如、揚雄之徒,進於是選,必知其懷慚?

誠に古のすぐれひいでた人物である、屈原・孟輌・司馬遷・司馬相加・揚雄らの仲間のような人々を、この博学宏詞辞科の選試験に進み、応じさせるならば、その試験官である博学者たちが恥ずかしい思いをするのは必定である。

乃不自進而已耳。

すなわち、こんな博学者が試験官であれば、自ら進んで受験しないであろうことは必ずわかり切っている。

-2

設使與夫今之善進取者,競於蒙昧之中,仆必知其辱焉。然彼五子者,且使生於今之世,其道雖不顯於天下,其自負何如哉!肯與夫鬥筲者決得失於一夫之目,而為之憂樂哉!

 

§4-1

夫の所謂る博學の者は,豈に今の謂う所の者ならんや?

夫の所謂る宏詞の者は,豈に今の謂う所の者ならんや?

誠に古えの豪傑の士,屈原、孟軻、司馬遷、相如、揚雄も徒の若きをして,是の選に進ま使めば,必ず知其の慚を懷かんや?

乃ち自ら進まざるを已のみ。

-2

設し夫の今の善く進取する者と,蒙昧の中に競は使めば,仆 必ず其の辱めらるるを知る。

然れども、彼の五子の者,且りに今の世に於て生れ使む,

其の道 天下に於て顯れずと雖も,其の自負 何如んぞ哉!

肯て夫の鬥筲の者と得失を於一夫の目に決して,而して之が憂樂を為さんや哉!

 

 

『答崔立之書』-(7)§4-1現代語訳と訳註解説 §4-1 (本文)

夫所謂博學者,豈今之所謂者乎?

夫所謂宏詞者,豈今之所謂者乎?

誠使古之豪傑之士,若屈原、孟軻、司馬遷、相如、揚雄之徒,進於是選,必知其懷慚?

乃不自進而已耳。

 

(下し文) §4-1

夫の所謂る博學の者は,豈に今の謂う所の者ならんや?

夫の所謂る宏詞の者は,豈に今の謂う所の者ならんや?

誠に古えの豪傑の士,屈原、孟軻、司馬遷、相如、揚雄も徒の若きをして,是の選に進ま使めば,必ず知其の慚を懷かんや?

乃ち自ら進まざるを已のみ。

 

(現代語訳)

かのいわゆる五子の儒者の博学とは、どうして今のいうところの博学であろうか。

かのいわゆる宏詞辞とは、どうして今のいうところの宏詞辞であろうか。今の博学宏辞というのは有名無実、その実体は誠に低級なものである。

誠に古のすぐれひいでた人物である、屈原・孟輌・司馬遷・司馬相加・揚雄らの仲間のような人々を、この博学宏詞辞科の選試験に進み、応じさせるならば、その試験官である博学者たちが恥ずかしい思いをするのは必定である。

すなわち、こんな博学者が試験官であれば、自ら進んで受験しないであろうことは必ずわかり切っている。

 

(訳注) §4-1

答崔立之書

(韓愈が三度吏部の試験に及第せず、立之が書を与えて激励した。それに対する.返書である。試験に合格しなくとも、男子の本質には変化はないことを述べて、不屈の精神を表示した文章である。)

崔立之、名は斯立、立之はその字である。博陵の人で元和元年には大理評事、すなわち裁判所の下級判事であった。韓愈の詩にはこの人に贈るものが頗る多い。ずいぶん親しい調子で、からかったりもしているから、弟子のひとりだったのであろう。

「答崔立之書」

「贈崔立之」

贈崔立之 韓退之(韓愈)詩<65-#1>Ⅱ中唐詩428 紀頌之の漢詩ブログ1363

贈崔立之 韓退之(韓愈)詩<65-#2>Ⅱ中唐詩429 紀頌之の漢詩ブログ1366 
 

夫所謂博學者,豈今之所謂者乎?

夫の所謂る博學の者は,豈に今の謂う所の者ならんや?

かのいわゆる五子の儒者の博学とは、どうして今のいうところの博学であろうか。

 

夫所謂宏詞者,豈今之所謂者乎?

夫の所謂る宏詞の者は,豈に今の謂う所の者ならんや?

かのいわゆる宏詞辞とは、どうして今のいうところの宏詞辞であろうか。今の博学宏辞というのは有名無実、その実体は誠に低級なものである。

 

誠使古之豪傑之士,若屈原、孟軻、司馬遷、相如、揚雄之徒,進於是選,必知其懷慚?

誠に古えの豪傑の士,屈原、孟軻、司馬遷、相如、揚雄も徒の若きをして,是の選に進ま使めば,必ず知其の慚を懷かんや?

誠に古のすぐれひいでた人物である、屈原・孟輌・司馬遷・司馬相加・揚雄らの仲間のような人々を、この博学宏詞辞科の選試験に進み、応じさせるならば、その試験官である博学者たちが恥ずかしい思いをするのは必定である。

屈原 戦国時代の楚の政治家、詩人。姓は羋、氏は屈。諱は平または正則。字が原。春秋戦国時代を代表する詩人であり、政治家としては秦の張儀の謀略を見抜き踊らされようとする懐王を必死で諫めたが受け入れられず、楚の将来に絶望して入水自殺した。

孟軻 孟子は戦国時代中国の儒学者。姓は不詳、氏は孟、諱は軻、字は子輿。亜聖とも称される。孟子の「子」とは先生というほどの意。儒教では孔子に次いで重要な人物であり、そのため儒教は別名「孔孟の教え」とも呼ばれる。 あるいはその言行をまとめた書『孟子』。性善説を主張し、仁義による王道政治を目指した。

司馬遷 前漢時代の歴史家で、『史記』の著者。 姓は司馬。名は遷、字は子長。周代の記録係である司馬氏の子孫で、太史令の司馬談を父に持つ。太初暦の制定や、通史『史記』の執筆などの業績がある。

相如 前漢の頃の文章家である。蜀郡成都の人。字は長卿。名は、もと犬子と言った。 賦の名人として知られ、武帝に仕え、その才能を高く評価された。また妻である卓文君との恋愛も有名である。

揚雄 前漢時代末期の文人、学者。現在の四川省に当たる蜀郡成都の人。字は子雲。また楊雄とも表記する。

 

乃不自進而已耳

乃ち自ら進まざるを已のみ。

すなわち、こんな博学者が試験官であれば、自ら進んで受験しないであろうことは必ずわかり切っている。

 

29-§3-3 《讀巻03-12 答崔立之書 -(8)§3-3》韓愈(韓退之)ID 798年貞元14年 31歳<1262> Ⅱ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5294韓愈詩-29-§3-3

韓愈《讀巻03-12 答崔立之書 -(8)§3-3》そこでまた自分で疑って思った、試験の答案と、及第した者とは、其の程度が同じくなかったのであろうか、と。しかし、それを手に入れて観た時には、私もまた甚しくは愧じることなどなかったのである。

 

 
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 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
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29-§3-3 《讀巻03-12 答崔立之書 -(8)§3-3》韓愈(韓退之)ID  798年貞元14年 31歳<1262> Ⅱ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5294韓愈詩-29-§3-3

 

 

§3-1

聞吏部有以博學宏詞選者,人尤謂之才,

吏部に博学宏辞の科を以て選ばれるものがあり、人々はこれを才子であるという。

且得美仕,就求其術,或出所試文章。

また立沢な仕官を得ると聞いて、行ってその方法を尋ねると、或る人が試験した文章を出して見せた。

亦禮部之類,私怪其故,然猶樂其名,

そこで心中で、何故博学宏辞といって尊重するのかを疑わしく思ったけれども、しかしやはりその博学宏辞の名を欲しいと思った。

因又詣州府求舉,

困ってまた州の役所に行って挙げられて試験に応じたいと求めた。

-2

凡二試於吏部,一既得之,而又黜於中書,

凡そ二度吏部で試験されて、一度はすでに及第したけれども、しかしまたもや中書省で退けられた。

雖不得仕,人或謂之能焉。

仕えることはできなかったのではあるけれども、或る人は、これでも才能ある者というのである。

退因自取所試讀之。

退けられた原因をつかもうとし、自分ひとりになって試験されて書いた文書を取って読んでみたのである。

乃類於俳優者之辭,顏忸怩而心不寧者數月。

俳優などが君主に迎合阿諛する文章、辞に似ているので、顔もはずかしくて心も不安に思うこと数ケ月であった。

-3

既已為之,則欲有所成就,《書》所謂恥過作非者也。

やがて受験をするとなると、成功する所があって欲しいと思った。『書経』にいうところの、過ちを恥じていながら、その間違ったことをするのであった。

因複求舉,亦無幸焉,

因ってまた挙げられるように求めたけれども、また幸いはなかった。

乃複自疑,以為所試與得之者,不同其程度,

そこでまた自分で疑って思った、試験の答案と、及第した者とは、其の程度が同じくなかったのであろうか、と。

及得觀之,餘亦無甚愧焉。

しかし、それを手に入れて観た時には、私もまた甚しくは愧じることなどなかったのである。

 

§3-1

吏部に博學宏詞を以て選ばるる者有りと聞く,人 尤も之を才と謂う。

且つ美仕を得,就いて其の術を求むれば,或いは試みる所の文章を出だす。

亦た禮部の類なり,私【ひそか】に其の故を怪み,然れども猶お其の名を樂【ねが】う,

因って又た 州府に詣【いた】りて舉げられんことを求む。

-2

凡そ二たび吏部に試されて,一たび既に之を得られたが,而も又た中書に黜【しりぞ】けらる。

仕えるを得らざると雖も,人は或いは之を能と謂う。

退いて因自ら試みる所を取って 之れを讀む。

乃ち俳優者の辭に類し,顏 忸怩【じくじ】として 心 寧【やす】んぜざる者數月なり。

-3

既已に之を為せば,則ち成就する所有らんと欲し,《書》に所謂【いわゆる】過【あやまち】を恥じて非を作す者なり。

因って複た舉られんことを求めしも,亦た幸いは無からん,

乃ち複た自ら疑って,以為【おもえ】らく試みる所と之れを得る者と,其の程度を同じくせざるか と。

之れを觀るを得るに及んで,餘も亦た甚だしくは愧ずる無し。

 

辟雍00 

『答崔立之書』-(8)§3-3現代語訳と訳註解説 -3

(本文)

既已為之,則欲有所成就,《書》所謂恥過作非者也。

因複求舉,亦無幸焉,

乃複自疑,以為所試與得之者,不同其程度,

及得觀之,餘亦無甚愧焉。

 

(下し文)

既已に之を為せば,則ち成就する所有らんと欲し,《書》に所謂【いわゆる】過【あやまち】を恥じて非を作す者なり。

因って複た舉られんことを求めしも,亦た幸いは無からん,

乃ち複た自ら疑って,以為【おもえ】らく試みる所と之れを得る者と,其の程度を同じくせざるか と。

之れを觀るを得るに及んで,餘も亦た甚だしくは愧ずる無し。

 

(現代語訳)

やがて受験をするとなると、成功する所があって欲しいと思った。『書経』にいうところの、過ちを恥じていながら、その間違ったことをするのであった。

因ってまた挙げられるように求めたけれども、また幸いはなかった。

そこでまた自分で疑って思った、試験の答案と、及第した者とは、其の程度が同じくなかったのであろうか、と。

しかし、それを手に入れて観た時には、私もまた甚しくは愧じることなどなかったのである。

 

太白山001 

(訳注) -(8)§3-3

答崔立之書

(韓愈が三度吏部の試験に及第せず、立之が書を与えて激励した。それに対する.返書である。試験に合格しなくとも、男子の本質には変化はないことを述べて、不屈の精神を表示した文章である。)

崔立之、名は斯立、立之はその字である。博陵の人で元和元年には大理評事、すなわち裁判所の下級判事であった。韓愈の詩にはこの人に贈るものが頗る多い。ずいぶん親しい調子で、からかったりもしているから、弟子のひとりだったのであろう。

「答崔立之書」

「贈崔立之」

贈崔立之 韓退之(韓愈)詩<65-#1>Ⅱ中唐詩428 紀頌之の漢詩ブログ1363

贈崔立之 韓退之(韓愈)詩<65-#2>Ⅱ中唐詩429 紀頌之の漢詩ブログ1366

 

既已為之,則欲有所成就,《書》所謂恥過作非者也。

既已に之を為せば,則ち成就する所有らんと欲し,《書》に所謂【いわゆる】過【あやまち】を恥じて非を作す者なり。

やがて受験をするとなると、成功する所があって欲しいと思った。『書経』にいうところの、過ちを恥じていながら、その間違ったことをするのであった。

○《書》所謂 『書経』説命中篇に謂う所の「過を恥ぢて非を作すこと無かれ」という教えにそむく。

 

因複求舉,亦無幸焉。

因って複た舉られんことを求めしも,亦た幸いは無からん,

因ってまた挙げられるように求めたけれども、また幸いはなかった。

 

乃複自疑,以為所試與得之者,不同其程度。

乃ち複た自ら疑って,以為【おもえ】らく試みる所と之れを得る者と,其の程度を同じくせざるか と。

そこでまた自分で疑って思った、試験の答案と、及第した者とは、其の程度が同じくなかったのであろうか、と。

○程度 出来ぐあい。上手・下手の程合い。

 

及得觀之,餘亦無甚愧焉。

之れを觀るを得るに及んで,餘も亦た甚だしくは愧ずる無し。

しかし、それを手に入れて観た時には、私もまた甚しくは愧じることなどなかったのである。

 

○無甚愧焉 蕪しくこれに愧じることはない。

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(7)§3-2《讀巻03-12 答崔立之書 -(7)§3-2》退けられた原因をつかもうとし、自分ひとりになって試験されて書いた文書を取って読んでみたのである。俳優などが君主に迎合阿諛する文章、辞に似ているので、顔もはずかしくて心も不安に思うこと数ケ月であった。

 

 
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§3-1

聞吏部有以博學宏詞選者,人尤謂之才,

吏部に博学宏辞の科を以て選ばれるものがあり、人々はこれを才子であるという。

且得美仕,就求其術,或出所試文章。

また立沢な仕官を得ると聞いて、行ってその方法を尋ねると、或る人が試験した文章を出して見せた。

亦禮部之類,私怪其故,然猶樂其名,

そこで心中で、何故博学宏辞といって尊重するのかを疑わしく思ったけれども、しかしやはりその博学宏辞の名を欲しいと思った。

因又詣州府求舉,

困ってまた州の役所に行って挙げられて試験に応じたいと求めた。

-2

凡二試於吏部,一既得之,而又黜於中書,

凡そ二度吏部で試験されて、一度はすでに及第したけれども、しかしまたもや中書省で退けられた。

雖不得仕,人或謂之能焉。

仕えることはできなかったのではあるけれども、或る人は、これでも才能ある者というのである。

退因自取所試讀之。

退けられた原因をつかもうとし、自分ひとりになって試験されて書いた文書を取って読んでみたのである。

乃類於俳優者之辭,顏忸怩而心不寧者數月。

俳優などが君主に迎合阿諛する文章、辞に似ているので、顔もはずかしくて心も不安に思うこと数ケ月であった。

-3

既已為之,則欲有所成就,《書》所謂恥過作非者也。

因複求舉,亦無幸焉,

乃複自疑,以為所試與得之者,不同其程度,

及得觀之,餘亦無甚愧焉。

 

§3-1

吏部に博學宏詞を以て選ばるる者有りと聞く,人 尤も之を才と謂う。

且つ美仕を得,就いて其の術を求むれば,或いは試みる所の文章を出だす。

亦た禮部の類なり,私【ひそか】に其の故を怪み,然れども猶お其の名を樂【ねが】う,

因って又た 州府に詣【いた】りて舉げられんことを求む。

-2

凡そ二たび吏部に試されて,一たび既に之を得られたが,而も又た中書に黜【しりぞ】けらる。

仕えるを得らざると雖も,人は或いは之を能と謂う。

退いて因自ら試みる所を取って 之れを讀む。

乃ち俳優者の辭に類し,顏 忸怩【じくじ】として 心 寧【やす】んぜざる者數月なり。

-3

既已に之を為せば,則ち成就する所有らんと欲し,《書》に所謂【いわゆる】過【あやまち】を恥じて非を作す者なり。

因って複た舉られんことを求めしも,亦た幸いは無からん,

乃ち複た自ら疑って,以為【おもえ】らく試みる所と之れを得る者と,其の程度を同じくせざるか と。

之れを觀るを得るに及んで,餘も亦た甚だしくは愧ずる無し。

函谷関002 

 

『答崔立之書』-(7)§3-2現代語訳と訳註解説 -2

(本文)

凡二試於吏部,一既得之,而又黜於中書,

雖不得仕,人或謂之能焉。

退因自取所試讀之。

乃類於俳優者之辭,顏忸怩而心不寧者數月。

 

(下し文)

-2

凡そ二たび吏部に試されて,一たび既に之を得られたが,而も又た中書に黜【しりぞ】けらる。

仕えるを得らざると雖も,人は或いは之を能と謂う。

退いて因自ら試みる所を取って 之れを讀む。

乃ち俳優者の辭に類し,顏 忸怩【じくじ】として 心 寧【やす】んぜざる者數月なり。

 

(現代語訳)

凡そ二度吏部で試験されて、一度はすでに及第したけれども、しかしまたもや中書省で退けられた。

仕えることはできなかったのではあるけれども、或る人は、これでも才能ある者というのである。

退けられた原因をつかもうとし、自分ひとりになって試験されて書いた文書を取って読んでみたのである。

俳優などが君主に迎合阿諛する文章、辞に似ているので、顔もはずかしくて心も不安に思うこと数ケ月であった。

華州から秦州同谷成都00 

 

(訳注)

答崔立之書

(韓愈が三度吏部の試験に及第せず、立之が書を与えて激励した。それに対する.返書である。試験に合格しなくとも、男子の本質には変化はないことを述べて、不屈の精神を表示した文章である。)

崔立之、名は斯立、立之はその字である。博陵の人で元和元年には大理評事、すなわち裁判所の下級判事であった。韓愈の詩にはこの人に贈るものが頗る多い。ずいぶん親しい調子で、からかったりもしているから、弟子のひとりだったのであろう。

「答崔立之書」

「贈崔立之」

贈崔立之 韓退之(韓愈)詩<65-#1>Ⅱ中唐詩428 紀頌之の漢詩ブログ1363

贈崔立之 韓退之(韓愈)詩<65-#2>Ⅱ中唐詩429 紀頌之の漢詩ブログ1366

 

凡二試於吏部,一既得之,而又黜於中書,

凡そ二たび吏部に試されて,一たび既に之を得られたが,而も又た中書に黜【しりぞ】けらる。

凡そ二度吏部で試験されて、一度はすでに及第したけれども、しかしまたもや中書省で退けられた。

○黜 しりぞけられた。

○中書 中書省の選考官。

 

雖不得仕,人或謂之能焉。

仕えるを得らざると雖も,人は或いは之を能と謂う。

仕えることはできなかったのではあるけれども、或る人は、これでも才能ある者というのである。

 

退因自取所試讀之。

退いて因自ら試みる所を取って 之れを讀む。

退けられた原因をつかもうとし、自分ひとりになって試験されて書いた文書を取って読んでみたのである。

 

乃類於俳優者之辭,顏忸怩而心不寧者數月。

乃ち俳優者の辭に類し,顏 忸怩【じくじ】として 心 寧【やす】んぜざる者數月なり。

俳優などが君主に迎合阿諛する文章、辞に似ているので、顔もはずかしくて心も不安に思うこと数ケ月であった。

○俳優者之辞 昔君主の側近に俳優、おどけの役者がいて、君主に媚び喜ばせる言辞を以て仕えていた。君主に迎合阿諛する文章であるから、韓愈はこれを賤しんでいた。

○顏忸怩 顔も赤くなってはじる。
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韓愈《讀巻03-12 答崔立之書 -(6)§3-1》 そこで心中で、何故博学宏辞といって尊重するのかを疑わしく思ったけれども、しかしやはりその博学宏辞の名を欲しいと思った。困ってまた州の役所に行って挙げられて試験に応じたいと求めた。

 
 2014年12月18日の紀頌之5つのブログ 
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 index-5 806年39歳 50首の(2)25首index-6[807年~809年 42歳]20首index-7[810年~811年 44歳] 34首index-8 [812年~814年47歳]46首index-9[815年~816年 49歳] 57首index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首 
 index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首index-13 821年~822年 55歳 22首index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首韓愈 哲学・儒学「五原」賦・散文・上奏文・碑文など 
 孟郊張籍     
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 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
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 Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoor『花間集』全詩訳注解説(改訂)-1溫庭筠18《更漏子六首其四》溫庭筠66首巻一18-〈18〉漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-5287 
 薛濤の全詩花間集(1)花間集(2)花間集(3)花間集(4)花間集(5) 
 魚玄機全詩●花間集(6)●花間集(7)●花間集(8)●花間集(9)●花間集(10) 
 温庭筠66首 花間集1・2巻皇甫松11首 花間集二巻韋莊47首 花間集二巻薛昭蘊19首 花間集三巻牛嶠31首 花間集三・四巻張泌27首 花間集四巻 
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29-§3-1 《讀巻03-12 答崔立之書 -(6)§3-1》韓愈(韓退之)ID  798年貞元14年 31歳<1260> Ⅱ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5284韓愈詩-29-§3-1

 

 

§3-1

聞吏部有以博學宏詞選者,人尤謂之才,

吏部に博学宏辞の科を以て選ばれるものがあり、人々はこれを才子であるという。

且得美仕,就求其術,或出所試文章。

また立沢な仕官を得ると聞いて、行ってその方法を尋ねると、或る人が試験した文章を出して見せた。

亦禮部之類,私怪其故,然猶樂其名,

そこで心中で、何故博学宏辞といって尊重するのかを疑わしく思ったけれども、しかしやはりその博学宏辞の名を欲しいと思った。

因又詣州府求舉,

困ってまた州の役所に行って挙げられて試験に応じたいと求めた。

-2

凡二試於吏部,一既得之,而又黜於中書,

雖不得仕,人或謂之能焉。

退因自取所試讀之,

乃類於俳優者之辭,顏忸怩而心不寧者數月。

-3

既已為之,則欲有所成就,《書》所謂恥過作非者也。

因複求舉,亦無幸焉,

乃複自疑,以為所試與得之者,不同其程度,

及得觀之,餘亦無甚愧焉。

 

§3-1

吏部に博學宏詞を以て選ばるる者有りと聞く,人 尤も之を才と謂う。

且つ美仕を得,就いて其の術を求むれば,或いは試みる所の文章を出だす。

亦た禮部の類なり,私【ひそか】に其の故を怪み,然れども猶お其の名を樂【ねが】う,

因って又た 州府に詣【いた】りて舉げられんことを求む。

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凡そ二たび吏部に試されて,一たび既に之を得られたが,而も又た中書に黜【しりぞ】けらる。

仕えるを得らざると雖も,人は或いは之を能と謂う。

退いて因自ら試みる所を取って 之れを讀む。

乃ち俳優者の辭に類し,顏 忸怩【じくじ】として 心 寧【やす】んぜざる者數月なり。

-3

既已に之を為せば,則ち成就する所有らんと欲し,《書》に所謂【いわゆる】過【あやまち】を恥じて非を作す者なり。

因って複た舉られんことを求めしも,亦た幸いは無からん,

乃ち複た自ら疑って,以為【おもえ】らく試みる所と之れを得る者と,其の程度を同じくせざるか と。

之れを觀るを得るに及んで,餘も亦た甚だしくは愧ずる無し。

 

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『答崔立之書』-(6)§3-1現代語訳と訳註解説

(本文) §3-1

聞吏部有以博學宏詞選者,人尤謂之才,

且得美仕,就求其術,或出所試文章。

亦禮部之類,私怪其故,然猶樂其名,

因又詣州府求舉,

 

(下し文) §3-1

吏部に博學宏詞を以て選ばるる者有りと聞く,人 尤も之を才と謂う。

且つ美仕を得,就いて其の術を求むれば,或いは試みる所の文章を出だす。

亦た禮部の類なり,私【ひそか】に其の故を怪み,然れども猶お其の名を樂【ねが】う,

因って又た 州府に詣【いた】りて舉げられんことを求む。

 

(現代語訳)

吏部に博学宏辞の科を以て選ばれるものがあり、人々はこれを才子であるという。

また立沢な仕官を得ると聞いて、行ってその方法を尋ねると、或る人が試験した文章を出して見せた。

そこで心中で、何故博学宏辞といって尊重するのかを疑わしく思ったけれども、しかしやはりその博学宏辞の名を欲しいと思った。

困ってまた州の役所に行って挙げられて試験に応じたいと求めた。

 

函谷関002

(訳注) §3-1

聞吏部有以博學宏詞選者,人尤謂之才。

吏部に博學宏詞を以て選ばるる者有りと聞く,人 尤も之を才と謂う。

吏部に博学宏辞の科を以て選ばれるものがあり、人々はこれを才子であるという。

○吏部 官吏の任官昇進などを司る役所でここで採用試験がある。吏部(りぶ)は六部の一つ。後漢のときに吏曹が設置され、尚書常侍曹と改められた。魏晋南北朝時代より吏部と称され、隋唐五代十国では尚書省のもとで六部の首位に置かれた。長官として吏部尚書が、次官として吏部侍郎が2人置かれた。吏部の下には吏部司・司封司・司勛司・考功司が置かれ、文官の任免・評定・異動などの人事を担当した。唐の初期には科挙を主管したが、開元24年(736年)からは礼部が主管した。唐の中期に至り尚書省の権限が他の機関に侵されるようになると、吏部の役人の任免権も低下していった。司列、天官、文部と改称されたこともあるが、やがて吏部に戻された。

○博学宏辞 学問か博く文辞を広く用いる者を選ぶ科目。制挙の一つ。博学宏辞科ともいう。鴻詞とは優れた文章の意。

 

且得美仕,就求其術,或出所試文章。

且つ美仕を得,就いて其の術を求むれば,或いは試みる所の文章を出だす。

また立沢な仕官を得ると聞いて、行ってその方法を尋ねると、或る人が試験した文章を出して見せた。

 

亦禮部之類,

因って又た 州府に詣【いた】りて舉げられんことを求む。

それもまた礼部の試験と似たものであった。

禮部 六部の1つで、礼楽儀仗・教育・国家祭祀・宗教・外交・科挙などを司掌した。 祖型は漢代にまで遡り、歴代王朝を通じて整備が進み、一時は祠部と改称された。南北朝北周時開始設立,相當於今日的教育部和外交部。

 

私怪其故,然猶樂其名,

そこで心中で、何故博学宏辞といって尊重するのかを疑わしく思ったけれども、しかしやはりその博学宏辞の名を欲しいと思った。

○其名 博学宏辞の名目。

 

因又詣州府求舉,

因って又た 州府に詣【いた】りて舉げられんことを求む。

困ってまた州の役所に行って挙げられて試験に応じたいと求めた。
玄武門 

《讀巻03-12 答崔立之書 -(5)§2-2》韓愈(韓退之)ID 798年貞元14年 31歳<1259> Ⅱ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5279

韓愈《答崔立之書 -(5)§2-2》 だけど、役人はその心から好き嫌いでもって判定を出すのである。僕は四度挙げられて試験を受けて、はじめて成功したのであるが、それでもまた、すぐには仕えることができなかったのである。

 

 
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《讀巻03-12 答崔立之書 -(5)§2-2》韓愈(韓退之)ID  798年貞元14年 31歳<1259> Ⅱ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5279韓愈詩-33

 

 

答崔立之書

(韓愈が三度吏部の試験に及第せず、立之が書を与えて激励した。それに対する.返書である。試験に合格しなくとも、男子の本質には変化はないことを述べて、不屈の精神を表示した文章である。)

§1-1

斯立足下:仆見險不能止,動不得時,

斯立足下、僕にとって仕進の道というものが険阻であるのを見ても止めることができずに、吏部の試験を受けたけれども、動くに適当な時でなかった。

顛頓狼狽,失其所操持,困不知變,

それで、つまずき倒れ、あわてふためいて、平静を守る精神を失っていて、その平素心を取りもどすこともできず、困しんで道を変更することも知らず、

以至辱於再三。

二度、三度と辱めを受けるに至った。

君子小人之所憫笑,天下之所背而馳者也。

それは君子も小人も憐れむ顏をしながら笑ったりする所であり、天下中の人が、僕に背を向けて馳け去り、軽侮する所のものである。

§1-2

足下猶複以為可教。

足下はそれでもまだ教えることができると思っておるようだ。

貶損道德,乃至手筆以問之,

足下の立派な道徳をわざわざ落し損じて、わざわざお手ずから筆を取られて尋ねることまでして下さった。

扳援古昔,辭義高遠,

お手紙では、古代の事を引用して、言葉の意味は高尚深遠であった、

且進且勸,足下之於故舊之道得矣。

僕を推し進めたり、はげましたりして下さった。足下の旧友に対する在り方はまことに当を得ている。

§1-3

雖仆亦固望於吾子,不敢望於他人者耳。

それは僕であっても、またもとより足下に望むところであり、他人には決して望まないことであって足下にかぎってのことである。

然尚有似不相曉者,非故欲發餘乎?

それでもやはり足下は僕の心を明らかに知っておられないような所があって、ことさらに私の心を啓発されるのは間違いないのではないだろうか。

不然,何子之不以丈夫期我也?

