燕臺詩四首 其二 夏#2 李商隠131 紀頌之の漢詩ブログ李商隠特集150- 130-#2
燕臺詩(えんだいし) 四首 李商隠
棄てられた芸妓のこと、思いが伝わらない芸妓、そのやるせない思いは政治の中で正当に評価されなかったものとおなじなのだ。舞台は燕の国の王朝、実際には唐王朝の淫乱、頽廃、そして陰湿な讒言など、四季に分けて詠っている。恋歌とみせかけ、その裏にこっそりと王朝批判をしている。
其 二
前閣雨簾愁不巻、後堂芳樹陰陰見。
石城景物類黄泉、夜半行郎空柘彈。」
綾扇喚風閶闔天、軽帷翠幕波淵旋。
蜀魂寂寞有伴未、幾夜瘴花開木棉。』-#1
桂宮流影光難取、嫣薫蘭破軽軽語。
月の宮から月影は漏れるけれどその光に触れることはもうできない。あの楊貴妃のかぐわしい蘭は微笑み、ひそやかな言葉「七夕笑牽牛」(七夕に牽牛を笑う)とつぶやいたのだ。の宮から月影は漏れるけれどその光に触れることはもうできない。あの楊貴妃のかぐわしい蘭は微笑み、ひそやかな言葉をつむぎ出す。
直教銀漢堕懐中、未遣星妃鎭來去。」
牽牛と織姫の伝説はあるが、いっそのこと、自分の子の妃である織姫を銀河ごと自分の懐中に引き込ませた玄宗であった、そしてそのまま織女をなんにもなかったかのようにずっと引き留めておいたのだ。
濁水清波何異源、済河水清黄河渾。
濁流も清流もその源になんの違いがあるのか。それなのに済河の流れは清く黄河は濁っているというのだろう。
安得薄霧起緗裙、手接雲輧呼大君。』-#2
どうすれば叶うのだろう、浅黄色の裳にうっすらと霞がおおっているなかに立つ人がいる、空翔る車に娘を差出し、親しく「太君」と呼びかけている。
右夏
巻、見。彈。/天、旋。棉。』/取、語。去。/源、渾。君。
其の二
前閣の雨簾 愁いて巻かず、後堂の芳樹 陰陰として見ゆ。
石城の景物 黄泉に類し、夜半の行郎 空しく柘彈(しゃだん)す。
綾扇(りょうせん) 風を喚ぶ 閶闔(しょうこう)の天、軽帷(けいい) 翠幕(すいばく) 波 淵旋(えんせん)す。
蜀魂(しょくこん) 寂寞(せきばく)たり 伴有るや未だしや、幾夜か 瘴花(しょうか)を 木棉(もくめん)を開く。』
#2
桂宮 影を流すも光は取り難し、嫣薫(えんくん)として蘭は破る 軽軽たる語。
直 (ただ) 銀漢(ぎんかん)をして懐中に堕とさしめ、未だ星妃(せいひ)をして鎭(とわ)に来去(らいきょ)せしめず。
濁水(だくすい) 清波(せいは) 何ぞ源を異にするや、済河(せいか)は水清く 黄河は渾(にご)る。
安くんぞ得ん 薄霧(はくむ) 緗裙(しょうくん)に起こり、手ずから雲輧(うんべい)に接して太君と呼ぶを。
右夏
燕臺詩四首 其二 夏#2 現代語訳と訳註
(本文)
桂宮流影光難取、嫣薫蘭破軽軽語。
直教銀漢堕懐中、未遣星妃鎭來去。」
濁水清波何異源、済河水清黄河渾。
安得薄霧起緗裙、手接雲輧呼大君。』-#2
右夏
(下し文) #2
桂宮 影を流すも光は取り難し、嫣薫(えんくん)として蘭は破る 軽軽たる語。
直 (ただ) 銀漢(ぎんかん)をして懐中に堕とさしめ、未だ星妃(せいひ)をして鎭(とわ)に来去(らいきょ)せしめず。
濁水(だくすい) 清波(せいは) 何ぞ源を異にするや、済河(せいか)は水清く 黄河は渾(にご)る。
安くんぞ得ん 薄霧(はくむ) 緗裙(しょうくん)に起こり、手ずから雲輧(うんべい)に接して太君と呼ぶを。
