中唐詩人選集【Ⅰ李商隠-150】Ⅱ韓退之(韓愈)Ⅶ孟郊(東野)  漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩 訳注解説ブログ

Ⅰ李商隠は難解詩といわれている。約150首紹介済。(晩唐詩人) Ⅱ韓退之(韓愈)-約500首Ⅶ孟郊、中唐の詩人を掲載中。万物の性(さが)をテーマにした哲学的な詩。このブログは基本的に中唐詩人を中心にして掲載する予定。 韓愈詩文のこれまでの掲載分とこれから掲載予定分を時系列で整理した2014.3.29のブログに集約してそこから各年次を見ることができる  kanbuniinkai 検索で、《漢文委員会HP05》サイトあります。漢詩唐詩を理解するための総合サイト:≪漢文委員会 漢詩07≫。

少し、マニアックな晩唐詩人Ⅰ-李商隠150首をまず掲載済み。中唐は盛唐詩人(孟浩然・王維、杜甫、李白)を受け継いだ多様な詩人が出ている。この時代も驚くほど詩が発展している。Ⅱ韓退之(韓愈)500首、Ⅲ柳宗元40首、Ⅳ韋応物、Ⅴ劉長卿、Ⅵ韋荘、Ⅶ孟郊(孟東野)、Ⅷ張籍、Ⅸ賈島、Ⅹ劉禹錫、ほか2012~2020年の予定で気長に進める。同じ中唐ではあるが、白居易のグループについては、李白のブログ350首(2015/6月再開~2018/夏・秋月予定)の後掲載の予定。別に杜甫詩ブログ1500首(2011/7月~2018/8月の予定で)を進行中。詩数につぃては、予定の詩数より多くなる。気まぐれなところがあるのでこの予定が少し変わる場合があり、その節はご容赦ください。                 古詩・謝霊運詩 杜甫詩 韓愈詩 花間集500首全詩 それぞれ毎日ブログしています。 このブログ、索引=語句の「検索」 参考書以上掲載。漢詩力up。

804年貞元20年 37歳

87-#7 燕喜亭記 韓愈(韓退之) 804年貞元20年 37歳<1514> Ⅱ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6554

韓愈(韓退之)  燕喜亭記#7§3-2  

宜其於山水飫聞而厭見也。

今其意乃若不足,《傳》曰:「知者樂水,仁者樂山」。

宏中之德與其所好,可謂協矣。

智以謀之,仁以居之,吾知其去是而羽儀於天朝也不遠矣。

遂刻石以記。
だから、その山水において、飽くまで風、水の音を聞き、飽くまで常緑の山河を見ることを楽しまれたのも尤ものことである。ところが今、王宏中の心は、それにも拘らず、満足されていないようである。古人の言を伝える書、『論語』にいう、「智者は水を楽【この】み、仁者は山を楽む」と。王宏中の徳は、その好む所の山や水と善く協【かな】っているということができる。その智はそれで以て物事を謀り考え、仁愛の徳はそれを以て、常に心安んじておられるということである。私には、王宏中がこの地を去って天朝に用いられることは遠くないことがわかるのである。

そこで、そのままこれを石に刻んで記すのである。

87-#7 燕喜亭記 韓愈(韓退之)  804年貞元20 37歳<1514 Ⅱ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6554
韓愈詩-87-#7

 

 
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燕喜亭記

(韓愈と同様連州に左遷された王宏中と釋景常と惠師即元惠らと四阿を建てたのでその様を記したもの)

§1-1

太原王宏中在連州,與學佛人景常元慧遊,

大原の王弘中は連州にあって、仏教を学ぶ人、釋景常と惠師即元惠の二人と交わっている。

異日從二人者,行於其居之後,邱荒之間,上高而望,得異處焉。

或る日、二人を従えて、その住居の後方、草木の繁り荒れた丘の間に行き、高みに上って遠くを眺め、すぐれた景色の場所を見つけた。

斬茅而嘉樹列,發石而清泉激,

そこで茅萱を斬り、憲い木が立ちならび、石を掘り出して、清水がほとばしり湧き出した。

輦糞壤,燔

悪い土壌を手押し車で運び去り、立ち枯れの木や仆れた枯れ木をあつめて焼き払う。

 

燕喜亭記§1-1

太原の王弘中は連州に在り。佛を学ぶ人景常・元慧と游ぶ。

異日二人の者に従って、其の居の後、荒邸の間に行き、高きに上って望み、異處を得たり。

茅を斬って嘉樹列り、石を發【あば】いて清泉激す。

糞壤を輦し、【し】翳を燔【や】く。

 

2§1-2

卻立而視之,出者突然成邱,

あとずさりしてこれをよく見ると、出張っているものは突き出て丘となる。

陷者呀然成穀,窪者為池,而闕者為洞,

落ち込んでいるものは、口をあいたように谷となり、くぼんでいるものは池となり、欠けている所は洞穴となっている。

若有鬼神異物陰來相之。

まるで目に見えぬ霊魂や神、妖怪が、ひそかに来て手伝ってくれたかのように、すはらしくよい眺めになった。

自是宏中與二人者,晨往而夕忘歸焉,

これから宏中と二人の僧とは、朝早く行って、夕暮れにはあまりの楽しさに志るのを忘れるというありさまであった。

乃立屋以避風雨寒暑。

そこで東屋を立てて、風雨寒暑を避けることにした。

 

§1-2

卻立して之をるに、出づる者は突然として邱を成し、

陥る者は冴然としてを成し、窪める者は池と為りて、闕くる者は洞と為り、

鬼神異物、陰に来って之を相くること有るが若し。

是より弘中二人の者と、晨に往いて夕に歸るを忘る。

乃ち臣を立てて以て風雨寒暑を避く。

 

§2-1

既成,愈請名之,其邱曰「俟德之邱」,

やがで、亭ができ上がった。私、韓愈はこれに名をつけたいと申し出て、その丘を「俟德の丘」という。

蔽於古而顯於今,有俟之道也;

これは、昔は蔽われて世に知られず、今になって顕れたのは、俟(待つ) の道理があったからである。

其石穀曰「謙受之穀」,瀑曰「振鷺之瀑」,

その石の谷を「謙受の谷」といい、瀑を「振鷺の瀑」という。

穀言德,瀑言容也;

これは谷の徳性が、虚しくてへりくだり受け入れるのをいい、操の様子、姿が白いことをいうのである。

其土穀曰「黃金之穀」,
その土の谷を「黄金の谷」という。

 

既に成る。愈 之に名けんと請ふ。其の邱を「俟德の邱」と日う。

古に蔽ぼれて今に顯わる。俟つの道有るなり。

其の石谷を「謙愛の谷」と日い、瀑を振鷺の瀑と日う。

谷は徳を言ひ、瀑は容を言ふなり。

其の土谷を「黄金の谷」と日う。

 

§2-2

瀑曰「秩秩之瀑」,穀言容,

その瀑を「秩秩の瀑」という。これは、谷はその土が黄色い姿からいうのである。

瀑言德也;洞曰「寒居之洞」,誌其入時也;

瀑はその性格が、順序正しく落ちていることをいうのである。洞穴を「寒居の洞」という。そこに入る時に、寒気を覚えたのを記念したのである。

池曰「君子之地」,虛以鍾其美,盈以出其惡也;

池を「君子の池」という。それは中が虚しくて、その美しいものを集めていて、水が満ち溢れるときには、その悪水汚物を流し出してしまうからである。

泉之源曰「天澤之泉」,出高而施下也;

泉の源を「天沢の泉」という。高い所に出て、低い所に施しめぐむので、天のうるおしめぐむのに似ているからである。

 

瀑を「秩秩の操」と日い、谷は容を言う。

瀑は徳を言ふなり。洞を「寒居の洞」と日ふ。其の入る時を志すなり。

池を「君子の池」と日ふ。虚以て其の美を鍾め、盈以て其の悪を出すなり。

泉の源を「天澤の泉」と日ふ。高きに出でて下きに施すなり。

 

§2-3

合而名之以屋曰「燕喜之亭」,

これに合わせて建物に“飲宴して喜ぶ”という意味で「燕喜亭」という名をつけた。

取詩所謂「魯侯燕喜」者頌也。

『詩経』魯頌悶宮篇にいう所の「魯侯燕喜す」というのに取ってほめたたえたのである。

於是州民之老,聞而相與觀焉,

そこで、ここの州の人民の年寄りが、このことを聞きつけて、相い連れ立って観に来たのである。

曰:吾州之山水名天下,然而無與「燕喜」者比。

そして、云ったのである、“わが州の山水は天下に有名であるが、しかし「燕喜」というこの亭の山水と比べられるものはない。”と。

經營於其側者相接也,而莫直其地。

其の近所に亭を築いたものが、相い接しているのである。しかしこの地の風景に匹敵するものはないのである。

凡天作而地藏之,以遺其人乎?

およそ天がこれを作り、地がこれを今まで蔵しておいて、それを発見する人を待って贈ったのであろうか。

 

合せて之に名くるに屋を以てして、「燕音の亭」と日ふ。

詩に所謂「魯侯燕喜」する者に取る頌なり。

是に於て州民の老、聞いて相異に観る。

日く、吾が州の山水天下に名あり。然り而して「燕書」といふ者と比する無しと。

其の側に経営する者相接するなり。而も其の地に直る美し。

凡そ天作りて地之を癒し、以て其の人に逼るか。

 

§3-1

宏中自吏部郎貶秩而來,次其道途所經,

宏中は吏部郎から官位をおとされてこの地に来られたがその道の経て来た所を順次にあげれば、

自藍田入商洛,涉淅湍,臨漢水,升峴首以望方城;

先ず藍田から商山、洛水の地に入り、河南の淅水・湍水を渡り、漢水に臨み、湖北省の峴首山に升り、方城山を望み、

出荊門,下岷江,過洞庭,上湘水,行衡山之下;

荊門を出て、岷江を下り、洞庭湖を過ぎて、湘水に上って、衡山の麓を行き、

繇郴逾嶺,蝯狖所家,魚龍所宮,極幽遐瑰詭之觀。

郴州に寄りそうようにして、五嶺山脈を越えて、猿や黒猿の住む深山、魚龍などの栖む深い水など、奥深く遠く珍しく怪しく美しい眺めを極めて来られた

§3-1

宏中自吏部郎より秩を貶して來り,其の道途 經る所を次する。

藍田より商洛に入り,淅湍を涉り,漢水に臨み,峴首に升って以て方城を望む。

荊門を出て,岷江を下り,洞庭を過ぎて,湘水に上り,衡山の下に行く。

郴に繇り嶺を逾え,蝯狖【えんゆう】の家する所,魚龍の宮する所,幽遐 瑰詭の觀を極む。

 

