中唐詩人選集【Ⅰ李商隠-150】Ⅱ韓退之(韓愈)Ⅶ孟郊(東野)  漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩 訳注解説ブログ

Ⅰ李商隠は難解詩といわれている。約150首紹介済。(晩唐詩人) Ⅱ韓退之(韓愈)-約500首Ⅶ孟郊、中唐の詩人を掲載中。万物の性(さが)をテーマにした哲学的な詩。このブログは基本的に中唐詩人を中心にして掲載する予定。 韓愈詩文のこれまでの掲載分とこれから掲載予定分を時系列で整理した2014.3.29のブログに集約してそこから各年次を見ることができる  kanbuniinkai 検索で、《漢文委員会HP05》サイトあります。漢詩唐詩を理解するための総合サイト:≪漢文委員会 漢詩07≫。

少し、マニアックな晩唐詩人Ⅰ-李商隠150首をまず掲載済み。中唐は盛唐詩人(孟浩然・王維、杜甫、李白)を受け継いだ多様な詩人が出ている。この時代も驚くほど詩が発展している。Ⅱ韓退之(韓愈)500首、Ⅲ柳宗元40首、Ⅳ韋応物、Ⅴ劉長卿、Ⅵ韋荘、Ⅶ孟郊(孟東野)、Ⅷ張籍、Ⅸ賈島、Ⅹ劉禹錫、ほか2012~2020年の予定で気長に進める。同じ中唐ではあるが、白居易のグループについては、李白のブログ350首(2015/6月再開~2018/夏・秋月予定)の後掲載の予定。別に杜甫詩ブログ1500首(2011/7月~2018/8月の予定で)を進行中。詩数につぃては、予定の詩数より多くなる。気まぐれなところがあるのでこの予定が少し変わる場合があり、その節はご容赦ください。                 古詩・謝霊運詩 杜甫詩 韓愈詩 花間集500首全詩 それぞれ毎日ブログしています。 このブログ、索引=語句の「検索」 参考書以上掲載。漢詩力up。

802年貞元18年 35歳

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韓愈  論今年停挙選状 #7§5-2

清閑之餘,時賜召問,必能輔宣王化,銷殄旱災。臣雖非朝官,月受俸錢,受祿粟,苟有所知,不敢不言。謹詣光順門奉狀以聞。伏聽聖旨。

私は、君のおん前に毎日お勤めする官ではありませんが、月々俸銭を受け、歳ごとに禄米を頂戴しているので、かりそめにも知ることがあれば、思い切って申し上げないではいられないのであります。

67 -7 《讀巻02-04 論今年停挙選状》 -7 韓愈(韓退之)ID   802年貞元18 36歳<1412> Ⅱ韓昌黎集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6044韓愈詩-67 -7【7分割】

 

 
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 Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
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論今年權停舉選狀

(今年の登用試験の中止されたことに対する意見論文)

右,臣伏見今月十日敕,今年諸色舉選宜權停者。

右の通り、伏して謹んで、今月十日の勅書を拝見すると、今年の各種の官吏登用試験は、仮に停止するがよいとのことであります。

道路相傳,皆雲以之旱,

道々に相い伝えて皆がいっております、今年の作物は日照りつづきなのであります。

陛下憐憫京師之人,慮其乏食,

陛下は、都、長安の人々を憐れに思われ、その人々が食糧不足であろうと心配されたのであります。

故權停舉選,以其來者,所以省費而足食也。
それ故、かりに登用試験を停止して、その受験のために都に来る者を絶たれたのであります。これは口をへらし、消費を省いて、食物の不足が起こらぬようにされるための手段である、ということであります。

右臣伏して今月十日の穀を見るに、今年諸色の挙選、宜しく權に停むべき者とあり。

道路相い傳えて皆云ふ、歳の旱を以て、

陛下京師の人を憐憫し、其の食に乏しきを慮る。

故に權に挙選を停めて、以て其の来者を絶つ。費を省いて食を足す所以なりと。

 

#2§2-1

臣伏思之,

私は伏してこのように思います。

竊以為十口之家,益之以一二人,於食未有所費。

心中ひそかに思っておりますのは、十人家内の家で、これに一人二人増加しても、食物の分量では、それほど費えるものはありません。

今京師之人,不啻百萬;

いま、都の多くいる人は、ただ百万人の人口というばかりではありません。

都計舉者不過五七千人,

すべて科挙の受験者数を計るに、五、七千人にすぎません。

並其僮仆畜馬,不當京師百分之一。

その人たちの供人や飼い馬などをあわせても、郡の人の百分の一にも当たらないのです。

#3§2-2

以十口之家計之,誠未為有所損益。

十人世帯の割合で家計計算すれば、まことに消費は差引増減する所があるとは思えないのです。

又今年雖旱,去大豐,

また観点をかえ数年を通してみると、たしかに今年は日照りの害があっても、去年は大豊作であったわけであります。

商賈之家,必有儲蓄。

商人の家では、必ず米の備蓄があるはずなのです。

舉選者皆齎持資用,

科挙の試験に集まる者たちは、皆、生活の物資、用品を持って来ています。

以有易無,未見其弊。

その持ってきている物を有効に活用することで、且つ余ったもので以て持っていない物に取りかえたりすれば、相互補助で、有無相通じて、弊害を見ることはないのであります#2§2-1

臣 伏して之を思う,

竊かに 以為【おもえ】らく十口の家,之に益すに 一 二人を以て,食に於て未だ費ゆる所有らず。

今 京師の人は,啻【た】だ百萬のみならず;

都【すべ】て舉者を計るに 五 七千人に過ぎず,

其の僮仆 畜馬を並せて,京師 百分の一に當らず。

#3§2-2

十口の家を以て之を計り,誠に 未だ損益する所有りと為さず。

又 今年 旱すと雖も,去 大いに豐なりき,

商賈の之家に,必ず 儲蓄有らん。

舉選の者 皆 資用を齎持し,

有を以て 無に易う,

未だ 其の弊を見ず。

 

#4§3

今若暫停舉選,或恐所害實深:

いま若し暫く登用試験を停止すれば、あるいは人材に対する害することが実に深いことになるであろう。

一則遠近驚惶。

一つには遠いものも近い所のものも驚きおそれるでありましょう。

一則人士失業。

二つには士人たちが職業を失うでありましょう。 

臣聞古之求雨之詞曰:

私は聞いております、古代の雨を求める詞にいう、

「人失職歟?」然則人之失職,足以致旱。

「人が職を失ったであろうか」、と。それならは、人が職を失うならは、日照りを招くに十分でありましょう。

今緣旱而停舉選,是使人失職而召災也。
今旱魃があったために登用試験を停めるというのは、これこそ人をして職を失わせて、早災を招くのでありましょう。

今若し暫く撃選を停めは、或は害する所賓に深からんことを恐る。

一には則ち遠近驚憧せん。

二には則ち人士業を朱はん。

臣聞く、古の雨を求むるの詞に日く、「人職を矢へるかと。」

然らは則ち人の職を失ふは、以て旱を致すに足る。

今早に縁って撃選を停む。

是れ人をして職を矢はしめて災を召すなり。

#5§4

臣又聞君者陽也,臣者陰也,

私はまた、聞いています、「君主は陽であり、臣下は陰にあたる、」ということを。

獨陽為旱,獨陰為水。

「陽気ばかりで陰気がないと日照りの災いをなし、陰気はかりで陽気がないときには水害をなす」ということを。

今者陛下聖明在上,雖堯舜無以加之。

今は陛下が聖明の徳をもって上におられ、堯・舜などの古代の聖王でも、これ以上に加えることはないほどであります。

而群臣之賢,不及於古,

しかし群臣のすぐれた徳は・古代の賢相に及ばない。

又不能盡心於國,與陛下同心,助陛下為理。

また心を国家に尽くし、陛下と心を同じくして、陛下を助けて治をなすこともできないのです。

有君無臣,是以久旱。
これは、君はあっても、臣がいないのであり、それでこそ久しく日照りが続いているのです。

臣又聞く、君は陽なり。臣は陰なり。

獨陽は早をうま爲し、獨陰は水を爲すと。

今は陛下聖明上に在り、尭葬と錐も以て之に加ふる無し。

而して軍臣の賢は、古に及ぼす。

又心を國に盡し、陛下と心を同じうし、陛下を助けて理を焉すこと能はず。

君有って臣無し。是を以て久しく旱す。

#5§4

臣又聞君者陽也,臣者陰也,

私はまた、聞いています、「君主は陽であり、臣下は陰にあたる、」ということを。

獨陽為旱,獨陰為水。

「陽気ばかりで陰気がないと日照りの災いをなし、陰気はかりで陽気がないときには水害をなす」ということを。

今者陛下聖明在上,雖堯舜無以加之。

今は陛下が聖明の徳をもって上におられ、堯・舜などの古代の聖王でも、これ以上に加えることはないほどであります。

而群臣之賢,不及於古,

しかし群臣のすぐれた徳は・古代の賢相に及ばない。

又不能盡心於國,與陛下同心,助陛下為理。

また心を国家に尽くし、陛下と心を同じくして、陛下を助けて治をなすこともできないのです。

有君無臣,是以久旱。
これは、君はあっても、臣がいないのであり、それでこそ久しく日照りが続いているのです。

臣又聞く、君は陽なり。臣は陰なり。

獨陽は早をうま爲し、獨陰は水を爲すと。

今は陛下聖明上に在り、尭葬と錐も以て之に加ふる無し。

而して軍臣の賢は、古に及ぼす。

又心を國に盡し、陛下と心を同じうし、陛下を助けて理を焉すこと能はず。

君有って臣無し。是を以て久しく旱す。
#6§5-1

以臣之愚,以為宜求純信之士,骨鯁之臣,

私の愚かな心をもって、思いますのに、まじりけのない心のまことある人物で、言いにくいことを申し上げて天子を諌める臣、

憂國如家、忘身奉上者,超其爵位,置在左右。

国を憂うることわが家のようであり、身を忘れて上天子にお尽くし申し上げるものを求め、その爵位を高く陸はせ、天子の身の左右におらしめること、

如殷高宗之用傅,周文王之舉太公,

あたかも殿の高宗武→が樽説を用い、周の文王が太公望呂尚を挙げて用い、

齊桓公之拔甯戚,漢武帝之取公孫宏。

斉の桓公が宵戚を抜きんで、漢の武帝が公孫弘を取り用いたようであるのが宜しい、と。

#7§5-2

清閑之餘,時賜召問,

そして清々しくて静かなお暇のあるとき、時には召して御下問を賜うならば、

必能輔宣王化,銷殄旱災。

必ず王の徳化を輔け宣べ、早魅の災害を銷しほろぼすことでありましょう。

臣雖非朝官,月受俸錢,受祿粟,

私は、君のおん前に毎日お勤めする官ではありませんが、月々俸銭を受け、歳ごとに禄米を頂戴しているので、

苟有所知,不敢不言。

かりそめにも知ることがあれば、思い切って申し上げないではいられないのであります。

謹詣光順門奉狀以聞。

謹んで光順門に詣でて本状を奉りあげますのでお聞きください。

伏聽聖旨。

伏して、天子のお考えをお聞かせいただきたいのであります。

 

#6§5 

臣の愚を以て、以爲【おもえ】らく 宜しく純信の士、骨鯁の臣、

國を憂ふること家の如く、身を忘れ上に奉ずる者を求め、

其の爵位を超えしめ、置いて左右に在ること、

殷の高宗の傅説を用ひ、周の文王の大公を挙げ、

斉の桓公の甯戚を抜き、漢の武帝の公孫弘を取るが如くなるべしと。

#7§5 -

清閑の餘、時に召問を賜ひ、

必ず能く王化を輔宜し、早災を銷殄せよ。

臣朝官に非ずと雖も、月づきに俸錢を受け、歳どしに禄粟を受く。

苟くも知る所有らは、敢て言。言はずんばあらず。

謹で光順門に詣で狀を奉り以て聞く。

伏して聖の旨を聽かしめん。

 

 

『論今年停挙選状』 現代語訳と訳註解説
(
本文) 
#6§5-1

#7§5-2

清閑之餘,時賜召問,

必能輔宣王化,銷殄旱災。

臣雖非朝官,月受俸錢,受祿粟,

苟有所知,不敢不言。

謹詣光順門奉狀以聞。

伏聽聖旨。


(下し文)
清閑の餘、時に召問を賜ひ、

必ず能く王化を輔宜し、早災を銷殄せよ。

臣朝官に非ずと雖も、月づきに俸錢を受け、歳どしに禄粟を受く。

苟くも知る所有らは、敢て言。言はずんばあらず。

謹で光順門に詣で狀を奉り以て聞く。

伏して聖の旨を聽かしめん。

(現代語訳)
そして清々しくて静かなお暇のあるとき、時には召して御下問を賜うならば、

必ず王の徳化を輔け宣べ、早魅の災害を銷しほろぼすことでありましょう。

私は、君のおん前に毎日お勤めする官ではありませんが、月々俸銭を受け、歳ごとに禄米を頂戴しているので、

かりそめにも知ることがあれば、思い切って申し上げないではいられないのであります。

謹んで光順門に詣でて本状を奉りあげますのでお聞きください。

伏して、天子のお考えをお聞かせいただきたいのであります。


(訳注) #7§5-2

論今年權停舉選狀 #1§1

(今年の登用試験の中止されたことに対する意見論文)

徳宗の貞元十九年に旱魃で収穫が少ないことを見込んで、長安の米穀消費を減らすために、七月官吏の登用試験を停止した。韓愈は時に四門博士であったが、この論文をたてまつり、挙選をやめずに人才を登用することが大切で、反って干害を消滅させることになるといって、暗に自己を推薦する意がある。

 

清閑之餘,時賜召問,

そして清々しくて静かなお暇のあるとき、時には召して御下問を賜うならば、

 

必能輔宣王化,銷殄旱災。

必ず王の徳化を輔け宣べ、早魅の災害を銷しほろぼすことでありましょう。

 

臣雖非朝官,月受俸錢,受祿粟,

私は、君のおん前に毎日お勤めする官ではありませんが、月々俸銭を受け、歳ごとに禄米を頂戴しているので、

○朝官 天子に朝して政治にあずかる官、朝参官。

 

苟有所知,不敢不言。

かりそめにも知ることがあれば、思い切って申し上げないではいられないのであります。

 

謹詣光順門奉狀以聞。

謹んで光順門に詣でて本状を奉りあげますのでお聞きください。

○光順門 宣政殿の北には紫宸門があり、その内側には紫宸殿がある。紫宸殿の南にある紫寢門の左側には崇明門があり、右側には光順門(-5)がある。紫宸殿の東の方角には左銀台門があり、西の方角には右銀台門がある。中書省から、延英殿に入って行って上奏する。

 

伏聽聖旨。

伏して、天子のお考えをお聞かせいただきたいのであります。

○聖旨 天子の考え。また、天子の命令。
大明宮-座標02
 

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論今年停挙選状》韓愈#6§5-1

以臣之愚,以為宜求純信之士,骨鯁之臣,憂國如家、忘身奉上者,超其爵位,置在左右。

如殷高宗之用傅,周文王之舉太公,齊桓公之拔甯戚,漢武帝之取公孫宏。

私の愚かな心をもって、思いますのに、まじりけのない心のまことある人物で、言いにくいことを申し上げて天子を諌める臣、国を憂うることわが家のようであり、身を忘れて上天子にお尽くし申し上げるものを求め、その爵位を高く陸はせ、天子の身の左右におらしめること、

 

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#5§4

臣又聞君者陽也,臣者陰也,

私はまた、聞いています、「君主は陽であり、臣下は陰にあたる、」ということを。

獨陽為旱,獨陰為水。

「陽気ばかりで陰気がないと日照りの災いをなし、陰気はかりで陽気がないときには水害をなす」ということを。

今者陛下聖明在上,雖堯舜無以加之。

今は陛下が聖明の徳をもって上におられ、堯・舜などの古代の聖王でも、これ以上に加えることはないほどであります。

而群臣之賢,不及於古,

しかし群臣のすぐれた徳は・古代の賢相に及ばない。

又不能盡心於國,與陛下同心,助陛下為理。

また心を国家に尽くし、陛下と心を同じくして、陛下を助けて治をなすこともできないのです。

有君無臣,是以久旱。
これは、君はあっても、臣がいないのであり、それでこそ久しく日照りが続いているのです。

臣又聞く、君は陽なり。臣は陰なり。

獨陽は早をうま爲し、獨陰は水を爲すと。

今は陛下聖明上に在り、尭葬と錐も以て之に加ふる無し。

而して軍臣の賢は、古に及ぼす。

又心を國に盡し、陛下と心を同じうし、陛下を助けて理を焉すこと能はず。

君有って臣無し。是を以て久しく旱す。
#6§5-1

以臣之愚,以為宜求純信之士,骨鯁之臣,

私の愚かな心をもって、思いますのに、まじりけのない心のまことある人物で、言いにくいことを申し上げて天子を諌める臣、

憂國如家、忘身奉上者,超其爵位,置在左右。

国を憂うることわが家のようであり、身を忘れて上天子にお尽くし申し上げるものを求め、その爵位を高く陸はせ、天子の身の左右におらしめること、

如殷高宗之用傅,周文王之舉太公,

あたかも殿の高宗武→が樽説を用い、周の文王が太公望呂尚を挙げて用い、

齊桓公之拔甯戚,漢武帝之取公孫宏。

斉の桓公が宵戚を抜きんで、漢の武帝が公孫弘を取り用いたようであるのが宜しい、と。

#7§5-2

清閑之餘,時賜召問,

必能輔宣王化,銷殄旱災。

臣雖非朝官,月受俸錢,受祿粟,

苟有所知,不敢不言。

謹詣光順門奉狀以聞。

伏聽聖旨。

 

#6§5 

臣の愚を以て、以爲【おもえ】らく 宜しく純信の士、骨鯁の臣、

國を憂ふること家の如く、身を忘れ上に奉ずる者を求め、

其の爵位を超えしめ、置いて左右に在ること、

殷の高宗の傅説を用ひ、周の文王の大公を挙げ、

斉の桓公の甯戚を抜き、漢の武帝の公孫弘を取るが如くなるべしと。

#7§5 -

清閑の餘、時に召問を賜ひ、

必ず能く王化を輔宜し、早災を銷殄せよ。

臣朝官に非ずと雖も、月づきに俸錢を受け、歳どしに禄粟を受く。

苟くも知る所有らは、敢て言。言はずんばあらず。

謹で光順門に詣で狀を奉り以て聞く。

伏して聖の旨を聽かしめん。

 

 

『論今年停挙選状』 現代語訳と訳註解説
(
本文) 
#6§5-1

以臣之愚,以為宜求純信之士,骨鯁之臣,

憂國如家、忘身奉上者,

超其爵位,置在左右。

如殷高宗之用傅,周文王之舉太公,

齊桓公之拔甯戚,漢武帝之取公孫宏。


(下し文) #6§5 

臣の愚を以て、以爲【おもえ】らく 宜しく純信の士、骨鯁の臣、

國を憂ふること家の如く、身を忘れ上に奉ずる者を求め、

其の爵位を超えしめ、置いて左右に在ること、

殷の高宗の傅説を用ひ、周の文王の大公を挙げ、

斉の桓公の甯戚を抜き、漢の武帝の公孫弘を取るが如くなるべしと。


(現代語訳)
私の愚かな心をもって、思いますのに、まじりけのない心のまことある人物で、言いにくいことを申し上げて天子を諌める臣、

国を憂うることわが家のようであり、身を忘れて上天子にお尽くし申し上げるものを求め、その爵位を高く陸はせ、天子の身の左右におらしめること、

あたかも殿の高宗武→が樽説を用い、周の文王が太公望呂尚を挙げて用い、

斉の桓公が宵戚を抜きんで、漢の武帝が公孫弘を取り用いたようであるのが宜しい、と。


(訳注) #6§5-1

論今年權停舉選狀 #1§1

(今年の登用試験の中止されたことに対する意見論文)

徳宗の貞元十九年に旱魃で収穫が少ないことを見込んで、長安の米穀消費を減らすために、七月官吏の登用試験を停止した。韓愈は時に四門博士であったが、この論文をたてまつり、挙選をやめずに人才を登用することが大切で、反って干害を消滅させることになるといって、暗に自己を推薦する意がある。

 

以臣之愚,以為宜求純信之士,骨鯁之臣,

私の愚かな心をもって、思いますのに、まじりけのない心のまことある人物で、言いにくいことを申し上げて天子を諌める臣、

○純信 純潔な心で二言のないまことの人物

○骨鯁 喉に魚の骨が引っかかるように、その人の無遠慮な忠言が、聞きづらい。そのような臣を骨鯉または骨硬の臣という。剛直忠譲の臣をいう。

 

憂國如家、忘身奉上者,超其爵位,置在左右。

国を憂うることわが家のようであり、身を忘れて上天子にお尽くし申し上げるものを求め、その爵位を高く陸はせ、天子の身の左右におらしめること、

 

如殷高宗之用傅,周文王之舉太公,

あたかも殿の高宗武→が樽説を用い、周の文王が太公望呂尚を挙げて用い、

○傅説 古代、殷(いん)の高宗の宰相。高宗が聖人を得た夢によって土木工事に従事していたところを登用され、中興の業を完成したといわれる。

太公 呂尚(りょ しょう)は、紀元前11世紀ごろに活躍した周の軍師、後に斉の始祖。姓は姜、氏は呂、字は子牙もしくは牙、諱は尚とされる。軍事長官である師の職に就いていたことから、「師尚父」とも呼ばれる。謚は太公。斉太公、姜太公の名でも呼ばれる。

 

齊桓公之拔甯戚,漢武帝之取公孫宏。

斉の桓公が宵戚を抜きんで、漢の武帝が公孫宏()を取り用いたようであるのが宜しい、と。

○甯戚 甯恵子; 甯戚(ネイセキ)【宰相】: 斉の宰相。衛の人。 斉桓公に用いられようと思い、斉に赴き、牛飼をして牛に飯を食わせる歌を歌った。桓公はこれを聞いて、 甯戚を見出して登用した。

宋玉《九辯 第九段》―#6 「甯戚謳於車下兮,桓公聞而知之。」
昔斉の甯戚は車の下で飯牛の歌をうたっていたら、桓公は聞いて勝れた人物であると知って用いた。
九辯 第九段―#6 宋玉  <00-#32>Ⅱもっとも影響を与えた詩文 661 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2289

甯戚 (生卒年不詳),姓,甯氏,名戚,又称甯遬,東周春秋時期衛國人,齊國大司田,為齊桓公主要輔佐者之一。 生平[编辑]. 齊桓公二十八年(前685年),甯戚獲悉齊桓公重人才,有抱負,便決心投靠齊國,以便有一番作為。

○公孫宏 漢の薛の人、字は季斉、少にして獄吏となり、罪あって罷免され、家は貧しく海浜で豚を飼っていた。年四十余で『春秋』や雑説を学び、武帝の初め博士となる。また対策して第一に擢んでられ、累遷して丞相(首相)となる。平津侯に封ぜられた。

 

§5 

臣の愚を以て、以爲【おもえ】らく 宜しく純信の士、骨鯁の臣、

國を憂ふること家の如く、身を忘れ上に奉ずる者を求め、

其の爵位を超えしめ、置いて左右に在ること、

殷の高宗の傅説を用ひ、周の文王の大公を挙げ、

斉の桓公の甯戚を抜き、漢の武帝の公孫弘を取るが如くなるべしと。

 -

清閑の餘、時に召問を賜ひ、

必ず能く王化を輔宜し、早災を銷殄せよ。

臣朝官に非ずと雖も、月づきに俸錢を受け、歳どしに禄粟を受く。

苟くも知る所有らは、敢て言。言はずんばあらず。

謹で光順門に詣で狀を奉り以て聞く。

伏して聖の旨を聽かしめん。

67 -#5 《讀巻02-04 論今年停挙選状》 -#5 韓愈(韓退之)ID 802年貞元18年 36歳<1410> Ⅱ5章7分割 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6034韓愈詩-67 -#5

韓愈  論今年停挙選状#5§4

臣又聞君者陽也,臣者陰也,

獨陽為旱,獨陰為水。

今者陛下聖明在上,雖堯舜無以加之。

而群臣之賢,不及於古,

又不能盡心於國,與陛下同心,助陛下為理。

有君無臣,是以久旱。
私はまた、聞いています、「君主は陽であり、臣下は陰にあたる、」ということを。「陽気ばかりで陰気がないと日照りの災いをなし、陰気はかりで陽気がないときには水害をなす」ということを。

67 -5 《讀巻02-04 論今年停挙選状》 -5 韓愈(韓退之)ID   802年貞元18 36歳<1410 57分割 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6034韓愈詩-67 -5

 
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 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
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#5§4

臣又聞君者陽也,臣者陰也,

私はまた、聞いています、「君主は陽であり、臣下は陰にあたる、」ということを。

獨陽為旱,獨陰為水。

「陽気ばかりで陰気がないと日照りの災いをなし、陰気はかりで陽気がないときには水害をなす」ということを。

今者陛下聖明在上,雖堯舜無以加之。

今は陛下が聖明の徳をもって上におられ、堯・舜などの古代の聖王でも、これ以上に加えることはないほどであります。

而群臣之賢,不及於古,

しかし群臣のすぐれた徳は・古代の賢相に及ばない。

又不能盡心於國,與陛下同心,助陛下為理。

また心を国家に尽くし、陛下と心を同じくして、陛下を助けて治をなすこともできないのです。

有君無臣,是以久旱。
これは、君はあっても、臣がいないのであり、それでこそ久しく日照りが続いているのです。

臣又聞く、君は陽なり。臣は陰なり。

獨陽は早をうま爲し、獨陰は水を爲すと。

今は陛下聖明上に在り、尭葬と錐も以て之に加ふる無し。

而して軍臣の賢は、古に及ぼす。

又心を國に盡し、陛下と心を同じうし、陛下を助けて理を焉すこと能はず。

君有って臣無し。是を以て久しく旱す。
#6§5-1

以臣之愚,以為宜求純信之士,骨鯁之臣,憂國如家、忘身奉上者,超其爵位,置在左右。如殷高宗之用傅,周文王之舉太公,齊桓公之拔甯戚,漢武帝之取公孫宏。

#7§5-2

清閑之餘,時賜召問,必能輔宣王化,銷殄旱災。臣雖非朝官,月受俸錢,受祿粟,苟有所知,不敢不言。謹詣光順門奉狀以聞。伏聽聖旨。

 

 

『論今年停挙選状』 現代語訳と訳註解説
(
本文) 
#5§4

臣又聞君者陽也,臣者陰也,

獨陽為旱,獨陰為水。

今者陛下聖明在上,雖堯舜無以加之。

而群臣之賢,不及於古,

又不能盡心於國,與陛下同心,助陛下為理。

有君無臣,是以久旱。

(下し文)
臣又聞く、君は陽なり。臣は陰なり。

獨陽は早をうま爲し、獨陰は水を爲すと。

今は陛下聖明上に在り、尭葬と錐も以て之に加ふる無し。

而して軍臣の賢は、古に及ぼす。

又心を國に盡し、陛下と心を同じうし、陛下を助けて理を焉すこと能はず。

君有って臣無し。是を以て久しく旱す。

(現代語訳)
私はまた、聞いています、「君主は陽であり、臣下は陰にあたる、」ということを。

「陽気ばかりで陰気がないと日照りの災いをなし、陰気はかりで陽気がないときには水害をなす」ということを。

今は陛下が聖明の徳をもって上におられ、堯・舜などの古代の聖王でも、これ以上に加えることはないほどであります。

しかし群臣のすぐれた徳は・古代の賢相に及ばない。

また心を国家に尽くし、陛下と心を同じくして、陛下を助けて治をなすこともできないのです。

これは、君はあっても、臣がいないのであり、それでこそ久しく日照りが続いているのです。



(訳注) #5§4

論今年權停舉選狀 #1§1

(今年の登用試験の中止されたことに対する意見論文)

徳宗の貞元十九年に旱魃で収穫が少ないことを見込んで、長安の米穀消費を減らすために、七月官吏の登用試験を停止した。韓愈は時に四門博士であったが、この論文をたてまつり、挙選をやめずに人才を登用することが大切で、反って干害を消滅させることになるといって、暗に自己を推薦する意がある。

 

臣又聞君者陽也,臣者陰也,

私はまた、聞いています、「君主は陽であり、臣下は陰にあたる、」ということを。

○君者陽也 君は南面して政を聴く。

○臣者陰也 臣は北面して君に仕える。

 

獨陽為旱,獨陰為水。

「陽気ばかりで陰気がないと日照りの災いをなし、陰気はかりで陽気がないときには水害をなす」ということを。

 

今者陛下聖明在上,雖堯舜無以加之。

今は陛下が聖明の徳をもって上におられ、堯・舜などの古代の聖王でも、これ以上に加えることはないほどであります。

○無以加之 これに加えるものがない。この上に出るものはない。

 

而群臣之賢,不及於古,

しかし群臣のすぐれた徳は・古代の賢相に及ばない。

 

又不能盡心於國,與陛下同心,助陛下為理。

また心を国家に尽くし、陛下と心を同じくして、陛下を助けて治をなすこともできないのです。

 

有君無臣,是以久旱。

これは、君はあっても、臣がいないのであり、それでこそ久しく日照りが続いているのです。

67 -#4 《讀巻02-04 論今年停挙選状》 -#4 韓愈(韓退之)ID 802年貞元18年 36歳<1409> Ⅱ5章7分割 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6029

