中唐詩人選集【Ⅰ李商隠-150】Ⅱ韓退之(韓愈)Ⅶ孟郊(東野)  漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩 訳注解説ブログ

Ⅰ李商隠は難解詩といわれている。約150首紹介済。(晩唐詩人) Ⅱ韓退之(韓愈)-約500首Ⅶ孟郊、中唐の詩人を掲載中。万物の性(さが)をテーマにした哲学的な詩。このブログは基本的に中唐詩人を中心にして掲載する予定。 韓愈詩文のこれまでの掲載分とこれから掲載予定分を時系列で整理した2014.3.29のブログに集約してそこから各年次を見ることができる  kanbuniinkai 検索で、《漢文委員会HP05》サイトあります。漢詩唐詩を理解するための総合サイト:≪漢文委員会 漢詩07≫。

少し、マニアックな晩唐詩人Ⅰ-李商隠150首をまず掲載済み。中唐は盛唐詩人(孟浩然・王維、杜甫、李白)を受け継いだ多様な詩人が出ている。この時代も驚くほど詩が発展している。Ⅱ韓退之(韓愈)500首、Ⅲ柳宗元40首、Ⅳ韋応物、Ⅴ劉長卿、Ⅵ韋荘、Ⅶ孟郊(孟東野)、Ⅷ張籍、Ⅸ賈島、Ⅹ劉禹錫、ほか2012~2020年の予定で気長に進める。同じ中唐ではあるが、白居易のグループについては、李白のブログ350首(2015/6月再開~2018/夏・秋月予定)の後掲載の予定。別に杜甫詩ブログ1500首(2011/7月~2018/8月の予定で)を進行中。詩数につぃては、予定の詩数より多くなる。気まぐれなところがあるのでこの予定が少し変わる場合があり、その節はご容赦ください。                 古詩・謝霊運詩 杜甫詩 韓愈詩 花間集500首全詩 それぞれ毎日ブログしています。 このブログ、索引=語句の「検索」 参考書以上掲載。漢詩力up。

801年貞元17年 34歳

807年-11 《張中丞傳後敘(韓愈全集校注〔三〕一七一五) -#9》 §-3-1- 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 訳注解説Blog11001

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807-11 《張中丞傳後敘(韓愈全集校注〔三〕一七一五) -#9》 §-3-1- 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 訳注解説Blog11001

 

 

 

 

 

韓昌黎文集  807年元和2年《韓昌黎文集》

 

 

807年、元和二年、このころから、韓愈が書いた墓誌銘の類はしだいに数を増している。墓誌銘とは故人の行跡を記し、その遺徳をたたえた文章で、これを石にきざみ、棺とともに墓の中におさめる。だから本体は墓中にあって、見ることはできないが、遺族はその写しを保存して記念とし、将来、正史の列伝が書かれるときの資料ともするのである。この文章は、息子が亡父のために書くことは許されない。もっと縁の遠い一族の者か、姻戚か、あるいは亡父の友人に書いてもらうのを原則とする。ただ、同じことならば文章の上手な人に書いてもらいたいと思うのは、遺族の情として当然であろう。そこで、当代の名文家といわれるほどの人があれば、故人とは縁が薄くても、あるいは縁がなくとも、依頼に行くことがある。この場合には、もちろん相応の謝礼をしなければならない。故人の親友や遠い親戚などに頼む場合にも、相手はいちおう辞退するであろうが、謝礼を持って行くのは礼儀であった。

 かんゆが書いた墓誌銘のうち、制作時期を確定できるものに限定しても、この前年には《昌黎先生集/卷24-4考功員外盧君墓銘》ほか二篇があり、この年は《昌黎先生集/卷24-7河南少尹裴君墓誌銘》一篇に止まるが、翌年にはまた三篇、その次の年は四篇と増加する。それらの中には愈または彼の一族と関係のあった人物の墓誌銘もあるが、多くは格別の縁故もなさそうに見える。つまり、愈のところへ墓誌銘の依頼に来る人が増加したわけで、少なくとも墓誌銘に関する限り、愈の文章の評価が高くなったことを示す。そして遺族からの謝礼が貧乏に悩む愈の家計を補ったであろうことは、疑う余地がない。

 

元和2年 韓昌黎文

1.           陸渾山火和皇甫湜用其韻(韓愈全集校注 〔一〕四三三)

2.           毛頴傳        (韓愈全集校注 〔三〕一六九三)

3.           釋言         (韓愈全集校注 〔三〕一七〇一)

4.           答馮宿書       (韓愈全集校注 〔三〕一七一一)

5.           張中丞傳後序     (韓愈全集校注 〔三〕一七一五)

6.           考功廬東美墓誌銘   (韓愈全集校注 〔三〕一七三〇)

7.           處士盧君墓誌銘     (韓愈全集校注 〔三〕一七三六)

8.           唐故太原府参軍事苗君墓誌銘 (韓愈全集校注〔三〕一七三八)

 

 

807-11

張中丞傳後敘(韓愈全集校注〔三〕一七一五)

 -#9

 

§-3-1

 

 

韓愈全集校注 訳注解説

 

 

漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ11001

 

 

 

 

 

 

張中丞傳後敘  (韓愈全集校注 〔三〕一七一五)

(全唐文/0552

          (昌黎先生-13-04

          (韓昌黎文集校注 巻二04P-73 〔雜著 書敬〕

今回のテキスト

張中丞傳後敘-§-3-1

作時

807-11元和二年40#1

昌黎先生集

13-04

全唐文

055

韓愈全集校注

〔三冊〕頁一七一五

 

張中丞傳後敘

(御史中丞張巡 の伝のあとがき)

§1-1

元和二年四月十三日夜,

元和二年四月十三日の夜、

愈與郡張籍家中舊書,

わたしは呉郡の張籍と家の中の古書をしらべていたら、

得李翰所為《張巡傳》。

李翰が書いた《張巡の伝》が見つかった。

1-2

翰以文章自名,為此傳頗詳密。

李翰は文章をみずからはこっていた人で、この伝の書きかたも相当くわしいが、

然尚恨有闕者:

それでも残念なことに闕けてもれおちているところがある。

不為許遠立傳,又不載雷萬春事首尾。

たとえば、彼とともに戦った許遠のために伝を独立させず、又、雷万春の事跡の顛末を記載していないようなところがあるのである。

 

(張中丞伝の後敘)§1-1

元和二年四月十三日の夜、

愈、呉郡の張籍と、家中の旧著を閲る。

李翰が為る所の張巡が伝を得たり。

1-2

翰、文章を以て自ら名あり。此の伝を為ること頗る詳密なり。

然れども尚お恨むらくは闕くる老有ることを。

許遠が為に伝を立てず、雷万春が事の首尾を載せず。

 

§2

遠雖材若不及巡者,

許遠は才能は張巡に及ばない者のようであるけれども、

開門納巡,位本在巡上。

張巡が遠の軍と合流しょうとして来た時に、門を開いて張巡を収容し、位はがんらい張巡の上にあったのである。

授之柄而處其下,無所疑忌,

だから。兵権を張巡にさずけて、その下におり、うたがったりねたんだりすることはないのである。

竟與巡俱守死,成功名;

さいごには張巡とともに命を捨てて脽陽を守って功名を立てるのである。

2-1

遠、材、巡に及ばざるものの若しと雖も、門を開いて巡を約す。

位本もと巡が上に在り。之に柄を授ける。

而して虞を其の下にす。

之れに柄を授けて、その下に処って、疑い忌む所無し。

竟に巡と倶に死を守って功名を成す。

2-2

城陷而虜,與巡死先後異耳。

城が陥落して捕虜となり、張巡と死んだのに前後のちがいがあるだけである。

兩家子弟材智下,不能通知二父志,

両家の子弟は、才智がおとり、二人の父の志を十分に理解できず、

以為巡死而遠就虜,疑畏死而辭服於賊。

張巡は戦死して許遠が捕虜になったのは、死をおそれて、賊軍に降服を申し入れたのではないかと疑がっている。

2-2

城陥って虜にせらる。巡と死すること先後異なるのみ。

両家の子弟、材智下うして、二父の志を通知すること能わず。

以為【おも】えらく巡死して遠慮に就く、疑うらくは死を畏れで賊に辞服するやと。

2-3

遠誠畏死,何苦守尺寸之地,

許遠がもしも死をおそれたのなら、どうして苦しんで一尺一寸のちっぽけな土地を守備し、

食其所愛之肉,以與賊抗而不降乎?!

自分の愛している人たちの肉を食べさせてまで、賊軍に抵抗し、降服しなかったのだろうか。

當其圍守時,外無蚍蜉蟻子之援,

その敵に囲まれて城を守っていた時に当たって、外からはかげろうやありの子一匹の救援もなかった。

2-3

遠 誠に死を畏れば、何を苦しんでか尺寸の地を守り、

其の愛する所の肉を食ましめて、以て賊と抗して降せざらんや。

其の囲み守る時に当って、外、比蝉蟻子の援け無し。

2-4

所欲忠者,國與主耳;

忠をつくそうとした対象は、国家と主君だけであった。

而賊語以國亡主滅,

賊軍からは、国家は滅亡し、主君はなくなられたといって来る。

遠見救援不至,而賊來益眾,必以其言為信。

許遠は援軍が到着せず、賊軍がますますたくさんやって来るのを見て、きっとそのことばが本当だと思ったにちがいない。

2-4

忠あらまく欲する所の者は、国と主とのみ。

而も賊語ぐるに國亡び主減ぶというを以てす。

遠、救援の至らずして、賊の来ること益ます衆きを見ば、必ず其の言を以て信なりと為ん。

2-5

外無待而猶死守,人相食且盡,

外からは待ち望み、期待することもできず、なお死にものぐるいで守ってくれて、城中では人が人の肉を食うまでして、もう全滅しようとしている。

雖愚人亦能數日而知死處矣,

これでは、おろかものでも日を数えていつ死ぬのかを知ることができるであろう。

遠之不畏死亦明矣。

だから、許遠が死をおそれなかったことは、あきらかである。

2-5

外、持つこと無うして猶お死をもって守る。

入びと相食ろうて且【まさ】に尽きなんとす。

愚人と雖も亦能く日を数えて死処を知らん。

遠が死を畏れざること亦明らけし。

 

2-6

烏有城壞其徒俱死,獨蒙愧恥求活?

どうして城が破壊され、自分の部下、仲間がみんな死んたというのに、ただひとり恥辱を受けながら生きようと思うものがあろうか。

雖至愚者不忍為。

いちばん愚かな者でも、なかなかそうする気にはなれまい。

嗚呼!而謂遠之賢而為之耶?

ああ、それなのに、許遠のような賢人がそんなことをするというのか。

烏んぞ城壊れ其の徒倶に死して、独り愧恥を蒙って活を求むること有らん?

至愚の者と雖も、為るに忍びじ。

鳴呼、而るに遠が賢にして之れを為すと謂わんや。

 

§3-1

者又謂遠與巡分城而守,城之陷自遠所分始。

説を立てるものは、又こうもいう。「許遠と張巡とは、城を分担して守備していた。城の陥落は、許遠の分担地域からはじまった。」

以此詬遠,此又與兒童之見無異。

それを理由として許遠を罵倒するが、それは又、こどもの見解とちがいがない。

人之將死,其藏腑必有先受其病者;

人が死のうとするとき、その内臓に必ずまず病気にかかっている部分があるのである。

3-2

引繩而之,其必有處;

觀者見其然,從而尤之,

其亦不達於理矣。

説者又謂わく、遠と巡と城を分かって守る。城の陥ること、遠が分かつ所より始まる、と。

此れを以て遠を訴る。此れ又児童の見と異なること無し。

人の将に死せんとするときに、其の臓腑必ず先ず其の病いを受くる老有り。

3-2

縄を引いて之れを絶つに、其の絶つること必ず処有り。

観る者 其の然ることを見て、従って之れを尤【とがめ】む。

其れ亦理に遷せざるなり。

 

3-3

小人之好議論,不樂成人之美,如是哉!

