漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩 中唐詩人選集【Ⅰ李商隠-150】Ⅱ韓退之(韓愈)-500Ⅶ孟郊(東野)賈島張籍柳宗元韋応物

Ⅰ李商隠は難解詩といわれている。約150首紹介済。(晩唐詩人) Ⅱ韓退之(韓愈)-約500首Ⅶ孟郊、中唐の詩人を掲載中。万物の性(さが)をテーマにした哲学的な詩。このブログは基本的に中唐詩人を中心にして掲載する予定。 韓愈詩文のこれまでの掲載分とこれから掲載予定分を時系列で整理した2014.3.29のブログに集約してそこから各年次を見ることができる  kanbuniinkai 検索で、《漢文委員会HP05》サイトあります。漢詩唐詩を理解するための総合サイト:≪漢文委員会 漢詩07≫。

李商隠

少し、マニアックな晩唐詩人Ⅰ-李商隠150首をまず掲載済み。中唐は盛唐詩人(孟浩然・王維、杜甫、李白)を受け継いだ多様な詩人が出ている。この時代も驚くほど詩が発展している。Ⅱ韓退之(韓愈)500首、Ⅲ柳宗元40首、Ⅳ韋応物、Ⅴ劉長卿、Ⅵ韋荘、Ⅶ孟郊(孟東野)、Ⅷ張籍、Ⅸ賈島、Ⅹ劉禹錫、ほか2012~2020年の予定で気長に進める。同じ中唐ではあるが、白居易のグループについては、李白のブログ350首(2015/6月再開~2018/夏・秋月予定)の後掲載の予定。別に杜甫詩ブログ1500首(2011/7月~2018/8月の予定で)を進行中。詩数につぃては、予定の詩数より多くなる。気まぐれなところがあるのでこの予定が少し変わる場合があり、その節はご容赦ください。                 古詩・謝霊運詩 杜甫詩 韓愈詩 花間集500首全詩 それぞれ毎日ブログしています。 このブログ、索引=語句の「検索」 参考書以上掲載。漢詩力up。

唐宋詩 Ⅰ李商隠 187 行次西郊作一百韻  白文  現代語訳 (全文)

行次西郊作一百韻 李商隠 白文 下し文 現代語訳 (全文)26歳の作品

蛇年建午月,我自梁還秦。
南下大散關,北濟渭之濱。
草木半舒坼,不類冰雪晨。
又若夏苦熱,燋卷無芳津。」#-1
高田長檞櫪,下田長荆榛。
農具棄道旁,饑牛死空墩。
依依過村落,十室無一存。
存者皆面啼,無衣可迎賓。』#-2


丁巳の年、即ち開成二年、北斗星の柄が丑の位を指す陰暦十二月のことである。私は(興元に恩人令狐楚の葬儀を終え)、古く梁州とよばれた地から、古くは秦と呼ばれた長安に帰るべく旅立った。
まず南に秦蜀往来の要地、関所大散関を過ぎてその峠道を下り、次に北にすすんで渭水をわたった。
川をわたれば鳳翔府、もう都の近郊なのだが、見渡せる山野の草木は、その半ばが芽生えはじめた、氷がはり雪の降る冬の朝景色らしからない展望となった。
その冬の朝景色に似ていないばかりか、また夏の厳しい炎熱に、燋げしおれ、草木はそのかおりと潤いを失ってしまったようなのだ。
丘陵の高い田畑には、役立たずの木、どんぐりだけが繁り、低い田畑に穀物はなく、雑木だけが生い茂っていた。
農民の大切な農具類が、道傍に遺棄されていた、働き手がいなくなって餓え死にした牛の死骸が横わってあたりは荒涼として、人気はまったくなくなっているのだ。
道すがら心配して心をそこの村に寄せて立ちよってみれば部落は崩壊していた、人人は死んだのか、あるいは逃げたのか、十軒人がいなくて、次の一軒に人が住むという有様なのだ。


始若畏人問,及門還具陳。
右輔田疇薄,斯民常苦貧。
伊昔稱樂土,所賴牧伯仁。
官清若冰玉,吏善如六親。」#-3
生兒不遠征,生女事四鄰。
濁酒盈瓦缶,爛穀堆荆囷。
健兒庇旁婦,衰翁舐童孫。
況自貞觀後,命官多儒臣。』#-4
例以賢牧伯,徵入司陶鈞。


始めはただもう、何かたずねられるのをこわがってびくびくしていたが、私が門前にたどりつくと、これだけどうして荒廃したのか、事の次第を詳しく物語ってきかせてくれた。
みやこ長安より上流で右の輔翼にあたるこの鳳翔は昔からやせた土地で、田畑の収穫は乏しく、このあたりの農民は貧しさにつね日頃から苦くるしんでおりました。と村人は語り始めた。
それというのも、その昔、このあたりが楽土と呼ばれた頃もあったのです。それは地方の長官と監視官が仁徳敬愛の深い方であったからなのです。
政治をなさる長官の方々は、清廉潔白、氷の玉のようであり、役所の書記も善良で自分たちの親族と同じようにしてもらったのです。

そのころは、どこの家でも、男の児を産んだとしても兵役にとられて国境守備にかり出される心配もなく、生れた児が女なら、いずれ近隣に嫁がせて幸せな一生を送らせる事ができたのです。
どこの調理場におかれた素焼の酒瓶には地酒があった。雑木造りの粗末な倉だけど、倉にはよくみのった穀物がうず高く積まれていたのです。
丈夫で屈強な働き盛りの男たちは近隣の女たちをかばうことをしたのです。年寄りは、皆から気遣ってもらい、自分の孫を可愛がってやればいいというものでした。


例以賢牧伯,徵入司陶鈞。
降及開元中,奸邪撓經綸。
晉公忌此事,多錄邊將勳。
因令猛毅輩,雜牧升平民。」#-5
中原遂多故,除授非至尊。
或出幸臣輩,或由帝戚恩。
中原困屠解,奴隸厭肥豚。』#6

通例として、そのうちから、治績いちじるしかった偉い地方の太守を選抜して中央の大臣として召還されることとされたのだ。かくて、地方官はその地の民を恵しむことに励み、国政の大綱も輝かしい文治の方針にそって、その繁栄の道を歩んだのだった。
それから降って約100年後開元の時代、第六代皇帝玄宗在位の頃に汲んでから、よこしまな奸臣が、私利私欲のため国攻の施政方針をゆがめ、規律を乱し始めたのだ。
737年開元二十五年に晋国公に封ぜられた宰相李林甫は、科挙合格者の文官が地方州の長官となり、そのうち功績をあげて名望の高いものをえらんで大臣とするこの慣例が、自らの野望のさまたげとなる英賢な文人を嫌い粛清した。そして辺疆の武将(哥舒翰、高仙芝、安禄山ら)の功績を過大に評価して記録し、上申して武将を文官以上に重く用いることにしたのである。
そのため、安縁山ら、異民族出身のたけだけしい将軍たちが節度使となり、平和な中國の人民を無秩序に支配するという事態がおこった。
天下の中心である京畿とその近辺の中原には、やがて禍が数多く起り、官吏の任免も、至尊の人たる天子の手でなされるのではなくなったのだ。
或いは媚びへつらい、賄賂によって宰相となった者(例えば李林甫)、或いは、身内から皇后を出して高位を得た者(例えば楊国忠)たちの任意にゆだねられたのである。

天下の中心である京畿とその近辺の中原には、やがて禍が数多く起り、官吏の任免も、至尊の人たる天子の手でなされるのではなくなったのだ。
或いは媚びへつらい、賄賂によって宰相となった者(例えば李林甫)、或いは、身内から皇后を出して高位を得た者(例えば楊国忠)たちの任意にゆだねられたのである。
かくて中原の人民は身を八つ裂きにされるような苦しみをなめ、それに反して遊牧奴隷の輩、かの安禄山らは豪華な食事に満腹するといった状態となったのだった。



皇子棄不乳,椒房抱羌渾。
重賜竭中國,強兵臨北邊。
控弦二十萬,長臂皆如猿。
皇都三千里,來往同雕鳶。」#-7
五里一換馬,十里一開筵。
指顧動白日,暖熱回蒼旻。
公卿辱嘲叱,唾棄如糞丸。』#-8


楊貴妃が玄宗の寵愛をいいことに、李林甫は生れてくる正腹の嫡子は棄てられて育てなかった、(太子瑛、鄂王瑤、光王琚は讒殺され)異常な事に安禄山とわむれに親子のちぎりを結ぶ有様で、禁男の後宮、山椒を塗りこめたその居間で、脱生日を祝うことによせて、安禄山を錦織りのおむつで包み、宮女達にかつがせて楊貴妃は遊びたわむれた。
安禄山への寵愛、信任は日常的にあつく、手厚い賜物はほとんど国中の富を使いつくすほどひどかった。その上、范陽節度使、河北道採訪処置使、河東節度使と、次次に節度使を兼任し、遂に北辺一帯、三道の広大な地域に彼の部下の兵が駐屯し、安禄山がそれに君臨した。
范陽の幕府には強い弓をひく士人騎兵二十万が養われていた。野蛮な兵士たちは強い弓に腕をきたえて、かいなが長く、みな猿のような体格で太刀打ちができないものだった。
皇都長安にいたるまでの道のり三干里、参勤する安禄山の隊列は、くまたか、鳶のごとく往還して土地、土地のみつぎ物を吸いあげてゆくのである。

あまりの肥満で馬を取り替える安禄山のために、五里ごとに換馬台が築かれた、十里ごとに、彼等が休憩する時には、街道の長官たちに接見し鐙をのべて、山海の珍味をつらねて饗応したのだった。
 その勢力の盛んになりとめどがなくなっていた、彼が指さしつつ首をめぐらせば、西に沈む太腸も逆行させた、彼の熱気は自然の運行を逆転させ、秋の空を春にかえすといわれたものである。
朝廷の大臣や公卿は、安禄山の嘲笑と叱責にはずかしめられたのだ、それは糞団子のように唾棄されるがままになっていたのだ。


大朝會萬方,天子正臨軒。
采旂轉初旭,玉座當祥煙。
金障既特設,珠簾亦高褰。」#-9
捋須蹇不顧,坐在禦榻前。
忤者死艱屨,附之升頂顛。
華侈矜遞衒,豪俊相並吞。
因失生惠養,漸見征求頻。』#-10

年に二度、元旦と冬至に催される大朝の儀式、天下の州と郡からの使者を宮廷に謁見する時のことだ、天子は庭に面する宮殿の軒端近くに臨席された。
五彩に色彩られた霓旌(げいぜい)は朝日の光をうけてひるがえり、天子の座の両側に据えられた香炉からめでたい香煙がたちのぼった。
その左に金鶏模様の大屏風が特別に前もって設けられてある。屏凰の前に帷があり、真珠を糸で貫いた簾が、高くかかげられていた。

范陽節度使安禄山はそこへおもむろに胡人特有の長い顎ひげを指先でこねまわしながら、ふてぶてしい、これ以上ない威張り腐った態度で居並ぶ群臣の順序を顧みずに登場してくるのだ。天子の席の前、ほとんど天子と桔抗する高座に太っていること良いことにして悠悠と坐るのである。
もし安禄山にさからう者あれば、身分の如何にかかわらずたちどころに圧死するまで靴で踏みつけられるのだ。彼に媚を売り、おもねるものは高位にまで出世できる生殺与奪を握っているのだ。
当時、長安の都に華美は蔓延し、楊氏一族や安禄山らは、邸宅の華麗さや奢侈を互に誇り、次々みせびらかしあった。それにならって地方の強い勢力を持つ節度使らは、安禄山の三道兼制と争うかのように、その富を独占し、吸い上げたのである。
このようにして、民を愛しみ養うべき攻治の本道は完全に消失し、中央の財政は困窮し、それを補うために次第に賦税を重くし、ひんぱんに課していき始めたのだった。



奚寇西北來,揮霍如天翻。
是時正忘戰,重兵多在邊。
列城繞長河,平明插旗幡。
但聞虜騎入,不見漢兵屯。
大婦抱兒哭,小婦攀車轓。」#-11
生小太平年,不識夜閉門。
少壯盡點行,疲老守空村。
生分作死誓,揮淚連秋雲。
廷臣例獐怯,諸將如羸奔。
爲賊掃上陽,捉人送潼關。』#-12


天宝十四年十一月、遂に安禄山は范陽に叛し、同年十二月洛陽を落とし天宝十五年六月奚人の叛乱軍が長安城西北の開遠門、光化門、芳林門から攻め入った。そのすばやい霍乱は、天地を転倒させるかのようにすさまじいものであった。
この時、天下は100年間も続いた太平に慣れ、戦を忘れてそなえなかったのだ、参軍師団のほとんどが、辺疆防御軍にあてられ配置されていた。
渭水の河畔には数多く城郭がつらなり河をめぐらして威容を誇っていた、一朝にして叛乱軍に占領され、城樓高台にさしはさまれる旗はことごとく安禄山の軍旗となったのだ。
この段階で、伝令の報告や人の噂は、どこもかしこも叛乱軍の騎兵が侵人したというものばかりになった。近郊の郡県のどこ一つとして唐王朝の正規軍の駐屯するのは見られなかったのである。
全てのものが逃げまどい、上の嫁はわが児を抱いて声あげて泣き叫び、下の嫁は、退避する官車の被いにしがみつき、「置いていくな」、と取りすがり泣きわめいたという。

思い起こせばその昔、天下太平であった、この鳳翔の住民は夜、戸締りをしなければいけないということ意識することはなかったのだ。
だが今は、青壮年の者たちはことごとく徴兵され、ただ疲れはてた老人が、空虚になった村を守っているだけなのだ。
村に残ったものができることは、散り散りばらばらに別れて暮らしても、死ぬ時だけは一緒に死のうと誓い合うことだけなのだ。流れ落ちる涙を振り払ったら、ちょうどその時、秋の空に浮ぶ雲だけがずっと連なっているのだった。
叛乱軍に対して、朝廷の下臣、官僚らは、臆病な小鹿のように怯えばかりであった、都と王朝朝廷を守るべき北司と南司の近衛師団は、やせ羊が野原に散らばるように逃げ去ったのである。
残った軍隊や官吏らは、叛乱軍のために洛陽の宮殿を掃き清めてあけわたし、叛乱軍の侵人をたすけた。次に長安城に入った叛乱兵は、略奪、強奪し、官民、老若、男女を問わず人を捉えてはたきかん潼関の方へと送り込んだのである。


玉輦望南鬥,未知何日鏇。
誠知開闢久,遘此雲雷屯。
送者問鼎大,存者要高官。
搶攘互間諜,孰辨梟與鸞。
千馬無返轡,萬車無還轅。」#-13
城空鼠雀死,人去豺狼喧。
南資竭吳越,西費失河源。
因今左藏庫,摧毁惟空垣。
如人當一身,有左無右邊。
觔體半痿痺,肘腋生臊膻。』#-14

756年天宝十五年六月十三日。玄宗は遂に都を棄てて、未明に南斗を望みつつ、蜀の地方へと御車を走らせたのだ。あわただしく落ちのびるその路行きは、常の巡幸にはあらず、ひとたび逃避したならば、今度はいつ、都にかえってこられるかはわからないのだ。
こうして新たな天地において天子が遷都されることになるのは、唐王朝の建国より以来はじめてのことであると認知したのだ、これは雷雲が群れて時期を待っているようにいったんは逃げるが、沈黙を保って計画を見せず、体制を整え奪還するということだ。
この玄宗に従った臣下は唐王朝も見限って、天子の権威を落し、またあわよくばとって代ろうと考えるのがでた、都に残ったものは、安禄山の偽攻府に仕え、ただ高い官位を求めていた。
このような混乱のさなかには、人というもの、互に相手の行動を探り合う。だが誰が悪鳥か神鳥か、だれが誠実であり誰が腹黒い人間であるかを見分ける事はできはしない。

街は人影なく荒涼として、荒田には、穀物の残りもつきて、ねずみやすずめも餓死した。人の去ったあとには、荒野や山にすむ猛獣が出て来て、豺や狼が叫びあい、そのこえはひとしお喧(かしま)しいものであった。
今まで、長安へは運河により南から食物や塩鉄などの必需物資が搬び込まれた、西方の異国からは、シルクロードで数知れぬ衣服や装飾などの貢物や貿易品がもち込まれていた。
それで、安史の乱でそれらの資源も、南は呉越の地方で使いはたし、略奪され、その中で、西に向けられた資物は黄河の源のあたりで、吐蕃に横領されて、左の蔵庫に搬入されないのだ。右の国庫は、百姓の乱入するにまかせて、唯空しき垣だけを残し、もはや再びその蔵に貢物や財宝のおさめたものがなくなったのだ。
租庸調という賦税の事は、戦禍が一応おさまれば、元通り履行されたので、左の藏庫には資財は確保されていったが、それは人間の体に喩えれば、左半分が有って右半分の無い片輪のようなものであった。
體の筋肉の半分が搾れて、痺れた、半身不隨、自由のきかぬ片方のひじや脇はかさぶたができ、そこから膿みがでている、その上その膿がなま臭い悪臭を発したのか、なま臭い異民族の輩の匂いなのかが周辺に漂っていた。



列聖蒙此恥,含懷不能宣。
謀臣拱手立,相戒無敢先。
萬國困杼軸,内庫無金錢。
健兒立霜雪,腹歉衣裳單。」#-15
饋餉多過時,高估銅與鉛。
山東望河北,爨煙猶相聯。
朝廷不暇給,辛苦無半年。
行人搉行資,居者税屋椽。』#-16

行人(こうじん)は行資(こうし)を搉(かく)せられ、居者(きょしゃ)は屋椽(おくてん)に税あり

それ以後、歴代の天子。第七代粛宗(711―762年)第八代代宗(727-779年)第九代徳宗(742-805年)第十代順宗(761-806六年)第十一代憲宗(778-820年)は、安史の乱がもたらした藩鎮の割拠による混乱に、至上なるべき権威を失墜する恥辱をこうむった。歴代の天子の心中には、なんとか国権の回復を計り恥辱をすすごうとする思いが一杯になっていたのだが、それは実行には移せず、思召はただ心にわだかまるだけで、逆に媚薬に活路を求めた。
軍攻参議の将軍も、ふところ手して、茫然と立ちつくすばかりであり、しりごみして互いに警戒し合い、牛李の闘争として目先の権力争いをし、率先して国威回復の建議を奉る者はいなかった。実質、宦官勢力により、政治は動かされた。
布を織るには、はたおり機の抒と軸とが規則正しく働かねばならぬ。国家の財政も同様、支出と収入の辻棲が合わねばならないのだ。そして、天下はその運営に窮し、国の左右の蔵には宝物、食料、金銭すべてなしというありさまになっている。
集められた義勇軍の兵士は、霜降り雪ちらつく寒天の下に、すき腹をかかえ、夏服を着て立ち向かわなければならないのだ。

供給される兵糧も多くはその時期を逸したのである。物価は高騰し、鉛の上に銅をかぶせた悪幣の乱発は一層インフレに拍車をかけた。
山東一帯から河北のあたりを眺めてみた、安禄山の家臣や子孫がなお君臨するその地方では、家々からかまどの煙が互につらなって立ちのぼるのが見えたのである。
本来朝廷の地域としての京畿とその近辺は、官も民ももれなく困窮になりそれも甚だしく、朝廷はいきつくひまもない有様であった。辛苦して応急策を講じたが年の半ばに尽き果てるものでしかなかった。
王朝は課税対象をやたらに広げ、行商人や運送業者は、通行税をとられたのである、また新たな家屋税では垂木一本の長さごとに、税を計上された。


中間遂作梗,狼藉用戈鋋。
臨門送節制,以錫通天班。
破者以族滅,存者尚遷延。
禮數異君父,羈縻如羌零。」#-17
直求輸赤誠,所望大體全。
巍巍政事堂,宰相厭八珍。
敢問下執事,今誰掌其權。
瘡疽幾十載,不敢扶其根。
國蹙賦更重,人稀役彌繁。』#-18


そののち、あげくのはてに節度使はかすめ取った富で私兵を雇った。そして、ついに朝廷にそむいて武力を乱用するようになるのである。
一方、朝廷はこうした節度使に、わざわざ宮中より使いを派遣し、その軍門の力関係によって節度使に官位を授け、その徽章である旗をおくった。おくられる爵位、それは天子に直接、接することのできる高い位だったのである。
反抗して失敗した節度使たいしては、一族連座して洙滅はされたものもいる。しかし、生きのがれた者は日ごとに力をつけていってもとのようになったのだ。
社会の秩序には正しい順位がある、その位が異なれば礼の様式をも異にする区別によって支えられるものなのだ。もはや序列は崩壊した、臣王のような節度使と天子の皇帝との区別が殆どなくなり、中央に対する関係は、西方の異民族の国羌零のような半独立国のようなものとなった。

心からの忠誠を、たとえ要求してもどうしてそれが果されよう。現実には、形だけの平衡、ともかくも朝廷が存続されることで満足するより仕方がなかったのである。
高く徳の高く尊いものである行攻の殿堂である、しかし、なに一つ実際の政治の討議もされず、大臣たちはただ八種の珍味に満腹しているだけなのである。
あえて私は書記官に問うてみたいと思う。それは為政の権は一休誰が掌握しているのか、いま天子の下にいて攻事をつかさどる大臣諸氏は、一体何をしているのか、ということなのだ。
できものが膿み、潰瘍となって国家を苦しめる状態は、もう幾十年続いてしまっている。それにも拘らず、勇気をふるって、禍の根をその根もとからりさとろうとする者もいない。
国家の実質支配の版図は年を追って縮小していった、残った土地に課せられる税は一層重くなっていった。人民が原籍をはなれて流民となり、死亡するにつれ、残った者への労役義務はますます比重を増していき、賦税徴収の回数が頻繁になっていくのもむしろ当然のことになった。



近年牛醫兒,城社更扳援。
盲目把大旆,處此京西藩。
樂禍忘怨敵,樹黨多狂狷。
生爲人所憚,死非人所憐。
快刀斷其頭,列若豬牛懸。」#-19

鳳翔三百里,兵馬如黄巾。
夜半軍牒來,屯兵萬五千。
鄉里駭供億,老少相扳牽。
兒孫生未孩,棄之無慘顏。
不複議所適,但欲死山間。』#-20


少し前近年のことだ、田舎獣医の子供であったものが口を巧みにあやつった鄭注は、宦官どもにとり入って、政治の場によじ登ったのだ。
盲目に等しい極度の近限というだけでなく、加えて何らの先見もなく政策をも知らすに節度使となり、大旗を翻えして、この帝都の西のまもりである鳳翔の地に赴任して来た。
彼は派閥争いに割り込んで人が失敗や禍にあうのを楽しんだ、私利私欲の節度使や宮廷に巣喰う宦官など、朝廷にとっては怨敵であるはずの者達を敵として戦うことなどをあたまから忘れてしまった。また鄭注のたてた党派に属するものどもは観念的な事ばかりのことをいうものや、その反対にやみ雲にやろうとするものが多かった。
企まれたクーデターは失敗し、急ぎ長安に攻め入ろうーとした彼の軍隊は監軍使にだまし討ちされ、見事な切れ味の刀に彼はその頭をはねられた。その首は、あたかも豚や牛の首のように、死刑場にさらしものにされたのである。

鳳翔から長安に至るまで、凡そ三百里の間は、しかしその甘露の変のために無政府状熊におち入り、ならず者は群盗と化し、農民一揆は乱発し、あたかも漢末の黄巾の乱のように、兵馬が駆けめぐったのだった。
真夜中に軍部からの指令が村にとどいたのであるが、それは、一万五干の王朝の軍が駐屯するというしらせであったが、同時にそれは村人の負担になるのだ。
村人にとって、兵糧米の供出に、村里は愕然とせねばならなかった。命令に従う以外にはないからである。老人と幼少年の者、それら辛うじて村に居残っていたものたちは前後で手をひき合って逃亡するしかなかった。
逃民は生れてまだ乳ばなれせぬ嬰児を足于まといになるということで路傍に棄て去り、しかも、それを悲しむ表情をすら失っていた。
どこへ行けばよいのかを相談すこともないままに、ただもう、兵戈にかかるよりは、山の中で餓え死にした方がましであると、逃避したのである。



爾來又三歲,甘澤不及春。
盜贼亭午起,問誰多窮民。
節使殺亭吏,捕之恐無因。
咫尺不相見,旱久多黄塵。」#-21

官健腰佩弓,自言爲官巡。
常恐值荒迥,此輩還射人。
愧客問本末,願客無因循。
郿塢抵陳倉,此地忌黄昏。』#-22


その事がございましてから、今年でもう三年になりますが。自然のうるおいを受けていた沢地もいまだに、耕せず田畑にならなくて春の季節に間にあいそうにないのです。
治安は改められず、白昼堂々と盗賊は横行するのです。その盗賊は、みんな食いつめた難民のなれの果てなので誰と問うことができましょうか。
節度使は責任上、宿場の駐在所所員をひっとらえて殺します。盗賊を捕えようとしたところで、到る所にいるのです。その窮民達、どうして、捕縛することができるというのでしょう。 
旱天続きで黄土は乾燥しているので、ただでさえ埃がまっているのに、風吹けば黄塵で、一寸先も見えなくなるのです。

州軍の兵士達は腰に弓矢をおび(携帯)て、お上のために巡察しているのだと自分では申しております。
けれども、人里離れた荒地にまいりましたなら、日常的に恐ろしいことするのです。この兵士達が逆に人を射殺して、盗賊人となるのです。
旅人のお方、この有様、この現状に至った顛末を理解してくれたことを、かたじけなく思います。そして、願わくは、ぐずぐずして一向に改めようとしないこの現状が何とかならないでしょうか。
いまだに夕暮れ時からが禁物なので早く移動してください。



我聽此言罷,冤憤如相焚。
昔聞擧一會,群盜爲之奔。
又聞理與亂,在人不在天。
我願爲此事,君前剖心肝。」#-23

叩頭出鮮血,滂沱污紫宸。
九重黯已隔,涕泗空沾唇。
使典作尚書,廝養爲將軍。
慎勿道此言,此言未忍聞。』#-24


私はこの話をしっかりと聴き終えた、宦官の軍隊は叛乱の罪ないものへ災禍を与えた。こうむった者の恨みと、災厄をもたらした者への憤怒が胸の内に燃え上がるように高まるのを覚えたのだ。
春秋戦国時代に、晋の景公は士会を技擢して中軍に将とした時、晋国に横行した盗賊らは、士会の噂を聞いただけで秦の国へ逃亡したというのである。
名将が采配をふるえば、今のこの局地的な鳳翔の混乱であれば、治まらぬはずはないものである。また、国家の平和と動乱は、政治をつかさどる天子、宰相の責任である。超越的な天の意志や力で左右されるというものではないのである。
わたしは願っていることがある、それは、超自然の力にはよらず、天子によってよくも悪しくもなる政治の次第を建て直すことにある。非力ではあるけれども、天子の御前で、このことのために胸の奥底を開いて内なる誠心をあらわしたいということなのだ。

私は天子の叱責をこうむるのも覚悟の上、床に額をうちつけて、甘露の変の血とは違い清らかな朱血を流し、涙ともども、天子政庁の殿堂を、その血と涙の玉で彩りたいとおもうのです。
天子のおわす官殿は以前よりすでに九重の門を固く閉ざして王朝の雰囲気はうす暗く重いものになっている、誠心あるおおくの官位低き者を隔てて近寄せられない状況なのです。流れ落ちる涙、鼻水は、まだ何事をも心にしまい、建議すらできない、今はただおのれの唇を空しく濡らすに過ぎないというものです。
今は学問も正義も不用、ただ僥倖姦智(ぎょうこうかんち:悪知恵―おべっか、賄賂、女などにより成り上がること)によって、役揚の小役人が最高宰相となり、軍陣の飯たきが成りあがって将軍になる時世となっているのです。
村人よ、よく教えてくれた、私も常々そうおもっていたが、もう二度とこうした話をされてはいけない。理解をしているからこそ、これ以上これを話されると辛くなるばかりなのでもうこれ以上聞けないのだ。


行次西郊作 一百韻 李商隠 紀頌之の漢詩ブログ李商隠特集150- 171 #24

行次西郊作 一百韻 李商隠 紀頌之の漢詩ブログ李商隠特集150- 171 #24


「行次西郊作一百韻」について李商隠の詩150 -147はじめに
李商隠 148 北徵と行次西郊作一百韻について


#23
我聽此言罷,冤憤如相焚。
昔聞擧一會,群盜爲之奔。
又聞理與亂,在人不在天。
我願爲此事,君前剖心肝。」#23

叩頭出鮮血,滂沱污紫宸。
私は天子の叱責をこうむるのも覚悟の上、床に額をうちつけて、甘露の変の血とは違い清らかな朱血を流し、涙ともども、天子政庁の殿堂を、その血と涙の玉で彩りたいとおもうのです。
九重黯已隔,涕泗空沾唇。
天子のおられます官殿は以前よりすでに九重の門を固く閉ざして王朝の雰囲気はうす暗く重いものになっている、誠心あるおおくの官位低き者を隔てて近寄せられない状況なのです。流れ落ちる涙、鼻水は、まだ何事をも心にしまい、建議すらできない、今はただ已れの唇を空しく濡らすに過ぎないというものです。
使典作尚書,廝養爲將軍。
今は学問も正義も不用、ただ僥倖姦智(ぎょうこうかんち:悪知恵―おべっか、賄賂、女などにより成り上がること)によって、役揚の小役人が最高宰相となり、軍陣の飯たきが成りあがって将軍になる時世となっているのです。
慎勿道此言,此言未忍聞
。』#-24
村人よ、よく教えてくれた、私も常々そうおもっていたが、もう二度とこうした話をされてはいけない。理解をしているからこそ、これ以上これを話されると辛くなるばかりなのでもうこれ以上聞けないのだ。

#23
我 此の言を聴き罷(おわ)り、冤憤(えんぷん) 相いに焚(や)くが如し。
昔 聞く 一(ひと)りの会(かい)を挙(あ)ぐれば、群盗(ぐんとう) 之が為に奔(はし)れりと。
又聞く 理と乱とは、人に在りて天には在らずと。
我は願う 此の事の為に、君前(くんぜん)に心肝(しんかん)を剖(あら)わし。

叩額(こうがく)して鮮血を出し、滂沱(ぼうだ)として紫宸(ししん)を污(けが)さん ことを。
九重(きゅうちょう)は黯(くら)已に隔たり、涕泗は空しく唇を沾(うるお)す。
使典 尚書と作り、廝養(しよう) 将軍と為る。
慎みて比の言を道(い)う 勿れ、此の言 未だ聞くに忍びず。




行次西郊作 一百韻 現代語訳と訳註

(本文)
叩頭出鮮血,滂沱污紫宸。
九重黯已隔,涕泗空沾唇。
使典作尚書,廝養爲將軍。
慎勿道此言,此言未忍聞。

(下し文)
叩額(こうがく)して鮮血を出し、滂沱(ぼうだ)として紫宸(ししん)を污(けが)さん ことを。
九重(きゅうちょう)は黯(くら)已に隔たり、涕泗は空しく唇を沾(うるお)す。
使典 尚書と作り、廝養(しよう) 将軍と為る。
慎みて比の言を道(い)う 勿れ、此の言 未だ聞くに忍びず。


(現代語訳)
私は天子の叱責をこうむるのも覚悟の上、床に額をうちつけて、甘露の変の血とは違い清らかな朱血を流し、涙ともども、天子政庁の殿堂を、その血と涙の玉で彩りたいとおもうのです。
天子のおられます官殿は以前よりすでに九重の門を固く閉ざして王朝の雰囲気はうす暗く重いものになっている、誠心あるおおくの官位低き者を隔てて近寄せられない状況なのです。流れ落ちる涙、鼻水は、まだ何事をも心にしまい、建議すらできない、今はただ已れの唇を空しく濡らすに過ぎないというものです。
今は学問も正義も不用、ただ僥倖姦智(ぎょうこうかんち:悪知恵―おべっか、賄賂、女などにより成り上がること)によって、役揚の小役人が最高宰相となり、軍陣の飯たきが成りあがって将軍になる時世となっているのです。
村人よ、よく教えてくれた、私も常々そうおもっていたが、もう二度とこうした話をされてはいけない。理解をしているからこそ、これ以上これを話されると辛くなるばかりなのでもうこれ以上聞けないのだ。


(訳注)
叩頭出鮮血,滂沱污紫宸。

私は天子の叱責をこうむるのも覚悟の上、床に額をうちつけて、甘露の変の血とは違い清らかな朱血を流し、涙ともども、天子政庁の殿堂を、その血と涙の玉で彩りたいとおもうのです。
叩額出鮮血 漢の朱雲が佞臣張禹を斬らんと願って成帝劉爽の怒りをかった時、左将軍の辛慶忌が、叩頭流血してその謝免を願った故事から出る言葉。○滂沱 涙の盛んに流れるさま。「詩経」陳風沢陂に「涕泗滂沱たり。」の句がある。○紫宸 天子が政を聴く一番奥の御殿。唐の長安の宮中でも紫宸殿は奥に位する。


九重黯已隔,涕泗空沾唇。
天子のおられます官殿は以前よりすでに九重の門を固く閉ざして王朝の雰囲気はうす暗く重いものになっている、誠心あるおおくの官位低き者を隔てて近寄せられない状況なのです。流れ落ちる涙、鼻水は、まだ何事をも心にしまい、建議すらできない、今はただ已れの唇を空しく濡らすに過ぎないというものです。
○九 天子の宮城には九つの門がある。○涕泗 涙を流し鼻水を流す。


使典作尚書,廝養爲將軍。
今は学問も正義も不用、ただ僥倖姦智(ぎょうこうかんち:悪知恵―おべっか、賄賂、女などにより成り上がること)によって、役揚の小役人が最高宰相となり、軍陣の飯たきが成りあがって将軍になる時世となっているのです。
使典作尚書 使典は役所の小役人。尚書は法令を実施する官庁。ここは、その尚書省の大臣をいう。「旧唐書」李林甫の伝に、その一党の朔方節度使牛仙客(生年不詳―742年)が尚書を兼ねた時、唐朝中興の功臣の一人で、それまで尚書僕射であった張九齢(673-740年)はそれをそしって、「仙客はもと河湶の一使典のみ。」と言ったとある。この事実を直接さす訳ではないが、官僚機構の秩序がこのように崩壊していたことをいうのである。○廝養 「春秋公羊伝」の宜公十二年の章に「廝役扈養」なる語がみえる。漢の何休の注によると「草を刈りとって防を為す者を廝、炊亨する者を養と曰う。」と。また、「東観漢記」に「忠下の養 中郎将たり。」云云と、商人や料理人が官爵を授った当時の風を風刺した後漢の歌謡をのせる。下賤より成りあがった者をいやしめていう言葉であろう。 


慎勿道此言,此言未忍聞。
村人よ、よく教えてくれた、私も常々そうおもっていたが、もう二度とこうした話をされてはいけない。理解をしているからこそ、これ以上これを話されると辛くなるばかりなのでもうこれ以上聞けないのだ。


次回まとめ

行次西郊作一百韻

蛇年建午月,我自梁還秦。
南下大散關,北濟渭之濱。
草木半舒坼,不類冰雪晨。
又若夏苦熱,燋卷無芳津。」#-1
高田長檞櫪,下田長荆榛。
農具棄道旁,饑牛死空墩。
依依過村落,十室無一存。
存者皆面啼,無衣可迎賓。』#-2
始若畏人問,及門還具陳。
右輔田疇薄,斯民常苦貧。
伊昔稱樂土,所賴牧伯仁。
官清若冰玉,吏善如六親。」#-3
生兒不遠征,生女事四鄰。
濁酒盈瓦缶,爛穀堆荆囷。
健兒庇旁婦,衰翁舐童孫。
況自貞觀後,命官多儒臣。』#-4
例以賢牧伯,徵入司陶鈞。
降及開元中,奸邪撓經綸。
晉公忌此事,多錄邊將勳。
因令猛毅輩,雜牧升平民。」#-5
中原遂多故,除授非至尊。
或出幸臣輩,或由帝戚恩。
中原困屠解,奴隸厭肥豚。』#-6
皇子棄不乳,椒房抱羌渾。
重賜竭中國,強兵臨北邊。
控弦二十萬,長臂皆如猿。
皇都三千里,來往同雕鳶。」#-7
五里一換馬,十里一開筵。
指顧動白日,暖熱回蒼旻。
公卿辱嘲叱,唾棄如糞丸。』#-8
大朝會萬方,天子正臨軒。
采旂轉初旭,玉座當祥煙。
金障既特設,珠簾亦高褰。」#-9
捋須蹇不顧,坐在禦榻前。
忤者死艱屨,附之升頂顛。
華侈矜遞衒,豪俊相並吞。
因失生惠養,漸見征求頻。』#-10

