漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩 中唐詩人選集【Ⅰ李商隠-150】Ⅱ韓退之(韓愈)-500Ⅶ孟郊(東野)賈島張籍柳宗元韋応物

Ⅰ李商隠は難解詩といわれている。約150首紹介済。(晩唐詩人) Ⅱ韓退之(韓愈)-約500首Ⅶ孟郊、中唐の詩人を掲載中。万物の性(さが)をテーマにした哲学的な詩。このブログは基本的に中唐詩人を中心にして掲載する予定。 韓愈詩文のこれまでの掲載分とこれから掲載予定分を時系列で整理した2014.3.29のブログに集約してそこから各年次を見ることができる  kanbuniinkai 検索で、《漢文委員会HP05》サイトあります。漢詩唐詩を理解するための総合サイト:≪漢文委員会 漢詩07≫。

803年貞元19年 38歳

少し、マニアックな晩唐詩人Ⅰ-李商隠150首をまず掲載済み。中唐は盛唐詩人(孟浩然・王維、杜甫、李白)を受け継いだ多様な詩人が出ている。この時代も驚くほど詩が発展している。Ⅱ韓退之(韓愈)500首、Ⅲ柳宗元40首、Ⅳ韋応物、Ⅴ劉長卿、Ⅵ韋荘、Ⅶ孟郊(孟東野)、Ⅷ張籍、Ⅸ賈島、Ⅹ劉禹錫、ほか2012~2020年の予定で気長に進める。同じ中唐ではあるが、白居易のグループについては、李白のブログ350首(2015/6月再開~2018/夏・秋月予定)の後掲載の予定。別に杜甫詩ブログ1500首(2011/7月~2018/8月の予定で)を進行中。詩数につぃては、予定の詩数より多くなる。気まぐれなところがあるのでこの予定が少し変わる場合があり、その節はご容赦ください。                 古詩・謝霊運詩 杜甫詩 韓愈詩 花間集500首全詩 それぞれ毎日ブログしています。 このブログ、索引=語句の「検索」 参考書以上掲載。漢詩力up。

76-#9 《八讀巻六11 祭十二郎文》-9 韓愈(韓退之) 803年貞元19年 38歳<1460> Ⅱ【18分割】 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6284

杜甫《八讀巻六11 祭十二郎文》-#9§3-2

如吾之衰者,其能久存乎!

吾不可去,汝不肯來,恐旦暮死,而汝抱無涯之戚也。」孰謂少者歿而長者存,強者夭而病者全乎!
その様な家系の中で私の衰え愚淮では、それこそ久しく生命ながらえることができるはずがないのである。私はお前の所に行けなかったし、お前はこちらに来ることはできなかった。私の方が朝から晩の短い時間というように、先に死ねば、お前は限り無く悲しみに暮れるだろうという心配がわたしにはついてまわっているとつねに言っていた。」と。だれが、若いお前が死んで年長者の私が生きのこり、壮健なお前が先に若死にして、病気がちの私が安全であると思うだろうか。

76-9 《八讀巻六11 祭十二郎文》-9 韓愈(韓退之)  803年貞元19 38歳<1460 Ⅱ【18分割】 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6284

 
 2015年7月11日の紀頌之5つのBlog 
 ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場 
 Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
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 孟浩然 詩 index李白詩index謝霊運 詩 index司馬相如 《 子虛賦 ・上林賦 》揚雄 《 甘泉賦 》 ●諸葛亮(孔明)出師表 
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 ●唐を代表する 中唐 韓愈 全500首  
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76-#9 《八讀巻六11 祭十二郎文》-9 韓愈(韓退之) 803年貞元19年 38歳<1460> Ⅱ【18分割】 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6284 
 ・李商隠詩 (1) 136首の75首・李商隠詩 (2) 135首の61首●韓愈index-1 ・孟郊、張籍と交遊・汴州乱41首●韓愈詩index-2[800年 33歳~804年 37歳]27首●韓愈詩index-3 805年 38歳・]陽山から江陵府 36首●韓愈詩index-4 806年 39歳 江陵府・権知国子博士 51首(1)25首 
 index-5 806年39歳 50首の(2)25首index-6[807年~809年 42歳]20首index-7[810年~811年 44歳] 34首index-8 [812年~814年47歳]46首index-9[815年~816年 49歳] 57首index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首 
 index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首index-13 821年~822年 55歳 22首index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首韓愈 哲学・儒学「五原」賦・散文・上奏文・碑文など 
 孟郊張籍     
 ●杜甫の全作品1500首を訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。" 
 Ⅲ杜甫詩全1500首   LiveDoorBlog766年-67杜甫 《1492寄岑嘉州【案:自注:州據蜀江外。】#1》【2分割】 杜甫詩index-15-766年大暦元年55歲-67 <931-#1> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6285 
 杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩) 杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首 
 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
 ●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている 
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 ●花間集全詩●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集 
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 温庭筠66首 花間集1・2巻皇甫松11首 花間集二巻韋莊47首 花間集二巻薛昭蘊19首 花間集三巻牛嶠31首 花間集三・四巻張泌27首 花間集四巻 
 毛文錫31首 花間集5巻牛希濟11首 花間集5巻欧陽烱17首 花間集5・6巻和凝20首 花間集6巻顧夐56首 花間集6・7巻孫光憲47首 花間集7・8巻 
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韓愈詩-76-9

#8§3-1

去年孟東野往,吾書與汝曰:

去年、孟東野が溧陽県の尉に任命され赴任するときに、わたしは、お前へ気持ちを書にして与えておまえに言っておいた。

「吾年未四十,而視茫茫,

「私は年齢がまだ四十にもならないのに、視力が目はぼんやりかすんできた、

而髮蒼蒼,而齒牙動搖,

髪は白髪まじりにいろあせ、歯はぐらぐらして「落歯」がある。

念諸父與諸兄,皆康強而早世,

私のおじたちと兄たちが元気盛りの年で建康だったはずのに早死にしていることを思わざるをえない。

#9§3-2

如吾之衰者,其能久存乎!

その様な家系の中で私の衰え愚淮では、それこそ久しく生命ながらえることができるはずがないのである。

吾不可去,汝不肯來,

私はお前の所に行けなかったし、お前はこちらに来ることはできなかった。

恐旦暮死,而汝抱無涯之戚也。」

私の方が朝から晩の短い時間というように、先に死ねば、お前は限り無く悲しみに暮れるだろうという心配がわたしにはついてまわっているとつねに言っていた。」と。

孰謂少者歿而長者存,強者夭而病者全乎!

だれが、若いお前が死んで年長者の私が生きのこり、壮健なお前が先に若死にして、病気がちの私が安全であると思うだろうか。

10§3-3

嗚呼!其信然邪?

其夢邪?其傳之非其真邪?

信也,吾兄之盛德,而夭其嗣乎?

汝之純明,而不克蒙其澤乎?

11§3-4

少者強者而夭歿,長者袁者而全存乎?

未可以為信也,夢也,

傳之非其真也;東野之書,

耿蘭之報,何為而在吾側也?

嗚呼!其信然矣。

 

去年孟東野往きしとき、吾書を汝に与えて曰く

「吾年未だ四十ならずして、視ること茫々たり、

髪蒼蒼たり、歯牙動揺す。

諸父と諸兄との、皆康彊(こうきょう)にして早世せるを念(おも)えば、

 

吾の衰うる如き者は、それ能く久しく存せんや。

吾去()くべからず、汝肯(あえ)て来らずんば、

旦暮に死して、汝が涯し無き戚(うれ)いを抱かんことを恐る」と。

()れか謂(おも)わん少(わか)き者は歿して長ぜる者は存し、彊(つよ)き者は夭して病める者は全(まった)からんとは。

 

嗚呼、それ信(まこと)に然るか、

それ夢なるか。それこれを伝うることその真に非ざるか。

信ならば吾が兄の盛徳にして、その嗣()を夭(よう)せんや。

汝の純明にして、その沢(たく)を蒙ること克(あた)わざらんや。

 

少者彊者(きょうしゃ)にして夭歿し、長者衰者にして存全せんや。

未だ以って信と為すべからざるなり。夢なり、

伝われることそれ真に非ざるなりとせば、東野の書、

耿蘭(こうらん)の報、何爲(なんす)れぞ吾が側(かたわら)に在るや。

嗚呼、それ信に然らん。
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『祭十二郎文』 現代語訳と訳註解説
(
本文)
《八讀巻六11 祭十二郎文》-#9§3-2

如吾之衰者,其能久存乎!

吾不可去,汝不肯來,

恐旦暮死,而汝抱無涯之戚也。」

孰謂少者歿而長者存,強者夭而病者全乎!

(下し文)
吾の衰うる如き者は、それ能く久しく存せんや。

吾去()くべからず、汝肯(あえ)て来らずんば、

旦暮に死して、汝が涯し無き戚(うれ)いを抱かんことを恐る」と。

()れか謂(おも)わん少(わか)き者は歿して長ぜる者は存し、彊(つよ)き者は夭して病める者は全(まった)からんとは。

(現代語訳)
その様な家系の中で私の衰え愚淮では、それこそ久しく生命ながらえることができるはずがないのである。

私はお前の所に行けなかったし、お前はこちらに来ることはできなかった。

私の方が朝から晩の短い時間というように、先に死ねば、お前は限り無く悲しみに暮れるだろうという心配がわたしにはついてまわっているとつねに言っていた。」と。

だれが、若いお前が死んで年長者の私が生きのこり、壮健なお前が先に若死にして、病気がちの私が安全であると思うだろうか。


(訳注) 《八讀巻六11 祭十二郎文》-#9§3-2

《八讀巻六11 祭十二郎文》#7§2-4

(溧陽の尉をつとめていた孟郊から、韓老成の死を報ずる手紙が来たので、それを受取ってから七日目、韓愈は祭文を書き、使者に持たせて韓老成の霊前にそなえさせた)

○十二郎 排行、一族中の十二番目の男子、韓老成のこと。 
 

如吾之衰者,其能久存乎!

