中唐詩人選集【Ⅰ李商隠-150】Ⅱ韓退之(韓愈)Ⅶ孟郊(東野)  漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩 訳注解説ブログ

Ⅰ李商隠は難解詩といわれている。約150首紹介済。(晩唐詩人) Ⅱ韓退之(韓愈)-約500首Ⅶ孟郊、中唐の詩人を掲載中。万物の性(さが)をテーマにした哲学的な詩。このブログは基本的に中唐詩人を中心にして掲載する予定。 韓愈詩文のこれまでの掲載分とこれから掲載予定分を時系列で整理した2014.3.29のブログに集約してそこから各年次を見ることができる  kanbuniinkai 検索で、《漢文委員会HP05》サイトあります。漢詩唐詩を理解するための総合サイト:≪漢文委員会 漢詩07≫。

少し、マニアックな晩唐詩人Ⅰ-李商隠150首をまず掲載済み。中唐は盛唐詩人(孟浩然・王維、杜甫、李白)を受け継いだ多様な詩人が出ている。この時代も驚くほど詩が発展している。Ⅱ韓退之(韓愈)500首、Ⅲ柳宗元40首、Ⅳ韋応物、Ⅴ劉長卿、Ⅵ韋荘、Ⅶ孟郊(孟東野)、Ⅷ張籍、Ⅸ賈島、Ⅹ劉禹錫、ほか2012~2020年の予定で気長に進める。同じ中唐ではあるが、白居易のグループについては、李白のブログ350首(2015/6月再開~2018/夏・秋月予定)の後掲載の予定。別に杜甫詩ブログ1500首(2011/7月~2018/8月の予定で)を進行中。詩数につぃては、予定の詩数より多くなる。気まぐれなところがあるのでこの予定が少し変わる場合があり、その節はご容赦ください。                 古詩・謝霊運詩 杜甫詩 韓愈詩 花間集500首全詩 それぞれ毎日ブログしています。 このブログ、索引=語句の「検索」 参考書以上掲載。漢詩力up。

其二

燕臺詩四首 其二 夏#2 李商隠131 紀頌之の漢詩ブログ李商隠特集150- 130-#2

燕臺詩四首 其二 夏#2 李商隠131 紀頌之の漢詩ブログ李商隠特集150- 130-#2

燕臺詩(えんだいし) 四首 李商隠

棄てられた芸妓のこと、思いが伝わらない芸妓、そのやるせない思いは政治の中で正当に評価されなかったものとおなじなのだ。舞台は燕の国の王朝、実際には唐王朝の淫乱、頽廃、そして陰湿な讒言など、四季に分けて詠っている。恋歌とみせかけ、その裏にこっそりと王朝批判をしている。


其 二
前閣雨簾愁不巻、後堂芳樹陰陰見。
石城景物類黄泉、夜半行郎空柘彈。」
綾扇喚風閶闔天、軽帷翠幕波淵旋。
蜀魂寂寞有伴未、幾夜瘴花開木棉。』-
#1
桂宮流影光難取、嫣薫蘭破軽軽語。
月の宮から月影は漏れるけれどその光に触れることはもうできない。あの楊貴妃のかぐわしい蘭は微笑み、ひそやかな言葉「七夕笑牽牛」(七夕に牽牛を笑う)とつぶやいたのだ。の宮から月影は漏れるけれどその光に触れることはもうできない。あの楊貴妃のかぐわしい蘭は微笑み、ひそやかな言葉をつむぎ出す。
直教銀漢堕懐中、未遣星妃鎭來去。」
牽牛と織姫の伝説はあるが、いっそのこと、自分の子の妃である織姫を銀河ごと自分の懐中に引き込ませた玄宗であった、そしてそのまま織女をなんにもなかったかのようにずっと引き留めておいたのだ。
濁水清波何異源、済河水清黄河渾。
濁流も清流もその源になんの違いがあるのか。それなのに済河の流れは清く黄河は濁っているというのだろう。
安得薄霧起緗裙、手接雲輧呼大君。』-
#2
どうすれば叶うのだろう、浅黄色の裳にうっすらと霞がおおっているなかに立つ人がいる、空翔る車に娘を差出し、親しく「太君」と呼びかけている。
右夏

巻、見。彈。/天、旋。棉。』/取、語。去。/源、渾。君。

其の二
前閣の雨簾 愁いて巻かず、後堂の芳樹 陰陰として見ゆ。
石城の景物 黄泉に類し、夜半の行郎 空しく柘彈(しゃだん)す。
綾扇(りょうせん) 風を喚ぶ 閶闔(しょうこう)の天、軽帷(けいい) 翠幕(すいばく) 波 淵旋(えんせん)す。
蜀魂(しょくこん) 寂寞(せきばく)たり 伴有るや未だしや、幾夜か 瘴花(しょうか)を 木棉(もくめん)を開く。』

#2
桂宮 影を流すも光は取り難し、嫣薫(えんくん)として蘭は破る 軽軽たる語。
直 (ただ) 銀漢(ぎんかん)をして懐中に堕とさしめ、未だ星妃(せいひ)をして鎭(とわ)に来去(らいきょ)せしめず。
濁水(だくすい) 清波(せいは) 何ぞ源を異にするや、済河(せいか)は水清く 黄河は渾(にご)る。
安くんぞ得ん 薄霧(はくむ) 緗裙(しょうくん)に起こり、手ずから雲輧(うんべい)に接して太君と呼ぶを。
右夏

燕臺詩四首 其二 夏#2 現代語訳と訳註
(本文)

桂宮流影光難取、嫣薫蘭破軽軽語。
直教銀漢堕懐中、未遣星妃鎭來去。」
濁水清波何異源、済河水清黄河渾。
安得薄霧起緗裙、手接雲輧呼大君。』-#2
右夏

(下し文) #2
桂宮 影を流すも光は取り難し、嫣薫(えんくん)として蘭は破る 軽軽たる語。
直 (ただ) 銀漢(ぎんかん)をして懐中に堕とさしめ、未だ星妃(せいひ)をして鎭(とわ)に来去(らいきょ)せしめず。
濁水(だくすい) 清波(せいは) 何ぞ源を異にするや、済河(せいか)は水清く 黄河は渾(にご)る。
安くんぞ得ん 薄霧(はくむ) 緗裙(しょうくん)に起こり、手ずから雲輧(うんべい)に接して太君と呼ぶを。


