中唐詩人選集【Ⅰ李商隠-150】Ⅱ韓退之(韓愈)Ⅶ孟郊(東野)  漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩 訳注解説ブログ

Ⅰ李商隠は難解詩といわれている。約150首紹介済。(晩唐詩人) Ⅱ韓退之(韓愈)-約500首Ⅶ孟郊、中唐の詩人を掲載中。万物の性(さが)をテーマにした哲学的な詩。このブログは基本的に中唐詩人を中心にして掲載する予定。 韓愈詩文のこれまでの掲載分とこれから掲載予定分を時系列で整理した2014.3.29のブログに集約してそこから各年次を見ることができる  kanbuniinkai 検索で、《漢文委員会HP05》サイトあります。漢詩唐詩を理解するための総合サイト:≪漢文委員会 漢詩07≫。

少し、マニアックな晩唐詩人Ⅰ-李商隠150首をまず掲載済み。中唐は盛唐詩人(孟浩然・王維、杜甫、李白)を受け継いだ多様な詩人が出ている。この時代も驚くほど詩が発展している。Ⅱ韓退之(韓愈)500首、Ⅲ柳宗元40首、Ⅳ韋応物、Ⅴ劉長卿、Ⅵ韋荘、Ⅶ孟郊(孟東野)、Ⅷ張籍、Ⅸ賈島、Ⅹ劉禹錫、ほか2012~2020年の予定で気長に進める。同じ中唐ではあるが、白居易のグループについては、李白のブログ350首(2015/6月再開~2018/夏・秋月予定)の後掲載の予定。別に杜甫詩ブログ1500首(2011/7月~2018/8月の予定で)を進行中。詩数につぃては、予定の詩数より多くなる。気まぐれなところがあるのでこの予定が少し変わる場合があり、その節はご容赦ください。                 古詩・謝霊運詩 杜甫詩 韓愈詩 花間集500首全詩 それぞれ毎日ブログしています。 このブログ、索引=語句の「検索」 参考書以上掲載。漢詩力up。

此日足可惜贈張籍

此日足可惜贈張籍 唐宋詩-220Ⅱ韓退之(韓愈) 紀頌之の漢詩ブログ 韓愈特集-21-#14

此日足可惜贈張籍 唐宋詩-220Ⅱ韓退之(韓愈) 紀頌之の漢詩ブログ 韓愈特集-21-#14


(此の日惜しむ可きに足る 張籍に贈る 韓愈)
門人の張籍も無事で、訪ねて来てくれた。韓愈もようやく心の落ち着きを取りもどしたらしい。張籍の去るにあたって、彼は次の詩を贈った。
長い詩であるが、汴州の乱について韓愈の抱いた思いと彼の行動がよくみえる。またこのころには、愈の周囲に孟郊・張籍・李翺・ (賈島)などの人々が集まり、韓門が形成されていたようだ。

この頃の韓愈、孟郊、張籍の年譜
796年 董晋の招きで宣武軍節度使の幕府に入る。
797年 病気のため一時求職。
    孟郊が来る。
798年 同所で進士科の予備試験員。
    張籍、この試験合格者の中に有る。
799年 董晋歿す。汴州の乱
    徐州武寧軍節度使 張建封の幕府に入る。
    韓愈、命受けて長安へ。孟郊、呉、越を遊覧。

DCF00212

#13までのあらすじ
韓愈の一家は無事ではあったものの、汴州にいたのでは危険なので、舟で脱出し、韓愈とは逆方向の東へと逃げ、徐州(江蘇省)に落ち着いているという。これを聞いた韓愈は、いちおう葬列を洛陽まで送って行ってから、単身で東へと引き返した。
河陽節度使(本拠地は河南省孟県の西)の門を入ったとき、韓愈の馬が疲れはて、物につまずいて倒れてしまった。幕府の主人である節度使の李元はもうしばらく滞留してほしいといってくれた、そして私を幕府の官廷に招き入れて酒と料理とを出してくれた。そこで黄河の流れに乗って旅立とうと思ったのに舟がなかったのだ。
長い時間大声で呼び、 ようやく渡し舟が来てくれた、夜のあいだに対岸までの十里の黄河も川筋を渡れた。
どこまでも進んで行って、二月の末ごろ、ようやく徐州の南の境にたどり着いた。そこで馬から下りて堤防の上を歩き、舟に乗って私の兄にあいさつをした。
私の家族は全員なにごともなかった。徐州武寧軍節度使、僕射の南陽公(張建封)の幕府に世話をしてくれた、その上、私を睢水の北岸に住居をあてがってくれた。

#13
誰雲經艱難,百口無夭殤。僕射南陽公,宅我睢水陽。
篋中有馀衣,盎中有馀糧。閉門讀書史,窗戶忽已涼。
日念子來游,子豈知我情。」12
#13
别離未爲久,辛苦多所經。對食每不飽,共言無倦聽。
連延三十日,晨坐達五更。我友二三子,宦游在西京。
東野窺禹穴,李翱觀濤江。」13
#14
蕭條千萬里,會合安可逢。
千万里をへだてて消息をかよわすすべもなく、会いたいと思っても顔をあわすことができるはずもない。
淮之水舒舒,楚山直叢叢。
准河の水はゆるやかにゆったりと流れ、楚の国の山々は切り立ったようにそびえて、草木の茂みはこんもり茂っている。
子又舍我去,我懷焉所窮。
つぎに君がまた私をおいて行ってしまったら、我が思うことというのはなにごとにおいても窮まることはできない。
男兒不再壯,百歲如風狂。
男子に元気に働ける壮年の時は二度とないものだ。我々にとってこれからの一生を古くから伝わっている古風な流れにこだわっていくことなのだ。
高爵尚可求,無爲守一鄉。」14

君はこれからまだ中央朝廷の高い地位をも望めるのだ。一つの土地、地方の組織に固執することのないようにしなくてはいけないのだ。

12
誰か云わん難難を経たりと、百口 天瘍無し
僕射 南陽公 我を推水の陽に宅せしむ
筐中に余衣有り、盎中に馀糧有り
門を閉じて書史を読めば、窓戸 忽ち己に涼し
日に念う 子の来たり遊はんことを 子豈我が情を知れるか。
 13
別離 未だ久しと為さざるも辛苦 経る所多し
食に対して毎に飽かず 共に言いて聴くに倦むこと無し
連延たり三十日 展に坐して五更に達す
我が友 二三子 官遊して西京に在り
東野は禹穴を窺い 李翱は清江を観る
 14
藷条たり千万里会合 安くんぞ逢う可けん涯の水 
野紆たり 楚山は直にして叢叢たり 子 又た我を捨てて去る 我が懐い篤くにか窮まる所ぞ
男児 再びは壮ならず 百歳 風狂の如し
高爵 尚求む可し一郷を守るを為すこと無かれ


韓愈の地図00


現代語訳と訳註
(本文)
蕭條千萬里,會合安可逢。
淮之水舒舒,楚山直叢叢。
子又舍我去,我懷焉所窮。
男兒不再壯,百歲如風狂。
高爵尚可求,無爲守一鄉。」14

(下し文)
藷条たり千万里会合 安くんぞ逢う可けん涯の水 
野紆たり 楚山は直にして叢叢たり 子 又た我を捨てて去る 我が懐い篤くにか窮まる所ぞ
男児 再びは壮ならず 百歳 風狂の如し
高爵 尚求む可し一郷を守るを為すこと無かれ

(現代語訳)
千万里をへだてて消息をかよわすすべもなく、会いたいと思っても顔をあわすことができるはずもない。 准河の水はゆるやかにゆったりと流れ、楚の国の山々は切り立ったようにそびえて、草木の茂みはこんもり茂っている。
つぎに君がまた私をおいて行ってしまったら、我が思うことというのはなにごとにおいても窮まることはできない。
男子に元気に働ける壮年の時は二度とないものだ。我々にとってこれからの一生を古くから伝わっている古風な流れにこだわっていくことなのだ。
君はこれからまだ中央朝廷の高い地位をも望めるのだ。一つの土地、地方の組織に固執することのないようにしなくてはいけないのだ。

(訳注)14
蕭條千萬里,會合安可逢。

千万里をへだてて消息をかよわすすべもなく、会いたいと思っても顔をあわすことができるはずもない。 ○蕭條 ひっそりとしてもの寂しいさま。
  
淮之水舒舒,楚山直叢叢。
准河の水はゆるやかにゆったりと流れ、楚の国の山々は切り立ったようにそびえて、草木の茂みはこんもり茂っている。
 淮河は、黄河と長江の間を東西に流れている。その下流は平坦な低地を通っており、流路が複雑なため洪水を起こしやすく非常に治水が難しい。古くは「河」が黄河の固有名詞であったので、淮水と呼んだ。○舒舒 ゆっくりしたさま。しずかなさま。○楚山 淮水流域の山々。ここでは、韓愈の住んでいる徐州の地方の山々。○叢叢 草木のたくさん集まっているさま。草が群がり生えているさま。
  
子又舍我去,我懷焉所窮。
つぎに君がまた私をおいて行ってしまったら、我が思うことというのはなにごとにおいても窮まることはできない。
  
男兒不再壯,百歲如風狂。
男子に元気に働ける壮年の時は二度とないものだ。我々にとってこれからの一生を古くから伝わっている古風な流れにこだわっていくことなのだ。
風狂 古くから伝わっている古風な流れにこだわっていくこと。
  
高爵尚可求,無爲守一鄉。」14
君はこれからまだ中央朝廷の高い地位をも望めるのだ。一つの土地、地方の組織に固執することのないようにしなくてはいけないのだ。
 ○高爵 中央の朝廷での高い地位。○一鄉 一つの土地に固執すること。若い時は地方の幕府で下働きをし、認められて中央に引き上げられるもの。


前の詩に出た張建封は、詳しい事情はわからないが、愈とは以前からの知りあいであったのだ。 汴州から避難して来た韓愈とその家族に援助の手をさしのべて、住宅の世話をしてくれ、生計のめんどうまで見てくれたのである。韓愈は当然感謝したであろうが、そうそういつまでも張建封 の好普還甘えてもいられない。その年(貞元十五年)の秋、家族を連れて徐州を去ろうとした。それを建封が引き止めて、自分の幕府の幕僚に任命してくれた。これで失業状態の愈に職が与えられたわけだが、どうしたものか、これは韓愈の意にそうものではなかったらしい。

韓愈も徐州武寧軍節度使 張建封の幕府にいつまでもいることには躊躇しているようだ。

次の「忽忽」の詩へつづいていくのである。

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(Ⅰ李商隠Ⅱ韓退之(韓愈))

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此の日惜しむ可きに足る 張籍に贈る 韓愈
門人の張籍も無事で、訪ねて来てくれた。韓愈もようやく心の落ち着きを取りもどしたらしい。張籍の去るにあたって、彼は次の詩を贈った。
長い詩であるが、汴州の乱について韓愈の抱いた思いと彼の行動がよくみえる。またこのころには、愈の周囲に孟郊・張籍・李翺・ (賈島)などの人々が集まり、韓門が形成されていたようだ。


この頃の韓愈、孟郊、張籍の年譜。
796年 董晋の招きで宣武軍節度使の幕府に入る。
797年 病気のため一時求職。
    孟郊が来る。
798年 同所で進士科の予備試験員。
    張籍、この試験合格者の中に有る。
799年 董晋歿す。汴州の乱
    徐州武寧軍節度使 張建封の幕府に入る。
    韓愈、命受けて長安へ。孟郊、呉、越を遊覧。


#12までのあらすじ
韓愈の一家は無事ではあったものの、汴州にいたのでは危険なので、舟で脱出し、韓愈とは逆方向の東へと逃げ、徐州(江蘇省)に落ち着いているという。これを聞いた韓愈は、いちおう葬列を洛陽まで送って行ってから、単身で東へと引き返した。
河陽節度使(本拠地は河南省孟県の西)の門を入ったとき、韓愈の馬が疲れはて、物につまずいて倒れてしまった。幕府の主人である節度使の李元はもうしばらく滞留してほしいといってくれた、そして私を幕府の官廷に招き入れて酒と料理とを出してくれた。そこで黄河の流れに乗って旅立とうと思ったのに舟がなかったのだ。
長い時間大声で呼び、 ようやく渡し舟が来てくれた、夜のあいだに対岸までの十里の黄河も川筋を渡れた。
どこまでも進んで行って、二月の末ごろ、ようやく徐州の南の境にたどり着いた。そこで馬から下りて堤防の上を歩き、舟に乗って私の兄にあいさつをした。
私の家族は全員なにごともなかった。徐州武寧軍節度使、僕射の南陽公(張建封)の幕府に世話をしてくれた、その上、私を推水の北岸に住居をあてがってくれた。


#12
誰雲經艱難,百口無夭殤。僕射南陽公,宅我睢水陽。
篋中有馀衣,盎中有馀糧。閉門讀書史,窗戶忽已涼。
日念子來游,子豈知我情。」
#13
别離未爲久,辛苦多所經。
別れてからまだいくらもたっていないのだが、お互いに苦労していろいろな経験をかさねてきた。
對食每不飽,共言無倦聽。
それからというもの、毎日食事をとる際向きあっていても飽きはしない、二人で話をしているといくら聞いてもあきるということがない。
連延三十日,晨坐達五更。
幕府の事務室の中でずっと三十日間もつづけたのだ、しかも朝から向きあって座ったまま暁けがたに及んだのだ。
我友二三子,宦游在西京。
私の友人のうち、二、三の諸君がいる、かれらは長安へ行って役人生活をしている。
東野窺禹穴,李翱觀濤江。」

