漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩 中唐詩人選集【Ⅰ李商隠-150】Ⅱ韓退之(韓愈)-500Ⅶ孟郊(東野)賈島張籍柳宗元韋応物

Ⅰ李商隠は難解詩といわれている。約150首紹介済。(晩唐詩人) Ⅱ韓退之(韓愈)-約500首Ⅶ孟郊、中唐の詩人を掲載中。万物の性(さが)をテーマにした哲学的な詩。このブログは基本的に中唐詩人を中心にして掲載する予定。 韓愈詩文のこれまでの掲載分とこれから掲載予定分を時系列で整理した2014.3.29のブログに集約してそこから各年次を見ることができる  kanbuniinkai 検索で、《漢文委員会HP05》サイトあります。漢詩唐詩を理解するための総合サイト:≪漢文委員会 漢詩07≫。

#2

少し、マニアックな晩唐詩人Ⅰ-李商隠150首をまず掲載済み。中唐は盛唐詩人(孟浩然・王維、杜甫、李白)を受け継いだ多様な詩人が出ている。この時代も驚くほど詩が発展している。Ⅱ韓退之(韓愈)500首、Ⅲ柳宗元40首、Ⅳ韋応物、Ⅴ劉長卿、Ⅵ韋荘、Ⅶ孟郊(孟東野)、Ⅷ張籍、Ⅸ賈島、Ⅹ劉禹錫、ほか2012~2020年の予定で気長に進める。同じ中唐ではあるが、白居易のグループについては、李白のブログ350首(2015/6月再開~2018/夏・秋月予定)の後掲載の予定。別に杜甫詩ブログ1500首(2011/7月~2018/8月の予定で)を進行中。詩数につぃては、予定の詩数より多くなる。気まぐれなところがあるのでこの予定が少し変わる場合があり、その節はご容赦ください。                 古詩・謝霊運詩 杜甫詩 韓愈詩 花間集500首全詩 それぞれ毎日ブログしています。 このブログ、索引=語句の「検索」 参考書以上掲載。漢詩力up。

Ⅶ孟郊(孟東野) 罪松 #2 <20>紀頌之の漢詩ブログ 中唐詩244

Ⅶ孟郊(孟東野) 罪松 #2 <20>紀頌之の漢詩ブログ 中唐詩244


<賢者の処罰>
青々と茂る松は、冬の寒さにも枯れない。その姿は、逆境にも屈しない固い節操や、高潔な人格にたとえられる。陶淵明「飲酒二十首」其八(『陶淵明集』巻三)の冒頭でも、「青松在東園、衆草没其姿。凝霜殄異類、卓然見高枝」、青い松は庭の雑草に隠れているけれども、霜がほかの草木を枯らすと、ひときわ高くそびえているのが分かる、と松の姿を讃えている。ところが、孟郊は、そのような松の姿を非難する、「罪松」(巻二)と題する詩を書いている。

五十歳にしてやっと及第し、溧陽県尉というに低位にすぎない官職についたわけで、他の詩人と異なる最も大きいポイントが世界観の小ささだ。知能の発育、社会生活の中での自分形成、どこをとってもいびつなものである。視点は面白いのだが雰囲気が陰気である。


罪松 孟郊
  雖爲青松姿,霜風何所宜。
  二月天下樹,綠於青松枝。
  勿謂賢者喻,勿謂愚者規。
  伊呂代封爵,夷齊終身饑。
  彼曲既在斯,我正實在茲。」
 涇流合渭流,清濁各自持。
涇水の流れは、黄土を流して南流して、西から清く澄みきった水をたたえて東流する渭水の流れに合流する。清濁各々自らの特徴をもっている。
 天令設四時,榮衰有常期。
そして、天はこの世に年、月、日それぞれに四時を設けさだめられ、栄えたのち衰えることという決まりごとのように時期は来るものである。
 榮合隨時榮,衰合隨時衰。
繁栄するには法則に合致している時勢に従って繁栄するのであり、衰退するのはそれも衰退する時勢法則に合致し随っているのである。
  天令既不從,甚不敬天時。
青松は天の定めた法則に既に従わないでいるし、はなはだ問題なのは天の定めた時勢を敬わっていないことだ。
 松乃不臣木,青青獨何爲。」
このように松は天の定め西が得ないという不忠の家臣である、好き勝手に常に青々としている来tに何の意味があるというのだ。