如巡、遠之所成就,如此卓卓,

猶不得免,其他則又何

3-

當二公之初守也,

寧能知人之卒不救,棄城而逆遁?

苟此不能守,雖避之他處何益?

及其無救而且窮也,

小人の議論を好む、人の美せ成すことを楽しまざること是くの如くなるかな。

巡・遠が成就する所此くの如く卓卓たるが如きだも、猶お免るることを得ず。

其の他は則ち又何ぞ説かん。

3-4

二公の初め守るに当ってや、

寧ぞ能く人の卒に救わざることを知って、城を棄てて逆【あらか】じめ遁れんや。?

苟も此れ守ること能わずんば、之れを他処に避くと雖も何の益かあらん。

其の救い無うして且た窮するに及んで、

 

3-5

將其創殘餓贏之餘,雖欲去,必不達。

二公之賢,其講之精矣。

守一城,捍天下,

以千百就盡之卒,戰百萬日滋之師,

3-6

蔽遮江淮,沮遏其勢,

天下之不亡,其誰之功也!

當是時,棄城而圖存者,

不可一二數,

3-7

擅強兵坐而觀者相環也,

不追議此,而責二公以死守,

亦見其自比於逆亂,設淫辭而助之攻也。

3-5

其の創残餓贏の餘を将いて、去らまく欲すと雄も、必ず達せじ。

二公の賢、其の講ずること精【くわ】し。

一城を守って天下を捍ぐ。

千百盡くるに就んとするの卒を以て、百万日に滋すの師に戦う。

3-6

江淮を蔽遮して、その勢を阻遏す。

天下の亡びざること、其れ誰が功ぞや!。

是時に当って、城を棄てて存を図る者、一二をもって数うべからず。

3-7

彊兵を旗にして、坐ながらにして観る者の相環れり。

追うて此れを議せずして、二公の死を以て守るを責む。

亦其の自ら逆乱に比して、淫辞を設けて之れを助けて攻むるを見る。

 

 

《張中丞傳後敘》現代語訳と訳註解説

(本文)

§3-1

者又謂遠與巡分城而守,城之陷自遠所分始。

以此詬遠,此又與兒童之見無異。

人之將死,其藏腑必有先受其病者;

 

(下し文)

3-1

説者又謂わく、遠と巡と城を分かって守る。城の陥ること、遠が分かつ所より始まる、と。

此れを以て遠を訴る。此れ又児童の見と異なること無し。

人の将に死せんとするときに、其の臓腑必ず先ず其の病いを受くる老有り。

 

 (現代語訳)

説を立て

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62 -#2(改訂版) 《巻05-29 將歸贈孟東野房蜀客》 (君門不可入,) 韓愈(韓退之)ID 《 801年貞元17年 34歳》<1379> Ⅱ韓昌黎集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5879

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韓愈詩-62 -#2

年:801年貞元17年 34

卷別:    卷三四0              文體:    五言古詩

詩題:    將歸贈孟東野房蜀客【案:蜀客名次卿。】

作地點:              長安(京畿道 / 京兆府 / 長安)

交遊人物:孟郊    書信往來(京畿道 京兆府 長安)

 

(改訂版)

將歸贈孟東野房蜀客

801801年貞元17年 34歳三月、長安から、洛陽に行くときに、孟東野と房項卿に留別したもの。)

君門不可入,勢利互相推。【勢力互相推】

都に上って、調選に随い、折角一官を得たいと思っていたが「門に入る可からず」というところだ、君も知っての通り、今、勢利ある人たちが、政争を事としていて、政権争奪がなされ、たがいに勢力争いをしている。

借問讀書客,胡為在京師。

だから、勉学に集中できる状態でないから、読書の客など京師にいたってしかたがないということだ。

舉頭未能對,閉眼聊自思。

こんなことだから、頭をあげれば叩かれるから、これに対する良い方法はなく、眼を閉じて、じっとして一人で自問自答とするのみである。

 

(將に歸らんとして 孟東野、房蜀客に贈る)

君 門に入る可からず,勢利 互いに相い推す。【勢力 互いに相い推す】

借問す 讀書の客,胡ん為れぞ 京師に在るや。

頭を舉げて未だ對うる能わず,眼を閉じて聊か自ら思う。

 

倏忽十六年,終朝苦寒飢。

はじめて上京して、はやいもので二十六年になる、この間、終日、援助を受けるような門下に入っていないので、試験及第の為、空腹と寒さに苦しんできた。

宦途竟寥落,鬢髮坐差池。

官に就くことは、汚れた門下に入っていないので、その途は本の微かなもので、志を果しておらず、鬢髮をしろくなるのもうまく世渡りをすることができないためでもある。

潁水清且寂,箕山坦而夷。

我々儒者にとっては、許由のように穎水の清らかな水で汚れた社会の出来事を聞いてきた耳を洗い、單父のように、それを聞いて牛に水を飲ませなかったと静かに山に入ろうと思う、そして箕山に入れば平坦で地勢もなだらかで、隠遁するにはもってこいというものである。

如今便當去,咄咄無自疑。

そこで、今、私は、心に決してまた疑うこともなく、都を後にするため、悔しいけれど此処を立ち去ろうとするのである。

 

倏忽【しゅくこつ】十六年,終朝 寒飢に苦む。

宦途 竟に寥落たり,鬢髮 差池に坐す。

潁水 清 且つ寂,箕山 坦に而て夷。

如今 便ち當に去り,咄咄 自ら疑う無かれ。

 

(改訂版)

『將歸贈孟東野房蜀客』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

倏忽十六年,終朝苦寒飢。

宦途竟寥落,鬢髮坐差池。

潁水清且寂,箕山坦而夷。

如今便當去,咄咄無自疑。


(下し文)
倏忽【しゅくこつ】十六年,終朝 寒飢に苦む。

宦途 竟に寥落たり,鬢髮 差池に坐す。

潁水 清 且つ寂,箕山 坦に而て夷。

如今 便ち當に去り,咄咄 自ら疑う無かれ。

(現代語訳)
はじめて上京して、はやいもので二十六年になる、この間、終日、援助を受けるような門下に入っていないので、試験及第の為、空腹と寒さに苦しんできた。

官に就くことは、汚れた門下に入っていないので、その途は本の微かなもので、志を果しておらず、鬢髮をしろくなるのもうまく世渡りをすることができないためでもある。

我々儒者にとっては、許由のように穎水の清らかな水で汚れた社会の出来事を聞いてきた耳を洗い、單父のように、それを聞いて牛に水を飲ませなかったと静かに山に入ろうと思う、そして箕山に入れば平坦で地勢もなだらかで、隠遁するにはもってこいというものである。

洛陽 函谷関002

(訳注) (改訂版)

將歸贈孟東野房蜀客

801801年貞元17年 34歳三月、長安から、洛陽に行くときに、孟東野と房項卿に留別したもの。)

 

倏忽十六年,終朝苦寒飢。

はじめて上京して、はやいもので二十六年になる、この間、終日、援助を受けるような門下に入っていないので、試験及第の為、空腹と寒さに苦しんできた。

倏忽 時間がきわめて短いさま。たちまち。

 

宦途竟寥落,鬢髮坐差池。

官に就くことは、汚れた門下に入っていないので、その途は本の微かなもので、志を果しておらず、鬢髮をしろくなるのもうまく世渡りをすることができないためでもある。

坐差池 差池 互い違いになること。不ぞろいであること。SV構文である。〔ついに、宦途は寥落〕:〔いつの間にか、鬢發は差池〕出世はできないし、頭は薄くなってきた。

 

潁水清且寂,箕山坦而夷。

我々儒者にとっては、許由のように穎水の清らかな水で汚れた社会の出来事を聞いてきた耳を洗い、單父のように、それを聞いて牛に水を飲ませなかったと静かに山に入ろうと思う、そして箕山に入れば平坦で地勢もなだらかで、隠遁するにはもってこいというものである。

潁水・箕山 この語は、たびたび出る。

韓愈《巻03-15 贈侯喜》

便當提攜妻與子,南入箕潁無還時。

それでも、自分は妻子を提携して、南の方、許由と單父のように箕山穎水の間に分け入って、再び世間には戻ってこないと思っている。

提攜妻與子 漢の謝安(字は安石)が始寧(会稽紹興市の東の上虞県の西南)に隠居して朝廷のお召しに応じなかったのは「東山高臥」といって有名な講である。山上に謝安の建てた白雲・明月の二亭の跡がある。また、かれが妓女を携えて遊んだ寄薇洞の跡もある。○携 佳人=美人=芸妓を携える。謝安の故事をふまえる。府城臥竜山南にあった白樓亭のこと。『会稽志卷第九』山府城の卧龍山府に其東麓に治据されていた。隸山陰陽經雲种山、また別名として重山は越大夫の种所葬られた太平御覧种山の名とした處である。山南道で旧と傳えられる白楼亭は今の遺址は関連性からいうと不確かであるが、山頂にある城隍祠ああって、其の西南の越王台の下にある。李白『贈僧崖公』「手秉玉麈尾, 如登白樓亭。」会稽記 「浙江又東北、重山を径す、西山の上に白楼亭あり。」とある。

入箕潁無還時 箕頴は「箕山頴水」、むかし許由・巣父が堯から天下を譲られたのを避けてそこにのがれた故事、世俗に超越する考えをいう。 杜甫《》「数奇謫関塞、道広存箕潁。」(それが不幸にも命数がちぐはぐでこんな辺地の関所と塞の地にながされたのだけれど、依然として道は広大でひらかれていて「箕穎の心」崇高な心をもっておられる。)

*この二句は、隠遁の願望を世俗の汚れを超越した、「箕穎の心」崇高な心を持って生きたいというもの。

 

李白《巻12-21 北山獨酌寄韋六 -#1

巢父將許由,未聞買山隱。

巢父と許由は耳を洗って隠遁したものだが、ところが山を買ってしかる後に隠遁したというような話は未だに聞いたことが無い。

巢父・許由 許由と巣父の故事による。許由は、中国古代の三皇五帝時代の人と伝わる、伝説の隠者である。伝説によれば、許由は陽城槐里の人でその人格の廉潔さは世に名高く、当時の堯帝がその噂を聞き彼に帝位を譲ろうと申し出るが、それを聞いた許由は箕山に隠れてしまう。さらに堯帝が高い地位をもって許由に報いようとすると、許由は潁水のほとりにおもむき「汚らわしいことを聞いた」と、その流れで自分の耳をすすいだという。

それを見聞きしていたやはり伝説の高士として知られる巣父は、まさに牛にその川の水を飲ませようとしていたが、「牛に汚れた水を飲ませるわけにはいかぬ」と立ち去ったという。

買山 もっぱら山を使い、自分の為だけのために支配するために購入する。《世新語/排調》「支道林因人就深公買印山,深公答曰:「未聞巢、由買山而隱。」(支道林 因て人 深公に就いて印山を買う,深公 答えて曰く:「未だ巢、由の山を買うて而隱るるを聞かず。」)

208-#1 《巻12-21 北山獨酌寄韋六 -#1Index-13 Ⅱ― 8-733年開元二十一年33歳 <208-#1> Ⅰ李白詩1440 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5748

 

李白《巻08-40 贈嵩山焦煉師 并序 -(2)

下瓢酌潁水,舞鶴來伊川。

そこには、許由と巣父の故事にいう耳を洗ったし、弾いてきた牛に飲ませなかった高潔の隠士の理想の姿をうんできた穎水があり、仙界へ載せて行ってくれる鶴が舞い踊る渭水のほとりにやってくる。

下瓢 穎水についての許由と巣父の故事を暗用するもの。許由・巣父はともに中国古代の伝説上の帝王堯(ぎょう)の時代の高士。許由は、堯が自分に帝位を譲ろうというのを聞いて汚れた耳を頴川で洗って箕山に隠れ、巣父は、そのような汚れた川の水は飲ませられないと牽いてきた牛にその川の水を飲ませなかった、という。俗世に汚れることを忌み嫌う高潔の隠士の理想の姿としているもの。