もしそうでなく、私を知っておられるのなら、何故に足下は一人の立派な男子になれと、私に期待されないのか。

不能默默,聊複自明。

私はだまっていることができずして、いささか、また、自分の心を明らかにしようと思う。

 

§1-1

斯立足下、仆 險を見て止む能わず,動いて時を得ず。

顛頓狼狽して,其の操持する所を失い,困んで變じること知らず。

以て再三に辱めらるるに至る。

君子小人の憫笑する所,天下の背いて馳する所の者なり。

§1-2

足下 猶お複た以て教うる可しと為す。

道德を貶損して,乃ち手筆以て之を問うに至る。

古昔を扳援して,辭義 高遠に,且つ進め且つ勸む。

足下の故舊に於けるの道を得たり。

§1-3

仆と雖も 亦た固より吾子に望む,敢えて他人に望まざる者のみ。

然れども尚お相い曉【さと】らざるに似たる者有り,故【ことさら】に餘を發せんと欲するに非らざるか?

然らずんば,何ぞ子の丈夫を以て我に期せざるや?

默默たる能わず,聊か複た自ら明かにするなり。

 

 

§2-1

仆始年十六七時,未知人事。

僕はやっと年十六、七の時に、まだ世間の事を知らなかった。

讀聖人之書,以為人之仕者,皆為人耳,非有利乎己也。

聖人の書を読んで、人が官に仕えるのは皆、人のため、天下のためにするだけで、自分の一身の利益のためではないと思った。

及年二十時,苦家貧,衣食不足,謀於所親。

年が二十の時になって、家が貧しくて、衣食をするにも足りないのに苦しんで、親しい人に相談をした。

然後知仕之不唯為人耳。

そうして後、はじめて官に仕えることはただ世の人のためだけでないことを知った。

§2-2

及來京師,見有舉進士者,人多貴之,仆誠樂之。

都長安に来て、進士に挙げられる老あれば、人々は多くこれを貴ぶのを見るに及んで、僕は誠にこいねがわしく思った。

就求其術,或出禮部所試賦詩策等以相示。

就いてその方法を求めたところ、或る人が礼部の試験した賦や詩、論策等を出して、それを示してくれた。

仆以為可無學而能。

僕は学ばなくともできると思っていたということである。

因詣州縣求舉。

困って州県の役所に行って進士に挙げられることを求めた。

有司者好惡出於其心。

だけど、役人はその心から好き嫌いでもって判定を出すのである。

四舉而後有成,亦未即得仕。

僕は四度挙げられて試験を受けて、はじめて成功したのであるが、それでもまた、すぐには仕えることができなかったのである。

 

§2-1

仆 始めて年十六七の時,未だ人事を知らず。

聖人の書を讀んで,以為【おもえ】らくは人の仕える者は,皆 人の為にするのみ,己に利有るに非ずと。

年二十の時に及び,家貧しゅうして苦み、衣食足らざるに,所親に謀る。

然る後 仕えの之不唯だ人の為のみにならざるを知る。

§2-2

京師に來るに及んで,進士に舉げられる者有れば,人多く之を貴ぶを見て,仆は誠に之を樂【ねが】う。

就いて其の術を求めれば,或いは禮部の試みる所の賦詩策等を出して以て相い示す。

仆は以為【おもえ】らく學ぶ無くして能くす可しと。

因って州縣に詣【いた】って舉げられんことを求む。

有司の者 好惡【こうお】其の心に出でて,四たび舉られて後に成る有りしも,亦た未だ即ち仕うるを得ず。

 

洛陽 函谷関002 

『答崔立之書』 現代語訳と訳註解説

(本文)§2-2

及來京師,見有舉進士者,人多貴之,仆誠樂之,

就求其術,或出禮部所試賦詩策等以相示,

仆以為可無學而能,因詣州縣求舉。

有司者好惡出於其心,四舉而後有成,亦未即得仕。

 

(下し文)§2-2

京師に來るに及んで,進士に舉げられる者有れば,人多く之を貴ぶを見て,仆は誠に之を樂【ねが】う。

就いて其の術を求めれば,或いは禮部の試みる所の賦詩策等を出して以て相い示す。

仆は以為【おもえ】らく學ぶ無くして能くす可しと。

因って州縣に詣【いた】って舉げられんことを求む。

有司の者 好惡【こうお】其の心に出でて,四たび舉られて後に成る有りしも,亦た未だ即ち仕うるを得ず。

 

(現代語訳)

都長安に来て、進士に挙げられる老あれば、人々は多くこれを貴ぶのを見るに及んで、僕は誠にこいねがわしく思った。

就いてその方法を求めたところ、或る人が礼部の試験した賦や詩、論策等を出して、それを示してくれた。

僕は学ばなくともできると思っていたということである。

困って州県の役所に行って進士に挙げられることを求めた。

だけど、役人はその心から好き嫌いでもって判定を出すのである。

僕は四度挙げられて試験を受けて、はじめて成功したのであるが、それでもまた、すぐには仕えることができなかったのである。

 函谷関002

 

(訳注) §2-2

 

及來京師,見有舉進士者,人多貴之,仆誠樂之,

京師に來るに及んで,進士に舉げられる者有れば,人多く之を貴ぶを見て,仆は誠に之を樂【ねが】う。

都長安に来て、進士に挙げられる老あれば、人々は多くこれを貴ぶのを見るに及んで、僕は誠にこいねがわしく思った。

○楽之 楽は「ねがふ」と読む。欲する。

 

就求其術,或出禮部所試賦詩策等以相示。

就いて其の術を求めれば,或いは禮部の試みる所の賦詩策等を出して以て相い示す。

就いてその方法を求めたところ、或る人が礼部の試験した賦や詩、論策等を出して、それを示してくれた。

○求其術 仕官の方法を尋ねる。

○礼部 官署名。旧官制の大部の一、礼式、学校、人材登用のことを司る。

○賦詩策 賊は韻文の一種、楚辞、洪代低などの長文の叙事詩。詩は五・七言の詩麓、策は論策、問題についの論文。

 

仆以為可無學而能。

仆は以為【おもえ】らく學ぶ無くして能くす可しと。

僕は学ばなくともできると思っていたということである。

 

因詣州縣求舉。

因って州縣に詣【いた】って舉げられんことを求む。

困って州県の役所に行って進士に挙げられることを求めた。

州縣 州県の役所に行くこと。

 

有司者好惡出於其心。

有司の者 好惡【こうお】其の心に出づ。

だけど、役人はその心から好き嫌いでもって判定を出すのである。

○有司 役人。

○好悪 好き嫌い。採否の基準が主観的なもので公平でないということ。

 

四舉而後有成,亦未即得仕。

四たび舉られて後に成る有りしも,亦た未だ即ち仕うるを得ず。

僕は四度挙げられて試験を受けて、はじめて成功したのであるが、それでもまた、すぐには仕えることができなかったのである。

《讀巻03-12 答崔立之書 -(4)§2-1》韓愈(韓退之)ID 798年貞元14年 31歳<1258> Ⅱ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5274韓愈詩-32

 

韓愈《讀巻03-12 答崔立之書 -(4)§2-1》年が二十の時になって、家が貧しくて、衣食をするにも足りないのに苦しんで、親しい人に相談をした。そうして後、はじめて官に仕えることはただ世の人のためだけでないことを知った。

 
 2014年12月16日の紀頌之5つのブログ 
 ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場 
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149-4 《答長安崔少府叔封,遊終南翠微寺,太宗皇帝金沙泉見寄 (4)》Index-10 Ⅱ―5-730年開元十八年30歳 <149-4> Ⅰ李白詩1345 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5273 
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 杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩) 杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首 
 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
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《讀巻03-12 答崔立之書 -(4)§2-1》韓愈(韓退之)ID  798年貞元14年 31歳<1258> Ⅱ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5274韓愈詩-32

 

 

§2-1

仆始年十六七時,未知人事。

僕はやっと年十六、七の時に、まだ世間の事を知らなかった。

讀聖人之書,以為人之仕者,皆為人耳,非有利乎己也。

聖人の書を読んで、人が官に仕えるのは皆、人のため、天下のためにするだけで、自分の一身の利益のためではないと思った。

及年二十時,苦家貧,衣食不足,謀於所親。

年が二十の時になって、家が貧しくて、衣食をするにも足りないのに苦しんで、親しい人に相談をした。

然後知仕之不唯為人耳。

そうして後、はじめて官に仕えることはただ世の人のためだけでないことを知った。

§2-2

及來京師,見有舉進士者,人多貴之,仆誠樂之。

就求其術,或出禮部所試賦詩策等以相示。

仆以為可無學而能。

因詣州縣求舉。

有司者好惡出於其心,四舉而後有成,亦未即得仕。

 

§2-1

仆 始めて年十六七の時,未だ人事を知らず。

聖人の書を讀んで,以為【おもえ】らくは人の仕える者は,皆 人の為にするのみ,己に利有るに非ずと。

年二十の時に及び,家貧しゅうして苦み、衣食足らざるに,所親に謀る。

然る後 仕えの之不唯だ人の為のみにならざるを知る。

§2-2

京師に來るに及んで,進士に舉げられる者有れば,人多く之を貴ぶを見て,仆は誠に之を樂【ねが】う。

就いて其の術を求めれば,或いは禮部の試みる所の賦詩策等を出して以て相い示す。

仆は以為【おもえ】らく學ぶ無くして能くす可しと。

因って州縣に詣【いた】って舉げられんことを求む。

有司の者 好惡【こうお】其の心に出でて,四たび舉られて後に成る有りしも,亦た未だ即ち仕うるを得ず。

 

辟雍00 

『答崔立之書』 現代語訳と訳註解説

(本文) §2-1

仆始年十六七時,未知人事。

讀聖人之書,以為人之仕者,皆為人耳,非有利乎己也。

及年二十時,苦家貧,衣食不足,謀於所親,然後知仕之不唯為人耳。

 

(下し文) §2-1

仆 始めて年十六七の時,未だ人事を知らず。

聖人の書を讀んで,以為【おもえ】らくは人の仕える者は,皆 人の為にするのみ,己に利有るに非ずと。

年二十の時に及び,家貧しゅうして苦み、衣食足らざるに,所親に謀る。

然る後 仕えの之不唯だ人の為のみにならざるを知る。

 

(現代語訳)

僕はやっと年十六、七の時に、まだ世間の事を知らなかった。

聖人の書を読んで、人が官に仕えるのは皆、人のため、天下のためにするだけで、自分の一身の利益のためではないと思った。

年が二十の時になって、家が貧しくて、衣食をするにも足りないのに苦しんで、親しい人に相談をした。

そうして後、はじめて官に仕えることはただ世の人のためだけでないことを知った。

 

 

(訳注) §2-1

答崔立之書

(韓愈が三度吏部の試験に及第せず、立之が書を与えて激励した。それに対する.返書である。試験に合格しなくとも、男子の本質には変化はないことを述べて、不屈の精神を表示した文章である。)

崔立之、名は斯立、立之はその字である。博陵の人で元和元年には大理評事、すなわち裁判所の下級判事であった。韓愈の詩にはこの人に贈るものが頗る多い。ずいぶん親しい調子で、からかったりもしているから、弟子のひとりだったのであろう。

「答崔立之書」

「贈崔立之」

贈崔立之 韓退之(韓愈)詩<65-#1>Ⅱ中唐詩428 紀頌之の漢詩ブログ1363

贈崔立之 韓退之(韓愈)詩<65-#2>Ⅱ中唐詩429 紀頌之の漢詩ブログ1366

太白山001 

仆始年十六七時,未知人事。

仆 始めて年十六七の時,未だ人事を知らず。

僕はやっと年十六、七の時に、まだ世間の事を知らなかった。

○人事 人世の事。人間関係。

 

讀聖人之書,以為人之仕者,皆為人耳,非有利乎己也。

聖人の書を讀んで,以為【おもえ】らくは人の仕える者は,皆 人の為にするのみ,己に利有るに非ずと。

聖人の書を読んで、人が官に仕えるのは皆、人のため、天下のためにするだけで、自分の一身の利益のためではないと思った。

 

及年二十時,苦家貧,衣食不足,謀於所親,

年二十の時に及び,家貧しゅうして苦み、衣食足らざるに,所親に謀る。

年が二十の時になって、家が貧しくて、衣食をするにも足りないのに苦しんで、親しい人に相談をした。

 

然後知仕之不唯為人耳。

然る後 仕えの之不唯だ人の為のみにならざるを知る。

そうして後、はじめて官に仕えることはただ世の人のためだけでないことを知った。
詩人李白5x5 

《讀巻03-12 答崔立之書 -(3)§1-3》韓愈(韓退之)ID 798年貞元14年 31歳<1257> Ⅱ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5269韓愈詩-31

韓愈《讀巻03-12 答崔立之書 -(3)§1-3》それは僕であっても、またもとより足下に望むところであり、他人には決して望まないことであって足下にかぎってのことである。

 
 2014年12月15日の紀頌之5つのブログ 
 ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場 
 Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
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《讀巻03-12 答崔立之書 -(3)§1-3》韓愈(韓退之)ID 798年貞元14年 31歳<1257> Ⅱ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5269韓愈詩-31 
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 孟郊張籍     
 ●杜甫の全作品1500首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。" 
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 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
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 《讀巻03-12 答崔立之書 -(3)§1-3》韓愈(韓退之)ID  798年貞元14年 31歳<1257> Ⅱ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5269韓愈詩-31

 

 

答崔立之書

(韓愈が三度吏部の試験に及第せず、立之が書を与えて激励した。それに対する.返書である。試験に合格しなくとも、男子の本質には変化はないことを述べて、不屈の精神を表示した文章である。)

§1-1

斯立足下:仆見險不能止,動不得時,

斯立足下、僕にとって仕進の道というものが険阻であるのを見ても止めることができずに、吏部の試験を受けたけれども、動くに適当な時でなかった。

顛頓狼狽,失其所操持,困不知變,

それで、つまずき倒れ、あわてふためいて、平静を守る精神を失っていて、その平素心を取りもどすこともできず、困しんで道を変更することも知らず、

以至辱於再三。

二度、三度と辱めを受けるに至った。

君子小人之所憫笑,天下之所背而馳者也。

それは君子も小人も憐れむ顏をしながら笑ったりする所であり、天下中の人が、僕に背を向けて馳け去り、軽侮する所のものである。

§1-2

足下猶複以為可教。

足下はそれでもまだ教えることができると思っておるようだ。

貶損道德,乃至手筆以問之,

足下の立派な道徳をわざわざ落し損じて、わざわざお手ずから筆を取られて尋ねることまでして下さった。

扳援古昔,辭義高遠,

お手紙では、古代の事を引用して、言葉の意味は高尚深遠であった、

且進且勸,足下之於故舊之道得矣。

僕を推し進めたり、はげましたりして下さった。足下の旧友に対する在り方はまことに当を得ている。

§1-3

雖仆亦固望於吾子,不敢望於他人者耳。

それは僕であっても、またもとより足下に望むところであり、他人には決して望まないことであって足下にかぎってのことである。

然尚有似不相曉者,非故欲發餘乎?

それでもやはり足下は僕の心を明らかに知っておられないような所があって、ことさらに私の心を啓発されるのは間違いないのではないだろうか。

不然,何子之不以丈夫期我也?

もしそうでなく、私を知っておられるのなら、何故に足下は一人の立派な男子になれと、私に期待されないのか。

不能默默,聊複自明。

私はだまっていることができずして、いささか、また、自分の心を明らかにしようと思う。

 

§1-1

斯立足下、仆 險を見て止む能わず,動いて時を得ず。

顛頓狼狽して,其の操持する所を失い,困んで變じること知らず。

以て再三に辱めらるるに至る。

君子小人の憫笑する所,天下の背いて馳する所の者なり。

§1-2

足下 猶お複た以て教うる可しと為す。

道德を貶損して,乃ち手筆以て之を問うに至る。

古昔を扳援して,辭義 高遠に,且つ進め且つ勸む。

足下の故舊に於けるの道を得たり。

§1-3

仆と雖も 亦た固より吾子に望む,敢えて他人に望まざる者のみ。

然れども尚お相い曉【さと】らざるに似たる者有り,故【ことさら】に餘を發せんと欲するに非らざるか?

然らずんば,何ぞ子の丈夫を以て我に期せざるや?

默默たる能わず,聊か複た自ら明かにするなり。

 

汜水関などの地図 

『答崔立之書』 現代語訳と訳註解説

(本文) §1-3

雖仆亦固望於吾子,不敢望於他人者耳。

然尚有似不相曉者,非故欲發餘乎?

不然,何子之不以丈夫期我也?

不能默默,聊複自明。

 

(下し文) §1-3

仆と雖も 亦た固より吾子に望む,敢えて他人に望まざる者のみ。

然れども尚お相い曉【さと】らざるに似たる者有り,故【ことさら】に餘を發せんと欲するに非らざるか?

然らずんば,何ぞ子の丈夫を以て我に期せざるや?

默默たる能わず,聊か複た自ら明かにするなり。

 

(現代語訳)

それは僕であっても、またもとより足下に望むところであり、他人には決して望まないことであって足下にかぎってのことである。

それでもやはり足下は僕の心を明らかに知っておられないような所があって、ことさらに私の心を啓発されるのは間違いないのではないだろうか。

もしそうでなく、私を知っておられるのなら、何故に足下は一人の立派な男子になれと、私に期待されないのか。

私はだまっていることができずして、いささか、また、自分の心を明らかにしようと思う。

洛陽 函谷関002 

(訳注)§1-3

答崔立之書

(韓愈が三度吏部の試験に及第せず、立之が書を与えて激励した。それに対する.返書である。試験に合格しなくとも、男子の本質には変化はないことを述べて、不屈の精神を表示した文章である。)

崔立之、名は斯立、立之はその字である。博陵の人で元和元年には大理評事、すなわち裁判所の下級判事であった。韓愈の詩にはこの人に贈るものが頗る多い。ずいぶん親しい調子で、からかったりもしているから、弟子のひとりだったのであろう。

「答崔立之書」

「贈崔立之」

贈崔立之 韓退之(韓愈)詩<65-#1>Ⅱ中唐詩428 紀頌之の漢詩ブログ1363

贈崔立之 韓退之(韓愈)詩<65-#2>Ⅱ中唐詩429 紀頌之の漢詩ブログ1366

 

雖仆亦固望於吾子,不敢望於他人者耳。

それは僕であっても、またもとより足下に望むところであり、他人には決して望まないことであって足下にかぎってのことである。

 

然尚有似不相曉者,非故欲發餘乎?

それでもやはり足下は僕の心を明らかに知っておられないような所があって、ことさらに私の心を啓発されるのは間違いないのではないだろうか。

○暁 あきらかに知る。さとる。

○故 ことさらに。わざと。

○発 啓発。蒙を啓(帥)く。啓き導く。

 

不然,何子之不以丈夫期我也?

もしそうでなく、私を知っておられるのなら、何故に足下は一人の立派な男子になれと、私に期待されないのか。

○丈夫 立派な男子。ますらお。

 

不能默默,聊複自明。

私はだまっていることができずして、いささか、また、自分の心を明らかにしようと思う。

《讀巻03-12 答崔立之書 -(2)§1-2》韓愈(韓退之)ID 798年貞元14年 31歳<1256> Ⅱ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5264

韓愈《讀巻03-12 答崔立之書 -(2)§1-2》お手紙では、古代の事を引用して、言葉の意味は高尚深遠であった、僕を推し進めたり、はげましたりして下さった。足下の旧友に対する在り方はまことに当を得ている。

 
 2014年12月14日の紀頌之5つのブログ 
 ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場 
 Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
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149-2 《答長安崔少府叔封,遊終南翠微寺,太宗皇帝金沙泉見寄 (2)》Index-10 Ⅱ―5-730年開元十八年30歳 李白<149-2> Ⅰ李白詩1343 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5263 
 ●孟浩然 詩 index●李白詩index●謝霊運 詩 index●司馬相如 《 子虛賦 ・上林賦 》●揚雄 《 甘泉賦 》 ●諸葛亮(孔明)出師表 
 曹植(曹子建)詩 65首 index文選 賦)兩都賦序・西都賦・東都賦 (班固)《李白 全詩》
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(1)漁父辞 屈原『楚辞・九歌』東君 屈原《楚辞 『九辯』》 宋玉  <案内> 
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 Ⅱ中唐詩・晩唐詩
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《讀巻03-12 答崔立之書 -(2)§1-2》韓愈(韓退之)ID 798年貞元14年 31歳<1256> Ⅱ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5264 
 ・李商隠詩 (1) 136首の75首・李商隠詩 (2) 135首の61首●韓愈index-1 ・孟郊、張籍と交遊・汴州乱41首●韓愈詩index-2[800年 33歳~804年 37歳]27首●韓愈詩index-3 805年 38歳・]陽山から江陵府 36首●韓愈詩index-4 806年 39歳 江陵府・権知国子博士 51首(1)25首 
 index-5 806年39歳 50首の(2)25首index-6[807年~809年 42歳]20首index-7[810年~811年 44歳] 34首index-8 [812年~814年47歳]46首index-9[815年~816年 49歳] 57首index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首 
 index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首index-13 821年~822年 55歳 22首index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首韓愈 哲学・儒学「五原」賦・散文・上奏文・碑文など 
 孟郊張籍     
 ●杜甫の全作品1500首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。" 
 Ⅲ杜甫詩全1500首   LiveDoorブログ766年大暦元年55歲-16-1奉節-8 《巻15-24 雷 -1》 杜甫index-15 杜甫<879-1> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5265 
 杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩) 杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首 
 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
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 ●花間集全詩●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集 
 Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoor『花間集』全詩訳注解説(再)-1溫庭筠14《菩薩蠻十四首 其十四》溫庭筠66首巻一14-〈14〉漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-5267 
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 魚玄機全詩●花間集(6)●花間集(7)●花間集(8)●花間集(9)●花間集(10) 
 温庭筠66首 花間集1・2巻皇甫松11首 花間集二巻韋莊47首 花間集二巻薛昭蘊19首 花間集三巻牛嶠31首 花間集三・四巻張泌27首 花間集四巻 
 毛文錫31首 花間集5巻牛希濟11首 花間集5巻欧陽烱17首 花間集5・6巻和凝20首 花間集6巻顧夐56首 花間集6・7巻孫光憲47首 花間集7・8巻 
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《讀巻03-12 答崔立之書 -(2)§1-2》韓愈(韓退之)ID  798年貞元14年 31歳<1256> Ⅱ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5264

韓愈詩-30

 

 

答崔立之書

(韓愈が三度吏部の試験に及第せず、立之が書を与えて激励した。それに対する.返書である。試験に合格しなくとも、男子の本質には変化はないことを述べて、不屈の精神を表示した文章である。)

§1-1

斯立足下:仆見險不能止,動不得時,

斯立足下、僕にとって仕進の道というものが険阻であるのを見ても止めることができずに、吏部の試験を受けたけれども、動くに適当な時でなかった。

顛頓狼狽,失其所操持,困不知變,

それで、つまずき倒れ、あわてふためいて、平静を守る精神を失っていて、その平素心を取りもどすこともできず、困しんで道を変更することも知らず、

以至辱於再三。

二度、三度と辱めを受けるに至った。

君子小人之所憫笑,天下之所背而馳者也。

それは君子も小人も憐れむ顏をしながら笑ったりする所であり、天下中の人が、僕に背を向けて馳け去り、軽侮する所のものである。

§1-2

足下猶複以為可教。

足下はそれでもまだ教えることができると思っておるようだ。

貶損道德,乃至手筆以問之,

足下の立派な道徳をわざわざ落し損じて、わざわざお手ずから筆を取られて尋ねることまでして下さった。

扳援古昔,辭義高遠,

お手紙では、古代の事を引用して、言葉の意味は高尚深遠であった、

且進且勸,足下之於故舊之道得矣。

僕を推し進めたり、はげましたりして下さった。足下の旧友に対する在り方はまことに当を得ている。

§1-3

雖仆亦固望於吾子,不敢望於他人者耳。

然尚有似不相曉者,非故欲發餘乎?

不然,何子之不以丈夫期我也?

不能默默,聊複自明。

 

§1-1

斯立足下、仆 險を見て止む能わず,動いて時を得ず。

顛頓狼狽して,其の操持する所を失い,困んで變じること知らず。

以て再三に辱めらるるに至る。

君子小人の憫笑する所,天下の背いて馳する所の者なり。

§1-2

足下 猶お複た以て教うる可しと為す。

道德を貶損して,乃ち手筆以て之を問うに至る。

古昔を扳援して,辭義 高遠に,且つ進め且つ勸む。

足下の故舊に於けるの道を得たり。

§1-3

仆と雖も 亦た固より吾子に望む,敢えて他人に望まざる者のみ。

然れども尚お相い曉【さと】らざるに似たる者有り,故【ことさら】に餘を發せんと欲するに非らざるか?

然らずんば,何ぞ子の丈夫を以て我に期せざるや?

默默たる能わず,聊か複た自ら明かにするなり。

華州から秦州同谷成都00汜水関などの地図 

 

『答崔立之書』 現代語訳と訳註解説

(本文) §1-2

足下猶複以為可教。

貶損道德,乃至手筆以問之,

扳援古昔,辭義高遠,

且進且勸,足下之於故舊之道得矣。

 

(下し文) §1-2

足下 猶お複た以て教うる可しと為す。

道德を貶損して,乃ち手筆以て之を問うに至る。

古昔を扳援して,辭義 高遠に,且つ進め且つ勸む。

足下の故舊に於けるの道を得たり。

 

(現代語訳)

足下はそれでもまだ教えることができると思っておるようだ。

足下の立派な道徳をわざわざ落し損じて、わざわざお手ずから筆を取られて尋ねることまでして下さった。

お手紙では、古代の事を引用して、言葉の意味は高尚深遠であった、

僕を推し進めたり、はげましたりして下さった。足下の旧友に対する在り方はまことに当を得ている。

 

(訳注)§1-2

答崔立之書

(韓愈が三度吏部の試験に及第せず、立之が書を与えて激励した。それに対する.返書である。試験に合格しなくとも、男子の本質には変化はないことを述べて、不屈の精神を表示した文章である。)

崔立之、名は斯立、立之はその字である。博陵の人で元和元年には大理評事、すなわち裁判所の下級判事であった。韓愈の詩にはこの人に贈るものが頗る多い。ずいぶん親しい調子で、からかったりもしているから、弟子のひとりだったのであろう。

「答崔立之書」

「贈崔立之」

贈崔立之 韓退之(韓愈)詩<65-#1>Ⅱ中唐詩428 紀頌之の漢詩ブログ1363

贈崔立之 韓退之(韓愈)詩<65-#2>Ⅱ中唐詩429 紀頌之の漢詩ブログ1366

 

雖仆亦固望於吾子,不敢望於他人者耳。

仆と雖も 亦た固より吾子に望む,敢えて他人に望まざる者のみ。

それは僕であっても、またもとより足下に望むところであり、他人には決して望まないことであって足下にかぎってのことである。

 

然尚有似不相曉者,非故欲發餘乎?

然れども尚お相い曉【さと】らざるに似たる者有り,故【ことさら】に餘を發せんと欲するに非らざるか?

それでもやはり足下は僕の心を明らかに知っておられないような所があって、ことさらに私の心を啓発されるのは間違いないのではないだろうか。

○暁 あきらかに知る。さとる。

○故 ことさらに。わざと。

○発 啓発。蒙を啓(帥)く。啓き導く。

 

不然,何子之不以丈夫期我也?

も然らずんば,何ぞ子の丈夫を以て我に期せざるや?

しそうでなく、私を知っておられるのなら、何故に足下は一人の立派な男子になれと、私に期待されないのか。

○丈夫 立派な男子。ますらお。

 

不能默默,聊複自明。

默默たる能わず,聊か複た自ら明かにするなり。

私はだまっていることができずして、いささか、また、自分の心を明らかにしようと思う。

 

29 《讀巻03-12 答崔立之書 -(1)§1-1》韓愈(韓退之)ID 798年貞元14年 31歳<1255> Ⅱ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5259

韓愈《答崔立之書 -(1)§1-1》(韓愈が三度吏部の試験に及第せず、立之が書を与えて激励した。それに対する.返書である。試験に合格しなくとも、男子の本質には変化はないことを述べて、不屈の精神を表示した文章である。)

 

 
 2014年12月13日の紀頌之5つのブログ 
 ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場 
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29 《讀巻03-12 答崔立之書 -(1)§1-1》韓愈(韓退之)ID  798年貞元14年 31歳<1255> Ⅱ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5259韓愈詩-29

 

 

答崔立之書 作者:韓愈

 

崔立之、字は斯立。貞元四年の進土、韓愈が三度吏部の試験に及第せず、立之が書を与えて激励した。それに対する.返書である。試験に合格しなくとも、男子の本質には変化はないことを述べて、不屈の精神を表示した文章である。

 

 

§1

斯立足下:仆見險不能止,動不得時,顛頓狼狽,失其所操持,困不知變,以至辱於再三,君子小人之所憫笑,天下之所背而馳者也。足下猶複以為可教,貶損道德,乃至手筆以問之,扳援古昔,辭義高遠,且進且勸,足下之於故舊之道得矣。雖仆亦固望於吾子,不敢望於他人者耳。然尚有似不相曉者,非故欲發餘乎?不然,何子之不以丈夫期我也?不能默默,聊複自明。

 

仆始年十六七時,未知人事,讀聖人之書,以為人之仕者,皆為人耳,非有利乎己也。及年二十時,苦家貧,衣食不足,謀於所親,然後知仕之不唯為人耳。及來京師,見有舉進士者,人多貴之,仆誠樂之,就求其術,或出禮部所試賦詩策等以相示,仆以為可無學而能,因詣州縣求舉。有司者好惡出於其心,四舉而後有成,亦未即得仕。

§2

聞吏部有以博學宏詞選者,人尤謂之才,且得美仕,就求其術,或出所試文章,亦禮部之類,私怪其故,然猶樂其名,因又詣州府求舉,凡二試於吏部,一既得之,而又黜於中書,雖不得仕,人或謂之能焉。退因自取所試讀之,乃類於俳優者之辭,顏忸怩而心不寧者數月。既已為之,則欲有所成就,《書》所謂恥過作非者也。因複求舉,亦無幸焉,乃複自疑,以為所試與得之者,不同其程度,及得觀之,餘亦無甚愧焉。

§3

夫所謂博學者,豈今之所謂者乎?夫所謂宏詞者,豈今之所謂者乎?誠使古之豪傑之士,若屈原、孟軻、司馬遷、相如、揚雄之徒,進於是選,必知其懷慚?乃不自進而已耳。設使與夫今之善進取者,競於蒙昧之中,仆必知其辱焉。然彼五子者,且使生於今之世,其道雖不顯於天下,其自負何如哉!肯與夫鬥筲者決得失於一夫之目,而為之憂樂哉!