青松の姿を為すと雖も、霜風何の宜しき所ぞ。
二月天下の樹、青松の枝よりも緑なり。
賢者の喩と謂うこと勿れ、愚者の規と謂うこと勿れ。
伊呂代々封爵せられ、夷斉終身飢う。
彼の曲既に斯に在り、我の正実に茲に在り。」
#2
涇流渭流に合し、清濁各々自ら持す。
天四時を設けしめ、栄衰常期有り。
栄ゆるには合に時に随いて栄ゆべし、衰うるには合に時に随いて衰うべし。
天令既に従わず、甚だ天の時を敬わず。
松は乃ち不臣の木なり、青青独り何為るものぞ。」


現代語訳と訳註
(本文)#2

涇流合渭流,清濁各自持。
天令設四時,榮衰有常期。
榮合隨時榮,衰合隨時衰。
天令既不從,甚不敬天時。
松乃不臣木,青青獨何爲。」


(下し文) #2
涇流渭流に合し、清濁各々自ら持す。
天四時を設けしめ、栄衰常期有り。
栄ゆるには合に時に随いて栄ゆべし、衰うるには合に時に随いて衰うべし。
天令既に従わず、甚だ天の時を敬わず。
松は乃ち不臣の木なり、青青独り何為るものぞ。」


(現代語訳)
涇水の流れは、黄土を流して南流して、西から清く澄みきった水をたたえて東流する渭水の流れに合流する。清濁各々自らの特徴をもっている。
そして、天はこの世に年、月、日それぞれに四時を設けさだめられ、栄えたのち衰えることという決まりごとのように時期は来るものである。
繁栄するには法則に合致している時勢に従って繁栄するのであり、衰退するのはそれも衰退する時勢法則に合致し随っているのである。
青松は天の定めた法則に既に従わないでいるし、はなはだ問題なのは天の定めた時勢を敬わっていないことだ。
このように松は天の定め西が得ないという不忠の家臣である、好き勝手に常に青々としている来tに何の意味があるというのだ。


(訳注)
涇流合渭流,清濁各自持。

涇流渭流に合し、清濁各々自ら持す。
涇水の流れは、黄土を流して南流して、西から清く澄みきった水をたたえて東流する渭水の流れに合流する。清濁各々自らの特徴をもっている。
涇水渭水 涇水と渭水。共に中国陝西(せんせい)省を流れる川で、涇水は常に濁り、渭水は常に澄んでいる。二つの川が合流する地点では、その清濁が対照的であるところから、清濁・善悪などの区別が明らかなことのたとえに用いられる。


天令設四時,榮衰有常期。
天四時を設けしめ、栄衰常期有り。
そして、天はこの世に年、月、日それぞれに四時を設けさだめられ、栄えたのち衰えることという決まりごとのように時期は来るものである。
四時 ・1年の四つの季節、春夏秋冬の総称。四季。・1か月中の四つの時。晦(かい)・朔(さく)・弦・望。・一日中の4回の座禅の時。黄昏(こうこん)(午後8時)・後夜(ごや)五更(午前4時)・早晨(そうじん)(午前10時)・時(ほじ)(午後4時)。


榮合隨時榮,衰合隨時衰。
栄ゆるには合に時に随いて栄ゆべし、衰うるには合に時に随いて衰うべし。
繁栄するには法則に合致している時勢に従って繁栄するのであり、衰退するのはそれも衰退する時勢法則に合致し随っているのである。


天令既不從,甚不敬天時。
天令既に従わず、甚だ天の時を敬わず。
青松は天の定めた法則に既に従わないでいるし、はなはだ問題なのは天の定めた時勢を敬わっていないことだ。


松乃不臣木,青青獨何爲。」
松は乃ち不臣の木なり、青青独り何為るものぞ。」
このように松は天の定め西が得ないという不忠の家臣である、好き勝手に常に青々としている来tに何の意味があるというのだ。

中唐詩232 贈蘇州韋郎中使君 #2 Ⅶ孟郊(孟東野)<14-2>紀頌之の漢詩ブログ

中唐詩232 贈蘇州韋郎中使君 #2 Ⅶ孟郊(孟東野)<14-2>紀頌之の漢詩ブログ

 孟郊の文学論を祖先を門閥に持つ韋応物にあてて述べている作品。
批評された文学者は謝霊運、徐陵、庾信、曹植、劉楨であり、韋応物は、謝霊運のようであるとする。
 絶句四篇を一つに並べ啖呵を切るように詠ったものでなかなか面白い作品である。