(現代語訳) (桂宮は玄宗と楊貴妃の宮殿、 梧桐の葉のもとで)
月の宮から月影は漏れるけれどその光に触れることはもうできない。あの楊貴妃のかぐわしい蘭は微笑み、ひそやかな言葉「七夕笑牽牛」(七夕に牽牛を笑う)とつぶやいたのだ。牽牛と織姫の伝説はあるが、いっそのこと、自分の子の妃である織姫を銀河ごと自分の懐中に引き込ませた玄宗であった、そしてそのまま織女をなんにもなかったかのようにずっと引き留めておいたのだ。
濁流も清流もその源になんの違いがあるのか。それなのに済河の流れは清く黄河は濁っているというのだろう。
どうすれば叶うのだろう、浅黄色の裳にうっすらと霞がおおっているなかに立つ人がいる、空翔る車に娘を差出し、親しく「太君」と呼びかけている。



(訳注)#2
桂宮流影光難取、嫣薫蘭破軽軽語。

月の宮から月影は漏れるけれどその光に触れることはもうできない。あの楊貴妃のかぐわしい蘭は微笑み、ひそやかな言葉「七夕笑牽牛」(七夕に牽牛を笑う)とつぶやいたのだ。
桂宮 月の中には桂の木があると伝えられることから月の宮をいう。梧桐の葉に棲む鳳凰のつがい。玄宗と楊貴妃。○嫣薫 色あざやなに香高イランのような女性が微笑む。 嫣:にっこりほほえむ。色あざやかなさま。美女の笑うさま。薫り高い蘭の花が開くのと女性がにっこりほほえみながら口を開くのとを重ねる。楊貴妃を言う。「七夕笑牽牛」李商隠『馬嵬』馬嵬二首(絶句) 李商隠 :kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ李商隠特集 50


直教銀漢堕懐中、未遣星妃鎭來去。」
牽牛と織姫の伝説はあるが、いっそのこと、自分の子の妃である織姫を銀河ごと自分の懐中に引き込ませた玄宗であった、そしてそのまま織女をなんにもなかったかのようにずっと引き留めておいたのだ。
銀漢 天の川。○星妃 織女。○ 常に、永遠に。二句は天の川を懐中に入れることによって織女を自分のもとに引き留めておきたいの意。

濁水清波何異源、済河水清黄河渾。
濁流も清流もその源になんの違いがあるのか。なのに済河の流れは清く黄河は濁っているというのだろう。
済河水清 済水と黄河は古代の四溝(四つの大河)に数えられる。済水は清く黄河は濁っていたとされる。『戦国策』燕策に「斉に清済と濁河有り」。済水は河南省済源県に発して東流し、海に流れ込んでいたが、のちに黄河と重なって、今では一部がのこるのみ。済水(さいすい)は、中国河南省済源市区西北に源を発している。済源市の名称はまさにここからきている。俗称は大清河。済水は、古来はほかの大河と交わらず海に流れており、江水(長江)、河水(黄河)、淮水(淮河)とともに「華夏四瀆」と称された。済水の水源地は、済源市の済瀆廟(さいとくびょう)。黄河が流れを変えた為、今日の黄河下流は当時の済水の河道である。済水の流れは済源市を発し済南市で黄河に交わる。
現在の黄河と渭水の合流点でも清濁、はっきりしている。どちらにしても王朝内の清濁は儒教者の精に対して、淫乱、頽廃の宮廷は濁水ということである。


安得薄霧起緗裙、手接雲輧呼太君。』
どうすれば叶うのだろう、浅黄色の裳にうっすらと霞がおおっているなかに立つ人がいる、空翔る車に娘を差出し、親しく「太君」と呼びかけている。
緗裙 浅黄色の絹でこしらえた裳。○雲輧 雲輧はとばりで囲った女性の乗る車。仙女にみたてるので「雲」の語を冠する。○太君 高級官僚の妻の称号であるが、ここでは仙女の意味で用いる。楊貴妃は女道士「太真」と呼ばれてその後「貴妃」となった。
縑緗 書物の表装に使う薄い絹。また、書物・書籍。
「天宝十五載六月十四日、近衛兵は禍の根は楊貴妃にあると、憤怒していっせいに馬を駐め、楊貴妃がくびり殺されるまで、もはや前に進もうとはしなかった。かつて七夕の宵、高楼によりそいつつ、玄宗と場景妃は、一年に一度しか織女にあえぬ牽牛の運命を笑い、瀬世夫婦となって共に住もうと誓い合ったのだったが。」
右 夏のうた

○詩型 七言古詩。
○押韻 巻、見。彈。/天、旋。棉。』/取、語。去。/源、渾。君。



鸞鳳 現代語訳と訳註 解説
(本文)
舊鏡鸞何處、衰桐鳳不棲。
金銭饒孔雀、錦段落山雞。
王子調清管、天人降紫泥。
豈無雲路分、相望不應迷。

舊鏡鸞何處、衰桐鳳不棲。
古い曇った鏡がある、そこに姿を映して鳴き続けていた鸞はどこへ行ったのだろうか。枯れ衰えた桐には、もう鳳凰が棲みつくことなどありはしないのだ。
○舊鏡鸞何處 ・鸞という鳥は鐘に映った自分の姿を見て絶命するまで鳴き続ける。

陳後宮 李商隠:kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ李商隠特集 53
○衰桐鳳不棲 鳳凰は梧桐の木に棲むとされる。『詩経』大雅・巻阿に「鳳凰鳴けり、彼の高岡に。梧桐生ぜり、彼の朝陽に」。その鄭玄の箋に「鳳凰の性は、梧桐に非ざれは棲まず。竹の実に非ざれは食わず」。
・梧桐 こどう 立秋の日に初めて葉を落とす。大きな葉を一閒一枚落としてゆく青桐は凋落を象徴するもの。特に井戸の辺の梧桐は砧聲と共に秋の詩には欠かせない。李煜「采桑子其二」李煜「烏夜啼」温庭筠「更漏子」李白「贈舎人弟台卿江南之」李賀「十二月楽詞」などおおくある。玄宗と楊貴妃を喩える場合もある。