§3-2

宜其於山水飫聞而厭見也。

だから、その山水において、飽くまで風、水の音を聞き、飽くまで常緑の山河を見ることを楽しまれたのも尤ものことである。

今其意乃若不足,《傳》曰:「知者樂水,仁者樂山」。

ところが今、王宏中の心は、それにも拘らず、満足されていないようである。古人の言を伝える書、『論語』にいう、「智者は水を楽【この】み、仁者は山を楽む」と。

宏中之德與其所好,可謂協矣。

王宏中の徳は、その好む所の山や水と善く協【かな】っているということができる。

智以謀之,仁以居之,

その智はそれで以て物事を謀り考え、仁愛の徳はそれを以て、常に心安んじておられるということである。

吾知其去是而羽儀於天朝也不遠矣。

私には、王宏中がこの地を去って天朝に用いられることは遠くないことがわかるのである。

遂刻石以記。

そこで、そのままこれを石に刻んで記すのである。

§3-2

宜しく其の山水に於て聞くに飫きて見るに厭くべきなり。

今其の意乃ち足らざるが若し。《傳》に日く、智者は水を樂み、仁者は山を樂むと。

宏中の徳は、其の好む所と協ふと謂ふ可し。

智以て之を謀り、仁以て之に居る。

吾其の是を去って天朝に羽儀するや遠からざるを知る。

遂に石に刻して以て記す。

 

 

『燕喜亭記』 現代語訳と訳註解説

(本文)

§3-2

宜其於山水飫聞而厭見也。

今其意乃若不足,《傳》曰:「知者樂水,仁者樂山」。

宏中之德與其所好,可謂協矣。

智以謀之,仁以居之,

吾知其去是而羽儀於天朝也不遠矣。

遂刻石以記。

(下し文)
§3-2

宜しく其の山水に於て聞くに飫きて見るに厭くべきなり。

今其の意乃ち足らざるが若し。《傳》に日く、智者は水を樂み、仁者は山を樂むと。

宏中の徳は、其の好む所と協ふと謂ふ可し。

智以て之を謀り、仁以て之に居る。

吾其の是を去って天朝に羽儀するや遠からざるを知る。

遂に石に刻して以て記す。

(現代語訳)
§3-2

だから、その山水において、飽くまで風、水の音を聞き、飽くまで常緑の山河を見ることを楽しまれたのも尤ものことである。

ところが今、王宏中の心は、それにも拘らず、満足されていないようである。古人の言を伝える書、『論語』にいう、「智者は水を楽【この】み、仁者は山を楽む」と。

王宏中の徳は、その好む所の山や水と善く協【かな】っているということができる。

その智はそれで以て物事を謀り考え、仁愛の徳はそれを以て、常に心安んじておられるということである。

私には、王宏中がこの地を去って天朝に用いられることは遠くないことがわかるのである。

そこで、そのままこれを石に刻んで記すのである。


(訳注) §3-2

燕喜亭記

(韓愈と同様連州に左遷された王宏中と釋景常と惠師即元惠らと四阿を建てたのでその様を記したもの)

 

宜其於山水飫聞而厭見也。

だから、その山水において、飽くまで風、水の音を聞き、飽くまで常緑の山河を見ることを楽しまれたのも尤ものことである。

○飫 飽く、あくまで。

○厭 嬰()と同じ。いやになるほど……する。

 

今其意乃若不足,《傳》曰:「知者樂水,仁者樂山」。

ところが今、王宏中の心は、それにも拘らず、満足されていないようである。古人の言を伝える書、『論語』にいう、「智者は水を楽【この】み、仁者は山を楽む」と。

○傳日 《論語雍也》篇“子曰:『知者樂水,仁者樂山;知者動,仁者靜;知者樂,仁者壽。』”(子日く、知者は水を楽(警み、仁者は山を楽(巴む。知者は動き、仁者は静かなり。知者は楽【この】み、仁者は寿【いのちなが】し」とある。「孔子:『智者喜愛水,仁者喜愛山;智者好動,仁者好靜; 智者快樂,仁者長壽。』」とある。朱子注に“知者は事理に達して、周流して滞ることなきは水に似たるあり、故に水を楽む。仁者は義理に安んじて、厚重にして遷らざるは、山に似たるあり。故に山を楽む”という。楽の字は「このむ」と読む説と、「たのしむ」と読む説とがある。韓愈はその後に「其所好」というのによれば、「このむ」と読んだようである。智者は知者とするのが正しいとする。

 

宏中之德與其所好,可謂協矣。

王宏中の徳は、その好む所の山や水と善く協【かな】っているということができる。

 

智以謀之,仁以居之,

その智はそれで以て物事を謀り考え、仁愛の徳はそれを以て、常に心安んじておられるということである。

 

吾知其去是而羽儀於天朝也不遠矣。

私には、王宏中がこの地を去って天朝に用いられることは遠くないことがわかるのである。

○羽儀 鴻の鳥はその進退が優美でその羽振りは儀表(手本)となるという意味、転じて人の模範となることをいう。『易』漸の卦に「鴻漸于陸;其羽可用為儀。」(鴻陸【みち】(天路)に漸【すす】む。其羽以て儀と為す可し)とある。韓愈はここでは、貴ぶべく法るべき儀容を以て朝廷に出仕する意に用いた。

 

遂刻石以記。

そこで、そのままこれを石に刻んで記すのである。

87-#6 燕喜亭記 韓愈(韓退之) 804年貞元20年 37歳<1513> Ⅱ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6549

韓愈  燕喜亭記#6§3-1   

宏中自吏部郎貶秩而來,次其道途所經,自藍田入商洛,涉淅湍,臨漢水,升峴首以望方城;出荊門,下岷江,過洞庭,上湘水,行衡山之下;繇郴逾嶺,蝯狖所家,魚龍所宮,極幽遐瑰詭之觀
宏中は吏部郎から官位をおとされてこの地に来られたがその道の経て来た所を順次にあげれば、先ず藍田から商山、洛水の地に入り、河南の淅水・湍水を渡り、漢水に臨み、湖北省の峴首山に升り、方城山を望み、荊門を出て、岷江を下り、洞庭湖を過ぎて、湘水に上って、衡山の麓を行き、郴州に寄りそうようにして、五嶺山脈を越えて、猿や黒猿の住む深山、魚龍などの栖む深い水など、奥深く遠く珍しく怪しく美しい眺めを極めて来られた

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韓愈詩

-87-#6 

 

燕喜亭記

(韓愈と同様連州に左遷された王弘中と釋景常と惠師即元惠らと四阿を建てたのでその様を記したもの)

§1-1

太原王宏中在連州,與學佛人景常元慧遊,

大原の王弘中は連州にあって、仏教を学ぶ人、釋景常と惠師即元惠の二人と交わっている。

異日從二人者,行於其居之後,邱荒之間,上高而望,得異處焉。

或る日、二人を従えて、その住居の後方、草木の繁り荒れた丘の間に行き、高みに上って遠くを眺め、すぐれた景色の場所を見つけた。

斬茅而嘉樹列,發石而清泉激,

そこで茅萱を斬り、憲い木が立ちならび、石を掘り出して、清水がほとばしり湧き出した。

輦糞壤,燔

悪い土壌を手押し車で運び去り、立ち枯れの木や仆れた枯れ木をあつめて焼き払う。

 

燕喜亭記§1-1

太原の王弘中は連州に在り。佛を学ぶ人景常・元慧と游ぶ。

異日二人の者に従って、其の居の後、荒邸の間に行き、高きに上って望み、異處を得たり。

茅を斬って嘉樹列り、石を發【あば】いて清泉激す。

糞壤を輦し、【し】翳を燔【や】く。

 

2§1-2

卻立而視之,出者突然成邱,

あとずさりしてこれをよく見ると、出張っているものは突き出て丘となる。

陷者呀然成穀,窪者為池,而闕者為洞,

落ち込んでいるものは、口をあいたように谷となり、くぼんでいるものは池となり、欠けている所は洞穴となっている。

若有鬼神異物陰來相之。

まるで目に見えぬ霊魂や神、妖怪が、ひそかに来て手伝ってくれたかのように、すはらしくよい眺めになった。

自是宏中與二人者,晨往而夕忘歸焉,

これから宏中と二人の僧とは、朝早く行って、夕暮れにはあまりの楽しさに志るのを忘れるというありさまであった。

乃立屋以避風雨寒暑。

そこで東屋を立てて、風雨寒暑を避けることにした。

 

§1-2

卻立して之をるに、出づる者は突然として邱を成し、

陥る者は冴然としてを成し、窪める者は池と為りて、闕くる者は洞と為り、

鬼神異物、陰に来って之を相くること有るが若し。

是より弘中二人の者と、晨に往いて夕に歸るを忘る。

乃ち臣を立てて以て風雨寒暑を避く。

 

§2-1

既成,愈請名之,其邱曰「俟德之邱」,

やがで、亭ができ上がった。私、韓愈はこれに名をつけたいと申し出て、その丘を「俟德の丘」という。

蔽於古而顯於今,有俟之道也;

これは、昔は蔽われて世に知られず、今になって顕れたのは、俟(待つ) の道理があったからである。

其石穀曰「謙受之穀」,瀑曰「振鷺之瀑」,

その石の谷を「謙受の谷」といい、瀑を「振鷺の瀑」という。

穀言德,瀑言容也;

これは谷の徳性が、虚しくてへりくだり受け入れるのをいい、操の様子、姿が白いことをいうのである。

其土穀曰「黃金之穀」,
その土の谷を「黄金の谷」という。

 

既に成る。愈 之に名けんと請ふ。其の邱を「俟德の邱」と日う。

古に蔽ぼれて今に顯わる。俟つの道有るなり。

其の石谷を「謙愛の谷」と日い、瀑を振鷺の瀑と日う。

谷は徳を言ひ、瀑は容を言ふなり。

其の土谷を「黄金の谷」と日う。

 

§2-2

瀑曰「秩秩之瀑」,穀言容,

その瀑を「秩秩の瀑」という。これは、谷はその土が黄色い姿からいうのである。

瀑言德也;洞曰「寒居之洞」,誌其入時也;

瀑はその性格が、順序正しく落ちていることをいうのである。洞穴を「寒居の洞」という。そこに入る時に、寒気を覚えたのを記念したのである。

池曰「君子之地」,虛以鍾其美,盈以出其惡也;

池を「君子の池」という。それは中が虚しくて、その美しいものを集めていて、水が満ち溢れるときには、その悪水汚物を流し出してしまうからである。

泉之源曰「天澤之泉」,出高而施下也;

泉の源を「天沢の泉」という。高い所に出て、低い所に施しめぐむので、天のうるおしめぐむのに似ているからである。

 

瀑を「秩秩の操」と日い、谷は容を言う。

瀑は徳を言ふなり。洞を「寒居の洞」と日ふ。其の入る時を志すなり。

池を「君子の池」と日ふ。虚以て其の美を鍾め、盈以て其の悪を出すなり。

泉の源を「天澤の泉」と日ふ。高きに出でて下きに施すなり。

 

§2-3

合而名之以屋曰「燕喜之亭」,

これに合わせて建物に“飲宴して喜ぶ”という意味で「燕喜亭」という名をつけた。

取詩所謂「魯侯燕喜」者頌也。

『詩経』魯頌悶宮篇にいう所の「魯侯燕喜す」というのに取ってほめたたえたのである。

於是州民之老,聞而相與觀焉,

そこで、ここの州の人民の年寄りが、このことを聞きつけて、相い連れ立って観に来たのである。

曰:吾州之山水名天下,然而無與「燕喜」者比。

そして、云ったのである、“わが州の山水は天下に有名であるが、しかし「燕喜」というこの亭の山水と比べられるものはない。”と。

經營於其側者相接也,而莫直其地。

其の近所に亭を築いたものが、相い接しているのである。しかしこの地の風景に匹敵するものはないのである。

凡天作而地藏之,以遺其人乎?

