杜甫詳注 杜詩の訳注解説 漢文委員会

士族の子で、のほほんとしていた杜甫を変えたのは、三十代李白にあって、強いカルチャーショックを受けたことである。その後十年、就活に励んだ。同時に極限に近い貧困になり、家族を妻の実家に送り届けるときの詩は、そして、子供の死は、杜甫の詩を格段に向上させた。安史の乱直前から、捕縛され、長安での軟禁は、詩にすごみと分かりやすさのすぐれたしにかえてゆき、長安を脱出し、鳳翔の行在所にたどり着き、朝廷に仕えたことは、人間関係の複雑さを体験して、詩に深みが出ることになった。そして、朝廷における疎外感は詩人として数段高めさせてくれた。特に、杜甫の先生に当たる房琯関連の出来事、二十数首の詩は内容のあるものである。  一年朝廷で死に直面し、そして、疎外され、人間的にも成長し、これ以降の詩は多くの人に読まれる。  ◍  華州、秦州、同谷  ◍  成都 春満喫  ◍  蜀州、巴州、転々。 ◍  再び成都 幕府に。 それから、かねてから江陵にむかい、暖かいところで養生して、長安、朝廷に上がるため、蜀を発し、 ◍  忠州、雲州   ◍  夔州   ◍  公安  そして、長安に向かうことなく船上で逝くのである。  本ブログは、上記を完璧に整理し、解説した仇兆鰲の《杜詩詳注》に従い、改めて進めていく。

杜甫の詩、全詩、約1500首。それをきちんと整理したのが、清、仇兆鰲注解 杜詩詳注である。その後今日に至るまで、すべてこの杜詩詳注に基づいて書かれている。筆者も足掛け四年癌と戦い、いったんこれを征することができた。思えば奇跡が何度も起きた。
このブログで、1200首以上掲載したけれど、ブログ開始時は不慣れで誤字脱字も多く、そして、ブログの統一性も不十分である。また、訳注解説にも、手抜き感、不十分さもあり、心機一転、杜詩詳注に完全忠実に初めからやり直すことにした。
・そして、全唐詩と連携して、どちらからでも杜詩の検索ができるようにした。
・杜甫サイトには語順検索、作時編年表からも検索できるようにした。
杜甫詩の4サイト
● http://2019kanbun.turukusa.com/
● http://kanbunkenkyu.webcrow.jp
● http://kanbunkenkyu.web.fc2.com/
● http://kanbuniinka15.yu-nagi.com

2011年08月

前出塞九首 其八 杜甫 :紀頌之の漢詩ブログ 誠実な詩人杜甫特集 47

前出塞九首 其八 杜甫 紀頌之の漢詩ブログ 誠実な詩人杜甫特集 47
天宝10載751年 40歳



前出塞九首 其八
單於寇我壘,百裡風塵昏。
敵の吐蕃の王が急襲して攻め入ってきた、百里もあるばかりのあいだ蹴立てる塵で真っ暗になった。
雄劍四五動,彼軍為我奔。
雄劍という長剣を敵に向けて四、五回振り動かした、このはたらきによって敵軍は奔走して行った。
虜其名王歸,繫頸授轅門。
そのことで敵の名王を捕虜にして帰ったのだ、王の首を縄でくくって我が軍門にひきわたした。
潛身備行列,一勝何足論?

そしてこっそり行列のなかへからだをこっそりひっこめている。一度の勝ったぐらいでどうだというのだ、全勝を得るまでは得意になってはならないのだ。


敵の吐蕃の王が急襲して攻め入ってきた、百里もあるばかりのあいだ蹴立てる塵で真っ暗になった。
雄劍という長剣を敵に向けて四、五回振り動かした、このはたらきによって敵軍は奔走して行った。
そのことで敵の名王を捕虜にして帰ったのだ、王の首を縄でくくって我が軍門にひきわたした。
そしてこっそり行列のなかへからだをこっそりひっこめている。一度の勝ったぐらいでどうだというのだ、全勝を得るまでは得意になってはならないのだ。



前出塞九首 其の八
単干我が壘に寇す 百里風塵昏し
雄剣四五動き 彼の軍我が為めに奔る
其の名王を虜にして帰り 頸を繋ぎて轅門に授く
身を潜めて行列に備わる 一勝何ぞ論ずるに足らん




單於寇我壘,百裡風塵昏。
敵の吐蕃の王が急襲して攻め入ってきた、百里もあるばかりのあいだ蹴立てる塵で真っ暗になった。
単干 匈奴の酋長、ここは吐蕃の王をいう。○ 防塁。 ○ 急襲して攻め入る、こちらへ侵入してくる。
 

雄劍四五動,彼軍為我奔。
雄劍という長剣を敵に向けて四、五回振り動かした、このはたらきによって敵軍は奔走して行った。
○雄剣 ウィキペディアには次の通りである。干将・莫耶(かんしょう・ばくや。干将は本来干將。莫耶は莫邪とも)とは、中国における名剣、もしくはその剣の製作者である夫婦の名である。剣については干将が陽剣(雄剣)、莫耶が陰剣(雌剣)である(この陰陽は陰陽説に基づくものであるため、善悪ではない)。また、干将は亀裂模様(龜文)、莫耶は水波模様(漫理)が剣に浮かんでいたとされる(『呉越春秋』による)。なお、この剣は作成経緯から、鋳剣(鋳造によって作成された剣)である。〇四五動 四、五回振り動かす。



虜其名王歸,繫頸授轅門。
そのことで敵の名王を捕虜にして帰ったのだ、王の首を縄でくくって我が軍門にひきわたした。
○其 単干の軍をさす。○名王 単干の部下の有名な王。○繋頸 くびを縄でつなぐ。○授 ひきわたすことをいう。○轅門 軍営の門、むかしは陣営の門は車の柁棒をむかい合わせにならべてつくるという。



潛身備行列,一勝何足論?
そしてこっそり行列のなかへからだをこっそりひっこめている。一度の勝ったぐらいでどうだというのだ、全勝を得るまでは得意になってはならないのだ。
潜身 からだをこっそりひっこめる。〇備行列 部隊の行列のなかへくわわっている。○何足論 論じてことごとしくいいたてるに足らぬ、これは全勝を得るまでは得意にならぬことをいう。



出塞のものがたり  8
 騎馬民族の戦法は奇襲戦にあったのであろうが、との戦いに対して、長剣は有効な武器であっただろう。馬の足を拂われそうで、逃げていったのもよくわかる。
かわいた砂漠に防塁を築いている。敵からすれば騎馬で一気に乗り越えようとする奇襲したのである。紀元前の春秋戦国の時代の名剣の威力は実績済みのものだ。

前出塞九首 其七 杜甫 :紀頌之の漢詩ブログ 誠実な詩人杜甫特集 46

前出塞九首 其七 杜甫 :紀頌之の漢詩ブログ 誠実な詩人杜甫特集 46
天宝10載751年 40歳

前出塞九首 其七
驅馬天雨雪,軍行入高山。
我が軍隊が馬を駆ってでかけると天から雪がふってきた。このとき軍隊は高い山の中へ入ってきたのだ。
逕危抱寒石,指落曾冰間。
あぶなそうな山中の細道は冬の石を抱いている、指が凍傷にかかって冰層の割れ目に落ちていった。
已去漢月遠,何時築城還?
もはや本国をはなれてから唐の本国で見る月とは遠く隔たってきた、いったいいつになったらここに築城し終えてかえることができるのだろう。
浮雲暮南徵,可望不可攀。

大空に浮んだ雲は夕方になると南故郷の方へと移り行った、それは眺めることだけのことで攀じ登ることができないのである。


我が軍隊が馬を駆ってでかけると天から雪がふってきた。このとき軍隊は高い山の中へ入ってきたのだ。
あぶなそうな山中の細道は冬の石を抱いている、指が凍傷にかかって冰層の割れ目に落ちていった。
もはや本国をはなれてから唐の本国で見る月とは遠く隔たってきた、いったいいつになったらここに築城し終えてかえることができるのだろう。
大空に浮んだ雲は夕方になると南故郷の方へと移り行った、それは眺めることだけのことで攀じ登ることができないのである。



馬を駆れば天雪を雨らす、軍行いて高山に入る。
逕危くして寒石を抱く、指は落つ曾氷の間。
己に去って漢月遠し、何の時か城を築きて還らん。
浮雲碁に南に征く、望む可くして攀ず可からず。




驅馬天雨雪,軍行入高山。
我が軍隊が馬を駆ってでかけると天から雪がふってきた。このとき軍隊は高い山の中へ入ってきたのだ。
 空からあめの降るようにふる。 人に施しを与える。



逕危抱寒石,指落曾冰間。
あぶなそうな山中の細道は冬の石を抱いている、指が凍傷にかかって冰層の割れ目に落ちていった。
・逕 細道。こみち。 ・ 崖の土が石をはらんで今にもおちそうにある。・指落 凍傷にかかっておちる。○曾冰 曾は層と同じ、つみかさなった氷。



已去漢月遠,何時築城還?
もはや本国をはなれてから唐の本国で見る月とは遠く隔たってきた、いったいいつになったらここに築城し終えてかえることができるのだろう。
 離れ去る。○漢月 漢の月とは唐の月、本国の月をいう。



浮雲暮南徵,可望不可攀。
大空に浮んだ雲は夕方になると南故郷の方へと移り行った、それは眺めることだけのことで攀じ登ることができないのである。
南征 南とは故郷のある方位、征はゆくこと。○ よじのぼる、よじのぼることができたら南へつれていってもらう。


出塞のものがたり
751年天宝十年、杜甫はすでに四十歳になった。前年には長男の宗文が生まれており、杜甫の心の中には、ここらでどうしても仕官しなければ、という焦りがあった。この年「三大礼の賦」を作り、投書箱を通して直接に天子に奉っている。
この投書箱は則天武后のときに作られた制度によるもので、その箱には四面に口があり、東は「延恩」、西は「伸冤」、南は「招諌」、北は「通玄」と名づけられており、自分の才能を信じて立身を願う者は、このうち「延恩」の口にその作品を投ずるというものであった。
経済的に追いつめられた杜甫の求職運動はますます激しく、誰彼の見さかいもなく高位高官のもとを訪れ、その推挙を依頼してまわっている。たとえば、753年天宝十二年には、楊国忠にこの頃、京兆尹(長安市長)に引き上げてもらい、成り上がりの鮮干仲通に詩を奉り、宰相の楊国忠に推薦してくれるように頼んでいる。

前出塞九首 其六 杜甫 :紀頌之の漢詩ブログ 誠実な詩人杜甫特集 45

前出塞九首 其六 杜甫 :紀頌之の漢詩ブログ 誠実な詩人杜甫特集 45
天宝10載751年 40歳
前出塞九首 其六 杜甫45


前出塞九首 其六
挽弓當挽強,用箭當用長;
弓をひくなら強い弓をひく方が良い。箭を用いるなら長い箭を用いないといけない。
射人先射馬,擒賊先擒王。
意中の人を射るなら先ず馬を射たおすのである、敵どもをいけどりにするなら先ず王さまをいけどりにして大義、戦意をなくことだ。
殺人亦有限,列國自有疆。
攻め込んだとしても人を殺すことについては限界をもうけ、みなは殺しをしてはいけない。国同士の戦争でもおなじはずだ。国にはおのずからそれぞれの間で自然とと国疆というものがあるのであり、範囲はきまっているのだ。
苟能製侵陵,豈在多殺傷?

いやしくもそれはただ、敵が侵してくるのを抑制することができればよいのであって、敵を多く殺傷することに目的があってはいけない。



弓をひくなら強い弓をひく方が良い。箭を用いるなら長い箭を用いないといけない。意中の人を射るなら先ず馬を射たおすのである、敵どもをいけどりにするなら先ず王さまをいけどりにして大義、戦意をなくことだ。
攻め込んだとしても人を殺すことについては限界をもうけ、みなは殺しをしてはいけない。国同士の戦争でもおなじはずだ。国にはおのずからそれぞれの間で自然とと国疆というものがあるのであり、範囲はきまっているのだ。
いやしくもそれはただ、敵が侵してくるのを抑制することができればよいのであって、敵を多く殺傷することに目的があってはいけない。


弓を挽(ひ)かば当に強きを挽くべし、箭(や)を用いは当に長きを用うべし、人を射ば先ず馬を射よ。敵を擒(とりこ)にせば先ず王を檎にせよ
人を殺すも亦た限り有り、国を立つるに自ら疆(きょう)有り。
苛も能く侵陵(しんりょう)を制せば、豈多く殺傷するに在らんや。



挽弓當挽強,用箭當用長;射人先射馬,擒賊先擒王。
弓をひくなら強い弓をひく方が良い。箭を用いるなら長い箭を用いないといけない。意中の人を射るなら先ず馬を射たおすのである、敵どもをいけどりにするなら先ず王さまをいけどりにして大義、戦意をなくことだ。
 つよい弓。○長 ながいや。○ いけとりにする、初めの四句においでは「檎王」の句が主であり、前三句はこれを言うためのまえおきである。



殺人亦有限,列國自有疆。
攻め込んだとしても人を殺すことについては限界をもうけ、みなは殺しをしてはいけない。国同士の戦争でもおなじはずだ。国にはおのずからそれぞれの間で自然とと国疆というものがあるのであり、範囲はきまっているのだ。
殺人 戦争による殺戮。 ○有限 一定の限界がある、人はことごとく殺しつくせるわけのものでない。 ○ くにざかい。○ 抑制する、制限する。



苟能製侵陵,豈在多殺傷?
いやしくもそれはただ、敵が侵してくるのを抑制することができればよいのであって、敵を多く殺傷することに目的があってはいけない。
侵陵 陵は濠に通じ、しのぐ。敵国からの侵略をしのぐ。○豈在 在とは戦争の目的がそこに存在するということ。



出塞兵士の物語 6
 防衛のための戦争にとどめるべきで、侵略し、略奪、殺戮が目的化してはいけない。最新兵器、戦略練って、その戦力を圧倒して、守るのであれば、おおきな血は流されないで済むのではないか。
 将を射んと欲すればまず馬を射よ。生け捕りをするなら王を生け捕れ。セオリーを守れ、と杜甫は述べたのではない。個々の兵士たちに家族がある。守るための戦いにとどめたら少しでも、死ぬ人間が少ないものにとどめるべきだといっている。


唐の体制について
 均田制・府兵制の両制度の実施には戸籍が必要不可欠であったが、685年ごろ武則天期になると解禁された大地主による兼併や高利貸によって窮迫した農民が土地を捨てて逃亡する(逃戸と呼ばれる)事例が急増した。事前通告しない土地の売買を解禁したため、売買が急激にがふえたのだ。戸籍の正確な把握が困難になっていった。また、華北地域では秋耕の定着による2年3作方式が確立され、農作業の通年化・集約化及びそれらを基盤とした生産力の増大が進展したことによって、期間中は農作業が困難となる兵役に対する農民の嫌気が増大していった。かくして735年均田・租庸調制と府兵制は破綻をきたし、代わる税制・兵制が必要となる。
 
辺境において実施された藩鎮・募兵制は、府兵制は徴兵により兵役に就かせたのに対して、徴収した土地の租税の一部を基に兵士を雇い入れる制度である。710年に安西四鎮(天山山脈南路の防衛)を置いたのを初めとして719年までに10の藩鎮を設置している。当初は辺境地域にしか置かれていない。ここに節度使の権力、資力の集約が始まるのである。

前出塞九首 其五 杜甫 :紀頌之の漢詩ブログ 誠実な詩人杜甫特集 44

前出塞九首 其五 杜甫 紀頌之の漢詩ブログ 誠実な詩人杜甫特集 44
天宝10載751年 40歳



前出塞九首其五
迢迢萬裡餘,領我赴三軍。
はるばると万里あまりもはなれた地へ部隊長は我々をひきつれて本隊にむけて赴いた。
軍中異苦樂,主將寧盡聞?
軍中では所属の部隊長次第で苦楽の程度が違うようだ、苦しい方の自分たちのこと、総司令官は聞き及んでいるのであろうか。
隔河見胡騎,倏忽數百群。
河を隔てた前岸に異民族の騎兵が見える、たちまちのうちに幾百人と羣をなしたのである。
我始為奴樸,幾時樹功勛?

これがいくさのしはじめなので自分は今やっと奴僕の身分なのだ、いつになったら勲功をたてて上の地位に出世することができるのだろうか。



はるばると万里あまりもはなれた地へ部隊長は我々をひきつれて本隊にむけて赴いた。
軍中では所属の部隊長次第で苦楽の程度が違うようだ、苦しい方の自分たちのこと、総司令官は聞き及んでいるのであろうか。
河を隔てた前岸に異民族の騎兵が見える、たちまちのうちに幾百人と羣をなしたのである。
これがいくさのしはじめなので自分は今やっと奴僕の身分なのだ、いつになったら勲功をたてて上の地位に出世することができるのだろうか。


迢迢万里余、我を領して三軍に赴く。
軍中苦楽異なり、主将寧ぞ尽(ことごと)く聞かんや
河を隔てて胡騎を見る、倏忽(しゅくこつ)数百羣。
我始めて奴僕たり 幾時か功勲を樹てん




迢迢萬裡餘,領我赴三軍。
はるばると万里あまりもも地へ部隊長は我々をひきつれて本隊にむけて赴いた。
迢迢 はるばる。○領我 自分をひきつれて。〇三軍 軍制は上・中・下の三軍に分れて構成されていた。ここは主将の居る本隊をさす。



軍中異苦樂,主將寧盡聞?
軍中では所属の部隊長次第で苦楽の程度が違うようだ、苦しい方の自分たちのこと、総司令官は聞き及んでいるのであろうか。
異苦楽 兵卒たる者はその部隊長の人物如何によって苦と楽とのちがいがあるが、この句から判断するとこの戍卒の属していた人は主将・隊長としていい人物ではなかったので苦労の多かったということだろう。○主将 総司令官。○ 苦楽の状を聞きしる。



隔河見胡騎,倏忽數百群。
河を隔てた前岸に異民族の騎兵が見える、たちまちのうちに幾百人と羣をなしたのである。
隔河 河は交河、土魯番の西にある。○胡騎 えびす、吐蕃の騎兵。○ たちまち。



我始為奴樸,幾時樹功勛?
これがいくさのしはじめなので自分は今やっと奴僕の身分なのだ、いつになったら勲功をたてて上の地位に出世することができるのだろうか。
 やっと今。○為奴僕 「漢書」の公孫弘伝賛に「衛青奴僕より奮う」とあり、武帝の大将軍衛青は奴僕の賤しい身分からふるいおこって栄達したといっている。○幾時 何時と同じ。○功勲 手柄を立てる。いさおし。
 


出塞兵士の物語 5

 出征した兵士たちの部隊によって、扱いが違ったようだ。部隊長の力関係が大きく影響する。すべての基本が弱肉強食の時代である。違いは極端なものであってもおかしくなかったであろう。違いがあるほどコントロールしやすいからである。
 抜け駆けしてでも手柄を立てたいと競い合わせたのある。生活様式の違う異民族との戦い。別の表現では、農耕民族と、遊牧民族・騎馬民族の戦いである。農耕民族はだらだらと隊を集結させるが、騎馬民族は、「瞬く間に群をなした」としているが、初めて、騎馬民族の戦い方を見たものは、その様相だけでも震え上がったとされる。

唐の税制・兵制
 税制は北周時代から均田制・租庸調制であり、兵制は府兵制であった。この両制度は車の両輪で相互不可分な制度なのである。
均田制は労働に耐えうる青年男性一人につき、相続が許されるな土地が20畝まで認められ、割り当ての口分田は死亡や定年60歳になると国家に返却する土地を可能な範囲最大80畝まで支給された。また職分田(これは辞職した時に返却する)。丁男がいない戸、商工業者、僧侶・道士などの特別な戸に対してもそれぞれ支給量が決められていた。そこから生産されるものに対して、租庸調と呼ばれる税を納めるのである。租は粟(穀物)2石、調は絹2丈と綿3両を収め、年間20日の労役の義務があり、免除して貰うためには、労役一日に対し絹3尺あるいは布3.75尺を収めることになっていた。
 田地を貸し与えるために戸籍制度が出来上がった。府兵制はこれらの戸籍に基づいて3年に1度、丁男に対して徴兵の義務を負わせた。

前出塞九首 其四 杜甫

前出塞九首 其四 杜甫 紀頌之の漢詩ブログ 誠実な詩人杜甫特集 43
天宝10載 751年 40歳

其四
送徒既有長,遠戍亦有身。
我々戍卒を送ってゆくには隊長というものがあるが、千里の遠方へ守りに出かける我々にはまた我々のたいせつな身体というものがある。
生死向前去,不勞吏怒嗔。
我々は自分の意志で生死にかかわらず前に向って進むのである。隊長の吏からおこりつけられることなどいらぬことである。
路逢相識人,附書與六親。
たまたま路で知りあいのものに出遭った、その知り合いに家族への手紙をあずけたのだ。
哀哉兩決絕,不複同苦辛!

ああ哀しことである、これで両方の間のつながりがきれてしまうことになるのだ、もう一度一緒に艱難辛苦をともにしようとしてもできないのだ。


我々戍卒を送ってゆくには隊長というものがあるが、千里の遠方へ守りに出かける我々にはまた我々のたいせつな身体というものがある。
我々は自分の意志で生死にかかわらず前に向って進むのである。隊長の吏からおこりつけられることなどいらぬことである。
たまたま路で知りあいのものに出遭った、その知り合いに家族への手紙をあずけたのだ。
ああ哀しことである、これで両方の間のつながりがきれてしまうことになるのだ、もう一度一緒に艱難辛苦をともにしようとしてもできないのだ。



徒を送るに既に長あり 遠く戍まもるに亦た身あり
生死前に向って去る  吏の怒噴することを労せず
路に相識の人に逢う  書を附して六親に与う
哀い哉両ふたつながら決絶す   復た苦辛を同じくせず



送徒既有長,遠戍亦有身。
我々戍卒を送ってゆくには隊長というものがあるが、千里の遠方へ守りに出かける我々にはまた我々のたいせつな身体というものがある。
送徒 徒は徒旅の徒、戍卒をいう。送とはこれを引きつれて吐蕃の方へ送りとどけること。○長 かしら、引率者。○遠戍 遠地のまもりにゆく。○ 身体、自己の身体をいう。遠隔地の守りにつくための引率の隊長に対して不平不満が爆発する寸前になる、奴隷のようにやたらに鞭などあてられてはならないというのである。
 

生死向前去,不勞吏怒嗔。
我々は自分の意志で生死にかかわらず前に向って進むのである。隊長の吏からおこりつけられることなどいらぬことである。
生死 生死にかかわらずの意。○向前 前方へと。○不労 労はわずらわす、苦労をかける。○ 軍吏、即ち上句の「長」と同じ人。 杜甫に吏につぃてに三首がある。「石壕吏」石壕の村で役人が河陽へゆくべき人夫を徴発するとき、こどもを二人まで戦死させた老婦人が乳のみの愛孫を家にのこし、その夫の老翁に代って出かけることをのべた詩。製作時は前詩に同じ乾元2年759年48歳、「新安吏」乾元元年冬末、華州をはなれて洛陽に至り、二年に洛陽より華州にかえるとき、途上において新安の吏と問答の詩。「潼関吏」官軍は相州を囲んで敗れたために、潼関を修理、防禦築城の場所をすぎ、役人と問答の詩。○ 気を盛んにしていかる。吏がいかるのは途中で立ち話をしたり手紙をたのんだりするのについてであろう。
 

路逢相識人,附書與六親。
たまたま路で知りあいのものに出遭った、その知り合いに家族への手紙をあずけたのだ。
相識人 ふだん知りあいの人。○附書 附は附託、書はてがみ。〇六親 父母兄弟妻子をいう。′



哀哉兩決絕,不複同苦辛!
ああ哀しことである、これで両方の間のつながりがきれてしまうことになるのだ、もう一度一緒に艱難辛苦をともにしようとしてもできないのだ。
 六親の方と彼によるつながりの両方。○決絕 わかれきる。完全に切れること。○ ふたたび。○同苦辛  艱難辛苦をともにする。



出塞兵士の物語 4
武器、兵車と生活物資のすべてを運ぶのである。兵士は隊列を組んで行進するわけではない。イメージとしては避難民の行列の方が近いかもしれない。勝手な動きをされては困るので隊長の吏は鞭をもって指図するわけである。それは、長安の街の中でも見たことであった。
 家族と離れ、国に命を預けて出征するものでも奴隷のように鞭で追われるように指図を受けて不満もないというわけにはいかない。
 隊長の吏としては、日程通りに進んでくれないといけないし、勝手に休憩するし、知り合いと出会えば長話をする。怒鳴るように指示をしても鞭を振り上げないと云うことを聞かない。異民族からの侵略に対して守りにつくのであり、もう一つはシルクロードの守りにあるのである。長安は国際都市であった。

前出塞九首 其三 杜甫

前出塞九首 其三 杜甫 紀頌之の漢詩ブログ誠実な詩人杜甫特集 42
五言律詩

其三
磨刀嗚咽水,水赤刃傷手。
隴山までくるとむせび泣いている水が流れている、その水で刀をみがく。水の色がさっと赤くなる、刀の刃が自分の手を傷つけたのだ。
欲輕腸斷聲,心緒亂已久。
自分はこんな腸はらわたを断たせるという水の音などはたいしたことはないつもりなのだが、家と国とのことを考えると以前からさまざま思っていて心がみだれているのだ。
丈夫誓許國,憤惋複何有?
大丈夫たるものが心に誓って国のために心身をささげる以上は、憤りうらむべき理由などありはしない。
功名圖麒麟,戰骨當速朽。

麒麟閣に勲功者が画かれている。すぐにでも奮って戦場へでかけて朽ち果てようではないか。



隴山までくるとむせび泣いている水が流れている、その水で刀をみがく。水の色がさっと赤くなる、刀の刃が自分の手を傷つけたのだ。
自分はこんな腸はらわたを断たせるという水の音などはたいしたことはないつもりなのだが、家と国とのことを考えると以前からさまざま思っていて心がみだれているのだ。
大丈夫たるものが心に誓って国のために心身をささげる以上は、憤りうらむべき理由などありはしない。
麒麟閣に勲功者が画かれている。すぐにでも奮って戦場へでかけて朽ち果てようではないか。



刀を嗚咽の水に磨けばけば、水赤くして刃手を傷く。
腸断の声を軽んぜんと欲するも、心緒乱るること己に久し。
丈夫誓って国に許す、憤惋復た何ぞ有らん。
功名麒麟に図せられん、戦骨当に速に朽つべし。

 
陝西甘粛出塞 杜甫65


磨刀嗚咽水,水赤刃傷手。
隴山までくるとむせび泣いている水が流れている、その水で刀をみがく。水の色がさっと赤くなる、刀の刃が自分の手を傷つけたのだ。
鳴咽水、腸断声 「三秦記」にいう「隴山の頂に泉有りて、清水四に注ぐ、東のかた秦川を望めば四五里なるが如し。俗歌に『陣頭の流水、鳴声幽咽す。遙かに秦川を望めば、肝腸断絶す』という」と。隴山は今の陝西省鳳翔府隴州の北西にあって、ここを経て甘粛省の方へ赴くが、長安地方の眺望がこれよりみえなくなる様子を詠った歌である。鳴咽の水とはむせびなくような水流をいう。腸断声とは水自身に人をして腸をたたしめるような声のあることをいう。○水赤刃傷手 事実は刃が手をきずつけるから血が染まって水が赤くなるのであるが、我々がであう経験からすれば水が赤いのではっとおどろいてみると刃が手をきずつけていることが知られるということになる。



欲輕腸斷聲,心緒亂已久。
自分はこんな腸はらわたを断たせるという水の音などはたいしたことはないつもりなのだが、家と国とのことを考えると以前からさまざま思っていて心がみだれているのだ。(それがつい誤って手をきずつけさせたのだ。)
○軽 軽く視る、なんでもないものと見なそうとすること。○心緒 さまざまのものおもい。このものおもいのみだれが手をきずつけたわけである。



丈夫誓許國,憤惋複何有?
大丈夫たるものが心に誓って国のために心身をささげる以上は、憤りうらむべき理由などありはしない。
丈夫 ますらお、自ずからをいう。○許国 心身をささげることを国に対して許す。よいとする。○憤椀 いきどおり、おどろきうらむ。


功名圖麒麟,戰骨當速朽。
麒麟閣に勲功者が画かれている。すぐにでも奮って戦場へでかけて朽ち果てようではないか。
功名 自己の戦功をたでた名。○図 画かれること。○戰骨當速朽 戦死したあとの骨など速にくちはつるがいい、骨はくちても芳名が千歳にのこるのだ。
麒麟 宮殿閣の名。漢の宜帝の甘露三年に大将軍容光ら十二人を麒麟閣にえがいた。


長安洛陽鳳翔Map


出塞兵士の物語 3
 戦場で骨は朽ち果て土に帰るが、手柄を立てれば、その名はいつまでも残る。国のために心身を捧げものは、女々しくするものではない。
 詩の場所は、長安からスタートしたシルクロードを西に進む。河川が急激に急流になる。滝のような場所もたくさんある。轟音を立てて流れる。標高2000mを超える峠まで、両岸は切り立っている。
 出征した兵士のほとんどは、こんな嶮しいところは初めてである。それでなくても都から離れていくし、さびしくなるうえにむせび泣く声の水流の音、はらわたを断ち切るような水流の音などにより、かなり追い詰められていく様子を詠いあげている。

前出塞九首 其二 杜甫

前出塞九首 其二 杜甫紀頌之の漢詩ブログ誠実な詩人杜甫特集 41
五言律詩



前出塞九首 其二
出門日已遠,不受徒旅欺。
我が家の門を出てから日に日に距離が遠くなってきた、陣中の仕事も仲間のあなどりをも受けぬようになる。
骨肉恩豈斷?男兒死無時。
親子兄弟の恩愛の情はどんなときでも断ちきれるものではないのであるが、戦に出た男児は死ぬ時をえらばないものである。
走馬脫轡頭,手中挑青絲。
自分は馬を走らせておもづらのはなかわをはずして青糸の手綱を手中に手繰り上げた。
捷下萬仞岡,俯身試搴旗。

すばやく万仞の高い岡からかけくだり、地面に身を俯せながら旗を抜き取る稽古をしてみる。


我が家の門を出てから日に日に距離が遠くなってきた、陣中の仕事も仲間のあなどりをも受けぬようになる。
親子兄弟の恩愛の情はどんなときでも断ちきれるものではないのであるが、戦に出た男児は死ぬ時をえらばないものである。
自分は馬を走らせておもづらのはなかわをはずして青糸の手綱を手中に手繰り上げた。
すばやく万仞の高い岡からかけくだり、地面に身を俯せながら旗を抜き取る稽古をしてみる。

門を出でて日に己に遠し、 徒旅の欺(あなどり)を受けず。
骨肉恩豈に断えんや、 男児死するに時無し。
馬を走らせて轡頭(ひとう)を脫し、手中に青糸を挑(かか)げ。
捷(と)く万仞(ばんじん)の岡より下り、身を俯して試に旗を搴(むきと)る。



出門日已遠,不受徒旅欺。
我が家の門を出てから日に日に距離が遠くなってきた、陣中の仕事も仲間のあなどりをも受けぬようになる。
出門:門は家の門。 徒旅:徒は成卒、旅とは衆。衆卒を徒旅という、なかまのもの。 :だますことではなく、あなどること。こばかにされる。 

骨肉恩豈斷?男兒死無時。
親子兄弟の恩愛の情はどんなときでも断ちきれるものではないのであるが、戦に出た男児は死ぬ時をえらばないものである。
骨肉:親子兄弟。 恩豊断:ふりきろうとしても実はたちきれぬことをいう。 無時:一定の時のないことをいう、いつでも死すべき時には死なねばならぬの意。 
 

走馬脫轡頭,手中挑青絲。
自分は馬を走らせておもづらのはなかわをはずして青糸の手綱を手中に手繰り上げた。
脱轡頭:轡頭とは馬韁(ばきゅう馬のはなかわ、おもづら)のこと。脱とは蓋しかけてある鐶から馬韁をはずすことであろう。 青糸:これは轡頭からつづく手綱をいう。 



捷下萬仞岡,俯身試搴旗。
すばやく万仞の高い岡からかけくだり、地面に身を俯せながら旗を抜き取る稽古をしてみる。
:はやく。仞:八尺。 :身からだを地面へむけてうつむく。



出塞兵士の物語 2
 この当時の唐の国は、世界一の領土を誇った強大な国であった。国の制度も、律令国家として、最も進んだくにであった。租庸調の人民への負担と貿易など国力は周辺諸国を圧倒していた。しかし、北方と、西方については、生活様式の違いが大きく唐への帰属(漢化)はなかなかできないものであり、周辺の局地戦は、季節が巡るように繰り返された。広大な領土を守るため、常時兵力補充が行われた。
 戦で勲功をあげれば、出身がなんであろうと出世した。徴兵によって狩出されたものが勲功をあげることはなく、異民族、騎馬民族出身者が、手柄を立てのし上がっていったのである。哥舒翰、安禄山など異民族出身者である。
 杜甫の出塞九首は、その名もない兵士の物語なのだ。第二話は、訓練をしてやっと仲間の兵士から小ばかにされなくなったところまでである。