牡丹 
錦幃初巻衛夫人、繍被猶堆越鄂君。
垂手亂翻雕玉佩、折腰争舞鬱金裙。
石家蝋燭何曾剪、筍令香櫨可待薫。
我是夢中傳彩筆、欲書花片寄朝雲。

牡丹 李商隠22七言律詩


馬嵬二首 李商隠
馬嵬 絶句
冀馬燕犀動地来、自埋紅粉自成灰。
君王若道能傾国、玉輦何由過馬嵬。

馬嵬
海外徒聞更九州、他生未卜此生休。
空間虎旅鳴宵拆、無復鶏人報暁籌。
此日六軍同駐馬、當時七夕笑牽牛。
如何四紀為天子、不及慮家有莫愁。
唐というこの九州よりなる大世界の外に、神仙世界の九州さらにあると玄宗は道教の修験者から聞いていた。だがそれは聞いただけのこと、次の未来生のどこで生れかわるかわからいままに、ここで人生は終わってしまった。
落ち伸びたこの馬蒐の地で兵士たちに迫られて、来世をともに誓った愛妃をうしない、王車守衛の兵士のならす宵の拍子木をも、むなしく一人で聞かねはならなかった。朝になっても、逃げ延びる最中でのことゆえ鶏をかたどった朱の冠をかむり寝所にまで夜明けの時を知らせる守衛の者もいなかった。
この日、天宝十五載六月十四日、近衛兵は禍の根は楊貴妃にあると、憤怒していっせいに馬を駐め、楊貴妃がくびり殺されるまで、もはや前に進もうとはしなかった。かつて七夕の宵、高楼によりそいつつ、玄宗と場景妃は、一年に一度しか織女にあえぬ牽牛の運命を笑い、瀬世夫婦となって共に住もうと誓い合ったのだったが。
四紀、凡そ五十年にわたる年月の間、天子として九州に君臨しておりながら、どうしたことか、洛陽の富家、盧姓の者が、「十五にして嫁し十六にして子を産んだ。」と古い歌謡にも歌われる、その名もめでたき莫愁なる美女を迎え入れて過したその幸福さに及ばないのは。

馬嵬二首(絶句) 李商隠 :kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ李商隠特集 50

燕臺詩四首 其二 夏#1 李商隠130 紀頌之の漢詩ブログ李商隠特集150- 130-#1

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燕臺詩(えんだいし) 四首 李商隠


棄てられた芸妓のこと、思いが伝わらない芸妓、そのやるせない思いは政治の中で正当に評価されなかったものとおなじなのだ。舞台は燕の国の王朝、実際には唐王朝の淫乱、頽廃、そして陰湿な讒言など、四季に分けて詠っている。恋歌とみせかけ、その裏にこっそりと王朝批判をしている。



其 二
前閣雨簾愁不巻、後堂芳樹陰陰見。
向こう側に楼閣がある雨は簾となって鬱々と降り注ぎやむことがない、その後方の奥の離れ座敷には芳しい木々の陰湿でくらい影が映っている。
石城景物類黄泉、夜半行郎空柘彈。」
ここ石城を舞台にして数々の悲劇がおこされた、その風景は黄泉の国なのだ、そんなところに深夜になっても遊客の一人はせっかく打ったはじきが空しくおわっている。
綾扇喚風閶闔天、軽帷翠幕波淵旋。
あや絹の扇は「天下を治めるところ」というおつげの風を呼びおこしている閶闔門は天界の門となる、奥の座敷では軽やかなとばり、翡翠のとばりの中に淵が波を打っている大皿が回っている。
蜀魂寂寞有伴未、幾夜瘴花開木棉。』-#1

蜀の望帝の春を思う心は、血を吐いて悲しげになく杜鵑に魂を托し、そんな血を吐きながら啼く思いにお供をする者がおりはしない。幾晩も、南国の地から来た花は木綿の実をひらかせたのだ。
桂宮流影光難取、嫣薫蘭破軽軽語。
直教銀漢堕懐中、未遣星妃鎭來去。」
濁水清波何異源、済河水清黄河渾。
安得薄霧起緗裙、手接雲輧呼大君。』-#2
右夏

巻、見。彈。/天、旋。棉。』/取、語。去。/源、渾。君。

其の二
前閣の雨簾 愁(うれい)て巻かず、後堂の芳樹 陰陰として 見 ゆ。
石城の景物 黄泉に類し、夜半の行郎 空しく柘彈(しゃだん)す。
綾扇(りょうせん) 風を喚(よぶ) 閶闔(しょうこう)の天、軽帷(けいい) 翠幕(すいばく) 波 淵旋(えんせん)す。
蜀魂(しょくこん) 寂寞(せきばく)たり 伴有るや未だしや、幾夜か 瘴花(しょうか)を 木棉(もくめん)を開く。』
#2
桂宮 影を流すも光は取り難し、嫣薫として蘭は破る 軽軽たる語。
直だ銀漢をして懐中に堕(おと)さしめ、未だ星妃をして鎭に来去せしめず。
濁水 清波 何ぞ源を異にするや、済河は水清く 黄河は渾る。
安くんぞ得ん 薄霧 緗裙に起こり、手ずから雲輧に接して太君と呼ぶを。
右夏


燕臺詩四首 其二-#1 現代語訳と訳註
(本文)其二-#1

前閣雨簾愁不巻、後堂芳樹陰陰見。
石城景物類黄泉、夜半行郎空柘彈。」
綾扇喚風閶闔天、軽帷翠幕波淵旋。
蜀魂寂寞有伴未、幾夜瘴花開木棉。』
 
(下し文)
前閣の雨簾 愁(うれい)て巻かず、後堂の芳樹 陰陰として 見 ゆ。
石城の景物 黄泉に類し、夜半の行郎 空しく柘彈(しゃだん)す。
綾扇(りょうせん) 風を喚(よぶ) 閶闔(しょうこう)の天、軽帷(けいい) 翠幕(すいばく) 波 淵旋(えんせん)す。
蜀魂(しょくこん) 寂寞(せきばく)たり 伴有るや未だしや、幾夜か 瘴花(しょうか)を 木棉(もくめん)を開く。』

(現代語訳)
向こう側に楼閣がある雨は簾となって鬱々と降り注ぎやむことがない、その後方の奥の離れ座敷には芳しい木々の陰湿でくらい影が映っている。
ここ石城を舞台にして数々の悲劇がおこされた、その風景は黄泉の国なのだ、そんなところに深夜になっても遊客の一人はせっかく打ったはじきが空しくおわっている。
あや絹の扇は「天下を治めるところ」というおつげの風を呼びおこしている閶闔門は天界の門となる、奥の座敷では軽やかなとばり、翡翠のとばりの中に淵が波を打っている大皿が回っている。
蜀の望帝の春を思う心は、血を吐いて悲しげになく杜鵑に魂を托し、そんな血を吐きながら啼く思いにお供をする者がおりはしない。幾晩も、南国の地から来た花は木綿の実をひらかせたのだ。


