杜甫詳注 杜詩の訳注解説 漢文委員会

士族の子で、のほほんとしていた杜甫を変えたのは、三十代李白にあって、強いカルチャーショックを受けたことである。その後十年、就活に励んだ。同時に極限に近い貧困になり、家族を妻の実家に送り届けるときの詩は、そして、子供の死は、杜甫の詩を格段に向上させた。安史の乱直前から、捕縛され、長安での軟禁は、詩にすごみと分かりやすさのすぐれたしにかえてゆき、長安を脱出し、鳳翔の行在所にたどり着き、朝廷に仕えたことは、人間関係の複雑さを体験して、詩に深みが出ることになった。そして、朝廷における疎外感は詩人として数段高めさせてくれた。特に、杜甫の先生に当たる房琯関連の出来事、二十数首の詩は内容のあるものである。  一年朝廷で死に直面し、そして、疎外され、人間的にも成長し、これ以降の詩は多くの人に読まれる。  ◍  華州、秦州、同谷  ◍  成都 春満喫  ◍  蜀州、巴州、転々。 ◍  再び成都 幕府に。 それから、かねてから江陵にむかい、暖かいところで養生して、長安、朝廷に上がるため、蜀を発し、 ◍  忠州、雲州   ◍  夔州   ◍  公安  そして、長安に向かうことなく船上で逝くのである。  本ブログは、上記を完璧に整理し、解説した仇兆鰲の《杜詩詳注》に従い、改めて進めていく。

杜甫の詩、全詩、約1500首。それをきちんと整理したのが、清、仇兆鰲注解 杜詩詳注である。その後今日に至るまで、すべてこの杜詩詳注に基づいて書かれている。筆者も足掛け四年癌と戦い、いったんこれを征することができた。思えば奇跡が何度も起きた。
このブログで、1200首以上掲載したけれど、ブログ開始時は不慣れで誤字脱字も多く、そして、ブログの統一性も不十分である。また、訳注解説にも、手抜き感、不十分さもあり、心機一転、杜詩詳注に完全忠実に初めからやり直すことにした。
・そして、全唐詩と連携して、どちらからでも杜詩の検索ができるようにした。
・杜甫サイトには語順検索、作時編年表からも検索できるようにした。
杜甫詩の4サイト
● http://2019kanbun.turukusa.com/
● http://kanbunkenkyu.webcrow.jp
● http://kanbunkenkyu.web.fc2.com/
● http://kanbuniinka15.yu-nagi.com

757年-248 《 可歎(卷二一(四)一八三○) -#2》 - 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 訳注解説Blog11210

757-248  可歎(卷二一(四)一八三○) -2 - 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 訳注解説Blog11210

 

 

757-248

 

 

 可歎(卷二一(四)一八三○)  -2

 

 

杜甫詳注 訳注解説

 

 

漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 訳注解説Blog11210

 

 

 

年:767年大暦256-22-#2

卷別:    卷二二二              文體:    七言古詩

詩題:    可歎

作地點:              目前尚無資料

及地點:              豐城 (江南西道 洪州 豐城)              

洪州 (江南西道 洪州 洪州別名:豫章         

交遊人物/地點:王季友      詩文提及(江南西道 洪州 豐城)

李勉       詩文提及(京畿道 京兆府 長安)

 

詩文:

可歎 #1

(王季友を不遇に置いたままであることを、その理由を述べて、なげかわしきことと詠う詩。)

天上浮雲如白衣,斯須改變如蒼狗。

天上に浮んでいる雲をみるに白いきもののようであるが、しばらくするとかわって胡麻塩の狗の様になる。

古往今來共一時,人生萬事無不有。

むかしも今もかわりがある様で、かわりがないことは同時の如きものであって、人間社会にはどんなことでも無い事はないほどのものである。

安史の乱当時の勢力図
近者抉眼去其夫,河東女兒身姓柳。

ちかごろ河東の女子で姓を柳氏というものが“眼をくじる”様に夫を棄てたといふ事件がある。

#2

丈夫正色動引經,酆城客子王季友。

このことについて世間の男子は真顔になってややもすれば經典の文句まで引っぱりだして女の夫で鄭城の客となっている王季友をかれこれと非難する。(王季友はそんなことで非難するにはあたらぬ人物なのだ)

群書萬卷常暗誦,孝經一通看在手。

王季友は万巻の羣書をつねに暗誦し、一本の孝経を、いつも、いつも、手にして見ている。

貧窮老瘦家賣屐,好事就之為攜酒。

彼は貧窮で老い、かつ痩せて家では下駄を売り、揚雄のように、好事の熱心家が酒をもっていって教えを請うている、というような人物である。

#3

豫章太守高帝孫,引為賓客敬頗久。

聞道三年未曾語,小心恐懼閉其口。

太守得之更不疑,人生反覆看亦醜。

#4

明月無瑕豈容易,紫氣鬱鬱猶衝斗。

時危可仗真豪俊,二人得置君側否。

太守頃者領山南,邦人思之比父母。

王生早曾拜顏色,高山之外皆培塿。

#5

用為羲和天為成,用平水土地為厚。

王也論道阻江湖,李也丞疑曠前後。

死為星辰終不滅,致君堯舜焉肯朽。

吾輩碌碌飽飯行,風后力牧長回首。

(歎ず可し)

天上の浮雲は白衣に似たり、斯須改變して蒼狗の如し。

古往 今來 共に一時,人生 萬事 有らざる無し。

近者眼を抉りて其の夫を去る,河東の女兒 身姓は柳。

#2

丈夫 正色 動【ようや】く經を引く,酆城の客子 王季友。

群書 萬卷 常に暗誦し,孝經 一通 看るに手に在る。

貧窮 老瘦 家 屐を賣り,好事 之に就きて為に酒を攜う。

 

清・仇兆鰲 杜甫詳注 関係個所抜粋

 近者抉眼去其夫、/作眯/河東女兒身姓栁。丈夫正色動引經、酆城客子王季友。羣書萬巻常暗誦、《孝經》一通看/在手。貧窮老瘦/本作瘦唯朱/本誤作叟家賣諸本作屐作履張/改作吉岳切/事就之為/擕酒。此叙王生家之事。王有正論、不能挽去婦之心、此事之可歎者、然家貧好學人來就正如此則亦何害於素行乎。

 

・王季友 《唐書》:豐城縣、洪州豫章郡に屬す。 

・在手 又《南史には》徐陵嘗/疾、子份香泣涕、跪誦《孝經》日夜不息 云庾子輿五讀孝經手不釋巻北史馮亮臨卒遺誡右手執孝經/一巻 崔實政論一通置坐側

・在手後漢劉勤家貧每作供食嘗作一勤置不賣他日出妻竊以易米/勤歸知之責妻欺取直因棄不食

擕酒 《揚雄傳》好事者ほ 載酒餚從って游學す

 

 

『可歎』現代語訳と訳註解説
(
本文)

#2

丈夫正色動引經,酆城客子王季友。

群書萬卷常暗誦,孝經一通看在手。

貧窮老瘦家賣屐,好事就之為攜酒。

(下し文)
#2

丈夫 正色 動【ようや】く經を引く,酆城の客子 王季友。

群書 萬卷 常に暗誦し,孝經 一通 看るに手に在る。

貧窮 老瘦 家 屐を賣り,好事 之に就きて為に酒を攜う。

(現代語訳)
#2

このことについて世間の男子は真顔になってややもすれば經典の文句まで引っぱりだして女の夫で鄭城の客となっている王季友をかれこれと非難する。(王季友はそんなことで非難するにはあたらぬ人物なのだ)

王季友は万巻の羣書をつねに暗誦し、一本の孝経を、いつも、いつも、手にして見ている。

彼は貧窮で老い、かつ痩せて家では下駄を売り、揚雄のように、好事の熱心家が酒をもっていって教えを請うている、というような人物である。


(訳注) #2

可歎 #1

(王季友を不遇に置いたままであることを、その理由を述べて、なげかわしきことと詠う詩。)

【題義】王季友を弁護し且つ季友と李勉との二人の偉器なることに関してのべる。767年大暦2年4月以前の一作であり、杜甫、56、この年、22作目。

1 可歎 王季友が妻に家出されたことを世人が非難して、其の人物の大きさを見ないことをなげかわしいとするなり。

 #2この6句間は、王氏の生まれた家、故郷のこと、嫁いでっ来た女の夫として世間の人に批判されたことなどあったが、勉学には常に、真摯に取り組んだ

 

丈夫正色動引經,酆城客子王季友。

このことについて世間の男子は真顔になってややもすれば經典の文句まで引っぱりだして女の夫で鄭城の客となっている王季友をかれこれと非難する。(王季友はそんなことで非難するにはあたらぬ人物なのだ)

9 丈夫 柳女の夫の王季友をさしつつも、同様の世上の男子のことである。

10 正色 まがおになる。

11 動引經 王季友の妻の家出を、世に同様に家出したことを、經書の文句を引用して、これを非難するものである。

李白の足跡0000
12 酆城客子 王季友が現在の江西省宜春市に位置する県級市に客寓していたことをいう。

13 王季友 『全唐詩』 に、王季友,河南の人。家,貧しくして履を売る。博,群書を極む。予章太守李勉,引きて賓客と為し,甚だ之を敬ふ。詩十一首。『唐才子伝』には、季友,河南の人なり。書を誦すこと万巻。論ずるに必ず経を引く。家貧にして屐を売る。好事者,多く酒を携へて之に就く。其の妻柳氏,季友の窮醜を疾にくみて去らしむ。客として鄷城に来るや,洪州刺史李公,一見して傾敬し,即ち引きて幕府を佐たすけしむ。詩に工たくみにして性は磊落不羈,奇を愛して険を務む。遠く常情の外に出づ。白首短褐,崎嶇たる士林。傷いたましき哉,貧や。嘗て詩に云ふ有り,「自ら耕し自から刈りて食ふを天と為す 鹿の如く麋の如く野泉を飲む 亦た知る,世上の公卿貴 且しばらく養はん,邱中草木の年」と。其の山水に志すことの篤きを観ん。性は風疎に遠く,情は雲上に逸すと謂ふ可し。集有り,世に伝ふ。

王季友(714311日-7941218日,名徽,字季友,號雲峰居士,洪州南昌人,祖籍河南洛阳,生于豫章湖之。王季友之父王儀曾任丹陽太守,后迁居豫章湖畔。王季友幼年家道破落,遂與其兄一同遷至豐城雲嶺定居,並用功讀書。杜甫對其的描述為“豐城客子王季友,群書萬卷常暗誦,《孝經》一通看在手……明月無暇豈容易,紫氣鬱郁猶沖斗。”(《杜甫詩集》卷七》)。王季友在22時便考中狀元,並任御史治書。但因厭倦時政,無意與李林甫之輩為伍,王季友不久後返回到豐城,在株山下的龍澤智度寺設帳授徒,開始了長達二十多年的隱居生活。隱居期間,王季友著有《龍澤遺稿》、《四書要注》、《六經通義》等作。名氣亦響喝當時,杜甫、錢起、郎士元等人都與其有唱和之作。杜甫作詩評價王季友為“道阻江湖,期以致君堯舜,不但工詩而已。”王季友去世時享壽81年,安葬于龍澤智度寺。其逝世後的第年,被封為「豫章伯」。其墓的遺址在今株山林場附近。

 

群書萬卷常暗誦,孝經一通看在手。

王季友は万巻の羣書をつねに暗誦し、一本の孝経を、いつも、いつも、手にして見ている。

14 一通 一冊の本

15 孝經 中国の経書のひとつ。曽子の門人が孔子の言動をしるしたという。十三経のひとつ。 孝の大体を述べ、つぎに天子、諸侯、郷大夫、士、庶人の孝を細説し、そして孝道の用を説く。

 ・在手後漢劉勤家貧每作供食嘗作一勤置不賣他日出妻竊以易米/勤歸知之責妻欺取直因棄不食

 

貧窮老瘦家賣屐,好事就之為攜酒。

彼は貧窮で老い、かつ痩せて家では下駄を売り、揚雄のように、好事の熱心家が酒をもっていって教えを請うている、というような人物である。

16 屐 【げき】木製のはきもの。下駄。

17 好事 好事者。ものずき。

18 為攜酒 班固《漢書-卷八十七下揚雄傳》顏師古注「揚雄、知奇字、時有好事者載酒肴從游學」

 擕酒 《揚雄傳》好事者ほ 載酒餚從って游學す

767年-257 可歎(卷二一(四)一八三○)注(1269) Ⅲ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ

767-257   可歎(卷二一(四)一八三○)注(1269) Ⅲ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ

 

 

757-248

 

 

 可歎(卷二一(四)一八三○)  -1

 

 

杜甫詳注 訳注解説

 

 

漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 訳注解説Blog11202

 

 

 

大曆二年

寫作時間:           767年  56

卷別:    卷二二二             

文體:    七言古詩

詩題:    可歎

詩序:    なし

寫作地點:           目前尚無資料

寫及地點:           豐城 (江南西道 洪州 豐城)              

洪州 (江南西道 洪州 洪州) 別名:豫章      

交遊人物/地點:   王季友    詩文提及(江南西道 洪州 豐城)

李勉    詩文提及(京畿道 京兆府 長安)

 

詩文:可歎

可歎(卷二一(四)一八三○)

天上浮雲似(一作如)白衣,斯許改變如蒼狗。

古往今來共一時,人生萬事無不有。

近者抉眼去其夫(陳作(目米)),河東女兒身姓柳。

丈夫正色動引經,酆城客子王季友。

群書萬卷常暗誦,《孝經》一通看在手。

貧窮老瘦(諸本作瘦,唯朱本誤作叟)家賣(諸本作屐、作履,張遠改作),好事就之為攜酒。

豫章太守高帝孫,引為賓客敬頗久。

(一作問)道三年未曾語,小心恐懼閉其口。

太守得之更不疑,人生反覆看已醜。

明月無瑕豈容易,紫氣鬱鬱猶衝斗。

時危可丈真豪俊,二人得置君側否。

太守頃者領山南(一作南山,非),邦人思之比父母。

王生早曾拜顏色,高山之外皆培塿。

用為羲和天為成,用平水土地為厚。

王也論道阻江湖,李也疑(一作凝,非)(一作丞疑)曠前後。

死為星辰終不滅,致君堯舜焉肯朽。

吾輩碌碌飽飯行,風后力牧長迴首。

 

 

 

天上浮雲如白衣,斯須改變如蒼狗。

古往今來共一時,人生萬事無不有。

近者抉眼去其夫,河東女兒身姓柳。

丈夫正色動引經,酆城客子王季友。

群書萬卷常暗誦,孝經一通看在手。

貧窮老瘦家賣屐,好事就之為攜酒。

豫章太守高帝孫,引為賓客敬頗久。

聞道三年未曾語,小心恐懼閉其口。

太守得之更不疑,人生反覆看亦醜。

明月無瑕豈容易,紫氣鬱鬱猶衝斗。

時危可仗真豪俊,二人得置君側否。

太守頃者領山南,邦人思之比父母。

王生早曾拜顏色,高山之外皆培塿。

用為羲和天為成,用平水土地為厚。

王也論道阻江湖,李也丞疑曠前後。

死為星辰終不滅,致君堯舜焉肯朽。

吾輩碌碌飽飯行,風后力牧長回首。

 


 

 

可歎 #1

(王季友を不遇に置いたままであることを、その理由を述べて、なげかわしきことと詠う詩。)

天上浮雲如白衣,斯須改變如蒼狗。

天上に浮んでいる雲をみるに白いきもののようであるが、しばらくするとかわって胡麻塩の狗の様になる。

古往今來共一時,人生萬事無不有。

むかしも今もかわりがある様で、かわりがないことは同時の如きものであって、人間社会にはどんなことでも無い事はないほどのものである。

近者抉眼去其夫,河東女兒身姓柳。

ちかごろ河東の女子で姓を柳氏というものが“眼をくじる”様に夫を棄てたといふ事件がある。

#2

丈夫正色動引經,酆城客子王季友。

群書萬卷常暗誦,孝經一通看在手。

貧窮老瘦家賣屐,好事就之為攜酒。

#3

豫章太守高帝孫,引為賓客敬頗久。

聞道三年未曾語,小心恐懼閉其口。

太守得之更不疑,人生反覆看亦醜。

#4

明月無瑕豈容易,紫氣鬱鬱猶衝斗。

時危可仗真豪俊,二人得置君側否。

太守頃者領山南,邦人思之比父母。

王生早曾拜顏色,高山之外皆培塿。

#5

用為羲和天為成,用平水土地為厚。

王也論道阻江湖,李也丞疑曠前後。

死為星辰終不滅,致君堯舜焉肯朽。

吾輩碌碌飽飯行,風后力牧長回首。

(歎ず可し)

天上の浮雲は白衣に似たり、斯須改變して蒼狗の如し。

古往 今來 共に一時,人生 萬事 有らざる無し。

近者眼を抉りて其の夫を去る,河東の女兒 身姓は柳。

 

 

 

清・仇兆鰲 杜詩詳注関係個所 抜粋

 

『可歎』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

可歎 #1

天上浮雲如白衣,斯須改變如蒼狗。

古往今來共一時,人生萬事無不有。

近者抉眼去其夫,河東女兒身姓柳。


(下し文)
(歎ず可し)

天上の浮雲は白衣に似たり、斯須改變して蒼狗の如し。

古往 今來 共に一時,人生 萬事 有らざる無し。

近者眼を抉りて其の夫を去る,河東の女兒 身姓は柳。

(現代語訳)
可歎 #1

(王季友を不遇に置いたままであることを、その理由を述べて、なげかわしきことと詠う詩。)

 

天上に浮んでいる雲をみるに白いきもののようであるが、しばらくするとかわって胡麻塩の狗の様になる。

むかしも今もかわりがある様で、かわりがないことは同時の如きものであって、人間社会にはどんなことでも無い事はないほどのものである。

ちかごろ河東の女子で姓を柳氏というものが“眼をくじる”様に夫を棄てたといふ事件がある。


(訳注)

可歎 #1

(王季友を不遇に置いたままであることを、その理由を述べて、なげかわしきことと詠う詩。)

【題義】王季友を弁護し且つ季友と李勉との二人の偉器なることに関してのべる。767年大暦2年4月以前の一作であり、杜甫、56、この年、22作目。

1 可歎 王季友が妻に家出されたことを世人が非難して、其の人物の大きさを見ないことをなげかわしいとするなり。

 此の詩は黄氏に據ると、編に當たるは大歴二年之末に在る。 鶴注に: 隆興は石幢に有り、載李勉は洪州刺史と為る。張鎬の後に在るは、魏少 之れの前に游ぶ。鎬 以て廣徳二年九月の卒。勉めて即ち以て是れ月 之に繼ぐ、大歴二年に至り、凡す三年。是年勉めて朝に入る、四月京兆の尹を拜す。此の詩乃ち勉めて入京後の作なり。故曰「三年未だ曾語らず」。今 按ずるに詩は:又云「李也 丞曠の前後を疑う」、亦た是れ既に入朝して以て此れ之を頌ぶ。黄鶴は復た四年を疑うて勉めて廣に入る時の作、蓋して山南と誤認して廣南と為す也。詩は中山の南、本追、前事を論じるのみ。 《抱朴子》は歎く可し 一に非らず。

 

天上浮雲如白衣,斯須改變如蒼狗。

天上に浮んでいる雲をみるに白いきもののようであるが、しばらくするとかわって胡麻塩の狗の様になる。

2 白衣 しろきころも。

3 斯須 須臾・少選などおなじ、しばらくの意。

4 蒼狗 ごましお柄の犬。・蒼狗 《晉天文志》:鄭雲如衣。又云:衛雲、如狗。赤色長尾。《漢五行志》見物如蒼狗。 《維摩經》:是身如浮雲、須臾變滅。此用其意。

 

古往今來共一時,人生萬事無不有。

むかしも今もかわりがある様で、かわりがないことは同時の如きものであって、人間社会にはどんなことでも無い事はないほどのものである。

5 共一時 一時は同時、時か異にせざるをいう、古今の異なきがごとくなるをいう。 ・一時  梁元帝《纂要》:往古來今謂之宙

6 無不有 なんでもある。・無不有 嵇康詩:事故無不有。

 

近者眼去其夫,河東女兒身姓柳。

ちかごろ河東の女子で姓を柳氏というものが“眼をくじる”様に夫を棄てたといふ事件がある。

7 抉眼去其夫 其の夫を去ることを“眼を抉る”が如くなるをいう。趙注に云う、「東北の人の方言に、見ることを喜ばざるものを、つねに抉眼という」と。去とは棄て去ること、自ら家出せしなり。抉眼去夫の主語は次句の女兒。

8 河東女兒身姓柳 河東は、山西の地、柳氏は河東の名族なり。女兒は女子、身姓は姓。

・其夫 《杜臆》は: 抉眼とは、猶お反目を云う 趙曰う:栁氏は其の夫を喜ばず、抉眼中之の如し。 物をして之を去ることとは東北の人の方言に、喜ばざるものを見る者は、每に抉眼と曰うと。《世家》には:子胥 將って死す、 曰く:「抉は吾眼は吾を東門に置く。」

・栁 河東は、乃ち栁氏の郡名なり。 《杜臆》は以て唐風の近淫と為る。続きを読む

767年-236 《 送高司直尋封閬州(卷二一(四)一八二八) -#5》 - 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 訳注解説Blog11194

767-236  送高司直尋封閬州(卷二一(四)一八二八) -5 - 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 訳注解説Blog11194

 

 

767-236

 

 

 送高司直尋封閬州(卷二一(四)一八二八)  -5

 

杜甫詳注 訳注解説

 

 

漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 訳注解説Blog11194

 

 

 

送高司直尋封閬州

(高司直が閬州の長官封某の部下となるのに水鬼苦役の夔州に立ち寄った時送別の宴で花を添える、この詩を披露して詠んだ。)

丹雀銜書來,暮棲何樹。

めでたい知らせを嘴にくわえて天子聖王のもとに運ぶのは丹雀のようなあなたが、この夜うらぶれてどの土地の木に宿るおつもりなのか。

驊騮事天子,辛苦在道路。

あの天子の名馬の驊騮のように陛下にお仕えしたあなたが、このような幸い旅をしておられる。

司直非冗官,荒山甚無趣。

あなたの任ぜられていた大理、司直は閑職 ではないはずだが、今、どうしてこのような風情のない荒れ山に迷いこまれたのか。

借問泛舟人,胡為入雲霧。

お尋ね するが、あなたは舟を浮かべて旅をして、なぜ雲や霧の中に入っていかれるのか。

#2

與子姻婭間,既親亦有故。

あなたと私は王族の末裔で姻戚の関係であり、親族にして旧知のあいだ柄でもある。

萬里長江邊,邂逅一相遇。

遠く西の万里のさきから流れてきて、遠く東の東海(太平洋)に流れさる長江のほとりで、思いがけず、偶然にもまたお会いした。

長卿消渴再,公幹沈綿屢。

私は司馬相知のように糖尿病がぶりかえし、建安七子の一人である劉楨のように長患いを 繰り返している。

清談慰老夫,開卷得佳句。

そのような時、あなたの高雅な談論はこの老いぼれを慰め、詩巻を開けば すばらしい詩句を目にすることができる。

#3

時見文章士,欣然澹情素。

今、文章の士といわれる文学に秀でたあなたとお会いできたこと、心の底から喜んで本心を話しておるのである。

伏枕聞別離,疇能忍漂寓。

長安に帰らねばならないのに、持病が悪化し、養生のためこの地に伏せて いる時に、せっかく会えたあなたと別れなければならないと聞けば、いったい誰がこのようなさすらいの境遇 に堪えておれようか。

良會苦短促,溪行水奔注。

良い出会いというものは実に短いものであり、あなたが峡谷に舟を進ませれば、川の水は奔流となって行く手を遮るかもしれない。

熊羆咆空林,遊子慎馳騖。

陸行するならクマとヒグマがひと気のない林で吠える声が響き渡るであろうし、このような場所から旅人として出発し、あわてて進むのはおやめなさい。

#4

西謁巴中侯,艱險如跬步。

ただ、このような心配も西のかた旧知の閬州刺史の封殿にお会いするのを思えば知れたこと、そう考えれば旅の苦難もあと一歩で終わるということである。』

主人不世才,先帝常特顧。

あなたのお仕えする閬州刺史の封殿は不世出の才能の持ち主で、先帝陛下がいつも特別に 目をかけておられたじんぶつである。

拔為天軍佐,崇大王法度。

そして、抜擢されて禁軍の補佐官となり、陛下の政治を大いに助けたものだ。

淮海生清風,南翁尚思慕。

その後、准海の地で役人となった時には、なごやかな清風が生じ、その南の地の老人たちは今なお封殿を讃えて思慕している。

#5

公宮造廣廈,木石乃無數。

いまや公宮殿で大屋根の大規模建物を造ろうとしているが、それに用いる木や石は大量で、数知れないのである。

初聞伐松柏,猶臥天一柱。

だが初めはマツやヒノキを伐る音は聞こえるほど評価されていたのだが、あなた様は、今なお天にも届く一本の柱であるのに、寝かされたままなのである。

我瘦書不成,成字讀亦誤。

私は病気になって手紙が書けない。手紙を書いても、字を書いて読みかえすとまちがっていることがある。

為我問故人,勞心練征戍。

だから、 私のために古なじみである封殿に尋ねさせてくれ、「辺境警備の兵士の訓練に日夜心をくだかれているのか」と。』

 

(高司直の封閬州を尋ぬるを送る)

丹雀書をみて来たり、暮れに何れの郷の樹にか棲む。

驊騮 天子に事え、辛苦 道路に在り。

司直 は冗官に非ず、荒山 甚だ 趣無し。

借間す 舟を泛ぶるの人、胡為れぞ雲霧に入るやと。

#2

子とは姻婭の間、既に親にして亦た故有り。

万里長江の辺、避返して亦た相い遇えり

長卿 消渇 再びし、公幹 沈綿 屡しばなり。

清談 老夫を慰め、巻を開けば 佳句を得たり。

#3

時に文章の士を見、欣然として情素を談ず。

枕に伏して別離を聞けば、たれか能く漂寓するに忍びんや。

良会 苦だ短促、渓行すれば水奔注す。

熊熊空林にほゆ、遊子馳鷲を慎め。

#4

西のかた巴中侯に謁せんとし、難険跬步の如し。

主人不世の才、先帝常に特に顧る。

抜きて天軍の佐と為り、崇大す王の法度を。

准海 清風生じ、南翁 尚お思罫す。

#5

公営広度を造り、木石乃ち無数。

初め聞く松柏を伐つを、猶お臥す天の一柱を。

我れ病みて書成らず、字を成すも読めば亦た誤る。

我が為に故人に問え、心を労して征戊を練るかと

 

杜詩詳注 関係個所

造廣厦、木石乃無數。初聞伐松柏、猶卧天一柱。此稱閬州之賢。須封初為宿衛官、又嘗仕於淮海、

乃歴來宦迹。 且廣厦 梁棟之材、乃採松柏而舍天柱、惜其未得大用也。

天軍佐〕 《漢・天文志》: 虚危南有衆星、曰羽林天軍。

崇大王法度〕 言王朝法度、能尊崇而擴大之。 朱穆《崇厚論》:天不崇大、則覆情不廣。

清風〕 《詩》: 穆如清風。

廣厦〕 趙曰: 凡官府貴處、謂/之公。 《左傳》: 搆其公 桓譚。 

《新 論》:雍門周謂孟嘗君曰:「足下居則廣厦高堂、連闥洞房。」 

天一〕 《神異經》: 崑崙有銅柱其高入天謂之天柱

我病一作/書不成、成字讀一作/亦誤。為/我問故人、勞心練征戍。末以/寄語

 

聞州作結務病不成書應前消渴沉綿練兵征戍乃當/時守土急 此章前二段各八句中二段各十句末

段四/句収

 

杜詩詳注〔四〕《送高司直尋封閬州》訳注解説

(本文)

#5

公宮造廣廈,木石乃無數。

初聞伐松柏,猶臥天一柱。

我瘦書不成,成字讀亦誤。

為我問故人,勞心練征戍。

 

(下し文)

(高司直の封閬州を尋ぬるを送る)

#

公営広度を造り、木石乃ち無数。

初め聞く松柏を伐つを、猶お臥す天の一柱を。

我れ病みて書成らず、字を成すも読めば亦た誤る。

我が為に故人に問え、心を労して征戊を練るかと

 

(現代語訳)

(高司直が閬州の長官封某の部下となるのに水鬼苦役の夔州に立ち寄った時送別の宴で花を添える、この詩を披露して詠んだ。)#5

いまや公宮殿で大屋根の大規模建物を造ろうとしているが、それに用いる木や石は大量で、数知れないのである。

だが初めはマツやヒノキを伐る音は聞こえるほど評価されていたのだが、あなた様は、今なお天にも届く一本の柱であるのに、寝かされたままなのである。

私は病気になって手紙が書けない。手紙を書いても、字を書いて読みかえすとまちがっていることがある。

だから、 私のために古なじみである封殿に尋ねさせてくれ、「辺境警備の兵士の訓練に日夜心をくだかれているのか」と。』

 

 

(訳注解説)

送高司直尋封閬州

(高司直が閬州の長官封某の部下となるのに水鬼苦役の夔州に立ち寄った時送別の宴で花を添える、この詩を披露して詠んだ。)

【題意】杜詩詳注卷二一(四)一八二四、杜少陵詩集四四七。杜詩全譯〔四〕P543

制作時767年、制作地は前詩と同じ夔州。封氏を尋ねるのを送別した詩。高司直は未詳。司直は大理司直を指し、 杜佑『通典』巻二五「職官七」によれば、皇帝の命を承けて使者として派遣されて地方の官吏を尋問し、大理寺(検察庁)で疑獄事件を処理する時には評議に加わる。ただし、高司直 は閬州刺史である封氏の部下となるために赴任すると考えられることから、司直は現職ではなく前職であろう。封閬州も未詳。郁賢暗『唐刺史考全編』二八八四頁は、安史の乱以後、遠くない時期に封議が閬州刺史を務めていたと推測する。

 

#

公宮造廣廈,木石乃無數。

いまや公宮殿で大屋根の大規模建物を造ろうとしているが、それに用いる木や石は大量で、数知れないのである。

廣廈 大きな家、大きな門の家、連棟式の大きな家、複数の役所が一つの大屋根で

廣厦〕 趙曰く: 「凡そ官府は貴き處なり、之れ 公う。 《左傳》に: 其の公。 

後漢初めの桓譚の《新 論》に:雍門周 孟嘗君と謂うて曰く:「足下に居す 則ち廣厦の高堂、連闥洞房。」 

連闥洞房 闥,門。連闥洞房指門重疊,房屋深邃。形容宅第豪華。北周.庾信〈小園賦〉:「豈必連闥洞房,南陽樊重之第;綠墀青瑣,西漢王根之宅?

 

初聞伐松柏,猶臥天一柱。

だが初めはマツやヒノキを伐る音は聞こえるほど評価されていたのだが、あなた様は、今なお天にも届く一本の柱であるのに、寝かされたままなのである。

天一 天に入るほどの一本柱、封の偉大さを柱に例えたもの。大黒柱というところか。 天一〕 《神異經》に: 崑崙には銅柱が有り、其の高さは天に入る、之れを天柱と謂う。

 

我瘦書不成,成字讀亦誤。

私は病気になって手紙が書けない。手紙を書いても、字を書いて読みかえすとまちがっていることがある。

 手紙など文字を書くこと。このころ杜甫の人生で最も多くの詩を残しているから、詩が書けないというのではない

成字 手紙の字を書く。

 字を書いて読みかえすこと。

 

為我問故人,勞心練征戍。

だから、 私のために古なじみである封殿に尋ねさせてくれ、「辺境警備の兵士の訓練に日夜心をくだかれているのか」と。』

故人 封をさす。

芳心練征成 この一句は慰労の言葉。「労心」は、心をくだく。「練征成」は、辺境 警備の兵を訓練する。閲州のある巴葛の地は吐蕃(チベット) の侵攻にさらされていた。

767年-236 《 送高司直尋封閬州(卷二一(四)一八二八) -#4》 - 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 訳注解説Blog11186

767-236  送高司直尋封閬州(卷二一(四)一八二八) -4 - 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 訳注解説Blog11186

 

 

767-236

 

 

 送高司直尋封閬州(卷二一(四)一八二八)  -4

 

杜甫詳注 訳注解説

 

 

漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 訳注解説Blog11186

 

 

 

 

送高司直尋封閬州

(高司直が閬州の長官封某の部下となるのに水鬼苦役の夔州に立ち寄った時送別の宴で花を添える、この詩を披露して詠んだ。)

丹雀銜書來,暮棲何樹。

めでたい知らせを嘴にくわえて天子聖王のもとに運ぶのは丹雀のようなあなたが、この夜うらぶれてどの土地の木に宿るおつもりなのか。

驊騮事天子,辛苦在道路。

あの天子の名馬の驊騮のように陛下にお仕えしたあなたが、このような幸い旅をしておられる。

司直非冗官,荒山甚無趣。

あなたの任ぜられていた大理、司直は閑職 ではないはずだが、今、どうしてこのような風情のない荒れ山に迷いこまれたのか。

借問泛舟人,胡為入雲霧。

お尋ね するが、あなたは舟を浮かべて旅をして、なぜ雲や霧の中に入っていかれるのか。

#2

與子姻婭間,既親亦有故。

あなたと私は王族の末裔で姻戚の関係であり、親族にして旧知のあいだ柄でもある。

萬里長江邊,邂逅一相遇。

遠く西の万里のさきから流れてきて、遠く東の東海(太平洋)に流れさる長江のほとりで、思いがけず、偶然にもまたお会いした。

長卿消渴再,公幹沈綿屢。

私は司馬相知のように糖尿病がぶりかえし、建安七子の一人である劉楨のように長患いを 繰り返している。

清談慰老夫,開卷得佳句。

そのような時、あなたの高雅な談論はこの老いぼれを慰め、詩巻を開けば すばらしい詩句を目にすることができる。

#3

時見文章士,欣然澹情素。

今、文章の士といわれる文学に秀でたあなたとお会いできたこと、心の底から喜んで本心を話しておるのである。

伏枕聞別離,疇能忍漂寓。

長安に帰らねばならないのに、持病が悪化し、養生のためこの地に伏せて いる時に、せっかく会えたあなたと別れなければならないと聞けば、いったい誰がこのようなさすらいの境遇 に堪えておれようか。

良會苦短促,溪行水奔注。

良い出会いというものは実に短いものであり、あなたが峡谷に舟を進ませれば、川の水は奔流となって行く手を遮るかもしれない。

熊羆咆空林,遊子慎馳騖。

陸行するならクマとヒグマがひと気のない林で吠える声が響き渡るであろうし、このような場所から旅人として出発し、あわてて進むのはおやめなさい。

#4

西謁巴中侯,艱險如跬步。

ただ、このような心配も西のかた旧知の閬州刺史の封殿にお会いするのを思えば知れたこと、そう考えれば旅の苦難もあと一歩で終わるということである。』

主人不世才,先帝常特顧。

あなたのお仕えする閬州刺史の封殿は不世出の才能の持ち主で、先帝陛下がいつも特別に 目をかけておられたじんぶつである。

拔為天軍佐,崇大王法度。

そして、抜擢されて禁軍の補佐官となり、陛下の政治を大いに助けたものだ。

淮海生清風,南翁尚思慕。

その後、准海の地で役人となった時には、なごやかな清風が生じ、その南の地の老人たちは今なお封殿を讃えて思慕している。

#5

公宮造廣廈,木石乃無數。

初聞伐松柏,猶臥天一柱。

我瘦書不成,成字讀亦誤。

為我問故人,勞心練征戍。

 

(高司直の封閬州を尋ぬるを送る)

丹雀書をみて来たり、暮れに何れの郷の樹にか棲む。

驊騮 天子に事え、辛苦 道路に在り。

司直 は冗官に非ず、荒山 甚だ 趣無し。

借間す 舟を泛ぶるの人、胡為れぞ雲霧に入るやと。

#2

子とは姻婭の間、既に親にして亦た故有り。

万里長江の辺、避返して亦た相い遇えり

長卿 消渇 再びし、公幹 沈綿 屡しばなり。

清談 老夫を慰め、巻を開けば 佳句を得たり。

#3

時に文章の士を見、欣然として情素を談ず。

枕に伏して別離を聞けば、たれか能く漂寓するに忍びんや。

良会 苦だ短促、渓行すれば水奔注す。

熊熊空林にほゆ、遊子馳鷲を慎め。

#4

西のかた巴中侯に謁せんとし、難険跬步の如し。

主人不世の才、先帝常に特に顧る。

抜きて天軍の佐と為り、崇大す王の法度を。

准海 清風生じ、南翁 尚お思罫す。

#5

公営広度を造り、木石乃ち無数。

初め聞く松柏を伐つを、猶お臥す天の一柱を。

我れ病みて書成らず、字を成すも読めば亦た誤る。

我が為に故人に問え、心を労して征戊を練るかと

 

杜詩詳注 関係個所

時見文章士、欣然談一作/情素。伏枕聞離、疇能忍漂寓。

苦短促、溪行水奔注。熊羆咆空林、遊子慎馳騖。

西謁巴中侯、艱險一作/跬步此為司直惜。 清談、屬高。 談情/屬公。

 水行恐奔注、陸行恐遇熊羆、特以巴侯舊契、故視艱險如跬步耳。

情素〕 遊蔡傳公、孫鞅之事孝公披腹心示情素。

馳騖〕 曹植《節澤賦》: 步北林而馳騖。 

巴中〕 巴中侯、指封閬州。

跬步〕 《越/絶書》 曽無跬步之勞。 按:半步曰跬。

主人不世才、先帝常特顧。拔為天軍佐、崇大王法度。淮海生清風、南翁尚思慕。

造廣厦、木石乃無數。初聞伐松柏、猶卧天一柱。此稱閬州之賢。須封初為宿衛官、又嘗仕於淮海、

乃歴來宦迹。 且廣厦 梁棟之材、乃採松柏而舍天柱、惜其未得大用也。

天軍佐〕 《漢・天文志》: 虚危南有衆星、曰羽林天軍。

崇大王法度〕 言王朝法度、能尊崇而擴大之。 朱穆《崇厚論》:天不崇大、則覆情不廣。

清風〕 《詩》: 穆如清風。

廣厦〕 趙曰: 凡官府貴處、謂/之公。 《左傳》: 搆其公 桓譚。 

《新 論》:雍門周謂孟嘗君曰:「足下居則廣厦高堂、連闥洞房。」 

天一〕 《神異經》: 崑崙有銅柱其高入天謂之天柱

我病一作/書不成、成字讀一作/亦誤。為/我問故人、勞心練征戍。末以/寄語

 

 

杜詩詳注〔四〕《送高司直尋封閬州》訳注解説

(本文)

#4

西謁巴中侯,艱險如跬步。

主人不世才,先帝常特顧。

拔為天軍佐,崇大王法度。

淮海生清風,南翁尚思慕。

 

(下し文)

(高司直の封閬州を尋ぬるを送る)

#

西のかた巴中侯に謁せんとし、難険跬步の如し。

主人不世の才、先帝常に特に顧る。

抜きて天軍の佐と為り、崇大す王の法度を。

准海 清風生じ、南翁 尚お思罫す。

 

(現代語訳)

(高司直が閬州の長官封某の部下となるのに水鬼苦役の夔州に立ち寄った時送別の宴で花を添える、この詩を披露して詠んだ。)#4

ただ、このような心配も西のかた旧知の閬州刺史の封殿にお会いするのを思えば知れたこと、そう考えれば旅の苦難もあと一歩で終わるということである。』

あなたのお仕えする閬州刺史の封殿は不世出の才能の持ち主で、先帝陛下がいつも特別に 目をかけておられたじんぶつである。

そして、抜擢されて禁軍の補佐官となり、陛下の政治を大いに助けたものだ。

その後、准海の地で役人となった時には、なごやかな清風が生じ、その南の地の老人たちは今なお封殿を讃えて思慕している。

 

(訳注解説)

送高司直尋封閬州

(高司直が閬州の長官封某の部下となるのに水鬼苦役の夔州に立ち寄った時送別の宴で花を添える、この詩を披露して詠んだ。)

【題意】杜詩詳注卷二一(四)一八二四、杜少陵詩集四四七。杜詩全譯〔四〕P543

制作時767年、制作地は前詩と同じ夔州。封氏を尋ねるのを送別した詩。高司直は未詳。司直は大理司直を指し、 杜佑『通典』巻二五「職官七」によれば、皇帝の命を承けて使者として派遣されて地方の官吏を尋問し、大理寺(検察庁)で疑獄事件を処理する時には評議に加わる。ただし、高司直 は閬州刺史である封氏の部下となるために赴任すると考えられることから、司直は現職ではなく前職であろう。封閬州も未詳。郁賢暗『唐刺史考全編』二八八四頁は、安史の乱以後、遠くない時期に封議が閬州刺史を務めていたと推測する。

 

#4

西謁巴中侯,艱險如跬步。

ただ、このような心配も西のかた旧知の閬州刺史の封殿にお会いするのを思えば知れたこと、そう考えれば旅の苦難もあと一歩で終わるということである。』

巴中侯 封閲州を指す。「巴中」は四川盆地の東部を流れる嘉陵汀の流域で、ここでは 閲州。「侯」は刺史の雅称。巴中〕 巴中侯、指封閬州。

難陰如踵歩 旅の苦難はわずか一歩を踏み出すうちに終わる。封閻州に 会えば必ず歓待されることを予想する。「蛙歩」は、片足を前に出す距離で、日本でいう一歩。跬步〕 《越/絶書》 曽無跬步之勞。 按:半步曰跬。

 

 

主人不世才,先帝常特顧。

あなたのお仕えする閬州刺史の封殿は不世出の才能の持ち主で、先帝陛下がいつも特別に 目をかけておられたじんぶつである。

主人 封尚州。

不世才 不世出の才能。

先帝 玄宗あるいは粛宗。

 

 

拔為天軍佐,崇大王法度。

そして、抜擢されて禁軍の補佐官となり、陛下の政治を大いに助けたものだ。

天軍 大子に近侍する禁軍。天軍佐〕 《漢・天文志》: 虚危南有衆星、曰羽林天軍。

崇大 王法度 帝王の政治(法律・制度) を立派にするっ 崇大王法度〕 言王朝法度、能尊崇而擴大之。 朱穆《崇厚論》:天不崇大、則覆情不廣。

 

 

 

淮海生清風,南翁尚思慕。

その後、准海の地で役人となった時には、なごやかな清風が生じ、その南の地の老人たちは今なお封殿を讃えて思慕している。

准海 准河と東海(東シナ海) のほとり。揚州を 中心とした山東省南部・江蘇省北部一帯。

清風 万物を養い育てる穏やかな風。また、そのように徳 によって民衆を養育して教化する勝れた政治。『詩経』 大雅「蒸民」 に見える語。ここでは封聞州がか って准海地域の地方官であった時の治績を賛美する。清風〕 《詩》: 穆如清風。

南翁 南方の老人。ここでは准海の老人を指 す。一説に南方に寓居する杜南といい(『黄鶴補注』 巻一四)、また封刺史を指すともいう (『李寿松 注』 三六六百)。

767年-236 《 送高司直尋封閬州(卷二一(四)一八二八) -#3》 - 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 訳注解説Blog11178

767-236  送高司直尋封閬州(卷二一(四)一八二八) -3 - 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 訳注解説Blog11178

 

 

767-236

 

 

 送高司直尋封閬州(卷二一(四)一八二八)  -3

 

杜甫詳注 訳注解説

 

 

漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 訳注解説Blog11178

 

 

 

 

送高司直尋封閬州

(高司直が閬州の長官封某の部下となるのに水鬼苦役の夔州に立ち寄った時送別の宴で花を添える、この詩を披露して詠んだ。)

丹雀銜書來,暮棲何樹。

めでたい知らせを嘴にくわえて天子聖王のもとに運ぶのは丹雀のようなあなたが、この夜うらぶれてどの土地の木に宿るおつもりなのか。

驊騮事天子,辛苦在道路。

あの天子の名馬の驊騮のように陛下にお仕えしたあなたが、このような幸い旅をしておられる。

司直非冗官,荒山甚無趣。

あなたの任ぜられていた大理、司直は閑職 ではないはずだが、今、どうしてこのような風情のない荒れ山に迷いこまれたのか。

借問泛舟人,胡為入雲霧。

お尋ね するが、あなたは舟を浮かべて旅をして、なぜ雲や霧の中に入っていかれるのか。

#2

與子姻婭間,既親亦有故。

あなたと私は王族の末裔で姻戚の関係であり、親族にして旧知のあいだ柄でもある。

萬里長江邊,邂逅一相遇。

遠く西の万里のさきから流れてきて、遠く東の東海(太平洋)に流れさる長江のほとりで、思いがけず、偶然にもまたお会いした。

長卿消渴再,公幹沈綿屢。

私は司馬相知のように糖尿病がぶりかえし、建安七子の一人である劉楨のように長患いを 繰り返している。

清談慰老夫,開卷得佳句。

そのような時、あなたの高雅な談論はこの老いぼれを慰め、詩巻を開けば すばらしい詩句を目にすることができる。

#3

時見文章士,欣然澹情素。

今、文章の士といわれる文学に秀でたあなたとお会いできたこと、心の底から喜んで本心を話しておるのである。

伏枕聞別離,疇能忍漂寓。

長安に帰らねばならないのに、持病が悪化し、養生のためこの地に伏せて いる時に、せっかく会えたあなたと別れなければならないと聞けば、いったい誰がこのようなさすらいの境遇 に堪えておれようか。

