漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩 中唐詩人選集【Ⅰ李商隠-150】Ⅱ韓退之(韓愈)-500Ⅶ孟郊(東野)賈島張籍柳宗元韋応物

Ⅰ李商隠は難解詩といわれている。約150首紹介済。(晩唐詩人) Ⅱ韓退之(韓愈)-約500首Ⅶ孟郊、中唐の詩人を掲載中。万物の性(さが)をテーマにした哲学的な詩。このブログは基本的に中唐詩人を中心にして掲載する予定。 韓愈詩文のこれまでの掲載分とこれから掲載予定分を時系列で整理した2014.3.29のブログに集約してそこから各年次を見ることができる  kanbuniinkai 検索で、《漢文委員会HP05》サイトあります。漢詩唐詩を理解するための総合サイト:≪漢文委員会 漢詩07≫。

805年貞元21年 38歳

少し、マニアックな晩唐詩人Ⅰ-李商隠150首をまず掲載済み。中唐は盛唐詩人(孟浩然・王維、杜甫、李白)を受け継いだ多様な詩人が出ている。この時代も驚くほど詩が発展している。Ⅱ韓退之(韓愈)500首、Ⅲ柳宗元40首、Ⅳ韋応物、Ⅴ劉長卿、Ⅵ韋荘、Ⅶ孟郊(孟東野)、Ⅷ張籍、Ⅸ賈島、Ⅹ劉禹錫、ほか2012~2020年の予定で気長に進める。同じ中唐ではあるが、白居易のグループについては、李白のブログ350首(2015/6月再開~2018/夏・秋月予定)の後掲載の予定。別に杜甫詩ブログ1500首(2011/7月~2018/8月の予定で)を進行中。詩数につぃては、予定の詩数より多くなる。気まぐれなところがあるのでこの予定が少し変わる場合があり、その節はご容赦ください。                 古詩・謝霊運詩 杜甫詩 韓愈詩 花間集500首全詩 それぞれ毎日ブログしています。 このブログ、索引=語句の「検索」 参考書以上掲載。漢詩力up。

韓愈127《 巻四19 送廖道士序》 #5 韓愈(韓退之) 805年貞元21年 38歳<1647> Ⅱ#5 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7211

韓愈  送廖道士序 #5  

氣專而容寂,多藝而善遊,豈吾所謂魁奇而迷溺者耶?

廖師善知人,若不在其身,必在其所與遊。

訪之而不吾告,何也?於其別,申以問之。

その気性は専一で、容貌は物静かであり、才芸は多く、善く人と交わっている。何と彼こそ、私のいうところの、偉大ですぐれていながら、仏老に迷い溺れている人であろうか。廖道士はよく人を知っている。奇偉の気性がもし彼自身にないのであれば、必ずその共に遊交する人の中にあるであろう。私がこれをたずねているのに、私に告げてくれないのは何故であるか、その別れに、かさねてこれを問う次第である。

韓愈127《 巻四19 送廖道士序》 #5 韓愈(韓退之)  805年貞元2138歳<1647> Ⅱ#5 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7211


 
  2016年1月20日 の紀頌之5つのBlog  
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  Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
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韓愈詩-韓愈127

送廖道士序 #1

(すぐれた人物である廖道士が隠遁するのを送る詩の序をつくる)

五嶽於中州,衡山最遠。

中国の五岳のうちでは、衡山が最も遠いのである。

南方之山,巍然高而大者以百數,獨衡為宗。

南方の山々の、高く大きくそびえ立つものは百を以て数える程多いが、その中で、衡山はひとりその総本山となっている。

最遠而獨為宗,其神必靈。

南方の山々の、高く大きくそびえ立つものは百を以て数える程多いが、その中で、衡山はひとりその総本山となっている。

衡之南八九百裏,地益高,

衡山の南方八、九百里の所は、地は益々高く、

山益峻,水清而益駛,

山は益々峻しく、水は澄んで益々勢いよく流れている。

#2  

其最高而橫南北者嶺。

そのうち最も高くて南北を横に絶っている者は南()嶺山脈の越城嶺である。

郴之為州,在嶺之上,

郴という州は、その嶺の上にある。

測其高下,得三之二焉,

その高さを測るに、衡山は南嶺山脈の山々との三分の二くらいに当たる。

中州清淑之氣,於是焉窮。

わが中国の清く静かなよい気は、この所で行きづまっている。

氣之所窮,盛而不過,必蜿蟺扶輿磅礴而鬱積。

その気のきわまる所は、盛んで外に通過しなければ、必ずうねりわだかまり、渦巻き登り、満ちせまって、ふさがり積もるものである。

(廖道士を送る序)

五岳の中州に於ける、衡山は最も遠し。

南方の山、巍然として高くして大なる者、百を以て數ふ。濁り衡は宗爲り。

最も遠くして濁り宗爲れば、其の紳必ず靈ならん。

衡の南八九百里、地 益ます高くして山ますます峻しく、水清くしてますますし。

#2

其の最も高くして南北を横絶する者は嶺なり。郴の州爲る、嶺の上に在り。

其の高下を測るに、三の二を得たり。中州清淑の気、是に於て窮る。

気の窮る所、盛にして過ぎずんば、必ず蜿蟺扶輿 磅礴して鬱積す。

#3

衡山之神既靈,而郴之為州,

衡山の神はもともと不思議な威力があるのであって、そして郴州という所がなりたっておる。

又當中州清淑之氣,蜿扶輿磅礴而鬱積,

わが中国の清く善い気の、うねりわだかまり、渦巻きのぼり、満ちひろがり、ふさがり積もる所に当たっているのである。

其水土之所生,神氣之所感,白金、水銀、丹砂、石英、鍾乳,橘柚之包,竹箭之美,千尋之名材,不能獨當也。
そうであるから、その地の水土の生ずる所のもの、その神霊や風気の感ずる所のものには、白金・水銀・丹砂・石英・鍾乳石・橘や柚子の包皮や、矢竹の立派なものや千尋もある名木の材などもあるが、それだけではこの霊気に相当のものにはなり得ない。

#3

衡山の神 既に靈にして,郴の州為る,

又た中州 清淑の氣の,蜿蟺 扶輿 磅礴して鬱積するに當る

其の水土の生ずる所,神氣の感ずる所,白金、水銀、丹砂、石英、鍾乳,橘柚の包,竹箭の美,千尋の名材,獨り當る能わざるなり。
#4  

意必有魁奇、忠信、材德之民生其間

思うに、必ず偉大にすぐれた人物や、忠心信義の者、才能人格のある人民が、その地域に生ずることがあるものである。

而吾又未見也。

しかし、そういうものの私はいたまだ見ないのである。

其無乃迷惑溺沒於佛老之學而不出耶?

それは、或いは、郴州の人々が仏教や老子の学問に、迷い惑って、溺れ沈んでしまって、出てこないということがないであろうか。

廖師郴民,而學於衡山。

廖道士は郴州の人であって、衡山に入って学問をしたひとである。

#4  

意うに 必ず魁奇、忠信、材德の民 其の間に生ずること有らん。

而して 吾 又た未だ見ざるなり。

其れ 乃ち佛老の學に於て迷惑し溺沒して出でざること無からんや?

廖師は郴民なり,而して衡山に學ぶ。

#5  

氣專而容寂,多藝而善遊,

豈吾所謂魁奇而迷溺者耶?

廖師善知人,若不在其身,必在其所與遊。

訪之而不吾告,何也?

於其別,申以問之。

その気性は専一で、容貌は物静かであり、才芸は多く、善く人と交わっている。

何と彼こそ、私のいうところの、偉大ですぐれていながら、仏老に迷い溺れている人であろうか。

廖道士はよく人を知っている。奇偉の気性がもし彼自身にないのであれば、必ずその共に遊交する人の中にあるであろう。

私がこれをたずねているのに、私に告げてくれないのは何故であるか、

その別れに、かさねてこれを問う次第である。

#5  

氣專らにして容寂たり,多藝にして善く遊ぶ,

豈に吾が所謂 魁奇して 迷溺する者か?

廖師 善く人を知る,若し其の身に在らずんば,必ず其の與に遊ぶ所に在らん。

之れを訪えども 吾れに告げざるは,何んぞや?

其の別れに於て,申【かさ】ねて以て之れを問う。

 

『送廖道士序』現代語訳と訳註解説
(
本文)

#5  

氣專而容寂,多藝而善遊,

豈吾所謂魁奇而迷溺者耶?

廖師善知人,若不在其身,必在其所與遊。

訪之而不吾告,何也?

於其別,申以問之。

(下し文)
#5  

氣專らにして容寂たり,多藝にして善く遊ぶ,

豈に吾が所謂 魁奇して 迷溺する者か?

廖師 善く人を知る,若し其の身に在らずんば,必ず其の與に遊ぶ所に在らん。

之れを訪えども 吾れに告げざるは,何んぞや?

其の別れに於て,申【かさ】ねて以て之れを問う。

(現代語訳)
#5  

その気性は専一で、容貌は物静かであり、才芸は多く、善く人と交わっている。

何と彼こそ、私のいうところの、偉大ですぐれていながら、仏老に迷い溺れている人であろうか。

廖道士はよく人を知っている。奇偉の気性がもし彼自身にないのであれば、必ずその共に遊交する人の中にあるであろう。

私がこれをたずねているのに、私に告げてくれないのは何故であるか、

その別れに、かさねてこれを問う次第である。


(訳注) #5

《 巻四19 送廖道士序》

(すぐれた人物である廖道士が隠遁するのを送る詩の序をつくる)

1 送廖道士序 805(永貞元)年、韓愈は陽山(広東省) の令から量移されて江陵(湖北省)の掾【えん】となった時、道を衡山に取った。この序はその時の作である。当時すぐれた人物が僧や道士(道教の修行者)となって隠れるのを惜しみ、廖道士を借りて、その意を述べた。

  

氣專而容寂,多藝而善遊,

その気性は専一で、容貌は物静かであり、才芸は多く、善く人と交わっている。

35 容寂 容貌は物静か。物さびしい。

36 多藝 才芸あり、人格ある。

 

豈吾所謂魁奇而迷溺者耶?

何と彼こそ、私のいうところの、偉大ですぐれていながら、仏老に迷い溺れている人であろうか。

30 魁奇 偉大ですぐれた人物。

37 迷溺/迷惑溺没 宗教にまよいまどい、おぼれ沈む。

 

廖師善知人,若不在其身,必在其所與遊。

廖道士はよく人を知っている。奇偉の気性がもし彼自身にないのであれば、必ずその共に遊交する人の中にあるであろう。

 

訪之而不吾告,何也?

私がこれをたずねているのに、私に告げてくれないのは何故であるか、

 

於其別,申以問之。

その別れに、かさねてこれを問う次第である。

38 申 かさねて。

 

 

韓愈127《 巻四19 送廖道士序》【字解】

(すぐれた人物である廖道士が隠遁するのを送る詩の序をつくる)

1 送廖道士序 805(永貞元)年、韓愈は陽山(広東省) の令から量移されて江陵(湖北省)の掾【えん】となった時、道を衡山に取った。この序はその時の作である。当時すぐれた人物が僧や道士(道教の修行者)となって隠れるのを惜しみ、廖道士を借りて、その意を述べた。

2 五岳 五岳(ごがく)は中国の道教の聖地である5つの山の総称。五名山とも呼ばれる。陰陽五行説に基づき、木行=東、火行=南、土行=中、金行=西、水行=北 の各方位に位置する、5つの山が聖山とされる。 東岳 泰山(山東省泰安市泰山区) 南岳 衡山(湖南省衡陽市衡山県) 中岳 嵩山(河南省鄭州市登封市) 西岳 華山(陝西省渭南市華陰市) 北岳 恒山(山西省大同市渾源県)神話によると万物の元となった盤古という神が死んだとき、その五体が五岳になったと言われている。

3 衡山 (南嶽;1,298m湖南省衡陽市衡山県)、衡山(こうざん)は、道教の五岳の一つ、南岳。中国湖南省衡山県にあり、南を司るとされる。最高峰は祝融峰の1,298m。湖南省の洞庭湖の南、湘水の下流西岸にある。

《 巻三18謁衡岳廟,遂宿嶽寺題門樓》

五嶽祭秩皆三公,四方環鎮嵩當中。火維地荒足妖怪,天假神柄專其雄。

噴雲泄霧藏半腹,雖有頂誰能窮。我來正逢秋雨節,陰氣晦昧無清風。

(衡岳廟に謁し,遂に嶽寺に宿して門樓に題す。)

五嶽の祭秩 皆 三公,四方に環り鎮して 嵩は中に當る。火維 地荒れて 妖怪に足れり,天 神柄を假して 其の雄を專らにす。

雲を噴き 霧を泄らして 半腹を藏し,頂有りと雖も 誰れか能く窮めん。我來って 正に逢う 秋雨の節,陰氣 晦昧して 清風無し。

韓愈98-#1 巻三18謁衡岳廟,遂宿嶽寺題門樓》 #1 韓愈(韓退之) 805年貞元21 38歳<1575 #1 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6859

4 巍然 高大の貌。そびえ立つ。

5 宗 総本家。中心の山。

6 其神 山の神。

7 必霊 必ずふしぎな力がある。

8 駛 速か。急。

9 横絶 横きり隔てる。南()嶺山脈により、分断されることを言う南嶺山脈(なんれいさんみゃく、ナンリン山脈、Nanling, 簡体字: 南岭、拼音: Nánlǐng)は、中華人民共和国の南部を東西に伸びる山脈。広西チワン族自治区および広東省の北部、湖南省および江西省の南部を走る中国南部最大の構造山地で、長江水系と珠江水系の分水嶺であり、華中と華南の境界をなしている。南嶺山脈の南側(嶺南、華南)は亜熱帯の気候で、稲の二期作が盛んになっている。別名は五嶺山脈(ごれいさんみゃく、五嶺)といい、西から東の順に、越城嶺(えつじょうれい)、都龐嶺(とほうれい)、萌渚嶺(ほうしょれい)、騎田嶺(きでんれい)、大庾嶺(だいゆれい)の五つの山並みが組み合わさっているためこの名がある。