(訳注)其 二 夏
前閣雨簾愁不巻、後堂芳樹陰陰見。
向こう側に楼閣がある雨は簾となって鬱々と降り注ぎやむことがない、その後方の奥の離れ座敷には芳しい木々の陰湿でくらい影が映っている。
前閣右 向こう側にある雨の降り込める様子を簾にたとえ、簾にたとえたので雨が降り続くのを巻き上げないと比喩する。○陰陰 薄暗い様子。

南 朝   李商隠
地險悠悠天險長、金陵王気應瑤光。
休誇此地分天下、只得徐妃半面粧。

景陽井
景陽宮井剰堪悲、不盡龍鸞誓死期。
腸断呉王宮外水、濁泥猶得葬西施。


陳後宮   李商隠
茂苑城如畫、閶門瓦欲流。
還依水光殿、更起月華棲。
侵夜鸞開鏡、迎冬雉獻裘。
従臣皆牛酔、天子正無愁。


石城景物類黄泉、夜半行郎空柘彈。」
石城を舞台にして数々の悲劇がおこされた、その風景は黄泉の国なのだ、そんなところに深夜になっても遊客の一人はせっかく打ったはじきが空しくおわっている。
石城 南京郊外の200年頃孫権によって作られた石頭城。石城の意味は、それから150年後の六朝の莫愁にかかわるもの。ここでは。
無名氏の楽府「莫愁楽」其一
莫愁在何処。莫愁は何処にありや。
莫愁石城西。莫愁は石城の西にあり。
艇子打両槳、艇子、両槳(りょうしょう)を打して、
催送莫愁来。莫愁を催送して来たれ。

其二
聞勧下揚州、勧(きみ)が揚州に下ると聞きて、
相送楚山頭。相送る 楚山の頭(ほとり)。
探手抱腰看、手を探りて腰を抱き看よ、
江水断不流。江水、断じて流れず。


李商隠『無題』
重帷深下莫愁堂、臥後清宵細細長。
紳女生涯原是夢、小姑居処本無郎。
風波不信菱枝弱、月露誰敦桂葉香。
直道相思了無益、未妨啁悵是清狂。


莫愁 古くから楽府に歌われる郢州(湖北省)石城の美女の名であるが、李商隠は梁の武帝蕭衍(464-549)の楽府によると蘆氏に嫁いだ洛陽の女児のこと。○黄泉 死者の住む地底の世界。○行郎 行人、遊客。石城の莫愁と対になる男。妓女をまっている。○柘彈 柘(ヤマグワ)の枝で作ったはじき。


綾扇喚風閶闔天、軽帷翠幕波淵旋。
あや絹の扇は「天下を治めるところ」というおつげの風を呼びおこしている閶闔門は天界の門となる、奥の座敷では軽やかなとばり、翡翠のとばりの中に淵が波を打っている大皿が回っている。
綾扇 あやぎぬの扇。夏に結びつく物。○閶闔 天界の門。閶闔門は蘇州城(呉城)の西北門で、「閶闔門」(しょうこうもん)が正式の名。この門は運河を舟で来た人が蘇州に入る場合の正門で、城楼から城内を見わたすと、眼下に蘇州一の賑やかな街並みが見下ろせる。門外は渡津になっており、運河を航行してきた舟がひしめき合って停泊する。呉の都の門。陳後宮 李商隠:kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ李商隠特集 53
河内詩二首其二(湖中) 抜粋
閶門日下呉歌遠、陂路淥菱香満満。
後渓暗起鯉魚風、船旗閃断芙蓉幹。』

河内詩二首 李商隠 紀頌之の漢詩ブログ李商隠特集150- 126
李商隠はこの語を使用するのに展開との辛味で使っていない。商売で交通する船、遊郭に入っていく船を意味する場合に使っている。○軽帷翠幕 李商隠「無題』「重帷深下莫愁堂」と囲って出られない重いとばりでなく軽いとばり、「帷」も「幕」も布の仕切りで暖簾、幔幕。「帷」はベッドの周囲に、「幕」は部屋の周囲に垂らす。○波淵 大皿の淵が波を打っているもの李商隠はイメージを作るための道具、比喩として用いる。


蜀魂寂寞有伴未、幾夜瘴花開木棉。』
蜀の望帝の春を思う心は、血を吐いて悲しげになく杜鵑に魂を托し、そんな血を吐きながら啼く思いにお供をする者がおりはしない。幾晩も、南国の地から来た花は木綿の実をひらかせたのだ。
蜀魂 蜀の望帝の化身である「啼いて血を吐く杜鵑。」「李商隠1錦瑟」詩注参照。
錦瑟無端五十弦、一弦一柱思華年。
莊生曉夢迷蝴蝶、望帝春心托杜鵑。
滄海月明珠有涙、藍田日暖玉生煙。
此情可待成追憶、只是當時已惘然。

古代中国・蜀の望帝が、臣下の妻に恋して、その為に亡びた時、 ほととぎすが啼いたので人々は ほととぎすを蜀帝の魂の化した 鳥として、こう記す。○瘴花 熱帯の花。瘴は瘴癘、南方熱帯の地に満ちる気。○木綿 花が咲き実できその身が割れると真っ白な素肌が出てくる。

漫成五章 其二 李商隠 紀頌之の漢詩ブログ李商隠特集150- 105

漫成五章 其二 李商隠 紀頌之の漢詩ブログ李商隠特集150- 105


漫成五章 其二
李杜操持事畧齊、三才萬象共端倪。
李白、杜甫の筆さばき、その力量は肩を並べる。天、地、人あるいは太陽、月、星の三才、森羅万象、すべてをかすかな兆しまではかりしり、表現されている。
集仙殿興金鑾殿、可是蒼蝿惑曙雞。

天子の集仙殿と金鑾殿は厳かにある、そこで二人はそれぞれ天子の謁見を受けた、暁の朝礼で鶏の声、裏方である小うるさい青蝿よって消されてしまうことになっているはずなのだ。



其の二

李杜の操持 事 略(ほぼ)斉(ひとし)、三才 万象 共に端促(たんげい)す。

集仙殿と金鑾殿と、是れ蒼蝿(そうよう)の曙鶏(しょけい)を惑(まど)わすべけんや。




漫成五章 其二 現代語訳と訳註 解説
(本文)

