漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩 杜甫詳注1500

杜甫の詩をあまり知られていないものも取り上げる予定。約1500首。(杜詩詳注・全唐詩・杜甫詩 総合案内時系列に整理した)青春期遊学から長安を中心に就職活動の10年、やっと就職できたら、安史の乱、騒乱の中で自分の生きる道を求めて苦悩、騒乱のない地方へ逃避紀行、成都浣花渓草堂、騒乱回避、夔州寓居、そして漂白の旅。 ブログも2011年~2018年の計画で掲載進行中。。。都合、3往復、とらえ方を変えて掲載していく、2022年ごろ完成する予定である。(ここでは、訓読み下し分にできるだけルビをふりません。漢字の雰囲気で読んでほしいからで、また、意味、読みはすぐわかるようになります。)

杜甫の詩 誠実な詩人特集。2011・11月『士官がきまった。~安禄山の叛乱』期の詩。2011年12月は『反乱軍に捕まる。軟禁状態での詩』2012.1月は『反乱軍からの脱出劇、朝廷に到着・・・・』。2012.2月粛宗に許可をもらって家族を迎えに「北征」紀行を中心に掲載していきます。2012.3月は、朝廷での疎外感、やるせなさが伝わる詩です。2012.4月華州へ左遷、2012.5月三吏三別。秦州抒情9月、同谷紀行11月、成都紀行12月、2013.3現在、成都浣花渓の草堂、2013.12蜀中転々からふたたび成都草堂へ(杜甫全詩の約半分を掲載)・・・・・・そして成都を後にして、夔州へ、(2/3掲載)ここで人生の1/3の量の詩を書く。漂白の旅。紀行。杜甫の苦悩の内容的な変化、様子がよくわかります。
都合、3往復、とらえ方を変えて掲載していく、2022年ごろ完成する予定である。
このブログ以外にも、李白1000首、李商隠150首、韓愈全詩・韓愈グループ、などは別のブログで掲載中 kanbuniinkai 検索で、いろんな漢文委員会HP,ブログ を今までの漢詩紹介とは違っています。
中華書局 発行 杜詩詳注 を基本に訳注解説しています。
杜甫詩の概要目録につては、http://kanbunkenkyu.web.fc2.com/details1.html 参照。

孤雁(孤雁不飲啄) 杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 283

孤雁(孤雁不飲啄) 杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 283

孤雁
孤雁不飲啄、飛鳴声念羣。
群れから離れた孤雁は餌をつつきあって食べることはない、飛び上がって鳴くのは仲間をさがしている声なのだ。
誰憐一片影、相失万重雲。
誰かただ一羽の鳥の影を見て憐れむだろうか、幾重にも重なってつづく雲間にみちびかれて消え去っていくだけだ。
望尽似猶見、哀多如更聞。
群れに戻りたいと思い尽くしたことは左遷されてはいるが、望みを持ちたいと思うことであるが諦める状況なのに姿はいつまでも 見つづけているようだろう、悲しみはたくさんあるでもさらに悲しみの声が聞えてくる。
野鵶無意緒、鳴噪自粉粉。
そうかといって野カラスたちに近づくための糸口というもの、そうしようとする気持ちも全くない、カラスの騒がしく啼いているさまは自ずから粉まみれになって騒ぐだけのことである。(孤雁でいて寂しいと、カラスの群れの中に入っても仕方がない。粛宗の近臣、宦官が文人を遠ざけたことを揶揄している。朝廷に未練がなくなってきたのであろう。)


孤雁【こがん】は啄【ついば】みて飲【いん】せず、飛鳴【ひめい】するは 群を念【おも】う声なり。
誰か一片の影に憐れむや、相いに万重【ばんちょう】の雲に失する。
望み尽す 猶【な】お見るに似たりを、哀しみ多し 更に聞くが如し。
野鵶【やあ】  意緒【いしょ】無く、鳴噪【めいそう】  自【おのずか】ら粉粉【ふんぷん】たり。


現代語訳と訳註
(本文)

孤雁
孤雁不飲啄、飛鳴声念羣。
誰憐一片影、相失万重雲。
望尽似猶見、哀多如更聞。
野鵶無意緒、鳴噪自粉粉。


(下し文)
孤雁【こがん】 飲啄せず、飛鳴【ひめい】するは 群を念【おも】う声なり。
誰か一片の影に憐れむや、相い万重【ばんちょう】の雲に失する。
尽して猶【な】お見るに似たりを望み、多くして更に聞くが如しを哀しむ。
野鵶【やあ】  意緒【いしょ】無く、鳴噪【めいそう】  自【おのずか】ら粉粉【ふんぷん】たり。


(現代語訳)
群れから離れた孤雁は餌をつつきあって食べることはない、飛び上がって鳴くのは仲間をさがしている声なのだ。
誰かただ一羽の鳥の影を見て憐れむだろうか、幾重にも重なってつづく雲間にみちびかれて消え去っていくだけだ。
群れに戻りたいと思い尽くしたことは左遷されてはいるが、望みを持ちたいと思うことであるが諦める状況なのに姿はいつまでも 見つづけているようだろう、悲しみはたくさんあるでもさらに悲しみの声が聞えてくる。
そうかといって野カラスたちに近づくための糸口というもの、そうしようとする気持ちも全くない、カラスの騒がしく啼いているさまは自ずから粉まみれになって騒ぐだけのことである。(孤雁でいて寂しいと、カラスの群れの中に入っても仕方がない。粛宗の近臣、宦官が文人を遠ざけたことを揶揄している。朝廷に未練がなくなってきたのであろう。)


(訳注)
孤雁不飲啄、飛鳴声念羣。
孤雁【こがん】 飲啄せず、飛鳴【ひめい】するは 群を念【おも】う 声なり。
群れから離れた孤雁は餌をつつきあって食べることはない、飛び上がって鳴くのは仲間をさがしている声なのだ。
不飲啄 ついばむ、つつきあって餌を食べることをしない。子雁に噛み砕いてやることはない。南朝宋・何承天、『雉仔遊原澤篇』「飲啄雖勤苦、不願棲園林。」(飲啄 勤苦すと雖も、園林に棲むを願わず。)


誰憐一片影、相失万重雲。
誰か一片の影に憐れむや、相い万重【ばんちょう】の雲に失する。
誰かただ一羽の鳥の影を見て憐れむだろうか、幾重にも重なってつづく雲間にみちびかれて消え去っていくだけだ。
 たがいに。よくみる。みちびく。後ろに来る動詞を助ける。


望尽似猶見、哀多如更聞。
望み尽す 猶【な】お見るに似たりを、哀しみ多し 更に聞くが如し。
群れに戻りたいと思い尽くしたことは左遷されてはいるが、望みを持ちたいと思うことであるが諦める状況なのに姿はいつまでも 見つづけているようだろう、悲しみはたくさんあるでもさらに悲しみの声が聞えてくる。
○もう朝廷に復帰する望みは絶たれたのだ。仲間の文人たちも中央朝廷にはいない。みんな左遷されてしまった。


野鵶無意緒、鳴噪自粉粉。
野鵶【やあ】  意緒【いしょ】無く、鳴き噪【さわ】 ぎて 自【おのずか】ら粉粉【ふんぷん】たり。
そうかといって野カラスたちに近づくための糸口というもの、そうしようとする気持ちも全くない、カラスの騒がしく啼いているさまは自ずから粉まみれになって騒ぐだけのことである。(孤雁でいて寂しいと、カラスの群れの中に入っても仕方がない。粛宗の近臣、宦官が文人を遠ざけたことを揶揄している。朝廷に未練がなくなってきたのであろう。)
野鵶  のからす。鵶、鴉、雅は烏の別名。○意緒 こころうごくいとぐち。思いの端々。思いが糸のように細く多いこと。思緒。心緒。南斉、王融、『琵琶詩』「絲中傳意緒、花裏寄春情。」(絲中 意緒を伝え、花裏 春情を寄す。)○鳴噪 とりがさわがしくなく。ののしりある。○粉粉 こなまみれ。収拾がつかない状態をいう。


 安史の乱によって音信の途絶えていたすぐ下の異母弟、杜頴(とえい)弟から便りがあり、斉州(山東省済南市)の臨邑県で主簿をしていた。鄲州(山東省平陰県)に移って露命をつないでいるという。
 この便りで安心をしたが、洛陽の陸渾荘にやった継母の盧氏と幼い弟妹たちからの連絡はない。洛陽が奪回されて半年以上もたつのに何の連絡もないのだ。

他の詩人・文人・儒学者たちとは完全に接触はなくなり、家族とも離れ離れ、まさしく「孤雁」状態であった。
 杜甫には司功参軍としての仕事が山積していることは、『早秋苦熱堆案相仍』の中で述べている。

早秋苦熱堆安相仍 杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 276

早秋苦熱堆案相仍
七月六日苦炎蒸,對食暫餐還不能。
每愁夜中自足蠍,況乃秋後轉多蠅。
束帶發狂欲大叫,簿書何急來相仍。
南望青松架短壑,安得赤腳蹋層冰?

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路逢嚢陽楊少府入城戯呈楊四員外綰  杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 282

路逢嚢陽楊少府入城戯呈楊四員外綰  杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 282

洛陽へゆく路で楊少府が華州城へ入りこもうとするのにであった。そこでたわむれに楊綰にこの詩をおくった。杜甫が華州へ赴任したときに綰に茯苓【ふくれい】という薬草をやるという約束をしておいたのだった。この詩は758年乾元元年冬の暮、作者が華州からでかけて洛陽へゆこうとしたとき作ったもので、華州よりは東方で楊少府とであい、それに楊綰へのことづてをたのんだのである。


路逢襄揚楊少府入城,戲呈楊四員外綰
洛陽へゆく路で楊少府が華州城へ入りこもうとするのにであった。そこでたわむれに楊綰にこの詩をおくった。
*原注「甫赴華州日、許寄員外茯苓。」
*杜甫が華州へ赴任したときに綰に茯苓【ふくれい】という薬草をやるという約束をしておいたのだった。
寄語楊員外,山寒少茯苓。
わたしは楊綰に対することづてをする。いまの時期、華州の山は冬の寒さで茯苓はすくない。
歸來稍暄暖,當為斸青冥。
だから自分がまた華州へもどって次第に暖かになり、山の高地の空気の色と松樹の色がととのってくるところへいくのだ。
翻動神仙窟,封題鳥獸形。
そして、地面をきれものでつきさし、竜蛇のいる様ないわやをひっくりかえし、はりあてた鳥獣の形をした茯苓は、それを下絵にしてその上に上書きをしよう。
兼將老藤杖,扶汝醉初醒。

またそのうえに約束はしていないがふるい藤づるでこしらえた杖をもそえて、あなたの酔いざめのよろめきをたすけさせることにしようとおもっている

現代語訳と訳註
(本文)

路逢襄揚楊少府入城,戲呈楊四員外綰
*原注「甫赴華州日、許寄員外茯苓。」
寄語楊員外,山寒少茯苓。
歸來稍暄暖,當為斸青冥。
翻動神仙窟,封題鳥獸形。
兼將老藤杖,扶汝醉初醒。

(下し文)
(路に襄陽の楊少府が城に入るに逢い、戯れに楊四員外綰【わん】に呈す)
*(甫 華州に赴く日、員外に茯苓を寄せるを許う。)
語を寄す楊員外、山寒くして茯苓【ふくれい】少【すくな】し。
帰来【きらい】稍【ようや】く喧暖【けんだん】ならば、当【まさ】に為めに青冥【せいめい】に斸【き】りて。
竜蛇【りょうだ】の窟【いわや】を翻勤【はんどう】し、鳥獣の形に封題【ほうだい】し。
兼ねて老 藤杖【とうじょう】を将て、汝が酔いの初めて醒【さ】むるを扶【たす】くべし。

(現代語訳)
洛陽へゆく路で楊少府が華州城へ入りこもうとするのにであった。そこでたわむれに楊綰にこの詩をおくった。
*杜甫が華州へ赴任したときに綰に茯苓【ふくれい】という薬草をやるという約束をしておいたのだった。

わたしは楊綰に対することづてをする。いまの時期、華州の山は冬の寒さで茯苓はすくない。
だから自分がまた華州へもどって次第に暖かになり、山の高地の空気の色と松樹の色がととのってくるところへいくのだ。
そして、地面をきれものでつきさし、竜蛇のいる様ないわやをひっくりかえし、はりあてた鳥獣の形をした茯苓は、それを下絵にしてその上に上書きをしよう。
またそのうえに約束はしていないがふるい藤づるでこしらえた杖をもそえて、あなたの酔いざめのよろめきをたすけさせることにしようとおもっている。


(訳注)
路逢襄揚楊少府入城,戲呈楊四員外綰

洛陽へゆく路で楊少府が華州城へ入りこもうとするのにであった。そこでたわむれに楊綰にこの詩をおくった。
○路 華州より洛陽へゆく路。○嚢陽楊少府 嚢陽の人で葦州の尉官であろう、名は詳かでない、少府は尉の敬称。○入城 城は葦州の城。○楊四員外綰 楊締、字は公権、葦陰の人、粛宗の位に即くや、賊中より鳳翔の行在に赴き起居舎人・知別語に除せられ、司勲員外郎・職方郎中を歴た。司勲員外郎ゆえ員外という。綰は時に聾州にあったのであろう。


*原注「甫赴華州日、許寄員外茯苓。」
杜甫が華州へ赴任したときに綰に茯苓【ふくれい】という薬草をやるという約束をしておいたのだった。
茯苓 千年の松の樹の下に生ずるといわれる薬草、まつほどという。


寄語楊員外,山寒少茯苓。
わたしは楊綰に対することづてをする。いまの時期、華州の山は冬の寒さで茯苓はすくない。
寄語 このことばをあなたにいっておく。○楊員外 綰。○山寒 山は華州の山、華山をいう。この「山寒」以下結句までは全部ことづての語である。


歸來稍暄暖,當為斸青冥。
だから自分がまた華州へもどって次第に暖かになり、山の高地の空気の色と松樹の色がととのってくるところへいくのだ。
帰来 今は洛陽へでかける路であるゆえ華州へもどって来たときということ。○暄暖 あたたか。○当為 当の字は尾句までかかる。為とは汝が為めにの義。○ 刀を地にさし草根をきることをいう。○青冥 山の高地の空気の色と松樹の色がととのってくることをいうもの。


翻動神仙窟,封題鳥獸形。
そして、地面をきれものでつきさし、竜蛇のいる様ないわやをひっくりかえし、はりあてた鳥獣の形をした茯苓は、それを下絵にしてその上に上書きをしよう。
翻動 ひっくりかえす。○竜蛇窟 竜蛇のすむような深いいわや、裸苔の在るところをいう。○封題 封じて上書きをする。○鳥獣形 巌苔のことで、小鳥の大きさになるのに十数年かかるもの。皮が黒くして皺があり、内は堅く白く、形の鳥獣亀髄のようなものが味、香りが良い、とされる。


兼將老藤杖,扶汝醉初醒。
またそのうえに約束はしていないがふるい藤づるでこしらえた杖をもそえて、あなたの酔いざめのよろめきをたすけさせることにしようとおもっている。
老藤枝 老いた藤づるの杖、これも華州の産物。○扶からだをささえさせる。○酔初醒 酔いをたすけさせることをいう。押韻のために醒めることまでをいったもの。綿は酒好きの人とみえる、結語は戯れの意を帯びる。


nat0004

路逢襄揚楊少府入城,戲呈楊四員外綰

*原注「甫赴華州日、許寄員外茯苓。」


寄語楊員外,山寒少茯苓。

歸來稍暄暖,當為青冥。

翻動神仙窟,封題鳥獸形。

兼將老藤杖,扶汝醉初醒。



(路に襄陽の楊少府が城に入るに逢い、戯れに楊四員外綰【わん】に呈す)

*(甫 華州に赴く日、員外に茯苓を寄せるを許う。)

語を寄す楊員外、山寒くして苓【ふくれい】少【すくな】し。

帰来【きらい】稍【ようや】く喧暖【けんだん】ならば、当【まさ】に為めに青冥【せいめい】に【き】りて。

竜蛇【りょうだ】の窟【いわや】を翻勤【はんどう】し、鳥獣の形に封題【ほうだい】し。

兼ねて老 藤杖【とうじょう】を将て、汝が酔いの初めて醒【さ】むるを扶【たす】くべし。

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至日遣興,奉寄北省舊閣老、兩院故人二首 其二kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 281

至日遣興,奉寄北省舊閣老、兩院故人二首 其二kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 281

冬至の日にむねのおもいをやるため門下・中書両省の旧官や両省の院にいる知りあいの人々に寄せた詩。758年 乾元元年11月華州での作。


至日遣興,奉寄北省舊閣老、兩院故人二首
其二
冬至の日にむねのおもいをやるため門下・中書両省の旧官や両省の院にいる知りあいの人々に寄せた詩 その二。
憶昨逍遙供奉班,去年今日侍龍顏。
おもいだしてみる、前年自分はゆったりと供奉の列にあって、去年のきょうは竜顔に待機していた。
麒麟不動爐煙上,孔雀徐開扇影還。
そのときは宮中で麟鱗の香炉がじっとすわってそれから香の煙がたちのぼっている、そこで、しずしずと孔雀の団扇が左右にひらかれてそれぞれの位置へとつき天顔があらわれた。
玉几由來天北極,朱衣只在殿中間。
だがことしは朝廷とは隔たっている、天子の御座の脇息はもとより天の北極の位にはかわらないが、百官に著席をうながす朱衣の属官のすがたはただ長安の御殿のまんなかに在るのでここではみられないのである。
孤城此日堪腸斷,愁對寒雲雪滿山。

こういうことでこの華州の孤城では今日は自分の腸が十分ちぎれそうであり、愁えながらに冬空の雲にうちむかえば遠山には雪がいっぱいかぶさってみえる。

(至日興を遣り 北省の旧閣老・両院の故人に寄せ奉る 二首)
憶う昨【さく】逍遙【しょうよう】たり供奉【くぶ】の班、去年今日【こんじつ】竜顔【りょうがん】に侍す。
麒麟【きりん】動かず炉煙【ろえん】上り、孔雀 徐【おもむろ】に開きて扇影【せんえい】還【めぐ】る。
玉几【ぎょくき】は由来【ゆらい】天の北極、朱衣【しゅい】は只在り殿の中間【ちゅうかん】。
孤城 此の日腸【はらわた】断ゆるに堪えたり、愁えて寒雲に対すれば雪山に満つ。



現代語訳と訳註
(本文) 至日遣興,奉寄北省舊閣老、兩院故人二首
其二

憶昨逍遙供奉班,去年今日侍龍顏。
麒麟不動爐煙上,孔雀徐開扇影還。
玉几由來天北極,朱衣只在殿中間。
孤城此日堪腸斷,愁對寒雲雪滿山。


(下し文)
(至日興を遣り 北省の旧閣老・両院の故人に寄せ奉る 二首)
憶う昨【さく】逍遙【しょうよう】たり供奉【くぶ】の班、去年今日【こんじつ】竜顔【りょうがん】に侍す。
麒麟【きりん】動かず炉煙【ろえん】上り、孔雀 徐【おもむろ】に開きて扇影【せんえい】還【めぐ】る。
玉几【ぎょくき】は由来【ゆらい】天の北極、朱衣【しゅい】は只在り殿の中間【ちゅうかん】。
孤城 此の日腸【はらわた】断ゆるに堪えたり、愁えて寒雲に対すれば雪山に満つ。


(現代語訳)
冬至の日にむねのおもいをやるため門下・中書両省の旧官や両省の院にいる知りあいの人々に寄せた詩 その二。
おもいだしてみる、前年自分はゆったりと供奉の列にあって、去年のきょうは竜顔に待機していた。
そのときは宮中で麟鱗の香炉がじっとすわってそれから香の煙がたちのぼっている、そこで、しずしずと孔雀の団扇が左右にひらかれてそれぞれの位置へとつき天顔があらわれた。
だがことしは朝廷とは隔たっている、天子の御座の脇息はもとより天の北極の位にはかわらないが、百官に著席をうながす朱衣の属官のすがたはただ長安の御殿のまんなかに在るのでここではみられないのである。
こういうことでこの華州の孤城では今日は自分の腸が十分ちぎれそうであり、愁えながらに冬空の雲にうちむかえば遠山には雪がいっぱいかぶさってみえる。


(訳注)其二
憶昨逍遙供奉班,去年今日侍龍顏。

おもいだしてみる、前年自分はゆったりと供奉の列にあって、去年のきょうは竜顔に待機していた。
 前時をさす、ぼんやりいう。○逍遙 ゆったりぶらつく。○供奉班 近侍の列位。拾遺の官は供奉・諷諌をつかさどる。○去年今日 至徳二載の冬至の日。○竜顔 天子のおかお。


麒麟不動爐煙上,孔雀徐開扇影還。
そのときは宮中で麟鱗の香炉がじっとすわってそれから香の煙がたちのぼっている、そこで、しずしずと孔雀の団扇が左右にひらかれてそれぞれの位置へとつき天顔があらわれた。
麟麟 きりん形、たけ九尺、金めっきの香炉。○不動 すわりのよいさま。○炉煙 香炉のけむり。○孔雀 孔雀の羽をもってつくった団扇をいう、唐の大朝会のおりにはこのうちわ百五十六本を左右に分かち、天子が初めて御座に升りたもうと左右より扇を合わせ、升りおわりたまうとまた扇を左右に開いた。○徐開 左右から合わせた扇をしずかにはなす。○ 左右にうごくさまをいう。


玉几由來天北極,朱衣只在殿中間。
だがことしは朝廷とは隔たっている、天子の御座の脇息はもとより天の北極の位にはかわらないが、百官に著席をうながす朱衣の属官のすがたはただ長安の御殿のまんなかに在るのでここではみられないのである。
○玉几 天子のおよりになる玉の脇息。○天北極 天子の位は天上星宿界においては北極星の座に此する、因ってかくいう。○朱衣 御史大夫の従官のきるきもの、このものは朝会のおり、かけごえして百官を班位に威かしめる。作者の服とみる説があるが今は取らぬ。○只在 只今徒在の意、此の二字は上旬の「由来」とともに想像を加えてのべた語である。○殿中間 ごてんのなかほど。


孤城此日堪腸斷,愁對寒雲雪滿山。
こういうことでこの華州の孤城では今日は自分の腸が十分ちぎれそうであり、愁えながらに冬ぞらの雲にうちむかえば遠山には雪がいっぱいかぶさってみえる。
孤城 孤立した城、華州のしろをさす。○寒雲 冬ぞらの雲。○ 長安の方位にあたってみえる諸山。



至日遣興,奉寄北省舊閣老、兩院故人二首

其二

憶昨逍遙供奉班,去年今日侍龍顏。

麒麟不動爐煙上,孔雀徐開扇影還。

玉几由來天北極,朱衣只在殿中間。

   孤城此日堪腸斷,愁對寒雲雪滿山。

(至日興を遣り 北省の旧閣老・両院の故人に寄せ奉る 二首)
憶う昨【さく】逍遙【しょうよう】たり供奉【くぶ】の班、去年今日【こんじつ】竜顔【りょうがん】に侍す。
麒麟【きりん】動かず炉煙【ろえん】上り、孔雀 徐【おもむろ】に開きて扇影【せんえい】還【めぐ】る。
玉几【ぎょくき】は由来【ゆらい】天の北極、朱衣【しゅい】は只在り殿の中間【ちゅうかん】。
孤城 此の日腸【はらわた】断ゆるに堪えたり、愁えて寒雲に対すれば雪山に満つ。


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758年 乾元元年11月華州での作。

至日遣興,奉寄北省舊閣老、兩院故人二首
其一

去歲茲晨捧禦牀,五更三點入鵷行。
冬至の日にむねのおもいをやるため門下・中書両省の旧官や両省の院にいる知りあいの人々に寄せた詩。
欲知趨走傷心地,正想氤氳滿眼香。
自分は去年の冬至の早朝には朝廷へまかりでて禦牀をあおぎたてまつり、五更三点の朝はやく諸官員の行列のなかへはいりこんだ。
無路從容陪語笑,有時顛倒著衣裳。
諸君に知ってもらいたくおもうのはわたしがことしは華州にいて、こんな田舎の悲しいところで上官の前で奔走して心を痛めていることを。
何人卻憶窮愁日,日日愁隨一線長。
そして、ちょうどいまは長安の宮殿で諸員の眼中、香煙がもやもや立ちのぼっているのだなと想像している。
自分は上官からよばれるので時として、きょうもそうだが、大急ぎにあわてて衣と裳とをあべこべに著けてでかけたりするが、もはやゆったりとして諸君にしたがってともに笑語するという方途はない。

(至日【しじつ】興を遣り,北省の舊閣老、兩院故人に寄せ奉る 二首)
去歳【きょさい】茲の晨 禦牀【ごしょう】を捧ず、五更三点 鵷行【えんこう】に入る。
知らんことを欲す傷心の地に趨走【すうそう】し、正に氤氳【いんうん】たる満眼の香を想うことを。
従容【しょうよう】として語笑【ごしょう】に陪するに路無し、時有ってか顛倒【てんとう】して衣裳を著く。
何人か却って憶わん窮愁の日、日日愁は一線に随って長きことを。

現代語訳と訳註
(本文)
至日遣興,奉寄北省舊閣老、兩院故人二首
其一
去歲茲晨捧禦牀,五更三點入鵷行。
欲知趨走傷心地,正想氤氳滿眼香。
無路從容陪語笑,有時顛倒著衣裳。
何人卻憶窮愁日,日日愁隨一線長。


(下し文) (至日【しじつ】興を遣り,北省の舊閣老、兩院故人に寄せ奉る 二首)其の二
去歳【きょさい】茲の晨 禦牀【ごしょう】を捧ず、五更三点 鵷行【えんこう】に入る。
知らんことを欲す傷心の地に趨走【すうそう】し、正に氤氳【いんうん】たる満眼の香を想うことを。
従容【しょうよう】として語笑【ごしょう】に陪するに路無し、時有ってか顛倒【てんとう】して衣裳を著く。
何人か却って憶わん窮愁の日、日日愁は一線に随って長きことを。


(現代語訳)
冬至の日にむねのおもいをやるため門下・中書両省の旧官や両省の院にいる知りあいの人々に寄せた詩。
自分は去年の冬至の早朝には朝廷へまかりでて禦牀をあおぎたてまつり、五更三点の朝はやく諸官員の行列のなかへはいりこんだ。
諸君に知ってもらいたくおもうのはわたしがことしは華州にいて、こんな田舎の悲しいところで上官の前で奔走して心を痛めていることを。そして、ちょうどいまは長安の宮殿で諸員の眼中、香煙がもやもや立ちのぼっているのだなと想像している。
自分は上官からよばれるので時として、きょうもそうだが、大急ぎにあわてて衣と裳とをあべこべに著けてでかけたりするが、もはやゆったりとして諸君にしたがってともに笑語するという方途はない。


(訳注)
至日遣興,奉寄北省舊閣老、兩院故人其一
冬至の日にむねのおもいをやるため門下・中書両省の旧官や両省の院にいる知りあいの人々に寄せた詩。
至日 冬至の日。○遣興 憂興を排遣すること。○北省 唐のとき門下省・中書省をさして北省という。○閣老 両省の官、たがいに敬称するとき閣老という。○両院 両省の院をさす。院はつめしょをいう、拾遺・補閲の官のつめし上をさす。○故人 旧知の人々、即ち作者の同僚。


去歲茲晨捧禦牀,五更三點入鵷行。
自分は去年の冬至の早朝には朝廷へまかりでて禦牀をあおぎたてまつり、五更三点の朝はやく諸官員の行列のなかへはいりこんだ。
去歳 至徳二載。○茲晨去年の冬至のあした。○ ささぐ、ここは心にて尊敬することをいう。○禦牀 天子の御椅子。〇五更 漏刻にて夜を五分し一更より五更までとする、五更はよあけのとき。〇三点 銅板の類を三つうつ、刻をしらせること。○鵷行 鵷はおおとり、行は行列、官員の列をたとえていう。


欲知趨走傷心地,正想氤氳滿眼香
諸君に知ってもらいたくおもうのはわたしがことしは華州にいて、こんな田舎の悲しいところで上官の前で奔走して心を痛めていることを。そして、ちょうどいまは長安の宮殿で諸員の眼中、香煙がもやもや立ちのぼっているのだなと想像している。
欲知 諸君が知ることをのぞむ。○趨走 作者が葦州の上官の前へでて奔走すること。○傷心地 華州に居るのは作者の好まぬ所である、因って心を傷ましめる地という。○正想 ちょうどそのとき想像する、作者が想像するのである。○氤氳 香煙のもやもやたつさま。〇滿眼香 眼中いっぱいの香煙、これは長安の宮中にあってのさま。


無路從容陪語笑,有時顛倒著衣裳。
自分は上官からよばれるので時として、きょうもそうだが、大急ぎにあわてて衣と裳とをあべこべに著けてでかけたりするが、もはやゆったりとして諸君にしたがってともに笑語するという方途はない。
無路 路とは方途、方法ということ。○従容 ゆったり。○ あとにしたがう。○語笑 在京の閣老故人の語笑。○有時 これは冬至についていうものだが冬至以外のときをもこめていうのによってかくいったものか。有時とは時としての義。○願倒著衣裳 「詩経」に「東方未ダ明ケズ、衣裳ヲ顛倒ス。」とみえる、あけがた公より召されるのによりいそいで衣裳をつけるため裳を衣に、衣を裳とたがえてきることをいう、此の句は作者が暁を侵して華州の役所へ出かけることをいう。


何人卻憶窮愁日,日日愁隨一線長。
わたしはいま毎日、窮愁の境遇に在って、その愁たるや冬至以後の太陽の時間が婦女の一線ぶんの仕事の長さだけながくなってゆくとおなじ様に長くなってゆくということをだれがおもうてくれるであろうか。
却憶 先方よりこちらをおもいだす。○窮愁日 日とは時に同じ、窮愁は困窮し且つ愁えること、「趙王は虞卿の助言を受け入れず、秦にだけ使者を送り講和を乞うたのです。」そのため、趙は大敗を喫した。戦国趙の虞卿の故事、ここは作者のさま。○随一線長 一線には二義があり、一には魂晋間の習俗で宮中において紅い線を以て日影を量るのに冬至以後は日影が一線の長さだけながくなるという、一線の長さ(尺寸)については記載を見ぬ。二は唐の宮中では女工を以て日の長短をはかるのに、冬至からはいつもにくらべて一線分だけ多くしごとができるという。同じ一線であるが前者は空間的、後者は時間的のはかりかたである。都から遠ざかる、影が長くなると、どちらにしても前向きでない朝廷を批判している。






至日遣興,奉寄北省舊閣老、兩院故人二首

其一

茲晨捧禦牀,五更三點入行。

欲知趨走傷心地,正想氤滿眼香。

無路從容陪語笑,有時顛倒著衣裳。

何人卻憶窮愁日,日日愁隨一線長。









(至日【しじつ】興を遣り,北省の舊閣老、兩院故人に寄せ奉る 二首)

去歳【きょさい】茲の晨 禦牀【ごしょう】を捧ず、五更三点 行【えんこう】に入る。

知らんことを欲す傷心の地に趨走【すうそう】し、正に氤【いんうん】たる満眼の香を想うことを。

従容【しょうよう】として語笑【ごしょう】に陪するに路無し、時有ってか顛倒【てんとう】して衣裳を著く。

何人か却って憶わん窮愁の日、日日愁は一線に随って長きことを。


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陰暦九月九日重陽の日に藍田県の崔氏の別荘において作った詩。九日藍田崔氏荘 杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 277
藍田は長安の南にある県の名、華州より60kmばかりへだたるところだ。
前詩の崔氏と同じく藍田の崔氏であり、東山は藍田県の東南にある藍田山、即ち玉山であり、草堂はかやぶきの堂である。此の堂は前詩の別荘とは異なるものである。此の詩は崔氏の東山の草堂において作る。前詩と同時期の作。西隣に王維の輞川荘があるが、王維は自身傷心の身であると同時に朝廷に嫌気を覚えていた。安史の乱までに輞川荘を完成させ、二十首の『輞川集』を完成させたことも官僚勤めを遠ざけるもので、仏教に傾倒深くなっていたのである。
 

崔氏東山草堂
愛汝玉山草堂靜,高秋爽氣相鮮新。
わたしは、あなたのこの玉山の草堂は閑静であるかた深く愛あひている、空高くすみきった秋の爽かな気が山の色ととともに新鮮をきそっている。
有時自發鐘磬響,落日更見漁樵人。
また時おりやまのなかの寺でならすのか、鐘や聲のおとがひびいてひとりでにおこってくるし、日の落ちかかるときそのうえ漁師や樵人らがかえりゆくのをみることができる。
盤剝白鴉谷口栗,飯煮青泥坊底蓴。
また食物についてみると、大きな皿には白鴉谷のほとりでとれた栗が皮をむいて盛りだされ、ご飯には青泥坊の堤でとれた芹がまぜて煮られている。
何為西莊王給事,柴門空閉鎖松筠?

ここへ西どなりの王維でも居るといっそういいのだが、どうしたためか彼の別荘はいたずらに柴門が閉じられて松竹林中にかぎをおろしてある。

(崔氏が東山の草堂)
愛す汝が玉山【ぎょくさん】草堂の静かなるを、高秋【こうしゅう】の爽気【そうき】 相 鮮新【せんしん】。
時有ってか自ら発す鐘磬【しょうけい】の響、落日更に見る漁樵【ぎょしょう】の人。
盤には剥【は】ぐ白鴉【はくあ】谷口【こくこう】の栗【りつ】、飯【はん】には煮る青泥【せいでい】坊底【ぼうてい】の蓴【じゅん】。
何為【なんすれ】ぞ西荘【せいそう】の王給事、柴門【さいもん】空しく閉じて松筠【しょうきん】に鎖【とざ】す。


現代語訳と訳註
(本文) 崔氏東山草堂
愛汝玉山草堂靜,高秋爽氣相鮮新。
有時自發鐘磬響,落日更見漁樵人。
盤剝白鴉谷口栗,飯煮青泥坊底蓴。
何為西莊王給事,柴門空閉鎖松筠?


(下し文)

(現代語訳)
わたしは、あなたのこの玉山の草堂は閑静であるかた深く愛あひている、空高くすみきった秋の爽かな気が山の色ととともに新鮮をきそっている。
また時おりやまのなかの寺でならすのか、鐘や聲のおとがひびいてひとりでにおこってくるし、日の落ちかかるときそのうえ漁師や樵人らがかえりゆくのをみることができる。
また食物についてみると、大きな皿には白鴉谷のほとりでとれた栗が皮をむいて盛りだされ、ご飯には青泥坊の堤でとれた芹がまぜて煮られている。
ここへ西どなりの王維でも居るといっそういいのだが、どうしたためか彼の別荘はいたずらに柴門が閉じられて松竹林中にかぎをおろしてある。

(訳注)
崔氏東山草堂
九月九日の重陽節に、杜甫は崔氏の藍田の別荘に招かれた。主人の崔李重(さいりじゅう)は母方の一族と見られている。藍田は華州からだと西南に60kmほどの道程なので、杜甫は馬で出かけた。


愛汝玉山草堂靜,高秋爽氣相鮮新。
愛す汝が玉山【ぎょくさん】草堂の静かなるを、高秋【こうしゅう】の爽気【そうき】 相 鮮新【せんしん】。
時有ってか自ら発す鐘磬【しょうけい】の響、落日更に見る漁樵【ぎょしょう】の人。
わたしは、あなたのこの玉山の草堂は閑静であるかた深く愛あひている、空高くすみきった秋の爽かな気が山の色ととともに新鮮をきそっている。
玉山 藍田にある山の名、即ち藍田山。昔、宝玉を産出していたのでそう呼ぶ。○高秋 天たかき秋。○爽気 さわやかな気。○相鮮新 鮮新は新鮮に同じ、あたらしくあざやか。相とは山色に関していう、山色の翠と秋気の澄碧とがたがいにその新鮮をきそうことをいう。


有時自發鐘聲響,落日更見漁樵人。
時有ってか自ら発す鐘磬【しょうけい】の響、落日更に見る漁樵【ぎょしょう】の人。
また時おりやまのなかの寺でならすのか、鐘や聲のおとがひびいてひとりでにおこってくるし、日の落ちかかるときそのうえ漁師や樵人らがかえりゆくのをみることができる。
 おこる。○鐘磬響 かね、磬磐石の音、これは附近に寺があると思われるので、近くの山の中というシチュエーションであろう。○漁樵人 魚をとる人、薪や柴をとる人。隠遁したものの総称。


盤剝白鴉谷口栗,飯煮青泥坊底蓴。
盤には剥【は】ぐ白鴉【はくあ】谷口【こくこう】の栗【りつ】、飯【はん】には煮る青泥【せいでい】坊底【ぼうてい】の蓴【じゅん】。
また食物についてみると、大きな皿には白鴉谷のほとりでとれた栗が皮をむいて盛りだされ、ご飯には青泥坊の堤でとれた芹がまぜて煮られている。
盤 大きなさら。〇 皮をむくこと。〇白鴉谷 県の東南二十里にある谷の名、栗によろしい地であるという。○青泥坊 坊は防と通ずる、「つつみ」をいう、青泥城は県南七里にあるというのからすれば防はその城の水をたくわえるつつみである。○ 沈徳潜の説に芹(きん)は十二文の韻字であるから蓴の字の誤りであろうという、芹はせり、蓴はじゅんさい。


何為西莊王給事,柴門空閉鎖松筠?
何為【なんすれ】ぞ西荘【せいそう】の王給事、柴門【さいもん】空しく閉じて松筠【しょうきん】に鎖【とざ】す。
ここへ西どなりの王維でも居るといっそういいのだが、どうしたためか彼の別荘はいたずらに柴門が閉じられて松竹林中にかぎをおろしてある。
西荘 雀氏草堂の西にある別荘。 ○王給事 王維のこと。王維は宋之間の藍田の別業を安史の乱までにすべての財産をつぎ込んで、整備し、建設した。即ち綱川荘である。粛宗が長安に還るや王維は太子中允となり、また給事中となった、このとき王維は長安にあってこの輞川荘にいなかった。 ○柴門 王維の荘の柴でつくった門。 ○鎖松筠 筠は竹の膚の青色をいうが竹そのものの義として用いる。松筠に鎖すとは松竹の林の中にとざすことをいう。


この詩もそうだし、このころの詩のほとんどに朝廷に対する不満が語られている。
このとき王維も杜甫も、朝廷に嫌気がさしていた。わけのわからない人事、宦官の台頭、軍事組織の崩壊、このころ、詩人たちは、行き場のないところに追い詰められていた。杜甫の知人の官僚、幕僚、軍人は降格か左遷されている。朝廷は体制を整えることより、権威を振りかざした。節度使の忠誠心はなく、ただ、安禄山それに変わる安慶緒、忠思明、が他より少しだけ抜けているだけで安定した力はない。したがって叛乱はこのあと5,6年治まらない。これに外敵からの挑発が盛んになされる。経済的にも律令体制が機能しなくなり、貿易でも不平等なものが多く、朝廷の財政を悪化させている。

このころまでの詩人のほとんどは高級官僚で、これらに批判的でないはずがないのだが、朝廷の無作為に対する批判勢力の配置転換、長安を奪還して以降の数年は朝廷は疑心暗鬼の塊であった。(家臣を信じないで宦官を信じる傾向にあった。)かといって、それらを文章で残すと発見されると処刑されるのである。


乾元元年の春は左拾遺として長安にあり、賈至・王維・岑參らと唱和と、詩人たちの意見交換は最高潮でした。5,6月、高適、房琯の左遷、杜甫自らも左遷、すべての詩人は、疎まれていきます。


六月、房琯の邠州刺史に貶せらるるに座し、出されて華州司功参軍となる。秋、藍田に王維を訪い、冬末、洛陽の陸渾荘に帰る。

その後、この詩の時分、王維は長安の南の終南山の別荘にいた。王維は杜甫の言う「西莊」を経営する意欲は薄らぎ、「西莊」いわゆる輞川荘は一部寺に寄贈されていた。

この詩以降、杜甫は漢を辞して隠遁したい気持ちが強くなっていく。(文献には出てこないが王維と相談して、互いに、職を辞したい胸の内を話したのではないだろうか)

所思 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 276

所思 杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 276
(思う所)
乾元元年 758年 47歳
  
所思
鄭老身仍竄、台州信始伝。
鄭先生  あなたは遠隔地へ司戸参軍に左遷され、その地の台州から はじめて便りをいただきました。
為農山澗曲、臥病海雲辺。
山や谷川のそばで 農耕作をされている、海辺のほとりで   病に臥されているという。
世已疎儒素、人猶乞酒銭。
今の世はいつのまにか、儒学を軽んじられるようになってきている、そればかりか人によっては 酒や賄賂を要求するものもいるほどなのだ。
徒労望牛斗、無計斸龍泉。
我々は、北斗七星のように天に不動の天子を仰いでいる、ただ、いたずらに眺めるだけでしかない。また、神秘の力を持った龍泉の名剣を 掘り出す力のないのだ。

思う所)
鄭老【ていろう】 身 仍【な】お竄【ざん】せられ、台州  信【しん】 始めて伝う。
農と為【な】る 山澗【さんかん】の曲【くま】、病に臥す  海雲の辺【ほとり】。
世 已【すで】に儒素【じゅそ】を疎【うと】んずるも、人  猶お 酒銭【しゅせん】を乞【あた】えん。
徒【いたず】らに牛斗【ぎゅうと】を望むを労【ろう】し、龍泉を斸【しょく】するに計【はか】る無し。


現代語訳と訳註
(本文) 所思
鄭老身仍竄、台州信始伝。
為農山澗曲、臥病海雲辺。
世已疎儒素、人猶乞酒銭。
徒労望牛斗、無計斸龍泉。

(下し文) (思う所)
鄭老【ていろう】 身 仍【な】お竄【ざん】せられ、台州  信【しん】 始めて伝う。
農と為【な】る 山澗【さんかん】の曲【くま】、病に臥す  海雲の辺【ほとり】。
世 已【すで】に儒素【じゅそ】を疎【うと】んずるも、人  猶お 酒銭【しゅせん】を乞【あた】えん。
徒【いたず】らに牛斗【ぎゅうと】を望むを労【ろう】し、龍泉を斸【しょく】するに計【はか】る無し。