韓愈  #4§3

今若暫停舉選,或恐所害實深:一則遠近驚惶。

一則人士失業。

臣聞古之求雨之詞曰:

「人失職歟?」然則人之失職,足以致旱。

今緣旱而停舉選,是使人失職而召災也。
いま若し暫く登用試験を停止すれば、あるいは人材に対する害することが実に深いことになるであろう。一つには遠いものも近い所のものも驚きおそれるでありましょう。二つには士人たちが職業を失うでありましょう。 

 

67 -4 《讀巻02-04 論今年停挙選状》 -4 韓愈(韓退之)ID   802年貞元18 36歳<1409 57分割 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6029

 
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韓愈詩

-67 -4

 

#4§3

今若暫停舉選,或恐所害實深:

いま若し暫く登用試験を停止すれば、あるいは人材に対する害することが実に深いことになるであろう。

一則遠近驚惶。

一つには遠いものも近い所のものも驚きおそれるでありましょう。

一則人士失業。

二つには士人たちが職業を失うでありましょう。 

臣聞古之求雨之詞曰:

私は聞いております、古代の雨を求める詞にいう、

「人失職歟?」然則人之失職,足以致旱。

「人が職を失ったであろうか」、と。それならは、人が職を失うならは、日照りを招くに十分でありましょう。

今緣旱而停舉選,是使人失職而召災也。
今旱魃があったために登用試験を停めるというのは、これこそ人をして職を失わせて、早災を招くのでありましょう。

 

 

『論今年停挙選状』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

#4§3

今若暫停舉選,或恐所害實深:

一則遠近驚惶。

一則人士失業。

臣聞古之求雨之詞曰:「人失職歟?」

然則人之失職,足以致旱。

今緣旱而停舉選,

是使人失職而召災也。

(下し文) §3

今若し暫く撃選を停めは、或は害する所賓に深からんことを恐る。

一には則ち遠近驚憧せん。

二には則ち人士業を朱はん。

臣聞く、古の雨を求むるの詞に日く、「人職を矢へるかと。」

然らは則ち人の職を失ふは、以て旱を致すに足る。

今早に縁って撃選を停む。

是れ人をして職を矢はしめて災を召すなり。

(現代語訳)
いま若し暫く登用試験を停止すれば、あるいは人材に対する害することが実に深いことになるであろう。

一つには遠いものも近い所のものも驚きおそれるでありましょう。

二つには士人たちが職業を失うでありましょう。 

私は聞いております、古代の雨を求める詞にいう、

「人が職を失ったであろうか」、と。それならは、人が職を失うならは、日照りを招くに十分でありましょう。

今旱魃があったために登用試験を停めるというのは、これこそ人をして職を失わせて、早災を招くのでありましょう。



(訳注) #4§3

論今年權停舉選狀 #1§1

(今年の登用試験の中止されたことに対する意見論文)

徳宗の貞元十九年に旱魃で収穫が少ないことを見込んで、長安の米穀消費を減らすために、七月官吏の登用試験を停止した。韓愈は時に四門博士であったが、この論文をたてまつり、挙選をやめずに人才を登用することが大切で、反って干害を消滅させることになるといって、暗に自己を推薦する意がある。
 

今若暫停舉選,或恐所害實深:

いま若し暫く登用試験を停止すれば、あるいは人材に対する害することが実に深いことになるであろう。

〇舉選 登用試験。

 

一則遠近驚惶。

一つには遠いものも近い所のものも驚きおそれるでありましょう。

驚惶 驚きおそれること。驚きあわてること。

 

一則人士失業。

二つには士人たちが職業を失うでありましょう。 

 

臣聞古之求雨之詞曰:

私は聞いております、古代の雨を求める詞にいう、

〇求雨之詞 『春秋公羊伝』桓公五年の条に、雨を祈るとき、君主自身、城の南郊に行き、自ら責めて「政一ならざるか、民職を失ふか」といった故事がある。政治が均云平でないか、人民が職を失っているだろうかという、この言葉を拠り所として、この文章は書かれている。

 

「人失職歟?」然則人之失職,足以致旱。

「人が職を失ったであろうか」、と。それならは、人が職を失うならは、日照りを招くに十分でありましょう。

 

今緣旱而停舉選,是使人失職而召災也。
今旱魃があったために登用試験を停めるというのは、これこそ人をして職を失わせて、早災を招くのでありましょう。

○召災 早魅の災害を招く。

67 -#3 《讀巻02-04 論今年停挙選状》 -#3 韓愈(韓退之)ID 802年貞元18年 36歳<1408> Ⅱ5章7分割 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6024

論今年停挙選状》#3§2-2韓愈  

以十口之家計之,誠未為有所損益。又今年雖旱,去大豐,商賈之家,必有儲蓄。

舉選者皆齎持資用,以有易無,未見其弊。

また観点をかえ数年を通してみると、たしかに今年は日照りの害があっても、去年は大豊作であったわけであります。商人の家では、必ず米の備蓄があるはずなのです。


67 -3 《讀巻02-04 論今年停挙選状》 -3 韓愈(韓退之)ID   802年貞元18 36歳<1408 57分割 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6024韓愈詩-67 -3



論今年權停舉選狀

(今年の登用試験の中止されたことに対する意見論文)

右,臣伏見今月十日敕,今年諸色舉選宜權停者。

右の通り、伏して謹んで、今月十日の勅書を拝見すると、今年の各種の官吏登用試験は、仮に停止するがよいとのことであります。

道路相傳,皆雲以之旱,

道々に相い伝えて皆がいっております、今年の作物は日照りつづきなのであります。

陛下憐憫京師之人,慮其乏食,

陛下は、都、長安の人々を憐れに思われ、その人々が食糧不足であろうと心配されたのであります。

故權停舉選,以其來者,所以省費而足食也。
それ故、かりに登用試験を停止して、その受験のために都に来る者を絶たれたのであります。これは口をへらし、消費を省いて、食物の不足が起こらぬようにされるための手段である、ということであります。

右臣伏して今月十日の穀を見るに、今年諸色の挙選、宜しく權に停むべき者とあり。

道路相い傳えて皆云ふ、歳の旱を以て、

陛下京師の人を憐憫し、其の食に乏しきを慮る。

故に權に挙選を停めて、以て其の来者を絶つ。費を省いて食を足す所以なりと。


#2§2-1

臣伏思之,

私は伏してこのように思います。

竊以為十口之家,益之以一二人,於食未有所費。

心中ひそかに思っておりますのは、十人家内の家で、これに一人二人増加しても、食物の分量では、それほど費えるものはありません。

今京師之人,不啻百萬;

いま、都の多くいる人は、ただ百万人の人口というばかりではありません。

都計舉者不過五七千人,

すべて科挙の受験者数を計るに、五、七千人にすぎません。

並其僮仆畜馬,不當京師百分之一。

その人たちの供人や飼い馬などをあわせても、郡の人の百分の一にも当たらないのです。

#3§2-2

以十口之家計之,誠未為有所損益。

十人世帯の割合で家計計算すれば、まことに消費は差引増減する所があるとは思えないのです。

又今年雖旱,去大豐,

また観点をかえ数年を通してみると、たしかに今年は日照りの害があっても、去年は大豊作であったわけであります。

商賈之家,必有儲蓄。

商人の家では、必ず米の備蓄があるはずなのです。

舉選者皆齎持資用,

科挙の試験に集まる者たちは、皆、生活の物資、用品を持って来ています。

以有易無,未見其弊。

その持ってきている物を有効に活用することで、且つ余ったもので以て持っていない物に取りかえたりすれば、相互補助で、有無相通じて、弊害を見ることはないのであります#2§2-1

臣 伏して之を思う,

竊かに 以為【おもえ】らく十口の家,之に益すに 一 二人を以て,食に於て未だ費ゆる所有らず。

今 京師の人は,啻【た】だ百萬のみならず;

都【すべ】て舉者を計るに 五 七千人に過ぎず,

其の僮仆 畜馬を並せて,京師 百分の一に當らず。

#3§2-2

十口の家を以て之を計り,誠に 未だ損益する所有りと為さず。

又 今年 旱すと雖も,去 大いに豐なりき,

商賈の之家に,必ず 儲蓄有らん。

舉選の者 皆 資用を齎持し,

有を以て 無に易う,

未だ 其の弊を見ず。



『論今年權停舉選狀』 現代語訳と訳註解説
(
本文) 
#3§2-2

以十口之家計之,誠未為有所損益。

又今年雖旱,去大豐,

商賈之家,必有儲蓄。

舉選者皆齎持資用,

以有易無,未見其弊。


(下し文)
#3§2-2

十口の家を以て之を計り,誠に 未だ損益する所有りと為さず。

又 今年 旱すと雖も,去 大いに豐なりき,

商賈の之家に,必ず 儲蓄有らん。

舉選の者 皆 資用を齎持し,

有を以て 無に易う,

未だ 其の弊を見ず。


(現代語訳)
十人世帯の割合で家計計算すれば、まことに消費は差引増減する所があるとは思えないのです。

また観点をかえ数年を通してみると、たしかに今年は日照りの害があっても、去年は大豊作であったわけであります。

商人の家では、必ず米の備蓄があるはずなのです。

科挙の試験に集まる者たちは、皆、生活の物資、用品を持って来ています。

その持ってきている物を有効に活用することで、且つ余ったもので以て持っていない物に取りかえたりすれば、相互補助で、有無相通じて、弊害を見ることはないのであります

(訳注) #3§2-2


以十口之家計之,誠未為有所損益。

十人世帯の割合で家計計算すれば、まことに消費は差引増減する所があるとは思えないのです。


又今年雖旱,去大豐,

また観点をかえ数年を通してみると、たしかに今年は日照りの害があっても、去年は大豊作であったわけであります。

商賈之家,必有儲蓄。

商人の家では、必ず米の備蓄があるはずなのです。

○商貰 商は行商人、更は店舗のある商人。

○備蓄 二字ともたくわえ。


舉選者皆齎持資用,

科挙の試験に集まる者たちは、皆、生活の物資、用品を持って来ています。

○齎持 齎は音セィ、もたらす。持参する。


以有易無,未見其弊。

その持ってきている物を有効に活用することで、且つ余ったもので以て持っていない物に取りかえたりすれば、相互補助で、有無相通じて、弊害を見ることはないのであります。

 

 

 

 

 

 

 

 
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67 -#2 《讀巻02-04 論今年停挙選状》 -#2 韓愈(韓退之)ID 802年貞元18年 36歳<1407> Ⅱ5章7分割 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6019

韓愈  論今年停挙選状 #2§2-1  

臣伏思之,

竊以為十口之家,益之以一二人,於食未有所費。

今京師之人,不啻百萬;

都計舉者不過五七千人,

並其僮仆畜馬,不當京師百分之一。
私は伏してこのように思います。

心中ひそかに思っておりますのは、十人家内の家で、これに一人二人増加しても、食物の分量では、それほど費えるものはありません。

いま、都の多くいる人は、ただ百万人の人口というばかりではありません。

 

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 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
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韓愈詩

-67 -2

 

 

論今年權停舉選狀

(今年の登用試験の中止されたことに対する意見論文)

右,臣伏見今月十日敕,今年諸色舉選宜權停者。

右の通り、伏して謹んで、今月十日の勅書を拝見すると、今年の各種の官吏登用試験は、仮に停止するがよいとのことであります。

道路相傳,皆雲以之旱,

道々に相い伝えて皆がいっております、今年の作物は日照りつづきなのであります。

陛下憐憫京師之人,慮其乏食,

陛下は、都、長安の人々を憐れに思われ、その人々が食糧不足であろうと心配されたのであります。

故權停舉選,以其來者,所以省費而足食也。
それ故、かりに登用試験を停止して、その受験のために都に来る者を絶たれたのであります。これは口をへらし、消費を省いて、食物の不足が起こらぬようにされるための手段である、ということであります。

右臣伏して今月十日の穀を見るに、今年諸色の挙選、宜しく權に停むべき者とあり。

道路相い傳えて皆云ふ、歳の旱を以て、

陛下京師の人を憐憫し、其の食に乏しきを慮る。

故に權に挙選を停めて、以て其の来者を絶つ。費を省いて食を足す所以なりと。

 

#2§2-1

臣伏思之,

私は伏してこのように思います。

竊以為十口之家,益之以一二人,於食未有所費。

心中ひそかに思っておりますのは、十人家内の家で、これに一人二人増加しても、食物の分量では、それほど費えるものはありません。

今京師之人,不啻百萬;

いま、都の多くいる人は、ただ百万人の人口というばかりではありません。

都計舉者不過五七千人,

すべて科挙の受験者数を計るに、五、七千人にすぎません。

並其僮仆畜馬,不當京師百分之一。

その人たちの供人や飼い馬などをあわせても、郡の人の百分の一にも当たらないのです。

#3§2-2

以十口之家計之,誠未為有所損益。又今年雖旱,去大豐,商賈之家,必有儲蓄。舉選者皆齎持資用,以有易無,未見其弊。

 

#2§2-1

臣 伏して之を思う,

竊かに 以為【おもえ】らく十口の家,之に益すに 一 二人を以て,食に於て未だ費ゆる所有らず。

今 京師の人は,啻【た】だ百萬のみならず;

都【すべ】て舉者を計るに 五 七千人に過ぎず,

其の僮仆 畜馬を並せて,京師 百分の一に當らず。

#3§2-2

十口の家を以て之を計り,誠に 未だ損益する所有りと為さず。

又 今年 旱すと雖も,去 大いに豐なりき,

商賈の之家に,必ず 儲蓄有らん。

舉選の者 皆 資用を齎持し,

有を以て 無に易う,

未だ 其の弊を見ず。

 

 

『論今年權停舉選狀』 現代語訳と訳註解説
(
本文) 
#2§2-1

臣伏思之,

竊以為十口之家,益之以一二人,於食未有所費。

今京師之人,不啻百萬;

都計舉者不過五七千人,

並其僮仆畜馬,不當京師百分之一。

(下し文) #2§2-1

臣 伏して之を思う,

竊かに 以為【おもえ】らく十口の家,之に益すに 一 二人を以て,食に於て未だ費ゆる所有らず。

今 京師の人は,啻【た】だ百萬のみならず;

都【すべ】て舉者を計るに 五 七千人に過ぎず,

其の僮仆 畜馬を並せて,京師 百分の一に當らず。

(現代語訳)
私は伏してこのように思います。

心中ひそかに思っておりますのは、十人家内の家で、これに一人二人増加しても、食物の分量では、それほど費えるものはありません。

いま、都の多くいる人は、ただ百万人の人口というばかりではありません。

すべて科挙の受験者数を計るに、五、七千人にすぎません。

その人たちの供人や飼い馬などをあわせても、郡の人の百分の一にも当たらないのです。


(訳注) #2§2-1

臣伏思之,

私は伏してこのように思います。

 

竊以為十口之家,益之以一二人,於食未有所費。

心中ひそかに思っておりますのは、十人家内の家で、これに一人二人増加しても、食物の分量では、それほど費えるものはありません。

 

今京師之人,不啻百萬;

いま、都の多くいる人は、ただ百万人の人口というばかりではありません。

〇京師 みやこ。師は人口の多いこと。

○不 は「不」打消しか「何」反語の時に用いる。「ただに・・・・・のみならず」或いは「……のみならんや」など。

 

都計舉者不過五七千人,

すべて科挙の受験者数を計るに、五、七千人にすぎません。

 

並其僮仆畜馬,不當京師百分之一。

その人たちの供人や飼い馬などをあわせても、郡の人の百分の一にも当たらないのです。

〇百万分 57000人を1万人としても1/100ということ。

67 -#1 《讀巻02-04 論今年停挙選状》 -#1 韓愈(韓退之) 802年貞元18年 36歳<1406> Ⅱ5章7分割 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6014

論今年權停舉選狀 #1§1

右,臣伏見今月十日敕,今年諸色舉選宜權停者。道路相傳,皆雲以之旱,陛下憐憫京師之人,慮其乏食,故權停舉選,以其來者,所以省費而足食也。

(今年の登用試験の中止されたことに対する意見論文)右の通り、伏して謹んで、今月十日の勅書を拝見すると、今年の各種の官吏登用試験は、仮に停止するがよいとのことであります。

67 -1 《讀巻02-04 論今年停挙選状》 -1 韓愈(韓退之)  802年貞元18 36歳<1406> Ⅱ57分割 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6014
韓愈詩-67 -1

 

 
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 Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
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 ●杜甫の全作品1500首を訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。" 
 Ⅲ杜甫詩全1500首   LiveDoorBlog杜甫 《1514 壯遊 -#14》【14分割】 杜甫詩index-15-766年大暦元年55歲-50 <914-#14> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6015 
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 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
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論今年權停舉選狀 #1§1

右,臣伏見今月十日敕,今年諸色舉選宜權停者。道路相傳,皆雲以之旱,陛下憐憫京師之人,慮其乏食,故權停舉選,以其來者,所以省費而足食也。

#2§2-1

臣伏思之,竊以為十口之家,益之以一二人,於食未有所費。今京師之人,不啻百萬;都計舉者不過五七千人,並其僮仆畜馬,不當京師百分之一。

#3§2-2

以十口之家計之,誠未為有所損益。又今年雖旱,去大豐,商賈之家,必有儲蓄。舉選者皆齎持資用,以有易無,未見其弊。

#4§3

今若暫停舉選,或恐所害實深:一則遠近驚惶。

一則人士失業。臣聞古之求雨之詞曰:「人失職歟?」然則人之失職,足以致旱。今緣旱而停舉選,是使人失職而召災也。

#5§4

臣又聞君者陽也,臣者陰也,獨陽為旱,獨陰為水。

今者陛下聖明在上,雖堯舜無以加之。

而群臣之賢,不及於古,又不能盡心於國,與陛下同心,助陛下為理。

有君無臣,是以久旱。

#6§5-1

以臣之愚,以為宜求純信之士,骨鯁之臣,憂國如家、忘身奉上者,超其爵位,置在左右。如殷高宗之用傅,周文王之舉太公,齊桓公之拔甯戚,漢武帝之取公孫宏。

#7§5-2

清閑之餘,時賜召問,必能輔宣王化,銷殄旱災。臣雖非朝官,月受俸錢,受祿粟,苟有所知,不敢不言。謹詣光順門奉狀以聞。伏聽聖旨。

 

 

論今年權停舉選狀

(今年の登用試験の中止されたことに対する意見論文)

右,臣伏見今月十日敕,今年諸色舉選宜權停者。

右の通り、伏して謹んで、今月十日の勅書を拝見すると、今年の各種の官吏登用試験は、仮に停止するがよいとのことであります。

道路相傳,皆雲以之旱,

道々に相い伝えて皆がいっております、今年の作物は日照りつづきなのであります。

陛下憐憫京師之人,慮其乏食,

陛下は、都、長安の人々を憐れに思われ、その人々が食糧不足であろうと心配されたのであります。

故權停舉選,以其來者,所以省費而足食也。
それ故、かりに登用試験を停止して、その受験のために都に来る者を絶たれたのであります。これは口をへらし、消費を省いて、食物の不足が起こらぬようにされるための手段である、ということであります。

右臣伏して今月十日の穀を見るに、今年諸色の挙選、宜しく權に停むべき者とあり。

道路相い傳えて皆云ふ、歳の旱を以て、

陛下京師の人を憐憫し、其の食に乏しきを慮る。

故に權に挙選を停めて、以て其の来者を絶つ。費を省いて食を足す所以なりと。

 

 

『論今年權停舉選狀』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

右,臣伏見今月十日敕,今年諸色舉選宜權停者。

道路相傳,皆雲以之旱,

陛下憐憫京師之人,慮其乏食,

故權停舉選,以其來者,所以省費而足食也。

(下し文)
右臣伏して今月十日の穀を見るに、今年諸色の挙選、宜しく權に停むべき者とあり。

道路相い傳えて皆云ふ、歳の旱を以て、

陛下京師の人を憐憫し、其の食に乏しきを慮る。

故に權に挙選を停めて、以て其の来者を絶つ。費を省いて食を足す所以なりと。


(現代語訳)
(今年の登用試験の中止されたことに対する意見論文)

右の通り、伏して謹んで、今月十日の勅書を拝見すると、今年の各種の官吏登用試験は、仮に停止するがよいとのことであります。

道々に相い伝えて皆がいっております、今年の作物は日照りつづきなのであります。

陛下は、都、長安の人々を憐れに思われ、その人々が食糧不足であろうと心配されたのであります。

それ故、かりに登用試験を停止して、その受験のために都に来る者を絶たれたのであります。これは口をへらし、消費を省いて、食物の不足が起こらぬようにされるための手段である、ということであります。

Ta唐 長安近郊圖  新02

(訳注)

論今年權停舉選狀 #1§1

(今年の登用試験の中止されたことに対する意見論文)

徳宗の貞元十九年に旱魃で収穫が少ないことを見込んで、長安の米穀消費を減らすために、七月官吏の登用試験を停止した。韓愈は時に四門博士であったが、この論文をたてまつり、挙選をやめずに人才を登用することが大切で、反って干害を消滅させることになるといって、暗に自己を推薦する意がある。

 

右,臣伏見今月十日敕,今年諸色舉選宜權停者。

右の通り、伏して謹んで、今月十日の勅書を拝見すると、今年の各種の官吏登用試験は、仮に停止するがよいとのことであります。

○右 勅書を指して右の通りという。勅書に続け合わせた紙に、この論は書かれている。

○諸色 各種類。色々。

○権 かりに、一時的に。

〇着・‥とのこと。何々の条。

 

道路相傳,皆雲以之旱,

道々に相い伝えて皆がいっております、今年の作物は日照りつづきなのであります。

○道路 道行く人の語。人の噂にかこつけて意見を述べる形を取る。

 

陛下憐憫京師之人,慮其乏食,

陛下は、都、長安の人々を憐れに思われ、その人々が食糧不足であろうと心配されたのであります。

 

故權停舉選,以其來者,所以省費而足食也。
それ故、かりに登用試験を停止して、その受験のために都に来る者を絶たれたのであります。これは口をへらし、消費を省いて、食物の不足が起こらぬようにされるための手段である、ということであります。

66-#8 《讀巻06-05 施先生墓銘》 -#8§3-3 韓愈(韓退之)802年貞元18年 36歳<1405> Ⅱ韓昌黎集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6009

8 §3-3

聞先生講論,如客得歸。

卑讓肫肫,出言孔揚。

今其死矣,誰嗣為宗!

縣曰萬年,原曰神禾。

高四尺者,先生墓耶!
先生は人にへり下り、譲り、諄諄に誠実な態度であるが、言説を出すときは甚だ勢いがよかった。その先生は今や死んでしまわれた。誰があとを嗣いで学問の家元となるであろうか。

 

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 Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
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242-#1 《巻04-36 短歌行 -#1》Index-17 Ⅱ―12-737年開元二十五年37歳 <242-#1> Ⅰ李白詩1492 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6008 
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66-#8 《讀巻06-05 施先生墓銘》 -#8§3-3 韓愈(韓退之)802年貞元18年 36歳<1405> Ⅱ韓昌黎集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6009 
 ・李商隠詩 (1) 136首の75首・李商隠詩 (2) 135首の61首●韓愈index-1 ・孟郊、張籍と交遊・汴州乱41首●韓愈詩index-2[800年 33歳~804年 37歳]27首●韓愈詩index-3 805年 38歳・]陽山から江陵府 36首●韓愈詩index-4 806年 39歳 江陵府・権知国子博士 51首(1)25首 
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 index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首index-13 821年~822年 55歳 22首index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首韓愈 哲学・儒学「五原」賦・散文・上奏文・碑文など 
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 Ⅲ杜甫詩全1500首   LiveDoorBlog杜甫 《1514 壯遊 -#13》【14分割】 杜甫詩index-15-766年大暦元年55歲-50 <914-#13> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6010 
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韓愈詩-66-#8

 

 

6 §3-1

先生之祖,氏自施父。

先生の祖先は、氏は魯の大夫である施父から始まった。

其後施常,事孔子以彰。

その後の施常は孔子に師事して名が彰れた。

讎為博士,延為太尉、

という者は博士となり、延という者は大尉となった。

太尉之孫,始為人。

大尉の孫が、はじめて呉の人となった。

曰然曰續,亦載其跡。

然といい、續という者も、またの行跡を書物に載せている。

7 §3-2

先生之興,公車是召。

先生が身を起こして世に出た時には、朝廷からの迎えのこと車を以て召された。

纂序前聞,於光有曜。

古代から聞き伝えた事を集め順序立てて書物とし、その業績はここに光って耀くものがあった。

古聖人言,其旨密微。

古の聖徳の人の言葉は、その旨は深く明らかでない。

箋注紛羅,顛倒是非。

そこでその注釈は多く入り乱れて列なり、是と非とをさかさまに説くなど、理解し難いことがおおいのである。

8 §3-3

聞先生講論,如客得歸。

ところが先生の講究し、論説されるのを聞くと、旅人がじぶんの帰る所を得たように安定した解釈である。

卑讓肫肫,出言孔揚。

先生は人にへり下り、譲り、諄諄に誠実な態度であるが、言説を出すときは甚だ勢いがよかった。

今其死矣,誰嗣為宗!

その先生は今や死んでしまわれた。誰があとを嗣いで学問の家元となるであろうか。

縣曰萬年,原曰神禾。

得難いことであるし、長安の万年という県、神未という原がある。

高四尺者,先生墓耶!

そこの高さ四尺の者が、先生の墓であるのだ。

 

先生の租、氏は施父よりす。

其の後施常は、孔子に事へて以て彰はる。

は博士と為り、延は大尉と為る。

大尉の孫、始て呉人と為る。

然と日ひ 続と日ひ、亦其の跡を載す。

 

先生の興る、公車 是れ召す。

前間を纂序して、於に光りて曜くこと有り。

古聖人の言、其の旨密微に、

箋荘 紛羅して、是非を顛倒す。

 

先生の講論を聞けば、客の歸を得るが如し。

卑譲 肫肫、言を出す孔だ揚る。

今其れ死せり。誰か嗣いで宗と馬らん。

縣を萬年と日ひ、原を神禾と日ふ。

高さ四尺なる者、先生の墓か。

 

 

『施先生墓銘》』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

8 §3-3

聞先生講論,如客得歸。

卑讓肫肫,出言孔揚。

今其死矣,誰嗣為宗!

縣曰萬年,原曰神禾。

高四尺者,先生墓耶!

(下し文)
先生の講論を聞けば、客の歸を得るが如し。

卑譲 肫肫、言を出す孔だ揚る

今其れ死せり。誰か嗣いで宗と馬らん。

縣を萬年と日ひ、原を神禾と日ふ。

高さ四尺なる者、先生の墓か。

(現代語訳)
ところが先生の講究し、論説されるのを聞くと、旅人がじぶんの帰る所を得たように安定した解釈である。

先生は人にへり下り、譲り、諄諄に誠実な態度であるが、言説を出すときは甚だ勢いがよかった。

その先生は今や死んでしまわれた。誰があとを嗣いで学問の家元となるであろうか。

得難いことであるし、長安の万年という県、神未という原がある。

そこの高さ四尺の者が、先生の墓であるのだ。


(訳注) 8 §3-3

施先生墓銘 

(学博士 施士巧(ししかい)の学徳を不朽に伝えるための墓誌銘である。)

施先生の『毛詩鄭玄箋』や『春秋左氏伝』の名講義は、太学生に最も有益であったことを銘記している。

 

聞先生講論,如客得歸。

ところが先生の講究し、論説されるのを聞くと、旅人がじぶんの帰る所を得たように安定した解釈である。

 

卑讓肫肫,出言孔揚。

先生は人にへり下り、譲り、諄諄に誠実な態度であるが、言説を出すときは甚だ勢いがよかった。

○脆脆 諄諄に同じ。まじめ、誠実のさま。

○卑譲 へり下りゆずる。

○孔揚 甚だ意気が盛んである。

 

今其死矣,誰嗣為宗!

その先生は今や死んでしまわれた。誰があとを嗣いで学問の家元となるであろうか。

 

縣曰萬年,原曰神禾。

得難いことであるし、長安の万年という県、神未という原がある。

萬年 萬年縣。

神禾 神禾原(唐長安近郊図FG-1)少陵原、白鹿原、銅人原と墓陵がある。

函谷関長安地図座標005 

高四尺者,先生墓耶!

そこの高さ四尺の者が、先生の墓であるのだ。

 

 


 

長安付近図00 

施先生墓銘 #1§1-1貞元十八年十月十一日,太學博士施先生士丐卒。其寮太原郭伉買石誌其墓,昌黎韓愈為之辭曰:先生明《毛鄭詩》,通《春秋左氏傳》,善講

#2§1-2朝之賢士大夫從而執經考疑者繼於門,太學生習《毛鄭詩》《春秋左氏傳》者,皆其弟子。貴遊之子弟,時先生之二經,來太學,帖帖坐諸生下,恐不卒得聞。

#3§1-3先生死,二經生喪其師,仕於學者亡其朋。故自賢士大夫,老師宿儒,新進小生,聞先生之死,哭泣相吊,歸衣服貨財。

#4 §2-1先生年六十九,在太學者十九年。由四門助教為太學助教,由助教為博士;太學秩滿當去,諸生輒拜疏乞留。或留或遷,凡十九年不離太學。祖曰旭,袁州宜春尉;

#5 §2-2父曰,豪州定遠丞。妻曰太原王氏,先先生卒。子曰友直,明州鄮縣主簿;曰友諒,太廟齋郎。係曰:

6 §3-1先生之祖,氏自施父。其後施常,事孔子以彰。讎為博士,延為太尉、太尉之孫,始為人。曰然曰續,亦載其跡。

7 §3-2先生之興,公車是召。纂序前聞,於光有曜。古聖人言,其旨密微。箋注紛羅,顛倒是非。

8 §3-3聞先生講論,如客得歸。卑讓肫肫,出言孔揚。今其死矣,誰嗣為宗!縣曰萬年,原曰神禾。高四尺者,先生墓耶!

