漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩 杜甫全詩集1500

杜甫の詩をあまり知られていないものも取り上げる予定。約1500首。(杜甫詩 総合案内時系列に整理した)青春期遊学から長安を中心に就職活動の10年、やっと就職できたら、安史の乱、騒乱の中で自分の生きる道を求めて苦悩、騒乱のない地方へ逃避紀行、成都浣花渓草堂、騒乱回避、夔州寓居、そして漂白の旅。 ブログも2011年~2018年の計画で掲載進行中。。。都合、3往復、とらえ方を変えて掲載していく、2022年ごろ完成する予定である。(ここでは、訓読み下し分にできるだけルビをふりません。漢字の雰囲気で読んでほしいからで、また、意味、読みはすぐわかるようになります。)

杜甫の詩 誠実な詩人特集。2011・11月『士官がきまった。~安禄山の叛乱』期の詩。2011年12月は『反乱軍に捕まる。軟禁状態での詩』2012.1月は『反乱軍からの脱出劇、朝廷に到着・・・・』。2012.2月粛宗に許可をもらって家族を迎えに「北征」紀行を中心に掲載していきます。2012.3月は、朝廷での疎外感、やるせなさが伝わる詩です。2012.4月華州へ左遷、2012.5月三吏三別。秦州抒情9月、同谷紀行11月、成都紀行12月、2013.3現在、成都浣花渓の草堂、2013.12蜀中転々からふたたび成都草堂へ(杜甫全詩の約半分を掲載)・・・・・・そして成都を後にして、夔州へ、(2/3掲載)ここで人生の1/3の量の詩を書く。漂白の旅。紀行。杜甫の苦悩の内容的な変化、様子がよくわかります。
都合、3往復、とらえ方を変えて掲載していく、2022年ごろ完成する予定である。
このブログ以外にも、李白350首、李商隠150首、韓愈全詩・韓愈グループ、などは別のブログで掲載中 kanbuniinkai 検索で、いろんな漢文委員会HP,ブログ を今までの漢詩紹介とは違っています。。

767年- 30 杜少陵集-巻18-63 《江雨有懷鄭典設》30 杜甫詩index-15-1186 <1636> 18-63漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7592

杜甫  江雨有懷鄭典設

春雨闇闇塞峽中,早晚來自楚王宮。亂波紛披已打岸,弱雲狼籍不禁風。

寵光蕙葉與多碧,點注桃花舒小紅。谷狗子真正憶汝,岸高瀼滑限西東。
(大江のほとりに雨が降り続く、東屯にいる、鄭某典設郎を思ってこの詩を作る)

春の雨が降り辺りはくらく峡中にどんよりとふさがっている、その雨と雲はいつのまにか楚王宮の方からやってきたのである。大江に乱れ立つ波がばたばたと岸を打つし、弱弱しい雲も乱暴にみだれ飛んで、この風に立ち向かって耐えることもできない。この雨は蕙葉に対しては特別のひいきをして多くの発色を光栄を与えてくれるし、また桃の花の上にぼちぼちと降り挿しては、微かな紅色を螢揮させている。長安南の谷狗の地に耕し、巌石の下に耕したと賢の鄭子真ともいうべき鄭君よ、自分は生丁度、君のことをおもっているのだが、岸は高く瀼水は水かさが増えて渡れない(ひろくて)、おたがいを西と東とにくぎりつけられているのでいたしかたがない。

杜少陵集 卷一八63

江雨有懷鄭典設

 

杜甫詩index-15 767年大暦256 (30)

漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7592

 

 

 

 

 杜甫詩1500-1189-1639/2500

767- 30 杜少陵集-18-63 江雨有懷鄭典設

作時年:

767

大暦2

56

全唐詩 卷別:

卷二三一 28

文體:

七言律詩

杜少陵集 

18-63

 

 

詩題:

江雨有懷鄭典設

大厯二年瀼西作  唐書東官有典設郎四人

作地點:

奉節(山南東道 / 夔州 / 奉節)

及地點:

瀼西 (山南東道 夔州 奉節)            

 

楚王宮 (山南東道 夔州 巫山)

交遊人物:

鄭典設    書信往來

交遊人物:

 

 

 

 

 

同時期のこれから掲載する詩

18-63     30江雨有懷鄭典設

18-64     31熟食日示宗文宗武

18-65     32                        又示兩兒

18-66     33                        得舍弟觀書自中都已達江陵今茲暮春月末行李合到夔州悲喜相兼團圓可待賦詩即事待賦詩即事情見乎詞

18-67     34          喜觀即到復題短篇,二首之一

18-68     35          喜觀即到復題短篇,二首之二

18-71     36                        送惠二歸故居

18-69     37                       卷一八69 晚登瀼上堂(故躋瀼岸高,頗免崖石擁)

18-72     38                        承聞河北諸道節度入朝歡喜口號句十二首

18-73     39          承聞河北諸道節度入朝歡喜口號句,十二首之二

18-74     40          承聞河北諸道節度入朝歡喜口號句,十二首之三

18-75     41          承聞河北諸道節度入朝歡喜口號句,十二首之四

18-76     42          承聞河北諸道節度入朝歡喜口號句,十二首之五

18-77     43          承聞河北諸道節度入朝歡喜口號句,十二首之六

18-78     44          承聞河北諸道節度入朝歡喜口號句,十二首之七

18-79     45          承聞河北諸道節度入朝歡喜口號句,十二首之八

18-80     46          承聞河北諸道節度入朝歡喜口號句,十二首之九

18-81     47          承聞河北諸道節度入朝歡喜口號句,十二首之十

18-82     48          承聞河北諸道節度入朝歡喜口號句,十二首之十一

18-83     49          承聞河北諸道節度入朝歡喜口號句,十二首之十二

 

 

  卷231_28 《江雨有懷鄭典設》杜甫 

春雨暗暗塞峽中,早晚來自楚王宮。亂波分披已打岸, 弱雲狼藉不禁風。

寵光蕙葉與多碧,點注桃花舒小紅。 穀口子真正憶汝,岸高瀼滑限西東。 

 

 

江雨有懷鄭典設(卷一八63(四)一六一四)

春雨闇闇塞峽中,早晚來自楚王宮。亂波紛披已打岸,弱雲狼籍不禁風。

寵光蕙葉與多碧,點注桃花舒小紅。谷狗子真正憶汝,岸高瀼滑(一作闊)限西東。

 

卷一八63

江雨有懷鄭典設

(大江のほとりに雨が降り続く、東屯にいる、鄭某典設郎を思ってこの詩を作る)

春雨闇闇塞峽中,早晚來自楚王宮。

春の雨が降り辺りはくらく峡中にどんよりとふさがっている、その雨と雲はいつのまにか楚王宮の方からやってきたのである。

亂波紛披已打岸,弱雲狼籍不禁風。

大江に乱れ立つ波がばたばたと岸を打つし、弱弱しい雲も乱暴にみだれ飛んで、この風に立ち向かって耐えることもできない。

寵光蕙葉與多碧,點注桃花舒小紅。

この雨は蕙葉に対しては特別のひいきをして多くの発色を光栄を与えてくれるし、また桃の花の上にぼちぼちと降り挿しては、微かな紅色を螢揮させている。

谷狗子真正憶汝,岸高瀼滑(闊)限西東。

長安南の谷狗の地に耕し、巌石の下に耕したと賢の鄭子真ともいうべき鄭君よ、自分は生丁度、君のことをおもっているのだが、岸は高く瀼水は水かさが増えて渡れない(ひろくて)、おたがいを西と東とにくぎりつけられているのでいたしかたがない。

 

(江雨 鄭典設を懷う有り)

春雨 闇闇峡中に塞る、早晩 楚王の宮より来る。

亂波 紛披已に岸を打つ、弱雲 狼籍風に禁へず。

蕙葉に寵光して 多碧を與へ、桃花に點注して小紅を舒べしむ。

谷狗の子真 正に汝を憶う、岸高く 瀼滑(闊くして)西東を限る。

瞿塘峡・白帝城・魚復 

 

『江雨有懷鄭典設』現代語訳と訳註解説
(
本文)

江雨有懷鄭典設

春雨闇闇塞峽中,早晚來自楚王宮。

亂波紛披已打岸,弱雲狼籍不禁風。

寵光蕙葉與多碧,點注桃花舒小紅。

谷狗子真正憶汝,岸高瀼滑(闊)限西東。

(下し文)
(江雨 鄭典設を懷う有り)
春雨 闇闇峡中に塞る、早晩 楚王の宮より来る。

亂波 紛披已に岸を打つ、弱雲 狼籍風に禁へず。

蕙葉に寵光して 多碧を與へ、桃花に點注して小紅を舒べしむ。

谷狗の子真 正に汝を憶う、岸高く 瀼滑(闊くして)西東を限る。


(現代語訳)
江雨有懷鄭典設(大江のほとりに雨が降り続く、東屯にいる、鄭某典設郎を思ってこの詩を作る)

春の雨が降り辺りはくらく峡中にどんよりとふさがっている、その雨と雲はいつのまにか楚王宮の方からやってきたのである。

大江に乱れ立つ波がばたばたと岸を打つし、弱弱しい雲も乱暴にみだれ飛んで、この風に立ち向かって耐えることもできない。

この雨は蕙葉に対しては特別のひいきをして多くの発色を光栄を与えてくれるし、また桃の花の上にぼちぼちと降り挿しては、微かな紅色を螢揮させている。

長安南の谷狗の地に耕し、巌石の下に耕したと賢の鄭子真ともいうべき鄭君よ、自分は生丁度、君のことをおもっているのだが、岸は高く瀼水は水かさが増えて渡れない(ひろくて)、おたがいを西と東とにくぎりつけられているのでいたしかたがない。


(訳注) 

江雨有懷鄭典設

(大江のほとりに雨が降り続く、東屯にいる、鄭某典設郎を思ってこの詩を作る)

1 江雨 長江のほとりに降る雨。朝廷にいた時に交流があった典設郎であった鄭某のことをおもうて作り寄せた詩。大暦二年壊西の作。

2 鄭 鄭の名に不明。

3 典設 典設は官名、東宮の官属に典設局あり、郎四人を置く、典設郎は湯沐・灑掃・舗陳の事を掌る。

 

春雨闇闇塞峽中,早晚來自楚王宮。

春の雨が降り辺りはくらく峡中にどんよりとふさがっている、その雨と雲はいつのまにか楚王宮の方からやってきたのである。

4 闇闇 くらき貌。

5 早晚 いつしか。

6 楚王宮 楚王の宮、巫山県東北一里にあるという。巫山の麓に戦国楚の離宮があったという伝言に基づいており、その北側のあたりは黄昏の色に染まる。雲雨荒台は楚の懐王が夢に神女に会ったという陽台をいう、宋玉の 「高唐賦」にいう、「昔者先王嘗遊高唐,怠而晝寢,夢見一婦人曰:‘妾,巫山之女也。爲高唐之客。聞君遊高唐,願薦枕席。’王因幸之。去而辭曰:‘妾在巫山之陽,高丘之阻,旦爲朝雲,暮爲行雨。朝朝暮暮,陽臺之下。」(昔先王(懐王をいう)嘗て高庸に遊ぶ、夢に一婦人を見て曰く「妾,巫山の女なり。高唐の客と爲す。君高唐に遊ぶを聞き,願わくば枕席を薦めんと。」、王因って之を幸す、去らんとして辞して曰く、妾は巫山の陽、高丘の岨に在り、旦には行雲と為り、暮には行雨と為る、朝朝暮暮、陽台の下にす)と。荒台というのは現にあれておる台であることをいう。「清一統志」にいう、陽台山は巫山県城内北隅にあり、高さ百丈、上に陽雲台の遺址あり、と。豈夢息とは反語にみる。宋玉の賦した所は必ずしも夢幻虚構の想像ではない、其の事実があったという。

白帝城 白帝城は中国重慶市奉節県の長江三峡に位置する地名。かつて新末後漢初の群雄公孫述がこの地に築いた城が白帝城と呼ばれたことが由来。永安宮ともいう。 三国時代、蜀の建国者劉備が夷陵の戦いで呉に敗れ、逃れたのが白帝城。劉備は後事を諸葛亮に託し、この城で没した。

返照

楚王宮北正黃昏,白帝城西過雨痕。

返照入江翻石壁,歸雲擁樹失山村。

衰年肺病唯高枕,塞愁時早閉門。

不可久留豺虎亂,南方實有未招魂。

766-149杜甫 1557返照》 杜甫詩index-15-766年大暦元年55-149 <1021 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6785

 

亂波紛披已打岸,弱雲狼籍不禁風。

大江に乱れ立つ波がばたばたと岸を打つし、弱弱しい雲も乱暴にみだれ飛んで、この風に立ち向かって耐えることもできない。

7 紛披 みだるる貌。 

8 狼籍 無法な荒々しい振る舞い。乱暴な行い。

9 禁 耐ふるなり。

 

寵光蕙葉與多碧,點注桃花舒小紅。

この雨は蕙葉に対しては特別のひいきをして多くの発色を光栄を与えてくれるし、また桃の花の上にぼちぼちと降り挿しては、微かな紅色を螢揮させている。

10 寵光 寵愛し光栄を加ふる意。

11 蕙 萱に夜毎生ずる蘭の二種。

12 點注 ちよりとさす。

 

谷狗子真正憶汝,岸高瀼滑(闊)限西東。

長安南の谷狗の地に耕し、巌石の下に耕したと賢の鄭子真ともいうべき鄭君よ、自分は生丁度、君のことをおもっているのだが、岸は高く瀼水は水かさが増えて渡れない(ひろくて)、おたがいを西と東とにくぎりつけられているのでいたしかたがない。

13 谷狗子真 漢の鄭樸字は子真、長安の南の谷狗の地に耕し、巌石の下に耕したと賢を以てこうさくしたと、鄭姓の故事を「揚子法言」に有ることに基づくもの。《巻八22 寄張十二山人彪三十韻》耕岩非穀口,結草即河濱。漢の鄭撲字は子真がこと。此の句は張彪の隠れる地が長安近くではないことをいう。寄張十二山人彪三十韻 杜甫 <318-#4> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1484 杜甫詩 700- 459 《巻一26 鄭駙馬宅宴洞中』「自是秦樓壓鄭穀,時聞雜佩聲珊珊。」(自ら是 秦楼  鄭谷を圧す、時に聞く 雑佩の声珊珊たるを。) 

鄭駙馬宅宴洞中 杜甫

14 汝 鄭典設をさす。

15 瀼滑 紛の字一に閲に作る、閥に紀ふ。乗法水ゆかにはげのひろき=と。

16 限西東 作者は瀼西に住す、鄭は東屯に住んでいたものらしい。

瞿塘峡001 

 

  江雨有懐鄭典設鶴注此當是大厯二年瀼西作/ 唐書東官有典設郎四

春雨闇闇/音色晉/作發峽中早晚來自楚王亂波

一作/披已打岸弱雲狼藉不禁/風寵光蕙葉與多碧

注桃花舒小紅谷口子真正憶汝岸高瀼滑一作/西東

上四江上雨景下四對景懐鄭先楚王用神女/雲雨事波撼雲飛未雨而狂風 發患碧桃紅經

雨而花木爭妍不禁不能耐風也。龍洞簫賦若凱風紛/ 張華詩僵禽正狼藉 詩為 為光注龍寵也易

林嘉樂君子為國寵光/梁元帝詩雨罷禁生光 古賦天雨之施恵於蕙葉羽/孔雀賦五色

參差有沈約詩桃枝紅若授紫桃雜組曰寵光/唐詩 此二語施之官職選 間則寵光乃特恩之意

注乃注授之意顧注此詩寵光注加之蕙葉桃花/見雨露之恩蕙桃獨霑也。 公自赤甲遷居瀼西則鄭

必居瀼/東矣

 

767年- 29 杜少陵集-巻18-61 《暮春題瀼西新賃草屋,五首之五》29 杜甫詩index-15-1188 <1638> 18-61漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7587

杜甫  暮春題瀼西新賃草屋五首其五

欲陳濟世策,已老尚書郎。未息豺虎鬥,空慚鴛鷺行。 

時危人事急,風逆羽毛傷。落日悲江漢,中宵淚滿床。 

(夔州に来て二度目の三月に賃貸で瀼西の家宅、草堂に赤甲から引っ越しして題したものでこの詩は、尚書工部員外郎であっても、夔州にいたのでは何の力にもなりえない悔しさを述べる。)その5  自分は世をすくう策を天子の御前で陳べたくおもうところであるが、もはやこの尚書の郎官たる自分は老いてしまった。それに、いまだに施政が落ち着かず、犲狼どものたたかいがやむことはなく、文官の列、鴛鷺の行列にある自分も、愧じいるばかりである。時世は安らかならず人民の生計は急をつげて、窮迫している。自分には風にさかさまに吹きつけられて肝心な羽や毛はそこなわれているのである。それでまた今日も、夕日の落ちるころとなると、江漢の地で悲しい思いをましてきて、夜中になったころには涙が寝牀にいっぱいにあふれる。

杜少陵集 卷一八61

暮春題西新賃草屋,五首之五

 

杜甫詩index-15 767年大暦256 (29)

漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7587

 

 

 

 

杜甫詩1500-1188-1638/2500

18-61   29        暮春題瀼西新賃草屋,五首之五

作時年:

767

大暦2

56

全唐詩 卷別:

卷二二九 46 -5

文體:

五言律詩

杜少陵集 

18-61

 

 

詩題:

暮春題瀼西新賃草屋,五首之五

年譜大厯二年自赤甲将遷居瀼西而作。 

作地點:

奉節(山南東道 / 夔州 / 奉節)

及地點:

瀼西 (山南東道 夔州 奉節)            

 

 

 

 

交遊人物:

 

 

 

 

229_46 《暮春題瀼西新賃草屋五首》杜甫 

暮春題瀼西新賃草屋五首其一

(夔州に来て二度目の三月に賃貸で瀼西の家宅、草堂に赤甲から引っ越しして題したもの)久嗟三峽客,再與暮春期。

三峡の客である自分はいつものことながらまたなげく、ここ夔州へ来てから二度春の暮れにであうことになった。

百舌欲無語,繁花能幾時。 

百舌鳥も鳴かなくなろうとしでいるし、繁く咲いていた花も、あとどれだけの時間、持続していられるものか。

谷虛雲氣薄,波亂日華遲。

谷はがらんどうで雲気薄くたちのぼり、波がみだれて水上の日のかがやきがいつまでもつづく。

戰伐何由定,哀傷不在茲。 

どうしたら戦伐が平定せられることであろうか、これこそ自分の哀傷のやどるところであって、自分の哀傷はただ春が暮れゆくなんぞの点に在るのではない。

(暮春、瀼西の新に賃せる草屋に題す五首其の一)

久しく嗟す 三峽の客,再び 暮春と期す。

百舌 語無からんと欲す,繁花 能く幾時ぞ。

谷 虛しくして雲氣薄く,波 亂れて日華 遲し。

戰伐 何に由りてか定まらん,哀傷は 茲に在らず。(

 

暮春題瀼西新賃草屋五首其二

(夔州に来て二度目の三月に賃貸で瀼西の家宅、草堂に赤甲から引っ越しして題したものでこの詩は、ミカンの木を植えたいと思っていることを述べる。)その2

此邦千樹橘,不見比封君。

この土地で千本のみかんの木を植えると、「皆與千戸侯等」とされ、その地の君王か、縣令にくらべてもおかしくないということで、自分もたくさん植えたけれど、とても金持ちの資格はないかもしれない。

養拙干戈際,全生麋鹿群。 

ただ兵乱の際にもちまえの世渡り下手なところを養い、麋鹿のむれにまじって生命を全うするだけのことである。

畏人江北草,旅食瀼西雲。

人をはばかつては江北の草によりそい旅の飯を食べながら瀼西の雲を伴としているが、隠者の住まいの白雲とは異なるものである。

萬里巴渝曲,三年實飽聞。 

萬里のかたいなかの巴渝の歌も三年聞いてしまったので、実に聞き飽きたのである。

暮春、瀼西の新に賃せる草屋に題す五首其の二)

此の邦の千樹の橘は。封君に比せらるるを見ず。

拙を養う 干戈(カンカ)の際、生を全うす 麋鹿の群。

人を畏る 江北の草、旅食す 瀼西の雲。

万里のかなたのこの巴渝の曲、三年実に聞くに飽く。

暮春題瀼西新賃草屋五首其三

(夔州に来て二度目の三月に賃貸で瀼西の家宅、草堂に赤甲から引っ越しして題したものでこの詩は、植えた蜜柑の樹が育ってきていることを述べる。)その3

彩雲陰複白,錦樹曉來青。

五色の雲が浮いていたが、くもりになってまた白くなってきたようだ。白雲は、彩雲の色にうつろうて、錦のように見えていた蜜柑樹の葉も暁からかけて、日々に青色も濃くなってゆく。

身世雙蓬鬢,乾坤一草亭。 

自分はこの世、この地に於て、隠棲し、今はただ左右のもつれた鬢の毛をあますばかりであり、天地のあいだにただ一つのこの草堂、草亭があるばかりだ。

哀歌時自惜,醉舞為誰醒。

ひとりで哀れな歌をうたって世間に名声を売ろうというわけではないが、我自らのことを愛惜し、だれのためとて醒めてくらす必要もないから酔うて舞をもうたりする。

細雨荷鋤立,江猿吟翠屏。 

小雨がふってきたので耕すのに鋤を荷うて外に立つと、翠の屏風の様な山壁で江の猿がなきさけんでいる。

(暮春、瀼西の新に賃せる草屋に題す五首其の三)

彩雲 陰りて 複た白し,錦樹 曉來りて 青し。

身世 雙 蓬鬢,乾坤 一草の亭。

哀歌 時に自ら惜む,醉舞 誰の為にか醒めん。

細雨 鋤を荷いて立てば,江猿 翠屏に吟ず。

 

 

暮春題瀼西新賃草屋五首其四

(夔州に来て二度目の三月に賃貸で瀼西の家宅、草堂に赤甲から引っ越しして題したものでこの詩は、安史の乱が終わっても、天下が治まっていないことを述べる。)その4

壯年學書劍,他日委泥沙。

自分は壮年の時に書や剣を學んだが、後日になるとそれは役に立たず、わが身は世に用いられることはなく、泥沙にすてられるだけであった。

事主非無祿,浮生即有涯。 

嘗て天子にお事えをして、俸禄を頂戴したことが無いわけではないが、人の生活には際限があっていつのまにか老衰になった。

高齋依藥餌,域改春華。

それで高斎(瀼西の草堂)で薬餌にたよっているたまに、この絶域で春景色が二度も改まることになった。

喪亂丹心破,王臣未一家。 

喪乱のために自分の赤い忠誠心は破壊されてしまった。王臣どもが臣節を尽くさず、兵を弄して天下がまだ一家の様に秩序されないからである。

 

(暮春、瀼西の新に賃せる草屋に題す五首其の四)

壮年 書剣を學ぶ、他日泥沙に委せらる。

主に事へて禄無きに非ず、浮生 即ち 涯有り。

高寮薬餌に依りて、絶域 春華改まる。

喪亂 丹心破る、王臣 未だ一家ならす。

 

暮春題瀼西新賃草屋五首其五

(夔州に来て二度目の三月に賃貸で瀼西の家宅、草堂に赤甲から引っ越しして題したものでこの詩は、尚書工部員外郎であっても、夔州にいたのでは何の力にもなりえない悔しさを述べる。)その5

欲陳濟世策,已老尚書郎。

自分は世をすくう策を天子の御前で陳べたくおもうところであるが、もはやこの尚書の郎官たる自分は老いてしまった。

未息豺虎鬥,空慚鴛鷺行。 

それに、いまだに施政が落ち着かず、犲狼どものたたかいがやむことはなく、文官の列、鴛鷺の行列にある自分も、愧じいるばかりである。

時危人事急,風逆羽毛傷。

時世は安らかならず人民の生計は急をつげて、窮迫している。自分には風にさかさまに吹きつけられて肝心な羽や毛はそこなわれているのである。

落日悲江漢,中宵淚滿床。 

それでまた今日も、夕日の落ちるころとなると、江漢の地で悲しい思いをましてきて、夜中になったころには涙が寝牀にいっぱいにあふれる。

 

(暮春、瀼西の新に賃せる草屋に題す五首其の五)

濟世の策を陳べんと欲するも,已に老いたり尚書郎。

未だ豺虎の鬥い息まず,空しく慚づ 鴛鷺の行。

時 危くして 人事 急なり,風 逆にして羽毛 傷わる。

落日 江漢に悲しむ,中宵 淚 床に滿つ。

瞿塘峡・白帝城・魚復 

 

『暮春題瀼西新賃草屋,五首之五』現代語訳と訳註解説
(
本文)

暮春題瀼西新賃草屋五首其五

欲陳濟世策,已老尚書郎。

未息豺虎鬥,空慚鴛鷺行。

時危人事急,風逆羽毛傷。

落日悲江漢,中宵淚滿床。

(下し文)
(暮春、瀼西の新に賃せる草屋に題す五首其の五)

濟世の策を陳べんと欲するも,已に老いたり尚書郎。

未だ豺虎の鬥い息まず,空しく慚づ 鴛鷺の行。

時 危くして 人事 急なり,風 逆にして羽毛 傷わる。

落日 江漢に悲しむ,中宵 淚 床に滿つ。

(現代語訳)
暮春題瀼西新賃草屋五首其五(夔州に来て二度目の三月に賃貸で瀼西の家宅、草堂に赤甲から引っ越しして題したものでこの詩は、尚書工部員外郎であっても、夔州にいたのでは何の力にもなりえない悔しさを述べる。)その5

自分は世をすくう策を天子の御前で陳べたくおもうところであるが、もはやこの尚書の郎官たる自分は老いてしまった。

それに、いまだに施政が落ち着かず、犲狼どものたたかいがやむことはなく、文官の列、鴛鷺の行列にある自分も、愧じいるばかりである。

時世は安らかならず人民の生計は急をつげて、窮迫している。自分には風にさかさまに吹きつけられて肝心な羽や毛はそこなわれているのである。

それでまた今日も、夕日の落ちるころとなると、江漢の地で悲しい思いをましてきて、夜中になったころには涙が寝牀にいっぱいにあふれる。


(訳注) 

暮春題瀼西新賃草屋五首其五

(夔州に来て二度目の三月に賃貸で瀼西の家宅、草堂に赤甲から引っ越しして題したものでこの詩は、尚書工部員外郎であっても、夔州にいたのでは何の力にもなりえない悔しさを述べる。)その5

 

欲陳濟世策,已老尚書郎。

自分は世をすくう策を天子の御前で陳べたくおもうところであるが、もはやこの尚書の郎官たる自分は老いてしまった。

22 濟世 救世とは世を濟助する人。 《莊子庚桑楚第二十三》「簡髮而櫛,數米而炊,竊竊乎又何足以濟世哉!舉賢則民相軋,任知則民相盜。」(髮を簡【えら】びて櫛り,米を數えって炊ぐ,竊竊【せつせつ】又、何ぞ以て世を濟うに足らんや!賢を舉ぐれば則ち 民 相い軋り,知に任ずれば則ち 民 相い盜む。髪の毛を一本一本揃えて櫛をれたり、コメを一粒一粒数えて炊くといったような煩わしいやり方で、こそこそと事に処して着たものである果たしてそのようなことが、どれほどのようなことがどれほどこの世を救い助けたであろうか。彼らの下様に賢人を選んで用いれば、人民は誰もが選ばれようと争い合うことになり、知恵のあるものを抜き出して高い地位につければ、誰もが悪賢くなって欺き合うようになる。

濟世

 

卷八20  寄彭州高三十五使君適虢州岑二十七長史參三十韻  ((二)六三八)

濟世宜公等,安貧亦士常。

18-61 暮春題瀼西新賃草屋,五首之五

欲陳濟世策,已老尚書郎。

《巻18-69 晚登瀼上堂》

濟世數嚮時,斯人各枯冢。

卷二三06  暮秋枉裴道州手札率爾遣興寄遞呈蘇渙侍御((五)二○一六)

聖朝尚飛戰鬥塵,濟世宜引英俊人。

卷一三27 奉待嚴大夫((三)一○九九)

殊方又喜故人來,重鎮還須濟世才。

杜甫は、具体的な「濟世策」を提案しているのは、《乾元元年華州試進士策問五首》に見える。

757年至徳二載 《乾元元年華州試進士策問五首 (23) 全体》 杜甫<1509-T 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4340 杜甫詩1500/2500

23 尚書郎 ここは工部員外郎であった杜甫自身を意味する。尚書台の官僚、官吏。 長官が、尚書令。 次官が、僕射。部門責任者が尚書で、尚書郎は各部門の官僚、官吏である。

 

未息豺虎鬥,空慚鴛鷺行。

それに、いまだに施政が落ち着かず、犲狼どものたたかいがやむことはなく、文官の列、鴛鷺の行列にある自分も、愧じいるばかりである。

24 豺虎鬥 賀蘭進明・第五琦などに呼応した朝廷の悪賢い者たち、各地に相当組織だった盗賊になったものが多かったことなどをいう。

25 鴛鷺行 朝廷内で文官が列をなして行動すること。

 

時危人事急,風逆羽毛傷。

時世は安らかならず人民の生計は急をつげて、窮迫している。自分には風にさかさまに吹きつけられて肝心な羽や毛はそこなわれているのである。

26 人事急 人民の生計が急速に窮迫してきたことをいう。

27 羽毛傷 鴛鷺の行列の一員である杜甫自身の体が病弱で弱ってきたことを言う。傷 羽毛は鴛鴬の縁語である。

 

落日悲江漢,中宵淚滿床。

それでまた今日も、夕日の落ちるころとなると、江漢の地で悲しい思いをましてきて、夜中になったころには涙が寝牀にいっぱいにあふれる。

28 江漢 夔州の長江のほとりを言う。杜甫《23-11江漢》「江漢思歸客,乾坤一腐儒。」(江漢 歸えるを思う客,乾坤 一腐の儒。)江漢の名がるる地方において、自分は故郷に帰りたいと思っている旅客の人である茫々たる天地の間において、独りの腐儒者樽にとどまっているのである。

 


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767年- 28 杜少陵集-巻18-60 《暮春題瀼西新賃草屋,五首之四》28 杜甫詩index-15-1187 <1637> 18-60漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7582

杜甫  暮春題瀼西新賃草屋五首其四

壯年學書劍,他日委泥沙。事主非無祿,浮生即有涯。 

高齋依藥餌,域改春華。喪亂丹心破,王臣未一家。 

(夔州に来て二度目の三月に賃貸で瀼西の家宅、草堂に赤甲から引っ越しして題したものでこの詩は、安史の乱が終わっても、天下が治まっていないことを述べる。)その4

自分は壮年の時に書や剣を學んだが、後日になるとそれは役に立たず、わが身は世に用いられることはなく、泥沙にすてられるだけであった。嘗て天子にお事えをして、俸禄を頂戴したことが無いわけではないが、人の生活には際限があっていつのまにか老衰になった。それで高斎(瀼西の草堂)で薬餌にたよっているたまに、この絶域で春景色が二度も改まることになった。喪乱のために自分の赤い忠誠心は破壊されてしまった。王臣どもが臣節を尽くさず、兵を弄して天下がまだ一家の様に秩序されないからである。

杜少陵集 卷一八60

暮春題西新賃草屋,五首之四

 

杜甫詩index-15 767年大暦256 (28)

漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7582

 

 

 

杜甫詩1500-1187-1637/2500

18-60   28        暮春題瀼西新賃草屋,五首之四

作時年:

767

大暦2

56

全唐詩 卷別:

卷二二九 46 -4

文體:

五言律詩

杜少陵集 

18-60

 

 

詩題:

暮春題瀼西新賃草屋,五首之四

年譜大厯二年自赤甲将遷居瀼西而作。 

作地點:

奉節(山南東道 / 夔州 / 奉節)

及地點:

瀼西 (山南東道 夔州 奉節)            

 

 

 

 

交遊人物:

 

 

 

 

 

229_46 《暮春題瀼西新賃草屋五首》杜甫 

暮春題瀼西新賃草屋五首其一

(夔州に来て二度目の三月に賃貸で瀼西の家宅、草堂に赤甲から引っ越しして題したもの)久嗟三峽客,再與暮春期。

三峡の客である自分はいつものことながらまたなげく、ここ夔州へ来てから二度春の暮れにであうことになった。

百舌欲無語,繁花能幾時。 

百舌鳥も鳴かなくなろうとしでいるし、繁く咲いていた花も、あとどれだけの時間、持続していられるものか。

谷虛雲氣薄,波亂日華遲。

谷はがらんどうで雲気薄くたちのぼり、波がみだれて水上の日のかがやきがいつまでもつづく。

戰伐何由定,哀傷不在茲。 

どうしたら戦伐が平定せられることであろうか、これこそ自分の哀傷のやどるところであって、自分の哀傷はただ春が暮れゆくなんぞの点に在るのではない。

(暮春、瀼西の新に賃せる草屋に題す五首其の一)

久しく嗟す 三峽の客,再び 暮春と期す。

百舌 語無からんと欲す,繁花 能く幾時ぞ。

谷 虛しくして雲氣薄く,波 亂れて日華 遲し。

戰伐 何に由りてか定まらん,哀傷は 茲に在らず。(

 

暮春題瀼西新賃草屋五首其二

(夔州に来て二度目の三月に賃貸で瀼西の家宅、草堂に赤甲から引っ越しして題したものでこの詩は、ミカンの木を植えたいと思っていることを述べる。)その2

此邦千樹橘,不見比封君。

この土地で千本のみかんの木を植えると、「皆與千戸侯等」とされ、その地の君王か、縣令にくらべてもおかしくないということで、自分もたくさん植えたけれど、とても金持ちの資格はないかもしれない。

養拙干戈際,全生麋鹿群。 

ただ兵乱の際にもちまえの世渡り下手なところを養い、麋鹿のむれにまじって生命を全うするだけのことである。

畏人江北草,旅食瀼西雲。

人をはばかつては江北の草によりそい旅の飯を食べながら瀼西の雲を伴としているが、隠者の住まいの白雲とは異なるものである。

萬里巴渝曲,三年實飽聞。 

萬里のかたいなかの巴渝の歌も三年聞いてしまったので、実に聞き飽きたのである。

暮春、瀼西の新に賃せる草屋に題す五首其の二)