(現代語訳)
鄭先生  あなたは遠隔地へ司戸参軍に左遷され、その地の台州から はじめて便りをいただきました。
山や谷川のそばで 農耕作をされている、海辺のほとりで   病に臥されているという。
今の世はいつのまにか、儒学を軽んじられるようになってきている、そればかりか人によっては 酒や賄賂を要求するものもいるほどなのだ。
我々は、北斗七星のように天に不動の天子を仰いでいる、ただ、いたずらに眺めるだけでしかない。また、神秘の力を持った龍泉の名剣を 掘り出す力のないのだ。


(訳注)
鄭老身仍竄、台州信始伝。

鄭先生  あなたは遠隔地へ司戸参軍に左遷され、その地の台州から はじめて便りをいただきました。
○鄭老 鄭虔は757年 至徳二載十二月に左遷されている。杜甫の『送鄭十八虔貶台州司』送鄭十八虔貶台州司戶、傷其臨老隋賊之故閲馬面別情見於詩 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 231鄭虔は司戸参軍であった。○竄 もぐる。逃げ隠れる。 遠隔地へ追放する。 文章を書き改める。○台州 今の浙江省台州府。

為農山澗曲、臥病海雲辺。
山や谷川のそばで 農耕作をされている、海辺のほとりで   病に臥されているという。

世已疎儒素、人猶乞酒銭。
今の世はいつのまにか、儒学を軽んじられるようになってきている、そればかりか人によっては 酒や賄賂を要求するものもいるほどなのだ。

徒労望牛斗、無計斸龍泉。
我々は、北斗七星のように天に不動の天子を仰いでいる、ただ、いたずらに眺めるだけでしかない。また、神秘の力を持った龍泉の名剣を 掘り出す力のないのだ。
○牛斗 北斗七星のように天に不動の天子のこと。○龍泉【りょうせん】『晋書』「張華伝」 雷煥と張華晋代の故事、雷煥(らいかん)が牛星と斗星のあいだに剣の気があるのを見て、龍泉・太阿の二つの名剣を掘り出した話を踏まえている。
Ta唐 長安近郊圖  新01

杜甫は空の星を見上げるだけで、「龍泉を斸するに計無し」といっている。「龍泉」というのはます。杜甫は次第に官を辞して俗世間の塵を拂いたいと思っており、特に、儒学者を毛嫌いする世になっており、「龍泉・太阿の二つの名剣を掘り出した」故事も詩文の力ではどうしようもないことを思い知らされているのであった。

≪杜甫、鄭虔の詩≫
753年  天宝12載 42歳 五言律詩   

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757年・12月 至徳二載 46歳 七言律詩
送鄭十八虔貶台州司
、傷其臨老隋賊之故閲馬面別情見於詩 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 231

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九日藍田崔氏荘 杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 277

九日藍田崔氏荘 杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 274

陰暦九月九日重陽の菊の節句の日に藍田県の崔氏の別荘において作った詩。藍田は長安の南にある県の名、華州より60kmばかりへだたる、乾元元年華州司功であったときの作。
乾元元年 758年 47歳
 
九日藍田崔氏荘
老去悲愁強自寛、興来今日尽君歓。
自分はだんだん年老いて悲しき秋にあたって無理に胸の内を寛ごうと思って、漫然とした生活の中で気の向くままにとおもっていたが、今日にかぎっては十分に君が奉げてくれる歓情を受け尽くすのである。
羞将短髪環吹帽、笑倩旁人為正冠。
晉の孟嘉のように適当なかぶり方にして風が帽子を吹きおとすのは老いの短い髪の毛になっている自分にははずかしいことにおもわれる、笑い話のようであるが自分は孟嘉ほどのものではないので脇の人にこいねがってこの帽のかぶり具合をきちんと治してもらうことにしよう。
藍水遠従千澗落、玉山高並両峰寒。
荘外をながめると、遠く多くの谷間の水を集めてそこから藍水へと落ちてくるし、玉山はその二つの峰が高くならんできた赦免なのですでに寒色をたたえている。
明年此会知誰健、酔把茱萸子細看。

今日は主賓と共にこんなにおもしろく過ごせたが、さて明年のこの会には、果たして誰が変わりなく達者でいるであろうか、それをおもうて自分は酔いながら茱萸の枝を手にして詳しく眺めいるのである。


九日 藍田の崔氏の荘
老い去【ゆ】きて悲愁(に強【し】いて自ら寛(ゆる)うし、
興【きょう】来【おこ】りて今日ぞ君の歓(よろこ)びを尽くさん。
羞【は】ずらくは短髪を将【もっ】て環【な】お帽を吹かかることを、笑いて旁人に倩【こ】いて為に冠【かんむり】を正さしむ。
藍水【らんすい】は遠く  千澗【せんかん】従【よ】りして落ち、玉山【ぎょくざん】は高く 両峰【りょうほう】に並【そ】うて寒し。
明年【みょうねん】は 此の会【つど】い 知んぬ 誰か健【すこやか】なるを、酔うて茱萸【しゅゆ】を把【と】りて子細【しさい】に看【み】る。



現代語訳と訳註
(本文)

九日藍田崔氏荘
老去悲愁強自寛、興来今日尽君歓。
羞将短髪環吹帽、笑倩旁人為正冠。
藍水遠従千澗落、玉山高並両峰寒。
明年此会知誰健、酔把茱萸子細看。

(下し文)
九日 藍田の崔氏の荘
老い去【ゆ】きて悲愁(に強【し】いて自ら寛(ゆる)うし、
興【きょう】来【おこ】りて今日ぞ君の歓(よろこ)びを尽くさん。
羞【は】ずらくは短髪を将【もっ】て環【な】お帽を吹かかることを、笑いて旁人に倩【こ】いて為に冠【かんむり】を正さしむ。
藍水【らんすい】は遠く  千澗【せんかん】従【よ】りして落ち、玉山【ぎょくざん】は高く 両峰【りょうほう】に並【そ】うて寒し。
明年【みょうねん】は 此の会【つど】い 知んぬ 誰か健【すこやか】なるを、酔うて茱萸【しゅゆ】を把【と】りて子細【しさい】に看【み】る。

(現代語訳)
自分はだんだん年老いて悲しき秋にあたって無理に胸の内を寛ごうと思って、漫然とした生活の中で気の向くままにとおもっていたが、今日にかぎっては十分に君が奉げてくれる歓情を受け尽くすのである。
晉の孟嘉のように適当なかぶり方にして風が帽子を吹きおとすのは老いの短い髪の毛になっている自分にははずかしいことにおもわれる、笑い話のようであるが自分は孟嘉ほどのものではないので脇の人にこいねがってこの帽のかぶり具合をきちんと治してもらうことにしよう。
荘外をながめると、遠く多くの谷間の水を集めてそこから藍水へと落ちてくるし、玉山はその二つの峰が高くならんできた赦免なのですでに寒色をたたえている。
今日は主賓と共にこんなにおもしろく過ごせたが、さて明年のこの会には、果たして誰が変わりなく達者でいるであろうか、それをおもうて自分は酔いながら茱萸の枝を手にして詳しく眺めいるのである。


(訳注)
九日藍田崔氏荘

(九日 藍田の崔氏の荘)


老去悲愁強自寛、興来今日尽君歓。
(老い去【ゆ】きて悲愁(に強【し】いて自ら寛(ゆる)うし、
興【きょう】来【おこ】りて今日ぞ君の歓(よろこ)びを尽くさん。)
自分はだんだん年老いて悲しき秋にあたって無理に胸の内を寛ごうと思って、漫然とした生活の中で気の向くままにとおもっていたが、今日にかぎっては十分に君が奉げてくれる歓情を受け尽くすのである。
悲秋 ものがなしい秋の節。安史の乱がいまだ続いており、杜甫自身、天子のおそばの左拾遺から、地方の進士試験の出題者という夢を失わせる時期であった。
宋玉『九辨』、
悲哉秋之為氣也!
蕭瑟兮草木搖落而變衰,
憭慄兮若在遠行,
登山臨水兮送將歸,
泬寥兮天高而氣清,
寂寥兮收潦而水清,
憯悽欷兮薄寒之中人,
愴怳懭悢兮去故而就新,
坎廩兮貧士失職而志不平,
廓落兮羇旅而無友生。
惆悵兮而私自憐。
燕翩翩其辭歸兮,蝉寂漠而無聲。
鴈廱廱而南遊兮,鶤[昆+鳥]雞 啁哳而悲鳴。
獨申旦而不寐兮,哀蟋蟀之宵征。
時亹亹而過中兮,蹇淹留而無成。
「悲レ秋」とよんでもよい。大暦元年 766年55歳七言律詩『詠懐古蹟五首』  古跡において自己の懐う所を詠じた詩。五首ある。大暦元年夔州に在ったおり各古跡をおとずれることなく予想して作ったもの
杜甫『詠懐古跡 其の二』
搖落深知宋玉悲,風流儒雅亦吾師。
悵望千秋一灑淚,蕭條異代不同時。
江山故宅空文藻,雲雨荒台豈夢思。
最是楚宮俱泯滅,舟人指點到今疑。
自寛 自己の愁懐をくつろげ、なぐさめる。○興来 気の向くままに、偶然に身を任せ、漫然としていた杜甫が今日、その日だけ、という限定したことでこの訪問を強調している。○尽君歓 他人が私を喜ばそうとしたとき、八分を受け二分を残すのが君子の礼とされるが、ここでは先方の歓待を十分に受け尽くすことをいう。君は主人崔氏。


羞将短髪環吹帽、笑倩旁人為正冠。
(羞【は】ずらくは短髪を将【もっ】て環【な】お帽を吹かかることを、笑いて旁人に倩【こ】いて為に冠【かんむり】を正さしむ。)
晉の孟嘉のように適当なかぶり方にして風が帽子を吹きおとすのは老いの短い髪の毛になっている自分にははずかしいことにおもわれる、笑い話のようであるが自分は孟嘉ほどのものではないので脇の人にこいねがってこの帽のかぶり具合をきちんと治してもらうことにしよう。
短髪 作者の老いてみじかくなったかみのけ。○ 我もまたの意。○吹帽 晋の孟嘉が桓温の参軍となり、九日龍山で催おされた登高の宴に、秋風のいたずらに孟嘉の帽子を飛ばした。本人はそれに気づかなかったが、桓温はそっと左右のものに目配せをし放置させ、やがて、孟嘉が手洗いに立つと文士の孫盛に命じ、孟嘉を嘲笑する文を孟嘉の席に置いた。席に戻った孟嘉は冷静に答辭を作った。其の文は見事な美文で一同を感嘆させた。東晉の風流の故事の一つとされている。○ 雇うこと。故事を踏まえているので少しオーバーな言い方である。○傍人 そばのひと。○ 我がために。○正冠 冠は即ち上旬の帽、正とはまがらぬようになおすこと。


藍水遠従千澗落、玉山高並両峰寒。
藍水【らんすい】は遠く  千澗【せんかん】従【よ】りして落ち、玉山【ぎょくざん】は高く 両峰【りょうほう】に並【そ】うて寒し

荘外をながめると、遠く多くの谷間の水を集めてそこから藍水へと落ちてくるし、玉山はその二つの峰が高くならんできた赦免なのですでに寒色をたたえている。
藍水 藍田にある川の名。㶚水の支流で北流して長安東門春明門を出た街道滻水橋を渡り、㶚陵橋と続くを北流して、渭水に豪牛する。〇千澗 多くの谷川。○玉山 藍田にある山の名、即ち藍田山。昔、宝玉を産出していたのでそう呼ぶ。○両峰 玉山に属する二つの峰かとおもう。この聯は、藍水・・・・・、玉山・・・・・。通常の七言の句の構成とは異なっている。通常は四語+三語で句とするものが多い。つまり藍水を五言句で表し、同様に、玉山を五言句で表現している。寒については、渭水の向こうの山々は南面であるため、藍田の山々は北面であるため景色が違っていることをあらわしている。



明年此会知誰健、酔把茱萸子細看。
(明年【みょうねん】は 此の会【つど】い 知んぬ 誰か健【すこやか】なるを、酔うて茱萸【しゅゆ】を把【と】りて子細【しさい】に看【み】る。)
今日は主賓と共にこんなにおもしろく過ごせたが、さて明年のこの会には、果たして誰が変わりなく達者でいるであろうか、それをおもうて自分は酔いながら茱萸の枝を手にして詳しく眺めいるのである。
知誰健 知の下に疑問詞があるときは「知」は「不知」の義となる、即ち不知誰健の意、○茱萸 ぐみ、九日にぐみを凧び菊酒をのめば長生をするとされる。kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 145 九月九日憶山東兄弟  王維仔細 くわしく。○ 蓋し菜糞の枝をみつめる。古来多くこの義にとく。沈徳潜は栗東をみることの無意味なことをいい藍水と玉山とを看ることとする、即ち「酒を把って山水をみる」ととく。但し、果菜をみるとするのは決して無意味ではなく、上旬に「誰健」とあって主賓の健康を意としての語であるから長寿のしるしである茱萸を仔細にみるのは先頭の句に「悲愁」に帰っていくとみて意が深くなるものである。



唐朝の衰退はかなりなもので、どこで反乱が起こってもおかしくないし、外敵に攻められても、府兵の統率力はなかった、しかも、杜甫の知人の官僚、幕僚も次々に、左遷、降格、死没と中央集権国家の体をなさず、長安周辺の朝廷と言うくらいに力のない、先行き不安な状況であった。杜甫が冠を直すと詠むとき、朝廷の威信がそこまであるのかと思いながら正しているのかもしれない。
 九月九日の重陽節に、杜甫は崔氏の藍田の別荘に招かれた。主人の崔李重(さいりじゅう)は母方の一族と見られている。藍田は華州からだと西南に60kmほどの道程なので、杜甫は馬で出かけた。
 宋玉の「悲愁」を杜甫は同様に感じつつ、登高の宴に参列できたことへのよろこびを感じたものである。しかし、杜甫の置かれてい位置は決して、当時の世界、当時の人生観で、人生をかけるものではなく、悩みは更に深いものとなっていく。

早秋苦熱堆安相仍 杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 276

早秋苦熱堆安相仍 杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 276
(早秋 熱に苦しみ 堆安【たいあん】相い 仍【よ】る)

乾元元年六月華州に左遷された。秋になろうというのに暑さが耐えられない。着任早々から、書類の大左派凄まじく机の上に積み上げられていった。その上、サソリ、ヘビ、蝿、蚊に悩まされた。異常な暑さに加えて、異常に発生した虫類、地方での書記の仕事は想像以上のものであった。


早秋苦熱堆案相仍
早秋 熱に苦しみ 官文書が未決でたまっていくことになっている 
七月六日苦炎蒸,對食暫餐還不能。
今日はもう七月六日になる、それなのに 蒸し暑くてやりきれない、食膳に向回、少しは食べようと思うのだがやはり咽喉を通らない
每愁夜中自足蠍,況乃秋後轉多蠅。
何時も夜中になると サソリのことばかりが心配になる 、そのうえ、秋になってから余計に蠅がおおくなりうるさく飛んでくる。
束帶發狂欲大叫,簿書何急來相仍。
窮屈な官服をきていなければいけないので、つい大声を出してさけびたくなってしまう、書類ばかりがどうしてこう、 つぎつぎに押しかけてくるのだろう。
南望青松架短壑,安得赤腳蹋層冰?
南の方を望むと  切り立った渓谷のうえに青松が生えてかかっているように見える、どうしたらあの山の奥に入っていって、厚く張った氷を素足で踏みしめることができるのだろう。


早秋 熱に苦しみ 堆案【たいあん】相い 仍【よ】る
七月六日 炎蒸【えんじょう】に苦しむ、食に対し暫【しばら】く 餐【さん】せんとするも還【ま】た 能【あた】わず。
每に愁う 夜来【やらい】 皆【みな】是【こ】れ 蠍【かつ】なるを、况【いわ】んや 乃【すなわ】ち 秋後【しゅうご】 転【うた】た 蠅【はえ】多きをや。
束帯【そくたい】 狂を発して大叫【たいきょう】せんと欲す、簿書【ぼしょ】 何ぞ 急に来たって相い仍【よ】るや。
南望すれば 青松【せいしょう】 短壑【たんがく】に架【か】す、安【いず】くんぞ赤脚【せききゃく】 層冰【そうひょう】を踏むことを得ん。


現代語訳と訳註
(本文)

(下し文) 早秋 熱に苦しみ 堆案【たいあん】相い 仍【よ】る
七月六日 炎蒸【えんじょう】に苦しむ、食に対し暫【しばら】く 餐【さん】せんとするも還【ま】た 能【あた】わず。
每に愁う 夜来【やらい】 皆【みな】是【こ】れ 蠍【かつ】なるを、况【いわ】んや 乃【すなわ】ち 秋後【しゅうご】 転【うた】た 蠅【はえ】多きをや。
束帯【そくたい】 狂を発して大叫【たいきょう】せんと欲す、簿書【ぼしょ】 何ぞ 急に来たって相い仍【よ】るや。
南望すれば 青松【せいしょう】 短壑【たんがく】に架【か】す、安【いず】くんぞ赤脚【せききゃく】 層冰【そうひょう】を踏むことを得ん。


(現代語訳)
早秋 熱に苦しみ 官文書が未決でたまっていくことになっている 
今日はもう七月六日になる、それなのに 蒸し暑くてやりきれない、食膳に向回、少しは食べようと思うのだがやはり咽喉を通らない
何時も夜中になると サソリのことばかりが心配になる 、そのうえ、秋になってから余計に蠅がおおくなりうるさく飛んでくる。
窮屈な官服をきていなければいけないので、つい大声を出してさけびたくなってしまう、書類ばかりがどうしてこう、 つぎつぎに押しかけてくるのだろう。
南の方を望むと  切り立った渓谷のうえに青松が生えてかかっているように見える、どうしたらあの山の奥に入っていって、厚く張った氷を素足で踏みしめることができるのだろう。


(訳注)
早秋苦熱堆安相仍

早秋 熱に苦しみ 官文書が未決でたまっていくことになっている 
堆案 案は官文書。未決でたまっていくこと。


七月六日苦炎蒸,對食暫餐還不能。
今日はもう七月六日になる、それなのに 蒸し暑くてやりきれない、食膳に向回、少しは食べようと思うのだがやはり咽喉を通らない


每愁夜中自足蠍,況乃秋後轉多蠅。
何時も夜中になると サソリのことばかりが心配になる 、そのうえ、秋になってから余計に蠅がおおくなりうるさく飛んでくる。
足蠍 猛毒を持ったサソリ。


束帶發狂欲大叫,簿書何急來相仍。
窮屈な官服をきていなければいけないので、つい大声を出してさけびたくなってしまう、書類ばかりがどうしてこう、 つぎつぎに押しかけてくるのだろう。
束帶 冠をつけ、帯を結ぶこと。官吏の制服。○簿書 役所の書類。○來相仍 ひっきりなしに続いてくる書類のこと。


南望青松架短壑,安得赤腳蹋層冰?
南の方を望むと  切り立った渓谷のうえに青松が生えてかかっているように見える、どうしたらあの山の奥に入っていって、厚く張った氷を素足で踏みしめることができるのだろう。
南望 華州に居るので南望すると、崋山がのぞまれる。華山(かざん、ホワシャン ピンイン Hua Shān)は、中国陝西省華陰市にある険しい山。道教の修道院があり、中国五名山の一つで、西岳と称されている。蓮花山は、華山の最高峰。五嶽は以下。
華山(西嶽;2,160m陝西省渭南市華陰市)
嵩山(中嶽;1,440m河南省鄭州市登封市)、
泰山(東嶽;1,545m山東省泰安市泰山区)、
衡山(南嶽;1,298m湖南省衡陽市衡山県)、
恒山(北嶽;2,016,m山西省大同市渾源県)
崋山は、中国大陸の西方をつかさどる山の神とされている。陝西省と山西省の境、黄河の曲り角にある。蓮花山の頂には池があり、千枚の花びらのある蓮の花を生じ、それをのむと羽がはえて自由に空をとぶ仙人になれるという。
短壑 切り立った谷。意味からすれば、絶壑の方が良い。谷の様子は、杜甫同時期の詩『望岳  杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 271』に詳しい。○赤腳 はだし。○層冰 厚く張った氷。

 

 春の終わりごろから、玄宗派と見られた廷臣への圧迫が強くなり、中書舎人の賈至は汝州(河南省臨汝県)刺史に左遷され、さらに岳州(湖南省岳陽市)の司馬に貶された。杜甫の友人の岑参も虢州(河南省盧氏県)に貶された。
 房琯は宰相を罷免されたあとも高官として遇されていたが、政事の中枢からは遠ざけられ、六月に詔書が発せられて邠州(陝西省彬県)刺史に転出となった。邠州(ひんしゅう)は杜甫が「北征」のときに通った涇水中流の城市である。長安市の市長というべき京兆尹(けいちょういん)になっていた厳武(げんぶ)は、同じ六月に巴州(四川省巴中県)の刺史に左遷となった。
 杜甫も左拾遺を免ぜられ、華州(陝西省華県)の司功参軍(しこうさんぐん)に左遷された。華州は長安の東90kmほど、華山山麓の街です。中央の清官から地方の属官に移されたわけだ。
 詩は残暑が厳しく、仕事も雑用が多くて忙しいこと、華州の官舎の不衛生なことに腹を立て音をあげている。四十代後半まで、自由気ままな浪人暮らし、文人でいた訳で、文法もまとも出会い様な書類をうんざりしたのは理解できる。南に臨める華山のを見て山頂の仙人池に行って、「赤脚もて層冰を踏むを得ん」と結んでいる。詩人の常套である、苦しい時の、山のなかに隠遁したいという気持ちで結句にしている。

留別賈嚴二閣老兩院補缺 杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 275

留別賈嚴二閣老兩院補缺 杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 275
(賈、嚴の二閣老、兩院の補闕に留別す,雲字を得る)

757年6月 鄜州方面へゆく人に書信を託して家族の安否を調べたが、三川県羌村からの返事はなかなか返ってこず、聞こえてくるのは鄜州方面は兵禍に遭って、鶏や子犬までが殺されてしまったという悲惨な噂だけ。杜甫の心配はつのり、家族は死に絶えてしまったのではないかと思う。

七月に鄜州の妻から返事が届き、家族全員が無事であるとわかる。
「述懷」は安禄山の叛乱軍に拘束され、そこから鳳翔の行在所に逃げ帰ったことなど、杜甫の周りの出来事、心境を述べたものであった。

「得家書」の詩は、安否問いあわせの手紙を出したのち、家族の方より返事を得て作った詩である。杜甫は鳳翔に逃げてきて3か月たっていた。製作時は至徳二載の秋七月、757年46歳である。
6月杜甫は、房琯を弁護する発言をした。それは粛宗の逆鱗に触れるものであり、臣にあるまじき行為として、処罰されるところ、郭子儀他近臣の助言により、鄜州の家族のもとに帰省する暇を与えることとなった。
この詩は、鄜州に出発を前にして、中書舎人賈至、給事中厳武、左右両院の拾遺補闕の諸公に留別の詩としたものである。厳挺之


留別賈嚴二閣老兩院補缺,得雲字
賈至・
厳挺之の二閣老に、左右院補闕の諸公に留別して詩を作る。押韻の雲を与えられたのでそれを踏んで作る。

田園須暫往,戎馬惜離群。
私は、このたび鄜州の羌村にどうしてもしばらくの間行ってこないといけない。この安史軍討伐の「兵馬の火急な折」に皆さんと別れていくのは心残りがある。
去遠留詩別,愁多任酒醺。
遠い所へ出発しようとしてこの詩を残してお別れする、思い悩むことばかり多くて、しかもそれを解決しないまま行ってしまうけれども、酒の酔いに任せてしまうことにするのだ。
一秋常苦雨,今日始無雲。
この秋はずっと降り続いた長雨にこまってしまったものだが、今日は、初めて雲もなく晴れ渡っている。
山路晴吹角,那堪處處聞!

これから私の往く 山道も晴れ渡っているが、異民族の角笛を聞くことになる。私はその笛の声を行く先々で聞いて本当に耐えることができるだろうか。

賈、嚴の二閣老、兩院の補闕に留別す,雲字を得る
田園 須【すべから】く暫【しばら】く往くべし,戎馬【じゅうば】離群【りぐん】を惜しむ。
遠きに去【ゆ】かんとして詩を留めて別る,愁 多くして酒の醺に任【まか】す。
一秋【いつしゅう】 常に雨に苦しむ,今日 始めて雲無し。
山路 晴に角を吹く,那ぞ堪【たえ】む處處に聞くに!

DCF00218

現代語訳と訳註
(本文) 留別賈嚴二閣老兩院補缺,得雲字

田園須暫往,戎馬惜離群。
去遠留詩別,愁多任酒醺。
一秋常苦雨,今日始無雲。
山路晴吹角,那堪處處聞!

(下し文) 賈、嚴の二閣老、兩院の補闕に留別す,雲字を得る
田園 須【すべから】く暫【しばら】く往くべし,戎馬【じゅうば】離群【りぐん】を惜しむ。
遠きに去【ゆ】かんとして詩を留めて別る,愁 多くして酒の醺に任【まか】す。
一秋【いつしゅう】 常に雨に苦しむ,今日 始めて雲無し。
山路 晴に角を吹く,那ぞ堪【たえ】む處處に聞くに!


(現代語訳)
賈至・厳挺之の二閣老に、左右院補闕の諸公に留別して詩を作る。押韻の雲を与えられたのでそれを踏んで作る。

私は、このたび鄜州の羌村にどうしてもしばらくの間行ってこないといけない。この安史軍討伐の「兵馬の火急な折」に皆さんと別れていくのは心残りがある。
遠い所へ出発しようとしてこの詩を残してお別れする、思い悩むことばかり多くて、しかもそれを解決しないまま行ってしまうけれども、酒の酔いに任せてしまうことにするのだ。
この秋はずっと降り続いた長雨にこまってしまったものだが、今日は、初めて雲もなく晴れ渡っている。
これから私の往く 山道も晴れ渡っているが、異民族の角笛を聞くことになる。私はその笛の声を行く先々で聞いて本当に耐えることができるだろうか。


(訳注)
留別賈嚴二閣老兩院補缺,得雲字
賈、嚴の二閣老、兩院の補闕に留別す,雲字を得る。
賈至・厳武の二閣老に、左右院補闕の諸公に留別して詩を作る。押韻の雲を与えられたのでそれを踏んで作る。
 中書舎人賈 

早朝大明宮呈両省僚友 賈至  杜甫「奉和賈至舍人早朝大明宮」   

送賈閣老出汝州 杜甫

詩人賈至、王維、岑参、裴迪、高適らとにともに唱和している。
 厳挺之 杜甫詩『奉贈巌八閣老
厳二 厳挺之。厳八は厳武、厳武の父挺之は作者の友人であり、武は後輩である。杜甫の強力な援助者である。特に成都紀行、成都浣花渓草堂期に世話になる。厳武が没して成都を離れる。 
閣老 唐人は給事中をよぶのに閣老といった。また、宰相は堂老といい、両省のものは閣老といった。閣老は両省呼びあうので、給事中をよぶのに限られるわけではない。又このとき厳武は給事中、杜甫は左拾遺であるから同じく門下省に属し同省であるが、両省で呼び合う口称しあったとおもわれる。
兩院補缺 門下省に左右の院があり、補闕はそれぞれ2名いた。
得雲字 押韻それぞれで分けてつくったもの。


田園須暫往,戎馬惜離群。
田園 須【すべから】く暫【しばら】く往くべし,戎馬【じゅうば】離群【りぐん】を惜しむ。
私は、このたび鄜州の羌村にどうしてもしばらくの間行ってこないといけない。この安史軍討伐の「兵馬の火急な折」に皆さんと別れていくのは心残りがある。
田園 鄜州羌村。○須暫往 どうしてもしばらくの間行ってこないといけない。○戎馬 兵馬。長安、洛陽の奪還の準備をしていたので杜甫は、徒歩で出発した。徒步歸行 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 200。○離群 詩題の詩人の仲間から離れることと、戎馬を自分が使用すると戦力が落ちるのでという意味と解釈できる。


去遠留詩別,愁多任酒醺。
遠きに去【ゆ】かんとして詩を留めて別る,愁 多くして酒の醺に任【まか】す。
遠い所へ出発しようとしてこの詩を残してお別れする、思い悩むことばかり多くて、しかもそれを解決しないまま行ってしまうけれども、酒の酔いに任せてしまうことにするのだ。
去遠 遠い所へ出発しようとしているさま。○留詩別 この詩を別れに際しておいて行く。○愁多任 思い悩むことばかりで、しかもそれを解決しないままで。○酒醺 酒の酔いに任せてしまうこと。


一秋常苦雨,今日始無雲。
一秋【いつしゅう】 常に雨に苦しむ,今日 始めて雲無し。
この秋はずっと降り続いた長雨にこまってしまったものだが、今日は、初めて雲もなく晴れ渡っている。
一秋常 この秋はずっと降り続いた。○苦雨 雨が降り続くことで困ってしまうさま。○始無雲 初めて雲のない御天気になること。喜晴 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 157

山路晴吹角,那堪處處聞!
山路 晴に角を吹く,那ぞ堪【たえ】む處處に聞くに!
これから私の往く 山道も晴れ渡っているが、異民族の角笛を聞くことになる。私はその笛の声を行く先々で聞いて本当に耐えることができるだろうか。
山路晴 山道も晴れ渡っている。街道沿いには安史軍でいっぱいなので歩くわけにいかない。○吹角 杜甫は、安禄山が洛陽長安を攻め落とすとき、白水奉先ルートを家族と共に避行している。その時に北方の異民族の角笛を聞いて恐怖を覚えた。彭衙行 杜甫 132 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 132 -#1
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酬孟雲卿 杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 274

酬孟雲卿 杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 274

酬孟雲卿
孟雲卿に受けた盃を御返杯する。
樂極傷頭白,更長愛燭紅。
程よい心の楽しみを得る生活をしていたせいか白髪あたまがこんなになってしまった、二人で飲み明かすのに赤いともし火に照らされて時間を気にせず語りたい。
相逢難袞袞,告別莫匆匆。
こうして二人があって話をすると心の中が分かっており、ねんごろに話すことはない、だからといって、それでは別れを告げあうかというとそうあわただしくするようなことはない。
但恐天河落,寧辭酒盞空?
ただ酒を呑みすぎて、天地がひっくり返るほど酔いつぶれることを畏れている、どうして酒壷が空になったらここを立ち去らないといけないのだろうか。
明朝牽世務,揮淚各西東。

明日の朝になればお互い、現在の国家社会のためになすべき仕事をしていかねばならない、わたしも気持ちを変えて涙を吹き飛ばし、西と東でそれぞれ職務をつくそうと思う。


孟雲卿に酬ゆ
樂しみ極まれて頭白を傷む,更長【こうちょう】燭紅を愛す。
相い逢いて袞袞【こんこん】としするが難し,告別は匆匆【そうそう】とする莫れ。
但恐れる天河の落るを,寧ぞ酒盞空を辭さんや?
明朝 世務に牽き,淚を揮って各々西東たり。


現代語訳と訳註
(本文)
酬孟雲卿
樂極傷頭白,更長愛燭紅。
相逢難袞袞,告別莫匆匆。
但恐天河落,寧辭酒盞空?
明朝牽世務,揮淚各西東。


(下し文) 孟雲卿に酬ゆ
樂しみ極まれて頭白を傷む,更長【こうちょう】燭紅を愛す。
相い逢いて袞袞【こんこん】としするが難し,告別は匆匆【そうそう】とする莫れ。
但恐れる天河の落るを,寧ぞ酒盞空を辭さんや?
明朝 世務に牽き,淚を揮って各々西東たり。


(現代語訳)
孟雲卿に受けた盃を御返杯する。
程よい心の楽しみを得る生活をしていたせいか白髪あたまがこんなになってしまった、二人で飲み明かすのに赤いともし火に照らされて時間を気にせず語りたい。
こうして二人があって話をすると心の中が分かっており、ねんごろに話すことはない、だからといって、それでは別れを告げあうかというとそうあわただしくするようなことはない。
ただ酒を呑みすぎて、天地がひっくり返るほど酔いつぶれることを畏れている、どうして酒壷が空になったらここを立ち去らないといけないのだろうか。
明日の朝になればお互い、現在の国家社会のためになすべき仕事をしていかねばならない、わたしも気持ちを変えて涙を吹き飛ばし、西と東でそれぞれ職務をつくそうと思う。


(訳注)
○酬孟雲卿

孟雲卿に受けた盃を御返杯する。
孟雲卿は725年(唐の開元10年)生まれ、没年未詳。字名升之。平昌(商河県、山東省済南市に位置する県。)の人。商河県は山東賞西北部、徒駭河北岸に位置する。南北は51km、東西は43kmである。天宝年間30歳を過ぎて進士及第、長安に入る。残存詩17首。平易な言葉で、自尊心が強く社会的現実的な詩は、杜甫、元結などと共有する。758年、6月、杜甫、華州司公參軍に左遷される前夜、酒を酌み交わす。


樂極傷頭白,更長愛燭紅。
程よい心の楽しみを得る生活をしていたせいか白髪あたまがこんなになってしまった、二人で飲み明かすのに赤いともし火に照らされて時間を気にせず語りたい。
樂極 程よい心の楽しみを得ること。『呉志、諸葛恪傳』「人情之於品物、楽極則哀生。」(人情これ、品物に於ける、楽しみ極まれば則ち哀しみ生ず)に基づく。○更長 夜長を過ごすこと。○燭紅 あかくともしびに照らされる様。


相逢難袞袞,告別莫匆匆。
こうして二人があって話をすると心の中が分かっており、ねんごろに話すことはない、だからといって、それでは別れを告げあうかというとそうあわただしくするようなことはない。
袞袞 大水が流れる様子。塵が後からあとから立のぼる様子。ねんごろに説いて話の尽きない様子。○匆匆 あわただしいさま。烏兎匆匆 意味。歳月のあわただしく過ぎ去るたとえ。▽「烏兎」は歳月・月日の意。太陽には三本足のからすが棲すんでおり、月にはうさぎが棲んでいるという古代中国の伝説による。「匆匆」は急ぐさま、あわただしいさま。「匆匆」は「怱怱」とも書く。


但恐天河落,寧辭酒盞空?
ただ酒を呑みすぎて、天地がひっくり返るほど酔いつぶれることを畏れている、どうして酒壷が空になったらここを立ち去らないといけないのだろうか。


明朝牽世務,揮淚各西東。
明日の朝になればお互い、現在の国家社会のためになすべき仕事をしていかねばならない、わたしも気持ちを変えて涙を吹き飛ばし、西と東でそれぞれ職務をつくそうと思う。
世務 現在の国家社会のためになすべき仕事。世の中の煩わしい仕事。


觀安西兵過赴關中待命二首 其二 杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 273

觀安西兵過赴關中待命二首 杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 273
(安西の兵の過ぐるを観る 関中に赴きて命を待つなり二首 其の二)

觀安西兵過赴關中待命二首 其二
奇兵不在眾,萬馬救中原。
兵法は奇策を用うるのが貴いのであって、兵数がたくさんいるということが兵法ではない。この安西の兵は万馬を以て中原の地方を救おうとしているのだ。
談笑無河北,心肝奉至尊。
わらいばなしのうちにもはや河北の叛乱軍の情況を眼中に無しとするようなものである、その心はひとすじに我が天子へとささげているのだ。
孤雲隨殺氣,飛鳥避轅門。
天に一片の雲が浮かんでいて殺気はその雲に随うほどに高くのぼり、飛ぶ鳥も威風をはばかって軍門のあたりをよけてとおる。
竟日留歡樂,城池未覺喧。
軍隊では紀律も正しいから終日ここ華州にのこって歓楽しているようだけれども、ここの華州の城ではちっともやかましさをおぼえぬのである。

(安西の兵の過ぐるを観る 関中に赴きて命を待つなり二首 其の二)
奇兵【きへい】衆【しゅう】に在らず、万馬【ばんば】中原を救わんとす。
談笑 河北を無【な】みす、心肝【しんかん】至尊【しそん】に奉ず。
孤雲 殺気随い、飛鳥【ひちょう】轅門【えんもん】を避【さ】く。
竟日【きょうじつ】留まりて歓楽す、城池【じょうち】未【いま】だ喧【かまびす】しきを覚えず。


現代語訳と訳註
(本文)

觀安西兵過赴關中待命二首 其二
奇兵不在眾,萬馬救中原。
談笑無河北,心肝奉至尊。
孤雲隨殺氣,飛鳥避轅門。
竟日留歡樂,城池未覺喧。


(下し文)
(安西の兵の過ぐるを観る 関中に赴きて命を待つなり二首 其の二)
奇兵【きへい】衆【しゅう】に在らず、万馬【ばんば】中原を救わんとす。
談笑 河北を無【な】みす、心肝【しんかん】至尊【しそん】に奉ず。
孤雲 殺気随い、飛鳥【ひちょう】轅門【えんもん】を避【さ】く。
竟日【きょうじつ】留まりて歓楽す、城池【じょうち】未【いま】だ喧【かまびす】しきを覚えず。


(現代語訳)
兵法は奇策を用うるのが貴いのであって、兵数がたくさんいるということが兵法ではない。この安西の兵は万馬を以て中原の地方を救おうとしているのだ。
わらいばなしのうちにもはや河北の叛乱軍の情況を眼中に無しとするようなものである、その心はひとすじに我が天子へとささげているのだ。
天に一片の雲が浮かんでいて殺気はその雲に随うほどに高くのぼり、飛ぶ鳥も威風をはばかって軍門のあたりをよけてとおる。
軍隊では紀律も正しいから終日ここ華州にのこって歓楽しているようだけれども、ここの華州の城ではちっともやかましさをおぼえぬのである。


(訳注)
奇兵不在眾,萬馬救中原。

奇兵【きへい】衆【しゅう】に在らず、万馬【ばんば】中原を救わんとす。
兵法は奇策を用うるのが貴いのであって、兵数がたくさんいるということが兵法ではない。この安西の兵は万馬を以て中原の地方を救おうとしているのだ。
奇兵 晋の安帝の時、沈田子がいうのに「兵は奇を用いるを貴ぶ、必しも衆に在らず。」と。首句は其の意をとる。〇万馬 多くの兵馬。○中原 黄河南北の地方。


談笑無河北,心肝奉至尊。
談笑 河北を無【な】みす、心肝【しんかん】至尊【しそん】に奉ず。
わらいばなしのうちにもはや河北の叛乱軍の情況を眼中に無しとするようなものである、その心はひとすじに我が天子へとささげているのだ。
談笑 将士が談笑する。○無河北 無は無視すること。河北は河北道をさす、河北道は孟・懐・魂・博・相・衛・貝・壇等の二十九州を領しており、時に賊将安慶緒は相・衛に拠っていた。○心肝 こころ。○ ささげたてまつる。○至専 天子(粛宗)。


孤雲隨殺氣,飛鳥避轅門。
孤雲 殺気随い、飛鳥【ひちょう】轅門【えんもん】を避【さ】く。
天に一片の雲が浮かんでいて殺気はその雲に随うほどに高くのぼり、飛ぶ鳥も威風をはばかって軍門のあたりをよけてとおる。
随殺気 殺気が雲にしたがい下よりたかくのぼる。○避境門 嬢は兵事のかじ棒、車をつんでその棒をむかいあわせに門形をつくる、輯門は軍門、遅くとはその威風をさけであたりをとおらぬこと。


竟日留歡樂,城池未覺喧。
竟日【きょうじつ】留まりて歓楽す、城池【じょうち】未【いま】だ喧【かまびす】しきを覚えず。
軍隊では紀律も正しいから終日ここ華州にのこって歓楽しているようだけれども、ここの華州の城ではちっともやかましさをおぼえぬのである。
竟日 終日。○ 華州に逗留する。○城池 華州のしろ、ほり。



觀安西兵過赴關中待命二首 其二

奇兵不在,萬馬救中原。

談笑無河北,心肝奉至尊。

孤雲隨殺氣,飛鳥避轅門。

竟日留歡樂,城池未覺喧。


(安西の兵の過ぐるを観る 関中に赴きて命を待つなり二首 其の二)

奇兵【きへい】衆【しゅう】に在らず、万馬【ばんば】中原を救わんとす。

談笑 河北を無【な】みす、心肝【しんかん】至尊【しそん】に奉ず。

孤雲 殺気随い、飛鳥【ひちょう】轅門【えんもん】を避【さ】く。

竟日【きょうじつ】留まりて歓楽す、城池【じょうち】未【いま】だ喧【かまびす】しきを覚えず。

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觀安西兵過赴關中待命 二首 其一 杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 272

觀安西兵過赴關中待命二首 杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 272

安西都護府に属する兵が華州を過ぎるのを観て作った詩。その兵はこれから関中へ行って将来の行動について天子の仰せを待つものである。乾元元年六月、李嗣業は懐州(今の河南懐慶府河内県治)の刺史となり、鎮西北庭行営節度使に充てられ、八月、郭子儀等と同じく歩騎二十万に将として安慶緒を討った。これは李嗣業の兵が懐州から長安へ赴く道すがら華州を経たもので八月討伐にでかけぬ以前のことである。

觀安西兵過赴關中待命二首其一
天子の特命を受けるため華州を過ぎて長安に向かう安西都護府に向かう兵士の隊列を見る。
四鎮富精鋭,摧鋒皆絶倫。
西鎮には精鋭の兵がたくさんいる、かれらは敵軍の鉾先をうちくだくことはたぐいをこえている。
還聞獻士卒,足以靜風塵。
きけばその四鎮はこのたび天子に兵卒を献じて御用をつとめるそうだが、彼等ならば十分世のちりほこり、叛乱を引き起こした者たちをしずめることができる。
老馬夜知道,蒼鷹饑著人。
四鎮将士の其の智は老馬が闇夜にも道を知っているように、其の意気は鷹が餓えて人についているようなものだ。
臨危經久戰,用急始如神。
天下の危きにあたって、四鎮将士は経験豊かで長々の戦の知識をもっているのだ、之を叛乱のような火急の場合に用うるときには始めて彼等の奏する効は不可思議なるものがあるである。