贈蘇州韋郎中使君 孟郊


贈蘇州韋郎中使君
謝客吟一聲,霜落群聽清。文含元氣柔,鼓動萬物輕。」
嘉木依性植,曲枝亦不生。塵埃徐庾詞,金玉曹劉名。』
#2
章句作雅正,江山益鮮明。
詩句を作成するのに鴟梟の風雅をもってすれば、大河、江川はますます鮮明にその「趣き」を深くするのである。
萍蘋一浪草,菰蒲片池榮。」
今の流行している詩文は艶麗な詩風の真似事で浮草のように波に漂っている一草の様なものだ、そんなものが、「まこも」と蒲のように池の周りに繁っているようである。
曾是康樂詠,如今搴其英。
自然山水ならかつて謝康樂がうたっている、今でいえば韋応物、あなたがその英を受け継いでいるのである。
顧惟菲薄質,亦願將此並。」

私自身をかえりみれば粗末で軽薄な詩質なものだと思うのであり、できるならばあなたの詩に並びたいと思い願うのである。


謝客 一聲を吟ずれば,霜落ち 群聽清し。
文は元氣を含みて柔らかく,萬物を鼓動して輕なり。」
嘉木 性に依って植えれば,曲枝も亦 生ぜず。
塵埃たり 徐庾の詞,金玉たるは 曹劉の名なり。』
#2
章句 雅正を作せば,江山 益々鮮明。
萍蘋 一浪の草,菰蒲 片池の榮なり。」
曾て是れ 康樂の詠みしところ,如今 其の英を搴(と)る。
顧みて菲薄の質を惟い,亦 此を將て並ばんことを願う。』


現代語訳と訳註
(本文)
贈蘇州韋郎中使君 #2
章句作雅正,江山益鮮明。
萍蘋一浪草,菰蒲片池榮。」
曾是康樂詠,如今搴其英。
顧惟菲薄質,亦願將此並。」

 (下し文)蘇州韋郎中使君に贈る #2
章句 雅正を作せば,江山 益々鮮明。
萍蘋 一浪の草,菰蒲 片池の榮なり。
曾て是れ 康樂の詠みしところ,如今 其の英を搴(と)る。
顧みて菲薄の質を惟い,亦 此を將て並ばんことを願う


(現代語訳)#2
詩句を作成するのに鴟梟の風雅をもってすれば、大河、江川はますます鮮明にその「趣き」を深くするのである。
今の流行している詩文は艶麗な詩風の真似事で浮草のように波に漂っている一草の様なものだ、そんなものが、「まこも」と蒲のように池の周りに繁っているようである。
自然山水ならかつて謝康樂がうたっている、今でいえば韋応物、あなたがその英を受け継いでいるのである。
私自身をかえりみれば粗末で軽薄な詩質なものだと思うのであり、できるならばあなたの詩に並びたいと思い願うのである。


(訳注)贈蘇州韋郎中使君 #2
章句作雅正,江山益鮮明。

章句 雅正を作せば,江山 益々鮮明。
詩句を作成するのに鴟梟の風雅をもってすれば、大河、江川はますます鮮明にその「趣き」を深くするのである。
雅正 「大雅」や「風雅」と結びつく、思想を主とした正しい詩、すなわち『詩経』の伝統を表す語である。孟郊において建安文学が重要な位置を占めることをあらわしたものである。


萍蘋一浪草,菰蒲片池榮。」
萍蘋 一浪の草,菰蒲 片池の榮なり。
今の流行している詩文は艶麗な詩風の真似事で浮草のように波に漂っている一草の様なものだ、そんなものが、まこもと蒲のように池の周りに繁っているようである。
萍蘋 浮き草。中州、湿地帯に生えるその地に根を下ろしていない浮き草をいう。○菰蒲 まこもとがま。蒲は夏. 水辺に生え、穂の茶色い部分はフランクフルトソーセージみたいな感じのもの。


曾是康樂詠,如今搴其英。
曾て是れ 康樂の詠みしところ,如今 其の英を搴(と)る。
自然山水ならかつて謝康樂がうたっている、今でいえば韋応物、あなたがその英を受け継いでいるのである。