その様な家系の中で私の衰え愚淮では、それこそ久しく生命ながらえることができるはずがないのである。

 

吾不可去,汝不肯來,

私はお前の所に行けなかったし、お前はこちらに来ることはできなかった。

 

恐旦暮死,而汝抱無涯之戚也。」

私の方が朝から晩の短い時間というように、先に死ねば、お前は限り無く悲しみに暮れるだろうという心配がわたしにはついてまわっているとつねに言っていた。」と。

旦暮 朝から晩の短い時間、忽ちの間。

 

孰謂少者歿而長者存,強者夭而病者全乎!

だれが、若いお前が死んで年長者の私が生きのこり、壮健なお前が先に若死にして、病気がちの私が安全であると思うだろうか。

○この二句までが、孟東野が溧陽県の尉に任命され赴任するときに手渡した書簡の内容と現在の悔しさを述べた。
長安皇城宮城00 

76-#8 《八讀巻六11 祭十二郎文》-8 韓愈(韓退之) 803年貞元19年 38歳<1459> Ⅱ【18分割】 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6279

韓愈  祭十二郎文》8 §3【4分割】-1

去年孟東野往,吾書與汝曰:「吾年未四十,而視茫茫,而髮蒼蒼,而齒牙動搖,念諸父與諸兄,皆康強而早世,
「私は年齢がまだ四十にもならないのに、視力が目はぼんやりかすんできた、髪は白髪まじりにいろあせ、歯はぐらぐらして「落歯」がある。私のおじたちと兄たちが元気盛りの年で建康だったはずのに早死にしていることを思わざるをえない。

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 曹植(曹子建)詩 65首 index文選 賦)兩都賦序・西都賦・東都賦 (班固)《李白 全詩》
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76-#8 《八讀巻六11 祭十二郎文》-8 韓愈(韓退之) 803年貞元19年 38歳<1459> Ⅱ【18分割】 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6279 
 ・李商隠詩 (1) 136首の75首・李商隠詩 (2) 135首の61首●韓愈index-1 ・孟郊、張籍と交遊・汴州乱41首●韓愈詩index-2[800年 33歳~804年 37歳]27首●韓愈詩index-3 805年 38歳・]陽山から江陵府 36首●韓愈詩index-4 806年 39歳 江陵府・権知国子博士 51首(1)25首 
 index-5 806年39歳 50首の(2)25首index-6[807年~809年 42歳]20首index-7[810年~811年 44歳] 34首index-8 [812年~814年47歳]46首index-9[815年~816年 49歳] 57首index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首 
 index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首index-13 821年~822年 55歳 22首index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首韓愈 哲学・儒学「五原」賦・散文・上奏文・碑文など 
 孟郊張籍     
 ●杜甫の全作品1500首を訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。" 
 Ⅲ杜甫詩全1500首   LiveDoorBlog766年-66杜甫 《1491寄常徵君》七言律詩 杜甫詩index-15-766年大暦元年55歲-66 <930> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6280 
 杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩) 杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首 
 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
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 ●花間集全詩●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集 
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 魚玄機全詩花間集(6巻花間集(7巻花間集(8巻花間集(9巻花間集10巻 
 温庭筠66首 花間集1・2巻皇甫松11首 花間集二巻韋莊47首 花間集二巻薛昭蘊19首 花間集三巻牛嶠31首 花間集三・四巻張泌27首 花間集四巻 
 毛文錫31首 花間集5巻牛希濟11首 花間集5巻欧陽烱17首 花間集5・6巻和凝20首 花間集6巻顧夐56首 花間集6・7巻孫光憲47首 花間集7・8巻 
 魏承班15首 花間集8・9巻鹿虔扆6首 花間集9巻閻選8首 花間集9巻尹鶚6首 花間集9巻毛熙震29首 花間集9・10巻李珣39首 花間集10巻 
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韓愈詩-76-8 §3-14分割】

去年孟東野往,吾書與汝曰:

去年、孟東野が溧陽県の尉に任命され赴任するときに、わたしは、お前へ気持ちを書にして与えておまえに言っておいた。

「吾年未四十,而視茫茫,

「私は年齢がまだ四十にもならないのに、視力が目はぼんやりかすんできた、

而髮蒼蒼,而齒牙動搖,

髪は白髪まじりにいろあせ、歯はぐらぐらして「落歯」がある。

念諸父與諸兄,皆康強而早世,

私のおじたちと兄たちが元気盛りの年で建康だったはずのに早死にしていることを思わざるをえない。

 

如吾之衰者,其能久存乎!

吾不可去,汝不肯來,

恐旦暮死,而汝抱無涯之戚也。」

孰謂少者歿而長者存,強者夭而病者全乎!

 

嗚呼!其信然邪?

其夢邪?其傳之非其真邪?

信也,吾兄之盛德,而夭其嗣乎?

汝之純明,而不克蒙其澤乎?

 

少者強者而夭歿,長者袁者而全存乎?

未可以為信也,夢也,

傳之非其真也;東野之書,

耿蘭之報,何為而在吾側也?

嗚呼!其信然矣。

 

去年孟東野往きしとき、吾書を汝に与えて曰く

「吾年未だ四十ならずして、視ること茫々たり、

髪蒼蒼たり、歯牙動揺す。

諸父と諸兄との、皆康彊(こうきょう)にして早世せるを念(おも)えば、

 

 

吾の衰うる如き者は、それ能く久しく存せんや。

吾去()くべからず、汝肯(あえ)て来らずんば、

旦暮に死して、汝が涯し無き戚(うれ)いを抱かんことを恐る」と。

()れか謂(おも)わん少(わか)き者は歿して長ぜる者は存し、彊(つよ)き者は夭して病める者は全(まった)からんとは。

 

嗚呼、それ信(まこと)に然るか、

それ夢なるか。それこれを伝うることその真に非ざるか。

信ならば吾が兄の盛徳にして、その嗣()を夭(よう)せんや。

汝の純明にして、その沢(たく)を蒙ること克(あた)わざらんや。

 

少者彊者(きょうしゃ)にして夭歿し、長者衰者にして存全せんや。

未だ以って信と為すべからざるなり。夢なり、

伝われることそれ真に非ざるなりとせば、東野の書、

耿蘭(こうらん)の報、何爲(なんす)れぞ吾が側(かたわら)に在るや。

嗚呼、それ信に然らん。
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汜水関などの地図 

『祭十二郎文』 現代語訳と訳註解説
(
本文) 
8 §3-14分割】

去年孟東野往,吾書與汝曰:

「吾年未四十,而視茫茫,

而髮蒼蒼,而齒牙動搖,

念諸父與諸兄,皆康強而早世,

(下し文)
去年孟東野往きしとき、吾書を汝に与えて曰く

「吾年未だ四十ならずして、視ること茫々たり、

髪蒼蒼たり、歯牙動揺す。

諸父と諸兄との、皆康彊(こうきょう)にして早世せるを念(おも)えば、

(現代語訳)
去年、孟東野が溧陽県の尉に任命され赴任するときに、わたしは、お前へ気持ちを書にして与えておまえに言っておいた。

「私は年齢がまだ四十にもならないのに、視力が目はぼんやりかすんできた、

髪は白髪まじりにいろあせ、歯はぐらぐらして「落歯」がある。

私のおじたちと兄たちが元気盛りの年で建康だったはずのに早死にしていることを思わざるをえない。


(訳注) 8 §3-4分割】

《八讀巻六11 祭十二郎文》#7§2-4

(溧陽の尉をつとめていた孟郊から、韓老成の死を報ずる手紙が来たので、それを受取ってから七日目、韓愈は祭文を書き、使者に持たせて韓老成の霊前にそなえさせた)

○十二郎 排行、一族中の十二番目の男子、韓老成のこと。 

 

去年孟東野往,吾書與汝曰:

去年、孟東野が溧陽県の尉に任命され赴任するときに、わたしは、お前へ気持ちを書にして与えておまえに言っておいた。

去年 801年貞元17 35歳 

孟東野往 孟郊は、貞元十五年七九九春、汴州をはなれて蘇州各地をめぐり、十六年、五十歳で、はじめて溧陽県の尉に任命され赴任した。溧陽は、いまの江蘇省の南京から約百キロメートル東南のまちで、尉は、警察部長にあたる。県令の季操は官僚肌の男で、孟郊の学問や詩業など眼中になかった。孟郊は、老いた母親まで呼びよせて、しばらく落ちつくつもりだったが、805年永貞元年ついに母を常州の属邑義興にうつし、元和元年、職をもとめて、単身、長安に上って来た。韓愈が帰って来たときには、ほぼ新しい職のめどもついていたのである。かれらにとっては、四、五年ぶりの再会であった。話題が豊富であった。ほとんど毎晩のように寄り合い、酒をくみ、別れていた間の出来事を語りあい、詩をよせあった。そして、多くの聯句を残した。

 

「吾年未四十,而視茫茫,

「私は年齢がまだ四十にもならないのに、視力が目はぼんやりかすんできた、

 

而髮蒼蒼,而齒牙動搖,

髪は白髪まじりにいろあせ、歯はぐらぐらして「落歯」がある。

《巻04-17 落歯》「去年落一牙,今年落一齒。俄然落六七,落勢殊未已。餘存皆動搖,盡落應始止。憶初落一時,但念豁可恥。」(去年から歯が落ち始めて一本奥歯が取れ、そして今年は、前歯が一本抜けた。そうかと思えば、ちょっとの間に六本七本と一気に抜けてゆき、歯の抜ける勢いはなかなかやみそうもないのだ。)