(安西の兵の過ぐるを観る 関中に赴きて命を待つなり二首)
四鎮【しちん】精鋭【せいえい】富【と】めり、鋒【ほう】を摧【くだ】くこと皆【みな】絶倫【ぜつりん】なり。
還た聞く士卒【しそつ】を献ずと、以て風塵を静かならしむるに足る。
老馬【ろうば】夜道【よるみち】を知る、蒼鷹【そうよう】餓【う】えて人に著【つ】く。
危【き】に臨【のぞ】みて久戦【きゅうせん】を経たり、急なるに用【もち】うれば始めて神【しん】の如くならん。



現代語訳と訳註
(本文) 其一

四鎮富精鋭,摧鋒皆絶倫。
還聞獻士卒,足以靜風塵。
老馬夜知道,蒼鷹饑著人。
臨危經久戰,用急始如神。

 (下し文) (安西の兵の過ぐるを観る 関中に赴きて命を待つなり二首)
四鎮【しちん】精鋭【せいえい】富【と】めり、鋒【ほう】を摧【くだ】くこと皆【みな】絶倫【ぜつりん】なり。
還た聞く士卒【しそつ】を献ずと、以て風塵を静かならしむるに足る。
老馬【ろうば】夜道【よるみち】を知る、蒼鷹【そうよう】餓【う】えて人に著【つ】く。
危【き】に臨【のぞ】みて久戦【きゅうせん】を経たり、急なるに用【もち】うれば始めて神【しん】の如くならん。


(現代語訳)
天子の特命を受けるため華州を過ぎて長安に向かう安西都護府に向かう兵士の隊列を見る。
西鎮には精鋭の兵がたくさんいる、かれらは敵軍の鉾先をうちくだくことはたぐいをこえている。
きけばその四鎮はこのたび天子に兵卒を献じて御用をつとめるそうだが、彼等ならば十分世のちりほこり、叛乱を引き起こした者たちをしずめることができる。
四鎮将士の其の智は老馬が闇夜にも道を知っているように、其の意気は鷹が餓えて人についているようなものだ。
天下の危きにあたって、四鎮将士は経験豊かで長々の戦の知識をもっているのだ、之を叛乱のような火急の場合に用うるときには始めて彼等の奏する効は不可思議なるものがあるである。


(訳注)
觀安西兵過赴關中待命二首

天子の特命を受けるため華州を過ぎて長安に向かう安西都護府に向かう兵士の隊列を見る。
安西 安西都護府をいう、758年至徳元載に安西節度は鎮西とあらためられた。詩人は究明を使うのが常套。今の新疆ウィグル自治区南部におかれた唐朝西方およびチベットの守りのためにおかれた幕府
安西都護高仙芝。唐の貞観十七年に安西都護府を西州に置いたが、顕慶三年には治を亀立国城(今の新嬉省の庫車)に移し、手腕以西・波斯以東の十六都護府をこれに隷せしめた。
安史の乱以前には、周辺国と戦争状態にあり兵力は此の幕府にかなりの勢力がそそがれた。安史の乱の呼び水的な地点であり、安史の乱を抑えるために敵に援助を求め、長安、洛陽を奪還できたのもこのウイグルの民族であった。

747年天宝6載、高仙芝は配下の封常清・李嗣業・監軍の辺令誠ら歩騎一万を率いて討伐に出た。歩兵も全て馬を持ち、安西(クチャ)を出発し、カシュガルを通り、パミール高原に入り、五識匿国(シュグナン地方)に着いた。その後、軍を三分して、趙崇玼と賈崇カンに別働隊を率いさせ、本隊は護密国を通って、後に合流することにした。高仙芝たちはパミール高原を越え、合流に成功し、急流のパンジャ川の渡河にも成功する。この地で吐蕃軍が守る連雲堡(サルハッド?)を落とし、5千人を殺し、千人を捕らえた。ここで、進軍に同意しなかった辺令誠と3千人の兵を守備において、さらに行軍した。

峻険な20kmもほぼ垂直な状態が続くと伝えられるダルコット峠を下り、将軍・席元慶に千人をつけ、「大勃律へ行くために道を借りるだけだ」と呼ばわらせた。自身の小勃律の本拠地・阿弩越城への到着後、吐蕃派の大臣を斬り、小勃律王を捕らえ、パンジャ河にかかった吐蕃へ通じる藤橋を切った。その後、小勃律王とその后である吐蕃王の娘を連れ、帰還する。西域72国は唐に降伏し、その威が西アジアにまで及んだ。九載には仙芝は石国を討って其の王を仔にして献じている。
○過 華州をすぎる、東より来て酉に向かう。○関中 長安附近をいう、東は函谷関、西は陳酉関を以て界とし、その以内の地を関中という。○待命 天子のおおせをまつ、軍の行動についての指揮の命令をまつこと。


四鎮富精鋭,摧鋒皆絶倫。
西鎮には精鋭の兵がたくさんいる、かれらは敵軍の鉾先をうちくだくことはたぐいをこえている。
四鎮 亀茲・畋沙・疏勅・焉耆の四鎮、みな西安都護府の統べる所である。四は西を意味し鎮西をさす。○精鋭 くわしくするどい兵卒。○推鋒 敵軍のほこさきをうちくだく。


還聞獻士卒,足以靜風塵。
きけばその四鎮はこのたび天子に兵卒を献じて御用をつとめるそうだが、彼等ならば十分世のちりほこり、叛乱を引き起こした者たちをしずめることができる。
 天子にたてまつる。○静風塵 ほこりをしずめるとは叛乱軍の残兵をおいはらうことをいう。ウイグルの国軍の援助で唐王朝軍は復活できたが、安史軍の安禄山の援軍にもウイグルを始め西方の兵士が多くいたのである。

老馬夜知道,蒼鷹饑著人。
四鎮将士の其の智は老馬が闇夜にも道を知っているように、其の意気は鷹が餓えて人についているようなものだ。
老馬「韓非子」に斉の桓公が孤竹国を伐ち、還るとき道を失ったとき、管仲は「老馬の智は用う可きなり」といい老馬を放ってそのあとよりしたがったという。主将の戦になれたことはこの老馬の道を知るがごとくであることをいう。○蒼鷹 慕容垂の故事、垂は鷹のごとく餓えれば人に附き、飽けば高く飛びさるといわれた。士卒の勇悍にして鷹の餓えて人につき用を為すごとくであることをいう。


臨危經久戰,用急始如神。
天下の危きにあたって、四鎮将士は経験豊かで長々の戦の知識をもっているのだ、之を叛乱のような火急の場合に用うるときには始めて彼等の奏する効は不可思議なるものがあるである。
臨危 あやういときに際して。○用急 急の字は上句の危の字に接する、「急なるに用う」とは国家危急の時において其のカを用うればの義。(用兵の法が急速なればの義とする。)○如神 兵の効を奏する人力以上のもののあることをいう、如を一に知に作る。

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望岳  杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 271

望岳  杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 271

華州に赴任するとき、途にて華山をのぞんで作った詩である。華山は 五岳のうちの西岳にあたる、華州華陰県の南にある。
758年秋の作。
七言律詩 韻.尊、孫、盆、源。


望嶽
西嶽崚嶒竦處尊,諸峰羅立似兒孫。
五岳の西岳である華山はたかくけわしく、そしてそのそびえて居すわっているさまは尊くみえる。それにくらべると他のもろもろの峰々はつらなり立っているが華山という大親の児どもか孫たちかというようである。
安得仙人九節杖,拄到玉女洗頭盆?
崋山は仙人の山であり、わたしはどうかして仙人がもっているという九節の竹杖を得て、その杖にからだをささえられて頂上の玉女の洗頭盆のあたりまでゆきたいとおもっている。
車箱入谷無歸路,箭栝通天有一門。
この山はその重箱形をした谷へはいるともどりみちもなく、やはずのようなせまく細い天へのかよい路がただ一門あるばかりだ。
稍待秋風涼冷後,高尋白帝問真源。

だんだん秋風がすずしくつめたくなるのをまって、自分は白帝の鎮座しているこの山をたずねて仙道の本源を問いただしたいとおもう。

(岳を望む)
西岳崚嶒【りょうそう】として竦處【しょうしょ】すること尊し、諸峰羅立して児孫【じそん】に似たり。
安んぞ仙人の九節の杖を得て、拄【ささ】えられて到らん玉女の洗頭盆。
車箱【しゃそう】谷に入れば 帰路無く、箭桔【せんかつ】天に通ずる一門有り。
稍【ようや】く秋風の涼冷なる後を待ちて、高く白帝【はくてい】を尋ねて真源を問わん。

杜甫乱前後の図003鳳翔


現代語訳と訳註
(本文)
望嶽
西嶽崚嶒竦處尊,諸峰羅立似兒孫。
安得仙人九節杖,拄到玉女洗頭盆?
車箱入谷無歸路,箭栝通天有一門。
稍待秋風涼冷後,高尋白帝問真源。


(下し文) (岳を望む)
西岳崚嶒【りょうそう】として竦處【しょうしょ】すること尊し、諸峰羅立して児孫【じそん】に似たり。
安んぞ仙人の九節の杖を得て、拄【ささ】えられて到らん玉女の洗頭盆。
車箱【しゃそう】谷に入れば 帰路無く、箭桔【せんかつ】天に通ずる一門有り。
稍【ようや】く秋風の涼冷なる後を待ちて、高く白帝【はくてい】を尋ねて真源を問わん。


(現代語訳)
五岳の西岳である華山はたかくけわしく、そしてそのそびえて居すわっているさまは尊くみえる。それにくらべると他のもろもろの峰々はつらなり立っているが華山という大親の児どもか孫たちかというようである。
崋山は仙人の山であり、わたしはどうかして仙人がもっているという九節の竹杖を得て、その杖にからだをささえられて頂上の玉女の洗頭盆のあたりまでゆきたいとおもっている。
この山はその重箱形をした谷へはいるともどりみちもなく、やはずのようなせまく細い天へのかよい路がただ一門あるばかりだ。
だんだん秋風がすずしくつめたくなるのをまって、自分は白帝の鎮座しているこの山をたずねて仙道の本源を問いただしたいとおもう。

(訳注)
望嶽 華州に赴任するとき、途にて華山をのぞんで作った詩。崋山は五岳の西岳になる。又杜甫の739年28歳の作東岳を詠った『望嶽』がある。
岱宗夫如何,齊魯青未了。造化鍾神秀,陰陽割昏曉。
盪胸生曾雲,決眥入歸鳥。會當凌絶頂,一覽衆山小。
五岳(ごがく)は中国の道教の聖地である5つの山の総称。陰陽五行説に基づき、木行=東、火行=南、土行=中、金行=西、水行=北 の各方位に位置する、5つの山が聖山とされる。五名山とも呼ばれる。○崋山の蓮花山は最高峰とされている。五岳は以下の通り。
華山(西嶽;2,160m陝西省渭南市華陰市)
嵩山(中嶽;1,440m河南省鄭州市登封市)、
泰山(東嶽;1,545m山東省泰安市泰山区)、
衡山(南嶽;1,298m湖南省衡陽市衡山県)、
恒山(北嶽;2,016,m山西省大同市渾源県)
崋山は、中国大陸の西方をつかさどる山の神とされている。陝西省と山西省の境、黄河の曲り角にある。蓮花山の頂には池があり、千枚の花びらのある蓮の花を生じ、それをのむと羽がはえて自由に空をとぶ仙人になれるという。


西嶽崚嶒竦處尊,諸峰羅立似兒孫。
五岳の西岳である華山はたかくけわしく、そしてそのそびえて居すわっているさまは尊くみえる。それにくらべると他のもろもろの峰々はつらなり立っているが華山という大親の児どもか孫たちかというようである。
崚嶒 山の高くけわしくい、幾重にも重なるさま。文選、沈約『鍾山詩』「鬱溧として丹巘を構へ崚嶒として靑嶂を起す。」注に曰く、崚嶒は畳重ねの貌【かたちどる】。○竦處 竦は聳える。あがる。処は居ること。
羅立 つらなりたつ。連峰。


安得仙人九節杖,拄到玉女洗頭盆?
崋山は仙人の山であり、わたしはどうかして仙人がもっているという九節の竹杖を得て、その杖にからだをささえられて頂上の玉女の洗頭盆のあたりまでゆきたいとおもっている。
安得 希望をいう。○仙人九節杖 九節杖は九つのふしのある竹のつえ、仙人のつくもの。○玉女洗頭盆 山頂の玉女祠前に石臼があり、なかの水は澄碧にしてつねに増減がないことから、これを玉女の頭を洗う盆と呼んでいる。


車箱入谷無歸路,箭栝通天有一門。
この山はその重箱形をした谷へはいるともどりみちもなく、やはずのようなせまく細い天へのかよい路がただ一門あるばかりだ。
車箱 谷の形状をいう、箱は車体。車箱入谷とは車箱のような空が見えず、奥深くU字形の谷に入ること。○箭栝通天 栝は筈と通ずる、箭筈はやはず、矢の先をいう。華山に天井という処があり、そこより空をのぞめはわずかに明光をみるという。通天とはそこより仙境の高処に通うことをいう。〇一門 上述のせまい一道をたとえていう。 


稍待秋風涼冷後,高尋白帝問真源。
だんだん秋風がすずしくつめたくなるのをまって、自分は白帝の鎮座しているこの山をたずねて仙道の本源を問いただしたいとおもう。
白帝 西方の神で華山を支配する。五行思想で西、秋、は白、崋山は秋になると積雪があり冠雪となる。霜、雪の神でもある。 ○真源 仙道のまことの本源。


一年も続いた朝廷内での杜甫に対する無視という「いじめ」を体感した。杜甫自身が招いたことではあるが、辛く切ない一年を過ごしたのであるから、旅に出て気分を変えるつもりもあったのかといえば、気分転換どころかさらに、隠遁を口に出しはするが、杜甫の心は負のスパイラルに陥っていく。
華州は長安より東に90kmにある。北から南下してきた黄河が、長安方面から流れてきた渭水と北西からこの地点に流れ込んでくる洛河の合流点であること、合流した川は黄河の巨大な川となって東流して洛陽方面、中原へと流れ行くのである。長安、洛陽を安史軍から奪還したといっても、史忠明の軍は鄴城に迫り、そこから西に黄河に出て南下して、長安洛陽を再び陥れようとしている。華州、司功参軍ではそれを敏感に感じて緊張感が高まっていた。
 杜甫の仕事は、ここでの教育長というべき仕事であった。華州の推薦する進士を選ぶための試験問題をつくるというものである。758年秋のことであった。

題鄭牌亭子 杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 270

題鄭牌亭子 杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 270

(鄭県の亭子に題す)
華州の鄭県にある亭にかきつけた詩、実はそこにある竹に題した詩である。作者が華州へ赴任しょうとするときの作である。

題鄭縣亭子
鄭縣亭子澗之濱,戶牖憑高發興新。
鄭県の宿場の傍、谷間の水辺にある、その宿場の戸や窓から高処に寄って眺めると新しく興が沸き起こる。
雲斷岳蓮臨大路,天晴宮柳暗長春。
雲が途絶えて華岳の蓮峰が大道にさしかかっており、空は晴れ渡って河向かいの長春宮のあたりに柳が小暗く見えている。
巢邊野雀欺群燕,花底山蜂趁遠人。
やや近くでは燕の巣の傍へ野の雀が群がってやって来てそれをあなどっており、花樹のあいだを通って行く人を山蜂が同じようにどこまでもとくっついて行く。(遠景近景ともにおもしろい。あるいは、朝廷内のことを揶揄しているのか)
更欲題詩滿青竹,晚來幽獨恐傷神。

そこでわたしは宿場の傍の青竹の幹にもっと詩をかきつけていっぱいになるほどにしようかと思うのだが、いかにせん、夕方になって。竹藪の奥深い所、寂しく一人でいることで、いろんなおもい、心の傷が浮かんでくる。(だからこのまま竹林の奥にひっそりと棲みたいものだ。)

 (鄭県の亭子に題す)
鄭県【ていけん】の亭子【ていし】澗【かん】の浜【ひん】、戶牖【こゆう】 高きに憑【よ】れば発興【ほつきょう】新なり。
雲断えて岳蓮【がくれん】大路【たいろ】に臨み、天晴れて宮柳【きゅうりゅう】長春【ちょうしゅん】に暗し。
巣辺【そうへん】には野雀【やじゃく】羣【むら】がりて燕を欺【あなど】り、花底【かてい】には山蜂【さんぽう】遠く人を趁【お】う。
更に詩を題して青竹に満【み】てんと欲するも、晩来幽独【ゆうどく】にして恐らくは神を傷【いた】ましめん。

杜甫乱前後の図003鳳翔
 

現代語訳と訳註
(本文) 題鄭縣亭子

鄭縣亭子澗之濱,戶牖憑高發興新。
雲斷岳蓮臨大路,天晴宮柳暗長春。
巢邊野雀欺群燕,花底山蜂趁遠人。
更欲題詩滿青竹,晚來幽獨恐傷神。


(下し文) (鄭県の亭子に題す)
鄭県【ていけん】の亭子【ていし】澗【かん】の浜【ひん】、戶牖【こゆう】 高きに憑【よ】れば発興【ほつきょう】新なり。
雲断えて岳蓮【がくれん】大路【たいろ】に臨み、天晴れて宮柳【きゅうりゅう】長春【ちょうしゅん】に暗し。
巣辺【そうへん】には野雀【やじゃく】羣【むら】がりて燕を欺【あなど】り、花底【かてい】には山蜂【さんぽう】遠く人を趁【お】う。
更に詩を題して青竹に満【み】てんと欲するも、晩来幽独【ゆうどく】にして恐らくは神を傷【いた】ましめん。


(現代語訳)
鄭県の宿場の傍、谷間の水辺にある、その宿場の戸や窓から高処に寄って眺めると新しく興が沸き起こる。
雲が途絶えて華岳の蓮峰が大道にさしかかっており、空は晴れ渡って河向かいの長春宮のあたりに柳が小暗く見えている。
やや近くでは燕の巣の傍へ野の雀が群がってやって来てそれをあなどっており、花樹のあいだを通って行く人を山蜂が同じようにどこまでもとくっついて行く。(遠景近景ともにおもしろい。あるいは、朝廷内のことを揶揄しているのか)
そこでわたしは宿場の傍の青竹の幹にもっと詩をかきつけていっぱいになるほどにしようかと思うのだが、いかにせん、夕方になって。竹藪の奥深い所、寂しく一人でいることで、いろんなおもい、心の傷が浮かんでくる。(だからこのまま竹林の奥にひっそりと棲みたいものだ。)


(訳注)
題鄭縣亭子

鄭県の宿場か、駅である。あずまやの壁に題したもの。普段なら、詩が湧き上がってくる情景であるのに夕暮れと長安の都から遠ざかってゆく身を詠ったもの。758年晩夏、高式顔との出会い別れたがその直後の作であろう。左遷の赴任途中である。


鄭縣亭子澗之濱,戶牖憑高發興新。
(鄭県の亭子澗の浜、戶牖 高きに憑れば発興新なり。)
鄭県の宿場の傍、谷間の水辺にある、その宿場の戸や窓から高処に寄って眺めると新しく興が沸き起こる。
鄭県 華州の城郭にくっついて置かれた県の名。○亭子 ちん、四阿、小さな休み場所。あずまや。子は助詞。亭:宿場、宿駅、○ たにの水、鄭県にある西渓をいう。○ ほとり。○戸牖 牖はかべの窓、この二字は副詞にみるべきである。○憑高 たかいところによってながめる、戸牖からながめる。○発興 興味をおこす。


雲斷岳蓮臨大路,天晴宮柳暗長春。
(雲断えて岳蓮大路に臨み、天晴れて宮柳長春に暗し。)

雲が途絶えて華岳の蓮峰が大道にさしかかっており、空は晴れ渡って河向かいの長春宮のあたりに柳が小暗く見えている。
岳蓮 華山の姿をいう、華山は華州の東南にある。蓮は蓮花峰をいう、山頂に池があって千葉蓮花(かさなりのはちす)が派生する様子から名づけられたという。○大路 街道をさす。○宮柳 長春宮のやなぎ。官柳は官よりうえたやなぎをいう。○ 葉のしげって薄暗くかすんでいるさまをいう。○長春 宮の名、陝西省同州府朝邑県にあり、黄河をへだてて華州よりは東北にあたる、肉眼ではそのあたりまでは見えないであろうがさように感ぜられることをいう。


巢邊野雀欺群燕,花底山蜂趁遠人。
(巣辺には野雀羣がりて燕を欺り、花底には山蜂遠く人を趁う。)
やや近くでは燕の巣の傍へ野の雀が群がってやって来てそれをあなどっており、花樹のあいだを通って行く人を山蜂が同じようにどこまでもとくっついて行く。(遠景近景ともにおもしろい。あるいは、朝廷内のことを揶揄しているのか)
 つばめのすをいう。○ 俗用のときは欺侮の義、あなどること。○花底 百花の中央をつきぬけることをいう。○ あとからおいついてくること。


更欲題詩滿青竹,晚來幽獨恐傷神。
(晩来幽独にして恐らくは神を傷ましめん。)
そこでわたしは宿場の傍の青竹の幹にもっと詩をかきつけていっぱいになるほどにしようかと思うのだが、いかにせん、夕方になって。竹藪の奥深い所、寂しく一人でいることで、いろんなおもい、心の傷が浮かんでくる。(だからこのまま竹林の奥にひっそりと棲みたいものだ。)
滿青竹 青竹ははえている竹の幹をいう。満はいっぱいにかきつける。○幽独 しずかにただひとりいる。竹藪の奥深い所を示す。隠遁者のつかう言葉である。○傷神 こころをいたましめ、かなしましめる。

韻は、新、春、人、神。 

贈高式顔(昔別是何処) 杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 269

贈高式顔(昔別是何処) 杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 269
(高式顔に贈る)

758年乾元元年 杜甫47歳

華州と洛陽との間とおもわれる。時期的には華州に左遷される途中である。友人の高適の甥で詩人であった。安史軍に捕縛され軟禁状態の折に語り合った友人である。二人とも不安を持った旅の途中である。 しばしの安らぎの時を過ごしたことと思う。


贈高式顔
昔別是何処、相逢皆老夫。
君とむかしどこでお別れをしたのであったか、今お会いしてみるとお互いに老人になっている。
故人還寂寞、削跡共艱虞。
旧知の友である君も近頃は雲行が悪く寂しそうであり、貶官放逐の目におうて、かかる自分とともに難儀心配をしておられるようだ。
自失論文友、空知売酒壚。
君のおじさんの高適詹事とは詩文を交わし合う親友であったが、先日、彼と別れてからは、自分に心にのこっているのは嘗て彼と一緒に飲んだ酒屋の有様だけになっているのだ。(語り始めると悔しいことだらけなので)
平生飛動意、見爾不能無。

いま君をみるにあたっては、日頃から持っている英気盛んな意興がおこらないわけにはゆかなくなってきた。

(高式顔に贈る)
昔【むかし】 別れしは是【こ】れ何れの処なりしぞ、相【あ】い逢えば皆な老夫【ろうふ】なり。
故人は還(ま)た寂寞【せきばく】、跡を削られて 共に艱虞【かんぐ】。
論文【ろんぶん】の友を失いし自(よ)り、空しく知る 売酒【ばいしゅ】の壚【ろ】。
平生【へいぜい】 飛動【ひどう】の意【い】、爾【なんじ】を見ては無きこと能【あた】わず。



現代語訳と訳註
(本文)
贈高式顔
昔別是何処、相逢皆老夫。
故人還寂寞、削跡共艱虞。
自失論文友、空知売酒壚。
平生飛動意、見爾不能無。


(下し文) (高式顔に贈る)
昔【むかし】 別れしは是【こ】れ何れの処なりしぞ、相【あ】い逢えば皆な老夫【ろうふ】なり。
故人は還(ま)た寂寞【せきばく】、跡を削られて 共に艱虞【かんぐ】。
論文【ろんぶん】の友を失いし自(よ)り、空しく知る 売酒【ばいしゅ】の壚【ろ】。
平生【へいぜい】 飛動【ひどう】の意【い】、爾【なんじ】を見ては無きこと能【あた】わず。


(現代語訳)
君とむかしどこでお別れをしたのであったか、今お会いしてみるとお互いに老人になっている。
旧知の友である君も近頃は雲行が悪く寂しそうであり、貶官放逐の目におうて、かかる自分とともに難儀心配をしておられるようだ。
君のおじさんの高適詹事とは詩文を交わし合う親友であったが、先日、彼と別れてからは、自分に心にのこっているのは嘗て彼と一緒に飲んだ酒屋の有様だけになっているのだ。(語り始めると悔しいことだらけなので)
いま君をみるにあたっては、日頃から持っている英気盛んな意興がおこらないわけにはゆかなくなってきた。


(訳注)
昔別是何処、相逢皆老夫。
君とむかしどこでお別れをしたのであったか、今お会いしてみるとお互いに老人になっている。
老夫 老人。○故人 式顔をさす。


故人還寂寞、削跡共艱虞。
旧知の友である君も近頃は雲行が悪く寂しそうであり、貶官放逐の目におうて、かかる自分とともに難儀心配をしておられるようだ。
寂寞 さびしい、互いに左遷と、漂泊・轉蓬の旅であり、おちぶれてさびしいさまをいう。○削跡 朝廷の入門の名札をそこから削ってなくさせられる、放逐されることをいう。此の句によれば式顔もまた高適の左遷、杜甫の貶められたときに同じように貶められたものであろう。○難虞 なんぎ、しんばい。


自失論文友、空知売酒壚。
君のおじさんの高適詹事とは詩文を交わし合う親友であったが、先日、彼と別れてからは、自分に心にのこっているのは嘗て彼と一緒に飲んだ酒屋の有様だけになっているのだ。(語り始めると悔しいことだらけなので)
論文友 高適をいう、失友とは高適が左遷され、揚州から別にさせんされたをいう。

寄高三十五詹事  杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 268

売酒墟 晋の王戎が帯康・院籍等の死後にむかし彼等と酎飲した貴公の墟を過ぎて嵯歎したことが「世説」にみえる。墟はへっつい、そのうえに酒具をならべる処。作者は壮年時代に高速・李白等と宋・梁の地に遊び論文酎飲、狩猟馳駆をしたことが五古杜甫『遣懐』「昔我遊宋中、惟梁孝王都。名今陳留亜、劇則貝魏倶。邑中九万家、高棟照通衢。舟車半天下、主客多歓娯。白刃讎不義、黄金傾有無。殺人紅塵裏、報答在斯須。憶与高李輩、論交入酒壚。両公壮藻思、得我色敷腴。気酣登吹台、懐古視平蕪。芒碭雲一去、雁鶩空相呼。」
(昔  我  宋中(そうちゅう)に遊ぶ、惟(こ)れ梁(りょう)の孝王の都なり。名は今  陳留(ちんりゅう)に亜(つ)ぎ、劇(げき)は則ち貝魏(ばいぎ)に倶(ひと)し。邑中(ゆうちゅう)  九万家(か)、高棟(こうとう)は通衢(つうく)を照らす。主客は歓娯(かんご)多し、舟車(しゅうしゃ)は天下に半(なか)ばし。白刃(はくじん)  不義に讎(あだ)し、黄金(おうごん)  有無(うむ)を傾く。人を紅塵(こうじん)の裏(うち)に殺し、報答(ほうとう)  斯須(ししゅ)に在り。憶(おも)う  高李(こうり)が輩(はい)と、交(こう)を論じて酒壚(しゅろ)に入る。両公  藻思(そうし)壮(さか)んなり、我を得て  色(いろ)敷腴(ふゆ)たり。気酣(たけなわ)にして吹台(すいだい)に登り、古(いにしえ)を懐(おも)うて平蕪(へいぶ)を視(み)る。芒碭(ぼうとう)  雲は一去(いちきょ)し、雁鶩(がんぼく)  空(むな)しく相呼ぶ)にみえる。


平生飛動意、見爾不能無。
いま君をみるにあたっては、日頃から持っている英気盛んな意興がおこらないわけにはゆかなくなってきた。
飛動意 かつは活発にうごきたいとおもうこころ。往年の英気盛んかりしこころもちをさす。○ 式顔をさす。○ 上の「意」の字をうけ、不レ能レ無レ意とつづく。

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寄高三十五詹事  杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 268

寄高三十五詹事  杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 268


太子少居事の官である高適に寄せた詩である。高適は至徳二載に揚州大都督府長史・准南節度使となって、永王燐を淮なんで破った功績があるにもかかわらず、、宦官の李輔国がしばしば高適を天子にあしざまにいったために太子少詹事を授けられた。詹事は東宮の三寺・十率府の政令を掌る、少詹事は詹事の副官で正四品上である。758年乾元元年の作。


寄高三十五詹事
安穩高詹事,兵戈久索居。
高適詹事君!戦の騒ぎで久しく離れ離れになっていますが、君は元気で暮らしていることでしょう。
時來知宦達,歳晩莫情疏。
君は節度使から少庶事と官位を落されましたが、自分はもし時節がくれば君がきっと栄達することを知っています、歳の暮かかる頃なのに疎遠にはしててはいけない。
天上多鴻雁,池中足鯉魚。
空には鴻雁が多く飛び、池の中には鯉魚がたくさんいる。〔手紙を寄こす手立てはいくらもありそうなものだ。) 
相看過半百,不寄一行書?
かれこれしているうちに君は五十歳以上になった、それなのに一行ぐらいの手紙さえ寄こしてはくれない。(いったいどうしたのか。)

高三十五詹事【せんじ】に寄す
安穏【あんおん】なりや高詹事【せんじ】  兵戈【へいか】に久しく索居【さくきょ】す。
時来【とききた】らば宦の達せんことを知る、 歳晩【さいばん】情疎【じょうそ】なること莫れ。
天上に鴻雁【こうがん】多く、 池中に鯉魚【りぎょ】足れり。
相看て半百【はんばく】を過ぐるに、 一行【いつこう】の書を寄せず。


現代語訳と訳註
(本文)
寄高三十五詹事
安穩高詹事,兵戈久索居。
時來知宦達,歳晩莫情疏。
天上多鴻雁,池中足鯉魚。
相看過半百,不寄一行書?


(下し文)
高三十五詹事【せんじ】に寄す
安穏【あんおん】なりや高詹事【せんじ】  兵戈【へいか】に久しく索居【さくきょ】す。
時来【とききた】らば宦の達せんことを知る、 歳晩【さいばん】情疎【じょうそ】なること莫れ。
天上に鴻雁【こうがん】多く、 池中に鯉魚【りぎょ】足れり。
相看て半百【はんばく】を過ぐるに、 一行【いつこう】の書を寄せず。


(現代語訳)
高適詹事君!戦の騒ぎで久しく離れ離れになっていますが、君は元気で暮らしていることでしょう。
君は節度使から少庶事と官位を落されましたが、自分はもし時節がくれば君がきっと栄達することを知っています、歳の暮かかる頃なのに疎遠にはしててはいけない。
空には鴻雁が多く飛び、池の中には鯉魚がたくさんいる。〔手紙を寄こす手立てはいくらもありそうなものだ。) 
かれこれしているうちに君は五十歳以上になった、それなのに一行ぐらいの手紙さえ寄こしてはくれない。(いったいどうしたのか。)


(訳注)
寄高三十五詹事
安穩高詹事,兵戈久索居

安穏なりや高詹(せん)事 兵戈(か)に久しく索居す
高適詹事君!戦の騒ぎで久しく離れ離れになっていますが、君は元気で暮らしていることでしょう。
安穏【あんおん】 おだやかに無事のさま。 ○兵戈【へいか】 戦。 ○索居【さくきょ】 散居、朋友がちりぢりになっている。 「礼記」檀弓箭を参照。


時來知宦達,歲晩莫情疏
時来らば官の達せんことを知る 歳晩情疎なること莫れ
君は節度使から少庶事と官位を落されましたが、自分はもし時節がくれば君がきっと栄達することを知っています、歳の暮かかる頃なのに疎遠にはしててはいけない。
時来:とききたらば よい時節がきたならば。 ○: 作者が予め知る。 ○宦達: 官吏として立身する。仕官の道がよくとおる、将来についていう。 李密『陳情表』「本圖宦達、不矜名節。」(本と宦達を図り、名節を矜らず。)○歳晩:さいばん 一年及び人生の晩暮をかねていう、秋より以後は歳晩という。 ○情疎:じょうそ 心が疎くなる。


天上多鴻雁,池中足鯉魚
天上に鴻雁多く 池中に鯉魚足れり
空には鴻雁が多く飛び、池の中には鯉魚がたくさんいる。〔手紙を寄こす手立てはいくらもありそうなものだ。) 
鴻雁【こうがん】秋にやって來る鳥。大きいものを鴻といい、小さいものを雁という。生活にあえぎさすらう民をいう。『詩経小雅』○鯉魚:りぎょ  表面は実物、裏面はてがみのこと、漢の蘇武が雁の足につけたてがみを天子が射て得たというはなしがある。また古人は絹に書信をかきそれを鯉魚の形状に結んだという。


相看過半百,不寄一行書
相看て半百を過ぐるに 一行の書を寄せず
かれこれしているうちに君は五十歳以上になった、それなのに一行ぐらいの手紙さえ寄こしてはくれない。(いったいどうしたのか。)
相看:あいみて たがいにみるみるうちに。 ○半百:はんばく 五十歳、これは適の年齢(57歳)についていうのであろう、作者は今年四十七歳。 〇一行書【いっこうのしょ】 一行ばかりの短い手紙。


韻:居、魚、書


寄高三十五詹事
安穩高詹事,兵戈久索居。
時來知宦達,歳晩莫情疏。
天上多鴻雁,池中足鯉魚。
相看過半百,不寄一行書?

高三十五詹事(せんじ)に寄す
安穏なりや高詹事  兵曳に久しく索居す
時来らば官の達せんことを知る
 歳晩情疎なること莫れ
天上に鴻雁多く 池中に鯉魚足れり
相看て半百を過ぐるに 一行の書を寄せず

参考
高適 (こうせき) 702年頃~765年渤海(ぼっかい)(山東省)の人。字(あざな)は達夫(たっぷ)。辺境の風物を歌った詩にすぐれた作が多い。辺塞の離情を多くよむ。50歳で初めて詩に志し、たちまち大詩人の名声を得て、1篇を吟ずるごとに好事家の伝えるところとなった。吐蕃との戦いに従事したので辺塞詩も多い。詩風は「高古豪壮」とされる。李林甫に忌まれて蜀に左遷されて汴州を通ったときに李白・杜甫と会い、悲歌慷慨したことがある。しかし、その李林甫に捧げた詩も残されており、「好んで天下の治乱を談ずれども、事において切ならず」と評された。『高常侍集』8巻がある。760年成都浣花草堂ト居の際、援助する。厳武とともに再三援助する。


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至德二載,甫自京金光門出間道歸鳳翔。乾元初,從左拾遺移華州掾,與親故別,因出此門,有輩往事 杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 267

至德二載,甫自京金光門出間道歸鳳翔。乾元初,從左拾遺移華州掾,與親故別,因出此門,有輩往事 杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 267

「人生七十 古来 稀なり」 -古稀-という言葉は、杜甫のこの句にもとづくが、このとき彼は、永くもない人生、せめて好きな酒を飲み、暮れゆく春を楽しもうと、けだるい無力感にその身を任せている。

しかしながら、このような生活も、長くは続かなかった。それは、六月になって房琯が邠州の刺史として左遷され、それに関連して、房琯と近い関係にあった人たちに対しても同じような処置がとられた。京兆少尹(長安の副知事)であった厳武は巴州(四川省重慶の巴県)刺史に左遷され、杜甫が叛乱軍の中にあるときに何かと援助してくれた大雲経寺の賛公は秦州(甘粛省天水市)に追放された。そうして、杜甫も最前線、華州の司功参軍に左遷されたのである。

満一年の左拾遺であったが、羌村の家族のもとから長安に帰ってから、疎外されての数か月は、杜甫にとってつらいものであった。

しかし、いざ長安を去るとなると、その心境は複雑であった。その思いは「至德二載,甫自京金光門出間道歸鳳翔。乾元初,從左拾遺移華州掾,與親故別,因出此門,有悲往事。」(至徳二載 甫 京の金光門より野で 間道より鳳翔に帰す 乾元の初 左拾遺より華州の操に移され 親政と別る、因って此の門を出で 往事を悲しむ有り。)という長題の詩に詠われている。

華州は、長安の東約三〇〇キロの所にある町で、その司功参軍とは、州の祭祀、学校、官吏の選挙などの管理を担当する、今日の地方の「教育長」とでもいうべき職であった。彼はその職にあって、華州の長官に、依然、鄴城を占拠している安史軍をいかにして絶滅するかについての方策を奉ったり、また、華州の推薦する進士を選ぶための試験問題を作成して、戦時下における租税・交通・農田・水利など諸問題について出題したりして、それなりに職務に励んでいる。しかしながら、中央政府から左遷されたわびしきは、片時も消えることはなかったであろう。ここからカテゴリーが『華州の司功参軍左遷』に変わる。
杜甫『痩馬行』『收京三首其一其二其三』『喜聞官軍已臨賊寇 二十韻』(757年十月に洛陽を敗退した安慶緒は、この年になると相州(河南省安陽市)の鄴城(ぎょうじょう)に拠って兵六万を集め、周囲の七郡を支配する勢力に復活した。唐王朝は九月になると、朔方軍節度使郭子儀(かくしぎ)ら九節度使の軍を派遣して鄴城を包囲した。)李白『北上行』参照。 

 秋のはじめに杜甫は、杜観ひとりを洛陽にやったが、戦線が河北と河南の境にある相州に集中した冬になっても、杜観はもどってこなかった。杜甫の左遷先の華州は、洛陽と長安の中間であるが、敵は太行山脈を越え黄河を利用して攻め込むことが予想される地点である。敵が南下してくる長安洛陽のどちらも護、安史軍との前線基地にあたる。

 詩は、758年乾元元年六月の作。
756年、至徳二載に自分は長安の金光門からでて、ぬけみちをとおって粛宗皇帝のおわした鳳翔の方へとおもむいた。758年、乾元の初年に自分は左拾遺の官から華州のした役へと転任させられ、親戚故旧らと別れ、それにつれてまたこの同じ金光門を出たので、まえのことをおもいだしてかなしみ、この詩をつくった。


至德二載,甫自京金光門出間道歸鳳翔。乾元初,從左拾遺移華州掾,與親故別,因出此門,有悲往事。
徳二載に自分は長安の金光門からでて、ぬけみちをとおって粛宗皇帝のおわした鳳翔の方へとおもむいた。しかし、乾元の初年(6月)に自分は左拾遺の官から華州の下役へと転任させられ、親戚故旧らと別れ、それにつれてまたこの同じ金光門を出たので、まえのことをおもいだしてかなしみ、この詩をつくった。
此道昔歸順,西郊胡正繁。
この道で自分がむかし安史軍のなかから脱出して鳳翔の方へ帰順しにいったときとおった道だ。あのとき城西の野外では異民族の軍らがいっぱいいた。
至今猶破膽,應有未招魂。
あの時の肝の破れた様な驚きは今に至るもまだ続いている、まさに魂が飛び去ったままで、いまだに呼び帰されずにいるのである。
近侍歸京邑,移官豈至尊。
自分は鳳翔で左拾遺の官を賜り、お傍近くお供をしてこの長安へ戻ってきたほどだ。せっかく都へきて都から田舎へ官を移されるということはどうして我が君ご自身の御心から出たことであろうか。(そんなことをさせたものが別にいるのだ。)
無才日衰老,駐馬望千門。

自分は元来才のないものであるがそれが日々衰え老いゆくのである、これが別れと思うとにわかには立ち去りかね、馬の足をとどめてじっと長安城の諸門を眺めるのである。

(至徳二載 甫 京の金光門より野で 間道より鳳翔に帰す 乾元の初 左拾遺より華州の操に移され 親政と別る 因って此の門を出で 往事を悲しむ有り。)
此の道昔帰順【きじゅん】す、西郊【せいこう】胡 正に繁【しげ】し。
今に至って 猶 胆を破る、応に未招【みしょう】の魂 有るなるべし。
近侍して京邑【けいゆう】に帰る、移官 豈【あに】至尊ならんや。
才無くして日々に衰老【すいろう】す、馬を駐めて千門【せんもん】を望む。


現代語訳と訳註
(本文)

至德二載,甫自京金光門出間道歸鳳翔。乾元初,
從左拾遺移華州掾,與親故別,因出此門,有悲往事。
此道昔歸順,西郊胡正煩。
至今殘破膽,應有未招魂。
近侍歸京邑,移官豈至尊。
無才日衰老,駐馬望千門。

(下し文)
(至徳二載 甫 京の金光門より野で 間道より鳳翔に帰す 乾元の初 左拾遺より華州の操に移され 親政と別る、 因って此の門を出で 往事を悲しむ有り。)
此の道昔帰順【きじゅん】す、西郊【せいこう】胡 正に繁【しげ】し。
今に至って 猶 胆を破る、応に未招【みしょう】の魂 有るなるべし。
近侍して京邑【けいゆう】に帰る、移官 豈【あに】至尊ならんや。
才無くして日々に衰老【すいろう】す、馬を駐めて千門【せんもん】を望む。
 

(現代語訳)
至徳二載に自分は長安の金光門からでて、ぬけみちをとおって粛宗皇帝のおわした鳳翔の方へとおもむいた。しかし、乾元の初年(6月)に自分は左拾遺の官から華州の下役へと転任させられ、親戚故旧らと別れ、それにつれてまたこの同じ金光門を出たので、まえのことをおもいだしてかなしみ、この詩をつくった。