東野(孟郊)は禹穴(浙江省の会稽にある古代の聖天子の禹の遺跡といわれる穴)をのぞきに行き、李翱は浙江の潮(銭塘江の河口 に見られる満潮時に海水が逆流して水位が高くなる現象)を見に行った。

#14
蕭條千萬里,會合安可逢。淮之水舒舒,楚山直叢叢。
子又舍我去,我懷焉所窮。男兒不再壯,百歲如風狂。
高爵尚可求,無爲守一鄉。」14


#12
誰か云わん難難を経たりと、百口 天瘍無し
僕射 南陽公 我を推水の陽に宅せしむ
筐中に余衣有り、盎中に馀糧有り
門を閉じて書史を読めば、窓戸 忽ち己に涼し
日に念う 子の来たり遊はんことを 子豈我が情を知れるか。
 #13
別離 未だ久しと為さざるも辛苦 経る所多し
食に対して毎に飽かず 共に言いて聴くに倦むこと無し
連延たり三十日 展に坐して五更に達す
我が友 二三子 官遊して西京に在り
東野は禹穴を窺い 李翱は清江を観る

 #14
藷条たり千万里会合 安くんぞ逢う可けん涯の水 
野紆たり 楚山は直にして叢叢たり 子 又た我を捨てて去る 我が懐い篤くにか窮まる所ぞ
男児 再びは壮ならず 百歳 風狂の如し
高爵 尚求む可し一郷を守るを為すこと無かれ

現代語訳と訳註
(本文)#13
别離未爲久,辛苦多所經。
對食每不飽,共言無倦聽。
連延三十日,晨坐達五更。
我友二三子,宦游在西京。
東野窺禹穴,李翱觀濤江。」

(下し文) 13
別離 未だ久しと為さざるも辛苦 経る所多し
食に対して毎に飽かず 共に言いて聴くに倦むこと無し
連延たり三十日 展に坐して五更に達す
我が友 二三子 官遊して西京に在り
東野は禹穴を窺い 李翱は清江を観る


(現代語訳)
別れてからまだいくらもたっていないのだが、お互いに苦労していろいろな経験をかさねてきた。
それからというもの、毎日食事をとる際向きあっていても飽きはしない、二人で話をしているといくら聞いてもあきるということがない。
幕府の事務室の中でずっと三十日間もつづけたのだ、しかも朝から向きあって座ったまま暁けがたに及んだのだ。
私の友人のうち、二、三の諸君がいる、かれらは長安へ行って役人生活をしている。
東野(孟郊)は禹穴(浙江省の会稽にある古代の聖天子の禹の遺跡といわれる穴)をのぞきに行き、李翱は浙江の潮(銭塘江の河口 に見られる満潮時に海水が逆流して水位が高くなる現象)を見に行った。


(訳注)13
别離未爲久,辛苦多所經。

別れてからまだいくらもたっていないのだが、お互いに苦労していろいろな経験をかさねてきた。
  
對食每不飽,共言無倦聽。
それからというもの、毎日食事をとる際向きあっていても飽きはしない、二人で話をしているといくら聞いてもあきるということがない。
  
連延三十日,晨坐達五更。
幕府の事務室の中でずっと三十日間もつづけたのだ、しかも朝から向きあって座ったまま暁けがたに及んだのだ。
五更 五行思想で夜明け前をいう。
  
我友二三子,宦游在西京。
私の友人のうち、二、三の諸君がいる、かれらは長安へ行って役人生活をしている。
  
東野窺禹穴,李翱觀濤江。」13
東野(孟郊)は禹穴(浙江省の会稽にある古代の聖天子の禹の遺跡といわれる穴)をのぞきに行き、李翱は浙江の潮(銭塘江の河口 に見られる満潮時に海水が逆流して水位が高くなる現象)を見に行った。
東野 孟郊禹穴 禹が皇帝になった後、“巡守大越(見守り続けた大越)”ここで病死してしまったため、会稽山の麓に埋葬した。禹陵は古くは、禹穴と呼ばれ、大禹の埋葬地となった。大禹陵は会稽山とは背中合わせにあり、前には、禹池がある。浙江、会稽地方を遊ぶことをいう。○李翱 772年 – 841年、798年に進士となる及第。李翱は韓愈の高弟であり、士を好むところが似ていた。人に一善一能ある時は必ず賞賛し、賢者を推挙する機会を常に求めていたという。○濤江 大潮のとき銭塘江の河口でおこる潮流の遡上現象
銭塘江は浙江とも言い、浙江省の一番長い川である。全長605キロある。源は安徽省の西南、懐玉山脈の主峰六股尖(1629.8メートル)の東にある。幹流は安徽省祁門、歙県などを通って、浙江省に流れ、東へ淳安、建徳を通って、蘭江に合流し、続いて富陽、杭州を通って杭州湾に入る。河口は漏斗型になっている。


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此日足可惜贈張籍(愈時在徐籍往謁之辭去作是詩以送)((此の日惜しむ可きに足る 張籍に贈る 韓愈)
門人の張籍も無事で、訪ねて来てくれた。韓愈もようやく心の落ち着きを取りもどしたらしい。張籍の去るにあたって、彼は次の詩を贈った。
長い詩であるが、汴州の乱について韓愈の抱いた思いと彼の行動がよくみえる。またこのころには、愈の周囲に孟郊・張籍・李翺・ (賈島)などの人々が集まり、韓門が形成されていたようだ。

この頃の韓愈、孟郊、張籍の年譜。
796年 董晋の招きで宣武軍節度使の幕府に入る。
797年 病気のため一時求職。
    孟郊が来る。
798年 同所で進士科の予備試験員。
    張籍、この試験合格者の中に有る。
799年 董晋歿す。汴州の乱
    徐州武寧軍節度使 張建封の幕府に入る。
    韓愈、命受けて長安へ。孟郊、呉、越を遊覧。

#11までのあらすじ
韓愈の一家は無事ではあったものの、汴州にいたのでは危険なので、舟で脱出し、韓愈とは逆方向の東へと逃げ、徐州(江蘇省)に落ち着いているという。これを聞いた韓愈は、いちおう葬列を洛陽まで送って行ってから、単身で東へと引き返した。
河陽節度使(本拠地は河南省孟県の西)の門を入ったとき、韓愈の馬が疲れはて、物につまずいて倒れてしまった。幕府の主人である節度使の李元はもうしばらく滞留してほしいといってくれた、そして私を幕府の官廷に招き入れて酒と料理とを出してくれた。そこで黄河の流れに乗って旅立とうと思ったのに舟がなかったのだ。
長い時間大声で呼び、 ようやく渡し舟が来てくれた、夜のあいだに対岸までの十里の黄河も川筋を渡れた。
どこまでも進んで行って、二月の末ごろ、ようやく徐州の南の境にたどり着いた。そこで馬から下りて堤防の上を歩き、舟に乗って私の兄にあいさつをした。


#11
東南出陳許,陂澤平茫茫。道邊草木花,紅紫相低昂。
百里不逢人,角角雄雉鳴。行行二月暮,乃及徐南疆。
下馬步堤岸,上船拜吾兄。」
#12
誰雲經艱難,百口無夭殤。
誰もが難難を通り抜けたと言い合ったのだが、私の家族は全員なにごともなかった。
僕射南陽公,宅我睢水陽。
徐州武寧軍節度使、僕射の南陽公(張建封)の幕府に世話をしてくれた、その上、私を推水の北岸に住居をあてがってくれた。
篋中有馀衣,盎中有馀糧。
衣裳筐のなかに余分な着物があるだけ用意され、米櫃は余分な穀物があるほどの余裕ある生活を用意してくれた。
閉門讀書史,窗戶忽已涼。
季節は変わってその家で扉をとざして歴史書を読書していた、にわかに高窓から、戸口から涼風が吹きこんできた。
日念子來游,子豈知我情。」
君が訪ねて来ることを毎日念じていたが、その思いが君に通じたのだろうか。
#13

别離未爲久,辛苦多所經。對食每不飽,共言無倦聽。
連延三十日,晨坐達五更。我友二三子,宦游在西京。
東野窺禹穴,李翱觀濤江。」

#11
東西 陳・許を出ずれば、陂澤 平らかにして茫茫たり。
道辺の草木の花、 紅紫 相 低昂(ていこう)す。
百里 人に逢わず、角角(こくこく)として雄雉()ゆうち鳴く。
行き行きて二月の暮、乃ち徐の南疆に及ぶ。
馬より下りて堤岸を歩み、 船に上りて吾が兄を拝す。
#12
誰か云わん難難を経たりと、百口 天瘍無し
僕射 南陽公 我を推水の陽に宅せしむ
筐中に余衣有り、盎中に馀糧有り
門を閉じて書史を読めば、窓戸 忽ち己に涼し
日に念う 子の来たり遊はんことを 子豈我が情を知れるか。

13
別離 未だ久しと為さざるも辛苦 経る所多し
食に対して毎に飽かず 共に言いて聴くに倦むこと無し
連延たり三十日 展に坐して五更に達す
我が友 二三子 官遊して西京に在り
東野は禹穴を窺い 李翱は清江を観る

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現代語訳と訳註
(本文)

誰雲經艱難,百口無夭殤。
僕射南陽公,宅我睢水陽。
篋中有馀衣,盎中有馀糧。
閉門讀書史,窗戶忽已涼。
日念子來游,子豈知我情。」12

(下し文) #12
誰か云わん難難を経たりと、百口 天瘍無し
僕射 南陽公 我を推水の陽に宅せしむ
筐中に余衣有り、盎中に馀糧有り
門を閉じて書史を読めば、窓戸 忽ち己に涼し
日に念う 子の来たり遊はんことを 子豈我が情を知れるか。

(現代語訳)
誰もが難難を通り抜けたと言い合ったのだが、私の家族は全員なにごともなかった。 徐州武寧軍節度使、僕射の南陽公(張建封)の幕府に世話をしてくれた、その上、私を睢水の北岸に住居をあてがってくれた。
衣裳筐のなかに余分な着物があるだけ用意され、米櫃は余分な穀物があるほどの余裕ある生活を用意してくれた。
季節は変わってその家で扉をとざして歴史書を読書していた、にわかに高窓から、戸口から涼風が吹きこんできた。
君が訪ねて来ることを毎日念じていたが、その思いが君に通じたのだろうか。


(訳注) #12  
誰雲經艱難,百口無夭殤。
誰もが難難を通り抜けたと言い合ったのだが、私の家族は全員なにごともなかった。
 ○百口 家族全員。一族すべて。○夭殤 若死に。二十歳までに死ぬこと。
  
僕射南陽公,宅我睢水陽。
徐州武寧軍節度使、僕射の南陽公(張建封)の幕府に世話をしてくれた、その上、私を睢水の北岸に住居をあてがってくれた。
僕射 (ぼくや)中国の官名。尚書令の次官である尚書僕射にしか使われなくなる。隋・唐・五代・宋・金・遼では、皇帝が尚書令に就任したため、尚書僕射が尚書省の実質的長官になる。○南陽公 徐州武寧軍節度使 張建封の幕府のこと。○睢水 彭城の戦い(ぼうじょうのたたかい)は、中国楚漢戦争期の紀元前205年に項羽の楚軍と劉邦の漢連合軍との間の彭城(現在の江蘇省徐州市)で行われた戦い。「睢水の戦い」とも呼ばれる。睢水は陽、南にあるということは、自宅は睢水の北側にあったことになる。
  
篋中有馀衣,盎中有馀糧。
衣裳筐のなかに余分な着物があるだけ用意され、米尾つには余分な穀物があるほどの余裕ある生活を用意してくれた。
 衣装箱。○ 米を入れるはち。
  
閉門讀書史,窗戶忽已涼。
季節は変わってその家で扉をとざして歴史書を読書していた、にわかに高窓から、戸口から涼風が吹きこんできた。
閉門 門を閉めることと読書で季節の変化を教えてくれる。○窗戶 窓と戸口。○ 諸邂逅の風に使う語である。
  
日念子來游,子豈知我情。」12
君が訪ねて来ることを毎日念じていたが、その思いが君に通じたのだろうか。
日念 日日思い続けること。ここでは張籍のことを思い続けているのである。

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此日足可惜贈張籍 唐宋詩-217Ⅱ韓退之(韓愈) 紀頌之の漢詩ブログ 韓愈特集-18-#11


此日足可惜贈張籍(愈時在徐籍往謁之辭去作是詩以送)((此の日惜しむ可きに足る 張籍に贈る 韓愈)
門人の張籍も無事で、訪ねて来てくれた。韓愈もようやく心の落ち着きを取りもどしたらしい。張籍の去るにあたって、彼は次の詩を贈った。
長い詩であるが、汴州の乱について韓愈の抱いた思いと彼の行動がよくみえる。またこのころには、愈の周囲に孟郊・張籍・李翺・ (賈島)などの人々が集まり、韓門が形成されていたようだ。

この頃の韓愈、孟郊、張籍の年譜。
796年 董晋の招きで宣武軍節度使の幕府に入る。
797年 病気のため一時求職。
    孟郊が来る。
798年 同所で進士科の予備試験員。
    張籍、この試験合格者の中に有る。
799年 董晋歿す。汴州の乱
    徐州武寧軍節度使 張建封の幕府に入る。
    韓愈、命受けて長安へ。孟郊、呉、越を遊覧。

