杜甫詳注 杜詩の訳注解説 漢文委員会

士族の子で、のほほんとしていた杜甫を変えたのは、三十代李白にあって、強いカルチャーショックを受けたことである。その後十年、就活に励んだ。同時に極限に近い貧困になり、家族を妻の実家に送り届けるときの詩は、そして、子供の死は、杜甫の詩を格段に向上させた。安史の乱直前から、捕縛され、長安での軟禁は、詩にすごみと分かりやすさのすぐれたしにかえてゆき、長安を脱出し、鳳翔の行在所にたどり着き、朝廷に仕えたことは、人間関係の複雑さを体験して、詩に深みが出ることになった。そして、朝廷における疎外感は詩人として数段高めさせてくれた。特に、杜甫の先生に当たる房琯関連の出来事、二十数首の詩は内容のあるものである。  一年朝廷で死に直面し、そして、疎外され、人間的にも成長し、これ以降の詩は多くの人に読まれる。  ◍  華州、秦州、同谷  ◍  成都 春満喫  ◍  蜀州、巴州、転々。 ◍  再び成都 幕府に。 それから、かねてから江陵にむかい、暖かいところで養生して、長安、朝廷に上がるため、蜀を発し、 ◍  忠州、雲州   ◍  夔州   ◍  公安  そして、長安に向かうことなく船上で逝くのである。  本ブログは、上記を完璧に整理し、解説した仇兆鰲の《杜詩詳注》に従い、改めて進めていく。

杜甫の詩、全詩、約1500首。それをきちんと整理したのが、清、仇兆鰲注解 杜詩詳注である。その後今日に至るまで、すべてこの杜詩詳注に基づいて書かれている。筆者も足掛け四年癌と戦い、いったんこれを征することができた。思えば奇跡が何度も起きた。
このブログで、1200首以上掲載したけれど、ブログ開始時は不慣れで誤字脱字も多く、そして、ブログの統一性も不十分である。また、訳注解説にも、手抜き感、不十分さもあり、心機一転、杜詩詳注に完全忠実に初めからやり直すことにした。
・そして、全唐詩と連携して、どちらからでも杜詩の検索ができるようにした。
・杜甫サイトには語順検索、作時編年表からも検索できるようにした。
杜甫詩の4サイト
● http://2019kanbun.turukusa.com/
● http://kanbunkenkyu.webcrow.jp
● http://kanbunkenkyu.web.fc2.com/
● http://kanbuniinka15.yu-nagi.com

2011年07月

遣懐(昔我遊宋中) 杜甫

遣懐(昔我遊宋中)杜甫 紀頌之の漢詩ブログ杜甫詩 特集  15 (李白を詠う-1)
天宝3載744年33歳 五言古詩
李白との交わり  斉・魯の旅へ

[これまでの整理 直前の3年間]
二十五、六科挙試験のショックで四年斉・趙に遊んだ。杜甫は三十歳になって、年はじめ、洛陽に帰った。

開元29年741年30歳
 五言律詩 8「巳上人茅粛」
 五言律詩 9「房兵曹胡馬詩」

 そうして、河南省偃師県條師県にある首陽山のふもとに、陸渾荘と名づける家を建てている。おそらくこのころ、妻の楊氏を迎えた。楊氏の実家は、司農少卿(司農府の次官)楊怡の家の娘であった。

天宝1載742年 31歳
 五言律詩 10「畫鷹」
 陸渾荘を築く。まもなく「おば」万年県君が亡くなり、寒食日に遠祖杜預を祭る。
 五言律詩 11「過宋員外之問舊莊」
 五言律詩 12「夜宴左氏荘」

 洛陽の仁風里に住んでいた姑母は、杜甫は、母を失って間もないころにめんどうを見てもらった彼女のために、心をこめた墓誌を書いている。
 五言古詩13「假山」  天宝の初、我が太夫人の堂下に於て、土を塁ねてに慈竹を植え、この詩を作る。
 五言古詩14「龍門」
なお、この年に天宝と改元されるが、このころやがて杜甫と顔を合わせる李白が、道士呉筠䅈の推薦によって会稽から長安にやってきて、翰林院(天子の詔勅などをつかさどる役所)に供奉している。
安禄山、平鹿節度使となる。
   
天宝2載 正月、年を載と改めた。賀知章、辞して長安を去る。まもなく没。岑參、進士及第。李白、翰林院に出仕す。三月、安禄山、抱陽節度使を兼ねる。寿王妃楊氏、大兵と号して宮中に召さる。 

天宝三年 744年、杜甫はこの年も洛陽に留まっている。そうして夏のころ、高力士らの讒言によって長安の宮廷を追放され、傷心を抱いて洛陽にやって来た李白と、はじめて会っている。
 時に李白は四十四歳、杜甫より十一歳の年長であり、すでにその文名は天下に高かった。まだ無名の存在である杜甫は、あこがれと尊敬の念をもって李白の話に耳を傾けたのである。そうして、李白の謫仙人というべき人物と新鮮な詩風に心ひかれるままにその跡を追った杜甫は、当時やはり不遇であった高適(時に四十四歳)とも出会い、三人で梁・宋(河南省の開封・商邦)の地に遊ぶ。「壮遊」と同じく晩年に襲州で作られた「遣懐」(懐いを遣る)また「昔遊」の中に、そのときの様子が次のように詠われている。

まず「遣懐」では、梁州でのことが、

昔我遊宋中、惟梁孝王都。
昔  宋州で遊んだことがある、梁の孝王が都としたところだ
名今陳留亜、劇則貝魏倶。
名は陳留につぐが、にぎわいは貝州や魏州にひとしい
邑中九万家、高棟照通衢。
城内には九万戸の家々、高い棟木が十字の街路につらなっている
舟車半天下、主客多歓娯。
舟や車は  天下の半ばを集め、土地の者も旅人も  共に楽しく暮らしている
白刃讎不義、黄金傾有無。
不義の者は白刃でこらしめ、黄金は有無にかかわらず使いつくす
殺人紅塵裏、報答在斯須。

街上で人を殺せば、すぐに報復を受けるのだ

(下し文)
懐を遣る
昔  我  宋中(そうちゅう)に遊ぶ、惟(こ)れ梁(りょう)の孝王の都なり
名は今  陳留(ちんりゅう)に亜(つ)ぎ、劇(げき)は則ち貝魏(ばいぎ)に倶(ひと)し
邑中(ゆうちゅう)  九万家(か)、高棟(こうとう)は通衢(つうく)を照らす
主客は歓娯(かんご)多し、舟車(しゅうしゃ)は天下に半(なか)ばし
白刃(はくじん)  不義に讎(あだ)し、黄金(おうごん)  有無(うむ)を傾く
人を紅塵(こうじん)の裏(うち)に殺し、報答(ほうとう)  斯須(ししゅ)に在り


憶(おも)う  高李(こうり)が輩(はい)と、交(こう)を論じて酒壚(しゅろ)に入る
両公  藻思(そうし)壮(さか)んなり、我を得て  色(いろ)敷腴(ふゆ)たり
気酣(たけなわ)にして吹台(すいだい)に登り、古(いにしえ)を懐(おも)うて平蕪(へいぶ)を視(み)る
芒碭(ぼうとう)  雲は一去(いちきょ)し、雁鶩(がんぼく)  空(むな)しく相呼ぶ


「書懐」の詩では、宋州での遊びが、

憶与高李輩、論交入酒壚。
思い起こせば高適・李自らと、交わりを結んで酒店に入った。
両公壮藻思、得我色敷腴。
二人は文章への思いは盛んで、私という相手を得て、のびやかに談じていた。
気酣登吹台、懐古視平蕪。
酒が回って意気は上がり、吹台(開封の東南にある台)に登って、うち続く荒野を眺めわたしながら、この地にまつわる昔の出来事をしのんだ。
芒碭雲一去、雁鶩空相呼。
 芝山や楊山のあたりには(昔、秦の始皇帝の追及の手を逃れた漢の高祖がそこに隠れ、その間つねに立ち上っていたという)帝王の雲気はいまや去ってしまい、雁や鷲がむなしく鳴き交わしているだけであった

(下し文)
憶(おも)う  高李(こうり)が輩(はい)と、交(こう)を論じて酒壚(しゅろ)に入る
両公  藻思(そうし)壮(さか)んなり、我を得て  色(いろ)敷腴(ふゆ)たり
気酣(たけなわ)にして吹台(すいだい)に登り、古(いにしえ)を懐(おも)うて平蕪(へいぶ)を視(み)る
芒碭(ぼうとう)  雲は一去(いちきょ)し、雁鶩(がんぼく)  空(むな)しく相呼ぶ

「昔遊」では
昔者与高李、晩登単父台。
寒蕪際碣石、万里風雲来。
桑柘葉如雨、飛藿共徘徊。
清霜大沢凍、禽獣有余哀
「その昔、高適・李白と、夕暮れに単父台に登った。寒々とした荒地は遠く瑞石のあたりまで続いており、万里の果てから風雲が吹きつけてきた。桑や柘の葉が雨のように飛散し、なかに豆の葉も吹き迷っていた。清らかな霜が降りて大沢は凍り、鳥獣は近づく狩猟の季節におびえていた」
と詠われている。

梁・宋での遊びののち、高適は南方楚の地に遊び、杜甫は李白に従って斉・魯に行くことにした。李白は兗州(山東省滋陽)の我が家に帰り、北海(山東省益都)の道士高天師のところへ出かけて道教のお札をもらうためであった。

龍門 杜甫

龍門 杜甫 紀頌之の漢詩ブログ杜甫詩 特集  14

東都(洛陽)にあって竜門に遊んだときの感想をのべた作。
天宝1載 742年 31歳

龍門
龍門橫野斷,驛樹出城來。
竜門の峡谷はづっと続いている平野を断絶している、そこに通じる並木道は城中からここまでずっとつながっている
氣色皇居近,金銀佛寺開。
こころの雲気からすると東都の皇城は間近にあり、そこら随所に金銀で飾った寺院があるので心が開かれる。
往還時屢改,川陸日悠哉!
自分はたびたびここへ遊びにくるのであるが、行き来するごとに道を変えているので、附近の陸地や河川というものはいつもどおり存続していてかわらぬものだ。
相閱徵途上,生涯盡幾囘。
よくよく考えてみるとここをとおる旅人が、一生のうちにここへは何度も来ることができるというのか。

竜門の峡谷はづっと続いている平野を断絶している、そこに通じる並木道は城中からここまでずっとつながっている
こころの雲気からすると東都の皇城は間近にあり、そこら随所に金銀で飾った寺院があるので心が開かれる。
自分はたびたびここへ遊びにくるのであるが、行き来するごとに道を変えているので、附近の陸地や河川というものはいつもどおり存続していてかわらぬものだ。
よくよく考えてみるとここをとおる旅人が、一生のうちにここへは何度も来ることができるというのか。