この道で自分がむかし安史軍のなかから脱出して鳳翔の方へ帰順しにいったときとおった道だ。あのとき城西の野外では異民族の軍らがいっぱいいた。
あの時の肝の破れた様な驚きは今に至るもまだ続いている、まさに魂が飛び去ったままで、いまだに呼び帰されずにいるのである。
自分は鳳翔で左拾遺の官を賜り、お傍近くお供をしてこの長安へ戻ってきたほどだ。せっかく都へきて都から田舎へ官を移されるということはどうして我が君ご自身の御心から出たことであろうか。(そんなことをさせたものが別にいるのだ。)
自分は元来才のないものであるがそれが日々衰え老いゆくのである、これが別れと思うとにわかには立ち去りかね、馬の足をとどめてじっと長安城の諸門を眺めるのである。


(訳注)
至德二載,甫自京金光門出間道歸鳳翔。乾元初,從左拾遺移華州掾,與親故別,因出此門,有悲往事。
(至徳二載 甫 京の金光門より野で 間道より鳳翔に帰す 乾元の初 左拾遺より華州の操に移され 親政と別る、 因って此の門を出で 往事を悲しむ有り。)

至徳二載に自分は長安の金光門からでて、ぬけみちをとおって粛宗皇帝のおわした鳳翔の方へとおもむいた。しかし、乾元の初年(6月)に自分は左拾遺の官から華州の下役へと転任させられ、親戚故旧らと別れ、それにつれてまたこの同じ金光門を出たので、まえのことをおもいだしてかなしみ、この詩をつくった。
至德二載 757年6月。○ 杜甫自身。○ 長安。○金光門 長安の外郭の城の西側に三門があり、北にあるものを聞達門、中にあるものを金光門、南にあるものを延平門という。金光門を西に出ると昆明池の方へゆく。○鳳翔。乾元初 758年6月。○華州掾 杜甫『白水崔少府十九翁高齋三十韻』「東郊何時開?帶甲且未釋。」(東郊何の時か開けん 帯甲且未だ釈けず)・東郊 長安の東方の野外、華州・潼関などは東郊である。○親故 親戚故旧。○此門 金光門○往事 前脱出したときのこと。○金光門 ○間道 ぬけみち。○ おもむく。○ 転任させられる。○華州接 接は官属、華州の司功参軍をいう、華州は長安の東百八十里にある。○親故 親戚故旧。○往事 すぎしむかしのこと。○此道 金光門よりでるみち。


此道昔歸順,西郊胡正煩。
此の道昔帰順す 西郊胡正に繁し
この道で自分がむかし安史軍のなかから脱出して鳳翔の方へ帰順しにいったときとおった道だ。あのとき城西の野外では異民族の軍らがいっぱいいた。
 至徳二載。○帰順 順に帰すとは官軍についたことをいう。○西郊 長安城西ののはら。○ 安史軍には異民族の兵士がたくさんいた。○ 煩わしいほどたくさんいる。


至今殘破膽,應有未招魂。
今に至って猶胆を破る 応に未招の魂有るなるべし
あの時の肝の破れた様な驚きは今に至るもまだ続いている、まさに魂が飛び去ったままで、いまだに呼び帰されずにいるのである。
至今 今とは乾元元年六月。○破胆 きもをやぶるとは驚くことの甚しいことをいう。○未招魂 魂は作者自己のたましい、生き霊をいう。招かざるの魂とは魂が飛びちって人のこれをいまだ呼びかえさぬものをいう。楚の宋玉はその師屈原の魂をよびかえすことをのべて「招魂」を作った。


近侍歸京邑,移官豈至尊。
近侍して京邑に帰る 移官豊に豈尊ならんや
自分は鳳翔で左拾遺の官を賜り、お傍近くお供をしてこの長安へ戻ってきたほどだ。せっかく都へきて都から田舎へ官を移されるということはどうして我が君ご自身の御心から出たことであろうか。(そんなことをさせたものが別にいるのだ。)
近侍帰京邑 ・近侍とは左拾遺の官を以て天子のそぼちかく侍ることをいう。・京邑とは長安の都をさす。・帰とは鳳翔よりもどって来ることをいう。○移官 長安から華州へ転任させる。○豈至尊 「豈出於至尊之意」(豈至尊之意において出る。)天子の御本意からでたものではないという意味。事実は作者は房琯を救おうとしたが房琯は758年乾元元年五月に官をおとされ、六月にいたって杜甫自身も左遷されるに至ったのであり、房琯及び杜甫を粛宗に謗ったものは賀蘭進明という者であるが、現代になって諸資料を分析して、房琯は将軍で無気力な大敗をきっしている。杜甫が擁護したからといって何も変わらない、マイナス要素のみの擁護であった。


無才日衰老,駐馬望千門。
才無くして日々に衰老す 馬を駐めて千門を望む
自分は元来才のないものであるがそれが日々衰え老いゆくのである、これが別れと思うとにわかには立ち去りかね、馬の足をとどめてじっと長安城の諸門を眺めるのである。
千門 宮殿の諸門をいう。




至德二載,甫自京金光門出間道歸鳳翔。乾元初,
從左拾遺移華州掾,與親故別,因出此門,有悲往事。
此道昔歸順,西郊胡正煩。
至今殘破膽,應有未招魂。
近侍歸京邑,移官豈至尊。
無才日衰老,駐馬望千門。

(至徳二載 甫 京の金光門より野で 間道より鳳翔に帰す 乾元の初 左拾遺より華州の操に移され 親政と別る、 因って此の門を出で 往事を悲しむ有り。)
此の道昔帰順【きじゅん】す、西郊【せいこう】胡 正に繁【しげ】し。
今に至って 猶 胆を破る、応に未招【みしょう】の魂 有るなるべし。
近侍して京邑【けいゆう】に帰る、移官 豈【あに】至尊ならんや。
才無くして日々に衰老【すいろう】す、馬を駐めて千門【せんもん】を望む。
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端午日賜衣  杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 265

端午日賜衣  杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 265

左拾遺であったとき、宮中より衣をたまわったことをのべている。杜甫が子供のように喜んでいる。杜甫人生、全詩の中から唯一無二の作品である。
この一年間、杜甫は、左拾位としての仕事はさせてもらえなかった。朝廷内において、だれからも相手にされない、公的な詩も残していない。この間の詩はこのブログではカテゴリー『左拾位での詩(11)』ということで検索できる。どこか疎外感、寂しさを感じさせる索引である。その中にあって、この作品は「端午日賜衣」異彩を放っている。この後、左遷されるのであり、そのことを全く感じさせない作品であり、哀れと刹那を感じずにはいられない作品である。

五言律詩『端午日賜衣』
758乾元元年の五月五日 杜甫47歳


端午日賜衣
宮衣亦有名,端午被恩榮。
こんど賜わった宮中でつくられた衣については、自分ほどのものの姓名まで御下賜者のなかにあって、端午のお祝い日にありがたき栄誉を被った。
細葛含風軟,香羅疊雪輕。
その着物は、細い葛の糸を用いたのは風を含んでしなやかであり、香を燻らした薄絹のものは雪色を畳んでふわりとしている。
自天題處濕,當暑著來清。
御筆で題されたところは墨のあともまだ乾かず、暑さにあたって之を身に着ければいと清々しい。
意內稱長短,終身荷聖情。

腹の中で積もってみるにこの着物は真に自分のからだの寸法によく合っている。これを下さった我が君のお情けのかたじけなさは自分が一生涯のいただきものである。

(端午の日衣を賜う)
宮衣亦名有り 端午恩栄を被る
細葛風を含んで軟やかに 香羅雪を畳んで軽(かるし)
天よりして題する処 湿い 署に当って 著け 来れば 清(きよし)。
意内 長短に 称う、 終身 聖情を 荷なう


現代語訳と訳註
(本文)
端午日賜衣
宮衣亦有名,端午被恩榮。
細葛含風軟,香羅疊雪輕。
自天題處濕,當暑著來清。
意內稱長短,終身荷聖情。


(下し文)
(端午の日衣を賜う)

宮衣【きゅうい】亦 名【な】有り、 端午【たんご】恩栄【おんえい】を被【こうむ】る。
細葛【さいかつ】風を含んで軟【やわら】かに、 香羅【こうら】雪を畳【たた】んで軽【かろ】し。
天よりして題する処 湿【うるお】い、 署【しょ】に当って 著【け】け 来れば 清【きよ】し。
意内【いない】 長短【ちょうたん】に 称【かの】う、 終身【しゅうしん】 聖情【せいじょう】を 荷【にの】う


(現代語訳)
こんど賜わった宮中でつくられた衣については、自分ほどのものの姓名まで御下賜者のなかにあって、端午のお祝い日にありがたき栄誉を被った。
その着物は、細い葛の糸を用いたのは風を含んでしなやかであり、香を燻らした薄絹のものは雪色を畳んでふわりとしている。
御筆で題されたところは墨のあともまだ乾かず、暑さにあたって之を身に着ければいと清々しい。
腹の中で積もってみるにこの着物は真に自分のからだの寸法によく合っている。これを下さった我が君のお情けのかたじけなさは自分が一生涯のいただきものである。

miyajima 693

(訳注) 
端午日賜衣

端午の日衣を賜る
端午(たんご) 五節句の一。端午の節句、菖蒲の節句ともとも呼ばれる。五行思想では、土にあたる。色は黄、方向は中、季節は土用を示す。


宮衣亦有名,端午被恩榮
宮衣【きゅうい】亦 名【な】有り、 端午【たんご】恩栄【おんえい】を被【こうむ】る。
こんど賜わった宮中でつくられた衣については、自分ほどのものの姓名まで御下賜者のなかにあって、端午のお祝い日にありがたき栄誉を被った。
宮衣 宮女のつくった衣、即ち下の葛、羅を以て製したもの。 ○亦有名 「我亦た名有り」の義、宮中に名札版があり、賜衣者の列内に自分の姓名を確認できたのだ。最高に喜んでいる雰囲気を感じ取れる。○端午 夏暦では正月を寅とし、五月は午にあたる。五月が午であるために五の日をまた午とする、端は初の義、端午とは五月の初旬の午の日の義であるという。五行思想では土用である。○恩栄 天子の御恩による栄誉。


細葛含風軟,香羅疊雪輕
細葛【さいかつ】風を含んで軟【やわら】かに、 香羅【こうら】雪を畳【たた】んで軽【かろ】し。
その着物は、細い葛の糸を用いたのは風を含んでしなやかであり、香を燻らした薄絹のものは雪色を畳んでふわりとしている。
細葛 ほそいくずのいとでつくった衣をいう。 ○含風気孔が多くて風をいれやすいこと。 ○ しなやかなこと。 ○香羅 かんばしいうすぎぬの衣、香とは香をたきこめたのであろう。○畳雪 雪とは純白色をたとえていう、白衣を畳んであるのをみて雪をたたむと表現したもの。○ ふわりとしている。


自天題處濕,當暑著來清。
天よりして題する処 湿【うるお】い、 署【しょ】に当って 著【け】け 来れば 清【きよ】し。
御筆で題されたところは墨のあともまだ乾かず、暑さにあたって之を身に着ければいと清々しい。
自天 「題署自天子」( 天子 自ら題署す)を省略して、題の字を下におく。役職名と名前を書いてある、天子みずから名を題したまえることをいう。○題処 かき記されたもの、此の句は首句の「有名」を承けるもの。○湿 墨の痕がうるおう、かきたてであることをいう。○当暑 あつさのおりに。 ○ さっぱりしてすがすがしいこと。


意內稱長短,終身荷聖情
意内【いない】 長短【ちょうたん】に 称【かの】う、終身【しゅうしん】 聖情【せいじょう】を 荷【にの】う。
腹の中で積もってみるにこの着物は真に自分のからだの寸法によく合っている。これを下さった我が君のお情けのかたじけなさは自分が一生涯のいただきものである。
意内 自己のこころのなかではかってみる。一説に天子の意内とするが、恐らくは天子は一々臣下の身の寸法をはからせることはあるまい。 ○ つりあいのよろしいこと、去声によむ。○長短 きもののせたけ、そでたけ等の長いこと、短いこと。○ いただいている。○聖情 聖君のお情け心。


○韻 名,榮、軽、清、情。

端午日賜衣
宮衣亦有名,端午被恩榮。
細葛含風軟,香羅疊雪輕。
自天題處濕,當暑著來清。
意內稱長短,終身荷聖情。

(端午の日衣を賜う)
宮衣亦名有り 端午恩栄を被る
細葛風を含んで軟やかに 香羅雪を畳んで軽(かるし)
天よりして題する処 湿い 署に当って 著け 来れば 清(きよし)。
意内 長短に 称う、 終身 聖情を 荷なう

畫鶻行 #2 杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 265

畫鶻行 #2 杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 265
(五言古詩 画鶻行がこつこう)便宜的に2分割して掲載。
鶻鶴の画をみて感じた所をのべた詩である。758年乾元元年、なお朝廷にあって疎外感を持っていた時の作。
乾元元年 758年 47歳

畫鶻行 #1
高堂見生鶻,颯爽動秋骨。初驚無拘攣,何得立突兀!
乃知畫師妙,巧刮造化窟。寫此神俊姿,充君眼中物。』
#2
烏鵲滿樛枝,軒然恐其出。
庭前の垂れさがった木の枝には烏だの鵲だのがたくさんいるが、彼等はこの鶻がたかくあがって外部へ飛出して來るのではないかと気が気ではない。
側腦看青霄,寧為眾禽沒。
この鶻は首をかしげて青空をながめている、どうして多くの凡鳥のように草樹の間に埋没していくようなことをしようとするはずもない。
長翮如刀劍,人寰可超越。
その長いたちばねは刀剣の如くするどい、そして、それは人間世界ぐらいはたかくとびこえることができる。
乾坤空崢嶸,粉墨且蕭瑟。』
ここの天地は描かれたものであり、画鶻は真鶻ではない、天地の闊大もこの鶻にとってはいたずらに崢嶸たるものであり、冷静に見れば粉墨の色ばかりむなしく映されているのである。』
緬思雲沙際,自有煙霧質。
はるかに思うことは、実際に沙漠の雲沙の地に於て、煙霧の毛質をそなえた真の鶻がひとりでに居るはずであるから、鶻とはそういうものがのぞましいのである。
吾今意何傷,顧步獨紆鬱。』
自分は今、心のなかで何事をいたんでいるのか。(真鶻のごとくかり得ざるをいたむのである。)左右をふりかえりつつあゆみ、自分ひとりでふさいでいるのはどうしたことか。

 (画鶻行がこつこう)
高堂生鶻を見る、颯爽として秋骨動く。
初【はじめ】は驚く拘攣【こうれん】無きに、何ぞ立つこと突兀【とつこつ】たるを得るやと。
乃ち知る画師の妙、巧に造化の窟を刮【けず】り。
此の神俊【しんしゅん】の姿を写して、君が眼中の物に充つるを。』
#2
烏鵲【うじゃく】樛枝【きゅうし】に満つ、軒然【けんぜん】として其の出でんことを恐る。
脳を側【かたむ】けて青霄【せいしょう】を看る、寧ぞ眾禽【しゅうきん】の没を為さんや。
長翮【ちょうかく】刀剣【とうけん】の如し、人寰【じんかん】超越【ちょうえつ】す可し。
乾坤【けんこん】空しく崢嶸【そうこう】たり、粉墨【ふんぼく】 且 蕭瑟【しょうしつ】たり』
緬【はる】かに思う雲沙【うんさ】の際、自ら煙霧の質有るを。
吾今意何をか傷む、顧歩【こほ】して独り紆鬱【ううつ】たり。』


現代語訳と訳註
(本文)
#2
烏鵲滿樛枝,軒然恐其出。側腦看青霄,寧為眾禽沒。
長翮如刀劍,人寰可超越。乾坤空崢嶸,粉墨且蕭瑟。』
緬思雲沙際,自有煙霧質。吾今意何傷,顧步獨紆鬱。』

(下し文) (画鶻行がこつこう)
#2
烏鵲【うじゃく】樛枝【きゅうし】に満つ、軒然【けんぜん】として其の出でんことを恐る。
脳を側【かたむ】けて青霄【せいしょう】を看る、寧ぞ眾禽【しゅうきん】の没を為さんや。
長翮【ちょうかく】刀剣【とうけん】の如し、人寰【じんかん】超越【ちょうえつ】す可し。
乾坤【けんこん】空しく崢嶸【そうこう】たり、粉墨【ふんぼく】 且 蕭瑟【しょうしつ】たり』
緬【はる】かに思う雲沙【うんさ】の際、自ら煙霧の質有るを。
吾今意何をか傷む、顧歩【こほ】して独り紆鬱【ううつ】たり。』

(現代語訳)
庭前の垂れさがった木の枝には烏だの鵲だのがたくさんいるが、彼等はこの鶻がたかくあがって外部へ飛出して來るのではないかと気が気ではない。
この鶻は首をかしげて青空をながめている、どうして多くの凡鳥のように草樹の間に埋没していくようなことをしようとするはずもない。
その長いたちばねは刀剣の如くするどい、そして、それは人間世界ぐらいはたかくとびこえることができる。
ここの天地は描かれたものであり、画鶻は真鶻ではない、天地の闊大もこの鶻にとってはいたずらに崢嶸たるものであり、冷静に見れば粉墨の色ばかりむなしく映されているのである。』
はるかに思うことは、実際に沙漠の雲沙の地に於て、煙霧の毛質をそなえた真の鶻がひとりでに居るはずであるから、鶻とはそういうものがのぞましいのである。
自分は今、心のなかで何事をいたんでいるのか。(真鶻のごとくかり得ざるをいたむのである。)左右をふりかえりつつあゆみ、自分ひとりでふさいでいるのはどうしたことか。

(訳注)
烏鵲滿樛枝,軒然恐其出
烏鵲樛枝に満つ 軒然として其の出でんことを恐る
庭前の垂れさがった木の枝には烏だの鵲だのがたくさんいるが、彼等はこの鶻がたかくあがって外部へ飛出して來るのではないかと気が気ではない。
樛枝 下方へまがりたれている枝。○軒然 あがるさま。○其出 共は画鶻をさす、出とはそとへとびだすこと。


側腦看青霄,寧為眾禽沒
脳を側けて 青霄を看る 寧ぞ眾禽の没を為さんや
この鶻は首をかしげて青空をながめている、どうして多くの凡鳥のように草樹の間に埋没していくようなことをしようとするはずもない
側脳 あたまをかたむける。○青霄 あおぞら。○寧為 なんぞなさんや、反語。○衆禽没 もろもろの鳥のごとく草樹の間に埋没すること。小虫を取ったり、果実をついばむような姑息なことをすること。


長翮如刀劍,人寰可超越
長翮 刀剣の如し 人寰 超越す可し
その長いたちばねは刀剣の如くするどい、そして、それは人間世界ぐらいはたかくとびこえることができる。
長翮 たちばね。〇人寰 人間世界。


乾坤空崢嶸,粉墨且蕭瑟。』
乾坤空しく崢嶸たり 粉墨 且 蕭瑟たり
ここの天地は描かれたものであり、画鶻は真鶻ではない、天地の闊大もこの鶻にとってはいたずらに崢嶸たるものであり、冷静に見れば粉墨の色ばかりむなしく映されているのである。』
乾坤 天地。○空崢嶸 崢嶸はたかくひろいさま。もし闊大な天地の間に飛ぶことができるならば感嘆たることに意義があるが、画なので実際には飛ぶことができない、したがって「空しく」という。○粉墨 画の色彩をいう、粉は画色粉。○且蕭瑟 蕭瑟はさびしいさま、且はまあまあの意。


緬思雲沙際,自有煙霧質
緬かに思う雲沙の際 自ら煙霧の質有るを

はるかに思うことは、実際に沙漠の雲沙の地に於て、煙霧の毛質をそなえた真の鶻がひとりでに居るはずであるから、鶻とはそういうものがのぞましいのである。
○雲沙際 雲抄は沙漠地方の雲や抄をいう。○煙霧質 飽照の「舞鶴賦」に鶻の毛色の煙霧と同じであることをのべて、「煙交り霧凝り、毛質ナキガ若シ。」という、いま鶻に借用する。煙霧質とは煙霧のごとき毛質、真の鶻の毛をさす。


吾今意何傷,顧步獨紆鬱
吾今意何をか傷む 顧歩して独り紆鬱たり
自分は今、心のなかで何事をいたんでいるのか。(真鶻のごとくかり得ざるをいたむのである。)左右をふりかえりつつあゆみ、自分ひとりでふさいでいるのはどうしたことか。
何傷 何をかいたむ。○顧歩 左右をふりかえりみてあゆむ。○紆鬱 こころに憂鬱感がありこれが晴れないことをいう。鶻のごとく雄飛することができぬことをかなしむこと。雄飛できるものの存在と朝廷の閉塞感、疎外感をいうことによって自らを慰めるものである。杜甫の作品で描かれたものを批評するものが多いが、馬、雁、鶻、など心情は同じところに立つものが多い。

畫鷹  杜甫 10 (青年期・就活の詩)

奉先劉少府新畫山水障歌 杜甫  kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 136



高堂生鶻を見る 颯爽として秋骨動く
初は驚く拘攣無きに 何ぞ立つこと突兀たるを得るやと
乃ち知る画師の妙 巧に造化の窟を刮り
此の神俊の姿を写して 君が眼中の物に充つるを』
烏鵲樛枝に満つ 軒然として其の出でんことを恐る
脳を側けて青霄を看る 寧ぞ眾禽の没を為さんや
長翮 刀剣の如し 人寰 超越す可し
乾坤空しく崢嶸たり 粉墨 且 蕭瑟たり』
緬かに思う雲沙の際 自ら煙霧の質有るを
吾今意何をか傷む 顧歩して独り紆鬱たり』

畫鶻行 #1 杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 264

畫鶻行 #1 杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 264
(五言古詩 画鶻行がこつこう)便宜的に2分割して掲載。
鶻鶴の画をみて感じた所をのべた詩である。758年乾元元年、なお朝廷にあって疎外感を持っていた時の作。

乾元元年 758年 47歳

畫鶻行 #1
高堂見生鶻,颯爽動秋骨。
この高い座敷で生きた鶻がいるのを見ている、その鶻は意気颯爽として骨ぶしが動いている。
初驚無拘攣,何得立突兀!
わたしはこれを初めてみたとき、ひもでつないでもないのに飛び去りもせず、なんで高く見おろしたっているのであるかと驚くのである
乃知畫師妙,巧刮造化窟。

よくみるとやっと次のことがわかった、画かきがうまくて、巧に天然の奥底をけずりっているのだ。
寫此神俊姿,充君眼中物。』
このすぐれた姿をうつしだして君(主人)がながめる品物として充分すぐれたものであるということだ。』
#2
烏鵲滿樛枝,軒然恐其出。側腦看青霄,寧為眾禽沒。
長翮如刀劍,人寰可超越。乾坤空崢嶸,粉墨且蕭瑟。』
緬思雲沙際,自有煙霧質。吾今意何傷,顧步獨紆鬱。』


 (画鶻行がこつこう)
高堂生鶻を見る、颯爽として秋骨動く。
初【はじめ】は驚く拘攣【こうれん】無きに、何ぞ立つこと突兀【とつこつ】たるを得るやと。
乃ち知る画師の妙、巧に造化の窟を刮【けず】り。
此の神俊【しんしゅん】の姿を写して、君が眼中の物に充つるを。』

烏鵲【うじゃく】樛枝【きゅうし】に満つ、軒然【けんぜん】として其の出でんことを恐る。
脳を側【かたむ】けて青霄【せいしょう】を看る、寧ぞ眾禽【しゅうきん】の没を為さんや。
長翮【ちょうかく】刀剣【とうけん】の如し、人寰【じんかん】超越【ちょうえつ】す可し。
乾坤【けんこん】空しく崢嶸【そうこう】たり、粉墨【ふんぼく】 且 蕭瑟【しょうしつ】たり』
緬【はる】かに思う雲沙【うんさ】の際、自ら煙霧の質有るを。
吾今意何をか傷む、顧歩【こほ】して独り紆鬱【ううつ】たり。』
 
畫 鶻 行
現代語訳と訳註
(本文)
畫鶻行 #1
高堂見生鶻,颯爽動秋骨。
初驚無拘攣,何得立突兀!
乃知畫師妙,巧刮造化窟。
寫此神俊姿,充君眼中物。』

(下し文)
(画鶻行がこつこう)
高堂生鶻を見る、颯爽として秋骨動く。
初【はじめ】は驚く拘攣【こうれん】無きに、何ぞ立つこと突兀【とつこつ】たるを得るやと。
乃ち知る画師の妙、巧に造化の窟を刮【けず】り。
此の神俊【しんしゅん】の姿を写して、君が眼中の物に充つるを。』


(現代語訳)
この高い座敷で生きた鶻がいるのを見ている、その鶻は意気颯爽として骨ぶしが動いている。
わたしはこれを初めてみたとき、ひもでつないでもないのに飛び去りもせず、なんで高く見おろしたっているのであるかと驚くのである
よくみるとやっと次のことがわかった、画かきがうまくて、巧に天然の奥底をけずりっているのだ。
このすぐれた姿をうつしだして君(主人)がながめる品物として充分すぐれたものであるということだ。』


(訳注)
高堂見生鶻,颯爽動秋骨

高堂生鶻を見る 颯爽として秋骨動く
この高い座敷で生きた鶻がいるのを見ている、その鶻は意気颯爽として骨ぶしが動いている。
高堂 たかいざしき。この画を見たばしょ。○生鶻 生はいきていること、画とは見えないほどのもの。○颯爽 威風あたりをはらうさま。○動秋骨 秋節における鶻の骨のふしぶしが動いているようだ。


初驚無拘攣,何得立突兀!
初は驚く拘攣無きに 何ぞ立つこと突兀たるを得るやと
わたしはこれを初めてみたとき、ひもでつないでもないのに飛び去りもせず、なんで高く見おろしたっているのであるかと驚くのである
初鴬 この画をみた最初、鷺は作者がおどろくこと。○拘攣 拘束に同じ、攣はつなぐ、抄もでくくりおくことをいう。○立突兀 突冗立に同じ、突先はそびえたつさま。


乃知畫師妙,巧刮造化窟
乃ち知る画師の妙 巧に造化の窟を刮り
よくみるとやっと次のことがわかった、画かきがうまくて、巧に天然の奥底をけずりっているのだ。
乃知 よくみてそこで知る。○ けずりとる。○造化窟 造化は天然、窟はいわあな、おくそこをいう。


寫此神俊姿,充君眼中物。』
此の神俊の姿を写して 君が眼中の物に充つるを
このすぐれた姿をうつしだして君(主人)がながめる品物として充分すぐれたものであるということだ。』
神俊姿 すぐれたすがた。○ 主人をさす。○ もてあそびもの。

義鶻行 #4 杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 263

義鶻行 #4 杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 263
(義鶻行ぎこつこう)

義理ある鶻のことをよんだうたである。
鶻は「あおだか」の類、「ぬくめどり」という猛鳥である。

   コツ、ハイタカ(haitaka),はやぶさ、ワシタカ科の

季節 

鶻

杜陵の住居に近い潏水のほとりにおいて樵夫よりきいた話で、鶻が蒼鷹のために白蛇を殺し、子鷹を食った仇を討ったことを述べている。
乾元元年 758年 47歳長安での作。
 

義鶻行【ぎこつこう】
陰崖有蒼鷹,養子黑柏顛。白蛇登其巢,吞噬恣朝餐。』
雄飛遠求食,雌者鳴辛酸。力強不可製,黃口無半存。
其父從西歸,翻身入長煙。斯須領健鶻,痛憤寄所宣。』
#2
鬥上捩孤影,咆哮來九天。修鱗脫遠枝,巨顙坼老拳。
高空得蹭蹬,短草辭蜿蜒。折尾能一掉,飽腸皆已穿。』
#3
生雖滅眾雛,死亦垂千年。物情可報複,快意貴目前。
茲實鷙鳥最,急難心炯然。功成失所往,用舍何其賢!』
#4
近經潏水湄,此事樵夫傳。
ちかごろわたし(杜甫)は潏水のほとりをとおったとき、このはなしを樵夫がかたりつたえてくれた。
飄蕭覺素發,凜欲沖儒冠。
その内容は、ぞっとするほどで白髪を風にそよがせるのがわかるのだ、聞くほどに髪がたちあがって冠をつきさすがごとくにおもわれた。
人生許與分,只在顧盼間。
人生をいきぬくには他人に対し意気相許すという情分のおこることはある、ただ、それはちょっとした瞬間にあるというものである。
聊為義鶻行,永激壯士肝。』

そういうこともあって、世上の人に「義鶻行」という詩にしたのだ。天下の壮士の忠義の肝腸を激励なればとおもっている。
 
義鶻行 #1
陰崖の二蒼鷹【そうよう】、 子を養う黒柏【こくはく】の顛【いただき】。
白蛇【はくだ】其の巣に登り、 吞噬【とんぜい】朝餐【ちょうさん】を恣【ほしいまま】にす。』
雄飛びて遠く食を求む、 雌者【ししゃ】鳴いて辛酸【しんさん】なり。
力強くして制す可らず、 黄口【こうこう】半存する無し。
其の父西従【よ】り帰る、 身を翻えして長煙に入る。
斯須【ししゅ】健鶻【けんこつ】を領す、 痛憤【つうふん】宣【の】ぶる所に寄す。』
#2
斗【たちま】ち上りて孤影【こえい】を捩【れっ】し、 咆哮【ほうこう】して九天より来る。
修鱗【しゅうりん】遠枝【えんし】より脱す、 巨顙【きょそう】老拳【ろうけん】に坼く。
高空に蹭蹬【そうとう】たるを得、 短草に蜿蜒【えんえん】たるを辞す。
折尾能く一たび掉【ふる】う、 飽腸【ほうちょう】皆己に穿【うが】たる。』
#3 
生衆【せいしゅう】雛【すう】を滅【ほろぼ】すと雖も、 死も亦千年に垂る。
物情報復有り、 快意目前なるを貴ぶ。
茲實【これじつ】に鷙鳥【しちょう】の最なり、 急難に心桐然【けいぜん】たり。
功成りて往く所を失う、 用舎何ぞ其れ賢なる。』
#4
近【ちかご】ろ潏水【いつすい】の湄【ほとり】を経【ふ】、 此の事樵夫【しょうふ】伝【つと】う。
飄蕭【ひょうしょう】素髪の 凛として、儒冠【じゅかん】を衝かんと欲するを覚ゆ。
人生許与【きょよ】の分、 只だ顧盼【こはん】の間に在り。
聊【いささか】か義鶴行を為【つく】り、 用て壮士の肝を激せしむ。』


現代語訳と訳註
(本文)

近經潏水湄,此事樵夫傳。
飄蕭覺素發,凜欲沖儒冠。
人生許與分,只在顧盼間。
聊為義鶻行,永激壯士肝。』


(下し文)
#4
近【ちかご】ろ潏水【いつすい】の湄【ほとり】を経【ふ】、 此の事樵夫【しょうふ】伝【つと】う。
飄蕭【ひょうしょう】素髪の 凛として、儒冠【じゅかん】を衝かんと欲するを覚ゆ。
人生許与【きょよ】の分、 只だ顧盼【こはん】の間に在り。
聊【いささか】か義鶴行を為【つく】り、 用て壮士の肝を激せしむ。』


(現代語訳)
ちかごろわたし(杜甫)は潏水のほとりをとおったとき、このはなしを樵夫がかたりつたえてくれた。
その内容は、ぞっとするほどで白髪を風にそよがせるのがわかるのだ、聞くほどに髪がたちあがって冠をつきさすがごとくにおもわれた。
人生をいきぬくには他人に対し意気相許すという情分のおこることはある、ただ、それはちょっとした瞬間にあるというものである。
そういうこともあって、世上の人に「義鶻行」という詩にしたのだ。天下の壮士の忠義の肝腸を激励なればとおもっている。
長安 五原八水00

(訳注)#4
近經潏水湄,此事樵夫傳。

ちかごろわたし(杜甫)は潏水のほとりをとおったとき、このはなしを樵夫がかたりつたえてくれた。
潏水 長安の杜陵にある。皇子陵より西北流して渭水に入る。
 

飄蕭覺素發,凜欲沖儒冠。
その内容は、ぞっとするほどで白髪を風にそよがせるのがわかるのだ、聞くほどに髪がたちあがって冠をつきさすがごとくにおもわれた
諷薫 風にふかれるさま。○素髪 しらが。○凛 ひきしまり、ぞっとするさま。○沖儒冠 髪がたちあがって冠をつきさそうとする。儒冠は儒者のかんむり、自己の冠をいう。


人生許與分,只在顧盼間。
人生をいきぬくには他人に対し意気相許すという情分のおこることはある、ただ、それはちょっとした瞬間にあるというものである。
許与分 許与は我が意気を人にゆるしあたえること。分は情分、分誼、あいてあいてに応ずる心づくし。○顧扮 ちょっとよこをふりむいてみること、つかのまをいう。


聊為義鶻行,永激壯士肝。』
そういうこともあって、世上の人に「義鶻行」という詩にしたのだ。天下の壮士の忠義の肝腸を激励なればとおもっている。
○激 はげます。○壮士 天下の勇壮な人たち。

義鶻行 #3 杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 262

義鶻行 #3 杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 262
(義鶻行ぎこつこう)

義理ある鶻のことをよんだうたである。鶻は「あおだか」の類、「ぬくめどり」という猛鳥である。
杜陵の住居に近い潏水のほとりにおいて樵夫よりきいた話で、鶻が蒼鷹のために白蛇を殺し、子鷹を食った仇を討ったことを述べている。
乾元元年 758年 47歳長安での作。
 

義鶻行【ぎこつこう】
陰崖有蒼鷹,養子黑柏顛。白蛇登其巢,吞噬恣朝餐。』
雄飛遠求食,雌者鳴辛酸。力強不可製,黃口無半存。
其父從西歸,翻身入長煙。斯須領健鶻,痛憤寄所宣。』

鬥上捩孤影,咆哮來九天。修鱗脫遠枝,巨顙坼老拳。
高空得蹭蹬,短草辭蜿蜒。折尾能一掉,飽腸皆已穿。』
#3
生雖滅眾雛,死亦垂千年。
この蛇は生きているときは多くの子鷹を食いたやしたが、死んではみじめな手本を千年の後までたれ残すことになった。
物情可報複,快意貴目前。
すべて事物においては報復ということがあるというものである、だからこの蛇が鶻にかたきうちされたことは眼前におこったことで愉快さは一層である。
茲實鷙鳥最,急難心炯然。
この鶻のした行為はつよい猛鳥といわれる鳥のうちいちばんなのである、こうした急難の折にそれを救ってやる心はかくも光り輝いているのだ。
功成失所往,用舍何其賢!』

仇討ちが成功したら、どこへいったかわからなくなってしまった。その進退を示すのに『用舎行蔵』ということはなんと賢者のなすべきことではないか。』

近經潏水湄,此事樵夫傳。飄蕭覺素發,凜欲沖儒冠。
人生許與分,只在顧盼間。聊為義鶻行,永激壯士肝。』
 
義鶻行 #1
陰崖の二蒼鷹【そうよう】、 子を養う黒柏【こくはく】の顛【いただき】。
白蛇【はくだ】其の巣に登り、 吞噬【とんぜい】朝餐【ちょうさん】を恣【ほしいまま】にす。』
雄飛びて遠く食を求む、 雌者【ししゃ】鳴いて辛酸【しんさん】なり。
力強くして制す可らず、 黄口【こうこう】半存する無し。
其の父西従【よ】り帰る、 身を翻えして長煙に入る。
斯須【ししゅ】健鶻【けんこつ】を領す、 痛憤【つうふん】宣【の】ぶる所に寄す。』
#2
斗【たちま】ち上りて孤影【こえい】を捩【れっ】し、 咆哮【ほうこう】して九天より来る。
修鱗【しゅうりん】遠枝【えんし】より脱す、 巨顙【きょそう】老拳【ろうけん】に坼く。
高空に蹭蹬【そうとう】たるを得、 短草に蜿蜒【えんえん】たるを辞す。
折尾能く一たび掉【ふる】う、 飽腸【ほうちょう】皆己に穿【うが】たる。』
#3 
生衆【せいしゅう】雛【すう】を滅【ほろぼ】すと雖も、 死も亦千年に垂る。
物情報復有り、 快意目前なるを貴ぶ。
茲實【これじつ】に鷙鳥【しちょう】の最なり、 急難に心桐然【けいぜん】たり。
功成りて往く所を失う、 用舎何ぞ其れ賢なる。』

#4
近【ちかご】ろ潏水【いつすい】の湄【ほとり】を経【ふ】、 此の事樵夫【しょうふ】伝【つと】う。
飄蕭【ひょうしょう】素髪の 凛として、儒冠【じゅかん】を衝かんと欲するを覚ゆ。
人生許与【きょよ】の分、 只だ顧盼【こはん】の間に在り。
聊【いささか】か義鶴行を為【つく】り、 用て壮士の肝を激せしむ。』


現代語訳と訳註
(本文)

生雖滅眾雛,死亦垂千年。
物情可報複,快意貴目前。
茲實鷙鳥最,急難心炯然。
功成失所往,用舍何其賢!』

(下し文)#3 
生衆【せいしゅう】雛【すう】を滅【ほろぼ】すと雖も、 死も亦千年に垂る。
物情報復有り、 快意目前なるを貴ぶ。
茲實【これじつ】に鷙鳥【しちょう】の最なり、 急難に心桐然【けいぜん】たり。
功成りて往く所を失う、 用舎何ぞ其れ賢なる。』


(現代語訳)
この蛇は生きているときは多くの子鷹を食いたやしたが、死んではみじめな手本を千年の後までたれ残すことになった。
すべて事物においては報復ということがあるというものである、だからこの蛇が鶻にかたきうちされたことは眼前におこったことで愉快さは一層である。
この鶻のした行為はつよい猛鳥といわれる鳥のうちいちばんなのである、こうした急難の折にそれを救ってやる心はかくも光り輝いているのだ。
仇討ちが成功したら、どこへいったかわからなくなってしまった。その進退を示すのに『用舎行蔵』ということはなんと賢者のなすべきことではないか。』


(訳注)#3
生雖滅眾雛,死亦垂千年。

この蛇は生きているときは多くの子鷹を食いたやしたが、死んではみじめな手本を千年の後までたれ残すことになった。
垂千年 垂とは躯【むくろ】を垂れ晒【さら】すことを後世までのこすことをいう。
 

物情可報複,快意貴目前。
すべて事物においては報復ということがあるというものである、だからこの蛇が鶻にかたきうちされたことは眼前におこったことで愉快さは一層である。
物情 事物の実情。○報復 しかえし。○快意 こころよいこと。○貴目前 目のまえ手近にみるほど貴くありがたい。


茲實鷙鳥最,急難心炯然。
この鶻のした行為はつよい猛鳥といわれる鳥のうちいちばんなのである、こうした急難の折にそれを救ってやる心はかくも光り輝いているのだ。
 鶻のした行為をさす。○鷲鳥 つよいとり。○ いちばん。○急難 危急難難を救うことをいう ○心桐然 心、公明正大なことをいう。
 

功成失所往,用舍何其賢!』
仇討ちが成功したら、どこへいったかわからなくなってしまった。その進退を示すのに『用舎行蔵』ということはなんと賢者のなすべきことではないか。』
功成 功とは蛇を殺したことをさす。○失所往 ゆくえがわからなくなる。○用舎 世に用いられると出て自己の道を行い、捨てられると退いて身を隠す行蔵の義。用舎行蔵は『論語、述而』 「子謂顔淵曰、用之則行、舎之則蔵。唯我興爾有是夫。」(子顔淵【がんえん】に謂ひて曰はく、之を用ふれば則ち行ひ、之を舎【す】つれば則ち蔵【かく】る。唯我と爾【なんぢ】と是れ有るかな)。

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義鶻行#2 杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 261
(義鶻行【ぎこつこう】)

義鶻行
陰崖有蒼鷹,養子黑柏顛。白蛇登其巢,吞噬恣朝餐。』
雄飛遠求食,雌者鳴辛酸。力強不可製,黃口無半存。
其父從西歸,翻身入長煙。斯須領健鶻,痛憤寄所宣。』
#2

鬥上捩孤影,咆哮來九天。
それをきくと鶻はいきなり空へとあがり、そのひとつのすがたを螺旋状に回転してくだり、はげしくさけび鳴きながら天からおりて来た。
修鱗脫遠枝,巨顙坼老拳。
この瞬間、蛇の長身は上方の枝からはなされ、蛇の大きなひたいは鶻のかたいこぶしにめちゃめちゃにさかれた。
高空得蹭蹬,短草辭蜿蜒。
高い空でぐちゃぐちゃの目にあわされ、もはや地上短い草でうねりくねっているわけにはゆかなくさせられた。
折尾能一掉,飽腸皆已穿。』

折られた尾がなんとか一度は動かしたりしたが、飽満した腸にすっかり穴をあけられてしまった。』

生雖滅眾雛,死亦垂千年。物情可報複,快意貴目前。
茲實鷙鳥最,急難心炯然。功成失所往,用舍何其賢!』

近經潏水湄,此事樵夫傳。飄蕭覺素發,凜欲沖儒冠。
人生許與分,只在顧盼間。聊為義鶻行,永激壯士肝。』

#2
斗【たちま】ち上りて孤影【こえい】を捩【れっ】し、 咆哮【ほうこう】して九天より来る。
修鱗【しゅうりん】遠枝【えんし】より脱す、 巨顙【きょそう】老拳【ろうけん】に坼く。
高空に蹭蹬【そうとう】たるを得、 短草に蜿蜒【えんえん】たるを辞す。
折尾能く一たび掉【ふる】う、 飽腸【ほうちょう】皆己に穿【うが】たる。』

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現代語訳と訳註
(本文)

鬥上捩孤影,咆哮來九天。
修鱗脫遠枝,巨顙坼老拳。
高空得蹭蹬,短草辭蜿蜒。
折尾能一掉,飽腸皆已穿。』

(下し文) #2
斗【たちま】ち上りて孤影【こえい】を捩【れっ】し、 咆哮【ほうこう】して九天より来る。
修鱗【しゅうりん】遠枝【えんし】より脱す、 巨顙【きょそう】老拳【ろうけん】に坼く。
高空に蹭蹬【そうとう】たるを得、 短草に蜿蜒【えんえん】たるを辞す。
折尾能く一たび掉【ふる】う、 飽腸【ほうちょう】皆己に穿【うが】たる。』