良會苦短促,溪行水奔注。

良い出会いというものは実に短いものであり、あなたが峡谷に舟を進ませれば、川の水は奔流となって行く手を遮るかもしれない。

熊羆咆空林,遊子慎馳騖。

陸行するならクマとヒグマがひと気のない林で吠える声が響き渡るであろうし、このような場所から旅人として出発し、あわてて進むのはおやめなさい。

#4

西謁巴中侯,艱險如跬步。

主人不世才,先帝常特顧。

拔為天軍佐,崇大王法度。

淮海生清風,南翁尚思慕。

#5

公宮造廣廈,木石乃無數。

初聞伐松柏,猶臥天一柱。

我瘦書不成,成字讀亦誤。

為我問故人,勞心練征戍。

 

(高司直の封閬州を尋ぬるを送る)

丹雀書をみて来たり、暮れに何れの郷の樹にか棲む。

驊騮 天子に事え、辛苦 道路に在り。

司直 は冗官に非ず、荒山 甚だ 趣無し。

借間す 舟を泛ぶるの人、胡為れぞ雲霧に入るやと。

#2

子とは姻婭の間、既に親にして亦た故有り。

万里長江の辺、避返して亦た相い遇えり

長卿 消渇 再びし、公幹 沈綿 屡しばなり。

清談 老夫を慰め、巻を開けば 佳句を得たり。

#3

時に文章の士を見、欣然として情素を談ず。

枕に伏して別離を聞けば、たれか能く漂寓するに忍びんや。

良会 苦だ短促、渓行すれば水奔注す。

熊熊空林にほゆ、遊子馳鷲を慎め。

#4

西のかた巴中侯に謁せんとし、難険踵歩の如し。

主人不世の才、先帝常に特に顧る。

抜きて天軍の佐と為り、崇大す王の法度を。

准海清風生じ、南翁尚お思罫す。

#5

公営広度を造り、木石乃ち無数。

初め聞く松柏を伐つを、猶お臥す天の一柱を。

我れ病みて書成らず、字を成すも読めば亦た誤る。

我が為に故人に問え、心を労して征戊を練るかと

 

杜詩詳注 関係個所

時見文章士、欣然談一作/情素。伏枕聞離、疇能忍漂寓。

苦短促、溪行水奔注。熊羆咆空林、遊子慎馳騖。

西謁巴中侯、艱險一作/如跬步。此為司直惜。 清談、屬高。 談情/屬公。

 水行恐奔注、陸行恐遇熊羆、特以巴侯舊契、故視艱險如跬步耳。

情素〕 遊蔡傳公、孫鞅之事孝公披腹心示情素。

馳騖〕 曹植《節澤賦》: 步北林而馳騖。 

巴中〕 巴中侯、指封閬州。

跬步〕 《越/絶書》 曽無跬步之勞。 按:半步曰跬。

主人不世才、先帝常特顧。拔為天軍佐、崇大王法度。淮海生清風、南翁尚思慕。

造廣厦、木石乃無數。初聞伐松柏、猶卧天一柱。此稱閬州之賢。須封初為宿衛官、又嘗仕於淮海、

乃歴來宦迹。 且廣厦 梁棟之材、乃採松柏而舍天柱、惜其未得大用也。

天軍佐〕 《漢・天文志》: 虚危南有衆星、曰羽林天軍。

崇大王法度〕 言王朝法度、能尊崇而擴大之。 朱穆《崇厚論》:天不崇大、則覆情不廣。

清風〕 《詩》: 穆如清風。

廣厦〕 趙曰: 凡官府貴處、謂/之公。 《左傳》: 搆其公 桓譚。 

《新 論》:雍門周謂孟嘗君曰:「足下居則廣厦高堂、連闥洞房。」 

天一〕 《神異經》: 崑崙有銅柱其高入天謂之天柱

我病一作/書不成、成字讀一作/亦誤。為/我問故人、勞心練征戍。末以/寄語

 

 

杜詩詳注〔四〕《送高司直尋封閬州》訳注解説

(本文)

3

時見文章士,欣然澹情素。

伏枕聞別離,疇能忍漂寓。

良會苦短促,溪行水奔注。

熊羆咆空林,遊子慎馳騖。

 

(下し文)

(高司直の封閬州を尋ぬるを送る)

#3

 

(現代語訳)

(高司直が閬州の長官封某の部下となるのに水鬼苦役の夔州に立ち寄った時送別の宴で花を添える、この詩を披露して詠んだ。)#3

今、文章の士といわれる文学に秀でたあなたとお会いできたこと、心の底から喜んで本心を話しておるのである。

長安に帰らねばならないのに、持病が悪化し、養生のためこの地に伏せて いる時に、せっかく会えたあなたと別れなければならないと聞けば、いったい誰がこのようなさすらいの境遇 に堪えておれようか。

良い出会いというものは実に短いものであり、あなたが峡谷に舟を進ませれば、川の水は奔流となって行く手を遮るかもしれない。

陸行するならクマとヒグマがひと気のない林で吠える声が響き渡るであろうし、このような場所から旅人として出発し、あわてて進むのはおやめなさい。

 

 

(訳注解説)

送高司直尋封閬州

(高司直が閬州の長官封某の部下となるのに水鬼苦役の夔州に立ち寄った時送別の宴で花を添える、この詩を披露して詠んだ。)

【題意】杜詩詳注卷二一(四)一八二四、杜少陵詩集四四七。杜詩全譯〔四〕P543

制作時767年、制作地は前詩と同じ夔州。封氏を尋ねるのを送別した詩。高司直は未詳。司直は大理司直を指し、 杜佑『通典』巻二五「職官七」によれば、皇帝の命を承けて使者として派遣されて地方の官吏を尋問し、大理寺(検察庁)で疑獄事件を処理する時には評議に加わる。ただし、高司直 は閬州刺史である封氏の部下となるために赴任すると考えられることから、司直は現職ではなく前職であろう。封閬州も未詳。郁賢暗『唐刺史考全編』二八八四頁は、安史の乱以後、遠くない時期に封議が閬州刺史を務めていたと推測する。

 

#3

此は司直との惜す。 清談、屬高す。 談情屬公。水行 恐らく奔注をみ、陸行 恐らく熊羆に遇す、特に以て巴侯に舊契す、故に艱險を跬步の如くと視るのみ。

時見文章士,欣然澹情素。

今、文章の士といわれる文学に秀でたあなたとお会いできたこと、心の底から喜んで本心を話しておるのである。

文章士 文章に優れた人物。「為文章操紙筆立書」(文章を為るときは、紙筆を操って立ちどころに書く。

情素 本心。① 平素からの感情。もとからの思い。② 汚れのない気持。潔白な気持。誠意。情素〕 遊蔡傳公、孫鞅之事、孝公 腹心を披い情素を示す。

 

伏枕聞別離,疇能忍漂寓。

長安に帰らねばならないのに、持病が悪化し、養生のためこの地に伏せて いる時に、せっかく会えたあなたと別れなければならないと聞けば、いったい誰がこのようなさすらいの境遇 に堪えておれようか。

漂寓 さまよって他郷に仮住まいする。

 

良會苦短促,溪行水奔注。

良い出会いというものは実に短いものであり、あなたが峡谷に舟を進ませれば、川の水は奔流となって行く手を遮るかもしれない。

良書 良い 出会い。

溪行 谷川を進む。ここでは長汀を遡る。この二句と次の二句は、送別の宴を開いた夔州が水陸駅であることで、陸行と水行するものがあり、そのどちらも難航が予想されるたびであることを言う。

 

熊羆咆空林,遊子慎馳騖。

陸行するならクマとヒグマがひと気のない林で吠える声が響き渡るであろうし、このような場所から旅人として出発し、あわてて進むのはおやめなさい。

空林 ひと気のない林。

遊子 旅人。

馳驚  速く馳せる。馳騖〕 曹植《節澤賦》: 步北林而馳騖。

767年-236 《 送高司直尋封閬州(卷二一(四)一八二八) -#2》 - 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 訳注解説Blog11170

 

最近 一週間の訳注解説 BLOG

/ 

李白集校注

韓昌黎集

杜詩詳注

花間集

玉臺新詠

女性関連

 

2/17

贈丹陽橫山周處士惟 #2

張中丞傳後敘 -#15

冬至

 

邱巨源_其二聽隣妓 -#1

 

 

 

2/18

雪讒詩贈友人#-0

張中丞傳後敘 -#16

柳司馬至 -#1

 

邱巨源_其二聽隣妓

 

 

 

2/19

雪讒詩贈友人 #1

張中丞傳後敘 -#17

柳司馬至-#2

 

王融_ 雜詩五首其一古意

 

 

 

2/20

雪讒詩贈友人 #2

張中丞傳後敘 -#18

 別李義 - #1

 

王融_雜詩五首〔2

 

 

 

2/21

雪讒詩贈友人 #3

張中丞傳後敘 -#19

 別李義 - #2

 

王融_雜詩五首〔3

 

 

 

2/22

雪讒詩贈友人 #4

中丞傳後敘 -#20

 別李義 - #3

 

王融_雜詩五首〔4

 

 

 

2/23

 

 

杜甫研究、詩と生涯(1)

 

 

 

 

 

2/24

 

 

杜甫研究、詩と生涯(2)

 

 

 

 

 

2/25

雪讒詩贈友人 #5

張中丞傳後敘 -#21

 別李義 - #4

 

王融_雜詩五首〔5

 

 

 

2/26

雪讒詩贈友人 #6

張中丞傳後敘 -#22

 別李義 - #5

 

謝朓_雜詩十二〔1

 

 

 

2/27

雪讒詩贈友人 #7

張中丞傳後敘 -#23

 別李義 - #6

 

謝朓雜詩十二〔2

 

 

 

2/28

雪讒詩贈友人 #8

張中丞傳後敘 -#24

 別李義 - #7

 

謝朓雜詩十二〔3

 

 

 

2/29

雪讒詩贈友人 #9

張中丞傳後敘 -#25

 送高司直尋封閬州 #1

 

謝朓雜詩十二〔4

 

 

 

3/1

 

 

杜甫研究、詩と生涯(3)

 

 

 

 

 

3/2

留別金陵諸公#1

張中丞傳後敘 -#26

 送高司直尋封閬州 #2

 

謝朓雜詩十二〔5

 

 

 

3/3

留別金陵諸公#2

張中丞傳後敘 -#27

 送高司直尋封閬州#3

 

6詠邯鄲故才人嫁為厮養

 

 

 

3/4

留別金陵諸公#3

張中丞傳後敘 -#28

 可歎 #1

 

7秋夜

 

 

 

767-236  送高司直尋封閬州(卷二一(四)一八二八) -2 - 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 訳注解説Blog11170

 

 

 

767-236

 

 

 送高司直尋封閬州(卷二一(四)一八二八)  -2

 

杜甫詳注 訳注解説

 

 

漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 訳注解説Blog11170

 

 

 

 

送高司直尋封閬州

(高司直が閬州の長官封某の部下となるのに水鬼苦役の夔州に立ち寄った時送別の宴で花を添える、この詩を披露して詠んだ。)

丹雀銜書來,暮棲何樹。

めでたい知らせを嘴にくわえて天子聖王のもとに運ぶのは丹雀のようなあなたが、この夜うらぶれてどの土地の木に宿るおつもりなのか。

驊騮事天子,辛苦在道路。

あの天子の名馬の驊騮のように陛下にお仕えしたあなたが、このような幸い旅をしておられる。

司直非冗官,荒山甚無趣。

あなたの任ぜられていた大理、司直は閑職 ではないはずだが、今、どうしてこのような風情のない荒れ山に迷いこまれたのか。

借問泛舟人,胡為入雲霧。

お尋ね するが、あなたは舟を浮かべて旅をして、なぜ雲や霧の中に入っていかれるのか。

#2

與子姻婭間,既親亦有故。

あなたと私は王族の末裔で姻戚の関係であり、親族にして旧知のあいだ柄でもある。

萬里長江邊,邂逅一相遇。

遠く西の万里のさきから流れてきて、遠く東の東海(太平洋)に流れさる長江のほとりで、思いがけず、偶然にもまたお会いした。

長卿消渴再,公幹沈綿屢。

私は司馬相知のように糖尿病がぶりかえし、建安七子の一人である劉楨のように長患いを 繰り返している。

清談慰老夫,開卷得佳句。

そのような時、あなたの高雅な談論はこの老いぼれを慰め、詩巻を開けば すばらしい詩句を目にすることができる。

 

(高司直の封閬州を尋ぬるを送る)

丹雀書をみて来たり、暮れに何れの郷の樹にか棲む。

驊騮 天子に事え、辛苦 道路に在り。

司直 は冗官に非ず、荒山 甚だ 趣無し。

借間す 舟を泛ぶるの人、胡為れぞ雲霧に入るやと。

#2

子とは姻婭の間、既に親にして亦た故有り。

万里長江の辺、避返して亦た相い遇えり

長卿 消渇 再びし、公幹 沈綿 屡しばなり。

清談 老夫を慰め、巻を開けば 佳句を得たり。

安史の乱当時の勢力図蜀中転々圖 

杜詩詳注〔四〕《送高司直尋封閬州》訳注解説

(本文)

#2

與子姻婭間,既親亦有故。

萬里長江邊,邂逅一相遇。

長卿消渴再,公幹沈綿屢。

清談慰老夫,開卷得佳句。

 

(下し文)

(高司直の封閬州を尋ぬるを送る)

#2

子とは姻婭の間、既に親にして亦た故有り。

万里長江の辺、避返して亦た相い遇えり

長卿 消渇 再びし、公幹 沈綿 屡しばなり。

清談 老夫を慰め、巻を開けば 佳句を得たり。

 

(現代語訳)

(高司直が閬州の長官封某の部下となるのに水鬼苦役の夔州に立ち寄った時送別の宴で花を添える、この詩を披露して詠んだ。)

あなたと私は王族の末裔で姻戚の関係であり、親族にして旧知のあいだ柄でもある。

遠く西の万里のさきから流れてきて、遠く東の東海(太平洋)に流れさる長江のほとりで、思いがけず、偶然にもまたお会いした。

私は司馬相知のように糖尿病がぶりかえし、建安七子の一人である劉楨のように長患いを 繰り返している。

そのような時、あなたの高雅な談論はこの老いぼれを慰め、詩巻を開けば すぼらしい詩句を目にすることができる。

 

(訳注解説)

送高司直尋封閬州

(高司直が閬州の長官封某の部下となるのに水鬼苦役の夔州に立ち寄った時送別の宴で花を添える、この詩を披露して詠んだ。)

【題意】杜詩詳注卷二一(四)一八二四、杜少陵詩集四四七。杜詩全譯〔四〕P543

制作時767年、制作地は前詩と同じ夔州。封氏を尋ねるのを送別した詩。高司直は未詳。司直は大理司直を指し、 杜佑『通典』巻二五「職官七」によれば、皇帝の命を承けて使者として派遣されて地方の官吏を尋問し、大理寺(検察庁)で疑獄事件を処理する時には評議に加わる。ただし、高司直 は閬州刺史である封氏の部下となるために赴任すると考えられることから、司直は現職ではなく前職であろう。封閬州も未詳。郁賢暗『唐刺史考全編』二八八四頁は、安史の乱以後、遠くない時期に封議が閬州刺史を務めていたと推測する。

 

#2

與子姻婭間,既親亦有故。

あなたと私は王族の末裔で姻戚の関係であり、親族にして旧知のあいだ柄でもある。

姻婭間 姻戚関係。「姻 姓」は双声語「インア」。

 

萬里長江邊,邂逅一相遇。

遠く西の万里のさきから流れてきて、遠く東の東海(太平洋)に流れさる長江のほとりで、思いがけず、偶然にもまたお会いした。

萬里長江邊 中國の大河川は西から東へ万里の距離を流れゆく。長江は最大流域面積の河川である。そのちょうど中間に夔州配置するが、唐の南の国境を流れていたので、辺境という意味になる。

邂逅 思いがけなく出あうこと。偶然の出あい。めぐりあい。「旧友と邂逅する」

 

長卿消渴再公幹沈綿屢

私は司馬相知のように糖尿病がぶりかえし、建安七子の一人である劉楨のように長患いを 繰り返している。

長卿消渴再 前漢の司馬相知 (字は長卿」) のように糖尿病がぶり返す。杜甫は糖尿病を患う自分を、しばしば同病の 司馬相知になぞらえた。

公幹沈綿屢 後漢末の劉楨(字は公幹」)のように長患いを 繰り返す。「沈綿」は長引く病で、劉楨が病臥の折に作った「五官中郡将に贈る、四首」其の二に「余れは嬰る沈痛の疾」とある。劉 楨(りゅう てい、? - 217年)は、中国後漢末に曹操に仕えた文学者。字は公幹。建安七子の一人。兗州東平国寧陽県(現在の山東省泰安市寧陽県)の人。漢の宗族の劉梁の孫[1]

 

清談慰老夫,開卷得佳句。

そのような時、あなたの高雅な談論はこの老いぼれを慰め、詩巻を開けば すぼらしい詩句を目にすることができる。

清談 ここでは、高司直との話を世俗を離れた高雅な談論としてもちあげたもの。元来、儒教思想全盛の漢代から、魏の時代になり、知識人たちは常識的な儒教道徳を超えて、主に老荘思想を題材とする幽玄な哲学的議論を交わしていた。清談とは、世俗を離れた清らかな談話、という意味である。いわゆる竹林の七賢の清談はこの代表例である。ただし、竹林の七賢の逸話にもうかがえるように、世俗を離れた老荘的談話を展開した背景には、後漢から魏、魏から晋へと興亡相次いだ乱世にあって、儒教に忠実であること、世俗に関与することが政治的な身の危険に繋がったという事情も存在する。

なお、当時において知識人とはすなわち貴族であり政治家であった。その知識人がもっぱら世俗を離れた清談に終始していたことは、西晋の滅亡の大きな要因となったといわれる。

767年-236 《 送高司直尋封閬州(卷二一(四)一八二八) -#1》 - 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 訳注解説Blog11162

 

最近 一週間の訳注解説 BLOG

/ 

李白集校注

韓昌黎集

杜詩詳注

花間集

玉臺新詠

女性関連

 

2/17

贈丹陽橫山周處士惟 #2

張中丞傳後敘 -#15

冬至

 

邱巨源_其二聽隣妓 -#1

 

 

 

2/18

雪讒詩贈友人#-0

張中丞傳後敘 -#16

柳司馬至 -#1

 

邱巨源_其二聽隣妓

 

 

 

2/19

雪讒詩贈友人 #1

張中丞傳後敘 -#17

柳司馬至-#2

 

王融_ 雜詩五首其一古意

 

 

 

2/20

雪讒詩贈友人 #2

張中丞傳後敘 -#18

 別李義 - #1

 

王融_雜詩五首〔2

 

 

 

2/21

雪讒詩贈友人 #3

張中丞傳後敘 -#19

 別李義 - #2

 

王融_雜詩五首〔3

 

 

 

2/22

雪讒詩贈友人 #4

中丞傳後敘 -#20

 別李義 - #3

 

王融_雜詩五首〔4

 

 

 

2/23

 

 

杜甫研究、詩と生涯(1)

 

 

 

 

 

2/24

 

 

杜甫研究、詩と生涯(2)

 

 

 

 

 

2/25

雪讒詩贈友人 #5

張中丞傳後敘 -#21

 別李義 - #4

 

王融_雜詩五首〔5

 

 

 

2/26

雪讒詩贈友人 #6

張中丞傳後敘 -#22

 別李義 - #5

 

謝朓_雜詩十二〔1

 

 

 

2/27

雪讒詩贈友人 #7

張中丞傳後敘 -#23

 別李義 - #6

 

謝朓雜詩十二〔2

 

 

 

2/28

雪讒詩贈友人 #8

張中丞傳後敘 -#24

 別李義 - #7

 

謝朓雜詩十二〔3

 

 

 

2/29

雪讒詩贈友人 #9

張中丞傳後敘 -#25

 送高司直尋封閬州 #1

 

謝朓雜詩十二〔4

 

 

 

3/1

 

 

杜甫研究、詩と生涯(3)

 

 

 

 

 

3/2

留別金陵諸公#1

張中丞傳後敘 -#26

 送高司直尋封閬州 #2

 

謝朓雜詩十二〔5

 

 

 

3/3

留別金陵諸公#2

張中丞傳後敘 -#27

 送高司直尋封閬州#3

 

6詠邯鄲故才人嫁為厮養

 

 

 

3/4

留別金陵諸公#3

張中丞傳後敘 -#28

 可歎 #1

 

7秋夜

 

 

 

767-236  送高司直尋封閬州(卷二一(四)一八二八) -1 - 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 訳注解説Blog11162 

 


 

767-236

 

 

 送高司直尋封?州(卷二一(四)一八二八)  -1

 

杜甫詳注 訳注解説

 

 

漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 訳注解説Blog11162

 

 


 

1214        送高司直尋封閬州(卷二一(四)一八二八)

                  丹雀銜書來,暮棲何樹。驊騮事天子,辛苦在道路。司直非冗官,荒山甚無趣

                  借問泛舟人,胡為入雲霧。與子姻婭間,既親亦有故。萬里長江邊,邂逅亦相遇。

                  長卿消渴再,公幹沉綿屢。時見文章士,欣然談(一作澹)情素。伏枕聞別離,

                  疇能忍漂寓。良會苦短促,溪行水奔注。熊羆咆空林,遊子慎馳騖。西謁巴中侯,

                  艱險(一作難)如跬步。主人不世才,先帝常特顧。拔為天軍佐,崇大王法度。

                  淮海生清風,南翁尚思慕。公宮造廣廈,木石乃無數。初文伐松柏,猶臥天一柱。

                  我病(一作瘦)書不成,成字讀(一作字)亦誤。為我問故人,勞心練征戍。

 

 

年:       大曆二年

寫作時間:           767

寫作年紀:           56

卷別:    卷二二二              文體:    五言古詩

詩題:    送高司直尋封閬州

詩序:   

寫作地點:           夔州(山南東道 / 夔州 / 夔州)

寫及地點:          

閬州 (山南西道 閬州 閬州) 別名:閬、巴城             

交遊人物/地點:  

高司直              當地交遊(山南東道 夔州 夔州)

封閬州              詩文提及(山南西道 閬州 閬州)

 

 

 

送高司直尋封閬州

丹雀銜書來,暮棲何樹。

驊騮事天子,辛苦在道路。

司直非冗官,荒山甚無趣。

借問泛舟人,胡為入雲霧。

#2

與子姻婭間,既親亦有故。

萬里長江邊,邂逅一相遇。

長卿消渴再,公幹沈綿屢。

清談慰老夫,開卷得佳句。

#3

時見文章士,欣然澹情素。

伏枕聞別離,疇能忍漂寓。

良會苦短促,溪行水奔注。

熊羆咆空林,遊子慎馳騖。

#4

西謁巴中侯,艱險如跬步。

主人不世才,先帝常特顧。

拔為天軍佐,崇大王法度。

淮海生清風,南翁尚思慕。

#5

公宮造廣廈,木石乃無數。

初聞伐松柏,猶臥天一柱。

我瘦書不成,成字讀亦誤。

為我問故人,勞心練征戍。

 

詩文(含異文)     丹雀銜書來,暮棲何樹。驊騮事天子,辛苦在道路。司直非冗官,荒山甚無趣。借問泛舟人,胡為入雲霧。與子姻婭間,既親亦有故。萬里長江邊,邂逅一相遇。長卿消渴再,公幹沈綿屢。清談慰老夫,開卷得佳句。時見文章士,欣然澹情素【欣然談情素】。伏枕聞別離,疇能忍漂寓。良會苦短促,溪行水奔注。熊羆咆空林,遊子慎馳騖。西謁巴中侯,艱險如跬步。主人不世才,先帝常特顧。拔為天軍佐,崇大王法度。淮海生清風,南翁尚思慕。公宮造廣廈,木石乃無數。初聞伐松柏,猶臥天一柱。我瘦書不成【我病書不成】,成字讀亦誤【成字字亦誤】。為我問故人,勞心練征戍。

 

 

  送高司直尋封閬州鶴注此當是大歴二年/ 司直大理寺官後魏永

  安二年置司直十人唐制/六人寺有疑讞則參議之

丹雀銜書來暮棲何樹驊騮事天子辛苦在道路

直非冗官荒山甚無趣借問泛舟人胡為入雲霧首叙/司直

入蜀之上四比興下四賦詞王趙曰高通籍事主故比/丹雀 於文王驊騮之於穆 荒山雲霧非司直所

宜經故惜而問之於周禮疏中候我應云季秋甲子赤/雀銜丹書入豐止 昌戸昌拜稽首受其文遁甲赤雀

不見則國無賢注赤雀主銜書陽精也令周穆王駕八/駿之乗右服驊騮 通鑑和帝以尚書 黄香為東郡

 

太守香辭以典郡從/政才非所宜乞冗官與子姻婭間既親亦有故萬里長

江邊邂逅亦相遇長丁丈/卿消渴再公幹沉綿屢/

談慰老夫開巻得佳句此叙相遇交情亦得其清談佳/句雖消病沉綿 可頓蘇矣

𤨏𤨏姻婭身有故謂故交祗劉公幹詩余/嬰沉痼疾竄 清漳濵 箴清談輟響時見文章

士欣然談一作/情素伏枕聞離疇能忍漂寓良

短促溪行水奔注熊羆咆空林遊子慎馳騖西謁巴中

侯艱險一作/如跬步此為司直惜阻清談屬高談情/屬公 水行恐 奔注陸行恐遇

 

熊羆特以巴侯舊契故視艱險如跬步耳遊蔡澤傳公/孫鞅之事孝公披腹心示情素 曹植節 賦步北林

而馳騖無巴中侯指封閬州曰越/絶書曽 跬步之勞按半步 主人不世才先帝常

特顧拔為天軍佐崇大王法度淮海生清風南翁尚思

慕公造廣厦木石乃無數初聞伐松柏猶卧天一

此稱閬州之賢須封初為宿衛官又嘗仕於淮海乃歴/來宦迹且廣厦 梁棟之材乃採松柏而舍天柱惜其

未得大用也度漢天文志虚危南有衆星曰羽林天軍/ 言王朝法 能尊崇而擴大之朱穆崇厚論天不崇

大則覆情不廣其詩穆如清風新趙曰凡官府貴處謂/之公左傳搆 桓譚 論雍門周謂孟嘗君

 

曰足下居則廣厦高堂連闥洞房天神/異經崑崙有銅柱其高入天謂之 我病一作/書不

成成字讀一作/亦誤為/我問故人勞心練征戍末以/寄語

 

聞州作結務病不成書應前消渴沉綿練兵征戍乃當/時守土急 此章前二段各八句中二段各十句末

段四/句収

 

 

送高司直尋封閬州

(高司直が閬州の長官封某の部下となるのに水鬼苦役の夔州に立ち寄った時送別の宴で花を添える、この詩を披露して詠んだ。)

丹雀銜書來,暮棲何樹。

めでたい知らせを嘴にくわえて天子聖王のもとに運ぶのは丹雀のようなあなたが、この夜うらぶれてどの土地の木に宿るおつもりなのか。

驊騮事天子,辛苦在道路。

あの天子の名馬の驊騮のように陛下にお仕えしたあなたが、このような幸い旅をしておられる。

司直非冗官,荒山甚無趣。

あなたの任ぜられていた大理、司直は閑職 ではないはずだが、今、どうしてこのような風情のない荒れ山に迷いこまれたのか。

借問泛舟人,胡為入雲霧。

お尋ね するが、あなたは舟を浮かべて旅をして、なぜ雲や霧の中に入っていかれるのか。

#2

與子姻婭間,既親亦有故。

萬里長江邊,邂逅一相遇。

長卿消渴再,公幹沈綿屢。

清談慰老夫,開卷得佳句。

 

(高司直の封閬州を尋ぬるを送る)

丹雀書をみて来たり、暮れに何れの郷の樹にか棲む。

驊騮 天子に事え、辛苦 道路に在り。

司直 は冗官に非ず、荒山 甚だ 趣無し。

借間す 舟を泛ぶるの人、胡為れぞ雲霧に入るやと。

子とは姻婭の間、既に親にして亦た故有り。

万里長江の辺、避返して亦た相い遇えり

長卿 消渇 再びし、公幹 沈綿 屡しばなり。

清談 老夫を慰め、巻を開けば 佳句を得たり。

 

杜詩詳注〔四〕《送高司直尋封閬州》訳注解説

(本文)

#1

送高司直尋封閬州

丹雀銜書來,暮棲何樹。

驊騮事天子,辛苦在道路。

司直非冗官,荒山甚無趣。

借問泛舟人,胡為入雲霧。

 

(下し文)

(高司直の封閬州を尋ぬるを送る)

丹雀書をみて来たり、暮れに何れの郷の樹にか棲む。

驊騮 天子に事え、辛苦 道路に在り。

司直 は冗官に非ず、荒山 甚だ 趣無し。

借間す 舟を泛ぶるの人、胡為れぞ雲霧に入るやと。

 

(現代語訳)

(高司直が閬州の長官封某の部下となるのに水鬼苦役の夔州に立ち寄った時送別の宴で花を添える、この詩を披露して詠んだ。)

めでたい知らせを嘴にくわえて天子聖王のもとに運ぶのは丹雀のようなあなたが、この夜うらぶれてどの土地の木に宿るおつもりなのか。

あの天子の名馬の驊騮のように陛下にお仕えしたあなたが、このような幸い旅をしておられる。

あなたの任ぜられていた大理、司直は閑職 ではないはずだが、今、どうしてこのような風情のない荒れ山に迷いこまれたのか。

お尋ね するが、あなたは舟を浮かべて旅をして、なぜ雲や霧の中に入っていかれるのか。

 

(訳注解説)

送高司直尋封閬州

(高司直が閬州の長官封某の部下となるのに水鬼苦役の夔州に立ち寄った時送別の宴で花を添える、この詩を披露して詠んだ。)

【題意】杜詩詳注卷二一(四)一八二四、杜少陵詩集四四七。杜詩全譯〔四〕P543

制作時767年、制作地は前詩と同じ夔州。封氏を尋ねるのを送別した詩。高司直は未詳。司直は大理司直を指し、 杜佑『通典』巻二五「職官七」によれば、皇帝の命を承けて使者として派遣されて地方の官吏を尋問し、大理寺(検察庁)で疑獄事件を処理する時には評議に加わる。ただし、高司直 は閬州刺史である封氏の部下となるために赴任すると考えられることから、司直は現職ではなく前職であろう。封閬州も未詳。郁賢暗『唐刺史考全編』二八八四頁は、安史の乱以後、遠くない時期に封議が閬州刺史を務めていたと推測する。

 

丹雀銜書來,暮棲何樹。

めでたい知らせを嘴にくわえて天子聖王のもとに運ぶのは丹雀のようなあなたが、この夜うらぶれてどの土地の木に宿るおつもりなのか。

丹雀銜書來 赤い雀が丹書(瑞書)を口にくわえてくる。丹雀は、周の文王 に天命が授けられた時に使者として飛来したという鳥。『呂氏春秋』巻一三「名類」などに見える。ここでは瑞書を王者(都の帝王) に届けるべき丹雀が、王者から遠く離れた斐州に飛んできたことを述べて、 高司直が左遷されたことをいう。

 

 

驊騮事天子,辛苦在道路。

あの天子の名馬の驊騮のように陛下にお仕えしたあなたが、このような幸い旅をしておられる。

驊騮事天子 西周の穆王の八頭の駿馬の一匹である驊騮が天子に仕 える。ここでも、「驊騮」のように帝王のそば近くに仕えるべき高司直が辛苦の旅をすることを述べ て、高司直の左遷を寓意する。

 

司直非冗官,荒山甚無趣。

あなたの任ぜられていた大理、司直は閑職 ではないはずだが、今、どうしてこのような風情のない荒れ山に迷いこまれたのか。

冗官 無駄な官職。閑職。

借間 ちょっと尋ねる。

 

借問泛舟人,胡為入雲霧。

お尋ね するが、あなたは舟を浮かべて旅をして、なぜ雲や霧の中に入っていかれるのか。

人雲霧 雲や 霧が立ちこめる陰気な世界に入る。高司直が逆境にあることを暗に示す。

767年-235 《 別李義(卷二一(四)一八二五) -#6》 - 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 訳注解説Blog11146

767-235  別李義(卷二一(四)一八二五) -#6》 - 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 訳注解説Blog11146

 

 

767-235

 

 

 別李義(卷二一(四)一八二五)  -#6

 

 

杜甫詳注 訳注解説

 

 

漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 訳注解説Blog11146

 

 

 

 

別李義

杜甫の縁戚で、唐王朝の宗室でもある李義を送別するにあたり、彼とその父の李錬の人物を歌い、成都へ赴く李義へ忠告して詠う。

神堯十八子,十七王其門。

唐の高祖、神尭皇帝の22人いた皇子で4人を除いた18人の皇子のうち、17人が王に封じられた。

道國洎舒國,督唯親弟昆。

そのうち、道王 と舒王はほんとうに同腹の兄弟であるとみられている。

中外貴賤殊,余亦忝諸孫。

そして、あなたは直系で私は外孫、身分の貴賤は異なるのであるけれど、 私にとっては、また恐れ多いことながら子孫の列に列なっている事に違いはないのである。

丈人嗣三葉,之子白玉溫。

あなたの父上は道王三代を嗣いでおられ、あなたも白玉のように温厚でいらっしゃる。』

#2

道國繼德業,請從丈人論。

道王は代々、徳行と功業を継承しておられたあなたの先代の父上のことから申し上げさせていただこう。

丈人領宗卿,肅穆古制敦。

父上は宗 正卿に領じられ、宗室の威厳を備えながらも穏やかな態度は、古代の制度が持つ誠実さに裏打ちされておられた。

先朝納諫諍,直氣橫乾坤。

玄宗皇帝の開元の治と称えられた善政で唐の絶頂期を迎えた御代では、諌言も受け入れられ、父上の正しい精神は天地の隅々まで溢れていたのである。

子建文筆壯,河間經術存。

そして、 陳思王曹植のように詩文はすばらしく、河間王劉徳のように儒学を修めておられた。』

#3

爾克富詩禮,骨清慮不喧。

あなたもまた『詩経』や「三礼」など儒学への造詣を充分に深められてお り、高潔な資質を備えて心は落ち着いておられる。

洗然遇知己,談論淮湖奔。

こうして知己であるあなたにお会いして みれば物事にとらわれず気品に富み、その談論は雄弁で准河や太湖の水が滑々と流れるよう だ。

憶昔初見時,小襦繡芳蓀。

思えば昔、初めてお会いした時、装いは、短い上着に香草を刺繍されていて洗練されていた。

長成忽會面,慰我久疾魂。

今、成長されたお姿を突然拝見すると、私の長く病んでいた心が慰められる思いになるのです。

#4

三峽春冬交,江山雲霧昏。

三峡下りの入り口に位置する夔州は冬と春の季節の変わり目というものであり、この地の雨雲霧は古来より、男女の情の物語があり長江や山には雲や霧が出て暗い。

正宜且聚集,恨此當離尊。

せっかくここで出会い集まって酒宴をご一緒にしているのですから、 もうしばらくともに時を過ごしたいのでありますが、今、別れの宴の酒樽を前にしなければならないのが恨めしく思うのです。

莫怪執杯遲,我衰涕唾煩。

したがって杯を手に取るのがゆっくりだというのを不審に思わないでいただきたい、というのも、この私、老いぼれてしまい、涙と唾がだらしなく溢れ出る次第なのです。

重問子何之,西上岷江源。

あなたはどちらに向かわれるのかと改めてまた問えば、西に向かって眠江の源へ遡ることなのでしょう。』

 

#5

願子少干謁,蜀都足戎軒。

だからといって出世の糸口を求めて節度使など実力者に面会するなどというのは、お控えなされるほうがよいでしょう。蜀の都であった成都には、戦車、軍人が多いことがわかるので心配します。

誤失將帥意,不如親故恩。

あなたが誤って将帥、将軍のご機嫌を損なえば、彼らは親戚や旧友の間のような恩愛でもって接することなど全くなく、どんな危害を加えるかわからないのである。

少年早歸來,梅花已飛翻。

お若いあなたは早く長安に戻りましょう、時が過ぎ去って、梅の花はすでに散り、風に舞い飛んでいるのでしょう。

努力慎風水,豈惟數盤飧。

異郷の気候や水もよくよく気を付け、慎重になされることがよいし、他人からたびたび御馳走されるような接待をご遠慮されるのがよいでしょう。

#6

猛虎臥在岸,蛟螭出無痕。

猛々しい虎は岸辺に伏せており、龍やみずちは、前触れもなく飛び出してくるというのも、長安の官僚生活で経験したことである。

王子自愛惜,老夫困石根。

王子よ、御自愛なされよ。この老いぼれは岩山の麓に隠遁して困窮している。

生別古所嗟,發聲為爾吞。

生きながらの別れの嘆きは昔からのこと、 私も泣き声が出そうなのだが、あなたが悲しむといけないのでそれを呑んでこらえているのだ。

 

 

(李義に別る)

神堯の十八子,十七 其の門を王とす。

道國 洎【およ】び舒國,唯し親弟昆と督す。

中外 貴賤 殊なるも,余 亦た諸孫なるを忝くする。

丈人 嗣ぐこと 三葉,之の子 白玉のごとく溫かなり。

#2

道國 德業を繼ぎて,丈人より論ぜんことを請う。

丈人 宗卿を領し,肅穆にして 古制 敦し。

先朝 諫諍を納れ,直氣 乾坤に橫わる。

子建のごとく 文筆 壯に,河間のごとく 經術 存す。

#3

爾 克く詩禮に富む,骨 清くして慮 喧しからず。

洗然 知己に遇えば,談論 淮湖に奔る。

憶う昔 初めて 見し時,小襦 芳蓀を繡す。

長成 忽ち會面す,我が久疾の魂を慰む。

#4

三峽 春冬の交,江山 雲霧 昏し。

正に宜く且く聚集すべきも,恨むらくは此こに離尊に當るを。

怪しむ莫れ 杯を執ることの遲きを,我れ衰えて涕唾 煩し。

重ねて子に何こに之くかと問えば,西のかた岷江の源に上ると。

#5

願わくば 子 干謁を少くせよ,蜀都に 戎軒 足る。

誤りて 將帥の意を失わば,親故の恩も 知らず。

少年 早く歸り來たれ,梅花 已に飛翻す。

努力して 風水を慎め,豈に惟だに 盤飧を數するのみならんや。

#6

猛虎は 臥して岸に在り,蛟螭は 出でて痕無し。

王子 自ら愛惜せよ,老夫 石根に困む。

生別は 古えより 嗟く所,聲を發せんしてと爾が為に吞む。

瞿塘峡・白帝城・魚復 

 

杜詩詳注 卷二一(四)一八二五 《別李義》 現代語訳 訳注解説

(本文)

別李義(卷二一(四)一八二五)  767

#6

猛虎臥在岸,蛟螭出無痕。

王子自愛惜,老夫困石根。

生別古所嗟,發聲為爾吞。

 

(下し文)

(李義に別る)

#6

猛虎は 臥して岸に在り,蛟螭は 出でて痕無し。

王子 自ら愛惜せよ,老夫 石根に困む。

生別は 古えより 嗟く所,聲を發せんしてと爾が為に吞む。

 

(現代語訳)

杜甫の縁戚で、唐王朝の宗室でもある李義を送別するにあたり、彼とその父の李錬の人物を歌い、成都へ赴く李義へ忠告して詠う。

猛々しい虎は岸辺に伏せており、龍やみずちは、前触れもなく飛び出してくるというのも、長安の官僚生活で経験したことである。

王子よ、御自愛なされよ。この老いぼれは岩山の麓に隠遁して困窮している。

生きながらの別れの嘆きは昔からのこと、 私も泣き声が出そうなのだが、あなたが悲しむといけないのでそれを呑んでこらえているのだ。

 

 

(訳注解説)

別李義

杜甫の縁戚で、唐王朝の宗室でもある李義を送別するにあたり、彼とその父の李錬の人物を歌い、成都へ赴く李義へ忠告して詠う。

【題意】杜詩詳注卷二一(四)一八二四、杜少陵詩集四四二。杜詩全譯〔四〕P537

制作時767年、制作地は前詩と同じ夔州。杜甫の縁戚で、唐王朝の宗室でもある李義を送別するにあたり、彼とその父の李錬の人物を歌い、成都へ赴く李義へ忠告する。李義は膚の高 祖・李淵の第一六子である道士李元慶の玄孫(『新唐音』巻七〇下「宗室世系表下」)。

 

#6

猛虎臥在岸,蛟螭出無痕。

猛々しい虎は岸辺に伏せており、龍やみずちは、前触れもなく飛び出してくるというのも、長安の官僚生活で経験したことである。

蛟螭 みずちと龍。 猛虎とともに異郷の危険な自然をいう。詳注に邪悪な勢力の比喩とある。杜甫は、粛宗の張皇后、、宦官、賀蘭進明、第五琦一派に。朝廷で苛め抜かれ、左遷された経験の語である。

 

王子自愛惜,老夫困石根。

王子よ、御自愛なされよ。この老いぼれは岩山の麓に隠遁して困窮している。

王子 道王の子孫である李義。

石根 岩石の基底部。岩山の慕。ここでは岩山の谷間にある夔州をいう。

 

生別古所嗟,發聲為爾吞

生きながらの別れの嘆きは昔からのこと、 私も泣き声が出そうなのだが、あなたが悲しむといけないのでそれを呑んでこらえているのだ。

發聲為爾吞 声が出そうになるが、あなたのためにそれをこらえる。「呑声」は声をのむ、泣き声をあげるのを こらえる。「爾」李羲のこと。

 

 

 

杜詩詳注

  别李義

  此當是大歴二年冬作。 祭盧注:李義、李鍊之子。鍊在明皇朝、曽遣 沂山東安公。

  乃宗室之賢、義能繼美。

 

神堯十八子、十七王其門。道國洎一作及舒國、實一作督維親弟昆。

中外貴賤殊、余亦忝諸孫。丈人嗣三葉、一作玉業之子白玉温。從世系親誼叙起。 

朱注:義與公為中表戚、故云:「中外貴賤殊」 趙曰:「丈人、指義之父鍊;之子則指李義也。

詳味詩意、李義者、道國之裔孫、而公/則舒國後裔之外孫也。 從義之父、上遡至道王為三世、

故曰:「嗣三葉」

1.    《通鑑》:天寶十三載二月、上高祖謚曰神堯大聖光孝皇帝。 鮑曰、高祖二十二子衛懷王𤣥

霸楚哀王智雲皆先薨太子建成巢王元吉以事誅詔/除籍故止言十八子太宗有天下止十七子封王

2.    《唐書》:道王元慶高祖第十六子舒王元明第十八子。

3.    潘岳《誄楊綏》: 藉三葉世親之恩。

4.    《詩》: 温其如玉。

 

道國繼徳業、請從丈人論。/丈人領宗卿、肅睦一作/古制敦。

先朝/納諫諍、直氣横乾坤。子建文章一作/壯、河間經術存。

此申丈人嗣三葉兼舉其忠義文學。

1.    《唐書》: 宗正寺卿一人、從三品。掌天子族親屬籍。以辨昭穆。

2.    肅睦、敬而和也。

3.    曹子建、河間王、注各見前。

 

一作温克富詩禮、骨清慮不喧。洗蘇亥/然遇知巳、談諭淮湖一作/奔。

憶昔初見時、小襦一作/繡芳蓀。長丁丈/成忽面、慰我久疾魂。

 此申之子/白玉温備述其人品交情蜂

1.    潘岳詩: 吾子洗然。恬淡自逸。

2.    洙曰:淮湖奔言談論 起如奔濤之不可涯涘

3.    鶴曰:百姓歌范云昔無襦今五袴則襦下於袴也。《急就篇》注:短衣曰襦自膝以上古詞妾有繡腰襦

自生光 謝靈運詩挹/露馥芳蓀

 

三峽春冬交、江山雲霧昏。正宜且聚集、恨此當離樽。

莫怪執盃遲、我衰涕唾煩。重/問子何之、西上/岷江源。

此叙江餞之意。 

1.     趙曰:舉杯遲、以涕唾之煩故也。

2.     《解嘲》涕 流沫。

3.     《孟子》先生將何之

4.     江居下流、故赴 蜀為西上。

 