およそ天がこれを作り、地がこれを今まで蔵しておいて、それを発見する人を待って贈ったのであろうか。

 

合せて之に名くるに屋を以てして、「燕音の亭」と日ふ。

詩に所謂「魯侯燕喜」する者に取る頌なり。

是に於て州民の老、聞いて相異に観る。

日く、吾が州の山水天下に名あり。然り而して「燕書」といふ者と比する無しと。

其の側に経営する者相接するなり。而も其の地に直る美し。

凡そ天作りて地之を癒し、以て其の人に逼るか。

 

§3-1

宏中自吏部郎貶秩而來,次其道途所經,

宏中は吏部郎から官位をおとされてこの地に来られたがその道の経て来た所を順次にあげれば、

自藍田入商洛,涉淅湍,臨漢水,升峴首以望方城;

先ず藍田から商山、洛水の地に入り、河南の淅水・湍水を渡り、漢水に臨み、湖北省の峴首山に升り、方城山を望み、

出荊門,下岷江,過洞庭,上湘水,行衡山之下;

荊門を出て、岷江を下り、洞庭湖を過ぎて、湘水に上って、衡山の麓を行き、

繇郴逾嶺,蝯狖所家,魚龍所宮,極幽遐瑰詭之觀。

郴州に寄りそうようにして、五嶺山脈を越えて、猿や黒猿の住む深山、魚龍などの栖む深い水など、奥深く遠く珍しく怪しく美しい眺めを極めて来られた

§3-2

宜其於山水飫聞而厭見也。

今其意乃若不足,《傳》曰:「知者樂水,仁者樂山」。

宏中之德與其所好,可謂協矣。

智以謀之,仁以居之,

吾知其去是而羽儀於天朝也不遠矣。

遂刻石以記。

 

§3-1

宏中自吏部郎より秩を貶して來り,其の道途 經る所を次する。

藍田より商洛に入り,淅湍を涉り,漢水に臨み,峴首に升って以て方城を望む。

荊門を出て,岷江を下り,洞庭を過ぎて,湘水に上り,衡山の下に行く。

郴に繇り嶺を逾え,蝯狖【えんゆう】の家する所,魚龍の宮する所,幽遐 瑰詭の觀を極む。

§3-2

宜しく其の山水に於て聞くに飫きて見るに厭くべきなり。

今其の意乃ち足らざるが若し。《傳》に日く、智者は水を樂み、仁者は山を樂むと。

宏中の徳は、其の好む所と協ふと謂ふ可し。

智以て之を謀り、仁以て之に居る。

吾其の是を去って天朝に羽儀するや遠からざるを知る。

遂に石に刻して以て記す。

韓愈 陽山00韓愈 陽山と潮州002 

 

『燕喜亭記』 現代語訳と訳註解説

(本文)

#6§3-1

宏中自吏部郎貶秩而來,次其道途所經,

自藍田入商洛,涉淅湍,臨漢水,升峴首以望方城;

出荊門,下岷江,過洞庭,上湘水,行衡山之下;

繇郴逾嶺,蝯狖所家,魚龍所宮,極幽遐瑰詭之觀

(下し文)
§3-1

宏中自吏部郎より秩を貶して來り,其の道途 經る所を次する。

藍田より商洛に入り,淅湍を涉り,漢水に臨み,峴首に升って以て方城を望む。

荊門を出て,岷江を下り,洞庭を過ぎて,湘水に上り,衡山の下に行く。

郴に繇り嶺を逾え,蝯狖【えんゆう】の家する所,魚龍の宮する所,幽遐 瑰詭の觀を極む

(現代語訳)
§3-1

宏中は吏部郎から官位をおとされてこの地に来られたがその道の経て来た所を順次にあげれば、

先ず藍田から商山、洛水の地に入り、河南の淅水・湍水を渡り、漢水に臨み、湖北省の峴首山に升り、方城山を望み、

荊門を出て、岷江を下り、洞庭湖を過ぎて、湘水に上って、衡山の麓を行き、

郴州に寄りそうようにして、五嶺山脈を越えて、猿や黒猿の住む深山、魚龍などの栖む深い水など、奥深く遠く珍しく怪しく美しい眺めを極めて来られた


(訳注) §3-1

燕喜亭記

(韓愈と同様連州に左遷された王弘中と釋景常と惠師即元惠らと四阿を建てたのでその様を記したもの)

 

宏中自吏部郎貶秩而來,次其道途所經,

宏中は吏部郎から官位をおとされてこの地に来られたがその道の経て来た所を順次にあげれば、

○吏部郎 吏部郎中に同じ。吏部は京外の文職の勲位進退等を掌る役所。

 

自藍田入商洛,涉淅湍,臨漢水,升峴首以望方城;

先ず藍田から商山、洛水の地に入り、河南の淅水・湍水を渡り、漢水に臨み、湖北省の峴首山に升り、方城山を望み、

○藍田 中国陝西(せんせい)省西安市の南東部の県。また、その東にある、美玉を産した山。

○商洛 商山、洛水の地。

○淅湍 河南の淅水・湍水。淅とは、中国の地名である。 淅州 - 南北朝から隋まで置かれた行政区分 淅水 - 河南省に水源のある川。湍水は今は湍河と稱している,流經河南省南陽盆地。

○漢水 漢水は陝西省漢中市寧強県の蟠冢山を水源とする。東に流れ湖北省に入り武漢市で長江に合流する。

○峴首 襄陽の峴山。襄陽城の南十里にある。孫堅が襄陽を攻撃したとき、黄祖(あるいは呂公)はこの山に潜んで孫堅を射殺した。

○方城 襄陽から沔水を渡り、南陽の郡境から方城関に出るのが一つ。

 

出荊門,下岷江,過洞庭,上湘水,行衡山之下;

荊門を出て、岷江を下り、洞庭湖を過ぎて、湘水に上って、衡山の麓を行き、

○荊門 山名。湖北省宜都県の西北方、長江の南岸にある。河川に両岸が迫っているので呼ばれる。北岸の虎牙山と相対した江運の難所である。宜宗の大中二年(848年)、桂林刺史、桂管防禦観察使の鄭亜が循州(広東省恵陽県)に貶され、李商隠は幕を辞して都へ帰った。馮浩はその路中の作とする。偶成転韻と題する詩に「頃之職を失いて南風に辞す、破帆壊漿 荊江の中。」と歌われており、李商隠はこの荊門のあたりの難所で実際に危険な目にあったらしい。杜甫「詠懐古跡五首其三」李白「秋下荊門」「渡荊門送別」三峡をすこし下ってここに差し掛かることを詠う。

86 《渡荊門送別 李白 5index-5 1-5 725年開元十三年25歳 蜀を離れ、襄陽・荊州・武昌と遊ぶ。 86> Ⅰ李白詩1254 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4818

○岷江 通常は、長江の左岸の支流をいうが漢水を出て洞庭湖までの長江をいう。四川省中部の代表的な川である。古称は汶水ともいった。長さは735kmで、岷江水系の運ぶ水量は長江の支流でも最大。古代は長江上流の様子が分からず、相当長い間、金沙江ではなく岷江が長江の源流と考えられていた時期があった。

○洞庭 洞庭湖。湖南省北東部にある淡水湖。中国の淡水湖としては鄱陽湖に次いで2番目に大きい。全体的に浅く、長江と連なっていて、その大量の水の受け皿となっており、季節ごとにその大きさが変わる。湖北省と湖南省はこの湖の北と南にあることからその名が付いた。

○湘水 湘江、あるいは湘水は、中華人民共和国を流れる大きな川の一つで、洞庭湖に注ぐ長江右岸の支流。湖南省最大の川であり、湖南省の別名・「湘」はこの川に由来する。

○衡山 衡山は、道教の五岳の一つ、南岳。中国湖南省衡陽市衡陽県にあり、南を司るとされる。最高峰は祝融峰の1,300.2m 古名を「寿岳」といい、二十八宿のうち人間の寿命を司るという軫星と対応づけられていた。また、神農氏がここで薬となる植物を採ったとの伝説がある。

 

繇郴逾嶺,蝯狖所家,魚龍所宮,極幽遐瑰詭之觀。

郴州に寄りそうようにして、五嶺山脈を越えて、猿や黒猿の住む深山、魚龍などの栖む深い水など、奥深く遠く珍しく怪しく美しい眺めを極めて来られた

○繇郴 郴州は湖南省南部,南嶺山脈(五嶺)をこえる、長江水系の珠江水系の分流の地

○逾嶺 南嶺山脈、別名、五嶺山脈をこえる。

○蝯狖 蝯も狖も猿猴をいう。

○幽遐 奥深く人里遠い。選は遠。

○瑰詭 塊は珍しい、不思議な、詭はあやしい。
唐時代 韓愈関連05 

87-#5 燕喜亭記 韓愈(韓退之) 804年貞元20年 37歳<1512> Ⅱ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6544

韓愈  燕喜亭記#5§2-3   

合而名之以屋曰「燕喜之亭」,取詩所謂「魯侯燕喜」者頌也。於是州民之老,聞而相與觀焉,曰:吾州之山水名天下,然而無與「燕喜」者比。經營於其側者相接也,而莫直其地。凡天作而地藏之,以遺其人乎?
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燕喜亭記