§4

故凡仆之汲汲於進者,其小得蓋欲以具裘葛、養窮孤,其大得蓋欲以同吾之所樂於人耳,其他可否,自計已熟,誠不待人而後知。今足下乃複比之獻玉者,以為必俟工人之剖,然後見知於天下,雖兩刖足不為病,且無使者再克。誠足下相勉之意厚也,然仕進者,豈舍此而無門哉?足下謂我必待是而後進者,尤非相悉之辭也。仆之玉固未嚐獻,而足固未嚐刖,足下無為為我戚戚也。

§4

方今天下風俗尚有未及於古者,邊境尚有被甲執兵者,主上不得怡,而宰相以為憂。仆雖不賢,亦且潛究其得失,致之乎吾相,薦之乎吾君,上希卿大夫之位,下猶取一障而乘之。若都不可得,猶將耕於寬間之野,釣於寂寞之濱,求國家之遺事,考賢人哲士之終始,作唐之一經,垂之於無窮,誅奸諛於既死,發潛德之幽光。二者將必有一可。足下以為仆之玉凡幾獻,而足凡幾刖也,又所謂者果誰哉?再克之刑信如何也?士固信於知己,微足下無以發吾之狂言。愈再拜。

 

 

 

答崔立之書
§1-1

(韓愈が三度吏部の試験に及第せず、立之が書を与えて激励した。それに対する.返書である。試験に合格しなくとも、男子の本質には変化はないことを述べて、不屈の精神を表示した文章である。)

斯立足下:仆見險不能止,動不得時,

斯立足下、僕にとって仕進の道というものが険阻であるのを見ても止めることができずに、吏部の試験を受けたけれども、動くに適当な時でなかった。

顛頓狼狽,失其所操持,困不知變,

それで、つまずき倒れ、あわてふためいて、平静を守る精神を失っていて、その平素心を取りもどすこともできず、困しんで道を変更することも知らず、

以至辱於再三。

二度、三度と辱めを受けるに至った。

君子小人之所憫笑,天下之所背而馳者也。

それは君子も小人も憐れむ顏をしながら笑ったりする所であり、天下中の人が、僕に背を向けて馳け去り、軽侮する所のものである。
§1-2

足下猶複以為可教。

貶損道德,乃至手筆以問之,

扳援古昔,辭義高遠,

且進且勸,足下之於故舊之道得矣。

§1-3

雖仆亦固望於吾子,不敢望於他人者耳。

然尚有似不相曉者,非故欲發餘乎?

不然,何子之不以丈夫期我也?

不能默默,聊複自明。

 

§1-1

斯立足下、仆 險を見て止む能わず,動いて時を得ず。

顛頓狼狽して,其の操持する所を失い,困んで變じること知らず。

以て再三に辱めらるるに至る。

君子小人の憫笑する所,天下の背いて馳する所の者なり。

§1-2

足下 猶お複た以て教うる可しと為す。

道德を貶損して,乃ち手筆以て之を問うに至る。

古昔を扳援して,辭義 高遠に,且つ進め且つ勸む。

足下の故舊に於けるの道を得たり。

§1-3

仆と雖も 亦た固より吾子に望む,敢えて他人に望まざる者のみ。

然れども尚お相い曉【さと】らざるに似たる者有り,故【ことさら】に餘を發せんと欲するに非らざるか?

然らずんば,何ぞ子の丈夫を以て我に期せざるや?

默默たる能わず,聊か複た自ら明かにするなり。

 

洛陽 函谷関002 

『答崔立之書』 現代語訳と訳註解説

(本文)

答崔立之書 §1-1

斯立足下:仆見險不能止,動不得時,

顛頓狼狽,失其所操持,困不知變,

以至辱於再三。

君子小人之所憫笑,天下之所背而馳者也。

 

(下し文)

§1-1

斯立足下、仆 險を見て止む能わず,動いて時を得ず。

顛頓狼狽して,其の操持する所を失い,困んで變じること知らず。

以て再三に辱めらるるに至る。

君子小人の憫笑する所,天下の背いて馳する所の者なり。

 

(現代語訳)

(韓愈が三度吏部の試験に及第せず、立之が書を与えて激励した。それに対する.返書である。試験に合格しなくとも、男子の本質には変化はないことを述べて、不屈の精神を表示した文章である。)

斯立足下、僕にとって仕進の道というものが険阻であるのを見ても止めることができずに、吏部の試験を受けたけれども、動くに適当な時でなかった。

それで、つまずき倒れ、あわてふためいて、平静を守る精神を失っていて、その平素心を取りもどすこともできず、困しんで道を変更することも知らず、

二度、三度と辱めを受けるに至った。

それは君子も小人も憐れむ顏をしながら笑ったりする所であり、天下中の人が、僕に背を向けて馳け去り、軽侮する所のものである。

 

汜水関などの地図 

(訳注)§1-1

答崔立之書

(韓愈が三度吏部の試験に及第せず、立之が書を与えて激励した。それに対する.返書である。試験に合格しなくとも、男子の本質には変化はないことを述べて、不屈の精神を表示した文章である。)

崔立之、名は斯立、立之はその字である。博陵の人で元和元年には大理評事、すなわち裁判所の下級判事であった。韓愈の詩にはこの人に贈るものが頗る多い。ずいぶん親しい調子で、からかったりもしているから、弟子のひとりだったのであろう。

「答崔立之書」

「贈崔立之評事」

「崔立之評事に贈る」詩に「崔侯文章苦捷敏,高浪駕天輸不盡。崖侯の文章は苦だ捷敏」とうたい 「才豪氣猛易語言,往往蛟螭雜螻蚓。」(才豪に気猛に語言を易しとし、往々にして較蛸に蝮矧を雑ふ)といっているところからすれば、才気にまかせて書きなぐり、できた詩文は玉石混淆だったのであろう。同じ詩に「頻蒙怨句刺棄遺,豈有閑官敢推引。」(頻に怨句を蒙って棄遺すと刺らる。豈 問官にして敢て推引するあらむ)というのは、崔が現職にあきたらず、有利な職へ転ずるよう推薦してほしいと、しつこくたのみ、話がてきぱきと進まないと「お忘れになったのですか」と嫌味をいうこともあったのであろう。これに対し大学の下級教官では人を推薦できる柄ではない、といっているのである。

贈崔立之 韓退之(韓愈)詩<65-#1>Ⅱ中唐詩428 紀頌之の漢詩ブログ1363

贈崔立之 韓退之(韓愈)詩<65-#2>Ⅱ中唐詩429 紀頌之の漢詩ブログ1366 

この詩は『荘子』の著者荘周についての逸話と『荘子内篇第六 大宗師篇』の子輿と子桑についての問答の話に基づいて作られている。

 子輿(しよ)と子桑(しそう)は友だちであった。あるとき,雨が十日も降り続いた。子輿は「多分,子桑は病気だろう」と言った。そこで彼は,食べ物を包んで,子桑に会いに出掛けた。

 戸口にやって来ると,弦楽器の音にまじって,歌っているとも泣いているともつかぬ声が聞こえてきた。その声は「父よ,母よ! これは神の仕業でしょうか,人のせいでしょうか」と。その声は途切れ途切れで,ことばはたどたどしかった。

 子輿は中に入って尋ねた,「どうしてそんな風に歌っているのかね。

 「こんなひどい状態に私を追い込んだのは,いったい誰なんだろうといろいろ考えていたんだ」と子桑は答えた,「父や母は私がみじめになることなど,とても望んではいまい。天はあまねくすべてのものを覆い,地はあまねくすべてのものを支える。天や地が私だけを差別してひどい貧乏に追い込んだのでもあるまい。私を突き落としたのは誰かと見つけようとしたんだが,うまくいかないんだ。結局のところ,運命が私をこのひどい状態に落とし込んだのにちがいないよ

 

斯立足下:仆見險不能止,動不得時,

斯立足下、仆 險を見て止む能わず,動いて時を得ず。

斯立足下、僕にとって仕進の道というものが険阻であるのを見ても止めることができずに、吏部の試験を受けたけれども、動くに適当な時でなかった。

 

顛頓狼狽,失其所操持,困不知變,

顛頓狼狽して,其の操持する所を失い,困んで變じること知らず。

それで、つまずき倒れ、あわてふためいて、平静を守る精神を失っていて、その平素心を取りもどすこともできず、困しんで道を変更することも知らず、

○顛頓 つまずきたおれる。失敗する

○狼狽 うろたえまごつく。狽は前脚が極めて短くて、歩くとき常に狼の腿に乗るようにしている。狽が狼を失うと動くことができない。故に事が失敗するのを狼狽という(『酉陽雑姐』) つまずくの義がある。

 

以至辱於再三。

以て再三に辱めらるるに至る。

二度、三度と辱めを受けるに至った。

 

君子小人之所憫笑,天下之所背而馳者也。

君子小人の憫笑する所,天下の背いて馳する所の者なり。

それは君子も小人も憐れむ顏をしながら笑ったりする所であり、天下中の人が、僕に背を向けて馳け去り、軽侮する所のものである。

憫笑 あわれみ笑う。相手を可哀相に思い見下す笑い方。

28-§4-2 《與衞中行書 -(8)》韓愈(韓退之)ID 799年貞元15年 32歳<1254> Ⅱ唐宋八大家文読本 巻三 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5254

韓愈《與衞中行書 -(8)》-§4-2足下は、私がまた、この汴州の禍乱をまぬがれたことを喜んでくれるのであれば、当然、心平穏に、安んじて家に居て、ゆっくりと来るべきではないのである。どうか速くお出掛されるよう頼みます。

 

 
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28-§4-2 《與衞中行書 -(8)》韓愈(韓退之)ID  799年貞元15年 32歳<1254> Ⅱ唐宋八大家文読本 巻三 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5254
韓愈詩-28-§4-2

 

 

《與衞中行書》-§1

(衞中行殿に、少し自分の論と異なるところをしたためた書をお渡しする。)

大受足下:辱書,為賜甚大,

大受足下、御手紙をかたじけなくし、それは非常に大きな賜物として感謝する。

然所稱道過盛,豈所謂誘之而欲其至於是歟?

しかし称え言われることはあまりにも立沢すぎる。それはなんと、いわゆる誘ってそこまで到達するように望んでおられるのだろうか。

不敢當,不敢當!

それにはとても当たらない。まったくあたらないのである。

#2

其中擇其一二近似者而竊取之,則於交友忠而不反於背麵者,少似近焉。

お手紙の中で、その一、二私に近く似つかわしいことを択んで、私だけの考えで取り上げれば、友に交わることが忠実で、陰で離反しないということでは、少しはそれに近いようである。

亦其心之所好耳,行之不倦,則未敢自謂能爾也。

それもまた私の心の好むところであるにすぎず、これを行って怠ることがないということは、まだとても自分ではそのようにできるとは思ってはいないのである。

不敢當,不敢當!

それにはとても当たらない。まったくあたらないのである。

至於汲汲於富貴以救世為事者,皆聖賢之事業,知其智能謀力能任者也。如愈者又焉能之?

とてもそれには当たらないのである。富や貴い身分を求めて忌まないこと、世を救うことを以て仕事とすることに至っては、皆聖人賢者の事業であって、その智恵は考え謀ることができ、力は堪え得ることを知っているのである。私のような者は、またどうしてこれができるであろうか。

 

《衞中行【えいちゅうこう】に與【あた】うる書》-§1

大受足下、書を辱【かたじけな】くす,賜【たまもの】為る甚だ大なり。

然れども稱道する所 過盛たり,豈に所謂【いわゆる】之を誘って 其の是に至らんことを欲するか?

敢えて當らず,敢えて當らず!

#2

其の中 其の一二近似なる者を擇んで 竊かに之を取らば,則ち友に交わるには忠にして 背麵に反かざる者に於いて,少しく近きに似たり。

亦た 其の心の好む所のみ。,行之不倦,則未敢自謂能爾也。

敢えて當らず,敢えて當らず!

富貴に汲汲として 世を救うを以って事を為す者に至っては,皆 聖賢の事業,其の智 能く謀り 力 能く任ずるを知る者なり。愈の如き者 又た焉んぞ之を能くせん?

 

 

《與衞中行書》-§2-1

(衞中行殿に、少し自分の論と異なるところをしたためた書をお渡しする。)-§2-1

始相識時,方甚貧,衣食於人;

はじめて衞中行殿(足下)と相い識った時、僕は甚だ貧しくて、人に頼って衣食していた。

其後相見於汴、徐二州,

その後、汴州と徐州の二州で会った。

仆皆為之從事,日月有所入,

僕は、いずれも従事の職となっていた。日々月々に収入があるようになった。

比之前時,豐約百倍。

これを前の時に比べれば、豊かさとつつましさとが百倍もちがっているのだ。

《與衞中行書》-§2-2

足下視吾飲食衣服,亦有異乎?

しかし貴殿(足下)が私の飲食衣服を視ても、また前と異なることがあるだろうか。

然則仆之心,或不為此汲汲也,

それならは、僕の心は、或いは富貴のために汲汲としていないのである。

其所不忘於仕進者,亦將小行乎其誌耳。

私の仕進のことを忘れないのも、またこれから少し自分の志を行おうと思っているからにすぎない。

此未易遽言也。

しかしこれはまだ今、そんなに急には言い易くないことである。

 

-§2-1

始めて相い識し時,方に甚だ貧にして,於人に衣食す。

其の後 於汴、徐の二州に相見,仆【ぼく】皆 之が從事為り。

日に月に入る所有りて,之を前時に比すれば,豐約 百倍す。

-2

足下 吾が飲食 衣服を視るも,亦た異なること有らんや?

然らば則ち仆の心,或は此れが為に汲汲たらざるなり。

其の仕進を忘れざる所の者も,亦た將に小しく其の誌を行わんとするのみ。

此れ未だ遽【にわか】に言い易からざるなり。

 

《與衞中行書》 -§3-1

凡禍福吉凶之來,似不在我。

およそ禍福吉凶の来るのは、論語に言うように自分のせいではないようである。

惟君子得禍為不幸,而小人得禍為恒;

ただ君子だけはわざわいを得るのを不幸と考える。善をなせば福を得るはずであるのに、禍を得るのは不幸と考えてよいわけである。そして小徳の人は、禍を得るのが常である。小人は悪をなすから禍を得るのが常である。

君子得福為恒,而小人得福為幸:

君子は福を得るのが常となし、小人は福を得るのを幸いと考える。福を得られぬはずなのに幸いにも福を得たことになる。

以其所為似有以取之也。

彼らの為すことが、それを以て結果を取るのにふさわしいからなのである。

必曰「君子則吉,小人則凶」者,不可也。

必ず「君子であれば吉で、小人であれは凶である」というのは、よくないのである。

《衞中行【えいちゅうこう】に與【あた】うる書》-§3-1

凡そ禍福 吉凶の來る,我に在らざるに似たり。

惟だ君子は禍を得るを不幸と為す,而て小人は禍を得るを恒と為す。

君子は福を得るを恒と為して,而て小人は福を得るを幸と為す。

其の為す所以て 之を取る有るに似たりを以てなり。

必ず曰く「君子は則ち吉,小人ならば則ち凶」なる者は,不可なり。

§3-2

賢不肖存乎己,貴與賤、禍與福存乎天,名聲之善惡存乎人。

賢不宵など、徳の勝れたことと劣っていることは自分自身の努力にあり、貴と賤と、禍と福とは、天がさだめることにあり、名声の善い悪いは他人がいうことである。

存乎己者,吾將勉之;

自身のなすべきことがあるのであり、すなわち賢不宵などについては、自分はこれから勉め励もうと思うことをなさねばならないということなのだ。

存乎天、存乎人者,吾將任彼而不用吾力焉,

人の努力をして、それ以上の天運によるものというものがあり、それは、貴賤、禍福というものであり、他人による名声の善し悪しについては、自分こころがけているのは自分でできないことは彼に任せること、即ち天に運を任せ、人の口、名声というものは他人に任せて、自分の力を用いてはいけないと思っている。

其所守者,豈不約而易行哉!

そう言う考え方で、その心を維持実践することの方が、なんと要領があって行い易いというものではないか。

 

§3-2

賢不肖は己に存り,貴と賤と、禍と福とは天に存し,名聲の善惡は人に存する。

己に存する者は,吾れ 將に之に勉めんとするなり。

天に存し、人に存する者は,吾れ 將に彼に任せて吾が力を用いざらんとするなり。

其の守る所の者は,豈に約にして行い易からずや!

 

-§4-1

足下曰:「命之窮通,自我為之」,吾恐未合於道。

足下はいう、「運命の行きづまるか、通ずるかは、自分からこれを招くものである」と。私は、それは道理に合わないだろうことを恐れる。

足下征前世而言之,則知矣;

足下は前世古代の事を証拠としていうならは理解できるであろう。

若曰以道德為己任,窮通之來,不接吾心,則可也。

若したい道徳を以て自己の責任として窮するか通ずるかの運命が来ることは、自分の心にかかわらないというならはよいのである。

-2

窮居荒涼,草樹茂密,出無驢馬,

貧乏住まいは荒れはててさびしく、草木は茂って密である。外出するに馬は勿論、驢馬もない。

因與人絕,一室之內,有以自娛。

それによって人とは交わりが絶え、一室の内で私はひとりわが道を守って自分で楽しみ、慰めているのである。

足下喜吾複脫禍亂,不當安安而居、遲遲而來也。

足下は、私がまた、この汴州の禍乱をまぬがれたことを喜んでくれるのであれば、当然、心平穏に、安んじて家に居て、ゆっくりと来るべきではないのである。どうか速くお出掛されるよう頼みます。

-§4-1

足下曰く:「命の窮通,我れ自り之を為す」と,吾れ恐らくは未だ道に合わざらんことを。

足下 前世に征して之を言わば,則ち知らん。

若し道德を以って己が任と為し,窮通の來る,吾が心に接せずと曰わば,則ち可なり。

-2

窮居 荒涼にして,草樹 茂密に,出づるに驢馬無く,

因って人と絕え,一室の內,以って自ら娛しむこと有り。

足下 吾が複た脫禍亂をるるを喜わば,當に安安として居り、遲遲として來るべからざるなり。

 

洛陽 函谷関002 

《與衞中行書》 現代語訳と訳註解説

(本文) -§4-2

-2

窮居荒涼,草樹茂密,出無驢馬,

因與人絕,一室之內,有以自娛。

足下喜吾複脫禍亂,不當安安而居、遲遲而來也。

 

(下し文)

-2

窮居 荒涼にして,草樹 茂密に,出づるに驢馬無く,

因って人と絕え,一室の內,以って自ら娛しむこと有り。

足下 吾が複た脫禍亂をるるを喜わば,當に安安として居り、遲遲として來るべからざるなり。

 

(現代語訳)

貧乏住まいは荒れはててさびしく、草木は茂って密である。外出するに馬は勿論、驢馬もない。

それによって人とは交わりが絶え、一室の内で私はひとりわが道を守って自分で楽しみ、慰めているのである。

足下は、私がまた、この汴州の禍乱をまぬがれたことを喜んでくれるのであれば、当然、心平穏に、安んじて家に居て、ゆっくりと来るべきではないのである。どうか速くお出掛されるよう頼みます。

汜水関などの地図 

 

(訳注) -2

《與衞中行書》-§4-2

(衞中行殿に、少し自分の論と異なるところをしたためた書をお渡しする。)

衛中行、字は大愛、御史中丞畳の子で、貞元九年の進士、初め韓愈が汴州で董晋に従い、徐州で張建封に従ったが、二人の死後は、その軍隊か反乱をおこした。愈は難をまぬがれたので、衞中行がこれを喜んで、書を送って賀した。愈は後に、洛院に寓していた時に、この手紙を作って与えた。

衛中行の書に、命の窮通は自分から招いたものというのが、韓愈の考えと合わないので弁じた。

衛中行

【生卒】:?—829

唐、河東の安邑の人,字を大受という。793年、德宗、貞元九年の進士。802年、十八年,東都の留守の韋夏卿の幕府に入る。806年、憲宗元和元年,浙東幕府に在る,同僚と石傘峰に賦詩に游ぶ。元和中に禮部員外郎に歷任し、兵部郎中、中書舍人となる。元和の末 華州刺史より陜虢觀察使に改む。敬宗寶歷二年に,自ら國子祭酒に出て 福建觀察使と為し。次年,貪贓の事 發すに因って,播州に流さる。

 

窮居荒涼,草樹茂密,出無驢馬,

窮居 荒涼にして,草樹 茂密に,出づるに驢馬無く,

貧乏住まいは荒れはててさびしく、草木は茂って密である。外出するに馬は勿論、驢馬もない。

荒涼 1.風景などが荒れ果てて、もの寂しいこと。または、そのさま。 2.精神がすさんでいること。または、そのさま。

 

因與人絕,一室之內,有以自娛。

因って人と絕え,一室の內,以って自ら娛しむこと有り。

それによって人とは交わりが絶え、一室の内で私はひとりわが道を守って自分で楽しみ、慰めているのである。

 

足下喜吾複脫禍亂,不當安安而居、遲遲而來也。

足下 吾が複た脫禍亂をるるを喜わば,當に安安として居り、遲遲として來るべからざるなり。

足下は、私がまた、この汴州の禍乱をまぬがれたことを喜んでくれるのであれば、当然、心平穏に、安んじて家に居て、ゆっくりと来るべきではないのである。どうか速くお出掛されるよう頼みます。

28-§4-1 《與衞中行書 -(7)》韓愈(韓退之)ID 799年貞元15年 32歳<1253> Ⅱ唐宋八大家文読本 巻三 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5249

韓愈§4-1 《與衞中行書 -(7)》足下はいう、「運命の行きづまるか、通ずるかは、自分からこれを招くものである」と。私は、それは道理に合わないだろうことを恐れる。

 

 
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28-§4-1 《與衞中行書 -(7)》韓愈(韓退之)ID 799年貞元15年 32歳<1253> Ⅱ唐宋八大家文読本 巻三 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5249 
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28-§4-1 《與衞中行書 -(7)》韓愈(韓退之)ID  799年貞元15年 32歳<1253> Ⅱ唐宋八大家文読本 巻三 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5249

韓愈詩-28-§4-1

 

 

 

《與衞中行書》-§1

(衞中行殿に、少し自分の論と異なるところをしたためた書をお渡しする。)

大受足下:辱書,為賜甚大,

大受足下、御手紙をかたじけなくし、それは非常に大きな賜物として感謝する。

然所稱道過盛,豈所謂誘之而欲其至於是歟?

しかし称え言われることはあまりにも立沢すぎる。それはなんと、いわゆる誘ってそこまで到達するように望んでおられるのだろうか。

不敢當,不敢當!

それにはとても当たらない。まったくあたらないのである。

#2

其中擇其一二近似者而竊取之,則於交友忠而不反於背麵者,少似近焉。

お手紙の中で、その一、二私に近く似つかわしいことを択んで、私だけの考えで取り上げれば、友に交わることが忠実で、陰で離反しないということでは、少しはそれに近いようである。

亦其心之所好耳,行之不倦,則未敢自謂能爾也。

それもまた私の心の好むところであるにすぎず、これを行って怠ることがないということは、まだとても自分ではそのようにできるとは思ってはいないのである。

不敢當,不敢當!

それにはとても当たらない。まったくあたらないのである。

至於汲汲於富貴以救世為事者,皆聖賢之事業,知其智能謀力能任者也。如愈者又焉能之?

とてもそれには当たらないのである。富や貴い身分を求めて忌まないこと、世を救うことを以て仕事とすることに至っては、皆聖人賢者の事業であって、その智恵は考え謀ることができ、力は堪え得ることを知っているのである。私のような者は、またどうしてこれができるであろうか。

 

《衞中行【えいちゅうこう】に與【あた】うる書》-§1

大受足下、書を辱【かたじけな】くす,賜【たまもの】為る甚だ大なり。

然れども稱道する所 過盛たり,豈に所謂【いわゆる】之を誘って 其の是に至らんことを欲するか?

敢えて當らず,敢えて當らず!

#2

其の中 其の一二近似なる者を擇んで 竊かに之を取らば,則ち友に交わるには忠にして 背麵に反かざる者に於いて,少しく近きに似たり。

亦た 其の心の好む所のみ。,行之不倦,則未敢自謂能爾也。

敢えて當らず,敢えて當らず!

富貴に汲汲として 世を救うを以って事を為す者に至っては,皆 聖賢の事業,其の智 能く謀り 力 能く任ずるを知る者なり。愈の如き者 又た焉んぞ之を能くせん?

 

 

《與衞中行書》-§2-1

(衞中行殿に、少し自分の論と異なるところをしたためた書をお渡しする。)-§2-1

始相識時,方甚貧,衣食於人;

はじめて衞中行殿(足下)と相い識った時、僕は甚だ貧しくて、人に頼って衣食していた。

其後相見於汴、徐二州,

その後、汴州と徐州の二州で会った。

仆皆為之從事,日月有所入,

僕は、いずれも従事の職となっていた。日々月々に収入があるようになった。

比之前時,豐約百倍。

これを前の時に比べれば、豊かさとつつましさとが百倍もちがっているのだ。

《與衞中行書》-§2-2

足下視吾飲食衣服,亦有異乎?

しかし貴殿(足下)が私の飲食衣服を視ても、また前と異なることがあるだろうか。

然則仆之心,或不為此汲汲也,

それならは、僕の心は、或いは富貴のために汲汲としていないのである。

其所不忘於仕進者,亦將小行乎其誌耳。

私の仕進のことを忘れないのも、またこれから少し自分の志を行おうと思っているからにすぎない。

此未易遽言也。

しかしこれはまだ今、そんなに急には言い易くないことである。

 

-§2-1

始めて相い識し時,方に甚だ貧にして,於人に衣食す。

其の後 於汴、徐の二州に相見,仆【ぼく】皆 之が從事為り。

日に月に入る所有りて,之を前時に比すれば,豐約 百倍す。

-2

足下 吾が飲食 衣服を視るも,亦た異なること有らんや?

然らば則ち仆の心,或は此れが為に汲汲たらざるなり。

其の仕進を忘れざる所の者も,亦た將に小しく其の誌を行わんとするのみ。

此れ未だ遽【にわか】に言い易からざるなり。

 

《與衞中行書》 -§3-1

凡禍福吉凶之來,似不在我。

およそ禍福吉凶の来るのは、論語に言うように自分のせいではないようである。

惟君子得禍為不幸,而小人得禍為恒;

ただ君子だけはわざわいを得るのを不幸と考える。善をなせば福を得るはずであるのに、禍を得るのは不幸と考えてよいわけである。そして小徳の人は、禍を得るのが常である。小人は悪をなすから禍を得るのが常である。

君子得福為恒,而小人得福為幸:

君子は福を得るのが常となし、小人は福を得るのを幸いと考える。福を得られぬはずなのに幸いにも福を得たことになる。

以其所為似有以取之也。

彼らの為すことが、それを以て結果を取るのにふさわしいからなのである。

必曰「君子則吉,小人則凶」者,不可也。

必ず「君子であれば吉で、小人であれは凶である」というのは、よくないのである。

《衞中行【えいちゅうこう】に與【あた】うる書》-§3-1

凡そ禍福 吉凶の來る,我に在らざるに似たり。

惟だ君子は禍を得るを不幸と為す,而て小人は禍を得るを恒と為す。

君子は福を得るを恒と為して,而て小人は福を得るを幸と為す。

其の為す所以て 之を取る有るに似たりを以てなり。

必ず曰く「君子は則ち吉,小人ならば則ち凶」なる者は,不可なり。

§3-2

賢不肖存乎己,貴與賤、禍與福存乎天,名聲之善惡存乎人。

賢不宵など、徳の勝れたことと劣っていることは自分自身の努力にあり、貴と賤と、禍と福とは、天がさだめることにあり、名声の善い悪いは他人がいうことである。

存乎己者,吾將勉之;

自身のなすべきことがあるのであり、すなわち賢不宵などについては、自分はこれから勉め励もうと思うことをなさねばならないということなのだ。

存乎天、存乎人者,吾將任彼而不用吾力焉,

人の努力をして、それ以上の天運によるものというものがあり、それは、貴賤、禍福というものであり、他人による名声の善し悪しについては、自分こころがけているのは自分でできないことは彼に任せること、即ち天に運を任せ、人の口、名声というものは他人に任せて、自分の力を用いてはいけないと思っている。

其所守者,豈不約而易行哉!

そう言う考え方で、その心を維持実践することの方が、なんと要領があって行い易いというものではないか。

 

§3-2

賢不肖は己に存り,貴と賤と、禍と福とは天に存し,名聲の善惡は人に存する。

己に存する者は,吾れ 將に之に勉めんとするなり。

天に存し、人に存する者は,吾れ 將に彼に任せて吾が力を用いざらんとするなり。

其の守る所の者は,豈に約にして行い易からずや!

