中唐詩人選集【Ⅰ李商隠-150】Ⅱ韓退之(韓愈)Ⅶ孟郊(東野)  漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩 訳注解説ブログ

Ⅰ李商隠は難解詩といわれている。約150首紹介済。(晩唐詩人) Ⅱ韓退之(韓愈)-約500首Ⅶ孟郊、中唐の詩人を掲載中。万物の性(さが)をテーマにした哲学的な詩。このブログは基本的に中唐詩人を中心にして掲載する予定。 韓愈詩文のこれまでの掲載分とこれから掲載予定分を時系列で整理した2014.3.29のブログに集約してそこから各年次を見ることができる  kanbuniinkai 検索で、《漢文委員会HP05》サイトあります。漢詩唐詩を理解するための総合サイト:≪漢文委員会 漢詩07≫。

少し、マニアックな晩唐詩人Ⅰ-李商隠150首をまず掲載済み。中唐は盛唐詩人(孟浩然・王維、杜甫、李白)を受け継いだ多様な詩人が出ている。この時代も驚くほど詩が発展している。Ⅱ韓退之(韓愈)500首、Ⅲ柳宗元40首、Ⅳ韋応物、Ⅴ劉長卿、Ⅵ韋荘、Ⅶ孟郊(孟東野)、Ⅷ張籍、Ⅸ賈島、Ⅹ劉禹錫、ほか2012~2020年の予定で気長に進める。同じ中唐ではあるが、白居易のグループについては、李白のブログ350首(2015/6月再開~2018/夏・秋月予定)の後掲載の予定。別に杜甫詩ブログ1500首(2011/7月~2018/8月の予定で)を進行中。詩数につぃては、予定の詩数より多くなる。気まぐれなところがあるのでこの予定が少し変わる場合があり、その節はご容赦ください。                 古詩・謝霊運詩 杜甫詩 韓愈詩 花間集500首全詩 それぞれ毎日ブログしています。 このブログ、索引=語句の「検索」 参考書以上掲載。漢詩力up。

其三

燕臺詩四首 其三 秋#2 李商隠133 紀頌之の漢詩ブログ李商隠特集150- 131-#2

燕臺詩四首 其三 秋#2 李商隠133 紀頌之の漢詩ブログ李商隠特集150- 131-#2

其三 秋 -#2
月浪衡天天宇濕,涼蟾落盡疏星入。
雲屏不動掩孤嚬,西樓一夜風箏急。」
欲織相思花寄遠,終日相思卻相怨。
但聞北斗聲回環,不見長河水清淺。」
金魚鎖斷紅桂春,古時塵滿鴛鴦茵。
堪悲小苑作長道,玉樹未憐亡國人。』
瑤琴愔愔藏楚弄,越羅冷薄金泥重。
湘妃が洞庭の月夜に瑟を鼓(ひ)く、玉の琴は愔愔と静かな調べに楚の国の響きを籠められている、越のうすぎぬは秋の冷さのなかで透き通り金泥の模様は重厚なものなのだ。
簾鉤鸚鵡夜驚霜,喚起南雲繞雲夢。」
すだれの鉤のような月の夜、鸚鵡は夜の霜の降りる寒さに驚いた、思い起こすのは、南の雲のもと、仙人に招かれ雲夢の沢をめぐった日々もあった。
璫璫丁丁聯尺素,內記湘川相識處。
湘霊が奏でる五十舷の瑟のしらべ、耳飾りの音もかすかに響いてくる、耳飾りを手紙に結び、そこに瀟湘のあたりで知り合った時のことを綴る。
歌唇一世銜雨看,可惜馨香手中故。』

口ずさむ歌、いつまでも涙ながらに読み続けることだろう。しかし無念にも手紙にかき込められた香は、手のなかでしだいに失せていくのだ。


入。急。」/遠,怨。淺。」/春,茵。人。』/弄,重。夢。/素,處。故。』

其の三 秋
月浪(げつろう) 天を衡(う)ち 天宇(てんう)湿る、涼蟾(りょせん) 落ち盡くして疏星(そせい)入る。
雲屏は不動かず 孤嚬(こひん)を掩う,西樓 一夜 風箏 急なり。」
相思の花を織りて遠くに寄せんと欲するも、終日相い思えば却って相い怨む。
但だ北斗の声の廻環するを聞き、長河の水の清浅なるを見ず。
金魚の鎖は断つ 紅桂の春、古時の塵は満つ 鴛鴦(えんおう)の茵(しとね)。
悲しむに堪えん小苑 長道と作るを,玉樹未だ憐まず 亡国の人。』
揺瑟(ようしつ)愔愔(いんいん)として楚弄(そろう)藏す,越羅(えつら)冷薄にして金泥は重し。
簾鉤(れんこう)鸚鵡(おうむ) 夜 霜に驚き,喚び起こす 南雲 雲夢(うんぼう)を繞(めぐ) るを。」
璫璫(とうとう)丁丁(ちょうちょう) 尺素に聯(つら)なる,內には記(しる)す 湘川(しょうせん) 相 識る處。
歌唇 一世 雨を銜(ふく)みて看ん,惜むべし 馨香(けいこう) 手中に故(ふる)びたり。」


燕臺詩四首 其三 秋#2 現代語訳と訳註
(本文)
其三 秋-#2
瑤琴愔愔藏楚弄,越羅冷薄金泥重。
簾鉤鸚鵡夜驚霜,喚起南雲繞雲夢。」
璫璫丁丁聯尺素,內記湘川相識處。
歌唇一世銜雨看,可惜馨香手中故。』



(下し文) 其の三 秋-#2
揺瑟(ようしつ)愔愔(いんいん)として楚弄(そろう)藏す,越羅(えつら)冷薄にして金泥は重し。
簾鉤(れんこう)鸚鵡(おうむ) 夜 霜に驚き,喚び起こす 南雲 雲夢(うんぼう)を繞(めぐ) るを。」
璫璫(とうとう)丁丁(ちょうちょう) 尺素に聯(つら)なる,內には記(しる)す 湘川(しょうせん) 相 識る處。
歌唇 一世 雨を銜(ふく)みて看ん,惜むべし 馨香(けいこう) 手中に故(ふる)びたり。」

