杜甫詳注 杜詩の訳注解説 漢文委員会

士族の子で、のほほんとしていた杜甫を変えたのは、三十代李白にあって、強いカルチャーショックを受けたことである。その後十年、就活に励んだ。同時に極限に近い貧困になり、家族を妻の実家に送り届けるときの詩は、そして、子供の死は、杜甫の詩を格段に向上させた。安史の乱直前から、捕縛され、長安での軟禁は、詩にすごみと分かりやすさのすぐれたしにかえてゆき、長安を脱出し、鳳翔の行在所にたどり着き、朝廷に仕えたことは、人間関係の複雑さを体験して、詩に深みが出ることになった。そして、朝廷における疎外感は詩人として数段高めさせてくれた。特に、杜甫の先生に当たる房琯関連の出来事、二十数首の詩は内容のあるものである。  一年朝廷で死に直面し、そして、疎外され、人間的にも成長し、これ以降の詩は多くの人に読まれる。  ◍  華州、秦州、同谷  ◍  成都 春満喫  ◍  蜀州、巴州、転々。 ◍  再び成都 幕府に。 それから、かねてから江陵にむかい、暖かいところで養生して、長安、朝廷に上がるため、蜀を発し、 ◍  忠州、雲州   ◍  夔州   ◍  公安  そして、長安に向かうことなく船上で逝くのである。  本ブログは、上記を完璧に整理し、解説した仇兆鰲の《杜詩詳注》に従い、改めて進めていく。

杜甫の詩、全詩、約1500首。それをきちんと整理したのが、清、仇兆鰲注解 杜詩詳注である。その後今日に至るまで、すべてこの杜詩詳注に基づいて書かれている。筆者も足掛け四年癌と戦い、いったんこれを征することができた。思えば奇跡が何度も起きた。
このブログで、1200首以上掲載したけれど、ブログ開始時は不慣れで誤字脱字も多く、そして、ブログの統一性も不十分である。また、訳注解説にも、手抜き感、不十分さもあり、心機一転、杜詩詳注に完全忠実に初めからやり直すことにした。
・そして、全唐詩と連携して、どちらからでも杜詩の検索ができるようにした。
・杜甫サイトには語順検索、作時編年表からも検索できるようにした。
杜甫詩の4サイト
● http://2019kanbun.turukusa.com/
● http://kanbunkenkyu.webcrow.jp
● http://kanbunkenkyu.web.fc2.com/
● http://kanbuniinka15.yu-nagi.com

2011年10月

自京赴奉先縣詠懷五百字 杜甫 107 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700-105-3

自京赴奉先縣詠懷五百字 杜甫 107 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700-105-3




自京赴奉先縣詠懷五百字 #3
顧惟螻蟻輩、但自求其穴。
よく考えてみると今の世に貴公子や富豪を得ているけら虫、蟻虫のようなものどもは、ただ我儘に都合のよい穴を求め、生活しているのだ。
胡為慕大鯨、輒擬偃溟渤。
盲目的に追随とか、大鯨を慕うだけで、いつも大海の水に偃そうとすることなどすることはないのだ。
以茲悟生理、独恥事干謁。
こんなことではとてもろくな生活はなりたたないと悟っても、どうしても自分としてはたのみこむために貴人に面会するなことは恥かしくてしないのだ。
兀兀遂至今、忍為塵埃没。
かくて不安のきもちをもちつつ今日に至ったのであるが、どうしていたずらにらに塵埃に此の身を埋没させてしまうことにがまんができるものではないのだ。
終愧巣与由、未能易其節。
昔の隠遁者たる巣父や許由に対しては、結局、愧ずるけれども、世間から引退してしまうことは初の志節を易えることでできないのだ。
沈飲聊自遣、放歌破愁絶。』

隠遁しないから飲酒にひたり深酒をする、それはひとまずおしのけておいて、きままに歌をうたい、強烈な愁をはらしているのだ。』



京より奉先県に赴くときの詠懐 五百字

顧みて惟(おも)うに螻蟻(ろうぎ)の輩(はい)は、但()だ自(みずか)ら其の穴を求むるに。

胡為(なんす)れぞ大鯨(たいげい)を慕(した)いて、輒(すなわ)ち溟渤(めいぼつ)に偃()せんと擬するや。

(ここ)を以て生理(せいり)を悟(さと)り、独り干謁(かんえつ)を事とするを恥ず。

兀兀(ごつこつ)として遂(つい)に今に至り、忍(しの)んで塵埃(じんあい)に没せ為()る。

(つい)に巣(そう)と由(ゆう)とに愧()ずるも、未だ其の節(せつ)を易()うる能(あた)わず。

(ちんいん)  聊(いささ)か自ら遣()り、放歌(ほうか)して愁絶(しゅうぜつ)を破る。






自京赴奉先縣詠懷五百字 #3 現代語訳と訳註 解説

(本文)
顧惟螻蟻輩、但自求其穴。
胡為慕大鯨、輒擬偃溟渤。
以茲悟生理、独恥事干謁。
兀兀遂至今、忍為塵埃没。
終愧巣与由、未能易其節。
沈飲聊自遣、放歌破愁絶。』

(下し文)
京より奉先県に赴くときの詠懐 五百字
顧みて惟(おも)うに螻蟻(ろうぎ)の輩(はい)は、但(た)だ自(みずか)ら其の穴を求むるに。
胡為(なんす)れぞ大鯨(たいげい)を慕(した)いて、輒(すなわ)ち溟渤(めいぼつ)に偃(ふ)せんと擬するや。
茲(ここ)を以て生理(せいり)を悟(さと)り、独り干謁(かんえつ)を事とするを恥ず。
兀兀(ごつこつ)として遂(つい)に今に至り、忍(しの)んで塵埃(じんあい)に没せ為(ら)る。
終(つい)に巣(そう)と由(ゆう)とに愧(は)ずるも、未だ其の節(せつ)を易(か)うる能(あた)わず。
飲(ちんいん)  聊(いささ)か自ら遣(や)り、放歌(ほうか)して愁絶(しゅうぜつ)を破る。』


(現代語訳)
よく考えてみると今の世に貴公子や富豪を得ているけら虫、蟻虫のようなものどもは、ただ我儘に都合のよい穴を求め、生活しているのだ。
盲目的に追随とか、大鯨を慕うだけで、いつも大海の水に偃そうとすることなどすることはないのだ。
こんなことではとてもろくな生活はなりたたないと悟っても、どうしても自分としてはたのみこむために貴人に面会するなことは恥かしくてしないのだ。
かくて不安のきもちをもちつつ今日に至ったのであるが、どうしていたずらにらに塵埃に此の身を埋没させてしまうことにがまんができるものではないのだ。
昔の隠遁者たる巣父や許由に対しては、結局、愧ずるけれども、世間から引退してしまうことは初の志節を易えることでできないのだ。
隠遁しないから飲酒にひたり深酒をする、それはひとまずおしのけておいて、きままに歌をうたい、強烈な愁をはらしているのだ。』


(訳註)
顧惟螻蟻輩、但自求其穴。

よく考えてみると今の世に貴公子や富豪を得ているけら虫、蟻虫のようなものどもは、ただ我儘に都合のよい穴を求め、生活しているのだ。
蛙蟻輩 けら・ありのやから、世上の貴公子や富豪の徒をさす。○求其穴 自己の窟穴を営み求めることをいう。

胡為慕大鯨、輒擬偃溟渤。
盲目的に追随とか、大鯨を慕うだけで、いつも大海の水に偃そうとすることなどすることはないのだ。
胡為 騎馬民族は先頭の馬に慕って行動する。盲目的に追随すること。○ まちかまえる。〇偃溟渤 溟渤は海面のひろくくらいことをいう。上の大鯨をいう。此の句は「白鴎準一浩蕩この如く世俗より離れて高踏することをいう、二句は自己を嘲っていう。
 
以茲悟生理、独恥事干謁。
こんなことではとてもろくな生活はなりたたないと悟っても、どうしても自分としてはたのみこむために貴人に面会するなことは恥かしくてしないのだ。
○以茲 茲とは、彼等のようにして始めて富貴を得ることができるのであり、しなければこれを得ることはできない。〇悟生理 生活の方法についてどうするのかを悟る。○ その事に従うこと。〇千謁 なにかをたのみこむために貴人に面会する。杜甫は仕官活動の初めのころ一時期面会し、詩を贈っている。いやで仕方なかったことを示す。

贈特進汝陽王二十韻  杜甫27

奉贈韋左丞丈二十二韻  杜甫32

贈翰林張四學士 杜甫36

樂遊園歌  杜甫38

奉贈鮮於京兆二十韻 杜甫 53

陪諸貴公子丈八溝携妓納涼晩際遇雨二首其一  73

奉贈太常張卿洎(キ)二十韻 杜甫 89



兀兀遂至今、忍為塵埃没。
かくて不安のきもちをもちつつ今日に至ったのであるが、どうしていたずらに塵埃に此の身を埋没させてしまうことにがまんができるものではないのだ。
兀兀 不動のさま、又不安のさま。○ 反語に用いる。○為塵埃没 (為塵埃竣所没)の「所」の字を略したかきかたで、塵攻に埋没せられること。


終愧巣与由、未能易其節。
昔の隠遁者たる巣父や許由に対しては、結局、愧ずるけれども、世間から引退してしまうことは初の志節を易えることでできないのだ。
巣、由 巣父と許由と。古代の隠遁者。勇が位を許由に譲ろうとしたとき、許由がその話を巣父に告げたところが、巣父は汝は我が友ではないとて清冷の水にいたってその耳を洗ったという。○易其節 節は節操、聖君に事えで万民を済わんというのが作者の志節であり、隠遁するのは其の志節を変易することとなる。


沈飲聊自遣、放歌破愁絶。』
隠遁しないから飲酒にひたり深酒をする、それはひとまずおしのけておいて、きままに歌をうたい、強烈な愁をはらしているのだ。』
沈飲 飲酒にひたる。○ いささか。頼る。安心する。○自遣 煩悶をおいのける、遣はこちらからあちらへやってしまうこと。○放歌 きままにうたう。○破愁絶 愁絶は絶愁に同じ、絶は下へつけた形容詞、はなはだしきの義、破は散ずる意をつよめている。

# 3 解説
「聖天子の世」であり、朝廷には有能な人材もたくさんいるが、つまらぬ「螻蟻の輩」がはびこっていること、分不相応なことをしている宮廷の官吏を批判する。このころは、李林逋から楊貴妃一族が取って代わって朝廷を握り、西方で、南方で大失策、大敗をきっしている。杜甫は大官達に取り入ることをまったくしないので、今日まで塵芥の中に埋もれてきたと述べます。そして隠者のように山林に住むことができないのは恥ずかしいことだが、自分の主義を曲げることはできないので、酒を飲み、詩を作って、愁いを晴らしてきたのだと述べている。


第一段(#1~#3)
杜陵有布衣,老大意轉拙。許身一何愚?竊比稷與契。
居然成獲落,白手甘契闊。蓋棺事則已,此誌常覬豁。』
窮年憂黎元,嘆息腸內熱。取笑同學翁,浩歌彌激烈。
非無江海誌,蕭灑送日月。生逢堯舜君,不忍便永訣。
當今廊廟具,構廈豈雲缺?葵藿傾太陽,物性固莫奪。』
顧惟螻蟻輩,但自求其穴。胡為慕大鯨,輒擬偃溟渤?
以茲誤生理,獨恥事幹謁。兀兀遂至今,忍為塵埃沒。
終愧巢與由,未能易其節。沉飲聊自遣,放歌破愁絕。』

第二段(#4~#8)
歲暮百草零,疾風高岡裂。天衢陰崢嶸,客子中夜發。
霜嚴衣帶斷,指直不得結。淩晨過驪山,禦榻在嵽嵲。』
蚩尤塞寒空,蹴蹋崖谷滑。瑤池氣鬱律,羽林相摩戛。
君臣留歡娛,樂動殷膠葛。賜浴皆長纓,與宴非短褐。』
彤庭所分帛,本自寒女出。鞭撻其夫家,聚斂貢城闕。
聖人筐篚恩,實欲邦國活。臣如忽至理。君豈棄此物?
多士盈朝廷,仁者宜戰慄。』
況聞內金盤,盡在衛霍室。中堂有神仙,煙霧蒙玉質。
暖客貂鼠裘,悲管逐清瑟。勸客駝蹄羹,霜橙壓香橘。
朱門酒肉臭,路有凍死骨。榮枯咫尺異,惆悵難再述。』
北轅就涇渭,官渡又改轍。群水從西下,極目高崒兀。
疑是崆峒來,恐觸天柱折。河梁幸未坼,枝撐聲窸窣。
行旅相攀援,川廣不可越。』
第三段(#9~10)
老妻寄異縣,十口隔風雪。誰能久不顧?庶往共饑渴。
入門聞號啕,幼子餓已卒。吾寧舍一哀?裡巷亦嗚咽。
所愧為人父,無食致夭折。豈知秋禾登,貧窶有蒼卒。』
生常免租稅,名不隸徵伐。撫跡猶酸辛,平人固騷屑。
默思失業徒,因念遠戍卒。憂端齊終南,澒洞不可掇。』



1

杜陵のあたりに一人の官についていない普段着の男が居る、年を取ってはいるがその抱いている志と意識はかたくなで処世術は実にうまくない。

そうした志と意識について自己に妥協して許すことができない愚者というのはいったいどうしてなのであろうか。それは心に秘めていることは自分を論語で示された賢臣、稷との契たちに匹敵すると思っているからなのだ。

そんな大きな志をもっているうちにそのまま滴り落してしまうのであるが、もとより白髪にいたるまで甘んじて艱難辛苦に耐えているのである。

自己の価値は棺に蓋をした後に其の人の行為や事の評価が決定するとおもっている、このように心がけていることは、広々とした気持ちでいたいと願ってはいるということなのだ。』


2

かねてこの方、一年中一般の民衆の身の上を心配し、どうしようもない思いで腸が内部で熱くなる。

少年時のいっしょに学問をした老人などから笑われるが、彼は大声で歌いはじめるといよいよ激烈になるのである。

彼は江海へのがれ志をすて去って、のんきに月日を送るということもおもわないわけでもない。

せっかく尭舜のような聖天子に生れあわせることができたので、すぐ永久のおわかれをするには忍びないのである。

ひまわりが太陽の光の方へ必ず傾くように育っていく、万物の本性というものは実に他からその本性を奪いとることはできないはずのものである。』


3

よく考えてみると今の世に貴公子や富豪を得ているけら虫、蟻虫のようなものどもは、ただ我儘に都合のよい穴を求め、生活しているのだ。

盲目的に追随とか、大鯨を慕うだけで、いつも大海の水に偃そうとすることなどすることはないのだ。

こんなことではとてもろくな生活はなりたたないと悟っても、どうしても自分としてはたのみこむために貴人に面会するなことは恥かしくてしないのだ。

かくて不安のきもちをもちつつ今日に至ったのであるが、どうしていたずらにらに塵埃に此の身を埋没させてしまうことにがまんができるものではないのだ。

昔の隠遁者たる巣父や許由に対しては、結局、愧ずるけれども、世間から引退してしまうことは初の志節を易えることでできないのだ。』


 

 

自京赴奉先縣詠懷五百字 杜甫 106 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700-105-2

自京赴奉先縣詠懷五百字 杜甫 106 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700-105-2



自京赴奉先縣詠懷 五百字 2/10 2

窮年憂黎元,嘆息腸熱。

かねてこの方、一年中一般の民衆の身の上を心配し、どうしようもない思いで腸が内部で熱くなる。
取笑同學翁,浩歌彌激烈。

少年時のいっしょに学問をした老人などから笑われるが、彼は大声で歌いはじめるといよいよ激烈になるのである。
非無江海誌,蕭灑送日月。

彼は江海へのがれ志をすて去って、のんきに月日を送るということもおもわないわけでもない。
生逢堯舜君,不忍便永訣。

せっかく尭舜のような聖天子に生れあわせることができたので、すぐ永久のおわかれをするには忍びないのである。
當今廊廟具,構廈豈雲缺?

今にあたって、朝廷の政務を担う人物は唐王朝を構える良材として欠けているとまではいわないのではあるが。
傾太陽,物性固莫奪。

ひまわりが太陽の光の方へ必ず傾くように育っていく、万物の本性というものは実に他からその本性を奪いとることはできないはずのものである。』


窮年(きゅうねん)黎元(れいげん)を憂え、嘆息(たんそく)して腸内(ちょううち)に熱す。

笑いを同学(どうがく)の翁(おう)に取るも、浩歌(こうか)すること弥々(いよいよ)激烈なり。

江海(こうかい)の志の瀟洒(しょうしゃ)として日月(じつげつ)を送る無きに非(あら)ざるを。

生まれて堯舜(ぎょうしゅん)の君(きみ)に逢い、便(すなわち)、永訣(えいけつ)するに忍(しの)びず。

当今(とうこん) 廊廟(ろうびょう)の具、構廈(こうか) 豈(あに)、欠けたりと云わんや。

(きかく)太陽に傾く、物性(ぶつせい)  固(まこと)に 奪い難し。


(本文)
窮年憂黎元,嘆息腸內熱。
取笑同學翁,浩歌彌激烈。
非無江海誌,蕭灑送日月。
生逢堯舜君,不忍便永訣。
當今廊廟具,構廈豈雲缺?
葵藿傾太陽,物性固莫奪。』


(下し文)
窮年(きゅうねん)黎元(れいげん)を憂え、嘆息(たんそく)して腸内(ちょううち)に熱す。
笑いを同学(どうがく)の翁(おう)に取るも、浩歌(こうか)すること弥々(いよいよ)激烈なり。
江海(こうかい)の志の瀟洒(しょうしゃ)として日月(じつげつ)を送る無きに非(あら)ざるを。
生まれて堯舜(ぎょうしゅん)の君(きみ)に逢い、便(すなわち)、永訣(えいけつ)するに忍(しの)びず。
当今(とうこん) 廊廟(ろうびょう)の具、構廈(こうか) 豈(あに)、欠けたりと云わんや。
葵藿(きかく)太陽に傾く、物性(ぶつせい)  固(まこと)に 奪い難し。

(現代語訳)
かねてこの方、一年中一般の民衆の身の上を心配し、どうしようもない思いで腸が内部で熱くなる。
少年時のいっしょに学問をした老人などから笑われるが、彼は大声で歌いはじめるといよいよ激烈になるのである。
彼は江海へのがれ志をすて去って、のんきに月日を送るということもおもわないわけでもない。
せっかく尭舜のような聖天子に生れあわせることができたので、すぐ永久のおわかれをするには忍びないのである。
今にあたって、朝廷の政務を担う人物は唐王朝を構える良材として欠けているとまではいわないのではあるが。
ひまわりが太陽の光の方へ必ず傾くように育っていく、万物の本性というものは実に他からその本性を奪いとることはできないはずのものである。』




#2 (訳註)
 
窮年憂黎元,嘆息腸內熱。
かねてこの方、一年中一般の民衆の身の上を心配し、どうしようもない思いで腸が内部で熱くなる。
窮年 ねんじゅう。○黎元 黒首の義とし民衆のこととする。秦の時、民衆を黔首(くろいくび)といった。或は、元は性善説では善の意で、善人をさし、一般の人を意味する。○ 杜甫は「嘆」をよく使うが、嘆くと訳すと少し違う。どうしようもないもどかしさで訴えるように。嘆くのである。


取笑同學翁,浩歌彌激烈。
少年時のいっしょに学問をした老人などから笑われるが、彼は大声で歌いはじめるといよいよ激烈になるのである。
同学翁 いっしょに学問をなした老人。○浩歌 大声で歌う。


非無江海誌,蕭灑送日月。
彼は江海へのがれ志をすて去って、のんきに月日を送るということもおもわないわけでもない。
江海志 江海の地に隠遁して現状から去る陶淵明の志。○蕭灑 あっさり、人事に拘泥せぬさま。


生逢堯舜君,不忍便永訣。
せっかく尭舜のような聖天子に生れあわせることができたので、すぐ永久のおわかれをするには忍びないのである。
尭舜君 尭舜の如き聖天子、玄宗をさす。○便永訣 すぐに永久のわかれをする。


當今廊廟具,構廈豈雲缺?
今にあたって、朝廷の政務を担う人物は唐王朝を構える良材として欠けているとまではいわないのではあるが。
廊廟具 廟堂の器をいう、宗廟朝廷に立って仕事をしてゆける人物。宰相、宦官の長など人材。宰相楊国忠と宦官高力士を指す。○構虜 木材をくみたてて大屋をつくること。○ 木材のよいもののないことをいう。


葵藿傾太陽,物性固莫奪。』
ひまわりが太陽の光の方へ必ず傾くように育っていく、万物の本性というものは実に他からその本性を奪いとることはできないはずのものである。』
葵藿 ひまわり。○ 菓花がそちらへむく。曹植の「親 親ヲ通ゼンコトヲ求ムル表」に「英幸ノ葉ヲ傾クルハ、太陽ノ為二光ヲ廻ラサズト錐モ、然レドモ終二之二向コウ者ハ誠ナリ。」とみえる、己が心のつねに君に向こうことをたとえていう。○物性 物とは葵章をさす、性は性質、すなわち太陽の方へむくという本性。○ うばいとる。


(解説)
この時代から、詩人は文人で、政治家、軍人ではなくなってきた。文人は、官僚にならなければ生きていけなかった。唐王朝、律令制のなかで、詩人であり続けたい、官僚に採用されたいと願っても、宰相、執務を取る宦官が良くなかった。無学のものが高官を占めると文人は徹底的に排除されたのだ。杜甫も他の高官との交際をしていたので自己の不遇をひしひしと感じていたのである。


「葵藿」(ひまわり)が太陽のほうを向くように人の本性を奪われることはない。だから、ときには隠遁のことも考えなかったわけではないが、きっと堯や舜のような聖天子の世に生まれたのだから、なんとしてでも官に就いて力を尽くしたい希望にあふれていた。逃避、隠遁は貧困、自給自足を意味し、家族十人を抱えた杜甫の選択指は士官しかないのである。



第一段(#1~#3)
杜陵有布衣,老大意轉拙。許身一何愚?竊比稷與契。
居然成獲落,白手甘契闊。蓋棺事則已,此誌常覬豁。』
窮年憂黎元,嘆息腸內熱。取笑同學翁,浩歌彌激烈。
非無江海誌,蕭灑送日月。生逢堯舜君,不忍便永訣。
當今廊廟具,構廈豈雲缺?葵藿傾太陽,物性固莫奪。』

顧惟螻蟻輩,但自求其穴。胡為慕大鯨,輒擬偃溟渤?
以茲誤生理,獨恥事幹謁。兀兀遂至今,忍為塵埃沒。
終愧巢與由,未能易其節。沉飲聊自遣,放歌破愁絕。』
第二段(#4~#8)
歲暮百草零,疾風高岡裂。天衢陰崢嶸,客子中夜發。
霜嚴衣帶斷,指直不得結。淩晨過驪山,禦榻在嵽嵲。』
蚩尤塞寒空,蹴蹋崖谷滑。瑤池氣鬱律,羽林相摩戛。
君臣留歡娛,樂動殷膠葛。賜浴皆長纓,與宴非短褐。』
彤庭所分帛,本自寒女出。鞭撻其夫家,聚斂貢城闕。
聖人筐篚恩,實欲邦國活。臣如忽至理。君豈棄此物?
多士盈朝廷,仁者宜戰慄。』
況聞內金盤,盡在衛霍室。中堂有神仙,煙霧蒙玉質。
暖客貂鼠裘,悲管逐清瑟。勸客駝蹄羹,霜橙壓香橘。
朱門酒肉臭,路有凍死骨。榮枯咫尺異,惆悵難再述。』
北轅就涇渭,官渡又改轍。群水從西下,極目高崒兀。
疑是崆峒來,恐觸天柱折。河梁幸未坼,枝撐聲窸窣。
行旅相攀援,川廣不可越。』
第三段(#9~10)
老妻寄異縣,十口隔風雪。誰能久不顧?庶往共饑渴。
入門聞號啕,幼子餓已卒。吾寧舍一哀?裡巷亦嗚咽。
所愧為人父,無食致夭折。豈知秋禾登,貧窶有蒼卒。』
生常免租稅,名不隸徵伐。撫跡猶酸辛,平人固騷屑。
默思失業徒,因念遠戍卒。憂端齊終南,澒洞不可掇。』

自京赴奉先縣詠懷五百字 杜甫 105 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700-105-1

自京赴奉先縣詠懷五百字 杜甫 105 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700-105-1


 任官ということになった杜甫は、そのことを家族に知らせ、長安へ連れて帰るため、十一月に入って奉先県に出かけた。それは、安禄山が君側の紆臣「楊国忠」を除くことを名目に挙兵した十一月九日に先だつ5日である。このときの旅行を詠んだのが「自京赴奉先縣詠懷五百字」(京より奉先県に赴き、懐いを詠ずる五百字)は五言古詩、百句五十韻に及ぶ長篇で、のちの「北征」の詩、五言古詩 百四十句と並ぶ雄篇と称されている。この長い詩を一気に掲載すると雑になるので、10分割(区切りは””で示す)して掲載することになる。その後、本来の詩の三段にまとめて解説する。(これまでの長編は、就職活動の詩なので、資料として一括で掲載する方が良いと考えて行った。これからは、「魂の叫び」ともいえるもの丁寧に見ていきたい。)
杜甫乱前後の図001奉先


詩の概要を示す。すなわち第一段は、若いころから持ちつづけている自己の抱負と、それがなかなかかなえられないこと。#1~#3
第二段は旅中の見聞で、君臣ともに歓楽にふけっている驪山のふもとを通りすぎるときの感懐が中心。#4~#8
第三段は、家族と再会して幼子の餓死を知らされての深い嘆きと、世人への思いを詠う。#9~10




第一段(#1~#3)
杜陵有布衣,老大意轉拙。許身一何愚?竊比稷與契。
居然成
濩落,白手甘契闊。蓋棺事則已,此誌常覬豁。』

窮年憂黎元,嘆息腸內熱。取笑同學翁,浩歌彌激烈。
非無江海誌,蕭灑送日月。生逢堯舜君,不忍便永訣。
當今廊廟具,構廈豈雲缺?葵藿傾太陽,物性固莫奪。』
顧惟螻蟻輩,但自求其穴。胡為慕大鯨,輒擬偃溟渤?
以茲誤生理,獨恥事幹謁。兀兀遂至今,忍為塵埃沒。
終愧巢與由,未能易其節。沉飲聊自遣,放歌破愁絕。』
第二段(#4~#8)
歲暮百草零,疾風高岡裂。天衢陰崢嶸,客子中夜發。
霜嚴衣帶斷,指直不得結。淩晨過驪山,禦榻在嵽嵲。』
蚩尤塞寒空,蹴蹋崖谷滑。瑤池氣鬱律,羽林相摩戛。
君臣留歡娛,樂動殷膠葛。賜浴皆長纓,與宴非短褐。』

彤庭所分帛,本自寒女出。鞭撻其夫家,聚斂貢城闕。
聖人筐篚恩,實欲邦國活。臣如忽至理。君豈棄此物?
多士盈朝廷,仁者宜戰慄。』
況聞內金盤,盡在衛霍室。中堂有神仙,煙霧蒙玉質。
暖客貂鼠裘,悲管逐清瑟。勸客駝蹄羹,霜橙壓香橘。
朱門酒肉臭,路有凍死骨。榮枯咫尺異,惆悵難再述
。』
北轅就涇渭,官渡又改轍。群水從西下,極目高崒兀。
疑是崆峒來,恐觸天柱折。河梁幸未坼,枝撐聲窸窣。
行旅相攀援,川廣不可越。』
第三段(#9~10)
老妻寄異縣,十口隔風雪。誰能久不顧?庶往共饑渴。
入門聞號啕,幼子餓已卒。吾寧舍一哀?裡巷亦嗚咽。
所愧為人父,無食致夭折。豈知秋禾登,貧窶有蒼卒。』
生常免租稅,名不隸徵伐。撫跡猶酸辛,平人固騷屑。
默思失業徒,因念遠戍卒。憂端齊終南,澒洞不可掇。』



 天宝十四載(755)冬十一月の初め、杜甫は馬車で真夜中に長安を発った。奉先県への路は、冷たい風が北の砂漠地帯から吹きつけてくる。杜甫は四十四歳を過ぎて、やっと官職につけた。詩は、まず、現況から始まる。

白京赴奉先牒詠懐 五百字 1/10 1段目の#1
杜陵有布衣,老大意轉拙。
杜陵のあたりに一人の官についていない普段着の男が居る、年を取ってはいるがその抱いている志と意識はかたくなで処世術は実にうまくない。
許身一何愚?竊比稷與契。
そうした志と意識について自己に妥協して許すことができない愚者というのはいったいどうしてなのであろうか。それは心に秘めていることは自分を論語で示された賢臣、稷との契たちに匹敵すると思っているからなのだ。
居然成
濩落,白手甘契闊。
そんな大きな志をもっているうちにそのまま滴り落してしまうのであるが、もとより白髪にいたるまで甘んじて艱難辛苦に耐えているのである。
蓋棺事則已,此誌常覬豁。』

自己の価値は棺に蓋をした後に其の人の行為や事の評価が決定するとおもっている、このように心がけていることは、広々とした気持ちでいたいと願ってはいるということなのだ。』


自京赴奉先縣詠懷五百字 杜甫特集700-105-1 現代語訳と訳註

(本文)
杜陵有布衣,老大意轉拙。
許身一何愚?竊比稷與契。
居然成濩落,白手甘契闊。
蓋棺事則已,此誌常覬豁。』

(下し文)
杜陵(とりょう)に布衣(ふい)有り
老大(ろうだい)にして意(い)転(うた)た拙(せつ)なり
身(み)を許すこと一(いつ)に何ぞ愚(ぐ)なる
窃(ひそ)かに稷(しょく)と契(せつ)とに比す
居然(きょぜん)  濩落(かくらく)を成(な)し
白首(はくしゅ)  契闊(けいかつ)に甘んず
棺(かん)を蓋(おお)えば事は則ち已(や)むも
此の志  常に豁(ひら)けむことを覬(ねが)う

(現代語訳)
杜陵のあたりに一人の官についていない普段着の男が居る、年を取ってはいるがその抱いている志と意識はかたくなで処世術は実にうまくない。
そうした志と意識について自己に妥協して許すことができない愚者というのはいったいどうしてなのであろうか。それは心に秘めていることは自分を論語で示された賢臣、稷との契たちに匹敵すると思っているからなのだ。
そんな大きな志をもっているうちにそのまま滴り落してしまうのであるが、もとより白髪にいたるまで甘んじて艱難辛苦に耐えているのである。
自己の価値は棺に蓋をした後に其の人の行為や事の評価が決定するとおもっている、このように心がけていることは、広々とした気持ちでいたいと願ってはいるということなのだ。』


(訳註)
杜陵有布衣,老大意轉拙。
杜陵のあたりに一人の官についていない普段着の男が居る、年を取ってはいるがその抱いている志と意識はかたくなで処世術は実にうまくない。
杜陵 作者の住地。長安城の東に薪陵(漢の文帝の陵)があり、その南五里に楽遊原がある、漠の宜帝の葬られた処で、これを杜院という。杜陵の東南十余里に又一陵があり、宜帝の皇后許氏の葬られた処であり、これを少陵という。少陵の東は杜曲であり、西は杜甫が宅した地である。作者は自己の居を称するのに、杜陵、少陵、杜曲、下杜などというのは皆少陵を本としてその近地についていったものである。この年かいた詩の中でで杜甫の杜曲の住まいを覗わせるものである

曲江三章 章五句 杜甫特集 52 

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陂行 杜甫特集 66

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陪諸貴公子丈八溝携妓納涼晩際遇雨二首杜甫特集 73

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夏日李公見訪 杜甫特集 83

秋雨嘆三首 杜甫特集 86

長安・杜曲韋曲
 
布衣 仕官せぬものをいう。○意転拙 その抱く所の意識、意見、物の見方がかたくなで世間向きでなく、処世術がへたである。


許身一何愚?竊比稷與契。
そうした志と意識について自己に妥協して許すことができない愚者というのはいったいどうしてなのであろうか。それは心に秘めていることは自分を論語で示された賢臣、稷との契たちに匹敵すると思っているからなのだ。
許身 我と我が身はかくかくの資格ありとゆるす。○ 二人とも儒教でいう賢臣で舜の賢臣。稷は官の名、本名は棄、農事を掌る、契は教育の事を掌る。『論語』・泰伯篇  「舜には五人の臣(瑀・稷・契・咎陶・伯益)がいて、天下が治まった。武王はいった、「わたしには賢臣が十人いる」 孔子はいった、「才能ある人物は得がたいものだ。そうではないか。尭が舜に禅譲してからは、周の初めにおいて盛んであった。(武王の賢臣のうち、)婦人が一人いるので、賢臣は九人のみであった。文王が西伯となって、天下を三分してその二を保ち、それで殷に服事した。周の徳こそは至徳というべきである」 *周が賢臣を得て国を治めたことを讃えた。


居然成濩落,白手甘契闊。
そんな大きな志をもっているうちにそのまま滴り落してしまうのであるが、もとより白髪にいたるまで甘んじて艱難辛苦に耐えているのである。
居然 そのままの意。○濩落 濩は雨だれがしたたり落ちること。○契闊 苦労すること。逢うことと離れること。慕う。約束する。ここでは艱難辛苦をいう。
 
蓋棺事則已,此誌常覬豁。』
自己の価値は棺に蓋をした後に其の人の行為や事の評価が決定するとおもっている、このように心がけていることは、広々とした気持ちでいたいと願ってはいるということなのだ。』
蓋棺 棺の蓋をする。人が死ぬことを指す。人は死後に其の行いや事の評価が決定することをいう。○此志 自己の志意をいう。○ 冀と同じ、こいねがう。○ 寛裕にする、ひろびろとする。



 

魏將軍歌  杜甫 : kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 誠実な詩人杜甫特集700- 104

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杜甫の詩 700首 一日1首
将軍魂某のことについてよんだ。其の名は未詳。製作時は天宝末年、安禄山の叛乱直前の作。杜甫44歳


魏將軍歌
將軍昔著從事衫,鐵馬馳突重兩銜。
将軍は昔、幕府の下官としての衫を著て防御装着した馬に乗って、馬の口には二重の口ばみをかませ敵陣へ馳突した。
披堅執銳略西極,昆侖月窟東嶄岩。』
そうして堅い甲宵を被り、鋭い剣戟を執って西極の地方を略取したのだ、崑崙、月窟のはるか西までいったから長嶺や月窟が東に高く聾えてみえるというほどの処まですすんだのだ。』
君門羽林萬猛士,惡若哮虎子所監。
天子の御門のなかの羽林軍には万人もの猛士がいて、その猛悪さは怒りほえる虎のようであるが、それ等のものどもは君の監督の下にあるのである。
五年起家列霜戟,一日過海收風帆。』
君は一朝にして青海地方を過ぎて其の威力を以て騒乱を鎮めて兵船の帆を巻いてしまい、わずか五年の年月のうちに身分の低い家の出身が門に戦士をたてならべるほどの身分になられたのである。』

平生流輩徒蠢蠢,長安少年氣欲盡。
平生の同輩の者たちは徒らに虫のようにうごめいている。長安の勢いのいい青年たちも君に対しては意気消滅せんばかりである。
魏侯骨聳精爽緊,華嶽峰尖見秋隼。』
君はまことに骨格はそびえて、精神は緊粛である、たとえば華山の峰の尖ったところへ秋の隼が飛んでいる様のここちがするのである。』

星躔寶校金盤陀,夜騎天駟超天河。
君は雑金でつくった馬具の装飾の星の動きのようにめぐっている馬にのって天上の河を超えられる。
攙槍熒惑不敢動,翠蕤雲旓相蕩摩。』
すると攙槍、熒惑の如き妖悪の星も静かにして動くことなく、君の儀伎たる翠蕤、雲旓等の旗が互にうごいてすれあうようだ、君の威力はすばらしいものだ。』
吾為子起歌都護;酒闌插劍肝膽露,
自分は君のために起ちあがって「丁都護」の歌をうたう。そうして酒興もすがれになりかくるころ舞いの剣をさやにおさめて胸の奥そこまでをさらけだす。
鉤陳蒼蒼玄武暮。
その時は鈎陳・玄武の星座いずれも蒼々たる色をして日はまったく暮れている。
萬歲千秋奉聖明,臨江節士安足數!』

君は千年も万年も聖明の天子を奉戴して忠勤をするであろう。かの臨江の節士などは君にくらべるとかぞえたてるだけの値打ちもない。




魏将軍歌
将軍昔著く従事の診、鉄馬馳突して両街を重ぬ
塾を被り鏡を執りて西極を略す、良禽月窟東に斬巌たり』
君門羽林の万の猛士、悪嘩虎の若くなるは子が監する所
五年家より起って霜戟を列し、一日海を過ぎて風帆収まる』
平生の流輩徒に蕎蕎たり、長安の少年気尽きんと欲す
魂侯骨奪えて精爽緊なり、華岳峯尖りて秋草を見る』
星のごとくに纏れる宝校(餃)金の盤陀、夜天銅に騎って天河を超ゆ
橡槍l焚惑敢て動かず、率直雲衛相蕩摩す』
吾子が為めに起って都護を歌う、酒関に剣を捕みて肝胆露わる、釣陳は蒼蒼として玄武は暮る
万歳千秋明主を奉ぜん、臨江の節士安んぞ数うるに足らん』

将軍は昔、幕府の下官としての衫を著て防御装着した馬に乗って、馬の口には二重の口ばみをかませ敵陣へ馳突した。
そうして堅い甲宵を被り、鋭い剣戟を執って西極の地方を略取したのだ、崑崙、月窟のはるか西までいったから長嶺や月窟が東に高く聾えてみえるというほどの処まですすんだのだ。』
天子の御門のなかの羽林軍には万人もの猛士がいて、その猛悪さは怒りほえる虎のようであるが、それ等のものどもは君の監督の下にあるのである。
君は一朝にして青海地方を過ぎて其の威力を以て騒乱を鎮めて兵船の帆を巻いてしまい、わずか五年の年月のうちに身分の低い家の出身が門に戦士をたてならべるほどの身分になられたのである。』
平生の同輩の者たちは徒らに虫のようにうごめいている。長安の勢いのいい青年たちも君に対しては意気消滅せんばかりである。
君はまことに骨格はそびえて、精神は緊粛である、たとえば華山の峰の尖ったところへ秋の隼が飛んでいる様のここちがするのである。』
君は雑金でつくった馬具の装飾の星の動きのようにめぐっている馬にのって天上の河を超えられる。
すると攙槍、熒惑の如き妖悪の星も静かにして動くことなく、君の儀伎たる翠蕤、雲旓等の旗が互にうごいてすれあうようだ、君の威力はすぼらしいものだ。』
自分は君のために起ちあがって「丁都護」の歌をうたう。そうして酒興もすがれになりかくるころ舞いの剣をさやにおさめて胸の奥そこまでをさらけだす。
その時は鈎陳・玄武の星座いずれも蒼々たる色をして日はまったく暮れている。
君は千年も万年も聖明の天子を奉戴して忠勤をするであろう。かの臨江の節士などは君にくらべるとかぞえたてるだけの値打ちもない。


(魂魏将軍の歌)
將軍昔著從事衫,鐵馬馳突重兩銜。
将軍は昔、幕府の下官としての衫を著て防御装着した馬に乗って、馬の口には二重の口ばみをかませ敵陣へ馳突した
従事衫 妻窟英は務衫(しごと服)と解き、浦起竜は戎衣(いくさごろも)と解いている。しかし幕府の従事(下僚)であったことをいうのであろう。衫はうすいうわざ。○鉄馬 介馬(馬用鎧を装着した馬)をいう。○重両銜 銜は馬の口勘(くちばみのかね)、重ぬとは二箇をかませること。戦うとき故、馬にも厳重にしたくさせる。
 

披堅執銳略西極,昆侖月窟東嶄岩。』
そうして堅い甲宵を被り、鋭い剣戟を執って西極の地方を略取したのだ、崑崙、月窟のはるか西までいったから長嶺や月窟が東に高く聾えてみえるというほどの処まですすんだのだ。』
被堅 甲冑をきる。○執鋭 するどい剣戟を手にとる。○ 土地を取ること。○西極 西のはての国。○崑崙、月窟 出に西方にある山と地。○東嶄巌 嶄巌は山石の高くけわしいさま。東にとは昆侖、月窟は西地にあるが、将軍はそれよりも西のはてへ進んだため昆侖、月窟が東方に聳えるように見えるようになる。

君門羽林萬猛士,惡若哮虎子所監。
天子の御門のなかの羽林軍には万人もの猛士がいて、その猛悪さは怒りほえる虎のようであるが、それ等のものどもは君の監督の下にあるのである。
君門 天子の門。○羽林 天子直轄の軍の名、近衛兵のことで、ほかに龍武軍、神策軍で参軍。〇 多いことをいう。○惡若哮虎 悪は猛悪なこと、虎の怒りほえることをいう。○ 魏将軍をさす。○ 監督する。○起家 卑しい家の地位より起こることをいう。
 

