漢文委員会 紀頌之 中國古代漢詩 訳注解説ブログ 最近一週間 一覧表
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2020 月/日 |
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古風,五十九首之一 #1 |
張中丞傳後敘-#9
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寫懷二首其一-#1
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807年-11 《張中丞傳後敘(韓愈全集校注〔三〕一七一五) -#9》
§-3-1- 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 訳注解説Blog11001
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韓昌黎文集 807年元和2年《韓昌黎文集》 |
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807年、元和二年、このころから、韓愈が書いた墓誌銘の類はしだいに数を増している。墓誌銘とは故人の行跡を記し、その遺徳をたたえた文章で、これを石にきざみ、棺とともに墓の中におさめる。だから本体は墓中にあって、見ることはできないが、遺族はその写しを保存して記念とし、将来、正史の列伝が書かれるときの資料ともするのである。この文章は、息子が亡父のために書くことは許されない。もっと縁の遠い一族の者か、姻戚か、あるいは亡父の友人に書いてもらうのを原則とする。ただ、同じことならば文章の上手な人に書いてもらいたいと思うのは、遺族の情として当然であろう。そこで、当代の名文家といわれるほどの人があれば、故人とは縁が薄くても、あるいは縁がなくとも、依頼に行くことがある。この場合には、もちろん相応の謝礼をしなければならない。故人の親友や遠い親戚などに頼む場合にも、相手はいちおう辞退するであろうが、謝礼を持って行くのは礼儀であった。
かんゆが書いた墓誌銘のうち、制作時期を確定できるものに限定しても、この前年には《昌黎先生集/卷24-4考功員外盧君墓銘》ほか二篇があり、この年は《昌黎先生集/卷24-7河南少尹裴君墓誌銘》一篇に止まるが、翌年にはまた三篇、その次の年は四篇と増加する。それらの中には愈または彼の一族と関係のあった人物の墓誌銘もあるが、多くは格別の縁故もなさそうに見える。つまり、愈のところへ墓誌銘の依頼に来る人が増加したわけで、少なくとも墓誌銘に関する限り、愈の文章の評価が高くなったことを示す。そして遺族からの謝礼が貧乏に悩む愈の家計を補ったであろうことは、疑う余地がない。
元和2年 韓昌黎文
1. 陸渾山火和皇甫湜用其韻(韓愈全集校注 〔一〕四三三)
2. 毛頴傳 (韓愈全集校注 〔三〕一六九三)
3. 釋言 (韓愈全集校注 〔三〕一七〇一)
4. 答馮宿書 (韓愈全集校注 〔三〕一七一一)
5. 張中丞傳後序 (韓愈全集校注 〔三〕一七一五)
6. 考功廬東美墓誌銘 (韓愈全集校注 〔三〕一七三〇)
7. 處士盧君墓誌銘 (韓愈全集校注 〔三〕一七三六)
8. 唐故太原府参軍事苗君墓誌銘 (韓愈全集校注〔三〕一七三八)
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807年-11 |
張中丞傳後敘(韓愈全集校注〔三〕一七一五) |
-#9 |
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§-3-1 |
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韓愈全集校注 訳注解説 |
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漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ11001 |
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張中丞傳後敘 (韓愈全集校注 〔三〕一七一五)
(全唐文/卷0552)
(昌黎先生-巻13-04)
(韓昌黎文集校注 巻二04)P-73 〔雜著 書敬〕
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今回のテキスト |
張中丞傳後敘-§-3-1 |
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作時 |
