韓愈 送廖道士序 #5
氣專而容寂,多藝而善遊,豈吾所謂魁奇而迷溺者耶?
廖師善知人,若不在其身,必在其所與遊。
訪之而不吾告,何也?於其別,申以問之。
その気性は専一で、容貌は物静かであり、才芸は多く、善く人と交わっている。何と彼こそ、私のいうところの、偉大ですぐれていながら、仏老に迷い溺れている人であろうか。廖道士はよく人を知っている。奇偉の気性がもし彼自身にないのであれば、必ずその共に遊交する人の中にあるであろう。私がこれをたずねているのに、私に告げてくれないのは何故であるか、その別れに、かさねてこれを問う次第である。
韓愈127《 巻四19 送廖道士序》 #5 韓愈(韓退之)
805年貞元21年 38歳<1647> Ⅱ#5 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7211
韓愈詩-韓愈127
送廖道士序 #1
(すぐれた人物である廖道士が隠遁するのを送る詩の序をつくる)
五嶽於中州,衡山最遠。
中国の五岳のうちでは、衡山が最も遠いのである。
南方之山,巍然高而大者以百數,獨衡為宗。
南方の山々の、高く大きくそびえ立つものは百を以て数える程多いが、その中で、衡山はひとりその総本山となっている。
最遠而獨為宗,其神必靈。
南方の山々の、高く大きくそびえ立つものは百を以て数える程多いが、その中で、衡山はひとりその総本山となっている。
衡之南八九百裏,地益高,
衡山の南方八、九百里の所は、地は益々高く、
山益峻,水清而益駛,
山は益々峻しく、水は澄んで益々勢いよく流れている。
#2
其最高而橫絕南北者嶺。
そのうち最も高くて南北を横に絶っている者は南(五)嶺山脈の越城嶺である。
郴之為州,在嶺之上,
郴という州は、その嶺の上にある。
測其高下,得三之二焉,
その高さを測るに、衡山は南嶺山脈の山々との三分の二くらいに当たる。
中州清淑之氣,於是焉窮。
わが中国の清く静かなよい気は、この所で行きづまっている。
氣之所窮,盛而不過,必蜿蟺扶輿磅礴而鬱積。
その気のきわまる所は、盛んで外に通過しなければ、必ずうねりわだかまり、渦巻き登り、満ちせまって、ふさがり積もるものである。
(廖道士を送る序)
五岳の中州に於ける、衡山は最も遠し。
南方の山、巍然として高くして大なる者、百を以て數ふ。濁り衡は宗爲り。
最も遠くして濁り宗爲れば、其の紳必ず靈ならん。
衡の南八九百里、地 益ます高くして山ますます峻しく、水清くしてますます駛し。
#2
其の最も高くして南北を横絶する者は嶺なり。郴の州爲る、嶺の上に在り。
其の高下を測るに、三の二を得たり。中州清淑の気、是に於て窮る。
気の窮る所、盛にして過ぎずんば、必ず蜿蟺扶輿 磅礴して鬱積す。
#3
衡山之神既靈,而郴之為州,
衡山の神はもともと不思議な威力があるのであって、そして郴州という所がなりたっておる。
又當中州清淑之氣,蜿蟺扶輿磅礴而鬱積,
わが中国の清く善い気の、うねりわだかまり、渦巻きのぼり、満ちひろがり、ふさがり積もる所に当たっているのである。
其水土之所生,神氣之所感,白金、水銀、丹砂、石英、鍾乳,橘柚之包,竹箭之美,千尋之名材,不能獨當也。
そうであるから、その地の水土の生ずる所のもの、その神霊や風気の感ずる所のものには、白金・水銀・丹砂・石英・鍾乳石・橘や柚子の包皮や、矢竹の立派なものや千尋もある名木の材などもあるが、それだけではこの霊気に相当のものにはなり得ない。
#3
衡山の神 既に靈にして,郴の州為る,
又た中州 清淑の氣の,蜿蟺 扶輿 磅礴して鬱積するに當る,
其の水土の生ずる所,神氣の感ずる所,白金、水銀、丹砂、石英、鍾乳,橘柚の包,竹箭の美,千尋の名材,獨り當る能わざるなり。
#4
意必有魁奇、忠信、材德之民生其間。
思うに、必ず偉大にすぐれた人物や、忠心信義の者、才能人格のある人民が、その地域に生ずることがあるものである。
而吾又未見也。
しかし、そういうものの私はいたまだ見ないのである。
其無乃迷惑溺沒於佛老之學而不出耶?