10 郴 州の名。湖南省に属し、永興・宜章等五県からなる。漢初の113年、桂陽郡が設置された。建武年間には郡治が郴県に置かれた。その後735年(開元23年)、州制を施行した唐により郴州が設置されると、清末までこの名称が使用されていくことになった、

11 三之二 衡山(南嶽;1,298m湖南省衡陽市衡山県)、南嶺の地勢は、最高峰は越城嶺の猫児山(「華南第一峰」の別名がある)で海抜は2,142メートルである。その他の主要な山峰には、萌渚嶺の馬塘頂(海抜1,787メートル)、都龐嶺の韭菜嶺(海抜2,009メートル)、瑤山(大瑤山)の石坑崆(海抜1,902メートル)などで、2000メートル前後ということになり、衡山と最も衡山に近い山は1800位であるところから、衡山は、南嶺山脈の2/3程度の高さになるということ。がある。

12 清淑之気 澄んで静かによい気。南これより南は瘴癘の地ということ。

13  うねりとぐろをまく。北回帰線の近くに位置するので綺皓的にも雨期乾期、スコールなど変化が多い。

14 扶輿 地形的な変化、扶揺と同じ。うねり登る。うずまく。

15 磅礴 満ちひろがる。

16 鬱積 ふさがりつもる。

17 衡山は、道教の五岳の一つ、南岳。中国湖南省衡陽市衡陽県にあり、南を司るとされる。最高峰は祝融峰の1,300.2m。 古名を「寿岳」といい、二十八宿のうち人間の寿命を司るという軫星と対応づけられていた。また、神農氏がここで薬となる植物を採ったとの伝説がある。

18. 郴州 湖南省の南東部に位置し、株洲市、衡陽市、永州市、江西省贛州市、広東省韶関市と接する。主な河川には湘江の支流・耒水(れいすい)がある。漢初の113年、桂陽郡が設置された。建武年間には郡治が郴県に置かれた。その後735年(開元23年)、州制を施行した唐により郴州が設置されると、清末までこの名称が使用されていくことになった。

19. 蜿蟺 わだかまる。とぐろを巻く。

20. 扶輿 渦巻きのぼること。

21. 磅礴 /旁礴/旁魄 1 混じり合って一つになること。2 広がり満ちること。満ちふさがること。

22. 鬱積 1 不平不満や怒りなどの感情が、はけ口のないままに心の中に積もっていること。2 出口をふさがれて、内に滞りたまること。

23. 丹砂 酸化水銀。

24. 石英 水晶、火うち石。瑪瑙などの総称。

25. 鍾乳 石灰岩の結晶、鍾乳石。

26. 橘柚之包 たちはなとゆずとの果実の皮。橘包は橘の実。

27. 千尋之名材 長さ千尋の名木材。千尋は大木の大げさな形容。尋は六尺から八尺をいう。

28当 相当する。

29 意 おもうに。

30 魁奇 偉大ですぐれた人物。

31 材徳 才能あり、人格ある。

32 迷惑溺没 宗教にまよいまどい、おぼれ沈む。

33 郴 郴州の人。

34 衡山 道教の五岳の一つ祝融峰。古名を「寿岳」といい、二十八宿のうち人間の寿命を司るという軫星(軫宿)と対応づけられていた。また、炎帝神農の時代に雨師(雨の神)だったとされている最古の神仙の一人。帝嚳高辛の時代にも雨師となり、後には南岳衡山を治めたという。

韓愈127《 巻四19 送廖道士序》 #4 韓愈(韓退之) 805年貞元21年 38歳<1646> Ⅱ#4 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7206

韓愈  送廖道士序 #4  

意必有魁奇、忠信、材德之民生其間而吾又未見也。其無乃迷惑溺沒於佛老之學而不出耶?

廖師郴民,而學於衡山

思うに、必ず偉大にすぐれた人物や、忠心信義の者、才能人格のある人民が、その地域に生ずることがあるものである。しかし、そういうものの私はいたまだ見ないのである。それは、或いは、郴州の人々が仏教や老子の学問に、迷い惑って、溺れ沈んでしまって、出てこないということがないであろうか。廖道士は郴州の人であって、衡山に入って学問をしたひとである。

韓愈127《 巻四19 送廖道士序》 #4 韓愈(韓退之)  805年貞元21 38歳<1646> Ⅱ#4 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7206

 

 
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  ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場  
  Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
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  孟浩然 詩 index 李白詩index 謝霊運 詩 index 司馬相如 《 子虛賦 ・上林賦 》 揚雄 《 甘泉賦 》  ●諸葛亮(孔明)出師表  
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韓愈詩-韓愈127

送廖道士序 #1

(すぐれた人物である廖道士が隠遁するのを送る詩の序をつくる)

五嶽於中州,衡山最遠。

中国の五岳のうちでは、衡山が最も遠いのである。

南方之山,巍然高而大者以百數,獨衡為宗。

南方の山々の、高く大きくそびえ立つものは百を以て数える程多いが、その中で、衡山はひとりその総本山となっている。

最遠而獨為宗,其神必靈。

南方の山々の、高く大きくそびえ立つものは百を以て数える程多いが、その中で、衡山はひとりその総本山となっている。

衡之南八九百裏,地益高,

衡山の南方八、九百里の所は、地は益々高く、

山益峻,水清而益駛,

山は益々峻しく、水は澄んで益々勢いよく流れている。

#2  

其最高而橫南北者嶺。

そのうち最も高くて南北を横に絶っている者は南()嶺山脈の越城嶺である。

郴之為州,在嶺之上,

郴という州は、その嶺の上にある。

測其高下,得三之二焉,

その高さを測るに、衡山は南嶺山脈の山々との三分の二くらいに当たる。

中州清淑之氣,於是焉窮。

わが中国の清く静かなよい気は、この所で行きづまっている。

氣之所窮,盛而不過,必蜿蟺扶輿磅礴而鬱積。

その気のきわまる所は、盛んで外に通過しなければ、必ずうねりわだかまり、渦巻き登り、満ちせまって、ふさがり積もるものである。

(廖道士を送る序)

五岳の中州に於ける、衡山は最も遠し。

南方の山、巍然として高くして大なる者、百を以て數ふ。濁り衡は宗爲り。

最も遠くして濁り宗爲れば、其の紳必ず靈ならん。

衡の南八九百里、地 益ます高くして山ますます峻しく、水清くしてますますし。

#2

其の最も高くして南北を横絶する者は嶺なり。郴の州爲る、嶺の上に在り。

其の高下を測るに、三の二を得たり。中州清淑の気、是に於て窮る。

気の窮る所、盛にして過ぎずんば、必ず蜿蟺扶輿 磅礴して鬱積す。

#3

衡山之神既靈,而郴之為州,

衡山の神はもともと不思議な威力があるのであって、そして郴州という所がなりたっておる。

又當中州清淑之氣,蜿扶輿磅礴而鬱積,

わが中国の清く善い気の、うねりわだかまり、渦巻きのぼり、満ちひろがり、ふさがり積もる所に当たっているのである。

其水土之所生,神氣之所感,白金、水銀、丹砂、石英、鍾乳,橘柚之包,竹箭之美,千尋之名材,不能獨當也。
そうであるから、その地の水土の生ずる所のもの、その神霊や風気の感ずる所のものには、白金・水銀・丹砂・石英・鍾乳石・橘や柚子の包皮や、矢竹の立派なものや千尋もある名木の材などもあるが、それだけではこの霊気に相当のものにはなり得ない。

#3

衡山の神 既に靈にして,郴の州為る,

又た中州 清淑の氣の,蜿蟺 扶輿 磅礴して鬱積するに當る

其の水土の生ずる所,神氣の感ずる所,白金、水銀、丹砂、石英、鍾乳,橘柚の包,竹箭の美,千尋の名材,獨り當る能わざるなり。
#4  

意必有魁奇、忠信、材德之民生其間

思うに、必ず偉大にすぐれた人物や、忠心信義の者、才能人格のある人民が、その地域に生ずることがあるものである。

而吾又未見也。

しかし、そういうものの私はいたまだ見ないのである。

其無乃迷惑溺沒於佛老之學而不出耶?

それは、或いは、郴州の人々が仏教や老子の学問に、迷い惑って、溺れ沈んでしまって、出てこないということがないであろうか。

廖師郴民,而學於衡山

廖道士は郴州の人であって、衡山に入って学問をしたひとである。

#4  

意うに 必ず魁奇、忠信、材德の民 其の間に生ずること有らん。

而して 吾 又た未だ見ざるなり。

其れ 乃ち佛老の學に於て迷惑し溺沒して出でざること無からんや?

廖師は郴民なり,而して衡山に學ぶ。

#5  

氣專而容寂,多藝而善遊,豈吾所謂魁奇而迷溺者耶?

廖師善知人,若不在其身,必在其所與遊。

訪之而不吾告,何也?於其別,申以問之。

 

 

『送廖道士序』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

#4  

意必有魁奇、忠信、材德之民生其間。

而吾又未見也。

其無乃迷惑溺沒於佛老之學而不出耶?

廖師郴民,而學於衡山,

(下し文)
#4  

意うに 必ず魁奇、忠信、材德の民 其の間に生ずること有らん。

而して 吾 又た未だ見ざるなり。

其れ 乃ち佛老の學に於て迷惑し溺沒して出でざること無からんや?

廖師は郴民なり,而して衡山に學ぶ。


(現代語訳)
#4  

思うに、必ず偉大にすぐれた人物や、忠心信義の者、才能人格のある人民が、その地域に生ずることがあるものである。

しかし、そういうものの私はいたまだ見ないのである。

それは、或いは、郴州の人々が仏教や老子の学問に、迷い惑って、溺れ沈んでしまって、出てこないということがないであろうか。

廖道士は郴州の人であって、衡山に入って学問をしたひとである。


(訳注) #4  

《 巻四19 送廖道士序》

(すぐれた人物である廖道士が隠遁するのを送る詩の序をつくる)

1 送廖道士序 805(永貞元)年、韓愈は陽山(広東省) の令から量移されて江陵(湖北省)の掾【えん】となった時、道を衡山に取った。この序はその時の作である。当時すぐれた人物が僧や道士(道教の修行者)となって隠れるのを惜しみ、廖道士を借りて、その意を述べた。

 

意必有魁奇、忠信、材德之民生其間,

思うに、必ず偉大にすぐれた人物や、忠心信義の者、才能人格のある人民が、その地域に生ずることがあるものである。

29 意 おもうに。

30 魁奇 偉大ですぐれた人物。

31 材徳 才能あり、人格ある。

 

而吾又未見也。

しかし、そういうものの私はいたまだ見ないのである。

 

其無乃迷惑溺沒於佛老之學而不出耶?

それは、或いは、郴州の人々が仏教や老子の学問に、迷い惑って、溺れ沈んでしまって、出てこないということがないであろうか。

32 迷惑溺没 宗教にまよいまどい、おぼれ沈む。

 

廖師郴民,而學於衡山,

廖道士は郴州の人であって、衡山に入って学問をしたひとである。

33 郴 郴州の人。

34 衡山 道教の五岳の一つ祝融峰。古名を「寿岳」といい、二十八宿のうち人間の寿命を司るという軫星(軫宿)と対応づけられていた。また、炎帝神農の時代に雨師(雨の神)だったとされている最古の神仙の一人。帝嚳高辛の時代にも雨師となり、後には南岳衡山を治めたという。

 

 

 

 

韓愈127《 巻四19 送廖道士序》【字解】

(すぐれた人物である廖道士が隠遁するのを送る詩の序をつくる)

1 送廖道士序 805(永貞元)年、韓愈は陽山(広東省) の令から量移されて江陵(湖北省)の掾【えん】となった時、道を衡山に取った。この序はその時の作である。当時すぐれた人物が僧や道士(道教の修行者)となって隠れるのを惜しみ、廖道士を借りて、その意を述べた。

2 五岳 五岳(ごがく)は中国の道教の聖地である5つの山の総称。五名山とも呼ばれる。陰陽五行説に基づき、木行=東、火行=南、土行=中、金行=西、水行=北 の各方位に位置する、5つの山が聖山とされる。 東岳 泰山(山東省泰安市泰山区) 南岳 衡山(湖南省衡陽市衡山県) 中岳 嵩山(河南省鄭州市登封市) 西岳 華山(陝西省渭南市華陰市) 北岳 恒山(山西省大同市渾源県)神話によると万物の元となった盤古という神が死んだとき、その五体が五岳になったと言われている。

3 衡山 (南嶽;1,298m湖南省衡陽市衡山県)、衡山(こうざん)は、道教の五岳の一つ、南岳。中国湖南省衡山県にあり、南を司るとされる。最高峰は祝融峰の1,298m。湖南省の洞庭湖の南、湘水の下流西岸にある。

《 巻三18謁衡岳廟,遂宿嶽寺題門樓》

五嶽祭秩皆三公,四方環鎮嵩當中。火維地荒足妖怪,天假神柄專其雄。

噴雲泄霧藏半腹,雖有頂誰能窮。我來正逢秋雨節,陰氣晦昧無清風。

(衡岳廟に謁し,遂に嶽寺に宿して門樓に題す。)

五嶽の祭秩 皆 三公,四方に環り鎮して 嵩は中に當る。火維 地荒れて 妖怪に足れり,天 神柄を假して 其の雄を專らにす。

雲を噴き 霧を泄らして 半腹を藏し,頂有りと雖も 誰れか能く窮めん。我來って 正に逢う 秋雨の節,陰氣 晦昧して 清風無し。

韓愈98-#1 巻三18謁衡岳廟,遂宿嶽寺題門樓》 #1 韓愈(韓退之) 805年貞元21 38歳<1575 #1 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6859