五年起家列霜戟,一日過海收風帆。』
君は一朝にして青海地方を過ぎて其の威力を以て騒乱を鎮めて兵船の帆を巻いてしまい、わずか五年の年月のうちに身分の低い家の出身が門に戦士をたてならべるほどの身分になられたのである。』
列霜戟 霜はよくみがいて白くひかる刃の色をいう、戟ははこ、三晶(三位)ほどの官になれば門に乗戟(柄を彩色の漆池でぬる)をならべる。○一日 一朝、一日。○過海 吐蕃の青海地方を過ぎることをいう。○収風帆 青海方面の乱がしずまったので風にはらませた兵船の帆を収め巻いて都へかえる。五年一日の二句は置きかえでみる。



平生流輩徒蠢蠢,長安少年氣欲盡。
平生の同輩の者たちは徒らに虫のようにうごめいている。長安の勢いのいい青年たちも君に対しては意気消滅せんばかりである。
流輩 同輩。○蠢蠢 虫のようにうごき、動かされる。○気欲尽 意気を出し尽くす。

魏侯骨聳精爽緊,華嶽峰尖見秋隼。』
君はまことに骨格はそびえて、精神は緊粛である、たとえば華山の峰の尖ったところへ秋の隼が飛んでいる様のここちがするのである。』
醜侯 侯は敬称、君の琴○精爽 精神。○ ひきしまる。○華岳(一句)たとえである。華岳は華山、五岳の一つ、華州にある。○秋隼 隼ははやぶさ、鷹の類。

星躔寶校金盤陀,夜騎天駟超天河。
君は雑金でつくった馬具の装飾の星の動きのようにめぐっている馬にのって天上の河を超えられる。
星纏宝校 校の字は軟に作るべきである。顔延年の「滞日馬賊」に「宝餃星纏」とあるのに本づく。銃は鞍勘などの馬具の装飾であるという。星纏とは星の動きのようにめぐることで、星をちりばめたようであることをいう。○金盤陀 盤陀は破撃仏像などを鉾かして鋳た金属、銅と金との雜りがね。金盤陀は装飾の実質をいう。○天駟 房星のこと、ここは天厩の馬を言のであろう。○天河 天の河、宮苑の水をたとえていう。



攙槍熒惑不敢動,翠蕤雲旓相蕩摩。』
すると攙槍、熒惑の如き妖悪の星も静かにして動くことなく、君の儀伎たる翠蕤、雲旓等の旗が互にうごいてすれあうようだ、君の威力はすぼらしいものだ。』
攙槍 妖星。○攙槍 火星、上の星は兵乱の象。○不敢動動きださぬ、というのは兵乱の起こらぬことをいう。○翠蕤 雲旓 翠蕤とは素翠の羽のふさふさと垂れていることをいい、旗のこと。雲頂とは雲のようなはたをいう。旗は儀任に用いる。○蕩摩 うごきすれあう。「星纏」以下の四句は宿衛の軍容をいい、将軍の威が禍乱をしずめるのに足ることをいう。



吾為子起歌都護;酒闌插劍肝膽露。
自分は君のために起ちあがって「丁都護」の歌をうたう。そうして酒興もすがれになりかくるころ舞いの剣をさやにおさめて胸の奥そこまでをさらけだす。
歌都護 劉宋の時、武帝の「丁都護歌」に「督護北二征キ去ル、前鋒平カナラサル無シ、朱門ニハ高蓋ヲ垂ラシ、永世二功名ヲ揚グ」とある。また宋の高祖の時、高祖の娘が徐達之という者に嫁したが、達之は魯軌という者に警れた。高祖は因って督護丁旿に命じて達之の屍を収めてかりうめさせた。達之の妻が丁旿を呼んで葬りの事を問うたところが、毎に間うに「丁都護」と呼んだ、その声はいと哀れであった。後人は因って歌とした。作者は何人の作をうたったか不明であるが武帝の歌の類をうたったのであろう。○酒闌 闌はさかりすぎ。○插劍 このとき剣舞を為し舞をやめて剣をさやにはさんだのである。○肝胆 露心中をさらけ出す。



鉤陳蒼蒼玄武暮。
その時は鈎陳・玄武の星座いずれも蒼々たる色をして日はまったく暮れている。
鉤陳 玄武鉤陳は星宿の名、天の紫宮の中に六星があり、これにかたどって天子の殿前にも鉤陳の位置がある。玄武も星の名、「漢書」天文志に「北宮ニハ玄武虚危アリ、其ノ南二衆星アリ、羽林天軍トイウ」とみえる。玄武星が碁に見えるのは秋節であるという。此の句は星宿をかりて宿衛のことをいい兼ねて時候をあらわす。又此の句は単句(一句だけで独立する句)である。○蒼蒼、暮此の二語は蓋し鈎陳235と玄武とに共用の語であり、どちら碁々としてくれることをいう。



萬歲千秋奉聖明,臨江節士安足數!』
君は千年も万年も聖明の天子を奉戴して忠勤をするであろう。かの臨江の節士などは君にくらべるとかぞえたてるだけの値打ちもない。
臨江節士漢の景帝は太子を廃して臨江王となしたが、王は後に自殺した。時の人は彼を悲しんで歌を作った。「漢書」芸文志に「臨江王及ビ愁思ノ節士ノ歌詩四第」とみえる。節士が臨江の人であるか香かは不明であるが、節士は臨江王のことを思った忠実の人とみえる。○安足数かぞえるねうちがない、将軍の忠実心は節士以上である。


蘇端薛複筵簡薛華醉歌 : kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫700 特集 103

蘇端薛複筵簡薛華醉歌 : kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫700 特集 103
(蘇端薛複が筵にて薛華に簡せる酔歌)
蘇端・薛複が宴席で薛華に手紙がわりに寄せた酒酔の時の歌。製作時。長雨の後、安禄山の乱の直前。

蘇端薛複筵簡薛華醉歌
文章有神交有道,端複得之名譽早。
文章はそこに神の助けで神との交わりを得て人力以上のものでるという道義にかなっていることなのである、また人間の交際においてはそこに利益をはなれて真の道義があるのである。蘇端・藩復はこの二つの同義をもっておるという名誉を早いうちからしられている。
愛客滿堂盡豪傑,開筵上日思芳草。
二人は賓客を好んで座敷に来ているみんなに対しその豪傑ぶりをしめしている、きょう、正月の一日に筵を敷いて春の香り漂う若草を愛でることをかんがえているのだ。
安得健步移遠梅,亂插繁花向晴昊?』
できるならば健脚であるから遠方にある梅をここへ移植し、晴れた空に向かい花がいっぱいに咲き誇るところで髪に挿してあそんでみたいと思うのである。』
千裡猶殘舊冰雪,百壺且試開懷抱。
千里もはなれた遠いところにはまだ昨冬の泳雪がのこっている、それに対して試みに百壷の酒をのんでむねのなかを開こうとする。
垂老惡聞戰鼓悲,急觴為緩憂心搗。
年を取ってきたら戦の太鼓は悲しさをよぶので聞くのはいやである、矢継ぎ早に酒をのんで胸打つ心の憂鬱な動悸を緩やかにしようとするのだ。
少年努力縱談笑,看我形容已枯槁。』

青年たちは努めて遊ぶふりして自由に談笑をしているけれども、わたしのこの姿かたちを見てくれ、いまやこんなに枯木のようになってしまったのを。』

坐中薛華善醉歌,歌辭自作風格老。
宴座では薛華がうまく酔うて歌をうたっている、その歌辭は自然に老熟した風格がでているのである。
近來海內為長句,汝與山東李白好。
ちかごろでは天下を見渡し見ると長句の詩をつくるものがいる、その中では君と山東の李白とがとてもうまくいいものを作る。
何劉沈謝力未工,才兼鮑照愁絕倒。』
君にくらべると昔の何遜・劉孝綽・沈約・謝朓らは詩作力がまだ巧みではないのだ、君の詩才はさらに飽照をも兼ねておるから、飽照も負かされたくないと愁えるのである。』
諸生頗盡新知樂,萬事終傷不自保。
わかい人々と同席して知りあいになり、新しいことを知り、十分楽みをつくした、結局万事においてどこかに弱点、傷をもっていて、自らでその身さえ安全に保てないのである。
氣酣日落西風來,願吹野水添金杯。
自分の酔がまわり意気盛んになころに太陽が落ちかけ秋の西風が吹いてくるのである。この風に願いたい、我が手にする金杯の酒の上に野面の水を吹き添えてくれることを。
如澠之酒常快意,亦知窮愁安在哉!
澠水のながれが多量の酒となるようであればいつも我が心意を快くさせてくれるのである。そのうえこんな窮愁もどこへ飛んでいってしまい安らいだ気持ちになるというものではないだろうか!
忽憶雨時秋井塌,古人白骨生青苔;
ここでふとおもうのは、秋の長雨のときには我家の生活のために整然としていたものはくずれてしまった。古人を埋葬した白骨というものは青い苔が生じて厳然としておるではないか
如何不飲令心哀?』

こんなことをかんがえると、我が心をかなしくさせているのだ。どうして酒を飲まずにいることができようぞ。

文章には神有り交には道有り、端復之を得る名誉蚤し。
客を愛して満堂尽く豪傑、蓮を開いて上目に芳草を思う。安んぞ健歩遠梅を移し、乱れて繁花を挿みて晴臭に商うことを得ん』
千里猶残る旧泳雪、百壷且試みて懐抱を開く
垂老聞くことを恵む戦鼓の悲しきを、急鰻為めに緩うす憂心の掃くを
少年努力談笑を縦にす、看よ我が形容己に枯稿せるを』

座中の藩華善く酔歌す、歌辞自ら風椿の老ゆるを作す
近来海内長句を為る、汝と山東の李白と好し
何劉沈謝は力未だ工ならず、才飽照を兼ぬ絶倒せんことを愁う』
諸生頗る尽くす新知の楽み、万事終に傷む自ら保せざるを
気鮒に日落ちて西風来る、願くは野水を吹いて金杯に添え
潤の如きの酒常に意を快くせん、亦た知る窮愁安くに在るや
忽ち憶う雨時秋井の場るるを、古人の白骨青苔を生ず
如何ぞ飲ずして心をして哀ましめん』



蘇端薛複筵簡薛華醉歌
(本分)
文章有神交有道,端複得之名譽早。
愛客滿堂盡豪傑,開筵上日思芳草。
安得健步移遠梅,亂插繁花向晴昊?』
千裡猶殘舊冰雪,百壺且試開懷抱。
垂老惡聞戰鼓悲,急觴為緩憂心搗。
少年努力縱談笑,看我形容已枯槁。』

(下し文)
文章には神有り交には道有り、端復之を得る名誉蚤し。
客を愛して満堂尽く豪傑、蓮を開いて上目に芳草を思う。安んぞ健歩遠梅を移し、乱れて繁花を挿みて晴臭に商うことを得ん』
千里猶残る旧泳雪、百壷且試みて懐抱を開く
垂老聞くことを恵む戦鼓の悲しきを、急鰻為めに緩うす憂心の掃くを
少年努力談笑を縦にす、看よ我が形容己に枯稿せるを』


(現代語訳)
文章はそこに神の助けで神との交わりを得て人力以上のものでるという道義にかなっていることなのである、また人間の交際においてはそこに利益をはなれて真の道義があるのである。蘇端・薛複はこの二つの同義をもっておるという名誉を早いうちからしられている。
二人は賓客を好んで座敷に来ているみんなに対しその豪傑ぶりをしめしている、きょう、正月の一日に筵を敷いて春の香り漂う若草を愛でることをかんがえているのだ。
できるならば健脚であるから遠方にある梅をここへ移植し、晴れた空に向かい花がいっぱいに咲き誇るところで髪に挿してあそんでみたいと思うのである。』
千里もはなれた遠いところにはまだ昨冬の泳雪がのこっている、それに対して試みに百壷の酒をのんでむねのなかを開こうとする。
年を取ってきたら戦の太鼓は悲しさをよぶので聞くのはいやである、矢継ぎ早に酒をのんで胸打つ心の憂鬱な動悸を緩やかにしようとするのだ。
青年たちは努めて遊ぶふりして自由に談笑をしているけれども、わたしのこの姿かたちを見てくれ、いまやこんなに枯木のようになってしまったのを。』


(訳と註)
文章有神交有道,端複得之名譽早。

文章はそこに神の助けで神との交わりを得て人力以上のものでるという道義にかなっていることなのである、また人間の交際においてはそこに利益をはなれて真の道義があるのである。蘇端・薛複はこの二つの同義をもっておるという名誉を早いうちからしられている。
○有神 「高歌鬼神アリ」、「筆ヲ下セバ神アルガ如シ」 の神と同じく神の助けがあることをいう。○有道 道とは道義にかなっていることをいう。○得之 之とは文の神と交の道とをさす。

愛客滿堂盡豪傑,開筵上日思芳草。
二人は賓客を好んで座敷に来ているみんなに対しその豪傑ぶりをしめしている、きょう、正月の一日に筵を敷いて春の香り漂う若草を愛でることをかんがえているのだ。
上日 朔日、一日をいう、これは正月の一日。○思芳草 花のない故である。

安得健步移遠梅,亂插繁花向晴昊?』
できるならば健脚であるから遠方にある梅をここへ移植し、晴れた空に向かい花がいっぱいに咲き誇るところで髪に挿してあそんでみたいと思うのである。』
安得 どうしたしたらこのようなことになることができるのだろうか、希望の辞。○健歩 健脚をいう。○移遠梅 遠地にある梅をここへうつしてくる。○乱挿繁花 梅のしげき花を乱雑に髪にはさむ。○晴昊 はれたそら。



裡猶殘舊冰雪,百壺且試開懷抱。
千里もはなれた遠いところにはまだ昨冬の泳雪がのこっている、それに対して試みに百壷の酒をのんでむねのなかを開こうとする。
 前年冬からあるので、旧。〇百壺且試 且試百壺と同義、しばらく百壺の酒を試みに飲む。○開懐抱 むねにいだいている所を外へだしてしまう。

垂老惡聞戰鼓悲,急觴為緩憂心搗。
年を取ってきたら戦の太鼓は悲しさをよぶので聞くのはいやである、矢継ぎ早に酒をのんで胸打つ心の憂鬱な動悸を緩やかにしようとするのだ。
○垂 老ゆるになんなんとして。○戦鼓悲 安禄山の反軍を討つための太鼓の悲音。○急鯵 はやつぎにつぐさかずき。○為緩 自己のためにゆるやかにする、緩やかとは遅緩にならせること。○ 心が米をつくようにどきどきすることをたとえていう。



少年努力縱談笑,看我形容已枯槁。』
青年たちは努めて遊ぶふりして自由に談笑をしているけれども、わたしのこの姿かたちを見てくれ、いまやこんなに枯木のようになってしまったのを。』
少年努力 ここの努力は行楽につとめることをいう。○枯槁 枯も槁もかれること、枯木のように生気が無くなる。


蘇端薛複筵簡薛華醉歌
(本分)
坐中薛華善醉歌,歌辭自作風格老。
近來海內為長句,汝與山東李白好。
何劉沈謝力未工,才兼鮑照愁絕倒。』
諸生頗盡新知樂,萬事終傷不自保。
氣酣日落西風來,願吹野水添金杯。
如澠之酒常快意,亦知窮愁安在哉!
忽憶雨時秋井塌,古人白骨生青苔;
如何不飲令心哀?』

(下し文)
座中の藩華善く酔歌す、歌辞自ら風椿の老ゆるを作す
近来海内長句を為る、汝と山東の李白と好し
何劉沈謝は力未だ工ならず、才飽照を兼ぬ絶倒せんことを愁う』
諸生頗る尽くす新知の楽み、万事終に傷む自ら保せざるを
気鮒に日落ちて西風来る、願くは野水を吹いて金杯に添え
潤の如きの酒常に意を快くせん、亦た知る窮愁安くに在るや
忽ち憶う雨時秋井の場るるを、古人の白骨青苔を生ず
如何ぞ飲ずして心をして哀ましめん』

(現代語訳)
宴座では薛華がうまく酔うて歌をうたっている、その歌辭は自然に老熟した風格がでているのである。
ちかごろでは天下を見渡し見ると長句の詩をつくるものがいる、その中では君と山東の李白とがとてもうまくいいものを作る。
君にくらべると昔の何遜・劉孝綽・沈約・謝朓らは詩作力がまだ巧みではないのだ、君の詩才はさらに飽照をも兼ねておるから、飽照も負かされたくないと愁えるのである。』
わかい人々と同席して知りあいになり、新しいことを知り、十分楽みをつくした、結局万事においてどこかに弱点、傷をもっていて、自らでその身さえ安全に保てないのである。
自分の酔がまわり意気盛んになころに太陽が落ちかけ秋の西風が吹いてくるのである。この風に願いたい、我が手にする金杯の酒の上に野面の水を吹き添えてくれることを。
澠水のながれが多量の酒となるようであればいつも我が心意を快くさせてくれるのである。そのうえこんな窮愁もどこへ飛んでいってしまい安らいだ気持ちになるというものではないだろうか!
ここでふとおもうのは、秋の長雨のときには我家の生活のために整然としていたものはくずれてしまった。古人を埋葬した白骨というものは青い苔が生じて厳然としておるではないか
こんなことをかんがえると、我が心をかなしくさせているのだ。どうして酒を飲まずにいることができようぞ。


(訳と註)

坐中薛華善醉歌,歌辭自作風格老。
宴座では薛華がうまく酔うて歌をうたっている、その歌辭は自然に老熟した風格がでているのである。
歌辞 歌の文句。○風希老 歌の姿の老熟することをいう。



近來海內為長句,汝與山東李白好。
ちかごろでは天下を見渡し見ると長句の詩をつくるものがいる、その中では君と山東の李白とがとてもうまくいいものを作る
長句 七言の詩句をいう。○山東李白 李白は隴西成紀の人で蜀の彰明県青蓮郷に生まれたが、25歳で放浪し、斉州・兗州等の地に久しく客となっていたので、朝廷追放後、再びこの地で放浪していた。人は彼を「山東の李白」と称した。杜甫も洛陽で李白と遭遇、山東で一緒に遊んだ。



何劉沈謝力未工,才兼鮑照愁絕倒。』
君にくらべると昔の何遜・劉孝綽・沈約・謝朓らは詩作力がまだ巧みではないのだ、君の詩才はさらに飽照をも兼ねておるから、飽照も負かされたくないと愁えるのである。』
何劉沈謝 ①何遜・②劉孝綽・③沈約・④謝桃をいう、南北朝六朝の詩人。〇才兼飽照 ⑤飽照は宋の代の人、壁一己の楽府に長じていた。兼ぬとは薛華が兼ねること。○愁絶倒 (我れ其の絶倒を愁う)の義、我とは杜甫、其とは飽照をうける。絶倒とはまけてころげること。
①~⑤の詩人の概略は末尾に付記。



諸生頗盡新知樂,萬事終傷不自保。
わかい人々と同席して知りあいになり、新しいことを知り、十分楽みをつくした、結局万事においてどこかに弱点、傷をもっていて、自らでその身さえ安全に保てないのである。
諸生 同座の諸少年をさす。○新知楽 未知の人とあたらしく知りあいになるというたのしみ。○不自保 自分白身をも安全に保つことを得ぬこと。


氣酣日落西風來,願吹野水添金杯。
自分の酔がまわり意気盛んになころに太陽が落ちかけ秋の西風が吹いてくるのである。この風に願いたい、我が手にする金杯の酒の上に野面の水を吹き添えてくれることを。
氣酣 酒がめぐって意気のさかんになったとき。○野水 野にある川水。○添金杯 うつくしい杯の酒のうえにそえる。

如澠之酒常快意,亦知窮愁安在哉!
澠水のながれが多量の酒となるようであればいつも我が心意を快くさせてくれるのである。そのうえこんな窮愁もどこへ飛んでいってしまい安らいだ気持ちになるというものではないだろうか!。
如澠之酒 多量の酒をいう。澠は斉国にある川の名、その川水ほどたくさんの酒。○快意 きもちをよくする。○亦知一に亦を不とし、「不レ知」に作ったものがある。「不知」とすれば簡単明瞭であるが、「亦知」でも下の安在の安の字の関係で「不知」の義を生ずる。○窮愁 困窮のうれい。




忽憶雨時秋井塌,古人白骨生青苔;
ここでふとおもうのは、秋の長雨のときには我家の生活のために整然としていたものはくずれてしまった。古人を埋葬した白骨というものは青い苔が生じて厳然としておるではないか
忽憶 急におもう。○秋井塌 井は整然としていたもの。畑や井戸など土を盛ったり、掘ったりして、整地していたものが崩れたことを言う。 



如何不飲令心哀?』
こんなことをかんがえると、我が心をかなしくさせているのだ。どうして酒を飲まずにいることができようぞ。


○韻 道、早、草、昊、/抱、搗、槁、/老、好、倒。/保、/来、杯。/哉、苔、哀。




蘇端薛複筵簡薛華醉歌
文章有神交有道,端複得之名譽早。
愛客滿堂盡豪傑,開筵上日思芳草。
安得健步移遠梅,亂插繁花向晴昊?』
千裡猶殘舊冰雪,百壺且試開懷抱。
垂老惡聞戰鼓悲,急觴為緩憂心搗。
少年努力縱談笑,看我形容已枯槁。』

坐中薛華善醉歌,歌辭自作風格老。
近來海內為長句,汝與山東李白好。
何劉沈謝力未工,才兼鮑照愁絕倒。』
諸生頗盡新知樂,萬事終傷不自保。
氣酣日落西風來,願吹野水添金杯。
如澠之酒常快意,亦知窮愁安在哉!
忽憶雨時秋井塌,古人白骨生青苔;
如何不飲令心哀?』

文章には神有り交には道有り、端復之を得る名誉蚤し。
客を愛して満堂尽く豪傑、蓮を開いて上目に芳草を思う。安んぞ健歩遠梅を移し、乱れて繁花を挿みて晴臭に商うことを得ん』
千里猶残る旧泳雪、百壷且試みて懐抱を開く
垂老聞くことを恵む戦鼓の悲しきを、急鰻為めに緩うす憂心の掃くを
少年努力談笑を縦にす、看よ我が形容己に枯稿せるを』

座中の藩華善く酔歌す、歌辞自ら風椿の老ゆるを作す
近来海内長句を為る、汝と山東の李白と好し
何劉沈謝は力未だ工ならず、才飽照を兼ぬ絶倒せんことを愁う』
諸生頗る尽くす新知の楽み、万事終に傷む自ら保せざるを
気鮒に日落ちて西風来る、願くは野水を吹いて金杯に添え
潤の如きの酒常に意を快くせん、亦た知る窮愁安くに在るや
忽ち憶う雨時秋井の場るるを、古人の白骨青苔を生ず
如何ぞ飲ずして心をして哀ましめん』




詩中の詩人の概略


何劉沈謝 ①何遜・②劉孝綽・③沈約・④謝桃をいう、南北朝六朝の詩人。〇才兼飽照 ⑤飽照

李白
 701年 - 762年 中国最大の詩人の一人。西域で生まれ、綿州(四川省)で成長。字(あざな)は太白(たいはく)。号、青蓮居士。玄宗朝に一時仕えた以外、放浪の一生を送った。好んで酒・月・山を詠み、道教的幻想に富む作品を残した。詩聖杜甫に対して詩仙とも称される。「両人対酌して山花開く、一杯一杯又一杯」「白髪三千丈、愁いに縁(よ)りて個(かく)の似(ごと)く長し」など、人口に膾炙(かいしゃ)した句が多い。


①何遜(かそん) ?~518 何 遜(か そん、467年? - 518年?)は中国南北朝時代の文学者。東海郯の人。字は仲言。曾祖父は何承天。幼少より文才に優れ、8歳で詩を作り、20歳の時、州から秀才に選ばれた。南斉の永明年間に、当時の文壇の重鎮であった范雲に文才を認められ、年齢を超えた交際を結ぶ。現存する詩は110首あまり。生涯の大半を地方の幕僚として勤めたことから、友人や同僚たちとの間の応酬・離別の詩や行旅を主題とする詩が多くを占める。その詩風は、寒門の出身者であるが故の、官途の不遇から発せられた心情表現がしばしば見られることが特徴である。その一方で、詩中における自然描写は、精巧であるとともに、豊かな抒情性をたたえており、謝朓とならび、唐詩の先駆とみなされている。

②劉 孝綽(りゅう こうしゃく) 481年 - 539年 南朝梁の文学者。字は孝綽。彭城(現江蘇省徐州市)の人。本の名は冉。劉孝綽の一族は、祖父の宋の司空劉勔をはじめ、南朝において多くの高官を輩出した家柄であった。劉孝綽は7歳で文章を綴るなど、幼い頃から聡明で名高かった。舅の王融からは神童と呼ばれ、「私の死後はこの子が天下の文章を担うだろう」と言われていた。父の劉絵は南斉の時代、詔勅の起草に携わっていたが、15歳にならない劉孝綽に代筆させていたという。父の友人である沈約・范雲・任昉ら、当代一流の文人たちからも劉孝綽は非常に可愛がられた。


沈約(しんやく) 441年 - 513年 南朝を代表する文学者、政治家。呉興武康(現在の浙江省武康県)の人。字は休文。沈氏は元来軍事で頭角を現した江南の豪族であるが、沈約自身は幼いときに父を孝武帝に殺されたこともあり、学問に精励し学識を蓄え、宋・斉・梁の3朝に仕えた。南斉の竟陵王蕭子良の招きに応じ、その文学サロンで重きをなし、「竟陵八友」の一人に数えられた。その後蕭衍(後の梁の武帝)の挙兵に協力し、梁が建てられると尚書令に任ぜられ、建昌県侯に封ぜられた。晩年は武帝の不興をこうむり、憂愁のうちに死去したという。

謝朓(しゃちょう) 464年 - 499 南北朝時代、南斉の詩人。現存する詩は200首余り、その内容は代表作とされる山水詩のほか、花鳥風月や器物を詠じた詠物詩、友人・同僚との唱和・離別の詩、楽府詩などが大半を占める。竟陵八友のひとり


⑤鮑照 412 頃-466 六朝時代、宋の詩人。字(あざな)は明遠。元嘉年間の三大詩人の一人として謝霊運・顔延之と併称された。

驄馬行  杜甫 : kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 誠実な詩人杜甫特集 102

驄馬行  杜甫 : kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 誠実な詩人杜甫特集 102
もと天子から太常寺卿梁某に賜わったもので、現在は李鄧公が自分の所有として愛している驄馬について、杜甫が鄧公の命をうけて作った詩である。製作時は天宝十四載。
* 〔原注〕太常梁卿敢賜馬也。李鄧公。愛而有之。命甫製詩
755年天宝14載44歳



驄馬行
鄧公馬癖人共知,初得花驄大宛種。
李鄧公が愛馬の癖あることは人がみな知っているが、鄧公は初めて大宛の種である花紋様ある驄馬.を得られたのだ。
夙昔傳聞思一見,牽來左右神皆竦。
自分はその話を前々から聞いていたから一度見たいと思っていたのだ。この馬をひきだしてくると左右にいるもの皆びっくりして神々しさを持って見上げている。
雄姿逸態何崷崒,顧影驕嘶自衿寵。
その雄々しいすがた、すぐれた風格はどうしてあんなに堂々としているか。そのわが身の影をふりかりながら誇らしく嘶く様子は主人の寵愛をうけておることを顕示するのである。
隅目青熒夾鏡懸,肉鬃碨礧連錢動。』
その目は菱型形で青くひかりかがいて、左右からはさんだ明鏡がぶらさがっている様である、身をふるわせて突起したたてがみの肉がゆれて銭がたの模様を動かしている。』
朝來少試華軒下,未覺千金滿高價。
主人は朝からかけて少しくこの馬をうつくしい車をひかせてみたが、この馬の様子は千金を出したのも高すぎるとは考えられないものなのだ。
赤汗微生白雪毛,銀鞍卻覆香羅帕。
試乗後は白雪の様な毛に赤い汗がすこし出たが、銀の鞍にはかえって香わしき薄絹の腹かけをかけて馬をいたわっている。
卿家舊賜公取之,天廄真龍此其亞。
この馬は太常寺卿梁氏の家の拝領物であったのを李郭公が得られたのだが、この馬こそ天厩の竜馬に次ぐものであるのだ。
晝洗須騰涇渭深,夕趨可刷幽並夜。』

この馬こそ千里馬である、昼は涇水と渭水の深き水に騰りあがってわたり、夕にはずいぶん進み、夜には幽州・井州に達して、毛を刷う事ができるであろう馬なのだ。』
吾聞良驥老始成,此馬數年人更驚。
私は聞き及んでいる、よい千里馬は年をとっても成熟するということを。したがって、この馬も数年経たならば一層人が驚歎するものになるであろう。
豈有四蹄疾於鳥,不與八駿俱先鳴。
鳥よりはやい四足をもちながら天子の御馬の八頭の駿馬といっしょに先ず鳴かぬということがどうしてあるというのか。
時俗造次那得致,雲霧晦冥方降精。
此の種類の馬は世俗の人がほしいからとしてあわただしく得ようとしてできるものか、このような馬は、雲や霧がとざして真っ暗という様な時はじめて天が精気を降してこの馬を下界へ送りくださるものである。
近聞下詔喧都邑,肯使騏驎地上行。』

ちかごろきくとお上から詔を下されて都も地方もかましく騒ぎ立てて良馬を求められるということだ、まさか誰もが麒麟のような馬を地面の上に歩かせるというのではないのだろう。


郭公の馬癖は人共に知る、初めて得たり花膿大宛の種を

夙昔より伝聞して一たび見んことを思う、牽き来れば左右神皆錬る

雄姿逸態何ぞ酋拳たる、影を顧みて騎噺し自ら寵に治る

隅目青焚として爽鏡懸り、肉駿埠欄として連銭動く』


朝来少しく試む華軒の下、未だ覚えず千金の高価に満つるを

赤汗微しく生ず白雪の毛、銀鞍彿って覆う香羅帖

卿家の旧賜公之を取る、天厩の真竜此其の亜なり

昼洗須らく騰るぺし浬洞の深きに、夕趨刷く可し幽井の夜』


吾聞く良駿は老いて始めて成ると、此の馬数年人更に驚かん

豈 四蹄の鳥より疾くして、八駿と供に先ず鳴かざる有らんや

時俗造次に郵ぞ致すことを得ん、雲霧晦冥にして方に精を降す

近ろ聞く詔を下して都邑に喧しと、肯て麒麟をして地上に行かしめんや』




驄馬行  現代語訳と訳註 -#1

(本文)
鄧公馬癖人共知,初得花驄大宛種。
夙昔傳聞思一見,牽來左右神皆竦。
雄姿逸態何崷崒,顧影驕嘶自衿寵。
隅目青熒夾鏡懸,肉鬃碨礧連錢動。』


(下し文)
郭公の馬癖は人共に知る、初めて得たり花膿大宛の種を
夙昔より伝聞して一たび見んことを思う、牽き来れば左右神皆錬る
雄姿逸態何ぞ酋拳たる、影を顧みて騎噺し自ら寵に治る
隅目青焚として爽鏡懸り、肉駿埠欄として連銭動く』


(現代語訳)
李鄧公が愛馬の癖あることは人がみな知っているが、鄧公は初めて大宛の種である花紋様ある驄馬.を得られたのだ。
自分はその話を前々から聞いていたから一度見たいと思っていたのだ。この馬をひきだしてくると左右にいるもの皆びっくりして神々しさを持って見上げている。
その雄々しいすがた、すぐれた風格はどうしてあんなに堂々としているか。そのわが身の影をふりかりながら誇らしく嘶く様子は主人の寵愛をうけておることを顕示するのである。
その目は菱型形で青くひかりかがいて、左右からはさんだ明鏡がぶらさがっている様である、身をふるわせて突起したたてがみの肉がゆれて銭がたの模様を動かしている。』





驄馬行(訳註)
* 〔原注〕太常梁卿敢賜馬也。李鄧公。愛而有之。命甫製詩
青白色の馬のうた。*太常梁卿に敢え賜し馬なのだ。李鄧公はこの馬を愛し、そしてこの馬を手に入れた。それから杜甫に命じてこの詩をつらせた
○驄馬 青白色の馬。○太常梁卿太常寺の卿という官の梁氏、名は詳かでない。○李郭公 郭は封地の名、其の人の宗室であろう、名は詳かでない。○有之 自分のものにした。


鄧公馬癖人共知,初得花驄大宛種。

李鄧公が愛馬の癖あることは人がみな知っているが、鄧公は初めて大宛の種である花紋様ある驄馬を得られたのだ。
馬癖 馬を愛するというくせ。○花随 随馬にして花紋があるもの。後に連銭というのがそれである。○大宛種 
大宛国の名馬の種。


夙昔傳聞思一見,牽來左右神皆竦。

自分はその話を前々から聞いていたから一度見たいと思っていたのだ。この馬をひきだしてくると左右にいるもの皆びっくりして神々しさを持って見上げている。
夙昔 はやき以前。○牽乗馬をひいてくる。○左右 左右の傍観の人々。○神皆竦 いい馬と理解すること。神々しく見上げる。又聾とも通じ、毛髪のそばだつ様をいう。



雄姿逸態何崷崒,顧影驕嘶自衿寵。
その雄々しいすがた、すぐれた風格はどうしてあんなに堂々としているか。そのわが身の影をふりかりながら誇らしく嘶く様子は主人の寵愛をうけておることを顕示するのである。
雄姿逸 態雄々しいすがた、すぐれたようす。○崷崒 たかく聾えるさま。○顧影馬が自己のかげをかえりみる。○驕嘶 いばっていななく。誇らしく嘶く。○衿寵 寵愛をうけておることを顕示する。



隅目青熒夾鏡懸,肉鬃碨礧連錢動。』 
その目は菱型形で青くひかりかがいて、左右からはさんだ明鏡がぶらさがっている様である、身をふるわせて突起したたてがみの肉がゆれて銭がたの模様を動かしている。』
隅目 眼の輪郭の菱形であるのをいう。○青焚 青くして光りかがやく。○爽鏡 左右よりはさむかがみ、両眼をたとえていう、顔延年の「赭白馬賦」に「雙瞳爽鏡」の語がある。○肉鬃 鬃は鬣(たてがみ)。肉鬃はたてがみの辺に肉の多いことをいう。○碨礧 突起しているさま。○連銭 ぜにがたのもよう。○少試 すこしためしに乗る。





驄馬行  現代語訳と訳註 -#2
(本文)
朝來少試華軒下,未覺千金滿高價。
赤汗微生白雪毛,銀鞍卻覆香羅帕。
卿家舊賜公取之,天廄真龍此其亞。
晝洗須騰涇渭深,夕趨可刷幽並夜。』

(下し文)
朝来少しく試む華軒の下、未だ覚えず千金の高価に満つるを
赤汗微しく生ず白雪の毛、銀鞍彿って覆う香羅帖
卿家の旧賜公之を取る、天厩の真竜此其の亜なり
昼洗須らく騰るぺし浬洞の深きに、夕趨刷く可し幽井の夜』


(現代語訳)
主人は朝からかけて少しくこの馬をうつくしい車をひかせてみたが、この馬の様子は千金を出したのも高すぎるとは考えられないものなのだ。
試乗後は白雪の様な毛に赤い汗がすこし出たが、銀の鞍にはかえって香わしき薄絹の腹かけをかけて馬をいたわっている。
この馬は太常寺卿梁氏の家の拝領物であったのを李郭公が得られたのだが、この馬こそ天厩の竜馬に次ぐものであるのだ。
この馬こそ千里馬である、昼は涇水と渭水の深き水に騰りあがってわたり、夕にはずいぶん進み、夜には幽州・井州に達して、毛を刷う事ができるであろう馬なのだ。』


(訳註)

朝來少試華軒下,未覺千金滿高價。
主人は朝からかけて少しくこの馬をうつくしい車をひかせてみたが、この馬の様子は千金を出したのも高すぎるとは考えられないものなのだ。
華軒 軒は車。うつくしい車をひかせてみる。



赤汗微生白雪毛,銀鞍卻覆香羅帕。
試乗後は白雪の様な毛に赤い汗がすこし出たが、銀の鞍にはかえって香わしき薄絹の腹かけをかけて馬をいたわっている。
卻覆 卻ってとは汗ばんでいるので何かをかぶせなくてもよいのに、それに却ってかぶせるというのであり、これというのは主人の寵愛をあらわすものである。○香羅帕 帕は腹かけ、かんばしきうすぎぬのはらかけ。



卿家舊賜公取之,天廄真龍此其亞。

この馬は太常寺卿梁氏の家の拝領物であったのを李郭公が得られたのだが、この馬こそ天厩の竜馬に次ぐものであるのだ。
卿家 太常寺卿棄民の家。○旧賜 もと天子よりの拝領物。○公 李郭公。○天厩真竜 天子のおうまやのまことの竜馬。○ 李郭公のこの驄馬をさす。○ 上の兵竜をさす。○亜 それにつぐもの、次位にあるもの。



晝洗須騰涇渭深,夕趨可刷幽並夜。』
この馬こそ千里馬である、昼は涇水と渭水の深き水に騰りあがってわたり、夕にはずいぶん進み、夜には幽州・井州に達して、毛を刷う事ができるであろう馬なのだ。』
昼洗(二句)これは顔延年の「満目馬賊」の「且ハ幽燕二刷キ、昼ハ剤越二株り」とある意を活用したもの。洗とは体や足を水で洗うこと。○ おどりあがる。○涇渭深 涇渭は川の名、深は水の深いことをいう。○夕趨 ゆうべにはしる。○ はらう、よごれた毛をはらいおとす、毛なみをきれいにする。○幽並夜 幽州・井州の夜。幽は大体において河北省北部、並は山西省の地。



驄馬行  現代語訳と訳註 -#3
(本文)

吾聞良驥老始成,此馬數年人更驚。
豈有四蹄疾於鳥,不與八駿俱先鳴。
時俗造次那得致,雲霧晦冥方降精。
近聞下詔喧都邑,肯使騏驎地上行。』

(下し文)
吾聞く良駿は老いて始めて成ると、此の馬数年人更に驚かん
豊に四蹄の鳥より疾くして、八駿と供に先ず鳴かざる有らんや
時俗造次に郵ぞ致すことを得ん、雲霧晦冥にして方に精を降す
近ろ聞く詔を下して都邑に喧しと、肯て麒麟をして地上に行かしめんや』

(現代語訳)
私は聞き及んでいる、よい千里馬は年をとっても成熟するということを。したがって、この馬も数年経たならば一層人が驚歎するものになるであろう。
鳥よりはやい四足をもちながら天子の御馬の八頭の駿馬といっしょに先ず鳴かぬということがどうしてあるというのか。
此の種類の馬は世俗の人がほしいからとしてあわただしく得ようとしてできるものか、このような馬は、雲や霧がとざして真っ暗という様な時はじめて天が精気を降してこの馬を下界へ送りくださるものである。
ちかごろきくとお上から詔を下されて都も地方もかましく騒ぎ立てて良馬を求められるということだ、まさか誰もが麒麟のような馬を地面の上に歩かせるというのではないのだろう。


(訳註)

吾聞良驥老始成,此馬數年人更驚。
私は聞き及んでいる、よい千里馬は年をとっても成熟するということを。したがって、この馬も数年経たならば一層人が驚歎するものになるであろう。
艮驥 よい千里馬。○老姶成 年をとっても成熟する。



豈有四蹄疾於鳥,不與八駿俱先鳴。
鳥よりはやい四足をもちながら天子の御馬の八頭の駿馬といっしょに先ず鳴かぬということがどうしてあるというのか。
豈有 この二字は下句までかかる。う。〇四蹄疾於鳥四本のびづめが鳥よりはやく走る。〇八駿 周の穆王の八匹の駿馬、その名は赤旗・盗驪・白義・踰輸・山子・渠黄・驊騮・騄耳。○先鳴 他の凡馬に先だちて声をあげる、先ず用いられることをいう。



時俗造次那得致,雲霧晦冥方降精。
此の種類の馬は世俗の人がほしいからとしてあわただしく得ようとしてできるものか、このような馬は、雲や霧がとざして真っ暗という様な時はじめて天が精気を降してこの馬を下界へ送りくださるものである。
時俗 世俗の人。○造次 急遽のさま、あわただしいさま。○我が手もとへまねきいたすことをいう。○晦冥 まっくら。○降精 馬は月の精であるといい、河水の精であるといい、房星の精であるという。大宛の天馬も其の国の高山の上にいて得ることができないので、五色の母馬を其の下に置いて交らせて駒を生ませると言い伝えられているが、それは山上の馬を天より下った馬とみたものなのであろう。いい種馬といい雌馬、それに天の精が加わってこのような馬が生まれる。



近聞下詔喧都邑,肯使騏驎地上行。』
ちかごろきくとお上から詔を下されて都も地方もかましく騒ぎ立てて良馬を求められるということだ、まさか誰もが麒麟のような馬を地面の上に歩かせるというのではないのだろう。
喧都邑 喧とはやかましくさわざで善馬を求めること。○肯使反語。○麒麟 善く走る馬をいう。○地上行 地面の上をあるく。