韓愈の一家は無事ではあったものの、汴州にいたのでは危険なので、舟で脱出し、韓愈とは逆方向の東へと逃げ、徐州(江蘇省)に落ち着いているという。これを聞いた韓愈は、いちおう葬列を洛陽まで送って行ってから、単身で東へと引き返した。
河陽節度使(本拠地は河南省孟県の西)の門を入ったとき、韓愈の馬が疲れはて、物につまずいて倒れてしまった。幕府の主人である節度使の李元はもうしばらく滞留してほしいといってくれた、そして私を幕府の官廷に招き入れて酒と料理とを出してくれた。そこで黄河の流れに乗って旅立とうと思ったのに舟がなかったのだ。
長い時間大声で呼び、 ようやく渡し舟が来てくれた、夜のあいだに対岸までの十里の黄河も川筋を渡れた。


#10
號呼久乃至,夜濟十里黄。中流上灘潬,沙水不可詳。
驚波暗合遝,星宿爭翻芒。轅馬蹢躅鳴,左右泣僕童。
甲午憩時門,臨泉窺鬥龍。」10
#11
東南出陳許,陂澤平茫茫。
道邊草木花,紅紫相低昂。
百里不逢人,角角雄雉鳴。
行行二月暮,乃及徐南疆。
下馬步堤岸,上船拜吾兄。」11
道もはっきりせぬまま陳・許の地方に出れば、湿地帯は平らに 茫々と広がっている。
道はたの草木の花は、赤くまた紫に、あるいは低くあるいは高く咲いている。
どこまで行っても人に逢わず、コツコツと雄の雉が鳴いている。 どこまでも進んで行って、二月の末ごろ、ようやく徐州の南の境にたどり着いた。
そこで馬から下りて堤防の上を歩き、舟に乗って私の兄にあいさつをした。

誰雲經艱難,百口無夭殤。僕射南陽公,宅我睢水陽。
篋中有馀衣,盎中有馀糧。閉門讀書史,窗戶忽已涼。
日念子來游,子豈知我情。」12
别離未爲久,辛苦多所經。對食每不飽,共言無倦聽。
連延三十日,晨坐達五更。我友二三子,宦游在西京。
東野窺禹穴,李翱觀濤江。」13
蕭條千萬里,會合安可逢。淮之水舒舒,楚山直叢叢。
子又舍我去,我懷焉所窮。男兒不再壯,百歲如風狂。
高爵尚可求,無爲守一鄉。」14

#10
号呼 久しゅうして乃ち至り、夜 十里の黄を済(わた)る。
中流 灘潬(だんたん)に上るに 沙水 詳(つまび)らかにす可からず。 驚波 暗くして合沓(ごうとう)たり 星宿(せいしゅう) 争って空を翻す。
轅馬 蹢躅として鳴き、左右 僕童泣く。
甲午 時門に憩い、泉に臨んで闘竜を窺(うかが)う。
#11
東西 陳・許を出ずれば、陂澤 平らかにして茫茫たり。
道辺の草木の花、 紅紫 相 低昂(ていこう)す。
百里 人に逢わず、角角(こくこく)として雄雉()ゆうち鳴く。
行き行きて二月の暮、乃ち徐の南疆に及ぶ。
馬より下りて堤岸を歩み、 船に上りて吾が兄を拝す。


12
誰か云わん難難を経たりと、百口 天瘍無し
僕射 南陽公 我を推水の陽に宅せしむ
筐中に余衣有り、盎中に馀糧有り
門を閉じて書史を読めば、窓戸 忽ち己に涼し
日に念う 子の来たり遊はんことを 子豈我が情を知れるか。
13
別離 未だ久しと為さざるも辛苦 経る所多し
食に対して毎に飽かず 共に言いて聴くに倦むこと無し
連延たり三十日 展に坐して五更に達す
我が友 二三子 官遊して西京に在り
東野は禹穴を窺い 李翱は清江を観る
 14
藷条たり千万里会合 安くんぞ逢う可けん涯の水 
野紆たり 楚山は直にして叢叢たり 子 又た我を捨てて去る 我が懐い篤くにか窮まる所ぞ
男児 再びは壮ならず 百歳 風狂の如し
高爵 尚求む可し一郷を守るを為すこと無かれ
gogyu10680
 
現代語訳と訳註
(本文)

東南出陳許,陂澤平茫茫。道邊草木花,紅紫相低昂。
百里不逢人,角角雄雉鳴。行行二月暮,乃及徐南疆。
下馬步堤岸,上船拜吾兄。」11

(下し文)
東西 陳・許を出ずれば、陂澤 平らかにして茫茫たり。
道辺の草木の花、 紅紫 相 低昂(ていこう)す。
百里 人に逢わず、角角(こくこく)として雄雉()ゆうち鳴く。
行き行きて二月の暮、乃ち徐の南疆に及ぶ。
馬より下りて堤岸を歩み、 船に上りて吾が兄を拝す。

(現代語訳)
道もはっきりせぬまま陳・許の地方に出れば、湿地帯は平らに 茫々と広がっている。
道はたの草木の花は、赤くまた紫に、あるいは低くあるいは高く咲いている。
どこまで行っても人に逢わず、コツコツと雄の雉が鳴いている。 どこまでも進んで行って、二月の末ごろ、ようやく徐州の南の境にたどり着いた。
そこで馬から下りて堤防の上を歩き、舟に乗って私の兄にあいさつをした。


(訳注)11
東南出陳許,陂澤平茫茫。

道もはっきりせぬまま陳・許の地方に出れば、湿地帯は平らに 茫々と広がっている。
東南 妻のいる徐州は汴州からすると東南方向にあたる。○(ちん). 中国の王朝名、地方名。地方としての陳は現在の河南省淮陽県を中心とした一帯。 陳 (春秋) - 周の武王により、帝舜の末裔が封じられた国。の国。自分の生まれ育った所。故郷。

  
道邊草木花,紅紫相低昂。
道はたの草木の花は、赤くまた紫に、あるいは低くあるいは高く咲いている。
  
百里不逢人,角角雄雉鳴。
どこまで行っても人に逢わず、コツコツと雄の雉が鳴いている。   

行行二月暮,乃及徐南疆。
どこまでも進んで行って、二月の末ごろ、ようやく徐州の南の境にたどり着いた。
  
下馬步堤岸,上船拜吾兄。」11
そこで馬から下りて堤防の上を歩き、舟に乗って私の兄にあいさつをした。
吾兄 韓愈の実兄たちは、このときにはみな死んでいる。ここに「兄」というのは従兄のこと、あるいは兄弟の契りをしたものをいう。

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此日足可惜贈張籍 唐宋詩-216Ⅱ韓退之(韓愈) 紀頌之の漢詩ブログ 韓愈特集-17-#10


此日足可惜贈張籍(愈時在徐籍往謁之辭去作是詩以送)((此の日惜しむ可きに足る 張籍に贈る 韓愈)
門人の張籍も無事で、訪ねて来てくれた。韓愈もようやく心の落ち着きを取りもどしたらしい。張籍の去るにあたって、彼は次の詩を贈った。
長い詩であるが、汴州の乱について韓愈の抱いた思いと彼の行動がよくみえる。またこのころには、愈の周囲に孟郊・張籍・李翺・ (賈島)などの人々が集まり、韓門が形成されていたようだ。

この頃の韓愈、孟郊、張籍の年譜。
796年 董晋の招きで宣武軍節度使の幕府に入る。
797年 病気のため一時求職。
    孟郊が来る。
798年 同所で進士科の予備試験員。
    張籍、この試験合格者の中に有る。
799年 董晋歿す。汴州の乱
    徐州武寧軍節度使 張建封の幕府に入る。
    韓愈、命受けて長安へ。孟郊、呉、越を遊覧。

#9 までのあらすじ

韓愈の一家は無事ではあったものの、汴州にいたのでは危険なので、舟で脱出し、韓愈とは逆方向の東へと逃げ、徐州(江蘇省)に落ち着いているという。これを聞いた韓愈は、いちおう葬列を洛陽まで送って行ってから、単身で東へと引き返した。
通行の許可をもらって盟津(孟津に同じ)を経由し、見え隠れしながら谷や岡を越えて行くのだった。そして日が西に傾いたころ河陽節度使(本拠地は河南省孟県の西)の門を入ったとき、韓愈の馬が疲れはて、物につまずいて倒れてしまった。幕府の主人である節度使の李元はもうしばらく滞留してほしいといってくれた、そして私を幕府の官廷に招き入れて酒と料理とを出してくれた。夜明けに幕府の官舎からぬけ出たが、それはここを思いきりよくマガモの飛び立つようなものだった。夕方には氾水に到着した、そこで黄河の流れに乗って旅立とうと思ったのに舟がなかったのだ。


主人願少留,延入陳壺觴。卑賤不敢辭,忽忽心如狂。
飲食豈知味,絲竹徒轟轟。平明脱身去,決若驚鳧翔。
黄昏次汜水,欲過無舟航。」9
號呼久乃至,夜濟十里黄。
長い時間大声で呼び、 ようやく渡し舟が来てくれた、夜のあいだに対岸までの十里の黄河も川筋を渡れたのだ。
中流上灘潬,沙水不可詳。
流れの中ほどで中洲に上がった、そして、川の砂も川の水も暗くてはっきりしなくて見分けられない状態なのだ。
驚波暗合遝,星宿爭翻芒。
こら闇の中で早瀬の怒涛はさかまいている、星座、星々はわれがちにまたたいている。
轅馬蹢躅鳴,左右泣僕童。
車を引いて行く馬は足どりも滞って鳴き、私の左右では僕童たちが泣くのであった。 甲午の日、昔の邸の城門である時門に着いて休憩甲午憩時門,臨泉窺鬥龍。」
10
し、『春秋左伝』にあるような竜の戦う姿を見ようと泉の中をのぞきこんだ。
東南出陳許,陂澤平茫茫。道邊草木花,紅紫相低昂。
百里不逢人,角角雄雉鳴。行行二月暮,乃及徐南疆。
下馬步堤岸,上船拜吾兄。」11
誰雲經艱難,百口無夭殤。僕射南陽公,宅我睢水陽。
篋中有馀衣,盎中有馀糧。閉門讀書史,窗戶忽已涼。
日念子來游,子豈知我情。」12
9
9
主人少(しばら)く留まらんことを願い、延(ひ)き入れて壺觴(こしょう)を陳(つら)ぬ。
卑賤(ひせん) 敢て辞せず、忽忽として心狂えるが如し。
飲食 豈味わいを知らんや、 糸竹 徒(いたず)らに轟轟たるのみ。
平明 身を脱して去る、決として驚鳧(きょうふ)の翔るが若し。
黄昏 汜水(しすい)に次(やど)り 過ぎんと欲するに舟航無し。

10
号呼 久しゅうして乃ち至り、夜 十里の黄を済(わた)る。
中流 灘潬(だんたん)に上るに 沙水 詳(つまび)らかにす可からず。 驚波 暗くして合沓(ごうとう)たり 星宿(せいしゅう) 争って空を翻す。
轅馬 蹢躅として鳴き、左右 僕童泣く。
甲午 時門に憩い、泉に臨んで闘竜を窺(うかが)う。

11
東西 陳・許を出ずれば、陂澤 平らかにして茫茫たり。
道辺の草木の花、 紅紫 相 低昂(ていこう)す。
百里 人に逢わず、角角(こくこく)として雄雉()ゆうち鳴く。
行き行きて二月の暮、乃ち徐の南疆に及ぶ。
馬より下りて堤岸を歩み、 船に上りて吾が兄を拝す。


現代語訳と訳註
(本文)

號呼久乃至,夜濟十里黄。
中流上灘潬,沙水不可詳。
驚波暗合遝,星宿爭翻芒。
轅馬蹢躅鳴,左右泣僕童。
甲午憩時門,臨泉窺鬥龍。」10

(下し文)10
号呼 久しゅうして乃ち至り、夜 十里の黄を済(わた)る。
中流 灘潬(だんたん)に上るに 沙水 詳(つまび)らかにす可からず。 驚波 暗くして合沓(ごうとう)たり 星宿(せいしゅう) 争って空を翻す。
轅馬 蹢躅として鳴き、左右 僕童泣く。
甲午 時門に憩い、泉に臨んで闘竜を窺(うかが)う。


(現代語訳)
長い時間大声で呼び、 ようやく渡し舟が来てくれた、夜のあいだに対岸までの十里の黄河も川筋を渡れたのだ。
流れの中ほどで中洲に上がった、そして、川の砂も川の水も暗くてはっきりしなくて見分けられない状態なのだ。
こら闇の中で早瀬の怒涛はさかまいている、星座、星々はわれがちにまたたいている。
車を引いて行く馬は足どりも滞って鳴き、私の左右では僕童たちが泣くのであった。 甲午の日、昔の邸の城門である時門に着いて休憩し、『春秋左伝』にあるような竜の戦う姿を見ようと泉の中をのぞきこんだ。


(訳注)10
號呼久乃至,夜濟十里黄。

号呼 久しゅうして乃ち至り、夜 十里の黄を済(わた)る。
長い時間大声で呼び、 ようやく渡し舟が来てくれた、夜のあいだに対岸までの十里の黄河も川筋を渡れたのだ。
乃至 数量・位置などの限界・範囲を述べて、その間を省略する意を表す。…から…まで。または。もしくは。○夜濟 夜の間に川を渡る。○十里黄 十里幅の黄河。
  
中流上灘潬,沙水不可詳。
中流 灘潬(だんたん)に上るに 沙水 詳(つまび)らかにす可からず。
流れの中ほどで中洲に上がった、そして、川の砂も川の水も暗くてはっきりしなくて見分けられない状態なのだ。
灘潬 中州がある川。・灘:急流。早瀬。流れが速く、岩が多くて航行にに危険なところ。・潬:水がよどんで深いところ。
  
