中唐詩人選集【Ⅰ李商隠-150】Ⅱ韓退之(韓愈)Ⅶ孟郊(東野)  漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩 訳注解説ブログ

Ⅰ李商隠は難解詩といわれている。約150首紹介済。(晩唐詩人) Ⅱ韓退之(韓愈)-約500首Ⅶ孟郊、中唐の詩人を掲載中。万物の性(さが)をテーマにした哲学的な詩。このブログは基本的に中唐詩人を中心にして掲載する予定。 韓愈詩文のこれまでの掲載分とこれから掲載予定分を時系列で整理した2014.3.29のブログに集約してそこから各年次を見ることができる  kanbuniinkai 検索で、《漢文委員会HP05》サイトあります。漢詩唐詩を理解するための総合サイト:≪漢文委員会 漢詩07≫。

少し、マニアックな晩唐詩人Ⅰ-李商隠150首をまず掲載済み。中唐は盛唐詩人(孟浩然・王維、杜甫、李白)を受け継いだ多様な詩人が出ている。この時代も驚くほど詩が発展している。Ⅱ韓退之(韓愈)500首、Ⅲ柳宗元40首、Ⅳ韋応物、Ⅴ劉長卿、Ⅵ韋荘、Ⅶ孟郊(孟東野)、Ⅷ張籍、Ⅸ賈島、Ⅹ劉禹錫、ほか2012~2020年の予定で気長に進める。同じ中唐ではあるが、白居易のグループについては、李白のブログ350首(2015/6月再開~2018/夏・秋月予定)の後掲載の予定。別に杜甫詩ブログ1500首(2011/7月~2018/8月の予定で)を進行中。詩数につぃては、予定の詩数より多くなる。気まぐれなところがあるのでこの予定が少し変わる場合があり、その節はご容赦ください。                 古詩・謝霊運詩 杜甫詩 韓愈詩 花間集500首全詩 それぞれ毎日ブログしています。 このブログ、索引=語句の「検索」 参考書以上掲載。漢詩力up。

韓愈

將歸贈孟東野房蜀客 韓愈 中唐詩-228 Ⅱ韓退之(韓愈) 紀頌之の漢詩ブログ 韓愈特集-22

將歸贈孟東野房蜀客 韓愈 中唐詩-228 Ⅱ韓退之(韓愈) 紀頌之の漢詩ブログ 韓愈特集-22
將に歸らんとして孟東野(もうとうや)、房蜀客(ぼうしょくかく)に贈る

796年 董晋の招きで宣武軍節度使の幕府に入る。
797年 病気のため一時求職。
    孟郊が来る。
798年 同所で進士科の予備試験員。
    張籍、この試験合格者の中に有る。
799年 汴州の乱汴州亂二首其一 韓愈特集-6

        「汴州亂二首其二 韓愈特集-7

    「此日足可惜贈張籍 韓愈-7-#1 ~14

    徐州武寧軍節度使 張建封の幕府に入る。

    韓愈、命受けて長安へ。孟郊、呉、越を遊覧。

    「忽忽」忽忽 唐宋詩-218 Ⅱ韓退之(韓愈)  韓愈特集-22



800年 春長安より徐州へ帰る。幕府を退く。

    彭城に帰る

    「歸彭城」 #1(全4回) 韓愈 唐宋詩-219 Ⅱ韓退之(韓愈) 韓愈特集-23


801年貞元十七年
身言書判科を受験して、落第。三月、洛陽、冬、長安に戻る。孟郊、溧陽の尉となる。
     「山石
 ・孟郊常州に行く。
「将歸贈孟東野房蜀客」(將に帰らんとして孟東野・房蜀客に贈る。)

同じ800年貞元十六年の五月、韓愈は一家をあげて徐州を去り、洛陽へと移住した。幕僚の脱職している。その理由は明らかでないが、厳格すぎる張建封にとって、仁、礼節を重んじる韓愈に物足りなさを感じ、韓愈は、張建封が重い病気にかかり、五月十三日には死んで愈をかばってくれる人が一人もいなくなったことで、死後、五月十五日にはお定まりの反乱が武寧軍に起こる。しかし、クビになったおかげで、韓愈の一家はまぬがれることができた。韓愈は、家臣の不満を感じ取っていたので早くそこから逃れられたということではなかろうか。


