中唐詩人選集【Ⅰ李商隠-150】Ⅱ韓退之(韓愈)Ⅶ孟郊(東野)  漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩 訳注解説ブログ

Ⅰ李商隠は難解詩といわれている。約150首紹介済。(晩唐詩人) Ⅱ韓退之(韓愈)-約500首Ⅶ孟郊、中唐の詩人を掲載中。万物の性(さが)をテーマにした哲学的な詩。このブログは基本的に中唐詩人を中心にして掲載する予定。 韓愈詩文のこれまでの掲載分とこれから掲載予定分を時系列で整理した2014.3.29のブログに集約してそこから各年次を見ることができる  kanbuniinkai 検索で、《漢文委員会HP05》サイトあります。漢詩唐詩を理解するための総合サイト:≪漢文委員会 漢詩07≫。

少し、マニアックな晩唐詩人Ⅰ-李商隠150首をまず掲載済み。中唐は盛唐詩人(孟浩然・王維、杜甫、李白)を受け継いだ多様な詩人が出ている。この時代も驚くほど詩が発展している。Ⅱ韓退之(韓愈)500首、Ⅲ柳宗元40首、Ⅳ韋応物、Ⅴ劉長卿、Ⅵ韋荘、Ⅶ孟郊(孟東野)、Ⅷ張籍、Ⅸ賈島、Ⅹ劉禹錫、ほか2012~2020年の予定で気長に進める。同じ中唐ではあるが、白居易のグループについては、李白のブログ350首(2015/6月再開~2018/夏・秋月予定)の後掲載の予定。別に杜甫詩ブログ1500首(2011/7月~2018/8月の予定で)を進行中。詩数につぃては、予定の詩数より多くなる。気まぐれなところがあるのでこの予定が少し変わる場合があり、その節はご容赦ください。                 古詩・謝霊運詩 杜甫詩 韓愈詩 花間集500首全詩 それぞれ毎日ブログしています。 このブログ、索引=語句の「検索」 参考書以上掲載。漢詩力up。

字解集

807年 元和二年40歳 8-1【字解集(1)】 答馮宿書Ⅱ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之Blog10556

807 元和二年40 8-1【字解集(1)】 答馮宿書

  

201855

の紀頌之"6"つの校注Blog

寄東魯二稚子-#2

【字解集(1)】

寄裴施州#2

風流子三首其一

擬樂府四首其一#2

漢と匈奴と西域諸

李白詩

韓愈詩

杜甫詩

花間集

玉臺新詠

古代史女性論

 

 

201855

の紀頌之"6"つの校注Blog

10年のBLOGの集大成

   李白総合案内

 

●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」。、現在、①李白集校注詩全詩、②昌黎先生集全40巻他全詩、③杜詩詳注、④花間集、⑤玉臺新詠、⑥薛濤詩 全訳注解説

Ⅰ李白詩(李白集校注)      LiveDoor

749年 10-#2《寄東魯二稚子-#2(卷十三(一)八五八)(從郁賢...

Ⅱ韓昌黎詩集・文集校注      LiveDoor

807 元和二年40歳 8-1【字解集(1)】 答馮宿書Ⅱ漢文委員会ka...

Ⅲ 杜詩詳注                  LiveDoor

767年-248#2 寄裴施州(卷二○(四)一八一○)#2 「」  Ⅲ...

杜甫詩 全詩 総合案内 

Ⅳブログ詩集漢・唐・宋詞  fc2Blog

花間集 訳注解説 (422)回目《孫光憲巻八29風流子三首其二》 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ10544 (05/05)

.唐五代詞詩・女性・玉臺新詠     Livedoor

玉臺・巻四-14 擬樂府四首其一#2邁遠〕 Ⅴ漢文委員会kanbun...

Ⅵ唐代女性論ブログ唐代女性論

Ⅲ 女性文学者班昭とその家系(班家の人びと) 《§-4 班固と西域経営》Ⅲ-§-4-2. 漢と匈奴と西域諸国 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ10532

杜甫全詩案内

韓愈全詩案内

李白全集

李白詩のサイト

古詩源

花間集案内

漢詩・唐詩・宋詩研究

http://kanbunkenkyu.web.fc2.com/

 

807 元和二年40 8-1【字解集(1)】 答馮宿書Ⅱ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之Blog10556

 

 

 

 

韓昌黎文集  《巻十七 06

 

 

 807 元和二年40歳【字解集(1)】8-1  答馮宿書

答馮宿書  (韓愈全集校注  〔三〕一七一一)

(全唐文/0552

      (昌黎先生-17-06

      (韓昌黎文集校注 巻三17P191

 

答馮宿書    作者:韓愈 唐   

§―1

垂示仆所闕,非情之至,仆安得聞此言?朋友道闕久,無有相箴規磨切之道,仆何幸乃得吾子!仆常閔時俗人有耳不自聞其過,懍懍然惟恐己之不自聞也。而今而後,有望於吾子矣。然足下與仆交久,仆之所守,足下之所熟知。在京城時,囂囂之徒,相訾百倍,足下時與仆居,朝夕同出入起居,亦見仆有不善乎?然仆退而思之,雖無以獲罪於人,亦有以獲罪於人者。仆在京城一年,不一至貴人之門,人之所趨,仆之所傲。

§―2

與己合者則從之遊,不合者雖造吾廬,未與之坐,此豈徒足致謗而已,不戮於人則幸也。追思之,可為戰栗寒心。故至此已來,克己自下,雖不肖人至,敢以貌慢之,況時所尚者耶?以此自謂庶幾無時患,不知猶復云云也。聞流言不信其行,嗚呼,不復有斯人也!君子不為小人之恟恟而易其行,仆何能爾?委曲從順,向風承意,汲汲然恐不得合,猶且不免云云。命也,可如何!然子路聞其過則喜,禹聞昌言則下車拜,古人有言曰:「告我以吾過者,吾之師也。」願足下不憚煩,苟有所聞,必以相告。吾亦有以報子,不敢虛也,不敢忘也。愈再拜。

(馮宿に答うる書)

§-1-1

僕が闕けたる所を垂示せらる。

情の至れるに非ずんば、僕、安んぞ此の言か聞くことを得ん。

朋友の道缺絶すること久し。

相箴 規磨 切するの道 有ること無し。

僕、何の幸いあってか 乃ち吾子を得たる。

§-1-2

僕 常に時俗の人の耳有れども 自ら其の過ちを聞かざることを閔れむ。

懍懍然として 惟だ己れが自ら聞かざらんことを恐る。

而今よりして後に、吾子に望むこと有り。

§1-3

然れども足下、僕と交わること久し。

僕が守る所は、足下の熟まく知れる所なり。

京城に在りし時に、囂囂たる徒、相訾【そし】ること百倍せり。

足下、時に僕と居る。朝夕に出入起居を同ず。

亦僕が不善有ることを見るや。

§1-4

然も 僕 退いて思えう。

以て罪を人に獲ること無しと雖も、亦た以て罪を人に獲る者有り。

僕、京城に在ること一年、一たびも貴人の門に至らず。

人の趨る所は、僕が傲する所なり。

 

§―2-1

己れと合える者には、則ち之れに従って遊ぶ。

合わざる者は、吾が廬に造ると雖も、未だ嘗って之れと坐せず。

此れ豈 徒らに謗りを致すに足れるのみならんや。

人に戮せられざること、則ち幸いなり。

追うて思えば、為に戦懐 寒心しつべし。

2-2

故に此こに至ってより己来【いらい】、己れを剋して自ら下る。

不肖の人至ると雖も、未だ嘗つて敢えて貌を以て之れを慢らず。

況んや時に尚ぶ所の者をや。?

2-3

此れを以て自ら謂えらく、時の患い無きに庶幾せんと。

知らず、猶復た云云たることを。

流言を聞いて、其の行ないを信ぜざること、鳴呼、復た斯の人有らざるなり。

君子は小人の恟恟たるが為に其の行ないを易えず。

僕、何ぞ能く爾らん。?

2-4

委曲に従順して、風に向うて意を承げる。

汲汲として合うことを得ざらんことを恐る。

猶且つ云云たることを免れざるは命なり!

2-5

如何かすべき。

然も子路は其の過ちを聞くときは、則ち喜ぶ。

禹は昌言を聞くときは、則ち車より下りて拝す。

古の人、言えること有り、日わく、

「我れに告ぐるに吾が過ちを以てする者は、吾が師なり。」と。

2-6

願わくは足下、煩わしきことを慣らざれ。

苟も 聞く所有らば、必ず以て相い告げよ。

吾れも亦以て子に報ずること有らん。

敢えて虚しからじ。

敢えて忘れじ。

 

 

続きを読む

807年-7【字解集】釋言(2)  Ⅱ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之Blog10505

807-7【字解集】釋言(2

 

2018411

の紀頌之"6"つの校注Blog

送紀秀才遊越-#2

【字解集】釋言(2

411日の校注Blog

酒泉子三首其三

411日の校注Blog

1班家の世系

李白詩

韓愈詩

杜甫詩

花間集

玉臺新詠

古代史女性論

 

 

2018411

の紀頌之"6"つの校注Blog

10年のBLOGの集大成

   李白総合案内

 

●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」。、現在、①李白集校注詩全詩、②昌黎先生集全40巻他全詩、③杜詩詳注、④花間集、⑤玉臺新詠、⑥薛濤詩 全訳注解説

Ⅰ李白詩(李白集校注)      LiveDoor

749年 5《送紀秀才遊越-#2(卷十七(二)一○三四)》漢文委員会ka...

Ⅱ韓昌黎詩集・文集校注      LiveDoor

807年-7【字解集】釋言(2)  Ⅱ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之...

Ⅲ 杜詩詳注                  LiveDoor

2018年4月11日の紀頌之"6"つの校注Blog

杜甫詩 全詩 総合案内 

Ⅳブログ詩集漢・唐・宋詞  fc2Blog

花間集 訳注解説 (414)回目《孫光憲巻八21酒泉子三首其三》 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ10488 (04/11)

.唐五代詞詩・女性・玉臺新詠     Livedoor

2018年4月11日の紀頌之"6"つの校注Blog

Ⅵ唐代女性論ブログ唐代女性論

Ⅲ 女性文学者班昭とその家系(班家の人びと 《§-2 班家の世系》Ⅲ-§-2-1班家の世系 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ10469

杜甫全詩案内

韓愈全詩案内

李白全集

李白詩のサイト

古詩源

花間集案内

漢詩・唐詩・宋詩研究

http://kanbunkenkyu.web.fc2.com/

 

807-7【字解集】釋言(2)  Ⅱ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之Blog10505

 

 

【字解集】釋言

 

 

 

 

 

 

韓昌黎文集校注 巻二 68 (原文 巻十三022

 

 

釋言

作者:韓愈 唐                 

・全唐文/0559-02

・韓愈全集校注〔三〕1701 

・韓昌黎文集校注 巻二 68 (原文 巻十三02

 

§1

元和元年六月十日,愈自江陵法曹詔拜國子博土,始進見今相國鄭公。公賜之坐,且曰:「吾見子某詩,吾時在翰林。

職親而地禁,不敢相聞。今為我寫子詩書為一通以來。」愈再拜謝,退錄詩書若干篇,擇日時以獻。

§2

於後之數月,有來謂愈者曰:「子獻相國詩書乎?」曰:「然。」曰:「有為讒於相國之座者曰:韓愈曰:相國征餘文,餘不敢匿,相國豈知我哉!’子其慎之!」

§3

愈應之曰:「愈為御史,得罪德宗朝,同遷於南者凡三人,獨愈為先收用,相國之賜大矣;百官之進見相國者,或立語以退,而愈辱賜坐語,相國之禮過矣;四海九州之人,自百官以下,欲以其業徹相國左右者多矣,皆憚而莫之敢,獨愈辱先索,相國之知至矣。賜之大,禮之過,知之至,是三者於敵以下受之,宜以何報?況在天子之宰乎!

§4

人莫不自知,凡適於用之謂才,堪其事之謂力,愈於二者,雖日勉焉而不近。束帶執笏,立士大夫之行,不見斥以不肖,幸矣,其何敢敖於言乎?夫敖雖凶德,必有恃而敢行。愈之族親鮮少,無扳聯之勢於今;不善交人,無相先相死之友於朝;無宿資蓄貨以釣聲勢;弱於才而腐於力,不能奔走乘機抵巇以要權利。夫何恃而敖?若夫狂惑喪心之人,蹈河而入火,妄言而罵詈者,則有之矣,而愈人知其無是疾也。雖有讒者百人,相國將不信之矣,愈何懼而慎歟?」

§5

既累月,又有來謂愈曰:「有讒子於翰林舍人李公與裴公者,子其慎歟!」愈曰:「二公者,吾君朝夕訪焉,以為政於天下,而階太平之治。居則與天子為心膂,出則與天子為股肱。四海九州之人,自百官以下,其孰不願忠而望賜?愈也不狂不愚,不蹈河而入火,病風而妄罵,不當有如讒者之也。雖有讒者百人,二公將不信之矣。愈何懼而慎?」

§6

既以語應客,夜歸,私自尤曰:咄!市有虎,而曾參殺人,讒者之效也。《詩》曰:「取彼讒人,投畀豺虎。豺虎不食,投畀有北。有北不受,投畀有昊。」傷於讒,疾而甚之之辭也。又曰:「亂之初生,僭始既涵。亂之又生,君子信讒。」始疑而終信之之謂也。孔子曰:「遠佞人。」夫佞人不能遠,則有時而信之矣。今我恃直而不戒,禍其至哉!

§7

徐又自解之曰:市有虎,聽者庸也;曾參殺人,以愛惑聰也;《巷伯》之傷,亂世是逢也。今三賢方與天子謀所以施政於天下。而階太平之治,聽聰而視明,公正而敦大。夫聰明則聽視不惑,公正則不邇讒邪,敦大則有以容而思。彼讒人者,孰敢進而為讒哉?雖進而為之,亦莫之聽矣!我何懼而慎?

§8

既累月,上命李公相,客謂愈曰:「子前被言於一相,今李公又相,子其危哉!」愈曰:「前之謗我於宰相者,翰林不知也;後之謗我於翰林者,宰相不知也。今二公合處而會,言若及愈,必曰:‘韓愈亦人耳,彼敖宰相,又敖翰林,其將何求?必不然!’吾乃今知免矣。」既而讒言果不行。

 

 

 

 

 

 

韓昌黎文集校注 巻二 68 (原文 巻十三02 

《釋言》(辯明)【字解集】

 

 

 

 

 

 

§5-1

既累月,又有來謂愈曰:

やがて数か月がたち、又もやわたしのところへやって来てこういうものがあった。

35. 累月 幾月もして。月を累【かさ】ねる。

 

「有讒子於翰林舍人李公與裴公者,子其慎歟!」

「きみを翰林学士李書甫閣下と中書舎人装増閣下とに讒言したものがいるぞ。きみ、気をつけたがいい。」

36. 翰林舍人李公與裴公者 翰林院学士の李吉甫と中書舎人の裴洎をいう。

 

愈曰:「二公者,吾君朝夕訪焉,

わたしはいう、

「お二人は、わが君の朝の参列から夕べの相談と、ひごろ顧問としておられる。

 

以為政於天下,而階太平之治。

それでもって、天下の政治をされ、そして、“太平の治”状態へすすめようとしている方々である。

37. 階太平之治 太平の治を段階的に致す。階は導く。

 

§5-2

居則與天子為心膂,出則與天子為股肱。

朝廷におれば、天子のために心臓、内臓となり、朝廷、宮殿を出て、地方へ出むいて、天子のために手足となる。

38. 心膂 親信の人をいう。『書経』君牙篇「今爾に命じて予が翼たらしめ、股肱心膂と作(な)す」とある。心膂は心腹と同じ。膂は背骨。身内となる。

39. 為股肱 ももとひじ、足や手となる。主人のために思い通りに働くという意。

 

四海九州之人,自百官以下,

天下じゅうの人は、官僚たちより以下のすべてのものが天子の事を思っている。

 

其孰不願忠而望賜?

だれもが真心をつくしたく願い、御恩をこうむりたいと思っている。

 

§5 -3

愈也不狂不愚,不蹈河而入火,

私は狂気でもなく愚人でもないし、黄河に蹈み入り、火に飛び込んだりはしない。

 

病風而妄罵,不當有如讒者之也。

また狂疾をわずらい、むやみに人を罵ることをしない。讒言をする人のいうようなことはあるはずはないのである。

40病風 風は痕に通じ、狂疾である。

 

雖有讒者百人,二公將不信之矣。

讒言をする者が百人いたとしても、二公はまたこれを信じないであろう。

 

愈何懼而慎?」

私は何を懼れて用心などしようか、と。

 

続きを読む

807年-7【字解集】釋言(1)  Ⅱ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之Blog10479

807-7【字解集】釋言(1

 

 

807-7【字解集】釋言(1)  Ⅱ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之Blog10479

 

 

【字解集】釋言

 

 

 

 

 

 

韓昌黎文集校注 巻二 68 (原文 巻十三022

 

 

釋言

作者:韓愈 唐                 

・全唐文/0559-02

・韓愈全集校注〔三〕1701 

・韓昌黎文集校注 巻二 68 (原文 巻十三02

 

§1

元和元年六月十日,愈自江陵法曹詔拜國子博土,始進見今相國鄭公。公賜之坐,且曰:「吾見子某詩,吾時在翰林。

職親而地禁,不敢相聞。今為我寫子詩書為一通以來。」愈再拜謝,退錄詩書若干篇,擇日時以獻。

§2

於後之數月,有來謂愈者曰:「子獻相國詩書乎?」曰:「然。」曰:「有為讒於相國之座者曰:韓愈曰:相國征餘文,餘不敢匿,相國豈知我哉!’子其慎之!」

§3

愈應之曰:「愈為御史,得罪德宗朝,同遷於南者凡三人,獨愈為先收用,相國之賜大矣;百官之進見相國者,或立語以退,而愈辱賜坐語,相國之禮過矣;四海九州之人,自百官以下,欲以其業徹相國左右者多矣,皆憚而莫之敢,獨愈辱先索,相國之知至矣。賜之大,禮之過,知之至,是三者於敵以下受之,宜以何報?況在天子之宰乎!

§4

人莫不自知,凡適於用之謂才,堪其事之謂力,愈於二者,雖日勉焉而不近。束帶執笏,立士大夫之行,不見斥以不肖,幸矣,其何敢敖於言乎?夫敖雖凶德,必有恃而敢行。愈之族親鮮少,無扳聯之勢於今;不善交人,無相先相死之友於朝;無宿資蓄貨以釣聲勢;弱於才而腐於力,不能奔走乘機抵巇以要權利。夫何恃而敖?若夫狂惑喪心之人,蹈河而入火,妄言而罵詈者,則有之矣,而愈人知其無是疾也。雖有讒者百人,相國將不信之矣,愈何懼而慎歟?」

§5

既累月,又有來謂愈曰:「有讒子於翰林舍人李公與裴公者,子其慎歟!」愈曰:「二公者,吾君朝夕訪焉,以為政於天下,而階太平之治。居則與天子為心膂,出則與天子為股肱。四海九州之人,自百官以下,其孰不願忠而望賜?愈也不狂不愚,不蹈河而入火,病風而妄罵,不當有如讒者之也。雖有讒者百人,二公將不信之矣。愈何懼而慎?」

§6

既以語應客,夜歸,私自尤曰:咄!市有虎,而曾參殺人,讒者之效也。《詩》曰:「取彼讒人,投畀豺虎。豺虎不食,投畀有北。有北不受,投畀有昊。」傷於讒,疾而甚之之辭也。又曰:「亂之初生,僭始既涵。亂之又生,君子信讒。」始疑而終信之之謂也。孔子曰:「遠佞人。」夫佞人不能遠,則有時而信之矣。今我恃直而不戒,禍其至哉!

§7

徐又自解之曰:市有虎,聽者庸也;曾參殺人,以愛惑聰也;《巷伯》之傷,亂世是逢也。今三賢方與天子謀所以施政於天下。而階太平之治,聽聰而視明,公正而敦大。夫聰明則聽視不惑,公正則不邇讒邪,敦大則有以容而思。彼讒人者,孰敢進而為讒哉?雖進而為之,亦莫之聽矣!我何懼而慎?

§8

既累月,上命李公相,客謂愈曰:「子前被言於一相,今李公又相,子其危哉!」愈曰:「前之謗我於宰相者,翰林不知也;後之謗我於翰林者,宰相不知也。今二公合處而會,言若及愈,必曰:‘韓愈亦人耳,彼敖宰相,又敖翰林,其將何求?必不然!’吾乃今知免矣。」既而讒言果不行。

 

 

 

 

 

 

韓昌黎文集校注 巻二 68 (原文 巻十三02 

《釋言》(辯明)【字解集】

 

 

 

 

 

《釋言》(辯明)§1-1

1. (韓愈は文名が高かくなっていった、一方で、嫉妬、中傷、讒言を受けそうなので、元和二年の春、宰相の鄭絪、翰林學士の李吉甫、中書舍人の裴に対して、弁明の書をつくったものである

2. 【題意】此れ元和二年の春、宰相の鄭絪、翰林學士の李吉甫、中書舍人の裴作るなり。國語に云う驪使奄楚以環釋言註云以言解釋也。退之作釋言取此

沈氏の注に、「『国語』に、礪姫(㍊ (晋の献公の夫人)奄楚(誓)をして環(誓)を以て釈言せしむと、注に、言を以て自ら解釈するなり、とあり。此れ二字の本づく所」という。献公の二十二年に礪姫が翼公子を逐って、その子葵斉(霊)を太子に立てた。公子夷吾は梁に逃れ、梁は秦に近くて、秦の授けを得やすかった。そこで礪姫は恐れて泰に奄楚をやって、玉環を贈り物として、釈言(言いわけ)をした。その後四年、夷吾は秦の助けで、献公のあとに君となった。釈言の出典はこれであるというのである。釈は説明の義である。

韓愈は文名が高かったので、中傷を受けた。そこで諌言を心配してこの文を作って言いわけをしたのである。

 

元和元年六月十日,愈自江陵法曹詔拜國子博土,

元和元年(806)六月十日、わたしは江陵の法曹参軍から勅命によって国子博士に任ぜられた。

 

始進見今相國鄭公。

はじめて現在の宰相鄭綱閣下にお目通りした。

3. 相国 官名、もと泰の宰相。丞相より尊い。丞も相もたすけるの義。国政を助ける意。

4. 鄭公 宰相鄭絪のこと。鄭絪752年-829年),字は文明,滎陽の人。父は鄭羨で,池州の刺史である。鄭絪は唐玄宗の天寶十一年に生れる,少くして學を好み,屬文を善くす,進士出身,宏詞科に登じ,秘書省校書郎を授り、鄠縣尉となる。最初、西川節度使と為り張延に書記に掌せられ賞せらる,名士に結交を喜んで張參の如し、楊綰、常袞等,五代無名氏らと《玉泉子》として劉景の《商山題詩》に記載され、鄭絪の賞識を受くる。唐の德宗の時期、補闕を歷任し、居郎に起し、翰林學士、司勛員外郎、知制誥等職し,唐の憲宗の監國で,中書舍人に遷される。唐憲宗立ち,中書侍郎同平章事を拜し,集賢殿大學士に加わり,門下侍郎に轉じ、弘文館大學士,杜黃と朝政を掌じともに裳同す。元和五年(810年),因みに相位する處にして謙默して事する所無し,貶秩を被り太子賓客と為る。三月に出でて嶺南節度使と為り、廣州刺史、檢校禮部尚書となる。以て廉政を著稱す。入りて工部尚書,轉太常卿,又為同州刺史、長春宮使,改東都留守と為す。入て兵部尚書を歷て,旋て河中節度使を為す。大和二年(828年),入て御史大夫、檢校左僕射、兼太子少保と為す。唐文宗即位し後、以て太子太傅致仕す。卒すは、唐文宗太和三年十月,年七十八。司空を贈られ,諡は曰宣である。

 

公賜之坐,且曰:「吾見子某詩,吾時在翰林。

鄭細閣下は、かけなさいといって、それから、「わたしはきみのなになにの詩を読んだ。わたしはそのとき翰林院にいたのです。

5. 翰林 翰林院学士。秘書詔勅を掌る


続きを読む

807年-06元和二年40歳《5.【字解集】》〔毛頴傳〕Ⅱ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之Blog10255

807-06元和二年40歳《5.【字解集】》〔毛頴傳〕

 


2018311

の紀頌之"6"つの校注Blog

口號王美人半醉

毛頴傳§5-2〔#14

昔遊-#3

孫光憲 河傳四首其二

#9 秋胡詩一首〔顏延之〕

(1) 《項羽と虞美人》

李白詩

韓愈詩

杜甫詩

花間集

玉臺新詠

古代史女性論

 

 

2018311

の紀頌之"6"つの校注Blog

10年のBLOGの集大成

   李白総合案内

 

●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」。、現在、①李白集校注詩全詩、②昌黎先生集全40巻他全詩、③杜詩詳注、④花間集、⑤玉臺新詠、⑥薛濤詩 全訳注解説

Ⅰ李白詩(李白集校注)      LiveDoor

748年-2《同王送杜秀芝舉入京(卷十八(二)一○六四)》漢文委員会kanbuniinkai 紀 頌之の李白詩訳注解説Blog 10261

Ⅱ韓昌黎詩集・文集校注      LiveDoor

807年-06元和二年40歳《5.【字解集】》〔毛頴傳〕Ⅱ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之Blog10255

Ⅲ 杜詩詳注                  LiveDoor

767年-230 昔遊-#3(卷二○(四)一七九五)注(1247)昔謁華蓋君 Ⅲ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ10256

杜甫詩 全詩 総合案内 

Ⅳブログ詩集漢・唐・宋詞  fc2Blog

花間集 訳注解説 (393)回目《孫光憲巻七50河傳四首其四》 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ10285 (03/10)

.唐五代詞詩・女性・玉臺新詠     Livedoor

玉臺・巻4•2-2 -#9 秋胡詩一首(高張生絶絃)〔顏延之〕 Ⅴ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の玉臺新詠巻二ブログ 10258

Ⅵ唐代女性論ブログ唐代女性論

(1)中国史・女性論 《項羽と虞美人》漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ10252

杜甫全詩案内

韓愈全詩案内

李白全集

李白詩のサイト

古詩源

花間集案内

漢詩・唐詩・宋詩研究

http://kanbunkenkyu.web.fc2.com/


  

 

807-06元和二年40歳《5.【字解集】》〔毛頴傳〕Ⅱ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之Blog10255

 

 

 

 

 

 

韓昌黎集 巻三十六 《毛頴傳》

 

 

 

 

 

§1-1

毛穎者,中山人也。

其先明眎,佐禹治東方土。

養萬物有功,因封於卯地,死為十二神。

嘗曰:「吾子孫神明之後,不可與物同。

當吐而生。」

已而果然。

§1-2

明視八世孫,世傳當殷時居中山,得神仙之術,能匿光使物,竊姮娥、騎蟾蜍入月。

其後代遂隱不仕云。

居東郭者曰 夋兔,

狡而善走,與韓盧爭能,盧不及。

盧怒,與宋鵲謀而殺之,醢其家。 

§2-1

秦始皇時,蒙將軍恬南伐楚,次中山。

將大獵以懼楚。

召左右庶長與軍尉,以《連山》筮之。

得天與人文之兆。

§2-2

筮者賀曰:「今日之獲,不角不牙,衣褐之徒。

缺口而長鬚,八竅而趺居。

獨取其髦,簡牘是資.天下其同書。

秦其遂兼諸侯乎!」

 

§2-3

遂獵,圍毛氏之族,拔其豪,載穎而歸,

獻俘於章臺宮,聚其族而加束縛焉。

秦皇帝使恬賜之湯沐,而封諸管城,號曰管城子。

曰見親寵任事。
 

 §3-1

穎為人,強記而便敏,自結繩之代以及秦事,無不纂錄。陰陽、卜筮、占相、醫方、族氏、山經、地志、字書、圖畫、九流、百家天人之書,及至浮圖、老子、外國之,皆所詳悉。又通於當代之務,官府簿書、巿井貸錢注記,惟上所使。自秦皇帝及太子扶蘇、胡亥、丞相斯、中車府令高,下及國人,無不愛重。又善隨人意,正直、邪曲、巧拙,一隨其人。雖見廢棄,終默不泄。惟不喜武士,然見請,亦時往。

§4-1

累拜中書令,與上益狎,上嘗呼為中書君。上親決事,以衡石自程,雖宮人不得立左右,獨穎與執燭者常侍,上休方罷。穎與絳人陳玄、弘農陶泓及會稽褚先生○8友善,相推致,其出處必偕。上召穎,三人者不待詔輒俱往,上未嘗怪焉。 

 

後因進見,上將有任使,拂拭之,因免冠○7謝。上見其髮禿,又所摹畫不能稱上意。上嘻笑曰:「中書君老而禿,不任吾用。吾嘗謂中書君,君今不中書邪?」對曰:「臣所謂盡心者。」因不復召,歸封邑,終於管城。

 

其子孫甚多,散處中國夷狄,皆冒管城,惟居中山者,能繼父祖業。 

§5-1

太史公曰:「毛氏有兩族。其一姓,文王之子,封於毛,所謂魯、衛、毛、聃者也。戰國時有毛公、毛遂。獨中山之族,不知其本所出,子孫最為蕃昌。《春秋》之成,見於孔子,而非其罪。及蒙將軍拔中山之豪,始皇封諸管城,世遂有名,而姓之毛無聞。穎始以俘見,卒見任使,秦之滅諸侯,穎與有功,賞不酬勞,以老見疏,秦真少恩哉。」

 

 

 

 

《毛頴傳》

 

 

字解集 訳注解説

 

 

漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ10255

 

 

 

毛穎傳

1. (筆を人に擬し、筆の姓を穎として伝を立てたものである。)

2. 毛穎 《「穎」は穂先の意》毛筆の異称。毛は筆の毛、当時は免の毛であったから筆の姓とした。穎は筆先の細い毛。これを名とした。

筆を人に擬して伝を立てたのである。着想から滑稽であり、叙事は更に諧謔味を帯び、韓愈の俳諧文の代表作である。特に諷諭の意を捜る必要はない。詩文を通じて、韓愈(退之)の文学には俳諧味がある。これはその一種の表現と見るべきであろう。

 

毛穎者,中山人也。

毛穎というものがいる、中山の人である。

3. 中山 江蘇省溧水県の南にある山の名。安徽・江蘇の界にあって兎の毛を多く産する。筆の良い材料である。

 

其先明眎,佐禹治東方土。

その先祖の明師は、夏の南王を佐けて、東方の土地を治めた。

4. 明眎 明視に同じ。兎の名。『礼記』曲礼に「兎を明視といふ」とあり、明視は祭祀用の免のみをいう。

5. 東方 十二支の卯を東方に当てる。卯は動物の兎とする。故に卯の地に封ぜらるという。

 

養萬物有功,因封於卯地,死為十二神。

万物を養い育てて手柄があった。それに困って卯の地に封ぜられて諸侯となった。死んで十二神の一となった。

6. 十二神 十二支のこと。各々動物をあて、卯は兔である。

 

嘗曰:「吾子孫神明之後,不可與物同。

明師は以前にいった、わが子孫は神の後裔である。他の万物と同じであってはならない。

 

當吐而生。

だから子を産むには、当然口から吐いて生まなければならない、と。

7. 吐而生 兎の音は吐、『論衡』に 「免は毫を舐めて孕み、其の子を生むに及んで口より出だす。名づけてはん嬝と日ふ。俗に呼んで酃といふ」とある。酃は兎の子の名称。これを八世の孫の名とする。口から生むというのは、生児の胞衣を舐めて清めるのを、口から生んだと見た。

 

已而果然。

やがて果たしてその通りになった。

 

 (2) §1-2

明視八世孫,世傳當殷時居中山,得神仙之術,能匿光使物,竊姮娥、騎蟾蜍入月。

明師の八世の孫は、世に伝えるところでは、殷の当時に中山に居り、神仙になる術を得て、光を匿したり、または物を使って働かせることができた。羿の妻姮娥を窃み取り、蟾蜍(ひき蛙)に騎って月に入った。