(現代語訳)
湘妃が洞庭の月夜に瑟を鼓(ひ)く、玉の琴は愔愔と静かな調べに楚の国の響きを籠められている、越のうすぎぬは秋の冷さのなかで透き通り金泥の模様は重厚なものなのだ。
すだれの鉤のような月の夜、鸚鵡は夜の霜の降りる寒さに驚いた、思い起こすのは、南の雲のもと、仙人に招かれ雲夢の沢をめぐった日々もあった。
湘霊が奏でる五十舷の瑟のしらべ、耳飾りの音もかすかに響いてくる、耳飾りを手紙に結び、そこに瀟湘のあたりで知り合った時のことを綴る。
口ずさむ歌、いつまでも涙ながらに読み続けることだろう。しかし無念にも手紙にかき込められた香は、手のなかでしだいに失せていくのだ。



(訳注) 秋のうた#2
瑤琴愔愔藏楚弄,越羅冷薄金泥重。
湘妃が洞庭の月夜に瑟を鼓(ひ)く、玉の琴は愔愔と静かな調べに楚の国の響きを籠められている、越のうすぎぬは秋の冷さのなかで透き通り金泥の模様は重厚なものなのだ。
○瑤琴 玉で装飾した瑟。美しい玉。また、玉のように美しい。湘妃が洞庭の月夜に瑟を鼓くという古伝説○愔愔 穏やかな音の形容。『左氏伝』昭公十二年に「其の詩に目く、祈招の愔愔たる、式て徳音を昭らかにす」。○楚弄 楚の国の曲。「弄」は演奏することから楽曲をいう。○越羅 越の国の羅(薄い絹織物)は蜀の錦とならぶ名品とされた。○金泥 金の顔料。金泥で羅の衣に図案を描く。
涙  李商隠

(劉蕡・賈誼について)
簾鉤鸚鵡夜驚霜,喚起南雲繞雲夢。」
すだれの鉤のような月の夜、鸚鵡は夜の霜の降りる寒さに驚いた、思い起こすのは、南の雲のもと、仙人に招かれ雲夢の沢をめぐった日々もあった。
○南雲 南の空の雲。遠く南方にいる親しい人を思う気持ちをあらわす。西晋・陸機「親を思う賦」 に「南雲を指して款を寄す」。○雲夢 雲夢の沢。夢澤 李商隠 紀頌之の漢詩ブログ李商隠特集-72 (楚王の戦争への負担、豪奢、趣向などによる人民の苦しみを与えたことへ批判したものである。)

七月二十八日夜與王鄭二秀才聽雨後夢作 李商隠  : 紀頌之の漢詩ブログ李商隠特集-79


璫璫丁丁聯尺素,內記湘川相識處。
湘霊が奏でる五十舷の瑟のしらべ、耳飾りの音もかすかに響いてくる、耳飾りを手紙に結び、そこに瀟湘のあたりで知り合った時のことを綴る。
○璫璫 一対の耳飾り。○丁丁 玉が触れ合う音。○尺素 手紙をいう詩語。長さ一尺のしろぎぬに書いたので尺素という。古楽府「飲馬長城窟行」に「児を呼びて鯉魚を君れば、中に尺素の書有り」。○湘川相識処 湘水のあたりで知り合った時のこと。
参照 李商隠「潭州」、「涙」

安定城樓  紀頌之の漢詩ブログ李商隠特集-75

楚宮 紀頌之の漢詩ブログ李商隠特集 55


歌唇一世銜雨看,可惜馨香手中故。」
口ずさむ歌、いつまでも涙ながらに読み続けることだろう。しかし無念にも手紙にかき込められた香は、手のなかでしだいに失せていくのだ。
○歌唇一世 手紙の歌をいつまでも口ずさみながら読む。「一生」はいつまでも。○馨香 ここでは箋紙に付いた
香り。二人の恋が過去のものとなっていくことを象徴する。正当な発言も時とともに色あせ、忘れ去られていく。○手中故


(解説)

○詩型・押韻 七言古詩。
○押韻 入。急。」/遠,怨。淺。」/春,茵。人。』/弄,重。夢。/素,處。故。』

此の篇は李商隠「安定城樓」のイメージを異なった言い回しで詠っている。李商隠の王朝批判のせんとうにあるものの基本は宦官による讒言に対して、なすすべを持たない天子、高級官僚たちに向けられている。諸悪の根源を宦官としている。この宦官が日に日に増殖してゆくアメーバ―の様なものである。そのジレンマの中で牛李の闘争がなされている。天子はそれを直視しないで奢侈、頽廃に耽っていく。歴代の王朝が辿って来た道も、同様なものである。


燕臺詩四首 其三 秋 #1と#2

其三 秋
月浪衡天天宇濕,涼蟾落盡疏星入。
雲屏不動掩孤嚬,西樓一夜風箏急。」
欲織相思花寄遠,終日相思卻相怨。
但聞北斗聲回環,不見長河水清淺。」
金魚鎖斷紅桂春,古時塵滿鴛鴦茵。
堪悲小苑作長道,玉樹未憐亡國人。』
瑤琴愔愔藏楚弄,越羅冷薄金泥重。
簾鉤鸚鵡夜驚霜,喚起南雲繞雲夢。」
璫璫丁丁聯尺素,內記湘川相識處。
歌唇一世銜雨看,可惜馨香手中故。」

入。急。」/遠,怨。淺。」/春,茵。人。』/弄,重。夢。/素,處。故。』



其の三 秋
月浪(げつろう) 天を衡(う)ち 天宇(てんう)湿る、涼蟾(りょせん) 落ち盡くして疏星(そせい)入る。
雲屏は不動かず 孤嚬(こひん)を掩う,西樓 一夜 風箏 急なり。」
相思の花を織りて遠くに寄せんと欲するも、終日相い思えば却って相い怨む。
但だ北斗の声の廻環するを聞き、長河の水の清浅なるを見ず。
金魚の鎖は断つ 紅桂の春、古時の塵は満つ 鴛鴦(えんおう)の茵(しとね)。
悲しむに堪えん小苑 長道と作るを,玉樹未だ憐まず 亡国の人。』
揺瑟(ようしつ)愔愔(いんいん)として楚弄(そろう)藏す,越羅(えつら)冷薄にして金泥は重し。
簾鉤(れんこう)鸚鵡(おうむ) 夜 霜に驚き,喚び起こす 南雲 雲夢(うんぼう)を繞(めぐ) るを。」
璫璫(とうとう)丁丁(ちょうちょう) 尺素に聯(つら)なる,內には記(しる)す 湘川(しょうせん) 相 識る處。
歌唇 一世 雨を銜(ふく)みて看ん,惜むべし 馨香(けいこう) 手中に故(ふる)びたり。」