70-#1(改訂版Ver.2.1) 《巻04-17 落歯 #1》 (去年落一牙)【4分割】 韓愈(韓退之) 803年貞元19年 38歳<1415 Ⅱ韓昌黎集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6059

自分のように今から歯が抜け、目はかすみ、白髪が生えているありさま《八大家巻三13 与崔群書》(崔群に与うる書)[808年作]「目視昏花,尋常間便不分人顏色;兩鬢半白,頭發五分亦白其一,須亦有一莖兩莖白者。」

 

念諸父與諸兄,皆康強而早世,
私のおじたちと兄たちが元気盛りの年で建康だったはずのに早死にしていることを思わざるをえない。
長安皇城宮城00 

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韓愈  祭十二郎文 #7§2-4

吾與汝俱少年,以為雖暫相別,終當久與相處,故舍汝而旅食京師,以求升鬥之祿,誠知其如此,雖萬乘之公相,吾不以一日輟汝而就也!
私とお前が大人になりたての少年のとき「しばし別れるときがあっても、やがては一緒に居よう」といっていた。だから、しばらくはお前と別れても、遂にはきっと久しく相ともに住むことになると思って、お前を棄て都に旅食に出たのである。それで、わずかでも禄を求めて官途に就くことをおもっていたのだが、それがこんなことになるとわかっていたなら、たとえ兵車一万乗を率いる公卿、宰相の地位の者でも、私は一日の間でもお前を棄てて就任したりしなかったであろう。

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韓愈詩-76-7 

韓愈詩-76-5祭十二郎文

十二郎の名は老成、率府参軍韓介の子、韓愈の兄の子である。韓介には二子あり、百川と老成、起居舎人会(韓愈の長兄)に子がなかったので、老成にその後を嗣がせた。老成には湘と滂との二子があった。百川が死んだので韓愈は滂をその祖父韓介の後嗣とした。

韓会と韓介は仲卿の子であったが、会、介、百川の三人が先に死んだので、それ故に文中に「吾が上に三兄有り、不幸にして皆早世せり、先人の後を承くる者は、孫に在りてはただ汝のみ、子に在りてはただ吾のみ」という。しかし滂が祖父韓介の後を嗣いだとする説のほかに叔父百川の嗣となったという説もある。十二郎とは排行の順が十二番目の男子。貞元十九年の作である。

 

貞元19(803)四月、彼の妻の母が死んだ。六十九歳。姓は西氏、河南法曹をつとめた(これもさほど地位の高くない地方官である)慮胎という人に嫁ぎ、夫に死に別れてからは、女手ひとつで二男三女を育てあげた。その末の娘が韓愈の妻である(韓文三四、河南府法曹参軍慮府君夫人苗氏墓誌銘)。

そして五月には、江南にいた甥の韓老成が死んだ。韓愈が汴州にいたころ、韓老成が一度たずねて来たが、それ以後は全く会っていない。前年、韓老成からの手紙に脚気の気味があると言ってきたが、江南にはよくある風土病と、韓愈はさほど気にしなかった。ところがこの年、溧陽の尉をつとめていた孟郊から、ふいに韓老成の死を報ずる手紙が来たのである。それを受取ってから七日目、韓愈は祭文を書き、使者に持たせて韓老成の霊前にそなえさせた。

 

韓愈詩-76-4

#4§2-4分割-1

吾年十九,始來京城,

私が十九歳になってはじめて都に来た。

其後四年,而歸視汝。

それから四年後に河陽に帰ってお前に会った。

又四年,吾往河陽省墳墓,

それからさらに四年経って、わたしが河陽に帰って墓参りをしたのである。

遇汝從嫂喪來葬。

そのとき、お前はあによめの棺に従って埋葬するところであった。

#5§2-2

又二年,吾佐董丞相於州,

それから二年、わたしは董丞相の幕僚として汴州にいた。

汝來省吾,止一,請歸取其孥。

その時、お前は、私に会いに来てくれ、一年滞在した上で、自分の妻子を迎えに帰って行った

明年丞相薨,吾去州,汝不果來。

翌年董丞相が死去されて、私も汴州を去ったので、お前達は来ることができなくなってしまった。

是年吾佐戎徐州,使取汝者始行,

この年、私は徐州の節度使に招かれたので、すぐにお前たちを迎える使いを出したところであった。

吾又罷去,汝又不果來。

ところが、すぐに私は辞めてしまい、またしても、お前たちを迎えることができなかったのである。

#6§2-3

吾念汝從於東,東亦客也,

わたしはおもってことはお前が東についてきたとして、そこもまた東方で旅先ということでしかないのである。

不可以久,圖久遠者,

そこに、久しくいることができないし、もしいたとすれば久しく遠方にいるということになってしまう。

莫如西歸,將成家而致汝。

だから西に帰るということしかないし、そこで私は、故郷に家を建ててお前を招こうと思ったのである。

嗚呼!孰謂汝遽去吾而歿乎!

#7§2-4

吾與汝俱少年,以為雖暫相別,

私とお前が大人になりたての少年のとき「しばし別れるときがあっても、やがては一緒に居よう」といっていた。

終當久與相處,故舍汝而旅食京師,

だから、しばらくはお前と別れても、遂にはきっと久しく相ともに住むことになると思って、お前を棄て都に旅食に出たのである。

以求升鬥之祿,誠知其如此,

それで、わずかでも禄を求めて官途に就くことをおもっていたのだが、それがこんなことになるとわかっていたなら、

雖萬乘之公相,吾不以一日輟汝而就也!

たとえ兵車一万乗を率いる公卿、宰相の地位の者でも、私は一日の間でもお前を棄てて就任したりしなかったであろう。

 

#4§2—1

吾年十九。始めて京城に来る。

その後四年にして帰りて汝を視る。

また四年にして吾河陽に往き、墳墓を省するに、

汝が嫂の喪に従い来たりて葬るに遇う。

#5§2—2

また二年にして吾董丞相に汴州に佐()たり。

汝来りて吾を省す。止まること一歳にして、帰りてその孥【ど】を取らんと請う。

明年に丞相薨じて、吾汴州を去る。汝来ることを果たさず。

是の年、吾戎【じゅう】に徐州に佐たり。汝を取る者をして始めて行かしめしとき、

吾また罷め去る。汝また来ること果たさず。

#6§2—3

吾汝の東に従うを念【おも】うに、東も亦た客なり、

以って久しゅうすべからず。久遠を図るものは、

西帰【せいき】するに如くは莫【な】し。将に家を成して汝を致さんとす。

嗚呼、孰【たれ】か謂(おも)わん汝遽【にわ】かに吾を去りて歿せんとは。

#7§2―4

吾と汝と倶【とも】に少年なりしとき、以為【おも】えらく暫くは相別ると雖も、

終には当【まさ】に久しく相与【とも】に処【お】るべしと。故に汝を捨てて京師に旅食し、

以って斗斛【とこく】の祿を求む。誠にその此【かく】の如くなるを知らば、

万乗の公相なりと雖も、吾以って一日も汝を輟()てて就かざりしなり。

汜水関などの地図 

『祭十二郎文』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

#7§2-4

吾與汝俱少年,以為雖暫相別,

終當久與相處,故舍汝而旅食京師,

以求升鬥之祿,誠知其如此,

雖萬乘之公相,吾不以一日輟汝而就也!

(下し文) #7§2―4

吾と汝と倶【とも】に少年なりしとき、以為【おも】えらく暫くは相別ると雖も、

終には当【まさ】に久しく相与【とも】に処【お】るべしと。故に汝を捨てて京師に旅食し、

以って斗斛【とこく】の祿を求む。誠にその此【かく】の如くなるを知らば、

万乗の公相なりと雖も、吾以って一日も汝を輟()てて就かざりしなり。

(現代語訳)
私とお前が大人になりたての少年のとき「しばし別れるときがあっても、やがては一緒に居よう」といっていた。

だから、しばらくはお前と別れても、遂にはきっと久しく相ともに住むことになると思って、お前を棄て都に旅食に出たのである。

それで、わずかでも禄を求めて官途に就くことをおもっていたのだが、それがこんなことになるとわかっていたなら、

たとえ兵車一万乗を率いる公卿、宰相の地位の者でも、私は一日の間でもお前を棄てて就任したりしなかったであろう。


(訳注)

《八讀巻六11 祭十二郎文》#7§2-4

(溧陽の尉をつとめていた孟郊から、韓老成の死を報ずる手紙が来たので、それを受取ってから七日目、韓愈は祭文を書き、使者に持たせて韓老成の霊前にそなえさせた)

○十二郎 排行、一族中の十二番目の男子、韓老成のこと。 

 

吾與汝俱少年,以為雖暫相別,

私とお前が大人になりたての少年のとき「しばし別れるときがあっても、やがては一緒に居よう」といっていた。

少年 15歳で大人の仲間入りで、現在の20歳前後までをいう。

遊城南十六首:嘲少年 韓愈(韓退之) <182>Ⅱ中唐詩793 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2949

杜甫李白に王維に少年四首、少年行とある。

杜甫 少年行

少年行,二首之一 蜀中転々 杜甫 <498  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2680 杜甫詩1000-498-730/1500

少年行,二首之二 蜀中転々 杜甫 <499  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2685 杜甫詩1000-499-731/1500

少年行 杜甫 蜀中転々 杜甫 <501  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2695 杜甫詩1000-501-733/1500

王維 少年行

145-#1 《贈新平少年》Index-10 Ⅱ―5-730年開元十八年30歳 李白<145-#1> Ⅰ李白詩1338 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5238

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263#1 《巻五 34少年行【案:此詩嚴粲云是偽作。】#1》Index-19 Ⅱー14-739年開元二十七年39歳-2 720000<263#1> Ⅰ李白詩1527 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6183

263#2 《巻五 34少年行#2》Index-19 Ⅱー14-739年開元二十七年39歳-2 <263#2>(改訂版Ver..2.1) Ⅰ李白詩1528 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6188

263#3 《巻五 34少年行#3》Index-19 Ⅱー14-739年開元二十七年39歳-2 <263#3> Ⅰ李白詩1529 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6193

263#4 《巻五 34少年行#4》Index-19 Ⅱー14-739年開元二十七年39歳-2 <263#4> Ⅰ李白詩1530 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6198

 

終當久與相處,故舍汝而旅食京師,

だから、しばらくはお前と別れても、遂にはきっと久しく相ともに住むことになると思って、お前を棄て都に旅食に出たのである。

終當 ついには、きっと。

久與相處 久しく相ともに住むことになる。

 

以求升鬥之祿,誠知其如此,

それで、わずかでも禄を求めて官途に就くことをおもっていたのだが、それがこんなことになるとわかっていたなら、

其如此 それがこのようなことになろうとはというほどの意で、韓老成が早死にしたことをいう。

 

雖萬乘之公相,吾不以一日輟汝而就也!