(下し文)
竜門 野に横りて断ゆ 駅樹 城を出でて乗る
気色 皇居近し 金銀 仏寺 開く
往来 時に屡(しばしば)改まる 川陸 日に悠なる哉
相閱(けみ)す征途の上 生涯 幾回にか尽く


龍門
○竜門 洛陽の東南、伊河に臨む名勝龍門の奉先寺。前に杜甫2「遊龍門奉先寺」参照
rakuyo0066
洛陽と竜門の位置関係地図。

龍門橫野斷,驛樹出城來。
竜門の峡谷はづっと続いている平野を断絶している、そこに通じる並木道は城中からここまでずっとつながっている。
横野断 断とは竜門の渓谷が断絶することをいう、横野とは遠くはるかな平野につらなってみえるさま。○駅樹 竜門の駅にならんでいる並木。○出城来 城は洛陽城、出城来とは並木が城中より城外の駅道に接続している様子のことをいう。

氣色皇居近,金銀佛寺開。 
こころの雲気からすると東都の皇城は間近にあり、そこら随所に金銀で飾った寺院があるので心が開かれる。
氣色皇居近,金銀佛寺開。 此の二句は対をなしているが一貫してみるべきである。○気色 こころの雲気。ようす。きぶん。気象。○皇居 洛陽(東都)にあった皇帝の宮殿。○金銀 寺の装飾をいう、竜門には多くの寺がある。

往還時屢改,川陸日悠哉
自分はたびたびここへ遊びにくるのであるが、行き来するごとに道を変えているので、附近の陸地や河川というものはいつもどおり存続していてかわらぬものだ。
往還時屢改,川陸日悠哉。 此の二句も対をなしているが一貫してみるべきである。往来とは通常、洛陽は大都市で、幹線道路をいう、改とは道路が左右上下に変ることをいう。ここは杜甫がこの地に行き来する道がその都度変わることを指す。○川陸 川水と陸地、川とは伊河をさす。○悠哉 悠々として長く存続すること。

相閱徵途上,生涯盡幾囘。
よくよく考えてみるとここをとおる旅人が、一生のうちにここへは何度も来ることができるというのか。
相閱 しらべてみる。よくよく考える。○征途 たびじ。行く先を定めてそこに至ることを示す。杜甫は征伐・征服の征をよく使用する。○生涯 一生の間。○尽 おわる。○幾回 ここに行き来することの幾回になるのかをいう。

假山 杜甫

假山 杜甫 紀頌之の漢詩ブログ杜甫詩 特集  13
天宝1載 742年 31歳、この年結婚している。
天宝の初、我が太夫人の堂下に於て、土を塁ねてに慈竹を植え、この詩を作る。


假  山(仮 山)
天賓初。南曹小司冠男。於我太夫人堂下。
塁土馬山。一匿盈尺。以代彼朽木。承諸焚香瓷甌。
甌甚安夫。旁植慈竹。蓋立教峰。嶔岑嬋娟
宛有塵外致。乃不知興之所至。而作是詩。

天宝の初、自分のおじで小司寇の官で吏部省の南曹の兼官の人が、我が継祖母の太夫人の堂の下に、土をもってつき山をつくった。一モッコで高さ一尺になる。普通に作る木製の朽木の台に代えて、香を焚く陶器の壺を載せるのだ。のせてみると壺のすわりが安定している。そのそばに慈竹を植えた。築山のそびえが嶺のようで、竹の色もちょうどいい。とがったりまるまったり、神の御庭のような趣がある。じぶんは面白さをおぼえてこの詩を作った。
○仮山 つきやま。○天宝 唐の玄宗の年号742-756。○南曹小司寇舅 舅は母方のおじをいう、其の人については未詳。南曹とは吏部省の南曹で兼官であり、小司寇は舅の本官である。○太夫人 作者の祖父、杜審言の継室慮氏をさす。慮氏は天宝三載五月陳留で歿した。○塁 累と同じ。○匱 簣の作もある、モッコのこと。○朽木 くちた木。普通ならば香炉の台などは木で造る。○承 うける、のせる。○套甑 すえもののつぼ。○安 おちつきのよいこと。○慈竹 しのだけの類。○数峰 土山の峰をいう。○巌卑 山のけわしいさま。○輝娼 竹のうつくしいさま。○致 おもむき。○所至 至とは極まるをいう



假山
一匱功盈尺、三峰意出羣。
一モッコの土を盛りあげて一尺あまりの山をつくりあげた。その山の三つの峰は他の羣峰よりも傑出しているかとみるのだ。
望中疑在野、幽處欲生雲。
これをながめると広野にでもいるのかとみまちがえるほどだ、その奥ふかき静まった処からは雲が沸き起こるかとおもわれる。
慈竹春陰覆、香爐暁勢分。
慈竹は春のくもりを得て平地をおおい、香炉からは暁の煙が幾筋か分れてたちのぼっている。
惟南将獻壽、佳氣日氤氳。 

この土山は彼の尊き南山のようにそのことほぎを祖母に奉るかのように日々その周囲にめでたい気をただよわせている。

一モッコの土を盛りあげて一尺あまりの山をつくりあげた。その山の三つの峰は他の羣峰よりも傑出しているかとみるのだ。
これをながめると広野にでもいるのかとみまちがえるほどだ、その奥ふかき静まった処からは雲が沸き起こるかとおもわれる。
慈竹は春のくもりを得て平地をおおい、香炉からは暁の煙が幾筋か分れてたちのぼっている。
この土山は彼の尊き南山のようにそのことほぎを祖母に奉るかのように日々その周囲にめでたい気をただよわせている。


一置功尺に盈つ 三峰意羣を出づ
望中野に在るかと疑う 幽処雲を生ぜんと欲す
慈竹春陰覆う 香炉暁勢分る
惟れ南将に寿を献ぜんとす 佳気日に氤氳(いんうん)たり


一匱功盈尺、三峰意出羣。
一モッコの土を盛りあげて一尺あまりの山をつくりあげた。その山の三つの峰は他の羣峰よりも傑出しているかとみるのだ。
功 土盛りのわざをいう。〇三峰 土山の数。○ 峰を活物としてみる。○出羣 同類より傑出している。


望中疑在野、幽處欲生雲。

これをながめると広野にでもいるのかとみまちがえるほどだ、その奥ふかき静まった処からは雲が沸き起こるかとおもわれる。

在野 堂下とは思えぬ荒野にいるようなさま。○幽処 おくふかいしずかなところ。○春陰 春時のくもり。


慈竹春陰覆、香爐暁勢分。
慈竹は春のくもりを得て平地をおおい、香炉からは暁の煙が幾筋か分れてたちのぼっている。
暁勢 勢とは香煙の勢い。○惟南 南は南山をいう、「詩経」に「南山之寿ノ如シ」とある。


惟南将獻壽、佳氣日氤氳。 
この土山は彼の尊き南山のようにそのことほぎを祖母に奉るかのように日々その周囲にめでたい気をただよわせている。
佳気 めでたい気、山の気をいう。○氤氳 もやもやしているさ


(詩題の下し文)
天宝の初、南曹の小司寇男、我が太夫人の堂下に於て、土を塁ねてつき山を為る。一置尺に盈つ。以て彼の朽木に代え、諸の香を焚く瓷甌を永く、甌甚だ安かなり。傍らに慈竹を植う。蓋し嘉の数峰、嶔岑嬋娟として宛も塵外の致有り。乃ち興の至る所を知らず、而して是の詩を作る

夜宴左氏荘 杜甫

夜宴左氏荘 杜甫 紀頌之の漢詩ブログ杜甫詩 特集  12 (就職活動する。)
夜左氏の別荘の宴に出席したことをのべたもの。
742年 天宝1載31歳 洛陽での作
   
夜宴左氏荘         
夜 左氏の荘に宴した
風林繊月落、衣露浄琴張。
そぞろに風がわたる林に新月の細い月も沈んで夜も更けた、衣上に露の降りる澄み切った夜に琴の弦を張った穢れのない綺麗な琴の調がしみわたる。
暗水流花径、春星帯草堂。
暗がりで水流れており荘園の花咲く小路、春の星が草堂をやわらかくつつんでいる。 
検書焼燭短、看剣引盃長。
書籍でしらべものをしていたら、いつのまにか、蝋燭が短くなっていた、剣を見ていると酒杯を重ねあげてはなせない。
詩罷聞呉詠、扁舟意不忘。

宴席で詩を作って読み上げおわると、江南の音調でこの詩を詠う者がいた、その音調を聞いたら自分が小船で呉越に遊歴した当時のことを思い出されて忘れることはない。


夜 左氏の荘に宴した
そぞろに風がわたる林に新月の細い月も沈んで夜も更けた、衣上に露の降りる澄み切った夜に琴の弦を張った穢れのない綺麗な琴の調がしみわたる。
暗がりで水流れており荘園の花咲く小路、春の星が草堂をやわらかくつつんでいる。 
書籍でしらべものをしていたら、いつのまにか、蝋燭が短くなっていた、剣を見ていると酒杯を重ねあげてはなせない。
宴席で詩を作って読み上げおわると、江南の音調でこの詩を詠う者がいた、その音調を聞いたら自分が小船で呉越に遊歴した当時のことを思い出されて忘れることはない。


夜 左氏の荘に宴す
風林(ふうりん)  繊月(せんげつ)落ち
衣露(いろ)  浄琴(じょうきん)張る
暗水(あんすい)は花径(かけい)に流れ
春星(しゅんせい)は草堂を帯(お)ぶ
書を検(けん)して  燭(しょく)を焼くこと短く
剣を看(み)て  盃(さかずき)を引くこと長し
詩罷(や)みて  呉詠(ごえい)を聞く
扁舟(へんしゅう)  意(い)  忘れず


夜宴左氏荘
○左氏荘 左氏が何人であるかは未詳。その荘の所在も詳かでないが、或は河南に在るかという。

風林繊月落、衣露浄琴張。
そぞろに風がわたる林に新月の細い月も沈んで夜も更けた、衣上に露の降りる澄み切った夜に琴の弦を張った穢れのない綺麗な琴の調がしみわたる。
風林 風のわたる林。○繊月 細くなった月。新月のこと。○衣露 衣上におりた露。 ○浄琴 穢れのない綺麗な琴の調。○ 琴の弦をはる。

暗水流花径、春星帯草堂。
暗がりで水流れており荘園の花咲く小路、春の星が草堂をやわらかくつつんでいる。 
暗水 くらがりの水。○花径 花のさいているこみち。○ とりかこむこと。

検書焼燭短、看剣引盃長。
書籍でしらべものをしていたら、いつのまにか、蝋燭が短くなっていた、剣を見ていると酒杯を重ねあげてはなせない。
検書 検はしらべること。○焼燭短 短の字は燭へかかる。更に長からんことを望む意がある。○引杯長 引とは口もとへひきよせること、長とは時間の久しきにわたることをいう。