李杜操持事畧齊、三才萬象共端倪。
集仙殿興金鑾殿、可是蒼蝿惑曙雞。

(下し文)
李杜の操持 事 略(ほぼ)斉(ひとし)、三才 万象 共に端促(たんげい)す。
集仙殿と金鑾殿と、是れ蒼蝿(そうよう)の曙鶏(しょけい)を惑(まど)わすべけんや。


(現代語訳)
李白、杜甫の筆さばき、その力量は肩を並べる。天、地、人あるいは太陽、月、星の三才、森羅万象、すべてをかすかな兆しまではかりしり、表現されている。
天子の集仙殿と金鑾殿は厳かにある、そこで二人はそれぞれ天子の謁見を受けた、暁の朝礼で鶏の声、裏方である小うるさい青蝿よって消されてしまうことになっているはずなのだ。



李杜操持事畧齊、三才萬象共端倪。
李白、杜甫の筆さばき、その力量は肩を並べる。天、地、人あるいは太陽、月、星の三才、森羅万象、すべてをかすかな兆しまではかりしり、表現されている。
李杜 李白と杜甫。盛唐を代表する詩人。韓愈「張張籍」(李杜文章在り、光焔万丈長し。)○操持 手で扱う。ここでは筆墨を手にすることをいう。〇三才 天、地、人。太陽、月、星。○万象 森羅万象、世界のすべての物。○端倪 端緒、きざし。端はいとぐち、倪ははて。はかりしること。『荘子』大宗師篇に「終始を反復して端悦を知らず」。ここでは動詞として、わずかなきざしをも捉えること。韓愈は「薦士」の中で、「国朝文章の盛なる、子昂始めて高踏し、勃興李杜を得て、万類は陵暴に困しむ」と言う。これは陳子昂を先駆者とし、李白の復古主義への貢献も含めての評価をしている。


集仙殿興金鑾殿、可是蒼蝿惑曙雞。
天子の集仙殿と金鑾殿は厳かにある、そこで二人はそれぞれ天子の謁見を受けた、暁の朝礼で鶏の声、裏方である小うるさい青蝿よって消されてしまうことになっているはずなのだ。
集仙殿・金鑾殿 ともに朝廷の宮殿の名。「集仙殿」はのちに集賢殿と改名された。杜甫は「三大礼賦」を献じて玄宗に称賛され、「集賢殿」に待機することを命じられた。李白は賀知章の推挽を受けて「金鑾殿」で玄宗の謁見を受けた。二つの宮殿は二人の詩人が玄宗の知遇を得た場所であったが、結局二人ともその好機を生かして重用されることはなかった。○可是 ~だろうか。○蒼蝿惑曙鶏 『詩経』斉風・鶏鳴、「鶏既に鳴く、朝既に盈つ。鶏則ち鳴くに匪ず、蒼蝿の声」 にもとづく。鶏が鳴くので夜が明けたかと思ったら、蝿の羽音だったという。ここでは李白を宮中から追い出した高力士、杜甫を認めなかった李林甫などの無学の物がかしましく騒ぎ立てて、二人を宮中から追放したことをいう。



(解説)
○詩型 七言絶句。
○押韻 斉、倪、鶏。


711年玄宗は高力士らの手を借りてクーデターを成功させた。宦官は一気に力を持つようになり、朝臣、張説、張九齢は失脚し、李林甫は宦官の手を借り朝廷を牛耳った。玄宗は一芸に秀でたものを集めたが李林甫は文学の詩を嫌った。これより、宦官と無学が唐王朝の中枢をなす。この詩は盛唐期に入って、詩のレベルが変わった事、しかし、宦官と無学によって妨げられたとしている。朝廷における朝礼を鶏に喩え、うるさく飛び交う青ばえを宦官に喩えている。唐王朝初期に60名くらいの宦官が李商隠の時代には5千名を超えていたという。



盛唐期
唐代の最盛期を反映し、多くの優れた詩人を輩出した時期である。修辞と内容が調和した詩風は、それまでの中国詩歌の到達点を示している。代表的詩人には、中国詩歌史上でも最高の存在とされる李白と杜甫を頂点として、王維・孟浩然・岑参・高適・王昌齢などがいる。



李白 701年 - 762年 中国最大の詩人の一人。西域で生まれ、綿州(四川省)で成長。字(あざな)は太白(たいはく)。号、青蓮居士。玄宗朝に一時仕えた以外、放浪の一生を送った。好んで酒・月・山を詠み、道教的幻想に富む作品を残した。詩聖杜甫に対して詩仙とも称される。「両人対酌して山花開く、一杯一杯又一杯」「白髪三千丈、愁いに縁(よ)りて個(かく)の似(ごと)く長し」など、人口に膾炙(かいしゃ)した句が多い。

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    2011/11/3 210首掲載 -350首予定


杜甫 712年 - 770年 鞏(きょう)県(河南省)の人。字(あざな)は子美(しび)。少陵と号し、杜工部、老杜とも呼ばれる。青年時代から各地を放浪。湖南省の湘江付近で不遇の一生を終えた。現実の社会と人間を直視し、誠実・雄渾な詩を作り、律詩の完成者で詩聖と称され、詩仙と呼ばれる李白と並ぶ唐代の代表的詩人とされる。「兵車行」「春望」などは有名。

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  2011/11/3 110首掲載 -700首予定

有感二首 其二 李商隠 紀頌之の漢詩ブログ李商隠特集150- 102

有感二首 其二 李商隠 紀頌之の漢詩ブログ李商隠特集150- 102


有感二首 其 二
丹陛猶敷奏、彤庭歘戦争。
朱塗りのきざはしのもと、「甘露降る」との上奏が続いていたその時、突如、宮中の紅のお庭は戦場になり血で染まった。
臨危封盧植、始悔用龐萌。
存亡の危機に臨んだ天子は、宦官にも横暴な董卓にも抗した盧植のような忠臣を役づけた、ここにいたってはじめて光武帝の信頼を裏切った龐萌のごとき逆賊を用いたことを悔いたのだ。
御仗収前殿、兇徒劇背城。
禁軍は正殿を奪還したものの、追いつめられた叛逆徒は激戦を続けた。
蒼黄五色棒、掩遏一陽生。』
右往左往、あわてふためいて五色の警棒が振り回される。混乱は冬至に至って陽気が生じる天子の運行をも押しとどめた。
古有清君側、今非乏老成。
いにしえより、天子の家臣でありながらよこしまな家臣を一掃した例はあるものだ、今なお忠実な老臣が乏しいということではない。
素心雖未易、此擧太無名。
もともとの忠誠心に変わりがないとはいえ、このたびの振る舞いはなんの大義名分もない。
誰瞑銜冤目、寧呑欲絶聲。
罪なくして殺された人たちは、おとなしく目を閉じ、口をつぐんでいられようか。むしろ、彼らが消え入りそうな声を黙って飲み込んでしまうことなどあるものか。
近聽開壽讌、不廢用咸英。』