願子少干謁、蜀都足戎軒。誤失將/帥意、不知一作/親故恩。、

/年早歸來,梅花已飛翻。努力慎風水,豈惟數所角/盤飧。

 

猛虎卧在岸、蛟螭出無痕。

王子自愛惜、老夫困石根。生古所嗟、發聲為/爾吞。

末致臨戒勉之辭反人情既不足恃而物害又復可/危公於知交誼切故 覆丁寧至此 此章前四段各

八句末一段十四句

1.《魏志・鍾繇傳》: 當厄/於水、努力慎之。

2.洙曰: 吞聲、聲出而 復吞也。

 王嗣奭曰: 當時戎軒多武夫、公所甚畏、詩每及之。 此云: 「誤失將帥意、不知親故恩。」

又云: 「努力慎風水、豈惟數盤餐。」

 一飯跡便掃、世情大抵然也、故以頻過人飯/為戒、皆忠谷之語、 李少年、涉世尚淺、故致其惓惓、

 公之篤於親/誼如此。

 王道俊《博議》曰:《舊書》道玉元慶、麟徳元年薨。 子臨淮/王誘嗣。 次子詢。詢子微、神龍初、

封為嗣道王。景雲元年、官宗正卿、卒。 子鍊、開元二十五年、襲封嗣道王、廣/徳中、官宗正卿。

《新書・宗室世系表》於道孝王元慶之下、首書嗣王誘、次書嗣王宗正卿嗣王宗正卿鍊、

/嗣王京兆尹實。

《困學紀聞》云:「義葢之子。」以予考之。不然。 義乃鍊之諸子、而實之弟耳。 

 詩云:「丈人嗣三葉。」 丈人謂鍊、自誘至鍊為嗣道王者三世。 故曰「嗣三葉」也。

 又云:「丈人領宗卿、肅穆古制敦。 先朝納諫諍、直氣/横乾坤。」 按《舊志》: 天寶十載正月、

遣太子率更令嗣道王鍊、祭沂山東安公、則鍊在𤣥宗時、巳任使、所云「先朝納鍊諍」者、葢𤣥宗也。

 又云: 「憶昔初見時、小襦繡芳蓀。長成忽面、慰我久客魂」、與、「少年早歸來、梅花已飛翻・」

 「王子自愛惜、老夫困石根」等語、皆前輩諄勉之詞。 葢公天寶中、曽見義於京師、年尚少、今來巫峽、

 將入蜀干謁、故以猛虎蛟螭戒之。

 若令義為子、則卒於景雲中、去大歴二年且五十六七載、義之齒當長於公、

安得目為少年而自居老夫乎、由此言之則義為鍊之諸子審矣。

 夔州東川卜居図詳細 002夔州三峡

続きを読む

767年-235 《 別李義(卷二一(四)一八二五) -#5》 - 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 訳注解説Blog11138

 

最近 一週間の訳注解説 BLOG

/ 

李白集校注

韓昌黎集

杜詩詳注

花間集

玉臺新詠

女性関連

 

2/17

贈丹陽橫山周處士惟 #2

張中丞傳後敘 -#15

冬至

 

邱巨源_其二聽隣妓 -#1

 

 

 

2/18

雪讒詩贈友人#-0

張中丞傳後敘 -#16

柳司馬至 -#1

 

邱巨源_其二聽隣妓

 

 

 

2/19

雪讒詩贈友人 #1

張中丞傳後敘 -#17

柳司馬至-#2

 

王融_ 雜詩五首其一古意

 

 

 

2/20

雪讒詩贈友人 #2

張中丞傳後敘 -#18

 別李義 - #1

 

王融_雜詩五首〔2

 

 

 

2/21

雪讒詩贈友人 #3

張中丞傳後敘 -#19

 別李義 - #2

 

王融_雜詩五首〔3

 

 

 

2/22

雪讒詩贈友人 #4

中丞傳後敘 -#20

 別李義 - #3

 

王融_雜詩五首〔4

 

 

 

2/23

 

 

杜甫研究、詩と生涯(1)

 

 

 

 

 

2/24

 

 

杜甫研究、詩と生涯(2)

 

 

 

 

 

2/25

雪讒詩贈友人 #5

張中丞傳後敘 -#21

 別李義 - #4

 

王融_雜詩五首〔5

 

 

 

2/26

雪讒詩贈友人 #6

張中丞傳後敘 -#22

 別李義 - #5

 

謝朓_雜詩十二〔1

 

 

 

2/27

雪讒詩贈友人 #7

張中丞傳後敘 -#23

 別李義 - #6

 

謝朓雜詩十二〔2

 

 

 

2/28

雪讒詩贈友人 #8

張中丞傳後敘 -#24

 別李義 - #7

 

謝朓雜詩十二〔3

 

 

 

2/29

雪讒詩贈友人 #9

張中丞傳後敘 -#25

 送高司直尋封閬州 #1

 

謝朓雜詩十二〔4

 

 

 

3/1

 

 

杜甫研究、詩と生涯(3)

 

 

 

 

 

3/2

留別金陵諸公#1

張中丞傳後敘 -#26

 送高司直尋封閬州 #2

 

謝朓雜詩十二〔5

 

 

 

3/3

留別金陵諸公#2

張中丞傳後敘 -#27

 送高司直尋封閬州#3

 

6詠邯鄲故才人嫁為厮養

 

 

 

3/4

留別金陵諸公#3

張中丞傳後敘 -#28

 可歎 #1

 

7秋夜

 

 

 

767-235  別李義(卷二一(四)一八二五) -#5》 - 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 訳注解説Blog11138

 

 

767-235

 

 

 別李義(卷二一(四)一八二五)  -#5

 

 

杜甫詳注 訳注解説

 

 

漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 訳注解説Blog11138

 

 

 

 

別李義

杜甫の縁戚で、唐王朝の宗室でもある李義を送別するにあたり、彼とその父の李錬の人物を歌い、成都へ赴く李義へ忠告して詠う。

神堯十八子,十七王其門。

唐の高祖、神尭皇帝の22人いた皇子で4人を除いた18人の皇子のうち、17人が王に封じられた。

道國洎舒國,督唯親弟昆。

そのうち、道王 と舒王はほんとうに同腹の兄弟であるとみられている。

中外貴賤殊,余亦忝諸孫。

そして、あなたは直系で私は外孫、身分の貴賤は異なるのであるけれど、 私にとっては、また恐れ多いことながら子孫の列に列なっている事に違いはないのである。

丈人嗣三葉,之子白玉溫。

あなたの父上は道王三代を嗣いでおられ、あなたも白玉のように温厚でいらっしゃる。』

#2

道國繼德業,請從丈人論。

道王は代々、徳行と功業を継承しておられたあなたの先代の父上のことから申し上げさせていただこう。

丈人領宗卿,肅穆古制敦。

父上は宗 正卿に領じられ、宗室の威厳を備えながらも穏やかな態度は、古代の制度が持つ誠実さに裏打ちされておられた。

先朝納諫諍,直氣橫乾坤。

玄宗皇帝の開元の治と称えられた善政で唐の絶頂期を迎えた御代では、諌言も受け入れられ、父上の正しい精神は天地の隅々まで溢れていたのである。

子建文筆壯,河間經術存。

そして、 陳思王曹植のように詩文はすばらしく、河間王劉徳のように儒学を修めておられた。』

#3

爾克富詩禮,骨清慮不喧。

あなたもまた『詩経』や「三礼」など儒学への造詣を充分に深められてお り、高潔な資質を備えて心は落ち着いておられる。

洗然遇知己,談論淮湖奔。

こうして知己であるあなたにお会いして みれば物事にとらわれず気品に富み、その談論は雄弁で准河や太湖の水が滑々と流れるよう だ。

憶昔初見時,小襦繡芳蓀。

思えば昔、初めてお会いした時、装いは、短い上着に香草を刺繍されていて洗練されていた。

長成忽會面,慰我久疾魂。

今、成長されたお姿を突然拝見すると、私の長く病んでいた心が慰められる思いになるのです。

#4

三峽春冬交,江山雲霧昏。

三峡下りの入り口に位置する夔州は冬と春の季節の変わり目というものであり、この地の雨雲霧は古来より、男女の情の物語があり長江や山には雲や霧が出て暗い。

正宜且聚集,恨此當離尊。

せっかくここで出会い集まって酒宴をご一緒にしているのですから、 もうしばらくともに時を過ごしたいのでありますが、今、別れの宴の酒樽を前にしなければならないのが恨めしく思うのです。

莫怪執杯遲,我衰涕唾煩。

したがって杯を手に取るのがゆっくりだというのを不審に思わないでいただきたい、というのも、この私、老いぼれてしまい、涙と唾がだらしなく溢れ出る次第なのです。

重問子何之,西上岷江源。

あなたはどちらに向かわれるのかと改めてまた問えば、西に向かって眠江の源へ遡ることなのでしょう。』

 

#5

願子少干謁,蜀都足戎軒。

だからといって出世の糸口を求めて節度使など実力者に面会するなどというのは、お控えなされるほうがよいでしょう。蜀の都であった成都には、戦車、軍人が多いことがわかるので心配します。

誤失將帥意,不如親故恩。

あなたが誤って将帥、将軍のご機嫌を損なえば、彼らは親戚や旧友の間のような恩愛でもって接することなど全くなく、どんな危害を加えるかわからないのである。

少年早歸來,梅花已飛翻。

お若いあなたは早く長安に戻りましょう、時が過ぎ去って、梅の花はすでに散り、風に舞い飛んでいるのでしょう。

努力慎風水,豈惟數盤飧。

異郷の気候や水もよくよく気を付け、慎重になされることがよいし、他人からたびたび御馳走されるような接待をご遠慮されるのがよいでしょう。

#6

猛虎臥在岸,蛟螭出無痕。王子自愛惜,老夫困石根。

生別古所嗟,發聲為爾吞。

 

 

(李義に別る)

神堯の十八子,十七 其の門を王とす。

道國 洎【およ】び舒國,唯し親弟昆と督す。

中外 貴賤 殊なるも,余 亦た諸孫なるを忝くする。

丈人 嗣ぐこと 三葉,之の子 白玉のごとく溫かなり。

#2

道國 德業を繼ぎて,丈人より論ぜんことを請う。

丈人 宗卿を領し,肅穆にして 古制 敦し。

先朝 諫諍を納れ,直氣 乾坤に橫わる。

子建のごとく 文筆 壯に,河間のごとく 經術 存す。

#3

爾 克く詩禮に富む,骨 清くして慮 喧しからず。

洗然 知己に遇えば,談論 淮湖に奔る。

憶う昔 初めて 見し時,小襦 芳蓀を繡す。

長成 忽ち會面す,我が久疾の魂を慰む。

#4

三峽 春冬の交,江山 雲霧 昏し。

正に宜く且く聚集すべきも,恨むらくは此こに離尊に當るを。

怪しむ莫れ 杯を執ることの遲きを,我れ衰えて涕唾 煩し。

重ねて子に何こに之くかと問えば,西のかた岷江の源に上ると。

#5

願わくば 子 干謁を少くせよ,蜀都に 戎軒 足る。

誤りて 將帥の意を失わば,親故の恩も 知らず。

少年 早く歸り來たれ,梅花 已に飛翻す。

努力して 風水を慎め,豈に惟だに 盤飧を數するのみならんや。

#6

猛虎は 臥して岸に在り,蛟螭は 出でて痕無し。

王子 自ら愛惜せよ,老夫 石根に困む。

生別は 古えより 嗟く所,聲を發せんしてと爾が為に吞む。

 

 

杜詩詳注 卷二一(四)一八二五 《別李義》 現代語訳 訳注解説

(本文)

別李義(卷二一(四)一八二五)  767

#5

願子少干謁,蜀都足戎軒。

誤失將帥意,不如親故恩。

少年早歸來,梅花已飛翻。

努力慎風水,豈惟數盤飧。

 

(下し文)

(李義に別る)

#5

願わくば 子 干謁を少くせよ,蜀都に 戎軒 足る。

誤りて 將帥の意を失わば,親故の恩も 知らず。

少年 早く歸り來たれ,梅花 已に飛翻す。

努力して 風水を慎め,豈に惟だに 盤飧を數するのみならんや。

 

(現代語訳)

杜甫の縁戚で、唐王朝の宗室でもある李義を送別するにあたり、彼とその父の李錬の人物を歌い、成都へ赴く李義へ忠告して詠う。

#

だからといって出世の糸口を求めて節度使など実力者に面会するなどというのは、お控えなされるほうがよいでしょう。蜀の都であった成都には、戦車、軍人が多いことがわかるので心配します。

あなたが誤って将帥、将軍のご機嫌を損なえば、彼らは親戚や旧友の間のような恩愛でもって接することなど全くなく、どんな危害を加えるかわからないのである。

お若いあなたは早く長安に戻りましょう、時が過ぎ去って、梅の花はすでに散り、風に舞い飛んでいるのでしょう。

異郷の気候や水もよくよく気を付け、慎重になされることがよいし、他人からたびたび御馳走されるような接待をご遠慮されるのがよいでしょう。

 

(訳注解説)

別李義

杜甫の縁戚で、唐王朝の宗室でもある李義を送別するにあたり、彼とその父の李錬の人物を歌い、成都へ赴く李義へ忠告して詠う。

【題意】杜詩詳注卷二一(四)一八二四、杜少陵詩集四四二。杜詩全譯〔四〕P537

制作時767年、制作地は前詩と同じ夔州。杜甫の縁戚で、唐王朝の宗室でもある李義を送別するにあたり、彼とその父の李錬の人物を歌い、成都へ赴く李義へ忠告する。李義は膚の高 祖・李淵の第一六子である道士李元慶の玄孫(『新唐音』巻七〇下「宗室世系表下」)。

 

#5

願子少干謁,蜀都足戎軒。

だからといって出世の糸口を求めて節度使など実力者に面会するなどというのは、お控えなされるほうがよいでしょう。蜀の都であった成都には、戦車、軍人が多いことがわかるので心配します。

千謁 官職や推薦などを求めるために権力者や高級官僚に謁見する。「干」は便宜を求めるの意味。千謁 なにかをたのみこむために貴人に面会する。杜甫は仕官活動の初めのころ一時期面会し、詩を贈っている。いやで仕方なかったことを示す。杜甫 自京赴奉先縣詠懷五百字 「以茲悟生理,獨恥事干謁。」

蜀都・軍都 成都(四川省成都市)。

足戎軒 兵事が多い。軍人が多いことをいう。

 

 

誤失將帥意,不如親故恩。

あなたが誤って将帥、将軍のご機嫌を損なえば、彼らは親戚や旧友の間のような恩愛でもって接することなど全くなく、どんな危害を加えるかわからないのである。

○将帥 将軍。『杜詩鏡鍵』巻 一八は岸畔(摩寧)と解する。

○親故恩 親戚や旧友の情愛。

 

 

少年早歸來,梅花已飛翻。

お若いあなたは早く長安に戻りましょう、時が過ぎ去って、梅の花はすでに散り、風に舞い飛んでいるのでしょう。

 

努力慎風水,豈惟數盤飧。

異郷の気候や水もよくよく気を付け、慎重になされることがよいし、他人からたびたび御馳走されるような接待をご遠慮されるのがよいでしょう。

風水 異郷の風と水、風土。古代、とくに、水が合わなくて体調を崩すことが多かった。旅に故郷の土を持ち歩き水がめに土を沈めて飮むことで予防したという。

数盤餐 皿に盛った料理を何度もごちそうになる。他人から接待などを受けること。『九家注』巻一四は何度も 食事を摂って自愛し、体力を養うことと解する。「盤餐」は畳韻語「バンサン」。

767年-235 《 別李義(卷二一(四)一八二五) -#4》 - 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 訳注解説Blog11130

最近 一週間の訳注解説 BLOG

/日 

李白集校注

韓昌黎集

杜詩詳注

花間集

玉臺新詠

女性関連

李白

韓愈

杜甫

2/10

古風,五十九首之一 #1

張中丞傳後敘-#9

寫懷二首其一-#1

 

雜詩六首其四古意贈今人 #1

 

2/11

古風之一 #2

張中丞傳後敘-#10

寫懷二首其一 -2

 

古意贈今人 #2

 

2/12

古風,之三五

張中丞傳後敘 -#11

寫懷二首其一 -3

 

代葛沙門妻郭小玉詩二首

 

2/13

僧伽歌 -#1

張中丞傳後敘 -#13

寫懷二首其二-#1

 

代葛沙門妻郭小玉詩二首

 

2/14

僧伽歌  #2

張中丞傳後敘-#12

寫懷二首其二 -#2

 

雜詩二首其一 詠七寳扇-#1

 

2/15

贈丹陽橫山周處士惟長

張中丞傳後敘 -#14

寫懷二首其二 -#3

 

邱巨源_雜詩_詠七寳扇-#2

 

2/16

-

-

 

 

 

 

2/17

贈丹陽橫山周處士惟長 #2

張中丞傳後敘 -#15

冬至

 

邱巨源_其二聽隣妓 -#1

 

2/18

雪讒詩贈友人#-0

張中丞傳後敘 -#16

柳司馬至 -#1

 

邱巨源_其二聽隣妓

 

2/19

雪讒詩贈友人 #1

張中丞傳後敘 -#17

柳司馬至-#2

 

王融_ 雜詩五首其一古意

 

2/20

雪讒詩贈友人 #2

張中丞傳後敘 -#18

 別李義 - #1

 

王融_雜詩五首〔2

 

2/21

雪讒詩贈友人 #3

張中丞傳後敘 -#19

 別李義 - #2

 

王融_雜詩五首〔3

 

2/22

雪讒詩贈友人 #4

張中丞傳後敘 -#20

 別李義 - #3

 

王融_雜詩五首〔4

 

2/23

 

 

杜甫研究、詩と生涯(1)

 

 

 

2/24

 

 

杜甫研究、詩と生涯(2)

 

 

 

2/25

雪讒詩贈友人 #5

張中丞傳後敘 -#21

 別李義 - #4

 

王融_雜詩五首〔5

 

2/26

雪讒詩贈友人 #6

張中丞傳後敘 -#22

 別李義 - #5

 

謝朓_雜詩十二〔1

 

2/27

雪讒詩贈友人 #7

張中丞傳後敘 -#23

 別李義 - #6

 

謝朓雜詩十二〔2

 

2/28

雪讒詩贈友人 #8

張中丞傳後敘 -#24

 別李義 - #7

 

謝朓雜詩十二〔3

 


767
-235  別李義(卷二一(四)一八二五) -#4》 - 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 訳注解説Blog11130

 

 

767-235

 

 

 別李義(卷二一(四)一八二五)  -#4

 

 

杜甫詳注 訳注解説

 

 

漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 訳注解説Blog11130

 

 

 

 

別李義

杜甫の縁戚で、唐王朝の宗室でもある李義を送別するにあたり、彼とその父の李錬の人物を歌い、成都へ赴く李義へ忠告して詠う。

神堯十八子,十七王其門。

唐の高祖、神尭皇帝の22人いた皇子で4人を除いた18人の皇子のうち、17人が王に封じられた。

道國洎舒國,督唯親弟昆。

そのうち、道王 と舒王はほんとうに同腹の兄弟であるとみられている。

中外貴賤殊,余亦忝諸孫。

そして、あなたは直系で私は外孫、身分の貴賤は異なるのであるけれど、 私にとっては、また恐れ多いことながら子孫の列に列なっている事に違いはないのである。

丈人嗣三葉,之子白玉溫。

あなたの父上は道王三代を嗣いでおられ、あなたも白玉のように温厚でいらっしゃる。』

#2

道國繼德業,請從丈人論。

道王は代々、徳行と功業を継承しておられたあなたの先代の父上のことから申し上げさせていただこう。

丈人領宗卿,肅穆古制敦。

父上は宗 正卿に領じられ、宗室の威厳を備えながらも穏やかな態度は、古代の制度が持つ誠実さに裏打ちされておられた。

先朝納諫諍,直氣橫乾坤。

玄宗皇帝の開元の治と称えられた善政で唐の絶頂期を迎えた御代では、諌言も受け入れられ、父上の正しい精神は天地の隅々まで溢れていたのである。

子建文筆壯,河間經術存。

そして、 陳思王曹植のように詩文はすばらしく、河間王劉徳のように儒学を修めておられた。』

#3

爾克富詩禮,骨清慮不喧。

あなたもまた『詩経』や「三礼」など儒学への造詣を充分に深められてお り、高潔な資質を備えて心は落ち着いておられる。

洗然遇知己,談論淮湖奔。

こうして知己であるあなたにお会いして みれば物事にとらわれず気品に富み、その談論は雄弁で准河や太湖の水が滑々と流れるよう だ。

憶昔初見時,小襦繡芳蓀。

思えば昔、初めてお会いした時、装いは、短い上着に香草を刺繍されていて洗練されていた。

長成忽會面,慰我久疾魂。

今、成長されたお姿を突然拝見すると、私の長く病んでいた心が慰められる思いになるのです。

#4

三峽春冬交,江山雲霧昏。

三峡下りの入り口に位置する夔州は冬と春の季節の変わり目というものであり、この地の雨雲霧は古来より、男女の情の物語があり長江や山には雲や霧が出て暗い。

正宜且聚集,恨此當離尊。

せっかくここで出会い集まって酒宴をご一緒にしているのですから、 もうしばらくともに時を過ごしたいのでありますが、今、別れの宴の酒樽を前にしなければならないのが恨めしく思うのです。

莫怪執杯遲,我衰涕唾煩。

したがって杯を手に取るのがゆっくりだというのを不審に思わないでいただきたい、というのも、この私、老いぼれてしまい、涙と唾がだらしなく溢れ出る次第なのです。

重問子何之,西上岷江源。

あなたはどちらに向かわれるのかと改めてまた問えば、西に向かって眠江の源へ遡ることなのでしょう。』#5

願子少干謁,蜀都足戎軒。誤失將帥意,不如親故恩。

少年早歸來,梅花已飛翻。努力慎風水,豈惟數盤飧。

#6

猛虎臥在岸,蛟螭出無痕。王子自愛惜,老夫困石根。

生別古所嗟,發聲為爾吞。

 

 

(李義に別る)

神堯の十八子,十七 其の門を王とす。

道國 洎【およ】び舒國,唯し親弟昆と督す。

中外 貴賤 殊なるも,余 亦た諸孫なるを忝くする。

丈人 嗣ぐこと 三葉,之の子 白玉のごとく溫かなり。

#2

道國 德業を繼ぎて,丈人より論ぜんことを請う。

丈人 宗卿を領し,肅穆にして 古制 敦し。

先朝 諫諍を納れ,直氣 乾坤に橫わる。

子建のごとく 文筆 壯に,河間のごとく 經術 存す。

#3

爾 克く詩禮に富む,骨 清くして慮 喧しからず。

洗然 知己に遇えば,談論 淮湖に奔る。

憶う昔 初めて 見し時,小襦 芳蓀を繡す。

長成 忽ち會面す,我が久疾の魂を慰む。

#4

三峽 春冬の交,江山 雲霧 昏し。

正に宜く且く聚集すべきも,恨むらくは此こに離尊に當るを。

怪しむ莫れ 杯を執ることの遲きを,我れ衰えて涕唾 煩し。

重ねて子に何こに之くかと問えば,西のかた岷江の源に上ると。

#5

願わくば 子 干謁を少くせよ,蜀都に 戎軒 足る。

誤りて 將帥の意を失わば,親故の恩も 知らず。

少年 早く歸り來たれ,梅花 已に飛翻す。

努力して 風水を慎め,豈に惟だに 盤飧を數するのみならんや。

#6

猛虎は 臥して岸に在り,蛟螭は 出でて痕無し。

王子 自ら愛惜せよ,老夫 石根に困む。

生別は 古えより 嗟く所,聲を發せんしてと爾が為に吞む。

 

 瞿塘峡・白帝城・魚復

杜詩詳注 卷二一(四)一八二五 《別李義》 現代語訳 訳注解説

(本文)

別李義(卷二一(四)一八二五)  767

#4

三峽春冬交,江山雲霧昏。

正宜且聚集,恨此當離尊。

莫怪執杯遲,我衰涕唾煩。

重問子何之,西上岷江源。

 

(下し文)

(李義に別る)

#4

三峽 春冬の交,江山 雲霧 昏し。

正に宜く且く聚集すべきも,恨むらくは此こに離尊に當るを。

怪しむ莫れ 杯を執ることの遲きを,我れ衰えて涕唾 煩し。

重ねて子に何こに之くかと問えば,西のかた岷江の源に上ると。

 

(現代語訳)

杜甫の縁戚で、唐王朝の宗室でもある李義を送別するにあたり、彼とその父の李錬の人物を歌い、成都へ赴く李義へ忠告して詠う。

#4

三峡下りの入り口に位置する夔州は冬と春の季節の変わり目というものであり、この地の雨雲霧は古来より、男女の情の物語があり長江や山には雲や霧が出て暗い。

せっかくここで出会い集まって酒宴をご一緒にしているのですから、 もうしばらくともに時を過ごしたいのでありますが、今、別れの宴の酒樽を前にしなければならないのが恨めしく思うのです。

したがって杯を手に取るのがゆっくりだというのを不審に思わないでいただきたい、というのも、この私、老いぼれてしまい、涙と唾がだらしなく溢れ出る次第なのです。

あなたはどちらに向かわれるのかと改めてまた問えば、西に向かって眠江の源へ遡ることなのでしょう。』

 

(訳注解説)

別李義

杜甫の縁戚で、唐王朝の宗室でもある李義を送別するにあたり、彼とその父の李錬の人物を歌い、成都へ赴く李義へ忠告して詠う。

【題意】杜詩詳注卷二一(四)一八二四、杜少陵詩集四四二。杜詩全譯〔四〕P537

制作時767年、制作地は前詩と同じ夔州。杜甫の縁戚で、唐王朝の宗室でもある李義を送別するにあたり、彼とその父の李錬の人物を歌い、成都へ赴く李義へ忠告する。李義は膚の高 祖・李淵の第一六子である道士李元慶の玄孫(『新唐音』巻七〇下「宗室世系表下」)。

 

#4

三峽春冬交,江山雲霧昏

三峡下りの入り口に位置する夔州は冬と春の季節の変わり目というものであり、この地の雨雲霧は古来より、男女の情の物語があり長江や山には雲や霧が出て暗い。

三峡 垂慶市から湖北省にかけて続く、長江本流にある三つの峡谷の総称。重慶市奉節県の白帝城から湖北省宜昌市の南津関までの193kmの間に、上流から瞿塘峡(くとうきょう、8km)、巫峡(ふきょう、45km)、西陵峡(せいりょうきょう、66km)が連続する景勝地である。

雲霧昏 この地は地形的にも山は重畳して天日を隠蔽するという。巫山十二峰と言われ、その中で代表的なものに神女峰がある。楚の宋玉の「高唐賦」(『文選』所収)序に、楚の懐王が高唐(楚の雲夢沢(中国語版)にあった台館)に遊んだ際、疲れて昼寝していると、夢の中に「巫山の女(むすめ)」と名乗る女が現れて王の寵愛を受けた、という記述がある。彼女は立ち去る際、王に「私は巫山の南の、険しい峰の頂に住んでおります。朝は雲となり、夕べは雨となり(旦為朝雲、暮為行雨)、朝な夕な、この楼台のもとに参るでしょう」[2]と告げた。

 

正宜且聚集,恨此當離尊。

せっかくここで出会い集まって酒宴をご一緒にしているのですから、 もうしばらくともに時を過ごしたいのでありますが、今、別れの宴の酒樽を前にしなければならないのが恨めしく思うのです。

聚集 一緒にいる。 酒宴の席に一緒にいる。双声語「シュウシュウ」。

離樽 送別の宴にある酒樽。

 

 

莫怪執杯遲,我衰涕唾煩。

したがって杯を手に取るのがゆっくりだというのを不審に思わないでいただきたい、というのも、この私、老いぼれてしまい、涙と唾がだらしなく溢れ出る次第なのです。

沸睡煩 涙と唾が溢れ出る。老人のだらし ない表情。「煩」はここでは「繁」に通じる。

 

重問子何之,西上岷江源。

あなたはどちらに向かわれるのかと改めてまた問えば、西に向かって眠江の源へ遡ることなのでしょう。』

眠江 嶋山の南麓に発し、成都平野をうるおして宜賓 市で長江本流(金沙江) に合流する支流の名。ここでは長江と眠江を遡り、成都まで行くことをいう。 古来、長江の本流とされたため、合流した後の長江もしばしば眠江と称される。ここもその例。

 

767年-235 《 別李義(卷二一(四)一八二五) -#3》 - 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 訳注解説Blog11122

767-235  別李義(卷二一(四)一八二五) -#3》 - 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 訳注解説Blog11122

 

 

767-235

 

 

 別李義(卷二一(四)一八二五)  -#3

 

 

杜甫詳注 訳注解説

 

 

漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 訳注解説Blog11122

 

 

 

 

別李義

杜甫の縁戚で、唐王朝の宗室でもある李義を送別するにあたり、彼とその父の李錬の人物を歌い、成都へ赴く李義へ忠告して詠う。

神堯十八子,十七王其門。

唐の高祖、神尭皇帝の22人いた皇子で4人を除いた18人の皇子のうち、17人が王に封じられた。

道國洎舒國,督唯親弟昆。

そのうち、道王 と舒王はほんとうに同腹の兄弟であるとみられている。

中外貴賤殊,余亦忝諸孫。

そして、あなたは直系で私は外孫、身分の貴賤は異なるのであるけれど、 私にとっては、また恐れ多いことながら子孫の列に列なっている事に違いはないのである。

丈人嗣三葉,之子白玉溫。

あなたの父上は道王三代を嗣いでおられ、あなたも白玉のように温厚でいらっしゃる。』

#2

道國繼德業,請從丈人論。

道王は代々、徳行と功業を継承しておられたあなたの先代の父上のことから申し上げさせていただこう。

丈人領宗卿,肅穆古制敦。

父上は宗 正卿に領じられ、宗室の威厳を備えながらも穏やかな態度は、古代の制度が持つ誠実さに裏打ちされておられた。

先朝納諫諍,直氣橫乾坤。

玄宗皇帝の開元の治と称えられた善政で唐の絶頂期を迎えた御代では、諌言も受け入れられ、父上の正しい精神は天地の隅々まで溢れていたのである。

子建文筆壯,河間經術存。

そして、 陳思王曹植のように詩文はすばらしく、河間王劉徳のように儒学を修めておられた。』

#3

爾克富詩禮,骨清慮不喧。

あなたもまた『詩経』や「三礼」など儒学への造詣を充分に深められてお り、高潔な資質を備えて心は落ち着いておられる。

洗然遇知己,談論淮湖奔。

こうして知己であるあなたにお会いして みれば物事にとらわれず気品に富み、その談論は雄弁で准河や太湖の水が滑々と流れるよう だ。

憶昔初見時,小襦繡芳蓀。

思えば昔、初めてお会いした時、装いは、短い上着に香草を刺繍されていて洗練されていた。

長成忽會面,慰我久疾魂。

今、成長されたお姿を突然拝見すると、私の長く病んでいた心が慰められる思いになるのです。

#4

三峽春冬交,江山雲霧昏。正宜且聚集,恨此當離尊。

莫怪執杯遲,我衰涕唾煩。重問子何之,西上岷江源。

#5

願子少干謁,蜀都足戎軒。誤失將帥意,不如親故恩。

少年早歸來,梅花已飛翻。努力慎風水,豈惟數盤飧。

#6

猛虎臥在岸,蛟螭出無痕。王子自愛惜,老夫困石根。

生別古所嗟,發聲為爾吞。

 

 

(李義に別る)

神堯の十八子,十七 其の門を王とす。

道國 洎【およ】び舒國,唯し親弟昆と督す。

中外 貴賤 殊なるも,余 亦た諸孫なるを忝くする。

丈人 嗣ぐこと 三葉,之の子 白玉のごとく溫かなり。

#2

道國 德業を繼ぎて,丈人より論ぜんことを請う。

丈人 宗卿を領し,肅穆にして 古制 敦し。

先朝 諫諍を納れ,直氣 乾坤に橫わる。

子建のごとく 文筆 壯に,河間のごとく 經術 存す。

#3

爾 克く詩禮に富む,骨 清くして慮 喧しからず。

洗然 知己に遇えば,談論 淮湖に奔る。

憶う昔 初めて 見し時,小襦 芳蓀を繡す。

長成 忽ち會面す,我が久疾の魂を慰む。

#4

三峽春冬交,江山雲霧昏。正宜且聚集,恨此當離尊。

莫怪執杯遲,我衰涕唾煩。重問子何之,西上岷江源。

#5

願子少干謁,蜀都足戎軒。誤失將帥意,不如親故恩。

少年早歸來,梅花已飛翻。努力慎風水,豈惟數盤飧。

#6

猛虎臥在岸,蛟螭出無痕。王子自愛惜,老夫困石根。

生別古所嗟,發聲為爾吞。

 

 

杜詩詳注 卷二一(四)一八二五 《別李義》 現代語訳 訳注解説

(本文)

別李義(卷二一(四)一八二五)  767

#3

爾克富詩禮,骨清慮不喧。

洗然遇知己,談論淮湖奔。

憶昔初見時,小襦繡芳蓀。

長成忽會面,慰我久疾魂。

 

(下し文)

(李義に別る)

#3

爾 克く詩禮に富む,骨 清くして慮 喧しからず。

洗然 知己に遇えば,談論 淮湖に奔る。

憶う昔 初めて 見し時,小襦 芳蓀を繡す。

長成 忽ち會面す,我が久疾の魂を慰む。

 

(現代語訳)

杜甫の縁戚で、唐王朝の宗室でもある李義を送別するにあたり、彼とその父の李錬の人物を歌い、成都へ赴く李義へ忠告して詠う。

#3

あなたもまた『詩経』や「三礼」など儒学への造詣を充分に深められてお り、高潔な資質を備えて心は落ち着いておられる。

こうして知己であるあなたにお会いして みれば物事にとらわれず気品に富み、その談論は雄弁で准河や太湖の水が滑々と流れるよう だ。

思えば昔、初めてお会いした時、装いは、短い上着に香草を刺繍されていて洗練されていた。

今、成長されたお姿を突然拝見すると、私の長く病んでいた心が慰められる思いになるのです。

 

(訳注解説)

別李義

杜甫の縁戚で、唐王朝の宗室でもある李義を送別するにあたり、彼とその父の李錬の人物を歌い、成都へ赴く李義へ忠告して詠う。

【題意】杜詩詳注卷二一(四)一八二四、杜少陵詩集四四二。杜詩全譯〔四〕P537

制作時767年、制作地は前詩と同じ夔州。杜甫の縁戚で、唐王朝の宗室でもある李義を送別するにあたり、彼とその父の李錬の人物を歌い、成都へ赴く李義へ忠告する。李義は膚の高 祖・李淵の第一六子である道士李元慶の玄孫(『新唐音』巻七〇下「宗室世系表下」)。

 

#3

爾克富詩禮,骨清慮不喧。

あなたもまた『詩経』や「三礼」など儒学への造詣を充分に深められてお り、高潔な資質を備えて心は落ち着いておられる。

詩禮 『詩経』と 『礼記』 『周礼』 『儀礼』 の「三礼」。儒学をいう。三礼(さんらい)とは、儒教における礼に関わる三種類の経書『周礼』『儀礼』『礼記』の総称。後漢の鄭玄が『周礼』『儀礼』『礼記』の三書を総合的に解釈する三礼の学を作り上げて以来、この名がある。『儀礼』(ぎらい) - 前漢では『礼』といえば『儀礼』のみを指していた。現存する17篇は前漢の高堂生が伝えた士礼部分を主としたもので、この「今文儀礼」高堂生本を「古文儀礼」で校合したものという。現在通行している『儀礼』は後漢の鄭玄注、唐の賈公彦疏が付けられて『十三経注疏』に収められている。

『周礼』(しゅらい) - 『漢書』芸文志には「周官」とあり、周の官制について書かれている。前漢、武帝の時代、民間から発見されたといわれる古文経である。天官・地官・春官・夏官・秋官・冬官に分けられるが、冬官部分は発見当初からなく、「考工記」という別の文献が当てられている。現在通行している『周礼』は後漢の鄭玄注、唐の賈公彦疏が付けられて『十三経注疏』に収められている。

『礼記』(らいき) - 『礼』に対する注釈であるが、戦国・秦・漢の礼家のさまざまな言説が集められている。『漢書』芸文志には「記」141篇とある。前漢時代、戴徳が伝えた「大戴記」、戴聖が伝えた「小戴記」があったが、現在の『礼記』49篇は「小戴記」である。唐代、『五経正義』に取り上げられ、鄭玄注に孔穎達が疏をつけた『礼記正義』が作られた。『礼記正義』は『十三経注疏』に収められている。

骨清 俗気を脱した高潔な資質がある。「骨」は、生来の資質。

慮不喧 思いが乱れていない。

 

洗然遇知己,談論淮湖奔。

こうして知己であるあなたにお会いして みれば物事にとらわれず気品に富み、その談論は雄弁で准河や太湖の水が滑々と流れるよう だ。

洗然 李義のものごとにとらわれ ず、気品のあるさま。

准湖奔 准河や太湖の水がどこまでも奔流する。滑々とした談論の比喩

 

憶昔初見時,小襦繡芳蓀

思えば昔、初めてお会いした時、装いは、短い上着に香草を刺繍されていて洗練されていた。。

初見時 詳注の引く清・藩檉章『杜詩博議』は、杜甫と李義は天宝年間に長安で会っていると推測する。

小襦 小さくて短い上着。

繡芳蓀 香草の名

 

長成忽會面,慰我久疾魂。

今、成長されたお姿を突然拝見すると、私の長く病んでいた心が慰められる思いになるのです。

久疾魂 長く病んでいた心。杜甫は持病を持っていて時折よくはなっても長く心は沈んでいたことを言う。

767年-235 《 別李義(卷二一(四)一八二五) -#2》 - 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 訳注解説Blog11114

767-235  別李義(卷二一(四)一八二五) -#2》 - 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 訳注解説Blog11114

 

 

767-235

 

 

 別李義(卷二一(四)一八二五)  -#2

 

 

杜甫詳注 訳注解説

 

 

漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 訳注解説Blog11114

 

 

 

 

別李義

杜甫の縁戚で、唐王朝の宗室でもある李義を送別するにあたり、彼とその父の李錬の人物を歌い、成都へ赴く李義へ忠告して詠う。

神堯十八子,十七王其門。

唐の高祖、神尭皇帝の22人いた皇子で4人を除いた18人の皇子のうち、17人が王に封じられた。

道國洎舒國,督唯親弟昆。

そのうち、道王 と舒王はほんとうに同腹の兄弟であるとみられている。

中外貴賤殊,余亦忝諸孫。

そして、あなたは直系で私は外孫、身分の貴賤は異なるのであるけれど、 私にとっては、また恐れ多いことながら子孫の列に列なっている事に違いはないのである。

丈人嗣三葉,之子白玉溫。

あなたの父上は道王三代を嗣いでおられ、あなたも白玉のように温厚でいらっしゃる。』

#2

道國繼德業,請從丈人論。

道王は代々、徳行と功業を継承しておられたあなたの先代の父上のことから申し上げさせていただこう。

丈人領宗卿,肅穆古制敦。

父上は宗 正卿に領じられ、宗室の威厳を備えながらも穏やかな態度は、古代の制度が持つ誠実さに裏打ちされておられた。

先朝納諫諍,直氣橫乾坤。

玄宗皇帝の開元の治と称えられた善政で唐の絶頂期を迎えた御代では、諌言も受け入れられ、父上の正しい精神は天地の隅々まで溢れていたのである。

子建文筆壯,河間經術存。

そして、 陳思王曹植のように詩文はすばらしく、河間王劉徳のように儒学を修めておられた。』

#3

爾克富詩禮,骨清慮不喧。洗然遇知己,談論淮湖奔。

憶昔初見時,小襦繡芳蓀。長成忽會面,慰我久疾魂。

#4

三峽春冬交,江山雲霧昏。正宜且聚集,恨此當離尊。

莫怪執杯遲,我衰涕唾煩。重問子何之,西上岷江源。

#5

願子少干謁,蜀都足戎軒。誤失將帥意,不如親故恩。

少年早歸來,梅花已飛翻。努力慎風水,豈惟數盤飧。

#6

猛虎臥在岸,蛟螭出無痕。王子自愛惜,老夫困石根。

生別古所嗟,發聲為爾吞。

 

 

(李義に別る)

神堯の十八子,十七 其の門を王とす。

道國 洎【およ】び舒國,唯し親弟昆と督す。

中外 貴賤 殊なるも,余 亦た諸孫なるを忝くする。

丈人 嗣ぐこと 三葉,之の子 白玉のごとく溫かなり。

#2

道國 德業を繼ぎて,丈人より論ぜんことを請う。

丈人 宗卿を領し,肅穆にして 古制 敦し。

先朝 諫諍を納れ,直氣 乾坤に橫わる。

子建のごとく 文筆 壯に,河間のごとく 經術 存す。

#3

爾克富詩禮,骨清慮不喧。洗然遇知己,談論淮湖奔。

憶昔初見時,小襦繡芳蓀。長成忽會面,慰我久疾魂。

#4

三峽春冬交,江山雲霧昏。正宜且聚集,恨此當離尊。

莫怪執杯遲,我衰涕唾煩。重問子何之,西上岷江源。

#5

願子少干謁,蜀都足戎軒。誤失將帥意,不如親故恩。

少年早歸來,梅花已飛翻。努力慎風水,豈惟數盤飧。

#6

猛虎臥在岸,蛟螭出無痕。王子自愛惜,老夫困石根。

生別古所嗟,發聲為爾吞。

 

 

杜詩詳注 卷二一(四)一八二五 《別李義》 現代語訳 訳注解説

(本文)

別李義(卷二一(四)一八二五)  767

#2

道國繼德業,請從丈人論。

丈人領宗卿,肅穆古制敦。

先朝納諫諍,直氣橫乾坤。

子建文筆壯,河間經術存。

 

 

(下し文)

(李義に別る)

道國 德業を繼ぎて,丈人より論ぜんことを請う。

丈人 宗卿を領し,肅穆にして 古制 敦し。

先朝 諫諍を納れ,直氣 乾坤に橫わる。

子建のごとく 文筆 壯に,河間のごとく 經術 存す。

 

(現代語訳)

杜甫の縁戚で、唐王朝の宗室でもある李義を送別するにあたり、彼とその父の李錬の人物を歌い、成都へ赴く李義へ忠告して詠う。

道王は代々、徳行と功業を継承しておられたあなたの先代の父上のことから申し上げさせていただこう。

父上は宗 正卿に領じられ、宗室の威厳を備えながらも穏やかな態度は、古代の制度が持つ誠実さに裏打ちされておられた。

玄宗皇帝の開元の治と称えられた善政で唐の絶頂期を迎えた御代では、諌言も受け入れられ、父上の正しい精神は天地の隅々まで溢れていたのである。

そして、 陳思王曹植のように詩文はすばらしく、河間王劉徳のように儒学を修めておられた。』

 

 

(訳注解説)

別李義

杜甫の縁戚で、唐王朝の宗室でもある李義を送別するにあたり、彼とその父の李錬の人物を歌い、成都へ赴く李義へ忠告して詠う。

【題意】杜詩詳注卷二一(四)一八二四、杜少陵詩集四四二。杜詩全譯〔四〕P537

制作時767年、制作地は前詩と同じ夔州。杜甫の縁戚で、唐王朝の宗室でもある李義を送別するにあたり、彼とその父の李錬の人物を歌い、成都へ赴く李義へ忠告する。李義は膚の高 祖・李淵の第一六子である道士李元慶の玄孫(『新唐音』巻七〇下「宗室世系表下」)。

 

#2

道國繼德業,請從丈人論。

道王は代々、徳行と功業を継承しておられたあなたの先代の父上のことから申し上げさせていただこう。

徳業 徳行と功業。① 仁徳と功業。 徳をたてる事業。善にすすむ所業。

 

丈人領宗卿,肅穆古制敦。

父上は宗 正卿に領じられ、宗室の威厳を備えながらも穏やかな態度は、古代の制度が持つ誠実さに裏打ちされておられた。

宗卿 官名。宗正卿。宗室の戸籍 を掌る宗正寺の長官。李疎は広徳年間(七六三〜七六四)に宗正卿に任じられた。

肅穆 威厳を備えながらも、人には穏やかに接する態度。

古制敦 古代の制度の持つ誠実さ。

 

先朝納諫諍,直氣橫乾坤

玄宗皇帝の開元の治と称えられた善政で唐の絶頂期を迎えた御代では、諌言も受け入れられ、父上の正しい精神は天地の隅々まで溢れていたのである。

先朝 玄宗の治世。玄宗は、唐の第6代皇帝。諱は隆基。唐明皇とも呼ばれる。 治世の前半は、太宗の貞観の治を手本とした、開元の治と称えられた善政で唐の絶頂期を迎えたが、後半は楊貴妃を寵愛したことで安史の乱の原因を作った

