漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩 杜甫詳注1500

杜甫の詩をあまり知られていないものも取り上げる予定。約1500首。(杜詩詳注・全唐詩・杜甫詩 総合案内時系列に整理した)青春期遊学から長安を中心に就職活動の10年、やっと就職できたら、安史の乱、騒乱の中で自分の生きる道を求めて苦悩、騒乱のない地方へ逃避紀行、成都浣花渓草堂、騒乱回避、夔州寓居、そして漂白の旅。 ブログも2011年~2018年の計画で掲載進行中。。。都合、3往復、とらえ方を変えて掲載していく、2022年ごろ完成する予定である。(ここでは、訓読み下し分にできるだけルビをふりません。漢字の雰囲気で読んでほしいからで、また、意味、読みはすぐわかるようになります。)

杜甫の詩 誠実な詩人特集。2011・11月『士官がきまった。~安禄山の叛乱』期の詩。2011年12月は『反乱軍に捕まる。軟禁状態での詩』2012.1月は『反乱軍からの脱出劇、朝廷に到着・・・・』。2012.2月粛宗に許可をもらって家族を迎えに「北征」紀行を中心に掲載していきます。2012.3月は、朝廷での疎外感、やるせなさが伝わる詩です。2012.4月華州へ左遷、2012.5月三吏三別。秦州抒情9月、同谷紀行11月、成都紀行12月、2013.3現在、成都浣花渓の草堂、2013.12蜀中転々からふたたび成都草堂へ(杜甫全詩の約半分を掲載)・・・・・・そして成都を後にして、夔州へ、(2/3掲載)ここで人生の1/3の量の詩を書く。漂白の旅。紀行。杜甫の苦悩の内容的な変化、様子がよくわかります。
都合、3往復、とらえ方を変えて掲載していく、2022年ごろ完成する予定である。
このブログ以外にも、李白1000首、李商隠150首、韓愈全詩・韓愈グループ、などは別のブログで掲載中 kanbuniinkai 検索で、いろんな漢文委員会HP,ブログ を今までの漢詩紹介とは違っています。
中華書局 発行 杜詩詳注 を基本に訳注解説しています。
杜甫詩の概要目録につては、http://kanbunkenkyu.web.fc2.com/details1.html 参照。

2011年12月

大雲寺贊公房四首 其四 #1 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 168

大雲寺贊公房四首 其四 #1杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 168
杜甫は叛乱軍の拘束中に大雲寺の僧贊公の宿坊に泊まった時に書いたものである。

大雲寺贊公房四首 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 164

大雲寺贊公房四首其一#2 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 165#2

大雲寺贊公房四首 其二 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 166
大雲寺贊公房四首 其三 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 167



其四 #1-5
童兒汲井華,慣捷瓶手在。
未成年の子供と幼児が井花水を汲んでどう生かすか、おなじように敏捷にして慣れ親しんだ瓶は手の中にあったとしてどういかすか。
沾灑不濡地,掃除似無帚。
天から雨が降り、びっしょり濡れたとしてもその地がうるおってはいない、掃除をしたといっても少しも掃き清められていない。
明霞爛複閣,霽霧搴高牖。
輝く光の中かすみがはれてあふれんばかりに光り輝き、そしてりっぱな建物であり、霧がすっきり晴れていると高窓をあけるのである。
側塞被徑花,飄搖委墀柳。
側には山がせり出して道をふさいでいて、小路に花が咲き乱れ被っている。揺れて漂っていて掘割の柳も風任せに揺れている。
艱難世事迫,隱遁佳期後。

艱難辛苦というものは今の世には逼っている。私が隠遁できるようになるにももっと良い時節にならないと無理なのだ。


#2-6
晤語契深心,那能總鉗口?
奉辭還杖策,暫別終回首。
泱泱泥汙人,狺狺國多狗。
既未免羈絆,時來憩奔走。
近公如白雪,執熱煩何有?