(韓愈と同様連州に左遷された王弘中と釋景常と惠師即元惠らと四阿を建てたのでその様を記したもの)

§1-1

太原王宏中在連州,與學佛人景常元慧遊,

大原の王弘中は連州にあって、仏教を学ぶ人、釋景常と惠師即元惠の二人と交わっている。

異日從二人者,行於其居之後,邱荒之間,上高而望,得異處焉。

或る日、二人を従えて、その住居の後方、草木の繁り荒れた丘の間に行き、高みに上って遠くを眺め、すぐれた景色の場所を見つけた。

斬茅而嘉樹列,發石而清泉激,

そこで茅萱を斬り、憲い木が立ちならび、石を掘り出して、清水がほとばしり湧き出した。

輦糞壤,燔

悪い土壌を手押し車で運び去り、立ち枯れの木や仆れた枯れ木をあつめて焼き払う。

 

燕喜亭記§1-1

太原の王弘中は連州に在り。佛を学ぶ人景常・元慧と游ぶ。

異日二人の者に従って、其の居の後、荒邸の間に行き、高きに上って望み、異處を得たり。

茅を斬って嘉樹列り、石を發【あば】いて清泉激す。

糞壤を輦し、【し】翳を燔【や】く。

 

2§1-2

卻立而視之,出者突然成邱,

あとずさりしてこれをよく見ると、出張っているものは突き出て丘となる。

陷者呀然成穀,窪者為池,而闕者為洞,

落ち込んでいるものは、口をあいたように谷となり、くぼんでいるものは池となり、欠けている所は洞穴となっている。

若有鬼神異物陰來相之。

まるで目に見えぬ霊魂や神、妖怪が、ひそかに来て手伝ってくれたかのように、すはらしくよい眺めになった。

自是宏中與二人者,晨往而夕忘歸焉,

これから宏中と二人の僧とは、朝早く行って、夕暮れにはあまりの楽しさに志るのを忘れるというありさまであった。

乃立屋以避風雨寒暑。

そこで東屋を立てて、風雨寒暑を避けることにした。

 

§1-2

卻立して之をるに、出づる者は突然として邱を成し、

陥る者は冴然としてを成し、窪める者は池と為りて、闕くる者は洞と為り、

鬼神異物、陰に来って之を相くること有るが若し。

是より弘中二人の者と、晨に往いて夕に歸るを忘る。

乃ち臣を立てて以て風雨寒暑を避く。

 

§2-1

既成,愈請名之,其邱曰「俟德之邱」,

やがで、亭ができ上がった。私、韓愈はこれに名をつけたいと申し出て、その丘を「俟德の丘」という。

蔽於古而顯於今,有俟之道也;

これは、昔は蔽われて世に知られず、今になって顕れたのは、俟(待つ) の道理があったからである。

其石穀曰「謙受之穀」,瀑曰「振鷺之瀑」,

その石の谷を「謙受の谷」といい、瀑を「振鷺の瀑」という。

穀言德,瀑言容也;

これは谷の徳性が、虚しくてへりくだり受け入れるのをいい、操の様子、姿が白いことをいうのである。

其土穀曰「黃金之穀」,
その土の谷を「黄金の谷」という。

 

既に成る。愈 之に名けんと請ふ。其の邱を「俟德の邱」と日う。

古に蔽ぼれて今に顯わる。俟つの道有るなり。

其の石谷を「謙愛の谷」と日い、瀑を振鷺の瀑と日う。

谷は徳を言ひ、瀑は容を言ふなり。

其の土谷を「黄金の谷」と日う。

 

§2-2

瀑曰「秩秩之瀑」,穀言容,

その瀑を「秩秩の瀑」という。これは、谷はその土が黄色い姿からいうのである。

瀑言德也;洞曰「寒居之洞」,誌其入時也;

瀑はその性格が、順序正しく落ちていることをいうのである。洞穴を「寒居の洞」という。そこに入る時に、寒気を覚えたのを記念したのである。

池曰「君子之地」,虛以鍾其美,盈以出其惡也;

池を「君子の池」という。それは中が虚しくて、その美しいものを集めていて、水が満ち溢れるときには、その悪水汚物を流し出してしまうからである。

泉之源曰「天澤之泉」,出高而施下也;

泉の源を「天沢の泉」という。高い所に出て、低い所に施しめぐむので、天のうるおしめぐむのに似ているからである。

 

瀑を「秩秩の操」と日い、谷は容を言う。

瀑は徳を言ふなり。洞を「寒居の洞」と日ふ。其の入る時を志すなり。

池を「君子の池」と日ふ。虚以て其の美を鍾め、盈以て其の悪を出すなり。

泉の源を「天澤の泉」と日ふ。高きに出でて下きに施すなり。

 

§2-3

合而名之以屋曰「燕喜之亭」,

これに合わせて建物に“飲宴して喜ぶ”という意味で「燕喜亭」という名をつけた。

取詩所謂「魯侯燕喜」者頌也。

『詩経』魯頌悶宮篇にいう所の「魯侯燕喜す」というのに取ってほめたたえたのである。

於是州民之老,聞而相與觀焉,

そこで、ここの州の人民の年寄りが、このことを聞きつけて、相い連れ立って観に来たのである。

曰:吾州之山水名天下,然而無與「燕喜」者比。

そして、云ったのである、“わが州の山水は天下に有名であるが、しかし「燕喜」というこの亭の山水と比べられるものはない。”と。

經營於其側者相接也,而莫直其地。

其の近所に亭を築いたものが、相い接しているのである。しかしこの地の風景に匹敵するものはないのである。

凡天作而地藏之,以遺其人乎?

およそ天がこれを作り、地がこれを今まで蔵しておいて、それを発見する人を待って贈ったのであろうか。

 

合せて之に名くるに屋を以てして、「燕音の亭」と日ふ。

詩に所謂「魯侯燕喜」する者に取る頌なり。

是に於て州民の老、聞いて相異に観る。

日く、吾が州の山水天下に名あり。然り而して「燕書」といふ者と比する無しと。

其の側に経営する者相接するなり。而も其の地に直る美し。

凡そ天作りて地之を癒し、以て其の人に逼るか。

 

 

『燕喜亭記』 現代語訳と訳註解説(本文)
#5§2-3

合而名之以屋曰「燕喜之亭」,

取詩所謂「魯侯燕喜」者頌也。

於是州民之老,聞而相與觀焉,

曰:吾州之山水名天下,然而無與「燕喜」者比。

經營於其側者相接也,而莫直其地。

凡天作而地藏之,以遺其人乎?

(下し文)
合せて之に名くるに屋を以てして、「燕音の亭」と日ふ。

詩に所謂「魯侯燕喜」する者に取る頌なり。

是に於て州民の老、聞いて相異に観る。

日く、吾が州の山水天下に名あり。然り而して「燕書」といふ者と比する無しと。

其の側に経営する者相接するなり。而も其の地に直る美し。

凡そ天作りて地之を癒し、以て其の人に逼るか。

(現代語訳)
§2-3

これに合わせて建物に“飲宴して喜ぶ”という意味で「燕喜亭」という名をつけた。

『詩経』魯頌悶宮篇にいう所の「魯侯燕喜す」というのに取ってほめたたえたのである。

そこで、ここの州の人民の年寄りが、このことを聞きつけて、相い連れ立って観に来たのである。

そして、云ったのである、“わが州の山水は天下に有名であるが、しかし「燕喜」というこの亭の山水と比べられるものはない。”と。

其の近所に亭を築いたものが、相い接しているのである。しかしこの地の風景に匹敵するものはないのである。

およそ天がこれを作り、地がこれを今まで蔵しておいて、それを発見する人を待って贈ったのであろうか。


(訳注) §2-3

燕喜亭記

(韓愈と同様連州に左遷された王弘中と釋景常と惠師即元惠らと四阿を建てたのでその様を記したもの)

 

合而名之以屋曰「燕喜之亭」,

これに合わせて建物に“飲宴して喜ぶ”という意味で「燕喜亭」という名をつけた。

○燕喜之亭 飲宴して喜ぶ亭という意味。

 

取詩所謂「魯侯燕喜」者頌也。

『詩経』魯頌悶宮篇にいう所の「魯侯燕喜す」というのに取ってほめたたえたのである。

○頌 ①.人の美徳をほめたたえて詩歌にする。功徳をほめる。ほめことば。「頌歌・頌辞・頌徳・頌美」。たたえて祝う。「頌春」②.《名》詩経にいう詩のスタイルのうち、人君の盛徳をほめて神に告げる祭りの詩。「風雅頌・周頌・商頌」本集注に頒字は衍(余計な)字という説もある。

 

於是州民之老,聞而相與觀焉,

そこで、ここの州の人民の年寄りが、このことを聞きつけて、相い連れ立って観に来たのである。

 

曰:吾州之山水名天下,然而無與「燕喜」者比。

そして、云ったのである、“わが州の山水は天下に有名であるが、しかし「燕喜」というこの亭の山水と比べられるものはない。”と。

 

經營於其側者相接也,而莫直其地。

其の近所に亭を築いたものが、相い接しているのである。しかしこの地の風景に匹敵するものはないのである。

○直 当たる。匹敵する。

 

凡天作而地藏之,以遺其人乎?