(現代語訳)
それをきくと鶻はいきなり空へとあがり、そのひとつのすがたを螺旋状に回転してくだり、はげしくさけび鳴きながら天からおりて来た。
この瞬間、蛇の長身は上方の枝からはなされ、蛇の大きなひたいは鶻のかたいこぶしにめちゃめちゃにさかれた。
高い空でぐちゃぐちゃの目にあわされ、もはや地上短い草でうねりくねっているわけにはゆかなくさせられた。
折られた尾がなんとか一度は動かしたりしたが、飽満した腸にすっかり穴をあけられてしまった。』


(訳注)#2
鬥上捩孤影,咆哮來九天。

それをきくと鶻はいきなり空へとあがり、そのひとつのすがたを螺旋状に回転してくだり、はげしくさけび鳴きながら天からおりて来た。
斗上 斗は随に同じ、たちまち、いきなり。上はのぼること。○ ねじる、螺旋状に舞いつつ降る。○孤影 鶻のただひとつの身影。○咆哮 はげしく鳴く。〇九天 八方及び中央の天の周りに八の天がある。。


修鱗脫遠枝,巨顙坼老拳。
この瞬間、蛇の長身は上方の枝からはなされ、蛇の大きなひたいは鶻のかたいこぶしにめちゃめちゃにさかれた。
修鱗 修は脩に同じ、長いこと、長いうろことは蛇の身をいう。○脱遠枝 脱は脱離、柏の枝にからみついていたのを、そこからはなされること、遠枝とは幹から離れ梢ちかい枝。○巨顙 大きなひたい、蛇首をいう。○老拳 鶻のかたいこぶし。


高空得蹭蹬,短草辭蜿蜒。
高い空でぐちゃぐちゃの目にあわされ、もはや地上短い草でうねりくねっているわけにはゆかなくさせられた。
高空 たかいそら。○得蹭蹬 蹭蹬はつかれるさま、それを得とは蛇のよわることをいう。○短草 地上の短い草。○辞蜿蜒 蜿蜒はうねるさま、それを辞すとはそうあることができないことをいう。


折尾能一掉,飽腸皆已穿。』
折られた尾がなんとか一度は動かしたりしたが、飽満した腸にすっかり穴をあけられてしまった。』
折尾 おれた尾。○ ふるいうごかす。○飽腸 たかの子にたぺあきたはらわた。○穿 穴をあける。


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李 白 詩
唐宋詩 
(Ⅰ李商隠Ⅱ韓退之(韓愈))
杜 甫 詩
李白詩INDEX02
李商隠INDEX02
杜甫詩INDEX02

義鶻行#1 杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 260

義鶻行#1 杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 260
(義鶻行ぎこつこう)
義理ある鶻のことをよんだうたである。鶻は「あおだか」の類、「ぬくめどり」という猛鳥である。
杜陵の住居に近い潏水のほとりにおいて樵夫よりきいた話で、鶻が蒼鷹のために白蛇を殺し、子鷹を食った仇を討ったことを述べている。
乾元元年 758年 47歳長安での作。
長安の近郊

義鶻行【ぎこつこう】
陰崖有蒼鷹,養子黑柏顛。
北むきの崖に二匹の蒼鷹がいて、黒い柏樹の天辺で子を育てていた。
白蛇登其巢,吞噬恣朝餐。』
自蛇がきてその巣に登り、その子だかを呑んだり咬んだりして、かってに朝の食事としてしまった。』
雄飛遠求食,雌者鳴辛酸。
時に雄鷹は遠く食物を求めるために飛びだしていたが、巣籠りしていた雌だかは鳴きつつ辛い思いをしていた。
力強不可製,黃口無半存。
蛇の力はつよいからこの雌だかの力では制止しきれず、とうとう黄色い嘴の子鷹は半分も残らず食べられてしまった。
其父從西歸,翻身入長煙。
そこへ雄だかは西の方から帰ってきて見るとこのありさまなので、身を交わしてまた煙の長く引き映えた天辺へと入って行き、暫くするとつよい鶻を連れて来た。
斯須領健鶻,痛憤寄所宣。』

そしてしばらくすると、力の強い鶻をひきいてかえってきた。自分の抱いて居た憤りの気持ちを述べだす言葉に託してすっかりはきだした。』
#2

鬥上捩孤影,咆哮來九天。修鱗脫遠枝,巨顙坼老拳。
高空得蹭蹬,短草辭蜿蜒。折尾能一掉,飽腸皆已穿。』


#3
生雖滅眾雛,死亦垂千年。物情可報複,快意貴目前。
茲實鷙鳥最,急難心炯然。功成失所往,用舍何其賢!』

#4
近經潏水湄,此事樵夫傳。飄蕭覺素發,凜欲沖儒冠。
人生許與分,只在顧盼間。聊為義鶻行,永激壯士肝。』
 
義鶻行 #1
陰崖の二蒼鷹【そうよう】、 子を養う黒柏【こくはく】の顛【いただき】。
白蛇【はくだ】其の巣に登り、 吞噬【とんぜい】朝餐【ちょうさん】を恣【ほしいまま】にす。』
雄飛びて遠く食を求む、 雌者【ししゃ】鳴いて辛酸【しんさん】なり。
力強くして制す可らず、 黄口【こうこう】半存する無し。
其の父西従【よ】り帰る、 身を翻えして長煙に入る。
斯須【ししゅ】健鶻【けんこつ】を領す、 痛憤【つうふん】宣【の】ぶる所に寄す。』

#2
斗【たちま】ち上りて孤影【こえい】を捩【れっ】し、 咆哮【ほうこう】して九天より来る。
修鱗【しゅうりん】遠枝【えんし】より脱す、 巨顙【きょそう】老拳【ろうけん】に坼く。
高空に蹭蹬【そうとう】たるを得、 短草に蜿蜒【えんえん】たるを辞す。
折尾能く一たび掉【ふる】う、 飽腸【ほうちょう】皆己に穿【うが】たる。』
#3 
生衆【せいしゅう】雛【すう】を滅【ほろぼ】すと雖も、 死も亦千年に垂る。
物情報復有り、 快意目前なるを貴ぶ。
茲實【これじつ】に鷙鳥【しちょう】の最なり、 急難に心桐然【けいぜん】たり。
功成りて往く所を失う、 用舎何ぞ其れ賢なる。』
#4
近【ちかご】ろ潏水【いつすい】の湄【ほとり】を経【ふ】、 此の事樵夫【しょうふ】伝【つと】う。
飄蕭【ひょうしょう】素髪の 凛として、儒冠【じゅかん】を衝かんと欲するを覚ゆ。
人生許与【きょよ】の分、 只だ顧盼【こはん】の間に在り。
聊【いささか】か義鶴行を為【つく】り、 用て壮士の肝を激せしむ。』

 

現代語訳と訳註
(本文)

陰崖有蒼鷹,養子黑柏顛。
白蛇登其巢,吞噬恣朝餐。』
雄飛遠求食,雌者鳴辛酸。
力強不可製,黃口無半存。
其父從西歸,翻身入長煙。
斯須領健鶻,痛憤寄所宣。』

(下し文) 義鶻行 #1
陰崖の二蒼鷹【そうよう】、 子を養う黒柏【こくはく】の顛【いただき】。
白蛇【はくだ】其の巣に登り、 吞噬【とんぜい】朝餐【ちょうさん】を恣【ほしいまま】にす。』
雄飛びて遠く食を求む、 雌者【ししゃ】鳴いて辛酸【しんさん】なり。
力強くして制す可らず、 黄口【こうこう】半存する無し。
其の父西従【よ】り帰る、 身を翻えして長煙に入る。
斯須【ししゅ】健鶻【けんこつ】を領す、 痛憤【つうふん】宣【の】ぶる所に寄す。』


(現代語訳)
北むきの崖に二匹の蒼鷹がいて、黒い柏樹の天辺で子を育てていた。
自蛇がきてその巣に登り、その子だかを呑んだり咬んだりして、かってに朝の食事としてしまった。』
時に雄鷹は遠く食物を求めるために飛びだしていたが、巣籠りしていた雌だかは鳴きつつ辛い思いをしていた。
蛇の力はつよいからこの雌だかの力では制止しきれず、とうとう黄色い嘴の子鷹は半分も残らず食べられてしまった。
そこへ雄だかは西の方から帰ってきて見るとこのありさまなので、身を交わしてまた煙の長く引き映えた天辺へと入って行き、暫くするとつよい鶻を連れて来た。
そしてしばらくすると、力の強い鶻をひきいてかえってきた。自分の抱いて居た憤りの気持ちを述べだす言葉に託してすっかりはきだした。』


(訳注) 義鶻行 #1
陰崖有蒼鷹,養子黑柏顛。

北むきの崖に二匹の蒼鷹がいて、黒い柏樹の天辺で子を育てていた。
陰崖 北むきのがけ。杜甫『題李尊師松樹障子歌』「陰崖卻承霜雪幹,偃蓋反走虬龍形。』『三川觀水漲二十韻』「清晨望高浪,忽謂陰崖踣。」〇二蒼鷹 二を或は有に作る、有の字が自然であるように思われる、二とは雌雄をさす。 李白『行路難 三首 其三』「華亭鶴唳渠可聞,上蔡蒼鷹何足道。」○黒柏 柏の葉の色が黒いのであろう、老柏をいう。


白蛇登其巢,吞噬恣朝餐。』
自蛇がきてその巣に登り、その子だかを呑んだり咬んだりして、かってに朝の食事としてしまった。』
 かむ。


雄飛遠求食,雌者鳴辛酸。
時に雄鷹は遠く食物を求めるために飛びだしていたが、巣籠りしていた雌だかは鳴きつつ辛い思いをしていた。
辛酸 つらい思いをする。


力強不可製,黃口無半存。
蛇の力はつよいからこの雌だかの力では制止しきれず、とうとう黄色い嘴の子鷹は半分も残らず食べられてしまった。
力強自蛇のカのつよいこと。○黃口 こだかのくちばしの黄色な者。生まれて間もない時は黄色をしている。○無半存 子の半数さえも残存しない。
 

其父從西歸,翻身入長煙。
そこへ雄だかは西の方から帰ってきて見るとこのありさまなので、身を交わしてまた煙の長く引き映えた天辺へと入って行った。
其父 父とは雄をさす。


斯須領健鶻,痛憤寄所宣。』
そしてしばらくすると、力の強い鶻をひきいてかえってきた。自分の抱いて居た憤りの気持ちを述べだす言葉に託してすっかりはきだした。』
斯須 須臭に同じ、しばしのま。○ ひきいる、つれてくる。○ 力のつよいこと。○痛憤 雄鷹のいたましいいきどおり。○寄所宜 所宜とは鶴に向かってのべ訴える所の言辞をいう。寄とは寄せ託する、憤りを辞に託すること。

痩馬行 #2 杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 259

痩馬行 #2 杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 259

騎馬兵には、少なくとも二頭以上所有していて、交互に乗り換えながら、進軍する。普通以上の地位であれは数頭いるので、捨てられる馬が当然いる。誰にも面倒を見てもらえない馬と、朝廷で、疎外感をもっている杜甫とが重なる。この時期の杜甫の詩の多くは、長安の東、南の地の詩が多い。
駿馬02

痩馬行
東郊瘦馬使我傷,骨骼硉兀如堵牆。
絆之欲動轉欹側,此豈有意仍騰驤?
細看六印帶官字,眾道三軍遺路旁。
皮幹剝落雜泥滓,毛暗蕭條連雪霜。』

去歲奔波逐餘寇,驊騮不慣不得將。
去年官軍は狂奔して安史軍の余党を逐いまわしたが、その士卒どもは千里の駿足にはのりなれぬからのることができなかったのだろう。
士卒多騎內廄馬,惆悵恐是病乘黃。
彼等は多くおとなしく訓練されている宮中のおうまやの馬にのった。自分のいたましくおもうのは、そのときこの痩せ馬もおうまやの駿馬であったのだが、病気してほっておかれたのだろう。
當時歷塊誤一蹶,委棄非汝能周防。
大事な戦いの当時、病気をしていて土塊のうえをとおるときちょっとしたことで蹴躓いたので棄てられたのだ、、その棄てられることというのは汝、この痩馬が防止し得る所ではなくいわば運命なのだ。
見人慘澹若哀訴,失主錯莫無晶光。
今この馬は人を見てはものがなしそうにしてかなしみうったえるが如く、主人を失ってはさびしく眼の光もうせている。
天寒遠放雁為伴,日暮不收烏啄瘡。
冬時の寒空に遠くへはなれて雁を伴侶となし、日が暮れても取り入れられず、烏がきて切り傷の処をつついている。
誰家且養願終惠,更試明年春草長。』
誰かの家でこの馬をかりに飼養してくれるものはないだろうか、もしあるならばどうかそのめぐみを最後までつづけてもらいたいのだ。それができたら、明年春の若草の伸びたときに更にこの馬の力を試してみょうとおもうのだ。

東郊の痩馬【しゅうば】  我をして傷(いた)ましむ、骨骼 侓兀【ろつこつ】として堵墻【としょう】の如し。
之を絆【ほだ】さむとすれば 動かんと欲して転【うたた】欹側【いそく】す、此れ豈に仍【な】お騰驤【とうじょう】せんとするに意有るか。
細かに看れば 六印【ろくいん】官字【かんじ】を帯【お】ぶ、衆は道【い】う  三軍路旁【ろぼう】に遺【のこ】すと。
皮は乾きて剥落【はくらく】し泥滓【でいし】雑【まじ】わり、毛は暗くして蕭條【しょうじょう】として雪霜連る。』

去歳【きょさい】  奔波【ほんは】して余寇【よこう】を逐【お】う、驊騮【かりゅう】には慣【な】れず 将【ひき】いることを得ず。
士卒は多く騎【の】る内厩【ないきゅう】の馬、惆悵【ちょうちょう】恐る 是れ病める乗黄【じょうこう】なりしならんことを。
当時  歴塊【れきかい】  誤って一蹶【いっけつ】す、委棄【いき】せらるること 汝が能く周防【しゅうぼう】するに非ず。
人を見て惨澹【さんたん】 哀訴【あいそ】するが若【ごと】く、主を失いて錯莫【さくばく】晶光【せいこう】無し。
天寒く遠く放たれて雁【がん】を伴と為【な】し、日暮れて収められず 烏【からす】瘡【きず】を啄【ついば】む。
誰が家にか 且つ養【やしな】わん 願わくは恵【けい】を終えんことを、更に試みん  明年【めいねん】春草の長きに。』


現代語訳と訳註
(本文)

去歲奔波逐餘寇,驊騮不慣不得將。
士卒多騎內廄馬,惆悵恐是病乘黃。
當時歷塊誤一蹶,委棄非汝能周防。
見人慘澹若哀訴,失主錯莫無晶光。
天寒遠放雁為伴,日暮不收烏啄瘡。
誰家且養願終惠,更試明年春草長。』

(下し文)
去歳【きょさい】  奔波【ほんは】して余寇【よこう】を逐【お】う、驊騮【かりゅう】には慣【な】れず 将【ひき】いることを得ず。
士卒は多く騎【の】る内厩【ないきゅう】の馬、惆悵【ちょうちょう】恐る 是れ病める乗黄【じょうこう】なりしならんことを。
当時  歴塊【れきかい】  誤って一蹶【いっけつ】す、委棄【いき】せらるること 汝が能く周防【しゅうぼう】するに非ず。
人を見て惨澹【さんたん】 哀訴【あいそ】するが若【ごと】く、主を失いて錯莫【さくばく】晶光【せいこう】無し。
天寒く遠く放たれて雁【がん】を伴と為【な】し、日暮れて収められず 烏【からす】瘡【きず】を啄【ついば】む。
誰が家にか 且つ養【やしな】わん 願わくは恵【けい】を終えんことを、更に試みん  明年【めいねん】春草の長きに。』


(現代語訳)
去年官軍は狂奔して安史軍の余党を逐いまわしたが、その士卒どもは千里の駿足にはのりなれぬからのることができなかったのだろう。
彼等は多くおとなしく訓練されている宮中のおうまやの馬にのった。自分のいたましくおもうのは、そのときこの痩せ馬もおうまやの駿馬であったのだが、病気してほっておかれたのだろう。
大事な戦いの当時、病気をしていて土塊のうえをとおるときちょっとしたことで蹴躓いたので棄てられたのだ、、その棄てられることというのは汝、この痩馬が防止し得る所ではなくいわば運命なのだ。
今この馬は人を見てはものがなしそうにしてかなしみうったえるが如く、主人を失ってはさびしく眼の光もうせている。
冬時の寒空に遠くへはなれて雁を伴侶となし、日が暮れても取り入れられず、烏がきて切り傷の処をつついている。
誰かの家でこの馬をかりに飼養してくれるものはないだろうか、もしあるならばどうかそのめぐみを最後までつづけてもらいたいのだ。それができたら、明年春の若草の伸びたときに更にこの馬の力を試してみょうとおもうのだ。

駿馬01

(訳注)
去歲奔波逐餘寇,驊騮不慣不得將。

去年官軍は狂奔して安史軍の余党を逐いまわしたが、その士卒どもは千里の駿足にはのりなれぬからのることができなかったのだろう。
去歳 757年至徳二載。○奔波 狂奔すること、官兵がはしりまわること。○逐余寇 余寇とは安禄山の叛乱軍ののこり、速とは官兵がこれをおうこと。安禄山軍と史忠明の軍と十年近く続いたので安史の乱、叛乱軍全体を安史軍という。このブログでは、官軍・賊軍という語は使わない。○驊騮 千里の馬。○不慣 騎るになれぬ。一説にのりならされておらぬものととく。○不得将 将は騎りひきいること。


士卒多騎內廄馬,惆悵恐是病乘黃。
彼等は多くおとなしく訓練されている宮中のおうまやの馬にのった。自分のいたましくおもうのは、そのときこの痩せ馬もおうまやの駿馬であったのだが、病気してほっておかれたのだろう。
士卒 王朝軍の兵卒。○内厩 天子のおうまや、そこには調練を経た名馬がたくわえてある。○惆悵 うらむさま、杜甫が今日よりさかのぼってうらむ。馬がここまで弱るには、かなりの経過した時間がある。○恐是 恐とはきづかうこと、動物は気遣う気持ちがなければいけない。これも杜甫がきづかう。○病乗黄 病める乗黄、乗黄とは神馬、内厩の駿馬で上旬の「騨騒」というのも同じ。この痩馬は乗黄ではあるが不幸にもその病めるものであったのであろう、というのである。


當時歷塊誤一蹶,委棄非汝能周防。
大事な戦いの当時、病気をしていて土塊のうえをとおるときちょっとしたことで蹴躓いたので棄てられたのだ、、その棄てられることというのは汝、この痩馬が防止し得る所ではなくいわば運命なのだ。
当時 逐冠のときをさす。○歴塊 漢の王表の「聖主ノ賢臣ヲ得ル頒」にみえる、一箇のつちくれをとおる、歴はへる。○蹴 つまずく。○委棄 うちすてる。○ 痩馬をさす。○能周防 非汝能周防は非三汝之所二能周防一というのに同じ。周防はておちなくふせぐこと。ふせぐことのできるものでないとは、運命だというはかなしということ。


見人慘澹若哀訴,失主錯莫無晶光。
今この馬は人を見てはものがなしそうにしてかなしみうったえるが如く、主人を失ってはさびしく眼の光もうせている。
見入 他人をみる。○惨澹 ものがなしいさま。○失主 かいぬしをなくする。○錯莫 さびしいさま。〇晶光 すきとおりかがやくひかり。眼光をいうのであろう。


天寒遠放雁為伴,日暮不收烏啄瘡。
冬時の寒空に遠くへはなれて雁を伴侶となし、日が暮れても取り入れられず、烏がきて切り傷の処をつついている。
天寒 ふゆぞらをいう。○遠放 かいての無いゆえ遠方まではなたれてある。○不収 収とは人がうまやへいれてくれることをいう。○啄瘡 きりきずのある処をくちばしでつっく。


誰家且養願終惠,更試明年春草長。』
誰かの家でこの馬をかりに飼養してくれるものはないだろうか、もしあるならばどうかそのめぐみを最後までつづけてもらいたいのだ。それができたら、明年春の若草の伸びたときに更にこの馬の力を試してみょうとおもうのだ
且養 しばらく飼養してくれる。○願終恵 顔延年「赤白馬賊」に「願ワクハ恵養ヲ終エテ本枝二蔭セン」とあるのに本づく、願は馬がねがう、終恵とは始め飼養するという恵をあたえるならばそれを最終まであたえでくれることをいう。○更試 試とは行走の脚力をためしみること。○明年 単につぎのとし


 757年十月に洛陽を敗退した安慶緒は、この年になると相州(河南省安陽市)の鄴城(ぎょうじょう)に拠って兵六万を集め、周囲の七郡を支配する勢力に復活した。唐王朝は九月になると、朔方軍節度使郭子儀(かくしぎ)ら九節度使の軍を派遣して鄴城を包囲した。
 秋のはじめに杜甫は、杜観ひとりを洛陽にやったが、戦線が河北と河南の境にある相州に集中した冬になっても、杜観はもどってこなかった。

痩馬行 #1 杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 258

痩馬行 #1 杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 258

騎馬兵には、少なくとも二頭以上所有していて、交互に乗り換えながら、進軍する。普通以上の地位であれは数頭いるので、捨てられる馬が当然いる。誰にも面倒を見てもらえない馬と、朝廷で、疎外感をもっている杜甫とが重なる。杜甫の詩の多くは、長安の東、南の地の詩が多い。


痩馬行
東郊瘦馬使我傷,骨骼硉兀如堵牆。
長安の城の東の野原に痩せた馬がいて、之をみると自分はかなしくなる、この馬の骨組はでこぼこ浮きだし、側面からみると土塀が立っている様なのだ。
絆之欲動轉欹側,此豈有意仍騰驤?
これを縄でつなごうとしているのだが、動いてとしていよいよ體を直立しようとはしない、その様子では、この馬は痩せてしまって、以前のように躍り上がろうとする気持ちがまだあるのだろうか。
細看六印帶官字,眾道三軍遺路旁。
仔細にみるとこの馬には官でおした焼き印が六箇所ばかりある、このあたりの人々のいうには官軍がみちばたにすてたのだそうだ。
皮幹剝落雜泥滓,毛暗蕭條連雪霜。』
その皮は傷などの糜爛が剥げて落ちてそのままになっている、泥や汚い滓が混ざっており、毛の艶はきえうせてさびしく真っ白い色がつづいている状態だ。』

去歲奔波逐餘寇,驊騮不慣不得將。
士卒多騎內廄馬,惆悵恐是病乘黃。
當時歷塊誤一蹶,委棄非汝能周防。
見人慘澹若哀訴,失主錯莫無晶光。
天寒遠放雁為伴,日暮不收烏啄瘡。
誰家且養願終惠,更試明年春草長。』

東郊の痩馬【しゅうば】  我をして傷(いた)ましむ、骨骼 侓兀【ろつこつ】として堵墻【としょう】の如し。
之を絆【ほだ】さむとすれば 動かんと欲して転【うたた】欹側【いそく】す、此れ豈に仍【な】お騰驤【とうじょう】せんとするに意有るか。
細かに看れば 六印【ろくいん】官字【かんじ】を帯【お】ぶ、衆は道【い】う  三軍路旁【ろぼう】に遺【のこ】すと。
皮は乾きて剥落【はくらく】し泥滓【でいし】雑【まじ】わり、毛は暗くして蕭條【しょうじょう】として雪霜連る。』

去歳【きょさい】  奔波【ほんは】して余寇【よこう】を逐【お】う、驊騮【かりゅう】には慣【な】れず 将【ひき】いることを得ず。
士卒は多く騎【の】る内厩【ないきゅう】の馬、惆悵【ちょうちょう】恐る 是れ病める乗黄【じょうこう】なりしならんことを。
当時  歴塊【れきかい】  誤って一蹶【いっけつ】す、委棄【いき】せらるること 汝が能く周防【しゅうぼう】するに非ず。
人を見て惨澹【さんたん】 哀訴【あいそ】するが若【ごと】く、主を失いて錯莫【さくばく】晶光【せいこう】無し。
天寒く遠く放たれて雁【がん】を伴と為【な】し、日暮れて収められず 烏【からす】瘡【きず】を啄【ついば】む。
誰が家にか 且つ養【やしな】わん 願わくは恵【けい】を終えんことを、更に試みん  明年【めいねん】春草の長きに。』
駿馬02

現代語訳と訳註
(本文) 痩馬行
東郊瘦馬使我傷,骨骼硉兀如堵牆。
絆之欲動轉欹側,此豈有意仍騰驤?
細看六印帶官字,眾道三軍遺路旁。
皮幹剝落雜泥滓,毛暗蕭條連雪霜。』


(下し文)
東郊の痩馬【しゅうば】  我をして傷(いた)ましむ、骨骼 侓兀【ろつこつ】として堵墻【としょう】の如し。
之を絆【ほだ】さむとすれば 動かんと欲して転【うたた】欹側【いそく】す、此れ豈に仍【な】お騰驤【とうじょう】せんとするに意有るか。
細かに看れば 六印【ろくいん】官字【かんじ】を帯【お】ぶ、衆は道【い】う  三軍路旁【ろぼう】に遺【のこ】すと。
皮は乾きて剥落【はくらく】し泥滓【でいし】雑【まじ】わり、毛は暗くして蕭條【しょうじょう】として雪霜連る。』

(現代語訳)
長安の城の東の野原に痩せた馬がいて、之をみると自分はかなしくなる、この馬の骨組はでこぼこ浮きだし、側面からみると土塀が立っている様なのだ。
これを縄でつなごうとしているのだが、動いてとしていよいよ體を直立しようとはしない、その様子では、この馬は痩せてしまって、以前のように躍り上がろうとする気持ちがまだあるのだろうか。
仔細にみるとこの馬には官でおした焼き印が六箇所ばかりある、このあたりの人々のいうには官軍がみちばたにすてたのだそうだ。
その皮は傷などの糜爛が剥げて落ちてそのままになっている、泥や汚い滓が混ざっており、毛の艶はきえうせてさびしく真っ白い色がつづいている状態だ。』


(訳注)
痩馬行
東郊瘦馬使我傷,骨骼硉兀如堵牆。

長安の城の東の野原に痩せた馬がいて、之をみると自分はかなしくなる、この馬の骨組はでこぼこ浮きだし、側面からみると土塀が立っている様なのだ。
東郊 長安の城の東の野外。○骨骼 はねぐみ。○硉兀 骨だかいさま。○堵牆 ついじ、かき、骨体が壁のごとくに立つことをいう。


絆之欲動轉欹側,此豈有意仍騰驤?
これを縄でつなごうとしているのだが、動いてとしていよいよ體を直立しようとはしない、その様子では、この馬は痩せてしまって、以前のように躍り上がろうとする気持ちがまだあるのだろうか。
 なわでからげる。○欲動 馬がうごこうとする。○ いよいよ。○欹側 そばだち、かたむく。直立せぬこと。○ 馬のその態度をさす。○ いままでのように。○騰驤 おどってあがる、馬のいさむさま。


細看六印帶官字,眾道三軍遺路旁。
仔細にみるとこの馬には官でおした焼き印が六箇所ばかりある、このあたりの人々のいうには官軍がみちばたにすてたのだそうだ。
細看 くわしくみる。〇六印 六か所の焼き印、一に六を火に作る、火印ならば焼き印をいう。○帯官字 唐の官馬は其の種類用途如何により馬の尾側、左右牌(もも)、左右縛(かた)、項(うなじ)、頼(ほお)等に焼き印を押した。其の文字には年時・牧監の名があり、竜形・三花の印があり、又、「官」の字、「飛」の字、「風」の字、「賜」の字、「出」の字の印があった。この馬は六か所に官で押した印のあるものであろう。上旬をもし「火印」とするならば帯官字は「官」の字をおぶと解すべきである。○衆道 衆人がいう。〇三軍 王朝軍の陣勢。神策軍、龍武軍、羽林軍がそれぞれ上中下、左右中央、地方にあった。天子の軍。国軍。○ 遺棄する。


皮幹剝落雜泥滓,毛暗蕭條連雪霜。』
その皮は傷などの糜爛が剥げて落ちてそのままになっている、泥や汚い滓が混ざっており、毛の艶はきえうせてさびしく真っ白い色がつづいている状態だ。』
皮乾 脂肪光沢のなくなったさま。○剥落 剥げ落ちている。傷などの糜爛が剥げて落ちてそのままになっている。はげちょろ。○泥滓 どろ、にごりかす。○毛暗 暗とは光沢を失ったことをいう。○蕭條 草木の間を風が抜けるときに起こす音を指し、さびしいさま。○連雪霜 雪霜連と同じ、雪霜とは白っぽい色をたとえていう。馬の病むときは毛のさきがほこりを帯び、色つやがわるく、そのさまが雪霜のつらなっているのに似る。

得舎弟消息 杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 257

得舎弟消息 杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 257

舎弟は家弟に同じ、弟をいう、名は詳でない〈蓋し「得舎弟消息」(得舎弟消息二首 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 160)の詩の舎弟し」同一人。時に弟は前年の河南でおなじであり、杜甫は前年は鳳翔、この時長安に在った。弟のたよりを得て作った詩。758年春の作。

得舎弟消息
風吹紫荊樹、色興春庭暮。
花落辭故枝、風迴返無處。
骨肉恩書重、漂泊難相遇。
猶有涙成河、經天復東注。

風が庭前の紫荊樹を吹きかかっている、樹の色が春のさかりの庭の色をおなじようにしながら暮れてゆく。
その花はもとの枝から辞し去るように私や親の元から去って、それが「叛乱」の風に吹きつけられ、もとの枝へかえろうとしてもかえるべき処さえない。
漂泊の身の上で、このような叛乱という難儀のために互に出遭うことは難しい、だからこそ、この際の血を分けた兄弟の手紙はことに重んずべきものである。
今もなお、わたしの涙が天の河にながれ出て、それが大空をわたっておまえの居る東の方へむけてそそぎつつあるのだ。

(舎弟の消息を得たり)
風は吹く紫荊樹、色は春庭と暮る。
花落ちて故枝を辞す、風迴りて返るに処無し。
骨肉恩書重し、漂泊相遇い難し。
猶涙の河を成す有り 天を経りて復た東に注ぐ。

現代語訳と訳註
(本文) 得舎弟消息
風吹紫荊樹、色興春庭暮。
花落辭故枝、風迴返無處。
骨肉恩書重、漂泊難相遇。
猶有涙成河、經天復東注。

(下し文) (舎弟の消息を得たり)
風は吹く紫荊樹、色は春庭と暮る。
花落ちて故枝を辞す、風迴りて返るに処無し。
骨肉恩書重し、漂泊相遇い難し。
猶涙の河を成す有り 天を経りて復た東に注ぐ。

(現代語訳)
風が庭前の紫荊樹を吹きかかっている、樹の色が春のさかりの庭の色をおなじようにしながら暮れてゆく。
その花はもとの枝から辞し去るように私や親の元から去って、それが「叛乱」の風に吹きつけられ、もとの枝へかえろうとしてもかえるべき処さえない。
漂泊の身の上で、このような叛乱という難儀のために互に出遭うことは難しい、だからこそ、この際の血を分けた兄弟の手紙はことに重んずべきものである。
今もなお、わたしの涙が天の河にながれ出て、それが大空をわたっておまえの居る東の方へむけてそそぎつつあるのだ。


(訳注)得舎弟消息
756年 安禄山が反乱を起こして、洛陽近郊にいた実弟の消息だけが分かって、詠ったものである。杜甫は叛乱軍に軟禁されており、互いに詳しいことは、云えなかったものである。
得舎弟消息二首 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 160
遠方にいる弟との再会が困難なさまを、 「客人の到来を告げるとされる烏鵲 (カササギ)」 と 「兄弟の情愛の象徴とされる鶺鴒 (セキレイ)」 とを対にして詠う。
得舎弟消息 二首 其二 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 161 


風吹紫荊樹、色興春庭暮。
風が庭前の紫荊樹を吹きかかっている、樹の色が春のさかりの庭の色をおなじようにしながら暮れてゆく。
○紫荊樹 「続斉諧記」に、田広・田臭・田慶の兄弟三人が財を分け、最後に堂前の一株の紫荊樹を三分しようとしてこれを切りかけたが、たちまち樹が枯れて、まるで火の燃えるようなさまになったので切るのをやめた。するとまたもとのように勢いよく茂ったので、兄弟達は兄の言葉に感動し、三人抱き合って泣き出した。 「決して樹を切るまい」 そう誓った言葉に応じるかのように、枯れたはずの紫荊が生き返り、葉を茂らせ、花をつけた。 兄弟はこの奇跡に感じ入り、元通り一つ家に住むことにした。 (六朝『続斉諧記』)


花落辭故枝、風迴返無處。
その花はもとの枝から辞し去るように私や親の元から去って、それが「叛乱」の風に吹きつけられ、もとの枝へかえろうとしてもかえるべき処さえない。
○辭故枝 落花または落葉がもとの樹枝を離れることを子弟が父母の郷をはなれて居ることに用いるのは、六朝以来の習わしである。○風迴 過は吹きめぐること。花もしたがって吹かれる。去っていくだけでなく戻ってくることをいう。○返 枝にかえる。


骨肉恩書重、漂泊難相遇。
漂泊の身の上で、このような叛乱という難儀のために互に出遭うことは難しい、だからこそ、この際の血を分けた兄弟の手紙はことに重んずべきものである。
○骨肉 兄弟のちすじ。○恩書 恩愛の情のこもった手紙。○重 貴重なこと。倒句でよむ。


猶有涙成河、經天復東注。
今もなお、わたしの涙が天の河にながれ出て、それが大空をわたっておまえの居る東の方へむけてそそぎつつあるのだ。
○猶 今もなお。○河 あまのがわら。○経天 経はわたる、つながる、上句の河の縁語。○東注 東方に向かってそそぐ、河南は長安の東にある。

題李尊師松樹障子歌 #2 杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 256

題李尊師松樹障子歌 #2 杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 256
(李尊師が松樹の障子に題する歌)

玄都観の道士李が示した松をえがいたついたてに題した歌。乾元元年の作とする説に従う。


題李尊師松樹障子歌
老夫清晨梳白頭,玄都道士來相訪。握發呼兒延入戶,手提新畫青松障。
障子松林靜杳冥,憑軒忽若無丹青。陰崖卻承霜雪幹,偃蓋反走虬龍形。』
老夫平生好奇古,對此興與精靈聚。
このわたしはふだん奇古なものを好むが、この画に向うと、自己の感興は忽ち画者の精神といっしょになってしまった。
已知仙客意相親,更覺良工心獨苦。
仙客というべき李尊師の御親切、心遣いはもとよりわかったが、之をかく時の画者がどんなにひとりで心を苦しめたかということに一層つよくこころに響いてくるのである。』
松下丈人巾屨同,偶坐似是商山翁。
松の木の下に老人たちが画いてあり、そのいでたちはどれも互に同じである。そこに対坐しているその老人たちはどうやら商山の老人であるようである。
悵望聊歌紫芝曲,時危慘澹來悲風。』

自分も憤然として南山の方をながめてちょっと四皓等が作ったと称する「紫芝曲」をうたうというと、この時にあたってもいまだに安泰ではなくしてものがなしく悲風が吹き来るのである。』

老夫 清晨【せいしん】に白頭を梳【くしけず】る、玄都の道士来りて相 訪【と】う。
髪を握り児を呼び延【ひ】きて戸に入らしむ、手に提【ひっさ】ぐ新画の青松の障。』
障子の松林 静かにして杳冥【ようめい】、軒に憑【よ】れば忽ち丹青無きが若し。
陰崖【いんがい】卻【かえ】って承【う】く霜雪の幹、偃蓋【えんがい】反って走らす虬龍【きゅうりょう】の形。』
老夫 平生 奇古【きこ】を好む、此に対して興 精霊と聚まる。
己に知る仙客の意 相親しむを、更に覺【おぼ】ゆ 良工【りょうこう】の心独り苦しむを。』
松下の丈人 巾屨【きんく】同じ、偶坐是れ商山の翁なるに似たり。
悵望【ちょうぼう】聊【いささ】か歌う紫芝【しし】の曲、時危くして惨澹【さんたん】悲風来る』



現代語訳と訳註
(本文)

老夫平生好奇古,對此興與精靈聚。
已知仙客意相親,更覺良工心獨苦。
松下丈人巾屨同,偶坐似是商山翁。
悵望聊歌紫芝曲,時危慘澹來悲風。』


(下し文) (李尊師が松樹の障子に題する歌)
老夫 平生 奇古【きこ】を好む、此に対して興 精霊と聚まる。
己に知る仙客の意 相親しむを、更に覺【おぼ】ゆ 良工【りょうこう】の心独り苦しむを。』
松下の丈人 巾屨【きんく】同じ、偶坐是れ商山の翁なるに似たり。
悵望【ちょうぼう】聊【いささ】か歌う紫芝【しし】の曲、時危くして惨澹【さんたん】悲風来る』


(現代語訳)
このわたしはふだん奇古なものを好むが、この画に向うと、自己の感興は忽ち画者の精神といっしょになってしまった。
仙客というべき李尊師の御親切、心遣いはもとよりわかったが、之をかく時の画者がどんなにひとりで心を苦しめたかということに一層つよくこころに響いてくるのである。』
松の木の下に老人たちが画いてあり、そのいでたちはどれも互に同じである。そこに対坐しているその老人たちはどうやら商山の老人であるようである。
自分も憤然として南山の方をながめてちょっと四皓等が作ったと称する「紫芝曲」をうたうというと、この時にあたってもいまだに安泰ではなくしてものがなしく悲風が吹き来るのである。』


(訳注)
老夫平生好奇古,對此興與精靈聚。

このわたしはふだん奇古なものを好むが、この画に向うと、自己の感興は忽ち画者の精神といっしょになってしまった。
奇古 かわったふるめかしいもの。○対此 此とは画をさす。○ 作者の感興。○精霊 画者の精神。


已知仙客意相親,更覺良工心獨苦。
仙客というべき李尊師の御親切、心遣いはもとよりわかったが、之をかく時の画者がどんなにひとりで心を苦しめたかということに一層つよくこころに響いてくるのである。』
仙客 李尊師をさす。○意相親 この画陣をわざわざもってきて見せてくれたのはこちらと親密であるからである。○良工 画の名人、この画陣の筆者をさす。○心独苦 びとりで苦心する。

 
松下丈人巾屨同,偶坐似是商山翁。
松の木の下に老人たちが画いてあり、そのいでたちはどれも互に同じである。そこに対坐しているその老人たちはどうやら商山の老人であるようである
松下文人 文人は老人、松下の老人とは画中の人物をさす。○巾履同 文人等のずきんとくつが互に同じ。一説に文人等の巾医が商山の老人たちと同様である。○偶坐 対坐に同じ、我(作者)が画中の人物と対して坐することをいう。○商山翁 漢の高祖の時、秦の乱を避けて商山に隠れた東園公・用里先生・綺里季・夏黄公の四人が商山に隠れ、ともに八十余歳で、髪は白かったので商山の四皓という。


悵望聊歌紫芝曲,時危慘澹來悲風。』
自分も憤然として南山の方をながめてちょっと四皓等が作ったと称する「紫芝曲」をうたうというと、この時にあたってもいまだに安泰ではなくしてものがなしく悲風が吹き来るのである。
悵望 うらめしくながめる。○紫芝曲 商山の四皓はもと秦の博士であったが世のみだれたのにより山にかくれて採芝の歌をつくった。その歌は四言十句あって、「曄曄紫芝,可以疗飢。皇虞邈远,余将安歸」(曄曄たる紫芝、以て飢を療す可し。唐虞往きぬ、吾は当に安にか帰すべき。)の語がある。〇時危 時世の安泰ならぬこと、安史(安禄山・史思明)の乱がいまだに平定していないことをいう。○惨澹 ものがなしいさま。○悲風 人をかなしませるようなかぜ。 
 


商山の四皓(四人の老人)、漢の高祖のとき張良の計によって老人は山より出て来て高祖の太子の輔佐役となった。羽翼とは輔佐となることをいう。詩意は李泌が広平王僻の輔佐となってくれたならばとおもうことをいう。杜甫自身補佐役であることを示している。綺皓という表現をつかう。秦末の商山の四皓を指す。東園公・用里先生・綺里季・夏黄公の四人が商山に隠れ、ともに八十余歳で、髪は白かったので商山の四皓という。その中の綺里季を代表させてという。漢の高祖が迎えたが、従わなかった。○商山芝 商山は長安の東商商州にある山の名、漢の高祖の時四人の老人があり秦の乱をさけでその山に隠れ芝を採ってくらした。中国秦代末期、乱世を避けて陝西(せんせい)省商山に入った東園公・綺里季・夏黄公・里(ろくり)先生の四人の隠士。みな鬚眉(しゅび)が皓白(こうはく)の老人であったのでいう。

題李尊師松樹障子歌 #1 杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 255

題李尊師松樹障子歌 #1 杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 255
(李尊師が松樹の障子に題する歌)

玄都観の道士李が示した松をえがいたついたてに題した歌。乾元元年の作とする説に従う。


題李尊師松樹障子歌
老夫清晨梳白頭,玄都道士來相訪。
自分はきょうのはれあがったあした、しらがあたまをとかしていたとき、玄都観の道士李尊師がたずねてこられた。
握發呼兒延入戶,手提新畫青松障。
大いそぎで髪をにぎりながら、こどもをよんで之を戸内へ招きいれた。尊師の手には新たにかかれたばかりの靑松の木を描かれた障子立をかかえている。』
障子松林靜杳冥,憑軒忽若無丹青。
その障子屏風の描かれた松林はしずかにとおく暗くつらなって居て、軒端の欄干によって眺めると丹青の画が消えて実物ばかりがある様におもわれる。
陰崖卻承霜雪幹,偃蓋反走虬龍形。』

