漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩 中唐詩人選集【Ⅰ李商隠-150】Ⅱ韓退之(韓愈)-500Ⅶ孟郊(東野)賈島張籍柳宗元韋応物

Ⅰ李商隠は難解詩といわれている。約150首紹介済。(晩唐詩人) Ⅱ韓退之(韓愈)-約500首Ⅶ孟郊、中唐の詩人を掲載中。万物の性(さが)をテーマにした哲学的な詩。このブログは基本的に中唐詩人を中心にして掲載する予定。 韓愈詩文のこれまでの掲載分とこれから掲載予定分を時系列で整理した2014.3.29のブログに集約してそこから各年次を見ることができる  kanbuniinkai 検索で、《漢文委員会HP05》サイトあります。漢詩唐詩を理解するための総合サイト:≪漢文委員会 漢詩07≫。

唐宋八大家文読本 巻二

少し、マニアックな晩唐詩人Ⅰ-李商隠150首をまず掲載済み。中唐は盛唐詩人(孟浩然・王維、杜甫、李白)を受け継いだ多様な詩人が出ている。この時代も驚くほど詩が発展している。Ⅱ韓退之(韓愈)500首、Ⅲ柳宗元40首、Ⅳ韋応物、Ⅴ劉長卿、Ⅵ韋荘、Ⅶ孟郊(孟東野)、Ⅷ張籍、Ⅸ賈島、Ⅹ劉禹錫、ほか2012~2020年の予定で気長に進める。同じ中唐ではあるが、白居易のグループについては、李白のブログ350首(2015/6月再開~2018/夏・秋月予定)の後掲載の予定。別に杜甫詩ブログ1500首(2011/7月~2018/8月の予定で)を進行中。詩数につぃては、予定の詩数より多くなる。気まぐれなところがあるのでこの予定が少し変わる場合があり、その節はご容赦ください。                 古詩・謝霊運詩 杜甫詩 韓愈詩 花間集500首全詩 それぞれ毎日ブログしています。 このブログ、索引=語句の「検索」 参考書以上掲載。漢詩力up。

806年-018-#4 全唐文551-11-#4喜侯喜至贈張籍、張徹 Ⅱ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之韓愈詩集7932

806-018-#4 全唐文551-11-#4喜侯喜至贈張籍、張徹

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

201716

の紀頌之5つの校注Blog

 

 

●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、現在、李白詩全詩 訳注

 

 

Ⅰ李白詩

(李白集校注)

744年-029-#1卷一六四_39 東武吟(卷五(一)三九八)-#1Ⅰ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 李白詩集7931

 

 

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744年-集05【字解集】 a初出金門・b東武吟・c來日大難・d古風三十八Ⅰ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 李白詩集7979

 

 

孟浩然

李白詩

謝霊運

司馬相如 《子虛賦 ・上林賦》

揚雄 《甘泉賦》

諸葛亮 出師表

 

 

曹植詩65

兩都賦序・西都賦・東都賦

李白全詩

漁父辞(屈原

楚辞・九歌》東君

《楚辞九辯》

 

 

 

 

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●唐を代表する 中唐 韓愈 全500首 

 

 

Ⅱ韓昌黎詩集・文集校注

806年-018-#4 全唐文551-11-#4喜侯喜至贈張籍、張徹 Ⅱ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之韓愈詩集7932

 

 

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806年-018-#6 全唐文551-11-#6喜侯喜至贈張籍、張徹  【字解集】 Ⅱ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之韓愈詩集7944

 

 

・李商隠詩 (1) 136首の75

・李商隠詩 (2) 135首の61

韓愈1 ・孟郊・張籍と汴州乱41

index-2[800年~804年]27

index-3 805年陽山から江陵36

index-4 806年 39 江陵・国子博士25

 

 

index-5 806年39歳(2)25

index-6 807~809年 20

index-7[810年~811年 44歳] 34

index-8 [812年~814年47歳]46

index-9[815年~816年 49歳57

index-10[817年~818年 51歳]「平淮西碑」28

 

 

index-11 819年『論佛骨表』左遷 38

index-12 820 國子祭酒18

index-13 821年~822年 22

index-14 57歳・病気のため退職。没す14

韓愈 哲学・儒学「五原」

孟郊

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

●杜甫の全作品1500首を訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"

 

 

Ⅲ 杜詩

詳注

757年-集-1 【字解集】月三首・晨雨・過客相尋・豎子至 杜詩詳注()Ⅲ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7927

 

 

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757年-集-2 【字解集】 園・歸・園官送菜・園人送瓜 Ⅲ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7993

 

 

杜甫詩(1)736~751年  53

杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73

杜甫詩(3)45歳 安史の乱に彷徨う 26

杜甫詩(4)757年、左拾遺 43

杜甫詩(5)758年47歳 左遷 53

杜甫詩(6)759年 三吏三別 44

 

 

杜甫詩(7)759年秦州詩 66

杜甫詩(8)759年同谷紀行、成都紀行36

杜甫詩(9)760年、49歳 成都 45

杜甫詩(10)761年、50歳 成都82

杜甫詩(11)762年蜀中転々43

杜甫詩(12)762年 蜀中転々 49

 

 

(13)763年蜀中転々 96

 (14)764年 三月成都へ帰る 100

 (15)765年正月幕府を辞す 63

(16-1) 766年雲安、暮春、夔州 168首 の(1)80

(16-2) 766年雲安、暮春、夔州 168首 の(1)81

 

 

 

杜甫詩 (17-1)767年夔州・西閣・赤甲・瀼西132

杜甫詩 (17-2) 767年・瀼西・東屯 133

杜甫詩 (18)768年江陵・公安縣・岳州 78

杜甫詩 (19)769年・洞庭湖・潭州・衡州 78

杜甫詩 (20)770年・洞庭湖・潭州・衡州。27

杜甫詩 (21)洩れ分(未詳分)・散文

 

 

 

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●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている。花間集連載開始。

 

 

Ⅳブログ詩集

漢・唐・宋詞

花間集 訳注解説 巻二-01 (62)回目温庭筠 《清平樂二首其一》 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7934 (01/05)

 

 

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70)回目温庭筠 《清平樂/遐方怨/訴衷情/思帝/夢江南 【字解集】》 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7982 (01/13)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

●花間集全詩●森鴎外の小説の”魚玄機”詩、芸妓”薛濤”詩。唐から五代詩詞。花間集。玉臺新詠連載開始

 

 

.唐五代詞詩・女性

・玉臺新詠

玉-025 歌詩一首 -#2〈〔李 延年〕〉 Ⅴ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の玉臺新詠ブログ 7935

 

 

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玉集-04 歌詩一首井序・留別妻一首・羽林郎詩一首【字解集】〈〉 Ⅴ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の玉臺新詠ブログ 7977

 

 

●薛濤の全詩

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806-018-#4 全唐文551-11-#4喜侯喜至贈張籍、張徹 Ⅱ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之韓愈詩集7932

諸君が我が家に会合して、新しい詩を作られる時、自分は、横に成って臥しながら、その朗吟の聾を聞いて居ると、折しも、屋角に上った月は、艶艶として輝いて居る。その詩たるや、さまざまの事を作って、少しでも、目つけところがあると、それをすかさず、おのが才情をはせ、そのでき上ったのを見ては、互に舌を吐いて驚くばかりである。そこで、こんどは、互に入り乱れて、瑕疵を指摘しあう、中には、強情やら、負惜みやらを云って、自分の城に塹壕を設けて、固く守って居る人もある。それでは、門下のためにならないと、そして、わたしが貶謫を経たる身なるを以て肩身の狭い思いをしてはいけないと、遠慮せず筆を執って、十分に加朱して、指導してほしいといって依頼されたのである。

 

806-0018-#4

喜侯喜至贈張籍、張徹

韓昌黎集 巻二 -19-#4

全唐詩卷三三七 19 -#4

806年元和元年39   (18)

漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ

 

 韓昌黎集タイトル01

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67 -#7 《讀巻02-04 論今年停挙選状》 -#7 韓愈(韓退之)ID 802年貞元18年 36歳<1412> Ⅱ韓昌黎集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6044

韓愈  論今年停挙選状 #7§5-2

清閑之餘,時賜召問,必能輔宣王化,銷殄旱災。臣雖非朝官,月受俸錢,受祿粟,苟有所知,不敢不言。謹詣光順門奉狀以聞。伏聽聖旨。

私は、君のおん前に毎日お勤めする官ではありませんが、月々俸銭を受け、歳ごとに禄米を頂戴しているので、かりそめにも知ることがあれば、思い切って申し上げないではいられないのであります。

67 -7 《讀巻02-04 論今年停挙選状》 -7 韓愈(韓退之)ID   802年貞元18 36歳<1412> Ⅱ韓昌黎集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6044韓愈詩-67 -7【7分割】

 