(現代語訳)
月の光が江の上にかかり、北斗七星の第五星「玉衡」は、天空を濡らしている。そうしていると秋の月は沈んでしまった、夜の明けきらぬ早朝の内に宮中に入る。
雲母の屏風がある、身じろぎもせず、口などをゆがめ、眉をひそめた顔に包まれた。そしてその夜の間西の高楼台に、風雲急を告げる凧があげられた。
相思樹の花を織り込んで遠くのあの人に送りたいけれど、一日中織り込んでいて思い続ければ、かえって怨みが募る。
今はただ聞こえてくるのは天子の座を示す北斗星あり、その周りを玉環の魂や、天牢六星が冤魄をともなって回っている、悲しみの声がするのだ、これだけ多くの行きたいという魂が多いと天の川が渡れるほど浅くなっているのは見たことがないだろう。
黄金の魚型の錠前が鎖されて金木犀の咲きほこった庭にだれもいない、かつて伴にした鴛鴦の褥には塵が厚く積もっている。
悲しみを耐えていたあの宮殿の中庭が今では大通りに変わってしまったのだ。陳の後主は「玉樹後庭歌」のように宮女ばかりにかまけて国を亡ぼした人に憐れを覚えるはずがない。
湘妃が洞庭の月夜に瑟を鼓(ひ)く、玉の琴は愔愔と静かな調べに楚の国の響きを籠められている、越のうすぎぬは秋の冷さのなかで透き通り金泥の模様は重厚なものなのだ。
すだれの鉤のような月の夜、鸚鵡は夜の霜の降りる寒さに驚いた、思い起こすのは、南の雲のもと、仙人に招かれ雲夢の沢をめぐった日々もあった。
湘霊が奏でる五十舷の瑟のしらべ、耳飾りの音もかすかに響いてくる、耳飾りを手紙に結び、そこに瀟湘のあたりで知り合った時のことを綴る。
口ずさむ歌、いつまでも涙ながらに読み続けることだろう。しかし無念にも手紙にかき込められた香は、手のなかでしだいに失せていくのだ。

参考---------------------------------
○湘妃 鼓宏舜の妻、蛾皇・女英の二人が舜王のあとを追いかけ湘水までゆき、舜の死んだことをきき、湘水に身をなげて死に、湘水の女神となった。それが湘妃であり、この湘妃が洞庭の月夜に瑟を鼓くという古伝説がある。○斑竹 斑紋のある竹、湘水の地方に産する。その竹は湘妃が涙を流したあとに生じたものであるとの伝説がある。○江 湘江をさす。 

蛾皇と女英の故事にもとづく。古代の帝王舜は南方巡行の途中、蒼梧(湖南省寧遠県付近の山)で残した。二人の妃、蛾皇と女英は舜を追い求めて湘江のあたりまで来たが、二人の涙がこぼれた。竹はまだらに染まった。そのためこの地の竹には斑紋がついているという(『博物志』、『述異記』)。湘江は長抄の西を通って洞庭湖に注ぐ。「浅深」はあるいは浅くあるいは深く、まだらになっていることをいう。


安定城樓
迢逓高城百尺樓、綠楊枝外盡汀洲。
賈生年少虚垂涕、王粲春來更遠遊。
永憶江湖歸白髪、欲廻天地人扁舟。
不知腐鼠成滋味、猜意鴛雛竟未休。



燕臺詩四首 其三 秋#1 李商隠132 紀頌之の漢詩ブログ李商隠特集150- 131-#1

燕臺詩四首 其三 秋#1 李商隠132 紀頌之の漢詩ブログ李商隠特集150- 131-#1


其三 秋
月浪衡天天宇濕,涼蟾落盡疏星入。
月の光が江の上にかかり、北斗七星の第五星「玉衡」は、天空を濡らしている。そうしていると秋の月は沈んでしまった、夜の明けきらぬ早朝の内に宮中に入る。
雲屏不動掩孤嚬,西樓一夜風箏急。」
雲母の屏風がある、身じろぎもせず、口などをゆがめ、眉をひそめた顔に包まれた。そしてその夜の間西の高楼台に、風雲急を告げる凧があげられた。
欲織相思花寄遠,終日相思卻相怨。
相思樹の花を織り込んで遠くのあの人に送りたいけれど、一日中織り込んでいて思い続ければ、かえって怨みが募る。
但聞北斗聲回環,不見長河水清淺。」
今はただ聞こえてくるのは天子の座を示す北斗星あり、その周りを玉環の魂や、天牢六星が冤魄をともなって回っている、悲しみの声がするのだ、これだけ多くの行きたいという魂が多いと天の川が渡れるほど浅くなっているのは見たことがないだろう。
金魚鎖斷紅桂春,古時塵滿鴛鴦茵。
黄金の魚型の錠前が鎖されて金木犀の咲きほこった庭にだれもいない、かつて伴にした鴛鴦の褥には塵が厚く積もっている。
堪悲小苑作長道,玉樹未憐亡國人。』-
#1
悲しみを耐えていたあの宮殿の中庭が今では大通りに変わってしまったのだ。陳の後主は「玉樹後庭歌」のように宮女ばかりにかまけて国を亡ぼした人に憐れを覚えるはずがない。
瑤琴愔愔藏楚弄,越羅冷薄金泥重。
簾鉤鸚鵡夜驚霜,喚起南雲繞雲夢。」
璫璫丁丁聯尺素,內記湘川相識處。
歌唇一世銜雨看,可惜馨香手中故。』-
#2