詩罷聞呉詠、扁舟意不忘。
宴席で詩を作って読み上げおわると、江南の音調でこの詩を詠う者がいた、その音調を聞いたら自分が小船で呉越に遊歴した当時のことを思い出されて忘れることはない。
詩罷 席上で、詩をつくりおわること。○呉詠 呉は今の江蘇省地方、呉詠とは江南の音調で詩をうたうこと。○扁舟 小さくひらべたい舟。これは開元十九年、作者が年二十歳にして、呉越に遊んだことを憶いおこした

 「扁舟意不忘。」(小船で呉越に遊歴した当時のことを思い出されて忘れることはない。)で詩を終わらせていることで、そ前の句の「聞呉詠」(江南の音調でこの詩を詠う者がいた)ということをぐっと引き立て、夜宴の主を引き立てる役割をこなしている。それでいて自分の詩をきっちり売り込んでいる。五言句の中にこれだけの情報と想像力を描き立たせる杜甫の天才的なところである。

過宋員外之問舊莊  杜甫

過宋員外之問舊莊  杜甫 紀頌之の漢詩ブログ杜甫詩 特集  11
(宋員外之問が旧荘に過る)考功員外郎宋之問のふるい別荘に立ち寄って作った詩である。
* 天宝1載 742年 31歳 五言律詩

ちょうど同時期、王維が藍田の宋之問の別荘を購入している。宗之問の死から30年経過していてほとんど手入れをされていない状態のものであった。王維は二十数年かけて整理し輞川集を完成させた。杜甫・王維関連年表参照。しかし王維の輞川荘は長安の東南50km藍田にある。
この杜甫の詩の宋之問の別荘は洛陽の北西河南省偃師県にある。高級官僚であるし、武則天は洛陽にほとんどいたので、むしろ偃師県に別荘の利用が多かったかもしれない。宋之問と杜甫の祖父の杜審言と交友があった。
杜甫は、741年開元 二十九年、首陽山の下に室を築き、遠祖当陽君(晋の杜頚)を祭った。また、このとき、陸渾荘を建て,妻を娶る。世話になったおばの死からの喪明けの年とすべてが重なるが、これら一連をやり、李白の後を追って旅に出ることになる。


過宋員外之問舊莊
宋之問公の旧荘にたちよる。
宋公舊池館,零落首陽阿。
昔ありし宋之問公の館、それは今首陽山の丘におちぶれた状態にある。
枉道祗從入,吟詩許更過。
横道に入ってみると番人もきびしくなくてここをたずねると勝手にはいることができる、また詩を作って吟じるために今日再びここに過ることも許される。
淹留問耆老,寂寞向山河。
自分はひさしくここに居残って附近の老人たちに宋家の様子をたずねてみた、心さびしく寂しくなっておもわず山河の方をむかってしまった。
更識將軍樹,悲風日暮多。

これだけ荒れ果てたうえ、このあとわかったのは、その弟君、之悌公にちなんだ將軍樹も、夕方悲しき風ばかりが多く吹きわたっている。

宋之問公の旧荘にたちよる
昔ありし宋之問公の館、それは今首陽山の丘におちぶれた状態にある。
横道に入ってみると番人もきびしくなくてここをたずねると勝手にはいることができる、また詩を作って吟じるために今日再びここに過ることも許される。
自分はひさしくここに居残って附近の老人たちに宋家の様子をたずねてみた、心さびしく寂しくなっておもわず山河の方をむかってしまった。
これだけ荒れ果てたうえ、このあとわかったのは、その弟君、之悌公にちなんだ將軍樹も、夕方悲しき風ばかりが多く吹きわたっている。


(下し文)宋員外之問が旧荘に過る
宋公の旧池館 零落す首陽の阿
道を柾げて穣入るに従す 詩を吟じて更に過るを許す
掩留して者老に問い 寂実山河に向う
更に識る将軍の樹 悲風日暮に多きを

過宋員外之問舊莊
宋之問公の旧荘にたちよる
宋員外之問 末は姓、之問は名、姓名の問に員外をはさむ。宋之問は字は延清、我州弘農の人、中宗の景竜中に考功員外郎となった。○旧荘 ふるい別荘、これは首陽山の下に在ったもの。宋之問と杜甫の祖父杜審言とは武后の時、供に修文館学士であり、世々の交りがあった。杜甫は開元二十九年首陽山の下に室を築き、遠祖当陽君(晋の杜頚)を祭ったことがあるが、当時そうした関係から之問の荘に立ち寄ったのであろう。

宋公舊池館,零落首陽阿。
昔ありし宋之問公の館、それは今首陽山の丘におちぶれた状態にある。
宋公 宋之問をさす。○池館 池ややかた。○零落 おちぶれる。○首陽 山の名、河南省偃師県の西北二十五里にある。杜甫の居は偃師県の尸郷に在り、そこより首陽の方へと来たのである。○ おか。

枉道祗從入,吟詩許更過。
横道に入ってみると番人もきびしくなくてここをたずねると勝手にはいることができる、また詩を作って吟じるために今日再びここに過ることも許される
枉道 わざわざよこみちへはいりこむ。○ 砥と同じく、ただの意。○従入 従はまかす。勝手に入れる。○吟詩 この題詠の詩を吟ずること。
 
淹留問耆老,寂寞向山河
自分はひさしくここに居残って附近の老人たちに宋家の様子をたずねてみた、心さびしく寂しくなっておもわず山河の方をむかってしまった。
淹留 ひさしくとどまる。○問耆老 耆老は附近の父老をさす。間とは之問の家の其の後の事情についてたずねること。○向山河 向こうとは自分がこれに対することをいう。

更識將軍樹,悲風日暮多。
これだけ荒れ果てたうえ、このあとわかったのは、その弟君、之悌公にちなんだ將軍樹も、夕方悲しき風ばかりが多く吹きわたっている。
将軍樹 後漢の鴻異は戦功があったが、功を論ずるときには独り樹下にしりぞいておったので、兵士たちは彼を大樹将軍といった。これはそれを借りて之問の弟の之悌をさす。題下の原注の員外季弟執金吾とは蓋し之悌をいう。之悌は勇力があり、開元中に右羽林将軍より益州長史、剣商節度使・兼探訪使となり、ついで太原尹に還っている。○悲風多 多とは樹上に多く吹くことをいう、これによれば時に之悌はすでに没していたことを知るのである。


宋之問 (そうしもん) 652~712 "宋 之問(そう しもん、656年?-712年あるいは713年)は中国初唐の詩人。
(690)楊炯とともに習芸館学士
(698)則天武后の寵臣である張易之兄弟に取り入り、尚方監丞として『三教珠英』の編集に参加。(これにも疑惑あり)
(705)瀧州(広東省)に流刑された
(706)ひそかに脱出して洛陽へ逃げ帰った。
(707)張沖之が朝廷に陰謀を企てていることを密告して、その功績で罪を許されて鴻臚主簿
(709)収賄の罪で越州(現浙江省紹興市)の長史に左遷
(710)欽州(現広東省)に流刑される
(712)「獪険盈悪」の罪により自殺刑を命じられた
 上記のほか人の詩を盗んだりして 評判の悪い人物である。王維はこの宗之問の長安郊外の別荘を購入し、杜甫は洛陽の宗之問の別荘の近くに陸渾荘を建てる。

畫鷹  杜甫

畫鷹  杜甫 紀頌之の漢詩ブログ杜甫詩 特集  10 (青年期・就活の詩)
五言律詩。絵にかいた鷹についてよんだ詩。
天宝1載 742年 31歳


畫 鷹              
素練風霜起、蒼鷹画作殊。
鷹を書いた絵絹がある。鷹の羽の勢いで風を呼び、練り絹の白い面からや霜がわき起こるかとおもわれるのは、青黒い鷹の絵の出来映えが素晴しいからだ。
㩳身思狡兎、側目似愁胡。
その鷹は肩を怒らせてはすばしこい兎を狙おうとしているのであろうか、その横目に睨んでいる心配顔のトルコ人に似ている。
絛鏇光堪擿、軒楹勢可呼。
足をくくるひもの環輪は手で摘み取ることができそうに光っており、軒端の柱のあたりで呼べばすぐにも飛び出しそうな勢いがある。
何当撃凡鳥、毛血灑平蕪。

いつかは凡鳥どもをたたき伏せ、毛や血を平原に撒き散らすことであろう。


鷹を書いた絵絹がある。鷹の羽の勢いで風を呼び、練り絹の白い面からや霜がわき起こるかとおもわれるのは、青黒い鷹の絵の出来映えが素晴しいからだ。
その鷹は肩を怒らせてはすばしこい兎を狙おうとしているのであろうか、その横目に睨んでいる心配顔のトルコ人に似ている。
足をくくるひもの環輪は手で摘み取ることができそうに光っており、軒端の柱のあたりで呼べばすぐにも飛び出しそうな勢いがある。
いつかは凡鳥どもをたたき伏せ、毛や血を平原に撒き散らすことであろう。


画 鷹
素練(それん)   風霜(ふうそう)起こり
蒼鷹(そうよう)  画作(がさく)殊(こと)なり
身を㩳(そびやか)して狡兎(こうと)を思い
目を側(そばだ)てて愁胡(しゅうこ)に似たり
絛鏇(とうせん)  光  摘(つ)むに堪(た)え
軒楹(けんえい)  勢い呼ぶ可し
何(いつ)か当(まさ)に凡鳥(ぼんちょう)を撃ちて
毛血(もうけつ)  平蕪(へいぶ)に灑(そそ)ぐべき



畫 鷹  
杜甫は4年にわたる山東方面の遊学から帰り、就職活動のためや、知遇を得るために、貴族の館に出入りを始めた。この詩は出来上がってきた絵画に詩を書き添えた題画である。 
           

素練風霜起、蒼鷹画作殊。
鷹を書いた絵絹がある。鷹の羽の勢いで風を呼び、練り絹の白い面からや霜がわき起こるかとおもわれるのは、青黒い鷹の絵の出来映えが素晴しいからだ。
素練 しろい練絹。白絹で顔料が付きやすく練っているもの。○風霜起 鷹の羽の勢いが風であり、絹面の白さと獲物を狙う寒々とした光景を連想させる霜をいう。○蒼鷹 ごましおの羽色のたか。○画作 画のできぐあい。○ 尋常でない。秀逸であること。