およそ天がこれを作り、地がこれを今まで蔵しておいて、それを発見する人を待って贈ったのであろうか。

○遺 人に贈る。

87-#4 燕喜亭記 韓愈(韓退之) 804年貞元20年 37歳<1511> Ⅱ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6539

韓愈  燕喜亭記#4§2-2  

瀑曰「秩秩之瀑」,穀言容,瀑言德也;洞曰「寒居之洞」,誌其入時也;池曰「君子之地」,虛以鍾其美,盈以出其惡也;泉之源曰「天澤之泉」,出高而施下也;
その瀑を「秩秩の瀑」という。これは、谷はその土が黄色い姿からいうのである。瀑はその性格が、順序正しく落ちていることをいうのである。洞穴を「寒居の洞」という。そこに入る時に、寒気を覚えたのを記念したのである。池を「君子の池」という。それは中が虚しくて、その美しいものを集めていて、水が満ち溢れるときには、その悪水汚物を流し出してしまうからである。泉の源を「天沢の泉」という。高い所に出て、低い所に施しめぐむので、天のうるおしめぐむのに似ているからである。

87-#4 燕喜亭記 韓愈(韓退之)  804年貞元20 37歳<1511 Ⅱ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6539韓愈詩-87-#4

 

 
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燕喜亭記

(韓愈と同様連州に左遷された王弘中と釋景常と惠師即元惠らと四阿を建てたのでその様を記したもの)

§1-1

太原王宏中在連州,與學佛人景常元慧遊,

大原の王弘中は連州にあって、仏教を学ぶ人、釋景常と惠師即元惠の二人と交わっている。

異日從二人者,行於其居之後,邱荒之間,上高而望,得異處焉。

或る日、二人を従えて、その住居の後方、草木の繁り荒れた丘の間に行き、高みに上って遠くを眺め、すぐれた景色の場所を見つけた。

斬茅而嘉樹列,發石而清泉激,

そこで茅萱を斬り、憲い木が立ちならび、石を掘り出して、清水がほとばしり湧き出した。

輦糞壤,燔

悪い土壌を手押し車で運び去り、立ち枯れの木や仆れた枯れ木をあつめて焼き払う。

 

燕喜亭記§1-1

太原の王弘中は連州に在り。佛を学ぶ人景常・元慧と游ぶ。

異日二人の者に従って、其の居の後、荒邸の間に行き、高きに上って望み、異處を得たり。

茅を斬って嘉樹列り、石を發【あば】いて清泉激す。

糞壤を輦し、【し】翳を燔【や】く。

 

2§1-2

卻立而視之,出者突然成邱,

あとずさりしてこれをよく見ると、出張っているものは突き出て丘となる。

陷者呀然成穀,窪者為池,而闕者為洞,

落ち込んでいるものは、口をあいたように谷となり、くぼんでいるものは池となり、欠けている所は洞穴となっている。

若有鬼神異物陰來相之。

まるで目に見えぬ霊魂や神、妖怪が、ひそかに来て手伝ってくれたかのように、すはらしくよい眺めになった。

自是宏中與二人者,晨往而夕忘歸焉,

これから宏中と二人の僧とは、朝早く行って、夕暮れにはあまりの楽しさに志るのを忘れるというありさまであった。

乃立屋以避風雨寒暑。

そこで東屋を立てて、風雨寒暑を避けることにした。

 

§1-2

卻立して之をるに、出づる者は突然として邱を成し、

陥る者は冴然としてを成し、窪める者は池と為りて、闕くる者は洞と為り、

鬼神異物、陰に来って之を相くること有るが若し。

是より弘中二人の者と、晨に往いて夕に歸るを忘る。

乃ち臣を立てて以て風雨寒暑を避く。

 

§2-1

既成,愈請名之,其邱曰「俟德之邱」,

やがで、亭ができ上がった。私、韓愈はこれに名をつけたいと申し出て、その丘を「俟德の丘」という。

蔽於古而顯於今,有俟之道也;

これは、昔は蔽われて世に知られず、今になって顕れたのは、俟(待つ) の道理があったからである。

其石穀曰「謙受之穀」,瀑曰「振鷺之瀑」,

その石の谷を「謙受の谷」といい、瀑を「振鷺の瀑」という。

穀言德,瀑言容也;

これは谷の徳性が、虚しくてへりくだり受け入れるのをいい、操の様子、姿が白いことをいうのである。

其土穀曰「黃金之穀」,
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その土の谷を黄金の谷という。

 

既に成る。愈 之に名けんと請ふ。其の邱を「俟德の邱」と日う。

古に蔽ぼれて今に顯わる。俟つの道有るなり。

其の石谷を「謙愛の谷」と日い、瀑を振鷺の瀑と日う。

谷は徳を言ひ、瀑は容を言ふなり。

其の土谷を「黄金の谷」と日う。

 

§2-2

瀑曰「秩秩之瀑」,穀言容,

瀑言德也;洞曰「寒居之洞」,誌其入時也;

池曰「君子之地」,虛以鍾其美,盈以出其惡也;

泉之源曰「天澤之泉」,出高而施下也;

その瀑を「秩秩の瀑」という。これは、谷はその土が黄色い姿からいうのである。

瀑はその性格が、順序正しく落ちていることをいうのである。洞穴を「寒居の洞」という。そこに入る時に、寒気を覚えたのを記念したのである。

池を「君子の池」という。それは中が虚しくて、その美しいものを集めていて、水が満ち溢れるときには、その悪水汚物を流し出してしまうからである。

泉の源を「天沢の泉」という。高い所に出て、低い所に施しめぐむので、天のうるおしめぐむのに似ているからである。

 

瀑を「秩秩の操」と日い、谷は容を言う。

瀑は徳を言ふなり。洞を「寒居の洞」と日ふ。其の入る時を志すなり。

池を「君子の池」と日ふ。虚以て其の美を鍾め、盈以て其の悪を出すなり。

泉の源を「天澤の泉」と日ふ。高きに出でて下きに施すなり。

 

§2-3

合而名之以屋曰「燕喜之亭」,

取詩所謂「魯侯燕喜」者頌也。

於是州民之老,聞而相與觀焉,

曰:吾州之山水名天下,然而無與「燕喜」者比。

經營於其側者相接也,而莫直其地。

凡天作而地藏之,以遺其人乎?

 

合せて之に名くるに屋を以てして、「燕音の亭」と日ふ。

詩に所謂「魯侯燕喜」する者に取る頌なり。

是に於て州民の老、聞いて相異に観る。

日く、吾が州の山水天下に名あり。然り而して「燕書」といふ者と比する無しと。

其の側に経営する者相接するなり。而も其の地に直る美し。

凡そ天作りて地之を癒し、以て其の人に逼るか。

 

 

『燕喜亭記』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

瀑曰「秩秩之瀑」,穀言容,

瀑言德也;洞曰「寒居之洞」,誌其入時也;

池曰「君子之地」,虛以鍾其美,盈以出其惡也;

泉之源曰「天澤之泉」,出高而施下也;

(下し文)
瀑を「秩秩の操」と日い、谷は容を言う。

瀑は徳を言ふなり。洞を「寒居の洞」と日ふ。其の入る時を志すなり。

池を「君子の池」と日ふ。虚以て其の美を鍾め、盈以て其の悪を出すなり。

泉の源を「天澤の泉」と日ふ。高きに出でて下きに施すなり。

(現代語訳)
その瀑を「秩秩の瀑」という。これは、谷はその土が黄色い姿からいうのである。

瀑はその性格が、順序正しく落ちていることをいうのである。洞穴を「寒居の洞」という。そこに入る時に、寒気を覚えたのを記念したのである。

池を「君子の池」という。それは中が虚しくて、その美しいものを集めていて、水が満ち溢れるときには、その悪水汚物を流し出してしまうからである。

泉の源を「天沢の泉」という。高い所に出て、低い所に施しめぐむので、天のうるおしめぐむのに似ているからである。


(訳注) §2-2

燕喜亭記

(韓愈と同様連州に左遷された王弘中と釋景常と惠師即元惠らと四阿を建てたのでその様を記したもの)

 

瀑曰「秩秩之瀑」,穀言容,

その瀑を「秩秩の瀑」という。これは、谷はその土が黄色い姿からいうのである。

秩秩 『詩経』小雅「甫田の什」「賓之初筵、左右秩秩。」とある。これは秩序ある形容で、朝廷において臣下が宴を賜って痛飲するの状を詠じたもので酒宴における乱酔を戒めたもの。。また小雅 鴻鴈之什 斯干篇には「秩秩斯干、幽幽南山。」とある。秩々は流れ行く形容。千は澗(たにがわ)。ほかに智、明などの性格をいう場合もある。

 

瀑言德也;洞曰「寒居之洞」,誌其入時也;

瀑はその性格が、順序正しく落ちていることをいうのである。洞穴を「寒居の洞」という。そこに入る時に、寒気を覚えたのを記念したのである。

○寒居 洞穴居であまりに寒かったのであろう。

 

池曰「君子之」,虛以鍾其美,盈以出其惡也;

池を「君子の池」という。それは中が虚しくて、その美しいものを集めていて、水が満ち溢れるときには、その悪水汚物を流し出してしまうからである。

君子之 詩経《君子偕老》《東門之池》

 

泉之源曰「天澤之泉」,出高而施下也;

泉の源を「天沢の泉」という。高い所に出て、低い所に施しめぐむので、天のうるおしめぐむのに似ているからである。

天澤 (1) ,沢湖湖沼.(2) 湿っている,潤いがある.(3) (金属や珠玉などの)光沢,つや.(4) 恵み.

87-#3 燕喜亭記 韓愈(韓退之) 804年貞元20年 37歳<1510> Ⅱ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6534韓愈詩-87-#3

韓愈 #3 燕喜亭記§2-1   

既成,愈請名之,其邱曰「俟德之邱」,蔽於古而顯於今,有俟之道也;

其石穀曰「謙受之穀」,瀑曰「振鷺之瀑」,穀言德,瀑言容也;

其土穀曰「黃金之穀」,
やがで、亭ができ上がった。私、韓愈はこれに名をつけたいと申し出て、その丘を「俟德の丘」という。これは、昔は蔽われて世に知られず、今になって顕れたのは、俟(待つ) の道理があったからである。その石の谷を「謙受の谷」といい、瀑を「振鷺の瀑」という。これは谷の徳性が、虚しくてへりくだり受け入れるのをいい、操の様子、姿が白いことをいうのである。その土の谷を黄金の谷という。

87-#3 燕喜亭記 韓愈(韓退之)  804年貞元20 37歳<1510 Ⅱ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6534韓愈詩-87-#3

 

 

 
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298 《卷十六01 送魯郡劉長史遷弘農長史》Index-21Ⅱ― 16-741年開元二十九年41歳 <298> Ⅰ李白詩1586 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6478 
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 孟郊張籍     
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 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
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燕喜亭記

(韓愈と同様連州に左遷された王弘中と釋景常と惠師即元惠らと四阿を建てたのでその様を記したもの)

§1-1

太原王宏中在連州,與學佛人景常元慧遊,

大原の王弘中は連州にあって、仏教を学ぶ人、釋景常と惠師即元惠の二人と交わっている。

異日從二人者,行於其居之後,邱荒之間,上高而望,得異處焉。

或る日、二人を従えて、その住居の後方、草木の繁り荒れた丘の間に行き、高みに上って遠くを眺め、すぐれた景色の場所を見つけた。

斬茅而嘉樹列,發石而清泉激,

そこで茅萱を斬り、憲い木が立ちならび、石を掘り出して、清水がほとばしり湧き出した。

輦糞壤,燔

悪い土壌を手押し車で運び去り、立ち枯れの木や仆れた枯れ木をあつめて焼き払う。

 

