唐宋詩189Ⅱ韓退之(韓愈) 紀頌之の漢詩ブログ 韓愈特集-1 出門

第一回目「出門」は、制作年代を確定し得る限りで、現存する韓退之(韓愈)の詩のうち、最も早い時期の作品である。786年19歳。



出門
長安百萬家,出門無所之。
長安には何百、何万という家があるけれど、私は門を出たらどこにも行く所がない。
豈敢尚幽獨,與世實參差。
どうしてといって、べつにひとり静かに住みたいと思っているわけではないが、正直なところ世間の人々と考え方や好みが食い違っているからだ。
古人雖已死,書上有其辭。
いにしえの人はもはや肉体的には死んでしまっているが、書物、詩文にはその言葉、精神が載っている。
開卷讀且想,千載若相期。
その本をあけて読みながらその人を想像するのである、千年を隔てていても、たがいに会おうと約束したかのような心地がするのである。
出門各有道,我道方未夷。
人は門を出ればそれぞれに道ができているものなのに、私の道は見つかっていないので、今はまだ平坦でないということだ。
且於此中息,天命不吾欺。

しかし、科挙試験を受けることはつづけるのだが、ひとまずは少し休息することとしよう。天命は私を欺くことはないであろうと思っている。
 

長安には百萬の家、門出でて之(ゆ)く所無し。
豈 敢えて幽獨を尚(とうと)ばんや、世にあたって參差(しんさ)を實なり。
古人已に死すと雖も、書上に其の辭(じ)有り。
巻を開きて讀み且つ想い、千載も相い期するが若(ごと)し。
門を出でては各々道有り、我が道は方(まさ)に未だ 夷(たいら)かならず。
且く此の中(うち)に息(いこ)わん、天命 我を欺(あざむ)かじ。


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出門 現代語訳と訳註
(本文)

長安百萬家,出門無所之。
豈敢尚幽獨,與世實參差。
古人雖已死,書上有其辭。
開卷讀且想,千載若相期。
出門各有道,我道方未夷。
且於此中息,天命不吾欺。

(下し文)
長安には百萬の家、門出でて之(ゆ)く所無し。
豈 敢えて幽獨を尚(とうと)ばんや、世にあたって參差(しんさ)を實なり。
古人已に死すと雖も、書上に其の辭(じ)有り。
巻を開きて讀み且つ想い、千載も相い期するが若(ごと)し。
門を出でては各々道有り、我が道は方(まさ)に未だ 夷(たいら)かならず。
且く此の中(うち)に息(いこ)わん、天命 我を欺(あざむ)かじ。

(現代語訳)
長安には何百、何万という家があるけれど、私は門を出たらどこにも行く所がない。
どうしてといって、べつにひとり静かに住みたいと思っているわけではないが、正直なところ世間の人々と考え方や好みが食い違っているからだ。
いにしえの人はもはや肉体的には死んでしまっているが、書物、詩文にはその言葉、精神が載っている。
その本をあけて読みながらその人を想像するのである、千年を隔てていても、たがいに会おうと約束したかのような心地がするのである。
人は門を出ればそれぞれに道ができているものなのに、私の道は見つかっていないので、今はまだ平坦でないということだ。
しかし、科挙試験を受けることはつづけるのだが、ひとまずは少し休息することとしよう。天命は私を欺くことはないであろうと思っている。
 

(訳注)
長安百萬家,出門無所之。

長安には何百、何万という家があるけれど、私は門を出たらどこにも行く所がない。
百萬家 ○出門 門を出る。門は科挙試験の会場の門を言う。この時代の受験生は、浪人の段階で門閥を決めていた。そうでなければ、及第することも難しかったのだ。韓退之は派閥に属さなかったのだ。


豈敢尚幽獨,與世實參差。
どうしてといって、べつにひとり静かに住みたいと思っているわけではないが、正直なところ世間の人々と考え方や好みが食い違っているからだ。
 どうして・・・なのか。○幽獨 さびしい奥まった場所で一人でいること。隠遁を示すことが多い語。


古人雖已死,書上有其辭。
いにしえの人はもはや肉体的には死んでしまっているが、書物、詩文にはその言葉、精神が載っている。
古人 昔の人。古代からの詩人を指す。○書上 書物、詩文上。○有其辭 その言葉、その精神。