4 巍然 高大の貌。そびえ立つ。

5 宗 総本家。中心の山。

6 其神 山の神。

7 必霊 必ずふしぎな力がある。

8 駛 速か。急。

9 横絶 横きり隔てる。南()嶺山脈により、分断されることを言う南嶺山脈(なんれいさんみゃく、ナンリン山脈、Nanling, 簡体字: 南岭、拼音: Nánlǐng)は、中華人民共和国の南部を東西に伸びる山脈。広西チワン族自治区および広東省の北部、湖南省および江西省の南部を走る中国南部最大の構造山地で、長江水系と珠江水系の分水嶺であり、華中と華南の境界をなしている。南嶺山脈の南側(嶺南、華南)は亜熱帯の気候で、稲の二期作が盛んになっている。別名は五嶺山脈(ごれいさんみゃく、五嶺)といい、西から東の順に、越城嶺(えつじょうれい)、都龐嶺(とほうれい)、萌渚嶺(ほうしょれい)、騎田嶺(きでんれい)、大庾嶺(だいゆれい)の五つの山並みが組み合わさっているためこの名がある。

10 郴 州の名。湖南省に属し、永興・宜章等五県からなる。漢初の113年、桂陽郡が設置された。建武年間には郡治が郴県に置かれた。その後735年(開元23年)、州制を施行した唐により郴州が設置されると、清末までこの名称が使用されていくことになった、

11 三之二 衡山(南嶽;1,298m湖南省衡陽市衡山県)、南嶺の地勢は、最高峰は越城嶺の猫児山(「華南第一峰」の別名がある)で海抜は2,142メートルである。その他の主要な山峰には、萌渚嶺の馬塘頂(海抜1,787メートル)、都龐嶺の韭菜嶺(海抜2,009メートル)、瑤山(大瑤山)の石坑崆(海抜1,902メートル)などで、2000メートル前後ということになり、衡山と最も衡山に近い山は1800位であるところから、衡山は、南嶺山脈の2/3程度の高さになるということ。がある。

12 清淑之気 澄んで静かによい気。南これより南は瘴癘の地ということ。

13  うねりとぐろをまく。北回帰線の近くに位置するので綺皓的にも雨期乾期、スコールなど変化が多い。

14 扶輿 地形的な変化、扶揺と同じ。うねり登る。うずまく。

15 磅礴 満ちひろがる。

16 鬱積 ふさがりつもる。

17 衡山は、道教の五岳の一つ、南岳。中国湖南省衡陽市衡陽県にあり、南を司るとされる。最高峰は祝融峰の1,300.2m。 古名を「寿岳」といい、二十八宿のうち人間の寿命を司るという軫星と対応づけられていた。また、神農氏がここで薬となる植物を採ったとの伝説がある。

18. 郴州 湖南省の南東部に位置し、株洲市、衡陽市、永州市、江西省贛州市、広東省韶関市と接する。主な河川には湘江の支流・耒水(れいすい)がある。漢初の113年、桂陽郡が設置された。建武年間には郡治が郴県に置かれた。その後735年(開元23年)、州制を施行した唐により郴州が設置されると、清末までこの名称が使用されていくことになった。

19. 蜿蟺 わだかまる。とぐろを巻く。

20. 扶輿 渦巻きのぼること。

21. 磅礴 /旁礴/旁魄 1 混じり合って一つになること。2 広がり満ちること。満ちふさがること。

22. 鬱積 1 不平不満や怒りなどの感情が、はけ口のないままに心の中に積もっていること。2 出口をふさがれて、内に滞りたまること。

23. 丹砂 酸化水銀。

24. 石英 水晶、火うち石。瑪瑙などの総称。

25. 鍾乳 石灰岩の結晶、鍾乳石。

26. 橘柚之包 たちはなとゆずとの果実の皮。橘包は橘の実。

27. 千尋之名材 長さ千尋の名木材。千尋は大木の大げさな形容。尋は六尺から八尺をいう。

28当 相当する。

韓愈127《 巻四19 送廖道士序》 #3 韓愈(韓退之) 805年貞元21年 38歳<1645> Ⅱ#3 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7201

韓愈詩  送廖道士序 #3

衡山之神既靈,而郴之為州,

又當中州清淑之氣,蜿扶輿磅礴而鬱積,

其水土之所生,神氣之所感,白金、水銀、丹砂、石英、鍾乳,橘柚之包,竹箭之美,千尋之名材,不能獨當也。
衡山の神はもともと不思議な威力があるのであって、そして郴州という所がなりたっておる。わが中国の清く善い気の、うねりわだかまり、渦巻きのぼり、満ちひろがり、ふさがり積もる所に当たっているのである。そうであるから、その地の水土の生ずる所のもの、その神霊や風気の感ずる所のものには、白金・水銀・丹砂・石英・鍾乳石・橘や柚子の包皮や、矢竹の立派なものや千尋もある名木の材などもあるが、それだけではこの霊気に相当のものにはなり得ない。

韓愈127《 巻四19 送廖道士序》 #3 韓愈(韓退之)  805年貞元21 38歳<1645> Ⅱ#3 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7201

 

 
  2016年1月18日 の紀頌之5つのBlog  
  ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場  
  Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
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743年(60)李太白集巻十二05-《望終南山寄紫閣隱者》(出門見南山,) 379Index-23Ⅲ-2-743年天寶二年43歳 94首-(60) Ⅰ李白詩1732 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7200  
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韓愈127《 巻四19 送廖道士序》 #3 韓愈(韓退之) 805年貞元21年 38歳<1645> Ⅱ#3 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7201  
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  孟郊 張籍          
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  杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首 杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩)  杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首 杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首 杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首 杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首  
  杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首 杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首 杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首 杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首 杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首 杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首  
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  ●花間集全詩●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集  
  Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoorBlog 12孫光憲《巻八36思帝鄉一首》『花間集』388全詩訳注解説(改訂版Ver.2.1)-漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-7204  
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韓愈詩-韓愈127

送廖道士序 #1

(すぐれた人物である廖道士が隠遁するのを送る詩の序をつくる)

五嶽於中州,衡山最遠。

中国の五岳のうちでは、衡山が最も遠いのである。

南方之山,巍然高而大者以百數,獨衡為宗。

南方の山々の、高く大きくそびえ立つものは百を以て数える程多いが、その中で、衡山はひとりその総本山となっている。

最遠而獨為宗,其神必靈。

南方の山々の、高く大きくそびえ立つものは百を以て数える程多いが、その中で、衡山はひとりその総本山となっている。

衡之南八九百裏,地益高,

衡山の南方八、九百里の所は、地は益々高く、

山益峻,水清而益駛,

山は益々峻しく、水は澄んで益々勢いよく流れている。

#2  

其最高而橫南北者嶺。

そのうち最も高くて南北を横に絶っている者は南()嶺山脈の越城嶺である。

郴之為州,在嶺之上,

郴という州は、その嶺の上にある。

測其高下,得三之二焉,

その高さを測るに、衡山は南嶺山脈の山々との三分の二くらいに当たる。

中州清淑之氣,於是焉窮。

わが中国の清く静かなよい気は、この所で行きづまっている。

氣之所窮,盛而不過,必蜿蟺扶輿磅礴而鬱積。

その気のきわまる所は、盛んで外に通過しなければ、必ずうねりわだかまり、渦巻き登り、満ちせまって、ふさがり積もるものである。

(廖道士を送る序)

五岳の中州に於ける、衡山は最も遠し。

南方の山、巍然として高くして大なる者、百を以て數ふ。濁り衡は宗爲り。

最も遠くして濁り宗爲れば、其の紳必ず靈ならん。

衡の南八九百里、地 益ます高くして山ますます峻しく、水清くしてますますし。

#2

其の最も高くして南北を横絶する者は嶺なり。郴の州爲る、嶺の上に在り。

其の高下を測るに、三の二を得たり。中州清淑の気、是に於て窮る。

気の窮る所、盛にして過ぎずんば、必ず蜿蟺扶輿 磅礴して鬱積す。

#3

衡山之神既靈,而郴之為州,

衡山の神はもともと不思議な威力があるのであって、そして郴州という所がなりたっておる。

又當中州清淑之氣,蜿扶輿磅礴而鬱積,

わが中国の清く善い気の、うねりわだかまり、渦巻きのぼり、満ちひろがり、ふさがり積もる所に当たっているのである。

其水土之所生,神氣之所感,白金、水銀、丹砂、石英、鍾乳,橘柚之包,竹箭之美,千尋之名材,不能獨當也。
そうであるから、その地の水土の生ずる所のもの、その神霊や風気の感ずる所のものには、白金・水銀・丹砂・石英・鍾乳石・橘や柚子の包皮や、矢竹の立派なものや千尋もある名木の材などもあるが、それだけではこの霊気に相当のものにはなり得ない。

#3

衡山の神 既に靈にして,郴の州為る,

又た中州 清淑の氣の,蜿蟺 扶輿 磅礴して鬱積するに當る

其の水土の生ずる所,神氣の感ずる所,白金、水銀、丹砂、石英、鍾乳,橘柚の包,竹箭の美,千尋の名材,獨り當る能わざるなり。
#4  意必有魁奇、忠信、材德之民生其間,而吾又未見也。

其無乃迷惑溺沒於佛老之學而不出耶?

廖師郴民,而學於衡山,

#5  氣專而容寂,多藝而善遊,豈吾所謂魁奇而迷溺者耶?

廖師善知人,若不在其身,必在其所與遊。

訪之而不吾告,何也?於其別,申以問之。

 

 

『送廖道士序』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

#3

衡山之神既靈,而郴之為州,

又當中州清淑之氣,蜿扶輿磅礴而鬱積,

其水土之所生,神氣之所感,白金、水銀、丹砂、石英、鍾乳,橘柚之包,竹箭之美,千尋之名材,不能獨當也。

(下し文)
#3

衡山の神 既に靈にして,郴の州為る,

又た中州 清淑の氣の,蜿蟺 扶輿 磅礴して鬱積するに當る

其の水土の生ずる所,神氣の感ずる所,白金、水銀、丹砂、石英、鍾乳,橘柚の包,竹箭の美,千尋の名材,獨り當る能わざるなり。


(現代語訳)

#3

衡山の神はもともと不思議な威力があるのであって、そして郴州という所がなりたっておる。

わが中国の清く善い気の、うねりわだかまり、渦巻きのぼり、満ちひろがり、ふさがり積もる所に当たっているのである。

そうであるから、その地の水土の生ずる所のもの、その神霊や風気の感ずる所のものには、白金・水銀・丹砂・石英・鍾乳石・橘や柚子の包皮や、矢竹の立派なものや千尋もある名木の材などもあるが、それだけではこの霊気に相当のものにはなり得ない。


(訳注) #3

《 巻四19 送廖道士序》

(すぐれた人物である廖道士が隠遁するのを送る詩の序をつくる)

1   送廖道士序 805(永貞元)年、韓愈は陽山(広東省) の令から量移されて江陵(湖北省)の掾【えん】となった時、道を衡山に取った。この序はその時の作である。当時すぐれた人物が僧や道士(道教の修行者)となって隠れるのを惜しみ、廖道士を借りて、その意を述べた。

2    

衡山之神既靈,而郴之為州,

衡山の神はもともと不思議な威力があるのであって、そして郴州という所がなりたっておる。

17 衡山は、道教の五岳の一つ、南岳。中国湖南省衡陽市衡陽県にあり、南を司るとされる。最高峰は祝融峰の1,300.2m。 古名を「寿岳」といい、二十八宿のうち人間の寿命を司るという軫星と対応づけられていた。また、神農氏がここで薬となる植物を採ったとの伝説がある。

18. 郴州 湖南省の南東部に位置し、株洲市、衡陽市、永州市、江西省贛州市、広東省韶関市と接する。主な河川には湘江の支流・耒水(れいすい)がある。漢初の113年、桂陽郡が設置された。建武年間には郡治が郴県に置かれた。その後735年(開元23年)、州制を施行した唐により郴州が設置されると、清末までこの名称が使用されていくことになった。

 

又當中州清淑之氣,蜿蟺扶輿磅礴而鬱積,

わが中国の清く善い気の、うねりわだかまり、渦巻きのぼり、満ちひろがり、ふさがり積もる所に当たっているのである。

19. 蜿蟺 わだかまる。とぐろを巻く。

20. 扶輿 渦巻きのぼること。

21. 磅礴 /旁礴/旁魄 1 混じり合って一つになること。2 広がり満ちること。満ちふさがること。

22. 鬱積 1 不平不満や怒りなどの感情が、はけ口のないままに心の中に積もっていること。2 出口をふさがれて、内に滞りたまること。

 

其水土之所生,神氣之所感,白金、水銀、丹砂、石英、鍾乳,橘柚之包,竹箭之美,千尋之名材,不能獨當也。

そうであるから、その地の水土の生ずる所のもの、その神霊や風気の感ずる所のものには、白金・水銀・丹砂・石英・鍾乳石・橘や柚子の包皮や、矢竹の立派なものや千尋もある名木の材などもあるが、それだけではこの霊気に相当のものにはなり得ない。

23. 丹砂 酸化水銀。

24. 石英 水晶、火うち石。瑪瑙などの総称。

25. 鍾乳 石灰岩の結晶、鍾乳石。

26. 橘柚之包 たちはなとゆずとの果実の皮。橘包は橘の実。

27. 千尋之名材 長さ千尋の名木材。千尋は大木の大げさな形容。尋は六尺から八尺をいう。

 

 

韓愈127《 巻四19 送廖道士序》【字解】

(すぐれた人物である廖道士が隠遁するのを送る詩の序をつくる)

1 送廖道士序 805(永貞元)年、韓愈は陽山(広東省) の令から量移されて江陵(湖北省)の掾【えん】となった時、道を衡山に取った。この序はその時の作である。当時すぐれた人物が僧や道士(道教の修行者)となって隠れるのを惜しみ、廖道士を借りて、その意を述べた。