驚波暗合遝,星宿爭翻芒。
驚波 暗くして合沓(ごうとう)たり 星宿(せいしゅう) 争って空を翻す。
こら闇の中で早瀬の怒涛はさかまいている、星座、星々はわれがちにまたたいている。
驚波 川の流れの怒涛。○合沓 集合する。中で逆巻くようなさま。○星宿 星座。○爭翻芒 翻ったり、ぼやけたり、はっきりしたり、瞬いているさま。

  
轅馬蹢躅鳴,左右泣僕童。
轅馬 蹢躅として鳴き、左右 僕童泣く。
車を引いて行く馬は足どりも滞って鳴き、私の左右では僕童たちが泣くのであった。
 轅馬   轅(なが/え)の馬。役所の馬。○ さまよう,うろうろする.○ ふむ。
 
  
甲午憩時門,臨泉窺鬥龍。」10
甲午 時門に憩い、泉に臨んで闘竜を窺(うかが)う。
甲午の日、昔の邸の城門である時門に着いて休憩し、『春秋左伝』にあるような竜の戦う姿を見ようと泉の中をのぞきこんだ。
甲午 796年貞元十二年七月二日。○鬥龍 『春秋左伝』にあるような竜の戦う姿をいう。


此日足可惜贈張籍 唐宋詩-215Ⅱ韓退之(韓愈) 紀頌之の漢詩ブログ 韓愈特集-16-#9

此日足可惜贈張籍 唐宋詩-215Ⅱ韓退之(韓愈) 紀頌之の漢詩ブログ 韓愈特集-16-#9


(此の日惜しむ可きに足る 張籍に贈る 韓愈)
門人の張籍も無事で、訪ねて来てくれた。韓愈もようやく心の落ち着きを取りもどしたらしい。張籍の去るにあたって、彼は次の詩を贈った。
長い詩であるが、汴州の乱について韓愈の抱いた思いと彼の行動がよくみえる。またこのころには、愈の周囲に孟郊・張籍・李翺・ (賈島)などの人々が集まり、韓門が形成されていたようだ。

この頃の韓愈、孟郊、張籍の年譜。
796年 董晋の招きで宣武軍節度使の幕府に入る。
797年 病気のため一時求職。
    孟郊が来る。
798年 同所で進士科の予備試験員。
    張籍、この試験合格者の中に有る。
799年 董晋歿す。汴州の乱。
    徐州武寧軍節度使 張建封の幕府に入る。
    韓愈、命受けて長安へ。孟郊、呉、越を遊覧。

#8まで
さいわい、韓愈の妻子は無事であった。反乱の知らせに続いて東から来た人があって、その話によって事情はかなり明瞭になったのだが、それによると、韓愈の一家は無事ではあったものの、汴州にいたのでは危険なので、舟で脱出し、韓愈とは逆方向の東へと逃げ、徐州(江蘇省)に落ち着いているという。これを聞いた韓愈は、いちおう葬列を洛陽まで送って行ってから、単身で東へと引き返した。
通行の許可をもらって盟津(孟津に同じ)を経由し、見え隠れしながら谷や岡を越えて行くのだった。
そして日が西に傾いたころ河陽節度使(本拠地は河南省孟県の西)の門を入ったとき、韓愈の馬が疲れはて、物につまずいて倒れてしまった。


此日足可惜贈張籍(愈時在徐籍往謁之辭去作是詩以送)
#8
俄有東來說,我家免罹殃。乘船下汴水,東去趨彭城。
從喪朝至洛,還走不及停。假道經盟津,出入行澗岡。
日西入軍門,羸馬顛且僵。」8
#9
主人願少留,延入陳壺觴。
幕府の主人である節度使の李元はもうしばらく滞留してほしいといってくれた、そして私を幕府の官廷に招き入れて酒と料理とを出してくれた。
卑賤不敢辭,忽忽心如狂。
今や仕えるところも何もない卑賎の身になってしまったということであえて遠慮もなく頂戴した、心はなぜかふらふらして狂っているよ うだった。
飲食豈知味,絲竹徒轟轟。
飲んだり食べたりしても味などわかるものではなく、宴席の琴や笙の音楽もただうるさいばかりであった。
平明脱身去,決若驚鳧翔。
夜明けに幕府の官舎からぬけ出たが、それはここを思いきりよくマガモの飛び立つようなものだった。
黄昏次汜水,欲過無舟航。」9

夕方には氾水に到着した、そこで黄河の流れに乗って旅立とうと思ったのに舟がなかったのだ。
#10
號呼久乃至,夜濟十里黄。中流上灘潬,沙水不可詳。
驚波暗合遝,星宿爭翻芒。轅馬蹢躅鳴,左右泣僕童。
甲午憩時門,臨泉窺鬥龍。」10


俄(にわ)かに東來の説有り、我が家は殃(おう)に罹(かか)るを免る。
船に乗って汴水を下り東に去って彭城に趨(はし)ると。
喪(そう)に従って朝に洛に至り、還走(かんそう)して停(とど)まるに及ばず。 道を仮りて盟津(もうしん)を経(へ)、 出入して澗岡(かんこう)を行く。
日西にして軍門を入れば、羸馬(るいば)顛(つまづ)きて且つ僵(たお)る
9
主人少(しばら)く留まらんことを願い、延(ひ)き入れて壺觴(こしょう)を陳(つら)ぬ。
卑賤(ひせん) 敢て辞せず、忽忽として心狂えるが如し。
飲食 豈味わいを知らんや、 糸竹 徒(いたず)らに轟轟たるのみ。
平明 身を脱して去る、決として驚鳧(きょうふ)の翔るが若し。
黄昏 汜水(しすい)に次(やど)り 過ぎんと欲するに舟航無し。

10
号呼 久しゅうして乃ち至り 夜 十里の黄を済る
中流 灘澤に上るに 沙水 詳らかにす可からず 驚波 暗くして合沓たり 星宿 争って空を翻す 種馬 鏑燭として鳴き 左右 僕童泣く
甲午 時門に憩い、泉に臨んで闘竜を窺うかがう。

宮島(6)

現代語訳と訳註
(本文) #9

主人願少留,延入陳壺觴。
卑賤不敢辭,忽忽心如狂。
飲食豈知味,絲竹徒轟轟。
平明脱身去,決若驚鳧翔。
黄昏次汜水,欲過無舟航。」9


(下し文) #9
主人少(しばら)く留まらんことを願い、延(ひ)き入れて壺觴(こしょう)を陳(つら)ぬ。
卑賤(ひせん) 敢て辞せず、忽忽として心狂えるが如し。
飲食 豈味わいを知らんや、 糸竹 徒(いたず)らに轟轟たるのみ。
平明 身を脱して去る、決として驚鳧(きょうふ)の翔るが若し。
黄昏 汜水(しすい)に次(やど)り 過ぎんと欲するに舟航無し。


(現代語訳)
幕府の主人である節度使の李元はもうしばらく滞留してほしいといってくれた、そして私を幕府の官廷に招き入れて酒と料理とを出してくれた。
今や仕えるところも何もない卑賎の身になってしまったということであえて遠慮もなく頂戴した、心はなぜかふらふらして狂っているよ うだった。
飲んだり食べたりしても味などわかるものではなく、宴席の琴や笙の音楽もただうるさいばかりであった。 夜明けに幕府の官舎からぬけ出たが、それはここを思いきりよくマガモの飛び立つようなものだった。
夕方には氾水に到着した、そこで黄河の流れに乗って旅立とうと思ったのに舟がなかったのだ。

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(訳注)#9
主人願少留,延入陳壺觴。
主人少(しばら)く留まらんことを願い、延(ひ)き入れて壺觴(こしょう)を陳(つら)ぬ。

幕府の主人である節度使の李元はもうしばらく滞留してほしいといってくれた、そして私を幕府の官廷に招き入れて酒と料理とを出してくれた。
主人 汁州(河南省開封市)に本拠を置く宣武軍節度使の幕府には李元が任命され、赴任していた。○壺觴 酒つぼと、さかずき。
 
卑賤不敢辭,忽忽心如狂。
卑賤(ひせん) 敢て辞せず、忽忽として心狂えるが如し。
今や仕えるところも何もない卑賎の身になってしまったということであえて遠慮もなく頂戴した、心はなぜかふらふらして狂っているよ うだった。
忽忽 速やかなさま。たちまち変わるさま。心がうつろなさま。我を忘れて、うっとりしているさま。  


飲食豈知味,絲竹徒轟轟。
飲食 豈味わいを知らんや、 糸竹 徒(いたず)らに轟轟たるのみ。
飲んだり食べたりしても味などわかるものではなく、宴席の琴や笙の音楽もただうるさいばかりであった。
 ○絲竹 琴と笙の笛。宴席における音楽。


平明脱身去,決若驚鳧翔。
平明 身を脱して去る、決として驚鳧(きょうふ)の翔るが若し。
夜明けに幕府の官舎からぬけ出たが、それはここを思いきりよくマガモの飛び立つようなものだった。
平明 夜明け。明け方。わかりやすくはっきりしていること。また、そのさま。○鳧翔 まがも。互いにくっついて群れをなし、雄は灰色で頭から首にかけて緑色。あひるの原種で、形は、あひるによく似ている。 けり。水鳥の名。形はしぎに似ていて、湖沼などの水辺にすむ。 けり。物事の結着。きまり。 過去の助動詞「けり」にあてて用いられる。「鳧をつける」。
  
黄昏次汜水,欲過無舟航。」9
黄昏 汜水(しすい)に次(やど)り 過ぎんと欲するに舟航無し。
夕方には氾水に到着した、そこで黄河の流れに乗って旅立とうと思ったのに舟がなかったのだ。
 すぎる。駐屯する。宿泊する。星座。至る。到着する。つぎ。まげ、かつら。○汜水 河南省成皐県洛陽の東の防衛線にあたるところ。汜水関。

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此日足可惜贈張籍(愈時在徐籍往謁之辭去作是詩以送)((此の日惜しむ可きに足る 張籍に贈る 韓愈)
門人の張籍も無事で、訪ねて来てくれた。韓愈もようやく心の落ち着きを取りもどしたらしい。張籍の去るにあたって、彼は次の詩を贈った。
長い詩であるが、汴州の乱について韓愈の抱いた思いと彼の行動がよくみえる。またこのころには、愈の周囲に孟郊・張籍・李翺・ (賈島)などの人々が集まり、韓門が形成されていたようだ。

この頃の韓愈、孟郊、張籍の年譜。
796年 董晋の招きで宣武軍節度使の幕府に入る。
797年 病気のため一時求職。
    孟郊が来る。
798年 同所で進士科の予備試験員。
    張籍、この試験合格者の中に有る。
799年 董晋歿す。汴州の乱
    徐州武寧軍節度使 張建封の幕府に入る。
    韓愈、命受けて長安へ。孟郊、呉、越を遊覧。

#7まで
葬送の行列に変事の知らせがとどいたのは、偃師(洛陽の東方)に到着したときであった。葬列には戦闘の準備はしないもので、攻撃をかけられる心配もないかもしれないが、葬列はパニック状態になったが、予定どおり、虞郷を目指して進むほかはなかった。誰もが家に残した家族が心配であった。韓愈は、このとき妻を迎えており、長女も生まれていた。まだ乳呑み子である。当然、反乱を起こした兵士たちは、女子供を相手にしないはずではあるが、治安の保てなくなった汴州に限らず、どこでも変事があると、略奪、盗賊が出現する。愈の心配はつのった。

此日足可惜贈張籍 #8
我時留妻子,倉卒不及將。相見不複期,零落甘所丁。
驕兒未絕乳,念之不能忘。忽如在我所,耳若聞啼聲。
中途安得返,一日不可更。」7
俄有東來說,我家免罹殃。
そのうちに思いがけず、東の方からの情報が伝わってきて、それによると私の家族は災難にあうのを免れたというのだ。
乘船下汴水,東去趨彭城。
船に乗って汴水運河を下っていって、東へ行き彭城にまで避難したという。
從喪朝至洛,還走不及停。
私は喪葬のしきたりにのっとり、翌朝 喪列について洛陽まで行ったのだ、その上で、ひと休みするひまもなく引き返した。
假道經盟津,出入行澗岡。
通行の許可をもらって盟津(孟津に同じ)を経由し、見え隠れしながら谷や岡を越えて行くのだった。
日西入軍門,羸馬顛且僵。」8
そして日が西に傾いたころ河陽節度使(本拠地は河南省孟県の西)の門を入ったとき、私の乗馬は疲れはて、物につまずいて倒れてしまった。

主人願少留,延入陳壺觴。卑賤不敢辭,忽忽心如狂。
飲食豈知味,絲竹徒轟轟。平明脱身去,決若驚鳧翔。
黄昏次汜水,欲過無舟航。」9

#7
我 時に妻子を留むるも、倉卒(そうそつ) 将(ひき)いるに及ばず。
相見んこと復た期せず、零落(れいらく) 丁(あた)る所に甘んぜん。
驕兒(きょうじ) 未だ乳を絶たず、之を念(おも)うて忘るる能わず。
忽(こつ)として我が所に在るが如く、耳に啼く声を聞くが若く。
中途にして安(いず)くんぞ返るを得ん、一日も更(あらた)む可からず。