将歸贈孟東野房蜀客
帰ろうといって、孟郊と房次卿に贈る詩
君門不可入,勢利互相推。
わが君の門は自由に入ることもならぬ。ここを入る資格を得るため、権勢だの利益だのが推薦しあっているのだ。
借問讀書客,胡為在京師?
ところで学問につとめている人(自分自身)よ、どういうつもりで都にいるのか。
舉頭未能對,閉眼聊自思。」
頭は挙げたがなかなか返事が出てこない。目をつむって、まずみずから思い起こしてみよう。
倏忽十六年,終朝苦寒饑。
あっというまに十六年が過ぎたが、いつも飢えと寒さに苦しんでいた。
宦途竟寥落,鬢發坐差池。
役人としての出世の道はとうとう望みのないものとなってしまい、わが贅の毛はいつか薄くなってしまった。
潁水清且寂,箕山坦而夷。
その昔、隠者の許由が住んだという頴水の川は清くしかも静かで、箕山は平坦で登りやすい。
如今便當去,咄咄無自疑。

今こそさっさとそちらへ去ろう。ぶつぶつとひとりごとを言って思いまどうことはなしにしよう。

將に歸らんとして孟東野(もうとうや)、房蜀客(ぼうしょくかく)に贈る。
君門 入る可からず、勢利 互いに相推す。
借問す読書の客、胡為れぞ京師に在る。
頭を挙ぐるも未だ対うる能わず、眼を閉じて聊(いささ)か自ら思う。
條忽たり十六年、終朝寒飢に苦しめり。
官途 寛に蓼落、鬢髪 坐ろに差池。
頴水は清くして且つ寂かに、箕山は坦として夷(たいらか)らかなり。
如今(じょこん) 便(すなわ)ち当に去るべし、咄咄として自ら疑うこと無けん。

denen03350

現代語訳と訳註
(本文)
将歸贈孟東野房蜀客
君門不可入,勢利互相推。
借問讀書客,胡為在京師?
舉頭未能對,閉眼聊自思。」
倏忽十六年,終朝苦寒饑。
宦途竟寥落,鬢發坐差池。
潁水清且寂,箕山坦而夷。
如今便當去,咄咄無自疑。


(下し文) 將に歸らんとして孟東野(もうとうや)、房蜀客(ぼうしょくかく)に贈る
君門 入る可からず、勢利 互いに相推す。
借問す読書の客、胡為れぞ京師に在る。
頭を挙ぐるも未だ対うる能わず、眼を閉じて聊(いささ)か自ら思う。
條忽たり十六年、終朝寒飢に苦しめり。
官途 竟に蓼落(りょうらく)、鬢髪 坐ろに差池。
頴水は清くして且つ寂かに、箕山は坦として夷(たいらか)らかなり。
如今(じょこん) 便(すなわ)ち当に去るべし、咄咄として自ら疑うこと無けん。


(現代語訳)
帰ろうといって、孟郊と房次卿に贈る詩
わが君の門は自由に入ることもならぬ。ここを入る資格を得るため、権勢だの利益だのが推薦しあっているのだ。
ところで学問につとめている人(自分自身)よ、どういうつもりで都にいるのか。
頭は挙げたがなかなか返事が出てこない。目をつむって、まずみずから思い起こしてみよう。
あっというまに十六年が過ぎたが、いつも飢えと寒さに苦しんでいた。
役人としての出世の道はとうとう望みのないものとなってしまい、わが贅の毛はいつか薄くなってしまった。
その昔、隠者の許由が住んだという頴水の川は清くしかも静かで、箕山は平坦で登りやすい。
今こそさっさとそちらへ去ろう。ぶつぶつとひとりごとを言って思いまどうことはなしにしよう。


(訳注)
将歸贈孟東野房蜀客

帰ろうといって、孟郊と房次卿に贈る詩
孟東野 孟郊のことである。○房萄客 房次卿という人で、萄客は字。愈はこの人について「文才」があったと記録しており、すでに官僚となっていたが、出世せずに終わっている。