巷では、国内で戦の様相を呈してきたということを述べている。穀物の値段が数十倍になり、それでも、尚買えないという状況になっている。飢饉があり、運河航行が天候不良で難しい。
 世界の歴史で、大変化のおこる兆候である飢饉、天候不良がまさにおこったのだ。 良馬を求めるのも戦の前兆である。





驄馬行
鄧公馬癖人共知,初得花驄大宛種。
夙昔傳聞思一見,牽來左右神皆竦。
雄姿逸態何崷崒,顧影驕嘶自衿寵。
隅目青熒夾鏡懸,肉鬃碨礧連錢動。』

朝來少試華軒下,未覺千金滿高價。
赤汗微生白雪毛,銀鞍卻覆香羅帕。
卿家舊賜公取之,天廄真龍此其亞。
晝洗須騰涇渭深,夕趨可刷幽並夜。』

吾聞良驥老始成,此馬數年人更驚。
豈有四蹄疾於鳥,不與八駿俱先鳴。
時俗造次那得致,雲霧晦冥方降精。
近聞下詔喧都邑,肯使騏驎地上行。』


郭公の馬癖は人共に知る、初めて得たり花膿大宛の種を
夙昔より伝聞して一たび見んことを思う、牽き来れば左右神皆錬る
雄姿逸態何ぞ酋拳たる、影を顧みて騎噺し自ら寵に治る
隅目青焚として爽鏡懸り、肉駿埠欄として連銭動く』

朝来少しく試む華軒の下、未だ覚えず千金の高価に満つるを
赤汗微しく生ず白雪の毛、銀鞍彿って覆う香羅帖
卿家の旧賜公之を取る、天厩の真竜此其の亜なり
昼洗須らく騰るぺし浬洞の深きに、夕趨刷く可し幽井の夜』

吾聞く良駿は老いて始めて成ると、此の馬数年人更に驚かん
豈 四蹄の鳥より疾くして、八駿と供に先ず鳴かざる有らんや
時俗造次に郵ぞ致すことを得ん、雲霧晦冥にして方に精を降す
近ろ聞く詔を下して都邑に喧しと、肯て麒麟をして地上に行かしめんや』

 

 

夜聽許十一誦詩愛而有作 杜甫 : kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 誠実な詩人杜甫特集 101

夜聽許十一誦詩愛而有作 杜甫 : kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 誠実な詩人杜甫特集 101
許十一が夜、その詩を朗吟したのをきいて、それをめでてこの詩を作った。許十一を或は許十、或は許十損に作る。製作時は755年 天宝十四載、44歳長安での作。

 
夜聽許十一誦詩愛而有作
許生五台賓,業白出石壁。
許生は五台山の賓客として仏教を学んだことがあったが、その業は己に白く善なるものとなって山中の石壁から俗界、長安の都にへ出て来たのだ。
餘亦師粲可,身猶縛禪寂。
私はこれまで粲と可を師として禅の流れをまなんでみたが自分の修業は浅いもので身はなお禅寂というものに縛られているのだ。
何階子方便,謬引為匹敵。
それにどうした許生君のてだてによったものであるからして、修行足らずのものがまちがって君に引っぱられてその相手にしたのだ。
離索晚相逢,包蒙欣有擊。』
今は親友と離れて心ぼそかったのだがずいぶん時がたったが君と逢うことができた、君にこの蒙昧なものを受け入れられ、君からこの蒙昧なものを啓発されることをよろこぶのである。』
誦詩渾遊衍,四座皆闢易。
君が詩を誦するのをきくとすべてゆったりとくつろいでいる、満座のものみなあと素樽をして開いた。
應手看捶鉤,清心聽鳴鏑。
きみの手にこたえて鉤を撞ちきたえるのをみ、心をすましてかぶら矢のひびくような音をきいている。
精微穿溟涬,飛動摧霹靂。
君の誦声の微妙な処は大自然の奥そこまでもつらぬくかとおもわれる、飛動するときはいなずまがくだけたかとおもわれるほどである。
陶謝不枝梧,風騷共推激。』
君の詩の趣は古の陶淵明と謝霊運にくいちがってはいない、詩経の「国風」や屈原の「離騒」やと共に激賞するに足るものである。』
紫燕自超詣,翠駁誰翦剔?
紫燕の名馬はおのずから凡馬から超越していることである。翠駁の馬の毛並みはいったいだれがきったりしたのであるかというように、人しれず苦心している結果に成るものであるのだ。
君意人莫知,人間夜寥闃。』

きみの心持は一般の他の人は知るものがないのだ。ただ夜がふけて人間界がひっそりしているばかりだ。


(夜許十一が詩を詞するを聴き、愛して作有り)

許生は五台の賓なり 業白くして石壁より出づ

余も亦た粂可を師とす 身猶お禅寂に縛せらる

何ぞ子が方便に階せらるるや 謬って引かれて匹敵と為る

離索晩に相逢う 包蒙撃つ有るを欣ぶ』

詩を詞する揮て遊行なり 四座皆蹄易す

手に応じて睡釣を看 心を清くして鳴鏑を聴く

精微瞑梓を穿ち 飛動霹靂堆く

陶謝枝梧せず 風騒共に推激す』

紫燕自ら超詣 翠駁誰か勇別せん

君が意人知る莫し 人間夜宴閲たり』




夜聽許十一誦詩愛而有作  訳註

(本文)
許生五台賓,業白出石壁。
餘亦師粲可,身猶縛禪寂。
何階子方便,謬引為匹敵。
離索晚相逢,包蒙欣有擊。』

(下し文)
許生は五台の賓なり 業白くして石壁より出づ
余も亦た粂可を師とす 身猶お禅寂に縛せらる
何ぞ子が方便に階せらるるや 謬って引かれて匹敵と為る
離索晩に相逢う 包蒙撃つ有るを欣ぶ』

(現代語訳)
許生は五台山の賓客として仏教を学んだことがあったが、その業は己に白く善なるものとなって山中の石壁から俗界、長安の都にへ出て来たのだ。
私はこれまで粲と可を師として禅の流れをまなんでみたが自分の修業は浅いもので身はなお禅寂というものに縛られているのだ。
それにどうした許生君のてだてによったものであるからして、修行足らずのものがまちがって君に引っぱられてその相手にしたのだ。
今は親友と離れて心ぼそかったのだがずいぶん時がたったが君と逢うことができた、君にこの蒙昧なものを受け入れられ、君からこの蒙昧なものを啓発されることをよろこぶのである。』



許生五台賓,業白出石壁。
許生は五台山の賓客として仏教を学んだことがあったが、その業は己に白く善なるものとなって山中の石壁から俗界、長安の都にへ出て来たのだ。
〇五台賓 五台は山の名、山西省代州五台県の東北にあり、仏教の霊地とされる。賓とは客分のこと。許生がここで仏教を学んだことをいう。○業白 ごうびゃく仏語。よい果報を受けるよい行い。善業(ぜんごう)。⇔黒業。業白とはその業が白即ち善に属することをいう。○出石壁 山中の石壁の修行の場所から俗世界へ出て来ることをいう、この場合長安に来たことをいう。



餘亦師粲可,身猶縛禪寂。
私はこれまで粲と可を師として禅の流れをまなんでみたが自分の修業は浅いもので身はなお禅寂というものに縛られているのだ。
粲可 地に禅の高僧、粲は即ち璨、可は慧可をいう。達磨は慧可に伝え、慧可は璨に伝え、璨は道信に、道信は弘忍に伝えた。○縛禅寂 仏経に方便があれば慧解、方便がなければ慧縛とある。慧縛は知識がじゃまになり、却ってそれにしぼられることをいう。いま真の禅の悟りを得ぬゆえ禅寂に縛せられるこという。



何階子方便,謬引為匹敵。
それにどうした許生君のてだてによったものであるからして、修行足らずのものががまちがって君に引っぱられてその相手にしたのだ。
何階 階はそれを階梯にすることをいう、何階はどうしたいうがことである。○ 許生をさす。○方便 権宜のてだて。○謬引 謬(あやま)ってとは謙遜の辞であり、引はひきよせられること。○匹敵 あいて。



離索晚相逢,包蒙欣有擊。』
今は親友と離れて心ぼそかったのだがずいぶん時がたったが君と逢うことができた、君にこの蒙昧なものを受け入れられ、君からこの蒙昧なものを啓発されることをよろこぶのである。』
離索 離羣索居を略していう、朋友と別れ散じていること。○晩 晩年をいう。○包蒙、有撃 「易」蒙卦の九二に包蒙、上九に撃蒙の語がある。包蒙とは蒙昧なものを包容することをいい、撃蒙とは蒙昧なものを撃って其の蒙を発くことをいう。此の句は許生が自分(作者)の蒙を包容し、また啓蒙することをいぅ。



(本文)
誦詩渾遊衍,四座皆闢易。
應手看捶鉤,清心聽鳴鏑。
精微穿溟涬,飛動摧霹靂。
陶謝不枝梧,風騷共推激。』
紫燕自超詣,翠駁誰翦剔?
君意人莫知,人間夜寥闃。』

(下し文)
詩を詞する揮て遊行なり 四座皆蹄易す
手に応じて睡釣を看 心を清くして鳴鏑を聴く
精微瞑梓を穿ち 飛動霹靂堆く
陶謝枝梧せず 風騒共に推激す』
紫燕自ら超詣 翠駁誰か勇別せん
君が意人知る莫し 人間夜宴閲たり』

(現代語訳)
君が詩を誦するのをきくとすべてゆったりとくつろいでいる、満座のものみなあと素樽をして開いた。
きみの手にこたえて鉤を撞ちきたえるのをみ、心をすましてかぶら矢のひびくような音をきいている。
君の誦声の微妙な処は大自然の奥そこまでもつらぬくかとおもわれる、飛動するときはいなずまがくだけたかとおもわれるほどである。
君の詩の趣は古の陶淵明と謝霊運にくいちがってはいない、詩経の「国風」や屈原の「離騒」やと共に激賞するに足るものである。』
紫燕の名馬はおのずから凡馬から超越していることである。翠駁の馬の毛並みはいったいだれがきったりしたのであるかというように、人しれず苦心している結果に成るものであるのだ。
きみの心持は一般の他の人は知るものがないのだ。ただ夜がふけて人間界がひっそりしているばかりだ。



誦詩渾遊衍,四座皆闢易。
君が詩を誦するのをきくとすべてゆったりとくつろいでいる、満座のものみなあと素樽をして開いた。
詞詩 許生が自作の詩を朗吟すること。○遊衍 ゆったりとくつろぐさま。〇四座 満座の人々。○闢易 ひらいて所をかえる。



應手看捶鉤,清心聽鳴鏑。
きみの手にこたえて鉤を撞ちきたえるのをみ、心をすましてかぶら矢のひびくような音をきいている。
応手 手をはたらかすにつれて。此の二字は捶鉤へかかる。○捶鉤 「荘子」知北遊に「大鳥ノ鈎ヲ睡ツ者、年八十、両シテ豪だヲ失ワズ」とみえる。大馬は大司馬、錘とはうってきたえること、鉤は剣の種類でかぎのようにまがっているものをいう。この八十の老人が剣をうつのに妙を得てうった鉤の軽重がどれもこれも同一であるというのである。ここの用法は「看二極釣ことあるけれども看るばかりではなく聞くことであろう、鉤をうつ音をきくのに似ているというのである。○清心 上旬の手は許生の手であるが此の句の心は作者の心である、清とは他の妄念をのぞくことをいう。○鳴鏑 かぷら矢、これも上の捷釣とひとしく詞詩の声についていう。



精微穿溟涬,飛動摧霹靂。
君の誦声の微妙な処は大自然の奥そこまでもつらぬくかとおもわれる、飛動するときはいなずまがくだけたかとおもわれるほどである。
精微 誦詩の精密微妙。○穿溟涬 溟涬は「荘子」には涬演という。自然の気をいう、溟涬を穿つとは大自然の奥底まで貫通することをいう。○飛動 声の飛動。○推霹靂 いなずまのくだけるよう。



陶謝不枝梧,風騷共推激。』
君の詩の趣は古の陶淵明と謝霊運にくいちがってはいない、詩経の「国風」や屈原の「離騒」やと共に激賞するに足るものである。』
陶謝 陶淵明・謝霊運、曹宋間の大詩人。○枝桔 くいちがう、不枝棺は詩趣がそれと一致することをいう。○風騒 「詩経」の国風の詩篇や、屈原の作った騒体の韻文。○ 許生の作がこれと共にということ。○推激 激字の用法は少し無理であるかと考える。意は激賞するに足るということであろう。「陶謝」二句は許生の詩の性質についてのべる。



紫燕自超詣,翠駁誰翦剔?
紫燕の名馬はおのずから凡馬から超越していることである。翠駁の馬の毛並みはいったいだれがきったりしたのであるかというように、人しれず苦心している結果に成るものであるのだ。 
紫燕 漢の文帝の良馬九匹、其の一つを紫燕騮という、許生の詩能を比較する。○超詣 遠くにこえていく。超とは高くこえること、詣とは遠くにまでいたること。○翠駁 翠は馬については紫色をいう。駁は色の不純なことをいう。紫色でぶちであるのが翠駁であり、そのような馬をいう。○翦剔 翦はたてがみの毛をきること、剔は毛を刷くことをいう。翦剔とは毛なみをうるわしく整えることをいう。



君意人莫知,人間夜寥闃。』
きみの心持は一般の他の人は知るものがないのだ。ただ夜がふけて人間界がひっそりしているばかりだ。
 他の人。○寥闃 闃はおとのないことを


○詩型 五言古詩。
○押韻 壁、寂、敵、擊。/易、鏑、靂、激。/剔、闃。


官定後戲贈 杜甫 : kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 誠実な詩人杜甫特集 100

官定後戲贈 杜甫 : kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 誠実な詩人杜甫特集 100

 

755年天宝十四載、秋になり、杜甫は奉先県の妻子を訪ねている。女児が無事に育っているのを確認し、それから奉先県の北45kmのところにある白水県まで足をのばしている。
 白水県には母方の崔明府と崔少府がいる。明府は県令、少府は県尉のこと、親族が同じ県の長と次長をしていたことになるのである。杜甫は、帰途に奉先県に寄って秋の終わりに長安にもどってきた。
杜甫乱前後の図001
 十月のはじめに「河西の尉」という赴任地が示されてきた。河西の尉は河西節度判官の尉。当時、涼州(甘粛省武威県)にあった河西節度使の節度判官の尉(副官)の地位のことは友人の高適から聞いていて、高適もこの職についてすぐ退任している。

封丘県(河南省開封の北)の尉となって、やがてやめてしまった友人の高適から、県尉の仕事の実情を聞かされていたのかもしれない。高適が封丘の尉をやめた理由は、

「封丘の作」 高適、

只言小邑無所爲  只だ 小邑ほ為す所無しと言うも

公門百事皆有期  公門の百事は皆な期有り

拝迎官長心欲砕  官長を拝迎しては心砕けんと欲

鞭捷黎庶令人悲  黎庶を鞭撞するは人をして悲しましむ


小さな町だから何もすることなどないということだったが、役所の仕事はすべて期限つきで忙しい。官長の出迎え見送りをするたびに、いやでいやで心も砕けそうになり、租税の督促などで人民をむち打つのは、つらくてやりきれない」と詠っているごとくであったらしい。
その昔、陶淵明が、せっかく就いた彰沢県の知事を、「吾、五斗米の為に腰を折る能わず。拳拳として郷里の小人に事えんや」(『晋書』陶淵明伝)といってわずか三か月で辞任して故郷に帰っていった、それと同じ気持ちであったようである。


 杜甫も辞退した。



官定後戯贈(官定まりて後戯に贈る)
河西の尉という空名の任官を免ぜられて太子右衛率府兵曹参軍事に任ぜられることにきまったあとで戯に自分自身に贈った詩である。製作時は755年天宝十四載。 * 〔原注〕時免河西尉烏右衛率府兵曹。


官定後戯贈         
不作河西尉、淒涼為折腰。
自分が河西の尉にならないのは官職の先輩や上官に腰を折るというかなしさがあるためなのだ。
老父怕趨走、率府且逍遥。
老父になっているものとしては尉などに使い走りすることになるのはまさかのことと思っている、この右衛率府に置いていただけるということは最初の任官としてはのんびりできるのでしばらくはゆっくりしていようと思う。
耽酒須微禄、狂歌託聖朝。
酒にふけることもしたいが少しばかりの俸禄を頂戴してからだ、もっぱら歌をうたい続け、ありがたい朝廷にこの身を託していくことになる。
故山帰興尽、囘首向風飇

官につけば故郷へ帰りたいという思いがさめてくる、ただ風にむかって遠く故郷の方向をふりむいてみるぐらいのことはするのである。


官定まりて後 戯れに贈る

河西(かせい)の尉()と作()らざるは

淒涼(せいりょう)  腰を折るが為なり

老父(ろうふ)  趨走(すうそう)を怕(おそ)

率府(そっぷ)に且()つ逍遥(しょうよう)

酒に耽(ふけ)るには微禄(びろく)を須()

狂歌して聖朝(せいちょう)に託(たく)

故山(こざん)  帰興(ききょう)()

(こうべ)を囘(めぐ)らして風(ふうひょう)に向かう



官定まりて後 戯れに贈る  訳註と解説

(本文)

官定後戯贈         
不作河西尉、淒涼為折腰。
老父怕趨走、率府且逍遥。
耽酒須微禄、狂歌託聖朝。
故山帰興尽、囘首向風飇。



(下し文)

官定まりて後 戯れに贈る

河西(かせい)の尉()と作()らざるは

淒涼(せいりょう) 腰を折るが為なり

老父(ろうふ) 趨走(すうそう)を怕(おそ)

率府(そっぷ)に且()つ逍遥(しょうよう)

酒に耽(ふけ)るには微禄(びろく)を須()

狂歌して聖朝(せいちょう)に託(たく)

故山(こざん) 帰興(ききょう)()

(こうべ)を囘(めぐ)らして風(ふうひょう)に向かう


(現代語訳)
自分が河西の尉にならないのは官職の先輩や上官に腰を折るというかなしさがあるためなのだ。
老父になっているものとしては尉などに使い走りすることになるのはまさかのことと思っている、この右衛率府に置いていただけるということは最初の任官としてはのんびりできるのでしばらくはゆっくりしていようと思う。
酒にふけることもしたいが少しばかりの俸禄を頂戴してからだ、もっぱら歌をうたい続け、ありがたい朝廷にこの身を託していくことになる。
官につけば故郷へ帰りたいという思いがさめてくる、ただ風にむかって遠く故郷の方向をふりむいてみるぐらいのことはするのである。



(訳註)
官定後戯贈

* 〔原注〕時免河西尉烏右衛率府兵曹。
官定任官が一定したこと。作者にとってこれが最初の任官である。○戯贈贈とは自己に贈ること。○免河西尉免というのからすればすでにその官になって後に免ぜられたもののようである。其の名義ばかりで実務には就くに至らなかったものと見える。河西尉は河西節度使の管下の尉官である。○右衛率府兵曹こ。太子右衛率府兵曹参軍事の官をいい、従八品下という卑い官である。元積の「杜君墓係」の右衛率府宵曹、「旧唐書」本伝の京兆府兵曹参軍、「新唐書」本伝の右衛率府胃曹参軍、とあるのは皆作者のこの詩の自注によって訂正されるべきものである。

不作河西尉、淒涼為折腰。
自分が河西の尉にならないのは官職の先輩や上官に腰を折るというかなしさがあるためなのだ。
淒涼 ものがなしいさま、二字は折腰にかけてみる。○折腰 陶淵明の故事、淵明は五斗米のために腰を折って長官につかえることをいとった。

老父怕趨走、率府且逍遥。
老父になっているものとしては尉などに使い走りすることになるのはまさかのことと思っている、この右衛率府に置いていただけるということは最初の任官としてはのんびりできるのでしばらくはゆっくりしていようと思う。
老父 自ずからいう。○怕趨走 趨走とは事務のためあちらこちらと奔走することをいう。尉官となるときはかかる煩累があることをおそれる。○率府 東宮(皇太子)に属する諸率府の事務官(従八品下)で、太子禁衛軍の兵員の管理をする事務職。 ○しばらく。○逍遥ぶらぶらしているさま。

耽酒須微禄、狂歌託聖朝。
酒にふけることもしたいが少しばかりの俸禄を頂戴してからだ、もっぱら歌をうたい続け、ありがたい朝廷にこの身を託していくことになる。
須微 禄わずかな俸禄がいりようである。○狂歌他もっぱら歌をうたい続ける、詩歌だけをつくったりすることをさす。○託聖朝 聖明の朝廷におのがからだを託す。



故山帰興尽、囘首向風飇。
官につけば故郷へ帰りたいという思いがさめてくる、ただ風にむかって遠く故郷の方向をふりむいてみるぐらいのことはするのである。
故山 故郷の山。○帰興尽 今まで故郷にかえりたいかえりたいというたが官が定まってみるとかえりたいとの興もなくなった、という。これは本心から官を慕って故郷を思わなくなったのではなく、ちょっとそんな気がすることをいう。○向風飇 飇とは下より吹きまくる暴風。必しも暴風をいうのではなく、ただ風の義に使ったもの。




(解説)
吹きつける「風飇」とは、役所での風当たりのことであろうか。時は晩秋で西風の強い日が多くなることも併せているが、十数年士官の道を求めてきた杜甫にとってはこれから先の希望の方が多かったのかもしれない。
官につけることが定まった杜甫は、家族に知らせ、そして長安へ連れて帰る支度をするため、十一月に入ると率先県に出かけた。それは、安禄山が挙兵した十一月九日に先だつ幾日かまえのことだった。このときの旅の様子は「京より奉先県に赴き、懐いを詠ずる五百字」は五言百句に及ぶ長篇である。のちの「北征」の詩五言百四十句と並ぶ雄篇と称されている。




 

後出塞五首 其五 杜甫 : kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 誠実な詩人杜甫特集 99

後出塞五首 其五 杜甫 : kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 誠実な詩人杜甫特集 99




後出塞五首 其五
我本良家子,出師亦多門。
自分はあたりまえの家からでた人間である、従軍するにいろいろの師団長の門をくぐったりしたのだ。
將驕益愁思,身貴不足論。
この安禄山大将はすごく驕っているのでなにかするのではと内心心配している、立身出世して高いくらいについたので何事も論議することもしない横暴さである。
躍馬二十年,恐孤明主恩。
この大将に二十年も軍馬を躍らせて戦ってきた、ただ、唐の明主、天子のご恩にそむきはすまいかとおそれているのだ。
坐見幽州騎,長驅河洛昏。
毎日同じように見ている(異常に気が付く)、幽州の騎兵がうごきだしたのだ、黄河、洛陽の方まで遠みちをかけ、あたりが暗くなるほどほこりをたたせている。
中夜間道歸,故裡但空村。
真夜中になってこっそり抜け道でかえったのだ、ふるさとはみんな逃げたあととみえてだれもいないあきむらになっておる。
惡名幸脫兔,窮老無兒孫。

謀叛人の仲間という悪名からのがれることはできたが、かんがえてみると子も孫もない守るものを持っていない貧乏な年よりの身なのだ。


我は本良家の子なり  出師亦た悶多し

将縞りて益主愁思す  身の貴きは論ずるに足らず

馬を躍らすこと二十年 明主の恩に孤かんことを恐る

坐ろに見る幽州の騎  長駆河洛昏し

中夜間道より帰れば  故里但空郁なり

悪名は幸に脱免せるも 窮老にして児孫無し




後出塞五首 其五  訳註と解説

(本文)
我本良家子,出師亦多門。
將驕益愁思,身貴不足論。
躍馬二十年,恐孤明主恩。
坐見幽州騎,長驅河洛昏。
中夜間道歸,故裡但空村。
惡名幸脫兔,窮老無兒孫。


(下し文)
我は本良家の子なり  出師亦た悶多し
将縞りて益主愁思す  身の貴きは論ずるに足らず
馬を躍らすこと二十年 明主の恩に孤かんことを恐る
坐ろに見る幽州の騎  長駆河洛昏し
中夜間道より帰れば  故里但空郁なり
悪名は幸に脱免せるも 窮老にして児孫無し

(現代語訳)
自分はあたりまえの家からでた人間である、従軍するにいろいろの師団長の門をくぐったりしたのだ。
この安禄山大将はすごく驕っているのでなにかするのではと内心心配している、立身出世して高いくらいについたので何事も論議することもしない横暴さである。
この大将に二十年も軍馬を躍らせて戦ってきた、ただ、唐の明主、天子のご恩にそむきはすまいかとおそれているのだ。
毎日同じように見ている(異常に気が付く)、幽州の騎兵がうごきだしたのだ、黄河、洛陽の方まで遠みちをかけ、あたりが暗くなるほどほこりをたたせている。
真夜中になってこっそり抜け道でかえったのだ、ふるさとはみんな逃げたあととみえてだれもいないあきむらになっておる。
謀叛人の仲間という悪名からのがれることはできたが、かんがえてみると子も孫もない守るものを持っていない貧乏な年よりの身なのだ。


(語訳と訳註)
我本良家子,出師亦多門。

自分はあたりまえの家からでた人間である、従軍するにいろいろの師団長の門をくぐったりしたのだ。
良家子 良家とは普通のよい人家をいう。北方辺境の部隊には素性のわからない傭兵もいた。この詩の主人公は無頼の餞民、若しくは罪人などの出身ではないことをいっている。○出師 師をだすのは大将がだすのであり、ここはそのだす師に従ってでることをいう。従レ征多レ門と同様に用いる。○多門 門は将門をいう。いろいろな大将の門。


將驕益愁思,身貴不足論。
この安禄山大将はすごく驕っているのでなにかするのではと内心心配している、立身出世して高いくらいについたので何事も論議することもしない横暴さである。
愁息 謀叛でもしそうな様子ゆえしんはいする。○身貴 自分のからだが貴位にのぼって出世する。○不足論 そんなことはどうでもよい、とりあげていうほどのことはない。



躍馬二十年,恐孤明主恩。
この大将に二十年も軍馬を躍らせて戦ってきた、ただ、唐の明主、天子のご恩にそむきはすまいかとおそれているのだ。
明主 唐の明主、天子、玄宗をさす。



坐見幽州騎,長驅河洛昏。
毎日同じように見ている(異常に気が付く)、幽州の騎兵がうごきだしたのだ、黄河、洛陽の方まで遠みちをかけ、あたりが暗くなるほどほこりをたたせている。
坐見 毎日同じように見ていると。(異常に気が付く。)○幽州騎 漁陽は幽州に属している、幽州の騎とは禄山部下の騎兵をいう。○長駆 遠のりする。○河洛昏 河は黄河、格は洛水、洛陽にせまることをいう。昏とは兵馬のため塵攻が起って暗くなること。


中夜間道歸,故裡但空村。
真夜中になってこっそり抜け道でかえったのだ、ふるさとはみんな逃げたあととみえてだれもいないあきむらになっている。
間道 ぬけみち。○故裡 ふるさと。○空村 住民たちがさり、だれもいない村。



惡名幸脫兔,窮老無兒孫。
謀叛人の仲間という悪名からのがれることはできたが、かんがえてみると子も孫もない守るものを持っていない貧乏な年よりの身なのだ。
悪名 天下に対しての悪い名称。謀叛人の仲間という。○脱免 そのなかからのがれでる。○窮老 貧乏な年より。○無児孫 子も孫もない。守るものがない。軍隊に二十年青春をささげたのである。


 
(解説)
 謀反を起こす前の安禄山はかなり横暴になり、庶民的な目からもそれがわかるようになっていた。
李林逋宰相、前の張九齢との権力闘争、その後18年李林逋の圧制が続きます。その間に軍事的功績を積み重ねた節度使の安禄山。楊貴妃一族の台頭、李林逋の死(752)、と10年間で、特に叛乱の前五年の間にめまぐるしく権力構図が塗り替えられます。其の中で、はっきりしていることは、①皇帝の権威が著しく低下した、②朝廷は楊貴妃一族による腐敗したものとなる、③軍事的には安禄山を抑えようがないというのが750年代の情勢分析である。

 杜甫が述べているようにひとつの村が空っぽに為ったというのは戦になると予想されて逃げたのである。もし安禄山の側が、統制が取れた軍隊であったのなら庶民対策を万全にしたでしょうから支持を得た。叛乱か革命かの分岐点は、民衆の動向である。古今東西、すべて民衆の支持に後押しされたものでないと続くものではないのだ。権力は握れても大儀がなかった安禄山は翌年息子に殺される。
そして、この乱は10年近くも続く。

後出塞五首 其四 杜甫 : kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 誠実な詩人杜甫特集 98

後出塞五首 其四 杜甫 : kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 誠実な詩人杜甫特集 98


後出塞五首其四
獻凱日繼踵,兩蕃靜無虞。
勝った、勝ったとの報知が毎日、毎日漁陽の方から長安へ入ってくるたびに凱楽を奏ねられた、奚と契丹の兩蕃はしずかでなんにも心配はないといわれるほどに落ち着いた。
漁陽豪俠地,擊鼓吹笙竽。
漁陽はむかしから侠客風の土地がらである、軍師団中では激しく太鼓をうったり、笙や竽を吹きならしたりさわいでいる。
雲帆轉遼海,粳稻來東吳。
江南地方から船団になったので運河から海路遼海へと変更され、軍の食料米も東魯や呉の地方からくるのである。
越羅與楚練,照耀輿台軀。
また越の地方産のうす絹や楚の練絹がおくられ、賎しい身分の兵士らの躯体をてりかがやかしているのだ。
主將位益崇,氣驕淩上都。
ここの軍師団の主大将は一段と位がたかくなっていく、その横柄な態度と威張る気性は都の権威をもしのぐようになってきているのだ。
邊人不敢議,議者死路衢。

ここの群にいる兵士、この辺境の里にいる人たちは詮議や話題すらできないのだ、それを書面どこか口にしただけで殺され路傍に捨てられるのである。


凱を献ずること日々に踵を継ぐ 両蕃静にして虞無しと

漁陽は豪快の地なり 鼓を撃って生竿を吹く

雲帆遼海に転ず 硬稲東呉より来る

越羅と楚練と 輿台の姫に照耀す

主将位益主崇く 気騎りて上都を凌ぐ

辺人敢て議せず 議する者は路衛に死す




後出塞五首 其四  訳註と解説

(本文)
獻凱日繼踵,兩蕃靜無虞。
漁陽豪俠地,擊鼓吹笙竽。
雲帆轉遼海,粳稻來東吳。
越羅與楚練,照耀輿台軀。
主將位益崇,氣驕淩上都。
邊人不敢議,議者死路衢。

(下し文)
凱を献ずること日々に踵を継ぐ 両蕃静にして虞無しと
漁陽は豪快の地なり 鼓を撃って生竿を吹く
雲帆遼海に転ず 硬稲東呉より来る
越羅と楚練と 輿台の姫に照耀す
主将位益主崇く 気騎りて上都を凌ぐ
辺人敢て議せず 議する者は路衛に死す

(現代語訳)
勝った、勝ったとの報知が毎日、毎日漁陽の方から長安へ入ってくるたびに凱楽を奏ねられた、奚と契丹の兩蕃はしずかでなんにも心配はないといわれるほどに落ち着いた。
漁陽はむかしから侠客風の土地がらである、軍師団中では激しく太鼓をうったり、笙や竽を吹きならしたりさわいでいる。
江南地方から船団になったので運河から海路遼海へと変更され、軍の食料米も東魯や呉の地方からくるのである。
また越の地方産のうす絹や楚の練絹がおくられ、賎しい身分の兵士らの躯体をてりかがやかしているのだ。
ここの軍師団の主大将は一段と位がたかくなっていく、その横柄な態度と威張る気性は都の権威をもしのぐようになってきているのだ。
ここの群にいる兵士、この辺境の里にいる人たちは詮議や話題すらできないのだ、それを書面どこか口にしただけで殺され路傍に捨てられるのである。



(語訳と訳註)

獻凱日繼踵,兩蕃靜無虞。
勝った、勝ったとの報知が毎日、毎日漁陽の方から長安へ入ってくるたびに凱楽を奏ねられた、奚と契丹の兩蕃はしずかでなんにも心配はないといわれるほどに落ち着いた。
献凱 「周礼」大司楽に王の師が大いに勝ったときは凱楽を奏させたとある。凱は或は愷に作る、やわらぐこと、かちいくさにはやわらいだ音楽を奏してかえってくる、この献凱は捷報を奉ることをいう。○継踵 使者の足があとからあとからつづくことをいう。禄山は754年天宝十三載の二月、四月、755年十四載の四月にみな奚・契丹を破ったことを奏上したのだ。〇両蕃 奚・契丹の二蕃。○ しんばい。


漁陽豪俠地,擊鼓吹笙竽。
漁陽はむかしから侠客風の土地がらである、軍師団中では激しく太鼓をうったり、笙や竽を吹きならしたりさわいでいる。
漁陽 今の河北省順天府の地方をいう、唐のときは、幽州といい、苑陽郡といい、又そのうちに前州を分かって、漁陽郡といった。○豪快 おとこだての気風。○鼓、笙、竽 みな軍中の宴楽に用いる。


雲帆轉遼海,粳稻來東吳。
江南地方から船団になったので運河から海路遼海へと変更され、軍の食料米も東魯や呉の地方からくるのである。
雲帆 雲を帯びた帆、船団をいう。○ 船団を組んだので、運河での航行が難しく、領海にうつってゆく。○遼海 遼東方面の海。唐の時は揚州(江蘇省)に倉を置き水運によって貨物を東北に輸送した。禄山が苑陽に居るのによって南方より船が赴くのである。〇校稲 うるしね。○東呉 山東地方と江蘇省地方。



越羅與楚練,照耀輿台軀。
また越の地方産のうす絹や楚の練絹がおくられ、賎しい身分の兵士らの躯体をてりかがやかしているのだ。
越羅 漸江省地方でできるうすぎぬ。○楚練 湖南・湖北辺でできるねりぎぬ。○照耀 てりかがやかす。○輿台 「左伝」昭公七年に士以下の臣を順に臭、輿、隷、僚、僕、台とかぞえあげている。いやしきもの、ここは現に兵士となっておるものをさす。○ み、からだ。



主將位益崇,氣驕淩上都。
ここの軍師団の主大将は一段と位がたかくなっていく、その横柄な態度と威張る気性は都の権威をもしのぐようになってきているのだ。
主将 主人である大将、安禄山。○氣驕 威張る気性と横柄な態度。○上都 天子の都をいう。



邊人不敢議,議者死路衢。

ここの群にいる兵士、この辺境の里にいる人たちは詮議や話題すらできないのだ、それを書面どこか口にしただけで殺され路傍に捨てられるのである。
辺入国の辺都の地に居るもの、禄山の管内のものをさす。0 かれこれうわさする。○ 殺されてしぬ。○路衝 衝はちまた。



(解説)
 もともと、身分賎しい者が、貴族内の問題、府兵制度の崩壊、忠誠心の欠如、傭兵性の開始など様々な事柄の場当たり的解決策として、軍隊内の均衡化策をとり、異民族系のものを重用した。また、潘鎮の2極分化により、勢力の強くなるものを抑えるためと、地方の税徴収が上手くいかなくなったことにより、節度使を置いた。東の幽州を拠点にした安禄山、西の安西を拠点にした哥舒翰という構図になっていた。長安の朝廷には、楊国忠が宰相で、そこに宦官勢力も5,6000名に膨れ上がり、軍隊化していた。これ以外にも地方の潘鎮は君王化していた。

 玄宗は裸の大さま状態であったと思われる。忠義な家臣を味方に改革が必要であったが、ここまでの20年近く李林保と楊国忠によって徹底的な粛清がなされていて、忠義な家臣は遠ざけられていたのである。
かくして、誰が、クーデター、叛乱を起してもおかしくない状況になったのである。これに火をつけたのは、3年続きの干ばつ、長雨による物価高騰であった。国民のフラストレーションは最高潮に達していた。

杜甫の詩、750年頃から755年のものに彼らのことはすべて指摘している。罪にならない、当たり障りのない程度に詩を作ったのだ。

後出塞五首 其三 杜甫 : kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 誠実な詩人杜甫特集 97

後出塞五首 其三 杜甫 : kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 誠実な詩人杜甫特集 97


後出塞五首 其三
古人重守邊,今人重高勛。
むかしの人は侵略・拡張的でなく国境を敵から守ることを重んじていた、今の人は之に反して戦をしかけて高い勲功をたてることを重んじているのだ。
豈知英雄主,出師亙長雲。
意外にも英雄である君主も領土拡大を認知している、戦を外へしかけて、その砂塵はまるで長い雲が引き生えたように続いている。
六合已一家,四夷且孤軍。
今や唐王朝の天下は一家のように統一された、四方の夷にむかって孤軍を出して戦うのだ。
遂使貔虎士,奮身勇所聞。
そうしてついに、親は豹と思われるほど勇壮な兵士を使わされた、粉骨砕身自分が聞いている君主のおぼしめしに対して勇み立たせるのである。
拔劍擊大荒,日收胡馬群。
兵士は剣をぬいて極遠の荒れ地を攻撃するのだ、毎日敵の胡の騎馬群をうばいとっていくのだ。
誓開玄冥北,持以奉吾君。
心に誓って玄冥喝神が支配する北の地を開拓して、それを持って吾が君主にたてまつりたいものだというようにかんがえている。



後出塞五首 其三 訳註と解説
(本文)
古人重守邊,今人重高勛。
豈知英雄主,出師亙長雲。
六合已一家,四夷且孤軍。
遂使貔虎士,奮身勇所聞。
拔劍擊大荒,日收胡馬群。
誓開玄冥北,持以奉吾君。

(下し文)
古人は守辺を重んず 今人は高勲を重んず
豈に知らんや英雄の主 師を出して長雲亙る
六合己に一家なるに  四夷に且つ孤軍
遂に貌虎の士をして 身を奮って聞く所に勇ならしむ
剣を抜いて大荒を撃ち 日に胡馬の葦を収め
誓って玄冥の北を開いて 持して以て吾が君に奉ぜん

(現代語訳)
むかしの人は侵略・拡張的でなく国境を敵から守ることを重んじていた、今の人は之に反して戦をしかけて高い勲功をたてることを重んじているのだ。
意外にも英雄である君主も領土拡大を認知している、戦を外へしかけて、その砂塵はまるで長い雲が引き生えたように続いている。
今や唐王朝の天下は一家のように統一された、四方の夷にむかって孤軍を出して戦うのだ。
そうしてついに、親は豹と思われるほど勇壮な兵士を使わされた、粉骨砕身自分が聞いている君主のおぼしめしに対して勇み立たせるのである。
兵士は剣をぬいて極遠の荒れ地を攻撃するのだ、毎日敵の胡の騎馬群をうばいとっていくのだ。
心に誓って玄冥喝神が支配する北の地を開拓して、それを持って吾が君主にたてまつりたいものだというようにかんがえている。


古人重守邊,今人重高勛。
むかしの人は侵略・拡張的でなく国境を敵から守ることを重んじていた、今の人は之に反して戦をしかけて高い勲功をたてることを重んじているのだ。
守辺 国ざかいをまもること。敵を攻めず、敵から侵されぬようにつとめることをいう。○高勲 高いいさおしをたてること、これは戦争をしてたてるのである。



豈知英雄主,出師亙長雲。
意外にも英雄である君主も領土拡大を認知している、戦を外へしかけて、その砂塵はまるで長い雲が引き生えたように続いている。
豈知 意外なことをいう。○英雄 主えらい人主、玄宗をさす。○亙長 その出陣の砂塵はまるで雲長い雲の引き生えているようであることをいう。



六合已一家,四夷且孤軍。
今や唐王朝の天下は一家のように統一された、四方の夷にむかって孤軍を出して戦うのだ。
六合 天地と四方。〇一家 天下一統して一家のごとし。〇四夷且孤軍 此の句は孤軍の二字に属すべき動詞を省略した不完全句であり、孤軍を「出だす」とか「留どむ」とかいう語を添えてみるべきである。四夷は四方のえびす、四夷に対して孤軍をいだす。



遂使貔虎士,奮身勇所聞。
そうしてついに、親は豹と思われるほど勇壮な兵士を使わされた、粉骨砕身自分が聞いている君主のおぼしめしに対して勇み立たせるのである。
貌虎士 つよい兵士、親は豹の如き獣。○奮身 身の力をふるう。○勇所聞 我が耳にした所に対して勇気をだす、耳にした所とは「天子が四夷にむかって兵を用いるおぼしめしである」とのことをさす。



拔劍擊大荒,日收胡馬群。
兵士は剣をぬいて極遠の荒れ地を攻撃するのだ、毎日敵の胡の騎馬群をうばいとっていくのだ。
抜剣以下四句は兵士の決心をいう、即ち「勇所聞」の事実である。○大荒 遠方不毛の地をさす。○日収 毎日とりこむ。○胡馬北方のえびすの馬。