1

童兒 井華(せいか)に汲む,慣捷(かんせい) 瓶 手に在る。

沾灑(てんさい) 地に濡(うるお)わず,掃除(そうじょ) 帚(はく)こと 無しに似たり。

明霞(めいか) 爛(らん)複た閣,霽霧(せいむ) 高(こうりょ)を搴(ぬ)く。

側塞(そくさい) 徑花を被い,飄搖(ひょうよう) (くつりゅう)に委ねる。

艱難(かんなん) 世事 迫る,隱遁 佳期の後。


#2
晤語 深心に契り,那んぞ能く 鉗口に總(おさ)めんや?
奉辭(ほうじ) 還た杖策し,暫別 終に首を回らす。
泱泱(おうおう)たる 泥 人を汙(けが)す,狺狺(ぎんぎん)たる 國に 狗 多し。
既に 未だ 羈絆 免じず,時 來りて 奔走して 憩(いこ)わむ。
近公 白雪の如し,執熱 煩 何んぞ有りや?



tsuki0882
其四 #1 現代語訳と訳註
(本文)

童兒汲井華,慣捷瓶手在。
沾灑不濡地,掃除似無帚。
明霞爛複閣,霽霧搴高牖。
側塞被徑花,飄搖委墀柳。
艱難世事迫,隱遁佳期後。


(下し文) #1
童兒 井華(せいか)に汲む,慣捷(かんせい) 瓶 手に在る。
沾灑(てんさい) 地に濡(うるお)わず,掃除(そうじょ) 帚(はく)こと 無しに似たり。
明霞(めいか) 爛(らん)複た閣,霽霧(せいむ) 高牖(こうりょ)を搴(ぬ)く。
側塞(そくさい) 徑花を被い,飄搖(ひょうよう) 墀柳(くつりゅう)に委ねる。
艱難(かんなん) 世事 迫る,隱遁 佳期の後。

(現代語訳)
未成年の子供と幼児が井花水を汲んでどう生かすか、おなじように敏捷にして慣れ親しんだ瓶は手の中にあったとしてどういかすか。
天から雨が降り、びっしょり濡れたとしてもその地がうるおってはいない、掃除をしたといっても少しも掃き清められていない。
輝く光の中かすみがはれてあふれんばかりに光り輝き、そしてりっぱな建物であり、霧がすっきり晴れていると高窓をあけるのである。
側には山がせり出して道をふさいでいて、小路に花が咲き乱れ被っている。揺れて漂っていて掘割の柳も風任せに揺れている。
艱難辛苦というものは今の世には逼っている。私が隠遁できるようになるにももっと良い時節にならないと無理なのだ。


(訳注)
童兒汲井華,慣捷瓶手在。

未成年の子供と幼児が井花水を汲んでどう生かすか、おなじように敏捷にして慣れ親しんだ瓶は手の中にあったとしてどういかすか。
井華「井花水(せいかすい)」に同じ。

沾灑不濡地,掃除似無帚。
天から雨が降り、びっしょり濡れたとしてもその地がうるおってはいない、掃除をしたといっても少しも掃き清められていない。
沾灑 しゃ・さい 水をまき散らす。すすぐ。
沾 てん(1) ちょっと触れる。脚不沾地 di 飞跑足も地に触れないみたいに速く走る.(2) (利益・恩恵などを)被る,あずかる.(1) しみる,ぬれる沾湿了衣服服がびっしょりぬれた.(2) 付着する,くっつく鞋上沾了点儿泥靴に泥が少しついた.


明霞爛複閣,霽霧搴高牖。
輝く光の中かすみがはれてあふれんばかりに光り輝き、そしてりっぱな建物であり、霧がすっきり晴れていると高窓をあけるのである。
1 ただれる。くさる。やわらかくなってくずれる。「爛熟/糜爛(びらん)・腐爛」 2 あふれんばかりに光り輝く。あざやか。「爛然・爛漫・爛爛/絢爛(けんらん)・燦爛(さんらん)」
 高い建物。宮殿。収蔵庫。○霽霧  [1]雲や霧が消える。空が真っ青に―・れるこの霧はお昼頃には―・れるだろう[2]雨・雪が降りやむ。あがる。○搴 とる。ぬく○ 杜甫『晦日尋崔戢李封』「朝光入甕牖,屍寢驚敞裘。」貧乏家屋の丸い土窓に朝の日光がさしこんできた、死んだようにうつ伏せてねていたわたしは目をさましてやぶれた着物を着ているのに驚いた。 ○甕牖 甕牖縄枢 おうようじょうすう貧しく粗末な家の形容。かめの口のように小さな丸窓と縄を枢(とぼそ:戸の開閉をする軸)の代わりにした家の意。(「甕」はかめ、「牖」は窓。)