此の邦の千樹の橘は。封君に比せらるるを見ず。

拙を養う 干戈(カンカ)の際、生を全うす 麋鹿の群。

人を畏る 江北の草、旅食す 瀼西の雲。

万里のかなたのこの巴渝の曲、三年実に聞くに飽く。

暮春題瀼西新賃草屋五首其三

(夔州に来て二度目の三月に賃貸で瀼西の家宅、草堂に赤甲から引っ越しして題したものでこの詩は、植えた蜜柑の樹が育ってきていることを述べる。)その3

彩雲陰複白,錦樹曉來青。

五色の雲が浮いていたが、くもりになってまた白くなってきたようだ。白雲は、彩雲の色にうつろうて、錦のように見えていた蜜柑樹の葉も暁からかけて、日々に青色も濃くなってゆく。

身世雙蓬鬢,乾坤一草亭。 

自分はこの世、この地に於て、隠棲し、今はただ左右のもつれた鬢の毛をあますばかりであり、天地のあいだにただ一つのこの草堂、草亭があるばかりだ。

哀歌時自惜,醉舞為誰醒。

ひとりで哀れな歌をうたって世間に名声を売ろうというわけではないが、我自らのことを愛惜し、だれのためとて醒めてくらす必要もないから酔うて舞をもうたりする。

細雨荷鋤立,江猿吟翠屏。 

小雨がふってきたので耕すのに鋤を荷うて外に立つと、翠の屏風の様な山壁で江の猿がなきさけんでいる。

(暮春、瀼西の新に賃せる草屋に題す五首其の三)

彩雲 陰りて 複た白し,錦樹 曉來りて 青し。

身世 雙 蓬鬢,乾坤 一草の亭。

哀歌 時に自ら惜む,醉舞 誰の為にか醒めん。

細雨 鋤を荷いて立てば,江猿 翠屏に吟ず。

 

 

暮春題瀼西新賃草屋五首其四

(夔州に来て二度目の三月に賃貸で瀼西の家宅、草堂に赤甲から引っ越しして題したものでこの詩は、安史の乱が終わっても、天下が治まっていないことを述べる。)その4

壯年學書劍,他日委泥沙。

自分は壮年の時に書や剣を學んだが、後日になるとそれは役に立たず、わが身は世に用いられることはなく、泥沙にすてられるだけであった。

事主非無祿,浮生即有涯。 

嘗て天子にお事えをして、俸禄を頂戴したことが無いわけではないが、人の生活には際限があっていつのまにか老衰になった。

高齋依藥餌,域改春華。

それで高斎(瀼西の草堂)で薬餌にたよっているたまに、この絶域で春景色が二度も改まることになった。

喪亂丹心破,王臣未一家。 

喪乱のために自分の赤い忠誠心は破壊されてしまった。王臣どもが臣節を尽くさず、兵を弄して天下がまだ一家の様に秩序されないからである。

 

(暮春、瀼西の新に賃せる草屋に題す五首其の四)

壮年 書剣を學ぶ、他日泥沙に委せらる。

主に事へて禄無きに非ず、浮生 即ち 涯有り。

高寮薬餌に依りて、絶域 春華改まる。

喪亂 丹心破る、王臣 未だ一家ならす。

 

暮春題瀼西新賃草屋五首其五

欲陳濟世策,已老尚書郎。未息豺虎鬥,空慚鴛鷺行。 

時危人事急,風逆羽毛傷。落日悲江漢,中宵淚滿床。 

 

 

『暮春題瀼西新賃草屋,五首之三』現代語訳と訳註解説
(
本文)

暮春題瀼西新賃草屋五首其四

壯年學書劍,他日委泥沙。

事主非無祿,浮生即有涯。

高齋依藥餌,域改春華。

喪亂丹心破,王臣未一家。

(下し文)
(暮春、瀼西の新に賃せる草屋に題す五首其の四)

壮年 書剣を學ぶ、他日泥沙に委せらる。

主に事へて禄無きに非ず、浮生 即ち 涯有り。

高寮薬餌に依りて、絶域 春華改まる。

喪亂 丹心破る、王臣 未だ一家ならす。


(現代語訳)
暮春題瀼西新賃草屋五首其四(夔州に来て二度目の三月に賃貸で瀼西の家宅、草堂に赤甲から引っ越しして題したものでこの詩は、安史の乱が終わっても、天下が治まっていないことを述べる。)その4

自分は壮年の時に書や剣を學んだが、後日になるとそれは役に立たず、わが身は世に用いられることはなく、泥沙にすてられるだけであった。

嘗て天子にお事えをして、俸禄を頂戴したことが無いわけではないが、人の生活には際限があっていつのまにか老衰になった。

それで高斎(瀼西の草堂)で薬餌にたよっているたまに、この絶域で春景色が二度も改まることになった。

喪乱のために自分の赤い忠誠心は破壊されてしまった。王臣どもが臣節を尽くさず、兵を弄して天下がまだ一家の様に秩序されないからである。


(訳注) 

暮春題瀼西新賃草屋五首其四

(夔州に来て二度目の三月に賃貸で瀼西の家宅、草堂に赤甲から引っ越しして題したものでこの詩は、安史の乱が終わっても、天下が治まっていないことを述べる。)その4

 

壯年學書劍,他日委泥沙。

自分は壮年の時に書や剣を學んだが、後日になるとそれは役に立たず、わが身は世に用いられることはなく、泥沙にすてられるだけであった。

書劍 書物を学ぶ、詩文を書く、剣を鍛える。

他日 後日の意。

委泥沙 泥沙に委棄されることをいう。10年以上仕官活動をするもかなわなかった。

 

事主非無祿,浮生即有涯。 

嘗て天子にお事えをして、俸禄を頂戴したことが無いわけではないが、人の生活には際限があっていつのまにか老衰になった。

事主 757年至徳二年、左拾遺として仕えたので、天子をさす。

非無祿 俸禄を頂戴したことが無いわけではない。

浮生 「浮生若夢」人生とははかなく、まるで夢のように不確かなものでしかない。「浮生」は定めない人生という意味。

有涯 《莊子篇的養生主》「吾生也有涯,而知也無涯。」(吾生や 涯有りて,而して知るや 涯無し」。

 

高齋依藥餌,域改春華。

それで高斎(瀼西の草堂)で薬餌にたよっているたまに、この絶域で春景色が二度も改まることになった。

高齋 移居してすぐの詩であり、瀼西の草堂をいう。

依藥餌 持病を抱え薬に頼った生活をする。

 異民族との国境近くの夔州の地を言う。

改春華 春景色が二度も改まる。

 

喪亂丹心破,王臣未一家。 

喪乱のために自分の赤い忠誠心は破壊されてしまった。王臣どもが臣節を尽くさず、兵を弄して天下がまだ一家の様に秩序されないからである。

丹心 赤い忠誠心。

王臣 地方の武人等をさす。

未一家 天下一統さるろにこ至らざるか

767年- 27 杜少陵集-巻18-59 《暮春題瀼西新賃草屋,五首之三》27 杜甫詩index-15-1186 <1636> 18-59漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7577

杜甫  暮春題瀼西新賃草屋五首其三

彩雲陰複白,錦樹曉來青。身世雙蓬鬢,乾坤一草亭。 

哀歌時自惜,醉舞為誰醒。細雨荷鋤立,江猿吟翠屏。 

(夔州に来て二度目の三月に賃貸で瀼西の家宅、草堂に赤甲から引っ越しして題したものでこの詩は、植えた蜜柑の樹が育ってきていることを述べる。)その3  五色の雲が浮いていたが、くもりになってまた白くなってきたようだ。白雲は、彩雲の色にうつろうて、錦のように見えていた蜜柑樹の葉も暁からかけて、日々に青色も濃くなってゆく。自分はこの世、この地に於て、隠棲し、今はただ左右のもつれた鬢の毛をあますばかりであり、天地のあいだにただ一つのこの草堂、草亭があるばかりだ。ひとりで哀れな歌をうたって世間に名声を売ろうというわけではないが、我自らのことを愛惜し、だれのためとて醒めてくらす必要もないから酔うて舞をもうたりする。小雨がふってきたので耕すのに鋤を荷うて外に立つと、翠の屏風の様な山壁で江の猿がなきさけんでいる。

杜少陵集 卷一八59

暮春題西新賃草屋,五首之三

 

杜甫詩index-15 767年大暦256 (27)

漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7572

 

 

 

杜甫詩1500-1186-1636/2500

18-58   27        暮春題瀼西新賃草屋,五首之三

作時年:

767

大暦2

56

全唐詩 卷別:

卷二二九 46 -2

文體:

五言律詩

杜少陵集 

18-59

 

 

詩題:

暮春題瀼西新賃草屋,五首之三

年譜大厯二年自赤甲将遷居瀼西而作。 

作地點:

夔州(山南東道 / 夔州 / 奉節、瀼西、赤甲)

及地點:

山南西道 奉節の東40里、麝香山。

 

 

 

 

交遊人物:

 

 

 

 

 

229_46 《暮春題瀼西新賃草屋五首》杜甫 

暮春題瀼西新賃草屋五首其一

(夔州に来て二度目の三月に賃貸で瀼西の家宅、草堂に赤甲から引っ越しして題したもの)
久嗟三峽客,再與暮春期。

三峡の客である自分はいつものことながらまたなげく、ここ夔州へ来てから二度春の暮れにであうことになった。

百舌欲無語,繁花能幾時。 

百舌鳥も鳴かなくなろうとしでいるし、繁く咲いていた花も、あとどれだけの時間、持続していられるものか。

谷虛雲氣薄,波亂日華遲。

谷はがらんどうで雲気薄くたちのぼり、波がみだれて水上の日のかがやきがいつまでもつづく。

戰伐何由定,哀傷不在茲。 

どうしたら戦伐が平定せられることであろうか、これこそ自分の哀傷のやどるところであって、自分の哀傷はただ春が暮れゆくなんぞの点に在るのではない。

(暮春、瀼西の新に賃せる草屋に題す五首其の一)

久しく嗟す 三峽の客,再び 暮春と期す。

百舌 語無からんと欲す,繁花 能く幾時ぞ。

谷 虛しくして雲氣薄く,波 亂れて日華 遲し。

戰伐 何に由りてか定まらん,哀傷は 茲に在らず。(

 

暮春題瀼西新賃草屋五首其二

(夔州に来て二度目の三月に賃貸で瀼西の家宅、草堂に赤甲から引っ越しして題したものでこの詩は、ミカンの木を植えたいと思っていることを述べる。)その2

此邦千樹橘,不見比封君。

この土地で千本のみかんの木を植えると、「皆與千戸侯等」とされ、その地の君王か、縣令にくらべてもおかしくないということで、自分もたくさん植えたけれど、とても金持ちの資格はないかもしれない。

養拙干戈際,全生麋鹿群。 

ただ兵乱の際にもちまえの世渡り下手なところを養い、麋鹿のむれにまじって生命を全うするだけのことである。

畏人江北草,旅食瀼西雲。

人をはばかつては江北の草によりそい旅の飯を食べながら瀼西の雲を伴としているが、隠者の住まいの白雲とは異なるものである。

萬里巴渝曲,三年實飽聞。 

萬里のかたいなかの巴渝の歌も三年聞いてしまったので、実に聞き飽きたのである。

暮春、瀼西の新に賃せる草屋に題す五首其の二)

此の邦の千樹の橘は。封君に比せらるるを見ず。

拙を養う 干戈(カンカ)の際、生を全うす 麋鹿の群。

人を畏る 江北の草、旅食す 瀼西の雲。

万里のかなたのこの巴渝の曲、三年実に聞くに飽く。

暮春題瀼西新賃草屋五首其三

(夔州に来て二度目の三月に賃貸で瀼西の家宅、草堂に赤甲から引っ越しして題したものでこの詩は、植えた蜜柑の樹が育ってきていることを述べる。)その3

彩雲陰複白,錦樹曉來青。

五色の雲が浮いていたが、くもりになってまた白くなってきたようだ。白雲は、彩雲の色にうつろうて、錦のように見えていた蜜柑樹の葉も暁からかけて、日々に青色も濃くなってゆく。

身世雙蓬鬢,乾坤一草亭。 

自分はこの世、この地に於て、隠棲し、今はただ左右のもつれた鬢の毛をあますばかりであり、天地のあいだにただ一つのこの草堂、草亭があるばかりだ。

哀歌時自惜,醉舞為誰醒。

ひとりで哀れな歌をうたって世間に名声を売ろうというわけではないが、我自らのことを愛惜し、だれのためとて醒めてくらす必要もないから酔うて舞をもうたりする。

細雨荷鋤立,江猿吟翠屏。 

小雨がふってきたので耕すのに鋤を荷うて外に立つと、翠の屏風の様な山壁で江の猿がなきさけんでいる。

 (暮春、瀼西の新に賃せる草屋に題す五首其の三)

彩雲 陰りて 複た白し,錦樹 曉來りて 青し。

身世 雙 蓬鬢,乾坤 一草の亭。

哀歌 時に自ら惜む,醉舞 誰の為にか醒めん。

細雨 鋤を荷いて立てば,江猿 翠屏に吟ず。

 

暮春題瀼西新賃草屋五首其四

壯年學書劍,他日委泥沙。事主非無祿,浮生即有涯。 

高齋依藥餌,域改春華。喪亂丹心破,王臣未一家。 

暮春題瀼西新賃草屋五首其五

欲陳濟世策,已老尚書郎。未息豺虎鬥,空慚鴛鷺行。 

時危人事急,風逆羽毛傷。落日悲江漢,中宵淚滿床。 

 

 

『暮春題瀼西新賃草屋,五首之三』現代語訳と訳註解説
(
本文)

暮春題瀼西新賃草屋五首其三

彩雲陰複白,錦樹曉來青。

身世雙蓬鬢,乾坤一草亭。

哀歌時自惜,醉舞為誰醒。

細雨荷鋤立,江猿吟翠屏。

(下し文)
暮春、瀼西の新に賃せる草屋に題す五首其の三)

彩雲 陰りて 複た白し,錦樹 曉來りて 青し。

身世 雙 蓬鬢,乾坤 一草の亭。

哀歌 時に自ら惜む,醉舞 誰の為にか醒めん。

細雨 鋤を荷いて立てば,江猿 翠屏に吟ず。


(現代語訳)
暮春題瀼西新賃草屋五首其三(夔州に来て二度目の三月に賃貸で瀼西の家宅、草堂に赤甲から引っ越しして題したものでこの詩は、植えた蜜柑の樹が育ってきていることを述べる。)その3

五色の雲が浮いていたが、くもりになってまた白くなってきたようだ。白雲は、彩雲の色にうつろうて、錦のように見えていた蜜柑樹の葉も暁からかけて、日々に青色も濃くなってゆく。

自分はこの世、この地に於て、隠棲し、今はただ左右のもつれた鬢の毛をあますばかりであり、天地のあいだにただ一つのこの草堂、草亭があるばかりだ。

ひとりで哀れな歌をうたって世間に名声を売ろうというわけではないが、我自らのことを愛惜し、だれのためとて醒めてくらす必要もないから酔うて舞をもうたりする。

小雨がふってきたので耕すのに鋤を荷うて外に立つと、翠の屏風の様な山壁で江の猿がなきさけんでいる。


(訳注) 

暮春題瀼西新賃草屋五首其三

(夔州に来て二度目の三月に賃貸で瀼西の家宅、草堂に赤甲から引っ越しして題したものでこの詩は、植えた蜜柑の樹が育ってきていることを述べる。)その3

 

瀼西の草堂と蜜柑園がワン・セットになっていたらしいことを思わせる。また《1850_暮春題瀼西新賃草屋五首》其三の詩に「乾坤の一草亭」、すなわちこの草屋にあって「細雨に鋤を荷って立つ」とあるから、畑なども同時に付属していたらしいことがわかる。

 この詩の詠じ方からすると、瀼西に移り住んでからの、杜甫の蜜柑に対する関心は、果木の美しさを観賞するという立場ではなく、あきらかに経済的、経営的な立場からのそれである。彼の蜜柑園もまた商品作物であり、また即ちいわゆる封殖(土寄して栽培)することである。どのように言おうとも、彼は蜜柑園をとても重視していた」(『杜甫夔州詩現地研究』二八六頁。第Ⅲ部第一章参照)と述べているとおりである。蜜柑が商品作物だから当然お金で売り買いされる。杜甫もそのことはよく承知していた。

 

彩雲陰複白,錦樹曉來青。

五色の雲が浮いていたが、くもりになってまた白くなってきたようだ。白雲は、彩雲の色にうつろうて、錦のように見えていた蜜柑樹の葉も暁からかけて、日々に青色も濃くなってゆく。

【一】彩雲 朝の五色の雲。仙人に従って雲がわき、そこに朝日が射すことを言う。即ち、その地が、仙郷であることを言う。

【ニ】錦樹曉來青 錦樹とは雲彩相い映じて樹色錦をなすことをいうし。ミカンの木の葉が、日々に育っている模様を表現したもの。この時期において、杜甫にとって、農作物、蜜柑を栽培し、帰郷の資金づくりをすることであった。

 

身世雙蓬鬢,乾坤一草亭。

自分はこの世、この地に於て、隠棲し、今はただ左右のもつれた鬢の毛をあますばかりであり、天地のあいだにただ一つのこの草堂、草亭があるばかりだ。

【三】 身世雙蓬鬢 この地で隠棲をしている風貌を見する。一身一世に於て故郷の山に半官半隠の生活を理想としている。そのためには、故郷に歸資金づくりに天から与えられたこの地において、蜜柑と野菜を作ることが今の目標である。