潁水 穎水の源は少室山。

172-3 《巻08-40 贈嵩山焦煉師 并序 -(2)Index-11 Ⅱ―6 -731年開元十九年31 43首 <172-3> Ⅰ李白詩1386 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5478

 

李白《行路難 三首 其三》 

有耳莫洗潁川水 有口莫食首陽蕨 
儒虚思想の許由は、仕官の誘いに故郷の潁川の水耳を洗って無視をした、同じ儒教者の伯夷、叔齊はにげて 首陽山の蕨を食べついには餓死した。こういうことはしてはいけない。
有耳莫洗潁川水 、堯の時代の許由という高潔の士は、堯から天子の位をゆずろうと相談をもちかけられたとき、それを受けつけなかったばかりか、穎水の北にゆき隠居した。堯が又、かれを招いて九州の長(当時全国を九つの州に分けていた)にしようとした時、かれはこういぅ話をきくと耳が汚れると言って、すぐさま穎水の川の水で耳を洗った。○首陽蕨 伯夷、叔齊のかくれた首陽山のわらび。彼等は、祖国殷を征服した周の国の禄を食むのを拒み、この山に隠れワラビを食べて暮らし、ついに餓死した。陶淵明「擬古九首其八
陶淵明「飲酒其二
積善云有報、夷叔在西山。
善惡苟不應、何事立空言。
九十行帶索、飢寒况當年。
不賴固窮節、百世當誰傳。

行路難 三首 其三 李白 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白185

 

 

如今便當去,咄咄無自疑。

そこで、今、私は、心に決してまた疑うこともなく、都を後にするため、悔しいけれど此処を立ち去ろうとするのである。

咄咄 驚いたりくやしがったりするさま。またそのために舌打ちをしたり声を発したりするさま。

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(改訂版)將歸贈孟東野房蜀客》韓愈801801年貞元17年 34歳三月、長安から、洛陽に行くときに、孟東野と房項卿に留別したもの。)都に上って、調選に随い、折角一官を得たいと思っていたが「門に入る可からず」というところだ、君も知っての通り、今、勢利ある人たちが、政争を事としていて、政権争奪がなされ、たがいに勢力争いをしている。


 
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韓愈詩-62 -#1

年:801年貞元17年 34

卷別:    卷三四0              文體:    五言古詩

詩題:    將歸贈孟東野房蜀客【案:蜀客名次卿。】

作地點:              長安(京畿道 / 京兆府 / 長安)

交遊人物:孟郊    書信往來(京畿道 京兆府 長安)

 

 

將歸贈孟東野房蜀客

801801年貞元17年 34歳三月、長安から、洛陽に行くときに、孟東野と房項卿に留別したもの。)

君門不可入,勢利互相推。【勢力互相推】

都に上って、調選に随い、折角一官を得たいと思っていたが「門に入る可からず」というところだ、君も知っての通り、今、勢利ある人たちが、政争を事としていて、政権争奪がなされ、たがいに勢力争いをしている。

借問讀書客,胡為在京師。

だから、勉学に集中できる状態でないから、読書の客など京師にいたってしかたがないということだ。

舉頭未能對,閉眼聊自思。

こんなことだから、頭をあげれば叩かれるから、これに対する良い方法はなく、眼を閉じて、じっとして一人で自問自答とするのみである。

 

(將に歸らんとして 孟東野、房蜀客に贈る)

君 門に入る可からず,勢利 互いに相い推す。【勢力 互いに相い推す】

借問す 讀書の客,胡ん為れぞ 京師に在るや。

頭を舉げて未だ對うる能わず,眼を閉じて聊か自ら思う。

 

倏忽十六年,終朝苦寒飢。

宦途竟寥落,鬢髮坐差池。

潁水清且寂,箕山坦而夷。

如今便當去,咄咄無自疑。

 

(將歸贈孟東野房蜀客)

君門不可入,勢利互相推。

借問讀書客,胡為在京師。

舉頭未能對,閉眼聊自思。

 

倏忽十六年,終朝苦寒飢。

宦途竟寥落,鬢髮坐差池。

潁水清且寂,箕山坦而夷。

如今便當去,咄咄無自疑。

Ta唐 長安近郊圖  新02洛陽 函谷関002 

 

 

『將歸贈孟東野房蜀客』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

將歸贈孟東野房蜀客

君門不可入,勢利互相推。【勢力互相推】

借問讀書客,胡為在京師。

舉頭未能對,閉眼聊自思。



(下し文)
(將に歸らんとして 孟東野、房蜀客に贈る)

君 門に入る可からず,勢利 互いに相い推す。【勢力 互いに相い推す】

借問す 讀書の客,胡ん為れぞ 京師に在るや。

頭を舉げて未だ對うる能わず,眼を閉じて聊か自ら思う。

(現代語訳)
801801年貞元17年 34歳三月、長安から、洛陽に行くときに、孟東野と房項卿に留別したもの。)

都に上って、調選に随い、折角一官を得たいと思っていたが「門に入る可からず」というところだ、君も知っての通り、今、勢利ある人たちが、政争を事としていて、政権争奪がなされ、たがいに勢力争いをしている。

だから、勉学に集中できる状態でないから、読書の客など京師にいたってしかたがないということだ。

こんなことだから、頭をあげれば叩かれるから、これに対する良い方法はなく、眼を閉じて、じっとして一人で自問自答とするのみである。


(訳注)

將歸贈孟東野房蜀客

801801年貞元17年 34歳三月、長安から、洛陽に行くときに、孟東野と房項卿に留別したもの。)

孟東野 孟郊。751 - 814年 唐代の詩人。字は東野、諡は貞曜先生という。

湖州武康(浙江省)の出身。狷介不羈で人嫌いのために、若い頃は河南省嵩山に隠れた。798年、50歳の時に三度目で進士に及第し、江蘇省律栗陽の尉となった。一生不遇で、憲宗の時代に没する。

詩は困窮・怨恨・憂愁を主題としたものが多く、表現は奇異。韓愈とならんで「韓孟」と称せられる。蘇軾は賈島とならべて「郊寒島痩」、つまり孟郊は殺風景で賈島は貧弱と評す。韓愈が推奨するところの詩人であり、「送孟東野序」が知られている。『孟東野集』10巻がある。

孟郊は、貞元十五年七九九春、汴州をはなれて蘇州各地をめぐり、十六年、五十歳で、はじめて溧陽県の尉に任命され赴任した。溧陽は、いまの江蘇省の南京から約百キロメートル東南のまちで、尉は、警察部長にあたる。県令の季操は官僚肌の男で、孟郊の学問や詩業など眼中になかった。孟郊は、老いた母親まで呼びよせて、しばらく落ちつくつもりだったが、805年永貞元年ついに母を常州の属邑義興にうつし、元和元年、職をもとめて、単身、長安に上って来た。韓愈が帰って来たときには、ほぼ新しい職のめどもついていたのである。

かれらにとっては、四、五年ぶりの再会であった。話題が豊富であった。ほとんど毎晩のように寄り合い、酒をくみ、別れていた間の出来事を語りあい、詩をよせあった。そして、多くの聯句を残した。

房蜀客 房某、字は項卿、名次卿といった。韓愈の友人である。

 

君門不可入,勢利互相推。【勢力互相推】

都に上って、調選に随い、折角一官を得たいと思っていたが「門に入る可からず」というところだ、君も知っての通り、今、勢利ある人たちが、政争を事としていて、政権争奪がなされ、たがいに勢力争いをしている。

勢利互相推 玄宗朝に勃発した安史の乱により唐の国勢は大きく傾き、地方に節度使が半独立状態で割拠した藩鎮が跋扈するようになった。この状況に対して憲宗朝に於いて杜黄裳・武元衝・李吉甫らの主導により藩鎮に対して武力を使って政府に反抗的な藩鎮を討伐する強硬策が行われ一定の成果を収め、唐は中興時代を迎えた。しかし武力討伐に使われた費用は財政を悪化させ、また藩鎮に対抗するために作られた神策軍は宦官の勢力に組み込まれ、朝廷における宦官の勢力は極めて大きなものとなった。

その最中の元和3年(808年)、牛李の党争の発端となる事件が起こる。この年の科挙進士科に牛僧孺・皇甫湜・李宗閔の3人が合格した。この時の論策にて三人は時の失政に対して批判を行い、これが一旦は憲宗に受け入れられた。しかしこの時の宰相[3]李吉甫と宦官とが憲宗に泣訴し、逆に牛僧孺たち3人は中央を追われ、辟召を受けて地方に転出させられた。

科挙試験にも反映され、受ける前、書生の段階から色分けされて、どちらの門に入るか決めないと合格しずらかった、韓愈門下はどちらにも組しなかったことをいう。

 

借問讀書客,胡為在京師。

だから、勉学に集中できる状態でないから、読書の客など京師にいたってしかたがないということだ。

 

舉頭未能對,閉眼聊自思。

こんなことだから、頭をあげれば叩かれるから、これに対する良い方法はなく、眼を閉じて、じっとして一人で自問自答とするのみである。

61-#4 《巻03-15 贈侯喜》-#4   (吾黨侯生字叔巳,)-#4 韓愈(韓退之)ID 《 802年貞元18年 36歳》   ()<1377> Ⅱ韓昌黎集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5869

贈侯喜》-#4 韓愈  元来、魚を釣ろうというのは、こんな浅くせまい川では到底駄目で、おおきな魚は、決して水たまりのようなところには住んでいないし、もっと遠くへ足を運ばねばならない、大魚を釣ろうと思えば、大江、大海を望むところでなくてはいけない、何はともあれ、世の中で仕事をするには、遠大な計画を為すことが一番大切なことである。

 

 
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61-#4 《巻03-15 贈侯喜》-#4   (吾黨侯生字叔巳,)-#4 韓愈(韓退之)ID 《 802年貞元18年 36歳》   ()<1377> Ⅱ韓昌黎集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5869 
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61-#4 《巻03-15 贈侯喜》-#4   (吾黨侯生字叔巳,)-#4 韓愈(韓退之)ID  802年貞元18 36歳》   ()1377 Ⅱ韓昌黎集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5869韓愈詩-61-#4

 

 

年:801年貞元17年 34

卷別:    卷三三八  韓昌黎集 巻三15   文體:    七言古詩

詩題:    贈侯喜

【愈貞元十七年七月二十二日,與李景興、侯喜、尉遲汾同漁於洛,有不刻在焉,詩必是時作。】

作地點:              洛陽(都畿道 / 河南府 / 洛陽)

交遊人物:侯喜    當地交遊(都畿道 河南府 洛陽)

 

 

贈侯喜  -#1

(この日は一向に魚が釣れなかったから、戯れに、門下の侯喜にたいして不満をいうような意味で作った。)

愈貞元十七年七月二十二日,與李景興、侯喜、尉遲汾同漁於洛,有不刻在焉,詩必是時作。

韓愈は貞元17722日、韓愈門下の李景興、侯喜、尉遅汾らと共に、洛陽城郭外の洛水に魚釣りなどして遊び、その帰途、洛北の惠林寺に往ったところ、遅くなったので、そのまま留泊した。そのときの惠林寺に題名が残っていたために、その時の事実が明らかになった。

吾黨侯生字叔巳,呼我持竿釣溫水。

吾韓門一党の侯生君は字名を叔巳という、その男の発起で一日、竿をかついで、洛水で魚釣りをしようということになった。

平明鞭馬出都門,盡日行行荊棘裡。

そこで朝早く、馬に鞭うって、城門を出たが、その路は、荊棘の間に通じているために、行くのに時間がかかり、一日近くかかってしまった。

溫水微茫又流,深如車轍闊容輈。

さて、ようやく温水に到着してみると、かねてより聞いていたこととは違っていて、ただ微汒として、ろくろく水もなく、絶えてはまた流れるという有様で、水深葉というと車のわだちが土中にめり込んだくらいしかないし、水幅は車の心棒がやっと通るかという程度のものである。