側塞被徑花,飄搖委墀柳。
側には山がせり出して道をふさいでいて、小路に花が咲き乱れ被っている。揺れて漂っていて掘割の柳も風任せに揺れている。
 流れをさえぎってとめる。せき止める。 物事の進行、人の行動などをさまたげる。人を隔てて遠ざける。



艱難世事迫,隱遁佳期後。
艱難辛苦というものは今の世には逼っている。私が隠遁できるようになるにももっと良い時節にならないと無理なのだ。
艱難 人生でぶつかる困難や苦労。都が叛乱軍によって落とされ、略奪が横行。自分は、拘束されたことなど、自分だけでなくみんなの苦労を言う。○世事 大人などがかかわる世事俗事 ・ 雑事 ・ やぼ用 ・ (世の中の)約束事 ・ (浮き世の)しきたり ・ (人の)しがらみ ・ (社会的な)義務世事にうとい俗情にうという。○佳期 平和な時期。佳 都合がよい。 期 約束。時期。

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大雲寺贊公房四首 其三 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 167

大雲寺贊公房四首 其三 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 167
杜甫は叛乱軍の拘束中に大雲寺の僧贊公の宿坊に泊まった時に書いたものである。


其三
燈影照無睡,心清聞妙香。
灯火の揺らめきで影がゆれるそのともし火に照らされて寝つけないまま過ごしている、、「妙香の気」がきこえてくるようで、心はとても清々しく気持ちにさせてくれるのである。
夜深殿突兀,風動金瑯璫。
夜もふけて戸外の仏殿をみると突兀とたかくそびえている、風は風鈴を動かしてその音がチリンチリンとなっている。
天黑閉春院,地清棲暗芳。
天空はまっくろで春の奥庭がとじられている、其の地は清らかにしてなかに暗がりの草花のかおりがやどり、はぐくまれているのだ。
玉繩迥斷絕,鐵鳳森翱翔。
天帝の乗り物に連なる北斗の玉縄星は屋根の上のはるかかなたにとだえてみえる、鉄製の鳳の風見鶏がしずかに翅を広げ飛ぼうとしている。
梵放時出寺,鐘殘仍殷床。
そのうちに坊さんのお経を読む声が高くなりだして寺のそとまで流れでてきている、暁をつげる鐘の音はその余韻がのこって寝床までひびいてくるのだ。
明朝在沃野,苦見塵沙黃。』
朝になってこの寺院を辞し去って城外の肥沃な原野に身を置いたならば、街が荒れ果て、黄色の砂塵が吹き惑うのにこまることだろう。

大雲寺の贊公房 四首 其の三

燈影照らして睡る無し 心清くして妙香を聞く
夜深くして殿突兀たり 風動かして金瑯璫たり
天黒くして春院閉ず  地清くして暗芳棲む
玉縄迥に断絶す 鉄鳳森として翱翔す
梵放たれて時に寺を出づ 鐘残って仍牀に殷たり
明朝沃野に在らん 塵沙の黄なるを見るに苦しむ


現代語訳と訳註
(本文) 其三

燈影照無睡,心清聞妙香。
夜深殿突兀,風動金瑯璫。
天黑閉春院,地清棲暗芳。
玉繩迥斷絕,鐵鳳森翱翔。
梵放時出寺,鐘殘仍殷床。
明朝在沃野,苦見塵沙黃。』


(下し文)
燈影照らして睡(ねむ)る無し、心清くして妙香を聞く。
夜深くして殿突(でんとつ)兀(ごつ)たり、風動かして金瑯璫たり。
天黒くして春院閉ず、地清くして暗芳棲む。
玉縄迥に断絶す、鉄鳳森として翱翔す。
梵放たれて時に寺を出づ、鐘残って仍牀に殷たり。
明朝沃野に在らん、塵沙の黄なるを見るに苦しむ。

