中唐詩238 董逃行 Ⅷ 張籍<2> 紀頌之の漢詩ブログ

韓愈の門人の張籍も無事で、訪ねて来てくれた。韓愈もようやく心の落ち着きを取りもどしたらしい。張籍の去るにあたって、彼は次の詩を贈った。
長い詩であるが、汴州の乱について韓愈の抱いた思いと彼の行動がよくみえる。またこのころには、愈の周囲に孟郊・張籍・李翺・ (賈島)などの人々が集まり、韓門が形成されていたようだ。

汴州の科挙の地方試験の試験官をしていた韓愈に世話になっている。汴州の乱の後、心配して韓愈を訪ね、一カ月も語り明かしている。乱のこと、友人のこと詩にしたものが『此日足可惜贈張籍』(此の日惜しむ可きに足る 張籍に贈る)である。
此日足可惜贈張籍 唐宋詩-207Ⅱ韓退之(韓愈) 紀頌之の漢詩ブログ 韓愈特集-7-#1


張籍は、中唐の詩人。字は文昌。和州(かしゅう)烏江(安徽省和県)の人。師友の韓愈に目をかけられ、その推薦によって、国子博士となった。楽府に長じている。賈島・孟郊などと唱和して古詩をよくし、盟友の王建とともに七言楽府に優れた作品を発表して「張王」と併称された。名詩人になろうとして、杜甫の詩集を焼いてその灰に膏蜜を混ぜて飲んだという逸話がある。表現は平易だが、世相の矛盾を指摘することは鋭く、白居易から「挙世(いまのよ)には其の倫(たぐい)少なし」と評せられ、後輩の姚合より「古風は敵手なく、新語は是れ人ぞ知る」と称えられた。中唐楽府運動の重要な担い手であり、白居易・元稹とともに「元和体」を形成した。『張司業詩集』8巻がある。


董逃行 張籍

戦乱を呪う歌。
洛陽城頭火曈曈,亂兵燒我天子宮。
洛陽城内では、安史の乱の兵火が日の出の太陽のように輝いているのは。叛乱軍の兵士が我が天子の宮殿を焼いたからなのだ。
宮城南面有深山,盡將老幼藏其間。
宮城の南面には深山があって、老人や幼児をその山の間に隠(かく)した。 
重巖爲屋橡爲食,丁男夜行候消息。
重なった巌を家として、どんぐりを食糧として、成人男子が夜になって行ってみて、様子を窺(うかが)った。
聞道官軍猶掠人,舊里如今歸未得。
聞くところでは、唐朝廷側の軍でもなお人を夫役のために掠(さら)っているとのことで、郷里へは、現在、帰ることがまだできないという。
董逃行,    漢家幾時重太平。

董逃歌という歌詞のようだ、いつになったら漢の国家唐の国家を暗示に重(かさ)ねて太平がおとずれることになるのだろうか。


董逃行【とうとうこう】
洛陽 城頭 火 曈曈【とうとう】,亂兵【らんぺい】  我が天子の宮を燒く。
宮城の南面に 深山 有りて,盡【ことごと】く 老幼を將もって 其の間に藏【かく】す。
重巖【ちょうがん】を屋【おく】と爲して 橡【しょう】を食しと爲し,丁男【ていだん】夜 行きて 消息を候【うかが】う。
聞道【きくならく】官軍 猶も 人を掠【りゃく】すと,舊里【きう り】 如今【じょこん】歸ること未だ得ず。
董逃行【とうとうこう】,漢家 幾【いづれ】の時か  重ねて太平ならん。

現代語訳と訳註
(本文)

洛陽城頭火曈曈,亂兵燒我天子宮。
宮城南面有深山,盡將老幼藏其間。
重巖爲屋橡爲食,丁男夜行候消息。
聞道官軍猶掠人,舊里如今歸未得。
董逃行,    漢家幾時重太平。

(下し文) 董逃行【とうとうこう】
洛陽 城頭 火 曈曈【とうとう】,亂兵【らんぺい】  我が天子の宮を燒く。
宮城の南面に 深山 有りて,盡【ことごと】く 老幼を將もって 其の間に藏【かく】す。
重巖【ちょうがん】を屋【おく】と爲して 橡【しょう】を食しと爲し,丁男【ていだん】夜 行きて 消息を候【うかが】う。
聞道【きくならく】官軍 猶も 人を掠【りゃく】すと,舊里【きう り】 如今【じょこん】歸ること未だ得ず。
董逃行【とうとうこう】,漢家 幾【いづれ】の時か  重ねて太平ならん。