2 五岳 五岳(ごがく)は中国の道教の聖地である5つの山の総称。五名山とも呼ばれる。陰陽五行説に基づき、木行=東、火行=南、土行=中、金行=西、水行=北 の各方位に位置する、5つの山が聖山とされる。 東岳 泰山(山東省泰安市泰山区) 南岳 衡山(湖南省衡陽市衡山県) 中岳 嵩山(河南省鄭州市登封市) 西岳 華山(陝西省渭南市華陰市) 北岳 恒山(山西省大同市渾源県)神話によると万物の元となった盤古という神が死んだとき、その五体が五岳になったと言われている。

3 衡山 (南嶽;1,298m湖南省衡陽市衡山県)、衡山(こうざん)は、道教の五岳の一つ、南岳。中国湖南省衡山県にあり、南を司るとされる。最高峰は祝融峰の1,298m。湖南省の洞庭湖の南、湘水の下流西岸にある。

《 巻三18謁衡岳廟,遂宿嶽寺題門樓》

五嶽祭秩皆三公,四方環鎮嵩當中。火維地荒足妖怪,天假神柄專其雄。

噴雲泄霧藏半腹,雖有頂誰能窮。我來正逢秋雨節,陰氣晦昧無清風。

(衡岳廟に謁し,遂に嶽寺に宿して門樓に題す。)

五嶽の祭秩 皆 三公,四方に環り鎮して 嵩は中に當る。火維 地荒れて 妖怪に足れり,天 神柄を假して 其の雄を專らにす。

雲を噴き 霧を泄らして 半腹を藏し,頂有りと雖も 誰れか能く窮めん。我來って 正に逢う 秋雨の節,陰氣 晦昧して 清風無し。

韓愈98-#1 巻三18謁衡岳廟,遂宿嶽寺題門樓》 #1 韓愈(韓退之) 805年貞元21 38歳<1575 #1 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6859

4 巍然 高大の貌。そびえ立つ。

5 宗 総本家。中心の山。

6 其神 山の神。

7 必霊 必ずふしぎな力がある。

8 駛 速か。急。

9 横絶 横きり隔てる。南()嶺山脈により、分断されることを言う南嶺山脈(なんれいさんみゃく、ナンリン山脈、Nanling, 簡体字: 南岭、拼音: Nánlǐng)は、中華人民共和国の南部を東西に伸びる山脈。広西チワン族自治区および広東省の北部、湖南省および江西省の南部を走る中国南部最大の構造山地で、長江水系と珠江水系の分水嶺であり、華中と華南の境界をなしている。南嶺山脈の南側(嶺南、華南)は亜熱帯の気候で、稲の二期作が盛んになっている。別名は五嶺山脈(ごれいさんみゃく、五嶺)といい、西から東の順に、越城嶺(えつじょうれい)、都龐嶺(とほうれい)、萌渚嶺(ほうしょれい)、騎田嶺(きでんれい)、大庾嶺(だいゆれい)の五つの山並みが組み合わさっているためこの名がある。

10 郴 州の名。湖南省に属し、永興・宜章等五県からなる。漢初の113年、桂陽郡が設置された。建武年間には郡治が郴県に置かれた。その後735年(開元23年)、州制を施行した唐により郴州が設置されると、清末までこの名称が使用されていくことになった、

11 三之二 衡山(南嶽;1,298m湖南省衡陽市衡山県)、南嶺の地勢は、最高峰は越城嶺の猫児山(「華南第一峰」の別名がある)で海抜は2,142メートルである。その他の主要な山峰には、萌渚嶺の馬塘頂(海抜1,787メートル)、都龐嶺の韭菜嶺(海抜2,009メートル)、瑤山(大瑤山)の石坑崆(海抜1,902メートル)などで、2000メートル前後ということになり、衡山と最も衡山に近い山は1800位であるところから、衡山は、南嶺山脈の2/3程度の高さになるということ。がある。

12 清淑之気 澄んで静かによい気。南これより南は瘴癘の地ということ。

13  うねりとぐろをまく。北回帰線の近くに位置するので綺皓的にも雨期乾期、スコールなど変化が多い。

14 扶輿 地形的な変化、扶揺と同じ。うねり登る。うずまく。

15 磅礴 満ちひろがる。

16 鬱積 ふさがりつもる。

韓愈127《 巻四19 送廖道士序》 #2 韓愈(韓退之) 805年貞元21年 38歳<1644> Ⅱ#2 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7196

韓愈詩  送廖道士序#2  

其最高而橫南北者嶺。郴之為州,在嶺之上,測其高下,得三之二焉,

中州清淑之氣,於是焉窮。氣之所窮,盛而不過,必蜿扶輿磅礴而鬱積

そのうち最も高くて南北を横に絶っている者は南()嶺山脈の越城嶺である。郴という州は、その嶺の上にある。その高さを測るに、衡山は南嶺山脈の山々との三分の二くらいに当たる。わが中国の清く静かなよい気は、この所で行きづまっている。その気のきわまる所は、盛んで外に通過しなければ、必ずうねりわだかまり、渦巻き登り、満ちせまって、ふさがり積もるものである。

韓愈127《 巻四19 送廖道士序》 #2 韓愈(韓退之)  805年貞元21 38歳<1644> Ⅱ#2 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7196

 

 

 
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韓愈詩-韓愈127

送廖道士序 #1

(すぐれた人物である廖道士が隠遁するのを送る詩の序をつくる)

五嶽於中州,衡山最遠。

中国の五岳のうちでは、衡山が最も遠いのである。

南方之山,巍然高而大者以百數,獨衡為宗。

南方の山々の、高く大きくそびえ立つものは百を以て数える程多いが、その中で、衡山はひとりその総本山となっている。

最遠而獨為宗,其神必靈。

南方の山々の、高く大きくそびえ立つものは百を以て数える程多いが、その中で、衡山はひとりその総本山となっている。

衡之南八九百裏,地益高,

衡山の南方八、九百里の所は、地は益々高く、

山益峻,水清而益駛,

山は益々峻しく、水は澄んで益々勢いよく流れている。

#2  

其最高而橫南北者嶺。

そのうち最も高くて南北を横に絶っている者は南()嶺山脈の越城嶺である。

郴之為州,在嶺之上,

郴という州は、その嶺の上にある。

測其高下,得三之二焉,

その高さを測るに、衡山は南嶺山脈の山々との三分の二くらいに当たる。

中州清淑之氣,於是焉窮。

わが中国の清く静かなよい気は、この所で行きづまっている。

氣之所窮,盛而不過,必蜿蟺扶輿磅礴而鬱積。

その気のきわまる所は、盛んで外に通過しなければ、必ずうねりわだかまり、渦巻き登り、満ちせまって、ふさがり積もるものである。

(廖道士を送る序)

五岳の中州に於ける、衡山は最も遠し。

南方の山、巍然として高くして大なる者、百を以て數ふ。濁り衡は宗爲り。

最も遠くして濁り宗爲れば、其の紳必ず靈ならん。

衡の南八九百里、地 益ます高くして山ますます峻しく、水清くしてますますし。

#2

其の最も高くして南北を横絶する者は嶺なり。郴の州爲る、嶺の上に在り。

其の高下を測るに、三の二を得たり。中州清淑の気、是に於て窮る。

気の窮る所、盛にして過ぎずんば、必ず蜿蟺扶輿 磅礴して鬱積す。

#3

衡山之神既靈,而郴之為州,又當中州清淑之氣,

蜿蟺扶輿磅礴而鬱積,其水土之所生,

神氣之所感,白金、水銀、丹砂、石英、鍾乳,橘柚之包,竹箭之美,千尋之名材,不能獨當也。

#4  意必有魁奇、忠信、材德之民生其間,而吾又未見也。

其無乃迷惑溺沒於佛老之學而不出耶?

廖師郴民,而學於衡山,

#5  氣專而容寂,多藝而善遊,豈吾所謂魁奇而迷溺者耶?

廖師善知人,若不在其身,必在其所與遊。

訪之而不吾告,何也?於其別,申以問之。

嶺南道圖00韓愈 陽山と潮州002 

 

『送廖道士序』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

#2  

其最高而橫南北者嶺。

郴之為州,在嶺之上,

測其高下,得三之二焉,

中州清淑之氣,於是焉窮。

氣之所窮,盛而不過,必蜿扶輿磅礴而鬱積

(下し文)
#2

其の最も高くして南北を横絶する者は嶺なり。

郴の州爲る、嶺の上に在り。

其の高下を測るに、三の二を得たり。

中州清淑の気、是に於て窮る。

気の窮る所、盛にして過ぎずんば、必ず蜿扶輿 磅礴して鬱積す


(現代語訳)
#2  

そのうち最も高くて南北を横に絶っている者は南()嶺山脈の越城嶺である。

郴という州は、その嶺の上にある。

その高さを測るに、衡山は南嶺山脈の山々との三分の二くらいに当たる。

わが中国の清く静かなよい気は、この所で行きづまっている。

その気のきわまる所は、盛んで外に通過しなければ、必ずうねりわだかまり、渦巻き登り、満ちせまって、ふさがり積もるものである。


(訳注) #2

韓愈127《 巻四19 送廖道士序》 1

(すぐれた人物である廖道士が隠遁するのを送る詩の序をつくる)

1 送廖道士序 805(永貞元)年、韓愈は陽山(広東省) の令から量移されて江陵(湖北省)の掾【えん】となった時、道を衡山に取った。この序はその時の作である。当時すぐれた人物が僧や道士(道教の修行者)となって隠れるのを惜しみ、廖道士を借りて、その意を述べた。

  

其最高而橫南北者嶺。

そのうち最も高くて南北を横に絶っている者は南()嶺山脈の越城嶺である。

9 横絶 横きり隔てる。南()嶺山脈により、分断されることを言う南嶺山脈(なんれいさんみゃく、ナンリン山脈、Nanling, 簡体字: 南岭、拼音: Nánlǐng)は、中華人民共和国の南部を東西に伸びる山脈。広西チワン族自治区および広東省の北部、湖南省および江西省の南部を走る中国南部最大の構造山地で、長江水系と珠江水系の分水嶺であり、華中と華南の境界をなしている。南嶺山脈の南側(嶺南、華南)は亜熱帯の気候で、稲の二期作が盛んになっている。別名は五嶺山脈(ごれいさんみゃく、五嶺)といい、西から東の順に、越城嶺(えつじょうれい)、都龐嶺(とほうれい)、萌渚嶺(ほうしょれい)、騎田嶺(きでんれい)、大庾嶺(だいゆれい)の五つの山並みが組み合わさっているためこの名がある。

 

郴之為州,在嶺之上,

郴という州は、その嶺の上にある。

10 郴 州の名。湖南省に属し、永興・宜章等五県からなる。漢初の113年、桂陽郡が設置された。建武年間には郡治が郴県に置かれた。その後735年(開元23年)、州制を施行した唐により郴州が設置されると、清末までこの名称が使用されていくことになった、

 

測其高下,得三之二焉,

その高さを測るに、衡山は南嶺山脈の山々との三分の二くらいに当たる。

11 三之二 衡山(南嶽;1,298m湖南省衡陽市衡山県)、南嶺の地勢は、最高峰は越城嶺の猫児山(「華南第一峰」の別名がある)で海抜は2,142メートルである。その他の主要な山峰には、萌渚嶺の馬塘頂(海抜1,787メートル)、都龐嶺の韭菜嶺(海抜2,009メートル)、瑤山(大瑤山)の石坑崆(海抜1,902メートル)などで、2000メートル前後ということになり、衡山と最も衡山に近い山は1800位であるところから、衡山は、南嶺山脈の2/3程度の高さになるということ。がある。

 

中州清淑之氣,於是焉窮。

わが中国の清く静かなよい気は、この所で行きづまっている。

12 清淑之気 澄んで静かによい気。南これより南は瘴癘の地ということ。

 

氣之所窮,盛而不過,必蜿扶輿磅礴而鬱積
その気のきわまる所は、盛んで外に通過しなければ、必ずうねりわだかまり、渦巻き登り、満ちせまって、ふさがり積もるものである。

13  うねりとぐろをまく。北回帰線の近くに位置するので綺皓的にも雨期乾期、スコールなど変化が多い。

14 扶輿 地形的な変化、扶揺と同じ。うねり登る。うずまく。

15 磅礴 満ちひろがる。

16 鬱積 ふさがりつもる。

 

 

韓愈127《 巻四19 送廖道士序》【字解】

(すぐれた人物である廖道士が隠遁するのを送る詩の序をつくる)

1 送廖道士序 805(永貞元)年、韓愈は陽山(広東省) の令から量移されて江陵(湖北省)の掾【えん】となった時、道を衡山に取った。この序はその時の作である。当時すぐれた人物が僧や道士(道教の修行者)となって隠れるのを惜しみ、廖道士を借りて、その意を述べた。

2 五岳 五岳(ごがく)は中国の道教の聖地である5つの山の総称。五名山とも呼ばれる。陰陽五行説に基づき、木行=東、火行=南、土行=中、金行=西、水行=北 の各方位に位置する、5つの山が聖山とされる。 東岳 泰山(山東省泰安市泰山区) 南岳 衡山(湖南省衡陽市衡山県) 中岳 嵩山(河南省鄭州市登封市) 西岳 華山(陝西省渭南市華陰市) 北岳 恒山(山西省大同市渾源県)神話によると万物の元となった盤古という神が死んだとき、その五体が五岳になったと言われている。

3 衡山 (南嶽;1,298m湖南省衡陽市衡山県)、衡山(こうざん)は、道教の五岳の一つ、南岳。中国湖南省衡山県にあり、南を司るとされる。最高峰は祝融峰の1,298m。湖南省の洞庭湖の南、湘水の下流西岸にある。

《 巻三18謁衡岳廟,遂宿嶽寺題門樓》

五嶽祭秩皆三公,四方環鎮嵩當中。火維地荒足妖怪,天假神柄專其雄。

噴雲泄霧藏半腹,雖有頂誰能窮。我來正逢秋雨節,陰氣晦昧無清風。

(衡岳廟に謁し,遂に嶽寺に宿して門樓に題す。)