顧惟菲薄質,亦願將此並。」
顧みて菲薄の質を惟い,亦 此を將て並ばんことを願う。
私自身をかえりみれば粗末で軽薄な詩質なものだと思うのであり、できるならばあなたの詩に並びたいと思い願うのである。
菲薄  粗末で劣っていること。才能などの乏しいこと。また、そのさま。


孟郊が15歳年長者の韋応物に贈ったものである。詩中「謝客」「康楽」は晋末宋初の謝霊運のことである。
この詩では韋郎中使君、つまり韋応物を同じ門閥出身者の謝霊運になぞらえて称えている。どちらも山水詩人として高名であり、謝霊運を詠った李白などとは違って軽快で面白い。批評としても絶妙であり、「清」「柔」「軽」という語で二人の詩を端的にとらえている。「嘉木 性に依って植えれば,曲枝も亦 生ぜず。」は孟郊らしい偏見でおもしろい。

六朝時代玉臺新詠に代表される艶情歌のこと、詩中では「徐庾」は徐陵・庾信のことで、「徐庾の詞」「徐庾体」を確立し、宮中での歌には欠かせない大流行させていたものである。彼らの綺鑑麗華な詩風を孟郊はそれを「塵埃」であると排斥し、かわりに「金玉」である「曹劉」を称揚する。「曹劉」は曹植・劉楨のこと,で、いわゆる建安の詩風を表している。有名、無名を合わせ、数多くの文学者が建安の文壇に名を連ねてはいるが、中でも著名なのが、建安七子と呼ばれる文学者たちである。
孔融・陳琳・徐幹・王粲・応瑒・劉楨・阮瑀ら七人を総称して、建安の七子と呼ぶ。それに加えて、建安文学の擁護者であり、一流の詩人でもあった曹一族の曹操・曹丕・曹植の三人(三曹と呼ぶ)を同列とし、建安の三曹七子と呼称することもある。
また、繁欽・何晏・応璩・蔡琰・呉質といった著名文学者たちも、この建安文学に携わり、大きく貢献した文壇の一員であるとされている。

重雲李觀疾贈之 #2 唐宋詩201Ⅱ韓退之(韓愈) 紀頌之の漢詩ブログ 韓愈特集-5

重雲李觀疾贈之 #2 唐宋詩201Ⅱ韓退之(韓愈) 紀頌之の漢詩ブログ 韓愈特集-5

孟郊が進士の試に合格したのは貞元十二年〈七九六〉であった。すなわちこの詩は、合格前の郊に贈ったものである。礼部の試には合格したが、吏部の試には落第した愈と、礼部の試にも合格できぬ郊と、落第の段階は違うが、官職につけず、俸給がもらえない点では、変わりがない。だから愈のこの時期の詩はヽ進士の試に合格はしたもののヽ「門を昨ず」と同じ調子をもっている・ そして翌貞元十年〈七九四〉に、愈が最も尊敬していた同輩の李観が死んだ。観はすでに博学鴻辞の科にも合格し、太子校書の職を授けられていた。その最後の病床に、愈は一首の詩を贈った。

李観が死んだのは、貞元十年の春である。この春は異常に長雨が続き、『唐書』「五行志」によれば、四か月のあいだに降らなかったのはたった一日か二日であったという。詩はそのときに作られたのであろう。


重雲李觀疾贈之
#1

  天行失其度,陰氣來幹陽。
  重雲閉白日,炎燠成寒涼。
  小人但咨怨,君子惟憂傷。
  飲食爲減少,身體豈寧康。」
#2
此志誠足貴,懼非職所當。
君の気持はほんとうに貴ばれる値うちのあるものである、ただ、おそらくは君の職責の該当する問題ではあるまい。
藜羹尚如此,肉食安可嚐。
わたしにしたって、俸禄がなくアカザを実にした吸い物を啜る今の身分ではあるがこのとおりである、高い身分の人が食ベる肉料理など、味わうことができるものか。
窮冬百草死,幽桂乃芬芳。
冬の極まった季節には全部の草が枯れてしまうものであるが、そうなると奥まったところに植えられている桂であってもよい香りを放つということなのだ。
且況天地間,大運自有常。
ましてこの天地の間に、めぐり来る運命にはそれなりの法則性があるものだ(だから君の病気はきっと全快する。
勸君善飲食,鸞鳳本高翔。」
しっかり食事をとることを君に進める。君は非几な鸞鳳である、もともと世俗を超越して、高く翔るものなのだ。