入。急。」/遠,怨。淺。」/春,茵。人。』/弄,重。夢。/素,處。故。』

其の三 秋
月浪(げつろう)  衡天(こうてん) 天宇(てんう)湿る、涼蟾(りょせん) 落ち盡(つく)して 疏星(そせい)に入る。
雲屏は不動かず 孤嚬(こひん)を掩う,西樓 一夜 風箏 急なり。」
相思の花を織り 遠くに寄せんと欲するも、終日 相思 却って相怨なる。
但 北斗 廻環する声を聞き、長河 水 清浅 を見(おぼえ)ず。
金魚の鎖は断つ 紅桂の春、古時の塵は満つ 鴛鴦(えんおう)の茵(しとね)。
悲しむに堪えん小苑 長道と作る,玉樹未だ憐まず 亡国の人。』-#1
揺瑟(ようしつ)愔愔として楚弄(そろう)藏す,越羅冷薄にして金泥は重し。
簾鉤(ちょうら)鸚鵡(おうむ) 夜 霜に驚き,喚び起こす 南雲 雲夢(うんぼう)を繞(めぐ) るを。」
璫璫(とうとう)丁丁(ちょうちょう) 尺素に聯(つら)なる,內には記(しる)す 湘川(しょうせん) 相 識る處。
歌唇 一世 雨を銜(ふく)みて看ん,惜むべし 馨香(けいこう) 手中に故(ふる)びたり。」


燕臺詩四首 其三 現代語訳と訳註
(本文)
 秋-#1
月浪衡天天宇濕,涼蟾落盡疏星入。
雲屏不動掩孤嚬,西樓一夜風箏急。」
欲織相思花寄遠,終日相思卻相怨。
但聞北斗聲回環,不見長河水清淺。」
金魚鎖斷紅桂春,古時塵滿鴛鴦茵。
堪悲小苑作長道,玉樹未憐亡國人。』-#1

(下し文)
月浪(げつろう)  衡天(こうてん) 天宇(てんう)湿る、涼蟾(りょせん) 落ち盡(つく)して 疏星(そせい)に入る。
雲屏は不動かず 孤嚬(こひん)を掩う,西樓 一夜 風箏 急なり。」
相思の花を織り 遠くに寄せんと欲するも、終日 相思 却って相怨なる。
但 北斗 廻環する声を聞き、長河 水 清浅 を見(おぼえ)ず。
金魚の鎖は断つ 紅桂の春、古時の塵は満つ 鴛鴦(えんおう)の茵(しとね)。
悲しむに堪えん小苑 長道と作る,玉樹未だ憐まず 亡国の人。』-#1

(現代語訳)
月の光が江の上にかかり、北斗七星の第五星「玉衡」は、天空を濡らしている。そうしていると秋の月は沈んでしまった、夜の明けきらぬ早朝の内に宮中に入る。
雲母の屏風がある、身じろぎもせず、口などをゆがめ、眉をひそめた顔に包まれた。そしてその夜の間西の高楼台に、風雲急を告げる凧があげられた。
相思樹の花を織り込んで遠くのあの人に送りたいけれど、一日中織り込んでいて思い続ければ、かえって怨みが募る。
今はただ聞こえてくるのは天子の座を示す北斗星あり、その周りを玉環の魂や、天牢六星が冤魄をともなって回っている、悲しみの声がするのだ、これだけ多くの行きたいという魂が多いと天の川が渡れるほど浅くなっているのは見たことがないだろう。
黄金の魚型の錠前が鎖されて金木犀の咲きほこった庭にだれもいない、かつて伴にした鴛鴦の褥には塵が厚く積もっている。
悲しみを耐えていたあの宮殿の中庭が今では大通りに変わってしまったのだ。陳の後主は「玉樹後庭歌」のように宮女ばかりにかまけて国を亡ぼした人に憐れを覚えるはずがない。


(訳注) 秋のうた#1
太和9年11月晩秋、「甘露の変」「楊貴妃」「陳の後主」
月浪衡天天宇濕,涼蟾落盡疏星入。
月の光が江の上にかかり、北斗七星の第五星「玉衡」は、天空を濡らしている。そうしていると秋の月は沈んでしまった、夜の明けきらぬ早朝の内に宮中に入る。
〇月浪 月の光が江の上にかかる。李商隠「贈劉司戸蕡」*-1参照 を連想させる。
○衡天 北斗七星の第五星は玉衡を示すもの。王座ののこと。○天宇 天空。西普・左思「魂都賦」(『文選』巻六)に「天宇骸き、地塵驚く」。○涼蟾 秋の月をいう。月のなかには轄蛤(ひきがえる)がいると考えられたことから、「蟾」は月の別称に用いられる。○疏星 まばらな星。夜の明けきらぬ早朝。宮中で臣下を集めて催す行事朝礼。
*李商隠は首聯が詩題の舞台、この詩の舞台設定をあらわすように使用している。この朝礼で、「瑞兆として甘露が降った」と上奏し、宦官が確認に行くのでその時、宦官を一網打尽にするという策略を示す

雲屏不動掩孤嚬,西樓一夜風箏急。」
雲母の屏風がある、身じろぎもせず、口などをゆがめ、眉をひそめた顔に包まれた。そしてその夜の間、西の高楼台(鳳翔)に、風雲急を告げる凧があげられた。
○雲屏 雲母の屏風。「常蛾」詩参照。
雲母屏風燭影深、長河漸落暁星沈。
嫦娥應悔倫塞薬、碧海青天夜夜心。
西亭 李商隠30 西亭に関する新解釈
○孤噸 ひとり、眉をひそめた顔。嚬:ひそむ=顰む. 1 口などがゆがむ。2 べそをかく。○西樓 鄭注が鳳翔より兵を率いて粛清する予定であったことをしめす。○風箏 凧のこと。客家の八角風箏と呼ばれる凧。

欲織相思花寄遠,終日相思卻相怨。
相思樹の花を織り込んで遠くのあの人に送りたいけれど、一日中織り込んでいて思い続ければ、かえって怨みが募る。
○相思花 相思樹の花。相思樹は蝿蝶鶏麝鸞鳳等 成篇 李商隠 紀頌之の漢詩ブログ李商隠特集-84(蝿蝶鶏蔚鸞鳳等もて篇を成す)詩注参照。
蝿蝶鶏蔚鸞鳳等成篇
韓蝶翻羅幕、曹蝿沸給囱。
闘鶏廻玉勒、融麝暖金紅。
玳瑁明書閣、琉璃冰酒缸。
畫樓多有主、鸞鳳各雙雙。