誓開玄冥北,持以奉吾君。
心に誓って玄冥喝神が支配する北の地を開拓して、それを持って吾が君主にたてまつりたいものだというようにかんがえている。
玄冥 玄冥喝神、北方の神の名、北方の地をさしていう。○ たてまつる、ささげる。


(解説)
過去の王朝は、領土を守ることに重点を置いてきた。唐王朝は領土拡大を進めてきた。結果、世界最大の国家になっていた。当時の人々も巨大な唐王朝を誇りに思っていた。律令体制も府兵制もうまくいっていた。ただこの律令体制の府兵制が崩壊し、傭兵性に変わったのである。杜甫のこの詩でこのあたりの点に触れている。杜甫は胡のこの地に行ったことは全くないのである。

後出塞五首 其二 杜甫 : kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 誠実な詩人杜甫特集 96

後出塞五首 其二 杜甫 : kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 誠実な詩人杜甫特集 96

755年の三月、村人に見送られて薊門(幽州の花陽)に出征した一兵士が、将軍(安禄山)の軍に従って奚・契丹の軍と戦うが、戦いに勝った将軍の位はますます高くなってくこと、その驕りは天子を軽んじることが目立ち始め、ついにこの兵士は脱走して故郷に帰ってくるが、わが里は荒れ果てて人一人いない空村になっていた、という筋の其の二である。


後出塞五首 其二
朝進東門營,暮上河陽橋。
朝、洛陽の東門の軍営所から進行した、夕暮には河陽の橋の渡し場のあたりまでやってきた。
落日照大旗,馬鳴風蕭蕭。
沈んでゆく太陽が陣中の大旗を照らした、馬は嘶き風が静かにひゅーっと吹きわたった。
平沙列萬幕,部伍各見招。
河にそった沙の原に、宿舎の用意としてたくさんの幕が列に並んでおり、各隊の分隊はそれぞれ点呼を受けている。
中天懸明月,令嚴夜寂寥。
やがて、大空の中ほどに明月がかかった、いかめしく号令の声響いていて夜はひっそりとしてきた。
悲笳數聲動,壯士慘不驕。
そこに、悲しげな葦笛が三声、四声なりひびくと、血気盛んな青年兵士もものがなしくなり、意気消沈してくるのである。
借問大將誰,恐是霍嫖姚。

かりに尋ねるのだけれど、このような軍隊をひきいる大将は誰であるかと。それは恐らくは漢の霍去病のような人であろう。

朝に東門の営より進み 暮に河陽の橋に上る

落日大旗を照らす 馬鳴いて風粛粛たり

平沙万幕列す 部伍各i招かる

中天明月懸る 令厳にして夜寂蓼たり

悲節数声動く 壮士惨として縞らず

借間す大将は誰ぞ 恐らくは是霍嫖姚ならん



Ta唐 長安近郊圖  新02

後出塞五首  訳註と解説

(本文)其二
朝進東門營,暮上河陽橋。
落日照大旗,馬鳴風蕭蕭。
平沙列萬幕,部伍各見招。
中天懸明月,令嚴夜寂寥。
悲笳數聲動,壯士慘不驕。
借問大將誰,恐是霍嫖姚。

(下し文)
朝に東門の営より進み 暮に河陽の橋に上る
落日大旗を照らす 馬鳴いて風粛粛たり
平沙万幕列す 部伍各i招かる
中天明月懸る 令厳にして夜寂蓼たり
悲節数声動く 壮士惨として縞らず
借間す大将は誰ぞ 恐らくは是甚療桃ならん


(現代語訳)
朝、洛陽の東門の軍営所から進行した、夕暮には河陽の橋の渡し場のあたりまでやってきた。
沈んでゆく太陽が陣中の大旗を照らした、馬は嘶き風が静かにひゅーっと吹きわたった。
河にそった沙の原に、宿舎の用意としてたくさんの幕が列に並んでおり、各隊の分隊はそれぞれ点呼を受けている。
やがて、大空の中ほどに明月がかかった、いかめしく号令の声響いていて夜はひっそりとしてきた。
そこに、悲しげな葦笛が三声、四声なりひびくと、血気盛んな青年兵士もものがなしくなり、意気消沈してくるのである。
かりに尋ねるのだけれど、このような軍隊をひきいる大将は誰であるかと。それは恐らくは漢の霍去病のような人であろう。



朝進東門營,暮上河陽橋。
朝、洛陽の東門の軍営所から進行した、夕暮には河陽の橋の渡し場のあたりまでやってきた。
 前へ進出する。○東門営 東門は洛陽の東門城外の軍営所。○河陽橋 河陽は県の名、古の孟津、洛陽の東北、黄河の近くにあり、そこに舟橋を設けて北へわたす。



落日照大旗,馬鳴風蕭蕭。
沈んでゆく太陽が陣中の大旗を照らした、馬は嘶き風が静かにひゅーっと吹きわたった。
馬鳴風粛粛「詩経」の車攻詩に「粛粛トシテ馬鳴ク」とあるのに本づくという、粛々はしずかなさま。〇万幕多くのまく、兵舎の用に供するもの。


沙列萬幕,部伍各見招。
河にそった沙の原に、宿舎の用意としてたくさんの幕が列に並んでおり、各隊の分隊はそれぞれ点呼を受けている。
部伍 分隊をいう。○見招人員の点呼をうけること。



中天懸明月,令嚴夜寂寥。
やがて、大空の中ほどに明月がかかった、いかめしく号令の声響いていて夜はひっそりとしてきた。
指揮官の号令。○寂蓼 ひっそり。


悲笳數聲動,壯士慘不驕。
そこに、悲しげな葦笛が三声、四声なりひびくと、血気盛んな青年兵士もものがなしくなり、意気消沈してくるのである。
悲節かなしげなあしぶえ。○なりだす。○壮士 血気盛んな青年兵士。○ ものがなし。○不騎 いばっている気色のないこと。意気消沈。


借問大將誰,恐是霍嫖姚。
かりに尋ねるのだけれど、このような軍隊をひきいる大将は誰であるかと。それは恐らくは漢の霍去病のような人であろう。
借間 かりにとう。○霍嫖姚 漢の武帝の時の名将霍去病かくきょへい。彼は嫖姚校尉となった。騎射に優れており、18歳で衛青に従って匈奴征伐に赴いている。その後も何度も匈奴征伐に功績を挙げ、3万の首を上げ、紀元前121年に驃騎将軍に、更に紀元前119年には匈奴の本拠地を撃破し、衛青と並んで大司馬とされた。大功と武帝の寵愛により権勢並ぶ物が無くなった霍去病だが、紀元前117年、わずか24歳で病死した。





後出塞五首其一
男兒生世間,及壯當封侯。戰伐有功業,焉能守舊丘?
召募赴薊門,軍動不可留。千金買馬鞍,百金裝刀頭。
閭裡送我行,親戚擁道周。斑白居上列,酒酣進庶羞。
少年別有贈,含笑看吳鉤。

男児世間に生る 壮なるに及びては当に侯に封ぜらるべし。
戦伐すれば功業有り 焉ぞ能く旧丘を守らん。
召募せられて前門に赴く 軍動いて留まる可らず。
千金馬鞍(鞭)を装い 百金刀頭を装う。
閭裡我が行を送り 親戚道周を擁す。
斑白なるは上列に居る 酒酣にして庶羞を進む。
少年は別に贈有り 笑を含みて呉鉤を看る。

其二
朝進東門營,暮上河陽橋。落日照大旗,馬鳴風蕭蕭。
平沙列萬幕,部伍各見招。中天懸明月,令嚴夜寂寥。
悲笳數聲動,壯士慘不驕。借問大將誰,恐是霍嫖姚。

朝に東門の営より進み 暮に河陽の橋に上る
落日大旗を照らす 馬鳴いて風粛粛たり
平沙万幕列す 部伍各i招かる
中天明月懸る 令厳にして夜寂蓼たり
悲節数声動く 壮士惨として縞らず
借間す大将は誰ぞ 恐らくは是甚療桃ならん

其三
古人重守邊,今人重高勛。豈知英雄主,出師亙長雲。
六合已一家,四夷且孤軍。遂使貔虎士,奮身勇所聞。
拔劍擊大荒,日收胡馬群。誓開玄冥北,持以奉吾君。

其四
獻凱日繼踵,兩蕃靜無虞。漁陽豪俠地,擊鼓吹笙竽。
雲帆轉遼海,粳稻來東吳。越羅與楚練,照耀輿台軀。
主將位益崇,氣驕淩上都。邊人不敢議,議者死路衢。

其五
我本良家子,出師亦多門。將驕益愁思,身貴不足論。
躍馬二十年,恐孤明主恩。坐見幽州騎,長驅河洛昏。
中夜問道歸,故裡但空村。惡名幸脫兔,窮老無兒孫。


後出塞五首 其一 杜甫 : kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 誠実な詩人杜甫特集 95

後出塞五首 其一 杜甫 : kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 誠実な詩人杜甫特集 95

後出塞五首の背景 概要
755年天宝十四年、杜甫は前年、山東から国子監司業(国立大学教授)として長安に帰ってきた蘇源明や、広文館博士の鄭度と、酒を都合しては文学論をたたかわせている。
安禄山は北方にあって着々と反乱の準備をととのえており、二月には、配下にいる漢人の将軍三十二名をすべて蕃将に代えたいと請い、朝廷の許可を得ている。また七月には、蕃将二十二人に兵六千人を率いさせ、馬三千頭を献上したいと玄宗に願い出た。北方で兵を挙げたときに都で内応させようという計画であったものだが、安禄山を信用しきっていた玄宗も、これだけは許可せずに冬まで延期させた。

杜甫は、このような事態を背景にして、「後出塞」五首を作っている。それは、この年の三月、村人に見送られて薊門(幽州の花陽)に出征した一兵士が、将軍(安禄山)の軍に従って奚・契丹の軍と戦うが、戦いに勝った将軍の位はますます高くなってくこと、その驕りは天子を軽んじることが目立ち始め、ついにこの兵士は脱走して故郷に帰ってくるが、わが里は荒れ果てて人一人いない空村になっていた、という筋である。その中で作者杜甫は、「後出塞」五首其四で
主將位益崇、気騎凌上都。
邊人不敢議、議者死路衢。
主将 位は益ます崇く、気は驕りて上都を凌ぐ。
辺人 敢えて議せず、議する者は路衢に死なん

にあるように、安禄山の目に余る行為は、誰もが知るところであった。しかし、玄宗は安禄山にかぎらず、誰れであってもその権威で、圧倒することはできない位弱体化し、頽廃していたのである。したがって、だれが反乱を企ててもおかしくない状況になっていたのである。朝廷内は楊貴妃一族と高力士を筆頭に宦官が大きな力を持ってきており、皇帝自身は楊貴妃に骨抜きにされていたので、正論が通る時代では全くなくなっていたのである。




後出塞五首 其一
男兒生世間。及壯當封侯。
男児はこの世に生れた以上は、壮年になるころには侯の位に命じられるべきである。
戰伐有功業。焉能守舊丘?
戦で相手を征伐をすれば勲功となる。勲功は侯に封ぜられるのだからどうして故郷の丘を守ってじっとしていいものか。
召募赴薊門,軍動不可留。』
募集に応じて将兵され薊門の方へと赴いた、しかし、軍が動くものであり、一つ所に留まっているわけにはゆかないのだ。』

千金買馬鞍,百金裝刀頭。
思い起こせば、自分も千金を費して馬の鞍など馬具を装備し、百金をだして刀具の装備をしてこれから出掛けたのだ。
閭裡送我行,親戚擁道周。
このとき集村や邑人たちは自分の出征するのを見送ってくれ、親戚の者どもは道の曲ったあたりまで自分を取り囲んでくれた。
斑白居上列,酒酣進庶羞。
その中で斑白の老人が上席にいた、その人から酒宴たけなわになるころ、自分にさまざまのご馳走を進めてくれたのだ。
少年別有贈,含笑看吳鉤。』

青年のわかき人はこの出征に対し贈り物をしてくれた。にっこりとして貰った吳鉤の剣の贈りものをまことに嬉しく思い、見つめるのであった。

 

男児世間に生る 壮なるに及びては当に侯に封ぜらるべし

戦伐すれば功業有り 焉ぞ能く旧丘を守らん

召募せられて前門に赴く 軍動いて留まる可らず』


千金馬鞭(鞍)を装い 百金刀頭を装う

閭裡我が行を送り 親戚道周を擁す

斑白なるは上列に居る 酒酣にして庶羞を進む

少年は別に贈有り 笑を含みて呉を看る』





後出塞五首  訳註と解説


(本文)
男兒生世間。及壯當封侯。
戰伐有功業。焉能守舊丘?
召募赴薊門,軍動不可留。』

千金買馬鞍,百金裝刀頭。
閭裡送我行,親戚擁道周。
斑白居上列,酒酣進庶羞。
少年別有贈,含笑看吳鉤。』

(下し文)
男児世間に生る 壮なるに及びては当に侯に封ぜらるべし。
戦伐すれば功業有り 焉ぞ能く旧丘を守らん。
召募せられて前門に赴く 軍動いて留まる可らず。』

千金馬鞍(鞭)を装い 百金刀頭を装う。
閭裡我が行を送り 親戚道周を擁す。
斑白なるは上列に居る 酒酣にして庶羞を進む。
少年は別に贈有り 笑を含みて呉鉤を看る。』

(現代語訳)
男児はこの世に生れた以上は、壮年になるころには侯の位に命じられるべきである。
戦で相手を征伐をすれば勲功となる。勲功は侯に封ぜられるのだからどうして故郷の丘を守ってじっとしていいものか。
募集に応じて将兵され薊門の方へと赴いた、しかし、軍が動くものであり、一つ所に留まっているわけにはゆかないのだ。

思い起こせば、自分も千金を費して馬の鞍など馬具を装備し、百金をだして刀具の装備をしてこれから出掛けたのだ。
このとき集村や邑人たちは自分の出征するのを見送ってくれ、親戚の者どもは道の曲ったあたりまで自分を取り囲んでくれた。
その中で斑白の老人が上席にいた、その人から酒宴たけなわになるころ、自分にさまざまのご馳走を進めてくれたのだ。
青年のわかき人はこの出征に対し贈り物をしてくれた。にっこりとして貰った吳鉤の剣の贈りものをまことに嬉しく思い、見つめるのであった。


(訳註)
男兒生世間。及壯當封侯。
男児はこの世に生れた以上は、壮年になるころには侯の位に命じられるべきである。
及壮封侯 後漢の班超・梁辣、などが述べている。

戰伐有功業。焉能守舊丘?
戦で相手を征伐をすれば勲功となる。勲功は侯に封ぜられるのだからどうして故郷の丘を守ってじっとしていいものか。
旧丘 故郷のおかをいう。○召募 上から召されつのられる。



召募赴薊門,軍動不可留。』
募集に応じて将兵され薊門の方へと赴いた、しかし、軍が動くものであり、一つ所に留まっているわけにはゆかないのだ。』
薊門 関の名、今河北省順天府薊州にある。安禄山の根拠地の方面である。



千金買馬鞍,百金裝刀頭。
自分も千金を費して馬の鞍など馬具を装備し、百金をだして刀具の装備をしてこれから出掛けるのだ。
 装飾する。○馬鞭 鞭を鞍に作る本があるが、鞍の方がよろしいであろう。○刀頭 刀具、馬の環。



閭裡送我行,親戚擁道周。
このとき集村や邑人たちは自分の出征するのを見送ってくれ、親戚の者どもは道の曲ったあたりまで自分を取り囲んでくれた。
閭裡 閭も裡も二十五家をさす。ここは自分の村をいう。○ だきかかえる、包囲状をなすこと。○道周 周とは道の曲りめをいう。

 
斑白居上列,酒酣進庶羞。
その中で斑白の老人が上席にいた、その人から酒宴たけなわになるころ、自分にさまざまのご馳走を進めてくれたのだ。
斑白 ごましおあたまの老人。○上列 上席。○進庶羞 進とは行者の前へもちだすこと、庶羞はもろもろのすすめもの、御馳走の品々。

少年別有贈,含笑看吳鉤。』
青年のわかき人はこの出征に対し贈り物をしてくれた。にっこりとして貰った吳鉤の剣の贈りものをまことに嬉しく思い、見つめるのであった。』
少年 青年のわかき人。○ 行者に対する贈りもの、即ち次句の吳鉤。○含笑 行者がにっこりする、吳鉤を贈られたのがうれしいのである。○吳鉤 呉の地方でできる攣曲したつるぎ。



韻  侯/丘、留、/頭、周、羞、鉤。



後出塞五首其一
男兒生世間,及壯當封侯。戰伐有功業,焉能守舊丘?
召募赴薊門,軍動不可留。千金買馬鞍,百金裝刀頭。
閭裡送我行,親戚擁道周。斑白居上列,酒酣進庶羞。
少年別有贈,含笑看吳鉤。

男児世間に生る 壮なるに及びては当に侯に封ぜらるべし。
戦伐すれば功業有り 焉ぞ能く旧丘を守らん。
召募せられて前門に赴く 軍動いて留まる可らず。
千金馬鞍(鞭)を装い 百金刀頭を装う。
閭裡我が行を送り 親戚道周を擁す。
斑白なるは上列に居る 酒酣にして庶羞を進む。
少年は別に贈有り 笑を含みて呉鉤を看る。



其二
朝進東門營,暮上河陽橋。落日照大旗,馬鳴風蕭蕭。
平沙列萬幕,部伍各見招。中天懸明月,令嚴夜寂寥。
悲笳數聲動,壯士慘不驕。借問大將誰,恐是霍嫖姚。

其三
古人重守邊,今人重高勛。豈知英雄主,出師亙長雲。
六合已一家,四夷且孤軍。遂使貔虎士,奮身勇所聞。
拔劍擊大荒,日收胡馬群。誓開玄冥北,持以奉吾君。

其四
獻凱日繼踵,兩蕃靜無虞。漁陽豪俠地,擊鼓吹笙竽。
雲帆轉遼海,粳稻來東吳。越羅與楚練,照耀輿台軀。
主將位益崇,氣驕淩上都。邊人不敢議,議者死路衢。

其五
我本良家子,出師亦多門。將驕益愁思,身貴不足論。
躍馬二十年,恐孤明主恩。坐見幽州騎,長驅河洛昏。
中夜問道歸,故裡但空村。惡名幸脫兔,窮老無兒孫。

醉歌行 杜甫 : kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 誠実な詩人杜甫特集 94

醉歌行 杜甫 : kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 誠実な詩人杜甫特集 94

醉歌行
いとこの子杜勤が落第して故郷へ帰るのを送り、別れの宴で酔って作ったうたである。製作時は天宝十四載の春、長安での作。    


酔歌行  * 〔原注〕別従姪勤落第歸。
陸機二十作文賦,汝更小年能綴文。
陸機は年二十にして檄文や賦を作ったというが、君はそれよりも若くて能く詩文をつづるではないか。
總角草書又神速,世上兒子徒紛紛。
角髪の少年時代から草書を不思議なほど早く書いていた、世間の子供等は君に比べると徒らに多くいるというだけなのだ。
驊騮作駒已汗血,鷙鳥舉翮連青雲。
驊騮の駿馬はわか駒のときからすでに血を汗にするだけの素質はあり、強い鳥は翮を挙げればただちに青雲につらなる能力を持っている。
詞源倒流三峽水,筆陣獨掃千人軍。』

君の文章の力は詞源濠々としてあふれるほどであり、三峡の水を傾倒しておしながすようである、筆陣にたてば一人を以て千人の軍を掃却することができる。』

只今年才十六七,射策君門期第一。
しかし今やっと十六七歳の少年であって、朝廷において試験問題にお答えして第一の成績を得ようとするのだ。
舊穿楊葉真自知,暫蹶霜蹄未為失。
かねて柳葉を射て百発百中の技能あることは君自身が知っている。ちょっと霜蹄がつまずいた(落第した)ぐらいでは過失とするにはあたらぬ。
偶然擢秀非難取,會是排風有毛質。
大勢いたとしてもたまたま抜擢されるの運命にありつけぬわけではなく、きっときみは風を排して上るだけの猛鳥の本質はもっているのだ。
汝身已見唾成珠,汝伯何由發如漆?』

わたしは君がすでに荘子が言う「唾さえ珠を成す」ということをみとめているが、君のおじのわたしがどうしたらふたたび髪が漆のように黒くなることができるだろうか。(唾を玉にするようにうまく表現するのはできても、歳を若くすることはできない。)』

春光潭沱秦東亭,渚蒲牙白水荇青。
さて汝を見送ろうとすると、長安城東の亭では春の光り、かげろうが動いて、なぎさの蒲の芽は白くめぐみ、あさざの葉は青く水面にういている。
風吹客衣日杲杲,樹攪離思花冥冥。
風は頬を撫で君の旅衣を吹き払い、太陽は燦々とかがやいている。樹上の花は暗くなるほど覆いかぶさって咲きてこのわかれを離れがたいものに思わせる。
酒盡沙頭雙玉瓶,眾賓皆醉我獨醒。
水辺の砂浜にころがっている二つの玉の酒瓶には酒がなくなってしまった。他のお客たちはみな酔われたがわたしだけは別離の悲しさのため酔うことができない。
乃知貧賤別更苦,吞聲躑躅涕淚零。』

ここに至って貧乏生活のなかでの別れというものが特別にさらに苦しいものであることがよくわかった。言うべき言葉を飲み込んでしまうほどに嗚咽して泣き、足のあゆみもすすまず、ただなみだがおつるばかりである。


(酔歌行)

陸機二十にして文の賊を作る、汝更に少年にして能く文を綴る

総角にして草書又た神速、世上の児子徒に紛紛たり

醇騒駒と作って己に汗血なり、鷲鳥副を挙げて青雲に連なる

詞源倒に流す三昧の水、筆陣独り掃う千人の軍』


只今年綾に十六七、射策君門に第一を期す

旧楊葉を穿つは兵に自ら知る、暫く粛蹄蕨く未だ失えりと為さず

偶然擢秀取り難きに非ず、会ず是れ排風毛賀有り

汝が身己に見る唾珠を成すを、汝が伯何に由ってか髪漆の如くならん』


春光渾陀たり秦の東亭、渚蒲芽白くして水芹青し

風は客衣を吹いて日呆呆たり、樹は離息を摸して花冥冥たり

酒は尽く沙頭の双玉瓶、衆賓皆酔うも我独り醒めたり

乃ち知る貧餞の別るること更に苦しきを、声を呑んで衡燭沸涙零つ』





訳註と解説


(本文)
陸機二十作文賦,汝更小年能綴文。
總角草書又神速,世上兒子徒紛紛。
驊騮作駒已汗血,鷙鳥舉翮連青雲。
詞源倒流三峽水,筆陣獨掃千人軍。』

(下し文)
陸機二十にして文の賊を作る、汝更に少年にして能く文を綴る
総角にして草書又た神速、世上の児子徒に紛紛たり
醇騒駒と作って己に汗血なり、鷲鳥副を挙げて青雲に連なる
詞源倒に流す三昧の水、筆陣独り掃う千人の軍』


(現代語訳)


酔歌行 酔うての歌を詩に作る。○従姪 いとこの子をいう。○ 其の人の名、一に勤を勧に作る。*〔原注〕別従姪勤落第歸。-

陸機は年二十にして檄文や賦を作ったというが、君はそれよりも若くて能く詩文をつづるではないか。
角髪の少年時代から草書を不思議なほど早く書いていた、世間の子供等は君に比べると徒らに多くいるというだけなのだ。
驊騮の駿馬はわか駒のときからすでに血を汗にするだけの素質はあり、強い鳥は翮を挙げればただちに青雲につらなる能力を持っている。
汝の文章の力は詞源濠々としてあふれるほどであり、三峡の水を傾倒しておしながすようである、筆陣にたてば一人を以て千人の軍を掃却することができる。』

文、粉、、雲、軍。


酔歌行

陸機二十作文賦,汝更小年能綴文。
陸機は年二十にして檄文や賦を作ったというが、君はそれよりも若くて能く詩文をつづるではないか。
陸機 西晋の大鹿・元康時代の文学者。陸機(りくき261年 - 303年)呉・西晋の文学者・政治家・武将。七尺もの身の丈を持ち、その声は鐘のように響きわたったという。儒学の教養を身につけ、礼に外れることは行なわなかった。同じく著名な弟の陸雲と合わせて「二陸」とも呼ばれる。六朝時代を代表する文学者の一人であり、同時代に活躍した潘岳と共に、「潘陸」と並び称されている。特に「文賦(文の賦)」は、中国文学理論の代表的著作として名高い。〇二十 二十歳。○文賦 文学を論じた賦である。○ 勤をさす。○更少年 後に十六七とあるのからすれば、勤は機よりも年わかである。〇校文 詩文をつづりつくる。

總角草書又神速,世上兒子徒紛紛。
角髪の少年時代から草書を不思議なほど早く書いていた、世間の子供等は君に比べると徒らに多くいるというだけなのだ。
総角 角髪の二つを一つにくくったものをいう、少年の姿。○草書 書体の名、走りがき。○神速 ふしぎに筆をはこぶことがはやい。○世上児子 世間の少年。○徒紛紛 いたずらに多い。

驊騮作駒已汗血,鷙鳥舉翮連青雲。
驊騮の駿馬はわか駒のときからすでに血を汗にするだけの素質はあり、強い鳥は翮を挙げればただちに青雲につらなる能力を持っている。
驊騮 くり毛の馬、周の穆王の八匹の駿馬の一つ。○作駒 わかごまであるときから。○汗血 大宛国の天馬の如く血を汗にだす。○鷙鳥 強い鳥。○ たちばね。○連青雲 たかく飛ぶことをいう。

詞源倒流三峽水,筆陣獨掃千人軍。』
汝の文章の力は詞源濠々としてあふれるほどであり、三峡の水を傾倒しておしながすようである、筆陣にたてば一人を以て千人の軍を掃却することができる。』
詞源倒流 文章の力を江水を以てたとえる。詞源は文章の湧きでる源をいう、倒流とはさかさまにぶんながすこと、必しも逆流とは解さぬ。〇三峡水 瞿塘峡(くとうきょう、8km)、巫峡(ふきょう、45km)、西陵峡(せいりょうきょう、66km)が連続する景勝地である。○筆陣 文学の世界を戦場を以てたとえる。○独掃 ひとりでなぎはらう。〇千人軍 多くの軍勢をいう。





(本文)
只今年才十六七,射策君門期第一。
舊穿楊葉真自知,暫蹶霜蹄未為失。
偶然擢秀非難取,會是排風有毛質。
汝身已見唾成珠,汝伯何由發如漆?』

(下し文)
只今年綾に十六七、射策君門に第一を期す
旧楊葉を穿つは兵に自ら知る、暫く粛蹄蕨く未だ失えりと為さず
偶然擢秀取り難きに非ず、会ず是れ排風毛賀有り
汝が身己に見る唾珠を成すを、汝が伯何に由ってか髪漆の如くならん』

(現代語訳)
しかし今やっと十六七歳の少年であって、朝廷において試験問題にお答えして第一の成績を得ようとするのだ。
かねて柳葉を射て百発百中の技能あることは君自身が知っている。ちょっと霜蹄がつまずいた(落第した)ぐらいでは過失とするにはあたらぬ。
大勢いたとしてもたまたま抜擢されるの運命にありつけぬわけではなく、きっときみは風を排して上るだけの猛鳥の本質はもっているのだ。
わたしは君がすでに荘子が言う「唾さえ珠を成す」ということをみとめているが、君のおじのわたしがどうしたらふたたび髪が漆のように黒くなることができるだろうか。(唾を玉にするようにうまく表現するのはできても、歳を若くすることはできない。)』


文、粉、雲、軍。

只今年才十六七,射策君門期第一。
しかし今やっと十六七歳の少年であって、朝廷において試験問題にお答えして第一の成績を得ようとするのだ。
十六七 勤の年齢をいう。○射策 漢の時試験に対策と射策とがあり、対策は経義を以て顕わに問い、射策は難問疑義を甲乙の策(ふだ)に書き、問題をくじびきでとって答えさせた。○君門 天子のごもん、朝廷をいう。



舊穿楊葉真自知,暫蹶霜蹄未為失。
かねて柳葉を射て百発百中の技能あることは君自身が知っている。ちょっと霜蹄がつまずいた(落第した)ぐらいでは過失とするにはあたらぬ。
 在来、従来の義。かねて。○穿楊葉 「戦国策」に見える楚の養由基の故事、養由基は柳葉を去ること百歩にしてこれを射、百発百中であったといわれる弓の名人、勤が文学におけるや養由基の弓におけるほどの技能があるというのである。作者は柳を場と改めて用いている。〇自知 自分自身が知っている。○暫蹶霜蹄 これは人を馬を以てたとえていう。上の「驊騮」の語を承ける。勤が落第したのは馬の霜をふむひづめがちょっとつまずいたようなものである。○ 過失、失策。


偶然擢秀非難取,會是排風有毛質。
大勢いたとしてもたまたま抜擢されるの運命にありつけぬわけではなく、きっときみは風を排して上るだけの猛鳥の本質はもっているのだ。
擢秀 秀でているものを擢く、及第することをいう。○取擢秀ということを取り得ることをいう。○俗語。○排風風をおしわけてとぶ、上の「鷲鳥」の語を承ける。○毛質羽毛のつよい本質。

汝身已見唾成珠,汝伯何由發如漆?』
わたしは君がすでに荘子が言う「唾さえ珠を成す」ということをみとめているが、君のおじのわたしがどうしたらふたたび髪が漆のように黒くなることができるだろうか。(唾を玉にするようにうまく表現するのはできても、歳を若くすることはできない。)』
汝身己見 己見汝身と同じ、見るとは作者が見ることをいう。○唾成珠 「荘子」に本づく、つばを吐いてもそれがみな珠玉になる、片言たりとも美であることをいう。○汝伯 伯とは叔父伯父の伯、杜甫は勤の伯父の尊属にあたる人になる。汝伯とは杜甫をさす。○何由 いかにして。○髪如漆 わかがえって白髪がうるしのように黒くなる。




(本文)
春光潭沱秦東亭,渚蒲牙白水荇青。
風吹客衣日杲杲,樹攪離思花冥冥。
酒盡沙頭雙玉瓶,眾賓皆醉我獨醒。
乃知貧賤別更苦,吞聲躑躅涕淚零。』

(下し文)
春光渾陀たり秦の東亭、渚蒲芽白くして水芹青し
風は客衣を吹いて日呆呆たり、樹は離息を摸して花冥冥たり
酒は尽く沙頭の双玉瓶、衆賓皆酔うも我独り醒めたり
乃ち知る貧餞の別るること更に苦しきを、声を呑んで衡燭沸涙零つ』

(現代語訳)

さて汝を見送ろうとすると、長安城東の亭では春の光り、かげろうが動いて、なぎさの蒲の芽は白くめぐみ、あさざの葉は青く水面にういている。
風は頬を撫で君の旅衣を吹き払い、太陽は燦々とかがやいている。樹上の花は暗くなるほど覆いかぶさって咲きてこのわかれを離れがたいものに思わせる。
水辺の砂浜にころがっている二つの玉の酒瓶には酒がなくなってしまった。他のお客たちはみな酔われたがわたしだけは別離の悲しさのため酔うことができない。

ここに至って貧乏生活のなかでの別れというものが特別にさらに苦しいものであることがよくわかった。言うべき言葉を飲み込んでしまうほどに嗚咽して泣き、足のあゆみもすすまず、ただなみだがおつるばかりである。

春光潭沱秦東亭,渚蒲牙白水荇青。
さて君を見送ろうとすると、長安城東の亭では春の光り、かげろうが動いて、なぎさの蒲の芽は白くめぐみ、あさざの葉は青く水面にういている。
潭沱 「江賦」にみえる。かげろう淡蕩、また駄蕩に同じ。○ 長安をさす。○東亭 城外の東亭。覇陵橋のたもとにあった亭。○渚蒲 なぎさに生えた蒲。○水荇 あさざ。

風吹客衣日杲杲,樹攪離思花冥冥。
風は頬を撫で君の旅衣を吹き払い、太陽は燦々とかがやいている。樹上の花は暗くなるほど覆いかぶさって咲きてこのわかれを離れがたいものに思わせる。
客衣 客とは勤をさす。○杲杲 太陽の樹上に燦々とかがやくさま。○ かきみだす。○離思わかれのこころ。○花冥冥 冥冥とは咲きさかっておおいかぶさりくらいことをいう、花は即ち樹上の花。
 

酒盡沙頭雙玉瓶,眾賓皆醉我獨醒。
水辺の砂浜にころがっている二つの玉の酒瓶には酒がなくなってしまった。他のお客たちはみな酔われたがわたしだけは別離の悲しさのため酔うことができない。
 なくなる。○沙頭 水辺の砂浜をいう。○玉瓶一対の玉の酒瓶(さかがめ)。○衆賓 屈原の「漁父辞」の「衆人ハ皆酔エルニ我ハ独り醒ム」というのを用いる。それは比喩であるが、これは実際別離の悲しさのため他人は酔っても自己は酔わぬことをいう。


乃知貧賤別更苦,吞聲躑躅涕淚零。』
ここに至って貧乏生活のなかでの別れというものが特別にさらに苦しいものであることがよくわかった。言うべき言葉を飲み込んでしまうほどに嗚咽して泣き、足のあゆみもすすまず、ただなみだがおつるばかりである。
貧賤別 貧乏生活のなかのわかれ。〇吞聲 しのびねになく。○躑躅 行きて進まざるさま。○涕淚 はなみずとなみだ。○ 落ちる。


(解説)
○詩型 七言歌行。
○押韻 文、粉、雲、軍。/七、一、失、質、漆。/亭、青、冥、醒、零。



落第して帰る甥に贈った詩ということであるが、長安の東の門から東へ二つ目の橋のたもとに㶚陵亭があった。李白の「灞陵行送別」など、主に洛陽に向かう長安から地方へ向かう旅人との別れの場所であった。堤には柳が植えられており、「折柳」して別れたところである。
 普通なら、この㶚陵亭で宴席ということであろう。また、落第をして帰るから、そっと帰してやるものかもしれない。しかし、酒ビン2つ空にして、亭でなく砂浜である。持たせてやるものがなく、この詩を懐に入れて帰ったのであろう。
 しかし杜甫の本音、誠実なところが、最後の聯にある。
 「乃ち知る貧餞の別るること更に苦しきを」。
 これが誠実な杜甫の一面をよく表している。落第して帰る側からすれば、帰ろうとすると、引き留められを繰り返しているようだ。「もういいよ、おじさん!」と、言ったとか、言わないとか・・・・・・・。

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送蔡希魯都尉還隴右,因寄高三十五書記 杜甫 : kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 誠実な詩人杜甫特集 93

送蔡希魯都尉還隴右,因寄高三十五書記 杜甫 : kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 誠実な詩人杜甫特集 93
 

送蔡希魯都尉還隴右,因寄高三十五書記 
陳右の節度使である哥舒翰の部下である都尉の官の蔡希魯が陳右へかえるのを送り、すでに隣右に居る親友高適に寄せた詩である。製作時は755年天宝十四載春の作。44歳


送蔡希魯都尉還隴右,
    因寄高三十五書記

     * 〔原注〕時哥舒人奏。勘察子先蹄

蔡希魯都尉君が隴右にかえるのを送り、これをもって高三十五書記に寄せるものである。*原文に注あり、この時、哥舒翰将軍は軍事報告で朝廷にいた。そのため高適察子を先に西寧府の就かせた。
蔡子勇成癖,彎弓西射胡。
蔡希魯は平生勇壮なことをするのが習癖になっていて、弓をひいて西の方胡の弓を構えているえびすを射ることがある。
健兒寧闘死,壯士恥為儒。
彼は健児であり壮士であって、むしろたたかって死ぬのをよしとするので、儒者などになることを恥とかんがえている。
官是先鋒得,才緣挑戰須。
いま都尉という官位にあるのは、戦で先鋒となってはたらいたために得たものである。彼の戦に対する才能は敵に対して戦を挑むのに大切なことなのである。
身輕一鳥過,槍急萬人呼!』

彼の身の軽やかなことは一羽の鳥より過ぎているのであり、彼が槍を急につきだす時には驚き万人が呼ぶのだ。』
雲幕隨開府,春城赴上都。
天下の幕府のなかで哥舒開府に随っているのだが、春の長安城に赴くことになったのである。
馬頭金匼匝,駝背錦糢糊。』
そのときは馬頭には黄金の路頭(おもがい)を匼匝とぐるりと囲んでいる、駱駝の背には錦の帕(はらかけ)を糢糊とたらして来る。』
咫尺雪山路,歸飛青海隅。

任地にかえるにおよんで、彼の意気は遠い雪山の路でも咫尺ほどまぢかとかんがえられるほど盛んで、青海のかたすみへとぶように帰ってゆくのである。
上公猶寵錫,突將且前驅。』
主人開府公はまだ天子より恩寵を蒙って物をたまわることにはなっていない、馳突の将といわれる彼がとにかく前駆となって一足さきにゆくのである。』
漢水黃河遠,涼州白麥枯。
漢の天子の使者ともいうべき貴君は遠く黄河の奥までゆくが、涼州のあたりはその頃は白麦が熟して夏になっているだろう。
因君問消息,好在阮元瑜?』

貴君がゆくついでに自分は友人の消息をたずねたい、あの阮元瑜(高適)は達者でいるのかどうか、と。



(蔡希魯都尉が陳右に還るを送り、因って高三十五書記に寄す)

蔡子勇 癖を成す 弓を彎きて西胡を射る

健児寧ろ闘って死せん 壮士儒為るを恥ず

官は是れ先鋒にて得 才は挑戦に縁りて須つ

身軽くして一鳥過ぎ 槍急にして万人呼ぶ』

 

雲幕開府に随い 春城上都に赴く

馬頭金匝たり 駄背錦糢糊たり』

咫尺雪山の路 帰り飛ぶ青海の隅

上公猶お寵錫 突将且つ前駆す』

漢使黄河遠く 涼州白麦枯る

君に因りて消息を問う 好在なりや阮元瑜。




送蔡希魯都尉還隴右,因寄高三十五書記 訳註と解説
*原注 時哥舒人奏。勘察子先蹄

(下し文)
蔡希魯都尉が隴右に還るを送り、因って高三十五書記に寄す*原文に注あり、時に哥舒翰 人奏せり。勘いて察子を先蹄す。
(現代語訳)

蔡希魯都尉君が隴右にかえるのを送り、これをもって高三十五書記に寄せるものである。*原文に注あり、この時、哥舒翰将軍は軍事報告で朝廷にいた。そのため高適察子を先に西寧府の就かせた。

察希魯 人名。○都尉 唐の時、諸府には折衝都尉・左右果毅都尉があった。○隴右 道の名、今の甘粛地方、哥舒翰はそこの節度使で甘粛省西寧府に駐在した。○高三十五書記 高適、適はすでに翰の幕僚であった。○哥舒 哥舒翰。〇人奏 京師(長安)に入り天子に軍務の事を上奏する、事節は754年天宝十四載春である。○勘 強いて命ずる。○蔡子 希魯をいう。○先蹄 この時哥舒翰は途中で糖尿病で動けなく京師(長安)に留どまった。因って希魯を先に陳右へかえらせたのである。



 

(本文)
蔡子勇成癖,彎弓西射胡。
健兒寧闘死,壯士恥為儒。
官是先鋒得,才緣挑戰須。
身輕一鳥過,槍急萬人呼!』

(下し文)
蔡子勇 癖を成す 弓を彎きて西胡を射る
健児寧ろ闘って死せん 壮士儒為るを恥ず
官は是れ先鋒にて得 才は挑戦に縁りて須つ
身軽くして一鳥過ぎ 槍急にして万人呼ぶ』

(現代語訳)
蔡希魯は平生勇壮なことをするのが習癖になっていて、弓をひいて西の方胡の弓を構えているえびすを射ることがある。
彼は健児であり壮士であって、むしろたたかって死ぬのをよしとするので、儒者などになることを恥とかんがえている。
いま都尉という官位にあるのは、戦で先鋒となってはたらいたために得たものである。彼の戦に対する才能は敵に対して戦を挑むのに大切なことなのである。
彼の身の軽やかなことは一羽の鳥より過ぎているのであり、彼が槍を急につきだす時には驚き万人が呼ぶのだ。』



蔡子勇成癖,彎弓西射胡。
蔡希魯は平生勇壮なことをするのが習癖になっていて、弓をひいて西の方胡の弓を構えているえびすを射ることがある。
勇成癖 勇壮なことをするのが平生の習癖となっている。○彎弓 弓をひく。○西射胡 胡はえびす、吐蕃をさす。騎馬民族・遊牧民族であるため、弓の合戦が主となる。

健兒寧闘死,壯士恥為儒。
彼は健児であり壮士であって、むしろたたかって死ぬのをよしとするので、儒者などになることを恥とかんがえている。
健児 壮士のこと、軍人であることをいう。○寧闘死 いっそたたかって死ぬのがましじゃ。○壮士 上の健児と同じ、軍人であることをいう。○恥為儒 儒者になることは恥とおもう。