五嶽の祭秩 皆 三公,四方に環り鎮して 嵩は中に當る。火維 地荒れて 妖怪に足れり,天 神柄を假して 其の雄を專らにす。

雲を噴き 霧を泄らして 半腹を藏し,頂有りと雖も 誰れか能く窮めん。我來って 正に逢う 秋雨の節,陰氣 晦昧して 清風無し。

韓愈98-#1 巻三18謁衡岳廟,遂宿嶽寺題門樓》 #1 韓愈(韓退之) 805年貞元21 38歳<1575 #1 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6859

4 巍然 高大の貌。そびえ立つ。

5 宗 総本家。中心の山。

6 其神 山の神。

7 必霊 必ずふしぎな力がある。

8 駛 速か。急。

 

韓愈127《 巻四19 送廖道士序》 #1 韓愈(韓退之) 805年貞元21年 38歳<1643> Ⅱ#1 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7191

韓愈  送廖道士序 #1

五嶽於中州,衡山最遠。

南方之山,巍然高而大者以百數,獨衡為宗。

最遠而獨為宗,其神必靈。

衡之南八九百裏,地益高,山益峻,水清而益駛,
(すぐれた人物である廖道士が隠遁するのを送る詩の序をつくる)

中国の五岳のうちでは、衡山が最も遠いのである。南方の山々の、高く大きくそびえ立つものは百を以て数える程多いが、その中で、衡山はひとりその総本山となっている。南方の山々の、高く大きくそびえ立つものは百を以て数える程多いが、その中で、衡山はひとりその総本山となっている。衡山の南方八、九百里の所は、地は益々高く、山は益々峻しく、水は澄んで益々勢いよく流れている。

韓愈127《 巻四19 送廖道士序》 #1 韓愈(韓退之)  805年貞元21 38歳<1643> Ⅱ#1 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7191

 

 
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韓愈詩-韓愈127

送廖道士序 #1

(すぐれた人物である廖道士が隠遁するのを送る詩の序をつくる)

五嶽於中州,衡山最遠。

中国の五岳のうちでは、衡山が最も遠いのである。

南方之山,巍然高而大者以百數,獨衡為宗。

南方の山々の、高く大きくそびえ立つものは百を以て数える程多いが、その中で、衡山はひとりその総本山となっている。

最遠而獨為宗,其神必靈。

南方の山々の、高く大きくそびえ立つものは百を以て数える程多いが、その中で、衡山はひとりその総本山となっている。

衡之南八九百裏,地益高,

衡山の南方八、九百里の所は、地は益々高く、

山益峻,水清而益駛,

山は益々峻しく、水は澄んで益々勢いよく流れている。

#2  其最高而橫南北者嶺。

郴之為州,在嶺之上,測其高下,得三之二焉,中州清淑之氣,於是焉窮。

氣之所窮,盛而不過,必蜿蟺扶輿磅礴而鬱積。

(廖道士を送る序)

五岳の中州に於ける、衡山は最も遠し。

南方の山、巍然として高くして大なる者、百を以て數ふ。濁り衡は宗爲り。

最も遠くして濁り宗爲れば、其の紳必ず靈ならん。

衡の南八九百里、地 益ます高くして山ますます峻しく、水清くしてますますし。

#2

其の最も高くして南北を横絶する者は嶺なり。郴の州爲る、嶺の上に在り。

其の高下を測るに、三の二を得たり。中州清淑の気、是に於て窮る。

気の窮る所、盛にして過ぎずんば、必ず蜿蟺扶輿 磅礴して鬱積す。

#3

衡山之神既靈,而郴之為州,又當中州清淑之氣,

蜿蟺扶輿磅礴而鬱積,其水土之所生,

神氣之所感,白金、水銀、丹砂、石英、鍾乳,橘柚之包,竹箭之美,千尋之名材,不能獨當也。

#4  意必有魁奇、忠信、材德之民生其間,而吾又未見也。

其無乃迷惑溺沒於佛老之學而不出耶?

廖師郴民,而學於衡山,

#5  氣專而容寂,多藝而善遊,豈吾所謂魁奇而迷溺者耶?

廖師善知人,若不在其身,必在其所與遊。

訪之而不吾告,何也?於其別,申以問之。

 

 

『送廖道士序』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

送廖道士序 #1

五嶽於中州,衡山最遠。

南方之山,巍然高而大者以百數,獨衡為宗。

最遠而獨為宗,其神必靈。

衡之南八九百裏,地益高,山益峻,水清而益駛,

(下し文)
(廖道士を送る序)#1

五岳の中州に於ける、衡山は最も遠し。

南方の山、巍然として高くして大なる者、百を以て數ふ。濁り衡は宗爲り。

最も遠くして濁り宗爲れば、其の紳必ず靈ならん。

衡の南八九百里、地 益ます高くして山ますます峻しく、水清くしてますます駛し。


(現代語訳)
送廖道士序 #1(すぐれた人物である廖道士が隠遁するのを送る詩の序をつくる)

中国の五岳のうちでは、衡山が最も遠いのである。

南方の山々の、高く大きくそびえ立つものは百を以て数える程多いが、その中で、衡山はひとりその総本山となっている。

南方の山々の、高く大きくそびえ立つものは百を以て数える程多いが、その中で、衡山はひとりその総本山となっている。

衡山の南方八、九百里の所は、地は益々高く、

山は益々峻しく、水は澄んで益々勢いよく流れている。

 

 (訳注)

韓愈127《 巻四19 送廖道士序》 1

(すぐれた人物である廖道士が隠遁するのを送る詩の序をつくる)

1 送廖道士序 805(永貞元)年、韓愈は陽山(広東省) の令から量移されて江陵(湖北省)の掾【えん】となった時、道を衡山に取った。この序はその時の作である。当時すぐれた人物が僧や道士(道教の修行者)となって隠れるのを惜しみ、廖道士を借りて、その意を述べた。

 

五嶽於中州,衡山最遠。

中国の五岳のうちでは、衡山が最も遠いのである。

2 五岳 五岳(ごがく)は中国の道教の聖地である5つの山の総称。五名山とも呼ばれる。陰陽五行説に基づき、木行=東、火行=南、土行=中、金行=西、水行=北 の各方位に位置する、5つの山が聖山とされる。 東岳 泰山(山東省泰安市泰山区) 南岳 衡山(湖南省衡陽市衡山県) 中岳 嵩山(河南省鄭州市登封市) 西岳 華山(陝西省渭南市華陰市) 北岳 恒山(山西省大同市渾源県)神話によると万物の元となった盤古という神が死んだとき、その五体が五岳になったと言われている。

3 衡山 (南嶽;1,298m湖南省衡陽市衡山県)、衡山(こうざん)は、道教の五岳の一つ、南岳。中国湖南省衡山県にあり、南を司るとされる。最高峰は祝融峰の1,298m。湖南省の洞庭湖の南、湘水の下流西岸にある。

《 巻三18謁衡岳廟,遂宿嶽寺題門樓》

五嶽祭秩皆三公,四方環鎮嵩當中。火維地荒足妖怪,天假神柄專其雄。

噴雲泄霧藏半腹,雖有頂誰能窮。我來正逢秋雨節,陰氣晦昧無清風。

(衡岳廟に謁し,遂に嶽寺に宿して門樓に題す。)

五嶽の祭秩 皆 三公,四方に環り鎮して 嵩は中に當る。火維 地荒れて 妖怪に足れり,天 神柄を假して 其の雄を專らにす。

雲を噴き 霧を泄らして 半腹を藏し,頂有りと雖も 誰れか能く窮めん。我來って 正に逢う 秋雨の節,陰氣 晦昧して 清風無し。

韓愈98-#1 巻三18謁衡岳廟,遂宿嶽寺題門樓》 #1 韓愈(韓退之) 805年貞元21 38歳<1575 #1 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6859

 

南方之山,巍然高而大者以百數,獨衡為宗。

南方の山々の、高く大きくそびえ立つものは百を以て数える程多いが、その中で、衡山はひとりその総本山となっている。

4 巍然 高大の貌。そびえ立つ。

5 宗 総本家。中心の山。

 

最遠而獨為宗,其神必靈。

最も遠くて独り本山であるから、その山の神は威霊がある。

6 其神 山の神。

7 必霊 必ずふしぎな力がある。

 

衡之南八九百裏,地益高,

衡山の南方八、九百里の所は、地は益々高く、

 

山益峻,水清而益駛,

山は益々峻しく、水は澄んで益々勢いよく流れている。

8 駛 速か。急。

韓愈126《 巻四21 荊潭唱和詩序》 #6 韓愈(韓退之) 805年貞元21年 38歳<1642> Ⅱ#6 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7186

韓愈詩  荊潭唱和詩序#6 

宜乎施之樂章,紀諸冊書。”從事曰:“子之言是也。”

告于公,書以爲《荊譚酬唱詩序》。

これを楽章にあわせて歌い、また書冊に記しとどめるのは、もっともなことであるよ、と。

従事はいう、君の言葉は正しい、と。

そこでこれを裴公に告げて、《荊潭酬唱、唱和の詩の序》としたのである。

韓愈126 巻四21 荊潭唱和詩序》 6 韓愈(韓退之)  805年貞元21 38歳<1642 Ⅱ#6 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7186


 
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  ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場  
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韓愈126《 巻四21 荊潭唱和詩序》 #6 韓愈(韓退之) 805年貞元21年 38歳<1642> Ⅱ#6 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7186  
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 韓愈詩-韓愈126

荊潭唱和詩序 #1

(江陵府法曹参軍にある時長官の作った詩に唱和するものがあったので、長官の詩に序文を作ったもの)

從事有示愈以《荊譚酬唱詩》者,

観察便の従事の中に、私に荊潭唱和の詩を示すものがあった。

愈既受以卒業,因仰而言曰:

私はそれを受け取って、その詩篇を読みおえ、そのために首を上げて言った、

“夫和平之音淡薄,而愁思之聲要妙;

一体やわらいで平らな心を述べた言葉の調子はあっさりとして薄いものであるが、悲しい思いを歌った詩の調子は趣深くすぐれている。

#2 歡愉之辭難工,而窮苦之言易好也。

歓言愉色、美辞麗句を詠んだ辞句は、巧みになり難く、結局は行きづまって困った境地での言葉は好まれることだけのものになりやすいのである。

是故文章之作,恒發于草野;

このゆえに、文章の立派な作品は、常に旅客者となって他をあるき、草深い平民百姓の憂愁や困苦の境遇から滲み出るものである。

至若王公貴人,氣滿志得,

王公貴人らのような人となると、はじめから、元気は満ち、志は得られて、歓言愉色、美辞麗句を詠む境遇であるから、生まれつき詩を上手に作ることをしているのである。

非性能好之,則不暇以爲。

そうはいっても、詩を作る能力というのは、好きでなければ、作る暇がないがないから能力を開発、伸長させることができないのである。

 

#3 

今仆射裴公,開鎮蠻荊,統郡惟九;

今の僕射巽公は鎮守府を南蛮荊楚の地に開き、郡を統括することは九つである。

常侍楊公,領湖之南,壤地二千裏。

また常侍楊公は、洞庭湖の南を領地とし、土地の広さは方二千里である。

德刑之政並勤,爵祿之報兩崇。
恩徳刑罰の施政は両者を並び行って人民を勧めはげまし、爵位封祿の報酬は両方共に崇いのであった。

#4 

乃能存志乎《詩》、《書》,寓辭乎詠歌,

このように貴い身分でありながら、その志を『詩経』や『書経』 の文学に置いて、文辞を詠歌の詩篇に寄せることができる。

往複循環,有唱斯和,

互いに詩篇を往復し、順繰りにやりとりして、片方が先に詩を作りとなえることがあれは、他方はこれに詩を以て答えられるのであった。

搜奇抉怪,雕文字,

そしてすぐれてめずらしい辞句を捜し、あやしく不思議な表現をえぐり出して来て、文字を飾りちりばめ、

與韋布裏憔悴專壹之士較其毫厘分寸,

官位もなくて民間にあり、貧窮にやつれた専門の詩人と、その僅かの差を競う。

#5 

鏗鏘發金石,幽眇感鬼神,

その詩句の表現は清く美しい音声が、鐘や磬などの楽器から発するようであり、その思想は奥深くはるかに限りなく、霊魂や神々をも感動させるようである。

信所謂材全而能鉅者也。

そそして、の作者は まことに世にいう所の、才性が完全で能力の大きなものなのである。

兩府之從事與部屬之吏屬而和之,

荊南節度府と湖南観察府の両府の従事は、その部下の官吏と相集って両公の詩に答えて詩を作った。

苟在編者,鹹可觀也。
かりそめにもこの一編中に載せられている詩は、どの詩もみな観るに十分の価値があるものである。

#6 

宜乎施之樂章,紀諸冊書。”

これを楽章にあわせて歌い、また書冊に記しとどめるのは、もっともなことであるよ、と。

從事曰:“子之言是也。”

従事はいう、君の言葉は正しい、と。

告于公,書以爲《荊譚酬唱詩序》。

そこでこれを裴公に告げて、《荊潭酬唱、唱和の詩の序》としたのである。

 

(荊潭 唱和の詩 序)

従事に愈に示すに荊潭酬和の詩を以てする者有り。愈既に受けて業を卒ふ。困って仰いで言って日く、夫れ和平の書は淡薄にして、愁思の聾は更妙なり。

#2 歡愉の辞は工なり難くして、窮苦の言は好くし易きなり。是の故に文章の作は、恒に旅草野に發す。王公貴人の、気満ち志得るが若きに至っては、性能くして之を好むに非ずんば、則ち以て為すに暇あらず。

#3 

今の仆射裴公,鎮を蠻荊に開き,郡を統ぶる惟れ九;