 

-§4-1

足下曰:「命之窮通,自我為之」,吾恐未合於道。

足下はいう、「運命の行きづまるか、通ずるかは、自分からこれを招くものである」と。私は、それは道理に合わないだろうことを恐れる。

足下征前世而言之,則知矣;

足下は前世古代の事を証拠としていうならは理解できるであろう。

若曰以道德為己任,窮通之來,不接吾心,則可也。

若したい道徳を以て自己の責任として窮するか通ずるかの運命が来ることは、自分の心にかかわらないというならはよいのである。

-2

窮居荒涼,草樹茂密,出無驢馬,

因與人絕,一室之內,有以自娛。

足下喜吾複脫禍亂,不當安安而居、遲遲而來也。

-§4-1

足下曰く:「命の窮通,我れ自り之を為す」と,吾れ恐らくは未だ道に合わざらんことを。

足下 前世に征して之を言わば,則ち知らん。

若し道德を以って己が任と為し,窮通の來る,吾が心に接せずと曰わば,則ち可なり。

-2

窮居 荒涼にして,草樹 茂密に,出づるに驢馬無く,

因って人と絕え,一室の內,以って自ら娛しむこと有り。

足下 吾が複た脫禍亂をるるを喜わば,當に安安として居り、遲遲として來るべからざるなり。

 

 

《與衞中行書》 現代語訳と訳註解説

(本文) -§4-1

足下曰:「命之窮通,自我為之」,吾恐未合於道。

足下征前世而言之,則知矣;

若曰以道德為己任,窮通之來,不接吾心,則可也。

 

(下し文)-§4-1

足下曰:「命之窮通,自我為之」,吾恐未合於道。

足下征前世而言之,則知矣;

若曰以道德為己任,窮通之來,不接吾心,則可也。

 

(現代語訳)

足下はいう、「運命の行きづまるか、通ずるかは、自分からこれを招くものである」と。私は、それは道理に合わないだろうことを恐れる。

足下は前世古代の事を証拠としていうならは理解できるであろう。

若したい道徳を以て自己の責任として窮するか通ずるかの運命が来ることは、自分の心にかかわらないというならはよいのである。

 

 

(訳注)§4-1

《與衞中行書》

論語《顔淵篇》「子夏曰、商聞之矣、死生有命、富貴在天」(子夏曰く、商之を聞く、死生命有り、富貴天に在り。

 

足下曰:「命之窮通,自我為之」,吾恐未合於道。

足下曰く:「命の窮通,我れ自り之を為す」と,吾れ恐らくは未だ道に合わざらんことを。

足下はいう、「運命の行きづまるか通ずるかは、自分からこれを招くものである」と。私はそれは道理に合わないだろうことを恐れる。

 

足下征前世而言之,則知矣。

足下 前世に征して之を言わば,則ち知らん。

足下は前世古代の事を証拠としていうならは理解できるであろう。

 

若曰以道德為己任,窮通之來,不接吾心,則可也。

若し道德を以って己が任と為し,窮通の來る,吾が心に接せずと曰わば,則ち可なり。

若したい道徳を以て自己の責任として窮するか通ずるかの運命が来ることは、自分の心にかかわらないというならはよいのである。

28-§3-2 《與衞中行書 -(6)》韓愈(韓退之)ID 799年貞元15年 32歳<1252> Ⅱ唐宋八大家文読本 巻三 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5244

韓愈《與衞中行書 -(6)》§3-2自身のなすべきことがあるのであり、すなわち賢不宵などについては、自分はこれから勉め励もうと思うことをなさねばならないということなのだ。

 
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《與衞中行書》-§1

大受足下:辱書,為賜甚大,

然所稱道過盛,豈所謂誘之而欲其至於是歟?

不敢當,不敢當!

#2

其中擇其一二近似者而竊取之,則於交友忠而不反於背麵者,少似近焉。

亦其心之所好耳,行之不倦,則未敢自謂能爾也。

不敢當,不敢當!

至於汲汲於富貴以救世為事者,皆聖賢之事業,知其智能謀力能任者也。如愈者又焉能之?

-§2

始相識時,方甚貧,衣食於人;

其後相見於汴、徐二州,仆皆為之從事,日月有所入,比之前時,豐約百倍,足下視吾飲食衣服,亦有異乎?

然則仆之心,或不為此汲汲也,其所不忘於仕進者,亦將小行乎其誌耳。

此未易遽言也。

-§3

凡禍福吉凶之來,似不在我。惟君子得禍為不幸,而小人得禍為恒;君子得福為恒,而小人得福為幸:以其所為似有以取之也。

必曰「君子則吉,小人則凶」者,不可也。

賢不肖存乎己,貴與賤、禍與福存乎天,名聲之善惡存乎人。

存乎己者,吾將勉之;存乎天、存乎人者,吾將任彼而不用吾力焉,其所守者,豈不約而易行哉!

-§4

足下曰:「命之窮通,自我為之」,吾恐未合於道。

足下征前世而言之,則知矣;若曰以道德為己任,窮通之來,不接吾心,則可也。

窮居荒涼,草樹茂密,出無驢馬,因與人絕,一室之內,有以自娛。足下喜吾複脫禍亂,不當安安而居、遲遲而來也。

 

 

 

 

 

《與衞中行書》 -§3-1

凡禍福吉凶之來,似不在我。

およそ禍福吉凶の来るのは、論語に言うように自分のせいではないようである。

惟君子得禍為不幸,而小人得禍為恒;

ただ君子だけはわざわいを得るのを不幸と考える。善をなせば福を得るはずであるのに、禍を得るのは不幸と考えてよいわけである。そして小徳の人は、禍を得るのが常である。小人は悪をなすから禍を得るのが常である。

君子得福為恒,而小人得福為幸:

君子は福を得るのが常となし、小人は福を得るのを幸いと考える。福を得られぬはずなのに幸いにも福を得たことになる。

以其所為似有以取之也。

彼らの為すことが、それを以て結果を取るのにふさわしいからなのである。

必曰「君子則吉,小人則凶」者,不可也。

必ず「君子であれば吉で、小人であれは凶である」というのは、よくないのである。

《衞中行【えいちゅうこう】に與【あた】うる書》-§3-1

凡そ禍福 吉凶の來る,我に在らざるに似たり。

惟だ君子は禍を得るを不幸と為す,而て小人は禍を得るを恒と為す。

君子は福を得るを恒と為して,而て小人は福を得るを幸と為す。

其の為す所以て 之を取る有るに似たりを以てなり。

必ず曰く「君子は則ち吉,小人ならば則ち凶」なる者は,不可なり。

§3-2

賢不肖存乎己,貴與賤、禍與福存乎天,名聲之善惡存乎人。

賢不宵など、徳の勝れたことと劣っていることは自分自身の努力にあり、貴と賤と、禍と福とは、天がさだめることにあり、名声の善い悪いは他人がいうことである。

存乎己者,吾將勉之;

自身のなすべきことがあるのであり、すなわち賢不宵などについては、自分はこれから勉め励もうと思うことをなさねばならないということなのだ。

存乎天、存乎人者,吾將任彼而不用吾力焉,

人の努力をして、それ以上の天運によるものというものがあり、それは、貴賤、禍福というものであり、他人による名声の善し悪しについては、自分こころがけているのは自分でできないことは彼に任せること、即ち天に運を任せ、人の口、名声というものは他人に任せて、自分の力を用いてはいけないと思っている。

其所守者,豈不約而易行哉!

そう言う考え方で、その心を維持実践することの方が、なんと要領があって行い易いというものではないか。

 

§3-2

賢不肖は己に存り,貴と賤と、禍と福とは天に存し,名聲の善惡は人に存する。

己に存する者は,吾れ 將に之に勉めんとするなり。

天に存し、人に存する者は,吾れ 將に彼に任せて吾が力を用いざらんとするなり。

其の守る所の者は,豈に約にして行い易からずや!

 

太白山001 

《與衞中行書》 現代語訳と訳註解説

(本文) -§3

§3-2

賢不肖存乎己,貴與賤、

禍與福存乎天,名聲之善惡存乎人。

存乎己者,吾將勉之;

存乎天、存乎人者,吾將任彼而不用吾力焉,

其所守者,豈不約而易行哉!

 

(下し文)

賢不肖は己に存り,貴と賤と、禍と福とは天に存し,名聲の善惡は人に存する。

己に存する者は,吾れ 將に之に勉めんとするなり。

天に存し、人に存する者は,吾れ 將に彼に任せて吾が力を用いざらんとするなり。

其の守る所の者は,豈に約にして行い易からずや!

 

(現代語訳)

賢不宵など、徳の勝れたことと劣っていることは自分自身の努力にあり、貴と賤と、禍と福とは、天がさだめることにあり、名声の善い悪いは他人がいうことである。

自身のなすべきことがあるのであり、すなわち賢不宵などについては、自分はこれから勉め励もうと思うことをなさねばならないということなのだ。

人の努力をして、それ以上の天運によるものというものがあり、それは、貴賤、禍福というものであり、他人による名声の善し悪しについては、自分こころがけているのは自分でできないことは彼に任せること、即ち天に運を任せ、人の口、名声というものは他人に任せて、自分の力を用いてはいけないと思っている。

そう言う考え方で、その心を維持実践することの方が、なんと要領があって行い易いというものではないか。

辟雍00 

(訳注) 《與衞中行書》 -§3-2

論語《顔淵篇》「子夏曰、商聞之矣、死生有命、富貴在天」(子夏曰く、商之を聞く、死生命有り、富貴天に在り。

 

賢不肖存乎己,貴與賤、禍與福存乎天,名聲之善惡存乎人。

賢不肖は己に存り,貴と賤と、禍と福とは天に存し,名聲の善惡は人に存する。

賢不宵など、徳の勝れたことと劣っていることは自分自身の努力にあり、貴と賤と、禍と福とは、天がさだめることにあり、名声の善い悪いは他人がいうことである。

 

存乎己者,吾將勉之;

己に存する者は,吾れ 將に之に勉めんとするなり。

自身のなすべきことがあるのであり、すなわち賢不宵などについては、自分はこれから勉め励もうと思うことをなさねばならないということなのだ。

 

存乎天、存乎人者,吾將任彼而不用吾力焉,

天に存し、人に存する者は,吾れ 將に彼に任せて吾が力を用いざらんとするなり。

人の努力をして、それ以上の天運によるものというものがあり、それは、貴賤、禍福というものであり、他人による名声の善し悪しについては、自分こころがけているのは自分でできないことは彼に任せること、即ち天に運を任せ、人の口、名声というものは他人に任せて、自分の力を用いてはいけないと思っている。

 

其所守者,豈不約而易行哉!

其の守る所の者は,豈に約にして行い易からずや!

そう言う考え方で、その心を維持実践することの方が、なんと要領があって行い易いというものではないか。

約而易行 要約されていて行い易い。約は要領を得ている。
文具-峡 

28-§3-1 《與衞中行書 -(5)》韓愈(韓退之)ID 799年貞元15年 32歳<1251> Ⅱ唐宋八大家文読本 巻三 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5239

§3-1 《與衞中行書 -(5)》韓愈 君子だけはわざわいを得るのを不幸と考える。善をなせば福を得るはずであるのに、禍を得るのは不幸と考えてよいわけである。そして小徳の人は、禍を得るのが常である。小人は悪をなすから禍を得るのが常である。

 

 
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28-§3-1 《與衞中行書 -(5)》韓愈(韓退之)ID 799年貞元15年 32歳<1251> Ⅱ唐宋八大家文読本 巻三 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5239 
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 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
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 Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoor『花間集』全詩訳注解説(再)-1溫庭筠9《菩薩蠻十四首 其九》溫庭筠66首巻一9-〈9〉漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-5242 
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韓愈詩
-28-§3-1

 

《與衞中行書》-§1

大受足下:辱書,為賜甚大,

然所稱道過盛,豈所謂誘之而欲其至於是歟?

不敢當,不敢當!

#2

其中擇其一二近似者而竊取之,則於交友忠而不反於背麵者,少似近焉。

亦其心之所好耳,行之不倦,則未敢自謂能爾也。

不敢當,不敢當!

至於汲汲於富貴以救世為事者,皆聖賢之事業,知其智能謀力能任者也。如愈者又焉能之?

-§2

始相識時,方甚貧,衣食於人;

其後相見於汴、徐二州,仆皆為之從事,日月有所入,比之前時,豐約百倍,足下視吾飲食衣服,亦有異乎?

然則仆之心,或不為此汲汲也,其所不忘於仕進者,亦將小行乎其誌耳。

此未易遽言也。

-§3

凡禍福吉凶之來,似不在我。惟君子得禍為不幸,而小人得禍為恒;君子得福為恒,而小人得福為幸:以其所為似有以取之也。

必曰「君子則吉,小人則凶」者,不可也。

賢不肖存乎己,貴與賤、禍與福存乎天,名聲之善惡存乎人。

存乎己者,吾將勉之;存乎天、存乎人者,吾將任彼而不用吾力焉,其所守者,豈不約而易行哉!

-§4

足下曰:「命之窮通,自我為之」,吾恐未合於道。

足下征前世而言之,則知矣;若曰以道德為己任,窮通之來,不接吾心,則可也。

窮居荒涼,草樹茂密,出無驢馬,因與人絕,一室之內,有以自娛。足下喜吾複脫禍亂,不當安安而居、遲遲而來也。

 

 

 

 

 

《與衞中行書》 -§3-1

凡禍福吉凶之來,似不在我。

およそ禍福吉凶の来るのは、論語に言うように自分のせいではないようである。

惟君子得禍為不幸,而小人得禍為恒;

ただ君子だけはわざわいを得るのを不幸と考える。善をなせば福を得るはずであるのに、禍を得るのは不幸と考えてよいわけである。そして小徳の人は、禍を得るのが常である。小人は悪をなすから禍を得るのが常である。

君子得福為恒,而小人得福為幸:

君子は福を得るのが常となし、小人は福を得るのを幸いと考える。福を得られぬはずなのに幸いにも福を得たことになる。

以其所為似有以取之也。

彼らの為すことが、それを以て結果を取るのにふさわしいからなのである。

必曰「君子則吉,小人則凶」者,不可也。

必ず「君子であれば吉で、小人であれは凶である」というのは、よくないのである。

《衞中行【えいちゅうこう】に與【あた】うる書》-§3-1

凡そ禍福 吉凶の來る,我に在らざるに似たり。

惟だ君子は禍を得るを不幸と為す,而て小人は禍を得るを恒と為す。

君子は福を得るを恒と為して,而て小人は福を得るを幸と為す。

其の為す所以て 之を取る有るに似たりを以てなり。

必ず曰く「君子は則ち吉,小人ならば則ち凶」なる者は,不可なり。

§3-2

賢不肖存乎己,貴與賤、

禍與福存乎天,名聲之善惡存乎人。

存乎己者,吾將勉之;

存乎天、存乎人者,吾將任彼而不用吾力焉,

其所守者,豈不約而易行哉!

 

§3-2

賢不肖存乎己,貴與賤、

禍與福存乎天,名聲之善惡存乎人。

存乎己者,吾將勉之;

存乎天、存乎人者,吾將任彼而不用吾力焉,

其所守者,豈不約而易行哉!

 

洛陽 函谷関002 

《與衞中行書》 現代語訳と訳註解説

(本文) -§3

凡禍福吉凶之來,似不在我。

惟君子得禍為不幸,而小人得禍為恒;

君子得福為恒,而小人得福為幸:

以其所為似有以取之也。

必曰「君子則吉,小人則凶」者,不可也。

 

(下し文)

 

 

(現代語訳)

およそ禍福吉凶の来るのは、論語に言うように自分のせいではないようである。

ただ君子だけはわざわいを得るのを不幸と考える。善をなせば福を得るはずであるのに、禍を得るのは不幸と考えてよいわけである。そして小徳の人は、禍を得るのが常である。小人は悪をなすから禍を得るのが常である。

君子は福を得るのが常となし、小人は福を得るのを幸いと考える。福を得られぬはずなのに幸いにも福を得たことになる。

彼らの為すことが、それを以て結果を取るのにふさわしいからなのである。

必ず「君子であれば吉で、小人であれは凶である」というのは、よくないのである。

函谷関002 

(訳注)

(衞中行殿に、少し自分の論と異なるところをしたためた書をお渡しする。)

衛中行、字は大愛、御史中丞畳の子で、貞元九年の進士、初め韓愈が汴州で董晋に従い、徐州で張建封に従ったが、二人の死後は、その軍隊か反乱をおこした。愈は難をまぬがれたので、街中行がこれを喜んで、書を送って賀した。愈は後に、洛院に寓していた時に、この手紙を作って与えた。

衛中行の書に、命の窮通は自分から招いたものというのが、韓愈の考えと合わないので弁じた。

衛中行

【生卒】:?—829

唐、河東の安邑の人,字を大受という。793年、德宗、貞元九年の進士。802年、十八年,東都の留守の韋夏卿の幕府に入る。806年、憲宗元和元年,浙東幕府に在る,同僚と石傘峰に賦詩に游ぶ。元和中に禮部員外郎に歷任し、兵部郎中、中書舍人となる。元和の末 華州刺史より陜虢觀察使に改む。敬宗寶歷二年に,自ら國子祭酒に出て 福建觀察使と為し。次年,貪贓の事 發すに因って,播州に流さる。

 

凡禍福吉凶之來,似不在我。

およそ禍福吉凶の来るのは、論語に言うように自分のせいではないようである。

似不在我 自分の生ではない様であるということ。論語《顔淵篇》「子夏曰、商聞之矣、死生有命、富貴在天」(子夏曰く、商之を聞く、死生命有り、富貴天に在り。

 

惟君子得禍為不幸,而小人得禍為恒;

ただ君子だけはわざわいを得るのを不幸と考える。善をなせば福を得るはずであるのに、禍を得るのは不幸と考えてよいわけである。そして小徳の人は、禍を得るのが常である。小人は悪をなすから禍を得るのが常である。

 

君子得福為恒,而小人得福為幸:

君子は福を得るのが常となし、小人は福を得るのを幸いと考える。福を得られぬはずなのに幸いにも福を得たことになる。

 

以其所為似有以取之也。

彼らの為すことが、それを以て結果を取るのにふさわしいからなのである。

 

必曰「君子則吉,小人則凶」者,不可也。

必ず「君子であれば吉で、小人であれは凶である」というのは、よくないのである。

汜水関などの地図 

28-§2-2 《與衞中行書 -(4)》韓愈(韓退之)ID 799年貞元15年 32歳<1250> Ⅱ唐宋八大家文読本 巻三 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5234

§2-2 《與衞中行書 -(4)》韓愈 節度使の幕僚は公式に任命されたものであるが、任命は私的な人選によるので、身分の保証はなかった。節度使が死んだ場合(転任のときも同じことであるが)、後任の節度使は、前任者の幕僚を引き継ぐ義務はない。むしろ自分の人選によって新たに幕僚を任じ、幕府を構成しようとする。もとの幕僚は失業するわけだが、文句は言えないのであって、この点が科挙を経て正式に任命された役人と違うところである。

 
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韓愈詩-28-§2-2

 

董晋の寛仁に慣れていた宜武軍の将士が不安を抱いたのは、当然であろう。不安は動揺となり、陸長坂への怒りに変った。晋の遺体を捧じた葬列が汗州の城門を出てから四日の後、ついに将士の反乱が起る。長瀬は怒り狂った兵士たちの手にかかり、むざんな最期をとげた。

その知らせが葬送の一行にとどいたのは、彼らが洛陽の東の催師という町に一泊した夜であった。

このあたりの事実は、事態がいちおう鎮静してから、愈が弟子の張籍に贈った「此の日惜しむに足る可し」と題する五言古詩(韓文二)に詳しい。

27-#17 《此日足可惜贈張籍-17》韓愈(韓退之)ID <1246> Ⅱ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5214韓愈詩-27-#17

 

この時、愈は汴州に妻子を残していた。彼がいつ結婚したのかは明らかでないが、もう長女があった。長男の乗はこの年の生まれだが、詩中に言及するところがないのを見ると、まだ母親の胎内にあったと思われる。妻ももちろんのことだが、まだ乳離れもしていない長女が、戦乱の中でどうしていることか。「騎女 未だ乳を絶たず/これを念うて忘るる能はず、忽ち我が所に在るが如く耳に噂声を聞くが若し」というのが、この時の愈の思いであった。

しかし、そのうちに東から来た旅人があって、情報をもたらした。愈の妻子は無事である。ただ、汗州にいては危険なので、船で脱出し、洛陽とは反対方向、東方の徐州へ落ちのびたという。愈は葬列を洛陽まで送ってから、単身で東へと引き返した。汴州の南を迂回して徐州に着き、妻子と落ちあって、ここに仮の住居を定めたのは、二月も末のことであった。

 

汴州の反乱はほどなく鎮圧されたが、愈はもう、汴州には帰れない。節度使の幕僚は公式に任命されたものであるが、任命は私的な人選によるので、身分の保証はなかった。節度使が死んだ場合(転任のときも同じことであるが)、後任の節度使は、前任者の幕僚を引き継ぐ義務はない。むしろ自分の人選によって新たに幕僚を任じ、幕府を構成しようとする。もとの幕僚は失業するわけだが、文句は言えないのであって、この点が科挙を経て正式に任命された役人と違うところである。

愈もせっかく得た幕僚の職を失ったが、運のよいことに、徐州に根拠を置く武寧軍節度使の張建封が、どれほどのつきあいがあったのかはわからないけれども、以前から愈を知っていた。汴州から避難して来た愈の一家に住居を与え、どうやら衣食にも困らぬ程度に援助してくれたのは、張建封であった。もっとも、愈の方ではいつまでも仮住居をしてはおられず、建封に甘えてもいられないので、秋になると、徐州を去ろうとした。郷里へ引きあげるつもりだったのかもしれない。その時、建封が愈を引きとめ、自分のところの幕僚に任命してくれた。

 

 

《與衞中行書》-§1

大受足下:辱書,為賜甚大,

然所稱道過盛,豈所謂誘之而欲其至於是歟?

不敢當,不敢當!

#2

其中擇其一二近似者而竊取之,則於交友忠而不反於背麵者,少似近焉。

亦其心之所好耳,行之不倦,則未敢自謂能爾也。

不敢當,不敢當!

至於汲汲於富貴以救世為事者,皆聖賢之事業,知其智能謀力能任者也。如愈者又焉能之?

-§2

始相識時,方甚貧,衣食於人;

其後相見於汴、徐二州,仆皆為之從事,日月有所入,比之前時,豐約百倍,足下視吾飲食衣服,亦有異乎?

然則仆之心,或不為此汲汲也,其所不忘於仕進者,亦將小行乎其誌耳。

此未易遽言也。

-§3

凡禍福吉凶之來,似不在我。惟君子得禍為不幸,而小人得禍為恒;君子得福為恒,而小人得福為幸:以其所為似有以取之也。

必曰「君子則吉,小人則凶」者,不可也。

賢不肖存乎己,貴與賤、禍與福存乎天,名聲之善惡存乎人。

存乎己者,吾將勉之;存乎天、存乎人者,吾將任彼而不用吾力焉,其所守者,豈不約而易行哉!

-§4

足下曰:「命之窮通,自我為之」,吾恐未合於道。

足下征前世而言之,則知矣;若曰以道德為己任,窮通之來,不接吾心,則可也。

窮居荒涼,草樹茂密,出無驢馬,因與人絕,一室之內,有以自娛。足下喜吾複脫禍亂,不當安安而居、遲遲而來也。

 

 

《與衞中行書》-§1

(衞中行殿に、少し自分の論と異なるところをしたためた書をお渡しする。)

大受足下:辱書,為賜甚大,

大受足下、御手紙をかたじけなくし、それは非常に大きな賜物として感謝する。

然所稱道過盛,豈所謂誘之而欲其至於是歟?

しかし称え言われることはあまりにも立沢すぎる。それはなんと、いわゆる誘ってそこまで到達するように望んでおられるのだろうか。

不敢當,不敢當!

それにはとても当たらない。まったくあたらないのである。

#2

其中擇其一二近似者而竊取之,則於交友忠而不反於背麵者,少似近焉。

お手紙の中で、その一、二私に近く似つかわしいことを択んで、私だけの考えで取り上げれば、友に交わることが忠実で、陰で離反しないということでは、少しはそれに近いようである。

亦其心之所好耳,行之不倦,則未敢自謂能爾也。

それもまた私の心の好むところであるにすぎず、これを行って怠ることがないということは、まだとても自分ではそのようにできるとは思ってはいないのである。

不敢當,不敢當!

それにはとても当たらない。まったくあたらないのである。

至於汲汲於富貴以救世為事者,皆聖賢之事業,知其智能謀力能任者也。如愈者又焉能之?

とてもそれには当たらないのである。富や貴い身分を求めて忌まないこと、世を救うことを以て仕事とすることに至っては、皆聖人賢者の事業であって、その智恵は考え謀ることができ、力は堪え得ることを知っているのである。私のような者は、またどうしてこれができるであろうか。

 

《衞中行【えいちゅうこう】に與【あた】うる書》-§1

大受足下、書を辱【かたじけな】くす,賜【たまもの】為る甚だ大なり。

然れども稱道する所 過盛たり,豈に所謂【いわゆる】之を誘って 其の是に至らんことを欲するか?

敢えて當らず,敢えて當らず!

#2

其の中 其の一二近似なる者を擇んで 竊かに之を取らば,則ち友に交わるには忠にして 背麵に反かざる者に於いて,少しく近きに似たり。

亦た 其の心の好む所のみ。,行之不倦,則未敢自謂能爾也。

敢えて當らず,敢えて當らず!

富貴に汲汲として 世を救うを以って事を為す者に至っては,皆 聖賢の事業,其の智 能く謀り 力 能く任ずるを知る者なり。愈の如き者 又た焉んぞ之を能くせん?

 

 

《與衞中行書》-§2-1

(衞中行殿に、少し自分の論と異なるところをしたためた書をお渡しする。)-§2-1

始相識時,方甚貧,衣食於人;

はじめて衞中行殿(足下)と相い識った時、僕は甚だ貧しくて、人に頼って衣食していた。

其後相見於汴、徐二州,

その後、汴州と徐州の二州で会った。

仆皆為之從事,日月有所入,

僕は、いずれも従事の職となっていた。日々月々に収入があるようになった。

比之前時,豐約百倍。

これを前の時に比べれば、豊かさとつつましさとが百倍もちがっているのだ。

《與衞中行書》-§2-2

足下視吾飲食衣服,亦有異乎?

しかし貴殿(足下)が私の飲食衣服を視ても、また前と異なることがあるだろうか。

然則仆之心,或不為此汲汲也,

それならは、僕の心は、或いは富貴のために汲汲としていないのである。

其所不忘於仕進者,亦將小行乎其誌耳。

私の仕進のことを忘れないのも、またこれから少し自分の志を行おうと思っているからにすぎない。

此未易遽言也。

しかしこれはまだ今、そんなに急には言い易くないことである。

 

-§2-1

始めて相い識し時,方に甚だ貧にして,於人に衣食す。

其の後 於汴、徐の二州に相見,仆【ぼく】皆 之が從事為り。

日に月に入る所有りて,之を前時に比すれば,豐約 百倍す。

-2

足下 吾が飲食 衣服を視るも,亦た異なること有らんや?

然らば則ち仆の心,或は此れが為に汲汲たらざるなり。

其の仕進を忘れざる所の者も,亦た將に小しく其の誌を行わんとするのみ。

此れ未だ遽【にわか】に言い易からざるなり。

 

洛陽 函谷関002 

《與衞中行書》-§2-2 現代語訳と訳註解説

(本文) 《與衞中行書》-§2-2

足下視吾飲食衣服,亦有異乎?

然則仆之心,或不為此汲汲也,

其所不忘於仕進者,亦將小行乎其誌耳。

此未易遽言也。

 

(下し文) -2

足下 吾が飲食 衣服を視るも,亦た異なること有らんや?

然らば則ち仆の心,或は此れが為に汲汲たらざるなり。

其の仕進を忘れざる所の者も,亦た將に小しく其の誌を行わんとするのみ。

此れ未だ遽【にわか】に言い易からざるなり。

 

(現代語訳)

しかし貴殿(足下)が私の飲食衣服を視ても、また前と異なることがあるだろうか。

それならは、僕の心は、或いは富貴のために汲汲としていないのである。

私の仕進のことを忘れないのも、またこれから少し自分の志を行おうと思っているからにすぎない。

しかしこれはまだ今、そんなに急には言い易くないことである。

 

韓愈の地図0055 

(訳注) 《與衞中行書》-§2-2

(衞中行殿に、少し自分の論と異なるところをしたためた書をお渡しする。)

衛中行、字は大愛、御史中丞畳の子で、貞元九年の進士、初め韓愈が汴州で董晋に従い、徐州で張建封に従ったが、二人の死後は、その軍隊か反乱をおこした。愈は難をまぬがれたので、街中行がこれを喜んで、書を送って賀した。愈は後に、洛院に寓していた時に、この手紙を作って与えた。

衛中行の書に、命の窮通は自分から招いたものというのが、韓愈の考えと合わないので弁じた。

衛中行

【生卒】:?—829

唐、河東の安邑の人,字を大受という。793年、德宗、貞元九年の進士。802年、十八年,東都の留守の韋夏卿の幕府に入る。806年、憲宗元和元年,浙東幕府に在る,同僚と石傘峰に賦詩に游ぶ。元和中に禮部員外郎に歷任し、兵部郎中、中書舍人となる。元和の末 華州刺史より陜虢觀察使に改む。敬宗寶歷二年に,自ら國子祭酒に出て 福建觀察使と為し。次年,貪贓の事 發すに因って,播州に流さる。

 

足下視吾飲食衣服,亦有異乎?