侯喜に贈る)  -#1

【愈は貞元十七年七月二十二日,李景興と、侯喜と、尉遲汾とで洛に於て漁を同じゅうして,不刻有る在らん,詩 必ず是の時に作る。】

吾が黨の侯生 字は叔巳,我を呼び 竿を持して溫水に釣る。

平明 馬に鞭って都門を出で,盡日 行き行く 荊棘の裡。

溫水 微茫 えて又た流る,深きは車轍の如く 闊きは輈を容る。

#2

蝦蟆跳過雀兒浴,此縱有魚何足求。

それは蝦蟇でも飛び越せるし、スズメが来て水浴びを野に丁度いいくらい、こんな所に喩え魚がいたにしても、われわれがもとめていたものにたるようなものではないのにきまっている。

我為侯生不能已,盤針擘粒投泥滓。

しかし、我々は、侯生君に誘われてせっかくここへ、釣り目的で来たのだから、そのまま帰るわけにもゆかないから、やがて、釣り道具を取り出して、針を曲げ、飯粒を擘いて、泥水たまりの中に投げ込んだ。

晡時堅坐到黃昏,手倦目勞方一起。

何せ、川に着いたのが申(さる)の刻だから、それから釣り糸を垂れ、じっとそこに座って黄昏るまでいたけれど、一向に魚がえさに喰いつくわけでもなく、竿を持つ手が怠くなってきて、見つめる目は疲れ、しゃがみ込むのもしんどいので、一たび体を起こして背伸びをした。

暫動還休未可期,蝦行蛭渡似皆疑。

こんなに何にもないと、小さなエビか、蛭が梁や糸に触れただけでも、魚のように思われるほどで、ちょっと動いて、また止まってしまって一向につれそうにない。

#3

舉竿引線忽有得,一寸纔分鱗與鬐。

かれこれする間に、少し手ごたえするほど動いたのであろうか、しめたというので竿をあげて糸を引いた、はたして一尾の魚がかかっていた、わずか一寸くらい、よく見なければ鱗もひれもわからぬような小さな魚であった。

是日侯生與韓子,良久歎息相看悲。

かくて侯生と韓子とは、あまり釣れない所から、やや久しゅうして嘆息し、相い看て哀しんだ。

我今行事盡如此,此事正好為吾規。

それは、我が輩、平成の行事は、丁度、今日の事と同じく、小さなことにのみ、悪朔しているから伝教はこれだけで辛抱しても、その結果の一向つまらないもので、平生の行事に対して、まことによき規箴となるわけである。

半世遑遑就舉選,一名始得紅顏衰。

吾輩は、半生の間、遑遑として試験に憂き身をやつし、やっとのことで、一たび及第を得るに至れば、最早、歳が寄ってしまい、紅顔も、何時しか衰えた。

#3

竿を舉げ、線を引いて 忽ち得る有り,一寸 纔に 分かる 鱗と鬐と。

是の日 侯生と韓子と,良に久しくして 歎息し 相い看て悲む。

我 今 行事 盡く此の如く,此の事 正に好し 吾が規と為さむ。

半世 遑遑 舉選に就く,一名 始めて得て 紅顏 衰う。

#4

人間事勢豈不見,徒自辛苦終何為。

人間の事勢は、大抵これでわかっているので、いたずらに自ら辛苦したとして、何にも売るところがないというのは、今日のこの釣りの様ではないか。

便當提攜妻與子,南入箕潁無還時。

それでも、自分は妻子を提携して、南の方、許由と單父のように箕山穎水の間に分け入って、再び世間には戻ってこないと思っている。

叔巳君今氣方我言至切君勿嗤。

しかし、叔巳君は今しも、若き青年の気鋭であるから、わたしがいうような「穎水で耳を洗って、世俗を離れる」というようなことは言うものではないし、私のことを笑わずにいてほしい。

君欲釣魚須遠去,大魚豈肯居沮洳。

元来、魚を釣ろうというのは、こんな浅くせまい川では到底駄目で、おおきな魚は、決して水たまりのようなところには住んでいないし、もっと遠くへ足を運ばねばならない、大魚を釣ろうと思えば、大江、大海を望むところでなくてはいけない、何はともあれ、世の中で仕事をするには、遠大な計画を為すことが一番大切なことである。

#4

人間の事勢 豈に見ざらんや,徒に自ら辛苦して終に何為れぞ。

便ち當に妻と子とを提攜し,南 箕潁に入って還る時無かるべし。

叔巳 君 今 氣 方に我が言 至って切 君嗤う勿れ。

君 魚を釣らんと欲せば 須らく遠く去るべし,大魚 豈に肯えて沮洳【しじょ】に居らんや。

漢魏隋唐の洛陽城 

 

『贈侯喜』 現代語訳と訳註解説
(
本文)
#4

人間事勢豈不見,徒自辛苦終何為。

便當提攜妻與子,南入箕潁無還時。

叔巳君今氣方我言至切君勿嗤。

君欲釣魚須遠去,大魚豈肯居沮洳。


(下し文)
人間の事勢 豈に見ざらんや,徒に自ら辛苦して終に何為れぞ。

便ち當に妻と子とを提攜し,南 箕潁に入って還る時無かるべし。

叔巳 君 今 氣 方に,我が言 至って切 君嗤う勿れ。

君 魚を釣らんと欲せば 須らく遠く去るべし,大魚 豈に肯えて沮洳【しじょ】に居らんや。

(現代語訳)
人間の事勢は、大抵これでわかっているので、いたずらに自ら辛苦したとして、何にも売るところがないというのは、今日のこの釣りの様ではないか。

それでも、自分は妻子を提携して、南の方、許由と單父のように箕山穎水の間に分け入って、再び世間には戻ってこないと思っている。

しかし、叔巳君は今しも、若き青年の気鋭であるから、わたしがいうような「穎水で耳を洗って、世俗を離れる」というようなことは言うものではないし、私のことを笑わずにいてほしい。

元来、魚を釣ろうというのは、こんな浅くせまい川では到底駄目で、おおきな魚は、決して水たまりのようなところには住んでいないし、もっと遠くへ足を運ばねばならない、大魚を釣ろうと思えば、大江、大海を望むところでなくてはいけない、何はともあれ、世の中で仕事をするには、遠大な計画を為すことが一番大切なことである。


洛陽 函谷関002
(訳注) #4

贈侯喜  

(この日は一向に魚が釣れなかったから、戯れに、門下の侯喜にたいして不満をいうような意味で作った。)

 

人間事勢豈不見,徒自辛苦終何為。

人間の事勢は、大抵これでわかっているので、いたずらに自ら辛苦したとして、何にも売るところがないというのは、今日のこの釣りの様ではないか。

*この二句は、齷齪する世俗の事をいう。

 

便當提攜妻與子,南入箕潁無還時。

それでも、自分は妻子を提携して、南の方、許由と單父のように箕山穎水の間に分け入って、再び世間には戻ってこないと思っている。

提攜妻與子 漢の謝安(字は安石)が始寧(会稽紹興市の東の上虞県の西南)に隠居して朝廷のお召しに応じなかったのは「東山高臥」といって有名な講である。山上に謝安の建てた白雲・明月の二亭の跡がある。また、かれが妓女を携えて遊んだ寄薇洞の跡もある。○携 佳人=美人=芸妓を携える。謝安の故事をふまえる。府城臥竜山南にあった白樓亭のこと。『会稽志卷第九』山府城の卧龍山府に其東麓に治据されていた。隸山陰陽經雲种山、また別名として重山は越大夫の种所葬られた太平御覧种山の名とした處である。山南道で旧と傳えられる白楼亭は今の遺址は関連性からいうと不確かであるが、山頂にある城隍祠ああって、其の西南の越王台の下にある。李白『贈僧崖公』「手秉玉麈尾, 如登白樓亭。」会稽記 「浙江又東北、重山を径す、西山の上に白楼亭あり。」とある。

入箕潁無還時 箕頴は「箕山頴水」、むかし許由・巣父が堯から天下を譲られたのを避けてそこにのがれた故事、世俗に超越する考えをいう。 杜甫《》「数奇謫関塞、道広存箕潁。」(それが不幸にも命数がちぐはぐでこんな辺地の関所と塞の地にながされたのだけれど、依然として道は広大でひらかれていて「箕穎の心」崇高な心をもっておられる。)

*この二句は、隠遁の願望を世俗の汚れを超越した、「箕穎の心」崇高な心を持って生きたいというもの。

 

叔巳君今氣方我言至切君勿嗤。

しかし、叔巳君は今しも、若き青年の気鋭であるから、わたしがいうような「穎水で耳を洗って、世俗を離れる」というようなことは言うものではないし、私のことを笑わずにいてほしい。

 

君欲釣魚須遠去,大魚豈肯居沮洳。

元来、魚を釣ろうというのは、こんな浅くせまい川では到底駄目で、おおきな魚は、決して水たまりのようなところには住んでいないし、もっと遠くへ足を運ばねばならない、大魚を釣ろうと思えば、大江、大海を望むところでなくてはいけない、何はともあれ、世の中で仕事をするには、遠大な計画を為すことが一番大切なことである。

 

 

許由(きょゆう)は、中国古代の三皇五帝時代の人と伝わる、伝説の隠者である。

伝説によれば、許由は陽城槐里の人でその人格の廉潔さは世に名高く、当時の堯帝がその噂を聞き彼に帝位を譲ろうと申し出るが、それを聞いた許由は箕山に隠れてしまう。さらに堯帝が高い地位をもって許由に報いようとすると、許由は潁水のほとりにおもむき「汚らわしいことを聞いた」と、その流れで自分の耳をすすいだという。

それを見聞きしていたやはり伝説の高士として知られる巣父は、まさに牛にその川の水を飲ませようとしていたが、「牛に汚れた水を飲ませるわけにはいかぬ」と立ち去ったという。

 

《巻06-12 梁園吟》「東山高臥時起來,欲濟蒼生未應晚。」とはいっても、酒ばかり飲んでいるわけにもいかず、むかし、謝安石が東山に隠棲したのとおなじように、世の人民を救おうという時が来れば起ちあがるのだ。この意欲があれば、遅すぎるはずはない。

○東山高臥-東晋の謝安(字は安石)が、朝廷からしばしば出仕を催されながら、東山に隠棲したま基易に承知しなかったこと。人々は、「安石出づる喜んぜずんは、将た蒼生(人民)を如何んせん」と言って心配した。(『世説新語』「排調、第二十五」の二六)。「高臥」は、世俗の欲望を離れて隠棲すること。

会稽東山の山上に謝安の建てた白雲・明月の二亭の跡がある。また、かれが妓女を携えて遊んだ寄薇洞の跡もある。謝安の芸妓を携えて東山始寧の別荘の南に楼があり、そこで漢の謝安の故事、朝廷の誘いに乗らず始寧の芸妓を携えて遊んだことにならい、芸妓を待っていたが来なかったときの感情を歌ったものである

169 -4(改訂版) 《巻06-12 梁園吟 -4Index-11 Ⅱ―6 -731年開元十九年31 43首 <169 -4> Ⅰ李白詩1381 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5453
『送侄良攜二妓赴會稽戲有此贈』
攜妓東山去。 春光半道催。 
遙看若桃李。 雙入鏡中開。
 
姪良が二姥を携えて会稽に赴くを送り、戯れに此の贈有り
妓を携えて 東山に去れば。春光 半道に催す。
(はるか)に看る 桃李(とうり)の若く、双(ふた)つながら鏡中に入って開くを。

送姪良携二妓赴会稽戯有此贈  李白Kanbuniinkai紀頌之の漢詩李白特集350 -287

61-#3 《巻03-15 贈侯喜》 #3 韓愈(韓退之)  801年貞元17年 34歳》 <1376> Ⅱ韓昌黎集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5864

韓愈 贈侯喜  かれこれする間に、少し手ごたえするほど動いたのであろうか、しめたというので竿をあげて糸を引いた、はたして一尾の魚がかかっていた、わずか一寸くらい、よく見なければ鱗もひれもわからぬような小さな魚であった。

 