前出塞九首 其一 杜甫

「前出塞九首 其一」 杜甫 紀頌之の漢詩ブログ杜甫詩 特集 40
751年天宝10載 40歳


〔詩の背景〕
・正月、三大礼行なわれる。
(楊貴妃にのめりこみ宦官に任せる。李林甫の圧政)
・2月安禄山、河東節度使を兼ねる。
・4月鮮千仲通、南詔を討ち、高仙芝、大食を討つ
・8月、安禄山、契丹を討って、ともに大敗。
・均田・租庸調制と府兵制は崩壊(749年廃止)
・杜甫、長安にあり。三大礼賦を献ず。玄宗これを奇とし、命じて制を集賢院預かりになる。待機ということ。秋、瘧(おこり、間欠熱、マラリア)を病む。



〔詩題の説明〕前出塞九首
この詩は天宝の未年哥舒翰が吐蕃に兵を出して戦功を貪るのにつき、従軍者の立場でうたったものである。唐王朝は領土欲が特に強くこの時過去最大の領土を誇った。領土拡大は其の地の富を収奪・略奪することにあった。しかし、各都市の領地の管理負担は律令制度に托されて、人民、民衆の負担は大きかったのである。杜甫はこのことに義憤を抱いていた。



(前)出塞 九首 其一
戚戚去故裡,悠悠赴交河。
これから、がまんをして、もの悲しく思いながら故郷を去るのだ、はるかかなたの交河県の方へと赴くのである。
公家有程期,亡命嬰禍羅。
公家の軍隊には作戦日程があり、何時までに何処へ着くという破れない決まりがあるし、途中で命令違反や、放棄、逃亡すれば刑罰の網は容赦ないのだ。
君已富士境,開邊一何多?
我が君は己に秦、隋よりずっとたくさんの領地を手に入れておられるのに、なんでまだそんなに多く辺地を成敗して開拓しょうとなさるのであろうか。
棄絕父母恩,吞聲行負戈。

天子に与えられたこの命、父母の恩より天子の恩に報いるため、しかたがない、父母の恩愛をふりすてて、泣き声を飲み込んでしながら、ほこを背負いひいて行くのだ。


これから、がまんをして、もの悲しく思いながら故郷を去るのだ、はるかかなたの交河県の方へと赴くのである。
公家の軍隊には作戦日程があり、何時までに何処へ着くという破れない決まりがあるし、途中で命令違反や、放棄、逃亡すれば刑罰の網は容赦ないのだ。
我が君は己に秦、隋よりずっとたくさんの領地を手に入れておられるのに、なんでまだそんなに多く辺地を成敗して開拓しょうとなさるのであろうか。
天子に与えられたこの命、父母の恩より天子の恩に報いるため、しかたがない、父母の恩愛をふりすてて、泣き声を飲み込んでしながら、ほこを背負いひいて行くのだ。


(前)塞より出ず 九首 其の一
戚戚としで故里より去り、悠悠交河に赴く。
公家頼期有り、 亡命すれば禍羅に嬰る。
君己に上境に羅めり、 辺を開くこと一正何ぞ多き。
父母の恩を棄施し、 声を呑みて行くゆく曳を負う。



前出塞:あとに「後出塞」五首があり、「後」ができてからそれと区別するために「前」をつけ加えたもので、始めは単に「出塞」とあった。塞はほとりで、ここでは長城のことをいう、長城をこえて出るのにより出塞という。 



戚戚去故裡,悠悠赴交河。
これから、がまんをして、もの悲しく思いながら故郷を去るのだ、はるかかなたの交河県の方へと赴くのである。
戚戚:がまんをしておしだまっているため、ものしずかになる。うれえるさま。15歳から、40歳まで兵役がある(庸)。 故裡:故郷。○悠悠はるか。 交河:県の名、今の新疆ウィグル地区の土魯番の附近。



公家有程期,亡命嬰禍羅。
公家の軍隊には作戦日程があり、何時までに何処へ着くという破れない決まりがあるし、途中で命令違反や、放棄、逃亡すれば刑罰の網は容赦ないのだ。
公家:官家、おかみ。権力者。 程期:道程期限、何時までにどれほどの路をあるかねばならぬとのきまり。亡命:「命より亡する」義。命は名に同じ、姓名をかいた簿籍をいう。亡とは名籍から脱して逃亡することをいう。税と徴兵負担が大きかったので亡命者が多かった。与えられた耕作地を放棄するものが出始め、府兵制が崩れていく。ただ、徴兵がなくなるわけではない、傭兵に重点を置くだけで、農民への負担は変わりなかったのである。 禍羅:羅はあみのこと、禍のあみとは刑罰にふれることをいう。家族に災いが及ぶので、絶対服従状態である。 



君已富士境,開邊一何多?
我が君は己に秦、隋よりずっとたくさんの領地を手に入れておられるのに、なんでまだそんなに多く辺地を成敗して開拓しょうとなさるのであろうか。
:天子。 土境:領土。 開辺:辺境を成敗して開拓する。 



棄絕父母恩,吞聲行負戈。
天子に与えられたこの命、父母の恩より天子の恩に報いるため、しかたがない、父母の恩愛をふりすてて、泣き声を飲み込んでしながら、ほこを背負いひいて行くのだ。
棄絶:ふりすてる。 吞声:すすりなきする、こえをたでぬ。:兵車をひく。ほこを引く。

同諸公登慈恩寺塔 杜甫 紀頌之のkanbuniinkai漢詩ブログ杜甫詩 特集 39

「同諸公登慈恩寺塔」 杜甫 紀頌之の漢詩ブログ杜甫詩 特集 39


 和 高適 (詩人の岑参、高適、薛拠、儲光羲らと交友)
多くの人々が慈恩寺の塔に登って作った詩に自分も和して作るが、ここでは、諸侯のしについてふれない。
* 〔原注〕時高適。薛拠。先有作。
天宝10載 751年 40歳

同諸公登慈恩寺墖
高標跨蒼穹,烈風無時休。
高いめじるしが青空にまたがって立っている。そこには烈しい風がいつも吹きすさんで休止する時などない。
自非曠士懷,登茲翻百憂。』
よほどの胸中のひろいひとでないかぎり、ここ処へ登ったなら、さまざまの憂いの心を湧きたたせるだろう。』
方知象教力,足可追冥搜。
だが仏教の力によってこそ古人の跡をおうように我々も極楽浄土をふかくさぐることが十分できるというものだ。
仰穿龍蛇窟,始出枝撐幽。』
天を仰ぎながら竜蛇のいわやのようなうねり路をかいくぐり、それではじめて支柱の組み合せの薄暗い所からでられる。』
七星在北戶,河漢聲西流。
北側の戸には北斗七星が懸っている。天の河が声をあげて西へ向って流れている。
羲和鞭白日,少昊行清秋。
太陽の御者である義和は馬に鞭をいれて白日を動かせる、秋の神である少昊はすがすがしい秋にむかっている。
秦山忽破碎,涇渭不可求。
忽ち長安地方をとりまく山々は錯乱粉砕しているようで、渭水・涇水の清濁もわからなくなってしまった。
俯視但一氣,焉能辨皇州?』
下を見おろせばただ靄のように一面に気がたちこめているばかりでここが帝都かどうかもさっぱり見わけがつかないのである。』
回首叫虞舜,蒼梧雲正愁。
自分は上のさまを見て首を回らして古の聖君舜にむかってさけんだ、蒼梧の方面が愁わしげに雲がとざしている
惜哉瑤池飲,日晏昆侖邱。
惜むべきことである、瑶池西王母のところで酒を飲んで帰らなくなっているのと同じことだ、そのまま昆侖邱で日がくれかかって来ているということではないか。
黃鵠去不息,哀鳴何所投。
黃鵠のような志は飛んでいってしまう、かなしそうに鳴いているがどこへ身をおちつけられるのだ。
君看隨陽雁,各有稻粱謀。』


 
高いめじるしが青空にまたがって立っている。そこには烈しい風がいつも吹きすさんで休止する時などない。
よほどの胸中のひろいひとでないかぎり、ここ処へ登ったなら、さまざまの憂いの心を湧きたたせるだろう。』
だが仏教の力によってこそ古人の跡をおうように我々も極楽浄土をふかくさぐることが十分できるというものだ。
天を仰ぎながら竜蛇のいわやのようなうねり路をかいくぐり、それではじめて支柱の組み合せの薄暗い所からでられる。』
北側の戸には北斗七星が懸っている。天の河が声をあげて西へ向って流れている。
太陽の御者である義和は馬に鞭をいれて白日を動かせる、秋の神である少昊はすがすがしい秋にむかっている。
忽ち長安地方をとりまく山々は錯乱粉砕しているようで、渭水・涇水の清濁もわからなくなってしまった。
下を見おろせばただ靄のように一面に気がたちこめているばかりでここが帝都かどうかもさっぱり見わけがつかないのである。』
自分は上のさまを見て首を回らして古の聖君舜にむかってさけんだ、蒼梧の方面が愁わしげに雲がとざしている
惜むべきことである、瑶池西王母のところで酒を飲んで帰らなくなっているのと同じことだ、そのまま昆侖邱で日がくれかかって来ているということではないか。
黃鵠のような志は飛んでいってしまう、かなしそうに鳴いているがどこへ身をおちつけられるのだ。



諸公が慈恩寺墖に登るに同じくする
高標蒼雪に跨る 烈風時として休むことなし
暁士の懐に非るよりは 嘉に登らば百憂を翻さん』
方に知る象教の力 冥捜を追うべきに足るを
仰いで穿つ竜蛇の窟 始めて甘づ枝撐の幽なるを』
七星北戸に在り 河漢声西に流る
義和白日に鞭ち 少臭清秋に行る
泰山忽ち破砕す 浬洞求むぺからず
僻視すれば但だ一気 焉んぞ能く皇州を弁ぜん』
首を廻らして虞舜に叫ぶ 新鮮裂最に墾っ
(惜しい哉瑤池の飲 日は日晏し昆侖の邱丘)
鵠去って息まず  哀鳴何の投ずる所ぞ
看よ随陽の雁  各i稲梁の 謀 有り』


同諸公登慈恩寺墖
 他人の作詩に和してつくること。○諸公 高適・薛拠・岑參・儲光義らをさす。○慈恩寺 西安府城の城外東南に厳然として存在する。○ 塔に同じ、即ち上文の浮居のこと。またこれを大雁塔ともいい、塔の南面に袴遂良の書した「雁塔聖教序」の碑をはめこんでいる。唐の時には進士に及第したものはこの塔上にのぼって姓名を題する習俗があった。
長安城郭015

高標跨蒼穹,烈風無時休。
高いめじるしが青空にまたがって立っている。そこには烈しい風がいつも吹きすさんで休止する時などない。
高標 たかいめじるし、塔をさす。○蒼穹 あおい弓なりの天井、そらをいう。



自非曠士懷,登茲翻百憂。』
よほどの胸中のひろいひとでないかぎり、ここ処へ登ったなら、さまざまの憂いの心を湧きたたせるだろう。』
曠士懷 胸中のひろいひと。・懐 胸中、心。○ 慈恩寺塔をさす。○ ひるがえす、湧きたたせること。



方知象教力,足可追冥搜。
だが仏教の力によってこそ古人の跡をおうように我々も極楽浄土をふかくさぐることが十分できるというものだ。
象教 仏教をいう。象は像に同じ。形像をつくって人を教えることをいう。○ 古人の跡をおう。○冥搜 極楽浄土をふかくさぐる。



仰穿龍蛇窟,始出枝撐幽。』
天を仰ぎながら竜蛇のいわやのようなうねり路をかいくぐり、それではじめて支柱の組み合せの薄暗い所からでられる。』
竜蛇窟 塔内の螺旋状の升り路をたとえていう。○枝撐 交木のこと。路をささえるために材木をくんであるのである。○ おくふかくくらい。
 

七星在北戶,河漢聲西流。
北側の戸には北斗七星が懸っている。天の河が声をあげて西へ向って流れている。
七星 北斗七星。○北戸 塔の北面の戸。○河漢 あまのがわ。○声西流 あまの河に声は無いけれども声をあげて流れているようだ。西流とは東から西へとながれること。



羲和鞭白日,少昊行清秋。
太陽の御者である義和は馬に鞭をいれて白日を動かせる、秋の神である少昊はすがすがしい秋にむかっている。
義和 太陽は車にのり、その車は義和によって馬をしたてていると考えられていた。○少昊 空を小さくする秋を掌る神。

 
秦山忽破碎,涇渭不可求。
忽ち長安地方をとりまく山々は錯乱粉砕しているようで、渭水・涇水の清濁もわからなくなってしまった。
秦山 長安地方をとりまく山々。 破砕 山に雨が降って錯乱粉砕していること。 涇渭 二水の名、渭水は濁り、涇水は清い。 不可求 清濁を求めて分かちがたいことをいう。

俯視但一氣,焉能辨皇州?』
下を見おろせばただ靄のように一面に気がたちこめているばかりでここが帝都かどうかもさっぱり見わけがつかないのである。』
 区別する。 皇州 帝都の地方。 



回首叫虞舜,蒼梧雲正愁。
自分は上のさまを見て首を回らして古の聖君舜にむかってさけんだ、蒼梧の方面が愁わしげに雲がとざしている。
虞舜 古代の聖天子堯と舜といわれるうちの舜有虞帝。 蒼梧 地名、舜の葬られた地。此の二旬は古聖君を思うことをいう。
*この頃は李林甫の圧政のピーク時であったし、玄宗に対してなんらの期待も持てなかったため、杜甫はこのように叫んだのである。 



惜哉瑤池飲,日晏昆侖邱。

惜むべきことである、瑶池西王母のところで酒を飲んで帰らなくなっているのと同じことだ、そのまま昆侖邱で日がくれかかって来ているということではないか。

瑤池飲 瑶池王母のこと。本来は、東の理想国に対して、西の理想国の母とした女仙人を示すが、ここでは、周の穆王が西に巡符して崑崙に遊び、彼女に会い、帰るのを忘れたという話が「列子」にみえるところから、そのうえ、彼女の性が楊なので、玄宗が楊貴妃に溺れることを指す。 おそい、暮れかかること。



黃鵠去不息,哀鳴何所投。
黃鵠のような志は飛んでいってしまう、かなしそうに鳴いているがどこへ身をおちつけられるのだ。
黄鵠 黄色みをおびた白鳥。高く飛ぶ鳥。高い理想を持った自分を指す。李白は黄鶴を以て自己に比喩する。 ○ 此の去の字は下の雁と関係してみる。 ○ 息止する。 ○何所投 我が身を投ずる所の地は何処ぞ。 



君看隨陽雁,各有稻粱謀。』
諸公の君たち看てくれ、陽気につれて南北する雁と同じようにするのか、それぞれいい米を求めるために謀をめぐらそうとするのか。
随陽雁 「尚書」南貢に陽鳥の語があり、注に「陽二随ウノ鳥ハ、鴻雁ノ属ナリ」とある。鴻雁は陽気の寒暖に随って、或は南し或は北する。此の二句は一般衣食のために権勢に附き禄位を食る人々に此する。  ○稲梁謀 稲梁を求めるはかりごと、梁はよい米。



玄宗皇帝を批判するように見えるが、李林甫にへつらっている官僚に対して、黄鶴、黃鵠のように高い志を持ち続けようと呼びかけている。
 この翌年、李林甫は病死するのであるが、皇帝の権威が失墜し、誰かが謀叛、反乱を起こしそうな機運を感じているのである。

樂遊園歌  杜甫

「樂遊園歌」  杜甫 紀頌之の漢詩ブログ杜甫詩 特集 38
楽遊園のことをうたった歌、長史賀蘭場という人の宴席で酔時の歌である。天宝十載正月晦日の作。
天宝10載 751年 40歳


楽遊園歌
* 〔原注〕晦日。賀蘭楊長史延酔歌。
樂游古園萃森爽,煙綿碧草萋萋長。
楽遊園のこの由緒ある高台の庭は高くそびえて木立ちが繁り、気象さわやかな処だが、もはや春になったから春靄がたなびき碧の草がシュウシュウと生え出、のびてきた。
公子華筵勢最高,秦川對酒平如掌。』

ここに賀蘭公子が設けたはなやかな酒のむしろの宴は、一番高い地勢に設定されているので、ここからみると我が手にする酒と対して秦川の水面が手のひらにのったようにみえる。』
長生木瓢示真率,更調鞍馬狂歡賞。
天然のままの長生木の瓢をぶらさげ、何事も気にしないで、さらに鞍おいた馬をのりこなしながら正気のさたとおもわれぬほどあちらこちらと喜んで眺めまわっている。
青春波浪芙蓉園,白日雷霆夾城仗。
この春真っただ中にあって、波をたたえている芙蓉園がある、そこに、真昼であるのに雷靂がとどろくかとおもわれるような音をたてて爽城の路に天子の旗指物の列が通られている。
閶闔晴開詄蕩蕩,曲江翠幕排銀榜。
御所の御門が晴天に蕩々と音をたてながら開かれると、曲江では翠幕をはりつらね外面に銀字のぴかりあざやかに座席のふだが排列せられる。
拂水低回舞袖翻,緣雲清切歌聲上。』

水を拂い、低く回る美人の袖はひるがえり舞っている、すみきった歌の声はたかく雲によりそういながらのぼっている。』
卻憶年年人醉時,只今未醉已先悲。
ひるがえっておもう毎年毎年、衆人の酔う時節になっている。ただ、いまはまだ酔えない、その前に悲しくなるのである。
數莖白發那拋得?百罰深杯亦不辭。
いつのまにか生じた四五本の白髪はすて去ることもできない。深い杯を百盃の罰を科せられても辞退せぬつもりだ。
聖朝亦知賤士醜,一物自荷皇天慈。
今日の朝廷がまた自分のような賤士のおいぼれを知っていただきたい、その一杯の酒は皇天の慈愛を蒙っているものとしてありがたくお受けいたします。
此身飲罷無歸處,獨立蒼茫自詠詩。』

このからだは酒を飲み終わったところで何処へとも帰えるべき場処をもっていない、一人立ちどまってぼんやりと、みずからの詩を詠うのである。』



楽遊園のこの由緒ある高台の庭は高くそびえて木立ちが繁り、気象さわやかな処だが、もはや春になったから春靄がたなびき碧の草がシュウシュウと生え出、のびてきた。
ここに賀蘭公子が設けたはなやかな酒のむしろの宴は、一番高い地勢に設定されているので、ここからみると我が手にする酒と対して秦川の水面が手のひらにのったようにみえる。』

天然のままの長生木の瓢をぶらさげ、何事も気にしないで、さらに鞍おいた馬をのりこなしながら正気のさたとおもわれぬほどあちらこちらと喜んで眺めまわっている。
この春真っただ中にあって、波をたたえている芙蓉園がある、そこに、真昼であるのに雷靂がとどろくかとおもわれるような音をたてて爽城の路に天子の旗指物の列が通られている。
御所の御門が晴天に蕩々と音をたてながら開かれると、曲江では翠幕をはりつらね外面に銀字のぴかりあざやかに座席のふだが排列せられる。
水を拂い、低く回る美人の袖はひるがえり舞っている、すみきった歌の声はたかく雲によりそういながらのぼっている。』

ひるがえっておもう毎年毎年、衆人の酔う時節になっている。ただ、いまはまだ酔えない、その前に悲しくなるのである。
いつのまにか生じた四五本の白髪はすて去ることもできない。深い杯を百盃の罰を科せられても辞退せぬつもりだ。
今日の朝廷がまた自分のような賤士のおいぼれを知っていただきたい、その一杯の酒は皇天の慈愛を蒙っているものとしてありがたくお受けいたします。
このからだは酒を飲み終わったところで何処へとも帰えるべき場処をもっていない、一人立ちどまってぼんやりと、みずからの詩を詠うのである。』


(楽遊園の歌)
楽遊の古園 萃として森爽、煙綿として碧草 萋萋長ず
公子の華筵 勢 最も高し、秦川 酒に対して平 掌の如し
長生 木の瓢 真率なるを示し、更に鞍馬を調して 歓賞に狂す』
青春 波浪 芙蓉の園、白日 雷靂 爽城の供
閶闔 晴れ開いて談として蕩蕩たり、曲江 翠幕 銀榜を排す
水を払うて 低回 舞袖 翻り、雲に縁って 清切 歌声上る』
卻って憶う 年年 人酔うの時、只今 未だ酔わざるに 己に先ず悲しむ
数茎の白髪 那ぞ拋ち得ん、百罰深杯も亦た辞せず
聖朝亦た知る賤士の醜なるを、一物自ら荷う皇天の慈
此の身飲み罷みて帰する処なし、独立蒼茫自ら詩を泳ず』



楽遊園歌
* 〔原注〕晦日。賀蘭楊長史延酔歌。
楽遊園 また楽遊原ともいう。唐の京兆万年県の南八里にあり、杜甫の居った杜陵の西北に在る。其の遊覧の盛んであった。 ○晦日  唐では正月晦日・三月三日・九月九日を三令節となした。これは正月晦日をさす。今の太陽暦の三月頃にあたるから草も萌え出るのである。○賀蘭楊 人の姓名。詳細不明。 ○長史 官名。長史の官は諸官府にあったので、この人はどの官府長史であるか不明。
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樂游古園萃森爽,煙綿碧草萋萋長。
楽遊園のこの由緒ある高台の庭は高くそびえて木立ちが繁り、気象さわやかな処だが、もはや春になったから春靄がたなびき碧の草がシュウシュウと生え出、のびてきた。
楽遊古園 楽遊園は古の字をはさみ用いる。長安の東南にあって、長安を眺め渡すことができる景勝地のことになる。
後世、杜牧は「將赴呉興登樂遊原」で
淸時有味是無能,閒愛孤雲靜愛僧。
欲把一麾江海去,樂遊原上望昭陵。

李商隠は、 「登樂遊原」
向晩意不適,驅車登古原。
夕陽無限好,只是近黄昏。

清・王士禛は「即目三首其一」で
蒼蒼遠煙起,槭槭疏林響。
落日隱西山,人耕古原上。
 
○萃  シュツ、ソツの二者がある。山の危峻なるさま。○森爽  木立ちがならんで気のさわやかなこと。 ○煙綿 綿とは連綿の綿、春靄のつらなる状態をいう。○萋萋  くさのしげるさま。 ○ のびる。



公子華筵勢最高,秦川對酒平如掌。』
ここに賀蘭公子が設けたはなやかな酒のむしろの宴は、一番高い地勢に設定されているので、ここからみると我が手にする酒と対して秦川の水面が手のひらにのったようにみえる。』
公子 賀蘭場長史をさす。○華造 りっぱな酒のむしろ。勢 地勢。○秦川 秦嶺より流れでる川、一名欒川という。○如掌 掌はたなごころ、手のひら。まったいらであることをいう。



長生木瓢示真率,更調鞍馬狂歡賞。
天然のままの長生木の瓢をぶらさげ、何事も気にしないで、さらに鞍おいた馬をのりこなしながら正気のさたとおもわれぬほどあちらこちらと喜んで眺めまわっている。
長生木 木の名、これを以て瓢をつくる。○ 酒をいれるふくべ。○ 奇形の瓢をぶらさげありのままを人にみせながらの意。○真率 心を飾らずありのままにしておくこと。飲器などにこだわらない、なんでもよい。○調 馬を調教すること。○ やたらにするをいう。



青春波浪芙蓉園,白日雷霆夾城仗。
この春真っただ中にあって、波をたたえている芙蓉園がある、そこに、真昼であるのに雷靂がとどろくかとおもわれるような音をたてて爽城の路に天子の旗指物の列が通られている
青春 はる、五行の考えでは春の色を青とする。○芙蓉園 長安城の東南にあり、曲江の西南に位する。これと香園とは秦の宜春下苑の地であり、園内に芙蓉池がある。○雷霆 かみなり、いかずち。これは車馬・音楽などの音をたとえていう。○爽城仗  仗は天子行幸の儀使(はたさしものをつらねた行列)をいう。宮廷警護の軍隊のみが使用する武器。爽城とは垣壁を以てはさんだ道路、開元二十年に大明宮より芙蓉園までこの道路を築いた。


閶闔晴開詄蕩蕩,曲江翠幕排銀榜。
御所の御門が晴天に蕩々と音をたてながら開かれると、曲江では翠幕をはりつらね外面に銀字のぴかりあざやかに座席のふだが排列せられる。
閶闔 天の門、これは宮城の門をさす。○詄蕩蕩  漢の郊祀歌に見える。如淳の解に「天体清堅ノ状」というが其の義を得ない。蓋し城門のがたついてとどろくさまをいうのであろう。○曲江 下にみえる。「青春」 の句よりこの「曲江」の句までは曲江と宮城とを交互に叙したもの。○翠帳 みどりのまく。○ 排列する。○銀榜 銀字で書いた看板。これは遊覧者の座次をあらわすために、帳の外へ貴族などが家名・爵号などを書いた看板をだすのである。

拂水低回舞袖翻、緣雲清切歌聲上。』
水を拂い、低く回る美人の袖はひるがえり舞っている、すみきった歌の声はたかく雲によりそういながらのぼっている。』
低回 ゆらつくさま。〇緣雲 たかくのぼるをいう。○清切 すみわたってみにしむように。○ 下より空ざまにたちのぼる。
 

卻憶年年人醉時、只今未醉已先悲。
ひるがえっておもう毎年毎年、衆人の酔う時節になっている。ただ、いまはまだ酔えない、その前に悲しくなるのである。
卻憶 前段は遊楽をのべ、ここは一転する。故に「郁って」という。○只今 現在。



數莖白發那拋得、百罰深杯亦不辭。
いつのまにか生じた四五本の白髪はすて去ることもできない。深い杯を百盃の罰を科せられても辞退せぬつもりだ
数茎 茎は本というの類。白髪の本数。 ○ 棄て去るという類。 〇百罰深杯 杯が深いので百杯も罰してのませる、桑乂の故事。○ 辞退する。

 
聖朝亦知賤士醜,一物自荷皇天慈。
今日の朝廷がまた自分のような賤士のおいぼれを知っていただきたい、その一杯の酒は皇天の慈愛を蒙っているものとしてありがたくお受けいたします。
聖朝  今の朝廷。 ○賤士醜  賤士とは作者自ずからをいう、醜とは老醜であることをいう。此の語によれば老醜の故を以て官途にのぼされぬということ。〇一物  一物とは酒を指す。○皇天慈  天のなさけ。



此身飲罷無歸處,獨立蒼茫自詠詩。』
このからだは酒を飲み終わったところで何処へとも帰えるべき場処をもっていない、一人立ちどまってぼんやりと、みずからの詩を詠うのである。
帰処 帰著すべきところ。○蒼茫 荒寂のさま。


兵車行  杜甫

兵車行  杜甫 紀頌之の漢詩ブログ杜甫詩 特集 37

天宝九載(750) 39歳 杜甫は長安に在す。初めて鮮度に遇う。この年、長子宗文生まれ、家族4人。
749哥舒翰、吐蕃を破る。・府兵制の崩壊、折衝府軍の形骸化。

 西方では吐蕃(チベット)が勢力を増し、唐西域の交易路を侵すようになる。玄宗は外征に力を入れ、安西副都護の高仙芝は遠く西方(現在のウイグル自治区の西側)に兵をすすめ、董延光将軍は吐蕃の石堡城(青海省湟源県付近)を攻めている。董延光の軍は吐蕃に敗れて敗走するが、河西節度使の哥舒翰が六万三千の大軍を率いて再度石堡城を攻め、多数の犠牲者を出してやっと攻め落とす。


 杜甫は、長安の状態は一時不安な状態で、一旦洛陽に帰っていたが、哥舒翰勝利で。再度長安に出る。 長安に着くと、西征の兵馬の列が連日のように都門を出て西に向かっている。杜甫はこれを「兵車行」に詠う。この「兵車行」は杜甫のリアリズム詩の最初の名作。府兵制、募兵制に対する批判の意を込めた詩であり、外国人を安直に節度使においていく政策にも批判を持っている。この後、朝廷の政策批判、リアリズムに徹した数々の詩作を作る。

吐蕃だけでなくペルシャなど西方の緊張が増しており、局地戦は常時あったので、兵員は増強され、長安の街から西方に行く隊列は数日続いた。兵車の声をきいて感じて作ったうた。
 
七言歌行  兵車行


兵車行
車轔轔,馬蕭蕭,行人弓箭各在腰。
車はガラガラ。馬はヒヒーン。出征兵士は、弓矢を各々腰に着けている。
耶孃妻子走相送,塵埃不見咸陽橋。
父と母、妻と子は、走って見送ってくる。砂煙で、咸陽橋が見えなくなる。
牽衣頓足闌道哭,哭聲直上干雲霄。
 (1)』
上着を引っ張ったり、地団駄を踏んだり、足にしがみついたり、道をさえぎって、声をあげて泣いている、啼き声は、真っ直ぐにたち上って、雲のある大空にまでとどいている。
道旁過者問行人,行人但云點行頻。
道端の通りすがりの者(である作者)が問い尋ねる。出征兵士がただということには、徴兵が頻(しき)りであり。
或從十五北防河,便至四十西營田。
或る者は十五歳から、北の方の黄河(上流)の防衛戦の守備に就き、そのままで、四十歳になって、西の方の屯田兵を命ぜられた。
去時里正與裹頭,歸來頭白還戍邊。
 (2)』
出征する時、村長は(わたしの)ために出征の装束の頭巾をかぶせてくれた。帰ってくたら、(もう)頭髪が白くなっているのに、なおまた辺疆を防備する(ことを命ぜられた)。
邊庭流血成海水,武皇開邊意未已。
国境附近の戦闘による流血は、海のようになった。漢の武帝のように辺疆を開こうという意図は、まだ終わらない。
君不聞漢家山東二百州,千邨萬落生荊杞。
あなたは、聞いたことがあるでしょう、我が国家の山東の二百州のことを。あらゆる村々ではいばらや枸杞(くこ)の雑木が生い茂って荒れ果てたことを。
縱有健婦把鋤犁,禾生隴畝無東西。
喩え健気な妻が、鋤(すき)などの農機具を手に執り持ったとしても、稲や穀類が田圃に生え、荒れて茫茫に生えた中に畝も隠れ、西も東もなくなった無秩序な状態になっている。
況復秦兵耐苦戰,被驅不異犬與鷄。
 (3)』
まして、秦の兵士は、いくら苦戦に耐えていく力があるとはいっても、追い立てられて使役されるのは、犬やニワトリといった小動物や家畜と異ならない。
長者雖有問,役夫敢申恨。
あなたさまがそのようにお訊ねになりますが、積極的にうらみごとを申しあげるわけにはいきません。
且如今年冬,未休關西卒。
今年の冬のごときは、関西、陝西への出兵が、終わることがない。
縣官急索租,租税從何出。
県の徴税吏は、租税を急にもとめていました。租税の穀物なんて、一体どこから出てきましょうか。
信知生男惡,反是生女好。
男の子を産むことは好くないことだと本当に分かった。これと反対に、女の子を産むことは好いことだ。
生女猶得嫁比鄰,生男埋沒隨百草。
 (4)』
女の子を産んだら、まだ近所へお嫁に行かせることができるが、男を生めば、兵卒となって屍を雑草の中に埋もれ伏してゆくことになる。
君不見青海頭,古來白骨無人收。
あなたは、見たことがないだろう、青海湖の畔では、昔から今まで白骨を誰も収めていない。
新鬼煩冤舊鬼哭,天陰雨濕聲啾啾。 
(5)』
新たな戦役で亡くなった霊は、わずらいもだえており、昔の戦役で亡くなった霊は、声をあげて啼いており、空が曇り、雨で湿る折には、死者の魂が悲しげに啾々と泣いている声が聞こえてくる。


(1)
車はガラガラ。馬はヒヒーン。出征兵士は、弓矢を各々腰に着けている。
父と母、妻と子は、走って見送ってくる。砂煙で、咸陽橋が見えなくなる。
上着を引っ張ったり、地団駄を踏んだり、足にしがみついたり、道をさえぎって、声をあげて泣いている、啼き声は、真っ直ぐにたち上って、雲のある大空にまでとどいている。
(2)
道端の通りすがりの者(である作者)が問い尋ねる。出征兵士がただということには、徴兵が頻(しき)りであり。
或る者は十五歳から、北の方の黄河(上流)の防衛戦の守備に就き、そのままで、四十歳になって、西の方の屯田兵を命ぜられた。
出征する時、村長は(わたしの)ために出征の装束の頭巾をかぶせてくれた。帰ってくたら、(もう)頭髪が白くなっているのに、なおまた辺疆を防備する(ことを命ぜられた)。

(3)
国境附近の戦闘による流血は、海のようになった。漢の武帝のように辺疆を開こうという意図は、まだ終わらない。
あなたは、聞いたことがあるでしょう、我が国家の山東の二百州のことを。あらゆる村々ではいばらや枸杞(くこ)の雑木が生い茂って荒れ果てたことを。
喩え健気な妻が、鋤(すき)などの農機具を手に執り持ったとしても、稲や穀類が田圃に生え、荒れて茫茫に生えた中に畝も隠れ、西も東もなくなった無秩序な状態になっている。
まして、秦の兵士は、いくら苦戦に耐えていく力があるとはいっても、追い立てられて使役されるのは、犬やニワトリといった小動物や家畜と異ならない。

(4)
あなたさまがそのようにお訊ねになりますが、積極的にうらみごとを申しあげるわけにはいきません。
今年の冬のごときは、関西、陝西への出兵が、終わることがない。
県の徴税吏は、租税を急にもとめていました。租税の穀物なんて、一体どこから出てきましょうか。
男の子を産むことは好くないことだと本当に分かった。
これと反対に、女の子を産むことは好いことだ。
女の子を産んだら、まだ近所へお嫁に行かせることができるが、男を生めば、兵卒となって屍を雑草の中に埋もれ伏してゆくことになる。

(5)
あなたは、見たことがないだろう、青海湖の畔では、昔から今まで白骨を誰も収めていない。
新たな戦役で亡くなった霊は、わずらいもだえており、昔の戦役で亡くなった霊は、声をあげて啼いており、空が曇り、雨で湿る折には、死者の魂が悲しげに啾々と泣いている声が聞こえてくる。




兵車行
(1)       
車 轔轔(りんりん),馬 蕭蕭(しょうしょう),行人の 弓箭(きゅうせん)各ゝ(おのおの)腰に在り。
耶孃(やぢゃう) 妻子  走りて 相(あ)ひ送り,
塵埃(じんあい)に 見えず  咸陽橋(かんようきょう)。
衣を牽(ひ)き足を頓し 道を闌(さえぎ)りて 哭し,
哭聲 直に上りて  雲霄(うんしょう)を干(おか)す。
道旁の 過ぐる者  行人に 問へば,
行人 但(た)だ云(い)ふ 點行頻(しき)りなりと。
(2)
或は 十五 從(よ)り  北のかた 河に防ぎ,
便(すなは)ち 四十に至るも  西のかた 田を營む。
去る時 里正  與(ため)に 頭を裹(つつ)み,
歸り來(きた)れば 頭 白くして  還(ま)た 邊を戍(まも)る。
(3)
邊庭の流血  海水を 成せど,
武皇 邊を開く  意は 未だ已(や)まず。
君 聞かずや  漢家 山東の二百州,
千村 萬落  荊杞(けいき)を 生ずるを。
縱(たと)い健婦の鋤犁(じょり)を把(と)る有りとも,
禾(いね)は 隴畝(ろうほ)に生じて東西(とうざい)無し。
況(いわ)んや復(ま)た  秦兵は 苦戰に耐ふとて,
驅らるること   犬と鷄とに 異らず。
(4)
長者  問ふ有りと雖(いへど)も,
役夫(えきふ)  敢(あえ)て恨みを申べんや。
且つ  今年の冬の 如きは,
未だ  關西(かんせい)の卒を 休(や)めざるに。
縣官  急に租を索(もと)め,
租税  何(いづ)くより 出(い)ださん。
信(まこと)に 知る  男を生むは惡(あ)しく,
反って是れ  女を生むは好(よ)きを。
女を生まば猶(な)お 比鄰(ひりん)に嫁するを得るも,
男を生まば 埋沒して  百草に隨(したが)う。
(5)
君 見ずや  青海の頭(ほとり),
古來 白骨  人の收むる 無く。
新鬼 煩冤(はんえん)し  舊鬼 哭し,
天陰(くも)り雨濕(しめ)るとき聲啾啾(しゅうしゅう)たるを


兵車行:戦いに使う車の歌。「行」は楽府の「詩・歌」の意。『代朗月行』『前有樽酒行』『蒿里行』など。
府兵制、募兵制に対する批判の意を込めた詩であり、リアリズムに徹した詩作に没入していく.