奚寇西北來,揮霍如天翻。
是時正忘戰,重兵多在邊。
列城繞長河,平明插旗幡。
但聞虜騎入,不見漢兵屯。
大婦抱兒哭,小婦攀車轓。」#-11
生小太平年,不識夜閉門。
少壯盡點行,疲老守空村。
生分作死誓,揮淚連秋雲。
廷臣例獐怯,諸將如羸奔。
爲贼掃上陽,捉人送潼關。』#-12
玉輦望南鬥,未知何日鏇。
誠知開辟久,遘此雲雷屯。
送者問鼎大,存者要高官。
搶攘互間諜,孰辨梟與鸞。
千馬無返轡,萬車無還轅。」#-13
城空鼠雀死,人去豺狼喧。
南資竭吳越,西費失河源。
因今左藏庫,摧毁惟空垣。
如人當一身,有左無右邊。
觔體半痿痺,肘腋生臊膻。』#-14
列聖蒙此恥,含懷不能宣。
謀臣拱手立,相戒無敢先。
萬國困杼軸,内庫無金錢。
健兒立霜雪,腹歉衣裳單。」#-15
饋餉多過時,高估銅與鉛。
山東望河北,爨煙猶相聯。
朝廷不暇給,辛苦無半年。
行人搉行資,居者税屋椽。』#-16
中間遂作梗,狼藉用戈鋋。
臨門送節制,以錫通天班。
破者以族滅,存者尚遷延。
禮數異君父,羈縻如羌零。」#-17
直求輸赤誠,所望大體全。
巍巍政事堂,宰相厭八珍。
敢問下執事,今誰掌其權。
瘡疽幾十載,不敢扶其根。
國蹙賦更重,人稀役彌繁。』#-18
近年牛醫兒,城社更扳援。
盲目把大旆,處此京西藩。
樂禍忘怨敵,樹黨多狂狷。
生爲人所憚,死非人所憐。
快刀斷其頭,列若豬牛懸。」#-19
鳳翔三百里,兵馬如黄巾。
夜半軍牒來,屯兵萬五千。
鄉里駭供億,老少相扳牽。
兒孫生未孩,棄之無慘顏。
不複議所適,但欲死山間。』#-20
爾來又三歲,甘澤不及春。
盜贼亭午起,問誰多窮民。
節使殺亭吏,捕之恐無因。
咫尺不相見,旱久多黄塵。」#-21
官健腰佩弓,自言爲官巡。
常恐值荒迥,此輩還射人。
愧客問本末,願客無因循。
郿塢抵陳倉,此地忌黄昏。』#-22
我聽此言罷,冤憤如相焚。
昔聞擧一會,群盜爲之奔。
又聞理與亂,在人不在天。
我願爲此事,君前剖心肝。」#-23
叩頭出鮮血,滂沱污紫宸。
九重黯已隔,涕泗空沾唇。
使典作尚書,廝養爲將軍。
慎勿道此言,此言未忍聞。』#-24


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行次西郊作 一百韻 李商隠 紀頌之の漢詩ブログ李商隠特集150- 169 #22

行次西郊作 一百韻 李商隠 紀頌之の漢詩ブログ李商隠特集150- 169 #22



爾來又三歲,甘澤不及春。
盜贼亭午起,問誰多窮民。
節使殺亭吏,捕之恐無因。
咫尺不相見,旱久多黄塵。」#-21

官健腰佩弓,自言爲官巡。
常恐值荒迥,此輩還射人。
愧客問本末,願客無因循。
郿塢抵陳倉,此地忌黄昏。』#-22
州軍の兵士達は腰に弓矢をおび(携帯)て、お上のために巡察しているのだと自分では申しております。
けれども、人里離れた荒地にまいりましたなら、日常的に恐ろしいことするのです。この兵士達が逆に人を射殺して、盗賊人となるのです。
旅人のお方、この有様、この現状に至った顛末を理解してくれたことを、かたじけなく思います。そして、願わくは、ぐずぐずして一向に改めようとしないこの現状が何とかならないでしょうか。
いまだに夕暮れ時からが禁物なので早く移動してください。


我聽此言罷,冤憤如相焚。
昔聞擧一會,群盜爲之奔。
又聞理與亂,在人不在天。
我願爲此事,君前剖心肝。」#-23


#21
爾来(じらい) 又三載(またさんさい)、甘沢(かんたく) 春に及ばず。
盗賊は亭午(ていご)に起る、誰かと問えば 多くは窮民。
節使はただ亭吏を殺す、之を抽えんとするも恐らく因るところ無けん。
咫尺(しせき)にも相い見えず、旱(ひでり)久しくして黄塵(こうじん)多し。

#22
官健(かんけん)は腰に弓を佩(お)び、自らは官の為に巡ると言う。
常に恐る 荒剋(こうけい)に値(いた)らば、此の輩(やから) 還(かえ)って人を射ん。
愧(は)ず 客の本末を問うを、願わくは客よ 因循(いんじゅん)すること無れ。
郿塢(びお)より陳倉(ちんそう)に抵(いた)る、此の地 黄昏(こういん)を忌(い)む。


#23
我 此の言を聴き罷(おわ)り、冤憤(えんぷん) 相いに焚(や)くが如し。
昔 聞く 一(ひと)りの会(かい)を挙(あ)ぐれば、群盗(ぐんとう) 之が為に奔(はし)れりと。
又聞く 理と乱とは、人に在りて天には在らずと。
我は願う 此の事の為に、君前(くんぜん)に心肝(しんかん)を剖(あら)わし。


 
#22 現代語訳と訳註
(本文) #-22

官健腰佩弓,自言爲官巡。
常恐值荒迥,此輩還射人。
愧客問本末,願客無因循。
郿塢抵陳倉,此地忌黄昏。』


(下し文)#22
官健(かんけん)は腰に弓を佩(お)び、自らは官の為に巡ると言う。
常に恐る 荒剋(こうけい)に値(いた)らば、此の輩(やから) 還(かえ)って人を射ん。
愧(は)ず 客の本末を問うを、願わくは客よ 因循(いんじゅん)すること無れ。
郿塢(びお)より陳倉(ちんそう)に抵(いた)る、此の地 黄昏(こういん)を忌(い)む。


(現代語訳)#22
州軍の兵士達は腰に弓矢をおび(携帯)て、お上のために巡察しているのだと自分では申しております。
けれども、人里離れた荒地にまいりましたなら、日常的に恐ろしいことするのです。この兵士達が逆に人を射殺して、盗賊人となるのです。
旅人のお方、この有様、この現状に至った顛末を理解してくれたことを、かたじけなく思います。そして、願わくは、ぐずぐずして一向に改めようとしないこの現状が何とかならないでしょうか。
いまだに夕暮れ時からが禁物なので早く移動してください。


(訳注)
官健腰佩弓,自言爲官巡。

州軍の兵士達は腰に弓矢をおび(携帯)て、お上のために巡察しているのだと自分では申しております。
官健 衣・糧の官給される州兵を官健という。なお、天下諸道には、みな健児なる州兵がいた。唐の玄宗の御批「唐六典一に見える。自給のための若干の土地が与えられているが俸禄はほとんどないもので、平時にやっと生活できる程度の生活レベルであった。官健も生活にあえいでいたものが多かったのだ。


常恐值荒迥,此輩還射人。
けれども、人里離れた荒地にまいりましたなら、日常的に恐ろしいことするのです。この兵士達が逆に人を射殺して、盗賊人となるのです。
值荒迥 値はそこへ丁度行きあたること。荒迥は人里離れた草原。○還射 矢を射る、人を殺す人にかわること。


愧客問本末,願客無因循。
旅人のお方、この有様、この現状に至った顛末を理解してくれたことを、かたじけなく思います。そして、願わくは、ぐずぐずして一向に改めようとしないこの現状が何とかならないでしょうか。
 かたじけなく思う。○本末 事の次第。ここでは、この有様、現状に至った顛末を理解すること。○因循 1 古い習慣や方法などに従うばかりで、それを一向に改めようとしないこと。また、そのさま。2 思い切りが悪く、ぐずぐずしていること。引っ込み思案なさま。


郿塢抵陳倉,此地忌黄昏。
郿塢のあたりより、陳倉に至るこの一帯でございますが、いまだに夕暮れ時からが禁物なので早く移動してください。
郿塢 陝西省郡県北方にある地名。○陳倉 陝西省宝鶏県の東にある地名。


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行次西郊作 一百韻 李商隠 紀頌之の漢詩ブログ李商隠特集150- 167 #20

行次西郊作 一百韻 李商隠 紀頌之の漢詩ブログ李商隠特集150- 167 #20



近年牛醫兒,城社更扳援。
盲目把大旆,處此京西藩。
樂禍忘怨敵,樹黨多狂狷。
生爲人所憚,死非人所憐。
快刀斷其頭,列若豬牛懸。」#-19

鳳翔三百里,兵馬如黄巾。
鳳翔から長安に至るまで、凡そ三百里の間は、しかしその甘露の変のために無政府状熊におち入り、ならず者は群盗と化し、農民一揆は乱発し、あたかも漢末の黄巾の乱のように、兵馬が駆けめぐったのだった。
夜半軍牒來,屯兵萬五千。
真夜中に軍部からの指令が村にとどいたのであるが、それは、一万五干の王朝の軍が駐屯するというしらせであったが、同時にそれは村人の負担になるのだ。
鄉里駭供億,老少相扳牽。
村人にとって、兵糧米の供出に、村里は愕然とせねばならなかった。命令に従う以外にはないからである。老人と幼少年の者、それら辛うじて村に居残っていたものたちは前後で手をひき合って逃亡するしかなかった。
兒孫生未孩,棄之無慘顏。
逃民は生れてまだ乳ばなれせぬ嬰児を足于まといになるということで路傍に棄て去り、しかも、それを悲しむ表情をすら失っていた。
不複議所適,但欲死山間。』
#-20
どこへ行けばよいのかを相談すこともないままに、ただもう、兵戈にかかるよりは、山の中で餓え死にした方がましであると、逃避したのである。
爾來又三歲,甘澤不及春。
盜贼亭午起,問誰多窮民。
節使殺亭吏,捕之恐無因。
咫尺不相見,旱久多黄塵。」#-21

#19
近年 牛医(ぎゅうい)の児(こ)、
城社(じょうしゃ)に更に扳援(はんえん)す。
盲目(もうもく)にして大旆(たいはい)を把(と)り、此の京西(けいせい)の藩(はん)に処(お)る。
禍(わざわい)を楽しみて怨敵(おんてき)を忘れ、党を樹てて狂狷(きょうけん)多し。
生きては人の憚(はばか)る所と為り、死しても人の憐む所に非ず。
快刀(かいとう) 其の頭(こうべ)を断(き)り、列(つら)ねらるること猪牛(ちょぎゅう)の懸(かけ)らるるに若(に)たり。
#-20
鳳翔(ほうしょう) 三百里、兵馬(へいば)は黄巾(こうきん)の如し。
夜半(やはん)に軍牒(ぐんちょう)来り、兵を屯する 万五干。
鄉里は供億(きょうおく)に駭(おどろ)き、老少(ろうしょう) 相い扳(たす)け牽(ひ)く。
児孫(じそん) 生れて未だ孩(がい)ならざるに、之を棄てて惨顔(さんがん)無し。
複た適(ゆ)く所を議(はか)らず、但だ山間に死せんことを欲す。

#21
爾来(じらい) 又三載(またさんさい)、甘沢(かんたく) 春に及ばず。
盗賊は亭午(ていご)に起る、誰かと問えば 多くは窮民。
節使はただ亭吏を殺す、之を抽えんとするも恐らく因るところ無けん。
咫尺(しせき)にも相い見えず、
旱(ひでり)久しくして黄塵(こうじん)多し。


 現代語訳と訳註
(本文)

鳳翔三百里,兵馬如黄巾。
夜半軍牒來,屯兵萬五千。
鄉里駭供億,老少相扳牽。
兒孫生未孩,棄之無慘顏。
不複議所適,但欲死山間。』#-20

(下し文)
鳳翔(ほうしょう) 三百里、兵馬(へいば)は黄巾(こうきん)の如し。
夜半(やはん)に軍牒(ぐんちょう)来り、兵を屯する 万五干。
鄉里は供億(きょうおく)に駭(おどろ)き、老少(ろうしょう) 相い扳(たす)け牽(ひ)く。
児孫(じそん) 生れて未だ孩(がい)ならざるに、之を棄てて惨顔(さんがん)無し。
複た適(ゆ)く所を議(はか)らず、但だ山間に死せんことを欲す。
 
(現代語訳)
鳳翔から長安に至るまで、凡そ三百里の間は、しかしその甘露の変のために無政府状熊におち入り、ならず者は群盗と化し、農民一揆は乱発し、あたかも漢末の黄巾の乱のように、兵馬が駆けめぐったのだった。
真夜中に軍部からの指令が村にとどいたのであるが、それは、一万五干の王朝の軍が駐屯するというしらせであったが、同時にそれは村人の負担になるのだ。
村人にとって、兵糧米の供出に、村里は愕然とせねばならなかった。命令に従う以外にはないからである。老人と幼少年の者、それら辛うじて村に居残っていたものたちは前後で手をひき合って逃亡するしかなかった。
逃民は生れてまだ乳ばなれせぬ嬰児を足于まといになるということで路傍に棄て去り、しかも、それを悲しむ表情をすら失っていた。
どこへ行けばよいのかを相談すこともないままに、ただもう、兵戈にかかるよりは、山の中で餓え死にした方がましであると、逃避したのである。


(訳注)
鳳翔三百里,兵馬如黄巾。
鳳翔から長安に至るまで、凡そ三百里の間は、しかしその甘露の変のために無政府状熊におち入り、ならず者は群盗と化し、農民一揆は乱発し、あたかも漢末の黄巾の乱のように、兵馬が駆けめぐったのだった。
鳳翔三百里 鳳翔府は長安の西三百十五里にある。180km余り。○黄巾 後漢の霊帝劉宏(一五六―一八九年)の時に起り、後漢の滅亡の原因の一つとなった、張角に指導された大農民一揆。天師道の信仰によって結束し、その一党はみな黄色い頭巾をかぶっていたので、世にこれを黄巾の賊と称する。黄は土の色を象徴し、五行思想から云えば漢の徽色である赤に代るべき色なのである。李商隠の死後、同様に唐の末期的症状を示す黄巣の乱(こうそうのらん)(875~884)が起こっている。


夜半軍牒來,屯兵萬五千。
真夜中に軍部からの指令が村にとどいたのであるが、それは、一万五干の王朝の軍が駐屯するというしらせであったが、同時にそれは村人の負担になるのだ。
軍牒 軍の指令書。


鄉里駭供億,老少相扳牽。
村人にとって、兵糧米の供出に、村里は愕然とせねばならなかった。命令に従う以外にはないからである。老人と幼少年の者、それら辛うじて村に居残っていたものたちは前後で手をひき合って逃亡するしかなかった。
供億 乏しき者に物を給与してそれを安んぜしめるのが原義、転じて供出の義に用う。[左伝]の隠公十一年の章に「鄭伯曰く、寡人は惟だ是。のこ一の父兄だに供億する能わず。」と見える。○扳牽 扳はひっぱる。牽は前にひくの意。


兒孫生未孩,棄之無慘顏。
逃民は生れてまだ乳ばなれせぬ嬰児を足于まといになるということで路傍に棄て去り、しかも、それを悲しむ表情をすら失っていた。
未孩 生れて二I三歳、笑いを知りそめた子供を孩という。未孩は乳飲児。「老于」に「嬰児の未だ孩ならざる如し」とある。○惨顔 惨は哀れに思って心いたむこと。


不複議所適,但欲死山間。
どこへ行けばよいのかを相談すこともないままに、ただもう、兵戈にかかるよりは、山の中で餓え死にした方がましであると、逃避したのである。
 事の宜しきを考えはかる。


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李商隠INDEX02
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直求輸赤誠,所望大體全。
巍巍政事堂,宰相厭八珍。
敢問下執事,今誰掌其權。
瘡疽幾十載,不敢扶其根。
國蹙賦更重,人稀役彌繁。』#-18

近年牛醫兒,城社更扳援。
少し前近年のことだ、田舎獣医の子供であったものが口を巧みにあやつった鄭注は、宦官どもにとり入って、政治の場によじ登ったのだ。
盲目把大旆,處此京西藩。
盲目に等しい極度の近限というだけでなく、加えて何らの先見もなく政策をも知らすに節度使となり、大旗を翻えして、この帝都の西のまもりである鳳翔の地に赴任して来た。
樂禍忘怨敵,樹黨多狂狷。
彼は派閥争いに割り込んで人が失敗や禍にあうのを楽しんだ、私利私欲の節度使や宮廷に巣喰う宦官など、朝廷にとっては怨敵であるはずの者達を敵として戦うことなどをあたまから忘れてしまった。また鄭注のたてた党派に属するものどもは観念的な事ばかりのことをいうものや、その反対にやみ雲にやろうとするものが多かった。
生爲人所憚,死非人所憐。
それゆえに生きている間には、人のはばかり畏れる高位を得たけれども、彼の死後は、その死に様の悲惨さにも拘らず、憐れむ者はいなかったのである。
快刀斷其頭,列若豬牛懸。」
#-19
企まれたクーデターは失敗し、急ぎ長安に攻め入ろうーとした彼の軍隊は監軍使にだまし討ちされ、見事な切れ味の刀に彼はその頭をはねられた。その首は、あたかも豚や牛の首のように、死刑場にさらしものにされたのである。

鳳翔三百里,兵馬如黄巾。
夜半軍牒來,屯兵萬五千。
鄉里駭供億,老少相扳牽。
兒孫生未孩,棄之無慘顏。
不複議所適,但欲死山間。』#-20

-#18
直え赤誠(せきせい)輸さんことを求むるも,望む所は大體の全(まった)きのみ。
巍巍たる政事の堂,宰相は八珍に厭(あ)く。
敢敢て 下執事に問う,今 誰か其の權を掌(つかさど)るや。
瘡疽(そうそ) 幾十載,敢て其の根を扶(えぐ)らず。
國 蹙(おとろ) えて 賦 更に重く,人 稀にして 役彌(いよ) いよ繁し。』-18

-#19
近年 牛医(ぎゅうい)の児(こ)、城社(じょうしゃ)に更に扳援(はんえん)す。
盲目(もうもく)にして大旆(たいはい)を把(と)り、此の京西(けいせい)の藩(はん)に処(お)る。
禍(わざわい)を楽しみて怨敵(おんてき)を忘れ、党を樹てて狂狷(きょうけん)多し。
生きては人の憚(はばか)る所と為り、死しても人の憐む所に非ず。
快刀(かいとう) 其の頭(こうべ)を断(き)り、列(つら)ねらるること猪牛(ちょぎゅう)の懸(かけ)らるるに若(に)たり。

#20
鳳翔(ほうしょう) 三百里、兵馬(へいば)は黄巾(こうきん)の如し。
夜半(やはん)に軍牒(ぐんちょう)来り、兵を屯する 万五干。
鄉里は供億(きょうおく)に駭(おどろ)き、老少(ろうしょう) 相い扳(たす)け牽(ひ)く。
児孫(じそん) 生れて未だ孩(がい)ならざるに、之を棄てて惨顔(さんがん)無し。
複た適(ゆ)く所を議(はか)らず、但だ山間に死せんことを欲す。



現代語訳と訳註
(本文)

近年牛醫兒,城社更扳援。
盲目把大旆,處此京西藩。
樂禍忘怨敵,樹黨多狂狷。
生爲人所憚,死非人所憐。
快刀斷其頭,列若豬牛懸。」#-19

(下し文)
近年 牛医(ぎゅうい)の児(こ)、城社(じょうしゃ)に更に扳援(はんえん)す。
盲目(もうもく)にして大旆(たいはい)を把(と)り、此の京西(けいせい)の藩(はん)に処(お)る。
禍(わざわい)を楽しみて怨敵(おんてき)を忘れ、党を樹てて狂狷(きょうけん)多し。
生きては人の憚(はばか)る所と為り、死しても人の憐む所に非ず。
快刀(かいとう) 其の頭(こうべ)を断(き)り、列(つら)ねらるること猪牛(ちょぎゅう)の懸(かけ)らるるに若(に)たり。


(現代語訳)
少し前近年のことだ、田舎獣医の子供であったものが口を巧みにあやつった鄭注は、宦官どもにとり入って、政治の場によじ登ったのだ。
盲目に等しい極度の近限というだけでなく、加えて何らの先見もなく政策をも知らすに節度使となり、大旗を翻えして、この帝都の西のまもりである鳳翔の地に赴任して来た。
彼は派閥争いに割り込んで人が失敗や禍にあうのを楽しんだ、私利私欲の節度使や宮廷に巣喰う宦官など、朝廷にとっては怨敵であるはずの者達を敵として戦うことなどをあたまから忘れてしまった。また鄭注のたてた党派に属するものどもは観念的な事ばかりのことをいうものや、その反対にやみ雲にやろうとするものが多かった。
それゆえに生きている間には、人のはばかり畏れる高位を得たけれども、彼の死後は、その死に様の悲惨さにも拘らず、憐れむ者はいなかったのである。
企まれたクーデターは失敗し、急ぎ長安に攻め入ろうーとした彼の軍隊は監軍使にだまし討ちされ、見事な切れ味の刀に彼はその頭をはねられた。その首は、あたかも豚や牛の首のように、死刑場にさらしものにされたのである。


(訳注)
近年牛醫兒,城社更扳援。
 
少し前近年のことだ、田舎獣医の子供であったものが口を巧みにあやつった鄭注は、宦官どもにとり入って、政治の場によじ登ったのだ。
牛医児 835年文宗太和九年十一月の宦官勢力掃討を名目としたクーデター、所謂「甘露の変」の主謀者の一人、風翔節度使鄭注を指す。牛医児はもと、後漢の獣医の子であった黄憲のことをいうが、鄭注(?-835年)は医薬の術で文宗皇帝李昂(809-840年)の厚遇を得たので、借りて牛医の児と呼んだのである。○城社 君側の佞臣。○扳援 一本に板援につくる。扳は攀に同じ。よじのぼること。勢力ある人に頼って出世することが攀縁・鄭注は最初、中尉(宦官の職)王守澄(?-835年)の推薦で文宗の愛寵を得た。 


盲目把大旆,處此京西藩。
盲目に等しい極度の近限というだけでなく、加えて何らの先見もなく政策をも知らすに節度使となり、大旗を翻えして、この帝都の西のまもりである鳳翔の地に赴任して来た。
盲目 鄭注は近視眼で遠くを見ることが出来なかったことにひっかけ、政見も政策も持たずして重任されたことを、盲目といったもの。○把大旆 大きな旗を立てて節度使となることをいう。鄭注は833年太和七年昭義行軍司馬であったが、王守澄のすすめで天子の病をいやすべく都によばれ、彼の医術が効を奏して寵を得、835年太和九年に鳳翔節度使となった。○京西藩 鳳翔節度使をいう。藩は王城守備の外垣というのがもとの意味。ここでは潘鎮をいう。

樂禍忘怨敵,樹黨多狂狷。
彼は派閥争いに割り込んで人が失敗や禍にあうのを楽しんだ、私利私欲の節度使や宮廷に巣喰う宦官など、朝廷にとっては怨敵であるはずの者達を敵として戦うことなどをあたまから忘れてしまった。また鄭注のたてた党派に属するものどもは観念的な事ばかりのことをいうものや、その反対にやみ雲にやろうとするものが多かった。
楽禍 李徳柿(789-849年)と牛伯儒(779-847年)、李宗閔の派閥争い、宦官王守澄、仇士良(779-841年)の介人、汲び、鄭注、李訓(?-835年)の新興勢力の巴状態の対立の中で、鄭注と李訓が自己の勢力拡張に腐心し、要職人の禍にかかるのを喜んだことをいう。○怨敵 宦官を指す。○狂狷 中庸の道に合わぬ行い。狂は実践力の伴わない観念ばかりのことをいう。狷はその反対にやみ雲にやろうとすること。 


生爲人所憚,死非人所憐。
それゆえに生きている間には、人のはばかり畏れる高位を得たけれども、彼の死後は、その死に様の悲惨さにも拘らず、憐れむ者はいなかったのである。


快刀斷其頭,列若豬牛懸。」
企まれたクーデターは失敗し、急ぎ長安に攻め入ろうーとした彼の軍隊は監軍使にだまし討ちされ、見事な切れ味の刀に彼はその頭をはねられた。その首は、あたかも豚や牛の首のように、死刑場にさらしものにされたのである。
快刀-牛懸 甘露の変は、宦官を外廷におびき寄せて殺害せんとし、冬至の日に宮殿わきの庭の石榴の花に露がおりたと奏上させ、邠寧節度使郭行俆、太原節度使王璠の援軍によって、一拳に事をきめるべく、李訓と鄭注によって計画されたクーデターである。だが、失敗して、逆に宦官の為に李訓は勿論、それに無関係な朝臣までが多く殺害された。その失敗を聞いた鄭注は、鳳翔より親兵五百余人を率いて宮門に攻め入ろうとしたが、途中監軍使張仲清に殺された(「旧唐書」鄭往伝および 「通鑑」)。
甘露の変は李商隠の人生にとって、希望の灯を立たれたエポックメーキングであった。李商隠の人生はこれにより決まったのである。この詩をはじめ多くの詩はどこかでこの事件につながったものである。

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獨居有懐 李商隠 紀頌之の漢詩ブログ李商隠特集150- 100

獨居有懐 李商隠 紀頌之の漢詩ブログ李商隠特集150- 100
五言排律


獨居有懐
麝重愁風逼、羅踈畏月侵。
濃密に麝香の香り漂う部屋にいる私は風評や圧迫に愁いに沈んでいるのだ、月の光が明るくて透き通ったとばりからはいってくるので心は落ち着かない。
怨魂迷恐斷、嬌喘細疑沈。
怨みに思う魂は迷い、おそれ、ちぎれそうだし、妓女の喘ぐ声をため息のように沈んだ声に消しているのだ。
數急芙蓉帯、頻抽翡翠簪。
妓女のところに何度も来て、芙蓉の帯を何度も締め直し、乱れ髪から抜け落ちる劣翠のかんざしを度々挿し直したのだ。
柔情終不遠、遙妒己先深。
あの情を交わす柔らかな心根はいつまでも薄れはしない、もう遙かなむかしのことにした妬む気持ちもすでにその先から深い所においてしまった。
浦冷鴛鴦去、園空蛺蝶尋。
寒々とした入り江の水辺にいた番いの鴛鴦はいなくなった、ひっそりしたなにもない小園に一羽の蝶がやってきた。
蝋花長遞涙、筝桂鎮移心。
蝋燭の頭が花になるほどの時が過ぎ、涙は途切れずながれている、こと糸を動かすように胸の思いはいつも定まらない。
覓使嵩雲暮、廻頭㶚岸陰。
手紙を届けてくれる青い鳥はいないかと捜そうにも、ここ嵩山は雲に覆われて日暮れ、㶚陵まで来て振り返っても、㶚陵橋の岸辺の楊は雲の影で暗くなっている。
只聞涼葉院、露井近寒砧。

ただ耳に聞こえるのは秋の木の葉音のする庭園のさびしさがつのり、屋根のない井戸端のあたりから冬着の支度を急ぐ砧の音が響きわたる。



独居 懐う有り
麝は重くして風逼(ふうひつ)を愁う、蘿は踈にして月侵すを畏る。
怨魂 迷いて断たれんかと恐れ、嬌喘 細くして沈まんかと疑う。
数しば急うす 芙蓉の帯、頻りに抽く 翡翠の簪。
柔情 終に遠からず、遥妒(ようと) 己に先んじて探し。
浦は冷やかにして鴛鴦去り、園は空しくして蛺蝶尋ぬ。
蝋花 長えに涙を逓し、筝柱 鎮に心を移す。
使いを覓むるも嵩雲暮れ、頭を廻らすも㶚岸陰る。
只だ聞く 涼葉の院、露井 寒砧近きを。


獨居有懐  現代語訳と訳註、解説

(本文)
麝重愁風逼、羅踈畏月侵。
怨魂迷恐斷、嬌喘細疑沈。
數急芙蓉帯、頻抽翡翠簪。
柔情終不遠、遙妒己先深。
浦冷鴛鴦去、園空蛺蝶尋。
蝋花長遞涙、筝桂鎮移心。
覓使嵩雲暮、廻頭㶚岸陰。
只聞涼葉院、露井近寒砧。


(下し文)
麝は重くして風の逼るを愁い、蘿は踈にして月の侵すを畏る。
怨魂 迷いて断たれんかと恐れ、嬌喘 細くして沈まんかと疑う。
数しば急うす 芙蓉の帯、頻りに抽く 翡翠の簪。
柔情 終に遠からず、遥妒(ようと) 己に先んじて探し。
浦は冷やかにして鴛鴦去り、園は空しくして蛺蝶尋ぬ。
蝋花 長えに涙を逓し、筝柱 鎮に心を移す。
使いを覓むるも嵩雲暮れ、頭を廻らすも㶚岸陰る。
只だ聞く 涼葉の院、露井 寒砧近きを。


(現代訳文)
濃密に麝香の香り漂う部屋にいる私は風評や圧迫に愁いに沈んでいるのだ、月の光が明るくて透き通ったとばりからはいってくるので心は落ち着かない。
怨みに思う魂は迷い、おそれ、ちぎれそうだし、妓女の喘ぐ声をため息のように沈んだ声に消しているのだ。
妓女のところに何度も来て、芙蓉の帯を何度も締め直し、乱れ髪から抜け落ちる劣翠のかんざしを度々挿し直したのだ。
あの情を交わす柔らかな心根はいつまでも薄れはしない、もう遙かなむかしのことにした妬む気持ちもすでにその先から深い所においてしまった。
寒々とした入り江の水辺にいた番いの鴛鴦はいなくなった、ひっそりしたなにもない小園に一羽の蝶がやってきた。
蝋燭の頭が花になるほどの時が過ぎ、涙は途切れずながれている、こと糸を動かすように胸の思いはいつも定まらない。
手紙を届けてくれる青い鳥はいないかと捜そうにも、ここ嵩山は雲に覆われて日暮れ、㶚陵まで来て振り返っても、㶚陵橋の岸辺の楊は雲の影で暗くなっている。
ただ耳に聞こえるのは秋の木の葉音のする庭園のさびしさがつのり、屋根のない井戸端のあたりから冬着の支度を急ぐ砧の音が響きわたる。


(訳註)
麝重愁風逼、羅踈畏月侵。

濃密に麝香の香り漂う部屋にいる私は風評や圧迫に愁いに沈んでいるのだ、月の光が明るくて透き通ったとばりからはいってくるので心は落ち着かない。
○麝重 麝香の香りが重く濃密に漂う。○愁風逼 ○羅疎 「羅」はうすぎぬ。目の粗い。薄絹を通り越す。○畏月侵 月の光がはいってくるので心は落ち着かない。


怨魂迷恐斷、嬌喘細疑沈。
怨みに思う魂は迷い、おそれ、ちぎれそうだし、妓女の喘ぐ声をため息のように沈んだ声に消しているのだ。
怨魂 怨魂は恋人を怨みがましく思う魂。魂が「断」たれるとは、茫然自失の状態になること。○迷恐斷 おそれ、ちぎれ、迷うのだ。○嬌喘 たおやかなあえぎ声。○細疑沈 ため息のように沈んだ声に消しているのだ。


數急芙蓉帯、頻抽翡翠簪。
妓女のところに何度も来て、芙蓉の帯を何度も締め直し、乱れ髪から抜け落ちる劣翠のかんざしを度々挿し直したのだ。
数急 急はきついこと。ここでは帯をきつく締めることをいう。何度もきゅっと締めなおす。○芙蓉帯 芙蓉、すなわちハスの花を模様に描いた帯。○頻抽 抽」は抜く。思い悩んで髪が乱れるために何度もかんざしを抜き取って髪を整える。○翡翠簪 翡翠の羽を飾ったかんざし。


柔情終不遠、遙妒己先深。
あの情を交わす柔らかな心根はいつまでも薄れはしない、もう遙かなむかしのことにした妬む気持ちもすでにその先から深い所においてしまった。
柔情 慕う気持ち。○終不達 いつまでも薄れはしない。○遥妬 もう遙かなむかしのことに妬む。


浦冷鴛鴦去、園空蛺蝶尋。
寒々とした入り江の水辺にいた番いの鴛鴦はいなくなった、ひっそりしたなにもない小園に一羽の蝶がやってきた。
鴛鴦 オシドリ。仲むつまじい男女の象徴。○蛺蝶 アゲハチョウ。ここでは一羽。飾り立てた妓女の象徴。
(地の果て、寂しいところにいることを想像させる。)


蝋花長遞涙、筝桂鎮移心。
蝋燭の頭が花になるほどの時が過ぎ、涙は途切れずながれている、こと糸を動かすように胸の思いはいつも定まらない。
蝋花 蝋燭の灯心の先。丁子頭。○長逓涙 逓は次々と送る。○琴柱 筝は十三舷のこと。柱はこと糸。李商隠1錦瑟。李白「前有樽酒行 其二」参照○ つねに。○移心 こと糸を動かすことに掛けて、心が定まらないことをいう。


覓使嵩雲暮、廻頭㶚岸陰。
手紙を届けてくれる青い鳥はいないかと捜そうにも、ここ嵩山は雲に覆われて日暮れ、㶚陵まで来て振り返っても、㶚陵橋の岸辺の楊は雲の影で暗くなっている。
覓使嵩雲暮 恋の使いをする青鳥は李商隠無題(相見時難別亦難) 杜甫「麗人行」にみえる。嵩山も道教の本山のあるところであり、仙界を印象付ける。
廻頭㶚岸陰 㶚水は長安東郊を流れる川。またその付近の㶚陵を指す。七哀詩三首に「南の方㶚陵に登り、首をめぐらして長安を望む」とある。王粲は長安を去って㶚水を上流に登り、峠を越えて、漢水にのり、荊州(湖北省江陵県)の劉表のもとに赴くのである。こちらの古道は南の道。李白の雑言古詩李白139灞陵行送別にイメージを借りている。


只聞涼葉院、露井近寒砧。
ただ耳に聞こえるのは秋の木の葉音のする庭園のさびしさがつのり、屋根のない井戸端のあたりから冬着の支度を急ぐ砧の音が響きわたる。
涼葉院 秋の木の葉音のする庭園のさびしさがつのる。○寒砧 冬の衣を打つきぬた。ここではきぬたの音。織りあがった布を和らげるために石の台の上に載せ叩くこと、冬着の支度を急ぐ砧の音は晩秋の夜のものさびしい風物として、また、女の夫を思う気持ちを表現するのにうたわれる。


○詩型 五言排律。
○押韻 侵・沈・啓・深・尋・心・陰・砧。平水韻、


出世ラインを外れた文人は女の思い、寡居の女になりかわってその胸中をうたう。長安のあたりであったり、洛陽の地であったり、さびしい心情は女が慕い続け、その揺れ動く心は同じなのだ。
 李商隠は自分のことを妓女に置き換えて表現しなければならなかったのだ。したがって、捨てられた女、出征兵士の女、表現は細やかなものになるほどあわれをさそうのである。