開卷讀且想,千載若相期。
その本をあけて読みながらその人を想像するのである、千年を隔てていても、たがいに会おうと約束したかのような心地がするのである。
開卷 書物を開くこと。巻は書物のこと。○讀且想 読みながらその人を想像すること。○千載 千年もの間。千年を隔てていること。○若相期 たがいに会おうと約束したかのような心地のさまをいう。

出門各有道,我道方未夷。
人は門を出ればそれぞれに道ができているものなのに、私の道は見つかっていないので、今はまだ平坦でないということだ。
 儒教でいう道は仁義の道を実践し徳による王道で天下を治める覇道、徳治主義の道を官僚になることによってその一助になろうとすることが広義の道であるが、ここでは食べるための手段、方法をいうものであるが、媚奸によるものをいうのではない。○ 平らにする。平坦。異民族。 

且於此中息,天命不吾欺。
しかし、科挙試験を受けることはつづけるのだが、ひとまずは少し休息することとしよう。天命は私を欺くことはないであろうと思っている。
且於 ひとまずは。しばらくは。○此中息 科挙試験を受けることはつづけるのだが休息する。○天命 儒教者は常々天という鏡を念頭に置くものである。○不吾欺 自分は自分に対して嘘をつかない、妥協をしないから、天も自分を欺くことはないということ。


解説
 儒教者の韓退之の詩は、表裏がないので、掛詞がないといっていいとおもう。
 「門を出でて之く所」とは、衣食の道を与えてくれるところのことだが、それだけではない。受験者が衣食の道を求めるといっても、むろん何をしてもよいわけではない。一方、すでに高級官僚となった人々のあいだには、受験者たちの世話をして、その生計のめんどうまで見てやる風潮があった。

その面倒を見た受験者が合格したならば、高級官僚にとっては自分の派閥に属する人員がふえるわけで、一種の青田買いをするわけである。受験者のほうもそこを心得ていて、何かのつてを求めては高位高官の人の屋敷を訪問し、自分を売り込もうとする。うまくすれば、生活のめんどうが見てもらえるうえに、試験官と会ったときに何某という受験者は優秀だと吹聴し、先入感を与えておいてくれるかもしれないのである。なかにはこの受験者をぜひ合格させろと、地位を利用して試験官に頼みこんだという話も伝えられているが、正式の記録に残る性質のものではないので、こまかい実体は突きとめるすべもない。

 ところで韓愈の言う「道」は、当時にあっては時代おくれの、古えの道、儒教者の道であった。誰もそんな道は進もうとしないので、韓愈としては自分の道が「平坦でない」と感ぜざるを得ないのである。韓愈としても他の受験者と同様に、当世風の売り込みをしなければならないのだということは、わかっていたろう。だがわかっていても、その気にはなれない。それが儒教者なのだ。

 しかも韓愈は、罪を得て流され、配所で死んだ韓会の弟である。そんな者の世話をしようなどという奇特な人、があるわけはない。韓愈が、「門を出でて之く所がない」状態になるのは、当然のことであった。「且く此の中に息わん」と述べていることは、科挙試験が終わった直後の時期を示しているものであると考えるのが妥当であろう。


浪人暮らし
 科挙は、毎年、春に施行される。韓愈が上京したのは768年貞元二年であったが、初めて受験したのは、翌貞元三年の春であった。そして彼は、みごとに落第している。しかし、落第するのは、常識である。科挙にストレートに合格するのは、よほどの秀才というよりは、は強いコネのある人以外にはなかったのである。

問題となるのは収入をどうして得るかということである。韓退之(韓愈)の家は、江南でつましい生活を送っている。韓愈自身はしきりに自分の家は貧乏だったと言ってはいるが、それは比較の問題で、彼の一家が飢え死にしそうな事態に追いこまれた形跡はない。韓愈の将来の展望は何ひとつなく、じり貧の道をたどるばかりであったから、自己の未来に希望をもつ若い意は、上京して科挙に応じた。しかしそれに落第してみると、長安の物価高のなかでの生活という、きびしい現実が待ちうけているのである。