官是先鋒得,才緣挑戰須。
いま都尉という官位にあるのは、戦で先鋒となってはたらいたために得たものである。彼の戦に対する才能は敵に対して戦を挑むのに大切なことなのである。
 都尉の官をさす。○先鋒得 戦場で先鋒をつとめたために得たのである。〇才 或は材に作る。材器、伎価をいう。○挑戦 敵に対して戦を求めること、挑はいどむ。○ そのいりようなことをいう。



身輕一鳥過,槍急萬人呼!』
彼の身の軽やかなことは一羽の鳥より過ぎているのであり、彼が槍を急につきだす時には驚き万人が呼ぶのだ。』
身軽 身体のはたらきの軽捷なこと。〇一鳥過一つの鳥が飛びすぎるよう。○槍急 槍を急につきだす。〇万人呼 多くの人がそのわざに驚きさけぶ。




(本文)
雲幕隨開府,春城赴上都。
馬頭金匼匝,駝背錦糢糊。』

(下し文)
雲幕開府に随い 春城上都に赴く
馬頭金匼匝たり 駝背錦糢糊たり』

 (現代語訳)
天下の幕府のなかで哥舒開府に随っているのだが、春の長安城に赴くことになったのである。
そのときは馬頭には黄金の路頭(おもがい)を匼匝とぐるりと囲んでいる、駱駝の背には錦の帕(はらかけ)を糢糊とたらして来る。』



雲幕隨開府,春城赴上都。
天下の幕府のなかで哥舒開府に随っているのだが、春の長安城に赴くことになったのである。
雲幕 この雲幕は雲の横たわっている幕ということであろう。幕府の幕をいう、軍中にあっては幕を以て府となす。○随開府 開府は開府儀同三司の位、哥舒翰をさす。○春城 春時の長安城。○上都 長安をさす。



馬頭金匼匝,駝背錦糢糊。』
そのときは馬頭には黄金の路頭(おもがい)を匼匝とぐるりと囲んでいる、駱駝の背には錦の帕(はらかけ)を糢糊とたらして来る。』
○金匼匝 匼匝(こうそう)はぐるりと囲むさま、金とは黄金でかざった路頭(馬面をからめるつな)をいう。○駝背 らくだのせなか。哥舒翰は朝廷へ使者をだすときいつも自駱駝に乗って一日に五百里を馳せしめたと小う。○錦糢糊 模糊はおぼろなさま。錦とは錦でつくった馬の腹かけをいう。
 


(本文)
咫尺雪山路,歸飛青海隅。
上公猶寵錫,突將且前驅。』
漢水黃河遠,涼州白麥枯。
因君問消息,好在阮元瑜?』


 (下し文)
咫尺(ししゃく)雪山の路 帰り飛ぶ青海の隅
上公猶お寵錫(ちょうしゃく) 突将且つ前駆す』
漢使黄河遠く 涼州白麦枯る
君に因りて消息を問う 好在なりや阮元瑜。』


(現代語訳)
任地にかえるにおよんで、彼の意気は遠い雪山の路でも咫尺ほどまぢかとかんがえられるほど盛んで、青海のかたすみへとぶように帰ってゆくのである。
主人開府公はまだ天子より恩寵を蒙って物をたまわることにはなっていない、馳突の将といわれる彼がとにかく前駆となって一足さきにゆくのである。』

漢の天子の使者ともいうべき貴君は遠く黄河の奥までゆくが、涼州のあたりはその頃は白麦が熟して夏になっているだろう。
貴君がゆくついでに自分は友人の消息をたずねたい、あの阮元瑜(高適)は達者でいるのかどうか、と。



咫尺雪山路,歸飛青海隅。
任地にかえるにおよんで、彼の意気は遠い雪山の路でも咫尺ほどまぢかとかんがえられるほど盛んで、青海のかたすみへとぶように帰ってゆくのである。
咫尺 咫は八寸、尺は一尺。咫尺とはまぢかとみなすことをいう。○雪山 天山をいう、此の句は蓋し「班超伝賛」の「坦歩葱雪、咫尺竜沙」の句意を用いる。陳右はそこからは実は遠いところにあるが遠からずとかんがえているというのである。一説に雪山は武威の南にある山をいうという、其の説によれば咫尺とは実際に近いことをいう。○帰飛 飛とは、はやくかえるをいう。○青海隅 青海は陳右の近西にある、隅はかたすみ。青を或は西に作る。



上公猶寵錫,突將且前驅。』
主人開府公はまだ天子より恩寵を蒙って物をたまわることにはなっていない、馳突の将といわれる彼がとにかく前駆となって一足さきにゆくのである。』
上公 公の上位にあるもの、哥舒翰は開府の待遇をうける故に上公という。○猶寵錫 寵錫とは天子より恩寵を蒙って物をたまわることをいう。実は病のために滞留しているのをかく辞をかざっていったもの。猶とはいまだにの意。○突将 馳突を能くする将、察都尉をさす。○ しばらく。○前駆 さきがけをする。



漢使黃河遠,涼州白麥枯。
漢の天子の使者ともいうべき貴君は遠く黄河の奥までゆくが、涼州のあたりはその頃は白麦が熟して夏になっているだろう。
漢使 漢の張鶱(ちょうけん)は武帝のために西域に使いした、それらをおもいあわせてかくいう。張鶱が唐の天子の使者となってゆくことをいう。○黄河遠 隴右は黄河の上流にある。○涼州 甘粛省涼州府武威県治、即ち河西節度使の駐在所。〇白麦枯 白麦は涼州地方の産物、用いて酒を醸すという。枯とは成熟して稈(わら)の枯死することをいう、それにより夏になったことをいう。



因君問消息,好在阮元瑜?』
貴君がゆくついでに自分は友人の消息をたずねたい、あの阮元瑜(高適)は達者でいるのかどうか、と。
蔡をさす。○消息 たより。○好在 お達者でしょうか。○阮元瑜 魏の阮籍の父瑀、字は元瑜、書檄の文章をよくした。作者はつねに瑀を以て高適にたとえてよんでいる、他の詩にも多くの例がある。


上韋左相二十韻 杜甫 : kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 誠実な詩人杜甫特集 92

上韋左相二十韻 杜甫 : kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 誠実な詩人杜甫特集 92

韋左相にたてまつった詩。天宝14載 755年 44歳 初春 

以前、李白と別れ、洛陽から長安に登って初めのころ詩をたてまつっている。
奉贈韋左丞丈二十二韻 32(五言古詩747年36歳)

士官活動をしている杜甫が自分の才能を示そうとかなり焦っている様子がよくでている。現在残っている就職活動の詩は、基本的に、長詩である。
この詩について、訳注と解説は割愛する。


上韋左相二十韻
鳳歷軒轅紀,龍飛四十春。八荒開壽域,一氣轉洪釣。』

霖雨思賢佐,丹青憶老臣。應圖求駿馬,驚代得麒麟。
沙汰江河濁,調和鼎鼐新。韋賢初相漢,範叔巳歸秦。
盛業今如此,傳經固絕倫。豫章深出地,滄海闊無津。』

北斗司喉舌,東方領縉紳。持衡留藻鑒,聽履上星辰。
獨步才超古,餘波德照鄰。聰明過管輅,尺牘倒陳遵。
豈是池中物?由來席上珍。廟堂知至理,風俗盡還淳。』

才傑俱登用,愚蒙但隱淪。長卿多病久,子夏索居頻。
回首驅流俗,生涯似眾人。巫鹹不可問,鄒魯莫容身。
感激時將晚,蒼茫興有神。為公歌此曲,涕淚在衣巾。』

(韋左相に上る 二十韻)
鳳暦(ほうれき)軒轅(けんえき)紀す 竜飛ぶこと四十春、八荒 壽域を開,一氣 洪釣(こうきん)転ず』

霖雨賢佐を思い,丹青老臣を憶う。
圖に應じて駿馬を求め,驚代(きょうだい) 麒麟を得たり。
江河の濁れるを沙汰し 鼎鼐(ていだい)の新なるを調和す。
韋賢初めて漢に相たり 范叔 己に秦に帰る。
盛業今此の如し、経を伝うる固と絶倫なり。
予樟(よしょう)深く地を出づ、蒼海(そうかい)闊(ひろ)くして津無し。』

北斗喉舌を司り、東方縉紳(しんしん)を領す。
持衡(きこう)藻鑒(そうかん)を留め、聴履(ちょうり)星辰に上る。
独歩才古に超え、余波 徳 隣を照らす。
聡明管路に過ぎ、尺牘(せきとく) 陳遵(ちんじゅん)を倒す。
豈 走れ地中の物ならんや 由来席上の珍なり
廟堂(びょうどう)至理を知らば 風俗尽く淳に還らん』

才傑供に登用せらる 愚蒙但だ隠淪す
長卿多病久しく 子夏 索居 頻(しき)りなり
首を回らせば流俗に駆らる 生涯衆人に似たり
巫鹹(ふかん)問う可からず 鄒魯(しゅうろ)身を容るる莫し
感激時将に晩からんとす 蒼茫興神有り
公の為めに此の曲を歌う 涕淚衣巾に在り』



(現代語訳)
むかし黄帝軒壊氏が紀(き)したという鳳暦がつづいている、今の天子が君臨されて四十度目の春が来た。
天下太平、八方のはてまで人々長寿を保つの世界が開かれている、造化の大自然はなめらかに宇宙間の元気に転じた。』

我が君(玄宗)は殿の高宗の如く大草の霧雨にも充つべき賢き輔佐の臣を思われ、漢の成帝の如く赤と青の系統図によって旧臣(あなたの父)を憶われた。
また駿馬を絵にかいてその絵にてらして駿馬を求められたが果して世を驚かすような隣鱗というべきあなたを得られた。
これまでの江河の濁れる水をふるいだすように陳希烈を罷め、鼎の中の美味を新しく調和せしめられように貴君を相に任じることにせられた。
今や韋賢は初めて漢延に宰相となった。范叔は己に秦に帰ってまた宰相になった。
あなたの家は経学を伝えられて他にたぐいなき家すじであるが今やまた盛んに業務をされることはこのような状況である。
あなたの材器度量はたとえば予章樹が深く地からぬけでたようなもの、またはてしない大海原に出てたどりつく港もないようなものである。』

あなたはこれまで兵部尚書としてゆるぎない北極星のように喉舌をつかさどり、東方の縉紳を領卒された。
また吏部侍郎としては均衡をとられ、裁判、鑑定のあり方を決められ書きとめられた、天子の親信を得て下々の声までききわけられるほどになり宮廷内の高い地位にまでのぼられた。
あなたの独特の能力というものは古昔からのものをこえ、そのなごりの徳の光りは近隣までを照らしているのだ。
あなたの聡明な事は管路よりすぎるものであり、尺槙の書のうまいことは陳遵を圧倒する。
あなたはどうして池中にくすぶっているものでなく、必ず雲雨を巻き起して天へのぼる蚊竜である。
元来が儒者が席上においておくという珪璋のような珍らしい宝玉である。
あなたのような人が廟堂(朝廷)にあって天下政治を極点にする術を知っておられるならば天下の風俗は必ずことごとく淳横にたちもどることであろう。』

(以下は自己についてのべる。)
このような時世なので人傑たるものは皆官吏として登用せられているが、自分のような愚な者はただ世間からかくれて沈倫している、漢の司馬相如長卿のような人物は久しく多病であるし、格子の弟子の子夏はしきりと朋友からはなれてくらしている(自分はその長卿子夏である)。
首をめぐらして考えてみるに自分は流俗のものに流されて自己の生涯はまるで世間並である。
自己の運命如何は巫咸という予言者に問うことはできない、自己のからだは自己の生れ育った国にさえ容れられない。
感激の心情は十分持っているがだんだん老衰の境に近づいてきているが、或る種の不思議な感興がわきおこるのを感じている。
それで此の詩を作ってあなたのために此の曲を歌うと、ただなにとなく涕淚が流れあふれて着物や手巾におちているのである。

沙苑行 杜甫 : kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 誠実な詩人杜甫特集 91 

沙苑行 杜甫 : kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 誠実な詩人杜甫特集 91 
この詩は士官活動の中での詩である。軍とのつながりの多い馬につて題材にした詩が多い。この年(754)、杜甫は哥舒翰に詩を献上していて、幕府内の事務職など期待して待機していた。



沙苑行
君不見左輔白沙如白水,繚以周牆百餘裡。
君は見たことはないだろう、長安の東方の郡部にあたる沙苑の白き沙は白水の如く白く、その区域を、土塀を建ててこり囲んでいる長さが百里以上もあるというのを。
龍媒昔是渥洼生,汗血今稱獻於此。
昔、漢の世に竜媒と称せられた天馬が渥洼の川から生じたといわれているが、唐の今の世では汗血の名馬がこの沙苑の牧場から献上されているといわれている。
苑中騋牝三千匹,豐草青青寒不死。
苑中では騋という七尺の馬や牝が三千匹もおり、年中草が青々としげって冬寒くなっても枯れないのだ。
食之豪健西域無,每歲攻駒冠邊鄙。』
馬はその草をたべているのでその豪健であること、西域の地方にはいない、毎年あらっぽいこの駒を乗りならすことはどのいなかの地にもまさってほこれるのだ。』
王有虎臣司苑門,入門天廄皆雲屯。
天子には虎のような勇武の臣下がいて、この苑の門をつかさどっている。入門するとお厩に馬が雲のかたまりのようにあつまりたくさんいる。
驌驦一骨獨當禦,春秋二時歸至尊。
そのなかで驌驦(しゅくそう)というべきただひとつ、駿骨(しゅんこつ)だけが御用の馬となる。それを春と秋との二時期にここから天子の方へおとどけするのである。
至尊內外馬盈億。伏櫪在垌空大存。
凡そ内外の馬の数は億にも盈ちるほどの数としているが、櫪に伏している老馬だの、野外にはねている凡馬が、いたずらに多く、数のみが存在しているので実質のすぐれたものはないのだ。
逸群絕足信殊傑。倜儻權奇難具論。』
ここの馬は羣をぬいており、ずぬけた早足で、ほんとうに特別の傑物ぞろいであり、その神気の卓絶していることとても一々いうことはむつかしい。』

累累岱阜藏奔突,往往坡陀縱超越。
累累とつらなって苑中の馬がはしってゆき、高地のかげにつきすすんで走り、すがたを隠した、時々なだらかな起伏地にきままに躍り越えをやっている。
角壯翻騰糜鹿遊,浮深簸蕩黿鼉窟。』
たがいにどちらが勇壮なのかと競争をしてははねあがって糜鹿らと遊んだり、深い水に浮いては脚で大亀のすんでいる窟をあおりたてたりしている。』

泉出巨魚長比人,丹砂作尾黃金鱗。
この苑内の深淵から大魚が出たがその身長は人間ほどもあり、尾は丹砂のようにあかく、鱗は黄金いろである。
豈知異物同精氣,雖未成龍亦有神。』

なぜかはわからないのだが馬と魚は別物なのだが、そのもっている精気は同じことであって、この魚は竜になりきったものではないが竜のような霊力をもっているのである。』


(沙苑行)

君見ずや左輔の白抄は白水の如し、繚(めぐ)らすに周牆を以てすること百余旦。

竜媒(りょうばい)昔是れ渥(あくあ)より生ず、汗血今称す此より献ぜらると。

苑中の(らいひん)三千匹、豊草青青 寒にも死せず。

之を食いて豪健なること西域にも無し、毎歳駒を攻むる辺鄙に冠たり』



王虎臣有りて苑門を司る、門に入れば天厩に皆雲のごとく屯る。

(しょくそう)の一骨独り御に当る、春秋二時至尊に帰す。

内外馬数将に億に盈()たんとす、伏(ざいけい)空しく大に存す。

逸羣絶足信(まこと)に殊傑(しゅけつ)(てきとう)權奇(けんき)(つぶさに)に論じ難し』



累累として岱阜(たいふ)に奔突(ほんとつ)を蔵し、往往坡陀(はだ)に超越を縦(ほしいまま)にす。

壮を角しては翻騰(はんとう) 糜鹿(びろく)と遊び、深きに浮びては簸蕩(はとう)黿鼉の窟。』



泉に巨魚を出だす長人(たけひと)に比す、丹砂を尾と作し黄金を鱗(うろこ)とす。

豈 知らんや物を異にするも精気を同じくす、未だ竜を成さずと雖も亦た神有り。』






苑行 訳註と解説

(本文)
君不見左輔白沙如白水,繚以周牆百餘裡。
龍媒昔是渥洼生,汗血今稱獻於此。
苑中騋牝三千匹,豐草青青寒不死。
食之豪健西域無,每歲攻駒冠邊鄙。』

(下し文)

君見ずや左輔の白抄は白水の如し、繚(めぐ)らすに周牆を以てすること百余旦。
竜媒(りょうばい)昔是れ渥洼(あくあ)より生ず、汗血今称す此より献ぜらると。
苑中の騋牝(らいひん)三千匹、豊草青青 寒にも死せず。
之を食いて豪健なること西域にも無し、毎歳駒を攻むる辺鄙に冠たり』


(現代語訳)

君は見たことはないだろう、長安の東方の郡部にあたる沙苑の白き沙は白水の如く白く、その区域を、土塀を建ててこり囲んでいる長さが百里以上もあるというのを。
昔、漢の世に竜媒と称せられた天馬が渥洼の川から生じたといわれているが、唐の今の世では汗血の名馬がこの沙苑の牧場から献上されているといわれている。
苑中では騋という七尺の馬や牝が三千匹もおり、年中草が青々としげって冬寒くなっても枯れないのだ。
馬はその草をたべているのでその豪健であること、西域の地方にはいない、毎年あらっぽいこの駒を乗りならすことはどのいなかの地にもまさってほこれるのだ。』


沙苑行
沙苑 牧馬場の名。唐の時、同州鴻功県(陝西省同州府大茘県)の南十二里に置かれる。東西八十里、南北三十里、長官として沙苑監を置く。天宝十三載安禄山を以て監事を総べさせた。



君不見左輔白沙如白水,繚以周牆百餘裡。
君は見たことはないだろう、長安の東方の郡部にあたる沙苑の白き沙は白水の如く白く、その区域を、土塀を建ててこり囲んでいる長さが百里以上もあるというのを。
左輔 漢の時、京兆尹(けいちょういん)・左馮翊(さふうよく)・右扶風(長安及びその附近の行政区域)を三輔と称した。同州は馮翊郡に属していたので左輔という、左は東方を意味する。○白沙 東方沙苑の白い抄をいう。○如白水 沙色の白いことが水の白いがごとくである。○周牆 ぐるりの土塀。



龍媒昔是渥洼生,汗血今稱獻於此。
昔、漢の世に竜媒と称せられた天馬が渥洼の川から生じたといわれているが、唐の今の世では汗血の名馬がこの沙苑の牧場から献上されているといわれている。
竜媒、渥洼 「漢書」武帝紀によれば、武帝の元鼎四年(礼楽志には元狩三年)に馬が渥洼水中に生じたので天馬の歌を作った。又太初四年にも作る。渥洼は川の名、沙州(今の敦煌)の境にあり、竜媒は天馬をいう。「天馬歌」に「天馬徠タル、竜ノ媒」とみえる○ 漢の元狩・元鼎の時代をさす。○汗血 汗血の馬をいう。「漢書」西域伝に大宛国に善馬多くその馬は血を汗にするという。ここは大宛の天馬の如き名馬をさす。○献於此 此とはこの沙苑の牧場をさす。

 

苑中騋牝三千匹,豐草青青寒不死。
苑中では騋という七尺の馬や牝が三千匹もおり、年中草が青々としげって冬寒くなっても枯れないのだ。
苑中 苑は沙苑。○騋牝 騋馬及び牝馬、騋とは馬の身長七尺なるものをいう。○豊草 しげった牧草。○寒不死 秋冬の気候のさむいときにも枯死せぬ。



食之豪健西域無,每歲攻駒冠邊鄙。』
馬はその草をたべているのでその豪健であること、西域の地方にはいない、毎年あらっぽいこの駒を乗りならすことはどのいなかの地にもまさってほこれるのだ。』
食之 之は草をさす、苑中の馬がしげった草をたべる。○豪健 馬のつよいこと。○西域 大宛の如き西方の国。○攻駒 あらいこまを攻めつけて乗りならすこと。「周礼」の夏官廃人職に見える。○ 第一であることをいう。○辺都 かたいなかの地方、牧場は処々にあるのでかくいう。



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(本文)
王有虎臣司苑門,入門天廄皆雲屯。
驌驦一骨獨當禦,春秋二時歸至尊。
至尊內外馬盈億。伏櫪在垌空大存。
逸群絕足信殊傑。倜儻權奇難具論。』


(下し文)
王虎臣有りて苑門を司る、門に入れば天厩に皆雲のごとく屯る。
驌驦(しょくそう)の一骨独り御に当る、春秋二時至尊に帰す。
内外馬数将に億に盈(み)たんとす、伏櫪在垌(ざいけい)空しく大に存す。
逸羣絶足信(まこと)に殊傑(しゅけつ)、倜儻(てきとう)權奇(けんき)具(つぶさに)に論じ難し』


(現代語訳)
天子には虎のような勇武の臣下がいて、この苑の門をつかさどっている。入門するとお厩に馬が雲のかたまりのようにあつまりたくさんいる。
そのなかで驌驦(しゅくそう)というべきただひとつ、駿骨(しゅんこつ)だけが御用の馬となる。それを春と秋との二時期にここから天子の方へおとどけするのである。
凡そ内外の馬の数は億にも盈ちるほどの数としているが、櫪に伏している老馬だの、野外にはねている凡馬が、いたずらに多く、数のみが存在しているので実質のすぐれたものはないのだ。
ここの馬は羣をぬいており、ずぬけた早足で、ほんとうに特別の傑物ぞろいであり、その神気の卓絶していることとても一々いうことはむつかしい。』



王有虎臣司苑門,入門天廄皆雲屯。
天子には虎のような勇武の臣下がいて、この苑の門をつかさどっている。入門するとお厩に馬が雲のかたまりのようにあつまりたくさんいる。
 天子。○虎臣 勇武な臣。○天厩 天子のおうまや。○雲屯 雲のごとくあつまる、多いことをいう。



驌驦一骨獨當禦,春秋二時歸至尊。
そのなかで驌驦(しゅくそう)というべきただひとつ、駿骨(しゅんこつ)だけが御用の馬となる。それを春と秋との二時期にここから天子の方へおとどけするのである。
驌驦 驌驦は雁、馬の首すじがこれに似ているので名づけるという。〇一骨 一匹の駿馬をいう。○當禦 御は天子のお用いになることをいう、当るとはかなうことをいう。○帰 おとどけすること。○至尊 天子の方。



至尊內外馬盈億。伏櫪在垌空大存。
凡そ内外の馬の数は億にも盈ちるほどの数としているが、櫪に伏している老馬だの、野外にはねている凡馬が、いたずらに多く、数のみが存在しているので実質のすぐれたものはないのだ。
至尊 天子。○内外 京師の内外をいう。○盈億 億の数にみちる。○伏櫪 櫪はうまやのふみ板。魏の曹操の詩に「老僕伏櫪」とみえる。櫪に伏すとは老馬をいう。○在垌 邑外を郊、郊外を野、野外を林、林外を垌という。垌は国都をはなれたはるかの野外をいう。「詩経」の「帥」の詩に「開閉タル牡馬、垌ノ野二在り」とある。在垌の二字はこれにもとづく。ここは野外にいる馬をいう。○空大存 空はいたずらにの意、大存とは多数が存在すること、数のみ多くして駿骨の乏しいことをいう。
 


逸羣絕足信殊傑。倜儻權奇難具論。』
ここの馬は羣をぬいており、ずぬけた早足で、ほんとうに特別の傑物ぞろいであり、その神気の卓絶していることとても一々いうことはむつかしい。』
逸羣 衆群よりぬけでたもの。○絶足 とびぬけてはやく走れる足を有する馬。○殊傑 特別にすぐれたもの。○倜儻(てきとう)、權奇(けんき) 漢の「太一天馬の歌」に「志ハ俶戃、精ハ権奇」の句があり、詩語はこれに基づく。倜儻は俶戃’(しゅくとう)に同じく、卓異の貌、権奇は奇譎(きけつ)非常の意、竝に馬の神気の非凡卓絶したさまをいう。「速筆」以下は苑中の馬についていう。○具論 一々くわしくとく。



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(本文)
累累岱阜藏奔突,往往坡陀縱超越。
角壯翻騰糜鹿遊,浮深簸蕩黿鼉窟。』

(下し文)
累累として岱阜(たいふ)に奔突(ほんとつ)を蔵し、往往坡陀(はだ)に超越を縦(ほしいまま)にす。
壮を角しては翻騰(はんとう) 糜鹿(びろく)と遊び、深きに浮びては簸蕩(はとう)す黿鼉の窟。』


(現代語訳)
累累とつらなって苑中の馬がはしってゆき、高地のかげにつきすすんで走り、すがたを隠した、時々なだらかな起伏地にきままに躍り越えをやっている。
たがいにどちらが勇壮なのかと競争をしてははねあがって糜鹿らと遊んだり、深い水に浮いては脚で大亀のすんでいる窟をあおりたてたりしている。』



累累岱阜藏奔突,往往坡陀縱超越。
累累とつらなって苑中の馬がはしってゆき、高地のかげにつきすすんで走り、すがたを隠した、時々なだらかな起伏地にきままに躍り越えをやっている。
累累 多くつながるさま。○岱阜 阜も岱も岡地をいう。〇 かくす、たくわえておく。○奔突 馬のつきすすんではしること。○披陀 地形のなだらかに起伏しているさま。○縦 はなつ。○超越 馬の物を躍り越えること。



角壯翻騰糜鹿遊,浮深簸蕩黿鼉窟。』
たがいにどちらが勇壮なのかと競争をしてははねあがって糜鹿らと遊んだり、深い水に浮いては脚で大亀のすんでいる窟をあおりたてたりしている。』
角壮 角とは比べあうこと、「壮を角す」とはどちらが壮勇なるかの競争をすること。○翻騰 はねあがる。○糜鹿遊 糜鹿とともにあそぶ。○浮深 深は深い水をいう。○簸蕩あおり、うごかす。○黿鼉 おおがめ。○窟 いわや、あな。



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(本文)
泉出巨魚長比人,丹砂作尾黃金鱗。
豈知異物同精氣,雖未成龍亦有神。』


(下し文)
泉に巨魚を出だす長人(たけひと)に比す、丹砂を尾と作し黄金を鱗(うろこ)とす。
豈 知らんや物を異にするも精気を同じくす、未だ竜を成さずと雖も亦た神有り。』


(現代語訳)
この苑内の深淵から大魚が出たがその身長は人間ほどもあり、尾は丹砂のようにあかく、鱗は黄金いろである。
なぜかはわからないのだが馬と魚は別物なのだが、そのもっている精気は同じことであって、この魚は竜になりきったものではないが竜のような霊力をもっているのである。』



泉出巨魚長比人,丹砂作尾黃金鱗。
この苑内の深淵から大魚が出たがその身長は人間ほどもあり、尾は丹砂のようにあかく、鱗は黄金いろである。
 淵に同じ、唐の高祖の諒を避けて唐代詩人は淵を泉と書く。○巨魚 大魚。○長 みのたけ。○此人 人にちかし。○丹砂 朱色であることをいう。○黄金鱗 黄金を鱗と作すの意、黄色のうろこ。



豈知異物同精氣,雖未成龍亦有神。』
なぜかはわからないのだが馬と魚は別物なのだが、そのもっている精気は同じことであって、この魚は竜になりきったものではないが竜のような霊力をもっているのである。』
異物 馬と魚と同物でないことをいう。○同精気 精気はその物を成す所の根本である元気をいう、この元気においては馬も魚も同様である。○有神 不可思議霊妙のカがある。




(解説)

  この詩は士官活動の中での詩である。軍とのつながりの多い馬につて題材にした詩が多い。この年(754)、杜甫は哥舒翰に詩を献上していて、幕府内の事務職など期待して待機していた。馬を詠う詩に神がかり的な大魚を持ち出したのか、議論のところといわれているが、軍馬というもの、逸羣、絕足、殊傑、倜儻、權奇、奔突,超越、勇壮、競争とその馬の持っているポテンシャルが優れていることと別に重要なのは、精神力、精気なのである。臆病な性格、気負い、はしゃぐなどいけないのである。人馬が敵中、山中、霧の中、砂漠、諸処の条件下でその能力を発揮する力は何よりも重要な項目である。それを杜甫は別の動物、大魚と「精気」で表現したのである。杜甫は、馬の性格を見ることが大切だ。自分自身にも「一定程度の見る目をもっています」といっているのである。

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贈獻納使起居田舍人澄 杜甫 : kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 誠実な詩人杜甫特集 90 

贈獻納使起居田舍人澄 杜甫 : kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 誠実な詩人杜甫特集 
居舎人にして献納使である田澄に贈った詩。作時は天宝十三載冬「封西岳賦」を献ずる以前であろう。

贈獻納使起居田舍人澄
献納使で起居舎人の田澄に贈る
獻納司存雨露邊,地分清切任才賢。
献納使の職は本来外部にあるのだが今は天子の雨露のめぐみのふりかかるおそばちかくにあるというのだが。地位身分が天子のお声掛かりで、起居舎人と献納使を兼ねる才賢の任に就かれている。
舍人退食收封事,宮女開函近禦筵。
舎人・献納使は、ほかの官を退席させて後、匭から投書のあった封事を収め、宮女に函からそれを出させそして天子の御座にささげるのである。
曉漏追趨青瑣闥,晴窗檢點白雲篇。
暁の漏刻には起居舎人として青塗彫刻の小門に他の官僚に一緒に追随される、献納使としては晴窓の下で一般よりたてまつられた「白雲の詩篇」を点検される。
揚雄更有河東賦,唯待吹噓送上天。

揚雄が更に「河東賦」があったようにて(自分も更に「封西岳賦」たてまつる)、それをただ、君の吹嘘によって天まで送ってのぼらせてもらいたいと待ち望んでいます。



(贈獻納使起居田舍人澄 注釈と解説)
(本文)
獻納司存雨露邊,地分清切任才賢。
舍人退食收封事,宮女開函近禦筵。
曉漏追趨青瑣闥,晴窗檢點白雲篇。
揚雄更有河東賦,唯待吹噓送上天。

(献納使・起居田舎人澄に贈る)

献納司は存す雨露の辺、地清切を分ちて才賢に任す。

舎人過食封事を収め、官女函を開きて禦筵に捧ぐ。

暁漏 迫趨す 青瑣の闥。晴窓点検す白雲の篇。

揚雄更に河東の賦有り、唯だ待つ吹嘘送りて天に上すを。


(現代訳)
献納使で起居舎人の田澄に贈る
献納使の職は本来外部にあるのだが今は天子の雨露のめぐみのふりかかるおそばちかくにあるというのだが。地位身分が天子のお声掛かりで、起居舎人と献納使を兼ねる才賢の任に就かれている。
舎人・献納使は、ほかの官を退席させて後、匭から投書のあった封事を収め、宮女に函からそれを出させそして天子の御座にささげるのである。
暁の漏刻には起居舎人として青塗彫刻の小門に他の官僚に一緒に追随される、献納使としては晴窓の下で一般よりたてまつられた「白雲の詩篇」を点検される。
揚雄が更に「河東賦」があったようにて(自分も更に「封西岳賦」たてまつる)、それをただ、君の吹嘘によって天まで送ってのぼらせてもらいたいと待ち望んでいます。



贈獻納使起居田舍人澄
献納使で起居舎人の田澄に贈る
献納使 官名、唐に延恩匭という投書函の設けがあり、一般人の上書、詩賦文章等をうけつけた。則武天の垂拱中よりこれを置き、諌議大夫・補闕・拾遺一人を以て匭に関することを掌らせた。天宝九載にその官名を献納使と為した。○起居田舎人澄 「起居舎人田澄」ということをかくわけて書きなしたもの。起居舎人は天子の左右にあり、天子の起居注(日記)、政事に関する臣下の議論などを筆記する。田澄は姓名、澄は起居舎人にして献納使を兼ねていたとみられる。


獻納司存雨露邊,地分清切任才賢。
献納使の職は本来外部にあるのだが今は天子の雨露のめぐみのふりかかるおそばちかくにあるというのだが。地位身分が天子のお声掛かりで、起居舎人と献納使を兼ねる才賢の任に就かれている。
○献納司 献納使の職司をいう。○雨露辺 雨露とは天子の恩沢をいう。その恩沢の露のかかるにちかきあたりを雨露辺という。献納の司は外部にあるが舎人がこれをかねているので舎人の地位より雨露という。○地分清切 清切とは清要切近の意。職務が繁雑でなくて高く天子の側近にあることをいう。清切とは雨露の語をうけ、舎人の地位についていう。天子に直接口上できること。〇才賢 才は起居舎人、賢は献納使,両職を兼ねることを指す。田澄のこと。



舍人退食收封事,宮女開函近禦筵。
舎人・献納使は、ほかの官を退席させて後、匭から投書のあった封事を収め、宮女に函からそれを出させそして天子の御座にささげるのである。
退食 「詩経」に「過食公ヨリス」の語があり、公庁より退いて食をとることをいう。ここは必しも食事することをいうのではなく、公務を終えて退庁することをいう。ほかの官を退席させて後という意。○収封事 封事とは他人にみられぬように封じてある上書、収めるとほとりかたづけること。ここは献納伐としてのしごとをなすことをいう。○宮女 宮中につかえる女官をいう。○開函 函ははこ、即ち匪(投書びつ)の函をいう。○禦筵 天子の御座。



曉漏追趨青瑣闥,晴窗檢點白雲篇。
暁の漏刻には起居舎人として青塗彫刻の小門に他の官僚に一緒に追随される、献納使としては晴窓の下で一般よりたてまつられた「白雲の詩篇」を点検される。
暁漏 漏は水時計。暁漏とは朝の出仕の時刻をいう。夜明けのこと。○迫趨 ひとといっし上にこぼしりしてでむく。○青瑣闥 闥は小門、青瑣とはくさりをつらねたような離刻に青い絵具をぬったものをいう。○晴窓 天気のよいおりのまど。○点検 点をつけてしらべる、その天子のお手もとへ出す価値があるか香かをしらべること。○白雲篇 一般人が、白雲の夢をもって奉られた詩篇。短冊篇が重ねられると白雲のように見えた。



揚雄更有河東賦,唯待吹噓送上天。
揚雄が更に「河東賦」があったようにて(自分も更に「封西岳賦」たてまつる)、それをただ、君の吹嘘によって天まで送ってのぼらせてもらいたいと待ち望んでいます。
河東賦 漢の揚雄の作。杜甫はすでに三賦を献じ、天宝十三載更に「封西岳賦」を奏した。これはその作があって田澄によってこれを献じようとすることしめす。○吹嘘 吹も嘘もいきをふきかけること。○送上天 送って天へのぼす、天子に達せしめることをいう。


楊雄(ようゆう) B53~A18  蜀郡成都の出身。字は子雲。40余歳で上京して大司馬王音に文才を認められ、成帝に招されて黄門侍郎とされた。司馬相如の賦を尊崇して自身も名手と謳われたが、やがて文学を捨てて修学して多くの著作を行ない、『楊子法言』は『論語』に、『太玄経』は『易経』に倣って作られた。好学博識だが吃音で論・議を好まず、言説に対する批判には著述で応じた。王莽の簒奪後、門弟が符命の禁を破ったために自殺を図って果たせず、不問とされて大夫に直された。

奉贈太常張卿洎(キ)二十韻 杜甫 : kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 誠実な詩人杜甫特集 89

奉贈太常張卿洎(キ)二十韻 杜甫 : kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 誠実な詩人杜甫特集 89
太常卿張洎に送った詩である。製作時は天宝十三載。



 

奉贈太常張卿洎(キ)二十韻
方丈三韓外,崑崙萬國西。
方丈という山は三韓の外にあり、崑崙の山は万国の西にある。
建標天地闊,詣絶古今迷。
天地の広潤なる間にたかい所に目印をたてているのだ、しかしそのような仙山へは実際行けることはないので、昔も今もそれがどこにあるのか迷っているのである。
氣得神仙迥,恩承雨露低。
貴君は天子の姫ぎみのお婿なのですでに俗界を遠く離れた神仙の気を得ておられるし、また天子の雨露の恩沢のそそぎかかるのを受けておられる。
相門清議眾,儒術大名齊。』
それから宰相たる君の御家門に向っては天下の清議が多くあつまり、父君(張説)殿の子ですから儒教に秀でておられるという点に於ては大名としてもお二人が同等であられるのだ。』

軒冕羅天闕,琳瑯識介圭。
軒車に乗り冤を戴く高位高官の人々は宮廷の門にたくさんつらなっているが、その多く高官、琳瑯ともいうべき玉の中で天子は大珪の玉を認識して君を任用されるに至った。
伶官詩必誦,夔樂典猶稽。
音楽の役人は必ず詩を朗詞するものである。(その詩や楽をつかさどる太常卿長官を任命するには軽々しくはしていない。)舜王の時、夔に音楽をつかさどらせるのに慎重であったように今の天子も古昔の例を十分かんがえて貴君を任命されたのである。
健筆淩鸚鵡,銛鋒瑩鷿鵜。
君は文筆がたっしゃで禰衡の「鸚鵡賦」を即座に作った以上であり、そのするどい筆さきは鷿鵜からとったあぶらでみがきをかけられたようにかがやいている。
友於皆挺拔,公望各端倪。
貴君の兄弟はなかまからずばぬけており、世評に三公の位につかれてもよいといわれるほどの世間の声望があるがそれもとうぜんのことといわれている。
通籍逾青瑣,亨衢照紫泥。
これまで貴君は宮中へ仕籍を通じて青瑣の門をこえて奥まではいり、宮中の道路を貴君が掌る紫泥の光りを以て照らした。(天子の制誥を起草する職に居た。)
靈虬傳夕箭,歸馬散霜蹄。
そうして漏刻が夕の刻をつたえる頃には馬に霜をふむひづめを散らさせながら家路の途へついたのだ。
能事聞重譯,嘉謨及遠黎。
最近には貴君の文学の才あることは通訳を重ねる遠方の胡地までも聞こえており、貴君の政治上のよいはかりごとはその遠地の人民にまで及んだ。
弼諧方一展,班序更何躋。』

それがこんどは太常卿になったので天子をして弼諧をなさしめ奉る志を、やっと一度のべることができるようになった。かく高い地位についた以上はこの上もはやのぼるべき官階はないかのようにみえる。』


適越空顛躓,游梁竟慘淒。
自分は宋人の如く越にいっても空しくつまずき、司馬相如の如く梁に遊んでもものがなしい心地が残るだけだった。
謬知終畫虎,微分是醯雞。
自分は貴君から謬って知遇を受けたが、結局、真の虎ではないことになった。自分の如きものの本分は「うんか」虫ぐらいのところである。
萍泛無休日,桃陰想舊蹊。
年中浮き草のように漂うており、休止する日などない、故郷の桃の木の下の昔ながらの小路がなつかしく想われる。
吹噓人所羨,騰躍事仍睽。
前に貴君から推薦してもらったときは他人から羨まれたが、抜擢されることはなく、思ったこととは反対の結果であった。
碧海真難涉,青雲不可梯。
碧海へでも逃れようとおもうが海の水はわたることができないし、上天したいとおもうが青雲には梯がかけられないのでのぼられないのだ。
顧深慙鍛煉,才小辱提攜。
貴君の恩顧が深いのに自分の鍛錬の足らないというのははずかしい、自分の才が小さいのに貴君が提携してくださるのはかたじけない。
檻束哀猿叫,枝驚夜鵲棲。
自分はたとえば手摺にしばられて猿が叫んでいるかのようであり、枝の上で驚きながら、それは夜のかささぎが木にとまっているようなものなのだ。
幾時陪羽獵,應指釣璜溪。』

いつになったら漢の揚雄のように天子の羽猟をなされるときのおともをすることができるのか、それはまさに天子が釣璜渓で太公望にされたように指さして人を求められるときであろうとおもう。』


奉贈太常張卿洎(キ)二十韻
方丈三韓外,崑崙萬國西。建標天地闊,詣絶古今迷。
氣得神仙迥,恩承雨露低。相門清議眾,儒術大名齊。』
軒冕羅天闕,琳瑯識介圭。伶官詩必誦,夔樂典猶稽。
健筆淩鸚鵡,銛鋒瑩鷿鵜。友於皆挺拔,公望各端倪。
通籍逾青瑣,亨衢照紫泥。靈虬傳夕箭,歸馬散霜蹄。
能事聞重譯,嘉謨及遠黎。弼諧方一展,班序更何躋。』
適越空顛躓,游梁竟慘淒。謬知終畫虎,微分是醯雞。
萍泛無休日,桃陰想舊蹊。吹噓人所羨,騰躍事仍睽。
碧海真難涉,青雲不可梯。顧深慙鍛煉,才小辱提攜。
檻束哀猿叫,枝驚夜鵲棲。幾時陪羽獵,應指釣璜溪。』