諌評 諌言。

直気 李錬の真っ直ぐな精神。

橫乾坤 天地に横溢する、あふれる。

 

子建文筆壯,河間經術存。

そして、 陳思王曹植のように詩文はすばらしく、河間王劉徳のように儒学を修めておられた。』

子建 三国・魏の曹植。後漢末期から三国時代にかけての人物。魏の皇族。豫州沛国譙県の出身。陳王に封じられ、諡が思であったことから陳思王とも呼ばれる。唐の李白・杜甫以前における中国を代表する文学者として、「詩聖」の評価を受けた。才高八斗・七歩の才の語源。建安文学の三曹の一人。

河聞 前漢の河間王劉徳(?〜前三九)。儒学を好 んだ(『史記』巻五九「劉徳世家」)。景帝前2年(紀元前155年)に河間王に封じられた。 劉徳は学問を修め古の事を好み、民が良い書を持っていると聞くと金品を与え、その書を写して本の書を召し上げ、写本を持ち主に返すようにした。

経術 儒学。

67年-235 《 別李義(卷二一(四)一八二五) -#1》 - 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 訳注解説Blog11106

67-235  別李義(卷二一(四)一八二五) -#1》 - 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 訳注解説Blog11106

 

 

767-234 -2

 

 

 柳司馬至(卷二一(四)一八二四)

 

 

杜甫詳注 訳注解説

 

 

漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 訳注解説Blog11098

 

 

 

 

〔詩題〕

作品番号

初句・五字

掲載

別李義(卷二一(四)一八二五)   767

1267

神堯十八子

 

 

 

 

 

1213          別李義(卷二一(四)一八二五)              767

                  神堯十八子,十七王其門。道國洎(一作及)舒國,實(一作督)維親弟昆。             

                  中外貴賤殊,余亦忝諸孫。丈人嗣三葉(一作王業),之子白玉溫。        

                  道國繼德業,請從丈人論。丈人領宗卿,肅睦(一作穆)古制敦。           

                  先朝納諫諍,直氣橫乾坤。子建文章(一作筆)壯,河經經術存。           

                  爾(一作溫)克富詩禮,骨清慮不喧。洗然遇知己,談論淮湖(一作河)奔。             

                  憶昔初見時,小襦(一作孺)繡芳蓀。長成忽會面,慰我久疾魂。           

                 三峽春冬交,江山雲霧昏。正宜且聚集,恨此當離樽。         

                  莫怪執杯遲,我衰涕唾煩。重問子何之,西上岷江源。         

 

                  願子少干謁,蜀都足戎軒。誤失將帥意,不知(一作如)親故恩。           

                  豈惟數盤餐。猛虎臥在岸,蛟螭出無痕。            

                 王子自愛惜,老夫困石根。生別古所嗟 ,發聲為爾吞。        

 

別李義(卷二一(四)一八二五)           768

神堯十八子,十七王其門。道國洎舒國,督唯親弟昆。

中外貴賤殊,余亦忝諸孫。丈人嗣三葉,之子白玉溫。

#2

道國繼德業,請從丈人論。丈人領宗卿,肅穆古制敦。

先朝納諫諍,直氣橫乾坤。子建文筆壯,河間經術存。

#3

爾克富詩禮,骨清慮不喧。洗然遇知己,談論淮湖奔。

憶昔初見時,小襦繡芳蓀。長成忽會面,慰我久疾魂。

#4

三峽春冬交,江山雲霧昏。正宜且聚集,恨此當離尊。

莫怪執杯遲,我衰涕唾煩。重問子何之,西上岷江源。

#5

願子少干謁,蜀都足戎軒。誤失將帥意,不如親故恩。

少年早歸來,梅花已飛翻。努力慎風水,豈惟數盤飧。

#6

猛虎臥在岸,蛟螭出無痕。王子自愛惜,老夫困石根。

生別古所嗟,發聲為爾吞。

 

作者:  杜甫

皇帝紀年:      大曆二年

寫作時間:      767

寫作年紀:      56

卷別:  卷二三一       

文體:  五言古詩

詩題:  別李義

詩序: 

寫作地點:      目前尚無資料

寫及地點:      故函谷關 (都畿道 陜州 故函谷關) 別名:秦關       

邯鄲 (河北道南部 邯鄲)    

商洛 (山南東道 商州 商洛)      

交遊人物/地點:

柳至       書信往來

詩文:

 

 次ページ 文末に (つづく)をクリック

別李義

杜甫の縁戚で、唐王朝の宗室でもある李義を送別するにあたり、彼とその父の李錬の人物を歌い、成都へ赴く李義へ忠告して詠う。

神堯十八子,十七王其門。

唐の高祖、神尭皇帝の22人いた皇子で4人を除いた18人の皇子のうち、17人が王に封じられた。

道國洎舒國,督唯親弟昆。

そのうち、道王 と舒王はほんとうに同腹の兄弟であるとみられている。

中外貴賤殊,余亦忝諸孫。

そして、あなたは直系で私は外孫、身分の貴賤は異なるのであるけれど、 私にとっては、また恐れ多いことながら子孫の列に列なっている事に違いはないのである。

丈人嗣三葉,之子白玉溫。

あなたの父上は道王三代を嗣いでおられ、あなたも白玉のように温厚でいらっしゃる。』

#2

道國繼德業,請從丈人論。丈人領宗卿,肅穆古制敦。

先朝納諫諍,直氣橫乾坤。子建文筆壯,河間經術存。

#3

爾克富詩禮,骨清慮不喧。洗然遇知己,談論淮湖奔。

憶昔初見時,小襦繡芳蓀。長成忽會面,慰我久疾魂。

#4

三峽春冬交,江山雲霧昏。正宜且聚集,恨此當離尊。

莫怪執杯遲,我衰涕唾煩。重問子何之,西上岷江源。

#5

願子少干謁,蜀都足戎軒。誤失將帥意,不如親故恩。

少年早歸來,梅花已飛翻。努力慎風水,豈惟數盤飧。

#6

猛虎臥在岸,蛟螭出無痕。王子自愛惜,老夫困石根。

生別古所嗟,發聲為爾吞。

 

 

(李義に別る)

神堯の十八子,十七 其の門を王とす。

道國 洎【およ】び舒國,唯し親弟昆と督す。

中外 貴賤 殊なるも,余 亦た諸孫なるを忝くする。

丈人 嗣ぐこと 三葉,之の子 白玉のごとく溫かなり。

#2

道國 德業を繼ぎて,丈人より論ぜんことを請う。

丈人 宗卿を領し,肅穆にして 古制 敦し。

先朝 諫諍を納れ,直氣 乾坤に橫わる。

子建のごとく 文筆 壯に,河間のごとく 經術 存す。

#3

爾克富詩禮,骨清慮不喧。洗然遇知己,談論淮湖奔。

憶昔初見時,小襦繡芳蓀。長成忽會面,慰我久疾魂。

#4

三峽春冬交,江山雲霧昏。正宜且聚集,恨此當離尊。

莫怪執杯遲,我衰涕唾煩。重問子何之,西上岷江源。

#5

願子少干謁,蜀都足戎軒。誤失將帥意,不如親故恩。

少年早歸來,梅花已飛翻。努力慎風水,豈惟數盤飧。

#6

猛虎臥在岸,蛟螭出無痕。王子自愛惜,老夫困石根。

生別古所嗟,發聲為爾吞。

 

 

杜詩詳注 卷二一(四)一八二五 《別李義》 現代語訳 訳注解説

(本文)

別李義(卷二一(四)一八二五)  767

神堯十八子,十七王其門。

道國洎舒國,督唯親弟昆。

中外貴賤殊,余亦忝諸孫。

丈人嗣三葉,之子白玉溫。

#2

道國繼德業,請從丈人論。丈人領宗卿,肅穆古制敦。

先朝納諫諍,直氣橫乾坤。子建文筆壯,河間經術存。

#3

爾克富詩禮,骨清慮不喧。洗然遇知己,談論淮湖奔。

憶昔初見時,小襦繡芳蓀。長成忽會面,慰我久疾魂。

#4

三峽春冬交,江山雲霧昏。正宜且聚集,恨此當離尊。

莫怪執杯遲,我衰涕唾煩。重問子何之,西上岷江源。

#5

願子少干謁,蜀都足戎軒。誤失將帥意,不如親故恩。

少年早歸來,梅花已飛翻。努力慎風水,豈惟數盤飧。

#6

猛虎臥在岸,蛟螭出無痕。王子自愛惜,老夫困石根。

生別古所嗟,發聲為爾吞。

 

(下し文)

(李義に別る)

神堯の十八子,十七 其の門を王とす。

道國 洎【およ】び舒國,唯し親弟昆と督す。

中外 貴賤 殊なるも,余 亦た諸孫なるを忝くする。

丈人 嗣ぐこと 三葉,之の子 白玉のごとく溫かなり。

 

 

(現代語訳)

杜甫の縁戚で、唐王朝の宗室でもある李義を送別するにあたり、彼とその父の李錬の人物を歌い、成都へ赴く李義へ忠告して詠う。

唐の高祖、神尭皇帝の22人いた皇子で4人を除いた18人の皇子のうち、17人が王に封じられた。

そのうち、道王 と舒王はほんとうに同腹の兄弟であるとみられている。

そして、あなたは直系で私は外孫、身分の貴賤は異なるのであるけれど、 私にとっては、また恐れ多いことながら子孫の列に列なっている事に違いはないのである。

あなたの父上は道王三代を嗣いでおられ、あなたも白玉のように温厚でいらっしゃる。』

 

(訳注解説)

別李義

杜甫の縁戚で、唐王朝の宗室でもある李義を送別するにあたり、彼とその父の李錬の人物を歌い、成都へ赴く李義へ忠告して詠う。

【題意】杜詩詳注卷二一(四)一八二四、杜少陵詩集四四二。杜詩全譯〔四〕P537

制作時767年、制作地は前詩と同じ夔州。杜甫の縁戚で、唐王朝の宗室でもある李義を送別するにあたり、彼とその父の李錬の人物を歌い、成都へ赴く李義へ忠告する。李義は膚の高 祖・李淵の第一六子である道士李元慶の玄孫(『新唐音』巻七〇下「宗室世系表下」)。

神堯 唐の。上元元年(674)に「神尭皇帝」と誼され、天宝十三載(754)には 「神尭大聖光孝皇帝」 に改められた。李 淵(り えん、56647 - 635625日)は、唐の初代皇帝。隋末の混乱の中で太原で挙兵し、長安を落として根拠地とした。そこで隋の恭帝侑を傀儡として立て、禅譲により唐を建国した。李淵は在位9年の間王世充などの群雄勢力と戦い、また律令を整備した。626年に太宗(李世民)に譲位し、太宗が残存の群雄勢力を一掃して唐の天下統一を果たした。

 

神堯十八子,十七王其門。

唐の高祖、神尭皇帝の22人いた皇子で4人を除いた18人の皇子のうち、17人が王に封じられた。

十八子 二二人の高祖の息子のうち、早くに薨去した衛王李玄覇・楚王李智雲、誅殺された隠太子李建成・巣王李元吉を除いた一八人。

十七 上述の一八人から太宗李世民を除いた十七人。

 

道國洎舒國,督唯親弟昆。

そのうち、道王 と舒王はほんとうに同腹の兄弟であるとみられている。

道国 16皇子 道王の李元慶。

舒国 18皇子 王の李元名。

親弟昆 同腹の兄弟。文末の李渕の子息表、また、「新唐書 巻七九「高祖諸子列伝」によれば、李元慶(母 劉婕妤)と李元名(母 小楊嬪)と彼らの母は異なる。

 

中外貴賤殊,余亦忝諸孫。

そして、あなたは直系で私は外孫、身分の貴賤は異なるのであるけれど、 私にとっては、また恐れ多いことながら子孫の列に列なっている事に違いはないのである。

中外 李義は李元慶の男系(直系)の玄孫、杜甫は李元名の外孫の、さらにその外孫に当たる。

 

丈人嗣三葉,之子白玉溫。

あなたの父上は道王三代を嗣いでおられ、あなたも白玉のように温厚でいらっしゃる。』

丈人 親族 内の年長者。李義の父の李疎を指す。

三葉 道モの三代。李元慶、李誘、李微の三人を指す。

之子 その子。李義。

白玉温 滑らかな白玉のように人品に角がなく温厚である。『詩経』秦風「小戎」 に 「言に君子を念う、温として其れ玉の如し」。

 

高祖、李淵の22人の子息

1.太子 李建成 - 竇皇后(暗殺後、高宗のときはじめ息王を封贈、のち隠太子を追贈)

2.秦王 李世民 - 竇皇后(李建成暗殺後に立太子、高祖退位をうけて即位、廟号は太宗)

3.李玄霸 - 竇皇后(高祖即位前に早世、高宗のとき衛王を封贈)

4.斉王 李元吉 - 竇皇后(暗殺後、高宗のときはじめ海陵郡王を封贈、のち巣王を追贈)

5.楚王 李智雲 - 万貴妃

6.荊王 李元景 - 莫嬪

7.漢王 李元昌 - 孫嬪

8.酆王 李元亨 - 尹徳妃

9.周王 李元方 - 張婕妤

10.徐王 李元礼 - 郭婕妤

11.韓王 李元嘉 - 宇文昭儀

12.彭王 李元則 - 王才人

13.鄭王 李元懿 - 張宝林

14.霍王 李元軌 - 張美人

15.虢王 李鳳 - 楊美人

16.道王 李元慶 - 劉婕妤

17.鄧王 李元裕 - 崔嬪

18.舒王 李元名 - 小楊嬪

19.魯王 李霊夔 - 宇文昭儀

20.江王 李元祥 - 楊嬪

21.密王 李元暁 - 魯才人

22.滕王 李元嬰 - 柳宝林

続きを読む

767年-234 《 柳司馬至(卷二一(四)一八二四) -#2》 - 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 訳注解説Blog11098

最近 一週間の訳注解説 BLOG

/日 

李白集校注

韓昌黎集

杜詩詳注

花間集

玉臺新詠

女性関連

李白

韓愈

杜甫

2/10

古風,五十九首之一 #1

張中丞傳後敘-#9

寫懷二首其一-#1

 

雜詩六首其四古意贈今人 #1

 

2/11

古風之一 #2

張中丞傳後敘-#10

寫懷二首其一 -2

 

古意贈今人 #2

 

2/12

古風,之三五

張中丞傳後敘 -#11

寫懷二首其一 -3

 

代葛沙門妻郭小玉詩二首

 

2/13

僧伽歌 -#1

張中丞傳後敘 -#13

寫懷二首其二-#1

 

代葛沙門妻郭小玉詩二首

 

2/14

僧伽歌  #2

張中丞傳後敘-#12

寫懷二首其二 -#2

 

雜詩二首其一 詠七寳扇-#1

 

2/15

贈丹陽橫山周處士惟長

張中丞傳後敘 -#14

寫懷二首其二 -#3

 

邱巨源_雜詩_詠七寳扇-#2

 

2/16

-

-

 

 

 

2/17

贈丹陽橫山周處士惟長  #2

張中丞傳後敘 -#15

冬至

 

邱巨源_其二聽隣妓 -#1

 

2/18

雪讒詩贈友人#-0

張中丞傳後敘 -#16

柳司馬至 -#1

 

邱巨源_其二聽隣妓

 

2/19

雪讒詩贈友人#1

張中丞傳後敘 -#17

柳司馬至-#2

 

王融_ 雜詩五首其一古意

 

2/20

 

 

 

 

 

 

767-234  柳司馬至(卷二一(四)一八二四) -2 - 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 訳注解説Blog11098

 

 

767-234 -2

 

 

 柳司馬至(卷二一(四)一八二四)

 

 

杜甫詳注 訳注解説

 

 

漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 訳注解説Blog11098

 

 

 

 

作者:    杜甫

皇帝紀年:           大曆二年

寫作時間:           767

寫作年紀:           56

卷別:    卷二三一             

文體:    五言古詩

詩題:    柳司馬至

詩序:   

寫作地點:           目前尚無資料

寫及地點:           故函谷關 (都畿道 陜州 故函谷關) 別名:秦關             

邯鄲 (河北道南部 邯鄲)           

商洛 (山南東道 商州 商洛)              

交遊人物/地點:  

柳至       書信往來

詩文:

 

柳司馬至

(杜甫は長安・朝廷に帰りたい、持病が悪化し日増しにつらくなる。このままではこの地にうずもれてしまう恐怖にさいなまれる。そんな日々を過ごす中、長安の様子のわかる人が訪ねてくれた。知っていること、知らないこと、客人の話を聞き洩らさず、すべて聞いたことであろう。)

有使歸三峽,相過問兩京。

ひとりの客人この三峡の入り口の夔州にやってきた。その客の名は柳司馬、私の所を訪ねてくれ たので、長安と洛陽の情況を尋ねた。

函關猶出將,渭水更屯兵。

彼が答えるには、「(吐蕃が攻めてきたので)長安の東の函谷関にはまだ将軍を派遣しており、長安の北の渭水にはさらに兵を駐屯させています。

設備邯鄲道,和親邏些城。

邯鄲への街道には防御を設け、ラサとは和睦を結ぼうとしております。

#2

幽燕唯鳥去,商洛少人行。

北の幽州一帯へは 人の 往来は絶えて、空飛ぶ鳥しか行くことができず、商州辺りは行く人もめったにありませ ん」と。

衰謝身何補,蕭條病轉嬰。

老いぼれてしまった今、私は国家に何の責献ができようか、(たとえ些細なことでも貢献したいのである)わびしいことにますます病につきまとわれている。

霜天到宮闕,戀主寸心明。

しかし、どうしても、この霜ふる寒天に長安の宮殿へと思いは向かう。(容易に動けない身になればこそ)陛下 を慕うこの気持ちは、どうしようもないほど燃え上がっているのだ。

 

(柳司馬 至る)

使有り 歸三峽にる,相い過ぎるとき兩京を問う。

函關 猶お將を出す,渭水 更に兵を屯す。

備えを設ける邯鄲の道,和親す 邏些城。

#2

幽燕 唯だ鳥去る,商洛 人 行くも少し。

衰謝 身 何ぞ補わん,蕭條 病い 轉たた嬰る。

霜天 宮闕に到る,戀主 寸心 明らかなり。

 

 

杜詩詳注 卷二一(四)一八二四 柳司馬至 現代語訳 訳注解説

(本文)

柳司馬至

有使歸三峽,相過問兩京。

函關猶出將,渭水更屯兵。

設備邯鄲道,和親邏些城。

#2

幽燕唯鳥去,商洛少人行。

衰謝身何補,蕭條病轉嬰。

霜天到宮闕,戀主寸心明。

 

詩文(含異文)     有使歸三峽,相過問兩京。函關猶出將【函關猶自將】,渭水更屯兵。設備邯鄲道,和親邏些城【案:吐蕃號其國都為邏些城。】。幽燕唯鳥去,商洛少人行。衰謝身何補,蕭條病轉嬰。霜天到宮闕,戀主寸心明。

 

(下し文)

(柳司馬 至る)

使有り 歸三峽にる,相い過ぎるとき兩京を問う。

函關 猶お將を出す,渭水 更に兵を屯す。

備えを設ける邯鄲の道,和親す 邏些城。

#2

幽燕 唯だ鳥去る,商洛 人 行くも少し。

衰謝 身 何ぞ補わん,蕭條 病い 轉たた嬰る。

霜天 宮闕に到る,戀主 寸心 明らかなり。

 

(現代語訳)

(杜甫は長安・朝廷に帰りたい、持病が悪化し日増しにつらくなる。このままではこの地にうずもれてしまう恐怖にさいなまれる。そんな日々を過ごす中、長安の様子のわかる人が訪ねてくれた。知っていること、知らないこと、客人の話を聞き洩らさず、すべて聞いたことであろう。)

ひとりの客人この三峡の入り口の夔州にやってきた。その客の名は柳司馬、私の所を訪ねてくれ たので、長安と洛陽の情況を尋ねた。

彼が答えるには、「(吐蕃が攻めてきたので)長安の東の函谷関にはまだ将軍を派遣しており、長安の北の渭水にはさらに兵を駐屯させています。

邯鄲への街道には防御を設け、ラサとは和睦を結ぼうとしております。

#2

北の幽州一帯へは 人の 往来は絶えて、空飛ぶ鳥しか行くことができず、商州辺りは行く人もめったにありませ ん」と。

老いぼれてしまった今、私は国家に何の責献ができようか、(たとえ些細なことでも貢献したいのである)わびしいことにますます病につきまとわれている。

しかし、どうしても、この霜ふる寒天に長安の宮殿へと思いは向かう。(容易に動けない身になればこそ)陛下 を慕うこの気持ちは、どうしようもないほど燃え上がっているのだ。

 

 

(訳注解説)

柳司馬至

(杜甫は長安・朝廷に帰りたい、持病が悪化し日増しにつらくなる。このままではこの地にうずもれてしまう恐怖にさいなまれる。そんな日々を過ごす中、長安の様子のわかる人が訪ねてくれた。知っていること、知らないこと、客人の話を聞き洩らさず、すべて聞いたことであろう。)

【題意】 大暦二年(芙七)冬、夔州で作られた詩。この年の九月から十月、吐蕃の攻撃で戒厳下にあった長安と洛陽の様子を述べ杜甫の朝廷への思いを綴る。柳司馬は未詳、司馬は官名。

鶴注此當是大暦二年作是年九月十/月吐蕃入宼兩京戒嚴故詩中説兩京

【解説】 「函関」以下の六句について、詳注は「函関」「澗水」「郡部」「避逆」は長安に迫 る吐蕃に対する防衛とし、「幽燕」「商洛」は洛陽に迫る河北の藩鎮(地方軍閥) に対する防 衛とする。『読杜心解』巻五之三は、「函関」「郡部」「幽燕」各句は藩鏡への防衛、「滑水」 「遵逆」「商洛」各句は吐書への防衛をいうと考える。

仇兆鰲の註に、「首の二句は、栁 夔に至って信を問うなり。」とあり、中の六句、「栁が詞を答う。」、「下四句は、公 自叙す。將を出づし兵を屯す、備を設し和親す、此に西京を指し吐蕃事とす。幽燕には路梗し、商洛には人稀なり、此れは東京の指し叛を將は事とす。

《杜臆》に:「霜天闕を望み、千里 明淨し 唯だ戀主は丹心なり。與之と共に明かなるのみ。 此の十字句は法なり。 

仇兆鰲の註に、「申涵光曰: 『此詩、用三峽、兩京、函渭水、邯/鄲、邏些、幽燕、商雒、の地名八見す、亦た是れ一病なり。

 

 

 

#2

幽燕唯鳥去,商洛少人行。

北の幽州一帯へは 人の 往来は絶えて、空飛ぶ鳥しか行くことができず、商州辺りは行く人もめったにありませ ん」と。

幽燕 戦国時 代の燕の地に相当する幽州一帯。北京市や河北省北部などを指す。双声語「ユウエン (イウエン)」。

商洛 商県と上洛県の総称。長安の南東に当たる商州(陳西省商洛市)一帯(中國歴史地図U-0 末尾に掲載)。長安から襄陽に向かう街道、武漢、江南への最短の道を言う。杜甫が長安へ帰るとしても最短のルートであるが、陸行が長いのでこの時期困難な道であるが、最短ルートの情報を述べてもらったもの。

 

 

衰謝身何補,蕭條病轉嬰。

老いぼれてしまった今、私は国家に何の責献ができようか、(たとえ些細なことでも貢献したいのである)わびしいことにますます病につきまとわれている。

衰謝 老衰する。双 声語「スイシャ」。

蕭條 うらぶれたさま。畳韻語「ショウジョウ」。

 

 

霜天到宮闕,戀主寸心明。

しかし、どうしても、この霜ふる寒天に長安の宮殿へと思いは向かう。(容易に動けない身になればこそ)陛下 を慕うこの気持ちは、どうしようもないほど燃え上がっているのだ。

宮闕 宮殿。闕は営門の外の 高楼。

寸心 一寸四方の人ききである心臓。「心」は本来、心臓をかたどる象形文字で、転じて、こころ。

 鳳翔 長安 華州 地図01

767年-234 《 柳司馬至(卷二一(四)一八二四) -#1》 - 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 訳注解説Blog11090

最近 一週間の訳注解説 BLOG

/日 

李白集校注

韓昌黎集

杜詩詳注

花間集

玉臺新詠

女性関連

李白

韓愈

杜甫

2/10

古風,五十九首之一 #1

張中丞傳後敘-#9

寫懷二首其一-#1

 

雜詩六首其四古意贈今人 #1

 

2/11

古風之一 #2

張中丞傳後敘-#10

寫懷二首其一 -2

 

古意贈今人 #2

 

2/12

古風,之三五

張中丞傳後敘 -#11

寫懷二首其一 -3

 

代葛沙門妻郭小玉詩二首

 

2/13

僧伽歌 -#1

張中丞傳後敘 -#13

寫懷二首其二-#1

 

代葛沙門妻郭小玉詩二首

 

2/14

僧伽歌  #2

張中丞傳後敘-#12

寫懷二首其二 -#2

 

雜詩二首其一 詠七寳扇-#1

 

2/15

贈丹陽橫山周處士惟長

張中丞傳後敘 -#14

寫懷二首其二 -#3

 

邱巨源_雜詩_詠七寳扇-#2

 

2/16

-

-

 

 

 

2/17

贈丹陽橫山周處士惟長  #2

張中丞傳後敘 -#15

冬至

 

邱巨源_其二聽隣妓 -#1

 

2/18

雪讒詩贈友人#-0

張中丞傳後敘 -#16

柳司馬至 -#1

 

邱巨源_其二聽隣妓

 

2/19

雪讒詩贈友人#1

張中丞傳後敘 -#17

柳司馬至-#2

 

王融_ 雜詩五首其一古意

 

2/20

 

 

 

 

 

 


767
-234  柳司馬至(卷二一(四)一八二四) -1 - 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 訳注解説Blog11090

 

 

 

767-234 -#1

 

 

 柳司馬至(卷二一(四)一八二四)

 

 

杜甫詳注 訳注解説

 

 

漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 訳注解説Blog11090

 

 

 

 

〔詩題〕

作品番号

初句・五字

掲載

柳司馬至(卷二一(四)一八二四)              767

1266

有客歸三峽

 

 

 

 

 

1212          柳司馬至(卷二一(四)一八二四)           767

                  有客(一作使)歸三峽,相過問兩京。函關猶出(一作自)將,渭水更(一作自)屯兵。 

                  設備邯鄲道,和親邏(《唐書》作娑)城。幽燕唯鳥去,商洛少人行。     

                  衰謝身何補,蕭條病轉嬰。霜天到宮闕,戀主寸心明。         

 

 

仇兆鰲 杜詩詳注 原文

  栁司馬至

  鶴注此當是大暦二年作是年九月十/月吐蕃入宼兩京戒嚴故詩中説兩京/

  

有客一作/使歸三峽、相過/問兩。京函猶出一作//

渭水一作/徒昆/兵。設備邯鄲道、和親邏力佐//

切唐書作娑韻/娑或作通作些城。

幽燕/唯鳥去、商洛少人行。衰謝身何補、蕭條病轉嬰。

霜天到闕、戀主寸心明。首二、栁至夔而問信也。中六、栁答詞。

下四、公自叙。出將屯兵、設/備和親、此指西京吐蕃事。幽燕路梗、商洛人稀、此指東京叛將事。

《杜臆》:霜天望闕、千里明淨唯戀主丹心。與/之共明耳。 此十字句法。 

1⃣ 《漢書》:文帝至霸陵、慎夫人從、帝指視新豐道曰: 「此走邯鄲道也。」 《左傳》:楚子以諸侯伐吴、

  早設備、楚無巧而還。

2⃣ 《舊唐書・吐蕃傳》: 其人或隨畜牧、而不常厥居、然頗有城郭、其國都城。號邏些城

《新書』: 吐蕃賛普居跋布川、或居邏娑川。

3⃣ 《髙士傳》: 四皓共入商洛。

4⃣ 劉楨詩:余嬰沉疴疾。

5⃣ 薛道衡詩: 霜天/雁聲。

 申涵光曰: 此詩、用三峽、兩京、函渭水、邯/鄲、邏些、幽燕、商雒、地名八見、亦是一病。

 

 

作者:    杜甫

皇帝紀年:           大曆二年

寫作時間:           767

寫作年紀:           56

卷別:    卷二三一             

文體:    五言古詩

詩題:    柳司馬至

詩序:   

寫作地點:           目前尚無資料

寫及地點:           故函谷關 (都畿道 陜州 故函谷關) 別名:秦關             

邯鄲 (河北道南部 邯鄲)           

商洛 (山南東道 商州 商洛)              

交遊人物/地點:  

柳至       書信往來

詩文:

 

柳司馬至

(杜甫は長安・朝廷に帰りたい、持病が悪化し日増しにつらくなる。このままではこの地にうずもれてしまう恐怖にさいなまれる。そんな日々を過ごす中、長安の様子のわかる人が訪ねてくれた。知っていること、知らないこと、客人の話を聞き洩らさず、すべて聞いたことであろう。)

有使歸三峽,相過問兩京。

ひとりの客人この三峡の入り口の夔州にやってきた。その客の名は柳司馬、私の所を訪ねてくれ たので、長安と洛陽の情況を尋ねた。

函關猶出將,渭水更屯兵。

彼が答えるには、「(吐蕃が攻めてきたので)長安の東の函谷関にはまだ将軍を派遣しており、長安の北の渭水にはさらに兵を駐屯させています。

設備邯鄲道,和親邏些城。

邯鄲への街道には防御を設け、ラサとは和睦を結ぼうとしております。

#2

幽燕唯鳥去,商洛少人行。

衰謝身何補,蕭條病轉嬰。

霜天到宮闕,戀主寸心明。

 

(柳司馬 至る)

使有り 歸三峽にる,相い過ぎるとき兩京を問う。

函關 猶お將を出す,渭水 更に兵を屯す。

備えを設ける邯鄲の道,和親す 邏些城。

#2

幽燕 唯だ鳥去る,商洛 人 行くも少し。

衰謝 身 何ぞ補わん,蕭條 病い 轉たた嬰る。

霜天 宮闕に到る,戀主 寸心 明らかなり。

鳳翔 長安 華州 地図01 

 

杜詩詳注 卷二一(四)一八二四 柳司馬至 現代語訳 訳注解説

(本文)

柳司馬至

有使歸三峽,相過問兩京。

函關猶出將,渭水更屯兵。

設備邯鄲道,和親邏些城。

#2

幽燕唯鳥去,商洛少人行。

衰謝身何補,蕭條病轉嬰。

霜天到宮闕,戀主寸心明。

 

詩文(含異文)     有使歸三峽,相過問兩京。函關猶出將【函關猶自將】,渭水更屯兵。設備邯鄲道,和親邏些城【案:吐蕃號其國都為邏些城。】。幽燕唯鳥去,商洛少人行。衰謝身何補,蕭條病轉嬰。霜天到宮闕,戀主寸心明。

 

(下し文)

(柳司馬 至る)

使有り 歸三峽にる,相い過ぎるとき兩京を問う。

函關 猶お將を出す,渭水 更に兵を屯す。

備えを設ける邯鄲の道,和親す 邏些城。

#2

幽燕 唯だ鳥去る,商洛 人 行くも少し。

衰謝 身 何ぞ補わん,蕭條 病い 轉たた嬰る。

霜天 宮闕に到る,戀主 寸心 明らかなり。

 

(現代語訳)

(杜甫は長安・朝廷に帰りたい、持病が悪化し日増しにつらくなる。このままではこの地にうずもれてしまう恐怖にさいなまれる。そんな日々を過ごす中、長安の様子のわかる人が訪ねてくれた。知っていること、知らないこと、客人の話を聞き洩らさず、すべて聞いたことであろう。)

ひとりの客人この三峡の入り口の夔州にやってきた。その客の名は柳司馬、私の所を訪ねてくれ たので、長安と洛陽の情況を尋ねた。

彼が答えるには、「(吐蕃が攻めてきたので)長安の東の函谷関にはまだ将軍を派遣しており、長安の北の渭水にはさらに兵を駐屯させています。

邯鄲への街道には防御を設け、ラサとは和睦を結ぼうとしております。

 

(訳注解説)

柳司馬至

(杜甫は長安・朝廷に帰りたい、持病が悪化し日増しにつらくなる。このままではこの地にうずもれてしまう恐怖にさいなまれる。そんな日々を過ごす中、長安の様子のわかる人が訪ねてくれた。知っていること、知らないこと、客人の話を聞き洩らさず、すべて聞いたことであろう。)

【題意】 大暦二年(芙七)冬、夔州で作られた詩。この年の九月から十月、吐蕃の攻撃で戒厳下にあった長安と洛陽の様子を述べ杜甫の朝廷への思いを綴る。柳司馬は未詳、司馬は官名。

鶴注此當是大暦二年作是年九月十/月吐蕃入宼兩京戒嚴故詩中説兩京

【解説】 「函関」以下の六句について、詳注は「函関」「澗水」「郡部」「避逆」は長安に迫 る吐蕃に対する防衛とし、「幽燕」「商洛」は洛陽に迫る河北の藩鎮(地方軍閥) に対する防 衛とする。『読杜心解』巻五之三は、「函関」「郡部」「幽燕」各句は藩鏡への防衛、「滑水」 「遵逆」「商洛」各句は吐書への防衛をいうと考える。

仇兆鰲の註に、「首の二句は、栁 夔に至って信を問うなり。」とあり、中の六句、「栁が詞を答う。」、「下四句は、公 自叙す。將を出づし兵を屯す、備を設し和親す、此に西京を指し吐蕃事とす。幽燕には路梗し、商洛には人稀なり、此れは東京の指し叛を將は事とす。

《杜臆》に:「霜天闕を望み、千里 明淨し 唯だ戀主は丹心なり。與之と共に明かなるのみ。 此の十字句は法なり。 

仇兆鰲の註に、「申涵光曰: 『此詩、用三峽、兩京、函渭水、邯/鄲、邏些、幽燕、商雒、の地名八見す、亦た是れ一病なり。

 

 

有使歸三峽,相過問兩京。

ひとりの客人この三峡の入り口の夔州にやってきた。その客の名は柳司馬、私の所を訪ねてくれ たので、長安と洛陽の情況を尋ねた。

三峡 重慶市から湖北省にかけて続く、長江の三つの峡谷。西から瞿塘峡、巫峡、西陵峡と位置する。

雨京 長安と洛陽。

 

 

函關猶出將,渭水更屯兵。

彼が答えるには、「(吐蕃が攻めてきたので)長安の東の函谷関にはまだ将軍を派遣しており、長安の北の渭水にはさらに兵を駐屯させています。

函關 函谷関。長安の東方を守るための關所。戦国時代の旧関(河南省三門峡市霊宝市)と前漢の新関(河南省洛陽市新安県)がある。ただここでは潼關(眺西省洞南市潼關県)の別称だろう。

渭水 渭河。黄河の支流で長安の北を流れる。

 

 

設備邯鄲道,和親邏些城

邯鄲への街道には防御を設け、ラサとは和睦を結ぼうとしております。

設備 吐蕃への防備を設ける。

邯鄲道 長安付近から邯鄲(河北省邯鄲市)に至る道。「郡部」は畳韻語「カンタン」。

和親 和睦する。

邏些城 吐蕃の国都(チベット自治区ラサ市)。

767年-233 《 冬至(卷二一(四)一八二三)》 - 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 訳注解説Blog11082

最近 一週間の訳注解説 BLOG

/日 

李白集校注

韓昌黎集

杜詩詳注

花間集

玉臺新詠

女性関連

李白

韓愈

杜甫

2/10

古風,五十九首之一 #1

張中丞傳後敘-#9

寫懷二首其一-#1

 

雜詩六首其四古意贈今人 #1

 

2/11

古風之一 #2

張中丞傳後敘-#10

寫懷二首其一 -2

 

古意贈今人 #2

 

2/12

古風,之三五

張中丞傳後敘 -#11

寫懷二首其一 -3

 

代葛沙門妻郭小玉詩二首

 

2/13

僧伽歌 -#1

張中丞傳後敘 -#13

寫懷二首其二-#1

 

代葛沙門妻郭小玉詩二首

 

2/14

僧伽歌  #2

張中丞傳後敘-#12

寫懷二首其二 -#2

 

雜詩二首其一 詠七寳扇-#1

 

2/15

贈丹陽橫山周處士惟長

張中丞傳後敘 -#14

寫懷二首其二 -#3

 

邱巨源_雜詩_詠七寳扇-#2

 

2/16

-

-

 

 

 

2/17

贈丹陽橫山周處士惟長  #2

張中丞傳後敘 -#15

冬至

 

邱巨源_其二聽隣妓 -#1

 

2/18

雪讒詩贈友人#-0

張中丞傳後敘 -#16

柳司馬至 -#1

 

邱巨源_其二聽隣妓

 

2/19

雪讒詩贈友人#1

張中丞傳後敘 -#17

柳司馬至-#2

 

王融_ 雜詩五首其一古意

 

2/20

 

 

 

 

 

 


767
-233  冬至(卷二一(四)一八二三)》 - 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 訳注解説Blog11082

 

 

 

767-233

 

 

 冬至(卷二一(四)一八二三)

 

 

杜甫詳注 訳注解説

 

 

漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 訳注解説Blog11082

 

 

 

 

〔詩題〕

作品番号

初句・五字

掲載

冬至(卷二一(四)一八二三)                   767

1265

年年至日長為客

 

 

 

 

1211            冬至(卷二一(四)一八二三)               767

                   年年至日長為客,忽忽窮愁泥殺人。江上形容吾獨老,天涯(一作邊)風俗自相親。

                   杖藜雪後臨丹壑,鳴玉(一作明主)朝來散紫宸。    

                   心折此時無一寸,路迷何處是(一作見)三秦。        

 

 

年:       大曆二年76756

卷別:    卷二三一             

文體:    七言律詩

詩題:    冬至

詩序:   

寫作地點:           目前尚無資料

寫及地點:           紫宸殿 (京畿道 京兆府 長安)           

交遊人物/地點:  

 

冬至

年年至日長為客,忽忽窮愁泥殺人。

江上形容吾獨老,天邊風俗自相親。

杖藜雪後臨丹壑,鳴玉朝來散紫宸。

心折此時無一寸,路迷何處見三秦。

 

詩文(含異文)     年年至日長為客,忽忽窮愁泥殺人。江上形容吾獨老,天邊風俗自相親【天涯風俗自相親】。杖藜雪後臨丹壑,鳴玉朝來散紫宸【明主朝來散紫宸】。心折此時無一寸,路迷何處見三秦【路迷何處是三秦】。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

冬至

年年至日長為客,忽忽窮愁泥殺人。

江上形容吾獨老,天邊風俗自相親。

杖藜雪後臨丹壑,鳴玉朝來散紫宸。

心折此時無一寸,路迷何處見三秦。

 

詩題

冬至

詩 體

七言律詩

全唐詩

巻二三一-0011

杜詩詳注

卷二一(四)一八二三

杜少陵集

巻二一01

杜甫全詩訳

1265

 

 

冬至

  鶴注:此當是大歷二年作。《玊燭寳典》 云: 至有三義、一者隂極之至、二者陽氣始至、

  三者日行/南至

年年至日長為客①,忽忽窮愁泥乃計/殺人②。江上形容吾獨老③、

天涯一作/風俗自相親④。杖藜雪後臨丹壑⑤、鳴玉//朝來散紫宸⑥。

心折此時無一寸⑦、路迷何處是一作/三秦8上四言:旅居冬至、下憶長安冬至也。

惟客途久滯、/故自傷泥殺。形容獨老、皆窮愁所致。 風俗自親、於為客無與。身臨丹壑、

而意想紫宸故有心折路迷之慨。心/折則窮愁轉甚、路迷則久客難歸矣。

    鮑照詩;去親爲客滯

    阮籍詩忽忽至夕窮。 《測㫖》忽忽、不定也。泥殺人、/

    《楚辭》:屈原放於澤畔、形容枯槁。

    陸雲詩:風土豈相親。

    《莊子》:原憲杖藜而應門。入鮑照詩妍容逐丹壑。

    『西征賦』:飛翠緌、拖鳴玉、以出 禁門者衆矣。

    江淹《賦》:心折骨驚。

    謝靈運詩::路迷糧亦絶。  《史記》項羽分秦地為三: 章 為雍王、都廢邱;司馬欣塞王

都櫟陽;董翳為翟王、/都高奴。謂之三秦

 

 

冬至

年年至日長為客,忽忽窮愁泥殺人。

(冬至の日、これまでこの日をどう過ごしたか? これからどう生きるのか? その感を述べたもの)

江上形容吾獨老,天邊風俗自相親。

自分は、毎年、そして今年も旅客となっている、困窮と愁苦がこの身に泥のようにへばりついて、死ぬ思いというところである。

杖藜雪後臨丹壑,鳴玉朝來散紫宸。

長江の流れに乗って次第に南下しているがその間にも私一人、老けてしまった。天涯の異様な風習にさえも次第に慣れてきて異様に感じるよりも、自然と親しむようになってきたのである。

心折此時無一寸,路迷何處見三秦。

郷はこの地で雪も上がったので、藜の杖を突いて丹谷に臨んでいるが、韋峰で。都のほうでは、朝の參朝するため、高官たちが佩び玉を鳴らし、腰を曲げ前かがみに列を作ったが、もうじき退散することであろう。

しかし、隠遁の旅もこのように長期になると、しかも、世情が落ち着かず転々とすることで、心が折れて、一寸の安らぎの心もない、理想は都にかえり半隠半官の生活であるが、ここからの帰り道はどの道を選ぶか持病のこともあって舞路や袋小路に悩まされている。

 

(冬至)

年年 至日 長に客と為し,忽忽 窮愁 人を泥殺す。

江上の形容 吾獨り 老ゆ,天邊の風俗 自ら相い親しむ。

藜を杖いて 雪後 丹壑に臨み,玉を鳴らして 朝來 紫宸散ずるならん。

心 折れて 此の時 一寸無し,路 迷う何れの處か 三秦ならしむ。

 

 

『寫懷,二首之二』現代語訳と訳註解説
(
本文)

冬至

年年至日長為客,忽忽窮愁泥殺人。

江上形容吾獨老,天邊風俗自相親。

杖藜雪後臨丹壑,鳴玉朝來散紫宸。

心折此時無一寸,路迷何處見三秦。

 

詩文(含異文)     年年至日長為客,忽忽窮愁泥殺人。江上形容吾獨老,天邊風俗自相親【天涯風俗自相親】。杖藜雪後臨丹壑,鳴玉朝來散紫宸【明主朝來散紫宸】。心折此時無一寸,路迷何處見三秦【路迷何處是三秦】。


(下し文)
(冬至)

年年 至日 長に客と為し,忽忽 窮愁 人を泥殺す。

江上の形容 吾獨り 老ゆ,天邊の風俗 自ら相い親しむ。

藜を杖いて 雪後 丹壑に臨み,玉を鳴らして 朝來 紫宸散ずるならん。

心 折れて 此の時 一寸無し,路 迷う何れの處か 三秦ならしむ。


(現代語訳)
(冬至の日、これまでこの日をどう過ごしたか? これからどう生きるのか? その感を述べたもの)

自分は、毎年、そして今年も旅客となっている、困窮と愁苦がこの身に泥のようにへばりついて、死ぬ思いというところである。

長江の流れに乗って次第に南下しているがその間にも私一人、老けてしまった。天涯の異様な風習にさえも次第に慣れてきて異様に感じるよりも、自然と親しむようになってきたのである。

郷はこの地で雪も上がったので、藜の杖を突いて丹谷に臨んでいるが、韋峰で。都のほうでは、朝の參朝するため、高官たちが佩び玉を鳴らし、腰を曲げ前かがみに列を作ったが、もうじき退散することであろう。

しかし、隠遁の旅もこのように長期になると、しかも、世情が落ち着かず転々とすることで、心が折れて、一寸の安らぎの心もない、理想は都にかえり半隠半官の生活であるが、ここからの帰り道はどの道を選ぶか持病のこともあって舞路や袋小路に悩まされている。


(訳注解説)

冬至

(冬至の日、これまでこの日をどう過ごしたか? これからどう生きるのか? その感を述べたもの)

冬至は、二十四節気の第22。北半球ではこの日が一年のうちで最も昼の時間が短い。十一月中。 現在広まっている定気法では太陽黄経が270度のときで1222日ごろ。恒気法は節気を冬至からの経過日数で定義するが、基点となる冬至は定気と同じ定義である。定気と恒気で一致する唯一の節気である。

 