聖女詞 李商隠 紀頌之の漢詩ブログ李商隠特集150- 99

聖女詞 李商隠 紀頌之の漢詩ブログ李商隠特集150- 99



聖女詞
松篁臺殿蕙香幃、龍護瑤窗鳳掩扉。
松と竹に囲まれた台殿のやしろが蕙香の香りと格調高いとばりにかこまれている。かがやく宝玉で飾った拝殿の窓には守護するように龍が彫られ、扉には鳳凰が一面に刻まれている。
無質易迷三里霧、不寒長著五銖衣。
どれほどのものが証というのか自分には差し出すものがないので連れ添ってくれないから迷ってしまう三里先が見えない霧の中にいるようだ、寒くはない、長い間肌をあらわにしたままで五銖の銭で服をぬいで交わった。
人閒定有崔羅什、天上應無劉武威。
人の世には女性と楽しく過ごすことは当たり前のようにある、ましてや崔羅什のような体験もあるのだ。天上世界においては劉武威のような凛々しい武将であっても女性と楽しく過ごせることなどありはしないのだ。
寄問釵頭雙白燕、毎朝珠館幾時歸。

教えてほしい、簪で綺麗に着飾った二人より沿う白燕の彼女たち、。その御殿にいつも参内されている聖女は、いつここへ帰って来られるのか。(国教である道教がこんなことでよいのか)

聖女詞

松篁の台殿 蕙香の幃、龍は瑤窗を護り 鳳は扉を掩う。

質無くして迷い易し 三里の霧、寒からずして長に著る 五銖の衣。

人間 定めて有り 崔羅什、天上 応に無かるべし 劉武威。

問いを寄す 釵頭の双白燕、毎に珠館に朝して幾時か帰る。



聖女詞  現代語訳と訳註、解説
(本文)

松篁臺殿蕙香幃、龍護瑤窗鳳掩扉。
無質易迷三里霧、不寒長著五銖衣。
人閒定有崔羅什、天上應無劉武威。
寄問釵頭雙白燕、毎朝珠館幾時歸。


(下し文)
松篁の台殿 蕙香の幃、龍は瑤窗を護り 鳳は扉を掩う。
質無くして迷い易し 三里の霧、寒からずして長に著る 五銖の衣。
人間 定めて有り 崔羅什、天上 応に無かるべし 劉武威。
問いを寄す 釵頭の双白燕、毎に珠館に朝して幾時か帰る。


(現代語訳)
松と竹に囲まれた台殿のやしろが蕙香の香りと格調高いとばりにかこまれている。かがやく宝玉で飾った拝殿の窓には守護するように龍が彫られ、扉には鳳凰が一面に刻まれている。
どれほどのものが証というのか自分には差し出すものがないので連れ添ってくれないから迷ってしまう三里先が見えない霧の中にいるようだ、寒くはない、長い間肌をあらわにしたままで五銖の銭で服をぬいで交わった。
人の世には女性と楽しく過ごすことは当たり前のようにある、ましてや崔羅什のような体験もあるのだ。天上世界においては劉武威のような凛々しい武将であっても女性と楽しく過ごせることなどありはしないのだ。

(訳註)
聖女詞

聖女詞 道教の神女を祀ったほこら。

李商隠 6 重過聖女詞
鳳州(陝西省鳳翔)の秦岡山の懸崖の側、列壁の上にある祠。その神体は女性で上が赤く下が白く塗られているという。(856年45歳のころ、東川の幕府からか、陝西省南鄭県)興元の方面から長安に帰る途中か、あるいは向かう折かの作と推定されている。

唐代の道教のやしろ、或いはそれに類するいわゆる淫祠の女冠は多分に売春、娼妓的性格をもっていた。それを考え併せてこの詩を読まないとわからない。


松篁臺殿蕙香幃、龍護瑤窗鳳掩扉。
松と竹に囲まれた台殿のやしろが蕙香の香りと格調高いとばりにかこまれている。かがやく宝玉で飾った拝殿の窓には守護するように龍が彫られ、扉には鳳凰が一面に刻まれている。
松篁「篁」は竹林、竹であるが、道沿いに整然と見え、鬱蒼としている状況でないもの。○蕙香幃「蕙」は香草の名。「幃」はとばり。○龍護瑤窗鳳掩扉 祠の窓、扉に龍や鳳凰が刻まれている壮麗さをいう。「瑤窓」は宝玉で飾った窓。日の光を浴びで神秘的に光るイメージを言う。


無質易迷三里霧、不寒長著五銖衣。
どれほどのものが証というのか自分には差し出すものがないので連れ添ってくれないから迷ってしまう三里先が見えない霧の中にいるようだ、寒くはない、長い間肌をあらわにしたままで五銖の銭で服をぬいで交わった。
無質 さし出すもの。真。約束。〇三里霧 いわゆる五里霧中の状態。暗い中での男女の交わりをあらわす。○長著 あらわれる。服を脱ぐ。〇五銖衣 銖は重さの単位ごくわずかの単位で五銖ほどの軽さという意味。五銖で娼妓を買うという意味であろう。


人閒定有崔羅什、天上應無劉武威。
人の世には女性と楽しく過ごすことは当たり前のようにある、ましてや崔羅什のような体験もあるのだ。天上世界においては劉武威のような凛々しい武将であっても女性と楽しく過ごせることなどありはしないのだ。
人閒 人の世の中。○崔羅什 墳墓のなかの女性に歓待された男の話。段成式『酉陽雑姐』冥跡に見える。北魏の時、崔羅什が長白山のふもとにさしかかった時、ふいに豪壮な邸宅があらわれた。中に招かれて女主人と歓談したのち、十年後にまた会うことを約して辞し、振り返ってみるとそこには大きな墳墓があるだけだった。〇劉武威 仙女との交歓を語る武将の物語にもとづくであろう。


寄問釵頭雙白燕、毎朝珠館幾時歸。
教えてほしい、簪で綺麗に着飾った二人より沿う白燕の彼女たち、。その御殿にいつも参内されている聖女は、いつここへ帰って来られるのか。(国教である道教がこんなことでよいのか)
欽頭双白燕 かんざしにつけたつがいの白いツバメ、この祠にいるおしろいをつけた娼妓のこと。今全員に客がついている。○珠舘 仙界の建物。祠近くにある娼屋を意味する。


○詩型 七言律詩。
○押韻 幃、扉、衣、威、帰。



道教の老荘思想について李商隠は学びもし、評価もしているが、道教の道士の唐王朝に対する媚と金丹による中毒、あるいは道教と宦官の関係に対して憤りを覚えていたのである。道教の女神をまつった祠にしても、何らかの罪を犯してきた女性等を贖罪のためか生活のためか住まわしていた。何らかの形で性と結びついている道教について批判的であると感じる。

代贈二首 其二 李商隠 紀頌之の漢詩ブログ李商隠特集150- 98

代贈二首 其二 李商隠 紀頌之の漢詩ブログ李商隠特集150- 98


其二
東南日出照高樓、樓上離人唱石州。
冬の夜長冬枯れの寂しさのただよう高楼にやっと日の出で日差しがさして来た。北方の塞の見張り台にいるだろう出征の兵士のあのひと、待ちわびる女同士では「石州」を歌い唱和している。
總把春山掃眉黛、不知供得幾多愁。
あなたのいない今、あまたの男を相手にしてきたが眉墨でまゆを画く、自分も年を取ってきた、幾多の愁いを伴ってここまで来たのだがどこまで知ってくれているだろう。


(下し文)
東南 日出でて高楼を照らす、楼上の離人 石州を唱う。
総て春山を把って眉黛を掃う、知らず 幾多の愁いを供し得たるかを。


(現代語訳)
冬の夜長冬枯れの寂しさのただよう高楼にやっと日の出で日差しがさして来た。北方の塞の見張り台にいるだろう出征の兵士のあのひと、待ちわびる女同士で「石州」を歌い唱和している。
あなたのいない今、あまたの男を相手にしてきたが眉墨でまゆを画く、自分も年を取ってきた、幾多の愁いを伴ってここまで来たのだがどこまで知ってくれているだろう。


(普通に訳すと以下のように意味不明になる。)
東南から昇った太陽が高い楼閣を照らし出す。楼の上に一人のこされた女は、別離の悲しみをうたった「石州」 の歌を口ずさむ。
あげくに春の山のかたちにまゆずみを引いてみる。なだらかに引かれたその眉はいかほどの悲しみを生んできたことか。
(同じ場所の楼閣なら、上句、下句二度云う必要はない。)


東南日出照高樓、樓上離人唱石州。
冬の夜長冬枯れの寂しさのただよう高楼にやっと日の出で日差しがさして来た。北方の塞の見張り台にいるだろう出征の兵士のあのひと、待ちわびる女同士では「石州」を歌い唱和している。
東南日出 東南の日の出は冬の日の出を示す。冬になると北方の異民族は南下して戦が激しくなった。冬の夜長の高楼にやっと日の出が来たのだ。冬枯れの寂しさの高楼。○楼上 前句の高楼と異なるもの。北方の塞の見張り台である。○離人 なじみで好きだった男が出征兵士となっている。○石州 山西省から陝西省の北部一帯を示す。若き李商隠の赴任地。万里の長城が黄河を渡る付近も入る。この地の北側はムウス砂漠である。この地は冬以外戦争はない地点である。唐代無名氏の楽府に「石州」がある。辺境の地に出征した男を待ちわびる妻の思いをうたったもの。


總把春山掃眉黛、不知供得幾多愁。
あなたのいない今、あまたの男を相手にしてきたが眉墨でまゆを画く、自分も年を取ってきた、幾多の愁いを伴ってここまで来たのだがどこまで知ってくれているだろう。
総把 全てを束にして握る。○春山 男女の情欲の気持ちのかたまり。○掃眉 まゆをかく。 ・眉黛眉毛を剃って墨で描いたまゆ。眉には年を取ってくるという意味を含む。


○詩型 七言絶句。
○押韻 楼、州、愁。


李商隠は27,28歳のころ、王茂元に招かれてこの地方に来ている。その娘を娶っている。12年後に妻が没している。また、31歳母の死で喪に服したのちは、不遇に徹した。

 「代」とは、何を表現するのであろうか。芸妓にとって代わって文を出す場合があると思えないし、喩えればなんででも表現はできるから、芸妓ではないのであろう。
 政治的な発言も直接的に表現すれば、明日の命はないのである。李商隠は自分の置かれている立場について、あるいは、劉蕡など自己の主張を堂々としていたものが次第に発言できなくなっていく状況を芸妓を使って表現しているのである。

 李商隠にとって、わかる人にわかってもらえばよいのである。だから、難解、解読不能、意味不明な詩が出現するのである。芸妓の艶情詩に載せておくったのであろう。
 そう考えてれば、李商隠の詩はとても味わい深いものとなっていくのである。裏表の二面ではなく、その裏に奥行きがあるということだ。
(詳しくは別の機会に譲る)

可歎 李商隠 紀頌之の漢詩ブログ李商隠特集-96

      
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可歎 李商隠 紀頌之の漢詩ブログ李商隠特集-96


 李商隠の詩の語訳には、誤訳が多い。李商隠の詩の背景を無視し、語句だけを訳すからとんでもない詩になってしまう。李商隠は、パズルゲームをするように故事を並べ、総括して題を付けている。唐王朝のみならず、どの王朝も頽廃、不義密通、媚薬、中毒、豪奢、横暴、数々の道義、礼節、にかけることばかり、李商隠の詩は、一詩を見ると恋歌、艶歌、閨情詩であるが、その時期の数種数十首を集めて読んでいくと、社会批判の内容なのだ。そういう1から100を、全体から個を見る視点が必要である。
さて、この「嘆くべし」には、八つの嘆きが詠われている。私のこの詩題は「八歎詩」である。
*答えはやくちゅうをよめばわかるが、解説の末尾にも示す。


可歎
歎きなさい
幸會東城宴末廻、年華憂共水相催。
春の長安の宴の席で幸運にも出会ったので、宴を抜けてでも私のもとに帰ってきてほしいと思っているのにまだ帰らない。若くて盛んなころと違い歳を重ねてきた今は時間は流れる水とせき立て合うように過ぎてゆくのが歎きなのだ
梁家宅裏秦宮入、趙后樓中赤鳳來。
梁冀の邸内ではその妻のもとに下僕の秦官が入り込み密通した、趙飛燕の楼には召使いの赤鳳が出入りし私通した。(趙飛燕自体も妹の行為に嘆いた。)
冰簟且眠金鏤枕、瓊筵不酔玉交杯。
涼やかな敷布に金細工の枕でただ眠るだけの嘆きがある、瓊の玉の筵、敷物に宝玉の杯を手にとめどなく飲み続けても何事もうまくいかないので歎きながら飲む酒は酔わないものなのだ。
宓妃愁坐芝田館、用盡陳王八斗才。

洛水の女神宓妃は崑崙山の芝田の館にただ一人愁いをもって待っている。すべての才一石のうち、八斗の才と称された詩才あふれる陳王曹植が、その才を尽くして描いた恋もうまくいかなかった。

歎くべし

幸いに東城に会い宴より未だ廻らず、年華 水と相い催すを憂う。

梁家の宅裏に秦宮入り、趙后の楼中に赤鳳来たる。

氷簟 且く眠る 金鏤の枕、瓊筵 酔わず 玉交の杯。

妃は愁い坐す 芝田の館、用い尽くす 陳王八斗の才。




可歎  語訳語註と解説
(本文)
幸會東城宴末廻、年華憂共水相催。
梁家宅裏秦宮入、趙后樓中赤鳳來。
冰簟且眠金鏤枕、瓊筵不酔玉交杯。
宓妃愁坐芝田館、用盡陳王八斗才。

(下し文)
幸いに東城に会い宴より未だ廻らず、年華 水と相い催すを憂う。
梁家の宅裏に秦宮入り、趙后の楼中に赤鳳来たる。
氷簟 且く眠る 金鏤の枕、瓊筵 酔わず 玉交の杯。
宓妃は愁い坐す 芝田の館、用い尽くす 陳王八斗の才。


(現代語訳)
春の長安の宴の席で幸運にも出会ったので、宴を抜けてでも私のもとに帰ってきてほしいと思っているのにまだ帰らない。若くて盛んなころと違い歳を重ねてきた今は時間は流れる水とせき立て合うように過ぎてゆくのが歎きなのだ
梁冀の邸内ではその妻のもとに下僕の秦官が入り込み密通した、趙飛燕の楼には召使いの赤鳳が出入りし私通した。(趙飛燕自体も妹の行為に嘆いた。)
涼やかな敷布に金細工の枕でただ眠るだけの嘆きがある、瓊の玉の筵、敷物に宝玉の杯を手にとめどなく飲み続けても何事もうまくいかないので歎きながら飲む酒は酔わないものなのだ。
洛水の女神宓妃は崑崙山の芝田の館にただ一人愁いをもって待っている。すべての才一石のうち、八斗の才と称された詩才あふれる陳王曹植が、その才を尽くして描いた恋もうまくいかなかった。


(訳註)

可歎
歎きなさい


幸會東城宴未廻、年華憂共水相催。
春の長安の宴の席で幸運にも出会ったので、宴を抜けてでも私のもとに帰ってきてほしいと思っているのにまだ帰らない。若くて盛んなころと違い歳を重ねてきた今は時間は流れる水とせき立て合うように過ぎてゆくのが歎きなのだ。
幸會 無題の詩に見える、惚れて通ってくれた人が全く来なくなった。手紙を出そうにもどこにだしたらよいのかわからない。妓女は探して歩くわけにいかないのだ。ところが、幸いに宴の席で見かけたという意味。○東城 東は春を意味する。春の長安。無題(來是空言去絶蹤) 李商隠 19  宴未廻 宴を抜けてでも私のもとに帰ってきてほしいという意味。〇年華 時間、歳月、わかさ。○共水相催 孔子の川上の歎以来、水の流れは時の推移の比喩。「催」はせきたてる。陶淵明「雑詩」其の七に「日月貰えて遅たず、四時相い催し迫る」。

梁家宅裏秦宮入、趙后樓中赤鳳來。
梁冀の邸内ではその妻のもとに下僕の秦官が入り込み密通した、趙飛燕の楼には召使いの赤鳳が出入りし私通した。(趙飛燕自体も妹の行為に嘆いた。)
梁家一句 後漢・梁巽の妻の故事を用いる。梁巽は監奴(下僕の長)の秦宮をかわいがっていたが、梁巽の妻の孫寿のもとに出入りするうちに孫寿に気に入られ、密通した。『後漢書』梁巽伝にも見える。○趙后一句 漢・成帝の皇后超飛燕とその妹の故事を用いる。趨飛燕は寵愛されて皇后になり、妹も昭俵に取り立てられた。趙飛燕が私通していた下僕の赤鳳は昭俵とも通じていて、姉妹のいさかいを招いた(『趙飛燕外伝』)。


冰簟且眠金鏤枕、瓊筵不酔玉交杯。
涼やかな敷布に金細工の枕でただ眠るだけの嘆きがある、瓊の玉の筵、敷物に宝玉の杯を手にとめどなく飲み続けても何事もうまくいかないので歎きながら飲む酒は酔わないものなのだ。
氷簟 水のように冷たいたかむしろ。「簟」は涼を取るための敷物。○金鏤枕 黄金をちりばめた枕。曹植「洛神の賦」(『文選』巻一九)の李善の注が引く「記」 に、「東阿王(曹植)朝に入り、帝(文帝=曹丕)は植に甄后の玉銭金帯枕を示す」。○瓊筵の句 瓊筵 は仙人や天子の使う玉でこしらえた豪華な敷物をさすが、李白「春夜桃李園宴序」 にある聯に基づいていている。
開瓊筵以坐華, 飛羽觴而醉月。(瓊筵を開きて以て華に坐し,羽觴を飛ばして月に醉(よ)ふ。)
美しい玉で飾った敷物を花咲くもとで広げて座った、羽をひろげた形をした杯を飛んでいるような形で酌み交わし、月明かりに酒に酔う。(何もかもうまくいくから酔うということ)これに対して思いが通らないので○不酔 いくら杯を重ねても酔うことなく飲み続ける。○玉交杯 李白の詩では、雀の羽型の盃だけどこの詩では、いくつかの種類の玉の盃、豪華な盃。

宓妃愁坐芝田館、用盡陳王八斗才。
洛水の女神宓妃は崑崙山の芝田の館にただ一人愁いをもって待っている。すべての才一石のうち、八斗の才と称された詩才あふれる陳王曹植が、その才を尽くして描いた恋もうまくいかなかった。
宓妃 曹植「洛神の賦」 に登場する洛水の女神。怒妃は実は曹垂の妻甑后であり、二人は密かに愛し合っていたものの結ばれなかった。李商隠 7 無題(颯颯東風細雨來)
芝田 崑崙山にある農地の名。『拾遺記』崑崙山に「第九層……下に芝田・蕙圃有り。皆な数百頃。群仙種耨す(耕作する)」。○陳王八斗才「陳王」は陳思王曹植。天下のすべての才を一石とすれば曹植が八斗を占めるという謝霊運のことばが古くから伝えられた。この二句は、曹植が「洛神の賦」で文才を駆使して宓妃(=甑后)を描出しても、二人の恋は実ることなく、怒妃は仙女となって孤独に沈むはかなかったことをいう。



(解説)

○詩型 七言律詩。
○押韻 廻、催、来、杯、才。



この詩のもとになる詩は、あるいは参考とする詩は李商隠「無題」とする詩である。
約束の日にもかない、待ち続けて、捜すにもさがせない身の妓女がたまたま宴席で出会った。その日は来てくれると思った儺来ないので歎く①
歳を重ね日増しに呼ばれることがなくなってくる妓女は嘆くべし。②
密通したためにおとがめを受けた秦の宮廷宦官の孫寿は嘆くべし。③
妹に寝取られた趙飛燕は嘆くべし④、趙飛燕に私通した下僕赤鳳もおとがめを受けた、これも歎くべし⑤。
富豪のもとで囲われている芸妓が毎夜一人寝している。嘆くべし。⑥ 玉の筵、宝玉の杯で飲んでも詩をうまく作れない。嘆くべし。⑦
死んだ後、仙女になっても思い続けているだけの宓妃、
詩文に比類ない才能を発揮したが、生涯兄嫁甑后の宓妃を慕い続けたが、兄嫁に振り向かれることがなかった、これも嘆くべし。⑧


爲有 李商隠 紀頌之の漢詩ブログ李商隠特集-95

爲有 李商隠 紀頌之の漢詩ブログ李商隠特集-95


爲有
爲有雲屏無限嬬、鳳城寒盡怕春宵。
有るがためにおこった事というのは、ないようなものの雲母の雲のように包まれるほれた女性の色香は愛らしさは無限のものがある。美人のいる奥座敷、冬の寒さは終わり、心ときめく春の宵時間が次第に短くなっていくのがこわいのだ。
無端嫁得金龜婿、辜負香衾事早朝。
理由もないのにおこった事というのは金と地位によって嫁を得たものにおこるのだ、家で一緒に夜を過ごそうとしても閨には寄り付かず、夜明け前から朝廷に参じてしまうというものだ。


有るが為に

雲屏有るが為に無限の嬌あり、鳳城 寒尽きて春宵を怕る

端無くも金亀の婿に嫁ぎ得て、香衾に辜負して早朝に事む。






有るが為に  訳註と現代語訳、解説

(本分)
爲有雲屏無限嬬、鳳城寒盡怕春宵。
無端嫁得金龜婿、辜負香衾事早朝。

(下し文)
雲屏有るが為に無限の嬌あり、鳳城 寒尽きて春宵を怕る
端無くも金亀の婿に嫁ぎ得て、香衾に辜負して早朝に事む。

 (現代語訳)
有るがためにおこった事というのは、ないようなものの雲母の雲のように包まれるほれた女性の色香は愛らしさは無限のものがある。美人のいる奥座敷、冬の寒さは終わり、心ときめく春の宵時間が次第に短くなっていくのがこわいのだ。
理由もないのにおこった事というのは金と地位によって嫁を得たものにおこるのだ、家で一緒に夜を過ごそうとしても閨には寄り付かず、夜明け前から朝廷に参じてしまうというものだ。


 (訳註)
爲有雲屏無限嬬、鳳城寒盡怕春宵。
有るがためにおこった事というのは、ないようなものの雲母の雲のように包まれるほれた女性の色香は愛らしさは無限のものがある。美人のいる奥座敷、冬の寒さは終わり、心ときめく春の宵時間が次第に短くなっていくのがこわいのだ。
為有 詩の最初の二字を取り出して題としたもの。○雲屏 雲母でこしらえた屏風、豪奮な調度品、ということも言えるが、同時に、雲を男性と考え、屏は包まれ隠されるという意味。ここでは男性の腕の中にいることを示す○ ほれた女性の色香は愛らしい。○鳳城 鳳凰の棲む仙界。ここでは美人のいる奥座敷。○怕春宵 冬の長い夜が春になると短くなっていく。惚れた女との時間が短じかくなるのをおそれるという意味。白居易「長恨歌」に「春宵苦だ短く日高くして起き、此れより君主 早朝せず」。



無端嫁得金龜婿、辜負香衾事早朝。
理由もないのにおこった事というのは金と地位によって嫁を得たものにおこるのだ、家で一緒に夜を過ごそうとしても閨には寄り付かず、夜明け前から朝廷に参じてしまうというものだ。
無端 これといったわけもなく。○金亀婿 位階の高い婿。「金亀」は高官が身につける割り符。唐代の官員は魚をかたどった割り符(魚符)を袋にいれて登庁の際に身につけた(魚袋)。三品以上の魚符は金、五品以上は銀。武則天の一時期、魚でなく亀が用いられたことがあり、ここではそれを用いる。○辜負 そむく。背を向ける。○香衾 香り高い夜具。○早朝 朝早くの朝見。夜明けが仕事始めを守って早めに出勤する。「早朝」の「朝」はあさではなく朝廷。官人は夜明けとともに参内した。「無題(昨夜の星辰)」詩の「聴鼓」「応官」の注参照。また上の「春宵」の注に引く「長恨歌」にも皇帝の立場からする「早朝」が見える。「五更」という表現もある。



(解説)

○詩型 七言絶句。
○押韻 嬬・宵・朝。



有るがためにおこった事、それは形のないもの愛情いっぱいの生活。
理由もないのにおこった事、地位や金があるのものに起こる愛情のない生活。
この詩は李商隠はしてやったりとほほえみを浮かべながら詠ったと思う。多くの詩は貴公子や富豪による理不尽や横暴を指摘していたが、ここでは地位や金があって奪ったような女性が温かく包んでくれるようなことはない。そういう交わりは女性も金目当てで、お互い嫌気がして、生活が空虚なものになる。


破鏡 李商隠 紀頌之の漢詩ブログ李商隠特集-93

破鏡 李商隠 紀頌之の漢詩ブログ李商隠特集-93


破れた鏡、鏡は古くより男女の情交を示唆するものである。壊れた鏡の右と左、男と女なのである。また、満月があり、半月があるように詩の中で男女の情愛を詠うものであった、男女の意志で割ったもの、割られたもの、無理やりに引きはがされたもの、その鏡にはいろんなものがある。ここでは、山鶏と鸞鳳、牛李の党争、あるいは、賈誼と守旧派・宦官勢力、劉蕡と守旧派、を比喩として詠いあげる。

破鏡
玉匣清光不復持、菱花散亂月輪虧。
宝玉飾られた箱の中に、清らかな光を秘めている、その輝きが蘇ることは二度とないのだ。泥の中から菱の花を咲かせるように、守旧派の闇の中で輝きを持っていた花も乱れ散ったのだ、月輪のような正論を輝かせたのも影で欠けてしまった。
秦臺一照山鶏後、便是孤鸞罷舞時。

うぬぼれ者の山鶏が秦の朝廷という鏡に姿を映してからは、孤独な実力のある鸞は鏡の前で舞うのを止めされられた。


破 鏡
玉匣の清光 復た持せず、菱花散乱して月輪 虧(かける)
秦台一たび山鶏を照らして後、便ち是れ孤鸞 舞いを罷むるの時。


破鏡 訳註と解説

(本文)
破鏡
玉匣清光不復持、菱花散亂月輪虧。
秦臺一照山鶏後、便是孤鸞罷舞時。

(下し文)
玉匣の清光 復た持せず、菱花散乱して月輪 虧(かける)
秦台一たび山鶏を照らして後、便ち是れ孤鸞 舞いを罷むるの時。

(現代語訳)
宝玉飾られた箱の中に、清らかな光を秘めている、その輝きが蘇ることは二度とないのだ。泥の中から菱の花を咲かせるように、守旧派の闇の中で輝きを持っていた花も乱れ散ったのだ、月輪のような正論を輝かせたのも影で欠けてしまった。
ぅぬぼれ者の山鶏が秦の朝廷という鏡に姿を映してからは、孤独な実力のある鸞は鏡の前で舞うのを止めされられた。


破鏡
○破鏡 割れた鏡、半月を示す。男女の離別を意味するのは、
①『神異経』(『太平御覧』巻七一七)に見える故事による。ある夫婦が別々に住む際、鏡を二つに割って半分ずつをもち、愛情のあかしとした。のちに妻が他の男と通じた時、鏡は鵜となって夫のもとへ飛び、夫は何が起こったかを知った。以来、鏡の背面に鵜の模様を施すことになった、と。
②また『芸文類架』巻五六で、「藁砧詩」、
③『王台新詠』では「古絶句四首」其一藁砧今何在と題する詩では、(外に出ていった夫はどこにいるのか、帰ってくるのはいつだろう、、「破鏡飛上天」(破鏡飛んで天に上る)の句で結ばれる。欠けた月が空に上がるとは、十五日を過ぎて帰ってくる、という謎解き。そこでは「破鏡」は残月を意味するものの、やはり男女の離合に関わっている。


 
玉匣清光不復持、菱花散亂月輪虧。
宝玉飾られた箱の中に、清らかな光を秘めている、その輝きが蘇ることは二度とないのだ。泥の中から菱の花を咲かせるように、守旧派の闇の中で輝きを持っていた花も乱れ散ったのだ、月輪のような正論を輝かせたのも影で欠けてしまった。
玉匣 鏡を入れる箱。○不復持 もはや保ち続けられない。○菱花 蓮と菱はともに水草であり、娼屋の妓女の別名である。また語の通り、鏡の裏の絵柄が菱の花であること、鏡で日光を反射させると壁に菱の花模様が浮かぶとする。庚信「鏡の賦」に「目に照らせば則ち壁上に菱生ず」。〇月輪 古くから鏡を月にたとえる。同じく庚信「鏡の賦」に「水に臨めば則ち地中に月出ず」。満月の団円は男女和合の象徴でもある。 



秦臺一照山鶏後、便是孤鸞罷舞時。
うぬぼれ者の山鶏が秦の朝廷という鏡に姿を映してからは、孤独な実力のある鸞は鏡の前で舞うのを止めされられた。
秦台 秦の朝廷。○山鶏 華美な羽をもった鳥。真に実力を備えて鳥の鸞鳳に対する実力のない空威張りの鳥である。南朝宋・劉敬叔『異苑』に、山鶏は自分の美しい羽を愛し、水に映った姿に見とれて舞う習性があり、魏の武帝(曹操)の時に南方から献じられた山鶏の前に鏡を置くと、舞い続けて死んだという。李商隠「鸞鳳」詩では鳳に似て非なる鳥として対比されている。宦官を示す○孤鸞 鏡の前に置いた鸞は映った姿を見て鳴き続け、絶命したという故事にもと、づく。「陳の後宮」詩では、昔、罽賓の国の王が一羽の鸞を捕えたが、鳴かない。夫人が鸞は仲間を見ると鳴くといいますから鏡を置いたらどうでしょぅと言った」皆は鏡のなかの姿を見ると、悲痛な声を発して鳴き続け、夜中に身を震わせるとそのまま息絶えた、という。李商隠頻用の故事。白居易「太行路」にもみえる。ここでは鑾鏡(鸞の模様が刻まれている鏡)を指す。「鸞開鏡」は「開攣鏡」を倒置したもの。劉蕡など正論を唱える人物をしめす。



○詩型 七言絶句。 
○押韻 持、虧、時。



(解説)
割れたのか、割られたのか、あるいは引き裂かれたのか、いろんな「破れた鏡」がある。この時代、鏡を持てたものは一定以上の身分の人か、芸妓である。
 いかにも芸妓の艶歌の装を凝らしながら、朝廷内で裏で画策し、貶めていく宦官勢力は鳳凰のような能力を持った人物を葬ってきた。

李 白 詩
唐宋詩 
(Ⅰ李商隠Ⅱ韓退之(韓愈))
杜 甫 詩
李白詩INDEX02
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落花 李商隠 紀頌之の漢詩ブログ李商隠特集-92

落花 李商隠 紀頌之の漢詩ブログ李商隠特集-92


落花 
高閣客竟去、小園花亂飛。
高楼から花を眺めていた男女はそれぞれのところへと去っていく、庭には着飾った妓女が花のように舞い乱れている。
参差連曲陌、迢遞送斜暉。
もつれあいは小道を曲がらせていくようにつながっている。高い所で照らして影になっていたが日が傾いてきたら影になって見えなかったところをてらしていったのだ。
腸斷未忍掃、眼穿仍欲稀。
見ているだけの自分は腸が絶たれる気分であり、我慢して掃き捨てることもできないでいる。この状態では目を凝らして探しだせることはまずできないことなのだろう。
芳心向春盡、所得是沾衣。

美人の心は限りないほどこの春性の期待に向かわせた、しかし、得たものといえばこんなことでころもをぬらしたことだ。


高閣 客 竟に去る、小園 花 亂飛す。

参差として 曲陌に連なり、迢遞として斜暉を送る。

腸斷れて未だ掃うに忍ばず、眼穿てば 仍 稀ならんと欲す。

芳心 春盡くるに向かい、得る所は 是れ 衣を沾すのみ。





落花 訳註と解説


(本文)
高閣客竟去、小園花亂飛。
参差連曲陌、迢遞送斜暉。
腸斷未忍掃、眼穿仍欲稀。
芳心向春盡、所得是沾衣。


(下し文)
高閣 客 竟に去る、小園 花 亂飛す。
参差(しんし)として 曲陌に連なり、迢遞として斜暉を送る。
腸斷れて未だ掃うに忍ばず、眼穿てば 仍 稀ならんと欲す。
芳心 春盡くるに向かい、得る所は 是れ 衣を沾すのみ。

(現代語訳)
高楼から花を眺めていた男女はそれぞれのところへと去っていく、庭には着飾った妓女が花のように舞い乱れている。
もつれあいは小道を曲がらせていくようにつながっている。高い所で照らして影になっていたが日が傾いてきたら影になって見えなかったところをてらしていったのだ。
見ているだけの自分は腸が絶たれる気分であり、我慢して掃き捨てることもできないでいる。この状態では目を凝らして探しだせることはまずできないことなのだろう。
美人の心は限りないほどこの春性の期待に向かわせた、しかし、得たものといえばこんなことでころもをぬらしたことだ。


(語訳と訳註)

高閣客竟去、小園花亂飛。
高楼から花を眺めていた男女はそれぞれのところへと去っていく、庭には着飾った妓女が花のように舞い乱れている。
小園 中庭、農作のはたけ。



参差連曲陌、迢遞送斜暉。
もつれあいは小道を曲がらせていくようにつながっている。高い所で照らして影になっていたが日が傾いてきたら影になって見えなかったところをてらしていったのだ。
参差 長短のふぞろいなさま。ここでは落花が相前後しながら舞っている状態を指しながら、男女の絡み合いを言う。○曲陌 曲がりくねった小道。○迢遞  高いさま。遠くへ隔だたるさまをいう。○斜暉 夕日。斜めの光は奥の方まで照らす。木の葉影で見えにくかったところが横からの光に照らし出される様子を言う。



腸斷未忍掃、眼穿仍欲稀。
見ているだけの自分は腸が絶たれる気分であり、我慢して掃き捨てることもできないでいる。この状態では目を凝らして探しだせることはまずできないことなのだろう。
腸斷 セックスに満たされぬ思いを言う場合に断腸という語になる。心に思うことは別の語。○未忍掃 自慰行為を指すものもまだできない。○眼穿 穴のあくほど見つめる。



芳心向春盡、所得是沾衣。
美人の心は限りないほどこの春性の期待に向かわせた、しかし、得たものといえばこんなことでころもをぬらしたことだ。
芳心 春を楽しむ気持ち。芳は花の芳香。美人の心。妓女の心持。○沾衣 本来ならば情交、性交によって潤う湿り気を指す。貴公子や、富豪の者たちに好き勝手にされ、待ち続けてもなかなか自分のところに来てくれない。悔し涙で着衣をぬらすととることは無理がある語である。やるせない思いはなみだにならない。


○詩型 五言律詩。
○押韻 飛、曝、稀、衣。



(解説)
上巳の節句頃(3月3日)、行楽といって、野山で幔幕をはって、酒を飲み、情交、陰姦が行われた。娼屋では、中庭、近隣の畑などでも繰り広げられた。
 李商隠の得意とする、春の行楽の詩。李商隠はなじみの妓女がなかなか見つからない、一人寂しく眺めているというパターンは多い。
 下級官僚や金のないものは相手にされないのは何時の時代もあることである。


即日 李商隠 紀頌之の漢詩ブログ李商隠特集-89


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 Ⅰ.李白と李白に影響を与えた詩集   
 Ⅱ.中唐詩・晩唐詩  
 Ⅲ.杜甫詩1000詩集  
 Ⅳ.漢詩・唐詩・宋詞詩詩集  
 Ⅴ.晩唐五代詞詩・宋詞詩  
      
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即日 李商隠 紀頌之の漢詩ブログ李商隠特集-89

856年 45歳 長安

即 日
即日にもいろいろある。
一歳林花即日休、江閒亭下悵淹留。
一年思い続けていた、数いる妓女の一人に思いを寄せていたがきょうやっと喜びを感じる日となるのだ。滻水と㶚水の間にある亭にとまって長らく滞在することはがっかりしていたのだ。
重吟細把眞無奈、已落猶開未放愁。
なんども恋歌を吟じ、細腰をだいたのだが、でも本当のところどうしようもないのだ。恋する気持ちは消沈したり、やはりまだ恋しいと花開く気分になる、愁いの気持ちを放つことができないでいるのだ
山色正來銜小苑、春陰只欲傍高樓。
山の緑も本格的なものになり、人の気持ちもその気になって亭の中庭の木々草木の中に男女が横たわっている。ただ男女の情交がしたいと思いつつ高楼の傍らにたたずんでいる。
金鞍忽散銀壷滴、更醉誰家白玉鉤。