ところがなんと近ごろ聞いた話では、天子の生誕を祝う宴が宮廷で開かれ、「咸池」、「六英」など、恒例の歌舞音曲を控えることすらしなかったのだと。


有感二首 其 二 現代語訳と訳注


(本文)
丹陛猶敷奏、彤庭歘戦争。
臨危封盧植、始悔用龐萌。
御仗収前殿、兇徒劇背城。
蒼黄五色棒、掩遏一陽生。」
古有清君側、今非乏老成。
素心雖未易、此擧太無名。
誰瞑銜冤目、寧呑欲絶聲。
近聽開壽讌、不廢用咸英。」
  
(下し文)其の二
丹陛 猶お敷奏するに、彤庭(とうてい)歘(たちま)ち戦い争う。
危きに臨みて盧植(ろしょく)に対し、始めて悔ゆ 龐萌(ほうぼう)を用いしを。
御仗(ぎょじょう) 前殿を収め、兇徒 背城に劇す。
蒼黄たり 五色の棒、掩遏(えんあつ)す一陽生ずるを。』
古えより君側を清むる有り、今も老成乏しきに非ず。
素心 末だ易らずと雖も、此の挙 太(はなは)だ名無し。
誰か冤を銜(ふく)む目を瞑せん、寧(なん)ぞ絶えんと欲する声を呑まん。
近ごろ聞く 寿讌を開きて、咸英を用いるを廃せずと。』

  
(現代語訳)
朱塗りのきざはしのもと、「甘露降る」との上奏が続いていたその時、突如、宮中の紅のお庭は戦場になり血で染まった。
存亡の危機に臨んだ天子は、宦官にも横暴な董卓にも抗した盧植のような忠臣を役づけた、ここにいたってはじめて光武帝の信頼を裏切った龐萌のごとき逆賊を用いたことを悔いたのだ。
禁軍は正殿を奪還したものの、追いつめられた叛逆徒は激戦を続けた。
右往左往、あわてふためいて五色の警棒が振り回される。混乱は冬至に至って陽気が生じる天子の運行をも押しとどめた。
いにしえより、天子の家臣でありながらよこしまな家臣を一掃した例はあるものだ、今なお忠実な老臣が乏しいということではない。
もともとの忠誠心に変わりがないとはいえ、このたびの振る舞いはなんの大義名分もない。
罪なくして殺された人たちは、おとなしく目を閉じ、口をつぐんでいられようか。むしろ、彼らが消え入りそうな声を黙って飲み込んでしまうことなどあるものか。

 
(語訳と訳註)
丹陛猶敷奏、彤庭歘戦争。

朱塗りのきざはしのもと、「甘露降る」との上奏が続いていたその時、突如、宮中の紅のお庭は戦場になり血で染まった。
丹陛 天子の宮殿の正殿の正面階段。赤く塗られているので「丹陛」という。○敷奏 朝臣が天子に奏上すること。太和9年11月壬戌の日、左金吾衛大将軍の韓約が朝会にて、「左金吾役所(左金吾衛)裏庭の石に昨夜、甘露が降った」と上奏。○彤庭 宮中の地面は赤く塗られていたが血の色に染まった。


臨危封盧植、始悔用龐萌。
存亡の危機に臨んだ天子は、宦官にも横暴な董卓にも抗した盧植のような忠臣を役づけた、ここにいたってはじめて光武帝の信頼を裏切った龐萌のごとき逆賊を用いたことを悔いたのだ。
盧植 後漢末の忠臣。何進が昏官誅殺を謀って殺されると臣官は少帝を宮中から連れ出したが、盧植は追いかけて宦官を殺し、少帝を奪回した。また董卓が少帝を廃して陳留王(献帝)を立てようとした際、朝臣がみな黙していた時に盧植のみが断固として反対を唱えた(『後漢書』盧植伝)。ここでは令狐楚に比す。この句には「是の晩 独り故の相影陽公を召して入らしむ」の自注がある。「影陽公」は影陽郡開国公に封ぜられていた令狐楚。『旧唐書』令狐楚伝に「(李)訓の乱の夜、文宗は右僕射鄭覃と(令狐)楚を召して禁中に宿せしめ、制勅を商量す。上は皆な用て宰相と為さんと欲す」。○龐萌 後漢初期の人。龐萌は、謙遜温順な人柄により光武帝から信任と寵愛を受け、「可以託六尺之孤、可以寄百里之命、臨大節而不可奪也、君子人與、君子人也」(若い孤児を託せ(=後見を任せ)、百里四方の国の命(=政令つまり政事)を任せられるは、龐萌この人なり)とまで言わしめている。その後、龐萌は平狄将軍に任命された。任務失敗により、楚郡太守孫萌を殺害し、蓋延を撃破して、劉紆陣営に寝返ってしまう。寵臣から叛逆者へ変身した人物。ここでは鄭注、李訓を比喩している。


御仗収前殿、兇徒劇背城。
禁軍は正殿を奪還したものの、追いつめられた叛逆徒は激戦を続けた。
御杖 皇帝の儀仗兵。宦官と禁中の軍を指す。○前殿 正殿。ここでは含元殿。○背城 城を背にして死にものぐるいの戦いをする。


蒼黄五色棒、掩遏一陽生。』
右往左往、あわてふためいて五色の警棒が振り回される。混乱は冬至に至って陽気が生じる天子の運行をも押しとどめた。
蒼黄 あわてふためくさま。ここでは五色の棒にかけて、蒼、黄という色を用いた。〇五色棒 曹操は、洛陽の県尉であった若い時、五色の棒を用意して法を犯す者を厳しく取り締まり、有力な宦官蹇碩の叔父まで夜行の禁を犯したとして撲殺した。○掩遏 押さえつけて止める。〇一陽生 冬至に至って陽気が生じる。甘露の変の起こったのは陰暦十一月二十一日、冬至に近いので事件を連想させる。