燕喜亭記§1-1

太原の王弘中は連州に在り。佛を学ぶ人景常・元慧と游ぶ。

異日二人の者に従って、其の居の後、荒邸の間に行き、高きに上って望み、異處を得たり。

茅を斬って嘉樹列り、石を發【あば】いて清泉激す。

糞壤を輦し、【し】翳を燔【や】く。

 

2§1-2

卻立而視之,出者突然成邱,

あとずさりしてこれをよく見ると、出張っているものは突き出て丘となる。

陷者呀然成穀,窪者為池,而闕者為洞,

落ち込んでいるものは、口をあいたように谷となり、くぼんでいるものは池となり、欠けている所は洞穴となっている。

若有鬼神異物陰來相之。

まるで目に見えぬ霊魂や神、妖怪が、ひそかに来て手伝ってくれたかのように、すはらしくよい眺めになった。

自是宏中與二人者,晨往而夕忘歸焉,

これから宏中と二人の僧とは、朝早く行って、夕暮れにはあまりの楽しさに志るのを忘れるというありさまであった。

乃立屋以避風雨寒暑。

そこで東屋を立てて、風雨寒暑を避けることにした。

 

§1-2

卻立して之をるに、出づる者は突然として邱を成し、

陥る者は冴然としてを成し、窪める者は池と為りて、闕くる者は洞と為り、

鬼神異物、陰に来って之を相くること有るが若し。

是より弘中二人の者と、晨に往いて夕に歸るを忘る。

乃ち臣を立てて以て風雨寒暑を避く。

 

§2-1

既成,愈請名之,其邱曰「俟德之邱」,

やがで、亭ができ上がった。私、韓愈はこれに名をつけたいと申し出て、その丘を「俟德の丘」という。

蔽於古而顯於今,有俟之道也;

これは、昔は蔽われて世に知られず、今になって顕れたのは、俟(待つ) の道理があったからである。

其石穀曰「謙受之穀」,瀑曰「振鷺之瀑」,

その石の谷を「謙受の谷」といい、瀑を「振鷺の瀑」という。

穀言德,瀑言容也;

これは谷の徳性が、虚しくてへりくだり受け入れるのをいい、操の様子、姿が白いことをいうのである。

其土穀曰「黃金之穀」,
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その土の谷を黄金の谷という。

 

既に成る。愈 之に名けんと請ふ。其の邱を「俟德の邱」と日う。

古に蔽ぼれて今に顯わる。俟つの道有るなり。

其の石谷を「謙愛の谷」と日い、瀑を振鷺の瀑と日う。

谷は徳を言ひ、瀑は容を言ふなり。

其の土谷を「黄金の谷」と日う。

 

§2-2

瀑曰「秩秩之瀑」,穀言容,瀑言德也;洞曰「寒居之洞」,誌其入時也;池曰「君子之地」,虛以鍾其美,盈以出其惡也;泉之源曰「天澤之泉」,出高而施下也;

§2-3

合而名之以屋曰「燕喜之亭」,取詩所謂「魯侯燕喜」者頌也。

於是州民之老,聞而相與觀焉,曰:吾州之山水名天下,然而無與「燕喜」者比。經營於其側者相接也,而莫直其地。凡天作而地藏之,以遺其人乎?

 

瀑を「秩秩の操」と日い、谷は容を言う。

は徳を言ふなり。洞を「寒居の洞」と日ふ。其の入る時を志すなり。

池を「君子の池」と日ふ。虚以て其の美を鍾め、盈以て其の悪を出すなり。

泉の源を「天澤の泉」と日ふ。高きに出でて下きに施すなり。

 

合せて之に名くるに屋を以てして、「燕音の亭」と日ふ。

詩に所謂「魯侯燕喜」する者に取る頌なり。

是に於て州民の老、聞いて相異に観る。

日く、吾が州の山水天下に名あり。然り而して「燕書」といふ者と比する無しと。

其の側に経営する者相接するなり。而も其の地に直る美し。

凡そ天作りて地之を癒し、以て其の人に逼るか。

嶺南道圖00 

『燕喜亭記』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

§2-1

既成,愈請名之,其邱曰「俟德之邱」,

蔽於古而顯於今,有俟之道也;

其石穀曰「謙受之穀」,瀑曰「振鷺之瀑」,

穀言德,瀑言容也;

其土穀曰「黃金之穀」,

(下し文)
既に成る。愈 之に名けんと請ふ。其の邱を「俟德の邱」と日う。

古に蔽ぼれて今に顯わる。俟つの道有るなり。

其の石谷を「謙愛の谷」と日い、瀑を振鷺の瀑と日う。

谷は徳を言ひ、瀑は容を言ふなり。

其の土谷を「黄金の谷」と日う。

(現代語訳)
§2-1

やがで、亭ができ上がった。私、韓愈はこれに名をつけたいと申し出て、その丘を「俟德の丘」という。

これは、昔は蔽われて世に知られず、今になって顕れたのは、俟(待つ) の道理があったからである。

その石の谷を「謙受の谷」といい、瀑を「振鷺の瀑」という。

これは谷の徳性が、虚しくてへりくだり受け入れるのをいい、操の様子、姿が白いことをいうのである。

その土の谷を黄金の谷という。

韓愈 陽山と潮州002
(訳注) §2-1

燕喜亭記

(韓愈と同様連州に左遷された王弘中と釋景常と惠師即元惠らと四阿を建てたのでその様を記したもの)

 

既成,愈請名之,其邱曰「俟德之邱」,

やがで、亭ができ上がった。私、韓愈はこれに名をつけたいと申し出て、その丘を「俟德の丘」という。

○俟德 徳、即ち人格のある人物を俟って戯れるの意。

 

蔽於古而顯於今,有俟之道也;

これは、昔は蔽われて世に知られず、今になって顕れたのは、俟(待つ) の道理があったからである。

○道 道理。

 

其石穀曰「謙受之穀」,瀑曰「振鷺之瀑」,

その石の谷を「謙受の谷」といい、瀑を「振鷺の瀑」という。

○謙受 『書経』大禹謨に「謙にして益を受く」とある。へり下ってその結果、利益を受ける

○振鷺 《『詩経』周頌振鷺篇》に、「振鷺于飛、于彼西雝。」(振鷺 于【ここ】に飛ぶ、彼の西雝に。)の句がある。鷺が勢いよく群がり、西の雝の沼のほうに飛び行く意。振は鷺・とりの群飛の形容。

・容子は激白。瀧水を喩える。

 

穀言德,瀑言容也;

これは谷の徳性が、虚しくてへりくだり受け入れるのをいい、操の様子、姿が白いことをいうのである。

 

其土穀曰「黃金之穀」,

その土の谷を黄金の谷という。
韓愈 陽山00 

87-#2 燕喜亭記 韓愈(韓退之) 804年貞元20年 37歳<1509> Ⅱ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6529

韓愈  燕喜亭記#2§1-2

卻立而視之,出者突然成邱,陷者呀然成穀,窪者為池,而闕者為洞,若有鬼神異物陰來相之。

自是宏中與二人者,晨往而夕忘歸焉,乃立屋以避風雨寒暑。

あとずさりしてこれをよく見ると、出張っているものは突き出て丘となる。落ち込んでいるものは、口をあいたように谷となり、くぼんでいるものは池となり、欠けている所は洞穴となっている。まるで目に見えぬ霊魂や神、妖怪が、ひそかに来て手伝ってくれたかのように、すはらしくよい眺めになった。これから宏中と二人の僧とは、朝早く行って、夕暮れにはあまりの楽しさに志るのを忘れるというありさまであった。そこで東屋を立てて、風雨寒暑を避けることにした。

87-#2 燕喜亭記 韓愈(韓退之)  804年貞元20 37歳<1509 Ⅱ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6529韓愈詩-87-#2

 


燕喜亭記

(韓愈と同様連州に左遷された王弘中と釋景常と惠師即元惠らと四阿を建てたのでそのさまを記したもの)

§1-1

太原王宏中在連州,與學佛人景常元慧遊,

大原の王弘中は連州にあって、仏教を学ぶ人、釋景常と惠師即元惠の二人と交わっている。

異日從二人者,行於其居之後,邱荒之間,上高而望,得異處焉。

或る日、二人を従えて、その住居の後方、草木の繁り荒れた丘の間に行き、高みに上って遠くを眺め、すぐれた景色の場所を見つけた。

斬茅而嘉樹列,發石而清泉激,

そこで茅萱を斬り、憲い木が立ちならび、石を掘り出して、清水がほとばしり湧き出した。

輦糞壤,燔

悪い土壌を手押し車で運び去り、立ち枯れの木や仆れた枯れ木をあつめて焼き払う。

 

2§1-2

卻立而視之,出者突然成邱,

あとずさりしてこれをよく見ると、出張っているものは突き出て丘となる。

陷者呀然成穀,窪者為池,而闕者為洞,

落ち込んでいるものは、口をあいたように谷となり、くぼんでいるものは池となり、欠けている所は洞穴となっている。

若有鬼神異物陰來相之。

まるで目に見えぬ霊魂や神、妖怪が、ひそかに来て手伝ってくれたかのように、すはらしくよい眺めになった。

自是宏中與二人者,晨往而夕忘歸焉,

これから宏中と二人の僧とは、朝早く行って、夕暮れにはあまりの楽しさに志るのを忘れるというありさまであった。

乃立屋以避風雨寒暑。

そこで東屋を立てて、風雨寒暑を避けることにした。

 

燕喜亭記§1-1

太原の王弘中は連州に在り。佛を学ぶ人景常・元慧と游ぶ。

異日二人の者に従って、其の居の後、荒邸の間に行き、高きに上って望み、異處を得たり。

茅を斬って嘉樹列り、石を發【あば】いて清泉激す。

糞壤を輦し、【し】翳を燔【や】く。

 

§1-2

卻立して之をるに、出づる者は突然として邱を成し、

陥る者は冴然としてを成し、窪める者は池と為りて、闕くる者は洞と為り、

鬼神異物、陰に来って之を相くること有るが若し。

是より弘中二人の者と、晨に往いて夕に歸るを忘る。

乃ち臣を立てて以て風雨寒暑を避く。

韓愈 陽山と潮州002 

 