年年至日長為客,忽忽窮愁泥殺人。

自分は、毎年、そして今年も旅客となっている、困窮と愁苦がこの身に泥のようにへばりついて、死ぬ思いというところである。

至日 冬至のその日。

忽忽 ①事を省みないさま。おろそかにするさま。 ②すみやかに去るさま。 ③なすべき事が手につかないさま。 ④迷うさま。惑うさま。 ⑤うっとりとしたさま。

窮愁 困窮と愁苦。

泥殺人 泥が人にはなはだしくついた場合になかなか取れずきれいにならない状態を言う。殺ははなはだしいこと。

 

江上形容吾獨老,天邊風俗自相親。

長江の流れに乗って次第に南下しているがその間にも私一人、老けてしまった。天涯の異様な風習にさえも次第に慣れてきて異様に感じるよりも、自然と親しむようになってきたのである。

自相親 長安の風俗とことごとく風俗が違っていたが、作者自ら、地下好き、受け入れてゆく、そして、今では親しみを覚えるというほどの意味。

 

杖藜雪後臨丹壑,鳴玉朝來散紫宸

郷はこの地で雪も上がったので、藜の杖を突いて丹谷に臨んでいるが、韋峰で。都のほうでは、朝の參朝するため、高官たちが佩び玉を鳴らし、腰を曲げ前かがみに列を作ったが、もうじき退散することであろう。

杖藜 4~5年前、成都で徐知道が反乱を起こした際、蜀中を転々とした。その際、梓州の役人にプレゼントされたもの。それ以来歩行に杖を使うようになった。

臨丹壑 赤土質の夔州のこと。

鳴玉 朝廷内で、官僚の佩び玉を鳴らしてあるくことをいい、朝廷に参列姿を揶揄している。

朝來散紫宸 夜明けまでに大明宮の朝礼する宮殿に出入りすることを示す。。

 

心折此時無一寸,路迷何處見三秦

しかし、隠遁の旅もこのように長期になると、しかも、世情が落ち着かず転々とすることで、心が折れて、一寸の安らぎの心もない、理想は都にかえり半隠半官の生活であるが、ここからの帰り道はどの道を選ぶか持病のこともあって舞路や袋小路に悩まされている。

心折 心が墔折すること。杜甫は、長安に帰るべく出発するも、持病が再発、あるいは、悪化して養生せざるを得なかったことを示す。江淹《賦》:心折骨驚。

一寸 一寸は心臓のことである。古代では、心の働き、思いなどを心臓のはたらきであるとされていた。

路迷 体力がなく陸上の道を帰る道に選べず、時間のかかる船旅を選ばざるを得なかったが、資金面、持病などで困難を極めた。

三秦 長安、咸陽をいう古代王朝のある、都のあった関中地方のいい方である。 謝靈運詩::路迷糧亦絶。《史記》項羽分秦地為三: 章 為雍王、都廢邱;司馬欣塞王

都櫟陽;董翳為翟王、/都高奴。謂之三秦。

767年-232 《寫懷二首其二(卷二○(四)一八一九) -#3》 - 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 訳注解説Blog11074

最近 一週間の訳注解説 BLOG

/日 

李白集校注

韓昌黎集

杜詩詳注

花間集

玉臺新詠

女性関連

李白

韓愈

杜甫

2/10

古風,五十九首之一 #1

張中丞傳後敘-#9

寫懷二首其一-#1

 

雜詩六首其四古意贈今人 #1

 

2/11

古風之一 #2

張中丞傳後敘-#10

寫懷二首其一 -2

 

古意贈今人 #2

 

2/12

古風,之三五

張中丞傳後敘 -#11

寫懷二首其一 -3

 

代葛沙門妻郭小玉詩二首

 

2/13

僧伽歌 -#1

張中丞傳後敘-#12

寫懷二首其二-#1

 

代葛沙門妻郭小玉詩二首

 

2/14

僧伽歌  #2

張中丞傳後敘 -#13

寫懷二首其二 -#2

 

雜詩二首其一 詠七寳扇-#1

 

2/15

贈丹陽橫山周處士惟長

張中丞傳後敘 -#14

寫懷二首其二 -#3

 

邱巨源_雜詩_詠七寳扇-#2

 

2/16

-

-

-

 

-

 

767-232 《寫懷二首其二(卷二○(四)一八一九) -3 - 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 訳注解説Blog11074

 

 

 

767232 -3

 

 

寫懷二首其二(卷二○(四)一八一九)

 

 

杜甫詳注 訳注解説

 

 

漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 訳注解説Blog11074

 

 

 

年:767年大暦256  21  #3

卷別:    卷二二二              文體:    五言古詩

詩題:    寫懷,二首之二

作地點:              目前尚無資料

及地點:              

交遊人物/地點:  

詩文:

 

寫懷,二首之二  #1

(自分の胸の内を写し述べた詩)その二

夜深坐南軒,明月照我膝。

夜ふけて南むきの軒にすわっていると、明月が自分の膝の上を照らす。

驚風翻河漢,梁棟已出日。

ざわつく風があまの河原を吹きおとしたかとおもうと、梁棟の上には、はや太陽があらわれる。

群生各一宿,飛動自儔匹。

すべての生物がそれぞれ一夜のやどりを終わって禽獣そのたぐいを求めてはたらく。

吾亦驅其兒,營營為私實。

自分もこどもらを駆りたてて、せっせとはたらくのは自己の財物をつくらんがために外ならないのである。

#2

天寒行旅稀,暮日月疾。

いま天が寒くなって旅人も稀になっている、月日のすぎるのは、はやくて歳がくれになった。

榮名忽中人,世亂如蟣蝨。

かんがへてみると世のなかの人人は栄誉ある名のために中毒しているもので、そのため世はみだれてしらみ蟲がわいているごとくになっている。

古者三皇前,滿腹志願畢。

おおむかしに三皇の以前には人は腹いっぱい物をつめたらそれだけで志願はすんでいたのだ。

胡為有結繩,陷此膠與漆。

それになんで結縄などということをはじめて、人間の天然の親密をうちこわす様にしたのだ。

#3

禍首燧人氏,厲階董狐筆。

それを思うと禍の発頭人は燧人氏であり、厲厄の階梯をつくったものは上古の董狐の直筆だというてもよい。

君看燈燭張,轉使飛蛾密。

看たまえ、名利に比す燈燭がもちだされると火をしたって、一般俗人に比す蛾の蟲が密集してくるではないか。 

放神八極外,俯仰俱蕭瑟。

我が精神を八方のはてに放ってみると一俯一仰のあいだに一切萬有はみんな消滅してさびしいものである。

終然契真如,得匪合仙術。

自分もしまいには真如の理と契るためには彿法の手段によるほかにないのではあるまいか。 

 

(懷を寫す,二首の一) #1

夜深くして南軒に坐す,明月 我が膝を照らす。

驚風 河漢を翻す,梁棟 已に日出づ。

群生 各の一宿す,飛動 自ら儔匹す。

吾も亦た 其の兒を驅る,營營たる 私實の為なり。

#2

天寒くして行旅稀なり,暮れて 日月疾【はや】し。

榮名 忽ち人に中【あた】る,世亂れて 蟣蝨の如し。

古者 三皇の前,滿腹 志願畢る。

胡為れぞ 結繩有りて,此の膠と漆とを陷れるや。

#3

禍首は燧人氏,厲階は董狐が筆。

君 看よ 燈燭張る,轉た飛蛾をして密ならしむ。

神を放つ 八極の外,俯仰 俱に蕭瑟たり。

終然 真如に契る,仙に合す術に匪ざるを得んや。

 

 

『寫懷,二首之二』現代語訳と訳註解説
(
本文)

#3

禍首燧人氏,厲階董狐筆。

君看燈燭張,轉使飛蛾密。

放神八極外,俯仰俱蕭瑟。

終然契真如,得匪合仙術。
詩文(含異文)

禍首燧人氏,厲階董狐筆。君看燈燭張,轉使飛蛾密。

放神八極外,俯仰俱蕭瑟。終然契真如【終契如往還】,得匪合仙術【歸匪金仙術】。


(下し文)
#3

禍首は燧人氏,厲階は董狐が筆。

君 看よ 燈燭張る,轉た飛蛾をして密ならしむ。

神を放つ 八極の外,俯仰 俱に蕭瑟たり。

終然 真如に契る,仙に合す術(合仙の術)に匪ざるを得んや。

(現代語訳)
#3

それを思うと禍の発頭人は燧人氏であり、厲厄の階梯をつくったものは上古の董狐の直筆だというてもよい。

看たまえ、名利に比す燈燭がもちだされると火をしたって、一般俗人に比す蛾の蟲が密集してくるではないか。 

我が精神を八方のはてに放ってみると一俯一仰のあいだに一切萬有はみんな消滅してさびしいものである。

自分もしまいには真如の理と契るためには彿法の手段によるほかにないのではあるまいか。 


(訳注) #3

寫懷,二首之二  #3

(自分の胸の内を写し述べた詩)その二

22 寫懷 抒發情懷。漢蔡邕《司徒袁公夫人馬氏碑銘》:「哀子懿達、仁達,銜恤哀痛,靡所寫懷,乃撰録母氏之德所履,示公之門人。」三國魏明帝《苦寒行》:「賦詩以寫懷,伏軾淚沾纓。」

 

禍首燧人氏,厲階董狐筆。

それを思うと禍の発頭人は燧人氏であり、厲厄の階梯をつくったものは上古の董狐の直筆だというてもよい。

31 禍首 禍を生じ占めた発頭人。

32 燧人氏 韓非『韓非子』五蠹篇にみえる、上古の時代、人々は木の実や草の実、螺や蛤などをとって食べていたが、腥さく嫌な臭いがあって、胃腸を壊し、病気になるものが多かった。 その時、一人の聖人が火打ち石を使って(注:火おこし木、という説もある)火をおこし、食べ物を焼いて臭いをなくした。  民衆は喜んで、この聖人を天下の王と仰ぎ、燧人氏と呼んだ。燧人氏が火をおこす方法を発見したきっかけについては「鳥がくちばしで樹をつつくのにヒントを得て、木の枝をこすり合わせて火をおこした」という説もある。

33 厲階 禍の段階をなさしもの。

34 董狐筆 春秋左伝」宣公二年の故事から、権勢を恐れずに真実を発表すること。権力者の圧力に負けずに真相を歴史に記すこと。春秋時代、晋の史官であった董狐は、君主の霊公が殺された時、大臣の趙盾(ちょうとん)が殺したと記録した。直接手を下した犯人はわかっていたが、大臣の地位にあった趙盾がその犯人を討たなかったからで、正しい歴史を書いた故事とされる。

 

君看燈燭張,轉使飛蛾密。

看たまえ、名利に比す燈燭がもちだされると火をしたって、一般俗人に比す蛾の蟲が密集してくるではないか。 

35 燈燭 ともしび。灯火。とうそく、もって名利に比す。

36 飛蛾 娥の蟲、以て一般俗人に比す。

 

放神八極外,俯仰俱蕭瑟。

我が精神を八方のはてに放ってみると一俯一仰のあいだに一切萬有はみんな消滅してさびしいものである。

37 八極外 八方のはて。

38 俱蕭瑟 俱は一切ともにという意、蕭瑟はさびしき貌、消滅の姿。

 

終然契真如,得匪合仙術。

自分もしまいには真如の理と契るためには彿法の手段によるほかにないのではあるまいか。 

39 契真如 仏教郷里の極致、悟りの最上。

40 得匪 「得無非」(非らざる無きを得んや)の意。

41 合仙術 仏教の釋典に佛を大覺金仙と号す。合仙の術とは仏法を言う。

 

767年-232 《寫懷二首其二(卷二○(四)一八一九) -#2》 - 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 訳注解説Blog11066

最近 一週間の訳注解説 BLOG

/日 

李白集校注

韓昌黎集

杜詩詳注

花間集

玉臺新詠

女性関連

李白

韓愈

杜甫

2/10

古風,五十九首之一 #1

張中丞傳後敘-#9

寫懷二首其一-#1

 

雜詩六首其四古意贈今人 #1

 

2/11

古風之一 #2

張中丞傳後敘-#10

寫懷二首其一 -2

 

古意贈今人 #2

 

2/12

古風,之三五

張中丞傳後敘 -#11

寫懷二首其一 -3

 

代葛沙門妻郭小玉詩二首

 

2/13

僧伽歌 -#1

張中丞傳後敘 -#13

寫懷二首其二-#1

 

代葛沙門妻郭小玉詩二首

 

2/14

僧伽歌  #2

張中丞傳後敘-#12

寫懷二首其二 -#2

 

雜詩二首其一 詠七寳扇-#1

 

2/15

 

 

 

 

 

 

2/16

 

 

 

 

 

 

767-232 《寫懷二首其二(卷二○(四)一八一九) -2 - 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 訳注解説Blog11066

 

 

 

 767-232 -2

 

 

寫懷二首其二(卷二○(四)一八一九)

 

 

杜甫詳注 訳注解説

 

 

漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 訳注解説Blog11066

 

 

 

 

 

 

年:767年大暦256  21  #2

卷別:    卷二二二              文體:    五言古詩

詩題:    寫懷,二首之二

作地點:              目前尚無資料

及地點:              

交遊人物/地點:  

詩文:

 

寫懷,二首之二  #1

(自分の胸の内を写し述べた詩)その二

夜深坐南軒,明月照我膝。

夜ふけて南むきの軒にすわっていると、明月が自分の膝の上を照らす。

驚風翻河漢,梁棟已出日。

ざわつく風があまの河原を吹きおとしたかとおもうと、梁棟の上には、はや太陽があらわれる。

群生各一宿,飛動自儔匹。

すべての生物がそれぞれ一夜のやどりを終わって禽獣そのたぐいを求めてはたらく。

吾亦驅其兒,營營為私實。

自分もこどもらを駆りたてて、せっせとはたらくのは自己の財物をつくらんがために外ならないのである。

#2

天寒行旅稀,暮日月疾。

いま天が寒くなって旅人も稀になっている、月日のすぎるのは、はやくて歳がくれになった。

榮名忽中人,世亂如蟣蝨。

かんがへてみると世のなかの人人は栄誉ある名のために中毒しているもので、そのため世はみだれてしらみ蟲がわいているごとくになっている。

古者三皇前,滿腹志願畢。

おおむかしに三皇の以前には人は腹いっぱい物をつめたらそれだけで志願はすんでいたのだ。

胡為有結繩,陷此膠與漆。

それになんで結縄などということをはじめて、人間の天然の親密をうちこわす様にしたのだ。

#3

禍首燧人氏,厲階董狐筆。

君看燈燭張,轉使飛蛾密。

放神八極外,俯仰俱蕭瑟。

終契如往還,得匪合仙術。

 

(懷を寫す,二首の一) #1

夜深くして南軒に坐す,明月 我が膝を照らす。

驚風 河漢を翻す,梁棟 已に日出づ。

群生 各の一宿す,飛動 自ら儔匹す。

吾も亦た 其の兒を驅る,營營たる 私實の為なり。

#2

天寒くして行旅稀なり,暮れて 日月疾【はや】し。

榮名 忽ち人に中【あた】る,世亂れて 蟣蝨の如し。

古者 三皇の前,滿腹 志願畢る。

胡為れぞ 結繩有りて,此の膠と漆とを陷れるや。

 

 

『寫懷,二首之二』現代語訳と訳註解説
(
本文)

#2

天寒行旅稀,暮日月疾。

榮名忽中人,世亂如蟣蝨。

古者三皇前,滿腹志願畢。

胡為有結繩,陷此膠與漆。

(下し文)
#2

天寒くして行旅稀なり,暮れて 日月疾【はや】し。

榮名 忽ち人に中【あた】る,世亂れて 蟣蝨の如し。

古者 三皇の前,滿腹 志願畢る。

胡為れぞ 結繩有りて,此の膠と漆とを陷れるや。

(現代語訳)
#2

いま天が寒くなって旅人も稀になっている、月日のすぎるのは、はやくて歳がくれになった。

かんがへてみると世のなかの人人は栄誉ある名のために中毒しているもので、そのため世はみだれてしらみ蟲がわいているごとくになっている。

おおむかしに三皇の以前には人は腹いっぱい物をつめたらそれだけで志願はすんでいたのだ。

それになんで結縄などということをはじめて、人間の天然の親密をうちこわす様にしたのだ。


(訳注) #2

寫懷,二首之二  #2

(自分の胸の内を写し述べた詩)その二

31 寫懷 抒發情懷。漢蔡邕《司徒袁公夫人馬氏碑銘》:「哀子懿達、仁達,銜恤哀痛,靡所寫懷,乃撰録母氏之德所履,示公之門人。」三國魏明帝《苦寒行》:「賦詩以寫懷,伏軾淚沾纓。」

 

天寒行旅稀,暮日月疾。

いま天が寒くなって旅人も稀になっている、月日のすぎるのは、はやくて歳がくれになった。

32 日月疾 月日のすぎるのがはやいことをいう。

 

榮名忽中人,世亂如蟣蝨。

かんがへてみると世のなかの人人は栄誉ある名のために中毒しているもので、そのため世はみだれてしらみ蟲がわいているごとくになっている。

33 中人 名利心の害毒にあたられることをいう。

34 蟣蝨 蟣はしらみの子、蝨はしらみ。

 

古者三皇前,滿腹志願畢。

おおむかしに三皇の以前には人は腹いっぱい物をつめたらそれだけで志願はすんでいたのだ。

35 三皇 三皇については諸説あるが、1. 前漢・司馬遷『史記』秦始皇本紀において皇帝という称号を定める文脈で、天皇・地皇・泰皇(人皇)を挙げる。泰皇の「皇」と「帝」号を組み合わせて皇帝としたと伝えられている。唐の司馬貞『史記索隠』では泰皇=人皇としたり、天皇・地皇・人皇を三皇としてその前に泰皇がいたとしたりする。司馬貞が補った『史記』の三皇本紀では三皇を伏羲、女媧、神農とするが、天皇・地皇・人皇という説も並記している。 2. 唐の司馬貞補『史記』三皇本紀で、伏羲・女媧・神農としている。『春秋緯運斗枢』(『風俗通』皇覇篇に引く)。これを継承する。 3. 『礼緯含文嘉』(『風俗通』皇覇篇に引く)では燧人・伏羲・神農   4. 後漢・班固『白虎通』号篇では伏羲・神農・祝融としている。  5. 西晋・皇甫謐『帝王世紀』では伏羲・神農・黄帝を三皇としている。 -

 

胡為有結繩,陷此膠與漆。

それになんで結縄などということをはじめて、人間の天然の親密をうちこわす様にしたのだ。

36 胡為 どうしてからか、どうして、の意。別名 何為、執為.

37 結繩 未開民族がなす思想交換、保存のための方法であり、縄を結び、その結び方、その結び目の間隔などにより伝える、一種の文字言語。文字をもたない社会で,縄(なわ)の結び方によって数量などを表示・記録したり,意思を通じたりすること。古代ペルーのキープや沖縄の藁算(わらさん)など種々ある。

38 陷此 おとしいる、破壊することを言う。

39 膠與漆 交情の密着を言う。《古詩十九首之十八》「以膠投漆中,誰能別離此?」(膠を以て漆中に投ぜば、誰か能く此を別離せん。 ニカワを漆の中に入れ込んだら、もう誰でも引き離すことはできないことであるように夫婦仲もそれと同じなのだ。

古詩十九首之十八 漢の無名氏(18)  漢詩<31 kanbuniinkai 紀 頌之の詩詞ブログ 2541 (06/17)



757年-232 《寫懷二首其二(卷二○(四)頁一八二○) -#1》 - 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 訳注解説Blog11026

757-232 《寫懷二首其二(卷二○(四)頁一八二○) -1 - 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 訳注解説Blog11026


 

767232 -1

 

 

寫懷二首其二(卷二○(四)頁一八二○)

 

 

杜甫詳注 訳注解説

 

 

漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 訳注解説Blog11026

 

 

 

 


年:767年大暦256  21  #1

卷別:    卷二二二              文體:    五言古詩

詩題:    寫懷,二首之二

作地點:              目前尚無資料

及地點:              

交遊人物/地點:  

詩文:

 

寫懷,二首之二  #1

(自分の胸の内を写し述べた詩)その二

夜深坐南軒,明月照我膝。

夜ふけて南むきの軒にすわっていると、明月が自分の膝の上を照らす。

驚風翻河漢,梁棟已出日。

ざわつく風があまの河原を吹きおとしたかとおもうと、梁棟の上には、はや太陽があらわれる。

群生各一宿,飛動自儔匹。

すべての生物がそれぞれ一夜のやどりを終わって禽獣そのたぐいを求めてはたらく。

吾亦驅其兒,營營為私實。

自分もこどもらを駆りたてて、せっせとはたらくのは自己の財物をつくらんがために外ならないのである。

#2

天寒行旅稀,暮日月疾。

榮名忽中人,世亂如蟣蝨。

古者三皇前,滿腹志願畢。

胡為有結繩,陷此膠與漆。

#3

禍首燧人氏,厲階董狐筆。

君看燈燭張,轉使飛蛾密。

放神八極外,俯仰俱蕭瑟。

終契如往還,得匪合仙術。

 

(懷を寫す,二首の一) #1

夜深くして南軒に坐す,明月 我が膝を照らす。

驚風 河漢を翻す,梁棟 已に日出づ。

群生 各の一宿す,飛動 自ら儔匹す。

吾も亦た 其の兒を驅る,營營たる 私實の為なり。

 

 

『寫懷,二首之二』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

寫懷,二首之二  #1

夜深坐南軒,明月照我膝。

驚風翻河漢,梁棟已出日。

群生各一宿,飛動自儔匹。

吾亦驅其兒,營營為私實。
詩文(含異文)

夜深坐南軒,明月照我膝。驚風翻河漢,梁棟已出日【梁棟日已出】。

群生各一宿,飛動自儔匹。吾亦驅其兒,營營為私實【營營為私室】。


(下し文)
(懷を寫す,二首の二) #1

夜深くして南軒に坐す,明月 我が膝を照らす。

驚風 河漢を翻す,梁棟 已に日出づ。

群生 各の一宿す,飛動 自ら儔匹す。

吾も亦た 其の兒を驅る,營營たる 私實の為なり。

(現代語訳)
寫懷,二首之二  #1 (自分の胸の内を写し述べた詩)その二

夜ふけて南むきの軒にすわっていると、明月が自分の膝の上を照らす。

ざわつく風があまの河原を吹きおとしたかとおもうと、梁棟の上には、はや太陽があらわれる。

すべての生物がそれぞれ一夜のやどりを終わって禽獣そのたぐいを求めてはたらく。

自分もこどもらを駆りたてて、せっせとはたらくのは自己の財物をつくらんがために外ならないのである。


(訳注)

寫懷,二首之二  #1

(自分の胸の内を写し述べた詩)その二

抒發情懷。漢蔡邕《司徒袁公夫人馬氏碑銘》:「哀子懿達、仁達,銜恤哀痛,靡所寫懷,乃撰録母氏之德所履,示公之門人。」三國魏明帝《苦寒行》:「賦詩以寫懷,伏軾淚沾纓。」

 

夜深坐南軒,明月照我膝。

夜ふけて南むきの軒にすわっていると、明月が自分の膝の上を照らす。

 

驚風翻河漢,梁棟已出日。

ざわつく風があまの河原を吹きおとしたかとおもうと、梁棟の上には、はや太陽があらわれる。

河漢 あまのがわ。天河・銀河・経河・銀漢・雲漢・星漢・天津・漢津等はみなその異名である。杜甫『天河』。うじゃく:かささぎ 「烏鵲の智」 遠い将来のことばかり心配して、近くに迫っている災難に気がつかないこと。かささぎは強風の多い年には風をさけようとして巣を低い枝にかけるが、そのために、雛や卵を人に捕られることまでは、知恵がまわらない。このことを「喜」に置き換えてうたう。李商隠辛未七夕」 李商隠にカササギが銀河の橋渡しをしてくれる鳥としている。『詩経』「鵲巢」にはカササギは巣作りに一生懸命、出来上がった巣は立派な頑丈なもの、しかし鳩が子育てに使う。しかしたくさんのお客がついてくる、というもの。

天河 杜甫<292kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1343 杜甫詩 700- 412

初月 杜甫<293kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1346 杜甫詩 700- 413

梁棟 ① (建物の屋根の主要材である)棟(むね)と梁(はり)。  一国の臣。  一族・一門を率いる者。かしら。おさ。頭領。統領。 「武家の-」  大工の親方。かしら。寝ていて朝日が射しこんで本来うす暗いところが明るくなることを言う。

 

群生各一宿,飛動自儔匹。

すべての生物がそれぞれ一夜のやどりを終わって禽獣そのたぐいを求めてはたらく。

羣生 もろもろの生物。

一宿 一夜の棲宿をしたこと。

飛動 禽獣をいう。

儔匹 同類 共に生を遂げる。

 

吾亦驅其兒,營營為私實。

自分もこどもらを駆りたてて、せっせとはたらくのは自己の財物をつくらんがために外ならないのである。

營營 働く姿を言う。

私實 私有財産、財物をいう。《國語 楚語》「蓄衆、聚實。」(衆を蓄え、實を聚む)

 

 

 

 

寫懷,二首【字解】

寫懷,二首之一 #1

勞生共乾坤,何處異風俗。

冉冉自趨競,行行見羈束。

無貴賤不悲,無富貧亦足。

萬古一骸骨,鄰家遞歌哭。

#2

鄙夫到巫峽,三如轉燭。

全命甘留滯,忘情任榮辱。

朝班及暮齒,日給還粟。

編蓬石城東,采藥山北谷。

#3

用心霜雪間,不必條蔓綠。

非關故安排,曾是順幽獨。

達士如弦直,小人似鉤曲。

曲直我不知,負暄候樵牧。 

 

(自分の胸の内を写し述べた詩)

1 勞生 我々に生命を与えて苦労させる。《莊子.大宗師》:「夫大塊載我以形,勞我以生,佚我以老,息我以死。」(夫れ大塊は我を載するに形を以てし,我を勞するに生を以てし,我を佚するに老を以てし,我を息するに死をて以す。)大地は我々に形を与えてくれる。そしてまた我々に生命を与えて苦労させ、歳をとらせて楽にし、死を与えて休息させてくれる。

2 共乾坤 同一の天地の間にあることを言う。(えき)の卦()の乾と坤。天と地。天地。陰陽。いぬい(北西)の方角とひつじさる(南西)の方角。5 2巻で一組となっている書物の、上巻と下巻。

3 異風俗 風俗異ならず、ということではなく、異を諭ずるに及ばざるをいう。 

4 冉冉 1.進行の貌。次第に進んでいくさま。徐々に侵し広がるさま。2(髪の毛や木の枝・葉などが)しなやかに垂れる.

5 趨競 はしり競う。競い争うこと。名利の途におもむく。爭名奪利。《宋史.卷二九六.呂祐之傳》:「祐之純謹長者,不喜趨競。」

6 行行 一歩一歩。魏 武帝《苦寒行》「行行日已遠,人馬同時饑。」(行き行きて日已に遠く 人馬 時を同じくして飢う)

7 羈束 からだをつなぎしばられる。

8 無貴賤不悲,無富貧亦足 阮籍《大人先生傳》「夫無貴則賤者不怨,無富則貧者不爭,各足於身而無所求也。」(夫れ貴無んば則ち賤者怨まず,富無んば則ち貧者爭わず,各の身に足して求むる所無し也。)に基づく。

9 一骸骨 だれも同一骸骨になる

10 遞 横へ横へと次々に伝え送る。「逓信・逓送/駅逓・伝逓」だんだん。しだいに。

11 歌哭 笑い歌いまた悲しみ哭することで烈的感情をいう。《周礼·春官·女巫》「凡邦之大災, 歌哭而請。」とある。

12 鄙夫 いやしい男。下品な男。現在の自分が思うようにならない様子を謙遜して使う語。

13 三 755年永泰元年、756年大暦元年、757年大暦二年の三年を言う。

14 如轉燭 風中に搖曳く燭火の瞬く間。比するのは、世事のことであり、月の遷流するのが迅速であることである。杜甫《0715佳人》詩「世情惡衰歇,萬事隨轉燭。」(世情【せじょう】衰歇【すいけつ】を悪む、万事【ばんじ】転燭【てんしょく】に随う。普通世間の人にたいする情というものは女盛りなら誰でも愛すものだが、歳を重ね衰えてしまった肢体顔色、後ろ盾がなく、頼る背のないものは嫌がられるものであり、わが身づくろいも万事はその場の成り行きのままになってきた。

佳人 <229-#2>杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1112 杜甫特集700- 335

15 榮辱 光榮と恥辱。易經·繫辭上:「樞機之發,榮辱之主也。」(樞機 之れ發す,榮辱 之れ主とする也。)枢機とは、物事の最も大切なところ。かなめ。要所。重要な政務。

16 朝班及暮齒 晩年になって朝班を得たことを言う。暮齒:晩年を言う。杜甫75746歳鳳翔行在所において左拾遺を授けられる。76453歳工部員外郎となり緋魚袋をたまわる。 

17 粟 脱粟の飯とは、もみがらを取り去っただけで精白してない米を炊いた飯。玄米飯。

18 編蓬 蓬を編んで戸扉とするをいう。編蓬以為門 亦指結草為廬。 漢東方朔《非有先生論》「居深山之間, 積土為室, 編蓬為 彈琴其中, 以詠先王之風, 亦可以樂而忘死矣。」

19 石城東 夔州城は石城といわれ、東はその東、即ち杜甫の草堂のある瀼西を言う。

20 采藥 采藥,亦作“采葯”。藥物を采集するを謂う。 亦た、世を避けて隱居するを指し、或いは、仙修の道を求めることをさす。 《後漢書‧逸民傳‧龐公》「後遂攜其妻子登鹿門山, 因采藥不反。」(後、遂に其の妻子を攜えて鹿門山に登り, 因て藥を采り反らず。 唐李白《悲清秋賦》「歸去來兮人間可以托些,吾將采藥於蓬邱。」(歸りなんいざ、人間 可なり 以て托し,吾 將に藥を蓬邱に采る。)

21 山北谷 山北の谷とは瀼西の居よりいわば蓋し、白谷をいう。杜甫《19-10 上後園山》詩に山北の谷について述べているが初四句に「朱夏熱所嬰,清旭步北林。小園背高岡,挽葛上崎崟。」(朱夏 熱 嬰る所なり,清旭に 北林に步す。小園 高岡をに背す,葛を挽きて 崎崟たるに上る。)とある。

767-12-#1杜甫 19-10 上後園山#1 杜甫詩index-15-767年大暦256-12-#1 <1095 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7155 


757年-231 《寫懷二首其一(卷二○(四)一八一八) -#3》 - 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 訳注解説Blog11018

757-231 《寫懷二首其一(卷二○(四)一八一八) -3 - 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 訳注解説Blog11018

 

 

 

 

757-231

 

 

寫懷二首其一(卷二○(四)頁一八一八) #3

 

 

杜甫詳注 訳注解説

 

 

漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 訳注解説Blog11002

 

 

 

 

寫懷二首其一

詩 

五言古

全唐

卷二二二        09

杜詩詳

卷二○(四)頁一八一八

杜少陵

巻二-102

杜甫全詩訳注

1263

 

寫懷二首其一

勞生共乾坤,何處異風俗。冉冉自趨競,行行見羈束。

無貴賤不悲,無富貧亦足。萬古一骸骨,鄰家遞歌哭。

#2

鄙夫到巫峽,三如轉燭。全命甘留滯,忘情任榮辱。

朝班及暮齒,日給還粟。編蓬石城東,采藥山北穀。

#3

用心霜雪間,不必條蔓綠。非關故安排,曾是順幽獨。

達士如弦直,小人似鉤曲。曲直我不知,負暄候樵牧。

 

寫懷二首其二

夜深坐南軒,明月照我膝。驚風翻河漢,梁棟已出日。

群生各一宿,飛動自儔匹。吾亦驅其兒,營營為私實。

#2

天寒行旅稀,暮日月疾。榮名忽中人,世亂如蟣虱。

古者三皇前,滿腹志願畢。胡為有結繩,陷此膠與漆。

#3

禍首燧人氏,厲階董狐筆。君看燈燭張,轉使飛蛾密。

放神八極外,俯仰俱蕭瑟。終契如往還,得匪合仙術。

 

 唐時代 地図山南 東・西道50

 

寫懷二首

  鶴注:此是大厯二年冬作。詩云巫峽、三公以永㤗元年赴雲安、至大厯二年為三矣。

  又云「暮日月疾」、故知為/冬日也。 魏文帝詩:賦詩以寫懷。

勞生共乾坤①,何處異風俗。冉冉自趨競②,行行見羈束③。

無貴賤不悲,無富貧亦足④。萬古一骸骨⑤,鄰家遞歌哭⑥。此章自敘、從慨世起。

言乾坤之内、共趨名利、能達觀、則窮/達生死、皆可 視、何必多此哀樂乎

    《莊子》:大塊載我以形、勞我以生。

    古樂府:冉冉府中趨。

    古詩:行行重/行行。 人競奔趨、 則受羈束矣。 張協詩: 羈束戎旅間。

     阮籍《大人先生傳》:無貴則賤者不怨、無富則貧者不爭、 各安於身而無所求。

     《史記・張儀傳》:且賜骸骨辟魏。

     《博物志》:雍門人至今善歌哭。

(#2)

鄙夫到巫峽⑬,三如轉燭⑭。全命甘留滯,忘情任榮辱⑮。

/班及暮齒⑯,日給還粟⑰。編蓬石城東⑱,采藥山北一作/穀⑲。

(#3)

用心霜雪間,不必條蔓綠。非關故安排⑳,曾/是順幽獨㉒。

次敘客之况。 言全命志情、言隨寓/而安。朝班四句、 居食粗給。用心四句即指采藥事。

論:尋根霜雪之間、不必條蔓之綠、/此亦無意於安排、但順其幽居之性而巳。

      崔瑗《座右銘》:行行鄙夫志。 《詩》:三食貧。

       庾肩吾詩:聊持轉風燭。

       《亢倉子》:至人忘情。 《歸田賦》: 縱心於域外、安知榮辱之所加。

      沈約《文》:希耼幸齒朝班。 朝班及暮/齒、謂昔玷朝班、 而今已暮年矣。時公年五有六。

張綖注云: 朝班故人、念及暮齒、供以日給之資、似無所指。 /謝靈運詩:頽年追暮齒。

      《晏子春秋》: 晏子相齊、衣十升之布粟之飯。

     東方朔《非有先生論》: 居深山之中、積/土為室。 編蓬為 石城、即州城。

     洙曰: 許徴君詩、采藥白雲隈、畧以肆所養。 今按、公采藥注已見。 

洙所引許畋隠居採藥北山、未知何據。

 

    《莊子》: 仲尼謂顔淵曰:「安排而去化乃入於寥天一。」  謝靈運/詩:安排徒空言、幽獨賴鳴琴。

     《詩》: 曾是在位。

達士如弦直22,小人似鉤曲23。曲直我不知,負暄候樵牧24末有任運自然之意。

不與人情競曲直。 仍與起處逹生相應。 此章、八句起、 中段十二、末段四句。

22  達士、出《越國語》。  左思詩: 可為達士模。

23  後漢順帝末童謠云: 直如弦、死道/邊。 曲如鈎。 封公侯。 

24  《列子》: 宋田夫負日之暄。

 

 

 

 

 

 

寫懷二首其一

(冬の山に薬材を求める厳しい生活の中で、死生に対して達観した境地に従った生き方について心に思うことを詠う。)

勞生共乾坤,何處異風俗。

世俗のことから離れ、夔州で隠遁していると、どこでいかに風俗がちがっていようとも、我々に生命を与えて骨折らせ、苦労させられていることについていえば、天地に共通していることである。

冉冉自趨競,行行見羈束。

人というのは、生きるために次第に名利の途「爭名奪利」をきそいあうものであるし、そして、一歩一歩、その名利の綱に束縛され、がんじがらめとなるものである。

無貴賤不悲,無富貧亦足。

貴い身分でないものが貧しいのであれば、賤者であってもそれほど悲しむことはないものであるし、身分も卑しく富裕でなければ、貧者であっても、そうした生活も一定の満足をしているものである。

萬古一骸骨,鄰家遞歌哭。

萬古の昔より、ながきにわたってだれも同一骸骨になるののであるが、そのことに対し他人であっても隣人となるものは、その死者のために、歌ってあげ、嘆き悲しみ哭してくれるのである。

 

#2

鄙夫到巫峽,三如轉燭。

立派な祖父や、父に対してふがいない自分が、巫峡へきてから、燭をつぎ足し継ぎ足して、またたくまに三年がすぎたのである。

全命甘留滯,忘情任榮辱。

どうやら今、辺境のこの地で生命を全うするかのように滞在しているだけであり、自らの感情、喜憂の情さえ忘れ、名誉も、恥辱も運命とし受け入れている。

朝班及暮齒,日給還粟。

かつて朝廷の列に並んでいたが、晩年になって朝位、緋魚袋をたまわりはしたが、日日の生活には困り、やっぱり友人たちが届けてくれる玄米にありついているのである。

編蓬石城東,采藥山北穀。

貧しくも夔州の石城の東に蓬を編んで門とし家を築き、山北の谷で龐公のように薬草を採って隠棲ぐらしをししているのである。

#3

用心霜雪間,不必條蔓綠。

その藥草をとるには枝や蔓の緑なときばかりであるとはかぎらず、厳冬の冬でも、霜や雪が降った時でも用心を怠らず採ることができているのである。

非關故安排,曾是順幽獨。

悟ったようにこんな自然の変化に身を任せ、「荘子」がいうよう「安排」といふことをわざとやるのではなく、ただ、自己の幽燭の本性にさからわないで、一人静かな境地に従っているだけなのであることというのにほかならない。

達士如弦直,小人似鉤曲。

「達士といわれる人は、直きこと弦の如くまっすぐで、小人といわれるつまらないものは、曲れること鈎の如くだ」と昔からきいている。

曲直我不知,負暄候樵牧。

自分が曲っているのか、の直だとかいうことはわからないしどうでもよいことである、ただいま、いんとんしていて、こうして日向ぼっこをしながら樵夫や牧童のさまをのぞいているだけである。

 

懷いを寫す、二首其の一

生に勞せらるるは乾坤を共にし,何れの處にか風俗を異にせる。

冉冉として自ら趨競し,行行として 羈束せらるる。

貴 無くば 賤も悲しまず,富 無くば 貧も亦た足れり。

萬古 一に骸骨たり,鄰家 遞いに歌哭す。

#2

鄙夫 巫峽に到り,三 燭を轉ずるが如し。

命を全くせんと 留滯に甘じ,情を忘れて 榮辱に任す。

朝班 暮齒に及び,日び給せらるるは還た粟【だつぞく】。

蓬を編む石城の東,藥を采る山北の穀。

#3

心 霜雪の間に用うれば,條蔓の綠なるを必【もと】めず。

故【ことさ】らに排に安すんずるに關するに非らず,曾て是れ幽獨に順【したが】う。

達士は弦の如く直く,小人は鉤に似て曲る。

曲直 我れ知らず,暄を負いて樵牧を候【ま】つ。

 

巫山十二峰003 

 

 

《寫懷二首其一》現代語訳、訳注解説

寫懷二首其一

#2

鄙夫到巫峽,三如轉燭。全命甘留滯,忘情任榮辱。

朝班及暮齒,日給還粟。編蓬石城東,采藥山北穀。

 

〔下し文〕

懷いを寫す、二首其の一

#3

心 霜雪の間に用うれば,條蔓の綠なるを必【もと】めず。

故【ことさ】らに排に安すんずるに關するに非らず,曾て是れ幽獨に順【したが】う。

達士は弦の如く直く,小人は鉤に似て曲る。

曲直 我れ知らず,暄を負いて樵牧を候【ま】つ。

 

〔現代語訳〕

(冬の山に薬材を求める厳しい生活の中で、死生に対して達観した境地に従った生き方について心に思うことを詠う。)

3

その藥草をとるには枝や蔓の緑なときばかりであるとはかぎらず、厳冬の冬でも、霜や雪が降った時でも用心を怠らず採ることができているのである。

悟ったようにこんな自然の変化に身を任せ、「荘子」がいうよう「安排」といふことをわざとやるのではなく、ただ、自己の幽燭の本性にさからわないで、一人静かな境地に従っているだけなのであることというのにほかならない。

「達士といわれる人は、直きこと弦の如くまっすぐで、小人といわれるつまらないものは、曲れること鈎の如くだ」と昔からきいている。

自分が曲っているのか、の直だとかいうことはわからないしどうでもよいことである、ただいま、いんとんしていて、こうして日向ぼっこをしながら樵夫や牧童のさまをのぞいているだけである。

 

 

 

〔訳注解説〕

寫懷二首其一 

(冬の山に薬材を求める厳しい生活の中で、死生に対して達観した境地に従った生き方について心に思うことを詠う。)

題意 757年、大暦二年冬、夔州の東屯の作。ほぼ隠者としての生活の中、冬の山に薬材を求めた、そうした中で、死生に対して達観した境地に従った生き方について詠い、其二は、災禍の根源は、自己欲、名利に汲々とすることにあると述べ、その上で、精神を世俗の外に置けば、万物はすべて空であると隠遁の境地を述べている。

  鶴注に此是は大厯二年の冬に作られた詩であると云う。巫峽三公は以て永㤗元年、雲安に赴き、大厯二年至って為す。又た、暮、日月疾っていたと云い、故に、冬日と為ると知る 魏文帝の詩賦詩に以って寫懷とある。

 

#3

用心霜雪間,不必條蔓綠。

その藥草をとるには枝や蔓の緑なときばかりであるとはかぎらず、厳冬の冬でも、霜や雪が降った時でも用心を怠らず採ることができているのである。

22 用心霜雪間 霜や雪が降った時でも怠らず採っているのである。

23 不必條蔓綠 藥草をとるには枝や蔓の緑なときばかりである。

 

非關故安排,曾是順幽獨。

悟ったようにこんな自然の変化に身を任せ、「荘子」がいうよう「安排」といふことをわざとやるのではなく、ただ、自己の幽燭の本性にさからわないで、一人静かな境地に従っているだけなのであることというのにほかならない。

24 安排 事の推移に甘んじ、変化に従っていくこと。『荘子、大宗師、第六』

「造適不及笑、獻笑不及排、安排而去化、乃入於寥天一。」(造るところに適すれば笑うに及ばず、獻もて笑えば排するに及ばず、排に安んじて化に去れば、乃ち寥に入りて天と一たらん。)“どこに行っても楽しいなら特別に楽しみ笑うには及ばないし、良いことをして楽しむならそこには選択があるのだから事の推移に従えない。事の推移に甘んじ、変化に従っていくならば広々としたところに入り、天と一体になるでしょう。”とあり、又、莊子に、委順ということもあり、運命のままに身を任せておくを言う。安排もおなじ。

25 順幽獨 杜甫の幽燭の本性にさからわないこと。

 

達士如弦直,小人似鉤曲。

「達士といわれる人は、直きこと弦の如くまっすぐで、小人といわれるつまらないものは、曲れること鈎の如くだ」と昔からきいている。

26 達士 達観した高士。立派な人間。

27 弦直・鉤曲 後漢の順帝末の童謡に「如弦直、死道邊、曲如鉤、封公侯。」(直きこと弦の如きなれば、道邊に死し、曲がること鉤の如くなれば、公侯に封ぜらる。)とあるに基づく。

 

曲直我不知,負暄候樵牧。

自分が曲っているのか、の直だとかいうことはわからないしどうでもよいことである、ただいま、いんとんしていて、こうして日向ぼっこをしながら樵夫や牧童のさまをのぞいているだけである。

28 負暄 日なたぼっこ。

候樵牧 樵夫牧童のなすがままをうかがう。

757年-231 《寫懷二首其一(卷二○(四)一八一八) -#2》 - 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 訳注解説Blog11010

757-231 《寫懷二首其一(卷二○(四)一八一八) -2 - 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 訳注解説Blog11010

 

 

 

 

757-231

 

 

寫懷二首其一(卷二○(四)頁一八一八) #2

 

 

杜甫詳注 訳注解説

 

 

漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 訳注解説Blog11002

 

 

 

 

寫懷二首其一

詩 

五言古

全唐

卷二二二        09

杜詩詳

卷二○(四)頁一八一八

杜少陵

巻二-102

杜甫全詩訳注

1263

 

寫懷二首其一

勞生共乾坤,何處異風俗。冉冉自趨競,行行見羈束。

無貴賤不悲,無富貧亦足。萬古一骸骨,鄰家遞歌哭。

#2

鄙夫到巫峽,三如轉燭。全命甘留滯,忘情任榮辱。

朝班及暮齒,日給還粟。編蓬石城東,采藥山北穀。

#3

用心霜雪間,不必條蔓綠。非關故安排,曾是順幽獨。

達士如弦直,小人似鉤曲。曲直我不知,負暄候樵牧。

 