(現代語訳) (桂宮は玄宗と楊貴妃の宮殿、 梧桐の葉のもとで)
月の宮から月影は漏れるけれどその光に触れることはもうできない。あの楊貴妃のかぐわしい蘭は微笑み、ひそやかな言葉「七夕笑牽牛」(七夕に牽牛を笑う)とつぶやいたのだ。牽牛と織姫の伝説はあるが、いっそのこと、自分の子の妃である織姫を銀河ごと自分の懐中に引き込ませた玄宗であった、そしてそのまま織女をなんにもなかったかのようにずっと引き留めておいたのだ。
濁流も清流もその源になんの違いがあるのか。それなのに済河の流れは清く黄河は濁っているというのだろう。
どうすれば叶うのだろう、浅黄色の裳にうっすらと霞がおおっているなかに立つ人がいる、空翔る車に娘を差出し、親しく「太君」と呼びかけている。
(訳注)#2
桂宮流影光難取、嫣薫蘭破軽軽語。
月の宮から月影は漏れるけれどその光に触れることはもうできない。あの楊貴妃のかぐわしい蘭は微笑み、ひそやかな言葉「七夕笑牽牛」(七夕に牽牛を笑う)とつぶやいたのだ。
○桂宮 月の中には桂の木があると伝えられることから月の宮をいう。梧桐の葉に棲む鳳凰のつがい。玄宗と楊貴妃。○嫣薫 色あざやなに香高イランのような女性が微笑む。 嫣:にっこりほほえむ。色あざやかなさま。美女の笑うさま。薫り高い蘭の花が開くのと女性がにっこりほほえみながら口を開くのとを重ねる。楊貴妃を言う。「七夕笑牽牛」李商隠『馬嵬』馬嵬二首(絶句) 李商隠 :kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ李商隠特集 50
直教銀漢堕懐中、未遣星妃鎭來去。」
牽牛と織姫の伝説はあるが、いっそのこと、自分の子の妃である織姫を銀河ごと自分の懐中に引き込ませた玄宗であった、そしてそのまま織女をなんにもなかったかのようにずっと引き留めておいたのだ。
○銀漢 天の川。○星妃 織女。○鎮 常に、永遠に。二句は天の川を懐中に入れることによって織女を自分のもとに引き留めておきたいの意。
濁水清波何異源、済河水清黄河渾。
濁流も清流もその源になんの違いがあるのか。なのに済河の流れは清く黄河は濁っているというのだろう。
○済河水清 済水と黄河は古代の四溝(四つの大河)に数えられる。済水は清く黄河は濁っていたとされる。『戦国策』燕策に「斉に清済と濁河有り」。済水は河南省済源県に発して東流し、海に流れ込んでいたが、のちに黄河と重なって、今では一部がのこるのみ。済水(さいすい)は、中国河南省済源市区西北に源を発している。済源市の名称はまさにここからきている。俗称は大清河。済水は、古来はほかの大河と交わらず海に流れており、江水(長江)、河水(黄河)、淮水(淮河)とともに「華夏四瀆」と称された。済水の水源地は、済源市の済瀆廟(さいとくびょう)。黄河が流れを変えた為、今日の黄河下流は当時の済水の河道である。済水の流れは済源市を発し済南市で黄河に交わる。
現在の黄河と渭水の合流点でも清濁、はっきりしている。どちらにしても王朝内の清濁は儒教者の精に対して、淫乱、頽廃の宮廷は濁水ということである。
安得薄霧起緗裙、手接雲輧呼太君。』
どうすれば叶うのだろう、浅黄色の裳にうっすらと霞がおおっているなかに立つ人がいる、空翔る車に娘を差出し、親しく「太君」と呼びかけている。
