漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩 中唐詩人選集【Ⅰ李商隠-150】Ⅱ韓退之(韓愈)-500Ⅶ孟郊(東野)賈島張籍柳宗元韋応物

Ⅰ李商隠は難解詩といわれている。約150首紹介済。(晩唐詩人) Ⅱ韓退之(韓愈)-約500首Ⅶ孟郊、中唐の詩人を掲載中。万物の性(さが)をテーマにした哲学的な詩。このブログは基本的に中唐詩人を中心にして掲載する予定。 韓愈詩文のこれまでの掲載分とこれから掲載予定分を時系列で整理した2014.3.29のブログに集約してそこから各年次を見ることができる  kanbuniinkai 検索で、《漢文委員会HP05》サイトあります。漢詩唐詩を理解するための総合サイト:≪漢文委員会 漢詩07≫。

字解集

少し、マニアックな晩唐詩人Ⅰ-李商隠150首をまず掲載済み。中唐は盛唐詩人(孟浩然・王維、杜甫、李白)を受け継いだ多様な詩人が出ている。この時代も驚くほど詩が発展している。Ⅱ韓退之(韓愈)500首、Ⅲ柳宗元40首、Ⅳ韋応物、Ⅴ劉長卿、Ⅵ韋荘、Ⅶ孟郊(孟東野)、Ⅷ張籍、Ⅸ賈島、Ⅹ劉禹錫、ほか2012~2020年の予定で気長に進める。同じ中唐ではあるが、白居易のグループについては、李白のブログ350首(2015/6月再開~2018/夏・秋月予定)の後掲載の予定。別に杜甫詩ブログ1500首(2011/7月~2018/8月の予定で)を進行中。詩数につぃては、予定の詩数より多くなる。気まぐれなところがあるのでこの予定が少し変わる場合があり、その節はご容赦ください。                 古詩・謝霊運詩 杜甫詩 韓愈詩 花間集500首全詩 それぞれ毎日ブログしています。 このブログ、索引=語句の「検索」 参考書以上掲載。漢詩力up。

807年 元和二年40歳 8-1【字解集(1)】 答馮宿書Ⅱ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之Blog10556

807 元和二年40 8-1【字解集(1)】 答馮宿書

  

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807 元和二年40 8-1【字解集(1)】 答馮宿書Ⅱ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之Blog10556

 

 

 

 

韓昌黎文集  《巻十七 06

 

 

 807 元和二年40歳【字解集(1)】8-1  答馮宿書

答馮宿書  (韓愈全集校注  〔三〕一七一一)

(全唐文/0552

      (昌黎先生-17-06

      (韓昌黎文集校注 巻三17P191

 

答馮宿書    作者:韓愈 唐   

§―1

垂示仆所闕,非情之至,仆安得聞此言?朋友道闕久,無有相箴規磨切之道,仆何幸乃得吾子!仆常閔時俗人有耳不自聞其過,懍懍然惟恐己之不自聞也。而今而後,有望於吾子矣。然足下與仆交久,仆之所守,足下之所熟知。在京城時,囂囂之徒,相訾百倍,足下時與仆居,朝夕同出入起居,亦見仆有不善乎?然仆退而思之,雖無以獲罪於人,亦有以獲罪於人者。仆在京城一年,不一至貴人之門,人之所趨,仆之所傲。

§―2

與己合者則從之遊,不合者雖造吾廬,未與之坐,此豈徒足致謗而已,不戮於人則幸也。追思之,可為戰栗寒心。故至此已來,克己自下,雖不肖人至,敢以貌慢之,況時所尚者耶?以此自謂庶幾無時患,不知猶復云云也。聞流言不信其行,嗚呼,不復有斯人也!君子不為小人之恟恟而易其行,仆何能爾?委曲從順,向風承意,汲汲然恐不得合,猶且不免云云。命也,可如何!然子路聞其過則喜,禹聞昌言則下車拜,古人有言曰:「告我以吾過者,吾之師也。」願足下不憚煩,苟有所聞,必以相告。吾亦有以報子,不敢虛也,不敢忘也。愈再拜。

(馮宿に答うる書)

§-1-1

僕が闕けたる所を垂示せらる。

情の至れるに非ずんば、僕、安んぞ此の言か聞くことを得ん。

朋友の道缺絶すること久し。

相箴 規磨 切するの道 有ること無し。

僕、何の幸いあってか 乃ち吾子を得たる。

§-1-2

僕 常に時俗の人の耳有れども 自ら其の過ちを聞かざることを閔れむ。

懍懍然として 惟だ己れが自ら聞かざらんことを恐る。

而今よりして後に、吾子に望むこと有り。

§1-3

然れども足下、僕と交わること久し。

僕が守る所は、足下の熟まく知れる所なり。

京城に在りし時に、囂囂たる徒、相訾【そし】ること百倍せり。

足下、時に僕と居る。朝夕に出入起居を同ず。

亦僕が不善有ることを見るや。

§1-4

然も 僕 退いて思えう。

以て罪を人に獲ること無しと雖も、亦た以て罪を人に獲る者有り。

僕、京城に在ること一年、一たびも貴人の門に至らず。

人の趨る所は、僕が傲する所なり。

 

§―2-1

己れと合える者には、則ち之れに従って遊ぶ。

合わざる者は、吾が廬に造ると雖も、未だ嘗って之れと坐せず。

此れ豈 徒らに謗りを致すに足れるのみならんや。

人に戮せられざること、則ち幸いなり。

追うて思えば、為に戦懐 寒心しつべし。

2-2

故に此こに至ってより己来【いらい】、己れを剋して自ら下る。

不肖の人至ると雖も、未だ嘗つて敢えて貌を以て之れを慢らず。

況んや時に尚ぶ所の者をや。?

2-3

此れを以て自ら謂えらく、時の患い無きに庶幾せんと。

知らず、猶復た云云たることを。

流言を聞いて、其の行ないを信ぜざること、鳴呼、復た斯の人有らざるなり。

君子は小人の恟恟たるが為に其の行ないを易えず。

僕、何ぞ能く爾らん。?

2-4

委曲に従順して、風に向うて意を承げる。

汲汲として合うことを得ざらんことを恐る。

猶且つ云云たることを免れざるは命なり!

2-5

如何かすべき。

然も子路は其の過ちを聞くときは、則ち喜ぶ。

禹は昌言を聞くときは、則ち車より下りて拝す。

古の人、言えること有り、日わく、

「我れに告ぐるに吾が過ちを以てする者は、吾が師なり。」と。

2-6

願わくは足下、煩わしきことを慣らざれ。

苟も 聞く所有らば、必ず以て相い告げよ。

吾れも亦以て子に報ずること有らん。

敢えて虚しからじ。

敢えて忘れじ。

 

 

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807-7【字解集】釋言(2)  Ⅱ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之Blog10505

 

 

【字解集】釋言

 

 

 

 

 

 

韓昌黎文集校注 巻二 68 (原文 巻十三022

 

 

釋言

作者:韓愈 唐                 

・全唐文/0559-02

・韓愈全集校注〔三〕1701 

・韓昌黎文集校注 巻二 68 (原文 巻十三02

 

§1

元和元年六月十日,愈自江陵法曹詔拜國子博土,始進見今相國鄭公。公賜之坐,且曰:「吾見子某詩,吾時在翰林。

職親而地禁,不敢相聞。今為我寫子詩書為一通以來。」愈再拜謝,退錄詩書若干篇,擇日時以獻。

§2

於後之數月,有來謂愈者曰:「子獻相國詩書乎?」曰:「然。」曰:「有為讒於相國之座者曰:韓愈曰:相國征餘文,餘不敢匿,相國豈知我哉!’子其慎之!」

§3

愈應之曰:「愈為御史,得罪德宗朝,同遷於南者凡三人,獨愈為先收用,相國之賜大矣;百官之進見相國者,或立語以退,而愈辱賜坐語,相國之禮過矣;四海九州之人,自百官以下,欲以其業徹相國左右者多矣,皆憚而莫之敢,獨愈辱先索,相國之知至矣。賜之大,禮之過,知之至,是三者於敵以下受之,宜以何報?況在天子之宰乎!

§4

人莫不自知,凡適於用之謂才,堪其事之謂力,愈於二者,雖日勉焉而不近。束帶執笏,立士大夫之行,不見斥以不肖,幸矣,其何敢敖於言乎?夫敖雖凶德,必有恃而敢行。愈之族親鮮少,無扳聯之勢於今;不善交人,無相先相死之友於朝;無宿資蓄貨以釣聲勢;弱於才而腐於力,不能奔走乘機抵巇以要權利。夫何恃而敖?若夫狂惑喪心之人,蹈河而入火,妄言而罵詈者,則有之矣,而愈人知其無是疾也。雖有讒者百人,相國將不信之矣,愈何懼而慎歟?」

§5

既累月,又有來謂愈曰:「有讒子於翰林舍人李公與裴公者,子其慎歟!」愈曰:「二公者,吾君朝夕訪焉,以為政於天下,而階太平之治。居則與天子為心膂,出則與天子為股肱。四海九州之人,自百官以下,其孰不願忠而望賜?愈也不狂不愚,不蹈河而入火,病風而妄罵,不當有如讒者之也。雖有讒者百人,二公將不信之矣。愈何懼而慎?」

§6

既以語應客,夜歸,私自尤曰:咄!市有虎,而曾參殺人,讒者之效也。《詩》曰:「取彼讒人,投畀豺虎。豺虎不食,投畀有北。有北不受,投畀有昊。」傷於讒,疾而甚之之辭也。又曰:「亂之初生,僭始既涵。亂之又生,君子信讒。」始疑而終信之之謂也。孔子曰:「遠佞人。」夫佞人不能遠,則有時而信之矣。今我恃直而不戒,禍其至哉!