㩳身思狡兎、側目似愁胡。
その鷹は肩を怒らせてはすばしこい兎を狙おうとしているのであろうか、その横目に睨んでいる心配顔のトルコ人に似ている。
攫身 渡は心に従って健に作るべきである。字の誤りであり、優は疎に同じく、そびやかすこと。身をそびやかすとは肩を怒らすようにすること。〇狡兎 ずるいうさぎ。○側目 よこめににらむ。○愁胡 心配顔のトルコ人。晋の孫楚の「鷹の賦」に「深目蛾眉、状は愁胡に似たり」とある。鷹の目つきを愁胡にたとえることは晋の孫楚の「鷹ノ賦」にある。

絛鏇光堪擿、軒楹勢可呼。
足をくくるひもの環輪は手で摘み取ることができそうに光っており、軒端の柱のあたりで呼べばすぐにも飛び出しそうな勢いがある。
絛鏇 鷹の足をくくったひもを通す金属の環輪。・ さなだひも。・ ろくろ仕掛けの金環。鷹の足をさなだひもでくくり、この環につないでおく。○光堪擿 光とは鋲のうごくにつれひかることをいう。擿つまんでとりさることをいう。○軒楹 のきば、はしら。○ 鷹の猛き勢い。○可呼 呼ぶとはこの鷺にかけごえをして猟をさせることをいう。

何当撃凡鳥、毛血灑平蕪。
いつかは凡鳥どもをたたき伏せ、毛や血を平原に撒き散らすことであろう。
何当 何は何時の義。 ○凡鳥 烏雀の類。○平蕪 蕪とは荒野をいう。


韻字 殊・胡・呼・蕪。

房兵曹胡馬詩 杜甫

房兵曹胡馬詩 杜甫 紀頌之の漢詩ブログ杜甫詩 特集   9
五言律詩。
兵曹参軍事の任にある房氏の所有する西方産の馬についてのべた詩。 開元29年 741年 三十歳ごろの作とされる。


房兵曹胡馬詩
房兵曹の胡馬の詩
胡馬大宛名、鋒稜痩骨成。
この外国産の大宛国の名誉にそむかない名馬であり、骨のすがたが痩せて肥えていない骨組みが十分にできあがっている。
竹批双耳峻、風入四蹄軽。
竹をそいだようにそばだつふたつの耳、、四つの蹄はそのあいだに風を吸いこんでかるがると走ってゆく。
所向無空闊、真堪託死生。
この馬の向かうところ空間はつぎつぎと制覇されてゆく、これほどの馬なら命をあずけるのに真に十分に任せることができる。
驍騰有如此、万里可横行。

こんな元気のいい馬を持っているあなたは、万里の遠方へでも自由自在に行くことができよう。


この外国産の大宛国の名誉にそむかない名馬であり、骨のすがたが痩せて肥えていない骨組みが十分にできあがっている。
竹をそいだようにそばだつふたつの耳、、四つの蹄はそのあいだに風を吸いこんでかるがると走ってゆく。
この馬の向かうところ空間はつぎつぎと制覇されてゆく、これほどの馬なら命をあずけるのに真に十分に任せることができる。
こんな元気のいい馬を持っているあなたは、万里の遠方へでも自由自在に行くことができよう。


(下し文)房兵曹の胡馬の詩
胡馬(こば)  大宛(たいえん)の名(な)
鋒稜(ほうりょう)  痩骨(そうこつ)成る
竹批(そ)いで  双耳(そうじ)峻(するど)く
風入って  四蹄(してい)軽(かろ)し
向かう所  空闊(くうかつ)無く
真に死生(しせい)を託するに堪(た)えたり
驍騰(ぎょうとう)  此(かく)の如き有らば
万里  横行(おうこう)す可し

房兵曹胡馬詩
房兵曹 房は姓、名は未詳。兵曹は兵曹参軍事の官をいう。○胡馬 胡は塞外の地方をさす、ここは外国産の馬をさして胡馬という。

胡馬大宛名、鋒稜痩骨成。
この外国産の大宛国の名誉にそむかない名馬であり、骨のすがたが痩せて肥えていない骨組みが十分にできあがっている。
大宛名 大宛は漠代に西域地方に在った国の名。漢の武帝は大宛より天馬を得たことがある。名とは名を負っている駿馬であるとの意。大宛(フェルガーナ)種の駿馬。 ○鋒稜 みね、とがり、骨のすがたをいう。 ○痩骨 肉のやせた骨。馬は「肉の肥えたのを貴わず、筋骨たくましきものを貴し」とする。 ○ 十分にできあがる。

竹批双耳峻、風入四蹄軽。
竹をそいだようにそばだつふたつの耳、、四つの蹄はそのあいだに風を吸いこんでかるがると走ってゆく。
竹批 竹の幹をはすかいにそぐことをいう、耳の尖っている形容。「馬の耳は小さくして鋭く、状は竹筒をごとくなるを欲す。」(斉民要術)。 ○双耳 左右二つのみみ。 ○ さかし、するどし。 ○風入 風が入りこむ。馬が走るときは、風がおのずから四足の間に生ずる。 〇四蹄 蹄はひづめ。

所向無空闊、真堪託死生
この馬の向かうところ空間はつぎつぎと制覇されてゆく、これほどの馬なら命をあずけるのに真に十分に任せることができる。
所向 どこえいこうと。○無空潤 空潤とはひろびろとした処、百里千里の平野をさす。無とは馬によって空間を制覇し、空間をなくすこと。○ この馬にまかせる。○死生 乗り手の死生。

驍騰有如此、万里可横行。
こんな元気のいい馬を持っているあなたは、万里の遠方へでも自由自在に行くことができよう。
驍騰 驍は勇武なこと、騰ほおどりあがる、馬のいさましいすがた。○横行 ほしいままにゆく。


房兵曹は洛陽の友人のひとりで、名馬を所有していた。杜甫は馬が好きで、多くの詩を残しているが、この五言律詩は、馬が大宛種の駿馬で、贅肉のないひきしまった体をよく詠っている。特に、「竹批いで 双耳峻く」は名句とされ、後世でも駿馬の形容に使われている。蹄は風を吸うように軽々と空をけってゆく、このような馬であれば死生を託するに足りると軽快にいい。結びの二句は、こんなに良い馬を持っていることは君にとって前途洋洋だと贈っている。当時、軍人にとって、出世の最大要件であったので、こういう表現をしたのである。
詩の形は、はじめ二句で導入、四句でその馬の良さを詠い、結び(尾聯)二句で抱負を述べる若き杜甫の律詩である。

巳上人茅粛 杜甫

巳上人茅粛 杜甫 紀頌之の漢詩ブログ杜甫詩 特集  8 
開元29年741年 30歳
巳上人の茅斎にて遊んだ時で作った詩。
五言律詩。

巳上人茅齋
巳上人のかやぶきの書斎にて。
巳公茅屋下,可以賦新詩。
巳上人の家内の書齋において、このようなところだといい詩をあらたにつくることができる。
枕簟入林僻,茶瓜留客遲。
巳上人は奥まった林中に客を導いて、高筵の上で寝させてくれ、そのうえ茶とか瓜とかを出され、長居をさせてくれられる。
江蓮搖白羽,天棘蔓青絲。
庭に目をやると江南の蓮の花が白い羽のように揺らいでいて、天門冬の葉と蔓が青いとのように絡まり下がっている。
空忝許詢輩,難酬支遁詞。

私ごときに許詢が拝したようにもてなされておられるが、支遁のような巳上人の詞にまだまだ、報いることはおこがましいと思っております。


巳上人のかやぶきの書斎にて。
巳上人の家内の書齋において、このようなところだといい詩をあらたにつくることができる。
巳上人は奥まった林中に客を導いて、高筵の上で寝させてくれ、そのうえ茶とか瓜とかを出され、長居をさせてくれられる。
庭に目をやると江南の蓮の花が白い羽のように揺らいでいて、天門冬の葉と蔓が青いとのように絡まり下がっている。
私ごときに許詢が拝したようにもてなされておられるが、支遁のような巳上人の詞にまだまだ、報いることはおこがましいと思っております。


巳上人茅齋  巳上人は未詳。巳は姓の一字をとったもの。悟りを開いたものを上人という。上人は聖人の次。。僧を敬っていったもの。・茅斉:かやぶきの書斎。

巳公茅屋下、可以賦新詩
巳上人の家内の書齋において、このようなところだといい詩をあらたにつくることができる。
 つくること。

枕簟入林僻、茶瓜留客遲。
巳上人は奥まった林中に客を導いて、高筵の上で寝させてくれ、そのうえ茶とか瓜とかを出され、長居をさせてくれられる。
枕簟 簟はたかむしろ。・人林僻 僻はかたよる、奥にひっこんでいる処をいう。僻の字は林の字へかかる。
遅 久しいことをいう。時間の経過。

江蓮搖白羽、天棘蔓青絲。
庭に目をやると江南の蓮の花が白い羽のように揺らいでいて、天門冬の葉と蔓が青いとのように絡まり下がっている。
江連  江南産の蓮。洛陽や山東省あたりのハスと違ったのであろう。・白羽:蓮花のしろいのをたとえていう。
天棘また麒棟という、天門冬のことであるという。 ・:はびこる、つるになってさがる。青糸葉の細く散じているのをたとえていう。

空忝許詢輩、難酬支遁詞。
私ごときに許詢が拝したようにもてなされておられるが、支遁のような巳上人の詞にまだまだ、報いることはおこがましいと思っております。
空黍 空とは徒らに、忝とは先方をけがすという敬語。○許詢、支遁 許は俗人、支は僧。共に晋の世の人で親交があり、許を自分に置き換えて、支を以て巳上人に此したもの。 ・ ただ言語をいうのではなく、必ずや上人が示した詩をさしていったものであろう


○韻 詩、遅、絲、詞。


(下し文)巳上人みしょうにんの茅斎ほうさい
巳公茅屋の下 以て新詩を賦す可し
枕簟ちんぜん林の僻なるに入り 茶 瓜 客を留むること遅し
江連 白羽 揺ぎ 天棘てんきょく 青絲 蔓る
空しく許詢きょじゅんが輩を 黍かたじけなくするも 支遁しとんが詞に酬い難し

望嶽 杜甫 <7> kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ98 杜甫詩 700- 7

望嶽 杜甫 <7> kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ98 杜甫詩 700- 7


望 嶽 杜甫 紀頌之の漢詩ブログ杜甫詩 特集  7 
開元29年741年30歳の作。 兗州に滞在の終わりごろ。
五言古詩
 
杜甫は、736~737年間、洛陽に居て、その後江南から、次に斉趙へ、4年くらい旅に出ている。そしてその間に4. 與任城許主簿游南池 5. 封雨書懐走邀許圭簿 6. 登兗州城楼 とかきあげている。今回の詩はそのたびの終り頃のものである。
 この旅の様子は杜甫55歳の時、成都の浣花渓草堂を後にして、次に寓居した夔州での五言古詩「壮遊」という詩に懐古として書かれている。 