しかし貴殿(足下)が私の飲食衣服を視ても、また前と異なることがあるだろうか。

 

然則仆之心,或不為此汲汲也,

それならは、僕の心は、或いは富貴のために汲汲としていないのである。

 

其所不忘於仕進者,亦將小行乎其誌耳。

私の仕進のことを忘れないのも、またこれから少し自分の志を行おうと思っているからにすぎない。

 

此未易遽言也。

しかしこれはまだ今、そんなに急には言い易くないことである。

遽 にわか。にわかに。急に。 あわてる。おそれる。うろたえる。 【遽しい】あわただしい. 忙しく落ち着かない。せわしい。「遽しく働く」; 重大な事が起こり、人の動きや社会状勢がよく変わる。「遽しい政局」. 「慌ただしい」とも書く。 【遽然】きょぜん. 急なさま。あわてる

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§2-1 《與衞中行書 -(3)》韓愈 はじめて衞中行殿(足下)と相い識った時、僕は甚だ貧しくて、人に頼って衣食していた。その後、汴州と徐州の二州で会った。

 

 
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28-§2-1 《與衞中行書 -(3)》韓愈(韓退之)ID  799年貞元15年 32歳<1249> Ⅱ唐宋八大家文読本 巻三 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5229韓愈詩-28-§2-1

 

 

《與衞中行書》-§1

(衞中行殿に、少し自分の論と異なるところをしたためた書をお渡しする。)

大受足下:辱書,為賜甚大,

大受足下、御手紙をかたじけなくし、それは非常に大きな賜物として感謝する。

然所稱道過盛,豈所謂誘之而欲其至於是歟?

しかし称え言われることはあまりにも立沢すぎる。それはなんと、いわゆる誘ってそこまで到達するように望んでおられるのだろうか。

不敢當,不敢當!

それにはとても当たらない。まったくあたらないのである。

#2

其中擇其一二近似者而竊取之,則於交友忠而不反於背麵者,少似近焉。

お手紙の中で、その一、二私に近く似つかわしいことを択んで、私だけの考えで取り上げれば、友に交わることが忠実で、陰で離反しないということでは、少しはそれに近いようである。

亦其心之所好耳,行之不倦,則未敢自謂能爾也。

それもまた私の心の好むところであるにすぎず、これを行って怠ることがないということは、まだとても自分ではそのようにできるとは思ってはいないのである。

不敢當,不敢當!

それにはとても当たらない。まったくあたらないのである。

至於汲汲於富貴以救世為事者,皆聖賢之事業,知其智能謀力能任者也。如愈者又焉能之?

とてもそれには当たらないのである。富や貴い身分を求めて忌まないこと、世を救うことを以て仕事とすることに至っては、皆聖人賢者の事業であって、その智恵は考え謀ることができ、力は堪え得ることを知っているのである。私のような者は、またどうしてこれができるであろうか。

 

《衞中行【えいちゅうこう】に與【あた】うる書》-§1

大受足下、書を辱【かたじけな】くす,賜【たまもの】為る甚だ大なり。

然れども稱道する所 過盛たり,豈に所謂【いわゆる】之を誘って 其の是に至らんことを欲するか?

敢えて當らず,敢えて當らず!

#2

其の中 其の一二近似なる者を擇んで 竊かに之を取らば,則ち友に交わるには忠にして 背麵に反かざる者に於いて,少しく近きに似たり。

亦た 其の心の好む所のみ。,行之不倦,則未敢自謂能爾也。

敢えて當らず,敢えて當らず!

富貴に汲汲として 世を救うを以って事を為す者に至っては,皆 聖賢の事業,其の智 能く謀り 力 能く任ずるを知る者なり。愈の如き者 又た焉んぞ之を能くせん?

 

 

《與衞中行書》-§2-1

(衞中行殿に、少し自分の論と異なるところをしたためた書をお渡しする。)-§2-1

始相識時,方甚貧,衣食於人;

はじめて衞中行殿(足下)と相い識った時、僕は甚だ貧しくて、人に頼って衣食していた。

其後相見於汴、徐二州,

その後、汴州と徐州の二州で会った。

仆皆為之從事,日月有所入,

僕は、いずれも従事の職となっていた。日々月々に収入があるようになった。

比之前時,豐約百倍。

これを前の時に比べれば、豊かさとつつましさとが百倍もちがっているのだ。

《與衞中行書》-§2-2

足下視吾飲食衣服,亦有異乎?

然則仆之心,或不為此汲汲也,

其所不忘於仕進者,亦將小行乎其誌耳。

此未易遽言也。

 

-§2-1

始めて相い識し時,方に甚だ貧にして,於人に衣食す。

其の後 於汴、徐の二州に相見,仆【ぼく】皆 之が從事為り。

日に月に入る所有りて,之を前時に比すれば,豐約 百倍す。

-2

足下 吾が飲食 衣服を視るも,亦た異なること有らんや?

然らば則ち仆の心,或は此れが為に汲汲たらざるなり。

其の仕進を忘れざる所の者も,亦た將に小しく其の誌を行わんとするのみ。

此れ未だ遽【にわか】に言い易からざるなり。

 

Ta唐 長安近郊圖  新02 

《與衞中行書》-§2-1 現代語訳と訳註解説

(本文) 《與衞中行書》-§2-1

始相識時,方甚貧,衣食於人;

其後相見於汴、徐二州,

仆皆為之從事,日月有所入,

比之前時,豐約百倍。

 

(下し文)-§2-1

始めて相い識し時,方に甚だ貧にして,於人に衣食す。

其の後 於汴、徐の二州に相見,仆【ぼく】皆 之が從事為り。

日に月に入る所有りて,之を前時に比すれば,豐約 百倍す。

 

(現代語訳)

はじめて衞中行殿(足下)と相い識った時、僕は甚だ貧しくて、人に頼って衣食していた。

その後、汴州と徐州の二州で会った。

僕は、いずれも従事の職となっていた。日々月々に収入があるようになった。

これを前の時に比べれば、豊かさとつつましさとが百倍もちがっているのだ。

 

韓愈の地図0055

》-§2-1

(衞中行殿に、少し自分の論と異なるところをしたためた書をお渡しする。)

衛中行、字は大愛、御史中丞畳の子で、貞元九年の進士、初め韓愈が汴州で董晋に従い、徐州で張建封に従ったが、二人の死後は、その軍隊か反乱をおこした。愈は難をまぬがれたので、街中行がこれを喜んで、書を送って賀した。愈は後に、洛院に寓していた時に、この手紙を作って与えた。

衛中行の書に、命の窮通は自分から招いたものというのが、韓愈の考えと合わないので弁じた。

衛中行

【生卒】:?—829

唐、河東の安邑の人,字を大受という。793年、德宗、貞元九年の進士。802年、十八年,東都の留守の韋夏卿の幕府に入る。806年、憲宗元和元年,浙東幕府に在る,同僚と石傘峰に賦詩に游ぶ。元和中に禮部員外郎に歷任し、兵部郎中、中書舍人となる。元和の末 華州刺史より陜虢觀察使に改む。敬宗寶歷二年に,自ら國子祭酒に出て 福建觀察使と為し。次年,貪贓の事 發すに因って,播州に流さる。

 

始相識時,方甚貧,衣食於人。

はじめて衞中行殿(足下)と相い識った時、僕は甚だ貧しくて、人に頼って衣食していた。

 

其後相見於汴、徐二州,

その後、汴州と徐州の二州で会った。

汴州 大部分は河南道で,一部は河北・淮南・山南の3道に分属していた。唐が滅んだのち,五代では後唐が洛陽に都をおいたほかは,みな東方の汴州(べんしゆう)(開封)を都としたのは,そこが平原に位置し,洛陽に比べていっそう水運の便に恵まれていたからであった。宋代になると汴州は汴京(べんけい)開封府といい,北宋一代にわたり全中国の国都として栄えた。…

徐州 徐州は、元来は山東省南東部と江蘇省の長江以北の地域を指した漢代の地方区分の名称であった。古称は彭城(ほうじょう)とも称す。市域内の沛県は劉邦の故郷であるほか、彭城は項羽(項籍)の都となっていた。

 

仆皆為之從事,日月有所入,

僕は、いずれも従事の職となっていた。日々月々に収入があるようになった。

○従事 地方の知事の輔佐官の名。別駕、治中などを皆従事史という。州従事は州で任命する。

 

比之前時,豐約百倍。

これを前の時に比べれば、豊かさとつつましさとが百倍もちがっているのだ。

○豐約 豊は余裕がある。約は貧乏で窮屈である。

28-§1-2 《與衞中行書 -(2)》韓愈(韓退之)ID 799年貞元15年 32歳<1248> Ⅱ唐宋八大家文読本 巻三 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5224

韓愈《與衞中行書 -(2)》§1-2 とてもそれには当たらないのである。富や貴い身分を求めて忌まないこと、世を救うことを以て仕事とすることに至っては、皆聖人賢者の事業であって、その智恵は考え謀ることができ、力は堪え得ることを知っているのである。


 
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28-§1-2 《與衞中行書 -(2)》韓愈(韓退之)ID  799年貞元15年 32歳<1248> Ⅱ唐宋八大家文読本 巻三 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5224

 

韓愈詩-28-§1-2

 

 

《與衞中行書》-§1

(衞中行殿に、少し自分の論と異なるところをしたためた書をお渡しする。)

大受足下:辱書,為賜甚大,

大受足下、御手紙をかたじけなくし、それは非常に大きな賜物として感謝する。

然所稱道過盛,豈所謂誘之而欲其至於是歟?

しかし称え言われることはあまりにも立沢すぎる。それはなんと、いわゆる誘ってそこまで到達するように望んでおられるのだろうか。

不敢當,不敢當!

それにはとても当たらない。まったくあたらないのである。

#2

其中擇其一二近似者而竊取之,則於交友忠而不反於背麵者,少似近焉。

お手紙の中で、その一、二私に近く似つかわしいことを択んで、私だけの考えで取り上げれば、友に交わることが忠実で、陰で離反しないということでは、少しはそれに近いようである。

亦其心之所好耳,行之不倦,則未敢自謂能爾也。

それもまた私の心の好むところであるにすぎず、これを行って怠ることがないということは、まだとても自分ではそのようにできるとは思ってはいないのである。

不敢當,不敢當!

それにはとても当たらない。まったくあたらないのである。

至於汲汲於富貴以救世為事者,皆聖賢之事業,知其智能謀力能任者也。如愈者又焉能之?

とてもそれには当たらないのである。富や貴い身分を求めて忌まないこと、世を救うことを以て仕事とすることに至っては、皆聖人賢者の事業であって、その智恵は考え謀ることができ、力は堪え得ることを知っているのである。私のような者は、またどうしてこれができるであろうか。

 

《衞中行【えいちゅうこう】に與【あた】うる書》-§1

大受足下、書を辱【かたじけな】くす,賜【たまもの】為る甚だ大なり。

然れども稱道する所 過盛たり,豈に所謂【いわゆる】之を誘って 其の是に至らんことを欲するか?

敢えて當らず,敢えて當らず!

#2

其の中 其の一二近似なる者を擇んで 竊かに之を取らば,則ち友に交わるには忠にして 背麵に反かざる者に於いて,少しく近きに似たり。

亦た 其の心の好む所のみ。,行之不倦,則未敢自謂能爾也。

敢えて當らず,敢えて當らず!

富貴に汲汲として 世を救うを以って事を為す者に至っては,皆 聖賢の事業,其の智 能く謀り 力 能く任ずるを知る者なり。愈の如き者 又た焉んぞ之を能くせん?

 

洛陽 函谷関002 

《與衞中行書》-§1-2 現代語訳と訳註解説

(本文)#2

其中擇其一二近似者而竊取之,則於交友忠而不反於背麵者,少似近焉。

亦其心之所好耳,行之不倦,則未敢自謂能爾也。

不敢當,不敢當!

至於汲汲於富貴以救世為事者,皆聖賢之事業,知其智能謀力能任者也。如愈者又焉能之?

 

(下し文)#2

其の中 其の一二近似なる者を擇んで 竊かに之を取らば,則ち友に交わるには忠にして 背麵に反かざる者に於いて,少しく近きに似たり。

亦た 其の心の好む所のみ。,行之不倦,則未敢自謂能爾也。

敢えて當らず,敢えて當らず!

富貴に汲汲として 世を救うを以って事を為す者に至っては,皆 聖賢の事業,其の智 能く謀り 力 能く任ずるを知る者なり。愈の如き者 又た焉んぞ之を能くせん?

 

(現代語訳)

お手紙の中で、その一、二私に近く似つかわしいことを択んで、私だけの考えで取り上げれば、友に交わることが忠実で、陰で離反しないということでは、少しはそれに近いようである。

それもまた私の心の好むところであるにすぎず、これを行って怠ることがないということは、まだとても自分ではそのようにできるとは思ってはいないのである。

それにはとても当たらない。まったくあたらないのである。

とてもそれには当たらないのである。富や貴い身分を求めて忌まないこと、世を救うことを以て仕事とすることに至っては、皆聖人賢者の事業であって、その智恵は考え謀ることができ、力は堪え得ることを知っているのである。私のような者は、またどうしてこれができるであろうか。

 

 

(訳注) §1-2

(衞中行殿に、少し自分の論と異なるところをしたためた書をお渡しする。)

衛中行、字は大愛、御史中丞畳の子で、貞元九年の進士、初め韓愈が汴州で董晋に従い、徐州で張建封に従ったが、二人の死後は、その軍隊か反乱をおこした。愈は難をまぬがれたので、街中行がこれを喜んで、書を送って賀した。愈は後に、洛院に寓していた時に、この手紙を作って与えた。

衛中行の書に、命の窮通は自分から招いたものというのが、韓愈の考えと合わないので弁じた。

衛中行

【生卒】:?—829

唐、河東の安邑の人,字を大受という。793年、德宗、貞元九年の進士。802年、十八年,東都の留守の韋夏卿の幕府に入る。806年、憲宗元和元年,浙東幕府に在る,同僚と石傘峰に賦詩に游ぶ。元和中に禮部員外郎に歷任し、兵部郎中、中書舍人となる。元和の末 華州刺史より陜虢觀察使に改む。敬宗寶歷二年に,自ら國子祭酒に出て 福建觀察使と為し。次年,貪贓の事 發すに因って,播州に流さる。
 

其中擇其一二近似者而竊取之,則於交友忠而不反於背麵者,少似近焉。

お手紙の中で、その一、二私に近く似つかわしいことを択んで、私だけの考えで取り上げれば、友に交わることが忠実で、陰で離反しないということでは、少しはそれに近いようである。

○不反於背面 顔を背(そむ)けた・陰でもそむかない、表裏がない。

 

亦其心之所好耳,行之不倦,則未敢自謂能爾也。

それもまた私の心の好むところであるにすぎず、これを行って怠ることがないということは、まだとても自分ではそのようにできるとは思ってはいないのである。

 

不敢當,不敢當!

それにはとても当たらない。まったくあたらないのである。

 

至於汲汲於富貴以救世為事者,皆聖賢之事業,知其智能謀力能任者也。如愈者又焉能之?

とてもそれには当たらないのである。富や貴い身分を求めて忌まないこと、世を救うことを以て仕事とすることに至っては、皆聖人賢者の事業であって、その智恵は考え謀ることができ、力は堪え得ることを知っているのである。私のような者は、またどうしてこれができるであろうか。

○汲汲 求めてやまない。

○力能任 力がそれに堪えることができる。
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28-§1-1 《與衞中行書 -(1)》韓愈(韓退之)ID 799年貞元15年 32歳<1247> Ⅱ唐宋八大家文読本 巻三 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5219

韓愈《與衞中行書 -(1)》(衞中行殿に、少し自分の論と異なるところをしたためた書をお渡しする。)衛中行の書に、命の窮通は自分から招いたものというのが、韓愈の考えと合わないので弁じた。

 

 
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28-§1-1 《與衞中行書 -(1)》韓愈(韓退之)ID  799年貞元15年 32歳<1247> Ⅱ唐宋八大家文読本 巻三 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5219韓愈詩-28-§1-1

 

 

董晋の寛仁に慣れていた宜武軍の将士が不安を抱いたのは、当然であろう。不安は動揺となり、陸長坂への怒りに変った。晋の遺体を捧じた葬列が汗州の城門を出てから四日の後、ついに将士の反乱が起る。長瀬は怒り狂った兵士たちの手にかかり、むざんな最期をとげた。

その知らせが葬送の一行にとどいたのは、彼らが洛陽の東の催師という町に一泊した夜であった。

このあたりの事実は、事態がいちおう鎮静してから、愈が弟子の張籍に贈った「此の日惜しむに足る可し」と題する五言古詩(韓文二)に詳しい。

 

この時、愈は汴州に妻子を残していた。彼がいつ結婚したのかは明らかでないが、もう長女があった。長男の乗はこの年の生まれだが、詩中に言及するところがないのを見ると、まだ母親の胎内にあったと思われる。妻ももちろんのことだが、まだ乳離れもしていない長女が、戦乱の中でどうしていることか。「騎女 未だ乳を絶たず/これを念うて忘るる能はず、忽ち我が所に在るが如く耳に噂声を聞くが若し」というのが、この時の愈の思いであった。

しかし、そのうちに東から来た旅人があって、情報をもたらした。愈の妻子は無事である。ただ、汗州にいては危険なので、船で脱出し、洛陽とは反対方向、東方の徐州へ落ちのびたという。愈は葬列を洛陽まで送ってから、単身で東へと引き返した。汴州の南を迂回して徐州に着き、妻子と落ちあって、ここに仮の住居を定めたのは、二月も末のことであった。

 

汴州の反乱はほどなく鎮圧されたが、愈はもう、汴州には帰れない。節度使の幕僚は公式に任命されたものであるが、任命は私的な人選によるので、身分の保証はなかった。節度使が死んだ場合(転任のときも同じことであるが)、後任の節度使は、前任者の幕僚を引き継ぐ義務はない。むしろ自分の人選によって新たに幕僚を任じ、幕府を構成しようとする。もとの幕僚は失業するわけだが、文句は言えないのであって、この点が科挙を経て正式に任命された役人と違うところである。

愈もせっかく得た幕僚の職を失ったが、運のよいことに、徐州に根拠を置く武寧軍節度使の張建封が、どれほどのつきあいがあったのかはわからないけれども、以前から愈を知っていた。汴州から避難して来た愈の一家に住居を与え、どうやら衣食にも困らぬ程度に援助してくれたのは、張建封であった。もっとも、愈の方ではいつまでも仮住居をしてはおられず、建封に甘えてもいられないので、秋になると、徐州を去ろうとした。郷里へ引きあげるつもりだったのかもしれない。その時、建封が愈を引きとめ、自分のところの幕僚に任命してくれた。

 

 

《與衞中行書》-§1

(衞中行殿に、少し自分の論と異なるところをしたためた書をお渡しする。)

大受足下:辱書,為賜甚大,

大受足下、御手紙をかたじけなくし、それは非常に大きな賜物として感謝する。

然所稱道過盛,豈所謂誘之而欲其至於是歟?

しかし称え言われることはあまりにも立沢すぎる。それはなんと、いわゆる誘ってそこまで到達するように望んでおられるのだろうか。

不敢當,不敢當!

それにはとても当たらない。まったくあたらないのである。#2

其中擇其一二近似者而竊取之,則於交友忠而不反於背麵者,少似近焉。

亦其心之所好耳,行之不倦,則未敢自謂能爾也。

不敢當,不敢當!

至於汲汲於富貴以救世為事者,皆聖賢之事業,知其智能謀力能任者也。如愈者又焉能之?

-§2

始相識時,方甚貧,衣食於人;

其後相見於汴、徐二州,仆皆為之從事,日月有所入,比之前時,豐約百倍,足下視吾飲食衣服,亦有異乎?

然則仆之心,或不為此汲汲也,其所不忘於仕進者,亦將小行乎其誌耳。

此未易遽言也。

-§3

凡禍福吉凶之來,似不在我。惟君子得禍為不幸,而小人得禍為恒;君子得福為恒,而小人得福為幸:以其所為似有以取之也。

必曰「君子則吉,小人則凶」者,不可也。

賢不肖存乎己,貴與賤、禍與福存乎天,名聲之善惡存乎人。

存乎己者,吾將勉之;存乎天、存乎人者,吾將任彼而不用吾力焉,其所守者,豈不約而易行哉!

-§4

足下曰:「命之窮通,自我為之」,吾恐未合於道。

足下征前世而言之,則知矣;若曰以道德為己任,窮通之來,不接吾心,則可也。

窮居荒涼,草樹茂密,出無驢馬,因與人絕,一室之內,有以自娛。足下喜吾複脫禍亂,不當安安而居、遲遲而來也。

 

《衞中行【えいちゅうこう】に與【あた】うる書》-§1

大受足下、書を辱【かたじけな】くす,賜【たまもの】為る甚だ大なり。

然れども稱道する所 過盛たり,豈に所謂【いわゆる】之を誘って 其の是に至らんことを欲するか?

敢えて當らず,敢えて當らず!

#2

其の中 其の一二近似なる者を擇んで 竊かに之を取らば,則ち友に交わるには忠にして 背麵に反かざる者に於いて,少しく近きに似たり。

亦た 其の心の好む所のみ。,行之不倦,則未敢自謂能爾也。

敢えて當らず,敢えて當らず!

富貴に汲汲として 世を救うを以って事を為す者に至っては,皆 聖賢の事業,其の智 能く謀り 力 能く任ずるを知る者なり。愈の如き者 又た焉んぞ之を能くせん?

洛陽 函谷関002 

《與衞中行書》-§1 現代語訳と訳註解説

(本文)

《與衞中行書》-§1

大受足下:辱書,為賜甚大,

然所稱道過盛,豈所謂誘之而欲其至於是歟?

不敢當,不敢當!

 

(下し文)

《衞中行【えいちゅうこう】に與【あた】うる書》-§1

大受足下、書を辱【かたじけな】くす,賜【たまもの】為る甚だ大なり。

然れども稱道する所 過盛たり,豈に所謂【いわゆる】之を誘って 其の是に至らんことを欲するか?

敢えて當らず,敢えて當らず!

 

(現代語訳)

(衞中行殿に、少し自分の論と異なるところをしたためた書をお渡しする。)

大受足下、御手紙をかたじけなくし、それは非常に大きな賜物として感謝する。

しかし称え言われることはあまりにも立沢すぎる。それはなんと、いわゆる誘ってそこまで到達するように望んでおられるのだろうか。

それにはとても当たらない。まったくあたらないのである。

 

(訳注)

《與衞中行書》-§1

(衞中行殿に、少し自分の論と異なるところをしたためた書をお渡しする。)

衛中行、字は大愛、御史中丞畳の子で、貞元九年の進士、初め韓愈が汴州で董晋に従い、徐州で張建封に従ったが、二人の死後は、その軍隊か反乱をおこした。愈は難をまぬがれたので、街中行がこれを喜んで、書を送って賀した。愈は後に、洛院に寓していた時に、この手紙を作って与えた。

衛中行の書に、命の窮通は自分から招いたものというのが、韓愈の考えと合わないので弁じた。

衛中行

【生卒】:?—829

唐、河東の安邑の人,字を大受という。793年、德宗、貞元九年の進士。802年、十八年,東都の留守の韋夏卿の幕府に入る。806年、憲宗元和元年,浙東幕府に在る,同僚と石傘峰に賦詩に游ぶ。元和中に禮部員外郎に歷任し、兵部郎中、中書舍人となる。元和の末 華州刺史より陜虢觀察使に改む。敬宗寶歷二年に,自ら國子祭酒に出て 福建觀察使と為し。次年,貪贓の事 發すに因って,播州に流さる。
 

大受足下:辱書,為賜甚大,

大受足下、御手紙をかたじけなくし、それは非常に大きな賜物として感謝する。

足下 1 足の下。足もと。「―にひれ伏す」2 相手の足もと、あなたのそばの意で、手紙の脇付(わきづけ)に用いる語。「田中太郎様―」[代]二人称の人代名詞。同等、または、それ以下の相手に用いる敬称。貴殿。

 

然所稱道過盛,豈所謂誘之而欲其至於是歟?

しかし称え言われることはあまりにも立沢すぎる。それはなんと、いわゆる誘ってそこまで到達するように望んでおられるのだろうか。

稱道 たたえていう。議論を始める際の常套語。

過盛 立派過ぎる、大げさ。

 

不敢當,不敢當!

それにはとても当たらない。まったくあたらないのである。
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22ー(6) 《與少室李拾遺書》韓愈(韓退之)ID 795年貞元11年 28歳<1213> Ⅱ唐宋八大家文読本 巻三 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5049韓愈詩-22ー(6)

韓愈《與少室李拾遺書》(6) 李渤は、少室山に隠れて出ず。元和の初めに、右拾遺の官を以て徴されたが、辞して行かなかった。退之はこれに書を送って仕官を勧めたので、出て仕えた。

 
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22ー(6) 《與少室李拾遺書》韓愈(韓退之)ID 795年貞元11年 28歳<1213> Ⅱ唐宋八大家文読本 巻三 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5049韓愈詩-22ー(6) 
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與少室李拾遺書

(1)§1

(1)§1

與少室李拾遺書

(嵩山(河南省)の少室山の李渤拾遺に与える書状。)

十二月某日,愈頓首:

十二月某日、愈頓首して申す。

伏承天恩,詔河南敦喻拾遺公,

伏して承るに、天子のお恵み深く、河南府に詔を下されて、手厚く李拾遺公におさとしがあったということである。

朝廷之士,引頸東望,

朝廷の人々は、頚を伸ばして東を望んだのだ。

若景星鳳凰之始見也,爭先睹之為快。

目出度い星や聖天子の世に出るという時に鳳皇がはじめて現れるたかのように、先を争って見るのを喜びとしている。

 

十二月某日,愈 頓首【とんしゅ】す:

伏して承る 天恩,河南に詔りして 敦く拾遺公に喻す,と。

朝廷の士,頸を引いて東望す,

景星 鳳凰の始めて見るが若きなり,先を爭いて 之を睹るを快と為す。

 (2)§2-1

方今天子仁聖,小大之事,

ただ今、天子は仁愛であり極めて聡明にあらせられ、小大すべての事は、

皆出宰相,樂善言如,不得聞。

皆宰相の考えに出て、善い言葉を楽しま れること、これを久しく聞かれなかったかのように熱心に耳を傾けられ、

自即大位已來,於今四年,凡所施者,無不得宜。

それ故ご即位以来今まで四年、およそ施し行われたところの事は、宜しきを得ないものはなかった。

勤儉之聲,寬大之政,

そして政に勤め倹約であるという評判と寛大に人ゆるす政治は、

幽閨婦女、草野小人,飽聞而厭道之。

奥深い座敷、閨の婦女も、草深い民間の被治者たちも、皆飽きるまで聞き、飽きるまでこれをいうのである。

愈不通於古,請問先生,世非太平之運歟?

私、韓愈は古代の事が十分に分からないので、どうか先生にお伺いしたいことは、世は太平の運ではないのか。

方に今、天子 仁聖なり,小大の事,皆 宰相に出づ,

善言を樂しむこと,聞くを得ざるが如し。

大位に即くより已來【いらい】,今に於いて四年,凡そ施す所の者,宜しく得ざる無し。

勤儉の聲,寬大の政,幽閨の婦女、草野の小人も,飽くまで聞いて 厭くまで之を道う。

愈 古に通ぜず,先生に請い問う,世 太平の運にら非ざるか?