 
 2015年4月18日の紀頌之5つのBlog 
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61-#3 《巻03-15 贈侯喜》 #3 韓愈(韓退之)  801年貞元17年 34歳》 <1376> Ⅱ韓昌黎集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5864 
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 ●杜甫の全作品1500首を訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。" 
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 杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩) 杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首 
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 Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoorBlog『花間集』全詩訳注解説(改訂版)-4.薛昭蘊133《巻三36浣溪紗八首 其七》巻三3633-〈133〉漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-5867 
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 温庭筠66首 花間集1・2巻皇甫松11首 花間集二巻韋莊47首 花間集二巻薛昭蘊19首 花間集三巻牛嶠31首 花間集三・四巻張泌27首 花間集四巻 
 毛文錫31首 花間集5巻牛希濟11首 花間集5巻欧陽烱17首 花間集5・6巻和凝20首 花間集6巻顧夐56首 花間集6・7巻孫光憲47首 花間集7・8巻 
 魏承班15首 花間集8・9巻鹿虔扆6首 花間集9巻閻選8首 花間集9巻尹鶚6首 花間集9巻毛熙震29首 花間集9・10巻李珣39首 花間集10巻 
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韓愈詩-61-#3

年:801年貞元17年 34

卷別:    卷三三八  韓昌黎集 巻三15   文體:    七言古詩

詩題:    贈侯喜

【愈貞元十七年七月二十二日,與李景興、侯喜、尉遲汾同漁於洛,有不刻在焉,詩必是時作。】

作地點:              洛陽(都畿道 / 河南府 / 洛陽)

交遊人物:侯喜    當地交遊(都畿道 河南府 洛陽)

 

 

贈侯喜  -#1

(この日は一向に魚が釣れなかったから、戯れに、門下の侯喜にたいして不満をいうような意味で作った。)

愈貞元十七年七月二十二日,與李景興、侯喜、尉遲汾同漁於洛,有不刻在焉,詩必是時作。

韓愈は貞元17722日、韓愈門下の李景興、侯喜、尉遅汾らと共に、洛陽城郭外の洛水に魚釣りなどして遊び、その帰途、洛北の惠林寺に往ったところ、遅くなったので、そのまま留泊した。そのときの惠林寺に題名が残っていたために、その時の事実が明らかになった。

吾黨侯生字叔巳,呼我持竿釣溫水。

吾韓門一党の侯生君は字名を叔巳という、その男の発起で一日、竿をかついで、洛水で魚釣りをしようということになった。

平明鞭馬出都門,盡日行行荊棘裡。

そこで朝早く、馬に鞭うって、城門を出たが、その路は、荊棘の間に通じているために、行くのに時間がかかり、一日近くかかってしまった。

溫水微茫又流,深如車轍闊容輈。

さて、ようやく温水に到着してみると、かねてより聞いていたこととは違っていて、ただ微汒として、ろくろく水もなく、絶えてはまた流れるという有様で、水深葉というと車のわだちが土中にめり込んだくらいしかないし、水幅は車の心棒がやっと通るかという程度のものである。

侯喜に贈る)  -#1

【愈は貞元十七年七月二十二日,李景興と、侯喜と、尉遲汾とで洛に於て漁を同じゅうして,不刻有る在らん,詩 必ず是の時に作る。】

吾が黨の侯生 字は叔巳,我を呼び 竿を持して溫水に釣る。

平明 馬に鞭って都門を出で,盡日 行き行く 荊棘の裡。

溫水 微茫 えて又た流る,深きは車轍の如く 闊きは輈を容る。

#2

蝦蟆跳過雀兒浴,此縱有魚何足求。

それは蝦蟇でも飛び越せるし、スズメが来て水浴びを野に丁度いいくらい、こんな所に喩え魚がいたにしても、われわれがもとめていたものにたるようなものではないのにきまっている。

我為侯生不能已,盤針擘粒投泥滓。

しかし、我々は、侯生君に誘われてせっかくここへ、釣り目的で来たのだから、そのまま帰るわけにもゆかないから、やがて、釣り道具を取り出して、針を曲げ、飯粒を擘いて、泥水たまりの中に投げ込んだ。

晡時堅坐到黃昏,手倦目勞方一起。

何せ、川に着いたのが申(さる)の刻だから、それから釣り糸を垂れ、じっとそこに座って黄昏るまでいたけれど、一向に魚がえさに喰いつくわけでもなく、竿を持つ手が怠くなってきて、見つめる目は疲れ、しゃがみ込むのもしんどいので、一たび体を起こして背伸びをした。

暫動還休未可期,蝦行蛭渡似皆疑。

こんなに何にもないと、小さなエビか、蛭が梁や糸に触れただけでも、魚のように思われるほどで、ちょっと動いて、また止まってしまって一向につれそうにない。

蝦蟆 跳り過ぎて雀兒 浴す,此に縱【たと】い魚る有も 何ぞ求むるに足らん。

我 侯生の為に已む能わず,針を盤げ 粒を擘【つんざ】いて 泥滓【でいし】に投ず。

晡時 堅坐して 黃昏に到る,手倦み 目勞して 方に一び起つ。

暫く 動いて還た休み 未だ期す可からず,蝦は行き 蛭は渡るも、皆 疑うに似たり。

#3

舉竿引線忽有得,一寸纔分鱗與鬐。

かれこれする間に、少し手ごたえするほど動いたのであろうか、しめたというので竿をあげて糸を引いた、はたして一尾の魚がかかっていた、わずか一寸くらい、よく見なければ鱗もひれもわからぬような小さな魚であった。

是日侯生與韓子,良久歎息相看悲。

かくて侯生と韓子とは、あまり釣れない所から、やや久しゅうして嘆息し、相い看て哀しんだ。

我今行事盡如此,此事正好為吾規。

それは、我が輩、平成の行事は、丁度、今日の事と同じく、小さなことにのみ、悪朔しているから伝教はこれだけで辛抱しても、その結果の一向つまらないもので、平生の行事に対して、まことによき規箴となるわけである。

半世遑遑就舉選,一名始得紅顏衰。

吾輩は、半生の間、遑遑として試験に憂き身をやつし、やっとのことで、一たび及第を得るに至れば、最早、歳が寄ってしまい、紅顔も、何時しか衰えた。

#3

竿を舉げ、線を引いて 忽ち得る有り,一寸 纔に 分かる 鱗と鬐と。

是の日 侯生と韓子と,良に久しくして 歎息し 相い看て悲む。

我 今 行事 盡く此の如く,此の事 正に好し 吾が規と為さむ。

半世 遑遑 舉選に就く,一名 始めて得て 紅顏 衰う。

#4

人間事勢豈不見,徒自辛苦終何為。

便當提攜妻與子,南入箕潁無還時。

巳君今氣方我言至切君勿嗤。

君欲釣魚須遠去,大魚豈肯居沮洳。

 

 

『贈侯喜』 現代語訳と訳註解説
(
本文)
#3

舉竿引線忽有得,一寸纔分鱗與鬐。

是日侯生與韓子,良久歎息相看悲。

我今行事盡如此,此事正好為吾規。

半世遑遑就舉選,一名始得紅顏衰。


(下し文) #3

竿を舉げ、線を引いて 忽ち得る有り,一寸 纔に 分かる 鱗と鬐と。

是の日 侯生と韓子と,良に久しくして 歎息し 相い看て悲む。

我 今 行事 盡く此の如く,此の事 正に好し 吾が規と為さむ。

半世 遑遑 舉選に就く,一名 始めて得て 紅顏 衰う。


(現代語訳)
かれこれする間に、少し手ごたえするほど動いたのであろうか、しめたというので竿をあげて糸を引いた、はたして一尾の魚がかかっていた、わずか一寸くらい、よく見なければ鱗もひれもわからぬような小さな魚であった。

かくて侯生と韓子とは、あまり釣れない所から、やや久しゅうして嘆息し、相い看て哀しんだ。

それは、我が輩、平成の行事は、丁度、今日の事と同じく、小さなことにのみ、悪朔しているから伝教はこれだけで辛抱しても、その結果の一向つまらないもので、平生の行事に対して、まことによき規箴となるわけである。

吾輩は、半生の間、遑遑として試験に憂き身をやつし、やっとのことで、一たび及第を得るに至れば、最早、歳が寄ってしまい、紅顔も、何時しか衰えた。



(訳注) #3

贈侯喜  

(この日は一向に魚が釣れなかったから、戯れに、門下の侯喜にたいして不満をいうような意味で作った。)

 

舉竿引線忽有得,一寸纔分鱗與鬐。

かれこれする間に、少し手ごたえするほど動いたのであろうか、しめたというので竿をあげて糸を引いた、はたして一尾の魚がかかっていた、わずか一寸くらい、よく見なければ鱗もひれもわからぬような小さな魚であった。

忽有得 かれこれする間に、少し手ごたえするほど動いたのであろう。

纔分 よく見なければ~もわからない。

鱗與鬐 うろことひれ。鬐:馬のたてがみ、魚の背びれ。虹の湾曲の形容。次第に尽きる。

 

是日侯生與韓子,良久歎息相看悲。

かくて侯生と韓子とは、あまり釣れない所から、やや久しゅうして嘆息し、相い看て哀しんだ。

 

我今行事盡如此,此事正好為吾規。

それは、我が輩、平成の行事は、丁度、今日の事と同じく、小さなことにのみ、悪朔しているから伝教はこれだけで辛抱しても、その結果の一向つまらないもので、平生の行事に対して、まことによき規箴となるわけである。

 規箴:戒めること。戒め。

 

半世遑遑就舉選,一名始得紅顏衰。

吾輩は、半生の間、遑遑として試験に憂き身をやつし、やっとのことで、一たび及第を得るに至れば、最早、歳が寄ってしまい、紅顔も、何時しか衰えた。

遑遑 心が落ち着かないさま。あわただしいさま。 「齷齪たり,又た遑遑たり、欺かざるの記」

就舉選 試験に憂き身をやつし、やっとのことで、一たび及第を得るに至る。

61-#2 《巻03-15 贈侯喜》-#2 韓愈(韓退之)ID 801年貞元17年 34歳<1375> Ⅱ韓昌黎集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5859

韓愈 贈侯喜-#2 何せ、川に着いたのが申(さる)の刻だから、それから釣り糸を垂れ、じっとそこに座って黄昏迄いたけれど、一向に魚がえさに喰いつくわけでもなく、竿を持つ手が倦怠なってきて、見つめる目は疲れ、しゃがみ込むのもしんどいので、一度体を起こして背伸びをした。


 
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61-#2 《巻03-15 贈侯喜》-#2 韓愈(韓退之)ID 801年貞元17年 341375 Ⅱ韓昌黎集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5859

 

 

韓愈詩-61-#2

年:801年貞元17年 34

卷別:    卷三三八  韓昌黎集 巻三15   文體:    七言古詩

詩題:    贈侯喜

【愈貞元十七年七月二十二日,與李景興、侯喜、尉遲汾同漁於洛,有不刻在焉,詩必是時作。】

作地點:              洛陽(都畿道 / 河南府 / 洛陽)

交遊人物:侯喜    當地交遊(都畿道 河南府 洛陽)

 

 

贈侯喜  -#1

(この日は一向に魚が釣れなかったから、戯れに、門下の侯喜にたいして不満をいうような意味で作った。)

愈貞元十七年七月二十二日,與李景興、侯喜、尉遲汾同漁於洛,有不刻在焉,詩必是時作。

韓愈は貞元17722日、韓愈門下の李景興、侯喜、尉遅汾らと共に、洛陽城郭外の洛水に魚釣りなどして遊び、その帰途、洛北の惠林寺に往ったところ、遅くなったので、そのまま留泊した。そのときの惠林寺に題名が残っていたために、その時の事実が明らかになった。

吾黨侯生字叔巳,呼我持竿釣溫水。

吾韓門一党の侯生君は字名を叔巳という、その男の発起で一日、竿をかついで、洛水で魚釣りをしようということになった。

平明鞭馬出都門,盡日行行荊棘裡。

そこで朝早く、馬に鞭うって、城門を出たが、その路は、荊棘の間に通じているために、行くのに時間がかかり、一日近くかかってしまった。

溫水微茫又流,深如車轍闊容輈。

さて、ようやく温水に到着してみると、かねてより聞いていたこととは違っていて、ただ微汒として、ろくろく水もなく、絶えてはまた流れるという有様で、水深葉というと車のわだちが土中にめり込んだくらいしかないし、水幅は車の心棒がやっと通るかという程度のものである。