#1
天行 其の度を失い、陰気 来たりて陽を干(おか)す。
重雲(ちょううん)は白日を閉し、炎燠(えんいく)は寒涼と成る。
小人は但だ咨怨(しえん)するのみ、君子は惟れ憂傷す。
飲食 為に減少す、身体 豈 寧康ならんや。
#2
此の志 誠に貴ぶに足るも、懼(おそ)らくは職の当たる所に非じ。
藜羹(れいこう)すら 尚 此の如し、肉食 安くんぞ嚐(な)む可けんや。
窮冬(きゅうとう) 百草 死し、幽桂(ゆうけい) 乃ち芬芳(ぶんほう)。
且つ況んや天地の間、大運 自から常有るをや。
君に勸む善く飲食せよ、鸞鳳 本 高翔す。


重雲李觀疾贈之 " 現代語訳と訳註
(本文) #2

  此志誠足貴,懼非職所當。
  藜羹尚如此,肉食安可嚐。
  窮冬百草死,幽桂乃芬芳。
  且況天地間,大運自有常。
  勸君善飲食,鸞鳳本高翔。」

(下し文) #2
此の志 誠に貴ぶに足るも、懼(おそ)らくは職の当たる所に非じ。
藜羹(れいこう)すら 尚 此の如し、肉食 安くんぞ嚐(な)む可けんや。
窮冬(きゅうとう) 百草 死し、幽桂(ゆうけい) 乃ち芬芳(ぶんほう)。
且つ況んや天地の間、大運 自から常有るをや。
君に勸む善く飲食せよ、鸞鳳 本 高翔す。


(現代語訳) #2
君の気持はほんとうに貴ばれる値うちのあるものである、ただ、おそらくは君の職責の該当する問題ではあるまい。
わたしにしたって、俸禄がなくアカザを実にした吸い物を啜る今の身分ではあるがこのとおりである、高い身分の人が食ベる肉料理など、味わうことができるものか。
冬の極まった季節には全部の草が枯れてしまうものであるが、そうなると奥まったところに植えられている桂であってもよい香りを放つということなのだ。
ましてこの天地の間に、めぐり来る運命にはそれなりの法則性があるものだ(だから君の病気はきっと全快する)。
しっかり食事をとることを君に進める。君は非几な鸞鳳である、もともと世俗を超越して、高く翔るものなのだ。


(訳注)
此志誠足貴,懼非職所當。
(此の志 誠に貴ぶに足るも、懼(おそ)らくは職の当たる所に非じ。)

君の気持はほんとうに貴ばれる値うちのあるものである、ただ、おそらくは君の職責の該当する問題ではあるまい。
 職責 李観博学鴻辞の科にも合格し、太子校書の職。


藜羹尚如此,肉食安可嚐。
(藜羹(れいこう)すら 尚 此の如し、肉食 安くんぞ嚐(な)む可けんや。)
わたしにしたって、俸禄がなくアカザを実にした吸い物を啜る今の身分ではあるがこのとおりである、高い身分の人が食ベる肉料理など、味わうことができるものか。
藜羹 アカザを実にした吸い物。粗末な食物のたとえ。(藜羹を食らう者は大牢の滋味を知らず.)


窮冬百草死,幽桂乃芬芳。
(窮冬(きゅうとう) 百草 死し、幽桂(ゆうけい) 乃ち芬芳(ぶんほう)。)
冬の極まった季節には全部の草が枯れてしまうものであるが、そうなると奥まったところに植えられている桂であってもよい香りを放つということなのだ。
 1 カツラ科の落葉高木。山地に自生。葉は広卵形で裏面が白い。雌雄異株。5月ごろ、紅色の雄花、淡紅色の雌花をつけ、花びらはない。材を建築・家具や碁盤・将棋盤などに用いる。おかつら。かもかつら。
2 中国の伝説で、月の世界にあるという木。
桂を折る
《「晋書」郤詵(げきしん)伝から。すぐれた人材を桂の枝にたとえて》官吏登用試験に合格する。桂林(けいりん)の一枝(いっし)
 よいかおりのするさま。匂いただようさま。


且況天地間,大運自有常。
(且つ況んや天地の間、大運 自から常有るをや。)
ましてこの天地の間に、めぐり来る運命にはそれなりの法則性があるものだ(だから君の病気はきっと全快する。