【四】 草亭 即ち瀼西の草堂。この草堂には、「細雨に鋤を荷って立つ」とあるから、蜜柑園と畑なども同時に付属していたらしいことがわかる。

 

哀歌時自惜,醉舞為誰醒。

ひとりで哀れな歌をうたって世間に名声を売ろうというわけではないが、我自らのことを愛惜し、だれのためとて醒めてくらす必要もないから酔うて舞をもうたりする。

【五】 哀歌・自惜 独自之を愛す。《莊子. 天地第十二》「子非夫博學以擬聖,於于以蓋眾,獨弦哀歌以賣名聲於天下者乎?」(子は夫の博く學びて以て聖に擬し,於于して以て眾を蓋い,獨弦 哀歌して以て名聲を天下に賣る者に非らざるか?農家のものが、広く学んで聖人の真似をして、大ぼらなのんきな気なことを言って、人を煙に巻き、独り哀歌を歌い、世間に名声を売ろうというものではないのか。に基づいている。

【六】 焦誰醍 何人のためにも醒むる必要なきなり。

 

細雨荷鋤立,江猿吟翠屏。

小雨がふってきたので耕すのに鋤を荷うて外に立つと、翠の屏風の様な山壁で江の猿がなきさけんでいる。

【七】 翠屏 青山をいふ。

細雨荷鋤立 隠遁した陶潜《歸園田居 五首  其三》「帯月荷鋤歸」“月を帯び 鋤を荷いて帰る 月の光の下、鋤を担いで帰る.の詩のイメージに倣うものである。

歸園田居 五首  其三

種豆南山下,草盛豆苗稀。晨興理荒穢,帶月荷鋤歸。

道狹草木長,夕露沾我衣。衣霑不足惜,但使願無違。

(園田の居に 歸る 五首その三)

豆を種う 南山の下,草盛んにして豆苗稀なり。晨に興きて荒穢を 理【ととの】へ,月を帶び 鋤を荷ひて 歸る。

道狹くして草木長じ,夕露我が衣を霑らす。衣が霑るるは惜むに足らざれど,但だ願ひをして違ふことを無から使めよ。

 

  暮春題瀼西新賃草屋五首

年譜大厯二年自赤甲将遷居瀼西而作

久嗟三峽客、再與暮春期。百舌欲無語、繁花能幾時。

谷虚雲氣薄、波亂日華遲。戰伐何由定、哀傷不在

首章題 瀼西暮春 杜中四冩季春時景末二傷心世亂為後 兩章伏脉 臆久客而再逢暮春 見非初意百舌二句見

物候易遷谷虚二句見瀼土堪適豈谷内雲升春晴故曰薄波中日漾春長故遲不在 不在此戰伐 趙

反舌無聲在芒種後十日今欲無語則暮春時矣。  謝朓詩日華川上動

其二

此邦一作/北郊干樹橘、不見比封君。養拙干戈際、全生麋鹿羣。

畏人江北草、旅食瀼西雲。萬里巴渝曲、三年實飽聞。

次章題瀼西賃居、干地産貧瘠而託居於此不過為養拙全生計耳身際 戈故畏人而依江北之草同群麋鹿

故旅食而伴瀼西之雲三年聞曲、即所謂久嗟三峽客也。

公自永泰元年秋之雲安至此、為三年在夔州逢春則再度矣

江史 《貨殖傳》封者衣租税千之君率二十萬、蜀漢陵千樹橘、其人皆與千戸侯等。

交論 獨立高山之頂懽與麋鹿同群六 

魏文帝詩 客子常畏人

《漢禮樂志》巴渝鼓員三十 員注高帝初為

漢王得巴渝趫捷人與之定三秦滅楚存其樂為/巴渝樂 。巴州在今夔州府渝州今在重慶府

其三

綵雲隂復扶又/白、錦樹曉一作/來青。身世雙蓬鬢、乾坤一草亭。

哀歌時自惜、一作/醉舞為/誰醒。細雨荷/鋤立、江猿吟翠屏。

三章、對草屋、而有感也。句隂復白雲變態、曉來青雨後色二 屋前春景誰

趙汸注、雙蓬鬢老無所成。 一草亭窮無所歸草。 自惜 醒窮老獨悲雨 際聞猿觸景堪傷矣

下六句 屋情事。 身世二字、又起下章哀 王融詩日、暮綵雲合淵。 鮑照詩 身世兩相棄。

莊子 歌以賣聲名 詩鼓 淵醉言舞。 陶潛詩 帯月荷鋤歸。

 黄生曰此詩首尾實而中間虚是實包虚格、唯杜有之三四乃藏頭句法若申言之則悠悠身世雙蓬髩

 落落乾坤一草亭耳。江猿吟翠屏、即白鷗元水宿何事有餘哀意而含蓄較深永矣

其四

壯年晉作/學書劍他日委泥沙事主非無一作/無非禄浮生

即有涯高齋依藥餌絶域改春華/亂丹心破王臣未一家

四章旅居而慨身世也前書劍委於泥沙欲用/而世不見用也非無禄 曽授官即有涯後無

餘望矣五六承浮生七八承事主伐高齋指草屋絶域/指瀼西春華暮春亂應前戰 王臣未一諸鎮猶

多叛志也詩項羽紀少年學書不成去學/ 沈約 淪没委泥沙 詩莫非王臣

其五

欲陳濟世已老尚書郎不一作/息豺狼一作/

鴛鷺行/時危人事急一作/風逆羽毛傷落日悲江漢中宵淚滿牀

承上章來乃世亂年衰之感前濟世應前/亂尚書郎應前事主悲淚應 丹心破此遥承

上章也有莫陳故豺狼未息省郎空老故鴛鷺終慚/人事危見狼方張羽毛傷見鴛行莫起末二又總

上六此逐句分承也/屋亦非安居之地矣 杜臆落日増悲終宵流淚則草/後漢盧植傳植剛毅有大節常

懷濟世志於前漢/書馮唐老 郎署

 

767年- 26 杜少陵集-巻18-58 《暮春題瀼西新賃草屋,五首之二》26 杜甫詩index-15-1185 <1635> 18-58漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7572

杜甫  暮春題瀼西新賃草屋五首其二

此邦千樹橘,不見比封君。養拙干戈際,全生麋鹿群。 

畏人江北草,旅食瀼西雲。萬里巴渝曲,三年實飽聞。 

(夔州に来て二度目の三月に賃貸で瀼西の家宅、草堂に赤甲から引っ越しして題したものでこの詩は、ミカンの木を植えたいと思っていることを述べる。)その2

この土地で千本のみかんの木を植えると、「皆與千戸侯等」とされ、その地の君王か、縣令にくらべてもおかしくないということで、自分もたくさん植えたけれど、とても金持ちの資格はないかもしれない。ただ兵乱の際にもちまえの世渡り下手なところを養い、麋鹿のむれにまじって生命を全うするだけのことである。人をはばかつては江北の草によりそい旅の飯を食べながら瀼西の雲を伴としているが、隠者の住まいの白雲とは異なるものである。萬里のかたいなかの巴渝の歌も三年聞いてしまったので、実に聞き飽きたのである。

杜少陵集 卷一八59

暮春題西新賃草屋,五首之二

 

杜甫詩index-15 767年大暦256 (26)

漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7572

 

 

 

杜甫詩1500-1185-1635/2500

18-58   26        暮春題瀼西新賃草屋,五首之二

作時年:

767

大暦2

56

全唐詩 卷別:

卷二二九 46 -2

文體:

五言律詩

杜少陵集 

18-58

 

 

詩題:

暮春題瀼西新賃草屋,五首之二

年譜大厯二年自赤甲将遷居瀼西而作。 

作地點:

夔州(山南東道 / 夔州 / 奉節、瀼西、赤甲)

及地點:

山南西道 奉節の東40里、麝香山。

 

 

 

 

交遊人物:

 

 

 

 

 

229_46 《暮春題瀼西新賃草屋五首》杜甫 

暮春題瀼西新賃草屋五首其一

(夔州に来て二度目の三月に賃貸で瀼西の家宅、草堂に赤甲から引っ越しして題したもの)
久嗟三峽客,再與暮春期。

三峡の客である自分はいつものことながらまたなげく、ここ夔州へ来てから二度春の暮れにであうことになった。

百舌欲無語,繁花能幾時。 

百舌鳥も鳴かなくなろうとしでいるし、繁く咲いていた花も、あとどれだけの時間、持続していられるものか。

谷虛雲氣薄,波亂日華遲。

谷はがらんどうで雲気薄くたちのぼり、波がみだれて水上の日のかがやきがいつまでもつづく。

戰伐何由定,哀傷不在茲。 

どうしたら戦伐が平定せられることであろうか、これこそ自分の哀傷のやどるところであって、自分の哀傷はただ春が暮れゆくなんぞの点に在るのではない。

(暮春、瀼西の新に賃せる草屋に題す五首其の一)

久しく嗟す 三峽の客,再び 暮春と期す。

百舌 語無からんと欲す,繁花 能く幾時ぞ。

谷 虛しくして雲氣薄く,波 亂れて日華 遲し。

戰伐 何に由りてか定まらん,哀傷は 茲に在らず。

暮春題瀼西新賃草屋五首其二

(夔州に来て二度目の三月に賃貸で瀼西の家宅、草堂に赤甲から引っ越しして題したものでこの詩は、ミカンの木を植えたいと思っていることを述べる。)その2

此邦千樹橘,不見比封君。

この土地で千本のみかんの木を植えると、「皆與千戸侯等」とされ、その地の君王か、縣令にくらべてもおかしくないということで、自分もたくさん植えたけれど、とても金持ちの資格はないかもしれない。

養拙干戈際,全生麋鹿群。 

ただ兵乱の際にもちまえの世渡り下手なところを養い、麋鹿のむれにまじって生命を全うするだけのことである。

畏人江北草,旅食瀼西雲。

人をはばかつては江北の草によりそい旅の飯を食べながら瀼西の雲を伴としているが、隠者の住まいの白雲とは異なるものである。

萬里巴渝曲,三年實飽聞。 

萬里のかたいなかの巴渝の歌も三年聞いてしまったので、実に聞き飽きたのである。

暮春、瀼西の新に賃せる草屋に題す五首其の二)

此の邦の千樹の橘は。封君に比せらるるを見ず。

拙を養う 干戈(カンカ)の際、生を全うす 麋鹿の群。

人を畏る 江北の草、旅食す 瀼西の雲。

万里のかなたのこの巴渝の曲、三年実に聞くに飽く。

暮春題瀼西新賃草屋五首其三

彩雲陰複白,錦樹曉來青。身世雙蓬鬢,乾坤一草亭。 

哀歌時自短,醉舞為誰醒。細雨荷鋤立,江猿吟翠屏。 

暮春題瀼西新賃草屋五首其四

壯年學書劍,他日委泥沙。事主非無祿,浮生即有涯。 

高齋依藥餌,域改春華。喪亂丹心破,王臣未一家。 

暮春題瀼西新賃草屋五首其五

欲陳濟世策,已老尚書郎。未息豺虎鬥,空慚鴛鷺行。 

時危人事急,風逆羽毛傷。落日悲江漢,中宵淚滿床。 

夔州三峡長江三峡 

 

『暮春題瀼西新賃草屋,五首之二』現代語訳と訳註解説
(
本文)

暮春題瀼西新賃草屋五首其二

此邦千樹橘,不見比封君。

養拙干戈際,全生麋鹿群。

畏人江北草,旅食瀼西雲。

萬里巴渝曲,三年實飽聞。

(下し文)
(暮春、瀼西の新に賃せる草屋に題す五首其の二)

此の邦の千樹の橘は。封君に比せらるるを見ず。

拙を養う 干戈(カンカ)の際、生を全うす 麋鹿の群。

人を畏る 江北の草、旅食す 瀼西の雲。

万里のかなたのこの巴渝の曲、三年実に聞くに飽く。


(現代語訳)
暮春題瀼西新賃草屋五首其二(夔州に来て二度目の三月に賃貸で瀼西の家宅、草堂に赤甲から引っ越しして題したものでこの詩は、ミカンの木を植えたいと思っていることを述べる。)その2

この土地で千本のみかんの木を植えると、「皆與千戸侯等」とされ、その地の君王か、縣令にくらべてもおかしくないということで、自分もたくさん植えたけれど、とても金持ちの資格はないかもしれない。

ただ兵乱の際にもちまえの世渡り下手なところを養い、麋鹿のむれにまじって生命を全うするだけのことである。

人をはばかつては江北の草によりそい旅の飯を食べながら瀼西の雲を伴としているが、隠者の住まいの白雲とは異なるものである。

萬里のかたいなかの巴渝の歌も三年聞いてしまったので、実に聞き飽きたのである。

瞿塘峡・白帝城・魚復
(訳注) 

暮春題瀼西新賃草屋五首其二

(夔州に来て二度目の三月に賃貸で瀼西の家宅、草堂に赤甲から引っ越しして題したものでこの詩は、ミカンの木を植えたいと思っていることを述べる。)その2

8 其二 夔州期は、野菜や雑穀、根菜類の作物やいくつかの果樹類の栽培、そして一年には満たなかったが水田経営と蜜柑園経営、そしてその他の雑多な農事に関する営為などである。とくに蜜柑経営といっても、実際は 晩春に果樹園(蜜柑園)を丸ごと買い入れて、収穫を終えた翌春早々には、もう他人に譲渡している。ワン・サイクルの収穫を終えただけでは、経営と呼ぶには値しないかもしれないが、収穫作業の他にも除草や施肥や土寄せなどの作業、また除虫や防寒対策(さらに蜜柑泥棒からの防護策)などの若干の必要な農事は行われたであろうし、この時期に突出して現れる蜜柑に対する並々ならぬ杜甫の関心などを考えると、故郷に歸資金づくりで、杜甫の農的営為の一つとして蜜柑園経営をあげられるものであると考える。

 

1 瀼西の草堂 足かけ三年、実質一年十ヶ月の夔州滞在ではあるが、この間に何度か居所を変えた。その詳細についてはあまり分かっていない。いろいろな意見が出されており、多いものでは、客堂→草閣(江辺閣)→西閣→赤甲→瀼西→東屯の六カ所を想定している人もいる。そういう中で、一年目の客堂、草閣、赤甲への移居説はひとまず置くとしても、二年目晩春の瀼西と秋の東屯への移居はおおかたの一致するところである。そして、すぐに杜甫は赤甲から瀼西へ引っ越した。瀼西の住まいはこの段階ではまだ賃借りの状態であるが、その後間もなく杜甫によって買い上げられ、その住宅には果園も付属していた。

2 新賃 新たに借りいれる。

3 草屋 かやぶきの家。

 

此邦千樹橘,不見比封君。

この土地で千本のみかんの木を植えると、「皆與千戸侯等」とされ、その地の君王か、縣令にくらべてもおかしくないということで、自分もたくさん植えたけれど、とても金持ちの資格はないかもしれない。

千樹橘 ミカンの木が千本あれば、千戸の土地に封ぜられたことと、その富がひとしいということである。史記《貨殖傳》「封者衣租税。千之君率二十萬、蜀漢陵千樹橘、其人皆與千戸侯等。」(封者租税す。千君は、率ね二十萬、蜀漢江陵の千樹の橘、其の人皆 千戸侯と等し。

 

養拙干戈際,全生麋鹿群。 

ただ兵乱の際にもちまえの世渡り下手なところを養い、麋鹿のむれにまじって生命を全うするだけのことである。

麋鹿 大鹿と鹿。獣類。

 

畏人江北草,旅食瀼西雲。

人をはばかつては江北の草によりそい旅の飯を食べながら瀼西の雲を伴としているが、隠者の住まいの白雲とは異なるものである。

畏人 人をはばかる。『論語•季氏篇』 孔子曰 君子有三畏。畏天命,畏大人,畏聖人之言。(孔子曰く、君子に三畏あり。天命を畏れ、大人を畏れ、聖人の言を畏る。小人は天命を知らずして畏れず、大人に狎れ、聖人の言を侮る。孔先生が言われた、『君子には三つの畏れはばかりがある。天命を畏れ、大人を畏れ、聖人の言葉を畏れる。小人は天命を知らないで畏れず、大人になれなれしくし、聖人の言葉を侮辱する。

曹丕(魏文帝)《雑詩二首(二)》「棄置勿複陳、客子常畏人。」(棄置して複た陳ぶる勿れ、客子 人を畏るるを常とするなり。この事は聞かなかったことと捨て置かれよ、そのようなことに度とふたたびいうことはない。戦線を維持するものとして『論語』でいう「君子に三畏有り」で常に油断してはならないということだ。

雑詩二首(二) 曹丕(魏文帝) 魏詩<7>文選 雑詩 上 627 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1725

 

萬里巴渝曲,三年實飽聞。 

萬里のかたいなかの巴渝の歌も三年聞いてしまったので、実に聞き飽きたのである。

巴渝曲 夔州は、漢の巴東郡であり、重慶府は隋の渝州である。曲は、歌曲、《漢禮樂志》「巴渝鼓員三十 員」(巴渝 鼓員は三十 員なり)注に、漢の高帝の初めに為す。

漢王、巴渝の趫捷人と之て定三とを得る、秦では滅し、楚では存し、其の樂は巴渝樂と為す

巴州は今の夔州府渝州に在り、今、重慶府に在る。

 