 
兵車行
兵車 いくさぐるま。此の詩は兵車の動く声をきいて感じて作る、故に兵車行と題する。


車轔轔,馬蕭蕭,行人弓箭各在腰。
車はガラガラ。馬はヒヒーン。出征兵士は、弓矢を各々腰に着けている。
轔轔 車のがらがらなるおと。○粛粛 しめやかにしずかなさま。○行人 兵役に赴くひと。○在腰 こしにつけている。


耶孃妻子走相送,塵埃不見咸陽橋。
父と母、妻と子は、走って見送ってくる。砂煙で、咸陽橋が見えなくなる。
○耶 爺と同じ、ちち。○嬢 はは。○咸陽橋 咸陽は県の名、渭水をへだてて長安より北の岸にある。橋は成陽へわたるためのはしで、或は西渭橋のことといい、或は中渭橋のことというが、はっきりしない。
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牽衣頓足闌道哭,哭聲直上干雲霄。 (1)』
上着を引っ張ったり、地団駄を踏んだり、足にしがみついたり、道をさえぎって、声をあげて泣いている、啼き声は、真っ直ぐにたち上って、雲のある大空にまでとどいている。
牽衣 ゆく人をやるまいとしてとりすがる。○頓足 足にてとんとんと地をふむ、じだんだふむ、慟哭のときにするさま。○闌道 道路をさえぎる、ゆくてのじゃまになること。牽、頓、欄、実などはみな耶嬢妻子らの為す所である。○ あおぞら。



道旁過者問行人,行人但云點行頻。
道端の通りすがりの者(である作者)が問い尋ねる。出征兵士がただということには、徴兵が頻(しき)りであり。
道勇 退者 みちをとおりすぎるもの、第三者をいう。○点行 点とは人名の頭に筆を以て点をつける、すなわち点つけをしてしらべること、行とは兵行。兵役に赴かしめることについて点検すること。此の「点行頻」より最後の「声秋秋」までは行人の答辞である。



或從十五北防河,便至四十西營田。
或る者は十五歳から、北の方の黄河(上流)の防衛戦の守備に就き、そのままで、四十歳になって、西の方の屯田兵を命ぜられた。
十五、四十 開元十五年に十五歳のものであるならば天宝九載に至っては三十八歳である、四十というのは成数を挙げたもの。○防河 河は黄河、河を防ぐとは夷狄の侵入を黄河の辺に至ってふせぐことをいう。開元十五年秋、吐蕃が害をなしたので関中の兵万人を徴して臨桃に集め、これを防がせたことがある。○営田 耕田のしごとをする、これは屯田することをいう、屯田しながら吐巷の防備をすること。



去時里正與裹頭,歸來頭白還戍邊。 (2)』
出征する時、村長は(わたしの)ために出征の装束の頭巾をかぶせてくれた。帰ってくたら、(もう)頭髪が白くなっているのに、なおまた辺疆を防備する(ことを命ぜられた)。
去時 防河に赴いたときをいう。○里正 村長。○与 我がために、の意。○裏頭 鉢巻き、鳥雄三尺を以て頭をつつむ。成人になれば裏頭にするという、出陣のすがたである。○帰来  北からもどる。○頭白 年よることをいう。○ また、俗語である。○成辺 辺は辺境、国境、吐蕃の地方をいう、これは長安より西方にあたる。営田と戍辺とは同一事である。「去時」の句は「十五」の句を承け、「帰来」の句は「四十」の句を承ける組み立てになって居る。



邊庭流血成海水,武皇開邊意未已。
国境附近の戦闘による流血は、海のようになった。漢の武帝のように辺疆を開こうという意図は、まだ終わらない。(唐・玄宗を暗示)
辺庭 国境にちかい戦場。○成海 水多くあふれる。○武皇 漢の武帝をいう。武帝は西域地方まで侵略して辺境を開拓した人で、唐の玄宗をたとえていう。○開辺 辺地をひろげて我が方へとりいれるという意、開辺のこころ。



君不聞漢家山東二百州,千邨萬落生荊杞。
あなたは、聞いたことがあるでしょう、我が国家の山東の二百州のことを。あらゆる村々ではいばらや枸杞(くこ)の雑木が生い茂って荒れ果てたことを。
漢家 漢の国家、ここでは唐の国家をいう。○山東 華山より東。〇二百州 唐では函谷関より東に七道、二百十七州があった。二百とはおおよそをいう。〇万落 落は散在している民居をいう、むらのこと。○刑 いばら。○杷 くこ。



縱有健婦把鋤犁,禾生隴畝無東西。
喩え健気な妻が、鋤(すき)などの農機具を手に執り持ったとしても、稲や穀類が田圃に生え、荒れて茫茫に生えた中に畝も隠れ、西も東もなくなった無秩序な状態になっている。
健婦 強健なおんな、夫の留守をするもの。○ 手にとる。○鋤撃 鋤も撃もすき。○ すべて穂をだす植物をいう、むぎ、きびの類。○陳畝おか、うね。○無東 西西も東もないとは行列が正しくなくて乱雄であることをいう。



況復秦兵耐苦戰,被驅不異犬與鷄。 (3)』
まして、秦の兵士は、いくら苦戦に耐えていく力があるとはいっても、追い立てられて使役されるのは、犬やニワトリといった小動物や家畜と異ならない。
秦兵 秦とは地理上よりいう、長安の地方、即ちこの行進の人の出生地、ここの兵は昔より強いといわれる。○耐苦戦 難儀な戦いにたえることができる。○ あとからおいたてる。



長者雖有問,役夫敢申恨。
あなたさまがそのようにお訊ねになりますが、積極的にうらみごとを申しあげるわけにはいきません。
長者 年うえのおかた、質問をした人をさす敬称。○役夫 兵役に従うもの、行進の人、自分を謙遜していうことば。○伸恨 うらみの心を十分に晴らすようにする。



且如今年冬,未休關西卒。
今年の冬のごときは、関西、陝西への出兵が、終わることがない。
今年 天宝九載、王難得が吐蕃を撃ったときをさす。○ 休息、帰休。○関西卒 関中に対して関西は陝西省の西のこと。関西卒とは陳西・吐蕃ではたらく兵。



縣官急索租,租税從何出。
県の徴税吏は、租税を急にもとめていました。租税の穀物なんて、一体どこから出てきましょうか。
県官は国家の代表のこと。○索 はたる。○ 唐の税制は租・調・庸の三つより成り、租は穀を出し、調は兵を出し、庸は絹を出す。○従何 何処から。



信知生男惡,反是生女好。
男の子を産むことは好くないことだと本当に分かった。これと反対に、女の子を産むことは好いことだ。
この句とおなじような意味の詩、三国時代の
陳琳「飲馬長城窟行」 (1)
車はガラガラ。馬はヒヒーン。
出征兵士は、弓矢を各々腰に着けている。
父と母、妻と子は、走って見送ってくる。
砂煙で、咸陽橋が見えなくなる。
上着を引っ張ったり、地団駄を踏んだり、足にしがみついたり、道をさえぎって、声をあげて泣いている、啼き声は、真っ直ぐにたち上って、雲のある大空にまでとどいている。
(2)
道端の通りすがりの者(である作者)が問い尋ねる(と)。
出征兵士がただということには、徴兵が頻(しき)りであり。
或る者は十五歳から、北の方の黄河(上流)の防衛戦の守備に就き、そのままで、四十歳になって、西の方の屯田兵を命ぜられた。
出征する時、村長は(わたしの)ために出征の装束の頭巾をかぶせてくれた。帰ってくたら、(もう)頭髪が白くなっているのに、なおまた辺疆を防備する(ことを命ぜられた)。

(3)
国境附近の戦闘による流血は、海のようになった。漢の武帝のように辺疆を開こうという意図は、まだ終わらない。
あなたは、聞いたことがあるでしょう、我が国家の山東の二百州のことを。あらゆる村々ではいばらや枸杞(くこ)の雑木が生い茂って荒れ果てたことを。
喩え健気な妻が、鋤(すき)などの農機具を手に執り持ったとしても、稲や穀類が田圃に生え、荒れて茫茫に生えた中に畝も隠れ、西も東もなくなった無秩序な状態になっている。
まして、秦の兵士は、いくら苦戦に耐えていく力があるとはいっても、追い立てられて使役されるのは、犬やニワトリといった小動物や家畜と異ならない。

(4)
あなたさまがそのようにお訊ねになりますが、積極的にうらみごとを申しあげるわけにはいきません。
今年の冬のごときは、関西、陝西への出兵が、終わることがない。
県の徴税吏は、租税を急にもとめていました。租税の穀物なんて、一体どこから出てきましょうか。
男の子を産むことは好くないことだと本当に分かった。
これと反対に、女の子を産むことは好いことだ。
女の子を産んだら、まだ近所へお嫁に行かせることができるが、男を生めば、兵卒となって屍を雑草の中に埋もれ伏してゆくことになる。

(5)
あなたは、見たことがないだろう、青海湖の畔では、昔から今まで白骨を誰も収めていない。
新たな戦役で亡くなった霊は、わずらいもだえており、昔の戦役で亡くなった霊は、声をあげて啼いており、空が曇り、雨で湿る折には、死者の魂が悲しげに啾々と泣いている声が聞こえてくる。
(1)
車はガラガラ。馬はヒヒーン。
出征兵士は、弓矢を各々腰に着けている。
父と母、妻と子は、走って見送ってくる。
砂煙で、咸陽橋が見えなくなる。
上着を引っ張ったり、地団駄を踏んだり、足にしがみついたり、道をさえぎって、声をあげて泣いている、啼き声は、真っ直ぐにたち上って、雲のある大空にまでとどいている。
(2)
道端の通りすがりの者(である作者)が問い尋ねる(と)。
出征兵士がただということには、徴兵が頻(しき)りであり。
或る者は十五歳から、北の方の黄河(上流)の防衛戦の守備に就き、そのままで、四十歳になって、西の方の屯田兵を命ぜられた。
出征する時、村長は(わたしの)ために出征の装束の頭巾をかぶせてくれた。帰ってくたら、(もう)頭髪が白くなっているのに、なおまた辺疆を防備する(ことを命ぜられた)。

(3)
国境附近の戦闘による流血は、海のようになった。漢の武帝のように辺疆を開こうという意図は、まだ終わらない。
あなたは、聞いたことがあるでしょう、我が国家の山東の二百州のことを。あらゆる村々ではいばらや枸杞(くこ)の雑木が生い茂って荒れ果てたことを。
喩え健気な妻が、鋤(すき)などの農機具を手に執り持ったとしても、稲や穀類が田圃に生え、荒れて茫茫に生えた中に畝も隠れ、西も東もなくなった無秩序な状態になっている。
まして、秦の兵士は、いくら苦戦に耐えていく力があるとはいっても、追い立てられて使役されるのは、犬やニワトリといった小動物や家畜と異ならない。

(4)
あなたさまがそのようにお訊ねになりますが、積極的にうらみごとを申しあげるわけにはいきません。
今年の冬のごときは、関西、陝西への出兵が、終わることがない。
県の徴税吏は、租税を急にもとめていました。租税の穀物なんて、一体どこから出てきましょうか。
男の子を産むことは好くないことだと本当に分かった。
これと反対に、女の子を産むことは好いことだ。
女の子を産んだら、まだ近所へお嫁に行かせることができるが、男を生めば、兵卒となって屍を雑草の中に埋もれ伏してゆくことになる。

(5)
あなたは、見たことがないだろう、青海湖の畔では、昔から今まで白骨を誰も収めていない。
新たな戦役で亡くなった霊は、わずらいもだえており、昔の戦役で亡くなった霊は、声をあげて啼いており、空が曇り、雨で湿る折には、死者の魂が悲しげに啾々と泣いている声が聞こえてくる。
陳琳と汪遵 邊塞詩
飲馬長城窟、水寒傷馬骨。
往謂長城吏、慎莫稽留太原卒。
官作自有程、挙築諧汝声。
男児寧当格闘死、何能怫鬱築長城。



生女猶得嫁比鄰,生男埋沒隨百草。 (4)』
女の子を産んだら、まだ近所へお嫁に行かせることができるが、男を生めば、兵卒となって屍を雑草の中に埋もれ伏してゆくことになる。
 よめにゆく。○此鄰 比も鄰も五家、近所をいう。○埋没 死んで土中にうずめられる。○ まにまに。○百草 種々の雑草。



君不見青海頭,古來白骨無人收。
あなたは、見たことがないだろう、青海湖の畔では、昔から今まで白骨を誰も収めていない。
青海 今の甘粛省と西蔵との中間に横たわる地、その地に湖があって青海という。唐の時の吐谷津の地で、吐春の居る処。○白骨 戦死者のさらされたはね。○ とりかたづける。



新鬼煩冤舊鬼哭,天陰雨濕聲啾啾。 (5)』
新たな戦役で亡くなった霊は、わずらいもだえており、昔の戦役で亡くなった霊は、声をあげて啼いており、空が曇り、雨で湿る折には、死者の魂が悲しげに啾々と泣いている声が聞こえてくる。
新鬼、旧鬼 鬼とは人の死者をいう。○煩冤 心もだえて不平なさま。○啾啾 しゅうしゅうとなく。

贈翰林張四學士 杜甫

贈翰林張四學士 杜甫 紀頌之の漢詩ブログ杜甫詩 特集 36


贈翰林張四学士洎
翰林学士張洎贈った詩である。天宝九載河南より長安にかえったときの作。張洎は李白とも接触していた。父親の生前は影響力があったが、730年に没しており、そのあとを張九齢が受け継ぐが、735.~736年にかけ李林甫との権力闘争に完全に敗れた。750年は李林甫の最高に権力を持っていた時期であったため、張洎らの意見は完全に抹殺されている。杜甫がどういう行動し、傑作の詩文を書いても無理な時期であった。
天宝9載 750年 39歳

贈翰林張四學士
翰林院の張四學士に贈る
翰林逼華蓋,鯨力破滄溟。
君の居る翰林学士の地位は、大帝星を蔽う華蓋星座に近い天子に接近した高処にある。君の文筆の力は鯨がひろい海原の波浪を破ってすすむような強さである。
天上張公子,宮中漢客星。』
君は天上界の張公子と称されるという、君は宮中に於ける漢の使者の星ともいえるものである。』
賦詩拾翠殿,佐酒望雲亭。
君は拾翠殿で詩を賦したり、望雲亭で酒をつぐお相手をしたりしている。
紫誥仍兼綰,黃麻似六經。
紫誥を起草する上に黄麻の詔を草することをもかね、その詔文は六経の文のようである。
內頒金帶赤,恩與荔枝青。』
君は天子から御寵愛をうけて赤色の金帯を賜わったり、青い荔枝らいちの実をくださったりする。』
無複隨高鳳,空餘泣聚螢。
自分はあれ以来、復び高く飛ぶ鳳凰ともいうべきあなたに随ぅことなく、いたずらに車胤したように衆めた螢の前で泣いているというありさまである。
此生任春草,垂老獨漂萍。
我が生涯は流浪していたずらに故郷の春草の生ずるにまかせ、この老境にさしかかってただひとり漂蓬の如く水にただよっているのである。
儻憶山陽會,悲歌在一聽。』

あなたが万一むかし我々同志が一緒にいた山陽の会のことをおもうならば、今自分が歌うこの悲しい歌をただひとたびきいてくださることを切望する。』



翰林院の張四學士に贈る
君の居る翰林学士の地位は、大帝星を蔽う華蓋星座に近い天子に接近した高処にある。君の文筆の力は鯨がひろい海原の波浪を破ってすすむような強さである。君は天上界の張公子と称されるという、君は宮中に於ける漢の使者の星ともいえるものである。』
君は拾翠殿で詩を賦したり、望雲亭で酒をつぐお相手をしたりしている。
紫誥を起草する上に黄麻の詔を草することをもかね、その詔文は六経の文のようである。
君は天子から御寵愛をうけて赤色の金帯を賜わったり、青い荔枝らいちの実をくださったりする。』
自分はあれ以来、復び高く飛ぶ鳳凰ともいうべきあなたに随ぅことなく、いたずらに車胤したように衆めた螢の前で泣いているというありさまである。
我が生涯は流浪していたずらに故郷の春草の生ずるにまかせ、この老境にさしかかってただひとり漂蓬の如く水にただよっているのである。
あなたが万一むかし我々同志が一緒にいた山陽の会のことをおもうならば、今自分が歌うこの悲しい歌をただひとたびきいてくださることを切望する。』



(翰林の張四学士洎[土自]に贈る)
翰林華蓋に逼る 鯨力滄溟を破る
天上の張公子 宮中漢の客星』
詩を賦す拾翠殿 酒を佐く望雲亭
紫語仍りて兼ね綰ぐ 黄麻六経に似たり
内より金帯の赤きを頒つ 恩与荔枝青し』
復た高鳳に随う無し 空しく余す聚螢に泣くを
此の生春草に任す 垂老獨り漂萍
儻くは山陽の会を憶わば 悲歌一聴に在り』




贈翰林張四學士
翰林院の張四學士に贈る
翰林学士 「新唐書」百官志によると、翰林院(かんりんいん)とは、唐の玄宗が738年(開元26年)に設けた翰林学士院がその起源で、唐中期以降、主に詔書の起草に当たった役所のことをいう。玄宗は初め翰林待詔を置き四方の表疏の批答・応和の文章を掌らしめたが、やがて後には文学の士を選んで翰林供奉と号し集賢院学士と制詔書勅を分掌させた。開元二十六年又翰林供奉を改めて学士と為し、・別に学士院を置いて専ら内命を掌らしめ、其の後選用益上重くして礼遇益よ親しく号して内相となすに至った。内宴には宰相の下・一品の上に居るという。738年開元二十六年翰林学士を置いたとき、太常少卿張絹・起居舎人劉光謙らを首として之に居らせた。洎は玄宗の女寧親公主の婿である。
張洎 玄宗の謀臣にして宰相であった張説には二子があり、均といい柏といったが、皆文を能くした。四は従兄弟問の順位。


翰林逼華蓋,鯨力破滄溟。
君の居る翰林学士の地位は、大帝星を蔽う華蓋星座に近い天子に接近した高処にある。君の文筆の力は鯨がひろい海原の波浪を破ってすすむような強さである。 
翰林 学士の地位をいう。○逼 近いことをいう。○華蓋 天文に大帝(星名)の上の九星を華蓋というのは、華はすべての真ん中にあたる。大帝の座。○鯨力 くじらのちから。文章の才能がずばぬけているこという。○ 波をやぶる。○滄溟 ひろい海原。 


天上張公子,宮中漢客星。』
君は天上界の張公子と称されるという、君は宮中に於ける漢の使者の星ともいえるものである。』
天上 地位の高いことをいう。○張公子 漢の成帝が微行して張故の家人だと称したところ、世人は童謡をつくってこのひとを張公子といった。字面はこれに基づくがここは張姓の貴公子ということで張洎をさす。○漢客星 客星は使者をいう。漢の張賽が武帝の使いとなって天の河に至った話があり、杜甫の「贈太常卿張洎」詩の「能事重訳に聞こえ、嘉謨遠黎に及ぶ」の句によれば相は嘗て外国に使いしたことがあるもののようである。張洎は玄宗の女婿である。


賦詩拾翠殿,佐酒望雲亭。
君は拾翠殿で詩を賦したり、望雲亭で酒をつぐお相手をしたりしている。
○拾翠殿 殿の名、大福殿の東南にある。○佐酒 酒をつぎまわる助けをする。○望雲亭 亭の名、景福台の西にある。
 
紫誥仍兼綰,黃麻似六經。
紫誥を起草する上に黄麻の詔を草することをもかね、その詔文は六経の文のようである。
紫誥 語は勅命のおかきつけで、これを封ずるには紫色の泥を用いる。故に紫誥という。○兼綰 結はつなぐ。制棺はもと集賢学士の領する所であったが、当時は翰林学士がこれを分掌していたゆえに兼綰というとの説がある。翰林学士に他の職務があって乙事を分掌するならば分掌も兼棺といい得るであろうが、本来制詔等を掌る事が翰林の職務であるならば他と分掌したとしてもこれを兼棺という理由はない。因って考えるのにこの兼綰は下の黄麻に対する語であって、紫誥を掌るうえに黄麻をも兼締す、その黄麻は六経に似たりという文法であろう。○黄麻 黄麻・白麻は紙の種類。詔・書を写すのには黄麻紙を用い、制には自麻紙を用いるという。しかしまた詔には自藤紙を用いるともいう。時によって変易があったのであろう。ここは詔をかく紙をいう。○似六経 詔の文が典雅なことは六経の文章と似ている。


內頒金帶赤,恩與荔枝青。』
君は天子から御寵愛をうけて赤色の金帯を賜わったり、青い荔枝らいちの実をくださったりする。』
内頒 宮中の内宮廷からわかちくださる。○金帯赤 黄金を飾った赤い色の帯。四品官の緋服、五品官の浅緋服は金帯を用いる。○恩与 恩命により与えられるもの。○荔枝 らいち、竜眼肉に似ている果物の名、南方暖地に産する。楊貴妃はこれを好み、早飛脚にて北へ伝送させたという話がある。
 
無複隨高鳳,空餘泣聚螢。
自分はあれ以来、復び高く飛ぶ鳳凰ともいうべきあなたに随ぅことなく、いたずらに車胤したように衆めた螢の前で泣いているというありさまである。
高鳳 高くとぶ鳳凰、張洎をたとえていう。○空餘 いたずらに。○聚螢 晋の車胤の故事、胤は家が貧しくて油がなく、夏は螢をあつめて嚢にいれ、その光に照らして書を読んだ。自己の貧しいことをいう。


此生任春草,垂老獨漂萍。
我が生涯は流浪していたずらに故郷の春草の生ずるにまかせ、この老境にさしかかってただひとり漂蓬の如く水にただよっているのである。
任春草 解しがたい句で、諸家に明解はない。案ずるに「楚辞」の「王孫遊ンデ帰ラズ、春草生ジテ妻妾タリ」を用いたものであろう。即ち春草は生えても自己の流浪して故郷に帰らないことをいう。○垂老 老いかかって。○漂萍 見ずにただよう蓬、流浪の漂蓬。


儻憶山陽會,悲歌在一聽。』
あなたが万一むかし我々同志が一緒にいた山陽の会のことをおもうならば、今自分が歌うこの悲しい歌をただひとたびきいてくださることを切望する。』
 万一、ひょっと。○山陽会  魏の嵆康は河内の山陽に寓居して王戎・向秀と同遊した。今それを借り用いる。此の句は作者が嘗て張洎らと同志の交遊をなしたことがあることによって言ったものであろう。○悲歌 この詩をさす。○ 重要な点がそこにあるということ。〇一聴 ひとたびきく、張洎がきくのである。

冬日洛城北謁玄元皇帝廟 杜甫

冬日洛城北謁玄元皇帝廟 杜甫 紀頌之の漢詩ブログ杜甫詩 特集 35
冬の日に洛陽の城の北で玄元皇帝(老子)の廟に詣でて作った詩。天宝八載冬洛陽での作。


冬日洛城北謁玄元皇帝廟
天宝8載 749年 38歳

冬日洛城北謁玄元皇帝廟
 冬日洛城の北にて、玄元皇帝の廟に拝謁。
    〔原注〕廟有呉道子圭五聖囲。
作者註;廟には呉道子が画いた五聖図が有る。

配極元都閟,憑高禁禦長。
山上に老子廟があるが、北極に配してここに天上の玄都の世界をかこっているであるここは高所からの地勢によって人の出入りを禁ずる竹矢来が長くつらなっている。
守祧嚴具禮,掌節鎮非常。
守祧の官は厳重に礼をもってここを守っている、掌節の官は符信によって人を確認をしているし、急変を鎮圧するのである。
碧瓦初寒外,金莖一氣旁。
碧の屋根瓦にも冬日の初寒をかんじさせている、天地間に横たわる元気の傍に銅柱が高く突っ立っている。
山河扶繡戶,日月近雕梁。』
周囲の山河は此の廟の繍戸をかかえて保護する、日も月も此の廟の雕刻した梁木に近くかがやいている。』
仙李蟠根大,猗蘭奕葉光。
老子以後神聖なる李樹はそのわだかまる根がますます大きく、またうつくしい蘭がその葉をつぎつぎとだして光っているように後代になって盛になってきた。
世家遺舊史,道德付今王。』
老子から我が唐までの系譜がどんなにして脈絡をひいて来たかのすじみちは旧来の史官から遺忘され、かきしるされていぬからよくわからぬが、ともかく老子が説いたような道徳そのものは、立派に今の天子(玄宗)に附与せられている。』
畫手看前輩,吳生遠擅場。
此の廟に墻壁にかいた画がある。画家にもいろいろあるが前輩と称せられている人々をも見わたしてみるに呉道子こそは現代に於てのみならず遠く過去へかけてみても画壇の独壇場の者だ。
森羅移地軸,妙絕動宮牆。
彼がかいた森羅せる万象はそれをみると大地から抜けでてここへ移されたかとおもわれその非凡の妙はこの廟の墻面に活動している。
五聖聯龍袞,千官列雁行。
高祖以下の五人の聖天子はその褒竜の御衣をおならべになっているし、また多くの官吏たちが雁の行列のようにはすかいにつらなっている。
冕旒皆秀發,旌旆盡飛揚。』
冕旒(べんりゅう)の色彩はいずれも飛びたつ様にみえ、旌旆のたぐいもことごとくまいあがっている。』
翠柏深留景,紅梨迥得霜。
庭さきをみると翠の柏樹が深々としげって緑影をたもっているし、梨の紅葉ははるかに霜をおびているのがみえる。
風箏吹玉柱,露井凍銀床。』
玉柱には風鈴が風に吹かれてチリンチリン鳴っているし、屋根なし井には銀飾の木架が凍っている。』
身退卑周室,經傳拱漢皇。
老子は生前自分と自分の身をひきこめて周室に於いて卑賤な地位に甘んじていたが、その書きのこした「道徳経」五千言は後代まで伝わって、漢の天子(文帝・景帝の如き)から敬礼を以て迎えられた。
穀神如不死,養拙更何鄉。』

老子自身がといたように谷神というものがあってそれがほんとうに死なぬものとするならば、老子の谷神は今日も存在しているだろうが、その神はどの地方で拙を養いつつあるだろうか。』

冬日洛城の北にて、玄元皇帝の廟に拝謁。
作者註;廟には呉道子が画いた五聖図が有る。
山上に老子廟があるが、北極に配してここに天上の玄都の世界をかこっているであるここは高所からの地勢によって人の出入りを禁ずる竹矢来が長くつらなっている。
守祧の官は厳重に礼をもってここを守っている、掌節の官は符信によって人を確認をしているし、急変を鎮圧するのである。
碧の屋根瓦にも冬日の初寒をかんじさせている、天地間に横たわる元気の傍に銅柱が高く突っ立っている。
周囲の山河は此の廟の繍戸をかかえて保護する、日も月も此の廟の雕刻した梁木に近くかがやいている。』

老子以後神聖なる李樹はそのわだかまる根がますます大きく、またうつくしい蘭がその葉をつぎつぎとだして光っているように後代になって盛になってきた。
老子から我が唐までの系譜がどんなにして脈絡をひいて来たかのすじみちは旧来の史官から遺忘され、かきしるされていぬからよくわからぬが、ともかく老子が説いたような道徳そのものは、立派に今の天子(玄宗)に附与せられている。』

此の廟に墻壁にかいた画がある。画家にもいろいろあるが前輩と称せられている人々をも見わたしてみるに呉道子こそは現代に於てのみならず遠く過去へかけてみても画壇の独壇場の者だ。
彼がかいた森羅せる万象はそれをみると大地から抜けでてここへ移されたかとおもわれその非凡の妙はこの廟の墻面に活動している。
高祖以下の五人の聖天子はその褒竜の御衣をおならべになっているし、また多くの官吏たちが雁の行列のようにはすかいにつらなっている。
冕旒(べんりゅう)の色彩はいずれも飛びたつ様にみえ、旌旆のたぐいもことごとくまいあがっている。』

庭さきをみると翠の柏樹が深々としげって緑影をたもっているし、梨の紅葉ははるかに霜をおびているのがみえる。
玉柱には風鈴が風に吹かれてチリンチリン鳴っているし、屋根なし井には銀飾の木架が凍っている。』

老子は生前自分と自分の身をひきこめて周室に於いて卑賤な地位に甘んじていたが、その書きのこした「道徳経」五千言は後代まで伝わって、漢の天子(文帝・景帝の如き)から敬礼を以て迎えられた。
老子自身がといたように谷神というものがあってそれがほんとうに死なぬものとするならば、老子の谷神は今日も存在しているだろうが、その神はどの地方で拙を養いつつあるだろうか。』

(冬日洛城の北にて、玄元皇帝の廟に謁す)
極に配して玄都閟ず 高きに憑りて禁禦長L
守祧 嚴に礼を具う 掌節非常を鎮す
碧瓦 初寒の外 金莖一気の勇
山河 繍戸を扶け 日月雕梁に近し』
仙李 嗜根大に 猗蘭奕葉光る
世家 旧史に遺さるるも 道徳は今王に付す』
画手 前輩を看るに 呉生 遠く場を擅にす
森羅 地軸を移す  妙絶 宮牆に動く
五聖 竜袞を聯ぬ  千官 雁行列す
冕旒 供に秀発す  旌旆 尽く飛揚す』
翠柏 深くして景を留め 紅梨 迥にして霜を得
風箏 玉柱に吹かれ  露井に銀床凍る』
身退きて周室に卑し 経伝りて漢皇に拱せらる
谷神如し死せずんば 拙を養う更に何の郷ぞ』


冬日洛城北謁玄元皇帝廟
冬日、洛城の北にて、玄元皇帝の廟に謁す
○冬日 天宝八載の冬の日。○洛城 洛陽城。○玄元皇帝廟 老子の廟。唐の高宗の乾封元年に亳州(安徽省穎州府亳州治)に幸して老君廟に詣り、老子を追尊して玄元皇帝となした。玄宗の741年開元二十九年詔して両京諸州に各上玄元皇帝の廟を置かせた。744年天宝二年三月王子、親ら玄元廟を祀り、西京(長安)の玄元廟を改めて太清宮となす、東京(洛陽)の廟を太微官となし、天下のものを紫微官となした。廟を宮と改めたのは己に天宝二年のことであるのに此の詩の題に玄元皇帝廟というのは旧称によったものである。詩中に「五聖聯二竜衰ことある事実は749年天宝八載閏六月の事であり、題の「冬日」というのは其の年の冬であることを知る。750年天宝九載には作者は長安に帰って「三大礼賦」を献じ、洛陽にはいなかった。