§7

徐又自解之曰:市有虎,聽者庸也;曾參殺人,以愛惑聰也;《巷伯》之傷,亂世是逢也。今三賢方與天子謀所以施政於天下。而階太平之治,聽聰而視明,公正而敦大。夫聰明則聽視不惑,公正則不邇讒邪,敦大則有以容而思。彼讒人者,孰敢進而為讒哉?雖進而為之,亦莫之聽矣!我何懼而慎?

§8

既累月,上命李公相,客謂愈曰:「子前被言於一相,今李公又相,子其危哉!」愈曰:「前之謗我於宰相者,翰林不知也;後之謗我於翰林者,宰相不知也。今二公合處而會,言若及愈,必曰:‘韓愈亦人耳,彼敖宰相,又敖翰林,其將何求?必不然!’吾乃今知免矣。」既而讒言果不行。

 

 

 

 

 

 

韓昌黎文集校注 巻二 68 (原文 巻十三02 

《釋言》(辯明)【字解集】

 

 

 

 

 

 

§5-1

既累月,又有來謂愈曰:

やがて数か月がたち、又もやわたしのところへやって来てこういうものがあった。

35. 累月 幾月もして。月を累【かさ】ねる。

 

「有讒子於翰林舍人李公與裴公者,子其慎歟!」

「きみを翰林学士李書甫閣下と中書舎人装増閣下とに讒言したものがいるぞ。きみ、気をつけたがいい。」

36. 翰林舍人李公與裴公者 翰林院学士の李吉甫と中書舎人の裴洎をいう。

 

愈曰:「二公者,吾君朝夕訪焉,

わたしはいう、

「お二人は、わが君の朝の参列から夕べの相談と、ひごろ顧問としておられる。

 

以為政於天下,而階太平之治。

それでもって、天下の政治をされ、そして、“太平の治”状態へすすめようとしている方々である。

37. 階太平之治 太平の治を段階的に致す。階は導く。

 

§5-2

居則與天子為心膂,出則與天子為股肱。

朝廷におれば、天子のために心臓、内臓となり、朝廷、宮殿を出て、地方へ出むいて、天子のために手足となる。

38. 心膂 親信の人をいう。『書経』君牙篇「今爾に命じて予が翼たらしめ、股肱心膂と作(な)す」とある。心膂は心腹と同じ。膂は背骨。身内となる。

39. 為股肱 ももとひじ、足や手となる。主人のために思い通りに働くという意。

 

四海九州之人,自百官以下,

天下じゅうの人は、官僚たちより以下のすべてのものが天子の事を思っている。

 

其孰不願忠而望賜?

だれもが真心をつくしたく願い、御恩をこうむりたいと思っている。

 

§5 -3

愈也不狂不愚,不蹈河而入火,

私は狂気でもなく愚人でもないし、黄河に蹈み入り、火に飛び込んだりはしない。

 

病風而妄罵,不當有如讒者之也。

また狂疾をわずらい、むやみに人を罵ることをしない。讒言をする人のいうようなことはあるはずはないのである。

40病風 風は痕に通じ、狂疾である。

 

雖有讒者百人,二公將不信之矣。

讒言をする者が百人いたとしても、二公はまたこれを信じないであろう。

 

愈何懼而慎?」

私は何を懼れて用心などしようか、と。

 

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807年-7【字解集】釋言(1)  Ⅱ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之Blog10479

807-7【字解集】釋言(1

 

 

807-7【字解集】釋言(1)  Ⅱ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之Blog10479

 

 

【字解集】釋言

 

 

 

 

 

 

韓昌黎文集校注 巻二 68 (原文 巻十三022

 

 

釋言

作者:韓愈 唐                 

・全唐文/0559-02

・韓愈全集校注〔三〕1701 

・韓昌黎文集校注 巻二 68 (原文 巻十三02

 

§1

元和元年六月十日,愈自江陵法曹詔拜國子博土,始進見今相國鄭公。公賜之坐,且曰:「吾見子某詩,吾時在翰林。

職親而地禁,不敢相聞。今為我寫子詩書為一通以來。」愈再拜謝,退錄詩書若干篇,擇日時以獻。

§2

於後之數月,有來謂愈者曰:「子獻相國詩書乎?」曰:「然。」曰:「有為讒於相國之座者曰:韓愈曰:相國征餘文,餘不敢匿,相國豈知我哉!’子其慎之!」

§3

愈應之曰:「愈為御史,得罪德宗朝,同遷於南者凡三人,獨愈為先收用,相國之賜大矣;百官之進見相國者,或立語以退,而愈辱賜坐語,相國之禮過矣;四海九州之人,自百官以下,欲以其業徹相國左右者多矣,皆憚而莫之敢,獨愈辱先索,相國之知至矣。賜之大,禮之過,知之至,是三者於敵以下受之,宜以何報?況在天子之宰乎!

§4

人莫不自知,凡適於用之謂才,堪其事之謂力,愈於二者,雖日勉焉而不近。束帶執笏,立士大夫之行,不見斥以不肖,幸矣,其何敢敖於言乎?夫敖雖凶德,必有恃而敢行。愈之族親鮮少,無扳聯之勢於今;不善交人,無相先相死之友於朝;無宿資蓄貨以釣聲勢;弱於才而腐於力,不能奔走乘機抵巇以要權利。夫何恃而敖?若夫狂惑喪心之人,蹈河而入火,妄言而罵詈者,則有之矣,而愈人知其無是疾也。雖有讒者百人,相國將不信之矣,愈何懼而慎歟?」

§5

既累月,又有來謂愈曰:「有讒子於翰林舍人李公與裴公者,子其慎歟!」愈曰:「二公者,吾君朝夕訪焉,以為政於天下,而階太平之治。居則與天子為心膂,出則與天子為股肱。四海九州之人,自百官以下,其孰不願忠而望賜?愈也不狂不愚,不蹈河而入火,病風而妄罵,不當有如讒者之也。雖有讒者百人,二公將不信之矣。愈何懼而慎?」

§6

既以語應客,夜歸,私自尤曰:咄!市有虎,而曾參殺人,讒者之效也。《詩》曰:「取彼讒人,投畀豺虎。豺虎不食,投畀有北。有北不受,投畀有昊。」傷於讒,疾而甚之之辭也。又曰:「亂之初生,僭始既涵。亂之又生,君子信讒。」始疑而終信之之謂也。孔子曰:「遠佞人。」夫佞人不能遠,則有時而信之矣。今我恃直而不戒,禍其至哉!

§7

徐又自解之曰:市有虎,聽者庸也;曾參殺人,以愛惑聰也;《巷伯》之傷,亂世是逢也。今三賢方與天子謀所以施政於天下。而階太平之治,聽聰而視明,公正而敦大。夫聰明則聽視不惑,公正則不邇讒邪,敦大則有以容而思。彼讒人者,孰敢進而為讒哉?雖進而為之,亦莫之聽矣!我何懼而慎?

§8

既累月,上命李公相,客謂愈曰:「子前被言於一相,今李公又相,子其危哉!」愈曰:「前之謗我於宰相者,翰林不知也;後之謗我於翰林者,宰相不知也。今二公合處而會,言若及愈,必曰:‘韓愈亦人耳,彼敖宰相,又敖翰林,其將何求?必不然!’吾乃今知免矣。」既而讒言果不行。

 

 

 

 

 

 

韓昌黎文集校注 巻二 68 (原文 巻十三02 

《釋言》(辯明)【字解集】

 

 

 

 

 

《釋言》(辯明)§1-1

1. (韓愈は文名が高かくなっていった、一方で、嫉妬、中傷、讒言を受けそうなので、元和二年の春、宰相の鄭絪、翰林學士の李吉甫、中書舍人の裴に対して、弁明の書をつくったものである

2. 【題意】此れ元和二年の春、宰相の鄭絪、翰林學士の李吉甫、中書舍人の裴作るなり。國語に云う驪使奄楚以環釋言註云以言解釋也。退之作釋言取此

沈氏の注に、「『国語』に、礪姫(㍊ (晋の献公の夫人)奄楚(誓)をして環(誓)を以て釈言せしむと、注に、言を以て自ら解釈するなり、とあり。此れ二字の本づく所」という。献公の二十二年に礪姫が翼公子を逐って、その子葵斉(霊)を太子に立てた。公子夷吾は梁に逃れ、梁は秦に近くて、秦の授けを得やすかった。そこで礪姫は恐れて泰に奄楚をやって、玉環を贈り物として、釈言(言いわけ)をした。その後四年、夷吾は秦の助けで、献公のあとに君となった。釈言の出典はこれであるというのである。釈は説明の義である。