 

  暮春題瀼西新賃草屋五首

年譜大厯二年自赤甲将遷居瀼西而作

久嗟三峽客、再與暮春期。百舌欲無語、繁花能幾時。

谷虚雲氣薄、波亂日華遲。戰伐何由定、哀傷不在

首章題 瀼西暮春 杜中四冩季春時景末二傷心世亂為後 兩章伏脉 臆久客而再逢暮春 見非初意百舌二句見

物候易遷谷虚二句見瀼土堪適豈谷内雲升春晴故曰薄波中日漾春長故遲不在 不在此戰伐 趙

反舌無聲在芒種後十日今欲無語則暮春時矣。  謝朓詩日華川上動

其二

此邦一作/北郊干樹橘、不見比封君。養拙干戈際、全生麋鹿羣。

畏人江北草、旅食瀼西雲。萬里巴渝曲、三年實飽聞。

次章題瀼西賃居、干地産貧瘠而託居於此不過為養拙全生計耳身際 戈故畏人而依江北之草同群麋鹿

故旅食而伴瀼西之雲三年聞曲、即所謂久嗟三峽客也。

公自永泰元年秋之雲安至此、為三年在夔州逢春則再度矣

江史 《貨殖傳》封者衣租税千之君率二十萬、蜀漢陵千樹橘、其人皆與千戸侯等。

交論 獨立高山之頂懽與麋鹿同群六 

魏文帝詩 客子常畏人

《漢禮樂志》巴渝鼓員三十 員注高帝初為

漢王得巴渝趫捷人與之定三秦滅楚存其樂為/巴渝樂 。巴州在今夔州府渝州今在重慶府

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杜甫  暮春題瀼西新賃草屋五首其一

久嗟三峽客,再與暮春期。百舌欲無語,繁花能幾時。 

谷虛雲氣薄,波亂日華遲。戰伐何由定,哀傷不在茲。 

(夔州に来て二度目の三月に賃貸で瀼西の家宅、草堂に赤甲から引っ越しして題したもの)

三峡の客である自分はいつものことながらまたなげく、ここ夔州へ来てから二度春の暮れにであうことになった。百舌鳥も鳴かなくなろうとしでいるし、繁く咲いていた花も、あとどれだけの時間、持続していられるものか。谷はがらんどうで雲気薄くたちのぼり、波がみだれて水上の日のかがやきがいつまでもつづく。どうしたら戦伐が平定せられることであろうか、これこそ自分の哀傷のやどるところであって、自分の哀傷はただ春が暮れゆくなんぞの点に在るのではない。

杜少陵集 卷一八55

暮春題西新賃草屋,五首之一

杜甫詩index-15767年大暦256 (23)

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夔州は、山南道に属し、奉節県、雲安県、巫山県、大昌県の四県を領していた。さらに一時期は夔州都督府が置かれていたこともあり、三峡の小さな町に、夔州都督府、夔州、奉節県の三つの役所があったことになり、唐代の赤甲山から白帝山方面にあった。

 

夔州に上陸した杜甫は、梅渓河西岸ではなく、赤甲山、白帝山方面にある役所で夔州入りの手続きを済ませた違いない。ここからいよいよ杜甫の夔州時代が始まったのである

夔州は、新旧唐書の地理志によれば、山南道に属し、奉節県、雲安県、巫山県、大昌県の四県を領していた。さらに一時期は都督府(下)が置かれていたこともあり、三峡の小さな町に、夔州都督府、夔州、奉節県の三つの役所があったことになる。政治的軍事的には一地方の重鎮であり、唐代にはそれ相応の人口もあり繁華でもあった。

 まず確認しておかなければならないのは、それらの役所の場所である。従来多く考えられてきたように、それは梅渓河(西瀼水)の西岸ではなかった。あとでも触れるが、いずれも今の子陽山(後掲の簡錦松氏によれば唐代の赤甲山)から白帝山方面にあった。夔州に上陸した杜甫は、梅渓河西岸ではなく、赤甲山、白帝山方面にある役所で夔州入りの手続きを済ませた違いない。ここからいよいよ杜甫の夔州時代が始まる。

 ほとんどの編年系のテキストで夔州詩の最初に置かれているのは、《1501_移居夔州作》の詩である。

移居夔州郭

(居を夔州に移さん)

伏枕雲安縣,遷居白帝城。

枕に伏す 雲安縣,居を遷す 白帝城。

春知催柳別,江與放船清

春は知る柳を催して別れしむるを、,江は放船を與【ため】にして清し。

農事聞人,山光見鳥情。

農事 人のくを聞く,山光 鳥情を見る。

禹功饒斷石,且就土微平。

禹功 斷石饒し,且く就かん 土の微平なるに。

 

夔州での詩は、巻十五から、巻二十一の真ん中まで、六巻半の分量である。夔州には766(大暦元)年の晩春から、768(大暦三)年正月の中頃まで滞在した。夔州に到着したのを仮に晩春の三月の真ん中だとして数えると、二十二ヶ月である。杜甫の五十五歳から五十七歳までにあたる。

 

 足かけ三年、実質一年十ヶ月の夔州滞在ではあるが、この間に何度か居所を変えた。その詳細についてはあまり分かっていない。いろいろな意見が出されており、多いものでは、客堂→草閣(江辺閣)→西閣→赤甲→瀼西→東屯の六カ所を想定している人もいる。そういう中で、一年目の客堂、草閣、赤甲への移居説はひとまず置くとしても、二年目晩春の瀼西と秋の東屯への移居はおおかたの一致するところである。

 

 杜甫が(西閣または赤甲から)瀼西へ引っ越したことは、いろいろな詩から総合的に判断できることであるが、より直接的には以下の詩からわかる。

それは1813_瀼西寒望》の詩に、瀼西への引っ越し計画を、

瀼西寒望

(瀼西の寒望)

【夔人以澗水通江者為瀼,大昌縣西有千頃池,水分三道,其一南流奉節縣,為西瀼水。】

【夔人 以て澗水江に通ずる者は瀼と為し,大昌縣 西に千頃の池有り,水 三道に分れ,其の一 南に奉節縣に流る,西瀼水と為す。】

水色含群動,朝光切太虛。

水色 群動を含む、朝光 太虚に切なり。

年侵頻悵望,興遠一蕭疏。

年侵して 頻りに帳望す、興遠くして一に蕭疏たり。

猿挂時相學,鷗行炯自如。

猿挂かりて時に相学ぶ、鴎行く 炯として自如たり。

瞿唐春欲至,定卜瀼西居。

瞿唐 春 至らんと欲す、定めて卜せん瀼西の居。

と述べており、そして実際に1850_暮春に、瀼西の新たに賃せし草屋に題す》の五首連作の詩を作っているからである。

暮春題瀼西新賃草屋,五首之一                          久嗟三峽客,

暮春題瀼西新賃草屋,五首之二                          此邦千樹橘,

暮春題瀼西新賃草屋,五首之三                          綵雲陰復白,

暮春題瀼西新賃草屋,五首之四                          壯年學書劍,

暮春題瀼西新賃草屋,五首之五                          欲陳濟世策,

瀼西の住まいはこの段階ではまだ賃借りの状態であるが、その後間もなく杜甫によって買い上げられ、その住宅には果園も付属していたと考えられる。その証拠となる詩は、次の四首である。大暦二年の秋、その住宅を杜甫の娘婿の呉郎に、貸し与えることを述べた2043_呉郎司法に簡す》の詩に、

簡呉郎司法

郎司法

 

有客乘舸自忠州,遣騎安置瀼西頭。

 

古堂本買藉疏豁,借汝遷居停宴遊。

古堂 本と買いしは 疏豁に藉る、汝に借して居を遷さしめ 宴遊を停めしめん

雲石熒熒高葉曙,風江颯颯亂帆秋。

 

卻為姻婭過逢地,許坐曾軒數散愁。

 

と述べ、その年の晩秋の767年 《巻20-65小園》の詩には、

小園

 

由來巫峽水,本自楚人家。

 

客病留因藥,春深買為花。

(たび)に病んで 留まるは薬に因る,春深くして 買うは花の為なり。

秋庭風落果,瀼岸雨沙。

 

問俗營寒事,將詩待物華。

 

とあって、詩題にいう小園を晩春に買ったと述べているからである。この小園については浦起竜も「瀼西の果園なり」「買うとは園を買うにして、花を買うには非ざるなり」(巻三之六)というように、瀼西の四十畝のそれであったろう。そしてその果園が瀼西宅に附属していたものであることは、《20-66寒雨朝行視園樹寒雨に朝行きて園の樹を視る)の詩に「わが柴門は樹を擁して千株に向(なんな)んとす」とあることからわかる。千株は「千橘」の典故を意識した千本にも近い蜜柑の木を意味する。

寒雨朝行視園樹

柴門雜樹向千株,丹橘黃甘此地無。

江上今朝寒雨歇,籬中秀色畫屏紆。

桃蹊李徑年雖故,梔子紅椒豔復殊。

鎖石藤稍元自落,倚天松骨見來枯。

林香出實垂將盡,葉蒂辭枝不重蘇。

愛日恩光蒙借貸,清霜殺氣得憂虞。

衰顏更覓藜床坐,緩步仍須竹杖扶。

散騎未知雲閣處,啼猿僻在楚山隅。

 

さらに翌年正月、夔州を去るに当たって、その家屋と果園の不動産を南卿兄という人物に贈ることを詩題にした2138_将に巫峡に別れんとして南卿兄に瀼西の果園四十畝を贈る》の詩が作られている。果園が何ヶ所でどこにあったかなどについては異説があるが、全体としてこの通説は正しいであろう。「瀼西宅」(《1917_阻雨不得歸瀼西甘林》による)に住んだのは、東屯に一時移り住み呉郎に貸し与えた時期を考慮外とし、多く見積もったとしても大暦二年の暮春三月から翌年正月まで十ヶ月足らずである。

 大暦二(七六七)年、五十六歳の杜甫が、野菜作りや稲田・蜜柑園の管理経営に力を入れるのが、この瀼西(東屯)に住んでいた一時期である。

 

杜甫詩1500-1184-1634/2500

18-57     暮春題瀼西新賃草屋,五首之一

作時年:

767

大暦2

56

全唐詩 卷別:

卷二二九 46 -1

文體:

五言律詩

杜少陵集 

18-57

 

 

詩題:

暮春題瀼西新賃草屋,五首之一

年譜大厯二年自赤甲将遷居瀼西而作。 

作地點:

夔州(山南東道 / 夔州 / 奉節、瀼西、赤甲)

及地點:

山南西道 奉節の東40里、麝香山。

 

 

 

 

交遊人物:

 

 

 

 

 

229_46 《暮春題瀼西新賃草屋五首》杜甫 

暮春題瀼西新賃草屋五首其一

(夔州に来て二度目の三月に賃貸で瀼西の家宅、草堂に赤甲から引っ越しして題したもの)久嗟三峽客,再與暮春期。

三峡の客である自分はいつものことながらまたなげく、ここ夔州へ来てから二度春の暮れにであうことになった。

百舌欲無語,繁花能幾時。 

百舌鳥も鳴かなくなろうとしでいるし、繁く咲いていた花も、あとどれだけの時間、持続していられるものか。

谷虛雲氣薄,波亂日華遲。

谷はがらんどうで雲気薄くたちのぼり、波がみだれて水上の日のかがやきがいつまでもつづく。

戰伐何由定,哀傷不在茲。 

どうしたら戦伐が平定せられることであろうか、これこそ自分の哀傷のやどるところであって、自分の哀傷はただ春が暮れゆくなんぞの点に在るのではない。

(暮春、瀼西の新に賃せる草屋に題す五首其の一)

久しく嗟す 三峽の客,再び 暮春と期す。

百舌 語無からんと欲す,繁花 能く幾時ぞ。

谷 虛しくして雲氣薄く,波 亂れて日華 遲し。

戰伐 何に由りてか定まらん,哀傷は 茲に在らず。

暮春題瀼西新賃草屋五首其二

此邦千樹橘,不見比封君。養拙干戈際,全生麋鹿群。 

畏人江北草,旅食瀼西雲。萬里巴渝曲,三年實飽聞。 

暮春題瀼西新賃草屋五首其三

彩雲陰複白,錦樹曉來青。身世雙蓬鬢,乾坤一草亭。 

哀歌時自短,醉舞為誰醒。細雨荷鋤立,江猿吟翠屏。 

暮春題瀼西新賃草屋五首其四

壯年學書劍,他日委泥沙。事主非無祿,浮生即有涯。 

高齋依藥餌,域改春華。喪亂丹心破,王臣未一家。 

暮春題瀼西新賃草屋五首其五

欲陳濟世策,已老尚書郎。未息豺虎鬥,空慚鴛鷺行。 

時危人事急,風逆羽毛傷。落日悲江漢,中宵淚滿床。 

瞿塘峡・白帝城・魚復 

 

『暮春題瀼西新賃草屋,五首之一』現代語訳と訳註解説
(
本文)

暮春題瀼西新賃草屋五首其一

久嗟三峽客,再與暮春期。

百舌欲無語,繁花能幾時。

谷虛雲氣薄,波亂日華遲。

戰伐何由定,哀傷不在茲。

(下し文)
(暮春、瀼西の新に賃せる草屋に題す五首其の一)

久しく嗟す 三峽の客,再び 暮春と期す。

百舌 語無からんと欲す,繁花 能く幾時ぞ。

谷 虛しくして雲氣薄く,波 亂れて日華 遲し。

戰伐 何に由りてか定まらん,哀傷は 茲に在らず。

(現代語訳)
暮春題瀼西新賃草屋五首其一(夔州に来て二度目の三月に賃貸で瀼西の家宅、草堂に赤甲から引っ越しして題したもの)

 

三峡の客である自分はいつものことながらまたなげく、ここ夔州へ来てから二度春の暮れにであうことになった。

百舌鳥も鳴かなくなろうとしでいるし、繁く咲いていた花も、あとどれだけの時間、持続していられるものか。

谷はがらんどうで雲気薄くたちのぼり、波がみだれて水上の日のかがやきがいつまでもつづく。

どうしたら戦伐が平定せられることであろうか、これこそ自分の哀傷のやどるところであって、自分の哀傷はただ春が暮れゆくなんぞの点に在るのではない。

安史の乱当時の勢力図
(訳注) 

暮春題瀼西新賃草屋五首其一

(夔州に来て二度目の三月に賃貸で瀼西の家宅、草堂に赤甲から引っ越しして題したもの)

1 瀼西の草堂 足かけ三年、実質一年十ヶ月の夔州滞在ではあるが、この間に何度か居所を変えた。その詳細についてはあまり分かっていない。いろいろな意見が出されており、多いものでは、客堂→草閣(江辺閣)→西閣→赤甲→瀼西→東屯の六カ所を想定している人もいる。そういう中で、一年目の客堂、草閣、赤甲への移居説はひとまず置くとしても、二年目晩春の瀼西と秋の東屯への移居はおおかたの一致するところである。そして、すぐに杜甫は赤甲から瀼西へ引っ越した。瀼西の住まいはこの段階ではまだ賃借りの状態であるが、その後間もなく杜甫によって買い上げられ、その住宅には果園も付属していた。

2 新賃 新たに借りいれる。

3 草屋 かやぶきの家。

 

久嗟三峽客,再與暮春期。

三峡の客である自分はいつものことながらまたなげく、ここ夔州へ来てから二度春の暮れにであうことになった。

4 三峽 三峡(長江三峡)は中国の長江本流にある三つの峡谷の総称。重慶市奉節県の白帝城から湖北省宜昌市の南津関までの193kmの間に、上流から瞿塘峡(くとうきょう、8km)、巫峡(ふきょう、45km)、西陵峡(せいりょうきょう、66km)が連続する景勝地である。三峡地域には瞿塘峡・巫峡・西陵峡のような険しく幅の狭い峡谷の部分と、広くなだらかな寛谷の部分があるが、これは地質の違いによる。三峡独特の景観である峡谷部分は石灰岩が多く、風化には極めて強いが水には溶食されやすく、水の流れる部分だけが深く削られてゆく。また石灰岩には垂直の亀裂ができやすく、水が亀裂の中に入り、その底部を侵食してゆく。谷が深くなると両岸の岩が平衡を失い、垂直に発達した亀裂に沿って谷に落ちるため、両岸が切り立った崖になってゆく。砂岩や頁岩の多い地域は浸食がより進むため、うってかわって広い谷が形成されている。

 

百舌欲無語,繁花能幾時。

百舌鳥も鳴かなくなろうとしでいるし、繁く咲いていた花も、あとどれだけの時間、持続していられるものか。

5 百舌 「モズ」の鳥。

 

谷虛雲氣薄,波亂日華遲。

谷はがらんどうで雲気薄くたちのぼり、波がみだれて水上の日のかがやきがいつまでもつづく。

6 日華  1.太陽的光華。 南朝・齊、謝朓《和徐都曹》「日華川上動, 風光草際浮。」

《謝朓全集和徐都曹出新亭渚詩》

宛洛佳遨游。春色滿皇州。

結軫青郊路。回瞰蒼江流。

日華川上動。風光草際浮。

桃李成蹊徑。桑蔭道周。

東都已俶載。言歸望綠疇。

宛・洛は 遨游するに佳く、春色は 皇州に満つ。

珍を青郊の路に結らし、囘かに蒼江の流れを瞰る。

日華は 川上に動き、風光は 草際に浮かぶ。

桃李 蹊徑を成し、桑檎 道周をふ。

東都 己に載を俶む、言に帰りて 緑の疇を望まん。

「日華」は日の輝き。光風とは、雨己み日掛でて風ふき、草木に光色有るを謂ふなり」すなわち、雨に濡れた草木の葉が日光に輝きながら風に翻っているさまという。五臣(李周翰)注には「風には、もともと光は無い。草上に光色があるというのは、風が草を吹き動かして光らせ、あたかも風に光が有るかのようであるためだ」という。要するに此の語は、『楚辞』を踏まえながらの造語で、風になびく草が日光に輝いているさまを言うのであろう。「草際浮」とは、その輝きが岸辺の草の上のあたりに浮かんでいるように見えるのを言う。

.