8. 竊姮娥、騎蟾蜍入月 姮娥は嫦娥。嫦娥(じょうが、こうが)は、中国神話に登場する人物。后羿の妻。古くは姮娥(こうが)と表記された。

『淮南子』覧冥訓によれば、もとは仙女だったが地上に下りた際に不死でなくなったため、夫の后羿が西王母からもらい受けた不死の薬を盗んで飲み、月に逃げ、蝦蟇になったと伝えられる。

別の話では、后羿が離れ離れになった嫦娥をより近くで見るために月に向かって供え物をしたのが、月見の由来だとも伝えている。

道教では、嫦娥を月神とみなし、「太陰星君」さらに「月宮黄華素曜元精聖後太陰元君」「月宮太陰皇君孝道明王」と呼び、中秋節に祀っている。

「姮娥」が本来の表記であったが、前漢の文帝の名が「恒」であるため、字形のよく似た「姮」を避諱して「嫦」を用いるようになった。のちに旁の「常」の影響を受けて読みも「じょうが」(に対応する中国語での発音)に変化した。韓愈自身も盧仝と同じテーマの《月蝕詩效玉川子》がある。月蝕詩效玉川子作 韓愈 韓退之(韓愈)詩<96-#1>Ⅱ中唐詩514 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ1622

李商隠《嫦娥》「雲母屏風燭影深、長河漸落暁星沈。嫦娥應悔倫塞薬、碧海青天夜夜心。」○常蛾 月の女神。「1. 道教の影響 2. 芸妓について 3. 李商隠 12 嫦娥」詩参照。仙薬を飲んでいる。

9. 蟾蜍 月に住むといわれるひきがえる。李白「古朗月行」月の満ち欠けはカエルが食べてかけていく。


続きを読む

807年-06元和二年40歳《4.【字解集】》〔嘲鼾睡,二首之一・嘲鼾睡,二首之二〕Ⅱ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之Blog10135

807-06元和二年40歳《4.【字解集】》〔嘲鼾睡,二首之一・嘲鼾睡,二首之二〕

 

  

2018219

の紀頌之"6"つの校注Blog

重憶一首

.【字解集】》〔嘲鼾睡,二首之一・二

【字解集】5首・即事・耳聾・獨坐

醉公子二首其一

#1 雜詩五首其五   (代牛女)

#2【聯句】 光威裒姉妹三人・・・・

李白詩

韓愈詩

杜甫詩

花間集

玉臺新詠

古代史女性論

 

 

2018219

の紀頌之”6”つの校注Blog

10年のBLOGの集大成

   李白総合案内

 

●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、現在、李白詩全詩 訳注

Ⅰ李白詩

(李白集校注)

747-018重憶一首(卷二三(二)一三六五)漢文委員会kanbuniinkai 紀 頌之の李白詩訳注解説Blog10128

LiveDoo

rBlog

746-【字解集】21.魯東門觀刈蒲 22.魯郡堯祠送五之琅琊 23.魯郡堯祠送張十四遊西北Ⅰ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 李白詩集Blog9884

孟浩然

李白詩

謝霊運

司馬相如 《子虛賦 ・上林賦》

揚雄 《甘泉賦》

諸葛亮 出師表

曹植詩65

兩都賦序・西都賦・東都賦

李白全詩

漁父辞(屈原

楚辞・九歌》東君

《楚辞九辯》

 

 

 

 

10年のBLOGの集大成

●唐を代表する 中唐 韓愈 全500首 

Ⅱ韓昌黎詩集・文集校注

807年-06元和二年40歳《4.【字解集】》〔嘲鼾睡,二首之一・嘲鼾睡,二首之二〕Ⅱ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之Blog10135

LiveDoo

rBlog

807年-05元和二年40歳《【字解集】》〔酬裴十六功曹巡府西驛塗中見寄・記夢〕Ⅱ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之Blog10066

・李商隠詩 (1) 136首の75

・李商隠詩 (2) 135首の61

韓愈1 ・孟郊・張籍と汴州乱41

index-2[800年~804年]27

index-3 805年陽山から江陵36

index-4 806年 39 江陵・国子博士25

index-5 806年39歳(2)25

index-6 807~809年 20

index-7[810年~811年 44歳] 34

index-8 [812年~814年47歳]46

index-9[815年~816年 49歳57

index-10[817年~818年 51歳]「平淮西碑」28

index-11 819年『論佛骨表』左遷 38

index-12 820 國子祭酒18

index-13 821年~822年 22

index-14 57歳・病気のため退職。没す14

韓愈 哲学・儒学「五原」

孟郊

 

10年のBLOGの集大成

 

 

 

●杜甫の全作品1500首を訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"

Ⅲ 杜詩

詳注

767年-集-30 767-【字解集】5首・即事 ・耳聾 ・獨坐二首 ・雲  Ⅲ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ10116

LiveDoo

rBlog

767年-集-21 【字解集】 ・寄峽州劉伯華使君四十韻  Ⅲ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ9366

767年 【字解集】152.課小豎鉏斫舍北果,林枝蔓荒穢淨,訖移床,三首 155.反照 157.向夕 Ⅲ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ9645

杜甫詩(1)736~751年  53

杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73

杜甫詩(3)45歳 安史の乱に彷徨う 26

杜甫詩(4)757年、左拾遺 43

杜甫詩(5)758年47歳 左遷 53

杜甫詩(6)759年 三吏三別 44

杜甫詩(7)759年秦州詩 66

杜甫詩(8)759年同谷紀行、成都紀行36

杜甫詩(9)760年、49歳 成都 45

杜甫詩(10)761年、50歳 成都82

杜甫詩(11)762年蜀中転々43

杜甫詩(12)762年 蜀中転々 49

(13)763年蜀中転々 96

 (14)764年 三月成都へ帰る 100

 (15)765年正月幕府を辞す 63

(16-1) 766年雲安、暮春、夔州 168首 の(1)80

(16-2) 766年雲安、暮春、夔州 168首 の(1)81

 

杜甫詩 (17-1)767年夔州・西閣・赤甲・瀼西132

杜甫詩 (17-2) 767年・瀼西・東屯 133

杜甫詩 (18)768年江陵・公安縣・岳州 78

杜甫詩 (19)769年・洞庭湖・潭州・衡州 78

杜甫詩 (20)770年・洞庭湖・潭州・衡州。27

杜甫詩 (21)洩れ分(未詳分)・散文

杜甫詩 全詩 総合案内 

●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている。花間集連載開始。

Ⅳブログ詩集

漢・唐・宋詞

花間集 訳注解説 (376)回目顧巻七35醉公子二首其一》 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ10124 (02/18)

  fc2

Blog

花間集 訳注解説 (313)回目和凝【字解集】11柳枝三首  12.漁父一首》 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ9639 (12/07)

 

 

 

10年のBLOGの集大成

 

●花間集全詩●森鴎外の小説の”魚玄機”詩、芸妓”薛濤”詩。唐から五代詩詞。花間集。玉臺新詠連載開始

.唐五代詞詩・女性

・玉臺新詠

巻三-39-#1 雜詩五首其五代牛女〔劉 鑠〕 Ⅴ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の玉臺新詠巻二ブログ 10090

LiveDoo

rBlog

巻三-29 【字解集】雜詩三首其一~其三  Ⅴ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の玉臺新詠巻二ブログ 10077

●薛濤の全詩

●花間集(1

●花間集(2

●花間集(3

●花間集(4

●花間集(5

●魚玄機全詩

●花間集(6

●花間集(7

●花間集(8

●花間集(9

●花間集10

Ⅵ唐代女性論         ninjaブログ

48-#2【聯句】 光威裒姉妹三人、小孤而始姸乃有。是作精醉儔難。謝家聯雪何以加、之有客自京師来者示予因次其韻漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ10216

 ■最近Best5 賦・詩・詞(漢詩4ブログ各部門)

漢詩総合サイト 07ch

杜甫全詩案内

韓愈全詩案内

李白全集

李白詩のサイト

古詩源

花間集案内

漢詩・唐詩・宋詩研究

http://kanbunkenkyu.web.fc2.com/

 

807-06元和二年40歳《4.【字解集】》〔嘲鼾睡,二首之一・嘲鼾睡,二首之二〕Ⅱ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之Blog10135

 

 

 

 

 

 

 

韓昌黎集 補遺 《嘲鼾睡二首》

 

 

 

 

 

《嘲鼾睡二首其一》 

全唐詩 卷345_12 -1

韓愈全集校注 〔一〕四二六

韓昌黎集 

嘲鼾睡二首其一 #1

澹師晝睡時,聲氣一何猥。

頑飆吹肥脂,坑穀相嵬磊。 

雄哮乍咽,每發壯益倍。

#2

有如阿鼻屍,長喚忍眾罪。 馬牛驚不食,百鬼聚相待。

木枕十字裂,鏡面生痱

#3

鐵佛聞皺眉,石人戰搖腿。孰雲天地仁,吾欲責真宰。 

幽尋虱搜耳,猛作濤翻海。

#4

太陽不忍明,飛禦皆惰怠。 乍如彭與黥,呼冤受菹醢。

又如圈中虎,號瘡兼吼餒。 

#5

雖令伶倫吹,苦韻難可改。雖令巫鹹招,魂爽難複在。 

何山有靈藥,療此願與采。 

 

345_12 -2《嘲鼾睡二首其二》 

澹公坐臥時,長睡無不穩。吾嘗聞其聲,深慮五藏損。 

黃河弄濆薄,梗澀連拙鯀。

#2

南帝初奮槌,鑿竅泄混沌。 

迥然忽長引,萬丈不可忖。謂言於斯,繼出方袞袞。 

#3

幽幽寸喉中,草木森苯mH.盜賊雖狡獪,亡魂敢窺閫。 

鴻蒙總合雜,詭譎騁戾很。

#4

乍如鬥呶呶,忽若怨懇懇。 

賦形苦不同,無路尋根本。何能堙其源,惟有土一畚。 


続きを読む

807年-06元和二年40歳《4.【字解集】》〔嘲鼾睡,二首之一・嘲鼾睡,二首之二〕Ⅱ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之Blog10135

807-06元和二年40歳《4.【字解集】》〔嘲鼾睡,二首之一・嘲鼾睡,二首之二〕

 

 

807-06元和二年40歳《4.【字解集】》〔嘲鼾睡,二首之一・嘲鼾睡,二首之二〕Ⅱ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之Blog10135

 

 

 

 

 

 

 

韓昌黎集 補遺 《嘲鼾睡二首》

 

 

 

 

 

《嘲鼾睡二首其一》 

全唐詩 卷345_12 -1

韓愈全集校注 〔一〕四二六

韓昌黎集 

嘲鼾睡二首其一 #1

澹師晝睡時,聲氣一何猥。

頑飆吹肥脂,坑穀相嵬磊。 

雄哮乍咽,每發壯益倍。

#2

有如阿鼻屍,長喚忍眾罪。 馬牛驚不食,百鬼聚相待。

木枕十字裂,鏡面生痱

#3

鐵佛聞皺眉,石人戰搖腿。孰雲天地仁,吾欲責真宰。 

幽尋虱搜耳,猛作濤翻海。

#4

太陽不忍明,飛禦皆惰怠。 乍如彭與黥,呼冤受菹醢。

又如圈中虎,號瘡兼吼餒。 

#5

雖令伶倫吹,苦韻難可改。雖令巫鹹招,魂爽難複在。 

何山有靈藥,療此願與采。 

 

345_12 -2《嘲鼾睡二首其二》 

澹公坐臥時,長睡無不穩。吾嘗聞其聲,深慮五藏損。 

黃河弄濆薄,梗澀連拙鯀。

#2

南帝初奮槌,鑿竅泄混沌。 

迥然忽長引,萬丈不可忖。謂言於斯,繼出方袞袞。 

#3

幽幽寸喉中,草木森苯mH.盜賊雖狡獪,亡魂敢窺閫。 

鴻蒙總合雜,詭譎騁戾很。

#4

乍如鬥呶呶,忽若怨懇懇。 

賦形苦不同,無路尋根本。何能堙其源,惟有土一畚。 


続きを読む

807年-05元和二年40歳《【字解集】》〔酬裴十六功曹巡府西驛塗中見寄・記夢〕Ⅱ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之Blog10065

 807-05元和二年40歳《【字解集】》〔酬裴十六功曹巡府西驛塗中見寄・記夢〕

 

 

  

201829

の紀頌之"6"つの校注Blog

越女詞五首其一

【字解集】》〔酬裴十六功曹巡府西驛塗中見寄・記夢

#2 寒雨朝行視園樹

荷葉杯九首其七

【字解集】雜詩三首其一~其三         

送別

李白詩

韓愈詩

杜甫詩

花間集

玉臺新詠

古代史女性論

 

 

 

201829

の紀頌之”6”つの校注Blog

10年のBLOGの集大成

   李白総合案内

 

●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、現在、李白詩全詩 訳注

Ⅰ李白詩

(李白集校注)

747-08巻168-03淮海對雪贈傅靄(卷九(一)五九六)漢文委員会kanbuniinkai 紀 頌之の李白詩訳注解説Blog10044

LiveDoo

rBlog

746-【字解集】21.魯東門觀刈蒲 22.魯郡堯祠送五之琅琊 23.魯郡堯祠送張十四遊西北Ⅰ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 李白詩集Blog9884

孟浩然

李白詩

謝霊運

司馬相如 《子虛賦 ・上林賦》

揚雄 《甘泉賦》

諸葛亮 出師表

曹植詩65

兩都賦序・西都賦・東都賦

李白全詩

漁父辞(屈原

楚辞・九歌》東君

《楚辞九辯》

 

 

 

 

10年のBLOGの集大成

●唐を代表する 中唐 韓愈 全500首 

Ⅱ韓昌黎詩集・文集校注

807年-05元和二年40歳《【字解集】》〔酬裴十六功曹巡府西驛塗中見寄・記夢〕Ⅱ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之Blog10065

LiveDoo

rBlog

806年-集23- 韓昌黎集【字解集】送許郢州序 Ⅱ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之韓愈詩集9491

・李商隠詩 (1) 136首の75

・李商隠詩 (2) 135首の61

韓愈1 ・孟郊・張籍と汴州乱41

index-2[800年~804年]27

index-3 805年陽山から江陵36

index-4 806年 39 江陵・国子博士25

index-5 806年39歳(2)25

index-6 807~809年 20

index-7[810年~811年 44歳] 34

index-8 [812年~814年47歳]46

index-9[815年~816年 49歳57

index-10[817年~818年 51歳]「平淮西碑」28

index-11 819年『論佛骨表』左遷 38

index-12 820 國子祭酒18

index-13 821年~822年 22

index-14 57歳・病気のため退職。没す14

韓愈 哲学・儒学「五原」

孟郊

 

10年のBLOGの集大成

 

 

 

●杜甫の全作品1500首を訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"

Ⅲ 杜詩

詳注

767年-211#2 寒雨朝行視園樹(卷二○(四)一七七九)#2注(1229) Ⅲ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ10053

LiveDoo

rBlog

767年-集-21 【字解集】 ・寄峽州劉伯華使君四十韻  Ⅲ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ9366

767年 【字解集】152.課小豎鉏斫舍北果,林枝蔓荒穢淨,訖移床,三首 155.反照 157.向夕 Ⅲ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ9645

杜甫詩(1)736~751年  53

杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73

杜甫詩(3)45歳 安史の乱に彷徨う 26

杜甫詩(4)757年、左拾遺 43

杜甫詩(5)758年47歳 左遷 53

杜甫詩(6)759年 三吏三別 44

杜甫詩(7)759年秦州詩 66

杜甫詩(8)759年同谷紀行、成都紀行36

杜甫詩(9)760年、49歳 成都 45

杜甫詩(10)761年、50歳 成都82

杜甫詩(11)762年蜀中転々43

杜甫詩(12)762年 蜀中転々 49

(13)763年蜀中転々 96

 (14)764年 三月成都へ帰る 100

 (15)765年正月幕府を辞す 63

(16-1) 766年雲安、暮春、夔州 168首 の(1)80

(16-2) 766年雲安、暮春、夔州 168首 の(1)81

 

杜甫詩 (17-1)767年夔州・西閣・赤甲・瀼西132

杜甫詩 (17-2) 767年・瀼西・東屯 133

杜甫詩 (18)768年江陵・公安縣・岳州 78

杜甫詩 (19)769年・洞庭湖・潭州・衡州 78

杜甫詩 (20)770年・洞庭湖・潭州・衡州。27

杜甫詩 (21)洩れ分(未詳分)・散文

杜甫詩 全詩 総合案内 

●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている。花間集連載開始。

Ⅳブログ詩集

漢・唐・宋詞

花間集 訳注解説 (369)回目顧巻七28荷葉杯九首其七》 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ10061 (02/08)

  fc2

Blog

花間集 訳注解説 (313)回目和凝【字解集】11柳枝三首  12.漁父一首》 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ9639 (12/07)

 

 

 

10年のBLOGの集大成

 

●花間集全詩●森鴎外の小説の”魚玄機”詩、芸妓”薛濤”詩。唐から五代詩詞。花間集。玉臺新詠連載開始

.唐五代詞詩・女性

・玉臺新詠

巻三-29 【字解集】雜詩三首其一~其三  Ⅴ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の玉臺新詠巻二ブログ 10076

LiveDoo

rBlog

巻三 【字解集】 19.合歡詩五首 Ⅴ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の玉臺新詠巻二ブログ 9739

●薛濤の全詩

●花間集(1

●花間集(2

●花間集(3

●花間集(4

●花間集(5

●魚玄機全詩

●花間集(6

●花間集(7

●花間集(8

●花間集(9

●花間集10

Ⅵ唐代女性論         ninjaブログ

九、045卷804_42 《送別 》 魚玄機 漢文委員会kanbuniinkai 紀 頌之 ブログ10042

 ■最近Best5 賦・詩・詞(漢詩4ブログ各部門)

漢詩総合サイト 07ch

杜甫全詩案内

韓愈全詩案内

李白全集

李白詩のサイト

古詩源

花間集案内

漢詩・唐詩・宋詩研究

http://kanbunkenkyu.web.fc2.com/

807-05元和二年40歳《【字解集】》〔酬裴十六功曹巡府西驛塗中見寄・記夢〕Ⅱ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之Blog10065

 

 

 

 

 

 

《韓昌黎集・昌黎先生文集・韓愈全集校注》 

 

 

 

 

 

4.

酬裴十六功曹巡府西驛塗中見寄(韓愈全集校注 〔一〕四三〇)巻四29

339_32 《酬裴十六功曹巡府西驛途中見寄》韓愈

相公罷論道,聿至活東人。禦史坐言事,作吏府中塵。 

遂令河南治,今古無儔倫。

四海日富庶,道途隘蹄輪。 府西三百里,候館同魚鱗。

相公謂禦史,勞子去自巡。 

是時山水秋,光景何鮮新。哀鴻鳴清耳,宿霧褰高旻

遺我行旅詩,軒軒有風神。譬如黃金盤,照耀荊璞真。 

我來亦已幸,事賢友其仁。持竿洛水側,孤坐屢窮辰。 

多才自勞苦,無用只因循。辭免期匪遠,行行及山春。 

 

5.

記夢(韓愈全集校注 〔二〕九二〇)巻七-13

342_11 《記夢》韓愈 

  夜夢神官與我言,羅縷道妙角與根。挈攜陬維口瀾翻, 

  百二十刻須臾間。我聽其言未雲足,舍我先度橫山腹。 

  我徒三人共追之,一人前度安不危。我亦平行蹋ye 

  神完骨蹻不掉。側身上視溪穀盲,杖撞玉版聲彭fP. 

  神官見我開顏笑,前對一人壯非少。石壇坡陀可坐臥, 

  我手承頦肘拄座。隆樓傑閣磊嵬高,天風飄飄吹我過。 

  壯非少者哦七言,六字常語一字難。我以指撮白玉丹, 

  行且咀噍行詰盤。口前截斷第二句,綽虐顧我顏不歡。 

  乃知仙人未賢聖,護短憑愚邀我敬。我能屈曲自世間, 

  安能從汝巢神山。 

 

続きを読む

807年-04元和二年40歳《【字解集】》〔三星行・剝啄行〕Ⅱ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之Blog10002

807-04元和二年40歳《【字解集】》〔三星行・剝啄行〕

 

 

2018131

の紀頌之"6"つの校注Blog

#2 古風五十九首之十二

【字解集】〔三星行・剝啄行〕

刈稻了詠懷

【字解集】-6楊柳枝・遐方怨・他4首

#2 雜詩三首其一 七月七日

代人悼亡

李白詩

韓愈詩

杜甫詩

花間集

玉臺新詠

古代史女性論

 

 

2018131

の紀頌之”6”つの校注Blog

10年のBLOGの集大成

   李白総合案内

 

●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、現在、李白詩全詩 訳注

Ⅰ李白詩

(李白集校注)

747-05#2巻161-12 「松柏本孤直」詩(古風五十九首之十二)(卷二(一)一一四)漢文委員会kanbuniinkai 紀 頌之の李白詩訳注解説Blog10002

LiveDoo

rBlog

746-【字解集】21.魯東門觀刈蒲 22.魯郡堯祠送五之琅琊 23.魯郡堯祠送張十四遊西北Ⅰ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 李白詩集Blog9884

孟浩然

李白詩

謝霊運

司馬相如 《子虛賦 ・上林賦》

揚雄 《甘泉賦》

諸葛亮 出師表

曹植詩65

兩都賦序・西都賦・東都賦

李白全詩

漁父辞(屈原

楚辞・九歌》東君

《楚辞九辯》

 

 

 

 

10年のBLOGの集大成

●唐を代表する 中唐 韓愈 全500首 

Ⅱ韓昌黎詩集・文集校注

807年-04元和二年40歳《【字解集】》〔三星行・剝啄行〕Ⅱ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之Blog10002

LiveDoo

rBlog

806年-集23- 韓昌黎集【字解集】送許郢州序 Ⅱ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之韓愈詩集9491

・李商隠詩 (1) 136首の75

・李商隠詩 (2) 135首の61

韓愈1 ・孟郊・張籍と汴州乱41

index-2[800年~804年]27

index-3 805年陽山から江陵36

index-4 806年 39 江陵・国子博士25

index-5 806年39歳(2)25

index-6 807~809年 20

index-7[810年~811年 44歳] 34

index-8 [812年~814年47歳]46

index-9[815年~816年 49歳57

index-10[817年~818年 51歳]「平淮西碑」28

index-11 819年『論佛骨表』左遷 38

index-12 820 國子祭酒18

index-13 821年~822年 22

index-14 57歳・病気のため退職。没す14

韓愈 哲学・儒学「五原」

孟郊

 

10年のBLOGの集大成

 

 

 

●杜甫の全作品1500首を訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"

Ⅲ 杜詩

詳注

767年-210 刈稻了詠懷(卷二○(四)一七七四)注(1222) Ⅲ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ9649

LiveDoo

rBlog

767年-集-21 【字解集】 ・寄峽州劉伯華使君四十韻  Ⅲ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ9366

767年 【字解集】152.課小豎鉏斫舍北果,林枝蔓荒穢淨,訖移床,三首 155.反照 157.向夕 Ⅲ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ9645

杜甫詩(1)736~751年  53

杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73

杜甫詩(3)45歳 安史の乱に彷徨う 26

杜甫詩(4)757年、左拾遺 43

杜甫詩(5)758年47歳 左遷 53

杜甫詩(6)759年 三吏三別 44

杜甫詩(7)759年秦州詩 66

杜甫詩(8)759年同谷紀行、成都紀行36

杜甫詩(9)760年、49歳 成都 45

杜甫詩(10)761年、50歳 成都82

杜甫詩(11)762年蜀中転々43

杜甫詩(12)762年 蜀中転々 49

(13)763年蜀中転々 96

 (14)764年 三月成都へ帰る 100

 (15)765年正月幕府を辞す 63

(16-1) 766年雲安、暮春、夔州 168首 の(1)80

(16-2) 766年雲安、暮春、夔州 168首 の(1)81

 

杜甫詩 (17-1)767年夔州・西閣・赤甲・瀼西132

杜甫詩 (17-2) 767年・瀼西・東屯 133

杜甫詩 (18)768年江陵・公安縣・岳州 78

杜甫詩 (19)769年・洞庭湖・潭州・衡州 78

杜甫詩 (20)770年・洞庭湖・潭州・衡州。27

杜甫詩 (21)洩れ分(未詳分)・散文

杜甫詩 全詩 総合案内 

●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている。花間集連載開始。

Ⅳブログ詩集

漢・唐・宋詞

花間集 訳注解説 (362)回目顧【字解集】-6》 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ10012・楊柳枝・遐方怨・獻衷心・應天長・訴衷情二首其一・訴衷情二首其二 (01/31)

  fc2

Blog

花間集 訳注解説 (313)回目和凝【字解集】11柳枝三首  12.漁父一首》 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ9639 (12/07)

 

 

 

10年のBLOGの集大成

 

●花間集全詩●森鴎外の小説の”魚玄機”詩、芸妓”薛濤”詩。唐から五代詩詞。花間集。玉臺新詠連載開始

.唐五代詞詩・女性

・玉臺新詠

巻三-32-#2 雜詩三首其一七月七日夜詠牛女〔謝恵連〕 Ⅴ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の玉臺新詠巻二ブログ 10020

LiveDoo

rBlog

巻三 【字解集】 19.合歡詩五首 Ⅴ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の玉臺新詠巻二ブログ 9739

●薛濤の全詩

●花間集(1

●花間集(2

●花間集(3

●花間集(4

●花間集(5

●魚玄機全詩

●花間集(6

●花間集(7

●花間集(8

●花間集(9

●花間集10

Ⅵ唐代女性論         ninjaブログ

九、039卷804_36 《代人悼亡》 魚玄機 漢文委員会kanbuniinkai 紀 頌之 ブログ10000

 ■最近Best5 賦・詩・詞(漢詩4ブログ各部門)

漢詩総合サイト 07ch

杜甫全詩案内

韓愈全詩案内

李白全集

李白詩のサイト

古詩源

花間集案内

漢詩・唐詩・宋詩研究

http://kanbunkenkyu.web.fc2.com/

 

807-04元和二年40歳《【字解集】》〔三星行・剝啄行〕Ⅱ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之Blog10002

 

 

【字解集】〔三星行・剝啄行〕

三星行

339_7 《三星行》韓愈

我生之辰,月宿南斗。牛奮其角,箕張其口。

牛不見服箱,鬥不挹酒漿。箕獨有神靈,無時停簸揚。

無善名已聞,無惡聲已讙。名聲相乘除,得少失有餘。

三星各在天,什伍東西陳。嗟汝牛與鬥,汝獨不能神。

 

三星行
自分の生まれた日の星回りを詠ったもの。

・中国にも、オリオン座(参)とさそり座(商)が天球上でほぼ反対側に位置して同時には上らないことから、不仲や疎遠な人間関係を指して「参商の如し」という言葉がある。二十八宿を7宿ごとにまとめた四象があり、東方青龍・北方玄武・西方白虎・南方朱雀に四分された。


我生之辰,月宿南斗。
私が生まれた時の星回りについて言う。その日の月は満月で南斗の方角にあった。
月宿南斗 北斗と南斗と方位を示す。どちらも北斗七星、南斗六星と星座をいう。南斗は亀で、月は水の別称で亀に水をやる時であり、満月が南の位置であったことをいう。


牛奮其角,箕張其口。
淘汰する気の牽牛星はその角を振り回し、風の神である箕星はその噴出す口をひろげてはいなかった。
 牽牛星 淘汰する気-車騎星・. 算命学思想-淘汰する気を持つ星 車騎星、牽牛星は、攻撃の星で、その本質は、淘汰することに役目がある。 必要な気と、不必要な気を淘汰する気が、車騎星、牽牛星。
 箕星二十八宿の一つで東方青龍七宿の第七宿。蒼龍の糞。米を篩いにかけて糠を取り除く農具。また風伯(風の神)を指す。


牛不見服箱,鬥不挹酒漿。
その牛は牛であっても車を引いていくわけではないし、柄杓といっても出来立てのうまい酒を酌めるわけではない。


箕獨有神靈,無時停簸揚。
箕星は独り神靈の力が備わっているというし、篩を動かし続けて止めることはないという。

#2

無善名已聞,無惡聲已讙。
自分にとって良いことがないといってもその名声はいつの間にか知れ渡っており、悪いことがないといってもその評価については批判されるというものである。


名聲相乘除,得少失有餘。
名声はものすごく良いこともあれば悪い時もある、プラスマイナスして少しでも余っていればよいではないか。


三星各在天,什伍東西陳。
北斗、南斗、月がそれぞれ天に南北にならび、星座は部隊,連隊が並ぶように東から西へと並んでいる。

三星各在天  詩經 「綢繆束薪,三星在天。今夕何夕? 見此良人。」(綢繆(ちうびう)として薪を束ぬ、三星天に在り。今夕何の夕ぞ、此の良人を見る。)綢繆束芻 綢繆として芻を束ぬ 三星在隅 三星隅に在り 今夕何夕 今夕何の夕ぞ。

什伍 縦横におなじ、南斗は六星、牽牛は六星、箕四星、これらが縦横に並んでいる。


嗟汝牛與鬥,汝獨不能神。
ああ、牽牛星と北斗、南斗の星たちよ、どの星の一つでも私に力を貸してはくれまいか。

 

 

 

 

 

 

続きを読む

807年元和二年40歳-【字解集】 巻一-01元和聖德詩 Ⅱ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之韓愈詩集9940  (2)§5~§7  #18~#35

807年元和二年40-【字解集】 巻一-01元和聖德詩

 

2018123

の紀頌之"6"つの校注Blog

酬崔侍御(成甫)

字解集】 元和聖德詩(2)#18~#35

東屯月夜 -#2

酒泉子七首其七

#1 雜詩二首其一

#1 《遣 懷》 魚玄機

李白詩

韓愈詩

杜甫詩

花間集

玉臺新詠

中国古代史女性論

 

 

2018123

の紀頌之”6”つの校注Blog

10年のBLOGの集大成

   李白総合案内

 

●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、現在、李白詩全詩 訳注

Ⅰ李白詩

(李白集校注)

747-01巻178-20酬崔侍御(成甫)(卷十九(二)一一二○)漢文委員会kanbuniinkai 紀 頌之の李白詩訳注解説Blog9946

LiveDoo

rBlog

746-【字解集】21.魯東門觀刈蒲 22.魯郡堯祠送五之琅琊 23.魯郡堯祠送張十四遊西北Ⅰ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 李白詩集Blog9884

孟浩然

李白詩

謝霊運

司馬相如 《子虛賦 ・上林賦》

揚雄 《甘泉賦》

諸葛亮 出師表

曹植詩65

兩都賦序・西都賦・東都賦

李白全詩

漁父辞(屈原

楚辞・九歌》東君

《楚辞九辯》

 

 

 

 

10年のBLOGの集大成

●唐を代表する 中唐 韓愈 全500首 

Ⅱ韓昌黎詩集・文集校注

807年元和二年40歳-【字解集】 巻一-01元和聖德詩 Ⅱ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之韓愈詩集9940  (2)§5~§7  #18~#35

LiveDoo

rBlog

806年-集23- 韓昌黎集【字解集】送許郢州序 Ⅱ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之韓愈詩集9491

・李商隠詩 (1) 136首の75

・李商隠詩 (2) 135首の61

韓愈1 ・孟郊・張籍と汴州乱41

index-2[800年~804年]27

index-3 805年陽山から江陵36

index-4 806年 39 江陵・国子博士25

index-5 806年39歳(2)25

index-6 807~809年 20

index-7[810年~811年 44歳] 34

index-8 [812年~814年47歳]46

index-9[815年~816年 49歳57

index-10[817年~818年 51歳]「平淮西碑」28

index-11 819年『論佛骨表』左遷 38

index-12 820 國子祭酒18

index-13 821年~822年 22

index-14 57歳・病気のため退職。没す14

韓愈 哲学・儒学「五原」

孟郊

 

10年のBLOGの集大成

 

 

 

●杜甫の全作品1500首を訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"

Ⅲ 杜詩

詳注

767年-197#2 東屯月夜 -#2(卷二○(四)一七六九)#2注(1216)盜賊浮生困 Ⅲ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ9934

LiveDoo

rBlog

767年-集-21 【字解集】 ・寄峽州劉伯華使君四十韻  Ⅲ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ9366

767年 【字解集】152.課小豎鉏斫舍北果,林枝蔓荒穢淨,訖移床,三首 155.反照 157.向夕 Ⅲ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ9645