韓愈は文名が高かったので、中傷を受けた。そこで諌言を心配してこの文を作って言いわけをしたのである。

 

元和元年六月十日,愈自江陵法曹詔拜國子博土,

元和元年(806)六月十日、わたしは江陵の法曹参軍から勅命によって国子博士に任ぜられた。

 

始進見今相國鄭公。

はじめて現在の宰相鄭綱閣下にお目通りした。

3. 相国 官名、もと泰の宰相。丞相より尊い。丞も相もたすけるの義。国政を助ける意。

4. 鄭公 宰相鄭絪のこと。鄭絪752年-829年),字は文明,滎陽の人。父は鄭羨で,池州の刺史である。鄭絪は唐玄宗の天寶十一年に生れる,少くして學を好み,屬文を善くす,進士出身,宏詞科に登じ,秘書省校書郎を授り、鄠縣尉となる。最初、西川節度使と為り張延に書記に掌せられ賞せらる,名士に結交を喜んで張參の如し、楊綰、常袞等,五代無名氏らと《玉泉子》として劉景の《商山題詩》に記載され、鄭絪の賞識を受くる。唐の德宗の時期、補闕を歷任し、居郎に起し、翰林學士、司勛員外郎、知制誥等職し,唐の憲宗の監國で,中書舍人に遷される。唐憲宗立ち,中書侍郎同平章事を拜し,集賢殿大學士に加わり,門下侍郎に轉じ、弘文館大學士,杜黃と朝政を掌じともに裳同す。元和五年(810年),因みに相位する處にして謙默して事する所無し,貶秩を被り太子賓客と為る。三月に出でて嶺南節度使と為り、廣州刺史、檢校禮部尚書となる。以て廉政を著稱す。入りて工部尚書,轉太常卿,又為同州刺史、長春宮使,改東都留守と為す。入て兵部尚書を歷て,旋て河中節度使を為す。大和二年(828年),入て御史大夫、檢校左僕射、兼太子少保と為す。唐文宗即位し後、以て太子太傅致仕す。卒すは、唐文宗太和三年十月,年七十八。司空を贈られ,諡は曰宣である。

 

公賜之坐,且曰:「吾見子某詩,吾時在翰林。

鄭細閣下は、かけなさいといって、それから、「わたしはきみのなになにの詩を読んだ。わたしはそのとき翰林院にいたのです。

5. 翰林 翰林院学士。秘書詔勅を掌る


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807年-06元和二年40歳《5.【字解集】》〔毛頴傳〕Ⅱ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之Blog10255

807-06元和二年40歳《5.【字解集】》〔毛頴傳〕

 


2018311

の紀頌之"6"つの校注Blog

口號王美人半醉

毛頴傳§5-2〔#14

昔遊-#3

孫光憲 河傳四首其二

#9 秋胡詩一首〔顏延之〕

(1) 《項羽と虞美人》

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807-06元和二年40歳《5.【字解集】》〔毛頴傳〕Ⅱ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之Blog10255

 

 

 

 

 

 

韓昌黎集 巻三十六 《毛頴傳》

 

 

 

 

 

§1-1

毛穎者,中山人也。

其先明眎,佐禹治東方土。

養萬物有功,因封於卯地,死為十二神。

嘗曰:「吾子孫神明之後,不可與物同。

當吐而生。」

已而果然。

§1-2

明視八世孫,世傳當殷時居中山,得神仙之術,能匿光使物,竊姮娥、騎蟾蜍入月。

其後代遂隱不仕云。

居東郭者曰 夋兔,

狡而善走,與韓盧爭能,盧不及。

盧怒,與宋鵲謀而殺之,醢其家。 

§2-1

秦始皇時,蒙將軍恬南伐楚,次中山。

將大獵以懼楚。

召左右庶長與軍尉,以《連山》筮之。

得天與人文之兆。

§2-2

筮者賀曰:「今日之獲,不角不牙,衣褐之徒。

缺口而長鬚,八竅而趺居。

獨取其髦,簡牘是資.天下其同書。

秦其遂兼諸侯乎!」

 

§2-3

遂獵,圍毛氏之族,拔其豪,載穎而歸,

獻俘於章臺宮,聚其族而加束縛焉。

秦皇帝使恬賜之湯沐,而封諸管城,號曰管城子。

曰見親寵任事。
 

 §3-1

穎為人,強記而便敏,自結繩之代以及秦事,無不纂錄。陰陽、卜筮、占相、醫方、族氏、山經、地志、字書、圖畫、九流、百家天人之書,及至浮圖、老子、外國之,皆所詳悉。又通於當代之務,官府簿書、巿井貸錢注記,惟上所使。自秦皇帝及太子扶蘇、胡亥、丞相斯、中車府令高,下及國人,無不愛重。又善隨人意,正直、邪曲、巧拙,一隨其人。雖見廢棄,終默不泄。惟不喜武士,然見請,亦時往。

§4-1

累拜中書令,與上益狎,上嘗呼為中書君。上親決事,以衡石自程,雖宮人不得立左右,獨穎與執燭者常侍,上休方罷。穎與絳人陳玄、弘農陶泓及會稽褚先生○8友善,相推致,其出處必偕。上召穎,三人者不待詔輒俱往,上未嘗怪焉。 

 

後因進見,上將有任使,拂拭之,因免冠○7謝。上見其髮禿,又所摹畫不能稱上意。上嘻笑曰:「中書君老而禿,不任吾用。吾嘗謂中書君,君今不中書邪?」對曰:「臣所謂盡心者。」因不復召,歸封邑,終於管城。

 

其子孫甚多,散處中國夷狄,皆冒管城,惟居中山者,能繼父祖業。 

§5-1

太史公曰:「毛氏有兩族。其一姓,文王之子,封於毛,所謂魯、衛、毛、聃者也。戰國時有毛公、毛遂。獨中山之族,不知其本所出,子孫最為蕃昌。《春秋》之成,見於孔子,而非其罪。及蒙將軍拔中山之豪,始皇封諸管城,世遂有名,而姓之毛無聞。穎始以俘見,卒見任使,秦之滅諸侯,穎與有功,賞不酬勞,以老見疏,秦真少恩哉。」

 

 

 

 

《毛頴傳》

 

 

字解集 訳注解説

 

 

漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ10255

 

 

 

毛穎傳

1. (筆を人に擬し、筆の姓を穎として伝を立てたものである。)

2. 毛穎 《「穎」は穂先の意》毛筆の異称。毛は筆の毛、当時は免の毛であったから筆の姓とした。穎は筆先の細い毛。これを名とした。

筆を人に擬して伝を立てたのである。着想から滑稽であり、叙事は更に諧謔味を帯び、韓愈の俳諧文の代表作である。特に諷諭の意を捜る必要はない。詩文を通じて、韓愈(退之)の文学には俳諧味がある。これはその一種の表現と見るべきであろう。

 

毛穎者,中山人也。

毛穎というものがいる、中山の人である。

3. 中山 江蘇省溧水県の南にある山の名。安徽・江蘇の界にあって兎の毛を多く産する。筆の良い材料である。

 

其先明眎,佐禹治東方土。

その先祖の明師は、夏の南王を佐けて、東方の土地を治めた。

4. 明眎 明視に同じ。兎の名。『礼記』曲礼に「兎を明視といふ」とあり、明視は祭祀用の免のみをいう。

5. 東方 十二支の卯を東方に当てる。卯は動物の兎とする。故に卯の地に封ぜらるという。

 

養萬物有功,因封於卯地,死為十二神。

万物を養い育てて手柄があった。それに困って卯の地に封ぜられて諸侯となった。死んで十二神の一となった。

6. 十二神 十二支のこと。各々動物をあて、卯は兔である。

 

嘗曰:「吾子孫神明之後,不可與物同。

明師は以前にいった、わが子孫は神の後裔である。他の万物と同じであってはならない。

 

當吐而生。

だから子を産むには、当然口から吐いて生まなければならない、と。

7. 吐而生 兎の音は吐、『論衡』に 「免は毫を舐めて孕み、其の子を生むに及んで口より出だす。名づけてはん嬝と日ふ。俗に呼んで酃といふ」とある。酃は兎の子の名称。これを八世の孫の名とする。口から生むというのは、生児の胞衣を舐めて清めるのを、口から生んだと見た。

 

已而果然。

やがて果たしてその通りになった。

 

 (2) §1-2

明視八世孫,世傳當殷時居中山,得神仙之術,能匿光使物,竊姮娥、騎蟾蜍入月。

明師の八世の孫は、世に伝えるところでは、殷の当時に中山に居り、神仙になる術を得て、光を匿したり、または物を使って働かせることができた。羿の妻姮娥を窃み取り、蟾蜍(ひき蛙)に騎って月に入った。