常侍 楊公,湖の南を領し,壤地 二千裏。

德刑の政 並びに勤め,爵祿の報 兩つながら崇し。

#4 

乃ち能く志を《詩》、《書》に存し,辭を詠歌に寓し,

往複 循環して,唱有れば 斯に和す。

奇を搜り 怪を抉【めぐ】りて,文字をす。

韋布 裏 憔悴 專壹の士と其の毫厘分寸を較す。

#5

鏗鏘【こうしょう】金石を發し,幽眇にして鬼神を感ぜしむ,

信に所謂【いわゆる】材 全うして 能鉅なる者なり。

兩府の從事 部屬の吏と屬して之に和す,

苟くも編に在る者,鹹【みな】觀る可きなり。

#6 

宜なるかな 之を樂章に施し,諸【これ】を冊書に紀すこと。”と。

從事 曰く:“子の言是なり。”と。

公に告ぐ,書して以て《荊譚酬唱の詩の序》と爲す。

 

唐時代 韓愈関連05 

『荊潭唱和詩序』現代語訳と訳註解説
(
本文)

#6 

宜乎施之樂章,紀諸冊書。”

從事曰:“子之言是也。”

告于公,書以爲《荊譚酬唱詩序》。

(下し文)
#6 

宜【うべ】なるかな 之を樂章に施し,諸【これ】を冊書に紀すこと。”と。

從事 曰く:“子の言是なり。”と。

公に告ぐ,書して以て《荊譚酬唱の詩の序》と爲す。

(現代語訳)
#6 

これを楽章にあわせて歌い、また書冊に記しとどめるのは、もっともなことであるよ、と。

従事はいう、君の言葉は正しい、と。

そこでこれを裴公に告げて、《荊潭酬唱、唱和の詩の序》としたのである。

douteikoshoko297
(訳注) #6

《荊潭唱和詩序》

(江陵府法曹参軍にある時長官の作った詩に唱和するものがあったので、長官の詩に序文を作ったもの)

1 荊潭 荊は楚国、潭はふち。湖南を荊潭といった。その地で、裴均が詩を作り、楊憑がこれに答え和した次第を述べ、裴均の実篤で才幹のあることをいう序である。均は、字を君斉といい、803年、貞元十九年五月に、荊南節度使となり、憑は802年十八年九月に湖南観察使となった。韓愈は805年永貞元年に均を輔佐して江陵(湖北)の法曹となった。法曹は裁判をつかさどる。

2 唱和とは甲が先に詩を作り、乙以下がこれに答えて作るのをいう。

 

宜乎施之樂章,紀諸冊書。

これを楽章にあわせて歌い、また書冊に記しとどめるのは、もっともなことであるよ、と。

施之樂章 漢の武帝が設置した音楽を司る役所を「楽府]といい、官署が設置されたことで「四言詩」から『五言詩』型が現われ、曲をつけ楽章を作らせたので、天下四方の民間歌謡や知識人の詩を収集・整理し、[楽府]はこうした背景の下で、新しい詩型の『五言詩』ができたのである、後に[楽府]の楽曲を『楽府』と指すようになるが、もともと詩は庶民の間から自然に生まれた民謡がその起源とされ、民間の歌謡や宮廷の祭祀の時の歌から発展したものであった。楽器の伴奏に合わせて歌うのが詩の本来の姿であったが、次第に歌われなくなり、詩と音楽とが分離し、朗読したり吟詠するものに変わっていった。此処では前漢「武帝」に習って[新楽府運動]を展開されていたころで、江陵においての文学的な権威づけのような形をとって、その詩の趣、曲に合わせて編纂されるということを言うのである。

冊書 書策、書籍、書篇のこと。

 

從事曰:“子之言是也。”

従事はいう、君の言葉は正しい、と。

3.従事 荊南節度使の従事の中に の意味。

 

告于公,書以爲《荊譚酬唱詩序》。

そこでこれを裴公に告げて、荊潭酬唱、唱和の詩の序としたのである。

 

 

 

 

 

《荊潭唱和詩序》【字解】

 

1.    荊潭 荊は楚国、潭はふち。湖南を荊潭といった。その地で、裴均が詩を作り、楊憑がこれに答え和した次第を述べ、裴均の実篤で才幹のあることをいう序である。均は、字を君斉といい、803年、貞元十九年五月に、荊南節度使となり、憑は802年十八年九月に湖南観察使となった。韓愈は805年永貞元年に均を輔佐して江陵(湖北)の法曹となった。法曹は裁判をつかさどる。

2.    唱和とは甲が先に詩を作り、乙以下がこれに答えて作るのをいう。

3.    従事 荊南節度使の従事の中に の意味。

4.    酬和 むくいこたえる。詩を以て応答する。和は答。

5.    卒業 業は文書を記した木板。詩篇のこと。一に「集」に作る。詩篇を読み卒【ぉ】える。

6.    音・声 詩語の調子をいう。

7.    歡愉 歓言愉色をいう。処世術。お世辞を言い、いい顔をすること。六朝文学などを言う。

8.    工:精妙。

9.    旅:作客他

10.  草野:平民百姓。

11.  能 才能がある。

12.  不暇以爲:沒有時間寫作文章。

13. 裴僕射相公 裴度。

《奉和裴相公東征,途經女几山下作》韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <836>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3164韓愈詩-208

《贈別元十八協律,六首之二〔元十八集虛,見《白樂天集》。桂林伯,桂管觀察使裴行立也。〕》韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <918>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3574韓愈詩-233

《賀張十八祕書得裴司空馬【酬張祕書因騎馬贈詩】》韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <977> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3869韓愈詩-270 

402 《和裴僕射相公假山十一韻》韓愈(韓退之)ID Index-12-504 Ⅱ韓昌黎集<1086  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4414韓愈詩-402

403 《和裴僕射相公假山十一韻》韓愈(韓退之)ID Index-12-504 Ⅱ韓昌黎集<1087  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4419韓愈詩-403

412 《奉和僕射裴相公感恩言志韓愈(韓退之)ID Index-12-504 Ⅱ韓昌黎集822年長慶二年<1099  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4479韓愈詩-412

413 《和僕射相公朝迴見寄》韓愈(韓退之)ID Index-12-504 Ⅱ韓昌黎集822年長慶二年<1100  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4484韓愈詩-413

14. 蠻荊 荊蠻に同じ。春秋時代から,長江の中流域の原住民への蔑称。南の野蛮人。湖北・湖南の地をいう。《文選.王粲.七哀詩二首之一》「復棄中國去,遠身適荊蠻。」(復た中國を棄てて去り,遠身をざけて荊蠻に適く。)

15. 湖 洞庭湖。

韓愈101-#2 巻三21 洞庭湖阻風贈張十一署【案:時自陽山徙掾江陵。】》 #2 韓愈(韓退之) 805年貞元21年 38歳<1588 Ⅱ#2 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6924

恩徳刑罰の施政は両者を並び行って人民を勧めはげまし、爵位封祿の報酬は両方共に崇いのであった。

16. 德刑 飴と鞭の施政を言う。韓愈は突然に刑罰を受け、天子の即位による特赦を受けた804年貞元20年~805年貞元21年にかけての経緯について、次のブログで詳しく述べる。

805年  88-#1 (改訂)巻一26 赴江陵途中寄贈王二十補闕、李十一拾遺李二十六員外翰林三學士 韓愈(韓退之) 805年貞元21 38歳<1515 #1 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6559

17 詩 詩経は、中国最古の詩篇である。古くは単に「詩」と呼ばれ、また周代に作られたため「周詩」とも呼ばれる。儒教の基本経典・五経あるいは十三経の一。漢詩の祖型。古くから経典化されたが、内容・形式ともに文学作品と見なしうる。もともと舞踊や楽曲を伴う歌謡であったと言われる。

18 書 書経または尚書は、政治史・政教を記した中国最古の歴史書。堯舜から夏・殷・周の帝王の言行録を整理した演説集である。また一部、春秋時代の諸侯のものもあり、秦の穆公のものまで扱われている。甲骨文・金文と関連性が見られ、その原型は周初の史官の記録にあると考えられている。

19 抉 摘出する。えぐる、さくる (掘りうがつ) と読む。

20 雕文字 雕文刻鏤のこと。器などに細工をして飾ること。転じて、文章の細部を工夫し飾ること。▽「雕文」は模様を彫刻すること。「刻鏤」は彫りつけること。「刻」は木に彫りつける、「鏤」は金属に彫りつける意。「雕」は「彫」とも書く。

21 韋布 布衣韋帯、麻布の衣を着た平民、無官の人。韋はなめしがわ、庶民のする帯。

22 裏 村里の門。転じて、朝廷に対して、無官の民間の人を言う。

23 憔悴 病気や心痛のために,やせおとろえること。やつれること。憂苦のために顔色は焦げ黒くやつれている。

24 專壹 一云一技を専ら修めている者。専門の詩人。

25 較 比べ争う。競う。

26 毫厘分寸 極めて僅かの距離。僅かの差。

27 鏗鏘 金属の音。楽器の清くかん高い音。

28 金石 楽器、錘と磐(冊)など。

29 鬼神 天地万物の霊魂。死者の霊魂と天地の神霊。

30 材全而能 材は才、才は欠けた所がなく完全で、能力は巨大である。は巨に同じ。

31 両府 荊南節度府と湖南観察府。

32 鹹 咸、いずれも,皆。

韓愈126《 巻四21 荊潭唱和詩序》 #5 韓愈(韓退之) 805年貞元21年 38歳<1641> Ⅱ#5 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7181

韓愈  荊潭唱和詩序#5 

鏗鏘發金石,幽眇感鬼神,信所謂材全而能鉅者也。

兩府之從事與部屬之吏屬而和之,苟在編者,鹹可觀也。
その詩句の表現は清く美しい音声が、鐘や磬などの楽器から発するようであり、その思想は奥深くはるかに限りなく、霊魂や神々をも感動させるようである。そそして、の作者は まことに世にいう所の、才性が完全で能力の大きなものなのである。荊南節度府と湖南観察府の両府の従事は、その部下の官吏と相集って両公の詩に答えて詩を作った。かりそめにもこの一編中に載せられている詩は、どの詩もみな観るに十分の価値があるものである。

韓愈126 巻四21 荊潭唱和詩序》 5 韓愈(韓退之)  805年貞元21 38歳<1641 Ⅱ#5 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7181


 
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 韓愈詩-韓愈126

荊潭唱和詩序 #1

(江陵府法曹参軍にある時長官の作った詩に唱和するものがあったので、長官の詩に序文を作ったもの)

從事有示愈以《荊譚酬唱詩》者,

観察便の従事の中に、私に荊潭唱和の詩を示すものがあった。

愈既受以卒業,因仰而言曰:

私はそれを受け取って、その詩篇を読みおえ、そのために首を上げて言った、

“夫和平之音淡薄,而愁思之聲要妙;

一体やわらいで平らな心を述べた言葉の調子はあっさりとして薄いものであるが、悲しい思いを歌った詩の調子は趣深くすぐれている。

#2 歡愉之辭難工,而窮苦之言易好也。

歓言愉色、美辞麗句を詠んだ辞句は、巧みになり難く、結局は行きづまって困った境地での言葉は好まれることだけのものになりやすいのである。

是故文章之作,恒發于草野;

このゆえに、文章の立派な作品は、常に旅客者となって他をあるき、草深い平民百姓の憂愁や困苦の境遇から滲み出るものである。

至若王公貴人,氣滿志得,

王公貴人らのような人となると、はじめから、元気は満ち、志は得られて、歓言愉色、美辞麗句を詠む境遇であるから、生まれつき詩を上手に作ることをしているのである。

非性能好之,則不暇以爲。

そうはいっても、詩を作る能力というのは、好きでなければ、作る暇がないがないから能力を開発、伸長させることができないのである。

 

#3 

今仆射裴公,開鎮蠻荊,統郡惟九;

今の僕射巽公は鎮守府を南蛮荊楚の地に開き、郡を統括することは九つである。

常侍楊公,領湖之南,壤地二千裏。

また常侍楊公は、洞庭湖の南を領地とし、土地の広さは方二千里である。

德刑之政並勤,爵祿之報兩崇。
恩徳刑罰の施政は両者を並び行って人民を勧めはげまし、爵位封祿の報酬は両方共に崇いのであった。

#4 

乃能存志乎《詩》、《書》,寓辭乎詠歌,

このように貴い身分でありながら、その志を『詩経』や『書経』 の文学に置いて、文辞を詠歌の詩篇に寄せることができる。

往複循環,有唱斯和,

互いに詩篇を往復し、順繰りにやりとりして、片方が先に詩を作りとなえることがあれは、他方はこれに詩を以て答えられるのであった。

搜奇抉怪,雕文字,

そしてすぐれてめずらしい辞句を捜し、あやしく不思議な表現をえぐり出して来て、文字を飾りちりばめ、

與韋布裏憔悴專壹之士較其毫厘分寸,

官位もなくて民間にあり、貧窮にやつれた専門の詩人と、その僅かの差を競う。

#5 

鏗鏘發金石,幽眇感鬼神,

その詩句の表現は清く美しい音声が、鐘や磬などの楽器から発するようであり、その思想は奥深くはるかに限りなく、霊魂や神々をも感動させるようである。

信所謂材全而能鉅者也。

そそして、の作者は まことに世にいう所の、才性が完全で能力の大きなものなのである。

兩府之從事與部屬之吏屬而和之,

荊南節度府と湖南観察府の両府の従事は、その部下の官吏と相集って両公の詩に答えて詩を作った。

苟在編者,鹹可觀也。
かりそめにもこの一編中に載せられている詩は、どの詩もみな観るに十分の価値があるものである。

#6 宜乎施之樂章,紀諸冊書。”

從事曰:“子之言是也。”告于公,書以爲《荊譚酬唱詩序》。

 

(荊潭 唱和の詩 序)

従事に愈に示すに荊潭酬和の詩を以てする者有り。愈既に受けて業を卒ふ。困って仰いで言って日く、夫れ和平の書は淡薄にして、愁思の聾は更妙なり。

#2 歡愉の辞は工なり難くして、窮苦の言は好くし易きなり。是の故に文章の作は、恒に旅草野に發す。王公貴人の、気満ち志得るが若きに至っては、性能くして之を好むに非ずんば、則ち以て為すに暇あらず。