 
 2015年5月24日の紀頌之5つのBlog 
 ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場 
 Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
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244-#4 《巻11-13 陳情贈友人 -#4》Index-17 Ⅱ―12-737年開元二十五年37歳 <244-#4> Ⅰ李白詩1499 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6043 
 孟浩然 詩 index李白詩index謝霊運 詩 index司馬相如 《 子虛賦 ・上林賦 》揚雄 《 甘泉賦 》 ●諸葛亮(孔明)出師表 
 曹植(曹子建)詩 65首 index文選 賦)兩都賦序・西都賦・東都賦 (班固)《李白 全詩》
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(1)漁父辞 屈原『楚辞・九歌』東君 屈原《楚辞 『九辯』》 宋玉  <案内> 
 ●唐を代表する 中唐 韓愈 全500首  
 Ⅱ中唐詩・晩唐詩
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67 -#7 《讀巻02-04 論今年停挙選状》 -#7 韓愈(韓退之)ID 802年貞元18年 36歳<1412> Ⅱ韓昌黎集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6044 
 ・李商隠詩 (1) 136首の75首・李商隠詩 (2) 135首の61首●韓愈index-1 ・孟郊、張籍と交遊・汴州乱41首●韓愈詩index-2[800年 33歳~804年 37歳]27首●韓愈詩index-3 805年 38歳・]陽山から江陵府 36首●韓愈詩index-4 806年 39歳 江陵府・権知国子博士 51首(1)25首 
 index-5 806年39歳 50首の(2)25首index-6[807年~809年 42歳]20首index-7[810年~811年 44歳] 34首index-8 [812年~814年47歳]46首index-9[815年~816年 49歳] 57首index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首 
 index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首index-13 821年~822年 55歳 22首index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首韓愈 哲学・儒学「五原」賦・散文・上奏文・碑文など 
 孟郊張籍     
 ●杜甫の全作品1500首を訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。" 
 Ⅲ杜甫詩全1500首   LiveDoorBlog元結 《舂陵行(并序)》【5分割】 <杜甫詩1939同元使君舂陵行>関連 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6045 杜甫詩1500-916-#1-1380/2500 
 杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩) 杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首 
 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
 ●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている 
 Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集 Fc2Blog 
        
 ●花間集全詩●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集 
 Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoorBlog牛嶠《巻四04感恩多二首其二》『花間集』155全詩訳注解説(改訂版Ver.2.1)-漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-6047 
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 毛文錫31首 花間集5巻牛希濟11首 花間集5巻欧陽烱17首 花間集5・6巻和凝20首 花間集6巻顧夐56首 花間集6・7巻孫光憲47首 花間集7・8巻 
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論今年權停舉選狀

(今年の登用試験の中止されたことに対する意見論文)

右,臣伏見今月十日敕,今年諸色舉選宜權停者。

右の通り、伏して謹んで、今月十日の勅書を拝見すると、今年の各種の官吏登用試験は、仮に停止するがよいとのことであります。

道路相傳,皆雲以之旱,

道々に相い伝えて皆がいっております、今年の作物は日照りつづきなのであります。

陛下憐憫京師之人,慮其乏食,

陛下は、都、長安の人々を憐れに思われ、その人々が食糧不足であろうと心配されたのであります。

故權停舉選,以其來者,所以省費而足食也。
それ故、かりに登用試験を停止して、その受験のために都に来る者を絶たれたのであります。これは口をへらし、消費を省いて、食物の不足が起こらぬようにされるための手段である、ということであります。

右臣伏して今月十日の穀を見るに、今年諸色の挙選、宜しく權に停むべき者とあり。

道路相い傳えて皆云ふ、歳の旱を以て、

陛下京師の人を憐憫し、其の食に乏しきを慮る。

故に權に挙選を停めて、以て其の来者を絶つ。費を省いて食を足す所以なりと。

 

#2§2-1

臣伏思之,

私は伏してこのように思います。

竊以為十口之家,益之以一二人,於食未有所費。

心中ひそかに思っておりますのは、十人家内の家で、これに一人二人増加しても、食物の分量では、それほど費えるものはありません。

今京師之人,不啻百萬;

いま、都の多くいる人は、ただ百万人の人口というばかりではありません。

都計舉者不過五七千人,

すべて科挙の受験者数を計るに、五、七千人にすぎません。

並其僮仆畜馬,不當京師百分之一。

その人たちの供人や飼い馬などをあわせても、郡の人の百分の一にも当たらないのです。

#3§2-2

以十口之家計之,誠未為有所損益。

十人世帯の割合で家計計算すれば、まことに消費は差引増減する所があるとは思えないのです。

又今年雖旱,去大豐,

また観点をかえ数年を通してみると、たしかに今年は日照りの害があっても、去年は大豊作であったわけであります。

商賈之家,必有儲蓄。

商人の家では、必ず米の備蓄があるはずなのです。

舉選者皆齎持資用,

科挙の試験に集まる者たちは、皆、生活の物資、用品を持って来ています。

以有易無,未見其弊。

その持ってきている物を有効に活用することで、且つ余ったもので以て持っていない物に取りかえたりすれば、相互補助で、有無相通じて、弊害を見ることはないのであります#2§2-1

臣 伏して之を思う,

竊かに 以為【おもえ】らく十口の家,之に益すに 一 二人を以て,食に於て未だ費ゆる所有らず。

今 京師の人は,啻【た】だ百萬のみならず;

都【すべ】て舉者を計るに 五 七千人に過ぎず,

其の僮仆 畜馬を並せて,京師 百分の一に當らず。

#3§2-2

十口の家を以て之を計り,誠に 未だ損益する所有りと為さず。

又 今年 旱すと雖も,去 大いに豐なりき,

商賈の之家に,必ず 儲蓄有らん。

舉選の者 皆 資用を齎持し,

有を以て 無に易う,

未だ 其の弊を見ず。

 

#4§3

今若暫停舉選,或恐所害實深:

いま若し暫く登用試験を停止すれば、あるいは人材に対する害することが実に深いことになるであろう。

一則遠近驚惶。

一つには遠いものも近い所のものも驚きおそれるでありましょう。

一則人士失業。

二つには士人たちが職業を失うでありましょう。 

臣聞古之求雨之詞曰:

私は聞いております、古代の雨を求める詞にいう、

「人失職歟?」然則人之失職,足以致旱。

「人が職を失ったであろうか」、と。それならは、人が職を失うならは、日照りを招くに十分でありましょう。

今緣旱而停舉選,是使人失職而召災也。
今旱魃があったために登用試験を停めるというのは、これこそ人をして職を失わせて、早災を招くのでありましょう。

今若し暫く撃選を停めは、或は害する所賓に深からんことを恐る。

一には則ち遠近驚憧せん。

二には則ち人士業を朱はん。

臣聞く、古の雨を求むるの詞に日く、「人職を矢へるかと。」

然らは則ち人の職を失ふは、以て旱を致すに足る。

今早に縁って撃選を停む。

是れ人をして職を矢はしめて災を召すなり。

#5§4

臣又聞君者陽也,臣者陰也,

私はまた、聞いています、「君主は陽であり、臣下は陰にあたる、」ということを。

獨陽為旱,獨陰為水。

「陽気ばかりで陰気がないと日照りの災いをなし、陰気はかりで陽気がないときには水害をなす」ということを。

今者陛下聖明在上,雖堯舜無以加之。

今は陛下が聖明の徳をもって上におられ、堯・舜などの古代の聖王でも、これ以上に加えることはないほどであります。

而群臣之賢,不及於古,

しかし群臣のすぐれた徳は・古代の賢相に及ばない。

又不能盡心於國,與陛下同心,助陛下為理。

また心を国家に尽くし、陛下と心を同じくして、陛下を助けて治をなすこともできないのです。

有君無臣,是以久旱。
これは、君はあっても、臣がいないのであり、それでこそ久しく日照りが続いているのです。

臣又聞く、君は陽なり。臣は陰なり。

獨陽は早をうま爲し、獨陰は水を爲すと。

今は陛下聖明上に在り、尭葬と錐も以て之に加ふる無し。

而して軍臣の賢は、古に及ぼす。

又心を國に盡し、陛下と心を同じうし、陛下を助けて理を焉すこと能はず。

君有って臣無し。是を以て久しく旱す。

#5§4

臣又聞君者陽也,臣者陰也,

私はまた、聞いています、「君主は陽であり、臣下は陰にあたる、」ということを。

獨陽為旱,獨陰為水。

「陽気ばかりで陰気がないと日照りの災いをなし、陰気はかりで陽気がないときには水害をなす」ということを。

今者陛下聖明在上,雖堯舜無以加之。

今は陛下が聖明の徳をもって上におられ、堯・舜などの古代の聖王でも、これ以上に加えることはないほどであります。

而群臣之賢,不及於古,

しかし群臣のすぐれた徳は・古代の賢相に及ばない。

又不能盡心於國,與陛下同心,助陛下為理。

また心を国家に尽くし、陛下と心を同じくして、陛下を助けて治をなすこともできないのです。

有君無臣,是以久旱。
これは、君はあっても、臣がいないのであり、それでこそ久しく日照りが続いているのです。

臣又聞く、君は陽なり。臣は陰なり。

獨陽は早をうま爲し、獨陰は水を爲すと。

今は陛下聖明上に在り、尭葬と錐も以て之に加ふる無し。

而して軍臣の賢は、古に及ぼす。

又心を國に盡し、陛下と心を同じうし、陛下を助けて理を焉すこと能はず。

君有って臣無し。是を以て久しく旱す。
#6§5-1

以臣之愚,以為宜求純信之士,骨鯁之臣,

私の愚かな心をもって、思いますのに、まじりけのない心のまことある人物で、言いにくいことを申し上げて天子を諌める臣、

憂國如家、忘身奉上者,超其爵位,置在左右。

国を憂うることわが家のようであり、身を忘れて上天子にお尽くし申し上げるものを求め、その爵位を高く陸はせ、天子の身の左右におらしめること、

如殷高宗之用傅,周文王之舉太公,

あたかも殿の高宗武→が樽説を用い、周の文王が太公望呂尚を挙げて用い、

齊桓公之拔甯戚,漢武帝之取公孫宏。

斉の桓公が宵戚を抜きんで、漢の武帝が公孫弘を取り用いたようであるのが宜しい、と。

#7§5-2

清閑之餘,時賜召問,

そして清々しくて静かなお暇のあるとき、時には召して御下問を賜うならば、

必能輔宣王化,銷殄旱災。

必ず王の徳化を輔け宣べ、早魅の災害を銷しほろぼすことでありましょう。

臣雖非朝官,月受俸錢,受祿粟,

私は、君のおん前に毎日お勤めする官ではありませんが、月々俸銭を受け、歳ごとに禄米を頂戴しているので、

苟有所知,不敢不言。

かりそめにも知ることがあれば、思い切って申し上げないではいられないのであります。

謹詣光順門奉狀以聞。

謹んで光順門に詣でて本状を奉りあげますのでお聞きください。

伏聽聖旨。

伏して、天子のお考えをお聞かせいただきたいのであります。

 