但聞北斗聲回環,不見長河水清淺。」
今はただ聞こえてくるのは天子の座を示す北斗星あり、その周りを玉環の魂や、天牢六星が冤魄をともなって回っている、悲しみの声がするのだ、これだけ多くの行きたいという魂が多いと天の川が渡れるほど浅くなっているのは見たことがないだろう。
○聲回環 北斗星が北極星のまわりを回る。廻環は死んだ楊貴妃(玉環)が回る。 また、天牢六星が冤魄をともなって回っている。 *-2
○長河水清淺 牽牛と織女が天の川を隔てて見つめ合い、「河漢清くして且つ浅し、相い去ること復た幾許ぞ」と、すぐそこにあって水かさも浅いのに渡れないという思いをうたうが、ここでも男女を隔てる川を渡るすべもないことをいうが、冤魄うずまき、水深が浅くなったことをいう。

金魚鎖斷紅桂春,古時塵滿鴛鴦茵。
黄金の魚型の錠前が鎖されて金木犀の咲きほこった庭にだれもいない、かつて伴にした鴛鴦の褥には塵が厚く積もっている。
○金魚鎖斷 「金魚」は金色に輝く魚のかたちをした錠前。○紅桂春 紅桂は丹桂、キンモクセイで秋の季語。春は回春の情をいう。○古時 陳の後宮、かつての時。「鴛鴦薗」はおしどりの刺繍をほどこしたしとね。会わなくなって久しいことをいう。河内詩二首
 
堪悲小苑作長道,玉樹未憐亡國人。』
悲しみを耐えていたあの宮殿の中庭が今では大通りに変わってしまったのだ。陳の後主は「玉樹後庭歌」のように宮女ばかりにかまけて国を亡ぼした人に憐れを覚えるはずがない。
○堪悲小苑 悲しみを知っている、ともに過ごした思い出のある宮殿の庭が、今では人の行き交う道になってしまっている。○玉樹 「玉樹」は歓楽に溺れ国を亡ぼした陳の後主が作った「玉樹後庭歌」。「南朝(玄武湖中)」南朝(梁・元帝) 李商隠 :kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ李商隠特集 47南 朝 (南斉の武帝と陳の後主)李商隠 :kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ李商隠特集 46(宋・南斉・陳の宮廷における逸楽を繰り広げるが、この「南朝」詩は梁を舞台とする。)
また隋宮 李商隠 :kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ李商隠特集 49

----- *-1 *-2 --------------------------------

*-1 贈劉司戸蕡
江風揚浪動雲根、重碇危檣白日昏。
已断燕鴻初起勢、更驚騒客後歸魂。
漢廷急詔誰先入、楚路高歌自欲翻。
寓里相逢歓復泣、鳳巣西隔九重門。

はげしく大江を吹く風は、波を措きあげ、遠く水平線で水と接する雲の裾も、その波に揺れ動く。舟の重量しい錨、高い帆柱も、ものすさまじい風に翻弄されて真昼にもなおうす暗い危険な船旅に託するようにして去っていった。
ふるさとの燕の国から飛び立たんとしたその鴻の初めの威勢よい翼も、陰険な世の風にへし折られてしまった。その上、更に南の柳州に追いやる命令がきて、昔、むなしく南方にとどまっていつまでも都へ帰れなかった屈原の亡魂を、驚かすというようなことになった。宦官の巣食った漢の朝廷でも、いや唐の朝廷は一体誰を呼び戻そうとするのだろう。
誰よりも先に、漢の孝文帝が賈誼をよび戻したように、よび戻す人物は君であるはずだ。都を離れた楚の地方から柳州まで行く道すがら、かつて接輿がいつわり狂ってそうしたように、ただひとり声高らかに歌う君の声が風にひるがえり大空に飛び散ることだろう。

万里の彼方で、偶然めぐり会って涙ながらに歓んだのに、また万里の僻地に別離の涙を流している。天子を宦官たちに取り巻かれた朝廷は、もはや無縁のものとして遙か西の方に隔絶されてしまった。その九重の門によって閉ざしてしまった。

*-2
○天牢鎖冤魄 古代中国には、「太陽星」「太陰星」「先天五行星」「九宫星」「黄道十二守護星」「南斗七星」「北斗七星」「二十八宿群星」「天罡三十六星」「地煞七十二星」「三百六十五大周天星斗」および十万八千の副星によって天(宇宙)が形成されている、という考えがあった。それぞれの星に神がいて名前を持っている、とされており、当然「天罡三十六星」「地煞七十二星」にも名前がある。天罡星のひとつに天牢星がある。『晋書』天文志に「天牢六星は北斗の魁(星の名)の下に在り、貴人の牢なり」。・冤塊は本来無実の罪で死んだ人の魂。非業の死を遂げた者の魂。張飛は配下の武将の手によって業半ばで殺された、また、全戦全勝の武将であるのに身分差別に不当な仕打ちを受けたことが李商隠と重なる。死んだのちに劉備に報いた話もある。
李商隠 無 題
萬里風波一葉舟、憶歸初罷更夷猶。
碧江地没元相引、黄鶴沙邊亦少留。
益徳冤魂終報主、阿童高義鎮横秋。
人生豈得長無謂、懐古思郷共白頭。

燕臺詩四首 其一
春#1
風光冉冉東西陌,幾日嬌魂尋不得。
蜜房羽客類芳心,冶葉倡條遍相識。』
暖藹輝遲桃樹西,高鬟立共桃鬟齊。
雄龍雌鳳杳何許?絮亂絲繁天亦迷。』
醉起微陽若初曙,映簾夢斷聞殘語。
愁將鐵網罥珊瑚,海闊天寬迷處所。』
衣帶無情有寬窄,春煙自碧秋霜白。
研丹擘石天不知,願得天牢鎖冤魄。』
夾羅委篋單綃起,香肌冷襯琤琤珮。
今日東風自不勝,化作幽光入西海。』

漫成五章 其三 李商隠 紀頌之の漢詩ブログ李商隠特集150- 106

漫成五章 其三 李商隠 紀頌之の漢詩ブログ李商隠特集150- 106


漫成五章 其三 
生兒古有孫征虜、嫁女今無王右軍。
むすこを生むならば、曹操がこんなむすこを持ちたいと羨んだ、呉の討虜将軍孫権のような武人が昔はいたものだ。娘を政略で嫁がせようにも、郗鍳が気に入って婿にした王義之のような将軍で文人の人材が今は見あたらないのだ。
借問琴書終一世、何如旗蓋仰三分。
聞いてみたい、軍人でありながら官を辞して、琴や書物とともに一生を終えられる王羲之のような文人と、孫権のように天子の儀仗で活躍した武人、天下を三分していてもだれからも尊敬され仰ぎ見られる、はたしてだれが勝るといえるのかと。