#3 

今の仆射裴公,鎮を蠻荊に開き,郡を統ぶる惟れ九;

常侍 楊公,湖の南を領し,壤地 二千裏。

德刑の政 並びに勤め,爵祿の報 兩つながら崇し。

#4 

乃ち能く志を《詩》、《書》に存し,辭を詠歌に寓し,

往複 循環して,唱有れば 斯に和す。

奇を搜り 怪を抉【めぐ】りて,文字をす。

韋布 裏 憔悴 專壹の士と其の毫厘分寸を較す。

#5

鏗鏘【こうしょう】金石を發し,幽眇にして鬼神を感ぜしむ,

信に所謂【いわゆる】材 全うして 能鉅なる者なり。

兩府の從事 部屬の吏と屬して之に和す,

苟くも編に在る者,鹹【みな】觀る可きなり。

 

 

『荊潭唱和詩序』  現代語訳と訳註解説
(
本文)

#5 

鏗鏘發金石,幽眇感鬼神,

信所謂材全而能鉅者也。

兩府之從事與部屬之吏屬而和之,

苟在編者,鹹可觀也。

(下し文)
#5 

鏗鏘【こうしょう】金石を發し,幽眇にして鬼神を感ぜしむ,

信に所謂【いわゆる】材 全うして 能鉅なる者なり。

兩府の從事 部屬の吏と屬して之に和す,

苟くも編に在る者,鹹【みな】觀る可きなり。

(現代語訳)
#5 

その詩句の表現は清く美しい音声が、鐘や磬などの楽器から発するようであり、その思想は奥深くはるかに限りなく、霊魂や神々をも感動させるようである。

そそして、の作者は まことに世にいう所の、才性が完全で能力の大きなものなのである。

荊南節度府と湖南観察府の両府の従事は、その部下の官吏と相集って両公の詩に答えて詩を作った。

かりそめにもこの一編中に載せられている詩は、どの詩もみな観るに十分の価値があるものである。


(訳注) #5 

《荊潭唱和詩序》

(江陵府法曹参軍にある時長官の作った詩に唱和するものがあったので、長官の詩に序文を作ったもの)

1 荊潭 荊は楚国、潭はふち。湖南を荊潭といった。その地で、裴均が詩を作り、楊憑がこれに答え和した次第を述べ、裴均の実篤で才幹のあることをいう序である。均は、字を君斉といい、803年、貞元十九年五月に、荊南節度使となり、憑は802年十八年九月に湖南観察使となった。韓愈は805年永貞元年に均を輔佐して江陵(湖北)の法曹となった。法曹は裁判をつかさどる。

2 唱和とは甲が先に詩を作り、乙以下がこれに答えて作るのをいう。

 

鏗鏘發金石,幽眇感鬼神,

その詩句の表現は清く美しい音声が、鐘や磬などの楽器から発するようであり、その思想は奥深くはるかに限りなく、霊魂や神々をも感動させるようである。

27 鏗鏘 金属の音。楽器の清くかん高い音。

28 金石 楽器、錘と磐(冊)など。

29 鬼神 天地万物の霊魂。死者の霊魂と天地の神霊。

 

信所謂材全而能者也。

そそして、の作者は まことに世にいう所の、才性が完全で能力の大きなものなのである。

30 材全而能 材は才、才は欠けた所がなく完全で、能力は巨大である。は巨に同じ。

 

兩府之從事與部屬之吏屬而和之,

荊南節度府と湖南観察府の両府の従事は、その部下の官吏と相集って両公の詩に答えて詩を作った。

31 両府 荊南節度府と湖南観察府。

 

苟在編者,鹹可觀也。

かりそめにもこの一編中に載せられている詩は、どの詩もみな観るに十分の価値があるものである。

32 鹹 咸、いずれも,皆。

 

 

《荊潭唱和詩序》【字解】

 

1.    荊潭 荊は楚国、潭はふち。湖南を荊潭といった。その地で、裴均が詩を作り、楊憑がこれに答え和した次第を述べ、裴均の実篤で才幹のあることをいう序である。均は、字を君斉といい、803年、貞元十九年五月に、荊南節度使となり、憑は802年十八年九月に湖南観察使となった。韓愈は805年永貞元年に均を輔佐して江陵(湖北)の法曹となった。法曹は裁判をつかさどる。

2.    唱和とは甲が先に詩を作り、乙以下がこれに答えて作るのをいう。

3.    従事 荊南節度使の従事の中に の意味。

4.    酬和 むくいこたえる。詩を以て応答する。和は答。

5.    卒業 業は文書を記した木板。詩篇のこと。一に「集」に作る。詩篇を読み卒【ぉ】える。

6.    音・声 詩語の調子をいう。

7.    歡愉 歓言愉色をいう。処世術。お世辞を言い、いい顔をすること。六朝文学などを言う。

8.    工:精妙。

9.    旅:作客他

10.  草野:平民百姓。

11.  能 才能がある。

12.  不暇以爲:沒有時間寫作文章。

13. 裴僕射相公 裴度。

《奉和裴相公東征,途經女几山下作》韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <836>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3164韓愈詩-208

《贈別元十八協律,六首之二〔元十八集虛,見《白樂天集》。桂林伯,桂管觀察使裴行立也。〕》韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <918>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3574韓愈詩-233

《賀張十八祕書得裴司空馬【酬張祕書因騎馬贈詩】》韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <977> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3869韓愈詩-270 

402 《和裴僕射相公假山十一韻》韓愈(韓退之)ID Index-12-504 Ⅱ韓昌黎集<1086  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4414韓愈詩-402

403 《和裴僕射相公假山十一韻》韓愈(韓退之)ID Index-12-504 Ⅱ韓昌黎集<1087  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4419韓愈詩-403

412 《奉和僕射裴相公感恩言志韓愈(韓退之)ID Index-12-504 Ⅱ韓昌黎集822年長慶二年<1099  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4479韓愈詩-412

413 《和僕射相公朝迴見寄》韓愈(韓退之)ID Index-12-504 Ⅱ韓昌黎集822年長慶二年<1100  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4484韓愈詩-413

14. 蠻荊 荊蠻に同じ。春秋時代から,長江の中流域の原住民への蔑称。南の野蛮人。湖北・湖南の地をいう。《文選.王粲.七哀詩二首之一》「復棄中國去,遠身適荊蠻。」(復た中國を棄てて去り,遠身をざけて荊蠻に適く。)

15. 湖 洞庭湖。

韓愈101-#2 巻三21 洞庭湖阻風贈張十一署【案:時自陽山徙掾江陵。】》 #2 韓愈(韓退之) 805年貞元21年 38歳<1588 Ⅱ#2 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6924

恩徳刑罰の施政は両者を並び行って人民を勧めはげまし、爵位封祿の報酬は両方共に崇いのであった。

16. 德刑 飴と鞭の施政を言う。韓愈は突然に刑罰を受け、天子の即位による特赦を受けた804年貞元20年~805年貞元21年にかけての経緯について、次のブログで詳しく述べる。

805年  88-#1 (改訂)巻一26 赴江陵途中寄贈王二十補闕、李十一拾遺李二十六員外翰林三學士 韓愈(韓退之) 805年貞元21 38歳<1515 #1 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6559

17 詩 詩経は、中国最古の詩篇である。古くは単に「詩」と呼ばれ、また周代に作られたため「周詩」とも呼ばれる。儒教の基本経典・五経あるいは十三経の一。漢詩の祖型。古くから経典化されたが、内容・形式ともに文学作品と見なしうる。もともと舞踊や楽曲を伴う歌謡であったと言われる。

18 書 書経または尚書は、政治史・政教を記した中国最古の歴史書。堯舜から夏・殷・周の帝王の言行録を整理した演説集である。また一部、春秋時代の諸侯のものもあり、秦の穆公のものまで扱われている。甲骨文・金文と関連性が見られ、その原型は周初の史官の記録にあると考えられている。

19 抉 摘出する。えぐる、さくる (掘りうがつ) と読む。

20 雕文字 雕文刻鏤のこと。器などに細工をして飾ること。転じて、文章の細部を工夫し飾ること。▽「雕文」は模様を彫刻すること。「刻鏤」は彫りつけること。「刻」は木に彫りつける、「鏤」は金属に彫りつける意。「雕」は「彫」とも書く。

21 韋布 布衣韋帯、麻布の衣を着た平民、無官の人。韋はなめしがわ、庶民のする帯。

22 裏 村里の門。転じて、朝廷に対して、無官の民間の人を言う。

23 憔悴 病気や心痛のために,やせおとろえること。やつれること。憂苦のために顔色は焦げ黒くやつれている。

24 專壹 一云一技を専ら修めている者。専門の詩人。

25 較 比べ争う。競う。

26 毫厘分寸 極めて僅かの距離。僅かの差。

韓愈126《 巻四21 荊潭唱和詩序》 #4 韓愈(韓退之) 805年貞元21年 38歳<1640> Ⅱ#4 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7176

韓愈  荊潭唱和詩序 #4 

乃能存志乎《詩》、《書》,寓辭乎詠歌,往複循環,有唱斯和,搜奇抉怪,雕文字,與韋布裏憔悴專壹之士較其毫厘分寸,

このように貴い身分でありながら、その志を『詩経』や『書経』 の文学に置いて、文辞を詠歌の詩篇に寄せることができる。互いに詩篇を往復し、順繰りにやりとりして、片方が先に詩を作りとなえることがあれは、他方はこれに詩を以て答えられるのであった。そしてすぐれてめずらしい辞句を捜し、あやしく不思議な表現をえぐり出して来て、文字を飾りちりばめ、官位もなくて民間にあり、貧窮にやつれた専門の詩人と、その僅かの差を競う。

韓愈126 巻四21 荊潭唱和詩序》 4 韓愈(韓退之)  805年貞元21 38歳<1640 Ⅱ#4 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7176

 

 
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韓愈詩-韓愈126

荊潭唱和詩序 #1

(江陵府法曹参軍にある時長官の作った詩に唱和するものがあったので、長官の詩に序文を作ったもの)

從事有示愈以《荊譚酬唱詩》者,

観察便の従事の中に、私に荊潭唱和の詩を示すものがあった。

愈既受以卒業,因仰而言曰:

私はそれを受け取って、その詩篇を読みおえ、そのために首を上げて言った、

“夫和平之音淡薄,而愁思之聲要妙;

一体やわらいで平らな心を述べた言葉の調子はあっさりとして薄いものであるが、悲しい思いを歌った詩の調子は趣深くすぐれている。

#2 歡愉之辭難工,而窮苦之言易好也。

歓言愉色、美辞麗句を詠んだ辞句は、巧みになり難く、結局は行きづまって困った境地での言葉は好まれることだけのものになりやすいのである。

是故文章之作,恒發于草野;

このゆえに、文章の立派な作品は、常に旅客者となって他をあるき、草深い平民百姓の憂愁や困苦の境遇から滲み出るものである。

至若王公貴人,氣滿志得,

王公貴人らのような人となると、はじめから、元気は満ち、志は得られて、歓言愉色、美辞麗句を詠む境遇であるから、生まれつき詩を上手に作ることをしているのである。

非性能好之,則不暇以爲。

そうはいっても、詩を作る能力というのは、好きでなければ、作る暇がないがないから能力を開発、伸長させることができないのである。

 

#3 

今仆射裴公,開鎮蠻荊,統郡惟九;

今の僕射巽公は鎮守府を南蛮荊楚の地に開き、郡を統括することは九つである。

常侍楊公,領湖之南,壤地二千裏。

また常侍楊公は、洞庭湖の南を領地とし、土地の広さは方二千里である。

德刑之政並勤,爵祿之報兩崇。
恩徳刑罰の施政は両者を並び行って人民を勧めはげまし、爵位封祿の報酬は両方共に崇いのであった。

#4 

乃能存志乎《詩》、《書》,寓辭乎詠歌,

このように貴い身分でありながら、その志を『詩経』や『書経』 の文学に置いて、文辞を詠歌の詩篇に寄せることができる。

往複循環,有唱斯和,

互いに詩篇を往復し、順繰りにやりとりして、片方が先に詩を作りとなえることがあれは、他方はこれに詩を以て答えられるのであった。

搜奇抉怪,雕文字,

そしてすぐれてめずらしい辞句を捜し、あやしく不思議な表現をえぐり出して来て、文字を飾りちりばめ、

與韋布裏憔悴專壹之士較其毫厘分寸,

官位もなくて民間にあり、貧窮にやつれた専門の詩人と、その僅かの差を競う。

#5 铿锵發金石,幽眇感鬼神,信所謂材全而能者也。兩府之從事與部屬之吏屬而和之,苟在編者,鹹可觀也。

#6 宜乎施之樂章,紀諸冊書。”

從事曰:“子之言是也。”告于公,書以爲《荊譚酬唱詩序》。

 

(荊潭 唱和の詩 序)

従事に愈に示すに荊潭酬和の詩を以てする者有り。愈既に受けて業を卒ふ。困って仰いで言って日く、夫れ和平の書は淡薄にして、愁思の聾は更妙なり。

#2 歡愉の辞は工なり難くして、窮苦の言は好くし易きなり。是の故に文章の作は、恒に旅草野に發す。王公貴人の、気満ち志得るが若きに至っては、性能くして之を好むに非ずんば、則ち以て為すに暇あらず。

#3 

今の仆射裴公,鎮を蠻荊に開き,郡を統ぶる惟れ九;

常侍 楊公,湖の南を領し,壤地 二千裏。

德刑の政 並びに勤め,爵祿の報 兩つながら崇し。

#4 

乃ち能く志を《詩》、《書》に存し,辭を詠歌に寓し,

往複 循環して,唱有れば 斯に和す。

奇を搜り 怪を抉【めぐ】りて,文字をす。

韋布 裏 憔悴 專壹の士と其の毫厘分寸を較す。

 