君門不可入,勢利互相推。
わが君の門は自由に入ることもならぬ。ここを入る資格を得るため、権勢だの利益だのが推薦しあっているのだ。
 朝廷内における派閥のこと。この二句は、書生生活をさせてもらうには、貴族の家に入り込むのだが、及第してからも従属関係を強いられることになるのでよくないといっているのである。この詩は801年であるが、牛李の党争としては、808年から849年にかけて起こった政争は日常的に起こっており、国を挙げて政争がはっきりとし始めたのが808年で、それまでも陰湿にくりひろげられていた。牛僧孺・李宗閔の牛党と李徳裕の李党の間で激しい権力闘争が行われ、政治的混乱をもたらしたのであるが、、一方で、宦官勢力は、牛李勢力以上の勢力をその裏で伸ばしていっていたのである。そういう意味では、この政争は唐王朝の頽廃を急速に進めることになったもので、唐滅亡の要因となった事なのである。韓愈は唐の太宗の時代、あるいは、古代における仁義・仁徳の政治に引き戻すことを提唱していくのである。


借問讀書客,胡為在京師?
ところで学問につとめている人(自分自身)よ、どういうつもりで都にいるのか。
讀書客 学問につとめている人。韓愈のグループを指す。○胡為 何のために~するのか。疑問詞+ 他の語, 何以~, なにヲもッテ[カ]~[スル], どうやって~か。 どうして~か。 何為(胡為・奚為)~, なんすレゾ~[スル], どうして~か。


舉頭未能對,閉眼聊自思。」
頭は挙げたがなかなか返事が出てこない。目をつむって、まずみずから思い起こしてみよう。


倏忽十六年,終朝苦寒饑。
あっというまに十六年が過ぎたが、いつも飢えと寒さに苦しんでいた。
十六年 786年韓愈『門を出ず』19歳の時に上京しているので34歳になっているので差し引き16年となる。


宦途竟寥落,鬢發坐差池。
役人としての出世の道はとうとう望みのないものとなってしまい、わが贅の毛はいつか薄くなってしまった。
宦途 ○寥落  荒れ果ててすさまじいこと。荒廃すること。 ○差池 互い違いになること。不ぞろいであること。SV構文である。〔ついに、宦途は寥落〕:〔いつの間にか、鬢發は差池〕出世はぢ着ないし、頭は薄くなってきた。


潁水清且寂,箕山坦而夷。
その昔、隠者の許由が住んだという頴水の川は清くしかも静かで、箕山は平坦で登りやすい。
穎水 河南省登封県の西、すなわち嵩山の南方に源を発し、南に向って流れ、安徽省に入って准河と合流している。伝説によると、大昔、堯の時代の許由という高潔の士は、堯から天子の位をゆずろうと相談をもちかけられたとき、それを受けつけなかったばかりか、穎水の北にゆき隠居した。堯が又、かれを招いて九州の長(当時全国を九つの州に分けていた)にしようとした時、かれはこういぅ話をきくと耳が汚れると言って、すぐさま穎水の川の水で耳を洗った。(既定の文字数を超えるためリンクできないので下の詩は<検索>入力で)
此日足可惜贈張籍 唐宋詩-217Ⅱ韓退之(韓愈)韓愈特集-18-11 317孟浩然⑩『南山下與老圃期種瓜』(孟浩然詩全集卷160_88)
「箕山の節」 俗世間から逃れて、自分の節操を守ることで、自己の信念に忠実であることのたとえ。「箕山の志」ともいう。やはりことわざになっているのが「穎水で耳を洗う。」

行路難 三首 其三 李白185
古風 五十九首 其二十四 李白 李白172と玄宗(5
送裴十八図南歸嵩山 其二 李白詩 165
喜晴 杜甫特集700- 159
自京赴奉先縣詠懷五百字 杜甫 杜甫特集700-105-



如今便當去,咄咄無自疑。
今こそさっさとそちらへ去ろう。ぶつぶつとひとりごとを言って思いまどうことはなしにしよう。


解説
 詩人の最後の言葉は、それが結論ではない。そこをしたいということと今それをすることとは違う。ここでは隠遁生活に入りたいと許由を例に取っているが、こういう場合、今なすべきこと、目標がある場合に精一杯励んできたがうまくいかない、あるいは、最後の砦として、これがだめだったら、隠遁生活をしようといっているのである。確かにこの時代の詩人の憧れは、隠遁生活であるが、それは生活が苦しいからである。高級官僚にならないと暮らせないからである。下級官僚は夜明け前に家を出当て日が暮れてから家に帰るのである。ほとんど休みはない。詩人が詩を書ける時間が全くないのである。したがって、半官半隠が最大の理想とされたのである。俸禄はわずかでも、あとは自給自足で食いつなげて行けて、詩を書くことができたら最高だというのである。

