陸游 麗わしの人、唐琬。(6)禹寺

八十四歳の年の春、陸游は禹跡寺に遊び、またも石に刻まれた自分の詞を見た。この詞を壁に書きしるしたのは五十年以上も前のこと、自分にとっては昨日のことのようでも、人々にとっては昔話でしかない。歳を重ねて、八十四、人生五十年といわれた時代、二十歳の思い出が石に刻まれて残されている。思い出よりも詩碑が残されていることへの嬉しさの方が強く感じられる詩である。


禹寺
禹寺荒残鐘鼓在、我來又見物華新。
寺にいて自分はいろんな考えをすることができない状況でいたら時を告げる鐘鼓の音がしてきた、私はまたここに来たわけだが、新たに来ている人たちは新たなものを見る様である。
紹興年上曾題壁、観者多疑是古人。

紹興に棲むよわいを重ねた者たちはかねてからの壁の題詩を知っている、この寺の観覧者はこの題詩についてむかしの人のことだと多いに疑っている。

禹跡寺にいて自分はいろんな考えをすることができないじょうきょうでいたら時を告げる鐘鼓の音がしてきた、私はまたここに来たわけだが、新たに来ている人たちは新たなものを見る様である。
紹興に棲むよわいを重ねた者たちはかねてからの壁の題詩を知っている、この寺の観覧者はこの題詩についてむかしの人のことだと多いに疑っている。



禹寺 荒残れて 鐘鼓在り、我来りて又た見る 物華の新たなるを。
紹興の年上(ころおい) 曾て 壁に題せし、観る者 多く疑う 走れ古人なるかと



禹寺荒残鐘鼓在、我來又見物華新。
禹跡寺にいて自分はいろんな考えをすることができない状況でいたら時を告げる鐘鼓の音がしてきた、私はまたここに来たわけだが、新たに来ている人たちは新たなものを見る様である。
荒残 ものの考え方が大まか。深く考えない。


紹興年上曾題壁、観者多疑是古人。
紹興に棲むよわいを重ねた者たちはかねてからの壁の題詩を知っている、この寺の観覧者はこの題詩についてむかしの人のことだと多いに疑っている。
年上 ころおい よわいを重ねた者。老人たち、昔からこの壁を見ている者たち。