勸君善飲食,鸞鳳本高翔。」
(君に勸む善く飲食せよ、鸞鳳 本 高翔す。)
しっかり食事をとることを君に進める。君は非几な鸞鳳である、もともと世俗を超越して、高く翔るものなのだ。



詩は、韓愈が李観の家へは行かずに、詩のみを贈って病気見舞いとしたらしい。観の病気に対して愈はあまり重大に考えず、気侯不順のため食欲も進まず、身体に違和を来たしたと思っていたようである。それに加えて、天侯の異変は天のいましめであるとする通念がある。まじめな李観は、それを心配しているのであろう。だが、そんなことを心配するのは宰相の職分で、太子校書ごときが心配するのは、越権行為である。そんなことは気にかけず、療養につとめなさい、と愈は言っているのである。
 そのかいもなく、李観は死んだ。享年二十九であった。

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唐宋詩195 Ⅶ孟郊(孟東野)紀頌之の漢詩ブログ 孟郊の交遊の詩(2)擇友 #2

唐宋詩195 Ⅶ孟郊(孟東野)紀頌之の漢詩ブログ 孟郊の交遊の詩(2)擇友 #2

擇友 孟郊
#1
獸中有人性,形異遭人隔。人中有獸心,幾人能真識。
古人形似獸,皆有大聖德。今人表似人,獸心安可測。
雖笑未必和,雖哭未必戚。面結口頭交,肚里生荆棘。
#2
好人常直道,不顺世間逆。
好まれる良い人物というものは常に筋の通ったまっすぐなもの言いをする、世間の人々の行う邪な道に沿った流れに従いはしない。
惡人巧諂多,非義苟且得。
悪い人物は巧みな言葉、媚び諂うが多いものだ、そして正義にそむき、ごまかしてものを得る。
若是效真人,堅心如鐵石。
このことが示すこととは真っ当な人にならうということだ、そうすれば堅い心は鉄石のようになるものなのだ。
不諂亦不欺,不奢複不溺。
へつらわず、また欺かないことである、そして、おごらず、そのうえ、溺れない心が重要である。
面無吝色容,心無詐憂惕。
表面的な事だけはなしにすること、みめかたちのよいこと、美貌に関してはけちること、惜しむものだ、心のおもいだけではない、憂えおそれる気待ちを詐ったりはしないものだ。
君子大道人,朝夕恒的的。
君子はそのような大道にたつ人であるのだ、朝夕、いつも明らかな存在であるのである。

#1
獣中に人性有り、形異なり 人の隔つるに遭ふ。
人中に獣心有り、幾人か能く真に識る。
古人 形 獣に似るも、皆 大いなる聖徳有り。
今人 表は人に似るも、獣心 安んぞ測るべけん。
笑ふと雖も未だ必ずしも和せず、哭すと雖も未だ必ずしも戚ならず。
面は口頭の交はりを結ぶ、肚(はら)の裏は荆棘を生ず。
#2
好き人は常に直道し、世間の逆に順はず。
悪しき人は巧諂(こうてん)多く、非義にして苟且に得る。
是くの若く真人に效(なら)えば、堅き心は鉄石の如し。
諂(へつら)わず 亦 欺(あざむ)かず、奢(おご)らず複た溺れず。
面 色容を吝(お)しむ無く、心 憂惕(ゆうてき)を詐(いつわ)る無し。
君子は大道の人、朝夕 恒(つね)に的的たり。

宮島(1)

擇友 現代語訳と訳註
(本文)
#2
好人常直道,不顺世間逆。
惡人巧諂多,非義苟且得。
若是效真人,堅心如鐵石。
不諂亦不欺,不奢複不溺。
面無吝色容,心無詐憂惕。
君子大道人,朝夕恒的的。


(下し文) #2
好き人は常に直道し、世間の逆に順はず。
悪しき人は巧諂(こうてん)多く、非義にして苟且に得る。
是くの若く真人に效(なら)えば、堅き心は鉄石の如し。
諂(へつら)わず 亦 欺(あざむ)かず、奢(おご)らず複た溺れず。
面 色容を吝(お)しむ無く、心 憂惕(ゆうてき)を詐(いつわ)る無し。
君子は大道の人、朝夕 恒(つね)に的的たり。 