方丈三韓の外 崑崙萬國の西
標を建つ天地の迥なるに 詣ること絶えて古今迷う
気は神仙の過なるを得 恩は雨露の低れたるを承く
相門精議眾く  儒術大名斉し』


軒冕天闕になる 琳瑯に介珪を識る
伶官詩必ず詞す 夔楽典猶お稽う
健筆鸚鵡を凌ぎ 銛鋒鷿鵜に瑩たり
友子皆な挺抜  公望各々端倪倪あり
通籍青瑣を逾え 亨衢紫泥に照らさる
霊虬夕箭を伝え 帰馬霜蹄散す
能事重訳に聞え 嘉謀遠黎に及ぶ
弼譜方に一たび展ぶ 班序更に何くにか躋らん』


越に適くも空しく顛躓す 梁に遊ぶも竟に慘淒なり
謬知終に画虎 微分是れ醯雞
萍泛休する日無く 桃陰旧蹊を想う
吹嘘人の羨む所 騰躍事仍お睽く
碧海兵に捗り難く 青雲梯す可からず
顧深くして鍛錬を慙ず 才小にして提携を辱うす
檻に束ねられて哀猿叫び 枝に驚きて夜鵲棲む
幾時か羽猟に陪せん 応に項を釣るの渓を指すなるべし。』




奉贈太常張卿洎二十韻  訳註と解説
太常張卿娼太常卿の官である張洎をいう、太常の張洎卿という意である。前に八三頁に「贈翰林張四學士 杜甫36」詩がある。張洎は張説の子で、天宝十三載に出されて磻渓司馬とされたが、年内に召還され太常卿に遷された。詩は彼に贈ったものである。


方丈三韓外,崑崙萬國西。建標天地闊,詣絶古今迷。
氣得神仙迥,恩承雨露低。相門清議眾,儒術大名齊。』
方丈三韓の外 崑崙萬國の西
標を建つ天地の迥なるに 詣ること絶えて古今迷う
気は神仙の過なるを得 恩は雨露の低れたるを承く
相門精議眾く  儒術大名斉し』

方丈という山は三韓の外にあり、崑崙の山は万国の西にある。
天地の広潤なる間にたかい所に目印をたてているのだ、しかしそのような仙山へは実際行けることはないので、昔も今もそれがどこにあるのか迷っているのである。
貴君は天子の姫ぎみのお婿なのですでに俗界を遠く離れた神仙の気を得ておられるし、また天子の雨露の恩沢のそそぎかかるのを受けておられる。
それから宰相たる君の御家門に向っては天下の清議が多くあつまり、父君(張説)殿の子ですから儒教に秀でておられるという点に於ては大名としてもお二人が同等であられるのだ。』


方丈三韓外,崑崙萬國西。
方丈という山は三韓の外にあり、崑崙の山は万国の西にある。
○方丈 秦時の道教方士が東海中にあると考えた三神山の一、ほかに蓬莱山、瀛州山。〇三韓 馬韓・辰韓・弁韓の三韓、今の朝鮮。○崑崙 山の名、西王母の女仙人が住むと考えられた処。


建標天地闊,詣絶古今迷。
天地の広潤なる間にたかい所に目印をたてているのだ、しかしそのような仙山へは実際行けることはないので、昔も今もそれがどこにあるのか迷っているのである。
○建標 めじるしをたてる。これは山のそばだっていることをいう、方丈と崑崙とをあわせていう。○詣絶 詣ることたゆるととく。○古今迷 古人今人ともに迷う。方丈以下の四句は次の神仙の句を言わんがための序である。


氣得神仙迥,恩承雨露低。
貴君は天子の姫ぎみのお婿なのですでに俗界を遠く離れた神仙の気を得ておられるし、また天子の雨露の恩沢のそそぎかかるのを受けておられる。
○気 気象、意気。○神仙 通過は凡俗と遠く超越しておることをいう。この神仙というのは張洎が玄宗の女寧親公主の婿であるのによってかくいった、天子の女は仙女であり、その仙女の婿であるから神仙の気を得たものとみるのである。○恩 天子の恩寵。○雨露低 雨露は即ち恩沢、低とはこちらへむけてくだされることをいう。婿であるから恩寵も従ってあつい。


相門清議眾,儒術大名齊。』
それから宰相たる君の御家門に向っては天下の清議が多くあつまり、父君(張説)殿の子ですから儒教に秀でておられるという点に於ては大名としてもお二人が同等であられるのだ。』
○相門宰相の家門。頭の父張説は玄宗の宰相である。○精義衆清議とは正人君子の議論をいう、衆とは多くこの相門にあつまることをいう。○儒術 借のみちをいう。○大名斉世間の議に於て説、洎父子の大名が同等であるという意。



軒冕羅天闕,琳瑯識介圭。伶官詩必誦,夔樂典猶稽。
健筆淩鸚鵡,銛鋒瑩鷿鵜。友於皆挺拔,公望各端倪。
通籍逾青瑣,亨衢照紫泥。靈虬傳夕箭,歸馬散霜蹄。
能事聞重譯,嘉謨及遠黎。弼諧方一展,班序更何躋。』

軒冕天闕になる 琳瑯に介珪を識る
伶官詩必ず詞す 夔楽典猶お稽う
健筆鸚鵡を凌ぎ 銛鋒鷿鵜に瑩たり
友子皆な挺抜  公望各々端倪倪あり
通籍青瑣を逾え 亨衢紫泥に照らさる
霊虬夕箭を伝え 帰馬霜蹄散す
能事重訳に聞え 嘉謀遠黎に及ぶ
弼譜方に一たび展ぶ 班序更に何くにか躋らん』

 
軒車に乗り冤を戴く高位高官の人々は宮廷の門にたくさんつらなっているが、その多く高官、琳瑯ともいうべき玉の中で天子は大珪の玉を認識して君を任用されるに至った。
音楽の役人は必ず詩を朗詞するものである。(その詩や楽をつかさどる太常卿長官を任命するには軽々しくはしていない。)舜王の時、夔に音楽をつかさどらせるのに慎重であったように今の天子も古昔の例を十分かんがえて貴君を任命されたのである。
君は文筆がたっしゃで禰衡の「鸚鵡賦」を即座に作った以上であり、そのするどい筆さきは鷿鵜からとったあぶらでみがきをかけられたようにかがやいている。
貴君の兄弟はなかまからずばぬけており、世評に三公の位につかれてもよいといわれるほどの世間の声望があるがそれもとうぜんのことといわれている。
これまで貴君は宮中へ仕籍を通じて青瑣の門をこえて奥まではいり、宮中の道路を貴君が掌る紫泥の光りを以て照らした。(天子の制誥を起草する職に居た。)
そうして漏刻が夕の刻をつたえる頃には馬に霜をふむひづめを散らさせながら家路の途へついたのだ。
最近には貴君の文学の才あることは通訳を重ねる遠方の胡地までも聞こえており、貴君の政治上のよいはかりごとはその遠地の人民にまで及んだ。
それがこんどは太常卿になったので天子をして弼諧をなさしめ奉る志を、やっと一度のべることができるようになった。かく高い地位についた以上はこの上もはやのぼるべき官階はないかのようにみえる。』


軒冕羅天闕,琳瑯識介圭。
軒車に乗り冤を戴く高位高官の人々は宮廷の門にたくさんつらなっているが、その多く高官、琳瑯ともいうべき玉の中で天子は大珪の玉を認識して君を任用されるに至った。
○軒冕 (けんべん)馬車とかんむり、高官の用いるもの。○天闕 宮廷の門。○琳瑯 (りんろう)美玉。○識 しりわける。認識する。○介圭 長さ一尺二寸の大きな圭玉、珪の尖端は将棋のこまの状をなしている。これは頭をたとえていう。張洎の美質をしっていたので彼を太常卿に任ずるとの意。



伶官詩必誦,夔樂典猶稽。
音楽の役人は必ず詩を朗詞するものである。(その詩や楽をつかさどる太常卿長官を任命するには軽々しくはしていない。)舜王の時、夔に音楽をつかさどらせるのに慎重であったように今の天子も古昔の例を十分かんがえて貴君を任命されたのである。
○伶官 音楽を掌る役人。○夔楽 夔は舜の臣で、舜は夔に命じて音楽を掌らせたことが「書経」にみえる。○典 つかさどること。「書経」舜典に「夔、汝二命ジ楽ヲ典ラシム、冑子ヲ教エヨ」とある。○稽とは古の経典をかんがえることをいう。張洎を太常卿に任ずるについて慎重にしたことをいう。



健筆淩鸚鵡,銛鋒瑩鷿鵜。
君は文筆がたっしゃで禰衡の「鸚鵡賦」を即座に作った以上であり、そのするどい筆さきは鷿鵜からとったあぶらでみがきをかけられたようにかがやいている。
○健筆 たっしヤな文筆、洎の文才をいう。○淩鸚鵡 魏の禰衛は「鸚鵡賦」を即座に作り一字を改めなかったという。凌とはそれを凌駕することをいう。○銛鋒 するどい切尖き、これは詞銛を剣鉾を以てたとえていう。○瑩 光潔なさま。○鷿鵜 鳧(かも)のたぐい、そのあぶらは刀剣をみがくのに適している、ここはあぶらの義に用いる。鳥をいうのではない。



友於皆挺拔,公望各端倪。
貴君の兄弟はなかまからずばぬけており、世評に三公の位につかれてもよいといわれるほどの世間の声望があるがそれもとうぜんのことといわれている。
○友 子兄弟のこと。「書経」に「孝乎推孝、友二子兄弟」とあり、友子の二字を切りとって兄弟の義に用いる。洎の兄均も刑部尚書となった。○挺抜 なかまからずっとぬきんでる。○公望 三公の位であってもおかしくないという世間の声がある。○端倪 端は緒、倪は畔のことと注する。いとぐち、境目という意。世評がとりとめないことではなく当然のことであることをいう。



通籍逾青瑣,亨衢照紫泥。
これまで貴君は宮中へ仕籍を通じて青瑣の門をこえて奥まではいり、宮中の道路を貴君が掌る紫泥の光りを以て照らした。(天子の制誥を起草する職に居た。)
○通籍 籍とは二尺の竹ふだ、それに本人の年齢・名字・容貌・風体などかきつけ宮門に掛けておき、本人が宮廷に入ろうとするときは札と照らしあわせて中に入ることを許された。この札を官署へさしだして置くことによって通籍という。○逾青瑣 青瑣は門の戸に青色のくさりがたの模様を染めてあるため名づけられた。青瑣門は多く黄門侍邸のことに用いるが、ここは洎が翰林学士として制誥を掌ったときのことをいう。○亨衢 通達の跡の義で宮内のみちをさす。○照紫泥 天子の制誥はこれを封ずるのに紫色の泥を用いてそのうえに印を捺す、学士は制誥の起草を掌るゆえ紫泥をも使用する。その紫泥の色が宮路をてらすというのである。



靈虬傳夕箭,歸馬散霜蹄。
そうして漏刻が夕の刻をつたえる頃には馬に霜をふむひづめを散らさせながら家路の途へついたのだ。
○霊虬 霊威あるみずち、これは漏刻の体をいう。○夕箭箭は漏刻の刻を示すもので、今の時計の針のようなもの。夕方を報ずる箭が夕箭である。○帰馬 家へとかえるうま。○散霜蹄 霜蹄は霜をふむひづめ、此の句より上四句は翰林学士時代をいぅ。
 


能事聞重譯,嘉謨及遠黎。
最近には貴君の文学の才あることは通訳を重ねる遠方の胡地までも聞こえており、貴君の政治上のよいはかりごとはその遠地の人民にまで及んだ。
○能事 文筆の材能をいう。○聞重譯 重譯は言葉の通訳を幾度も量ねる遠方の国をいう、これ及び次句は虞渓司馬となったことをいう。○嘉諜 よいはかりごと、遠地を治めるについてのはかりごとである。○速黎 遠方の人民。


弼諧方一展,班序更何躋。』
それがこんどは太常卿になったので天子をして弼諧をなさしめ奉る志を、やっと一度のべることができるようになった。かく高い地位についた以上はこの上もはやのぼるべき官階はないかのようにみえる。』
○弼譜 人君たるものが古人の徳をふみ行い、自己の聡明を謀り広くして、自己の政事を輔け整えることとする。即ち、弼諧を 「政事を輔弼和諧すること」ととく、これは人君の事に属する。〇万一展 展とは志をのべることをいう。天子をして弼譜をなさしめることを得ることをいう。○班序 班爵之序をいう、位をわける順序次第、官位の階級。○更何躋 何は何処にかの意。官位がすでに高いのでそれ以外にのぼるべき場所がないという意、実際にはそうではないが高いことを誇張していったもの。
 


適越空顛躓,游梁竟慘淒。謬知終畫虎,微分是醯雞。
萍泛無休日,桃陰想舊蹊。吹噓人所羨,騰躍事仍睽。
碧海真難涉,青雲不可梯。顧深慙鍛煉,才小辱提攜。
檻束哀猿叫,枝驚夜鵲棲。幾時陪羽獵,應指釣璜溪。』

越に適くも空しく顛躓す 梁に遊ぶも竟に慘淒なり
謬知終に画虎 微分是れ醯雞
萍泛休する日無く 桃陰旧蹊を想う
吹嘘人の羨む所 騰躍事仍お睽く
碧海兵に捗り難く 青雲梯す可からず
顧深くして鍛錬を慙ず 才小にして提携を辱うす
檻に束ねられて哀猿叫び 枝に驚きて夜鵲棲む
幾時か羽猟に陪せん 応に項を釣るの渓を指すなるべし。』


自分は宋人の如く越にいっても空しくつまずき、司馬相如の如く梁に遊んでもものがなしい心地が残るだけだった。
自分は貴君から謬って知遇を受けたが、結局、真の虎ではないことになった。自分の如きものの本分は「うんか」虫ぐらいのところである。
年中浮き草のように漂うており、休止する日などない、故郷の桃の木の下の昔ながらの小路がなつかしく想われる。
前に貴君から推薦してもらったときは他人から羨まれたが、抜擢されることはなく、思ったこととは反対の結果であった。
碧海へでも逃れようとおもうが海の水はわたることができないし、上天したいとおもうが青雲には梯がかけられないのでのぼられないのだ。
貴君の恩顧が深いのに自分の鍛錬の足らないというのははずかしい、自分の才が小さいのに貴君が提携してくださるのはかたじけない。
自分はたとえば手摺にしばられて猿が叫んでいるかのようであり、枝の上で驚きながら、それは夜のかささぎが木にとまっているようなものなのだ。
いつになったら漢の揚雄のように天子の羽猟をなされるときのおともをすることができるのか、それはまさに天子が釣璜渓で太公望にされたように指さして人を求められるときであろうとおもう。』


適越空顛躓,游梁竟慘淒。
自分は宋人の如く越にいっても空しくつまずき、司馬相如の如く梁に遊んでもものがなしい心地が残るだけだった。
○適越、杜甫が壮年時代に越(今の浙江地方)にも梁(河南地方)にも遊歴した。又司馬相如は病身のために官をやめ梁に客遊した。○顛躓 ひっくりかえる、つまずく。○顛躓 ものがなし。
 


謬知終畫虎,微分是醯雞。
自分は貴君から謬って知遇を受けたが、結局、真の虎ではないことになった。自分の如きものの本分は「うんか」虫ぐらいのところである。
○謬知 知は洎が自己を知ってくれたこと、謬とは謙遜の辞。それほどの材器ではないのに先方が材器だとして知ってくれたのは謬って知ってくれたのだという意。○画虎 後漢の馬援の語に「虎ヲ画イテ成ラズンバ反ッテ狗二顆ス」という、自己が狗の如く真の虎となり得ないことをいう。○微分 分は本分、分限などの分。徴は細小をいう、謙蓮の辞。○醯雞(けいけい) うんかという虫の類、「荘子」に孔子が顔回に向かって自己の道は醯雞のごときか、といったとの話があるが、この虫は嚢の中にわき、要の外のひろい世界を知らぬものである。孔子の道の小さいことをいう。



萍泛無休日,桃陰想舊蹊。
年中浮き草のように漂うており、休止する日などない、故郷の桃の木の下の昔ながらの小路がなつかしく想われる。
○萍泛 うきくさの如く水にうかぶ、漂泊生活をたとえていう。○桃陰 桃の木のかげ、これは武陵桃源の故事を用いてしかも故郷の事に用いている。○旧蹊 むかしながらの小みち。

 

吹噓人所羨,騰躍事仍睽。
前に貴君から推薦してもらったときは他人から羨まれたが、抜擢されることはなく、思ったこととは反対の結果であった。
○吹嘘 いきをふきかける、自己を後援してくれること。此の語によれば張洎は作者の人材であることを知って、従来彼を推薦しくれたものであることを知っていたことをいう。○騰躍 馬のおどる如く高くおどりあがる、地位の急進することをいう。○睽 意に思ったこととは反対の結果となることをいう。



碧海真難涉,青雲不可梯。
碧海へでも逃れようとおもうが海の水はわたることができないし、上天したいとおもうが青雲には梯がかけられないのでのぼられないのだ。
○碧海 碧色の水をたたえたうみ、これは海中に逃れ去るという意である。海中に仙人の里があるといわれていた。○青雲 青大空の中の高い雲。○梯 はしごをかけてのぼる、これは仙人となって上天することをいう。



顧深慙鍛煉,才小辱提攜。
貴君の恩顧が深いのに自分の鍛錬の足らないというのははずかしい、自分の才が小さいのに貴君が提携してくださるのはかたじけない。
 張洎の自己に対して目をかけてくれることをいう。○慙 鍛錬の足らないのをほじること。○鍛錬 刀をきたえる、自己の才力を発達させること。○ 先方をはずかしめる。謙遜の辞。○提攜 洎が杜甫と手をひきあうこと。



檻束哀猿叫,枝驚夜鵲棲。
自分はたとえば手摺にしばられて猿が叫んでいるかのようであり、枝の上で驚きながら、それは夜のかささぎが木にとまっているようなものなのだ。
檻束 檻はてすり、束は束縛。○枝驚 木の枝上にて驚くこと。○ かささぎ。



幾時陪羽獵,應指釣璜溪。』
いつになったら漢の揚雄のように天子の羽猟をなされるときのおともをすることができるのか、それはまさに天子が釣璜渓で太公望にされたように指さして人を求められるときであろうとおもう。』
(天子をして磻渓を指ささしめるのには張洎の力を要するのである。此の末段は主として自己を叙している。)
幾時 何時に同じ。○陪羽猟 漢末の揚雄の故事、雄は成帝の羽猟に陪従して、「羽猟賦」をつくる。○応指 応(まさに云々するなるべし)は推測の辞であり、指はゆびざす。○釣璜渓 太公望の璜渓をいう。周の文王が璜渓(太公望の釣りを垂れた処)に至って太公望を見たとき、望は文王に答えて「望、釣シテ玉璜ヲ得、刻二日ク、姫命ヲ受ケ、呂検ヲ佐ク」といった。璜は佩び玉、釣璜渓とは璜を釣りし得た渓、即ち璜渓をいう、此の句は自己を太公望として、自己の釣りを垂れる処に之を求めて薦めよとの意を寓している。即ち洎の推薦を求めているのである。○磻渓 張洎の前の役職。

秋雨嘆三首 其三 杜甫 : kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 誠実な詩人杜甫特集 88

秋雨嘆三首 其三 杜甫 : kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 誠実な詩人杜甫特集 88(就職活動中 杜曲の家)
天宝13載 754年 43歳
杜甫42 
754年 秋の長雨が、六十日間も雨が降りつづき、前年の日照りと今年は長雨、水害と交互に関中を襲い食糧不足に陥った。城内では米の値段が高騰した。
城内では米の値段が高騰し、米一斗と夜具を取り換えるほどです。

秋雨嘆三首  其一
雨中百草秋爛死、階下決明顏色鮮。
著葉滿枝翠羽蓋、開花無數黃金錢。
涼風蕭蕭吹汝急、恐汝後時難獨立。
堂上書生空白頭、臨風三嗅馨香泣。

秋雨嘆三首  其二 
闌風伏雨秋紛紛、四海八荒同一雲。
去馬来牛不復弁、濁涇清渭何当分。
禾頭生耳黍穂黒、農夫田父無消息。
城中斗米換衾裯、相許寧論両相直。

秋雨嘆三首  其三
長安布衣誰比數,反鎖衡門守環堵。
老夫不出長蓬蒿,稚子無憂走風雨。
雨聲颼颼催早寒,胡雁翅濕高飛難。
秋來未曾見白日,泥汙後土何時乾?


秋雨嘆三首  其三
長安布衣誰比數,反鎖衡門守環堵。
私はだれからも相手にされない長安の一市民。門を閉ざし、土塀で囲まれた家の中でじっとしている。
老夫不出長蓬蒿,稚子無憂走風雨。
おやじが外に出ぬままに雑草は生い茂り、子供は親の苦労も知らぬげに、風雨の中を走りまわっている。
雨聲颼颼催早寒,胡雁翅濕高飛難。
雨はザアザアと、早い冬をせき立て、胡雁は翼が湿って高く飛べない。
秋來未曾見白日,泥汙後土何時乾?

秋になってからこれまで、お日さまを見たことがなく、大地は泥に汚されてしまい、いつになったら乾くのか。




秋雨嘆三首  其三
長安布衣誰比數,反鎖衡門守環堵。
老夫不出長蓬蒿,稚子無憂走風雨。
雨聲颼颼催早寒,胡雁翅濕高飛難。
秋來未曾見白日,泥汙後土何時乾?


長安の布衣の比數するは誰ぞ,反(しか)るに衡門を鎖じて環堵を守る。

老いたる夫(われ)は出でずして蓬蒿を長(しげ) らせ,稚なき子は憂い無くして風雨に走る。

雨聲は颼颼(そうそう)として早(あさ)の寒さを催し,胡の雁は翅(つばさ) を濕いて高く飛ぶに難し。

秋と來りて未だ曾つて白日を見ず,泥は後土を(けが)して何の時か乾かん?


私はだれからも相手にされない長安の一市民。門を閉ざし、土塀で囲まれた家の中でじっとしている。
おやじが外に出ぬままに雑草は生い茂り、子供は親の苦労も知らぬげに、風雨の中を走りまわっている。
雨はザアザアと、早い冬をせき立て、胡雁は翼が湿って高く飛べない。
秋になってからこれまで、お日さまを見たことがなく、大地は泥に汚されてしまい、いつになったら乾くのか。


長安布衣誰比數,反鎖衡門守環堵。
私はだれからも相手にされない長安の一市民。門を閉ざし、土塀で囲まれた家の中でじっとしている。
布衣 粗末な着物。冠位のない人。○比數 取るに足らない。 ○衡門 木を横にした粗末な門。隠者の門。○環堵  家の周囲を取り巻いている垣根。  小さな家。狭い部屋。また、貧しい家。この聯のイメージは杜甫の「貧交行 」を参照。


老夫不出長蓬蒿,稚子無憂走風雨。
おやじが外に出ぬままに雑草は生い茂り、子供は親の苦労も知らぬげに、風雨の中を走りまわっている。
老夫 老爺(ろうや). 翁(おう) 翁(おきな) 老翁(ろうおう). [共通する意味年をとった男性。○蓬蒿 草ぼうぼうの野原。○無憂 むじゃき。憂いを認識しない。  



雨聲颼颼催早寒,胡雁翅濕高飛難。
雨はザアザアと、早い冬をせき立て、胡雁は翼が湿って高く飛べない。
雨聲 雨音 ○颼颼 風雨の音○胡雁 胡に帰る雁。 ○翅濕 羽を濡らせての奥までを湿らせる。   



秋來未曾見白日,泥汙後土何時乾?
秋になってからこれまで、お日さまを見たことがなく、大地は泥に汚されてしまい、いつになったら乾くのか。
泥汙 汙は汚。泥に汚される ○何時乾  乾くのはいつ。




貧困者を救済するために、政府は官の大倉を開いて米を放出し、長安市民に日に五升(日本の二升あまり)ずつ、安価に分け与えた。杜甫も毎日、大倉に出かけていって米の配給を受け、その日その日をやっと食いつないでいた。しかし、それも長くは続かず、彼は仕方なく家族を長安から奉先県に移すことにした。奉先県は長安の東北約一〇〇キロメートルの所にあり、当時そこには妻楊氏の親戚の者が県令として赴任していた。家族を奉先県に送っていった杜甫は、一人で長安に引き返し、あてのない採用通知を待ちつづける。(この時の様子は曲江三章 章五句の第三章にあらわされてる)

長安・杜曲韋曲
杜甫乱前後の図001


曲江三章 章五句 
曲江三章 第一章五句
曲江蕭條秋氣高,菱荷枯折隨風濤。
遊子空嗟垂二毛,白石素沙亦相蕩,哀鴻獨叫求其曹。

(曲江蕭条として 秋氣高く。菱荷(菱と蓮)枯折して 風濤に随ふ。
游子空しく嗟す 二毛(白髪交じり)に垂(なんなん)とするを。
白石素沙 亦た相い蕩(うごか)す。哀鴻(あいこう、哀れなヒシクイ)独り叫び 其の曹(ともがら)を求む)。


曲江三章 第二章五句
即事非今亦非古,長歌激夜梢林莽,比屋豪華固難數。
吾人甘作心似灰,弟侄何傷淚如雨?

(即事 今に非ず 亦た古(いにしへ)に非ず。長歌夜激しくして 林莽(りんぼう、林やくさむら)を捎(はら)ふ。比屋 豪華にして 固より数え難し。吾人 甘んじて 心 灰に似たるを作さん。弟姪 何をか傷みて 泪(なみだ)雨の如くなる。)

曲江三章 第三章五句
自斷此生休問天,杜曲幸有桑麻田,故將移住南山邊。
短衣匹馬隨李廣,看射猛虎終殘年。

(自ら此の生を断つ天に問うを休めよ。杜曲幸に桑麻の田有り。故に将に南山の辺に移住す。短衣匹馬李広に随い。猛虎を射るを看て残年を終えんとす。)


貧交行     杜甫 
翻手作雲覆手雨,紛紛輕薄何須數。
君不見管鮑貧時交,此道今人棄如土。

(手を翻(ひるがへ)せば雲と 作(な)り 手を覆(くつがへ)せば 雨となる。紛紛たる輕薄  何ぞ 數ふるを 須(もち)ゐん。
君見ずや  管鮑(くゎんんぱう) 貧時の交はりを,此(こ)の道  今人(こんじん) 棄つること 土の如し。)

秋雨嘆三首 其二 杜甫 : kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 誠実な詩人杜甫特集 87

秋雨嘆三首  其二  杜甫 : kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 誠実な詩人杜甫特集 87(就職活動中 杜曲の家)
天宝13載 754年 43歳

杜甫は、一族のみんなが食べていくため売文でつないでいた。一石二鳥の手である。
しかし、この詩の時は、最後の頼みとして、哥舒翰に詩を贈り、幕下に出も取り立ててもらうことを考えていた。その返事を首を長くして待っていた。長雨で本当に何もすることがなかったのだろう。
この詩のなかで、「稲の頭には耳が生え、黍の穂先は曲がって 黒く変色し、農夫は街に穀物を持ってこなくなった。
城内では一斗の米が絹の夜具を交換され、換えてもらえばよい方で値段が釣り合うようなものではなくなってきている。」


秋雨嘆三首  其一
雨中百草秋爛死、階下決明顏色鮮
著葉滿枝翠羽蓋、開花無數黃金錢
涼風蕭蕭吹汝急、恐汝後時難獨立
堂上書生空白頭、臨風三嗅馨香泣


秋雨嘆三首  其二 
闌風伏雨秋紛紛、四海八荒同一雲。
去馬来牛不復弁、濁涇清渭何当分。
禾頭生耳黍穂黒、農夫田父無消息。
城中斗米換衾裯、相許寧論両相直。


秋雨嘆三首  其三
長安布衣誰比數,反鎖衡門守環堵。
老夫不出長蓬蒿,稚子無憂走風雨。
雨聲颼颼催早寒,胡雁翅濕高飛難。
秋來未曾見白日,泥汙後土何時乾?



秋雨嘆三首  其二 
闌風伏雨秋紛紛,四海八荒同一雲。
この秋は乱れて吹きつのる風横なぐりの雨でさんざんである、四方八方大荒れで空 一面の厚い雲に覆われているのだ
去馬來牛不複辨,濁涇清渭何當分?
往来かっている牛と馬が  牛なのか馬なのかの見分けもできないほど風雨がすごいのだ。いつも濁龍が流れる涇水といつもは清流がながれる渭水との区別がつかない流れになっている。
禾頭生耳黍穗黑,農夫田父無消息。
稲の頭には耳が生え、黍の穂先は曲がって 黒く変色し、農夫といい、老畑人にしても街に見当たらない、穀物を持ってこなくなったのだ。
城中斗米換衾裯,相許寧論兩相直?

城内では一斗の米が絹の夜具を交換され、換えてもらえばよい方で値段が釣り合うようなものではなくなってきている




秋雨嘆三首  其二 
闌風伏雨秋紛紛、四海八荒同一雲。
去馬来牛不復弁、濁涇清渭何当分。』
禾頭生耳黍穂黒、農夫田父無消息。
城中斗米換衾裯、相許寧論両相直。』


秋雨の嘆き 三首  其の二

闌風 伏雨  秋紛紛たり、四海 八荒  同じく一雲。

去馬 来牛  復た弁ぜず、濁涇(だくけい) 清渭(せいい)  何ぞ分かつ当()けん。

禾頭(かとう)  耳を生じて黍穂(しょすい)黒く、農夫  田父(でんぷ)  消息 無し。

城中  斗米  衾(きんちゅう)に換()う、相許さば寧(なん)ぞ両つながら相直(あいあた)るを論ぜん。




この秋は乱れて吹きつのる風横なぐりの雨でさんざんである、四方八方大荒れで空 一面の厚い雲に覆われているのだ
往来かっている牛と馬が  牛なのか馬なのかの見分けもできないほど風雨がすごいのだ。いつも濁龍が流れる涇水といつもは清流がながれる渭水との区別がつかない流れになっている。
稲の頭には耳が生え、黍の穂先は曲がって 黒く変色し、農夫といい、老畑人にしても街に見当たらない、穀物を持ってこなくなったのだ。
城内では一斗の米が絹の夜具を交換され、換えてもらえばよい方で値段が釣り合うようなものではなくなってきている



秋雨嘆三首  其二 

闌風伏雨秋紛紛、四海八荒同一雲。
この秋は乱れて吹きつのる風横なぐりの雨でさんざんである、四方八方大荒れで空 一面の厚い雲に覆われているのだ
闌風 風がたけなわ。服荒れる。○伏雨 横殴りの雨。○紛紛 散々な目にあう。○四海 四方の行きつく先は海と思われていた。天下。この世。○八荒 八方が大荒れの天気。○同一雲 厚く同一雲でこの世を覆っている。



去馬来牛不復弁、濁涇清渭何当分。
往来かっている牛と馬が  牛なのか馬なのかの見分けもできないほど風雨がすごいのだ。いつも濁龍が流れる涇水といつもは清流がながれる渭水との区別がつかない流れになっている。



禾頭生耳黍穂黒、農夫田父無消息。
稲の頭には耳が生え、黍の穂先は曲がって 黒く変色し、農夫といい、老畑人にしても街に見当たらない、穀物を持ってこなくなったのだ。



城中斗米換衾裯、相許寧論両相直。
城内では一斗の米が絹の夜具を交換され、換えてもらえばよい方で値段が釣り合うようなものではなくなってきている
衾裯 絹の夜具




○韻  紛、雲、分。/黒、息、直

秋雨嘆三首 其一 杜甫 : kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 誠実な詩人杜甫特集 86

秋雨嘆三首 其一 杜甫 : kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 誠実な詩人杜甫特集 86(就職活動中 住まい:杜曲の家)
天宝13載 754年 43歳

754年 夏の間は、何将軍を訪れたり、舟遊びに一緒したり、納涼でにわか雨に逢ったりしたが、晴天が続いた後、秋になると、六十日間も雨が降りつづき、前年の日照りと今年は長雨、水害と交互に関中を襲い食糧不足に陥った。城内では米の値段が高騰した。

秋雨嘆三首  其一
雨中百草秋爛死、階下決明顏色鮮
著葉滿枝翠羽蓋、開花無數黃金錢
涼風蕭蕭吹汝急、恐汝後時難獨立
堂上書生空白頭、臨風三嗅馨香泣


秋雨嘆三首  其二 
闌風伏雨秋紛紛、四海八荒同一雲。
去馬来牛不復弁、濁涇清渭何当分。
禾頭生耳黍穂黒、農夫田父無消息。
城中斗米換衾裯、相許寧論両相直。


秋雨嘆三首  其三
長安布衣誰比數,反鎖衡門守環堵。
老夫不出長蓬蒿,稚子無憂走風雨。
雨聲颼颼催早寒,胡雁翅濕高飛難。
秋來未曾見白日,泥汙後土何時乾?


其一
雨中百草秋爛死,階下決明顏色鮮。
秋になって長雨が続く中、収穫の予定していたものが熟す前に腐ってしまっている、それなのに宮中の中にいる者たちは、色つやがいいのだ。
著葉滿枝翠羽蓋,開花無數黃金錢。
扇や日傘に翡翠の羽をいっぱいつけている、その花を開かせるにはどれだけ多くの黄金がかかったのか
涼風蕭蕭吹汝急,恐汝後時難獨立。
涼しい風がひゅうひゅうと吹いてきて次にもっと急に吹いてくる、後ろに倒されそうで一人立っているのが難しいほどなのだ
堂上書生空白頭,臨風三嗅馨香泣。

座敷の中に上がったままで書文しか能がない自分は空しく白髪頭を抱え込む、こんな風を前にして三回目の徳化を祈って香を焚き泣いてしまう。



秋になって長雨が続く中、収穫の予定していたものが熟す前に腐ってしまっている、それなのに宮中の中にいる者たちは、色つやがいいのだ。
御おぎや日傘に翡翠の羽をいっぱいつけている、その花を開かせるにはどれだけ多くの黄金がかかったのか
涼しい風がひゅうひゅうと吹いてきて次にもっと急に吹いてくる、後ろに倒されそうで一人立っているのが難しいほどなのだ
座敷の中に上がったままで書文しか能がない自分は空しく白髪頭を抱え込む、こんな風を前にして三回目の徳化を祈って香を焚き泣いてしまう。




秋の雨を嘆く三首  其の一

雨中の百草は秋に爛れて死せるに,階下の決明は顏色の鮮けき。
葉を著けては滿枝の翠羽の蓋(かさ),花を開きては無數の黃金の錢。
涼風は蕭蕭として汝を吹くに急に,時に後れし汝の獨り立に難きかと恐る。
堂上の書生は空しく白頭,風の臨(まえ) に三たび馨香を嗅ぎて泣く。




雨中百草秋爛死,階下決明顏色鮮。
秋になって長雨が続く中、収穫の予定していたものが熟す前に腐ってしまっている、それなのに宮中の中にいる者たちは、色つやがいいのだ。
爛死 熟れる前に腐って落ちること。○階下 きざはしのもと。○決明 宮廷の中のもの。



著葉滿枝翠羽蓋,開花無數黃金錢。
御おぎや日傘に翡翠の羽をいっぱいつけている、その花を開かせるにはどれだけ多くの黄金がかかったのか
滿枝 飾り物がいっぱいになる。○翠羽蓋 翡翠の羽で飾った蓋。



涼風蕭蕭吹汝急,恐汝後時難獨立。
涼しい風がひゅうひゅうと吹いてきて次にもっと急に吹いてくる、後ろに倒されそうで一人立っているのが難しいほどなのだ
蕭蕭 風の吹く音。



堂上書生空白頭,臨風三嗅馨香泣。
座敷の中に上がったままで書文しか能がない自分は空しく白髪頭を抱え込む、こんな風を前にして三回目の徳化を祈って香を焚き泣いてしまう。
堂上 堂は家の主要な居室、座敷というところか。○書生 書文しか能がないという意。○馨香 香を焚いて災いのないことを祈ることの意。

天育驃騎歌 杜甫 : kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 誠実な詩人杜甫特集 85

天育驃騎歌 杜甫 : kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 誠実な詩人杜甫特集 85
天子のお厩である天育厩において養われた驃馬の図をみて作った歌。製作時は天宝13載 754年 43歳。 
雑言古詩


天育驃騎歌
吾聞天子之馬走千裡,今之畫圖無乃是?
自分が聞く所に周の穆王の馬は日に千里走ったというが、今ここにある画の馬はまちがいなくそのような馬ではないのだろうか。
是何意態雄且傑,騣尾蕭梢朔風起。
その雄々しく傑出した様子はなんとすばらしいのだろう、たてがみや尾からさわさわと北風が吹き起っているように凛々しいのだ。
毛為綠縹兩耳黃,眼有紫焰雙瞳方。
毛は緑と縹との二色をなし、両耳は黄色である。眼からは紫のほのおをだし一対のひとみは菱形をしている。
矯矯龍性合變化,卓立天骨森開張。』
矯々とうねりあがる竜の如き本性はいかなる活動の変化をもするようすをもっているし、たかくそびえた天成の骨格がいかめしくのびやかに張っている。』
伊昔太樸張景順,監牧攻駒閱清峻。
昔といってもちょっと前、開元の頃、太僕 張景順は牧場を監督し、駒をならして、そのなかから贅肉のない肉ひきしまった馬を繰り返し選び出し、遂にそれを種馬として牧馬奴に子を産せるようにしたのだ。
遂令大奴守天育,別養驥子憐神駿。
そのうまれた千里の馬の駒(驃)は他の馬と区別して之を養育して、その不思議に優れた点を引き出して育てさせた。
當時四十萬匹馬,張公嘆其材盡下、故獨寫真傳世人。
そのころ四十万匹、馬の頭数がいたが、景順はその素質、性質など材質がどれもみなこれよりは劣っていることを歎惜した。
そういうことだからこの驃だけの画姿を写させて世の人に伝えるために残した。
見之座右久更新。』
座右で之を見ていると、いつまで見ても目新しく感じるものだ。』
年多物化空行影,鳴呼健步無由騁!
今では数十年の歳月が流れ、馬たちも死んで代が変わり、この画すがたにその形影をのこしているだけなのだ。ああ、そうして生きていたときのようなすこやかなあゆみを馳せるということはもうないだろう。
如今豈無騕褭與驊騮,時無王良伯樂死即休!