8. 竊姮娥、騎蟾蜍入月 姮娥は嫦娥。嫦娥(じょうが、こうが)は、中国神話に登場する人物。后羿の妻。古くは姮娥(こうが)と表記された。

『淮南子』覧冥訓によれば、もとは仙女だったが地上に下りた際に不死でなくなったため、夫の后羿が西王母からもらい受けた不死の薬を盗んで飲み、月に逃げ、蝦蟇になったと伝えられる。

別の話では、后羿が離れ離れになった嫦娥をより近くで見るために月に向かって供え物をしたのが、月見の由来だとも伝えている。

道教では、嫦娥を月神とみなし、「太陰星君」さらに「月宮黄華素曜元精聖後太陰元君」「月宮太陰皇君孝道明王」と呼び、中秋節に祀っている。

「姮娥」が本来の表記であったが、前漢の文帝の名が「恒」であるため、字形のよく似た「姮」を避諱して「嫦」を用いるようになった。のちに旁の「常」の影響を受けて読みも「じょうが」(に対応する中国語での発音)に変化した。韓愈自身も盧仝と同じテーマの《月蝕詩效玉川子》がある。月蝕詩效玉川子作 韓愈 韓退之(韓愈)詩<96-#1>Ⅱ中唐詩514 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ1622

李商隠《嫦娥》「雲母屏風燭影深、長河漸落暁星沈。嫦娥應悔倫塞薬、碧海青天夜夜心。」○常蛾 月の女神。「1. 道教の影響 2. 芸妓について 3. 李商隠 12 嫦娥」詩参照。仙薬を飲んでいる。

9. 蟾蜍 月に住むといわれるひきがえる。李白「古朗月行」月の満ち欠けはカエルが食べてかけていく。


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807年-06元和二年40歳《4.【字解集】》〔嘲鼾睡,二首之一・嘲鼾睡,二首之二〕Ⅱ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之Blog10135

807-06元和二年40歳《4.【字解集】》〔嘲鼾睡,二首之一・嘲鼾睡,二首之二〕

 

  

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.【字解集】》〔嘲鼾睡,二首之一・二

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#2【聯句】 光威裒姉妹三人・・・・

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●唐を代表する 中唐 韓愈 全500首 

Ⅱ韓昌黎詩集・文集校注

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韓愈 哲学・儒学「五原」

孟郊

 

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●杜甫の全作品1500首を訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"

Ⅲ 杜詩

詳注

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767年 【字解集】152.課小豎鉏斫舍北果,林枝蔓荒穢淨,訖移床,三首 155.反照 157.向夕 Ⅲ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ9645

杜甫詩(1)736~751年  53

杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73

杜甫詩(3)45歳 安史の乱に彷徨う 26

杜甫詩(4)757年、左拾遺 43

杜甫詩(5)758年47歳 左遷 53

杜甫詩(6)759年 三吏三別 44

杜甫詩(7)759年秦州詩 66

杜甫詩(8)759年同谷紀行、成都紀行36

杜甫詩(9)760年、49歳 成都 45

杜甫詩(10)761年、50歳 成都82

杜甫詩(11)762年蜀中転々43

杜甫詩(12)762年 蜀中転々 49

(13)763年蜀中転々 96

 (14)764年 三月成都へ帰る 100

 (15)765年正月幕府を辞す 63

(16-1) 766年雲安、暮春、夔州 168首 の(1)80

(16-2) 766年雲安、暮春、夔州 168首 の(1)81

 

杜甫詩 (17-1)767年夔州・西閣・赤甲・瀼西132

杜甫詩 (17-2) 767年・瀼西・東屯 133

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杜甫詩 (20)770年・洞庭湖・潭州・衡州。27

杜甫詩 (21)洩れ分(未詳分)・散文

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韓昌黎集 補遺 《嘲鼾睡二首》

 

 

 

 

 

《嘲鼾睡二首其一》 

全唐詩 卷345_12 -1

韓愈全集校注 〔一〕四二六

韓昌黎集 

嘲鼾睡二首其一 #1

澹師晝睡時,聲氣一何猥。

頑飆吹肥脂,坑穀相嵬磊。 

雄哮乍咽,每發壯益倍。

#2

有如阿鼻屍,長喚忍眾罪。 馬牛驚不食,百鬼聚相待。

木枕十字裂,鏡面生痱

#3

鐵佛聞皺眉,石人戰搖腿。孰雲天地仁,吾欲責真宰。 

幽尋虱搜耳,猛作濤翻海。

#4

太陽不忍明,飛禦皆惰怠。 乍如彭與黥,呼冤受菹醢。

又如圈中虎,號瘡兼吼餒。 

#5

雖令伶倫吹,苦韻難可改。雖令巫鹹招,魂爽難複在。 

何山有靈藥,療此願與采。 

 

345_12 -2《嘲鼾睡二首其二》 

澹公坐臥時,長睡無不穩。吾嘗聞其聲,深慮五藏損。 

黃河弄濆薄,梗澀連拙鯀。

#2

南帝初奮槌,鑿竅泄混沌。 

迥然忽長引,萬丈不可忖。謂言於斯,繼出方袞袞。 

#3

幽幽寸喉中,草木森苯mH.盜賊雖狡獪,亡魂敢窺閫。 

鴻蒙總合雜,詭譎騁戾很。

#4

乍如鬥呶呶,忽若怨懇懇。 

賦形苦不同,無路尋根本。何能堙其源,惟有土一畚。 


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807-06元和二年40歳《4.【字解集】》〔嘲鼾睡,二首之一・嘲鼾睡,二首之二〕

 

 

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韓昌黎集 補遺 《嘲鼾睡二首》

 

 

 

 

 

《嘲鼾睡二首其一》 

全唐詩 卷345_12 -1

韓愈全集校注 〔一〕四二六

韓昌黎集 

嘲鼾睡二首其一 #1

澹師晝睡時,聲氣一何猥。

頑飆吹肥脂,坑穀相嵬磊。 

雄哮乍咽,每發壯益倍。

#2

有如阿鼻屍,長喚忍眾罪。 馬牛驚不食,百鬼聚相待。

木枕十字裂,鏡面生痱

#3

鐵佛聞皺眉,石人戰搖腿。孰雲天地仁,吾欲責真宰。 

幽尋虱搜耳,猛作濤翻海。

#4

太陽不忍明,飛禦皆惰怠。 乍如彭與黥,呼冤受菹醢。

又如圈中虎,號瘡兼吼餒。 

#5

雖令伶倫吹,苦韻難可改。雖令巫鹹招,魂爽難複在。 

何山有靈藥,療此願與采。 

 

345_12 -2《嘲鼾睡二首其二》 

澹公坐臥時,長睡無不穩。吾嘗聞其聲,深慮五藏損。 

黃河弄濆薄,梗澀連拙鯀。

#2

南帝初奮槌,鑿竅泄混沌。 

迥然忽長引,萬丈不可忖。謂言於斯,繼出方袞袞。 

#3

幽幽寸喉中,草木森苯mH.盜賊雖狡獪,亡魂敢窺閫。 

鴻蒙總合雜,詭譎騁戾很。

#4

乍如鬥呶呶,忽若怨懇懇。 

賦形苦不同,無路尋根本。何能堙其源,惟有土一畚。 


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 807-05元和二年40歳《【字解集】》〔酬裴十六功曹巡府西驛塗中見寄・記夢〕

 

 

  

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越女詞五首其一

【字解集】》〔酬裴十六功曹巡府西驛塗中見寄・記夢

#2 寒雨朝行視園樹

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【字解集】雜詩三首其一~其三         

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●唐を代表する 中唐 韓愈 全500首 

Ⅱ韓昌黎詩集・文集校注

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・李商隠詩 (1) 136首の75

・李商隠詩 (2) 135首の61

韓愈1 ・孟郊・張籍と汴州乱41

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●杜甫の全作品1500首を訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"

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杜甫詩(1)736~751年  53

杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73

杜甫詩(3)45歳 安史の乱に彷徨う 26

杜甫詩(4)757年、左拾遺 43

杜甫詩(5)758年47歳 左遷 53

杜甫詩(6)759年 三吏三別 44

杜甫詩(7)759年秦州詩 66

杜甫詩(8)759年同谷紀行、成都紀行36

杜甫詩(9)760年、49歳 成都 45

杜甫詩(10)761年、50歳 成都82

杜甫詩(11)762年蜀中転々43

杜甫詩(12)762年 蜀中転々 49

(13)763年蜀中転々 96

 (14)764年 三月成都へ帰る 100

 (15)765年正月幕府を辞す 63

(16-1) 766年雲安、暮春、夔州 168首 の(1)80

(16-2) 766年雲安、暮春、夔州 168首 の(1)81

 

杜甫詩 (17-1)767年夔州・西閣・赤甲・瀼西132

杜甫詩 (17-2) 767年・瀼西・東屯 133

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807-05元和二年40歳《【字解集】》〔酬裴十六功曹巡府西驛塗中見寄・記夢〕Ⅱ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之Blog10065

 

 

 

 

 

 

《韓昌黎集・昌黎先生文集・韓愈全集校注》 

 

 

 

 

 

4.