其の三

児を生めば古には孫征虜有り、女を嫁がすに今は王右軍無し。

借問す 琴書もて一世を終わるは、何如ぞ 旗蓋 三分を仰ぐに。




漫成五章 其三 現代語訳と訳註 解説・参考


(本文)
生兒古有孫征虜、嫁女今無王右軍。
借問琴書終一世、何如旗蓋仰三分。

(下し文)
児を生めば古には孫征虜有り、女を嫁がすに今は王右軍無し。
借問す 琴書もて一世を終わるは、何如ぞ 旗蓋 三分を仰ぐに。


(現代語訳)
むすこを生むならば、曹操がこんなむすこを持ちたいと羨んだ、呉の討虜将軍孫権のような武人が昔はいたものだ。娘を政略で嫁がせようにも、郗鍳が気に入って婿にした王義之のような将軍で文人の人材が今は見あたらないのだ。
聞いてみたい、軍人でありながら官を辞して、琴や書物とともに一生を終えられる王羲之のような文人と、孫権のように天子の儀仗で活躍した武人、天下を三分していてもだれからも尊敬され仰ぎ見られる、はたしてだれが勝るといえるのかと。


(訳註)
生兒古有孫征虜、嫁女今無王右軍。

むすこを生むならば、曹操がこんなむすこを持ちたいと羨んだ、呉の討虜将軍孫権のような武人が昔はいたものだ。娘を政略で嫁がせようにも、郗鍳が気に入って婿にした王義之のような将軍で文人の人材が今は見あたらないのだ。
○生児 「児」は男の子。○孫征虜 三国・呉の孫権をいう。200年(建安5年) - 急死した兄孫策から後継者に指名され、19歳で家督を継ぎ、江東一帯の主となる。曹操の上表により会稽太守・討虜将軍に任じられる。任地には赴かず、呉(現在の蘇州)に本拠を構える。「児を生めば」は、曹操が孫権の水軍のよく整備されているのに感心して「子を生めば当に孫仲謀(孫権の字)の如くなるべし」と羨ましがったという話を用いる(『三国志』呉書・孫権伝の裴松之注が引く『呉歴』)。○嫁女 権力者にとって女は女の子で政略の道具の一つである。○王右軍 東晋の王義之。書聖として知られるが、右軍将軍になったので「王右軍」という。太博の郗鍳が王導の子弟の中から婿を選ほうとして、使者が王家を訪れると、みな取り澄ましていたのに、一人だけ何知らぬ顔して寝そべったままの若者がいた。報告を聞いた郗鍳が気に入ったのがその王義之だった。むすめは彼に嫁がせたという。『世説新語』雅量篇に見える話。


借問琴書終一世、何如旗蓋仰三分。
聞いてみたい、軍人でありながら官を辞して、琴や書物とともに一生を終えられる王羲之のような文人と、孫権のように天子の儀仗で活躍した武人、天下を三分していてもだれからも尊敬され仰ぎ見られる、はたしてだれが勝るといえるのかと。
○琴書 琴と書物。文人の生活をいう。陶淵明「帰去来の辞」に「琴書を楽しみて以て憂いを消さん」。王義之は政界への意欲はなく、静謐な生き方を好んだ。○何如 二つのものを較べて、どうであるかの意。ここでは「不如」(……に及ばない)というのに同じ。王義之のような文人か、孫権のような武人か、子供や女婿には後者がよいとする。○旗蓋仰三分 「旗蓋」 は天子のしるしである旗と申蓋。しばしば「黄旗紫蓋」 の四字で用いられる。「三分」 は天下が魏蜀呉、南北東西に三分されたこと、どちらも天下が戦時下にあり、軍人であり続けるのかどうか。


(解説)

○詩型 七言絶句。
○押韻 軍。分。


 孫権の時代は、三権鼎立、王羲之の時代は、南北朝、時代を経て東西の晋、どちらも若い自分は優れた軍人であった。晩年は、悪酒に傲慢な振る舞いをした孫権だけれど、臣下の諫言には耳を傾けた。官を辞し会稽の地にとどまり、人士と山水を巡り、仙道の修行に励むなど悠々自適の生活を過ごした王羲之であるが、飢饉に見舞われた時は、中央への租税の減免を要請するなど、地方行政にも力を注いでいる。李商隠の時代には、自己の利益のためだけに動く軍人、文人、皇帝にしても宦官勢力に牛耳られて身動きが取れない。
だれも頼りとする人物がいない。
 七言絶句の中に込められた軍人、文人たちの対立、まとまっていかないといけないのにまとまらない。それでいて、媚びるものだらけの暗黒の時代を示している。


(参考)
三曹 
武帝(曹操)(そうそう) 155―220後漢末の武将、政治家、詩人、兵法家。後漢の丞相・魏王で、三国時代の魏の基礎を作った。建安文学の担い手の一人であり、子の曹丕・曹植と合わせて「三曹」と称される。現存する彼の詩作品は多くないが、そこには民衆や兵士の困苦を憐れむ気持ちや、乱世平定への気概が感じられる。表現自体は簡潔なものが多いが、スケールが大きく大望を望んだ文体が特徴である。 ・短歌行 ・求賢令 ・亀雖寿 ・蒿里行 ・薤露

孫権182年―252年 後漢末から三国時代にかけて活躍した武将。呉を建国し初代皇帝に即位した。字は仲謀。長命で帝位に昇る相があるとされ、三国時代の君主の中で最も長命した。なおよく並べられる曹操、劉備とは(父孫堅が同世代なので)およそ1世代下にあたる。時勢を読んだ外交を始めとして思慮深さを見せる人物であったが、一方で感情のままに行動を取り部下から諌められた逸話が複数残っている。

 