ただ今では、まさか「騕褭」や「驊騮」の名馬がいないわけでもないだろうが、天下が気の緩みで、名馬を名馬としてみわけてくれる伯楽、調教の上手い王良がいなくなり、名馬がいたとしても、凡馬のあつかいをうけていてそのまま死んでしまうことをしているのだろう。


自分が聞く所に周の穆王の馬は日に千里走ったというが、今ここにある画の馬はまちがいなくそのような馬ではないのだろうか。
その雄々しく傑出した様子はなんとすばらしいのだろう、たてがみや尾からさわさわと北風が吹き起っているように凛々しいのだ。
毛は緑と縹との二色をなし、両耳は黄色である。眼からは紫のほのおをだし一対のひとみは菱形をしている。
矯々とうねりあがる竜の如き本性はいかなる活動の変化をもするようすをもっているし、たかくそびえた天成の骨格がいかめしくのびやかに張っている。』
昔といってもちょっと前、開元の頃、太僕 張景順は牧場を監督し、駒をならして、そのなかから贅肉のない肉ひきしまった馬を繰り返し選び出し、遂にそれを種馬として牧馬奴に子を産せるようにしたのだ。
そのうまれた千里の馬の駒(驃)は他の馬と区別して之を養育して、その不思議に優れた点を引き出して育てさせた。
そのころ四十万匹、馬の頭数がいたが、景順はその素質、性質など材質がどれもみなこれよりは劣っていることを歎惜した。
そういうことだからこの驃だけの画姿を写させて世の人に伝えるために残した。座右で之を見ていると、いつまで見ても目新しく感じるものだ。』
今では数十年の歳月が流れ、馬たちも死んで代が変わり、この画すがたにその形影をのこしているだけなのだ。ああ、そうして生きていたときのようなすこやかなあゆみを馳せるということはもうないだろう。

ただ今では、まさか「騕褭」や「驊騮」の名馬がいないわけでもないだろうが、天下が気の緩みで、名馬を名馬としてみわけてくれる伯楽、調教の上手い王良がいなくなり、名馬がいたとしても、凡馬のあつかいをうけていてそのまま死んでしまうことをしているのだろう。





(天青の驃の図の歌)
吾聞く天子の馬走ること千里なりと、今の画図は乃ち是なる無からんや
是れ何の意態(いたい)ぞ雄にして且つ傑なり、騣尾粛梢(そうびしょうしょう)として朔風(さくふう)起る
毛は緑縹(りょくひょう)を為して両耳は黄なり、眼に紫焔(しえん)有りて双瞳(そうどう)方なり
矯矯(きょうきょう)たる竜性(りょうせい)変化を含む、卓立せる天骨森(てんこつしん)として開張す』
伊(これ)昔 太僕(たいぼく)張景順(ちょうけいじゅん)、牧を監し駒を攻して清峻(せいしゅん)なるを閲(えつ)す
遂に大奴をして天青に字せ令(し)む、別に驥子(きし)を養うて神駿(しんしゅん)なるを憐む
当時四十万匹の馬、張公 其の材の尽く下れるを歎ず、故に独り兵を写して世人に伝う』
之を座右に見れば久しくして更に新なり。
年多く物化して空しく形影あり、鳴呼!健歩(けんぽ)騁(は)するに由無し!
如今(じょこん)豈に騕褭(ようじょう)と驊騮(かりゅう)と無からんや、時に王艮(おうりょう) 伯楽(はくらく)無く死して即ち休す!』




天育驃騎歌
○天育或は厩の名。「天子ノ育テル所」の義とする。○驃「黄馬ノ白色ヲ発スルもの。○図 絵。或は図を騎に作り驃騎とする。


吾聞天子之馬走千裡,今之畫圖無乃是?
自分が聞く所に周の穆王の馬は日に千里走ったというが、今ここにある画の馬はまちがいなくそのような馬ではないのだろうか。
天子之馬走千里 「穆天子伝」の語。穆王の八駿は一日によく千里を走る。○今之画図 いま眼前見る所の驃図をいう。○無乃是  是とは上の千里馬をさす。



是何意態雄且傑,騣尾蕭梢朔風起。
その雄々しく傑出した様子はなんとすばらしいのだろう、たてがみや尾からさわさわと北風が吹き起っているように凛々しいのだ。
 図の馬をさす。○意態 馬の意気態度。○雄且傑 おおしくすぐれている。○騣尾・騣は葉、たてがみ。尾はしっぼ。○蕭梢 さわさわと風の起こるさま。○朔風 北風。



毛為綠縹兩耳黃,眼有紫焰雙瞳方。
毛は緑と縹との二色をなし、両耳は黄色である。眼からは紫のほのおをだし一対のひとみは菱形をしている。
綠縹 綠は黒いことをいう、縹は青黄色。○紫焔 むらさきのほのお。○双瞳 一対のひとみ。〇 四角、菱形。ひとみは馬と雑も四角ではないが、まぶたの囲んでいる処は菱形をなしているので「方」といった。


矯矯龍性合變化,卓立天骨森開張。』
矯々とうねりあがる竜の如き本性はいかなる活動の変化をもするようすをもっているし、たかくそびえた天成の骨格がいかめしくのびやかに張っている。』
矯矯 うねうねとあがるさま。○竜性 竜の如き性質。○含変化 いかようにも変化に応ずべき様子をもっている。○卓立 たかくそびえる。○天骨森 天よりうけた骨であっていかめしい。○開張 のびやかに張っている。



昔太樸張景順,監牧攻駒閱清峻。
昔といってもちょっと前、開元の頃、太僕 張景順は牧場を監督し、駒をならして、そのなかから贅肉のない肉ひきしまった馬を繰り返し選び出し、遂にそれを種馬として牧馬奴に子を産せるようにしたのだ。
伊昔 伊とは辞である。○太僕 厩牧輿車を掌る官。○張景順 開元時の人。開元十三年張説の「陳右監牧頒徳碑」の序に「元年、牧馬二十四万匹、十三年乃チ四十三万匹。上(玄宗)顧ミテ太僕少卿・兼秦州都督・監牧都副使・張景順二謂イテ日ク、吾ガ馬幾何力蕃育セシハ、卿ノカナリト。対エテ日ク、帝ノカナリ、仲(王毛仲)ノ令ナリ、臣何ノカカ之有ラント」とあるのは、この張景順である。○監牧 牧場を監督する。○攻駒 あら駒をのりこなす。○清唆 すこし痩せてひきしまった様子をした馬。



遂令大奴守天育,別養驥子憐神駿。
そのうまれた千里の馬の駒(驃)は他の馬と区別して之を養育して、その不思議に優れた点を引き出して育てさせた。
○大奴 身体長大な奴。景順の下に居る「馬ヲ牧スル奴」をいう。○守天育 守はみまもることをいう。天青において馬に子を産せしめることをいう。これは上句の清峻な馬を種馬として牝馬に産ませること。○別養驥子 驥子は上の方法によって新しくうまれた千里馬の駒、即ち驃馬のこと。別義は他の天青の羣馬とは別に養育することをいう。○神駿 ふしぎにすぐれていることをいう。



當時四十萬匹馬,張公嘆其材盡下。
そのころ四十万匹、馬の頭数がいたが、景順はその素質、性質など材質がどれもみなこれよりは劣っていることを歎惜した。
張公 景順。○ 材質。○下 劣ること。 



故獨寫真傳世人,見之座右久更新。』
そういうことだからこの驃だけの画姿を写させて世の人に伝えるために残した。座右で之を見ていると、いつまで見ても目新しく感じるものだ。』
独写真 この際だけにその実の姿を画にうつす。○座右 座席の右。○久更新 いつまでみてもめあたらしい。



年多物化空行影,鳴呼健步無由騁!
今では数十年の歳月が流れ、馬たちも死んで代が変わり、この画すがたにその形影をのこしているだけなのだ。ああ、そうして生きていたときのようなすこやかなあゆみを馳せるということはもうないだろう。
年多 開元より天宝末まで数十年、多くの年を経ている。○物化馬の実物が変化する。死去したことをい
う。○空形影実体はなくなり、いたずらに形や影がある、この画すがたのみ存在することをいう。○健歩すこやかなあゆみ。



如今豈無騕褭與驊騮,時無王良伯樂死即休!
ただ今では、まさか「騕褭」や「驊騮」の名馬がいないわけでもないだろうが、天下が気の緩みで、名馬を名馬としてみわけてくれる伯楽、調教の上手い王良がいなくなり、名馬がいたとしても、凡馬のあつかいをうけていてそのまま死んでしまうことをしているのだろう。
○如今いま。○騕褭 赤い鼻づらの黒馬、一日に万里を行くという。○驊騮 穆王八駿の一つ。○王艮 戦国の趙簡子の時の人で調教を善くした。○伯楽孫陽のこと、秦の穆公の時の人で善く馬相をみた。○やむ、おわる。




  この頃の天下の情勢は、頽廃的な緊張感のない時代を過ごしてきており、局地戦に馬が使われるくらいで、大量の両刃を育てる意欲が消失していたことを指摘している。賄賂全盛で、役人はまじめに仕事をしていなかった。馬が好きな杜甫らしい観点でリベラルな論評をしている。



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示従孫済  kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 誠実な詩人杜甫特集 84

示従孫済  kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 誠実な詩人杜甫特集 82就職活動中 杜曲の家)
五言古詩。七五四(天宝十三)年、四十三歳のとき、従孫つまり一族の孫の世代にあたる杜済の家を訪問しての詩。杜済は字を応物といい、後に東川節度使・兼京兆尹となった人で、杜甫より八つ年下である。


この詩大意
 騒々しかった杜曲の家は、異母弟の杜観・杜占との三人暮らしになった。しかし、杜甫には仕事がない。「従孫」当主の孫の世代に属する同族のこと。従孫の杜済(とせい)という者が近くに住んでいたので、夜明けに驢馬に乗って訪ねたのだ。
 杜甫43歳、杜済35歳である。杜甫よりも八歳しか年少で、のちに東川節度使兼京兆尹(京兆尹は寄禄官)に出世する。
杜甫は「宅舎は荒村の如し」と言っている。「堂」というのは住宅の主室のことだが、堂前堂後は荒れた冬景色、貧しいようすがうかがえる
 杜甫が来たというので、家人は急いで食事の支度をはじめた。杜甫は家事に託して事柄の本源を大切にしなければならないことを説いている。説きながら、自分は「嬾惰なること久しく」、お前たちの働く様子を見ていると走っているようだと、ほめている。
食糧不足の折であるので、自分が食事めあてに訪ねてきたのではないかと思われるのを恐れて弁解をしている。


示従孫済
平明跨驢出、未知適誰門。
夜がしらじらと明けはじめるころに驢馬にまたがって出かけるのであるが、誰のところに行くというあてがあるわけではないのだ。
権門多噂沓、且復尋諸孫。』
権力者の家にはへつらいやかげ口とことばかずの多い者があつまる、ひとまずのところ親類の孫たちでも尋ねることにしようと思う。』
諸孫貧無事、宅舎如荒村。
孫たちは仕事もなく貧乏暮らしをしている、住居のようすは荒れはてた村のようである。
堂前自生竹、堂後自生萱。』
座敷の前にはかってに竹が生え、座敷の後ろにはかってに忘れ草が生えている。』
萱草秋已死、竹枝霜不蕃。
忘れ草は秋にははやくも枯れはて、竹の枝も霜のために茂っていない。
淘米少汲水、汲多井水渾。
米をとぐ場合は水を少なめに汲み、汲みすぎると井戸水がにごってしまう。
刈葵莫放手、放手傷葵根。』
葵を刈るときは乱脈な手の使い方をしてはならない。乱暴な手のつかいかたをすれば葵の根を痛めてしまうぞ。』
阿翁嬾惰久、覚児行歩奔。
この爺様は長い間の怠け癖がついており、君たちが立ち働く様子がいかにもこまめに動いているように思われる。
所来為宗族、亦不為盤飧。
この家にやってきたのは一族という関係からであって、けっしてごちそうにありつこうというではない。
小人利口実、薄俗難可論。
小人たちは食いもの目あてにやって来るものであるが、薄っぺらな世間の行為は一々とやかくいうには及ぶまい。
勿受外嫌猜、同姓古所敦。』
外部の嫌疑や猜疑を信じてはならない、同姓の一族は仲よくせねばならぬというのが古人の教えである。』


夜がしらじらと明けはじめるころに驢馬にまたがって出かけるのであるが、誰のところに行くというあてがあるわけではないのだ。
権力者の家にはへつらいやかげ口とことばかずの多い者があつまる、ひとまずのところ親類の孫たちでも尋ねることにしようと思う。』
孫たちは仕事もなく貧乏暮らしをしている、住居のようすは荒れはてた村のようである。
座敷の前にはかってに竹が生え、座敷の後ろにはかってに忘れ草が生えている。』
忘れ草は秋にははやくも枯れはて、竹の枝も霜のために茂っていない。
米をとぐ場合は水を少なめに汲み、汲みすぎると井戸水がにごってしまう。
葵を刈るときは乱脈な手の使い方をしてはならない。乱暴な手のつかいかたをすれば葵の根を痛めてしまうぞ。』
この爺様は長い間の怠け癖がついており、君たちが立ち働く様子がいかにもこまめに動いているように思われる。
この家にやってきたのは一族という関係からであって、けっしてごちそうにありつこうというではない。
小人たちは食いもの目あてにやって来るものであるが、薄っぺらな世間の行為は一々とやかくいうには及ぶまい。
外部の嫌疑や猜疑を信じてはならない、同姓の一族は仲よくせねばならぬというのが古人の教えである。』



孫の済に示す   
平明(へいめい)  驢(ろ)に跨(またが)って出(い)ず、未だ誰の門に適(ゆ)くかを知らず。
権門(けんもん)には噂沓(そんとう)多し、且(か)つ復(ま)た諸孫(しょそん)を尋ねん。』
諸孫は貧にして事(こと)無く、宅舎(たくしゃ)は荒村(こうそん)の如し。
堂前(どうぜん)には自(おのずか)ら竹を生じ、堂後(どうご)には自ら萱(けん)を生ず。』
萱草(けんそう)は秋に已(すで)に死し、竹枝(ちくし)は霜に蕃(しげ)らず。
米(こめ)を淘(と)ぐには少しく水を汲(く)め、汲むこと多ければ井水(せいすい)渾(にご)る。
葵(あおい)を刈るには手を放ままにする莫(な)かれ、手を放(ほしい)ままにすれば葵根(きこん)を傷つく』
阿翁(あおう)は嬾惰(らんだ)なること久しく、児(じ)の行歩(こうほ)して奔(はし)るを覚(おぼ)ゆ。
来たる所は宗族(そうぞく)の為なり、亦(ま)た盤飧(ばんそん)の為ならず。
小人(しょうじん)は口実(こうじつ)を利す、薄俗(はくぞく)は論ず可きに難(かた)し。
外(ほか)の嫌猜(けんさい)を受くる勿(なか)れ、同姓の古(いにしえ)より敦(あつ)くする所なり』



示従孫済
従孫「左伝」哀公二十五年の疏に「男子ノ兄弟ノ孫ヲ謂イテ、従孫卜為ス」とみえるのからすれば、姪の子が従孫になる。とすれば自己と従孫とは二代を隔てるはずであるが、唐の宰相世系表・顔兵卿の神道碑によれば杜甫は杜預の十三代の孫、杜済は十四代の孫とあり、二者は一代をへだてるのみである。
○ 杜済、字は応物、後に給事中・東川節度使・兼京兆尹となった。



平明跨驢出、未知適誰門。
夜がしらじらと明けはじめるころに驢馬にまたがって出かけるのであるが、誰のところに行くというあてがあるわけではないのだ。
平明 しらしらあけ。



権門多噂沓、且復尋諸孫。』
権力者の家にはへつらいやかげ口とことばかずの多い者があつまる、ひとまずのところ親類の孫たちでも尋ねることにしようと思う。』
権門 権力ある家。○噂沓 「詩経」十月之交簾にみえる。朱子の解に「噂ハ来ナリ、沓ハ重複ナリ、多言以テ相イ説ク」という。ことばかずの多い義ととく。主人の気に入るようなことを多くいうこと。



諸孫貧無事、宅舎如荒村。
孫たちは仕事もなく貧乏暮らしをしている、住居のようすは荒れはてた村のようである。
諸孫 自己と下へ二代をへだてた列にある子弟ども。



堂前自生竹、堂後自生萱。』
座敷の前にはかってに竹が生え、座敷の後ろにはかってに忘れ草が生えている。』
○堂 宅の主室、座敷。○竹、萱たけ、かん草、わすれ草。ここでは実際の竹は兄弟輩、杜甫をもとめたもの。萱は母にたとえたものである。実景とたとえをかねていう。



萱草秋已死、竹枝霜不蕃。
忘れ草は秋にははやくも枯れはて、竹の枝も霜のために茂っていない。
 ふえる。



淘米少汲水、汲多井水渾。
米をとぐ場合は水を少なめに汲み、汲みすぎると井戸水がにごってしまう。
米を水にゆりながらあらうこと。



刈葵莫放手、放手傷葵根。』
葵を刈るときは乱脈な手の使い方をしてはならない。乱暴な手のつかいかたをすれば葵の根を痛めてしまうぞ。』
あおい、食物である。○放手 この二字「後漢書」明帝紀(中元二年十二月詔)にみえる。乱暴な手刀をもちいることをいう。此の淘米・刈葵の二事は食事上の事について実景と例えとを兼ねている。実景としてはただその事についての注意すべきことをいうにすぎぬが、裏面のたとえとしては「根源を培養し、宗族を敦陸にすべし」との意をふくんでいる。



阿翁嬾惰久、覚児行歩奔。
この爺様は長い間の怠け癖がついており、君たちが立ち働く様子がいかにもこまめに動いているように思われる。
阿翁 阿は親しむ辞。翁は老人。諸孫らがよぶべき辞を以て作者自ずから称する。○ しっている。○ 杜済等をさす。○行歩奔 老翁を迎えるために、淘米・刈葵等の事のため奔走に労することをいう。



所来為宗族、亦不為盤飧。
この家にやってきたのは一族という関係からであって、けっしてごちそうにありつこうというではない。
所来 来たわけをいう。○宗族 表の誼を重んずることをいう。○盤餐 大皿にもった食物。



小人利口実、薄俗難可論。
小人たちは食いもの目あてにやって来るものであるが、薄っぺらな世間の行為は一々とやかくいうには及ぶまい。
利口実 口実とはその事をわが言わんとすることのたねにすること、利は利用すること。杜南がしばしば来訪するのは飲食のためだなどという人のうわさを種にして同族離間のたねに利用する。○薄俗 世間の軽薄なならわし。○可論 一々論じたてる。



勿受外嫌猜、同姓古所敦。』
外部の嫌疑や猜疑を信じてはならない、同姓の一族は仲よくせねばならぬというのが古人の教えである。』
 族以外の人。○嫌猜 嫌疑、猿忌。○古所敦 古来敦くして交りをかたくする。







夏日李公見訪   kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 誠実な詩人杜甫特集 83

夏日李公見訪   kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 誠実な詩人杜甫特集 83(就職活動中 杜曲の家)


 長安城外に林、畑が広がる。古くから、桑畑がひろがる一体である。声をかければ聞こえる程度の広がりを持った杜曲に家を借りていた。この家から出かけて、何将軍山林で遊び、渼陂の水面に舟遊びし、丈八溝携妓納涼の晩際に雨に遇う、鄭駙馬につきそって韋曲で遊んだのも754年天宝13載 43歳の夏のことだ。
長安・杜曲韋曲

 同じ夏のある日、皇太子の家令李炎が杜曲の家を訪ねてきたのだ。公子は遠き林のなかからやって来た。


夏日李公見訪  
遠林暑気薄、公子過我遊。
ここの場所は城外遠くに位置していて木立、林は いくらか涼しさをよんでいる、李公はわが家に少しの退屈しのぎに立ち寄ってこられた。
貧居類村塢、僻近城南楼。
貧しいかりの家で、土手のかこまれたような村落であり、辺鄙な所だが 城郭の南門の楼閣に、ほど近い所ではある。
傍舎頗淳樸、所須亦易求。
辺鄙なところだけに近所の人は淳樸で,必要なものも手に入りやすい
隔屋喚西家、借問有酒不。
一軒先の西寄りの家に声をかけ、酒はあるかと  問いかける?
墻頭過濁醪、展席俯長流。
垣根越しに濁り酒が手渡され借りることができた、筵を広げて川縁に寝ころんでちょっとした宴席とした。
清風左右至、客意已驚秋。
清らかな風が酒を酌み交わすのに合わせて 左に右に吹いてくる、川辺の風に旅人気分でいてもう秋が来たかと驚いた。
巣多衆鳥闘、葉密鳴蝉稠。
そればかりでなく鳥の巣が多いのだろう、林の鳥が集まって争いをしているようだ、葉が茂っているから  蝉までがさかんに鳴きつづけている。
苦遭此物聒、孰謂吾廬幽。
その愚かなほどのやかましさに遭遇したことには困ってしまうのだが、たれが我が廬(いおり)が静かでいいといえるものではないのだ!?
水花晩色静、庶足充淹留。
蓮の花が夕暮れ色に染まって清らかに咲いている、この眺めだけで十分ここに留まるだけの値打ちはある
預恐樽中尽、更起為君謀。
それにしても気になるのはこの調子で飲み続けると樽の中の残り酒の量だ、席をたって公子のもてなしのため 一工夫めぐらし、詩でも歌うとするか。



ここの場所は城外遠くに位置していて木立、林は いくらか涼しさをよんでいる、李公はわが家に少しの退屈しのぎに立ち寄ってこられた。
貧しいかりの家で、土手のかこまれたような村落であり、辺鄙な所だが 城郭の南門の楼閣に、ほど近い所ではある。
辺鄙なところだけに近所の人は淳樸で,必要なものも手に入りやすい
一軒先の西寄りの家に声をかけ、酒はあるかと  問いかける?
垣根越しに濁り酒が手渡され借りることができた、筵を広げて川縁に寝ころんでちょっとした宴席とした。
清らかな風が酒を酌み交わすのに合わせて 左に右に吹いてくる、川辺の風に旅人気分でいてもう秋が来たかと驚いた。
そればかりでなく鳥の巣が多いのだろう、林の鳥が集まって争いをしているようだ、葉が茂っているから  蝉までがさかんに鳴きつづけている。
その愚かなほどのやかましさに遭遇したことには困ってしまうのだが、たれが我が廬(いおり)が静かでいいといえるものではないのだ!?
蓮の花が夕暮れ色に染まって清らかに咲いている、この眺めだけで十分ここに留まるだけの値打ちはある
それにしても気になるのはこの調子で飲み続けると樽の中の残り酒の量だ、席をたって公子のもてなしのため 一工夫めぐらし、詩でも歌うとするか。



夏日 李公に訪わる
遠き林に  暑気は薄れ、公子  我に過(よぎ)りて遊ぶ。貧居 は村塢(そんお)に類(に)て、僻(かたよ)りて城南の楼に近し。
傍かたえ舎(いえ)は頗(すこぶ)る淳樸(じゅんぼく)にして、須(もとむ)る所も亦た求め易(やす)し。
屋(むね)を隔てて西の家を喚(よ)び、借問(しゃもん)す  酒有りや不(いな)やと。
墻頭(しょうとう)より濁醪(だくろう)を過(すご)し、席(むしろ)を展(の)べて長流(ちょうりゅう)に俯(ふ)す。
清風  左右より至り、客の意  已(すで)に秋かと驚く。
巣の多くして衆鳥(しゅうちょう)闘い、葉の密にして鳴く蝉の稠(おお)し。
此の物の聒(かまびす)しきに遭(あ)うに苦しみ、孰(たれか)  吾が廬(いおり)幽(ゆう)なりと謂う。
水の花に晩の色は静かなり、庶(ねがわ)くは淹留(くつろぎ)て充(あ)つるに足らん。
預(あらかじ)め  樽の中の尽くるを恐(おもんばかり)、更に起(た)ちて君が為に謀(はか)る。


遠林暑氣薄,公子過我游。
ここの場所は城外遠くに位置していて木立、林は いくらか涼しさをよんでいる、李公はわが家に少しの退屈しのぎに立ち寄ってこられた。

居類村塢,僻近城南摟。
貧しいかりの家で、土手のかこまれたようなそんらくであり、辺鄙な所だが 城郭の南門の楼閣にほど近い所ではある。
○村塢 村落。堤、土手のかこまれたような場所。

傍舍多淳樸,所須亦易求。
辺鄙なところだけに近所の人は淳樸で、必要なものも手に入りやすい



隔屋喚西家,借問有酒不?
一軒先の西寄りの家に声をかけ、酒はあるかと  問いかける?

牆頭過濁醪,展席俯長流。
垣根越しに濁り酒が手渡され借りることができた、筵を広げて川縁に寝ころんでちょっとした宴席とした。

清風左右至,客意已驚秋。
清らかな風が酒を酌み交わすのに合わせて 左に右に吹いてくる、川辺の風に旅人気分でいてもう秋が来たかと驚いた。

巢多眾鳥鬥,葉密鳴蟬稠。
そればかりでなく鳥の巣が多いのだろう、林の鳥が集まって争いをしているようだ、葉が茂っているから  蝉までがさかんに鳴きつづけている。

苦遭此物聒,孰謂吾廬幽?
その愚かなほどのやかましさに遭遇したことには困ってしまうのだが、たれが我が廬(いおり)が静かでいいといえるものではないのだ!?

水花晚色淨,庶足充淹留。
蓮の花が夕暮れ色に染まって清らかに咲いている、この眺めだけで十分ここに留まるだけの値打ちはある

預恐尊中盡,更起為君謀。
それにしても気になるのはこの調子で飲み続けると樽の中の残り酒の量だ、席をたって公子のもてなしのため 一工夫めぐらし、詩でも歌うとするか。
 


 新しい杜曲の家を皇太子の家令李炎が訪ねてくる。 詩中、杜曲を「貧居 村塢に類し」と言っている。塢(お)というのは山野の窪地であり、丈八溝携妓納涼の晩際に雨に遇う、鄭駙馬につきそって韋曲で遊んだ詩にも登場してきた表現である。南に終南山があり、その裾野から長安城まで、こやまと湿地のような状態が続いていて、堤あり、河原あり、畑有ということなのだろう。

 近所の家から濁り酒を借ることができたので、川岸に筵を広げて案内したのだ。「巣多くして衆鳥闘い」、「孰か謂う 吾が廬幽なりと」などと家は子供が多くて騒がしいと言い、李公は大切な客ではあってもあばら家で腰を掛けることもできはしないのだ。 
 川辺には清らかな風が吹いていて、初秋のような涼しさ、日暮れになって「水花」(蓮の花)が静かに咲くと、逗留していただく値打ちはあると謂いながら、気になるのは樽の中の酒が残り少なくなってしまった。
 杜甫の長安での詩にはどこか先行き不安と自己へのもどかしさを覗わせるものが多い。その中でユーモアをもって客に接する誠実なものである。

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投贈哥舒開府翰二十韻  kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 誠実な詩人杜甫特集 82

投贈哥舒開府翰二十韻  kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 誠実な詩人杜甫特集 82
開府儀同三司・河西節度使哥舒翰に贈った詩。作時は754年天宝13載43歳。


投贈哥舒開府翰二十韻
今代麒麟閣,何人第一功。君王自神武,駕馭必英雄。』
開府當朝傑,論兵邁古風。先鋒百勝在,略地兩隅空。
青海無傳箭,天山早掛弓。廉頗仍走敵,魏絳巳和戎。』
每惜河湟棄,新兼節製通。智謀垂睿想,出入冠諸公。
日月低秦樹,乾坤繞漢宮。胡人愁逐北,宛馬又從東。』
受命邊沙遠,歸來禦席同。軒墀曾寵鶴,畋獵舊非熊。
茅土加名數,山河誓始終。策行遺戰伐,契合動昭融。
勛業青冥上,交親氣概中。』
未為珠履客,巳見白頭翁。壯節初題柱,生涯獨轉蓬。
幾年春草歇,今日暮途窮。軍事留孫楚,行間識呂蒙。
防身一長劍,將欲倚崆峒。』


投贈哥舒開府翰二十韻
今代麒麟閣,何人第一功。君王自神武,駕馭必英雄。』
今の唐の世で麒麟閣上に画かれる功臣も多くあろうが、誰が其の中の第一の功あるものであろうか。
我が君王(玄宗)におかせられては神と武の徳を具えられたお方である、その駕馭をじゆうにあやつれる英雄のものときまっている。』


(哥舒翰の陳右での武功をのべる。)
開府當朝傑,論兵邁古風。先鋒百勝在,略地兩隅空。
青海無傳箭,天山早掛弓。廉頗仍走敵,魏絳巳和戎。』
開府侯あなたは朝廷において豪傑であります、兵を論じる時には古風な武人を超えた感がある。
戦にのぞんで先鋒となり、百勝した事実が存在している、攻略した敵地の二方の辺境に敵なしであった。
即ち君あるが故に青海地方には箭を伝えて兵を召す事もなく、天山の地方も吐蕃が降服して早くも弓を掛けておくに至った。
丁度むかし趙の将廉頗が敵を敗走させた事とおなじであり、また魏の絳が戎夷と講和したと同じようである。』


(翰が河西地方を恢復したことをのべる。)
每惜河湟棄,新兼節製通。智謀垂睿想,出入冠諸公。
日月低秦樹,乾坤繞漢宮。胡人愁逐北,宛馬又從東。』
自分はいつも河湟の地方が蕃人の手へ放棄されてあったことを惜しんでいたが君が新に河西節度使を兼ねられてからその軍隊の節制がよくゆきわたるようになった。
開府侯の智謀に対しては我が君王におかせられても恩おもいをよせられ、従って君寵もあついため、開府侯という高位高官にとりたてられ、朝廷への出入に当っては文武諸顕官の上位におられる。
今や日月の光りも帝都の樹木に向って照らしかけ、唐の宮殿をめぐって天地が広く横わっているのだ。
この勢で吐蕃の異民族はただ我が唐から逐いまくられはすまいかと心配し、遂に彼等は我が唐に降参し、華の優秀な宛馬は我が唐の方へやってくる事になった。』


(翰が入朝して君王に封れたことをのべる。)
受命邊沙遠,歸來禦席同。軒墀曾寵鶴,畋獵舊非熊。
茅土加名數,山河誓始終。策行遺戰伐,契合動昭融。
勛業青冥上,交親氣概中。』
こうして開府侯は辺方沙漠のはるか遠き地に在り天子からの命を受けて中央朝へ凱旋歸朝され、君王と同席で宴を賜わった。
開府侯が君寵を担うことは恰もむかしの衛國の懿公(いこう)の鶴のように頻繁に御殿の軒端土縁近くで可愛がられ、又、文王が猟りした時、熊でなく開府侯、あなたを我が君に獲られたのである。
君は領土を授与されてそれにかのうた名誉の地位と禄高数を加えられ、「泰山が崩れ、黄河が水が枯れようと始終変易することあるまじ」と我が君王から誓いを賜わった。
策謀・戦略によって戦伐は無用で遺棄せられるほどなのだ、君王から一平卒までの統率・統合されていて、その功績は輝き照らされて感動を与えている。
開府侯の勛業は実にあおぞらの上に届くほどであり、そして気概をもった人であるから、親交者の中に自分のような者まで加えていただいている。』


(杜甫自身をこと、この詩を投贈する意義について。)
未為珠履客,巳見白頭翁。壯節初題柱,生涯獨轉蓬。
幾年春草歇,今日暮途窮。軍事留孫楚,行間識呂蒙。
防身一長劍,將欲倚崆峒。』

自分はまだ珠履を踏む身分でもない、いつしか白髪交じりの白頭翁のようにみられるようになった。
若いときは司馬相如のように故郷の橋に、題を書きつけて出かけたものでしたが、生涯はただ一塊の蓬のころがっていくようなものですが芯はしっかりしています。
幾年もたってしまっている。旅住いをしながら春の息衝く芳草が冬の寒さに衰えゆくのを見たことのである。今日、すでに晩年となって目途が窮まってしまった。
軍事的には部下に孫楚の如き人をとどめておかれるし、小組小隊、行伍の間から呂蒙の如きすぐれた人物を識りわけて抜擢している。
自分もできるならば一長剣を横えて身を防ぎ、そのうえで開府侯の管轄地にある崆峒山の軍に倚るつもりでいるのです。


○韻  功、雄。』/風、空、弓、戎。』/通、公、宮、東。』
           /同、熊、終、融、中。』/翁、蓬、窮、蒙、峒。』




今の唐の世で麒麟閣上に画かれる功臣も多くあろうが、誰が其の中の第一の功あるものであろうか。
我が君王(玄宗)におかせられては神と武の徳を具えられたお方である、その駕馭をじゆうにあやつれる英雄のものときまっている。』

(哥舒翰の陳右での武功をのべる。)
開府侯あなたは朝廷において豪傑であります、兵を論じる時には古風な武人を超えた感がある。
戦にのぞんで先鋒となり、百勝した事実が存在している、攻略した敵地の二方の辺境に敵なしであった。
即ち君あるが故に青海地方には箭を伝えて兵を召す事もなく、天山の地方も吐蕃が降服して早くも弓を掛けておくに至った。
丁度むかし趙の将廉頗が敵を敗走させた事とおなじであり、また魏の絳が戎夷と講和したと同じようである。』

(翰が河西地方を恢復したことをのべる。)
自分はいつも河湟の地方が蕃人の手へ放棄されてあったことを惜しんでいたが君が新に河西節度使を兼ねられてからその軍隊の節制がよくゆきわたるようになった。
開府侯の智謀に対しては我が君王におかせられても恩おもいをよせられ、従って君寵もあついため、開府侯という高位高官にとりたてられ、朝廷への出入に当っては文武諸顕官の上位におられる。
今や日月の光りも帝都の樹木に向って照らしかけ、唐の宮殿をめぐって天地が広く横わっているのだ。
この勢で吐蕃の異民族はただ我が唐から逐いまくられはすまいかと心配し、遂に彼等は我が唐に降参し、華の優秀な宛馬は我が唐の方へやってくる事になった。』

(翰が入朝して君王に封れたことをのべる。) 
こうして開府侯は辺方沙漠のはるか遠き地に在り天子からの命を受けて中央朝へ凱旋歸朝され、君王と同席で宴を賜わった。
開府侯が君寵を担うことは恰もむかしの衛國の懿公(いこう)の鶴のように頻繁に御殿の軒端土縁近くで可愛がられ、又、文王が猟りした時、熊でなく開府侯、あなたを我が君に獲られたのである。
君は領土を授与されてそれにかのうた名誉の地位と禄高数を加えられ、「泰山が崩れ、黄河が水が枯れようと始終変易することあるまじ」と我が君王から誓いを賜わった。
策謀・戦略によって戦伐は無用で遺棄せられるほどなのだ、君王から一平卒までの統率・統合されていて、その功績は輝き照らされて感動を与えている。
開府侯の勛業は実にあおぞらの上に届くほどであり、そして気概をもった人であるから、親交者の中に自分のような者まで加えていただいている。』

(杜甫自身をこと、この詩を投贈する意義について。)
自分はまだ珠履を踏む身分でもない、いつしか白髪交じりの白頭翁のようにみられるようになった。
若いときは司馬相如のように故郷の橋に、題を書きつけて出かけたものでしたが、生涯はただ一塊の蓬のころがっていくようなものですが芯はしっかりしています。
幾年もたってしまっている。旅住いをしながら春の息衝く芳草が冬の寒さに衰えゆくのを見たことのである。今日、すでに晩年となって目途が窮まってしまった。
軍事的には部下に孫楚の如き人をとどめておかれるし、小組小隊、行伍の間から呂蒙の如きすぐれた人物を識りわけて抜擢している。
自分もできるならば一長剣を横えて身を防ぎ、そのうえで開府侯の管轄地にある崆峒山の軍に倚るつもりでいるのです。



(哥舒翰開府翰に投贈す二十韻)
今代麒麟閣 何人か第一の功なる
君王自ら神武 駕駁必ず英雄なり』


(哥舒翰の陳右での武功をのべる。)
開府は朝に当るの傑 兵を論ずる古に遇ぐる風あり
先鋒百戦在り 略地両隅空し
青海箭を伝うること無く 天山早く弓を挫く
廉頗偽りて敵を走らす 魂経己に戎に和す』


(翰が河西地方を恢復したことをのべる。)
毎に悼む河塩の棄てらるるを 新に兼ねて節制通ず
智謀着想を垂る 出入諸公に冠たり
日月秦樹に低れ 乾坤漢宮を繞る
胡人逐北を愁う 宛馬又た東に従う』


(翰が入朝して君王に封れたことをのべる。) 
命を辺抄の速さに受く 帰り来って御席同じ
軒軽骨ねて鶴を寵す 故猟旧と非熊
茅土名数を加う 山河始終を誓う
策行われて戦伐を過す 契り合して昭融を動かす
勲業青冥の上 交親気概の中』


(杜甫自身をこと、この詩を投贈する意義について。)
未だ珠履の客と為らざるに 己に見る白頭の翁なるを
壮節初め柱に題す 生涯独り転蓬
幾年か春草飲む  今日暮途窮す
軍事孫楚を留め  行間呂蒙を識る
防身の一長剣 崆峒に倚らんと将欲す』




(哥舒翰開府翰に投贈す二十韻
投贈此の詩篇を投じ贈る。○哥舒翰 開府哥舒は姓、名は翰。突騎施の首領、哥舒部落の出身であることから哥舒を姓とする。747、749年天宝六、八載吐蕃を破る。・府兵制の崩壊、折衝府軍の形骸化。752年天宝十一載に開府儀同三司を加えられ、754年同十三載には河西節度使を加えられ西平郡王に封ぜられた。翰は753年十二載の冬に入朝した。


今代麒麟閣,何人第一功。
今の唐の世で麒麟閣上に画かれる功臣も多くあろうが、誰が其の中の第一の功あるものであろうか。
今代 唐をさす。○麟麟閣 漢の武帝は麟を獲て麟麟閣を作りそこに功臣を画いた。宣帝の甘露三年にも大将軍電光等十二人を画いた。



君王自神武,駕馭必英雄。』
我が君王(玄宗)におかせられては神と武の徳を具えられたお方である、その駕馭をじゆうにあやつれる英雄のものときまっている。』
君王玄宗をさす。○神武「易」にみえる。人力以上の武徳あること。○駕馭 駕は馬を車につけること、馭は馬をあやつること、人物を馬に此していう。○英雄人傑をいう。



(哥舒翰の陳右での武功をのべる。)
開府當朝傑,論兵邁古風。
開府侯あなたは朝廷において豪傑であります、兵を論じる時には古風な武人を超えた感がある。
開府 哥舒翰をさす。○当朝傑 朝廷に於ての豪傑。
論兵 兵謀のことを議論する。○遇古風 遇は過ぎる、こえることをいう。風とはすがたをいう。



先鋒百勝在,略地兩隅空。
戦にのぞんで先鋒となり、百勝した事実が存在している、攻略した敵地の二方の辺境に敵なしであった。
先鋒百戦 哥舒翰は初め、河西節度使王健の部下にあり、又王忠嗣の将校となって西辺に武功をたてた。○略地 略は取ること。〇両隅 二万の辺地、天山、青海をさす。○ むかう敵がない。



青海無傳箭,天山早掛弓。
即ち君あるが故に青海地方には箭を伝えて兵を召す事もなく、天山の地方も吐蕃が降服して早くも弓を掛けておくに至った。
青海 今の青海省の地方。○無伝箭 兵を起こすときは箭(命令のしるし)を信号としてつぎつぎと命令を伝える。箭を伝うるなしとは兵をやめることをいう。哥舒翰は天宝六載に王忠嗣に代って陳右節度使となり青海のほとりに神威軍を築いて吐蕃を破った。又青海の中の竜駒島に城を築いたので吐蕃は後退した。○天山 祁連山とも白山ともいう山、唐の交河県(今の吐魯蕃地万)の北一百二十里にある。翰が吐蕃の石堡城を攻めたとき、麾下の将高秀微、張守喩をして進攻せしめ旬日ならずしてこれを破った。○掛弓 弓をかけておくこと。戦のないために弓を用いないこと。



廉頗仍走敵,魏絳巳和戎。』
丁度むかし趙の将廉頗が敵を敗走させた事とおなじであり、また魏の絳が戎夷と講和したと同じようである。』
廉頗 戦国時の趙の良将。○魏絳 春秋の時の晋の悼公の臣。絳は公に説くに戎と和するのには五利のあることを以てし、遂に戎と和した。


 
(翰が河西地方を恢復したことをのべる。)
每惜河湟棄,新兼節製通。
自分はいつも河湟の地方が蕃人の手へ放棄されてあったことを惜しんでいたが君が新に河西節度使を兼ねられてからその軍隊の節制がよくゆきわたるようになった。
毎惜 作者の心にてつねにこれを惜しむこと。○河渡 河は黄河、湟は塩水。塩水は青海の東の乱山中より出て東南流して蘭州の西南に至って黄河に入る。今は甘粛省の西寧府城北を東南流して黄河に入る。此の地方は常に唐と吐蕃との争奪の目的となった処である。○ 蕃人の手にすてることをいう。○新兼節制 天宝十二載に翰は封を涼国公に進められ、河西節度使を加えられ、吐蕃の洪済・大漠門等の城を破り、悉く九曲の地を収め、其の地に挑陽郡を置き、神策・宛秀の二軍を築いた。節制を兼ねるとはこれをさす。○ 節制のゆきわたることをいう。



智謀垂睿想,出入冠諸公。
開府侯の智謀に対しては我が君王におかせられても恩おもいをよせられ、従って君寵もあついため、開府侯という高位高官にとりたてられ、朝廷への出入に当っては文武諸顕官の上位におられる。
智謀翰の智謀。○垂睿想 睿想とは天子の恩おもいをいう。垂るとは想いをかけられることを敬っていう。○出入 翰が朝廷に出入することをいう。○冠諸公 冠とは首位におることをいう、諸公とは文武の顕官をさす。



日月低秦樹,乾坤繞漢宮。
今や日月の光りも帝都の樹木に向って照らしかけ、唐の宮殿をめぐって天地が広く横わっているのだ。
日月低秦樹秦樹とは関中の樹木、帝畿の樹木をいう。日月の光がこの樹木に向かって上から下へと照らしかけるというのは帝業のかがやくこころをこめていう。○乾坤続漢宮 漢宮とは唐の宮殿をいう、乾坤は天地のこと。天地が唐の宮殿をめぐるとは、この地球上の広がりがことごとく唐のものとなったさまをいう。此の二句は実に壮大な句ということができる。



胡人愁逐北,宛馬又從東。』
この勢で吐蕃の異民族はただ我が唐から逐いまくられはすまいかと心配し、遂に彼等は我が唐に降参し、華の優秀な宛馬は我が唐の方へやってくる事になった。』
胡人 えびす、異民族、吐蕃をさす。○逐北 北するを逐うとは唐の軍が南方より勝ちに乗じて逐いまくることをいう。○宛馬又従東 漢の武帝の時大宛国を伐って天馬を得、天馬の歌を作った。その歌に「天馬来タル、無事ヲ歴、千里ヲ経、東通二循ウ」とある。従東とは「東通二循り」の意であり、西方の地より東方なる中国本土の方へと道に添うてやってくることをいう。ここでは吐蕃等の西戎が唐へ降ったので、その馬が唐へくることをいう。




(翰が入朝して君王に封れたことをのべる。) 
受命邊沙遠,歸來禦席同。
こうして開府侯は辺方沙漠のはるか遠き地に在り天子からの命を受けて中央朝へ凱旋歸朝され、君王と同席で宴を賜わった。
受命 天子より入朝すべしとの命令をうけること。○辺沙 遠辺方沙漠の遠い地、河西をさす。○帰来 朝廷に凱旋してかえり来る。○御席 君王天子賜宴の席。