 

貞元十八年十月十一日、大草博士施先生士弓卒す。

其の寮大原の郭杭、石を買ひて其の基に話す。

昌黎の韓愈之が辞を為って日く、

先生毛邸の詩に明に、春秋左氏停に通じて、講説を善くす。

 

朝の賢士大夫、従って経を執り 疑うを考うる者門に継ぎ、太学生の毛鄭の詩・春秋左氏傳を習ふ者、皆其の弟子なり。

貴遊の子弟、先生の二経を説くを時として、大学に来りて、帖帖として諸生の下に坐し、聞くことを卒うるを得ざらんを恐る。

 

先生死して二経の生 其の師を喪ひ、孝に仕ふる者 其の朋を亡う。

故に賢士大夫より、老師宿儒、新進小生まで、先生の死を聞いて、哭泣して相弔し、衣服貨財を歸【おく】る。

 

#4 §2-1

先生年六十九、大學に在ること十九年、四門の助教より、太學助教と為り、助教より博士と為る。

大學の秩 満ちて去るに當り、諸生輒ち拜疏して留めんことを乞ふ。

或は留まり、或は遷り、凡そ十九年、太学を離れず。

祖を旭と日ひ、衰州宜春の尉たり。

#5 §2-2

父をと日ひ、豪州定遠の丞たり。

妻を太原の王氏と日ひ、先生に先って卒す。

子を友直と日ひ、明州鄮縣の主簿。

友諒と日ひ、太廟齋郎たり。系に日く。

#6

先生の租、氏は施父よりす。

其の後施常は、孔子に事へて以て彰はる。

は博士と為り、延は大尉と為る。

大尉の孫、始て呉人と為る。

然と日ひ 続と日ひ、亦其の跡を載す。

#7

先生の興る、公車 是れ召す。

前間を纂序して、於に光りて曜くこと有り。

古聖人の言、其の旨密微に、

箋荘 紛羅して、是非を顛倒す。

#8

先生の講論を聞けば、客の歸を得るが如し。

卑譲 肫肫、言を出す孔だ揚る。

今其れ死せり。誰か嗣いで宗と馬らん。

縣を萬年と日ひ、原を神禾と日ふ。

高さ四尺なる者、先生の墓か。

66-#7《讀巻06-05 施先生墓銘》 -#7§3-2 韓愈(韓退之) 802年貞元18年 36歳<1404> Ⅱ韓昌黎集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6004

韓愈  施先生墓銘》 -#7

先生之興,公車是召。

纂序前聞,於光有曜。

古聖人言,其旨密微。

箋注紛羅,顛倒是非。

古の聖徳の人の言葉は、その旨は深く明らかでない。そこでその注釈は多く入り乱れて列なり、是と非とをさかさまに説くなど、理解し難いことがおおいのである。

 

66-#7《讀巻06-05 施先生墓銘》 -#7§3-2 韓愈(韓退之)ID  802年貞元18 36歳》   ()1404> Ⅱ韓昌黎集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6004韓愈詩-66-#7

 

 

 
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6 §3-1

先生之祖,氏自施父。

先生の祖先は、氏は魯の大夫である施父から始まった。

其後施常,事孔子以彰。

その後の施常は孔子に師事して名が彰れた。

讎為博士,延為太尉、

という者は博士となり、延という者は大尉となった。

太尉之孫,始為人。

大尉の孫が、はじめて呉の人となった。

曰然曰續,亦載其跡。

然といい、續という者も、またの行跡を書物に載せている。

7 §3-2

先生之興,公車是召。

先生が身を起こして世に出た時には、朝廷からの迎えのこと車を以て召された。

纂序前聞,於光有曜。

古代から聞き伝えた事を集め順序立てて書物とし、その業績はここに光って耀くものがあった。

古聖人言,其旨密微。

古の聖徳の人の言葉は、その旨は深く明らかでない。

箋注紛羅,顛倒是非。

そこでその注釈は多く入り乱れて列なり、是と非とをさかさまに説くなど、理解し難いことがおおいのである。

8 §3-3

聞先生講論,如客得歸。

卑讓肫肫,出言孔揚。

今其死矣,誰嗣為宗!

縣曰萬年,原曰神禾。

高四尺者,先生墓耶!

 

先生の租、氏は施父よりす。

其の後施常は、孔子に事へて以て彰はる。

は博士と為り、延は大尉と為る。

大尉の孫、始て呉人と為る。

然と日ひ 続と日ひ、亦其の跡を載す。

 

先生の興る、公車 是れ召す。

前間を纂序して、於に光りて曜くこと有り。

古聖人の言、其の旨密微に、

箋荘 紛羅して、是非を顛倒す。

 

先生の講論を聞けば、客の歸を得るが如し。

卑譲 肫肫、言を出す孔だ揚る。

今其れ死せり。誰か嗣いで宗と馬らん。

縣を萬年と日ひ、原を神禾と日ふ。

高さ四尺なる者、先生の墓か。

 

 

『施先生墓銘》』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

先生之興,公車是召。

纂序前聞,於光有曜。

古聖人言,其旨密微。

箋注紛羅,顛倒是非。


(下し文)
先生の興る、公車 是れ召す。

前間を纂序して、於に光りて曜くこと有り。

古聖人の言、其の旨密微に、

箋荘 紛羅して、是非を顛倒す。

(現代語訳)
先生が身を起こして世に出た時には、朝廷からの迎えのこと車を以て召された。

古代から聞き伝えた事を集め順序立てて書物とし、その業績はここに光って耀くものがあった。

古の聖徳の人の言葉は、その旨は深く明らかでない。

そこでその注釈は多く入り乱れて列なり、是と非とをさかさまに説くなど、理解し難いことがおおいのである。



(訳注)

施先生墓銘 

(学博士 施士巧(ししかい)の学徳を不朽に伝えるための墓誌銘である。)

施先生の『毛詩鄭玄箋』や『春秋左氏伝』の名講義は、太学生に最も有益であったことを銘記している。

 

先生之興,公車是召。

先生が身を起こして世に出た時には、朝廷からの迎えのこと車を以て召された。

○公車 漢の時に徴召に応じた人を公家の車で送った。′朝廷に召されたことをいう。

 

纂序前聞,於光有曜。

古代から聞き伝えた事を集め順序立てて書物とし、その業績はここに光って耀くものがあった。

○纂序 文章を集めて順序を正して綴る。

 

古聖人言,其旨密微。

古の聖徳の人の言葉は、その旨は深く明らかでない。

○古聖人言 五経などをわかりやすく解き明かしてくれることをいう。

○密微 深くて意味があらわでない。

 

箋注紛羅,顛倒是非。

そこでその注釈は多く入り乱れて列なり、是と非とをさかさまに説くなど、理解し難いことがおおいのである。

○箋注 目印の札をつけて考えを書き付ける。注の一種。箋注で注釈の意とする。

○紛羅 粉は多数の物が入りまじる。羅は列なる。

○顛倒〔転倒〕<古くは「てんどう」とも>1 さかさまになること。また、さかさまにすること。2 倒れること。3 あわてふためくこと。動転。4 《「てんどう」と読む》仏語。正しい理に反すること。道理にそむく考え。

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6 §3-1

先生之祖,氏自施父。其後施常,事孔子以彰。

讎為博士,延為太尉、太尉之孫,始為
曰然曰續,亦載其跡。

先生の祖先は、氏は魯の大夫である施父から始まった。その後の施常は孔子に師事して名が彰れた。という者は博士となり、延という者は大尉となった。

 

66-#6 《讀巻06-05 施先生墓銘》 -#6§3-1 韓愈(韓退之)ID  802年貞元18 36歳》   ()1403> Ⅱ韓昌黎集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5999韓愈詩-66-#6

 
 2015年5月15日の紀頌之5つのBlog 
 ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場 
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 曹植(曹子建)詩 65首 index文選 賦)兩都賦序・西都賦・東都賦 (班固)《李白 全詩》
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 index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首index-13 821年~822年 55歳 22首index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首韓愈 哲学・儒学「五原」賦・散文・上奏文・碑文など 
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 Ⅲ杜甫詩全1500首   LiveDoorBlog杜甫 《1514 壯遊 -#11》【14分割】 杜甫詩index-15-766年大暦元年55歲-50 <914-#11> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6000 
 杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩) 杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首 
 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
 ●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている 
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 Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoorBlog(原文) 花間集 巻九 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-6002 
 薛濤の全詩花間集(1巻花間集(2巻花間集(3巻花間集(4巻花間集(5巻 
 魚玄機全詩花間集(6巻花間集(7巻花間集(8巻花間集(9巻花間集10巻 
 温庭筠66首 花間集1・2巻皇甫松11首 花間集二巻韋莊47首 花間集二巻薛昭蘊19首 花間集三巻牛嶠31首 花間集三・四巻張泌27首 花間集四巻 
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6 §3-1

先生之祖,氏自施父。

先生の祖先は、氏は魯の大夫である施父から始まった。

其後施常,事孔子以彰。

その後の施常は孔子に師事して名が彰れた。

讎為博士,延為太尉、

という者は博士となり、延という者は大尉となった。

太尉之孫,始為人。

大尉の孫が、はじめて呉の人となった。

曰然曰續,亦載其跡。

然といい、續という者も、またの行跡を書物に載せている。7 §3-2

先生之興,公車是召。

纂序前聞,於光有曜。

古聖人言,其旨密微。

箋注紛羅,顛倒是非。

8 §3-3

聞先生講論,如客得歸。

卑讓肫肫,出言孔揚。

今其死矣,誰嗣為宗!

縣曰萬年,原曰神禾。

高四尺者,先生墓耶!

 

先生の租、氏は施父よりす。

其の後施常は、孔子に事へて以て彰はる。

は博士と為り、延は大尉と為る。

大尉の孫、始て呉人と為る。

然と日ひ 続と日ひ、亦其の跡を載す。

 

先生の興る、公車 是れ召す。

前間を纂序して、於に光りて曜くこと有り。

古聖人の言、其の旨密微に、

箋荘 紛羅して、是非を顛倒す。

 

先生の講論を聞けば、客の歸を得るが如し。

卑譲 肫肫、言を出す孔だ揚る。

今其れ死せり。誰か嗣いで宗と馬らん。

縣を萬年と日ひ、原を神禾と日ふ。

高さ四尺なる者、先生の墓か。

 

 

『施先生墓銘》』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

6 §3-1

先生之祖,氏自施父。

其後施常,事孔子以彰。

讎為博士,延為太尉、太尉之孫,始為
曰然曰續,亦載其跡。


(下し文)
先生の租、氏は施父よりす。

其の後施常は、孔子に事へて以て彰はる。

讎は博士と為り、延は大尉と為る。

大尉の孫、始て呉人と為る。

然と日ひ 続と日ひ、亦其の跡を載す。

(現代語訳)
先生の祖先は、氏は魯の大夫である施父から始まった。

その後の施常は孔子に師事して名が彰れた。

という者は博士となり、延という者は大尉となった。

大尉の孫が、はじめて呉の人となった。

然といい、續という者も、またの行跡を書物に載せている。


(訳注) 6 §3-1

施先生墓銘 

(学博士 施士巧(ししかい)の学徳を不朽に伝えるための墓誌銘である。)

施先生の『毛詩鄭玄箋』や『春秋左氏伝』の名講義は、太学生に最も有益であったことを銘記している。

 

先生之祖,氏自施父。

先生の祖先は、氏は魯の大夫である施父から始まった。

○施父 『春秋左氏伝』桓公九年に「施父曰:曹大子其有憂乎!非嘆所也。」(施父日く、曹の大子は、其れ憂あるか。欺ずる所に非ざるなり」とあり、注に施父は魯の大夫なり、とある。『会箋』によれば、「魯恵公の子、公子尾、字は施父、その子因りて以て氏と為す」とある。

 

其後施常,事孔子以彰。

その後の施常は孔子に師事して名が彰れた。

○施常 『史記』孔子弟子列伝に見える。

 

讎為博士,延為太尉、

という者は博士となり、延という者は大尉となった。

○讎 字は長卿、沛の人、漢の甘露年間に諸儒と五経の同異を石渠閣で論じた。

○延 字は君平、沛国蔪の人。後漢の順帝の時の博士、後に侍中に拝せられ、大尉となった。

 

太尉之孫,始為人。

大尉の孫が、はじめて呉の人となった。

 

曰然曰續,亦載其跡。

然といい、續という者も、またの行跡を書物に載せている。

66-#5 《讀巻06-05 施先生墓銘》 -#5§2-2 韓愈(韓退之)ID 《 802年貞元18年 36歳》   ()<1402> Ⅱ韓昌黎集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5994

#5 §2-2

父曰,豪州定遠丞。

妻曰太原王氏,先先生卒。

子曰友直,明州縣主簿;

曰友諒,太廟齋郎。係曰:
父をといい、豪州定遠の丞であった。妻を太原の王氏という。先生より先に生命をおわった人である。子を友直といい、明州鄮県の主簿、友諒という子は、太廟の斎郎の官であった。系に次のようにいう。

 

66-#5 《讀巻06-05 施先生墓銘》 -#5§2-2 韓愈(韓退之)ID  802年貞元18 36歳》   ()1402> Ⅱ韓昌黎集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5994韓愈詩-66-#5

 
 2015年5月14日の紀頌之5つのBlog 
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#4 §2-1

先生年六十九,在太學者十九年。

先生の年は六十九歳であった。大学に在職すること十九年、

由四門助教為太學助教,由助教為博士;

四門学の助教から、大学助教となり、助教から博士となった。

太學秩滿當去,諸生輒拜疏乞留。

大学の在職年限が満ちて去るときに、学生たちはその都度朝廷に書面を以て先生を留任させるよう願い出た。その結果、その時は留まることができた。

或留或遷,凡十九年不離太學。

またある時は、他に遷ったりして、すべて十九年間、大学を離れなかった。

祖曰旭,袁州宜春尉;

祖父を旭といい、蓑州宜春の尉であった。

#5 §2-2

父曰,豪州定遠丞。

父をといい、豪州定遠の丞であった。

妻曰太原王氏,先先生卒。

妻を太原の王氏という。先生より先に生命をおわった人である。

子曰友直,明州鄮縣主簿;

子を友直といい、明州鄮県の主簿、

曰友諒,太廟齋郎。係曰:

友諒という子は、太廟の斎郎の官であった。系に次のようにいう。

 

#4 §2-1

先生年六十九、大學に在ること十九年、四門の助教より、太學助教と為り、助教より博士と為る。

大學の秩 満ちて去るに當り、諸生輒ち拜疏して留めんことを乞ふ。

或は留まり、或は遷り、凡そ十九年、太学を離れず。

祖を旭と日ひ、衰州宜春の尉たり。

#5 §2-2

父をと日ひ、豪州定遠の丞たり。

妻を太原の王氏と日ひ、先生に先って卒す。

子を友直と日ひ、明州縣の主簿。

友諒と日ひ、太廟齋郎たり。系に日く。

 

 

『施先生墓銘》』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

#5 §2-2

父曰,豪州定遠丞。

妻曰太原王氏,先先生卒。

子曰友直,明州縣主簿;

曰友諒,太廟齋郎。係曰:

(下し文)
父をと日ひ、豪州定遠の丞たり。

妻を太原の王氏と日ひ、先生に先って卒す。

子を友直と日ひ、明州縣の主簿。

友諒と日ひ、太廟齋郎たり。系に日く。

(現代語訳)
父をといい、豪州定遠の丞であった。

妻を太原の王氏という。先生より先に生命をおわった人である。

子を友直といい、明州鄮県の主簿、

友諒という子は、太廟の斎郎の官であった。系に次のようにいう。



(訳注) #5 §2-2

施先生墓銘 #3§1-3

(学博士 施士巧(ししかい)の学徳を不朽に伝えるための墓誌銘である。)

施先生の『毛詩鄭玄箋』や『春秋左氏伝』の名講義は、太学生に最も有益であったことを銘記している。

 

父曰,豪州定遠丞。

父をといい、豪州定遠の丞であった。

○豪州定遠 定遠県(ていえん-けん)は、中華人民共和国安徽省滁州市に位置する県。県人民政府の所在地は定城鎮。602年(仁寿元年)、隋朝は広安郡を臨濠県と改称し濠州(後に鍾離郡と改編)の管轄とした。620年(武徳3年)、鍾離郡臨濠県を豪州(808年(元和3年に濠州と改称)定遠県と改編、貞観年間以降は淮南道に属した。五代十国時代から宋代にかけ踏襲されている。

 

妻曰太原王氏,先先生卒。

妻を太原の王氏という。先生より先に生命をおわった人である。

 

子曰友直,明州鄮縣主簿;

子を友直といい、明州鄮県の主簿、

○明州鄮縣 江南東道において(618 907)のおかれた府級の行政中心所在地である。鄮縣は漢の始めより置かれた,舊城は在今浙江省寧波鄞縣東。

 

曰友諒,太廟齋郎。係曰:

友諒という子は、太廟の斎郎の官であった。系に次のようにいう。

○系 繋と同じく、一篇の意をまとめて繋ぐ韻文の名称。張衝の「思玄賦」の篇末の注に「衡日く、系は繋なり。一蹴の意を繋ぐなり」とある。題字にいう「銘」をさすものである。

皇朝の太廟を道路一つはさんで務本坊に国子監があった。

国子監(こくしかん)

唐代に庶民を入学させるために、長安務本坊にあり、国子監の四方の門の側に建てた学舎。その教官は四門博士、助教。『唐書』選挙志に「文辞史学ある者は、四門学に入りて俊士となる」とある。国子学・大学・律学・算学・書学と共に国子監に属していた。

66-#4 《讀巻06-05 施先生墓銘》 -#4§2-1 韓愈(韓退之)ID 《 802年貞元18年 36歳》   ()<1401> Ⅱ韓昌黎集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5989

韓愈  施先生墓銘#4 §2-1  

先生年六十九,在太學者十九年。

由四門助教為太學助教,由助教為博士;

太學秩滿當去,諸生輒拜疏乞留。

或留或遷,凡十九年不離太學。

祖曰旭,袁州宜春尉;
大学の在職年限が満ちて去るときに、学生たちはその都度朝廷に書面を以て先生を留任させるよう願い出た。その結果、その時は留まることができた。またある時は、他に遷ったりして、すべて十九年間、大学を離れなかった。

 

66-#4 《讀巻06-05 施先生墓銘》 -#4§2-1 韓愈(韓退之)ID  802年貞元18 36歳》   ()1401> Ⅱ韓昌黎集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5989韓愈詩-66-#4

 

 
 2015年5月13日の紀頌之5つのBlog 
 ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場 
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 孟浩然 詩 index李白詩index謝霊運 詩 index司馬相如 《 子虛賦 ・上林賦 》揚雄 《 甘泉賦 》 ●諸葛亮(孔明)出師表 
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66-#4 《讀巻06-05 施先生墓銘》 -#4§2-1 韓愈(韓退之)ID 《 802年貞元18年 36歳》   ()<1401> Ⅱ韓昌黎集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5989 
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 index-5 806年39歳 50首の(2)25首index-6[807年~809年 42歳]20首index-7[810年~811年 44歳] 34首index-8 [812年~814年47歳]46首index-9[815年~816年 49歳] 57首index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首 
 index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首index-13 821年~822年 55歳 22首index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首韓愈 哲学・儒学「五原」賦・散文・上奏文・碑文など 
 孟郊張籍     
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 杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩) 杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首 
 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
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 Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoorBlog(原文) 花間集 巻七 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-5992 
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#4 §2-1

先生年六十九,在太學者十九年。

先生の年は六十九歳であった。大学に在職すること十九年、

由四門助教為太學助教,由助教為博士;

四門学の助教から、大学助教となり、助教から博士となった。

太學秩滿當去,諸生輒拜疏乞留。

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或留或遷,凡十九年不離太學。

またある時は、他に遷ったりして、すべて十九年間、大学を離れなかった。

祖曰旭,袁州宜春尉;

祖父を旭といい、蓑州宜春の尉であった。

#5 §2-2

父曰,豪州定遠丞。

妻曰太原王氏,先先生卒。

子曰友直,明州鄮縣主簿;

曰友諒,太廟齋郎。係曰:

 

#4 §2-1

先生年六十九、大學に在ること十九年、四門の助教より、太學助教と為り、助教より博士と為る。

大學の秩 満ちて去るに當り、諸生輒ち拜疏して留めんことを乞ふ。

或は留まり、或は遷り、凡そ十九年、太学を離れず。

祖を旭と日ひ、衰州宜春の尉たり。

#5 §2-2

父をと日ひ、豪州定遠の丞たり。

妻を太原の王氏と日ひ、先生に先って卒す。

子を友直と日ひ、明州鄮縣の主簿。

友諒と日ひ、太廟齋郎たり。系に日く。

 

 

『施先生墓銘》』 現代語訳と訳註解説
(
本文) 
#4 §2-1

先生年六十九,在太學者十九年。

由四門助教為太學助教,由助教為博士;

太學秩滿當去,諸生輒拜疏乞留。

或留或遷,凡十九年不離太學。

祖曰旭,袁州宜春尉;

(下し文) #4 §2-1

先生年六十九、大學に在ること十九年、四門の助教より、太學助教と為り、助教より博士と為る。

大學の秩 満ちて去るに當り、諸生輒ち拜疏して留めんことを乞ふ。

或は留まり、或は遷り、凡そ十九年、太学を離れず。

祖を旭と日ひ、衰州宜春の尉たり。

(現代語訳)
先生の年は六十九歳であった。大学に在職すること十九年、

四門学の助教から、大学助教となり、助教から博士となった。

大学の在職年限が満ちて去るときに、学生たちはその都度朝廷に書面を以て先生を留任させるよう願い出た。その結果、その時は留まることができた。

またある時は、他に遷ったりして、すべて十九年間、大学を離れなかった。

祖父を旭といい、蓑州宜春の尉であった。


(訳注)

#4 §2-1

先生年六十九,在太學者十九年。

先生の年は六十九歳であった。大学に在職すること十九年、

 

由四門助教為太學助教,由助教為博士;

四門学の助教から、大学助教となり、助教から博士となった。

四門学 隋代以降、近代以前の最高学府。各王朝の都(長安・洛陽・開封・南京)など)に設けられた西晋武帝の276年に国子(貴族・官僚の子弟)の教育機関として設置されたが、実際に教育機関として機能するのは恵帝の293年頃のことで、当時は太常や太学の管轄下にあった。教育行政官庁かつ太常などから独立した組織を持つようになったのは、北斉時代に国子寺として設けられてからのことで、隋の593年に「国子学」、607年に「国子監」と改称された。唐代には長安に国子学(博士2名・助教2名・五経博士5名・学生300名)・太学(博士3名・助教3・学生500)・四門学(博士3名・助教3・学生500・俊士800)・律学・書学・算学・広文館などの教育機関があり、これらを統括する行政機関として国子監が設置されて国子祭酒・国子司業以下の職員が置かれた。唐代にはそれぞれに入学する資格に父祖の品階が深く関わっており、庶民は俊士になる以外に学生になることは出来なかった

 

太學秩滿當去,諸生輒拜疏乞留。

大学の在職年限が満ちて去るときに、学生たちはその都度朝廷に書面を以て先生を留任させるよう願い出た。その結果、その時は留まることができた。

○秩満 官職の任期が満了する。また俸満ともいう。

 

或留或遷,凡十九年不離太學。

またある時は、他に遷ったりして、すべて十九年間、大学を離れなかった。

 

祖曰旭,袁州宜春尉;

祖父を旭といい、蓑州宜春の尉であった。

○袁州宜春 622年(武徳5年)、宜春郡を袁州と改称、627年(貞観元年)に全国を10道に分割した際には江南道、733年(開元21年)には江南西道の管轄とされた。746年(天宝5年、宜春郡とされたが、758年(乾元元年)に再び袁州と改称された。

66-#3 《讀巻06-05 施先生墓銘》 -#3§1-3 韓愈(韓退之)802年貞元18年 36歳<1400> Ⅱ韓昌黎集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5984

#3§1-3

先生死,二經生喪其師,仕於學者亡其朋。

故自賢士大夫,老師宿儒,新進小生,

聞先生之死,哭泣相吊,歸衣服貨財。
先生が死んで、二経の学生たちはその師を失い、大学に奉職する者たちはその同志の友を失ってしまった。それ故に賢士大夫たちから老先生や長年の学者まで、そして、新しく学問に進んだ人や若い学生まで、先生の死は聞き及ぶところとなり、みな、声をあげて泣いて先生の死を弔い、衣服や貨財を霊前に供えた。

 

66-#3 《讀巻06-05 施先生墓銘》 -#3§1-3 韓愈(韓退之)802年貞元18 36歳<1400> Ⅱ韓昌黎集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5984
韓愈詩-66-#3

 
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 Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
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66-#3 《讀巻06-05 施先生墓銘》 -#3§1-3 韓愈(韓退之)802年貞元18年 36歳<1400> Ⅱ韓昌黎集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5984 
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 index-5 806年39歳 50首の(2)25首index-6[807年~809年 42歳]20首index-7[810年~811年 44歳] 34首index-8 [812年~814年47歳]46首index-9[815年~816年 49歳] 57首index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首 
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 杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩) 杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首 
 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
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施先生墓銘 #1§1-1

(学博士 施士巧(ししかい)の学徳を不朽に伝えるための墓誌銘である。)

貞元十八年十月十一日,太學博士施先生士丐卒。

802年貞元181011日、太學博士の施士丐【ししかい】先生がなくなった。

其寮太原郭伉買石誌其墓,

その同僚の大原の郭抗が石を買ってその墓標を立て、

昌黎韓愈為之辭曰:

昌黎の韓愈がその誌の文辞を作ったのは次のようである。

先生明《毛鄭詩》,通《春秋左氏傳》,善講

先生は『毛詩』鄭玄注に明らかであり、『春秋左氏伝』のすべてを知っていて、講義が上手であった。

#2§1-2

朝之賢士大夫從而執經考疑者繼於門,

朝廷の賢臣の士大夫たちで、先生に従って経書を手に取って読み、疑問の点を考えだすものが、先生のその門に相継いではいった。

太學生習《毛鄭詩》《春秋左氏傳》者,皆其弟子。

大学生の『毛詩鄭箋』や『春秋左氏伝』を習う者は、皆先生の弟子であった。

貴遊之子弟,時先生之二經,來太學,

貴族の部屋住みの若者たちも、先生が大学でこの二経書を講義する時を待って、大学に来た。

帖帖坐諸生下,恐不卒得聞。

貴族の子弟でありながら静かに諸生の下座にすわり、終わりまで聞くことができないようではいけない。聞き漏らすかもしれぬと思い熱心に聴講した。

#3§1-3

先生死,二經生喪其師,仕於學者亡其朋。

先生が死んで、二経の学生たちはその師を失い、大学に奉職する者たちはその同志の友を失ってしまった。

故自賢士大夫,老師宿儒,新進小生,

それ故に賢士大夫たちから老先生や長年の学者まで、そして、新しく学問に進んだ人や若い学生まで、

聞先生之死,哭泣相吊,歸衣服貨財。
先生の死は聞き及ぶところとなり、みな、声をあげて泣いて先生の死を弔い、衣服や貨財を霊前に供えた。

 

貞元十八年十月十一日、大草博士施先生士弓卒す。

其の寮大原の郭杭、石を買ひて其の基に話す。

昌黎の韓愈之が辞を為って日く、

先生毛邸の詩に明に、春秋左氏停に通じて、講説を善くす。

 

朝の賢士大夫、従って経を執り 疑うを考うる者門に継ぎ、太学生の毛鄭の詩・春秋左氏傳を習ふ者、皆其の弟子なり。

貴遊の子弟、先生の二経を説くを時として、大学に来りて、帖帖として諸生の下に坐し、聞くことを卒うるを得ざらんを恐る。

 

先生死して二経の生 其の師を喪ひ、孝に仕ふる者 其の朋を亡う。

故に賢士大夫より、老師宿儒、新進小生まで、先生の死を聞いて、哭泣して相弔し、衣服貨財を歸【おく】る。

 

 

『施先生墓銘》』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

#3§1-3

先生死,二經生喪其師,仕於學者亡其朋。

故自賢士大夫,老師宿儒,新進小生,

聞先生之死,哭泣相吊,歸衣服貨財。

(下し文)
先生死して二経の生 其の師を喪ひ、孝に仕ふる者 其の朋を亡う。

故に賢士大夫より、老師宿儒、新進小生まで、先生の死を聞いて、哭泣して相弔し、衣服貨財を歸【おく】る。

(現代語訳)
先生が死んで、二経の学生たちはその師を失い、大学に奉職する者たちはその同志の友を失ってしまった。

それ故に賢士大夫たちから老先生や長年の学者まで、そして、新しく学問に進んだ人や若い学生まで、

先生の死は聞き及ぶところとなり、みな、声をあげて泣いて先生の死を弔い、衣服や貨財を霊前に供えた。


(訳注) #3§1-3

施先生墓銘 #3§1-3

(学博士 施士巧(ししかい)の学徳を不朽に伝えるための墓誌銘である。)