古有清君側、今非乏老成。
いにしえより、天子の家臣でありながらよこしまな家臣を一掃した例はあるものだ、今なお忠実な老臣が乏しいということではない。
○清君側 君主のそばの奸臣、姦臣を除去する。○老成 経験が多く物事によく馴れている。ここでは令狐楚を指す。「老賊」にたいする「老成」。


素心雖未易、此擧太無名。
もともとの忠誠心に変わりがないとはいえ、このたびの振る舞いはなんの大義名分もない。
素心 もともとの思い。○無名 大義名分が立たない。


誰瞑銜冤目、寧呑欲絶聲。
罪なくして殺された人たちは、おとなしく目を閉じ、口をつぐんでいられようか。むしろ、彼らが消え入りそうな声を黙って飲み込んでしまうことなどあるものか。
誰瞑銜 瞑目は目を閉じるだけで何もしようとしない。銜は口を開かないこと。○冤目 冤は無実の罪。銜冤は罪もなく殺害された王渡ら朝臣を指す。○寧呑欲絶聲 「声を呑む」とは声に出せないほどの悲しみ。


近聽開壽讌、不廢用咸英。』
ところがなんと近ごろ聞いた話では、天子の生誕を祝う宴が宮廷で開かれ、「咸池」、「六英」など、恒例の歌舞音曲を控えることすらしなかったのだと。
寿讌 天子の生誕を祝う宴会。○咸英 古代の雅楽。黄帝の「咸池」と帝嚳の「六英」。 『荘子』(天運篇)に、「帝張咸池楽洞庭野」(黄帝、咸池の楽[黄帝の作った天上の音楽]を洞庭の野に張る)とある。咸池 音楽の名前。 咸は「みな」、池は「施す」を意味し、この音楽は黄帝の徳が備わっていたことを明らかにするもの。帝嚳の「六英」古代中国の伝説上の五聖君を尊称として「帝嚳」とし、六英等歌曲としてうたった。

送儲邕之武昌 李白 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白174 と玄宗(7



○詩型 五言排律。
○押韻 奏、争。萌。城。生。/成。名。聲。英。


(参考)
令狐楚(れい こそ、766年 - 837年)は、中国・唐の詩人。原籍は敦煌(甘粛省)の人。しかし、一族は早くに宜州華原(陝西省耀県)に移り住んでいたので、華原の人とも言う。字は殻士(かくし)。貞元7年(791年)の進士。太原(山西省)節度使の幕僚となって文才を徳宗に認められ、憲宗朝では中書舎人から同中書門下平章事(宰相)に至った。穆宗朝では朝廷内の派閥争いのため地方に転出、各地の節度使を歴任し、敬宗朝では一時復活したが、山南西道節度使に任ぜられて、任地の興元(陝西省南鄭)で没した。

代贈二首 其二 李商隠 紀頌之の漢詩ブログ李商隠特集150- 98

代贈二首 其二 李商隠 紀頌之の漢詩ブログ李商隠特集150- 98


其二
東南日出照高樓、樓上離人唱石州。
冬の夜長冬枯れの寂しさのただよう高楼にやっと日の出で日差しがさして来た。北方の塞の見張り台にいるだろう出征の兵士のあのひと、待ちわびる女同士では「石州」を歌い唱和している。
總把春山掃眉黛、不知供得幾多愁。
あなたのいない今、あまたの男を相手にしてきたが眉墨でまゆを画く、自分も年を取ってきた、幾多の愁いを伴ってここまで来たのだがどこまで知ってくれているだろう。


(下し文)
東南 日出でて高楼を照らす、楼上の離人 石州を唱う。
総て春山を把って眉黛を掃う、知らず 幾多の愁いを供し得たるかを。


(現代語訳)
冬の夜長冬枯れの寂しさのただよう高楼にやっと日の出で日差しがさして来た。北方の塞の見張り台にいるだろう出征の兵士のあのひと、待ちわびる女同士で「石州」を歌い唱和している。
あなたのいない今、あまたの男を相手にしてきたが眉墨でまゆを画く、自分も年を取ってきた、幾多の愁いを伴ってここまで来たのだがどこまで知ってくれているだろう。


(普通に訳すと以下のように意味不明になる。)
東南から昇った太陽が高い楼閣を照らし出す。楼の上に一人のこされた女は、別離の悲しみをうたった「石州」 の歌を口ずさむ。
あげくに春の山のかたちにまゆずみを引いてみる。なだらかに引かれたその眉はいかほどの悲しみを生んできたことか。
(同じ場所の楼閣なら、上句、下句二度云う必要はない。)


東南日出照高樓、樓上離人唱石州。
冬の夜長冬枯れの寂しさのただよう高楼にやっと日の出で日差しがさして来た。北方の塞の見張り台にいるだろう出征の兵士のあのひと、待ちわびる女同士では「石州」を歌い唱和している。
東南日出 東南の日の出は冬の日の出を示す。冬になると北方の異民族は南下して戦が激しくなった。冬の夜長の高楼にやっと日の出が来たのだ。冬枯れの寂しさの高楼。○楼上 前句の高楼と異なるもの。北方の塞の見張り台である。○離人 なじみで好きだった男が出征兵士となっている。○石州 山西省から陝西省の北部一帯を示す。若き李商隠の赴任地。万里の長城が黄河を渡る付近も入る。この地の北側はムウス砂漠である。この地は冬以外戦争はない地点である。唐代無名氏の楽府に「石州」がある。辺境の地に出征した男を待ちわびる妻の思いをうたったもの。


總把春山掃眉黛、不知供得幾多愁。
あなたのいない今、あまたの男を相手にしてきたが眉墨でまゆを画く、自分も年を取ってきた、幾多の愁いを伴ってここまで来たのだがどこまで知ってくれているだろう。
総把 全てを束にして握る。○春山 男女の情欲の気持ちのかたまり。○掃眉 まゆをかく。 ・眉黛眉毛を剃って墨で描いたまゆ。眉には年を取ってくるという意味を含む。


○詩型 七言絶句。
○押韻 楼、州、愁。


李商隠は27,28歳のころ、王茂元に招かれてこの地方に来ている。その娘を娶っている。12年後に妻が没している。また、31歳母の死で喪に服したのちは、不遇に徹した。

 「代」とは、何を表現するのであろうか。芸妓にとって代わって文を出す場合があると思えないし、喩えればなんででも表現はできるから、芸妓ではないのであろう。
 政治的な発言も直接的に表現すれば、明日の命はないのである。李商隠は自分の置かれている立場について、あるいは、劉蕡など自己の主張を堂々としていたものが次第に発言できなくなっていく状況を芸妓を使って表現しているのである。