#6§5 

臣の愚を以て、以爲【おもえ】らく 宜しく純信の士、骨鯁の臣、

國を憂ふること家の如く、身を忘れ上に奉ずる者を求め、

其の爵位を超えしめ、置いて左右に在ること、

殷の高宗の傅説を用ひ、周の文王の大公を挙げ、

斉の桓公の甯戚を抜き、漢の武帝の公孫弘を取るが如くなるべしと。

#7§5 -

清閑の餘、時に召問を賜ひ、

必ず能く王化を輔宜し、早災を銷殄せよ。

臣朝官に非ずと雖も、月づきに俸錢を受け、歳どしに禄粟を受く。

苟くも知る所有らは、敢て言。言はずんばあらず。

謹で光順門に詣で狀を奉り以て聞く。

伏して聖の旨を聽かしめん。

 

 

『論今年停挙選状』 現代語訳と訳註解説
(
本文) 
#6§5-1

#7§5-2

清閑之餘,時賜召問,

必能輔宣王化,銷殄旱災。

臣雖非朝官,月受俸錢,受祿粟,

苟有所知,不敢不言。

謹詣光順門奉狀以聞。

伏聽聖旨。


(下し文)
清閑の餘、時に召問を賜ひ、

必ず能く王化を輔宜し、早災を銷殄せよ。

臣朝官に非ずと雖も、月づきに俸錢を受け、歳どしに禄粟を受く。

苟くも知る所有らは、敢て言。言はずんばあらず。

謹で光順門に詣で狀を奉り以て聞く。

伏して聖の旨を聽かしめん。

(現代語訳)
そして清々しくて静かなお暇のあるとき、時には召して御下問を賜うならば、

必ず王の徳化を輔け宣べ、早魅の災害を銷しほろぼすことでありましょう。

私は、君のおん前に毎日お勤めする官ではありませんが、月々俸銭を受け、歳ごとに禄米を頂戴しているので、

かりそめにも知ることがあれば、思い切って申し上げないではいられないのであります。

謹んで光順門に詣でて本状を奉りあげますのでお聞きください。

伏して、天子のお考えをお聞かせいただきたいのであります。


(訳注) #7§5-2

論今年權停舉選狀 #1§1

(今年の登用試験の中止されたことに対する意見論文)

徳宗の貞元十九年に旱魃で収穫が少ないことを見込んで、長安の米穀消費を減らすために、七月官吏の登用試験を停止した。韓愈は時に四門博士であったが、この論文をたてまつり、挙選をやめずに人才を登用することが大切で、反って干害を消滅させることになるといって、暗に自己を推薦する意がある。

 

清閑之餘,時賜召問,

そして清々しくて静かなお暇のあるとき、時には召して御下問を賜うならば、

 

必能輔宣王化,銷殄旱災。

必ず王の徳化を輔け宣べ、早魅の災害を銷しほろぼすことでありましょう。

 

臣雖非朝官,月受俸錢,受祿粟,

私は、君のおん前に毎日お勤めする官ではありませんが、月々俸銭を受け、歳ごとに禄米を頂戴しているので、

○朝官 天子に朝して政治にあずかる官、朝参官。

 

苟有所知,不敢不言。

かりそめにも知ることがあれば、思い切って申し上げないではいられないのであります。

 

謹詣光順門奉狀以聞。

謹んで光順門に詣でて本状を奉りあげますのでお聞きください。

○光順門 宣政殿の北には紫宸門があり、その内側には紫宸殿がある。紫宸殿の南にある紫寢門の左側には崇明門があり、右側には光順門(-5)がある。紫宸殿の東の方角には左銀台門があり、西の方角には右銀台門がある。中書省から、延英殿に入って行って上奏する。

 

伏聽聖旨。

伏して、天子のお考えをお聞かせいただきたいのであります。

○聖旨 天子の考え。また、天子の命令。
大明宮-座標02
 

67 -#6 《讀巻02-04 論今年停挙選状》 -#6 韓愈(韓退之)ID 802年貞元18年 36歳<1411> Ⅱ5章7分割 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6039

論今年停挙選状》韓愈#6§5-1

以臣之愚,以為宜求純信之士,骨鯁之臣,憂國如家、忘身奉上者,超其爵位,置在左右。

如殷高宗之用傅,周文王之舉太公,齊桓公之拔甯戚,漢武帝之取公孫宏。

私の愚かな心をもって、思いますのに、まじりけのない心のまことある人物で、言いにくいことを申し上げて天子を諌める臣、国を憂うることわが家のようであり、身を忘れて上天子にお尽くし申し上げるものを求め、その爵位を高く陸はせ、天子の身の左右におらしめること、

 

67 -6 《讀巻02-04 論今年停挙選状》 -6 韓愈(韓退之)ID   802年貞元18 36歳<1411 57分割 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6039韓愈詩-67 -6

 
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#5§4

臣又聞君者陽也,臣者陰也,

私はまた、聞いています、「君主は陽であり、臣下は陰にあたる、」ということを。

獨陽為旱,獨陰為水。

「陽気ばかりで陰気がないと日照りの災いをなし、陰気はかりで陽気がないときには水害をなす」ということを。

今者陛下聖明在上,雖堯舜無以加之。

今は陛下が聖明の徳をもって上におられ、堯・舜などの古代の聖王でも、これ以上に加えることはないほどであります。

而群臣之賢,不及於古,

しかし群臣のすぐれた徳は・古代の賢相に及ばない。

又不能盡心於國,與陛下同心,助陛下為理。

また心を国家に尽くし、陛下と心を同じくして、陛下を助けて治をなすこともできないのです。

有君無臣,是以久旱。
これは、君はあっても、臣がいないのであり、それでこそ久しく日照りが続いているのです。

臣又聞く、君は陽なり。臣は陰なり。

獨陽は早をうま爲し、獨陰は水を爲すと。

今は陛下聖明上に在り、尭葬と錐も以て之に加ふる無し。

而して軍臣の賢は、古に及ぼす。

又心を國に盡し、陛下と心を同じうし、陛下を助けて理を焉すこと能はず。

君有って臣無し。是を以て久しく旱す。
#6§5-1

以臣之愚,以為宜求純信之士,骨鯁之臣,

私の愚かな心をもって、思いますのに、まじりけのない心のまことある人物で、言いにくいことを申し上げて天子を諌める臣、

憂國如家、忘身奉上者,超其爵位,置在左右。

国を憂うることわが家のようであり、身を忘れて上天子にお尽くし申し上げるものを求め、その爵位を高く陸はせ、天子の身の左右におらしめること、

如殷高宗之用傅,周文王之舉太公,

あたかも殿の高宗武→が樽説を用い、周の文王が太公望呂尚を挙げて用い、

齊桓公之拔甯戚,漢武帝之取公孫宏。

斉の桓公が宵戚を抜きんで、漢の武帝が公孫弘を取り用いたようであるのが宜しい、と。

#7§5-2

清閑之餘,時賜召問,

必能輔宣王化,銷殄旱災。

臣雖非朝官,月受俸錢,受祿粟,

苟有所知,不敢不言。

謹詣光順門奉狀以聞。

伏聽聖旨。

 

#6§5 

臣の愚を以て、以爲【おもえ】らく 宜しく純信の士、骨鯁の臣、

國を憂ふること家の如く、身を忘れ上に奉ずる者を求め、

其の爵位を超えしめ、置いて左右に在ること、

殷の高宗の傅説を用ひ、周の文王の大公を挙げ、

斉の桓公の甯戚を抜き、漢の武帝の公孫弘を取るが如くなるべしと。

#7§5 -

清閑の餘、時に召問を賜ひ、

必ず能く王化を輔宜し、早災を銷殄せよ。

臣朝官に非ずと雖も、月づきに俸錢を受け、歳どしに禄粟を受く。

苟くも知る所有らは、敢て言。言はずんばあらず。

謹で光順門に詣で狀を奉り以て聞く。

伏して聖の旨を聽かしめん。

 

 

『論今年停挙選状』 現代語訳と訳註解説
(
本文) 
#6§5-1

以臣之愚,以為宜求純信之士,骨鯁之臣,

憂國如家、忘身奉上者,

超其爵位,置在左右。

如殷高宗之用傅,周文王之舉太公,

齊桓公之拔甯戚,漢武帝之取公孫宏。


(下し文) #6§5 

臣の愚を以て、以爲【おもえ】らく 宜しく純信の士、骨鯁の臣、

國を憂ふること家の如く、身を忘れ上に奉ずる者を求め、

其の爵位を超えしめ、置いて左右に在ること、

殷の高宗の傅説を用ひ、周の文王の大公を挙げ、

斉の桓公の甯戚を抜き、漢の武帝の公孫弘を取るが如くなるべしと。


(現代語訳)
私の愚かな心をもって、思いますのに、まじりけのない心のまことある人物で、言いにくいことを申し上げて天子を諌める臣、

国を憂うることわが家のようであり、身を忘れて上天子にお尽くし申し上げるものを求め、その爵位を高く陸はせ、天子の身の左右におらしめること、

あたかも殿の高宗武→が樽説を用い、周の文王が太公望呂尚を挙げて用い、

斉の桓公が宵戚を抜きんで、漢の武帝が公孫弘を取り用いたようであるのが宜しい、と。


(訳注) #6§5-1

論今年權停舉選狀 #1§1

(今年の登用試験の中止されたことに対する意見論文)

