807年 元和二年40歳 8-1【字解集(1)】 答馮宿書
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●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」。、現在、①李白集校注詩全詩、②昌黎先生集全40巻他全詩、③杜詩詳注、④花間集、⑤玉臺新詠、⑥薛濤詩 全訳注解説 |
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韓昌黎文集 《巻十七 06》 | ||
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807年 元和二年40歳【字解集(1)】8-1 答馮宿書
答馮宿書 (韓愈全集校注 〔三〕一七一一)
(全唐文/卷0552)
(昌黎先生-巻17-06)
(韓昌黎文集校注 巻三17)P191
答馮宿書 作者:韓愈 唐
§―1
垂示仆所闕,非情之至,仆安得聞此言?朋友道闕絕久,無有相箴規磨切之道,仆何幸乃得吾子!仆常閔時俗人有耳不自聞其過,懍懍然惟恐己之不自聞也。而今而後,有望於吾子矣。然足下與仆交久,仆之所守,足下之所熟知。在京城時,囂囂之徒,相訾百倍,足下時與仆居,朝夕同出入起居,亦見仆有不善乎?然仆退而思之,雖無以獲罪於人,亦有以獲罪於人者。仆在京城一年,不一至貴人之門,人之所趨,仆之所傲。
§―2
與己合者則從之遊,不合者雖造吾廬,未嚐與之坐,此豈徒足致謗而已,不戮於人則幸也。追思之,可為戰栗寒心。故至此已來,克己自下,雖不肖人至,未嚐敢以貌慢之,況時所尚者耶?以此自謂庶幾無時患,不知猶復云云也。聞流言不信其行,嗚呼,不復有斯人也!君子不為小人之恟恟而易其行,仆何能爾?委曲從順,向風承意,汲汲然恐不得合,猶且不免云云。命也,可如何!然子路聞其過則喜,禹聞昌言則下車拜,古人有言曰:「告我以吾過者,吾之師也。」願足下不憚煩,苟有所聞,必以相告。吾亦有以報子,不敢虛也,不敢忘也。愈再拜。
(馮宿に答うる書)
§-1-1
僕が闕けたる所を垂示せらる。
情の至れるに非ずんば、僕、安んぞ此の言か聞くことを得ん。
朋友の道缺絶すること久し。
相箴 規磨 切するの道 有ること無し。
僕、何の幸いあってか 乃ち吾子を得たる。
§-1-2
僕 常に時俗の人の耳有れども 自ら其の過ちを聞かざることを閔れむ。
懍懍然として 惟だ己れが自ら聞かざらんことを恐る。
而今よりして後に、吾子に望むこと有り。
§1-3
然れども足下、僕と交わること久し。
僕が守る所は、足下の熟まく知れる所なり。
京城に在りし時に、囂囂たる徒、相訾【そし】ること百倍せり。
足下、時に僕と居る。朝夕に出入起居を同ず。
亦僕が不善有ることを見るや。
§1-4
然も 僕 退いて思えう。
以て罪を人に獲ること無しと雖も、亦た以て罪を人に獲る者有り。
僕、京城に在ること一年、一たびも貴人の門に至らず。
人の趨る所は、僕が傲する所なり。
§―2-1
己れと合える者には、則ち之れに従って遊ぶ。
合わざる者は、吾が廬に造ると雖も、未だ嘗って之れと坐せず。
此れ豈 徒らに謗りを致すに足れるのみならんや。
人に戮せられざること、則ち幸いなり。
追うて思えば、為に戦懐 寒心しつべし。
2-2
故に此こに至ってより己来【いらい】、己れを剋して自ら下る。
不肖の人至ると雖も、未だ嘗つて敢えて貌を以て之れを慢らず。
況んや時に尚ぶ所の者をや。?
2-3
此れを以て自ら謂えらく、時の患い無きに庶幾せんと。
知らず、猶復た云云たることを。
流言を聞いて、其の行ないを信ぜざること、鳴呼、復た斯の人有らざるなり。
君子は小人の恟恟たるが為に其の行ないを易えず。
僕、何ぞ能く爾らん。?
2-4
委曲に従順して、風に向うて意を承げる。
汲汲として合うことを得ざらんことを恐る。
猶且つ云云たることを免れざるは命なり!
2-5
如何かすべき。
然も子路は其の過ちを聞くときは、則ち喜ぶ。
禹は昌言を聞くときは、則ち車より下りて拝す。
古の人、言えること有り、日わく、
「我れに告ぐるに吾が過ちを以てする者は、吾が師なり。」と。
2-6
願わくは足下、煩わしきことを慣らざれ。
苟も 聞く所有らば、必ず以て相い告げよ。
吾れも亦以て子に報ずること有らん。
敢えて虚しからじ。
敢えて忘れじ。
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