8
俄(にわ)かに東來の説有り、我が家は殃(おう)に罹(かか)るを免る。
船に乗って汴水を下り東に去って彭城に趨(はし)ると。
喪(そう)に従って朝に洛に至り、還走(かんそう)して停(とど)まるに及ばず。 道を仮りて盟津(もうしん)を経(へ)、 出入して澗岡(かんこう)を行く。
日西にして軍門を入れば、羸馬(るいば)顛(つまづ)きて且つ僵(たお)る

9
主人少(しばら)く留まらんことを願い、延(ひ)き入れて壺觴(こしょう)を陳(つら)ぬ。
卑賤(ひせん) 敢て辞せず、忽忽として心狂えるが如し。
飲食 豈味わいを知らんや、 糸竹 徒(いたず)らに轟轟たるのみ。
平明 身を脱して去る、決として驚鳧(きょうふ)の翔るが若し。
黄昏 汜水(しすい)に次(やど)り 過ぎんと欲するに舟航無し。
韓愈の地図00

現代語訳と訳註
(本文)

俄有東來說,我家免罹殃。
乘船下汴水,東去趨彭城。
從喪朝至洛,還走不及停。
假道經盟津,出入行澗岡。
日西入軍門,羸馬顛且僵。」8

(下し文)
俄(にわ)かに東來の説有り、我が家は殃(おう)に罹(かか)るを免る。
船に乗って汴水を下り東に去って彭城に趨(はし)ると。
喪(そう)に従って朝に洛に至り、還走(かんそう)して停(とど)まるに及ばず。 道を仮りて盟津(もうしん)を経(へ)、 出入して澗岡(かんこう)を行く。
日西にして軍門を入れば、羸馬(るいば)顛(つまづ)きて且つ僵(たお)る


(現代語訳)
そのうちに思いがけず、東の方からの情報が伝わってきて、それによると私の家族は災難にあうのを免れたというのだ。
船に乗って汴水運河を下っていって、東へ行き彭城にまで避難したという。
私は喪葬のしきたりにのっとり、翌朝 喪列について洛陽まで行ったのだ、その上で、ひと休みするひまもなく引き返した。
通行の許可をもらって盟津(孟津に同じ)を経由し、見え隠れしながら谷や岡を越えて行くのだった。
そして日が西に傾いたころ河陽節度使(本拠地は河南省孟県の西)の門を入ったとき、私の乗馬は疲れはて、物につまずいて倒れてしまった。


(訳注) #8
俄有東來說,我家免罹殃。

俄(にわ)かに東來の説有り、我が家は殃(おう)に罹(かか)るを免る。
そのうちに思いがけずも、東の方からの情報が伝わってきて、それによると私の家族は災難にあうのを免れたというのだ。
罹殃 災難に遭う。汴州の乱の渦中にある。幕府の重臣の家族であるため、反乱者に危害を加えられる可能性があった。また、乱に紛れて、強盗が出没するものである。
  
乘船下汴水,東去趨彭城。
船に乗って汴水を下り東に去って彭城に趨(はし)ると。
船に乗って汴水運河を下っていって、東へ行き彭城にまで避難したという。
汴水 滎陽(けいよう河南省鄭州市)の近辺で黄河はたびたび氾濫を起こした。前漢のとき、武帝が大規模な堤の改修工事を行っているし、後漢になっても二度にわたってやはり大規模な治水工事をおこなっている。ここから黄河の下流に向かっておよそ千里にわたって堅固な石積みの堤を築いたものである。堤の高さは一丈もあったが、所によっては高さは五丈にもなり、まるで城壁である。それゆえに金城湯池のように堅固な堤の意味をこめて金堤(きんてい)と呼ばれていた。
 黄河の勢いをそらすために、滎陽の東北から黄河の水を東南に引く水路をうがった。この水路は滎陽の東北あたりを汴水あるいは汴渠(べんきょ)と呼んでいる。実に長大な人工の川で絵図では墨縄で計ったにまっすぐに伸びている。この水路は総じて鴻溝水(こうこうすい)というが、中ほどからは官渡水と呼びならわされていた。○彭城 江蘇省徐州。
  
從喪朝至洛,還走不及停。
喪(そう)に従って朝に洛に至り、還走(かんそう)して停(とど)まるに及ばず。
 私は喪葬のしきたりにのっとり、翌朝 喪列について洛陽まで行ったのだ、その上で、ひと休みするひまもなく引き返した。
  
假道經盟津,出入行澗岡。
道を仮りて盟津(もうしん)を経(へ)、 出入して澗岡(かんこう)を行く。
通行の許可をもらって盟津(孟津に同じ)を経由し、見え隠れしながら谷や岡を越えて行くのだった。
孟津 河南省 孟津県、洛陽の東。  


日西入軍門,羸馬顛且僵。」8
日西にして軍門を入れば、羸馬(るいば)顛(つまづ)きて且つ僵(たお)る
そして日が西に傾いたころ河陽節度使(本拠地は河南省孟県の西)の門を入ったとき、私の乗馬は疲れはて、物につまずいて倒れてしまった。
羸馬 乗っている馬がつかれること。○テン  てっぺん。物の先端。「顛末/山顛」。  逆さになる。ひっくり返る。○ たおれる。面(おもて)を改める,表情をひきしめる.


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此日足可惜贈張籍 唐宋詩-213Ⅱ韓退之(韓愈) 紀頌之の漢詩ブログ 韓愈特集-14-#7

此日足可惜贈張籍 唐宋詩-213Ⅱ韓退之(韓愈) 紀頌之の漢詩ブログ 韓愈特集-14-#7

14分割の7番目

此の日惜しむ可きに足る 張籍に贈る 韓愈
門人の張籍も無事で、訪ねて来てくれた。韓愈もようやく心の落ち着きを取りもどしたらしい。張籍の去るにあたって、彼は次の詩を贈った。
長い詩であるが、汴州の乱について韓愈の抱いた思いと彼の行動がよくみえる。またこのころには、愈の周囲に孟郊・張籍・李翺・ (賈島)などの人々が集まり、韓門が形成されていたようだ。

この頃の韓愈、孟郊、張籍の年譜。
796年 董晋の招きで宣武軍節度使の幕府に入る。
797年 病気のため一時求職。
    孟郊が来る。
798年 同所で進士科の予備試験員。
    張籍、この試験合格者の中に有る。
799年 董晋歿す。汴州の乱。
    徐州武寧軍節度使 張建封の幕府に入る。
    韓愈、命受けて長安へ。孟郊、呉、越を遊覧。


#6まで
葬送の行列に変事の知らせがとどいたのは、偃師(洛陽の東方)に到着したときであった。葬列には戦闘の準備はしないもので、攻撃をかけられる心配もないかもしれないが、葬列はパニック状態になったが、予定どおり、虞郷を目指して進むほかはなかった。誰もが家に残した家族が心配であった。韓愈は、このとき妻を迎えており、長女も生まれていた。まだ乳呑み子である。

600moon880

此日足可惜贈張籍#7
#6
人事安可恒,奄忽令我傷。聞子高第日,正從相公喪。
哀情逢吉語,惝恍難爲雙。暮宿偃師西,徒展轉在床。
夜聞汴州亂,繞壁行彷徨。」6

#7
我時留妻子,倉卒不及將。
私はその時、汴州に妻子を残したままにしていた。そもそも突然におこったことなので、つれてくることが間にあわなかったのである。
相見不複期,零落甘所丁。
私が、妻子の姿を見るのがいつの日になることか予想も立ちはしない、そのままだと、妻子が落ちぶれて運命のままになることにまかせるほかはないのである。
驕兒未絕乳,念之不能忘。
甘や かして育てた娘はまだ乳離れしておらず、それが気がかりで忘れることができない。
忽如在我所,耳若聞啼聲。
ふと私のそばにいるような気がして、耳に泣き声が聞こえたような気がした。
中途安得返,一日不可更。」7
しかし、途中からどうして引き返すことができよう、予定は一日たりとも変更はできないのだ。

#8
俄有東來說,我家免罹殃。乘船下汴水,東去趨彭城。
從喪朝至洛,還走不及停。假道經盟津,出入行澗岡。
日西入軍門,羸馬顛且僵。」8


#6
人事安くんぞ恒とす可き、奄忽 我をして傷ましむ。
子の高第を聞きし日は、正に相公の喪に従う。
哀情 吉語に逢う、惝恍として双と為し難し。
暮に偃師の西に宿るも、徒らに展転して床に在るのみ。
夜汴州の乱を聞き、壁を繞って行いて彷徨す。

#7
我 時に妻子を留むるも、倉卒 将(ひき)いるに及ばず。
相見んこと復た期せず、零落 丁(あた)る所に甘んぜん。
驕兒(きょうじ) 未だ乳を絶たず、之を念うて忘るる能わず。
忽として我が所に在るが如く、耳に啼く声を聞くが若く。
中途にして安くんぞ返るを得ん、一日も更(あらた)む可からず。

8
俄(にわ)かに東來の説有り、我が家は殃(おう)に罹(かか)るを免る。
船に乗って汴水を下り東に去って彭城に趨(はし)ると。
喪(そう)に従って朝に洛に至り、還走(かんそう)して停(とど)まるに及ばず。 道を仮りて盟津(もうしん)を経(へ)、 出入して澗岡(かんこう)を行く。
日西にして軍門を入れば、羸馬(るいば)顛(つまづ)きて且つ僵(たお)る


韓愈の地図00

此日足可惜贈張籍 現代語訳と訳註
(本文)

我時留妻子,倉卒不及將。
相見不複期,零落甘所丁。
驕兒未絕乳,念之不能忘。
忽如在我所,耳若聞啼聲。
中途安得返,一日不可更。


(下し文) #7
我 時に妻子を留むるも、倉卒(そうそつ) 将(ひき)いるに及ばず。
相見んこと復た期せず、零落(れいらく) 丁(あた)る所に甘んぜん。
驕兒(きょうじ) 未だ乳を絶たず、之を念(おも)うて忘るる能わず。
忽(こつ)として我が所に在るが如く、耳に啼く声を聞くが若く。
中途にして安(いず)くんぞ返るを得ん、一日も更(あらた)む可からず。

(現代語訳)
私はその時、汴州に妻子を残したままにしていた。そもそも突然におこったことなので、つれてくることが間にあわなかったのである。
私が、妻子の姿を見るのがいつの日になることか予想も立ちはしない、そのままだと、妻子が落ちぶれて運命のままになることにまかせるほかはないのである。
甘や かして育てた娘はまだ乳離れしておらず、それが気がかりで忘れることができない。
ふと私のそばにいるような気がして、耳に泣き声が聞こえたような気がした。
しかし、途中からどうして引き返すことができよう、予定は一日たりとも変更はできないのだ。


(訳注) 7
我時留妻子,倉卒不及將。

私はその時、汴州に妻子を残したままにしていた。そもそも突然におこったことなので、つれてくることが間にあわなかったのである。
 汴集に残したまま。○倉卒 突然におこったこと。 ○ 率いると同じ。連れ戻すという意味。


相見不複期,零落甘所丁。
私が、妻子の姿を見るのがいつの日になることか予想も立ちはしない、そのままだと、妻子が落ちぶれて運命のままになることにまかせるほかはないのである。
○相 互いに。妻子の姿を見て互いに確認する意味。○ 遭う約束。○零落 落ちぶれて○ まかせるほかはない○所丁 運命のままになる。
  
驕兒未絕乳,念之不能忘。
甘や かして育てた娘はまだ乳離れしておらず、それが気がかりで忘れることができない。
驕兒 韓愈の子供は女の子であったことから、驕女とするテキストもあるが、驕女という場合乳飲み子には使わない別の意味もあるので、兒の方が正しい。  
  
忽如在我所,耳若聞啼聲。
ふと私のそばにいるような気がして、耳に泣き声が聞こえたような気がした。
  
中途安得返,一日不可更。」7
しかし、途中からどうして引き返すことができよう、予定は一日たりとも変更はできないのだ。

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此日足可惜贈張籍 唐宋詩-212Ⅱ韓退之(韓愈) 紀頌之の漢詩ブログ 韓愈特集-13-#6


此の日惜しむ可きに足る 張籍に贈る 韓愈
門人の張籍も無事で、訪ねて来てくれた。韓愈もようやく心の落ち着きを取りもどしたらしい。張籍の去るにあたって、彼は次の詩を贈った。
長い詩であるが、汴州の乱について韓愈の抱いた思いと彼の行動がよくみえる。またこのころには、愈の周囲に孟郊・張籍・李翺・ (賈島)などの人々が集まり、韓門が形成されていたようだ。

この頃の韓愈、孟郊、張籍の年譜。
796年 董晋の招きで宣武軍節度使の幕府に入る。
797年 病気のため一時求職。
    孟郊が来る。
798年 同所で進士科の予備試験員。
    張籍、この試験合格者の中に有る。
799年 董晋歿す。汴州の乱
    徐州武寧軍節度使 張建封の幕府に入る。
    韓愈、命受けて長安へ。孟郊、呉、越を遊覧。


#5まで
張籍は抜群の成績で及第した。句韻文はなんと素晴らしく光り輝いていたのである。
幕府の董晋公は正装して立ち、音楽師たち は受験者慰労の宴席で「鹿鳴」の歌をうたっていわってくれ、役人たちは拝礼して受験者をその場から送り出した。張籍が都へ去ってからまもなく、功名・声望など、りっぱな評判が伝わってきた。韓愈は張籍が将来、名を成す人物であろうとひそかにおもった。

