杜甫《八讀巻六11 祭十二郎文》-#9§3-2
如吾之衰者,其能久存乎!
吾不可去,汝不肯來,恐旦暮死,而汝抱無涯之戚也。」孰謂少者歿而長者存,強者夭而病者全乎!
その様な家系の中で私の衰え愚淮では、それこそ久しく生命ながらえることができるはずがないのである。私はお前の所に行けなかったし、お前はこちらに来ることはできなかった。私の方が朝から晩の短い時間というように、先に死ねば、お前は限り無く悲しみに暮れるだろうという心配がわたしにはついてまわっているとつねに言っていた。」と。だれが、若いお前が死んで年長者の私が生きのこり、壮健なお前が先に若死にして、病気がちの私が安全であると思うだろうか。
76-#9 《八讀巻六11 祭十二郎文》-9 韓愈(韓退之) 803年貞元19年 38歳<1460> Ⅱ【18分割】 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6284
韓愈詩-76-#9
#8§3-1
去年孟東野往,吾書與汝曰:
去年、孟東野が溧陽県の尉に任命され赴任するときに、わたしは、お前へ気持ちを書にして与えておまえに言っておいた。
「吾年未四十,而視茫茫,
「私は年齢がまだ四十にもならないのに、視力が目はぼんやりかすんできた、
而髮蒼蒼,而齒牙動搖,
髪は白髪まじりにいろあせ、歯はぐらぐらして「落歯」がある。
念諸父與諸兄,皆康強而早世,
私のおじたちと兄たちが元気盛りの年で建康だったはずのに早死にしていることを思わざるをえない。
#9§3-2
如吾之衰者,其能久存乎!
その様な家系の中で私の衰え愚淮では、それこそ久しく生命ながらえることができるはずがないのである。
吾不可去,汝不肯來,
私はお前の所に行けなかったし、お前はこちらに来ることはできなかった。
恐旦暮死,而汝抱無涯之戚也。」
私の方が朝から晩の短い時間というように、先に死ねば、お前は限り無く悲しみに暮れるだろうという心配がわたしにはついてまわっているとつねに言っていた。」と。
孰謂少者歿而長者存,強者夭而病者全乎!
だれが、若いお前が死んで年長者の私が生きのこり、壮健なお前が先に若死にして、病気がちの私が安全であると思うだろうか。
#10§3-3
嗚呼!其信然邪?
其夢邪?其傳之非其真邪?
信也,吾兄之盛德,而夭其嗣乎?
汝之純明,而不克蒙其澤乎?
#11§3-4
少者強者而夭歿,長者袁者而全存乎?
未可以為信也,夢也,
傳之非其真也;東野之書,
耿蘭之報,何為而在吾側也?
嗚呼!其信然矣。
去年孟東野往きしとき、吾書を汝に与えて曰く
「吾年未だ四十ならずして、視ること茫々たり、
髪蒼蒼たり、歯牙動揺す。
諸父と諸兄との、皆康彊(こうきょう)にして早世せるを念(おも)えば、
吾の衰うる如き者は、それ能く久しく存せんや。
吾去(ゆ)くべからず、汝肯(あえ)て来らずんば、
旦暮に死して、汝が涯し無き戚(うれ)いを抱かんことを恐る」と。
孰(た)れか謂(おも)わん少(わか)き者は歿して長ぜる者は存し、彊(つよ)き者は夭して病める者は全(まった)からんとは。
嗚呼、それ信(まこと)に然るか、
それ夢なるか。それこれを伝うることその真に非ざるか。
信ならば吾が兄の盛徳にして、その嗣(し)を夭(よう)せんや。
汝の純明にして、その沢(たく)を蒙ること克(あた)わざらんや。
少者彊者(きょうしゃ)にして夭歿し、長者衰者にして存全せんや。
未だ以って信と為すべからざるなり。夢なり、
伝われることそれ真に非ざるなりとせば、東野の書、
耿蘭(こうらん)の報、何爲(なんす)れぞ吾が側(かたわら)に在るや。
嗚呼、それ信に然らん。
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『祭十二郎文』 現代語訳と訳註解説
(本文) 《八讀巻六11 祭十二郎文》-#9§3-2
如吾之衰者,其能久存乎!
吾不可去,汝不肯來,
恐旦暮死,而汝抱無涯之戚也。」
孰謂少者歿而長者存,強者夭而病者全乎!
(下し文)
吾の衰うる如き者は、それ能く久しく存せんや。
吾去(ゆ)くべからず、汝肯(あえ)て来らずんば、
旦暮に死して、汝が涯し無き戚(うれ)いを抱かんことを恐る」と。
孰(た)れか謂(おも)わん少(わか)き者は歿して長ぜる者は存し、彊(つよ)き者は夭して病める者は全(まった)からんとは。
(現代語訳)
その様な家系の中で私の衰え愚淮では、それこそ久しく生命ながらえることができるはずがないのである。
私はお前の所に行けなかったし、お前はこちらに来ることはできなかった。
私の方が朝から晩の短い時間というように、先に死ねば、お前は限り無く悲しみに暮れるだろうという心配がわたしにはついてまわっているとつねに言っていた。」と。
だれが、若いお前が死んで年長者の私が生きのこり、壮健なお前が先に若死にして、病気がちの私が安全であると思うだろうか。
(訳注) 《八讀巻六11 祭十二郎文》-#9§3-2
《八讀巻六11 祭十二郎文》#7§2-4
(溧陽の尉をつとめていた孟郊から、韓老成の死を報ずる手紙が来たので、それを受取ってから七日目、韓愈は祭文を書き、使者に持たせて韓老成の霊前にそなえさせた)
○十二郎 排行、一族中の十二番目の男子、韓老成のこと。
如吾之衰者,其能久存乎!
その様な家系の中で私の衰え愚淮では、それこそ久しく生命ながらえることができるはずがないのである。
吾不可去,汝不肯來,
私はお前の所に行けなかったし、お前はこちらに来ることはできなかった。
恐旦暮死,而汝抱無涯之戚也。」
私の方が朝から晩の短い時間というように、先に死ねば、お前は限り無く悲しみに暮れるだろうという心配がわたしにはついてまわっているとつねに言っていた。」と。
旦暮 朝から晩の短い時間、忽ちの間。
孰謂少者歿而長者存,強者夭而病者全乎!
だれが、若いお前が死んで年長者の私が生きのこり、壮健なお前が先に若死にして、病気がちの私が安全であると思うだろうか。