漢魏隋唐の洛陽城


配極元都閟,憑高禁禦長。
山上に老子廟があるが、北極に配してここに天上の玄都の世界をかこっているであるここは高所からの地勢によって人の出入りを禁ずる竹矢来が長くつらなっている。
配極 極とは北極星。廟は洛陽城の北にあるゆえに極に配すという。漢魏期の洛陽城を基本にしている。○玄都  玄都は即ち老子神の住む都、廟地を基本にいう。○ 深く閉ざすこと。○憑高 廟は北部山の上にある故にかくいう。○禁禦 禦は竹矢来の類、人の往来を禁じているので禁という。


守祧嚴具禮,掌節鎮非常。
守祧の官は厳重に礼をもってここを守っている、掌節の官は符信によって人を確認をしているし、急変を鎮圧するのである。
守祧 祧とは一方より他の廟へ遷した先祖の御位牌を蔵するところをいう、ただ廟の事にいう、その廟を守る役人を守祧という。唐では老子を尊んで聖祖とし、先祖あっかいをするゆえ老子廟を守る役人を守祧という。○掌節 これも役人の称、節とは信(しるしの物、切符其の他の此処に出入することを許される証拠物件)であり、その信のことを掌る掛りのものを掌節という。○ 鎮圧する、防衛の任にあたる。○非常 変事をいう。


碧瓦初寒外,金莖一氣旁。
碧の屋根瓦にも冬日の初寒をかんじさせている、天地間に横たわる元気の傍に銅柱が高く突っ立っている。
碧瓦 琉璃色の瓦、これをもって屋根を葺く。○初寒 冬日ゆえ寒気が初めて催す。○金茎 銅でつくった柱。廟に銅柱があったことは書籍には見えないが此の詩句によればあったものとみえる。〇一気 天地間に横たわる元気をいう。
 
山河扶繡戶,日月近雕梁。』
周囲の山河は此の廟の繍戸をかかえて保護する、日も月も此の廟の雕刻した梁木に近くかがやいている。』
 わきからかかえて保護する。○繍戸 錦繍の類をはりつけてかざった廟の戸。○ 日月が近いとは廟の高いことをいう。○雕梁 雕刻を施したはり。


仙李蟠根大,猗蘭奕葉光。
老子以後神聖なる李樹はそのわだかまる根がますます大きく、またうつくしい蘭がその葉をつぎつぎとだして光っているように後代になって盛になってきた。
仙李 仙とは神聖なるという意。老子は生まれたとき李樹を指さして、「此を以て我が姓とせん」といったとの伝説がある。老子は、姓は李、名は耳、字は伯陽、認して恥という。唐も李姓で遠祖は老子より出たと自称していたので李のことを用いる。○蟠根 わだかまる根。○猗蘭 猗は美しく盛んなこと。ここは上の李と対して蘭を用いているけれども意は一事をつづけていう。○奕葉 奕は絶えぬこと。その実がつぎつぎと生じて光輝があるということ。


世家遺舊史,道德付今王。』

老子から我が唐までの系譜がどんなにして脈絡をひいて来たかのすじみちは旧来の史官から遺忘され、かきしるされていぬからよくわからぬが、ともかく老子が説いたような道徳そのものは、立派に今の天子(玄宗)に附与せられている。』
世家 単に李氏の系譜。○ 過忘・遺失の義。○旧史 ふるい歴史の官、または「史記」の著者司馬遷。○道徳 これにつき旧説は老子の著わした「道徳経」ととき、玄宗が嘗て「遺徳経」に注した。


畫手看前輩,吳生遠擅場。
此の廟に墻壁にかいた画がある。画家にもいろいろあるが前輩と称せられている人々をも見わたしてみるに呉道子こそは現代に於てのみならず遠く過去へかけてみても画壇の独壇場の者だ。
画手 画家。○前輩 さきに出身したもの。○呉生 呉遣玄。道玄字は道子、東京陽雀の人。玄宗は其の名を知り、召して内に入れて供奉させた。その画は人物仏像、神鬼禽獣、山水台殿草木において皆世に冠絶し唐朝第一と称せられる。○ 過去をさす。○檀揚 場を接にするとは独り舞台であることをいう。○森羅 万象のつらなっているさま。


森羅移地軸,妙絕動宮牆。

彼がかいた森羅せる万象はそれをみると大地から抜けでてここへ移されたかとおもわれその非凡の妙はこの廟の墻面に活動している。
移地軸 移とは此の廟へうつし来たることをいう。地軸は古人も地に多くの軸があると考えた、ただしここの地軸とは大地の根というほどの義であろう。○妙絶 非常の妙。○動宮堵 動とは活動すること、えがかれた事物が活き活きしていること。


五聖聯龍袞,千官列雁行。

高祖以下の五人の聖天子はその褒竜の御衣をおならべになっているし、また多くの官吏たちが雁の行列のようにはすかいにつらなっている。
五聖 五人の聖天子、高祖・太宗・高宗・中宗・容宗をいう。○ ならんでいること。○竜衰 「礼記」礼器第に「天子竜衰」とあり、注に「衰ハ巻ナリ」とみえる。天子の御衣には巻き竜の模様がついている。○雁行 はすかいに列をなす。


冕旒皆秀發,旌旆盡飛揚。』
冕旒(べんりゅう)の色彩はいずれも飛びたつ様にみえ、旌旆のたぐいもことごとくまいあがっている。』
○晃旗 晃は冠、旗は冠からさがっている玉をつらねたびらびら。天子の晃には朱緑のあやがあり、旗が十二本たれる。○秀発 色彩がすぐれてとびたつようにみえる。○旋旅 族は旗竿のさきに羽のついたはた。族は元来ははたの四周についた飾りのびらびらをいうが、はた其の物をもさす。これは行列に伴うものであろう。○飛揚 まいあがっている。


翠柏深留景,紅梨迥得霜。
庭さきをみると翠の柏樹が深々としげって緑影をたもっているし、梨の紅葉ははるかに霜をおびているのがみえる。
○翠柏深 みどりのはくじゅ、深とはずっと奥へつらなるさま。○留景 景は影と同じ。留は冬がれであるにもかかわらず色の残っているのをいう。○紅梨過 梨の葉色のあかくなったもの。通は遠方にみえること。○得霜 霜にあうこと。



風箏吹玉柱,露井凍銀床。』
玉柱にはふうりんが風に吹かれてちりんちりん鳴っているし、屋根なし井には銀飾の木架が凍っている。』
風箏 ふうりん。○ 風にふかれること。○玉柱 りっぱなはしら。○露井 屋根なしの井戸。○銀床 銀でかざった兢櫨架、つるべをつるす所の木架。


身退卑周室,經傳拱漢皇。
老子は生前自分と自分の身をひきこめて周室に於て卑賤な地位に甘んじていたが、その書きのこした「道徳経」五千言は後代まで伝わって、漢の天子(文帝・景帝の如き)から敬礼を以て迎えられた。
身退 我が一身をひきこめる、これは顕要の地位に仕えないことをいう。○卑周室 老子は周室の柱下史(国籍を掌る役)となったが、これは其の地位が甚だひくい。○経伝扶漢皇 「老氏聖紀図」に「河上公、漢ノ文帝二遺徳二経を授く、帝斎戒して之を受く」といい、「神仙伝」に「漢の孝貴、老子経を読み、解せざる所有れば、以て河上公に問う、公乃ち素書二巻を授く」という。漢皇とは漢の文帝・景帝をさす。とは両手をかかえるように合わせること、他人に対する敬礼のしかた、二帝が敬礼を以て老子の書を受けたことをいう。
 
穀神如不死,養拙更何鄉。』
老子自身がといたように谷神というものがあってそれがほんとうに死なぬものとするならば、老子の谷神は今日も存在しているだろうが、その神はどの地方で拙を養いつつあるだろうか。』
谷神如不死 「老子」に「谷神苑セズ、是ヲ玄牝卜謂り」とある。谷神とは人の身中の空寮があるところに元神のあることをいう。ここは老子の神をさす。〇養拙 老子の道は消極的にして巧を貴ばずして拙を貴び、或は雄を知って雌を守るという。○何郷 郷とは地方という。老子は散開を出て胡地に入ったなどの伝説があるが、ゆくえは不明である。故に老子自身の語を活用してかく反問する。
 

冬日洛城北謁玄元皇帝廟
配極元都閟,憑高禁禦長。
守祧嚴具禮,掌節鎮非常。
碧瓦初寒外,金莖一氣旁。
山河扶繡戶,日月近雕梁。』
仙李蟠根大,猗蘭奕葉光。
世家遺舊史,道德付今王。』
畫手看前輩,吳生遠擅場。
森羅移地軸,妙絕動宮牆。
五聖聯龍袞,千官列雁行。
冕旒皆秀發,旌旆盡飛揚。』
翠柏深留景,紅梨迥得霜。
風箏吹玉柱,露井凍銀床。』
身退卑周室,經傳拱漢皇。
穀神如不死,養拙更何鄉。』

(冬日洛城の北にて、玄元皇帝の廟に謁す)
極に配して玄都閟ず 高きに憑りて禁禦長L
守祧 嚴に礼を具う 掌節非常を鎮す
碧瓦 初寒の外 金莖一気の勇
山河 繍戸を扶け 日月雕梁に近し』
仙李 嗜根大に 猗蘭奕葉光る
世家 旧史に遺さるるも 道徳は今王に付す』
画手 前輩を看るに 呉生 遠く場を擅にす
森羅 地軸を移す  妙絶 宮牆に動く
五聖 竜袞を聯ぬ  千官 雁行列す
冕旒 供に秀発す  旌旆 尽く飛揚す』
翠柏 深くして景を留め 紅梨 迥にして霜を得
風箏 玉柱に吹かれ  露井に銀床凍る』
身退きて周室に卑し 経伝りて漢皇に拱せらる
谷神如し死せずんば 拙を養う更に何の郷ぞ』


高都護驄行 杜甫

高都護驄行 杜甫 紀頌之の漢詩ブログ杜甫詩 特集 34

安西都護高仙芝の騎る駿馬の歌。
749年天宝8載 38歳 朝廷は李林甫に動かされ、後宮は宦官により、占められていた。長安での作。



高都護驄行
安西都護胡青驄 ,聲價欻然來向東。
安西都護高仙芝の乗馬される西方産の葦毛の駿馬、その評判ともども東の方長安の方へむかって来た。
此馬臨陣久無敵,與人一心成大功。』
この馬は戦陣に臨んでは久しい、前から敵するものがなく、のり手と心を同一にして大功を成した馬である。』
功成惠養隨所致,飄飄遠自流沙至。
この馬が諷々とかけて遠く流抄の地方からやってきた、すでに大功を成した馬だからどんな手あつい飼養の方法でも馬がしたいとおもうままにしている。
雄姿未受伏櫪恩,猛氣猶思戰場利。』
この馬はまだ雄々しい姿をしていて老馬が受ける様なへたばって物を貰うようなことはしない、その猛烈な元気はいまだに戦場の勝利の事をかんがえているのである。』
腕促蹄高如踣鐵,交河幾蹴會冰裂。
この馬は腕の長さがつまり蹄はあつく之をふみとどろかすときは堅くて鉄をふむようである、この蹄でいく度か交河のあたりで、かさなった泳を蹴ってくだいた。
五花散作雲滿身,萬裡方看汗流血。』
からだは五色の梅の花がたが散らばって雲が一ぱいにひろがっているようだ。我々は眼前この馬が万里の道中をして来て血の汗を流すのをみるのである。』
長安壯兒不敢騎,走過掣電傾城知。
長安の若者もこの馬にのりこなすことはできない。この馬が走りさるときは電光をひくようにはやいことは長安城中のものだれも知らぬものはない。
青絲絡頭為君老,何由卻出橫門道。

この馬が主君の意のまま丁重に飼われ、頭には青糸をまきつけて飾られて為す事なくしてそのまま老いてゆく、馬の心ではどうしたら今の無為の状況を脱して横門の道から外へでられるだろうかとかんがえている。



安西都護高仙芝の乗馬される西方産の葦毛の駿馬、その評判ともども東の方長安の方へむかって来た。
この馬は戦陣に臨んでは久しい、前から敵するものがなく、のり手と心を同一にして大功を成した馬である。』
この馬が諷々とかけて遠く流抄の地方からやってきた、すでに大功を成した馬だからどんな手あつい飼養の方法でも馬がしたいとおもうままにしている。
この馬はまだ雄々しい姿をしていて老馬が受ける様なへたばって物を貰うようなことはしない、その猛烈な元気はいまだに戦場の勝利の事をかんがえているのである。』
この馬は腕の長さがつまり蹄はあつく之をふみとどろかすときは堅くて鉄をふむようである、この蹄でいく度か交河のあたりで、かさなった泳を蹴ってくだいた。
からだは五色の梅の花がたが散らばって雲が一ぱいにひろがっているようだ。我々は眼前この馬が万里の道中をして来て血の汗を流すのをみるのである。』
長安の若者もこの馬にのりこなすことはできない。この馬が走りさるときは電光をひくようにはやいことは長安城中のものだれも知らぬものはない。
この馬が主君の意のまま丁重に飼われ、頭には青糸をまきつけて飾られて為す事なくしてそのまま老いてゆく、馬の心ではどうしたら今の無為の状況を脱して横門の道から外へでられるだろうかとかんがえている。


(都護の驄馬の行)
安西都護の胡の青驄、声価あって欻然としで来って東に向う。
此の馬陣に臨みて久しく敵無し、人と一心大功を成す。』
功成りて恵養致す所に随う、飄飄として遠く流沙より至れり。
雄姿未だ伏櫪の恩を受けず、猛気猶お思う戦場の利。』
腕促まり蹄高くして鉄を踣むが如し、交河幾びか曾氷を蹴って裂く。
五花散じて作す雲満身、万里方に看る汗血を流すを。』
長安の壮児敢て騎らず、走過掣電傾城知る。
青糸頭に絡いて君が為ため老ゆ、何に由ってか 卻って出でん橫門の道。




高都護驄行:  ・高都護 安西都護高仙芝。唐の貞観十七年に安西都護府を西州に置いたが、顕慶三年には治を亀立国城(今の新嬉省の庫車)に移し、手腕以西・波斯以東の十六都護府をこれに隷せしめた。
747年天宝6載()、高仙芝は配下の封常清・李嗣業・監軍の辺令誠ら歩騎一万を率いて討伐に出た。歩兵も全て馬を持ち、安西(クチャ)を出発し、カシュガルを通り、パミール高原に入り、五識匿国(シュグナン地方)に着いた。その後、軍を三分して、趙崇玼と賈崇カンに別働隊を率いさせ、本隊は護密国を通って、後に合流することにした。高仙芝たちはパミール高原を越え、合流に成功し、急流のパンジャ川の渡河にも成功する。この地で吐蕃軍が守る連雲堡(サルハッド?)を落とし、5千人を殺し、千人を捕らえた。ここで、進軍に同意しなかった辺令誠と3千人の兵を守備において、さらに行軍した。
峻険な20kmもほぼ垂直な状態が続くと伝えられるダルコット峠を下り、将軍・席元慶に千人をつけ、「大勃律へ行くために道を借りるだけだ」と呼ばわらせた。自身の小勃律の本拠地・阿弩越城への到着後、吐蕃派の大臣を斬り、小勃律王を捕らえ、パンジャ河にかかった吐蕃へ通じる藤橋を切った。その後、小勃律王とその后である吐蕃王の娘を連れ、帰還する。西域72国は唐に降伏し、その威が西アジアにまで及んだ。九載には仙芝は石国を討って其の王を仔にして献じている。この詩は天宝八載の作である。


安西都護胡青驄 ,聲價欻然來向東。
安西都護高仙芝の乗馬される西方産の葦毛の駿馬、その評判ともども東の方長安の方へむかって来た。
安西都護 今の新疆ウィグル自治区南部におかれた唐朝西方およびチベットの守りのためにおかれた幕府   ○胡青驄 胡地に産した葦毛の駿馬。○鍬然 にわかに。○東 長安地方をさす。


此馬臨陣久無敵,與人一心成大功。』
この馬は戦陣に臨んでは久しい、前から敵するものがなく、のり手と心を同一にして大功を成した馬である。』
恵養 人の恵みをうけ飼養されること。文字は顔延之の「粛白馬ノ賦」に見える。


功成惠養隨所致,飄飄遠自流沙至。
この馬が諷々とかけて遠く流抄の地方からやってきた、すでに大功を成した馬だからどんな手あつい飼養の方法でも馬がしたいとおもうままにしている。
随所致 致は招致の意、随は意のままにする。馬のそうしたいとおもうままにという意。○諷諷 馬のかけるさま。○流沙 新彊省ロブノル湖の地方。安西より来るのにはここを経過する。


雄姿未受伏櫪恩,猛氣猶思戰場利。
この馬はまだ雄々しい姿をしていて老馬が受ける様なへたばって物を貰うようなことはしない、その猛烈な元気はいまだに戦場の勝利の事をかんがえているのである。』
雄姿 馬のおおしいすがた。○未受 受けることをいさざよしとしないこと。○伏棲恩 「老駿健に伏すも、志は千里に在り」は曹操の句。えさはうまやの踏み板、馬が年とるとかいばおけに伏してものをたべる。○猛気 馬の猛烈な元気。○ 勝利。


腕促蹄高如踣鐵,交河幾蹴會冰裂。
この馬は腕の長さがつまり蹄はあつく之をふみとどろかすときは堅くて鉄をふむようである、この蹄でいく度か交河のあたりで、かさなった泳を蹴ってくだいた。
 寸法のつまっていること。馬は腕の短いのをよしとする。健康なこと。○蹄高 高とは厚いことをいう、険に耐える。○如躇鉄 蹄の堅いことをいう。○交河 今の新疆ウィグル自治区吐魯蕃県を流れる川の名。交河があるので又県の名とする。ここは河をさす。○ 幾回。○曾泳 曾は層に同じ。積み重なった氷。氷河のようなものであろう。


五花散作雲滿身,萬裡方看汗流血。』
からだは五色の梅の花がたが散らばって雲が一ぱいにひろがっているようだ。我々は眼前この馬が万里の道中をして来て血の汗を流すのをみるのである。』
五花 梅の花がたの毛の紋様。○雲満身 全身に雲がみちているよう。○万里 安西と長安とのおおよその距離。〇万看 眼前実際に見ることをいう。単に馬の能力を説くのではない。○汗流血 漢の時大宛国の天馬は石をふみ血を汗にしたと伝える。この馬もそれと似ている。


長安壯兒不敢騎,走過掣電傾城知。
長安の若者もこの馬にのりこなすことはできない。この馬が走りさるときは電光をひくようにはやいことは長安城中のものだれも知らぬものはない。
不敢騎 のりきらぬ。○掣電 撃は「ひく」。馬の走るとき快速非常にして電光をひくがごとくである。○傾城 城中の人はことごとく。


青絲絡頭為君老,何由卻出橫門道。
この馬が主君の意のまま丁重に飼われ、頭には青糸をまきつけて飾られて為す事なくしてそのまま老いてゆく、馬の心ではどうしたら今の無為の状況を脱して横門の道から外へでられるだろうかとかんがえている。
青糸 馬の面づらの縄に用いる青色の絹いと。○ 高仙芝をさす。○ 外へでる。○横門 金光門、長安の西北の第一門の名、この門を出て西域の方へ向かうのである。結尾の二句は直接に馬の心をいう。
長安城郭015

奉寄河南韋尹丈人 杜甫

奉寄河南韋尹丈人 杜甫 紀頌之の漢詩ブログ杜甫詩 特集 33
天宝7載 748年 37歳

河南の尹である韋済どのに寄せ奉った詩。天宝七載長安に在っての作。


奉寄河南葦草丈人
〔原注〕甫故盧在偃師。承韋公頻有訪問。故有下

有客傳河尹,逢人問孔融。
或る人があって河南尹李膺ともいうべきあなたが人にあうごとに孔融ともいうべき私のことをお尋ねになると伝えてくれた。
青囊仍隱逸,章甫尚西東。
私の近況を申せば青嚢の書を探ってやっぱり隠逸のすがたでおり、世にはやらない章甫の冠をつけていまだに西東とさまよっております。
鼎食分門戶,詞場繼國風。
あなたは鼎を列ねて食うという富貴の家で一族の数多く幾多の門戸にわかれておられるし、あなたは詩文社会でその製作は国風の詩をうけ継ぐであろうという。
尊榮瞻地絕,疏放憶途窮。』
はあなたの尊き繁栄を仰いであなたの居られる地位がよほど高くかけはなれているのをみるのである、しかしてあなたはよくも此の私が疎放にしてゆく途の窮まれる事を御思いくだされる。』
濁酒尋陶令,丹砂訪葛洪。
私は賢者の酒濁酒を愛する陶淵明を尋ねたり、丹砂を錬る葛浜を訪うたりして隠退を学んだ。
江湖漂短褐,霜雪滿飛蓬。
江湖の地に粗末な短褐で身をつつんでさまよっている、霜雪が己に頭の乱れた髪にいっぱいになってきた。
牢落乾坤大,周流道術空。
この大なる天地の間におちぶれつつ、あちらこちらうつりゆくが身には何等の道術もそなわっていない。
謬慚知薊子,真怯笑揚雄。』
あなたが薊子訓に比すべきこの私をお知りくださるのはおはずかしいことで、私は世人が揚雄を笑ったような私であることをほんとうに恐れている。』
盤錯神明懼,謳歌德義豐。
あなたは難関を解決するという盤根錯節を断つための利器で、その政治の能力が神がかりで卓越している、あなたの徳義はゆたかであって人々は之を謳歌する。
尸鄉餘土室,誰話祝雞翁。』

私は昔の祝難翁のように尸郷に土室をのこしておりますが、あなたをおいてほかにだれが祝難翁と思っている私のことを話してくれるでしょう。



或る人があって河南尹李膺ともいうべきあなたが人にあうごとに孔融ともいうべき私のことをお尋ねになると伝えてくれた。
私の近況を申せば青嚢の書を探ってやっぱり隠逸のすがたでおり、世にはやらない章甫の冠をつけていまだに西東とさまよっております。
あなたは鼎を列ねて食うという富貴の家で一族の数多く幾多の門戸にわかれておられるし、あなたは詩文社会でその製作は国風の詩をうけ継ぐであろうという。
はあなたの尊き繁栄を仰いであなたの居られる地位がよほど高くかけはなれているのをみるのである、しかしてあなたはよくも此の私が疎放にしてゆく途の窮まれる事を御思いくだされる。』
私は賢者の酒濁酒を愛する陶淵明を尋ねたり、丹砂を錬る葛浜を訪うたりして隠退を学んだ。
江湖の地に粗末な短褐で身をつつんでさまよっている、霜雪が己に頭の乱れた髪にいっぱいになってきた。
この大なる天地の間におちぶれつつ、あちらこちらうつりゆくが身には何等の道術もそなわっていない。
あなたが薊子訓に比すべきこの私をお知りくださるのはおはずかしいことで、私は世人が揚雄を笑ったような私であることをほんとうに恐れている。』
あなたは難関を解決するという盤根錯節を断つための利器で、その政治の能力が神がかりで卓越している、あなたの徳義はゆたかであって人々は之を謳歌する。
私は昔の祝難翁のように尸郷に土室をのこしておりますが、あなたをおいてほかにだれが祝難翁と思っている私のことを話してくれるでしょう。


(河南の葦戸文人に寄せ奉る)
客有り河声、人に逢えば孔融を問うと伝う。
青嚢仍(な)お隠逸、章甫尚お西東。
鼎食門戸を分ち 詞場国風を継ぐ
尊栄地の絶たるるを瞻る、疎放途の窮せるを憶う。』
濁酒陶令を尋ね、丹砂葛浜を訪う。
江湖短褐を漂わす、霜雪飛蓬に満つ。
牢落乾坤大なり、周流道術空し。
謬って慚ず薊子を知るに、真に怯る揚雄を笑わんことを。
盤錯神明懼る、謳歌徳義豊なり。
尸郷土室を余す、誰か祝鶏翁を話せん。



奉寄河南韋尹丈人
〔原注〕甫故盧在偃師。承韋公頻有訪問。故有下
河南韋尹丈人に寄せたてまつった詩。杜甫は偃師にある草庵にしばしば訪問してゆえに下った。
奉寄 寄といえば地が隔り、遠方より寄せること。 ○河南韋尹 河南韋章済、尹は河南府の長官で従三晶。○丈人 「蓋し席間函丈」より出たものであろう。その人と対坐する際に中間に席一丈を隔てる人。長者を尊敬していう称。又「易」師の卦の王粥の注には文人は「厳荘の称」とする。韋済は天宝七載(749)に河南尹となり、また尚書左丞に遷った。


有客傳河尹,逢人問孔融。
或る人があって河南尹李膺ともいうべきあなたが人にあうごとに孔融ともいうべき私のことをお尋ねになると伝えてくれた。
有客 客とは或る人をさす。○河戸 後漠の李贋をさす。以て韋済に此する。李贋が河南の声となったとき、妄りに士に接しなかったが、孔融は年十歳にして、門にいたって共に交った。○孔融 上にみえる、融を以て自ずからに此する。


青囊仍隱逸,章甫尚西東。
私の近況を申せば青嚢の書を探ってやっぱり隠逸のすがたでおり、世にはやらない章甫の冠をつけていまだに西東とさまよっております。
青囊 曹の郭瑛は業を鄭公に受け、青嚢中書九巻を得て、遂に五行思想に通じた。五行思想(ごぎょうしそう)または五行説(ごぎょうせつ)とは、古代中国に端を発する自然哲学の思想で、万物は木・火・土・金・水の5種類の元素からなるという説である。○ なお、よって、これまでどおり。○隠逸 世からかくれのがれる。○章甫 殷代の冠の名、「荘子」に末の人が章甫を冠って越に行ったところが、越の人は髪を断ち、いれずみをしているため、その冠は無用となったという話がある。


鼎石分門戶,詞場繼國風。
あなたは鼎を列ねて食うという富貴の家で一族の数多く幾多の門戸にわかれておられるし、あなたは詩文社会でその製作は国風の詩をうけ継ぐであろうという。
鼎食 鼎を列ねて食すること。鼎は物を煮るもの、之を列ねるとは美食を多く作ること、韋済の門地をいう。〇分門戸 一族が大きくて幾派にもわかれていること。○詞場 文学の社会。○国風 「詩経」の国風の詩をいう。
 
尊榮瞻地絕,疏放憶途窮。』
私はあなたの尊き繁栄を仰いであなたの居られる地位がよほど高くかけはなれているのをみるのである、しかしてあなたはよくも此の私が疎放にしてゆく途の窮まれる事を御思いくだされる。』
尊栄 韋済の尊き繁栄のこと。〇 杜甫がみること。○地絶 韋の居る地が高くしてかけはなれていること。○疎放 杜甫の心のしまりのないことをいう。〇 韋済がおもう。○途窮 魏の阮籍の故事、籍はふと車にのってでかけ途の窮まった所に至ると慟哭してかえったという。上旬の尊栄は地絶へかかり、此の句の疎放は途窮へかかる。


濁酒尋陶令,丹砂訪葛洪。
私は賢者の酒濁酒を愛する陶淵明を尋ねたり、丹砂を錬る葛浜を訪うたりして隠遁を学んだ。
濁酒 賢者。清酒は聖者。 ○陶令 彰沢県令陶淵明。陶淵明は隠遁者でにごり酒を飲んだ。○丹砂 道教の仙薬の練金丹。  ○葛洪 晋の葛洪、字は稚川。


江湖漂短褐,霜雪滿飛蓬。
江湖の地に粗末な短褐で身をつつんでさまよっている、霜雪が己に頭の乱れた髪にいっぱいになってきた。
 さまようこと。○短褐 すそのみじかい粗末な毛織物、自己の衣をいう。○飛蓬  秋風にとぶよもぎ、髪の乱れたさまをたとえていう。「詩経」伯今の詩に「伯の東せるより、首は飛蓬の如し」とあるのに本づく。


牢落乾坤大,周流道術空。
この大なる天地の間におちぶれつつ、あちらこちらうつりゆくが身には何等の道術もそなわっていない。
牢落 零落のさま。○周流 あちこちとうつりあるく、孔子に比す。○道術 道教の道を行うすべ。○謬怒 韋に対する謙辞。
 
謬慚知薊子,真怯笑揚雄。
あなたが薊子訓に比すべきこの私をお知りくださるのはおはずかしいことで、私は世人が揚雄を笑ったような私であることをほんとうに恐れている。』
 韋が知る。○薊子 後漠の薊子訓をいう、彼は神異の道を知り京師に到るや公卿以下数百人の訪問をうけた。これを自分に此する。○ 他人が笑う。○揚雄 漢末に揚雄が太玄経を草したとき、人は玄の黒さが足らずまだ白いと笑った。その場雄を以て自己にあてはめる。


盤錯神明懼,謳歌德義豐。
あなたは難関を解決するという盤根錯節を断つための利器で、その政治の能力が神がかりで卓越している、あなたの徳義はゆたかであって人々は之を謳歌する。
盤錯 盤根錯節の略、後漢の虞詔が朝歌(地名)の長となったとき「盤根錯節に遇わざれば、何を以てか利器を別たん」といった。その器がきれるかきれないかを区別するには樹木のわだかまった根や、いりまじった節にであわなければわからぬ、人も難事にであわなければその才能があらわれぬ、盤錯二字で韋が盤根錯節を断つ利器であることをいう。○神明懼 鬼神も茂るというのに同じ。韋の政治の能力が神がかりで卓越していることをいう。○謳歌 人々が韋の徳をうたう。○徳義 韋の徳義。


尸鄉餘土室,誰話祝雞翁。
私は昔の祝難翁のように尸郷に土室をのこしておりますが、あなたをおいてほかにだれが祝難翁と思っている私のことを話してくれるでしょう。
尸郷 尸郷は地名、河南侶師県の西二十里にある。○土室 穴居の場所。○誰話 他に話するものなく韋のみ話することをいう。○祝雞翁 洛陽の人で尸郷の北山の下に居り、百年あまり鶏千頭をかい、みな名前をつけ、呼べば名ざされたものは種別でやって来たという。一種の仙人であり、祝とは鶏をよぶ声である。邦、朱、祝、みなチュッチュッという音字である。祝雞翁は自己をたとえていう。


○韻  融、東、風、窮/洪、蓬、空、雄/豊、翁

奉贈韋左丞丈二十二韻  杜甫

奉贈韋左丞丈二十二韻  杜甫 紀頌之の漢詩ブログ杜甫詩 特集 32
五言古詩 天宝6載 747年 36歳


747年 天宝6載  玄宗は天下にたいし、一芸に秀で通ずるものを長安に集めて試験した。しかし、李林甫、文学の士を嫌っており、全員を落第させた。杜甫の応援者(ブログ杜甫20、21)であった李邕が、正月、李林甫により殺される。10月、温泉宮(李白の詩では温泉宮となっている)を改めて華清宮となし、その規模を拡大する。李林甫、権威を嵩に獄死者多数。 杜甫は、長安にあり。天子の詔に応じて、試験を受けたが及第せず。尚書左丞葦済に贈った詩。作者は天宝六載、詔に応じて試みられ退けられたが、此の詩は七載長安での作かもしれない。詩によれば落第したので長安を去って東海に赴こうとする意志があることを示しているが実際にはいってはいない。


奉贈韋左丞丈二十二韻
紈褲不餓死,儒冠多誤身。
紈袴をはいている貴族の子弟は餓えて死することはないが、儒者の冠をつけたものは儒冠をつけしがために身のふりかたを誤ってしまうのである。 
丈人試靜聽,賤子請具陳。』
あなたは試みにその次第をしずかにおききください 私は以下委しくそれをのぺましょう。 
甫昔少年日,早充觀國賓。
私は昔少年であったとき  早くも都の受験生にあてられた。 
讀書破萬卷,下筆如有神。
書物は万巻を読破し 筆を下して詩文をつくるときは神の助けがあるかのようである。 
賦料揚雄敵,詩看子建親。
賦ならば揚雄に敵するに足るとおもい、詩ならば曹植に近いものだとかんがえた。
李邕求識面,王翰願蔔鄰。
現代では李邕も私のかおをしりたいと求め  王翰も私の隣に住みたいと願った。
自謂頗挺出,立登要路津。
それだから自分でおもうには、自分はよほど他の衆人よりも傑出している  すぐさま枢要な地位にのぼることができる。数千年の後我が致君堯舜上,再使風俗淳。』

唐に於て我が君を尭舜以上の地位に高め、再び天下の風俗を淳正にすることができるであろう。』
此意竟蕭條,行歌非隱淪。
このようなの考えも畢竟成し遂げられず寂しく終ることになり、隠遁者でもないのに歩きながら歌をうたっているありさまだ。 
騎驢三十載,旅食京華春。
驢馬に乗り始めて早や三十年ばかり、都の春に旅住いをしている 
朝扣富兒門,暮隨肥馬塵。
朝にはかねもちの門を叩いたり、暮には他の権貴がとばす肥馬の塵のあとからくっついてゆく。
殘杯與冷炙,到處潛悲辛。
彼等が与える飲み残しの酒杯、つめたくさめた焼き肉、そんなものをあてがわれて到るところ自分は内心に悲み辛さをいだいている。
主上頃見徵,欻然欲求伸。
近いころ我が君からおめしにあずかり試験をおゆるしになったので、今度こそはとにわかにいままでの思いのたけを伸べようとおもっていたのだった。 
青冥卻垂翅,蹭蹬無縱鱗。』