軒墀曾寵鶴,畋獵舊非熊。
開府侯が君寵を担うことは恰もむかしの衛國の懿公(いこう)の鶴のように頻繁に御殿の軒端土縁近くで可愛がられ、又、文王が猟りした時、熊でなく開府侯、あなたを我が君に獲られたのである。
軒墀 のきば、土縁。○層と同じ。○寵鶴「左伝」に衛の殊公は鶴を愛し、鶴に大夫の軒にのるものがあったという。この故事を用いる。○政猟 すなどり、かり。○非熊 これは文王が太公望を得たときの故事である。文王が猟をしようとしてこれを卜したところ、獲る所は「竜二非ズ影二非ズ、虎二非ズ熊二非ズ、乃チ覇王ノ輔ナラン」とあったという、果たして大公を得てかえった。熊を熊として用いている。唐の李翰の「蒙求」に呂望非熊の語があり、「後漢書」雀相伝の李賢注にも「史記」を引いて非熊非熊といっているのからすれば唐代の「史記」は非熊とあったものがあったことを知ることができる。哥舒翰を太公望に此したもの。



茅土加名數,山河誓始終。
君は領土を授与されてそれにかのうた名誉の地位と禄高数を加えられ、「泰山が崩れ、黄河が水が枯れようと始終変易することあるまじ」と我が君王から誓いを賜わった。
茅土加名数 茅土とは領地を与えることをいう。古代天子が諸侯を封ずるときにはその地方の東西南北如何によって其の方位の色(東は青、酉は白、南は赤、北は墨の土を与えて社(土神を祭る)を立てしめ、その土はこれをしくに白き茅を以てし、葢うに黄土を以てした。白茅はその潔白なる義を取り、黄土は王者は四方を覆うの義を取ったもの。天宝十二載九月に隴右節度使涼国公哥舒翰は封を西平郡王に進められ実封五百戸を食した。名数とは名位度数にして、名位とは官爵をさし、度数は名位に相応した階級数量(五百戸というのは禄数である)をさす。○山河誓始終 漢の高祖が功臣を封ずるとき誓っていう、「黄河ヲシテ帯ノ如ク、泰山ヲシテ礪ノ若クナラシムルモ、国ハ以テ永二存シ、爰(ここ)二苗裔(びょうえい)二及バン」と。黄河が細りて帯のようになり泰山が砕けてといしのようになろうとも、汝の国は永久に存在して子孫まで及ぼしめようというのである、誓始終とは始終変易あるまじと誓うこと。



策行遺戰伐,契合動昭融。
策謀・戦略によって戦伐は無用で遺棄せられるほどなのだ、君王から一平卒までの統率・統合されていて、その功績は輝き照らされて感動を与えている。
策行 翰の辺境処置の策謀・戦略が行われる。○遺戰伐 遺とはすておいて用いないことをいう。○契合 君王から一平卒までの統率・統合されていること。○動昭融 「詩経」大雅の既酔第に「昭明融アリ」の語があり、周の成王の道は光大にして甚だ長いことをいうと説いているが、ここは蓋し天子の徳光をいうのであろう。動とは感動せしめることをいう。功績は輝き照らされて感動を与えているとする。
 


勛業青冥上,交親氣概中。』

開府侯の勛業は実にあおぞらの上に届くほどであり、そして気概をもった人であるから、親交者の中に自分のような者まで加えていただいている。』
勛業 勛は勲に同じ。翰の勲功事業。○青冥 あおぞら。○交親 自己との親交。○気概中 気概は気節をいう。翰は気節があるので、その中に自己との親交をたもつということ。




(杜甫自身をこと、この詩を投贈する意義について。)
未為珠履客,巳見白頭翁。
自分はまだ珠履を踏む身分でもない、いつしか白髪交じりの白頭翁のようにみられるようになった。
珠履客 戦国の時、楚の春申君の食客三千余人、其の上客は皆珠の履を踏んだという、ここは作者が未だ諸侯の幕客にさえなっていないことをいう。



壯節初題柱,生涯獨轉蓬。
若いときは司馬相如のように故郷の橋に、題を書きつけて出かけたものでしたが、生涯はただ一塊の蓬のころがっていくようなものですが芯はしっかりしています。
壮節 壮年期の節操。○題柱漢 の司馬相加の故事、相如は蜀の人で故郷を出ようとするとき昇仙橋の柱に題して「駟馬の車に乗らざれば復び此の橋を過らず」といったが後ち果たして其の言の如くなった。○転蓬 蓬の草は秋風に吹かれるままにとんで移転しあるくので漂泊生活にたとえるがその芯にあるものはしっかりあるという、矜持の心を失っていない場合に使う。



幾年春草歇,今日暮途窮。
幾年もたってしまっている。旅住いをしながら春の息衝く芳草が冬の寒さに衰えゆくのを見たことのである。今日、すでに晩年となって目途が窮まってしまった
春草歇 これは唐人の慣用であり、出典は「楚辞」の「王孫遊ンデ帰ラズ、春草生イテ著書タリ」の句に本づく。唐人はやります、できます、お願いしますといわないもの。その表現を逆にして訴えるので、日本人的に見ると、自虐的に感じたり、嘆いてばかりに見える訳注などに杜甫は嘆いてばかりいると訳されているが、全く違う。歇は哀歇の義、花芳が衰えてやんでしまうことをいう、春草の芳がやむということは、空しく春をすごしてしかも故郷に帰らぬことをいう強い意志を持っているのである。○暮途 晩年の道途。



軍事留孫楚,行間識呂蒙。
軍事的には部下に孫楚の如き人をとどめておかれるし、小組小隊、行伍の間から呂蒙の如きすぐれた人物を識りわけて抜擢している。
孫楚 晋の時、石苞の参軍となった人。甚だ倣慢な人で始めて苞の処に至るや、「天子我二命ジテ、卿ノ軍事二参セシム」といったという。○行間 行伍(兵卒の小組)の間をいう。○呂蒙 三国の時の呉の孫権の臣。孫楚・呂蒙は翰の幕府中の英才をさす。厳武・呂謹・高適・帝折・王思礼・郭英父・曲環等の人々を列挙しているといわれる。



防身一長劍,將欲倚崆峒。』
自分もできるならば一長剣を横えて身を防ぎ、そのうえで開府侯の管轄地にある崆峒山の軍に倚るつもりでいるのです。
防身 身をふせざまもる。〇倚崆峒 倚の字は上旬の長剣をうけていう。宋玉「大言賦」に「長剣秋秋トシテ、天外二倍ル」とみえる。崆峒は山の名、甘粛省輩昌府眠州治の西二十里にあり、河西の地の名山。


○韻  功、雄。』/風、空、弓、戎。』/通、公、宮、東。』/同、熊、終、融、中。』/翁、蓬、窮、蒙、峒。』

贈陳二補闕  kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 誠実な詩人杜甫特集 81

贈陳二補闕  kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 誠実な詩人杜甫特集 81

補関の官職にある陳某に贈った詩。

754年天宝13載              43



贈陳二補闕
世儒多汨沒,夫子獨聲名。
世の多くの儒学者は、取り上げられず下流の地位のままで沈んでいる。夫子たる陳公はただ一人名声が上がっている。
獻納開東觀,君王問長卿。
道教寺院を重んじ、東観から道教の書物をひも解いて奉献をしなさい、玄宗皇帝は、今、司馬相如たる陳長卿に道教についてお尋ねになるであろうから。
皂雕寒始急,天馬老能行。
熊鷹と呼ばれる役目柄であることは寒くなれば元気づくものだ、朝廷内での逆風も君の今後のためにもいいことだ、天馬というものはたとえ老いるまでは千里の道を歩き続けるものだ。
自到青冥裡,休看白發生。

青空のように高い地位に上り詰めたからには、たとえ白髪が増えようときにしないで突き進めるのだ。



世の多くの儒学者は、取り上げられず下流の地位のままで沈んでいる。夫子たる陳公はただ一人名声が上がっている。
道教寺院を重んじ、東観から道教の書物をひも解いて奉献をしなさい、玄宗皇帝は、今、司馬相如たる陳長卿に道教についてお尋ねになるであろうから。
熊鷹と呼ばれる役目柄であることは寒くなれば元気づくものだ、朝廷内での逆風も君の今後のためにもいいことだ、天馬というものはたとえ老いるまでは千里の道を歩き続けるものだ。
青空のように高い地位に上り詰めたからには、たとえ白髪が増えようときにしないで突き進めるのだ。



陳二補闕に贈る
世儒多く汨沒たり 夫子独り声名あり
献納東観開く 君王長卿を問う
皂雕寒くして始めて急に 天馬老いて能く行く
青冥の裡に到りし自り 白髪の生ずるを看ることを休めよ




世儒多汨沒,夫子獨聲名。
世の多くの儒学者は、取り上げられず下流の地位のままで沈んでいる。夫子たる陳公はただ一人名声が上がっている。
世儒 世上の儒者。○汨沒 汨はしずむ、汨没とは世間の下流にしずんでいること。唐王朝は道教を国教としたために、「儒学は国を滅ぼす」と儒学者は疎んじられた。○夫子 陳補閲を尊敬してかく称する、陳は蓋し時の老儒と思われる。



獻納開東觀,君王問長卿。
道教寺院を重んじ、東観から道教の書物をひも解いて奉献をしなさい、玄宗皇帝は、今、司馬相如たる陳長卿に道教についてお尋ねになるであろうから。
献納開東観 ここで道教の寺観に献納、仕えることができるかということを天子から問われた時のことを詠っている。侍従の臣の職務はかくの如くであり、補闕・拾遺等の官は天子に過失非違があったとき之をお諌めもうす官である。儒学を勉強してきた陳補闕が道教を重んじる玄宗に対していかなる態度、意見を述べるのか杜甫の最大の関心事であった。
東観は後漢の時の図書を蔵する所で、唐では集賢殿がそれにあたる。道教の書典を数多く収められている。○君王 玄宗。○問長卿 長卿は漢の司馬相如の字である。武帝は相如の「子虚賦」を読みこの人と時を同じくしたいものだといわれたところが、狗監楊得意という者がこれは臣の邑人司馬相知の作だと答えたので、帝は驚き召して相加を問うた。ここは陳を相如に此する。



皂雕寒始急,天馬老能行。
熊鷹と呼ばれる役目柄であることは寒くなれば元気づくものだ、朝廷内での逆風も君の今後のためにもいいことだ、天馬というものはたとえ老いるまでは千里の道を歩き続けるものだ。
皂雕 くろいくまだか。唐の王志情が左台御史となったとき人は之を皂雕とよんだという、御史も補闕も非違を弾劾する茂るべき官であるからかくたとえていった。○寒始急 急とはその勢いの厳急なことをいう。寒とは秋より冬にかけていう、そのころから鷹は勢いがつよくなる。○天馬 大宛の名馬、これも陳をたとえていう。



自到青冥裡,休看白發生。
青空のように高い地位に上り詰めたからには、たとえ白髪が増えようときにしないで突き進めるのだ。
青冥 あおぞら、高い地位をいう。○休看 看るとは気にしてみることをいう。看るをやめよとは気にするな、老いをわすれて職務につとめよということ。



○韻   名、卿、行、生。

送張十二参軍赴蜀州因呈楊五侍御  kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 誠実な詩人杜甫特集 80

送張十二参軍赴蜀州因呈楊五侍御  kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 誠実な詩人杜甫特集 80張彪君が蜀州の参軍となって赴任するにつけて楊侍御に呈した詩。此の詩は張を楊に紹介する作である。
754年天宝13載 43歳




送張十二参軍赴蜀州因呈楊五侍御
好去張公子、通家別恨添。
名門の張君よ出発のいい時期になった、君の家と我が家とは先代から交際がある家柄だ、さすがに別れの辛さが加わってくるというものだ。
两行秦樹直、萬點蜀山尖。
行く道の京畿ちかくの道路は並木樹がまっすぐに立っており、遠方蜀の山々の尖っている山頂が点々と見えてくるだろう。
御史新驄馬、参軍舊紫髯。
楊御史は新しい驄馬にまたがっているだろうし、君は参軍として昔の武将郗超(ちちょう)そのままの紫髯(しぜん)の人となるだろう。
皇華吾善處、于汝定無嫌。

天子の使者たる楊君に対しては善処してあるから、使者楊君は君に対して何等の疑うことなくうちとけてくれるだろう。



名門の張君よ出発のいい時期になった、君の家と我が家とは先代から交際がある家柄だ、さすがに別れの辛さが加わってくるというものだ。
行く道の京畿ちかくの道路は並木樹がまっすぐに立っており、遠方蜀の山々の尖っている山頂が点々と見えてくるだろう。
楊御史は新しい驄馬にまたがっているだろうし、君は参軍として昔の武将郗超(ちちょう)そのままの紫髯(しぜん)の人となるだろう。
天子の使者たる楊君に対しては善処してあるから、使者楊君は君に対して何等の疑うことなくうちとけてくれるだろう。



(張十二参軍が萄州に赴くを送り、因って楊五侍御に呈す)
好し去れ張公子 通家別恨添う。
両行秦樹直く、 万点蜀山尖る。
御史新に驄馬、 参軍旧紫髯。
皇華には吾善く処せり、 汝に于て定めて嫌い無からん。



送張十二参軍赴蜀州因呈楊五侍御
○張十二参軍張は姓、名は彪。杜甫「寄張十二山人彪」がある。参軍は蜀州の参軍事の職をいう。○蜀州今の四川省成都府の西、崇慶州。○楊五侍御場は姓、名は譜であろう。杜甫に「寄楊五桂州」詩がある。侍御は官名、侍御史をいう。場は侍御を以て諸道の使者となっておったものであろう。



好去張公子、通家別恨添。
名門の張君よ出発のいい時期になった、君の家と我が家とは先代から交際がある家柄だ、さすがに別れの辛さが加わってくるというものだ。
張公子 漢の成帝の時の童謡に「燕燕尾誕挺云々」とあり、中に「張公子、時二相イ見ル」の語がある。張公子とは張故をいう。成帝は微行することを好み、そのときには自ずから張故の家人だと称したので、後世の詩人が張姓の人をさすのにしばしば張公子の語を用いる。ここはかりて張十二をさす。○通家 先代以来交際ある両家を通家という。張家と杜家とは先代以来の交りがあったものと見える。○別恨添 別離の恨みがくわわる。



两行秦樹直、萬點蜀山尖。
行く道の京畿ちかくの道路は並木樹がまっすぐに立っており、遠方蜀の山々の尖っている山頂が点々と見えてくるだろう。
両行 左右二列、並木をさす。○秦樹直 奏樹とは京畿の道路の並木樹をいう。直とはまっすぐに立っていること。〇万点 山のさきを遠方よりみてほっちりとしているさまを点といいなしたもの、万とは無数に多くあることをいう、尖とは峰頂が鋭くたつことをいう。

御史新驄馬、参軍舊紫髯。
楊御史は新しい驄馬にまたがっているだろうし、君は参軍として昔の武将郗超(ちちょう)そのままの紫髯(しぜん)の人となるだろう。
御史 侍御史をいう、楊五をさす。○新驄馬 驄馬はあおうま。後漢の桓典の故事、桓典は侍御史となり常に驄馬に乗ったので、時人は語って、「行キ行キテ且ツ止ドマル、驄馬ノ御史ヲ避ク」といったところより、驄馬はついに御史の故事となった。其の人が実に驄馬にのると否とにはかかわらぬ。新とは楊五が新にこの官となったことをいう。○旧紫髯 紫髯の参軍は晋の郗超の故事。超が桓温の参軍となったとき、府中は彼を号して贅参軍といった。此の句は張十二をさす。旧とは古の郗超の如くであることをいう。



皇華吾善處、于汝定無嫌。
天子の使者たる楊君に対しては善処してあるから、使者楊君は君に対して何等の疑うことなくうちとけてくれるだろう。
皇華 朝廷よりの使者のこと、「詩経」小雅に皇皇者華第がある。草木の華の坦々とかがやくことをいう。其の詩は君たるものの使者を遣るときのあるところより使者を皇華という。侍御史は天子の使者として地方にさしつかわされてあるものとみるのであり、これは楊五をさす。○善処 よしみにする、その人に対してうまく処置してあるというのである。○汝 張をさす。○無嫌 嫌疑なくうちとけることをいう。

贈田九判官梁丘  kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 誠実な詩人杜甫特集 79

贈田九判官梁丘  kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 誠実な詩人杜甫特集 79
河西節度の判官田梁丘に贈った詩。作時は754年天宝13載43歳。。



贈田九判官梁丘
崆峒使節上青霽、河隴降王疑聖朝。
君は崆峒山地方を治める河西の節度使として朝廷へでてこられたが、時は河隴方面の降服した蕃王が我が唐の聖朝を訪うというめでたい時である。
宛馬總肥秦苜蓿、将軍只数漢嫖姚。
大宛国の外馬も秦の内地の草をたべて繁殖されてきたが、これは将軍中の将軍ともいうべき漢の標姚校尉震去病の如き人(哥舒翰)があってのことである。
陳留阮瑀誰争長、京兆田郎早見招。
かの文才を以てしてはだれも之と雄長を争う者もないという陳留の阮瑀に匹敵する高適公も早くも京兆の田郎ともいうべき君のために哥舒翰将軍の幕下へ招きよせられたのである。
麾下頼君才竝美、濁能無意向漁樵。
将軍の麾下は君のおかげでその人才がみなどれも美なるものが集っているのである。どうして今、無冠の漁樵生活をしておる自分に対して向けられていないというのはどうだろう。



君は崆峒山地方を治める河西の節度使として朝廷へでてこられたが、時は河隴方面の降服した蕃王が我が唐の聖朝を訪うというめでたい時である。
大宛国の外馬も秦の内地の草をたべて繁殖されてきたが、これは将軍中の将軍ともいうべき漢の標姚校尉震去病の如き人(哥舒翰)があってのことである。
かの文才を以てしてはだれも之と雄長を争う者もないという陳留の阮瑀に匹敵する高適公も早くも京兆の田郎ともいうべき君のために哥舒翰将軍の幕下へ招きよせられたのである。
将軍の麾下は君のおかげでその人才がみなどれも美なるものが集っているのである。どうして今、無冠の漁樵生活をしておる自分に対して向けられていないというのはどうだろう。



(田九判官梁丘に贈る)
崆峒の使節青零に上る、河隴の降王聖朝を疑く。
宛馬総て肥ゆ秦の苜蓿、将軍只だ数う漢の嫖姚。
陳留の阮璃誰か長を争わん、京兆の田郎早く招かる。
麾下君に頼って才並に美なり、独り能く意の漁樵に向う無からんや。
 


贈田九判官梁丘
○田九判官梁丘 田は姓、梁丘は名、九は従兄弟間の順位の数、判官は官名。天宝十三載に哥舒翰が河西節度使、梁丘はその判官として朝廷へ出むいて来たもの。


 
崆峒使節上青霽、河隴降王疑聖朝。
君は崆峒山地方を治める河西の節度使として朝廷へでてこられたが、時は河隴方面の降服した蕃王が我が唐の聖朝を訪うというめでたい時である。
崆峒使節 崆峒は山の名、甘粛省鞏昌府岷州にあり、隴右節度使の管内にある。其の地の名山をあげて其の地の代表とする。崆峒使節とは隴右兼河西の節度使である哥舒翰よりの使者、田梁丘をさしている。○上青霄 青霄はあおぞら、あおぞらにのぼるとは梁丘が朝廷へ出て来たことをいう。○河隴降王 蘇毘王をさす、河隴とは河西隴右をいう。○疑聖朝 塞の門をたたいて唐朝へおとずれて来ることをいう。



宛馬總肥秦苜蓿、将軍只数漢嫖姚。
大宛国の外馬も秦の内地の草をたべて繁殖されてきたが、これは将軍中の将軍ともいうべき漢の標姚校尉震去病の如き人(哥舒翰)があってのことである。
宛馬 大宛国の馬、ここは吐谷渾、吐蕃などの西夷の馬をさす。哥舒翰は天宝十二載には吐蕃を撃って九曲部落を収めた。○秦苜蓿 秦とは関中、長安地方をいう。唐の京師の近地をさす。常宿はうまごやしという草のこと。宛馬が秦の草に肥えるというのは、西夷が唐に降った故、西夷の馬も唐の草をたべて繁殖されてきたことをいう。○漢嫖姚 漢の武帝の時審去病というものが名将にて蝶桃校尉となった。ここはよりせつかん哥舒翰をこれにあてている。



陳留阮瑀誰争長、京兆田郎早見招。
かの文才を以てしてはだれも之と雄長を争う者もないという陳留の阮瑀に匹敵する高適公も早くも京兆の田郎ともいうべき君のために哥舒翰将軍の幕下へ招きよせられたのである。
陳留阮瑀 魏の阮瑀、字は元喩、陳留の人、文筆の才があった。ここは高適をさす。作者はしばしば高適を此する。竹林の七賢の指導者的人物である。子に建安七子の一人である阮籍。を以てした。高適は河西節度の書記として苛紆翰の幕下にあった。次の句によれば高適を翰にすすめたものは必ず染丘であったであろうという。○争長 技能の雄長をあらそうこと。○京兆田郎 後漢の田鳳をいう。田鳳は郎となり、容儀端正であり、入りて事を奏するや霊帝はこれを目送して因って柱に題していう、「堂堂乎タリ張ヤ(語は「論語」に見える)京兆ノ田郎」と。ここは田梁丘をさしていう。○早見招 此の句は前句とつづけてみるのがよい、見レ招の主格となるものは前句の院璃であり、見抜とはまねきいたされたことをいう。



麾下頼君才竝美、濁能無意向漁樵。
将軍の麾下は君のおかげでその人才がみなどれも美なるものが集っているのである。どうして今、無冠の漁樵生活をしておる自分に対して向けられていないというのはどうだろう。
魔下 哥舒翰の指揮下をいう。その幕府をさす。○ 田をさす。〇才並美 人才みなうるわし。美を人に作ると人才がすべて魔下に入ったとの義となる。○独能無 能無は反語にして豈無の意となる。



○韻  霽、朝、姚、長、招、樵。

送裴二虬尉永嘉  kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 誠実な詩人杜甫特集 78

送裴二虬尉永嘉  kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 誠実な詩人杜甫特集 78

送裴二虬尉永嘉
裴二虬が永嘉の尉に任ぜられて赴くのを送る詩。
作時は754年天宝13載43歳。

送裴二虬尉永嘉
孤嶼亭何處、天涯水氣中。
謝霊運の遺蹟である孤暁の亨はどこにあるのであろうか、天の果てはるかなところに、水蒸気、邪気のただよっているあたりという。
故人官就此,絕境與誰同。
わが友人たる君はその地へ官とし赴任する、あの地の境のような場所で君はだれとその風景を味わう趣を一緒にするか。
隱吏逢梅福,遊山憶謝公。
君がそこに任官するのは半隠半吏として隠れ役人だった漢の梅福にであったようなものである、同時にあの遊山ずきであった謝公を憶わずにはおれないのだ。
扁舟吾已僦,把釣待秋風。

わたしは小さな釣り舟をかりうける。秋風の吹く頃を待ってそちらにでかけて釣竿を手にしようと思っている。



謝霊運の遺蹟である孤暁の亨はどこにあるのであろうか、天の果てはるかなところに、水蒸気、邪気のただよっているあたりという。
わが友人たる君はその地へ官とし赴任する、あの地の境のような場所で君はだれとその風景を味わう趣を一緒にするか。
君がそこに任官するのは半隠半吏として隠れ役人だった漢の梅福にであったようなものである、同時にあの遊山ずきであった謝公を憶わずにはおれないのだ。
わたしは小さな釣り舟をかりうける。秋風の吹く頃を待ってそちらにでかけて釣竿を手にしようと思っている。



裴(はい)二虬(きゅう)が永嘉に尉たるを送る
孤嶼亭(こしょてい)何の処ぞ、天涯 水気の中。
故人官(こじんかん)此に就く 絶境 興誰とか同じくする。
隠吏(いんり)梅福(ばいふく)に逢う 遊山(ゆうざん)謝公(しゃこう)を憶う。
扁舟(へんしゅう)吾己に僦(やと)いぬ 釣を把るには秋風を待つ。





送裴二虬尉永嘉
裴二虬が永嘉の尉に任ぜられて赴くのを送る詩。
裴二虬 裴虬、字は深原。後ち769年大暦四年に道州刺史となった。刺史裴使君に陪して岳陽楼にのぼったことをよんだ詩。大暦四年春初の作。「陪裴使君登岳陽樓」○ 県の警察を掌る官、令の下官である。○永嘉 今の浙江省温州府。謝霊運が左遷された地であり、謝霊運はここの山水を愛し遊んだ。



孤嶼亭何處、天涯水氣中。
謝霊運の遺蹟である孤暁の亨はどこにあるのであろうか、天の果てはるかなところに、水蒸気、邪気のただよっているあたりという。
孤嶼亭(こしょうてい)  孤嶼は温州の永嘉江の中に在る。宋の謝霊運に「登江中孤嶼」詩(文選26巻「行旅」)があり、後人が亭を其の上に建てた。甌江の下流、海との接点に 孤嶼山がある。謝霊運は神仙の地ととらえていた。



故人官就此,絕境與誰同。
わが友人たる君はその地へ官とし赴任する、あの地の境のような場所で君はだれとその風景を味わう趣を一緒にするか。
故人 ふるなじみ、 裴虬をさす。○ 永嘉の地をさす。○絶境塵 世とかけはなれた境地。○ 風景に対しそれを味わう興味。



隱吏逢梅福,遊山憶謝公
君がそこに任官するのは半隠半吏として隠れ役人だった漢の梅福にであったようなものである、同時にあの遊山ずきであった謝公を憶わずにはおれないのだ。
隠吏 隠遁者の性質を帯びている吏。○梅福 漢末九江の人、南昌尉となる、王芥が政を尊にするや一朝妻子を棄て去って会稽に隠れた。人は伝えて仙となした。ここは裳をあてていう。○謝公 謝霊運をいう。霊運は山水の遊を好み、山水に関する詩賦を以て著名である。



扁舟吾已僦,把釣待秋風。
わたしは小さな釣り舟をかりうける。秋風の吹く頃を待ってそちらにでかけて釣竿を手にしようと思っている。
扁舟 小さな平べたい舟。○ かりうける。○把釣待秋 把釣とは釣竿を手にとろうとすることをいう。
ここは謝霊運の境地で詠っているにすぎない。まさかこの二人が15年後に岳陽楼に一緒に登ることなど予想だにしなかったことである。




○韻 中、同、公、風。


醉時歌  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の 漢詩ブログ 誠実な詩人 杜甫 特集 77

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醉時歌  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の 漢詩ブログ 誠実な詩人 杜甫 特集 77

酔ったときの気もちを詠ったもの。杜甫の親友である広文館の博士鄭虔に贈ったもの。作時は754年天宝13載43歳。長安。〔原注〕に贈虞文館博士鄭虔。とある。別に、755年春の「酔歌行」がある。


酔時歌 
#1
諸公袞袞登臺省,廣文先生官獨冷。
仕官している方々は続々として三省六部、九寺、御史台の官庁へ登用されるが、広文先生(鄭虔)は部下ひとりだけのさびしい官についておられる。
甲第紛紛厭粱肉,廣文先生飯不足。
また他の諸官員は上等の邸宅を無数にかまえて梁肉の御馳走にあききっておるが、我が広文先生はご飯も不足がちである。
先生有道出羲皇,先生有才過屈宋。
先生は身に道義をそなえていることは三皇五帝以上である、また文才をもっておられること屈原や宋玉よりもまさっておられる。
德尊一代常坎軻,名垂萬古知何用。』
道や徳が生きている一代にどんなに尊いものであってもいつも不遇でおられる、之を見ると後の世にその名を遺したとしても何の役に立つかというような気がする。』
#2
杜陵野客人更嗤,被褐短窄鬢如絲。
杜陵近くに住む無冠の自分に至ってはいっそう他人から笑われている。きている毛織物は着丈が短くて身はばがせまく、髪の毛は白糸混じりのようだ。
日糴太倉五升米,時赴鄭老同襟期。
日々御米屋から五升ずつの米をかいいれ、詩文を売り金を手にすると、同志たる鄭虔老先生のところへでかけるのである。
得錢即相覓,沽酒不複疑,
自分は銭を得さえすればすぐ先生をもとめ、何等のためらうことなく酒をかう。
忘形到爾汝,痛飲真吾師。』
そうして外形を忘れて貴様とよびあうほどになる、ひどく酒を飲めば飲のむほど吾が師とすべき人である。』

こんなことを言いはしましたがそれをきいて哀しみ痛む必要はありません、生前にこうして遭遇した以上、盃を口にすることが一番です。

#3
清夜沈沈動春酌,燈前細雨簷花落。
きょうもこの清らかな夜にあたり、人の寝静まるころ春酒を酌みはじめた。燈の前には雨がほそほそとふりそそいで簷花がちらちらする。
但覺高歌有鬼神,焉知餓死填溝壑。
興に乗じて声高に歌をうたいだすたびに人の霊魂と天の神のたすけがあるかと覚えるのだが、あすにも餓死して溝やたにに屍をうずめるかも知れぬなどの心配の念はちっともおこらぬものだ。
相如逸才親滌器,子雲識字終投閣。』
司馬相如ほどのすぐれた才人は窮したときには自分みずから食器あらいをしたし、揚子雲ほどの字を知った学者でも結局一人合点で高い楼閣から地上に身を投げた。』
#4
先生早賦歸去來,石田茅屋荒蒼苔。
先生、早く賦を書かれたらよいのでは、陶淵明の帰去来の辞ように、故郷の石ころのあるわるい田地や茅屋には蒼苔などであれはててしまいますよ。
儒術於我何有哉、孔丘盜跖俱塵埃。
儒者の学術などは我々にとって何の効があるというのか、聖人孔子も大泥棒の拓もひとしくともに死して塵攻にかわるだけである。
不須聞此意慘愴,生前相遇且銜杯。』



#1
仕官している方々は続々として三省六部、九寺、御史台の官庁へ登用されるが、広文先生(鄭虔)は部下ひとりだけのさびしい官についておられる。
また他の諸官員は上等の邸宅を無数にかまえて梁肉の御馳走にあききっておるが、我が広文先生はご飯も不足がちである。
先生は身に道義をそなえていることは三皇五帝以上である、また文才をもっておられること屈原や宋玉よりもまさっておられる。
道や徳が生きている一代にどんなに尊いものであってもいつも不遇でおられる、之を見ると後の世にその名を遺したとしても何の役に立つかというような気がする。』

#2
杜陵近くに住む無冠の自分に至ってはいっそう他人から笑われている。きている毛織物は着丈が短くて身はばがせまく、髪の毛は白糸混じりのようだ。
日々御米屋から五升ずつの米をかいいれ、詩文を売り金を手にすると、同志たる鄭虔老先生のところへでかけるのである。
自分は銭を得さえすればすぐ先生をもとめ、何等のためらうことなく酒をかう。
そうして外形を忘れて貴様とよびあうほどになる、ひどく酒を飲めば飲のむほど吾が師とすべき人である。』

#3
きょうもこの清らかな夜にあたり、人の寝静まるころ春酒を酌みはじめた。燈の前には雨がほそほそとふりそそいで簷花がちらちらする。
興に乗じて声高に歌をうたいだすたびに人の霊魂と天の神のたすけがあるかと覚えるのだが、あすにも餓死して溝やたにに屍をうずめるかも知れぬなどの心配の念はちっともおこらぬものだ。
司馬相如ほどのすぐれた才人は窮したときには自分みずから食器あらいをしたし、揚子雲ほどの字を知った学者でも結局一人合点で高い楼閣から地上に身を投げた。』

#4
先生、早く賦を書かれたらよいのでは、陶淵明の帰去来の辞ように、故郷の石ころのあるわるい田地や茅屋には蒼苔などであれはててしまいますよ。
儒者の学術などは我々にとって何の効があるというのか、聖人孔子も大泥棒の拓もひとしくともに死して塵攻にかわるだけである。
こんなことを言いはしましたがそれをきいて哀しみ痛む必要はありません、生前にこうして遭遇した以上、盃を口にすることが一番です。



(酔時の歌)
#1
諸公袞袞として台省に登る、広文先生官独り冷かなり。
甲第紛紛梁肉に厭く、広文先生飯足らず。
先生道有り義皇よりも出づ、先生才有り屈宋よりも過ぐ
徳一代に尊くして常に坎軻たり、名 万古に垂るるも知らず何の用ぞ』
#2
杜陵の野客人更に嗤う、被褐短窄賓糸の如し。
日に糴う大倉五升の米、時に鄭老が襟期を同じくするに赴く。
銭を得れば即ち相覓む、酒を清うて復た疑わず。
形を忘れて爾汝に到る、痛飲兵に吾が師なり。』
#3
晴夜沈沈春酌を動かす、燈前細雨に箸花落つ。
但だ覚ゆ高歌鬼神有るを、焉んぞ知らん餓死して溝壑に填するを
相如逸才なるも親ら器を滌う、子雲字を識るも終に闇より投ず』
#4
先生早く賦せよ帰去来、石田茅屋蒼苔荒れん。
儒術我に於で何か有らん哉、孔丘盗跖倶に塵挨なり
須いず此を聞いて意惨愴なるを、生前相遇う且つ杯を銜め。』


#1
諸公袞袞登臺省,廣文先生官獨冷。
仕官している方々は続々として三省六部、九寺、御史台の官庁へ登用されるが、広文先生(鄭虔)は部下ひとりだけのさびしい官についておられる。
諸公 当時、仕官している人々をさす。○袞袞 こんこん相い続いて絶えないさま。〇台省 三省六部、九寺、一台(御史台) 御史台は台院・殿院・察院に分かれ、台院は侍御史を長として百官を糾察し、殿院は殿中侍御史を長として殿廷供奉の儀式を担当し、察院は監察御史を長として州県を巡察した。三省とは、中書省・門下省・尚書省の三つの機関を指す。○広文先生 鄭虔をさす。天宝九載に国子監に広文館博士一人、助教一人を置き、生徒の進士たるものを領させた。これは玄宗が鄭虔を優遇しようと創設した機関であるが、優遇といえるものであったのか。○官独冷 冷とは熱の反対、人がよりつかないことを冷といぅ。



第紛紛厭粱肉,廣文先生飯不足。
また他の諸官員は上等の邸宅を無数にかまえて梁肉の御馳走にあききっておるが、我が広文先生はご飯も不足がちである。
甲第 上等の邸宅。○紛紛 多くあるさま。○梁肉 よいこめ、にく。



先生有道出羲皇,先生有才過屈宋。
先生は身に道義をそなえていることは三皇五帝以上である、また文才をもっておられること屈原や宋玉よりもまさっておられる。
有道 道義を身につける。○出 超出することをいう。○義皇 三皇五帝のこと。中国の神話伝説時代の帝王。現在ではこれらは実在の人物とは考えられていない。
三皇は神、五帝は聖人としての性格を持つとされた。
有才 才は文才をいう。○屈宋 楚の屈原、宋玉。騒賦の作家である。



德尊一代常坎軻,名垂萬古知何用。』
道や徳が生きている一代にどんなに尊いものであってもいつも不遇でおられる、之を見ると後の世にその名を遺したとしても何の役に立つかというような気がする。』
坎軻 不遇のさま。○知何用 何の役に立つかを知らず、用なしということ。意味がないのではなかろうか。



#2
杜陵野客人更嗤,被褐短窄鬢如絲。
杜陵近くに住む無冠の自分に至ってはいっそう他人から笑われている。きている毛織物は着丈が短くて身はばがせまく、髪の毛は白糸混じりのようだ。
杜陵野客 杜甫自ずから称する。杜陵は即ち少陵。官に仕えぬ故に野客という。〇 他の人。○ 自分の事をわらう。○被褐 きている粗末な毛織りもの。○ 着たけのみじかいこと。○ 身はばのせまいこと。前合わせ幅が足らない。体に合っていない。粗末な見栄えをいう。○如糸 頭髪の白髪のようす。



日糴太倉五升米,時赴鄭老同襟期。
日々御米屋から五升ずつの米をかいいれ、詩文を売り金を手にすると、同志たる鄭虔老先生のところへでかけるのである。
 日々。○糴 かいいれる。○太倉 天子の御米蔵。米屋。〇五升米 一家の買い得る制限額であろう。前年の天宝十二載八月に雨があって米価が騰貴したために、大倉の米十万石を出し価を減じて貧人にはらいさげた。〇時赴 時あって赴く。○鄭老 虔をさす。○同襟期 襟期は心期、心に期する所、同襟期は同志であることをいう。



得錢即相覓,沽酒不複疑
自分は銭を得さえすればすぐ先生をもとめ、何等のためらうことなく酒をかう。
○得銭 銭を得さえすれば。○相覓 互いにではなく杜甫の方から鄭慶をもとめる。○沽酒 杜甫が酒をかうこと。○不複疑 ぐずぐずせずすぐさま買う。ためらわずに。



忘形到爾汝,痛飲真吾師。』
そうして外形を忘れて貴様とよびあうほどになる、ひどく酒を飲めば飲のむほど吾が師とすべき人である。』
忘形 精神を互いに契って外形を忘れる。○到爾汝 爾汝の間柄に達する。親友となればお互いに俺、貴様といいあうものであり、親交がそこまでに到るということ。○痛飲 ひどく酒をのむ。



#3
清夜沈沈動春酌,燈前細雨簷花落。
きょうもこの清らかな夜にあたり、人の寝静まるころ春酒を酌みはじめた。燈の前には雨がほそほそとふりそそいで簷花がちらちらする。
清夜 清は聖人を示し、女気のない夜。○沈沈 しずかなさま。○ 為しはじめることをいう。○春酌 通常女性と性的な交じりを込めた酒を酌み交わすことであるが、女気のないのを強調している。○簷花 軒端より雨のしたたるさまを花にみたてている。通常は軒端に立っている女性を示すが、女がいないので雨をことさら女性のようにあらわしたもの。



但覺高歌有鬼神,焉知餓死填溝壑。
興に乗じて声高に歌をうたいだすたびに人の霊魂と天の神のたすけがあるかと覚えるのだが、あすにも餓死して溝やたにに屍をうずめるかも知れぬなどの心配の念はちっともおこらぬものだ。
高歌有鬼神 声高に歌をうたいだすと人の霊魂と天の神のたすけがある○墳溝壑 死んで骨を溝や壑(たに)にうずめること。



相如逸才親滌器,子雲識字終投閣。』
司馬相如ほどのすぐれた才人は窮したときには自分みずから食器あらいをしたし、揚子雲ほどの字を知った学者でも結局一人合点で高い楼閣から地上に身を投げた。』
相如 漢の司馬相如。卓文君に詩を書き、駆け落ちし、酒店をひらき、文君と二人で財を成した。みずから雑役をなし飲食の器物をすすいだ。○逸才 文学にすぐれた才。○滌器 よごれた食器をあらいすすぐこと。○子雲 漢の揚雄、字は子雲。王莽の後継者問題に巻き込まれ、司直の手を逃れられぬと感じた揚雄は、思い余った末に天禄閣の上から投身自殺を図る。○識字 揚雄は大学者にして特に古代の文字に精通していた。



#4
先生早賦歸去來,石田茅屋荒蒼苔。
先生、早く賦を書かれたらよいのでは、陶淵明の帰去来の辞ように、故郷の石ころのあるわるい田地や茅屋には蒼苔などであれはててしまいますよ。
帰去来 晋の陶淵明は彰沢の県令となったが、80数日で「帰去来の辞」を賦して官を辞した。○石田 石ころのあるわるい田地。○ 蒼ゴケや草などの生い茂ること。



儒術於我何有哉、孔丘盜跖俱塵埃。
儒者の学術などは我々にとって何の効があるというのか、聖人孔子も大泥棒の拓もひとしくともに死して塵攻にかわるだけである。
儒術儒者の学術。○何有哉何の効があろうか、ない。○孔丘孔夫子、大聖人である。○盗拓 大泥棒である拓。○倶塵挨 聖も盗も善悪の極端なるにかかわらずつまりはともに死んでちりほこりにかわるだけである。ちょっと道教的な文になっているのは鄭虔が道士であるため。



不須聞此意慘愴,生前相遇且銜杯。』
こんなことを言いはしましたがそれをきいて哀しみ痛む必要はありません、生前にこうして遭遇した以上、盃を口にすることが一番です。
不須 必要がない。○此 この歌をさす。○惨槍 かなしくいたむ。○相遇 知己のものが遭遇した。○まあまあということ。○銜杯 酒杯を口にくわえる。



○韻 省、冷/肉、足/皇、宋、用。/嗤、絲、期、疑、師。/酌、落、壑、閣。/來、苔、埃、杯。


 杜甫も鄭虔も気まぐれな玄宗の犠牲者の一人であろう。玄宗としては、優遇したつもりであろうが、命を下しても宦官の高力士や、李林甫が受けるのである。文人を嫌い排除していった人物である。
 小賢しいものであれば玄宗にお目どおりして実情を訴えるであろうが立派な人物なのだろう、姑息なことをしないのである。
 李白が都を追われて以降、玄宗は「一芸に秀でたものを登用」と天下に詔を下したが、実際は文人を冷遇していたのは有名なことだ。

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