 杜甫の幼年期・青春時代をこの「壮遊」(幼少・青年期を振り返る)もとに述べている書物が多いがこのブログではあくまでも、時系列に合わせて、その時の詩から杜甫の詩を見ていきたい。杜甫自身が書いた、回想録ではあるが、それに頼ると青春期の作品に我々も55歳というめがねでみることになるからである。
 (ここでは、55歳の夔州の段階で、取り上げていく予定にしている。われわれもそこまで言いって振り返る方がより杜甫に近づけると思う)
 ただ杜甫4.5.6の詩をを737年に書いて741年30歳に足かけ4年飛んでしまうのでその間の行動部分を「壮遊」で見ると次のとおりである。。
放蕩斉趙間、裘馬頗清狂。
それから斉趙の間を気ままに歩き、軽裘肥馬(けいきゅうひば)  放逸の限りをつくした
春歌叢台上、冬猟青丘旁。
春は叢台の上で歌を吟じ、冬は青丘のかたわらで狩りをする
呼鷹皂櫪林、逐獣雲雪岡。
櫟(いちい)の林で鷹を呼び、降りつむ雪の岡で獣(けもの)を追う
射飛曾縦鞚、引臂落鶖鶬。
手綱(たづな)を放して飛鳥をねらい、弓をしぼって鶖鶬を射落とす
蘇侯拠鞍喜、忽如携葛彊。

友人の蘇預は鞍を寄せてよろこび、葛彊が山簡に従うような親しさである

一緒に旅をしたのは「蘇侯」と書かれ、杜甫の自注によると蘇預(そよ後に蘇源明)のこと。ふたりは「青丘」で狩りをした。「青丘」は地図に示す青州(山東省益都県)の丘。蘇預が馬を寄せてきて杜甫の弓の腕前を褒めるのを、杜甫は晋の将軍山簡(さんかん)が部下の葛彊(かつきょう)を褒めるのに例えて、親しみをあらわしている。蘇源明はこのあとも、杜甫の生涯の友のひとりとして交流する人物です。
 四年間にわたる斉魯の旅は、兗州の父の官舎を拠点にしたものである。兗州から北80kmに泰山があり、足を延して「望嶽」を詠んだ。詩は初期作品の名作とされている。

chinatohosantomap

望 嶽         杜甫
岱宗夫如何,齊魯青未了。
 荘厳である泰山という山は一体いかなる山であるかといえば、斉のくに魯のくにまではてしなくその山の尊き青さが終わりはしないのだ。
造化鍾神秀,陰陽割昏曉。
自然界の万物のつくり主が神秀の「気」をあつめている神山である、「陰」と「陽」の気を分け、南北とに分け、太陽と月の役割を分け、そして昼と夜とを分割しているのだ。
盪胸生曾雲,決眥入歸鳥。
雲が次々と重なって湧きたつとわがこころのたかまりは最高潮になる、心に響くものが胸に迫り悟りの境地で目が張り裂けそうになり、悟り心は山に帰りゆく鳥のように心の奥まで入ってきた。
會當凌絶頂,一覽衆山小。

このような心境になれたからにはいつか必ずやこの山の最頂上によじのぼり、足もとにみえる山々のよう「我も我もと往きたるは小人の常」の気持ちを見下していく。

嶽を望む   
岱宗たいそう 夫それ如何いかん,齊魯せい ろ  靑  未まだ了らず。
造化は 神秀を鐘あつめ,陰陽は 昏曉を割わかつ。
胸を盪とどろかせば 層雲 生じ,眥まなじりを決すれば 歸鳥 入る。
かならずまさに 絶頂を凌しのぎて,一覽すべし 衆山の小なるを。
 

現代語訳と訳註
(本文)

岱宗夫如何,齊魯青未了。
造化鍾神秀,陰陽割昏曉。
盪胸生曾雲,決眥入歸鳥。
會當凌絶頂,一覽衆山小。

(下し文)
嶽を望む   
岱宗たいそう 夫それ如何いかん,齊魯せい ろ  靑  未まだ了らず。
造化は 神秀を鐘あつめ,陰陽は 昏曉を割わかつ。
胸を盪とどろかせば 層雲 生じ,眥まなじりを決すれば 歸鳥 入る。
かならずまさに 絶頂を凌しのぎて,一覽すべし 衆山の小なるを。

(現代語訳)

荘厳である泰山という山は一体いかなる山であるかといえば、斉のくに魯のくにまではてしなくその山の尊き青さが終わりはしないのだ。 
自然界の万物のつくり主が神秀の「気」をあつめている神山である、「陰」と「陽」の気を分け、南北とに分け、太陽と月の役割を分け、そして昼と夜とを分割しているのだ。
雲が次々と重なって湧きたつとわがこころのたかまりは最高潮になる、心に響くものが胸に迫り悟りの境地で目が張り裂けそうになり、悟り心は山に帰りゆく鳥のように心の奥まで入ってきた。
このような心境になれたからにはいつか必ずやこの山の最頂上によじのぼり、足もとにみえる山々のよう「我も我もと往きたるは小人の常」の気持ちを見下していく。

(訳注)
岱宗夫如何,齊魯青未了。
荘厳である泰山という山は一体いかなる山であるかといえば、斉のくに魯のくにまではてしなくその山の尊き青さが終わりはしないのだ。
岱宗 泰山をいう。岱は泰に同じ。宗は五岳の長の意。五岳(ごがく)は中国の道教の聖地である5つの山の総称。五名山ともする。陰陽五行説に基づき、木行=東、火行=南、土行=中、金行=西、水行=北 の各方位に位置する、5つの山が聖山とされる。
 東岳:泰山(山東省泰安市泰山区)
 南岳:衡山(湖南省衡陽市衡山県)
 中岳:嵩山(河南省鄭州市登封市)
 西岳:華山(陝西省渭南市華陰市)
 北岳:恒山(山西省大同市渾源県)
 道教では万物の元となった盤古という神が死んだとき、その五体が五岳になったと言われている。
泰山では東岳大帝が最も重要な神位として祀られてきた。後漢代には「俗に岱宗(=泰山)上に金篋・玉策があり、人の年寿の脩短をよく知る」(『風俗通』巻2)と記されている。つまり、泰山の山頂には人間の寿命の定数を記録した原簿に相当する帳簿が置かれているという信仰が存在していた。下って魏晋南北朝より唐代頃になると、その帳簿を管理する、人間界同様の組織の存在が想定されるようになる。こうして、長官としての泰山府君が出現し、その配下の官僚としての泰山主簿、泰山録事、泰山伍伯等の存在が生み出されてくるのである。「太山地獄」が、中国では現実に実在する泰山の地下深くに存在するものと考えられるようになった。こうして泰山地獄も誕生する。
斉魯 斉は泰山の北から北東にかけての青洲地方(地図に示す)。魯は泰山の南の兗州地方。○未了 尽きないこと。

造化鍾神秀,陰陽割昏曉。
自然界の万物のつくり主が神秀の「気」をあつめている神山である、「陰」と「陽」の気を分け、南北とに分け、太陽と月の役割を分け、そして昼と夜とを分割しているのだ。
造化 造物主、天然・自然界の主宰者。 ○神秀 気のすぐれている、道教神仙思想の一つ「気」。 ○陰陽 陰は山の北側、楊は南側を言う、と同時に楊は太陽、陰は月をあらわす。  ○ 区劃仕分けること。  ○昏曉 夕暮れと暁。 この聯は(二句)はすべて道教の教えからの言葉。

盪胸生曾雲,決眥入歸鳥。
雲が次々と重なって湧きたつとわがこころのたかまりは最高潮になる、心に響くものが胸に迫り悟りの境地で目が張り裂けそうになり、悟り心は山に帰りゆく鳥のように心の奥まで入ってきた。
盪胸 心臓を動悸させること。 ○曾雲 層雲に同じ。雲は岩穴から生じるものとされていた。雲が生じてきてグッと下から迫ってきて心臓の動悸が高鳴ること言う。  ○決眥 まなじりを裂く、目を見開くこと。 ○ ずっと奥まで入っていく。悟りの境地に入っていく。 ○歸 帰っていく鳥。考えを持った鳥が悟りを開きかえっていくこと。

會當凌絶頂、 一覽衆山小。 
このような心境になれたからにはいつか必ずやこの山の最頂上によじのぼり、足もとにみえる山々のよう「我も我もと往きたるは小人の常」の気持ちを見下していく。
 かならず、唐時代の俗語。 ○衆山小 『孟子』尽心上、「揚子法言」学行篇に、孔子が泰山に登って天下を小としたとあるが、儒教の型にはまって、結局他人と同じようにするせこせこした部分を批判し、もっと自然にすべきであると説いていることを示す。孟荘の思想は、儒教を乗り越えるところから始まったもの。最終句を山の上から見下すというだけの解釈は浅すぎていけない。青年期の杜甫の詩からも儒教を乗り越えようとする様子が読み取れる。(盛唐期の流れである。李白は当然であるが王維でさえそれを感じる。ただ、王維は仏教:禅の方向へ進む。老荘思想はこの時期から仏教にも影響している)

○韻字 了・暁・鳥・小。

(下し文)嶽を望む      
岱宗たいそう 夫それ如何いかん,齊魯せい ろ  靑  未まだ了らず。
造化は 神秀を鐘あつめ,陰陽は 昏曉を割わかつ。
胸を盪とどろかせば 層雲 生じ,眥まなじりを決すれば 歸鳥 入る。
かならずまさに 絶頂を凌しのぎて,一覽すべし 衆山の小なるを。

 

解 説
詩のはじめの二句は、「岱宗 夫れ如何」と問いかける導入部、中四句で泰山の姿を描く。はじめの二句は泰山の雄大さを道教の言語で讃え、あとの二句は自然の情景より生じた自己の感応を語っている。最後の二句は結びで、杜甫は未来への決意を述べている。若い杜甫の満々たる自負心と人生への希望、若さを感じ取ることができるものである。


 泰山と道教
 この時代は道教を外して考えるわけにはいかない。泰山となると特にそうである。

泰山封禅は皇帝のものであるが、庶民の間でも泰山にまつわる信仰の歴史は古い。紀元前3世紀、春秋戦国に書かれた『莊子』の内篇の第一逍遙遊には既に大きいものの例えとして、「太山」という名前が記されている。荘子では人間の小ささを表すために、絶大な大きさを持つ架空の鵬という名の鳥を例に対比させている。これは泰山がとてつもなく大きいものの代表という概念が、春秋時代にはもう形成されていたことを示している。

山と道教と言った関係からも、道教と泰山はもともと相性が良かったと言いえよう。東晋の『搜神記』には、早くも泰山が神性を帯びて冥界の神として登場する。以後、泰山府君を中心とした泰山信仰は『太平廣記』や『夷堅志』などの異聞に多く見られる。
唐の時代、特に盛唐期玄宗によりピークを迎えるが、それ以降も女性の信仰対象としての存在意義が増し、圧倒的な人気を誇っている。