黄金の鞍をきらめかせて貴公子や、富豪たちは事を済ませて消えていく、後に残るのは銀の漏刻の水音だけ聞こえてくる。でも、外に出ると次はどこの女のところで酔うことにするかとしている、白玉、宝玉をちらつかせてものにして行くのだ。


即 日

一歳の林花即日に休む、江間 亭下 淹留 悵とす。

重ねて吟じ細を把るも真に奈ともする無く、己に落ち猶お開きて末だ愁いを放たず。

山色 正に来たりて小苑を街み、春陰 只だ高楼に傍わんと欲す。

金鞍 忽ち散じて銀壷滴る、更に誰が家の白玉をして鉤に酔わん。




訳註と解説

(本文)
即 日
一歳林花即日休、江閒亭下悵淹留。
重吟細把眞無奈、已落猶開未放愁。
山色正來銜小苑、春陰只欲傍高樓。
金鞍忽散銀壷滴、更醉誰家白玉鉤。

(下し文)
一歳の林花即日に休む、江間 亭下 淹留 悵とす。
重ねて吟じ細を把るも真に奈ともする無く、己に落ち猶お開きて末だ愁いを放たず。
山色 正に来たりて小苑を街み、春陰 只だ高楼に傍わんと欲す。
金鞍 忽ち散じて銀壷滴る、更に誰が家の白玉をして鉤に酔わん。

(現代語訳)
一年思い続けていた、数いる妓女の一人に思いを寄せていたがきょうやっと喜びを感じる日となるのだ。滻水と㶚水の間にある亭にとまって長らく滞在することはがっかりしていたのだ。
なんども恋歌を吟じ、細腰をだいたのだが、でも本当のところどうしようもないのだ。恋する気持ちは消沈したり、やはりまだ恋しいと花開く気分になる、愁いの気持ちを放つことができないでいるのだ
山の緑も本格的なものになり、人の気持ちもその気になって亭の中庭の木々草木の中に男女が横たわっている。ただ男女の情交がしたいと思いつつ高楼の傍らにたたずんでいる。
黄金の鞍をきらめかせて貴公子や、富豪たちは事を済ませて消えていく、後に残るのは銀の漏刻の水音だけ聞こえてくる。でも、外に出ると次はどこの女のところで酔うことにするかとしている、白玉、宝玉をちらつかせてものにして行くのだ。



(訳註・解説)

即日 高級官僚や富豪はたとえ人妻であろうが何であってもそ日のうちにものにしてしまうが、私は一年かけて思い続けている女さえものにできないという世相批判の詩である。




一歳林花即日休、江閒亭下悵淹留。
一年思い続けていた、数いる妓女の一人に思いを寄せていたがきょうやっと喜びを感じる日となるのだ。滻水と㶚水の間にある亭にとまって長らく滞在することはがっかりしていたのだ。
(一年かかって開いた花もその日のうちに散ってしまう。もの悲しくたたずむ川沿いの亭。)
林花 たくさん生えている花。ここでは妓女がたくさんいること。 ○即日休 当日、その日の内。そのうち、近いうち。休む。止める。良い、美しい。よろこび、幸い。 ○江閒 滻水と㶚水の間の㶚陵亭と考えるとわかりやすい。 ○亭下 亭にいる。 ○ 恨めしい。がっかりする。 ○淹留 長らく滞在する。立ち去りがたくその場に居続ける。

重吟細把眞無奈、已落猶開未放愁。
なんども恋歌を吟じ、細腰をだいたでも本当のところどうしようもないのだ。恋する気持ちは消沈したり、やはりまだ恋しと花開く気分になる、愁いの気持ちを放つことができないでいるのだ
(繰り返し詩を口ずさみ、そっと花を手にしても、やるかたない。はや散った花、まだ咲きのこる花、悲しみは尽きることはない。)
重吟 なんども恋歌を吟じた。○細把 腰の細い部分をつかむ。○眞無奈 ほんとうにどうしようもない。「無奈何」「無可奈何」と同じ。○已落 恋する気持ちは消沈したり、○猶開 やはりまだ恋しい○未放愁 胸中の愁いを外に向かって放つ。



山色正來銜小苑、春陰只欲傍高樓。
山の緑も本格的なものになり、人の気持ちもその気になって亭の中庭の木々草木の中に男女が横たわっている。ただ男女の情交がしたいと思いつつ高楼の傍らにたたずんでいる。
(山の縁は御苑を包みこまんほどに拡がり、春の雲は高楼に寄り添わんかに漂う。)
○銜小苑 亭の中庭に草木が植えられ入っていくと姿が見えないようなところ。木々草木の中に人が横たわると口にくわえられたように見える。○春陰 男女のいとなみ。



金鞍忽散銀壷滴、更醉誰家白玉鉤。
黄金の鞍をきらめかせて貴公子や、富豪たちは事を済ませて消えていく、後に残るのは銀の漏刻の水音だけ聞こえてくる。でも、外に出ると次はどこの女のところで酔うことにするかとしている、白玉、宝玉をちらつかせてものにして行くのだ。
(黄金の鞍をきらめかせて遊客たちはたちまち消え、聞こえるのは銀の漏刻の水音だけ。
さて、これからいずこで今ひとたびの酔いを重ねよう 、白玉の鉤をつけたとばりのもとで。)
金鞍 家書な馬具。富貴の遊客をいう。○銀壷 水時計。○白玉鉤 白玉、宝玉で女をつりあげること。酒家、妓楼の女を金によってものにして行くこと。強姦、暴行ということもある。この時代、行楽というのは、青草踏ということであり、いわゆる野姦をしめす。


○詩型 七言律詩。
○押韻 休・留・愁・楼・鉤。




解説
 いままで、李商隠の詩を紹介するにあたって、川合康三 李商隠選集(岩波文庫)を参考に掲載してきた。かならずしも、そのとおりの順序ではないが、比較しやすいようにしてきた。李商隠は他の作者と違い景色を眺めてそれを詩にしていない。この「即日」についての語訳は特にひどいので明確に指摘しておく。現代語訳のところに()内に同氏の意味不明の語訳をそのまま掲載した。


自分の一年もかかってやっとその日を迎えた「即日」。でも、それをお金に飽かせて横取りしていく、王の王朝は上から下まで、横暴がまかり通っていることを詠っている。李商隠には、根底に権力の横暴に足しての怒りがわいている。しかし、どこに、目があり、耳があるかわからないのである。性の表現でカムフラージュしたのである。
どんな時代でもエロス、頽廃文化は時の権力者に対する批判をあらわすものである。

二月二日 李商隠 紀頌之の漢詩ブログ李商隠特集-87

二月二日 李商隠 紀頌之の漢詩ブログ李商隠特集-87

854年梓州(三台)

二月二日
二月二日江上行、東風日暖聞吹笙。
二月二日、踏青節のこの日に川べりを歩めば、柔らかな春風、暖かな陽ざし、おや、風の音に混じって笛のような男女の声が聞こえてくる。
花鬚柳眼各無頼、紫蝶黄蜂倶有情。』
こちらにいる花の様な妓女、そちらには、切れ長の目をした男性それぞれが一人ぼっちでいる。紫の羽の蝶のようなあでやかな女、黄色の蜂のように元気者の男、どちらも気にった様子がうかがえる。』
萬里憶歸元亮井、三年従事亞夫營。
一方では、万里のふるさとに80日あまりで官を捨て陶淵明は郷里に帰ったことを思う、他方、実際は、三年、軍律を厳格に従わせる周亜夫に様な上司に仕えてきたのだ。
新灘莫悟遊人意、更作風簷雨夜聾。』

あたらしい上司が来たから踏青節に野山で女遊びをしたいこころを理解することをしない。軒端を揺らす夜の風雨にも似た凄絶たる風雨のようにやかましくどなり立てている。』



二月二日

二月二日 江上を行く、東風 日 暖かくして吹笙を聞く。

花鬚(かしゅ)柳眼(りゅうがん)各々無頼、紫蝶 黄蜂倶に情有り。

萬里 歸憶う元亮の井(せい)、三年 事に従う 亞夫の營。

新灘(しんたん)は遊人の意を悟る莫く、更に作す風簷(ふうえん)雨夜の聾。





二月二日 訳註と解説

(本文)
二月二日江上行、東風日暖聞吹笙。
花鬚柳眼各無頼、紫蝶黄蜂倶有情。』
萬里憶歸元亮井、三年従事亞夫營。
新灘莫悟遊人意、更作風簷雨夜聾。』

(下し文)
二月二日 江上を行く、東風 日 暖かくして吹笙を聞く。
花鬚(かしゅ)柳眼(りゅうがん)各々無頼、紫蝶 黄蜂倶に情有り。
萬里 歸憶う元亮の井(せい)、三年 事に従う 亞夫の營。
新灘(しんたん)は遊人の意を悟る莫く、更に作す風簷(ふうえん)雨夜の聾。

(現代語訳)
二月二日、踏青節のこの日に川べりを歩めば、柔らかな春風、暖かな陽ざし、おや、風の音に混じって笛のような男女の声が聞こえてくる。
こちらにいる花の様な妓女、そちらには、切れ長の目をした男性それぞれが一人ぼっちでいる。紫の羽の蝶のようなあでやかな女、黄色の蜂のように元気者の男、どちらも気にった様子がうかがえる。』
一方では、万里のふるさとに80日あまりで官を捨て陶淵明は郷里に帰ったことを思う、他方、実際は、三年、軍律を厳格に従わせる周亜夫に様な上司に仕えてきたのだ。
あたらしい上司が来たから踏青節に野山で女遊びをしたいこころを理解することをしない。軒端を揺らす夜の風雨にも似た凄絶たる風雨のようにやかましくどなり立てている。』



二月二日江上行、東風日暖聞吹笙。
二月二日、踏青節のこの日に川べりを歩めば、柔らかな春風、暖かな陽ざし、おや、風の音に混じって笛のような男女の声が聞こえてくる。
二月二日 春遊は春の菜を摘む「採草」の俗と、春の青草を踏む「踏青」の俗から起こった風習で四川では「踏青節」といった。酒肴を携えて郊外に出かけ春の景物を楽しんだ。唐の徳宗の貞元5年(789)に仲春に節日がないことから決められ、長安の東南隅のあった曲江池において臣下に曲江の宴を賜う。○江 陵江○吹笙 『詩経』小雅・鹿鴨に「我に嘉寅有り、忘を鼓し笙を吹く」。宴席で奏される笙。管楽器の一。匏(ほう)の上に17本の長短の竹管を環状に立てたもので、竹管の根元に簧(した)、下方側面に指孔がある。匏の側面の吹き口から吹いたり吸ったりして鳴らす。ここでは男女の情交の際の声を言う。



花鬚柳眼各無頼、紫蝶黄蜂倶有情。』
こちらにいる花の様な妓女、そちらには、切れ長の目をした男性それぞれが一人ぼっちでいる。紫の羽の蝶のようなあでやかな女、黄色の蜂のように元気者の男、どちらも気にった様子がうかがえる。』
花鬚 白鬚(ユキノシタ科ウメバチソウ属の多年草)、岩鬚花弁の形が外側に向けて鬚のようになっている。形から、女性の局部、性器をしめす。妓女の別称。 ○柳眼 柳は男性を示す語。男の目。元稹「春生ず二十章」詩の九に「何処にか春草生ず、春は生ず 柳眼の中」。○無頼 危うい魅力をいう俗語的表現。杜甫「絶句慢興九首」の其の一に「眼のあたりに客慾を見るも愁い醒めず、無頼の春色江事に到る」。○有情 情愛を感じさせる。李商隠の詩に頻用。ここでは、性交を表現しているが、訳文としては、両方が気に入ったという訳でよかろう



萬里憶歸元亮井、三年従事亞夫營。
一方では、万里のふるさとに80日あまりで官を捨て陶淵明は郷里に帰ったことを思う、他方、実際は、三年、軍律を厳格に従わせる周亜夫に様な上司に仕えてきたのだ。
元亮井 「元亮」は陶淵明の字。「帰去来の辞」が知られるように、陶淵明は官人生活を嫌悪し郷里へ帰ることを切望した人の典型。故郷を離れることを「離郷背井」というように、井戸によって故郷をあらわす。隠遁者を示す。○従事 節度使柳仲郡の幕下に仕えていることを指す。○亜夫営 「亜夫」は漢の文帝に仕えた将軍周亜夫。匈奴の侵入に備えて細柳の地に軍営を設けた。慰問に訪れた文帝をすら軍律に従わせ、文帝から「此れ真の将軍なり」と称賛された(『漢書』周亜美伝)。ここは儒者をしめす。



新灘莫悟遊人意、更作風簷雨夜聾。』
あたらしい上司が来たから踏青節に野山で女遊びをしたいこころを理解することをしない。軒端を揺らす夜の風雨にも似た凄絶たる風雨のようにやかましくどなり立てている。』
新灘 「灘」は早瀬。流れが急で危険なこと。○遊人 野山に出て遊ぶ人。ばくち打ち。風来坊。○風簷雨夜声 早瀬の水音を軒端に打ち付ける風雨の音に聞きなす。簷 のきば。


(解説)
○詩型 七言律詩。
○押韻 行、笙、情/井、営、声

梓州(四川省)で東川節度使柳仲郡の幕下に仕えていた時期の作で、二月二日、踏青節であっても、上司本人は、野山で女を連れ出し遊んでいる。自分はやかましく怒鳴られて儒者のように仕事をしている。四川では、踏青節として晩唐時代には定着していたようだ。

藥轉 李商隠 紀頌之の漢詩ブログ李商隠特集-85

藥轉 李商隠 紀頌之の漢詩ブログ李商隠特集-85

 
藥轉
鬱金堂北畫樓東、換骨神万上藥通。
香を焚きしめた鮮やかな黄色の奥座敷の北側、あでやかな色彩の楼閣の東側にある。仙骨に変わる神秘の方法、最上の仙薬こそがそこに通ずる手段なのだ。
露気暗連靑桂苑、風聾偏猟紫蘭叢。
佳人をあらわにするような雰囲気が暗いところまで続いている、春の誘いをもよおす桂樹の庭園である。風の音に混じって紫の蘭の花のくさむらの一部のあたりで鳥獣を追い立てるような声がしている。
長籌末必輸孫皓、香棗何勞問石崇。
長い竹べらがある、西晋の富豪孫酷は竹べらで局部がはれたがまだそこまでに、なっていないようだ。厠に香を焚き、侍女に香り高い棗よういさせる、それは何のためかと石崇に尋ねるまでもない彼らと同様の横暴ななふるまいをしているのだ。
憶事懐人兼得句、翠衾歸臥繍簾中。

いろんな故事をおもいだし、いろんな人を思ってこんな詩句ができた。自分もみどりのしとねにくるまった妓女がいる、刺繍のすだれの部屋の真ん中に帰り、臥せることにしよう。

薬 転
鬱金の堂の北 画楼の東、換骨 神方 上薬にして通ず。
露気 暗に連なる 青の桂苑、風声 偏猟にして紫蘭の叢。
長語末だ必ずしも孫皓に輸せず、香棗 何ぞ石崇に問うを労せん。
事を憶い人を懐いて兼ねて句を得たり、翠衾 歸りて臥さん 繍簾の中。


訳註と解説
(本文)
鬱金堂北畫樓東、換骨神万上藥通。
露気暗連靑桂苑、風聾偏猟紫蘭叢。
長籌末必輸孫皓、香棗何勞問石崇。
憶事懐人兼得句、翠衾歸臥繍簾中。

(下し文)
鬱金の堂の北 画楼の東、換骨 神方 上薬にして通ず。
露気 暗に連なる 青の桂苑、風声 偏猟にして紫蘭の叢。
長語末だ必ずしも孫皓に輸せず、香棗 何ぞ石崇に問うを労せん。
事を憶い人を懐いて兼ねて句を得たり、翠衾 歸りて臥さん 繍簾の中。
 
(現代語訳)

香を焚きしめた鮮やかな黄色の奥座敷の北側、あでやかな色彩の楼閣の東側にある。仙骨に変わる神秘の方法、最上の仙薬こそがそこに通ずる手段なのだ。
佳人をあらわにするような雰囲気が暗いところまで続いている、春の誘いをもよおす桂樹の庭園である。風の音に混じって紫の蘭の花のくさむらの一部のあたりで鳥獣を追い立てるような声がしている。
長い竹べらがある、西晋の富豪孫酷は竹べらで局部がはれたがまだそこまでに、なっていないようだ。厠に香を焚き、侍女に香り高い棗よういさせる、それは何のためかと石崇に尋ねるまでもない彼らと同様の横暴ななふるまいをしているのだ。
いろんな故事をおもいだし、いろんな人を思ってこんな詩句ができた。自分もみどりのしとねにくるまった妓女がいる、刺繍のすだれの部屋の真ん中に帰り、臥せることにしよう。


藥轉
薬転 薬が作用を発揮することにより、人が変わり、状況が変わる。



鬱金堂北畫樓東、換骨神万上藥通。
香を焚きしめた鮮やかな黄色の奥座敷の北側、あでやかな色彩の楼閣の東側にある。仙骨に変わる神秘の方法、最上の仙薬こそがそこに通ずる手段なのだ。
鬱金 鮮やかな黄色の座敷。鬱金草の香を焚いている。○堂北 座敷。主要な奥座敷。通常は西の方角に位置するが、その北側にある。○画楼 彩り鮮やかな楼閣。○換骨 服薬によって骨が変わり仙人の肉体になる。『漢武内伝』に服薬して仙人になる九年の過程を述べ、「六年にして骨を易う」。○神方 薬により仙人になる方法、処方。「碧城三首」其の三参照。○上薬 仙薬のなかで上中下のランクの最高のもの。

 

露気暗連靑桂苑、風聾偏猟紫蘭叢。
佳人をあらわにするような雰囲気が暗いところまで続いている、春の誘いをもよおす桂樹の庭園である。風の音に混じって紫の蘭の花のくさむらの一部のあたりで鳥獣を追い立てるような声がしている。
露気暗連 あらわにするような雰囲気が暗いところまで続いているこれが次の句の叢に掛かる。○青桂苑 青が五行思想で春を示す、桂は奥座敷の部屋の柱ほか材料であり、桂の植わる庭園は、屋外の情交の場所。○偏猟 叢の一部で狩りをしているような動きがある。○紫蘭叢 紫の蘭の咲き誇る草むら。美女の集う場をあらわす。「少年」詩に「別館覚め来たる雲雨の夢、後門帰り去る意蘭の叢」。これも武帝、西王母の逢い引きに連なる。西王母の来訪を知らせに来た使者は「西王母の紫蘭宮の玉女」であったと『漢武内伝』に見える。



長籌未必輸孫皓、香棗何勞問石崇。
長い竹べらがある、西晋の富豪孫酷は竹べらで局部がはれたがまだそこまでに、なっていないようだ。厠に香を焚き、侍女に香り高い棗よういさせる、それは何のためかと石崇に尋ねるまでもない彼らと同様の横暴ななふるまいをしているのだ。
長籌 厠籌のこと。用便、性交のあとで用いる竹べら。○輸孫皓 道世『法苑珠林』に見える呉の孫皓の故事を用いる。孫皓は仏像を厠に置き、廊箸を持たせた。下女をはべらせた前で仏像の頭に放尿して遊んでいると、陰部が腫れて激痛に苦しんだ。下女の一人が仏像を供養することを勧めたのに従うと、痛みは消えたという。「輸」は負けること。孫皓は「暴君」であり、無理やり群臣達に飲酒を強要した上で、監視の役人を側に置き、酩酊状態でわずかでも問題のある言動があれば処罰を加えた。また後宮に何千もの女性を入侍させ、意にそぐわない宮女を殺害し、宮殿内に引き込んだ川にその死体を遺棄したという。刑罰では残虐な方法を使い、人の顔を剥いだり、目玉をえぐったりもしたという。お気に入りの人物は重用し高官に取り立てた。○香棗何勞問石崇 これも周に関わる、『自氏六帖』 に見える故事を用いる。贅を極めたことで知られる西晋の石崇は廟の中にも下女を数十人はべらせ、棗の実をもたせた。将軍の王敦が訪れた時、それが臭気を防ぐために鼻に詰めるものであると知らず、棗を食べてしまったので下女たちの笑いものになったという。同時に、王敦だけは、全く動じる様子が無く、傲然としてサービスを受けたのである。これを見た石崇の侍女達は、「王敦殿は、将来きっと大それたことをするだろう」と言い合ったという。

 当時の上流階級は、厠(トイレ)に行くと、衣服を全て脱ぐという風習があった。上流階級の一人である石崇の家の厠では、煌びやかな服を着た侍女達が十数人も並んでいて、香を焚いて、仕立て下ろしの服を着せるというサービスをしていた。そのため大抵の客は、恥ずかしさのあまり厠に行きそびれたり、たとえ行っても恥ずかしさのあまり、落ち着かない表情とかをしていたのである(「世説新語」汰侈篇)



憶事懐人兼得句、翠衾歸臥繍簾中。
いろんな故事をおもいだし、いろんな人を思ってこんな詩句ができた。自分もみどりのしとねにくるまった妓女がいる、刺繍のすだれの部屋の真ん中に帰り、臥せることにしよう。
 故事。○ 薬物により、人格変化した人。○翠衾 みどりも五行思想では春であり、情交をするしとね。
 位置的な意味と行為にあたるという意味。



(解説)
○詩型 七言律詩。
○押韻 東、通、叢、宗、中。


快楽、淫欲の諸相を並べた詩であるが、ここでは、おそらく回春薬、覚せい剤による、人格の変化、状況が変化していくことを、洒落を用いながら詩にしている。歴代王朝で、常にこの薬中毒ということが問題になっている。李商隠の詩にも宦官、道教の金丹、回春薬、不老不死の薬というものが王朝をほろしていることを指摘している。
 当時の人々の間でも、後宮、富豪らか権力や、金ににより、豪奢、奢侈な生活だけでなく、薬物による頽廃し、やがて滅亡することを認識していた。

 この詩で、便所を舞台に、薬物により、変化していった故事に基づいた面白い着想の詩である。

 このほか、李商隠には、堕胎を詠んだ詩であるとか、さらには便秘の悩みがあった李商隠が通じ薬ですっきりした詩であるとかがある。

無 題(白道縈廻入暮霞) 李商隠 紀頌之の漢詩ブログ李商隠特集-83

無 題(白道縈廻入暮霞) 李商隠 紀頌之の漢詩ブログ李商隠特集-83


無 題
白道縈廻入暮霞、斑騅嘶断七香車。
この街の白門につづく道がある、女性の体はうね曲がってその中につつまれていく。あでやかななじみの芸妓は七香のなかで呻き、善がり声が響き渡る。
春風自共何人笑、枉破陽城十寓家。

万物が愛をはぐくむお誘いの風はわけもなく誘われるままに誰にたいしても微笑んだりしている、美女の微笑はことさらに陽城の十万家を滅ぼしたりするというのか。



無 題(白道縈廻入暮霞)の訳註と解説

(無題の本文)
白道縈廻入暮霞、斑騅嘶断七香車。
春風自共何人笑、枉破陽城十寓家。


(下し文)

白道廻して暮霞に入る、斑騅噺断す 七香車。

春風 自ら何人と共に笑い、枉げて破らん 陽城十万の家。


(現代訳)
この街の白門につづく道がある、女性の体はうね曲がってその中につつまれていく。あでやかななじみの芸妓は七香のなかで呻き、善がり声が響き渡る。
万物が愛をはぐくむお誘いの風はわけもなく誘われるままに誰にたいしても微笑んだりしている、美女の微笑はことさらに陽城の十万家を滅ぼしたりするというのか。


無題 楚の国にはことさら美女が多い。芸妓の微笑でみんなが夢中になってしまって陽城の十万家を滅ぼしてしまう。この街にある色町には美人が多いから誘われるとのってしまうという洒落の詩である。
 

白道縈廻入暮霞、斑騅嘶断七香車。
この街の白門につづく道がある、女性の体はうね曲がってその中につつまれていく。あでやかななじみの芸妓は七香のなかで呻き、善がり声が響き渡る。
白道 芸妓のいる色町の門は西にあり、白色である。そこへ続く道。李商隠「春雨」 五行思想からくる○縈廻 女性の肢体の曲線をあらわし、くねくね曲がる。○暮霞 「霞」はかすみではなく、朝晩の色鮮やかな雲。ここでは、雲は女性を示す。○斑騅 楚の国項羽の愛馬を「騅馬」という。気に云ったなじみの芸妓。〇七香車 多種の香木で作られた豪著な車。梁・簡文帝「烏棲曲」に「青牛丹戟七香車、憐むべし今夜 侶家に宿る」。



春風自共何人笑、枉破陽城十寓家。
万物が愛をはぐくむお誘いの風はわけもなく誘われるままに誰にたいしても微笑んだりしている、美女の微笑はことさらに陽城の十万家を滅ぼしたりするというのか。
春風 万物が愛をはぐくむお誘いの風。○自共 自然にわけもなく誘われるままに。 ○人笑 宋玉の「登徒子好色の賦」に楚の美女がほほえむと、陽城や下蔡の人々を夢中にさせた。○枉 ことさらに。○陽城 楚の国の地名。宋玉「登徒子好色の賦」(『文選』巻一九)の序に「婿然として一笑すれば、陽城を惑わし、下蔡を迷わす」。楚の美女がほほえむと、陽城や下蔡の人々を夢中にさせたという。 
この詩は、「人笑」と「陽城」の語で宋玉の「登徒子好色の賦」に基づき作られている、洒落の詩である。


○詩型 七言絶句。
○押韻 霞、車、家。



 宋玉 「登徒子好色賦」
 天下の美人は楚国にあり。楚の国のなまめかしくも美しい娘は、我が故郷に多い。
 その中でもとびきりの別嬪は、我が家の東隣の娘だ。その娘の肢体は適(縈廻)である。背は高くもなく低くもなく、表情は愛らしく化粧しなくともほんのり薄紅色。眉毛、膚、縊れた腰、歯並びなにもかも全て申し分ない。彼女がにっこり微笑む時、その美しさは抜群。形容のしようがない。もし洛陽、下蔡の道楽息子が一目見ると、ただそれだけでとろけて、のぼせることは間違いない。
 だが、この『東家之女(東隣の美人)』は、壁によじ登り常に私を盗み見し、既にまる三年になる。が、私は今に至っても彼女の愛情を受けていいない。

 さらに、登徒子について。
 「登徒大夫について言いますと、私と、はっきりと違います。彼の奥さん、髪は乱れ、耳は歪み、三口(ミツクチ)で、歯も欠け腰は曲がってあっちへ行ったりこっちへ来たり、全身、『できもの』でさらに重度の『痔』。しかしながら、登徒大夫は彼女を好み、既に妻との間に五人子供を造っています。」
 最後に宋玉は楚襄王に言う。
 「述べた通りのこれが事実です。一体全体どちらが好色でしょうか?これで明らかでしょう!」
 襄王は宋玉に道理があると認めた。
 これにより、人々は登徒子を好色男の代表とみなし、好色の人を即ち『登徒子』と呼ぶようになった。
 さらにこれから美人のたとえを『東家之子』又は『東家之女』と呼ぶようになった。美女を称して『東隣』とした李白「白紵辭其一」、『美人一笑』については「白紵辭其二」に見える。李商隠もこの詩を参考にしている。

李白81白紵辭其一  82白紵辭其二  83 巴女詞

漫成三首 其二 李商隠 紀頌之の漢詩ブログ李商隠特集-81






其 二
沈約憐何遜、延年毀謝荘。
清新倶有得、名譽底相傷。

其の二

沈約は何遜を憐れみ、延年は謝荘を毀(そし)

清新 倶に得る有るも、名誉 底(なん)ぞ相い傷(そこない)

 
南朝斉を代表する詩人沈約は同じ南朝斉の何遜の詩に心惹かれ、南朝宋を代表する詩人顔延之は同じ南朝宋の謝荘の作を謗るのである。
清新さというのは何遜も謝荘もその言葉にある、その名誉はどうして軽々に傷つけられようか、けっして損なわれるものではない。



沈約憐何遜、延年毀謝荘。
南朝斉を代表する詩人沈約は同じ南朝斉の何遜の詩に心惹かれ、南朝宋を代表する詩人顔延之は同じ南朝宋の謝荘の作を謗るのである。
沈約(しんやく441年 - 513年) 南朝を代表する文学者、政治家。呉興武康(現在の浙江省武康県)の人。字は休文。沈氏は元来軍事で頭角を現した江南の豪族であるが、沈約自身は幼いときに父を孝武帝に殺されたこともあり、学問に精励し学識を蓄え、宋・斉・梁の3朝に仕えた。南斉の竟陵王蕭子良の招きに応じ、その文学サロンで重きをなし、「竟陵八友」の一人に数えられた。その後蕭衍(後の梁の武帝)の挙兵に協力し、梁が建てられると尚書令に任ぜられ、建昌県侯に封ぜられた。晩年は武帝の不興をこうむり、憂愁のうちに死去したという。その彼が若い「何遜」に対して、「吾れ卿の詩を読む毎に一日に三復するも猶お己む能わず」と絶賛したという(『梁書』何遜伝)。「憐」は対象に対して深く心を惹かれること。気の毒に思うの意味はその一部に過ぎない。 ○何遜(かそん?~518)中国南北朝時代の文学者。東海郯の人。字は仲言。曾祖父は何承天。幼少より文才に優れ、8歳で詩を作り、20歳の時、州から秀才に選ばれた。南斉の永明年間に、当時の文壇の重鎮であった范雲に文才を認められ、年齢を超えた交際を結ぶ。現存する詩は110首あまり。生涯の大半を地方の幕僚として勤めたことから、友人や同僚たちとの間の応酬・離別の詩や行旅を主題とする詩が多くを占める。その詩風は、寒門の出身者であるが故の、官途の不遇から発せられた心情表現がしばしば見られることが特徴である。その一方で、詩中における自然描写は、精巧であるとともに、豊かな抒情性をたたえており、謝朓とならび、唐詩の先駆とみなされている。

延年毀謝荘 「延年」は謝霊運とともに南朝宋を代表する文人顔 延之(がん えんし384年 - 456年)中国南北朝時代、宋の文学者。字は延年。本籍地は琅邪郡臨沂県(現在の山東省臨沂市)。宋の文帝や孝武帝の宮廷文人として活躍し、謝霊運・鮑照らと「元嘉三大家」に総称される。また謝霊運と併称され「顔謝」とも呼ばれる。○謝荘(421~466) 南朝宋を代表する文人。字は希逸。陳郡陽夏の人。謝弘微の子。はじめ始興王劉濬のもとで法曹行参軍となった。太子・劉劭が父・文帝を殺して自立すると、司徒左長史に任ぜられた。武陵王劉駿が劉劭を討つべく起兵すると、檄文を改作して京邑に宣布した。孝武帝(劉駿)が即位すると、吏部尚書に任ぜられた。明帝のとき、中書令に上った。「木方丈図」を作り、中国で最も古い木刻地形図として知られた。また詩文をよくした。『謝光禄集』。顔延之が謝荘をけなした逸話は、『南史』謝荘伝に見える。謝荘の「月の賦」の評価を孝武帝が尋ねると、顔延之は「美なるは則ち美なり。但だ、荘は始めて『千里を隔てて明月を共にす』を知る」と答えた。孝武帝がその話を謝荘に伝えるや否や、謝荘はすかさず「延之は「秋胡の詩」を作り、始めて「生きては久しく離別することを為し、没しては長えに帰らざるを為す」を知る」と応じた。帝はそれを聞いて手を打って喜んだという。「始めて……知る」とはその句を作ってわかりきったことがはじめてわかった。それにはあきれるとそしりあったもの。謝荘「月の賦」は『文選』巻一三、顔延之「秋胡詩」は同巻二一に収められ、いずれも二人の代表作。



清新倶有得、名譽底相傷。
清新さというのは何遜も謝荘もその言葉にある、その名誉はどうして軽々に傷つけられようか、けっして損なわれるものではない。
清新 表現の新鮮さをほめる言葉。杜甫が李白を萸信になぞらえて
春日憶李白 杜甫
白也詩無敵,飄然思不群。清新庚開府,俊逸鮑參軍。
渭北春天樹,江東日暮雲。何時一尊酒,重與細論文?