徳宗の貞元十九年に旱魃で収穫が少ないことを見込んで、長安の米穀消費を減らすために、七月官吏の登用試験を停止した。韓愈は時に四門博士であったが、この論文をたてまつり、挙選をやめずに人才を登用することが大切で、反って干害を消滅させることになるといって、暗に自己を推薦する意がある。

 

以臣之愚,以為宜求純信之士,骨鯁之臣,

私の愚かな心をもって、思いますのに、まじりけのない心のまことある人物で、言いにくいことを申し上げて天子を諌める臣、

○純信 純潔な心で二言のないまことの人物

○骨鯁 喉に魚の骨が引っかかるように、その人の無遠慮な忠言が、聞きづらい。そのような臣を骨鯉または骨硬の臣という。剛直忠譲の臣をいう。

 

憂國如家、忘身奉上者,超其爵位,置在左右。

国を憂うることわが家のようであり、身を忘れて上天子にお尽くし申し上げるものを求め、その爵位を高く陸はせ、天子の身の左右におらしめること、

 

如殷高宗之用傅,周文王之舉太公,

あたかも殿の高宗武→が樽説を用い、周の文王が太公望呂尚を挙げて用い、

○傅説 古代、殷(いん)の高宗の宰相。高宗が聖人を得た夢によって土木工事に従事していたところを登用され、中興の業を完成したといわれる。

太公 呂尚(りょ しょう)は、紀元前11世紀ごろに活躍した周の軍師、後に斉の始祖。姓は姜、氏は呂、字は子牙もしくは牙、諱は尚とされる。軍事長官である師の職に就いていたことから、「師尚父」とも呼ばれる。謚は太公。斉太公、姜太公の名でも呼ばれる。

 

齊桓公之拔甯戚,漢武帝之取公孫宏。

斉の桓公が宵戚を抜きんで、漢の武帝が公孫宏()を取り用いたようであるのが宜しい、と。

○甯戚 甯恵子; 甯戚(ネイセキ)【宰相】: 斉の宰相。衛の人。 斉桓公に用いられようと思い、斉に赴き、牛飼をして牛に飯を食わせる歌を歌った。桓公はこれを聞いて、 甯戚を見出して登用した。

宋玉《九辯 第九段》―#6 「甯戚謳於車下兮,桓公聞而知之。」
昔斉の甯戚は車の下で飯牛の歌をうたっていたら、桓公は聞いて勝れた人物であると知って用いた。
九辯 第九段―#6 宋玉  <00-#32>Ⅱもっとも影響を与えた詩文 661 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2289

甯戚 (生卒年不詳),姓,甯氏,名戚,又称甯遬,東周春秋時期衛國人,齊國大司田,為齊桓公主要輔佐者之一。 生平[编辑]. 齊桓公二十八年(前685年),甯戚獲悉齊桓公重人才,有抱負,便決心投靠齊國,以便有一番作為。

○公孫宏 漢の薛の人、字は季斉、少にして獄吏となり、罪あって罷免され、家は貧しく海浜で豚を飼っていた。年四十余で『春秋』や雑説を学び、武帝の初め博士となる。また対策して第一に擢んでられ、累遷して丞相(首相)となる。平津侯に封ぜられた。

 

§5 

臣の愚を以て、以爲【おもえ】らく 宜しく純信の士、骨鯁の臣、

國を憂ふること家の如く、身を忘れ上に奉ずる者を求め、

其の爵位を超えしめ、置いて左右に在ること、

殷の高宗の傅説を用ひ、周の文王の大公を挙げ、

斉の桓公の甯戚を抜き、漢の武帝の公孫弘を取るが如くなるべしと。

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清閑の餘、時に召問を賜ひ、

必ず能く王化を輔宜し、早災を銷殄せよ。

臣朝官に非ずと雖も、月づきに俸錢を受け、歳どしに禄粟を受く。

苟くも知る所有らは、敢て言。言はずんばあらず。

謹で光順門に詣で狀を奉り以て聞く。

伏して聖の旨を聽かしめん。

67 -#5 《讀巻02-04 論今年停挙選状》 -#5 韓愈(韓退之)ID 802年貞元18年 36歳<1410> Ⅱ5章7分割 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6034韓愈詩-67 -#5

韓愈  論今年停挙選状#5§4

臣又聞君者陽也,臣者陰也,

獨陽為旱,獨陰為水。

今者陛下聖明在上,雖堯舜無以加之。

而群臣之賢,不及於古,

又不能盡心於國,與陛下同心,助陛下為理。

有君無臣,是以久旱。
私はまた、聞いています、「君主は陽であり、臣下は陰にあたる、」ということを。「陽気ばかりで陰気がないと日照りの災いをなし、陰気はかりで陽気がないときには水害をなす」ということを。

67 -5 《讀巻02-04 論今年停挙選状》 -5 韓愈(韓退之)ID   802年貞元18 36歳<1410 57分割 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6034韓愈詩-67 -5

 
 2015年5月22日の紀頌之5つのBlog 
 ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場 
 Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
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244-#2 《巻11-13 陳情贈友人 -#2》Index-17 Ⅱ―12-737年開元二十五年37歳 <244-#2> Ⅰ李白詩1497 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6033 
 孟浩然 詩 index李白詩index謝霊運 詩 index司馬相如 《 子虛賦 ・上林賦 》揚雄 《 甘泉賦 》 ●諸葛亮(孔明)出師表 
 曹植(曹子建)詩 65首 index文選 賦)兩都賦序・西都賦・東都賦 (班固)《李白 全詩》
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67 -#5 《讀巻02-04 論今年停挙選状》 -#5 韓愈(韓退之)ID 802年貞元18年 36歳<1410> Ⅱ5章7分割 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6034韓愈詩-67 -#5 
 ・李商隠詩 (1) 136首の75首・李商隠詩 (2) 135首の61首●韓愈index-1 ・孟郊、張籍と交遊・汴州乱41首●韓愈詩index-2[800年 33歳~804年 37歳]27首●韓愈詩index-3 805年 38歳・]陽山から江陵府 36首●韓愈詩index-4 806年 39歳 江陵府・権知国子博士 51首(1)25首 
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 index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首index-13 821年~822年 55歳 22首index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首韓愈 哲学・儒学「五原」賦・散文・上奏文・碑文など 
 孟郊張籍     
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 杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩) 杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首 
 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
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#5§4

臣又聞君者陽也,臣者陰也,

私はまた、聞いています、「君主は陽であり、臣下は陰にあたる、」ということを。

獨陽為旱,獨陰為水。

「陽気ばかりで陰気がないと日照りの災いをなし、陰気はかりで陽気がないときには水害をなす」ということを。

今者陛下聖明在上,雖堯舜無以加之。

今は陛下が聖明の徳をもって上におられ、堯・舜などの古代の聖王でも、これ以上に加えることはないほどであります。

而群臣之賢,不及於古,

しかし群臣のすぐれた徳は・古代の賢相に及ばない。

又不能盡心於國,與陛下同心,助陛下為理。

また心を国家に尽くし、陛下と心を同じくして、陛下を助けて治をなすこともできないのです。

有君無臣,是以久旱。
これは、君はあっても、臣がいないのであり、それでこそ久しく日照りが続いているのです。

臣又聞く、君は陽なり。臣は陰なり。

獨陽は早をうま爲し、獨陰は水を爲すと。

今は陛下聖明上に在り、尭葬と錐も以て之に加ふる無し。

而して軍臣の賢は、古に及ぼす。

又心を國に盡し、陛下と心を同じうし、陛下を助けて理を焉すこと能はず。

君有って臣無し。是を以て久しく旱す。
#6§5-1

以臣之愚,以為宜求純信之士,骨鯁之臣,憂國如家、忘身奉上者,超其爵位,置在左右。如殷高宗之用傅,周文王之舉太公,齊桓公之拔甯戚,漢武帝之取公孫宏。

#7§5-2

清閑之餘,時賜召問,必能輔宣王化,銷殄旱災。臣雖非朝官,月受俸錢,受祿粟,苟有所知,不敢不言。謹詣光順門奉狀以聞。伏聽聖旨。

 

 

『論今年停挙選状』 現代語訳と訳註解説
(
本文) 
#5§4

臣又聞君者陽也,臣者陰也,

獨陽為旱,獨陰為水。

今者陛下聖明在上,雖堯舜無以加之。

而群臣之賢,不及於古,

又不能盡心於國,與陛下同心,助陛下為理。

有君無臣,是以久旱。

(下し文)
臣又聞く、君は陽なり。臣は陰なり。

獨陽は早をうま爲し、獨陰は水を爲すと。

今は陛下聖明上に在り、尭葬と錐も以て之に加ふる無し。

而して軍臣の賢は、古に及ぼす。

又心を國に盡し、陛下と心を同じうし、陛下を助けて理を焉すこと能はず。

君有って臣無し。是を以て久しく旱す。

(現代語訳)
私はまた、聞いています、「君主は陽であり、臣下は陰にあたる、」ということを。

「陽気ばかりで陰気がないと日照りの災いをなし、陰気はかりで陽気がないときには水害をなす」ということを。

今は陛下が聖明の徳をもって上におられ、堯・舜などの古代の聖王でも、これ以上に加えることはないほどであります。

しかし群臣のすぐれた徳は・古代の賢相に及ばない。

また心を国家に尽くし、陛下と心を同じくして、陛下を助けて治をなすこともできないのです。

これは、君はあっても、臣がいないのであり、それでこそ久しく日照りが続いているのです。



(訳注) #5§4

論今年權停舉選狀 #1§1

(今年の登用試験の中止されたことに対する意見論文)

徳宗の貞元十九年に旱魃で収穫が少ないことを見込んで、長安の米穀消費を減らすために、七月官吏の登用試験を停止した。韓愈は時に四門博士であったが、この論文をたてまつり、挙選をやめずに人才を登用することが大切で、反って干害を消滅させることになるといって、暗に自己を推薦する意がある。

 