侯喜に贈る)  -#1

【愈は貞元十七年七月二十二日,李景興と、侯喜と、尉遲汾とで洛に於て漁を同じゅうして,不刻有る在らん,詩 必ず是の時に作る。】

吾が黨の侯生 字は叔巳,我を呼び 竿を持して溫水に釣る。

平明 馬に鞭って都門を出で,盡日 行き行く 荊棘の裡。

溫水 微茫 えて又た流る,深きは車轍の如く 闊きは輈を容る。

#2

蝦蟆跳過雀兒浴,此縱有魚何足求。

それは蝦蟇でも飛び越せるし、スズメが来て水浴びを野に丁度いいくらい、こんな所に喩え魚がいたにしても、われわれがもとめていたものにたるようなものではないのにきまっている。

我為侯生不能已,盤針擘粒投泥滓。

しかし、我々は、侯生君に誘われてせっかくここへ、釣り目的で来たのだから、そのまま帰るわけにもゆかないから、やがて、釣り道具を取り出して、針を曲げ、飯粒を擘いて、泥水たまりの中に投げ込んだ。

晡時堅坐到黃昏,手倦目勞方一起。

何せ、川に着いたのが申(さる)の刻だから、それから釣り糸を垂れ、じっとそこに座って黄昏るまでいたけれど、一向に魚がえさに喰いつくわけでもなく、竿を持つ手が怠くなってきて、見つめる目は疲れ、しゃがみ込むのもしんどいので、一たび体を起こして背伸びをした。

暫動還休未可期,蝦行蛭渡似皆疑。

こんなに何にもないと、小さなエビか、蛭が梁や糸に触れただけでも、魚のように思われるほどで、ちょっと動いて、また止まってしまって一向につれそうにない。

#2

蝦蟆 跳り過ぎて雀兒 浴す,此に縱【たと】い魚る有も 何ぞ求むるに足らん。

我 侯生の為に已む能わず,針を盤げ 粒を擘【つんざ】いて 泥滓【でいし】に投ず。

晡時 堅坐して 黃昏に到る,手倦み 目勞して 方に一び起つ。

暫く 動いて還た休み 未だ期す可からず,蝦は行き 蛭は渡るも、皆 疑うに似たり。
#3

舉竿引線忽有得,一寸纔分鱗與鬐。

是日侯生與韓子,良久歎息相看悲。

我今行事盡如此,此事正好為吾規。

半世遑遑就舉選,一名始得紅顏衰。

#4

人間事勢豈不見,徒自辛苦終何為。

便當提攜妻與子,南入箕潁無還時。

巳君今氣方我言至切君勿嗤。

君欲釣魚須遠去,大魚豈肯居沮洳。

 

洛陽 函谷関002 

 

『贈侯喜』 現代語訳と訳註解説
(
本文)
#2

蝦蟆跳過雀兒浴,此縱有魚何足求。

我為侯生不能已,盤針擘粒投泥滓。

晡時堅坐到黃昏,手倦目勞方一起。

暫動還休未可期,蝦行蛭渡似皆疑。


(下し文)

#2

蝦蟆 跳り過ぎて雀兒 浴す,此に縱【たと】い魚る有も 何ぞ求むるに足らん。

我 侯生の為に已む能わず,針を盤げ 粒を擘【つんざ】いて 泥滓【でいし】に投ず。

晡時 堅坐して 黃昏に到る,手倦み 目勞して 方に一び起つ。

暫く 動いて還た休み 未だ期す可からず,蝦は行き 蛭は渡るも、皆 疑うに似たり。


(現代語訳)
それは蝦蟇でも飛び越せるし、スズメが来て水浴びを野に丁度いいくらい、こんな所に喩え魚がいたにしても、われわれがもとめていたものにたるようなものではないのにきまっている。

しかし、我々は、侯生君に誘われてせっかくここへ、釣り目的で来たのだから、そのまま帰るわけにもゆかないから、やがて、釣り道具を取り出して、針を曲げ、飯粒を擘いて、泥水たまりの中に投げ込んだ。

何せ、川に着いたのが申(さる)の刻だから、それから釣り糸を垂れ、じっとそこに座って黄昏るまでいたけれど、一向に魚がえさに喰いつくわけでもなく、竿を持つ手が怠くなってきて、見つめる目は疲れ、しゃがみ込むのもしんどいので、一たび体を起こして背伸びをした。

こんなに何にもないと、小さなエビか、蛭が梁や糸に触れただけでも、魚のように思われるほどで、ちょっと動いて、また止まってしまって一向につれそうにない。

汜水関などの地図
(訳注) #2

贈侯喜  

(この日は一向に魚が釣れなかったから、戯れに、門下の侯喜にたいして不満をいうような意味で作った。)

 

蝦蟆跳過雀兒浴,此縱有魚何足求。

それは蝦蟇でも飛び越せるし、スズメが来て水浴びを野に丁度いいくらい、こんな所に喩え魚がいたにしても、われわれがもとめていたものにたるようなものではないのにきまっている。

此縱 ここでたとえば~。

何足求 どうしてその求めることを満足させられようか。《論語、子路第十三》「斗筲之人、何足算也。」斗筲(としょう)の人、何んぞ算(かぞ)うるに足らん。

 

我為侯生不能已,盤針擘粒投泥滓。

しかし、我々は、侯生君に誘われてせっかくここへ、釣り目的で来たのだから、そのまま帰るわけにもゆかないから、やがて、釣り道具を取り出して、針を曲げ、飯粒を擘いて、泥水たまりの中に投げ込んだ。

不能已 自分の目的にかなわないこと。

泥滓 泥水たまりの中に。滓:① 液体の底にたまる沈殿物。液体をこしたあとに残る不純物。 ② 必要な部分を取ったあとに残るもの。くず。 ③ ねうちのないもの。ひどくつまらないもの。

 

晡時堅坐到黃昏,手倦目勞方一起。

何せ、川に着いたのが申(さる)の刻だから、それから釣り糸を垂れ、じっとそこに座って黄昏るまでいたけれど、一向に魚がえさに喰いつくわけでもなく、竿を持つ手が怠くなってきて、見つめる目は疲れ、しゃがみ込むのもしんどいので、一たび体を起こして背伸びをした。

晡時  午後三時から五時を申(さる)の刻。現在の午後4時ごろ。また、日暮れ時をいう。

方一起 一たび体を起こして背伸びをする。

 

暫動還休未可期,蝦行蛭渡似皆疑。

こんなに何にもないと、小さなエビか、蛭が梁や糸に触れただけでも、魚のように思われるほどで、ちょっと動いて、また止まってしまって一向につれそうにない。

未可期 一向につれそうにないこと。いまだにつれる時期が訪れない。

蝦行蛭渡 蝦が動いたり、蛭が移動して横切る。

61 《巻03-15 贈侯喜》   (吾黨侯生字叔巳,) 韓愈(韓退之)ID 《 801年貞元17年 34歳》   ()<1374> Ⅱ韓昌黎集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5854

韓愈 贈侯喜  さて、ようやく温水に到着してみると、かねてより聞いていたこととは違っていて、ただ微汒として、ろくろく水もなく、絶えてはまた流れるという有様で、水深葉というと車のわだちが土中にめり込んだくらいしかないし、水幅は車の心棒がやっと通るかという程度のものである。

 
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61 《巻03-15 贈侯喜》   (吾黨侯生字叔巳,) 韓愈(韓退之)ID 《 801年貞元17年 34歳》   ()<1374> Ⅱ韓昌黎集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5854 
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 杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩) 杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首 
 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
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年:       貞元十七年

寫作時間:           801

寫作年紀:           34

卷別:    卷三三八              文體:    七言古詩

詩題:    贈侯喜

【愈貞元十七年七月二十二日,與李景興、侯喜、尉遲汾同漁於洛,有不刻在焉,詩必是時作。】

作地點:              洛陽(都畿道 / 河南府 / 洛陽)

交遊人物:侯喜    當地交遊(都畿道 河南府 洛陽)

 

 

贈侯喜  -#1

(この日は一向に魚が釣れなかったから、戯れに、門下の侯喜にたいして不満をいうような意味で作った。)

愈貞元十七年七月二十二日,與李景興、侯喜、尉遲汾同漁於洛,有不刻在焉,詩必是時作。

韓愈は貞元17722日、韓愈門下の李景興、侯喜、尉遅汾らと共に、洛陽城郭外の洛水に魚釣りなどして遊び、その帰途、洛北の惠林寺に往ったところ、遅くなったので、そのまま留泊した。そのときの惠林寺に題名が残っていたために、その時の事実が明らかになった。

吾黨侯生字叔巳,呼我持竿釣溫水。

吾韓門一党の侯生君は字名を叔巳という、その男の発起で一日、竿をかついで、洛水で魚釣りをしようということになった。

平明鞭馬出都門,盡日行行荊棘裡。

そこで朝早く、馬に鞭うって、城門を出たが、その路は、荊棘の間に通じているために、行くのに時間がかかり、一日近くかかってしまった。

溫水微茫又流,深如車轍闊容輈。

さて、ようやく温水に到着してみると、かねてより聞いていたこととは違っていて、ただ微汒として、ろくろく水もなく、絶えてはまた流れるという有様で、水深葉というと車のわだちが土中にめり込んだくらいしかないし、水幅は車の心棒がやっと通るかという程度のものである。

侯喜に贈る)  -#1

【愈は貞元十七年七月二十二日,李景興と、侯喜と、尉遲汾とで洛に於て漁を同じゅうして,不刻有る在らん,詩 必ず是の時に作る。】

吾が黨の侯生 字は叔巳,我を呼び 竿を持して溫水に釣る。

平明 馬に鞭って都門を出で,盡日 行き行く 荊棘の裡。

溫水 微茫 えて又た流る,深きは車轍の如く 闊きは輈を容る。

#2

蝦蟆跳過雀兒浴,此縱有魚何足求。

我為侯生不能已,盤針擘粒投泥滓。

晡時堅坐到黃昏,手倦目勞方一起。

暫動還休未可期,蝦行蛭渡似皆疑。

#3

舉竿引線忽有得,一寸纔分鱗與鬐。

是日侯生與韓子,良久歎息相看悲。

我今行事盡如此,此事正好為吾規。

半世遑遑就舉選,一名始得紅顏衰。

#4

人間事勢豈不見,徒自辛苦終何為。

便當提攜妻與子,南入箕潁無還時。

巳君今氣方我言至切君勿嗤。

君欲釣魚須遠去,大魚豈肯居沮洳。

 

洛陽 函谷関002 

 

『贈侯喜』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

贈侯喜  -#1

【愈貞元十七年七月二十二日,與李景興、侯喜、尉遲汾同漁於洛,有不刻在焉,詩必是時作。】

吾黨侯生字叔巳,呼我持竿釣溫水。

平明鞭馬出都門,盡日行行荊棘裡。

溫水微茫又流,深如車轍闊容輈。


(下し文)

侯喜に贈る)  -#1

【愈は貞元十七年七月二十二日,李景興と、侯喜と、尉遲汾とで洛に於て漁を同じゅうして,不刻有る在らん,詩 必ず是の時に作る。】

吾が黨の侯生 字は叔巳,我を呼び 竿を持して溫水に釣る。

平明 馬に鞭って都門を出で,盡日 行き行く 荊棘の裡。

溫水 微茫 えて又た流る,深きは車轍の如く 闊きは輈を容る。


(現代語訳)
(この日は一向に魚が釣れなかったから、戯れに、門下の侯喜にたいして不満をいうような意味で作った。)

韓愈は貞元17722日、韓愈門下の李景興、侯喜、尉遅汾らと共に、洛陽城郭外の洛水に魚釣りなどして遊び、その帰途、洛北の惠林寺に往ったところ、遅くなったので、そのまま留泊した。そのときの惠林寺に題名が残っていたために、その時の事実が明らかになった。