それは、或いは、郴州の人々が仏教や老子の学問に、迷い惑って、溺れ沈んでしまって、出てこないということがないであろうか。
廖師郴民,而學於衡山。
廖道士は郴州の人であって、衡山に入って学問をしたひとである。
#4
意うに 必ず魁奇、忠信、材德の民 其の間に生ずること有らん。
而して 吾 又た未だ見ざるなり。
其れ 乃ち佛老の學に於て迷惑し溺沒して出でざること無からんや?
廖師は郴民なり,而して衡山に學ぶ。
#5
氣專而容寂,多藝而善遊,
豈吾所謂魁奇而迷溺者耶?
廖師善知人,若不在其身,必在其所與遊。
訪之而不吾告,何也?
於其別,申以問之。
その気性は専一で、容貌は物静かであり、才芸は多く、善く人と交わっている。
何と彼こそ、私のいうところの、偉大ですぐれていながら、仏老に迷い溺れている人であろうか。
廖道士はよく人を知っている。奇偉の気性がもし彼自身にないのであれば、必ずその共に遊交する人の中にあるであろう。
私がこれをたずねているのに、私に告げてくれないのは何故であるか、
その別れに、かさねてこれを問う次第である。
#5
氣專らにして容寂たり,多藝にして善く遊ぶ,
豈に吾が所謂 魁奇して 迷溺する者か?
廖師 善く人を知る,若し其の身に在らずんば,必ず其の與に遊ぶ所に在らん。
之れを訪えども 吾れに告げざるは,何んぞや?
其の別れに於て,申【かさ】ねて以て之れを問う。
『送廖道士序』現代語訳と訳註解説
(本文)
#5
氣專而容寂,多藝而善遊,
豈吾所謂魁奇而迷溺者耶?
廖師善知人,若不在其身,必在其所與遊。
訪之而不吾告,何也?
於其別,申以問之。
(下し文)
#5
氣專らにして容寂たり,多藝にして善く遊ぶ,
豈に吾が所謂 魁奇して 迷溺する者か?
廖師 善く人を知る,若し其の身に在らずんば,必ず其の與に遊ぶ所に在らん。
之れを訪えども 吾れに告げざるは,何んぞや?
其の別れに於て,申【かさ】ねて以て之れを問う。
(現代語訳)
#5
その気性は専一で、容貌は物静かであり、才芸は多く、善く人と交わっている。
何と彼こそ、私のいうところの、偉大ですぐれていながら、仏老に迷い溺れている人であろうか。
廖道士はよく人を知っている。奇偉の気性がもし彼自身にないのであれば、必ずその共に遊交する人の中にあるであろう。
私がこれをたずねているのに、私に告げてくれないのは何故であるか、
その別れに、かさねてこれを問う次第である。
(訳注) #5
《 巻四19 送廖道士序》
(すぐれた人物である廖道士が隠遁するのを送る詩の序をつくる)
1 送廖道士序 805(永貞元)年、韓愈は陽山(広東省) の令から量移されて江陵(湖北省)の掾【えん】となった時、道を衡山に取った。この序はその時の作である。当時すぐれた人物が僧や道士(道教の修行者)となって隠れるのを惜しみ、廖道士を借りて、その意を述べた。
氣專而容寂,多藝而善遊,
その気性は専一で、容貌は物静かであり、才芸は多く、善く人と交わっている。
35 容寂 容貌は物静か。物さびしい。
36 多藝 才芸あり、人格ある。
豈吾所謂魁奇而迷溺者耶?