たとえ兵車一万乗を率いる公卿、宰相の地位の者でも、私は一日の間でもお前を棄てて就任したりしなかったであろう。

○萬乘之公相 兵車一万乗を率いる公卿、宰相の地位の者。
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韓愈  祭十二郎文#6§2-3

吾念汝從於東,東亦客也,不可以久,圖久遠者,莫如西歸,將成家而致汝。

嗚呼!孰謂汝遽去吾而歿乎!
わたしはおもっていたことは、お前が東について徐州に来たとして、そこもまた東方で旅先ということでしかないのである。そこに、久しくいることができないし、もしいたとすれば久しく遠方にいるということになってしまう。だから西に帰るということしかないし、そこで私は、故郷に家を建ててお前を招こうと思ったのである。ああ、それなのに誰が、お前がこんなにも急に死んでしまうと思うであろうか。

76-6 《八讀巻六11 祭十二郎文》-6 韓愈(韓退之)  803年貞元19 38歳<1457 Ⅱ【18分割】 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6269韓愈詩-76-6

 
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 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
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韓愈詩-76-5祭十二郎文

十二郎の名は老成、率府参軍韓介の子、韓愈の兄の子である。韓介には二子あり、百川と老成、起居舎人会(韓愈の長兄)に子がなかったので、老成にその後を嗣がせた。老成には湘と滂との二子があった。百川が死んだので韓愈は滂をその祖父韓介の後嗣とした。

韓会と韓介は仲卿の子であったが、会、介、百川の三人が先に死んだので、それ故に文中に「吾が上に三兄有り、不幸にして皆早世せり、先人の後を承くる者は、孫に在りてはただ汝のみ、子に在りてはただ吾のみ」という。しかし滂が祖父韓介の後を嗣いだとする説のほかに叔父百川の嗣となったという説もある。十二郎とは排行の順が十二番目の男子。貞元十九年の作である。

 

貞元19(803)四月、彼の妻の母が死んだ。六十九歳。姓は西氏、河南法曹をつとめた(これもさほど地位の高くない地方官である)慮胎という人に嫁ぎ、夫に死に別れてからは、女手ひとつで二男三女を育てあげた。その末の娘が韓愈の妻である(韓文三四、河南府法曹参軍慮府君夫人苗氏墓誌銘)。

そして五月には、江南にいた甥の韓老成が死んだ。韓愈が汴州にいたころ、韓老成が一度たずねて来たが、それ以後は全く会っていない。前年、韓老成からの手紙に脚気の気味があると言ってきたが、江南にはよくある風土病と、韓愈はさほど気にしなかった。ところがこの年、溧陽の尉をつとめていた孟郊から、ふいに韓老成の死を報ずる手紙が来たのである。それを受取ってから七日目、韓愈は祭文を書き、使者に持たせて韓老成の霊前にそなえさせた。

 

韓愈詩-76-4

#4§2-4分割-1

吾年十九,始來京城,

私が十九歳になってはじめて都に来た。

其後四年,而歸視汝。

それから四年後に河陽に帰ってお前に会った。

又四年,吾往河陽省墳墓,

それからさらに四年経って、わたしが河陽に帰って墓参りをしたのである。

遇汝從嫂喪來葬。

そのとき、お前はあによめの棺に従って埋葬するところであった。

#5§2-2

又二年,吾佐董丞相於州,

それから二年、わたしは董丞相の幕僚として汴州にいた。

汝來省吾,止一,請歸取其孥。

その時、お前は、私に会いに来てくれ、一年滞在した上で、自分の妻子を迎えに帰って行った

明年丞相薨,吾去州,汝不果來。

翌年董丞相が死去されて、私も汴州を去ったので、お前達は来ることができなくなってしまった。

是年吾佐戎徐州,使取汝者始行,

この年、私は徐州の節度使に招かれたので、すぐにお前たちを迎える使いを出したところであった。

吾又罷去,汝又不果來。

ところが、すぐに私は辞めてしまい、またしても、お前たちを迎えることができなかったのである。

#6§2-3

吾念汝從於東,東亦客也,

わたしはおもってことはお前が東についてきたとして、そこもまた東方で旅先ということでしかないのである。

不可以久,圖久遠者,

そこに、久しくいることができないし、もしいたとすれば久しく遠方にいるということになってしまう。

莫如西歸,將成家而致汝。

だから西に帰るということしかないし、そこで私は、故郷に家を建ててお前を招こうと思ったのである。

嗚呼!孰謂汝遽去吾而歿乎!

#7§2-4

吾與汝俱少年,以為雖暫相別,

終當久與相處,故舍汝而旅食京師,

以求升鬥之祿,誠知其如此,

雖萬乘之公相,吾不以一日輟汝而就也!

 

#4§2—1

吾年十九。始めて京城に来る。

その後四年にして帰りて汝を視る。

また四年にして吾河陽に往き、墳墓を省するに、

汝が嫂の喪に従い来たりて葬るに遇う。

#5§2—2

また二年にして吾董丞相に汴州に佐()たり。

汝来りて吾を省す。止まること一歳にして、帰りてその孥()を取らんと請う。

明年に丞相薨じて、吾汴州を去る。汝来ることを果たさず。

是の年、吾戎(じゅう)に徐州に佐たり。汝を取る者をして始めて行かしめしとき、

吾また罷め去る。汝また来ること果たさず。

#6§2—3

吾汝の東に従うを念(おも)うに、東も亦た客なり、

以って久しゅうすべからず。久遠を図るものは、

西帰(せいき)するに如くは莫()し。将(まさ)に家を成して汝を致さんとす。

嗚呼、孰(たれ)か謂(おも)わん汝遽(にわ)かに吾を去りて歿せんとは。

#7§2―4

吾と汝と倶(とも)に少年なりしとき、以為(おも)えらく暫くは相別ると雖も、

終には当(まさ)に久しく相与(とも)に処()るべしと。故に汝を捨てて京師に旅食し、

以って斗斛(とこく)の祿を求む。誠にその此(かく)の如くなるを知らば、

万乗の公相なりと雖も、吾以って一日も汝を輟()てて就かざりしなり。

韓愈の地図0055 

 

『祭十二郎文』 現代語訳と訳註解説
(
本文)
《八讀巻六11 祭十二郎文》-
#6§2-3

吾念汝從於東,東亦客也,

不可以久,圖久遠者,

莫如西歸,將成家而致汝。

嗚呼!孰謂汝遽去吾而歿乎!

(下し文)
#6§2—3

吾汝の東に従うを念(おも)うに、東も亦た客なり、

以って久しゅうすべからず。久遠を図るものは、

西帰(せいき)するに如くは莫()し。将(まさ)に家を成して汝を致さんとす。

嗚呼、孰(たれ)か謂(おも)わん汝遽(にわ)かに吾を去りて歿せんとは。

(現代語訳)
わたしはおもっていたことは、お前が東について徐州に来たとして、そこもまた東方で旅先ということでしかないのである。

そこに、久しくいることができないし、もしいたとすれば久しく遠方にいるということになってしまう。

だから西に帰るということしかないし、そこで私は、故郷に家を建ててお前を招こうと思ったのである。

ああ、それなのに誰が、お前がこんなにも急に死んでしまうと思うであろうか。


(訳注) #6§2-34分割】

(溧陽の尉をつとめていた孟郊から、韓老成の死を報ずる手紙が来たので、それを受取ってから七日目、韓愈は祭文を書き、使者に持たせて韓老成の霊前にそなえさせた)

○十二郎 排行、一族中の十二番目の男子、韓老成のこと。 

 

吾念汝從於東,東亦客也,

わたしはおもっていたことは、お前が東について徐州に来たとして、そこもまた東方で旅先ということでしかないのである。

○東 洛陽や河南よりも東方にあるということ。

 

不可以久,圖久遠者,

そこに、久しくいることができないし、もしいたとすれば久しく遠方にいるということになってしまう。

 

莫如西歸,將成家而致汝。

だから西に帰るということしかないし、そこで私は、故郷に家を建ててお前を招こうと思ったのである。

○西歸 襄州から見て西であるから、河陽の郷里に帰ること。

 

嗚呼!孰謂汝遽去吾而歿乎!