(春日李白を憶う)
白や詩敵なし 諷然として思羣ならず。
清新は庚開府 俊速は飽参軍。
洞北春天の樹 江東日暮の雲。
何の時か一得の酒 重ねて与に細かに文を論ぜん。

「清新なるは萸開府、俊逸なるは飽参軍(飽照)」の詩に基づいている。○名譽底相傷 何遜は称えられ謝荘はけなされたが、それぞれにすぐれた文学、たとえ批判を被っても真価は揺らがない「底」は「何」と同じく疑問、反語をあらわす。絶句に用いられる俗語的な語。

作品の価値はその批評の仕方によって違う。一方は褒め合い、他方はけなし合う。しかしその清新さは後世の人々からは正当な評価を受ける。他者から受ける批評とは関わりないという李商隠の思いが籠められているか。


○詩型五言絶句
・押韻  荘・傷。




其 二
沈約憐何遜、延年毀謝荘。
南朝斉を代表する詩人沈約は同じ南朝斉の何遜の詩に心惹かれ、南朝宋を代表する詩人顔延之は同じ南朝宋の謝荘の作を謗るのである。
清新倶有得、名譽底相傷。

清新さというのは何遜も謝荘もその言葉にある、その名誉はどうして軽々に傷つけられようか、けっして損なわれるものではない。

漫成三首 其二 李商隠 紀頌之の漢詩ブログ李商隠特集-81

七月二十八日夜與王鄭二秀才聽雨後夢作 李商隠  : 紀頌之の漢詩ブログ李商隠特集-79

七月二十八日夜與王鄭二秀才聽雨後夢作 李商隠  : 紀頌之の漢詩ブログ李商隠特集-79

七月二十八日夜與王鄭二秀才聽雨後夢作

初夢龍宮賓焔然、瑞霞明麗満晴天。
夢の始まりは、燦然と宝物の輝く龍宮にみちびかれた。香しくめでたい錦の霞が拡がって華麗で輝く宮殿、満点の晴れ空がひろがっていた。
旋成酔倚蓬莱樹、有箇仙人拍我肩。』
盃が廻ってきてたちまち酒に酔い蓬莱山の木にもたれていると、ある仙人がわたしの肩を叩いてきた。
少頃遠聞吹細管、聞聲不見隔飛煙。
しばらくすると遠くから笛の音が聞こえてきた。音は聞こえるが話に遮られて姿は見えない。
逡巡又過瀟湘雨、雨打湘霊五十絃。』
ほどなくさらに瀟湘の江に雨が通り過ぎていった。雨音は湘霊が奏でる五十舷の瑟のような音をたてたのであった。
瞥見馮夷殊悵望、鮫綃休賣海爲田。
水神馮夷をちらっと見ると、悲しげに遠くを眺めているのだ。絹を売る人魚の姿も消え、みるみるうちに海が畑に変わっていったのだ。
亦逢毛女無憀極、龍伯擎將華嶽蓮。』
華山の仙女毛女にも出会ったが、なんともうつろなおももち。巨人龍伯が華山の蓮花峰を手にささげている。
恍惚無倪明文暗、低迷不己断還連。
果てなく続く恍惚の世界、明るんだかと思えば暗くなる。朦朧としたまま、夢は途切れたかと思うと夢と現実がまた続いてくる。
覚來正是平堦雨、末背寒燈枕手眠。』

目覚めれば、なんと降り続けた雨がきざはし一面を浸し、ほの暗いともし火もそのまま、手枕をして寝ていたのだった。



夢の始まりは、燦然と宝物の輝く龍宮にみちびかれた。香しくめでたい錦の霞が拡がって華麗で輝く宮殿、満点の晴れ空がひろがっていた。
盃が廻ってきてたちまち酒に酔い蓬莱山の木にもたれていると、ある仙人がわたしの肩を叩いてきた。
しばらくすると遠くから笛の音が聞こえてきた。音は聞こえるが話に遮られて姿は見えない。
ほどなくさらに瀟湘の江に雨が通り過ぎていった。雨音は湘霊が奏でる五十舷の瑟のような音をたてたのであった。
水神馮夷をちらっと見ると、悲しげに遠くを眺めているのだ。絹を売る人魚の姿も消え、みるみるうちに海が畑に変わっていったのだ。
華山の仙女毛女にも出会ったが、なんともうつろなおももち。巨人龍伯が華山の蓮花峰を手にささげている。
果てなく続く恍惚の世界、明るんだかと思えば暗くなる。朦朧としたまま、夢は途切れたかと思うと夢と現実がまた続いてくる。
目覚めれば、なんと降り続けた雨がきざはし一面を浸し、ほの暗いともし火もそのまま、手枕をして寝ていたのだった。



七月二十八日の夜 王・鄭二秀才と雨を聴きし後の夢の作
初めて夢む 龍宮に宝 焔然たりて、瑞霞 明麗として晴天に満つるを。
旋ち酔いを成して蓬莱の樹に倚れば、箇の仙人の我が肩を拍く有り。
少頃して遠く細管を吹くを聞く、声を聞くも見えず 飛煙に隔たる。
逡巡して又た過ぐ 瀟湘の雨、雨は打つ 湘霊の五十絃。
馮夷を瞥見すれば殊に悵望す、鮫綃売るを休めて海は田と爲る。
亦た毛女に逢えば無惨の極み、龍伯は擎げ将つ 華嶽の蓮。
恍惚として倪無く 明にして又た暗、低迷として巳まず 断えて還た連なる
覚め来たれは正に是れ堦に平らかなる雨、未だ寒燈を背けずして手に枕して眠る。




夜與王鄭二秀才聽雨後夢作
王・鄭二秀才と雨を聴きし後の夢の作
○王鄭二秀才 王と邸の二人、名は未詳。「秀才」は郷試(地方試験)を経て進士の受験資格をもつ者の名称だが、一般に進士に合格する前の人に対する敬称として用いられる。



初夢龍宮賓焔然、瑞霞明麗満晴天。
夢の始まりは、燦然と宝物の輝く龍宮にみちびかれた。香しくめでたい錦の霞が拡がって華麗で輝く宮殿、満点の晴れ空がひろがっていた。
龍宮 龍王が住む海底の宮殿。○ したがう。導かれる。○烙然 燃えるように輝く様子。○瑞霞 めでたいしるしをあらわす色鮮やかな雲。李商隠 「碧城」三首の世界観


旋成酔倚蓬莱樹、有箇仙人拍我肩。
盃が廻ってきてたちまち酒に酔い蓬莱山の木にもたれていると、一人の仙人がわたしの肩を叩いてきた。
蓬莱 方丈、瀛洲とともに、神仙の住む東海の島の一つ。○有箇 一人の、或る、を意味する。



少頃遠聞吹細管、聞聲不見隔飛煙。
しばらくすると遠くから笛の音が聞こえてきた。音は聞こえるが話に遮られて姿は見えない。
少頃 短い時間の経過を示すことば。○細管 箏をいうこともあるが、ここでは長細い管楽器。



逡巡又過瀟湘雨、雨打湘霊五十絃。
ほどなくさらに瀟湘の江に雨が通り過ぎていった。雨音は湘霊が奏でる五十舷の瑟のような音をたてたのであった。
竣巡 これも少しの時間の経過を示す。○瀟湘雨 瀟水・湘水は南から洞庭湖に注ぐ川。○湘霊 湘水の神。『楚辞』遠遊に「湘霊をして窓を鼓せしむ」。〇五十絃 五十舷をもつ伝説のなかの琴。五十弦:古代の瑟は五十弦のものは宮女(宮廷の芸妓)が使ったもの。後に二十五弦と改められたと、琴瑟の起源とともに伝えられている。「錦瑟」参照。


瞥見馮夷殊悵望、鮫綃休賣海爲田。
水神馮夷をちらっと見ると、悲しげに遠くを眺めているのだ。絹を売る人魚の姿も消え、みるみるうちに海が畑に変わっていったのだ。
瞥見 ちらっと見る。○満夷 水神の名。『楚辞』遠遊の先の句に続いて「海若をして漏夷を舞わしむ」。海若は海の神。○帳望 悲しい思いで眺める。杜甫「詠懐古跡」其の二に 
搖落深知宋玉悲,風流儒雅亦吾師。
悵望千秋一灑淚,蕭條異代不同時。
江山故宅空文藻,雲雨荒台豈夢思。
最是楚宮俱泯滅,舟人指點到今疑。
「千秋を帳望して一たび涙を濯ぎ、粛條たる異代 時を同じくせず」。○鮫綃 入魚の織った網の織物。晋・左思「呉都賦」(『文選』巻五)の劉淵林の注が引く伝説に、人魚が水から出て人の家に寄寓し、毎日綃を売った。立ち去る時に主人に器を求め、涙をこぼすと真珠になった、という。○海為田 海が農地となる変化。地上では地殻変動を起こすほどの長い時間が神仙世界ではほんの束の間のことであるのをいう。晋・京浜『神仙伝』に仙女の麻姑が言う、「接待して以来(おもてなしをしてから)、己に東海の三たび桑田と為るを見る」。「桑田蒼海」の成語として使われる。「一片」詩にも「人間桑海 朝朝変ず、佳期をして更に期を後らしむること莫かれ」。



亦逢毛女無憀極、龍伯擎將華嶽蓮。
華山の仙女毛女にも出会ったが、なんともうつろなおももち。巨人龍伯が華山の蓮花峰を手にささげている。
毛女 仙女の名。始皇帝の官女だったが、秦の滅亡のあと華山に入り仙人となった。体中が体毛に覆われていたので「毛女」という(劉向『列仙伝』)。○無憀 無聊と同じ。頼りなげで、うつろな感じ。○龍伯 『列子』湯間に見える伝説上の大人国の名。ここではその巨人。○華嶽蓮 華山は五嶽の一つ。陝西省華陰県にある。その嶺の一つは蓮の花に似ているので蓮花峰と呼ばれる。



恍惚無倪明文暗、低迷不己断還連。
果てなく続くおぼろな世界、明るんだかと思えば暗くなる。朦朧としたまま、夢は途切れたかと思うとまた続く。
○恍惚 朦朧とした様子をいう双声の語。○無倪 果てしがない。○低迷 意識がぼんやりする様子をあらわす塁韻の語。哲康「養生論」(『文選』巻五三)に「夜分にして坐せば、則ち低迷して寝わんことを思う」。ばおっとしたなかで夢が切れたかと思うと続く。この二句のみが対を成し、夢とうつつのはざまの朦朧とした状態にたゆたうありさまをあらわす。


覚來正是平堦雨、未背寒燈枕手眠。
目覚めれば、なんと降り続けた雨がきざはし一面を浸し、ほの暗いともし火もそのまま、手枕をして寝ていたのだった。
平堦雨 「堦」は「階」と同じ。部屋から外に降りる階段。そこに降った雨水が一面にたまっている状態をいう。○未背寒燈 「背燈」は寝る時に灯火の向きを変えて暗くすること。



七言排律
○韻   然、天、肩。管、煙、絃。田、蓮。暗、連、眠。


(李商隠ものがたり<要旨>
唐宮廷の官僚は、牛僧孺・李宗閔らを領袖とする科挙及第者の派閥と、李徳裕に率いられる門閥貴族出身者の派閥に分かれ、政争に明け暮れていた。いわゆる牛李の党争である。若き李商隠は、牛僧孺派の重鎮であった興元尹・山南西道節度使 令狐楚の庇護を受け、837年、26歳にして進士科に及第する。しかしながら同年に令狐楚が没し、翌年には上級試験にも落第すると、今度はなぜか、李徳裕の派に属する太原公王茂元の招きに応じてその庇護下に入り、娘を娶った。翌839年、王茂元の働きかけにより文人官僚のスタートとして最も理想的といわれる秘書省の校書郎に任官されるも、牛僧孺派からは忘恩の徒として激しい謗りを受けることになった。以後も李商隠は、処世のために牛李両党間を渡り歩いたので変節奸と見なされ、厳しい批判を受けて官僚としては一生不遇で終わることとなる。しかし、これは詩人として選んだ道であった。この頃の詩人は、武人でなく、文人詩人としての生き方であったと考えるべきであろう。儒教的発想によりみると詩に、不遇を悔やむものといわれるものがあるや、よく読むと全く悔やむものではなく、矜持を感じるものである。儒教の垣根を取り払ってみなければ、李商隠は理解できない。




この詩は夢のなかで体験した神話的世界を、光、音の豊かなイメージを繰り広げながら描き出す手法で、上記物語<要旨>の強調部分を詠っている。特定の日付と人名は目くらましである。李商隠自身、嫁を娶り、文人スタートとして、華やかにデビューしたのだ。しかし、それは束の間の出来事であった。「旋」「少頃」「選巡」など時間の経過を示すことばによって夢の展開が夢の時間を追いながら記されていること、実際に降っていた雨の音を媒介として夢と現実が交叉していること、夢そのものを主題とした詩にしたてているが、実際の話を、竜宮を舞台に比喩しているのである。下に示す詩を参考にするとよくわかる。(李商隠のすべての詩を関連付けてみるとこの結論に達する)

哭劉蕡  李商隠 36 
寄令狐郎中 李商隠 37 
哭劉司戸二首 其一 李商隠 39 
哭劉司戸二首其二 李商隠 40
潭州 李商隠  41
桂林 李商隠  42 

北青蘿 李商隠 :紀頌之の漢詩ブログ李商隠特集 60

北青蘿 李商隠  :紀頌之の漢詩ブログ李商隠特集 60
853年梓州李商隠43歳。

李商隠晩年の作。唐王朝は王朝として存在はするものの各地の潘鎮、節度使が小王国を形成し始めており、官僚による国家の正常な政治は期待できない状態であった。李商隠の詩に変化が現れ、「獺祭魚」的な部分は影を潜め、隠遁者、禅宗の修行者の雰囲気の抒情詩になっている。

北青蘿
残陽西入崦、茅屋訪孤僧。
夕日が迄か西の彼方崦峨山に入るころ、茅ぶきの庵に独り住う僧を訪ねてきた。
落葉人何在、寒雲路幾層。
枯葉が庭に敷き詰められている、ここには人の気配というものがどうしあるといえよう。冬の寒々した雲はが、幾層にも道のように積み重ってあたりをおおっでいる
濁敲初夜磬、閒倚一枝藤。
ただ、僧のたたく磬の音だけが宵の時刻にあたりに響き渡っている。私はものしずかに一本の藤の杖によりかかって見ているだけである。
世界微塵裏、吾寧愛與憎。
この世界、万物とりわけ人間は、徴かい塵のようであり、どうしようもない仕組みの中にいるのである。私は、どうして、女性を愛すること宦官や党派の政争を憎しみというものを考えているのだろうか。



夕日が迄か西の彼方崦峨山に入るころ、茅ぶきの庵に独り住う僧を訪ねてきた。
枯葉が庭に敷き詰められている、ここには人の気配というものがどうしあるといえよう。冬の寒々した雲はが、幾層にも道のように積み重ってあたりをおおっでいる
ただ、僧のたたく磬の音だけが宵の時刻にあたりに響き渡っている。私はものしずかに一本の藤の杖によりかかって見ているだけである。
この世界、万物とりわけ人間は、徴かい塵のようでありどうしようもない仕組みの中にいるのである。私は、どうして、女性を愛すること宦官や党派の政争を憎しみというものを考えているのだろうか。




北青蘿
残陽は西のかた崦(えん)に入り、茅屋に孤僧を訪う。
落葉 人何くにか在る、寒雲 路幾層。
独り敲(たた)く初夜の磬(けい)、閒(しずか)に倚る一枝の藤。
世界 微塵(びじん)の裏、吾寧(な)んぞ愛と憎とをせんや。
 
 
残陽西入崦、茅屋訪孤僧。
夕日が迄か西の彼方崦峨山に入るころ、茅ぶきの庵に独り住う僧を訪ねてきた。
北青蘿 字義は山蔭のつた。ここは庵の名であろう。だが、場所設定はできないが晩年であり、○ 山の一角。日が沈んでいる部分のこと。雲南省崦峨山のこととする説もあるが、違う。隠者は場所の特定をしないもの。


落葉人何在、寒雲路幾層。
枯葉が庭に敷き詰められている、ここには人の気配というものがどうしあるといえよう。冬の寒々した雲はが、幾層にも道のように積み重ってあたりをおおっでいる。


濁敲初夜磬、閒倚一枝藤。
ただ、僧のたたく磬の音だけが宵の時刻にあたりに響き渡っている。私はものしずかに一本の藤の杖によりかかって見ているだけである。
初夜 初更すなわち午後八時。○ 玉石の楽器。キン。折れ曲った矩形に造り、軒にかけて鳴らす。鐘と共に時刻を知らすのに用いられる。○閒倚 閒は閑に同じ。〇一枝藤 藤の杖。生の蔦は木に巻きついているが、杖はそれを解き一枝にしている。隠者の雰囲気を醸し出している表現である。


世界微塵裏、吾寧愛與憎。
この世界、万物とりわけ人間は、徴かい塵のようでありどうしようもない仕組みの中にいるのである。私は、どうして、女性を愛すること宦官や党派の政争を憎しみというものを考えているのだろうか。
世界微塵裏 微塵はこまかいちり。裏は、ものの裏或いは内側、転じて広く仕組みの内、仕組みののもとでという意味。


揺落 李商隠 :kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ李商隠特集 58李商隠

揺落 李商隠  :紀頌之の漢詩ブログ李商隠特集 58李商隠

詩は、草木揺落する秋吾に託して、僻地に流寓る孤独をだれかわからない女性にラブレターとして歌う。

揺落
揺落傷年日、羈留念遠心。
今、草も木も揺れ落ち、過ぎ去りゆく年をかなしみを覚える憂愁の季節、旅先に長逗留する私の心は、遙かな故郷をしきりに思う。
水亭吟断續、月幌夢飛沈。
水郷の旅館で、詩を詠じつつ作る私は、感情の途絶えと継続を続けている。月光は宿のとばりを照らしとお前とのことを思う、ある時には鳥
のようにまた魚のように、飛びまた沈むような夢のひと時を。
古木含風久、疎螢怯露深。
古木の梢は微風をしばらく抱きかかえる、一つ二つまばらに飛んで螢は露の深さを恐れて、河畔の茂みから姿をあらわしている。
人閑始遙夜、地迥更清砧。
人気なく閑散として静寂のなかで、秋の夜長がはじまる、へんぴな片田舎、澄み切ったきぬたの音がしみわたり心を震わせる。
結愛曾傷晩、端憂復至今。
たとえ平和な生活が約束されていても、私達は愛を結ぶことの遅かったことを悲しんだものだったのに、その時むすばれた前途への憂いは、現実のこととなり、その悲哀の中にのみずっと私は住むこととなった。
未諳滄海路、何處玉山岑。
東海のあおい仙境に向かう海路がある、貴い真珠があり、玉をもって輝く仙山がきりたっており、そこへ赴く道が何処にあるのかわからない。
灘激黄牛暮、雲屯白帝陰。
ここ黄牛山の山麓の日暮れ、はやせには急流が激しい水音を立てて流れ、雲のようなお前の姿が、彼方の白帝城に見えかくれ思いを寄せるのだ。
遙知霑灑意、不滅欲分襟。
その涙と悲しみは、私達が袖を分って別れた時のことを思い出す、あの時のそれにも劣らない気持ちは消えはしない。

今、草も木も揺れ落ち、過ぎ去りゆく年をかなしみを覚える憂愁の季節、旅先に長逗留する私の心は、遙かな故郷をしきりに思う。
水郷の旅館で、詩を詠じつつ作る私は、感情の途絶えと継続を続けている。月光は宿のとばりを照らしとお前とのことを思う、ある時には鳥のようにまた魚のように、飛びまた沈むような夢のひと時を。
古木の梢は微風をしばらく抱きかかえる、一つ二つまばらに飛んで螢は露の深さを恐れて、河畔の茂みから姿をあらわしている。
人気なく閑散として静寂のなかで、秋の夜長がはじまる、へんぴな片田舎、澄み切ったきぬたの音がしみわたり心を震わせる。
たとえ平和な生活が約束されていても、私達は愛を結ぶことの遅かったことを悲しんだものだったのに、その時むすばれた前途への憂いは、現実のこととなり、その悲哀の中にのみずっと私は住むこととなった。東海のあおい仙境に向かう海路がある、貴い真珠があり、玉をもって輝く仙山がきりたっており、そこへ赴く道が何処にあるのかわからない。
ここ黄牛山の山麓の日暮れ、はやせには急流が激しい水音を立てて流れ、雲のようなお前の姿が、彼方の白帝城に見えかくれ思いを寄せるのだ。
その涙と悲しみは、私達が袖を分って別れた時のことを思い出す、あの時のそれにも劣らない気持ちは消えはしない。


揺落す 年を傷むの日、萌留して遠きを念う心あり。
水亭に 吟 断続し、月幌に 夢 飛沈す。
古木は風を含むこと久しく、疎なる螢は露の深きを怯る。
人は閑かなり 始めて遙き夜、地は迥にして更に清き砧あり。
結愛 曾て晩きを傷み、端憂 復た今に至る。
未だ諳んぜず 滄海の路、何の処にか玉山の岑ある。
灘は激す 黄牛の暮、雲は屯す 白帝の陰。
逢かに知る 霑灑の意の、襟を分たんとするに減ぜざらんことを。



揺落傷年日、羈留念遠心。
今、草も木も揺れ落ち、過ぎ去りゆく年をかなしみを覚える憂愁の季節、旅先に長逗留する私の心は、遙かな故郷をしきりに思う。
傷年 過ぎ去りゆく年をかなしむ。劉宋の飽照の故人に贈るの詩に「歓び至るも時に留まらず、毎に感じて輒ち年を傷む。」○羈留 長逗留。


水亭吟断續、月幌夢飛沈。
水郷の旅館で、詩を詠じつつ作る私は、感情の途絶えと継続を続けている。月光は宿のとばりを照らしとお前とのことを思う、ある時には鳥のようにまた魚のように、飛びまた沈むような夢のひと時を。
 ちん。旅館、休憩所。○ 詩を詠じつつ作る。〇月幌 月夜のとばり。杜甫(712-770年)が月を観て妻子に寄せた詩「月夜」
今夜鄜州月、閨中只独看。
遥憐小児女、未解憶長安。
香霧雲鬟湿、清輝玉臂寒。
何時倚虚幌、双照涙痕乾。
今夜  鄜州(ふしゅう)の月、閨中(けいちゅう)  只だ独り看(み)るらん。
遥かに憐(あわ)れむ小児女(しょうじじょ)の、未(いま)だ長安を憶(おも)うを解(かい)せざるを。
香霧(こうむ)に雲鬟(うんかん)湿(うるお)い、清輝(せいき)に玉臂(ぎょくひ)寒からん。
何(いず)れの時か虚幌(きょこう)に倚(よ)り、双(とも)に照らされて涙痕(るいこん)乾かん。
と表現して以来、月幌の字には、妻を思う意が含められる。○夢飛沈 飛は鳥、沈は魚。「荘子」大宗師
笛に「夢に鳥と為って天に腐り、夢に魚となって淵に没む。」と。


古木含風久、疎螢怯露深。
古木の梢は微風をしばらく抱きかかえる、一つ二つまばらに飛んで螢は露の深さを恐れて、河畔の茂みから姿をあらわしている。


人閑始遙夜、地迥更清砧。
人気なく閑散として静寂のなかで、秋の夜長がはじまる、へんぴな片田舎、澄み切ったきぬたの音がしみわたり心を震わせる。


結愛曾傷晩、端憂復至今。
たとえ平和な生活が約束されていても、私達は愛を結ぶことの遅かったことを悲しんだものだったのに、その時むすばれた前途への憂いは、現実のこととなり、その悲哀の中にのみずっと私は住むこととなった。
端憂 劉宗の謝荘(421-466年)の月の賦に「陳王初め応(場)劉(楨)を喪い、端憂して暇多し。」と前例がある。悲しい一の事柄にのみかかわって、他になす事を知らぬ憂いという意味であろうか。


未諳滄海路、何處玉山岑。
東海のあおい仙境に向かう海路がある、貴い真珠があり、玉をもって輝く仙山がきりたっており、そこへ赴く道が何処にあるのかわからない。
滄海・玉山 錦瑟の詩。


灘激黄牛暮、雲屯白帝陰。
ここ黄牛山の山麓の日暮れ、はやせには急流が激しい水音を立てて流れ、雲のようなお前の姿が、彼方の白帝城に見えかくれ思いを寄せるのだ。
○灘 はやせ。○黄牛 峡谷の名。湖北省宜昌県西北にある黄牛山の山麓にある。○白帝 白帝城。四川省夔州にある山。梁の簡文帝蕭網(503-551年)の浮雲の詩に「憐むべし片雲生ず、暫く重く復た還た軽し。荊王の夢をして、白帝城を過ぐべからしめんとす。」とあるごとく、楚の懐王の夢枕にあらわれた神女の巫山というのは夔州にある故に、白帝の雲といえば、単なる実景ではなく、思い人を夢見る意味も含まれる。○ 山の北側。川では陰はみなみである。


遙知霑灑意、不滅欲分襟。
その涙と悲しみは、私達が袖を分って別れた時のことを思い出す、あの時のそれにも劣らない気持ちは消えはしない。
分襟 別離。


○韻 心、沈、深、砧、今、岑、陰、襟。

楚宮 李商隠 :kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ李商隠特集 55

楚宮 李商隠  :kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ李商隠特集 55
七言律詩。

楚宮
湘波如涙色漻漻、楚厲迷魂逐恨遙。
湘江の水は劉蕡の涙であり、国を救おうとする涙はどこまでも透き通った色である。そこに身を投げた楚の人屈原の怨霊は迷い続けており、どこまでも恨みを追いかけている。
楓樹夜猿愁自断、女羅山鬼語相邀。
水辺の楓に鳴く宮廷に巣食う宦官たちのような夜の猿は、胸破れんはかりに悲痛な声、讒言の声を叫んでいる。女羅のつるをまとった山鬼が淫乱な宮女ように言葉巧みに誘いかける。
空歸腐敗猶難復、更困腥臊豈易招。
腐敗した肉体は宮廷のようで二度と元のように戻ることにならない、そのうえ魚に食いちぎられのように宦官の行為はけがらわしく正当な魂を招き返すことができようか。
但使故郷三戸在、綵絲誰惜懼長蚊。

もし屈原の郷里にのこった家がたった三軒だとしても、蛟龍をたじろがせる色鮮やかな糸で縛った食べ物を、彼の眠る水中に供え続けるようにあきらめてはいけない。


湘江の水は劉蕡の涙であり、国を救おうとする涙はどこまでも透き通った色である。そこに身を投げた楚の人屈原の怨霊は迷い続けており、どこまでも恨みを追いかけている。
水辺の楓に鳴く宮廷に巣食う宦官たちのような夜の猿は、胸破れんはかりに悲痛な声、讒言の声を叫んでいる。女羅のつるをまとった山鬼が淫乱な宮女ように言葉巧みに誘いかける。
腐敗した肉体は宮廷のようで二度と元のように戻ることにならない、そのうえ魚に食いちぎられのように宦官の行為はけがらわしく正当な魂を招き返すことができようか。
もし屈原の郷里にのこった家がたった三軒だとしても、蛟龍をたじろがせる色鮮やかな糸で縛った食べ物を、彼の眠る水中に供え続けるようにあきらめてはいけない。


湘波 涙如 色漻漻(りょうりょう)たり、楚厲(それい)の迷魂 恨みを逐いて遙かなり。
楓樹 夜猿 愁いて自ら断たる、女羅 山鬼 語りて相邀う。
空しく腐敗に帰す 猶お復し難し、更に睲臊(せいそう)に困しめらる 豈に招き易からんや。
但だ使し故郷に三戸在らば、綵絲(さいし) 誰か惜まん 長蛟を懼れしむるを。


楚宮
楚宮 周代、春秋時代、戦国時代にわたって存在した王国。現在の湖北省、湖南省を中心とした広い地域を領土とした楚の宮殿。紀元前278年に楚の都・郢(現在の湖北省江陵県県内)が秦軍に攻め落とされると、屈原は国を救う望みがなくなったことを感じ、旧暦五月五日の端午節に『懐沙』(石をいだく)を書き、汨羅江に身投げした。李商隠には「楚宮」と題する詩がこのほかに三首、「楚宮を過ぎる」と題する詩が一首あるが、いずれも楚の宮中の奪惨と荒淫を題材とするものである。
屈原の国を救いたい思いは肉体が腐敗しても生き残るものであり、今のひともその遺志を継いでいかねばならない。ここでも屈原は、劉司戸蕡を喩えているのであり、楚宮は唐王朝である。李商隠は、秦に攻撃されて危ない状況でも繰り広げられていた楚の宮廷の奢侈で的外れな政治を改革したかった屈原を喩えることにより、心ある人に訴えた。
 


湘波如涙色漻漻、楚厲迷魂逐恨遙。
湘江の水は劉蕡の涙であり、国を救おうとする涙はどこまでも透き通った色である。そこに身を投げた楚の人屈原の怨霊は迷い続けており、どこまでも恨みを追いかけている。
湘波 湘江の波。湘江は南方から洞庭湖に注ぐ川。屈原が身を投げた汨羅はその支流。○如涙 李商隠の何だの語の使用にはたくさんの色の違った涙があり、国を救おうとする涙は澄み切った色である。 ○色謬謬 水の澄み切った様子。李賀「南山田中行」に
秋野明、秋風白。 塘水膠膠蟲嘖嘖。
雲根苔蘚山上石、冷紅泣露嬌啼色。
荒畦九月稻叉牙、蟄螢低飛隴徑斜。
石脈水流泉滴沙、鬼燈如漆點松花。
「秋の野は明るく、秋の風は白し。塘水は膠膠として虫嘖嘖たり」。○楚厲迷魂 楚の屈原の怨魂をいう。「厲」は非業の死を遂げた魂。

 

楓樹夜猿愁自断、女羅山鬼語相邀。
水辺の楓に鳴く宮廷に巣食う宦官たちのような夜の猿は、胸破れんはかりに悲痛な声、讒言の声を叫んでいる。女羅のつるをまとった山鬼が淫乱な宮女ように言葉巧みに誘いかける。
楓樹 南方の水辺の植物。葉が厚く茎が弱く風が吹くと啼くように鳴る。○夜猿 「猿」も南方のもので、その鳴き声は悲痛なものとされる。日本の猿と違い手が長く、長く引っ張る啼き方をする。○女羅山鬼 「女薙」は蔓植物の名。李白「白雲歌送劉十六歸山」に湘江を渡り、楚山に入る。女羅衣にするとよい。「山鬼」は山中に住む女の神。李賀「神絃」にある。鬼は死者を示す。○ 招く、呼ぶ。
 

空歸腐敗猶難復、更困腥臊豈易招。
腐敗した肉体は宮廷のようで二度と元のように戻ることにならない、そのうえ魚に食いちぎられのように宦官のこういはけがらわしく正当な魂を招き返すことができようか。
空帰腐敗 死後、肉体が腐敗すること。○ 死者の魂を蘇らせる儀式。『礼記』喪大記に見える。○腥臊 なまぐささ。けがらわしい。○ 死者の魂を招く。宋玉が屈原を悼んで作ったのが『楚辞』の「招魂」。



但使故郷三戸在、綵絲誰惜懼長蛟。
もし屈原の郷里にのこった家がたった三軒だとしても、蛟龍をたじろがせる色鮮やかな糸で縛った食べ物を、彼の眠る水中に供え続けるようにあきらめてはいけない。
三戸 戦国末、楚の南公という予言者が「楚は三戸と雖も、秦を亡ぼすは必ず楚なり」(楚の人の秦に対する怨みは深いので、たとえ三戸だけになっても秦を滅ぼすだろう)と言った言葉にもとづく(『史記』項羽本紀)。○綵絲誰惜懼長蛟 『芸文類架』巻四に引く『続斉諸記』 の逸話を用いる。屈原の命日五月五目が来るたびに、楚の人は竹筒に米を包んで霊を弔っていた。後漢の建武年間、三閭大夫(屈原)と名乗る人があらわれ、「毎年いただいているものは蛟龍に盗られてしまう。もしお恵みをいただけるならは、楝(おうち)の葉で蓋をして五色の糸で縛ってほしい。この二つは蛟龍が嫌うものだから」と言った。以後、その言葉とおりに粽を作る風習が生まれた、という。
 
○韻 膠、遥、遊、招。


李商隠が劉蕡と知りあったのは湖南観察使であった楊嗣復のもとでであった。なお揚嗣復は劉蕡の座主すなわち進士登第の時の試験官だった。李商隠は5,6年ぶりの再会を夢見て尋ねた。しかし、尋ねた人はいなかった。朝廷内で意識ある人は次々に左遷されたりしていく。
 まるで、魂が消えていくようだ。
劉蕡は令狐楚、牛僧濡らの幕下で大切に扱われたが、宦官の恨みはすさまじく、結局柳州(広西壮族自治区柳州市)司戸参軍に流謫されてその地で歿した。死後六十数年を経た唐末に至って左諌議大夫を追贈されたことが示すように、権力を恐れない義人として名声は伝えられた。
 屈原のように正しいことを貫けることはできないのか。

馬嵬(海外徒聞更九州) 李商隠 :kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ李商隠特集 51

馬嵬(海外徒聞更九州) 李商隠 :kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ李商隠特集 51



馬嵬
海外徒聞更九州、他生未卜此生休。
唐というこの九州よりなる大世界の外に、神仙世界の九州さらにあると玄宗は道教の修験者から聞いていた。だがそれは聞いただけのこと、次の未来生のどこで生れかわるかわからいままに、ここで人生は終わってしまった。
空間虎旅鳴宵拆、無復鶏人報暁籌。
落ち伸びたこの馬蒐の地で兵士たちに迫られて、来世をともに誓った愛妃をうしない、王車守衛の兵士のならす宵の拍子木をも、むなしく一人で聞かねはならなかった。朝になっても、逃げ延びる最中でのことゆえ鶏をかたどった朱の冠をかむり寝所にまで夜明けの時を知らせる守衛の者もいなかった。
此日六軍同駐馬、當時七夕笑牽牛。
この日、天宝十五載六月十四日、近衛兵は禍の根は楊貴妃にあると、憤怒していっせいに馬を駐め、楊貴妃がくびり殺されるまで、もはや前に進もうとはしなかった。かつて七夕の宵、高楼によりそいつつ、玄宗と場景妃は、一年に一度しか織女にあえぬ牽牛の運命を笑い、瀬世夫婦となって共に住もうと誓い合ったのだったが。
如何四紀為天子、不及慮家有莫愁。
四紀、凡そ五十年にわたる年月の間、天子として九州に君臨しておりながら、どうしたことか、洛陽の富家、盧姓の者が、「十五にして嫁し十六にして子を産んだ。」と古い歌謡にも歌われる、その名もめでたき莫愁なる美女を迎え入れて過したその幸福さに及ばないのは。


唐というこの九州よりなる大世界の外に、神仙世界の九州さらにあると玄宗は道教の修験者から聞いていた。だがそれは聞いただけのこと、次の未来生のどこで生れかわるかわからいままに、ここで人生は終わってしまった。
落ち伸びたこの馬蒐の地で兵士たちに迫られて、来世をともに誓った愛妃をうしない、王車守衛の兵士のならす宵の拍子木をも、むなしく一人で聞かねはならなかった。朝になっても、逃げ延びる最中でのことゆえ鶏をかたどった朱の冠をかむり寝所にまで夜明けの時を知らせる守衛の者もいなかった。
この日、天宝十五載六月十四日、近衛兵は禍の根は楊貴妃にあると、憤怒していっせいに馬を駐め、楊貴妃がくびり殺されるまで、もはや前に進もうとはしなかった。かつて七夕の宵、高楼によりそいつつ、玄宗と場景妃は、一年に一度しか織女にあえぬ牽牛の運命を笑い、瀬世夫婦となって共に住もうと誓い合ったのだったが。
四紀、凡そ五十年にわたる年月の間、天子として九州に君臨しておりながら、どうしたことか、洛陽の富家、盧姓の者が、「十五にして嫁し十六にして子を産んだ。」と古い歌謡にも歌われる、その名もめでたき莫愁なる美女を迎え入れて過したその幸福さに及ばないのは。


馬蒐
海外 徒らに聞く更に九州ありと、他生は未だ卜せず 此の生は休む。
空しく聞く 虎旅の宵栃を鳴らすを、復た鶏人の暁籌を報ずる無し。
此の日 六軍、同じく馬を駐め、当時 七夕に牽牛を笑う。。
如何ぞ 四紀 天子と為って、慮家の莫愁あるだに及ぼざる。


馬蒐 陝西省興平県西方にある地名。天宝十四年(七五五年)安禄山(7-七五七年)の叛乱軍に潼関(駅西省、洛陽と長安の中間にある関所)を占領きれた玄宗皇帝は、あわただしく出奔して馬鬼までおちのびた。帝の寵姫楊貴妃はここで嬲り殺された。
それはそこまで落ち伸びた将士たちが飢え疲れて憤激し、この動乱を招いた請任は楊氏一族にあるとし、貴妃の兄である宰相揚国忠父子を殺し、また揚貴妃の死を迫ったので、やむなく玄宗は死を賜ったのである。詩一篇はこの悲劇を批判的詠史詩として歌う。



海外徒聞更九州、他生未卜此生休。
唐というこの九州よりなる大世界の外に、神仙世界の九州さらにあると玄宗は道教の修験者から聞いていた。だがそれは聞いただけのこと、次の未来生のどこで生れかわるかわからいままに、ここで人生は終わってしまった。
九州 天下ということ。作者の原注があり、戦国諸子の一人、陰陽家の代表者である鄒衍の言葉「九州の外に更に九州有り。」(「史記」の孟子筍卿列伝に見える)を引いている。陰陽家の考えでは、文明世界は赤県神州つまり中国を中心とした九つの州に分たれ、それを海がとりまいている。その外側にまた九つの州があり、更にその外部を大嵐海(大海)がとりまいているとされる。○他生未卜 他生は、今生以外の諸々の世界に生まれかわること。過去生・未来生双方に言うが、ここでは未来生。卜の字をあるテキストは決の字に作る。○ おしまいになる。



空間虎旅鳴宵析、無復鶏人報暁籌。 
落ち伸びたこの馬蒐の地で兵士たちに迫られて、来世をともに誓った愛妃をうしない、王車守衛の兵士のならす宵の拍子木をも、むなしく一人で聞かねはならなかった。朝になっても、逃げ延びる最中でのことゆえ鶏をかたどった朱の冠をかむり寝所にまで夜明けの時を知らせる守衛の者もいなかった。
空関 空はあるべき実体なきこと。ここは共に聞くべきその人なくで、という意味。○虎旅 宮城及び王事守衛の軍隊。○鳴宵拆 宵塀は宵に就寝を警告する拍子木。○鶏人 官門を警衛し、祭祀の夜、暁を報ずる役目の者「周礼」春官に見える。○暁籌 籌は時刻を示す木札。毎朝未明に鶏人が朱色の冠を戴き、鶏の鳴声をまねておいて、それを天子の寝所に伝送する。尚衣すなわち天子の御服を掌るものが、御服を進め、かくて群臣が朝見するのである。