施先生の『毛詩鄭玄箋』や『春秋左氏伝』の名講義は、太学生に最も有益であったことを銘記している。

 

先生死,二經生喪其師,仕於學者亡其朋。

先生が死んで、二経の学生たちはその師を失い、大学に奉職する者たちはその同志の友を失ってしまった。

〇二經生 大学生の『毛詩鄭箋』や『春秋左氏伝』を習う者。

 

故自賢士大夫,老師宿儒,新進小生,

それ故に賢士大夫たちから老先生や長年の学者まで、そして、新しく学問に進んだ人や若い学生まで、

〇宿儒 旧くからの学者。長年学問をした人。

 

聞先生之死,哭泣相吊,歸衣服貨財。

先生の死は聞き及ぶところとなり、みな、声をあげて泣いて先生の死を弔い、衣服や貨財を霊前に供えた。

相吊 吊は弔の俗字。

66-#2 《讀巻06-05 施先生墓銘》 -#2§1-2 韓愈(韓退之)ID 《 802年貞元18年 36歳》   ()<1399> Ⅱ韓昌黎集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5979

#2§1-2

朝之賢士大夫從而執經考疑者繼於門,

太學生習《毛鄭詩》《春秋左氏傳》者,皆其弟子。

貴遊之子弟,時先生之二經,來太學,

帖帖坐諸生下,恐不卒得聞。
朝廷の賢臣の士大夫たちで、先生に従って経書を手に取って読み、疑問の点を考えだすものが、先生のその門に相継いではいった。大学生の『毛詩鄭箋』や『春秋左氏伝』を習う者は、皆先生の弟子であった。
66-#2 《讀巻06-05 施先生墓銘》 -#2§1-2 韓愈(韓退之)ID  802年貞元18 36歳》   ()1399> Ⅱ韓昌黎集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5979韓愈詩-66-#2

 
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 ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場 
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238 《巻19-27 宴鄭參卿山池》Index-16 Ⅱ―11-736年開元二十四年36歳 <238> Ⅰ李白詩1486 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5978 
 孟浩然 詩 index李白詩index謝霊運 詩 index司馬相如 《 子虛賦 ・上林賦 》揚雄 《 甘泉賦 》 ●諸葛亮(孔明)出師表 
 曹植(曹子建)詩 65首 index文選 賦)兩都賦序・西都賦・東都賦 (班固)《李白 全詩》
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(1)漁父辞 屈原『楚辞・九歌』東君 屈原《楚辞 『九辯』》 宋玉  <案内> 
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 Ⅱ中唐詩・晩唐詩
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66-#2 《讀巻06-05 施先生墓銘》 -#2§1-2 韓愈(韓退之)ID 《 802年貞元18年 36歳》   ()<1399> Ⅱ韓昌黎集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5979 
 ・李商隠詩 (1) 136首の75首・李商隠詩 (2) 135首の61首●韓愈index-1 ・孟郊、張籍と交遊・汴州乱41首●韓愈詩index-2[800年 33歳~804年 37歳]27首●韓愈詩index-3 805年 38歳・]陽山から江陵府 36首●韓愈詩index-4 806年 39歳 江陵府・権知国子博士 51首(1)25首 
 index-5 806年39歳 50首の(2)25首index-6[807年~809年 42歳]20首index-7[810年~811年 44歳] 34首index-8 [812年~814年47歳]46首index-9[815年~816年 49歳] 57首index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首 
 index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首index-13 821年~822年 55歳 22首index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首韓愈 哲学・儒学「五原」賦・散文・上奏文・碑文など 
 孟郊張籍     
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 杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩) 杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首 
 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
 ●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている 
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 ●花間集全詩●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集 
 Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoorBlog(原文) 花間集 巻五 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-5982 
 薛濤の全詩花間集(1巻花間集(2巻花間集(3巻花間集(4巻花間集(5巻 
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 温庭筠66首 花間集1・2巻皇甫松11首 花間集二巻韋莊47首 花間集二巻薛昭蘊19首 花間集三巻牛嶠31首 花間集三・四巻張泌27首 花間集四巻 
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施先生墓銘 #1§1-1

(学博士 施士巧(ししかい)の学徳を不朽に伝えるための墓誌銘である。)

貞元十八年十月十一日,太學博士施先生士丐卒。

802年貞元181011日、太學博士の施士丐【ししかい】先生がなくなった。

其寮太原郭伉買石誌其墓,

その同僚の大原の郭抗が石を買ってその墓標を立て、

昌黎韓愈為之辭曰:

昌黎の韓愈がその誌の文辞を作ったのは次のようである。

先生明《毛鄭詩》,通《春秋左氏傳》,善講

先生は『毛詩』鄭玄注に明らかであり、『春秋左氏伝』のすべてを知っていて、講義が上手であった。

#2§1-2

朝之賢士大夫從而執經考疑者繼於門,

朝廷の賢臣の士大夫たちで、先生に従って経書を手に取って読み、疑問の点を考えだすものが、先生のその門に相継いではいった。

太學生習《毛鄭詩》《春秋左氏傳》者,皆其弟子。

大学生の『毛詩鄭箋』や『春秋左氏伝』を習う者は、皆先生の弟子であった。

貴遊之子弟,時先生之二經,來太學,

貴族の部屋住みの若者たちも、先生が大学でこの二経書を講義する時を待って、大学に来た。

帖帖坐諸生下,恐不卒得聞。

貴族の子弟でありながら静かに諸生の下座にすわり、終わりまで聞くことができないようではいけない。

 

貞元十八年十月十一日、大草博士施先生士弓卒す。

其の寮大原の郭杭、石を買ひて其の基に話す。

昌黎の韓愈之が辞を為って日く、

先生毛邸の詩に明に、春秋左氏停に通じて、講説を善くす。

 

朝の賢士大夫、従って経を執り 疑うを考うる者門に継ぎ、太学生の毛鄭の詩・春秋左氏傳を習ふ者、皆其の弟子なり。

貴遊の子弟、先生の二経を説くを時として、大学に来りて、帖帖として諸生の下に坐し、聞くことを卒うるを得ざらんを恐る。

 

先生死して二経の生 其の師を喪ひ、孝に仕ふる者 其の朋を亡う。

故に賢士大夫より、老師宿儒、新進小生まで、先生の死を聞いて、哭泣して相弔し、衣服貨財を歸【おく】る。

 

 

『施先生墓銘》』 現代語訳と訳註解説
(
本文) 
#2§1-2

朝之賢士大夫從而執經考疑者繼於門,

太學生習《毛鄭詩》《春秋左氏傳》者,皆其弟子。

貴遊之子弟,時先生之二經,來太學,

帖帖坐諸生下,恐不卒得聞。

(下し文)
#2§1-2

朝の賢士大夫、従って経を執り 疑うを考うる者門に継ぎ、太学生の毛鄭の詩・春秋左氏傳を習ふ者、皆其の弟子なり。

貴遊の子弟、先生の二経を説くを時として、大学に来りて、帖帖として諸生の下に坐し、聞くことを卒うるを得ざらんを恐る。


(現代語訳)
朝廷の賢臣の士大夫たちで、先生に従って経書を手に取って読み、疑問の点を考えだすものが、先生のその門に相継いではいった。

大学生の『毛詩鄭箋』や『春秋左氏伝』を習う者は、皆先生の弟子であった。
貴族の部屋住みの若者たちも、先生が大学でこの二経書を講義する時を待って、大学に来た。

貴族の子弟でありながら静かに諸生の下座にすわり、終わりまで聞くことができないようではいけない。


(訳注) #2§1-2

施先生墓銘 #1-2

(学博士 施士巧(ししかい)の学徳を不朽に伝えるための墓誌銘である。)

施先生の『毛詩鄭玄箋』や『春秋左氏伝』の名講義は、太学生に最も有益であったことを銘記している。

 

朝之賢士大夫從而執經考疑者繼於門,

朝廷の賢臣の士大夫たちで、先生に従って経書を手に取って読み、疑問の点を考えだすものが、先生のその門に相継いではいった。

 

太學生習《毛鄭詩》《春秋左氏傳》者,皆其弟子。

大学生の『毛詩鄭箋』や『春秋左氏伝』を習う者は、皆先生の弟子であった。

 

貴遊之子弟,時先生之二經,來太學,

貴族の部屋住みの若者たちも、先生が大学でこの二経書を講義する時を待って、大学に来た。

○貴遊 貴族のまだ官職に就かない者、遊士。

 

帖帖坐諸生下,恐不卒得聞。

貴族の子弟でありながら静かに諸生の下座にすわり、終わりまで聞くことができないようではいけない。

○帖帖 安定の形容。安んじて静かに。貴族の子弟でありながら、平気で太学諸生の末坐に就くこと。

66 《讀巻06-05 施先生墓銘》  韓愈(韓退之)ID 《 802年貞元18年 36歳》   ()<1401> Ⅱ韓昌黎集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5989

 

施先生墓銘 #1

貞元十八年十月十一日,太學博士施先生士丐卒。

其寮太原郭伉買石誌其墓,

昌黎韓愈為之辭曰:

先生明《毛鄭詩》,通《春秋左氏傳》,善講

(学博士 施士巧(ししかい)の学徳を不朽に伝えるための墓誌銘である。)

802年貞元181011日、太學博士の施士丐【ししかい】先生がなくなった。

66 《讀巻06-05 施先生墓銘》  韓愈(韓退之)ID  802年貞元18 36歳》   ()1401> Ⅱ韓昌黎集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5989韓愈詩-66

 

 
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施先生墓銘 #1§1-1

(学博士 施士巧(ししかい)の学徳を不朽に伝えるための墓誌銘である。)

貞元十八年十月十一日,太學博士施先生士丐卒。

802年貞元181011日、太學博士の施士丐【ししかい】先生がなくなった。

其寮太原郭伉買石誌其墓,

その同僚の大原の郭抗が石を買ってその墓標を立て、

昌黎韓愈為之辭曰:

昌黎の韓愈がその誌の文辞を作ったのは次のようである。

先生明《毛鄭詩》,通《春秋左氏傳》,善講

先生は『毛詩』鄭玄注に明らかであり、『春秋左氏伝』のすべてを知っていて、講義が上手であった。

#2§1-2

朝之賢士大夫從而執經考疑者繼於門,太學生習《毛鄭詩》《春秋左氏傳》者,皆其弟子。貴遊之子弟,時先生之二經,來太學,帖帖坐諸生下,恐不卒得聞。

#3§1-3

先生死,二經生喪其師,仕於學者亡其朋。

故自賢士大夫,老師宿儒,新進小生,聞先生之死,哭泣相吊,歸衣服貨財。

#4 §2-1

先生年六十九,在太學者十九年。

由四門助教為太學助教,由助教為博士;

太學秩滿當去,諸生輒拜疏乞留。

或留或遷,凡十九年不離太學。

祖曰旭,袁州宜春尉;

#5 §2-2

父曰,豪州定遠丞。

妻曰太原王氏,先先生卒。

子曰友直,明州鄮縣主簿;

曰友諒,太廟齋郎。係曰:

6 §3-1

先生之祖,氏自施父。

其後施常,事孔子以彰。

讎為博士,延為太尉、太尉之孫,始為人。

曰然曰續,亦載其跡。

7 §3-2

先生之興,公車是召。

纂序前聞,於光有曜。

古聖人言,其旨密微。

箋注紛羅,顛倒是非。

8 §3-3

聞先生講論,如客得歸。

卑讓肫肫,出言孔揚。

今其死矣,誰嗣為宗!

縣曰萬年,原曰神禾。

高四尺者,先生墓耶!

 

貞元十八年十月十一日、大草博士施先生士弓卒す。

其の寮大原の郭杭、石を買ひて其の基に話す。

昌黎の韓愈之が辞を為って日く、

先生毛邸の詩に明に、春秋左氏停に通じて、講説を善くす。

 

朝の賢士大夫、従って経を執り 疑うを考うる者門に継ぎ、太学生の毛鄭の詩・春秋左氏傳を習ふ者、皆其の弟子なり。

貴遊の子弟、先生の二経を説くを時として、大学に来りて、帖帖として諸生の下に坐し、聞くことを卒うるを得ざらんを恐る。

 

先生死して二経の生 其の師を喪ひ、孝に仕ふる者 其の朋を亡う。

故に賢士大夫より、老師宿儒、新進小生まで、先生の死を聞いて、哭泣して相弔し、衣服貨財を歸【おく】る。

 

 

『施先生墓銘》』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

施先生墓銘 #1

貞元十八年十月十一日,太學博士施先生士丐卒。

其寮太原郭伉買石誌其墓,

昌黎韓愈為之辭曰:

先生明《毛鄭詩》,通《春秋左氏傳》,善講


(下し文)
施先生墓銘 #1

貞元十八年十月十一日,太學博士 施先生 士丐【しかい】卒【しゅつ】す。

其の寮太原の郭伉 石を買いて 其墓に誌す。

昌黎の韓愈 之が辭を為って曰く:

先生《毛鄭詩》に明かに,《春秋左氏傳》に通じて,講善くす。

(現代語訳)
(学博士 施士巧(ししかい)の学徳を不朽に伝えるための墓誌銘である。)

802年貞元181011日、太學博士の施士丐【ししかい】先生がなくなった。

その同僚の大原の郭抗が石を買ってその墓標を立て、

昌黎の韓愈がその誌の文辞を作ったのは次のようである。

先生は『毛詩』鄭玄注に明らかであり、『春秋左氏伝』のすべてを知っていて、講義が上手であった。


(訳注)

施先生墓銘 #1

(学博士 施士巧(ししかい)の学徳を不朽に伝えるための墓誌銘である。)

施先生の『毛詩鄭玄箋』や『春秋左氏伝』の名講義は、太学生に最も有益であったことを銘記している。

 

貞元十八年十月十一日,太學博士施先生士丐卒。

802年貞元181011日、太學博士の施士丐【ししかい】先生がなくなった。

〇寮 同案、同官。

○誌 めじるしとする。

其寮太原郭伉買石誌其墓,

その同僚の大原の郭抗が石を買ってその墓標を立て、

 

昌黎韓愈為之辭曰:

昌黎の韓愈がその誌の文辞を作ったのは次のようである。

 

先生明《毛鄭詩》,通《春秋左氏傳》,善講

先生は『毛詩』鄭玄注に明らかであり、『春秋左氏伝』のすべてを知っていて、講義が上手であった。

○毛鄭詩 漠の魯人毛亨が伝えた『詩経』を毛詩という。『詩経』のこと。後漢の鄭玄(禦J、字は康成が『毛詩鄭箋』を作る。

 

 

貞元十八年十月十一日、大草博士施先生士弓卒す。

其の寮大原の郭杭、石を買ひて其の基に話す。

昌黎の韓愈之が辞を為って日く、

先生毛邸の詩に明に、春秋左氏停に通じて、講説を善くす。

 

朝の賢士大夫、従って経を執り 疑うを考うる者門に継ぎ、太学生の毛鄭の詩・春秋左氏傳を習ふ者、皆其の弟子なり。

貴遊の子弟、先生の二経を説くを時として、大学に来りて、帖帖として諸生の下に坐し、聞くことを卒うるを得ざらんを恐る。

 

先生死して二経の生 其の師を喪ひ、孝に仕ふる者 其の朋を亡う。

故に賢士大夫より、老師宿儒、新進小生まで、先生の死を聞いて、哭泣して相弔し、衣服貨財を歸【おく】る。

65-#14-§9 《讀巻02-07 禘祫議》- §9 韓愈(韓退之)ID 《 803年貞元19年 38歳》<1397> Ⅱ韓昌黎集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5969

禘祫議§9

臣伏以制禮作樂者,天子之職也。

陛下以臣議有可采,粗合天心,斷而行之,

是則為禮。

如以為猶或可疑,乞召臣對,

面陳得失,庶有發明。

謹議。

面前いただければ、詳細に損失をはっきりさせ陳べさせていただき、間違いなく御疑念を発き明らかにすることがあろうと存じあげます。

謹んで以上の通り献議申し上げます。

65-#14-§9 《讀巻02-07 禘祫議》- §9 韓愈(韓退之)ID  803年貞元19 38歳》<1397> Ⅱ韓昌黎集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5969韓愈詩-65-#14-§9

 
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 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
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 ●花間集全詩●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集 
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禘祫議

或作祫禘。今按篇皆作禘祫。《禮》:三年一祫,五年一禘。

祫者,合也,謂以昭穆合食於太祖之廟。

禘者,諦也,謂審諦其尊卑而祀之,禘祫之議,考之《新史·陳京傳》及《禮樂誌》,前後議者不一。

或いは祫禘に作る。今按篇の皆 禘祫と作る。《禮》に:三年に一たび祫し,五年に一たび禘とする。

祫者は,合也,以て謂う 昭と穆を太祖之廟に合食す、と。

禘者は,諦也,謂審やかに諦かにするは其れを尊卑して之を祀し,禘祫の議,之を《新史·陳京傳》及び《禮樂誌》で考,前後 議者は一ならず。

陳京始建議,繼有禮儀使顏真卿議,左庶子李嶸等七人議,吏部侍郎柳冕等十二人議,司勛員外郎裴樞、同官縣尉仲子陵、京兆少府韋武等議,左司陸淳議,左仆射姚南仲等獻議五十七封,尚書王紹等五十五人議,鴻臚卿王權又申衍之。

陳京の始め建議し,繼いで禮儀使顏真卿の議有り,左庶子李嶸 等七人の議,吏部侍郎柳冕等十二人の議,司勛員外郎裴樞、同官縣尉仲子陵、京兆少府韋武 等の議,左司陸淳議,左僕射姚南仲等の獻議 五十七封じ,尚書王紹等五十五人の議,鴻臚卿 王權 又た之を申衍す

公所排五,即此諸人議也。

其間惟顏魯公議與公合,後卒詔從王紹等議。

正景皇帝東向之位已下,列序昭穆,附獻、懿二主於興聖廟,禘祫就本室饗之。

凡二十年乃決。

公所五排す,即ち此の諸人の議なり。

其の間 惟れ顏魯公の議を公合に與え,後詔を卒して 從て王紹等議とす。

正に景皇帝は東向して之位し已に下り,列序は昭穆に,獻と、懿の二主を興聖廟に附して,禘祫して本室の饗之に就く。凡そ二十年には乃を決す。

 

 禘は五年に一度の朝廷の大祭、祫は三年に一度の大祭である。禘帝は禘祭である。「諦」は審である。『説文』段玉裁注に「之を祭りて審かに諦(あきら)かにする者なり。自来説く者皆言ふ、昭穆を審諦するなりと」とある。昭穆とは、天子の七廟に、まず始祖の廟は西より東を向き、その前方の北側南側にそれぞれ三廟があり、北側に位して南を向いて並んだもの三廟を昭といい、南側にあって北を向いた三廟を穆という。始祖から昭、昭から穆という順序に位を継いだ順を示すのである。これを祭ることによって明審にするのを禘というのである。また祫は合祭の意である。すでに遠くなった先祖の神位は、これを遠廟、すなわち祧に遷す。これを遷廟という。この祧した祖先を太祖の廟に合わせ祭るのを祫という。唐では中宗に至って世祖景皇帝を迫尊して、別に太祖の廟を立てて、献・懿の二宗の廟を加えて九廟とした。そのために祭礼が煩雑となり、群議が一致しないので、韓愈はこれを明らかにするためにこの文を上申した。

議は諭よりやや小さい問題の論文である。

 

昌黎先生集《》§1

(唐では中宗に至って世祖景皇帝を迫尊して、別に太祖の廟を立てて、献・懿の二宗の廟を加えて九廟とした。そのために祭礼が煩雑となり、群議が一致しないので、韓愈はこれを明らかにするためにこの文を上申した小論文である。)

右今月十六日敕旨,宜令百僚議,限五日聞奏者。

右今月十六日のみことのりの旨は、百官をしてこれを議論して、五日以内を限って奏聞させよとのこと。

將仕郎守國子監四門博士臣韓愈謹獻議曰:

将仕郎で守国子監、四門博士の韓愈が、謹んで意見をたてまつり申し上げます。

伏以陛下追孝祖宗,肅敬祀事。

伏して思いますに、陛下は祖先に対して今からさかのぼり孝心をお尽くしになり、祀りの事をつつしみうやまいなされることであります、

凡在擬議,不敢自專,聿求厥中,延訪群下。

凡そ物事を推しはかり論議する場合、思い切って御自分だけでおきめにならず、ついに過不及のない中正のところを求めて、引いては群臣にまでお尋ねになられる。

§1-2

昌黎先生集巻十四《禘【ていこう】の議》§1-1

右今月十六日の赦旨に、宜しく官僚をして議して、五日内を限りて、聞奏せしむべき者と。將仕郎 守國 子監四門博士臣 韓愈 謹みて議を献じて日く、

伏して以ふに陛下孝を祖宗に迫ひて、祀事を甫敬し、

凡そ擬議するに在っては、敢て自ら尊にせず、聿に厥の中を求め、延いて羣下に訪ふ。

然而禮文繁漫,所執各殊,

自建中之初,迄至今

建中(780)の初めから今年(802)まで、

屢經禘,未合適從。

しばしば禘祫の祭りを経て参りましたが、まだそのどれも祀行するに従うものとして適当ではありません。

臣生遭聖明,涵泳恩澤,

私は生まれてこのかた、聖明な陛下の御世に遇い、御恩沢に充分浸り浴しております。

雖賤不及議,而誌切效忠。

身分はいやしくて、この論議に参加できなくても、志は、まごころをつくしたいと切実に思っております。

今輒先舉議之非,然後申明其

今は、まず、多くの議論の誤っているところを取り挙げて、そのあとでわたくしの説をのべ明らかにいたさせていただきたいのであります。

 

§1-2

然り而して禮文繁漫、執る所各の殊なり。

建中の初より、今歳に至る迄、屡ば禘を経るに、未だ合に適從すべからず。

臣生れて聖明に遭ひ、恩澤に涵泳す。

賎しくして議に及はずと雖も、而も志は忠を致すに切なり。

今、輒ち先づ衆議の非を挙げて、然る後に其の説を申明せん。

§2

一曰「獻懿廟主,宜永藏之夾室」。

衆議の一つは、獻と懿の二祖の御位牌は、永くこれを大廟の左右の室におさめるのがよろしいという。

臣以為不可。

しかし、私は、それはよくないと考えます。

夫祫者,合也。毀廟之主,皆當合食於太祖、

一体、その祫とは合という意味であります。独立した廟を毀【こわ】して、昭三廟・穆三廟のほかに遷すべき位牌は、皆当然太祖の廟に合わせ祭るべきものであります。

獻、懿二祖,即毀廟主也。

献と懿の二祖はとりもなおさずその毀廟の主であります。

今雖藏於夾室,至禘祫之時,豈得不食於太廟乎?

今は夾室に蔵めてありますけれども、禘と祫の二祭の時になれば、どうして太祖の廟に合食しないでおられましょうか。

名曰合祭,而二祖不得祭焉,不可謂之合矣。

名づけて合祭といいながら、二祖が祭られることができないならば、合祭ということができないのであります。

 

§3-1

二曰「獻、懿廟主,宜毀之瘞之」。

第二には、「献・懿一廟の位牌は、これを毀して地にうずめるが宜しい」という。

臣又以為不可。

私はまたそれはよくないと考えます。

謹按《禮記》,天子立七廟,一壇,一墠。

謹んで、『礼記』を調べてみますと、天子は七廟を立て、各々一つの壇、一つの墠を設ける。

其毀廟之主,皆藏於祧廟。

壇は土地を高くして、そこに廟を作り、墠は壇の後の清浄な所である。

雖百代不毀,祫則陳於太廟而饗焉。

その毀瘞の神主(位牌)は、皆 祧廟に蔵めて、百代を経ても毀たず、祫の祭りをするときには、これを太廟に列ねて供物を献げる。

§3-2

自魏晉已降,始有毀瘞之議,

魏晋の世から後に、始めて毀ち瘞めるがよいとする議論がありましたが、

事非經據,竟不可施行。

これは経書に根拠があることではないので、遂に実際に施行うことはできませんでした。

今國家德厚流光,創立九廟。

今国家の徳は厚く御威光の及ぶ所、はじめて九廟を立てられることになりました。

以周制推之,獻、懿二祖,猶在壇之位。

それにより、周代の制度を推しあて、はめて行われておりますが、獻、懿の二祖は、やはり廟の壇・墠の位置にあります。

況於毀瘞而不禘乎?

ましてこれを毀ち痙めて、禘、祫の二つの祭りをしないことなどあり得ないのは、いうまでもないことでありましょう。

 

二に日く、「献・懿の廟主は、宜しく之を毀ち之を瘞むべし」と。

臣又以て不可と爲す。

謹んで《禮記》を按ずるに、天子七廟を立て、

一壇一、其の毀廟の主、皆祧廟に蔵す。

百代と雖も毀たず。には則ち太廟に陳ねて饗す。

 

§3-2

魏晋より己降、始めて毀瘞の議有り。

事経拠に非ず。完に施行す可からず。

今国家徳厚く光流し、創めて九廟を立て、周制を以て之を推す。

献・懿の二祖は、猶壇の位に在り。

況や毀瘞して禘・せざるに於てをや。

 

§4

三曰「獻、懿廟主,宜各遷於其陵所」。

第三には、「獻、懿の二廟の位牌は、各々その山陵の場所に遷すがよい。」といいますが、

臣又以為不可。

私はまたそれはよくないと考えます。

二祖之祭於京師,列於太廟也,二百年矣。

この二祖が都長安に祭られており、そこで太祖の廟に列んでいること、すでに二百年になります。

今一朝遷之,豈惟人聽疑惑,

それを今一朝に遷すのは、どうしてただ人々が聴いていて疑い惑うだけでありましょうか。

抑恐二祖之靈,眷顧依遲,不即饗於下國也。

それはともかく、二祖のみたまも、山陵のある地方では、祭りのお供えをお受けにならないかもしれません。

§4

三に曰く「獻、懿の廟主は,宜しく各の其の陵所に遷すべし」。

臣又以て不可と爲す。

二祖の京師に祭り,太廟に列するや,二百年なり。

今 一朝にして之を遷す,豈に惟だ 人 聽いて疑惑するのみならんや,

抑そも 二祖の靈,眷顧【けんこ】依遲【いち】して,饗に 下國に即【つか】ざるを恐れる也。
§5

四曰「獻、懿廟主,宜附於興聖廟而不禘祫。」

第四に、「獻、懿二廟の位牌は、景皇帝の興聖廟に付属して、禘、祫の祭りは行わないがよろしい。」という。

臣又以為不可。

私はまたそれはよくないと考えます。

《傳》曰「祭如在」。

論語『伝える書』にいう、「祭如在。祭神如神在。子曰。吾不與。祭如不祭。」(祭ること在ますが如くす。神を祭るには神在ますが如くす。子曰く、吾祭りに与からざれば、祭らざるが如し。)祭るにはその父がそこにおられるように思ってするものである。

景皇帝雖太祖,其於屬,乃獻、懿之子孫也。

景皇帝は太祖ではあるけれども、その続き合いでは、それなのに獻、懿の子孫に当たるのであります。

今欲正其子東向之位,廢其父之大祭,固不可為典矣。

今その子景皇帝の廟を東向きの太廟の正位におこうとして、その父の禘祫の大祭をやめるのは、もとより法式とすることはできないことです。

 

四に日く、「献・懿の廟主は、宜しく興聖廟に附して、禘祫せざるべし」と。

臣又以て不可と為す。

《傳》に日く、祭るには在すが如くすと。

景皇帝は大祖と雖も、其の属に於ては、乃ち献・懿の子孫なり。

今其の子東向の位を正さんと欲して、其の父の大祭を廃す。

固より典と為す可からず。


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65-#12-§8-2 《讀巻02-07 禘祫議》- §8-2 韓愈(韓退之)ID 《 802年貞元18年 36歳》   ()<1396> Ⅱ韓昌黎集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5964

禘祫議§8-2

求之神道,豈遠人情?

又常祭甚,合祭甚寡,

則是太祖所屈之祭至少,所伸之祭至多,

比於伸孫之尊,廢祖之祭,不亦順乎?

事異殷周,禮從而變,

非所失禮也。

また平生の祭りは、甚だ多く、禘や祫の祭りの合祭は甚だ少ないのですから、

孫である太祖の尊貴を伸べて、そのために祖先の祭りをやめるのに比べれば、また道に順っているのではないでしょうか。

65-#12-§8-2 《讀巻02-07 禘祫議》- §8-2 韓愈(韓退之)ID  802年貞元18 36歳》   ()1396> Ⅱ韓昌黎集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5964韓愈詩-65-#12-§8-2

 
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禘祫議§8-1

《傳》曰:「子雖齊聖,不先父食。」

先人の言を伝える書《春秋左氏伝、文公十八年》に、「子が正しく智徳すぐれた人であっても、父より先に食しない」といっています。

蓋言子為父屈也。

おもうに、子は父のために屈すること、へり下るということでありましょう。

景皇帝雖太祖也,其於獻、懿,則子孫也。

景皇帝は太祖ではあるけれども、その獻、懿、二祖に対する関係は、子であり、孫ということであります。

當禘之時,獻祖宜居東向之位,

禘や祫の祭りの時に当たっては、献祖は東向の始祖の位にいるのがよろしく、

景皇帝宜從昭穆之列,

景皇帝の位牌は昭穆の位に列とするのが、よろしいのであります。

祖以孫尊,孫以祖屈,

祖は孫との関係で尊く、孫は祖との関係で下位につくのであります。

 

禘祫議§8-2

求之神道,豈遠人情?