何と彼こそ、私のいうところの、偉大ですぐれていながら、仏老に迷い溺れている人であろうか。
30 魁奇 偉大ですぐれた人物。
37 迷溺/迷惑溺没 宗教にまよいまどい、おぼれ沈む。
廖師善知人,若不在其身,必在其所與遊。
廖道士はよく人を知っている。奇偉の気性がもし彼自身にないのであれば、必ずその共に遊交する人の中にあるであろう。
訪之而不吾告,何也?
私がこれをたずねているのに、私に告げてくれないのは何故であるか、
於其別,申以問之。
その別れに、かさねてこれを問う次第である。
38 申 かさねて。
韓愈127《 巻四19 送廖道士序》【字解】
(すぐれた人物である廖道士が隠遁するのを送る詩の序をつくる)
1 送廖道士序 805(永貞元)年、韓愈は陽山(広東省) の令から量移されて江陵(湖北省)の掾【えん】となった時、道を衡山に取った。この序はその時の作である。当時すぐれた人物が僧や道士(道教の修行者)となって隠れるのを惜しみ、廖道士を借りて、その意を述べた。
2 五岳 五岳(ごがく)は中国の道教の聖地である5つの山の総称。五名山とも呼ばれる。陰陽五行説に基づき、木行=東、火行=南、土行=中、金行=西、水行=北 の各方位に位置する、5つの山が聖山とされる。 東岳 泰山(山東省泰安市泰山区) 南岳 衡山(湖南省衡陽市衡山県) 中岳 嵩山(河南省鄭州市登封市)
西岳 華山(陝西省渭南市華陰市) 北岳 恒山(山西省大同市渾源県)神話によると万物の元となった盤古という神が死んだとき、その五体が五岳になったと言われている。
3 衡山 (南嶽;1,298m湖南省衡陽市衡山県)、衡山(こうざん)は、道教の五岳の一つ、南岳。中国湖南省衡山県にあり、南を司るとされる。最高峰は祝融峰の1,298m。湖南省の洞庭湖の南、湘水の下流西岸にある。
《 巻三18謁衡岳廟,遂宿嶽寺題門樓》
五嶽祭秩皆三公,四方環鎮嵩當中。火維地荒足妖怪,天假神柄專其雄。
噴雲泄霧藏半腹,雖有絕頂誰能窮。我來正逢秋雨節,陰氣晦昧無清風。
(衡岳廟に謁し,遂に嶽寺に宿して門樓に題す。)
五嶽の祭秩 皆 三公,四方に環り鎮して 嵩は中に當る。火維 地荒れて 妖怪に足れり,天 神柄を假して 其の雄を專らにす。
雲を噴き 霧を泄らして 半腹を藏し,絕頂有りと雖も 誰れか能く窮めん。我來って 正に逢う 秋雨の節,陰氣 晦昧して 清風無し。
韓愈98-#1《 巻三18謁衡岳廟,遂宿嶽寺題門樓》 #1 韓愈(韓退之) 805年貞元21年 38歳<1575> Ⅱ#1 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6859
4 巍然 高大の貌。そびえ立つ。
5 宗 総本家。中心の山。
6 其神 山の神。
7 必霊 必ずふしぎな力がある。
8 駛 速か。急。
9 横絶 横きり隔てる。南(五)嶺山脈により、分断されることを言う南嶺山脈(なんれいさんみゃく、ナンリン山脈、Nanling, 簡体字: 南岭、拼音:
Nánlǐng)は、中華人民共和国の南部を東西に伸びる山脈。広西チワン族自治区および広東省の北部、湖南省および江西省の南部を走る中国南部最大の構造山地で、長江水系と珠江水系の分水嶺であり、華中と華南の境界をなしている。南嶺山脈の南側(嶺南、華南)は亜熱帯の気候で、稲の二期作が盛んになっている。別名は五嶺山脈(ごれいさんみゃく、五嶺)といい、西から東の順に、越城嶺(えつじょうれい)、都龐嶺(とほうれい)、萌渚嶺(ほうしょれい)、騎田嶺(きでんれい)、大庾嶺(だいゆれい)の五つの山並みが組み合わさっているためこの名がある。