此の大鳥は青空に飛び立つのでなく、そこからつばさを垂れさせられてしまい、此の大魚は巨塁に自由に泳ぎまわるのではなく勢なく鱗を気ままに振うことができないようなことになった。』
甚愧丈人厚,甚知丈人真。
あなたのお手あついにはまことに愧じいります あなたの御真実なおこころは十分わかっています 
每於百僚上,猥誦佳句新。
あなたはいつも多くの役人たちの席で 私のつくった詩のめずらしいことを、やたらに口ずさんでおはめくださっています。 
竊效貢公喜,難甘原憲貧。
そのようなあなたが顕要な地位に居られるのは私はよろこばしくおもっており、貢南が王陽の位に在るのを喜ぶまねさえするのですが、私も原憲のような貧窮にいつまで甘んじていることはむつかしい。
焉能心怏怏、只是走逡逡。
心に不平ばかりもってすごしていることができましょう、そしてただいたずらに奔走しているようなありさまです。
今欲東入海,即將西去秦。
東の方仙人のいる海中に入りこもうとおもので、これから私はこの西の方、秦の地をはなれておきます。
尚憐終南山,回首清謂濱。
しかしさすがに見なれた終南山の山の色は愛すべくみえ、清き渭水のほとりでふりかえってそれをながめるのです。 
常擬報一飯,況懷辭大臣。
私は常日頃、一飯の恩に報いたいとまちかまえているのですが、ましてただならぬ大臣たるあなたに御暇乞いをして去らねばならぬことをおもうとくるしい思いをお察しください。 
白鷗沒浩蕩,萬裡誰能馴。』

白鷗は去って海上に至り、浩蕩たる煙波の間に出没するならば。  万里の遠き先の地で、だれにも馴らされず自由の天地を楽しむことができる。』


紈袴をはいている貴族の子弟は餓えて死することはないが、な儒者の冠をつけたものは儒冠をつけしがために身のふりかたを誤ってしまうのである。 
あなたは試みにその次第をしずかにおききください 私は以下委しくそれをのぺましょう。 
私は昔少年であったとき  早くも都の受験生にあてられた。 
書物は万巻を読破し 筆を下して詩文をつくるときは神の助けがあるかのようである。 
賦ならば揚雄に敵するに足るとおもい、詩ならば曹植に近いものだとかんがえた。
現代では李邕も私のかおをしりたいと求め  王翰も私の隣に住みたいと願った。
それだから自分でおもうには、自分はよほど他の衆人よりも傑出している  すぐさま枢要な地位にのぼることができる。数千年の後我が唐に於て我が君を尭舜以上の地位に高め、再び天下の風俗を淳正にすることができるであろう。』

このようなの考えも畢竟成し遂げられず寂しく終ることになり、隠遁者でもないのに歩きながら歌をうたっているありさまだ。 
驢馬に乗り始めて早や三十年ばかり、都の春に旅住いをしている 
朝にはかねもちの門を叩いたり、暮には他の権貴がとばす肥馬の塵のあとからくっついてゆく。
彼等が与える飲み残しの酒杯、つめたくさめた焼き肉、そんなものをあてがわれて到るところ自分は内心に悲み辛さをいだいている。
近いころ我が君からおめしにあずかり試験をおゆるしになったので、今度こそはとにわかにいままでの思いのたけを伸べようとおもっていたのだった。 
此の大鳥は青空に飛び立つのでなく、そこからつばさを垂れさせられてしまい、此の大魚は巨塁に自由に泳ぎまわるのではなく勢なく鱗を気ままに振うことができないようなことになった。』

あなたのお手あついにはまことに愧じいります あなたの御真実なおこころは十分わかっています 
あなたはいつも多くの役人たちの席で 私のつくった詩のめずらしいことを、やたらに口ずさんでおはめくださっています。 
そのようなあなたが顕要な地位に居られるのは私はよろこばしくおもっており、貢南が王陽の位に在るのを喜ぶまねさえするのですが、私も原憲のような貧窮にいつまで甘んじていることはむつかしい。
心に不平ばかりもってすごしていることができましょう、そしてただいたずらに奔走しているようなありさまです。
東の方仙人のいる海中に入りこもうとおもので、これから私はこの西の方、秦の地をはなれておきます。
しかしさすがに見なれた終南山の山の色は愛すべくみえ、清き渭水のほとりでふりかえってそれをながめるのです。 
私は常日頃、一飯の恩に報いたいとまちかまえているのですが、ましてただならぬ大臣たるあなたに御暇乞いをして去らねばならぬことをおもうとくるしい思いをお察しください。 
白鷗は去って海上に至り、浩蕩たる煙波の間に出没するならば。  万里の遠き先の地で、だれにも馴らされず自由の天地を楽しむことができる。』


下し文)
紈褲餓死せず 儒冠多く身を誤る
丈入試に静に聴け 賤子請う具さに陳ぜん』

甫昔少年の日 早く観国の賓に充てらる
読書万巻を破る 筆を下せば神あるが如し
賦は料る揚雄の敵なりと 詩は看る子建が親なるを
李邕面を識らんことを求め 王翰隣を卜せんと願う
自ら謂えらく頗る挺出す 立ろに要路の津に登り
君を堯舜の上に致し 再び風俗をして淳ならしめんと』


此の意竟に粛条たり 行歌す隠輪に非ず
驢に騎る三十載 旅食す京華の春
朝に富児の門を如き 暮に肥馬の塵に随う
残杯と冷泉と 致る処潜に悲辛
主上に頃ろ徴さる 欻然伸を求めんと欲す
青冥卻って翅を垂る 蹭蹬として鱗を縦にする無し』


甚だ愧ず丈人の厚きに 甚だ知る丈人の真なるを
毎に百寮の上に於て 猥りに佳句の新なるを誦す
竊に貢公が書に効う 原憲が貧に甘んじ難し
焉んぞ能く心快快として 祇是れ走って踆踆たらん
今東海に入らんと欲す 即ち将に西秦を去らんとす
尚お憐む終南の山 首を回らす清渭の浜
常に一飯にも報いんと擬す 況んや大臣を辞するを懐うをや
白鴎浩湯に没す 万里誰か能く馴さん』




奉贈韋左丞丈韋左丞 前詩の左丞韋活をいう。○ 文人の略。


紈褲不餓死,儒冠多誤身。
紈袴をはいている貴族の子弟は餓えて死することはないが、な儒者の冠をつけたものは儒冠をつけしがために身のふりかたを誤ってしまうのである。  
紈袴 紈は素いきぬ、袴ははかま、貴族の子弟のきもの。○儒冠 儒者のつける冠。○誤身 一身の処世の方法を誤る。泥にまみえず我慢して餓死した。


丈人試靜聽,賤子請具陳。』

あなたは試みにその次第をしずかにおききください 私は以下委しくそれをのぺましょう。 
丈人 すでに前にみえる、韋済をさす。○賤子 いやしいもの。自己の謙称。○具陳 つぶさにのべる。


甫昔少年日,早充觀國賓。
私は昔少年であったとき  早くも都の受験生にあてられた。 
少年日 開元二十三年。作者二十四歳。十代後半から二十代のこと。今の少年(子供)のことは、童。  ○観国賓 「易」観卦に「国の光を観る。用って王に賓たるに利し」とある。観国賓とは観に国光乏賓である。これは作者が京兆(長安)にでて、吏部の考功郎の下で試験をうけたことをさす。都にでることは国光を観ることであり、受験者は王者の賓である。 


讀書破萬卷,下筆如有神。
書物は万巻を読破し 筆を下して詩文をつくるときは神の助けがあるかのようである。  
 識破の義、しりぬくこと。○如有神 神助あるがごとし。 


賦料揚雄敵,詩看子建親。
賦ならば揚雄に敵するに足るとおもい、詩ならば曹植に近いものだとかんがえた。
 おしはかる。○揚雄 前漢末の蝋の作家で、司馬相如と並称される。○ 匹敵。
子建 魂の曹植、字は子建、五言詩の作家。○ 近親。


李邕求識面、王翰願蔔鄰。
現代では李邕も私のかおをしりたいと求め  王翰も私の隣に住みたいと願った。
李邕 李北海 邕は広陵の人。汲郡・北海の太守。747年天宝六年正月、李林甫に殺さる
紀 頌之漢詩ブログ 杜甫が2年前に李邕の亭を訪れている。

同李太守登歷下古城員外新亭 杜甫 21
杜甫 20 陪李北海宴歴下亭
 ○王翰 唐の晋陽の人、字は子羽、詩を以て有名。○蔔鄰 (卜隣)吉か凶かのうらないをしてと生活を整える。


自謂頗挺出,立登要路津。
それだから自分でおもうには、自分はよほど他の衆人よりも傑出している  すぐさま枢要な地位にのぼることができる。 
挺出 ぬけでる。 ○ たちどころに、すぐに。○要路津 津と要路とは同物。津とはわたり場で、衆路のあつまるところ、故にまた要路である。


致君堯舜上,再使風俗淳。』
数千年の後我が唐に於て我が君を尭舜以上の地位に高め、再び天下の風俗を淳正にすることができるであろう 
 置くというがごとし。○尭舜 昔の理想国の聖王の堯と舜。○上 それ以上。○ 唐に於てまた。○ まじりけなく正し。


此意竟蕭條,行歌非隱淪。
このような考えも畢竟成し遂げられず寂しく終ることになり、隠遁者でもないのに歩きながら歌をうたっているありさまだ。 
此意 前段の「自謂」以下四句の意。○粛条 さびしいさま、志を行わぬゆえにさびしという。 ○行歌 あるきつつうたう、多く隠者などの為すことである。○隠倫 倫はしずむ、隠輪は隠遁して世間からうずもれているものをいう。


騎驢三十載,旅食京華春。
驢馬に乗り始めて早や三十年ばかり、都の春に旅住いをしている   
 ろば。〇三十載 六歳から乗り始めたということ。○京華 都会文明の地、長安をさす。

朝扣富兒門,暮隨肥馬塵。
朝にはかねもちの門を叩いたり、暮には他の権貴がとばす肥馬の塵のあとからくっついてゆく。
 叩と同じ。○富児 かねもち。○肥馬 富貴の人ののる馬。


殘杯與冷炙,到處潛悲辛。
彼等が与える飲み残しの酒杯、つめたくさめた焼き肉、そんなものをあてがわれて到るところ自分は内心に悲み辛さをいだいている。
冷炙 冷えた炙り肉。


主上頃見徵,欻然欲求伸。
近いころ我が君からおめしにあずかり試験をおゆるしになったので、今度こそはとにわかにいままでの思いのたけを伸べようとおもっていたのだった。 
主上 天子、おかみ、玄宗をさす。○見徴 めされる。天宝六載天下に詔して一芸あるものは都にいたって試験をうけさせたが、李林甫は尚書省に命じて皆これを落第させた。杜甫・元結らは落第者である。
欻然 たちまち。○求伸 「易」 の繋辞下に「尺蟻ノ屈スルハ、以テ伸ビンコトヲ求ムルナリ」とみえる。これまで身をかがめていたのをのばそうとする。


青冥卻垂翅,蹭蹬無縱鱗。』
此の大鳥は青空に飛び立つのでなく、そこからつばさを垂れさせられてしまい、此の大魚は巨塁に自由に泳ぎまわるのではなく勢なく鱗を気ままに振うことができないようなことになった。』
青冥 あおぞら。○垂翅 つばさをたれるとは勢いを失ったさまで、鳥にたとえたもの。これは落第した事をいう。 ○躇鐙 勢いを失ったさま。○縦鱗 うろこをほしいままにして泳ぐ、これは魚にたとえる。


甚愧丈人厚,甚知丈人真。
あなたのお手あついにはまことに愧じいります あなたの御真実なおこころは十分わかっています 
 自己を待遇する意の厚いこと。○ 心の真実にして虚偽のないこと。


每於百僚上,猥誦佳句新。
あなたはいつも多くの役人たちの席で 私のつくった詩のめずらしいことを、やたらに口ずさんでおはめくださっています。  
百僚 多くの同僚。○ みだりに、謙遜していう。○佳句 杜甫のつくった詩のよい句。


竊效貢公喜,難甘原憲貧。
そのようなあなたが顕要な地位に居られるのは私はよろこばしくおもっており、貢南が王陽の位に在るのを喜ぶまねさえするのですが、私も原憲のような貧窮にいつまで甘んじていることはむつかしい。
 ひそかに、謙辞。○貢公喜 漠の王吉、字は子陽は、貢南と親友であったが、「王陽位二在レバ、貢公冠ヲ弾ズ」といわれたほどの知己であった。弾冠とは冠の塵をはらって将に出で仕えんとする意。又、劉孝標の広絶交論に「王陽萱レバ則チ貢公害ブ」とみえる。頁南は王吉が位に在ることを喜んだのである。ここは葦済を王吉に、自己を貢南に此する。○原憲貧 原憲は孔子の門人、貧を以て有名、自己をたとえる。


焉能心怏怏、只是走逡逡。
心に不平ばかりもってすごしていることができましょう、そしてただいたずらに奔走しているようなありさまです。
快快 不平のさま。○逡逡 走るさま。


今欲東入海,即將西去秦。
東の方仙人のいる海中に入りこもうとおもので、これから私はこの西の方、秦の地をはなれておきます。
 東海をいう。通常仙人の住むところ。李白が道教の道士であったから、少しは考えたのか。実際には杜甫は道教には関心はないので、試験のショックでこういったのだろう。○去秦 秦は長安をさす。


尚憐終南山,回首清渭濱。
しかしさすがに見なれた終南山の山の色は愛すべくみえ、清き渭水のほとりでふりかえってそれをながめるのです。 
終南山 長安の南五十里にある。道教の寺観があった。○清渭水 渭水は長安の北をながれる清流で黄河の支流。


常擬報一飯,況懷辭大臣。
私は常日頃、一飯の恩に報いたいとまちかまえているのですが、ましてただならぬ大臣たるあなたに御暇乞いをして去らねばならぬことをおもうとくるしい思いをお察しください。 
○擬 まちかまえる。○報一飯 「史記」苑唯伝に「一飯ノ恩モ必ズ償り」とみえる。又、准陰侯韓信が漂母の飯を与えた恩に報じたということなどがある。○大臣 韋済をさす。


白鷗沒浩蕩,萬里誰能馴。』
白鷗は去って海上に至り、浩蕩たる煙波の間に出没するならば。  万里の遠き先の地で、だれにも馴らされず自由の天地を楽しむことができる。
 かもめ。○浩蕩 煙波のひろくうごくさま。○ 動物をならしてなずけること、鴎を以て自己に此する。




奉贈韋左丞丈二十二韻
紈袴不餓死、儒冠多誤身。
丈人試静聴、賎子請具陳。』

紈袴(がんこ)は餓死(がし)せず
儒冠(じゅかん)は多く身を誤(あやま)る
丈人(じょうじん)  試(こころ)みに静かに聴け
賎子(せんし) 請(こ)う 具(つぶ)さに陳(の)べん』



甫昔少年日、早充観国賓。
読書破万巻、下筆如有神。
賦料揚雄敵、詩看子建親。
李邕求識面、王翰願卜隣。
自謂頗挺出、立登要路津。
致君堯舜上、再使風俗淳。』
此意竟蕭条、行歌非隠淪。


甫(ほ)は昔  少年の日
早くも観国(かんこく)の賓(ひん)に充(あ)てらる
書を読みて万巻(ばんがん)を破り
筆を下(おろ)せば神(しん)有るが如し
賦(ふ)は料(はか)る  揚雄(ようゆう)の敵なりと
詩は看(み)る  子建(しけん)の親(しん)なりと
李邕(りよう)は面(おもて)を識(し)らんことを求め
王翰(おうかん)は隣(となり)を卜(ぼく)せんと願う
自ら謂(おも)えらく  頗(すこぶ)る挺出すれば
立ちどころに要路の津(しん)に登り
君(きみ)を堯舜(ぎょうしゅん)の上に致(いた)し
再び風俗をして淳(じゅん)ならしめんと
此の意(い)  竟(つい)に蕭条(しょうじょう)たり
行歌(こうか)  隠淪(いんりん)に非(あら)ず



騎驢三十載、旅食京華春。
朝扣富児門、暮随肥馬塵。
残杯与冷炙、到処潜悲辛。
主上頃見徴、歘然欲求伸。
青冥却垂翅、蹭蹬無縦鱗。』


驢(ろ)に騎(の)ること三十載(さい)
旅食(りょしょく)す  京華(けいか)の春
朝(あした)に富児(ふじ)の門を扣(たた)き
暮(くれ)に肥馬(ひば)の塵(ちり)に随う
残杯(ざんぱい)と冷炙(れいしゃ)と
到る処  潜(ひそ)かに悲辛(ひしん)す
主上(しゅじょう)に頃(このご)ろ徴(め)され
歘然(くつぜん)として伸びんことを求めんと欲す
青冥(せいめい)  却って翅(つばさ)を垂(た)れ
蹭蹬(そうとう)として鱗を縦(ほしい)ままにする無し』


甚愧丈人厚、甚知丈人真。
毎於百寮上、猥誦佳句新。
窃効貢公喜、難甘原憲貧。
焉能心怏怏、祗是走踆踆。
今欲東入海、即将西去秦。
尚憐終南山、回首清渭濱。
常擬報一飯、況懐辞大臣。
白鷗没浩蕩、万里誰能馴。』

甚だ愧(は)ず  丈人(じょうじん)の厚きに
甚だ知る  丈人の真(しん)なるを
毎(つね)に百寮(ひゃくりょう)の上に於いて
猥(みだ)りに佳句(かく)の新たなるを誦(しょう)す
窃(ひそ)かに貢公(こうこう)の喜びに効(なら)うも
原憲(げんけん)の貧に甘んじ難(がた)し
焉(いずく)んぞ能(よ)く心怏怏(おうおう)として
祗(た)だ是れ走りて踆踆(しゅんしゅん)たらん
今  東のかた海に入(い)らんと欲し
即ち将(まさ)に西のかた秦(しん)を去らんとす
尚(な)お憐(あわ)れむ  終南(しゅうなん)の山
首を回(めぐ)らす 清渭(せいい)の濱(ひん)
常に一飯(いっぱん)にも報(むく)いんと擬(ぎ)す
況(いわ)んや大臣に辞するを懐(おも)うをや
白鷗(はくおう)  浩蕩(こうとう)に没(ぼつ)せば
万里  誰(たれ)か能(よ)く馴(な)らさん』

故武衛将軍挽詞 三首 其三 杜甫

故武衛将軍挽詞 三首 其三 杜甫 紀頌之の漢詩ブログ杜甫詩 特集 31

〔三〕
哀挽青門去、新阡絳水逢。
将軍の枢はかなしくひかれて青門からでて逝く、。それははるかかなたの故郷の絳水のながれる地方の新しい墓道に向うのである。
路人紛雨泣、天意颯風飆。
送っている道端の人たちも紛々として雨のように涙をおとして泣き、天の思いも悲しいとわかっていて、時折吹く突風がヒューッと音をたてている。
部曲精仍鋭、匈奴氣不騎。
小分隊の部曲の兵隊は、精鋭ぞろいであり、之あるがために匈奴の騎馬隊も威張ることができないのである。
無由覩雄略、大樹日蕭蕭。

遺憾ながら将軍は死んでしまわれたからその勇壮な戦略をみるすべがもうない、ただ将軍を表象する墓辺の大樹が日に日にさびしく立つばかりである。


将軍の枢はかなしくひかれて青門からでて逝く、。それははるかかなたの故郷の絳水のながれる地方の新しい墓道に向うのである。
送っている道端の人たちも紛々として雨のように涙をおとして泣き、天の思いも悲しいとわかっていて、時折吹く突風がヒューッと音をたてている。
小分隊の部曲の兵隊は、精鋭ぞろいであり、之あるがために匈奴の騎馬隊も威張ることができないのである。
遺憾ながら将軍は死んでしまわれたからその勇壮な戦略をみるすべがもうない、ただ将軍を表象する墓辺の大樹が日に日にさびしく立つばかりである。



故武衛将軍挽詞 三首 其三
哀挽 青門より去る  新肝絳水絳水逢かなり
路人 粉として雨泣す 天意 風 飆颯たり
部曲 精にして仍って鋭に 匈奴気驕らず
雄略を覩るに由なし  大樹日に蕭蕭たり


哀挽青門去、新阡絳水逢。
将軍の枢はかなしくひかれて青門からでて逝く、。それははるかかなたの故郷の絳水のながれる地方の新しい墓道に向うのである。
哀挽 かなしく枢をひく。○青門 長安の東面最南、薪城門の別名。其の門の青いのによって青門という。
新阡 阡は墓道、将軍の故郷のそれをいう。○絳水  山西省絳州絳県の西南より流れ出す川、これによれば
将軍は絳州の人であろう。

路人紛雨泣、天意颯風飆。
送っている道端の人たちも紛々として雨のように涙をおとして泣き、天の思いも悲しいとわかっていて、時折吹く突風がヒューッと音をたてている。
 みだれるさま。○雨泣 雨のふる如くに涙をおとしてなく。○天 天のこころ、想像していう。○ 風のおと。○風飆 飆は下より吹きあげるかぜ。つむじかぜ。


部曲精仍鋭、匈奴氣不騎。
小分隊の部曲の兵隊は、精鋭ぞろいであり、之あるがために匈奴の騎馬隊も威張ることができないのである。
部曲 曲とは部に属する小分隊の名。○ えりぬき。○ やっぱり。○ 鉾先するどし。○匈奴 北の異民族。騎馬民族で生活様式が全く異なっていたので、嫌がる総称として使われる。
 
無由覩雄略、大樹日蕭蕭。
遺憾ながら将軍は死んでしまわれたからその勇壮な戦略をみるすべがもうない、ただ将軍を表象する墓辺の大樹が日に日にさびしく立つばかりである。
雄略 いさましい戦略。勇壮な戦略。○大樹 鴻異の故事、すでに前に見える。墓辺の樹をいうのであろう。○蕭蕭 ひっそりとさびしいさま。



李白 8/15 現在125首 130首以上掲載 主に蜀を旅立ちやっと都、長安朝廷に迎えられた。ところまで
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艶情歌 李商隠ほか 新解釈を含め 8/15現在30首以上掲載
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故武衛将軍挽詞 三首 其二 杜甫

故武衛将軍挽詞 三首 其二 杜甫 紀頌之の漢詩ブログ杜甫詩 特集  30


其二
舞剣過人絶、鳴弓射獣能。
将軍は剣舞をさせれば超人的なわざをみせており、弓を取らせては獣を射とめることがとてもうまかった。
銛鋒行愜順、猛噬失蹻騰。
剣のするどいほこさきを意のままにめぐらすことができ、弓をかまえれば威嚇して嗟みつこうとする猛獣もその壮んにおどりあがる力を失わせてしまう。
赤羽千夫膳、黄河十月冰。
この将軍が生前には、赤羽旗の陣中で部下千人の壮夫に膳食せしめ、十月ごろ黄河の冰をふみわたらせた。
横行沙漠外、神速至今稀。

はるか沙漢の外まで縦横に行動した神速なその兵の動きは比類まれで死後の今日までも人の称する所である。


将軍は剣舞をさせれば超人的なわざをみせており、弓を取らせては獣を射とめることがとてもうまかった。
剣のするどいほこさきを意のままにめぐらすことができ、弓をかまえれば威嚇して嗟みつこうとする猛獣もその壮んにおどりあがる力を失わせてしまう。
この将軍が生前には、赤羽旗の陣中で部下千人の壮夫に膳食せしめ、十月ごろ黄河の冰をふみわたらせた。
はるか沙漢の外まで縦横に行動した神速なその兵の動きは比類まれで死後の今日までも人の称する所である

其の二

剣を舞わすは人に過ぐる絶し、弓を鳴らし、獣を射るを能くす
銛鋒行らすこと愜順なり 猛噬蹻騰を失す
赤羽干天の膳 黄河十月の冰
横行す沙漠の外 神速今に至って称せらる


舞剣過人絶、鳴弓射獣能。
将軍は剣舞をさせれば超人的なわざをみせており、弓を取らせては獣を射とめることがとてもうまかった。
舞剣 剣を以て舞う。○ できる。


銛鋒行愜順、猛噬失蹻騰。
剣のするどいほこさきを意のままにめぐらすことができ、弓をかまえれば威嚇して嗟みつこうとする猛獣もその壮んにおどりあがる力を失わせてしまう。
銛鋒 剣のするどいほこさき。○ 運行すること。○愜順 かないしたごう、意のままにそのとおりになること。○猛噬 威嚇して嗟みつこうとする猛獣、上の弓と獣をうけていう。○蹻騰 壮んにおどりあがるさま。


赤羽千夫膳、黄河十月冰。
この将軍が生前には、赤羽旗の陣中で部下千人の壮夫に膳食せしめ、十月ごろ黄河の冰をふみわたらせた。
赤羽 旗。「孔子家語」に末尾に添付参照。〇千夫膳 千人の壮夫に膳をそなえ食せしめる。○十月冰 十月の河の氷は氷上をわたることができる。


横行沙漠外、神速至今稀。
はるか沙漢の外まで縦横に行動した神速なその兵の動きは比類まれで死後の今日までも人の称する所である。
横行 縦横に行動する。 ○沙漠 西の砂漠、北の砂漠。 ○神速 兵を動かせることが不思議にはやいこと。


孔子家語-巻第二]
孔子、北の農山に遊ぶ。
子路しろ、子貢しこう、顔淵がんえん、側に侍じす。
孔子四望しぼうし、喟然きぜんとして歎じて曰く、
斯ここに於いて思いを致さば、至らざる所無からん。
二三子にさんしおのおの汝の志を言へ。
吾れ将に擇ばん、と。
子路進みて曰く、
由、願はくば白羽月はくうつきの若く、赤羽日せきうひの若く、鐘鼓しょうこの音、上天に震ひ、旌旗せいき繽紛ひんぷんとして、下地に於いて蟠わだかまり、由一隊に当りて之を敵せば、必ずや地に千里を攘じょうし、旗を搴ぬき馘きゃくを執る、唯ただ由のみ之を能くす。
 二子者をして我に従はせん、と。

故武衛将軍挽詞三首 杜甫

故武衛将軍挽詞三首 杜甫 紀頌之の漢詩ブログ杜甫詩 特集  29

(746) 正月に長安に出る。
当時の就職活動は、都の知人、縁者を頼って、詩を贈寄奉献し、推薦依頼を期待することであった。後にこの就職活動をまとめるが、李林甫の存在を杜甫は知らなかったのか、結果的にあまり役立っていない。
新婚生活の方は、奉天県の県令であった父親の援助に頼りきったのであろう。


この詩は死んだ武衛将軍のためにつくった喪の歌辞。
天宝6載 747年 36歳

故武衛将軍挽詞三首
故武衛将軍挽詞:○故 死んだ人であることをいう。○武衛将軍 官名、其の人は未詳。唐には左・右武衛大将軍各一員、将軍各一員があり、宮禁警衛の法を統領することを掌る。○挽詞 枢車をひきながら歌ううたことば、死者を送る歌。

故武衛将軍挽詞
其一
厳警官寒夜、前軍落大星。
寒い夜にあたって将軍はいつものように宮禁の警衛をしていたところが前軍に大きな星が落ちて将軍はこの不吉の前兆とともに歿してしまった。
杜夫思敢決、哀詔惜精霊。
それまで部下であった若者たちは将軍の在りし日の勇敢果決であったことを深く思い、かなしげな詔を天子は発せられて将軍の霊魂の返らざるをお惜みになった。
王者今無戦、書生己勤銘。
王者は今日しっかりしていて、戦などいうものはない、班固のような書生が山上の石に戦功をしるして銘をほりつけた時代とおなじだ。
封侯意疎潤、編簡烏誰青。

戦がないから将軍も功をたてて侯に封ぜられたい意がうすかった。だから簡を記載し編纂すべき事が無い、簡が青いのはだれのためにしようとて青い色をしているのか。



寒い夜にあたって将軍はいつものように宮禁の警衛をしていたところが前軍に大きな星が落ちて将軍はこの不吉の前兆とともに歿してしまった。
それまで部下であった若者たちは将軍の在りし日の勇敢果決であったことを深く思い、かなしげな詔を天子は発せられて将軍の霊魂の返らざるをお惜みになった。
王者は今日しっかりしていて、戦などいうものはない、班固のような書生が山上の石に戦功をしるして銘をほりつけた時代とおなじだ。
戦がないから将軍も功をたてて侯に封ぜられたい意がうすかった。だから簡を記載し編纂すべき事が無い、簡が青いのはだれのためにしようとて青い色をしているのか。


(故武衝将軍の挽詞 三首)其の一

厳響寒夜に当る  前軍大星落つ
壮夫敢決を思い  哀詔精霊を惜む
王者今戦無し   書生己に銘を勤す
封侯意疎潤なり  編簡誰が為めにか青き



厳警官寒夜、前軍落大星。
寒い夜にあたって将軍はいつものように宮禁の警衛をしていたところが前軍に大きな星が落ちて将軍はこの不吉の前兆とともに歿してしまった。
○厳警 宮禁を厳かに警衛する。○前軍落大星 諸葛売(孔明)の死んだときの故事を用いる。孔明が晩年、魏と戦ったときその前軍は五丈原にあったが、その死なんとしたとき赤色にしてだ角のある星が、東北より西南に飛んで孔明の陣営に投じたという。今、武衛将軍の死するや之と似ているというのである。
 
壮夫思敢決、哀詔惜精霊。
それまで部下であった若者たちは将軍の在りし日の勇敢果決であったことを深く思い、かなしげな詔を天子は発せられて将軍の霊魂の返らざるをお惜みになった。
壮夫 部下の兵卒をいう。○敢決 将軍の勇敢、果決であったこと。○哀詔 天子が将軍をお悼みになる詔。○精霊 将軍のたましい。


王者今無戦、書生己勤銘。
王者は今日しっかりしていて、戦などいうものはない、班固のような書生が山上の石に戦功をしるして銘をほりつけた時代とおなじだ。
王者 王たるもの。○無戦 准帝王の書に「王者の師、征すること有りて戦うこと無し」という。戦とは対等の語、征とは天子が有罪をただすために討つこと。○書生己勤銘 後漢の賓憲が匈奴を征伐したとき、班固が燕然山の銘を作ってこれを石にはりつけてその功をしるした。此の句は上旬のつづきで一事をのべる。


封侯意疎闊、編簡爲誰青。
戦がないから将軍も功をたてて侯に封ぜられたい意がうすかった。だから簡を記載し編纂すべき事が無い、簡が青いのはだれのためにしようとて青い色をしているのか。
封侯 戦功により侯に封ぜられる。封は領土を与えられること。○ 将軍の意。○疎闊 まばらではなれている。○編簡 簡は竹で作ったふだ。古人は青竹をわってそれを編み、表面に漆を以て字を書いた。○為誰青 青とは筒の青いことをいう。為誰青とは書くべき事功がないのは何人のために青いのか、徒らに青い色をして手もちぶさたではないかという意。
 立派な将軍に対して報いてあげられていないのだ。


 玄宗皇帝の時代で、開元の治といわれる時代であった。
745年天宝 4載・8月、楊大兵を楊貴妃となし、その三姉、第宅を賜わる。この年、李白、山東に在ったが、冬、江東に去る。    安禄山、契丹を破る。
746年天宝 5載 ・李林甫、敵対派、皇帝側近を貶謫,投獄す。李林甫の圧政が顕著化していく。

飲中八仙歌 杜甫

飲中八仙歌 杜甫 紀頌之の漢詩ブログ杜甫詩 特集  28

長安にあったときの作。当時長安では愛酒家として名の高い人物として八人が知られていた。杜甫はそれらの一人一人について、伝え聞きも交えてこの作品を作った。これを描いたとき、賀知章、李左相、蘇晉はすでに死んでいたし、李白は長安にいなかった。これらの八人のうち、李白に最も多くの字をあてているのは、杜甫の李白への敬愛振りの表れだろう。
竹林の七賢、竟陵の八友、初唐の四傑、竹渓の六逸、唐宋八大家などとこの飲中八仙とは異なったものである。


飲中八仙歌
知章騎馬似乘船,眼花落井水底眠。』

賀知章は何時も酔っていて、馬に乗っても船に乗っているように揺れている、くるくると回る目が井戸に落ちて水底に眠る。』

汝陽三鬥始朝天,道逢曲車口流涎,
恨不移封向酒泉。』

汝陽は朝から三斗酒を飲みそれから出勤する、途中麹を積んだ車に出会うと口からよだれを垂らす始末、転勤先が酒泉でなかったのが残念だ。』

左相日興費萬錢,飲如長鯨吸百川,
銜杯樂聖稱避賢。』

左相は日々の興に万銭を費やす、飲みっぷりは長鯨が百川を飲み干す勢いだ、酒を楽しんで賢者を遠ざけるのだと嘯く。』

宗之瀟灑美少年,舉觴白眼望青天,
皎如玉樹臨風前。』

崔宗之は垢抜けた美少年、杯を挙げては白眼で晴天を望む、輝くようなその姿は風前の玉樹のようだ。』

蘇晉長齋繡佛前,醉中往往愛逃禪。』

蘇晉は仏教信者でぬいとりした仏像をかかげてその前で年中喪の忌をしているが、酔いのなかでもときどき禅定に入ることを好む。』

李白一鬥詩百篇,長安市上酒家眠,

天子呼來不上船,自稱臣是酒中仙。』
李白は酒を一斗のむうちに詩百篇もつくる豪のもので、長安の市街へでかけて酒家で眠る。天子から呼びよせられても酔っぱらって船にものぼりきらず、自分は酒中の仙人だなどと気楽な事をいっている。』