此日足可惜贈張籍 唐宋詩-212Ⅱ韓退之(韓愈) 紀頌之の漢詩ブログ 韓愈特集-7-#6
人事安可恒,奄忽令我傷。
ところが人間界の出来事は定めのないもので、にわかに董晋公が亡くなって私を悲しい気拝にした。
聞子高第日,正從相公喪。
君がよい成績で合格したと聞いた日は、ちょうど董晋公の喪列についているときであった。
哀情逢吉語,惝恍難爲雙。
哀悼の情のうちに吉報と逢い、何が何やらわからなくなって両立しがたい思いを抱いたものだった。
暮宿偃師西,徒展轉在床。
日暮れ方、偃師の西に宿泊したが、寝つかれずに床の上で寝返りをうつばかりだった。
夜聞汴州亂,繞壁行彷徨。」
6
そして夜中に汁州の反乱を聞き、壁をめぐってうろうろと歩きまわっていた。

人事安くんぞ恒とす可き、奄忽 我をして傷ましむ。
子の高第を聞きし日は、正に相公の喪に従う。
哀情 吉語に逢う、惝恍として双と為し難し。
暮に偃師の西に宿るも、徒らに展転して床に在るのみ。
夜汴州の乱を聞き、壁を繞って行いて彷徨す。

DCF00212

#6 現代語訳と訳註
(本文)

人事安可恒,奄忽令我傷。聞子高第日,正從相公喪。
哀情逢吉語,惝恍難爲雙。暮宿偃師西,徒展轉在床。
夜聞汴州亂,繞壁行彷徨。


(下し文)
人事安くんぞ恒とす可き、奄忽 我をして傷ましむ。
子の高第を聞きし日は、正に相公の喪に従う。
哀情 吉語に逢う、惝恍として双と為し難し。
暮に偃師の西に宿るも、徒らに展転して床に在るのみ。
夜汴州の乱を聞き、壁を繞って行いて彷徨す。


(現代語訳)
ところが人間界の出来事は定めのないもので、にわかに董晋公が亡くなって私を悲しい気拝にした。
君がよい成績で合格したと聞いた日は、ちょうど董晋公の喪列についているときであった。
哀悼の情のうちに吉報と逢い、何が何やらわからなくなって両立しがたい思いを抱いたものだった。
日暮れ方、偃師の西に宿泊したが、寝つかれずに床の上で寝返りをうつばかりだった。
そして夜中に汁州の反乱を聞き、壁をめぐってうろうろと歩きまわっていた。


(訳注) #6
人事安可恒,奄忽令我傷。
ところが人間界の出来事は定めのないもので、にわかに董晋公が亡くなって私を悲しい気拝にした。
我傷 宣武軍節度使の幕府の董晋歿す。
  
聞子高第日,正從相公喪。
君がよい成績で合格したと聞いた日は、ちょうど董晋公の喪列についているときであった。
高第 よい成績で合格すること。
  
哀情逢吉語,惝恍難爲雙。
哀悼の情のうちに吉報と逢い、何が何やらわからなくなって両立しがたい思いを抱いたものだった。
哀情逢吉語 幕府の董晋の詩と張籍の合格。○惝恍 ・惝:ぼおっとしている、・恍 ぼんやりしている。何が何だかわからないこと。
 
暮宿偃師西,徒展轉在床。
日暮れ方、偃師の西に宿泊したが、寝つかれずに床の上で寝返りをうつばかりだった。
偃師 河南省 偃師市。○徒展 いたずらに、~するばかり。


夜聞汴州亂,繞壁行彷徨。」6
そして夜中に汁州の反乱を聞き、壁をめぐってうろうろと歩きまわっていた。
○汴州亂 汴州亂二首其一 唐宋詩-205Ⅱ韓退之(韓愈) 紀頌之の漢詩ブログ 韓愈特集-6
汴州亂二首其二 唐宋詩-206Ⅱ韓退之(韓愈) 紀頌之の漢詩ブログ 韓愈特集-7○彷徨 さまようこと


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(Ⅰ李商隠Ⅱ韓退之(韓愈))

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此日足可惜贈張籍 中唐詩-211Ⅱ韓退之(韓愈) 紀頌之の漢詩ブログ 韓愈特集-12-#5

此日足可惜贈張籍 中唐詩-211Ⅱ韓退之(韓愈) 紀頌之の漢詩ブログ 韓愈特集-12-#5

14分割の5番目

此日足可惜贈張籍(愈時在徐籍往謁之辭去作是詩以送)((此の日惜しむ可きに足る 張籍に贈る 韓愈)
門人の張籍も無事で、訪ねて来てくれた。韓愈もようやく心の落ち着きを取りもどしたらしい。張籍の去るにあたって、彼は次の詩を贈った。
長い詩であるが、汴州の乱について韓愈の抱いた思いと彼の行動がよくみえる。またこのころには、愈の周囲に孟郊・張籍・李翺・ (賈島)などの人々が集まり、韓門が形成されていたようだ。

この頃の韓愈、孟郊、張籍の年譜。
796年 董晋の招きで宣武軍節度使の幕府に入る。
797年 病気のため一時求職。
    孟郊が来る。
798年 同所で進士科の予備試験員。
    張籍、この試験合格者の中に有る。
799年 董晋歿す。汴州の乱
    徐州武寧軍節度使 張建封の幕府に入る。
    韓愈、命受けて長安へ。孟郊、呉、越を遊覧。


馳辭對我策,章句何煒煌。
君は文辞の筆を馳らせて私の問題に答えたが、その句韻文はなんと素晴らしく光り輝いていたのである。
相公朝服立,工席歌鹿鳴。
董晋公は正装して立ち、音楽師たち は受験者慰労の宴席で「鹿鳴」の歌をうたった。
禮終樂亦闋,相拜送於庭。
厚くもてなされて礼が終わり、音楽もそれに伴って終了した、董晋公以下の役人たちは拝礼して受験者をその場から送り出した。
之子去須臾,赫赫流盛名。
君が都へ去ってからまもなく、功名・声望など、りっぱな評判が伝わってきた。
竊喜複竊歎,諒知有所成。」5

私は胸のうちで喜びまた感心してほめたたえた。たしかに君が名を成すであろうとわかっていたからだ

#5
辞を馳せて我が策に対す、章句 何ぞ煒煌(いこう)たる。
相公 朝服して立ち、工 席に鹿鳴(ろくめい)を歌う。
礼終わりて楽も亦た闋(お)わり、相(あい)拝して庭に送る。
之の子去ること須臾(しゅゆ)にして、赫赫(かくかく)として盛名流る。

hinode0100

現代語訳と訳註
(本文)

馳辭對我策,章句何煒煌。
相公朝服立,工席歌鹿鳴。
禮終樂亦闋,相拜送於庭。
之子去須臾,赫赫流盛名。
竊喜複竊歎,諒知有所成。


(下し文)
辞を馳せて我が策に対す、章句 何ぞ煒煌(いこう)たる。
相公 朝服して立ち、工 席に鹿鳴(ろくめい)を歌う。
礼終わりて楽も亦た闋(お)わり、相(あい)拝して庭に送る。
之の子去ること須臾(しゅゆ)にして、赫赫(かくかく)として盛名流る。


(現代語訳)
君は文辞の筆を馳らせて私の問題に答えたが、その句韻文はなんと素晴らしく光り輝いていたのである。
董晋公は正装して立ち、音楽師たち は受験者慰労の宴席で「鹿鳴」の歌をうたった。
厚くもてなされて礼が終わり、音楽もそれに伴って終了した、董晋公以下の役人たちは拝礼して受験者をその場から送り出した。
君が都へ去ってからまもなく、功名・声望など、りっぱな評判が伝わってきた。
私は胸のうちで喜びまた感心してほめたたえた。たしかに君が名を成すであろうとわかっていたからだ。



(訳注)
馳辭對我策,章句何煒煌。

辞を馳せて我が策に対す、章句 何ぞ煒煌(いこう)たる。
君は文辞の筆を馳らせて私の問題に答えたが、その句韻文はなんと素晴らしく光り輝いていたのである。
馳辭 文辞の筆を馳らせること。○對我策 私の設問、課題正解をした。○章句 対句、押韻、散文。○何煒煌


相公朝服立,工席歌鹿鳴。
相公 朝服して立ち、工 席に鹿鳴(ろくめい)を歌う。
董晋公は正装して立ち、音楽師たち は受験者慰労の宴席で「鹿鳴」の歌をうたった。
相公 あなた様。796年に招いてくれた董晋のこと。○朝服 朝衣と同じ。朝廷に出るときに着る衣服。○ 楽器の演奏者。楽人。職人。工房の人。○鹿鳴 「詩経」小雅の「鹿鳴」は、「群臣や賓客をもてなす宴会で詠じる歌であるところから」宴会で客をもてなす音楽。また、宴会のこと。
「詩経」小雅 『鹿鳴』 
呦呦鹿鳴,食野之苹。我有嘉賓,鼓瑟吹笙。
吹笙鼓簧,承筐是將。人之好我,示我周行。
呦呦鹿鳴,食野之蒿。我有嘉賓,德音孔昭。
視民不恌,君子是則是效。我有旨酒,嘉賓式燕以敖。
呦呦鹿鳴,食野之芩。我有嘉賓,鼓瑟鼓琴。
鼓瑟鼓琴,和樂且湛。我有旨酒,以燕樂嘉賓之心。


禮終樂亦闋,相拜送於庭。
礼終わりて楽も亦た闋(お)わり、相(あい)拝して庭に送る。
厚くもてなされて礼が終わり、音楽もそれに伴って終了した、董晋公以下の役人たちは拝礼して受験者をその場から送り出した。


之子去須臾,赫赫流盛名。
之の子去ること須臾(しゅゆ)にして、赫赫(かくかく)として盛名流る。
君が都へ去ってからまもなく、功名・声望など、りっぱな評判が伝わってきた。
須臾 - 短い時間。しばらくの間。ほんの少しの間。○赫赫  赤赤と照り輝くさま。「―たる日輪」。 功名・声望などがりっぱで目立つさま。


竊喜複竊歎,諒知有所成。」5
窃(ひそ)かに喜び復た窃かに歎じ、諒(まこと)に知る 成す所有らんことを。
私は胸のうちで喜びまた感心してほめたたえた。たしかに君が名を成すであろうとわかっていたからだ。
  なげく。ため息をつく。「歎息/慨歎・長歎」。 感心してほめる。

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此日足可惜贈張籍 唐宋詩-210Ⅱ韓退之(韓愈) 紀頌之の漢詩ブログ 韓愈特集-11-#4


此日足可惜贈張籍(愈時在徐籍往謁之辭去作是詩以送)((此の日惜しむ可きに足る 張籍に贈る 韓愈)
門人の張籍も無事で、訪ねて来てくれた。韓愈もようやく心の落ち着きを取りもどしたらしい。張籍の去るにあたって、彼は次の詩を贈った。
長い詩であるが、汴州の乱について韓愈の抱いた思いと彼の行動がよくみえる。またこのころには、愈の周囲に孟郊・張籍・李翺・ (賈島)などの人々が集まり、韓門が形成されていたようだ。

この頃の韓愈、孟郊、張籍の年譜。
796年 董晋の招きで宣武軍節度使の幕府に入る。
797年 病気のため一時求職。
    孟郊が来る。
798年 同所で進士科の予備試験員。
    張籍、この試験合格者の中に有る。
799年 汴州の乱
    徐州武寧軍節度使 張建封の幕府に入る。
    韓愈、命受けて長安へ。孟郊、呉、越を遊覧。

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留之不遣去,館置城西旁。
そこで君を引きとめて去らせず、家を貸してやって街の西側に住まわせた。
歲時未雲幾,浩浩觀湖江。
それから歳月がいくらもたっていないのに、広々とした湖や大河が広がっているように、際限も知らぬほど大きく成長した。
眾夫指之笑,謂我知不明。
こんなありさまを世の人々は指さして笑い、私に人を見る目がないととりざたした。
兒童畏雷電,魚鱉驚夜光。
しかし彼らは子どもたちが雷をこわがり、魚やすっぽんが夜光珠に驚くようなもので、真の才能を見分ける目をもっていないのだ。
州家擧進士,選試繆所當。」
4
汴州から進士(ここでは科挙を受験する有資格者をさす)を推薦するにあたり、その試験(つまり汴州で施行される予備試験である)を私が誤って担当させられた。

馳辭對我策,章句何煒煌。相公朝服立,工席歌鹿鳴。
禮終樂亦闋,相拜送於庭。之子去須臾,赫赫流盛名。
竊喜複竊歎,諒知有所成。」5
人事安可恒,奄忽令我傷。聞子高第日,正從相公喪。
哀情逢吉語,惝恍難爲雙。暮宿偃師西,徒展轉在床。
夜聞汴州亂,繞壁行彷徨。」6
我時留妻子,倉卒不及將。相見不複期,零落甘所丁。
驕兒未絕乳,念之不能忘。忽如在我所,耳若聞啼聲。
中途安得返,一日不可更。」7
#4
之を留めて去ら遣(し)めず、館して城の西旁(せいぼう)に置く。 歳時末だ云(ここ)に幾ばくならざるに、浩浩として湖江を観る。
衆夫は之を指して笑い、我が知の不明なるを謂う。
児童は雷電を畏れ、魚鱉(ぎょべつ)は夜光に驚く。
州家 進士を挙ぐるに、選試 当たる所を繆(あやま)る。
#5
辞を馳せて我が策に対す、章句 何ぞ煒煌(いこう)たる。
相公 朝服して立ち、工 席に鹿鳴(ろくめい)を歌う。
礼終わりて楽も亦た闋(お)わり、相(あい)拝して庭に送る。
之の子去ること須臾(しゅゆ)にして、赫赫(かくかく)として盛名流る。
窃(ひそ)かに喜び復た窃かに歎じ、諒(まこと)に知る 成す所有らんことを。 #6
人事安くんぞ恒とす可き、奄忽 我をして傷ましむ。
子の高第を聞きし日は、正に相公の喪に従う。
哀情 吉語に逢う、惝恍として双と為し難し。
暮に偃師の西に宿るも、徒らに展転して床に在るのみ。
夜汴州の乱を聞き、壁を繞って行いて彷徨す。