これを神鬼の道に求め考えても、どうして人情に違いであろうか。

又常祭甚,合祭甚寡,

また平生の祭りは、甚だ多く、禘や祫の祭りの合祭は甚だ少ないのですから、

則是太祖所屈之祭至少,所伸之祭至多,

太祖が身分を屈する祭りは至って少なく、伸ばし得る祭りは至って多いのであります。

比於伸孫之尊,廢祖之祭,不亦順乎?

孫である太祖の尊貴を伸べて、そのために祖先の祭りをやめるのに比べれば、また道に順っているのではないでしょうか。

事異殷周,禮從而變,

事がすでに殷・周と異なっているので、礼もまた従って変わっていますが、

非所失禮也。

礼法にまちがっているわけではないのであります。

 

《傳》に日く、「子 齊聖なりと雖も、父に先って食せず。」と。

蓋し子は父の為に屈するを言ふなり。

景皇帝は太租なりと雖も、其の獻、懿,に於ては、則ち子孫なり。

禘、の時に常っては、獻祖 宜しく東向の位に居るべし。

景皇帝は宜しく昭穆の列に從うべし。

祖は孫を以て尊く、孫は租を以て屈す。

 

之を神道に求むるに、豈人情に遠からんや。

又常の祭は甚だ衆く、合祭は甚だ寡し。

則ち是れ 太祖屈する所の祭は至って少く、伸ぶる所の祭は至って多し。

孫の尊きを伸べて、祖の祭を廃するに比すれば、亦順ならずや。

事 殷周に異り、禮 従って變ず。

禮を失ふ所に非ざるなり。

 

 

『禘』 現代語訳と訳註解説
(
本文) 
議§8-2
議§8-2

求之神道,豈遠人情?

又常祭甚,合祭甚寡,

則是太祖所屈之祭至少,所伸之祭至多,

比於伸孫之尊,廢祖之祭,不亦順乎?

事異殷周,禮從而變,

非所失禮也。

(下し文)
之を神道に求むるに、豈人情に遠からんや。

又常の祭は甚だ衆く、合祭は甚だ寡し。

則ち是れ 太祖屈する所の祭は至って少く、伸ぶる所の祭は至って多し。

孫の尊きを伸べて、祖の祭を廃するに比すれば、亦順ならずや。

事 殷周に異り、禮 従って變ず。

禮を失ふ所に非ざるなり。

(現代語訳)
これを神鬼の道に求め考えても、どうして人情に違いであろうか。

また平生の祭りは、甚だ多く、禘や祫の祭りの合祭は甚だ少ないのですから、

太祖が身分を屈する祭りは至って少なく、伸ばし得る祭りは至って多いのであります。

孫である太祖の尊貴を伸べて、そのために祖先の祭りをやめるのに比べれば、また道に順っているのではないでしょうか。

事がすでに殷・周と異なっているので、礼もまた従って変わっていますが、

礼法にまちがっているわけではないのであります。


(訳注) 議§8-2

 

求之神道,豈遠人情?

これを神鬼の道に求め考えても、どうして人情に違いであろうか。

神道『易経』や『晋書』の中にみえる[15]神道は「神(あや)しき道」と言う意味

又常祭甚,合祭甚寡,

また平生の祭りは、甚だ多く、禘や祫の祭りの合祭は甚だ少ないのですから、

○合祭 先祖が合同で祭りの供え物を享ける。 

§2「今雖藏於夾室,至禘之時,豈得不食於太廟乎?名曰合祭,而二祖不得祭焉,不可謂之合矣。今は夾室に蔵めてありますけれども、禘との二祭の時になれば、どうして太祖の廟に合食しないでおられましょうか。名づけて合祭といいながら、二祖が祭られることができないならば、合祭ということができないのであります。

 

則是太祖所屈之祭至少,所伸之祭至多,

太祖が身分を屈する祭りは至って少なく、伸ばし得る祭りは至って多いのであります。

 

比於伸孫之尊,廢祖之祭,不亦順乎?

孫である太祖の尊貴を伸べて、そのために祖先の祭りをやめるのに比べれば、また道に順っているのではないでしょうか。

 

事異殷周,禮從而變,

事がすでに殷・周と異なっているので、礼もまた従って変わっていますが、

《禮》:三年一祫,五年一禘。

 

非所失禮也。

礼法にまちがっているわけではないのであります。

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議§8-1

《傳》曰:「子雖齊聖,不先父食。」蓋言子為父屈也。

景皇帝雖太祖也,其於獻、懿,則子孫也。

當禘之時,獻祖宜居東向之位,

景皇帝宜從昭穆之列,

祖以孫尊,孫以祖屈,

禘や祫の祭りの時に当たっては、献祖は東向の始祖の位にいるのがよろしく、景皇帝の位牌は昭穆の位に列とするのが、よろしいのであります。祖は孫との関係で尊く、孫は祖との関係で下位につくのであります。

65-#12-§8-1 《讀巻02-07 禘祫議》- §8-1 韓愈(韓退之)ID  802年貞元18 36歳<1395 Ⅱ韓昌黎集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5959

 
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236-#2 《巻12-7 秋夜宿龍門香山寺,奉寄王方城十七丈、奉國瑩上人、從弟幼成令問 -#2》Index-16 Ⅱ―11-736年開元二十四年36歳 <236-#2> Ⅰ李白詩1482 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5958 
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65-#12-§8-1 《讀巻02-07 禘祫議》- §8-1 韓愈(韓退之)ID 802年貞元18年 36歳<1395> Ⅱ韓昌黎集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5959 
 ・李商隠詩 (1) 136首の75首・李商隠詩 (2) 135首の61首●韓愈index-1 ・孟郊、張籍と交遊・汴州乱41首●韓愈詩index-2[800年 33歳~804年 37歳]27首●韓愈詩index-3 805年 38歳・]陽山から江陵府 36首●韓愈詩index-4 806年 39歳 江陵府・権知国子博士 51首(1)25首 
 index-5 806年39歳 50首の(2)25首index-6[807年~809年 42歳]20首index-7[810年~811年 44歳] 34首index-8 [812年~814年47歳]46首index-9[815年~816年 49歳] 57首index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首 
 index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首index-13 821年~822年 55歳 22首index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首韓愈 哲学・儒学「五原」賦・散文・上奏文・碑文など 
 孟郊張籍     
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 Ⅲ杜甫詩全1500首   LiveDoorBlog杜甫 《1514 壯遊 -#3》【14分割】 杜甫詩index-15-766年大暦元年55歲-50 <914-#3> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5960 
 杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩) 杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首 
 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
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禘祫議§8-1

《傳》曰:「子雖齊聖,不先父食。」

先人の言を伝える書《春秋左氏伝、文公十八年》に、「子が正しく智徳すぐれた人であっても、父より先に食しない」といっています。

蓋言子為父屈也。

おもうに、子は父のために屈すること、へり下るということでありましょう。

景皇帝雖太祖也,其於獻、懿,則子孫也。

景皇帝は太祖ではあるけれども、その獻、懿、二祖に対する関係は、子であり、孫ということであります。

當禘之時,獻祖宜居東向之位,

禘や祫の祭りの時に当たっては、献祖は東向の始祖の位にいるのがよろしく、

景皇帝宜從昭穆之列,

景皇帝の位牌は昭穆の位に列とするのが、よろしいのであります。

祖以孫尊,孫以祖屈,

祖は孫との関係で尊く、孫は祖との関係で下位につくのであります。

 

禘祫議§8-2

求之神道,豈遠人情?

又常祭甚,合祭甚寡,

則是太祖所屈之祭至少,所伸之祭至多,

比於伸孫之尊,廢祖之祭,不亦順乎?

事異殷周,禮從而變,

非所失禮也。

 

《傳》に日く、「子 齊聖なりと雖も、父に先って食せず。」と。

蓋し子は父の為に屈するを言ふなり。

景皇帝は太租なりと雖も、其の獻、懿,に於ては、則ち子孫なり。

禘、の時に常っては、獻祖 宜しく東向の位に居るべし。

景皇帝は宜しく昭穆の列に從うべし。

祖は孫を以て尊く、孫は租を以て屈す。

 

之を神道に求むるに、豈人情に遠からんや。

又常の祭は甚だ衆く、合祭は甚だ寡し。

則ち是れ 太祖屈する所の祭は至って少く、伸ぶる所の祭は至って多し。

孫の尊きを伸べて、祖の祭を廃するに比すれば、亦順ならずや。

事 殷周に異り、禮 従って變ず。

禮を失ふ所に非ざるなり。

 

 

『禘』 現代語訳と訳註解説
(
本文) 
議§8-1

《傳》曰:「子雖齊聖,不先父食。」蓋言子為父屈也。

景皇帝雖太祖也,其於獻、懿,則子孫也。

當禘之時,獻祖宜居東向之位,

景皇帝宜從昭穆之列,

祖以孫尊,孫以祖屈,


(下し文)
《傳》に日く、「子 齊聖なりと雖も、父に先って食せず。」と。

蓋し子は父の為に屈するを言ふなり。

景皇帝は太租なりと雖も、其の獻、懿,に於ては、則ち子孫なり。

禘、の時に常っては、獻祖 宜しく東向の位に居るべし。

景皇帝は宜しく昭穆の列に從うべし。

祖は孫を以て尊く、孫は租を以て屈す。

(現代語訳)
先人の言を伝える書《春秋左氏伝、文公十八年》に、「子が正しく智徳すぐれた人であっても、父より先に食しない」といっています。

おもうに、子は父のために屈すること、へり下るということでありましょう。

景皇帝は太祖ではあるけれども、その獻、懿、二祖に対する関係は、子であり、孫ということであります。

禘や祫の祭りの時に当たっては、献祖は東向の始祖の位にいるのがよろしく、

景皇帝の位牌は昭穆の位に列とするのが、よろしいのであります。

祖は孫との関係で尊く、孫は祖との関係で下位につくのであります。


(訳注) 禘祫議§8-1

《傳》曰:「子雖齊聖,不先父食。」

先人の言を伝える書《春秋左氏伝、文公十八年》に、「子が正しく智徳すぐれた人であっても、父より先に食しない」といっています。

伝日 『春秋左氏伝』文公十八年 「子雖斉聖. 、不先父食久矣」(子斉聖なりと雖も、父に先だって食せず) とある。

○斉聖 『左伝』注に 「斉は粛なり」と。つつしみ深い。また『詩経』中経小宛篇に「人の斉聖なる」と、伝に「斉は正なり」とある。斉聖は正しく智徳すぐれていること。

 

蓋言子為父屈也。

おもうに、子は父のために屈すること、へり下るということでありましょう。

○屈 身分を屈する。下位につく。へり下る。

 

景皇帝雖太祖也,其於獻、懿,則子孫也。

景皇帝は太祖ではあるけれども、その獻、懿、二祖に対する関係は、子であり、孫ということであります。

○獻、懿 唐の初代の天子高祖(劉淵)以前の先祖の称号と名は、献租、煕(き)、懿祖、天錫(せき)、太祖、虎(景皇帝)、世祖、昞(へい)高祖、淵、の順である。

 

當禘祫之時,獻祖宜居東向之位,

禘や祫の祭りの時に当たっては、献祖は東向の始祖の位にいるのがよろしく、

禘祫 禘は五年に一度の朝廷の大祭、祫は三年に一度の大祭である。

 

景皇帝宜從昭穆之列,

景皇帝の位牌は昭穆の位に列とするのが、よろしいのであります。

 

祖以孫尊,孫以祖屈,

祖は孫との関係で尊く、孫は祖との関係で下位につくのであります。

65-#10-§7 《讀巻02-07 禘祫議》- §7 韓愈(韓退之)<1394> Ⅱ韓昌黎集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5954

禘祫議§7

故臣博採前聞,求其折中。

以為殷祖玄王,周祖後稷,

太祖之上,皆自為帝;

又其代數已遠,不復祭之,

故太祖得正東向之位,子孫從昭穆之列。

《禮》所稱者,蓋以紀一時之宜,非傳於後代之法也。
太祖が始祖廟として東向の位を正しく定めることができ、子孫が昭穆の列に従うのであります。《礼》に称する所ではありますが、おもうに、一時の適宜なところを記したものであり、後代に伝える法則ではないでありましょう、と。

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§7

故臣博採前聞,求其折中。

故に私は、博く前代から聞いた知識を取り、それらの長短を折り補い、ほどよい所を求めるものであります。

以為殷祖玄王,周祖後稷,

まず、考えるところ、殷の時代では玄王、すなわち欝を祖とし、周は後稷を祖としていますが、

太祖之上,皆自為帝;

この太祖より以上は、みなやはり帝王であります。

又其代數已遠,不復祭之,

またその代数が遠く離れていますので、もはやこれを廟に祭らないのであります。

故太祖得正東向之位,子孫從昭穆之列。

それ故、太祖が始祖廟として東向の位を正しく定めることができ、子孫が昭穆の列に従うのであります。

《禮》所稱者,蓋以紀一時之宜,

《礼》に称する所ではありますが、おもうに、一時の適宜なところを記したものであり、

非傳於後代之法也。
後代に伝える法則ではないでありましょう、と。

 

§7

故に臣 博く前聞を採りて,其の折中を求む。

以為【おもえ】らく 殷は玄王を祖とし,周は後稷を祖とす。

太祖の上,皆 自ら帝為り。

又た其の代數 已に遠く,復た之を祭らず。

故に太祖 東向の位を正しうするを得,子孫 昭穆の列に從う。

《禮》に稱する所の者は,蓋し以て一時の宜しきを紀す。

後代に傳うるの法に非ざる也と。
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『禘』 現代語訳と訳註解説
(
本文)
§7

故臣博採前聞,求其折中。

以為殷祖玄王,周祖後稷,

太祖之上,皆自為帝;

又其代數已遠,不復祭之,

故太祖得正東向之位,子孫從昭穆之列。

《禮》所稱者,蓋以紀一時之宜,非傳於後代之法也。

(下し文) §7

故に臣 博く前聞を採りて,其の折中を求む。

以為【おもえ】らく 殷は玄王を祖とし,周は後稷を祖とす。

太祖の上,皆 自ら帝為り。

又た其の代數 已に遠く,復た之を祭らず。

故に太祖 東向の位を正しうするを得,子孫 昭穆の列に從う。

《禮》に稱する所の者は,蓋し以て一時の宜しきを紀す。

後代に傳うるの法に非ざる也と。


(現代語訳)
故に私は、博く前代から聞いた知識を取り、それらの長短を折り補い、ほどよい所を求めるものであります。

まず、考えるところ、殷の時代では玄王、すなわち欝を祖とし、周は後稷を祖としていますが、

この太祖より以上は、みなやはり帝王であります。

またその代数が遠く離れていますので、もはやこれを廟に祭らないのであります。

それ故、太祖が始祖廟として東向の位を正しく定めることができ、子孫が昭穆の列に従うのであります。

《礼》に称する所ではありますが、おもうに、一時の適宜なところを記したものであり、

後代に伝える法則ではないでありましょう、と。

 

 (訳注) §7

 

故臣博採前聞,求其折中。

故に私は、博く前代から聞いた知識を取り、それらの長短を折り補い、ほどよい所を求めるものであります。

 

以為殷祖玄王,周祖後稷,

まず、考えるところ、殷の時代では玄王、すなわち欝を祖とし、周は後稷を祖としていますが、

○玄王 堯の時に司徒の官であった契(せつ)のこと。『詩経』商頸長発篇に「玄王桓撥」とある。伝に「玄王は契なり」とある。

後稷/后稷 周の始祖、堯の時に母羌嫄が巨人の足あとをふんで妊娠して生まれた。後稷は農官の称であるが、遂にそれを号とした。

 

太祖之上,皆自為帝;

この太祖より以上は、みなやはり帝王であります。

 

又其代數已遠,不復祭之,

またその代数が遠く離れていますので、もはやこれを廟に祭らないのであります。

 

故太祖得正東向之位,子孫從昭穆之列。

それ故、太祖が始祖廟として東向の位を正しく定めることができ、子孫が昭穆の列に従うのであります。

昭穆之列 昭穆とは、天子の七廟に、まず始祖の廟は西より東を向き、その前方の北側南側にそれぞれ三廟があり、北側に位して南を向いて並んだもの三廟を昭といい、南側にあって北を向いた三廟を穆という。始祖から昭、昭から穆という順序に位を継いだ順を示すのである。これを祭ることによって明審にするのを禘というのである。または合祭の意である。すでに遠くなった先祖の神位は、これを遠廟、すなわち祧に遷す。これを遷廟という。この祧した祖先を太祖の廟に合わせ祭るのをという。

 

《禮》所稱者,蓋以紀一時之宜,
《礼》に称する所ではありますが、おもうに、一時の適宜なところを記したものであり、

《禮》:三年一祫,五年一禘。

 

非傳於後代之法也。

後代に伝える法則ではないでありましょう、と。

65-#9-§6-2 《讀巻02-07 禘祫議》- §6-2 韓愈(韓退之)ID 《 803年 貞元19年<1393> Ⅱ韓昌黎集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5949

禘祫議- §6-2 韓愈

昔者魯立煬宮,《春秋》非之,

以為不當取已毀之廟,既藏之主,而復築宮以祭。

今之所議,與此正同。

又雖違禮立廟,至於禘祫也,

合食則禘無其所,廢祭則於義不通。

此五者,皆所不可。

むかし魯では煬宮を立てて、伯禽の子を祭ったが、春秋ではこれをいけないこととしている。
当然、すでに毀【こわ】した廟や、すでに夾室に蔵めた位牌を取って、もう一度宮を築いて祭るものではないというのである。

65-#9-§6-2 《讀巻02-07 禘祫議》- §6-2 韓愈(韓退之)ID  803年 貞元19年<1393> Ⅱ韓昌黎集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5949
韓愈詩-65-#9-§6-2

 
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 index-5 806年39歳 50首の(2)25首index-6[807年~809年 42歳]20首index-7[810年~811年 44歳] 34首index-8 [812年~814年47歳]46首index-9[815年~816年 49歳] 57首index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首 
 index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首index-13 821年~822年 55歳 22首index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首韓愈 哲学・儒学「五原」賦・散文・上奏文・碑文など 
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 杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩) 杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首 
 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
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§6

五曰「獻、懿二祖,宜別立廟於京師。」

第五には、「獻、懿の二祖は、別に廟を都に立てるのがよろしい」という。

臣又以為不可。

私はまたそれはよくないと考えます。

夫禮有所降,情有所殺。

一体、礼に定めるところでは、子孫が祖先に対して、年代が遠くなるに従って、礼が次第に降下して手薄くなることがあり、情愛も次第に減らすことがあります。

是故去廟為祧,去祧為壇,去壇為,去為鬼,

この故に廟に祭っていたものを去って祧、すなわち遠廟とし、祧から去って壇に祭り、壇を去って墠に祭り、墠を去って、ただの鬼(たましい) とする。

漸而之遠,其祭益稀。

このように次第に遠くに行きます。その祭りもますます稀になります。

#2

昔者魯立煬宮,《春秋》非之,

むかし魯では煬宮を立てて、伯禽の子を祭ったが、春秋ではこれをいけないこととしている。
以為不當取已毀之廟,既藏之主,而復築宮以祭。

当然、すでに毀【こわ】した廟や、すでに夾室に蔵めた位牌を取って、もう一度宮を築いて祭るものではないというのである。

今之所議,與此正同。

今、別に二祖の廟を京師に立てようとの議は、これと正に同じであります。

又雖違禮立廟,至於禘也,

その上、礼にそむいて廟を立てても、禘や祫の時になって、合わせ祭られるとき、

合食則禘無其所,廢祭則於義不通。

平素新廟で祭りをうけているから、禘の祭りをうける地位がないであろうし、祭りをやめてしまえば、筋道の上で通らないことになります。

此五者,皆所不可。

以上が、この五説はすべてよくないとするわけであります。

 

五に日く、「獻、懿の二組は、宜しく別に廟を京師に立つべし」と。

臣又以て不可と為す。

夫れ 禮に降す所有り。情に殺ぐ所有り。

是の故に廟を去って祧と爲し、祧を去って壇と為し、壇を去って墠と為し、墠を去って鬼と残す。

漸くにして 遠きに之く。其の祭 益ます稀なり。

#2

昔は魯 煬官を立つ。春秋に之を非とす。

以爲らく常に己毀の廟、既蔵の主を取りて、復た宮を築いて以て祭るべからずと。

今の議する所、比と正に同じ。

又た 禮に違ひ廟を立つと雖も、禘、に至ってや、

合食すれば 則ち 禘に其の所無く、祭を廃すれば 則ち 義に於て通ぜず。

此の五説は、皆不可とする所なり。
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『禘』 現代語訳と訳註解説
(
本文)
§6 #2

昔者魯立煬宮,《春秋》非之,

以為不當取已毀之廟,既藏之主,而復築宮以祭。

今之所議,與此正同。

又雖違禮立廟,至於禘祫也,

合食則禘無其所,廢祭則於義不通。

此五者,皆所不可。


(下し文)
#2

昔は魯 煬官を立つ。春秋に之を非とす。

以爲らく常に己毀の廟、既蔵の主を取りて、復た宮を築いて以て祭るべからずと。

今の議する所、比と正に同じ。

又た 禮に違ひ廟を立つと雖も、禘、に至ってや、

合食すれば 則ち 禘に其の所無く、祭を廃すれば 則ち 義に於て通ぜず。

此の五説は、皆不可とする所なり。

(現代語訳)
むかし魯では煬宮を立てて、伯禽の子を祭ったが、春秋ではこれをいけないこととしている。
当然、すでに毀【こわ】した廟や、すでに夾室に蔵めた位牌を取って、もう一度宮を築いて祭るものではないというのである。

今、別に二祖の廟を京師に立てようとの議は、これと正に同じであります。

その上、礼にそむいて廟を立てても、禘や祫の時になって、合わせ祭られるとき、

平素新廟で祭りをうけているから、禘の祭りをうける地位がないであろうし、祭りをやめてしまえば、筋道の上で通らないことになります。

以上が、この五説はすべてよくないとするわけであります。


(訳注) §6 #2

禘祫議

禘は五年に一度の朝廷の大祭、祫は三年に一度の大祭である。禘帝は禘祭である。「諦」は審である。『説文』段玉裁注に「之を祭りて審かに諦(あきら)かにする者なり。自来説く者皆言ふ、昭穆を審諦するなりと」とある。昭穆とは、天子の七廟に、まず始祖の廟は西より東を向き、その前方の北側南側にそれぞれ三廟があり、北側に位して南を向いて並んだもの三廟を昭といい、南側にあって北を向いた三廟を穆という。始祖から昭、昭から穆という順序に位を継いだ順を示すのである。これを祭ることによって明審にするのを禘というのである。また祫は合祭の意である。すでに遠くなった先祖の神位は、これを遠廟、すなわち祧に遷す。これを遷廟という。この祧した祖先を太祖の廟に合わせ祭るのを祫という。唐では中宗に至って世祖景皇帝を迫尊して、別に太祖の廟を立てて、献・懿の二宗の廟を加えて九廟とした。そのために祭礼が煩雑となり、群議が一致しないので、韓愈はこれを明らかにするためにこの文を上申した。

議は諭よりやや小さい問題の論文である。

 

昔者魯立煬宮,《春秋》非之,

むかし魯では煬宮を立てて、伯禽の子を祭ったが、春秋ではこれをいけないこととしている。

○春秋 『公羊伝』定公九年に「定元年秋九月,“立煬宮”是也。非禮也。」(九月煬宮を立つ。礼に非ざるなり」とある。春秋公羊伝の用語解説 - 「春秋」の注釈書。11巻。公羊高の著と伝えられる。春秋三伝の一。儒教的政治や倫理を「春秋」の表現に即して解釈している。公羊伝。伯禽(き はくきん、? - 紀元前997年)は、魯の初代君主。姓は姫、名は伯禽。父親は周公旦。魯公(ろこう)・公伯禽(こうはくきん)としても知られる。

 

以為不當取已毀之廟,既藏之主,而復築宮以祭。

当然、すでに毀【こわ】した廟や、すでに夾室に蔵めた位牌を取って、もう一度宮を築いて祭るものではないというのである。

 

今之所議,與此正同。

今、別に二祖の廟を京師に立てようとの議は、これと正に同じであります。

 

又雖違禮立廟,至於禘祫也,

その上、礼にそむいて廟を立てても、禘や祫の時になって、合わせ祭られるとき、

禘祫 禘は五年に一度の朝廷の大祭、祫は三年に一度の大祭である。

 

合食則禘無其所,廢祭則於義不通。

平素新廟で祭りをうけているから、禘の祭りをうける地位がないであろうし、祭りをやめてしまえば、筋道の上で通らないことになります。

○無其所 合祭をうける場所がないわけである。

 

此五者,皆所不可。

以上が、この五説はすべてよくないとするわけであります。

65-#9-§6-1 《讀巻02-07 禘祫議》- §6-1 韓愈(韓退之)ID 803年 貞元19年<1392> Ⅱ韓昌黎集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5944

禘祫議§6

五曰「獻、懿二祖,宜別立廟於京師。」

臣又以為不可。

夫禮有所降,情有所殺。

是故去廟為祧,去祧為壇,去壇為墠,去墠為鬼,漸而之遠,其祭益稀。

この故に廟に祭っていたものを去って祧、すなわち遠廟とし、祧から去って壇に祭り、壇を去って墠に祭り、墠を去って、ただの鬼(たましい) とする。このように次第に遠くに行きます。その祭りもますます稀になります。

 

 

65-#9-§6-1 《讀巻02-07 禘祫議》- §6-1 韓愈(韓退之)ID  803年 貞元19年<1392> Ⅱ韓昌黎集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5944韓愈詩-65-#9-§6-1

 
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§6

五曰「獻、懿二祖,宜別立廟於京師。」

第五には、「獻、懿の二祖は、別に廟を都に立てるのがよろしい」という。

臣又以為不可。

私はまたそれはよくないと考えます。

夫禮有所降,情有所殺。

一体、礼に定めるところでは、子孫が祖先に対して、年代が遠くなるに従って、礼が次第に降下して手薄くなることがあり、情愛も次第に減らすことがあります。

是故去廟為祧,去祧為壇,去壇為,去為鬼,

この故に廟に祭っていたものを去って祧、すなわち遠廟とし、祧から去って壇に祭り、壇を去って墠に祭り、墠を去って、ただの鬼(たましい) とする。

漸而之遠,其祭益稀。

このように次第に遠くに行きます。その祭りもますます稀になります。

#2

昔者魯立煬宮,《春秋》非之,以為不當取已毀之廟,既藏之主,而復築宮以祭。

今之所議,與此正同。

又雖違禮立廟,至於禘祫也,合食則禘無其所,廢祭則於義不通。

此五者,皆所不可。

 

五に日く、「獻、懿の二組は、宜しく別に廟を京師に立つべし」と。

臣又以て不可と為す。

夫れ 禮に降す所有り。情に殺ぐ所有り。

是の故に廟を去って祧と爲し、祧を去って壇と為し、壇を去って墠と為し、墠を去って鬼と残す。

漸くにして 遠きに之く。其の祭 益ます稀なり。

#2

昔は魯 煬官を立つ。春秋に之を非とす。

以爲らく常に己毀の廟、既蔵の主を取りて、復た宮を築いて以て祭るべからずと。

今の議する所、比と正に同じ。

又た 禮に違ひ廟を立つと雖も、禘、祫に至ってや、合食すれば 則ち 禘に其の所無く、祭を廃すれば 則ち 義に於て通ぜず。

此の五説は、皆不可とする所なり。

 

 

 

『禘』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

§6

五曰「獻、懿二祖,宜別立廟於京師。」

臣又以為不可。

夫禮有所降,情有所殺。

是故去廟為祧,去祧為壇,去壇為墠,去墠為鬼,漸而之遠,其祭益稀。


(下し文)
五に日く、「獻、懿の二組は、宜しく別に廟を京師に立つべし」と。

臣又以て不可と為す。

夫れ 禮に降す所有り。情に殺ぐ所有り。

是の故に廟を去って祧と爲し、祧を去って壇と為し、壇を去ってと為し、を去って鬼と残す。

漸くにして 遠きに之く。其の祭 益ます稀なり。

(現代語訳)
第五には、「獻、懿の二祖は、別に廟を都に立てるのがよろしい」という。

私はまたそれはよくないと考えます。

一体、礼に定めるところでは、子孫が祖先に対して、年代が遠くなるに従って、礼が次第に降下して手薄くなることがあり、情愛も次第に減らすことがあります。

この故に廟に祭っていたものを去って祧、すなわち遠廟とし、祧から去って壇に祭り、壇を去って墠に祭り、墠を去って、ただの鬼(たましい) とする。

このように次第に遠くに行きます。その祭りもますます稀になります。


(訳注) §6

禘祫議

禘は五年に一度の朝廷の大祭、祫は三年に一度の大祭である。禘帝は禘祭である。「諦」は審である。『説文』段玉裁注に「之を祭りて審かに諦(あきら)かにする者なり。自来説く者皆言ふ、昭穆を審諦するなりと」とある。昭穆とは、天子の七廟に、まず始祖の廟は西より東を向き、その前方の北側南側にそれぞれ三廟があり、北側に位して南を向いて並んだもの三廟を昭といい、南側にあって北を向いた三廟を穆という。始祖から昭、昭から穆という順序に位を継いだ順を示すのである。これを祭ることによって明審にするのを禘というのである。また祫は合祭の意である。すでに遠くなった先祖の神位は、これを遠廟、すなわち祧に遷す。これを遷廟という。この祧した祖先を太祖の廟に合わせ祭るのを祫という。唐では中宗に至って世祖景皇帝を迫尊して、別に太祖の廟を立てて、献・懿の二宗の廟を加えて九廟とした。そのために祭礼が煩雑となり、群議が一致しないので、韓愈はこれを明らかにするためにこの文を上申した。