 これは杜甫の場合などによく見られる解釈であるが、最期の句に「涕涙を止められず嘆く」と書いている。悲観にくれて歎くと解釈されている例が多いが、詩人は嘆くことであると冷静さを引き戻らせるためにその後を使っている。涙が止まらず嘆くと解釈して行けない。嘆き悲しんでいてどうするのか自分には目標があるだろうという語を残しているのである。

 中国の唐宋時代の詩人は強調する手法を色々とっている。この時期に漢詩は完成されたのである。この時期の語句の使い方には、一語をいろんな語と掛けていくことも多くなっている。
 一般の解釈で、韓愈が孟郊(孟東野)、房次卿(房蜀客)に対して一緒に隠遁生活に入ろうではないかと投げかけているようにとられているが、この詩は、逆で、最期は一緒に隠遁生活をすればいいので、もう少し、受験にはげみ及第して仕官しようといっているのである。

毎日それぞれ一首(長詩の場合一部分割掲載)kanbuniinkai紀 頌之の漢詩3ブログ


唐宋詩 
(Ⅰ李商隠Ⅱ韓退之(韓愈))

李白詩INDEX02
日ごとのブログ目次

李商隠INDEX02
ブログ日ごとの目次

杜甫詩INDEX02
日ごとのブログ目次




 

山石 #3(全3回) 韓愈 中唐詩-228 Ⅱ韓退之(韓愈) 紀頌之の漢詩ブログ 韓愈特集-24

山石 #3韓愈 中唐詩-228 Ⅱ韓退之(韓愈) 紀頌之の漢詩ブログ 韓愈特集-24

山石3回目(3分割掲載)
韓退之(韓愈)34歳 801年貞元十七年


796年 董晋の招きで宣武軍節度使の幕府に入る。

797年 病気のため一時求職。

    孟郊が来る。

798年 同所で進士科の予備試験員。

    張籍、この試験合格者の中に有る。

799年 汴州の乱「汴州亂二首其一 韓愈特集-6

        「汴州亂二首其二 韓愈特集-7

    「此日足可惜贈張籍 韓愈-7-#1 ~14」

    徐州武寧軍節度使 張建封の幕府に入る。

    韓愈、命受けて長安へ。孟郊、呉、越を遊覧。

    「忽忽」忽忽 唐宋詩-218 Ⅱ韓退之(韓愈)  韓愈特集-22



800年 春長安より徐州へ帰る。幕府を退く。

    彭城に帰る

    「歸彭城」 #1(全4回) 韓愈 唐宋詩-219 Ⅱ韓退之(韓愈) 韓愈特集-23

801年貞元十七年

身言書判科を受験して、落第。三月、洛陽、冬、長安に戻る。孟郊、溧陽の尉となる。

「山石」

 ・孟郊常州に行く。

「将歸贈孟東野房蜀客」(將に帰らんとして孟東野・房蜀客に贈る。)


貞元十七年の冬、韓愈は結新たに再度単身で長安に上京した。口では世捨て人へのあこがれを言っていても、それは強がり、現実的には、高級官僚への夢を容易に絶ち切ることはできないのである。吏部試をもう一度受験しのである。彼はめでたく合格し、念願を果たすのである。この詩は、韓愈が決意を新たにした時の詩である。
iwamizu01

山石
 韓愈 #1
山石犖确行徑微,黄昏到寺蝙蝠飛。
升堂坐階新雨足,芭蕉葉大支子肥。
僧言古壁佛畫好,以火來照所見稀。」
#2
鋪床拂席置羹飯,疏糲亦足飽我飢。
夜深靜臥百蟲絶,清月出嶺光入扉。
天明獨去無道路,出入高下窮煙霏。
山紅澗碧紛爛漫,時見松櫪皆十圍。」
#3
當流赤足蹋澗石,水聲激激風吹衣。
谷川の流れに行き至ったので、裸足になって、水中の石を踏んでいくと、水の音はだんだん激しく、風は強く衣のなかにまで吹きつけてくる。 
人生如此自可樂,豈必局束爲人鞿。
人生とは、このように自分からら楽しめることだとおもえることをすべきものであるし。他人のことをきにして、その人のために繋がれてちぢこまっているということが、どうして必要なのか。
嗟哉吾黨二三子,安得至老不更歸。」
ああ、わたしの人生おける仲間の達、二、三人の君たちよ。どうして歳を取ってから、それでもなおまた、隠棲することにならざるをえないであろう。 