杜甫詩(1)736~751年  53

杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73

杜甫詩(3)45歳 安史の乱に彷徨う 26

杜甫詩(4)757年、左拾遺 43

杜甫詩(5)758年47歳 左遷 53

杜甫詩(6)759年 三吏三別 44

杜甫詩(7)759年秦州詩 66

杜甫詩(8)759年同谷紀行、成都紀行36

杜甫詩(9)760年、49 成都 45

杜甫詩(10)761年、50歳 成都82

杜甫詩(11)762年蜀中転々43

杜甫詩(12)762年 蜀中転々 49

(13)763年蜀中転々 96

 (14)764年 三月成都へ帰る 100

 (15)765年正月幕府を辞す 63

(16-1) 766年雲安、暮春、夔州 168首 の(1)80

(16-2) 766年雲安、暮春、夔州 168首 の(1)81

 

杜甫詩 (17-1)767年夔州・西閣・赤甲・瀼西132

杜甫詩 (17-2) 767年・瀼西・東屯 133

杜甫詩 (18)768年江陵・公安縣・岳州 78

杜甫詩 (19)769年・洞庭湖・潭州・衡州 78

杜甫詩 (20)770年・洞庭湖・潭州・衡州。27

杜甫詩 (21)洩れ分(未詳分)・散文

杜甫詩 全詩 総合案内 

●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている。花間集連載開始。

Ⅳブログ詩集

漢・唐・宋詞

花間集 訳注解説 (351)回目顧巻七15酒泉子七首其七》 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ9935 (01/23)

  fc2

Blog

花間集 訳注解説 (313)回目和凝【字解集】11柳枝三首  12.漁父一首》 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ9639 (12/07)

 

 

 

10年のBLOGの集大成

 

●花間集全詩●森鴎外の小説の”魚玄機”詩、芸妓”薛濤”詩。唐から五代詩詞。花間集。玉臺新詠連載開始

.唐五代詞詩・女性

・玉臺新詠

巻三-30-#1 雜詩二首其一桑妾獨何懷〔王 微〕 Ⅴ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の玉臺新詠巻二ブログ 9915

LiveDoo

rBlog

巻三 【字解集】 19.合歡詩五首 Ⅴ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の玉臺新詠巻二ブログ 9739

●薛濤の全詩

●花間集(1

●花間集(2

●花間集(3

●花間集(4

●花間集(5

●魚玄機全詩

●花間集(6

●花間集(7

●花間集(8

●花間集(9

●花間集10

Ⅵ唐代女性論         ninjaブログ

九、集-06-B【字解集】 26-重陽阻雨 27-早秋 28-感懷寄人 29-期友人阻雨不至 31-訪趙煉師不遇 》 魚玄機 漢文委員会kanbuniinkai 紀 頌之 ブログ9930

 ■最近Best5 賦・詩・詞(漢詩4ブログ各部門)

漢詩総合サイト 07ch

杜甫全詩案内

韓愈全詩案内

李白全集

李白詩のサイト

古詩源

花間集案内

漢詩・唐詩・宋詩研究

http://kanbunkenkyu.web.fc2.com/

 

807年元和二年40-【字解集】 巻一-01元和聖德詩 Ⅱ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之韓愈詩集9940  (2)§5~§7  #18~#35

 

 

元和聖德詩

50. (即位された、今生天子は元和という年号にされ、天晴な英主として、唐室中興の望みとして嘱され、韓愈は、憲宗の神武を讃頌するとともに、それとともに、その「知」を得んがためにこの詩を作った)

 

#18    5-1

優賞將吏,扶珪綴組。
従軍した文武官僚に対して論功行賞がなされた。高崇文はこの功によって検校司空剣南西川節度観察等使を授けられ、南平郡王に封ぜられ、印綬を授けられた。
167. ・優賞将吏 従軍した文武官僚に対して論功行賞がなされた。『旧唐書』によれば、高崇文はこの功によって検校司空剣南西川節度観察等使を授けられ、南平郡王に封ぜられた上、鹿頭山上にその功績を記した碑が建てられた、という。
168.
 ・扶珪 扶は折と同じ。いにしえ諸侯を封ずるとき、珪を二つにわり、一つは手許におき、一つを諸侯に与えた。
169.
 ・綴組 ひもをつづる。ここでは組は印綬をさし、綴組は印綬を与えること。


帛堆其家,粟塞其庾。
褒美の縞を功責のあった将兵の家に山のように積みあげさせ、戦功に対して賞与する五穀で、将兵の家の米倉をいっぱいにさせたのである。
170. ・吊堆其家 褒美の縞を功責のあった将兵の家に山のように積みあげさせる。
171.
 ・粟塞其庾 粟は五穀、庾は米倉。戦功に対して賞与する五穀で、将兵の家の米倉をいっぱいにさせる。


哀憐陣沒,廩給孤寡。
哀れみ悲しまれるのは戦死したものであり、その遺族に対して俸禄が与えられたのである。
172.
 ・
廉給 俸禄。
173.
 ・孤寡 孤児、未亡人。


贈官封墓,周匝宏溥。
位官を追贈され、墓を立派にきずかれ、功のあるものにあまねく行き渡るようになされたのである。
174. ・贈官 位官を追贈する。
175.
 ・封墓 墓をりつばにきずくこと。封は土をもること。
176.
 ・周市 あまねくゆきわたる。
177.
 ・宏博 宏大。


続きを読む

807年元和二年40歳-【字解集】 巻一-01元和聖德詩 Ⅱ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之韓愈詩集9940  (1)§1~§4

807年元和二年40-【字解集】 巻一-01元和聖德詩

 

 

 

807年元和二年40-【字解集】 巻一-01元和聖德詩 Ⅱ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之韓愈詩集9940  (1)§1~§4

 

 

元和聖德詩  §1-1
50.
 (即位された、今生天子は元和という年号にされ、天晴な英主として、唐室中興の望みとして嘱され、韓愈は、憲宗の神武を讃頌するとともに、それとともに、その「知」を得んがためにこの詩を作った)

51.  元和聖德詩 左遷先から江陵を経て長安に帰って、元和年間にはいると、韓愈の作詩活動は、活発になる。「薦士」「短燈棨歌」「贈崔立之」「南山の詩」「城南聯歌」「琴操十首」「記夢」は元和初の作であり、807年元和二年正月、かれは「元和聖徳詩」を作った。元和の天子、すなわち憲宗の聖徳をたたえた、1,024文字からなる四言の長篇で、前半には、主として、元年に叛乱した蜀の西川節度副使劉関征討のことをのべ、後半には、二年正月の、郊天告廟すなわち天を祭り祖廟に告げる儀式を、うたっている。


皇帝即阼,物無違拒。
皇帝が即位されて以来、その聖徳施政はあまねく行き渡り、天下万物、おぼしめしに違背したり拒絶したりするものがまったくなかった。
52. ・即阼 即位する。即はつく。阼は主人が客に対し上る階段、転じて天子の位。天子が最高階段に座る。
53.
 ・物無違拒 万物の中には違背したり拒絶したりするものがない。


曰暘而暘,曰雨而雨。
それは、人間ばかりでなく、日が照るときは日が照り、雨が降るべき時は、雨が降り、何事も皇帝の意に沿わぬものはなかった。。
54. ・ 日が照ること。『書経』周書の洪範: 八、庶徵:曰雨,曰暘,曰燠,曰寒,曰風。五者來備,各以其敘,庶草蕃廡。曰肅、時雨若;曰乂,時暘若。とあるを用いた。「八に庶徴、日く雨、曰く暘、日く燠、日く寒い、日く風、日く時、五者来り、備えは各々その叙をもってすれば庶草蕃廡す」とある。


維是元年,有盜在夏。
そうした中、即位元年、叛逆の盗賊、楊恵琳が蜀・夏州に起こし、その州をおのれの所有にし、従来大逆を企てた李錡烈・朱玼などの先例を継続し、真似をした意味でも盗賊と呼んだ。
55. ・維是 維も是も、これ。
56.
 ・有盜在夏 夏州における楊恵琳の乱をさす。


欲覆其州,以踵近武。
それらの州で反乱を起こしたのである、それは近頃の李希烈や朱沘などの叛乱をみならっておこしたということなのである。
57. ・ ひっくりかえす。
58.
 ・踵近武 近ごろの武事、すなわち李希烈や朱沘などの叛乱があり、世上不安に乗じ、彼らを見習って、乱をおこしたということ。

皇帝曰嘻,豈不在我。
その叛逆の事は、朝廷に伝わり、皇帝陛下は詔を下し、『ああ、』という声に続き、「そのような叛乱の誅戮処理についての責任は、天子の職分ではないといえようか。」と皇帝自ら反省の言葉をいわれた。
59. ・ ああ。感歎詞だが、これも古い文章に見られるものである。
60.
 ・豈不在我 そのような叛乱処理についての責任が、どうしてわたしにないといえようか。皇帝が自ら反省していっているのである。


負鄙為艱,縱則不可。
この楊惠琳は、華州などという辺鄙の要害の地であり、時局の艱難の時期に乗じて、叛乱をおこした、これをそのまま放置してゆくことはできない、徹底的に懲らしめなければならないのである。
61. ・負鄙 辺都の地で中央からの監視が行きとどかないのをよいことにして。
62.
 ・為艱 叛乱する。
・縱 したいままにさせる。


出師征之,其眾十旅。
軍隊を出動させてこの叛乱を征伐することになり、その師団には十旅団5000人であった。
63. ・出師 軍隊を出動させる。
64.
 ・十旅 五千人。旅は軍隊の単位の一つ。五人を伍といい、伍が五つで丙。四両を卒、五卒を旅という。つまり一旅は五百人である。揚恵琳討伐に従ったのは河東・天徳両軍で、十旅5000人である。

§1-3

軍其城下,告以福禍。
その両軍は揚恵琳の根拠地の城を包囲した。そして、直ちに降伏すれば、このような恩恵が与えられ、もし、反抗すれば、このような罰をうけなければならない、と叛乱軍将兵に通告したのである。
65. ・軍其城下 揚恵琳の根拠地に、軍隊を進撃させた。
66.
 ・告以福禍 直ちに降伏すれば、このような恩恵が与えられる、反抗すれば、このような罰をうけなければならない、と叛乱軍将兵に通告する。

 

腹敗枝披,不敢保聚。
叛乱軍の將候間で分裂し、末端でもちりぢりになり、団結を維持することがとてもできない状態になった。
67. ・腹放校披 叛乱軍の將候間で分裂し、末端でもちりぢりになる。披は折と同じで、さける。
68.
 ・不敢保栄 団結を維持することがとてもできない。『春秋左氏伝』債公二十六年に「我が倣邑は是を用って敢て保聚せず」 の語がある。それをここにそっくり使用した。


擲首陴外,降幡夜豎。
夏州兵馬便の張承金が楊恵琳をとらえて首を斬ってさしだしてひめがきの外にさらしたのである、そして降参のしるしの旗を夜になって建てたのである。
69. ・擲首 擲は、投げる、または、さし出す。叛乱軍の将兵が楊恵琳の首を切ってさし出した、というのであろう。もっとも、事実は、夏州兵馬便の張承金が楊をとらえて斬ったのである。
70.
 ・ 陴堄。城の上から城下を覗い見るために作ったひめがき。
投降すること、開城のこと。城の上から城下をうかがい見るために造ったひめがき。
71.
 ・降幡 降参のしるしの旗。
72.
 ・ たてる、白旗を城にかかげたというのである。以上が楊恵琳討伐である。以下、劉闢征討の次第がのべられる。

 

二段36句  #4  §2-1

疆外之險,莫過蜀土。
そもそも、この地は都から遠く離れた辺境の地であり、その間に峻道がある、そのために蜀の国の管理を見過ごしていたのである。
73. ・疆外 外国。すなわち、辺境。

74.  莫過蜀土 李白 《蜀道難》 に、「劍閣崢嶸而崔嵬。 一夫當關。 萬夫莫開。所守或匪親。化為狼與豺。」 (劍閣は崢嶸として崔嵬たり。一夫 關に當たれば、萬夫も開く莫し。守る所 或は親に匪ざれば、化して 狼と豺と為る。)“剣門山の閣道は、崢嶸で崔嵬として草木もなく高く険しすぎる。一人の男が、関所を守れば、万人が攻めても、開きはしない。守るその男が、もし骨肉の親族でないならば、狼や山犬のような、反逆者にならぬとも限らない。”と、ある。


韋皋去鎮,劉闢守後。
西川節度使南康忠武王韋皋が死んでからは別の節度使が任命されたが劉闢はこれに従わず軍隊で蜀を固めた。
75. ・韋皋去鎮  807年元和元年8月に叛乱した蜀の西川節度使韋皋が歿す。行軍司馬劉闢征討のことをのべるもの。

血人於牙,不肯吐口。
人を牙にかけて血まみれにする。人民の膏血をすすって、搾りつくすだけ絞り、収奪したのである。
76. ・血人干牙 人を牙にかけて血まみれにする。人民の膏血をすする。『旧唐書』には、劉閥が実際に人間を殺して食った、と記すが、ここでは象徴的な書き方だと解すべきであろう。もっとも、中国には食入の風習のあったことは確かである。呂布に追われている時に逃げ込んだ家の主人劉安は、劉備をもてなす食料がなかったので妻を殺害してその肉を差し出したとされる。(三国志演義)中国では、客をもてなすため、嫁さんが自殺して、その肉を喰わせたという故事があり、美談とされている。

 

開庫啖士,曰隨所取。
天子に上納すべき税金などをおさめた倉庫をひらいて、自分の部下に好きなだけ与えることもした。
77. ・開庫 天子に上納すべき税金などをおさめた倉庫をひらく。
78.
 ・喝士 唱は、くらう。部下の将士に金品を与えて、人気取りをやるのである。
79.
 ・ 劉閲が部下の将兵にいう。求我帥汝までがそのことは。
80.
 ・随所収 とりたいだけとれ。随は随意というほどの意。

 

#5    §2-2

汝張汝弓,汝鼓汝鼓。
そして「お前たちはお前たちの弓に絃を張れ」、「お前らはお前らの軍太鼓を打ち鳴らして集まるのだ。」と。
81. ・汝鼓汝鼓 おまえはおまえの軍鼓をうて。上の鼓は動詞で、つづみうての意。
下の鼓は名詞で、軍太鼓。


汝為表書,求我帥汝。
そうした後に「お前たちは上表文を書くのだ」。そしてそれは「わたしを、おまえたちの将帥とするよう、請求せよ。」ということであった。
82. ・表書 上表文。その内容が、次の句である。
83.
 ・求我帥汝 わたしを、おまえたちの将帥とするよう、請求せよ。

 

事始上聞,在列鹹怒。
事件の報告を、天子がはじめて聞かれたときのことである。朝廷にいならぶ朝臣たちはそのことを聞いて、ことごとくみな激怒した。
84. ・事始上聞 事件の報告を、天子がはじめて聞かれたとき。
85.
 ・在列 朝廷にいならぶ朝臣たち。

 

皇帝曰然,嗟遠士女。
憲宗皇帝は「しかり」といわれたことにつづいて「ああ、遠い辺境のよわき民たちよ」。
86. ・皇帝日然 天子がいわれる「ああそうか」皇帝のことばは「然」から「則且付与」までである。小伝にものべたように、この時、憲宗は即位早々でもあり、劉閲の権力が強かったので、討伐の決意がつかず、懐柔策をとったのである。
87.
 ・ ああ。感嘆詞。
88.
 ・遠士女 遠い辺境の国民たちよ。

 

#6    §2-3

苟附而安,則且付與。
「もし、劉闢に附き随って、それで安らかに暮らせるならば、それならば、まあしばらくの間、劉闢に、おまえたちを治める権限を与えてみてみるか。」
89. ・ もし。
90.
 ・附而安 劉闢に附き随って、それで安らかに暮らせるならば。
91.
 ・則且付与 それならば、まあしばらくの間、劉闢に、おまえたちを治める権限を与えてみてもよい。劉闢を検校工部尚書剣南西川節度使に任命したことをさし、憲宗の度量の広さをいう。


讀命於庭,出節少府。
大臣の任命には、朝廷で、中書舎人が任命書を読みあげ、節度使を任命するさいの割符を朝廷の倉庫からださせた。
92. ・読命於庭 大臣の任命には、朝廷で、中書舎人が任命書を読みあげるのが、ならわしだった。
93.
 ・節 節度使のような兵馬の権をもつ官を任命するとき、そのしるしとして与えるわりふ。
94.
・少府 朝廷の倉庫。


朝發京師,夕至其部。
ある朝都を出発し、幾日もかけてある日の夕刻に劉闢の所在地であるその場所についた。
95. ・ 夜。朝、長安を出て、その夜覇につくというのではない。ここは対句として、朝と夕とをならべただけである。
96.
 ・其部 その地域、劉闢の所在地をさす。

 

辟喜謂黨,汝振而伍。
劉闢は喜びかえり、その使者に謂ったのだ、「使者よ君は君の五人の兵卒をしっかりとととのえなさい。」
97. ・ 旅は軍隊の単位の一つ。五人を伍といい、伍が五つで丙。四両を卒、五卒を旅という。つまり一旅は五百人である。

 

#7    §2-4

蜀可全有,此不當受。
「この蜀の全土はすべて私が守るのであり、こんな狭い場所の節度使の任命は受けるにあたらない。」と。
98. ・ この任命書。蜀の一部の地域の節度使の任命書という意味。
99.
 ・不当受 受けとるべきでない。


萬牛臠炙,萬甕行酒。
「ありったけの牛を出して焼肉にせよ、そしてありったけの酒甕を出してお酌をしてやれ。」
100. ・臠炙 肉を火にあぶる。
101.
 ・行酒 酒の酌をする。ここでは宴会をするという意。

 

以錦纏股,以紅帕首。
劉闢の贅沢は錦のパンツを着衣するほどのもので、そのうえ赤い絹を鉢巻をするのである。
102. ・以錦繹股 錦の布をパソツにしてはく。むちゃくちゃなぜいたくをすることを、このように表現しているのである。
103.
 ・ 紅い絹布。絹もこの時代には貨幣の代用とされた貴重なもの。
104.
 ・帕首 鉢巻をする。

 

#8    §2-5

有恇其凶,有餌其誘。
叛乱軍の中には、劉閥の兇暴さがおそろしくて、いやいやながら従っているものもいるし、エサでもって劉闢の誘いに因っているのである。
105. ・憶 おびえる。叛乱軍の中には、劉閥の兇暴さがおそろしくて、いやいやながら従っているものもいる、という意。


其出穰穰,隊以萬數。
劉闢軍はざわざわといっぱい集まっている、その数は幾万という数の大部隊であった。
106. ・穰穰 ざわざわといっぱいである。人数の多い形容。
107.
 ・隊以万数 幾万という数の大部隊であった。官軍の五千に対して、賊軍はその数倍あった、というのである。


遂劫東川,遂據城阻。
遂には、兵を発して、東川節度使の李康を梓州に包囲した、そして遂には険岨な梓州の城を占領して拠点とした。
108. ・拠城阻 険岨な梓州の城を占領して拠点とした。

 

#9   §3-1

皇帝曰嗟,其又可許。
憲宗皇帝は「ああ、」ため息をつかれた、そして遂に劉闢討伐の勅命を出された。
109. ・皇帝日 皇帝のことばは、嗟から無暴我野まで。瞳から其又可許まで。


爰命崇文,分卒禁禦。
その命は神策軍使であった高崇文に下された、「兵卒を分割して劉闢の軍の横暴を留めふせげよ」と。
110. ・崇文 高崇文のこと。宰相の杜黄裳により劉闢討伐に抜擢されたのが、神策軍使であった高崇文である。高崇文は、すぐれた武人で、平素から実戦の準備を怠らなかった。命をうけると、二時間後には、出発した。三月には梓州に進み、六月には鹿頭閑で劉闢を撃退し、九月には長駆して成郡にはいった。劉闢はついに数十騎のみを従え、チベットに向けて逃れたが、途中、高崇文の部下につかまった。十月、身柄が長安に送られ、その族党は課せられた。
111.
 ・禁禦 とどめふせぐ。
112.
 ・有安其駆 其駆とは、本心からでなく、劉闢軍の強制によってその軍に所属し、追いつかわれているもの。安は、安全に保護する。


有安其驅,無暴我野。
「劉闢軍の中には無理やり従わせられているものがいるがその者たちにを安全にしてやり、戦ではあるが、わが国土を荒らさぬようにせよ。」と。
113. ・無暴我野 わが国土を荒らさぬようにせよ。内乱だから、その戦場は国土内である。そこをむやみにいためつけないようにせよ、といましめている。

 

日行三十,徐壁其右。
日行三十一日の行軍進度は三十里にもおよんだ。そして、敵の右側からだんだんに包囲遮断していった。
114. ・日行三十  一日の行軍進度は三十里。
三十里は約17.5kmで、武装した大部隊の行進速度の標準である。
115
 ・徐璧其右 敵の右側を、だんだんに包囲遮断していった。

 

#10    3-2

四軍齊作,殷其如阜。
荊・幷・梁三州の軍隊と高崇文の軍隊で攻めた。官軍の盛んな勢いはまるで丘のようだ。
116. ・四軍 荊・幷・梁三州の軍隊と高崇文の軍隊。荊州:荊南節度使;裴均、幷州:河東節度使;厳綬、染州:山南
西道節度使;厳礪
117.
 ・殷其如阜 官軍の盛んな勢いはまるで丘のようだ。鬨の声の盛んな勢いの形容だとする。


或拔其角,或其距。
賊軍は猛獣であり、その角を抜いてやるということをするのである。あるいは賊軍は猛禽であり、その蹴爪をはがすことをするのである
118.
 ・或抜其角 賊を猛獣にたとえ、その角を抜く、というのだ。
119.
 ・或脱其距 賊を猛禽にたとえ、その蹴爪をはがす、というのである。『左伝』の㐮公十四年に「譬へは鹿を捕ふる如し。晋人は之を角し、諸戎は之を椅す」とみえる。角するとは角をつかむこと、椅すは足をねじることだという。


長驅洋洋,無有齟齬。
ゆっくりと長く広く攻め始めた、ひろくじっくり攻めることで法則にのっとり失敗のない攻め方をしたのだ。
120. ・洋洋 盛大なさま。
121.
 ・齢酷 くいちがい。失敗。


八月壬午,辟棄城走。
八月二十二日、劉闢は成都城を棄ててチベットに逃げたのである。
122. ・八月壬午 八月二十二日。

 

#11    3-3

載妻與妾,包裹稚乳。
劉闢は妻や妾たちを車にのせ、そしてわずかに乳飲み子だけをつれてほうほうのていで逃げ出したのだ。
123. ・我妻与妾 妻や妾たちを車にのせる。
124.
 ・包裏稚乳 妻や妾にうませた幼児や乳春子をつつみのせる。ここのところは、わずかに妻子だけをつれてほうほうのていで逃げ出したことを表現しているのである。これは、後の「婦女柴索」「梅娩弱子」などの句をひき出すためのたくみな伏線となっている。


是日崇文,入處其宇。
この日、高崇文は成都を鎮圧し、劉闢の住んでいた邸宅まですべて入り平定した。
125. ・其宇 劉闢の住んでいたやかた。


分散逐捕,搜原剔藪
散りじりになった賊を追跡して捕えた、それは野原をすみからすみまでさがすやぶや林もきりひらいて捜索したのである。
126.
 ・搜原 野原をすみからすみまでさがす。
127.
 ・剔藪 やぶや林もきりひらいて捜索する。


辟窮見窘,無地自處。
劉闢は追いつめられた。闢自身のおくべきところがないものとしないといけない。
128. ・見窘 追いつめられる。
129.
 ・無地目処 自分の身をおくべきところがない。

 

#12    3-4

四軍齊作,殷其如阜。
荊・幷・梁三州の軍隊と高崇文の軍隊で攻めた。官軍の盛んな勢いはまるで丘のようだ。
130. ・四軍 荊・幷・梁三州の軍隊と高崇文の軍隊。荊州:荊南節度使;裴均、幷州:河東節度使;厳綬、染州:山南
西道節度使;厳礪
131.
 ・殷其如阜 官軍の盛んな勢いはまるで丘のようだ。鬨の声の盛んな勢いの形容だとする。

 

或拔其角,或其距。
賊軍は猛獣であり、その角を抜いてやるということをするのである。あるいは賊軍は猛禽であり、その蹴爪をはがすことをするのである
132.
 ・或抜其角 賊を猛獣にたとえ、その角を抜く、というのだ。
133.
 ・或脱其距 賊を猛禽にたとえ、その蹴爪をはがす、というのである。『左伝』の㐮公十四年に「譬へは鹿を捕ふる如し。晋人は之を角し、諸戎は之を椅す」とみえる。角するとは角をつかむこと、椅すは足をねじることだという。

 

長驅洋洋,無有齟齬。
ゆっくりと長く広く攻め始めた、ひろくじっくり攻めることで法則にのっとり失敗のない攻め方をしたのだ。
134. ・洋洋 盛大なさま。
135.
 ・齢酷 くいちがい。失敗。

 

四段34句  #13  §4-1

八月壬午,辟棄城走。
八月二十二日、劉闢は成都城を棄ててチベットに逃げたのである。
136. ・八月壬午 八月二十二日。


載妻與妾,包裹稚乳。
劉闢は妻や妾たちを車にのせ、そしてわずかに乳飲み子だけをつれてほうほうのていで逃げ出したのだ。
137. ・我妻与妾 妻や妾たちを車にのせる。
138.
 ・包裏稚乳 妻や妾にうませた幼児や乳春子をつつみのせる。ここのところは、わずかに妻子だけをつれてほうほうのていで逃げ出したことを表現しているのである。これは、後の「婦女柴索」「梅娩弱子」などの句をひき出すためのたくみな伏線となっている。


是日崇文,入處其宇。
この日、高崇文は成都を鎮圧し、劉闢の住んでいた邸宅まですべて入り平定した。
139. ・其宇 劉闢の住んでいたやかた。


分散逐捕,搜原剔藪
散りじりになった賊を追跡して捕えた、それは野原をすみからすみまでさがすやぶや林もきりひらいて捜索したのである。
140.
 ・搜原 野原をすみからすみまでさがす。
141.
 ・剔藪 やぶや林もきりひらいて捜索する。

 

#14    4-2

辟窮見窘,無地自處。

劉闢は追いつめられた。闢自身のおくべきところがないものとしないといけない。

142. ・見窘 追いつめられる。

143. ・無地目処 自分の身をおくべきところがない。

 

俯視大江,不見洲渚。
追い詰められ見るとそこは大河岷江であった、隠れてにげるべきなぎさも中洲もまったくないのである。

144. ・不見洲渚 つたってにげるべきなぎさも中洲もない。

 

遂自顛倒,若杵投臼

遂に劉闢はしかたなく頭から飛び込んだのである、杵つきのうすの中に投げ込まれたようなものである。

145. ・転倒 河中にまっさかさまにとびこむ。

劉闢がとびこんだのは、今の四川省灌県の西の羊灌田を流れる岷江。


取之江中,枷脰械手。

とびこんだ劉閲が死にきれずに流されるところを、官軍の騎将酈定進がいけどりにした。首に首かせをはめ、手に手かせをはめられたのである。

146. ・取之江中 とびこんだ劉閲が死にきれずに流されるところを、官軍の騎将酈定進がいけどりにした。

147. ・枷脰 脰は首。首に首かせをはめる.