吾韓門一党の侯生君は字名を叔巳という、その男の発起で一日、竿をかついで、洛水で魚釣りをしようということになった。

そこで朝早く、馬に鞭うって、城門を出たが、その路は、荊棘の間に通じているために、行くのに時間がかかり、一日近くかかってしまった。

さて、ようやく温水に到着してみると、かねてより聞いていたこととは違っていて、ただ微汒として、ろくろく水もなく、絶えてはまた流れるという有様で、水深葉というと車のわだちが土中にめり込んだくらいしかないし、水幅は車の心棒がやっと通るかという程度のものである。


莎柵洛陽地図001
(訳注)

贈侯喜  -#1

(この日は一向に魚が釣れなかったから、戯れに、門下の侯喜にたいして不満をいうような意味で作った。)

愈貞元十七年七月二十二日,與李景興、侯喜、尉遲汾同漁於洛,有不刻在焉,詩必是時作

韓愈は貞元17722日、韓愈門下の李景興、侯喜、尉遅汾らと共に、洛陽城郭外の洛水に魚釣りなどして遊び、その帰途、洛北の惠林寺に往ったところ、遅くなったので、そのまま留泊した。そのときの惠林寺に題名が残っていたために、その時の事実が明らかになった。

この詩の前の《巻03-02 山石 》と同時期の作品である。

韓愈が徐州を去って、しばらく洛陽にいた時のものである。

 

吾黨侯生字叔巳,呼我持竿釣溫水。

吾韓門一党の侯生君は字名を叔巳という、その男の発起で一日、竿をかついで、洛水で魚釣りをしようということになった。

溫水 洛水のことで、河南縣北にある。易の乾鑿度に「王者、盛徳の應あれば、洛水先ず温かなり、故に溫洛と號す。」

 

平明鞭馬出都門,盡日行行荊棘裡。

そこで朝早く、馬に鞭うって、城門を出たが、その路は、荊棘の間に通じているために、行くのに時間がかかり、一日近くかかってしまった。

 

溫水微茫又流,深如車轍闊容輈。

さて、ようやく温水に到着してみると、かねてより聞いていたこととは違っていて、ただ微汒として、ろくろく水もなく、絶えてはまた流れるという有様で、水深葉というと車のわだちが土中にめり込んだくらいしかないし、水幅は車の心棒がやっと通るかという程度のものである。

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(改訂版) 山石 #3 韓愈  (こういうこと過していると楽しくて、人生とは、このように自分からら楽しめることだとおもえることをすべきものであるし、世の中に局束し、厳しく繋がれて、人のためにこき使われるにもあたるまいと、つくづく心に感じた。ああ、そこで、帰後、同行の門下の仲間に告げて、なろう事なら仲間とともに、老いに至るまでも、帰り去らず、どうにかして、このまま山中の人となりたいと思うところである。

 
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60-#3 (改訂版)《巻03-02 山石 #3》 韓愈(韓退之)ID  801年貞元17年 34歳》   ()1373> Ⅱ韓昌黎集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5849韓愈詩-60-#3

 

 

韓愈詩-60-#2

(改訂版)《巻03-02 山石 #1
山石

山に転がって進む道を邪魔する石。(韓愈受験に落第し、再度チャレンジすることを決したことをこの山道にたとえてうたうものである。 
#1
山石犖确行徑微,黄昏到寺蝙蝠飛。
かどかどした山石のあいだをぬけるのにやっと人が通れる一筋の登る道があり、その小道をたどってゆくと、恵林寺に到着したが、黄昏になって、蝙蝠が得意になって飛んでいる。 
升堂坐階新雨足,芭蕉葉大支子肥。
そこで、お堂に昇っていって、階に坐れば新たに暑熱を洗い去る充分な雨が降って、その雨が降る止んだ頃の事であり、秋の初めの気はさわかで、この雨で冷ややかになってきた。雨後であるから芭蕉の葉は大きく伸び広がって、梔子の花実が肥え大きくなって,えもゆわぬ香気をはなっている。 
僧言古壁佛畫好,以火來照所見稀。」
坊さんは古い壁に措かれた仏の絵がすはらしいといい、明かりで照らしてくれたが、剥げているためいくらも見えなかった。
僧侶の方は「古い壁の仏画は好いものだ」とお説教をしてくれる。その仏画は、火で照らし出した部分、見えたのは、ごく一部である。

(改訂版)《巻03-02 山石 #2》
鋪床拂席置羹飯,疏糲亦足飽我飢。
今日は、一日遊び回って、腹も空いたからというので、牀を鋪き、腰掛になる板を並べ、羹、煮物と御飯を持ってきてもらって、さていよいよ箸を付けてみると、美味しくはない玄米の飯であったが、腹ぺこだったわたしを満足させるに充分であったのである。 
夜深靜臥百蟲絶,清月出嶺光入扉。
やがて、夜が深けたから、静かに横に伏せていたら、たくさんの虫の声が急に途絶えて、清らかな月が、東嶺からさしのぼってきて、その月光が戸口から入ってくると、まことに澄み切った夜になってきた。
天明獨去無道路,出入高下窮煙霏。

そんな夜を過ごして朝になり、同行者がまだ寝ているうちに、自分ひとり起きだして、山中の景色を眺めるつもりで外に出て歩いてみると、山の土は紅色であり、谷川のながれは、碧色で流れて、紛として爛漫というように、如何にも良い眺めである、やまには赤の地肌と木々の緑水の璧色が混じり合って、光り輝いていて、時々、松や櫪(くぬぎ)の十人でかかえほどもあるのを見かける。 
#3
山紅澗碧紛爛漫,時見松櫪皆十圍。」
そんな夜を過ごして朝になり、同行者がまだ寝ているうちに、自分ひとり起きだして、山中の景色を眺めるつもりで外に出て歩いてみると、山の土は紅色であり、谷川のながれは、碧色で流れて、紛として爛漫というように、如何にも良い眺めである、やまには赤の地肌と木々の緑水の璧色が混じり合って、光り輝いていて、時々、松や櫪(くぬぎ)の十人でかかえほどもあるのを見かける。 
當流赤足蹋澗石,水聲激激風吹衣。
しばらく歩くと谷川の流れに行き至ったので、裸足になって、巌石を踏んでトボトボ覚束なく進みいくと、浅瀬には水の音はだんだん激しく、颯然として風は強く衣のなかにまで吹きつけてきて、身に浸みるような寒さを感じてくる。 

人生如此自可樂,豈必局束爲人
こういうこと過していると楽しくて、人生とは、このように自分からら楽しめることだとおもえることをすべきものであるし、世の中に局束し、厳しく繋がれて、人のためにこき使われるにもあたるまいと、つくづく心に感じた。
嗟哉吾黨二三子,安得至老不更歸。」

ああ、そこで、帰後、同行の門下の仲間に告げて、なろう事なら仲間とともに、老いに至るまでも、帰り去らず、どうにかして、このまま山中の人となりたいと思うところである。
#1
山石 犖确【らくかく】として 行径【こうけい】微にして,黄昏 寺に到れば 蝙蝠【へんぷく】飛ぶ。
堂に昇り 階に坐ざすれば 新雨足り,芭蕉【ばしょう】の葉は大いにして 支子肥ゆ。
僧は言う「古壁の佛畫【ぶつガ】好し」と,火を以て 來り照らすに 見る所稀まれなり。

#2
床を鋪【し】き 席【むしろ】を拂いて羹飯【こうはん】を置き,疏糲【それい】 亦また我が飢を 飽【あ】かしむるに足る。
夜深く靜かに臥すれば 百蟲【ひゃくちゅう】 絶え,清月 嶺を出て 光 扉【とびら】に入る。
天明 獨り去ゆくに道路 無く,高下に 出入して 煙霏【えんぴ】 を窮【きわ】む。
#3
山 紅に澗碧に 紛まじりて 爛漫,時に見る 松櫪【しょうれき】の皆 十圍【じゅうい】なるを。
流れに當りて赤足もて 澗石を 蹋【ふ】み,水聲 激激として 風 衣【ころも】を吹く。
人生 此かくの如く自から樂しむべく,豈に 必ずしも 局束【きょくそく】として 人の爲ために
【つな】がれんや。
嗟哉【ああ】 吾が黨の二、三の子,安んぞ 老に至りて 更に歸らざることを得ん。

 

 

洛陽 函谷関002 

『山石』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

山紅澗碧紛爛漫,時見松櫪皆十圍。

當流赤足蹋澗石,水聲激激風吹衣。

人生如此自可樂,豈必局束爲人

嗟哉吾黨二三子,安得至老不更歸。

(下し文)
山 紅に澗碧に 紛まじりて 爛漫,時に見る 松櫪【しょうれき】の皆 十圍【じゅうい】なるを。

流れに當りて赤足もて 澗石を 蹋【ふ】み,水聲 激激として 風 衣【ころも】を吹く。

人生 此かくの如く自から樂しむべく,豈に 必ずしも 局束【きょくそく】として 人の爲ために【つな】がれんや。

嗟哉【ああ】 吾が黨の二、三の子,安んぞ 老に至りて 更に歸らざることを得ん。

(現代語訳)
そんな夜を過ごして朝になり、同行者がまだ寝ているうちに、自分ひとり起きだして、山中の景色を眺めるつもりで外に出て歩いてみると、山の土は紅色であり、谷川のながれは、碧色で流れて、紛として爛漫というように、如何にも良い眺めである、やまには赤の地肌と木々の緑水の璧色が混じり合って、光り輝いていて、時々、松や櫪(くぬぎ)の十人でかかえほどもあるのを見かける。 
しばらく歩くと谷川の流れに行き至ったので、裸足になって、巌石を踏んでトボトボ覚束なく進みいくと、浅瀬には水の音はだんだん激しく、颯然として風は強く衣のなかにまで吹きつけてきて、身に浸みるような寒さを感じてくる。 
こういうこと過していると楽しくて、人生とは、このように自分からら楽しめることだとおもえることをすべきものであるし、世の中に局束し、厳しく繋がれて、人のためにこき使われるにもあたるまいと、つくづく心に感じた。
ああ、そこで、帰後、同行の門下の仲間に告げて、なろう事なら仲間とともに、老いに至るまでも、帰り去らず、どうにかして、このまま山中の人となりたいと思うところである。

辟雍00
(訳注)
 (改訂版)《巻03-02 山石 #3》

山石
山に転がって進む道を邪魔する石。(韓愈受験に落第し、再度チャレンジすることを決したことをこの山道にたとえてうたうものである。) 
韓愈が徐州を去って、しばらく洛陽にいた。貞元17年7月22日、韓愈門下の李景興、侯喜、尉遅汾らと共に、洛陽城郭外の洛水で釣りをしてに遊び、その帰途、洛北の惠林寺に往ったところ、遅くなったので、そのまま留泊した。そのときの惠林寺に題名が残っていたために、その時の事実が明らかになった。

 

○韓愈の「以文爲詩」(散文的な手法の詩=散文的な語彙や句法、段落で作った詩)の代表的なもの。六朝詩や唐詩の華麗さがなく、夕暮れから夜、更に早朝の光景が、淡々と語られている。これらを詠いつつ、受験に落第し、再度チャレンジすることを決したことをこの山道にたとえてうたうものである。


山紅澗碧紛爛漫、時見松櫪皆十圍。
そんな夜を過ごして朝になり、同行者がまだ寝ているうちに、自分ひとり起きだして、山中の景色を眺めるつもりで外に出て歩いてみると、山の土は紅色であり、谷川のながれは、碧色で流れて、紛として爛漫というように、如何にも良い眺めである、やまには赤の地肌と木々の緑水の璧色が混じり合って、光り輝いていて、時々、松や櫪(くぬぎ)の十人でかかえほどもあるのを見かける。 
山紅 山は、紅(くれない)になる。