 (3)§2-2

加又有非人力而至者,

又それに加えて、人の力でなくて、やって来るものがある。

年穀熟衍,符貺委至;

年の田の稔りが熟しあまりがあり、瑞祥のたまものが重なり至り、

幹紀之奸,不戰而拘累;

法を犯した謀反人、悪人が、戦わずして捕縛された。

強梁之凶,銷鑠縮栗,迎風而委伏。

強くて暴れる謀反人、悪人が、消滅し縮み恐れ、草が風を迎えるように随い伏す、というようなことがあり、

其有一事未就正,自視若不成人。

その一つの事でも正しくならなければ、在位の君子は自身を視ること、不完全な人間のようである。

四海之所環,無一夫甲而兵者。

四海の内、天下は、一人の男も鎧を着て武器を執る者がいない。

若此時也,拾遺公不疾起與天下之士君子樂成而享之,斯無時矣。

このような時に、拾遺公が速かに起ち上がって天下の士、君子と政道の完成を楽しんで、その幸せを身に受けなければ、その時がないであろう。

 

加うるに又た人力非らずして至る有者り,年穀【ねんこく】熟衍【じゅくえん】,符貺【ふきゅう】委至【いち】す。

紀を幹【おか】すの奸も,戰わずして拘累せらる。

強梁の凶も,銷鑠【しょうしゃく】縮栗も,風を迎えて委伏する。

其の一事未だ正に就かざる有れば,自ら視ること不成人の若し。

四海の環る所,一夫も甲して兵する者無し。

此くの若き時や,拾遺公 疾く起ちて與天下の士君子と成るを樂しんで之を享けずんば,斯れ時無からんや。

(4)§3

昔者孔子知不可為而為之不已,足跡接於諸侯之國。

むかし孔子は、道を行うことができないことを知りながら、これを行おうとしてやまず、その足あとは天下の諸侯の国々に続いていた。

今可為之時,自藏深山,

もし拾遺公が、仕えて政をすることができる時世に、ひとりで深山に隠れ、

牢關而固距,即與仁義者異守矣。

門をしっかりととざし、固く人のさそいをふせいで出ないのは、とりもなおさず、孔子のような仁義を行う者と守る道が違うのである。

想拾遺公冠帶就車,惠然肯來,

想うに拾遺公が、冠をかぶり帯をしめて、礼服に身を正し、車に乗り、機嫌よく朝廷に来ることを承諾し、

抒所蓄積,以補綴盛德之有闕遺,

平素から心にたくわえ積んだ抱負をのべて、天子の立派な徳のとう闕けて手落ちのある所を補い綴るならば、

利加於時,名垂於將來,

その利益はその時世に加わり、その名誉は将来に伝わるであろう。

踴躍悚企,傾刻以冀。

躍り上がって心おそれ爪立ちしながら、暫くのうちに公の来られることをこいねがうのである。

昔は 孔子為す可からざるを知りて 之を為して已まず,足跡 諸侯の國に接す。

今 為す可きの時,自ら深山に藏る,

牢關して固く距ぐは,即ち仁義の者と守を異にす。

想うに拾遺公 冠帶して車に就き,惠然として肯て來る,

蓄積する所を抒べ,以って盛德の闕遺有るを補綴せば,

利 時に加わり,名 將來に垂れん,

踴躍して悚企し,傾刻以って冀【こいねが】う。

(5)§4

又竊聞朝廷之議,必起拾遺公。

また漏れ聞くところでは、朝廷の考えは必ず拾遺公を出仕させようとしているということだ。

使者往,若不許,即河南必繼以行;

使者が拾遺公の所に往って、もし承知されなければ、すぐさま河南府長官が必ず引き継いで行くであろう。

拾遺征君若不至,必加高秩,

拾遺征君がもし朝廷に往かないならば、必ずそれよりも高い官秩を加えて招かれるであろう。

如是則辭少就多,傷於廉而害於義,拾遺公必不為也。

このようであれば、少禄を辞して多禄に行き、廉目正しく無欲な徳を傷つけて、正しい筋道をそこなうことになる。拾遺公はきっとこういう行いはされないであろう。

善人斯進其類,皆有望於拾遺公,

善人であればこそ善人の同類のものを進め仕官させようとするものであるから、皆拾遺公にこれを望んでいることがあるのである。

拾遺公儻不為起,是使眾善人不與斯人施也。

拾遺公がもし起ち上がって仕えることをしないならば、多数の善人たちをして、この善人である公の施しにあずかって進仕することをなくさせるのである。

(5)§4

又た竊に聞く 朝廷の議,必ず拾遺公を起さんとす、と。

使者は往き,若し許さずんば,即ち河南必ず繼いで以て行かん。

拾遺征君 若し至らずんば,必ず高秩を加えん。

是の如くんば則ち少を辭し多に就き,廉に傷って 義に害あり,拾遺公 必ず為さざるなり。

善人 斯に其の類を進むれば,皆 於拾遺公に望むこと有り。

拾遺公 儻に起つを為さずんば,是に 眾 善人をして斯の人に施に與【あずか】らざなり。

(6)§5

由拾遺公而使天子不盡得良臣,君子不盡得顯位,

拾遺公の進退によって、天子をしてことごとく良臣を得させず、君子成徳の人をしてことごとく世に顕れる立派な位を得させないのである。

人庶不盡被惠利,其害不為細。

一般人民たちはというと、ことごとくその恵みと利益を被らせないことになれば、その害は小さいことにはならないのである。

必望審察而遠思之,務使合於孔子之道。

必ずつまびらかにこれを察して遠い影響を思って、為すことができない状況にあって、それでも為そうとした、孔子の道に務めて合わせようと望まれるだろうとおもう。

幸甚!愈再拜。

甚だ幸せなことである。わたくし、韓愈はこうして頭を下げてお願い申し上げる。

拾遺公に由って 而して 天子にして不盡く得良臣をず,君子不盡得顯位,

人庶不盡被惠利,其害不為細。

必望審察而遠思之,務使合於孔子之道。

幸甚!愈 再拜す。

函谷関002 

 

『與少室李拾遺書』 現代語訳と訳註解説

(本文) (6)§5

由拾遺公而使天子不盡得良臣,君子不盡得顯位,

人庶不盡被惠利,其害不為細。

必望審察而遠思之,務使合於孔子之道。

幸甚!愈再拜。

 

(下し文)  (6)§5

拾遺公に由って 而して 天子にして不盡く得良臣をず,君子不盡得顯位,

人庶不盡被惠利,其害不為細。

必望審察而遠思之,務使合於孔子之道。

幸甚!愈 再拜す。

 

(現代語訳)

拾遺公の進退によって、天子をしてことごとく良臣を得させず、君子成徳の人をしてことごとく世に顕れる立派な位を得させないのである。

一般人民たちはというと、ことごとくその恵みと利益を被らせないことになれば、その害は小さいことにはならないのである。

必ずつまびらかにこれを察して遠い影響を思って、為すことができない状況にあって、それでも為そうとした、孔子の道に務めて合わせようと望まれるだろうとおもう。

甚だ幸せなことである。わたくし、韓愈はこうして頭を下げてお願い申し上げる。

Ta唐 長安近郊圖  新02 

(訳注)   (6)§5

與少室李拾遺書

(嵩山(河南省)の少室山の李渤拾遺に与える書状。)

○李渤 (773~831) 渤、字は濬之(しゅんし)、少室山に隠れて出ず。元和の初めに、右拾遺の官を以て徴されたが、辞して行かなかった。退之はこれに書を送って仕官を勧めたので、出て仕えた。両山に石室があるので大室山、少室山と名付けた。唐の穆宗(李恒)が即位すると、考功員外郎として召された。元和十五年(820)、宰相や大臣が凡庸で政治を誤らせていると上書したため、権臣たちに憎まれた。このため虔州刺史として出向させられた。長慶元年(821)、江州刺史に転じた。かれは「白鹿洞」で読書し、後世に拡張されて白鹿洞書院が建てられると、中国四大書院の筆頭に列せられた。

○拾遺 左右拾遺の官は、天子の遺漏したことを拾い諌める役。

汜水関などの地図 

由拾遺公而使天子不盡得良臣,君子不盡得顯位,

拾遺公の進退によって、天子をしてことごとく良臣を得させず、君子成徳の人をしてことごとく世に顕れる立派な位を得させないのである。

 

人庶不盡被惠利,其害不為細。

一般人民たちはというと、ことごとくその恵みと利益を被らせないことになれば、その害は小さいことにはならないのである。

○不為細 小さいとはしない。小さなものではない。

 

必望審察而遠思之,務使合於孔子之道。

必ずつまびらかにこれを察して遠い影響を思って、為すことができない状況にあって、それでも為そうとした、孔子の道に務めて合わせようと望まれるだろうとおもう。

○審察 つまびらかに察する。察は見にくいことを明らかにする。

 

幸甚!愈再拜。

甚だ幸せなことである。わたくし、韓愈はこうして頭を下げてお願い申し上げる。

22―(5) 《與少室李拾遺書》韓愈(韓退之)ID 795年貞元11年 28歳<1212> Ⅱ唐宋八大家文読本 巻三 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5044

韓愈《與少室李拾遺書》(5)また漏れ聞くところでは、朝廷の考えは必ず拾遺公を出仕させようとしているということだ。使者が拾遺公の所に往って、もし承知されなければ、すぐさま河南府長官が必ず引き継いで行くであろう。

 
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22―(5) 《與少室李拾遺書》韓愈(韓退之)ID  795年貞元11年 28歳<1212> Ⅱ唐宋八大家文読本 巻三 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5044


韓愈詩
-22―(5)

 與少室李拾遺書

(1)§1

與少室李拾遺書

十二月某日,愈頓首:

伏承天恩,詔河南敦喻拾遺公,

朝廷之士,引頸東望,

若景星鳳凰之始見也,爭先睹之為快。

(嵩山(河南省)の少室山の李渤拾遺に与える書状。)

十二月某日、愈頓首して申す。

伏して承るに、天子のお恵み深く、河南府に詔を下されて、手厚く李拾遺公におさとしがあったということである。

朝廷の人々は、頚を伸ばして東を望んだのだ。

目出度い星や聖天子の世に出るという時に鳳皇がはじめて現れるたかのように、先を争って見るのを喜びとしている。

 

十二月某日,愈 頓首【とんしゅ】す:

伏して承る 天恩,河南に詔りして 敦く拾遺公に喻す,と。

朝廷の士,頸を引いて東望す,

景星 鳳凰の始めて見るが若きなり,先を爭いて 之を睹るを快と為す。

 (2)§2-1

方今天子仁聖,小大之事,

皆出宰相,樂善言如,不得聞。

自即大位已來,於今四年,凡所施者,無不得宜。

勤儉之聲,寬大之政,幽閨婦女、草野小人,飽聞而厭道之。

愈不通於古,請問先生,世非太平之運歟?

ただ今、天子は仁愛であり極めて聡明にあらせられ、小大すべての事は、

皆宰相の考えに出て、善い言葉を楽しま れること、これを久しく聞かれなかったかのように熱心に耳を傾けられ、

それ故ご即位以来今まで四年、およそ施し行われたところの事は、宜しきを得ないものはなかった。

そして政に勤め倹約であるという評判と寛大に人ゆるす政治は、

奥深い座敷、閨の婦女も、草深い民間の被治者たちも、皆飽きるまで聞き、飽きるまでこれをいうのである。

私、韓愈は古代の事が十分に分からないので、どうか先生にお伺いしたいことは、世は太平の運ではないのか。

方に今、天子 仁聖なり,小大の事,皆 宰相に出づ,

善言を樂しむこと,聞くを得ざるが如し。

大位に即くより已來【いらい】,今に於いて四年,凡そ施す所の者,宜しく得ざる無し。

勤儉の聲,寬大の政,幽閨の婦女、草野の小人も,飽くまで聞いて 厭くまで之を道う。

愈 古に通ぜず,先生に請い問う,世 太平の運にら非ざるか?

 (3)§2-2

加又有非人力而至者,年穀熟衍,符貺委至;

幹紀之奸,不戰而拘累;

強梁之凶,銷鑠縮栗,迎風而委伏。

其有一事未就正,自視若不成人。

四海之所環,無一夫甲而兵者。

若此時也,拾遺公不疾起與天下之士君子樂成而享之,斯無時矣。

又それに加えて、人の力でなくて、やって来るものがある。

年の田の稔りが熟しあまりがあり、瑞祥のたまものが重なり至り、

法を犯した謀反人、悪人が、戦わずして捕縛された。

強くて暴れる謀反人、悪人が、消滅し縮み恐れ、草が風を迎えるように随い伏す、というようなことがあり、

その一つの事でも正しくならなければ、在位の君子は自身を視ること、不完全な人間のようである。

四海の内、天下は、一人の男も鎧を着て武器を執る者がいない。

このような時に、拾遺公が速かに起ち上がって天下の士、君子と政道の完成を楽しんで、その幸せを身に受けなければ、その時がないであろう。

 

加うるに又た人力非らずして至る有者り,年穀【ねんこく】熟衍【じゅくえん】,符貺【ふきゅう】委至【いち】す。

紀を幹【おか】すの奸も,戰わずして拘累せらる。

強梁の凶も,銷鑠【しょうしゃく】縮栗も,風を迎えて委伏する。

其の一事未だ正に就かざる有れば,自ら視ること不成人の若し。

四海の環る所,一夫も甲して兵する者無し。

此くの若き時や,拾遺公 疾く起ちて與天下の士君子と成るを樂しんで之を享けずんば,斯れ時無からんや。

 

(4)§3

昔者孔子知不可為而為之不已,足跡接於諸侯之國。

今可為之時,自藏深山,

牢關而固距,即與仁義者異守矣。

想拾遺公冠帶就車,惠然肯來,

抒所蓄積,以補綴盛德之有闕遺,

利加於時,名垂於將來,

踴躍悚企,傾刻以冀。

むかし孔子は、道を行うことができないことを知りながら、これを行おうとしてやまず、その足あとは天下の諸侯の国々に続いていた。

もし拾遺公が、仕えて政をすることができる時世に、ひとりで深山に隠れ、

門をしっかりととざし、固く人のさそいをふせいで出ないのは、とりもなおさず、孔子のような仁義を行う者と守る道が違うのである。

想うに拾遺公が、冠をかぶり帯をしめて、礼服に身を正し、車に乗り、機嫌よく朝廷に来ることを承諾し、

平素から心にたくわえ積んだ抱負をのべて、天子の立派な徳のとう闕けて手落ちのある所を補い綴るならば、

その利益はその時世に加わり、その名誉は将来に伝わるであろう。

躍り上がって心おそれ爪立ちしながら、暫くのうちに公の来られることをこいねがうのである。

昔は 孔子為す可からざるを知りて 之を為して已まず,足跡 諸侯の國に接す。

今 為す可きの時,自ら深山に藏る,

牢關して固く距ぐは,即ち仁義の者と守を異にす。

想うに拾遺公 冠帶して車に就き,惠然として肯て來る,

蓄積する所を抒べ,以って盛德の闕遺有るを補綴せば,

利 時に加わり,名 將來に垂れん,

踴躍して悚企し,傾刻以って冀【こいねが】う。

(5)§4

又竊聞朝廷之議,必起拾遺公。

使者往,若不許,即河南必繼以行;

拾遺征君若不至,必加高秩,

如是則辭少就多,傷於廉而害於義,拾遺公必不為也。

善人斯進其類,皆有望於拾遺公,

拾遺公儻不為起,是使眾善人不與斯人施也。

また漏れ聞くところでは、朝廷の考えは必ず拾遺公を出仕させようとしているということだ。

使者が拾遺公の所に往って、もし承知されなければ、すぐさま河南府長官が必ず引き継いで行くであろう。

拾遺征君がもし朝廷に往かないならば、必ずそれよりも高い官秩を加えて招かれるであろう。

このようであれば、少禄を辞して多禄に行き、廉目正しく無欲な徳を傷つけて、正しい筋道をそこなうことになる。拾遺公はきっとこういう行いはされないであろう。

善人であればこそ善人の同類のものを進め仕官させようとするものであるから、皆拾遺公にこれを望んでいることがあるのである。

拾遺公がもし起ち上がって仕えることをしないならば、多数の善人たちをして、この善人である公の施しにあずかって進仕することをなくさせるのである。

(5)§4

又た竊に聞く 朝廷の議,必ず拾遺公を起さんとす、と。

使者は往き,若し許さずんば,即ち河南必ず繼いで以て行かん。

拾遺征君 若し至らずんば,必ず高秩を加えん。

是の如くんば則ち少を辭し多に就き,廉に傷って 義に害あり,拾遺公 必ず為さざるなり。

善人 斯に其の類を進むれば,皆 於拾遺公に望むこと有り。

拾遺公 儻に起つを為さずんば,是に 眾 善人をして斯の人に施に與【あずか】らざなり。

 (6)§5

由拾遺公而使天子不盡得良臣,君子不盡得顯位,

人庶不盡被惠利,其害不為細。

必望審察而遠思之,務使合於孔子之道。

幸甚!愈再拜。

 

Ta唐 長安近郊圖  新02 

『與少室李拾遺書』 現代語訳と訳註解説

(本文) (5)§4

又竊聞朝廷之議,必起拾遺公。

使者往,若不許,即河南必繼以行;

拾遺征君若不至,必加高秩,

如是則辭少就多,傷於廉而害於義,拾遺公必不為也。

善人斯進其類,皆有望於拾遺公,

拾遺公儻不為起,是使眾善人不與斯人施也。

 

(下し文) (5)§4

又た竊に聞く 朝廷の議,必ず拾遺公を起さんとす、と。

使者は往き,若し許さずんば,即ち河南必ず繼いで以て行かん。

拾遺征君 若し至らずんば,必ず高秩を加えん。

是の如くんば則ち少を辭し多に就き,廉に傷って 義に害あり,拾遺公 必ず為さざるなり。

善人 斯に其の類を進むれば,皆 於拾遺公に望むこと有り。

拾遺公 儻に起つを為さずんば,是に 眾 善人をして斯の人に施に與【あずか】らざなり。

 

(現代語訳)

また漏れ聞くところでは、朝廷の考えは必ず拾遺公を出仕させようとしているということだ。

使者が拾遺公の所に往って、もし承知されなければ、すぐさま河南府長官が必ず引き継いで行くであろう。

拾遺征君がもし朝廷に往かないならば、必ずそれよりも高い官秩を加えて招かれるであろう。

このようであれば、少禄を辞して多禄に行き、廉目正しく無欲な徳を傷つけて、正しい筋道をそこなうことになる。拾遺公はきっとこういう行いはされないであろう。

善人であればこそ善人の同類のものを進め仕官させようとするものであるから、皆拾遺公にこれを望んでいることがあるのである。

拾遺公がもし起ち上がって仕えることをしないならば、多数の善人たちをして、この善人である公の施しにあずかって進仕することをなくさせるのである。

汜水関などの地図 

(訳注) (5)§4

與少室李拾遺書

(嵩山(河南省)の少室山の李渤拾遺に与える書状。)

○李渤 (773~831) 渤、字は濬之(しゅんし)、少室山に隠れて出ず。元和の初めに、右拾遺の官を以て徴されたが、辞して行かなかった。退之はこれに書を送って仕官を勧めたので、出て仕えた。両山に石室があるので大室山、少室山と名付けた。唐の穆宗(李恒)が即位すると、考功員外郎として召された。元和十五年(820)、宰相や大臣が凡庸で政治を誤らせていると上書したため、権臣たちに憎まれた。このため虔州刺史として出向させられた。長慶元年(821)、江州刺史に転じた。かれは「白鹿洞」で読書し、後世に拡張されて白鹿洞書院が建てられると、中国四大書院の筆頭に列せられた。

○拾遺 左右拾遺の官は、天子の遺漏したことを拾い諌める役。

 

又竊聞朝廷之議,必起拾遺公。

また漏れ聞くところでは、朝廷の考えは必ず拾遺公を出仕させようとしているということだ。

○竊聞 私だけが聞いている。公開の話ではない。遠慮して「漏れ聞くところでは」というほどの意。

 

使者往,若不許,即河南必繼以行;

使者が拾遺公の所に往って、もし承知されなければ、すぐさま河南府長官が必ず引き継いで行くであろう。

○河南、河南府長官。府尹。

 

拾遺征君若不至,必加高秩,

拾遺征君がもし朝廷に往かないならば、必ずそれよりも高い官秩を加えて招かれるであろう。

○征君 朝廷から召されされても出仕しない人を征君と呼ぶ。李拾遺は一度辞退しているのでこういった。

 

如是則辭少就多,傷於廉而害於義,拾遺公必不為也。

このようであれば、少禄を辞して多禄に行き、廉目正しく無欲な徳を傷つけて、正しい筋道をそこなうことになる。拾遺公はきっとこういう行いはされないであろう。

○如 もし。

 

善人斯進其類,皆有望於拾遺公,

善人であればこそ善人の同類のものを進め仕官させようとするものであるから、皆拾遺公にこれを望んでいることがあるのである。

 

拾遺公儻不為起,是使眾善人不與斯人施也。

拾遺公がもし起ち上がって仕えることをしないならば、多数の善人たちをして、この善人である公の施しにあずかって進仕することをなくさせるのである。

○斯人施 このように善い人である拾遺公が同類を進め仕えさせるという恩恵。

太白山001 

22ー(4)§3 《與少室李拾遺書》韓愈(韓退之)ID 795年貞元11年 28歳<1211> Ⅱ唐宋八大家文読本 巻三 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5039韓愈詩-22ー(4)

韓愈《與少室李拾遺書》§3 もし拾遺公が、仕えて政をすることができる時世に、ひとりで深山に隠れ、門をしっかりととざし、固く人のさそいをふせいで出ないのは、とりもなおさず、孔子のような仁義を行う者と守る道が違うのである。

 
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22ー(4)§3 《與少室李拾遺書》韓愈(韓退之)ID 795年貞元11年 28歳<1211> Ⅱ唐宋八大家文読本 巻三 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5039韓愈詩-22ー(4) 
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22ー(4)§3 《與少室李拾遺書》韓愈(韓退之)ID  795年貞元11年 28歳<1211> Ⅱ唐宋八大家文読本 巻三 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5039韓愈詩-22ー(4)

 

 

與少室李拾遺書

(1)§1

與少室李拾遺書

十二月某日,愈頓首:

伏承天恩,詔河南敦喻拾遺公,

朝廷之士,引頸東望,

若景星鳳凰之始見也,爭先睹之為快。

(嵩山(河南省)の少室山の李渤拾遺に与える書状。)

十二月某日、愈頓首して申す。

伏して承るに、天子のお恵み深く、河南府に詔を下されて、手厚く李拾遺公におさとしがあったということである。

朝廷の人々は、頚を伸ばして東を望んだのだ。

目出度い星や聖天子の世に出るという時に鳳皇がはじめて現れるたかのように、先を争って見るのを喜びとしている。

 

十二月某日,愈 頓首【とんしゅ】す:

伏して承る 天恩,河南に詔りして 敦く拾遺公に喻す,と。

朝廷の士,頸を引いて東望す,

景星 鳳凰の始めて見るが若きなり,先を爭いて 之を睹るを快と為す。

 (2)§2-1

方今天子仁聖,小大之事,

皆出宰相,樂善言如,不得聞。

自即大位已來,於今四年,凡所施者,無不得宜。

勤儉之聲,寬大之政,幽閨婦女、草野小人,飽聞而厭道之。

愈不通於古,請問先生,世非太平之運歟?

ただ今、天子は仁愛であり極めて聡明にあらせられ、小大すべての事は、

皆宰相の考えに出て、善い言葉を楽しま れること、これを久しく聞かれなかったかのように熱心に耳を傾けられ、

それ故ご即位以来今まで四年、およそ施し行われたところの事は、宜しきを得ないものはなかった。

そして政に勤め倹約であるという評判と寛大に人ゆるす政治は、

奥深い座敷、閨の婦女も、草深い民間の被治者たちも、皆飽きるまで聞き、飽きるまでこれをいうのである。

私、韓愈は古代の事が十分に分からないので、どうか先生にお伺いしたいことは、世は太平の運ではないのか。

方に今、天子 仁聖なり,小大の事,皆 宰相に出づ,

善言を樂しむこと,聞くを得ざるが如し。

大位に即くより已來【いらい】,今に於いて四年,凡そ施す所の者,宜しく得ざる無し。

勤儉の聲,寬大の政,幽閨の婦女、草野の小人も,飽くまで聞いて 厭くまで之を道う。

愈 古に通ぜず,先生に請い問う,世 太平の運にら非ざるか?

 (3)§2-2

加又有非人力而至者,年穀熟衍,符貺委至;

幹紀之奸,不戰而拘累;

強梁之凶,銷鑠縮栗,迎風而委伏。

其有一事未就正,自視若不成人。

四海之所環,無一夫甲而兵者。

若此時也,拾遺公不疾起與天下之士君子樂成而享之,斯無時矣。

又それに加えて、人の力でなくて、やって来るものがある。

年の田の稔りが熟しあまりがあり、瑞祥のたまものが重なり至り、

法を犯した謀反人、悪人が、戦わずして捕縛された。

強くて暴れる謀反人、悪人が、消滅し縮み恐れ、草が風を迎えるように随い伏す、というようなことがあり、

その一つの事でも正しくならなければ、在位の君子は自身を視ること、不完全な人間のようである。

四海の内、天下は、一人の男も鎧を着て武器を執る者がいない。

このような時に、拾遺公が速かに起ち上がって天下の士、君子と政道の完成を楽しんで、その幸せを身に受けなければ、その時がないであろう。

 

加うるに又た人力非らずして至る有者り,年穀【ねんこく】熟衍【じゅくえん】,符貺【ふきゅう】委至【いち】す。

紀を幹【おか】すの奸も,戰わずして拘累せらる。

強梁の凶も,銷鑠【しょうしゃく】縮栗も,風を迎えて委伏する。

其の一事未だ正に就かざる有れば,自ら視ること不成人の若し。

四海の環る所,一夫も甲して兵する者無し。

此くの若き時や,拾遺公 疾く起ちて與天下の士君子と成るを樂しんで之を享けずんば,斯れ時無からんや。

 

(4)§3

昔者孔子知不可為而為之不已,足跡接於諸侯之國。

むかし孔子は、道を行うことができないことを知りながら、これを行おうとしてやまず、その足あとは天下の諸侯の国々に続いていた。

今可為之時,自藏深山,

いま、拾遺公が、仕えて政をすることができる時世に、ひとりで深山に隠れ、

牢關而固距,即與仁義者異守矣。

門をしっかりととざし、固く人のさそいをふせいで出ないのは、とりもなおさず、孔子のような仁義を行う者と守る道が違うのである。

想拾遺公冠帶就車,惠然肯來,

想うに拾遺公が、冠をかぶり帯をしめて、礼服に身を正し、車に乗り、機嫌よく朝廷に来ることを承諾し、

抒所蓄積,以補綴盛德之有闕遺,

平素から心にたくわえ積んだ抱負をのべて、天子の立派な徳のとう闕けて手落ちのある所を補い綴るならば、

利加於時,名垂於將來,

その利益はその時世に加わり、その名誉は将来に伝わるであろう。

踴躍悚企,傾刻以冀。

躍り上がって心おそれ爪立ちしながら、暫くのうちに公の来られることをこいねがうのである。

昔は 孔子為す可からざるを知りて 之を為して已まず,足跡 諸侯の國に接す。

今 為す可きの時,自ら深山に藏る,

牢關して固く距ぐは,即ち仁義の者と守を異にす。

想うに拾遺公 冠帶して車に就き,惠然として肯て來る,

蓄積する所を抒べ,以って盛德の闕遺有るを補綴せば,

利 時に加わり,名 將來に垂れん,

踴躍して悚企し,傾刻以って冀【こいねが】う。

 (5)§4

又竊聞朝廷之議,必起拾遺公。

使者往,若不許,即河南必繼以行;

拾遺征君若不至,必加高秩,如是則辭少就多,

傷於廉而害於義,拾遺公必不為也。

善人斯進其類,皆有望於拾遺公,

拾遺公儻不為起,是使眾善人不與斯人施也。

(6)§5

由拾遺公而使天子不盡得良臣,君子不盡得顯位,

人庶不盡被惠利,其害不為細。

必望審察而遠思之,務使合於孔子之道。

幸甚!愈再拜。

函谷関002Ta唐 長安近郊圖  新02 

 

『與少室李拾遺書』 現代語訳と訳註解説

(本文)(4)§3

昔者孔子知不可為而為之不已,足跡接於諸侯之國。

今可為之時,自藏深山,

牢關而固距,即與仁義者異守矣。

想拾遺公冠帶就車,惠然肯來,

抒所蓄積,以補綴盛德之有闕遺,

利加於時,名垂於將來,

踴躍悚企,傾刻以冀。

 

(下し文) (4)§3

昔は 孔子為す可からざるを知りて 之を為して已まず,足跡 諸侯の國に接す。

今 為す可きの時,自ら深山に藏る,

牢關して固く距ぐは,即ち仁義の者と守を異にす。

想うに拾遺公 冠帶して車に就き,惠然として肯て來る,

蓄積する所を抒べ,以って盛德の闕遺有るを補綴せば,

利 時に加わり,名 將來に垂れん,

踴躍して悚企し,傾刻以って冀【こいねが】う。

 

 (現代語訳)

むかし孔子は、道を行うことができないことを知りながら、これを行おうとしてやまず、その足あとは天下の諸侯の国々に続いていた。

もし拾遺公が、仕えて政をすることができる時世に、ひとりで深山に隠れ、

門をしっかりととざし、固く人のさそいをふせいで出ないのは、とりもなおさず、孔子のような仁義を行う者と守る道が違うのである。

想うに拾遺公が、冠をかぶり帯をしめて、礼服に身を正し、車に乗り、機嫌よく朝廷に来ることを承諾し、

平素から心にたくわえ積んだ抱負をのべて、天子の立派な徳のとう闕けて手落ちのある所を補い綴るならば、

その利益はその時世に加わり、その名誉は将来に伝わるであろう。

躍り上がって心おそれ爪立ちしながら、暫くのうちに公の来られることをこいねがうのである。

 

 

(訳注) (4)§3

與少室李拾遺書

(嵩山(河南省)の少室山の李渤拾遺に与える書状。)

○李渤 (773~831) 渤、字は濬之(しゅんし)、少室山に隠れて出ず。元和の初めに、右拾遺の官を以て徴されたが、辞して行かなかった。退之はこれに書を送って仕官を勧めたので、出て仕えた。両山に石室があるので大室山、少室山と名付けた。唐の穆宗(李恒)が即位すると、考功員外郎として召された。元和十五年(820)、宰相や大臣が凡庸で政治を誤らせていると上書したため、権臣たちに憎まれた。このため虔州刺史として出向させられた。長慶元年(821)、江州刺史に転じた。かれは「白鹿洞」で読書し、後世に拡張されて白鹿洞書院が建てられると、中国四大書院の筆頭に列せられた。

○拾遺 左右拾遺の官は、天子の遺漏したことを拾い諌める役。

 

昔者孔子知不可為而為之不已,足跡接於諸侯之國。

むかし孔子は、道を行うことができないことを知りながら、これを行おうとしてやまず、その足あとは天下の諸侯の国々に続いていた。

 

今可為之時,自藏深山,

いま、拾遺公が、仕えて政をすることができる時世に、ひとりで深山に隠れ、

 

牢關而固距,即與仁義者異守矣。

門をしっかりととざし、固く人のさそいをふせいで出ないのは、とりもなおさず、孔子のような仁義を行う者と守る道が違うのである。

○牢關 固く門のかんぬきをとざす。牢は固。

○固距 固くふせぐ。こばむ。

○守 守る道。

 

想拾遺公冠帶就車,惠然肯來,

想うに拾遺公が、冠をかぶり帯をしめて、礼服に身を正し、車に乗り、機嫌よく朝廷に来ることを承諾し、

○冠帯 衣冠束帯をつける。礼服を 着て出仕する。

○恵然 好意をあらわす。機嫌よく。

 

抒所蓄積,以補綴盛德之有闕遺,

平素から心にたくわえ積んだ抱負をのべて、天子の立派な徳のとう闕けて手落ちのある所を補い綴るならば、

○補綴 欠けている所をおぎないつづる。

 

利加於時,名垂於將來,

その利益はその時世に加わり、その名誉は将来に伝わるであろう。

 

踴躍悚企,傾刻以冀。

躍り上がって心おそれ爪立ちしながら、暫くのうちに公の来られることをこいねがうのである。

○悚企 心おそれ爪立ちする。

○傾刻 しばらくのうちに。
三峡 巫山十二峰001 

22ー(3)§2-2 《與少室李拾遺書》韓愈(韓退之)ID 795年貞元11年 28歳<1210> Ⅱ唐宋八大家文読本 巻三 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5034

又それに加えて、人の力でなくて、やって来るものがある。年の田の稔りが熟しあまりがあり、瑞祥のたまものが重なり至り、法を犯した謀反人、悪人が、戦わずして捕縛された。

 
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 魚玄機全詩●花間集(6)●花間集(7)●花間集(8)●花間集(9)●花間集(10) 
 温庭筠66首 花間集1・2巻皇甫松11首 花間集二巻韋莊47首 花間集二巻薛昭蘊19首 花間集三巻牛嶠31首 花間集三・四巻張泌27首 花間集四巻 
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22ー(3)§2-2 《與少室李拾遺書》韓愈(韓退之)ID  795年貞元11年 28歳<1210> Ⅱ唐宋八大家文読本 巻三 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5034

韓愈詩-22―(3)§2-2

 

 

與少室李拾遺書

(1)§1

與少室李拾遺書

(嵩山(河南省)の少室山の李渤拾遺に与える書状。)

十二月某日,愈頓首:

十二月某日、愈頓首して申す。

伏承天恩,詔河南敦喻拾遺公,

伏して承るに、天子のお恵み深く、河南府に詔を下されて、手厚く李拾遺公におさとしがあったということである。

朝廷之士,引頸東望,

朝廷の人々は、頚を伸ばして東を望んだのだ。

若景星鳳凰之始見也,爭先睹之為快。

目出度い星や聖天子の世に出るという時に鳳皇がはじめて現れるたかのように、先を争って見るのを喜びとしている。

 

十二月某日,愈 頓首【とんしゅ】す:

伏して承る 天恩,河南に詔りして 敦く拾遺公に喻す,と。

朝廷の士,頸を引いて東望す,

景星 鳳凰の始めて見るが若きなり,先を爭いて 之を睹るを快と為す。

 (2)§2-1

方今天子仁聖,小大之事,

ただ今、天子は仁愛であり極めて聡明にあらせられ、小大すべての事は、

皆出宰相,樂善言如,不得聞。

皆宰相の考えに出て、善い言葉を楽しま れること、これを久しく聞かれなかったかのように熱心に耳を傾けられ、

自即大位已來,於今四年,凡所施者,無不得宜。

それ故ご即位以来今まで四年、およそ施し行われたところの事は、宜しきを得ないものはなかった。

勤儉之聲,寬大之政,

そして政に勤め倹約であるという評判と寛大に人ゆるす政治は、

幽閨婦女、草野小人,飽聞而厭道之。

奥深い座敷、閨の婦女も、草深い民間の被治者たちも、皆飽きるまで聞き、飽きるまでこれをいうのである。

愈不通於古,請問先生,世非太平之運歟?