此日六軍同駐馬、當時七夕笑牽牛
この日、天宝十五載六月十四日、近衛兵は禍の根は楊貴妃にあると、憤怒していっせいに馬を駐め、楊貴妃がくびり殺されるまで、もはや前に進もうとはしなかった。かつて七夕の宵、高楼によりそいつつ、玄宗と場景妃は、一年に一度しか織女にあえぬ牽牛の運命を笑い、瀬世夫婦となって共に住もうと誓い合ったのだったが。
六軍 六編成よりなる近衛兵。すなわち左右の竜武、左右の神武、左右の神楽、六つの近衛師団をいう。○駄馬 馬をとどめる。前記のごとく、馬鬼で将軍陳玄礼が、粉氏を談しょうと論うたことを指す。六甲の兵は戦を持って排倒し、その要求の通るまで、前へ進もうとしなかった。中庸の詩人自辟易の「長恨歌」は、この時の有様を「六翠発せず如何ともするなく、宛転たる蛾眉 馬前に死す。」と歌っている。○当時 当はある二つのものが対応関係にあることを示す言葉。過去の時間から一つの時をとり出して、現在と対置させるとき、それが当時である。〇七夕 たなはたの宵。天宝十年の七夕の宵、玄宗と楊貴妃は、驪山の離宮の長生殿で永遠の夫婦となろうと、誓い合ったという。白居易の長恨歌では「七月七日長生殿、夜半人無く私語の時。天に在りては願わくは作らん此巽の鳥、地に在りては願わくは為らん連理の枝。」と歌われている。○牽牛 ひこぼし。日本でもよく知られる七夕伝説の星。白居易の長恨歌を敢行した中庸の陳鵜の「長恨歌伝」に、楊貴妃の死後、なおその面影を忘れ得なかった玄宗は、道教の修験者に命じて彼女の魂をたずねさせた話をのせる。蓬莱山の仙女と化した楊貴妃にあった修験者が、証拠に他人の知らぬ事柄をひとつと乞うた時、貴妃は、かつて天宝十年の七夕の夜、願わくは世世夫婦とならん、とひそかに誓ったことがあると告げた。使者が帰って この言葉を奏上した時、帝の心は貢蕩した、と。一句はこの故事をふまえる。



如何四紀為天子、不及慮家有莫愁
四紀、凡そ五十年にわたる年月の間、天子として九州に君臨しておりながら、どうしたことか、洛陽の富家、盧姓の者が、「十五にして嫁し十六にして子を産んだ。」と古い歌謡にも歌われる、その名もめでたき莫愁なる美女を迎え入れて過したその幸福さに及ばないのは。
〇四紀 一紀は歳星(木星)が天とまわりする期間、十二年。玄宗皇帝の在位は閲元元年(七一三年)より天宝十四年(七五五年)までで、ほぼ四紀といえる。○盧家有美愁 盧家は魏晋時代の北方豪族八姓の一つに数えられる名門。莫愁はいにしえの洛陽の女児の名。梁の武帝衝衍(464―549)の河中の水の歌)に、「河中の水は東に向って流る、洛陽に女児あり名は莫愁。十五にして嫁して盧家の婦となる。十六にして子を生む字は阿候」云云とある。なお、この故事を利用しつつ、愁い莫という語の意味をもきかしている。

南朝(梁・元帝) 李商隠 :kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ李商隠特集 46

南朝(梁・元帝) 李商隠 :紀頌之の漢詩ブログ李商隠特集 46

七言絶句。


南 朝 
地險悠悠天險長、金陵王気應瑤光。
地勢の恵み自然の要害によるはるかかなたまでの領土、天から気候、風土の恵みにより、長い距離移動、穀物生産による豊かな国。金陵という名は、昔から王気漂う運気の強いところ、天界の斗宿とも合致応じている。
休誇此地分天下、只得徐妃半面粧。

これだけの国力があって、自分の国を誇れるまではない、漢民族が南を制しているだけで天下を二分されたままだ。ご自分の王妃、徐妃でさえ顔の半分だけに化粧をして馬鹿にされたと同様、たかだか全土の半分しか領土にし得なかったということだ。


地勢の恵み自然の要害によるはるかかなたまでの領土、天から気候、風土の恵みにより、長い距離移動、穀物生産による豊かな国。金陵という名は、昔から王気漂う運気の強いところ、天界の斗宿とも合致応じている。
これだけの国力があって、自分の国を誇れるまではない、漢民族が南を制しているだけで天下を二分されたままだ。ご自分の王妃、徐妃でさえ顔の半分だけに化粧をして馬鹿にされたと同様、たかだか全土の半分しか領土にし得なかったということだ


南 朝
地険は悠悠 天険は長し、金陵の王気瑤光に応ず。
誇るを休めよ此の地 天下を分かつと、只だ徐妃の半面の粧を得たるのみ


南朝 七言律詩の「南朝(玄武湖中)」は宋・南斉・陳の宮廷における逸楽を繰り広げるが、この「南朝」詩は梁を舞台とする。



地險悠悠天險長、金陵王気應瑤光。
地勢の恵み自然の要害によるはるかかなたまでの領土、天から気候、風土の恵みにより、長い距離移動、穀物生産による豊かな国。金陵という名は、昔から王気漂う運気の強いところ、天界の斗宿とも合致応じている。
地險悠悠天險長 「天険」、「地険」は守る自然の要害。「悠悠」は「長」と同じく、時間的空間的に長いこと。当時の戦は戦車主体で、その部隊は、戦艦によって移動した。南北朝はそれぞれの川を制した王朝ということができる。北朝は黄河流域を、南朝は長江流域である。隋の煬帝が大運河を完成させて統一するのである。それぞれの首都の位置も大河の要衝の地である。○金陵 南朝が歴代みやこを置いた建康(江蘇省南京市)の雅称。『太平御覧』巻四一が引く『金陵地記』、『太平韓太平寰宇記』昇州が引く『金陵図経』によると、戦国時代、楚の威壬がこの地に「王気」あるのを見て金を埋め、金陵と称した。秦の時に、江東に天子の気があると言われたのを恐れた始皇帝は地脈を断ち、「秣陵」と名を改めた、という。○王気 王者の出る気配を示す気。○応瑤光 「瑤光」は北斗七星(天樞. 天璇. 天璣. 天權. 玉衡. 開陽. 瑤光)にあたる星の名。北斗七星全体もあらわす。天空全体は二十八の宿(しゅう)星座によって区分され(分野)、それが中国全土を区分する「分野」と対応すると考えられた。金陵を含む呉の地は北斗七星を含む斗宿と対応している。


休誇此地分天下、只得徐妃半面粧。
これだけの国力があって、自分の国を誇れるまではない、漢民族が南を制しているだけで天下を二分されたままだ。ご自分の王妃、徐妃でさえ顔の半分だけに化粧をして馬鹿にされたと同様、たかだか全土の半分しか領土にし得なかったということだ。
分天下 中国が南朝と北朝により分割されていたことを指す。○徐妃 梁・元帝の后、徐昭佩。(じょ しょうはい、生年不詳 - 549年)ウィキペディアによると
徐妃は容姿が醜く、元帝は2、3年に1回しか入室しなかった。元帝は片眼だったので、徐妃は元帝がやってくると知ると、半面を化粧して待ったため、元帝は激怒して部屋を出た。徐妃は酒を好み、よく深酒していて、元帝が私室に帰ると、衣中に吐きもどした。徐妃は荊州の後堂瑤光寺の智遠道人と私通した。ひどく嫉妬深く、元帝の寵愛を受けない妾とは酒杯を交わして仲良くした。元帝の子を宿した者がいると分かると、手ずから刃傷を加えた。元帝の側近の曁季江の容姿が美しかったので、またこれと姦通した。季江は徐妃の老いらくの情に困惑して嘆いた。ときに賀徽という者の容姿が美しいことで知られたが、徐妃は賀徽を普賢尼寺に召して、白角の枕頭で詩を贈答しあった。


○韻 長、粧、光。

北斉二首其二 李商隠 :kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ李商隠特集 45

北斉二首其二 李商隠 :紀頌之の漢詩ブログ李商隠特集 45


 
北斉
詩に詠われた斉 建国時の勢力図


北斉は 北朝の王朝の一つ。550年に鮮卑族の高氏が東魏から政権を奪って樹立、三十年足らず後の577年に北周によって滅ぼされた。

北齋 二首 其二
巧笑知堪敵萬機、傾城最在著戎衣
女性の魅力的な笑みは天子の持つすべての権限、権力に匹敵するほどのものなのか。美人の色香により城をも傾けるというものも、いかめしい軍服に身を包んだまさにめざめたなら最も威力を揮い守れるのだ。
晋陽己陥休廻首、更講君王猟一国

そうしていても晋陽はもう陥落した、振り返ったとしても仕方がない、もう振り返るまい。その後一国の王がしたことは戦いのいでたちのまま、もう一度囲みを作って狩りをしたのだ。



女性の魅力的な笑みは天子の持つすべての権限、権力に匹敵するほどのものなのか。美人の色香により城をも傾けるというものも、いかめしい軍服に身を包んだまさにめざめたなら最も威力を揮い守れるのだ。
そうしていても晋陽はもう陥落した、振り返ったとしても仕方がない、もう振り返るまい。その後一国の王がしたことは戦いのいでたちのまま、もう一度囲みを作って狩りをしたのだ。


其の二
巧笑は万機に敵たるに堪うと知る、傾城は最も戎衣を着するに在り
晋陽 巳に陥つるも首を廻らすを休めよ、更に請う 君王一因を猟せんことを

 

巧笑知堪敵萬機、傾城最在著戎衣
女性の魅力的な笑みは天子の持つすべての権限、権力に匹敵するほどのものなのか。美人の色香により城をも傾けるというものも、いかめしい軍服に身を包んだまさにめざめたなら最も威力を揮い守れるのだ。
巧笑 女性の魅力的な笑み。美人の容貌をほめたたえる詩として『詩経』衛風―碩人に「巧笑 倩たり、美目 盼たり」。(にっこり笑えばえくぼが可愛い、美しい目はぱっちりとしている。)手、肌、首、歯、額に続いて微笑み、目を詠っている。艶詩では女性の蠱惑的(こわくてき)な表情として使われる。○敵万機 天子の持つすべての権限、権力の意。よろずの細々した事柄。「敵」は匹敵する。○傾城 美女に心を奪われ、適切な対処を放棄し城を陥落させること。○戎衣 いくさのいでたち。猟をするための服装でもある。



晋陽己陥休廻首、更講君王猟一国
そうしていても晋陽はもう陥落した、振り返ったとしても仕方がない、もう振り返るまい。その後一国の王がしたことは后妃の言う通りに、戦いのいでたちのまま、もう一度囲みを作って狩りをしたのだ。
猟一因 周りを包囲してそのなかの獣をしとめること。『北史』后妃伝の馮淑妃の伝に、後主が猟をしていた時、北周の軍勢が晋陽に迫ったという知らせを受けて戻ろうとしたが、馮淑妃が「更に一因を殺さんことを請う」とねだり、後主はその言に従った、晋陽(現太原)の城が陥落しても首都、鄴には及ぶまいとしたものであろうが、美人の后妃が国を傾けたことを示す。。


○詩型・押韻 七言絶句。 機・衣・囲。



李商隠の詩 時代背景
李商隠(812~858)845年34歳
安史の乱により疲弊した唐は、中央アジアのみならず西域も保持することが難しくなり、国境は次第に縮小して世界帝国たる力を失っていった。
中興810~821頃の祖といわれる憲宗(在位806~821)は中央の禁軍を強化することで、中央の命令に服さない節度使を討伐し朝威を回復させた。しかしその後、宮女と不老長寿の薬と称された丹砂(水銀)などの怪しげな仙薬を常用するようになると、精神不安定から宦官をしばしば殺害したため、恐れた宦官により殺された。孫の文宗は権力を握った宦官を誅殺しようと「甘露の変」(835年11月李商隠24歳)と称される策略を練ったが失敗し、却って宦官の専横を招いた。 文宗の弟の武宗は廃仏運動を進めた。当時、脱税目的で僧籍を取る者が多かったため、実態の無い僧を還俗させ財政改善を図った。この時期、牛僧孺党派と李徳裕党派の政争が激しくなり、これは牛李の党争と呼ばれる。
 846年武宗仙薬中毒死。(宦官の謀略とされる。)
 李商隠の時代背景である。

涼思 李商隠 :kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ李商隠特集 44 

紀頌之の漢詩ブログ李商隠特集 44 「涼思」李商隠
847年36歳。桂林に来て少し落ち着いたのか、杜甫の、「江村」「水檻遣心二首」などの心境であったのか。


涼思  李商隠44
客去波平檻、蝉休露満枝。
波立つ水は欄干のもとまで漲っている。先刻まで鳴きしきっていた蝉の声はピタッとやみ、樹々の枝には露がいっぱいにひかり始めた。
永懐當此節、倚立自移時。
久しく続いた憂鬱は、悲愁の季節にあって一層深まり、私は大樹に一人凭(もた)れて、なんとなく時を過してしまうのである。
北斗兼春遠、南陵寓使遅。
北斗七星は過ぎ去った春とともにはるかになんもかんも遠のき、この南陵へ手紙のことづけられるのも、じれったく遅くなったようだ。
天涯占夢数、疑誤有新知。

この南の地の果てで、私は何度も夢占いをしてみたのだ、たわむれの占いを信じものである。吉とでて、新たに私の考えを認知してくれそうな気がしてくるのだ。



波立つ水は欄干のもとまで漲っている。先刻まで鳴きしきっていた蝉の声はピタッとやみ、樹々の枝には露がいっぱいにひかり始めた。
久しく続いた憂鬱は、悲愁の季節にあって一層深まり、私は大樹に一人凭(もた)れて、なんとなく時を過してしまうのである。
北斗七星は過ぎ去った春とともにはるかになんもかんも遠のき、この南陵へ手紙のことづけられるのも、じれったく遅くなったようだ。
この南の地の果てで、私は何度も夢占いをしてみたのだ、たわむれの占いを信じものである。吉とでて、新たに私の考えを認知してくれそうな気がしてくるのだ。



涼恩
客去って波は檻と平しく、蝉休みて露は枝に満つ。
永懐 此の節に当り、倚立 自ら時を移す。
北斗は春と兼に遠く、南陵に使いを寓すること遅し。
天涯 占夢数々(しばしば)なり、疑誤す 新知有りやを。




涼思 涼しき夕べの思い。
江村     杜甫
淸江一曲抱村流,長夏江村事事幽。
自去自來梁上燕,相親相近水中鴎。
老妻畫紙爲棊局,稚子敲針作釣鈎。
多病所須唯藥物,微躯此外更何求。


客去波平檻、蝉休露満枝。
いままで話し合っていた客人も帰り、水ぎわの座敷で、波立つ水は欄干のもとまで漲っている。先刻まで鳴きしきっていた蝉の声はピタッとやみ、樹々の枝には露がいっぱいにひかり始めた。
波平檻 水が満ちて来て波が檻の高さと等しくなる。○ 欄干。○ 成虫になった蝉は、夜露だけを食べるとされる。漢詩ブログ李商隠29「蝉」参照

永懐當此節、倚立自移時。
久しく続いた憂鬱は、悲愁の季節にあって一層深まり、私は大樹に一人凭(もた)れて、なんとなく時を過してしまうのである
永懐 ずっと続いて来た、そしてこれからも続くであろうもの思い。党派に別れての政争と宦官による陰湿な朝廷支配のことを言う。〇倚立 倚はもたれかかる。



北斗兼春遠、南陵寓使遅。
北斗七星は過ぎ去った春とともにはるかになんもかんも遠のき、この南陵へ手紙のことづけられるのも、じれったく遅くなったようだ。
北斗 北斗七星によって季節、月日、時を知らせる星である。○ 何何とともに。接続の辞。○南陵 地名、今の安徽省燕湖の附近。○寓使 寓は寄せると同じ、手紙をよせる。



天涯占夢数、疑誤有新知。
この南の地の果てで、私は何度も夢占いをしてみたのだ、たわむれの占いを信じものである。吉とでて、新たに私の考えを認知してくれそうな気がしてくるのだ。
占夢数 占夢はゆめうらない。数はしばしば。○疑誤 まどわせ誤らす。劉未の蒋嘩の「後漢書」察邑伝に「俗儒は穿馨しで後学を疑誤す。」と見える。ここは占いが自分をまどわすという意味。○新知 新たな知己。自分を認知してくれる

桂林 李商隠 :kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ李商隠特集 42 

紀頌之の漢詩ブログ李商隠特集 42 「桂林」李商隠
847年36歳。潭州(李商隠41)に立ち寄り桂林に赴いた。長沙から峠を越えて初めて桂林に入った。桂林の風景と異民族の風俗に驚いた李商隠の誌である。


桂林  李商隠
城窄山將壓、江寛地共浮。
この地、桂林は四方に峻しい山が聳え、城壁に囲まれた狭い町を圧し潰すようにせまっている。大江は、おおきくゆったりと流れていて、大地が天と共にそこに浮ぶかのようにみえる。
東南通絶域、西北有高樓。
東南の方は、遠く、蛮夷の住む未開の地に通じ、西北方向に高楼がある。
紳護青楓岸、龍移白石湫。
川岸に茂る神通力を持つ、神の守り札のような不思議な楓の老木がある、白石湫呼ばれる池も、大きく深深として、昔、竜神の害をふせぐためにそれ竜を移した伝説にふさわしいものである。
殊郷竟何禱、簫鼓不曾体。
この言葉通ぜぬ異郷の人々は何を祈っているだろうか、簫や鼓の響きは一向にやまない。



この地、桂林は四方に峻しい山が聳え、城壁に囲まれた狭い町を圧し潰すようにせまっている。大江は、おおきくゆったりと流れていて、大地が天と共にそこに浮ぶかのようにみえる。
東南の方は、遠く、蛮夷の住む未開の地に通じ、西北方向に高楼がある。
川岸に茂る神通力を持つ、神の守り札のような不思議な楓の老木がある、白石湫呼ばれる池も、大きく深深として、昔、竜神の害をふせぐためにそれ竜を移した伝説にふさわしいものである。
この言葉通ぜぬ異郷の人々は何を祈っているだろうか、簫や鼓の響きは一向にやまない。




桂林
城は窄(せま)くして山将に圧せんとし、江は寛(ひろ)くして地共に浮ぶ。
東南 絶域に通じ、西北に高楼有り。
神は護る 青楓の岸、竜は移る 白石の湫。
殊郷 竟して何をか禱、簫鼓 曾て休まず。




○桂林 広西省桂林県。桂林刺史、桂管防禦観察使の鄭亜の掌書記として桂林に赴いた時、宜宗皇帝の大中元年(847年)の作。李商隠三十六歳。桂林市(けいりん-し)は中華人民共和国広西チワン族自治区に位置する地級市。カルスト地形でタワーカルストが林立し、絵のように美しい風景に恵まれ、世界的な観光地である。

 古来、百越の住む地であり、秦始皇帝が征服して桂林郡を設置した。111年に始安県が設置され、湖南省に近いため、荊州臨稜郡に属した。269年始安郡始安県が置かれて初めて現在の桂林の町が形成された。

また桂林市のHP「歴史と文化」には、”唐代には、嶺南(広東・広西一帯)は5つの節度と経略使(いずれも官名)に分かれて管轄されるようになり、嶺南「五管」もしくは「五府」と呼ばれました。桂林は「桂管」の所在地で、桂管の役人は嶺南の採訪使(官名)の職も兼ねており、嶺南すべての検察の権利を持っていました。唐武徳4年(621)に李靖が独秀峰の南に城を建て、唐武徳5年(622)、桂林で貨幣の鋳造が始まり、貿易が盛んに行われるようになります。長寿元年(692)、水利工事を行い、漓江・柳江をつなぎ、貴州・雲南への近道となりました。これは、桂林北部の霊渠とともに一つの交通体系を形成し、桂林はこの体系の中枢となりました。交通の発達は経済の活発化を促進し、唐代中期以降、桂林の発展は隆盛を極めます。”




城窄山將壓、江寛地共浮。

この地、桂林は四方に峻しい山が聳え、城壁に囲まれた狭い町を圧し潰すようにせまっている。大江は、おおきくゆったりと流れていて、大地が天と共にそこに浮ぶかのようにみえる。
○城 城壁に囲まれたまち。○地共浮 土地が天と共に水に浮んでいるように見える。盛唐、杜甫(712-770年)の岳陽樓に登るの詩に「呉楚東南に坼け、乾坤日夜浮ぶ。」と見える。
登岳陽樓   杜甫
昔聞洞庭水,今上岳陽樓。
呉楚東南坼,乾坤日夜浮。
親朋無一字,老病有孤舟。
戎馬關山北,憑軒涕泗流。



東南通絶域、西北有高樓。
東南の方は、遠く、蛮夷の住む未開の地に通じ、西北方向に高楼がある。
絶域 遠隔未開の異民族が住む地域。杜甫「陪鄭広文遊何将軍山林十首」其三
萬裡戎王子,何年別月支。
異花開絕域,滋蔓匝清池。
漢使徒空到,神農竟不知。
露翻兼雨打,開坼日離披。



紳護青楓岸、龍移白石湫。
川岸に茂る神通力を持つ、神の守り札のような不思議な楓の老木がある、白石湫呼ばれる池も、大きく深深として、昔、竜神の害をふせぐためにそれ竜を移した伝説にふさわしいものである。
紳護楓 不思議な楓の老木。紳は神通力を帯びる、護は神や仏の守り札。○白石湫 湫は池。「明一統志」に「白石湫は桂林府城の北七十里にあり、俗に白石潭と名づく。」とある。白石湫に竜が住むという伝説がある。



殊郷竟何禱、簫鼓不曾体。
この言葉通ぜぬ異郷の人々は何を祈っているだろうか、簫一向にやまない。
殊郷 異民族の住む地域。○不骨休 一向にやまない。

哭劉司戸二首 其一 李商隠 :kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ李商隠特集 39 

紀頌之の漢詩ブログ李商隠特集 39 「哭劉司戸二首
其一」李商隠 812~858



哭劉司戸二首其一
離居星歳易、失望死生分。
離ればなれに暮らし、星のまたたきとともに年月は移り、再会できない失望のまま、生と死さえ分かたれているのだ。
酒甕凝餘桂、書籖冷舊芸。
かめにはのこった桂酒が凝り、書物に挟んだしおりも古びた芸香が冷たくなっている。
江風吹雁急、山木帯蝉曛。
長江の風は旅だった雁に激しく吹き付けるようにわたしたちにも吹いている、そして、山の木々のように世間の人たくさんには正しいことを主張し啼いている蝉の声を響かせたけれどとどかないで暮れていくのだ。
一叫千廻首、天高不爲聞。

ひとたび大きく正論を主張し叫んだ、それを千回も向を振り返っても、天子は宦官によって高いところに置かれていて、この正当な主張を耳に届くことはないのだ。


離ればなれに暮らし、星のまたたきとともに年月は移り、再会できない失望のまま、生と死さえ分かたれているのだ。
かめにはのこった桂酒が凝り、書物に挟んだしおりも古びた芸香が冷たくなっている。
長江の風は旅だった雁に激しく吹き付けるようにわたしたちにも吹いている、そして、山の木々のように世間の人たくさんには正しいことを主張し啼いている蝉の声を響かせたけれどとどかないで暮れていくのだ。
ひとたび大きく正論を主張し叫んだ、それを千回も向を振り返っても、天子は宦官によって高いところに置かれていて、この正当な主張を耳に届くことはないのだ。


劉司戸を哭す二首其の一
離居して星歳易(か)わり、望みを失す 死生分かるるに
酒甕(しゅおう) 余桂(よけい) 擬(ぎょう)し、書籖(しょせん) 旧芸(きゅううん)冷やかなり
江風 雁を吹きて急に、山木 蝉を帯びて曛(く)る
一たび叫び千たび首を廻らすも、天高くして為に聞かず



劉司戸
劉司戸 劉蕡、字は去華。当時の硬骨の士。宝暦二年(826)進士及第ののち、大和二年(828)に賢良方正能直言極諌科に応じた時、権勢・謀略をほしいままにしていた宦官勢力を激しく攻撃し、その対策論文を提出した。試験官たちは感服したものの甘露の変*以降、どうすることもできない状態だったので宦官を恐れて落とした。
合格者のなかには劉蕡が落ちて自分が合格した厚顔には堪えられないと授けられた官職を辞退する者まであらわれた。劉蕡は令狐楚、牛僧濡らの幕下で大切に扱われたが、宦官の恨みはすさまじく、結局柳州(広西壮族自治区柳州市)司戸参軍に流謫されてその地で歿した。死後六十数年を経た唐末に至って左諌議大夫を追贈されたことが示すように、権力を恐れない義人として名声は伝えられた。李商隠はおそらく令狐楚を介して知り合ったのだろうが、その人となりを敬慕し、劉蕡が柳州に流される時には「劉司戸に贈る 李商隠35」送別詩を作り、その死に際しては、「劉蕡を哭す 李商隠36」、と「劉司戸蕡を哭す二首」の計四首を作っている。次回「其の二を掲載。」

*甘露の変(かんろのへん)とは、中国、唐の大和9年(835年)、文宗および官僚が企図した宦官誅殺未遂事件。本件が失敗したことにより中唐期以降、唐における宦官勢力の権力掌握がほぼ確実となった。



離居星歳易、失望死生分。
離ればなれに暮らし、星のまたたきとともに年月は移り、再会できない失望のまま、生と死さえ分かたれているのだ。
離居 離ればなれに住む。『礼記』檀弓の「離群索居」朋友から離れて孤独にいること。○星歳 時間をいう。



酒甕凝餘桂、書籖冷舊芸。
かめにはのこった桂酒が凝り、書物に挟んだしおりも古びた芸香が冷たくなっている。
酒甕 酒を入れたかめ。この甕は女性を意味するものであり、桂は閨を意味する。ととも○余桂 「桂」は香木の香りのさけ、桂酒。桂を浸した上等の酒。次の句の「芸」とともに香り高いものでもある。○書籖 書物の間にしおりのように挟むふだ。籖にも閨情の意味のつきさすということだ。○旧芸 芸は芸香という香草。書物の虫除けに用いる。芸は云、情交を意味する。武骨な部分とこうした、閨情語を使用してしゃれた感じを出したのである。ここでは、李商隠の部隊が娼屋ではない、閨情詩ではないので普通に訳す。次の聯が李商隠の主張であるから。

風吹雁急、山木帯蝉曛。
長江の風は旅だった雁に激しく吹き付けるようにわたしたちにも吹いている、そして、山の木々のように世間の人たくさんには正しいことを主張し啼いている蝉の声を響かせたけれどとどかないで暮れていくのだ。
○蝉 李商隠の「蝉」に詳しく述べているが、蝉は損得、賄賂など関係なく正しいことを主張するという意味で使っている。この意味を正しくとらえないとこの詩を理解はできない。紀頌之漢詩ブログ29「蝉」を参照 夕日の光、夕暮れ、黄昏。



一叫千廻首、天高不爲聞。
ひとたび大きく正論を主張し叫んだ、それを千回も向を振り返っても、天子は宦官によって高いところに置かれていて、この正当な主張を耳に届くことはないのだ。
天高一句 「天高きも卑きを聴く」(『史記』宋傲之世家など)といわれるのに、低い所から発する声を天はただ聞いてくれないだけでなく、宦官が宮廷を牛耳っており天子にこれが届かないということなのだ。


詩型・押韻 五言律詩 分、芸、噴、聞。



李商隠の時代

 宦官は、唐王朝初期60人程度であったものから、徐々に宮廷を侵食し、約100年前の玄宗皇帝の宦官、を高力士の時期には1000人程度まで増大し、さらに、皇帝暗殺、など様々に権勢をにぎり、さらに急速に増大して李商隠の時代は数千人名にまで膨れ上がった。宦官は養子縁組で増大していく、一方の朝廷は科挙から官僚になるものと、血縁、貴族の世襲のものとが、対立していて、宦官対策どころではないのである。権力闘争というより、人事権の争いの様なもので、有力な地方の節度使は独立国を形成していた。
 唐王朝の実質支配は、長安の一体、洛陽の中心部と地方のピンポイントに支配権をもって点と線で結ばれた限られた地域のものにあっていた。
 そうした中で、唐宮廷の官僚は、牛僧孺・李宗閔らを領袖とする科挙及第者の派閥と、李徳裕に率いられる門閥貴族出身者の派閥に分かれ、政争に明け暮れていた。いわゆる牛李の党争をしていたのである。
 ところが、ここから、半世紀以上も唐王朝は宦官の力で続くのである。

杜司勲  李商隠  :kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ李商隠特集 38

紀頌之の漢詩ブログ李商隠特集 38 「杜司勲」李商隠(812~858)
849年李商隠38歳 848の冬から849年9月まで、京兆尹留後三軍事奏署掾曹(長安駐屯の軍の書記)でいた。
杜司勲  李商隠38



杜司勲
高楼風雨感斯文、短翼差池不及群。
雨降り風吹きすさぶ高楼であなたの詩を拝見して深く感動いたしました。私の詩文ではあなたに比べて翼が短く不揃いになってしまい、翼を並べて一緒に飛びたいと思いますが、遺憾ながら、とうていー緒におよぶことはできないでしょう。
刻意傷春復傷別、人間唯有杜司勲。

とりわけ、身は俗臭を脱し、万物が成長を迎える時期なのにそれができないものの傷みを詠う詩、あるいは、また、悲しき別離を傷む詩を、こころに刻むことができる、あなたこそ、人の世の哀楽を知る唯一の人だとおもっております。

雨降り風吹きすさぶ高楼であなたの詩を拝見して深く感動いたしました。私の詩文ではあなたに比べて翼が短く不揃いになってしまい、翼を並べて一緒に飛びたいと思いますが、遺憾ながら、とうていー緒におよぶことはできないでしょう。
とりわけ、身は俗臭を脱し、万物が成長を迎える時期なのにそれができないものの傷みを詠う詩、あるいは、また、悲しき別離を傷む詩を、こころに刻むことができる、あなたこそ、人の世の哀楽を知る唯一の人だとおもっております。



杜司勲
高楼の風雨 斯文に感ず
短翼 差池(しち)として 群するに及ばず  
刻意 春を傷み 復た別れを傷む
人間(じんかん) 唯(た)だ有り 杜司勲


○杜司勲 晩唐の大詩人杜牧(803~852年)あざな牧之。京兆の人。憲宗期に名臣と称された宰相杜佑の孫で文宗皇帝の太和元年(827年)の進士。初め沈伝帥(769-827年)、牛僧儒(779-847年)の幕下で僚官となり、ついで侍御史に任ぜられた。のち司勲員外郎に左遷、上書した辺防策が認められて中央に召され、中書舎人で卒した。「焚川文集」二十巻がある。その詩情は豪遇洒脱で、人は小杜と呼んで杜甫と区別する。死に臨んで、自分でから墓誌を作り、また作品の多くを焚いて終ったと伝えられる(新旧「唐書」杜佑伝および「唐才子伝」)。司勲員外郎は行箕を司る官名。この詩は宜宗皇帝の大中三年(849年)李商隠38歳頃の作品。


高楼風雨感斯文、短翼差池不及群。
雨降り風吹きすさぶ高楼であなたの詩を拝見して深く感動いたしました。私の詩文ではあなたに比べて翼が短く不揃いになってしまい、翼を並べて一緒に飛びたいと思いますが、遺憾ながら、とうていー緒におよぶことはできないでしょう。
斯文 杜牧から送られた詩をいう。○差池 「差池」は燕が飛ぶときに、尾羽が互い違いになってふぞろいである様子をいう。「詩経」雅風燕燕にある。
燕燕于飛   差池其羽
之子于帰   遠送于野
瞻望不及   涕泣如雨 

 

刻意傷春復傷別、人間唯有杜司勲。
とりわけ、身は俗臭を脱し、万物が成長を迎える時期なのにそれができないものの傷みを詠う詩、あるいは、また、悲しき別離を傷む詩を、こころに刻むことができる、あなたこそ、人の世の哀楽を知る唯一の人だとおもっております。
刻意 こころを刻むようにして事にはげむ。「荘子」刻意欝に「意を刻し行を尚び、世を離れ俗に異なる。(二句略)此れ山谷の士にして世の人に非ず。」と。○傷春亦傷別 ・傷春 春は万物が成長を迎える時期、その時期でも私には春が来ないことに傷つくという心境を詩にする。男女の情愛に対して傷む詩。・傷別 悲しき別離を傷む詩を、〇人間 天上世界に対する人の世界。仙界に対する俗人界。○ これひとり。

哭劉蕡  李商隠 :kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ李商隠特集 36 

kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ李商隠特集 36 「哭劉蕡」李商隠(812~858)
哭劉蕡  李商隠36


哭劉蕡
上帝深宮閉九閽、巫咸不下問銜冤。
天子は宮を宦官らに奥に追いやられて、九重の門を閉ざし、地上の出来事がわからない。冤罪を救う巫咸も、冤罪をうけた事の次第を問い正すため天より下ってこなかった。
黄陵別後春涛隔、湓浦書来秋雨翻。
洞庭湖をのぞむ丘陵で意気投合し、その後春になって君と別れてからは、洞庭湖の波涛に隔てられ、通じあうこともできなかった。そしてもうこの秋に、湓浦に君の死が手紙で知らされた。悲しみの秋の雨が風にひるがえりこの秋をさびしいものにしている。
只有安仁能作誄、何骨宋玉解招魂。
ただ西晋の秀れた感傷詩人潘岳だけが、このかなしみをよく誄文に綴りうるだろう。君の魂は、どんな文章によって事蹟をたたえようとも、再びは呼びもどせないのである。宋玉でさえは屈原の魂を招くことができなかったし、いま私が宋玉をまねたところで、君はもう帰ってはこないのだ。
平生風義兼師友、不敢同君哭寝門。

これまでつね日頃、君の正しい気風は、師として私の尊敬するところであり、理解し合う友であった。それゆえに、故事にも云われている通り君をとむらうには私の師として、居室においてするものであり、「寝門の外に哭する」単なる友にするようなものと同じようにはできないと私は思う。



天子は宮を宦官らに奥に追いやられて、九重の門を閉ざし、地上の出来事がわからない。冤罪を救う巫咸も、冤罪をうけた事の次第を問い正すため天より下ってこなかった。
洞庭湖をのぞむ丘陵で意気投合し、その後春になって君と別れてからは、洞庭湖の波涛に隔てられ、通じあうこともできなかった。そしてもうこの秋に、湓浦に君の死が手紙で知らされた。悲しみの秋の雨が風にひるがえりこの秋をさびしいものにしている。
ただ西晋の秀れた感傷詩人潘岳だけが、このかなしみをよく誄文に綴りうるだろう。君の魂は、どんな文章によって事蹟をたたえようとも、再びは呼びもどせないのである。宋玉でさえは屈原の魂を招くことができなかったし、いま私が宋玉をまねたところで、君はもう帰ってはこないのだ。
これまでつね日頃、君の正しい気風は、師として私の尊敬するところであり、理解し合う友であった。それゆえに、故事にも云われている通り君をとむらうには私の師として、居室においてするものであり、「寝門の外に哭する」単なる友にするようなものと同じようにはできないと私は思う。



劉蕡を哭す
上帝の深宮は九閽
(きゅうこん)を閉ざし、巫咸は下りて銜冤(こうえん)を問わず。
黄陵
(こうりょう)に別れて後 春涛(しゅんとう)に隔てられ、湓浦(ほんほ)に書来りて 秋雨翻える。
只だ安仁の能く誄
(るい)を作す有り、何ぞ曾て宋玉の解く魂を招く。
平生 風義は師友を兼ねたり、敢えて君を寝門に哭する同じくせず。




哭劉蕡
 人の死を悲しみ泣き叫ぶ礼。劉蕡の死を自分の師である人として追悼する哀傷詩である。武宗会昌二年(842年)の作。李商隠三十一歳。
劉蕡 柳州の司戸参軍、劉貫は字去華。(生没年不詳)。幽州昌平(北京の附近)の人。敬宗皇帝、宝暦二年(826年)の進士。「春秋左伝」に精通する学者であり、正義漢だった。文宗皇帝の太和二年(828年)賢良方正の試験に応じて、時の宦官の政治干渉を痛烈に批判した。李商隠の進士及第が837年であり、劉蕡が10歳程度年上であったのだろう。


上帝深宮閉九閽、巫咸不下問銜冤。
天子は宮を宦官らに奥に追いやられて、九重の門を閉ざし、地上の出来事がわからない。冤罪を救う巫咸も、冤罪をうけた事の次第を問い正すため天より下ってこなかった。
上帝 天の神。天子。○深宮 宦官が巣食ったその奥深いところ。宮を宦官らに奥に追いやられている。○九閽 九関に同じ。天子のいる宮殿の、九重(きゅうちょう)の門。○巫咸 古の神巫女。天帝との仲立ちをして冤罪の者を救う「巫咸将に夕に降らんとす、椒糈(しょうしょ香物と精米)を懐きて之を要むかえん。」と屈原の「離騒」に見える。○衝冤 身に覚えのない罪を受けながら釈明できぬもの。