酬裴十六功曹巡府西驛塗中見寄(韓愈全集校注 〔一〕四三〇)巻四29

339_32 《酬裴十六功曹巡府西驛途中見寄》韓愈

相公罷論道,聿至活東人。禦史坐言事,作吏府中塵。 

遂令河南治,今古無儔倫。

四海日富庶,道途隘蹄輪。 府西三百里,候館同魚鱗。

相公謂禦史,勞子去自巡。 

是時山水秋,光景何鮮新。哀鴻鳴清耳,宿霧褰高旻

遺我行旅詩,軒軒有風神。譬如黃金盤,照耀荊璞真。 

我來亦已幸,事賢友其仁。持竿洛水側,孤坐屢窮辰。 

多才自勞苦,無用只因循。辭免期匪遠,行行及山春。 

 

5.

記夢(韓愈全集校注 〔二〕九二〇)巻七-13

342_11 《記夢》韓愈 

  夜夢神官與我言,羅縷道妙角與根。挈攜陬維口瀾翻, 

  百二十刻須臾間。我聽其言未雲足,舍我先度橫山腹。 

  我徒三人共追之,一人前度安不危。我亦平行蹋ye 

  神完骨蹻不掉。側身上視溪穀盲,杖撞玉版聲彭fP. 

  神官見我開顏笑,前對一人壯非少。石壇坡陀可坐臥, 

  我手承頦肘拄座。隆樓傑閣磊嵬高,天風飄飄吹我過。 

  壯非少者哦七言,六字常語一字難。我以指撮白玉丹, 

  行且咀噍行詰盤。口前截斷第二句,綽虐顧我顏不歡。 

  乃知仙人未賢聖,護短憑愚邀我敬。我能屈曲自世間, 

  安能從汝巢神山。 

 

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807年-04元和二年40歳《【字解集】》〔三星行・剝啄行〕Ⅱ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之Blog10002

807-04元和二年40歳《【字解集】》〔三星行・剝啄行〕

 

 

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#2 古風五十九首之十二

【字解集】〔三星行・剝啄行〕

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#2 雜詩三首其一 七月七日

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Ⅰ李白詩

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楚辞・九歌》東君

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index-5 806年39歳(2)25

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詳注

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杜甫詩(5)758年47歳 左遷 53

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杜甫詩(7)759年秦州詩 66

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杜甫詩(10)761年、50歳 成都82

杜甫詩(11)762年蜀中転々43

杜甫詩(12)762年 蜀中転々 49

(13)763年蜀中転々 96

 (14)764年 三月成都へ帰る 100

 (15)765年正月幕府を辞す 63

(16-1) 766年雲安、暮春、夔州 168首 の(1)80

(16-2) 766年雲安、暮春、夔州 168首 の(1)81

 

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【字解集】〔三星行・剝啄行〕

三星行

339_7 《三星行》韓愈

我生之辰,月宿南斗。牛奮其角,箕張其口。

牛不見服箱,鬥不挹酒漿。箕獨有神靈,無時停簸揚。

無善名已聞,無惡聲已讙。名聲相乘除,得少失有餘。

三星各在天,什伍東西陳。嗟汝牛與鬥,汝獨不能神。

 

三星行
自分の生まれた日の星回りを詠ったもの。

・中国にも、オリオン座(参)とさそり座(商)が天球上でほぼ反対側に位置して同時には上らないことから、不仲や疎遠な人間関係を指して「参商の如し」という言葉がある。二十八宿を7宿ごとにまとめた四象があり、東方青龍・北方玄武・西方白虎・南方朱雀に四分された。


我生之辰,月宿南斗。
私が生まれた時の星回りについて言う。その日の月は満月で南斗の方角にあった。
月宿南斗 北斗と南斗と方位を示す。どちらも北斗七星、南斗六星と星座をいう。南斗は亀で、月は水の別称で亀に水をやる時であり、満月が南の位置であったことをいう。


牛奮其角,箕張其口。
淘汰する気の牽牛星はその角を振り回し、風の神である箕星はその噴出す口をひろげてはいなかった。
 牽牛星 淘汰する気-車騎星・. 算命学思想-淘汰する気を持つ星 車騎星、牽牛星は、攻撃の星で、その本質は、淘汰することに役目がある。 必要な気と、不必要な気を淘汰する気が、車騎星、牽牛星。
 箕星二十八宿の一つで東方青龍七宿の第七宿。蒼龍の糞。米を篩いにかけて糠を取り除く農具。また風伯(風の神)を指す。


牛不見服箱,鬥不挹酒漿。
その牛は牛であっても車を引いていくわけではないし、柄杓といっても出来立てのうまい酒を酌めるわけではない。


箕獨有神靈,無時停簸揚。
箕星は独り神靈の力が備わっているというし、篩を動かし続けて止めることはないという。

#2

無善名已聞,無惡聲已讙。
自分にとって良いことがないといってもその名声はいつの間にか知れ渡っており、悪いことがないといってもその評価については批判されるというものである。


名聲相乘除,得少失有餘。
名声はものすごく良いこともあれば悪い時もある、プラスマイナスして少しでも余っていればよいではないか。


三星各在天,什伍東西陳。
北斗、南斗、月がそれぞれ天に南北にならび、星座は部隊,連隊が並ぶように東から西へと並んでいる。

三星各在天  詩經 「綢繆束薪,三星在天。今夕何夕? 見此良人。」(綢繆(ちうびう)として薪を束ぬ、三星天に在り。今夕何の夕ぞ、此の良人を見る。)綢繆束芻 綢繆として芻を束ぬ 三星在隅 三星隅に在り 今夕何夕 今夕何の夕ぞ。

什伍 縦横におなじ、南斗は六星、牽牛は六星、箕四星、これらが縦横に並んでいる。


嗟汝牛與鬥,汝獨不能神。
ああ、牽牛星と北斗、南斗の星たちよ、どの星の一つでも私に力を貸してはくれまいか。

 

 

 

 

 

 

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807年元和二年40-【字解集】 巻一-01元和聖德詩

 

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酬崔侍御(成甫)

字解集】 元和聖德詩(2)#18~#35

東屯月夜 -#2

酒泉子七首其七

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807年元和二年40-【字解集】 巻一-01元和聖德詩 Ⅱ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之韓愈詩集9940  (2)§5~§7  #18~#35

 

 

元和聖德詩

50. (即位された、今生天子は元和という年号にされ、天晴な英主として、唐室中興の望みとして嘱され、韓愈は、憲宗の神武を讃頌するとともに、それとともに、その「知」を得んがためにこの詩を作った)

 

#18    5-1

優賞將吏,扶珪綴組。
従軍した文武官僚に対して論功行賞がなされた。高崇文はこの功によって検校司空剣南西川節度観察等使を授けられ、南平郡王に封ぜられ、印綬を授けられた。
167. ・優賞将吏 従軍した文武官僚に対して論功行賞がなされた。『旧唐書』によれば、高崇文はこの功によって検校司空剣南西川節度観察等使を授けられ、南平郡王に封ぜられた上、鹿頭山上にその功績を記した碑が建てられた、という。
168.
 ・扶珪 扶は折と同じ。いにしえ諸侯を封ずるとき、珪を二つにわり、一つは手許におき、一つを諸侯に与えた。
169.
 ・綴組 ひもをつづる。ここでは組は印綬をさし、綴組は印綬を与えること。


帛堆其家,粟塞其庾。
褒美の縞を功責のあった将兵の家に山のように積みあげさせ、戦功に対して賞与する五穀で、将兵の家の米倉をいっぱいにさせたのである。
170. ・吊堆其家 褒美の縞を功責のあった将兵の家に山のように積みあげさせる。
171.
 ・粟塞其庾 粟は五穀、庾は米倉。戦功に対して賞与する五穀で、将兵の家の米倉をいっぱいにさせる。


哀憐陣沒,廩給孤寡。
哀れみ悲しまれるのは戦死したものであり、その遺族に対して俸禄が与えられたのである。
172.
 ・
廉給 俸禄。
173.
 ・孤寡 孤児、未亡人。


贈官封墓,周匝宏溥。
位官を追贈され、墓を立派にきずかれ、功のあるものにあまねく行き渡るようになされたのである。
174. ・贈官 位官を追贈する。
175.
 ・封墓 墓をりつばにきずくこと。封は土をもること。
176.
 ・周市 あまねくゆきわたる。
177.
 ・宏博 宏大。


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807年元和二年40歳-【字解集】 巻一-01元和聖德詩 Ⅱ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之韓愈詩集9940  (1)§1~§4

807年元和二年40-【字解集】 巻一-01元和聖德詩

 

 

 

807年元和二年40-【字解集】 巻一-01元和聖德詩 Ⅱ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之韓愈詩集9940  (1)§1~§4

 

 

元和聖德詩  §1-1
50.
 (即位された、今生天子は元和という年号にされ、天晴な英主として、唐室中興の望みとして嘱され、韓愈は、憲宗の神武を讃頌するとともに、それとともに、その「知」を得んがためにこの詩を作った)