私、韓愈は古代の事が十分に分からないので、どうか先生にお伺いしたいことは、世は太平の運ではないのか。

方に今、天子 仁聖なり,小大の事,皆 宰相に出づ,

善言を樂しむこと,聞くを得ざるが如し。

大位に即くより已來【いらい】,今に於いて四年,凡そ施す所の者,宜しく得ざる無し。

勤儉の聲,寬大の政,幽閨の婦女、草野の小人も,飽くまで聞いて 厭くまで之を道う。

愈 古に通ぜず,先生に請い問う,世 太平の運にら非ざるか?

 (3)§2-2

加又有非人力而至者,

又それに加えて、人の力でなくて、やって来るものがある。

年穀熟衍,符貺委至;

年の田の稔りが熟しあまりがあり、瑞祥のたまものが重なり至り、

幹紀之奸,不戰而拘累;

法を犯した謀反人、悪人が、戦わずして捕縛された。

強梁之凶,銷鑠縮栗,迎風而委伏。

強くて暴れる謀反人、悪人が、消滅し縮み恐れ、草が風を迎えるように随い伏す、というようなことがあり、

其有一事未就正,自視若不成人。

その一つの事でも正しくならなければ、在位の君子は自身を視ること、不完全な人間のようである。

四海之所環,無一夫甲而兵者。

四海の内、天下は、一人の男も鎧を着て武器を執る者がいない。

若此時也,拾遺公不疾起與天下之士君子樂成而享之,斯無時矣。

このような時に、拾遺公が速かに起ち上がって天下の士、君子と政道の完成を楽しんで、その幸せを身に受けなければ、その時がないであろう。

 

加うるに又た人力非らずして至る有者り,年穀【ねんこく】熟衍【じゅくえん】,符貺【ふきゅう】委至【いち】す。

紀を幹【おか】すの奸も,戰わずして拘累せらる。

強梁の凶も,銷鑠【しょうしゃく】縮栗も,風を迎えて委伏する。

其の一事未だ正に就かざる有れば,自ら視ること不成人の若し。

四海の環る所,一夫も甲して兵する者無し。

此くの若き時や,拾遺公 疾く起ちて與天下の士君子と成るを樂しんで之を享けずんば,斯れ時無からんや。
函谷関002 

汜水関などの地図 

 

『與少室李拾遺書』 現代語訳と訳註解説

(本文) (3)§2-2

加又有非人力而至者,年穀熟衍,符貺委至;

幹紀之奸,不戰而拘累;

強梁之凶,銷鑠縮栗,迎風而委伏。

其有一事未就正,自視若不成人。

四海之所環,無一夫甲而兵者。

若此時也,拾遺公不疾起與天下之士君子樂成而享之,斯無時矣。

 

(下し文)

加うるに又た人力非らずして至る有者り,年穀【ねんこく】熟衍【じゅくえん】,符貺【ふきゅう】委至【いち】す。

紀を幹【おか】すの奸も,戰わずして拘累せらる。

強梁の凶も,銷鑠【しょうしゃく】縮栗も,風を迎えて委伏する。

其の一事未だ正に就かざる有れば,自ら視ること不成人の若し。

四海の環る所,一夫も甲して兵する者無し。

此くの若き時や,拾遺公 疾く起ちて與天下の士君子と成るを樂しんで之を享けずんば,斯れ時無からんや。

 

(現代語訳)

又それに加えて、人の力でなくて、やって来るものがある。

年の田の稔りが熟しあまりがあり、瑞祥のたまものが重なり至り、

法を犯した謀反人、悪人が、戦わずして捕縛された。

強くて暴れる謀反人、悪人が、消滅し縮み恐れ、草が風を迎えるように随い伏す、というようなことがあり、

その一つの事でも正しくならなければ、在位の君子は自身を視ること、不完全な人間のようである。

四海の内、天下は、一人の男も鎧を着て武器を執る者がいない。

このような時に、拾遺公が速かに起ち上がって天下の士、君子と政道の完成を楽しんで、その幸せを身に受けなければ、その時がないであろう。

 

太白山001 

(訳注) (3)§2-2

與少室李拾遺書

(嵩山(河南省)の少室山の李渤拾遺に与える書状。)

○李渤 (773~831) 渤、字は濬之(しゅんし)、少室山に隠れて出ず。元和の初めに、右拾遺の官を以て徴されたが、辞して行かなかった。退之はこれに書を送って仕官を勧めたので、出て仕えた。両山に石室があるので大室山、少室山と名付けた。唐の穆宗(李恒)が即位すると、考功員外郎として召された。元和十五年(820)、宰相や大臣が凡庸で政治を誤らせていると上書したため、権臣たちに憎まれた。このため虔州刺史として出向させられた。長慶元年(821)、江州刺史に転じた。かれは「白鹿洞」で読書し、後世に拡張されて白鹿洞書院が建てられると、中国四大書院の筆頭に列せられた。

○拾遺 左右拾遺の官は、天子の遺漏したことを拾い諌める役。

 

加又有非人力而至者,

又それに加えて、人の力でなくて、やって来るものがある。

 

年穀熟衍,符貺委至;

年の田の稔りが熟しあまりがあり、瑞祥のたまものが重なり至り、

○熟衍 熟して溢れる。

○符貺 符は目出たいしるし、睨は賜物。天与の瑞兆。

○委至 委は禾ぶ)が積み重なること。重なり

 

幹紀之奸,不戰而拘累;

法を犯した謀反人、悪人が、戦わずして捕縛された。

○幹紀之奸,不戰而拘累 紀綱(法令)をおかす悪人か戦わずして捕縛される。806年元和元年、西川節度使劉闢や李錡が捕らえられたこと

 

強梁之凶,銷鑠縮栗,迎風而委伏。

強くて暴れる謀反人、悪人が、消滅し縮み恐れ、草が風を迎えるように随い伏す、というようなことがあり、

○強梁之凶,銷鑠縮栗 強く暴れる悪者が消滅し縮み恐れる。王承宗が徳州と桂(に)州の地を献じたこと。

○委伏 随い伏す。

 

其有一事未就正,自視若不成人。

その一つの事でも正しくならなければ、在位の君子は自身を視ること、不完全な人間のようである。

 

四海之所環,無一夫甲而兵者。

四海の内、天下は、一人の男も鎧を着て武器を執る者がいない。

○甲而兵 鎧を着て武器を持つ。

 

若此時也,拾遺公不疾起與天下之士君子樂成而享之,斯無時矣。

このような時に、拾遺公が速かに起ち上がって天下の士、君子と政道の完成を楽しんで、その幸せを身に受けなければ、その時がないであろう。

○斯無時矣 それこそ時機がないであろう。

22ー(2)§2-1 《與少室李拾遺書》韓愈(韓退之)ID 795年貞元11年 28歳<1209> Ⅱ唐宋八大家文読本 巻三 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5029

ただ今、天子は仁愛であり極めて聡明にあらせられ、小大すべての事は、皆宰相の考えに出て、善い言葉を楽しま れること、これを久しく聞かれなかったかのように熱心に耳を傾けられ、それ故ご即位以来今まで四年、およそ施し行われたところの事は、宜しきを得ないものはなかった。

 
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韓愈詩-22ー(2)§2-1

 

 

 

與少室李拾遺書

(1)§1

與少室李拾遺書

(嵩山(河南省)の少室山の李渤拾遺に与える書状。)

十二月某日,愈頓首:

十二月某日、愈頓首して申す。

伏承天恩,詔河南敦喻拾遺公,

伏して承るに、天子のお恵み深く、河南府に詔を下されて、手厚く李拾遺公におさとしがあったということである。

朝廷之士,引頸東望,

朝廷の人々は、頚を伸ばして東を望んだのだ。

若景星鳳凰之始見也,爭先睹之為快。

目出度い星や聖天子の世に出るという時に鳳皇がはじめて現れるたかのように、先を争って見るのを喜びとしている。

 

十二月某日,愈 頓首【とんしゅ】す:

伏して承る 天恩,河南に詔りして 敦く拾遺公に喻す,と。

朝廷の士,頸を引いて東望す,

景星 鳳凰の始めて見るが若きなり,先を爭いて 之を睹るを快と為す。

 (2)§2-1

方今天子仁聖,小大之事,

ただ今、天子は仁愛であり極めて聡明にあらせられ、小大すべての事は、

皆出宰相,樂善言如,不得聞。

皆宰相の考えに出て、善い言葉を楽しま れること、これを久しく聞かれなかったかのように熱心に耳を傾けられ、

自即大位已來,於今四年,凡所施者,無不得宜。

それ故ご即位以来今まで四年、およそ施し行われたところの事は、宜しきを得ないものはなかった。

勤儉之聲,寬大之政,

そして政に勤め倹約であるという評判と寛大に人ゆるす政治は、

幽閨婦女、草野小人,飽聞而厭道之。

奥深い座敷、閨の婦女も、草深い民間の被治者たちも、皆飽きるまで聞き、飽きるまでこれをいうのである。

愈不通於古,請問先生,世非太平之運歟?

私、韓愈は古代の事が十分に分からないので、どうか先生にお伺いしたいことは、世は太平の運ではないのか。

方に今、天子 仁聖なり,小大の事,皆 宰相に出づ,

善言を樂しむこと,聞くを得ざるが如し。

大位に即くより已來【いらい】,今に於いて四年,凡そ施す所の者,宜しく得ざる無し。

勤儉の聲,寬大の政,幽閨の婦女、草野の小人も,飽くまで聞いて 厭くまで之を道う。

愈 古に通ぜず,先生に請い問う,世 太平の運にら非ざるか?

 (3)§2-2

加又有非人力而至者,年穀熟衍,符貺委至;幹紀之奸,不戰而拘累;強梁之凶,銷鑠縮栗,迎風而委伏。其有一事未就正,自視若不成人。四海之所環,無一夫甲而兵者。若此時也,拾遺公不疾起與天下之士君子樂成而享之,斯無時矣。

 

汜水関などの地図 

『與少室李拾遺書』 現代語訳と訳註解説

(本文) (2)§2-1

方今天子仁聖,小大之事,

皆出宰相,樂善言如,不得聞。

自即大位已來,於今四年,凡所施者,無不得宜。

勤儉之聲,寬大之政,幽閨婦女、草野小人,飽聞而厭道之。

愈不通於古,請問先生,世非太平之運歟?

 

(下し文) (2)§2-1

方に今、天子 仁聖なり,小大の事,皆 宰相に出づ,

善言を樂しむこと,聞くを得ざるが如し。

大位に即くより已來【いらい】,今に於いて四年,凡そ施す所の者,宜しく得ざる無し。

勤儉の聲,寬大の政,幽閨の婦女、草野の小人も,飽くまで聞いて 厭くまで之を道う。

愈 古に通ぜず,先生に請い問う,世 太平の運にら非ざるか?

 

(現代語訳)

ただ今、天子は仁愛であり極めて聡明にあらせられ、小大すべての事は、

皆宰相の考えに出て、善い言葉を楽しま れること、これを久しく聞かれなかったかのように熱心に耳を傾けられ、

それ故ご即位以来今まで四年、およそ施し行われたところの事は、宜しきを得ないものはなかった。

そして政に勤め倹約であるという評判と寛大に人ゆるす政治は、

奥深い座敷、閨の婦女も、草深い民間の被治者たちも、皆飽きるまで聞き、飽きるまでこれをいうのである。

私、韓愈は古代の事が十分に分からないので、どうか先生にお伺いしたいことは、夜は太平の運ではないのか。

 

辟雍00 

(訳注) (2)§2-1

與少室李拾遺書

(嵩山(河南省)の少室山の李渤拾遺に与える書状。)

○李渤 (773~831) 渤、字は濬之(しゅんし)、少室山に隠れて出ず。元和の初めに、右拾遺の官を以て徴されたが、辞して行かなかった。退之はこれに書を送って仕官を勧めたので、出て仕えた。両山に石室があるので大室山、少室山と名付けた。唐の穆宗(李恒)が即位すると、考功員外郎として召された。元和十五年(820)、宰相や大臣が凡庸で政治を誤らせていると上書したため、権臣たちに憎まれた。このため虔州刺史として出向させられた。長慶元年(821)、江州刺史に転じた。かれは「白鹿洞」で読書し、後世に拡張されて白鹿洞書院が建てられると、中国四大書院の筆頭に列せられた。

○拾遺 左右拾遺の官は、天子の遺漏したことを拾い諌める役。

 

 

方今天子仁聖,小大之事,

ただ今、天子は仁愛であり極めて聡明にあらせられ、小大すべての事は、

仁聖 仁愛ふかくと仁徳がたかいこと。

 

皆出宰相,樂善言如,不得聞。

皆宰相の考えに出て、善い言葉を楽しま れること、これを久しく聞かれなかったかのように熱心に耳を傾けられ、

 

自即大位已來,於今四年,凡所施者,無不得宜。

それ故ご即位以来今まで四年、およそ施し行われたところの事は、宜しきを得ないものはなかった。

大位 位の高い人。

 

勤儉之聲,寬大之政,

そして政に勤め倹約であるという評判と寛大に人ゆるす政治は、

 

幽閨婦女、草野小人,飽聞而厭道之。

奥深い座敷、閨の婦女も、草深い民間の被治者たちも、皆飽きるまで聞き、飽きるまでこれをいうのである。

幽閨 奥深い座敷・閨に幽閉されている。寵愛を失って閨に幽閉状態にある妾。

草野 民間人。

小人 取るに足らない、つまらない人。

 

愈不通於古,請問先生,世非太平之運歟?

私、韓愈は古代の事が十分に分からないので、どうか先生にお伺いしたいことは、世は太平の運ではないのか。

不通於古 古代の事が十分に分からない。三皇五帝の仁徳の政治の実際について詳しく知らない(謙遜語)。

22―(1) 《與少室李拾遺書》韓愈(韓退之)ID 795年貞元11年 28歳<1208> Ⅱ唐宋八大家文読本 巻三 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5024

韓愈《與少室李拾遺書》(嵩山(河南省)の少室山の李渤拾遺に与える書状。)十二月某日、愈頓首して申す。

 
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22―(1) 《與少室李拾遺書》韓愈(韓退之)ID 795年貞元11年 28歳<1208> Ⅱ唐宋八大家文読本 巻三 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5024 
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 index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首index-13 821年~822年 55歳 22首index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首韓愈 哲学・儒学「五原」賦・散文・上奏文・碑文など 
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 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
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22―(1) 《與少室李拾遺書》韓愈(韓退之)ID  795年貞元11年 28歳<1208> Ⅱ唐宋八大家文読本 巻三 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5024

韓愈詩-22ー(1)

 

 

貞元十一年(795年)一月、愈は時の宰相に手紙を送って、仕官を求めた。その「宰相に上る書」は今に残っているが、要するに自分ほどの才能のある人物を放置するのは国家的損失なので、科挙によらずして採用の道を開き、宰相が人材を求めている実を示していただきたいというにある。

愈はとうとう吏部の試の合格をあきらめて、別のルートで採用してもらおうとしたらしい。しかし宰相とは一面識もないのであるから、これは虫のよすぎる注文であるが、やるだけのことはやるという韓愈の律義さであるが、儒者の上申書は受け取る側が儒者でないと理解はされない。はたして宰相からは返事が来ない。当然のこととして、黙殺されてしまったのである。19日後(二月)、29日後(三月)10日度に宰相に手紙を送ったが、返事は一度もなかった。

 

五月、愈はついに都を離れ、郷里の河陽へと帰る。彼を養育してくれた兄嫁の鄭氏は、前年(一説にはこの年) に死んで、郷里に葬られていた。その墓参が重要な目的であったことはいうまでもないが、長安での生活費の少なくとも一部を持ち帰ることも、目的の一つにはいっていたことであろう。

 

 

翌貞元十二年(796年)六月、汁州(河南省開封市)に本拠を置く宣武軍節度使の幕府に紛争が発生した。ここの節度使は李万栄という人であったが、重病にかかったので、息子の李酒に職務を代行させた。節度使は朝廷から任命された官職であり、それが病気になった場合は朝廷であらためて選考1任命するのが筋なのだが、当時では世襲の職のようになっており、節度使の職を息子が継ぐのはしごく当然のことと誰もが考えていた。朝廷もそれを黙認して、息子に辞令を出すことで形式上の任命制を守ろうという態度だったから、李万栄が自分の息子に職務を代行させたのは、べつに常識はずれの行為ではなかったし、まして宣武軍のなかにあっては、文句をつける人もない措置であった。

ところが、息子の李連は酷薄な性格の人で、気に入らぬ部下は即座に殺してしまうしまつだったから、幕府のうちには動揺が起こった。そしてついに、李万栄の側近だった郡惟恭という人がクーデターを決行し、蓮を捕縛して、都へ護送した。

 

 

兵部侍郎李巽のような人物を見る眼識のある人に遇って、知己を求めなければ、機会を失うといって、採用を願うのである。

 

 

與少室李拾遺書

(1)§1

與少室李拾遺書

十二月某日,愈頓首:

伏承天恩,詔河南敦喻拾遺公,

朝廷之士,引頸東望,

若景星鳳凰之始見也,爭先睹之為快。

(嵩山(河南省)の少室山の李渤拾遺に与える書状。)

十二月某日、愈頓首して申す。

伏して承るに、天子のお恵み深く、河南府に詔を下されて、手厚く李拾遺公におさとしがあったということである。

朝廷の人々は、頚を伸ばして東を望んだのだ。

目出度い星や聖天子の世に出るという時に鳳皇がはじめて現れるたかのように、先を争って見るのを喜びとしている。

 

十二月某日,愈 頓首【とんしゅ】す:

伏して承る 天恩,河南に詔りして 敦く拾遺公に喻す,と。

朝廷の士,頸を引いて東望す,

景星 鳳凰の始めて見るが若きなり,先を爭いて 之を睹るを快と為す。

 (2)§2-1

方今天子仁聖,小大之事,皆出宰相,樂善言如,不得聞。自即大位已來,於今四年,凡所施者,無不得宜。勤儉之聲,寬大之政,幽閨婦女、草野小人,飽聞而厭道之。愈不通於古,請問先生,世非太平之運歟?

(3)§2-2

加又有非人力而至者,年穀熟衍,符貺委至;幹紀之奸,不戰而拘累;強梁之凶,銷鑠縮栗,迎風而委伏。其有一事未就正,自視若不成人。四海之所環,無一夫甲而兵者。若此時也,拾遺公不疾起與天下之士君子樂成而享之,斯無時矣。

(4)§3

昔者孔子知不可為而為之不已,足跡接於諸侯之國。今可為之時,自藏深山,牢關而固距,即與仁義者異守矣。想拾遺公冠帶就車,惠然肯來,抒所蓄積,以補綴盛德之有闕遺,利加於時,名垂於將來,踴躍悚企,傾刻以冀。

(5)§4

又竊聞朝廷之議,必起拾遺公。使者往,若不許,即河南必繼以行;拾遺征君若不至,必加高秩,如是則辭少就多,傷於廉而害於義,拾遺公必不為也。善人斯進其類,皆有望於拾遺公,拾遺公儻不為起,是使眾善人不與斯人施也。

(6)§5

由拾遺公而使天子不盡得良臣,君子不盡得顯位,人庶不盡被惠利,其害不為細。必望審察而遠思之,務使合於孔子之道。幸甚!愈再拜。

辟雍00 

 

『與少室李拾遺書』 現代語訳と訳註解説

(本文) (1)§1

與少室李拾遺書

十二月某日,愈頓首:

伏承天恩,詔河南敦喻拾遺公,

朝廷之士,引頸東望,

若景星鳳凰之始見也,爭先睹之為快。

 

(下し文) (1)§1

(少室の李拾遺に與うる書)

十二月某日,愈 頓首【とんしゅ】す:

伏して承る 天恩,河南に詔りして 敦く拾遺公に喻す,と。

朝廷の士,頸を引いて東望す,

景星 鳳凰の始めて見るが若きなり,先を爭いて 之を睹るを快と為す。

 

 

(現代語訳)

(嵩山(河南省)の少室山の李渤拾遺に与える書状。)

十二月某日、愈頓首して申す。

伏して承るに、天子のお恵み深く、河南府に詔を下されて、手厚く李拾遺公におさとしがあったということである。

朝廷の人々は、頚を伸ばして東を望んだのだ。

目出度い星や聖天子の世に出るという時に鳳皇がはじめて現れるたかのように、先を争って見るのを喜びとしている。

 

汜水関などの地図 

(訳注) (1)§1

與少室李拾遺書

(嵩山(河南省)の少室山の李渤拾遺に与える書状。)

○李渤 (773~831) 渤、字は濬之(しゅんし)、少室山に隠れて出ず。元和の初めに、右拾遺の官を以て徴されたが、辞して行かなかった。退之はこれに書を送って仕官を勧めたので、出て仕えた。両山に石室があるので大室山、少室山と名付けた。唐の穆宗(李恒)が即位すると、考功員外郎として召された。元和十五年(820)、宰相や大臣が凡庸で政治を誤らせていると上書したため、権臣たちに憎まれた。このため虔州刺史として出向させられた。長慶元年(821)、江州刺史に転じた。かれは「白鹿洞」で読書し、後世に拡張されて白鹿洞書院が建てられると、中国四大書院の筆頭に列せられた。

○拾遺 左右拾遺の官は、天子の遺漏したことを拾い諌める役。

 

十二月某日,愈頓首:

十二月某日、愈頓首して申す。

 

伏承天恩,詔河南敦喻拾遺公,

伏して承るに、天子のお恵み深く、河南府に詔を下されて、手厚く李拾遺公におさとしがあったということである。

 

朝廷之士,引頸東望,

朝廷の人々は、頚を伸ばして東を望んだのだ。

○引順 首をひきのばして望む。『孟子』梁恵王篇に「天下の民 皆頚を引いて之を望む」とある。

 

若景星鳳凰之始見也,爭先睹之為快。

目出度い星や聖天子の世に出るという時に鳳皇がはじめて現れるたかのように、先を争って見るのを喜びとしている。

○景星 めでたいことの前兆として出るといわれる星。瑞星(ずいせい)。『史記』天官書「景星は徳星なり。其の状常無し、有道の国に出づ」と。

○鳳皇 瑞鳥。鳳凰、伝説上の鳥で聖人の世‘に出る。

21-(7)§5 《上兵部李侍郎書 -7》韓愈(韓退之)ID 795年貞元11年 28歳<1207> Ⅱ唐宋八大家文読本 巻三 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5019

南行の詩一巻は、憂いをゆるめ、悲しみをなぐさめるもので、それに取捨雑多をまじえて珍奇であやしい言葉をつかい、時俗の好みをうまくつかっている。しかし、これは私が口に歌ったり、耳に聴くためのものである。

 
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21-(7)

§5 《上兵部李侍郎書 -7》韓愈(韓退之)ID  795年貞元11年 28歳<1207> Ⅱ唐宋八大家文読本 巻三 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5019

韓愈詩-21-(7)§5

 

 

上兵部李侍郎書 §1

(兵部侍郎李巽のような人物を見る眼識のある人に遇って、知己を求めなければ、機会を失うといって、採用を願うのである。)

十二月九日,將仕郎守江陵府法曹參軍韓愈,謹上書侍郎閤下:

十二月九日、将仕郎守江陵府法曹参軍韓愈、謹んで書を侍郎閣下にたてまつる。

愈少鄙鈍,於時事都不通曉,

私は幼少から見識は低く智能は鈍く、時世の事について全く通じ知らないのであるが、

家貧不足以自活,應舉覓官,凡二十年矣。

家が貧しく自力で活きるに不充分であるので、科挙に応じて官をも とめること二十年である。

薄命不幸,動遭讒謗,進寸退尺,卒無所成。

しかし運命が薄くふしあわせで、どうかするとありもしない悪口にあい、一寸進めば一尺退く というように、ついに成功する所かないのである。

(兵部李侍郎に上る書)

十二月九日,將仕 郎守 江陵府 法曹參軍の韓愈,謹んで書を侍郎閤下に上【たてまつ】る。

愈 少より鄙鈍【ひどん】,時事に於いて都【すべ】て通曉せず,

家 貧にして以って自活するに足らず,舉に應じて官を覓むること,凡そ二十年なり。

薄命不幸,動もすれば讒謗【ざんぼう】に遭い,寸を進めば尺を退き,卒【つい】に成す所無し。

§2

性本好文學,因困厄悲愁,

私は生まれつきの性格は、もともと文学を奸み、生活に困っていて、災いに苦しみ悲しみうれっていた。

無所告語,遂得究窮於經傳、

それを告げ語る人も無い境遇であったから、そのまま聖人の教えの書やそれの伝述の書を研究した。

史記、百家之說,沈潛乎訓義,反複乎句讀,

そして、歴史の記録、請子百家の説を研究し、その読み方解義に深く心をひそめ、辞章の句切り読みなどの勉学を繰り返した。

礱磨乎事業,而奮發乎文章。

学問の仕事に錬磨して、文章に力を奮い発することができた。

§2

性は本と 文學を好み,困厄 悲愁に因る,

告語する所無く,遂に經傳、史記、百家の說を究窮するを得る。

訓義に沈潛し,句讀を反複し,

事業を礱磨【ろうま】し,而して文章を奮發す。

-2

凡自唐虞以來,編簡所存,

およそ堯・舜からこのかた、書籍に存する所のものを読み、

大之為河海,高之為山嶽,

広大な文章では黄河や大海のようなものであり、高大なものでは山嶽のような 文章であるのだ。

明之為日月,幽之為鬼神,

明らかに輝くものでは、日月のような文章であり、幽玄なものでは鬼神にもたとえられる神秘な文章であるのだ。

纖之為珠璣華實,變之為雷霆風雨,

繊細な文章では真珠や小さい玉、花や実のようなものでもあるのだ。

奇辭奧旨,靡不通達。

変化の激しいものでは、雷や稲光、風や雨のような文章である。これらのめずらしい文辞、奥深い意味を、私は十分によく理解しないところがない。

惟是鄙鈍不通曉於時事,學成而道益窮,

ただ私の性質は見識いやしく、心の働きがにぶくて、時世の大切な事がらに行きわたり理解できないだけである。学問はでき上がっているのにである。

年老而智益困,私自憐悼,

わが道はますます行きづまり、年を重ねて智恵はますます苦しんでいる。私は人しれず自分を憐みいたむのである。
悔其初心,發禿齒落,不見知己。

その初めに抱いた志を今では悔いている。髪は禿げ歯は技けてうつろになっても、己を知ってくれる人物に遭遇できないでいる。

 

凡そ唐虞より以來,編簡の存する所なり,

之を大にしては河海を為し,之を高うしては山嶽と為す。

之を明しては日月と為り,之を幽にしては鬼神と為る。

之を纖しては珠璣【しゅき】華實と為り,之を變じては雷霆【らいてい】風雨と為る,

奇辭 奧旨,通達せざる靡【な】し。

惟だ是れ 鄙鈍【ひどん】時事に通曉せず,學成りて 道 益す窮す。

年老いて 智 益す困しみ,私【ひそか】に自ら憐悼【れんとう】す。

其の初心を悔い,發禿【はつとく】し齒落ち,知己を見ず。

 

§3

夫牛角之歌,辭鄙而義拙;

一体、斉の甯戚の牛角の歌は、斉の桓公に求めたものであるが、その辞はいやしくて、その意義はまずいものであった。

堂下之言,不書於傳記。

鄭の鬷蔑の堂下での言は、伝記に書いてはないから、内容はわからないのである。

齊桓舉以相國,叔向攜手以上,

斉の桓公は甯戚を挙げて国政を相ける宰相となし、晋の叔向は鬷蔑と手をたずさえて堂に上って語った。

然則非言之難為,聽而識之者難遇也!