三国時代(さんごくじだい)は中国の時代区分の一つ。狭義では後漢滅亡(220年)から、広義では黄巾の乱の蜂起(184年)から[要出典]、西晋による中国再統一(280年)までを指す。229年までに魏(初代皇帝:曹丕)、蜀(蜀漢)(初代皇帝:劉備)、呉(初代皇帝:孫権)が成立、中国国内に3人の皇帝が同時に立った。黄巾の乱(こうきんのらん、中国語:黃巾之亂)は、中国後漢末期の184年(中平1年)に太平道の教祖張角が起こした農民反乱。目印として黄巾と呼ばれる黄色い頭巾を頭に巻いた事から、この名称がついた。また、小説『三国志演義』では反乱軍を黄巾“賊”と呼称している。「黄巾の乱」は後漢が衰退し三国時代に移る一つの契機となった。    



王羲之 303年 - 361年 東晋の政治家・書家。字は逸少。右軍将軍となったことから世に王右軍とも呼ばれる。本籍は琅邪郡臨沂(現在の山東省)。魏晋南北朝時代を代表する門閥貴族、琅邪王氏の出身である。羲之は会稽に赴任すると、山水に恵まれた土地柄を気に入り、次第に詩、酒、音楽にふける清談の風に染まっていき、ここを終焉の地と定め、当地に隠棲中の謝安や孫綽・許詢・支遁ら名士たちとの交遊を楽しんだ。一方で会稽一帯が飢饉に見舞われた時は、中央への租税の減免を要請するなど、地方行政にも力を注いでいる。王述が会稽郡にさまざまな圧力をかけてくると、これに嫌気が差した王羲之は、翌355年、病気を理由に官を辞して隠遁する。官を辞した王羲之はその後も会稽の地にとどまり続け、当地の人士と山水を巡り、仙道の修行に励むなど悠々自適の生活を過ごした。


漫成三首 其三 李商隠 紀頌之の漢詩ブログ李商隠特集-82

漫成三首 其三 李商隠 紀頌之の漢詩ブログ李商隠特集-82





其 三
霧夕詠芙蕖、何郎得意初。
夕霧のなかに開くハスの花を詠じた詩何遜「看伏郎新婚詩」がある、これぞ何遜公が詩名を得たきっかけになったものだ。
此時誰最賞、沈范兩尚書。

この詩が世に認められる時というのは、誰が最も称賛したかといえば、それは沈約と苑雲、時の文人で高級官僚の二人の尚書であった。


詩と解説
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(本文)其 三
霧夕詠芙蕖、何郎得意初。
此時誰最賞、沈范兩尚書。


(下し文)其の三

霧夕 芙蕖を詠ず、何郎 得意の初め。

此の時 誰か最も賞する、沈苑の両尚書。



(現代訳)
夕霧のなかに開くハスの花を詠じた詩何遜「看伏郎新婚詩」がある、これぞ何遜公が詩名を得たきっかけになったものだ。
この詩が世に認められる時というのは、誰が最も称賛したかといえば、それは沈約と苑雲、時の文人で高級官僚の二人の尚書であった。




其三 訳註と解説
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霧夕詠芙蕖、何郎得意初。
夕霧のなかに開くハスの花を詠じた詩何遜「看伏郎新婚詩」がある、これぞ何遜公が詩名を得たきっかけになったものだ。
○霧夕詠芙蕖 「芙蕖」は蓮の花の別名。『爾雅』釈草に「荷は芙蕖」。一句は何遜「看伏郎新婚詩」
霧夕蓮出水,霞朝日照梁。
何如花燭夜,輕扇掩紅妝。
良人復灼灼,席上自生光。
所悲高駕動,環佩出長廊。
「伏郎の新婚を看る」詩の前半四句に「霧の夕べに蓮は水を出で、霞の朝に日は梁を照らす。何如ぞ光燭の夜、軽扇 紅柾を掩う」と花嫁の美しさを朝日の光と蓮にたとえた句を用いる。
何遜に先行して魏・曹植「洛神の賦」(『文選』巻一九)が「遠くより之を望めば、鮫として太陽の朝霞より升るが若く、迫りて之を祭れば、灼として芙妾の操(緑)波を出ずるが若し」と女神の美しきを朝日と蓮の花にたとえている。この詩を少し詳しく末尾に掲載した。参照。○何郎 何遜を指す。「郎」は男子の美称として姓のあとにつける接尾語。



此時誰最賞、沈范兩尚書。
この詩が世に認められる時というのは、誰が最も称賛したかといえば、それは沈約と苑雲、時の文人で高級官僚の二人の尚書であった。
○沈范兩尚書 沈約と范雲。沈約は尚書令、薄雲は尚書右僕射の官にあったので「両尚書」という。



○詩型 五言絶句。
・韻  蕖、初、書。


絶句の形式を用いて何遜を中心とした梁の詩人を論評した、いわゆる論詩絶句。杜甫に始まる文学批評の新しいスタイルであるが、李商隠のこの連作はそれに連なる早い例。詩的表現の洗練を競った南朝の文学を対象としている。絶句という軽い詩型のためもあって、正面から詩を論ずるものではなく作った感がある。思いつくままに、時にいくらか斜に構えて語



○何遜(かそん?~518)中国南北朝時代の文学者。東海郯の人。字は仲言。曾祖父は何承天。幼少より文才に優れ、8歳で詩を作り、20歳の時、州から秀才に選ばれた。南斉の永明年間に、当時の文壇の重鎮であった范雲に文才を認められ、年齢を超えた交際を結ぶ。現存する詩は110首あまり。生涯の大半を地方の幕僚として勤めたことから、友人や同僚たちとの間の応酬・離別の詩や行旅を主題とする詩が多くを占める。その詩風は、寒門の出身者であるが故の、官途の不遇から発せられた心情表現がしばしば見られることが特徴である。その一方で、詩中における自然描写は、精巧であるとともに、豊かな抒情性をたたえており、謝朓とならび、唐詩の先駆とみなされている。

○沈約(しんやく441年 - 513年) 南朝を代表する文学者、政治家。呉興武康(現在の浙江省武康県)の人。字は休文。沈氏は元来軍事で頭角を現した江南の豪族であるが、沈約自身は幼いときに父を孝武帝に殺されたこともあり、学問に精励し学識を蓄え、宋・斉・梁の3朝に仕えた。南斉の竟陵王蕭子良の招きに応じ、その文学サロンで重きをなし、「竟陵八友」の一人に数えられた。その後蕭衍(後の梁の武帝)の挙兵に協力し、梁が建てられると尚書令に任ぜられ、建昌県侯に封ぜられた。晩年は武帝の不興をこうむり、憂愁のうちに死去したという。その彼が若い「何遜」に対して、「吾れ卿の詩を読む毎に一日に三復するも猶お己む能わず」と絶賛したという(『梁書』何遜伝)。「憐」は対象に対して深く心を惹かれること。気の毒に思うの意味はその一部に過ぎない。 