寫懷二首其二

夜深坐南軒,明月照我膝。驚風翻河漢,梁棟已出日。

群生各一宿,飛動自儔匹。吾亦驅其兒,營營為私實。

#2

天寒行旅稀,暮日月疾。榮名忽中人,世亂如蟣虱。

古者三皇前,滿腹志願畢。胡為有結繩,陷此膠與漆。

#3

禍首燧人氏,厲階董狐筆。君看燈燭張,轉使飛蛾密。

放神八極外,俯仰俱蕭瑟。終契如往還,得匪合仙術。

 

 

 

寫懷二首

  鶴注:此是大厯二年冬作。詩云巫峽、三公以永㤗元年赴雲安、至大厯二年為三矣。

  又云「暮日月疾」、故知為/冬日也。 魏文帝詩:賦詩以寫懷。

勞生共乾坤①,何處異風俗。冉冉自趨競②,行行見羈束③。

無貴賤不悲,無富貧亦足④。萬古一骸骨⑤,鄰家遞歌哭⑥。此章自敘、從慨世起。

言乾坤之内、共趨名利、能達觀、則窮/達生死、皆可 視、何必多此哀樂乎

    《莊子》:大塊載我以形、勞我以生。

    古樂府:冉冉府中趨。

    古詩:行行重/行行。 人競奔趨、 則受羈束矣。 張協詩: 羈束戎旅間。

     阮籍《大人先生傳》:無貴則賤者不怨、無富則貧者不爭、 各安於身而無所求。

    《史記・張儀傳》:且賜骸骨辟魏。

    《博物志》:雍門人至今善歌哭。

(#2)

鄙夫到巫峽①,三如轉燭②。全命甘留滯,忘情任榮辱③。

/班及暮齒④,日給還粟⑤。編蓬石城東⑥,采藥山北一作/穀⑦。

(#3)

用心霜雪間,不必條蔓綠。非關故安排⑧,曾/是順幽獨⑨。

次敘客之况。 言全命志情、言隨寓/而安。朝班四句、 居食粗給。用心四句即指采藥事。

論:尋根霜雪之間、不必條蔓之綠、/此亦無意於安排、但順其幽居之性而巳。

     崔瑗《座右銘》:行行鄙夫志。 《詩》:三食貧。

     庾肩吾詩:聊持轉風燭。

     《亢倉子》:至人忘情。 《歸田賦》: 縱心於域外、安知榮辱之所加。

     沈約《文》:希耼幸齒朝班。 朝班及暮/齒、謂昔玷朝班、 而今已暮年矣。時公年五有六。

張綖注云: 朝班故人、念及暮齒、供以日給之資、似無所指。 /謝靈運詩:頽年追暮齒。

      《晏子春秋》: 晏子相齊、衣十升之布粟之飯。

     東方朔《非有先生論》: 居深山之中、積/土為室。 編蓬為 石城、即州城。

     洙曰: 許徴君詩、采藥白雲隈、畧以肆所養。 今按、公采藥注已見。 

洙所引許畋隠居採藥北山、未知何據。

 

    《莊子》: 仲尼謂顔淵曰:「安排而去化乃入於寥天一。」  謝靈運/詩:安排徒空言、幽獨賴鳴琴。

     《詩》: 曾是在位。

達士如弦直①,小人似鉤曲②。曲直我不知,負暄候樵牧③。末有任運自然之意。

不與人情競曲直。 仍與起處逹生相應。 此章、八句起、 中段十二、末段四句。

     達士、出《越國語》。  左思詩: 可為達士模。

鈎後漢順帝末童謠云直如弦死道/邊曲如 封公侯 列子宋田夫負日之暄

 

安史の乱当時の勢力図 

 

 

 

寫懷二首其一

(冬の山に薬材を求める厳しい生活の中で、死生に対して達観した境地に従った生き方について心に思うことを詠う。)

勞生共乾坤,何處異風俗。

世俗のことから離れ、夔州で隠遁していると、どこでいかに風俗がちがっていようとも、我々に生命を与えて骨折らせ、苦労させられていることについていえば、天地に共通していることである。

冉冉自趨競,行行見羈束。

人というのは、生きるために次第に名利の途「爭名奪利」をきそいあうものであるし、そして、一歩一歩、その名利の綱に束縛され、がんじがらめとなるものである。

無貴賤不悲,無富貧亦足。

貴い身分でないものが貧しいのであれば、賤者であってもそれほど悲しむことはないものであるし、身分も卑しく富裕でなければ、貧者であっても、そうした生活も一定の満足をしているものである。

萬古一骸骨,鄰家遞歌哭。

萬古の昔より、ながきにわたってだれも同一骸骨になるののであるが、そのことに対し他人であっても隣人となるものは、その死者のために、歌ってあげ、嘆き悲しみ哭してくれるのである。

 

#2

鄙夫到巫峽,三如轉燭。

立派な祖父や、父に対してふがいない自分が、巫峡へきてから、燭をつぎ足し継ぎ足して、またたくまに三年がすぎたのである。

全命甘留滯,忘情任榮辱。

どうやら今、辺境のこの地で生命を全うするかのように滞在しているだけであり、自らの感情、喜憂の情さえ忘れ、名誉も、恥辱も運命とし受け入れている。

朝班及暮齒,日給還粟。

かつて朝廷の列に並んでいたが、晩年になって朝位、緋魚袋をたまわりはしたが、日日の生活には困り、やっぱり友人たちが届けてくれる玄米にありついているのである。

編蓬石城東,采藥山北穀。

貧しくも夔州の石城の東に蓬を編んで門とし家を築き、山北の谷で龐公のように薬草を採って隠棲ぐらしをししているのである。

#3

用心霜雪間,不必條蔓綠。非關故安排,曾是順幽獨。

達士如弦直,小人似鉤曲。曲直我不知,負暄候樵牧。

 

懷いを寫す、二首其の一

生に勞せらるるは乾坤を共にし,何れの處にか風俗を異にせる。

冉冉として自ら趨競し,行行として 羈束せらるる。

貴 無くば 賤も悲しまず,富 無くば 貧も亦た足れり。

萬古 一に骸骨たり,鄰家 遞いに歌哭す。

#2

鄙夫 巫峽に到り,三 燭を轉ずるが如し。

命を全くせんと 留滯に甘じ,情を忘れて 榮辱に任す。

朝班 暮齒に及び,日び給せらるるは還た粟【だつぞく】。

蓬を編む石城の東,藥を采る山北の穀。

#3

心 霜雪の間に用うれば,條蔓の綠なるを必【もと】めず。

故【ことさ】らに排に安すんずるに關するに非らず,曾て是れ幽獨に順【したが】う。

達士は弦の如く直く,小人は鉤に似て曲る。

曲直 我れ知らず,暄を負いて樵牧を候【ま】つ。

 

瞿塘峡・白帝城・魚復 

 

《寫懷二首其一》現代語訳、訳注解説

寫懷二首其一

#2

鄙夫到巫峽,三如轉燭。全命甘留滯,忘情任榮辱。

朝班及暮齒,日給還粟。編蓬石城東,采藥山北穀。

 

〔下し文〕

懷いを寫す、二首其の一

#2

鄙夫 巫峽に到り,三 燭を轉ずるが如し。

命を全くせんと 留滯に甘じ,情を忘れて 榮辱に任す。

朝班 暮齒に及び,日び給せらるるは還た粟【だつぞく】。

蓬を編む石城の東,藥を采る山北の穀。

 

 

〔現代語訳〕

(冬の山に薬材を求める厳しい生活の中で、死生に対して達観した境地に従った生き方について心に思うことを詠う。)

#2

立派な祖父や、父に対してふがいない自分が、巫峡へきてから、燭をつぎ足し継ぎ足して、またたくまに三年がすぎたのである。

どうやら今、辺境のこの地で生命を全うするかのように滞在しているだけであり、自らの感情、喜憂の情さえ忘れ、名誉も、恥辱も運命とし受け入れている。

かつて朝廷の列に並んでいたが、晩年になって朝位、緋魚袋をたまわりはしたが、日日の生活には困り、やっぱり友人たちが届けてくれる玄米にありついているのである。

貧しくも夔州の石城の東に蓬を編んで門とし家を築き、山北の谷で龐公のように薬草を採って隠棲ぐらしをししているのである。

 

 

〔訳注解説〕

寫懷二首其一 

(冬の山に薬材を求める厳しい生活の中で、死生に対して達観した境地に従った生き方について心に思うことを詠う。)

題意 757年、大暦二年冬、夔州の東屯の作。ほぼ隠者としての生活の中、冬の山に薬材を求めた、そうした中で、死生に対して達観した境地に従った生き方について詠い、其二は、災禍の根源は、自己欲、名利に汲々とすることにあると述べ、その上で、精神を世俗の外に置けば、万物はすべて空であると隠遁の境地を述べている。

  鶴注に此是は大厯二年の冬に作られた詩であると云う。巫峽三公は以て永㤗元年、雲安に赴き、大厯二年至って為す。又た、暮、日月疾っていたと云い、故に、冬日と為ると知る 魏文帝の詩賦詩に以って寫懷とある。

 

#2

鄙夫到巫峽,三如轉燭。

立派な祖父や、父に対してふがいない自分が、巫峡へきてから、燭をつぎ足し継ぎ足して、またたくまに三年がすぎたのである。

12 鄙夫 田舎者、いやしい男。下品な男。現在の自分が思うようにならない様子を謙遜して使う語。

13 三 755年永泰元年、756年大暦元年、757年大暦二年の三年を言う。

14 如轉燭 風中に搖曳く燭火の瞬く間。比するのは、世事のことであり、月の遷流するのが迅速であることである。杜甫《0715佳人》詩「世情惡衰歇,萬事隨轉燭。」(世情【せじょう】衰歇【すいけつ】を悪む、万事【ばんじ】転燭【てんしょく】に随う。普通世間の人にたいする情というものは女盛りなら誰でも愛すものだが、歳を重ね衰えてしまった肢体顔色、後ろ盾がなく、頼る背のないものは嫌がられるものであり、わが身づくろいも万事はその場の成り行きのままになってきた。

佳人 <229-#2>杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1112 杜甫特集700- 335

 

全命甘留滯,忘情任榮辱。

どうやら今、辺境のこの地で生命を全うするかのように滞在しているだけであり、自らの感情、喜憂の情さえ忘れ、名誉も、恥辱も運命とし受け入れている。

15 榮辱 光榮と恥辱。易經·繫辭上:「樞機之發,榮辱之主也。」(樞機 之れ發す,榮辱 之れ主とする也。)枢機とは、物事の最も大切なところ。かなめ。要所。重要な政務。

 

朝班及暮齒,日給還粟。

かつ朝廷の列に並んでいたが、晩年になって朝位、緋魚袋をたまわりはしたが、日日の生活には困り、やっぱり友人たちが届けてくれる玄米にありついているのである。

16 朝班及暮齒 晩年になって朝班を得たことを言う。暮齒:晩年を言う。杜甫75746歳鳳翔行在所において左拾遺を授けられる。76453歳工部員外郎となり緋魚袋をたまわる。 

17 粟 脱粟の飯とは、もみがらを取り去っただけで精白してない米を炊いた飯。玄米飯。

 

編蓬石城東,采藥山北谷。

貧しくも夔州の石城の東に蓬を編んで門とし家を築き、山北の谷で龐公のように薬草を採って隠棲ぐらしをししているのである。

18 編蓬 蓬を編んで戸扉とするをいう。編蓬以為門 亦指結草為廬。 漢東方朔《非有先生論》「居深山之間, 積土為室, 編蓬為 彈琴其中, 以詠先王之風, 亦可以樂而忘死矣。」

19 石城東 夔州城は石城といわれ、東はその東、即ち杜甫の草堂のある瀼西を言う。

20 采藥 采藥,亦作“采葯”。藥物を采集するを謂う。 亦た、世を避けて隱居するを指し、或いは、仙修の道を求めることをさす。 《後漢書‧逸民傳‧龐公》「後遂攜其妻子登鹿門山, 因采藥不反。」(後、遂に其の妻子を攜えて鹿門山に登り, 因て藥を采り反らず。 唐李白《悲清秋賦》「歸去來兮人間可以托些,吾將采藥於蓬邱。」(歸りなんいざ、人間 可なり 以て托し,吾 將に藥を蓬邱に采る。)

21 山北谷 山北の谷とは瀼西の居よりいわば蓋し、白谷をいう。杜甫《19-10 上後園山》詩に山北の谷について述べているが初四句に「朱夏熱所嬰,清旭步北林。小園背高岡,挽葛上崎崟。」(朱夏 熱 嬰る所なり,清旭に 北林に步す。小園 高岡をに背す,葛を挽きて 崎崟たるに上る。)とある。

767-12-#1杜甫 19-10 上後園山#1 杜甫詩index-15-767年大暦256-12-#1 <1095 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7155 

 

757年-231 《寫懷二首其一(卷二○(四)一八一八) -#1》 - 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 訳注解説Blog11002

漢文委員会 紀頌之 中國古代漢詩 訳注解説ブログ 最近一週間 一覧表

2020

/日 

李白集校注

韓昌黎集

杜詩詳注

花間集

玉臺新詠

文選

古詩源

女性関連

李白

韓愈

杜甫

2/10

古風,五十九首之一 #1

張中丞傳後敘-#9

寫懷二首其一-1

 

雜詩六首其四古意贈今人 #1

 

 

 

2/11

 

 

 

 

 

 

 

 

2/12

 

 

 

 

 

 

 

 

2/13

 

 

 

 

 

 

 

 

2/14

 

 

 

 

 

 

 

 

2/15

 

 

 

 

 

 

 

 

2/16

 

 

 

 

 

 

 

 

ブログ更新:月曜~金曜    土・日:特集記事/各ホームページ更新

 


757
-231 《寫懷二首其一(卷二○(四)一八一八) -1 - 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 訳注解説Blog11002

 

 

 

 

757-231

 

 

寫懷二首其一(卷二○(四)頁一八一八)

 

 

杜甫詳注 訳注解説

 

 

漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 訳注解説Blog11002

 

 

 

 

寫懷二首其一

詩 

五言古

全唐

卷二二二        09

杜詩詳

卷二○(四)頁一八一八

杜少陵

巻二-102

杜甫全詩訳注

1263

 

寫懷二首其一

勞生共乾坤,何處異風俗。冉冉自趨競,行行見羈束。

無貴賤不悲,無富貧亦足。萬古一骸骨,鄰家遞歌哭。

#2

鄙夫到巫峽,三如轉燭。全命甘留滯,忘情任榮辱。

朝班及暮齒,日給還粟。編蓬石城東,采藥山北穀。

#3

用心霜雪間,不必條蔓綠。非關故安排,曾是順幽獨。

達士如弦直,小人似鉤曲。曲直我不知,負暄候樵牧。

 

寫懷二首其二

夜深坐南軒,明月照我膝。驚風翻河漢,梁棟已出日。

群生各一宿,飛動自儔匹。吾亦驅其兒,營營為私實。

#2

天寒行旅稀,暮日月疾。榮名忽中人,世亂如蟣虱。

古者三皇前,滿腹志願畢。胡為有結繩,陷此膠與漆。

#3

禍首燧人氏,厲階董狐筆。君看燈燭張,轉使飛蛾密。

放神八極外,俯仰俱蕭瑟。終契如往還,得匪合仙術。

 

 

 

寫懷二首

  鶴注:此是大厯二年冬作。詩云巫峽、三公以永㤗元年赴雲安、至大厯二年為三矣。

  又云「暮日月疾」、故知為/冬日也。 魏文帝詩:賦詩以寫懷。

勞生共乾坤①,何處異風俗。冉冉自趨競②,行行見羈束③。

無貴賤不悲,無富貧亦足④。萬古一骸骨⑤,鄰家遞歌哭⑥。此章自敘、從慨世起。

言乾坤之内、共趨名利、能達觀、則窮/達生死、皆可 視、何必多此哀樂乎

    《莊子》:大塊載我以形、勞我以生。

    古樂府:冉冉府中趨。

    古詩:行行重/行行。 人競奔趨、 則受羈束矣。 張協詩: 羈束戎旅間。

     阮籍《大人先生傳》:無貴則賤者不怨、無富則貧者不爭、 各安於身而無所求。

    《史記・張儀傳》:且賜骸骨辟魏。

    《博物志》:雍門人至今善歌哭。

 

鄙夫到巫峽,三如轉燭。全命甘留滯,忘情任榮辱。

/班及暮齒,日給還粟。編蓬石城東,采藥山北一作/穀。

用心霜雪間,不必條蔓綠。非關故安排,曾/是順幽獨。

次敘客之况言全命志情言隨寓/而安朝班四句 居食粗給用心四

句即指采藥事排論尋根霜雪之間不必條蔓之綠/此亦無意於安 但順其幽居之性而巳 崔瑗座右

銘行行鄙夫志人詩三食貧賦庾肩吾詩聊持轉風/ 亢倉子至 忘情 歸田 縱心於域外安

榮辱之所加班沈約文希耼幸齒朝班十朝班及暮/齒謂昔玷朝 而今已暮年矣時公年五 有六張綖

注云朝班故人念及暮齒供以日給之資似無所指升/謝靈運詩頽年追暮齒 晏子春秋晏子相齊衣十

之布粟之飯東方朔非有先生論居深山之中積/土為室編蓬為 石城即州城 洙曰許徴君詩

采藥白雲隈畧以肆所養今按公采藥注已見王/洙所引許畋隠居採藥北山未知何據 莊子仲尼謂

顔淵曰安排而去化乃入於寥天一是謝靈運/詩安排徒空言幽獨賴鳴琴 詩曾 在位

達士如弦直,小人似鉤曲。曲直我不知,負暄候樵牧。末有任運/自然之意

起不與人情競曲直仍與起處逹生相應左此章八句/ 中段十二末段四句 達士出越國語 思詩可為

達士模鈎後漢順帝末童謠云直如弦死道/邊曲如 封公侯 列子宋田夫負日之暄

 

寫懷二首其一

(冬の山に薬材を求める厳しい生活の中で、死生に対して達観した境地に従った生き方について心に思うことを詠う。)

勞生共乾坤,何處異風俗。

世俗のことから離れ、夔州で隠遁していると、どこでいかに風俗がちがっていようとも、我々に生命を与えて骨折らせ、苦労させられていることについていえば、天地に共通していることである。

冉冉自趨競,行行見羈束。

人というのは、生きるために次第に名利の途「爭名奪利」をきそいあうものであるし、そして、一歩一歩、その名利の綱に束縛され、がんじがらめとなるものである。

無貴賤不悲,無富貧亦足。

貴い身分でないものが貧しいのであれば、賤者であってもそれほど悲しむことはないものであるし、身分も卑しく富裕でなければ、貧者であっても、そうした生活も一定の満足をしているものである。

萬古一骸骨,鄰家遞歌哭。

萬古の昔より、ながきにわたってだれも同一骸骨になるののであるが、そのことに対し他人であっても隣人となるものは、その死者のために、歌ってあげ、嘆き悲しみ哭してくれるのである。

 

《寫懷二首其一》現代語訳、訳注解説

寫懷二首其一

勞生共乾坤,何處異風俗。冉冉自趨競,行行見羈束。

無貴賤不悲,無富貧亦足。萬古一骸骨,鄰家遞歌哭。

 

〔下し文〕

懷いを寫す、二首其の一

生に勞せらるるは乾坤を共にし,何れの處にか風俗を異にせる。

冉冉として自ら趨競し,行行として 羈束せらるる。

貴 無くば 賤も悲しまず,富 無くば 貧も亦た足れり。

萬古 一に骸骨たり,鄰家 遞いに歌哭す。

#2

 

 

〔現代語訳〕

(冬の山に薬材を求める厳しい生活の中で、死生に対して達観した境地に従った生き方について心に思うことを詠う。)

世俗のことから離れ、夔州で隠遁していると、どこでいかに風俗がちがっていようとも、我々に生命を与えて骨折らせ、苦労させられていることについていえば、天地に共通していることである。

人というのは、生きるために次第に名利の途「爭名奪利」をきそいあうものであるし、そして、一歩一歩、その名利の綱に束縛され、がんじがらめとなるものである。

貴い身分でないものが貧しいのであれば、賤者であってもそれほど悲しむことはないものであるし、身分も卑しく富裕でなければ、貧者であっても、そうした生活も一定の満足をしているものである。

萬古の昔より、ながきにわたってだれも同一骸骨になるののであるが、そのことに対し他人であっても隣人となるものは、その死者のために、歌ってあげ、嘆き悲しみ哭してくれるのである。

 

 

〔訳注解説〕

寫懷二首其一

(冬の山に薬材を求める厳しい生活の中で、死生に対して達観した境地に従った生き方について心に思うことを詠う。)

題意 757年、大暦二年冬、夔州の東屯の作。ほぼ隠者としての生活の中、冬の山に薬材を求めた、そうした中で、死生に対して達観した境地に従った生き方について詠い、其二は、災禍の根源は、自己欲、名利に汲々とすることにあると述べ、その上で、精神を世俗の外に置けば、万物はすべて空であると隠遁の境地を述べている。

  鶴注に此是は大厯二年の冬に作られた詩であると云う。巫峽三公は以て永㤗元年、雲安に赴き、大厯二年至って為す。又た、暮、日月疾っていたと云い、故に、冬日と為ると知る 魏文帝の詩賦詩に以って寫懷とある。

 

勞生共乾坤,何處異風俗。

世俗のことから離れ、夔州で隠遁していると、どこでいかに風俗がちがっていようとも、我々に生命を与えて骨折らせ、苦労させられていることについていえば、天地に共通していることである。

1 勞生 我々に生命を与えて苦労させる。《莊子.大宗師》:「夫大塊載我以形,勞我以生,佚我以老,息我以死。」(夫れ大塊は我を載するに形を以てし,我を勞するに生を以てし,我を佚するに老を以てし,我を息するに死をて以す。)大地は我々に形を与えてくれる。そしてまた我々に生命を与えて苦労させ、歳をとらせて楽にし、死を与えて休息させてくれる。

2 共乾坤 同一の天地の間にあることを言う。(えき)の卦()の乾と坤。天と地。天地。陰陽。いぬい(北西)の方角とひつじさる(南西)の方角。5 2巻で一組となっている書物の、上巻と下巻。

3 異風俗 風俗異ならず、ということではなく、異を諭ずるに及ばざるをいう。 

 

冉冉自趨競,行行見羈束。

人というのは、生きるために次第に名利の途「爭名奪利」をきそいあうものであるし、そして、一歩一歩、その名利の綱に束縛され、がんじがらめとなるものである。

4 冉冉 1.進行の貌。次第に進んでいくさま。徐々に侵し広がるさま。2(髪の毛や木の枝・葉などが)しなやかに垂れる.

5 趨競 はしり競う。競い争うこと。名利の途におもむく。爭名奪利。《宋史.卷二九六.呂祐之傳》:「祐之純謹長者,不喜趨競。」

6 行行 一歩一歩。魏 武帝《苦寒行》「行行日已遠,人馬同時饑。」(行き行きて日已に遠く 人馬 時を同じくして飢う)

7 羈束 からだをつなぎしばられる。

 

無貴賤不悲,無富貧亦足。

貴い身分でないものが貧しいのであれば、賤者であってもそれほど悲しむことはないものであるし、身分も卑しく富裕でなければ、貧者であっても、そうした生活も一定の満足をしているものである。

8 無貴賤不悲,無富貧亦足 阮籍《大人先生傳》「夫無貴則賤者不怨,無富則貧者不爭,各足於身而無所求也。」(夫れ貴無んば則ち賤者怨まず,富無んば則ち貧者爭わず,各の身に足して求むる所無し也。)に基づく。

 

萬古一骸骨,鄰家遞歌哭。

萬古の昔より、ながきにわたってだれも同一骸骨になるののであるが、そのことに対し他人であっても隣人となるものは、その死者のために、歌ってあげ、嘆き悲しみ哭してくれるのである。

9 一骸骨 だれも同一骸骨になる

10 遞 横へ横へと次々に伝え送る。「逓信・逓送/駅逓・伝逓」だんだん。しだいに。

11 歌哭 笑い歌いまた悲しみ哭することで烈的感情をいう。《周礼·春官·女巫》「凡邦之大災, 歌哭而請。」とある。

続きを読む

全唐詩卷234の杜詩目次と杜詩詳注掲載頁と訳注解説ブログリンク

 

全唐詩卷234の杜詩目次と杜詩詳注掲載頁と訳注解説ブログリンク

全唐詩 杜甫詩 巻二一六 ~ 巻二三四

全唐詩 杜甫詩 巻二一六 ~ 巻二三四

1

卷216

巻217(前・後)

巻218

巻219

巻220

卷221(前・後)

2

巻222(前・後)

巻223

巻224

巻225(1)(前・後)

巻225(2)(前・後)

卷226(1)(前・後)

3

卷226(2)(前・後)

巻227(1)(前・後)

巻227(2)(前・後)

巻228(1

巻228(2

巻228(3

4

巻228(3

巻229(1

巻229(2

巻229(3

巻230(1)(前・後)

卷230(2

5

卷230(3

卷231(1

卷231(2

卷232

卷233

巻234

 

 

全唐詩杜詩案内、同にあわせて杜詩詳注の掲載ページと本ブログの掲載頁に案内 巻234

 

全唐詩 巻二三三 前

 杜詩詳注掲載頁 訳注解説ブログ記事

 

*各詩題は維基文庫 全唐詩にリンク

 ●各詩題は紀頌之、訳注解説ブログにリンク

334-1

1 哭長孫侍御

哭場孫侍御(卷五(一)三七八)

334-2

2 虢國夫人

 虢國夫人 (卷二(一)一六二)

334-3

3 軍中醉飲寄沈八劉叟

 軍中醉歌寄沈八劉叟(卷一三(三)一一四七)

334-4

4 杜鵑行

 杜鵑行 成都(2部)浣花渓の草堂(2 -16-1)

334-5

5 聞惠二過東溪特一送

767年-41 送惠二歸故居(一作聞惠二過東溪)卷一八(四)一六二三) 杜詩詳注()Ⅲ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7807

334-6

6 舟泛洞庭

過洞庭湖(卷二三(五)二○八七)

334-7

7 李鹽鐵二首其一

李監宅【李鹽鐵】二首 其一(巻一(一)三〇)

 

李監宅【李鹽鐵】二首 其二

李監宅【李鹽鐵】二首 其二(巻一(一)三一)

334-8

8 長吟

 長吟(卷一四(三)一二○九)

334-9

9 句九首之一   日出籬東水,

 絶句六首其一(卷一三(三)頁一一四一)

 

絶句六首其二       藹藹花蕊亂,

 絶句六首其二(卷一三(三)頁一一四一)

 

絶句六首其三       鑿井交棕葉,

 絶句六首其三(卷一三(三)頁一一四一)

 

絶句六首其四       急雨捎溪足,

 絶句六首其四(卷一三(三)頁一一四二)

 

絶句六首其五       舍下筍穿壁,

 絶句六首其五(卷一三(三)頁一一四二)

 

絶句六首其六       江動月移石,

 絶句六首其六(卷一三(三)頁一一四二)

 

絶句三首其一       聞道巴山裏,

 絶句三首其一(卷一四(三)頁一二一○)

 

絶句三首其二       水檻溫江口,

 絶句三首其二(卷一四(三)頁一二一一)

 

絶句三首其三       設道春來好,

 絶句三首其三(卷一四(三)頁一二一一)

334-10

10 瞿唐懷古

 瞿唐懷古(卷一八(四)一五五七)

334-11

11 送司馬入京

廣徳2年764-94 《送司馬入京【案:草堂逸詩拾遺。】》

334-12

12 惜別行送劉僕射判官

 惜別行送劉僕射判官(卷二二(五)二○○四)

334-13

13 呀鶻行

 呀鶻行(卷二二(五)一九三一)

334-14

14 狂歌行贈四兄

 狂歌行贈四兄(卷一四(三)一二一九)

334-15

15 逃難

逃難(卷二三(五)二○七三)

334-16

16 寄高適

 寄高適(卷一一(二)九四三)

334-17

17 送靈州李判官

 送靈州李判官(卷五(一)三六九)

334-18

18 與嚴二郎奉禮別

 與嚴二郎(一作歸)奉禮別(卷一二(三)一○四八)

334-19

19 巴西驛亭觀江漲呈竇使君二首其一

 巴西驛亭觀江漲呈竇十五使君二首其一(卷一二(三)頁一○○三)《之が其二》

 

 巴西驛亭觀江漲呈竇十五使君二首其二

 巴西驛亭觀江漲呈竇十五使君二首其二(卷一二(三)頁一○○五)《又呈竇使君》

334-20

20 遣憂

 遣憂(卷一二(三)一○五四)

334-21

21 早花

 早花(卷一二(三)一○五一)

334-22

22 巴山

 巴山(卷一二(三)一○五○)

334-23

23 收京

 收京(卷一三(三)一○七八)

続きを読む

全唐詩卷233の杜詩目次と杜詩詳注掲載頁と訳注解説ブログリンク

全唐詩卷233の杜詩目次と杜詩詳注掲載頁と訳注解説ブログリンク

全唐詩 杜甫詩 巻二一六 ~ 巻二三四


全唐詩 杜甫詩 巻二一六 ~ 巻二三四

1

卷216

巻217(前・後)

巻218

巻219

巻220

卷221(前・後)

2

巻222(前・後)

巻223

巻224

巻225(1)(前・後)

巻225(2)(前・後)

卷226(1)(前・後)

3

卷226(2)(前・後)

巻227(1)(前・後)

巻227(2)(前・後)

巻228(1

巻228(2

巻228(3

4

巻228(3

巻229(1

巻229(2

巻229(3

巻230(1)(前・後)

卷230(2

5

卷230(3

卷231(1

卷231(2

卷232

卷233

巻234

 

全唐詩杜詩案内、同にあわせて杜詩詳注の掲載ページと本ブログの掲載頁に案内 巻233

 

全唐詩 巻二三三 前

 杜詩詳注掲載頁 訳注解説ブログ記事

 

*各詩題は維基文庫 全唐詩にリンク

 ●各詩題は紀頌之、訳注解説ブログにリンク

233-1

1 曉發公安

 曉發公安(卷二二(五)一九三七)

233-2

2 泊岳陽城下

 泊岳陽城下(卷二二(五)一九四五)

233-3

3 纜船苦風戲題四韻奉簡鄭十三判官

 纜船苦風戲題四韻奉簡鄭十三判官泛(卷二二(五)一九四六)

233-4

4 登岳陽樓

 登岳陽樓(卷二二(五)一九四六)

233-5

5 陪裴使君登岳陽樓

 陪裴使君登岳陽樓(卷二二(五)一九四九)

233-6

6 過南岳入洞庭湖

 過南嶽入洞庭湖(卷二二(五)一九五一)

233-7

7 宿青草湖

 宿青草湖(卷二二(五)一九五三)

233-8

8 宿白沙驛

 宿白沙驛(卷二二(五)一九五四)

233-9

9 湘夫人祠

 湘夫人祠(卷二二(五)一九五五)

233-10

10 祠南夕望

 祠南夕望(卷二二(五)一九五六)

233-11

11 登白馬潭

 發白馬潭(卷二二(五)一九七二)

233-12

12 歸雁

 歸雁(卷二一(四)一八八四)

233-13

13 野望    納納乾坤大

 野望(卷二二(五)一九七三)  納納乾坤大

233-14

14 入喬口

 入喬口(卷二二(五)一九七四)

233-15

15 銅官渚守風

 銅官渚守風(卷二二(五)一九七五)

233-16

16 北風    春生南國瘴,

 北風(卷二三(五)二○二五)  春生南國瘴,

233-17

17 雙楓浦

 雙楓浦(卷二二(五)一九七七)

233-18

18 奉送王信州崟北歸

767年-76  奉送王信州崟北歸 (卷一九(四)一六六三)

233-19

19 江閣臥病走筆寄呈崔盧兩侍御

 江閣臥病走筆寄呈崔盧兩侍御(卷二二(五)一九九四)

233-20

20 潭州送韋員外牧韶州

 潭州送韋員外迢牧韶州(卷二二(五)一九九六)

233-21

21 江閣對雨有懷行營裴二端公

江閣對雨有懷行營裴二端公(卷二三(五)二○七七)

233-22

22 酬韋韶州見寄

 酬韋韶州見寄(卷二二(五)一九九七)

233-23

23 千秋節有感二首(八月二日為明皇千秋節)

 千秋節有感二首其一(卷二二(五)頁一九九九)

 

 千秋節有感二首其二

 千秋節有感二首其二(卷二二(五)頁二○○○)

233-24

24 晚秋長沙蔡五侍禦飲筵,送殷六參軍歸澧州覲省

 晩秋長沙蔡五侍御飲筵送殷六參軍歸?覲省(卷二三(五)二○○八)

233-25

25 湖中送敬十使君適廣陵

 湖中(一作南)送敬十使君適廣陵(卷二三(五)二○○七)

233-26

26 長沙送李十一(銜)

長沙送李十一銜(卷二三(五)二○九○)

233-27

27 重送劉十弟判官

 重送劉十弟判官(卷二二(五)二○○五)

233-28

28 奉贈盧五丈參謀(琚)

 奉贈盧五丈參謀?(卷二二(五)二○○一)

233-29

29 登舟將適漢陽

 登舟將適漢陽(卷二三(五)二○八八)

233-30

30 暮秋將歸秦,留別湖南幕府親友

暮秋將歸秦留別湖南幕府親友(卷二三(五)二○八九)

233-31

31 送盧十四弟侍禦護韋尚書靈櫬歸上都二十韻

 送盧十四弟侍御護韋尚書靈?歸上都二十四韻(卷二三(五)二○一二)

233-32

32 哭李常侍嶧二首其一

 哭李常侍嶧二首其一(卷二二(五)頁一九一九)

 

 哭李常侍嶧二首其二

 哭李常侍嶧二首其二(卷二二(五)頁一九二○)

233-33

33 哭韋大夫之晉

 哭韋大夫之晉(卷二二(五)一九九二)

233-34

34 舟中夜雪有懷盧十四侍御弟

 舟中夜雪有懷盧十四侍御弟(卷二三(五)二○三一)

233-35

35 對雪

 對雪(卷二三(五)二○三二)

 

続きを読む

全唐詩卷232の杜詩目次と杜詩詳注掲載頁と訳注解説ブログリンク

全唐詩卷232の杜詩目次と杜詩詳注掲載頁と訳注解説ブログリンク


全唐詩 杜甫詩 巻二一六 ~ 巻二三四

1

卷216

巻217(前・後)

巻218

巻219

巻220

卷221(前・後)

2

巻222(前・後)

巻223

巻224

巻225(1)(前・後)

巻225(2)(前・後)

卷226(1)(前・後)

3

卷226(2)(前・後)

巻227(1)(前・後)

巻227(2)(前・後)

巻228(1

巻228(2

巻228(3

4

巻228(3

巻229(1

巻229(2

巻229(3

巻230(1)(前・後)

卷230(2

5

卷230(3

卷231(1

卷231(2

卷232

卷233

巻234

 

全唐詩杜詩案内、同にあわせて杜詩詳注の掲載ページと本ブログの掲載頁に案内 巻232

 

全唐詩 巻二三二 前

 杜詩詳注掲載頁 訳注解説ブログ記事

 

*各詩題は維基文庫 全唐詩にリンク

 ●各詩題は紀頌之、訳注解説ブログにリンク

232-1

1

 太歳日(卷二一(四)一八五四)

232-2

2 元日示宗武

 元日示宗武(卷二一(四)一八四九)

232-3

3 遠懷舍弟穎、觀等

 遠懷舍弟穎觀等(卷二一(四)一八五二)

232-4

4 續得觀書,迎就當陽居止,正月中旬定出三峽

 續得觀書迎就當陽居止正月中旬定出三峽(卷二一(四)一八五二)

232-5

5 將別巫峽,贈南卿兄瀼西果園四十畝

 將別巫峽贈南卿兄?西果園四十畝(卷二一(四)一八六二)

232-6

6 送大理封主簿五郎親事不合卻赴通州主簿前閬…親事遂停

 送大理封主簿五郎親事不合卻赴通州主簿前?州賢子余與主簿平章鄭氏女子垂欲納采鄭氏伯父京書至女子已許他族親事遂停(卷二一(四)一八六○)

232-7

7 人日兩篇

 人日二首其一(卷二一(四)頁一八五五)

 

 人日二首其二

 人日二首其二(卷二一(四)頁一八五六)

232-8

8 江梅

767年-002  江梅  杜詩詳注 卷一八(四)一五九八

232-9

9 庭草

767年-003  庭草  杜詩詳注 卷一八(四)一五九八

232-10

10 大曆三年春白帝城放船出瞿塘峽久居夔府將適…凡四十韻

 大歴三年春白帝城放船出瞿唐峽久居?府將適江陵漂泊有詩凡四十韻(卷二一(四

232-11

11 巫山縣汾州唐使君十八弟宴別兼諸公攜酒樂…留於屋壁

 巫山縣汾州唐使君十八弟宴別兼諸公攜酒樂相送率題小詩留於屋壁(卷二一(四)

232-12

12 春夜峽州田侍禦長史津亭留宴(得筵字)

 春夜峽州田侍御長史津亭留宴得筵字(卷二一(四)一八六六)

232-13

13 泊松滋江亭

 泊松滋江亭(卷二一(四)一八七五)

232-14

14 行次古城店泛江作,不揆鄙拙,奉呈江陵幕府諸公

 行次古城店泛江作不揆鄙拙奉呈江陵幕府諸公(卷二一(四)一八七四)

232-15

15 乘雨入行軍六弟宅

 乘雨入行軍六弟宅(卷二一(四)一八七六)

232-16

16 宴胡侍禦書堂(李尚書之芳、鄭秘監審同集歸字韻)

 宴胡侍御書堂(卷二一(四)一八七八)

232-17

17 書堂飲既,夜複邀李尚書下馬,月下賦

 書堂飲既夜復邀李尚書下馬月下賦絶句(卷二一(四)一八七八)

232-18

18 上巳日徐司錄林園宴集

 上巳日徐司?林園宴集(卷二一(四)一八七六)

232-19

19 奉送蘇州李二十五長史丈之任

 奉送蘇州李二十五長史丈之任(卷二一(四)一八七八)

232-20

20 暮春江陵送馬大卿公,恩命追赴闕下

 暮春江陵送馬大卿公恩命追赴闕下(卷二一(四)一八八○)

232-21

21 暮春陪李尚書、李中丞過鄭監湖亭泛舟(得過字韻)

 暮春陪李尚書李中丞過鄭監湖亭泛舟得過字韻(卷二一(四)一八八三)

232-22

22 奉送蜀州柏二別駕將中丞命赴江陵起居…行軍司馬佐

 奉送蜀州柏二別駕將中丞命赴江陵起居衛尚書太夫人因示從弟行軍司馬位(卷一八(四)一五七八)

232-23

23 夏日楊長寧宅送崔侍禦、常正字入京(得深字韻)

 夏日楊長寧宅送崔侍御常正字入京得深字韻(一作探韻得深字)(卷二一(四)一八九二)

232-24

24 和江陵宋大少府暮春雨後同諸公及舍弟宴書齋

 和江陵宋大少府暮春雨後同諸公及舍弟宴書齋(卷二一(四)一八八二)

232-25

25 宇文晁尚書之甥崔彧司業之孫尚書之子重泛鄭監前湖

 宇文晁(尚書之子)崔彧(司業之孫)重泛鄭監(審)前湖(卷二一(四)一八八

232-26

26 多病執熱奉懷李尚書(之芳)

 多病執熱奉懷李尚書之芳(卷二一(四)一八九三)

232-27

27 水宿遣興奉呈群公

 水宿遣興奉呈群公(卷二一(四)一八九四)

232-28

28 奉賀陽城郡王太夫人恩命加鄧國太夫人

 奉賀陽城郡王太夫人恩命加鄧國太夫人(卷二一(四)一八三四)

232-29

29 江陵望幸

 江陵望幸(卷一二(三)一○五二)

232-30

30 江邊星月二首

 江邊星月二首其一(卷二一(四)頁一八九九)

 

 江邊星月二首其二

 江邊星月二首其二(卷二一(四)頁一八九九)

 

続きを読む

全唐詩卷231(2)の杜詩目次と杜詩詳注掲載頁と訳注解説ブログリンク

全唐詩卷2312)の杜詩目次と杜詩詳注掲載頁と訳注解説ブログリンク


全唐詩 杜甫詩 巻二一六 ~ 巻二三四

1

卷216

巻217(前・後)

巻218

巻219

巻220

卷221(前・後)

2

巻222(前・後)

巻223

巻224

巻225(1)(前・後)

巻225(2)(前・後)

卷226(1)(前・後)

3

卷226(2)(前・後)

巻227(1)(前・後)

巻227(2)(前・後)

巻228(1

巻228(2

巻228(3

4

巻228(3

巻229(1

巻229(2

巻229(3

巻230(1)(前・後)

卷230(2

5

卷230(3

卷231(1

卷231(2

卷232

卷233

巻234

 

全唐詩杜詩案内、同にあわせて杜詩詳注の掲載ページと本ブログの掲載頁に案内 巻231-2

 

全唐詩 巻二三一 (2)

 杜詩詳注掲載頁 訳注解説ブログ記事

 

*各詩題は維基文庫 全唐詩にリンク

 ●各詩題は紀頌之、訳注解説ブログにリンク

231-37

37 柳司馬至

 柳司馬至(卷二一(四)一八二四)

231-38

38 郎司法

767年-195  簡呉郎司法(卷二○(四)一七六一)注(1206)

231-39

39 又呈

767年-196  又呈呉郎(卷二○(四)一七六二)注(1207)

231-40

40 覃山人隱居

767年-196  覃山人隱居(卷二○(四)一七六八)注(1214)

231-41

41 柏學士茅屋

柏學士茅屋

231-42

42 題柏大兄弟山居屋壁二首其一

 題柏大兄弟山居屋壁二首其一(卷二一(四)頁一八三八)

 

 題柏大兄弟山居屋壁二首其二

 題柏大兄弟山居屋壁二首其二(卷二一(四)頁一八三八)

231-43

43 戲寄崔評事表侄、蘇五表弟、韋大少府諸侄

767年-214  戲寄崔評事表姪蘇五表弟韋大少府諸姪(卷二○(四)一七七七)注(1226)

231-44

44 秋日寄題鄭監湖上亭三首

 秋日寄題鄭監湖上亭三首其一(卷二○(四)頁一七二九)

 

     秋日寄題鄭監湖上亭三首其二

 秋日寄題鄭監湖上亭三首其二(卷二○(四)頁一七三○)

 

     秋日寄題鄭監湖上亭三首其三

 秋日寄題鄭監湖上亭三首其三(卷二○(四)頁一七三一)

231-45

45 謁真諦寺禪師

767年-241  謁真諦寺禪師(卷二○(四)一八○二)

231-46

46 別崔因寄薛據、孟雲卿(赴湖南幕職)

767年-111  別崔、因寄薛據、孟雲卿 (卷一八(四)一五九六)

231-47

47 送李八秘書赴杜相公幕

767年-95  送李八秘書赴杜相公幕 (卷一九(四)一六八〇)

231-48

48 巫峽敝廬奉贈侍禦四舅別之澧朗

767年-96  巫峽敝廬奉贈侍御四舅別之澧朗  (卷一九(四)一六八一)

231-49

49 奉送十七舅下邵桂

 奉送十七舅下邵桂(卷一八(四)一五八○)

231-50

50 送覃二判官

 送覃二判官(卷二二(五)一九三三)

231-51

51 季夏送弟韶陪黃門從叔朝謁

767年-69#1 季夏送弟韶陪黃門從叔朝謁(卷一九(四)一六四八)

231-52

52 送十五弟侍禦使蜀

767年-88  送十五弟侍御使蜀  (卷一七(四)一四六四)

231-53

53 送田四弟將軍將夔州柏中丞命起居江陵節度…郡王衛公幕

 送田四弟將軍(卷二一(四)一八三五)

231-54

54 送王十六判官

767年-106  送王十六判官  (卷一八(四)一五九五)

231-55

55 奉送卿二翁統節度鎮軍還江陵

767年-243  奉送卿二翁統節度鎮軍還江陵(卷二○(四)一八○四)注(1255)

231-56

56 送鮮于萬州遷巴州(鮮于炅乃仲通子,有父風)

 送鮮于萬州遷巴州(卷一八(四)一五八○)

231-57

57 寄杜位(頃者與位同在故嚴尚書幕) 寒日經簷短

 寄杜位(卷一八(四)一五九六)  寒日經簷短

231-58

58 奉寄李十五秘書二首

 奉寄李十五祕書文嶷二首其一(卷一五(三)頁一二九三)

 

 奉寄李十五祕書文嶷二首其二

 奉寄李十五祕書文嶷二首其二(卷一五(三)頁一二九四)

231-59

59 奉送韋中丞之晉赴湖南

 奉送韋中丞之晉赴湖南(卷二二(五)一九八九)

231-60

60 送李功曹之荊州充鄭侍禦判官重贈

767年-105  送李功曹之荊州充鄭侍御判官重贈(卷一八(四)一五九四)