臣又聞君者陽也,臣者陰也,

私はまた、聞いています、「君主は陽であり、臣下は陰にあたる、」ということを。

○君者陽也 君は南面して政を聴く。

○臣者陰也 臣は北面して君に仕える。

 

獨陽為旱,獨陰為水。

「陽気ばかりで陰気がないと日照りの災いをなし、陰気はかりで陽気がないときには水害をなす」ということを。

 

今者陛下聖明在上,雖堯舜無以加之。

今は陛下が聖明の徳をもって上におられ、堯・舜などの古代の聖王でも、これ以上に加えることはないほどであります。

○無以加之 これに加えるものがない。この上に出るものはない。

 

而群臣之賢,不及於古,

しかし群臣のすぐれた徳は・古代の賢相に及ばない。

 

又不能盡心於國,與陛下同心,助陛下為理。

また心を国家に尽くし、陛下と心を同じくして、陛下を助けて治をなすこともできないのです。

 

有君無臣,是以久旱。

これは、君はあっても、臣がいないのであり、それでこそ久しく日照りが続いているのです。

67 -#4 《讀巻02-04 論今年停挙選状》 -#4 韓愈(韓退之)ID 802年貞元18年 36歳<1409> Ⅱ5章7分割 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6029

韓愈  #4§3

今若暫停舉選,或恐所害實深:一則遠近驚惶。

一則人士失業。

臣聞古之求雨之詞曰:

「人失職歟?」然則人之失職,足以致旱。

今緣旱而停舉選,是使人失職而召災也。
いま若し暫く登用試験を停止すれば、あるいは人材に対する害することが実に深いことになるであろう。一つには遠いものも近い所のものも驚きおそれるでありましょう。二つには士人たちが職業を失うでありましょう。 

 

67 -4 《讀巻02-04 論今年停挙選状》 -4 韓愈(韓退之)ID   802年貞元18 36歳<1409 57分割 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6029

 
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韓愈詩

-67 -4

 

#4§3

今若暫停舉選,或恐所害實深:

いま若し暫く登用試験を停止すれば、あるいは人材に対する害することが実に深いことになるであろう。

一則遠近驚惶。

一つには遠いものも近い所のものも驚きおそれるでありましょう。

一則人士失業。

二つには士人たちが職業を失うでありましょう。 

臣聞古之求雨之詞曰:

私は聞いております、古代の雨を求める詞にいう、

「人失職歟?」然則人之失職,足以致旱。

「人が職を失ったであろうか」、と。それならは、人が職を失うならは、日照りを招くに十分でありましょう。

今緣旱而停舉選,是使人失職而召災也。
今旱魃があったために登用試験を停めるというのは、これこそ人をして職を失わせて、早災を招くのでありましょう。

 

 

『論今年停挙選状』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

#4§3

今若暫停舉選,或恐所害實深:

一則遠近驚惶。

一則人士失業。

臣聞古之求雨之詞曰:「人失職歟?」

然則人之失職,足以致旱。

今緣旱而停舉選,

是使人失職而召災也。

(下し文) §3

今若し暫く撃選を停めは、或は害する所賓に深からんことを恐る。

一には則ち遠近驚憧せん。

二には則ち人士業を朱はん。

臣聞く、古の雨を求むるの詞に日く、「人職を矢へるかと。」

然らは則ち人の職を失ふは、以て旱を致すに足る。

今早に縁って撃選を停む。

是れ人をして職を矢はしめて災を召すなり。

(現代語訳)
いま若し暫く登用試験を停止すれば、あるいは人材に対する害することが実に深いことになるであろう。

一つには遠いものも近い所のものも驚きおそれるでありましょう。

二つには士人たちが職業を失うでありましょう。 

私は聞いております、古代の雨を求める詞にいう、

「人が職を失ったであろうか」、と。それならは、人が職を失うならは、日照りを招くに十分でありましょう。

今旱魃があったために登用試験を停めるというのは、これこそ人をして職を失わせて、早災を招くのでありましょう。



(訳注) #4§3

論今年權停舉選狀 #1§1

(今年の登用試験の中止されたことに対する意見論文)

徳宗の貞元十九年に旱魃で収穫が少ないことを見込んで、長安の米穀消費を減らすために、七月官吏の登用試験を停止した。韓愈は時に四門博士であったが、この論文をたてまつり、挙選をやめずに人才を登用することが大切で、反って干害を消滅させることになるといって、暗に自己を推薦する意がある。
 

今若暫停舉選,或恐所害實深:

いま若し暫く登用試験を停止すれば、あるいは人材に対する害することが実に深いことになるであろう。

〇舉選 登用試験。

 

一則遠近驚惶。

一つには遠いものも近い所のものも驚きおそれるでありましょう。

驚惶 驚きおそれること。驚きあわてること。

 

一則人士失業。

二つには士人たちが職業を失うでありましょう。 

 

臣聞古之求雨之詞曰:

私は聞いております、古代の雨を求める詞にいう、

〇求雨之詞 『春秋公羊伝』桓公五年の条に、雨を祈るとき、君主自身、城の南郊に行き、自ら責めて「政一ならざるか、民職を失ふか」といった故事がある。政治が均云平でないか、人民が職を失っているだろうかという、この言葉を拠り所として、この文章は書かれている。

 

「人失職歟?」然則人之失職,足以致旱。

「人が職を失ったであろうか」、と。それならは、人が職を失うならは、日照りを招くに十分でありましょう。

 

今緣旱而停舉選,是使人失職而召災也。
今旱魃があったために登用試験を停めるというのは、これこそ人をして職を失わせて、早災を招くのでありましょう。

○召災 早魅の災害を招く。

67 -#3 《讀巻02-04 論今年停挙選状》 -#3 韓愈(韓退之)ID 802年貞元18年 36歳<1408> Ⅱ5章7分割 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6024

論今年停挙選状》#3§2-2韓愈  

以十口之家計之,誠未為有所損益。又今年雖旱,去大豐,商賈之家,必有儲蓄。

舉選者皆齎持資用,以有易無,未見其弊。

また観点をかえ数年を通してみると、たしかに今年は日照りの害があっても、去年は大豊作であったわけであります。商人の家では、必ず米の備蓄があるはずなのです。


67 -3 《讀巻02-04 論今年停挙選状》 -3 韓愈(韓退之)ID   802年貞元18 36歳<1408 57分割 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6024韓愈詩-67 -3



論今年權停舉選狀

(今年の登用試験の中止されたことに対する意見論文)

右,臣伏見今月十日敕,今年諸色舉選宜權停者。

右の通り、伏して謹んで、今月十日の勅書を拝見すると、今年の各種の官吏登用試験は、仮に停止するがよいとのことであります。

道路相傳,皆雲以之旱,

道々に相い伝えて皆がいっております、今年の作物は日照りつづきなのであります。

陛下憐憫京師之人,慮其乏食,

陛下は、都、長安の人々を憐れに思われ、その人々が食糧不足であろうと心配されたのであります。

故權停舉選,以其來者,所以省費而足食也。
それ故、かりに登用試験を停止して、その受験のために都に来る者を絶たれたのであります。これは口をへらし、消費を省いて、食物の不足が起こらぬようにされるための手段である、ということであります。

右臣伏して今月十日の穀を見るに、今年諸色の挙選、宜しく權に停むべき者とあり。

道路相い傳えて皆云ふ、歳の旱を以て、

陛下京師の人を憐憫し、其の食に乏しきを慮る。

故に權に挙選を停めて、以て其の来者を絶つ。費を省いて食を足す所以なりと。


#2§2-1

臣伏思之,

私は伏してこのように思います。

竊以為十口之家,益之以一二人,於食未有所費。

心中ひそかに思っておりますのは、十人家内の家で、これに一人二人増加しても、食物の分量では、それほど費えるものはありません。

今京師之人,不啻百萬;

いま、都の多くいる人は、ただ百万人の人口というばかりではありません。

都計舉者不過五七千人,

すべて科挙の受験者数を計るに、五、七千人にすぎません。

並其僮仆畜馬,不當京師百分之一。

その人たちの供人や飼い馬などをあわせても、郡の人の百分の一にも当たらないのです。

#3§2-2

以十口之家計之,誠未為有所損益。

十人世帯の割合で家計計算すれば、まことに消費は差引増減する所があるとは思えないのです。

又今年雖旱,去大豐,

また観点をかえ数年を通してみると、たしかに今年は日照りの害があっても、去年は大豊作であったわけであります。

商賈之家,必有儲蓄。

商人の家では、必ず米の備蓄があるはずなのです。

舉選者皆齎持資用,

科挙の試験に集まる者たちは、皆、生活の物資、用品を持って来ています。

以有易無,未見其弊。

その持ってきている物を有効に活用することで、且つ余ったもので以て持っていない物に取りかえたりすれば、相互補助で、有無相通じて、弊害を見ることはないのであります#2§2-1

臣 伏して之を思う,

竊かに 以為【おもえ】らく十口の家,之に益すに 一 二人を以て,食に於て未だ費ゆる所有らず。

今 京師の人は,啻【た】だ百萬のみならず;