 

『荊潭唱和詩序』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

#4 

乃能存志乎《詩》、《書》,寓辭乎詠歌,

往複循環,有唱斯和,

搜奇抉怪,雕文字,

與韋布裏憔悴專壹之士較其毫厘分寸

(下し文)
#4 

乃ち能く志を《詩》、《書》に存し,辭を詠歌に寓し,

往複 循環して,唱有れば 斯に和す。

奇を搜り 怪を抉【めぐ】りて,文字を雕鏤す。

韋布 裏 憔悴 專壹の士と其の毫厘分寸を較す

(現代語訳)
#4 

このように貴い身分でありながら、その志を『詩経』や『書経』 の文学に置いて、文辞を詠歌の詩篇に寄せることができる。

互いに詩篇を往復し、順繰りにやりとりして、片方が先に詩を作りとなえることがあれは、他方はこれに詩を以て答えられるのであった。

そしてすぐれてめずらしい辞句を捜し、あやしく不思議な表現をえぐり出して来て、文字を飾りちりばめ、

官位もなくて民間にあり、貧窮にやつれた専門の詩人と、その僅かの差を競う。


(訳注) #4 

《荊潭唱和詩序》

(江陵府法曹参軍にある時長官の作った詩に唱和するものがあったので、長官の詩に序文を作ったもの)

1 荊潭 荊は楚国、潭はふち。湖南を荊潭といった。その地で、裴均が詩を作り、楊憑がこれに答え和した次第を述べ、裴均の実篤で才幹のあることをいう序である。均は、字を君斉といい、803年、貞元十九年五月に、荊南節度使となり、憑は802年十八年九月に湖南観察使となった。韓愈は805年永貞元年に均を輔佐して江陵(湖北)の法曹となった。法曹は裁判をつかさどる。

2 唱和とは甲が先に詩を作り、乙以下がこれに答えて作るのをいう。

 

乃能存志乎《詩》、《書》,寓辭乎詠歌,

このように貴い身分でありながら、その志を『詩経』や『書経』 の文学に置いて、文辞を詠歌の詩篇に寄せることができる。

17 詩 詩経は、中国最古の詩篇である。古くは単に「詩」と呼ばれ、また周代に作られたため「周詩」とも呼ばれる。儒教の基本経典・五経あるいは十三経の一。漢詩の祖型。古くから経典化されたが、内容・形式ともに文学作品と見なしうる。もともと舞踊や楽曲を伴う歌謡であったと言われる。

18 書 書経または尚書は、政治史・政教を記した中国最古の歴史書。堯舜から夏・殷・周の帝王の言行録を整理した演説集である。また一部、春秋時代の諸侯のものもあり、秦の穆公のものまで扱われている。甲骨文・金文と関連性が見られ、その原型は周初の史官の記録にあると考えられている。

 

往複循環,有唱斯和,

互いに詩篇を往復し、順繰りにやりとりして、片方が先に詩を作りとなえることがあれは、他方はこれに詩を以て答えられるのであった。

 

搜奇抉怪,雕文字,

そしてすぐれてめずらしい辞句を捜し、あやしく不思議な表現をえぐり出して来て、文字を飾りちりばめ、

19  摘出する。えぐる、さくる (掘りうがつ) と読む。

20 雕文字 雕文刻鏤のこと。器などに細工をして飾ること。転じて、文章の細部を工夫し飾ること。▽「雕文」は模様を彫刻すること。「刻鏤」は彫りつけること。「刻」は木に彫りつける、「鏤」は金属に彫りつける意。「雕」は「彫」とも書く。

 

與韋布裏憔悴專壹之士較其毫厘分寸,

官位もなくて民間にあり、貧窮にやつれた専門の詩人と、その僅かの差を競う。

21 韋布 帯、麻布の衣を着た平民、無官の人。韋はなめしがわ、庶民のする帯。

22  村里の門。転じて、朝廷に対して、無官の民間の人を言う。

23 憔悴 病気や心痛のために,やせおとろえること。やつれること。憂苦のために顔色は焦げ黒くやつれている。

24 專壹 一云一技を専ら修めている者。専門の詩人。

25  比べ争う。競う。

26 毫厘分寸 極めて僅かの距離。僅かの差。

 

 

 

 

《荊潭唱和詩序》【字解】

 

1.    荊潭 荊は楚国、潭はふち。湖南を荊潭といった。その地で、裴均が詩を作り、楊憑がこれに答え和した次第を述べ、裴均の実篤で才幹のあることをいう序である。均は、字を君斉といい、803年、貞元十九年五月に、荊南節度使となり、憑は802年十八年九月に湖南観察使となった。韓愈は805年永貞元年に均を輔佐して江陵(湖北)の法曹となった。法曹は裁判をつかさどる。

2.    唱和とは甲が先に詩を作り、乙以下がこれに答えて作るのをいう。

3.    従事 荊南節度使の従事の中に の意味。

4.    酬和 むくいこたえる。詩を以て応答する。和は答。

5.    卒業 業は文書を記した木板。詩篇のこと。一に「集」に作る。詩篇を読み卒【ぉ】える。

6.    音・声 詩語の調子をいう。

7.    歡愉 歓言愉色をいう。処世術。お世辞を言い、いい顔をすること。六朝文学などを言う。

8.    工:精妙。

9.    旅:作客他

10.  草野:平民百姓。

11.  能 才能がある。

12.  不暇以爲:沒有時間寫作文章。

13. 裴僕射相公 裴度。

《奉和裴相公東征,途經女几山下作》韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <836>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3164韓愈詩-208

《贈別元十八協律,六首之二〔元十八集虛,見《白樂天集》。桂林伯,桂管觀察使裴行立也。〕》韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <918>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3574韓愈詩-233

《賀張十八祕書得裴司空馬【酬張祕書因騎馬贈詩】》韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <977> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3869韓愈詩-270 

402 《和裴僕射相公假山十一韻》韓愈(韓退之)ID Index-12-504 Ⅱ韓昌黎集<1086  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4414韓愈詩-402

403 《和裴僕射相公假山十一韻》韓愈(韓退之)ID Index-12-504 Ⅱ韓昌黎集<1087  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4419韓愈詩-403

412 《奉和僕射裴相公感恩言志韓愈(韓退之)ID Index-12-504 Ⅱ韓昌黎集822年長慶二年<1099  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4479韓愈詩-412

413 《和僕射相公朝迴見寄》韓愈(韓退之)ID Index-12-504 Ⅱ韓昌黎集822年長慶二年<1100  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4484韓愈詩-413

14. 蠻荊 荊蠻に同じ。春秋時代から,長江の中流域の原住民への蔑称。南の野蛮人。湖北・湖南の地をいう。《文選.王粲.七哀詩二首之一》「復棄中國去,遠身適荊蠻。」(復た中國を棄てて去り,遠身をざけて荊蠻に適く。)

15. 湖 洞庭湖。

韓愈101-#2 巻三21 洞庭湖阻風贈張十一署【案:時自陽山徙掾江陵。】》 #2 韓愈(韓退之) 805年貞元21年 38歳<1588 Ⅱ#2 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6924

恩徳刑罰の施政は両者を並び行って人民を勧めはげまし、爵位封祿の報酬は両方共に崇いのであった。

16. 德刑 飴と鞭の施政を言う。韓愈は突然に刑罰を受け、天子の即位による特赦を受けた804年貞元20年~805年貞元21年にかけての経緯について、次のブログで詳しく述べる。

805年  88-#1 (改訂)巻一26 赴江陵途中寄贈王二十補闕、李十一拾遺李二十六員外翰林三學士 韓愈(韓退之) 805年貞元21 38歳<1515 #1 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6559

韓愈126《 巻四21 荊潭唱和詩序》 #3 韓愈(韓退之) 805年貞元21年 38歳<1639> Ⅱ#3 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7171

韓愈詩 荊潭唱和詩序#3 

今仆射裴公,開鎮蠻荊,統郡惟九;

常侍楊公,領湖之南,壤地二千裏。

德刑之政並勤,爵祿之報兩崇。
今の僕射巽公は鎮守府を南蛮荊楚の地に開き、郡を統括することは九つである。

また常侍楊公は、洞庭湖の南を領地とし、土地の広さは方二千里である。

恩徳刑罰の施政は両者を並び行って人民を勧めはげまし、爵位封祿の報酬は両方共に崇いのであった。

韓愈126 巻四21 荊潭唱和詩序》 3 韓愈(韓退之)  805年貞元21 38歳<1639 Ⅱ#3 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7171

 

 
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韓愈126《 巻四21 荊潭唱和詩序》 #3 韓愈(韓退之) 805年貞元21年 38歳<1639> Ⅱ#3 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7171  
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韓愈詩-韓愈126

荊潭唱和詩序 #1

(江陵府法曹参軍にある時長官の作った詩に唱和するものがあったので、長官の詩に序文を作ったもの)

從事有示愈以《荊譚酬唱詩》者,

観察便の従事の中に、私に荊潭唱和の詩を示すものがあった。

愈既受以卒業,因仰而言曰:

私はそれを受け取って、その詩篇を読みおえ、そのために首を上げて言った、

“夫和平之音淡薄,而愁思之聲要妙;

一体やわらいで平らな心を述べた言葉の調子はあっさりとして薄いものであるが、悲しい思いを歌った詩の調子は趣深くすぐれている。

#2 歡愉之辭難工,而窮苦之言易好也。

歓言愉色、美辞麗句を詠んだ辞句は、巧みになり難く、結局は行きづまって困った境地での言葉は好まれることだけのものになりやすいのである。

是故文章之作,恒發于草野;

このゆえに、文章の立派な作品は、常に旅客者となって他をあるき、草深い平民百姓の憂愁や困苦の境遇から滲み出るものである。

至若王公貴人,氣滿志得,

王公貴人らのような人となると、はじめから、元気は満ち、志は得られて、歓言愉色、美辞麗句を詠む境遇であるから、生まれつき詩を上手に作ることをしているのである。

非性能好之,則不暇以爲。

そうはいっても、詩を作る能力というのは、好きでなければ、作る暇がないがないから能力を開発、伸長させることができないのである。

 

#3 

今仆射裴公,開鎮蠻荊,統郡惟九;

今の僕射巽公は鎮守府を南蛮荊楚の地に開き、郡を統括することは九つである。

常侍楊公,領湖之南,壤地二千裏。

また常侍楊公は、洞庭湖の南を領地とし、土地の広さは方二千里である。

德刑之政並勤,爵祿之報兩崇。
恩徳刑罰の施政は両者を並び行って人民を勧めはげまし、爵位封祿の報酬は両方共に崇いのであった。

#4 乃能存志乎《詩》、《書》,寓辭乎詠歌,往複循環,有唱斯和,搜奇抉怪,雕文字,與韋布裏憔悴專壹之士較其毫厘分寸,

#5 铿锵發金石,幽眇感鬼神,信所謂材全而能者也。兩府之從事與部屬之吏屬而和之,苟在編者,鹹可觀也。

#6 宜乎施之樂章,紀諸冊書。”

從事曰:“子之言是也。”告于公,書以爲《荊譚酬唱詩序》。

 

(荊潭 唱和の詩 序)

従事に愈に示すに荊潭酬和の詩を以てする者有り。愈既に受けて業を卒ふ。困って仰いで言って日く、夫れ和平の書は淡薄にして、愁思の聾は更妙なり。

#2 歡愉の辞は工なり難くして、窮苦の言は好くし易きなり。是の故に文章の作は、恒に旅草野に發す。王公貴人の、気満ち志得るが若きに至っては、性能くして之を好むに非ずんば、則ち以て為すに暇あらず。

#3 

今の仆射裴公,鎮を蠻荊に開き,郡を統ぶる惟れ九;

常侍 楊公,湖の南を領し,壤地 二千裏。

德刑の政 並びに勤め,爵祿の報 兩つながら崇し。

 

douteikoshoko297 

『荊潭唱和詩序』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

#3 

今仆射裴公,開鎮蠻荊,統郡惟九;

常侍楊公,領湖之南,壤地二千裏。

德刑之政並勤,爵祿之報兩崇。

(下し文)
#3 

今の仆射裴公,鎮を蠻荊に開き,郡を統ぶる惟れ九;

常侍 楊公,湖の南を領し,壤地 二千裏。

德刑の政 並びに勤め,爵祿の報 兩つながら崇し。

(現代語訳)
#3 

今の僕射巽公は鎮守府を南蛮荊楚の地に開き、郡を統括することは九つである。

また常侍楊公は、洞庭湖の南を領地とし、土地の広さは方二千里である。

恩徳刑罰の施政は両者を並び行って人民を勧めはげまし、爵位封祿の報酬は両方共に崇いのであった。


(訳注)#3 

《荊潭唱和詩序》

(江陵府法曹参軍にある時長官の作った詩に唱和するものがあったので、長官の詩に序文を作ったもの)

1 荊潭 荊は楚国、潭はふち。湖南を荊潭といった。その地で、裴均が詩を作り、楊憑がこれに答え和した次第を述べ、裴均の実篤で才幹のあることをいう序である。均は、字を君斉といい、803年、貞元十九年五月に、荊南節度使となり、憑は802年十八年九月に湖南観察使となった。韓愈は805年永貞元年に均を輔佐して江陵(湖北)の法曹となった。法曹は裁判をつかさどる。

2 唱和とは甲が先に詩を作り、乙以下がこれに答えて作るのをいう。

 

今仆射裴公,開鎮蠻荊,統郡惟九;

今の僕射巽公は鎮守府を南蛮荊楚の地に開き、郡を統括することは九つである。

13. 裴僕射相公 裴度。

《奉和裴相公東征,途經女几山下作》韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <836>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3164韓愈詩-208

《贈別元十八協律,六首之二〔元十八集虛,見《白樂天集》。桂林伯,桂管觀察使裴行立也。〕》韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <918>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3574韓愈詩-233

《賀張十八祕書得裴司空馬【酬張祕書因騎馬贈詩】》韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