『燕喜亭記』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

卻立而視之,出者突然成邱,

陷者呀然成穀,{穴窪}者為池,而闕者為洞,

若有鬼神異物陰來相之。

自是宏中與二人者,晨往而夕忘歸焉,

乃立屋以避風雨寒暑。

(下し文) §1-2

卻立して之を視るに、出づる者は突然として邱を成し、

陥る者は冴然として穀を成し、窪める者は池と為りて、闕くる者は洞と為り、

鬼神異物、陰に来って之を相くること有るが若し。

是より弘中二人の者と、晨に往いて夕に歸るを忘る。

乃ち臣を立てて以て風雨寒暑を避く。


(現代語訳)
あとずさりしてこれをよく見ると、出張っているものは突き出て丘となる。

落ち込んでいるものは、口をあいたように谷となり、くぼんでいるものは池となり、欠けている所は洞穴となっている。

まるで目に見えぬ霊魂や神、妖怪が、ひそかに来て手伝ってくれたかのように、すはらしくよい眺めになった。

これから宏中と二人の僧とは、朝早く行って、夕暮れにはあまりの楽しさに志るのを忘れるというありさまであった。

そこで東屋を立てて、風雨寒暑を避けることにした。

嶺南道圖00
(訳注)

燕喜亭記

(韓愈と同様連州に左遷された王弘中と釋景常と惠師即元惠らと四阿を建てたのでそのさまを記したもの)

○燕喜亭の主人、王弘中(王仲舒)は、名は仲野である。韓愈は時に陽山の令となる。年三十七、弘中は吏部員外郎から貶せられて遠州にあった。陽山は連州の属邑であった。同じく貶せられた者同士往来交友の間柄であったので、その亭のために記を作ったのである。

 

卻立而視之,出者突然成邱,

あとずさりしてこれをよく見ると、出張っているものは突き出て丘となる。

○卻立 あとずさりする。退後幾步才站住。《史記.卷八一.廉頗藺相如傳》:「王授璧,相如因持璧卻立,倚柱,怒髮上衝冠。」

 

陷者呀然成穀,窪者為池,而闕者為洞,

落ち込んでいるものは、口をあいたように谷となり、くぼんでいるものは池となり、欠けている所は洞穴となっている。

 口を張った貌。

○相之 これをたすける。相は助。

 

若有鬼神異物陰來相之。

まるで目に見えぬ霊魂や神、妖怪が、ひそかに来て手伝ってくれたかのように、すはらしくよい眺めになった。

 

自是宏中與二人者,晨往而夕忘歸焉,

これから宏中と二人の僧とは、朝早く行って、夕暮れにはあまりの楽しさに志るのを忘れるというありさまであった。

○忘帰 楽しんで帰るのを忘れてしまう。

 

乃立屋以避風雨寒暑。

そこで東屋を立てて、風雨寒暑を避けることにした。

○屋 家臣。

 

 
 2015年8月29日の紀頌之5つのBlog 
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87-#2 燕喜亭記 韓愈(韓退之) 804年貞元20年 37歳<1509> Ⅱ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6529 
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 index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首index-13 821年~822年 55歳 22首index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首韓愈 哲学・儒学「五原」賦・散文・上奏文・碑文など 
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 杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩) 杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首 
 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
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 温庭筠66首 花間集1・2巻皇甫松11首 花間集二巻韋莊47首 花間集二巻薛昭蘊19首 花間集三巻牛嶠31首 花間集三・四巻張泌27首 花間集四巻 
 毛文錫31首 花間集5巻牛希濟11首 花間集5巻欧陽烱17首 花間集5・6巻和凝20首 花間集6巻顧夐56首 花間集6・7巻孫光憲47首 花間集7・8巻 
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87-#1 燕喜亭記 韓愈(韓退之) 804年貞元20年 37歳<1508> Ⅱ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6524

韓愈  燕喜亭記§1-1

太原王宏中在連州,與學佛人景常元慧遊,異日從二人者,行於其居之後,邱荒之間,上高而望,得異處焉。斬茅而嘉樹列,發石而清泉激,輦糞壤,燔翳。

(韓愈と同様連州に左遷された王弘中と釋景常と惠師即元惠らと四阿を建てたのでそのさまを記したもの)§1-1

大原の王弘中は連州にあって、仏教を学ぶ人、釋景常と惠師即元惠の二人と交わっている。或る日、二人を従えて、その住居の後方、草木の繁り荒れた丘の間に行き、高みに上って遠くを眺め、すぐれた景色の場所を見つけた。そこで茅萱を斬り、憲い木が立ちならび、石を掘り出して、清水がほとばしり湧き出した。悪い土壌を手押し車で運び去り、立ち枯れの木や仆れた枯れ木をあつめて焼き払う。

87-#1 燕喜亭記 韓愈(韓退之)  804年貞元20 37歳<1508> Ⅱ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6524

 

 
 2015年8月28日の紀頌之5つのBlog 
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 Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
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韓愈詩-87-#1

燕喜亭記

§1-1

太原王宏中在連州,與學佛人景常元慧遊,異日從二人者,行於其居之後,邱荒之間,上高而望,得異處焉。斬茅而嘉樹列,發石而清泉激,輦糞壤,燔翳。

2§1-2

卻立而視之,出者突然成邱,陷者呀然成穀,{穴窪}者為池,而闕者為洞,若有鬼神異物陰來相之。自是宏中與二人者,晨往而夕忘歸焉,乃立屋以避風雨寒暑。

 

§2-1

既成,愈請名之,其邱曰「俟德之邱」,蔽於古而顯於今,有俟之道也;其石穀曰「謙受之穀」,瀑曰「振鷺之瀑」,穀言德,瀑言容也;其土穀曰「黃金之穀」,

§2-2

瀑曰「秩秩之瀑」,穀言容,瀑言德也;洞曰「寒居之洞」,誌其入時也;池曰「君子之地」,虛以鍾其美,盈以出其惡也;泉之源曰「天澤之泉」,出高而施下也;

§2-3

合而名之以屋曰「燕喜之亭」,取詩所謂「魯侯燕喜」者頌也。

於是州民之老,聞而相與觀焉,曰:吾州之山水名天下,然而無與「燕喜」者比。經營於其側者相接也,而莫直其地。凡天作而地藏之,以遺其人乎?

 

§3-1

宏中自吏部郎貶秩而來,次其道途所經,自藍田入商洛,涉淅湍,臨漢水,升峴首以望方城;出荊門,下岷江,過洞庭,上湘水,行衡山之下;繇郴逾嶺,蝯狖所家,魚龍所宮,極幽遐瑰詭之觀,宜其於山水飫聞而厭見也。

§3-2

今其意乃若不足,《傳》曰:「知者樂水,仁者樂山」。宏中之德與其所好,可謂協矣。智以謀之,仁以居之,吾知其去是而羽儀於天朝也不遠矣。遂刻石以記。

 

唐時代 韓愈関連05 

 

燕喜亭記

(韓愈と同様連州に左遷された王弘中と釋景常と惠師即元惠らと四阿を建てたのでそのさまを記したもの)

§1-1

太原王宏中在連州,與學佛人景常元慧遊,

大原の王弘中は連州にあって、仏教を学ぶ人、釋景常と惠師即元惠の二人と交わっている。

異日從二人者,行於其居之後,邱荒之間,上高而望,得異處焉。

或る日、二人を従えて、その住居の後方、草木の繁り荒れた丘の間に行き、高みに上って遠くを眺め、すぐれた景色の場所を見つけた。

斬茅而嘉樹列,發石而清泉激,

そこで茅萱を斬り、憲い木が立ちならび、石を掘り出して、清水がほとばしり湧き出した。

輦糞壤,燔

悪い土壌を手押し車で運び去り、立ち枯れの木や仆れた枯れ木をあつめて焼き払う。

 

2§1-2

卻立而視之,出者突然成邱,陷者呀然成穀,{穴窪}者為池,而闕者為洞,若有鬼神異物陰來相之。自是宏中與二人者,晨往而夕忘歸焉,乃立屋以避風雨寒暑。

 

燕喜亭記§1-1

太原の王弘中は連州に在り。佛を学ぶ人景常・元慧と游ぶ。

異日二人の者に従って、其の居の後、荒邸の間に行き、高きに上って望み、異處を得たり。

茅を斬って嘉樹列り、石を發【あば】いて清泉激す。

糞壤を輦し、【し】翳を燔【や】く。

 

§1-2

卻立して之を観るに、出づる者は突然として邸を成し、陥る者は冴然として谷を成し、窪める者は池と為りて、映くる者は洞と為り、鬼耐異物、陰に来って之を相くること有るが若し。

是より弘中二人の者と、農に往いて夕に締るを忘る。乃ち臣を立てて以て風雨寒暑を逝く。

韓愈 陽山00 

 

『燕喜亭記』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

燕喜亭記

§1-1

太原王宏中在連州,與學佛人景常元慧遊,

異日從二人者,行於其居之後,邱荒之間,上高而望,得異處焉。

斬茅而嘉樹列,發石而清泉激,

輦糞壤,燔

 

(下し文)
燕喜亭記§1-1

太原の王弘中は連州に在り。佛を学ぶ人景常・元慧と游ぶ。

異日二人の者に従って、其の居の後、荒邸の間に行き、高きに上って望み、異處を得たり。

茅を斬って嘉樹列り、石を發【あば】いて清泉激す。

糞壤を輦し、【し】翳を燔【や】く

(現代語訳)
燕喜亭記(韓愈と同様連州に左遷された王弘中と釋景常と惠師即元惠らと四阿を建てたのでそのさまを記したもの)

§1-1

大原の王弘中は連州にあって、仏教を学ぶ人、釋景常と惠師即元惠の二人と交わっている。

或る日、二人を従えて、その住居の後方、草木の繁り荒れた丘の間に行き、高みに上って遠くを眺め、すぐれた景色の場所を見つけた。

そこで茅萱を斬り、憲い木が立ちならび、石を掘り出して、清水がほとばしり湧き出した。

悪い土壌を手押し車で運び去り、立ち枯れの木や仆れた枯れ木をあつめて焼き払う。


(訳注) §1-1

燕喜亭記

(韓愈と同様連州に左遷された王弘中と釋景常と惠師即元惠らと四阿を建てたのでそのさまを記したもの)

○燕喜亭の主人、王弘中(王仲舒)は、名は仲野である。韓愈は時に陽山の令となる。年三十七、弘中は吏部員外郎から貶せられて遠州にあった。陽山は連州の属邑であった。同じく貶せられた者同士往来交友の間柄であったので、その亭のために記を作ったのである。

 

太原王宏中在連州,與學佛人景常元慧遊,

大原の王弘中は連州にあって、仏教を学ぶ人、釋景常と惠師即元惠の二人と交わっている。

佛人景常元慧 景常は、靈師のこと。霊験あらたかな師。師は僧の尊称。俗名は、皇甫といった。元慧は、元惠上人で、仏教の僧侶ではあるが、卓犖不羈の人である。自註に、「愈在連州,與釋景常,元惠遊。惠師即元惠也。」とある。