黄陵別後春涛隔、湓浦書来秋雨翻。
洞庭湖をのぞむ丘陵で意気投合し、その後春になって君と別れてからは、洞庭湖の波涛に隔てられ、通じあうこともできなかった。そしてもうこの秋に、湓浦に君の死が手紙で知らされた。悲しみの秋の雨が風にひるがえりこの秋をさびしいものにしている。
黄陵 山名。湖南省湘陰県の北にあり洞庭湖にのぞむ。〇湓浦 ほんほ江西省に源を発する湓水が東流し、九江県城下を経て長江にそそぐ、その九江のあたりを湓浦港と名づける。



只有安仁能作誄、何骨宋玉解招魂。
ただ西晋の秀れた感傷詩人潘岳だけが、このかなしみをよく誄文に綴りうるだろう。君の魂は、どんな文章によって事蹟をたたえようとも、再びは呼びもどせないのである。宋玉でさえは屈原の魂を招くことができなかったし、いま私が宋玉をまねたところで、君はもう帰ってはこないのだ。
安仁 西晋の詩人潘岳(はんがく247年 - 300年)字は安仁。輿陽中牟(河南省開封附近)の人。賈充(217―282年)に認められて司空太尉の書記官となり、河陽県、懐県の長官を歴任。黄門郎になったとき、八王の乱の発端となった趙王司馬倫のクーデターで殺された。出世をあせる人物だったが、〈哀〉〈誄〉すなわち哀傷の文学には卓越の才を発揮した。輯本「潘黄門集」一巻。(潘岳の作る文章は修辞を凝らした繊細かつ美しいもので、特に死を悼む哀傷の詩文を得意とした。 愛妻の死を嘆く名作「悼亡」詩は以降の詩人に大きな影響を与えた。)○ るい。死者の事段を記して功徳をたたえつつ哀悼する文章。○何曾 不曾にほぼ同じ。そんな事が一度でもあったろうか、ありはしない、ということ。○宋玉 楚の懐王と襄王に仕えた文人。但し小臣で間もなく官を去った。生没年・伝記ともに未詳の人物。彼は屈原の弟子であったといわれる。後漢の班固の「漢書」芸文志には賦十六篇を記録する。現在宋玉の名がつけられる作品は十四篇あるが、九弁と招魂が注目される。○招魂  宋玉が追放中の屈原の魂をよび戻そうとして作った辞。「楚辞」におさめられる。



平生風義兼師友、不敢同君哭寝門。
これまでつね日頃、君の正しい気風は、師として私の尊敬するところであり、理解し合う友であった。それゆえに、故事にも云われている通り君をとむらうには私の師として、居室においてするものであり、「寝門の外に哭する」単なる友にするようなものと同じようにはできないと私は思う。
風義 正しい気風。道徳的関係。○哭寝門 「礼記」檀弓篇に「師(死せば)吾諸を寝に哭し、友は、吾諸を寝門の外に哭す。」という孔子(紀元前551―前479年)の言葉をのせる。寝は居室のある建物。寝門はその前にある門である。結句の意味は師礼を以て異するということ。宋の欧陽修の「新唐音」には、節度使の令狐楚(765―836年)や牛僧主孺(779―847年)らは劉蕡認めていた。劉蕡の死後李商隠とも、交えていたとしている。

贈劉司戸蕡  李商隠 :kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ李商隠特集35

紀頌之の漢詩ブログ李商隠特集 35 「贈劉司戸萱」 李商隠(812~858)

贈劉司戸蕡  李商隠

贈劉司戸蕡 
江風揚浪動雲根、重碇危檣白日昏。
激しく大江を吹く風は、波を措きあげ、遠く水平線で水と接する雲の裾も、その波に揺れ動く。舟の重量しい錨、高い帆柱も、ものすさまじい風に翻弄されて真昼にもなおうす暗い危険な船旅に託するようにして去っていった。
已断燕鴻初起勢、更驚騒客後歸魂。
ふるさとの燕の国から飛び立たんとしたその鴻の初めの威勢よい翼も、陰険な世の風にへし折られてしまった。その上、更に南の柳州に追いやる命令がきて、昔、むなしく南方にとどまっていつまでも都へ帰れなかった屈原の亡魂を、驚かすというようなことになった。宦官の巣食った漢の朝廷でも、いや唐の朝廷は一体誰を呼び戻そうとするのだろう。
漢廷急詔誰先入、楚路高歌自欲翻。
誰よりも先に、漢の孝文帝が賈誼をよび戻したように、よび戻す人物は君であるはずだ。都を離れた楚の地方から柳州まで行く道すがら、かつて接輿がいつわり狂ってそうしたように、ただひとり声高らかに歌う君の声が風にひるがえり大空に飛び散ることだろう。
寓里相逢歓復泣、鳳巣西隔九重門。

万里の彼方で、偶然めぐり会って涙ながらに歓んだのに、また万里の僻地に別離の涙を流している。天子を宦官たちに取り巻かれた朝廷は、もはや無縁のものとして遙か西の方に隔絶されてしまった。その九重の門によって閉ざしてしまった。



激しく大江を吹く風は、波を措きあげ、遠く水平線で水と接する雲の裾も、その波に揺れ動く。舟の重量しい錨、高い帆柱も、ものすさまじい風に翻弄されて真昼にもなおうす暗い危険な船旅に託するようにして去っていった。
ふるさとの燕の国から飛び立たんとしたその鴻の初めの威勢よい翼も、陰険な世の風にへし折られてしまった。その上、更に南の柳州に追いやる命令がきて、昔、むなしく南方にとどまっていつまでも都へ帰れなかった屈原の亡魂を、驚かすというようなことになった。宦官の巣食った漢の朝廷でも、いや唐の朝廷は一体誰を呼び戻そうとするのだろう。
誰よりも先に、漢の孝文帝が賈誼をよび戻したように、よび戻す人物は君であるはずだ。都を離れた楚の地方から柳州まで行く道すがら、かつて接輿がいつわり狂ってそうしたように、ただひとり声高らかに歌う君の声が風にひるがえり大空に飛び散ることだろう。
万里の彼方で、偶然めぐり会って涙ながらに歓んだのに、また万里の僻地に別離の涙を流している。天子を宦官たちに取り巻かれた朝廷は、もはや無縁のものとして遙か西の方に隔絶されてしまった。その九重の門によって閉ざしてしまった。


劉司戸葉に贈る
江風は浪を揚げて雲根を動かし、重き碇と危き檣は白日に昏し。
己に断つ 燕鴻初めて起つの勢、更に驚かす 騒客後に帰るの魂。
漢延の急詔 誰か先ず入る、楚路の高歌 自ら翻えらんと欲す。
万里 相い逢いて歓んで復た泣く、鳳巣は西に隔つ 九重の門



贈劉司戸蕡
劉司戸蕡 柳州の司戸参軍、劉貫は字去華。(生没年不詳)。幽州昌平(北京の附近)の人。敬宗皇帝、宝暦二年(826年)の進士。「春秋左伝」に精通する学者であり、正義漢だった。文宗皇帝の太和二年(828年)賢良方正の試験に応じて、時の宦官の政治干渉を痛烈に批判した。



江風揚浪動雲根、重碇危檣白日昏。
激しく大江を吹く風は、波を措きあげ、遠く水平線で水と接する雲の裾も、その波に揺れ動く。舟の重量しい錨、高い帆柱も、ものすさまじい風に翻弄されて真昼にもなおうす暗い危険な船旅に託するようにして去っていった。
雲根 横雲の裾。西晋の詩人張協(255-310年)の雑詩に「雲根は八極に臨み、雨足は四溟に濯ぐ。」と先例がある。劉宋の孝武帝劉駿(430-464年)の楽山に登るの詩に、雲根を石の意味に用いた例があるが、ここにはあたらない。ただし古く雲は石から発生すると考えられていたので、まったくそういう意味を含まないとはいえない。○白日 太陽。



已断燕鴻初起勢、更驚騒客後歸魂。
ふるさとの燕の国から飛び立たんとしたその鴻の初めの威勢よい翼も、陰険な世の風にへし折られてしまった。その上、更に南の柳州に追いやる命令がきて、昔、むなしく南方にとどまっていつまでも都へ帰れなかった屈原の亡魂を、驚かすというようなことになった。宦官の巣食った漢の朝廷でも、いや唐の朝廷は一体誰を呼び戻そうとするのだろう。
燕鴻 燕の地の鴻。劉貫が幽州の出身で、先秦時代に南燕の国のあったから喩えた表現で河北省を燕と呼ぶ。○騒客 離騒の作者である楚の屈原のことをいう。○後帰魂 屈原の弟子であったといわれる宋玉が、追放中の屈原の魂を招びもどそぅとしで、「招魂」の賦を作ったことをふまえた表現。



漢廷急詔誰先入、楚路高歌自欲翻。
誰よりも先に、漢の孝文帝が賈誼をよび戻したように、よび戻す人物は君であるはずだ。都を離れた楚の地方から柳州まで行く道すがら、かつて接輿がいつわり狂ってそうしたように、ただひとり声高らかに歌う君の声が風にひるがえり大空に飛び散ることだろう。
漢廷急詔 漢の文人賈誼(紀元前201-169年)が長沙王の太傅として左遷させられ、三年後、再び召された事にもとづく表現。○楚路高歌 楚の狂接輿が遊説中の孔子にあった時「鳳よ鳳よ、何ぞ徳の衰えたる。往者は諌むべからず、来者猶お追うべし。己みなん、己みなん。今の攻に従わん者あやうし。」と歌った故事にもとづく。「論語」微子篇、及び少しかたちをかえて「荘子」人間世篇に見える故事。



萬里相逢歓復泣、鳳巣西隔九重門。
万里の彼方で、偶然めぐり会って涙ながらに歓んだのに、また万里の僻地に別離の涙を流している。天子を宦官たちに取り巻かれた朝廷は、もはや無縁のものとして遙か西の方に隔絶されてしまった。その九重の門によって閉ざしてしまった。
鳳巣 鳳は宮廷をいう。巣は宦官の巣くっていること。〇九重門 天子の宮殿には九つの門がある(「礼記」月令篇)。

涙 李商隠 :kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ李商隠特集 33

 
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kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ李商隠特集 33 「涙」李商隠
七言律詩 涙 李商隠

おびただしい嘆きに満ちるこの人の世では、数知れぬ人人がそれぞれの悲運に涙を流す。どんな「涙」が一番悲しいのか、、一番悔しいのか、うれし涙はないのか。李商隠の秀作。


涙  
永巷長年怨綺羅、離情終日思風波。
華やかな都の、華やかな宮殿の奥深く、女官用の牢獄があり、長い年月を報復によって過ごしている、今はもう曾て着飾った綾絹やうす絹の晴着を独り撫でつつ怨みの涙を流している、また、船つき場では、日日、人は離別の情、旅路に向かう人のこの先の風波苦しみを思って、涙がたえない。
湘江竹上痕無限、峴首碑前灑幾多。
太古、南に巡察の旅に出て途中で崩御した舜帝のあとを慕って湘江までたどりついた二妃が慟哭し、河畔の竹を涙斑で染めたと言い伝えた。今も涙の痕は限りなく、竹の上にあとをとどめている。晋の時代、慈しみ深い将軍羊祜が死んだ時、襄陽の民はその徳を偲んで、峴山に碑石を立て、その碑のもとで涙を流した。その碑前にそそがれた涙もどれほど多いものだろうか。
人去紫臺秋入塞、兵残楚帳夜間歌。
異民族に嫁ぐべく命ぜられた漢の宮女王昭君は、長安の宮殿を去って秋の辺疆の地に赴いた。宮殿を去るのに彼女はどんなに涙をながしたことか。また、覇王である項羽でさえ、敵軍が四面に楚の歌をうたって包囲するのを聞き、愛妾と愛馬に絶望の呼びかけをしつつ、涙数行をおとした。
朝来㶚水橋邊問、未抵青袍送玉珂。

この朝、一介の書生が、㶚水の橋のたもとで泣いているわけをたずねてみれば、白い貝の鈴に飾られた馬で鈴音を立てて千里の彼方に転任するのを、とり残されて見送る涙は、悲しみも少ないに違いない。それより青い服を着た貧乏書生にとって、頼りにしていた大官貴顕の人を政争で見失って、一体、以後どのようにして生きてゆけばよいのであるか不安の涙が一番苦しい。

華やかな都の、華やかな宮殿の奥深く、女官用の牢獄があり、長い年月を報復によって過ごしている、今はもう曾て着飾った綾絹やうす絹の晴着を独り撫でつつ怨みの涙を流している、また、船つき場では、日日、人は離別の情、旅路に向かう人のこの先の風波苦しみを思って、涙がたえない。
太古、南に巡察の旅に出て途中で崩御した舜帝のあとを慕って湘江までたどりついた二妃が慟哭し、河畔の竹を涙斑で染めたと言い伝えた。今も涙の痕は限りなく、竹の上にあとをとどめている。晋の時代、慈しみ深い将軍羊祜が死んだ時、襄陽の民はその徳を偲んで、峴山に碑石を立て、その碑のもとで涙を流した。その碑前にそそがれた涙もどれほど多いものだろうか。
異民族に嫁ぐべく命ぜられた漢の宮女王昭君は、長安の宮殿を去って秋の辺疆の地に赴いた。宮殿を去るのに彼女はどんなに涙をながしたことか。また、覇王である項羽でさえ、敵軍が四面に楚の歌をうたって包囲するのを聞き、愛妾と愛馬に絶望の呼びかけをしつつ、涙数行をおとした。
この朝、一介の書生が、㶚水の橋のたもとで泣いているわけをたずねてみれば、白い貝の鈴に飾られた馬で鈴音を立てて千里の彼方に転任するのを、とり残されて見送る涙は、悲しみも少ないに違いない。それより青い服を着た貧乏書生にとって、頼りにしていた大官貴顕の人を政争で見失って、一体、以後どのようにして生きてゆけばよいのであるか不安の涙が一番苦しい。



永巷 長年綺羅を怨む、離情 終日風波を思う。
湘江の竹上痕限り無く、峴首の碑前灑ぎしこと幾多ぞ。
人は紫台を去りて秋に塞に入り、兵は楚帳に残きて夜に歌を聞く。
朝来 㶚水の橋辺に問えば、未だ青袍の玉珂を送るに抵ばず。


詩の解説
○おびただしい嘆きに満ちるこの人の世では、数知れぬ人人がそれぞれの悲運に涙を流す。
この詩は、恨みの涙、別れの涙。慟哭の涙、偲ぶ涙。辺境の地に向かう惜別の涙、四面楚歌の絶望の悔し涙。とあるけれど、頼りにして従っていた貴顕の御方が、左遷された、取り残された書生の将来不安の涙。
人の世の涙の諸相を写し出し、最後に保護者と別れる貧士の涙が、何よりも痛切であることを歌う。



永巷長年怨綺羅、離情終日思風波。
華やかな都の、華やかな宮殿の奥深く、女官用の牢獄があり、長い年月を報復によって過ごしている、今はもう曾て着飾った綾絹やうす絹の晴着を独り撫でつつ怨みの涙を流している、また、船つき場では、日日、人は離別の情、旅路に向かう人のこの先の風波苦しみを思って、涙がたえない。
永巷 前漢初期、高祖劉邦の側室であった戚夫人が皇位継承問題にまけ、呂雉皇太后による報復で女官を入れる牢獄の永巷(えいこう)投獄し、一日中豆を搗かせる刑罰を与えた。戚夫人が自らの境遇を嘆き悲しみ、詠んだ歌が「永巷歌」として『漢書』に収められている。○綺羅 綾絹とうす絹、美しい衣等



湘江竹上痕無限、峴首碑前灑幾多。
太古、南に巡察の旅に出て途中で崩御した舜帝のあとを慕って湘江までたどりついた二妃が慟哭し、河畔の竹を涙斑で染めたと言い伝えた。今も涙の痕は限りなく、竹の上にあとをとどめている。晋の時代、慈しみ深い将軍羊祜が死んだ時、襄陽の民はその徳を偲んで、峴山に碑石を立て、その碑のもとで涙を流した。その碑前にそそがれた涙もどれほど多いものだろうか。
○湘江竹上 「瀟湘妃子」の故事をふまえての句である。太古の聖天子である舜帝は、南巡(なんじゅん:南方の視察)した際に蒼梧(そうご)で崩御した。堯帝の二人の娘であり舜帝の妃であった娥皇(がこう)と女英(じょえい)の姉妹は湘水(しょうすい)のほとりで舜帝の死を泣きに泣く。二人の流した涙が河畔の竹の上に降り注いで斑点となり、これがすなわち斑(まだら)模様のついた竹、斑竹(はんちく)になったという。○峴首碑前 西晋の将軍羊祜(221-278年)は有徳の人物で、呉の将軍陸抗(226-274年)と対時しながらも、南の地方の民を善導した。彼が死んだ時、嚢陽(湖北省裏陽県)の民は、その人柄を偲んで峴山に石碑を建てた。それを望む民は涙せざるものはなく、ときに、「左伝」の注家として知られる杜預(222-284年)がそれを「堕涙の碑」と名付けた。紀頌之の漢詩ブログ李白「襄陽曲四首」「襄陽歌」



人去紫臺秋入塞、兵残楚帳夜間歌。
異民族に嫁ぐべく命ぜられた漢の宮女王昭君は、長安の宮殿を去って秋の辺疆の地に赴いた。宮殿を去るのに彼女はどんなに涙をながしたことか。また、覇王である項羽でさえ、敵軍が四面に楚の歌をうたって包囲するのを聞き、愛妾と愛馬に絶望の呼びかけをしつつ、涙数行をおとした。
人去紫台 漢の元帝劉爽(紀元前75-33年)の宮女、王昭君が匈奴の王呼韓邪単子に嫁した故事をいう。紀頌之の漢詩ブログ李商隠 「聞歌」の詩参照。杜甫(712―770年)の古跡を詠懐する詩に
詠懐古蹟五首 其三
群山萬壑赴荊門,生長明妃尚有村。
一去紫台連朔漠,獨留青塚向黃昏。
畫圖省識春風面,環佩空歸月夜魂。
千載琵琶作胡語,分明怨恨曲中論
「一たび紫台を去りて朔漠連らなる。」という句がある。紫台は漢の長安の宮殿。
紀頌之の漢詩ブログ李 白「王昭君二首」+「一首」 
漢文委員会HP 王昭君特集 白居易「王昭君二首」
楚帳聞歌 項羽が核下で四面楚歌のうちに漢の高祖劉邦(紀元前247―195年)との戦に敗れ、自殺する寸前、愛妾の虞、愛馬の騅に絶望の呼びかけをしつつ涙を流した有名な史実をさす。その歌は、
力抜山兮 気蓋世 時不利兮 騅不逝
騅不逝兮 可奈何 虞兮虞兮 奈若何
「力は山を抜き、気は世を蓋いしに、時に利あらずして経は逝かず。雉の逝かざるは奈何すべき。虞よ虞よ、若を奈何せん。」



朝来㶚水橋邊問、未抵青袍送玉珂。
この朝、一介の書生が、㶚水の橋のたもとで泣いているわけをたずねてみれば、白い貝の鈴に飾られた馬で鈴音を立てて千里の彼方に転任するのを、とり残されて見送る涙は、悲しみも少ないに違いない。それより青い服を着た貧乏書生にとって、頼りにしていた大官貴顕の人を政争で見失って、一体、以後どのようにして生きてゆけばよいのであるか不安の涙が一番苦しい。
朝来 朝になって。来は、ある動作或いは時間の展開や継続を示す助詞。○問 たずねる。○㶚水 陝西省の藍田県の東から発し、長安を経て渭水に入る。㶚陵橋は長安の東にあり、一夜を過ごす旅籠もあった。㶚水の土手に柳が植えられていて、人を送るときは柳の枝を手折り夫婦、男女の別離をするのが古くからの習慣である。○青袍 書生乃至は下級の官にいる者の服。○玉珂 馬のくつわにつける貝の装飾。馬の歩みにつれて音を立てる。これは旅立つ大官貴顕の人のくつわである。

辛未七夕 李商隠

紀頌之の漢詩ブログ李商隠特集 34 「辛未七夕」李商隠



辛未七夕 
恐是仙家好別離、故教迢逓作佳期。
察するに、朝廷のおかみも、仙界の世界でも別離させることが、お好きらしい。何故といって、こんなに長い間愛しい人と会う約束すらできなく隔てられていたのであるから。
由来碧落銀河畔、可要金風玉露時。
天界においてはもともと、あの高い大空の銀河の河畔で逢瀬をすることなのだから、ことさら同じように、秋風が吹き、星がきらめき露が下りはじめる一夕に限る必要はあるまいに。
清漏漸移相望久、微雲末接過来遅。
水時計は時を刻み、他人の部屋はうまくいっている。次第に夜もふけて、ふたりは長い間、望みをかなえているはずなのに、空は晴れ渡り、銀河を橋渡するはずのほのかな雲はつながらず、織女の渡河はなかなか実現しそうにない。
豈能無意酬烏鵲、惟與蜘蛛乞巧絲。

天上の恋人たちが会う為に、烏鵲が河をうずめて橋をかけてくれるということだが、せっかくの努力に酬いる気もないのであろう。ただ、地上の蜘蛛の五色の糸の七夕の飾り物や果物をお供えさせておくだけというのは、献身して働く者は放っておいて、権力を持ったものには厚遇しょうということなのか。


察するに、朝廷のおかみも、仙界の世界でも別離させることが、お好きらしい。何故といって、こんなに長い間愛しい人と会う約束すらできなく隔てられていたのであるから。
天界においてはもともと、あの高い大空の銀河の河畔で逢瀬をすることなのだから、ことさら同じように、秋風が吹き、星がきらめき露が下りはじめる一夕に限る必要はあるまいに。
水時計は時を刻み、他人の部屋はうまくいっている。次第に夜もふけて、ふたりは長い間、望みをかなえているはずなのに、空は晴れ渡り、銀河を橋渡するはずのほのかな雲はつながらず、織女の渡河はなかなか実現しそうにない。
天上の恋人たちが会う為に、烏鵲が河をうずめて橋をかけてくれるということだが、せっかくの努力に酬いる気もないのであろう。ただ、地上の蜘蛛の五色の糸の七夕の飾り物や果物をお供えさせておくだけというのは、献身して働く者は放っておいて、権力を持ったものには厚遇しょうということなのか。


辛未七夕(しんぴしちせき)
恐らくは是れ 仙家の別離を好むならん、故さらに迢逓(ちょうてい)に佳期を作さしむ。
由来 碧落 銀河の畔、要らず金風玉露の時なる可けんや。
清漏 漸く移って相望むこと久しく、徴雲は未だ接せず過り来ること遅し。
豈に能く鳥鵲(うじゃく)に酬ゆるに意無からんや、惟だ蜘蛛の巧糸を乞うに与す。

○辛未七夕 辛未はかのとひつじの年。851年がそれにあたる。李商隠40歳。徐州幕府で約二年いがそこを罷めて一時気長安に帰った時期であろうか。その年の11月には四川省梓州で書記を務めている。久方ぶりに長安の芸妓の女性に逢うことができるというので約束をしてあろう、ところが先約があったのだろう、自分のところになかなか来てくれない。この詩は力のあるものが横やりを入れてなかなか会えない気持ちを詠う。権力を持ったものの横暴がまかり通った時代であるということを示している。

恐是仙家好別離、故教迢逓作佳期。
察するに、朝廷のおかみも、仙界の世界でも別離させることが、お好きらしい。何故といって、こんなに長い間愛しい人と会う約束すらできなく隔てられていたのであるから。
仙家 天上の人人。○迢逓 迢かに遠いこと。時間的にも空間的にも。○ ことさら、○ ~しむ。使役の助詞。 ○佳期 愛人とあう時間、おうせ。李白「大堤曲」でも、愛人と会う逢瀬を示す。

由来碧落銀河畔、可要金風玉露時。
天界においてはもともと、あの高い大空の銀河の河畔で逢瀬をすることなのだから、ことさら同じように、秋風が吹き、星がきらめき露が下りはじめる一夕に限る必要はあるまいに。
由来 もともと。○碧落 道教でいう天上最高のところ。中唐の詩人白居易(772-846年)の長恨歌に「上は碧落を窮め下は黄泉。」と云うのも、仙界を訪ねてのこと。○金風 秋風。五行思想では、金は時節では秋、方位では西である。
 

清漏漸移相望久、微雲末接過来遅。
水時計は時を刻み、他人の部屋はうまくいっている。次第に夜もふけて、ふたりは長い間、望みをかなえているはずなのに、空は晴れ渡り、銀河を橋渡するはずのほのかな雲はつながらず、織女の渡河はなかなか実現しそうにない。
清漏 水時計の清らかな音。
 

豈能無意酬烏鵲、惟與蜘蛛乞巧絲。
天上の恋人たちが会う為に、烏鵲が河をうずめて橋をかけてくれるということだが、せっかくの努力に酬いる気もないのであろう。ただ、地上の蜘蛛の五色の糸の七夕の飾り物や果物をお供えさせておくだけというのは、献身して働く者は放っておいて、権力を持ったものには厚遇しょうということなのか。
烏鵲 七夕の夜、烏鵲が銀河の橋渡しをするという伝説。○蜘蛛乞巧 中国の七夕の飾りは、五彩の糸を七つの孔のある針に通し、女達は裁縫の上達を天孫すなわち織女星に願う。色色の瓜果を庭に供え、香燭をつけて翌日を待ち、朝に蜘蛛が網をくだものの上に掛けていると、その願いが聞き入れられるとする。その祭りを乞巧奠という。

西亭 李商隠 紀頌之の漢詩ブログ李商隠特集150 -30 西亭に関する新解釈

「西亭」 李商隠 紀頌之の漢詩ブログ李商隠特集 30 西亭に関する新解釈


西亭
此夜西亭月正圓、疎簾相伴宿風煙。
梧桐莫更翻清露、孤鶴従来不得眠。


西亭
此の夜 西亭 月正に円し、
疎簾 相伴ないて風煙に宿る
梧桐よ 更に清露を翻えす莫れ
孤鶴 従来 眠るを得ず



A 解釈。

此夜西亭月正圓、疎簾相伴宿風煙。
今夜、独り西の亭に宿を取った仲秋の夜。夜空の月は翳なくまんまるい。私は隙間の多い簾を友として、風ばみ、霧の立つここに独りとまる。
西亭 洛陽の崇譲(洛陽城南東、図の下右から2番目の坊)にある妻の実家王家の家があった。これは妻の死を悼んだ悼亡の詩である。○風煙 風にたなびく秋霞

漢魏隋唐の洛陽城
touRAKUYOjou1000



梧桐莫更翻清露、孤鶴従来不得眠。
自然に私の頬に涙がこぼれるのに、庭の梧桐の樹よ、清らかな露の涙をこれ以上こぼさないでほしい。妻をうしなった鶴はかねがね眠れないでいるのだから。



以上が、これまでの解釈である。
 李商隠は一句、語にいろんな意味を込める。これが亡き妻を悼んだ悼亡の詩であるというのはおかしい。李商隠は不遇であった、不満を胸にしている、(李商隠「蝉」参照)亡き妻を悼んでいる、という条件下でこの詩を読むと上の意味になるのであるが、以下のようにも解釈できる。



B 解釈。

西亭
此夜西亭月正圓、疎簾相伴宿風煙。
この中秋の夜、西亭に来ている、月はこの部屋の丸窓を照らしている。目の粗い簾をくぐって、香煙とともに女が入ってきた。
梧桐莫更翻清露、孤鶴従来不得眠。

この夜はまるで玄宗と楊貴妃のように清々しい混じり合いを朝までしよう、いつもは、群れから離れた孤独な鶴のようなものなので眠ないのだから。



この中秋の夜、西亭に来ている、月はこの部屋の丸窓を照らしている。目の粗い簾をくぐって、香煙とともに女が入ってきた。
この夜はまるで玄宗と楊貴妃のように清々しい混じり合いを朝までしよう、いつもは、群れから離れた孤独な鶴のようなものなので眠ないのだから。




此夜西亭月正圓、疎簾相伴宿風煙。
この中秋の夜、西亭に来ている、月はこの部屋の丸窓を照らしている。目の粗い簾をくぐって、香煙とともに女が入ってきた。
西という意味は、東の窓辺(書斎)勉強をするという意味であるが、西の窓辺、西亭というのは、色町、邸宅の閨、牀床がつきものである。○疎簾 立派な簾ではなく、粗末な作りの粗い簾、高級なところであれば、帳ということになる。娼屋という意味にとれる。 ○正圓 閨にある丸い窓のこと。


梧桐莫更翻清露、孤鶴従来不得眠。
この夜はまるで玄宗と楊貴妃のように清々しい混じり合いを朝までしよう、いつもは、群れから離れた孤独な鶴のようなものなので眠ないのだから。
梧桐 元代の戯曲「梧桐雨」というのがあり、玄宗と楊貴妃の物語であるが、李商隠の時代にまだこの戯曲があったわけではないが、閨の部屋に使われた柱や梁のことを指し、この言葉から、男女の情交をイメージさせる。○莫更 さらに~なかれという意味と、夜明けまでしていたいという意味がある。○清露 情交の際のあせ。○孤鶴 群れを離れた孤独な鶴。○不得眠 何時もつがいの鶴が孤独になるとねむることができない。




 最初のA の解釈では、全くつまらない意味の詩であり、妻の死を悼んだ悼亡の詩を詠うならもっと詩が違っているだろう駄作にしか思えない。


 しかし、B の解釈では、李商隠の最も得意とするもので、詩人としての幅、奥行きが断然出てくる。詩としても、なかなかいいものになってくる。

 儒教者的な解釈は李白、李商隠には当てはまらない。

秋日晩思 李商隠

「秋日晩思」 李商隠 紀頌之の漢詩ブログ李商隠特集 28


秋日晩思
桐槿日零落、雨餘方寂蓼。
一葉揺落し秋を知らせる桐の樹、一朝花をつける桂の樹が、日、一日と葉を落す秋の夕暮れ。秋の雨が降りやんだあとにはただ寂蓼がひろがっていた。
枕寒荘蝶去、囱冷胤螢鎖。
うたたねの床は枕もひえびえとして、むかし夢に荘子が見て楽しんだという春の蝶はもう消えていない、目醒めたのでは書を見ようとしてみるのだが、窓はつめたく、晋時代の勤勉の士、車胤が明りにした螢をあつめようにも、もう飛んでいない。
取適琴將酒、忘名牧與樵。
官職を離れていて田舎のわび住いに次第にあってきた。そこに琴と酒でもって心を養われるようであることは、悠々自適の生活を我がものにできている。羊を牧畜している村の童と、山で樵りして野犬たちがあたえてくれた、俗世間のこと、名誉心や野心から脱することができそうだ。
平生有遊舊、一一在烟霄。

ひごろ付き合っていた旧知の友人達は、ひとりびとり、時流に乗ってめぐまれ、栄達していて、いまかすめる空にある人となってはいる。



一葉揺落し秋を知らせる桐の樹、一朝花をつける桂の樹が、日、一日と葉を落す秋の夕暮れ。秋の雨が降りやんだあとにはただ寂蓼がひろがっていた。
うたたねの床は枕もひえびえとして、むかし夢に荘子が見て楽しんだという春の蝶はもう消えていない、目醒めたのでは書を見ようとしてみるのだが、窓はつめたく、晋時代の勤勉の士、車胤が明りにした螢をあつめようにも、もう飛んでいない。
官職を離れていて田舎のわび住いに次第にあってきた。そこに琴と酒でもって心を養われるようであることは、悠々自適の生活を我がものにできている。羊を牧畜している村の童と、山で樵りして野犬たちがあたえてくれた、俗世間のこと、名誉心や野心から脱することができそうだ。
ひごろ付き合っていた旧知の友人達は、ひとりびとり、時流に乗ってめぐまれ、栄達していて、いまかすめる空にある人となってはいる。


秋日晩思
桐槿 日びに零落し、雨余 方に寂蓼たり。
枕は寒くして荘蝶去り、窓は冷くして胤螢鎖ゆ。
適を取る 琴と酒、名を忘る 牧と樵。
平生 遊旧有りしも、一一 煩霄に在り

 


桐槿日零落、雨餘方寂蓼。
一葉揺落し秋を知らせる桐の樹、一朝花をつける桂の樹が、日、一日と葉を落す秋の夕暮れ。秋の雨が降りやんだあとにはただ寂蓼がひろがっていた。
○桐 きりとむくげ。ともに季節の変化に敏感な落葉喬木。○零落 草木の枯れおちること。〇雨余 雨のあと。〇方 ちょうどいま。


枕寒荘蝶去、囱冷胤螢鎖。
うたたねの床は枕もひえびえとして、むかし夢に荘子が見て楽しんだという春の蝶はもう消えていない、目醒めたのでは書を見ようとしてみるのだが、窓はつめたく、晋時代の勤勉の士、車胤が明りにした螢をあつめようにも、もう飛んでいない。
荘蝶 荘子が夢に煤となってたのしんだという故事にもとづく。
李商隠『錦瑟』「莊生曉夢迷蝴蝶、望帝春心托杜鵑。」
( 昔、荘子がで、蝶になった夢をみて、その自由さに暁の夢が覚めてのち、自分の夢か、蝶の夢かとと疑ったという。蝶のように華麗で自由にあなたのもとに飛んでいければいいのに。また、昔の望帝はその身が朽ちて果ててもの春目くその思いを、杜鵑(ホトトギス)に托したという。愛への思い焦がれる執着心はそのように、昼も夜も四六時中、哀鳴するものなのだ。。
 ○莊生 荘周。荘子。 ○ 自分が夢で蝶になっているのか、蝶が夢で自分になっているのかということで迷う。 ○蝴蝶 荘周が夢の中で蝶になり、夢からさめた後、荘周が夢を見て蝶になっているのか、蝶が夢を見て荘周になっているのか、一体どちらなのか迷った。 ○望帝 蜀の望帝。蜀の開国伝説によると、周の末に蜀王の杜宇が帝位に即き、望帝と称した。望帝は部下のものに治水を命じておきながら、その妻と姦通し、その後その罪を恥じて隠遁した。旧暦二月、望帝が世を去ったとき、杜鵑(ホトトギス)が、哀鳴した。  ○春心 春を思う心。相手と結ばれたいとを思う心。 ○春心托杜鵑 相手と結ばれたいとを思う心は、血を吐きながら悲しげに鳴く杜鵑(ホトトギス)に托す。 ・杜鵑:〔とけん〕ほととぎす。血を吐きながら悲しげに鳴くという。)
胤螢 東晋の学者車胤あざなは武子の故事。彼は少年時代、豪が貧しく常には油を得る
ことができなかったので、夏には練嚢に数十の螢火を盛って照明とし、勉学にいそしんだという(「晋書」車胤伝)。東晋の孫康が雪のあかりで勉強した故事と共に名高い。


取適琴將酒、忘名牧與樵。
官職を離れていて田舎のわび住いに次第にあってきた。そこに琴と酒でもって心を養われるようであることは、悠々自適の生活を我がものにできている。羊を牧畜している村の童と、山で樵りして野犬たちがあたえてくれた、俗世間のこと、名誉心や野心から脱することができそうだ。
取適 取は資料とする、というぐらいの意味。適は自由。○忘名 北魂の顔之推の「顔氏家訓」に「上土は名を忘れ、中士は名を立て、下士は名を窃む。」と見える。忘名は、名誉心から超脱することをいう。


平生有遊舊、一一在烟霄。
ひごろ付き合っていた旧知の友人達は、ひとりびとり、時流に乗ってめぐまれ、栄達していて、いまかすめる空にある人となってはいる。
〇一一 どれもこれも。○烟霄 かすめる空。朝廷乃至は高き地位のたとえである。