51.  元和聖德詩 左遷先から江陵を経て長安に帰って、元和年間にはいると、韓愈の作詩活動は、活発になる。「薦士」「短燈棨歌」「贈崔立之」「南山の詩」「城南聯歌」「琴操十首」「記夢」は元和初の作であり、807年元和二年正月、かれは「元和聖徳詩」を作った。元和の天子、すなわち憲宗の聖徳をたたえた、1,024文字からなる四言の長篇で、前半には、主として、元年に叛乱した蜀の西川節度副使劉関征討のことをのべ、後半には、二年正月の、郊天告廟すなわち天を祭り祖廟に告げる儀式を、うたっている。


皇帝即阼,物無違拒。
皇帝が即位されて以来、その聖徳施政はあまねく行き渡り、天下万物、おぼしめしに違背したり拒絶したりするものがまったくなかった。
52. ・即阼 即位する。即はつく。阼は主人が客に対し上る階段、転じて天子の位。天子が最高階段に座る。
53.
 ・物無違拒 万物の中には違背したり拒絶したりするものがない。


曰暘而暘,曰雨而雨。
それは、人間ばかりでなく、日が照るときは日が照り、雨が降るべき時は、雨が降り、何事も皇帝の意に沿わぬものはなかった。。
54. ・ 日が照ること。『書経』周書の洪範: 八、庶徵:曰雨,曰暘,曰燠,曰寒,曰風。五者來備,各以其敘,庶草蕃廡。曰肅、時雨若;曰乂,時暘若。とあるを用いた。「八に庶徴、日く雨、曰く暘、日く燠、日く寒い、日く風、日く時、五者来り、備えは各々その叙をもってすれば庶草蕃廡す」とある。


維是元年,有盜在夏。
そうした中、即位元年、叛逆の盗賊、楊恵琳が蜀・夏州に起こし、その州をおのれの所有にし、従来大逆を企てた李錡烈・朱玼などの先例を継続し、真似をした意味でも盗賊と呼んだ。
55. ・維是 維も是も、これ。
56.
 ・有盜在夏 夏州における楊恵琳の乱をさす。


欲覆其州,以踵近武。
それらの州で反乱を起こしたのである、それは近頃の李希烈や朱沘などの叛乱をみならっておこしたということなのである。
57. ・ ひっくりかえす。
58.
 ・踵近武 近ごろの武事、すなわち李希烈や朱沘などの叛乱があり、世上不安に乗じ、彼らを見習って、乱をおこしたということ。

皇帝曰嘻,豈不在我。
その叛逆の事は、朝廷に伝わり、皇帝陛下は詔を下し、『ああ、』という声に続き、「そのような叛乱の誅戮処理についての責任は、天子の職分ではないといえようか。」と皇帝自ら反省の言葉をいわれた。
59. ・ ああ。感歎詞だが、これも古い文章に見られるものである。
60.
 ・豈不在我 そのような叛乱処理についての責任が、どうしてわたしにないといえようか。皇帝が自ら反省していっているのである。


負鄙為艱,縱則不可。
この楊惠琳は、華州などという辺鄙の要害の地であり、時局の艱難の時期に乗じて、叛乱をおこした、これをそのまま放置してゆくことはできない、徹底的に懲らしめなければならないのである。
61. ・負鄙 辺都の地で中央からの監視が行きとどかないのをよいことにして。
62.
 ・為艱 叛乱する。
・縱 したいままにさせる。


出師征之,其眾十旅。
軍隊を出動させてこの叛乱を征伐することになり、その師団には十旅団5000人であった。
63. ・出師 軍隊を出動させる。
64.
 ・十旅 五千人。旅は軍隊の単位の一つ。五人を伍といい、伍が五つで丙。四両を卒、五卒を旅という。つまり一旅は五百人である。揚恵琳討伐に従ったのは河東・天徳両軍で、十旅5000人である。

§1-3

軍其城下,告以福禍。
その両軍は揚恵琳の根拠地の城を包囲した。そして、直ちに降伏すれば、このような恩恵が与えられ、もし、反抗すれば、このような罰をうけなければならない、と叛乱軍将兵に通告したのである。
65. ・軍其城下 揚恵琳の根拠地に、軍隊を進撃させた。
66.
 ・告以福禍 直ちに降伏すれば、このような恩恵が与えられる、反抗すれば、このような罰をうけなければならない、と叛乱軍将兵に通告する。

 

腹敗枝披,不敢保聚。
叛乱軍の將候間で分裂し、末端でもちりぢりになり、団結を維持することがとてもできない状態になった。
67. ・腹放校披 叛乱軍の將候間で分裂し、末端でもちりぢりになる。披は折と同じで、さける。
68.
 ・不敢保栄 団結を維持することがとてもできない。『春秋左氏伝』債公二十六年に「我が倣邑は是を用って敢て保聚せず」 の語がある。それをここにそっくり使用した。


擲首陴外,降幡夜豎。
夏州兵馬便の張承金が楊恵琳をとらえて首を斬ってさしだしてひめがきの外にさらしたのである、そして降参のしるしの旗を夜になって建てたのである。
69. ・擲首 擲は、投げる、または、さし出す。叛乱軍の将兵が楊恵琳の首を切ってさし出した、というのであろう。もっとも、事実は、夏州兵馬便の張承金が楊をとらえて斬ったのである。
70.
 ・ 陴堄。城の上から城下を覗い見るために作ったひめがき。
投降すること、開城のこと。城の上から城下をうかがい見るために造ったひめがき。
71.
 ・降幡 降参のしるしの旗。
72.
 ・ たてる、白旗を城にかかげたというのである。以上が楊恵琳討伐である。以下、劉闢征討の次第がのべられる。

 

二段36句  #4  §2-1

疆外之險,莫過蜀土。
そもそも、この地は都から遠く離れた辺境の地であり、その間に峻道がある、そのために蜀の国の管理を見過ごしていたのである。
73. ・疆外 外国。すなわち、辺境。

74.  莫過蜀土 李白 《蜀道難》 に、「劍閣崢嶸而崔嵬。 一夫當關。 萬夫莫開。所守或匪親。化為狼與豺。」 (劍閣は崢嶸として崔嵬たり。一夫 關に當たれば、萬夫も開く莫し。守る所 或は親に匪ざれば、化して 狼と豺と為る。)“剣門山の閣道は、崢嶸で崔嵬として草木もなく高く険しすぎる。一人の男が、関所を守れば、万人が攻めても、開きはしない。守るその男が、もし骨肉の親族でないならば、狼や山犬のような、反逆者にならぬとも限らない。”と、ある。


韋皋去鎮,劉闢守後。
西川節度使南康忠武王韋皋が死んでからは別の節度使が任命されたが劉闢はこれに従わず軍隊で蜀を固めた。
75. ・韋皋去鎮  807年元和元年8月に叛乱した蜀の西川節度使韋皋が歿す。行軍司馬劉闢征討のことをのべるもの。

血人於牙,不肯吐口。
人を牙にかけて血まみれにする。人民の膏血をすすって、搾りつくすだけ絞り、収奪したのである。
76. ・血人干牙 人を牙にかけて血まみれにする。人民の膏血をすする。『旧唐書』には、劉閥が実際に人間を殺して食った、と記すが、ここでは象徴的な書き方だと解すべきであろう。もっとも、中国には食入の風習のあったことは確かである。呂布に追われている時に逃げ込んだ家の主人劉安は、劉備をもてなす食料がなかったので妻を殺害してその肉を差し出したとされる。(三国志演義)中国では、客をもてなすため、嫁さんが自殺して、その肉を喰わせたという故事があり、美談とされている。

 

開庫啖士,曰隨所取。
天子に上納すべき税金などをおさめた倉庫をひらいて、自分の部下に好きなだけ与えることもした。
77. ・開庫 天子に上納すべき税金などをおさめた倉庫をひらく。
78.
 ・喝士 唱は、くらう。部下の将士に金品を与えて、人気取りをやるのである。
79.
 ・ 劉閲が部下の将兵にいう。求我帥汝までがそのことは。
80.
 ・随所収 とりたいだけとれ。随は随意というほどの意。

 

#5    §2-2

汝張汝弓,汝鼓汝鼓。
そして「お前たちはお前たちの弓に絃を張れ」、「お前らはお前らの軍太鼓を打ち鳴らして集まるのだ。」と。
81. ・汝鼓汝鼓 おまえはおまえの軍鼓をうて。上の鼓は動詞で、つづみうての意。
下の鼓は名詞で、軍太鼓。


汝為表書,求我帥汝。
そうした後に「お前たちは上表文を書くのだ」。そしてそれは「わたしを、おまえたちの将帥とするよう、請求せよ。」ということであった。
82. ・表書 上表文。その内容が、次の句である。
83.
 ・求我帥汝 わたしを、おまえたちの将帥とするよう、請求せよ。

 

事始上聞,在列鹹怒。
事件の報告を、天子がはじめて聞かれたときのことである。朝廷にいならぶ朝臣たちはそのことを聞いて、ことごとくみな激怒した。
84. ・事始上聞 事件の報告を、天子がはじめて聞かれたとき。
85.
 ・在列 朝廷にいならぶ朝臣たち。

 