兗州城楼 杜甫

      
 謝靈運index謝靈運詩古詩index漢の無名氏  
 孟浩然index孟浩然の詩韓愈詩index韓愈詩集 
 杜甫詩index杜甫詩 李商隠index李商隠詩 
 李白詩index 李白350首女性詩index女性詩人  
 上代~隋南北朝・隋の詩人初唐・盛唐・中唐・晩唐 
      
「 兗州城楼」杜甫 紀頌之の漢詩ブログ杜甫詩 特集   6
開元25年 737年 26歳
五言律詩。河南・山東に放浪生活を送っていたころ、兗州都督府司馬の官にあった父の杜閑を訪れた折の詩。
 
chinatohosantomap
登兗州城楼
東郡趨庭日、南楼縦目初。
東郡ここ兗州の地で父の教えを奉じている日にあって、州城の南楼で眺めをほしいままにしたその初めのときだ浮雲連海岱、平野入青徐。
空に浮かぶ雲は海や泰山のかなたにまでつらなり、平野は青州や徐州の方まで入りこんでいた。
孤嶂秦碑在、荒城魯殿余。
ひとりそばだつ屏風山には秦の始皇帝の石碑が今なお残っており、荒れはてた町には魯王の宮殿がそのあとをとどめているのだ。
従来多古意、臨眺独躊厨。

これまで古をなつかしむ気持ちの多かったわたしは、城楼に登り立って四方を眺めながらただひとりたち去りかねているのだ。

兗州の城楼に登る
東郡  庭に趨(は)する日、南楼  目を縦(ほしい)ままにする初め
浮雲は 海岱に連なり、平野は 青徐に入る
孤峰には秦碑在り、荒城には魯殿余る
従来 古意多し、臨眺して独り躊厨す

現代語訳と訳註
(本文)

登兗州城楼
東郡趨庭日、南楼縦目初。
浮雲連海岱、平野入青徐。
孤嶂秦碑在、荒城魯殿余。
従来多古意、臨眺独躊厨。

(下し文)
兗州の城楼に登る
東郡  庭に趨(は)する日、南楼  目を縦(ほしい)ままにする初め
浮雲は 海岱に連なり、平野は 青徐に入る
孤峰には秦碑在り、荒城には魯殿余る
従来 古意多し、臨眺して独り躊厨す

(現代語訳)
東郡ここ兗州の地で父の教えを奉じている日にあって、州城の南楼で眺めをほしいままにしたその初めのときだ空に浮かぶ雲は海や泰山のかなたにまでつらなり、平野は青州や徐州の方まで入りこんでいた。
ひとりそばだつ屏風山には秦の始皇帝の石碑が今なお残っており、荒れはてた町には魯王の宮殿がそのあとをとどめているのだ。
これまで古をなつかしむ気持ちの多かったわたしは、城楼に登り立って四方を眺めながらただひとりたち去りかねているのだ。

(訳注)

東郡趨庭日、南楼縦目初。
東郡ここ兗州の地で父の教えを奉じている日にあって、州城の南楼で眺めをほしいままにしたその初めのときだ。
東郡 秦のときの郡名で、兗州はその郡に属していた。○趨庭 庭さきを走りまわる。 『論語』季氏篇に、孔子の子の鯉が「庭を趨って」過ぎたとき、父の孔子が呼びとめて「詩」と「礼」とつまり、詩経と書経を学ぶようにさとしたとあるのにもとづき、子供が父の教えを受けることをいう。この『論語』のことばを使用するのは、兗州のすぐ東に孔子の故郷である曲阜があることによる。この後、望嶽を作るも孔子にあやかる。○南楼 兗州楼の南門の楼。○縦目 ほしいままに見渡す。

浮雲連海岱、平野入青徐。
空に浮かぶ雲は海や泰山のかなたにまでつらなり、平野は青州や徐州の方まで入りこんでいた。
○海岱 東の海と東北にそびえる泰山のこと。○青徐 青州と徐州。ともに太古の九州の一つで、青州は兗州の北、徐州は兗州の南にひろがる地域をいう。『書経』萬貢篇に「海岱は唯れ青州」とある。

孤嶂秦碑在、荒城魯殿余。
ひとりそばだつ屏風山には秦の始皇帝の石碑が今なお残っており、荒れはてた町には魯王の宮殿がそのあとをとどめている。
孤嶂 兗州の東南数十キロにある嘩山をいう。○秦碑 紀元前三世紀のころ、秦の始皇帝が巡幸の記念として建てた石碑。○荒城 ?州のすぐ東にある曲阜をさす。○魯殿 紀元前二世紀、漢の景帝の息子、魯の共王が建てた霊光殿をいう。

従来多古意、臨眺独躊厨。
これまで古をなつかしむ気持ちの多かったわたしは、城楼に登り立って四方を眺めながらただひとりたち去りかねているのだ。
臨眺 高い所に登って遠くをながめる。○躊厨 躊躇。行くことをためらう。

○韻字 初・徐・余・厨。

杜甫は『登兗州城楼』と題した詩を書き兗州城の南楼からの眺めをうたっている。当時の兗州城は戦乱で荒廃し現存しないが、南楼の跡の崩れたレンガが積み重なってできた丘は少陵台と呼ばれ今も兗州の県城内の北寄りに位置する。

兗州市は、昔から「東文、西武、北岱、南湖」と呼ばれてきた
(東に孔子ゆかりの「三孔」を仰ぎ,西に水滸伝ゆかりの「梁山泊」があり、北には「泰山」がそびえ、南には「微山湖」を望むため)
また、「杜甫」ゆかりの地である少陵台もこの市にる。
少陵台

 少陵台は杜甫ゆかりの地である。この詩の5・6年後杜甫は李白と兗州で会い、終生の友誼を交わした。


李白 朝廷に召される前までの期 7/22 95首
burogutitl450

封雨書懐走邀許圭簿 杜甫


「封雨書懐走邀許圭簿」 杜甫 紀頌之の漢詩ブログ杜甫詩 特集  5 (青年期の詩)

雨を眺めながらおもうところを書き付け、使いを走らせ許主簿をむかえたことをのべている。
737年開元25年26歳五言律詩。杜甫が引き続き兗州方面、任城に赴き寓居していて言伝を送って許氏を迎えた。前の 杜甫4任城の南池に同遊した詩 とともに任城での作とする。

封雨書懐走邀許圭簿
雨に対して懐を書し、走らせて許主簿を邀むか
東嶽雲峰起,溶溶滿太虛。
泰山の頂に雲の峰が沸き起こったかとおもうと。 それが並々と大空一面にひろがった。
震雷翻幕燕,驟雨落河魚。
ごろごろととどろく宵とともに幕のあたりの燕は身をかわして飛び。 ざあっとふりそそぐ雨に川魚がふってくる。座對賢人酒,門聽長者車。
このとき自分は座席で濁酒にむかいながら  だれか長者の車の音が門の方から聞こえてくるか側耳を立てて相手のことをと思っている。 
相邀愧泥濘,騎馬到階除。

途中さぞぬかるみでお困りであったろう 貴兄は馬に騎って我が家の培除までやってこられた  


使いを走らせて書(言伝)したので、大雨が降ってきたけれど許主簿をお邀むかえしている

泰山の頂に雲の峰が沸き起こったかとおもうと。 それが並々と大空一面にひろがった。 
ごろごろととどろく宵とともに幕のあたりの燕は身をかわして飛び。 ざあっとふりそそぐ雨に川魚がふってくる。 
このとき自分は座席で濁酒にむかいながら  だれか長者の車の音が門の方から聞こえてくるか側耳を立てて相手のことをと思っている。 
途中さぞぬかるみでお困りであったろう 貴兄は馬に騎って我が家の培除までやってこられた  


雨に対して懐を書し、走らせて許主簿を邀う
東嶽 雲蜂 起る 溶溶として 太虛に滿つ。
震雷に幕燕 翻り 驟雨に 河魚落つ。
座に對す 賢人酒,門に 聽かんとす 長者の車。
相邀うる泥濘を愧(はず) 馬に騎って階除に到る。

封雨書懐走邀許圭簿
雨に対して懐を書し、走らせて許主簿を邀むか

書懐 我が胸にいだくおもいをかきつける。これは主として第六旬をさす。○走逝 走とは使者を走らせや
ること、逝はむかえとること。○許主簿 任城の許主簿のこと。
taigennankin88

東嶽雲峰起、溶溶滿太虛
泰山の頂に雲の峰が沸き起こったかとおもうと。 それが並々と大空一面にひろがった。 
東岳 泰山をさす。杜甫は洛陽、長安を起点にしている。この詩の地点からはほぼ北(北北東)にある。 ・雲峰 峰のさまをしている雲。 ・溶溶 満々と水を湛えている様子。 ・太虚 おおぞら。

震雷翻幕燕、驟雨落河魚
ごろごろととどろく宵とともに幕のあたりの燕は身をかわして飛び。 ざあっとふりそそぐ雨に川魚がふってくる。 
震雷 とどろくかみなり。・幕燕 幕ちかく巣くったつばめ ・驟雨 にわかあめ、夕立。 ・ 竜巻きなどにあい、虚空にのぼって更に地上に落ちること。・河魚 河に住んでいる魚。

座對賢人酒、門聽長者車。
このとき自分は座席で濁酒にむかいながら  だれか長者の車の音が門の方から聞こえてくるか側耳を立てて相手のことをと思っている。 
賢人酒 魂の曹操の時、酒を禁じた。ところが、世人は口に酒というのをはばかって、白酒(にごりざけ)を賢人といい、清酒(すんださけ)を聖人といったという。 ・長者車 漢の陳平の故事を用いる。陳平がまだ貧しくくらしていたときに、その門外には長者(すぐれた人)の車の轍が多かったという。「陳平がお迎えに来てくれるのを待つ」時のことを長者車という。・ とは実際にきくのではなく、心まちにきくこと。故に「きかんとす」といふほどの意である。長者は許主簿にあてていったもので、題にいう書懐のこと。長者 長上のものに対する敬称。貴兄。


相邀愧泥濘、騎馬到階除。
途中さぞぬかるみでお困りであったろう 貴兄は馬に騎って我が家の培除までやってこられた  
・相逝 先方をむかえること。○泥浮 ぬかるみ。夕立のあとゆえに路がわるい。
 ・騎馬 許主簿が馬にのってくること。 ・階除 階はきざはし、除は階のそばの土縁、杜甫の寓居のきざはしをいう。

與任城許主簿游南池 杜甫

「與任城許主簿游南池」杜甫 紀頌之の漢詩ブログ杜甫詩 特集  4 
737年 26歳 開元二十五年頃の作。
山東省任城県の主簿許氏とともに県城の南にある池に遊んだことを詠う。五言律詩。