807年-11元和二年40歳#1 |
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昌黎先生集 |
巻13-04 |
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全唐文 |
卷055 |
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韓愈全集校注 |
〔三冊〕頁一七一五 |
張中丞傳後敘
(御史中丞張巡 の伝のあとがき)
§1-1
元和二年四月十三日夜,
元和二年四月十三日の夜、
愈與吳郡張籍閱家中舊書,
わたしは呉郡の張籍と家の中の古書をしらべていたら、
得李翰所為《張巡傳》。
李翰が書いた《張巡の伝》が見つかった。
1-2
翰以文章自名,為此傳頗詳密。
李翰は文章をみずからはこっていた人で、この伝の書きかたも相当くわしいが、
然尚恨有闕者:
それでも残念なことに闕けてもれおちているところがある。
不為許遠立傳,又不載雷萬春事首尾。
たとえば、彼とともに戦った許遠のために伝を独立させず、又、雷万春の事跡の顛末を記載していないようなところがあるのである。
(張中丞伝の後敘)§1-1
元和二年四月十三日の夜、
愈、呉郡の張籍と、家中の旧著を閲る。
李翰が為る所の張巡が伝を得たり。
1-2
翰、文章を以て自ら名あり。此の伝を為ること頗る詳密なり。
然れども尚お恨むらくは闕くる老有ることを。
許遠が為に伝を立てず、雷万春が事の首尾を載せず。
§2
遠雖材若不及巡者,
許遠は才能は張巡に及ばない者のようであるけれども、
開門納巡,位本在巡上。
張巡が遠の軍と合流しょうとして来た時に、門を開いて張巡を収容し、位はがんらい張巡の上にあったのである。
授之柄而處其下,無所疑忌,
だから。兵権を張巡にさずけて、その下におり、うたがったりねたんだりすることはないのである。
竟與巡俱守死,成功名;
さいごには張巡とともに命を捨てて脽陽を守って功名を立てるのである。
2-1
遠、材、巡に及ばざるものの若しと雖も、門を開いて巡を約す。
位本もと巡が上に在り。之に柄を授ける。
而して虞を其の下にす。
之れに柄を授けて、その下に処って、疑い忌む所無し。
竟に巡と倶に死を守って功名を成す。
2-2
城陷而虜,與巡死先後異耳。
城が陥落して捕虜となり、張巡と死んだのに前後のちがいがあるだけである。
兩家子弟材智下,不能通知二父志,
両家の子弟は、才智がおとり、二人の父の志を十分に理解できず、
以為巡死而遠就虜,疑畏死而辭服於賊。
張巡は戦死して許遠が捕虜になったのは、死をおそれて、賊軍に降服を申し入れたのではないかと疑がっている。
2-2
城陥って虜にせらる。巡と死すること先後異なるのみ。
両家の子弟、材智下うして、二父の志を通知すること能わず。
以為【おも】えらく巡死して遠慮に就く、疑うらくは死を畏れで賊に辞服するやと。
2-3
遠誠畏死,何苦守尺寸之地,
許遠がもしも死をおそれたのなら、どうして苦しんで一尺一寸のちっぽけな土地を守備し、
食其所愛之肉,以與賊抗而不降乎?!
自分の愛している人たちの肉を食べさせてまで、賊軍に抵抗し、降服しなかったのだろうか。
當其圍守時,外無蚍蜉蟻子之援,
その敵に囲まれて城を守っていた時に当たって、外からはかげろうやありの子一匹の救援もなかった。
2-3
遠 誠に死を畏れば、何を苦しんでか尺寸の地を守り、
其の愛する所の肉を食ましめて、以て賊と抗して降せざらんや。
其の囲み守る時に当って、外、比蝉蟻子の援け無し。
2-4
所欲忠者,國與主耳;
忠をつくそうとした対象は、国家と主君だけであった。
而賊語以國亡主滅,
賊軍からは、国家は滅亡し、主君はなくなられたといって来る。
遠見救援不至,而賊來益眾,必以其言為信。
許遠は援軍が到着せず、賊軍がますますたくさんやって来るのを見て、きっとそのことばが本当だと思ったにちがいない。
2-4
忠あらまく欲する所の者は、国と主とのみ。
而も賊語ぐるに國亡び主減ぶというを以てす。
遠、救援の至らずして、賊の来ること益ます衆きを見ば、必ず其の言を以て信なりと為ん。
2-5
外無待而猶死守,人相食且盡,
外からは待ち望み、期待することもできず、なお死にものぐるいで守ってくれて、城中では人が人の肉を食うまでして、もう全滅しようとしている。
雖愚人亦能數日而知死處矣,
これでは、おろかものでも日を数えていつ死ぬのかを知ることができるであろう。
遠之不畏死亦明矣。
だから、許遠が死をおそれなかったことは、あきらかである。
2-5
外、持つこと無うして猶お死をもって守る。
入びと相食ろうて且【まさ】に尽きなんとす。
愚人と雖も亦能く日を数えて死処を知らん。
遠が死を畏れざること亦明らけし。
2-6
烏有城壞其徒俱死,獨蒙愧恥求活?