 李商隠にとって、わかる人にわかってもらえばよいのである。だから、難解、解読不能、意味不明な詩が出現するのである。芸妓の艶情詩に載せておくったのであろう。
 そう考えてれば、李商隠の詩はとても味わい深いものとなっていくのである。裏表の二面ではなく、その裏に奥行きがあるということだ。
(詳しくは別の機会に譲る)

哭劉司戸二首其二 李商隠  :kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ李商隠特集 40

kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ李商隠特集 40 「哭劉司戸二首其二」李商隠 812~858



哭劉司戸二首 其二
有美扶皇運、無誰薦直言。
世の中広いが道端であったであって心通じた人なんてあるものではないが、勇気をもって正しいことを主張できる人に、皇帝の命運を支えることだできる唯ひとりの人だ、だが直言して推挙する人物は誰もいなかった。
己爲秦逐客、復作楚冤魂。
秦の追放令を食らって長安を追われたうえに、濡れ衣を着せられて死んだ屈原は、楚の地に非業の死を遂げたと同じようなことになってしまった。
湓浦應分振、荊江有會源。
湓浦では長江はいくつにも分かれているように官僚が党派により争っている。上流の荊江では多くの水流が一つに集まっているように宦官に対して結集しないといけないのだ。
併將添恨涙、一酒問乾坤。
せめて長江の水に恨みのこの涙を添え、そのすべてを地に洗い流して天と地に是非を問いただそう。


世の中広いが道端であったであって心通じた人なんてあるものではないが、勇気をもって正しいことを主張できる人に、皇帝の命運を支えることだできる唯ひとりの人だ、だが直言して推挙する人物は誰もいなかった。
秦の追放令を食らって長安を追われたうえに、濡れ衣を着せられて死んだ屈原は、楚の地に非業の死を遂げたと同じようなことになってしまった。
湓浦では長江はいくつにも分かれているように官僚が党派により争っている。上流の荊江では多くの水流が一つに集まっているように宦官に対して結集しないといけないのだ。
せめて長江の水に恨みのこの涙を添え、そのすべてを地に洗い流して天と地に是非を問いただそう。
 


其の二
有美は皇運を扶するも、誰の直言を薦むるも無し。
己に秦の逐客と為り、復た楚の冤魂と作る。
湓浦 応に派を分かつべし、荊江 源を会する有り。
併せて将て恨涙を添え、一たび洒ぎて乾坤に間わん。



有美扶皇運、無誰薦直言。
 世の中広いが道端であったであって心通じた人なんてあるものではないが、勇気をもって正しいことを主張できる人に、皇帝の命運を支えることだできる唯ひとりの人だ、だが直言して推挙する人物は誰もいなかった。
有美 『詩経』鄭風・野右曼草に
野右曼草   零露溥兮
有美一人   清揚婉兮
邂逅相遇   適我願兮
「美なる一人有り、清揚にして婉たり」とある。道で出会った恋の嬉しさを詠うものである。これも男の洒落であろう。「有美一人」の最初の二字を取った語。人格、能力を備えた人をいう。○皇運 皇帝の命運。○直言 諌言を呈する臣。一句は劉責が賢良方正能直言極諌科に落第させられたことをいう。


 
己爲秦逐客、復作楚冤魂。
秦の追放令を食らって長安を追われたうえに、濡れ衣を着せられて死んだ屈原は、楚の地に非業の死を遂げたと同じようなことになってしまった。
秦逐客 秦の始皇帝がまだ秦王であった紀元前237年、嫪毐(ロウアイ)の乱各地から秦に入っていた遊説の士を捜索して追放したことがあった。のちに丞相となる李斯は自分も楚の人であったので、上書して人材は広く集めるべきであると論じ、そこで「逐客令」は廃止された(『史記』秦始皇本紀)。ここでは秦の地である長安と結びつけて、劉蕡が長安から追われたことと重ねている。○楚冤魂 楚の屈原は冤罪を着せられて楚の国から追放され、汨羅に身を投じた。
天末懷李白
涼風起天末,君子意如何?
鴻雁幾時到,江湖秋水多。
文章憎命達,魑魅喜人過。
應共冤魂語,投詩贈汨羅。
杜甫「天末に李白を懐う」詩に李白がすでに死んだかと思い、「応に冤魂と共に語るべし、詩を投じて汨羅に贈らん」、黄泉の国で屈原と語り合っていることだろうという。ここでは劉蕡が都を遠く離れた南方の地で無実のまま死んだことと重ねる。



湓浦應分振、荊江有會源。
湓浦では長江はいくつにも分かれているように官僚が党派により争っている。上流の荊江では多くの水流が一つに集まっているように宦官に対して結集しないといけないのだ。
湓浦 江州薄陽(江西省九江市)の地名。塩水が長江に合流するあたり。「劉蕡を哭す」詩に「漁浦より書来たりて秋雨翻る」とあるのを劉蕡の訃報とし、湓浦で歿したとする説がある。とすれば柳州から召還されて都に戻る途上で死んだことになる。○分振 振は支流。長江は薄陽に至って九つの流れに分かれる(『漢書』地理志)。○荊江 江州より上流の荊州(湖北省荊州市)付近を流れる長江の称。○会源 長江は荊州のあたりで洞庭湖からの流れ込みをはじめとして、湖南省を流れてきた諸川が合流する。この二句は、劉蕡のまわりに集まっていた人々が次第に遠ざかっていくことをいうのと宦官に向かうべき恨みを官僚の派閥争いをしていることを示している。どうして、官僚が一致団結しないのか、と訴えている。



併將添恨涙、一洒問乾坤。
せめて長江の水に恨みのこの涙を添え、そのすべてを地に洗い流して天と地に是非を問いただそう。
併将一句 幾つもの流れが一つに合わさったり、また分流しながら流れゆく長江の水に、劉蕡の死を悼む涙を添えようの意もある。李商隠「涙」紀頌之漢詩ブログ李商隠33にいくつものの涙を詠っている。「哭劉司戸二首其二」では正論主張を中央の朝廷の中で、少数派になっていることの悔し涙か。○乾坤 天地。「乾坤に問う」とは、劉蕡が正しいのかどうかを問うとしながら、天は味方しないのかを問うの意。



○詩型・押韻 五言律詩。言、源、魂、坤。

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