148. ・械手 手に手かせをはめる。

 

#15    4-3

婦女累累,啼哭拜叩。

婦人とお付の女たちは数珠つなぎにされ、泣き叫び、おがんで頭を地につけている。

149. ・累累 連なりかさなるさま。ここでは数珠つなぎになっていることをいう。
150.
 ・拝叩 おがんで頭を地につける。


來獻闕下,以告廟社。
高崇文が都に帰って来て、捕虜たちを天子に献上し、それから国廟に報告したのである。

151. ・来献闕下 高崇文が帰って来て、捕虜たちを天子に献上する。劉闢は宮城の門。闕下は、人を直接にさすのは失礼だという考え方があり、その人に関係のあるものをさしてその人にかえる場合が少なくない。陛下、殿下、机下、執事など、みなそれである。ここは、高崇文が天子に対して。
152.
 ・廟社 国廟。


周示城市,鹹使觀睹。
劉闢は長安の市中をひきまわされ、衆人に見せしめとされたのである。

153. ・周示城市 大罪人を処刑するときは、みせしめのため、市中をひきまわす。劉闢たちの場合も、長安のまちをひきまわしたうえ、まちの西南の大きな柳の木の下で処刑した。

 

#16    §4-4

攣索,夾以砧斧。

ひきまわすために縛ってあった縄をといて、刑にとりかかった。首斬台で首斬斧により首は落されるのである。

154. ・解脱攣索 ひきまわすためにはってあった縄をといて、刑にとりかかる。
155.
 ・爽以砧斧 砧は首斬台、斧は首斬斧。ギロチンにのせるというほどの意。

 

婉婉弱子,赤立傴僂
稚い幼児がいたがはだかで立たされ、次には身を曲げたままでいるようにされた。
156
 ・
婉婉 いとけないさま。

157. ・弱子 幼児。
158.
 ・赤立 はだかで立つ。
159.
 ・傴僂 身を曲げるさま。

 

牽頭曳足,先斷腰膂。
子供らの頭を引っ張り足をひこずった、そして腰と背を切り裂いたのだ。
160. ・腰膂 腰、膂は背骨。

 

#17    §4-5

次及其徒,體骸撐拄。
次は劉闢一派の処刑に移っていった。次々に斬られて死体がぶつかり合い、重なり合って倒れていった。
161. ・体骸撐拄 体は生きている体、骸は死んだ体。撐拄はつっぱりささえあう。次々に斬られて死体がぶつかり合い、重なり合って倒れるさま。

 

末乃取辟,駭汗如寫。
最後に劉闢をひき出してきた。劉闢は驚きでそそぐように汗がふき出たのである。
162. ・末乃取辟 最後に劉闢をひき出す。
163.
 ・駭汗如寫 おどろきのためにそそぐように汗がふき出る。劉閲はつかまえられたとき、まさか死刑にはなるまいとたかをくくっていたが、長安に入る前に、首と手になわをかけられ、どうしてこんなことになったのだろうと驚いた、という話がのこっている。最後に処刑することは、心理的に最もきびしい処刑法ということになる。

 

揮刀紛紜,爭膾脯。
刀を目の前でふるいまくった、そしてなますと干し肉のように一寸きざみにきざんでいったのだ。
164. ・紛紜 盛んなさま。
165.
 ・
 一寸きざみにきざむこと。
166.
 ・膾脯 膾はなます、脯は乾肉。

 

元和聖德詩 【字解集】(2)へ

807年元和二年40歳-【字解集】 巻一-01元和聖德詩 説文(1)・(2)と序文 Ⅱ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之韓愈詩集9933

807年元和二年40-【字解集】 巻一-01元和聖德詩 説文(1)(2)と序文

 

2018121

の紀頌之"6"つの校注Blog

贈從弟冽 -#4

【字解集】 巻一-01元和聖德詩 説文(1)・(2)と序文

覃山人隱居

酒泉子七首其五

【字解集】-26.  夜聽擣衣  擬古詩九首其七

【字解集】 26-重陽阻雨 27-早秋 28-感懷寄人 29-期友人阻雨不至 30-訪趙煉師不遇

李白詩

韓愈詩

杜甫詩

花間集

玉臺新詠

中国古代史女性論

 

 

2018121

の紀頌之"6"つの校注Blog

10年のBLOGの集大成

   李白総合案内

 

●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」。、現在、①李白集校注詩全詩、②昌黎先生集全40巻他全詩、③杜詩詳注、④花間集、⑤玉臺新詠、⑥薛濤詩 全訳注解説

Ⅰ李白詩(李白集校注)      LiveDoor

746-026#4卷一七一 贈從弟冽(卷十二(一)七九九)Ⅰ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 李白詩集Blog9925

Ⅱ韓昌黎詩集・文集校注      LiveDoor

807年元和二年40歳-【字解集】 巻一-01元和聖德詩 説文(1)・(2)と序文 Ⅱ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之韓愈詩集9933

Ⅲ 杜詩詳注                  LiveDoor

767年-196 覃山人隱居(卷二○(四)一七六八)注(1214) Ⅲ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ9920

杜甫詩 全詩 総合案内 

Ⅳブログ詩集漢・唐・宋詞  fc2Blog

花間集 訳注解説 (349)回目顧巻七13酒泉子七首其五》 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ9928 (01/21)

.唐五代詞詩・女性・玉臺新詠     Livedoor

巻三 【字解集】-26.  夜聽擣衣  擬古詩九首其七 Ⅴ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の玉臺新詠9950

Ⅵ唐代女性論ブログ唐代女性論

九、集-06-A【字解集】 26-重陽阻雨 27-早秋 28-感懷寄人 29-期友人阻雨不至 30-訪趙煉師不遇  魚玄機 漢文委員会kanbuniinkai 紀 頌之 ブログ9923

杜甫全詩案内

韓愈全詩案内

李白全集

李白詩のサイト

古詩源

花間集案内

漢詩・唐詩・宋詩研究

http://kanbunkenkyu.web.fc2.com/

 

807年元和二年40-【字解集】 巻一-01元和聖德詩 説文(1)(2)と序文 Ⅱ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之韓愈詩集9933

 

 

【字解集】元和聖德詩

説文(1-1

此詩元和二年作。

この詩は。807年元和二年の作品である。

 

《憲宗紀》:永貞元年八月即位,明年正月改元元和。

唐“憲宗紀”に、憲宗は、805年永貞元年八月即位し、年が明けて正月に元号を元和に改定した。

 

楊惠琳據夏州叛。

その年に、楊惠琳が夏州に據して反乱を起こした。(夏桵の留後の楊惠琳が命を拒んだ))

1. 楊惠琳 (?-806年)是唐代藩鎮。 夏綏(夏州陝西靖邊北)節度使韓全義之甥。憲宗時,開始對割據的藩鎮開展了一系列戰爭,永貞元年(805年),韓全義入朝,以楊惠琳為留後。宰相杜黃裳以全義驕橫,將其解職,以右驍衛將軍李演為夏綏節度使。

 

三月辛巳,夏州兵馬使周承全斬惠琳,傳首以獻。

806318日、華州の兵馬使の周承全に楊惠琳を斬らせた、この首をこれを預け伝えて獻上した。

2. 夏州兵馬使周承全 河東天徳軍幕府の兵馬使の周承全をいう。

 

九月辛亥,高崇文奏收成都,擒劉辟以獻。
9月立秋から48日目、東川節度使副使の高崇文は成都に攻め込み、これを尽く平定し、劉闢を擒にし、京師に送ってこれを斬り、献上した。

3. 高崇文 崇文は渤海人であり營州平盧軍士となり、その南下後は神策軍に入り、韓全義に仕え、

貞元5年には吐蕃を佛堂原に大破した。全義入朝後は長武城使となり、練兵に励んだ。

永貞元年、西川節度使韋皐の没後、その幕僚である劉闢が自立した。

新たに即位した若い憲宗皇帝は、宗皇帝のような姑息な藩鎮慰撫策(通常は内部昇格させていた)を取らず、断然これを征討することとして將を選んだ。多くの上將のなかから選ばれたのは、宰相杜黄裳が推薦した無名な崇文であった。

崇文は出師の命を受けるや、即日全軍を上げて進発し、興元に入り、劉闢が制圧した東川節度府[梓州]を奪還し、東川節度使となった。

そして元和元年には西川に入り、諸城を陥し劉闢を捕らえて平定することに成功した。

その後崇文は西川節度使に任ぜられたが、文盲であることから、大藩である西川節度の複雑な行政に音を上げて早期の交替を求めた。

 

説文(1-2

十月壬午,淄青李師道,

10月壬午の日、山東の藩鎮の李師道は領地の一部を返還したので、淄青平盧節度使として、全土に権威を示した。(高崇文を以て西川節度使とする。)

4. 淄青 山東半島には既に平盧軍の兵力が入っており董泰[李忠臣]や淄沂節度使田神功が活躍していた。・唐朝は侯希逸らを 密節度使として遇することとし、田神功の淄沂節度使をも併せて「淄青平盧節度使」となった。憲宗の強硬な対応に対して藩鎮側も朝廷に恭順な態度を取るようになり、平盧の李師道・成徳の王承宗は自ら領地の一部を返還し、横海軍の程権は二州全ての領地を返還して藩の歴史を自ら絶った。

5. 李師道 (?-819年),高麗人,李氏割據的末任淄青節度使。 後被部將劉悟發動兵變,斬殺。

 

十一月戊申,武寧張皆受命。

11月戊申の日、武寧軍節度使張建封をはじめとして、皆、朝廷の命を受けるようになる。

6 武寧 805年三月に設立された武寧軍節度使のことで,下轄は徐州、泗州、濠州,徐州を治む。反朝廷派の淄青平盧節度使に対して、武寧軍節度使は朝廷派であった。

7. 張 張僕射 735年-800年)武寧軍節度使張建封のこと。尚書省右僕射の待遇を受けていたのでかく言う。 建封字を本立といい,兗州の人。788年貞元四年、徐州刺史と為し、徐泗濠節度使となる。796年貞元十二年,檢校右僕射を加られる。公以799年十五年二月汴州之亂,建封に依りて徐せらる。秋,建封闢為節度推官,至是供職。書意以晨入夜歸為不可,其不諂屈於富貴之人可知矣。

武寧軍節度使,又稱徐泗節度使,為唐朝から、五代にかけてげんざいの江蘇省北部に設立さてれた節度使をいう。 782年(唐建中三年)徐海沂密都團練觀察使が徐州を治められるため設けられ,淄青李納控制を實と為し,784年(唐興元元年)廢除。 788年(唐貞元四年)十一月徐泗濠節度使を設ける。800年(唐貞元十六年),廢除,泗州、濠州改歸淮南節度使。

 

二年正月己丑朔,上親獻太清宮太廟。

元和二年正月初めの己丑の日、親郊に仲う太清宮や太廟の祭杷が謁廟や告祭がおこなわれる。

8. 上親獻太清宮太廟の句 親郊に仲う太清宮や太廟の祭杷が謁廟や告祭がおこなわれる。

 

辛卯,祀昊天上帝於郊丘。

辛卯の日、帝都の北方に築かれた地壇で、儒教経典に見える宇宙の最高神を祀った。

9. 昊天上帝 《詩経》《書経》などの儒教経典に見える宇宙の最高神。〈昊天〉は大いなる天,〈上帝〉は天上の帝王の意。〈皇天上帝〉〈皇皇后帝〉ともいい,単に〈上帝〉ともいう。万物の上に位置してこれを主宰し,下民の行為の善悪を公平無私に評定して禍福を下す人格神であり,特に,王朝の存亡は上帝の意志によると考えられたため,その祭祀は帝王みずからが行うべき最も重要な国家祭祀とされた。

10. 郊丘 古天子郊祭天地于丘。皇帝が地祇(地の神)を祭るために作った方形の壇。歴代,帝都の北方に築かれ,夏至の日に祭祀が行われることが多かった。北郊,泰折,方丘,方壇,方沢などの別称がある。地の神や地の霊を祭ることは,太古からあり,漢の武帝が汾水のほとりに立てた后土祠も,その流れをくむものである。しかし,後世の地壇のより直接の先駆となったのは,前漢の成帝が長安の北郊に築いたもの(32),後漢の光武帝が洛陽の北郊に築いたもの(56)などである。

 

還宮,大赦天下。

そうして、皇城太極殿に還り、天下に退社の大号令を発した。

 

公時為國子博士,分教東都,此詩所以作也。
韓愈公は、江陵から召されて國子学博士となり、後に東都洛陽にも國子学の文公でも教え、この詩は國子学博士の時に作ったものである。(劉闢誅殺以後、元和元年10月ごろの作。)

 

1-3

穆伯長曰:“退之《元和聖德詩》、《淮西碑》,柳《雅章》之類,皆辭嚴義偉,制作如經,能崒然聳唐德於盛漢之表。”

北宋の穆伯長はこう云っている、「韓退之の《元和聖德詩》、《平淮西碑》,柳宗元の《雅章、雅詩歌曲》之類など、すべてその辞はおごそかで厳格、条理正義、偉才であり、詩經、書經のごとく制作され、盛漢の時に作られた上奏文の「表」と比較しても、唐の善き特質があらわされ、能くとびぬけた山のように、卓越した詩文である。」と。

11. 穆伯長 穆修(979年-1032年),字伯長,北宋鄆州汶阳(今汶上)人。 生於太平興國四年(979年),出身於官宦世家,幼時好學,不事章句,性格剛烈,不易與人相處。曾師事陳摶,學得《太極圖》,傳周敦頤,又長於《春秋》之學。大中祥符二年(1009年)進士。

12. 淮西碑 「平淮西碑」(淮西を平ぐるの碑)のこと。碑は文を石にきざみ、宮室廟屋、墓陵の上に立てる立石で、その文章の体を碑という。詩は、その「平淮西碑」の書かれるに到った経緯を述べ、それが極諌したことになり、結果、崇仏皇帝であった憲宗の逆鱗に触れ、潮州(広東省)刺史に左遷され、いったん建てられた碑石が取り壊されたことを憤りつつ、韓愈の文学の卓越せることを賞讃している。814年元和九年に呉少陽が死ぬと、その部下は勝手に少陽の子元済を立てて、朝廷の任命を請うて来た。朝廷は許さなかったので遂に叛いた。憲宗は裴度の意見を用いて之を討つことに決した。裴度は淮西宣慰処置使、兼彰義軍節度使となったが、韓愈を行軍司馬に任じた。

淮水西方の土地、蔡の地を淮西という。この地方の賊が平定すると、韓愈は裴度に随って朝廷に帰り、功を以て刑部侍即を授けられ、「准西を平ぐる碑」を作れとの詔を受けた。これは韓愈一生の最も重大な作品で、苦心努力の結晶であった。彼の代表作の中でも有数のものである。主旨は惟西の平定によって、憲宗の天下支配が成ったことを頌するのである。

13. 柳《雅章》之類 柳河集,正文·卷一·雅歌曲のこと。柳宗元は、同時期の韓愈とともに古文復興運動の主唱者とされる。六朝から隋唐において主流であった四六駢儷文の修辞主義的傾向を批判し、達意を旨とする秦漢の古文を範とした新たな文体を提唱した。

14. 嚴義偉 おごそかで厳格、条理正義、偉才であること。

15. 制作如經 詩經、書經のごとく制作されることをいう。

16. 崒然 とびぬけた山のように、卓越した状態を言う。

17. 唐德 唐における徳は、人間の持つ気質や能力に、社会性や道徳性が発揮されたものである。 徳は卓越性、有能性で、それを所持する人がそのことによって特記されるものである。人間に備わって初めて、徳は善き特質となる。人間にとって徳とは均整のとれた精神の在り方を指すものである。

18. 盛漢之表 漢のもっとも盛んな時に、「表」が作られ、それは公開される上奏文を指すものであった。

 

《筆墨閑錄》云:“此序乃司馬遷之文,非相如文也。”
《筆墨閑錄》 ではこういっている、「この序文は即ち司馬遷の文であるといってもよいもので、司馬相如の文ではありえないというものである。」と

19. 司馬遷 (前145?~?) 中国、前漢の歴史家。字あざなは子長。官名により太史公と称する。父司馬談の歴史編纂へんさんの大志を受け継ぐ。匈奴きようどに降伏した李陵りりようを弁護して武帝の怒りに触れ、宮刑に処せられたが、修史の志を貫き、紀伝体の歴史書「史記」を完成。

20. 相如 司馬 相如(しば しょうじょ、紀元前179 - 紀元前117年)は、中国の前漢の頃の文章家である。蜀郡成都の人。字は長卿(ちょうけい)。名は、もと犬子(けんし)と言った。

賦の名人として知られ、武帝に仕え、その才能を高く評価された。また妻である卓文君との恋愛も有名である。武帝は早速司馬相如を召した。そのとき、司馬相如は、「子虚の賦」が諸侯のことを書いた内容であり、天子(皇帝)にたてまつるのにはふさわしくないと言った。そして、司馬相如は天子にふさわしくなるように「子虚の賦」を改作して、「天子游獵賦(『文選』では「子虚賦」と「上林賦」に分割。「子虚・上林賦」と称されることが多い。)」として、武帝にたてまつった。武帝は大いに喜び、司馬相如を郞に復職させた。

 

説文 (2

元和聖德詩

元和の聖徳の詩

21. 韓愈の注
この詩が韓愈にとって最も重要な、公的作品だと、韓愈グループの文学者には考えられていたのであろう。韓愈の集を編纂した弟子の李漠が、詩の最初にこの作品をおいているのは、そのあらわれと見られる。

 

(並序。初憲宗即位,劍南劉闢自稱留後以叛。

(並びに序。806年初めに順宗が崩御、憲宗が皇帝に即位する。劍南道の劉闢は自ら留後と称して以て叛した。

22. 憲宗即位 8054月に立太子され、同年8月には順宗の病を理由にした譲位にともない即位した。即位後は宦官の勢力に対抗するために杜黄裳を登用した。さらに地方の節度使勢力を抑制するため、817年(元和12年)には淮西節度使を討って地方の統制強化も実施している。対藩鎮勢力の施策としては、儒者の臣を藩帥に任命し、監査任務を主とする監軍には宦官を配し、節度使勢力の動静を監視させる制度を開始した。さらに名臣と謳われた武元衛や李吉甫らにも恵まれ、軍備を拡張した禁軍を積極的に活用した結果、唐王朝に反抗的であった河朔三鎮も服従を誓い、衰退した唐は一時的な中興を見た。

 

元和元年正月,以高崇文為左神策行營節度使討闢。

元和元年正月、以て高崇文は左神策軍節度使を行營を為し、劉闢を討伐の命をし、高崇文を征討使として送り込んだ。

23. この二句 元和元年[806年]正月神策軍高崇文を征討使として送り込んだ。

西元 805 年劉辟反, 806 年高崇文討平。)元和二年武元衡充劍南西川節度使。

 

九月,克成都,十月,闢伏誅。

九月には成都を奪回し、十月には劉闢を平定し誅殺した。

 

二年正月己丑,朝獻於大清宮。

807年元和2年正月己丑の日、朝廷大清宮において献上する。

8. 朝獻太清宮太廟の句 親郊に仲う太清宮や太廟の祭杷が謁廟や告祭がおこなわれる。

 

庚寅,朝享於太廟。

807年庚寅の日、朝廷太廟にて享ずる。

 

辛卯,祀昊天上帝於郊丘,還宮,大赦天下。)韓愈
807年辛卯の日、洛陽郊外の丘において天地合祭を行い,また大清宮に献上し,天下に大赦令を発した。)

9. 昊天上帝 《詩経》《書経》などの儒教経典に見える宇宙の最高神。〈昊天〉は大いなる天,〈上帝〉は天上の帝王の意。〈皇天上帝〉〈皇皇后帝〉ともいい,単に〈上帝〉ともいう。万物の上に位置してこれを主宰し,下民の行為の善悪を公平無私に評定して禍福を下す人格神であり,特に,王朝の存亡は上帝の意志によると考えられたため,その祭祀は帝王みずからが行うべき最も重要な国家祭祀とされた。

10. 郊丘 古天子郊祭天地于丘。皇帝が地祇(地の神)を祭るために作った方形の壇。歴代,帝都の北方に築かれ,夏至の日に祭祀が行われることが多かった。北郊,泰折,方丘,方壇,方沢などの別称がある。地の神や地の霊を祭ることは,太古からあり,漢の武帝が汾水のほとりに立てた后土祠も,その流れをくむものである。しかし,後世の地壇のより直接の先駆となったのは,前漢の成帝が長安の北郊に築いたもの(32),後漢の光武帝が洛陽の北郊に築いたもの(56)などである。

 

元和聖德詩並序。 s5 (序-1

 

臣愈頓首再拜言。

臣下である韓愈はひれ伏し再拝して申し上げます。

24. ・臣愈 皇帝にたてまつる文章だから、おのれのことを、こうとなえる。その場合、臣韓愈というふうに姓を記すことはしない。
25.
 ・頓首再拝言 きまり文句だが、頓首は、頭を地につける、再拝は、二度おじぎをする、という意。

臣伏見皇帝陛下即位已來,誅流姦臣,

私は伏してみるところによれば、皇帝陛下が即位されてからこれまで、王叔文を四川渝州の司戸に、王伾を四川門州の司馬に流し「八司馬」の追放されて

26. ・皇帝陛下 憲宗皇帝である。
27.
 ・誅流姦臣 憲宗は即位と同時に王叔文を四川渝州の司戸に、王伾を四川門州の司馬に流し「八司馬」の追放のことをいう。《仁王八司馬の変》

 

朝廷清明、無有欺蔽。

朝廷も春の生命のころのように穏やかになり、欺いて覆い隠すものはなくなったのである。

外斬楊惠琳・劉闢,以收夏蜀,

夏州夏緩銀節度留後楊恵琳と劉関が斬られた。夏と蜀の反乱を平定され、

28. ・外斬楊惠琳 805年永貞元年十一月、叛乱した、夏緩銀節度留後楊恵琳が、806年元和元年十月、斬られた。そのことをさす。外は夏州が辺境の州であるからいう。
29.
 ・夏蜀 夏は夏州で今の陝西省横山県の西。蜀は四川省。

東定青徐積年之叛,海怖駭,

東国における青州と徐州の長年にわたる叛乱を平定されたことにより、国内中がおそれおどろき落ち着かない状態は収まった。

30. ・ 青州、今の山東省臨溜県。節度使の李師古が死に、弟の李師道が留後となっていたが、部将の劉悟に殺された。
31.
 ・ 徐州。徐州に就職した次の年の800年貞元十六年の初夏のころ、韓愈は張建封の雫を辞して、洛陽に仮寓した。まもなく張建封は死に、その翌日、徐州の軍隊は暴動を起こした。かれは二度まで、その勤務先の動乱を寸前にまぬかれたのだ。

32. ・海内 国内。
33.
 ・怖骸 おそれおどろく。

 

不敢違越,郊天告廟,

あえて違うまま超えることはなく、天の神を郊外の朝廟にお告げして、

 

神靈歡喜,風雨晦明,無不從順。

神や霊気は喜びを告げた風も雨も暗い時も明るい時も関係なく法則に従順であることはない。

元和聖德詩並序。 s5 (序-1

 

太平之期,適當今日。
この時期において太平になり、時に合わせて今日に当たることになる。

 

臣蒙被恩澤,日與群臣序立紫宸殿陛下,親望穆穆之光。
私は、ふりそそぐほどの御恩をうけて、日々、あまたの臣下の者たちと列に従い紫宸殿の陛下のもとに並び立ったのだ、天子のなごやかなお顔、威儀の隆盛なさまを光のように親しみをもって臨んだのだ。
34. ・序立 階級職務の順序にしたがってならび立つ。
35.
 ・紫演殿陛下 紫炭殿は内朝の正殿。陛下は、階段の下。
36.
 ・穆穆之光 天子のなごやかなお顔。威儀の隆盛なさま。


而其職業,又在以經籍教導國子
そうしてそれが私の職務であり、また国家の指導者養成機関である国子監の学生たちを教える権知国子博士であった。
37. ・其職業 わたしの職務。
38.
 ・国子 国家の指導者養成機関である国子監、すなわち国立大学、の学生たち。


誠宜率先作歌詩以稱道盛德
誠心誠意職務し、よろしく率先して詩歌を作ったことで、ほめたたえ皇帝はじめ、高徳の方々に評価された。
39. ・称道 ほめたたえ、いいふらす。


不可以辭語淺薄不足以自效為解
詩や文章の味わいの深浅、厚い薄いでもって、あるいは言葉不足などを以て言い訳をするということはしなかった。
40. ・ いいわけ。

 

元和聖德詩並序。 s7 (序-2

 

輒依古作四言元和聖德詩一篇。
すぐさま四言駢儷文ではなく、古代の詩經など、詩歌に似せて古詩「元和聖德詩」一篇を作った。
41. ・輒 すぐさま。
42.
 ・依古 古代の詩歌に似せて。たしかに、この詩は、その文体が、『詩経』や『書経』の雰囲気を持つ。

43. 古作四言 四六駢儷体】. 〔「駢儷」は馬を二頭立てで走らせる意で、対句構成の文を形容したもの〕. 漢文の文体。四字と六字から成る対句を多用する華麗な文体。誇大で華美な文辞を用い、典故のある語句を繁用し、平仄ひようそくを合わせて音調を整えるのが特徴で、朗誦に適する。漢・魏ぎの時代に起こり、南北朝時代に盛んに行われ、中唐の韓愈かんゆ・柳宗元が古文の復興を提唱してから衰えた。日本では奈良・平安時代の漢文によく用いられた。四六駢儷文。四六文。駢儷体。駢儷文。駢体文。駢文。


凡千有二十四字,指事實錄,

全部で千二十四文字、実際にあった事実のみを書いた記録のような詩である。

44. ・凡 全部で。

 

具載明天子文武神聖,以警動百姓耳目,

今生、皇帝の文武神聖を一つ一つ具体的に記し、それをもってこの国の万民の注目する模範となるよう知らしめる語句、文体ものとした。

45. ・具載 一つ一つ具体的に記す。

46. ・文武神聖 文事にも武事にも神聖でいらっしゃる御事をいう。
47.
 ・警動 いましめ、感動させる。
48.
 ・百姓 万民。農夫をさすのではない。


傳示無極,其詩曰。
そうして、この王朝の無限の先の世まで伝え、続くことを願うのである。それで、次のように詩によっていう。

49. ・無極 時間空間の無限の彼方までというほどの意。


<背景>
 805年貞元二十一年正月、徳宗が崩じ順宗が即位すると、王叔文は、やはり順宗の気に入りであった王位と結んで政権を握った。
葦執誼・陸淳・呂温・李景倹・韓嘩・韓泰・陳諌・柳宗元・劉轟錫・凌準・程昇らが、その党人であった。
 順宗は即位の前年から中風で政治ができない状態だったから、すべては、王叔文らの思うがままにはこはれた。もっとも、王叔文は、小地主階数出身で、徳宗の治世に積みかさなっていた弊政を改革したいと思っていたので、その理想を短期間に実行に移そうとしたのであった。かれの党人の多くは、かれと同じような階級出身の尖鋭な少壮官僚だった。
この運動はたちまち貴族・大地主・常官たちのはげしい憎しみを買った。党人の中から、王叔文の名声をねたむ韋執誼がそむいた。また、王叔文を憎んでいた皇太子の李純が七月に摂政となり、八月、位を譲られて即位した。憲宗である。
 憲宗は即位と同時に王叔文を四川渝州の司戸に、王伾を四川門州の司馬に流し、王叔文は翌年殺され王伾もまもなく病死した。党人も喪中の李景儉、国外にあった呂温をのぞき、柳宗元は湖南の永州、劉禹錫は朗州というように、みな司馬として左遷された。かれらを「二王八司馬の変」は終息した。

806年-集24- 韓昌黎集【字解集】答竇秀才書 Ⅱ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之韓愈詩集9609

806-24- 韓昌黎集【字解集】答竇秀才書 

 

 

 

2017123

の紀頌之”6”つの校注Blog

10年のBLOGの集大成

   李白総合案内

 

●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、現在、李白詩全詩 訳注

Ⅰ李白詩

(李白集校注)

767年【字解集】 1. 沙丘城下寄杜甫 2.別中都明府兄 3.別魯頌 4.東魯見狄博通 5.送韋八之西京 6. 送范山人歸太山 Ⅰ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 李白詩集Blog9636

LiveDoo

rBlog

未編年 s-69擬古,十二首之四(巻二四(二)一三七六) -#1漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ9420

孟浩然

李白詩

謝霊運

司馬相如 《子虛賦 ・上林賦》

揚雄 《甘泉賦》

諸葛亮 出師表

曹植詩65

兩都賦序・西都賦・東都賦

李白全詩

漁父辞(屈原

楚辞・九歌》東君

《楚辞九辯》

 

 

 

 

10年のBLOGの集大成

●唐を代表する 中唐 韓愈 全500首 

Ⅱ韓昌黎詩集・文集校注

806年-集24- 韓昌黎集【字解集】答竇秀才書 Ⅱ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之韓愈詩集9609

LiveDoo

rBlog

806年-集23- 韓昌黎集【字解集】送許郢州序 Ⅱ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之韓愈詩集9491

・李商隠詩 (1) 136首の75

・李商隠詩 (2) 135首の61

韓愈1 ・孟郊・張籍と汴州乱41

index-2[800年~804年]27

index-3 805年陽山から江陵36

index-4 806年 39 江陵・国子博士25

index-5 806年39歳(2)25

index-6 807~809年 20

index-7[810年~811年 44歳] 34

index-8 [812年~814年47歳]46

index-9[815年~816年 49歳57

index-10[817年~818年 51歳]「平淮西碑」28

index-11 819年『論佛骨表』左遷 38

index-12 820 國子祭酒18

index-13 821年~822年 22

index-14 57歳・病気のため退職。没す14

韓愈 哲学・儒学「五原」

孟郊

 

10年のBLOGの集大成

 

 

 

●杜甫の全作品1500首を訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"

Ⅲ 杜詩

詳注

767年-167 復愁十二首 其一一(卷二○(四 )頁一七四五)注(1185) Ⅲ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ9575

LiveDoo

rBlog

767年-集-21 【字解集】 ・寄峽州劉伯華使君四十韻  Ⅲ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ9366

767年-集-20-3 【字解集】  秋日夔府詠懷奉寄鄭監審李賓客之芳一百韻(3) Ⅲ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ9267

杜甫詩(1)736~751年  53

杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73

杜甫詩(3)45歳 安史の乱に彷徨う 26

杜甫詩(4)757年、左拾遺 43

杜甫詩(5)758年47歳 左遷 53

杜甫詩(6)759年 三吏三別 44

杜甫詩(7)759年秦州詩 66

杜甫詩(8)759年同谷紀行、成都紀行36

杜甫詩(9)760年、49歳 成都 45

杜甫詩(10)761年、50歳 成都82

杜甫詩(11)762年蜀中転々43

杜甫詩(12)762年 蜀中転々 49

(13)763年蜀中転々 96

 (14)764年 三月成都へ帰る 100

 (15)765年正月幕府を辞す 63

(16-1) 766年雲安、暮春、夔州 168首 の(1)80

(16-2) 766年雲安、暮春、夔州 168首 の(1)81

 

杜甫詩 (17-1)767年夔州・西閣・赤甲・瀼西132

杜甫詩 (17-2) 767年・瀼西・東屯 133

杜甫詩 (18)768年江陵・公安縣・岳州 78

杜甫詩 (19)769年・洞庭湖・潭州・衡州 78

杜甫詩 (20)770年・洞庭湖・潭州・衡州。27

杜甫詩 (21)洩れ分(未詳分)・散文

杜甫詩 全詩 総合案内 

●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている。花間集連載開始。

Ⅳブログ詩集

漢・唐・宋詞

花間集 訳注解説 (310)回目和凝【字解集】3.菩薩蠻 4.山花子二首 5.河滿子二首 》 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ9618 (12/03)

  fc2

Blog

花間集 訳注解説 (238)回目毛文錫【字解集】a.虞美人二首 b.酒泉子 c.喜遷鶯 d.西溪子 e.中興樂 f.更漏子 g.賢賓 h.贊浦子》 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ9037 (09/05)

 

 

 

10年のBLOGの集大成

 

●花間集全詩●森鴎外の小説の”魚玄機”詩、芸妓”薛濤”詩。唐から五代詩詞。花間集。玉臺新詠連載開始

.唐五代詞詩・女性

・玉臺新詠

玉-巻三-15 爲顧彦先贈婦往反四首其二 -#1(悠悠君行邁) 〔陸  雲〕 Ⅴ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の玉臺新詠巻二ブログ 9577

LiveDoo

rBlog

玉集-019【字解集】  悼亡詩二首其三  Ⅴ漢詩・六朝詩・文選・古詩源・唐宋詩詞漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の玉臺新詠巻二ブログ 9207

●薛濤の全詩

●花間集(1

●花間集(2

●花間集(3

●花間集(4

●花間集(5

●魚玄機全詩

●花間集(6

●花間集(7

●花間集(8

●花間集(9

●花間集10

Ⅵ唐代女性論         ninjaブログ

九、000《魚玄機の全詩 》 漢文委員会kanbuniinkai 紀 頌之 ブログ9578

 ■最近Best5 賦・詩・詞(漢詩4ブログ各部門)

漢詩総合サイト 07ch

杜甫全詩案内

韓愈全詩案内

李白全集

李白詩のサイト

古詩源

花間集案内

漢詩・唐詩・宋詩研究

http://kanbunkenkyu.web.fc2.com/

 

806-24- 韓昌黎集【字解集】答竇秀才書 Ⅱ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之韓愈詩集9609

 

 

【字解集】答竇秀才書 

答竇秀才書

1.(陽山貶謫されている間も、信頼してくれていた竇秀才に、それに答えて贈ったもの)

2. 答秀才書 是れ唐代の文学家で韓愈が陽山に貶謫されている期間、(804年)最も信頼を置いている人物であった。

3. 秀才 科挙の科目名であると共にその合格者。唐代には進士科、秀才科、明経科が科目であった。進士は詩文の作成能力を問う科目であったが、次第に中心的科目となり、合格者である進士が官僚としての栄達を約束されるエリートとされた。進士科が優位となった理由は、明経科は経書の丸暗記が中心であったのに対し、進士科は経書の暗記試験と詩と賦という二種類の韻文が課題とされ、「オールラウンドの士君子の教養」の優劣をきそった点でその合格者が単なる技能のみならず人格的にも優れていると考えられたからである。進士科の優位は宋代にさらに明確となり、王安石の改革の際についに進士科は科挙の唯一の科目とされ、その内容も詩文と散文の二本立てではなく、散文のみとなる。

 

愈白:愈少駑怯,

私、韓愈が申し上げます。私は、若い時から意気地なしで、

4. 駑怯 のろまで意気地がない。

 

於他藝能,自度無可努力,

他の文学・学術の能力の点では、自分で振り返ってみると、努力しても、効果がないと反省したものである。

5. 藝能 文学・学術の能力。

 

又不通時事,而與世多齟齬。

そのうえ、また、世間の時事に疎く、社会とさまざまの点で迎合してあわせてゆくことなどできなくて、多く齟齬をきたすのである。

6. 時事 世間に起こるその時々の出来事。

7. 齟齬 意見や事柄が、くいちがって、合わないこと。くいちがい。

 

念終無以樹立,遂發憤篤專於文學。

終には、こんなことでは、何事にもならぬと思いあぐねて、奮い立ち、文学に専念することにしたのであります。

 

學不得其術,凡所辛苦而僅有之者,皆符於空言,

学問してもその方法が良くなかったし、あらゆることに、辛苦・苦心してやっと得たものであり、すべての空虚な理論こそ合致するものである。

8. 學不得其術 学問してもその方法が良くなかった。

9. 空言 1.何の根拠もないうわさ。2.実行できもしない、むだな言葉。

 

而不適於實用,又重以自廢。
だから、それは、実際の役には立たず、またもや、自分でやめてしまうありさまだったのです。

 

#2

是故學成而道益窮,年老而智愈困。

これを理由として、学問が完成したと思えば思うほど、私の文学の道は窮地に陥り、歳をとればとるほど、知恵は行き詰まりを感じて困ったことになったのである。

 

今又以罪黜於朝廷,遠宰蠻縣,

今また、どういう訳か罪に問われ、朝廷から追い出され、遠く南嶺山脈を越えて南蛮といわれる南の片田舎の縣を治めているのです。

10. 蠻縣 古代中国において、異民族の支配を含め、中国大陸を制した朝廷が自らのことを「中国」、「中華」と呼んだ。また、中華の四方に居住し、朝廷に帰順しない周辺民族を「東夷・北狄・西戎・南蛮」と呼び、「四夷」あるいは「夷狄」(いてき)と総称した。ここでは、陽山県のことを指す。

 

愁憂無聊,瘴癘侵加,

心に過去現在未来の心配事、悩みを思って、何にもできない自分であります、その上、瘴癘の風土病のある地で、私の健康をむしばんでしまい、

11. 無聊 することがなくて、たいくつな生活を嘆く。不遇な立場におかれた自分を嘆く。

12. 瘴癘 特殊の気候や風土によって起こる伝染性の熱病。マラリアなど。「瘴癘の地」

 

喘喘焉無以冀朝夕。

ぜえぜえ、はあはあ、と虫の息であっても、この状態を何とかしたいと、日夜願い続けていたのです。

 

#3

足下年少才俊,辭雅而氣

あなたは、若くて、才能に恵まれ、言葉は、雅で品が善い上に、元気に溢れています。

 

當朝廷求賢如不及之時,當道者又皆良有司,

いつも、朝廷は、賢人を追いかけ、求めるのが実際に及ぶ時、政権担当者は、すべてすぐれた官僚である。

13. 朝廷求賢 朝廷は、賢人を追いかけ、求める。科挙試験制度。

 

操數寸之管,書盈尺之紙,

彼らは、筆一本を操り、ちょっとした紙にしたためることができる能力を持っている。

14. 數寸之管 筆一本を操ること。

 

高可以釣爵位,循次而進,

だから、その書がうまく行って目に留まれば、高位を釣り上げることができれば、それから後は、こつこつと一段ずつ進んで、出世道を歩んでゆくであろう。

 

亦不失萬一於甲科。
また、官吏任用試験に、万が一にも失敗することなどないのである。

15. 甲科 官吏任用試験。唐代には進士科、秀才科、明経科が科目であった。進士は詩文の作成能力を問う科目であったが、次第に中心的科目となり、合格者である進士が官僚としての栄達を約束されるエリートとされた。

 

#4

今乃乘不測之舟,入無人之地,

それなのに、いま、生命もどうなるかわからない不測の事態も起こりうる様な舟に乗り、人の気配のない中まで入ってゆく。

 

以相從問文章為事。

それでいて、わざわざやってきて文章についてお尋ねになるのである。

 

身勤而事左,辭重而請約。

肉体的には苦労を重ねながら、その事柄はそれほどのことではなく、発言は丁寧であるのに、お求めになっていることは簡単なことに限って問われたのである。

16. 身勤 肉体的には苦労を重ねる。

17. 事左 その事柄はそれほどのことではないということ。

18. 辭重 発言は丁寧である。

19. 請約 固く誓うこと。また、その誓い。

 

非計之得也。

だから、割に合うやり方ではないのである。

 

雖使古之君子,積道藏德,遁其光而不曜。  
昔の君子というのは、道を積み、徳を蓄えながら、その立派な仁徳を隠してひけらかすことなどしないのである。

20. 積道藏德 道を積み、徳を蓄えること。

 

#5

膠其口而不傳者,遇足下之請懇懇,

その口を膠じて伝えざらしむ者をして、足下の請うことの真心のこもったようすで遇わしむのである。

21. 懇懇 真心のこもっているさま。丁寧に詳しく説くさま。

 

猶將倒廩傾囷,羅列而進也。

なお、まさに、廩をくつがえし、囷を傾けて、持っている能力をすべて出し切り、それらを羅列して進めてゆくのである。

22. 廩 ①くら。こめぐら。「倉廩」 ②ふち(扶持)。給料として与える米。 (リン) ③あつまる。あつめる。 下つき. 既廩(キリン)・倉廩(ソウリン). 「廩」から始まる言葉. (くら).