張旭三杯草聖傳,脫帽露頂王公前,
揮毫落紙如雲煙。』

張旭は三杯の酒を飲んで見事な草書を披露する、王侯の前で脱帽して頭を向け、筆を振るえば雲のように自在な字が現れる。』

焦遂五斗方卓然,高談雄辨驚四筵。』

焦速は五斗の酒を傾けてやっと意気があがってきて、その高談雄弁はあたりを驚かすのである。』

賀知章は何時も酔っていて、馬に乗っても船に乗っているように揺れている、くるくると回る目が井戸に落ちて水底に眠る。』

汝陽は朝から三斗酒を飲みそれから出勤する、途中麹を積んだ車に出会うと口からよだれを垂らす始末、転勤先が酒泉でなかったのが残念だ。』

左相は日々の興に万銭を費やす、飲みっぷりは長鯨が百川を飲み干す勢いだ、酒を楽しんで賢者を遠ざけるのだと嘯く。』

崔宗之は垢抜けた美少年、杯を挙げては白眼で晴天を望む、輝くようなその姿は風前の玉樹のようだ。』

蘇晉は仏教信者でぬいとりした仏像をかかげてその前で年中喪の忌をしているが、酔いのなかでもときどき禅定に入ることを好む。』

李白は酒を一斗のむうちに詩百篇もつくる豪のもので、長安の市街へでかけて酒家で眠る。天子から呼びよせられても酔っぱらって船にものぼりきらず、自分は酒中の仙人だなどと気楽な事をいっている。』

張旭は三杯の酒を飲んで見事な草書を披露する、王侯の前で脱帽して頭を向け、筆を振るえば雲のように自在な字が現れる。』

焦速は五斗の酒を傾けてやっと意気があがってきて、その高談雄弁はあたりを驚かすのである。』


(下し文)飲中八仙歌
知章 馬に騎ること船に乘るに似たり、眼は花さき井に落ちて水底に眠る。』 
汝陽 三斗 始めて天に朝す、道に曲車に逢ひ 口涎を流す、恨むらくは封を移して酒泉に向はざるを。』
左相 日興 万錢を費す、飲むこと長鯨の百川を吸ふが如し、杯を銜み聖を樂しみ賢を避くと稱す。』

宗之 瀟洒たる美少年,觴を舉げ 白眼青天を望む、皎として玉樹の風前に臨むが如し。』
蘇晉 長齋す繡佛の前、醉中 往往 逃禪を愛す』

李白 一斗 詩百篇、長安市上酒家に眠る。
天子呼び來れど船に上らず、自ら稱す 臣は是酒中の仙なりと。』

張旭 三杯 草聖傳ふ、脱帽して頂を露す王公の前、毫を揮って紙に落とせば云煙の如し。』
焦遂 五斗 方に卓然、高談雄辨 四筵を驚かす。』


飲中八仙歌
○飲中八仙 酒飲み仲間の八人の仙とよばれるもの、即ち
・蘇晉 735年(開元二十二年卒)
・賀知章744年(天宝三載卒)
・李適之746年(天宝五載卒)
・李璡  750年(天宝九載卒)
・崔宗之 崔日用の子齊國公に世襲して封ぜられる。侍御史でもあった。
・張旭
・焦遂
・李白   763年(宝応元年卒)らをいう。



知章騎馬似乘船,眼花落井水底眠。
賀知章は何時も酔っていて、馬に乗っても船に乗っているように揺れている、くるくると回る目が井戸に落ちて水底に眠る。』
知章 賀知章。会稽永興の人、自から四明狂客と号し、太子賓客・秘書監となった。天宝三載、疏を上って郷に帰るとき、玄宗は詩を賦して彼を送った。○乗船 ゆらゆらする酔態をいう。知章は出身が商人で、商人は船に乗るので、騎馬にまたがった状態をいったのだ。○眼花 酔眼でみるとき現象のちらつくことをいう。



汝陽三鬥始朝天,道逢曲車口流涎,恨不移封向酒泉。』
汝陽王李礎は朝から三斗酒を飲みそれから出勤する、途中麹を積んだ車に出会うと口からよだれを垂らす始末、転勤先が酒泉でなかったのが残念だ。』

汝陽 ブログ贈特進汝陽王二十韻  杜甫27
三斗 飲む酒の量をいう。○朝天 朝廷へ参内すること。○麹車 こうじを載せた車。○移封 封は領地をいう、移は場所をかえる。汝陽よりほかの地へうつしてもらうこと。○酒泉 漢の時の郡名、今の甘粛省粛州。これは地名を活用したもの。



左相日興費萬錢,飲如長鯨吸百川,銜杯樂聖稱避賢。』
左相は日々の興に万銭を費やす、飲みっぷりは長鯨が百川を飲み干す勢いだ、酒を楽しんで賢者を遠ざけるのだと嘯く。』
左相 李適之。天宝元年、牛仙客に代って左丞相となったが、天宝五載にやめ、七月歿した。○日興 毎日の酒興。○費万銭 唐時代の酒価は一斗三百銭、万銭を以ては三石三斗余りを買うことができた。○長鯨 身のたけのながいくじら。〇百川 多くの川水。○銜杯 銜とは口にくわえること、含とは異なる。含むは口の中へいれておくこと。○楽聖称避賢 適之が相をやめたとき、親交を招き詩を賦して、「賢を避けて初めて相を辞め、聖を楽しみて且つ盃を銜む、為に問う門前の客、今朝幾個から来ると」といった。此の聖・賢の文字には両義を帯用させたものであろう。魏の時酒を禁じたところが酔客の間では清酒を聖人といい濁酒を賢人といったが、前詩は表には通常の聖人・賢人の表現を、裏には清酒・濁酒の表現をもたせたものである。竹林の七賢参照。



宗之瀟灑美少年,舉觴白眼望青天,皎如玉樹臨風前。
崔宗之は垢抜けた美少年、杯を挙げては白眼で晴天を望む、輝くようなその姿は風前の玉樹のようだ。』
宗之 崔宗之。宗之は崔日用の子、斉国公に襲ぎ封ぜられる。また侍御史となったことがある。○瀟灑 さっぱりしたさま。○腸 さかずき。○白眼 魏の阮籍の故事、籍は俗人を見るときには白眼をむきだした。○ しろいさま。○玉樹 うつくしい樹。魏の夏侯玄が嘗て毛骨と並び坐ったところが、時の人はそれを「葉餞玉樹二倍ル」といったという、玄のうつくしいさまをいったもの。○臨風前 風の前に立っている。


蘇晉長齋繡佛前,醉中往往愛逃禪。
蘇晉は仏教信者でぬいとりした仏像をかかげてその前で年中喪の忌をしているが、酔いのなかでもときどき禅定に入ることを好む。』
蘇曹 蘇珦の子、先の皇帝のときに中書舎人であった。玄宗が監国であったときの別命は蘇晋と賈曾との筆によったものだ。吏部・戸部の侍郎を歴て太子庶子に終った。○長斎 一年中喪の忌をしている。○繍仏 ぬいとりしてつくった仏像、これは六朝以来あったもの。○逃禅 これは酒を飲むことは破戒であるから教外へにげだすこと。居眠りでもしていること。



李白一鬥詩百篇,長安市上酒家眠,
天子呼來不上船,自稱臣是酒中仙。
李白は酒を一斗のむうちに詩百篇もつくる豪のもので、長安の市街へでかけて酒家で眠る。天子から呼びよせられても酔っぱらって船にものぼりきらず、自分は酒中の仙人だなどと気楽な事をいっている。』
酒家眠 玄宗が嘗て沈香華に坐して、翰林供奉の李白をして楽章をつくらせようとして李白を召して入らせたところ、李白はすでに酔っていた。左右のものは水をその面にそそいでようやく酔いを解いたという。○不上船 玄宗が白蓮池に遊んだとき、李白を召して序をつくらせようとしたところ、李白はすでに翰苑にあって酒を被っており、高力士に命じて李白をかかえて舟に登らせた。


張旭三杯草聖傳,脫帽露頂王公前,揮毫落紙如雲煙。
張旭は三杯の酒を飲んで見事な草書を披露する、王侯の前で脱帽して頭を向け、筆を振るえば雲のように自在な字が現れる。』
張旭 呉郡の人、右率府長史となる。草書を善くし、酒を好み、酔えば号呼狂走しつつ筆をもとめて渾灑し、又或は大叫しながら頭髪を以て水墨の中をかきまわして書き、さめて後自ずから視て神異となしたという。○草聖伝 後漢の張芝は草書の聖人とよばれたが、旭が酔うと草聖の書法が、彼に伝わるが如くであった。○脱帽露頂 帽をいただくのが礼であり、帽をぬいで頂きをあらわすのは礼儀を無視するさま。○王公 地位高き人々。○揮毫 毫は「け」、筆をいう。○雲煙 草書のさま。


焦遂五斗方卓然,高談雄辨驚四筵。』
焦速は五斗の酒を傾けてやっと意気があがってきて、その高談雄弁はあたりを驚かすのである。』
焦遂 この人物は未詳。○卓然 意気の高くあがるさま。○高談 高声でかたる。○雄弁 カづよい弁舌。〇四筵 満座、一座。

贈特進汝陽王二十韻  杜甫

贈特進汝陽王二十韻  杜甫 紀頌之の漢詩ブログ杜甫詩 特集  27

天宝5載 746年 35歳
特進汝陽王十韻(特進汝陽王に贈る二十韻)
特進の位にある汝陽王李礎に贈った詩である。

贈特進汝陽王二十韻
特進のくらいにある汝陽王李璡に贈る
特進羣公表,天人夙德升。
特進李璡公は多くの王公のあるなかにもそのめじるしとなる人で、天下の人としてつとに出きあがった徳は諸公の上に高く出でていた。
霜蹄千裡駿,風翮九霄鵬。』
これをたとえていうと、秋の霜に蹄でもって踏みとどろかす千里駿馬か、九重の天に風にはばたきする鵬鳥のようなものである。』
服禮求毫髪,推思忘寢興。
汝陽王はよく礼儀にしたがい、その些細な点までをも求められ筋を通される。忠誠心もしっかりしていて寝たり起きたりすることさえ忘れられる程である
聖情常有眷,朝退若無憑。
だから聖天子のみこころからいつもお目をかけて御寵愛になり、王が朝廷より退出せられると
仙醴來浮蟻,奇毛或賜鷹。
浮蟻の如き甘酒が王の処へは天子から来る、又時としては奇特な毛色を有する鷹を賜わることもある。
清關塵不雜,中使日相乘。』
邸の門は清掃が行き届き、塵がたまることなくその上閑静である、宮中からのお使いが毎日馬にのってくる。』
晚節嬉游簡,平居孝義稱。
王は中年後になって他人との交遊に礼儀を至って簡略にされたが、平生は孝義ある人物として世間からいわれている。
自多親棣萼,誰敢問山陵。
王は嘗て玄宗が寧王の生前に、之と血筋をわけた兄弟がむつまじくせられたということだけで己に十分満足されておられた、その父の死後、優礼を以て葬られる時に、わざわざ山陵までいかなくてよいと謙遜されていた。
學業醇儒富,詞華哲匠能。
王の学業の富めることは道の正しき儒者の如く、その文辞の華やかなことはすぐれた名人ぐらいの技能がある。
筆飛鸞聳立,章罷鳳騫騰。
文字をかくために筆を飛ばせば鸞鳥がそびえ立ち、一章をかきおわれば鳳凰がとびたつ勢がある。
精理通談笑,忘形向友朋。
談笑の際にもいつも精微な道理が存在しており、朋友には精神を以て交るようにされる。
寸長堪繾綣,一諾豈驕矜。』

その人物に一寸の長所があればそれと親密にし、いか そうとされる情合いがある、なにか人に頼みごとをしてやっても、それでいばったりする様なことはない。』

巳忝歸曹植,何知對李膺。

私は昔の王粲のようなもので、己にかたじけなくも曹植ともいうべきあなたに身を託するようになりましたが、杜密でもない私がどうして李贋ともいうべきあなたに対することができましょう。
招要恩屢至,崇重力難勝。
私を招いてくださる御恩命がしばしば私の処へきます、私を尊重してくださるので、私の力はそれに勝るの難しいほどです。
披霧初歡夕,高秋爽氣澄。
あの雲霧をおしのけて青天をながめるような心地した初めてお会いした夕べには、秋の天高く爽な気がすみわたっていた。
尊罍臨極浦,鳧雁宿張燈。
泉池の一番奥まった浦畔に臨んで酒樽を設け、燈をかかげたそばにはカモや雁がとまっていた。
花月窮遊宴,炎天避鬱蒸。
冬を超えて春は花月の下で遊宴をきわめられ、夏は炎天のむしあつさを避けられる。
硯寒金井水,簷動玉壺冰。』
秋は金井から汲んだ水を硯に寒く滴たらせ、冬は玉壺中の氷かと見間違えるような氷柱が軒端にかかりはじめた。』
瓢飲唯三徑,岩棲在百層。
私は許由の如く瓢で水を飲み、蒋詔の如くただ三径を開いて遁棲していますが、あなたは巌穴に隠棲をされて三径が百層にまでの修行をされている。
謬持蠡測海,況挹酒如澠。
あなたの胸中をおしはかるということ螺杯で海水を測るようなものである、王の饗応に預りその恩のあつさにいたみいっているのです。
鴻寶寧全秘,丹梯庶可淩。
あなたは鴻宝である全ての秘籍を私にかくされない、私はあかい梯をよじ登ってあなたの高きお住居へちかづけると希望している。
淮王門有客,終不愧孫登。』

准南王に匹敵するあなたの門には賓客があるものである。私は嵆康のような半隠半仕で、孫登に塊ずるようなことはしない信念があるのである。



特進のくらいにある汝陽王李璡に贈る
特進李璡公は多くの王公のあるなかにもそのめじるしとなる人で、天下の人としてつとに出きあがった徳は諸公の上に高く出でていた。
これをたとえていうと、秋の霜に蹄でもって踏みとどろかす千里駿馬か、九重の天に風にはばたきする鵬鳥のようなものである。』

汝陽王はよく礼儀にしたがい、その些細な点までをも求められ筋を通される。忠誠心もしっかりしていて寝たり起きたりすることさえ忘れられる程である
だから聖天子のみこころからいつもお目をかけて御寵愛になり、王が朝廷より退出せられると、天子はたよりを失うたようにおぼしめされたし、地位をたのんでいばるようなことは無い様であった。
浮蟻の如き甘酒が王の処へは天子から来る、又時としては奇特な毛色を有する鷹を賜わることもある。
邸の門は清掃が行き届き、塵がたまることなくその上閑静である、宮中からのお使いが毎日馬にのってくる。』

王は中年後になって他人との交遊に礼儀を至って簡略にされたが、平生は孝義ある人物として世間からいわれている。
王は嘗て玄宗が寧王の生前に、之と血筋をわけた兄弟がむつまじくせられたということだけで己に十分満足されておられた、その父の死後、優礼を以て葬られる時に、わざわざ山陵までいかなくてよいと謙遜されていた。
王邸の門は清掃が行き届き、塵がたまることなくその上閑静である、宮中からのお使いが毎日馬にのってくる。』


王の学業の富めることは道の正しき儒者の如く、その文辞の華やかなことはすぐれた名人ぐらいの技能がある。
文字をかくために筆を飛ばせば鸞鳥がそびえ立ち、一章をかきおわれば鳳凰がとびたつ勢がある。
談笑の際にもいつも精微な道理が存在しており、朋友には精神を以て交るようにされる。
その人物に一寸の長所があればそれと親密にし、いか そうとされる情合いがある、なにか人に頼みごとをしてやっても、それでいばったりする様なことはない。』


私は昔の王粲のようなもので、己にかたじけなくも曹植ともいうべきあなたに身を託するようになりましたが、杜密でもない私がどうして李贋ともいうべきあなたに対することができましょう。
私を招いてくださる御恩命がしばしば私の処へきます、私を尊重してくださるので、私の力はそれに勝るの難しいほどです。
あの雲霧をおしのけて青天をながめるような心地した初めてお会いした夕べには、秋の天高く爽な気がすみわたっていた。
泉池の一番奥まった浦畔に臨んで酒樽を設け、燈をかかげたそばにはカモや雁がとまっていた。
冬を超えて春は花月の下で遊宴をきわめられ、夏は炎天のむしあつさを避けられる。
秋は金井から汲んだ水を硯に寒く滴たらせ、冬は玉壺中の氷かと見間違えるような氷柱が軒端にかかりはじめた。』

私は許由の如く瓢で水を飲み、蒋詔の如くただ三径を開いて遁棲していますが、あなたは巌穴に隠棲をされて三径が百層にまでの修行をされている。
あなたの胸中をおしはかるということ螺杯で海水を測るようなものである、王の饗応に預りその恩のあつさにいたみいっているのです。
あなたは鴻宝である全ての秘籍を私にかくされない、私はあかい梯をよじ登ってあなたの高きお住居へちかづけると希望している。
准南王に匹敵するあなたの門には賓客があるものである。私は嵆康のような半隠半仕で、孫登に塊ずるようなことはしない信念があるのである。



(下し文)贈特進汝陽王二十韻
特進のくらいにある汝陽王李璡に贈る

特進は羣公の表 天人 夙德(しゅくとく) 升(のぼ)る
霜蹄(そうてい) 千里の駿 風翮(ふうかく) 九霄(きゅうしょう)の鵬』
礼に服して毫髪を求む 惟れ忠にして寝興を忘る
聖情常に眷(かえりみ)ることあり 朝より退けば憑(よ)る無きが若(ごと)し
仙醴 浮蟻 来る 奇毛 或は 鷹を賜う
清関 塵 雑ならず 中使 日に相乗ず』

晩節 嬉遊 簡なり 平居(へいきょ) 孝義 称せらる
自ら多とす 棣萼に親みしを 誰か敢て 山陵を問わん
学業 醇儒 富み 辞華哲匠の能あり
筆飛べば 鸞聾 立し 章 罷めば 鳳騫 騰す
精理 談笑に通ず 形を忘れて友朋に向う
寸長繾綣に堪えたり 一諾 豈に驕矜せんや』

己に曹植に帰するを忝くす 何如ぞ李膺に対せん
招要恩 屢々(しばしば)至る 崇重 力 勝(た)え難し
霧を披(ひら)く 初歓の夕 高秋 爽気(そうき)澄めり
樽罍(そんらい)  極浦に臨む 鳧雁(ふがん)張燈(ちょうとう)に宿す
花月 遊宴を窮め 炎天 鬱蒸を避く
硯には寒し金井(きんせい) の水 簷には動く玉壷の冰』

瓢飲 惟だ三径 巌棲百層に在り
謬って持す蠡(れい)の海を測るを 況んや挹む酒の澠の如くなるを
鴻宝寧(なん)ぞ全く秘せん 丹梯 庶(こいねがわ)くは凌ぐ可けん
准王門に客有り 終に孫登に愧(は)じず』

 
贈特進汝陽王二十韻
特進のくらいにある汝陽王李璡に贈る
特進 文官の散階正二晶を特進という。元二十九年十一月菜、年六十三)があり、○汝陽王 李璡。容宗と粛明皇后との間に寧主意(初名は成器、開憲の子が進である。進は天宝三載に特進を加えられ、九載に卒した。


特進羣公表,天人夙德升。
特進李璡公は多くの王公のあるなかにもそのめじるしとなる人で、天下の人としてつとに出きあがった徳は諸公の上に高く出でていた。
特進 李璡其の人をさす。○羣公 多くの王公。○ 儀表、めじるしとなっていること。○天人 天上界の人、進は皇族なるゆえかくいう。 ○ 羣公の上にのぼること。 ○夙徳 夙は早に同じ、夙徳とは若くして早くすでにできあがった徳をいう。

霜蹄千裡駿,風翮九霄鵬。
これをたとえていうと、秋の霜に蹄でもって踏みとどろかす千里駿馬か、九重の天に風にはばたきする鵬鳥のようなものである。』
霜蹄 霜を踏むひづめ、馬にたとえる。○風翮 風にうつたちばね、鳥にたとえる。〇九霄 九重のそら。多くの王公。○ おおとり。
 
服禮求毫髪,推思忘寢興。
汝陽王はよく礼儀にしたがい、その些細な点までをも求められ筋を通される。忠誠心もしっかりしていて寝たり起きたりすることさえ忘れられる程である。
服礼 服とは身につけること、従うこと。○毫髪 毫とは髪の十分の一、共にすこしばかりの量をいう。○惟忠 惟は語助辞、忠は君に対する誠心。
 
聖情常有眷,朝退若無憑。
だから聖天子のみこころからいつもお目をかけて御寵愛になり、王が朝廷より退出せられると、天子はたよりを失うたようにおぼしめされたし、地位をたのんでいばるようなことは無い様であった」。
聖情 天子(玄宗)のこころ。○ かえりみる、めをかけて愛する。○朝退 朝廷よりさがる。〇着無憑 天子の側よりみる説と汝陽王の側よりみる説とがある。前説によれば天子がたよりなしとされるとみる。後説によれはたのむ所がない、貴位を挟んで威張ったりせぬこととみる。

仙醴來浮蟻,奇毛或賜鷹。
浮蟻の如き甘酒が王の処へは天子から来る、又時としては奇特な毛色を有する鷹を賜わることもある。
仙醴 仙は飾りの語、醴は甘酒、王室よりくださる甘酒を仙醴という。漢の世に楚の元王が申公・穆生という学者を敬礼し、醴を設けたとの故事がある。○浮蟻 酒の名、けだし泡立てるありさまより名づける。○奇毛 奇特な毛色。

清關塵不雜,中使日相乘。』
王邸の門は清掃が行き届き、塵がたまることなくその上閑静である、宮中からのお使いが毎日馬にのってくる。』
清關 関とは門をいう。○塵不雜 ほこりがごたごたせぬ、俗客と交らぬことをいう。○中便 楚中よりの御使い。○ 馬にのってくる。


晚節嬉游簡,平居孝義稱。
王は中年後になって他人との交遊に礼儀を至って簡略にされたが、平生は孝義ある人物として世間からいわれている。
晩節 中年以後をさす。○嬉游 他賓客とのあそび。○ 礼儀を簡略にすること。又案ずるに、「南斉書」文恵太子伝の「宮内に在り、遨遊玩弄より簡す」の簡と同じく、選択する義か。○平居 平生。○孝義 孝は父に対する道、義は兄弟に対する道についていう。

自多親棣萼,誰敢問山陵。
王は嘗て玄宗が寧王の生前に、之と血筋をわけた兄弟がむつまじくせられたということだけで己に十分満足されておられた、その父の死後、優礼を以て葬られる時に、わざわざ山陵までいかなくてよいと謙遜されていた。
自多 みずから多とする。自ずからとは汝陽王についていう。多とすとはその点を十分だとして満足すること。○親棣萼 棣萼は兄弟の義に用いる。「棠棣」とうていの詩に「棠棣の華、萼不韡韡イイたり」とある。不は跗と同じ、「ざいふり」の花は花に花のあしがうるわしくついているので兄弟のむつまじきことにたとえる。親とは玄宗が寧王に対し親しまれたことをいう。○問山陵 汝陽王の父の寧王が粟ずるや認して譲皇帝といい、橋陵の傍に葬り、恵陵と号したが、王は表を上って′懇辞した。寧王は容宗の太子として帝位に即くべき人であったが玄宗に譲られたのである。山陵を問わぬというのは汝陽王が父を重く葬ることを辞退することである。


學業醇儒富,詞華哲匠能。
王の学業の富めることは道の正しき儒者の如く、その文辞の華やかなことはすぐれた名人ぐらいの技能がある。
醇儒 道の正しき儒者。○哲匠 すぐれた名人。
 
筆飛鸞聳立,章罷鳳騫騰。
文字をかくために筆を飛ばせば鸞鳥がそびえ立ち、一章をかきおわれば鳳凰がとびたつ勢がある。
筆飛 文字を書することをいう。○、鳳 奴に字形の形容。○ あがりとぶ。
 
精理通談笑,忘形向友朋。
談笑の際にもいつも精微な道理が存在しており、朋友には精神を以て交るようにされる。
○精理 精微なる道理。○通談笑 通とは共に存在することをいう。○忘形 形骸のうわべを忘れ、精神を以て交る。
 
寸長堪繾綣,一諾豈驕矜。』
その人物に一寸の長所があればそれと親密にし、いか そうとされる情合いがある、なにか人に頼みごとをしてやっても、それでいばったりする様なことはない。』
寸長 わずかな長所。○繾綣 糸のもつれる貌(親交の情についていう)。〇一諾 漢の季布の故事、季布は侠客であり、その一諸を得ることは黄金百斤を得ることよりもまさるといわれた。王が他人のたのみをひきうけられることをいう。○驕矜 おごり、ほこる。

巳忝歸曹植,何知對李膺。 
私は昔の王粲のようなもので、己にかたじけなくも曹植ともいうべきあなたに身を託するようになりましたが、杜密でもない私がどうして李贋ともいうべきあなたに対することができましょう。
 かたじけなくおもう、謙遜していう。○帰曹植 曹植は魏の曹操の次子、文辞に長じ、文士王粲の徒はこれに帰した。ここは曹植を以て汝陽王に比し、王粲を自己にたとえる。○李贋 後漢の賢人。杜密と親交があり、李杜と称せられる。ここは李贋を王に此し、杜密を自己に比する。

招要恩屢至,崇重力難勝。 
私を招いてくださる御恩命がしばしば私の処へきます、私を尊重してくださるので、私の力はそれに勝るの難しいほどです。
招要 要は邀(むかえる)に同じ、王が作者をむかえること。○恩、力 王の恩、自己の力。○崇重 王が作者を尊重してくれること。

披霧初歡夕,高秋爽氣澄。
あの雲霧をおしのけて青天をながめるような心地した初めてお会いした夕べには、秋の天高く爽な気がすみわたっていた。
披霧 初対面をいう、晋の衛瓘という者が楽広を見たとき、「此の人を見るは、雲霧を披きて青天を覩るが若し」と言ったという。○初歓 初めて王とうちとけて語る。 ○高秋 天高き秋。○爽気 さわやかな気。


尊罍臨極浦,鳧雁宿張燈。
泉池の一番奥まった浦畔に臨んで酒樽を設け、燈をかかげたそばにはカモや雁がとまっていた。
 ○ 大きな酒つぼ。○極浦 一番奥まった浦畔。○宿張燈 燈を張った傍に宿す。按ずるに「披霧」以下の四句は前年の秋について叙する。

花月窮遊宴,炎天避鬱蒸。 
冬を超えて春は花月の下で遊宴をきわめられ、夏は炎天のむしあつさを避けられる。
花月 此の句は春をいう。○炎天 此の句は夏をいう。○鬱蒸 むっとしてむしあつい。

硯寒金井水,簷動玉壺冰。』
秋は金井から汲んだ水を硯に寒く滴たらせ、冬は玉壺中の氷かと見間違えるような氷柱が軒端にかかりはじめた。』
硯寒 秋をいう。○金井 銅の井戸がわを用いた井。○簷 軒端。○ 懸かりはじめること。○玉壺冰 玉壺中にあるが如き美しい氷ということ、氷柱をいう。


瓢飲唯三徑,岩棲在百層。
私は許由の如く瓢で水を飲み、蒋詔の如くただ三径を開いて遁棲していますが、あなたは巌穴に隠棲をされて三径が百層にまでの修行をされている。
瓢飲 許由の故事、むかし許由が手で水を飲んでいると、ある人がこれに一瓢をおくってくれた。由は飲みおわって木の上に掛けたところ風が吹くときひょうひょうと鳴ったので、由はうるさいとして瓢をすてた。ここは許由の遁棲に似ていることをいう。〇三径 後漢の蒋詞というものが隠居して門を塞ぎ舎中にただ三すじの径を開いたとの故事。隠者を学ぶことをいう、此の句は自己をいう。○巌棲在百層 隠棲をされて三径が百層にまでの修行をされている。
 

謬持蠡測海,況挹酒如澠。
あなたの胸中をおしはかるということ螺杯で海水を測るようなものである、王の饗応に預りその恩のあつさにいたみいっているのです。
謬持 謬とは謙辞、持とは抱きもつことをいう。○蠡測海 「漢書」東方朔伝にみえる。蠡は螺、螺貝にてつくった杯を以て海の水の多少をはかる。海とは王の識見度量の深いことをたとえる。○酒如澠 「左伝」昭公十二年にみえる、澠は川の名、澠の如しとは多いことをいう、王の饗応に預りその恩のあついことをいう。

鴻寶寧全秘,丹梯庶可淩。
あなたは鴻宝である全ての秘籍を私にかくされない、私はあかい梯をよじ登ってあなたの高きお住居へちかづけると希望している。
鴻宝 秘籍の名。劉安に「枕中鴻宝苑秘書」があったという、蓋し神仙・黄白(錬金術)の事をかいたもの。○丹梯 梯ははしご、これは赤色の土の山路をさしていう。此の句は上の巌棲百層の句と応ずる。○ おかしてのぼること。

淮王門有客,終不愧孫登。
准南王に匹敵するあなたの門には賓客があるものである。私は嵆康のような半隠半仕で、孫登に塊ずるようなことはしない信念があるのである。
准王 漢の准南王劉安、汝陽王に此する。○ 自己をいう。○愧孫登 魏末に孫登が汲郡の北山に居たとき、嵆康は之に従って遊ぶこと三年、別れんとするとき登は嵆康に謂って「子は才多きも識寡し、今の世に於て禍よリ免るること難し」といった。嵆康は後、非命に死んだが、死に臨み「幽憤詩」を作って、「昔は柳下に慙じ、今は孫登に愧ず」といった。柳下は柳下恵、柳下恵は治世にも乱世にも出でて仕え、孫登は乱世と知って隠遁して仕えなかった。嵆康は二人の如くであることができなかったので二人に対して慙愧するというのである。

嵆康(けいこう) (223~262) 字は叔夜。譙郡の人。嵆昭の子。河内郡山陽に住んだ。竹林に入り、清談にふけった。あるとき訪ねてきた鍾会に挨拶せず、まともに相手をしなかったので恨まれた。官は中散大夫に上った。呂安の罪に連座して、刑死した。竹林七賢のひとり。
『養生論』、『釈仏論』、『声無哀楽論』。 ・幽憤詩 ・贈秀才入軍五首 ・呉謡 ・呂安題鳳
 7/10 ブログ 阮籍 詠懐詩、 白眼視  嵆康 幽憤詩 7/10 ブログ 幽憤詩  嵆康 訳注篇(詳細) 
孫登 竹林の七賢などと絡み、司馬昭が興味を示した魏末の隠逸の士、仙人のような逸話も残る汲郡の孫登も三国時代の人と言える。

送孔巢父謝病歸游江東,兼呈李白 杜甫

送孔巢父謝病歸游江東,兼呈李白 杜甫 紀頌之の漢詩ブログ杜甫詩 特集  26

七言歌行
746年天宝5載 杜甫は李白と別れて洛陽にもどる
杜甫の父、杜閑が縁組の手はずをととのえていた。 
杜甫、35歳、妻24歳、ともに晩婚である。妻の家柄はよく、役所の少卿の娘であった。杜甫はこのまま詩的放浪の生活をつづけていくことは許されなくなった。このまま洛陽にいては仕官は難しく、長安に出ることになった。


この詩は李白とも友人で杜甫も親しくしていた孔巣父が病気に託して官をやめてかえり、これから江南の方へでかえるのを送り、同時に李白におくるために此の詩を作った。


送孔巢父謝病歸游江東,兼呈李白
孔巣父が病気に託して官をやめてかえり、これから江南の方へでかえるのを送り、同時に李白におくるために此の詩を作った。
巢父掉頭不肯住,東將入海隨煙霧。
このたび孔巣父は、一応ひきとめてはみたことに対し、かぶりをふってどうしてもとどまろうとはしない、東の方神仙のすむ海中に入って煙霧のあとを追いたずねようとしている。
詩卷長流天地間,釣竿欲拂珊瑚樹。』
その名作を載せた詩巻は、永久に天地の間にのこしたままにし、釣竿でもって、海底にしっかり育った珊瑚樹を払おうとおもうている。』
深山大澤龍蛇遠,春寒野陰風景暮。
(竜蛇が遠く深山大沢へ退かんとするように去ろうとしているのであるし、春寒く野もくもり、あたりのけしきも暮れかかっているようなものだ。
蓬萊織女回雲車,指點虛無引歸路。』
まもなく)蓬莱山の仙女が五彩雲の車をもってこちらへ迎えに来てくれ、煙霧でわからない処を変えるべき道を指示し、導いてくれる。』 
自是君身有仙骨,世人那得知其故。
元来、君がからだには仙人の本筋をもっているのであるし、世間の凡人はどうして君がその地位にとどまらぬわけを知ることができよう。
惜君只欲苦死留,富貴何如草頭露。』
凡人の心ではただひたすら君をひきとめようとおもうが、君は富貴は草のうえの露よりはかなく消えてしまうものだとかんがえている。』
蔡侯靜者意有餘,清夜置酒臨前除。
蔡君という人は寡黙の人で惜む気持ちは十分思っている、清夜、酒を用意してもてなしてもらうと寡黙がのぞかれ君に対することができる。
罷琴惆悵月照席,幾歲寄我空中書。
席上にて琴を弾ずるものがあるがうらめしくも月光のみが席を照らしている、何年たったとしてもわたしにありないほど離れたところからの書を寄せてくれるだろうか。
南尋禹穴見李白,道甫問訊今何如。』