#4 現代語訳と訳註
(本文)

留之不遣去,館置城西旁。歲時未雲幾,浩浩觀湖江。
眾夫指之笑,謂我知不明。兒童畏雷電,魚鱉驚夜光。
州家擧進士,選試繆所當。

(下し文)
之を留めて去ら遣(し)めず、館して城の西旁(せいぼう)に置く。 歳時末だ云(ここ)に幾ばくならざるに、浩浩として湖江を観る。
衆夫は之を指して笑い、我が知の不明なるを謂う。
児童は雷電を畏れ、魚鱉(ぎょべつ)は夜光に驚く。
州家 進士を挙ぐるに、選試 当たる所を繆(あやま)る。

(現代語訳)
そこで君を引きとめて去らせず、家を貸してやって街の西側に住まわせた。
それから歳月がいくらもたっていないのに、広々とした湖や大河が広がっているように、際限も知らぬほど大きく成長した。
こんなありさまを世の人々は指さして笑い、私に人を見る目がないととりざたした。
しかし彼らは子どもたちが雷をこわがり、魚やすっぽんが夜光珠に驚くようなもので、真の才能を見分ける目をもっていないのだ。 汴州から進士(ここでは科挙を受験する有資格者をさす)を推薦するにあたり、その試験(つまり汴州で施行される予備試験である)を私が誤って担当させられた。


(訳注)#4

留之不遣去,館置城西旁。
之を留めて去ら遣(し)めず、館して城の西旁(せいぼう)に置く。
そこで君を引きとめて去らせず、家を貸してやって街の西側に住まわせた。
館置 家に住まわせる。・館:建物。旅館。やど。官舎。○ 城郭、街。


歲時未雲幾,浩浩觀湖江。
歳時末だ云(ここ)に幾ばくならざるに、浩浩として湖江を観る。
それから歳月がいくらもたっていないのに、広々とした湖や大河が広がっているように、際限も知らぬほど大きく成長した。
雲幾 たくさんの量をいう。○浩浩 広々とした広大な様子。歳月を自然の景色に喩えている。


眾夫指之笑,謂我知不明。
衆夫は之を指して笑い、我が知の不明なるを謂う。
こんなありさまを世の人々は指さして笑い、私に人を見る目がないととりざたした。
○衆夫 世の人々。○知 賢人、聖人となろうとしてすべてを知ること。


兒童畏雷電,魚鱉驚夜光。
児童は雷電を畏れ、魚鱉(ぎょべつ)は夜光に驚く。
しかし彼らは子どもたちが雷をこわがり、魚やすっぽんが夜光珠に驚くようなもので、真の才能を見分ける目をもっていないのだ。
○魚鱉 ○夜光 ホタルの別名。月の別名。夜光珠。名玉で作った盃。。


州家擧進士,選試繆所當。」4
州家 進士を挙ぐるに、選試 当たる所を繆(あやま)る。
汴州から進士(ここでは科挙を受験する有資格者をさす)を推薦するにあたり、その試験(つまり汴州で施行される予備試験である)を私が誤って担当させられた。
州家 汴州の幕府を示す。○挙進士 科挙を受験する有資格者を推薦する○選試 汴州で施行される予備試験○繆所當 誤って担当に任官されたこと。

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此日足可惜贈張籍(愈時在徐籍往謁之辭去作是詩以送)((此の日惜しむ可きに足る 張籍に贈る 韓愈)
門人の張籍も無事で、訪ねて来てくれた。韓愈もようやく心の落ち着きを取りもどしたらしい。張籍の去るにあたって、彼は次の詩を贈った。
長い詩であるが、汴州の乱について韓愈の抱いた思いと彼の行動がよくみえる。またこのころには、愈の周囲に孟郊・張籍・李翺・ (賈島)などの人々が集まり、韓門が形成されていたようだ。

この頃の韓愈、孟郊、張籍の年譜。
796年 董晋の招きで宣武軍節度使の幕府に入る。
797年 病気のため一時求職。
    孟郊が来る。
798年 同所で進士科の予備試験員。
    張籍、この試験合格者の中に有る。
799年 汴州の乱
    徐州武寧軍節度使 張建封の幕府に入る。
    韓愈、命受けて長安へ。孟郊、呉、越を遊覧。


韓愈の地図00


此日足可惜,此酒不足嚐。舍酒去相語,共分一日光。
念昔未知子,孟君自南方。自矜有所得,言子有文章。
我名屬相府,欲往不得行。」1
思之不可見,百端在中腸。維時月魄死,冬日朝在房。
驅馳公事退,聞子適及城。命車載之至,引坐於中堂。
開懷聽其說,往往副所望。」2

孔丘殁已遠,仁義路久荒。
孔子が死んでからもはや長い年月がたっている、仁徳・正義の道は頽廃し、荒れはてて久しい。
紛紛百家起,詭怪相披猖。
集住戦国時代、諸子百家が紛々として起こり、儒家からすると不思議で、奇怪な説が世に横行してきた。
長老守所聞,後生習爲常。
仁義を学んできた長老たちは伝統的な説を守っているのだが、最近の若い連中は慣れを重ねてしまって、それが当然のことと思うようになっている。
少知誠難得,純粹古已亡。
若いのに誠実な思想、説を認知している人は得がたいもの、ひとすじに道を守る純粋さは遠い昔になくなってしまったものだ。
譬彼植園木,有根易爲長。」
3
少し離れたあの畑に植える木にたとえてみた、根がしっかり張って居れば大木に 育ちやすいというものだ。

留之不遣去,館置城西旁。歲時未雲幾,浩浩觀湖江。
眾夫指之笑,謂我知不明。兒童畏雷電,魚鱉驚夜光。

留之不遣去,館置城西旁。歲時未雲幾,浩浩觀湖江。
眾夫指之笑,謂我知不明。兒童畏雷電,魚鱉驚夜光。
州家擧進士,選試繆所當。」4
馳辭對我策,章句何煒煌。相公朝服立,工席歌鹿鳴。
禮終樂亦闋,相拜送於庭。之子去須臾,赫赫流盛名。
竊喜複竊歎,諒知有所成。」5
人事安可恒,奄忽令我傷。聞子高第日,正從相公喪。
哀情逢吉語,惝恍難爲雙。暮宿偃師西,徒展轉在床。
夜聞汴州亂,繞壁行彷徨。」6
我時留妻子,倉卒不及將。相見不複期,零落甘所丁。
驕兒未絕乳,念之不能忘。忽如在我所,耳若聞啼聲。
中途安得返,一日不可更。」7
俄有東來說,我家免罹殃。乘船下汴水,東去趨彭城。
從喪朝至洛,還走不及停。假道經盟津,出入行澗岡。
日西入軍門,羸馬顛且僵。」8
主人願少留,延入陳壺觴。卑賤不敢辭,忽忽心如狂。
飲食豈知味,絲竹徒轟轟。平明脱身去,決若驚鳧翔。
黄昏次汜水,欲過無舟航。」9
號呼久乃至,夜濟十里黄。中流上灘潬,沙水不可詳。
驚波暗合遝,星宿爭翻芒。轅馬蹢躅鳴,左右泣僕童。
甲午憩時門,臨泉窺鬥龍。」10
東南出陳許,陂澤平茫茫。道邊草木花,紅紫相低昂。
百里不逢人,角角雄雉鳴。行行二月暮,乃及徐南疆。
下馬步堤岸,上船拜吾兄。」11
誰雲經艱難,百口無夭殤。僕射南陽公,宅我睢水陽。
篋中有馀衣,盎中有馀糧。閉門讀書史,窗戶忽已涼。
日念子來游,子豈知我情。」12
别離未爲久,辛苦多所經。對食每不飽,共言無倦聽。
連延三十日,晨坐達五更。我友二三子,宦游在西京。
東野窺禹穴,李翱觀濤江。」13
蕭條千萬里,會合安可逢。淮之水舒舒,楚山直叢叢。
子又舍我去,我懷焉所窮。男兒不再壯,百歲如風狂。
高爵尚可求,無爲守一鄉。」14

kairo10680

現代語訳と訳註
(本文)
#3
孔丘殁已遠,仁義路久荒。
紛紛百家起,詭怪相披猖。
長老守所聞,後生習爲常。
少知誠難得,純粹古已亡。
譬彼植園木,有根易爲長。」


(下し文)
孔丘ざん歿して己に遠く、仁義の路久しく荒(すさ)む。
紛粉として百家起こり、詭怪(きかい) 相 披猖(ひしょう)す。
長老は聞く所を守るも、後生は習いて常と為す。
少くして知るは誠に得難く、純粋なるは古え己に亡し。
彼の園に植うる木に譬うれば、根有るは長きに為り易し。


(現代語訳)
孔子が死んでからもはや長い年月がたっている、仁徳・正義の道は頽廃し、荒れはてて久しい。
集住戦国時代、諸子百家が紛々として起こり、儒家からすると不思議で、奇怪な説が世に横行してきた。
仁義を学んできた長老たちは伝統的な説を守っているのだが、最近の若い連中は慣れを重ねてしまって、それが当然のことと思うようになっている。
若いのに誠実な思想、説を認知している人は得がたいもの、ひとすじに道を守る純粋さは遠い昔になくなってしまったものだ。
少し離れたあの畑に植える木にたとえてみた、根がしっかり張って居れば大木に 育ちやすいというものだ。


(訳注)
孔丘殁已遠,仁義路久荒。

孔丘歿して己に遠く、仁義の路久しく荒(すさ)む。
孔子が死んでからもはや長い年月がたっている、仁徳・正義の道は頽廃し、荒れはてて久しい。
孔丘 実力主義が横行し身分制秩序が解体されつつあった周末、魯国に生まれ、周初への復古を理想として身分制秩序の再編と仁道政治を掲げた孔子のこと。


紛紛百家起,詭怪相披猖。
紛粉として百家起こり、詭怪(きかい) 相 披猖(ひしょう)す。
集住戦国時代、諸子百家が紛々として起こり、儒家からすると不思議で、奇怪な説が世に横行してきた。
○諸子百家(しょしひゃっか)とは、中国の春秋戦国時代に現れた学者・学派の総称。「諸子」は孔子、老子、荘子、墨子、孟子、荀子などの人物を指す。「百家」は儒家、道家、墨家、名家、法家などの学派。○・詭怪〔名〕(形動) 怪しいこと。不思議なこと。また、そのさま。


長老守所聞,後生習爲常。
長老は聞く所を守るも、後生は習いて常と為す。
仁義を学んできた長老たちは伝統的な説を守っているのだが、最近の若い連中は慣れを重ねてしまって、それが当然のことと思うようになっている。


少知誠難得,純粹古已亡。
少くして知るは誠に得難く、純粋なるは古え己に亡し。
若いのに誠実な思想、説を認知している人は得がたいもの、ひとすじに道を守る純粋さは遠い昔になくなってしまったものだ。


譬彼植園木,有根易爲長。」3
彼の園に植うる木に譬うれば、根有るは長きに為り易し。
少し離れたあの畑に植える木にたとえてみた、根がしっかり張って居れば大木に 育ちやすいというものだ。

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(Ⅰ李商隠Ⅱ韓退之(韓愈))
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此日足可惜贈張籍 唐宋詩-208 Ⅱ韓退之(韓愈) 紀頌之の漢詩ブログ 韓愈特集-9-#2

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(愈時在徐籍往謁之辭去作是詩以送)((此の日惜しむ可きに足る 張籍に贈る 韓愈)

門人の張籍も無事で、訪ねて来てくれた。韓愈もようやく心の落ち着きを取りもどしたらしい。張籍の去るにあたって、彼は次の詩を贈った。
長い詩であるが、汴州の乱について韓愈の抱いた思いと彼の行動がよくみえる。またこのころには、愈の周囲に孟郊・張籍・李翺・ (賈島)などの人々が集まり、韓門が形成されていたようだ。

この頃の韓愈、孟郊、張籍の年譜。
796年 董晋の招きで宣武軍節度使の幕府に入る。
797年 病気のため一時求職。
    孟郊が来る。
798年 同所で進士科の予備試験員。
    張籍、この試験合格者の中に有る。
799年 汴州の乱
    徐州武寧軍節度使 張建封の幕府に入る。
    韓愈、命受けて長安へ。孟郊、呉、越を遊覧。

宮島(3)

#1
此日足可惜,此酒不足嚐。 舍酒去相語,共分一日光。
念昔未知子,孟君自南方。自矜有所得,言子有文章。
我名屬相府,欲往不得行。」
(此の日惜しむ可きに足る 張籍に贈る) 此の日惜しむ可きに足る、此の酒嗜むに足らず。
酒を捨てて去(ゆ)いて相語り,共に一日の光を分かたん。
念う昔 未だ子を知らざらしとき,孟君南方自りす。
自ら矜る得る所有り,子が文章有るを言う。 我名は相府に屬す,往かんと欲するも行くを得ず。」