議は諭よりやや小さい問題の論文である。

 

五曰「獻、懿二祖,宜別立廟於京師。」

第五には、「獻、懿の二祖は、別に廟を都に立てるのがよろしい」という。

○獻、懿 唐の初代の天子高祖(劉淵)以前の先祖の称号と名は、献租、煕(き)、懿祖、天錫(せき)、太祖、虎(景皇帝)、世祖、昞(へい)高祖、淵、の順である。

 

臣又以為不可。

私はまたそれはよくないと考えます。

 

夫禮有所降,情有所殺。

一体、礼に定めるところでは、子孫が祖先に対して、年代が遠くなるに従って、礼が次第に降下して手薄くなることがあり、情愛も次第に減らすことがあります。

○有所降 祭主から遠い関係のものは、祭りの格を降すことがある。

○有所殺 殺は減殺の殺、減らしそぐ。父祖に対する情愛の表現を減少させることがある。遠祖に対する愛情は少なく表現する。

 

是故去廟為祧,去祧為壇,去壇為墠,去墠為鬼,

この故に廟に祭っていたものを去って祧、すなわち遠廟とし、祧から去って壇に祭り、壇を去って墠に祭り、墠を去って、ただの鬼(たましい) とする。

○祧 『礼記』祭法篇に「祧之言超也,言其超然上去也。」(祧の言は超なり。其の超然として上に去るをいふ)と。遠廟のこと。高祖の父、祖父の廟をいう。別に離れた所に祧廟を立て、毀廟の神主を入れて置く。

○壇・墠 祭場。土を盛り上げたのを壇、地を清めたところを墠という。『礼記』祭法篇に「王立七廟,一壇一墠」(王は七廟を立つ、一壇一墠)とある。

 

漸而之遠,其祭益稀。

このように次第に遠くに行きます。その祭りもますます稀になります。

65-#8-§5 《讀巻02-07 禘祫議》- §5 韓愈(韓退之)ID <1391> Ⅱ韓昌黎集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5939

禘祫議§5

四曰「獻、懿廟主,宜附於興聖廟而不禘祫。」

臣又以為不可。

《傳》曰「祭如在」。

景皇帝雖太祖,其於屬,乃獻、懿之子孫也。

今欲正其子東向之位,廢其父之大祭,固不可為典矣。

論語『伝える書』にいう、「祭如在。祭神如神在。子曰。吾不與。祭如不祭。」(祭ること在ますが如くす。神を祭るには神在ますが如くす。子曰く、吾祭りに与からざれば、祭らざるが如し。)祭るにはその父がそこにおられるように思ってするものである。

 

65-#8-§5 《讀巻02-07 禘祫議》- §5 韓愈(韓退之)ID 1391> Ⅱ韓昌黎集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5939
韓愈詩-65-#8-§5

 
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 index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首index-13 821年~822年 55歳 22首index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首韓愈 哲学・儒学「五原」賦・散文・上奏文・碑文など 
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 杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩) 杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首 
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§3-1

二曰「獻、懿廟主,宜毀之瘞之」。

第二には、「献・懿一廟の位牌は、これを毀して地にうずめるが宜しい」という。

臣又以為不可。

私はまたそれはよくないと考えます。

謹按《禮記》,天子立七廟,一壇,一墠。

謹んで、『礼記』を調べてみますと、天子は七廟を立て、各々一つの壇、一つの墠を設ける。

其毀廟之主,皆藏於祧廟。

壇は土地を高くして、そこに廟を作り、墠は壇の後の清浄な所である。

雖百代不毀,祫則陳於太廟而饗焉。

その毀瘞の神主(位牌)は、皆 祧廟に蔵めて、百代を経ても毀たず、祫の祭りをするときには、これを太廟に列ねて供物を献げる。

§3-2

自魏晉已降,始有毀瘞之議,

魏晋の世から後に、始めて毀ち瘞めるがよいとする議論がありましたが、

事非經據,竟不可施行。

これは経書に根拠があることではないので、遂に実際に施行うことはできませんでした。

今國家德厚流光,創立九廟。

今国家の徳は厚く御威光の及ぶ所、はじめて九廟を立てられることになりました。

以周制推之,獻、懿二祖,猶在壇之位。

それにより、周代の制度を推しあて、はめて行われておりますが、獻、懿の二祖は、やはり廟の壇・墠の位置にあります。

況於毀瘞而不禘乎?

ましてこれを毀ち痙めて、禘、祫の二つの祭りをしないことなどあり得ないのは、いうまでもないことでありましょう。

 

二に日く、「献・懿の廟主は、宜しく之を毀ち之を瘞むべし」と。

臣又以て不可と爲す。

謹んで《禮記》を按ずるに、天子七廟を立て、

一壇一、其の毀廟の主、皆祧廟に蔵す。

百代と雖も毀たず。には則ち太廟に陳ねて饗す。

 

§3-2

魏晋より己降、始めて毀瘞の議有り。

事経拠に非ず。完に施行す可からず。

今国家徳厚く光流し、創めて九廟を立て、周制を以て之を推す。

献・懿の二祖は、猶壇の位に在り。

況や毀瘞して禘・せざるに於てをや。

 

§4

三曰「獻、懿廟主,宜各遷於其陵所」。

第三には、「獻、懿の二廟の位牌は、各々その山陵の場所に遷すがよい。」といいますが、

臣又以為不可。

私はまたそれはよくないと考えます。

二祖之祭於京師,列於太廟也,二百年矣。

この二祖が都長安に祭られており、そこで太祖の廟に列んでいること、すでに二百年になります。

今一朝遷之,豈惟人聽疑惑,

それを今一朝に遷すのは、どうしてただ人々が聴いていて疑い惑うだけでありましょうか。

抑恐二祖之靈,眷顧依遲,不即饗於下國也。

それはともかく、二祖のみたまも、山陵のある地方では、祭りのお供えをお受けにならないかもしれません。

§4

三に曰く「獻、懿の廟主は,宜しく各の其の陵所に遷すべし」。

臣又以て不可と爲す。

二祖の京師に祭り,太廟に列するや,二百年なり。

今 一朝にして之を遷す,豈に惟だ 人 聽いて疑惑するのみならんや,

抑そも 二祖の靈,眷顧【けんこ】依遲【いち】して,饗に 下國に即【つか】ざるを恐れる也。
§5

四曰「獻、懿廟主,宜附於興聖廟而不禘祫。」

第四に、「獻、懿二廟の位牌は、景皇帝の興聖廟に付属して、禘、祫の祭りは行わないがよろしい。」という。

臣又以為不可。

私はまたそれはよくないと考えます。

《傳》曰「祭如在」。

論語『伝える書』にいう、「祭如在。祭神如神在。子曰。吾不與。祭如不祭。」(祭ること在ますが如くす。神を祭るには神在ますが如くす。子曰く、吾祭りに与からざれば、祭らざるが如し。)祭るにはその父がそこにおられるように思ってするものである。

景皇帝雖太祖,其於屬,乃獻、懿之子孫也。

景皇帝は太祖ではあるけれども、その続き合いでは、それなのに獻、懿の子孫に当たるのであります。

今欲正其子東向之位,廢其父之大祭,固不可為典矣。

今その子景皇帝の廟を東向きの太廟の正位におこうとして、その父の禘祫の大祭をやめるのは、もとより法式とすることはできないことです。

 

四に日く、「献・懿の廟主は、宜しく興聖廟に附して、禘祫せざるべし」と。

臣又以て不可と為す。

《傳》に日く、祭るには在すが如くすと。

景皇帝は大祖と雖も、其の属に於ては、乃ち献・懿の子孫なり。

今其の子東向の位を正さんと欲して、其の父の大祭を廃す。

固より典と為す可からず。

 

 

『禘』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

§5

四曰「獻、懿廟主,宜附於興聖廟而不禘。」

臣又以為不可。

《傳》曰「祭如在」。

景皇帝雖太祖,其於屬,乃獻、懿之子孫也。

今欲正其子東向之位,廢其父之大祭,固不可為典矣。

(下し文)
四に日く、「献・懿の廟主は、宜しく興聖廟に附して、禘祫せざるべし」と。

臣又以て不可と為す。

《傳》に日く、祭るには在すが如くすと。

景皇帝は大祖と雖も、其の属に於ては、乃ち献・懿の子孫なり。

今其の子東向の位を正さんと欲して、其の父の大祭を廃す。

固より典と為す可からず。



(現代語訳)
第四に、「獻、懿二廟の位牌は、景皇帝の興聖廟に付属して、禘、祫の祭りは行わないがよろしい。」という。

私はまたそれはよくないと考えます。

論語『伝える書』にいう、「祭如在。祭神如神在。子曰。吾不與。祭如不祭。」(祭ること在ますが如くす。神を祭るには神在ますが如くす。子曰く、吾祭りに与からざれば、祭らざるが如し。)祭るにはその父がそこにおられるように思ってするものである。

景皇帝は太祖ではあるけれども、その続き合いでは、それなのに獻、懿の子孫に当たるのであります。

今その子景皇帝の廟を東向きの太廟の正位におこうとして、その父の禘祫の大祭をやめるのは、もとより法式とすることはできないことです。


(訳注) §5

禘祫議

禘は五年に一度の朝廷の大祭、祫は三年に一度の大祭である。禘帝は禘祭である。「諦」は審である。『説文』段玉裁注に「之を祭りて審かに諦(あきら)かにする者なり。自来説く者皆言ふ、昭穆を審諦するなりと」とある。昭穆とは、天子の七廟に、まず始祖の廟は西より東を向き、その前方の北側南側にそれぞれ三廟があり、北側に位して南を向いて並んだもの三廟を昭といい、南側にあって北を向いた三廟を穆という。始祖から昭、昭から穆という順序に位を継いだ順を示すのである。これを祭ることによって明審にするのを禘というのである。また祫は合祭の意である。すでに遠くなった先祖の神位は、これを遠廟、すなわち祧に遷す。これを遷廟という。この祧した祖先を太祖の廟に合わせ祭るのを祫という。唐では中宗に至って世祖景皇帝を迫尊して、別に太祖の廟を立てて、献・懿の二宗の廟を加えて九廟とした。そのために祭礼が煩雑となり、群議が一致しないので、韓愈はこれを明らかにするためにこの文を上申した。

議は諭よりやや小さい問題の論文である。

 

四曰「獻、懿廟主,宜附於興聖廟而不禘祫。」

第四に、「獻、懿二廟の位牌は、景皇帝の興聖廟に付属して、禘、祫の祭りは行わないがよろしい。」という。

 

臣又以為不可。

私はまたそれはよくないと考えます。

 

《傳》曰「祭如在」。

論語『伝える書』にいう、「祭如在。祭神如神在。子曰。吾不與。祭如不祭。」(祭ること在ますが如くす。神を祭るには神在ますが如くす。子曰く、吾祭りに与からざれば、祭らざるが如し。)祭るにはその父がそこにおられるように思ってするものである。

○《傳》曰 《論語 八佾第三》「祭如在。祭神如神在。子曰。吾不與。祭如不祭。」(祭ること在ますが如くす。神を祭るには神在ますが如くす。子曰く、吾祭りに与からざれば、祭らざるが如し。)

○祭如在 祖先を祭るときは、実際に祖先がそこにおられるように敬虔に祭る。

 

景皇帝雖太祖,其於屬,乃獻、懿之子孫也。

景皇帝は太祖ではあるけれども、その続き合いでは、それなのに獻、懿の子孫に当たるのであります。

 

今欲正其子東向之位,廢其父之大祭,固不可為典矣。

今その子景皇帝の廟を東向きの太廟の正位におこうとして、その父の禘祫の大祭をやめるのは、もとより法式とすることはできないことです。

○東向之位 始祖、太祖の覇は東向し、昭穆はその前に北と南に並ぶ。

○典 典例、法式。

65-#7-§4 《讀巻02-07 禘祫議》- §4 韓愈(韓退之)ID 《 803年貞元19年 38歳》<1390> Ⅱ韓昌黎集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5934

禘祫議§4

三曰「獻、懿廟主,宜各遷於其陵所」。

臣又以為不可。

二祖之祭於京師,列於太廟也,二百年矣。

今一朝遷之,豈惟人聽疑惑,抑恐二祖之靈,

眷顧依遲,不即饗於下國也。

それを今一朝に遷すのは、どうしてただ人々が聴いていて疑い惑うだけでありましょうか。それはともかく、二祖のみたまも、山陵のある地方では、祭りのお供えをお受けにならないかもしれません。

 

65-#7-§4 《讀巻02-07 禘祫議》- §4 韓愈(韓退之)ID  803年貞元19 38歳》<1390> Ⅱ韓昌黎集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5934

韓愈詩-65-#7-§4

 

 
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§3-1

二曰「獻、懿廟主,宜毀之瘞之」。

第二には、「献・懿一廟の位牌は、これを毀して地にうずめるが宜しい」という。

臣又以為不可。

私はまたそれはよくないと考えます。

謹按《禮記》,天子立七廟,一壇,一墠。

謹んで、『礼記』を調べてみますと、天子は七廟を立て、各々一つの壇、一つの墠を設ける。

其毀廟之主,皆藏於祧廟。

壇は土地を高くして、そこに廟を作り、墠は壇の後の清浄な所である。

雖百代不毀,祫則陳於太廟而饗焉。

その毀瘞の神主(位牌)は、皆 祧廟に蔵めて、百代を経ても毀たず、祫の祭りをするときには、これを太廟に列ねて供物を献げる。

§3-2

自魏晉已降,始有毀瘞之議,

魏晋の世から後に、始めて毀ち瘞めるがよいとする議論がありましたが、

事非經據,竟不可施行。

これは経書に根拠があることではないので、遂に実際に施行うことはできませんでした。

今國家德厚流光,創立九廟。

今国家の徳は厚く御威光の及ぶ所、はじめて九廟を立てられることになりました。

以周制推之,獻、懿二祖,猶在壇之位。

それにより、周代の制度を推しあて、はめて行われておりますが、獻、懿の二祖は、やはり廟の壇・墠の位置にあります。

況於毀瘞而不禘乎?

ましてこれを毀ち痙めて、禘、祫の二つの祭りをしないことなどあり得ないのは、いうまでもないことでありましょう。

 

二に日く、「献・懿の廟主は、宜しく之を毀ち之を瘞むべし」と。

臣又以て不可と爲す。

謹んで《禮記》を按ずるに、天子七廟を立て、

一壇一、其の毀廟の主、皆祧廟に蔵す。

百代と雖も毀たず。には則ち太廟に陳ねて饗す。

 

§3-2

魏晋より己降、始めて毀瘞の議有り。

事経拠に非ず。完に施行す可からず。

今国家徳厚く光流し、創めて九廟を立て、周制を以て之を推す。

献・懿の二祖は、猶壇の位に在り。

況や毀瘞して禘・せざるに於てをや。

 

§4

三曰「獻、懿廟主,宜各遷於其陵所」。

第三には、「獻、懿の二廟の位牌は、各々その山陵の場所に遷すがよい。」といいますが、

臣又以為不可。

私はまたそれはよくないと考えます。

二祖之祭於京師,列於太廟也,二百年矣。

この二祖が都長安に祭られており、そこで太祖の廟に列んでいること、すでに二百年になります。

今一朝遷之,豈惟人聽疑惑,

それを今一朝に遷すのは、どうしてただ人々が聴いていて疑い惑うだけでありましょうか。

抑恐二祖之靈,眷顧依遲,不即饗於下國也。

それはともかく、二祖のみたまも、山陵のある地方では、祭りのお供えをお受けにならないかもしれません。

§4

三に曰く「獻、懿の廟主は,宜しく各の其の陵所に遷すべし」。

臣又以て不可と爲す。

二祖の京師に祭り,太廟に列するや,二百年なり。

今 一朝にして之を遷す,豈に惟だ 人 聽いて疑惑するのみならんや,

抑そも 二祖の靈,眷顧【けんこ】依遲【いち】して,饗に 下國に即【つか】ざるを恐れる也。
§5

四曰「獻、懿廟主,宜附於興聖廟而不禘祫。」

臣又以為不可。

《傳》曰「祭如在」。

景皇帝雖太祖,其於屬,乃獻、懿之子孫也。

今欲正其子東向之位,廢其父之大祭,固不可為典矣。

 

四に日く、「献・懿の廟主は、宜しく興聖廟に附して、禘祫せざるべし」と。

臣又以て不可と為す。

《傳》に日く、祭るには在すが如くすと。

景皇帝は大祖と雖も、其の属に於ては、乃ち献・懿の子孫なり。

今其の子東向の位を正さんと欲して、其の父の大祭を廃す。

固より典と為す可からず。

 

 

『禘』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

§4

三曰「獻、懿廟主,宜各遷於其陵所」。

臣又以為不可。

二祖之祭於京師,列於太廟也,二百年矣。

今一朝遷之,豈惟人聽疑惑,抑恐二祖之靈,

眷顧依遲,不即饗於下國也。

(下し文) §4

三に曰く「獻、懿の廟主は,宜しく各の其の陵所に遷すべし」。

臣又以て不可と爲す。

二祖の京師に祭り,太廟に列するや,二百年なり。

今 一朝にして之を遷す,豈に惟だ 人 聽いて疑惑するのみならんや,

抑そも 二祖の靈,眷顧【けんこ】依遲【いち】して,饗に 下國に即【つか】ざるを恐れる也。

(現代語訳)
第三には、「獻、懿の二廟の位牌は、各々その山陵の場所に遷すがよい。」といいますが、

私はまたそれはよくないと考えます。

この二祖が都長安に祭られており、そこで太祖の廟に列んでいること、すでに二百年になります。

それを今一朝に遷すのは、どうしてただ人々が聴いていて疑い惑うだけでありましょうか。

それはともかく、二祖のみたまも、山陵のある地方では、祭りのお供えをお受けにならないかもしれません。


(訳注)§4

禘祫議

禘は五年に一度の朝廷の大祭、祫は三年に一度の大祭である。禘帝は禘祭である。「諦」は審である。『説文』段玉裁注に「之を祭りて審かに諦(あきら)かにする者なり。自来説く者皆言ふ、昭穆を審諦するなりと」とある。昭穆とは、天子の七廟に、まず始祖の廟は西より東を向き、その前方の北側南側にそれぞれ三廟があり、北側に位して南を向いて並んだもの三廟を昭といい、南側にあって北を向いた三廟を穆という。始祖から昭、昭から穆という順序に位を継いだ順を示すのである。これを祭ることによって明審にするのを禘というのである。また祫は合祭の意である。すでに遠くなった先祖の神位は、これを遠廟、すなわち祧に遷す。これを遷廟という。この祧した祖先を太祖の廟に合わせ祭るのを祫という。唐では中宗に至って世祖景皇帝を迫尊して、別に太祖の廟を立てて、献・懿の二宗の廟を加えて九廟とした。そのために祭礼が煩雑となり、群議が一致しないので、韓愈はこれを明らかにするためにこの文を上申した。

議は諭よりやや小さい問題の論文である。
 

三曰「獻、懿廟主,宜各遷於其陵所」。

第三には、「獻、懿の二廟の位牌は、各々その山陵の場所に遷すがよい。」といいますが、

○陵所 二祖の生国にある山陵の場所。

 

臣又以為不可。

私はまたそれはよくないと考えます。

 

二祖之祭於京師,列於太廟也,二百年矣。

この二祖が都長安に祭られており、そこで太祖の廟に列んでいること、すでに二百年になります。

 

 

今一朝遷之,豈惟人聽疑惑,

それを今一朝に遷すのは、どうしてただ人々が聴いていて疑い惑うだけでありましょうか。

 

抑恐二祖之靈,眷顧依遲,不即饗於下國也。

それはともかく、二祖のみたまも、山陵のある地方では、祭りのお供えをお受けにならないかもしれません。

○眷顧 心にかけて見る。

○依遅臨み着く。

○不即饗 祭りの供物を受ける席に臨み着く。

○下国 上国の郡に対して地方を下国という。

65-#5-§3-2 《讀巻02-07 禘祫議》- §3 韓愈(韓退之)ID 《 803年貞元19年 38歳》<1389> Ⅱ韓昌黎集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5929

禘祫議§3-2 韓愈

自魏晉已降,始有毀瘞之議,

事非經據,竟不可施行。

今國家德厚流光,創立九廟。

以周制推之,獻、懿二祖,猶在壇之位,

況於毀瘞而不禘
それにより、周代の制度を推しあて、はめて行われておりますが、獻、懿の二祖は、やはり廟の壇・墠の位置にあります。ましてこれを毀ち痙めて、禘、祫の二つの祭りをしないことなどあり得ないのは、いうまでもないことでありましょう。

65-#5-§3-2 《讀巻02-07 禘祫議》- §3 韓愈(韓退之)ID  803年貞元19 38歳》<1389> Ⅱ韓昌黎集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5929韓愈詩-65-#5-§3-2

 

 
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§3-1

二曰「獻、懿廟主,宜毀之瘞之」。

第二には、「献・懿一廟の位牌は、これを毀して地にうずめるが宜しい」という。

臣又以為不可。

私はまたそれはよくないと考えます。

謹按《禮記》,天子立七廟,一壇,一墠。

謹んで、『礼記』を調べてみますと、天子は七廟を立て、各々一つの壇、一つの墠を設ける。

其毀廟之主,皆藏於祧廟。

壇は土地を高くして、そこに廟を作り、墠は壇の後の清浄な所である。

雖百代不毀,祫則陳於太廟而饗焉。

その毀瘞の神主(位牌)は、皆 祧廟に蔵めて、百代を経ても毀たず、祫の祭りをするときには、これを太廟に列ねて供物を献げる。

§3-2

自魏晉已降,始有毀瘞之議,

魏晋の世から後に、始めて毀ち瘞めるがよいとする議論がありましたが、

事非經據,竟不可施行。

これは経書に根拠があることではないので、遂に実際に施行うことはできませんでした。

今國家德厚流光,創立九廟。

今国家の徳は厚く御威光の及ぶ所、はじめて九廟を立てられることになりました。

以周制推之,獻、懿二祖,猶在壇之位。

それにより、周代の制度を推しあて、はめて行われておりますが、獻、懿の二祖は、やはり廟の壇・墠の位置にあります。

況於毀瘞而不禘乎?

ましてこれを毀ち痙めて、禘、祫の二つの祭りをしないことなどあり得ないのは、いうまでもないことでありましょう。

 

二に日く、「献・懿の廟主は、宜しく之を毀ち之を瘞むべし」と。

臣又以て不可と爲す。

謹んで《禮記》を按ずるに、天子七廟を立て、

一壇一、其の毀廟の主、皆祧廟に蔵す。

百代と雖も毀たず。には則ち太廟に陳ねて饗す。

 

§3-2

魏晋より己降、始めて毀瘞の議有り。

事経拠に非ず。完に施行す可からず。

今国家徳厚く光流し、創めて九廟を立て、周制を以て之を推す。

献・懿の二祖は、猶壇の位に在り。

況や毀瘞して禘・せざるに於てをや。

 

 

 

 

『禘』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

§3-2

自魏晉已降,始有毀瘞之議,

事非經據,竟不可施行。

今國家德厚流光,創立九廟。

以周制推之,獻、懿二祖,猶在壇之位,

況於毀瘞而不禘

(下し文) §3-2

魏晋より己降、始めて毀瘞の議有り。

事経拠に非ず。完に施行す可からず。

今国家徳厚く光流し、創めて九廟を立て、周制を以て之を推す。

献・懿の二祖は、猶壇の位に在り。

況や毀瘞して禘・せざるに於てをや

(現代語訳)
魏晋の世から後に、始めて毀ち瘞めるがよいとする議論がありましたが、

これは経書に根拠があることではないので、遂に実際に施行うことはできませんでした。

今国家の徳は厚く御威光の及ぶ所、はじめて九廟を立てられることになりました。

それにより、周代の制度を推しあて、はめて行われておりますが、獻、懿の二祖は、やはり廟の壇・墠の位置にあります。

ましてこれを毀ち痙めて、禘、祫の二つの祭りをしないことなどあり得ないのは、いうまでもないことでありましょう。


(訳注) §3-2

禘祫議

禘は五年に一度の朝廷の大祭、祫は三年に一度の大祭である。禘帝は禘祭である。「諦」は審である。『説文』段玉裁注に「之を祭りて審かに諦(あきら)かにする者なり。自来説く者皆言ふ、昭穆を審諦するなりと」とある。昭穆とは、天子の七廟に、まず始祖の廟は西より東を向き、その前方の北側南側にそれぞれ三廟があり、北側に位して南を向いて並んだもの三廟を昭といい、南側にあって北を向いた三廟を穆という。始祖から昭、昭から穆という順序に位を継いだ順を示すのである。これを祭ることによって明審にするのを禘というのである。また祫は合祭の意である。すでに遠くなった先祖の神位は、これを遠廟、すなわち祧に遷す。これを遷廟という。この祧した祖先を太祖の廟に合わせ祭るのを祫という。唐では中宗に至って世祖景皇帝を迫尊して、別に太祖の廟を立てて、献・懿の二宗の廟を加えて九廟とした。そのために祭礼が煩雑となり、群議が一致しないので、韓愈はこれを明らかにするためにこの文を上申した。

議は諭よりやや小さい問題の論文である。

 

自魏晉已降,始有毀瘞之議,

魏晋の世から後に、始めて毀ち瘞めるがよいとする議論がありましたが、

○瘞 うずめる。踟蹰に魏清夜玉などを埋めて地を祭ること、またその祭をいう。

 

事非經據,竟不可施行。

これは経書に根拠があることではないので、遂に実際に施行うことはできませんでした。

經據 経書に根拠がある。経書;儒教の基本的古典。経ともいい,根本法則の意。戦国時代の思想家には,その教義の原則を経とする者があったが,儒家は昔から伝承されていた古典を経書とし,戦国時代末期には,『詩』『書』『礼』『楽』『春秋』の5つの経がほぼできていた。

 

今國家德厚流光,創立九廟。

今国家の徳は厚く御威光の及ぶ所、はじめて九廟を立てられることになりました。

九廟 社稷九廟〝九廟者, 有國必有太廟, 始祖、 繼始祖傳己支之嫡祖, 三傳之祖、 繼三傳之祖,太高祖, 有天下之高祖, 曾祖、 祖、 父、 始祖在其中。

 

以周制推之,獻、懿二祖,猶在壇之位,

それにより、周代の制度を推しあて、はめて行われておりますが、獻、懿の二祖は、やはり廟の壇・墠の位置にあります。

○獻、懿 唐の初代の天子高祖(劉淵)以前の先祖の称号と名は、献租、煕(き)、懿祖、天錫(せき)、太祖、虎(景皇帝)、世祖、昞(へい)高祖、淵、の順である。

○壇・墠 祭場。土を盛り上げたのを壇、地を清めたところを墠という。『礼記』祭法篇に「王立七廟,一壇一墠」(王は七廟を立つ、一壇一墠)とある。

 

況於毀瘞而不禘

ましてこれを毀ち痙めて、禘、祫の二つの祭りをしないことなどあり得ないのは、いうまでもないことでありましょう。

○瘞 うずめる。踟蹰に魏清夜玉などを埋めて地を祭ること、またその祭をいう。

65-#5-§3 《讀巻02-07 禘祫議》- §3 韓愈(韓退之)ID 《 803年貞元19年 38歳》<1388> Ⅱ韓昌黎集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5924

§3 二曰「獻、懿廟主,宜毀之瘞之」。

臣又以為不可。

謹按《禮記》,天子立七廟,一壇,一墠。

其毀廟之主,皆藏於祧廟。

雖百代不毀,祫則陳於太廟而饗焉。

 

壇は土地を高くして、そこに廟を作り、墠は壇の後の清浄な所である。

その毀瘞の神主(位牌)は、皆 祧廟に蔵めて、百代を経ても毀たず、祫の祭りをするときには、これを太廟に列ねて供物を献げる。

 

65-#5-§3 《讀巻02-07 禘祫議》- §3 韓愈(韓退之)ID  803年貞元19 38歳》<1388 Ⅱ韓昌黎集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5924

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§3-1

二曰「獻、懿廟主,宜毀之瘞之」。

第二には、「献・懿一廟の位牌は、これを毀して地にうずめるが宜しい」という。

臣又以為不可。

私はまたそれはよくないと考えます。

謹按《禮記》,天子立七廟,一壇,一墠。

謹んで、『礼記』を調べてみますと、天子は七廟を立て、各々一つの壇、一つの墠を設ける。

其毀廟之主,皆藏於祧廟。

壇は土地を高くして、そこに廟を作り、墠は壇の後の清浄な所である。

雖百代不毀,祫則陳於太廟而饗焉。

その毀瘞の神主(位牌)は、皆 祧廟に蔵めて、百代を経ても毀たず、祫の祭りをするときには、これを太廟に列ねて供物を献げる。

§3-2

自魏晉已降,始有毀瘞之議,

事非經據,竟不可施行。

今國家德厚流光,創立九廟。

以周制推之,獻、懿二祖,猶在壇墠之位,

況於毀瘞而不禘祫乎?