日陰のくらっぽいそばがけは霜雪をしのぐ松の幹をうけており、松の枝葉がかさなりあって笠のようであり、蛟や竜のようなさまを走らせている。』
老夫平生好奇古,對此興與精靈聚。已知仙客意相親,更覺良工心獨苦。
松下丈人巾屨同,偶坐似是商山翁。悵望聊歌紫芝曲,時危慘澹來悲風。』

(李尊師が松樹の障子に題する歌)
老夫 清晨【せいしん】に白頭を梳【くしけず】る、玄都の道士来りて相 訪【と】う。
髪を握り児を呼び延【ひ】きて戸に入らしむ、手に提【ひっさ】ぐ新画の青松の障。』
障子の松林 静かにして杳冥【ようめい】、軒に憑【よ】れば忽ち丹青無きが若し。
陰崖【いんがい】卻【かえ】って承【う】く霜雪の幹、偃蓋【えんがい】反って走らす虬龍【きゅうりょう】の形。』

老夫 平生 奇古【きこ】を好む、此に対して興 精霊と聚まる。
己に知る仙客の意 相親しむを、更に覺【おぼ】ゆ 良工【りょうこう】の心独り苦しむを。』
松下の丈人 巾屨【きんく】同じ、偶坐是れ商山の翁なるに似たり。
悵望【ちょうぼう】聊【いささ】か歌う紫芝【しし】の曲、時危くして惨澹【さんたん】悲風来る』



現代語訳と訳註
(本文)

老夫清晨梳白頭,玄都道士來相訪。
握發呼兒延入戶,手提新畫青松障。」
障子松林靜杳冥,憑軒忽若無丹青。
陰崖卻承霜雪幹,偃蓋反走虬龍形。』


(下し文)  (李尊師が松樹の障子に題する歌)
老夫 清晨【せいしん】に白頭を梳【くしけず】る、玄都の道士来りて相 訪【と】う。
髪を握り児を呼び延【ひ】きて戸に入らしむ、手に提【ひっさ】ぐ新画の青松の障。』
障子の松林 静かにして杳冥【ようめい】、軒に憑【よ】れば忽ち丹青無きが若し。
陰崖【いんがい】卻【かえ】って承【う】く霜雪の幹、偃蓋【えんがい】反って走らす虬龍【きゅうりょう】の形。』


(現代語訳)
自分はきょうのはれあがったあした、しらがあたまをとかしていたとき、玄都観の道士李尊師がたずねてこられた。
大いそぎで髪をにぎりながら、こどもをよんで之を戸内へ招きいれた。尊師の手には新たにかかれたばかりの靑松の木を描かれた障子立をかかえている。』
その障子屏風の描かれた松林はしずかにとおく暗くつらなって居て、軒端の欄干によって眺めると丹青の画が消えて実物ばかりがある様におもわれる。
日陰のくらっぽいそばがけは霜雪をしのぐ松の幹をうけており、松の枝葉がかさなりあって笠のようであり、蛟や竜のようなさまを走らせている。』


(訳注)
老夫清晨梳白頭,玄都道士來相訪。

自分はきょうのはれあがったあした、しらがあたまをとかしていたとき、玄都観の道士李尊師がたずねてこられた。
老夫 杜甫のこと。○清晨 ほれたあした。○ くしでとかす。○玄都道士 玄都は観(道教のてら)の名、長安の朱雀街崇業坊にあったもの。道士は道教の僧、即ち題の李尊師をさす、尊師は尊者というごとく道士を敬していう。


握發呼兒延入戶,手提新畫青松障。
大いそぎで髪をにぎりながら、こどもをよんで之を戸内へ招きいれた。尊師の手には新たにかかれたばかりの靑松の木を描かれた障子屏風をかかえている。』
握髪 とかしっつあったかみのけをにぎりつついそいで賓客をむかえるさま。延 こちらへと招請する。○手提 手は李の手。○ 題の障子の屏風。


障子松林靜杳冥,憑軒忽若無丹青。
その障子屏風の描かれた松林はしずかにとおく暗くつらなって居て、軒端の欄干によって眺めると丹青の画が消えて実物ばかりがある様におもわれる。
香冥 はるかなかんじでうすぐらいこと。○憑軒 軒端の欄干によってながめる。○若無丹青 丹青とは画の彩色をいう、若無とは画そのものは無いようで、実物があるようだということ。


陰崖卻承霜雪幹,偃蓋反走虬龍形。』
日陰のくらっぽいそばがけは霜雪をしのぐ松の幹をうけており、松の枝葉がかさなりあって笠のようであり、蛟や竜のようなさまを走らせている。』
陰崖 山の北側のがけ。逆光、日の当たらぬがけ。○卻承 松幹が崖をしりぞけるさま。○霜雪幹 霜雪をしのぐみき、松のみきをいう。〇偃蓋 ふせた笠。その形をした松。松の枝葉のかさなりあったさまをいう。○反走 幹が走るならば普通であるが、これは偃蓋のすがたがかえってそのようだというのである。○虬龍形 みずち、竜のようにうねりくねっているかたち。

奉贈王中允維 杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 254

奉贈王中允維 杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 254
(3)

彼は杜甫から「高人王維」と呼ばれたが杜甫に「王中允経に贈り奉る」と題する五言律詩があり、これは758年乾元元年(時に杜甫47歳)の作とされているが、私は同年六月彼が左拾遺から、房琯のことで、朝廷内で疎外を受けて悩み、苦しんだのだ。そして王維に詩を贈って、結果こんどは華州司功参軍に左遷された以後のものではないかと推察している。詩題に王維の官を「中允」(太子中允)というのと、詩の内容に、杜甫自身のかげりある心境が反映されているためである。太子中允は正五品下で、東宮官の太子左春坊に属する侍従職で、天子への上奏を批正したり諌言を口上することを任務とする。王維は前職の給事中より一段階おとされただけの軽い処分ですんだのである。

奉贈王中允維
中允聲名久,如今契闊深。
あなたの名声あることは久しいものであるが、ただ今では非常に深い勤苦をしておられる。
共傳收庾信,不比得陳琳。
世人のいいったえる所ではあなたは庚信が元帝に採用せられたように採用されたということだが、曹操が陳琳を得たことなどとはくらべものにならぬのである。
一病緣明主,三年獨此心。
あなたはただ明天子を忘れず思わるるがために病気となられたのであり、三年のあいだただただ守節の心を持しておられたのである。
窮愁應有作,試誦白頭吟。

あなたは窮愁の境遇に居られてはさだめしお作があることであろう、それをきかんと欲して、自分は先ず試みにこの拙吟をくちずさんでみるのである。

中允声名久し 如今契閥深し
共に伝う庚信を収むと 此せず陳琳を得るに
一癖明主に縁る 三年独り此の心
窮愁応に作有るなるぺし 試みに謂す白頭吟

賊は迫って偽官に著した。賊が平いで、賊に陥った官吏は罪されるはずであったが、そのとき前詩を奏したので、粛宗は王維を宥して太子中允を授けた。此の詩は作者が其の頃に王維に贈ったもの。


現代語訳と訳註
(本文)
奉贈王中允維
中允聲名久,如今契闊深。
共傳收庾信,不比得陳琳。
一病緣明主,三年獨此心。
窮愁應有作,試誦白頭吟。


(下し文)
中允声名久し 如今契閥深し
共に伝う庚信を収むと 此せず陳琳を得るに
一癖明主に縁る 三年独り此の心
窮愁応に作有るなるぺし 試みに謂す白頭吟


(現代語訳)
あなたの名声あることは久しいものであるが、ただ今では非常に深い勤苦をしておられる。
世人のいいったえる所ではあなたは庚信が元帝に採用せられたように採用されたということだが、曹操が陳琳を得たことなどとはくらべものにならぬのである。
あなたはただ明天子を忘れず思わるるがために病気となられたのであり、三年のあいだただただ守節の心を持しておられたのである。
あなたは窮愁の境遇に居られてはさだめしお作があることであろう、それをきかんと欲して、自分は先ず試みにこの拙吟をくちずさんでみるのである。


(訳注)奉贈王中允維
中允聲名久,如今契闊深。

あなたの名声あることは久しいものであるが、ただ今では非常に深い勤苦をしておられる。
中允 王維をさす。○如今 いま。○契閲 勤苦なるさま。


共傳收庾信,不比得陳琳。
世人のいいったえる所ではあなたは庚信が元帝に採用せられたように採用されたということだが、曹操が陳琳を得たことなどとはくらべものにならぬのである。
共伝 世間の人がともにいいつたえる。○収庚信 梁の侯景の乱の時、簡文帝は庚信をして朱雀航に営せしめたが、景が至るや信は衆を以て江陵に奔った。しかし乱がおさまるに及び、元帝は信を以て御史中兎となした。収とは収録し、採用すること。○不比 くらべられぬ。○得陳琳 魂の曹操と衰絹と相い争ったとき、初め陳琳は絹のために挽を討つ散文を草したが後に、挽に事えた。得とは操が琳を得て用いることをいう。


一病緣明主,三年獨此心。
あなたはただ明天子を忘れず思わるるがために病気となられたのであり、三年のあいだただただ守節の心を持しておられたのである。
一病 癖といつわったこと。○明主 天子(玄宗)をさす。〇三年 天宝末より乾元初年までの間。○此心 節を守る心。


窮愁應有作,試誦白頭吟。
あなたは窮愁の境遇に居られてはさだめしお作があることであろう、それをきかんと欲して、自分は先ず試みにこの拙吟をくちずさんでみるのである。
窮愁 戦国超の虞卿の故事、窮して愁うる、経の困窮をいう。○ 詩をつくること。○試諦 作者が詞する。○白頭吟 漢の司馬相如の妻卓文君が夫が妾を買おうとするのをきいて賦した「白頭吟」を引き、王維の詩が君に対して二心なきをいうのはこれと似ている。又、飽照の「白頭吟」の「直きこと朱糸の縄の如く、清きこと玉壷の氷の如し」といい、身の清直で潔白な旨を表現する。

ここでは杜甫自身も、華州司功参軍へ左遷処分をうけるわけで、王維が悶々たる心情をいだいているのが、よく理解できるのだ。「試みに誦られよ」と読んで、王維に身の証しを立てるように、杜甫が勧めたのであろう。杜甫も同じく賊中に捕らわれて「哀王孫」「春望」の詩を作り、のち脱出して鳳翔で粛宗に会い、左拾遺の官を授けられただけに、王維の心情が痛いほど理解できたのである。白頭吟とは作者が自己の詩、即ち此の詩篇をさしていうものとみる。作者の『寄楊五桂州譚』詩に、
五嶺皆炎熱,宜人獨桂林。
梅花萬裡外,雪片一冬深。
聞此寬相憶,為邦複好音。
江邊送孫楚,遠附白頭吟。
(楊五桂州譚に寄す)
五嶺は皆炎熱なり 人に宜しきは独り桂林のみ
梅花万里の外 雪片一冬深し
此れを聞いて相憶を寛にす 邦を為むる復好音
江辺孫楚を送る 遠く附す白頭吟

「あなたの名声はまことに久しいものだ。それが今大変苦しんでいられる。世間では庚信の任用に似ておって、曹操の陳琳採用と大違いという。明主を思えばこそ口のきけぬ病いとなり、三年間ひたすら忠誠の心を守られた。やりきれぬ悲しみに近作がおありでしょう。私も試みに 『白頭吟』を口ずさんでおります」し「庚信を収む」とは、六朝末のすぐれた詩人庚信(513一581)敵防衛の任を放棄して逃亡したが、元帝は彼を御史中丞に任じたことをさす。「陳琳を得」建安七子の一人陳琳(未詳―217)ははじめ蓑紹に仕えて曹操攻撃の猛烈な檄文を書いたがが敗れると曹操に許しを乞い、その幕下に加えられた。庾信の場合は敵前逃亡であったが、陳琳は一時、敵対した。両者の再雇用は事情が異なり、王維の場合は前者に当たるという「三年」の句には、王維の虜囚時の作を唐朝に忠誠を示すものとの認定がこめられている。「窮愁」は『史記』虞卿伝に見える語「白頭吟」は楽府題で相和歌に属し、劉宋の飽照の「白頭吟」には「直きこと朱糸の縄の如く、清きこと玉壷の氷の如し」といい、身の清直で潔白な旨を表現する。ここでは杜甫自身も、華州司功参軍へ左遷処分受けた身であり、王維が不幸な境遇に陥って悶々たる心情をいだいているのが、よく理解できるとの意にとったが「試みに誦られよ」と読んで、王維に身の証しを立てるように、杜甫が勧めたと解釈することも可能であろう。杜甫も同じく賊中に捕らわれて「春望」の詩を作り、のち脱出して鳳翔で粛宗に会い、左拾遺の官を授けられただけに、王維の心情が痛いほど理解できたのであろう。
しかし、後世の王維に対する批判には厳しいものがあり、南宋の朱熹や明・清の交の雇炎武(1613-1682)はなかなかに痛烈である。朱熹は「禄山の乱に遭いて、賊中に陥るも死する能わず、事平らぎて復た幸いに誅されず、其の人民に言うに足らず」(『楚辞後語』)といい、顧炎武は王維の虜囚時の作を挙げて、「古来、文辞を以って人を欺く者は謝霊運に若くは莫く、次は則ち王維なり」(『日知録』巻二一)ときめつけ、杜甫が王維を高人と評したことを、「天下に高人にして賊に仕うる者有りや」と杜甫にまで駁撃を加える。

王維 口號又示裴迪 杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 253

王維 口號又示裴迪 杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 253

(2)王維
両作ともほぼ同時と思われるのが、次の「口号して又に裴迪に示す」と題する七言絶句である。


前作を話して、王維の昂奮はいっそう高まったのであろう。「又」の字はよくそれを示していなお『万首句人絶唐』はこれを「菩提寺の禁にて裴迪に示す」と題する。

口號又示裴迪
安得捨塵網、沸衣辭世喧。
悠然策藜杖、歸向桃花源。
(口号して又に裴迪に示す)
安くにか塵網を捨つるを得て、衣を払いて世の喧しきを辞し。
悠然として藜の杖を策き、帰りて桃花源に向かわん。


現代語訳と訳註
(本文)

口號又示裴迪
安得捨塵網、沸衣辭世喧。
悠然策藜杖、歸向桃花源。

(下し文) (口号して又に裴迪に示す)
安くにか塵網を捨つるを得て、衣を払いて世の喧しきを辞し。
悠然として藜の杖を策き、帰りて桃花源に向かわん。


(現代語訳)
とても難しいことだけど俗世界を捨てたいのだ、煩わしい衣についてくる塵のように私に要求してくることを払いのけたい、そして隠棲したいのだ。
ゆったりと落ち着いた気分で藜杖をついて、散策する桃源郷に向かって帰りたい。

(訳注)
安得捨塵網、沸衣辭世喧。

とても難しいことだけど俗世界を捨てたいのだ、煩わしい衣についてくる塵のように私に要求してくることを払いのけたい、そして隠棲したいのだ。
安得 難しいことだがなんとかしての意。ほとんど実行不可能を予想していう言葉。○塵網 脱出が難しい俗世のこと。俗界。『文選、江淹、雜體、許徴君自序詩』「五難既に儷落、超迹絶塵網」陶淵明『帰田園居』(田園の居に帰る)
歸園田居五首       其一
少無適俗韻,性本愛邱山。
誤落塵網中,一去三十年。
羈鳥戀舊林,池魚思故淵。
開荒南野際,守拙歸園田。
方宅十餘畝,草屋八九間。
楡柳蔭後簷,桃李羅堂前。
曖曖遠人村,依依墟里煙。
狗吠深巷中,鷄鳴桑樹巓。
戸庭無塵雜,虚室有餘閒。
久在樊籠裡,復得返自然。
「誤って塵網の中に落ち、一たび去りて十三年」と見える。
○払衣 衣の塵をはらって隠遁する意、
歸園田居五首    其一
少より 俗韻に適ふこと無く,性本と邱山を愛す。
誤りて塵網の中に落ち,一たび去ること 三十年。
羈鳥 舊林を戀ひ,池魚 故淵を思ふ。
荒を開く 南野の際,拙を守りて 園田に歸る。
方宅 十餘畝,草屋 八九間。
楡柳 後簷(えん)を蔭(おほ)ひ,桃李堂前に羅(つらな)る。
曖曖たり 遠人の村,依依たり 墟里の煙。
狗は吠ゆ 深巷の中,鷄は鳴く 桑樹の巓。
戸庭 塵雜 無く,虚室 餘閒有り。
久しく樊籠の裡に在れども,復(ま)た自然に返るを得(う)。
謝霊運「述祖徳詩」其二祖(徳を述ぶ)に謝霊運の『述祖德詩』に「達人貴自我,高情屬天雲。兼抱濟物性,而不纓垢氛。段生蕃魏國,展季救魯人。」「高く七州の外に揖り、衣を五湖の蓑に払う」と見える。


悠然策藜杖、歸向桃花源。
ゆったりと落ち着いた気分で藜杖をついて、散策する桃源郷に向かって帰りたい。
○悠 ゆったりと落ち着いたさま。『文選、陶淵明、雑詩』「飲酒其五 陶淵明
結廬在人境,而無車馬喧。
問君何能爾?心遠地自偏。
采菊東籬下,悠然見南山。
山氣日夕佳,飛鳥相與還。
此中有真意,欲辨已忘言。」(菊を采る東籬の下、悠然として南山を望む)○藜杖【あかざのつえ】 『荘子』譲王篇に子頁が貧乏な原意を訪ねたとき、原意は「藜を杖つきて門に応じ」たと見える。藜はアカザ科の一年草、葉は食用・薬用に供せられ、茎は軽くて堅いので老人の杖に用いられる。「桃花源」は古代の質朴さを留めた理想社会。陶淵明に「桃花源記」がある。王維はこのとき「塵網」と「世喧」につくづく安禄山に愛想が尽きていたのであろう。隠者となって、嘘と偽りのない古代社会に帰りつくことを、ひたすら願望していた。


756年至徳元載七月、粛宗は霊武に即位した(はじめ文武官は三十人ほど)のち、態勢を整え、長安回復をはかりつつあったが、帰属する官僚や軍人は次第に増加し、特に郭子儀・李光弼の両名将の到着は臨時政府の大きなささえとなった。勇将の顔真卿は敵の根拠地河北を中心に力戦していたが、房琯が率いた五万の兵が十月に陳涛斜(隣西成陽東)青坂で大敗を喫し、十二月、四道の節度使を兼ねた、永王璘(李白はその幕僚となった)が叛意を抱いて江陵(湖北省)から金陵(南京)をめざしたのは、ともに大きな痛手であった。

当時、山西の地で李光弼とともに、要衝の大原を守っていたのは、大原少尹(副長官、従四品下)の職にあった王維の弟王縉である。
757年至徳二載(時に王維五十七歳)正月、安慶緒は父の安禄山を殺して、大燕皇帝となった。大原が史思明の大軍十万に包囲され、李光弼が嘉の弱卒を率い、知略の限りを尽くして守り抜いたのもこの一月のことである。

二月には粛宗は行在所を寧夏の霊武から、長安の西140kmの鳳翔に移し、隴右・河西・安西など西海の辺境守備軍やウイグル異民族の兵を集め、永王璘の反乱も鋲圧し、両都回復の態勢を撃え、各地における官軍の善戦もあって、
九月には広平主催(のちの代宗)を総帥とする十五万の兵を発して両都に向かわせ、
九月二十七日、敵十万を長安の西で破り、
九月二十八日には長安を、
十月十八日には洛陽を回復した。
十月二十三日に粛宗が鳳翔から、
十二月四日に上皇(玄宗)が蜀から長安に帰ってきた。

■河北を中心に兵乱はなお続いていたが、中興の業はほぼ成り、論功行賞とあわせて、偽政府に従った官僚の処罰が議せられた。御史中盃の程器・呂詮は、敵に降った官僚は「国に背き偽に従ったもの」ゆえ、法律どおりすべて死刑に処すべしと主張し、粛宗も一時はそれに賛成したが、皇族の李幌が処分をゆるめるように進言するや、結局、李幌の意見が採択されて、見せしめの死刑から流罪、左遷に至る六等の刑によって処分することが確定した。

このとき、いちばん問題になったのは張均・張泊兄弟の処分であった。彼ら兄弟はかつての重臣張説の子で、張泊は唐王室と婚姻関係までありながら、ともに安禄山に従い、均は偽政府の中書令に、泊は宰相に就いた。上皇は両者の死罪を当然としたが、粛宗は兄弟の力で李林甫の毒手を免れえたのを理由に助命を願ったので、均は死罪、泊は広東方面への永久配流と決定した(以上は『賢治通鑑』巻二二〇による。両『唐吾』は均は合浦(広東省)に配流、泊は賊中で死亡と記す)。その他、達臭均ら十八人は死刑、陳希烈ら七人には自尽を賜わった。王維は長安におれば、上述のように九月二十八日に解放されたであろうが、「貴公の神道碑」の自述によれば、十か月ほどの拘禁生活を経たのち、ついに堪えきれず給事中の偽職を受けたようであるので、職掌柄洛陽に移っていたとも察せられる(至徳二我の五、六月ごろからか)。とすれば、彼は十月十八日洛陽で官軍により、解放されたことになる。ただ、彼はそれ以後も十二月の処分決定まで、未決囚としてまず京兆府の獄に、ついで楊国忠の旧邸に身体を拘束されたであろうから、安禄山軍の長安占領以後約一年半ほどを、拘禁またはそれに近い状態で生活を送ったことになる。その間、彼は生命の危険を幾度か覚えたはずである。崖器らの意見が通れば、王維も死罪に処せられるところであったが、彼に対する処分は意外に軽かった。このあたりの事情を『旧唐書』本伝は次のようにいう。

賊平らぎ、賊に陥ちし官は三等にて罪是めらる。王維は「擬碧」の詩行在に聞こゆるを以って、粛宗之差したまう。会【たま】たま王縉己が刑部侍即を削りて、兄の罪を贖【あがな】わんと請う。特に之を宥【ゆる】し、太子中允を責授さる。

『新唐書』本伝の記事もほぼ同じであるが、「擬碧」の詩が自然に行在所に伝わったのではなく、ある人がわざわざその詩を行在所の粛宗に伝えたと記述している。「三等」は本来「六等」が正しいが、ここでは、見せしめの死刑・自尽・杖刑の比較的重い「三等」の刑をあげたのであろう。王維に対する処分は「責授」(罪芸めつつ官を授ける。左遷に同じ)であるので、「三等」以下の監当たる。それゆえ「特に宥す」と表現したのであろう。「刑部侍郎」は尚書六部の一つで、刑法を管掌する。侍即は次官で正四雫。王潜は大原少冒して大原防衛に功績があったので、刑部侍郎(当時は『新唐害』本伝誓うように計と呼ばれていた)覧進したのである。

かくして偽政府に投降した行為は、最も軽い処分で決着したが、この拭いようのない汚点は、彼姦しい自責に駆。たてた。彼が太子中允(李中允といっても、彼の「集賢学士を謝する表」に「朝議大夫雲子中允臣維」というように、正官ではなく試官であり、正確には李中允待遇というべきである)に任ぜられたとき、恩命を謝して奉った表(文体の名称で上奏文の一撃あり、事柄を明らかにする目的で、陳情に用いる)の「太子中允に除せらるるを謝する表」に、当時の心境をよく綴いる。


詔は宸衷【しんちゅう】より出で、恩は望表【ぼうひょう】に過ぐ。捧戴【ほうたい】して裁【な】す所知らず。臣は聞く、君の禄を食むものは、君の難に死すと。逆胡の紀を干し、上皇の官を出でたまうに当たり、臣は進みて従行するを得ず、退きて自殺する能わず。情は察すべしと雖ども、罪は誅を容されず。……仍ち、網を祝するの恩を開き、臣を鼓に釁【ちぬ】るの戮【りく】より免【まぬか】れしめたまい、書を投じて罪を削り、襟を端【ただ】して朝に立たしめたもう。穢汚【わいお】の残骸、死滅の余気、伏して明主に謁【まみ】ゆるに、豈に自から心に娩【は】じざらんや。仰ぎて勲臣に廁【まじ】わるに、亦た何をか其の面に施さん。天に媚みて内を省みるに、地として自ら容るる無し。……朝に罪人の禄を食むを容さは、必ずや法を屈ぐるの嫌【うたが】いを招かん。臣は仏を奉じ恩に報ゆるを得て、白から死せざるの痛みを寛【ゆる】うせん。


「望表」は望外に同じ、『南史』王藻伝に「栄は望表に出ず」と見える。「網を祝す」とは「解網祝禽」の略で、殿の湯王が網の三面を開けて、閉じこめられた鳥を解き放ち、その前途を祝福した故事にもとづく。「鼓に馨る」とは人を殺してその血を太鼓に塗ること。戦争時の勝利を祈る儀式であった。『左伝』僖公三十三年に「孟明稽首して日わく、君の恵みは囚われの臣を以って鼓に費らざることなり」と見える。「天に指む」とは天が高いのに、つかえはしないかと身をかがめることで、恐れのため過度に行動を慎重にするたとえ。『詩経』小雅、正月にもとづく言葉。彼は前述のように、裴迪に示した作品で、隠退して桃源郷に赴きたいといい、ここでは仏道に帰依して、贖罪と報恩のうちに一生を終わりたいという。彼は太子中允の職に任ぜられて、出仕する毎日ではあったが、顔に厚化粧を施すか、仮面でもかぶらねは過ごせないほどの思いをいだいていたのであろう。



さて王維の作品は、次のような裴迪と昌号した七言絶句と長い題名がついているものとある。それはこの作品が書きつけたものでなく、口頭による即興吟(いわゆる「口号」)であった関係によるのであろう。

問題はこの状況下で杜甫が一年前に房琯について僭越にも余計なことをいってしまったこと。そして、兩都を奪還し、朝廷内での地位が固まってきた段階でまた余計なことをいったことになる。この詩の後左遷ということになってしまうのである。あくまでも此の視点は朝廷側、粛宗側から見たのである。粛宗は基本的に文人が嫌いなのである。

王維 菩提寺禁、誦示裴廸 杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 252

王維 菩提寺禁、誦示裴廸 杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 252

(1)王維
菩提寺禁、裴廸来相看、説逆賊等凝碧池上作音楽、
供奉人等擧聲、便一時涙下、私成口読、誦示裴廸。

太子中允である王維に贈った詩。乾元元年の作。王維は天宝の末年に給事中の官であったが玄宗が蜀に奔ったとき従うに及ばず、叛乱軍にとらえられた。王維は薬をのんで痢を取り詐って痔の病と称した。安禄山はもとよりこれを憐んだが、人を遣わして洛陽に迎え来らせ菩提寺(或は普施寺という)に拘した。
杜甫は房琯の擁護をして粛宗の逆鱗に触れ、長安・洛陽奪還の肝心な時に鄜州羌村の家族のもとにあった。
朝廷内では他の官僚との交流もなく、疎外されていた。この間の詩については掲載の通り、内容的に、朝廷内で仕事は全くされてない状況であった。そうした中で王維に対して出過ぎた詩を贈ってしまった。杜甫が左遷されられる原因の一つに王維に対する詩をあげる。

この時期に至る王維の情況、朝廷の情況を見ていく。王維については、叛乱軍の中で口号して作った二首についてみる。その後に杜甫の王維に送る詩を見る。
(1)王維 菩提寺禁、誦示裴廸―『万首句人絶唐』引用の詩題
(2)王維 口號又示裴迪
(3)杜甫 奉贈王中允維

《菩提寺禁、誦示裴廸》(略題)

菩提寺禁、裴廸来相看、説逆賊等凝碧池上作音楽、
供奉人等擧聲、便一時涙下、私成口読、誦示裴廸。
菩提寺の拘禁所に、裴迪が面会にやって来て、『逆賊らが凝碧池の畔で音曲を楽しんだが、かつての梨園の弟子たちが泣きだすと、みなどっと涙を流した』と話してくれた。ひそかに即興吟を作り、口ずさんで裴迪に示した。
《菩提寺禁、誦示裴廸》
萬戸傷心生野煙、百官何日再朝天。
長安の町中が人家は、廃墟と化して街中というに野のかすみがたちこめ、見るものの心を傷しめる。思いねがうは、文武百官の再び天子に拝謁することである、いつの日であろうか。
秋槐葉落空宮裏、凝碧池頭奏管絃。

秋の槐の葵は、主のない宮殿に散り落ちているだけ、叛乱軍のやからは、洛陽宮の凝碧池の辺でにあわない音楽を奏し、酒宴をするという。

(菩提寺の禁に、裴廸【はいてき】来りて相い看るに、逆賊等、凝碧池【ぎょうへきち】上【じょう】に音楽を作【な】し、供奉【くぶ】の人等声を挙げて、便【すな】わち一時に涙下ると説く。私【ひそ】かにロ号口【こうこう】を成【な】し、誦【しょう】して裴廸に示す)。
(菩提寺の禁にて裴迪に示す」)
万戸傷心 野煙生ず、百官 何れの日か再び天に朝せん。
秋槐 望落つ 空宮の裏、凝碧 池頭 管絃を奏す

10risho長安城の図035

現代語訳と訳註
(本文)

菩提寺禁、裴廸来相看、説逆賊等凝碧池上作音楽、
供奉人等擧聲、便一時涙下、私成口読、誦示裴廸。

萬戸傷心生野煙、百官何日再朝天。
秋槐葉落空宮裏、凝碧池頭奏管絃。


(下し文)
(菩提寺の禁に、裴廸【はいてき】来りて相い看るに、逆賊等、凝碧池【ぎょうへきち】上【じょう】に音楽を作【な】し、供奉【くぶ】の人等声を挙げて、便【すな】わち一時に涙下ると説く。私【ひそ】かにロ号口【こうこう】を成【な】し、誦【しょう】して裴廸に示す)

万戸傷心 野煙生ず、百官 何れの日か再び天に朝せん。
秋槐 望落つ 空宮の裏、凝碧 池頭 管絃を奏す


(現代語訳)
菩提寺の拘禁所に、裴迪が面会にやって来て、『逆賊らが凝碧池の畔で音曲を楽しんだが、かつての梨園の弟子たちが泣きだすと、みなどっと涙を流した』と話してくれた。ひそかに即興吟を作り、口ずさんで裴迪に示した。
長安の町中が人家は、廃墟と化して街中というに野のかすみがたちこめ、見るものの心を傷しめる。思いねがうは、文武百官の再び天子に拝謁することである、いつの日であろうか。
秋の槐の葵は、主のない宮殿に散り落ちているだけ、叛乱軍のやからは、洛陽宮の凝碧池の辺でにあわない音楽を奏し、酒宴をするという。

(訳注)
菩提寺禁、裴廸来相看、説逆賊等凝碧池上作音楽、
供奉人等擧聲、便一時涙下、私成口読、誦示裴廸。
菩提寺の拘禁所に、裴迪が面会にやって来て、『逆賊らが凝碧池の畔で音曲を楽しんだが、かつての梨園の弟子たちが泣きだすと、みなどっと涙を流した』と話してくれた。ひそかに即興吟を作り、口ずさんで裴迪に示した。
○此の詩は、王維が安禄山に拘禁されていた時の作として知られる。○菩提寺 長安の平康坊南門の東にあったという。(長安城図参考)○ 王維が監禁されているところ、監獄。○裴迪 王維の友人。 
 王維詩 年賦・詩の時系序列
 王維 詩目次と詩のタイトル
 王維のアウトライン
 王維ものがたり


萬戸傷心生野煙、百官何日再朝天。
長安の町中が人家は、廃墟と化して街中というに野のかすみがたちこめ、見るものの心を傷しめる。思いねがうは、文武百官の再び天子に拝謁することである、いつの日であろうか。
野煙 野のかすみ。○朝天 朝廷に出仕する。
詩題でも裴迪(長安に住んでいた)の面会を言い、『洛陽伽藍記』の「菩提寺」の項にも、王維の拘禁について記述がない。王維はこの時長安にいた。裴迪も長安を居住としていた。「万戸」「百官」と対をなす語からも、首都長安のイメージが濃厚であり、賈至、王維、杜甫、岑参の「早朝大明宮」に
奉和中書賈舎人早朝大明宮  岑參
雞鳴紫陌曙光寒,鶯囀皇州春色闌。
金闕曉鐘開萬戶,玉階仙仗擁千官。
花迎劍珮星初落,柳拂旌旗露未乾。
獨有鳳凰池上客,陽春一曲和皆難。
鶏鳴いて紫陌曙光寒し、鶯囁じて皇州春色闌なり。
金闕の暁鐘万戸を開き、玉階の仙仗千官を擁す。
花は剣侃を迎えて星初めて落ち、柳は旋旗を払って露未だ乾かず。
独り鳳皇池上の客有り、陽春の一曲和すること皆難し。
「金闕の暁鐘万戸を開き、玉階の仙仗千官を擁す。」と見えるのが、そのイメージを支える例証となる。「秋槐」の句は長安・洛陽いずれの宮殿にかけてよく、結びは洛陽についていう。ここで重要なことは、安禄山の酒宴に王維が参加していないということである。彼は756年天宝十五載(七月に至徳元我と改元)の六、七月ごろ、安禄山軍の捕虜となり、やがて洛陽に送られて、安禄山から偽官に就くことを要求されたが、それを拒否し、再び長安に連れもどされて、菩提寺に拘禁されていたのであろう。この作品が両都回復後に行なわれた功賞と処罰において、彼が寛大な処分を受ける大きな原因となった


秋槐葉落空宮裏、凝碧池頭奏管絃。
秋の槐の葵は、主のない宮殿に散り落ちているだけ、叛乱軍のやからは、洛陽宮の凝碧池の辺でにあわない音楽を奏し、酒宴をするという。
 えんじゅ。○逆賊等 安史軍安縁山叛乱軍を指す。○凝碧池 唐の東の都、洛陽の禁苑にある池。○供奉人 宮廷の楽士。○挙声 楽器の音を出す。○口号 詩の体裁の一。口に隨って吟詠する意という。○誦示 文字に記さず、口づたえに示す。○なおこの時、王維と共に捕えられ、安禄山の官位を受けたものは、すべて罪せられたが、王維は此の詩のお陰で免かれたという。安縁山が凝碧池で宴した様子は「明皇雜録」にくわしい。抜粋して載せる。

「明皇雜録」 
 「天宝末、群賊両京(長安と洛陽)を陥し、大いに文武の朝臣及び黄門(宦官)、宮嬪(女官)を掠め、楽工、騎士、数百人を獲る毎に、兵仗を以て厳に衛り、洛陽に送る。山谷に逃るる者有るに至るも、而かも卒に能く羅捕迫脅し、授くるに冠帯(官位)を以てす。安禄山、尤も意を楽工に致し、求訪すること頗る切なり。旬日にして梨園の弟子数百人を獲だり。群賊、因りて相い与に大いに凝碧池に会して宴す。偽官数十人、大いに御庫(天子の宝物庫)の珍宝を陳べ、前後に羅列す。楽既に作る。梨園の旧人(かつての玄宗皐粧肛属の歌舞音曲団員)、覚えず歔欷(すすりなき)し、相い対し涙下る。群逆、皆な刃を露わし満を持し以て之れを脅かすも、已むあたわず。楽工の雷海青なる者有り。楽器を地に投じ、西向(玄宗皇帝のいる方角)して慟哭す。逆党(逆賊の一昧)乃わち海青を戯馬殿に縛し、支解(手足をばらばらにする酷刑)して以て衆に示す。之れを聞く者、傷痛せざるなし。禄山素より其の才を知る。迎えて洛陽に置き、迫って給事中と為すっ禄山大いに凝碧池に宴し、悉く梨園の諸工を召して合楽せしむ。諸工皆な泣く。維聞きて悲しむこと甚だしく、詩を賦りて悼痛めり。王維、時に賊の為に菩提仏寺に拘われ、之れを聞きて詩を賦す云云」とある。
《大意》
この凝碧池の宴会は、それによれば、安禄山軍以外に、偽政府のもと朝臣数十人も列席したという。安禄山は至徳二我の春正月六日早朝に子の安慶緒に殺されているから、この宴会は至徳元載(757)(時に王維五十六歳)の秋でなければならない。これに王維は出席していないから、当時は安禄山が与えようとした官(給事中)を拒否しつづけて、菩提寺(杜甫「崔氏東山草堂」原注を信すれば「東山北寺」)に拘禁されていたのであろう。 なおこのとき、音楽が始まったものの、梨園に席を置いた楽師たちは泣きだし、兵士たちは自刃で脅かしたが彼らは泣きやまず、雷海青という琵琶の名手は楽器を投げだし、玄宗が住む西方の覇に向かって慟哭した。怒った安禄山軍は彼の身体をばらばらに切り離して、見せしめにしたという。


王維が安禄山叛乱軍に捕らわれ、やむなえぬ事情ということで投降して、叛乱軍の政府の官僚となったことは、唐王朝に対する反逆である。男女別なくとらわれれば、敵の収穫物となるのであり。したがって、やむを得ない投降はないのであり、死か、反逆かしかないのであった。首都を回復した唐王朝としては叛乱者の官僚になるということは、許しがたい犯罪的行為であったのだ。彼は弟王潜の懸命な嘆願や後述する虜囚中の作品によって、微罪となったわけだが、この時代としては表面的なものでしかなく、王維自身には終生解決しえない重荷を負ったのである。

王維 輞川集

1孟城幼 もうじょうおう
2華子岡 かしこう
3文杏館ぶんきょうかん
4斤竹嶺 きんちくれい
5鹿柴   ろくさい 
6木蘭柴 もくらんさい
7茱萸拌 しゅゆはん
8宮塊陌 きゅうかいはく
9臨湖亭 りんこてい
10南 陀 なんだ
11欹 湖 いこ
12柳 浪 りゅうろう
13欒家瀬らんからい
14金屑泉 きんせつせん
15白石灘はくせきたん
16北 陀 ほくだ
17竹里館 ちくりかん
18辛夷塢 しんいお
19漆 園 しつえん
20椒 園 しょうえん


奉答岑參補闕見贈 杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 250

奉答岑參補闕見贈 杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 250

岑参44歳  長安在り,右補闕に任。  「寄左省杜拾遺」



奉答岑參補闕見贈
岑参補闕が贈ってくれた詩を見た詩に答え奉る
窈窕清禁闥,罷朝歸不同。
頭がよく顔も美しいしとやかな美人は清らかに宮中の中にいる。何時も朝廷からは同じように帰るとは限らない。
君隨丞相後,我往日華東。
岑参君は今後郭子儀宰相に後にしたがっていくとよい、わたしは日が昇り輝いている東の方に行くみたいだ、
冉冉柳絲碧,娟娟花蕊紅。
今や、しだれ柳の青緑の小枝はやわらかに垂れ下がり、蝶などが美しく飛び、花芯は紅色である。
故人有佳句,獨贈白頭翁。
友達である君は、良い詩をたくさん作っている、その詩の一つになるものといえる詩を白髪頭のこの老人に贈ってくれる。


岑參補闕に 贈るを見るに 答え奉る
窈窕は禁闥に清し,罷く朝に同じせず歸る。
君 丞相の後に随い,我 日華の東に往く。
冉冉 柳絲は碧なり,娟娟 花蕊は紅なり。
故人は佳句有り,ひとり 白頭翁に贈る。


現代語訳と訳註
(本文)
奉答岑參補闕見贈
窈窕清禁闥,罷朝歸不同。
君隨丞相後,我往日華東。
冉冉柳絲碧,娟娟花蕊紅。
故人有佳句,獨贈白頭翁。


(下し文) 岑參補闕に 贈るを見るに 答え奉る
窈窕は禁闥に清し,罷く朝に同じせず歸る。
君 丞相の後に随い,我 日華の東に往く。
冉冉 柳絲は碧なり,娟娟 花蕊は紅なり。
故人は佳句有り,ひとり 白頭翁に贈る。


(現代語訳)
岑参補闕が贈ってくれた詩を見た詩に答え奉る
頭がよく顔も美しいしとやかな美人は清らかに宮中の中にいる。何時も朝廷からは同じように帰るとは限らない。
岑参君は今後郭子儀宰相に後にしたがっていくとよい、わたしは日が昇り輝いている東の方に行くみたいだ、
今や、しだれ柳の青緑の小枝はやわらかに垂れ下がり、蝶などが美しく飛び、花芯は紅色である。
友達である君は、良い詩をたくさん作っている、その詩の一つになるものといえる詩を白髪頭のこの老人に贈ってくれる。


(訳注)
奉答岑參補闕見贈

岑参補闕が贈ってくれた詩を見た詩に答え奉る
長く節度使の幕僚として西域にあったが、安禄山の乱があった757年に粛宗がいた鳳翔にはせ参じて、杜甫らの推挙により右補闕となり、その10月には粛宗に従って長安に赴く。


窈窕清禁闥,罷朝歸不同。
窈窕は禁闥に清し,罷く朝に同じせず歸る。
頭がよく顔も美しいしとやかな美人は清らかに宮中の中にいる。何時も朝廷からは同じように帰るとは限らない。
窈窕 頭がよく顔も美しいしとやかな美人。『詩経、周南、關睢』「窈窕淑女、君子好逑」(窈窕たる淑女は、君子の好逑)○清 ○禁闥 宮中の小門。転じて宮中。『史記、汲黯傳』「出入禁闥、補過拾遺、臣之願也」(入し禁闥に出、過ちを補い遺を拾うは、臣之願い也)


君隨丞相後,我往日華東。
君 丞相の後に隨い,我 日華の東に往く。
岑参君は今後郭子儀宰相に後にしたがっていくとよい、わたしは日が昇り輝いている東の方に行くみたいだ、
○日華 日の光。『文選、謝朓、和徐都曹詩』「日華川上動、風光草際浮。」(日華 川上に動き、風光草際に浮ぶ。)杜甫は、この後秋になって東方の華州に左遷されることが予想されていたのであろうか。