○緗裙 浅黄色の絹でこしらえた裳。○雲輧 雲輧はとばりで囲った女性の乗る車。仙女にみたてるので「雲」の語を冠する。○太君 高級官僚の妻の称号であるが、ここでは仙女の意味で用いる。楊貴妃は女道士「太真」と呼ばれてその後「貴妃」となった。
縑緗 書物の表装に使う薄い絹。また、書物・書籍。
「天宝十五載六月十四日、近衛兵は禍の根は楊貴妃にあると、憤怒していっせいに馬を駐め、楊貴妃がくびり殺されるまで、もはや前に進もうとはしなかった。かつて七夕の宵、高楼によりそいつつ、玄宗と場景妃は、一年に一度しか織女にあえぬ牽牛の運命を笑い、瀬世夫婦となって共に住もうと誓い合ったのだったが。」
右 夏のうた
○詩型 七言古詩。
○押韻 巻、見。彈。/天、旋。棉。』/取、語。去。/源、渾。君。
鸞鳳 現代語訳と訳註 解説
(本文)
舊鏡鸞何處、衰桐鳳不棲。
金銭饒孔雀、錦段落山雞。
王子調清管、天人降紫泥。
豈無雲路分、相望不應迷。
舊鏡鸞何處、衰桐鳳不棲。
古い曇った鏡がある、そこに姿を映して鳴き続けていた鸞はどこへ行ったのだろうか。枯れ衰えた桐には、もう鳳凰が棲みつくことなどありはしないのだ。
○舊鏡鸞何處 ・鸞という鳥は鐘に映った自分の姿を見て絶命するまで鳴き続ける。
陳後宮 李商隠:kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ李商隠特集 53 |
・梧桐 こどう 立秋の日に初めて葉を落とす。大きな葉を一閒一枚落としてゆく青桐は凋落を象徴するもの。特に井戸の辺の梧桐は砧聲と共に秋の詩には欠かせない。李煜「采桑子其二」李煜「烏夜啼」温庭筠「更漏子」李白「贈舎人弟台卿江南之」李賀「十二月楽詞」などおおくある。玄宗と楊貴妃を喩える場合もある。
牡丹
錦幃初巻衛夫人、繍被猶堆越鄂君。
垂手亂翻雕玉佩、折腰争舞鬱金裙。
石家蝋燭何曾剪、筍令香櫨可待薫。
我是夢中傳彩筆、欲書花片寄朝雲。
牡丹 李商隠22七言律詩 |
馬嵬二首 李商隠
馬嵬 絶句
冀馬燕犀動地来、自埋紅粉自成灰。
君王若道能傾国、玉輦何由過馬嵬。
馬嵬
海外徒聞更九州、他生未卜此生休。
空間虎旅鳴宵拆、無復鶏人報暁籌。
此日六軍同駐馬、當時七夕笑牽牛。
如何四紀為天子、不及慮家有莫愁。
唐というこの九州よりなる大世界の外に、神仙世界の九州さらにあると玄宗は道教の修験者から聞いていた。だがそれは聞いただけのこと、次の未来生のどこで生れかわるかわからいままに、ここで人生は終わってしまった。
落ち伸びたこの馬蒐の地で兵士たちに迫られて、来世をともに誓った愛妃をうしない、王車守衛の兵士のならす宵の拍子木をも、むなしく一人で聞かねはならなかった。朝になっても、逃げ延びる最中でのことゆえ鶏をかたどった朱の冠をかむり寝所にまで夜明けの時を知らせる守衛の者もいなかった。
この日、天宝十五載六月十四日、近衛兵は禍の根は楊貴妃にあると、憤怒していっせいに馬を駐め、楊貴妃がくびり殺されるまで、もはや前に進もうとはしなかった。かつて七夕の宵、高楼によりそいつつ、玄宗と場景妃は、一年に一度しか織女にあえぬ牽牛の運命を笑い、瀬世夫婦となって共に住もうと誓い合ったのだったが。
四紀、凡そ五十年にわたる年月の間、天子として九州に君臨しておりながら、どうしたことか、洛陽の富家、盧姓の者が、「十五にして嫁し十六にして子を産んだ。」と古い歌謡にも歌われる、その名もめでたき莫愁なる美女を迎え入れて過したその幸福さに及ばないのは。