(現代語訳)
戦乱を呪う歌。
洛陽城内では、安史の乱の兵火が日の出の太陽のように輝いているのは。叛乱軍の兵士が我が天子の宮殿を焼いたからなのだ。
宮城の南面には深山があって、老人や幼児をその山の間に隠(かく)した。 
重なった巌を家として、どんぐりを食糧として、成人男子が夜になって行ってみて、様子を窺(うかが)った。
聞くところでは、唐朝廷側の軍でもなお人を夫役のために掠(さら)っているとのことで、郷里へは、現在、帰ることがまだできないという。
董逃歌という歌詞のようだ、いつになったら漢の国家唐の国家を暗示に重(かさ)ねて太平がおとずれることになるのだろうか。


(訳注)
董逃行

戦乱を呪う歌。
董逃行(とうとうこう(『董逃歌』のこと))という後漢末、京都(けいと)で流行った歌の「董卓が逃げた」の歌詞のような内容。 ○董逃行 『董逃歌』(とうとうか)の意で使われている。『董逃歌』とは、後漢末、京都(けいと)で流行った童謡。承樂世,董逃;遊四郭,董逃;蒙天恩,董逃;帶金紫,董逃;行謝恩,董逃;整車騎,董逃;垂欲發,董逃;與中辭,董逃;出西門,董逃;瞻宮殿,董逃;望京城,董逃;日夜絶,董逃;心摧傷,董逃。
なお、後漢末の董卓は「董卓が逃げた」のように聞こえるこの歌を疎んじて禁じた。また漢楽府篇名で、神聖な山に登って、仙薬を採取し、不老長寿を願う歌がある。


洛陽城頭火曈曈、亂兵燒我天子宮。
洛陽城内では、安史の乱の兵火が日の出の太陽のように輝いているのは。叛乱軍の兵士が我が天子の宮殿を焼いたからなのだ。
洛陽 東京。河南省西部の都市。黄河の支流、洛水の北岸に位置する。西の長安に対し、東都として栄える。周の成王が当時の洛邑に王城を築いたのに始まる。○城頭 (洛陽)城のほとり。(洛陽城の)城壁の上。(洛陽)城のあたり。(洛陽)城の上。 ○曈曈【とうとう】夜のあけわたるさま。○亂兵 叛乱兵。ここでは、安禄山軍のことになる。 ○燒我天子宮 我が天子の宮殿を焼い(た)。


宮城南面有深山、盡將老幼藏其間。
宮城の南面には深山があって、老人や幼児をその山の間に隠(かく)した。 
宮城 宮廷。王宮。○盡 ことごとく。○將 …をもって。…を。「將+名詞」で、強調したい名詞を前に取りだす。古漢語の「以」と似た働きをする。○老幼 老人と幼児。○ かくす○其間 ここでは、宮城の南面の深山のことになる。


重巖爲屋橡爲食、丁男夜行候消息。
重なった巌を家として、どんぐりを食糧として、成人男子が夜になって行ってみて、様子を窺(うかが)った。
重巖 重(かさ)なりあった巌(いわお)。○爲屋 家屋とする。○橡【しょう】どんぐり。クヌギ。トチ。○爲食 食糧とする。「食」は【し】と読んで、「めし」の意。○丁男 成人した男子。壮丁。○夜行 よまわり。よあるき。夜の旅。○候 うかがう。さぐる。○消息 たより。たよりの手紙。消えることと生じること。減ることと増えること。物や人の栄枯盛衰。


聞道官軍猶掠人、舊里如今歸未得。 
聞くところでは、唐朝廷側の軍でもなお人を夫役のために掠(さら)っているとのことで、郷里へは、現在、帰ることがまだできないという
聞道 聞くところによると。人の言うのを聞くと。きくならく。伝聞表現。○官軍 (ここでは、唐朝の)朝廷の正規軍。政府方の軍隊。正統の軍。なお、『舊唐書』などではこれに対して、叛乱軍(安禄山軍や史思明軍)を「賊」と表現している。賊軍のこと。この詩では「亂兵燒我天子宮」の「亂兵」のこと。○ なお。○掠人【りゃくじん】人を掠(さら)う。人を掠奪(りゃくだつ)する。 ・〔りゃく〕かすめる。掠(さら)う。略奪する。=略。○舊里 ふるさと。郷里。故郷。○如今 現在。○歸未得 まだ帰れない。帰ることがまだできない。


董逃行、漢家幾時重太平。
董逃歌という歌詞のようだ、いつになったら漢の国家唐の国家を暗示に重(かさ)ねて太平がおとずれることになるのだろうか。
董逃行(とうとうこう(正しくは『董逃歌』のこと))という後漢末、京都(けいと)で流行った歌の「董卓が逃げた」の歌詞のように。○漢家 漢朝の帝室。転じて、漢民族の王朝・国家。ここでは、唐王朝を指す。○幾時:いつ。○〔ちょう〕もう一度。かさねて。○太平 平和。世の中がよく治まって平和なこと。
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