○范雲 (はんうん451 – 503年) 南朝の梁を代表する文人。字は彦龍。451年(元嘉8年)、南郷舞陽(現在の河南省沁陽)で生まれる。斉及び梁に仕え、竟陵王蕭子良八友のひとりに数えられ、蕭衍を沈約と共に助けた。永明10年(492年)、蕭琛と共に北魏に派遣された際には孝文帝の称賞を受けている。梁では尚書左僕射(502年からは尚書右僕射)に任じられ、その清麗な風格の詩風は当時から高い評価を受けた。503年(天監2年)没。




*******参考*******

『洛神の賦』 曹植

この作品の制作動機については、古来有名な説がある。『文選』李善注が引く『感甄記』によると、この洛水の女神のモデルは兄曹丕の妻甄氏であるという。 甄氏(182~221)は、曹操と対立していた袁紹の次男袁熙の妻だった。しかし、袁氏の本拠地鄴を落とした時、曹丕が自分の妻にした。この時、曹植も彼女を妻にと望んだが、結局叶えられなかった。 時は流れて、甄氏は曹丕の寵愛が衰えたため、不幸にも死を賜わった。 甄氏の死後、曹植が洛陽に参内したところ、文帝は、甄氏の枕を取り出し、それを弟に与え、曹植はそれを見て涙を流した。その帰途、曹植が洛水にさしかかった時、甄氏の幻影が現われ、彼女も本当は曹植を愛していたと伝えた。甄氏の姿が消えた後、曹植は感極まって、この賦を作ったという。よって、この賦のタイトルは、最初『感甄賦』だったが、明帝(曹丕と甄氏の息子)の目に触れるところとなり『洛神賦』に改められた


・・・・・・・・・・・・・・・

其形也、翩若驚鴻、婉若遊寵、榮曜秋菊、華茂春松。』

髣髴兮若輕雲之蔽月、飄颻兮若流風之迴雪、遠而望之、皎若太陽升朝霞、迫而察之、灼若芙蓉出淥波。』

襛繊得衷、脩短合度。
肩若削成、腰如約素、廷頸秀項、皓質呈露。芳澤無加、鉛筆弗御、雲髻峩峩、脩眉聯娟。
丹脣外朗、皓齒内鮮、明眸善睞、靨輔承權。瓌姿豔逸、儀靜體閑。柔情綽態、媚於語言。
奇服曠世、骨像應圖。』

披羅衣之璀粲兮、珥瑤碧之華琚、戴金翠之首飾、綴明珠以耀躯。踐遠遊之文履、曳霧綃之輕裾、微幽蘭之芳藹兮、歩踟蹰於山隅。 』

・・・・・・・・・・・・


其の形や、翩たること驚鴻の若く、婉たること遊寵の若し、秋菊より栄曜き、春松より華やかに茂る。』

髣髴たること軽雲の月を蔽うが若く、飄颻たること流風の雪を迴らすが若し、遠くして之を望めば、皎 太陽の朝霞より升るが若し、迫りて之を察れば、灼として芙蓉の淥波より出づるが若し。』

襛繊 衷ばを得、脩短 度に合す。肩は削り成せるが若く、腰は素を如約ねたるが如し、廷びたる頸 秀でたる項、皓き質 呈露す。芳澤 加うる無く、鉛筆 御せず、雲髻 峩峩として、脩眉 聯娟たり。丹脣 外に朗り、皓齒 内に鮮やか、明眸 善く睞し、靨輔 権に承く。瓌姿は豔逸にして、儀は静かに体は閑なり。柔情 綽態、語言に媚あり。奇服 曠世にして、骨像 図に応ず。』

羅衣の璀粲たるを披り、瑤碧の華琚を珥にし、金翠の首飾りを戴き、明珠を綴りて以て躯を耀かす。遠遊の文履を踐み、霧綃の軽裾を曳き、幽蘭の芳藹たるに微れ、歩みて山隅に踟蹰す。』  



その姿かたちは、不意に飛びたつこうのとりのように軽やかで、天翔る竜のようにたおやか。秋の菊よりも明るく輝き、春の松よりも豊かに華やぐ。』

うす雲が月にかかるようにおぼろで、風に舞い上げられた雪のように変幻自在。遠くから眺めれば、その白く耀く様は、太陽が朝もやの間から昇って来たかと思うし、近付いて見れば、赤く映える蓮の花が緑の波間から現われるようにも見える。』

肉付きは太からず細からず、背は高からず低からず、肩は巧みに削りとられ、白絹を束ねたような腰つき、長くほっそり伸びたうなじ、その真白な肌は目映いばかり。香ぐわしいあぶらもつけず、おしろいも塗っていない。豊かな髷はうず高く、長い眉は細く弧を描く。朱い唇は外に輝き、白い歯は内に鮮やか。明るい瞳はなまめかしく揺らめき、笑くぽが頬にくっきり浮かぶ。たぐい稀な艶やかさ、立居振舞いのもの静かでしなやかなことこの上ない。なごやかな風情、しっとりした物腰、言葉づかいは愛らしい。この世のものとは思われない珍しい衣服をまとい、その姿は絵の中から抜け出してきたかのよう。』

きらきらひかる薄絹を身にまとい、美しく彫刻きれた宝玉の耳飾りをつけ、頭上には黄金や翡翠の髪飾り、体には真珠を連ねた飾りがまばゆい光を放つ。足には「遠遊」の刺繍のある履物をはき、透き通る絹のもすそを引きつつ、幽玄な香りを放つ蘭の辺りに見え隠れし、ゆるやかに山の一隅を歩んでいく。
 

さて、甄(けん)氏は曹丕との間に、息子の曹叡(そうえい)を産んでいる。曹植がひそかに甄氏を恋していたことは、曹叡にも気づかれていたと思う。なぜなら曹植が作った「感甄(けん)賦」を、後に名を「洛神賦」と改めたのは、曹叡自身であったからだ。曹叡は、母が殺されたことを片時も忘れることはなかった。
 


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