日日 李商隠

「日日」 李商隠 紀頌之の漢詩ブログ李商隠特集 25



娼屋に買われてきて、待つ身の辛さ、蜘蛛の糸を飛ばすように好きな人のもとに飛んで行きたい。



日日春光闘日光、山城斜路杏花香。

日一日と、春の気配がましてくる、万物を息づかせ、あらゆる景物の輝きと太陽の輝かしさが競い合い成長させている。山腹の城郭からのびる勾配の道に咲く杏の淡紅の花も、素晴しく香わしいように私も杏の花なの

幾時心緒渾無事、得及遊絲百尺長。

いつのことになるだろうか、私の一途な思いが何事もなく、蜘蛛が空に糸を飛ばして風に漂い、百尺までも長くのびる遊糸に追いついてこの囲われたところから自由に風にたなびいていくことができるのか。


日一日と、春の気配がましてくる、万物を息づかせ、あらゆる景物の輝きと太陽の輝かしさが競い合い成長させている。山腹の城郭からのびる勾配の道に咲く杏の淡紅の花も、素晴しく香わしいように私も杏の花なの

いつのことになるだろうか、私の一途な思いが何事もなく、蜘蛛が空に糸を飛ばして風に漂い、百尺までも長くのびる遊糸に追いついてこの囲われたところから自由に風にたなびいていくことができるのか。

日 日

日日に春光 日光を闘わす、山城の斜路 杏花香わし

幾時ぞ 心緒 渾て事無く、及ぶを得んや、遊糸の百尺の長きに



日日春光闘日光、山城斜路杏花香。

日一日と、春の気配がましてくる、万物を息づかせ、あらゆる景物の輝きと太陽の輝かしさとが競い合っ成長させている。山腹の城郭からのびる勾配の道に咲く杏の淡紅の花も、素晴しく香わしいように私も杏の花なの

杏花 あんずの花


幾時心緒渾無事、得及遊絲百尺長。
いつのことになるだろうか、私の一途な思いが何事もなく、蜘蛛が空に糸を飛ばして風に漂い、百尺までも長くのびる遊糸に追いついてこの囲われたところから自由に風にたなびいていくことができるのか。

心緒 心の条理。長く連続する情念。たとえ体はささげても心の中で一人の男性を思い続けること。○渾 一切合切、ひっくるめて。○遊糸 蜘蛛が空に糸を飛ばして風に漂う。



 


 

李花 李商隠

「李花」 李商隠 紀頌之の漢詩ブログ李商隠特集 24(花街の年増女の艶情)

 花街にまつわる年を重ねた女の艶情について詠っている。



李径獨來数、愁情相與懸。
すももの花咲く小道にいくたびか花街に私は独りやって来た。一つ、二つ、枝から垂れている白いその花のように女たちも年を取る、零落する者の愁いも共におとろえていく。
自明無月夜、強笑欲風天。
その花は、月のない夜暗い小道に明るくはっきりと浮び出で、花と女の笑い顔がある、天のその気に後押しされて、誰だってその気になるはずだ。
減粉與園籜、分香沾渚蓮。
己れの花粉をへらしては、園に生えたたけのこにあたえるように男たちに接する、また、男たちはその香りを分けて、池のなぎさの蓮の女たちをうるおそうとする。
徐妃久己嫁、猶自玉爲鈿。

歳を重ねても多情淫乱だった梁の元帝の妃だった徐妃と同じようにここにきてすでにずいぶん年を重ねているのに、老いてなお多情、キラキラの簪をつけ、左右のものにだれかれとなく情けをかけてくる。



すももの花咲く小道にいくたびか花街に私は独りやって来た。一つ、二つ、枝から垂れている白いその花のように女たちも年を取る、零落する者の愁いも共におとろえていく。
その花は、月のない夜暗い小道に明るくはっきりと浮び出で、花と女の笑い顔がある、天のその気に後押しされて、誰だってその気になるはずだ。
己れの花粉をへらしては、園に生えたたけのこにあたえるように男たちに接する、また、男たちはその香りを分けて、池のなぎさの蓮の女たちをうるおそうとする。
歳を重ねても多情淫乱だった梁の元帝の妃だった徐妃と同じようにここにきてすでにずいぶん年を重ねているのに、老いてなお多情、キラキラの簪をつけ、左右のものにだれかれとなく情けをかけてくる。


李 の 花
李径 独り来ること数々、愁情 相与に懸る。
自から明かなり 月無き夜、強いて笑う 風ならんと欲するの天。
粉を減じては園籜に与え、香を分ちては渚蓮を沾す
徐妃 久しく己に嫁して、猶お自ら玉を鈿と為す

 

李径獨來数、愁情相與懸。
すももの花咲く小道にいくたびか花街に私は独りやって来た。一つ、二つ、枝から垂れている白いその花のように女たちも年を取る、零落する者の愁いも共におとろえていく。
李径 すももの花さく小道。遊郭へ行く小道のこと。 ○ しばしばの意として入声によんだ。かぞえると上声によんで晶ずる。○相与 愁いと花とがときた。


自明無月夜、強笑欲風天。
その花は、月のない夜暗い小道に明るくはっきりと浮び出で、花と女の笑い顔がある、天のその気に後押しされて、誰だってその気になるはずだ。
強笑 強はむりにも。笑は花開くことのたとえ。女性が、笑って白い歯を出すこと。


減粉與園籜、分香沾渚蓮。
己れの花粉をへらしては、園に生えたたけのこにあたえるように男たちに接する、また、男たちはその香りを分けて、池のなぎさの蓮の女たちをうるおそうとする。
 たけのこの皮。その皮にふく粉を籜粉という。○渚蓮 渚はみぎわ。釈道源の注にいう、「李の開くは蓮と時を同じゅうせず。此れ其の色を彷彿せるのみ。」と。 


徐妃久己嫁、猶自玉爲鈿。
歳を重ねても多情淫乱だった梁の元帝の妃だった徐妃と同じようにここにきてすでにずいぶん年を重ねているのに、老いてなお多情、キラキラの簪をつけ、左右のものにだれかれとなく情けをかけてくる。
徐妃 梁の元帝蕭繹(508-554年)の多情の妃。唐の李延寿の「南史」に、徐妃は僧侶智遠道人と私通し、また帝の侍臣李江と姦通した。その嫉妬深さ多情さは、当の李江が「柏直(土地の名)の狗は年老いてもよく猟するように、徐娘は婆さんになっても矢張り多情だ。」と非難した程だったという。徐妃は後に自殺を命ぜられて死んだ。○ かんざし。



ウィキペディアには少し詳しいので参照
徐 昭佩(じょ しょうはい、生年不詳 - 549年)は、南朝梁の元帝蕭繹の妃。本貫は東海郡郯県。
侍中・信武将軍の徐緄の娘として生まれた。天監16年(517年)12月、湘東王妃となった。武烈世子蕭方等と益昌公主蕭含貞を生んだ。貞恵世子蕭方諸の母の王氏が元帝の寵愛を受けていたが、王氏が死去すると元帝は徐妃のせいにした。蕭方等が死去すると、徐妃は病がちになった。太清3年(549年)5月、罪を問われて自殺を迫られ、井戸に身を投げて死去した。江陵の瓦官寺に葬られた。元帝は『金楼子』に彼女の淫行を書かせた。
 
伝説
 徐妃は容姿が醜く、元帝は2、3年に1回しか入室しなかった。元帝は片眼だったので、徐妃は元帝がやってくると知ると、半面を化粧して待ったため、元帝は激怒して部屋を出た。徐妃は酒を好み、よく深酒していて、元帝が私室に帰ると、衣中に吐きもどした。徐妃は荊州の後堂瑤光寺の智遠道人と私通した。ひどく嫉妬深く、元帝の寵愛を受けない妾とは酒杯を交わして仲良くした。元帝の子を宿した者がいると分かると、手ずから刃傷を加えた。元帝の側近の曁季江の容姿が美しかったので、またこれと姦通した。季江は徐妃の老いらくの情に困惑して嘆いた。ときに賀徽という者の容姿が美しいことで知られたが、徐妃は賀徽を普賢尼寺に召して、白角の枕頭で詩を贈答しあった。
 
伝記資料
 『梁書』巻7 列伝第1 皇后
 『南史』巻12 列伝第2 后妃下

柳 李商隠

「柳」 李商隠 紀頌之の漢詩ブログ李商隠特集 23 (野暮な男を詠う)
この詩は、漢、六朝、の憂愁艶情の詩、斉梁時代(479-556年)の唯美的な艶情詩の発想を発展的に継承した李商隠独特の詠物詩。基本的に楊は女性をあらわし、柳は男性をあらわす。したがって、男性の側の恋心、野暮な男を詠うもの。



動春何限葉、撼暁幾多枝。
柳は春の暖かい季節になった男たちは数知れぬ新しい葉葉をゆさぶり、暁まで、おびただしく垂れた枝をゆさゆさとゆさぶるように女たちとたのしむ。
解有相思否、應無不舞時。
新しく目を出した柳に恋はないのか。まさに風のそよぐ限り、枝葉の舞いはやむ時などとてもなさそうだ。
絮飛蔵皓蜨、帯弱露黄鸝。
柳絮を飛ばせて、清らかな白い蝶の姿をかくし、また、やわらかい細い腰の枝はとまった鶯の重みにたえかねて、その姿をあらわす。
傾国宜通體、誰來濁賞眉。

一瞥にて国を傾けた美女というものは、その肉体、情を交えることすべてのことのはずなのに、格子から見えるたたった一つだけの美しい眉だけでその気になる野暮な男は一体誰か。


柳は春の暖かい季節になった男たちは数知れぬ新しい葉葉をゆさぶり、暁まで、おびただしく垂れた枝をゆさゆさとゆさぶるように女たちとたのしむ。
新しく目を出した柳に恋はないのか。まさに風のそよぐ限り、枝葉の舞いはやむ時などとてもなさそうだ。
柳絮を飛ばせて、清らかな白い蝶の姿をかくし、また、やわらかい細い腰の枝はとまった鶯の重みにたえかねて、その姿をあらわす。
一瞥にて国を傾けた美女というものは、その肉体、情を交えることすべてのことのはずなのに、格子から見えるたたった一つだけの美しい眉だけでその気になる野暮な男は一体誰か。



春に動く 何限の葉、暁に撼く 幾多の枝。
解く相思有りや否や、応に舞わざる時無かるべし。
絮は飛んで皓蜨を蔵し、帯は弱くして黄鸝を露わす。
傾国 宜しく通体なるべし、誰か来って独り眉を賞す。


動春何限葉、撼暁幾多枝。
柳は春の暖かい季節になった男たちは数知れぬ新しい葉葉をゆさぶり、暁まで、おびただしく垂れた枝をゆさゆさとゆさぶるように女たちとたのしむ。
何限 無限におなじ。○ ゆさゆさゆすぶること。


解有相思否、應無不舞時。
新しく目を出した柳に恋はないのか。まさに風のそよぐ限り、枝葉の舞いはやむ時などとてもなさそうだ。
 会(きっと何何する)や能(何何する事ができる)に同じ。○相思否 否の字は別のテキストでは、苦の字に作る。相思は恋。李商隠 7 無題(颯颯東風細雨來)
颯颯東風細雨來﹐芙蓉塘外有輕雷。
金蟾嚙鎖燒香入﹐玉虎牽絲汲井回。
賈氏窺帘韓掾少﹐宓妃留枕魏王才。
春心莫共花爭發﹐一寸相思一寸灰。


絮飛蔵皓蜨、帯弱露黄鸝。
柳絮を飛ばせて、清らかな白い蝶の姿をかくし、また、やわらかい細い腰の枝はとまった鶯の重みにたえかねて、その姿をあらわす。
絮飛 柳絮。柳が白い綿を飛ばす。男性の性行為をあらわす。 ○皓蜨 蝶。○ たれさがった柳の枝のこと。○黄鸝 うぐいす。この句は、思いのの通い合った高尚な男女間ではなく、その場の性交渉だけの男女間を示し、次の句へつなぐ。


傾国宜通體、誰來濁賞眉。
一瞥にて国を傾けた美女というものは、その肉体、情を交えることすべてのことのはずなのに、格子から見えるたたった一つだけの美しい眉だけでその気になる野暮な男は一体誰か。
傾国 その一瞥で国運を傾けるほどの要。漢の李延年が李夫人の美貌をたたえた詩から出る言葉。○通体  漢の司馬相如の琴歌に「情を交え体を通じて心和諧す。」という句があり、(宜通体)は、よろしく体を通すべし、という意味になる。○賞眉 女の眉の美しさ。この場合、娼婦の格子越の化粧した眉のことを指す。

牡丹 李商隠

牡丹 李商隠22七言律詩

李商隠の最初の支援者だった令狐楚(765-837年)の宅で催された宴会の席上、そこにいた妓女たちを独特の視線から詠って作られたものである。

長安の開化坊(稗の名)では令狐楚の宅の牡丹が最も見事だと、唐の段成式の「酉陽雑爼」佚文に見える。牡丹になぞらえ、乱交を詠ったのだ
 この詩は、一聯ごとのオムニバス映画四場面である。
 第一場面は二つの故事を使って状況を想像させるもので、衛夫人の故事で高貴な人の閨の状況を、続いて楚の貴公子と船頭との王性愛の故事を借用して夫人と芸妓の同性愛を述べている。
第二場面、艶めかしい踊り、(その愛し合う様子)
第三場面、たくさんの蝋燭は芸妓であり、ハーレム状態、たくさんの男女の絡み合いを詠う。
第四場面、ここに参加していた私はどの妓と楽しむか得意の詩でお誘いしよう、というものである。
 李商隠の詩は解説を先に読んで、本文を読んでみると面白い。


牡丹 
錦幃初巻衛夫人、繍被猶堆越鄂君。
昔、衛公の美夫人南子が、拝謁に来た孔子をにこやかに迎えた。錦織りの帷が巻きあげられ、中から牡丹がばっと咲いているかのようであった。その牡丹の刺繍のかけ布団は、こんもりもりあがっていて、昔、楚の貴公子郡君が、舟中で讃歌を謳った越人の漕手を長い繍衣でおおって抱擁したときのように被っていた。
垂手亂翻雕玉佩、折腰争舞鬱金裙。
花の舞踊のように調べに合わせて、垂手の舞いに、ちりばめられた硬玉のおび玉のように蕗を光らせた細長い牡丹の柔が乱れ翻える。腰を折り、体をくねらせ、渋い黄色のうす絹の腰巻、牡丹の花の刺繍、女たちの花弁が争い舞うのである。
石家蝋燭何曾剪、筍令香櫨可待薫。
晋の時代の贅沢もの石崇は、薪代りに蝋燭を使い、芯が減ればすぐ蝋燭を取り替えたというが、ずらりと並んだ蝋燭のような女たちは、そのように明るく輝いている。魏の薫る君たる筍或が香炉の香り立つのを待つまでもなかったように、女たちもまた自然と素晴しく甘い芳香を漂わしている。
我是夢中傳彩筆、欲書花片寄朝雲。

私は、夢うつつの中に参加している、いささか得意な詩の筆を取り、この私の恋心を牡丹の花媚に書きしるし、巫山の神女のように美しい女性に、その手紙をとどけようと思っている。



昔、衛公の美夫人南子が、拝謁に来た孔子をにこやかに迎えた。錦織りの帷が巻きあげられ、中から牡丹がばっと咲いているかのようであった。その牡丹の刺繍のかけ布団は、こんもりもりあがっていて、昔、楚の貴公子郡君が、舟中で讃歌を謳った越人の漕手を長い繍衣でおおって抱擁したときのように被っていた。

花の舞踊のように調べに合わせて、垂手の舞いに、ちりばめられた硬玉のおび玉のように蕗を光らせた細長い牡丹の柔が乱れ翻える。腰を折り、体をくねらせ、渋い黄色のうす絹の腰巻、牡丹の花の刺繍、女たちの花弁が争い舞うのである。

晋の時代の贅沢もの石崇は、薪代りに蝋燭を使い、芯が減ればすぐ蝋燭を取り替えたというが、ずらりと並んだ蝋燭のような女たちは、そのように明るく輝いている。魏の薫る君たる筍或が香炉の香り立つのを待つまでもなかったように、女たちもまた自然と素晴しく甘い芳香を漂わしている。

私は、夢うつつの中に参加している、いささか得意な詩の筆を取り、この私の恋心を牡丹の花媚に書きしるし、巫山の神女のように美しい女性に、その手紙をとどけようと思っている。



牡丹 
錦幃初巻衛夫人、繍被猶堆越鄂君。
垂手亂翻雕玉佩、折腰争舞鬱金裙。
石家蝋燭何曾剪、筍令香櫨可待薫。
我是夢中傳彩筆、欲書花片寄朝雲。

牡丹
錦幃
きんい 初めて巻く衛夫人、繍被しゅうい 猶お堆うずたかし越鄂君。
手を垂れて乱れ翻
ひるがえる雕玉ちょうぎょくの佩おび、腰を折りで争い舞う鬱金裙うつきんくん
石家の蝋燭
ろうそく 何か曾て剪りし、筍令の香炉 薫るを待つ可けんや。
我は是れ 夢中に彩筆を伝う、花片に書して朝雲に寄せんと欲す。
 

錦幃初巻衛夫人、繍被猶堆越鄂君。

昔、衛公の美夫人南子が、拝謁に来た孔子をにこやかに迎えた。錦織りの帷が巻きあげられ、中から牡丹がばっと咲いているかのようであった。その牡丹の刺繍のかけ布団は、こんもりもりあがっていて、昔、楚の貴公子郡君が、舟中で讃歌を謳った越人の漕手を長い繍衣でおおって抱擁したときのように被っていた。
錦幃 錦織のとばり。 ○初巻 初めて巻き上げる。初体験。 ○衛夫人 原注があり晋の魚豢の「典略」を引く。「孔子衛にり、衛公の夫人南子に見ゆ。夫人は錦の帷の中に在り。孔子は北面して稽首す。夫人は帷の中より再拝す。環佩の聲璆然たり。」北面は臣下が君にまみえる時の方位。稽首は最敬礼の形式の一つ。環佩はおびにつけた玉の類。○繍被 牡丹の花のあでやかな刺繍がなされたかけ布団。 ○ そのかけ布団がこんもり盛り上がっている。その下で絡み合っていることを示す。○鄂君 一句楚の貴公子鄂晳の故事。江に舟を浮べて管絃の遊びをした時、たまたま鐘鼓の音がとだえた。その時、舟の漕ぎ手の越の国の者が、王子と同じ船に乗った喜びを歌に唄って鄂君を讃えた。鄂君は長い袖袂をあげてその歌手を抱擁し、繍被で姿をおおったという。故事の男色を出しているということは、富士人と芸妓の同性愛を示すものと思われる。儒教者はこれを無理矢理、花とか、舞、あるいは男女という解釈をしているが、そういう概念を取り払ってみていくことの方が李商隠の詩を理解しやすい。


垂手亂翻雕玉佩、折腰争舞鬱金裙。
花の舞踊のように調べに合わせて、垂手の舞いに、ちりばめられた硬玉のおび玉のように蕗を光らせた細長い牡丹の柔が乱れ翻える。腰を折り、体をくねらせ、渋い黄色のうす絹の腰巻、牡丹の花の刺繍、女たちの花弁が争い舞うのである。
 手を垂れる。大垂手・小垂手という舞曲のかたちがあるのにひっかけ言ったもの。○折腰 梁の呉均の「西京雑記」に、漢の高祖劉邦の妃、戚夫人が翹袖折腰の舞いに巧みだったという記事がある。単に腰を曲げる意味だけでなく、舞踊の一つの形式を意味すると思われる。折の字はもと招の字になっているが、朱鶴齢の説に従って改め持○鬱金裙 香草鬱金草の花のような渋い黄色のうす絹の腰巻。


石家蝋燭何曾剪、筍令香櫨可待薫。
晋の時代の贅沢もの石崇は、薪代りに蝋燭を使い、芯が減ればすぐ蝋燭を取り替えたというが、ずらりと並んだ蝋燭のような女たちは、そのように明るく輝いている。魏の薫る君たる筍或が香炉の香り立つのを待つまでもなかったように、女たちもまた自然と素晴しく甘い芳香を漂わしている。
石家蝋燭 西晋時代、豪奢な行為で有名な文人石崇(249-300年)の故事。当時、照明用として贅沢だった蝋燭を薪代りに使って炊事をしたことが、劉宋の劉義慶の「世説新語」に見える。○何曾 不曾にほぼ同じ。そん事が何時あったろうか、ありはしない。○筍令香炉 後漢の筍彧(163-212年)あざな文若の故事。若くして侍中守尚書令となった。魏の曹操(455-220年)の軍参謀役を後に勤めたが、曹操は常に彼を筍令とよんだという。東晋の習鑿歯の「譲陽記」には、筍彧の坐った跡には、馥郁たる香りが三日間も消えずにただよったとある。性同一を示す。ここでも同性愛を詠う。乱交という意味であろう。


我是夢中傳彩筆、欲書花片寄朝雲。
私は、夢うつつの中に参加している、いささか得意な詩の筆を取り、この私の恋心を牡丹の花媚に書きしるし、巫山の神女のように美しい女性に、その手紙をとどけようと思っている。
夢中伝彩筆 梁の文人江掩(444-505年)にまつわる伝説による表現。唐の李延寿の「南史」にょると、ある夜、江俺の夢枕に、神仙のことに詳しかった晋の文人郭漢(277-324年)が現われ、「私の筆を長い間、君に借しておいたが返して欲しい。」と言った。江掩が懐中を探ると、五色の色どりある筆が出て来たのでそれを渡した。以来、江俺の詩文には全く精彩がなくなったという。李商隠は弱冠の頃、令狐楚の知遇をえ、彼の慫慂で四六駢儷文に手を染めた。恐らくはそれを指す(摘浩の説)。○朝雲 巫山の神女が、楚の懐王の昼寝の夢に現われ、その帰り際に、「あしたには朝雲となり、ゆうべには行雨となり、朝朝暮暮、陽台の下にあらん。」と言った、宋玉の高唐の賦に発する習見の故事をふまえる。

李商隱 3 聞歌 七言律詩(解説編)

李商隱 3 聞歌 七言律詩

聞歌
1 斂笑凝眸意欲歌,高雲不動碧嵯峨。
2 銅臺罷望歸何處,玉輦忘還事幾多。
3 靑冢路邊南雁盡,細腰宮裏北人過。
4 此聲腸斷非今日,香灺燈光奈爾何。


歌を聞く
1 笑(わらひ)を斂(をさ)め 眸(ひとみ)を凝(こ)らして  意 歌はんと欲し,
高雲 動かず  碧 嵯峨(さが)たり。
2 銅臺 望むを罷めて   何處にか歸り,
玉輦(ぎょくれん) 還(かへ)るを忘るる事 幾多(いくばく)ぞ。
3 靑冢(せいちょう)の路邊  南雁 盡き,
細腰宮 裏  北人 過(よぎ)る。
4 此の聲の腸(はらわた)斷つは  今日のみに 非ず,
香 灺(き)え 燈 光り  爾(なんぢ)を 奈何(いかん)せん。


1 ここに薄幸の宮女一人。何を悲しむのか頻をこわばらせ、眼差しを中空の一点にそそいで、いまの思いを歌おうとしている。むかし韓蛾が歌をうたえば、町中が哀哭した。秦青が歌えば、その響きによって行雲を止めたという。見よ、いま不遇の宮女の歌声に高雲も感じとって流れをやめたではないか、あたかも色うす青く、嵯峨たる峻嶽のごとく動かなくなった。

2 かつて、魏の武帝は銅雀台を築いて芸妓をはべらせ、そしてその臨終の際に、「我れ死せるのちも、月の初めと十五日、我れ在るごとく帷(とばり)に向って妓楽せしめ、また台上から我が墓陵を望ましめよ。」と子に遺言した。だが、武帝の崩御ののちは、後宮を追い出だされたであろう宮女達は、そののち一体どこに身を寄せたのだったろう。いや、皇帝の死後でなくても、隋の煬帝がそうであった。都をうちすてて遠く巡遊に明け暮れる天子の車を、女御達は幾度び空しく待たねばらなかったことか。

3 そればかりではない。今を去る漢の元帝の御代、宮女王昭君は政略結婚の犠牲となり、匈奴の王父子に凌辱され、故郷をしのびつつ異郷にひとり死んだ。なま臭い食に飽き、雁の翼をかりて故郷に消息を寄せようとした時、雁は彼女をふりかえらず、いま青塚といわれるその墓のあたりには、雁はその影すら見えぬ。また、楚の霊王が細腰の美女を好んだとき、宮女らは、我こそ寵を得んとして、食をへらし食を断ち、ある者はそのために餓死したという。いまはしかしその離宮のあとを、野暮で無作法な北方の人が通りすぎるに過ぎない。
4 このように、聞く人の腸をねじれさせる宮女の悲歌は、今日この日に限ってのものではないのだ。
いわば悲運こそ、囲われる者の運命なのだから。ひちたび、消えうせた香炉のかおり、燃えつきた灯火は、再び香らず、再び輝きはしない。それ故に、怨みの歌声のいかに悲しかろうと、一端、寵愛を失えば、もはやそれをどうする術もありはしない、歌っている薄幸の宮女よ。

聞歌
○聞歌 落塊した官女が歌うのを聞いて作った詩。晩唐の詩人杜牧(803-852年)の杜秋娘の詩にも見られるように、落塊してさすらい、流転せぬまでも、仏教寺院、道教の観に寵を得ないまま、移された宮女は、当時はなはだ多かった。作者李商隠は、全国から選りすぐって集められた宮女、後宮女、芸妓(実質同じ意味を持つ)に目を向け、日ごとのやるせない思い、満たされない思い、そしてこの詩のように、別の皇帝が即位する際、これまでの宮女はすべて、寺院、寺観(唐時代国教になった時「観」というようになった)に預けられた。李商隠は唐時代、宦官らによる皇帝の毒殺が多く、被害者ともいえる宮女を詩に取り上げているのも社会批判の一つと考える。


1 
斂笑凝眸意欲歌,高雲不動碧嵯峨。
 ここに薄幸の宮女一人。何を悲しむのか頻をこわばらせ、眼差しを中空の一点にそそいで、いまの思いを歌おうとしている。むかし韓蛾が歌をうたえば、町中が哀哭した。秦青が歌えば、その響きによって行雲を止めたという。見よ、いま不遇の宮女の歌声に高雲も感じとって流れをやめたではないか、あたかも色うす青く、嵯峨たる峻嶽のごとく動かなくなった

○斂 れん おさめる。ひきしめる。かくす。 ○笑:えみ。わらい。笑い顔。名詞。 ○凝 ぎょう こらす。定める。固まる。 ○眸 ぼう ひとみ。目の黒い部分。 ○意 表現されんとする人間の意志。恨みの思いという訳のあたることが多い。 ○欲 ~をしたい。 ○高雲不動 高い空の雲の動きを(歎きで)止(とど)める。 ○碧 へき みどり。李白と李商隠の愛用語。 ○嵯峨 さが 山の嶮しく石のごつごつしているさま。

2 

銅臺罷望歸何處,玉輦忘還事幾多。
 かつて、魏の武帝は銅雀台を築いて芸妓をはべらせ、そしてその臨終の際に、「我れ死せるのちも、月の初めと十五日、我れ在るごとく帷(とばり)に向って妓楽せしめ、また台上から我が墓陵を望ましめよ。」と子に遺言した。だが、武帝の崩御ののちは、後宮を追い出だされたであろう宮女達は、そののち一体どこに身を寄せたのだったろう。いや、皇帝の死後でなくても、隋の煬帝がそうであった。都をうちすてて遠く巡遊に明け暮れる天子の車を、女御達は幾度び空しく待たねばらなかったことか。

○銅台罷望 銅台は規の武帝曹操(155~220年)が河南省臨漳県に建てた宮殿銅雀台をさす。
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西晋の文学者陸機の「弔魏武帝文」によると、298年、陸機は宮中の書庫から曹操が息子たちに与えた遺言を目にする機会を得た。遺言には「生前自分に仕えていた女官たちは、みな銅雀台に置き、8尺の寝台と帳を設け、そこに毎日朝晩供物を捧げよ。月の1日と15日には、かならず帳に向かって歌と舞を捧げよ。息子たちは折にふれて銅雀台に登り、西にある私の陵墓を望め。残っている香は夫人たちに分け与えよ。仕事がない側室たちは履の組み紐の作り方を習い、それを売って生計を立てよ。私が歴任した官の印綬はすべて蔵にしまっておくように。私の残した衣服はまた別の蔵にしまうように。それができない場合は兄弟でそれぞれ分け合えよ」などと細々した指示が書き残されていたという。これを見た陸機は「愾然歎息」し、「徽清絃而獨奏進脯糒而誰嘗(死んだ後に歌や飯を供して誰が喜ぼうか)」「貽塵謗於後王(後の王に醜聞を伝える)」と批評している。李商隠は曹操が没後、宮女たちすべて放遂されていることを述べている。
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 ○歸:本来居るべき所(自宅・故郷・墓地)などへ帰っていく。 ○何處 どこ(に)。
○玉輦 ぎょくれん天子の鳳輦(れん)。天子の乗り物。ここでは、隋・煬帝を指している。煬帝〔ようだい〕569~618年(義寧二年)隋の第二代皇帝。楊広。英。宮殿の造営や大運河の建設、また、外征のため、莫大な国費を費やし、やがては、隋末農民叛乱を招き、軍内の叛乱で縊(くび)り殺された。 ○忘還事 宮廷に帰還することを忘れて遊蕩に耽った出来事。煬帝の悪政と自身の頽廃した生活が史書に残されている。
○幾多(いくばく)どれほど。どれほどの多数。
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『隋書・帝紀・煬帝下』に「六軍不息,百役繁興,行者不歸,居者失業。人飢相食,邑落爲墟,上不之恤也。東西遊幸,靡有定居,毎以供費不給,逆收數年之賦。所至唯與後宮流連耽湎,惟日不足,招迎姥媼,朝夕共肆醜言,又引少年,令與宮人穢亂,不軌不遜,以爲娯樂。」
皇帝の軍隊は、休む閑が無く、数多くの仕事が次から次に起こり、出て行った者は帰ってくることがなく、留まっている者は失業している。(煬帝は)各地を遊び回り、定まった住所が無く、お金を渡すことはなく、逆に数年分の税金を取り立てる。ただ、後宮の女性の所に居続け、それでもの足らないときは、熟年の老女を呼び込み、朝夕に亘って、醜い言葉をほしいままにしていた。その上、若者に対して宮人に穢らわしいことをさせて、むちゃくちゃなことをさせ、それを楽しみとしていた。)とある。
〔煬帝の概要]
即位した煬帝はそれまでの倹約生活から豹変し奢侈を好む生活を送った。また廃止されていた残酷な刑を復活させ、謀反を企てた楊玄感(煬帝を擁立した楊素の息子)は九族に至るまで処刑されている。
洛陽を東都に定めた他、文帝が着手していた国都大興城(長安)の建設を推進し、また100万人の民衆を動員し大運河を建設、華北と江南を連結させ、これを使い江南からの物資の輸送を行うことが出来るようになった。対外的には煬帝は国外遠征を積極的に実施し、高昌に朝貢を求め、吐谷渾、林邑、流求(現在の台湾)などに出兵し版図を拡大した。
更に612年には煬帝は高句麗遠征(麗隋戦争)を実施する。高句麗遠征は3度実施されたが失敗に終わり、これにより隋の権威は失墜した。また国庫に負担を与える遠征は民衆の反発を買い、第2次遠征途中の楊玄感の反乱など各地で反乱が発生、隋国内は大いに乱れた。各地で李密、李淵ら群雄が割拠する中、煬帝は難を避けて江南に逃れた。
煬帝は現実から逃避して酒色にふける生活を送り、皇帝としての統治能力は失われていた。618年、江都で煬帝は故郷への帰還を望む近衛兵を率いた宇文化及兄弟らによって、末子の趙王楊杲(13歳)と共に50歳にして殺害された。
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3 
靑冢路邊南雁盡、細腰宮裏北人過。
 そればかりではない。今を去る漢の元帝の御代、宮女王昭君は政略結婚の犠牲となり、匈奴の王父子に凌辱され、故郷をしのびつつ異郷にひとり死んだ。なま臭い食に飽き、雁の翼をかりて故郷に消息を寄せようとした時、雁は彼女をふりかえらず、いま青塚といわれるその墓のあたりには、雁はその影すら見えぬ。また、楚の霊王が細腰の美女を好んだとき、宮女らは、我こそ寵を得んとして、食をへらし食を断ち、ある者はそのために餓死したという。いまはしかしその離宮のあとを、野暮で無作法な北方の人が通りすぎるに過ぎない。

 ○盡 姿がつきる。無くなる。 ○青冢 〔せいちょう青塚〕青い草の生えている塚で、王昭君の陵墓をいう。王昭君の墓所には、冬でも青々と草が生えていた故事に因る。現・呼和浩特(フホホト)沙爾泌間の呼和浩特の南九キロメートルの大黒河の畔にある。杜甫の『詠懷古跡五首』之三とある。常建の『塞下曲』とある。白楽天も王昭君二首を詠う。李白は三首詠(李白33-35 王昭君を詠う 三首)っている。王昭君自身は、『昭君怨  王昭君 』 詳しくは漢文委員会「王昭君ものがたり」に集約して掲載。 ○路邊 道端の。 ○南雁 南の方の郷里である漢の地に飛んで帰るカリ。故郷への雁信。 ○盡 姿がつきる。無くなる。
 ○細腰宮:(春秋)楚の宮殿。『漢書・馬寥伝』の「呉王好劍客,百姓多瘡瘢。楚王好細腰,宮中多餓死。」からきている。
在位BC614~BC591。楚の穆王(商臣)の子。即位して三年の間、無為に過ごし、奢侈をきわめ、諫める者は死罪にすると触れを出した。激やせした状態の女性を好み、宮女たちは痩せるため、食を減らし、絶食する者もいた。そのため多くの宮女、侍女たちに餓死者が出た。皇帝のわがままによる宮女たちの悲惨な出来事をとらえている。
  ○細腰 温庭には『楊柳枝』「蘇小門前柳萬條,金線拂平橋。黄鶯不語東風起,深閉朱門伴細腰。」と詠われる美女の形容でもある。(紀頌之ブログ7月8日蘇小小) ○北人:北方人。春秋・楚は、長江流域にあった中国南部の大国。漢民族の故地である黄河流域の中原とは、『楚辭』に象徴されるように、異なった文明を持つ。その後漢は黄河流域に栄えるが、三国、五胡十六国、南北朝と、原・漢民族は南下し、その間、前秦北魏などが北方を制し、突厥が北方を伺った。(その後も金(女真人)、元(モンゴル人)清(女真→満洲人)という流れ)。「南風不競」という通り、「北人」には「征服者」という感じが籠もる。現・漢民族の外見的な特徴は、(「南人」と比べてのイメージとしてだが)背が高く、大柄(「南人」は小柄)。目が切れ長でつり上がっている(「南人」はぱっちりとした二重まぶたの目)。南朝の繊細華麗優美な文化に比べ北朝の武骨な文化を野暮なものとしている。 ・過:よぎる。通り過ぎる。

4 

此聲腸斷非今日、香灺燈光奈爾何。
 このように、聞く人の腸をねじれさせる宮女の悲歌は、今日この日に限ってのものではないのだ。
いわば悲運こそ、囲われる者の運命なのだから。ひとたび、消えうせた香炉のかおり、燃えつきた灯火は、再び香らず、再び輝きはしない。それ故に、怨みの歌声のいかに悲しかろうと、一端、寵愛を失えば、もはやそれをどうする術もありはしないのだ、歌っている薄幸の宮女よ。

 ○此聲:元、しかるべき地位にあった女性の淪落後の歌声。 ○腸斷:非常な悲しみを謂う。 ○非今日:今日だけではない。 ○香灺:香が燃え尽きる。 ○灺 しゃ ともしびの燃え残り。蝋燭の余燼。 ・燈光 ともしびが輝く。ここは、「燈殘」ともする。 ○奈爾何 あなたをどうしようか。 ○奈何 どのようにしようか。 ○爾 なんぢ。女性を指すか。香を指すのか。



李白の詩 連載中 7/12現在 75首

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