(現代語訳)
灯火の揺らめきで影がゆれるそのともし火に照らされて寝つけないまま過ごしている、、「妙香の気」がきこえてくるようで、心はとても清々しく気持ちにさせてくれるのである。
夜もふけて戸外の仏殿をみると突兀とたかくそびえている、風は風鈴を動かしてその音がチリンチリンとなっている。
天空はまっくろで春の奥庭がとじられている、其の地は清らかにしてなかに暗がりの草花のかおりがやどり、はぐくまれているのだ。
天帝の乗り物に連なる北斗の玉縄星は屋根の上のはるかかなたにとだえてみえる、鉄製の鳳の風見鶏がしずかに翅を広げ飛ぼうとしている。
そのうちに坊さんのお経を読む声が高くなりだして寺のそとまで流れでてきている、暁をつげる鐘の音はその余韻がのこって寝床までひびいてくるのだ。
朝になってこの寺院を辞し去って城外の肥沃な原野に身を置いたならば、街が荒れ果て、黄色の砂塵が吹き惑うのにこまることだろう。


(訳注)
燈影照無睡,心清聞妙香。

灯火の揺らめきで影がゆれるそのともし火に照らされて寝つけないまま過ごしている、、「妙香の気」がきこえてくるようで、心はとても清々しく気持ちにさせてくれるのである。
○聞妙香 寺であるから香の気がすることをいう。「維摩経」に衆香国において菩薩が香樹の下に坐して妙香を聞くと一切を獲るという、その心をかけていったものであろう。


夜深殿突兀,風動金瑯璫。
夜もふけて戸外の仏殿をみると突兀とたかくそびえている、風は風鈴を動かしてその音がチリンチリンとなっている。
突兀 たかいさま。兀 1.高くて上が平らなさま。2.高くそびえるさま。3.禿たさま。4.無知なさま。5.動かないさま。
 鈴。○填嗜 音のさま。チリンチリン。


天黑閉春院,地清棲暗芳。
天空はまっくろで春の奥庭がとじられている、其の地は清らかにしてなかに暗がりの草花のかおりがやどり、はぐくまれているのだ。
棲暗芳 棲とはやどり、はぐくまれていること。暗芳はくらがりの草花のかおり。


玉繩迥斷絕,鐵鳳森翱翔。
天帝の乗り物に連なる北斗の玉縄星は屋根の上のはるかかなたにとだえてみえる、鉄製の鳳の風見鶏がしずかに翅を広げ飛ぼうとしている。
玉縄 北斗の玉衛星の北の両星をいう。天帝の乗り物と見立てることから玉衡の北にあるという星の名をいう。○鉄鳳 屋根の棟の中央にすえつけ回旋式を以て風の方向にむく所の鉄製の鳳風。風見鶏。○ しずかに立ちならぶさま。○翱翔 翔は翅をひろげてとぶ、翔はめぐりてとぶ。


梵放時出寺,鐘殘仍殷床。
そのうちに坊さんのお経を読む声が高くなりだして寺のそとまで流れでてきている、暁をつげる鐘の音はその余韻がのこって寝床までひびいてくるのだ。
梵放 梵は梵唄、坊さんのお経を読む声、放は高ごえが外部へもれだすこと。○ やっぱり。○殷床 殷は音のひびくさま、床は寝台。


明朝在沃野,苦見塵沙黃。』
朝になってこの寺院を辞し去って城外の肥沃な原野に身を置いたならば、街が荒れ果て、黄色の砂塵が吹き惑うのにこまることだろう。
沃野 こえた原野。肥沃な原野。「関中ノ地ハ、沃野千里」という。これは京師の近郊、即ち杜曲の家へかえるとき経過すべき原野をさしているのであろう。○塵沙黄 街が荒れ果て、黄色の砂塵が吹き惑うことをいう。

大雲寺贊公房四首 其二 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 166

大雲寺贊公房四首 其二 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 166
杜甫は叛乱軍の拘束中に大雲寺の僧贊公の宿坊に泊まった時に書いたものである。