與任城許主簿遊南池
秋水通溝洫,城隅進小船。
秋の水が田んぼ間の掘り割りに縦横に通じている、それでその水路を利用して県城の隅から小さな船を進めて南池の方へでかけた。
晚涼看洗馬,森木亂鳴蟬。
途中では涼しくなった夕がた、人が馬を洗ってやっていた。しげり立った木にはうるさく蝉が鳴いていた。
菱熟經時雨,蒲荒八月天。
菱はこのごろ長くつづいた雨のために成熟している。八月の秋空に蒲などは枯れかかりつつある。
晨朝降白露,遙憶舊青氈。

明け方白露おりていた、考えてみると二十四節気の白露である。 遥かにおもいだす故郷の書斎にのこしてあるあの青毛氈のことである。


秋の水が田んぼ間の掘り割りに縦横に通じている、それでその水路を利用して県城の隅から小さな船を進めて南池の方へでかけた。
途中では涼しくなった夕がた、人が馬を洗ってやっていた。しげり立った木にはうるさく蝉が鳴いていた。
菱はこのごろ長くつづいた雨のために成熟している。八月の秋空に蒲などは枯れかかりつつある。
明け方白露おりていた、考えてみると二十四節気の白露である。 遥かにおもいだす故郷の書斎にのこしてあるあの青毛氈のことである。


任城の許主簿と南池に遊ぶ
秋水溝洫に通ず 城隅より小船を進む
晩涼に洗馬を看る 森木に鳴蝉乱る
菱は熟す時を経たるの雨 蒲は荒る八月の天
晨朝白露降らん 遙に憶う舊青氈


與任城許主簿遊南池
任城の許主簿と南池に遊ぶ
任城:じんじょう県の名、唐時代、兗州に属した、今の山東省済寧州治。 ・許主簿:許は姓、主簿は記録を掌る官。・南池:済寧城の東南隅にもとあったもの。


秋水通溝洫、城隅進小船。

秋の水が田んぼ間の掘り割りに縦横に通じている、それでその水路を利用して県城の隅から小さな船を進めて南池の方へでかけた。   
秋水: 収穫搬送のため溝池にたたえている水をいう。 ・溝洫:田問の掘り割りの水、広さ深さが四尺あるものを溝といい、広さ深さが八尺あるものを池という。・:進行させること。


晚涼看洗馬、森木亂鳴蟬。
途中では涼しくなった夕がた、人が馬を洗ってやっていた。しげり立った木にはうるさく蝉が鳴いていた。   
洗馬:馬に行水をさすこと。 ・森木:森はしげり立ったさま。


菱熟經時雨、蒲荒八月天。
菱はこのごろ長くつづいた雨のために成熟している。八月の秋空に蒲などは枯れかかりつつある。   
:池や沼に自生する水草。角のある突起の堅果を結ぶ。・経時:久しきにわたること。 ・:湿地に自生する多年草で、高さ2mになる。・荒:枯れたり折れたりする状態のこと。


晨朝降白露、遙憶舊青氈。

明け方白露おりていた、考えてみると二十四節気の白露である。 遥かにおもいだす故郷の書斎にのこしてあるあの青毛氈のことである。 
晨朝:あさのこと、ここは明けがたの意。・降白露:白露がおりるというのは、白露の節となることをいう。 ・舊青覿:きゅうあおもうせん 晋の王献之の故事、ある夜、泥棒が献之の書斎に入った。皆持っていこうとしたところへ、献之は、育毛氈だけは我が家のゆかりのものであるから置いてゆけと言ったという。ここは作者が自己の故郷にのこしてきた氈をいい、それに懐郷のイメージを出すために故事を借りたものである。


杜甫の父杜閑が兗州都督府の司馬(次官のひとり)の任にあった。杜甫は父の紹介で許主簿を訪ねたのだろう。遠路の客をもてなしてくれたのである。
ここに言う兗州市は山東省西南部の魯西南平原に位置する。東には曲阜の孔子ゆかりの「三孔」を仰ぎ,西には梁山県の水滸伝ゆかりの沼沢地(梁山泊)があり、北には泰山がそびえ、南には微山湖を望むため、「東文、西武、北岱、南湖」と呼ばれる名勝の地で、杜甫はそれぞれ詩を残している。

「遊龍門奉先寺」杜甫 

遊龍門奉先寺 杜甫 紀頌之の漢詩ブログ杜甫詩 特集  2 
736年25歳 杜甫が竜門の奉先寺に遊んで、そこに宿したことをのべた詩である。
五言律詩(開元24年) もっとも初期の作品とされる
 

遊龍門奉先寺
己従招提遊、更宿招提境。
いま、私はこの尊きお寺にて勉強させていただいたが、さらに此の寺の境内に泊まることにした。
陰壑生虚籟、月林散清影。
とまってみると北の谷では、うつろな風の音がしている、月光をあびた林はきよらかな活き影を地上に散乱している。
天闕象緯逼、雲臥衣裳冷。
天への門かと怪しまれるこの高処には、上から星象が垂れ、近づくようであり、雲の降りているところに身を横えていると着物も冷やかに感じてくる。
欲覚間島鐘、令人畿深省。

あけがた目が覚めようとする頃、あさの鐘の音を聞いていたら、それが聞く者に深い悟りの念を起さずにはいられない。

龍門の奉先寺に遊ぶ

いま、私はこの尊きお寺にて勉強させていただいたが、さらに此の寺の境内に泊まることにした。
とまってみると北の谷では、うつろな風の音がしている、月光をあびた林はきよらかな活き影を地上に散乱している。
天への門かと怪しまれるこの高処には、上から星象が垂れ、近づくようであり、雲の降りているところに身を横えていると着物も冷やかに感じてくる。
あけがた目が覚めようとする頃、あさの鐘の音を聞いていたら、それが聞く者に深い悟りの念を起さずにはいられない。


遊龍門奉先寺
竜門 地名、伊闕ともいう。河南省洛陽の西南三十支部里(十七キロ)にあり、伊水によって断たれた峡谷。○奉先寺 竜門の北岸にあって、南に香山寺と対する。今も遺址が存する。

己従招提遊、更宿招提境。
いま、私はこの尊きお寺にて勉強させていただいたが、さらに此の寺の境内に泊まることにした。
招提 寺院をいう。梵語の拓鬭提奢を略して拓提といい、拓の字を更に写し訛って、招となったものという。○境:境域の内をいう。

陰壑生虚籟、月林散清影。
とまってみると北の谷では、うつろな風の音がしている、月光をあびた林はきよらかな活き影を地上に散乱している。
陰壑 北向きの日をうけない谷のこと。○虚籟 すがたが見えずしてきこえるひびき。草木などの風にふれている月林月光をうけたはやし。○清影 きよいかげ。○天闕 天の門。断峡のそびえているのをたとえていう。

天闕象緯逼、雲臥衣裳冷。
天への門かと怪しまれるこの高処には、上から星象が垂れ、近づくようであり、雲の降りているところに身を横えていると着物も冷やかに感じてくる。
象緯 象はすがた、緯は機のよこいと。天において二十八の経(たていと)とし、五星を緯(よこいと)とする。象緯とは星象の経緯の義であるが、ここでは単に星辰のことに用いている。此の句は又「天闕は象緯に逼せまる」と解す。○雲臥 作者が臥すのであり、雲とは高処なのでかくいう。雲に臥するとは悟りの心を連想する。

欲覚間島鐘、令人畿深省。
あけがた目が覚めようとする頃、あさの鐘の音を聞いていたら、それが聞く者に深い悟りの念を起さずにはいられない。
 めざめる。 ○晨鐘 あさのかねの音。 〇 聞く人一般を言って、自己は其の中に含める。 ○ おこすことをいう。 ○深省 省は大悟することをいう。

竜門の奉先寺に遊ぶ 
己に招技の遊びに従い 更に招技の境に宿す
陰峯に虚鞄生じ 月林清影を散ず
天閲に象緯逼(せま)る 雲に臥すれば衣裳冷やかなり
覚めんと欲して農鐘を聞く 人をして深省を発せしむ



 はじめの二句で寺を散策し泊まったことを述べている。中四句は僧坊にいて室外の風の音に耳を澄まし、樹林が月の光を反射して輝くのを見ている。そしてさらに龍門のふしぎな夜の様子に思いをめぐらし、最後の二句は、翌朝、目覚めたときを想像して結びとするもので、朝に聞く鐘の音は朝の目覚めと悟りの目覚めを掛けている。杜甫にとって、この場所は印象的だったのだ。「深省を発せしめん」とそれは聞くすべての者に、深い悟りの念を起こさせずにおかないと厳かな気持ちを詠っている。

已従 招提遊、更宿 招提境。
陰壑 生虚籟、月林 散清影。
天闕 象緯逼、雲臥 衣裳冷。
欲覚 聞晨鐘、令人 発深省。

詩の特徴 
 杜甫のもっとも得意とするのは五言、七言の古詩である。通常、律詩は、八句のうち前半四句を叙景もしくは叙事にあて、後半四句を感懐にあてる形式とるものなのだが、杜甫ははじめの二句を導入部、中四句を事柄の描写、最後の二句を結びの感懐に充てる形式をとることが多い。「龍門の奉先寺に遊ぶ」もそのようになっている。
 杜甫の特徴は題材の大きさにあり、場面の移り代わりが心の中に及んでいくことの見事さにある。

「題張氏隠居」 杜甫

題張氏隠居 杜甫 紀頌之の漢詩ブログ杜甫詩 特集   3  

張氏とよぶ人の隠れ家にかきつけた詩で、736年 25歳 開元24年、斉州に遊んだ時の作。
七言律詩

題張氏隠居
春山無伴獨相求,伐木丁丁山更幽。
澗道餘寒歷冰雪,石門斜日到林丘。
不貪夜識金銀氣,遠害朝看麋鹿遊。
乘興杳然迷出處,對君疑是泛虛舟。


題張氏隠居
張氏がどんな人物なのかは未詳。竹渓の六逸の一人張叔明だといわれている。又、杜甫の「秋述」に登場する叔卿と同一人かそれとも兄弟かなどというが、いずれも臆説にすぎない。詩中の「石門斜日」の句によれば、其の人は石門山に隠れて居た者であることがわかる。

張氏が隠居に題す
春の山をだれもつれがなく自分一人で尋ね入ると。木びきの音がざあざあときこえて山は音あるためにいっそう静かな感じになる。 
君の品位はすこしも貪欲の念は無いが夜となれば霊地に埋蔵してある金銀の気はおのずからそれとわかり、害に近づくことなくして朝にはつねに麋鹿たちと遊んでいるのを見つけた。  
かかる場所へ来てみるとおもしろくてどんなに山深く仙境にわけ入ったかと思われ、ここの野で去るべきか、立ちどまって居るがよいか迷ってしまう。 君と相対しているときの感じをたとえたとすると、君は「荘子」のいわゆる虚舟を泛(うかべ)る者でその無心さがなんともいえないのである。 