都【すべ】て舉者を計るに 五 七千人に過ぎず,

其の僮仆 畜馬を並せて,京師 百分の一に當らず。

#3§2-2

十口の家を以て之を計り,誠に 未だ損益する所有りと為さず。

又 今年 旱すと雖も,去 大いに豐なりき,

商賈の之家に,必ず 儲蓄有らん。

舉選の者 皆 資用を齎持し,

有を以て 無に易う,

未だ 其の弊を見ず。



『論今年權停舉選狀』 現代語訳と訳註解説
(
本文) 
#3§2-2

以十口之家計之,誠未為有所損益。

又今年雖旱,去大豐,

商賈之家,必有儲蓄。

舉選者皆齎持資用,

以有易無,未見其弊。


(下し文)
#3§2-2

十口の家を以て之を計り,誠に 未だ損益する所有りと為さず。

又 今年 旱すと雖も,去 大いに豐なりき,

商賈の之家に,必ず 儲蓄有らん。

舉選の者 皆 資用を齎持し,

有を以て 無に易う,

未だ 其の弊を見ず。


(現代語訳)
十人世帯の割合で家計計算すれば、まことに消費は差引増減する所があるとは思えないのです。

また観点をかえ数年を通してみると、たしかに今年は日照りの害があっても、去年は大豊作であったわけであります。

商人の家では、必ず米の備蓄があるはずなのです。

科挙の試験に集まる者たちは、皆、生活の物資、用品を持って来ています。

その持ってきている物を有効に活用することで、且つ余ったもので以て持っていない物に取りかえたりすれば、相互補助で、有無相通じて、弊害を見ることはないのであります

(訳注) #3§2-2


以十口之家計之,誠未為有所損益。

十人世帯の割合で家計計算すれば、まことに消費は差引増減する所があるとは思えないのです。


又今年雖旱,去大豐,

また観点をかえ数年を通してみると、たしかに今年は日照りの害があっても、去年は大豊作であったわけであります。

商賈之家,必有儲蓄。

商人の家では、必ず米の備蓄があるはずなのです。

○商貰 商は行商人、更は店舗のある商人。

○備蓄 二字ともたくわえ。


舉選者皆齎持資用,

科挙の試験に集まる者たちは、皆、生活の物資、用品を持って来ています。

○齎持 齎は音セィ、もたらす。持参する。


以有易無,未見其弊。

その持ってきている物を有効に活用することで、且つ余ったもので以て持っていない物に取りかえたりすれば、相互補助で、有無相通じて、弊害を見ることはないのであります。

 

 

 

 

 

 

 

 
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243-#2 《巻05-35 長歌行 #2》Index-17 Ⅱ―12-737年開元二十五年37歳 <243-#2> Ⅰ李白詩1495 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6023 
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67 -#2 《讀巻02-04 論今年停挙選状》 -#2 韓愈(韓退之)ID 802年貞元18年 36歳<1407> Ⅱ5章7分割 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6019

韓愈  論今年停挙選状 #2§2-1  

臣伏思之,

竊以為十口之家,益之以一二人,於食未有所費。

今京師之人,不啻百萬;

都計舉者不過五七千人,

並其僮仆畜馬,不當京師百分之一。
私は伏してこのように思います。

心中ひそかに思っておりますのは、十人家内の家で、これに一人二人増加しても、食物の分量では、それほど費えるものはありません。

いま、都の多くいる人は、ただ百万人の人口というばかりではありません。

 

67 -2 《讀巻02-04 論今年停挙選状》 -2 韓愈(韓退之)ID   802年貞元18 36歳<1407 57分割 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6019


 
 2015年5月19日の紀頌之5つのBlog 
 ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場 
 Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
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243-#1 《巻05-35 長歌行 #1》Index-17 Ⅱ―12-737年開元二十五年37歳 <243-#1> Ⅰ李白詩1494 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6018 
 孟浩然 詩 index李白詩index謝霊運 詩 index司馬相如 《 子虛賦 ・上林賦 》揚雄 《 甘泉賦 》 ●諸葛亮(孔明)出師表 
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 ●唐を代表する 中唐 韓愈 全500首  
 Ⅱ中唐詩・晩唐詩
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67 -#2 《讀巻02-04 論今年停挙選状》 -#2 韓愈(韓退之)ID 802年貞元18年 36歳<1407> Ⅱ5章7分割 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6019 
 ・李商隠詩 (1) 136首の75首・李商隠詩 (2) 135首の61首●韓愈index-1 ・孟郊、張籍と交遊・汴州乱41首●韓愈詩index-2[800年 33歳~804年 37歳]27首●韓愈詩index-3 805年 38歳・]陽山から江陵府 36首●韓愈詩index-4 806年 39歳 江陵府・権知国子博士 51首(1)25首 
 index-5 806年39歳 50首の(2)25首index-6[807年~809年 42歳]20首index-7[810年~811年 44歳] 34首index-8 [812年~814年47歳]46首index-9[815年~816年 49歳] 57首index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首 
 index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首index-13 821年~822年 55歳 22首index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首韓愈 哲学・儒学「五原」賦・散文・上奏文・碑文など 
 孟郊張籍     
 ●杜甫の全作品1500首を訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。" 
 Ⅲ杜甫詩全1500首   LiveDoorBlog杜甫 《1515 遺懷-#1》【5分割】 杜甫詩index-15-766年大暦元年55歲-51 <915-#1> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6020 
 杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩) 杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首 
 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
 ●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている 
 Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集 Fc2Blog 
        
 ●花間集全詩●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集 
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韓愈詩

-67 -2

 

 

論今年權停舉選狀

(今年の登用試験の中止されたことに対する意見論文)

右,臣伏見今月十日敕,今年諸色舉選宜權停者。

右の通り、伏して謹んで、今月十日の勅書を拝見すると、今年の各種の官吏登用試験は、仮に停止するがよいとのことであります。

道路相傳,皆雲以之旱,

道々に相い伝えて皆がいっております、今年の作物は日照りつづきなのであります。

陛下憐憫京師之人,慮其乏食,

陛下は、都、長安の人々を憐れに思われ、その人々が食糧不足であろうと心配されたのであります。

故權停舉選,以其來者,所以省費而足食也。
それ故、かりに登用試験を停止して、その受験のために都に来る者を絶たれたのであります。これは口をへらし、消費を省いて、食物の不足が起こらぬようにされるための手段である、ということであります。

右臣伏して今月十日の穀を見るに、今年諸色の挙選、宜しく權に停むべき者とあり。

道路相い傳えて皆云ふ、歳の旱を以て、

陛下京師の人を憐憫し、其の食に乏しきを慮る。

故に權に挙選を停めて、以て其の来者を絶つ。費を省いて食を足す所以なりと。

 

#2§2-1

臣伏思之,

私は伏してこのように思います。

竊以為十口之家,益之以一二人,於食未有所費。

心中ひそかに思っておりますのは、十人家内の家で、これに一人二人増加しても、食物の分量では、それほど費えるものはありません。

今京師之人,不啻百萬;

いま、都の多くいる人は、ただ百万人の人口というばかりではありません。

都計舉者不過五七千人,

すべて科挙の受験者数を計るに、五、七千人にすぎません。

並其僮仆畜馬,不當京師百分之一。

その人たちの供人や飼い馬などをあわせても、郡の人の百分の一にも当たらないのです。

#3§2-2

以十口之家計之,誠未為有所損益。又今年雖旱,去大豐,商賈之家,必有儲蓄。舉選者皆齎持資用,以有易無,未見其弊。

 

#2§2-1

臣 伏して之を思う,

竊かに 以為【おもえ】らく十口の家,之に益すに 一 二人を以て,食に於て未だ費ゆる所有らず。

今 京師の人は,啻【た】だ百萬のみならず;

都【すべ】て舉者を計るに 五 七千人に過ぎず,

其の僮仆 畜馬を並せて,京師 百分の一に當らず。

#3§2-2

十口の家を以て之を計り,誠に 未だ損益する所有りと為さず。

又 今年 旱すと雖も,去 大いに豐なりき,

商賈の之家に,必ず 儲蓄有らん。

舉選の者 皆 資用を齎持し,

有を以て 無に易う,

未だ 其の弊を見ず。

 

 

『論今年權停舉選狀』 現代語訳と訳註解説
(
本文) 
#2§2-1

臣伏思之,

竊以為十口之家,益之以一二人,於食未有所費。

今京師之人,不啻百萬;

都計舉者不過五七千人,

並其僮仆畜馬,不當京師百分之一。

(下し文) #2§2-1

臣 伏して之を思う,

竊かに 以為【おもえ】らく十口の家,之に益すに 一 二人を以て,食に於て未だ費ゆる所有らず。

今 京師の人は,啻【た】だ百萬のみならず;

都【すべ】て舉者を計るに 五 七千人に過ぎず,

其の僮仆 畜馬を並せて,京師 百分の一に當らず。

(現代語訳)
私は伏してこのように思います。

心中ひそかに思っておりますのは、十人家内の家で、これに一人二人増加しても、食物の分量では、それほど費えるものはありません。

いま、都の多くいる人は、ただ百万人の人口というばかりではありません。

すべて科挙の受験者数を計るに、五、七千人にすぎません。

その人たちの供人や飼い馬などをあわせても、郡の人の百分の一にも当たらないのです。


(訳注) #2§2-1

臣伏思之,

私は伏してこのように思います。

 

竊以為十口之家,益之以一二人,於食未有所費。

心中ひそかに思っておりますのは、十人家内の家で、これに一人二人増加しても、食物の分量では、それほど費えるものはありません。

 

今京師之人,不啻百萬;

いま、都の多くいる人は、ただ百万人の人口というばかりではありません。

〇京師 みやこ。師は人口の多いこと。

○不 は「不」打消しか「何」反語の時に用いる。「ただに・・・・・のみならず」或いは「……のみならんや」など。

 

都計舉者不過五七千人,

すべて科挙の受験者数を計るに、五、七千人にすぎません。

 

並其僮仆畜馬,不當京師百分之一。

その人たちの供人や飼い馬などをあわせても、郡の人の百分の一にも当たらないのです。

〇百万分 57000人を1万人としても1/100ということ。

67 -#1 《讀巻02-04 論今年停挙選状》 -#1 韓愈(韓退之) 802年貞元18年 36歳<1406> Ⅱ5章7分割 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6014