#1
山石 犖确(らくかく)として 行径(こうけい)微にして,黄昏 寺に到れば 蝙蝠(へんぷく)飛ぶ。
堂に昇り 階に坐ざすれば 新雨足り,芭蕉(ばしょう)の葉は大いにして 支子肥ゆ。
僧は言う「古壁の佛畫(ぶつガ)好し」と,火を以て 來り照らすに 見る所稀まれなり。

#2
床を鋪(し)き 席(むしろ)を拂いて羹飯(こうはん)を置き,疏糲(それい) 亦また我が飢を 飽(あ)かしむるに 足る。
夜深く靜かに臥すれば 百蟲(ひゃくちゅう) 絶え,清月 嶺を出て 光 扉(とびら)に入る。
天明 獨り去ゆくに道路 無く,高下に 出入して  煙霏(えんぴ) を窮(きわ)む。
山 紅(くれない)に澗(たに) 碧(みどり)に 紛まじりて 爛漫,時に見る 松櫪(しょうれき)の皆 十圍(じゅうい)なるを。
#3
流れに當りて赤足もて 澗石(かんせき)を 蹋(ふ)み,水聲 激激として 風 衣(ころも)を吹く。
人生 此かくの如く自から樂しむべく,豈 必ずしも 局束(きょくそく)として 人の爲ために鞿(つな)がれんや。
嗟哉(ああ) 吾わが黨の二、三の子し,安いづくんぞ 老に至りて 更に歸らざることを得ん。


sas00800

現代語訳と訳註
(本文) #3

當流赤足蹋澗石,水聲激激風吹衣。
人生如此自可樂,豈必局束爲人鞿。
嗟哉吾黨二三子,安得至老不更歸。」


(下し文) #3

流れに當りて赤足もて 澗石(かんせき)を 蹋(ふ)み,水聲 激激として 風 衣(ころも)を吹く。
人生 此かくの如く自から樂しむべく,豈 必ずしも 局束(きょくそく)として 人の爲ために鞿(つな)がれんや。
嗟哉(ああ) 吾わが黨の二、三の子し,安いづくんぞ 老おいに至りて 更に歸らざることを得ん。


(現代語訳)
谷川の流れに行き至ったので、裸足になって、水中の石を踏んでいくと、水の音はだんだん激しく、風は強く衣のなかにまで吹きつけてくる。 
人生とは、このように自分からら楽しめることだとおもえることをすべきものであるし。他人のことをきにして、その人のために繋がれてちぢこまっているということが、どうして必要なのか。
ああ、わたしの人生おける仲間の達、二、三人の君たちよ。どうして歳を取ってから、それでもなおまた、隠棲することにならざるをえないであろう。 


(訳注)
當流赤足蹋澗石、水聲激激風吹衣。

谷川の流れに行き至ったので、裸足になって、水中の石を踏んでいくと、水の音はだんだん激しく、風は強く衣のなかにまで吹きつけてくる。 
當流 (谷川の)流れに行き当たる。 ○赤足 裸足(はだし)。 ○ 〔とう〕踏(ふ)む。 ○澗石 〔かんせき〕谷川の石。○激激 〔げきげき〕水の勢いの激しいさま。


人生如此自可樂、豈必局束爲人鞿
人生とは、このように自分からら楽しめることだとおもえることをすべきものであるし。他人のことをきにして、その人のために繋がれてちぢこまっているということが、どうして必要なのか。 
人生 人生。人が生きる。 ○如此 このよう(に)。 ○自可樂 自分からら楽しめることとおもえることをやるべきものである。たとえ、落第しても、仲間と哲学論争をして、人生を意義あるものにしたい。○豈必 必ずしも…するには及ばない。 ○局束 〔きょくそく〕体や心が縮こまる。のびのびしない。人のことを気にしたり、受験のことだけで萎縮したり、知事困ったりすることの方が問題である。○爲人 人柄。人格、品格をけいせいすること。 ○ 〔き〕きずな。束縛。作者は動詞として使っている。