(現代語訳)
好まれる良い人物というものは常に筋の通ったまっすぐなもの言いをする、世間の人々の行う邪な道に沿った流れに従いはしない。
悪い人物は巧みな言葉、媚び諂うが多いものだ、そして正義にそむき、ごまかしてものを得る。
このことが示すこととは真っ当な人にならうということだ、そうすれば堅い心は鉄石のようになるものなのだ。
へつらわず、また欺かないことである、そして、おごらず、そのうえ、溺れない心が重要である。
表面的な事だけはなしにすること、みめかたちのよいこと、美貌に関してはけちること、惜しむものだ、心のおもいだけではない、憂えおそれる気待ちを詐ったりはしないものだ。


孟郊(2)擇友 #2  (訳注)
好人常直道,不顺世間逆。
好まれる良い人物というものは常に筋の通ったまっすぐなもの言いをする、世間の人々の行う邪な道に沿った流れに従いはしない。
○好人 好まれる良い人物。○直道 筋の通ったまっすぐなもの言いをする。○不顺 流れに従わないこと。○世間逆 世間の人々の行う邪な道をいう。


惡人巧諂多,非義苟且得。
悪い人物は巧みな言葉、媚び諂うが多いものだ、そして正義にそむき、ごまかしてものを得る。
惡人 悪い人間とされるもの。○巧諂 巧みな言葉、媚び諂うこと。○非義 正義にそむくこと。○苟且得
いやしく‐も【も】 [副]《形容詞「いやし」の連用形+係助詞「も」から》1 仮にも。かりそめにも。「―人の上に立つ者のすべきことではない」2 もしも。万一。ここではごまかすことそしてものを得る。


若是效真人,堅心如鐵石。
このことが示すこととは真っ当な人にならうということだ、そうすれば堅い心は鉄石のようになるものなのだ。
 お手本にすること。○真人 真っ当な人。○堅心やろうと思って決心をした心持。


不諂亦不欺,不奢複不溺。
へつらわず、また欺かないことである、そして、おごらず、そのうえ、溺れない心が重要なのである。


面無吝色容,心無詐憂惕。
表面的な事だけはなしにすること、みめかたちのよいこと、美貌に関してはけちること、惜しむものだ、心のおもいだけではない、憂えおそれる気待ちを詐ったりはしないものだ。
面無 表面的な事はないということ。○吝色容 容貌と顔色。みめかたち、また、みめかたちのよいこと、美貌に関して惜しむものだ。○心無 心の思いがないこと。○詐憂惕 憂えおそれる気待ちを詐ったりはしない。


君子大道人,朝夕恒的的
君子はそのような大道にたつ人であるのだ、朝夕、いつも明らかな存在であるのである。
大道人 大道にたつ人。○恒的的いつも明らかな存在である。


hinode0100

擇友 孟郊
#1
獸中有人性,形異遭人隔。人中有獸心,幾人能真識。
古人形似獸,皆有大聖德。今人表似人,獸心安可測。
雖笑未必和,雖哭未必戚。面結口頭交,肚里生荆棘。
#2
好人常直道,不顺世間逆。惡人巧諂多,非義苟且得。
若是效真人,堅心如鐵石。不諂亦不欺,不奢複不溺。
面無吝色容,心無詐憂惕。君子大道人,朝夕恒的的。


獸中有人性,形異遭人隔。
獣の心の中に人の様な性があるという、実際の獣は人と姿形がちがうのであったとしても人とは分け隔てられるものである。
獸中有人性 獣中の獣とは人の中の獣の心情、異民族の生活習慣を含むものと考える。○形異 形が違う。○遭人隔 遭えば人と隔てられる。
 
人中有獸心,幾人能真識。
人の中にも獣の心があるのである、はたして何人が本当のことを知っているのだろうか。
○幾人 幾人~だろうか。○能真識 本当のことを知っているのだろうか。
 
古人形似獸,皆有大聖德。
古代人は生産手段が未発達で姿は獣に似ていたものである、しかし、皆、三皇五帝などが示すように大きな聖徳の政治がおこなわれた。
古人 昔の人。また、昔のすぐれた人。この場合古代人を言うのであろうか。○形似獸 生活様式が未発達のことを言うのか。農耕民族でなく狩猟民族のことを言うのであろうか。○大聖德 三皇五帝など古代には仁徳のある政治が行われていたということを言う。


今人表似人,獸心安可測。
今人は、表面は人に似ているのである、しかし、その人間に獣の心があることをどうして測り知ることができよう。
今人 古代人に対して今の人間。○表似人 表面は人に似ている。○安可測 どうして測り知ることができよう。