23. 囷 倉庫という意味の漢字である。

 

若愈之愚不肖,又安敢有愛於左右哉!

韓愈がこのとおり、愚不肖であるかのようなものであるし、また、どうしてか、あえて左右のことまでも愛でることがあるのであろう。

 

顧足下之能,足以自奮。
こうしてこれまでを顧みれば、貴殿の才能は、自分自身、自身を以てそれを奮われることである。

 

#6

愈之所有,如前所陳。

私、韓愈が持っている者としては、先に申しあげたようなものであります。

 

是以臨事愧恥而不敢答也。

だからここに、事に臨んで、いざとなるとめっぽう恥ずかしくてあえてお答えができないのです。

 

錢財不足以賄左右之匱急,文章不足以發足下之事業。

金銭的にもあなたの窮迫した状態を左右十分に潤すだけのことはできない、文章の方でも貴殿の事業に発揮させることができずにいる。

21. 匱急 ひっ迫する、窮迫する。

 

稇載而往,垂橐而歸。

それは、車にいっぱいの荷物を積んでやってきても、ただ金袋をぶら下げ、手ぶらで帰ってくることになったのです。

 

足下亮之而已。愈白。
貴殿もその点についてご了承いただきたいと思っているだけである。以上、韓愈が申し上げることであります。

806年-集23- 韓昌黎集【字解集】送許郢州序 Ⅱ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之韓愈詩集9490

806-23- 韓昌黎集【字解集】送許郢州序

 

 

20171126

の紀頌之”6”つの校注Blog

10年のBLOGの集大成

   李白総合案内

 

●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、現在、李白詩全詩 訳注

Ⅰ李白詩

(李白集校注)

746-008-#2卷一七六 送族弟單父主簿凝攝宋城主簿至郭南月橋卻回棲霞山留飲贈之(卷十七(二)九九九)Ⅰ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 李白詩集Blog9559

LiveDoo

rBlog

未編年 s-69擬古,十二首之四(巻二四(二)一三七六) -#1漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ9420

孟浩然

李白詩

謝霊運

司馬相如 《子虛賦 ・上林賦》

揚雄 《甘泉賦》

諸葛亮 出師表

曹植詩65

兩都賦序・西都賦・東都賦

李白全詩

漁父辞(屈原

楚辞・九歌》東君

《楚辞九辯》

 

 

 

 

10年のBLOGの集大成

●唐を代表する 中唐 韓愈 全500首 

Ⅱ韓昌黎詩集・文集校注

806年-集23- 韓昌黎集【字解集】送許郢州序 Ⅱ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之韓愈詩集9490

LiveDoo

rBlog

806年-集20- 韓昌黎集字解集會合聯句【案:韓愈、張籍、孟郊、張徹】 Ⅱ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之韓愈詩集9310

・李商隠詩 (1) 136首の75

・李商隠詩 (2) 135首の61

韓愈1 ・孟郊・張籍と汴州乱41

index-2[800年~804年]27

index-3 805年陽山から江陵36

index-4 806年 39 江陵・国子博士25

index-5 806年39歳(2)25

index-6 807~809年 20

index-7[810年~811年 44歳] 34

index-8 [812年~814年47歳]46

index-9[815年~816年 49歳57

index-10[817年~818年 51歳]「平淮西碑」28

index-11 819年『論佛骨表』左遷 38

index-12 820 國子祭酒18

index-13 821年~822年 22

index-14 57歳・病気のため退職。没す14

韓愈 哲学・儒学「五原」

孟郊

 

10年のBLOGの集大成

 

 

 

●杜甫の全作品1500首を訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"

Ⅲ 杜詩

詳注

767年-160 復愁十二首其四(卷二○(四 )頁一七四二)注(1178) Ⅲ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ9526

LiveDoo

rBlog

767年-集-21 【字解集】 ・寄峽州劉伯華使君四十韻  Ⅲ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ9366

767年-集-20-3 【字解集】  ・秋日夔府詠懷奉寄鄭監審李賓客之芳一百韻(3) Ⅲ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ9267

杜甫詩(1)736~751年  53

杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73

杜甫詩(3)45歳 安史の乱に彷徨う 26

杜甫詩(4)757年、左拾遺 43

杜甫詩(5)758年47歳 左遷 53

杜甫詩(6)759年 三吏三別 44

杜甫詩(7)759年秦州詩 66

杜甫詩(8)759年同谷紀行、成都紀行36

杜甫詩(9)760年、49歳 成都 45

杜甫詩(10)761年、50歳 成都82

杜甫詩(11)762年蜀中転々43

杜甫詩(12)762年 蜀中転々 49

(13)763年蜀中転々 96

 (14)764年 三月成都へ帰る 100

 (15)765年正月幕府を辞す 63

(16-1) 766年雲安、暮春、夔州 168首 の(1)80

(16-2) 766年雲安、暮春、夔州 168首 の(1)81

 

杜甫詩 (17-1)767年夔州・西閣・赤甲・瀼西132

杜甫詩 (17-2) 767年・瀼西・東屯 133

杜甫詩 (18)768年江陵・公安縣・岳州 78

杜甫詩 (19)769年・洞庭湖・潭州・衡州 78

杜甫詩 (20)770年・洞庭湖・潭州・衡州。27

杜甫詩 (21)洩れ分(未詳分)・散文

杜甫詩 全詩 総合案内 

●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている。花間集連載開始。

Ⅳブログ詩集

漢・唐・宋詞

花間集 訳注解説 (304)回目和凝巻六28春光好二首其二 》 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ9555 (11/26)

  fc2

Blog

花間集 訳注解説 (238)回目毛文錫【字解集】a.虞美人二首 b.酒泉子 c.喜遷鶯 d.西溪子 e.中興樂 f.更漏子 g.接賢賓 h.贊浦子》 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ9037 (09/05)

 

 

 

10年のBLOGの集大成

 

●花間集全詩●森鴎外の小説の”魚玄機”詩、芸妓”薛濤”詩。唐から五代詩詞。花間集。玉臺新詠連載開始

.唐五代詞詩・女性

・玉臺新詠

玉-巻三-12 樂府三首其二 前緩聲歌-#1(遊仙聚靈族) 〔陸  機〕 Ⅴ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の玉臺新詠巻二ブログ 9528

LiveDoo

rBlog

玉集-019【字解集】  悼亡詩二首其三  Ⅴ漢詩・六朝詩・文選・古詩源・唐宋詩詞漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の玉臺新詠巻二ブログ 9207

●薛濤の全詩

●花間集(1

●花間集(2

●花間集(3

●花間集(4

●花間集(5

●魚玄機全詩

●花間集(6

●花間集(7

●花間集(8

●花間集(9

●花間集10

Ⅵ唐代女性論         ninjaブログ

八、2.98 薛濤 《贈楊蘊中 》 漢文委員会kanbuniinkai 紀 頌之 ブログ9564

 ■最近Best5 賦・詩・詞(漢詩4ブログ各部門)

漢詩総合サイト 07ch

杜甫全詩案内

韓愈全詩案内

李白全集

李白詩のサイト

古詩源

花間集案内

漢詩・唐詩・宋詩研究

http://kanbunkenkyu.web.fc2.com/

 

 

806-23- 韓昌黎集【字解集】送許郢州序 Ⅱ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之韓愈詩集9490

 

 

【字解集】送許郢州序 

 

――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

送許郢州序

1. (観察使于頔が租税を誅求したので、これを韓愈は郢州の刺史許志雍に諷諌させようと思っていたところ、刺史許志雍を郢州に送るさいにこの文を贈ったもの。)

2.【解説】郢州(湖北省鐘祥県北)の刺史許志雍送る序である。観察使于頔(うてき)が租税を誅求したので、退之は許志雍に諷諌させようと思ってこの文を贈った。于頔、字は允元、

806年-19 全唐文551-11-#1至鄧州北寄上襄陽於相公書 kanbuniinkai紀頌之7950

3. 許 郢州刺史許志雍。

4. 郢州 中国、湖北省にかつて設置された州。現在の鍾祥市一帯に相当する。

 

以書自通於於公,累數百言。

私、韓愈は以前に書簡《上襄陽於相公書》を以て于頔公に自分の考えをよく知ってもらおうと、数百言をかさねて申し述べたのである。

5. 以書 《昌黎先生集/卷15-8上襄陽於相公書》参照。至鄧州北寄上襄陽於相公書 (上襄陽於相公書)のこと。

6. 自通 自分の方から意を通ずる。よしみを通ずる。

 

其大要言:先達之士,得人而托之,

その大要は次のようである: 先達の人物が部下によい人を得たことだし、これに事業をまかせるものとする。

7. 先達 先に道に通じた人。先輩。後進。後輩に対していう。

 

則道德彰而名問流;後進之士,

すると、その人の道徳が世にあきらかになり、名誉と評判はひろく行きわたる。すると、後進の人物にひろがる。

8. 名問 名聞に同じ、問は間に通用、名誉、評判。

 

得人而托之,則事業顯而爵位通。

上によい人を得てこれに身や心もまかせたならは、その人の事業はあらわれて、爵位も進むのである。

 

下有矜乎能,上有矜乎位,雖恒相求而喜不相遇。

下の者が自分の能力をほこることがあり、上の人が自分の位をほこることがあるならは、常に先進後輩が互いに求め合っても、よく互いに合わないのである、と。

9. 矜 ほこる。

10. 喜不相遇 互いに遇合しないことが多い。本集注に「諸本に音字なし。方氏校定本は、閣本・杭本尊に従って之を得」とある。『点勘』には苦に作るが、よくない。これについて諸説がある。書は善と通用する例がある。葺はまた意(且に作るのも同義。『漢書』帯地志に「岸善く崩る」と、蕨師古注に「善崩は猶薫く崩るのごときなり」と。それ故「屡モ相遇はず」と同様である。

 

#2

於公不以其言為不可,復書曰:「足下之言是也。」

干公は私のこの言を以てよくないとせず、返書をしていわれた、足下の言は正しい、と。

 

於公身居方伯之尊,蓄不世之材,而能與卑鄙庸陋相應答如影響,

于公の身は地方の諸侯の首長という尊い地位にあり、いつの世にも出るというものでないすぐれた才能をたくわえていながら、しかも身分卑しく見識のいやしい、凡庸で劣っている私と相応答されることが、ちょうど影が形にうつるようだし、響きが音に相応ずるようであるということである。

11. 方伯 一地方の総督、節度使、観察使などをいう。

12. 不時之才 本集に「不世之才」に作る。世々に出ない人材。不世出の才。世々に有る凡庸の才でない。

13. 影響 必ず応答する形容、形あれば影あり、音あれば響きがあるように。

 

是非忠乎君而樂乎善,以國家之務為己任者乎?

これは、君に対して忠であり、善を為すことを楽しみ、国家の務めを以て、自分の責任と考えているものではないであろうか。

 

3

愈雖不敢私其大恩,抑不可不謂之知己,

恒矜而誦之。

私は、押し切って干公の大恩を自分一人のものとするのではないけれども、それはともかく、これを真に自分をよく知ってくれた人といわないわけにはいかない。それゆえ私はつねにほこりに思ってこのことをいうのである。

14. 誦 《孟子、公孫丑下》篇に「知其罪者、惟孔距心。爲王誦之。」(其の罪を知る者は、惟孔距のみ、と。王の爲に之を誦う。)その解に「爲王誦之。王曰、此則寡人之罪也。」(王の爲に其の語を誦うは、以て王を諷し曉さんと欲するなり。)とある。誦は言うこと。

 

情已至而事不從,小人之所不為也;

感情がここにきわまっているのに、行う事がそれに従わないというようなことは、徳の劣った小人物でもしないところである。

 

故於使君之行,道刺史之事,以為於公贈。

故に、今使君が出立されるときに、刺史の仕事を言って、于公への贈り物とする次第である。

 

4 §2

凡天下之事成於自同而敗於自異。

すべて天下の事は、各自が人と一致する考えであれば、それによって成功し、各自が人と異なり相反する考えであれば、それによって失敗するというものである。

15. 自同 各自が互いに一致する。同一のものという見方に立つ。

16. 自異 各自が立場を異にするという考えに立つ。利己的で排他的な立場。

 

為刺史者,恒私於其民,不以實應乎府;

州の施政者である刺史の者は、常に自分の人民にえこひいきにかばってやり、税賦を軽くして、実情を観察便の役所に答えないというものでよいのである。

17. 実 実情。

18. 府 観察使府。

 

為觀察使者,恒急於其賦,不以情信乎州。

また観察使である者は、常にその管区からの税の取り立てに厳しくして、人情を以て、その州の刺史を信用しないということである。

19. 急於其賦 自分の課税に厳しく追求する。賦は割りあて。賦課のことであり、中国では、王土王民と一君万民の理念を背景として、概して次の4つの制度が統治の根幹となっていた。①租税の確保が重視され、一律的に耕作地を班給する土地制度。②租庸調制として施行された個人を課税対象とする体系的な租税制度。③府兵制、一律的に兵役が課せられる軍事制度。④支配を貫徹するために、末端の近くまで官僚が体系的に配置されていた郷里制で、人民を把握するための地方行政制度。(班給・課税・徴兵の台帳となる戸籍・計帳の作成が可能となった)

20. 情 人情。

21. 信於州 州の刺史を信ずる。

 

5 §2-2

繇是刺史不安其官,觀察使不得其政,

これによって刺史は自分の役目に安心して務められず、観察使は自分の政治を善く行えなくなったのである。

22. 繇 由るに同じ。えだち。うた。しげる。うごく。従事する。

 

財已竭而斂不休,人已窮而賦愈急,

財力がすでに尽きているから、税の取り立てをやめることはできない、人民はすでに生活に困しんでいるけれども、課税はますます厳しくなる。

23. 斂 税の取り込み。敵は入れる。

 

其不去為盜也亦幸矣。

それでも彼ら人民がその居住地から去って、盗賊とならずにいるのは、それこそ幸いである。

24. 盗 飢餓に苦しめば、逃散という手段で抵抗した、安史の乱の時には、国中の人口が半減したという、中国には武士が存在しなかったのもこのあたりに原因があり、逃散したら、山賊になり、制度変更をしたのである。

 

誠使刺史不私於其民,觀察使不急於其賦,

誠に、もし刺史が自分の人民にえこひいきに恩恵を与えず、観察使がその課税を厳しくしないことである。

25. 誠使 まことに、もしの意、使を「もし」と読むほうがよい。

 

6 §2-3

刺史曰:吾州之民,天下之民也,

刺史は、わが州の民は、自分一個のものでなく、天下の人民であるということ。

 

惠不可以獨厚;觀察使亦曰:

恵みはこの民にだけ厚くすることはできないといい、観察使もまたいうのである。

 

某州之民,天下之民也,

某州の民は、天下の人民であるということなのである。

 

斂不可以獨急:

税の取り立ては、その州からだけ厳しくすることはできない

26. 獨急 他の州と比較して、自分の州の税取り立てを特別に厳しくするということ。

 

7 §2-4

如是而政不均、

というならば、このようにして政策が均等に行きわたってしまうということ。

令不行者,未之有也。

命令が行われないことは、決して有るわけはない。

 

其前之言者,於公既已信而行之矣;

私がさきに申し述べた先達と後進に関する言説は、于公はもはや信じて実行しておられるのである。

27. 前之言者 さきにのべた先達と後進との相互関係を重んずる説。

28. 既巳 二字で「すでに」と読む。

 

今之言者,其有不信乎?

今ここにいう「自同」の論が一体信じられないことがあろうか。(そんなことはないのである。)

29. 今之言者 今いうところの白岡自異論。

 

8 §3

縣之於州,猶州之於府也。

下級の県が上級の州に対する関係というものは、ちょうど下級の州の上級の府に対する関係のようである。

31. 縣之於州,猶州之於府也 隋・唐以降の地方行政制度をいう。漢代では最終的には郡県制の上に、郡を管轄する州が13州設置され、州-郡-県の三段階で地方が統治されていた。魏晋南北朝になると州の数が増え、その末期には300を越え、中央集権が困難になる一因となっていた。そこで隋では郡を廃止して州が直接県を管轄するように改め、中央集権体制の合理化を図った。唐もこの州県制を継承した。州の州刺史、県の県令という長官と次官は中央から派遣され、それ以下の官吏は現地で長官が任命した。なお唐では全国の州を10の道に分け、玄宗の時代にはさらに15道に分けて州を管轄させ、道州県制となった。

 

有以事乎上,有以臨乎下,同則成,

それで以て上につかえる場合があり、それでもって下に臨む場合もあるが、一致の見地からすれば成功するものである。

 

異則敗者皆然也。

背反相異の見地に立ては失敗するのは、県と州の間でも皆その通りである。

 

非使君之賢,其誰能信之?

使君として赴任される貴下のように徳のすぐれた人でなければ、誰がこの私の言を信ずることができよう。

 

愈於使君,非燕遊一朝之好也,

私の使君との関係は、宴席で共に遊んだ一朝の僅かの好しみではないのである。

32. 使君 許刺史を指す。君命を帯びて地方を治めに行くので使君という。太守、刺史等。

33. 燕湛 宴遊に同じ。

 

故其贈行,不以頌而以規。

故に私が君の出発に贈るには、君をはめたたえる語を以てしないで、この戒めの語を以て序としたのである。

頌 ほめ言葉。

 いましめ、正す言葉。

 

 

(許郢州を送る序)

愈嘗て書を以て自ら于公に通じ、数百言を累ぬ。

其の大要に言ふ、先達の士、人を得て之に託せば、

則ち道徳彰れて、名問流れ、後進の士、

人を得て之に託せば、則ち事業顕れて爵位通ず。

下能に矜る有り、上位に矜る有れば、恆に相求むと雖も、而も善く相遇はずと。

2

于公共の言を以て不可と爲さず、復書して日く、足下の言是なりと。

于公は身方伯の尊に居り、不時の材を蓄へて、能く卑鄙庸陋と、相應答すること影響の如し。是れ君に忠にして、善を欒み、国家の務を以て、己が任と為す者に非ずや。

3

愈敢て其の大恩を私せずと雖も、抑そも之を知己と謂はざる可からず。

恆に矜りて之を誦す。

情己に至りて、事従はざるは、小人の為さざる所なり。

故に使君の行に於て、刺史の事を道ひて、以て于公の贈と為す。

 

4 §2-1

凡そ天下の事は、自同に成りて自異に敗る。

刺史為る者は、恆に其の民に私して、實を以て府に應ぜず。

観察使為る者は、恆に其の賦に急にして、情を以て州に信ならず。

 

5 §2-2

是に繇って刺史は其の官に安んぜず、観察俵は其の政を得ず。

財 己に竭きて斂休まず、人己に窮して 賦 愈いよ急なり。

其の去って盗を為さざるや亦幸なり。

誠に刺史をして其の民に私せず、観察使をして其の賦に急ならざらしめる。

6 §2-3

刺史は 吾が州の民は、天下の民なり。

恵 以て濁り厚うす可からずと日ひ、観察使も亦日ふ。

某州の民は、天下の民なり。

斂 以て濁り急なる可からずという。

7 §2-4

是の如くにして 政 均しからず、

令行ほれざる者は、未だ之れ有らざるなり。

其の前の言は 于公 既己に 信じて之を行ふ。

今の言は、其れ信ぜざること有らんや。

8 §3

縣の州に於ける、猶 州の府に於けるがごときなり。

以て上に事ふる有り、以て下に臨む有り。

同なれば則ち成り、異なれば 則ち敗るるは 皆 然るなり。

使君の賢に非ずんば、其れ誰か能く之を信ぜん。

愈の使君に於ける、燕游 一朝の好に非ざるなり。

故に其の行に贈るに 頌を以てせずして、規を以てす。

806年-集22- 韓昌黎集【字解集】上襄陽於相公書 Ⅱ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之韓愈詩集9490

806-22- 韓昌黎集【字解集】上襄陽於相公書

 

 

 

806-22- 韓昌黎集【字解集】上襄陽於相公書 Ⅱ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之韓愈詩集9490

 

 

 

 

 《上襄陽於相公書》

 

 

字解集 訳注解説

 

 

漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ9490

 

 

 

 全唐文551-11 至鄧州北寄上襄陽於相公書 #1

伏蒙示《文武順聖樂辭》《天保樂詩》《讀蔡胡笳辭詩》《移族從》並《與京兆書》。

自幕府至鄧之北境凡五百餘裏,自庚子至甲辰凡五日,手披目視,口詠其言,心惟其義,且恐且懼,忽若有亡,不知鞍馬之勤,道途之遠也。

夫澗穀之水,深不過咫尺,邱垤之山,高不能逾尋丈,人則狎而玩之。及至臨泰山之懸崖,窺巨海之驚瀾,莫不戰掉悼栗,眩惑而自失。所觀變於前,所守易於,亦其理宜也。

#4

閣下負超卓之奇材,蓄雄剛之俊德,渾然天成,無有畔岸,而又貴窮乎公相,威動乎區極,天子之毗,諸侯之師。故其文章言語,與事相侔,憚赫若雷霆,浩汗若河漢,正聲諧《韶》《》,勁氣沮金石,豐而不餘一言,約而不失一辭,其事信,其理切。孔子之言曰:「有德者必有言。」信乎其有德且有言也!揚子雲曰:「《商書》灝灝爾,《周書》噩噩爾。」信乎其能灝灝而且噩噩也!

7

昔者齊君行而失道,管子請釋老馬而隨之;樊遲請學稼,孔子使問之老農。夫馬之智不賢於夷吾,農之能不聖於尼父,然且雲爾者,聖賢之能多,農馬之知專故也。

今愈雖愚且賤,其從事於文,實專且久,則其讚王公之能,而稱大君子之美,不為僭越也。伏惟詳察。愈恐懼再拜。

 

至鄧州北寄上襄陽於相公書 #1

1.襄陽から鄧州の北境までの節度府の閣下御制作の文書を讀んだのでこの書を寄せ奉る

2 鄧州 鄧州(とうしゅう)は中国にかつて存在した州。魏晋南北朝時代・隋代、隋朝が成立すると当初は荊州が設置され49県を管轄した。587年(開皇7年)に鄧州と改称、607年(大業3年)、郡制施行に伴い鄧州は南陽郡と改称され下部に8県を管轄した。

3 相公 于襄陽公、襄陽大都督となる。驕蹇不法、ついに朝に入る。

《新唐書地理志》「于頔傳,頔為襄陽節度,襄有髹器,天下以為法。至頔驕蹇,故方帥不法者,稱為『襄樣節度』。」(于頔傳に,頔は襄陽節度と為し,襄に髹器有り,天下以て法と為す。頔 驕蹇に至り,故に方に帥 不法者なり,『襄樣節度』と稱為す。

 

伏蒙示《文武順聖樂辭》《天保樂詩》《讀蔡胡笳辭詩》《移族從》並與《京兆書》。

伏して閣下御制作の「文武順聖樂辭」文武順聖楽の歌辞)、「天保樂詩」天保楽の詩「讀蔡琰胡笳辭詩」蔡琰が胡茄の辞を読むの詩「移族從」族従に移し)、幷びに「與京兆書」(京兆に与うる書をお示し頂いた。

4 文武順聖樂辭 干公が献上した楽府(歌曲)の名。唐德宗以後、方鎮多製樂舞以献頔、献順聖樂曲、其曲將半行綴皆伏一人舞于中又令女妓爲佾舞 雄徤壯妙號文武順聖楽。

5 天保樂詩 天宝(玄宗の年号)の音通という。

6 讀蔡胡笳辭詩 後漢の学者蔡邕の娘、琰、字は文姫、博学で才があった。乱に遭って胡騎に捕らえられて、匈奴に十二年住み、二子があった。曹操が買い取って董祀に嫁にやった。「胡茄十八拍詞」は匈奴での苦しみを歌ったものである。

7 移族從 廻状の手紙を移文、または移という。つかわす。廻読させる。・族従 一族や家来。

8 京兆書 ・京兆 京都の長官、京兆尹の李実。804年監察御史に進んだが、京兆尹・李実を弾劾したとして、連州陽山の縣令に貶謫されたこともあって、この文のように異様なまでの襄陽相公を賞賛したのであろう。


続きを読む

806年-集21- 韓昌黎集字解集a. 遣興聯句 b. 贈劍客李園聯句 Ⅱ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之韓愈詩集9364

806-21- 韓昌黎集字解集a. 遣興聯句   b. 贈劍客李園聯句

 

 

2017117

の紀頌之”6”つの校注Blog

10年のBLOGの集大成

   李白総合案内

 

●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、現在、李白詩全詩 訳注

Ⅰ李白詩

(李白集校注)

未編年 s-69擬古,十二首之四(巻二四(二)一三七六) -#1漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ9419

LiveDoo

rBlog

745年-08 【字解集】008 A鳴皋歌送岑徵君  B對雪奉餞任城六父秩滿歸京Ⅰ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 李白詩集8975

孟浩然

李白詩

謝霊運

司馬相如 《子虛賦 ・上林賦》

揚雄 《甘泉賦》

諸葛亮 出師表

曹植詩65

兩都賦序・西都賦・東都賦

李白全詩

漁父辞(屈原

楚辞・九歌》東君

《楚辞九辯》

 

 

 

 

10年のBLOGの集大成

●唐を代表する 中唐 韓愈 全500首 

Ⅱ韓昌黎詩集・文集校注

806年-集21- 韓昌黎集字解集a. 遣興聯句 b. 贈劍客李園聯句 Ⅱ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之韓愈詩集9364

LiveDoo

rBlog

806年-集20- 韓昌黎集字解集會合聯句【案:韓愈、張籍、孟郊、張徹】 Ⅱ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之韓愈詩集9310

・李商隠詩 (1) 136首の75

・李商隠詩 (2) 135首の61

韓愈1 ・孟郊・張籍と汴州乱41

index-2[800年~804年]27

index-3 805年陽山から江陵36

index-4 806年 39 江陵・国子博士25

index-5 806年39歳(2)25

index-6 807~809年 20

index-7[810年~811年 44歳] 34

index-8 [812年~814年47歳]46

index-9[815年~816年 49歳57

index-10[817年~818年 51歳]「平淮西碑」28

index-11 819年『論佛骨表』左遷 38

index-12 820 國子祭酒18

index-13 821年~822年 22

index-14 57歳・病気のため退職。没す14

韓愈 哲学・儒学「五原」

孟郊

 

10年のBLOGの集大成

 

 

 

●杜甫の全作品1500首を訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"

Ⅲ 杜詩

詳注

806年-集21- 韓昌黎集字解集a. 遣興聯句 b. 贈劍客李園聯句 Ⅱ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之韓愈詩集9364

LiveDoo

rBlog

767年-集-21 【字解集】 ・寄峽州劉伯華使君四十韻  Ⅲ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ9366

767年-集-20-3 【字解集】  秋日夔府詠懷奉寄鄭監審李賓客之芳一百韻(3) Ⅲ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ9267

杜甫詩(1)736~751年  53

杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73

杜甫詩(3)45歳 安史の乱に彷徨う 26

杜甫詩(4)757年、左拾遺 43

杜甫詩(5)758年47歳 左遷 53

杜甫詩(6)759年 三吏三別 44

杜甫詩(7)759年秦州詩 66

杜甫詩(8)759年同谷紀行、成都紀行36

杜甫詩(9)760年、49歳 成都 45

杜甫詩(10)761年、50歳 成都82

杜甫詩(11)762年蜀中転々43

杜甫詩(12)762年 蜀中転々 49

(13)763年蜀中転々 96

 (14)764年 三月成都へ帰る 100

 (15)765年正月幕府を辞す 63

(16-1) 766年雲安、暮春、夔州 168首 の(1)80

(16-2) 766年雲安、暮春、夔州 168首 の(1)81

 

杜甫詩 (17-1)767年夔州・西閣・赤甲・瀼西132

杜甫詩 (17-2) 767年・瀼西・東屯 133

杜甫詩 (18)768年江陵・公安縣・岳州 78

杜甫詩 (19)769年・洞庭湖・潭州・衡州 78

杜甫詩 (20)770年・洞庭湖・潭州・衡州。27

杜甫詩 (21)洩れ分(未詳分)・散文

杜甫詩 全詩 総合案内 

●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている。花間集連載開始。

Ⅳブログ詩集

漢・唐・宋詞

花間集 訳注解説 (287) 回目 歐陽烱 巻六 《賀明朝二首其二 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ9429 (11/07)

  fc2

Blog

花間集 訳注解説 (238)回目毛文錫【字解集】a.虞美人二首 b.酒泉子 c.喜遷鶯 d.西溪子 e.中興樂 f.更漏子 g.接賢賓 h.贊浦子》 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ9037 (09/05)

 

 

 

10年のBLOGの集大成

 

●花間集全詩●森鴎外の小説の”魚玄機”詩、芸妓”薛濤”詩。唐から五代詩詞。花間集。玉臺新詠連載開始

.唐五代詞詩・女性

・玉臺新詠

玉-巻三-06 擬古七首其六( 擬庭中有奇) 陸機 Ⅴ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の玉臺新詠巻二ブログ 9423

LiveDoo

rBlog

玉集-019【字解集】  悼亡詩二首其三  Ⅴ漢詩・六朝詩・文選・古詩源・唐宋詩詞漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の玉臺新詠巻二ブログ 9207