嗟哉吾黨二三子、安得至老不更歸。
ああ、わたしの人生おける仲間の達、二、三人の君たちよ。どうして歳を取ってから、それでもなおまた、隠棲することにならざるをえないであろう。 
嗟哉 ああ。おお。歎息する。感嘆する。 ○吾黨 わたしの仲間。 ○二三子 二、三人の者。 ○安得 どこに求められよう。どうして…だろうか。いづくにか…を得ん。いづくんぞ…なるを得んや。 ○至老 老齢になっても。年をとっても。 ○不更歸 なおまた隠棲することがない。「更不歸」の意。○安得不更歸 帰ってこざるを得ないだろう。

五重塔(2)

山石

山に転がって進む道を邪魔する石。(韓愈受験に落第し、再度チャレンジすることを決したことをこの山道にたとえてうたうものである。)
#1
山石犖确行徑微,黄昏到寺蝙蝠飛。
山に登る道は大きい石がごろごろとたくさんあり、小道は細くなってかすかな感じになっている。黄昏(たそがれ)になって寺にたどり着くと、蝙蝠(こうもり)が飛んでいる。 
升堂坐階新雨足,芭蕉葉大支子肥。
お堂に昇っていく階に坐れば新たに充分な雨が降っている。この雨で、芭蕉の葉は大きくなって、梔子(しし、くちなし)の実が大きくなっている。 
僧言古壁佛畫好,以火來照所見稀。」
坊さんは古い壁に措かれた仏の絵がすはらしいといい、明かりで照らしてくれたが、剥げているためいくらも見えなかった。
僧侶の方は「古い壁の仏画は好いものだ」とお説教をしてくれる。その仏画は、火で照らし出した部分、見えたのは、ごく一部である。


#2
鋪床拂席置羹飯,疏糲亦足飽我飢。
寝床と腰掛になる板を並べ、席(むしろ)の敷物をひろげてくれ、羹、煮物と御飯を置きならべてくれて、粗食であってもわたしの空腹を満足させるに充分である。
夜深靜臥百蟲絶,清月出嶺光入扉。
夜が深けて静かに横に伏せていたら、たくさんの虫の声が急に途絶えて、清らかな月が、嶺から出てくると、月光が戸口から入ってくる。
天明獨去無道路,出入高下窮煙霏。
天が明るくなったのにつられて、ひとりで出かけようと思うが道らしい道が無いのである。道は高くなったり、下に下がったりして変化に富んでいる、朝靄が深くなるところを窮めるまでるいていくのだ。
山紅澗碧紛爛漫,時見松櫪皆十圍。」
山は紅になり、谷川は、苔むした碧色で流れる水も淥である、赤と緑は混じり合って、光り輝いている。時々、松や櫪(くぬぎ)の十人でかかえほどもあるのを見かける。#3
當流赤足蹋澗石,水聲激激風吹衣。
谷川の流れに行き至ったので、裸足になって、水中の石を踏んでいくと、水の音はだんだん激しく、風は強く衣のなかにまで吹きつけてくる。 
人生如此自可樂,豈必局束爲人鞿。
人生とは、このように自分からら楽しめることだとおもえることをすべきものであるし。他人のことをきにして、その人のために繋がれてちぢこまっているということが、どうして必要なのか。
嗟哉吾黨二三子,安得至老不更歸。」
ああ、わたしの人生おける仲間の達、二、三人の君たちよ。どうして歳を取ってから、それでもなおまた、隠棲することにならざるをえないであろう。 

#1
山石 犖确(らくかく)として 行径(こうけい)微にして,黄昏 寺に到れば 蝙蝠(へんぷく)飛ぶ。
堂に昇り 階に坐ざすれば 新雨足り,芭蕉(ばしょう)の葉は大いにして 支子肥ゆ。
僧は言う「古壁の佛畫(ぶつガ)好し」と,火を以て 來り照らすに 見る所稀まれなり。
#2
床を鋪(し)き 席(むしろ)を拂いて羹飯(こうはん)を置き,疏糲(それい) 亦また我が飢を 飽(あ)かしむるに 足る。
夜深く靜かに臥すれば 百蟲(ひゃくちゅう) 絶え,清月 嶺を出て 光 扉(とびら)に入る。
天明 獨り去ゆくに道路 無く,高下に 出入して  煙霏(えんぴ) を窮(きわ)む。
山 紅(くれない)に澗(たに) 碧(みどり)に 紛まじりて 爛漫,時に見る 松櫪(しょうれき)の皆 十圍(じゅうい)なるを。
#3
流れに當りて赤足もて 澗石(かんせき)を 蹋(ふ)み,水聲 激激として 風 衣(ころも)を吹く。
人生 此かくの如く自から樂しむべく,豈 必ずしも 局束(きょくそく)として 人の爲ために鞿(つな)がれんや。
嗟哉(ああ) 吾わが黨の二、三の子し,安いづくんぞ 老おいに至りて 更に歸らざることを得ん。