 

二に日く、「献・懿の廟主は、宜しく之を毀ち之を瘞むべし」と。

臣又以て不可と爲す。

謹んで《禮記》を按ずるに、天子七廟を立て、

一壇一、其の毀廟の主、皆祧廟に蔵す。

百代と雖も毀たず。には則ち太廟に陳ねて饗す。

 

§3-2

魏晋より己降、始めて毀瘞の議有り。

事経拠に非ず。完に施行す可からず。

今国家徳厚く光流し、創めて九廟を立て、周制を以て之を推す。

献・懿の二祖は、猶壇墠の位に在り。

況や毀瘞して禘・祫せざるに於てをや。

 

 

『禘』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

§3

二曰「獻、懿廟主,宜毀之瘞之」。

臣又以為不可。

謹按《禮記》,天子立七廟,一壇,一墠。

其毀廟之主,皆藏於祧廟。

雖百代不毀,祫則陳於太廟而饗焉。

§3-2

自魏晉已降,始有毀瘞之議,

事非經據,竟不可施行。

今國家德厚流光,創立九廟。

以周制推之,獻、懿二祖,猶在壇墠之位,

況於毀瘞而不禘祫乎?



(下し文)
二に日く、「献・懿の廟主は、宜しく之を毀ち之を瘞むべし」と。

臣又以て不可と爲す。

謹んで《禮記》を按ずるに、天子七廟を立て、

一壇一墠、其の毀廟の主、皆祧廟に蔵す。

百代と雖も毀たず。祫には則ち太廟に陳ねて饗す。

 

魂晋より己降、始めて毀瘞の議有り。

事経拠に非ず。完に施行す可からず。

今国家徳厚く光流し、創めて九廟を立て、周制を以て之を推す。

献・懿の二祖は、猶壇墠の位に在り。

況や毀瘞して禘・祫せざるに於てをや。



(現代語訳)
第二には、「献・懿一廟の位牌は、これを毀して地にうずめるが宜しい」という。

私はまたそれはよくないと考えます。

謹んで、『礼記』を調べてみますと、天子は七廟を立て、各々一つの壇、一つの墠を設ける。

壇は土地を高くして、そこに廟を作り、墠は壇の後の清浄な所である。

その毀瘞の神主(位牌)は、皆 祧廟に蔵めて、百代を経ても毀たず、祫の祭りをするときには、これを太廟に列ねて供物を献げる。



(訳注) §3-1

禘祫議

禘は五年に一度の朝廷の大祭、祫は三年に一度の大祭である。禘帝は禘祭である。「諦」は審である。『説文』段玉裁注に「之を祭りて審かに諦(あきら)かにする者なり。自来説く者皆言ふ、昭穆を審諦するなりと」とある。昭穆とは、天子の七廟に、まず始祖の廟は西より東を向き、その前方の北側南側にそれぞれ三廟があり、北側に位して南を向いて並んだもの三廟を昭といい、南側にあって北を向いた三廟を穆という。始祖から昭、昭から穆という順序に位を継いだ順を示すのである。これを祭ることによって明審にするのを禘というのである。また祫は合祭の意である。すでに遠くなった先祖の神位は、これを遠廟、すなわち祧に遷す。これを遷廟という。この祧した祖先を太祖の廟に合わせ祭るのを祫という。唐では中宗に至って世祖景皇帝を迫尊して、別に太祖の廟を立てて、献・懿の二宗の廟を加えて九廟とした。そのために祭礼が煩雑となり、群議が一致しないので、韓愈はこれを明らかにするためにこの文を上申した。

議は諭よりやや小さい問題の論文である。

 

二曰「獻、懿廟主,宜毀之瘞之」。

第二には、「献・懿一廟の位牌は、これを毀して地にうずめるが宜しい」という。

○瘞 うずめる。踟蹰に魏清夜玉などを埋めて地を祭ること、またその祭をいう。

 

臣又以為不可。

私はまたそれはよくないと考えます。

 

謹按《禮記》,天子立七廟,一壇,一墠。

謹んで、『礼記』を調べてみますと、天子は七廟を立て、各々一つの壇、一つの墠を設ける。

○礼記 『礼記』王制篇に(帝国の理想の政治制度が書かれている)が、「天子七廟,三昭三穆,與太祖之廟而七。」(天子は七廟、三昭三穆、大祖の廟と七なり)天子七廟,三昭(246世が左)三穆(357世が右)と太祖で七代七廟を祀る。とある。その疏に「周の七なる所以は、文王、武王命を受けたるを以て、其の廟毀たず。以て二祧と為す。始祖后稷及び高祖以下親廟四と幷せて、故に七と為すなり」とある。その他諸説ある。

○壇・墠 祭場。土を盛り上げたのを壇、地を清めたところを墠という。『礼記』祭法篇に「王立七廟,一壇一墠」(王は七廟を立つ、一壇一墠)とある。

 

其毀廟之主,皆藏於祧廟。

壇は土地を高くして、そこに廟を作り、墠は壇の後の清浄な所である。

○祧 『礼記』祭法篇に「祧之言超也,言其超然上去也。」(祧の言は超なり。其の超然として上に去るをいふ)と。遠廟のこと。高祖の父、祖父の廟をいう。別に離れた所に祧廟を立て、毀廟の神主を入れて置く。

 

雖百代不毀,祫則陳於太廟而饗焉。

その毀瘞の神主(位牌)は、皆 祧廟に蔵めて、百代を経ても毀たず、祫の祭りをするときには、これを太廟に列ねて供物を献げる。

65-#4-§ 《讀巻02-07 禘祫議》- §2 韓愈(韓退之)ID 《 802年貞元18年 36歳》   ()<1387> Ⅱ韓昌黎集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5919

§2 一曰「獻懿廟主,宜永藏之夾室」。臣以為不可。夫祫者,合也。毀廟之主,皆當合食於太祖、獻、懿二祖,即毀廟主也。今雖藏於夾室,至禘祫之時,豈得不食於太廟乎?名曰合祭,而二祖不得祭焉,不可謂之合矣。

一体、その祫とは合という意味であります。独立した廟を毀【こわ】して、昭三廟・穆三廟のほかに遷すべき位牌は、皆当然太祖の廟に合わせ祭るべきものであります。献と懿の二祖はとりもなおさずその毀廟の主であります。

 

65-#4-§ 《讀巻02-07 禘祫議》- §2 韓愈(韓退之)ID  802年貞元18 36歳》   ()1387 Ⅱ韓昌黎集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5919韓愈詩-65-#4-§

 
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65-#4-§ 《讀巻02-07 禘祫議》- §2 韓愈(韓退之)ID 《 802年貞元18年 36歳》   ()<1387> Ⅱ韓昌黎集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5919 
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 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
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禘祫議

禘は五年に一度の朝廷の大祭、祫は三年に一度の大祭である。禘帝は禘祭である。「諦」は審である。『説文』段玉裁注に「之を祭りて審かに諦(あきら)かにする者なり。自来説く者皆言ふ、昭穆を審諦するなりと」とある。昭穆とは、天子の七廟に、まず始祖の廟は西より東を向き、その前方の北側南側にそれぞれ三廟があり、北側に位して南を向いて並んだもの三廟を昭といい、南側にあって北を向いた三廟を穆という。始祖から昭、昭から穆という順序に位を継いだ順を示すのである。これを祭ることによって明審にするのを禘というのである。また祫は合祭の意である。すでに遠くなった先祖の神位は、これを遠廟、すなわち祧に遷す。これを遷廟という。この祧した祖先を太祖の廟に合わせ祭るのを祫という。唐では中宗に至って世祖景皇帝を迫尊して、別に太祖の廟を立てて、献・懿の二宗の廟を加えて九廟とした。そのために祭礼が煩雑となり、群議が一致しないので、韓愈はこれを明らかにするためにこの文を上申した。

議は諭よりやや小さい問題の論文である。

 

昌黎先生集《》§1

(唐では中宗に至って世祖景皇帝を迫尊して、別に太祖の廟を立てて、献・懿の二宗の廟を加えて九廟とした。そのために祭礼が煩雑となり、群議が一致しないので、韓愈はこれを明らかにするためにこの文を上申した小論文である。)

右今月十六日敕旨,宜令百僚議,限五日聞奏者。

右今月十六日のみことのりの旨は、百官をしてこれを議論して、五日以内を限って奏聞させよとのこと。

將仕郎守國子監四門博士臣韓愈謹獻議曰:

将仕郎で守国子監、四門博士の韓愈が、謹んで意見をたてまつり申し上げます。

伏以陛下追孝祖宗,肅敬祀事。

伏して思いますに、陛下は祖先に対して今からさかのぼり孝心をお尽くしになり、祀りの事をつつしみうやまいなされることであります、

凡在擬議,不敢自專,聿求厥中,延訪群下。

凡そ物事を推しはかり論議する場合、思い切って御自分だけでおきめにならず、ついに過不及のない中正のところを求めて、引いては群臣にまでお尋ねになられる。

§1-2

昌黎先生集巻十四《禘【ていこう】の議》§1-1

右今月十六日の赦旨に、宜しく官僚をして議して、五日内を限りて、聞奏せしむべき者と。將仕郎 守國 子監四門博士臣 韓愈 謹みて議を献じて日く、

伏して以ふに陛下孝を祖宗に迫ひて、祀事を甫敬し、

凡そ擬議するに在っては、敢て自ら尊にせず、聿に厥の中を求め、延いて羣下に訪ふ。

然而禮文繁漫,所執各殊,

自建中之初,迄至今

建中(780)の初めから今年(802)まで、

屢經禘,未合適從。

しばしば禘祫の祭りを経て参りましたが、まだそのどれも祀行するに従うものとして適当ではありません。

臣生遭聖明,涵泳恩澤,

私は生まれてこのかた、聖明な陛下の御世に遇い、御恩沢に充分浸り浴しております。

雖賤不及議,而誌切效忠。

身分はいやしくて、この論議に参加できなくても、志は、まごころをつくしたいと切実に思っております。

今輒先舉議之非,然後申明其

今は、まず、多くの議論の誤っているところを取り挙げて、そのあとでわたくしの説をのべ明らかにいたさせていただきたいのであります。

 

§1-2

然り而して禮文繁漫、執る所各の殊なり。

建中の初より、今歳に至る迄、屡ば禘を経るに、未だ合に適從すべからず。

臣生れて聖明に遭ひ、恩澤に涵泳す。

賎しくして議に及はずと雖も、而も志は忠を致すに切なり。

今、輒ち先づ衆議の非を挙げて、然る後に其の説を申明せん。

§2

一曰「獻懿廟主,宜永藏之夾室」。

衆議の一つは、獻と懿の二祖の御位牌は、永くこれを大廟の左右の室におさめるのがよろしいという。

臣以為不可。

しかし、私は、それはよくないと考えます。

夫祫者,合也。毀廟之主,皆當合食於太祖、

一体、その祫とは合という意味であります。独立した廟を毀【こわ】して、昭三廟・穆三廟のほかに遷すべき位牌は、皆当然太祖の廟に合わせ祭るべきものであります。

獻、懿二祖,即毀廟主也。

献と懿の二祖はとりもなおさずその毀廟の主であります。

今雖藏於夾室,至禘祫之時,豈得不食於太廟乎?

今は夾室に蔵めてありますけれども、禘と祫の二祭の時になれば、どうして太祖の廟に合食しないでおられましょうか。

名曰合祭,而二祖不得祭焉,不可謂之合矣。

名づけて合祭といいながら、二祖が祭られることができないならば、合祭ということができないのであります。

§3

二曰「獻、懿廟主,宜毀之瘞之」。

臣又以為不可。

謹按《禮記》,天子立七廟,一壇,一墠。

其毀廟之主,皆藏於祧廟。

雖百代不毀,祫則陳於太廟而饗焉。

自魏晉已降,始有毀瘞之議,事非經據,竟不可施行。

今國家德厚流光,創立九廟。

以周制推之,獻、懿二祖,猶在壇墠之位,況於毀瘞而不禘祫乎?

 

 

『禘』 現代語訳と訳註解説
(
本文)
§2

一曰「獻懿廟主,宜永藏之夾室」。

臣以為不可。

夫祫者,合也。毀廟之主,皆當合食於太祖、獻、懿二祖,即毀廟主也。

今雖藏於夾室,至禘祫之時,豈得不食於太廟乎?

名曰合祭,而二祖不得祭焉,不可謂之合矣。



(下し文)
一に日く、獻・懿の廟主は、宜しく永く之を夾室に蔵すべしと。

臣以て不可と爲す。夫れ祫は合なり。

毀廟の主は、皆当に大祖に合食すべし。

獻・懿二組は、即ち毀廟の主なり。

今夾室に蔵すと雖も、禘祫の時に至り、豈大廟に食せざるを得んや。

名づけて合祭と日ふ。而して二祖祭るを得ずんば、之を合と謂ふ可からざるなり。


(現代語訳)
衆議の一つは、獻と懿の二祖の御位牌は、永くこれを大廟の左右の室におさめるのがよろしいという。

しかし、私は、それはよくないと考えます。

一体、その祫とは合という意味であります。独立した廟を毀【こわ】して、昭三廟・穆三廟のほかに遷すべき位牌は、皆当然太祖の廟に合わせ祭るべきものであります。

献と懿の二祖はとりもなおさずその毀廟の主であります。

今は夾室に蔵めてありますけれども、禘と祫の二祭の時になれば、どうして太祖の廟に合食しないでおられましょうか。

名づけて合祭といいながら、二祖が祭られることができないならば、合祭ということができないのであります。


(訳注) §2

《禘祫議》

然而禮文繁漫,所執各殊,

そうなりますと、祭礼の様式のさだめたものは、繁雑でまとまりがなく放漫になってしまい、人によって、それを読んで、受け執るところの考えが各々ちがってくるのです。

繁漫 繁雜であって、放漫であること。・繁:1 草木がしげる。物事が盛んになる。たくさん増える。「繁栄・繁華・繁盛(はんじょう)・繁殖・繁茂」2 事が多くて煩わしい。「繁簡・繁雑・繁多・繁文・繁忙/頻繁・農繁期」・漫:1 一面に満ちて覆うさま。「漫漫/瀰漫(びまん)・爛漫(らんまん)2 むやみに広がって締まりがない。「漫然/散漫・冗漫・放漫」3 何とはなしに。気のむくまま。

 

一曰「獻懿廟主,宜永藏之夾室」。

衆議の一つは、獻と懿の二祖の御位牌は、永くこれを大廟の左右の室におさめるのがよろしいという。

○獻懿 唐の初代の天子高祖(劉淵)以前の先祖の称号と名は、献租、煕(き)、懿祖、天錫(せき)、太祖、虎(景皇帝)、世祖、昞(へい)高祖、淵、の順である。

○廟王 みたまやの神位、位牌。

○夾室 太廟の左右にある室。

 

臣以為不可。

しかし、私は、それはよくないと考えます。

 

夫祫者,合也。毀廟之主,皆當合食於太祖、

一体、その祫とは合という意味であります。独立した廟を毀【こわ】して、昭三廟・穆三廟のほかに遷すべき位牌は、皆当然太祖の廟に合わせ祭るべきものであります。

○毀廟 こばつべきみたまや。五世以上の祖霊は覇をこわして神主を大麻に遷す。大朝は始祖(太祖)の廟。

 

獻、懿二祖,即毀廟主也。

献と懿の二祖はとりもなおさずその毀廟の主であります。

 

今雖藏於夾室,至禘祫之時,豈得不食於太廟乎?

今は夾室に蔵めてありますけれども、禘と祫の二祭の時になれば、どうして太祖の廟に合食しないでおられましょうか。

 

名曰合祭,而二祖不得祭焉,不可謂之合矣。

名づけて合祭といいながら、二祖が祭られることができないならば、合祭ということができないのであります。

○合祭 先祖が合同で祭りの供え物を享ける。

65-#3 §1-2 《讀巻02-07 禘祫議》- §1 韓愈(韓退之)ID 《 802年貞元18年 36歳》   ()<1386> Ⅱ韓昌黎集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5914

禘祫議-§1-2 》韓愈

然而禮文繁漫,所執各殊,自建中之初,迄至今,屢經禘祫,未合適從。

臣生遭聖明,涵泳恩澤,雖賤不及議,而誌切效忠。

今輒先舉眾議之非,然後申明其

今は、まず、多くの議論の誤っているところを取り挙げて、そのあとでわたくしの説をのべ明らかにいたさせていただきたいのであります。

 

65-#3 §1-2 《讀巻02-07 禘祫議》- §1 韓愈(韓退之)ID  802年貞元18 36歳》   ()1386 Ⅱ韓昌黎集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5914韓愈詩-65-#3 §1-2

 
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 ●杜甫の全作品1500首を訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。" 
 Ⅲ杜甫詩全1500首   LiveDoorBlog766年大暦元年55歲-49【5分割】 《巻1513 昔遊 -3》 杜甫index-15 杜甫<912-#3> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5915 
 杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩) 杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首 
 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
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 Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoorBlog『花間集』全詩訳注解説(改訂版)-4.薛昭蘊143《巻三42醉公子一首》巻三4243-〈143〉漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-5917 
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§

1-2

 

(唐では中宗に至って世祖景皇帝を迫尊して、別に太祖の廟を立てて、献・懿の二宗の廟を加えて九廟とした。そのために祭礼が煩雑となり、群議が一致しないので、韓愈はこれを明らかにするためにこの文を上申した小論文である。)

 

昌黎先生集巻十四《禘祫議》§1

右今月十六日敕旨,宜令百僚議,限五日聞奏者。

將仕郎守國子監四門博士臣韓愈謹獻議曰:

伏以陛下追孝祖宗,肅敬祀事。凡在擬議,不敢自專,聿求厥中,延訪群下。

然而禮文繁漫,所執各殊,自建中之初,迄至今,屢經禘祫,未合適從。

臣生遭聖明,涵泳恩澤,雖賤不及議,而誌切效忠。今輒先舉眾議之非,然後申明其

 

 

65-#2 §1 《讀巻02-07 禘祫議》- §1 韓愈(韓退之)ID  802年貞元18 36歳》   ()1385> Ⅱ韓昌黎集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5909韓愈詩-65-#2 §1

 

 

禘祫議

禘は五年に一度の朝廷の大祭、祫は三年に一度の大祭である。禘帝は禘祭である。「諦」は審である。『説文』段玉裁注に「之を祭りて審かに諦(あきら)かにする者なり。自来説く者皆言ふ、昭穆を審諦するなりと」とある。昭穆とは、天子の七廟に、まず始祖の廟は西より東を向き、その前方の北側南側にそれぞれ三廟があり、北側に位して南を向いて並んだもの三廟を昭といい、南側にあって北を向いた三廟を穆という。始祖から昭、昭から穆という順序に位を継いだ順を示すのである。これを祭ることによって明審にするのを禘というのである。また祫は合祭の意である。すでに遠くなった先祖の神位は、これを遠廟、すなわち祧に遷す。これを遷廟という。この祧した祖先を太祖の廟に合わせ祭るのを祫という。唐では中宗に至って世祖景皇帝を迫尊して、別に太祖の廟を立てて、献・懿の二宗の廟を加えて九廟とした。そのために祭礼が煩雑となり、群議が一致しないので、韓愈はこれを明らかにするためにこの文を上申した。

議は諭よりやや小さい問題の論文である。

 

昌黎先生集《》§1

(唐では中宗に至って世祖景皇帝を迫尊して、別に太祖の廟を立てて、献・懿の二宗の廟を加えて九廟とした。そのために祭礼が煩雑となり、群議が一致しないので、韓愈はこれを明らかにするためにこの文を上申した小論文である。)

右今月十六日敕旨,宜令百僚議,限五日聞奏者。

右今月十六日のみことのりの旨は、百官をしてこれを議論して、五日以内を限って奏聞させよとのこと。

將仕郎守國子監四門博士臣韓愈謹獻議曰:

将仕郎で守国子監、四門博士の韓愈が、謹んで意見をたてまつり申し上げます。

伏以陛下追孝祖宗,肅敬祀事。

伏して思いますに、陛下は祖先に対して今からさかのぼり孝心をお尽くしになり、祀りの事をつつしみうやまいなされることであります、

凡在擬議,不敢自專,聿求厥中,延訪群下。

凡そ物事を推しはかり論議する場合、思い切って御自分だけでおきめにならず、ついに過不及のない中正のところを求めて、引いては群臣にまでお尋ねになられる。

§1-2

昌黎先生集巻十四《禘【ていこう】の議》§1-1

右今月十六日の赦旨に、宜しく官僚をして議して、五日内を限りて、聞奏せしむべき者と。將仕郎 守國 子監四門博士臣 韓愈 謹みて議を献じて日く、

伏して以ふに陛下孝を祖宗に迫ひて、祀事を甫敬し、

凡そ擬議するに在っては、敢て自ら尊にせず、聿に厥の中を求め、延いて羣下に訪ふ。

然而禮文繁漫,所執各殊,

自建中之初,迄至今

建中(780)の初めから今年(802)まで、

屢經禘,未合適從。

しばしば禘祫の祭りを経て参りましたが、まだそのどれも祀行するに従うものとして適当ではありません。

臣生遭聖明,涵泳恩澤,

私は生まれてこのかた、聖明な陛下の御世に遇い、御恩沢に充分浸り浴しております。

雖賤不及議,而誌切效忠。

身分はいやしくて、この論議に参加できなくても、志は、まごころをつくしたいと切実に思っております。

今輒先舉議之非,然後申明其

今は、まず、多くの議論の誤っているところを取り挙げて、そのあとでわたくしの説をのべ明らかにいたさせていただきたいのであります。

 

§1-2

然り而して禮文繁漫、執る所各の殊なり。

建中の初より、今歳に至る迄、屡ば禘を経るに、未だ合に適從すべからず。

臣生れて聖明に遭ひ、恩澤に涵泳す。

賎しくして議に及はずと雖も、而も志は忠を致すに切なり。

今、輒ち先づ衆議の非を挙げて、然る後に其の説を申明せん。

 

 

『禘』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

昌黎先生集巻十四《禘祫議》§1-1

右今月十六日敕旨,宜令百僚議,限五日聞奏者。

將仕郎守國子監四門博士臣韓愈謹獻議曰:

伏以陛下追孝祖宗,肅敬祀事。

凡在擬議,不敢自專,聿求厥中,延訪群下。

§1-2

然而禮文繁漫,所執各殊,

自建中之初,迄至今

屢經禘祫,未合適從。

臣生遭聖明,涵泳恩澤,

雖賤不及議,而誌切效忠。

今輒先舉眾議之非,然後申明其


(下し文)
昌黎先生集巻十四《禘【ていこう】の議》§1-1

右今月十六日の赦旨に、宜しく官僚をして議して、五日内を限りて、聞奏せしむべき者と。將仕郎 守國 子監四門博士臣 韓愈 謹みて議を献じて日く、

伏して以ふに陛下孝を祖宗に迫ひて、祀事を甫敬し、

凡そ擬議するに在っては、敢て自ら尊にせず、聿に厥の中を求め、延いて羣下に訪ふ。
§1-2

然り而して禮文繁漫、執る所各の殊なり。

建中の初より、今歳に至る迄、屡ば禘を経るに、未だ合に適從すべからず。

臣生れて聖明に遭ひ、恩澤に涵泳す。

賎しくして議に及はずと雖も、而も志は忠を致すに切なり。

今、輒ち先づ衆議の非を挙げて、然る後に其の説を申明せん。


(現代語訳)
(唐では中宗に至って世祖景皇帝を迫尊して、別に太祖の廟を立てて、献・懿の二宗の廟を加えて九廟とした。そのために祭礼が煩雑となり、群議が一致しないので、韓愈はこれを明らかにするためにこの文を上申した小論文である。)

1-1

右今月十六日のみことのりの旨は、百官をしてこれを議論して、五日以内を限って奏聞させよとのこと。

将仕郎で守国子監、四門博士の韓愈が、謹んで意見をたてまつり申し上げます。

伏して思いますに、陛下は祖先に対して今からさかのぼり孝心をお尽くしになり、祀りの事をつつしみうやまいなされることであります、

凡そ物事を推しはかり論議する場合、思い切って御自分だけでおきめにならず、ついに過不及のない中正のところを求めて、引いては群臣にまでお尋ねになられる。

1-2

そうなりますと、祭礼の様式のさだめたものは、繁雑でまとまりがなく放漫になってしまい、人によって、それを読んで、受け執るところの考えが各々ちがってくるのです。

建中(780)の初めから今年(802)まで、

しばしば禘祫の祭りを経て参りましたが、まだそのどれも祀行するに従うものとして適当ではありません。

私は生まれてこのかた、聖明な陛下の御世に遇い、御恩沢に充分浸り浴しております。

身分はいやしくて、この論議に参加できなくても、志は、まごころをつくしたいと切実に思っております。

今は、まず、多くの議論の誤っているところを取り挙げて、そのあとでわたくしの説をのべ明らかにいたさせていただきたいのであります。


(訳注)

《禘祫議》

然而禮文繁漫,所執各殊,

そうなりますと、祭礼の様式のさだめたものは、繁雑でまとまりがなく放漫になってしまい、人によって、それを読んで、受け執るところの考えが各々ちがってくるのです。

繁漫 繁雜であって、放漫であること。・繁:1 草木がしげる。物事が盛んになる。たくさん増える。「繁栄・繁華・繁盛(はんじょう)・繁殖・繁茂」2 事が多くて煩わしい。「繁簡・繁雑・繁多・繁文・繁忙/頻繁・農繁期」・漫:1 一面に満ちて覆うさま。「漫漫/瀰漫(びまん)・爛漫(らんまん)2 むやみに広がって締まりがない。「漫然/散漫・冗漫・放漫」3 何とはなしに。気のむくまま。

 

自建中之初,迄至今

建中(780)の初めから今年(802)まで、

○建中- 徳宗の年号(780783)から802年貞元18年までの22年間。

 

屢經禘祫,未合適從。

しばしば禘祫の祭りを経て参りましたが、まだそのどれも祀行するに従うものとして適当ではありません。

○未合 いまだまさに……すべからず。合は応、当のように読む。

 

臣生遭聖明,涵泳恩澤,

私は生まれてこのかた、聖明な陛下の御世に遇い、御恩沢に充分浸り浴しております。

涵泳 ひたりおよぐ。充分に浴する。

 

雖賤不及議,而誌切效忠。

身分はいやしくて、この論議に参加できなくても、志は、まごころをつくしたいと切実に思っております。

○切效忠 まごころをつくしたいと切実に思う。

 

今輒先舉眾議之非,然後申明其

今は、まず、多くの議論の誤っているところを取り挙げて、そのあとでわたくしの説をのべ明らかにいたさせていただきたいのであります。

○申明 明らかにする。中も明の意がある。

65-#2 §1 《讀巻02-07 禘祫議》- §1 韓愈(韓退之)ID 《 802年貞元18年 36歳》   ()<1385> Ⅱ韓昌黎集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5909

昌黎先生集巻十四《禘祫議》§1

右今月十六日敕旨,宜令百僚議,限五日聞奏者。

將仕郎守國子監四門博士臣韓愈謹獻議曰:

伏以陛下追孝祖宗,肅敬祀事。凡在擬議,不敢自專,聿求厥中,延訪群下。

然而禮文繁漫,所執各殊,自建中之初,迄至今,屢經禘祫,未合適從。

臣生遭聖明,涵泳恩澤,雖賤不及議,而誌切效忠。今輒先舉眾議之非,然後申明其

(唐では中宗に至って世祖景皇帝を迫尊して、別に太祖の廟を立てて、献・懿の二宗の廟を加えて九廟とした。そのために祭礼が煩雑となり、群議が一致しないので、韓愈はこれを明らかにするためにこの文を上申した小論文である。)

 

 

 

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禘祫議

禘は五年に一度の朝廷の大祭、祫は三年に一度の大祭である。禘帝は禘祭である。「諦」は審である。『説文』段玉裁注に「之を祭りて審かに諦(あきら)かにする者なり。自来説く者皆言ふ、昭穆を審諦するなりと」とある。昭穆とは、天子の七廟に、まず始祖の廟は西より東を向き、その前方の北側南側にそれぞれ三廟があり、北側に位して南を向いて並んだもの三廟を昭といい、南側にあって北を向いた三廟を穆という。始祖から昭、昭から穆という順序に位を継いだ順を示すのである。これを祭ることによって明審にするのを禘というのである。また祫は合祭の意である。すでに遠くなった先祖の神位は、これを遠廟、すなわち祧に遷す。これを遷廟という。この祧した祖先を太祖の廟に合わせ祭るのを祫という。唐では中宗に至って世祖景皇帝を迫尊して、別に太祖の廟を立てて、献・懿の二宗の廟を加えて九廟とした。そのために祭礼が煩雑となり、群議が一致しないので、韓愈はこれを明らかにするためにこの文を上申した。