ああ、それなのに誰が、お前がこんなにも急に死んでしまうと思うであろうか。

76-#5 《八讀巻六11 祭十二郎文》-5 韓愈(韓退之) 803年貞元19年 38歳<1456> Ⅱ【18分割】 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6264

韓愈  祭十二郎文#5§2-2

又二年,吾佐董丞相於汴州,汝來省吾,止一,請歸取其孥。

明年丞相薨,吾去汴州,汝不果來。

是年吾佐戎徐州,使取汝者始行,吾又罷去,汝又不果來。

それから二年、わたしは董丞相の幕僚として汴州にいた。その時、お前は、私に会いに来てくれ、一年滞在した上で、自分の妻子を迎えに帰って行った。翌年董丞相が死去されて、私も汴州を去ったので、お前達は来ることができなくなってしまった。この年、私は徐州の節度使に招かれたので、すぐにお前たちを迎える使いを出したところであった。ところが、すぐに私は辞めてしまい、またしても、お前たちを迎えることができなかったのである。

76-5 《八讀巻六11 祭十二郎文》-5 韓愈(韓退之)  803年貞元19 38歳<1456 Ⅱ【18分割】 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6264

 
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 杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩) 杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首 
 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
 ●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている 
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 ●花間集全詩●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集 
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韓愈詩-76-5祭十二郎文

十二郎の名は老成、率府参軍韓介の子、韓愈の兄の子である。韓介には二子あり、百川と老成、起居舎人会(韓愈の長兄)に子がなかったので、老成にその後を嗣がせた。老成には湘と滂との二子があった。百川が死んだので韓愈は滂をその祖父韓介の後嗣とした。

韓会と韓介は仲卿の子であったが、会、介、百川の三人が先に死んだので、それ故に文中に「吾が上に三兄有り、不幸にして皆早世せり、先人の後を承くる者は、孫に在りてはただ汝のみ、子に在りてはただ吾のみ」という。しかし滂が祖父韓介の後を嗣いだとする説のほかに叔父百川の嗣となったという説もある。十二郎とは排行の順が十二番目の男子。貞元十九年の作である。

 

貞元19(803)四月、彼の妻の母が死んだ。六十九歳。姓は西氏、河南法曹をつとめた(これもさほど地位の高くない地方官である)慮胎という人に嫁ぎ、夫に死に別れてからは、女手ひとつで二男三女を育てあげた。その末の娘が韓愈の妻である(韓文三四、河南府法曹参軍慮府君夫人苗氏墓誌銘)。

そして五月には、江南にいた甥の韓老成が死んだ。韓愈が汴州にいたころ、韓老成が一度たずねて来たが、それ以後は全く会っていない。前年、韓老成からの手紙に脚気の気味があると言ってきたが、江南にはよくある風土病と、韓愈はさほど気にしなかった。ところがこの年、溧陽の尉をつとめていた孟郊から、ふいに韓老成の死を報ずる手紙が来たのである。それを受取ってから七日目、韓愈は祭文を書き、使者に持たせて韓老成の霊前にそなえさせた。

 

韓愈詩-76-4

#4§2-4分割-1

吾年十九,始來京城,

私が十九歳になってはじめて都に来た。

其後四年,而歸視汝。

それから四年後に河陽に帰ってお前に会った。

又四年,吾往河陽省墳墓,

それからさらに四年経って、わたしが河陽に帰って墓参りをしたのである。

遇汝從嫂喪來葬。

そのとき、お前はあによめの棺に従って埋葬するところであった。

#5§2-2

又二年,吾佐董丞相於州,

それから二年、わたしは董丞相の幕僚として汴州にいた。

汝來省吾,止一,請歸取其孥。

その時、お前は、私に会いに来てくれ、一年滞在した上で、自分の妻子を迎えに帰って行った

明年丞相薨,吾去州,汝不果來。

翌年董丞相が死去されて、私も汴州を去ったので、お前達は来ることができなくなってしまった。

是年吾佐戎徐州,使取汝者始行,

この年、私は徐州の節度使に招かれたので、すぐにお前たちを迎える使いを出したところであった。

吾又罷去,汝又不果來。

ところが、すぐに私は辞めてしまい、またしても、お前たちを迎えることができなかったのである。

#6§2-3

吾念汝從於東,東亦客也,

不可以久,圖久遠者,

莫如西歸,將成家而致汝。

嗚呼!孰謂汝遽去吾而歿乎!

#7§2-4

吾與汝俱少年,以為雖暫相別,

終當久與相處,故舍汝而旅食京師,

以求升鬥之祿,誠知其如此,

雖萬乘之公相,吾不以一日輟汝而就也!

 

#4§2—1

吾年十九。始めて京城に来る。

その後四年にして帰りて汝を視る。

また四年にして吾河陽に往き、墳墓を省するに、

汝が嫂の喪に従い来たりて葬るに遇う。

#5§2—2

また二年にして吾董丞相に汴州に佐()たり。

汝来りて吾を省す。止まること一歳にして、帰りてその孥()を取らんと請う。

明年に丞相薨じて、吾汴州を去る。汝来ることを果たさず。

是の年、吾戎(じゅう)に徐州に佐たり。汝を取る者をして始めて行かしめしとき、

吾また罷め去る。汝また来ること果たさず。

#6§2—3

吾汝の東に従うを念(おも)うに、東も亦た客なり、

以って久しゅうすべからず。久遠を図るものは、

西帰(せいき)するに如くは莫()し。将(まさ)に家を成して汝を致さんとす。

嗚呼、孰(たれ)か謂(おも)わん汝遽(にわ)かに吾を去りて歿せんとは。

#7§2―4

吾と汝と倶(とも)に少年なりしとき、以為(おも)えらく暫くは相別ると雖も、

終には当(まさ)に久しく相与(とも)に処()るべしと。故に汝を捨てて京師に旅食し、

以って斗斛(とこく)の祿を求む。誠にその此(かく)の如くなるを知らば、

万乗の公相なりと雖も、吾以って一日も汝を輟()てて就かざりしなり。

汜水関などの地図 

 

『祭十二郎文』 現代語訳と訳註解説
(
本文)
《八讀巻六11 祭十二郎文》-4
#5§2-2

又二年,吾佐董丞相於汴州,

汝來省吾,止一,請歸取其孥。

明年丞相薨,吾去汴州,汝不果來。

是年吾佐戎徐州,使取汝者始行,

吾又罷去,汝又不果來。


(下し文)
#5§2—2

また二年にして吾董丞相に汴州に佐()たり。

汝来りて吾を省す。止まること一歳にして、帰りてその孥()を取らんと請う。

明年に丞相薨じて、吾汴州を去る。汝来ることを果たさず。

是の年、吾戎(じゅう)に徐州に佐たり。汝を取る者をして始めて行かしめしとき、

吾また罷め去る。汝また来ること果たさず。

(現代語訳) #5§2-2

それから二年、わたしは董丞相の幕僚として汴州にいた。

その時、お前は、私に会いに来てくれ、一年滞在した上で、自分の妻子を迎えに帰って行った

翌年董丞相が死去されて、私も汴州を去ったので、お前達は来ることができなくなってしまった。

この年、私は徐州の節度使に招かれたので、すぐにお前たちを迎える使いを出したところであった。

ところが、すぐに私は辞めてしまい、またしても、お前たちを迎えることができなかったのである。


(訳注) 《八讀巻六11 祭十二郎文》-#5§2-24分割】

(溧陽の尉をつとめていた孟郊から、韓老成の死を報ずる手紙が来たので、それを受取ってから七日目、韓愈は祭文を書き、使者に持たせて韓老成の霊前にそなえさせた)

○十二郎 排行、一族中の十二番目の男子、韓老成のこと。 

 

又二年,吾佐董丞相於汴州,

それから二年、わたしは董丞相の幕僚として汴州にいた。

○又二年 貞元12年、796年、29歳。

○佐董丞相 董晉宜軍節度使の幕府に招聘され、宜武軍監察推官に就いて助ける。

 

汝來省吾,止一,請歸取其孥。

その時、お前は、私に会いに来てくれ、一年滞在した上で、自分の妻子を迎えに帰って行った

 妻子。 

 

明年丞相薨,吾去汴州,汝不果來。

翌年董丞相が死去されて、私も汴州を去ったので、お前達は来ることができなくなってしまった。

明年丞相薨 貞元15年2月、799年、韓愈32歳。・宰相薨 宰相で宜軍節度使の董晉の死。 

汝不果來 お前達は来ることができなくなってしまった。

 

是年吾佐戎徐州,使取汝者始行,

この年、私は徐州の節度使に招かれたので、すぐにお前たちを迎える使いを出したところであった。

佐戎徐州 徐州武寧軍節度使の張建封の節度推官に就いて助ける。戎:軍。

 

吾又罷去,汝又不果來。

ところが、すぐに私は辞めてしまい、またしても、お前たちを迎えることができなかったのである。

 

 

 

《八讀巻六11 祭十二郎文》

(溧陽の尉をつとめていた孟郊から、韓老成の死を報ずる手紙が来たので、それを受取ってから七日目、韓愈は祭文を書き、使者に持たせて韓老成の霊前にそなえさせた)

#1

年月日、末の叔父の私は、お前の喪を聞いてから七日、

はじめて悲しみを心に含みながらも、真心をささげて、建中を使いとして遠く時節の物の供物をそなえて、お前十二郎のみたまに告げさせるのである。

ああ、私は幼くて父を失いみなし子となり、やや長じて後は、恨む所の親の機嫌を伺うこともなく、兄と嫂にばかり世話になったものだ。

#2

中年のころ兄は南方で亡くなり、私とお前とはともに幼かったので、從嫂に従って河陽の郷里に帰って兄を葬った。

やがて、また、お前と共に生活のために江南に行き、落ちぶれて頼りなく、孤独に苦しみながらも、一日も互いに離れなかった。

私は上に会・介・弇の三人の兄があったけれども、不幸にして早く世を去った。

亡き父上の後を承け継ぐ者は、孫ではただお前一人、子では私だけであったし、二代とも一人だけで、形もその影もただ一つずつのたよりない姿である。

#3

いま二代にわたって一人だけで、形もその影もただ一つずつのたよりない姿である。

嫂はいつもお前を撫で、私を指さしていわれた、「韓氏の二代は、ただこれだけなのだ。」と。

お前はその時もっとも小さかったので、もはやおぼえてはいないにちがいない。

私もその時、記憶することはできたけれども、その言葉の悲しいことを、まだ知らないのであった。

#4

私が十九歳になってはじめて都に来た。

それから四年後に河陽に帰ってお前に会った。

それからさらに四年経って、わたしが河陽に帰って墓参りをしたのである。

そのとき、お前はあによめの棺に従って埋葬するところであった。

#5§2-2

それから二年、わたしは董丞相の幕僚として汴州にいた。

その時、お前は、私に会いに来てくれ、一年滞在した上で、自分の妻子を迎えに帰って行った

翌年董丞相が死去されて、私も汴州を去ったので、お前達は来ることができなくなってしまった。

この年、私は徐州の節度使に招かれたので、すぐにお前たちを迎える使いを出したところであった。

ところが、すぐに私は辞めてしまい、またしても、お前たちを迎えることができなかったのである。

76-#4 《八讀巻六11 祭十二郎文》-4 韓愈(韓退之) 803年貞元19年 38歳<1455> Ⅱ【18分割】 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6259