冉冉柳絲碧,娟娟花蕊紅。
冉冉 柳絲は碧なり,娟娟 花蕊は紅なり。
今や、しだれ柳の青緑の小枝はやわらかに垂れ下がり、蝶などが美しく飛び、花芯は紅色である。
○冉冉 やわらかに垂れ下がり形容。○柳絲 柳の小枝。柳条。○娟娟 曲がりうねる。清く明るい様子。蝶などが美しく飛ぶさま。


故人有佳句,獨贈白頭翁。
故人は佳句有り,獨り白頭翁に贈る。

友達である君は、良い詩をたくさん作っている、その中の一つになるものといえる詩を白髪頭のこの老人に贈ってくれる。
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岑参から杜甫に『寄左省杜拾遺』 249

岑参から杜甫に『寄左省杜拾遺』 249
寄左省杜拾遺(左省の杜拾遺に寄よす)岑参
五言律詩。微・歸・飛・稀(平声微韻)。

杜甫に推薦してもらって、補闕に採用された新人であるが、朝廷の中で、仕事がなく、相手にされず疎外感をもって、自棄になっている杜甫に対して、わたしも同じように仕事はないのだと詠ったものである。


寄左省杜拾遺
門下省左省の杜甫左十遺に寄せる。
聯歩趨丹陛、分曹限紫微。
門下省の官僚が列をそろえて丹庭から、丹の階に向かう、部局の限られたものだけが紫微殿に入る。
曉隨天仗入、暮惹御香歸。
朝の参事には天子の行列を護衛する兵にしたがってはいる。夕暮れてから宮中で焚かれる香の香りと一緒に紫微殿から帰る。
白髮悲花落、青雲羨鳥飛。
この白髪頭のわたしは春花が咲き誇っているのに散り落ちていくのを見ると悲しくなる。春霞の大空に鳥は飛んでいるのをうらやましく思う。
聖朝無闕事、自覺諫書稀。
この天子の治められる朝廷においては政治上の欠陥というものが全くない。わたしは職務である天子をいさめる書をすることなど稀なことでしかないのを感じている。


(左省の杜拾遺に寄よす)
歩を聯【つらね】て丹陛【たんぺい】に趨【はし】るも、曹を分って紫微【しび】に限らる。
曉には天仗【てんじょう】に随って入り、暮には御香【ぎょこう】を惹【ひい】て帰る。
白髪 花の落るを悲しみ、青雲 鳥の飛ぶを羨やむ。
聖朝【せいちょう】 闕事【けつじ】無く、自から覚ゆ 諫書【かんしょ】の稀なるを。

唐朝 大明宮2000


現代語訳と訳註
(本文)
寄左省杜拾遺
聯歩趨丹陛、分曹限紫微。
曉隨天仗入、暮惹御香歸。
白髮悲花落、青雲羨鳥飛。
聖朝無闕事、自覺諫書稀。


(下し文) (左省の杜拾遺に寄よす)
歩を聯【つらね】て丹陛【たんぺい】に趨【はし】るも、曹を分って紫微【しび】に限らる。
曉には天仗【てんじょう】に随って入り、暮には御香【ぎょこう】を惹【ひい】て帰る。
白髪 花の落るを悲しみ、青雲 鳥の飛ぶを羨やむ。
聖朝【せいちょう】 闕事【けつじ】無く、自から覚ゆ 諫書【かんしょ】の稀なるを。


(現代語訳)
門下省左省の杜甫左十遺に寄せる。
門下省の官僚が列をそろえて丹庭から、丹の階に向かう、部局の限られたものだけが紫微殿に入る。
朝の参事には天子の行列を護衛する兵にしたがってはいる。夕暮れてから宮中で焚かれる香の香りと一緒に紫微殿から帰る。
この白髪頭のわたしは春花が咲き誇っているのに散り落ちていくのを見ると悲しくなる。春霞の大空に鳥は飛んでいるのをうらやましく思う。
この天子の治められる朝廷においては政治上の欠陥というものが全くない。わたしは職務である天子をいさめる書をすることなど稀なことでしかないのを感じている。


(訳注)
寄左省杜拾遺

門下省左省の杜甫左十遺に寄せる。
左省  門下省。○杜拾遺  杜甫。拾遺は官名。左拾位であった。天子の過失をいさめる役。


聯歩趨丹陛、分曹限紫微。
歩を聯【つらね】て丹陛【たんぺい】に趨【はし】るも、曹を分って紫微【しび】に限らる。
門下省の官僚が列をそろえて丹庭から、丹の階に向かう、部局の限られたものだけが紫微殿に入る。
丹陛  朱で塗った宮殿の階段。○  部局。○紫微  紫微宮。外朝(含元殿)、中朝(宣政殿)、内朝(紫宸殿)これらをつなぐ庭は丹く塗られていた。


曉隨天仗入、暮惹御香歸。
曉には天仗【てんじょう】に随って入り、暮には御香【ぎょこう】を惹【ひい】て帰る。

朝の参事には天子の行列を護衛する兵にしたがってはいる。夕暮れてから宮中で焚かれる香の香りと一緒に紫微殿から帰る
天仗  天子の行列を護衛する兵。○御香  宮中で焚かれる香の香り。


白髮悲花落、青雲羨鳥飛。
白髪 花の落るを悲しみ、青雲 鳥の飛ぶを羨やむ。
この白髪頭のわたしは春花が咲き誇っているのに散り落ちていくのを見ると悲しくなる。春霞の大空に鳥は飛んでいるのをうらやましく思う。


聖朝無闕事、自覺諫書稀。
聖朝【せいちょう】 闕事【けつじ】無く、自から覚ゆ 諫書【かんしょ】の稀なるを。
この天子の治められる朝廷においては政治上の欠陥というものが全くない。わたしは職務である天子をいさめる書をすることなど稀なことでしかないのを感じている。
聖朝  時の朝廷を尊んでいうことば。○闕事  政治上の欠陥。○諫書  天子をいさめる書。


この頃の岑参の詩
HP漢文委員会岑参詩しい参照
758年
2月、載を年と改む。
6月、房官、分州刺史に流さる。この年、李白、夜郎に流さる。王之渙、王翰

44歳  在長安,任右補闕。  「寄左省杜拾遺」
乾元元年   詩
127  奉和中書賈至舍人早朝大明宮(春末作
128  西掖省即事(春末)
129  寄左省杜拾遺(春末)
130  送人歸江寧(姑繫此年)
131  送揚州王司馬(同上)
132  送許拾遺恩歸江寧拜親(本年春夏間作于長安)
133  懷葉縣關操姚擴韓涉李叔齊
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曲江陪鄭八丈南史 杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 248

曲江陪鄭八丈南史 杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 248

758年乾元元年春、左拾遺であった頃の作。

 臘日   
 送鄭十八虔貶台州司、傷其臨老隋賊之故閲馬面別情見於詩
 宣政殿退朝晚出左掖
 紫宸殿退朝口號 
 春宿左省
 晚出左掖
 題省中院壁
 奉和賈至舍人早朝大明宮
 送賈閣老出汝州

 送翰林張司馬南海勒碑





 曲江二首 其一

 曲江二首 其二

 曲江封酒 
 曲江封雨 
 曲江陪鄭八丈南史飲
 奉陪贈附馬韋曲二首 其一
 奉陪贈附馬韋曲二首 其二

 奉贈王中允維
 送許八拾遺歸江寧覲省。甫昔時嘗客遊此縣,於許生處乞瓦棺寺維摩圖樣,誌諸篇末
 因許八奉寄江寧旻上人
 題李尊師松樹障子歌
 得舎弟消息(乱後誰帰得
 送李校書 二十六韻  
 逼仄行,贈畢曜(逼側行贈畢曜)

杜甫の詩が曲江其一より次第に変化している。

曲江陪鄭八丈南史飲
鄭家の八番目の丈人である南史の宴席に同席して酒を飲むときの詩
雀啄江頭黃柳花,鳼鶄鸂鶒滿晴沙。
雀が曲江池のほとりでえさをついばんでいる。ウズラのひな、ごい鷺、紫おしどり春の晴れ渡った川砂の上にいっぱいあつまっている。(この句は赤、黄、綠、桃、青、紫、白色に集まる様子をいう。)
自知白發非春事,且盡芳尊戀物華。
わたしはもうわかっていることだが、この白髪頭はこの春におこったわけではないし、だからこそ芳醇な香りの盃椀をことごとく飲み干して変わりゆく春の景色をますます恋するのだ。
近侍即今難浪跡,此身那得更無家?
近臣である職を今すぐ辞して、放浪の旅に出ることはまだ難しいし、というのも私は今、更に家をなくしてしまうことができようか。
丈人才力猶強健,豈傍青門學種瓜?

といいながらも、まだまだ年寄りといっても詩文能力も力をまだまだ強く健やかであるので、できることなら長安城の東、春明門で瓜を植えることを学ぶということができないものか。

曲江にて鄭八丈の南史に陪して飲す
雀啄の江頭 柳花 黃ばむ,鳼鶄 鸂鶒 晴沙に滿つ。
自ら知る 白發 春事に非ざるを,且 芳尊【ほうそん】を盡くして 物華を戀う。
近侍 即今 浪跡するを難し,此身 那ぞ 更に家 無すを得んや?
丈人【じょうじん】才力 猶 強健なり,豈【ねがわく】は 青門に傍【よ】り 瓜を種るを學ばん?


 現代語訳と訳註
(本文)
曲江陪鄭八丈南史飲
雀啄江頭黃柳花,鳼鶄鸂鶒滿晴沙。
自知白發非春事,且盡芳尊戀物華。
近侍即今難浪跡,此身那得更無家?
丈人才力猶強健,覬傍青門學種瓜!


(下し文) 曲江にて鄭八丈の南史に陪して飲す
雀啄の江頭 柳花 黃ばむ,鳼鶄 鸂鶒 晴沙に滿つ。
自ら知る 白發 春事に非ざるを,且 芳尊【ほうそん】を盡くして 物華を戀う。
近侍 即今 浪跡するを難し,此身 那ぞ 更に家 無すを得んや?
丈人【じょうじん】才力 猶 強健なり,豈【ねがわく】は 青門に傍【よ】り 瓜を種るを學ばん!


(現代語訳)
鄭家の八番目の丈人である南史の宴席に同席して酒を飲むときの詩

雀が曲江池のほとりでえさをついばんでいる。ウズラのひな、ごい鷺、紫おしどり春の晴れ渡った川砂の上にいっぱいあつまっている。(この句は赤、黄、綠、桃、青、紫、白色に集まる様子をいう。)
わたしはもうわかっていることだが、この白髪頭はこの春におこったわけではないし、だからこそ芳醇な香りの盃椀をことごとく飲み干して変わりゆく春の景色をますます恋するのだ。
近臣である職を今すぐ辞して、放浪の旅に出ることはまだ難しいし、というのも私は今、更に家をなくしてしまうことができようか。
といいながらも、まだまだ年寄りといっても詩文能力も力をまだまだ強く健やかであるので、できることなら長安城の東、春明門で瓜を植えることを学ぶということができないものか。

(訳注)
曲江陪鄭八丈南史飲

曲江にて鄭八丈の南史に陪して飲す
鄭家の八番目の丈人である南史の宴席に同席して酒を飲むときの詩
陪 鄭八丈南史 同時期の詩人に張南史がいる。ここではその人を指すのであろうか。

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陪鄭広文遊何将軍山林十首 其一 杜甫:kanbuniinkai紀頌之の漢詩 誠実な詩人杜甫特集 55
鄭駙馬宅宴洞中 杜甫

雀啄江頭黃柳花,鳼鶄鸂鶒滿晴沙。

雀啄の江頭 柳花 黃ばむ,鳼鶄 鸂鶒 晴沙に滿つ。
雀が曲江池のほとりでえさをついばんでいる。ウズラのひな、ごい鷺、紫おしどり春の晴れ渡った川砂の上にいっぱいあつまっている。(この句は赤、黄、綠、桃、青、紫、白色に集まる様子をいう。)
雀啄【じゃくたく】 雀が啄ばむ 鳼【ぶん】ウズラのひな。鶄【せい】 ごいさぎ。鸂鶒【けいせき】紫おしどり。謝霊運『鸂鶒賦』「覧水禽之萬族、信莫麗干鸂鶒。」(水禽之萬族を覧るに、信に干鸂鶒麗しきは莫し。) 


自知白發非春事,且盡芳尊戀物華。
自ら知る 白發 春事に非ざるを,且 芳尊【ほうそん】を盡くして 物華を戀う。
わたしはもうわかっていることだが、この白髪頭はこの春におこったわけではないし、だからこそ芳醇な香りの盃椀をことごとく飲み干して変わりゆく春の景色をますます恋するのだ。
○芳尊 酒樽をいうのであるが、盃の大き湾のようなもの。芳醇な香りの盃椀。○物華 1.物の光。宝物の輝き。2.景色。風景。


近侍即今難浪跡,此身那得更無家?
近侍 即今 浪跡するを難し,此身 那ぞ 更に家 無すを得んや?
近臣である職を今すぐ辞して、放浪の旅に出ることはまだ難しいし、というのも私は今、更に家をなくしてしまうことができようか。
○近侍 天子のおそばに控えている官僚職。杜甫は左拾位であるので、近侍職である。近習、近臣。


丈人才力猶強健,豈傍青門學種瓜?
丈人【じょうじん】才力 猶 強健なり,豈【ねがわく】は 青門に傍【よ】り 瓜を種るを學ばん!
といいながらも、まだまだ年寄りといっても詩文能力も力をまだまだ強く健やかであるので、できることなら長安城の東、春明門で瓜を植えることを学ぶということができないものか。
丈人【じょうじん】1 年寄りを敬っていう語。 2 妻の父。岳父。○學種瓜 瓜を植えることを学ぶとは、秦の邵平が官を辞して、隠棲して、杜陵で瓜と桑を植えた、故事をふまえ、杜甫が隠遁したい旨を述べる。邵平は長安城の青門で瓜を売った。杜陵に植えたのは五色の瓜であった。官を辞して瓜をたくさん栽培したことをいう。泰の東陵侯に封じられていた卲平は秦が滅びると布衣(庶民)の身となり、長安の門の東で瓜を栽培し、それが美味だったので「東陵の瓜」と称された。
『文選』巻二三)其六に卲平東陵の瓜は五色であると。
「曰:邵平故秦東陵侯,秦滅後,為布衣,種瓜長安城東。種瓜有五色,甚美,故世謂之東陵瓜,又云青門瓜」。魏・阮籍も卲平の東陵の瓜は五色をふまえて「詠懐詩」(に「昔聞く東陵の瓜、近く青門の外に在りと。……五色 朝日に輝き、嘉賓 四面に会す」とする。李白『古風五十九首 其九』「青門種瓜人。 舊日東陵侯。」(青門に瓜を種うるの人は、旧日の東陵侯なり。)

南山下與老圃期種瓜  孟浩然
樵牧南山近,林閭北郭賒。
先人留素業,老圃作鄰家。
不種千株橘,惟資五色瓜。
邵平能就我,開徑剪蓬麻。
(下し文) 南の山の下で老圃に瓜を種える期。
樵牧 南山に近く、林閭 北郭に賒(とお)し。
先人 富農を留め、老圃 鄰家と作(な)る。
千株の橘を種えず、惟だ 五色の瓜を資(と)る。
邵平 能く我に就きて、径を開き 蓬麻を剪るか。
邵平能く我に就きて、径を開き蓬麻を剪るか。
秦の東陵侯のようにこの荘園に就いて、道を開き転蓬の旅をしたり、単に麻を育てていくことを断ち切って本気で隠遁生活になろうとするか。

南山下與老圃期種瓜 孟浩然 李白「峴山懐古」関連 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集350 -316


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曲江對雨 杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 247

曲江對雨 杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 247
曲江にて雨に対して作る。乾元元年三月上巳節の作であろう。三月最初の巳の日であったが、三月三日に固定された。

曲江對雨
曲江池の辺で雨に逢う
城上春雲覆苑牆,江亭晚色靜年芳。
城楼の上に春の雲が芙蓉苑の土塀に覆いかぶさっている、わたしが座ってやすんでいる曲江池ほとりの四阿には夕暮れかかって閑静な中、花や草のかおりがただよう。
林花著雨燕支濕,水荇牽風翠帶長。
芙蓉苑の林の花は雨にあたり「えんじ」の色がうるおい濃くなる、水の草の「あさざ」は風に引っ張られて翠色の帯のように長くのびている。
龍武新軍深駐輦,芙蓉別殿謾焚香。
このとき玄宗上皇は新に置かれた竜武軍に衛れて大極殿の奥にふかく輦をとどめられており、それなのにこの芙蓉苑の別殿離宮では昔と同じようにただみだりに香を焚いてお待ちしている。
何時詔此金錢會,暫醉佳人錦瑟旁?
上巳節には前代の玄宗の時代にはさかんなものであったが、いつ今の粛宗から詔が仰せられて、金銭を拾わせるというような御会を催され、教坊の美人のかなでる錦瑟のかたわらで、しばし酔うことができることであろうか。


(曲江にて雨に対す)
城上の春雲苑牆【えんしょう】を覆う、江亭晩色年芳【ねんほう】静かなり。
林花雨を著【つ】けて燕支【えんし】湿い、水荇【すいこう】風に牽【ひ】かれて翠帯【すいたい】長し。
竜武の新軍に深く輦【れん】を駐【とど】め、芙蓉の別殿に漫【まん】に香を焚く。
何の時か詔【みことのり】して此の金銭の会あって、暫く酔わん佳人【けいじん】錦瑟【きんしつ】の傍【かたわら】。

宮島(7)

現代語訳と訳註
(本文) 曲江對雨

城上春雲覆苑牆,江亭晚色靜年芳。
林花著雨燕支濕,水荇牽風翠帶長。
龍武新軍深駐輦,芙蓉別殿謾焚香。
何時詔此金錢會,暫醉佳人錦瑟旁?


(下し文) (曲江にて雨に対す)
城上の春雲苑牆【えんしょう】を覆う、江亭晩色年芳【ねんほう】静かなり。
林花雨を著【つ】けて燕支【えんし】湿い、水荇【すいこう】風に牽【ひ】かれて翠帯【すいたい】長し。
竜武の新軍に深く輦【れん】を駐【とど】め、芙蓉の別殿に漫【まん】に香を焚く。
何の時か詔【みことのり】して此の金銭の会あって、暫く酔わん佳人【けいじん】錦瑟【きんしつ】の傍【かたわら】


(現代語訳) 曲江對雨
曲江池の辺で雨に逢う
城楼の上に春の雲が芙蓉苑の土塀に覆いかぶさっている、わたしが座ってやすんでいる曲江池ほとりの四阿には夕暮れかかって閑静な中、花や草のかおりがただよう。
芙蓉苑の林の花は雨にあたり「えんじ」の色がうるおい濃くなる、水の草の「あさざ」は風に引っ張られて翠色の帯のように長くのびている。
このとき玄宗上皇は新に置かれた竜武軍に衛れて大極殿の奥にふかく輦をとどめられており、それなのにこの芙蓉苑の別殿離宮では昔と同じようにただみだりに香を焚いてお待ちしている。
上巳節には前代の玄宗の時代にはさかんなものであったが、いつ今の粛宗から詔が仰せられて、金銭を拾わせるというような御会を催され、教坊の美人のかなでる錦瑟のかたわらで、しばし酔うことができることであろうか。

 
(訳注)
曲江對雨

曲江池の辺で雨に逢う


城上春雲覆苑牆,江亭晚色靜年芳。
城楼の上に春の雲が芙蓉苑の土塀に覆いかぶさっている、わたしが座ってやすんでいる曲江池ほとりの四阿には夕暮れかかって閑静な中、花や草のかおりがただよう。
城上 曲江芙蓉苑の離宮の城楼のうえ。○苑牆 芙蓉苑のかき、土塀。○江亭 曲江のほとりの亭、作者の坐している四阿。○晩色 夕暮れがたのようす。黄昏時の景色。○ 閑静。〇年芳 一年のうちのかんばしいもの、花草の類をさす。


林花著雨燕支濕,水荇牽風翠帶長。
芙蓉苑の林の花は雨にあたり「えんじ」の色がうるおい濃くなる、水の草の「あさざ」は風に引っ張られて翠色の帯のように長くのびている。
燕支 べに。燕脂、臙脂色(濃紅藍)。○水荇 水草の名。あきざ。杜甫『醉歌行』「春光潭沱秦東亭,渚蒲牙白水荇青。」翠帯 みどり色のおびのように見える草木の枝や茎。


龍武新軍深駐輦,芙蓉別殿謾焚香。
このとき玄宗上皇は新に置かれた竜武軍に衛られて大極殿の奥にふかく輦をとどめられており、この芙蓉苑の別殿離宮では昔と同じようにただみだりに香を焚いてお待ちしている。
竜武新軍 新たにおかれた竜武軍、竜武はその軍隊の名、禁中護衛の兵。○深駐輩 肇は手でひく車、粛宗は玄宗上皇を大極殿の奥に軟禁したので、深く輦をとどむという。杜甫は、玄宗の使いで鳳翔に来ていた房琯を擁護したこともあり、玄宗に肩入れをする以外に方法はなかったのだろう。○芙蓉別殿 芙蓉苑にある離宮。○謾焚香 留守居の官女などが香を焚く、謾とは玄宗の出遊もないのにいたずらにということ。


何時詔此金錢會,暫醉佳人錦瑟旁?
上巳節には前代の玄宗の時代にはさかんなものであったが、いつ今の粛宗から詔が仰せられて、金銭を拾わせるというような御会を催され、教坊の美人のかなでる錦瑟のかたわらで、しばし酔うことができることであろうか。
 粛宗の御命令をいう。○金銭会 上巳節に3月3日に固定された。中国では川で身を清めて不浄払いをする風習であったひな祭りにつながるが、曲江の山草において臣僚に宴を賜わることがあり、又、東天門に宴して、余興として楼下に金銭を撒いて臣下をしてこれを拾わせたことがあるのから、昔の頽廃した金銭会をいう。○佳人 ここの妓女のことを美人、教坊の民妓をいう。○錦瑟 錦の模様ある瑟。こない人を待ち続けることをたとえる妓女の常套語。玄宗をいくら待っても来ない人を待つかつては楊貴妃が待っていたが、今は妓女が待っている。
李商隠 1 錦瑟
荘周(さうしう:そうしゅう=荘子)が夢で、蝶(ちょう)になり、自分が夢で蝶になっているのか、蝶が夢で自分になっているのか、と迷い。(そのように、あなたの生死について迷い)。
蜀の望帝の春を思う心は、血を吐いて悲しげになく杜鵑(ホトトギス)に魂を托(たく)した。(そのように、血を吐きながらなく思いである)。
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曲江對酒 杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 246

曲江對酒 杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 246

曲江のほとりで酒にむかって作った詩。前詩と同年の作。
758年乾元元年春、左拾遺であったときの作。

l  送鄭十八虔貶台州司

l  臘日

l  宣政殿退朝出左掖

l  紫宸殿退朝口號

l  春宿左省

l  出左掖

l  題省中院壁

l  奉和賈至舍人早朝大明宮

l  送賈閣老出汝州

l  送翰林張司馬南海勒碑

l  曲江二首 其一

l  曲江二首 其二

l  曲江封酒

l  曲江封雨

l  曲江陪鄭八丈南史飲

l  奉陪贈附馬韋曲二首 其一

l  奉陪贈附馬韋曲二首 其二


曲江對酒
苑外江頭坐不歸,水精宮殿轉霏微。
春景色に誘われ、わたしはこの芙蓉苑の外、曲江の池畔で官舎に帰らないままにすわりこんであたりをながめる、水の妖精が生まれ出て水の宮殿がその光を輝かせ、霧のように飛散する水珠も輝く。
桃花細逐楊花落,黃鳥時兼白鳥飛。
それから桃の花は微細に落ちち、やなぎの花、柳絮の散るあとを追いかけて落ちてまた落ちる、黄色の鳥たちは時を同じにして一斉に白色の鳥たちと飛びたつ。
縱飲久判人共棄,懶朝真與世相違。
勝手きままにすきなだけ酒を呑んで長いあいだ自暴自棄になり人も相手をしてくれない、参朝することが億劫になってしまい、世間の人皆から見放されてしまっている、実際自分も世の人とは違背しているのである。
吏情更覺滄洲遠,老大悲傷未拂衣。

官吏としての今の心持は、これまでよりももっと滄洲の仙境と隔たりができた様な気がするばかりで、こんなに年を取ってからでは衣を払って仙境に向って去って行けないことを傷み悲しむだけなのである。


(曲江にて酒に對す)
苑外江頭に坐して帰らず、水精の宮殿 転【うたた】霏微【ひび】たり。
桃花【とうか】細【こまや】かに梨花を逐うて落ち、黄鳥【こうちょう】時兼【とも】にして白鳥と飛ぶ。
飲を縦【ほしいまま】にし久しく判して人共に棄つ、朝するに懶【ものうし】く真に世と相違【たご】う・
吏情【りじょう】更に覚ゆ滄洲【そうしゅう】の遠きを、老大【ろうだい】徒【いたずらに】に傷む未だ衣を払わざるを


現代語訳と訳註
(本文) 曲江對酒

苑外江頭坐不歸,水精宮殿轉霏微。
桃花細逐楊花落,黃鳥時兼白鳥飛。
縱飲久判人共棄,懶朝真與世相違。
吏情更覺滄洲遠,老大悲傷未拂衣。

(下し文)曲江にて酒に對す
苑外江頭に坐して帰らず、水精の宮殿 転【うたた】霏微【ひび】たり。
桃花【とうか】細【こまや】かに梨花を逐うて落ち、黄鳥【こうちょう】時に白鳥と兼に飛ぶ。
飲を縦【ほしいまま】にし久しく判して人共に棄つ、朝するに懶【ものうし】く真に世と相違【たご】う・
吏情【りじょう】更に覚ゆ滄洲【そうしゅう】の遠きを、老大【ろうだい】徒【いたずらに】に傷む未だ衣を払わざるを。


(現代語訳)
春景色に誘われ、わたしはこの芙蓉苑の外、曲江の池畔で官舎に帰らないままにすわりこんであたりをながめる、水の妖精が生まれ出て水の宮殿がその光を輝かせ、霧のように飛散する水珠も輝く。
それから桃の花は微細に落ちち、やなぎの花、柳絮の散るあとを追いかけて落ちてまた落ちる、黄色の鳥たちは時を同じにして一斉に白色の鳥たちと飛びたつ。
勝手きままにすきなだけ酒を呑んで長いあいだ自暴自棄になり人も相手をしてくれない、参朝することが億劫になってしまい、世間の人皆から見放されてしまっている、実際自分も世の人とは違背しているのである。
官吏としての今の心持は、これまでよりももっと滄洲の仙境と隔たりができた様な気がするばかりで、こんなに年を取ってからでは衣を払って仙境に向って去って行けないことを傷み悲しむだけなのである。


(訳注)曲江對酒
曲江其三というべき連続の作品である。七言律詩。【首聯】【頷聯】【頸聯】【尾聯】で構成。同じ四分割の絶句の起承転結の一線の曲折にはならない。中の【頷聯】【頸聯】については対句が絶対条件である。


苑外江頭坐不歸,水精宮殿轉霏微。 【首聯】
春景色に誘われ、わたしはこの芙蓉苑の外、曲江の池畔で官舎に帰らないままにすわりこんであたりをながめる、水の妖精が生まれ出て水の宮殿がその光を輝かせ、霧のように飛散する水珠も輝く。
 芙蓉苑。○ 曲江。○水精、宮殿 水に映り輝く宮殿。水精は水の精。水星、辰星。水の中から産する珠。水の妖精。「珠水精、故以禦火灾」(珠は水精、故に以て火灾を禦【ふせ】ぐ)とある。また、水精宮とすれば、水晶で飾られた宮殿と見る場合も考えられるが、詩の雰囲気と杜甫のその時の心情を合わせて水晶の宮殿ではない。○ いよいよ、看るみるうちにいよいよ。○霏微 春光掩映のさまと、水気のこまかに飛散とぶさまのふたつの意味をいう。
 

桃花細逐楊花落,黃鳥時兼白鳥飛。 【頷聯】
それから桃の花は微細に落ちち、やなぎの花、柳絮の散るあとを追いかけて落ちてまた落ちる、黄色の鳥たちは時を同じにして一斉に白色の鳥たちと飛びたつ。
 花なる徴小物が微小物を逐う故にこまかという。○ 元来はおいはらう義であるが、唐時の俗用にあって後おいすがる義にも用いる。追涼というべきを逐涼という類であり、ここでは後追いの意味。○梨花 諸本楊花に作る、桃と楊と開花の時が同じくないからとて梨花という説もあるが、楊花、柳架とする。○ 「ともに」と訓ずるものがおおいのでしたがうが、読みにより意味は変わらない。


縱飲久判人共棄,懶朝真與世相違。 【頸聯】
勝手きままにすきなだけ酒を呑んで長いあいだ自暴自棄になり人も相手をしてくれない、参朝することが億劫になってしまい、世間の人皆から見放されてしまっている、実際自分も世の人とは違背しているのである。
縦飲 勝手きままにすきなだけ酒をのむ。○久判 「重過何氏」詩の第五首に見える。物を揮い棄てること、ここは自棄の義で、すて身、やけくそ、の意。
重過何氏五首  其五
到此應常宿、相留可判年。
蹉跎暮容色、悵望好林泉。
何日霑微祿、歸山買薄田。
斯遊恐不遂、把酒意茫然。
人共棄 世間の人はみなともに我をすてる、あいてにせぬことをいう。○懶朝 朝廷へ参向するのにものうい、病気欠勤をすること。○与世相違 世人と相そむいていること、人交流をしない。 


吏情更覺滄洲遠,老大悲傷未拂衣。 【尾聯】
官吏としての今の心持は、これまでよりももっと滄洲の仙境と隔たりができた様な気がするばかりで、こんなに年を取ってからでは衣を払って仙境に向って去って行けないことを傷み悲しむだけなのである。
吏情 官吏としてのこころ、作者杜甫はこの時左拾遺を拜命している。○更覚 更とはこれまでも思っていたがそれよりもさらに、これまでよりももっとの義。半官半隠が理想であるが、それより、完全に隠棲したいという意味で次の「滄洲」を意識する。○滄洲 蒼海の向こうにある仙境をいう。○ こちらとへだたりがある。○老大 自己のとしよりの身であることをいう。こんなに年を取ってからでは。○悲傷 別には徒傷とするその場合 むだにかなしみいたむこと。○払衣 衣のちりをはらいさり、ここを去り滄洲に向かうことをいう。


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杜甫詩集「北征」後、の鳳翔での作はなく、長安入城の作品もない。苦悶する左拾位そして左遷。58首INDEX

杜甫詩集 (10) 「北征」後、の鳳翔での作はなく、長安入城の作品もない。苦悶する左拾位そして左遷。58首INDEX

757年
980.送鄭十八虔貶台州司戶
鄭公樗散鬢成絲,酒後常稱老畫師。
萬裡傷心嚴譴日,百年垂死中興時。
倉皇已就長途往,邂逅無端出餞遲。
便與先生成永訣,九重泉路盡交期!

l 送鄭十八虔貶台州司


981.臘日
臘日常年暖尚遙,今年臘日凍全消。
侵陵雪色還萱草,漏泄春光有柳條。
縱酒欲謀良夜醉,還家初散紫宸朝。
口脂面藥隨恩澤,翠管銀罌下九霄。

l 臘日

758年
982.奉和賈至舍人早朝大明宮
五夜漏聲催曉箭,九重春色醉仙桃。
旌旗日暖龍蛇動,宮殿風微燕雀高。
朝罷香煙攜滿袖,詩成珠玉在揮毫。
欲知世掌絲綸美。池上於今有鳳毛。

l 奉和賈至舍人早朝大明宮


◎二月、載を年と改む。六月、房琯、邠州刺史に流さる。この年、李白、夜郎に流さる。

983.紫宸殿退朝口號
戶外昭容紫袖垂,雙瞻御座引朝儀。
香飄合殿春風轉,花覆千宮淑景移。
晝漏稀聞高閣報,天顏有喜近臣知。
宮中每出歸東省,會送夔龍集鳳池。

l 紫宸殿退朝口號

宣政殿退朝晚出左掖(掖門在兩旁如人之臂掖) 杜甫
天門日射黄金榜,春殿晴曛赤羽旗。
宮草微微承委佩,鑪煙細細駐游絲。
雲近蓬萊常好色,雪殘鳷鵲亦多時。
侍臣緩步歸青瑣,退食從容出每遲。
l 宣政殿退朝出左掖


984.春宿左省
花隱掖垣暮,啾啾棲鳥過。星臨萬戶動,月傍九霄多。
不寢聽金鑰,因風想玉珂。明朝有封事,數問夜如何?

l 春宿左省



985.晚出左掖
晝刻傳呼淺,春旗簇仗齊。退朝花底散,歸院柳邊迷。
樓雪融城濕,宮雲去殿低。避人焚諫草,騎馬欲雞棲。

l 出左掖


986.題省中院壁
掖垣竹埤梧十尋,洞門對 ?常陰陰。
落花游絲白日靜,鳴鳩乳燕青春深。
腐儒衰晚謬通籍,退食遲回違寸心。
袞職曾無一字補,許身愧比雙南金。

l 題省中院壁


987.送賈閣老出汝州
西掖梧桐樹,空留一院陰。艱難歸故裡,去住損春心。
宮殿青門隔,雲山紫邏深。人生五馬貴,莫受二毛侵。

l 送賈閣老出汝州



988.送翰林張司馬南海勒碑
冠冕通南極,文章落上臺。詔從三殿去,碑到百蠻開。
野館濃花發,春帆細雨來。不知滄海上,天遣幾時回?

l 送翰林張司馬南海勒碑


989.曲江二首
一片花飛減卻春,風飄萬點正愁人。
且看欲盡花經眼,莫厭傷多酒入唇。
江上小堂巢翡翠,花邊高塚臥麒麟。
細推物理須行樂,何用浮名絆此身?
l 曲江二首 其一

990、其二
朝回日日典春衣,每日江頭盡醉歸。
酒債尋常行處有,人生七十古來稀。
穿花蛺蝶深深見,點水蜻蜓款款飛。
傳語風光共流轉,暫時相賞莫相違。

l曲江二首 其二



991,曲江對酒
苑外江頭坐不歸,水精宮殿轉霏微。
桃花細逐楊花落,黃鳥時兼白鳥飛。
縱飲久判人共棄,懶朝真與世相違。
吏情更覺滄洲遠,老大悲傷未拂衣。



992、曲江對雨
城上春雲覆苑牆,江亭晚色靜年芳。
林花著雨燕支濕,水荇牽風翠帶長。
龍武新軍深駐輦,芙蓉別殿謾焚香。
何時詔此金錢會,暫醉佳人錦瑟旁?



993.曲江陪鄭八丈南史飲
雀啄江頭黃柳花,鳼鶄鸂鶒滿晴沙
自知白發非春事,且盡芳尊戀物華。
近侍即今難浪跡,此身那得更無家?
丈人才力猶強健,豈傍青門學種瓜?



995.奉答岑參補闕見贈
窈窕清禁闥,罷朝歸不同。君隨丞相後,我往日華東。
冉冉柳絲碧,娟娟花蕊紅。故人有佳句,獨贈白頭翁。


996.奉贈王中允維
中允聲名久,如今契闊深。共傳收庾信,不比得陳琳。
一病緣明主,三年獨此心。窮愁應有作,試誦白頭吟。


997.送許八拾遺歸江寧覲省。
甫昔時嘗客遊此縣,於許生處乞瓦棺寺維摩圖樣,
誌諸篇末
詔語辭中禁,慈顏拜北堂。聖朝新孝理,祖席倍輝光。
內帛擎偏重,宮衣著更香。淮陰清夜驛,京口渡江航。
春隔雞人晝,秋期燕子涼。賜書誇父老,壽酒樂城隍。
看畫曾饑渴,追蹤恨淼茫。虎頭金粟影,神妙獨難忘。


998.因許八奉寄江寧旻上人
不見旻公三十年,對書寄與淚潺湲。
舊來好事今能否,老去新詩誰為傳?
棋局動隨幽澗竹,袈裟憶上泛湖船。
聞君話我為官在,頭白昏昏只醉眠。


999.題李尊師松樹障子歌
老夫清晨梳白頭,玄都道士來相訪。
握發呼兒延入戶,手提新畫青松障。
障子松林靜杳冥,憑軒忽若無丹青。
陰崖卻承霜雪幹,偃蓋反走? 龍形。
老夫平生好奇古,對此興與精靈聚。
已知仙客意相親,更覺良工心獨苦。
松下丈人巾屨同,偶坐似是商山翁。
悵望聊歌紫芝曲,時危慘澹來悲風。


1000.得舍弟消息
風吹紫荊樹,色與春庭暮。花落辭故枝,風回返無處。
骨肉恩書重,漂泊難相遇。猶有淚成河,經天複東注。


1001.送李校書二十六韻
代北有豪鷹,生子毛盡赤。渥窪騏驥兒,尤異是龍脊。
李舟名父子,清峻流輩伯。人間好少年,不必須白皙。
十五富文史,十八足賓客。十九授校書,二十聲輝赫。
眾中每一見,使我潛動魄。自恐兩男兒,辛勤養無益。
乾元元年春,萬姓始安宅。舟也衣彩衣,告我欲遠適。
倚門固有望,斂衽就行役。南登吟白華,已見楚山碧。
藹藹鹹陽都,冠蓋日雲積。何時太夫人,堂上會親戚?
汝翁草明光,天子正前席。歸期豈爛漫,別意終感激。
顧我蓬屋資,謬通金閨籍。小來習性懶,晚節慵轉劇。
每愁悔吝作,如覺天地窄。羨君齒發新,行己能夕惕。
臨岐意頗切,對酒不能吃。回身視綠野,慘澹如荒澤。
老雁春忍饑,哀號待枯麥。時哉高飛燕,絢練新羽翮。
長雲濕褒斜,漢水饒巨石。無令軒車遲,衰疾悲夙昔!


1002.逼側行贈畢曜
逼側何逼側!我居巷南子卷北。
可恨鄰裡間, 十日不一見顏色。
自從官馬送還宮,行路難行澀如棘。
我貧無乘非無足,昔者相過今不得。
實不是愛微軀,又非關足無力。
徒步翻愁官長怒,此心炯炯君應識。
曉來急雨春風顛,睡美不聞鐘鼓傳。
東家蹇驢許借我,泥滑不敢騎朝天。
已令請急會通籍,男兒性命絕可憐。
焉能終日心拳拳,憶君誦詩神凜然。
辛夷始花亦已落,況我與子非壯年。
街頭酒價常苦貴,方外酒徒稀醉眠。
徑須相就飲一鬥,恰有三百青銅錢。



1003.贈畢四曜
才大今詩伯,家貧苦宦卑。饑寒奴樸賤,顏狀老翁為。
同調嗟誰惜,論文笑自知。流傳江鮑體,相顧免無兒。



1004.題鄭十八著作丈
台州地闊海冥冥,雲水長和島嶼青。
亂後故人雙別淚,春深逐客一浮萍。
酒酣懶舞誰相拽,詩罷能吟不複聽。
第五橋邊流恨水,皇陂岸北結愁亭。
賈生對鵩傷王傅,蘇武看羊陷賊庭。
可念此翁懷直道,也沾新國用輕刑。
隬衡實恐遭江夏,方朔虛傳是歲星。
窮巷悄然車馬絕,案頭幹死讀書螢。



1005.瘦馬行
東郊瘦馬使我傷,骨骼硉兀如堵牆。
絆之欲動轉欹側,此豈有意仍騰驤?
細看六印帶官字,眾道三軍遺路旁。
皮幹剝落雜泥滓,毛暗蕭條連雪霜。
去歲奔波逐餘寇,驊騮不慣不得將。
士卒多騎內廄馬,惆悵恐是病乘黃。
當時歷塊誤一蹶,委棄非汝能周防。
見人慘澹若哀訴,失主錯莫無晶光。
天寒遠放雁為伴,日暮不收烏啄瘡。
誰家且養願終惠,更試明年春草長。



1006.義鶻行
陰崖有蒼鷹,養子黑柏顛。白蛇登其巢,吞噬恣朝餐。
雄飛遠求食,雌者鳴辛酸。力強不可製,黃口無半存。
其父從西歸,翻身入長煙。斯須領健鶻,痛憤寄所宣。
鬥上捩孤影,咆哮來九天。修鱗脫遠枝,巨顙坼老拳。
高空得蹭蹬,短草辭蜿蜒。折尾能一掉,飽腸皆已穿。
生雖滅眾雛,死亦垂千年。物情可報複,快意貴目前。
茲實鷙鳥最,急難心炯然。功成失所往,用舍何其賢!
近經潏水湄,此事樵夫傳。飄蕭覺素發,凜欲沖儒冠。
人生許與分,只在顧盼間。聊為義鶻行,永激壯士肝。



1007.畫鶻行
高堂見生鶻,颯爽動秋骨。初驚無拘攣,何得立突兀!
乃知畫師妙,巧刮造化窟。寫此神俊姿,充君眼中物。
烏鵲滿樛枝,軒然恐其出。側腦看青霄,寧為眾禽沒。
長翮如刀劍,人寰可超越。乾坤空崢嶸,粉墨且蕭瑟。
緬思雲沙際,自有煙霧質。吾今意何傷,顧步獨紆鬱。c



1008.端午日賜衣
宮衣亦有名,端午被恩榮。細葛含風軟,香羅疊雪輕。
自天題處濕,當暑著來清。意內稱長短,終身荷聖情。



1009.酬孟雲卿
樂極傷頭白,更長愛燭紅。相逢難袞袞,告別莫匆匆。
但恐天河落,寧辭酒盞空?明朝牽世務,揮淚各西東。



1010. 至徳二載 757年 46歳
至德二載,甫自京金光門出間道歸鳳翔。
乾元初,從左拾遺移華州掾,與親故別,因出此門,有輩往事
此道昔歸順,西郊胡正煩。至今殘破膽,應有未招魂。
近侍歸京邑,移官豈至尊。無才日衰老,駐馬望千門。


1011.寄高三十五詹事
安穩高詹事,兵戈久索居。時來知宦達,歲晚莫情疏。
天上多鴻雁,池中足鯉魚。相看過半百,不寄一行書?