議は諭よりやや小さい問題の論文である。

 

昌黎先生集《》§1

(唐では中宗に至って世祖景皇帝を迫尊して、別に太祖の廟を立てて、献・懿の二宗の廟を加えて九廟とした。そのために祭礼が煩雑となり、群議が一致しないので、韓愈はこれを明らかにするためにこの文を上申した小論文である。)

右今月十六日敕旨,宜令百僚議,限五日聞奏者。

右今月十六日のみことのりの旨は、百官をしてこれを議論して、五日以内を限って奏聞させよとのこと。

將仕郎守國子監四門博士臣韓愈謹獻議曰:

将仕郎で守国子監、四門博士の韓愈が、謹んで意見をたてまつり申し上げます。

伏以陛下追孝祖宗,肅敬祀事。

伏して思いますに、陛下は祖先に対して今からさかのぼり孝心をお尽くしになり、祀りの事をつつしみうやまいなされることであります、

凡在擬議,不敢自專,聿求厥中,延訪群下。

凡そ物事を推しはかり論議する場合、思い切って御自分だけでおきめにならず、ついに過不及のない中正のところを求めて、引いては群臣にまでお尋ねになられる。

§1-2

昌黎先生集巻十四《禘【ていこう】の議》§1-1

右今月十六日の赦旨に、宜しく官僚をして議して、五日内を限りて、聞奏せしむべき者と。將仕郎 守國 子監四門博士臣 韓愈 謹みて議を献じて日く、

伏して以ふに陛下孝を祖宗に迫ひて、祀事を甫敬し、

凡そ擬議するに在っては、敢て自ら尊にせず、聿に厥の中を求め、延いて羣下に訪ふ。

然而禮文繁漫,所執各殊,

自建中之初,迄至今

屢經禘祫,未合適從。

臣生遭聖明,涵泳恩澤,

雖賤不及議,而誌切效忠。

今輒先舉眾議之非,然後申明其

 

§1-2

然り而して禮文繁漫、執る所各の殊なり。

建中の初より、今歳に至る迄、屡ば禘を経るに、未だ合に適從すべからず。

臣生れて聖明に遭ひ、恩澤に涵泳す。

賎しくして議に及はずと雖も、而も志は忠を致すに切なり。

今、輒ち先づ衆議の非を挙げて、然る後に其の説を申明せん。

 

 

『禘』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

昌黎先生集巻十四《禘祫議》§1-1

右今月十六日敕旨,宜令百僚議,限五日聞奏者。

將仕郎守國子監四門博士臣韓愈謹獻議曰:

伏以陛下追孝祖宗,肅敬祀事。

凡在擬議,不敢自專,聿求厥中,延訪群下。

§1-2

然而禮文繁漫,所執各殊,

自建中之初,迄至今

屢經禘祫,未合適從。

臣生遭聖明,涵泳恩澤,

雖賤不及議,而誌切效忠。

今輒先舉眾議之非,然後申明其


(下し文)
昌黎先生集巻十四《禘【ていこう】の議》§1-1

右今月十六日の赦旨に、宜しく官僚をして議して、五日内を限りて、聞奏せしむべき者と。將仕郎 守國 子監四門博士臣 韓愈 謹みて議を献じて日く、

伏して以ふに陛下孝を祖宗に迫ひて、祀事を甫敬し、

凡そ擬議するに在っては、敢て自ら尊にせず、聿に厥の中を求め、延いて羣下に訪ふ。

(現代語訳)
(唐では中宗に至って世祖景皇帝を迫尊して、別に太祖の廟を立てて、献・懿の二宗の廟を加えて九廟とした。そのために祭礼が煩雑となり、群議が一致しないので、韓愈はこれを明らかにするためにこの文を上申した小論文である。)

右今月十六日のみことのりの旨は、百官をしてこれを議論して、五日以内を限って奏聞させよとのこと。

将仕郎で守国子監、四門博士の韓愈が、謹んで意見をたてまつり申し上げます。

伏して思いますに、陛下は祖先に対して今からさかのぼり孝心をお尽くしになり、祀りの事をつつしみうやまいなされることであります、

凡そ物事を推しはかり論議する場合、思い切って御自分だけでおきめにならず、ついに過不及のない中正のところを求めて、引いては群臣にまでお尋ねになられる。



(訳注)

《禘祫議》§1-1

(唐では中宗に至って世祖景皇帝を迫尊して、別に太祖の廟を立てて、献・懿の二宗の廟を加えて九廟とした。そのために祭礼が煩雑となり、群議が一致しないので、韓愈はこれを明らかにするためにこの文を上申した小論文である。)

 

右今月十六日敕旨,宜令百僚議,限五日聞奏者。

右今月十六日のみことのりの旨は、百官をしてこれを議論して、五日以内を限って奏聞させよとのこと。

○百僚 百官。僚は同官。

 

將仕郎守國子監四門博士臣韓愈謹獻議曰:

将仕郎で守国子監、四門博士の韓愈が、謹んで意見をたてまつり申し上げます。

○将仕郎 唐の文散官(職事の無い、閑な官) の名で、従九品。最も低い官。

○国子監 国子学と同じ。国学、大学。

 

伏以陛下追孝祖宗,肅敬祀事。

伏して思いますに、陛下は祖先に対して今からさかのぼり孝心をお尽くしになり、祀りの事をつつしみうやまいなされることであります、

○追孝 祖先の死後の孝行。祭りのこと。

 

凡在擬議,不敢自專,聿求厥中,延訪群下。

凡そ物事を推しはかり論議する場合、思い切って御自分だけでおきめにならず、ついに過不及のない中正のところを求めて、引いては群臣にまでお尋ねになられる。

○聿 「つひに」、また「ここに」と読む。

65-#1 《讀巻02-06 禘祫議》 韓愈(韓退之)ID 《 802年貞元18年 35歳》   ()<1384> Ⅱ韓昌黎集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5904韓愈詩-65-#1

禘祫議

 

或作祫禘。今按篇皆作禘祫。《禮》:三年一祫,五年一禘。

祫者,合也,謂以昭穆合食於太祖之廟。

禘者,諦也,謂審諦其尊卑而祀之,禘祫之議,考之《新史·陳京傳》及《禮樂誌》,前後議者不一。
65-#1

 


唐宋八大家文読本巻二

昌黎先生集 巻14

禘祫議

 

65 《讀巻03-06 禘祫議》 韓愈(韓退之)ID  802年貞元18 36歳》   ()1384 Ⅱ韓昌黎集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5904韓愈詩-65

 

 

禘祫議

 

或作祫禘。今按篇皆作禘祫。《禮》:三年一祫,五年一禘。

祫者,合也,謂以昭穆合食於太祖之廟。

禘者,諦也,謂審諦其尊卑而祀之,禘祫之議,考之《新史·陳京傳》及《禮樂誌》,前後議者不一。

或いは祫禘に作る。今按篇の皆 禘祫と作る。《禮》に:三年に一たび祫し,五年に一たび禘とする。

祫者は,合也,以て謂う 昭と穆を太祖之廟に合食す、と。

禘者は,諦也,謂審やかに諦かにするは其れを尊卑して之を祀し,禘祫の議,之を《新史·陳京傳》及び《禮樂誌》で考,前後 議者は一ならず。

陳京始建議,繼有禮儀使顏真卿議,左庶子李嶸等七人議,吏部侍郎柳冕等十二人議,司勛員外郎裴樞、同官縣尉仲子陵、京兆少府韋武等議,左司陸淳議,左仆射姚南仲等獻議五十七封,尚書王紹等五十五人議,鴻臚卿王權又申衍之。

陳京の始め建議し,繼いで禮儀使顏真卿の議有り,左庶子李嶸 等七人の議,吏部侍郎柳冕等十二人の議,司勛員外郎裴樞、同官縣尉仲子陵、京兆少府韋武 等の議,左司陸淳議,左僕射姚南仲等の獻議 五十七封じ,尚書王紹等五十五人の議,鴻臚卿 王權 又た之を申衍す

公所排五,即此諸人議也。

其間惟顏魯公議與公合,後卒詔從王紹等議。

正景皇帝東向之位已下,列序昭穆,附獻、懿二主於興聖廟,禘祫就本室饗之。

凡二十年乃決。

公所五排す,即ち此の諸人の議なり。

其の間 惟れ顏魯公の議を公合に與え,後詔を卒して 從て王紹等議とす。

正に景皇帝は東向して之位し已に下り,列序は昭穆に,獻と、懿の二主を興聖廟に附して,禘祫して本室の饗之に就く。凡そ二十年には乃を決す。

 

 禘は五年に一度の朝廷の大祭、祫は三年に一度の大祭である。禘帝は禘祭である。「諦」は審である。『説文』段玉裁注に「之を祭りて審かに諦(あきら)かにする者なり。自来説く者皆言ふ、昭穆を審諦するなりと」とある。昭穆とは、天子の七廟に、まず始祖の廟は西より東を向き、その前方の北側南側にそれぞれ三廟があり、北側に位して南を向いて並んだもの三廟を昭といい、南側にあって北を向いた三廟を穆という。始祖から昭、昭から穆という順序に位を継いだ順を示すのである。これを祭ることによって明審にするのを禘というのである。また祫は合祭の意である。すでに遠くなった先祖の神位は、これを遠廟、すなわち祧に遷す。これを遷廟という。この祧した祖先を太祖の廟に合わせ祭るのを祫という。唐では中宗に至って世祖景皇帝を迫尊して、別に太祖の廟を立てて、献・懿の二宗の廟を加えて九廟とした。そのために祭礼が煩雑となり、群議が一致しないので、韓愈はこれを明らかにするためにこの文を上申した。

議は諭よりやや小さい問題の論文である。

 

《昌黎先生集》§1

右今月十六日敕旨,宜令百僚議,限五日聞奏者。

將仕郎守國子監四門博士臣韓愈謹獻議曰:

伏以陛下追孝祖宗,肅敬祀事。凡在擬議,不敢自專,聿求厥中,延訪群下。

然而禮文繁漫,所執各殊,自建中之初,迄至今,屢經禘祫,未合適從。

臣生遭聖明,涵泳恩澤,雖賤不及議,而誌切效忠。今輒先舉眾議之非,然後申明其

§2

一曰「獻懿廟主,宜永藏之夾室」。

臣以為不可。

夫祫者,合也。毀廟之主,皆當合食於太祖、獻、懿二祖,即毀廟主也。

今雖藏於夾室,至禘祫之時,豈得不食於太廟乎?名曰合祭,而二祖不得祭焉,不可謂之合矣。

§3

二曰「獻、懿廟主,宜毀之瘞之」。

臣又以為不可。

謹按《禮記》,天子立七廟,一壇,一墠。

其毀廟之主,皆藏於祧廟。

雖百代不毀,祫則陳於太廟而饗焉。

自魏晉已降,始有毀瘞之議,事非經據,竟不可施行。

今國家德厚流光,創立九廟。

以周制推之,獻、懿二祖,猶在壇墠之位,況於毀瘞而不禘祫乎?

§4

三曰「獻、懿廟主,宜各遷於其陵所」。[12]臣又以為不可。二祖之祭於京師,列於太廟也,二百年矣。今一朝遷之,豈惟人聽疑惑,抑恐二祖之靈,眷顧依遲,不即饗於下國也。[13]

§5

四曰「獻、懿廟主,宜附於興聖廟而不禘祫。」[14]臣又以為不可。《傳》曰「祭如在」。景皇帝雖太祖,其於屬,乃獻、懿之子孫也。[15]今欲正其子東向之位,廢其父之大祭,固不可為典矣。[16]

§6

五曰「獻、懿二祖,宜別立廟於京師。」[17]臣又以為不可。夫禮有所降,情有所殺。是故去廟為祧,去祧為壇,去壇為墠,去墠為鬼,漸而之遠,其祭益稀。[18]昔者魯立煬宮,《春秋》非之,[19]以為不當取已毀之廟,既藏之主,而復築宮以祭。今之所議,與此正同。又雖違禮立廟,至於禘祫也,合食則禘無其所,廢祭則於義不通。

此五者,皆所不可。[20]

 

§7

故臣博採前聞,求其折中。以為殷祖玄王,[21]周祖後稷,太祖之上,皆自為帝;又其代數已遠,不復祭之,故太祖得正東向之位,子孫從昭穆之列。《禮》所稱者,蓋以紀一時之宜,非傳於後代之法也。[22]

§8

《傳》曰:「子雖齊聖,不先父食。」[23]蓋言子為父屈也。景皇帝雖太祖也,其於獻、懿,則子孫也。當禘祫之時,獻祖宜居東向之位,景皇帝宜從昭穆之列,祖以孫尊,孫以祖屈,求之神道,豈遠人情?[24]又常祭甚眾,[25]合祭甚寡,則是太祖所屈之祭至少,所伸之祭至多,比於伸孫之尊,廢祖之祭,不亦順乎?[26]事異殷周,禮從而變,非所失禮也。[27]

§9

臣伏以制禮作樂者,天子之職也。陛下以臣議有可采,[28]粗合天心,斷而行之,是則為禮。如以為猶或可疑,乞召臣對,面陳得失,庶有發明。謹議。

 
 2015年4月26日の紀頌之5つのBlog 
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 Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
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 杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩) 杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首 
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《讀巻02-06 禘祫議》 韓愈(韓退之)ID  802年貞元18 35歳》   ()1384 Ⅱ韓昌黎集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5904韓愈詩-65-#1

64-#3 《補遺-25 送陸歙州參》   (我衣之華兮,) 韓愈(韓退之)ID 《 802年貞元18年 36歳》   ()<1383> Ⅱ韓昌黎集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5899

送陸歙州參
だから、その馬を駆ることをしないでほしい、急がずにゆっくりしてぼつぼつ行かれることを勧める。もしかしたら、この歌が天子の耳に届いて、詔を下されて、陸君の地方就任は取りやめになるかもしれない。

我衣之華兮,我佩之光。

陸君之去兮,誰與翔。

斂此大惠兮,施於一州。

今其去矣,胡不為留。

我作此詩,歌於遠道。

無疾其驅,天子有詔。
送陸歙州參》韓愈  

 

 

64-#3 《補遺-25 送陸歙州參》   (我衣之華兮,) 韓愈(韓退之)ID  802年貞元18 36歳》   ()1383> Ⅱ韓昌黎集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5899韓愈詩-64-#3

 
 2015年4月25日の紀頌之5つのBlog 
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 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
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64-#2 《補遺-25 送陸歙州參幷序》 韓愈(韓退之) 802年貞元18年 36歳<1382> Ⅱ韓昌黎集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ589

送陸歙州參

我衣之華兮,我佩之光。

陸君之去兮,誰與翔。

斂此大惠兮,施於一州。

今其去矣,胡不為留。

我作此詩,歌於遠道。

無疾其驅,天子有詔。

送陸歙州參幷序》 韓愈 しかるに、このように嘆息涕洟して、陸君は都を去ってはならないのであって、しかし君の考えは、いかがかというと、陸君の道が中央政府の朝廷に行われるにおいて、天下をあげて其賜を望み、つまり、御蔭にあずかることが出るが、大州とはいえ、一州の刺史となるというとその州だけの其賜を占用するということで、決して天下にあまねくことができないという。

 

64-#2 《補遺-25 送陸歙州參幷序》 韓愈(韓退之) 802年貞元18 36歳<1382> Ⅱ韓昌黎集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5894韓愈詩-64-#2




 


 
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227 -#1 《(改訂版)巻14-35 江夏別宋之悌 李白350- 201》Index-14 Ⅱ― 9-734年開元二十二年34歳 <227 -#1> Ⅰ李白詩1469 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5893 
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64-#2 《補遺-25 送陸歙州參幷序》 韓愈(韓退之) 802年貞元18年 36歳<1382> Ⅱ韓昌黎集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ589 
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 杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩) 杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首 
 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
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 ●花間集全詩●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集 
 Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoorBlog『花間集』全詩訳注解説(改訂版)-4.薛昭蘊139《巻三39小重山二首 其二》巻三3939-〈139〉漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-5897 
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64 #1《補遺-24 送陸歙州參幷序-#1【案:從《文集》錄入。】》韓愈(韓退之)《 802年貞元18年 36歳》<1378> Ⅱ韓昌黎集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5874韓愈詩-64

送陸歙州參幷序-#1》韓愈 802年貞元十八年二月十八日、祠部員外郎陸參は、長安を出でて、歙州の刺史になった。そこで、朝廷に在関し、朝早く出勤し、夜遅く退庁するという賢良である吏僚、ならびに都邑に游居する良民どもは、一斉に嘆息涕洟し、こういう人は、何時までも中央政府にいるのがよく決して長安を去るべきではない。

 

 
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226-#2 《巻8-43 贈張公洲革處士 -#2》Index-14 Ⅱ― 9-734年開元二十二年34歳 <226-#2> Ⅰ李白詩1468 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5888 
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64 #1《補遺-24 送陸歙州參幷序-#1【案:從《文集》錄入。】》韓愈(韓退之)《 802年貞元18年 36歳》<1378> Ⅱ韓昌黎集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5874韓愈詩-64 
 ・李商隠詩 (1) 136首の75首・李商隠詩 (2) 135首の61首●韓愈index-1 ・孟郊、張籍と交遊・汴州乱41首●韓愈詩index-2[800年 33歳~804年 37歳]27首●韓愈詩index-3 805年 38歳・]陽山から江陵府 36首●韓愈詩index-4 806年 39歳 江陵府・権知国子博士 51首(1)25首 
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64 #1《補遺-24 送陸歙州參幷序-#1【案:從《文集》錄入。】》韓愈(韓退之) 802年貞元18 36歳》<1378 Ⅱ韓昌黎集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5874韓愈詩-64

 

 

年:802年貞元18 36

卷別:    卷三四五              文體:    雜言古詩

詩題:    送陸歙州參【案:從《文集》錄入。】

及地點:              歙州 (江南東道 歙州 歙州)              

交遊人物:陸參    書信往來(江南東道 歙州 歙州)

 

 

送陸歙州參幷序 #1

(陸參歙州、名は修、祠部員外郎をもって出でて歙州の刺史になったから、韓愈は詩を以て送り、あわせてこの序文をつくった。)

貞元十八年二月十八日,祠部員外郎陸君出刺歙州,朝廷夙夜之賢,都邑遊居之良,齎諮涕洟,鹹以為不當去。

802年貞元十八年二月十八日、祠部員外郎陸參は、長安を出でて、歙州の刺史になった。そこで、朝廷に在関し、朝早く出勤し、夜遅く退庁するという賢良である吏僚、ならびに都邑に游居する良民どもは、一斉に嘆息涕洟し、こういう人は、何時までも中央政府にいるのがよく決して長安を去るべきではない。

歙,大州也;刺史,尊官也:由郎官而往者,前後相望也。

しかし、歙州は大きい州であり、そこの刺史は尊貴の官職である。郎官から、このような刺史に任ぜられて出掛けるものは、前後、相い望んで、その千例、すこぶる多く、無論陸君にとって栄転である、めでたいことなのである。今日、天下の租税の九割は、江南地方で占めている。

當今賦出於天下,江南居十九。

今日、天下の租税の九割は、江南地方で占めている。

#2

宣使之所察,歙為富州。

宰臣之所薦聞,天子之所選用,其不輕而重也較然矣。

如是而齎諮涕洟以為不當去者,陸君之道,行乎朝廷,則天下望其賜;刺一州,則專而不能鹹。

先一州而後天下,豈吾君與吾相之心哉?

於是昌黎韓愈道願留者之心而泄其思,作詩曰:

#3

我衣之華兮,我佩之光。陸君之去兮,誰與翔。斂此大惠兮,施於一州。今其去矣,胡不為留。我作此詩,歌於逵道。無疾其驅,天子有詔

(陸參歙州を送る並びに序)

貞元十八年二月十八日,祠部員、外郎 陸君は出でて歙州【きゅうしゅう】に刺たり,朝廷 夙夜の賢,都邑 遊居の良,齎諮【せいし】涕洟【ていい】,鹹な以為【おも】えらく當に去るべからず、と。

歙は,大州なり;刺史は,尊官なり:郎官よりして往く者,前後 相い望むなり。

當今 賦の天下に出づる,江南は十の九に居り。

 

宣使の察する所,歙を富州と為す。

宰臣の薦聞する所,天子の選用する所なり,其の輕からずして重きや 較然たり。

是の如して 齎諮涕洟 以て當に去るべからず為すは,陸君の道,朝廷に行わるるときは,則ち天下其の賜を望み;一州に刺たるときは,則ち專らにして 鹹【あまね】き能わず。一州を先にして 天下を後にす,豈に吾が君と吾が相との心ならむや哉?

是に於いて 昌黎の韓愈 留まらむことを願う者の心を道うて 其の思を泄らし,詩を作って曰く:

 

 

送陸歙州參

我衣之華兮,我佩之光。

陸君之去兮,誰與翔。

斂此大惠兮,施於一州。

今其去矣,胡不為留。

我作此詩,歌於遠道。

無疾其驅,天子有詔。

 

(陸參歙州を送る)

我が衣の華なる,我が佩の光れる。

陸君の去る,誰かと與に翔【こうしょう】せん。

此に大惠を斂めて,一州に施す。

今 其の去る,胡ぞ 為に留めざる。

我 此の詩を作って,遠道に歌う。

其の驅ることを疾する無かれ,天子 詔 有らん。

 

Ta唐 長安近郊圖  新02 

『送陸歙州參幷序』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

送陸歙州參幷序

貞元十八年二月十八日,祠部員外郎陸君出刺歙州,朝廷夙夜之賢,都邑遊居之良,齎諮涕洟,鹹以為不當去。

歙,大州也;刺史,尊官也:由郎官而往者,前後相望也。當今賦出於天下,江南居十九。

宣使之所察,歙為富州。

宰臣之所薦聞,天子之所選用,其不輕而重也較然矣。

如是而齎諮涕洟以為不當去者,陸君之道,行乎朝廷,則天下望其賜;刺一州,則專而不

能鹹。先一州而後天下,豈吾君與吾相之心哉?

於是昌黎韓愈道願留者之心而泄其思,作詩曰:


(下し文)
(
陸參歙州を送る並びに序)

貞元十八年二月十八日,祠部員、外郎 陸君は出でて歙州【きゅうしゅう】に刺たり,朝廷 夙夜の賢,都邑 遊居の良,齎諮【せいし】涕洟【ていい】,鹹な以為【おも】えらく當に去るべからず、と。

歙は,大州なり;刺史は,尊官なり:郎官よりして往く者,前後 相い望むなり。

當今 賦の天下に出づる,江南は十の九に居り。

宣使の察する所,歙を富州と為す。

宰臣の薦聞する所,天子の選用する所なり,其の輕からずして重きや 較然たり。

是の如して 齎諮涕洟 以て當に去るべからず為すは,陸君の道,朝廷に行わるるときは,則ち天下其の賜を望み;一州に刺たるときは,則ち專らにして 鹹【あまね】き能わず。一州を先にして 天下を後にす,豈に吾が君と吾が相との心ならむや哉?

是に於いて 昌黎の韓愈 留まらむことを願う者の心を道うて 其の思を泄らし,詩を作って曰く:

(現代語訳)
(陸參歙州、名は修、祠部員外郎をもって出でて歙州の刺史になったから、韓愈は詩を以て送り、あわせてこの序文をつくった。)

802年貞元十八年二月十八日、祠部員外郎陸參は、長安を出でて、歙州の刺史になった。そこで、朝廷に在関し、朝早く出勤し、夜遅く退庁するという賢良である吏僚、ならびに都邑に游居する良民どもは、一斉に嘆息涕洟し、こういう人は、何時までも中央政府にいるのがよく決して長安を去るべきではない。

しかし、歙州は大きい州であり、そこの刺史は尊貴の官職である。郎官から、このような刺史に任ぜられて出掛けるものは、前後、相い望んで、その千例、すこぶる多く、無論陸君にとって栄転である、めでたいことなのである。

今日、天下の租税の九割は、江南地方で占めている。


韓愈の地図0055
(訳注)

送陸歙州參幷序

(陸參歙州、名は修、祠部員外郎をもって出でて歙州の刺史になったから、韓愈は詩を以て送り、あわせてこの序文をつくった。)

歙州 江南東道 歙州。592年(開皇12年)、隋朝が陳朝を平定すると歙州が新設された。607年(大業3年)、郡制施行に伴い歙州は新安郡と改称され下部に3県を管轄した。

 

貞元十八年二月十八日,祠部員外郎陸君出刺歙州,朝廷夙夜之賢,都邑遊居之良,齎諮涕洟,鹹以為不當去。

802年貞元十八年二月十八日、祠部員外郎陸參は、長安を出でて、歙州の刺史になった。そこで、朝廷に在関し、朝早く出勤し、夜遅く退庁するという賢良である吏僚、ならびに都邑に游居する良民どもは、一斉に嘆息涕洟し、こういう人は、何時までも中央政府にいるのがよく決して長安を去るべきではない。

齎諮 みんないっせいに荘子遣準遊 怪を士山す者なり斉諮に出 る。

涕洟 涙と鼻汁。

祠部員外郎 古代の官職。神祇伯、玄蕃頭、陰陽頭の別称。外郎は定員外。

 

歙,大州也;刺史,尊官也:由郎官而往者,前後相望也。

しかし、歙州は大きい州であり、そこの刺史は尊貴の官職である。郎官から、このような刺史に任ぜられて出掛けるものは、前後、相い望んで、その千例、すこぶる多く、無論陸君にとって栄転である、めでたいことなのである。

刺史 一つの 「州」 には平均して八つの 「郡」 があり、これら 「州」 に属する複数の 「郡」の行政を監察する役目の役職があり、それがここにいう 「刺史」という。

 

當今賦出於天下,江南居十九。

今日、天下の租税の九割は、江南地方で占めている。

居十九 十の内の九に当たる、つまり九割を占める。

64 《巻01-18 夜歌》  韓愈(韓退之)ID 《 802年貞元18年 36歳》   ()<1377> Ⅱ韓昌黎集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5869

夜歌》  韓愈(夜に至って興を催して詠った)静夜、つきがさえて、静光は地上に溢れている、自分は静かな書斎に坐して一人心落ち着けて休息している。

 

 
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 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
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64 《巻01-18 夜歌》  韓愈(韓退之)ID  802年貞元18 36歳》   ()1377 Ⅱ韓昌黎集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5869韓愈詩-64

 

 

年:802年貞元18 36

卷別:    卷三三六              文體:    五言古詩

韓昌黎集 巻一 18

詩題:    夜歌

 

 

夜歌

(夜に至って興を催して詠った)

靜夜有清光,閒堂仍獨息。

静夜、つきがさえて、静光は地上に溢れている、自分は静かな書斎に坐して一人心落ち着けて休息している。

念身幸無恨,志氣方自得。

我が一身のことを思えば、聊かながら俸給をいただいて、食うにはこまらず、幸いに恨みもなく、志気に自得すべき時であるので大いに楽しまねばならない

樂哉何所憂,所憂非我力。

その楽しむべき折から、なんの憂いがあるか、まことに不思議のようであるが、己の力でいかんともしがたいことを憂えているので、余計なお世話であるが、これもわが身の性分であるからしかたがない。

 

(夜歌)

靜夜 清光有り,閒堂 仍お獨り息う。

身を念うて 幸に恨み無し,志氣 方に自得す。

樂い哉 何の憂う所ぞ,憂う所は 我が力に非ず。

 

 三峡 巫山十二峰001

『夜歌』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

夜歌

靜夜有清光,閒堂仍獨息。

念身幸無恨,志氣方自得。

樂哉何所憂,所憂非我力。

(下し文)
(
夜歌)

靜夜 清光有り,閒堂 仍お獨り息う。

身を念うて 幸に恨み無し,志氣 方に自得す。

樂い哉 何の憂う所ぞ,憂う所は 我が力に非ず。

(現代語訳)
(夜に至って興を催して詠った)

静夜、つきがさえて、静光は地上に溢れている、自分は静かな書斎に坐して一人心落ち着けて休息している。

我が一身のことを思えば、聊かながら俸給をいただいて、食うにはこまらず、幸いに恨みもなく、志気に自得すべき時であるので大いに楽しまねばならない
その楽しむべき折から、なんの憂いがあるか、まことに不思議のようであるが、己の力でいかんともしがたいことを憂えているので、余計なお世話であるが、これもわが身の性分であるからしかたがない。

tski001
(訳注)

夜歌

(夜に至って興を催して詠った)

王叔文の一党が韋執誼と結託して一時期朝廷を攪乱するにいたったころに作ったもので、国家の事が心配でいた。

 

靜夜有清光,閒堂仍獨息。

静夜、つきがさえて、静光は地上に溢れている、自分は静かな書斎に坐して一人心落ち着けて休息している。

閒堂 静かな書斎。

 

念身幸無恨,志氣方自得。

我が一身のことを思えば、聊かながら俸給をいただいて、食うにはこまらず、幸いに恨みもなく、志気に自得すべき時であるので大いに楽しまねばならない。

 

樂哉何所憂,所憂非我力。

その楽しむべき折から、なんの憂いがあるか、まことに不思議のようであるが、己の力でいかんともしがたいことを憂えているので、余計なお世話であるが、これもわが身の性分であるからしかたがない。

樂哉 韓愈は憂うところがなく状態の時を楽しいという。

非我力 己の力でいかんともしがたい。

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