韓愈 海水 -#3 我々のような小さい鱗翅をもっているものは、鱗は日々に大きくなり、羽は日々に長くなるので、いつまでもこのままでいるのではないのである。やがて、風波にも苦しむことが無くなるようになれば、またぞろ、ここに来て、長鯨や、大鵬とおなじように遊びたいと思うので、しばらくの間お別れをする次第である。
59-#3 《補遺-02 海水》 -#3 韓愈(韓退之)ID 800年貞元16年 33歳<1370> Ⅱ韓昌黎集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5834
韓愈詩-59-#3
卷別: 卷三四五 文體: 五言古詩
詩題: 海水【海水詩】【案:見《外集》。】
海水 #1
(今は地方の潘鎮に出かけて仕事を見習い、やがて追々成熟し、中央政府に帰って、今の世にときめく公卿搢紳と一緒に周旋したい)
海水非不廣,鄧林豈無枝。
海水は、廣くないということはないし、柚子の鄧林には枝がないということはない。
風波一盪薄,魚鳥不可依。
林には風があり、海には波があり、一たび盪薄すれば、魚鳥は其処に依って安んずることはできない。
海水饒大波,鄧林多驚風。
それも普通の波ならまだしも、海水には大波が多くあり、鄧林には、驚風が多くあるのである。
豈無魚與鳥,巨細各不同。
そんな大きな波や驚風がつづけば、もとより、そこに棲んで安んじている魚と鳥がいるけれどいることはできない。そこには、尋常なものとは、夐然として大小、巨木や細木、それぞれ同じものがないのにである。
#2
海有吞舟鯨,鄧有垂天鵬。
海には、一口に舟を飲むというような長鯨がいるし、鄧林には、その翼、垂天の雲の如しといわれる様な大鵬がやすんでいる。
苟非鱗羽大,盪薄不可能。
苟も、長鯨や、大鵬のその鱗羽の極めて大いなるものにあら坐れば、風波、大波を、盪薄することができないものだ。
我鱗不盈寸,我羽不盈尺。
しかるに、それらの鱗羽のものから我を見るとまことに些細な存在で、鱗の一寸にも満たない者であろうし、羽にしてみればその一尺にも満たない。
一木有餘陰,一泉有餘澤。
鄧林の一樹の影に休んでも、その木の影は余りあるくらいだし、その雲夢の鄧林の一泉のみずをのんでも、その泉の水はとても飲みきれるものではない。
我將辭海水,濯鱗清冷池。
そうなれば、もっと小さい所に棲む方が良いと、我は、その海水を辞して、汚れた鱗を凊冷の水をたたえる池の水で洗おうとすることになる。
#3
我將辭鄧林,刷羽蒙籠枝。
そうなると我は、まさに、鄧林を辞して、羽をこんもりと葉の繁って枝に刷ろうとしているのである。
海水非愛廣,鄧林非愛枝。
海水はとても我に向ってその広きを惜しむわけでもなく、鄧林の方でも、もとより我に向ってその枝を惜しむはずがないのである。
風波亦常事,鱗魚自不宜。
そして風があり、波があるのは、通常の事であって、我々のような小さい鱗翅をもっているものにはそれでも自ずからよろしくないのである。
我鱗日已大,我羽日已修。
我々のような小さい鱗翅をもっているものは、鱗は日々に大きくなり、羽は日々に長くなるので、いつまでもこのままでいるのではないのである。
風波無所苦,還作鯨鵬游。
やがて、風波にも苦しむことが無くなるようになれば、またぞろ、ここに来て、長鯨や、大鵬とおなじように遊びたいと思うので、しばらくの間お別れをする次第である。
(海水) #1
海水 廣からざるに非ず,鄧林 豈に枝に無からんや。
風波 一に盪薄,魚鳥 依る可からず。
海水には 大波饒【おお】く,鄧林には 驚風多し。
豈に魚と鳥と無からんや,巨細 各の同じからず。
#2
海には 吞舟の鯨有り,鄧には 垂天の鵬有り。
苟くも 鱗羽の大なるに非ざれば,盪薄 能くす可べからす。
我が鱗は 寸に盈たず,我が羽は 尺に盈たず。
一木 馀陰有り,一泉 馀澤有り。
我 將に海水を辭し,鱗を清冷の池に濯わんとす。
#3
我 將に鄧林を辭し,羽を蒙籠の枝に刷せんとす。
海水は 廣きを愛むに非らず,鄧林は 枝を愛むに非らず。
風波 亦た常事,鱗魚 自ら宜しからず。
我が鱗 日 已に大,我が羽 日 已に修【なが】。し
風波 苦しむ所無く,還た 鯨鵬の游を作す。
『海水』 現代語訳と訳註解説
(本文) #3
我將辭鄧林,刷羽蒙籠枝。
海水非愛廣,鄧林非愛枝。
風波亦常事,鱗魚自不宜。
我鱗日已大,我羽日已修。
風波無所苦,還作鯨鵬游。
(下し文) #3
我 將に鄧林を辭し,羽を蒙籠の枝に刷せんとす。
海水は 廣きを愛むに非らず,鄧林は 枝を愛むに非らず。
風波 亦た常事,鱗魚 自ら宜しからず。
我が鱗 日 已に大,我が羽 日 已に修【なが】。し
風波 苦しむ所無く,還た 鯨鵬の游を作す。
(現代語訳)
そうなると我は、まさに、鄧林を辞して、羽をこんもりと葉の繁って枝に刷ろうとしているのである。
海水はとても我に向ってその広きを惜しむわけでもなく、鄧林の方でも、もとより我に向ってその枝を惜しむはずがないのである。
そして風があり、波があるのは、通常の事であって、我々のような小さい鱗翅をもっているものにはそれでも自ずからよろしくないのである。
我々のような小さい鱗翅をもっているものは、鱗は日々に大きくなり、羽は日々に長くなるので、いつまでもこのままでいるのではないのである。
やがて、風波にも苦しむことが無くなるようになれば、またぞろ、ここに来て、長鯨や、大鵬とおなじように遊びたいと思うので、しばらくの間お別れをする次第である。
(訳注) #3
海水 #1
(今は地方の潘鎮に出かけて仕事を見習い、やがて追々成熟し、中央政府に帰って、今の世にときめく公卿搢紳と一緒に周旋したい)
我將辭鄧林,刷羽蒙籠枝。
そうなると我は、まさに、鄧林を辞して、羽をこんもりと葉の繁って枝に刷ろうとしているのである。
刷羽 枝に刷りつける。
蒙籠枝 こんもりと葉の繁って鄧林の枝。
海水非愛廣,鄧林非愛枝。
海水はとても我に向ってその広きを惜しむわけでもなく、鄧林の方でも、もとより我に向ってその枝を惜しむはずがないのである。
非愛廣 海の広きを惜しむわけでもないこと。
非愛枝 枝を提供してくれるというのを惜しむことはない。
風波亦常事,鱗魚自不宜。
そして風があり、波があるのは、通常の事であって、我々のような小さい鱗翅をもっているものにはそれでも自ずからよろしくないのである。
我鱗日已大,我羽日已修。
我々のような小さい鱗翅をもっているものは、鱗は日々に大きくなり、羽は日々に長くなるので、いつまでもこのままでいるのではないのである。
日已大 日々に大きくなる。
日已修 日々に長くなる。
風波無所苦,還作鯨鵬游。
やがて、風波にも苦しむことが無くなるようになれば、またぞろ、ここに来て、長鯨や、大鵬とおなじように遊びたいと思うので、しばらくの間お別れをする次第である。