論今年權停舉選狀 #1§1

右,臣伏見今月十日敕,今年諸色舉選宜權停者。道路相傳,皆雲以之旱,陛下憐憫京師之人,慮其乏食,故權停舉選,以其來者,所以省費而足食也。

(今年の登用試験の中止されたことに対する意見論文)右の通り、伏して謹んで、今月十日の勅書を拝見すると、今年の各種の官吏登用試験は、仮に停止するがよいとのことであります。

67 -1 《讀巻02-04 論今年停挙選状》 -1 韓愈(韓退之)  802年貞元18 36歳<1406> Ⅱ57分割 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6014
韓愈詩-67 -1

 

 
 2015年5月18日の紀頌之5つのBlog 
 ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場 
 Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
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242-#2 《巻04-36 短歌行 -#2》Index-17 Ⅱ―12-737年開元二十五年37歳 <242-#2> Ⅰ李白詩1493 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6013 
 孟浩然 詩 index李白詩index謝霊運 詩 index司馬相如 《 子虛賦 ・上林賦 》揚雄 《 甘泉賦 》 ●諸葛亮(孔明)出師表 
 曹植(曹子建)詩 65首 index文選 賦)兩都賦序・西都賦・東都賦 (班固)《李白 全詩》
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67 -#1 《讀巻02-04 論今年停挙選状》 -#1 韓愈(韓退之) 802年貞元18年 36歳<1406> Ⅱ5章7分割 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6014 
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 index-5 806年39歳 50首の(2)25首index-6[807年~809年 42歳]20首index-7[810年~811年 44歳] 34首index-8 [812年~814年47歳]46首index-9[815年~816年 49歳] 57首index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首 
 index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首index-13 821年~822年 55歳 22首index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首韓愈 哲学・儒学「五原」賦・散文・上奏文・碑文など 
 孟郊張籍     
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 Ⅲ杜甫詩全1500首   LiveDoorBlog杜甫 《1514 壯遊 -#14》【14分割】 杜甫詩index-15-766年大暦元年55歲-50 <914-#14> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6015 
 杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩) 杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首 
 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
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 魏承班15首 花間集8・9巻鹿虔扆6首 花間集9巻閻選8首 花間集9巻尹鶚6首 花間集9巻毛熙震29首 花間集9・10巻李珣39首 花間集10巻 
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論今年權停舉選狀 #1§1

右,臣伏見今月十日敕,今年諸色舉選宜權停者。道路相傳,皆雲以之旱,陛下憐憫京師之人,慮其乏食,故權停舉選,以其來者,所以省費而足食也。

#2§2-1

臣伏思之,竊以為十口之家,益之以一二人,於食未有所費。今京師之人,不啻百萬;都計舉者不過五七千人,並其僮仆畜馬,不當京師百分之一。

#3§2-2

以十口之家計之,誠未為有所損益。又今年雖旱,去大豐,商賈之家,必有儲蓄。舉選者皆齎持資用,以有易無,未見其弊。

#4§3

今若暫停舉選,或恐所害實深:一則遠近驚惶。

一則人士失業。臣聞古之求雨之詞曰:「人失職歟?」然則人之失職,足以致旱。今緣旱而停舉選,是使人失職而召災也。

#5§4

臣又聞君者陽也,臣者陰也,獨陽為旱,獨陰為水。

今者陛下聖明在上,雖堯舜無以加之。

而群臣之賢,不及於古,又不能盡心於國,與陛下同心,助陛下為理。

有君無臣,是以久旱。

#6§5-1

以臣之愚,以為宜求純信之士,骨鯁之臣,憂國如家、忘身奉上者,超其爵位,置在左右。如殷高宗之用傅,周文王之舉太公,齊桓公之拔甯戚,漢武帝之取公孫宏。

#7§5-2

清閑之餘,時賜召問,必能輔宣王化,銷殄旱災。臣雖非朝官,月受俸錢,受祿粟,苟有所知,不敢不言。謹詣光順門奉狀以聞。伏聽聖旨。

 

 

論今年權停舉選狀

(今年の登用試験の中止されたことに対する意見論文)

右,臣伏見今月十日敕,今年諸色舉選宜權停者。

右の通り、伏して謹んで、今月十日の勅書を拝見すると、今年の各種の官吏登用試験は、仮に停止するがよいとのことであります。

道路相傳,皆雲以之旱,

道々に相い伝えて皆がいっております、今年の作物は日照りつづきなのであります。

陛下憐憫京師之人,慮其乏食,

陛下は、都、長安の人々を憐れに思われ、その人々が食糧不足であろうと心配されたのであります。

故權停舉選,以其來者,所以省費而足食也。
それ故、かりに登用試験を停止して、その受験のために都に来る者を絶たれたのであります。これは口をへらし、消費を省いて、食物の不足が起こらぬようにされるための手段である、ということであります。

右臣伏して今月十日の穀を見るに、今年諸色の挙選、宜しく權に停むべき者とあり。

道路相い傳えて皆云ふ、歳の旱を以て、

陛下京師の人を憐憫し、其の食に乏しきを慮る。

故に權に挙選を停めて、以て其の来者を絶つ。費を省いて食を足す所以なりと。

 

 

『論今年權停舉選狀』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

右,臣伏見今月十日敕,今年諸色舉選宜權停者。

道路相傳,皆雲以之旱,

陛下憐憫京師之人,慮其乏食,

故權停舉選,以其來者,所以省費而足食也。

(下し文)
右臣伏して今月十日の穀を見るに、今年諸色の挙選、宜しく權に停むべき者とあり。

道路相い傳えて皆云ふ、歳の旱を以て、

陛下京師の人を憐憫し、其の食に乏しきを慮る。

故に權に挙選を停めて、以て其の来者を絶つ。費を省いて食を足す所以なりと。


(現代語訳)
(今年の登用試験の中止されたことに対する意見論文)

右の通り、伏して謹んで、今月十日の勅書を拝見すると、今年の各種の官吏登用試験は、仮に停止するがよいとのことであります。

道々に相い伝えて皆がいっております、今年の作物は日照りつづきなのであります。

陛下は、都、長安の人々を憐れに思われ、その人々が食糧不足であろうと心配されたのであります。

それ故、かりに登用試験を停止して、その受験のために都に来る者を絶たれたのであります。これは口をへらし、消費を省いて、食物の不足が起こらぬようにされるための手段である、ということであります。

Ta唐 長安近郊圖  新02

(訳注)

論今年權停舉選狀 #1§1

(今年の登用試験の中止されたことに対する意見論文)

徳宗の貞元十九年に旱魃で収穫が少ないことを見込んで、長安の米穀消費を減らすために、七月官吏の登用試験を停止した。韓愈は時に四門博士であったが、この論文をたてまつり、挙選をやめずに人才を登用することが大切で、反って干害を消滅させることになるといって、暗に自己を推薦する意がある。

 

右,臣伏見今月十日敕,今年諸色舉選宜權停者。

右の通り、伏して謹んで、今月十日の勅書を拝見すると、今年の各種の官吏登用試験は、仮に停止するがよいとのことであります。

○右 勅書を指して右の通りという。勅書に続け合わせた紙に、この論は書かれている。

○諸色 各種類。色々。

○権 かりに、一時的に。

〇着・‥とのこと。何々の条。

 

道路相傳,皆雲以之旱,

道々に相い伝えて皆がいっております、今年の作物は日照りつづきなのであります。

○道路 道行く人の語。人の噂にかこつけて意見を述べる形を取る。

 

陛下憐憫京師之人,慮其乏食,

陛下は、都、長安の人々を憐れに思われ、その人々が食糧不足であろうと心配されたのであります。

 

故權停舉選,以其來者,所以省費而足食也。
それ故、かりに登用試験を停止して、その受験のために都に来る者を絶たれたのであります。これは口をへらし、消費を省いて、食物の不足が起こらぬようにされるための手段である、ということであります。

65-#14-§9 《讀巻02-07 禘祫議》- §9 韓愈(韓退之)ID 《 803年貞元19年 38歳》<1397> Ⅱ韓昌黎集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5969

禘祫議§9

臣伏以制禮作樂者,天子之職也。

陛下以臣議有可采,粗合天心,斷而行之,

是則為禮。

如以為猶或可疑,乞召臣對,

面陳得失,庶有發明。

謹議。

面前いただければ、詳細に損失をはっきりさせ陳べさせていただき、間違いなく御疑念を発き明らかにすることがあろうと存じあげます。

謹んで以上の通り献議申し上げます。

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禘祫議

或作祫禘。今按篇皆作禘祫。《禮》:三年一祫,五年一禘。

祫者,合也,謂以昭穆合食於太祖之廟。

禘者,諦也,謂審諦其尊卑而祀之,禘祫之議,考之《新史·陳京傳》及《禮樂誌》,前後議者不一。

或いは祫禘に作る。今按篇の皆 禘祫と作る。《禮》に:三年に一たび祫し,五年に一たび禘とする。

祫者は,合也,以て謂う 昭と穆を太祖之廟に合食す、と。

禘者は,諦也,謂審やかに諦かにするは其れを尊卑して之を祀し,禘祫の議,之を《新史·陳京傳》及び《禮樂誌》で考,前後 議者は一ならず。

陳京始建議,繼有禮儀使顏真卿議,左庶子李嶸等七人議,吏部侍郎柳冕等十二人議,司勛員外郎裴樞、同官縣尉仲子陵、京兆少府韋武等議,左司陸淳議,左仆射姚南仲等獻議五十七封,尚書王紹等五十五人議,鴻臚卿王權又申衍之。

陳京の始め建議し,繼いで禮儀使顏真卿の議有り,左庶子李嶸 等七人の議,吏部侍郎柳冕等十二人の議,司勛員外郎裴樞、同官縣尉仲子陵、京兆少府韋武 等の議,左司陸淳議,左僕射姚南仲等の獻議 五十七封じ,尚書王紹等五十五人の議,鴻臚卿 王權 又た之を申衍す