1012.贈高式顔
中国の文献なし
贈高式顔(昔別是何処)
昔別是何処、相逢皆老夫。故人還寂寞、削跡共艱虞。
自失論文友、空知売酒壚。平生飛動意、見爾不能無。


1013.題鄭縣亭子
鄭縣亭子澗之濱,戶牖憑高發興新。
雲斷岳蓮臨大路,天晴宮柳暗長春。
巢邊野雀欺群燕,花底山蜂趁遠人。
更欲題詩滿青竹,晚來幽獨恐傷神。


1014.望嶽
西嶽崚嶒竦處尊,諸峰羅立似兒孫。
安得仙人九節杖,拄到玉女洗頭盆?
車箱入谷無歸路,箭栝通天有一門。
稍待秋風涼冷後,高尋白帝問真源。


1015.早秋苦熱堆案相仍
七月六日苦炎蒸,對食暫餐還不能。
每愁夜中自足蠍,況乃秋後轉多蠅。
束帶發狂欲大叫,簿書何急來相仍。
南望青松架短壑,安得赤腳蹋層冰?


1016.觀安西兵過赴關中待命二首
四鎮富精銳,摧鋒皆絕倫。還聞獻士卒,足以靜風塵。
老馬夜知道,蒼鷹饑著人。臨危經久戰,用急始如神。
其二
奇兵不在眾,萬馬救中原。談笑無河北,心肝奉至尊。
孤雲隨殺氣,飛鳥避轅門。竟日留歡樂,城池未覺喧。


1017.留花門
北門天驕子,飽肉氣勇決。高秋馬肥健,挾矢射漢月。
自古以為患,詩人厭薄伐。修德使其來,羈縻固不絕。
胡為傾國至?出入暗金闕。中原有驅除,隱忍用此物。
公主歌黃鵠,君王指白日。連雲屯左輔,百裡見積雪。
長戟鳥休飛,哀笳曙幽咽。田家最恐懼,麥倒桑枝折。
沙苑臨清渭,泉香草豐潔。渡河不用船,千騎常撇烈。
胡塵逾太行,雜種抵京室。花門既須留,原野轉蕭瑟。


1018.九日藍田崔氏莊
老去悲秋強自寬,興來今日盡君歡。
羞將短發還吹帽,笑倩旁人為正冠。
藍水遠從千澗落,玉山高並雨峰寒。
明年此會知誰健?醉把茱萸仔細看。


1019.崔氏東山草堂
愛汝玉山草堂靜,高秋爽氣相鮮新。
有時自發鐘聲響,落日更見漁樵人。
盤剝白鴉谷口栗,飯煮青泥坊底芹。
何為西莊王給事,柴門空閉鎖松筠?


1020.遣興三首 其一
我今日夜憂,諸弟各異方。不知死與生,何況道路長。
避寇一分散,饑寒永相望。豈無柴門歸?欲出畏虎狼。
仰看雲中雁,禽鳥亦有行。


1021.遣興三首 其二
蓬生非無根,漂蕩隨高風。天寒落萬裡,不複歸本叢。
客子念故宅,三年門巷空。悵望但烽火,戎車滿關東。
生涯能幾何,常在羈旅中!


1022.遣興三首 其三
昔在洛陽時,親友相追攀。送客東郊道,遨遊宿南山。
煙塵阻長河,樹羽成皋間。回首載酒地,豈無一日還?
丈夫貴壯健,慘戚非朱顏。


1023.至日遣興,奉寄北省舊閣老、兩院故人二首 其一
去歲茲辰捧禦床,五更三點入鵷行。
欲知趨走傷心地,正想氤氳滿眼香。
無路從容陪語笑,有時顛倒著衣裳。
何人卻憶窮愁日,日日愁隨一線長。


1024.其二
憶昨逍遙供奉班,去年今日侍龍顏。
麒麟不動爐煙上,孔雀徐開扇影還。
玉幾由來天北極,朱衣只在殿中間。
孤城此日堪腸斷,愁對寒雲雪滿山。


1025.路逢襄揚楊少府入城,戲呈楊四員外綰
寄語楊員外,山寒少茯苓。歸來稍暄暖,當為斸青冥。
翻動神仙窟,封題鳥獸形。兼將老藤杖,扶汝醉初醒。


1026.贈衛八處士
人生不相見,動如參與商。今夕是何夕,共此燈燭光?
少壯能幾時?鬢發各已蒼。訪舊半為鬼,驚呼熱中腸。
焉知二十載,重上君子堂?昔別君未婚,男女忽成行。
怡然敬父執,問我來何方。問答未及已,兒女羅酒漿。
夜雨剪春韭,新炊間黃粱。主稱會面難,一舉累十觴。
十觴亦不醉,感子故意長。明日隔山嶽,世事兩茫茫!


1027.冬末以事之東都,湖城東遇孟雲卿,複歸劉顥宅宿,
宴飲散因為醉歌
疾風吹塵暗河縣,行子隔手不相見。
湖城城東一開眼,駐馬偶識雲卿面。
向非劉顥為地主,懶回鞭轡成高宴。
劉侯歡我攜客來,置酒張燈促華饌。
且將款曲終今夕,休語艱難尚酣戰。
照室紅爐促曙光,縈窗素月垂文練。
天開地裂長安陌,寒盡春生洛陽殿。
豈知驅車複同軌,可惜刻漏隨更箭。
人生會合不可常,庭樹雞鳴淚如線。


1028.閿鄉薑七少府設膾,戲贈長歌
姜侯設膾當嚴冬,昨日今日皆天風。
河凍未漁不易得,鑿冰恐侵河伯宮。
饔人受魚鮫人手,洗魚磨刀魚眼紅。
無聲細下飛碎雪,有骨已剁觜春蔥。
偏勸腹腴愧年少,軟炊香飯緣老翁。
落砧何曾白紙濕,放箸未覺金盤空。
新歡便飽姜侯德,清觴異味情屢極。
東歸貪路自覺難,欲別上馬身無力。
可憐為人好心事,於我見子真顏色。
不恨我衰子貴時,悵望且為今相憶。


1029.戲贈閿鄉秦少公短歌
去年行宮當太白,朝回君是同舍客。
同心不減骨肉親,每語見許文章伯。
今日時清兩京道,相逢苦覺人情好。
昨夜邀歡樂更無,多才依舊能潦倒。


1030.李鄠縣丈人胡馬行
丈人駿馬名胡騮,前年避胡過金牛。
回鞭卻走見天子,朝飲漢水暮靈州。
自矜胡騮奇絕代,乘出千人萬人愛。
一聞說盡急難才,轉益愁向駑駘輩。
頭上銳耳批秋竹,腳下高蹄削寒玉。
始知神龍別有種,不比凡馬空多肉。
洛陽大道時再清,累日喜得俱東行。
鳳臆麟? 未易識,側身注目長風生。


1021.憶弟二首 其一
喪亂聞吾弟,饑寒傍濟州。人稀書不到,兵在見何由。
憶昨狂催走,無時病去憂。即今千種恨,惟共水東流。


1032,其二
且喜河南定,不問鄴城圍。百戰今誰在?三年望汝歸。
故園花自發,春日鳥還飛。斷絕人煙久,東西消息稀。


1033.得舍弟消息
亂後誰歸得,他鄉勝故鄉。直為心厄苦,久念與存亡。
汝書猶在壁,汝妾已辭房。舊犬知愁恨,垂頭傍我床。


1034.觀兵
北庭送壯士,貔虎數尤多。精銳舊無敵,邊隅今若何?
妖氛擁白馬,元帥待雕戈。莫守鄴城下,斬鯨遼海波。


1035.不歸
河間尚徵伐,汝骨在空城。從弟人皆有,終身恨不平。
數金憐俊邁,總角愛聰明。面上三年土,春風草又生。


1036.獨立
空外一鷙鳥,河間雙白鷗。飄搖搏擊便,容易往來遊。
草露亦多濕,蛛絲仍未收。天機近人事,獨立萬端憂。


1037.洗兵馬
中興諸將收山東,捷書夜報清晝同。
河廣傳聞一葦過,胡危命在破竹中。
只殘鄴城不日得,獨任朔方無限功。
京師皆騎汗血馬,回紇喂肉蒲萄宮。
已喜皇威清海岱,常思仙仗過崆峒。
三年笛裡關山月,萬國兵前草木風。
成王功大心轉小,郭相謀深古來少。
司徒清鑒懸明鏡,尚書氣與秋天杳。
二三豪俊為時出,整頓乾坤濟時了。
東走無複憶鱸魚,南飛覺有安巢鳥。
青春複隨冠冕入,紫禁正耐煙花繞。
鶴禁通宵鳳輦備,雞鳴問寢龍樓曉。
攀龍附鳳勢莫當,天下盡化為侯王。
汝等豈知蒙帝力?時來不得誇身強。
關中既留蕭丞相,幕下複用張子房。
張公一生江海客,身長九尺須眉蒼。
徵起適遇風雲會,扶顛始知籌策良。
青袍白馬更何有?後漢今周喜再昌。
寸地尺天皆入貢,奇祥異瑞爭來送。
不知何國致白環,複道諸山得銀甕。
隱士休歌紫芝曲,詞人解撰清河頌。
田家望望惜雨幹,布穀處處催春種。
淇上健兒歸莫懶,城南思婦愁多夢。
安得壯士挽天河,淨洗甲兵長不用!

1038.重題鄭氏東亭
華亭入翠微,秋日亂清暉。崩石欹山樹,清漣曳水衣。
紫鱗沖岸躍,蒼隼護巢歸。向晚尋徵路,殘雲傍馬飛。


曲江二首 其二 杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 245

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長安城郭015

曲江二首 其二
朝回日日典春衣、毎日江頭尽酔帰。
自分は朝廷からもどる、日々に春のきものを質において銭にかえ、曲江のほとりでいつも十分の酔をきわめて帰るのである。
酒債尋常行処有、人生七十古来稀。
酒の借金はわずかな額でめずらしいことではなくどこにいてもあるものだし、古来人が生きることは七十までいきるのはまれである。(そう長生きができるものではないから酔いたいのだ。) 
穿花蛺蝶深深見、点水蜻蜓款款飛。
花のしげみを奥ふかくいりこむ蛺蝶は奥のほうに見えているし、水面にお尻をチョコンとつけるとんぼは緩やかに飛んでいかにも晩春だ。
伝語風光共流転、暫時相賞莫相違。

わたしは言伝をする、「我は風光と共に心も流転し揺れ動く、しばしその時、眺めを賞賛しあい、お互いにその本音のところで相違のないものにしてもらいたい」と。

曲江 二首  其の二
朝【ちょう】より回【かえ】って 日日春衣【しゅんい】を典し、毎日  江頭【こうとう】に酔いを尽して帰る。
酒債【しゅさい】 尋常  行く処に有り、人生七十  古来稀【まれ】なり。
花を穿(うが)つ蛺蝶【ょうちょう】は深深として見え、水に点ずる蜻蜓【せいてい】は款款【かんかん】として飛ぶ。
語を伝う風光「 共に流転【るてん】して、暫時【ざんじ】相賞【あいしょう】して相違うこと莫(な)かれ」と。

花と張0104


 現代語訳と訳註
(本文)
曲江二首 其二
朝回日日典春衣、毎日江頭尽酔帰。
酒債尋常行処有、人生七十古来稀。
穿花蛺蝶深深見、点水蜻蜓款款飛。
伝語風光共流転、暫時相賞莫相違。

(下し文) 曲江 二首  其の二
朝【ちょう】より回【かえ】って 日日春衣【しゅんい】を典し、毎日  江頭【こうとう】に酔いを尽して帰る。
酒債【しゅさい】 尋常  行く処に有り、人生七十  古来稀【まれ】なり。
花を穿(うが)つ蛺蝶【ょうちょう】は深深として見え、水に点ずる蜻蜓【せいてい】は款款【かんかん】として飛ぶ。
語を伝う風光「 共に流転【るてん】して、暫時【ざんじ】相賞【あいしょう】して相違うこと莫(な)かれ」と。


 (現代語訳)
自分は朝廷からもどる、日々に春のきものを質において銭にかえ、曲江のほとりでいつも十分の酔をきわめて帰るのである。
酒の借金はわずかな額でめずらしいことではなくどこにいてもあるものだし、古来人が生きることは七十までいきるのはまれである。(そう長生きができるものではないから酔いたいのだ。) 花のしげみを奥ふかくいりこむ蛺蝶は奥のほうに見えているし、水面にお尻をチョコンとつけるとんぼは緩やかに飛んでいかにも晩春だ。
わたしは言伝をする、「我は風光と共に心も流転し揺れ動く、しばしその時、眺めを賞賛しあい、お互いにその本音のところで相違のないものにしてもらいたい」と。


(訳注) 曲江二首 其二
七言律詩。【首聯】【頷聯】【頸聯】【尾聯】で構成。同じ四分割の絶句の起承転結の一線の曲折にはならない。中の【頷聯】【頸聯】については対句が絶対条件である。

 朝回日日典春衣、毎日江頭尽酔帰。 【首聯】

自分は朝廷からもどる、日々に春のきものを質において銭にかえ、曲江のほとりでいつも十分の酔をきわめて帰るのである。
朝回 朝廷よりかえる。○ 質におく。○江頭 江は曲江。頭はほとり。○尽酔 十分によう。


酒債尋常行処有、人生七十古来稀。 【頷聯】
酒の借金はわずかな額でめずらしいことではなくどこにいてもあるものだし、古来人が生きることは七十までいきるのはまれである。(そう長生きができるものではないから酔いたいのだ。) 
酒債 飲酒料金の負債。○尋常 あたりまえ、めずらしくもなく。○行処 でかけてゆく先き先き。○人生(一句) 古諺であろう。『禮記』に「人生十年曰幼,學。二十曰弱,冠。三十曰壯,有室。四十曰強,而仕。五十曰艾,服官政。六十曰耆,指使。七十曰老,而傳。」とある。この句に基づいて、白居易に「人生七十稀,我年幸過之。」や「得見成陰否,人生七十稀。」の句がある。 ・人生:人が生きる。人が生きている間。人の生命。左氏『成公二』「人生実難。其有不獲死乎」(人生実に難し。其れ死を獲ざる有らん乎)律詩の不可欠としてこの聯の対句は酒債:人生、尋常:七十、行処有:古来稀である。○尋常 わずかな距離、ひろさ、土地。あるいは、「一尋=八尺」「一常=十六尺(一尋の倍)」と、やはり数になるからということもある。


穿花蛺蝶深深見、点水蜻蜓款款飛。 【頸聯】
花のしげみを奥ふかくいりこむ蛺蝶は奥のほうに見えているし、水面にお尻をチョコンとつけるとんぼは緩やかに飛んでいかにも晩春だ。
穿花 穿とは花のしげみを奥ふかくいりこむこと。○峡蚊 蝶々。○深深 おくふかいさま。○点水 点はぼちぼちと尻でたたくさま。○蛸挺 とんぼ。○欺欺 緩緩と同じ、ゆるやか。
 

伝語風光共流転、暫時相賞莫相違。 【尾聯】
わたしは言伝をする、「我は風光と共に心も流転し揺れ動く、しばしその時、眺めを賞賛しあい、お互いにその本音のところで相違のないものにしてもらいたい」と。
伝語 ことづてする、風光に向かっていう。○風光 春景色。○ 我、汝(風光)とともに。○流転 移転、漂泊、排禍等の意。○相賞 風光を賞する。○莫相違 汝、我と違背することなかれ。


一つには、安史の乱の始まりから、叛乱軍に捕縛され、逃げ出し、そして「北征」し、鳳翔に戻り、又、鄜州羌村に、そして鳳翔へ、その後、長安に帰ったが、別には、朝廷の中での疎外感、自分の理想は、隠遁して「半官半隠」と心も流転している。風に、光にと行き来してみたいということも理解できる。杜甫の精神的な不安定さがピークと考えられる。
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曲江二首 其一 杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 244

曲江二首 其一 杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 244


至徳三載は二月に乾元と改元され、載から年にかわる。
杜甫は左拾位ではあるが朝廷においての疎外感はますます大きくなっていったようだ。玄宗上皇は興慶宮から大極殿の奥に移され、旧臣との接触を断たれた。羌村から鳳翔に帰るまでの紀行文はあるものの鳳翔から長安に入城に関しての詩がない。徹底的な疎外を受けていたのだろうか。この曲江二首を詠うまで以下の十詩があるだけだ。杜甫のこころの動きがよくわかるのでこの時期はすべて掲載する。
 この曲江の詩から刹那感が出始める。(3/18のブログ杜甫詩集「北征」後、の鳳翔での作はなく、長安入城の作品もない。苦悶する左拾位そして左遷。58首 参照)

758年乾元元年春、左拾遺であったときの作。この間の作順は時系列よっており、漏れはないと思う。

 ・送鄭十八虔貶台州司

 ・臘日

宣政殿退朝出左掖

紫宸殿退朝口號

春宿左省

出左掖

題省中院壁

奉和賈至舍人早朝大明宮

送賈閣老出汝州

送翰林張司馬南海勒碑

・  曲江二首 其一
・ 曲江二首 其二
・ 曲江封酒
・ 曲江封雨
・ 曲江陪鄭八丈南史飲
・ 奉答岑參補闕見贈
・ 奉贈王中允維
・ 送許八拾遺歸江寧覲省
・ 因許八奉寄江寧旻上人
・ 題李尊師松樹障子歌
・ 得舍弟消息
・ 送李校書二十六韻
・ 逼側行贈畢曜
・ 贈畢四曜
・ 題鄭十八著作丈
・ 瘦馬行
・ 義鶻行
・ 畫鶻行
・ 端午日賜衣
・ 酬孟雲卿
・ 至德二載,甫自京金光門出間道歸鳳翔。
・ 寄高三十五詹事
・ 贈高式顔
・ 題鄭縣亭子
・ 望嶽
・ 早秋苦熱堆案相仍
・ 觀安西兵過赴關中待命二首 其一
・ 同            其二
・ 路逢襄揚楊少府入城,戲呈楊四員外綰
・ 贈衛八處士
・ 冬末以事之東都,湖城東遇孟雲卿,複歸劉顥宅宿,宴飲散因為醉歌
・ 閿鄉薑七少府設膾,戲贈長歌
・ 戲贈閿鄉秦少公短歌
・ 李鄠縣丈人胡馬行
・ 憶弟二首 其一
・ 同    其二
・ 得舍弟消息
・ 觀兵
・ 不歸
・ 獨立
・ 洗兵馬
・ 重題鄭氏東亭



曲江二首 其一
一片花飛減却春、風飄万点正愁人。
ひとひらの花が飛びちっていくとそれだけ分春の景色をへらしていく、まして風が吹くと万片の花びらを翻らせてしまう正に之を見る人々を愁人としてしまう。
且看欲尽花経眼、莫厭傷多酒入唇。
そうであっても花の散るのを堰き止めておくわけにいかない、無くなろうとしている花が眼の前を過ぎるのをまあまあと眺める、また多く飲めばからだをそこなう酒ではあるがそれを口中へつぎこんでもかまいはしない。
江上小堂巣翡翠、苑辺高塚臥麒麟。
曲江のほとりに建っている家の小さな座敷には侘しいものでかわせみが巣くうほどだ、そして、御苑がちかくにあり、貴族の高い塚に石の麒麟が寝ている。
細推物理須行楽、何用浮名絆此身。
物の道理を細かに推し測ってみると人生須らく山簡公のように行楽すべきものである、このからだを虚名につながれていることは無用のことである。



江 二首  其の一
一片  花飛びて  春を減却【げんきゃく】し、風 万点を飄【ひるが】えして  正に人を愁えしむ。
且つ看る尽きんと欲するの花眼を経【ふ】るを、厭【いと】う莫れ 多きを傷【そこな】わるる酒の唇に入るを。
江上【こうじょう】の小堂に翡翠【ひすい】巣 くい、苑辺【えんぺん】の高塚【こうちょう】に麒麟臥【が】す。
細かに物理【ぶつり】を推【お】すに 須らく行楽すべし、何ぞ用いん 浮名 此の身を絆【ほだ】すことを

kairo10682

現代語訳と訳註
(本文)曲江二首 其一

一片花飛減却春、風飄万点正愁人。
且看欲尽花経眼、莫厭傷多酒入唇。
江上小堂巣翡翠、苑辺高塚臥麒麟。
細推物理須行楽、何用浮名絆此身。


(下し文) 其の一
一片  花飛びて  春を減却【げんきゃく】し、風 万点を飄【ひるが】えして  正に人を愁えしむ。
且つ看る尽きんと欲するの花眼を経【ふ】るを、厭【いと】う莫れ 多きを傷【そこな】わるる酒の唇に入るを。
江上【こうじょう】の小堂に翡翠【ひすい】巣 くい、苑辺【えんぺん】の高塚【こうちょう】に麒麟臥【が】す。
細かに物理【ぶつり】を推【お】すに 須らく行楽すべし、何ぞ用いん 浮名 此の身を絆【ほだ】すことを



(現代語訳)
ひとひらの花が飛びちっていくとそれだけ分春の景色をへらしていく、まして風が吹くと万片の花びらを翻らせてしまう正に之を見る人々を愁人としてしまう。
そうであっても花の散るのを堰き止めておくわけにいかない、無くなろうとしている花が眼の前を過ぎるのをまあまあと眺める、また多く飲めばからだをそこなう酒ではあるがそれを口中へつぎこんでもかまいはしない。
曲江のほとりに建っている家の小さな座敷には侘しいものでかわせみが巣くうほどだ、そして、御苑がちかくにあり、貴族の高い塚に石の麒麟が寝ている。
物の道理を細かに推し測ってみると人生須らく山簡公のように行楽すべきものである、このからだを虚名につながれていることは無用のことである。


長安城郭015
                      上図の右下に曲江池、芙蓉苑がある。

(訳注)曲江二首 其一
一片花飛減却春、風飄万点正愁人。

ひとひらの花が飛びちっていくとそれだけ分春の景色をへらしていく、まして風が吹くと万片の花びらを翻らせてしまう正に之を見る人々を愁人としてしまう。
減却 へらす。そぐ。○ 春景色をいう。〇万点 万片の花。〇愁人 春景に対する喜びよりあわれを感じる人々。長安では多くの人が死んで間もない。もののあわれを感じる人。『文選、傅玄、雑詩』「志士惜日短、愁人知夜長」志士は日の短かきを惜しみ、愁人は夜の長きを知る)に基づく。


且看欲尽花経眼、莫厭傷多酒入唇。
そうであっても花の散るのを堰き止めておくわけにいかない、無くなろうとしている花が眼の前を過ぎるのをまあまあと眺める、また多く飲めばからだをそこなう酒ではあるがそれを口中へつぎこんでもかまいはしない。
且看 ゆく春は仕方なしとしてまあまあとながめること。○欲尽花 散り散りてなくなろうとする花。○経眼 我が眼前を経過する。○ きらう。○傷多 傷は害に同じ、飲む者の身体をそこなうこと、傷多とは多く飲んで我がからだを傷める。〇酒人唇 傷害する酒をくちにする、飲むこと。ヤケ酒の模様をいう。


江上小堂巣翡翠、苑辺高塚臥麒麟。
曲江のほとりに建っている家の小さな座敷には侘しいものでかわせみが巣くうほどだ、そして、御苑がちかくにあり、貴族の高い塚に石の麒麟が寝ている。
江上 江は曲江。○小堂 ちいさな座敷。○翡翠 かわせみ、鳥が巣くうとは住む人のないさまをいう。○苑辺 苑は曲江のほとりにある芙蓉苑。○高塚 貴人のつか。○臥 たおれふす。○麒麟 墓道にある石造の置きもの。


細推物理須行楽、何用浮名絆此身。
物の道理を細かに推し測ってみると人生須らく山簡公のように行楽すべきものである、このからだを虚名につながれていることは無用のことである。
推物理 事物の道理を推しはかってみる。○行楽 山簡公のように池の辺を酒を飲みぶらぶら歩きたのしむことをいう。杜甫『陪鄭広文遊何将軍山林十首 其八』李白『秋浦歌十七首 其七』の注釈参照。 ○何用 無用。○浮名 虚名、空名の意、官にあってその職を尽くさずただ官名をになう、これは実のない名である。○ つなぐ。○此身 自己のからだ。この聯は、西晋の山簡が荊州の知事として湖北省の荊州の地方長官として嚢陽にいたとき、常に酔っぱらっては高陽の池にあそび(野酒)、酩酊したあげく、白い帽子をさかさに被り、馬にのって歩いた。それが評判となり、そのことをうたった歌までできた。その故事に基づいている。
曲江の池を廻りながら、山間と自分を重ねて詠ったものである。一年近く飼い殺しのような身分に置かれて刹那感を山簡に置き換えることで紛らわせたのかもしれない。




曲江二首 其一
一片花飛減却春、風飄万点正愁人。
且看欲尽花経眼、莫厭傷多酒入唇。
江上小堂巣翡翠、苑辺高塚臥麒麟。
細推物理須行楽、何用浮名絆此身。

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送翰林張司馬南海勒碑 杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 243

送翰林張司馬南海勒碑 杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 243

758年乾元元年春、左拾遺であった頃の作。
 臘日   
 送鄭十八虔貶台州司、傷其臨老隋賊之故閲馬面別情見於詩
 宣政殿退朝晚出左掖
 紫宸殿退朝口號 
 春宿左省
 晚出左掖
 題省中院壁
 奉和賈至舍人早朝大明宮
 

   送賈閣老出汝州

   送翰林張司馬南海勒碑



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送翰林張司馬南海勒碑
冠冕通南極,文章落上臺。
冕玉の付いた衣冠をつけた文官が南方のはての地に交通し、朝廷の上台である宰相がつくられ、下された碑文をもってゆくのである。
詔從三殿去,碑到百蠻開。
これは天子の詔によって朝廷の三殿からおゆきになるのである、鄭君が百蛮の異民族の地に著くのを待ってこの石碑がそこに開陳され統治にやくだたされるということになろう。
野館穠花發,春帆細雨來。
君が陸路をゆくときはそれぞれ野館にうつくしい花などさいている、また江路をわたるときは、春の帆に向って細々とした春雨がふりそそぐことだろう。
不知滄海上,天遣幾時回?
ただ仙界の島へ向う穏やかな広々とした海のようかどうかはわからない。それに天に派遣されたということで、いつ帰ってこられることかわからないことなのだ。どうか無事でもどってくれることを願っている。

(翰林張司馬が南海に碑を勒するを送る)
冠冕南極に通ず 文章上台より落つ
詔して三殿従り去らしむ 碑は百蛮に到りて開く
野館穠穫花発き 春帆細雨来らん
知らず槍海の上 天畿時か廻らしめん

唐朝 大明宮2000

現代語訳と訳註
(本文)
送翰林張司馬南海勒碑
冠冕通南極,文章落上臺。
詔從三殿去,碑到百蠻開。
野館穠花發,春帆細雨來。
不知滄海上,天遣幾時回?


(下し文) (翰林張司馬が南海に碑を勒するを送る)
冠冕南極に通ず 文章上台より落つ
詔して三殿従り去らしむ 碑は百蛮に到りて開く
野館穠穫花発き 春帆細雨来らん
知らず槍海の上 天畿時か廻らしめん


(現代語訳)
冕玉の付いた衣冠をつけた文官が南方のはての地に交通し、朝廷の上台である宰相がつくられ、下された碑文をもってゆくのである。
これは天子の詔によって朝廷の三殿からおゆきになるのである、鄭君が百蛮の異民族の地に著くのを待ってこの石碑がそこに開陳され統治にやくだたされるということになろう。
君が陸路をゆくときはそれぞれ野館にうつくしい花などさいている、また江路をわたるときは、春の帆に向って細々とした春雨がふりそそぐことだろう。
ただ仙界の島へ向う穏やかな広々とした海のようかどうかはわからない。それに天に派遣されたということで、いつ帰ってこられることかわからないことなのだ。どうか無事でもどってくれることを願っている。


(訳注)
送翰林張司馬南海勒碑

翰林は翰林院、翰林には司馬の官はない。張司馬については詳でないが司馬職の前の職が翰林院であったのであろう。南海は広東地方、勤碑は石碑に文字をはりつけること。
碑文は時の宰相の誰かがつくったもので杜甫ではない。司馬が南海の地へ碑文を彫り刻むために往くのを送るものである。


冠冕通南極,文章落上臺。
冕玉の付いた衣冠をつけた文官が南方のはての地に交通し、朝廷の上台である宰相がつくられ、下された碑文をもってゆくのである。
冠冕 唐の文官のかぶる礼冠をいう。冕のたまが下がっている。○通 交通すること。○南極 南のはて、南海をさす。○文章 碑文。原注に「相国製レ文」とある。○ 上国より下国へもってゆくこと。○上台 天に上台・中台・下台の六星があり、上台の二塁は文昌星に近い。これは宰相の位をいう、文が宰相の手より成るのを以ていう。


詔從三殿去,碑到百蠻開。
これは天子の詔によって朝廷の三殿からおゆきになるのである、鄭君が百蛮の異民族の地に著くのを待ってこの石碑がそこに開陳され統治にやくだたされるということになろう。
〇三殿 含元殿、宣政殿、紫宸殿(大明宮中にある)に三面あるゆえに三殿というという。〇百蛮 多種の野蛮人の居る地。○ 刻石があらわされることをいう。


野館穠花發,春帆細雨來。
君が陸路をゆくときはそれぞれ野館にうつくしい花などさいている、また江路をわたるときは、春の帆に向って細々とした春雨がふりそそぐことだろう。
○野館 原野の旅宿。○穣花 うつくしい花。○春帆 はるの舟。○細雨 こまかなあめ。春雨。


不知滄海上,天遣幾時回?
ただ仙界の島へ向う穏やかな広々とした海のようかどうかはわからない。それに天に派遣されたということで、いつ帰ってこられることかわからないことなのだ。どうか無事でもどってくれることを願っている。
滄海上 滄海は仙人の住む島への穏やかな上ひろい海をこえてゆくことをいう。○ 海路は風波の多き痛め、当時そうなんがおおかった。そのため、帰れるか否かとは天意によるものという考えが当たり前のこととされた。○ して、天に派遣されたもの。○幾時 いつ。○廻 こちらへもどりくる。
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送賈閣老出汝州 杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 242

送賈閣老出汝州 杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 242

758年 乾元元年春の作。
五言律詩

送賈閣老出汝州
西掖梧桐樹,空留一院陰。
中書省の垣門のそばの梧桐の樹。あの樹は君が居なくなってはいたずらに院内にわたる木陰をとどめておるばかりである。
艱難歸故裡,去住損春心。
君はこの世事の難儀なときに故郷の方へとかえり、いってしまう君も、とどまっておる自分も、ともに慶びの春の心を冷めてしまって傷むこころになるのである。
宮殿青門隔,雲山紫邏深。
君が行くところはこの都の宮殿の東はるか青門からへだたったところであり、紫邏の雲山は奥深く遠いところである。
人生五馬貴,莫受二毛侵。
あなたは誰にとってもその人生において五馬を用意されるほどの官となる貴い位置なのである。髪の黒いうちにやっておくもので白髪なんぞに侵されるということがあってはならない。


(賈閣老が汝州へ出る送る)
西掖の梧桐樹、空しく留む一院の陰。
艱難 故里に帰る、去住春心損ず。
宮殿 青門隔たる、雲山 紫邏深し。
人生 五馬貴し、二毛の侵すを受くる莫れ。

gogyu10680


現代語訳と訳註
(本文)
送賈閣老出汝州
西掖梧桐樹,空留一院陰。
艱難歸故裡,去住損春心。
宮殿青門隔,雲山紫邏深。
人生五馬貴,莫受二毛侵。


(下し文)
西掖の梧桐樹、空しく留む一院の陰。
艱難 故里に帰る、去住春心損ず。
宮殿 青門隔たる、雲山 紫邏深し。
人生 五馬貴し、二毛の侵すを受くる莫れ。


(現代語訳)
中書省の垣門のそばの梧桐の樹。あの樹は君が居なくなってはいたずらに院内にわたる木陰をとどめておるばかりである。
君はこの世事の難儀なときに故郷の方へとかえり、いってしまう君も、とどまっておる自分も、ともに慶びの春の心を冷めてしまって傷むこころになるのである。
君が行くところはこの都の宮殿の東はるか青門からへだたったところであり、紫邏の雲山は奥深く遠いところである。
あなたは誰にとってもその人生において五馬を用意されるほどの官となる貴い位置なのである。髪の黒いうちにやっておくもので白髪なんぞに侵されるということがあってはならない。


(訳注)
送賈閣老出汝州

賈は賈至(かし) 718年~772年、安史の乱には、玄宗に従って、蜀に避れる。時に中書舎人であった。閣老とは舎人の牛深きものをいう尊称とし、或は門下省と呼びあう場合の称号とする、賈至をさしていうものである。汝州は河南省南陽府に属する。賈至は河南洛陽の人である。此の詩は中書舎人である貿至が長安から河南の汝州へ刺史として出かけるのを送るために作る。


西掖梧桐樹,空留一院陰。
中書省の垣門のそばの梧桐の樹。あの樹は君が居なくなってはいたずらに院内にわたる木陰をとどめておるばかりである。
西掖 中書舎人は中書省に属し、中書省は東内の西にある牒東内より中書省へ出入する西側の垣を西掖という、舎人の院はそこにある。○ 賈至がいないということ、「空しく」という。〇一院 院全体、院は舎人の詰め所。○ 樹陰。

 
艱難歸故裡,去住損春心。
君はこの世事の難儀なときに故郷の方へとかえり、いってしまう君も、とどまっておる自分も、ともに慶びの春の心を冷めてしまって傷むこころになるのである。
艱難 世事のなんぎ。洛陽奪還しても不安定である。○故旦 故郷、至の故郷は洛陽であり、そこを経て汝州へ赴く、故に「帰る」という、かえりきりにかえるのではない。○去住 去ると、とどまると。去は賈至についていい、住は杜甫のことについていう。○ 損傷の意。


宮殿青門隔,雲山紫邏深。
君が行くところはこの都の宮殿の東はるか青門からへだたったところであり、紫邏の雲山は奥深く遠いところである。
青門 長安城の東、洛陽方面へは春明門から㶚陵橋かけてが送別の場所であった。○雲山 雲のいる山。○紫邏 山の名、河南省洛陽市汝陽縣にある紫邏山。梅花玉の産地。


人生五馬貴,莫受二毛侵。
あなたは誰にとってもその人生において五馬を用意されるほどの官となる貴い位置なのである。髪の黒いうちにやっておくもので白髪なんぞに侵されるということがあってはならない。
五馬貴 五馬は太守の美称。太守を五馬というのは郡の太守(長官)は駆馬(四匹の馬)を用いる。郡内をめぐるときは更に一馬を加えることからいうのである。また太守が秩中二千石を加えられるとき(禄高が正味二千石を受く)五馬を用いる。五行思想からも五頭立ての馬車は地位が高いのである。○受侵 おかされる。〇二毛黒白二種の毛髪、白髪のふえることをいう。


賈至の代表的な詩。
長門怨(獨坐思千里)   春思(草色青青柳色黄)   岳陽樓重宴別王八員外貶長沙(江路東連千里潮)
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(Ⅰ李商隠Ⅱ韓退之(韓愈))
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題省中院壁 杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 241

題省中院壁 杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 241
 (省中の院壁に題す)
門下省のなかにある左拾遺の官の役所の壁にかきつけた詩。前詩同期の作。*此の詩は拗体といって律詩の変格である。


題省中院壁
掖垣竹埤梧十尋,洞門對霤常陰陰。
宮廷側の垣壁の編竹の垣根に十尋の高い梧桐が植えてある、その梧桐は、宣政殿を挟んで門下省、中書省が連って洞門をなし、雨の落ちる方向に向いている処なのでいつも影になっていて暗い。
落花游絲白日靜,鳴鳩乳燕青春深。
春盛んな時、さすがに花が散り落ち、かげろうが燃えて真昼の日の光が静かに射しかける、鳩が鳴き、燕が子をかえすなど春の真っ盛りである。
腐儒衰晚謬通籍,退食遲回違寸心。
このときくされ儒者たる自分は晩年で衰えかけているのに、まちがって仕官ができたのであり、役所のひけ時にぐずぐずして平生の本志は思うことのかなわないものである。
袞職曾無一字補,許身愧比雙南金。

左拾遺という天子をお諌め申す役でありながらまだ一字として補いたてまつったことがない、これでは以前我と我が身に許して自己を南金の如き貴重なものに比べたことをはずかしくおもう。


(省中の院壁に題す)
掖垣【えきえん】の竹埤【ちくひ】十尋【じゅうじん】、洞門 対霤【たいりゅう】常に陰陰。
落花 遊糸 白日静かに、鳴鳩【めいきゅう】乳燕【にゅうえん】青春深し。
腐儒【ふじゅ】衰晩【すいばん】謬【あやま】って籍を通ず、退食【たいしょく】遅廻【ちかい】寸心【すんしん】違【たご】う。
袞職【こんしょく】曾て一字の補【おぎない】無し、身を許す愧【は】ずらくは双南【そうなん】金に比せしこと。


 現代語訳と訳註
(本文)
題省中院壁
掖垣竹埤梧十尋,洞門對霤常陰陰。
落花游絲白日靜,鳴鳩乳燕青春深。
腐儒衰晚謬通籍,退食遲回違寸心。
袞職曾無一字補,許身愧比雙南金。


(下し文) (省中の院壁に題す)
掖垣【えきえん】の竹埤【ちくひ】十尋【じゅうじん】、洞門 対霤【たいりゅう】常に陰陰。
落花 遊糸 白日静かに、鳴鳩【めいきゅう】乳燕【にゅうえん】青春深し。
腐儒【ふじゅ】衰晩【すいばん】謬【あやま】って籍を通ず、退食【たいしょく】遅廻【ちかい】寸心【すんしん】違【たご】う。
袞職【こんしょく】曾て一字の補【おぎない】無し、身を許す愧【は】ずらくは双南【そうなん】金に比せしこと。


(現代語訳)
宮廷側の垣壁の編竹の垣根に十尋の高い梧桐が植えてある、その梧桐は、宣政殿を挟んで門下省、中書省が連って洞門をなし、雨の落ちる方向に向いている処なのでいつも影になっていて暗い。
春盛んな時、さすがに花が散り落ち、かげろうが燃えて真昼の日の光が静かに射しかける、鳩が鳴き、燕が子をかえすなど春の真っ盛りである。
このときくされ儒者たる自分は晩年で衰えかけているのに、まちがって仕官ができたのであり、役所のひけ時にぐずぐずして平生の本志は思うことのかなわないものである。
左拾遺という天子をお諌め申す役でありながらまだ一字として補いたてまつったことがない、これでは以前我と我が身に許して自己を南金の如き貴重なものに比べたことをはずかしくおもう。


(訳注)題省中院壁
掖垣竹埤梧十尋,洞門對霤常陰陰。
宮廷側の垣壁の編竹の垣根に十尋の高い梧桐が植えてある、その梧桐は、宣政殿を挟んで門下省、中書省が連って洞門をなし、雨の落ちる方向に向いている処なのでいつも影になっていて暗い。
○掖垣 宮廷側のかき。○竹埤 竹で編んだひくいかきね。○梧 あおぎり。○尋 八尺。中国では、尋(じん)とその2倍の「常」(じょう)という単位がよく用いられていた。この二つを組み合わせてできたのが「尋常」という言葉であり、並み、普通であることを意味する。○洞門 門と門と向かいあって洞の如くになっているものをいう、宣政殿を挟んで門下省、中書省の諸院が多く相い連らなっているからである。○對霤 霤は屋根の雨のおちるところをいう、対とは向う側とむきあうことをいう。○陰陰 影になりくらっぽいさま。


落花游絲白日靜,鳴鳩乳燕青春深。
春盛んな時、さすがに花が散り落ち、かげろうが燃えて真昼の日の光が静かに射しかける、鳩が鳴き、燕が子をかえすなど春の真盛りである。
遊糸 いとゆう。がげろう。○乳燕 子をうんだつばめ。○青春 五行の思想では春の色を青とする。五色-五方-五時:青(緑)-東-春、紅-南-夏、黄-中-土用、白-秋-西、玄(黒)-北-冬。


腐儒衰晚謬通籍,退食遲回違寸心。
このときくされ儒者たる自分は晩年で衰えかけているのに、まちがって仕官ができたのであり、役所のひけ時にぐずぐずして平生の本志は思うことのかなわないものである。
腐儒 全くの役に立たない儒者。くされ儒者。気力も意欲もない学者をののしっていう語。 ...ここでは杜甫自身をさす。○衰晩 老衰、晩暮。○通籍 禁中へわが名ふだを通じておくこと、仕官の義。籍とは二尺の竹札に年がら姓名その他の様子を書付け、入門の時、本人と照らしあわす用に供するもの。○退食 朝廷を出て門下省の詰め所で食事をとる。○遅廻  ぐずぐずしておるさま。○違寸心 思うことのかなわぬことをいう。


袞職曾無一字補,許身愧比雙南金。
左拾遺という天子をお諌め申す役でありながらまだ一字として補いたてまつったことがない、これでは以前我と我が身に許して自己を南金の如き貴重なものに比べたことをはずかしくおもう。
袞職 袞とは巻き竜のついた衣、天子の礼服。袞職とは天子の職をいう。○許身 我と我が身にかくかくの資格ありとしてゆるす。○ 杜甫がはじる。○双南金 南金は南方刑州・揚州の地に産する金銀の類をさす、双は一封をいう、両鎰(鎰は二十四両)をいうとするが、ここでは杜甫の職の重さを表現しており、あたえられた職ができないことに悩んでいる。この時の天子、粛宗は文人を好んでいないため、ことごとく左遷されている。王維、王昌齢、高適等々皆悩んでいた。杜甫は、左拾位の職を賜った直後に房琯をかばう発言により、一切無視されている。鳳翔から長安を奪還する際には妻のもとに行っていた。杜甫の詩も長安に入城する祝いの詩もなければそのことに触れた詩もない。全く期待されていない存在であったということだ。


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