78-#1 《巻0210送惠師》【愈在連州,與釋景常,元惠遊。惠師即元惠也。】-#1 韓愈(韓退之) 804元20年 39歳<1474 Ⅱ【11分割】-#1 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6354

79-#1 (改訂)《巻0211送靈師》-#1 韓愈(韓退之) 804年貞元20年 37歳<1485 Ⅱ【11分割】-#1 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6409韓愈詩-79-#1

 

異日從二人者,行於其居之後,邱荒之間,上高而望,得異處焉。

或る日、二人を従えて、その住居の後方、草木の繁り荒れた丘の間に行き、高みに上って遠くを眺め、すぐれた景色の場所を見つけた。

 

斬茅而嘉樹列,發石而清泉激,

そこで茅萱を斬り、憲い木が立ちならび、石を掘り出して、清水がほとばしり湧き出した。

○発石 石を発掘して。

○激 勢いよく流れる。ほとばしる。

 

輦糞壤,燔翳。

悪い土壌を手押し車で運び去り、立ち枯れの木や仆れた枯れ木をあつめて焼き払う。

○輦 手押し車。

○糞壌 糞土に同じ、きたない土壌、悪土。

○翳 、木の立ち枯れしたもの。翳も枯れ木の仆れたものが自然に集まっている影を為すところ。『詩経』大雅皇矣篇に「作之屏之、其菑其翳。脩之平之、其灌其。」(これを作りこれを屏する、その菑その翳。これを脩めこれを平らぐ、その灌その。)とあり、説註に「木自ら集れたるを翳と為す」とある。に同じ。

菑【し】:立ち枯れのきその翳。

【れつ】:木のかたまり。

『詩経』大雅皇矣篇(八章の内初二章)

皇矣上帝、臨下有赫。監觀四方、求民之莫。

維此二國、其政不獲。維彼四國、爰究爰度。

上帝耆之、憎其式廓。乃眷西顧、止維與宅。

 

作之屏之、其菑其翳。脩之平之、其灌其

之辟之、其檉其椐。攘之剔之、其檿其柘。

帝遷明德、串夷載路。天立厥配、受命既固。

韓愈 陽山と潮州002 

86-#5-§2-3 送區册序 韓愈(韓退之) 804年貞元20年 37歳<1507> Ⅱ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6519

韓愈  送區册序#5-§2-3   

與之翳嘉林,坐石磯,投竿而漁,陶然以樂,若能遺外聲利,而不厭乎貧賤也。

之初吉,歸拜其親,酒壺既傾,序以識別。

この人と見事に繁った林の木蔭に入り、石の多い磯に腰かけ、竿を突き出して魚を釣るときなど、いかにもくつろいで、きもちいい様子で楽しんでいる。それは名誉や利益を忘れて考えの外におき、貧賤をいとわないで暮らすことができるようであった。年の初めの吉日に、帰って御両親を拝賀されるという。ここに餞けの酒壷もはや傾いて尽き、宴も終わろうとしているので、私はこの序を以て惜別の意を記すのである。

86-#5-§2-3 送區册序 韓愈(韓退之)  804年貞元20 37歳<1507> Ⅱ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6519韓愈詩-86-#5-§2-3

 

 
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 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
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送區冊序§-1-1

(區冊が遠方から来て従い交わったので、深く喜んで、帰郷の区冊を送る序で、その感激の情を述べたもの)

陽山,天下之窮處也。

陽山は天下中で最も行きづまりの辺鄙なところである。

陸有丘陵之險,虎豹之虞;

そして、陸に丘陵のけわしさがあり、虎や豹のおそれもある。

江流悍急,橫波之石,廉利侔劍戟,

大川の流れは荒く急であって、波の中に横たわる石は角があり、するどくて、剣や戟に似ている。

舟上下失勢,破碎淪溺者,往往有之。

舟がその川を上り下りするとき、その体勢をまちがえると、波や岩に打ちくだかれて、人々が沈み溺れることは、よくあるのである。

(區冊【おうさく】を送る序)

陽山は天下の窮處なり。

陸に邱陵の険、虎豹の虞有り。

江流急にして、波に横はるの石は、廉利なること劍戟し。

舟上下するに勢をへば、破砕倫溺する者、往往之れ有り。

 

§-1-2

縣郭無居民,官無丞尉,

陽山県の城郭内には住民は住まわっていない、そして、役所には副官の丞も属官の尉もない。

夾江荒茅篁竹之間,小吏十餘家,

江をはさんで両岸に荒れ茂った茅や竹薮などの間に、小役人の十軒あまりの家がある。

皆鳥言夷面。始至,言語不通,

人々の話し言葉は、鳥の噛りのような言葉で、異民族らしい顔をしていて、はじめて到着したときは、言葉が通じなかった。

畫地為字,然後可告以出租賦,奉期約。

地面に字を書いて、やっと租税額を云い出せたり、期日や約束を守ることなどを告げることができた。

是以賓客遊從之士,無所為而至。

こういうわけで、私の所に、賓客や交わり遊ぶ人士など、わざわざ来るものはなかったのである。

縣郭に居民無く、官に丞尉無し。

江を爽める荒茅篁竹の間に、小吏十餘家あり。

皆 鳥言 夷面、始て至りしとき言語通ぜず、

地に畫して字を為し、然る後に告ぐるに租賦を出し、期約を奉ずるを以てす可し。

是を以て賓客遊從の士、為にして至る所無し。

 

§-2-1

愈待罪於斯,且半矣。

私はこの陽山の縣令としての職に過失の罪もあろうかと待つこと半年になろうとしている。

有區生者,誓言相好,

區生というものがあって、この私に誓って互いに仲好くしようというのである。

自南海挐舟而來,升自賓階,

南海から舟を牽いて川を上って来て、賓客の階段から昇って相対したが、

儀觀甚偉,坐與之語,文義卓然。

その威儀容貌は甚だすぐれている。坐してこれと語るに、その学問上の考えが高くすぐれていた。

§-2-1

愈罪を斯に待つこと、且に半歳ならんとす。

區生といふ老有り。誓って言ふ、相好くせんと。

南海より舟を拏きて来り、賓階より升る。

觀 甚だ偉なり。坐して之と語るに、文義卓然たり。

§-2-2

莊周云:「逃空虛者,聞人足音,跫然而喜矣。」

荘子はいう、「山谷の人けのないむなしい所に世を避けている者は、たまに人の足音のカタンコトンとひびくのを聞いて、嬉しく思う」と。

況如斯人者,豈易得哉!

ましてこの人のようなすぐれた者は、どうして得やすいものであろうか。なおさらに楽しいと思うのであった。

入吾室,聞《詩》《書》仁義之,欣然喜,若有志於其間也。

私の私室に入って、『詩経』『書経』の話、仁義道徳の説を聞いて、嬉しそうに喜んでいるのは、聖賢儒家の道に志があるようであった。

§2-2

荘周云ふ、「空虚に逃るる者は、人の足音跫然たるを聞いて喜ぶ」と。

況や斯の人の如き者、豈得易からんや。

吾が室に入りて、《詩》《書》仁義の説を聞き、欣然として喜ぶ。

其のに 志 有るが若きなり。

§-2-3

與之翳嘉林,坐石磯,

この人と見事に繁った林の木蔭に入り、石の多い磯に腰かけ、

投竿而漁,陶然以樂,

竿を突き出して魚を釣るときなど、いかにもくつろいで、きもちいい様子で楽しんでいる。

若能遺外聲利,而不厭乎貧賤也。

それは名誉や利益を忘れて考えの外におき、貧賤をいとわないで暮らすことができるようであった。

之初吉,歸拜其親,

年の初めの吉日に、帰って御両親を拝賀されるという。

酒壺既傾,序以識別。

ここに餞けの酒壷もはや傾いて尽き、宴も終わろうとしているので、私はこの序を以て惜別の意を記すのである。

§-2-3

之と嘉林に翳れ、石磯に坐し、

竿を投じて漁し、陶然として以て樂む。

利を遺外して、貧賤を厭はざるなり。

歳の初吉に、歸りて其の親を拜せんとす。

酒壺既に傾く。序して以て別を識す。

 

 

『送區册序』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

§-2-3

與之翳嘉林,坐石磯,

投竿而漁,陶然以樂,

若能遺外聲利,而不厭乎貧賤也。

之初吉,歸拜其親,

酒壺既傾,序以識別。

(下し文)
§-2-3

之と嘉林に翳れ、石磯に坐し、

竿を投じて漁し、陶然として以て樂む。

聲利を遺外して、貧賤を厭はざるなり。

歳の初吉に、歸りて其の親を拜せんとす。

酒壺既に傾く。序して以て別を識す。

(現代語訳)
この人と見事に繁った林の木蔭に入り、石の多い磯に腰かけ、

竿を突き出して魚を釣るときなど、いかにもくつろいで、きもちいい様子で楽しんでいる。

それは名誉や利益を忘れて考えの外におき、貧賤をいとわないで暮らすことができるようであった。

年の初めの吉日に、帰って御両親を拝賀されるという。

ここに餞けの酒壷もはや傾いて尽き、宴も終わろうとしているので、私はこの序を以て惜別の意を記すのである。


(訳注) §-2-3

送區冊序(區冊【おうさく】を送る序)

(區冊が遠方から来て従い交わったので、深く喜んで、帰郷の区冊を送る序で、その感激の情を述べたもの)

韓愈が陽山に流された時、区冊が遠方から来て従い交わったので、深く喜んで、帰郷の区冊を送る序に、その感激の情を述べたのである。冊の人物には別に伝はない。区は音「欧」と同じ。

 

與之翳嘉林,坐石磯,

この人と見事に繁った林の木蔭に入り、石の多い磯に腰かけ、

 かげにはいる。かくれる

嘉林 すばらしい、りっぱな、見事に繁った林。

 

投竿而漁,陶然以樂,

竿を突き出して魚を釣るときなど、いかにもくつろいで、きもちいい様子で楽しんでいる。

陶然 1 酒に酔ってよい気持ちになるさま。2 うっとりとよい気持ちであるさま。

 

若能遺外聲利,而不厭乎貧賤也。

それは名誉や利益を忘れて考えの外におき、貧賤をいとわないで暮らすことができるようであった。

聲利 名誉や利益。

 

之初吉,歸拜其親,

年の初めの吉日に、帰って御両親を拝賀されるという。

之初吉  年頭の吉日。

 

酒壺既傾,序以識別。

ここに餞けの酒壷もはや傾いて尽き、宴も終わろうとしているので、私はこの序を以て惜別の意を記すのである。

酒壺既傾 送別の酒を酌み交わして壺を傾け、酒がなくなった様子をいう。