10 郴 州の名。湖南省に属し、永興・宜章等五県からなる。漢初の113年、桂陽郡が設置された。建武年間には郡治が郴県に置かれた。その後735年(開元23年)、州制を施行した唐により郴州が設置されると、清末までこの名称が使用されていくことになった、
11 三之二 衡山(南嶽;1,298m湖南省衡陽市衡山県)、南嶺の地勢は、最高峰は越城嶺の猫児山(「華南第一峰」の別名がある)で海抜は2,142メートルである。その他の主要な山峰には、萌渚嶺の馬塘頂(海抜1,787メートル)、都龐嶺の韭菜嶺(海抜2,009メートル)、瑤山(大瑤山)の石坑崆(海抜1,902メートル)などで、2000メートル前後ということになり、衡山と最も衡山に近い山は1800位であるところから、衡山は、南嶺山脈の2/3程度の高さになるということ。がある。
12 清淑之気 澄んで静かによい気。南これより南は瘴癘の地ということ。
13 蜿蟺 うねりとぐろをまく。北回帰線の近くに位置するので綺皓的にも雨期乾期、スコールなど変化が多い。
14 扶輿 地形的な変化、扶揺と同じ。うねり登る。うずまく。
15 磅礴 満ちひろがる。
16 鬱積 ふさがりつもる。
17 衡山は、道教の五岳の一つ、南岳。中国湖南省衡陽市衡陽県にあり、南を司るとされる。最高峰は祝融峰の1,300.2m。 古名を「寿岳」といい、二十八宿のうち人間の寿命を司るという軫星と対応づけられていた。また、神農氏がここで薬となる植物を採ったとの伝説がある。
18. 郴州 湖南省の南東部に位置し、株洲市、衡陽市、永州市、江西省贛州市、広東省韶関市と接する。主な河川には湘江の支流・耒水(れいすい)がある。漢初の113年、桂陽郡が設置された。建武年間には郡治が郴県に置かれた。その後735年(開元23年)、州制を施行した唐により郴州が設置されると、清末までこの名称が使用されていくことになった。
19. 蜿蟺 わだかまる。とぐろを巻く。
20. 扶輿 渦巻きのぼること。
21. 磅礴 /旁礴/旁魄 1 混じり合って一つになること。2 広がり満ちること。満ちふさがること。
22. 鬱積 1 不平不満や怒りなどの感情が、はけ口のないままに心の中に積もっていること。2 出口をふさがれて、内に滞りたまること。
23. 丹砂 酸化水銀。
24. 石英 水晶、火うち石。瑪瑙などの総称。
25. 鍾乳 石灰岩の結晶、鍾乳石。
26. 橘柚之包 たちはなとゆずとの果実の皮。橘包は橘の実。
27. 千尋之名材 長さ千尋の名木材。千尋は大木の大げさな形容。尋は六尺から八尺をいう。
28当 相当する。
29 意 おもうに。
30 魁奇 偉大ですぐれた人物。
31 材徳 才能あり、人格ある。
32 迷惑溺没 宗教にまよいまどい、おぼれ沈む。
33 郴民 郴州の人。
34 衡山 道教の五岳の一つ祝融峰。古名を「寿岳」といい、二十八宿のうち人間の寿命を司るという軫星(軫宿)と対応づけられていた。また、炎帝神農の時代に雨師(雨の神)だったとされている最古の神仙の一人。帝嚳高辛の時代にも雨師となり、後には南岳衡山を治めたという。