澗碧 苔むした碧色で流れる水も淥である 

 〔かん〕谷川。

 入り乱れる。 

○爛漫 〔らんまん〕光り輝くさま。あふれ散らばり消える。山が紅であるから、楓が散り去ることともいえる。通常は、春の花が咲き乱れるさま。

時見 時折見かける。 


當流赤足蹋澗石、水聲激激風吹衣。
しばらく歩くと谷川の流れに行き至ったので、裸足になって、巌石を踏んでトボトボ覚束なく進みいくと、浅瀬には水の音はだんだん激しく、颯然として風は強く衣のなかにまで吹きつけてきて、身に浸みるような寒さを感じてくる。 
當流 (谷川の)流れに行き当たる。 

赤足 裸足(はだし)。 

 〔とう〕踏(ふ)む。 

澗石 〔かんせき〕谷川の石。

激激 〔げきげき〕水の勢いの激しいさま。

○風吹衣 杜甫《醉歌行》「風吹客衣日杲杲,樹攪離思花冥冥。」(風は客衣を吹いて日呆呆たり、樹は離息を摸して花冥冥たり)とある。


人生如此自可樂、豈必局束爲人鞿
こういうこと過していると楽しくて、人生とは、このように自分からら楽しめることだとおもえることをすべきものであるし、世の中に局束し、厳しく繋がれて、人のためにこき使われるにもあたるまいと、つくづく心に感じた。
人生 人生。人が生きる。 

○如此 このよう(に)。 

自可樂 自分からら楽しめることとおもえることをやるべきものである。たとえ、落第しても、仲間と哲学論争をして、人生を意義あるものにしたい。

豈必 必ずしも…するには及ばない。 

局束 〔きょくそく〕体や心が縮こまる。のびのびしない。人のことを気にしたり、受験のことだけで萎縮したり、知事困ったりすることの方が問題である。

爲人 人柄。人格、品格をけいせいすること。 

 〔き〕きずな。束縛。作者は動詞として使っている。


嗟哉吾黨二三子、安得至老不更歸。
ああ、そこで、帰後、同行の門下の仲間に告げて、なろう事なら仲間とともに、老いに至るまでも、帰り去らず、どうにかして、このまま山中の人となりたいと思うところである。
嗟哉 ああ。おお。歎息する。感嘆する。 

吾黨 わたしの仲間。 

二三子 二、三人の者。 

安得 どこに求められよう。どうして…だろうか。いづくにか…を得ん。いづくんぞ…なるを得んや。 

至老 老齢になっても。年をとっても。 

○不更歸 なおまた隠棲することがない。「更不歸」の意。

安得不更歸 帰ってこざるを得ないだろう。

60-#2 (改訂版)《巻03-02 山石 #2》  韓愈(韓退之)ID 《 801年貞元17年 34歳》   ()<1372> Ⅱ韓昌黎集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5844

韓愈(改訂版) 山石 #2  やがて、夜が深けたから、静かに横に伏せていたら、たくさんの虫の声が急に途絶えて、清らかな月が、東嶺からさしのぼってきて、その月光が戸口から入ってくると、まことに澄み切った夜になってきた。

 
 2015年4月14日の紀頌之5つのBlog 
 ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場 
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222 《(改訂版) 巻4-16 大堤曲》Index-14 Ⅱ― 9-734年開元二十二年34歳 巻4-16 李白53大堤曲 <222> Ⅰ李白詩1458 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5838 
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 ●唐を代表する 中唐 韓愈 全500首  
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60-#2 (改訂版)《巻03-02 山石 #2》  韓愈(韓退之)ID 《 801年貞元17年 34歳》   ()<1372> Ⅱ韓昌黎集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5844 
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 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
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60-#2 (改訂版)《巻03-02 山石 #2》  韓愈(韓退之)ID  801年貞元17年 34歳》   ()1372> Ⅱ韓昌黎集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5844

 

 

韓愈詩-60-#2

(改訂版)《巻03-02 山石 #1
山石

山に転がって進む道を邪魔する石。(韓愈受験に落第し、再度チャレンジすることを決したことをこの山道にたとえてうたうものである。 
#1
山石犖确行徑微,黄昏到寺蝙蝠飛。
かどかどした山石のあいだをぬけるのにやっと人が通れる一筋の登る道があり、その小道をたどってゆくと、恵林寺に到着したが、黄昏になって、蝙蝠が得意になって飛んでいる。 
升堂坐階新雨足,芭蕉葉大支子肥。
そこで、お堂に昇っていって、階に坐れば新たに暑熱を洗い去る充分な雨が降って、その雨が降る止んだ頃の事であり、秋の初めの気はさわかで、この雨で冷ややかになってきた。雨後であるから芭蕉の葉は大きく伸び広がって、梔子の花実が肥え大きくなって,えもゆわぬ香気をはなっている。 
僧言古壁佛畫好,以火來照所見稀。」
坊さんは古い壁に措かれた仏の絵がすはらしいといい、明かりで照らしてくれたが、剥げているためいくらも見えなかった。
僧侶の方は「古い壁の仏画は好いものだ」とお説教をしてくれる。その仏画は、火で照らし出した部分、見えたのは、ごく一部である。

(改訂版)《巻03-02 山石 #2》
鋪床拂席置羹飯,疏糲亦足飽我飢。
今日は、一日遊び回って、腹も空いたからというので、牀を鋪き、腰掛になる板を並べ、羹、煮物と御飯を持ってきてもらって、さていよいよ箸を付けてみると、美味しくはない玄米の飯であったが、腹ぺこだったわたしを満足させるに充分であったのである。 
夜深靜臥百蟲絶,清月出嶺光入扉。
やがて、夜が深けたから、静かに横に伏せていたら、たくさんの虫の声が急に途絶えて、清らかな月が、東嶺からさしのぼってきて、その月光が戸口から入ってくると、まことに澄み切った夜になってきた。
天明獨去無道路,出入高下窮煙霏。

そんな夜を過ごして朝になり、同行者がまだ寝ているうちに、自分ひとり起きだして、山中の景色を眺めるつもりで外に出て歩いてみると、山の土は紅色であり、谷川のながれは、碧色で流れて、紛として爛漫というように、如何にも良い眺めである、やまには赤の地肌と木々の緑水の璧色が混じり合って、光り輝いていて、時々、松や櫪(くぬぎ)の十人でかかえほどもあるのを見かける。 
#3
山紅澗碧紛爛漫,時見松櫪皆十圍。」
當流赤足蹋澗石,水聲激激風吹衣。
人生如此自可樂,豈必局束爲人鞿。
嗟哉吾黨二三子,安得至老不更歸。」

#1
山石 犖确【らくかく】として 行径【こうけい】微にして,黄昏 寺に到れば 蝙蝠【へんぷく】飛ぶ。
堂に昇り 階に坐ざすれば 新雨足り,芭蕉【ばしょう】の葉は大いにして 支子肥ゆ。
僧は言う「古壁の佛畫【ぶつガ】好し」と,火を以て 來り照らすに 見る所稀まれなり。

#2
床を鋪【し】き 席【むしろ】を拂いて羹飯【こうはん】を置き,疏糲【それい】 亦また我が飢を 飽【あ】かしむるに足る。
夜深く靜かに臥すれば 百蟲【ひゃくちゅう】 絶え,清月 嶺を出て 光 扉【とびら】に入る。
天明 獨り去ゆくに道路 無く,高下に 出入して 煙霏【えんぴ】 を窮【きわ】む。
#3
山 紅に澗碧に 紛まじりて 爛漫,時に見る 松櫪【しょうれき】の皆 十圍【じゅうい】なるを。
流れに當りて赤足もて 澗石を 蹋【ふ】み,水聲 激激として 風 衣【ころも】を吹く。
人生 此かくの如く自から樂しむべく,豈に 必ずしも 局束【きょくそく】として 人の爲ために鞿【つな】がれんや。
嗟哉【ああ】 吾が黨の二、三の子,安んぞ 老に至りて 更に歸らざることを得ん。

 

 

(改訂版)《巻03-02 山石 #2》

『山石』 現代語訳と訳註解説
(
本文) 
(改訂版)《巻03-02 山石 #2》
鋪床拂席置羹飯,疏糲亦足飽我飢。
夜深靜臥百蟲絶,清月出嶺光入扉。
天明獨去無道路,出入高下窮煙霏。

(下し文)#2

床を鋪【し】き 席【むしろ】を拂いて羹飯【こうはん】を置き,疏糲【それい】 亦また我が飢を 飽【あ】かしむるに足る。

夜深く靜かに臥すれば 百蟲【ひゃくちゅう】絶え,清月 嶺を出て 光 扉【とびら】に入る。

天明 獨り去ゆくに道路 無く,高下に 出入して 煙霏【えんぴ】を窮【きわ】む。


(現代語訳)
今日は、一日遊び回って、腹も空いたからというので、牀を鋪き、腰掛になる板を並べ、羹、煮物と御飯を持ってきてもらって、さていよいよ箸を付けてみると、美味しくはない玄米の飯であったが、腹ぺこだったわたしを満足させるに充分であったのである。 
やがて、夜が深けたから、静かに横に伏せていたら、たくさんの虫の声が急に途絶えて、清らかな月が、東嶺からさしのぼってきて、その月光が戸口から入ってくると、まことに澄み切った夜になってきた。

そんな夜を過ごして朝になり、同行者がまだ寝ているうちに、自分ひとり起きだして、山中の景色を眺めるつもりで外に出て歩いてみると、山の土は紅色であり、谷川のながれは、碧色で流れて、紛として爛漫というように、如何にも良い眺めである、やまには赤の地肌と木々の緑水の璧色が混じり合って、光り輝いていて、時々、松や櫪(くぬぎ)の十人でかかえほどもあるのを見かける。 


(訳注) (改訂版)《巻03-02 山石 #2》

山石
山に転がって進む道を邪魔する石。(韓愈受験に落第し、再度チャレンジすることを決したことをこの山道にたとえてうたうものである。) 
韓愈が徐州を去って、しばらく洛陽にいた。貞元17年7月22日、韓愈門下の李景興、侯喜、尉遅汾らと共に、洛陽城郭外の洛水で釣りをしてに遊び、その帰途、洛北の惠林寺に往ったところ、遅くなったので、そのまま留泊した。そのときの惠林寺に題名が残っていたために、その時の事実が明らかになった。

 

○韓愈の「以文爲詩」(散文的な手法の詩=散文的な語彙や句法、段落で作った詩)の代表的なもの。六朝詩や唐詩の華麗さがなく、夕暮れから夜、更に早朝の光景が、淡々と語られている。これらを詠いつつ、受験に落第し、再度チャレンジすることを決したことをこの山道にたとえてうたうものである。


鋪床拂席置羹飯、疏糲亦足飽我飢。
今日は、一日遊び回って、腹も空いたからというので、牀を鋪き、腰掛になる板を並べ、羹、煮物と御飯を持ってきてもらって、さていよいよ箸を付けてみると、美味しくはない玄米の飯であったが、腹ぺこだったわたしを満足させるに充分であったのである。 
鋪床 寝床と腰掛になる板を並べる。 

拂席 席(むしろ)の敷物をひろげてくれる。 

 しつらえる。準備する。 

羹飯 〔かうはん〕羹(あつもの)と御飯。

疏糲 〔それい〕粗末な飯。粗食。 

 〔ほう〕満腹する。満足する。 

 〔き〕腹が減る。飢(う)える。


夜深靜臥百蟲絶、清月出嶺光入扉。
やがて、夜が深けたから、静かに横に伏せていたら、たくさんの虫の声が急に途絶えて、清らかな月が、東嶺からさしのぼってきて、その月光が戸口から入ってくると、まことに澄み切った夜になってきた。
夜深 夜が更ける。中唐・白居易の『夜雪』に「已訝衾枕冷,復見窗戸明。夜深知雪重,時聞折竹聲。」とある。 

靜臥 静かに横になる。 

百蟲 色々な虫。多くの虫。 

 (虫の声が)途絶える。

清月 くもりのない月。


天明獨去無道路、出入高下窮煙霏。
天が明るくなったのにつられて、ひとりで出かけようと思うが道らしい道が無いのである。道は高くなったり、下に下がったりして変化に富んでいる、朝靄が深くなるところを窮めるまでるいていくのだ。
天明