戰伐何由定,哀傷不在茲。

どうしたら戦伐が平定せられることであろうか、これこそ自分の哀傷のやどるところであって、自分の哀傷はただ春が暮れゆくなんぞの点に在るのではない。

7 哀傷不在茲 茲とは春の過ぎゆくさま、即ち「百舌」以下の四句の事をさす。仇氏は「茲」な戦伐をさすとし、不在茲を豈不在茲乎の義とせり。今従はず。

 

 

 

  暮春題瀼西新賃草屋五首

年譜大厯二年自赤甲将遷居瀼西而作

久嗟三峽客、再與暮春期。百舌欲無語、繁花能幾時。

谷虚雲氣薄、波亂日華遲。戰伐何由定、哀傷不在

首章題 瀼西暮春 杜中四冩季春時景末二傷心世亂為後 兩章伏脉 臆久客而再逢暮春 見非初意百舌二句見

物候易遷谷虚二句見瀼土堪適豈谷内雲升春晴故曰薄波中日漾春長故遲不在 不在此戰伐 趙

反舌無聲在芒種後十日今欲無語則暮春時矣。  謝朓詩日華川上動

767年- 24 杜少陵集-巻18-56 《卜居》24 杜甫詩index-15-1183 <1633> 18-56 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7562

杜甫  卜居

歸羨遼東鶴,吟同楚執珪。未成游碧海,著處覓丹梯。 

雲障寬江左,春耕破瀼西。桃紅客若至,定似昔人迷。 

(赤甲山より更に瀼西に住居を卜せんとして作れる詩。) 

むかし、霊虚山で仙道を学んで、丁令威が鶴に化して遼東へ帰ったというが、自分も鶴にでもなって故郷の隠棲地に還ればよいとそれを鶴を羨む。越の莊舄が楚の宰相である執珪の位にまでなっても故郷を忘れかね、病中に越歌を吟じたというが、病気である自分も今はそんな状況である。かねがね遊びたいとおもっている碧海にはまだ遊ぶことはできず、かえって到るところに山居をもとめているありさまである。こんど住もうとしているところは、この地方では長江の北で、雲のうかぶ峻山もいくらかゆとりがあって平であるから、春の耕作でもはじめて瀼水の西で地面に鋤鍬でもいれようとおもうところである。桃の花が真っ赤に吹くころに、お客でもたずねてきたなら、定めし昔の武陵の漁父が桃源で路をふみ迷う様なめにあうだろう。

杜少陵集 卷一八56

卜 居

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杜甫詩index-15

767年大暦256 (24)

1183 <1633

 

 

 
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杜甫詩1500-1183-1633/2500

【大歷二年春,甫自西閣遷赤甲、此是大厯二年自赤甲将遷居瀼西而作。

入宅,三首之一

229 43-1 /18-52 

奔峭背赤甲,斷崖當白鹽。客居愧遷次,春酒漸多添。 

花亞欲移竹,鳥窺新捲簾。衰年不敢恨,勝概欲相兼。 

三首之二

229 43-2 /18-53 

亂後居難定,春歸客未還。水生魚複浦,雲暖麝香山。 

半頂梳頭白,過眉拄杖斑。相看多使者,一一問函關。 

三首之三

229 43-3 /18-54 

宋玉歸州宅,雲通白帝城。吾人淹老病,旅食豈才名。 

峽口風常急,江流氣不平。只應與兒子,飄轉任浮生。 

赤甲

229 44 /18-55 

卜居赤甲遷居新,兩見巫山楚水春。炙背可以獻天子,美芹由來知野人。

荊州鄭薛寄書近,蜀客郗岑非我鄰。笑接郎中評事飲,病從深酌道吾真。

卜居

229 45 /18-56 

歸羨遼東鶴,吟同楚執珪。未成游碧海,著處覓丹梯。 

雲障寬江左,春耕破瀼西。桃紅客若至,定似昔人迷。 

暮春題瀼西新賃草屋,五首之一卷229_46-1 / 巻18-57 

久嗟三峽客,再與暮春期。百舌欲無語,繁花能幾時。

谷虛雲氣薄,波亂日華遲。戰伐何由定,哀傷不在茲。

五首之二

229_46-2 / 巻18-58

此邦千樹橘,不見比封君。養拙干戈際,全生麋鹿群。

畏人江北草,旅食瀼西雲。萬里巴渝曲,三年實飽聞。

五首之三

229_46-3 / 巻18-59 

彩雲陰複白,錦樹曉來青。身世雙蓬鬢,乾坤一草亭。

哀歌時自短,醉舞為誰醒。細雨荷鋤立,江猿吟翠屏。

五首之四

229_46-4 / 巻18-60 

壯年學書劍,他日委泥沙。事主非無祿,浮生即有涯。

高齋依藥餌,域改春華。喪亂丹心破,王臣未一家。

五首之五

229_46-5 / 巻18-61 

欲陳濟世策,已老尚書郎。未息豺虎鬥,空慚鴛鷺行。

時危人事急,風逆羽毛傷。落日悲江漢,中宵淚滿床。

江雨有懷鄭典設

231_28 / 巻18-63

春雨暗暗塞峽中,早晚來自楚王宮。亂波分披已打岸,弱雲狼藉不禁風。

寵光蕙葉與多碧,點注桃花舒小紅。穀口子真正憶汝,岸高瀼滑限西東。

 

 

18-55     24          赤甲

作時年:

767

大暦2

56

全唐詩 卷別:

卷二二九 44

文體:

七言律詩

杜少陵集 

18-55

 

 

詩題:

卜居

大歷二年春,甫自西閣遷赤甲。 

作地點:

夔州(山南東道 / 夔州 / 奉節、瀼西、赤甲)

及地點:

山南西道 奉節の東40里、麝香山。

交遊人物:

 

 

 

 

 

229_45 《卜居》杜甫 

卜居

歸羨遼東鶴,吟同楚執珪。

未成游碧海,著處覓丹梯。 

雲障寬江左,春耕破瀼西。

桃紅客若至,定似昔人迷。 

(赤甲山より更に瀼西に住居を卜せんとして作れる詩。) 

むかし、霊虚山で仙道を学んで、丁令威が鶴に化して遼東へ帰ったというが、自分も鶴にでもなって故郷の隠棲地に還ればよいとそれを鶴を羨む。越の莊舄が楚の宰相である執珪の位にまでなっても故郷を忘れかね、病中に越歌を吟じたというが、病気である自分も今はそんな状況である。

かねがね遊びたいとおもっている碧海にはまだ遊ぶことはできず、かえって到るところに山居をもとめているありさまである。

こんど住もうとしているところは、この地方では長江の北で、雲のうかぶ峻山もいくらかゆとりがあって平であるから、春の耕作でもはじめて瀼水の西で地面に鋤鍬でもいれようとおもうところである。

桃の花が真っ赤に吹くころに、お客でもたずねてきたなら、定めし昔の武陵の漁父が桃源で路をふみ迷う様なめにあうだろう。

(卜居)

歸は羨む 遼東の鶴、吟は同じ楚の執珪。

未だ碧海に遊ぶことを成さず、薯虞に丹梯を覚む。

雲嘩江北に寛打でり、春耕演西を彼らむ。

桃紅なるとき客若し亨らば、定めて似む昔人の迷ひしに。

 

瞿塘峡・白帝城・魚復 

『卜居』現代語訳と訳註解説
(
本文)

卜居

歸羨遼東鶴,吟同楚執珪。

未成游碧海,著處覓丹梯。

雲障寬江左,春耕破瀼西。

桃紅客若至,定似昔人迷。

(下し文)
(卜居)

歸は羨む 遼東の鶴、吟は同じ楚の執珪。

未だ碧海に遊ぶことを成さず、薯虞に丹梯を覚む。

雲嘩江北に寛打でり、春耕演西を彼らむ。

桃紅なるとき客若し亨らば、定めて似む昔人の迷ひしに。


(現代語訳)
卜居(赤甲山より更に瀼西に住居を卜せんとして作れる詩。) 

むかし、霊虚山で仙道を学んで、丁令威が鶴に化して遼東へ帰ったというが、自分も鶴にでもなって故郷の隠棲地に還ればよいとそれを鶴を羨む。越の莊舄が楚の宰相である執珪の位にまでなっても故郷を忘れかね、病中に越歌を吟じたというが、病気である自分も今はそんな状況である。

かねがね遊びたいとおもっている碧海にはまだ遊ぶことはできず、かえって到るところに山居をもとめているありさまである。

こんど住もうとしているところは、この地方では長江の北で、雲のうかぶ峻山もいくらかゆとりがあって平であるから、春の耕作でもはじめて瀼水の西で地面に鋤鍬でもいれようとおもうところである。

桃の花が真っ赤に吹くころに、お客でもたずねてきたなら、定めし昔の武陵の漁父が桃源で路をふみ迷う様なめにあうだろう。


(訳注) 

卜居

(赤甲山より更に瀼西に住居を卜せんとして作れる詩。)大暦二年春の作。

1 雲安から夔州に来て、洞庭湖方面に出港、移るまで、雲安⇒ 客堂→草閣(江辺閣)→西閣→赤甲→瀼西→東屯→瀼西、と移居した。この詩は西閣から、赤甲に移居し、さらに瀼西に移居した時のものである。

大暦二年の春、西閣より赤甲に居を遷したことをいう。

 

歸羨遼東鶴,吟同楚執珪。

むかし、霊虚山で仙道を学んで、丁令威が鶴に化して遼東へ帰ったというが、自分も鶴にでもなって故郷の隠棲地に還ればよいとそれを鶴を羨む。越の莊舄が楚の宰相である執珪の位にまでなっても故郷を忘れかね、病中に越歌を吟をじたというが、病気である自分も今はそんな状況である。

2 遼東鶴 丁令威の故事。《續捜神記》にいう、丁令、遼東の華表の柱に鶴有り、其上に棲んで曰く、「有鳥有鳥丁令威、去家 里今始歸、城郭如故人民非、何不學仙累累。」(鳥有り、鳥有り、丁令威、家里を去る今始めて歸る、城郭故の如く人民は非なり、何ぞ仙を學ばざる 累累たり。

3 楚執珪 戰國の時の楚に仕えた越國の人で楚の宰相、執珪の地位に就いた人で、莊舄が病気になって、必ず歌い、吟ずるのは、故郷の越の歌を吟じたという《史記張儀列傳》にみえる故事。 後「莊舄越吟」を以て懷の詠と感傷の情をいう。漢·王粲《文選・登樓賦》「鐘儀幽而楚奏兮,莊顯而越吟。人情同於懷土兮,豈窮達而異心。」(鐘儀、幽【とらわ】れて楚奏し,莊顯れて越吟す。人情、土を懷うに同じ,豈に窮達して心異にせんや。

 

未成游碧海,著處覓丹梯。

かねがね遊びたいとおもっている碧海にはまだ遊ぶことはできず、かえって到るところに山居をもとめているありさまである。

4 游碧海 仙界に続く滄海を意識させ、仙界、隠棲することを言う。

丹梯 幽遠なる自然の趣をたたえる深山ということ。《文選謝朓<敬亭山詩>》:要欲追奇趣, 即此陵丹梯。(奇趣を追い要めんと欲し, 即ち此に丹梯に陵る。

丹梯五臣(呂延済)注には「山高くして、峯は雲霞に入る処なり」とある。つまり仙人の棲んでいるところである。謝霊運の「石門の最高頂に登る」詩に「惜無同懐客、共登青雲梯」(懐ひを同じくする客の、共に青雲の梯に登る無きを惜しむ)という、よく似た表現があり、謝眺はそれにもとづいて此の語を作ったのではなかろうかと思われる。したがってその意味は、幽遠なる自然の趣をたたえる深山、ということになろう。

登石門最高頂 謝霊運<31>#2 詩集 408  kanbuniinkai紀 頌之漢詩ブログ1041

 

雲障寬江左,春耕破瀼西。

こんど住もうとしているところは、この地方では長江の北で、雲のうかぶ峻山もいくらかゆとりがあって平であるから、春の耕作でもはじめて瀼水の西で地面に鋤鍬でもいれようとおもうところである。

雲障 山に雲がかかり屏風のように背後にそそり立つ状況を言う。常にかかっている雲があるということであろう。

寬江左 この地における、長江のほとりは山が長江に接近していて、平坦地が少ない、峡谷であるが、瀼西の地は比較的平坦地が広がっていると意味。

破 土壌を破る。

瀼西 瀼西の地は、草堂河の西側にある。草堂河は白帝山の南端で長江に合流するが、そこから遡るかたちで杜甫の瀼西宅がある。草堂河は、白帝山の東側を半周するとほぼ真っ直ぐな水路となり、左手に子陽山(唐代の赤甲山)、右手に今の赤甲山(唐代の白塩山)に挟まれた一段が続く。この部分の左岸が瀼西区で右岸が瀼東区である。その一段を過ぎると草堂河は逆L字型に流れを転じて上流へ向かうが、そのカーブする箇所の左岸下部に杜甫の瀼西宅はあったとされる。そこは赤甲山の東側の山裾でもあり、その南面である。従って瀼西宅を陸路で出発し、その赤甲山の東麓を真北に越えて行けば、方向を転じてきた草堂河に再び出会うことになる。ちょうどそのあたりで、草堂河は石馬河と合流する。その合流地点はあたかもYの字型で、その合流点の北岸に杜甫の東屯の住まいがあった。東屯は瀼西宅からすると、北の方角にある。

 

桃紅客若至,定似昔人迷。

桃の花が真っ赤に吹くころに、お客でもたずねてきたなら、定めし昔の武陵の漁父が桃源で路をふみ迷う様なめにあうだろう。

昔人迷 俗界を離れた他界・仙境、武陵の桃源郷の故事を用いている。

 

参考

《續捜神記》にいう、丁令威はもと遼東のひとであった。道の教えを霊虚山(今の安徽省懐遠付近の霊山)で学んだという。後に変化して鶴となり、遼東に帰った。さて、遼東の街の城門前には石で作られた大きな記念柱(「華表」)があり、丁令威の化した鶴は、そこに止まったのである。すると、何も知らない若者が、これはよき獲物なり、と弓をとって射ようとしたそうだ。それに気づいた鶴は飛び立ち、空中を何度か旋回して、歌っていわく、

「有鳥有鳥丁令威、去家千年今始帰。城郭如故人民非、何不学仙冢塁塁。」(鳥あり鳥あり 丁令威、(家を去りて千年 今はじめて帰る。城郭はもとの如きも人民は非なり、何ぞ仙を学ばざる 冢塁々たるに。

鳥がやってきた、鳥がやってきた、それはわたし、丁令威。家を出てから千年、仙道を学んで今はじめて帰ってきたが、町はいにしえと似ているが、ひとびとはまったく違っている、どうして仙道を学ばずに、みんな次々と死んでしまったのだろう。歌い終えるとついに高く天に舞い上ってそのまま見えなくなってしまった・・・。

 

戰國時越國人。 也稱越舄。 仕於楚, 病中思越而吟越聲。《史記張儀列傳》。 後以“莊舄越吟”指懷之詠與感傷之情。 清趙翼《吏議左遷特蒙送部引見》詩:老去賀公語慣, 病來莊舄越吟多。”亦省作“

戰國の時の楚に仕えた越國の人で楚の宰相、執珪の地位に就いた人で、莊舄が病気になって、必ず歌い、吟ずるのは、故郷の越の歌を吟じたという《史記張儀列傳》にみえる故事。 後「莊舄越吟」を以て懷の詠と感傷の情をいう。漢·王粲《文選・登樓賦》「鐘儀幽而楚奏兮,莊顯而越吟。人情同於懷土兮,豈窮達而異心。」(鐘儀、幽【とらわ】れて楚奏し,莊顯れて越吟す。人情、土を懷うに同じ,豈に窮達して心異にせんや。

 

 

夔州東川卜居図詳細 002 

 

 

 

  卜居此是大厯二年自赤/甲将遷居瀼西而作

歸羡遼東鶴、吟同楚執珪。未成遊碧海、著渉畧/處覔丹梯。

雲嶂陳作/寛江北、一作/春耕破瀼西。桃紅客若至、定似昔一作/人迷。

上四客居有感下欲託居瀼西也。 忘丁/公魂歸故里莊舄病而吟越皆不

者故借以自方碧海丹梯歎不能水行而復山棲江/北、即瀼西其地寛平故可耕種

杜臆公以此地為桃源直作避秦計矣 

千遼東華表柱有鶴、棲其上曰、「有鳥/有鳥丁令威、去家 里今始歸、城郭如故人民非、何不學仙累累。」

病猶為越吟 選注 越人莊舄起家寒微為楚執珪 

有十洲記 扶桑之東有碧海

謝靈運詩 灑歩臨丹梯東破是破土 劉希曰 瀼溪/在白帝城之 昔人迷指 晨阮肇

 