blogram投票ボタン

毎日それぞれ一首(長詩の場合一部分割掲載)kanbuniinkai紀 頌之の漢詩3ブログ
05rihakushi350

李白詩350首kanbuniinkai紀頌之のブログ

700Toho shi

kanbuniinkai11の頌之漢詩 杜甫詩700首


800tousouSenshu
kanbuniinkai10 頌之の漢詩 唐宋詩人選集 Ⅰ李商隠150首 Ⅱ韓退之(韓愈)Ⅶ孟郊
各詩人についてはブログ内の検索を利用したほうが良い場合もあります。
burogutitl770

http://kanshi100x100.blog.fc2.com/




唐宋詩 
(Ⅰ李商隠Ⅱ韓退之(韓愈))

李白詩INDEX02
日ごとのブログ目次

李商隠INDEX02
ブログ日ごとの目次

杜甫詩INDEX02
日ごとのブログ目次


 

唐宋詩190Ⅱ韓退之(韓愈) 紀頌之の漢詩ブログ 韓愈特集-2 北極贈李觀

唐宋詩190Ⅱ韓退之(韓愈) 紀頌之の漢詩ブログ 韓愈特集-2 北極贈李觀
792年25歳
宮島(6)

韓退之(韓愈)は、罪を得て流され、配所で死んだ韓会の弟である。そんな者の世話をしようなどという奇特な人、があるわけはない。韓退之(韓愈)が「古えの道」をふりかざしていなくとも、「門を出でて之く所がない」状態になるのは、当然のことであった。
落第も続くとなると、周囲の目も温かいばかりではなくなってくる。ことに韓退之(韓愈)の場合は、世話をしてくれる馬燧への気がねも必要である。

787年、韓退之(韓愈)は、馬燧が外出のおり、その行列をさえぎって直訴した。「馬前に拝した」後、馬燧は、直訴した韓愈を罰せずに、安邑里の私邸で会ってくれ、「其の寒飢(かんき)を軫(み)て」、着物と食事とを恵んでくれ、二人の息子を呼び出して韓愈の世話をしてやるようにと命じたたためもあって、三回目に落第した翌年の790貞元六年、彼は都を離れて江南へと帰った。その目的は明らかにされていないが、長安での生活が意外に長くなりすぎたため、一度家に帰って一息ついて気分新たに都での生活費をなんらかの補充したのではなかろうか。愈はこの旅の途中で、滑州(河南省鄭州の付近)にいた賈耽(かたん)という節度使にあてて手紙を送った(「賈滑州に上る書」)。内容は賈耽の幕僚として採用を願い出たもので、このときの愈は落第が続いたためもあり、よほど経済的に困っていたのだ。だがこの手紙は、買耽に韓愈のためを成したというものにはならなかった。

 江南へ帰って一年、詳しいことはわからないが経済上の見通しが立ったのであろう、791貞元七年韓愈は再び上京した。そして翌年、二十五歳でめでたく科挙に合格する。その年合格の前に作ったのが「北極贈李觀」である。韓愈と李観とは科挙同期及第者、「同年」と称して友人の義を結んだ親友であった。

北極贈李觀 韓退之(韓愈)

北極贈李觀 #1
北極有羈羽,南溟有沉鱗。
天下世界の北のはてにふるさとを遠く離れた鳥がおり、南のはての海には水底深くもぐったままの魚がいる。
川原浩浩隔,影響兩無因。
川原は広々とはるかな間を隔てている、鳥も魚も、声の聞きようもなければ姿の見ようもないのである。
風雲一朝會,變化成一身。
それがある朝のことである突然の風雲にめぐり遇って、変化したかと思うと一つの体になってしまったのである。
誰言道裏遠,感激疾如神。

こんな出来事は、道のりが遠いなどと誰が言えるというのか。心を打つ力というものは速いこと神わざかと思うばかりなのだ。
#2
我年二十五,求友昧其人。
哀歌西京市,乃與夫子親。
所尚茍同趨,賢愚豈異倫。
方為金石姿,萬世無緇磷。
無為兒女態,憔悴悲賤貧。