皇帝曰然,嗟遠士女。
憲宗皇帝は「しかり」といわれたことにつづいて「ああ、遠い辺境のよわき民たちよ」。
86. ・皇帝日然 天子がいわれる「ああそうか」皇帝のことばは「然」から「則且付与」までである。小伝にものべたように、この時、憲宗は即位早々でもあり、劉閲の権力が強かったので、討伐の決意がつかず、懐柔策をとったのである。
87.
 ・ ああ。感嘆詞。
88.
 ・遠士女 遠い辺境の国民たちよ。

 

#6    §2-3

苟附而安,則且付與。
「もし、劉闢に附き随って、それで安らかに暮らせるならば、それならば、まあしばらくの間、劉闢に、おまえたちを治める権限を与えてみてみるか。」
89. ・ もし。
90.
 ・附而安 劉闢に附き随って、それで安らかに暮らせるならば。
91.
 ・則且付与 それならば、まあしばらくの間、劉闢に、おまえたちを治める権限を与えてみてもよい。劉闢を検校工部尚書剣南西川節度使に任命したことをさし、憲宗の度量の広さをいう。


讀命於庭,出節少府。
大臣の任命には、朝廷で、中書舎人が任命書を読みあげ、節度使を任命するさいの割符を朝廷の倉庫からださせた。
92. ・読命於庭 大臣の任命には、朝廷で、中書舎人が任命書を読みあげるのが、ならわしだった。
93.
 ・節 節度使のような兵馬の権をもつ官を任命するとき、そのしるしとして与えるわりふ。
94.
・少府 朝廷の倉庫。


朝發京師,夕至其部。
ある朝都を出発し、幾日もかけてある日の夕刻に劉闢の所在地であるその場所についた。
95. ・ 夜。朝、長安を出て、その夜覇につくというのではない。ここは対句として、朝と夕とをならべただけである。
96.
 ・其部 その地域、劉闢の所在地をさす。

 

辟喜謂黨,汝振而伍。
劉闢は喜びかえり、その使者に謂ったのだ、「使者よ君は君の五人の兵卒をしっかりとととのえなさい。」
97. ・ 旅は軍隊の単位の一つ。五人を伍といい、伍が五つで丙。四両を卒、五卒を旅という。つまり一旅は五百人である。

 

#7    §2-4

蜀可全有,此不當受。
「この蜀の全土はすべて私が守るのであり、こんな狭い場所の節度使の任命は受けるにあたらない。」と。
98. ・ この任命書。蜀の一部の地域の節度使の任命書という意味。
99.
 ・不当受 受けとるべきでない。


萬牛臠炙,萬甕行酒。
「ありったけの牛を出して焼肉にせよ、そしてありったけの酒甕を出してお酌をしてやれ。」
100. ・臠炙 肉を火にあぶる。
101.
 ・行酒 酒の酌をする。ここでは宴会をするという意。

 

以錦纏股,以紅帕首。
劉闢の贅沢は錦のパンツを着衣するほどのもので、そのうえ赤い絹を鉢巻をするのである。
102. ・以錦繹股 錦の布をパソツにしてはく。むちゃくちゃなぜいたくをすることを、このように表現しているのである。
103.
 ・ 紅い絹布。絹もこの時代には貨幣の代用とされた貴重なもの。
104.
 ・帕首 鉢巻をする。

 

#8    §2-5

有恇其凶,有餌其誘。
叛乱軍の中には、劉閥の兇暴さがおそろしくて、いやいやながら従っているものもいるし、エサでもって劉闢の誘いに因っているのである。
105. ・憶 おびえる。叛乱軍の中には、劉閥の兇暴さがおそろしくて、いやいやながら従っているものもいる、という意。


其出穰穰,隊以萬數。
劉闢軍はざわざわといっぱい集まっている、その数は幾万という数の大部隊であった。
106. ・穰穰 ざわざわといっぱいである。人数の多い形容。
107.
 ・隊以万数 幾万という数の大部隊であった。官軍の五千に対して、賊軍はその数倍あった、というのである。


遂劫東川,遂據城阻。
遂には、兵を発して、東川節度使の李康を梓州に包囲した、そして遂には険岨な梓州の城を占領して拠点とした。
108. ・拠城阻 険岨な梓州の城を占領して拠点とした。

 

#9   §3-1

皇帝曰嗟,其又可許。
憲宗皇帝は「ああ、」ため息をつかれた、そして遂に劉闢討伐の勅命を出された。
109. ・皇帝日 皇帝のことばは、嗟から無暴我野まで。瞳から其又可許まで。


爰命崇文,分卒禁禦。
その命は神策軍使であった高崇文に下された、「兵卒を分割して劉闢の軍の横暴を留めふせげよ」と。
110. ・崇文 高崇文のこと。宰相の杜黄裳により劉闢討伐に抜擢されたのが、神策軍使であった高崇文である。高崇文は、すぐれた武人で、平素から実戦の準備を怠らなかった。命をうけると、二時間後には、出発した。三月には梓州に進み、六月には鹿頭閑で劉闢を撃退し、九月には長駆して成郡にはいった。劉闢はついに数十騎のみを従え、チベットに向けて逃れたが、途中、高崇文の部下につかまった。十月、身柄が長安に送られ、その族党は課せられた。
111.
 ・禁禦 とどめふせぐ。
112.
 ・有安其駆 其駆とは、本心からでなく、劉闢軍の強制によってその軍に所属し、追いつかわれているもの。安は、安全に保護する。


有安其驅,無暴我野。
「劉闢軍の中には無理やり従わせられているものがいるがその者たちにを安全にしてやり、戦ではあるが、わが国土を荒らさぬようにせよ。」と。
113. ・無暴我野 わが国土を荒らさぬようにせよ。内乱だから、その戦場は国土内である。そこをむやみにいためつけないようにせよ、といましめている。

 

日行三十,徐壁其右。
日行三十一日の行軍進度は三十里にもおよんだ。そして、敵の右側からだんだんに包囲遮断していった。
114. ・日行三十  一日の行軍進度は三十里。
三十里は約17.5kmで、武装した大部隊の行進速度の標準である。
115
 ・徐璧其右 敵の右側を、だんだんに包囲遮断していった。

 

#10    3-2

四軍齊作,殷其如阜。
荊・幷・梁三州の軍隊と高崇文の軍隊で攻めた。官軍の盛んな勢いはまるで丘のようだ。
116. ・四軍 荊・幷・梁三州の軍隊と高崇文の軍隊。荊州:荊南節度使;裴均、幷州:河東節度使;厳綬、染州:山南
西道節度使;厳礪
117.
 ・殷其如阜 官軍の盛んな勢いはまるで丘のようだ。鬨の声の盛んな勢いの形容だとする。


或拔其角,或其距。
賊軍は猛獣であり、その角を抜いてやるということをするのである。あるいは賊軍は猛禽であり、その蹴爪をはがすことをするのである
118.
 ・或抜其角 賊を猛獣にたとえ、その角を抜く、というのだ。
119.
 ・或脱其距 賊を猛禽にたとえ、その蹴爪をはがす、というのである。『左伝』の㐮公十四年に「譬へは鹿を捕ふる如し。晋人は之を角し、諸戎は之を椅す」とみえる。角するとは角をつかむこと、椅すは足をねじることだという。


長驅洋洋,無有齟齬。
ゆっくりと長く広く攻め始めた、ひろくじっくり攻めることで法則にのっとり失敗のない攻め方をしたのだ。
120. ・洋洋 盛大なさま。
121.
 ・齢酷 くいちがい。失敗。


八月壬午,辟棄城走。
八月二十二日、劉闢は成都城を棄ててチベットに逃げたのである。
122. ・八月壬午 八月二十二日。

 

#11    3-3

載妻與妾,包裹稚乳。
劉闢は妻や妾たちを車にのせ、そしてわずかに乳飲み子だけをつれてほうほうのていで逃げ出したのだ。
123. ・我妻与妾 妻や妾たちを車にのせる。
124.
 ・包裏稚乳 妻や妾にうませた幼児や乳春子をつつみのせる。ここのところは、わずかに妻子だけをつれてほうほうのていで逃げ出したことを表現しているのである。これは、後の「婦女柴索」「梅娩弱子」などの句をひき出すためのたくみな伏線となっている。


是日崇文,入處其宇。
この日、高崇文は成都を鎮圧し、劉闢の住んでいた邸宅まですべて入り平定した。
125. ・其宇 劉闢の住んでいたやかた。


分散逐捕,搜原剔藪
散りじりになった賊を追跡して捕えた、それは野原をすみからすみまでさがすやぶや林もきりひらいて捜索したのである。
126.
 ・搜原 野原をすみからすみまでさがす。
127.
 ・剔藪 やぶや林もきりひらいて捜索する。


辟窮見窘,無地自處。
劉闢は追いつめられた。闢自身のおくべきところがないものとしないといけない。
128. ・見窘 追いつめられる。
129.
 ・無地目処 自分の身をおくべきところがない。

 