●薛濤の全詩

●花間集(1

●花間集(2

●花間集(3

●花間集(4

●花間集(5

●魚玄機全詩

●花間集(6

●花間集(7

●花間集(8

●花間集(9

●花間集10

Ⅵ唐代女性論         ninjaブログ

八、2.81 薛濤 《贈段校書 》 漢文委員会kanbuniinkai 紀 頌之 ブログ9438

 ■最近Best5 賦・詩・詞(漢詩4ブログ各部門)

漢詩総合サイト 07ch

杜甫全詩案内

韓愈全詩案内

李白全集

李白詩のサイト

古詩源

花間集案内

漢詩・唐詩・宋詩研究

http://kanbunkenkyu.web.fc2.com/

 

 

806-21- 韓昌黎集字解集a. 遣興聯句   b. 贈劍客李園聯句 Ⅱ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之韓愈詩集9364

 

 

【字解集】a.166  遣興聯句

 

遣興聯句【案:韓愈、孟郊】#1

1.(風興、比興など思いつくことを聯句に詠う)

2. 遣興 風流、風雅に徹した思いをやったり、比興手法に思いをやる。

3. 比興 1 他の物にたとえて、おもしろく言うこと。転じて、おもしろく興あること。また、そのさま。 《「ひきょ(非拠)」の変化した語。一説に「ひきょう(非興)」の意とも》㋐不都合なこと。不合理なこと。また、そのさま。「心が本と心得て、強く下種(げす)しくするもまた―なり」〈十問最秘抄〉㋑いやしいこと。つまらないこと。また、そのさま。㋒臆病なこと。卑怯なこと。また、そのさま。

 

我心隨月光,寫君庭中央。【孟郊】

わが心は、月の光に随い、おなじ光は、わが想いとともに、はるか遠い先の君の庭にも写している。

4.  月光「月夜」と家族の考え方の考察(研究)
 1.なぜ「長安の月」ではなく「鄜州の月」なのか
 2. 九月九日憶山東兄弟  王維
 3. 除夜作  高適
 4.八月十五日夜禁中独直対月憶元九   白居易
 5 夜雨寄北 李商隠
 6.李白の詩
 7.杜甫の彭衙行(ほうがこう)自京赴奉先縣詠懷五百字遺興
 8. 「月夜」子供に対する「北征」の詩に、淋前の南中女

月夜 と家族を詠う詩について 杜甫  kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 150

 

月光有時晦,我心安所忘。【韓愈】

月の光は、時に曇って暗いこともあるけれど、私の心は決して、君を忘れることはない。

 

常恐金石契,斷為相思腸。【孟郊】

我々は韓信伝にいう「金石の契り」のようであるかどうか、こころしているけれど、千里遠く離れては、相思のあまり、断腸の思いにたえられるかどうかが心配である。

5. 金石契 金石の交わりの意味。金属も石も堅く、容易に割れるものではないことから、「金石」はきわめて堅く、永久に変わらないもののたとえに用いる。 『漢書・韓信伝』 「金石の契り」に基づく。


続きを読む

806年-集20- 韓昌黎集字解集會合聯句【案:韓愈、張籍、孟郊、張徹】 Ⅱ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之韓愈詩集9309

806-20- 韓昌黎集字解集會合聯句

 

 

 

20171029

の紀頌之"6"つの校注Blog

10年のBLOGの集大成

   李白総合案内

 

●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」。、現在、①李白集校注詩全詩、②昌黎先生集全40巻他全詩、③杜詩詳注、④花間集、⑤玉臺新詠、⑥薛濤詩 全訳注解説

Ⅰ李白詩(李白集校注)      LiveDoor

745年 n-62-#1 擬古,十二首之八(巻二四(二)一三七九)漢文委員会Kanbuniinkai紀頌之Blog9356

Ⅱ韓昌黎詩集・文集校注      LiveDoor

806年-集20- 韓昌黎集字解集會合聯句【案:韓愈、張籍、孟郊、張徹】 Ⅱ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之韓愈詩集9309

Ⅲ 杜詩詳注                  LiveDoor

767年-142#7 寄峽州劉伯華使君四十韻(卷一九(四)#7注(1156) Ⅲ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ9330

杜甫詩 全詩 総合案内 

Ⅳブログ詩集漢・唐・宋詞  fc2Blog

花間集 訳注解説 (277)回目 歐陽烱 巻六01 南子八首其一》 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ9359 (10/29)

.唐五代詞詩・女性・玉臺新詠     Livedoor

玉-巻三-01擬古七首其一 #1( 擬西北有高) 陸機〔Ⅴ〕漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の玉臺新詠巻二ブログ9360

Ⅵ唐代女性論ブログ唐代女性論

八、2.72 薛濤 《斛石山曉望寄呂侍 》 漢文委員会kanbuniinkai 紀 頌之 ブログ9375

杜甫全詩案内

韓愈全詩案内

李白全集

李白詩のサイト

古詩源

花間集案内

漢詩・唐詩・宋詩研究

http://kanbunkenkyu.web.fc2.com/

 

806-20- 韓昌黎集字解集會合聯句【案:韓愈、張籍、孟郊、張徹】 Ⅱ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之韓愈詩集9309

 

 

 

 

 《字解 會合聯句》

 

 

字解集 訳注解説

 

 

漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ9357

 

 

 

會合聯句  #0

1. (元和元年6月、韓愈は江陵より召されて、京師に還って張籍、張徹、孟郊たちと聯句を詠った)

中国の詩の一形態。複数の作者が1句,または2句,4句ずつつくり,連ねて1編の詩をなすもの。漢の武帝時代の作といわれる『柏梁台聯句』 ( 108) が最古で,これは1人が七言1句ずつをつくり連ねたもの。六朝時代以後には五言で12句または4句ずつの形式が生じ,詩人の余技として行われた。晋の賈充 (かじゅう) 夫妻の唱和は12句ずつの問答体である。陶淵明ら3人の作 (『陶彭沢集』所収) 14句ずつで,同一主題のもとに連作している。唐の韓愈と孟郊の『城南聯句』は五言の2句ずつを交互につけている。聯句は他作者による前後の聯と相より相助けて,単独作者の詩にはないような,おもしろい詩境を展開していく,その瞬間瞬間の感興を楽しむ文学である。日本でも平安時代中期には詩会の余興として行われ,連歌にさまざまの影響を与えた。また聯句と連歌の混合形態ともいうべき和漢連歌 (漢和連歌) をも生じた。

 

公召為國子博士,與張籍、張徹、孟郊會京師,而有此詩。

韓愈公は召されて國子博士となったが、張籍、張徹、孟郊と京師に會合し、この詩はその時のものである。

2. 國子博士・国子監 中国における隋代以降、近代以前の最高学府。各王朝の都(長安・洛陽・開封・南京)など)に設けられた。明代には南京と北京の二都に設けられた。

607年に「国子監」と改称された。唐代には長安に国子学(博士2名・助教2名・五経博士5名・学生300名)・太学(博士3名・助教3・学生500)・四門学(博士3名・助教3・学生500・俊士800)・律学・書学・算学・広文館などの教育機関があり、これらを統括する行政機関として国子監が設置されて国子祭酒・国子司業以下の職員が置かれた。また、「東都」と称された洛陽にも国子監が設置されていた。唐代にはそれぞれに入学する資格に父祖の品階が深く関わっており、庶民は俊士になる以外に学生になることは出来なかったが、宋代には太学・四門学にまで入学可能となった。元代には漢民族の国子監とは別にモンゴル人と西域出身者のために「蒙古国子監」「回回国子監」が置かれていた。明代には国子監が教育行政と実際の教育の両方を行うことになり、国子学・太学・四門学などの教育機関が国子監に一本化された。清代には最高責任者として国子監管理監事大臣が置かれ、その下に漢民族と満州族の国子祭酒が1名ずつ置かれた。

3. 張籍 (766? 830?)は、中国・唐代中期の詩人。字は文昌。原籍は呉郡(蘇州)だが、和州烏江(安徽省和県)に生まれた。799年に進士となる。寒門出身のためあまり出世ができず、秘書郎・水部員外郎・主客郎中を経て、師友の韓愈の推薦があり国子博士から国子司業に至った。賈島・孟郊などと唱和して古詩をよくし、盟友の王建とともに七言楽府に優れた作品を発表して「張王」と併称された。名詩人になろうとして、杜甫の詩集を焼いてその灰に膏蜜を混ぜて飲んだという逸話がある。表現は平易だが、世相の矛盾を指摘することは鋭く、白居易から「挙世(いまのよ)には其の倫(たぐい)少なし」と評せられ、後輩の姚合より「古風は敵手なく、新語は是れ人ぞ知る」と称えられた。中唐楽府運動の重要な担い手であり、白居易・元稹とともに「元和体」を形成した。『張司業詩集』8巻がある。

4. 張徹 張徹は、韓愈の門下生であり、また從子の婿である。韓愈の墓誌に「張徹、進士に擧げられ、殿中侍御使に遷り、幽州節度使判官となり、軍亂るるや、賊を罵って死す。」とある。

5. 孟郊 751 - 814年 唐代の詩人。字は東野、諡は貞曜先生という。

湖州武康(浙江省)の出身。狷介不羈で人嫌いのために、若い頃は河南省嵩山に隠れた。798年、50歳の時に三度目で進士に及第し、江蘇省律栗陽の尉となった。一生不遇で、憲宗の時代に没する。詩は困窮・怨恨・憂愁を主題としたものが多く、表現は奇異。韓愈とならんで「韓孟」と称せられる。蘇軾は賈島とならべて「郊寒島痩」、つまり孟郊は殺風景で賈島は貧弱と評す。韓愈が推奨するところの詩人であり、「送孟東野序」が知られている。『孟東野集』10巻がある。

 

黃魯直嘗云:“退之會合聯句,四君子皆佳士,意氣相入,雜之成文。

北宋詩人の黃庭堅はかって言っている「韓退之が會合聯句は四人の儒家の詩文文学の優れた佳き詩人たちは皆が意気投合し、聯句に入れ込んで、古詩、雜詩によって聯句としたのである。

6. 黃魯直:黃庭堅(1045年-1105年),字直,號山谷道人,晚號涪翁,洪州分宁(今江西九江市修水)人。北宋著名人,乃江西詩派祖師。中国,北宋の詩人・書家。字は魯直,号は山谷道人。蘇軾に師事。その詩風は江西体と呼ばれて詩壇を風靡。草書にもすぐれた。著「山谷集」「涪翁雑説」「杜詩箋」など。

 

世之文章之士少聯句,蓋筆力不能相追,或成四公子棋耳。”
これまで一般的に文章的に優れた聯句は少なく、蓋し、聯句を吟ずる者たちの筆力がたがいに追随できる同等の文章力があって初めて作ることができるのである。


続きを読む

806年-集16- 韓昌黎集字解集城南聯句 【字解集】【下】 Ⅱ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之韓愈詩集8958

806-16- 韓昌黎集字解集城南聯句  【字解集】【下】

 

 

2017825

の紀頌之”6”つの校注Blog

10年のBLOGの集大成

   李白総合案内

 

●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、現在、李白詩全詩 訳注

Ⅰ李白詩

(李白集校注)

745-031-#1巻175-14 對雪奉餞任城六父秩滿歸京(卷十六(二)九八四)Ⅰ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 李白詩集8957

LiveDoo

rBlog

745年-07 【字解集】007 a.過四皓墓 b.酬岑勛見尋就元丹丘對酒相待以詩見招 c.鳴皋歌奉餞從翁清歸五崖山居Ⅰ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 李白詩集8904

孟浩然

李白詩

謝霊運

司馬相如 《子虛賦 ・上林賦》

揚雄 《甘泉賦》

諸葛亮 出師表

曹植詩65

兩都賦序・西都賦・東都賦

李白全詩

漁父辞(屈原

楚辞・九歌》東君

《楚辞九辯》

 

 

 

 

10年のBLOGの集大成

●唐を代表する 中唐 韓愈 全500首 

Ⅱ韓昌黎詩集・文集校注

806年-集16- 韓昌黎集字解集城南聯句 【字解集】【下】 Ⅱ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之韓愈詩集8958

LiveDoo

rBlog

806年-集15- 韓昌黎集字解集城南聯句 【字解集】【上】

745年-05 【字解集】005 【字解集】 a.留別王司馬嵩 B.商山四皓  C.訪道安陵遇蓋寰為予造真籙臨別留贈 Ⅰ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 李白詩集8772

・李商隠詩 (1) 136首の75

・李商隠詩 (2) 135首の61

韓愈1 ・孟郊・張籍と汴州乱41

index-2[800年~804年]27

index-3 805年陽山から江陵36

index-4 806年 39 江陵・国子博士25

index-5 806年39(2)25

index-6 807~809年 20

index-7[810年~811年 44歳] 34

index-8 [812年~814年47歳]46

index-9[815年~816年 49歳57

index-10[817年~818年 51歳]「平淮西碑」28

index-11 819年『論佛骨表』左遷 38

index-12 820 國子祭酒18

index-13 821年~822年 22

index-14 57歳・病気のため退職。没す14

韓愈 哲学・儒学「五原」

孟郊

 

10年のBLOGの集大成

 

 

 

●杜甫の全作品1500首を訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"

Ⅲ 杜詩

詳注

767年-137五律  麂(卷一七(四)一五三三)五律 杜詩詳注( Ⅲ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ8965

LiveDoo

rBlog

767年-集-1 【字解集】・A洞房 B宿昔 C能畫 D鬥雞 E歷歷 F洛陽 G驪山  杜詩詳注( Ⅲ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ8930

杜甫詩(1)736~751年  53

杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73

杜甫詩(3)45歳 安史の乱に彷徨う 26

杜甫詩(4)757年、左拾遺 43

杜甫詩(5)758年47歳 左遷 53

杜甫詩(6)759年 三吏三別 44

杜甫詩(7)759年秦州詩 66

杜甫詩(8)759年同谷紀行、成都紀行36

杜甫詩(9)760年、49歳 成都 45

杜甫詩(10)761年、50歳 成都82

杜甫詩(11)762年蜀中転々43

杜甫詩(12)762年 蜀中転々 49

(13)763年蜀中転々 96

 (14)764年 三月成都へ帰る 100

 (15)765年正月幕府を辞す 63

(16-1) 766年雲安、暮春、夔州 168首 の(1)80

(16-2) 766年雲安、暮春、夔州 168首 の(1)81

 

杜甫詩 (17-1)767年夔州・西閣・赤甲・瀼西132

杜甫詩 (17-2) 767年・瀼西・東屯 133

杜甫詩 (18)768年江陵・公安縣・岳州 78

杜甫詩 (19)769年・洞庭湖・潭州・衡州 78

杜甫詩 (20)770年・洞庭湖・潭州・衡州。27

杜甫詩 (21)洩れ分(未詳分)・散文

杜甫詩 全詩 総合案内 

●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている。花間集連載開始。

Ⅳブログ詩集

漢・唐・宋詞

花間集 訳注解説 (230)回目毛文錫巻五07酒泉子》 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ8981 (08/25)

  fc2

Blog

花間集 訳注解説 (219)回目張泌 《張泌【字解集】 ―2 a. 臨江仙 b. 女冠子 c.河傳二首 D.酒泉子二首 E.子 F.思越人 》 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ8882 

 

 

 

10年のBLOGの集大成

 

●花間集全詩●森鴎外の小説の”魚玄機”詩、芸妓”薛濤”詩。唐から五代詩詞。花間集。玉臺新詠連載開始

.唐五代詞詩・女性

・玉臺新詠

玉-巻二27 和班氏詩一首 -#5〔傳玄〕 Ⅴ漢詩・六朝詩・文選・古詩源・唐宋詩詞漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の玉臺新詠巻二ブログ 8961

LiveDoo

rBlog

玉集-015【字解集】  雜詩五首 【字解集】    Ⅴ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の玉臺新詠巻二ブログ 8932

●薛濤の全詩

●花間集(1

●花間集(2

●花間集(3

●花間集(4

●花間集(5

●魚玄機全詩

●花間集(6

●花間集(7

●花間集(8

●花間集(9

●花間集10

Ⅵ唐代女性論         ninjaブログ

不定期論文〈女性論〉 《唐代民間女性詩人(1) 》 漢文委員会kanbuniinkai 紀 頌之 ブログ8955

 ■最近Best5 賦・詩・詞(漢詩4ブログ各部門)

漢詩総合サイト 07ch

杜甫全詩案内

韓愈全詩案内

李白全集

李白詩のサイ

古詩源

花間集案内

漢詩・唐詩・宋詩研究

http://kanbunkenkyu.web.fc2.com/

 

806-16- 韓昌黎集字解集城南聯句  【字解集】【下】 Ⅱ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之韓愈詩集8958

 

城南聯句  【字解集】【下】

蕩鞦韆 00

続きを読む

806年-集15- 韓昌黎集字解集城南聯句 【字解集】【上】

806-15- 韓昌黎集字解集城南聯句  【字解集】【上】

 

 

2017824

の紀頌之”6”つの校注Blog

10年のBLOGの集大成

   李白総合案内

 

●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、現在、李白詩全詩 訳注

Ⅰ李白詩

(李白集校注)

745-030-#8巻166-13 鳴皋歌送岑徵君(卷七(一)五○六)Ⅰ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 李白詩集8951

 

 

 

 

10年のBLOGの集大成

●唐を代表する 中唐 韓愈 全500首 

Ⅱ韓昌黎詩集・文集校注

806年-集15- 韓昌黎集字解集城南聯句 【字解集】【上】

 

10年のBLOGの集大成

 

 

 

●杜甫の全作品1500首を訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"

Ⅲ 杜詩

詳注

767年-136五律 猿(卷一七(四)一五三二)五律 杜詩詳注( Ⅲ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ8959

杜甫詩 全詩 総合案内 

●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている。花間集連載開始。

Ⅳブログ詩集

漢・唐・宋詞

花間集 訳注解説 (231)回目毛文錫巻五06虞美人二首其二》 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ8954 (08/24)

 

 

 

10年のBLOGの集大成

 

●花間集全詩●森鴎外の小説の”魚玄機”詩、芸妓”薛濤”詩。唐から五代詩詞。花間集。玉臺新詠連載開始

.唐五代詞詩・女性

・玉臺新詠

玉-巻二27 和班氏詩一首 -#4〔傳玄〕 Ⅴ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の玉臺新詠巻二ブログ 8955

●薛濤の全詩

●花間集(1

●花間集(2

●花間集(3

●花間集(4

●花間集(5

Ⅵ唐代女性論         ninjaブログ

八、2.22 薛濤 《秋泉 》 漢文委員会kanbuniinkai 紀 頌之 ブログ8956

杜甫全詩案内

韓愈全詩案内

李白全集

李白詩のサイト

古詩源

花間集案内

漢詩・唐詩・宋詩研究

http://kanbunkenkyu.web.fc2.com/

 

806-15- 韓昌黎集字解集城南聯句  【字解集】【上】 Ⅱ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之韓愈詩集8952

 

字解集(上)城南聯句 〔§1 〕〔§4-226


続きを読む

806年-集14- 韓昌黎集【字解集】贈崔復州序 Ⅱ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之韓愈詩集8700

806-14- 韓昌黎集字解集贈崔復州序

 

 

2017513

の紀頌之5つの校注Blog

10年のBLOGの集大成

   李白総合案内

 

●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、現在、李白詩全詩 訳注

Ⅰ李白詩

(李白集校注)

745-018-#5巻169-13 草創大還贈柳官迪(卷十(一)六九一)Ⅰ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 李白詩集8699

LiveDoo

rBlog

745-【字解集】003 a.送岑徵君歸鳴皋山 b.. 侯十一 c.送族弟凝之滁求婚崔氏 d. 送族弟凝至宴堌單父三十里  e. 送楊山人歸嵩山 .春日遊羅敷潭 Ⅰ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 李白詩集8640

孟浩然

李白詩

謝霊運

司馬相如 《子虛賦 ・上林賦》

揚雄 《甘泉賦》

諸葛亮 出師表

曹植詩65

兩都賦序・西都賦・東都賦

李白全詩

漁父辞(屈原

楚辞・九歌》東君

《楚辞九辯》

 

 

 

 

10年のBLOGの集大成

●唐を代表する 中唐 韓愈 全500首 

Ⅱ韓昌黎詩集・文集校注

806年-集14- 韓昌黎集【字解集】贈崔復州序 Ⅱ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之韓愈詩集8700

LiveDoo

rBlog

806年-集14- 韓昌黎集【字解集】贈崔復州序 Ⅱ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之韓愈詩集8700

・李商隠詩 (1) 136首の75

・李商隠詩 (2) 135首の61

韓愈1 ・孟郊・張籍と汴州乱41

index-2[800年~804年]27

index-3 805年陽山から江陵36

index-4 806年 39 江陵・国子博士25

index-5 806年39歳(2)25

index-6 807~809年 20

index-7[810年~811年 44歳] 34

index-8 [812年~814年47歳]46

index-9[815年~816年 49歳57

index-10[817年~818年 51歳]「平淮西碑」28

index-11 819年『論佛骨表』左遷 38

index-12 820 國子祭酒18

index-13 821年~822年 22

index-14 57歳・病気のため退職。没す14

韓愈 哲学・儒学「五原」

孟郊

 

10年のBLOGの集大成

 

 

 

●杜甫の全作品1500首を訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"

Ⅲ 杜詩

詳注

767年-107#9 贈李八秘書別三十韻#9 杜詩詳注(卷一七(四)一四五五 Ⅲ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ8713

LiveDoo

rBlog

767年-集-13 【字解集】・a.-第五弟豐獨在江左近二首 ・b.-秋風二首 ・c.-送李功曹之荊州 ・d.-送王十六判官 Ⅲ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ8660

杜甫詩(1)736~751年  53

杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73

杜甫詩(3)45歳 安史の乱に彷徨う 26

杜甫詩(4)757年、左拾遺 43

杜甫詩(5)758年47歳 左遷 53

杜甫詩(6)759年 三吏三別 44

杜甫詩(7)759年秦州詩 66

杜甫詩(8)759年同谷紀行、成都紀行36

杜甫詩(9)760年、49歳 成都 45

杜甫詩(10)761年、50歳 成都82

杜甫詩(11)762年蜀中転々43

杜甫詩(12)762年 蜀中転々 49

(13)763年蜀中転々 96

 (14)764年 三月成都へ帰る 100

 (15)765年正月幕府を辞す 63

(16-1) 766年雲安、暮春、夔州 168首 の(1)80

(16-2) 766年雲安、暮春、夔州 168首 の(1)81

 

杜甫詩 (17-1)767年夔州・西閣・赤甲・瀼西132

杜甫詩 (17-2) 767年・瀼西・東屯 133

杜甫詩 (18)768年江陵・公安縣・岳州 78

杜甫詩 (19)769年・洞庭湖・潭州・衡州 78

杜甫詩 (20)770年・洞庭湖・潭州・衡州。27

杜甫詩 (21)洩れ分(未詳分)・散文

杜甫詩 全詩 総合案内 

●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている。花間集連載開始。

Ⅳブログ詩集

漢・唐・宋詞

花間集 訳注解説 (189)回目牛嶠二十六首《巻四18菩薩蠻七首其四》 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ8702 (05/13)

  fc2

Blog

花間集 訳注解説 (185)回目牛嶠二十六首《巻四 牛嶠-2 【字解集】 a.女冠子四首 B.夢江南二首 C.恩多二首 D. 應天長二首 e. 更漏子三首 f.望江怨》 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ8678 (05/10)

 

 

 

10年のBLOGの集大成

 

●花間集全詩●森鴎外の小説の”魚玄機”詩、芸妓”薛濤”詩。唐から五代詩詞。花間集。玉臺新詠連載開始

.唐五代詞詩・女性

・玉臺新詠

玉-巻二14 樂府三首其三 浮萍篇 -#2 曹植Ⅴ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の玉臺新詠巻二ブログ 8703

LiveDoo

rBlog

玉集-012 雜詩五首 【字解集】  Ⅴ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の玉臺新詠巻二ブログ 8644

●薛濤の全詩

●花間集(1

●花間集(2

●花間集(3

花間集(4

●花間集(5

●魚玄機全詩

●花間集(6

●花間集(7

●花間集(8

●花間集(9

●花間集10

 ■最近Best5 賦・詩・詞(漢詩4ブログ各部門)

漢詩総合サイト 07ch

杜甫全詩案内

韓愈全詩案内

李白全集

李白詩のサイト

古詩源

花間集案内

漢詩・唐詩・宋詩研究

http://kanbunkenkyu.web.fc2.com/

 

806-14- 韓昌黎集【字解集】贈崔復州序 Ⅱ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之韓愈詩集8700

韓昌黎集タイトル01 

贈崔復州序

1. (人民の困窮と賦税の嚴急であることをいい、刺史と人民は情を隔てたものであってはならないと、儒者の論理を説いたもの。)


続きを読む

806年-集13- 韓昌黎集字解集雨中寄孟刑部幾道聯句 Ⅱ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之韓愈詩集8652

806-13- 韓昌黎集字解集雨中寄孟刑部幾道聯句

 

 

201755

の紀頌之5つの校注Blog

 

   李白総合案内

 

●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、現在、李白詩全詩 訳注

Ⅰ李白詩

(李白集校注)

745-016-#1巻161-22 「秦水別隴首」詩(古風五十九首之二十二)(卷二(一)一三五)Ⅰ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 李白詩集8651

LiveDoo

rBlog

745-【字解集】003 a.送岑徵君歸鳴皋山 b.. 侯十一 c.送族弟凝之滁求婚崔氏 d. 送族弟凝至宴堌單父三十里  e. 送楊山人歸嵩山 .春日遊羅敷潭 Ⅰ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 李白詩集8640

孟浩然

李白詩

謝霊運

司馬相如 《子虛賦 ・上林賦》

揚雄 《甘泉賦》

諸葛亮 出師表

曹植詩65

兩都賦序・西都賦・東都賦

李白全詩

漁父辞(屈原

楚辞・九歌》東君

《楚辞九辯》

 

●唐を代表する 中唐 韓愈 全500首 

Ⅱ韓昌黎詩集・文集校注

806年-集13- 韓昌黎集字解集雨中寄孟刑部幾道聯句 Ⅱ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之韓愈詩集8652

LiveDoo

rBlog

806年-集13- 韓昌黎集字解集雨中寄孟刑部幾道聯句 Ⅱ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之韓愈詩集8653

・李商隠詩 (1) 136首の75

・李商隠詩 (2) 135首の61

韓愈1 ・孟郊・張籍と汴州乱41

index-2[800年~804年]27

index-3 805年陽山から江陵36

index-4 806年 39 江陵・国子博士25

index-5 806年39歳(2)25

index-6 807~809年 20

index-7[810年~811年 44歳] 34

index-8 [812年~814年47歳]46

index-9[815年~816年 49歳57

index-10[817年~818年 51歳]「平淮西碑」28

index-11 819年『論佛骨表』左遷 38

index-12 820 國子祭酒18

index-13 821年~822年 22

index-14 57歳・病気のため退職。没す14

韓愈 哲学・儒学「五原」

孟郊

 

●杜甫の全作品1500首を訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"

Ⅲ 杜詩

詳注

767年-107 贈李八秘書別三十韻 杜詩詳注(卷一八(四)一五九六)Ⅲ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ8665

LiveDoo

rBlog

767年-集-13 【字解集】・a.-第五弟豐獨在江左近二首 ・b.-秋風二首 ・c.-送李功曹之荊州 ・d.-送王十六判官 Ⅲ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ8660

杜甫詩(1)736~751年  53

杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73

杜甫詩(3)45歳 安史の乱に彷徨う 26

杜甫詩(4)757年、左拾遺 43

杜甫詩(5)758年47歳 左遷 53

杜甫詩(6)759年 三吏三別 44

杜甫詩(7)759年秦州詩 66

杜甫詩(8)759年同谷紀行、成都紀行36

杜甫詩(9)760年、49歳 成都 45

杜甫詩(10)761年、50歳 成都82

杜甫詩(11)762年蜀中転々43

杜甫詩(12)762年 蜀中転々 49

(13)763年蜀中転々 96

 (14)764年 三月成都へ帰る 100

 (15)765年正月幕府を辞す 63

(16-1) 766年雲安、暮春、夔州 168首 の(1)80

(16-2) 766年雲安、暮春、夔州 168首 の(1)81

 

杜甫詩 (17-1)767年夔州・西閣・赤甲・瀼西132

杜甫詩 (17-2) 767年・瀼西・東屯 133

杜甫詩 (18)768年江陵・公安縣・岳州 78

杜甫詩 (19)769年・洞庭湖・潭州・衡州 78

杜甫詩 (20)770年・洞庭湖・潭州・衡州。27

杜甫詩 (21)洩れ分(未詳分)・散文

杜甫詩 全詩 総合案内 

●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている。花間集連載開始。

Ⅳブログ詩集

漢・唐・宋詞

花間集 訳注解説 (181)回目牛嶠二十六首《巻四11更漏子三首其一》 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ8654 (05/05)

  fc2

Blog

花間集 訳注解説 (170)回目牛給事嶠五首《 【字解集】》 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ8588 (04/24)

 

●花間集全詩●森鴎外の小説の”魚玄機”詩、芸妓”薛濤”詩。唐から五代詩詞。花間集。玉臺新詠連載開始

.唐五代詞詩・女性

・玉臺新詠

玉-巻二12 樂府三首其一 美女篇#2 曹植Ⅴ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の玉臺新詠巻二ブログ 8655

LiveDoo

rBlog

玉集-012 雜詩五首 【字解集】  Ⅴ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の玉臺新詠巻二ブログ 8644

●薛濤の全詩

●花間集(1

●花間集(2

●花間集(3

●花間集(4

●花間集(5

●魚玄機全詩

●花間集(6

●花間集(7

●花間集(8

●花間集(9

●花間集10

 ■最近Best5 賦・詩・詞(漢詩4ブログ各部門)

漢詩総合サイト 07ch

杜甫全詩案内

韓愈全詩案内

李白全集

李白詩のサイト

古詩源

花間集案内

漢詩・唐詩・宋詩研究

http://kanbunkenkyu.web.fc2.com/

 

806-13- 韓昌黎集字解集雨中寄孟刑部幾道聯句 Ⅱ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之韓愈詩集8652

 雨上がりの花03

806-13-0

【字解集】 雨中寄孟刑部幾道聯句

昌黎先生集 

韓昌黎文集

806年貞元2239 (45)

漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ8652

 韓昌黎集タイトル01

 



長安近郊図陰陽五行の空間の概念
続きを読む

806年-集12- 韓昌黎集【字解集】征蜀聯句 Ⅱ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之韓愈詩集8598

806-12- 韓昌黎集【字解集】征蜀聯句 

 

 

2017426

の紀頌之5つの校注Blog

 

   李白総合案内

 

●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、現在、李白詩全詩 訳注

Ⅰ李白詩

(李白集校注)

745-009-#3全唐詩巻176-36 送岑徵君歸鳴皋山(卷十七(二)一○四三)  -#3Ⅰ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 李白詩集8597

LiveDoo

rBlog

745年-集02【字解集】 a.魯郡東石門送杜二甫 b.古風五十九首之四十六 c.山人勸酒作 d. 叔卿壁畫歌 e. 道籙畢歸北海 Ⅰ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 李白詩集8454

孟浩然

李白詩

謝霊運

司馬相如 《子虛賦 ・上林賦》

揚雄 《甘泉賦》

諸葛亮 出師表

曹植詩65

兩都賦序・西都賦・東都賦

李白全詩

漁父辞(屈原

楚辞・九歌》東君

《楚辞九辯》

 

●唐を代表する 中唐 韓愈 全500首 

Ⅱ韓昌黎詩集・文集校注

806年-集12- 韓昌黎集【字解集】征蜀聯句 Ⅱ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之韓愈詩集8598

LiveDoo

rBlog

806年-集12- 韓昌黎集【字解集】征蜀聯句 Ⅱ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之韓愈詩集8598