#2
思之不可見,百端在中腸。
君のことを思っても会えない、そのためさまざまの思いが腹のうちにわだ かまっていた。
維時月魄死,冬日朝在房。
しかし、月が陰って光を失うその時季節が変わる、十月冬の日がきたその時、房宿にから長安に旅立つのだ。
驅馳公事退,聞子適及城。
幕府のつとめに走りまわっていたのから家に帰ると、君がちょうど汴州の町に来ていると耳にした。
命車載之至,引坐於中堂。
車を命じて君を乗せて来てもらった、案内して客間に座ってもらった。
開懷聽其說,往往副所望。」
2
胸のうちを開いて君の諸説に耳を傾けた、私の考えとしばしば合致した点が出てくる


之を思えども見るべからず,百端(ひゃくたん) 中腸(ちゅうちょう)に在り。
維(こ)れ 時 月魄(げっぱ)死し,冬日 朝 房に在り。
驅馳(くち)して 公事より退けば,子が適々(たまたま)城に及べりと聞く。
車を命じて之を載せて至り、 引いて中堂に坐せしむ。 懐(ふところ)を開いて其の説を聴けば、往往にして望む所に副(かな)えり。
#3
孔丘殁已遠,仁義路久荒。紛紛百家起,詭怪相披猖。
長老守所聞,後生習爲常。少知誠難得,純粹古已亡。
譬彼植園木,有根易爲長。」3

孔丘残して己に遠く、仁義の路久しく荒(すさ)む。
紛粉として百家起こり、詭怪(きかい) 相 披猖(ひしょう)す。
長老は聞く所を守るも、後生は習いて常と為す。
少くして知るは誠に得難く、純粋なるは古え己に亡し。
彼の園に植うる木に譬うれば、根有るは長きに為り易し。


 現代語訳と訳註
(本文)
#2
思之不可見,百端在中腸。
維時月魄死,冬日朝在房。
驅馳公事退,聞子適及城。
命車載之至,引坐於中堂。
開懷聽其說,往往副所望。」

(下し文)
之を思えども見るべからず,百端(ひゃくたん) 中腸(ちゅうちょう)に在り。
維(こ)れ 時 月魄(げっぱ)死し,冬日 朝 房に在り。
驅馳(くち)して 公事より退けば,子が適々(たまたま)城に及べりと聞く。
車を命じて之を載せて至り、 引いて中堂に坐せしむ。 懐(ふところ)を開いて其の説を聴けば、往往にして望む所に副(かな)えり。

(現代語訳)
君のことを思っても会えない、そのためさまざまの思いが腹のうちにわだ かまっていた。
しかし、月が陰って光を失うその時季節が変わる、十月冬の日がきたその時、房宿にから長安に旅立つのだ。
幕府のつとめに走りまわっていたのから家に帰ると、君がちょうど汴州の町に来ていると耳にした。
車を命じて君を乗せて来てもらった、案内して客間に座ってもらった。
胸のうちを開いて君の諸説に耳を傾けた、私の考えとしばしば合致した点が出てくる。


(訳注)
思之不可見,百端在中腸。
之を思えども見るべからず,百端(ひゃくたん) 中腸(ちゅうちょう)に在り。
君のことを思っても会えない、そのためさまざまの思いが腹のうちにわだ かまっていた。
 ○思之 前の句で君に会いに行けないから思うこと。○百端 沢山の端々までのさまざまの思い。○中腸 胸から下腹に至るまで思いがたまっていくこと。蟠りがたまる。談義をすることに価値を置いているため、話ができないためフラストレーションがたまる。

維時月魄死,冬日朝在房。
維(こ)れ 時 月魄(げっぱ)死し,冬日 朝 房に在り。
しかし、月が陰って光を失うその時季節が変わる、十月冬の日がきたその時、房宿にから長安に旅立つのだ。
維時 これの初めの時。○月魄 月の陰の部分。・:人の肉体に宿り、活力を生み出すもの。たましい。「気魄・魂魄」 2 月のかげの部分。「生魄」 3 落ちぶれる。「落魄」。○冬日 10,11,12月が冬。前の句のこの時がかかってくる。朝在房 10月に張建封に随って長安に朝したことを言う。


驅馳公事退,聞子適及城。
(驅馳(くち)して 公事より退けば,子が適々(たまたま)城に及べりと聞く。)
幕府のつとめに走りまわっていたのから家に帰ると、君がちょうど汴州の町に来ていると耳にした。
驅馳 馬かって走り回る。人のために尽力し、奔走すること。○公事 幕府での務め、公務。○適及 ○ 城郭。汴州の街。

命車載之至,引坐於中堂。
車を命じて之を載せて至り、 引いて中堂に坐せしむ。 懐(ふところ)を開いて其の説を聴けば、往往にして望む所に副(かな)えり。
車を命じて君を乗せて来てもらった、案内して客間に座ってもらった。
中堂 一番の座敷、客間。

開懷聽其說,往往副所望。」2
()
胸のうちを開いて君の諸説に耳を傾けた、私の考えとしばしば合致した点が出てくる。
開懷 胸襟を開く。○其說 儒者の諸説。○往往 往々にして。屡。○副所望 儒者として、この時代で忘れられ、嫌気なものとされてきたものの復活。清廉な考えに合致することが多かったものと思われる。


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此日足可惜贈張籍 唐宋詩-207Ⅱ韓退之(韓愈) 紀頌之の漢詩ブログ 韓愈特集-8-#1

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此日足可惜贈張籍(愈時在徐籍往謁之辭去作是詩以送)((此の日惜しむ可きに足る 張籍に贈る 韓愈)

門人の張籍も無事で、訪ねて来てくれた。韓愈もようやく心の落ち着きを取りもどしたらしい。張籍の去るにあたって、彼は次の詩を贈った。
韓愈の地図00

長い詩であるが、汴州の乱について韓愈の抱いた思いと彼の行動がよくみえる。またこのころには、愈の周囲に孟郊・張籍・李翺・ (賈島)などの人々が集まり、韓門が形成されていたようだ。
 
#1
  此日足可惜,此酒不足嚐。
今日というこの日こそ大切にする値うちがあるというものだ。それに比べればこの酒を味わって飲むということに値打ちがあるというものではない。
  舍酒去相語,共分一日光。
だから酒をおいてたがいに思っていることを語ろうではないか、共に過ごしているこの一日の時間こそ値打ちがあるのだ。
  念昔未知子,孟君自南方。
思えば昔、わたしがまだ君を知らなかったときである、そう、孟君(孟郊)が南方から来たときである。
  自矜有所得,言子有文章。
わたしに対して、わたしが良い人材であると自信を持っていると自慢し、かれ自身も文学の才があると胸を張って云ったのだ。
  我名屬相府,欲往不得行。」
そのとき私は幕府に所属し、試験官であった、だから、君の所へ行きたいと思っても行けない立場にあったのだ。

(此の日惜しむ可きに足る 張籍に贈る)
此の日惜しむ可きに足る、此の酒嗜むに足らず。
酒を捨てて去(ゆ)いて相語り,共に一日の光を分かたん。
念う昔 未だ子を知らざらしとき,孟君南方自りす。
自ら矜る得る所有り,子が文章有るを言う。 我名は相府に屬す,往かんと欲するも行くを得ず。」

思之不可見,百端在中腸。維時月魄死,冬日朝在房。
驅馳公事退,聞子適及城。命車載之至,引坐於中堂。
開懷聽其說,往往副所望。」2
#2
之を思えども見るべからず,百端(ひゃくたん) 中腸(ちゅうちょう)に在り。
維(こ)れ 時 月魄(げっぱ)死し,冬日 朝 房に在り。
驅馳(くち)して 公事より退けば,子が適々(たまたま)城に及べりと聞く。
車を命じて之を載せて至り、 引いて中堂に坐せしむ。 懐(ふところ)を開いて其の説を聴けば、往往にして望む所に副(かな)えり。

孔丘殁已遠,仁義路久荒。紛紛百家起,詭怪相披猖。
長老守所聞,後生習爲常。少知誠難得,純粹古已亡。
譬彼植園木,有根易爲長。」3
留之不遣去,館置城西旁。歲時未雲幾,浩浩觀湖江。
眾夫指之笑,謂我知不明。兒童畏雷電,魚鱉驚夜光。
州家擧進士,選試繆所當。」4
馳辭對我策,章句何煒煌。相公朝服立,工席歌鹿鳴。
禮終樂亦闋,相拜送於庭。之子去須臾,赫赫流盛名。
竊喜複竊歎,諒知有所成。」5
人事安可恒,奄忽令我傷。聞子高第日,正從相公喪。
哀情逢吉語,惝恍難爲雙。暮宿偃師西,徒展轉在床。
夜聞汴州亂,繞壁行彷徨。」6
我時留妻子,倉卒不及將。相見不複期,零落甘所丁。
驕兒未絕乳,念之不能忘。忽如在我所,耳若聞啼聲。
中途安得返,一日不可更。」7
俄有東來說,我家免罹殃。乘船下汴水,東去趨彭城。
從喪朝至洛,還走不及停。假道經盟津,出入行澗岡。
日西入軍門,羸馬顛且僵。」8
主人願少留,延入陳壺觴。卑賤不敢辭,忽忽心如狂。
飲食豈知味,絲竹徒轟轟。平明脱身去,決若驚鳧翔。
黄昏次汜水,欲過無舟航。」9
號呼久乃至,夜濟十里黄。中流上灘潬,沙水不可詳。
驚波暗合遝,星宿爭翻芒。轅馬蹢躅鳴,左右泣僕童。
甲午憩時門,臨泉窺鬥龍。」10
東南出陳許,陂澤平茫茫。道邊草木花,紅紫相低昂。
百里不逢人,角角雄雉鳴。行行二月暮,乃及徐南疆。
下馬步堤岸,上船拜吾兄。」11
誰雲經艱難,百口無夭殤。僕射南陽公,宅我睢水陽。
篋中有馀衣,盎中有馀糧。閉門讀書史,窗戶忽已涼。
日念子來游,子豈知我情。」12
别離未爲久,辛苦多所經。對食每不飽,共言無倦聽。
連延三十日,晨坐達五更。我友二三子,宦游在西京。
東野窺禹穴,李翱觀濤江。」13
蕭條千萬里,會合安可逢。淮之水舒舒,楚山直叢叢。
子又舍我去,我懷焉所窮。男兒不再壯,百歲如風狂。
高爵尚可求,無爲守一鄉。」14


此日足可惜贈張籍 韓愈
(此の日惜しむ可きに足る 張籍に贈る)

門人の張 籍も無事で、訪ねて来てくれた。愈もようやく心の落ち着きを取りもどしたらしい。張籍の去るにあたって、彼は次の詩を贈った。

現代語訳と訳註
(本文)
此日足可惜贈張籍
此日足可惜,此酒不足嚐。
舍酒去相語,共分一日光。
念昔未知子,孟君自南方。
自矜有所得,言子有文章。
我名屬相府,欲往不得行。」

(下し文)(此の日惜しむ可きに足る 張籍に贈る)
此の日惜しむ可きに足る、此の酒嗜むに足らず。
酒を捨てて去(ゆ)いて相語り,共に一日の光を分かたん。
念う昔 未だ子を知らざらしとき,孟君南方自りす。
自ら矜る得る所有り,子が文章有るを言う。 我名は相府に屬す,往かんと欲するも行くを得ず。」


(現代語訳)
今日というこの日こそ大切にする値うちがあるというものだ。それに比べればこの酒を味わって飲むということに値打ちがあるというものではない。
だから酒をおいてたがいに思っていることを語ろうではないか、共に過ごしているこの一日の時間こそ値打ちがあるのだ。
思えば昔、わたしがまだ君を知らなかったときである、そう、孟君(孟郊)が南方から来たときである。
わたしに対して、わたしが良い人材であると自信を持っていると自慢し、かれ自身も文学の才があると胸を張って云ったのだ。
そのとき私は幕府に所属し、試験官であった、だから、君の所へ行きたいと思っても行けない立場にあったのだ。

(訳注)
此日足可惜贈張籍
(此の日惜しむ可きに足る 張籍に贈る)
今日というこの日こそ大切にする値うちがあるというものだ。この詩は、張籍に贈る
 

此日足可惜,此酒不足嚐。

此の日惜しむ可きに足る、此の酒嗜むに足らず。
今日というこの日こそ大切にする値うちがあるというものだ。それに比べればこの酒を味わって飲むということに値打ちがあるというものではない。


舍酒去相語,共分一日光。
酒を捨てて去(ゆ)いて相語り,共に一日の光を分かたん。
だから酒をおいてたがいに思っていることを語ろうではないか、共に過ごしているこの一日の時間こそ値打ちがあるのだ。


念昔未知子,孟君自南方。
念う昔 未だ子を知らざらしとき,孟君南方自りす。
思えば昔、わたしがまだ君を知らなかったときである、そう、孟君(孟郊)が南方から来たときである。


自矜有所得,言子有文章。
自ら矜る得る所有り,子が文章有るを言う。
わたしに対して、わたしが良い人材であると自信を持っていると自慢し、かれ自身も文学の才があると胸を張って云ったのだ。


我名屬相府,欲往不得行。」1
我名は相府に屬す,往かんと欲するも行くを得ず。」
そのとき私は幕府に所属し、試験官であった、だから、君の所へ行きたいと思っても行けない立場にあったのだ。
 宣武軍節度使の幕府


この頃の韓愈、孟郊、張籍の年譜。
796年 董晋の招きで宣武軍節度使の幕府に入る。
797年 病気のため一時求職。
    孟郊が来る。
798年 同所で進士科の予備試験員。
    張籍、この試験合格者の中に有る。
799年 汴州の乱
    徐州武寧軍節度使 張建封の幕府に入る。
    韓愈、命受けて長安へ。孟郊、呉、越を遊覧。

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