どうして城が破壊され、自分の部下、仲間がみんな死んたというのに、ただひとり恥辱を受けながら生きようと思うものがあろうか。
雖至愚者不忍為。
いちばん愚かな者でも、なかなかそうする気にはなれまい。
嗚呼!而謂遠之賢而為之耶?
ああ、それなのに、許遠のような賢人がそんなことをするというのか。
烏んぞ城壊れ其の徒倶に死して、独り愧恥を蒙って活を求むること有らん?
至愚の者と雖も、為るに忍びじ。
鳴呼、而るに遠が賢にして之れを為すと謂わんや。
§3-1
說者又謂遠與巡分城而守,城之陷自遠所分始。
説を立てるものは、又こうもいう。「許遠と張巡とは、城を分担して守備していた。城の陥落は、許遠の分担地域からはじまった。」
以此詬遠,此又與兒童之見無異。
それを理由として許遠を罵倒するが、それは又、こどもの見解とちがいがない。
人之將死,其藏腑必有先受其病者;
人が死のうとするとき、その内臓に必ずまず病気にかかっている部分があるのである。
3-2
引繩而絕之,其絕必有處;
觀者見其然,從而尤之,
其亦不達於理矣。
説者又謂わく、遠と巡と城を分かって守る。城の陥ること、遠が分かつ所より始まる、と。
此れを以て遠を訴る。此れ又児童の見と異なること無し。
人の将に死せんとするときに、其の臓腑必ず先ず其の病いを受くる老有り。
3-2
縄を引いて之れを絶つに、其の絶つること必ず処有り。
観る者 其の然ることを見て、従って之れを尤【とがめ】む。
其れ亦理に遷せざるなり。
3-3
小人之好議論,不樂成人之美,如是哉!
如巡、遠之所成就,如此卓卓,
猶不得免,其他則又何說。
3-4
當二公之初守也,
寧能知人之卒不救,棄城而逆遁?
苟此不能守,雖避之他處何益?
及其無救而且窮也,
小人の議論を好む、人の美せ成すことを楽しまざること是くの如くなるかな。
巡・遠が成就する所此くの如く卓卓たるが如きだも、猶お免るることを得ず。
其の他は則ち又何ぞ説かん。
3-4
二公の初め守るに当ってや、
寧ぞ能く人の卒に救わざることを知って、城を棄てて逆【あらか】じめ遁れんや。?
苟も此れ守ること能わずんば、之れを他処に避くと雖も何の益かあらん。
其の救い無うして且た窮するに及んで、
3-5
將其創殘餓贏之餘,雖欲去,必不達。
二公之賢,其講之精矣。
守一城,捍天下,
以千百就盡之卒,戰百萬日滋之師,
3-6
蔽遮江淮,沮遏其勢,
天下之不亡,其誰之功也!
當是時,棄城而圖存者,
不可一二數,
3-7
擅強兵坐而觀者相環也,
不追議此,而責二公以死守,
亦見其自比於逆亂,設淫辭而助之攻也。
3-5
其の創残餓贏の餘を将いて、去らまく欲すと雄も、必ず達せじ。
二公の賢、其の講ずること精【くわ】し。
一城を守って天下を捍ぐ。
千百盡くるに就んとするの卒を以て、百万日に滋すの師に戦う。
3-6
江淮を蔽遮して、その勢を阻遏す。
天下の亡びざること、其れ誰が功ぞや!。
是時に当って、城を棄てて存を図る者、一二をもって数うべからず。
3-7
彊兵を旗にして、坐ながらにして観る者の相環れり。
追うて此れを議せずして、二公の死を以て守るを責む。
亦其の自ら逆乱に比して、淫辞を設けて之れを助けて攻むるを見る。
《張中丞傳後敘》現代語訳と訳註解説
(本文)
§3-1
說者又謂遠與巡分城而守,城之陷自遠所分始。
以此詬遠,此又與兒童之見無異。
人之將死,其藏腑必有先受其病者;
(下し文)
3-1
説者又謂わく、遠と巡と城を分かって守る。城の陥ること、遠が分かつ所より始まる、と。
此れを以て遠を訴る。此れ又児童の見と異なること無し。
人の将に死せんとするときに、其の臓腑必ず先ず其の病いを受くる老有り。
(現代語訳)
説を立て
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