 

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杜甫  赤甲

卜居赤甲遷居新,兩見巫山楚水春。炙背可以獻天子,美芹由來知野人。

荊州鄭薛寄書近,蜀客郗岑非我鄰。笑接郎中評事飲,病從深酌道吾真。

(赤甲山のそばに卜居したことにつけて天子を思い、諸友の鄭・薛、郄・岑、昻・崔を懐うことをのべたもの。)  赤甲山のそばへ住居を卜して引越したばかりだ。これで自分は巫山楚水の春に二度目をむかえる。日なたの背中あぶりの快さは天子にたてまつってもよいほどであり、芹のうまさはもとより野人たる自分がよく知っている。荊州にいる鄭審や薛據は近いので詩をよこしてくれるが、蜀地の客である郗昂・岑參は隣りあいではなくかけはなれている。だがにこにこと郎中・評事などの諸君′席をちかづけて酒を飲み、病気ながらつい過ごすところから自分の本心を吐きだすのである。

杜少陵集 卷一八55

赤  甲

漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7557 

杜甫詩index-15

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11821632

 

 
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杜甫詩1500-1182-1632/2500

 

【大歷二年春,甫自西閣遷赤甲。】

入宅,三首之一

229 43-1 /18-52 

奔峭背赤甲,斷崖當白鹽。客居愧遷次,春酒漸多添。 

花亞欲移竹,鳥窺新捲簾。衰年不敢恨,勝概欲相兼。 

三首之二

229 43-2 /18-53 

亂後居難定,春歸客未還。水生魚複浦,雲暖麝香山。 

半頂梳頭白,過眉拄杖斑。相看多使者,一一問函關。 

三首之三

229 43-3 /18-54 

宋玉歸州宅,雲通白帝城。吾人淹老病,旅食豈才名。 

峽口風常急,江流氣不平。只應與兒子,飄轉任浮生。 

赤甲

229 44 /18-55 

卜居赤甲遷居新,兩見巫山楚水春。炙背可以獻天子,美芹由來知野人。

荊州鄭薛寄書近,蜀客郗岑非我鄰。笑接郎中評事飲,病從深酌道吾真。

卜居

229 45 /18-56 

歸羨遼東鶴,吟同楚執珪。未成游碧海,著處覓丹梯。 

雲障寬江左,春耕破瀼西。桃紅客若至,定似昔人迷。 

暮春題瀼西新賃草屋,五首之一卷229_46-1 / 巻18-57 

久嗟三峽客,再與暮春期。百舌欲無語,繁花能幾時。

谷虛雲氣薄,波亂日華遲。戰伐何由定,哀傷不在茲。

五首之二

229_46-2 / 巻18-58

此邦千樹橘,不見比封君。養拙干戈際,全生麋鹿群。

畏人江北草,旅食瀼西雲。萬里巴渝曲,三年實飽聞。

五首之三

229_46-3 / 巻18-59 

彩雲陰複白,錦樹曉來青。身世雙蓬鬢,乾坤一草亭。

哀歌時自短,醉舞為誰醒。細雨荷鋤立,江猿吟翠屏。

五首之四

229_46-4 / 巻18-60 

壯年學書劍,他日委泥沙。事主非無祿,浮生即有涯。

高齋依藥餌,域改春華。喪亂丹心破,王臣未一家。

五首之五

229_46-5 / 巻18-61 

欲陳濟世策,已老尚書郎。未息豺虎鬥,空慚鴛鷺行。

時危人事急,風逆羽毛傷。落日悲江漢,中宵淚滿床。

江雨有懷鄭典設

231_28 / 巻18-63

春雨暗暗塞峽中,早晚來自楚王宮。亂波分披已打岸,弱雲狼藉不禁風。

寵光蕙葉與多碧,點注桃花舒小紅。穀口子真正憶汝,岸高瀼滑限西東。

 

18-55     23          赤甲

作時年:

767

大暦2

56

全唐詩 卷別:

卷二二九 44

文體:

七言律詩

杜少陵集 

18-55

 

 

詩題:

赤甲

大歷二年春,甫自西閣遷赤甲。 

作地點:

夔州(山南東道 / 夔州 / 奉節、瀼西、赤甲)

及地點:

山南西道 奉節の東40里、麝香山。

 

 

 

 

交遊人物:

 

 

 

 

 

229_44 《赤甲》杜甫 

赤甲

(赤甲山のそばに卜居したことにつけて天子を思い、諸友の鄭・薛、郄・岑、昻・崔を懐うことをのべたもの。)

卜居赤甲遷居新,兩見巫山楚水春。

赤甲山のそばへ住居を卜して引越したばかりだ。これで自分は巫山楚水の春に二度目をむかえる。

炙背可以獻天子,美芹由來知野人。

日なたの背中あぶりの快さは天子にたてまつってもよいほどであり、芹のうまさはもとより野人たる自分がよく知っている。

荊州鄭薛寄書近,蜀客郗岑非我鄰。 

荊州にいる鄭審や薛據は近いので詩をよこしてくれるが、蜀地の客である郗昂・岑參は隣りあいではなくかけはなれている。

笑接郎中評事飲,病從深酌道吾真。 

だがにこにこと郎中・評事などの諸君′席をちかづけて酒を飲み、病気ながらつい過ごすところから自分の本心を吐きだすのである。

(赤甲)

居を赤甲に卜して還居 新なり、両たび見る巫山楚水の春。

炙背以て天子に獻す可し、美芹由來野人知る。

荊州の鄭薛詩を寄する近く、蜀客 郗岑我が鄰に非す。

笑ひて郎中評事に接して飲み、病みで深酌より吾が眞を道ふ。

 

 

赤甲』現代語訳と訳註解説
(
本文)

赤甲

卜居赤甲遷居新,兩見巫山楚水春。

炙背可以獻天子,美芹由來知野人。

荊州鄭薛寄書近,蜀客郗岑非我鄰。

笑接郎中評事飲,病從深酌道吾真。


(下し文)
(赤甲)

居を赤甲に卜して還居 新なり、両たび見る巫山楚水の春。

炙背以て天子に獻す可し、美芹由來野人知る。

荊州の鄭薛詩を寄する近く、蜀客 郗岑我が鄰に非す。

笑ひて郎中評事に接して飲み、病みで深酌より吾が眞を道ふ。

(現代語訳)
赤甲(赤甲山のそばに卜居したことにつけて天子を思い、諸友の鄭・薛、郄・岑、昻・崔を懐うことをのべたもの。)

赤甲山のそばへ住居を卜して引越したばかりだ。これで自分は巫山楚水の春に二度目をむかえる。

日なたの背中あぶりの快さは天子にたてまつってもよいほどであり、芹のうまさはもとより野人たる自分がよく知っている。

荊州にいる鄭審や薛據は近いので詩をよこしてくれるが、蜀地の客である郗昂・岑參は隣りあいではなくかけはなれている。

だがにこにこと郎中・評事などの諸君′席をちかづけて酒を飲み、病気ながらつい過ごすところから自分の本心を吐きだすのである。


(訳注) 

赤甲

(赤甲山のそばに卜居したことにつけて天子を思い、諸友の鄭・薛、郄・岑、昻・崔を懐うことをのべたもの。)前の「入宅」詩と同時の作。

1 赤甲は山の名。「夔州歌」第四

夔州歌十句,十首之四

(夔州の歌十句,十首の四)

赤甲白鹽俱刺天,閭閻繚繞接山

赤甲 白塩俱に天を刺す、閭閻【りょうえん】繚繞【りょうじょう】山【さんてん】に接す。

楓林橘樹丹青合,複道重樓錦繡懸。

楓林 橘樹 丹青合し、複道 重楼 錦繍【きんしゅう】懸かる。

と詠じる。仇兆鰲が「居する人の密なるを言う」と注するように、瀼西の赤甲山も瀼東の白塩山もその斜面には、集落が山の高いところまでくねくねと続いていることを詠じている。

「清一統志」にいう、赤甲山は奉節県の東十五里にあり、「水経注」にいう、江水、南して赤甲城西に遷す、山甚だ高大、樹木を生ぜず、其の石悉く赤し、土人云う、人の胛を祖するが如し、故に之を赤岬山と謂う、と。「元和郡県志」にはいう、山は城北三里にあり、漢の時嘗て邑人を取りて赤甲軍となす、蓋し犀甲の色なり、と。命名の由来については人の胛から取ったとするものと、赤色の犀革の甲から取ったとするものとの二説があるのを知る。

 

卜居赤甲遷居新,兩見巫山楚水春。

赤甲山のそばへ住居を卜して引越したばかりだ。これで自分は巫山楚水の春に二度目をむかえる。

2 兩見 夔州に来て二年目であることを言う。

 

炙背可以獻天子,美芹由來知野人。

日なたの背中あぶりの快さは天子にたてまつってもよいほどであり、芹のうまさはもとより野人たる自分がよく知っている。

3 炙背・美芹 心地よい日なたの背なかあぶりとおいしい芹の料理をいい、朝廷、天子への思慕の意をあらわす。

嵇康《絶交書》「野人有快炙背而美芹子者、欲獻之至尊、雖有區區之意、亦已疎矣。」(野人炙背を快しとして、芹子を美しとする者有り、之を至尊に獻ぜんと欲す、區區の意有りと雖も亦た已だはだ疎なり。

《列子》 「宋國有田父東作曝於日不知有綿纊狐貉謂其妻曰負日/之暄人莫知之以獻吾君将有重賞里之富室告之曰昔人有美戎菽甘枲莖芹萍子對豪稱之豪取嘗/之蜇於口慘於腹衆哂而怨之子此類也。」(宋國に田父有り東作して日に曝さる、綿纊狐貉有るを知らず、其の妻に謂いて曰く、日の暄きを負う、人之を知るもの莫し、以て吾君に獻せば、重賞を有んと将てす、里の富室之を告げて曰く、昔 人、戎菽を美とし、枲、莖、芹、萍子を甘しとするを有り、豪にして之を稱す、豪 取りて 之を嘗める、口を蜇し、腹に慘む、衆哂いなして之を怨む、子は此の類なり、と。

 

荊州鄭薛寄書近,蜀客郗岑非我鄰。

荊州にいる鄭審や薛據は近いので詩をよこしてくれるが、蜀地の客である郗昂・岑參は隣りあいではなくかけはなれている。

4 州、鄭・薛 鄭は江陵の少尹鄭審で、薛は石首縣の縣令薛璩をいう。

5 蜀客郄・岑 郄は梓州の刺史郄昂、岑は嘉州の刺史参である。 

 

笑接郎中評事飲,病從深酌道吾真。

だがにこにこと郎中・評事などの諸君′席をちかづけて酒を飲み、病気ながらつい過ごすところから自分の本心を吐きだすのである。

6 笑接 接は近づくことを言う、ひざを突き合わせての談義をしたこと。

7 郎中 顧注「郎中應是呉郎司法葢刑曹也。郎中とは、秦の時代に「郎中令」が制定された。前漢に名称変更され「光禄勲」と称し、後漢にも引き継がれた。これは当時の官職の一つ。 役割は,当初は宮門護衛.やがて皇帝身辺警護,皇帝出駕時の随行・護衛,使者,など.

8 評事 昻評事、崔十三評事十六弟のことである。評事とは、大理寺(最高裁判所)に属する下級の裁判官。

9 深酌 たっぷりと杯に酒をつぐこと。

10 道吾真 本心を吐く。

 

 

杜詩詳註--仇兆鰲

  赤甲鶴注此與入/宅詩同時作

卜居赤甲遷居新、兩見巫山楚水春。

炙背可以獻天子、美芹由來知野人

州鄭薛寄詩一作/近、蜀客郄/岑非我鄰

笑接郎中評事飲、病從深酌道/吾真。

此居赤甲而念知交也 在四句分截春公初遷赤甲而云兩見春色者自去春至夔已經兩 也。

炙背食芹 述春山景物兼有

朝野濶絶之感評 鄭薜 寄詩頗近郄岑在蜀漸與/惟接郎中 事喜得酌酒而道真精

《列子》 「宋國有田父東作曝於日不知有綿纊狐貉謂其妻曰負日/之暄人莫知之以獻吾君将有重賞里之富室告之曰昔人有美戎菽甘枲莖芹萍子對豪稱之豪取嘗/之蜇於口慘於腹衆哂而怨之子此類也。

嵇康絶交書 「野人有快炙背而美芹子者欲獻之至尊雖有區區之意亦已疎矣」

鶴注 鄭:是江陵鄭少尹審 薛是石首薛 

明府璩岑是岑嘉州參 郄是梓州郄使君、昻評事必崔十三評事 公在夔州多有詩與之 顧注郎中應是呉郎司法葢刑曹也。

 朱注文苑英華有苻載誌楊鷗墓云永甫泰二載相公杜公鴻漸奏授鷗犀浦縣令僚友杜員外

岑郎中參郄舍人、昻聞公殞落失聲 咨嗟則/郄為郄昻無疑 曹植 髑髏説是反吾真也

 朱瀚曰卜居遷居重複無法獻天子突甚由來知野/人筋脉不收中聨厄塞全無頓挫磊落氣象笑

 典郎中評事豈律詩可著或置題中可耳末句從近/識峩嵋老知余嬾是真出潦倒甚矣且抱病何能深酌與比來病酒/開涓滴看自

767年- 22 杜少陵集-巻18-54 《入宅,三首之三【案:大歷二年春,甫自西閣遷赤甲。】》22 杜甫詩index-15-1179 <1629>漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7542

杜甫  入宅,三首之三

宋玉歸州宅,雲通白帝城。吾人淹老病,旅食豈才名。

峽口風常急,江流氣不平。只應與兒子,飄轉任浮生。

(西閣の住所から赤甲山のそばへ居を移してそこの宅に入ったことをのべた詩この第三首は古えに宋玉がこの地を離れることができなかったように自分もこの地にとどまったままである心境をのべる。)

ここの白帝城と歸州の宋玉が宅とは雲気が相通じておる。我が輩はここに老病い身をとどめること久しいが、こんな旅くらしのままでいて、どうして宋玉の様な才名を残すことができるであろうか。問題は峡口にはいつも風が急に吹いているし、長江の流にも、不平の気があるかの様にみえることである。ただ、自分はこんなことでもってこの先、とても子供等といっしょに、浮草の生涯に身をゆだねて、転々してゆくことであらう。

杜少陵集 卷一八54

入宅,三首之三

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杜甫詩index-15

767年大暦256 (22)

1176 <1629

 

 
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杜甫詩1500-1179-1629/2500

18-54     22          入宅,三首之三【案:大歷二年春,甫自西閣遷赤甲。】

作時年:

767

大暦2

56

全唐詩 卷別:

卷二二九 43-3

文體:

五言律詩

杜少陵集 

18-54

 

 

詩題:

入宅,三首之二

序文

大歷二年春,甫自西閣遷赤甲。 

作地點:

夔州(山南東道 / 夔州 / 奉節、瀼西、赤甲)

及地點:

山南西道 奉節の東40里、麝香山。

 

魚復

 

潼關・函谷關

交遊人物:

 

 

 

 

 

229_43 《入宅三首(大曆二年春,甫自西閣遷赤甲)》杜甫 

入宅,三首之一

(西閣の住所から赤甲山のそばへ居を移してそこの宅に入ったことをのべた詩この第一首は新居の大要を叙し満足の意をもらしている。)

奔峭背赤甲,斷崖當白鹽。

こんどの宅は背には赤甲山という土石の崩落する唆山(或は「奔騰するような形勢の峻山」)があり、前は自塩山の断崖に直面している。

客居愧遷次,春酒漸多添。 

客寓のやどりを遷すことははずかしくおもうが、春げしきはだんだん加わってくる。

花亞欲移竹,鳥窺新捲簾。

花の枝がのびて竹においつきそうになったから竹を移してしまおうかとおもう、鳥がそとからのぞきこむので、あらたに簾をまきあげて勝手に内部をのぞかせてやる。

衰年不敢恨,勝概欲相兼。 

こんな始末だから自分は老衰の年にはなったがそれをしいて恨みはせぬ、せいぜい慾ぼってよい景色でも取り込もうとおもうのである。

(入宅,三首の一)

奔峭 赤甲を背にし、断崖 白塩に当たる。

客居 遷次を愧ず、春色 漸く多く添う。

花亜ぎて 竹を移さんと欲す、烏窺うにより 新たに簾を捲く。

衰年 敢て恨まず、勝概 相い兼ねんと欲す。

 

入宅,三首之二

(西閣の住所から赤甲山のそばへ居を移してそこの宅に入ったことをのべた詩この第二首は故郷の居を懐憶したことをのべる。)

亂後居難定,春歸客未還。

安史の乱以後、それに続く兵乱がおこって、自分の居処を定住のところと決めて過ごすことがむつかしい、春には帰ろうということと決めていたが、そのゆくべき所へ帰ってゆく旅客たる自分は還らずにいる。