韓愈  祭十二郎文#4§2-4分割-1

吾年十九,始來京城,其後四年,而歸視汝。

又四年,吾往河陽省墳墓,遇汝從嫂喪來葬。

私が十九歳になってはじめて都に来た。それから四年後に河陽に帰ってお前に会った。それからさらに四年経って、わたしが河陽に帰って墓参りをしたのである。そのとき、お前はあによめの棺に従って埋葬するところであった。

76-4 《八讀巻六11 祭十二郎文》-4 韓愈(韓退之)  803年貞元19 38歳<1455 Ⅱ【18分割】 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6259

 
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韓愈詩-76- 祭十二郎文

十二郎の名は老成、率府参軍韓介の子、韓愈の兄の子である。韓介には二子あり、百川と老成、起居舎人会(韓愈の長兄)に子がなかったので、老成にその後を嗣がせた。老成には湘と滂との二子があった。百川が死んだので韓愈は滂をその祖父韓介の後嗣とした。

韓会と韓介は仲卿の子であったが、会、介、百川の三人が先に死んだので、それ故に文中に「吾が上に三兄有り、不幸にして皆早世せり、先人の後を承くる者は、孫に在りてはただ汝のみ、子に在りてはただ吾のみ」という。しかし滂が祖父韓介の後を嗣いだとする説のほかに叔父百川の嗣となったという説もある。十二郎とは排行の順が十二番目の男子。貞元十九年の作である。

 

貞元19(803)四月、彼の妻の母が死んだ。六十九歳。姓は西氏、河南法曹をつとめた(これもさほど地位の高くない地方官である)慮胎という人に嫁ぎ、夫に死に別れてからは、女手ひとつで二男三女を育てあげた。その末の娘が韓愈の妻である(韓文三四、河南府法曹参軍慮府君夫人苗氏墓誌銘)。

そして五月には、江南にいた甥の韓老成が死んだ。韓愈が汴州にいたころ、韓老成が一度たずねて来たが、それ以後は全く会っていない。前年、韓老成からの手紙に脚気の気味があると言ってきたが、江南にはよくある風土病と、韓愈はさほど気にしなかった。ところがこの年、溧陽の尉をつとめていた孟郊から、ふいに韓老成の死を報ずる手紙が来たのである。それを受取ってから七日目、韓愈は祭文を書き、使者に持たせて韓老成の霊前にそなえさせた。

 

韓愈詩-76-4

#4§2-4分割-1

吾年十九,始來京城,

私が十九歳になってはじめて都に来た。
其後四年,而歸視汝。

それから四年後に河陽に帰ってお前に会った。
又四年,吾往河陽省墳墓,

それからさらに四年経って、わたしが河陽に帰って墓参りをしたのである。
遇汝從嫂喪來葬。

そのとき、お前はあによめの棺に従って埋葬するところであった。

#5§2-2

又二年,吾佐董丞相於汴州,

汝來省吾,止一,請歸取其孥。

明年丞相薨,吾去汴州,汝不果來。

是年吾佐戎徐州,使取汝者始行,

吾又罷去,汝又不果來。

#6§2-3

吾念汝從於東,東亦客也,

不可以久,圖久遠者,

莫如西歸,將成家而致汝。

嗚呼!孰謂汝遽去吾而歿乎!

#7§2-4

吾與汝俱少年,以為雖暫相別,

終當久與相處,故舍汝而旅食京師,

以求升鬥之祿,誠知其如此,

雖萬乘之公相,吾不以一日輟汝而就也!

 

#4§2—1

吾年十九。始めて京城に来る。

その後四年にして帰りて汝を視る。

また四年にして吾河陽に往き、墳墓を省するに、

汝が嫂の喪に従い来たりて葬るに遇う。

#5§2—2

また二年にして吾董丞相に汴州に佐()たり。

汝来りて吾を省す。止まること一歳にして、帰りてその孥()を取らんと請う。

明年に丞相薨じて、吾汴州を去る。汝来ることを果たさず。

是の年、吾戎(じゅう)に徐州に佐たり。汝を取る者をして始めて行かしめしとき、

吾また罷め去る。汝また来ること果たさず。

#6§2—3

吾汝の東に従うを念(おも)うに、東も亦た客なり、

以って久しゅうすべからず。久遠を図るものは、

西帰(せいき)するに如くは莫()し。将(まさ)に家を成して汝を致さんとす。

嗚呼、孰(たれ)か謂(おも)わん汝遽(にわ)かに吾を去りて歿せんとは。

#7§2―4

吾と汝と倶(とも)に少年なりしとき、以為(おも)えらく暫くは相別ると雖も、

終には当(まさ)に久しく相与(とも)に処()るべしと。故に汝を捨てて京師に旅食し、

以って斗斛(とこく)の祿を求む。誠にその此(かく)の如くなるを知らば、

万乗の公相なりと雖も、吾以って一日も汝を輟()てて就かざりしなり。

 

汜水関などの地図

『祭十二郎文』 現代語訳と訳註解説
(
本文)
《八讀巻六11 祭十二郎文》-4
#4§2-4分割-1

吾年十九,始來京城,

其後四年,而歸視汝。

又四年,吾往河陽省墳墓,

遇汝從嫂喪來葬。


(下し文)
#4§2—1

吾年十九。始めて京城に来る。

その後四年にして帰りて汝を視る。

また四年にして吾河陽に往き、墳墓を省するに、

汝が嫂の喪に従い来たりて葬るに遇う。

(現代語訳) #4

私が十九歳になってはじめて都に来た。

それから四年後に河陽に帰ってお前に会った。

それからさらに四年経って、わたしが河陽に帰って墓参りをしたのである。

そのとき、お前はあによめの棺に従って埋葬するところであった。


(訳注) 《八讀巻六11 祭十二郎文》-#4§2-4分割-1

(溧陽の尉をつとめていた孟郊から、韓老成の死を報ずる手紙が来たので、それを受取ってから七日目、韓愈は祭文を書き、使者に持たせて韓老成の霊前にそなえさせた)

○十二郎 排行、一族中の十二番目の男子、韓老成のこと。 

 

吾年十九,始來京城,

私が十九歳になってはじめて都に来た。

○吾年十九 貞元2年、786年宜州の韓家の別業から長安に出る。

15歳になって、江南の宜州(現在の安徽省宜城)にうつった、そこに韓氏の別業があったとする。別業とは日本語に訳せば別荘だが、さきほどの綱川荘と同様、郷里のほかにいとなむ荘園を意味する。

宜州とは、愈の晩年の作に「爽に示す」【416-#1 《示爽》韓愈(韓退之)漢詩ブログ4519韓愈詩-416-#1という詩があり、都にいた愈のもとへ一族の夷という人(これが何者で、愈の何にあたるのか、旧注の間にも諸説があるが、韓氏の一族であることはまちがいがない)が宜州から来たことが詩中から読みとれるので、それが根拠となったのであろう。根拠としてはやや薄弱だが、これを否定できるほどの資料もない。ここで学問に本腰を入れるようになった。「始めて講習に専専し、古訓に非ずんは其の心を用ゐる無しと為せり」(韓文一・復志賦)とは、後年になってから当時を追憶しての語である。

徳宗の貞元二年(七八六)、十九歳になった彼は、単身で長安の都に上る。江南での生活はいちおう安定していたように見えるが、士の身分にある青年が、いつまでも地方に引きこもっていることはできない。彼が世に立つためには、兄や父と同様、役人となるほかはなかったのである。それはまた、天子を助けて善政を布くことによって国家と社会に奉仕するという、儒教精神に培われた男児一生の理想を実現する道でもあった。

役人になるには、その採用試験である「科挙」に合格しなければならない。科挙とは、門地門閥にかかわらず、広く天下の英才を試験によって選抜することを目的として、隋代から設置され、唐代に整備された制度で(その後もさらに改正を加えられながら、晴代末期まで続いた)、幾つかのコース(これを「科」という)に分けられ、コースごとに試験課目や問題数が異なる。受験者は、希望するコース一つをみずから選んで出願することができるのである。

始來 来ることの始まり。はじめて~に来る。

京城 ① 天子がいる所。皇居。 みやこ。

 

其後四年,而歸視汝。

それから四年後に河陽に帰ってお前に会った。

○其後四年 貞元6年、790年、韓愈29歳、江南に帰り、途中、河陽に立ち寄り韓老成と遇う。冬には長安に帰る。

 

又四年,吾往河陽省墳墓,

それからさらに四年経って、わたしが河陽に帰って墓参りをしたのである。

又四年 貞元10年、794年、27歳。博学宏詞科を受験して落第、河陽に帰って墓参し、冬に長安に戻る。

 

遇汝從嫂喪來葬。

そのとき、お前はあによめの棺に従って埋葬するところであった。

 

 

 