雖笑未必和,雖哭未必戚。
人というもの表面で笑ってはいても必ずしも和やかであるというものではない、それからすると、人は声をあげて泣いていても必ずしも悲しんではいないということもあるのだ。
必和 必ず和やかであるさま。○必戚 必ず悲しむさま。


面結口頭交,肚里生荆棘。
表面的な事を示すことは口先ばかりの交際をしていることがある、そういう人の腹のうちにはイバラのようなとげのある悪口を生じているものである。
面結 表面的な事。表面でおこった出来事。○口頭交 口先ばかりの交際をしている。○肚里 はら【腹/肚】 [名]1 動物の、胸部と尾部との間の部分。胴の後半部。また、背に対して、地に面する側。人間では、胸から腰の間で中央にへそがある前面の部分。横隔膜と骨盤の間で、胃腸のある部分。腹部。○生荆棘 イバラのようなとげのある悪口を生じているもの。


好人常直道,不顺世間逆。
好まれる良い人物というものは常に筋の通ったまっすぐなもの言いをする、世間の人々の行う邪な道に沿った流れに従いはしない。
○好人 好まれる良い人物。○直道 筋の通ったまっすぐなもの言いをする。○不顺 流れに従わないこと。○世間逆 世間の人々の行う邪な道をいう。


惡人巧諂多,非義苟且得。
悪い人物は巧みな言葉、媚び諂うが多いものだ、そして正義にそむき、ごまかしてものを得る。
惡人 悪い人間とされるもの。○巧諂 巧みな言葉、媚び諂うこと。○非義 正義にそむくこと。○苟且得
いやしく‐も【も】 [副]《形容詞「いやし」の連用形+係助詞「も」から》1 仮にも。かりそめにも。「―人の上に立つ者のすべきことではない」2 もしも。万一。ここではごまかすことそしてものを得る。


若是效真人,堅心如鐵石。
このことが示すこととは真っ当な人にならうということだ、そうすれば堅い心は鉄石のようになるものなのだ。
 お手本にすること。○真人 真っ当な人。○堅心やろうと思って決心をした心持。


不諂亦不欺,不奢複不溺。
へつらわず、また欺かないことである、そして、おごらず、そのうえ、溺れない心が重要なのである。


面無吝色容,心無詐憂惕。
表面的な事だけはなしにすること、みめかたちのよいこと、美貌に関してはけちること、惜しむものだ、心のおもいだけではない、憂えおそれる気待ちを詐ったりはしないものだ。
面無 表面的な事はないということ。○吝色容 容貌と顔色。みめかたち、また、みめかたちのよいこと、美貌に関して惜しむものだ。○心無 心の思いがないこと。○詐憂惕 憂えおそれる気待ちを詐ったりはしない。


君子大道人,朝夕恒的的
君子はそのような大道にたつ人であるのだ、朝夕、いつも明らかな存在であるのである。
大道人 大道にたつ人。○恒的的いつも明らかな存在である。



解説
 古人が良くて、今人が良くないといっているのではない。「最近の若い者は、昔の人は・・・・・」といういみであろう。自分が生きていて経験していることが、今人としてのものを述べていて、古人と表現されるものは、いわゆる儒家の思想である。
 
この詩で、孟郊の言い分の痛烈な言葉としては「巧諂多」,「非義」「苟且得」「奢」である。当時の唐王朝、初期の「貞観の治」では科挙試験のみならず、若い時に地方知事に赴任させ、仁徳をもってよく収めたものを中央の高級官僚にして行くシステムがあった。次の「開元の治」では玄宗の無能により、李林甫の「巧諂多」,「非義」「苟且得」「奢」の奸臣を重用、政治のバランスに異民族を登用した。韓愈・孟郊の時代は「中興の治」といわれるが、宦官の力が強大になり、実質の政治を動かしたのである。この時代、皇帝も宦官の差し出す、媚薬により、短命で、頽廃的にならざるを得なかった。そのような情勢下で30年も科挙のための浪人生活をしていた孟郊である。作詩自体は、レベルは高いが、内容的にはこの程度かという内容である。韓愈の詩と対照的である。盛唐の、李白、杜甫、王維、孟浩然などの詩のレベルが強烈なため、多くいる中唐の文人、詩人は独自性を出していくのに大変苦労したと思う。

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