水生魚複浦,雲暖麝香山。 

夔州魚復浦に、出港可能な春水の嵩がふえてきた。行く先方向にある爵香山には雲が暖かそうにうかんでいる。

半頂梳頭白,過眉拄杖斑。

かかるおりてっぺんに半分ばかりになった白髪あたまをくしけずり、眉のあたりから上へつきでる斑竹の杖にささえられて東を望んでいる。

相看多使者,一一問函關。 

この地にいるとずいぶんと往来する朝廷の使者にであうが、自分はその人ごとにいちいち函谷関のあたりの様子はどうだときいてみる。

(入宅,三首の二)

乱後 居定まり難し、春帰れども 客未だ還らず。

水は生ず魚復浦、雲は暖かなり麝香山。

半頂頭の白きを梳り、過眉 杖の斑なるに拄えらる。

相看る使者多し、一いち 函関を問う。

 

入宅,三首之三

宋玉歸州宅,雲通白帝城。

吾人淹老病,旅食豈才名。 

峽口風常急,江流氣不平。

只應與兒子,飄轉任浮生。 

(西閣の住所から赤甲山のそばへ居を移してそこの宅に入ったことをのべた詩この第三首は古えに宋玉がこの地を離れることができなかったように自分もこの地にとどまったままである心境をのべる。)

ここの白帝城と歸州の宋玉が宅とは雲気が相通じておる。

我が輩はここに老病い身をとどめること久しいが、こんな旅くらしのままでいて、どうして宋玉の様な才名を残すことができるであろうか。

問題は峡口にはいつも風が急に吹いているし、長江の流にも、不平の気があるかの様にみえることである。

ただ、自分はこんなことでもってこの先、とても子供等といっしょに、浮草の生涯に身をゆだねて、転々してゆくことであらう。

(入宅,三首の三)

宋玉が 歸州の宅,雲は通ず 白帝の城。

吾人 老病に淹し,旅食 豈に才名あらんや。

峽口 風 常に急なり,江流 氣 平かならず。

只だ 應に 兒子に與,飄轉 浮生に任すなるべし。

唐時代 地図山南 東・西道50

 

『入宅,三首之三』現代語訳と訳註解説
(
本文)

入宅,三首之三

宋玉歸州宅,雲通白帝城。

吾人淹老病,旅食豈才名。

峽口風常急,江流氣不平。

只應與兒子,飄轉任浮生。

(下し文)
(入宅,三首の三)

宋玉が 歸州の宅,雲は通ず 白帝の城。

吾人 老病に淹し,旅食 豈に才名あらんや。

峽口 風 常に急なり,江流 氣 平かならず。

只だ 應に 兒子に與,飄轉 浮生に任すなるべし。

(現代語訳)
入宅,三首之三(西閣の住所から赤甲山のそばへ居を移してそこの宅に入ったことをのべた詩この第三首は古えに宋玉がこの地を離れることができなかったように自分もこの地にとどまったままである心境をのべる。)

ここの白帝城と歸州の宋玉が宅とは雲気が相通じておる。

我が輩はここに老病い身をとどめること久しいが、こんな旅くらしのままでいて、どうして宋玉の様な才名を残すことができるであろうか。

問題は峡口にはいつも風が急に吹いているし、長江の流にも、不平の気があるかの様にみえることである。

ただ、自分はこんなことでもってこの先、とても子供等といっしょに、浮草の生涯に身をゆだねて、転々してゆくことであらう。

夔州東川卜居図詳細 002
(訳注) 

入宅,三首之三

(西閣の住所から赤甲山のそばへ居を移してそこの宅に入ったことをのべた詩この第三首は古えに宋玉がこの地を離れることができなかったように自分もこの地にとどまったままである心境をのべる。)

この第三首は旅居を歎せるなり。未歸而嘆旅居也。

 

宋玉歸州宅,雲通白帝城。

ここの白帝城と歸州の宋玉が宅とは雲気が相通じておる。

18 宋玉宅 杜甫は、宋玉の家が二か所あることを認識しているので、「歸州宅」と表現している。この三字は、《唐書》「歸州、屬山南東道、武徳二年、析夔州之秭歸巴東置」(歸州、屬山南東道、武徳二年、析夔州之秭歸巴東置)《湖廣通志》宋玉宅有兩處一在歸州、一在宋玉宅は兩處有り、一は歸州に在り、一は州に在る)杜甫の詩にも、夔州にいるときには、歸州を言い、後に荊州に行ってもう一か所の宋玉宅に立ち寄っている。宋玉の宅は杜甫詩の言によって二種あり、《1837送李攻曹之荊州充、鄭侍御判官重贈》「曾聞宋玉宅,每欲到荊州。」(曾て聞く宋玉が宅、毎に荊州に到らんと欲す)は荊州にある宋玉の宅をいう、前詩の庾信が住んだという江陵城北の宋玉宅がそれである。《1854入宅,三首之三【案:大歷二年春,甫自西閣遷赤甲。】》「宋玉歸州宅,雲通白帝城。

吾人淹老病,旅食豈才名。」(宋玉が帰州の宅、雲は通ず白帝城。吾人老病に淹し,旅食 豈に才名にあらんや。)は帰州にある宋玉の宅をいう。「清一統志」に宅は帰州の東二里にあるといっている。此の詩は二種のうち其のいずれをさすか明らかでない。杜甫がこの詩を書く時期では荊州の宅を確認していない。

詠懷古跡,五首之二

搖落深知宋玉悲,風流儒雅亦吾師。

悵望千秋一灑淚,蕭條異代不同時。

江山故宅空文藻,雲雨荒臺豈夢思。

最是楚宮俱泯滅,舟人指點到今疑。

(詠懷古跡,五首の二)

揺落深く知る 宋玉が悲しみ、風流 儒雅も亦た吾が師。

千秋を帳望して 一に涙を濯ぐ、蕭条 異代 時を同じくせず。

江山の故宅 空しく文藻、雲雨 荒台 豈に夢思ならんや。

最も是れ楚宮 倶に泯滅す、舟人指点して今に到りて疑う。

「古跡に於ける詠懐」:第二首は宋玉の宅についての懐いをのべている、ただしその宅が荊州のものであるか帰州 のものであるかは不明。

むかし宋玉は「悲愁」といい、秋風揺落に対して悲しんだというが自分もいま深く彼の悲しみの意味を知った。また彼は風流儒雅の人物であるがこの点もまた吾が師とすべきものだ。

彼と我とは千年経ており、代を異にして時を同じくして生まれあわさぬことはまことにさびしい、自分はただ千年のむかしをうらめしくながめてもっぱら涙をそそぐのである。

江山のあいだに宋玉の故宅はのこっているが屋舎などは今はなくなって彼の製作した詞賦の詩文のみが空しく存在している、宋玉が「行雲行雨、陽台の下」とうとうた台が荒れながらあるが、彼がその台のことを賦したのはどうして夢幻の思いから出たものなどであろう。事実あったことにちがいない。

ひとり宋玉の宅ばかりではない、最も傷心にたえぬことは、楚王の宮までも彼の宅とともにほろんでしまったことで、今になっては舟人がその場所を指して、そこかここかなどと真偽に迷うているのである。

宋玉宅

卷一五56 奉漢中王手札

枚乘文章老,河間禮樂存。悲秋宋玉宅,失路武陵源。

卷一八37  送李功曹之荊州充鄭侍御判官重贈

曾聞宋玉宅,每欲到荊州。此地生涯晚,遙悲水國秋。

巻一八54  入宅三首其三

宋玉歸州宅,雲通白帝城。

 

 

吾人淹老病,旅食豈才名。

我が輩はここに老病い身をとどめること久しいが、こんな旅くらしのままでいて、どうして宋玉の様な才名を残すことができるであろうか。

19 淹 久しくとどまることを言う。

20 才名 宋玉を言うが、宋玉と同じようにこの地にとどまっていることを言うものである。

 

峽口風常急,江流氣不平。

問題は峡口にはいつも風が急に吹いているし、長江の流にも、不平の気があるかの様にみえることである。

 

只應與兒子,飄轉任浮生。

ただ、自分はこんなことでもってこの先、とても子供等といっしょに、浮草の生涯に身をゆだねて、転々してゆくことであらう。

21 浮生 《莊子·外篇・刻意》「其生若浮、其死若休。」(其の生は浮ぶが若く、其の死は休するが若し。)にもとづく。

 

  入宅三首

  朱注年譜大厯二年春自西閣遷居赤甲 鶴注赤甲瀼西皆在奉節縣北三十里

奔峭背/赤甲、斷崖當白鹽。客居愧遷次、春色一作/酒非漸多添。

花亞欲移竹、鳥窺新捲簾。衰年不敢恨、勝概欲相兼。

首章誌赤甲之勝内 此詩八句整對而實相間首/聨宅外景三聨 宅景春色起花鳥勝總六

顧注 背赤甲之奔峭當白鹽之斷崖以二山形勢明宅/之向背 花厭竹枝愛花 故須移竹鳥常入室巻簾 

故復來窺藉此之故不恨屢遷 又 謝靈運詩「徒旅苦奔峭 」邵注「山峯高峻如奔湧然」 云赤甲城是魚復縣

舊基故云水生魚復浦談白鹽 注見十五巻 果洙曰次/舍也。遷次移居也。

二編、杜審言枝亞 新肥孟

東野南浦紅花亞水紅包佶多年亞石松方干應候先開亞木枝亞義如壓言低披也。黄注亞乃相依之意

 王嗣奭曰避亂奔走無日不思故造次移居必擇/勝地且加修葺綴如此襟懐自不可及郭林宗

 旅經過必灑掃王子猷/借居必種竹意正相同

(之二)

亂後居難定、春歸客未還。水生魚復/浦、雲暖麝香山。

樊作/頂梳頭白、過/眉拄杖斑。相看/多使/者、一一問函關。

此遷宅而想故居也。下四 叙情 應客未還 三四 冩景承上春歸。顧注 陽和復至故曰春歸。

關半頂見髮之少 是老狀過眉見杖之長 是病狀問 函者望 亂定而還也。

王胄詩 柳黄知節、變草緑識春歸

名地志 夔治、魚復、灔澦、風濤震射巨魚却歩不得上故 魚復浦

鶴注寰宇記 麝香山 在秭歸縣、東南一百十里其山多麝

武徳二年前秭歸屬、夔州斑 魏武、陌上桑拄杖 挂枝佩 秋蘭 梁到 有 贈任新

竹杖詩 文彩 既斑斕姿性甚綢直

桃王應麟 曰 潼關至函谷關 歴峽華二州之地俱謂之 林塞時、周智光 據華州反

(之三)

宋玉歸州宅,雲通白帝城。吾人淹老病,旅食豈才名。

峽口風常急,江流氣不平。只應與兒子,飄轉任浮生。

未歸而嘆旅居也

淹杜臆公欲北還必過歸州雲通/白帝見相去不 老病久留白帝豈才名不如宋玉二句分承風急江翻歸州且不易到何况故亦惟/隨地漂轉而已 杜臆三詩各一意而展轉相因

注 公居赤甲本非得已故後復有瀼西之遷刻 

《陸游入蜀記》宋王宅在秭歸縣東、今為酒家舊有石

宋玉宅 三字 唐書 歸州、屬山南東道、武徳二年、析夔州之秭歸巴東置《湖廣通志》宋玉宅有兩處一在歸州一在州與杜/詩相合

 

767年- 21 杜少陵集-巻18-53 《入宅,三首之二【案:大歷二年春,甫自西閣遷赤甲。】》21 杜甫詩index-15-1178 <1628> 18-53 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7537

杜甫  入宅,三首之二

亂後居難定,春歸客未還。水生魚複浦,雲暖麝香山。 

半頂梳頭白,過眉拄杖斑。相看多使者,一一問函關。 

(西閣の住所から赤甲山のそばへ居を移してそこの宅に入ったことをのべた詩この第二首は故郷の居を懐憶したことをのべる。)  安史の乱以後、それに続く兵乱がおこって、自分の居処を定住のところと決めて過ごすことがむつかしい、春には帰ろうということと決めていたが、そのゆくべき所へ帰ってゆく旅客たる自分は還らずにいる。夔州魚復浦に、出港可能な春水の嵩がふえてきた。行く先方向にある爵香山には雲が暖かそうにうかんでいる。かかるおりてっぺんに半分ばかりになった白髪あたまをくしけずり、眉のあたりから上へつきでる斑竹の杖にささえられて東を望んでいる。この地にいるとずいぶんと往来する朝廷の使者にであうが、自分はその人ごとにいちいち函谷関のあたりの様子はどうだときいてみる。

杜少陵集 卷一八53

入宅,三首之一

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杜甫詩index-15

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1176 <1626

 

 

 

 
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杜甫詩1500-1178-1628/2500

18-53     21          入宅,三首之二【案:大歷二年春,甫自西閣遷赤甲。】

作時年:

767

大暦2

56

全唐詩 卷別:

卷二二九 43-2

文體:

五言律詩

杜少陵集 

18-52

 

 

詩題:

入宅,三首之二

序文

大歷二年春,甫自西閣遷赤甲。 

作地點:

夔州(山南東道 / 夔州 / 奉節、瀼西、赤甲)

及地點:

山南西道 奉節の東40里、麝香山。

 

魚復

 

潼關・函谷關

交遊人物:

 

 

 

 

 

229_43 《入宅三首(大曆二年春,甫自西閣遷赤甲)》杜甫 

入宅,三首之一

(西閣の住所から赤甲山のそばへ居を移してそこの宅に入ったことをのべた詩この第一首は新居の大要を叙し満足の意をもらしている。)

奔峭背赤甲,斷崖當白鹽。

こんどの宅は背には赤甲山という土石の崩落する唆山(或は「奔騰するような形勢の峻山」)があり、前は自塩山の断崖に直面している。

客居愧遷次,春酒漸多添。 

客寓のやどりを遷すことははずかしくおもうが、春げしきはだんだん加わってくる。

花亞欲移竹,鳥窺新捲簾。

花の枝がのびて竹においつきそうになったから竹を移してしまおうかとおもう、鳥がそとからのぞきこむので、あらたに簾をまきあげて勝手に内部をのぞかせてやる。

衰年不敢恨,勝概欲相兼。 

こんな始末だから自分は老衰の年にはなったがそれをしいて恨みはせぬ、せいぜい慾ぼってよい景色でも取り込もうとおもうのである。

(入宅,三首の一)

奔峭 赤甲を背にし、断崖 白塩に当たる。

客居 遷次を愧ず、春色 漸く多く添う。

花亜ぎて 竹を移さんと欲す、烏窺うにより 新たに簾を捲く。

衰年 敢て恨まず、勝概 相い兼ねんと欲す。

 

入宅,三首之二

(西閣の住所から赤甲山のそばへ居を移してそこの宅に入ったことをのべた詩この第二首は故郷の居を懐憶したことをのべる。)

亂後居難定,春歸客未還。

安史の乱以後、それに続く兵乱がおこって、自分の居処を定住のところと決めて過ごすことがむつかしい、春には帰ろうということと決めていたが、そのゆくべき所へ帰ってゆく旅客たる自分は還らずにいる。

水生魚複浦,雲暖麝香山。 

夔州魚復浦に、出港可能な春水の嵩がふえてきた。行く先方向にある爵香山には雲が暖かそうにうかんでいる。

半頂梳頭白,過眉拄杖斑。

かかるおりてっぺんに半分ばかりになった白髪あたまをくしけずり、眉のあたりから上へつきでる斑竹の杖にささえられて東を望んでいる。

相看多使者,一一問函關。 

この地にいるとずいぶんと往来する朝廷の使者にであうが、自分はその人ごとにいちいち函谷関のあたりの様子はどうだときいてみる。

(入宅,三首の二)

乱後 居定まり難し、春帰れども 客未だ還らず。

水は生ず魚復浦、雲は暖かなり麝香山。

半頂頭の白きを梳り、過眉 杖の斑なるに拄えらる。

相看る使者多し、一いち 函関を問う。

入宅,三首之三

宋玉歸州宅,雲通白帝城。吾人淹老病,旅食豈才名。 

峽口風常急,江流氣不平。只應與兒子,飄轉任浮生。 

 

瞿塘峡・白帝城・魚復 

『入宅,三首之』現代語訳と訳註解説
(
本文)

入宅,三首之二

亂後居難定,春歸客未還。水生魚複浦,雲暖麝香山。

半頂梳頭白,過眉拄杖斑。相看多使者,一一問函關。

(下し文)
(入宅,三首の二)

乱後 居定まり難し、春帰れども 客未だ還らず。

水は生ず魚復浦、雲は暖かなり麝香山。

半頂頭の白きを梳り、過眉 杖の斑なるに拄えらる。

相看る使者多し、一いち 函関を問う。

(現代語訳)
入宅,三首之二(西閣の住所から赤甲山のそばへ居を移してそこの宅に入ったことをのべた詩この第二首は故郷の居を懐憶したことをのべる。)

安史の乱以後、それに続く兵乱がおこって、自分の居処を定住のところと決めて過ごすことがむつかしい、春には帰ろうということと決めていたが、そのゆくべき所へ帰ってゆく旅客たる自分は還らずにいる。

夔州魚復浦に、出港可能な春水の嵩がふえてきた。行く先方向にある爵香山には雲が暖かそうにうかんでいる。

かかるおりてっぺんに半分ばかりになった白髪あたまをくしけずり、眉のあたりから上へつきでる斑竹の杖にささえられて東を望んでいる。

この地にいるとずいぶんと往来する朝廷の使者にであうが、自分はその人ごとにいちいち函谷関のあたりの様子はどうだときいてみる。