続きを読む

全唐詩卷231(1)の杜詩目次と杜詩詳注掲載頁と訳注解説ブログリンク

全唐詩卷2311)の杜詩目次と杜詩詳注掲載頁と訳注解説ブログリンク


全唐詩 杜甫詩 巻二一六 ~ 巻二三四

1

卷216

巻217(前・後)

巻218

巻219

巻220

卷221(前・後)

2

巻222(前・後)

巻223

巻224

巻225(1)(前・後)

巻225(2)(前・後)

卷226(1)(前・後)

3

卷226(2)(前・後)

巻227(1)(前・後)

巻227(2)(前・後)

巻228(1

巻228(2

巻228(3

4

巻228(3

巻229(1

巻229(2

巻229(3

巻230(1)(前・後)

卷230(2

5

卷230(3

卷231(1

卷231(2

卷232

卷233

巻234

 

全唐詩杜詩案内、同にあわせて杜詩詳注の掲載ページと本ブログの掲載頁に案内 巻231-1

 

全唐詩 巻二三一 (1)

 杜詩詳注掲載頁 訳注解説ブログ記事

 

*各詩題は維基文庫 全唐詩にリンク

 ●各詩題は紀頌之、訳注解説ブログにリンク

231-1

1 宗武生日

 宗武生日(卷一七(四)一四七七)

231-2

2 又示宗武

 又示宗武(卷二一(四)一八五○)

231-3

3 熟食日示宗文宗武

767年-25 熟食日示宗文宗武 杜詩詳注(卷一八(四)一六一五)

231-4

4 又示兩兒

767年-025 又示兩兒 杜詩詳注 卷一八(四)一六一五

231-5

5 社日兩篇

767年-175  社日兩篇其一(卷二○(四)頁一七四九)注(1191)

 

  社日兩篇其二

767年-176  社日兩篇其二(卷二○(四)頁一七五○)注(1192)

231-6

6 九日五首

767年-191  九日五首其一(卷二○(四)頁一七六四)注(1209)

 

  九日五首其二

767年-192  九日五首其二(卷二○(四)頁一七六四)注(1210)

 

  九日五首其三

767年-193  九日五首其三 卷二○(四)頁一七六五)注(1211)

 

  九日五首其四

767年-194  九日五首其四(卷二○(四)頁一七六五)注(1212

231-7

7 九日諸人集于林

 九日(一作登高)諸人集於林(卷一七(四)一四八三)

231-8

8 大曆二年九月三十日

767年-219  大曆二年九月三十日(卷二○(四)一七八七)注(1236) 

231-9

9 十月一日

767年-220  十月一日(卷二○(四)一七八七)注(1237) 

231-10

10 孟冬

767年-221  孟冬(卷二○(四)一七八八)注(1238)

231-11

11 冬至

 冬至(卷二一(四)一八二三)

231-12

12 小至

 小至(卷一八(四)一五六七)

231-13

13 覽物(一作峽中覽物)

 覽物【峽中覽物】卷一五(三)一二八八)

231-14

14 憶鄭南玭

 憶鄭南ヒ〔憶鄭南〕 (卷一五(三)一二九○)i

231-15

15 懷灞上游

767年-011 懷灞上遊 杜詩詳注(卷一八(四)一六○六)

231-16

16 愁(強戲為體)

767年-004   愁  杜詩詳注 卷一八(四)一五九九

231-17

17 晝夢

767年-008 晝夢 杜詩詳注 卷一八(四)一六○三 

231-18

18 覽鏡呈柏中丞

 覽鏡呈柏中丞(卷一八(四)一五七五)

231-19

19 即事    暮春三月巫峽長,

 即事(卷一○(二)八八四) 暮春三月巫峽長,

231-20

20 即事(一作天畔)    天畔群山孤草亭,

767年-213  即事 (卷二○(四)一七八二)注(1231) 多病馬卿無日起

231-21

21

767年-223  悶 (卷二○(四)一七九○)注(1240) 

231-22

22 戲作俳諧體遣悶二首其一

767年-228 戲作俳諧體遣悶二首其一(卷二○(四)頁一七九三)注(1245)

 

  戲作俳諧體遣悶二首其二

767年-229 戲作俳諧體遣悶二首其二(卷二○(四)頁一七九四)注(1246)

231-23

23 得舍弟觀書自中都已達江陵,今茲暮春月末…情見乎詞

767年-026 情見乎詞(得舍弟觀書自中都已達江陵)  卷一八(四)一六一六

231-24

24 喜觀即到,複題短篇二首

767年-27 喜觀即到復題短篇二首其一 卷一八(四)頁一六一七

 

  喜觀即到復題短篇二首其二

767年-29  喜觀即到復題短篇二首其二 (卷一八(四)頁一六一八)

231-25

25 舍弟觀歸藍田迎新婦,送示兩篇

767年-92  舍弟觀歸藍田迎新婦送示二首其一(卷一九(四)一六七八)

 

  舍弟觀歸藍田迎新婦送示二首其二

767年-93  舍弟觀歸藍田迎新婦送示二首其二 (卷一九(四)一六七九)

 

続きを読む

全唐詩卷230(3)の杜詩目次と杜詩詳注掲載頁と訳注解説ブログリンク

全唐詩卷2303)の杜詩目次と杜詩詳注掲載頁と訳注解説ブログリンク

全唐詩 杜甫詩 巻二一六 ~ 巻二三四

1

216

217(前・後)

218

219

220

221(前・後)

2

222(前・後)

223

224

225(1)

(前・後)

2252

(前・後)

226(1)

(前・後)

3

226(2)

(前・後)

227(1)

(前・後)

227(2)

(前・後)

2281

2282

2283

4

2291

2292

2293

2301

(前・後)

2302

(前・後)

2303

(前・後)

5

231

232

233

234

 

 

 

 

 

 

 

 全唐詩杜詩案内、同にあわせて杜詩詳注の掲載ページと本ブログの掲載頁に案内 巻230-3)前

 

全唐詩 巻二三〇 (3)

 杜詩詳注掲載頁 訳注解説ブログ記事

 

*各詩題は維基文庫 全唐詩にリンク

 ●各詩題は紀頌之、訳注解説ブログにリンク

230-44

44 獨坐二首其一

767年-215  獨坐二首其一(卷二○(四)頁一七八四)注(1233) 

 

    獨坐二首其二

767年-216  獨坐二首其二(卷二○(四)頁一七八五)注(1234)

230-45

45 遠遊

 遠遊(卷二二(五)一九九八)

230-46

46

夜【秋夜客舍】 (卷一七(四)一四六七)

230-47

47 暮春

767年-009 暮春 杜詩詳注 卷一八(四)一六○五

230-48

48 晴二首其一

767年-84  晴二首 其一  (卷一五(三)頁一三三七)

 

   晴二首 其二

767年-85  晴二首 其二  (卷一五(三)頁一三三七)

230-49

49 雨   始賀天休雨

767年-86  雨  (卷一五(三)頁一三三八)  始賀天休雨

230-50

50 月三首其一

767年-55 月三首 其一 (卷一八(四)頁一六二九)

 

  月三首 其二

767年-56 月三首 其二  (卷一八(四)頁一六三十)

 

  月三首 其三

767年-57 月三首 其三  (卷一八(四)頁一六三一)

230-51

51 雨   萬木雲深隱

 雨(卷一五(三)一三三二)(尚待考證後?年) 萬木雲深隱

230-52

52 晚晴    返照斜初徹

766年 晩晴(卷一五(三)一三三二)  返照斜初徹

230-53

53 夜雨

767年-90  夜雨 (卷一九(四)一六七七)

230-54

54 更題

767年-91  更題  (卷一九(四)一六七七)

230-55

55

767年-051 歸 杜詩詳注卷一九(四)一六三五

230-56

56 返照

 返照(卷一五(三)一三三六)

230-57

57 熱三首其一

 熱三首 其一(卷一五(三)頁一三○○)

 

  熱三首 其二

 熱三首 其二(卷一五(三)頁一三○○)

 

  熱三首 其三

 熱三首 其三(卷一五(三)頁一三○一)

230-58

58 日暮

767年-182  日暮(卷二○(四)一七五四)注(1198)

230-59

59 八月十五夜月二首其一

767年-177  八月十五夜月二首其一(卷二○(四)頁一七五○)注(1193)

 

    八月十五夜月二首其二

767年-178  八月十五夜月二首其二(卷二○(四)頁一七五一)注(1194)

230-60

60 十六夜玩月

767年-179  十六夜玩月(卷二○(四)一七五二)注(1195)

230-61

61 十七夜對月

767年-180  十七夜對月(卷二○(四)一七五三)注(1196)

230-62

62 村雨

 村雨(卷一四(三)一一七五)

230-63

63 雨晴

 雨晴(卷一五(三)一三三○)

続きを読む

全唐詩卷230(2)の杜詩目次と杜詩詳注掲載頁と訳注解説ブログリンク

全唐詩卷2302)の杜詩目次と杜詩詳注掲載頁と訳注解説ブログリンク


全唐詩 杜甫詩 巻二一六 ~ 巻二三四

1

卷216

巻217(前・後)

巻218

巻219

巻220

卷221(前・後)

2

巻222(前・後)

巻223

巻224

巻225(1)(前・後)

巻225(2)(前・後)

卷226(1)(前・後)

3

卷226(2)(前・後)

巻227(1)(前・後)

巻227(2)(前・後)

巻228(1

巻228(2

巻228(3

4

巻228(3

巻229(1

巻229(2

巻229(3

巻230(1)(前・後)

卷230(2

5

卷230(3

卷231(1

卷231(2

卷232

卷233

巻234

 

 全唐詩杜詩案内、同にあわせて杜詩詳注の掲載ページと本ブログの掲載頁に案内 巻230-2

 

全唐詩 巻二三〇 (2)

 杜詩詳注掲載頁 訳注解説ブログ記事

 

*各詩題は維基文庫 全唐詩にリンク

 ●各詩題は紀頌之、訳注解説ブログにリンク

230-11

11 承聞河北諸道節度入朝歡喜口號句十二首

767年-42 承聞河北諸道節度入朝歡喜口號句十二首其一(卷一八(四)一六二三)

 

  河北諸道節度入・・・・・二首其一

767年-43 承聞河北諸道節度入朝歡喜口號句十二首其一 (卷一八(四)一六二四)

 

  河北諸道節度入・・・・・二首 其三

767年-44 承聞河北諸道節度入朝歡喜口號句十二首 其三(卷一八(四)一六二五)

 

  河北諸道節度入・・・・・二首其四

767年-45 承聞河北諸道節度入朝歡喜口號句十二首其四(卷一八(四)一六二五)

 

  河北諸道節度入・・・・・二首 其五

767年-46 承聞河北諸道節度入朝歡喜口號句十二首 其五(卷一八(四)一六二五)

 

  河北諸道節度入・・・・・二首 其六

767年-47 承聞河北諸道節度入朝歡喜口號句十二首 其六(卷一八(四)一六二六)

 

  河北諸道節度入・・・・・二首 其七

767年-48 承聞河北諸道節度入朝歡喜口號句十二首 其七(卷一八(四)一六二六)

 

  河北諸道節度入・・・・・二首 其八

767年-49 承聞河北諸道節度入朝歡喜口號句十二首 其八(卷一八(四)一六二六)

 

  河北諸道節度入・・・・・二首 其九

767年-50 承聞河北諸道節度入朝歡喜口號句十二首 其九(卷一八(四)一六二七)

 

  河北諸道節度入・・・・・二首 其十

767年-51 承聞河北諸道節度入朝歡喜口號句十二首 其十(卷一八(四)一六二八)

 

  河北諸道節度入・・・・・二首 其十一

767年-52 承聞河北諸道節度入朝歡喜口號句十二首 其十一(卷一八(四)一六二八)

 

  河北諸道節度入・・・・・二首 其十二

767年-53 承聞河北諸道節度入朝歡喜口號句十二首 其十二(卷一八(四)一六二九)

 

 【十二首のまとめ】

767年-54 承聞河北諸道節度入朝歡喜口號句十二首 【字解集】

230-12

12 喜聞盜賊蕃寇總退口號五首其一

 喜聞盜賊總退口號五首其一(卷二一(四)頁一八五七)

 

  喜聞盜賊總退口號五首其二

 喜聞盜賊總退口號五首其二(卷二一(四)頁一八五八)

 

  喜聞盜賊總退口號五首其三

 喜聞盜賊總退口號五首其三(卷二一(四)頁一八五八)

 

  喜聞盜賊總退口號五首其四

 喜聞盜賊總退口號五首其四(卷二一(四)頁一八五八)

 

  喜聞盜賊總退口號五首其五

 喜聞盜賊總退口號五首其五(卷二一(四)頁一八六○)

230-13

13 洞房

767年-125  洞房(卷一七(四)一五一九)

230-14

14 宿昔

767年-126  宿昔(卷一七(四)一五二一)

230-15

15 能畫

767年-127  能畫(卷一七(四)一五二二)

230-16

16 鬥雞

767年-128  鬥雞(卷一七(四)一五二三)

230-17

17 鸚鵡(一作翦羽)

767年-133  鸚鵡(卷一七(四)一五二九)

230-18

18 歷歷

767年-129  歷歷(卷一七(四)一五二四)

230-19

19 洛陽

767年-130  洛陽(卷一七(四)一五二五)

230-20

20 驪山

767年-131  驪山(卷一七(四)一五二六)

230-21

21 提封

767年-132  提封(卷一七(四)一五二七)

230-22

22 覆舟二首其一

 覆舟二首其一(卷一八(四)頁一五九二)

 

     其二

 覆舟二首其二(卷一八(四)頁一五九三)

続きを読む

全唐詩卷230(1)の杜詩目次と杜詩詳注掲載頁と訳注解説ブログリンク

全唐詩卷2301)の杜詩目次と杜詩詳注掲載頁と訳注解説ブログリンク


全唐詩 杜甫詩 巻二一六 ~ 巻二三四

1

卷216

巻217(前・後)

巻218

巻219

巻220

卷221(前・後)

2

巻222(前・後)

巻223

巻224

巻225(1)(前・後)

巻225(2)(前・後)

卷226(1)(前・後)

3

卷226(2)(前・後)

巻227(1)(前・後)

巻227(2)(前・後)

巻228(1

巻228(2

巻228(3

4

巻228(3

巻229(1

巻229(2

巻229(3

巻230(1)(前・後)

卷230(2

5

卷230(3

卷231(1

卷231(2

卷232

卷233

巻234

 

 全唐詩杜詩案内、同にあわせて杜詩詳注の掲載ページと本ブログの掲載頁に案内 巻230-1

 

全唐詩 巻二三〇 (1)

 杜詩詳注掲載頁 訳注解説ブログ記事

 

*各詩題は維基文庫 全唐詩にリンク

 ●各詩題は紀頌之、訳注解説ブログにリンク

230-1

1 偶題

766年-1801 偶題 (卷一八(四)一五四一)

230-2

2 秋興八首

 秋興八首其一(卷一七(四)頁一四八四)

 

  秋興八首其二

 秋興八首其二(卷一七(四)頁一四八五)

 

  秋興八首其三

 秋興八首其三(卷一七(四)頁一四八七)

 

  秋興八首其四

 秋興八首其四(卷一七(四)頁一四八九)

 

  秋興八首其五

 秋興八首其五(卷一七(四)頁一四九○)

 

  秋興八首其六

 秋興八首其六(卷一七(四)頁一四九三)

 

  秋興八首其七

 秋興八首其七(卷一七(四)頁一四九四)

 

  秋興八首其八

 秋興八首其八(卷一七(四)頁一四九七)

230-3

3 詠懷古跡五首

 詠懷古跡五首其一(卷一七(四)頁一四九九)

 

  詠懷古跡五首

 詠懷古跡五首其二(卷一七(四)頁一五○一)

 

  詠懷古跡五首

 詠懷古跡五首其三(卷一七(四)頁一五○二)

 

  詠懷古跡五首

 詠懷古跡五首其四(卷一七(四)頁一五○五)

 

  詠懷古跡五首

 詠懷古跡五首其五(卷一七(四)頁一五○六)

230-4

4 諸將五首

 諸將五首其一(卷一六(三)頁一三六三)

 

  諸將五首其二

 諸將五首其二(卷一六(三)頁一三六五)

 

  諸將五首其三

 諸將五首其三(卷一六(三)頁一三六六)

 

  諸將五首其四

 諸將五首其四(卷一六(三)頁一三六八)

 

  諸將五首其五

 諸將五首其五(卷一六(三)頁一三七○)

230-5

5 秋日夔府詠懷奉寄鄭監李賓客一百韻

767年-141  秋日夔府詠懷奉寄鄭監審李賓客之芳一百韻(卷一九(四)一六九九)

230-6

6 贈李八秘書別三十韻

767年-107  贈李八秘書別三十韻 (卷一八(四)一五九六)

230-7

7 寄劉峽州伯華使君四十韻

767年-142  寄峽州劉伯華使君四十韻(卷一九(四)一七一七 注(1156)

230-8

8 夔府書懷四十韻

 キ府書懷四十韻(卷一六(三)一四二○)

230-9

9 解悶十二首

767年-113  解悶十二首其一(卷一七(四)一五一二)

 

  解悶十二首其二

767年-114  解悶十二首其二(卷一七(四)一五一二)

 

  解悶十二首其三

767年-115  解悶十二首其三(卷一七(四)一五一二)

 

  解悶十二首其四

767年-116  解悶十二首其四(卷一七(四)一五一三)

 

  解悶十二首其五

767年-117  解悶十二首其五(卷一七(四)一五一四)

 

  解悶十二首其六

767年-118  解悶十二首其六(卷一七(四)一五一四)

 

  解悶十二首其七

767年-119  解悶十二首其七(卷一七(四)一五一五)

 

  解悶十二首其八

767年-120  解悶十二首其八(卷一七(四)一五一六)

 

  解悶十二首其九

767年-121  解悶十二首其九(卷一七(四)一五一六)

 

  解悶十二首其一○

767年-122  解悶十二首其一○(卷一七(四)一五一七)

 

  解悶十二首其一一

767年-123  解悶十二首其一一(卷一七(四)一五一八)

 

  解悶十二首其一二

767年-124  解悶十二首其一二(卷一七(四)一五一八)

 

続きを読む

全唐詩卷229(3)の杜詩目次と杜詩詳注掲載頁と訳注解説ブログリンク

全唐詩卷2293)の杜詩目次と杜詩詳注掲載頁と訳注解説ブログリンク


全唐詩 杜甫詩 巻二一六 ~ 巻二三四

1

卷216

巻217(前・後)

巻218

巻219

巻220

卷221(前・後)

2

巻222(前・後)

巻223

巻224

巻225(1)(前・後)

巻225(2)(前・後)

卷226(1)(前・後)

3

卷226(2)(前・後)

巻227(1)(前・後)

巻227(2)(前・後)

巻228(1

巻228(2

巻228(3

4

巻228(3

巻229(1

巻229(2

巻229(3

巻230(1)(前・後)

卷230(2

5

卷230(3

卷231(1

卷231(2

卷232

卷233

巻234

 

 全唐詩杜詩案内、同にあわせて杜詩詳注の掲載ページと本ブログの掲載頁に案内 巻229-3

 

全唐詩 巻二二九(3)

 杜詩詳注掲載頁 訳注解説ブログ記事

 

*各詩題は維基文庫 全唐詩にリンク

 ●各詩題は紀頌之、訳注解説ブログにリンク

229-51

51 溪上

767年-80  溪上  (卷一九(四)一六七二)

229-52

52 樹間

767年-81  樹間  (卷一九(四)一六七三)

229-53

53 課小豎鉏斫舍北果林,枝蔓荒穢,淨訖移床三首

767年-152  課小豎鉏斫舍北果,林枝蔓荒穢淨,訖移床,三首 其一(卷二○(四)一七三五)注(1169)

 

      其二

767年-153  課小豎鉏斫舍北果〈秋日閒居〉)三首其二(卷二○(四 )頁一七三六)注(1170)

 

      其三

767年-154  課小豎鉏斫舍北果〈秋日閒居〉)三首其三(卷二○(四 )頁一七三七)注(1171)

229-54

54 寒雨朝行視園樹

767年-211  寒雨朝行視園樹(卷二○(四)一七七九)注(1229) 

229-55

55 季秋江村

767年-215  季秋江村(卷二○(四)一七七八)注(1227) 

229-56

56 小園

767年-216  小園(卷二○(四)一七七九)注(1228) 

229-57

57 自瀼西荊扉且移居東屯茅屋四首其一

767年-171  自瀼西荊扉且移居東屯茅屋四首其一(卷二○(四)一七四六)注(1187)

 

自瀼西荊扉且移居東屯茅屋四首其二

767年-172  自瀼西荊扉且移居東屯茅屋四首其二(卷二○(四 )頁一七四六)注(1188)

 

自瀼西荊扉且移居東屯茅屋四首其三

767年-173  自瀼西荊扉且移居東屯茅屋四首其三(卷二○(四 )頁一七四七)注(1189)

 

自瀼西荊扉且移居東屯茅屋四首其四

767年-174  自瀼西荊扉且移居東屯茅屋四首其四(卷二○(四 )頁一七四八)注(1190)

229-66

66 武侯廟(廟在白帝西郊)

 武侯廟(卷一五(三)一二七七)

229-67

67 八陣圖

 八陣圖(卷一五(三)一二七八)(暫置於此,尚待考證後?年)

229-68

68 謁先主廟(劉昭烈廟在奉節縣東六裏)

 謁先主廟(卷一五(三)一三五三)

229-69

69 白鹽山(白鹽崖高千餘丈,在州城東十七裏)

 白鹽山(卷一五(三)一三五二)

229-70

70 灩澦堆

 エンヨ堆(卷一五(三)一二八○)

 

続きを読む

全唐詩卷229(2)の杜詩目次と杜詩詳注掲載頁と訳注解説ブログリンク

全唐詩卷2292)の杜詩目次と杜詩詳注掲載頁と訳注解説ブログリンク


全唐詩 杜甫詩 巻二一六 ~ 巻二三四

1

卷216

巻217(前・後)

巻218

巻219

巻220

卷221(前・後)

2

巻222(前・後)

巻223

巻224

巻225(1)(前・後)

巻225(2)(前・後)

卷226(1)(前・後)

3

卷226(2)(前・後)

巻227(1)(前・後)

巻227(2)(前・後)

巻228(1

巻228(2

巻228(3

4

巻228(3

巻229(1

巻229(2

巻229(3

巻230(1)(前・後)

卷230(2

5

卷230(3

卷231(1

卷231(2

卷232

卷233

巻234

 

 全唐詩杜詩案内、同にあわせて杜詩詳注の掲載ページと本ブログの掲載頁に案内 巻229-2

 

全唐詩 巻二二九 (2)

 杜詩詳注掲載頁 訳注解説ブログ記事

229-31

31 雨不

 雨不晴(卷一五(三)一三三○)

229-32

32 崔評事弟許相迎不到應慮老夫見泥雨…必愆佳期走筆戲簡

767年-006崔評事弟許相迎不到應慮老夫見泥雨怯出必愆佳期走筆戲簡   卷一八(四)一六○一

229-33

33 宿江邊閣(即後西閣)

 宿江邊閣【案:即後西閣】(卷一七(四)一四六九)

229-34

34 宿西閣,曉呈元二十一曹長

 夜宿西閣曉呈元二十一曹長(卷一八(四)一五五九)

229-35

35 西閣口號(呈元二十一)

 西閣口號呈元二十一(卷一八(四)一五六○)

229-38

38 西閣三度期大昌嚴明府同宿不到

 西閣三度期大昌嚴明府同宿不到(卷一七(四)一四七二)

229-39

39 西閣二首

 西閣二首其一(卷一七(四)頁一四七三)

 

      其二

 西閣二首其二(卷一七(四)頁一四七四)

229-40

40 閣夜

 閣夜(卷一八(四)一五六一)

229-41

41 西閣夜

 西閣夜(卷一七(四)一四七五)

229-42

42 瀼西寒望

 ジョウ西寒望(卷一八(四)一五六一)

229-43

43 入宅三首(大曆二年春,甫自西閣遷赤甲)

767年-12 入宅三首其一 杜詩詳注(卷一八(四)頁一六○六)

 

入宅三首其二

767年-13 入宅三首其二 杜詩詳注(卷一八(四)頁一六○七)

 

入宅三首其三

767年-14 入宅三首其三 杜詩詳注(卷一八(四)頁一六○八)

229-44

44 赤甲

767年-15 赤甲  (卷一八(四)一六○八)

229-45

45 卜居

767年-16 卜居 (卷一八(四)一六○九)

229-46

46 暮春題瀼西新賃草屋五首其一

767年-17 暮春題瀼溪新賃草屋五首其一 (卷一八(四)頁一六一○)

 

 暮春題瀼西新賃草屋五首其二

767年-18 暮春題瀼溪新賃草屋五首其二 (卷一八(四)頁一六一○)

 

 暮春題瀼西新賃草屋五首其三

767年-19 暮春題瀼溪新賃草屋五首其三(卷一八(四)頁一六一一)

 

 暮春題瀼西新賃草屋五首其四

767年-20 暮春題瀼溪新賃草屋五首其四(卷一八(四)頁一六一二)

 

 暮春題瀼西新賃草屋五首其五

767年-21 暮春題瀼溪新賃草屋五首其五 (卷一八(四)頁一六一二)

229-47

47

767年-61  (卷一九(四)一六三四)

229-48

48 豎子至

767年-60 豎子至  (卷一九(四)一六三四

229-49

49 示獠奴阿段

 示リョウ奴阿段(卷一五(三)一二七一)

229-50

50 秋野五首其一

767年-147  秋野五首其一(卷二〇(四)一七三二)注(1164)

 

 秋野五首其二

767年-148  秋野五首其二(卷二〇(四)一七三二)注(1165)

 

 秋野五首其三

767年-149  秋野五首其三(卷二〇(四)一七三二)注(1166)

 

 秋野五首其四

767年-150  秋野五首其四(卷二〇(四)一七三四)注(1167)

 

 秋野五首其五

767年-151  秋野五首其五(卷二〇(四)一七三五)注(1168)

 

全唐詩卷229(1)の杜詩目次と杜詩詳注掲載頁と訳注解説ブログリンク

全唐詩卷2291)の杜詩目次と杜詩詳注掲載頁と訳注解説ブログリンク


全唐詩 杜甫詩 巻二一六 ~ 巻二三四

1

卷216

巻217(前・後)

巻218

巻219

巻220

卷221(前・後)

2

巻222(前・後)

巻223

巻224

巻225(1)(前・後)

巻225(2)(前・後)

卷226(1)(前・後)

3

卷226(2)(前・後)

巻227(1)(前・後)

巻227(2)(前・後)

巻228(1

巻228(2

巻228(3

4

巻228(3

巻229(1

巻229(2

巻229(3

巻230(1)(前・後)

卷230(2

5

卷230(3

卷231(1

卷231(2

卷232

卷233

巻234

 

 全唐詩杜詩案内、同にあわせて杜詩詳注の掲載ページと本ブログの掲載頁に案内 巻229-1

 

全唐詩 巻二二九(3)

 杜詩詳注掲載頁 訳注解説ブログ記事

 

*各詩題は維基文庫 全唐詩にリンク

 ●各詩題は紀頌之、訳注解説ブログにリンク

229-1

1 哭嚴僕射歸櫬

 哭嚴僕射歸?(卷一四(三)一二二七)

229-2

2 宴戎州楊使君東樓

 宴戎州楊使君東樓(卷一四(三)一二二一)

229-3

3 渝州候嚴六侍禦不到,先下峽

 渝州候嚴六侍御不到先下峽(卷一四(三)一二二二)

229-4

4 撥悶(一作贈嚴二別駕)

 撥悶(卷一四(三)一二二三)

229-5

5 聞高常侍亡(忠州作)

 聞高常侍亡(卷一四(三)一二一六)

229-6

6 宴忠州使君侄宅

 宴忠州使君姪宅(卷一四(三)一二二四)

229-7

7 禹廟(此忠州臨江縣禹祠也)

 禹廟(卷一四(三)一二二五)

229-8

8 題忠州龍興寺所居院壁

 題忠州龍興寺所居院壁(卷一四(三)一二二六)(暫置於此,待考作年)

229-9

9 旅夜書懷

 旅夜書懷(卷一四(三)一二二八)

229-10

10 別常征君

 別常セイ君(卷一四(三)一二三二)

229-11

11

 絶句三首其一(卷一四(三)頁一二一○)

 

      其二

 絶句三首其二(卷一四(三)頁一二一一)

 

      其三

 絶句三首其三(卷一四(三)頁一二一一)

229-12

12 十二月一日三首

 十二月一日三首其一(卷一四(三)頁一二四三)

 

      其二

 十二月一日三首其二(卷一四(三)頁一二四四)

 

      其三

 十二月一日三首其三(卷一四(三)頁一二四五)

229-13

13 又雪

 又雪(卷一四(三)一二四六)

229-14

14 奉漢中王手劄

 奉漢中王手札(卷一五(三)一三三三)

229-15

15 贈崔十三評事公輔

 贈崔十三評事公輔(卷一五(三)一二九○)

229-16

16 長江二首

 長江二首其一(卷一四(三)頁一二三二)

 

      其二

 長江二首其二(卷一四(三)頁一二三三)

229-17

17 承聞故房相公靈櫬自閬州殯歸葬東都有作二首

 承聞故房相公靈?自?州?歸葬東都有作二首其一(卷一四(三)頁一二三四)

 

      其二

 承聞故房相公靈?自?州?殯歸葬東都有作二首其二(卷一四(三)頁一二三五)

229-18

18 雲安九日,鄭十八攜酒陪諸公宴

 雲安九日鄭十八攜酒陪諸公宴(卷一四(三)一二三一)

229-19

19 答鄭十七郎一

 答鄭十七郎一?(卷一四(三)一二三一)

229-20

20 將曉二首

 將曉二首其一(卷一四(三)頁一二三六)

 

      其二

 將曉二首其二(卷一四(三)頁一二三七)

229-21

21 懷錦水居止二首

765年 懷錦水居止二首之一 (卷一四(三)頁一二三七)

 

      其二

765年 懷錦水居止,二首之二 (卷一四(三)頁一二三八)

229-22

22 子規

 子規(卷一四(三)一二五二)

229-23

23 立春

767年-001 立春  (卷一八(四)一五九七)

229-24

24 漫成一

 漫成一首(卷一五(三)一二六七)

229-25

25 老病

767年-83  老病  (卷一五(三)一二八二)

229-26

26 南楚

 南楚(卷一四(三)一二四八)

229-27

27 寄常征君

 寄常セイ君(卷一四(三)一二六一)

229-28

28 寄岑嘉州(州據蜀江外)

 寄岑嘉州(卷一四(三)一二六二)(暫?於此)

229-29

29 移居夔州郭

 移居キ州作(卷一五(三)一二六五)

229-30

30 船下夔州郭宿,雨濕不得上岸,別王十二判官

 船下キ州郭宿雨濕不得上岸別王十二(郭作二十)判官(卷一五(三)一二六六)

 



全唐詩卷228(3)の杜詩目次と杜詩詳注掲載頁と訳注解説ブログリンク

全唐詩卷2283)の杜詩目次と杜詩詳注掲載頁と訳注解説ブログリンク


全唐詩 杜甫詩 巻二一六 ~ 巻二三四

1

卷216

巻217(前・後)

巻218

巻219

巻220

卷221(前・後)

2

巻222(前・後)

巻223

巻224

巻225(1)(前・後)

巻225(2)(前・後)

卷226(1)(前・後)

3

卷226(2)(前・後)

巻227(1)(前・後)

巻227(2)(前・後)

巻228(1

巻228(2

巻228(3

4

巻228(3

巻229(1

巻229(2

巻229(3

巻230(1)(前・後)

卷230(2

5

卷230(3

卷231(1

卷231(2

卷232

卷233

巻234

 

 全唐詩杜詩案内、同にあわせて杜詩詳注の掲載ページと本ブログの掲載頁に案内 巻228-3

 

全唐詩 巻二二八(3)

 杜詩詳注掲載頁 訳注解説ブログ記事

 

*各詩題は維基文庫 全唐詩にリンク

 ●各詩題は紀頌之、訳注解説ブログにリンク

228-46

46 寄李十四員外布十二韻

 寄李十四員外布十二韻(卷一三(三)一一四五)

228-47

47 歸來

 歸來(卷一三(三)一一一二)

228-48

48 王錄事許修草堂貲不到,聊小詰

 王録事許修草堂貲不到聊小詰(卷一三(三)一一三三)

228-49

49 寄邛州崔錄事

 寄キョウ州崔録事(卷一三(三)一一三二)

228-50

50 過故斛斯校書莊二首

 過故斛斯校書莊二首其一(卷一四(三)頁一一八八)

 

      其二

 過故斛斯校書莊二首其二(卷一四(三)頁一一八九)

228-51

51 立秋雨院中有作

 立秋雨院中有作(卷一四(三)一一六九)

228-52

52 和嚴大夫軍城早秋

奉和嚴大夫軍城早秋 巻十四(三)一一七〇

 

  嚴武の詩

軍城早秋  厳武詩 764年 巻十四(三)一一七一

228-53

53 院中晚晴懷西郭茅舍

 院中晩晴懷西郭茅舍(卷一四(三)一一七一)

228-54

54 到村

 到村(卷一四(三)一一七三)

228-55

55 宿府

 宿府(卷一四(三)一一七三)

228-56

56 遣悶奉呈嚴公二十韻

 遣悶奉呈嚴(?本有鄭字)公二十韻(卷一四(三)一一七九)

228-57

57 送舍弟頻赴齊州三首

 送舍弟穎(一作頻,一作潁)赴齊州三首其一(卷一四(三)頁一一八二)

 

      其二

 送舍弟穎(一作頻,一作潁)赴齊州三首其二(卷一四(三)頁一一八二)

 

      其三

 送舍弟穎(一作頻,一作潁)赴齊州三首其三(卷一四(三)頁一一八三)

228-58

58 嚴鄭公階下新松(得沾字)

 嚴鄭公階下新松得霑字(卷一四(三)一一八三)

228-59

59 嚴鄭公宅同詠竹(得香字)

 嚴鄭公宅同詠竹得香字(卷一四(三)一一八四)

228-60

60 奉觀嚴鄭公廳事岷山沱江畫圖十韻(得忘字)

 奉觀嚴鄭公廳事岷山沱江畫圖十韻得忘字(卷一四(三)一一八六)

228-61

61 晚秋陪嚴鄭公摩訶池泛舟(得溪字。池在張儀子城

 晩秋陪嚴鄭公摩訶池泛舟得溪字(卷一四(三)一一八四)

228-62

62 初冬

 初冬(卷一四(三)一一九六)

228-63

63 至後

 至後(卷一四(三)一一九九)

228-64

64 正月三日歸溪上有作,簡院諸公

 正月三日歸溪上有作簡院?諸公(卷一四(三)一二○一)

228-65

65 弊廬遣興,奉寄嚴公

 敝廬遣興奉寄嚴公(卷一四(三)一二○二)

228-66

66 春日江村五首

 春日江村五首其一(卷一四(三)頁一二○五)

 

 春日江村五首其二

 春日江村五首其二(卷一四(三)頁一二○六)

 

 春日江村五首其三

 春日江村五首其三(卷一四(三)頁一二○六)

 

 春日江村五首其四

 春日江村五首其四(卷一四(三)頁一二○七)

 

 春日江村五首其五

 春日江村五首其五(卷一四(三)頁一二○八)

228-67

67 句六首

 絶句六首其一(卷一三(三)頁一一四一)

 

 絶句六首其二

 絶句六首其二(卷一三(三)頁一一四一)

 

 絶句六首其三

 絶句六首其三(卷一三(三)頁一一四一)

 

 絶句六首其四

 絶句六首其四(卷一三(三)頁一一四二)

 

 絶句六首其五

 絶句六首其五(卷一三(三)頁一一四二)

 

 絶句六首其六

 絶句六首其六(卷一三(三)頁一一四二)

228-68

68 句四首

 絶句四首其一(卷一三(三)頁一一四二)

 

 絶句四首其二

 絶句四首其二(卷一三(三)頁一一四三)

 

 絶句四首其三

 絶句四首其三(卷一三(三)頁一一四三)

 

 絶句四首其四

 絶句四首其四(卷一三(三)頁一一四三)

 

全唐詩卷228(2)の杜詩目次と杜詩詳注掲載頁と訳注解説ブログリンク

全唐詩卷2282)の杜詩目次と杜詩詳注掲載頁と訳注解説ブログリンク


全唐詩 杜甫詩 巻二一六 ~ 巻二三四

1

卷216

巻217(前・後)

巻218

巻219

巻220

卷221(前・後)

2

巻222(前・後)

巻223

巻224

巻225(1)(前・後)

巻225(2)(前・後)

卷226(1)(前・後)

3

卷226(2)(前・後)

巻227(1)(前・後)

巻227(2)(前・後)

巻228(1

巻228(2

巻228(3

4

巻228(3

巻229(1

巻229(2

巻229(3

巻230(1)(前・後)

卷230(2

5

卷230(3

卷231(1

卷231(2

卷232

卷233

巻234

 

 全唐詩杜詩案内、同にあわせて杜詩詳注の掲載ページと本ブログの掲載頁に案内 巻228-2

 

全唐詩 巻二二八(2)

 杜詩詳注掲載頁 訳注解説ブログ記事

 

*各詩題は維基文庫 全唐詩にリンク

 ●各詩題は紀頌之、訳注解説ブログにリンク

228-30

30 別房太尉墓(在閬州)

廣徳2年764-88《別房太尉墓》 

228-31

31 自閬州領妻子卻赴蜀山行三首

廣徳2年764-85《自?州領妻子卻赴蜀山行,三首之一》 

 

      其二

廣徳2年764-86《自?州領妻子卻赴蜀山行,三首之二》

 

      其三

廣徳2年764-87《自?州領妻子卻赴蜀山行,三首之三》 

228-32

32 山館(一作移居公安山館,編入江陵詩後)

 移居公安山館(卷二二(五)一九二二)

228-33

33 行次鹽亭縣聊題四韻奉簡嚴遂州蓬州兩使君諮議諸昆季

 行次鹽亭縣聊題四韻奉簡嚴遂州蓬州兩使君咨議諸昆季(卷一二(三)一○○○) 

228-34

34 倚杖(鹽亭縣作)

 倚杖(卷一二(三)一○○一)

228-35

35 陪王漢州留杜綿州泛房公西湖(房管刺漢州時所鑿)

 陪王漢州留杜綿州泛房公西湖(卷一二(三)一○○六)

228-36

36 舟前小鵝兒(漢州城西北角官池作官池即房公湖)

 舟前小鵝兒(卷一二(三)一○○九)

228-37

37 得房公池鵝

 得房公池鵝(卷一二(三)一○○八)

228-38

38 答楊梓州

 答楊梓州(卷一二(三)一○○八)

228-39

39 登樓

 登樓(卷一三(三)一一三○)

228-40

40 春歸

 春歸(卷一三(三)一一一○)

228-41

41 歸雁

 歸雁(卷一三(三)一一三四)

228-42

42 贈王二十四侍禦契四十韻(王契,字佐卿,京兆人)

 贈王二十四侍御契四十韻(卷一三(三)一一二三)

228-43

43 寄董卿嘉榮十韻

 寄董卿嘉榮十韻(卷一四(三)一一六七)

228-44

44 寄司馬山人十二韻

 寄司馬山人十二韻(卷一三(三)一一三六)

228-45

45 黃河二首其一

 黄河二首其一(卷一三(三)頁一一三八)

 

     其二

 黄河二首其二(卷一三(三)頁一一三八)

 

全唐詩卷228(1)の杜詩目次と杜詩詳注掲載頁と訳注解説ブログリンク

全唐詩卷2281)の杜詩目次と杜詩詳注掲載頁と訳注解説ブログリンク

全唐詩 杜甫詩 巻二一六 ~ 巻二三四

1

216

217(前・後)

218

219

220

221(前・後)

2

222(前・後)

223

224

225(1)

(前・後)

2252

(前・後)

226(1)

(前・後)

3

226(2)

(前・後)

227(1)

(前・後)

227(2)

(前・後)

2281

(前・後)

2282

2281)巻229

4

230

 

 

 

 

 

5

231

232

233

234

 

 

 

 

 全唐詩杜詩案内、同にあわせて杜詩詳注の掲載ページと本ブログの掲載頁に案内 巻228-1)の前

 

全唐詩 巻二二八(1)前半

 杜詩詳注掲載頁 訳注解説ブログ記事

 

*各詩題は維基文庫 全唐詩にリンク

 ●各詩題は紀頌之、訳注解説ブログにリンク

228-1

1 傷春五首(巴閬僻遠傷春罷始知春前已收宮闕)

 傷春五首其一(卷一三(三)頁一○八一)

 

   傷春五首其二

 傷春五首其二(卷一三(三)頁一○八二)

 

   傷春五首其三

 傷春五首其三(卷一三(三)頁一○八三)

 

   傷春五首其四

 傷春五首其四(卷一三(三)頁一○八四)

 

   傷春五首其五

 傷春五首其五(卷一三(三)頁一○八五)

228-2

2 王閬州筵奉酬十一舅惜別之作

 王ロウ州筵奉酬十一舅惜別之作(卷一二(三)一○三七)

228-3

3 放船    送客蒼溪縣

 放船(卷一二(三)一○四○)  送客蒼溪縣

228-4

4 奉待嚴大夫

 奉待嚴太夫(卷一三(三)一○九九)

228-5

5 奉寄高常侍(一作寄高三十五大夫)

 奉寄高常侍(一云寄高三十五大夫)(卷一三(三)一一二二)

228-6

6 奉寄章十侍禦

 奉寄章十侍御(卷一三(三)一○九三)

228-7

7 將赴荊南,寄別李劍州

 將赴荊南,寄別李劍州(卷一三(三)一○九七)

228-8

8 奉寄別馬巴州(時甫除京兆功曹在東川)

 奉寄別馬巴州(時甫除京兆功曹在東川)(卷一三(三)一○九八)

228-9

9 泛江

 泛江(卷一三(三)一○七七)

228-10

10 陪王使君晦日泛江就黃家亭子二首其一

 陪王使君晦日泛江就?家亭子二首其一(巻一三(三)一○七六)

 

     其二

 陪王使君晦日泛江就?家亭子二首其二(巻一三(三)一○七七)

228-11

11 南征

 南征(卷二二(五)一九五○)

228-12

12 久客

 久客(卷二二(五)一九三六)

228-13

13 春遠

 春遠(卷一四(三)一二一○)

228-14

14 暮寒

 暮寒(卷一三(三)一○八七)

228-15

15 雙燕

 雙燕(卷一二(三)九八七)

228-16

16 百舌

 百舌(卷一二(三)九八八)

228-17

17 地隅

 地隅(卷二三(五)二○三○)

228-18

18 遊子

 遊子(卷一三(三)一○八七)

228-19

19 歸夢

 歸夢(卷二二(五)一九五○)

228-20

20 江亭王閬州筵餞蕭遂州

 江亭王?州筵餞蕭遂州(卷一三(三)一○七五)

228-21

21 句二首其一  遲日江山麗

 絶句二首其一(卷一三(三)頁一一三四)遲日江山麗

 

  絶句二首其二  江碧鳥逾白

 絶句二首其二(卷一三(三)頁一一三五)江碧鳥逾白

228-22

22 滕王亭子二首其一

 滕王亭子二首其一(卷一三(三)一○八八)

228-24

24 滕王亭子二首其二

 滕王亭子二首其二(卷一三(三)一○九○)

228-23

23 玉台觀(滕王造)

 玉臺觀二首其一(卷一三(三)一○九○)

228-25

25 玉台觀

 玉臺觀二首其二(卷一三(三)一○九二)

228-26

26 渡江

 渡江(卷一三(三)一一○○)

228-27

27 喜雨

 喜雨(卷一二(三)一○一九)

228-28

28 送韋郎司直歸成都

 送韋郎司直歸成都(卷一二(三)一○一三)

228-29

29 將赴成都草堂途中有作,先寄嚴鄭公五首

 將赴成都草堂途中有作先寄嚴鄭公五首其一(卷一三(三)頁一一○五)

 

      其二

 將赴成都草堂途中有作先寄嚴鄭公五首其二(卷一三(三)頁一一○六)

 

      其三

 將赴成都草堂途中有作先寄嚴鄭公五首其三(卷一三(三)頁一一○七)

 

      其四

 將赴成都草堂途中有作先寄嚴鄭公五首其四(卷一三(三)頁一一○八)

 

      其五

 將赴成都草堂途中有作先寄嚴鄭公五首其五(卷一三(三)頁一一○九)

参考

 

756年至徳元から二載 《杜甫と房?房?関連》 

 

房琯関連  →

763年廣徳元年1501《祭故相國清河房公文-(1)》 

 

永泰元年765-855《承聞故房相公靈?,自?州?殯歸葬東都有作,二首之一》(遠聞房太守)

 

永泰元年764-97-7《承聞故房相公靈?,自?州?殯歸葬東都有作,二首之二》 

 

乾元元年758《乾元元年華州試進士策問五首Q-1 -(1)》 

 

757年至徳二載《奉謝口敕放三司推問? 房?関連 1-(6)》 

 

 祭故相國清河房公文(卷二五(五)二二一九)

続きを読む

全唐詩卷227(2)の杜詩目次と杜詩詳注掲載頁と訳注解説ブログリンク

全唐詩卷2272)の杜詩目次と杜詩詳注掲載頁と訳注解説ブログリンク

全唐詩 杜甫詩 巻二一六 ~ 巻二三四

1

216

217(前・後)

218

219

220

221(前・後)

2

222(前・後)

223

224

225(1)

(前・後)

2252

(前・後)

226(1)

(前・後)

3

226(2)

(前・後)

227(1)

(前・後)

227(2)

(前・後)

228

229

230

4

231

232

233

234

 

 

 

 

 全唐詩杜詩案内、同にあわせて杜詩詳注の掲載ページと本ブログの掲載頁に案内 巻227-2)の前

 

全唐詩 巻二二七(1)

 杜詩詳注掲載頁 訳注解説ブログ記事

 

*各詩題は維基文庫 全唐詩にリンク

 ●各詩題は紀頌之、訳注解説ブログにリンク

227-39

39 秋盡

 秋盡(卷一一(二)九三六)

227-40

40 陪王侍禦宴通泉東山野亭

 陪王侍御宴通泉東山野亭(卷一一(二)九六三)

227-41

41 野望    金華山北涪水西

762年 野望(卷一○(二)八八○)  金華山北涪水西

227-42

42 聞官軍收河南河北

 聞官軍收河南河北(一云收兩河)(卷一一(二)九六八)

227-43

43 涪江泛舟送韋班歸京(得山字)

 フウ江泛舟送韋班歸京〔得山字〕(卷一二(三)九八三)

227-44

44 春日梓州登樓二首

 春日梓州登樓二首其一(卷一一(二)頁九六九)

 

         其二

 春日梓州登樓二首其二(卷一一(二)頁九七○)

227-45

45 城西原送李判官兄、武判官弟赴成都府

 サイ城西原送李判官兄武判官弟赴成都府(卷一二(三)九八三)

227-46

46 泛江送魏十八倉曹還京,因寄岑中允參、范郎中季明

 泛舟送魏十八倉曹還京因寄岑中允參范郎中季明(卷一二(三)八九四)

227-47

47 送路六侍禦入朝

 送路六侍御入朝(卷一二(三)九八五)

227-48

48 泛江送客

 泛江送客(卷一二(三)九八七)

227-49

49 上牛頭寺(牛頭山在縣西南,下有長樂寺)

 上牛頭寺(卷一二(三)九八九)

227-50

50 望牛頭寺

 望牛頭寺(卷一二(三)九九○)

227-51

51 上兜率寺

 上兜帥寺(卷一二(三)九九一)

227-52

52 望兜率寺

 望兜率寺(卷一二(三)九九三)

227-53

53 甘園

 甘園(卷一二(三)九九四)

227-54

54 數陪李梓州泛江,有女樂在諸舫,戲為豔曲二首贈李

 數陪李梓州泛江戲爲艶曲二首其一(卷一二(三)頁九九五)

 

         其二

 數陪李梓州泛江戲爲艶曲二首其二(卷一二(三)頁九九六)

227-55

55 登牛頭山亭子

 登牛頭山亭子(卷一二(三)九九○)

227-56

56 陪李梓州、王閬州、蘇遂州、李果州四使君登惠義寺

 陪李(章)梓州王?州蘇遂州李果州四使君登惠義寺(卷一二(三)九九四)

227-57

57 送何侍禦歸朝(李梓州泛舟筵上作)

 送何侍御歸朝(卷一二(三)九九八)

227-58

58 江亭送眉州辛別駕升之(得蕪字)

 江亭送眉州辛別駕昇之得蕪字(卷一二(三)九九九)

227-59

59 涪城縣香積寺官閣

 フ城縣香積寺官閣(卷一二(三)九八六)

227-60

60 戲題寄上漢中王三首其一 西漢親王子,

 戲題寄漢中王三首其一(巻一一(二)九三七)

 

#REF!