#12    3-4

四軍齊作,殷其如阜。
荊・幷・梁三州の軍隊と高崇文の軍隊で攻めた。官軍の盛んな勢いはまるで丘のようだ。
130. ・四軍 荊・幷・梁三州の軍隊と高崇文の軍隊。荊州:荊南節度使;裴均、幷州:河東節度使;厳綬、染州:山南
西道節度使;厳礪
131.
 ・殷其如阜 官軍の盛んな勢いはまるで丘のようだ。鬨の声の盛んな勢いの形容だとする。

 

或拔其角,或其距。
賊軍は猛獣であり、その角を抜いてやるということをするのである。あるいは賊軍は猛禽であり、その蹴爪をはがすことをするのである
132.
 ・或抜其角 賊を猛獣にたとえ、その角を抜く、というのだ。
133.
 ・或脱其距 賊を猛禽にたとえ、その蹴爪をはがす、というのである。『左伝』の㐮公十四年に「譬へは鹿を捕ふる如し。晋人は之を角し、諸戎は之を椅す」とみえる。角するとは角をつかむこと、椅すは足をねじることだという。

 

長驅洋洋,無有齟齬。
ゆっくりと長く広く攻め始めた、ひろくじっくり攻めることで法則にのっとり失敗のない攻め方をしたのだ。
134. ・洋洋 盛大なさま。
135.
 ・齢酷 くいちがい。失敗。

 

四段34句  #13  §4-1

八月壬午,辟棄城走。
八月二十二日、劉闢は成都城を棄ててチベットに逃げたのである。
136. ・八月壬午 八月二十二日。


載妻與妾,包裹稚乳。
劉闢は妻や妾たちを車にのせ、そしてわずかに乳飲み子だけをつれてほうほうのていで逃げ出したのだ。
137. ・我妻与妾 妻や妾たちを車にのせる。
138.
 ・包裏稚乳 妻や妾にうませた幼児や乳春子をつつみのせる。ここのところは、わずかに妻子だけをつれてほうほうのていで逃げ出したことを表現しているのである。これは、後の「婦女柴索」「梅娩弱子」などの句をひき出すためのたくみな伏線となっている。


是日崇文,入處其宇。
この日、高崇文は成都を鎮圧し、劉闢の住んでいた邸宅まですべて入り平定した。
139. ・其宇 劉闢の住んでいたやかた。


分散逐捕,搜原剔藪
散りじりになった賊を追跡して捕えた、それは野原をすみからすみまでさがすやぶや林もきりひらいて捜索したのである。
140.
 ・搜原 野原をすみからすみまでさがす。
141.
 ・剔藪 やぶや林もきりひらいて捜索する。

 

#14    4-2

辟窮見窘,無地自處。

劉闢は追いつめられた。闢自身のおくべきところがないものとしないといけない。

142. ・見窘 追いつめられる。

143. ・無地目処 自分の身をおくべきところがない。

 

俯視大江,不見洲渚。
追い詰められ見るとそこは大河岷江であった、隠れてにげるべきなぎさも中洲もまったくないのである。

144. ・不見洲渚 つたってにげるべきなぎさも中洲もない。

 

遂自顛倒,若杵投臼

遂に劉闢はしかたなく頭から飛び込んだのである、杵つきのうすの中に投げ込まれたようなものである。

145. ・転倒 河中にまっさかさまにとびこむ。

劉闢がとびこんだのは、今の四川省灌県の西の羊灌田を流れる岷江。


取之江中,枷脰械手。

とびこんだ劉閲が死にきれずに流されるところを、官軍の騎将酈定進がいけどりにした。首に首かせをはめ、手に手かせをはめられたのである。

146. ・取之江中 とびこんだ劉閲が死にきれずに流されるところを、官軍の騎将酈定進がいけどりにした。

147. ・枷脰 脰は首。首に首かせをはめる.

148. ・械手 手に手かせをはめる。

 

#15    4-3

婦女累累,啼哭拜叩。

婦人とお付の女たちは数珠つなぎにされ、泣き叫び、おがんで頭を地につけている。

149. ・累累 連なりかさなるさま。ここでは数珠つなぎになっていることをいう。
150.
 ・拝叩 おがんで頭を地につける。


來獻闕下,以告廟社。
高崇文が都に帰って来て、捕虜たちを天子に献上し、それから国廟に報告したのである。

151. ・来献闕下 高崇文が帰って来て、捕虜たちを天子に献上する。劉闢は宮城の門。闕下は、人を直接にさすのは失礼だという考え方があり、その人に関係のあるものをさしてその人にかえる場合が少なくない。陛下、殿下、机下、執事など、みなそれである。ここは、高崇文が天子に対して。
152.
 ・廟社 国廟。


周示城市,鹹使觀睹。
劉闢は長安の市中をひきまわされ、衆人に見せしめとされたのである。

153. ・周示城市 大罪人を処刑するときは、みせしめのため、市中をひきまわす。劉闢たちの場合も、長安のまちをひきまわしたうえ、まちの西南の大きな柳の木の下で処刑した。

 

#16    §4-4

攣索,夾以砧斧。

ひきまわすために縛ってあった縄をといて、刑にとりかかった。首斬台で首斬斧により首は落されるのである。

154. ・解脱攣索 ひきまわすためにはってあった縄をといて、刑にとりかかる。
155.
 ・爽以砧斧 砧は首斬台、斧は首斬斧。ギロチンにのせるというほどの意。

 

婉婉弱子,赤立傴僂
稚い幼児がいたがはだかで立たされ、次には身を曲げたままでいるようにされた。
156
 ・
婉婉 いとけないさま。

157. ・弱子 幼児。
158.
 ・赤立 はだかで立つ。
159.
 ・傴僂 身を曲げるさま。

 

牽頭曳足,先斷腰膂。
子供らの頭を引っ張り足をひこずった、そして腰と背を切り裂いたのだ。
160. ・腰膂 腰、膂は背骨。

 

#17    §4-5

次及其徒,體骸撐拄。
次は劉闢一派の処刑に移っていった。次々に斬られて死体がぶつかり合い、重なり合って倒れていった。
161. ・体骸撐拄 体は生きている体、骸は死んだ体。撐拄はつっぱりささえあう。次々に斬られて死体がぶつかり合い、重なり合って倒れるさま。

 

末乃取辟,駭汗如寫。
最後に劉闢をひき出してきた。劉闢は驚きでそそぐように汗がふき出たのである。
162. ・末乃取辟 最後に劉闢をひき出す。
163.
 ・駭汗如寫 おどろきのためにそそぐように汗がふき出る。劉閲はつかまえられたとき、まさか死刑にはなるまいとたかをくくっていたが、長安に入る前に、首と手になわをかけられ、どうしてこんなことになったのだろうと驚いた、という話がのこっている。最後に処刑することは、心理的に最もきびしい処刑法ということになる。

 

揮刀紛紜,爭膾脯。
刀を目の前でふるいまくった、そしてなますと干し肉のように一寸きざみにきざんでいったのだ。
164. ・紛紜 盛んなさま。
165.
 ・
 一寸きざみにきざむこと。
166.
 ・膾脯 膾はなます、脯は乾肉。

 

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【字解集】元和聖德詩

説文(1-1

此詩元和二年作。

この詩は。807年元和二年の作品である。

 

《憲宗紀》:永貞元年八月即位,明年正月改元元和。

唐“憲宗紀”に、憲宗は、805年永貞元年八月即位し、年が明けて正月に元号を元和に改定した。

 

楊惠琳據夏州叛。

その年に、楊惠琳が夏州に據して反乱を起こした。(夏桵の留後の楊惠琳が命を拒んだ))

1. 楊惠琳 (?-806年)是唐代藩鎮。 夏綏(夏州陝西靖邊北)節度使韓全義之甥。憲宗時,開始對割據的藩鎮開展了一系列戰爭,永貞元年(805年),韓全義入朝,以楊惠琳為留後。宰相杜黃裳以全義驕橫,將其解職,以右驍衛將軍李演為夏綏節度使。

 

三月辛巳,夏州兵馬使周承全斬惠琳,傳首以獻。

806318日、華州の兵馬使の周承全に楊惠琳を斬らせた、この首をこれを預け伝えて獻上した。

2. 夏州兵馬使周承全 河東天徳軍幕府の兵馬使の周承全をいう。

 

九月辛亥,高崇文奏收成都,擒劉辟以獻。
9月立秋から48日目、東川節度使副使の高崇文は成都に攻め込み、これを尽く平定し、劉闢を擒にし、京師に送ってこれを斬り、献上した。

3. 高崇文 崇文は渤海人であり營州平盧軍士となり、その南下後は神策軍に入り、韓全義に仕え、

貞元5年には吐蕃を佛堂原に大破した。全義入朝後は長武城使となり、練兵に励んだ。

永貞元年、西川節度使韋皐の没後、その幕僚である劉闢が自立した。

新たに即位した若い憲宗皇帝は、宗皇帝のような姑息な藩鎮慰撫策(通常は内部昇格させていた)を取らず、断然これを征討することとして將を選んだ。多くの上將のなかから選ばれたのは、宰相杜黄裳が推薦した無名な崇文であった。

崇文は出師の命を受けるや、即日全軍を上げて進発し、興