《八讀巻六11 祭十二郎文》

(溧陽の尉をつとめていた孟郊から、韓老成の死を報ずる手紙が来たので、それを受取ってから七日目、韓愈は祭文を書き、使者に持たせて韓老成の霊前にそなえさせた)

#1

年月日、末の叔父の私は、お前の喪を聞いてから七日、

はじめて悲しみを心に含みながらも、真心をささげて、建中を使いとして遠く時節の物の供物をそなえて、お前十二郎のみたまに告げさせるのである。

ああ、私は幼くて父を失いみなし子となり、やや長じて後は、恨む所の親の機嫌を伺うこともなく、兄と嫂にばかり世話になったものだ。

#2

中年のころ兄は南方で亡くなり、私とお前とはともに幼かったので、從嫂に従って河陽の郷里に帰って兄を葬った。

やがて、また、お前と共に生活のために江南に行き、落ちぶれて頼りなく、孤独に苦しみながらも、一日も互いに離れなかった。

私は上に会・介・弇の三人の兄があったけれども、不幸にして早く世を去った。

亡き父上の後を承け継ぐ者は、孫ではただお前一人、子では私だけであったし、二代とも一人だけで、形もその影もただ一つずつのたよりない姿である。

#3

いま二代にわたって一人だけで、形もその影もただ一つずつのたよりない姿である。

嫂はいつもお前を撫で、私を指さしていわれた、「韓氏の二代は、ただこれだけなのだ。」と。

お前はその時もっとも小さかったので、もはやおぼえてはいないにちがいない。

私もその時、記憶することはできたけれども、その言葉の悲しいことを、まだ知らないのであった。

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韓愈  《八讀巻六11 祭十二郎文》-#3

兩世一身,形單影隻。嫂撫汝指吾而言曰:「韓氏兩世,惟此而已。」

汝時猶小,當不複記憶;吾時雖能記憶,亦未知其言之悲也。
いま二代にわたって一人だけで、形もその影もただ一つずつのたよりない姿である。

嫂はいつもお前を撫で、私を指さしていわれた、「韓氏の二代は、ただこれだけなのだ。」と。

お前はその時もっとも小さかったので、もはやおぼえてはいないにちがいない。

私もその時、記憶することはできたけれども、その言葉の悲しいことを、まだ知らないのであった。

76-3 《八讀巻六11 祭十二郎文》-3 韓愈(韓退之)  803年貞元19 38歳<1454> Ⅱ【18分割】 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6254


 

韓愈詩-76-3

 

韓愈詩-76- 祭十二郎文

十二郎の名は老成、率府参軍韓介の子、韓愈の兄の子である。韓介には二子あり、百川と老成、起居舎人会(韓愈の長兄)に子がなかったので、老成にその後を嗣がせた。老成には湘と滂との二子があった。百川が死んだので韓愈は滂をその祖父韓介の後嗣とした。

韓会と韓介は仲卿の子であったが、会、介、百川の三人が先に死んだので、それ故に文中に「吾が上に三兄有り、不幸にして皆早世せり、先人の後を承くる者は、孫に在りてはただ汝のみ、子に在りてはただ吾のみ」という。しかし滂が祖父韓介の後を嗣いだとする説のほかに叔父百川の嗣となったという説もある。十二郎とは排行の順が十二番目の男子。貞元十九年の作である。

 

貞元19(803)四月、彼の妻の母が死んだ。六十九歳。姓は西氏、河南法曹をつとめた(これもさほど地位の高くない地方官である)慮胎という人に嫁ぎ、夫に死に別れてからは、女手ひとつで二男三女を育てあげた。その末の娘が韓愈の妻である(韓文三四、河南府法曹参軍慮府君夫人苗氏墓誌銘)。

そして五月には、江南にいた甥の韓老成が死んだ。韓愈が汴州にいたころ、韓老成が一度たずねて来たが、それ以後は全く会っていない。前年、韓老成からの手紙に脚気の気味があると言ってきたが、江南にはよくある風土病と、韓愈はさほど気にしなかった。ところがこの年、溧陽の尉をつとめていた孟郊から、ふいに韓老成の死を報ずる手紙が来たのである。それを受取ってから七日目、韓愈は祭文を書き、使者に持たせて韓老成の霊前にそなえさせた。

 

韓愈詩-76-2祭十二郎文

作者:韓愈 唐                 

803年貞元19 38

本作品收錄於:《全唐文/0568

 

§1-3分割

 

祭十二郎文§1-3分割 #1

(溧陽の尉をつとめていた孟郊から、韓老成の死を報ずる手紙が来たので、それを受取ってから七日目、韓愈は祭文を書き、使者に持たせて韓老成の霊前にそなえさせた)

年月日,季父愈聞汝喪之七日,

年月日、末の叔父の私は、お前の喪を聞いてから七日、

乃能銜哀致誠,使建中遠具時羞之奠,告汝十二郎之靈。

はじめて悲しみを心に含みながらも、真心をささげて、建中を使いとして遠く時節の物の供物をそなえて、お前十二郎のみたまに告げさせるのである。

嗚呼!吾少孤,及長,不省所怙,惟兄嫂是依。

ああ、私は幼くて父を失いみなし子となり、やや長じて後は、恨む所の親の機嫌を伺うこともなく、兄と嫂にばかり世話になったものだ。

#2

中年兄歿南方,吾與汝幼,從嫂歸葬河陽,

中年のころ兄は南方で亡くなり、私とお前とはともに幼かったので、從嫂に従って河陽の郷里に帰って兄を葬った。

既又與汝就食江南,零丁孤苦,未一日相離也。

やがて、また、お前と共に生活のために江南に行き、落ちぶれて頼りなく、孤独に苦しみながらも、一日も互いに離れなかった。

吾上有三兄,皆不幸早世。

私は上に会・介・弇の三人の兄があったけれども、不幸にして早く世を去った。

承先人後者,在孫惟汝,在子惟吾。

亡き父上の後を承け継ぐ者は、孫ではただお前一人、子では私だけであった。

#3

兩世一身,形單影隻。

いま二代にわたって一人だけで、形もその影もただ一つずつのたよりない姿である。

撫汝指吾而言曰:「韓氏兩世,惟此而已。

嫂はいつもお前を撫で、私を指さしていわれた、「韓氏の二代は、ただこれだけなのだ。」と。

汝時猶小,當不複記憶;

お前はその時もっとも小さかったので、もはやおぼえてはいないにちがいない。

吾時雖能記憶,亦未知其言之悲也。

私もその時、記憶することはできたけれども、その言葉の悲しいことを、まだ知らないのであった。

(十二郎を祭る文)

年月日。季父愈、汝の喪を聞くの七日、

乃ち能く哀(あい)を銜(ふく)み誠を致し、建中をして遠く時羞(じしゅう)の奠(てん)を具え、汝十二郎の霊に告げしむ。

 嗚呼(ああ)吾少(わか)くして孤()なり。長ずるに及んで怙(たの)むところを省(せい)せず。惟だ兄と嫂(あによめ)とに是れ依る。

#2

中年に兄南方に歿す。吾と汝と倶(とも)に幼く、嫂に従いて河陽に帰葬(きそう)す。

既にしてまた汝と食に江南に就く。零丁孤苦(れいていこく)未だ嘗て一日も相離れず。

 吾上に三兄有り。皆不幸にして早世す。先人の後を承くる者、孫に在りては惟だ汝のみ、子に在りては惟だ吾のみ。

#3

両世一身にて形(かたち)単に影隻(せき)なり。

嫂常(かつ)て汝を撫し吾を指さして言いて曰く「韓氏の両世、惟だ此のみ」と。

汝時に尤も小なり。当(まさ)に復た記憶せざるべし。

吾時に能く記憶すと雖も、亦た未だその言の悲しきことを知らず。

 

 

『祭十二郎文』 現代語訳と訳註解説
(
本文)
《八讀巻六11 祭十二郎文》-#3

兩世一身,形單影隻。

撫汝指吾而言曰:「韓氏兩世,惟此而已。」

汝時猶小,當不複記憶;

吾時雖能記憶,亦未知其言之悲也。

(下し文) #3

両世一身にて形(かたち)単に影隻(せき)なり。

嫂常(かつ)て汝を撫し吾を指さして言いて曰く「韓氏の両世、惟だ此のみ」と。

汝時に尤も小なり。当(まさ)に復た記憶せざるべし。

吾時に能く記憶すと雖も、亦た未だその言の悲しきことを知らず。

(現代語訳) #3

いま二代にわたって一人だけで、形もその影もただ一つずつのたよりない姿である。

嫂はいつもお前を撫で、私を指さしていわれた、「韓氏の二代は、ただこれだけなのだ。」と。

お前はその時もっとも小さかったので、もはやおぼえてはいないにちがいない。

私もその時、記憶することはできたけれども、その言葉の悲しいことを、まだ知らないのであった。


(訳注) 《八讀巻六11 祭十二郎文》-#3

《八讀巻六11 祭十二郎文》 

(溧陽の尉をつとめていた孟郊から、韓老成の死を報ずる手紙が来たので、それを受取ってから七日目、韓愈は祭文を書き、使者に持たせて韓老成の霊前にそなえさせた)

○十二郎 排行、一族中の十二番目の男子、韓老成のこと。 

 

兩世一身,形單影隻。

いま二代にわたって一人だけで、形もその影もただ一つずつのたよりない姿である。

○両世 子と孫の二代。

○形単影隻 形影単隻、身もその影もひとりさびしい形容。

 

撫汝指吾而言曰:「韓氏兩世,惟此而已。

嫂はいつもお前を撫で、私を指さしていわれた、「韓氏の二代は、ただこれだけなのだ。」と。

撫 いつも~を撫でる。

 

汝時猶小,當不複記憶;

お前はその時もっとも小さかったので、もはやおぼえてはいないにちがいない。

 