張氏が隠居に題す
春山伴無く独り相求む
伐木丁丁として山更に幽なり
澗道の余寒に冰雪を歴
石門の斜日に林丘に到る
余らずして夜金銀の気を識り
害より遠ざかりて朝に廉鹿の遊ぶを看る
興に乗じて杏然として出処に迷う
君に対すれば疑うらくは足れ虚舟を淀ぶるかと

題張氏隠居:張氏が隠居に題す。 
張氏がどんな人物なのかは未詳。竹渓の六逸の一人張叔明だといわれている。又、杜甫の「秋述」に登場する叔卿と同一人かそれとも兄弟かなどというが、いずれも臆説にすぎない。詩中の「石門斜日」の句によれば、其の人は石門山に隠れて居た者であることがわかる。

春山無伴獨相求、伐木丁丁山更幽。
春の山をだれもつれがなく自分一人で尋ね入ると。木びきの音がざあざあときこえて山は音あるためにいっそう静かな感じになる。 
 ・伴:つれ。 ・相求:求とはその人を尋ねにゆくこと。相とは必ずしも相互的とはかぎらず、相手がありさえすれば使用し得る。ここはこちらから先方を求めるのである。・丁丁:木を伐る音、字面は「詩経」の伐木篇にある。 ・潤道: 谷沿いの道。


澗道餘寒歷冰雪、石門斜日到林丘。
余寒のおりに谷沿いの道を辿って冰や雪のある処をすぎてゆくと、石門に夕日がかかるその時君の住んでいる林丘にたどり着いた。
・余寒:春の残寒。 ・石門:山の名であろう。石門山は曲阜県の東北五十里にある。李白の集に「魯郡の東の石門にて重ねて杜甫に別る」という詩がある。李杜の集に石門というのは同一地をさすものであろう。 ・斜日:よこにさす日光、夕日。 ・林丘:はやしのある丘、張氏の住む処である。


不貪夜識金銀氣、遠害朝看麋鹿遊。

君の品位はすこしも貪欲の念は無いが夜となれば霊地に埋蔵してある金銀の気はおのずからそれとわかり、害に近づくことなくして朝にはつねに麋鹿たちと遊んでいるのを見つけた。  
・金銀気:地下に金銀があると、その気は自のずから上騰する。 ・麋:くじか。

乘興杳然迷出處、對君疑是泛虛舟。
かかる場所へ来てみるとおもしろくてどんなに山深く仙境にわけ入ったかと思われ、ここの野で去るべきか、立ちどまって居るがよいか迷ってしまう。 君と相対しているときの感じをたとえたとすると、君は「荘子」のいわゆる虚舟を泛(うかべ)る者でその無心さがなんともいえないのである。 
・乗興 おもしろさにのりきになる。 ・杳然:おくふかいかたち。 ・出処:いくべきか、処(居)るべきかの二つ。 ・君: 張氏をさす。  ・淀虚舟:「荘子」山木篇に舟で河をわたるとき虚船(人の乗っていない空の舟)が来てぶっつかったなら、いくら意固地の人でも怒らないという話がある。ここは張氏の自己というものの無い人がらをたとえていう。

端午日賜衣 杜甫 <1> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫詩 700- 1

端午日賜衣 杜甫 <1> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫詩 700- 1


端午日賜衣 杜甫 紀頌之の漢詩ブログ杜甫詩 特集  1
(杜甫の一生の中で子供のように一番喜んだ日)

758乾元元年の五月五日 杜甫47歳
左拾遺であったとき、宮中より衣をたまわったことをのべている。杜甫が子供のように喜んでいる。杜甫人生、全詩の中から唯一無二の作品である。杜甫をスタートするにふさわしい本当に象徴的な作品。杜甫が分かればわかるほどこの作品時の杜甫がいとおしくなる。杜甫は誠実な詩人、苦悩することから、逃避していない。道教的な部分はなく、中国の良心ともいえる杜甫詩少しづつ見ていきます。杜甫の詩は作時期がはっきりしているが、必ずしも順序については、違っている。(長い詩が多いためで、私は長編詩を区切って紹介するのは、間違っていると思うので、それが理由で少し変わる可能性があるということである。)きっちり通してみていていくと杜甫のことがよく理解できると思う。


杜甫 1 端午日賜衣

五言律詩
端午日賜衣
宮衣亦有名,端午被恩榮。
こんど賜わった宮中でつくられた衣については、自分ほどのものの姓名まで御下賜者のなかにあって、端午のお祝い日にありがたき栄誉を被った。
細葛含風軟,香羅疊雪輕。
その着物は、細い葛の糸を用いたのは風を含んでしなやかであり、香を燻らした薄絹のものは雪色を畳んでふわりとしている。
自天題處濕,當暑著來清。
御筆で題されたところは墨のあともまだ乾かず、暑さにあたって之を身に着ければいと清々しい。
意內稱長短,終身荷聖情。
腹の中で積もってみるにこの着物は真に自分のからだの寸法によく合っている。これを下さった我が君のお情けのかたじけなさは自分が一生涯のいただきものである。




(端午の日衣を賜う)
宮衣亦名有り 端午恩栄を被る
細葛風を含んで軟やかに 香羅雪を畳んで軽(かるし)
天よりして題する処 湿い 署に当って 著け 来れば 清(きよし)。
意内 長短に 称う、 終身 聖情を 荷なう



現代語訳と訳註
(本文)
五言律詩
端午日賜衣
宮衣亦有名,端午被恩榮。
細葛含風軟,香羅疊雪輕。
自天題處濕,當暑著來清。
意內稱長短,終身荷聖情。

(下し文)
(端午の日衣を賜う)
宮衣亦名有り 端午恩栄を被る
細葛風を含んで軟やかに 香羅雪を畳んで軽(かるし)
天よりして題する処 湿い 署に当って 著け 来れば 清(きよし)。
意内 長短に 称う、 終身 聖情を 荷なう

(現代語訳)
こんど賜わった宮中でつくられた衣については、自分ほどのものの姓名まで御下賜者のなかにあって、端午のお祝い日にありがたき栄誉を被った。
その着物は、細い葛の糸を用いたのは風を含んでしなやかであり、香を燻らした薄絹のものは雪色を畳んでふわりとしている。
御筆で題されたところは墨のあともまだ乾かず、暑さにあたって之を身に着ければいと清々しい。
腹の中で積もってみるにこの着物は真に自分のからだの寸法によく合っている。これを下さった我が君のお情けのかたじけなさは自分が一生涯のいただきものである。



(訳注)


自天題處濕,當暑著來清。
御筆で題されたところは墨のあともまだ乾かず、暑さにあたって之を身に着ければいと清々しい。
自天 「題署自天子」( 天子 自ら題署す)を省略して、題の字を下におく。役職名と名前を書いてある、天子みずから名を題したまえることをいう。
題処 かき記されたもの、此の句は首句の「有名」を承けるもの。
湿 墨の痕がうるおう、かきたてであることをいう。
当暑 あつさのおりに。 
 さっぱりしてすがすがしいこと。


細葛含風軟,香羅疊雪輕
その着物は、細い葛の糸を用いたのは風を含んでしなやかであり、香を燻らした薄絹のものは雪色を畳んでふわりとしている。
細葛 ほそいくずのいとでつくった衣をいう。 
含風気孔が多くて風をいれやすいこと。 
 しなやかなこと。 
香羅 かんばしいうすぎぬの衣、香とは香をたきこめたのであろう。
畳雪 雪とは純白色をたとえていう、白衣を畳んであるのをみて雪をたたむと表現したもの。
 ふわりとしている。


宮衣亦有名,端午被恩榮
こんど賜わった宮中でつくられた衣については、自分ほどのものの姓名まで御下賜者のなかにあって、端午のお祝い日にありがたき栄誉を被った。
宮衣 宮女のつくった衣、即ち下の葛、羅を以て製したもの。 
亦有名 「我亦た名有り」の義、宮中に名札版があり、賜衣者の列内に自分の姓名を確認できたのだ。最高に喜んでいる雰囲気を感じ取れる。○端午 夏暦では正月を寅とし、五月は午にあたる。五月が午であるために五の日をまた午とする、端は初の義、端午とは五月の初旬の午の日の義であるという。
恩栄 天子の御恩による栄誉。


意內稱長短,終身荷聖情。
腹の中で積もってみるにこの着物は真に自分のからだの寸法によく合っている。これを下さった我が君のお情けのかたじけなさは自分が一生涯のいただきものである。
意内 自己のこころのなかではかってみる。一説に天子の意内とするが、恐らくは天子は一々臣下の身の寸法をはからせることはあるまい。 
 つりあいのよろしいこと、去声によむ。
長短 きもののせたけ、そでたけ等の長いこと、短いこと。○荷 いただいている。○聖情 聖君のお情け心。




 この詩は、杜甫の数ある詩の中で、この詩をトップに取り上げるこよはおそらく初めてのことではないだろうか、一千首以上もある杜詩を、何度も読み返している。そのたびに違った印象を受けたり、新たな発見ができたりしている。何度読み返して飽きることのない作者である。
 実は、この詩を頂点に詩の内容がガラッと変わっていくのである。正確にいえばこの詩の前後20首で変わっている。杜甫がこんなに喜んだんだ感情を表に出している唯一の作品である。その後2か月足らずで奈落に落ちた感覚の詩を書くのである。

 それは下の長い題の詩である。

  至德二載,甫自京金光門出間道歸鳳翔。
  乾元初,從左拾遺移華州掾,與親故別,因出此門,有輩往事

という詩である。(758年47歳乾元元年6月この詩から劇的に詩が変化が起こるのである。この詩古これ以降の詩は、杜甫の心中を図って涙なくして読めないものが続く。

 ただ、このブログの趣旨は杜甫のエポックメーキングの考察にはないので一般論で紹介していくこととする。杜甫の詩を時系列に紹介していく。マイナーなものもできるだけとらえるので、、また、杜甫の詩は長編ものが多い。私の信条で詩をいくつかに分けてブログ掲載すということしないけれど、毎日書いても3年以上はかかると思う。


○韻 名,榮、軽、清、情。


(端午の日衣を賜う)
宮衣亦名有り 端午恩栄を被る
細葛風を含んで軟やかに 香羅雪を畳んで軽(かるし)
天よりして題する処 湿い 署に当って 著け 来れば 清(きよし)。
意内 長短に 称う、 終身 聖情を 荷なう

プロフィール

紀 頌之

Twitter プロフィール
記事検索
最新記事(画像付)
最新記事
記事検索
カテゴリ別アーカイブ
タグクラウド
QRコード
QRコード
記事検索
  • ライブドアブログ