南の方、南穴のある地をおとずれて、李白に面会できたら、このわたしが「あなたの近況はどうなのか」とたずねていたとつたえてもらいたい。


このたび孔巣父は、一応ひきとめてはみたことに対し、かぶりをふってどうしてもとどまろうとはしない、東の方神仙のすむ海中に入って煙霧のあとを追いたずねようとしている。
その名作を載せた詩巻は、永久に天地の間にのこしたままにし、釣竿でもって、海底にしっかり育った珊瑚樹を払おうとおもうている。』竜蛇が遠く深山大沢へ退かんとするように去ろうとしているのであるし、春寒く野もくもり、あたりのけしきも暮れかかっているようなものだ。
(まもなく)蓬莱山の仙女が五彩雲の車をもってこちらへ迎えに来てくれ、煙霧でわからない処を変えるべき道を指示し、導いてくれる。』 
元来、君がからだには仙人の本筋をもっているのであるし、世間の凡人はどうして君がその地位にとどまらぬわけを知ることができよう。
凡人の心ではただひたすら君をひきとめようとおもうが、君は富貴は草のうえの露よりはかなく消えてしまうものだとかんがえている。』
蔡君という人は寡黙の人で惜む気持ちは十分思っている、清夜、酒を用意してもてなしてもらうと寡黙がのぞかれ君に対することができる。
席上にて琴を弾ずるものがあるがうらめしくも月光のみが席を照らしている、何年たったとしてもわたしにありないほど離れたところからの書を寄せてくれるだろうか。
南の方、南穴のある地をおとずれて、李白に面会できたら、このわたしが「あなたの近況はどうなのか」とたずねていたとつたえてもらいたい。

(下し文)孔巢父謝病歸し江東に游ぶを送る,兼ねて李白に呈す
巣父頭を捧って肯て住まらず、東将に海に入りて煙霧に随わんとす
詩巻長く留む天地の間、釣竿払わんと欲す珊瑚の樹』
深山大沢竜蛇遠し、春寒野陰風景暮る
蓬莱の織女は雲車を回す、虚無を指点して帰路を引く』
自ら是れ君が身仙骨有り 世人、那ぞ其の故を知ることを得ん
君を惜み只だ苦死して留めんと欲す、富貴は草頭の露に何如』
蔡侯は静者 意 余り有り、晴夜 酒を置きて 前除に臨む
琴を罷め 惆悵すれば 月 席を照らす、幾歳か我に寄せん 空中の書
南 禹穴を尋ねて李白を見ば、道え 甫 問訊す今何如と』


送孔巢父謝病歸游江東,兼呈李白
孔巣父が病気に託して官をやめてかえり、これから江南の方へでかえるのを送り、同時に李白におくるために此の詩を作った。
孔巣父 巣父字は弱翁、巽州の人、韓準、李白、裴政、張叔明、陶沔と山東の徂徠山に隠居した。時にこれを竹渓の六逸と号した。李白の友である。○謝病帰 病と謝して帰るとは一度は官に仕え、病に託して官をやめて故郷にかえること。○江東 江南のこと、江は揚子江。○呈李白 呈とはさしあげるということ。これによれば当時李白が江南に在るときである。


巢父掉頭不肯住,東將入海隨煙霧。
 このたび孔巣父は、一応ひきとめてはみたことに対し、かぶりをふってどうしてもとどまろうとはしない、東の方神仙のすむ海中に入って煙霧のあとを追いたずねようとしている。
埠頭 かぶりをふる、人の言うことをきかぬさま。○ この地に住みとどまること。


詩卷長流天地間,釣竿欲拂珊瑚樹。』
その名作を載せた詩巻は、永久に天地の間にのこしたままにし、釣竿でもって、海底にしっかり育った珊瑚樹を払おうとおもうている。』
○払 触れること。○珊瑚樹 海底に生ずるもの。「神農本草経」に「珊瑚は海底の盤石の上に生ず。一歳にして黄、三歳にして赤し。海人先ず鐡網を作り手水底に沈むれば中を貫いて生ず。網を絞りてこれを出す。時を失して取たざればすなわち腐る。」とある。網を作って珊瑚をとるならいいけど、釣り棹で振り払うのではいけないといっている。

深山大澤龍蛇遠,春寒野陰風景暮。
竜蛇が遠く深山大沢へ退かんとするように去ろうとしているのであるし、春寒く野もくもり、あたりのけしきも暮れかかっているようなものだ。
大沢竜蛇 「左伝」襄公二十一年に「深山大沢、実に竜蛇を生ず」とある。ここは竜蛇を以て巣父に喩えている。○春寒 此の一句は別れんとするときの気象をのべる。○野陰 野原のうすく影になって暗いところをいう。


蓬萊織女回雲車,指點虛無引歸路。』
(まもなく)蓬莱山の仙女が五彩雲の車をもってこちらへ迎えに来てくれ、煙霧でわからない処を変えるべき道を指示し、導いてくれる。』 
蓬莱 海中の仙島。○織女 織女は天の河にあって五彩雲錦を織るものであるが、今は単に仙女の意に用いる。〇回雲車 回とは先方より巣父の方へとひきめぐらすこと。雲車は五色の雲のたなびく車。○指点 ゆびさししめす。○虚無 煙霧標紗とたなびく海の奥をいう。○ みちびくこと。○帰路 巣父がかえるべき路。


自是君身有仙骨,世人那得知其故。
元来、君がからだには仙人の本筋をもっているのであるし、世間の凡人はどうして君がその地位にとどまらぬわけを知ることができよう。
自是 もとより。○ 本筋 ○其故 とどまらぬわけ。人世富貴の境である官を辞すことをさす。


惜君只欲苦死留,富貴何如草頭露。』
凡人の心ではただひたすら君をひきとめようとおもうが、君は富貴は草のうえの露よりはかなく消えてしまうものだとかんがえている。』
惜君 惜は愛惜。○苦死 死にもの狂いでということ。○ ひきとめる。○富貴 此の一句は巣父の心中をのべたもので、巣父の語とみなしてよい。○何如 比較の辞。富貴は羊頭の露にも及ばぬことをいう。○草頭露 はかなく消え易いもの。


蔡侯靜者意有餘,清夜置酒臨前除。
蔡君という人は寡黙の人で惜む気持ちは十分思っている、清夜、酒を用意してもてなしてもらうと寡黙がのぞかれ君に対することができる。
蔡侯静者 察侯は察君というのに同じ。静者とは人がらの沈静なことをいう。寡黙な人。○意有余 別れを惜しむ意の尽きないこと。○置酒 酒を用意してもてなしてもらうこと。李白「終南山過斛斯山人宿置酒」(終南山下り斛斯山人を過り宿し置酒す)○前除 前を除く、寡黙で自分の意志を告げられないものが酒に酔って取り除かれる。


罷琴惆悵月照席,幾歲寄我空中書。

席上にて琴を弾ずるものがあるがうらめしくも月光のみが席を照らしている、何年たったとしてもわたしにありないほど離れたところからの書を寄せてくれるだろうか。
罷琴 席上にて琴を弾ずるものがあるのである。○惆悵 いたむさま。君が去っていないので。○空中青 雲中の書、天辺の書といういみでありえない書という意味。非常に遠方に離れるため空中といった。書はてがみのこと。


南尋禹穴見李白,道甫問訊今何如。』 

南の方、南穴のある地をおとずれて、李白に面会できたら、このわたしが「あなたの近況はどうなのか」とたずねていたとつたえてもらいたい。
南穴 浙江省紹興府の会稽山にある南の葬処。これは李白の客遊している地をさしている。○ いえ、命令の辞。○ たずねる。○何如 李白の近況如何。




送孔巢父謝病歸游江東,兼呈李白
巢父掉頭不肯住,東將入海隨煙霧。
詩卷長流天地間,釣竿欲拂珊瑚樹。』
深山大澤龍蛇遠,春寒野陰風景暮。
蓬萊織女回雲車,指點虛無引歸路。』
自是君身有仙骨,世人那得知其故。
惜君只欲苦死留,富貴何如草頭露。』
蔡侯靜者意有餘,清夜置酒臨前除。
罷琴惆悵月照席,幾歲寄我空中書。
南尋禹穴見李白,道甫問訊今何如。』

孔巢父謝病歸し江東に游ぶを送る,兼ねて李白に呈す
巣父頭を捧って肯て住まらず、東将に海に入りて煙霧に随わんとす
詩巻長く留む天地の間、釣竿払わんと欲す珊瑚の樹』
深山大沢竜蛇遠し、春寒野陰風景暮る
蓬莱の織女は雲車を回す、虚無を指点して帰路を引く』
自ら是れ君が身仙骨有り 世人、那ぞ其の故を知ることを得ん
君を惜み只だ苦死して留めんと欲す、富貴は草頭の露に何如』
蔡侯は静者 意 余り有り、晴夜 酒を置きて 前除に臨む
琴を罷め 惆悵すれば 月 席を照らす、幾歳か我に寄せん 空中の書
南 禹穴を尋ねて李白を見ば、道え 甫 問訊す今何如と』

春日憶李白 杜甫

春日憶李白 杜甫 紀頌之の漢詩ブログ杜甫詩 特集  25

春の日に李白をおもって作った詩である。
746年天宝5載35歳の春杜甫がすでに李白と別れ、長安に帰ってからの作で、この時。李白は時に江南にいた。

春日憶李白
春の日に李白をおもう
白也詩無敵,飄然思不羣。
李白よ、君は詩に於てだれも匹敵するものがない、凡俗を超越しているその思想は世間なみの衆人と並べることはできない。
清新庚開府,俊逸鮑參軍。
清新なる君の詩風は、北周の庚信のようであり、それと俊逸な詩風は宋の飽照のようである。
渭北春天樹,江東日暮雲。
今わたしは渭北の春の大空に立つ大樹を仰ぎ見ている、あなたははるか江東の日暮の雲をみている。
何時一尊酒,重與細論文。

いつかまた一樽の酒を酌みかわそう、ふたたびあなたとくわしく詩文、作物について論じあうことができるだろうか。


李白よ、君は詩に於てだれも匹敵するものがない、凡俗を超越しているその思想は世間なみの衆人と並べることはできない。
清新なる君の詩風は、北周の庚信のようであり、それと俊逸な詩風は宋の飽照のようである。
今わたしは渭北の春の大空に立つ大樹を仰ぎ見ている、あなたははるか江東の日暮の雲をみている。
いつかまた一樽の酒を酌みかわそう、ふたたびあなたとくわしく詩文、作物について論じあうことができるだろうか。

(下し文)春日李白を憶う
白や詩敵なし 諷然として思羣ならず
清新は庚開府 俊速は飽参軍
洞北春天の樹 江東日暮の雲
何の時か一得の酒 重ねて与に細かに文を論ぜん



白也詩無敵,飄然思不羣。
李白よ、君は詩に於てだれも匹敵するものがない、凡俗を超越しているその思想は世間なみの衆人と並べることはできない。
〇白也 白は李白の名。名をよびかけたのは親しむ意があるのと、次の無敵を強調している。呼び捨てにしてもそのあとにくる語を最大級の褒め言葉にする子どで非礼はないのである。○ 匹敵するもの。○諷然 凡俗を超脱し拘束されぬさまをいう。「謫仙人」と称されていたのを意識している。○ 詩の思想。○不羣 羣は羣衆、世間なみの衆人、不羣とは羣に超えることをいう。


清新庚開府,俊逸鮑參軍。
清新なる君の詩風は、北周の庚信のようであり、それと俊逸な詩風は宋の飽照のようである。
清新 清らかにあたらし、さっぱりとして陳腐でない。○庚開府 北周の庚信。信の官位は牒騎大将軍・開府儀同三司。庾信(ゆしん)513年- 581年 は、中国南北朝時代の文学者。字は子山。南陽郡新野の人。庾肩吾の子。南朝の梁に生まれ、前半生は皇太子蕭綱(後の簡文帝)配下の文人として活躍した。侯景の乱後の後半生は、やむなく北朝の北周に身を置くことになり、代表作「哀江南賦」をはじめ、江南を追慕する哀切な内容の作品を残した。○俊逸 気象のすぐれていること。○飽参軍 劉米の飽照。照は臨海王の前軍参軍となる。鮑照(ほうしょう)412 頃-466 六朝時代、宋の詩人。字(あざな)は明遠。元嘉年間の三大詩人の一人として謝霊運・顔延之と併称された。 擬行路難 , 代出自薊北門行


渭北春天樹,江東日暮雲。
今わたしは渭北の春の大空に立つ大樹を仰ぎ見ている、あなたははるか江東の日暮の雲をみている。
渭北 北にある渭水のあたり。渭水の附近をさしていう。渭水は長安の北に在り、丘陵地で陵墓が多くある。杜甫が居ることを示している処。次の句の江東と対している。 ○江東 江南と同じ、長江下流の東南、これは李白の居る地方をいう。


何時一尊酒,重與細論文。
いつかまた一樽の酒を酌みかわそう、ふたたびあなたとくわしく詩文、作物について論じあうことができるだろうか。
 こまかに、くわしく。○論文 文学上の製作物について語りあう。
長安洛陽鳳翔Map上下の真ん中左から右へ渭水が流れる。
choan9ryo渭北:渭水は長安の北に在り、丘陵地で陵墓が多くある。杜甫は横門橋を渡ったあたりに居た。

鄭駙馬宅宴洞中 杜甫

鄭駙馬宅宴洞中 杜甫 紀頌之の漢詩ブログ杜甫詩 特集  23

鮒馬都尉鄭潜曜の宅にて、洞穴の中で宴をしたことをのべる。
杜甫は仕官活動の一環であった。
745年天宝4載34歳

鄭駙馬宅宴洞中
主家陰洞細煙霧,留客夏簟青瑯玕。
春酒杯濃琥珀薄,冰漿碗碧瑪瑙寒。
悞疑茅屋過江麓,已入風磴霾雲端。
自是秦樓壓鄭穀,時聞雜佩聲珊珊。

公主のお宅には日陰の洞穴に靄や霧の冷気が細かに湧き出ている、そこへ賓客を夏のたかむしろとして筵を編んだ竹むしろをしいてくれていた。
濃い春酒が薄い琥珀の盃にそそがれ、氷の飲料は寒そぅな色をした瑪瑙の椀のなかでつめたさで碧の宝玉のようにみえる。
洞辺の茅堂を過ぎたら、あたかも江辺の山麓をとおっているのではないかと間違うくらいの涼しさがある、すでに風通しの良い石段の路では雲の端から土粉が降りかかってきた。
元来ここには(洞宅といえば鄭谷であるが)それを圧倒するように秦楼が高くそびえていたのだ、時々仙女の雜佩の音がジャラジャラとにきこえてきた。


(鄭鮒馬が宅にて洞中に宴をする)
主家の陰洞(いんどう)  煙霧 細やかなり
客を留める夏簟(かてん)は  青瑯玕(せいろうかん)
春酒 盃 濃(こまやか)にして 琥珀 薄く
冰漿(ひょうしょう) 碗 碧にして 瑪瑙(めのう) 寒い
誤って疑う 茅堂(ぼうどう) 江麓に過ぎたかと
己に風磴(ふうとう)に入れば 雲端に霾(つちふる)
自ら是 秦楼(しんろう)  鄭谷(ていこく)を圧す
時に聞く 雑佩の声珊珊たるを

鄭駙馬宅宴洞中
○鄭鮒馬 齢馬都尉鄭潜曜をいう。潜曜は杜南の親友鄭処のおいで、玄宗と皇甫淑妃との間に生まれた臨晋公主という姫宮を娶った。潜曜の父は鄭万釣、母は睿宗の姫宮代国長公主(名は華、字は華婉)。○宅、洞 前の「重ネテ鄭氏ノ東亭二題ス」の詩と同じく新安に在る邸潜曜の宅をさす。
天宝四載夏洛陽の時の作である。○洞中 夏時はあっいために洞穴の中に宴した。

 

主家陰洞細煙霧,留客夏簟青瑯玕。
公主のお宅には日陰の洞穴に靄や霧の冷気が細かに湧き出ている、そこへ賓客を夏のたかむしろとして筵を編んだ竹むしろをしいてくれていた。
○主家 公主の家。○陰洞 日光のあたらぬ洞穴。○留客 客とは杜甫自身をさす。○簟 たかむしろ。○青瑯玕 青いくだ だま。これは筵を編んだ竹の色をたとえていう。

春酒杯濃琥珀薄,冰漿碗碧瑪瑙寒。
濃い春酒が薄い琥珀の盃にそそがれ、氷の飲料は寒そぅな色をした瑪瑙の椀のなかでつめたさで碧の宝玉のようにみえる。
○春酒 春できの酒。○濃 酒の濃いことをいう。○琥珀薄 琥珀は盃の材料。○冰漿 氷をいれた飲料。○瑪瑙 瑪瑙は椀の材料。
 
悞疑茅屋過江麓,已入風磴霾雲端。
洞辺の茅堂を過ぎたら、あたかも江辺の山麓をとおっているのではないかと間違うくらいの涼しさがある、すでに風通しの良い石段の路では雲の端から土粉が降りかかってきた。
○悞 誤りに同じ。○過江麓 江麓とは江辺の山麓をいう。○風磴 風磴は石段の路、磴とは磴が高くて風をうけることをいう。けだし洞を出て一層高い丘上に向かうのであろう。○霾 土ふる。灰の如く細かい土粉が風にあおられて雨の如くふりそそぐこと。○雲端 高い処をさす。

自是秦樓壓鄭穀,時聞雜佩聲珊珊。
元来ここには(洞宅といえば鄭谷であるが)それを圧倒するように秦楼が高くそびえていたのだ、時々仙女の雜佩の音がジャラジャラとにきこえてきた。
○自走 もとより。○秦楼 秦の穆公に女があり弄玉といったが、弄玉は簫の名人の蕭史を愛した。穆公は之を妻わしたところ、二人は日々楼上に於て簫を吹き鳳の鳴くが如くであったが、ある日鳳がやって来てその屋に止まり、夫妻はともにその鳳に随って飛び去った。秦楼とは弄玉のすむ楼をいい、臨晋公主の居楼に比する。○圧  高くそびえ下方を圧するが如くであることをいう。○鄭谷 漢の鄭撲、字は子兵。長安の谷口に耕し、賢を以て聞こえた。鄭潜曜のこの洞宅に此する。○雜佩 ぞうはい さまざまの古詩に付けた飾り玉。○珊珊 玉などの鳴るおと。

與李十二白同尋范十隱居  杜甫

與李十二白同尋范十隱居  杜甫 紀頌之の漢詩ブログ杜甫詩 特集  22李白を詠う(5) (李白と旅する)


746年天宝5載35

その年の夏、李邕が済州(済南)にやって来たので、杜甫は李邕に従い、済州の駅事にある歴下事や、済州城の北方にある鵲山亭での宴遊に加わって、当代の文壇のあれこれについて談じた。話は祖父審言にも及び、李邕は審言の詩の美しきを賛えた。杜甫は祖父の存在を、どんなに誇りに思ったことであろう。

 秋になって、杜甫は兗州に李白を訪ねた。李白は兗州に程近い任城(済寧)に家を構えており、二人の子供をそこに置いていた。杜甫は、すでに高天師のところから帰っていた李白と、東方にある蒙山に登って、董錬師、元逸人という道士を訪ねたり、城北に范十隠居を訪問したりしている。


與李十二白同尋范十隱居
李侯有佳句,往往似陰鏗。
李白どのは佳い句を作られる、ときどき、華麗な抒情詩を書く陰鏗の作に似ている。
余亦東蒙客,憐君如弟兄。』
このたび私は、あなたとともに東のかた蒙山の地に遊び、あなたを親しく思うこと兄弟のようである。
醉眠秋共被,攜手日同行。
秋の夜、酒に酔っては一枚の夜着を共にして眠り、毎日、手を取り合って歩いた。
更想幽期處,還尋北郭生。』
そうして、幽静の心ある人に会いたくなって、今日はまた、北郭の范どのを訪ねてきた。
入門高興發,侍立小童清。
門を入ると、世俗を離れた気配が漂っており、そばに侍っている童子までも清らか。
落景聞寒杵,屯雲對古城。』
日の落ちるころになると、寒空に杵の音が聞こえ、古城には雲が低く垂れこめる。
向來吟橘頌,誰欲討蓴羹。
これまで私は屈原の「橘頌」を吟じつづけてきたが、さて、だれとともに蓴菜のスープを求めて故郷に帰ろうか。
不願論簪笏,悠悠滄海情。』

役人になることを論じようとは思わない。槍海に隠遁したい思いが、いつまでも続いている。

李白どのは佳い句を作られる、ときどき、華麗な抒情詩を書く陰鏗の作に似ている。
このたび私は、あなたとともに東のかた蒙山の地に遊び、あなたを親しく思うこと兄弟のようである。
秋の夜、酒に酔っては一枚の夜着を共にして眠り、毎日、手を取り合って歩いた。
そうして、幽静の心ある人に会いたくなって、今日はまた、北郭の范どのを訪ねてきた。
門を入ると、世俗を離れた気配が漂っており、そばに侍っている童子までも清らか。
日の落ちるころになると、寒空に杵の音が聞こえ、古城には雲が低く垂れこめる。
これまで私は屈原の「橘頌」を吟じつづけてきたが、さて、だれとともに蓴菜のスープを求めて故郷に帰ろうか。
役人になることを論じようとは思わない。槍海に隠遁したい思いが、いつまでも続いている。



(下し文)李十二白と同(とも)に范十隱居を尋ぬ
李侯に佳句有り,往往 陰鏗(いんこう)に似たり。
余も亦 東蒙の客,君に憐しむこと弟兄の如し。』
醉いて眠りては秋に被を共にし,手を攜えて日と同に行く。
更に想う幽期の處,還尋ね 北郭の生(ひと)。』
門に入れば高興は發し,侍立せる小童も清し。
落景に寒杵(かんしょ)を聞き,屯雲(ちゅううん)に古城に對し。』
向來 橘頌(きっしょう)を吟ずるも,誰と蓴羹(じゅんこう)を討たんと欲す。
簪笏(しんこつ)を論ずるを願わず,悠悠たり、滄海の情。』




李侯有佳句,往往似陰鏗。
李白どのは佳い句を作られる、ときどき、華麗な抒情詩を書く陰鏗の作に似ている。
往々 いつも。ときどき。 ○陰鏗(いんこう) (生没年不詳)  字は子堅。武威郡姑臧の人、はじめ梁の湘東王の法曹参軍となった。陳の天嘉年間に、始興王の中録事参軍となり、のちに晋陵太守・員外散騎常侍に上った。詩人として何遜と並び称された。『陰常侍詩集』。
(添付)「五州夜発」陰鏗
夜江霧裏闊、新月迥中明。
溜船惟識火、驚鳧但聴聲。
勞者時歌榜、愁人數問更。

余亦東蒙客,憐君如弟兄。』
このたび私は、あなたとともに東のかた蒙山の地に遊び、あなたを親しく思うこと兄弟のようである。
東蒙 兗州府東にある蒙山のこと。

醉眠秋共被,攜手日同行。
秋の夜、酒に酔っては一枚の夜着を共にして眠り、毎日、手を取り合って歩いた。
 かけ布団。かぶる。

更想幽期處,還尋北郭生。』
そうして、幽静の心ある人に会いたくなって、今日はまた、北郭の范どのを訪ねてきた。
幽期 隠居している ○北郭の范 城北の范十隱居


入門高興發,侍立小童清。
門を入ると、世俗を離れた気配が漂っており、そばに侍っている童子までも清らか。


落景聞寒杵,屯雲對古城。』
日の落ちるころになると、寒空に杵の音が聞こえ、古城には雲が低く垂れこめる。
寒杵 寒空に杵の音。○古城 兗州の東南数十キロにある嘩山をいう。・秦碑 紀元前三世紀のころ、秦の始皇帝が巡幸の記念として建てた石碑。・荒城 兗州のすぐ東にある曲阜をさす。・霊光殿:魯殿 紀元前二世紀、漢の景帝の息子、魯の共王が建てた
(資料)兗州は、「東文、西武、北岱、南湖」と呼ばれ、(東に孔子ゆかりの「三孔」を仰ぎ,西に水滸伝ゆかりの「梁山泊」があり、北には「泰山」がそびえ、南には「微山湖」を望むため)また、「杜甫」ゆかりの地である少陵台もある。

向來吟橘頌,誰欲討蓴羹。
これまで私は屈原の「橘頌」を吟じつづけてきたが、さて、だれとともに蓴菜のスープを求めて故郷に帰ろうか。
橘頌 屈原の若き修学時代に理想の人間像を楚の国の特産である一本の若木に寓して詠じたもの  ○蓴羹  じゅんこう 蓴菜じゅんさい スイレン科の多年生水草。
(添付)橘頌  屈原
後皇嘉樹,橘徠服兮。
受命不遷,生南國兮。
深固難徙,更壹志兮。
綠葉素榮,紛其可喜兮。
曾枝剡棘,圓果摶兮。
青黃雜糅,文章爛兮。
精色內白,類任道兮。
紛緼宜修,姱而不醜兮。』
嗟爾幼志,有以異兮。
獨立不遷,豈不可喜兮?
深固難徙,廓其無求兮。
蘇世獨立,橫而不流兮。
閉心自慎,終不失過兮。
秉德無私,參天地兮。
願歲並謝,與長友兮。
淑離不淫,梗其有理兮。
年歲雖少,可師長兮。
行比伯夷,置以為像兮。』
*』前半 樹の性状、美しさ。後半 理想の人間像を重ね、その美を詠う。
  

不願論簪笏,悠悠滄海情。』
役人になることを論じようとは思わない。槍海に隠遁したい思いが、いつまでも続いている。
簪笏 しんこつ 礼服をつけた役人。簪は冠を髪に止める飾り。笏は手に持つしゃく。 ○滄海 東海に浮かぶ仙人の棲む三山を示す。 三山は蓬莱、方丈、瀛州の各山。道教でいう。


○韻 鏗,兄,行,生/清,城,羹,情

同李太守登歷下古城員外新亭 杜甫

同李太守登歷下古城員外新亭 杜甫 紀頌之の漢詩ブログ杜甫詩 特集  21

李之芳が造った歴下の古城の新字にのぼって李邕が詩を作った。此の詩はそれに和したものである。

同李太守登歷下古城員外新亭
李太守が歴下にある古城の駕部員外郎李之芳の新亭に登って、李太守の詩に唱和した。
新亭結構罷,隱見清湖陰。
新しい亭が組み立てられよく仕上がっている、そこは清らかな鵲山湖の南に見え隠れしている。
跡籍台觀舊,氣冥海嶽深。
この場所は、まえあった道教の台観を利用してそのまま建てたのであり、其のあたりには仙人の靄が立ち込め静かなたたずまい遠くには海岳が望める。
圓荷想自昔,遺堞感至今。』
水中のはす葉は、昔からはえて渝處ある感じで自然になじんでいる。台観にあったひめがきが残っていることは今日までのよくこっていたと感心するのである。』
芳宴此時具,哀絲千古心。
酒肉の芬芳な宴席ということでこの時、御馳走が十分に並べられた、席上に奏でられる哀しき琴音は千古の情にさそわれるようだ。
主稱壽尊客,筵秩宴北林。
主人たる李之芳君はお礼をのべて尊客である李邕公に一家の弥栄を祈ったのだ、賓客は泥酔するものはなく湖面に面した北林で酒を飲んだ。
不阻蓬蓽興,得兼梁甫吟。』

自分のようないまだ粗末な門しか作っていないものまでお招きにあずかり、その上小山の分際の私が詠う諸葛亮の好んだ歌「梁甫吟」を披露させていただいた。


李太守が歴下にある古城の駕部員外郎李之芳の新亭に登って、李太守の詩に唱和した。
新しい亭が組み立てられよく仕上がっている、そこは清らかな鵲山湖の南に見え隠れしている。
この場所は、まえあった道教の台観を利用してそのまま建てたのであり、其のあたりには仙人の靄が立ち込め静かなたたずまい遠くには海岳が望める。
水中のはす葉は、昔からはえて渝處ある感じで自然になじんでいる。台観にあったひめがきが残っていることは今日までのよくこっていたと感心するのである。』
酒肉の芬芳な宴席ということでこの時、御馳走が十分に並べられた、席上に奏でられる哀しき琴音は千古の情にさそわれるようだ。
主人たる李之芳君はお礼をのべて尊客である李邕公に一家の弥栄を祈ったのだ、賓客は泥酔するものはなく湖面に面した北林で酒を飲んだ。
自分のようないまだ粗末な門しか作っていないものまでお招きにあずかり、その上小山の分際の私が詠う諸葛亮の好んだ歌「梁甫吟」を披露させていただいた。


(李太守が歴下の古城の員外の新亭に登るに同す)
新亭結構罷む 隠見す清湖の陰(みなみ)
跡は台観の旧なるに籍(よ)る 気冥(くら)くして海岳深し
円荷 昔よりするを想う 遺堞(いちょう)今に至るに感ず』
芳宴 此の時具(そなわ)る 哀糸千古の心
主は称して尊客に寿す 筵秩(えんちつ)北林に宴す
蓬蓽(ほうひつ)の興を阻(へだ)てず 梁甫の吟を兼ぬることを得たり』

同李太守登歷下古城員外新亭
李太守が歴下にある古城の駕部員外郎李之芳の新亭に登って、李太守の詩に唱和した。
(李太守が歴下の古城の員外の新亭に登るに同す)
 他人の詩に和して作ること。○李太守 前詩にみえる北海太守李邕。○登歴下古城員外新亭 歴下古城とは今の済南府歴城県治の西にあった城という。員外とは駕部員外郎李之芳をさす。新事とは前詩の歴下の草とはちがい李之芳が新につくったとおる亭をさす。李邕の詩の序に「亭ハ鵲湖二対ス」とあるのからすれば新亭は鵲湖に近い所にあったのである。鵲湖は鵲山湖で今の歴城県北80kmにある。この2年後に李太守は李林甫に殺される。

新亭結構罷,隱見清湖陰。
新しい亭が組み立てられよく仕上がっている、そこは清らかな鵲山湖の南に見え隠れしている。
結構 くみたてること。○隠見 気象の明晦によってみえたり隠れたりする。〇清湖 鵲山湖をさす。○陰 水の南を陰という、亭は湖の南にある。


跡籍台觀舊,氣冥海嶽深。

この場所は、まえあった道教の台観を利用してそのまま建てたのであり、其のあたりには仙人の靄が立ち込め静かなたたずまい遠くには海岳が望める。
○跡 亭の地址をいう。○ 籍と通じ、よる。〇台観 高地にある道教のてら。○気冥 亭のあたりを往来する雲煙などの気がくらい。○海岳深 東海と東岳、深とは深遠なことをいう。

圓荷想自昔,遺堞感至今。
水中のはす葉は、昔からはえて渝處ある感じで自然になじんでいる。台観にあったひめがきが残っていることは今日までのよくこっていたと感心するのである。』
円荷 まるいはすの葉、湖中の物。○遺堞 のこっている台観のひめがき。

芳宴此時具,哀絲千古心。
酒肉の芬芳な宴席ということでこの時、御馳走が十分に並べられた、席上に奏でられる哀しき琴音は千古の情にさそわれるようだ。
芳宴 芳とは酒肉の芬芳なることをいい、宴は宴事をいう。○ 具備する、不足する所のないこと。○哀糸 哀しい琴のいと。○千古心 懐古の心をうごかすことをいう。

主稱壽尊客,筵秩宴北林。
主人たる李之芳君はお礼をのべて尊客である李邕公に一家の弥栄を祈ったのだ、賓客は泥酔するものはなく湖面に面した北林で酒を飲んだ。
主称 主は主人、李之芳をさす。称は口でとなえること。○寿 一家の弥栄を祈ること。○尊客 李邕をさす。○筵秩 筵席の秩序あること。○ 宴飲をなすことをいう。○北林 北の林。亭は湖の南に在るから北林は湖に面する位置になる。

不阻蓬蓽興,得兼梁甫吟。
自分のようないまだ粗末な門しか作っていないものまでお招きにあずかり、その上小山の分際の私が詠う諸葛亮の好んだ歌「梁甫吟」を披露させていただいた。
不阻 阻は阻隔すること、不阻とは近づけることをいう。○蓬蓽興 蓬戸車門の興。蓬戸はよもぎであんだ戸、草門はいばら、竹をもって織った門、いぶせきふせやのこと。蓬華興とは、作者自家の興をいう。○得兼 兼とは一事をなしたうえに更に他事をなすことをいう。○梁甫吟 梁甫は泰山の傍にある山の名である、梁父ともいう。梁甫吟は山東地方の民謡。三国志に諸葛亮(孔明)が父の死後、既成のメロディーに合わせて歌詞をつくったとある。諸葛亮が愛詞した詩篇、其の辞にいう、「歩して斉の城門を出で、造かに蕩陰里を望む。里中に三墳有り、索索として相い似たり。閉り是れ誰が家の墓ぞ、田彊と古治子と。カは能く南山を排し、文は能く地紀を絶つ。一朝謹言を被り、二桃三士を殺す。誰か能く此の謀を為せる、国相たる斉の量子なり」と。梁甫は泰山の下の小山の名、孔明は山東に耕して此の詩を好んで吟じたという。其の意は妟子の陰謀を悪むに在るもののようである。
同じく杜甫「登楼」では梁父吟とあり、同様の使用法をしている。晩唐の李商隠「籌筆駅」にもある。


 

〔付録〕 杜集に附載される李邕の原作。
登歴下古城員外孫新亭。亭對鵲湖。時季之芳。
自尚書郎。出斎州。製此亭。
        李  邕
吾宗固神秀、體物寫謀長。
形制開古迹、曾冰延楽方。
太山雄地理、巨壡眇雲荘。
高興泊煩促、永懐清典常。
含弘知四大、出入見三光。
負郭喜稉稻、安時歌吉祥。