そうだとすると、人に認められ難いのは、物言うことの難いのでなくて、それを聴いて人物を識別する者の遇い難いのである。 

夫れ牛角の歌,辭 鄙【いやし】くして 義 拙【つたな】し。

堂下の言は,傳記に書せず。

齊桓 舉げて以って國に相たらしめ,叔向 手を攜えて以て上る,

然らば則ち言の為し難きに非らず,聽いて之を識る者 遇い難きなり!

 

 

上兵部李侍郎書§4-1

伏以閣下內仁而外義,行高而德巨,

伏して思うに、閣下は心の内には仁愛の心を貯え外には筋道正しい行いをされ、その行為は高尚で人格は大きいのであります。

尚賢而與能,哀窮而悼屈,

すぐれた徳のある人を尚び、能力のある人を挙げ用い、行きづまって苦しんでいる者を哀れんで、志を伸ばし得ないでいるものをいたみ悲しまれる。

自江而西,既化而行矣。

江西の地方は、その徳によって感化されてその政道が実行されている。

今者入守內職,為朝廷大臣,

今は政府内の官職を守って、朝廷の大臣と為られた。

-2

當天子新即位,汲汲於理化之日,

いま永貞元年正月に、天子が新たに即位されたので、政治教化はこの日から汲汲として休みなく勉められることになった。

出言舉事,宜必施設。

言説を出し事業を行ったのであり、必ずその実施の設備をするのがよいのである。

既有聽之之明,又有振之之力,

侍郎はすでにこれを聴いて判断する明智を持ち、またこれを力強く動かす実力があるのである。

寧戚之歌,鬷明之言,

それなのに甯戚の牛角の歌、鬷明の堂下の言のように、知己を求める意をあきらかにし、

不發於左右,則後而失其時矣。

閣下の左右に発し陳べなければ、遅れて時を失うことになるであろう。

 

上兵部李侍郎書§4-1

伏して以【おも】うに閣下 內仁して外義【そとぎ】,行ない高くして德 巨【おおい】なり,

賢を尚【たっと】んで能を與え,窮を哀んで屈を悼む,

江よりして西,既に化して行わる。

今は入りて內職を守り,朝廷の大臣と為る,

-2

天子 新に即位し,理化に汲汲たるの日に當り,

言を出だし事を舉げ,宜しく必ず施設すべし。

既に之れを聽くの明 有り,又た之れを振るの力 有る,

寧戚【ねいせき】の歌,鬷明【そうめい】の言,

左右に發せざれば,則ち後れて其の時を失わん。

§5

謹獻舊文一卷,扶樹教道,有所明白;

謹んで旧作の文章一巻をたてまつる。これは教化道徳を扶け樹立し、明らかにするところの働きがあるというものである。

南行詩一卷,舒憂娛悲,

また南行の詩一巻は、憂いをゆるめ、悲しみをなぐさめるもので、

雜以瑰怪之言,時俗之好,

それに取捨雑多をまじえて珍奇であやしい言葉をつかい、時俗の好みをうまくつかっている。

所以諷於口而聽於耳也。

しかし、これは私が口に歌ったり、耳に聴くためのものである。

如賜覽觀,亦有可采,

もし御覧いただければ、そして、采べきものがあるとみられたのであれば、

幹黷嚴尊,伏增惶恐。

これは、閣下の尊厳をおかし、けがしているわけでなく、厳かに尊意を持っているということであり、伏して益々かしこみ恐れる次第である。

愈再拜。

わたくし、韓愈はこうして頭を下げてお願い申し上げる。

§5

謹んで舊文の一卷を獻じ,教道を扶樹し,所明白にする有らん。

南行の詩の一卷は,憂いを舒べ悲みを娛【なぐ】さむ。

雜うるに瑰怪の言を,時俗の好を以ってす。

口に諷して、耳に聽いたりする所以なり。

如し 覽觀を賜り,亦た采る可き有らんとすれば,

嚴尊を幹黷【かんとく】し,伏して惶恐を增すものなり。

愈 再拜す。

 

韓愈の地図01 

『上兵部李侍郎書』 現代語訳と訳註解説

(本文) §5

謹獻舊文一卷,扶樹教道,有所明白;

南行詩一卷,舒憂娛悲,

雜以瑰怪之言,時俗之好,

所以諷於口而聽於耳也。

如賜覽觀,亦有可采,

幹黷嚴尊,伏增惶恐。

愈再拜。

 

 

(下し文)

謹んで舊文の一卷を獻じ,教道を扶樹し,所明白にする有らん。

南行の詩の一卷は,憂いを舒べ悲みを娛【なぐ】さむ。

雜うるに瑰怪の言を,時俗の好を以ってす。

口に諷して、耳に聽いたりする所以なり。

如し 覽觀を賜り,亦た采る可き有らんとすれば,

嚴尊を幹黷【かんとく】し,伏して惶恐を增すものなり。

愈 再拜す。

 

 

(現代語訳)

謹んで旧作の文章一巻をたてまつる。これは教化道徳を扶け樹立し、明らかにするところの働きがあるというものである。

また南行の詩一巻は、憂いをゆるめ、悲しみをなぐさめるもので、

それに取捨雑多をまじえて珍奇であやしい言葉をつかい、時俗の好みをうまくつかっている。

しかし、これは私が口に歌ったり、耳に聴くためのものである。

もし御覧いただければ、そして、采べきものがあるとみられたのであれば、

これは、閣下の尊厳をおかし、けがしているわけでなく、厳かに尊意を持っているということであり、伏して益々かしこみ恐れる次第である。

わたくし、韓愈はこうして頭を下げてお願い申し上げる。

 

 

(訳注)§5

兵部李侍郎書

(兵部侍郎李巽のような人物を見る眼識のある人に遇って、知己を求めなければ、機会を失うといって、採用を願うのである。)

○兵部侍郎 国防を担当し、長官を兵部尚書、次官を兵部侍郎という。 兵部は隋唐の時に設置され、武官の人事・兵器・軍政などを担当した。

 

謹獻舊文一卷,扶樹教道,有所明白;

謹んで旧作の文章一巻をたてまつる。これは教化道徳を扶け樹立し、明らかにするところの働きがあるというものである。

○扶樹 たすけ立てる。○教道 教化道徳。

韓愈の地図03 

南行詩一卷,舒憂娛悲,

また南行の詩一巻は、憂いをゆるめ、悲しみをなぐさめるもので、

○南行詩 韓愈が陽山の令に遷される時に作った詩である。この時の詩は

index-3[805年貞元21年 38歳] 陽山から江陵府参事軍 39首

index-4[806年元和元年 39歳]江陵府参事軍・権知国子博士 50首の(1)25首

韓愈は五嶺山脈を越えたのは三度ある。幼い12歳時に、779年兄の韶州流刑について行った。二回目がこの詩の謂う803年36歳、京兆尹李実を弾劾したため陽山に貶せられた時で、三度目は819年52歳「佛骨を論ずる表」を上って憲宗の逆鱗に触れ潮州に貶せられた。

index-11819年元和14年 52歳 ・『論佛骨表』を上って潮州に貶せらる 38首

 

雜以瑰怪之言,時俗之好,

それに取捨雑多をまじえて珍奇であやしい言葉をつかい、時俗の好みをうまくつかっている。

○瑰怪 珍しくあやしいこと。

 

所以諷於口而聽於耳也。

しかし、これは私が口に歌ったり、耳に聴くためのものである。

○諷 口ずさむ。歌う。

21-(6)§4-2 《上兵部李侍郎書 -6》韓愈(韓退之)ID 795年貞元11年 28歳<1206> Ⅱ唐宋八大家文読本 巻三 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5014

韓愈《上兵部李侍郎書 -6》いま永貞元年正月に、天子が新たに即位されたので、政治教化はこの日から汲汲として休みなく勉められることになった。言説を出し事業を行ったのであり、必ずその実施の設備をするのがよいのである。

 
 2014年10月25日の紀頌之5つのブログ 
 ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場 
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 ●杜甫の全作品1500首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。" 
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 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
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21-(6)§4-2 《上兵部李侍郎書 -6》韓愈(韓退之)ID  795年貞元11年 28歳<1206> Ⅱ唐宋八大家文読本 巻三 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5014

韓愈詩-21-(6)§4-2

 

 

上兵部李侍郎書 §1

(兵部侍郎李巽のような人物を見る眼識のある人に遇って、知己を求めなければ、機会を失うといって、採用を願うのである。)

十二月九日,將仕郎守江陵府法曹參軍韓愈,謹上書侍郎閤下:

十二月九日、将仕郎守江陵府法曹参軍韓愈、謹んで書を侍郎閣下にたてまつる。

愈少鄙鈍,於時事都不通曉,

私は幼少から見識は低く智能は鈍く、時世の事について全く通じ知らないのであるが、

家貧不足以自活,應舉覓官,凡二十年矣。

家が貧しく自力で活きるに不充分であるので、科挙に応じて官をも とめること二十年である。

薄命不幸,動遭讒謗,進寸退尺,卒無所成。

しかし運命が薄くふしあわせで、どうかするとありもしない悪口にあい、一寸進めば一尺退く というように、ついに成功する所かないのである。

(兵部李侍郎に上る書)

十二月九日,將仕 郎守 江陵府 法曹參軍の韓愈,謹んで書を侍郎閤下に上【たてまつ】る。

愈 少より鄙鈍【ひどん】,時事に於いて都【すべ】て通曉せず,

家 貧にして以って自活するに足らず,舉に應じて官を覓むること,凡そ二十年なり。

薄命不幸,動もすれば讒謗【ざんぼう】に遭い,寸を進めば尺を退き,卒【つい】に成す所無し。

§2

性本好文學,因困厄悲愁,

私は生まれつきの性格は、もともと文学を奸み、生活に困っていて、災いに苦しみ悲しみうれっていた。

無所告語,遂得究窮於經傳、

それを告げ語る人も無い境遇であったから、そのまま聖人の教えの書やそれの伝述の書を研究した。

史記、百家之說,沈潛乎訓義,反複乎句讀,

そして、歴史の記録、請子百家の説を研究し、その読み方解義に深く心をひそめ、辞章の句切り読みなどの勉学を繰り返した。

礱磨乎事業,而奮發乎文章。

学問の仕事に錬磨して、文章に力を奮い発することができた。

§2

性は本と 文學を好み,困厄 悲愁に因る,

告語する所無く,遂に經傳、史記、百家の說を究窮するを得る。

訓義に沈潛し,句讀を反複し,

事業を礱磨【ろうま】し,而して文章を奮發す。

-2

凡自唐虞以來,編簡所存,

およそ堯・舜からこのかた、書籍に存する所のものを読み、

大之為河海,高之為山嶽,

広大な文章では黄河や大海のようなものであり、高大なものでは山嶽のような 文章であるのだ。

明之為日月,幽之為鬼神,

明らかに輝くものでは、日月のような文章であり、幽玄なものでは鬼神にもたとえられる神秘な文章であるのだ。

纖之為珠璣華實,變之為雷霆風雨,

繊細な文章では真珠や小さい玉、花や実のようなものでもあるのだ。

奇辭奧旨,靡不通達。

変化の激しいものでは、雷や稲光、風や雨のような文章である。これらのめずらしい文辞、奥深い意味を、私は十分によく理解しないところがない。

惟是鄙鈍不通曉於時事,學成而道益窮,

ただ私の性質は見識いやしく、心の働きがにぶくて、時世の大切な事がらに行きわたり理解できないだけである。学問はでき上がっているのにである。

年老而智益困,私自憐悼,

わが道はますます行きづまり、年を重ねて智恵はますます苦しんでいる。私は人しれず自分を憐みいたむのである。
悔其初心,發禿齒落,不見知己。

その初めに抱いた志を今では悔いている。髪は禿げ歯は技けてうつろになっても、己を知ってくれる人物に遭遇できないでいる。

 

凡そ唐虞より以來,編簡の存する所なり,

之を大にしては河海を為し,之を高うしては山嶽と為す。

之を明しては日月と為り,之を幽にしては鬼神と為る。

之を纖しては珠璣【しゅき】華實と為り,之を變じては雷霆【らいてい】風雨と為る,

奇辭 奧旨,通達せざる靡【な】し。

惟だ是れ 鄙鈍【ひどん】時事に通曉せず,學成りて 道 益す窮す。

年老いて 智 益す困しみ,私【ひそか】に自ら憐悼【れんとう】す。

其の初心を悔い,發禿【はつとく】し齒落ち,知己を見ず。

 

§3

夫牛角之歌,辭鄙而義拙;

一体、斉の甯戚の牛角の歌は、斉の桓公に求めたものであるが、その辞はいやしくて、その意義はまずいものであった。

堂下之言,不書於傳記。

鄭の鬷蔑の堂下での言は、伝記に書いてはないから、内容はわからないのである。

齊桓舉以相國,叔向攜手以上,

斉の桓公は甯戚を挙げて国政を相ける宰相となし、晋の叔向は鬷蔑と手をたずさえて堂に上って語った。

然則非言之難為,聽而識之者難遇也!

そうだとすると、人に認められ難いのは、物言うことの難いのでなくて、それを聴いて人物を識別する者の遇い難いのである。 

夫れ牛角の歌,辭 鄙【いやし】くして 義 拙【つたな】し。

堂下の言は,傳記に書せず。

齊桓 舉げて以って國に相たらしめ,叔向 手を攜えて以て上る,

然らば則ち言の為し難きに非らず,聽いて之を識る者 遇い難きなり!

 

 

上兵部李侍郎書§4-1

伏以閣下內仁而外義,行高而德巨,

伏して思うに、閣下は心の内には仁愛の心を貯え外には筋道正しい行いをされ、その行為は高尚で人格は大きいのであります。

尚賢而與能,哀窮而悼屈,

すぐれた徳のある人を尚び、能力のある人を挙げ用い、行きづまって苦しんでいる者を哀れんで、志を伸ばし得ないでいるものをいたみ悲しまれる。

自江而西,既化而行矣。

江西の地方は、その徳によって感化されてその政道が実行されている。

今者入守內職,為朝廷大臣,

今は政府内の官職を守って、朝廷の大臣と為られた。

-2

當天子新即位,汲汲於理化之日,

いま永貞元年正月に、天子が新たに即位されたので、政治教化はこの日から汲汲として休みなく勉められることになった。

出言舉事,宜必施設。

言説を出し事業を行ったのであり、必ずその実施の設備をするのがよいのである。

既有聽之之明,又有振之之力,

侍郎はすでにこれを聴いて判断する明智を持ち、またこれを力強く動かす実力があるのである。

寧戚之歌,鬷明之言,

それなのに甯戚の牛角の歌、鬷明の堂下の言のように、知己を求める意をあきらかにし、

不發於左右,則後而失其時矣。

閣下の左右に発し陳べなければ、遅れて時を失うことになるであろう。

 

上兵部李侍郎書§4-1

伏して以【おも】うに閣下 內仁して外義【そとぎ】,行ない高くして德 巨【おおい】なり,

賢を尚【たっと】んで能を與え,窮を哀んで屈を悼む,

江よりして西,既に化して行わる。

今は入りて內職を守り,朝廷の大臣と為る,

-2

天子 新に即位し,理化に汲汲たるの日に當り,

言を出だし事を舉げ,宜しく必ず施設すべし。

既に之れを聽くの明 有り,又た之れを振るの力 有る,

寧戚【ねいせき】の歌,鬷明【そうめい】の言,

左右に發せざれば,則ち後れて其の時を失わん。

汜水関などの地図 

 

『上兵部李侍郎書』 現代語訳と訳註解説

(本文) -2

當天子新即位,汲汲於理化之日,

出言舉事,宜必施設。

既有聽之之明,又有振之之力,

寧戚之歌,鬷明之言,

不發於左右,則後而失其時矣。

 

 

(下し文) -2

天子 新に即位し,理化に汲汲たるの日に當り,

言を出だし事を舉げ,宜しく必ず施設すべし。

既に之れを聽くの明 有り,又た之れを振るの力 有る,

寧戚【ねいせき】の歌,鬷明【そうめい】の言,

左右に發せざれば,則ち後れて其の時を失わん。

 

 

(現代語訳)

いま永貞元年正月に、天子が新たに即位されたので、政治教化はこの日から汲汲として休みなく勉められることになった。

言説を出し事業を行ったのであり、必ずその実施の設備をするのがよいのである。

侍郎はすでにこれを聴いて判断する明智を持ち、またこれを力強く動かす実力があるのである。

それなのに甯戚の牛角の歌、鬷明の堂下の言のように、知己を求める意をあきらかにし、

閣下の左右に発し陳べなければ、遅れて時を失うことになるであろう。

Ta唐 長安近郊圖  新02 

(訳注) §4-2

兵部李侍郎書

(兵部侍郎李巽のような人物を見る眼識のある人に遇って、知己を求めなければ、機会を失うといって、採用を願うのである。)

○兵部侍郎 国防を担当し、長官を兵部尚書、次官を兵部侍郎という。 兵部は隋唐の時に設置され、武官の人事・兵器・軍政などを担当した。

 

當天子新即位,汲汲於理化之日,

いま正月に、天子が新たに即位されたので、政治教化はこの日から汲汲として休みなく勉められることになった。

○天子新即位 805年永貞元年正月、順宗が位についたこと。

○理化 治化。政治教化。

 

出言舉事,宜必施設。

言説を出し事業を行ったのであり、必ずその実施の設備をするのがよいのである。

○施設 実施する設け、それには人材を要する。

 

既有聽之之明,又有振之之力,

侍郎はすでにこれを聴いて判断する明智を持ち、またこれを力強く動かす実力があるのである。

 

寧戚之歌,鬷明之言,

それなのに甯戚の牛角の歌、鬷明の堂下の言のように、知己を求める意をあきらかにし、

○寧戚 甯戚。

○鬷明 鬷蔑。

「《春秋左傳》〈昭公傳二十八年〉, 昔叔向適鄭。鬷蔑惡欲觀叔向。從使之收器者。而往立於堂下。一言而善。叔向將飲酒。聞之曰。必鬷明也。下執其手。以上曰。必鬷明也。 下執其手. 以上。 曰. 昔賈大夫惡. 娶妻而美. 三年不言不笑. 御以如。」(叔向鄭に適(ゅ)く。鬷蔑【そうべつ】醜悪(顔がみにくい)、叔向を観んと欲す。使の器を収むる者に従ひて、往いて堂下に立つ。一言して善し。叔向将に酒を飲まんとす。之か聞いて日く、必ず鬷明なりと、下つて其の手を執つて、以て上つて日く、云云、遂に故知の如し」とある。鬷蔑の字は然明。故に鬷明ともいう。鄭の大夫。
 

不發於左右,則後而失其時矣。

閣下の左右に発し陳べなければ、遅れて時を失うことになるであろう。

○左右 直接李侍郎を指さずその左右という。
閶闔門001 

21-(5)§4-1 《上兵部李侍郎書 -5》韓愈(韓退之)ID 795年貞元11年 28歳<1205> Ⅱ唐宋八大家文読本 巻三 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5009

韓愈《上兵部李侍郎書 -5》江西の地方は、その徳によって感化されてその政道が実行されている。今は政府内の官職を守って、朝廷の大臣と為られた。

 
 2014年10月24日の紀頌之5つのブログ 
 ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場 
 Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
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21-(5)§4-1 《上兵部李侍郎書 -5》韓愈(韓退之)ID 795年貞元11年 28歳<1205> Ⅱ唐宋八大家文読本 巻三 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5009 
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 温庭筠66首 花間集1・2巻皇甫松11首 花間集二巻韋莊47首 花間集二巻薛昭蘊19首 花間集三巻牛嶠31首 花間集三・四巻張泌27首 花間集四巻 
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上兵部李侍郎書 §1

十二月九日,將仕郎守江陵府法曹參軍韓愈,謹上書侍郎閤下:

愈少鄙鈍,於時事都不通曉,

家貧不足以自活,應舉覓官,凡二十年矣。

薄命不幸,動遭讒謗,進寸退尺,卒無所成。

(兵部侍郎李巽のような人物を見る眼識のある人に遇って、知己を求めなければ、機会を失うといって、採用を願うのである。)

十二月九日、将仕郎守江陵府法曹参軍韓愈、謹んで書を侍郎閣下にたてまつる。

私は幼少から見識は低く智能は鈍く、時世の事について全く通じ知らないのであるが、

家が貧しく自力で活きるに不充分であるので、科挙に応じて官をも とめること二十年である。

しかし運命が薄くふしあわせで、どうかするとありもしない悪口にあい、一寸進めば一尺退く というように、ついに成功する所かないのである。

(兵部李侍郎に上る書)

十二月九日,將仕 郎守 江陵府 法曹參軍の韓愈,謹んで書を侍郎閤下に上【たてまつ】る。

愈 少より鄙鈍【ひどん】,時事に於いて都【すべ】て通曉せず,

家 貧にして以って自活するに足らず,舉に應じて官を覓むること,凡そ二十年なり。

薄命不幸,動もすれば讒謗【ざんぼう】に遭い,寸を進めば尺を退き,卒【つい】に成す所無し。

§2

性本好文學,因困厄悲愁,

無所告語,遂得究窮於經傳、

史記、百家之說,沈潛乎訓義,反複乎句讀,

礱磨乎事業,而奮發乎文章。

私は生まれつきの性格は、もともと文学を奸み、生活に困っていて、災いに苦しみ悲しみうれっていた。

それを告げ語る人も無い境遇であったから、そのまま聖人の教えの書やそれの伝述の書を研究した。

そして、歴史の記録、請子百家の説を研究し、その読み方解義に深く心をひそめ、辞章の句切り読みなどの勉学を繰り返した。

学問の仕事に錬磨して、文章に力を奮い発することができた。

§2

性は本と 文學を好み,困厄 悲愁に因る,

告語する所無く,遂に經傳、史記、百家の說を究窮するを得る。

訓義に沈潛し,句讀を反複し,

事業を礱磨【ろうま】し,而して文章を奮發す。

-2

凡自唐虞以來,編簡所存,

大之為河海,高之為山嶽,

明之為日月,幽之為鬼神,

纖之為珠璣華實,變之為雷霆風雨,

奇辭奧旨,靡不通達。

惟是鄙鈍不通曉於時事,學成而道益窮,

年老而智益困,私自憐悼,

悔其初心,發禿齒落,不見知己。

およそ堯・舜からこのかた、書籍に存する所のものを読み、

広大な文章では黄河や大海のようなものであり、高大なものでは山嶽のような 文章であるのだ。

明らかに輝くものでは、日月のような文章であり、幽玄なものでは鬼神にもたとえられる神秘な文章であるのだ。

繊細な文章では真珠や小さい玉、花や実のようなものでもあるのだ。

変化の激しいものでは、雷や稲光、風や雨のような文章である。これらのめずらしい文辞、奥深い意味を、私は十分によく理解しないところがない。

ただ私の性質は見識いやしく、心の働きがにぶくて、時世の大切な事がらに行きわたり理解できないだけである。学問はでき上がっているのにである。

その初めに抱いた志を今では悔いている。髪は禿げ歯は技けてうつろになっても、己を知ってくれる人物に遭遇できないでいる。

 

凡そ唐虞より以來,編簡の存する所なり,

之を大にしては河海を為し,之を高うしては山嶽と為す。

之を明しては日月と為り,之を幽にしては鬼神と為る。

之を纖しては珠璣【しゅき】華實と為り,之を變じては雷霆【らいてい】風雨と為る,

奇辭 奧旨,通達せざる靡【な】し。

惟だ是れ 鄙鈍【ひどん】時事に通曉せず,學成りて 道 益す窮す。

年老いて 智 益す困しみ,私【ひそか】に自ら憐悼【れんとう】す。

其の初心を悔い,發禿【はつとく】し齒落ち,知己を見ず。

 

§3

夫牛角之歌,辭鄙而義拙;

堂下之言,不書於傳記。

齊桓舉以相國,叔向攜手以上,

然則非言之難為,聽而識之者難遇也!

一体、斉の甯戚の牛角の歌は、斉の桓公に求めたものであるが、その辞はいやしくて、その意義はまずいものであった。

鄭の鬷蔑の堂下での言は、伝記に書いてはないから、内容はわからないのである。

斉の桓公は甯戚を挙げて国政を相ける宰相となし、晋の叔向は鬷蔑と手をたずさえて堂に上って語った。

そうだとすると、人に認められ難いのは、物言うことの難いのでなくて、それを聴いて人物を識別する者の遇い難いのである。 

夫れ牛角の歌,辭 鄙【いやし】くして 義 拙【つたな】し。

堂下の言は,傳記に書せず。

齊桓 舉げて以って國に相たらしめ,叔向 手を攜えて以て上る,

然らば則ち言の為し難きに非らず,聽いて之を識る者 遇い難きなり!

 

上兵部李侍郎書§4-1

伏以閣下內仁而外義,行高而德巨,

伏して思うに、閣下は心の内には仁愛の心を貯え外には筋道正しい行いをされ、その行為は高尚で人格は大きいのであります。

尚賢而與能,哀窮而悼屈,

すぐれた徳のある人を尚び、能力のある人を挙げ用い、行きづまって苦しんでいる者を哀れんで、志を伸ばし得ないでいるものをいたみ悲しまれる。

自江而西,既化而行矣。

江西の地方は、その徳によって感化されてその政道が実行されている。

今者入守內職,為朝廷大臣,

今は政府内の官職を守って、朝廷の大臣と為られた。

-2

當天子新即位,汲汲於理化之日,

出言舉事,宜必施設。

既有聽之之明,又有振之之力,

寧戚之歌,鬷明之言,

不發於左右,則後而失其時矣。

 

上兵部李侍郎書§4-1

伏して以【おも】うに閣下 內仁して外義【そとぎ】,行ない高くして德 巨【おおい】なり,

賢を尚【たっと】んで能を與え,窮を哀んで屈を悼む,

江よりして西,既に化して行わる。

今は入りて內職を守り,朝廷の大臣と為る,

-2

天子 新に即位し,理化に汲汲たるの日に當り,

言を出だし事を舉げ,宜しく必ず施設すべし。

既に之れを聽くの明 有り,又た之れを振るの力 有る,

寧戚【ねいせき】の歌,鬷明【そうめい】の言,

左右に發せざれば,則ち後れて其の時を失わん。

辟雍00

『上兵部李侍郎書』 現代語訳と訳註解説

(本文) §4-1

伏以閣下內仁而外義,行高而德巨,

尚賢而與能,哀窮而悼屈,

自江而西,既化而行矣。

今者入守內職,為朝廷大臣,

 

(下し文)

伏して以【おも】うに閣下 內仁して外義【そとぎ】,行ない高くして德 巨【おおい】なり,

賢を尚【たっと】んで能を與え,窮を哀んで屈を悼む,

江よりして西,既に化して行わる。

今は入りて內職を守り,朝廷の大臣と為る,

 

(現代語訳)

伏して思うに、閣下は心の内には仁愛の心を貯え外には筋道正しい行いをされ、その行為は高尚で人格は大きいのであります。

すぐれた徳のある人を尚び、能力のある人を挙げ用い、行きづまって苦しんでいる者を哀れんで、志を伸ばし得ないでいるものをいたみ悲しまれる。

江西の地方は、その徳によって感化されてその政道が実行されている。

今は政府内の官職を守って、朝廷の大臣と為られた。

 

 三峡 巫山十二峰001

(訳注) §4-1

兵部李侍郎書§2

(兵部侍郎李巽のような人物を見る眼識のある人に遇って、知己を求めなければ、機会を失うといって、採用を願うのである。)

○兵部侍郎 国防を担当し、長官を兵部尚書、次官を兵部侍郎という。 兵部は隋唐の時に設置され、武官の人事・兵器・軍政などを担当した。

 

伏以閣下內仁而外義,行高而德巨,

伏して思うに、閣下は心の内には仁愛の心を貯え外には筋道正しい行いをされ、その行為は高尚で人格は大きいのであります。

○巨、大である。

 

尚賢而與能,哀窮而悼屈,

すぐれた徳のある人を尚び、能力のある人を挙げ用い、行きづまって苦しんでいる者を哀れんで、志を伸ばし得ないでいるものをいたみ悲しまれる。

○屈 志を伸ばし得ずに、まげている。

 

自江而西,既化而行矣。

江西の地方は、その徳によって感化されてその政道が実行されている。

○自江而西 長江の南岸地方の西を江西という。長江下流地域を江東というのに対して言う。

 

今者入守內職,為朝廷大臣,

今は政府内の官職を守って、朝廷の大臣と為られた。

○内職 政府の内の官職、地方官を外職というのに対語。

○朝廷大臣 兵部侍郎。兵馬を司る兵部省の次官。大臣とは重役という意味。
太白山001 

21-(4)§3 《上兵部李侍郎書 -4》韓愈(韓退之)ID 795年貞元11年 28歳<1204> Ⅱ唐宋八大家文読本 巻三 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5004

一体、斉の甯戚の牛角の歌は、斉の桓公に求めたものであるが、その辞はいやしくて、その意義はまずいものであった。鄭の鬷蔑の堂下での言は、伝記に書いてはないから、内容はわからないのである。

 
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