 戲題寄漢中王三首其二(巻一一(二)九三八)

 

#REF!

 戲題寄漢中王三首其三(巻一一(二)九三九)

227-61

61 陪章留後侍禦宴南樓(得風字)

 陪章留後侍御宴南樓得風字(卷一二(三)一○一六)

227-62

62 臺上(得涼字)

 臺上得涼字(卷一二(三)一○一七)

227-63

63 送王十五判官扶侍還黔中(得開字

 送王十五判官扶侍還黔中得開字(卷一二(三)一○一八)

 

 

続きを読む

全唐詩卷227(1)の杜詩目次と杜詩詳注掲載頁と訳注解説ブログリンク

 

全唐詩卷2271)の杜詩目次と杜詩詳注掲載頁と訳注解説ブログリンク


全唐詩 杜甫詩 巻二一六 ~ 巻二三四

1

卷216

巻217(前・後)

巻218

巻219

巻220

卷221(前・後)

2

巻222(前・後)

巻223

巻224

巻225(1)(前・後)

巻225(2)(前・後)

卷226(1)(前・後)

3

卷226(2)(前・後)

巻227(1)(前・後)

巻227(2)(前・後)

巻228(1

巻228(2

巻228(3

4

巻228(3

巻229(1

巻229(2

巻229(3

巻230(1)(前・後)

卷230(2

5

卷230(3

卷231(1

卷231(2

卷232

卷233

巻234

 

 全唐詩杜詩案内、同にあわせて杜詩詳注の掲載ページと本ブログの掲載頁に案内 巻227-1)の前

 

全唐詩 巻二二七(1)

 杜詩詳注掲載頁 訳注解説ブログ記事

 

*各詩題は維基文庫 全唐詩にリンク

 ●各詩題は紀頌之、訳注解説ブログにリンク

227-1

1 奉和嚴中丞西城晚眺十韻

 奉和嚴中丞西城?眺十韻(卷一一(二)八九三)

227-2

2 嚴中丞枉駕見過

 嚴中丞枉駕見過(卷一一(二)八八九)

227-3

3 廣州段功曹到得楊五長史譚書功曹卻歸聊寄此詩

 廣州段公曹到得楊五長史譚書功曹卻歸聊寄此詩(卷一一(二)九二七)

227-4

4 得廣州張判官叔卿書,使還,以詩代意

得廣州張判官叔卿書使還以詩代意(卷一○(二)八七一)

227-5

5 送段功曹歸廣州

 送段功曹歸廣州(卷一一(二)九二八)

227-6

6 句漫興九首其一

 絶句漫興九首其一(卷九(二)頁七八八)

 

       其二

 絶句漫興九首其二(卷九(二)頁七八八)

 

       其三

 絶句漫興九首其三(卷九(二)頁七八九)

 

       其四

 絶句漫興九首其四(卷九(二)頁七八九)

 

       其五

 絶句漫興九首其五(卷九(二)頁七八九)

 

       其六

 絶句漫興九首其六(卷九(二)頁七九○)

 

       其七

 絶句漫興九首其七(卷九(二)頁七九一)

 

       其八

 絶句漫興九首其八(卷九(二)頁七九一)

 

       其九

 絶句漫興九首其九(卷九(二)頁七九二)

227-7

7 江畔獨步尋花七句其一

 江畔獨歩尋花七絶句其一(卷一○(二)頁八一六)

 

       其二

 江畔獨歩尋花七絶句其二(卷一○(二)頁八一七)

 

       其三

 江畔獨歩尋花七絶句其三(卷一○(二)頁八一七)

 

       其四

 江畔獨歩尋花七絶句其四(卷一○(二)頁八一八)

 

       其五

 江畔獨歩尋花七絶句其五(卷一○(二)頁八一八)

 

       其六

 江畔獨歩尋花七絶句其六(卷一○(二)頁八一八)

 

       其七

 江畔獨歩尋花七絶句其七(卷一○(二)頁八一九)

227-8

8 句其一

 三絶句其一(卷一一(二)頁八九六)

 

    其二

 三?句其二(卷一一(二)頁八九七)

 

    其三

 三?句其三(卷一一(二)頁八九七)

227-9

9 戲為六句其一

 戲為六?句其一(卷一○(二)八九八)

 

      其二

 戲為六?句其二(卷一○(二)八九八)

 

      其三

 戲為六?句其三(卷一○(二)八九九)

 

      其四

 戲為六?句其四(卷一○(二)九○○)

 

      其五

 戲為六?句其五(卷一○(二)九○○)

 

      其六

 戲為六?句其六(卷一○(二)九○一)

227-10

10 江頭四詠。丁香

 江頭五詠 丁香(卷一○(二)八七六)

227-11

11 江頭四詠。梔子

 江頭五詠  梔子(卷一○(二)八七七)

227-12

12 江頭四詠。鸂鶒

 江頭五詠  ??(卷一○(二)八七八)

 

 

全唐詩卷226(2)の杜詩目次と杜詩詳注掲載頁と訳注解説ブログリンク

 

全唐詩卷2262)の杜詩目次と杜詩詳注掲載頁と訳注解説ブログリンク


全唐詩 杜甫詩 巻二一六 ~ 巻二三四

1

卷216

巻217(前・後)

巻218

巻219

巻220

卷221(前・後)

2

巻222(前・後)

巻223

巻224

巻225(1)(前・後)

巻225(2)(前・後)

卷226(1)(前・後)

3

卷226(2)(前・後)

巻227(1)(前・後)

巻227(2)(前・後)

巻228(1

巻228(2

巻228(3

4

巻228(3

巻229(1

巻229(2

巻229(3

巻230(1)(前・後)

卷230(2

5

卷230(3

卷231(1

卷231(2

卷232

卷233

巻234

 

 全唐詩杜詩案内、同にあわせて杜詩詳注の掲載ページと本ブログの掲載頁に案内 巻226-2)の前

 

全唐詩 巻二二六(2)前半

 杜詩詳注掲載頁 訳注解説ブログ記事

 

*各詩題は維基文庫 全唐詩にリンク

 ●各詩題は紀頌之、訳注解説ブログにリンク

226-47

47 可惜

 可惜 (卷一○(二)八○三)

226-48

48 落日

 落日 (卷一○(二)八○二)

226-49

49 獨酌

 獨酌 (卷一○(二)八○四)

226-50

50 徐步

 徐歩 (卷一○(二)八○五)

226-51

51 寒食

 寒食 (卷一○(二)八○六)

226-52

52 高楠

 高楠 (卷一○(二)八一五)

226-53

53 惡樹

 惡樹 (卷一○(二)八一六)

226-54

54 石鏡

 石鏡 (卷一○(二)八○六)

226-55

55 琴台(司馬相如宅在州西笮橋,北有琴台)

 琴台 (卷一○(二)八○八)

226-56

56 聞斛斯六官未歸

 聞斛斯六官未歸 (卷一○(二)八二三)

226-57

57 游修覺寺

 遊修覺寺(卷九(二)七八六)

226-58

58 後游

 後遊(卷九(二)七八七)

226-59

59 題新津北橋樓(得郊字)

 題新津北橋樓得郊字(卷九(二)七八五)

226-60

60 江漲    江發蠻夷漲

761年 江漲(卷一○(二)八一三)  江發蠻夷漲

226-61

61 晚晴    村晚驚風度,

761年 晩晴 (卷一○(二)八一四)  村晚驚風度

226-62

62 朝雨

 朝雨 (卷一○(二)八一四)

226-63

63 江上水如海勢,聊短述

 江上?水如海勢聊短述 (卷一○(二)八一○)

226-64

64 送裴五赴東川

 送裴五赴東川 (卷一○(二)八二八)

226-65

65 赴青城縣出成都,寄陶、王二少尹

 赴青城縣出成都寄陶王二少尹 (卷一○(二)八二四)

226-66

66 因崔五侍御寄高彭州

 因崔五侍禦寄高彭州一絶 (卷九(二)七六二)

226-67

67 野望因過常少仙

 野望因過常少仙 (卷一○(二)八二)

226-68

68 杜位(位京中宅近西曲江,詩尾有述)近聞寬法離新州

 寄杜位 (卷一○(二)八二七) 近聞寬法離新州

226-69

69 奉簡高三十五使君

 奉簡高三十五使君 (卷九(二)七六三)

226-70

70 送韓十四江東覲省

 送韓十四江東省覲(卷一○(二)八二九)

226-71

71 酬高使君相贈

 酬高使君相贈 (卷九(二)七二七)

続きを読む

全唐詩卷226(1)の杜詩目次と杜詩詳注掲載頁と訳注解説ブログリンク

全唐詩卷2261)の杜詩目次と杜詩詳注掲載頁と訳注解説ブログリンク


全唐詩 杜甫詩 巻二一六 ~ 巻二三四

1

卷216

巻217(前・後)

巻218

巻219

巻220

卷221(前・後)

2

巻222(前・後)

巻223

巻224

巻225(1)(前・後)

巻225(2)(前・後)

卷226(1)(前・後)

3

卷226(2)(前・後)

巻227(1)(前・後)

巻227(2)(前・後)

巻228(1

巻228(2

巻228(3

4

巻228(3

巻229(1

巻229(2

巻229(3

巻230(1)(前・後)

卷230(2

5

卷230(3

卷231(1

卷231(2

卷232

卷233

巻234

 

 全唐詩杜詩案内、同にあわせて杜詩詳注の掲載ページと本ブログの掲載頁に案内 巻226-1)の前

 

全唐詩 巻二二六(1)

 杜詩詳注掲載頁 訳注解説ブログ記事

 

*各詩題は維基文庫 全唐詩にリンク

 ●各詩題は紀頌之、訳注解説ブログにリンク

226-1

1 蜀相

 蜀相 (卷九(二)七三六)

226-2

2 卜居

 卜居  (卷九(二)七二九)

226-3

3 一室

 一室 (卷一○(二)八二○)

226-4

4 梅雨

 梅 雨 (卷九(二)七三八)

226-5

5 為農

 為農 (卷九(二)七三九)

226-6

6 有客(一作賓至)

 有客 (卷九(二)七四○)

226-7

7 狂夫

 狂夫 (卷九(二)七四三)

226-8

8 賓至(一作有客)

 賓至 (卷九(二)七四一)

226-9

9 王十五司馬弟出郭相訪兼遺營茅屋貲

 王十五司馬弟出郭相訪兼遺營草堂資  (卷九(二)七三○)

226-10

10 堂成

 堂成 (卷九(二)七三五)

226-11

11 田舍

 田舍 (卷九(二)七四五)

226-12

12 進艇

 進艇 (卷一○(二)八一九)

226-13

13 西郊

 西 郊(卷九(二)七七九)

226-14

14 所思   鄭老身仍竄、

759 所思(卷八(二)六六六)  鄭老身仍竄、

226-15

15 江村

 江村 (卷九(二)七四六)

226-16

16 江漲

 江漲 (卷九(二)七四七)

226-17

17 野老

 野老 (卷九(二)七四八)

226-18

18 雲山

 雲山 (卷九(二)七四九)

226-19

19 遣興

 遣興 (卷九(二)七五○)

226-20

20 北鄰

 北鄰 (卷九(二)七五九)

226-21

21 南鄰

 南鄰 (卷九(二)七六○)

226-22

22 出郭

 出郭 (卷九(二)七七○)

226-23

23 過南鄰朱山人水亭

 過南鄰朱山人水亭 (卷九(二)七六二)

226-24

24 恨別

 恨別 (卷九(二)七七二)

226-25

25 寄賀蘭銛

 寄賀蘭銛(卷一四(三)一二○○)

 

続きを読む

全唐詩卷225(2)の杜詩目次と杜詩詳注掲載頁と訳注解説ブログリンク

全唐詩 杜甫詩 巻二一六 ~ 巻二三四

1

卷216

巻217(前・後)

巻218

巻219

巻220

卷221(前・後)

2

巻222(前・後)

巻223

巻224

巻225(1)(前・後)

巻225(2)(前・後)

卷226(1)(前・後)

3

卷226(2)(前・後)

巻227(1)(前・後)

巻227(2)(前・後)

巻228(1

巻228(2

巻228(3

4

巻228(3

巻229(1

巻229(2

巻229(3

巻230(1)(前・後)

卷230(2

5

卷230(3

卷231(1

卷231(2

卷232

卷233

巻234

全唐詩卷225(2)の杜詩目次と杜詩詳注掲載頁と訳注解説ブログリンク

 

 

全唐詩 巻二二五(1)

全唐詩 巻二二五(2)

 

 

 全唐詩杜詩案内、同にあわせて杜詩詳注の掲載ページと本ブログの掲載頁に案内 巻225-2)の前

 

全唐詩 巻二二五(2)

 杜詩詳注掲載頁 訳注解説ブログ記事

 

*各詩題は維基文庫 全唐詩にリンク

 ●各詩題は紀頌之、訳注解説ブログにリンク

225-48

48 秦州雜詩二十首其一

 秦州雜詩二十首 其一 (卷七(二)頁五七二)

 

 秦州雜詩二十首 其二 

 秦州雜詩二十首 其二 (卷七(二)頁五七三)

 

 秦州雜詩二十首 其三 

 秦州雜詩二十首 其三 (卷七(二)頁五七四)

 

 秦州雜詩二十首 其四 

 秦州雜詩二十首 其四 (卷七(二)頁五七五)

 

 秦州雜詩二十首 其五 

 秦州雜詩二十首 其五 (卷七(二)頁五七六)

 

 秦州雜詩二十首 其六 

 秦州雜詩二十首 其六 (卷七(二)頁五七七)

 

 秦州雜詩二十首 其七 

 秦州雜詩二十首 其七 (卷七(二)頁五七八)

 

 秦州雜詩二十首 其八 

 秦州雜詩二十首 其八 (卷七(二)頁五七九)

 

 秦州雜詩二十首 其九 

 秦州雜詩二十首 其九 (卷七(二)頁五八○)

 

 秦州雜詩二十首 其十 

 秦州雜詩二十首 其十 (卷七(二)頁五八一)

 

 秦州雜詩二十首 其十一

 秦州雜詩二十首 其十一 (卷七(二)頁五八一)

 

 秦州雜詩二十首 其十二

 秦州雜詩二十首 其十二 (卷七(二)頁五八二)

 

 秦州雜詩二十首 其十三

 秦州雜詩二十首 其十三 (卷七(二)頁五八三)

 

 秦州雜詩二十首 其十四

 秦州雜詩二十首 其十四 (卷七(二)頁五八四)

 

 秦州雜詩二十首 其十五

 秦州雜詩二十首 其十五 (卷七(二)頁五八五)

 

 秦州雜詩二十首 其十六

 秦州雜詩二十首 其十六 (卷七(二)頁五八五)

 

 秦州雜詩二十首 其十七

 秦州雜詩二十首 其十七 (卷七(二)頁五八六)

 

 秦州雜詩二十首 其十八

 秦州雜詩二十首 其十八 (卷七(二)頁五八六)

 

 秦州雜詩二十首 其十九

 秦州雜詩二十首 其十九 (卷七(二)頁五八七)

 

 秦州雜詩二十首 其二十

 秦州雜詩二十首 其二十 (卷七(二)頁五八八)

225-49

49 月夜憶舍弟

 月夜憶舎弟 (卷七(二)五八九)

225-50

50 宿贊公房(京中大雲寺主謫此安置

 宿贊公房 (卷七(二)五九二)

225-51

51 東樓

 秦州抒情詩(1)  東樓  (卷七(二)六○○)

225-52

52 雨晴(一作秋霽)

 秦州抒情詩(2)  雨晴 (卷七(二)六○一)

225-53

53 寓目

 秦州抒情詩(3)  寓目 (卷七(二)六○二)

225-54

54 山寺

 秦州抒情詩(4)  山寺 (卷七(二)六○三)

225-55

55 即事    聞道花門破,

 秦州抒情詩(5)  即事 (卷七(二)六○四)

225-56

56 遣懷

 秦州抒情詩(6)  遺懷 (卷七(二)六○五)

225-57

57 天河

 秦州抒情詩(7)  天河 (卷七(二)六○六)

225-58

58 初月

 秦州抒情詩(8)  初月 (卷七(二)六○七)

225-59

59 歸燕

 秦州抒情詩(9)  歸燕 (卷七(二)六一○)

225-60

60 擣衣

 秦州抒情詩(10)  搗衣(擣衣) (卷七(二)六○八)

225-61

61 促織

 秦州抒情詩(11)  促織 (卷七(二)六一一)

225-62

62 螢火

 秦州抒情詩(12)  蛍火 (卷七(二)六一二)

225-63

63 蒹葭

 秦州抒情詩(13)  兼葭 (卷七(二)六一二)

225-64

64 苦竹

 秦州抒情詩(14)  苦竹 (卷七(二)六一三)

225-65

65 除架

 秦州抒情詩(15)  除架 (卷八(二)六一五)

225-66

66 廢畦

 秦州抒情詩(16)  廃畦 (卷八(二)六一六)

225-67

67 夕烽

 秦州抒情詩(17)  夕烽 (卷八(二)六一七)

225-68

68 秋笛

 秦州抒情詩(19)  秋笛 (卷八(二)六一八)

225-69

69 送遠

 秦州抒情詩(25)  送遠 (卷八(二)六二五)

 

 

225-69から225-70 に続く

続きを読む

全唐詩卷225(1)の杜詩目次と杜詩詳注掲載頁と訳注解説ブログリンク

全唐詩卷225(1)の杜詩目次と杜詩詳注掲載頁と訳注解説ブログリンク

 

 

全唐詩 巻二二五(1)

全唐詩 巻二二五(2)

 

 

全唐詩杜詩案内、同にあわせて杜詩詳注の掲載ページと本ブログの掲載頁に案内 巻225-1)の前

 

全唐詩 巻二二五(1)

 杜詩詳注掲載頁 訳注解説ブログ記事

 

*各詩題は維基文庫 全唐詩にリンク

 ●各詩題は紀頌之、訳注解説ブログにリンク

225-1

1 喜達行在所三首(原注:自京竄至鳳翔)

自京竄至鳳翔達連行在所三首其一(卷五(一)三四六)

 

自京竄至鳳翔達連行在所三首其二

自京竄至鳳翔達連行在所三首其二(卷五(一)三四七)

 

自京竄至鳳翔達連行在所三首其三

自京竄至鳳翔達連行在所三首其三(卷五(一)三四八)

225-2

2 得家書

得家書 (卷五(一)三六○)

225-3

3 奉贈嚴八閣老

奉贈嚴八閣老(卷五(一)三七九)

225-4

4 奉送郭中丞兼太僕卿充隴右節度使三十韻(郭英乂)

奉送郭中丞兼太樸卿充隴右節度使三十韻 (卷五(一)三六九)

225-5

5 送楊六判官使西蕃

送楊六判官使西蕃(卷五(一)三七六)

225-6

6

月(卷五(一)三八一)

225-7

7 留別賈嚴二閣老兩院補闕(得雲字)

留別賈嚴二閣老兩院補闕得雲字(一作兩院遺補諸公,得聞字)(卷五(一)三八二)

225-8

8 晚行口號

晩行口號(卷五(一)三八三)

225-9

9 獨酌成詩

 獨酌成詩(卷五(一)三八四)

225-10

10 行次昭陵

行次昭陵 (卷五(一)四○七)

225-11

11 重經昭陵

重經昭陵(卷五(一)四一二)

225-12

12 喜聞官軍已臨賊境二十韻

喜聞官軍已臨賊境二十韻(卷五(一)四一七)

225-13

13 收京三首

收京三首 其一(卷五(一)頁四二一)

 

收京三首 其二

收京三首 其二(卷五(一)頁四二二)

 

收京三首 其三

收京三首 其三(卷五(一)頁四二三)

225-14

14 臘日

臘日(卷五(一)四二六)

225-15

15 紫宸殿退朝口號

紫宸殿退朝口號(卷六(二)四三六)

225-16

16 曲江二首

曲江二首 其一(卷六(二)頁四四六)

 

曲江二首 其二

曲江二首 其二(卷六(二)頁四四七)

225-17

17 曲江對酒

曲江封酒(卷六(二)四四九)

225-18

18 曲江對雨

曲江封雨(卷六(二)四五○)

225-19

19 奉和賈至舍人早朝大明宮

奉和賈至舍人早朝大明宮(卷五(一)四二七)

 

 

【付録】

 

 

早朝大明宮呈両省僚友 賈至

 

 

和賈舎人早朝大明宮之作 王維

 

 

奉和中書賈至舍人早朝大明宮 岑參

225-20

20 宣政殿退朝晚出左掖(掖門在兩旁如人之臂掖)

宣政殿退朝?出左掖(卷六(二)四三五)

225-21

21 題省中院壁

題省中院壁(卷六(二)四四一)

 

218-17から218-44 に続く

 

 

 



続きを読む

全唐詩卷224の杜詩目次と杜詩詳注掲載頁と訳注解説ブログリンク

全唐詩 杜甫詩 巻二一六 ~ 巻二三四

1

卷216

巻217(前・後)

巻218

巻219

巻220

卷221(前・後)

2

巻222(前・後)

巻223

巻224

巻225(1)(前・後)

巻225(2)(前・後)

卷226(1)(前・後)

3

卷226(2)(前・後)

巻227(1)(前・後)

巻227(2)(前・後)

巻228(1

巻228(2

巻228(3

4

巻228(3

巻229(1

巻229(2

巻229(3

巻230(1)(前・後)

卷230(2

5

卷230(3

卷231(1

卷231(2

卷232

卷233

巻234

全唐詩卷224の杜詩目次と杜詩詳注掲載頁と訳注解説ブログリンク

 全唐詩杜詩案内、同にあわせて杜詩詳注の掲載ページと本ブログの掲載頁に案内

 

全唐詩 巻二二四

 杜詩詳注掲載頁 訳注解説ブログ記事

 

*各詩題は維基文庫 全唐詩にリンク

 ●各詩題は紀頌之、訳注解説ブログにリンク

224-1

1 冬日洛城北謁玄元皇帝廟

冬日洛城北謁玄元皇帝廟(卷二(一)八九)

224-2

2 贈韋左丞丈濟

贈韋左丞丈濟(卷一(一)七一)

224-3

3 投贈哥舒開府二十韻

投贈哥舒開府翰二十韻(卷三(一)一八八)

224-4

4 上韋左相二十韻(見素)

上韋左相二十韻(巻三(一)二二四)

224-5

5 奉贈太常張卿二十韻(均)

奉贈太常張卿伐?二十韻(巻三(一)二一九)

224-6

6 敬贈鄭諫議十韻

 敬贈鄭諫議十韻(卷二(一)一一○)

224-7

7 奉贈鮮於京兆二十韻(鮮于仲通,天寶末為京兆尹)

奉贈鮮於京兆二十韻(卷二(一)一四○)

224-8

8 贈特進汝陽王二十韻

27 贈特進汝陽王二十韻(卷一(一)六○)

224-9

9 鄭駙馬宅宴洞中

23 鄭駙馬宅宴洞中(卷一(一)四六)

224-10

10 李監宅 其一

李監宅【李鹽鐵】二首 其一(巻一(一)三〇)

 

李監宅【李鹽鐵】二首 其二

李監宅【李鹽鐵】二首 其二(巻一(一)三一)

224-11

11 重題鄭氏東亭(在新安界)

18 重題鄭氏東亭(卷一(一)三四)

224-12

12 題張氏隱居二首

2 題張氏隠居二首(卷一(一)八) 25歳の作

224-13

13.假山

13假山(卷一(一)二八)

 

13 天寶初南曹小司寇舅于我太夫人堂下累土為山…而作是詩

序 天寶初,南曹小司寇舅,於我太夫人堂下,累土為山,一匱盈尺,以代彼朽木,承諸焚香瓷甌,甌甚安矣。旁植慈竹,蓋茲數峰,?岑嬋娟,宛有塵外數致,乃不知興之所至,而作是詩

224-14

14 龍門(即伊闕)

14龍門(卷一(一)二九)

224-15

15 奉寄河南韋尹丈人

33 奉寄河南韋尹丈人(卷一(一)六八)

224-16

16 贈李白

17 贈李白 (卷一(一)四二)

224-17

17 與任城許主簿游南池(池在濟寧州境)

3 與任城許主簿游南池(卷一(一)一四)

224-18

18 登兗州城

5 登エン州城楼(卷一(一)五)

224-19

19 劉九法曹、鄭瑕丘石門宴集

7. 劉九法曹鄭瑕丘石門宴集(卷一(一))

224-20

20 暫如臨邑,至gh山湖亭奉懷李員外率爾成興

 暫如臨邑至山惜山湖亭奉懷李員外(卷一(一)四一) 

224-21

21 對雨書懷,走邀許十一簿公

4 封雨書懐走邀許圭簿(卷一(一)一五)

224-22

22 巳上人茅齋

8 巳上人茅粛(卷一(一)一六)

224-23

23 房兵曹胡馬詩

9 房兵曹胡馬詩(卷一(一)一八)(參見卷六(二)七四二?馬行/老馬行) 

224-24

24 畫鷹

10 畫鷹(卷一(一)一九)

224-25

25 與李十二白同尋範十隱居(李白集有尋魯城北范居士詩)

22 與李十二白同尋范十隱居(卷一(一)四五)

224-26

26 臨邑舍弟書至苦雨黃河泛溢堤防之患簿領所憂…用寬其意

13. 臨邑舍弟書至,苦雨、?河泛溢,?防之患,簿領所憂,因寄此詩用寬其意(卷一(一)二三)

224-27

27 過宋員外之問舊莊

11 過宋員外之問舊莊(卷一(一)二○)

224-28

28 夜宴左氏莊

12 夜宴左氏荘(卷一(一)二二)

224-29

29 送蔡希曾都尉還隴右,因寄高三十五書記

送蔡希魯都尉還隴右,因寄高三十五書記

224-30

30 春日憶李白

25 春日憶李白(卷一(一)五二)

224-31

31 贈陳二補闕

贈陳二補闕(巻三(一)一九六)

224-32

32 寄高三十五書記(適)

寄高三十五書記(卷三(一)一九四)

 
224-33から224-65 に続く

続きを読む

全唐詩卷223の杜詩目次と杜詩詳注掲載頁と訳注解説ブログリンク

全唐詩 杜甫詩 巻二一六 ~ 巻二三四

1

卷216

巻217(前・後)

巻218

巻219

巻220

卷221(前・後)

2

巻222(前・後)

巻223

巻224

巻225(1)(前・後)

巻225(2)(前・後)

卷226(1)(前・後)

3

卷226(2)(前・後)

巻227(1)(前・後)

巻227(2)(前・後)

巻228(1

巻228(2

巻228(3

4

巻228(3

巻229(1

巻229(2

巻229(3

巻230(1)(前・後)

卷230(2

5

卷230(3

卷231(1

卷231(2

卷232

卷233

巻234

全唐詩卷223の杜詩目次と杜詩詳注掲載頁と訳注解説ブログリンク

 全唐詩杜詩案内、同にあわせて杜詩詳注の掲載ページと本ブログの掲載頁に案内

 

全唐詩 巻二二三

 杜詩詳注掲載頁 訳注解説ブログ記事

 

*各詩題は維基文庫 全唐詩にリンク

 ●各詩題は紀頌之、訳注解説ブログにリンク

223-1

1 宿青溪驛奉懷張員外十五兄之緒

 宿青溪驛奉懷張員外十五兄之緒(卷一四(三)一二一八)

223-2

2 敬寄族弟唐十八使君

768年 敬寄族弟唐十八使君(卷二一(四)一八六三)

223-3

3 憶昔行

768年 憶昔行(卷二一(四)一八八八)

223-4

4 魏將軍歌

魏將軍歌(巻四(一)二五九)

223-5

5 北風    北風破南極,

 北風(卷二二(五)一九七六)  北風破南極,

223-6

6 客從

 客從(卷二三(五)二○三五)

223-7

7 白馬

 白馬(卷二三(五)二○七三)

223-8

8 白鳧行

 白鳧行(卷二三(五)二○三七)

223-9

9 朱鳳行

 朱鳳行(卷二三(五)二○三八)

223-10

10 惜別行,送向卿進奉端午禦衣之上都

惜別行送向卿進奉端午御衣之上都(卷二一(四)一八九○)

223-11

11 醉歌行,贈公安顏少府請顧八題壁

醉歌行贈公安顏少府請顧八題壁(卷二二(五)一九二三

223-12

12 夜聞觱篥

 夜聞セイ篥(卷二二(五)一九四一)

223-13

13 發劉郎浦(浦在石首縣昭烈納女處)

 發劉郎浦(卷二二(五)一九三九)

223-14

14 別董頲

 別董テイ(卷二二(五)一九三九)

223-15

15 送重表侄王砅評事使南海

送重表姪王評事使南海(卷二三(五)二○四二)

223-16

16 詠懷二首

 詠懷二首其一(卷二二(五)頁一九七八)

 

 詠懷二首其二

 詠懷二首其二(卷二二(五)頁一九七九)

223-17

17 送顧八分文學適洪吉州

 送顧八分文學適洪吉州(卷二二(五)一九二四)

223-18

18 上水遣懷

 上水遣懷(卷二二(五)一九五七)

223-19

19 遣遇

 遣遇(卷二二(五)一九五九)

223-20

20 解憂

 解憂(卷二二(五)一九六○)

223-21

21 宿鑿石浦(浦在湘潭縣西)

 宿鑿石浦(卷二二(五)一九六一)

223-22

22 早行

 早行(卷二二(五)一九六二)

223-23

23 過津口

 過津口(卷二二(五)一九六三)

223-24

24 次空靈岸

 次空靈岸(卷二二(五)一九六四)

223-25

25 宿花石戍(長沙有淥口、花石二戍)

 宿花石戍(卷二二(五)一九六五)

223-26

26 早發

 早發(卷二二(五)一九六六)

223-27

27 次晚洲

 次晩洲(卷二二(五)一九六八)

223-28

28 望岳

 望嶽(卷二二(五)一九八三)

223-29

29 湘江宴餞裴二端公赴道州

 湘江宴餞裴二端公赴道州(卷二二(五)一九九○)

223-30

30 清明

清明(卷二三(五)二○四八)

223-31

31 風雨看舟前落花戲為新句

風雨看舟前落花戲為新句(卷二三(五)二○五○)

223-32

32 岳麓山道林二寺行

 嶽麓山道林二寺行(卷二二(五)一九八六)

223-33

33 奉送魏六丈佑少府之交廣

 奉送魏六丈佑少府之交廣(卷二三(五)二○二二)

223-34

34 別張十三建封

 別張十三建封(卷二三(五)二○○九)

223-35

35 暮秋枉裴道州手劄,率爾遣興,寄近呈蘇渙侍禦

 暮秋枉裴道州手札率爾遣興寄遞呈蘇渙侍御(卷二三(五)二○一六)

223-36

36 奉贈李八丈判官(曛)

 奉贈李八丈?判官(卷二三(五)二○二○)

223-37

37 晏行

 歳晏行(卷二二(五)一九四三)

223-38

38 追酬故高蜀州人日見寄

追酬故高蜀州人日見寄并序(卷二三(五)二○三八)

223-39

39 蘇大侍禦訪江浦,賦八韻記異

 蘇大侍御訪江浦賦八韻記異(卷二三(五)二○一四)

223-40

40 題衡山縣文宣王廟新學堂,呈陸宰

題衡山縣文宣王廟新學堂呈陸宰(卷二三(五)二○七九)

223-41

41 入衡州

入衡州(卷二三(五)二○六七)

223-42

42 舟中苦熱遣懷,奉呈陽中丞通簡台省諸公

舟中苦熱遣懷奉呈陽中丞通簡臺省諸公(卷二三()二○七四

223-43

43 聶耒陽以僕阻水書致酒肉療饑荒江詩得代懷…泊于方田

聶耒陽以僕阻水書致酒肉療飢荒江詩(卷二三()二○八一)

 

全唐詩卷222の杜詩目次と杜詩詳注掲載頁と訳注解説ブログリンク

全唐詩 杜甫詩 巻二一六 ~ 巻二三四

1

卷216

巻217(前・後)

巻218

巻219

巻220

卷221(前・後)

2

巻222(前・後)

巻223

巻224

巻225(1)(前・後)

巻225(2)(前・後)

卷226(1)(前・後)

3

卷226(2)(前・後)

巻227(1)(前・後)

巻227(2)(前・後)

巻228(1

巻228(2

巻228(3

4

巻228(3

巻229(1

巻229(2

巻229(3

巻230(1)(前・後)

卷230(2

5

卷230(3

卷231(1

卷231(2

卷232

卷233

巻234


全唐詩卷
222の杜詩目次と杜詩詳注掲載頁と訳注解説ブログリンク

 全唐詩杜詩案内、同にあわせて杜詩詳注の掲載ページと本ブログの掲載頁に案内

 

全唐詩 巻二二二

 杜詩詳注掲載頁 訳注解説ブログ記事

 

*各詩題は維基文庫 全唐詩にリンク

 ●各詩題は紀頌之、訳注解説ブログにリンク

222-0

八哀詩 序

 八哀詩(卷一六(三)一三七二)原注:傷時盜賊未息,興起王公、李公,嘆舊懷賢,終於張相國。八公前後存歿,遂不銓次焉。

222-1

1 八哀詩。贈司空王公思禮

八哀詩一、贈司空王公思禮(卷一六(三)一三七三)

222-2

2 八哀詩。故司徒李公光弼

八哀詩二、故司徒李公光弼(卷一六(三)一三七九)

222-3

3 八哀詩。贈左僕射鄭國公嚴公武

哀詩三、贈左僕射鄭國公嚴公武(卷一六(三)一三八三)

222-4

4 八哀詩。贈太子太師汝陽郡王璡

八哀詩四、贈太子太師汝陽王?(頁一三九○)

222-5

5 八哀詩。贈秘書監江夏李公邕

八哀詩五、贈秘書監江夏李公?(卷一六(三)一三九四)

222-6

6 八哀詩。故秘書少監武功蘇公源明

八哀詩六、故秘書少監武功蘇公源明(卷一六(三)一四○三)

222-7

7 八哀詩。故著作郎貶台州司滎陽鄭公虔

八哀詩七、故著作郎貶台州司??陽鄭公虔(卷一六(三)一四○九)

222-8

8 八哀詩。故右僕射相國張公九齡

八哀詩八、故右僕射相國曲江張公九齡(卷一六(三)一四一四)

222-9

9 寫懷二首

 寫懷二首其一(卷二○(四)頁一八一八)

 

 寫懷二首其二

 寫懷二首其二(卷二○(四)頁一八二○)

222-10

10 可歎

 可歎(卷二一(四)一八三○)

222-11

11 觀公孫大娘弟子舞劍器行

觀公孫大娘弟子舞劍器行並序(卷二○(四)一八一五)

222-12

12 往在

 往在(卷一六(三)一四二八)

222-13

13 昔游

 昔遊(卷一六(三)一四三四)

222-14

14 壯游

 壯遊(卷一六(三)一四三八)

222-15

15 遣懷

 遣懷(卷一六(三)一四四七)

222-16

16 同元使君舂陵行

 同元使君舂陵行有序(卷一九(四)一六九一)

 

 

 【附】舂陵行(序)元結卷一九(四)一六九四)

 

 

 【附】賊退示官吏(序)元結(卷一九(四)一六九五

222-17

17 李潮八分小篆歌

 李潮八分小篆歌(卷一八(四)一五五○)

222-18

18 覽柏中允兼子侄數人除官制詞因述父子兄弟四美載歌絲綸

 覽柏中丞(一作允)兼子姪數人除官制詞因述父子兄弟四美載歌絲綸(卷一八(四)一五七一)

222-19

19 聽楊氏歌

 聽楊氏歌(卷一七(四)一四八○)

222-20

20 荊南兵馬使太常卿趙公大食刀歌

荊南兵馬使太常卿趙公大食刀歌(卷一八(四)一五八一

222-21

21 王兵馬使二角鷹

 王兵馬使二角鷹(卷一八(四)一五八四)

222-22

22 狄明府(博濟。一作寄狄明府)

767年-100  寄狄明府博濟 (卷一九(四)一六八八)

222-23

23 秋風二首

767年-103  秋風二首其一(卷一七(四)頁一四八一)

 

  秋風二首其二

767年-104  秋風二首其二(卷一七(四)頁一四八二)

222-24

24 久雨期王將軍不至

767 久雨期王將軍不至(卷二○(四)一八○四)

222-25

25 別李秘書始興寺所居

767 別李祕書始興寺所居(卷一九(四)一六七九)

222-26

26 虎牙行(虎牙在荊門之北,江水峻急)

767年-245  虎牙行(卷二○(四)一八○六)#1卷二○(四)一八○六注(1257) 

222-27

27 錦樹行(因篇有錦樹二字摘以為題非正賦錦樹也)

767年-246  錦樹行(卷二○(四)一八○八)卷二○(四)一八○八注(1258) 

222-28

28 赤霄行

 赤霄行(卷一四(三)一二一五)

222-29

29 前苦寒行二首

 前苦寒行其一(卷二一(四)頁一八四五)

 

 前苦寒行其二

 前苦寒行其二(卷二一(四)頁一八四六)

222-30

30 後苦寒行二首

 後苦寒行二首其一(卷二一(四)頁一八四八)

 

 後苦寒行二首其二

 後苦寒行二首其二(卷二一(四)頁一八四九)

222-31

31 晚晴   高唐暮冬雪壯哉

 晩晴(卷二一(四)一八四六)

222-32

32 複陰

 復陰(卷二一(四)一八四七)

222-33

33 夜歸

 夜歸(卷二一(四)一八四四)

222-34

34 寄柏學士林居

 寄柏學士林居(卷一八(四)一五六八)

222-35

35 寄從孫崇簡

767年-23 寄從孫崇簡 (卷一八(四)一六一三)

222-36

36 奉酬薛十二丈判官見贈

767 奉酬薛十二丈判官見贈(卷一九(四)一六八四)

222-37

37 醉為馬墜,諸公攜酒相看

767 醉為馬墜、諸公攜酒相看(卷一八(四)一五九○

222-38

38 別李義

 別李義(卷二一(四)一八二五)

222-39

39 送高司直尋封閬州

 送高司直尋封?州(卷二一(四)一八二八)

222-40

40 君不見,簡蘇徯

767年-115 君不見簡蘇徯 (卷一八(四)一五九六)

222-41

41 贈蘇四徯

767年-110  贈蘇四徯 (卷一八(四)一五九六)

222-42

42 寄薛三郎中(據)

767年-030 寄薛三郎中璩 卷一八(四)一六二○

222-43

43 大覺高僧蘭若(和尚去冬往湖南)

767年-240  大覺高僧蘭若(卷二○(四)一八○一)

 

全唐詩卷221の杜詩目次と杜詩詳注掲載頁と訳注解説ブログリンク


全唐詩卷221の杜詩目次と杜詩詳注掲載頁と訳注解説ブログリンク

 全唐詩杜詩案内、同にあわせて杜詩詳注の掲載ページと本ブログの掲載頁に案内

 

全唐詩 巻二二一

 杜詩詳注掲載頁 訳注解説ブログ記事

 

*各詩題は維基文庫 全唐詩にリンク

 ●各詩題は紀頌之、訳注解説ブログにリンク

221-1

1 杜鵑

 杜鵑(卷一四(三)一二四九)

221-2

2 客居

 客居(卷一四(三)一二五三)

221-3

3 客堂

 客堂(卷一五(三)一二六七)

221-4

4 石研詩

 石硯(卷一四(三)一二五五)

221-5

5 水閣朝霽,奉簡嚴雲安

 水閣朝霽奉簡雲安嚴明府(卷一四(三)一二四八)

221-6

6 贈鄭十八賁

 贈鄭十八賁(卷一四(三)一二五六)

221-7

7 三韻三篇

 三韻三篇其一(卷一四(三)頁一二一一)

 

 三韻三篇其二

 三韻三篇其二(卷一四(三)頁一二一二)

 

 三韻三篇其三

 三韻三篇其三(卷一四(三)頁一二一二)

221-8

8 青絲

 青絲(卷一四(三)一二三九)

221-9

9 近聞

 近聞(卷一五(三)一二八三)

221-10

10 蠶谷行

  蠶谷行 (卷二三(五)二〇三六)

221-11

11 折檻行

 折檻行(卷一八(四)一五七○)

221-12

12 引水

 引水(卷一五(三)一二七○)

221-13

13 古柏行

 古柏行(卷一五(三)一三五七)

221-14

14 縛雞行

 縛鶏行(卷一八(四)一五六六)

221-15

15 負薪行

 負薪行(卷一五(三)一二八四)

221-16

16 最能行

 最能行(卷一五(三)一二八六)

221-17

17 寄裴施州

767年-248  寄裴施州(卷二○(四)一八一○)注(1260) 

221-18