吾時雖能記憶,亦未知其言之悲也。

私もその時、記憶することはできたけれども、その言葉の悲しいことを、まだ知らないのであった。

 
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韓愈《八讀巻六11 祭十二郎文》#2

中年兄歿南方,吾與汝俱幼,從嫂歸葬河陽,既又與汝就食江南,零丁孤苦,未一日相離也。吾上有三兄,皆不幸早世。承先人後者,在孫惟汝,在子惟吾。

中年のころ兄は南方で亡くなり、私とお前とはともに幼かったので、從嫂に従って河陽の郷里に帰って兄を葬った。やがて、また、お前と共に生活のために江南に行き、落ちぶれて頼りなく、孤独に苦しみながらも、一日も互いに離れなかった。私は上に会・介・弇の三人の兄があったけれども、不幸にして早く世を去った。

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韓愈詩-76- 祭十二郎文

十二郎の名は老成、率府参軍韓介の子、韓愈の兄の子である。韓介には二子あり、百川と老成、起居舎人会(韓愈の長兄)に子がなかったので、老成にその後を嗣がせた。老成には湘と滂との二子があった。百川が死んだので韓愈は滂をその祖父韓介の後嗣とした。

韓会と韓介は仲卿の子であったが、会、介、百川の三人が先に死んだので、それ故に文中に「吾が上に三兄有り、不幸にして皆早世せり、先人の後を承くる者は、孫に在りてはただ汝のみ、子に在りてはただ吾のみ」という。しかし滂が祖父韓介の後を嗣いだとする説のほかに叔父百川の嗣となったという説もある。十二郎とは排行の順が十二番目の男子。貞元十九年の作である。

 

貞元19(803)四月、彼の妻の母が死んだ。六十九歳。姓は西氏、河南法曹をつとめた(これもさほど地位の高くない地方官である)慮胎という人に嫁ぎ、夫に死に別れてからは、女手ひとつで二男三女を育てあげた。その末の娘が韓愈の妻である(韓文三四、河南府法曹参軍慮府君夫人苗氏墓誌銘)。

そして五月には、江南にいた甥の韓老成が死んだ。韓愈が汴州にいたころ、韓老成が一度たずねて来たが、それ以後は全く会っていない。前年、韓老成からの手紙に脚気の気味があると言ってきたが、江南にはよくある風土病と、韓愈はさほど気にしなかった。ところがこの年、溧陽の尉をつとめていた孟郊から、ふいに韓老成の死を報ずる手紙が来たのである。それを受取ってから七日目、韓愈は祭文を書き、使者に持たせて韓老成の霊前にそなえさせた。

 

韓愈詩-76-2祭十二郎文

作者:韓愈 唐                 

803年貞元19 38

本作品收錄於:《全唐文/0568

 

§1-3分割

 

祭十二郎文§1-3分割 #1

(溧陽の尉をつとめていた孟郊から、韓老成の死を報ずる手紙が来たので、それを受取ってから七日目、韓愈は祭文を書き、使者に持たせて韓老成の霊前にそなえさせた)

年月日,季父愈聞汝喪之七日,

年月日、末の叔父の私は、お前の喪を聞いてから七日、

乃能銜哀致誠,使建中遠具時羞之奠,告汝十二郎之靈。

はじめて悲しみを心に含みながらも、真心をささげて、建中を使いとして遠く時節の物の供物をそなえて、お前十二郎のみたまに告げさせるのである。

嗚呼!吾少孤,及長,不省所怙,惟兄嫂是依。

ああ、私は幼くて父を失いみなし子となり、やや長じて後は、恨む所の親の機嫌を伺うこともなく、兄と嫂にばかり世話になったものだ。

#2

中年兄歿南方,吾與汝幼,從嫂歸葬河陽,

中年のころ兄は南方で亡くなり、私とお前とはともに幼かったので、從嫂に従って河陽の郷里に帰って兄を葬った。

既又與汝就食江南,零丁孤苦,未一日相離也。

やがて、また、お前と共に生活のために江南に行き、落ちぶれて頼りなく、孤独に苦しみながらも、一日も互いに離れなかった。

吾上有三兄,皆不幸早世。

私は上に会・介・弇の三人の兄があったけれども、不幸にして早く世を去った。

承先人後者,在孫惟汝,在子惟吾。

亡き父上の後を承け継ぐ者は、孫ではただお前一人、子では私だけであったし、二代とも一人だけで、形もその影もただ一つずつのたよりない姿である。

#3

兩世一身,形單影隻。嫂撫汝指吾而言曰:「韓氏兩世,惟此而已。」汝時猶小,當不複記憶;吾時雖能記憶,亦未知其言之悲也。

(十二郎を祭る文)

年月日。季父愈、汝の喪を聞くの七日、

乃ち能く哀(あい)を銜(ふく)み誠を致し、建中をして遠く時羞(じしゅう)の奠(てん)を具え、汝十二郎の霊に告げしむ。

 嗚呼(ああ)吾少(わか)くして孤()なり。長ずるに及んで怙(たの)むところを省(せい)せず。惟だ兄と嫂(あによめ)とに是れ依る。

#2

中年に兄南方に歿す。吾と汝と倶(とも)に幼く、嫂に従いて河陽に帰葬(きそう)す。

既にしてまた汝と食に江南に就く。零丁孤苦(れいていこく)未だ嘗て一日も相離れず。

 吾上に三兄有り。皆不幸にして早世す。先人の後を承くる者、孫に在りては惟だ汝のみ、子に在りては惟だ吾のみ。

#3

両世一身にて形(かたち)単に影隻(せき)なり。嫂常(かつ)て汝を撫し吾を指さして言いて曰く「韓氏の両世、惟だ此のみ」と。汝時に尤も小なり。当(まさ)に復た記憶せざるべし。吾時に能く記憶すと雖も、亦た未だその言の悲しきことを知らず。

 

 

『祭十二郎文』 現代語訳と訳註解説
(
本文)
《八讀巻六11 祭十二郎文》#2

中年兄歿南方,吾與汝俱幼,從嫂歸葬河陽,既又與汝就食江南,零丁孤苦,未一日相離也。吾上有三兄,皆不幸早世。承先人後者,在孫惟汝,在子惟吾。


(下し文) #2

中年に兄南方に歿す。吾と汝と倶(とも)に幼く、嫂に従いて河陽に帰葬(きそう)す。

既にしてまた汝と食に江南に就く。零丁孤苦(れいていこく)未だ嘗て一日も相離れず。

 吾上に三兄有り。皆不幸にして早世す。

先人の後を承くる者、孫に在りては惟だ汝のみ、子に在りては惟だ吾のみ。

(現代語訳) #2

中年のころ兄は南方で亡くなり、私とお前とはともに幼かったので、從嫂に従って河陽の郷里に帰って兄を葬った。

やがて、また、お前と共に生活のために江南に行き、落ちぶれて頼りなく、孤独に苦しみながらも、一日も互いに離れなかった。

私は上に会・介・弇の三人の兄があったけれども、不幸にして早く世を去った。

亡き父上の後を承け継ぐ者は、孫ではただお前一人、子では私だけであったし、二代とも一人だけで、形もその影もただ一つずつのたよりない姿である。


(訳注) #2

《八讀巻六11 祭十二郎文》 

(溧陽の尉をつとめていた孟郊から、韓老成の死を報ずる手紙が来たので、それを受取ってから七日目、韓愈は祭文を書き、使者に持たせて韓老成の霊前にそなえさせた)

○十二郎 排行、一族中の十二番目の男子、韓老成のこと。 

 

中年兄歿南方,吾與汝俱幼,從嫂歸葬河陽,

中年のころ兄は南方で亡くなり、私とお前とはともに幼かったので、從嫂に従って河陽の郷里に帰って兄を葬った。

 

既又與汝就食江南,零丁孤苦,未一日相離也。

やがて、また、お前と共に生活のために江南に行き、落ちぶれて頼りなく、孤独に苦しみながらも、一日も互いに離れなかった。

○零丁 落ちぶれて孤独、危弱の貌。

 

吾上有三兄,皆不幸早世。

私は上に会・介・弇の三人の兄があったけれども、不幸にして早く世を去った。

〇三兄 韓愈の三人の兄、会・介・弇のこと。

 

承先人後者,在孫惟汝,在子惟吾。

亡き父上の後を承け継ぐ者は、孫ではただお前一人、子では私だけであったし、二代とも一人だけで、形もその影もただ一つずつのたよりない姿である。

76-#1 《八讀巻六11 祭十二郎文》-1 韓愈(韓退之) 803年貞元19年 38歳<1452> Ⅱ【18分割】 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6244

韓愈  祭十二郎文》#1

年月日,季父愈聞汝喪之七日,乃能銜哀致誠,使建中遠具時羞之奠,告汝十二郎之靈。

嗚呼!吾少孤,及長,不省所怙,惟兄嫂是依。

(溧陽の尉をつとめていた孟郊から、韓老成の死を報ずる手紙が来たので、それを受取ってから七日目、韓愈は祭文を書き、使者に持たせて韓老成の霊前にそなえさせた)年月日、末の叔父の私は、お前の喪を聞いてから七日、はじめて悲しみを心に含みながらも、真心をささげて、建中を使いとして遠く時節の物の供物をそなえて、お前十二郎のみたまに告げさせるのである。ああ、私は幼くて父を失いみなし子となり、やや長じて後は、恨む所の親の機嫌を伺うこともなく、兄と嫂にばかり世話になったものだ。

76-1 《八讀巻六11 祭十二郎文》-1 韓愈(韓退之)  803年貞元19 38歳<1452 Ⅱ【18分割】 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6244

 
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268-#1 《卷9-06贈崔郎中宗之【案:時謫官金陵。】》Index-19 Ⅱー14-739年開元二十七年39歳 【3分割】<268-#1> Ⅰ李白詩1536 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6228 
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