・李商隠詩 (1) 136首の75

李商隠詩 (2) 135首の61

韓愈1 ・孟郊・張籍と汴州乱41

index-2[800年~804年]27

index-3 805年陽山から江陵36

index-4 806年 39 江陵・国子博士25

index-5 806年39歳(2)25

index-6 807~809年 20

index-7[810年~811年 44歳] 34

index-8 [812年~814年47歳]46

index-9[815年~816年 49歳57

index-10[817年~818年 51歳]「平淮西碑」28

index-11 819年『論佛骨表』左遷 38

index-12 820 國子祭酒18

index-13 821年~822年 22

index-14 57歳・病気のため退職。没す14

韓愈 哲学・儒学「五原」

孟郊

 

●杜甫の全作品1500首を訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"

Ⅲ 杜詩

詳注

767年-100#5 寄狄明府博濟#5 杜詩詳注(卷一九(四)一六八八)Ⅲ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ8611

LiveDoo

rBlog

767年-集-1#7 【字解集】 奉酬薛十二丈判官見贈 杜詩詳注(卷一九(四)一六八四)Ⅲ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ8581

杜甫詩(1)736~751年  53

杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73

杜甫詩(3)45歳 安史の乱に彷徨う 26

杜甫詩(4)757年、左拾遺 43

杜甫詩(5)758年47歳 左遷 53

杜甫詩(6)759年 三吏三別 44

杜甫詩(7)759年秦州詩 66

杜甫詩(8)759年同谷紀行、成都紀行36

杜甫詩(9)760年、49歳 成都 45

杜甫詩(10)761年、50歳 成都82

杜甫詩(11)762年蜀中転々43

杜甫詩(12)762年 蜀中転々 49

(13)763年蜀中転々 96

 (14)764年 三月成都へ帰る 100

 (15)765年正月幕府を辞す 63

(16-1) 766年雲安、暮春、夔州 168首 の(1)80

(16-2) 766年雲安、暮春、夔州 168首 の(1)81

 

杜甫詩 (17-1)767年夔州・西閣・赤甲・瀼西132

杜甫詩 (17-2) 767年・瀼西・東屯 133

杜甫詩 (18)768年江陵・公安縣・岳州 78

杜甫詩 (19)769年・洞庭湖・潭州・衡州 78

杜甫詩 (20)770年・洞庭湖・潭州・衡州。27

杜甫詩 (21)洩れ分(未詳分)・散文

杜甫詩 全詩 総合案内 

●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている。花間集連載開始。

Ⅳブログ詩集

漢・唐・宋詞

花間集 訳注解説 (172)回目牛嶠二十六首《巻四02女冠子四首其二》 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ8600 (04/26)

  fc2

Blog

155)回目薛昭蘊 十九首a.浣溪紗八首・b.喜遷鶯三首 【字解集】》 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ8498 (04/10)

●花間集(1

●花間集(2

●花間集(3

●花間集(4

●花間集(5

●花間集(6

●花間集(7

●花間集(8

●花間集(9

●花間集10

 

●花間集全詩●森鴎外の小説の”魚玄機”詩、芸妓”薛濤”詩。唐から五代詩詞。花間集。玉臺新詠連載開始

.唐五代詞詩・女性

・玉臺新詠

玉-巻二08#2 雜詩五首其二#2〔曹植〕 Ⅴ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の玉臺新詠巻二ブログ 8601

LiveDoo

rBlog

玉集-011 a於清河見輓船士新婚與妻・b清河一首・c塘上行。d雜詩二首并序 【字解集】    Ⅴ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の玉臺新詠巻二ブログ 8578

●薛濤の全詩

●魚玄機全詩

 ■最近Best5 賦・詩・詞

漢詩総合サイト 07ch

杜甫全詩案内

韓愈全詩案内

李白全集

文選

古詩源

花間集案内

http://kanbunkenkyu.web.fc2.com/

806-12- 韓昌黎集【字解集】征蜀聯句 Ⅱ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之韓愈詩集8598

 

-0韓昌黎集【字解集】

征蜀聯句

昌黎先生集 巻八06

韓昌黎文集卷七九一

806年貞元2239 (46)

漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ806-12

 宮島0006


続きを読む

806年-集12- 韓昌黎集 【字解集】 a.題張十一旅舍三詠 b.贈崔立之 c.同宿聯句 d. 有所思聯句 Ⅱ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之韓愈詩集8520

806-12- 韓昌黎集 【字解集】 a.題張十一旅舍三詠 b.贈崔立之 c.同宿聯句 d. 有所思聯句

 

 

2017413

の紀頌之5つの校注Blog

 

  総合案内

 

●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、現在、李白詩全詩 訳注

Ⅰ李白詩

(李白集校注)

745年-集01【字解集】 a.上李邕 b..東海有勇婦 c.尋魯城北范居士失道落蒼耳中見范置酒摘蒼耳作 Ⅰ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 李白詩集8453

LiveDoo

rBlog

745年-集01【字解集】 a.上李邕 b..東海有勇婦 c.尋魯城北范居士失道落蒼耳中見范置酒摘蒼耳作 Ⅰ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 李白詩集8454

孟浩然

李白詩

謝霊運

司馬相如 《子虛賦 ・上林賦》

揚雄 《甘泉賦》

諸葛亮 出師表

曹植詩65

兩都賦序・西都賦・東都賦

李白全詩

漁父辞(屈原

楚辞・九歌》東君

《楚辞九辯》

 

●唐を代表する 中唐 韓愈 全500首 

Ⅱ韓昌黎詩集・文集校注

806年-集12- 韓昌黎集 【字解集】 a.題張十一旅舍三詠 b.贈崔立之 c.同宿聯句 d. 有所思聯句 Ⅱ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之韓愈詩集8520

LiveDoo

rBlog

806年-集12- 韓昌黎集 【字解集】 a.題張十一旅舍三詠 b.贈崔立之 c.同宿聯句 d. 有所思聯句 Ⅱ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之韓愈詩集8521

・李商隠詩 (1) 136首の75

・李商隠詩 (2) 135首の61

韓愈1 ・孟郊・張籍と汴州乱41

index-2[800年~804年]27

index-3 805年陽山から江陵36

index-4 806年 39 江陵・国子博士25

index-5 806年39歳(2)25

index-6 807~809年 20

index-7[810年~811年 44歳] 34

index-8 [812年~814年47歳]46

index-9[815年~816年 49歳57

index-10[817年~818年 51歳]「平淮西碑」28

index-11 819年『論佛骨表』左遷 38

index-12 820 國子祭酒18

index-13 821年~822年 22

index-14 57歳・病気のため退職。没す14

韓愈 哲学・儒学「五原」

孟郊

 

●杜甫の全作品1500首を訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"

Ⅲ 杜詩

詳注

767年-集-10 【字解集】 ・a.別李祕書始興寺所居・b.送李八秘書赴杜相公幕・c,巫峽敝廬奉贈侍御四舅別之澧朗・d.孟氏・e吾宗 杜詩詳注()Ⅲ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ8533

LiveDoo

rBlog

767年-集-10 【字解集】 ・a.別李祕書始興寺所居・b.送李八秘書赴杜相公幕・c,巫峽敝廬奉贈侍御四舅別之澧朗・d.孟氏・e吾宗 杜詩詳注()Ⅲ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ8534

杜甫詩(1)736~751年  53

杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73

杜甫詩(3)45歳 安史の乱に彷徨う 26

杜甫詩(4)757年、左拾遺 43

杜甫詩(5)758年47歳 左遷 53

杜甫詩(6)759年 三吏三別 44

杜甫詩(7)759年秦州詩 66

杜甫詩(8)759年同谷紀行、成都紀行36

杜甫詩(9)760年、49歳 成都 45

杜甫詩(10)761年、50歳 成都82

杜甫詩(11)762年蜀中転々43

杜甫詩(12)762年 蜀中転々 49

(13)763年蜀中転々 96

 (14)764年 三月成都へ帰る 100

 (15)765年正月幕府を辞す 63

(16-1) 766年雲安、暮春、夔州 168首 の(1)80

(16-2) 766年雲安、暮春、夔州 168首 の(1)81

 

杜甫詩 (17-1)767年夔州・西閣・赤甲・瀼西132

杜甫詩 (17-2) 767年・瀼西・東屯 133

杜甫詩 (18)768年江陵・公安縣・岳州 78

杜甫詩 (19)769年・洞庭湖・潭州・衡州 78

杜甫詩 (20)770年・洞庭湖・潭州・衡州。27

杜甫詩 (21)洩れ分(未詳分)・散文

杜甫詩 全詩 総合案内 

●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている。花間集連載開始。

Ⅳブログ詩集

漢・唐・宋詞

花間集 訳注解説 (159)回目薛昭蘊 十九首《巻三41相見歡一首》 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ8522 (04/13)

  fc2

Blog

155)回目薛昭蘊 十九首a.浣溪紗八首・b.喜遷鶯三首 【字解集】》 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ8498 (04/10)

 

●花間集全詩●森鴎外の小説の”魚玄機”詩、芸妓”薛濤”詩。唐から五代詩詞。花間集。玉臺新詠連載開始

.唐五代詞詩・女性

・玉臺新詠

玉-巻二01#1 於清河見輓船士新婚與妻一首  #1〔魏文帝〕 Ⅴ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の玉臺新詠巻二ブログ 8523

LiveDoo

rBlog

玉集-010 古詩 爲焦仲卿妻作 【字解集】    Ⅴ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の玉臺新詠巻二ブログ 8518

●薛濤の全詩

●花間集(1

●花間集(2

●花間集(3

●花間集(4

●花間集(5

●魚玄機全詩

●花間集(6

●花間集(7

●花間集(8

●花間集(9

●花間集10

 ■最近Best5 賦・詩・詞(漢詩4ブログ各部門)

漢詩総合サイト 07ch

杜甫全詩案内

韓愈全詩案内

李白全集

文選

古詩源

花間集案内

http://kanbunkenkyu.web.fc2.com/

 

 

806-12- 韓昌黎集 【字解集】 a.題張十一旅舍三詠 b.贈崔立之 c.同宿聯句 d. 有所思聯句 Ⅱ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之韓愈詩集8520

 韓昌黎集タイトル01

806-12

【字解集】a.題張十一旅舍三詠 b.贈崔立之

c.同宿聯句 d. 有所思聯句

昌黎先生集 

韓昌黎文集

806年貞元2239 (45)

漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ8520

 

崋山001崋山003 

続きを読む

806年-集11- ・a.短燈檠歌 ・b.春雪 ・c.春雪 ・d.春雪間早梅 ・e.早春雪中聞鶯 ・f.和歸工部送僧約 Ⅱ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之韓愈詩集8448

806-11- a.短燈檠歌 ・b.春雪 ・c.春雪 ・d.春雪間早梅 ・e.早春雪中聞鶯 ・f.和歸工部送僧約 

 

201741

の紀頌之5つの校注Blog

 

  総合案内

 

●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、現在、李白詩全詩 訳注

Ⅰ李白詩

(李白集校注)

744年-070-#10全唐文卷0350-24 漢東紫陽先生碑銘(卷三○(二)一七三四詩文補遺)Ⅰ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 李白詩集8447

LiveDoo

rBlog

744年-集11字解集 A.古風五十九首之四十 B.古風五十九首之四十四 C.早夏于將軍叔宅Ⅰ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 李白詩集8388

孟浩然

李白詩

謝霊運

司馬相如 《子虛賦 ・上林賦》

揚雄 《甘泉賦》

諸葛亮 出師表

曹植詩65

兩都賦序・西都賦・東都賦

李白全詩

漁父辞(屈原

楚辞・九歌》東君

《楚辞九辯》

 

●唐を代表する 中唐 韓愈 全500首 

Ⅱ韓昌黎詩集・文集校注

806年-集11- ・a.短燈檠歌 ・b.春雪 ・c.春雪 ・d.春雪間早梅 ・e.早春雪中聞鶯 ・f.和歸工部送僧約 Ⅱ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之韓愈詩集8448

LiveDoo

rBlog

806年-集11- ・a.短燈檠歌 ・b.春雪 ・c.春雪 ・d.春雪間早梅 ・e.早春雪中聞鶯 ・f.和歸工部送僧約 Ⅱ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之韓愈詩集8449

・李商隠詩 (1) 136首の75

・李商隠詩 (2) 135首の61

韓愈1 ・孟郊・張籍と汴州乱41

index-2[800年~804年]27

index-3 805年陽山から江陵36

index-4 806年 39 江陵・国子博士25

index-5 806年39歳(2)25

index-6 807~809年 20

index-7[810年~811年 44歳] 34

index-8 [812年~814年47歳]46

index-9[815年~816年 49歳57

index-10[817年~818年 51歳]「平淮西碑」28

index-11 819年『論佛骨表』左遷 38

index-12 820 國子祭酒18

index-13 821年~822年 22

index-14 57歳・病気のため退職。没す14

韓愈 哲学・儒学「五原」

孟郊

 

●杜甫の全作品1500首を訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"

Ⅲ 杜詩

詳注

767年-88 送十五弟侍御使蜀 杜詩詳注(卷一七(四)一四六四)Ⅲ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ8449

LiveDoo

rBlog

767年-集-8 【字解集】 ・a.雨 ・b. ・c.溪上 ・d樹間 .・e.白露 f.老病 g.晴二首 h.雨 i.醉為馬墜群公攜酒相看 杜詩詳注 Ⅲ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ8456

杜甫詩(1)736~751年  53

杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73

杜甫詩(3)45歳 安史の乱に彷徨う 26

杜甫詩(4)757年、左拾遺 43

杜甫詩(5)758年47歳 左遷 53

杜甫詩(6)759年 三吏三別 44

杜甫詩(7)759年秦州詩 66

杜甫詩(8)759年同谷紀行、成都紀行36

杜甫詩(9)760年、49歳 成都 45

杜甫詩(10)761年、50歳 成都82

杜甫詩(11)762年蜀中転々43

杜甫詩(12)762年 蜀中転々 49

(13)763年蜀中転々 96

 (14)764年 三月成都へ帰る 100

 (15)765年正月幕府を辞す 63

(16-1) 766年雲安、暮春、夔州 168首 の(1)80

(16-2) 766年雲安、暮春、夔州 168首 の(1)81

 

杜甫詩 (17-1)767年夔州・西閣・赤甲・瀼西132

杜甫詩 (17-2) 767年・瀼西・東屯 133

杜甫詩 (18)768年江陵・公安縣・岳州 78

杜甫詩 (19)769年・洞庭湖・潭州・衡州 78

杜甫詩 (20)770年・洞庭湖・潭州・衡州。27

杜甫詩 (21)洩れ分(未詳分)・散文

杜甫詩 全詩 総合案内 

●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている。花間集連載開始。

Ⅳブログ詩集

漢・唐・宋詞

花間集 訳注解説 巻三-30 (147)回目 薛昭蘊十九首《巻三-30 浣溪紗八首其四》 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ8450 (04/01)

  fc2

Blog

花間-011 字解集128)回目韋莊a.謁金門 b.江城子 c.河傳 d.天仙子五首 【字解集】》 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ8336 (03/14)

 

●花間集全詩●森鴎外の小説の”魚玄機”詩、芸妓”薛濤”詩。唐から五代詩詞。花間集。玉臺新詠連載開始

.唐五代詞詩・女性

・玉臺新詠

玉-041§9 古詩 爲焦仲卿妻作§9-#2〔無名氏〕 Ⅴ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の玉臺新詠巻一ブログ 8451

LiveDoo

rBlog

玉集-09 定情詩一首 【字解集】漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の玉臺新詠ブログ 8241

●薛濤の全詩

●花間集(1

●花間集(2

●花間集(3

●花間集(4

●花間集(5

●魚玄機全詩

●花間集(6

●花間集(7

●花間集(8

●花間集(9

●花間集10

 ■最近Best5 賦・詩・詞(漢詩4ブログ各部門)

漢詩総合サイト 07ch

杜甫全詩案内

韓愈全詩案内

李白全集

文選

古詩源

花間集案内

http://kanbunkenkyu.web.fc2.com/

806-11- a.短燈檠歌 ・b.春雪 ・c.春雪 ・d.春雪間早梅 ・e.早春雪中聞鶯 ・f.和歸工部送僧約 Ⅱ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之韓愈詩集8448

 

 

【字解集】a短燈檠歌

短燈檠歌

1.(夜長の秋に、部屋に閉じこもって読書をする、夜なべの仕事をするにつけ、長檠は使いづらく、短檠は重宝するという歌)

2. ・短燈棨歌 秋の夜長、読書の秋、夜の遊びに欠かせない友が燈火だ。短檠を擬人化して面白く取り上げている。夜長の秋に、部屋に閉じこもって読書をする、夜なべの仕事をするにつけ、長檠はっ使いづらく、短檠は重宝するという。

千年以前の唐では、油火が普通で油は、油皿に盛って燭台におく。この燭台を棨というのである。韓愈が、友としてこれを歌ったものである。

3. ・黃簾 二階の韓愈の書斎からの見通しに、隣か向かいかの家があってそこの部屋には莱色いすだれがかかり、緑のカーテンが垂れ……というのでこの部誼が人の部屋であることがわかる。だが簾もカーテンも、いつも閉じられたきり。空家のようにひっそりしているが、そこの主人も韓愈同様、家を離れて苦労し、奥さんがひとり留守しているらしい。

4. ・頻挑 燈心を掻き立てる。夜なべ仕事をするにつけて、長時間かけるので、燈心を掻き立てるのである。

 

5. ・東魯 孔子と同じく東魯出身の、という意。韓愈は実際は東魯出身ではないが、昌黎の出身だと自称していた。昌黎なら東魯にあたる。『漢書』霍光伝「もろもろの儒生は窶れたる人のこの多く、遠く客して餓え寒ゆ」ということばがみえる。ただ、この詩の儒生は韓愈ではなくこちらの家の人をいうのであろうが、詩的表現として考えれば、受験生であった頃の韓愈を指すという事でもあろうか。
6.
 ・射策 進士の試的をうけること。

7. ・眵昏 眵は目やにがたまること。昏は目がかすんで見えにくいこと。

8. ・提挈 たずさえる。挈は携、攜の俗字。
9.
 ・当案前 つくえの前におく。

10. ・自恣 なんでも思いのままになる。
11.
 ・珠翠 真珠や翡翠の意、女性の首飾り。

12. ・呼嗟 ああ、感嘆詞。

 


続きを読む

806年-集10- ・送區弘南歸 Ⅱ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之韓愈詩集8382

【字解集】送區弘南歸 

 

2017321

の紀頌之5つの校注Blog

 

  総合案内

 

●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、現在、李白詩全詩 訳注

Ⅰ李白詩

(李白集校注)

744年-069-#5全唐文卷0349-5 早夏于將軍叔宅與諸昆季送傅八之江南序(卷二七(二)一五七五)Ⅰ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 李白詩集8381

LiveDoo

rBlog

744年-集10【字解集】 a. 贈郭將軍 b. 贈崔侍御 C.贈參寥子 d.贈盧徵君昆  e.贈薛校書  d。灞陵行送別 Ⅰ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 李白詩集8340

孟浩然

李白詩

謝霊運

司馬相如 《子虛賦 ・上林賦》

揚雄 《甘泉賦》

諸葛亮 出師表

曹植詩65

兩都賦序・西都賦・東都賦

李白全詩

漁父辞(屈原

楚辞・九歌》東君

《楚辞九辯》

 

●唐を代表する 中唐 韓愈 全500首 

Ⅱ韓昌黎詩集・文集校注

806年-集10-【字解集】 ・送區弘南歸 Ⅱ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之韓愈詩集8382

LiveDoo

rBlog

806年-集10-【字解集】 ・送區弘南歸 Ⅱ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之韓愈詩集8383

・李商隠詩 (1) 136首の75

・李商隠詩 (2) 135首の61

韓愈1 ・孟郊・張籍と汴州乱41

index-2[800年~804年]27

index-3 805年陽山から江陵36

index-4 806年 39 江陵・国子博士25

index-5 806年39歳(2)25

index-6 807~809年 20

index-7[810年~811年 44歳] 34

index-8 [812年~814年47歳]46

index-9[815年~816年 49歳57

index-10[817年~818年 51歳]「平淮西碑」28

index-11 819年『論佛骨表』左遷 38

index-12 820 國子祭酒18

index-13 821年~822年 22

index-14 57歳・病気のため退職。没す14

韓愈 哲学・儒学「五原」

孟郊

 

●杜甫の全作品1500首を訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"

Ⅲ 杜詩

詳注

767年-81 樹間 杜詩詳注(卷一九(四)一六七三)Ⅲ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ8389

LiveDoo

rBlog

767年-集-7 【字解集】 ・a.甘林 ・b.暇日小園散病將種秋菜督勒 杜詩詳注 Ⅲ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ8354

杜甫詩(1)736~751年  53

杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73

杜甫詩(3)45歳 安史の乱に彷徨う 26

杜甫詩(4)757年、左拾遺 43

杜甫詩(5)758年47歳 左遷 53

杜甫詩(6)759年 三吏三別 44

杜甫詩(7)759年秦州詩 66

杜甫詩(8)759年同谷紀行、成都紀行36

杜甫詩(9)760年、49歳 成都 45

杜甫詩(10)761年、50歳 成都82

杜甫詩(11)762年蜀中転々43

杜甫詩(12)762年 蜀中転々 49

(13)763年蜀中転々 96

 (14)764年 三月成都へ帰る 100

 (15)765年正月幕府を辞す 63

(16-1) 766年雲安、暮春、夔州 168首 の(1)80

(16-2) 766年雲安、暮春、夔州 168首 の(1)81

 

杜甫詩 (17-1)767年夔州・西閣・赤甲・瀼西132

杜甫詩 (17-2) 767年・瀼西・東屯 133

杜甫詩 (18)768年江陵・公安縣・岳州 78

杜甫詩 (19)769年・洞庭湖・潭州・衡州 78

杜甫詩 (20)770年・洞庭湖・潭州・衡州。27

杜甫詩 (21)洩れ分(未詳分)・散文

杜甫詩 全詩 総合案内 

●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている。花間集連載開始。

Ⅳブログ詩集

漢・唐・宋詞

花間集 訳注解説 巻三-20 (136)回目韋莊二十五首《上行盃二首其二》 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ8384 (03/21)

  fc2

Blog

花間-011 字解集128)回目韋莊a.謁金門 b.江城子 c.河傳 d.天仙子五首 【字解集】》 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ8336 (03/14)

 

●花間集全詩●森鴎外の小説の”魚玄機”詩、芸妓”薛濤”詩。唐から五代詩詞。花間集。玉臺新詠連載開始

.唐五代詞詩・女性

・玉臺新詠

玉-041§6 古詩 爲焦仲卿妻作§6-#5〔無名氏〕 Ⅴ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の玉臺新詠巻一ブログ 8385

LiveDoo

rBlog

玉集-09 定情詩一首 【字解集】漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の玉臺新詠ブログ 8241

●薛濤の全詩

●花間集(1

●花間集(2

●花間集(3

●花間集(4

●花間集(5

●魚玄機全詩

●花間集(6

●花間集(7

●花間集(8

●花間集(9

●花間集10

 ■最近Best5 賦・詩・詞(漢詩4ブログ各部門)

漢詩総合サイト 07ch

杜甫全詩案内

韓愈全詩案内

李白全集

文選

古詩源

花間集案内

http://kanbunkenkyu.web.fc2.com/

806-10- ・【字解集】送區弘南歸 Ⅱ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之韓愈詩集8382

 

 宮島0006

806-10-0

・送區弘南歸 字解集

昌黎先生集 字解集

韓昌黎文集卷三三九

806年貞元2239 (34)

漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ8382

続きを読む

806年-集07- 【字解集】・a. 豐陵行 ・b. 遊青龍寺贈崔大補闕  Ⅱ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之韓愈詩集8286

806-07- 【字解集】・a. 豐陵行 b. 遊青龍寺贈崔大補闕  Ⅱ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之韓愈詩集8286

 

 

201735

の紀頌之5つの校注Blog

 

  総合案内

 

●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、現在、李白詩全詩 訳注

Ⅰ李白詩

(李白集校注)

744年-061卷168_22 贈崔侍御(卷九(一)六二八)Ⅰ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 李白詩集8285

LiveDoo

rBlog

744年-集09字解集 a古風五十九首之三十七,b豳歌行,c題東谿公幽居,d贈韋祕書子Ⅰ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 李白詩集8274

孟浩然

李白詩

謝霊運

司馬相如 《子虛賦 ・上林賦》

揚雄 《甘泉賦》

諸葛亮 出師表

曹植詩65

兩都賦序・西都賦・東都賦

李白全詩

漁父辞(屈原

楚辞・九歌》東君

《楚辞九辯》

 

●唐を代表する 中唐 韓愈 全500首 

Ⅱ韓昌黎詩集・文集校注

806年-集07- 【字解集】・a. 豐陵行 ・b. 遊青龍寺贈崔大補闕  Ⅱ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之韓愈詩集8286

LiveDoo

rBlog

806年-集07- 【字解集】・a. 豐陵行 ・b. 遊青龍寺贈崔大補闕  Ⅱ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之韓愈詩集8287

・李商隠詩 (1) 136首の75

・李商隠詩 (2) 135首の61

韓愈1 ・孟郊・張籍と汴州乱41

index-2[800年~804年]27

index-3 805年陽山から江陵36

index-4 806年 39 江陵・国子博士25

index-5 806年39歳(2)25

index-6 807~809年 20

index-7[810年~811年 44歳] 34

index-8 [812年~814年47歳]46

index-9[815年~816年 49歳57

index-10[817年~818年 51歳]「平淮西碑」28

index-11 819年『論佛骨表』左遷 38

index-12 820 國子祭酒18

index-13 821年~822年 22

index-14 57歳・病気のため退職。没す14

韓愈 哲学・儒学「五原」

孟郊

 

●杜甫の全作品1500首を訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"

Ⅲ 杜詩

詳注

767年-76#5 奉送王信州崟北歸#5 杜詩詳注(卷一九(四)一六六三)Ⅲ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ8293

LiveDoo

rBlog

767年-集-5 【字解集】 a秋行官張望督促東渚耗・b阻雨不得歸瀼西甘林 杜詩詳注・字解 Ⅲ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ8234

杜甫詩(1)736~751年  53

杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73

杜甫詩(3)45歳 安史の乱に彷徨う 26

杜甫詩(4)757年、左拾遺 43

杜甫詩(5)758年47歳 左遷 53

杜甫詩(6)759年 三吏三別 44

杜甫詩(7)759年秦州詩 66

杜甫詩(8)759年同谷紀行、成都紀行36

杜甫詩(9)760年、49歳 成都 45

杜甫詩(10)761年、50歳 成都82

杜甫詩(11)762年蜀中転々43

杜甫詩(12)762年 蜀中転々 49

(13)763年蜀中転々 96

 (14)764年 三月成都へ帰る 100

 (15)765年正月幕府を辞す 63

(16-1) 766年雲安、暮春、夔州 168首 の(1)80

(16-2) 766年雲安、暮春、夔州 168首 の(1)81

 

杜甫詩 (17-1)767年夔州・西閣・赤甲・瀼西132

杜甫詩 (17-2) 767年・瀼西・東屯 133

杜甫詩 (18)768年江陵・公安縣・岳州 78

杜甫詩 (19)769年・洞庭湖・潭州・衡州 78

杜甫詩 (20)770年・洞庭湖・潭州・衡州。27

杜甫詩 (21)洩れ分(未詳分)・散文

杜甫詩 全詩 総合案内 

●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている。花間集連載開始。

Ⅳブログ詩集

漢・唐・宋詞

花間集 訳注解説 巻三-05 (120)回目韋莊二十五首河傳三首其一》 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ8288 (03/05)

  fc2

Blog

花間-010字解集115)回目韋莊a應天長/b.荷葉盃/c.清平樂四首/d.行/ 【字解集】》 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ8252 (02/29)

 

●花間集全詩●森鴎外の小説の”魚玄機”詩、芸妓”薛濤”詩。唐から五代詩詞。花間集。玉臺新詠連載開始

.唐五代詞詩・女性

・玉臺新詠

玉-041§3 古詩 爲焦仲卿妻作§3-#1〔無名氏〕 Ⅴ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の玉臺新詠巻一ブログ 8289

LiveDoo

rBlog

玉集-09 定情詩一首 【字解集】漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の玉臺新詠ブログ 8241

●薛濤の全詩

●花間集(1

●花間集(2

●花間集(3

●花間集(4

●花間集(5

●魚玄機全詩

●花間集(6

●花間集(7

●花間集(8

●花間集(9

●花間集10

 ■最近Best5 賦・詩・詞(漢詩4ブログ各部門)

漢詩総合サイト 07ch

杜甫全詩案内

韓愈全詩案内

李白全集

文選

古詩源

花間集案内

http://kanbunkenkyu.web.fc2.com/

【字解集】豐陵行

紅葉004

韓昌黎集タイトル01 

作時年:

806

貞元22

39

全唐詩卷別:

全唐詩339_ 3 #1

文體:

七言古詩 

昌黎先生集 

韓昌黎集巻四-03#1

韓昌黎集巻四-03#1

詩題:

豐陵行【案:順宗陵也,在富平縣東北三十里。】-1

序文

【順宗陵也,在富平縣東北三十里。】

作地點:

長安(京畿道 / 京兆府 / 長安)

 

及地點:

豐陵 (京畿道 京兆府 富平)

 

玄宮 (京畿道 京兆府 富平)

交遊人物:

 

 

続きを読む

806年-集07- ・a.憶昨行和張十一・b.鄭群贈簟 Ⅱ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之韓愈詩集8226

806-07- a.憶昨行和張十一・b.鄭群贈簟

 

 

2017223

の紀頌之5つの校注Blog

 

  総合案内

 

●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、現在、李白詩全詩 訳注

Ⅰ李白詩

(李白集校注)

744年-057-#1卷166_27 豳歌行,上新平長史兄粲(卷七(一)四八六)Ⅰ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 李白詩集8225

LiveDoo

rBlog

744年-集08【字解集】 a古風五十九首之五十六 b朝下過盧郎 c登太白峰 d古風三十九 e陽春歌 f憶東山二首其二 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 李白詩集8207

孟浩然

李白詩

謝霊運

司馬相如 《子虛賦 ・上林賦》

揚雄 《甘泉賦》

諸葛亮 出師表

曹植詩65

兩都賦序・西都賦・東都賦

李白全詩

漁父辞(屈原

楚辞・九歌》東君

《楚辞九辯》

 

●唐を代表する 中唐 韓愈 全500首 

Ⅱ韓昌黎詩集・文集校注

806年-集07- ・a.憶昨行和張十一・b.鄭群贈簟 Ⅱ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之韓愈詩集8226

LiveDoo

rBlog

806年-集07- ・a.憶昨行和張十一・b.鄭群贈簟 Ⅱ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之韓愈詩集8227

・李商隠詩 (1) 136首の75

・李商隠詩 (2) 135首の61

韓愈1 ・孟郊・張籍と汴州乱41

index-2[800年~804年]27

index-3 805年陽山から江陵36

index-4 806年 39 江陵・国子博士25

index-5 806年39歳(2)25

index-6 807~809年 20

index-7[810年~811年 44歳] 34

index-8 [812年~814年47歳]46

index-9[815年~816年 49歳57

index-10[817年~818年 51歳]「平淮西碑」28

index-11 819年『論佛骨表』左遷 38

index-12 820 國子祭酒18

index-13 821年~822年 22

index-14 57歳・病気のため退職。没す14

韓愈 哲学・儒学「五原」

孟郊

 

●杜甫の全作品1500首を訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"

Ⅲ 杜詩

詳注

767年-集-5 【字解集】 a秋行官張望督促東渚耗・b阻雨不得歸瀼西甘林 杜詩詳注・字解 Ⅲ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ8233

LiveDoo

rBlog

767年-集-5 【字解集】 a秋行官張望督促東渚耗・b阻雨不得歸瀼西甘林 杜詩詳注・字解 Ⅲ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ8234

杜甫詩(1)736~751年  53

杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73

杜甫詩(3)45歳 安史の乱に彷徨う 26

杜甫詩(4)757年、左拾遺 43

杜甫詩(5)758年47歳 左遷 53

杜甫詩(6)759年 三吏三別 44

杜甫詩(7)759年秦州詩 66

杜甫詩(8)759年同谷紀行、成都紀行36

杜甫詩(9)760年、49歳 成都 45

杜甫詩(10)761年、50歳 成都82

杜甫詩(11)762年蜀中転々43

杜甫詩(12)762年 蜀中転々 49

(13)763年蜀中転々 96

 (14)764年 三月成都へ帰る 100

 (15)765年正月幕府を辞す 63

(16-1) 766年雲安、暮春、夔州 168首 の(1)80

(16-2) 766年雲安、暮春、夔州 168首 の(1)81

 