#1
北極に羈羽有り、南溟(なんめい) 沉鱗(ちんりん)有り。
川原 浩浩として隔て、影響 両つながら因る無し。
風雲 一朝に会して、変化して一身と成る。
誰か言う道里 遠しと、感激して疾きこと神の如し。
我 年 二十五、友を求むれども其の人に昧し。

#2
西京の市に哀歌して、乃ち夫子と親しめり。
尚(とうと)ぶ所に 茍(いやしく)も趨(すう)を同じくせば、。賢愚(けんぐ) 豈 倫(とも)を異(から)にせんや
方に金石の姿と為りて、万世 緇磷(さいりん)すること無けん。
児女の態を為して、樵悴して賤貧を悲しむこと無かれ。


 現代語訳と訳註
(本文) 北極贈李觀 #1

北極有羈羽,南溟有沉鱗。
川原浩浩隔,影響兩無因。
風雲一朝會,變化成一身。
誰言道裏遠,感激疾如神。


(下し文) #1
北極に羈羽有り、南溟(なんめい) 沉鱗(ちんりん)有り。
川原 浩浩として隔て、影響 両つながら因る無し。
風雲 一朝に会して、変化して一身と成る。
誰か言う道里 遠しと、感激して疾きこと神の如し。
我 年 二十五、友を求むれども其の人に昧し。
 
(現代語訳)
天下世界の北のはてにふるさとを遠く離れた鳥がおり、南のはての海には水底深くもぐったままの魚がいる。
川原は広々とはるかな間を隔てている、鳥も魚も、声の聞きようもなければ姿の見ようもないのである。
それがある朝のことである突然の風雲にめぐり遇って、変化したかと思うと一つの体になってしまったのである。
こんな出来事は、道のりが遠いなどと誰が言えるというのか。心を打つ力というものは速いこと神わざかと思うばかりなのだ。

(訳注)
北極有羈羽,南溟有沉鱗。
天下世界の北のはてにふるさとを遠く離れた鳥がおり、南のはての海には水底深くもぐったままの魚がいる。
北極 天下は九分割されて九州としていたが、地上波東西南北それぞれ行き着くところがあり、崖になって海になるという考えでありその北の果てをいうものである。○羈羽 旅人のことを言うのであるが、下句に魚を言うので表現としては、故郷を離れた鳥と訳すのが妥当。○南溟 南のはての海。○沉鱗 水底深くもぐったままの魚。人に認められないことのたとえ。睨は魚類。揖羽と沈鱗は、韓愈と李観とに喩える。


川原浩浩隔,影響兩無因。
川原は広々とはるかな間を隔てている、鳥も魚も、声の聞きようもなければ姿の見ようもないのである。
浩浩 広々としたさま。○影響 影と声の響き。○兩無因 両方ともその姿さえ見えない。


風雲一朝會,變化成一身。
それがある朝のことである突然の風雲にめぐり遇って、変化したかと思うと一つの体になってしまったのである。
風雲 風雲に乗じて、という心持ち。外からはたらく助けによってある機会を得ることをさす。○一朝會 ある朝出会う。ひとたび出会うこと。○一身 わかれていたものが、あるいは離れていたものが一体化すること。


誰言道裏遠,感激疾如神。
こんな出来事は、道のりが遠いなどと誰が言えるというのか。心を打つ力というものは速いこと神わざかと思うばかりなのだ。
道裏遠 道のりが遠いさまをいう。○疾如神 速いこと神わざかと思えるほどであること。



blogram投票ボタン

毎日それぞれ一首(長詩の場合一部分割掲載)kanbuniinkai紀 頌之の漢詩3ブログ
05rihakushi350

李白詩350首kanbuniinkai紀頌之のブログ


700Toho shi

kanbuniinkai11の頌之漢詩 杜甫詩700首



800tousouSenshu
kanbuniinkai10 頌之の漢詩 唐宋詩人選集 Ⅰ李商隠150首




burogutitl770

http://kanshi100x100.blog.fc2.com/

記事検索
最新記事
最新記事(画像付)
記事検索
プロフィール

紀 頌之

Twitter プロフィール
カテゴリ別アーカイブ
QRコード
QRコード
  • ライブドアブログ