陪李北海宴歴下亭 杜甫

「陪李北海宴歴下亭」 時邑人蹇處土輩在坐 杜甫 紀頌之の漢詩ブログ杜甫詩 特集  20 


梁・宋での遊びののち、高適は南方楚の地に遊び、杜甫は李白に従って斉・魯に行くことにした。李白は兗州(山東省滋陽)の我が家に帰り、すぐ北海(山東省益都)の道士高天師のところへ出かけた。道教のお札をもらうためであったらしい。

 これまで744年天宝3載 33歳の作
七言絶句 16 贈李白(李白と旅する)
五言律排 17 贈李白(二年客東都)
五言律詩 18 重題鄭氏東亭  


745年天宝4載 34歳
五言律詩20 陪李北海宴歴下亭 時邑人蹇處土輩在坐 

杜甫は途中、李白と別れて、かつて洛陽の文会で会ったことのある北海の太守李邕を訪ねた。
邕は、杜甫が詩文の手本としていた『文選』三十巻に注釈を施した李善の子であり、書と詩文によって当時の文壇に名声があった。李邕は、『文選』に収められている古来の名作や、父の李善、それに自分も関係している『文選』注にまで詳しい杜甫に、驚きと親しみの念をもって対したにちがいない。
その年の夏、李邕が済州(済南)にやって来たので、杜甫は李邕に従い、済州の駅事にある歴下事や、済州城の北方にある鵲山亭での宴遊に加わって、当代の文壇のあれこれについて談じた。話は祖父審言にも及び、李邕は審言の詩の美しきを賛えた。杜甫は祖父の存在を、どんなに誇りに思ったことであろう。


陪李北海宴歴下亭 時邑人蹇處土輩在坐
  北海太守李邕のお相伴をして歴下の亭で宴に同席したことをのべる。745年天宝四載34歳の作。


五言律排
陪李北海宴歴下亭 時邑人蹇處土輩在坐
李北海につきそって歴下亭に宴席した。その時、邑人蹇處土も列席されていた。
東藩駐皂蓋、北渚凌淸河。
李北海太守公は東藩のここ青州にその黒き車蓋をとどめておられる、北方面は渤海の渚をそして南は淮河の清らかな流れまで凌駕されておられる。
海右此亭古、済南名士多。』
このあたり一帯、海に至るまでの場所で歴下のこの亭は由緒ある有名なものであり、またこの済南の地方おける名士が今日ここに多く列席されている。』
雲山己發興、玉珮仍當歌。
この事で雲山をながめここの自然だけでもはや興をおこした、また、その上に玉珮の佳人が対面席の向こうで歌をうたってくれる。
傾竹不受暑、交流室湧波。』 
高くしげった竹林は静かで暑気などを感じさせない、合流しゆく諸水もいたずらになくてもいい大波をたたせている。』
蘊眞愜所遇、落日将如何。 
この真の自然の趣をもっている境地にであった事はさらにおおいに気にいった所につつまれていることだ、日が沈みかけてきたこの境地の趣きが消えてゆく、どうしたらよいだろう。
貴賤倶物役、従公難重過。』 
さて人は貴きも賤しきもそれぞれ、その時々の事物に使役せられるものであるから、李公のお伴をしてここに再び訪れることはすることは難しいことではあろう。


李北海につきそって歴下亭に宴席した。その時、邑人蹇處土も列席されていた。
李北海太守公は東藩のここ青州にその黒き車蓋をとどめておられる、北方面は渤海の渚をそして南は淮河の清らかな流れまで凌駕されておられる。
このあたり一帯、海に至るまでの場所で歴下のこの亭は由緒ある有名なものであり、またこの済南の地方おける名士が今日ここに多く列席されている。』
この事で雲山をながめここの自然だけでもはや興をおこした、また、その上に玉珮の佳人が対面席の向こうで歌をうたってくれる。
高くしげった竹林は静かで暑気などを感じさせない、合流しゆく諸水もいたずらになくてもいい大波をたたせている。』
この真の自然の趣をもっている境地にであった事はさらにおおいに気にいった所につつまれていることだ、日が沈みかけてきたこの境地の趣きが消えてゆく、どうしたらよいだろう。
さて人は貴きも賤しきもそれぞれ、その時々の事物に使役せられるものであるから、李公のお伴をしてここに再び訪れることはすることは難しいことではあろう。


(李北海に陪 し、歴下の亭に宴 す、時に蹇處土輩が坐に在り)
東藩(とうはん)皂蓋(そうがい)を駐(とど)め 北渚(ほくしょ)淸河(せいが)を凌しのぐ
海右 此の亭 古たり 済南名士多し』
雲山己に興を発す 玉珮仍りて 当り 歌う
脩竹を受けず 交流空しく波を湧かす』
真を蘊(つつ)みて遇う所に愜(かの)う 落日将に如何にせんとする
貴餞倶に役される 公に従う 重ねて過り難し』

陪李北海宴歴下亭 時邑人蹇處土輩在坐
李北海につきそって歴下亭に宴席した。その時、邑人蹇處土も列席されていた。
李北海 李邕をいう。邕は広陵の人、天宝の初め、汲郡・北海の太守となり、六年李林甫に忌まれて殺され
た。北海は青州のこと。○歴下 今の山東省済南府、歴山の下にあるので歴下という。○ この亭は歴山の台上にあったという。


東藩駐皂蓋、北渚凌淸河

李北海太守公は東藩のここ青州にその黒き車蓋をとどめておられる、北方面は渤海の渚をそして南は淮河の清らかな流れまで凌駕されておられる。
○東藩 青州をさす、東にあって京都のまもりとなるが故に東藩という。○竃蓋 黒色の車の傘で太守の用いるもの。○北渚凌清河 北は済州の渤海に面した渚で、南側は淮河の清き流れまでの間を凌ぐ、凌駕、立派におさめていると考えるのが妥当と思う。これには諸説あって、李邕がこの地に来たことを示すものというのが多い。それだと、北渚は北方の渚、北方は亭より北側を指す。凌とは川を凌ぎわたってきたこと、淸河は済河を示すとされる。これでは意味が全く通らない。
 まず、①(本来なら中央朝廷の人のはずが、)立派な方なのにこの青州へ左遷された。②太守専用車をいつでも出られるように駐車されている。その意味は、問題解決に自ら出ていかれるお気持ちがある。以上が初めの句の本位である。これを踏まえると③凌とは凌駕、つまりわずかの間に北海の太守の席を立派にされているということになる。④北の渚、詩人的表現で、渤海に至る渚、ということ。⑤南をずっと南の淮河の清流と詩人的誇張表現をして③の凌を強調している。と考えると杜甫が高級官僚に対して最大の社交辞令が生きてくる。河を渡った凄い人、というのは視点が狭い。

海右此亭古、済南名士多。
このあたり一帯、海に至るまでの場所で歴下のこの亭は由緒ある有名なものであり、またこの済南の地方おける名士が今日ここに多く列席されている。』
海右 都に向かって、右に海がある。顔を都の向け歴下(済南)の右は海。当時は川・運河が主な交通手段だからそれを中心に方角も考えているので、若干の誤差は出る。○済南 済州の南。歴下。○名士 題注の蹇處土輩、そのとき集まった人々をさす。 
 
雲山已發興,玉佩仍當歌。
この事で雲山をながめここの自然だけでもはや興をおこした、また、その上に玉珮の佳人が対面席の向こうで歌をうたってくれる。
雲山 雲のいる山、草よりみえる所のもの。○発興 興をおこす。○玉珮 ギョクハイ。玉でつくったおびもの、これは酒宴のお相手をする女の身の帯のかざり。玉珮といって之を帯状のさげた女をさす。○ そのうえにも。○当歌 当は対当の義、「筵を当る」をいう、宴席にてお客のむかいにすわってということ。

修竹不受暑,交流空湧波。
高くしげった竹林は静かで暑気などを感じさせない、合流しゆく諸水もいたずらになくてもいい大波をたたせている。』
修竹 背たけのたかい竹。 ○不受暑 竹葉がしげりあっているために暑気を感じさせない。 ○交流 歴山の祠下より歴水が出て、濼水と共に鵲山湖に入る。交流は諸水の合流をいう、これは竹林から振り向いて遠望している。詩の場面を大きく変化させる。○空 無意味な、徒らにという類、徒らにとはぶつかって大きな波を起こしているが静かで清らかな川にむだなことをしている。

蘊真愜所遇,落日將如何!
この真の自然の趣をもっている境地にであった事はさらにおおいに気にいった所につつまれていることだ、日が沈みかけてきたこの境地の趣きが消えてゆく、どうしたらよいだろう。
蘊真 謝霊運の詩句にみえる語、真趣をつつむ。此の亭の風景が真の趣を蔵有することをいう。○ かなう、気にいる。○所遇 我がであうところ、蘊真と所遇とは同一事。○落日 太陽の没せんとするころ。○将如何 日が沈んでいくことを惜しむ。ここを去ることを惜しむこと。
 
貴賤俱物役,從公難重過。』
さて人は貴きも賤しきもそれぞれ、その時々の事物に使役せられるものであるから、李公のお伴をしてここに再び訪れることはすることは難しいことではあろう。
貴餞 貴は李畠をいい、賤しきは自己をいう。○物役 事物のために使役される。○従公 公とは李をさす。



911.陪李北海宴歷下亭
東藩駐皂蓋,北渚臨清河。
海右此亭古,濟南名士多。
雲山已發興,玉佩仍當歌。
修竹不受暑,交流空湧波。
蘊真愜所遇,落日將如何!
貴賤俱物役,從公難重過。

昔遊 杜甫

昔遊 杜甫 紀頌之の漢詩ブログ杜甫詩 特集  19(李白と旅する)(李白を詠う-4)

744年 天宝3載 33歳
三人は秋の終わりから冬のはじめにかけて、孟諸沢で狩りの遊でいる。「壮遊」『遣懐』『昔遊』766年大暦元年55歳のときの作品である。「壮遊」は杜甫の自叙伝ともいうべき五言古詩、『遣懐』『昔遊』は李白、高適と遊んだことの思い出を詠っている。ここでは744年頃の思い出ということで、少し取り上げることとする。

 杜甫14  
昔遊                
昔者与高李、晩登単父台。
昔  李白や高適(こうせき)と、日暮れに  単父の台の登る
寒蕪際碣石、万里風雲来。
寒空の下  荒地は碣石につらなり、万里の彼方から  風雲がやってきた
桑柘葉如雨、飛藿共徘徊。
桑の葉は  雨のように落ち、豆の葉も  あたりに飛び散る
清霜大沢凍、禽獣有余哀。』
霜は清らかに降りて  大沢は凍り、鳥や獣は  哀しげな声で啼く
是時倉廩実、洞達寰区開。
時に天下の米倉、穀物蔵は満ちあふれ、大道はいたるところに通じていた
猛士思滅胡、将帥望三台。
勇士は胡賊を滅ぼそうと思い、将軍は三公卿の位につこうと考えていた
君王無所惜、駕馭英雄材。』
君王は彼らの欲するものを惜しげなく与え、天下の人材を自由にあやつられた

幽燕盛用武,供給亦勞哉。吳門轉粟帛,泛海陵蓬萊。
肉食三十萬,獵射起黃埃。』
隔河憶長眺,青歲已摧頹。不及少年日,無複故人杯。
賦詩獨流涕,亂世想賢才。有能市駿骨,莫恨少龍媒。』
商山議得失,蜀主脫嫌猜。呂尚封國邑,傅說已鹽梅。
景晏楚山深,水鶴去低回。龐公任本性,攜子臥蒼苔。』

 昔 遊 
昔者(せきしゃ)  高李(こうり)と
晩(くれ)に単父(ぜんぽ)の台(だい)に登る
寒蕪(かんぶ)は碣石(けつせき)に際し
万里(ばんり)  風雲(ふううん)来たる
桑柘(そうしゃ)の葉は雨の如く
飛藿(ひかく)は共に徘徊(はいかい)す
清霜(せいそう)  大沢(だいたく)凍(こお)り
禽獣(きんじゅう)  余哀(よあい)有り

是(こ)の時  倉廩(そうりん)実(み)ち
洞達(どうたつ)  寰区(かんく)を開く
猛士(もうし)は胡(こ)を滅(めつ)せんことを思い
将帥(しょうすい)は三台(さんだい)を望む
君王(くんおう)  惜(おし)む所無く
英雄の材(ざい)を駕馭(がぎょ)す


幽燕 用武を盛す,供給 亦勞哉。吳門 粟帛を轉ず,海に泛ぶ蓬萊 陵こえる。
肉食 三十萬,獵射 黃埃を起す。』

河を隔てて長眺を憶う,青歲 已頹を摧す。少年の日及ず,複 故人の杯無し。
賦詩 獨り涕を流す,亂世 賢才を想う。能く市駿の骨 有り,少龍媒恨む莫れ。』

商山 得失を議す,蜀主 嫌猜を脫す。呂尚 國邑を封す,傅說 已に鹽梅。
景晏 楚山の深,水鶴 低く回りて去る。龐公 本性を任ず,攜子 蒼苔に臥す。』


大意
昔  李白や高適(こうせき)と、日暮れに  単父の台の登る
寒空の下  荒地は碣石につらなり、万里の彼方から  風雲がやってきた
桑の葉は  雨のように落ち、豆の葉も  あたりに飛び散る
霜は清らかに降りて  大沢は凍り、鳥や獣は  哀しげな声で啼く

時に天下の米倉、穀物蔵は満ちあふれ、大道はいたるところに通じていた
勇士は胡賊を滅ぼそうと思い、将軍は三公卿の位につこうと考えていた
君王は彼らの欲するものを惜しげなく与え、天下の人材を自由にあやつられた


・三台 星の名。北斗七星の第一星から第四星に至る四つの星のもとに上下に並ぶ六個の星を言う。これを上台、中台、下台の三階級に分け、上台は天子后妃、中台は諸侯三公卿太夫、下台は士庶人にあてる。
・粟帛 ゾクハク お供えの穀物と絹。

 宋城の東北には、当時、孟諸沢(もうしょたく)という沼沢が広がっていて、良い猟場だ。三人は秋の終わりから冬のはじめにかけて、孟諸沢で狩りの遊んでいる。

 三人は狩りが終わると、孟諸沢の東北にあった単父(山東省単県)の東楼に登楼して、酒宴を開いたことが李白の詩にみえる。「単父台」というのは単父の北にあった琴台(きんだい)のことで、三人がここを訪ねたのは孟諸沢での狩りのあとだ。琴台はむかし孔子の弟子の宓子賎(ひつしせん)が琴を奏しながら良い政事を行ったという伝説の場所だ。
 琴台の地は、北は碣石山(河北省昌黎県の北)につらなり、霜が降りて孟諸沢は凍りつき、淋しげな荒れた風景であった。


 「昔遊」の詩句からは、杜甫が乱が迫っているのを予感しているような印象を受けるが、当時、箇条書きで示したように知識人なら、比較的常識的予想されたことであった。
・国の体制が従来の冠位以上に実力を加えられた節度使制度に依存する体質に変わっていく。
・この間に府兵制度が崩壊、皇帝の直属の軍隊が実質的になくなる     ⇒律令体制(税と兵)の崩壊へ、

・皇帝の政治からの逃避し、宰相、宦官権限移譲、奢侈、道教へののめりこみなどにより皇帝の威信は完全失墜。
・長期の平穏は腐敗を生んでいく。もともと賄賂を正当な行為とする国民性がある。
・宦官についてはこれより1000年も宮廷の重要な存在となっていくのである。
・これらのことは、当時の一部の知識人たちにはわかっていたようだ。


 皇帝の奢侈と李林甫の強権、道教への傾斜により威信は完璧に失墜していた。杜甫も「是の時 倉廩実ち 洞達 寰区を開く」と詠っているように「開元の盛世」はなおつづいていたその裏では、安禄山に限らず謀叛の火種は燃え始めていた。同時に宦官高力氏を筆頭に大きな力を発揮始めていたのである。

「昔遊」
昔者與高李,晚登單父台。寒蕪際碣石,萬里風雲來。
桑柘葉如雨,飛藿去裴回。清霜大澤凍,禽獸有餘哀。
是時倉廩實,洞達寰區開。猛士思滅胡,將帥望三台。
君王無所惜,駕馭英雄材。幽燕盛用武,供給亦勞哉。
吳門轉粟帛,泛海陵蓬萊。肉食三十萬,獵射起黃埃。
隔河憶長眺,青歲已摧頹。不及少年日,無複故人杯。
賦詩獨流涕,亂世想賢才。有能市駿骨,莫恨少龍媒。
商山議得失,蜀主脫嫌猜。呂尚封國邑,傅說已鹽梅。
景晏楚山深,水鶴去低回。龐公任本性,攜子臥蒼苔。


279 「遣懷」杜甫
昔我游宋中,惟梁孝王都。名今陳留亞,劇則貝魏俱。
邑中九萬家,高棟照通衢。舟車半天下,主客多歡娛。
白刃讎不義,黃金傾有無。殺人紅塵裏,報答在斯須。
憶與高李輩,論交入酒壚。兩公壯藻思,得我色敷腴。
氣酣登吹台,懷古視平蕪。芒碭雲一去,雁鶩空相呼。
先帝正好武,寰海未凋枯。猛將收西域,長戟破林胡。
百萬攻一城,獻捷不雲輸。組練棄如泥,尺土負百夫。
拓境功未已,元和辭大爐。亂離朋友盡,合遝歲月徂。
吾衰將焉托,存歿再嗚呼。蕭條益堪愧,獨在天一隅。
乘黃已去矣,凡馬徒區區。不復見顏鮑,系舟臥荊巫。
臨餐吐更食,常恐違撫孤。

重題鄭氏東亭  杜甫

重題鄭氏東亭  杜甫 紀頌之の漢詩ブログ杜甫詩 特集  18
新安に在る鄭氏の東の亭に、再び訪れかきつけた詩。
744年天宝3載33歳、杜甫が洛陽にあったころの作。原注に、「新安の界に在り」とある。
天宝3載 744年 33歳 五言律詩


重題鄭氏東亭
華亭入翠微、秋日亂清暉。
うつくしい山亭が山の中半腹に建っていて、秋の陽はきよらかな光を目映く輝かせていた。
崩石欹山樹、清漣曳水衣。
山亭のそばの崩れかかった岩石は山の樹を傾けさせていて、すんだ水の池のさざなみは水面に浮かんだ水苔を揺らせていた。
紫鱗衝岸躍、蒼隼護巣歸。
その水に泳いでいる紫色のウロコの魚は岸に突き当たるかのようにはね飛び躍って、樹上に棲む隼は巣籠に帰っていった。
向晩尋征路、残雲傍馬飛。

わたしは夕方になったのでここを去ろうとして帰り道にはゆきはじめた、夕方の雲がわたしの乗る馬に付き添うように流れている。


うつくしい山亭が山の中半腹に建っていて、秋の陽はきよらかな光を目映く輝かせていた。
山亭のそばの崩れかかった岩石は山の樹を傾けさせていて、すんだ水の池のさざなみは水面に浮かんだ水苔を揺らせていた。
その水に泳いでいる紫色のウロコの魚は岸に突き当たるかのようにはね飛び躍って、樹上に棲む隼は巣籠に帰っていった。
わたしは夕方になったのでここを去ろうとして帰り道にはゆきはじめた、夕方の雲がわたしの乗る馬に付き添うように流れている。


(下し文)重ねて鄭氏が東亨に題す
華亭 翠微に入り、 秋日 清暉乱る。
崩石 山樹欹き、  清漣 水衣を曳く。
紫鱗 岸を衝いて躍り、 蒼隼 巣を護せんとして帰る。
晩に向って征路を尋ぬれば、 残雲 馬に傍いて飛ぶ。

重題鄭氏東亭

鄭氏 鮒馬鄭潜曜との説があるが、確かでない。○東亭 其の家の東にあるものであろう。○新安 河南府新安県。

華亭入翠微、秋日亂清暉。
うつくしい山亭が山の中半腹に建っていて、秋の陽はきよらかな光を目映く輝かせていた。
華亭 うつくしいちん、休憩するために作ったあずまや。東亭をほめていう。○翠微 山の半腹、そのあたりには翠色がかすかによこたわっているのでかくいう。○秋日 日は太陽をさす。○清暉 すんだひかり。日光。

崩石欹山樹、清漣曳水衣。
山亭のそばの崩れかかった岩石は山の樹を傾けさせていて、すんだ水の池のさざなみは水面に浮かんだ水苔を揺らせていた。
崩石 くずれかかった石。○ かたむく、横になる。○ さざなみ。○水衣 みずごけ。

紫鱗衝岸躍、蒼隼護巣歸。
その水に泳いでいる紫色のウロコの魚は岸に突き当たるかのようにはね飛び躍って、樹上に棲む隼は巣籠に帰っていった。
紫鱗 紫色のさかな。夕日に紫色に輝いたのだろう。○蒼隼 ごましおの羽色のはやぶさ。○護巣 巣の番をする。


向晩尋征路、残雲傍馬飛。
わたしは夕方になったのでここを去ろうとして帰り道にはゆきはじめた、夕方の雲がわたしの乗る馬に付き添うように流れている。
征路 たびじ。我がかえり路。○残雲 ゆうべの雲。


杜甫の家系は名門なので高官や貴族などからの招待はあったようだ。結婚もして、家も構えていたので、文才を生かして士官につながる伝手を求めて訪問していた。李白と出会って、杜甫は叔母の法事などの関係で暫く洛陽に残っていた。数か月して李白を追うのであるが、その間のできごとである。「重ねて題す」とあるので、二度目なのであろうが、詩としては、見当たらない。

「うつくしい亭が山の半腹にたっていて、秋の太陽のすんだひかりがちらちらしている。」大豪邸の感じはしない。
尾聯での景色が一般的で馬に乗っている杜甫に夕焼雲がついてくるということでは、ほとんど印象的な場所ではなかったのだろう。鄭氏も未詳であるのでなおさらだ。

贈李白 杜甫

贈李白 杜甫 紀頌之の漢詩ブログ杜甫詩 特集  17 (李白と旅する)(李白を詠う-3)
 李白に贈った詩である。杜甫が李白を見たのは、天宝三載八月李白が長安から逐われて梁宋の方へ遊びにゆこうとして、洛陽を通過したときである。天宝3載744年33歳


贈李白
二年客東都,所歷厭機巧。
洛陽で旅客(李白)と出遭って二年になるが、(私もあなたと同じで)経験上、世わたりにたくみな手段を用いることがきらいでならないのです。
野人對腥羶,蔬食常不抱。
武骨者ですから生臭い食物には箸が出にくい、でも粗食、菜食なものに飽きることないのです。
豈無青精飯,使我顏色好?』
本当は、道教の仙家の法では青精飯があって、それをたぺれば私の顔色も若返って活気づくのではないでしょうか。
苦乏大藥資,山林跡如掃。』
道教の仙人のように「大薬」を求めて深く山林に入るって探し求めたりしていないから、その形跡すら残せていないのです。』
李侯金閨彥,脫身事幽討。
ところが李先輩は翰林院に仕えたすぐれた人で、朝廷のしがらみから、陶淵明のように官からぬけでて幽選の趣を求めることを生業とせられたのである。
亦有梁宋游,方期拾瑤草。』

これから梁宋の地方へ遊ばれるおつもりであるが、我もまた同じ考えをしており、同方面で瑤草を拾いとらんとまちかまえておられる。


李白に贈る
洛陽で旅客(李白)と出遭って二年になるが、(私もあなたと同じで)経験上、世わたりにたくみな手段を用いることがきらいでならないのです。
武骨者ですから生臭い食物には箸が出にくい、でも粗食、菜食なものに飽きることないのです。
本当は、道教の仙家の法では青精飯があって、それをたぺれば私の顔色も若返って活気づくのではないでしょうか。
道教の仙人のように「大薬」を求めて深く山林に入るって探し求めたりしていないから、その形跡すら残せていないのです。』
ところが李先輩は翰林院に仕えたすぐれた人で、朝廷のしがらみから、陶淵明のように官からぬけでて幽選の趣を求めることを生業とせられたのである。
これから梁宋の地方へ遊ばれるおつもりであるが、我もまた同じ考えをしており、同方面で瑤草を拾いとらんとまちかまえておられる。

(下し文)李白に贈る
二年東都に客たり、歴(ふ)る所 機巧を厭(いと)う
野人腥羶(せいせん)に対す、蔬食(そし)常に飽かず。
豈に青精の飯の、我が顔色をして好からしむる無からんや。
苦(はなは)だ大薬の資に乏(とぼ)し 山林跡掃(はら)うが如し』
李侯は金閏(きんけい)の彦(げん)なり 身を脱して幽討を事とす
亦た梁宋の遊あり 方(まさ)に瑤草(ようそう)を拾わんと期す』



二年客東都,所歷厭機巧。
洛陽で旅客(李白)としてであって二年になるが、(私もあなたと同じで)経験上、世わたりにたくみな手段を用いることがきらいでならないのです。。
二年 此の二年というのが4年が正しい。詩人が幾年という場合は多くかぞえ年である。かぞえ年なら天宝二載、三載都東都に居たことになる。しかしたとえ中途どこぞへ往ったことがあるとみても杜甫は開元二十九年、天宝元年、二載、三載と東都に居たのであるから、「二年」の二という数字は四年と改めるべきであるが、この詩は李白に送った詩であること、李白とは洛陽でこの詩の一年前の夏に出会っている。李白とは二年である。○東都 洛陽。○所歴 経歴する所。人事上の経験をいう。○機巧 たくみな手段を用いること。


野人對腥羶,蔬食常不抱。
武骨者ですから生臭い食物には箸が出にくい、でも粗食、菜食なものに飽きることないのです。
野人 自からを謙遜していう。○腥羶 魚や肉のなまぐさい食物。○疏食 菜食。


豈無青精飯,使我顏色好?』

本当は、道教の仙家の法では青精飯があって、それをたぺれば私の顔色も若返って活気づくのではないでしょうか。
青精飯 或る種の草木の葉・茎・皮などを煮た汁で米をひたして飯とし、さらしては蒸すこと三たび、蒸すごとにその汁をかけて青くならせた飯を青精飯というとのこと。繊維質とミネラル分の多い仙家の食である。


苦乏大藥資,山林跡如掃。』
道教の仙人のように「大薬」を求めて深く山林に入るって探し求めたりしていないから、その形跡すら残せていないのです。』
大薬 貴重薬。○ 材料。○跡如掃 如レ掃とは足跡をたって印せぬこと。苦乏・山林の二旬は前後置きかえてみる。


李侯金閨彥,脫身事幽討。

ところが李先輩は翰林院に仕えたすぐれた人で、朝廷のしがらみから、陶淵明のように官からぬけでて幽選の趣を求めることを生業とせられたのである。
李侯 李白をさす、侯は敬語、君というのににる。○金閣 金鑾殿の側に翰林院 学士院 左蔵庫があり、ここに李白は出仕した。東海の総会を模した太液池があり園池に蓬莱山があり、太液亭があった。そこに至る右銀台門を金馬門といった。金馬門は漢の時、臣下が官を授けられる詔を待つ処。李白は翰林の供奉官であったのでこれを使った。○ すぐれた人。○脱身 官界からぬけでる。○幽討 幽は幽遠の趣、討は求めること。幽討とは山林にわけ入り薬草などをさがすこと。


亦有梁宋游,方期拾瑤草。』

これから梁宋の地方へ遊ばれるおつもりであるが、我もまた同じ考えをしており、同方面で瑤草を拾いとらんとまちかまえておられる。

 通常この亦は「我がごとく彼も亦」の義。であるが李白は初から行く予定であったものを杜甫がついていきたいと申し入れているから。『われもまた』○梁宋 梁は汴州(べんしゅう)、今の河南省開封府。宋は宋州、今の河南省帰徳府商邱県。○瑤草 玉芝草。瑤は玉のように美しい。揺れ動く。

〔余論〕 
 昨年の秋に梁宋の旅に出てから、すでに一年が経過しています。このころ杜甫の父杜閑は奉天県(陝西省乾県)の県令になっていたらしく、杜甫は父から長安に出てくるように促されていたと思います。やがて李白と杜甫は、魯郡曲阜の東北にある石門山の林中で別れの杯を酌み交わします。
 通説では「杜詩の原本もまた或は四を二二に作っていたのを、後来伝写の際、其の半形を脱落して二となったものか」とされている。杜甫が洛陽で過ごした四年を、二、二と書かれていたものを写本する際欠落させたというものである。
 ここでは隠れている主語が杜甫として考えられているが、この詩は「李白に贈る」のである。一緒に旅をしている李白が道教の道場に立ち寄っているその時に作っているのである。隠された主語、「二年客東都」、客は李白であり、李白と東都洛陽で出会って二年。
去年と今年で二年である。
 このことは七言絶句「贈李白」と五言古詩「贈李白」のとらえ方の間違いにも起因しているが、これはここまでにしておく。

贈李白 杜甫

贈李白 杜甫 紀頌之の漢詩ブログ杜甫詩 特集  16(李白と旅する)(李白を詠う-2)
 単父での交遊のあと、李白と杜甫は高適と別れ、二人は斉州(山東省済南市)へ行く。
 斉州に着くと、李白は斉州の道観紫極宮の道士高如貴(こうじょき)のもとに入門し、杜甫は、斉州司馬として斉州に赴任していた太宗の玄孫で皇室の一員である李之芳(りしほう)のもとに身を寄せた。


贈李白
秋来相顧尚飄蓬、未就丹砂愧葛洪。
秋が到来したお互いを見比べてみると二人とも当てもなく流浪の旅をしている飄蓬のようだ。いまだに仙人の境地の端達していない道教の学者の教えに照らしても恥ずかしい限りだ。
痛飲狂歌空度日、飛揚跋扈為誰雄。
徹底して酒を飲み 気が狂ったように大声で歌う、何も考えないで日々を過ごす、飛んだり跳ねたりして、修行が足りていないのにこんな仙人のようにしている誰のためといえば自分のためにしている。

秋が到来したお互いを見比べてみると二人とも当てもなく流浪の旅をしている飄蓬のようだ。いまだに仙人の境地の端達していない道教の学者の教えに照らしても恥ずかしい限りだ。
徹底して酒を飲み 気が狂ったように大声で歌う、何も考えないで日々を過ごす、飛んだり跳ねたりして、修行が足りていないのにこんな仙人のようにしている誰のためといえば自分のためにしている。

秋来相顧尚飄蓬、未就丹砂愧葛洪。
秋が到来したお互いを見比べてみると二人とも当てもなく流浪の旅をしている飄蓬のようだ。いまだに仙人の境地の端達していない道教の学者の教えに照らしても恥ずかしい限りだ。
飄蓬 転蓬と同じ。枝が四方に広がり、表面で絡み合い毬状になったころ秋風が吹いてくると根こそぎちぎれて、すさまじい勢いで転がっていく植物。人が当てもなく流浪の旅を行うことを比喩に用いられる。○丹砂 煉藥 仙薬を練ること。丹砂:水銀と硫黄の化合した赤色の土を何回もねり上げると金丹:黄金となり、それを飲むと仙人になれるという。覚醒状態にさせる薬。ここでは目標とすることの達成。仙人の境地。  ○葛洪 晋代の道家の学者。
  

痛飲狂歌空度日、飛揚跋扈為誰雄。
徹底して酒を飲み 気が狂ったように大声で歌う、何も考えないで日々を過ごす、飛んだり跳ねたりして、修行が足りていないのにこんな仙人のようにしている誰のためといえば自分のためにしている。
狂歌 気が狂ったように大声で歌う。 ○跋扈 ばっこ 強くて我儘かって。臣下が主人や君主をしのぐ。道教の勉強が李白より足りないのにそれ以上のことしようとする。他の解説書でこの語の解釈がはっきりしていないのでこの句が訳の分からないものであった。たとえばこの詩の意味を次のように訳されていた。
 

ここでの訳詩文通常の他の訳詩文例
秋が到来したお互いを見比べてみると二人とも当てもなく流浪の旅をしている飄蓬のようだ。 秋になり顔を見合わせると  瓢か蓬のように頼りない
いまだに仙人の境地の端達していない道教の学者葛洪先生の教えに照らしても恥ずかしい限りだ。 いまだ丹砂にも辿りつけず  葛洪に合わせる顔がない
徹底して酒を飲み 気が狂ったように大声で歌う、何も考えないで日々を過ごす 飲み明かし 歌い狂って  空しく日を送り
、飛んだり跳ねたりして、修行が足りていないのにこんな仙人のようにしている誰のためといえば自分のためにしている。 飛び跳ねて暴れているが   誰のためにやっているの

  

(下し文)李白に贈る
秋来(しゅうらい) 相顧みれば 尚お飄蓬(ひょうほう)たり
未だ丹砂(たんしゃ)を就(な)さずして葛洪(かつこう)に愧ず
痛飲(つういん) 狂歌(きょうか) 空しく日を度(わた)
飛揚(ひよう) 跋扈(ばっこ) 誰(た)が為にか雄(ゆう)なる

  (745年) 杜甫は翌天宝四載  夏の終わりまで斉州にいて、李之芳の知人や斉州の知識人と交流して過ごしている。秋になって斉州を出て魯郡の李白の家を訪ね、しばらく李白といっしょに暮らしている。李白は道士の修行を終え、魯郡の「魯の婦人」のもとで日を過ごしていた。魯郡で杜甫は李白に連れられて、道士や隠士のもとを訪れたが、杜甫には道教や隠士の道は求めなかったのだ。

 この詩は、そのころ杜甫が李白に贈った作品とされている。道教の教義を若い時から勉強している李白に比較して、かなり引いた自分がいたのであろう。「跋扈」という表現は修行もしていない自分が李白と同じことをすることを表現したものである。

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