杜甫詩 (17-1)767年夔州・西閣・赤甲・瀼西132

杜甫詩 (17-2) 767年・瀼西・東屯 133

杜甫詩 (18)768年江陵・公安縣・岳州 78

杜甫詩 (19)769年・洞庭湖・潭州・衡州 78

杜甫詩 (20)770年・洞庭湖・潭州・衡州。27

杜甫詩 (21)洩れ分(未詳分)・散文

杜甫詩 全詩 総合案内 

●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている。花間集連載開始。

Ⅳブログ詩集

漢・唐・宋詞

花間集 訳注解説 巻二-45 (110)回目韋莊二十二首 -18清平樂四首其一》 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ8222 (02/23)

  fc2

Blog

105)回目 浣溪沙五首 /菩薩鬘五首 /  歸國遥三首 【字解集】》 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ8192 (02/17)

 

●花間集全詩●森鴎外の小説の”魚玄機”詩、芸妓”薛濤”詩。唐から五代詩詞。花間集。玉臺新詠連載開始

.唐五代詞詩・女性

・玉臺新詠

玉-040 定情詩一首§2 -#3〈繁  欽〉 Ⅴ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の玉臺新詠ブログ 8229

LiveDoo

rBlog

玉集-08 室恩一首・情詩一首 【字解集】   Ⅴ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の玉臺新詠ブログ 8187

●薛濤の全詩

●花間集(1

●花間集(2

●花間集(3

●花間集(4

●花間集(5

●魚玄機全詩

●花間集(6

●花間集(7

●花間集(8

●花間集(9

●花間集10

 ■最近Best5 賦・詩・詞(漢詩4ブログ各部門)

漢詩総合サイト 07ch

杜甫全詩案内

韓愈全詩案内

李白全集

文選

古詩源

花間集案内

http://kanbunkenkyu.web.fc2.com/

 

806-07- a.憶昨行和張十一・b.鄭群贈簟 Ⅱ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之韓愈詩集8226

 

 韓昌黎集タイトル01長安皇城宮城00

【字解集】 ・a.憶昨行和張十一

憶昨行和張十一
1. (かねて過ぎ去ったころの歌、張十一署に和す。)
2. ・憶昨行和張十一底本巻三。江陵での作。憶昨は初句の二字をとった。張十一は張署。
3.
 ・ 昔と同じで過ぎ去った日。

4. 【解説】805年、この年は、中央では、順宗が即位し、王叔文党が政権をにぎり、まもなく皇太子が摂政となり、王叔文が追放され、順宗が譲位し、自芸子が即位し、永点と改元した、じつにあわただしい年であった。その永貞元年も、韓愈が江陵に到着してまもなく尽き、新しい年をむかえ、新帝憲宗は、元号を「元和」と改めた。806年元和元年正月、江陵には珍しく雪がどっさり降った。雪のふるなかに梅がさき、うぐいすが鳴いた。韓愈には、そのひとつびとつが、楽しく、うれしかったようだ。『早春雪中聞鸎』 韓退之(韓愈)詩<56>Ⅱ中唐詩356 紀頌之の漢詩ブログ1147(早春雪中に鷲を聞く)はその一つである。通常、年が変われば人事報告があるもので、この詩には、いまにも都から、よびもどされようとはかりに、そわそわしているところおもしろい。
しかし、待てどもその便りは、杏の花が散ってもやって来なかったのである
。『杏花』 #1 Ⅱ韓退之(韓愈) 紀頌之の漢詩ブログ989 韓愈特集-37-#1

「春に感ず四首」感春四首 其一(1) 韓退之(韓愈)詩<57>Ⅱ中唐詩357 紀頌之の漢詩ブログ1150「春に感ず四首」感春四首 其一(1) 韓退之(韓愈)詩<57>Ⅱ中唐詩357 紀頌之の漢詩ブログ1150はこのころの作である。同時期に「憶昨行張十一に和す」がある。これは、韓愈より、一足先に都に帰る張署と交換した詩である。
張署《贈韓退之》「九疑峰畔二江前,戀闕思
日抵年。白簡趨朝曾竝命,蒼梧左宦一聊翩。 鮫人遠泛漁舟水,鵩鳥閑飛露裏天。渙汗幾時流率土,扁舟西下共歸田。」(九疑峰の畔 二江の前,闕を戀ひ を思うて 自ら年に抵る。白簡 朝に趨く曾て竝びに命ぜられ,蒼梧に宦を左せらるるも一聊翩たり。 鮫人遠く泛ぶ漁舟の水,鵩鳥 閑に飛ぶ 露裏の天。渙汗 幾時か 率土に流べば,扁舟 西下して 共に歸田せむ。)

4. 夾鍾1 中国音楽の十二律の一。基音の黄鐘(こうしょう)より三律高い音。日本の十二律の勝絶(しょうせつ)にあたる。2 陰暦2月の異称。・爽饉之呂初吹灰 中国の音律は黄鐘・大呂・大蔟・爽鐘・姑洗・仲呂・蕤賓・林鍾・夷則・南呂・無射・応鍾の十二で偶数並びを陽六、奇数並びを陰六、または六呂という。この十二律を一年の十一月から翌年の十月までに配当する。したがってこの詩では二月、仲春で夾鍾となる。その季節の到来をはかるためには、智閉した部屋の中に机をおき、十二偶のまでつくった律をおき、茨の灰を律の内端につめておく。季節がかわれば、律はその気に感じ、灰は自然に飛散するといわれる。夾鍾の律が火を吹く日は仲春二月のはじめ。
5.
 ・上公 古代の聖人三皇五帝の三公のこと。上公之官は大臣。
6.
 ・元侯 地方長官、ここでは節度使の裴均のこと。

7.  上公禮罷元侯回 上公は、社に祭った神で、この地の元侯たる節度使裴均がそこの社の祭りをしたという。方崧卿の説に「上洪作、杜云杜、佑自淮南入朝也。方作社云此為帥裴均、罷社而享客也。官今按方説是也。但以上為社則未然。左傳云五行、之封為上公、祀為貴神、其土正曰、后土在家則祀、中霤在野、則為社。故杜注、用幣于社云、以請于上公、則上公即社神也。况 此句内、又自以元侯為對耶。」

8. ・牲牢 神に供える牛・羊・豚など。
9.
 ・賓客鄒枚 漢・梁の孝王の賓客である詩賦を以て称せられていた枚乗と鄒陽のような文豪たちをいう。

10. ・腰金首翠 金色の帯玉、礼冠の窮翠の羽かぎり。娼服を謂う。 
11.
 ・糸竹 絃菜館と管楽器。

12. ・玉斝 玉のさかすき。斝は酒を飲む器。劉孝標の廣絶交論に「分雁鶩之稻粱,霑玉斝之餘瀝。」とある
13. ・金罍 黄金色の真鍮の酒壷。《詩經、国風、周南》
「陟彼崔嵬、我馬壊潰。我姑酌彼金罍、維以不永懷。」(彼の崔嵬に陟【のぼ】れば、我が馬壊潰たり。我 姑【しば】らく彼の金罍に酌み、維れを以て永く懷はざらん。)

14.・座所屬 座上の人が注目する。左遷や不遇の一座のものの注目する。

15.・長松摧 酔うてしまい、松の巨木が、さながらくずれてしまうようなことをいう。世説新語《嵆康別伝》に「山公曰、嵆叔夜之為人也、巖巖若孤松之独立。 其醉也、傀俄若玉山之将崩。」(山公曰く、嵆叔夜の人と為りや、巖巖として孤松の独立するが若し。其の酔ふや、傀俄として玉山の将に崩れんとするが若し、と。)

16.宿酲 二日酔い。劉伶 五斗解酲
17.
舊痁 痁はマラリヤ。左傳「痁作而伏舊痁方作痁舊矣。今按此句内上有宿酲字則此當為舊痁明 方誤 痁失

18.
聞風雷 高熱に耳鳴りがして大風雷鳴を聞いているようだ。

19.殞命 いのちつきる。しぬこと。

20.春序 春の季節.
21.
嬰孩 赤子.

22.危辭苦語 あやぶみおそれることば。
23.
漼漼 さめざめ涙を流すさま。集韻に云う「漼雪霜積聚貌。」とある。文選陸機の祭、魏文帝の文に「指季豹而漼焉。」とあって、その注に「漼涕泣垂貌。」とある。

24. ・従君 韓愈は陽山と張署は郴州臨武と、同時に南方に流され、同じ舟で湘水を渡った。
25.
 ・ さける。船の帆を張り上げる。
26.
 ・窮高桅 桅はマスト。高いマストのあるりっぱな舟でも危険な状態におちいった。

27. ・鳥路 鳥だけが通れる道。地上を歩くものはどんな動物でも通れないような峻路。
28.
 ・臨武 張署の貶謫地、郴州にある。現在、臨武県は中華人民共和国湖南省郴州市に位置する県。

驛馬 勅令や文章を地方に配布、傳令するため、駅に置かれた替え馬を言う。駅伝制は、長安を中心とした各地方につながる道路、水路を整備した。道路には、30里(約17km)ごとに駅站(駅館、公営の宿)が置かれ、公文書を運ぶ政府の使者や地方へ赴任し、帰ってくる官僚が利用した。駅站の近くには、往々において民間の宿が存在した。宿の名称の最後には、『駅』、『館』、『店』とつくことが多かった。唐全土には1,639もの駅站が存在し、水駅が260、水陸駅が86か所設置されていた。駅站を利用できる政府関係者は、食糧、運送、宿泊が無料であった。また、道路の五里ごとに『里隔柱』という標識が置かれ、十里ごとに別の標識を立てられた。幹線道路沿いには多数の店舗が建ち並び、交通は大いに発駅伝制度を発達させ、駅站は整備され、役人の宿泊や馬の確保に使われた。一等の駅は馬75頭が置かれていた。関津制度によって、水陸の要所に関所が置かれ、旅人や荷を検分して、商人から税を徴収した。また、達した。

29. ・拒地 地を歩くことを嫌がる。
30.
 ・驅頻隤 むりに走らせると、しきりにつまずきたおれた。

31. 践蛇 いたるところで蛇をふみつける。
32.
 茹蠱 食物の中に毒虫がいる。
33.
 ・飛詔 とぶようにやって来る天子の命令。

34. ・伾文未揃 王位と王叔文はまだ斬殺されない。
35.
 ・崖州 のちには崖州に流された韋執誼をさす。

36.  伾文未揃崖州熾 この句の意味は、この時、王伾・王叔文の二人はいまだ朝廷から退けられず、韋執誼も勢力が熾んであったという意味。

赦宥 ゆるし。
37.
 ・愁猜 推測してうれう。

38. ・三奸 王伾、王叔文、韋執誼。順宗が即位し、王叔文党が政権をにぎり、まもなく皇太子が摂政となり、王叔文が追放され、順宗が譲位し、自芸子が即位し、永点と改元した、じつにあわただしい年であった。その永貞元年も、韓愈が江陵に到着してまもなく尽き、新しい年をむかえ、新帝憲宗は、元号を「元和」と改めた。だが、待ちに待ったその便りは、杏の花のさくころになってもやって来なかった。
39.
 ・羽窟黃能 羽山の洞窟。『書経』舜典に「共工を幽州に流し、驩兜を崇山に放ち、三苗を三危に竄し、鯀を羽山に極し、四罪して天下威く服す」とある。南に追放された四者のうち鯀の幽閉された山で、江蘇省東海県の西北だとする説と、山東省蓬莱県の東南だとする説とがある。

40. ・黃能 熊が羽山に閉じこめられてそのたましいが黄熊になったと『左伝』に見える。黄能は熊の一種。左傳「鯀于羽山に殛せられ、其の神、化して黄熊と為り以て于羽の淵に入る。」とある。國語には黄能に作る當って賢く能を音とす。之れ能は然りと説く者は能と謂う既に熊の屬、又鼈類と為す。 東海の人禹廟を祭、熊白を用いざり、及び、鼈は饌と為し疑鯀は化して二物を為す。則ち兩音とし、亦た、通は用いるべきなり。」とあると説いている。
41.
   故郷。ふるさと。

42. ・縦署 たとえ任命せられたとしても。
43.
 ・天涯吏 韓愈《寒食日出游》「念君又署南荒吏,路指鬼門幽且
。」にある、「南荒吏」とあるに同様のもの。縱或作從署、今按ずるに張署墓志に邕管奏ず、判官と為すなり。

44. ・投檄 辞令を投げ返して辞表をさし出す。

45. ・無妄之憂勿藥喜 『易経』に「圥妄の疾あるときは、薬すること勿くして喜び有り」ということばがある。圥は無と同じで、無妄とは虚妄のないこと、天理自然で人為を加えないことをいう。虚妄のない誠実の人が 偶然、病を得た場合には、薬をのんだりしなくとも、自然に治癒して喜びがやってくるという。韓愈の詩は、張署の病気も正に無妄の病だったから、治療せずに治ったというのである。

46. ・ けずる。さびをけずりとる。

47. ・百福並 百もの幸福がいっしょになってやってくる。
48.
 ・ 老年になって背の曲がること。
49.
 ・ ふぐ。老人の皮膚にはふぐの皮膚のようなシミのあるところから老人をさす。

50. ・耇與鮐 《詩經、閟宮》「俾爾耆而艾耆老也。」(爾をして耆して而艾なら俾む、耆は老なり。)  鮐は魚の名。《詩、行葦》 黄耇台背 鄭氏箋は台について云う、之を鮐と言うなり。大老は則ち背、鮐文有り 鮐は音を台とする者は或いは耆と作す。「台背」は老人のこと。

《詩經』大雅(生民之什 行葦)の「黄耇台背 以引以翼」の「台」音について議論がある。鄭箋は「台之言鮐也 大老則背有鮐」で「台」を「鮐」の仮借とみており、これから「湯來反」と「魚名 一音夷」の二音が指摘されている。

51. ・嵩山 河南有髪討幕の北にある山で五岳(ごがく)は中国の道教の聖地である5つの山のひとつ。この山で、韓愈はおのれのふるさとを指しているのである。東岳 泰山(山東省泰安市泰山区)、 南岳 衡山(湖南省衡陽市衡山県)、 中岳 嵩山(河南省鄭州市登封市)、 西岳 華山(陝西省渭南市華陰市)、 北岳 恒山(山西省大同市渾源県)。
52.
 ・伊洛 伊水と洛水。洛陽のほとりの川である。
公家河南而嵩山伊水洛水並𨽻焉。 詩意欲與張耦耕於嵩山下也。推字取。
穿栽 せんさくする。

53. ・沮溺 孔子と同時代の隠者で論語に見える長沮(ちょうそ)と桀溺(けつでき)と呼ばれる隠者が並んで畑を耕していた。そこへ馬車に乗った孔子が通りかかった。あいにく渡し場が見つからなかったので、弟子の子路(しろ)に渡し場のあるところをたずねさせた。・沮溺 人名語、長沮桀溺耦而耕。禮記月令に「三推九推之意、沮子魚切、推他回切或作催」

 

 

 

 

 

【字解集】 ・b.鄭群贈簟

鄭羣贈簟
1.(肥満体で汗かきの韓愈が、熱がりですぐ横になるのを見て、鄭羣侍御史が韓愈に簟を贈ってくれた。これに対してお礼の詩を贈ったのである。)
2. 鄭羣 殿中侍御史の肩書をもって刑南節度使裴均の幕僚として江陵に勤務していた人物である。

3.  シーツに似た寝具で、竹を編んで作る。水に水紋が広がる様子に按であるものが好まれたとされる。夏はその上に寝ると、涼しいわけである。当時は、貴重な高級品であった。

4. 【解説】「羣 嘗以侍御史、佐裴均江陵孫曰、羣字洪之時、以殿中侍御史、佐裴均江陵軍、公自陽山量移法、曹与羣同僚樊。」

(羣は嘗て以て侍御史、裴均を佐け江陵の孫曰く、羣は字、洪之の時、殿中侍御史を以て裴均江陵の軍を佐け、公は陽山より量移され法曹となり、羣の同僚樊に与う。)

唐孔幾私記云、退之豊肥善睡、每來吾家、必命枕簟而沈存中筆談、丗畫韓退之、小靣而美髯、着紗此乃江南韓熈載熈載謚文靖、江南人、謂之韓文公。因此遂誤以爲退之。退之肥而少髯、此詩有腰腹空大及慢膚多汗之語、信然。

(唐の孔幾の私記に云う、退之は豊肥であり、善く睡る。吾家來る每に、必ず枕と簟を命じて沈存中の筆談、丗は韓退之を畫く、小靣にして美髯、紗を着く此は乃ち江南の韓熈載のみ。熈載は文靖と謚す。江南の人で、之を韓文公と謂い、此に因って、遂に誤って以て退之と爲す。退之は肥えて髯少し。此の詩、「腰腹空大及び慢膚多汗」の語有り、信に然り。)

5. 蘄州 湖北省武漢市の近郊の黄岡市の蘄春県方面である。蘄州は隋の時代に設定されたもので、二郡(斉昌郡、永安郡)三県(斉昌県・蘄水県・浠水県)を刑南節度使が治めていた。蘄州在今淮南,其地出竹。笛或作簟。

6.  もっとも。

7. 瑰奇 優れて珍しい。簟が宝物のように貴重なもので珍しいものであることを言う。

8.  たずさえる。笛を持参してくる。

9. 黄琉璃 黄色の瑠璃のようである。東坡《寄簟與蒲傳正》詩に云う「愧此八尺黃琉璃。」濾した表現は此の詩を祖としたもので、公正に影響を与えたものである。

10. 體堅 笛の本体は堅い。

11. 色淨 色はさっぱりとしている

12. 又藏節 節も見えないようになっている。節も見えぬよう、中に編み込まれ、肌に節の突騎が当たらないようにつるつるしているという意。

13. 法曹 江陵の幕府での韓愈の役、法曹参軍。

14. 貧賤 俸禄が低いし、地位も低い職。

15. 所易 易は侮る、この意味では、漢書陸賈傳に「絳侯、我と戯れ、我が言を易る。」とあり、顔師古の註に「その言を軽易するをいうなり。」とある。

16. 腰腹空大 韓愈は太っていたことをいう。

16.  蒸し室甕。甑:(こしき)柾目の杉材と竹輪、及び鉄輪、ムシロ、わら縄、しゅろ縄 米を蒸す用具で、釜の上に据え猿を置き、甑布をひいて米を入れる。米を入れ終わると布を掛けムシロをのせ、蒸し米をつくる。

17. 手磨袖拂 手をこすったり袖で払ったりしてるのは、ちょっとしたことで、よく汗をかく様子を言う。

18. 慢膚多汗 艶のある皮膚で汗っかきである。《楚辭·天問》「平脅慢膚,何以肥之。」(平脅慢膚,何を以て之と肥【まじ】わる。)艶のある皮膚でなまめかしい、彼は何を以てこれと関係するのだろうか。

19. 惆悵 恨み嘆くこと。
痩馬行  杜甫
奔波逐餘寇,驊騮不慣不得將。
士卒多騎
馬,惆悵恐是病乘黃。
當時歷塊誤一蹶,委棄非汝能周防。
見人慘澹若哀訴,失主錯莫無晶光。
天寒遠放雁為伴,日暮不收烏啄瘡。
誰家且養願終惠,更試明年春草長。』

杏花  韓愈
・・・・・・・
鷓鴣鈎輈猿叫歇,杳杳深谷攢青楓。
豈如此樹一來翫,若在京國情何窮。
今旦胡為忽惆悵,萬片飄泊隨西東。
明年更發應更好,道人莫忘鄰家翁。』

20. 八尺含風漪 長さ八尺の風を含んださざなみという名の“竹むしろ”。

21.  めしつかい。捕虜を言う場合もある。

22.  敷く。

23. 光彩照耀 きらきらと輝く美しい光(強い光が)が照り輝く,照らす.

24. 童兒 童は10歳前後で、兒はそれ以下。

25. 青蠅側翅 青繩も羽根をひそめてよけている。詩經 「營營青蠅止于樊。」()とある。

26. 蚤虱避 ノミやシラミは逃げだしていく。抱朴子曰「蝨攻君臥不蚤獲安。」()

27. 清飆 清涼風。古樂府、《有所思》に、「秋風肅肅晨風颱,東方須叟高知之。」とある。

28. 甘寢 だらっとして横になる。

29. 百疾愈 さまざまな病気もなおってしまう。

30. 恒 いつも。

31. 炎曦 かんかん照りつけること。

32. 明珠・青玉 真珠。 鋼玉石の一種。装飾品。竹、桐の別名。文選・張衡の《四愁詩》「美人贈我貂䄡䄖以報之明月珠。」とあり、「美人贈我錦綉段、何以之青玉案。」とある。

33. 贈子相好 君には好誼を贈ろう。

806年-集06- 送許郢州序・寒食日出游 【字解集】 Ⅱ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之韓愈詩集8160

送許郢州序・寒食日出游 【字解集】

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2017212

の紀頌之5つの校注Blog

 

 

 

 

  総合案内

 

 

 

 

●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、現在、李白詩全詩 訳注

 

 

Ⅰ李白詩

(李白集校注)

744年-集07字解集 a相逢行-b陌上贈美人-c古風其八-d秋夜獨坐懷-e怨歌行-f望終南山寄紫閣隱者Ⅰ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 李白詩集8159

 

 

LiveDoo

rBlog

744年-集07字解集 a相逢行-b陌上贈美人-c古風其八-d秋夜獨坐懷-e怨歌行-f望終南山寄紫閣隱者Ⅰ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 李白詩集8159

 

 

孟浩然

李白詩

謝霊運

司馬相如 《子虛賦 ・上林賦》

揚雄 《甘泉賦》

諸葛亮 出師表

 

 

曹植詩65

兩都賦序・西都賦・東都賦

李白全詩

漁父辞(屈原

楚辞・九歌》東君

《楚辞九辯》

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

●唐を代表する 中唐 韓愈 全500首 

 

 

Ⅱ韓昌黎詩集・文集校注

806年-集06- 送許郢州序・寒食日出游 【字解集】 Ⅱ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之韓愈詩集8160

 

 

LiveDoo

rBlog

806年-集06- 送許郢州序・寒食日出游 【字解集】 Ⅱ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之韓愈詩集8160

 

 

・李商隠詩 (1) 136首の75

・李商隠詩 (2) 135首の61

韓愈1 ・孟郊・張籍と汴州乱41

index-2[800年~804年]27

index-3 805年陽山から江陵36

index-4 806年 39 江陵・国子博士25

 

 

index-5 806年39歳(2)25

index-6 807~809年 20

index-7[810年~811年 44歳] 34

index-8 [812年~814年47歳]46

index-9[815年~816年 49歳57

index-10[817年~818年 51歳]「平淮西碑」28

 

 

index-11 819年『論佛骨表』左遷 38

index-12 820 國子祭酒18

index-13 821年~822年 22

index-14 57歳・病気のため退職。没す14

韓愈 哲学・儒学「五原」

孟郊

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

●杜甫の全作品1500首を訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"

 

 

Ⅲ 杜詩

詳注

767年-72#3 行官張望補稻畦水歸#3 杜詩詳注(卷一九(四)一六五四)Ⅲ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ8167

 

 

LiveDoo

rBlog

767年-集-4字解 【字解集】 a槐葉冷淘・ b上後園山・c季夏送弟韶字解 杜詩詳注Ⅲ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ8131

 

 

杜甫詩(1)736~751年  53

杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73

杜甫詩(3)45歳 安史の乱に彷徨う 26

杜甫詩(4)757年、左拾遺 43

杜甫詩(5)758年47歳 左遷 53

杜甫詩(6)759年 三吏三別 44

 

 

杜甫詩(7)759年秦州詩 66

杜甫詩(8)759年同谷紀行、成都紀行36

杜甫詩(9)760年、49歳 成都 45

杜甫詩(10)761年、50歳 成都82

杜甫詩(11)762年蜀中転々43

杜甫詩(12)762年 蜀中転々 49

 

 

(13)763年蜀中転々 96

 (14)764年 三月成都へ帰る 100

 (15)765年正月幕府を辞す 63

(16-1) 766年雲安、暮春、夔州 168首 の(1)80

(16-2) 766年雲安、暮春、夔州 168首 の(1)81

 

 

 

杜甫詩 (17-1)767年夔州・西閣・赤甲・瀼西132

杜甫詩 (17-2) 767年・瀼西・東屯 133

杜甫詩 (18)768年江陵・公安縣・岳州 78

杜甫詩 (19)769年・洞庭湖・潭州・衡州 78

杜甫詩 (20)770年・洞庭湖・潭州・衡州。27

杜甫詩 (21)洩れ分(未詳分)・散文

 

 

 

杜甫詩 全詩 総合案内 

 

 

 

●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている。花間集連載開始。

 

 

Ⅳブログ詩集

漢・唐・宋詞

花間集訳注解説 (100)回目韋莊二十二首-9《巻二36 菩薩鬘五首其四》 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ8162 (02/12)

 

 

  fc2

Blog

91)回目皇甫松十一首 《天仙子/浪濤沙/楊栁枝/摘得新/夢江南/採蓮子 【字解集】》 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ8108 (02/03)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

●花間集全詩●森鴎外の小説の”魚玄機”詩、芸妓”薛濤”詩。唐から五代詩詞。花間集。玉臺新詠連載開始

 

 

.唐五代詞詩・女性

・玉臺新詠

玉-038 室思一首五章 -#5 〔徐 幹〕 Ⅴ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の玉臺新詠ブログ 8163

 

 

LiveDoo

rBlog

玉集-07 秦嘉妻答詩・飲馬長城窟行・飲馬長城窟行 【字解集】   Ⅴ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の玉臺新詠ブログ 8133

 

 

●薛濤の全詩

●花間集(1

●花間集(2

●花間集(3

●花間集(4

●花間集(5

 

 

●魚玄機全詩

●花間集(6

●花間集(7

●花間集(8

●花間集(9

●花間集10

 

 

 ■最近Best5 賦・詩・詞(漢詩4ブログ各部門)

漢詩総合サイト 07ch

 

 

杜甫全詩案内

韓愈全詩案内

李白全集

文選

古詩源

花間集案内

 

http://kanbunkenkyu.web.fc2.com/

 

 

806-06- 送許郢州序・寒食日出游 【字解集】 Ⅱ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之韓愈詩集8160

 

 

 

韓昌黎集タイトル01 


続きを読む

806年-集05-【字解集】 a贈鄭兵曹・b李花贈張・c杏花・c感春 【字解集】Ⅱ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之韓愈詩集8076

【字解集】 a贈鄭兵曹・b李花贈張・c杏花・c感春

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2017129

の紀頌之5つの校注Blog

 

 

●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、現在、李白詩全詩 訳注

 

 

Ⅰ李白詩

(李白集校注)

744年-042卷162_15 前有樽酒行二首其二(卷三(一)二五二)Ⅰ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 李白詩集8075

 

 

LiveDoo

rBlog

744年-集06字解集 侍從宜春苑奉詔賦・送于十八・送白利・送長沙陳太守・送祝八之江東賦Ⅰ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 李白詩集8039

 

 

孟浩然

李白詩

謝霊運

司馬相如 《子虛賦 ・上林賦》

揚雄 《甘泉賦》

諸葛亮 出師表

 

 

曹植詩65

兩都賦序・西都賦・東都賦

李白全詩

漁父辞(屈原

楚辞・九歌》東君

《楚辞九辯》

 

 

 

 

  総合案内

 

 

 

 

●唐を代表する 中唐 韓愈 全500首 

 

 

Ⅱ韓昌黎詩集・文集校注

806年-集05-【字解集】 a贈鄭兵曹・b李花贈張・c杏花・c感春 【字解集】Ⅱ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之韓愈詩集8076

 

 

LiveDoo

rBlog

806年-018-#6 全唐文551-11-#6喜侯喜至贈張籍、張徹  【字解集】 Ⅱ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之韓愈詩集7944

 

 

・李商隠詩 (1) 136首の75

・李商隠詩 (2) 135首の61

韓愈1 ・孟郊・張籍と汴州乱41

index-2[800年~804年]27

index-3 805年陽山から江陵36

index-4 806年 39 江陵・国子博士25

 

 

index-5 806年39歳(2)25

index-6 807~809年 20

index-7[810年~811年 44歳] 34

index-8 [812年~814年47歳]46

index-9[815年~816年 49歳57

index-10[817年~818年 51歳]「平淮西碑」28

 

 

index-11 819年『論佛骨表』左遷 38

index-12 820 國子祭酒18

index-13 821年~822年 22

index-14 57歳・病気のため退職。没す14

韓愈 哲学・儒学「五原」

孟郊

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

●杜甫の全作品1500首を訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"

 

 

Ⅲ 杜詩

詳注

757年-集-3 【字解集】 課伐木并序・ 柴門 杜詩詳注 Ⅲ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ8077

 

 

LiveDoo

rBlog

757年-集-2 【字解集】 園・歸・園官送菜・園人送瓜 Ⅲ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7993

 

 

杜甫詩(1)736~751年  53

杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73

杜甫詩(3)45歳 安史の乱に彷徨う 26

杜甫詩(4)757年、左拾遺 43

杜甫詩(5)758年47歳 左遷 53

杜甫詩(6)759年 三吏三別 44

 

 

杜甫詩(7)759年秦州詩 66

杜甫詩(8)759年同谷紀行、成都紀行36

杜甫詩(9)760年、49歳 成都 45

杜甫詩(10)761年、50歳 成都82

杜甫詩(11)762年蜀中転々43

杜甫詩(12)762年 蜀中転々 49

 

 

(13)763年蜀中転々 96

 (14)764年 三月成都へ帰る 100

 (15)765年正月幕府を辞す 63

(16-1) 766年雲安、暮春、夔州 168首 の(1)80

(16-2) 766年雲安、暮春、夔州 168首 の(1)81

 

 

 

杜甫詩 (17-1)767年夔州・西閣・赤甲・瀼西132

杜甫詩 (17-2) 767年・瀼西・東屯 133

杜甫詩 (18)768年江陵・公安縣・岳州 78

杜甫詩 (19)769年・洞庭湖・潭州・衡州 78

杜甫詩 (20)770年・洞庭湖・潭州・衡州。27

杜甫詩 (21)洩れ分(未詳分)・散文

 

 

 

杜甫詩 全詩 総合案内 

 

 

 

●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている。花間集連載開始。

 

 

Ⅳブログ詩集

漢・唐・宋詞

花間集 訳注解説 巻二-23 (86)回目皇甫松十一首 《摘得新二首其一》 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ8078 (01/29)

 

 

  fc2

Blog

91)回目皇甫松十一首 《天仙子/浪濤沙/楊栁枝/摘得新/夢江南/採蓮子 【字解集】》 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ8108 (02/03)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

●花間集全詩●森鴎外の小説の”魚玄機”詩、芸妓”薛濤”詩。唐から五代詩詞。花間集。玉臺新詠連載開始

 

 

.唐五代詞詩・女性

・玉臺新詠

玉-034 贈婦詩三首井序其三 -#2 〔秦  嘉〕 Ⅴ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の玉臺新詠ブログ 8079

 

 

LiveDoo

rBlog

玉集-06 同聾歌・贈婦詩三首 【字解集】   Ⅴ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の玉臺新詠ブログ 8085

 

 

●薛濤の全詩

●花間集(1

●花間集(2

●花間集(3

●花間集(4

●花間集(5

 

 

●魚玄機全詩

●花間集(6

●花間集(7

●花間集(8

●花間集(9

●花間集10

 

 

 ■最近Best5 賦・詩・詞(漢詩4ブログ各部門)

漢詩総合サイト 07ch

 

 

杜甫全詩案内

韓愈全詩案内

李白全集

文選

古詩源

花間集案内

 

http://kanbunkenkyu.web.fc2.com/

 

806-05-【字解集】 a贈鄭兵曹・b李花贈張・c杏花・c感春 【字解集】Ⅱ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之韓愈詩集8076

 長安皇城宮城00

 韓昌黎集タイトル01

 

続きを読む
記事検索
最新記事
最新記事(画像付)
記事検索
プロフィール

紀 頌之

Twitter プロフィール
カテゴリ別アーカイブ
QRコード
QRコード
  • ライブドアブログ