公所排五,即此諸人議也。

其間惟顏魯公議與公合,後卒詔從王紹等議。

正景皇帝東向之位已下,列序昭穆,附獻、懿二主於興聖廟,禘祫就本室饗之。

凡二十年乃決。

公所五排す,即ち此の諸人の議なり。

其の間 惟れ顏魯公の議を公合に與え,後詔を卒して 從て王紹等議とす。

正に景皇帝は東向して之位し已に下り,列序は昭穆に,獻と、懿の二主を興聖廟に附して,禘祫して本室の饗之に就く。凡そ二十年には乃を決す。

 

 禘は五年に一度の朝廷の大祭、祫は三年に一度の大祭である。禘帝は禘祭である。「諦」は審である。『説文』段玉裁注に「之を祭りて審かに諦(あきら)かにする者なり。自来説く者皆言ふ、昭穆を審諦するなりと」とある。昭穆とは、天子の七廟に、まず始祖の廟は西より東を向き、その前方の北側南側にそれぞれ三廟があり、北側に位して南を向いて並んだもの三廟を昭といい、南側にあって北を向いた三廟を穆という。始祖から昭、昭から穆という順序に位を継いだ順を示すのである。これを祭ることによって明審にするのを禘というのである。また祫は合祭の意である。すでに遠くなった先祖の神位は、これを遠廟、すなわち祧に遷す。これを遷廟という。この祧した祖先を太祖の廟に合わせ祭るのを祫という。唐では中宗に至って世祖景皇帝を迫尊して、別に太祖の廟を立てて、献・懿の二宗の廟を加えて九廟とした。そのために祭礼が煩雑となり、群議が一致しないので、韓愈はこれを明らかにするためにこの文を上申した。

議は諭よりやや小さい問題の論文である。

 

昌黎先生集《》§1

(唐では中宗に至って世祖景皇帝を迫尊して、別に太祖の廟を立てて、献・懿の二宗の廟を加えて九廟とした。そのために祭礼が煩雑となり、群議が一致しないので、韓愈はこれを明らかにするためにこの文を上申した小論文である。)

右今月十六日敕旨,宜令百僚議,限五日聞奏者。

右今月十六日のみことのりの旨は、百官をしてこれを議論して、五日以内を限って奏聞させよとのこと。

將仕郎守國子監四門博士臣韓愈謹獻議曰:

将仕郎で守国子監、四門博士の韓愈が、謹んで意見をたてまつり申し上げます。

伏以陛下追孝祖宗,肅敬祀事。

伏して思いますに、陛下は祖先に対して今からさかのぼり孝心をお尽くしになり、祀りの事をつつしみうやまいなされることであります、

凡在擬議,不敢自專,聿求厥中,延訪群下。

凡そ物事を推しはかり論議する場合、思い切って御自分だけでおきめにならず、ついに過不及のない中正のところを求めて、引いては群臣にまでお尋ねになられる。

§1-2

昌黎先生集巻十四《禘【ていこう】の議》§1-1

右今月十六日の赦旨に、宜しく官僚をして議して、五日内を限りて、聞奏せしむべき者と。將仕郎 守國 子監四門博士臣 韓愈 謹みて議を献じて日く、

伏して以ふに陛下孝を祖宗に迫ひて、祀事を甫敬し、

凡そ擬議するに在っては、敢て自ら尊にせず、聿に厥の中を求め、延いて羣下に訪ふ。

然而禮文繁漫,所執各殊,

自建中之初,迄至今

建中(780)の初めから今年(802)まで、

屢經禘,未合適從。

しばしば禘祫の祭りを経て参りましたが、まだそのどれも祀行するに従うものとして適当ではありません。

臣生遭聖明,涵泳恩澤,

私は生まれてこのかた、聖明な陛下の御世に遇い、御恩沢に充分浸り浴しております。

雖賤不及議,而誌切效忠。

身分はいやしくて、この論議に参加できなくても、志は、まごころをつくしたいと切実に思っております。

今輒先舉議之非,然後申明其

今は、まず、多くの議論の誤っているところを取り挙げて、そのあとでわたくしの説をのべ明らかにいたさせていただきたいのであります。

 

§1-2

然り而して禮文繁漫、執る所各の殊なり。

建中の初より、今歳に至る迄、屡ば禘を経るに、未だ合に適從すべからず。

臣生れて聖明に遭ひ、恩澤に涵泳す。

賎しくして議に及はずと雖も、而も志は忠を致すに切なり。

今、輒ち先づ衆議の非を挙げて、然る後に其の説を申明せん。

§2

一曰「獻懿廟主,宜永藏之夾室」。

衆議の一つは、獻と懿の二祖の御位牌は、永くこれを大廟の左右の室におさめるのがよろしいという。

臣以為不可。

しかし、私は、それはよくないと考えます。

夫祫者,合也。毀廟之主,皆當合食於太祖、

一体、その祫とは合という意味であります。独立した廟を毀【こわ】して、昭三廟・穆三廟のほかに遷すべき位牌は、皆当然太祖の廟に合わせ祭るべきものであります。

獻、懿二祖,即毀廟主也。

献と懿の二祖はとりもなおさずその毀廟の主であります。

今雖藏於夾室,至禘祫之時,豈得不食於太廟乎?

今は夾室に蔵めてありますけれども、禘と祫の二祭の時になれば、どうして太祖の廟に合食しないでおられましょうか。

名曰合祭,而二祖不得祭焉,不可謂之合矣。

名づけて合祭といいながら、二祖が祭られることができないならば、合祭ということができないのであります。

 

§3-1

二曰「獻、懿廟主,宜毀之瘞之」。

第二には、「献・懿一廟の位牌は、これを毀して地にうずめるが宜しい」という。

臣又以為不可。

私はまたそれはよくないと考えます。

謹按《禮記》,天子立七廟,一壇,一墠。

謹んで、『礼記』を調べてみますと、天子は七廟を立て、各々一つの壇、一つの墠を設ける。

其毀廟之主,皆藏於祧廟。

壇は土地を高くして、そこに廟を作り、墠は壇の後の清浄な所である。

雖百代不毀,祫則陳於太廟而饗焉。

その毀瘞の神主(位牌)は、皆 祧廟に蔵めて、百代を経ても毀たず、祫の祭りをするときには、これを太廟に列ねて供物を献げる。

§3-2

自魏晉已降,始有毀瘞之議,

魏晋の世から後に、始めて毀ち瘞めるがよいとする議論がありましたが、

事非經據,竟不可施行。

これは経書に根拠があることではないので、遂に実際に施行うことはできませんでした。

今國家德厚流光,創立九廟。

今国家の徳は厚く御威光の及ぶ所、はじめて九廟を立てられることになりました。

以周制推之,獻、懿二祖,猶在壇之位。

それにより、周代の制度を推しあて、はめて行われておりますが、獻、懿の二祖は、やはり廟の壇・墠の位置にあります。

況於毀瘞而不禘乎?

ましてこれを毀ち痙めて、禘、祫の二つの祭りをしないことなどあり得ないのは、いうまでもないことでありましょう。

 

二に日く、「献・懿の廟主は、宜しく之を毀ち之を瘞むべし」と。

臣又以て不可と爲す。

謹んで《禮記》を按ずるに、天子七廟を立て、

一壇一、其の毀廟の主、皆祧廟に蔵す。

百代と雖も毀たず。には則ち太廟に陳ねて饗す。

 

§3-2

魏晋より己降、始めて毀瘞の議有り。

事経拠に非ず。完に施行す可からず。

今国家徳厚く光流し、創めて九廟を立て、周制を以て之を推す。

献・懿の二祖は、猶壇の位に在り。

況や毀瘞して禘・せざるに於てをや。

 

§4

三曰「獻、懿廟主,宜各遷於其陵所」。

第三には、「獻、懿の二廟の位牌は、各々その山陵の場所に遷すがよい。」といいますが、

臣又以為不可。

私はまたそれはよくないと考えます。

二祖之祭於京師,列於太廟也,二百年矣。

この二祖が都長安に祭られており、そこで太祖の廟に列んでいること、すでに二百年になります。

今一朝遷之,豈惟人聽疑惑,

それを今一朝に遷すのは、どうしてただ人々が聴いていて疑い惑うだけでありましょうか。

抑恐二祖之靈,眷顧依遲,不即饗於下國也。

それはともかく、二祖のみたまも、山陵のある地方では、祭りのお供えをお受けにならないかもしれません。

§4

三に曰く「獻、懿の廟主は,宜しく各の其の陵所に遷すべし」。

臣又以て不可と爲す。

二祖の京師に祭り,太廟に列するや,二百年なり。

今 一朝にして之を遷す,豈に惟だ 人 聽いて疑惑するのみならんや,

抑そも 二祖の靈,眷顧【けんこ】依遲【いち】して,饗に 下國に即【つか】ざるを恐れる也。
§5

四曰「獻、懿廟主,宜附於興聖廟而不禘祫。」

第四に、「獻、懿二廟の位牌は、景皇帝の興聖廟に付属して、禘、祫の祭りは行わないがよろしい。」という。

臣又以為不可。

私はまたそれはよくないと考えます。

《傳》曰「祭如在」。

論語『伝える書』にいう、「祭如在。祭神如神在。子曰。吾不與。祭如不祭。」(祭ること在ますが如くす。神を祭るには神在ますが如くす。子曰く、吾祭りに与からざれば、祭らざるが如し。)祭るにはその父がそこにおられるように思ってするものである。

景皇帝雖太祖,其於屬,乃獻、懿之子孫也。

景皇帝は太祖ではあるけれども、その続き合いでは、それなのに獻、懿の子孫に当たるのであります。

今欲正其子東向之位,廢其父之大祭,固不可為典矣。

今その子景皇帝の廟を東向きの太廟の正位におこうとして、その父の禘祫の大祭をやめるのは、もとより法式とすることはできないことです。