其二
細軟青絲履,光明白氎巾。
この画には、細やかに繊細で優しい青紐の靴を履いていて、明るく輝いている白の木綿の頭巾をしている姿がある。
深藏供老宿,取用及吾身。
深い学識がある、年老いたものが同じ宿坊ですごしている。取り上げるとそれでもって、わが身に及んでくるのだ。
自顧轉無趣,交情何尚新。
おのずから振り返ってみて心を転じてみても趣きがないのだ、心情で親交していくとどうしてなお新しい親交が必要であろう。
道林才不世,惠遠得過人。
道林禅師はその才能は他に世にいない。恵遠法師もこれを超える人などいないのだ。
雨瀉暮簷竹,風吹春井芹。
雨が降り灌ぐ、軒のようにせり出した竹林が暮れてゆく。風が吹き付ける、井戸端の芹も春めいて芽吹いている。
天陰對圖畫,最覺潤龍鱗。

画に向かい立って見てみると大空の中、おひつじ座あたり雲で暗くなっている、そこは画の中で最も龍がウロコを潤おし生き生きさせているようである。

細軟 青絲を履き,光明 白氎の巾。
深藏 供に老いて宿し,取を用って 吾身に及び。
自ら顧みて 轉 趣き無し,交情 何んぞ尚お新し。
道林 才 不世,惠遠 過る人を得る。
雨瀉ぐ 簷竹に暮し,風吹き 春井芹。
天陰 圖畫に對し,最も覺して龍鱗に潤う。


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大雲寺贊公房四首 其二 現代語訳と訳註
(本文) 其二

細軟青絲履,光明白氎巾。
深藏供老宿,取用及吾身。
自顧轉無趣,交情何尚新。
道林才不世,惠遠得過人。
雨瀉暮簷竹,風吹春井芹。
天陰對圖畫,最覺潤龍鱗。


(下し文)
細軟 青絲を履き,光明 白氎の巾。
深藏 供に老いて宿し,取を用って 吾身に及び。
自ら顧みて 轉 趣き無し,交情 何んぞ尚お新し。
道林 才 不世,惠遠 過る人を得る。
雨瀉ぐ 簷竹に暮し,風吹き 春井芹。
天陰 圖畫に對し,最も覺して龍鱗に潤う。

(現代語訳)
この画には、細やかに繊細で優しい青紐の靴を履いていて、明るく輝いている白の木綿の頭巾をしている姿がある。
深い学識がある、年老いたものが同じ宿坊ですごしている。取り上げるとそれでもって、わが身に及んでくるのだ。
おのずから振り返ってみて心を転じてみても趣きがないのだ、心情で親交していくとどうしてなお新しい親交が必要であろう。
道林禅師はその才能は他に世にいない。恵遠法師もこれを超える人などいないのだ。
雨が降り灌ぐ、軒のようにせり出した竹林が暮れてゆく。風が吹き付ける、井戸端の芹も春めいて芽吹いている。
画に向かい立って見てみると大空の中、おひつじ座あたり雲で暗くなっている、そこは画の中で最も龍がウロコを潤おし生き生きさせているようである。


(訳注)
細軟青絲履,光明白氎巾。
この画には、細やかに繊細で優しい青紐の靴を履いていて、明るく輝いている白の木綿の頭巾をしている姿がある。
細軟 こまやかにやわらかい、やさしい。おだやかである。   ○青糸 馬の面づらの縄に用いる青色の絹いと。○青糸 杜甫高都護 杜甫34 馬の面づらの縄に用いる青色の絹いと。李白「李白 89 將進酒(李白と道教)」黒い絹糸。黒髪のこと。緑の黒髪。「青」は黒いことをも指す。“青布”“青鞋”。李白「待酒不至」 青い糸。細い柳の枝。ここでは靴に付けた紐。○白氎 はくじょう:白い毛織の布。・ 細い毛織のぬの、もめんのぬの。

深藏供老宿,取用及吾身。
深い学識がある、年老いたものが同じ宿坊ですごしている。取り上げるとそれでもって、わが身に及んでくるのだ。
深藏  ・深藏若虚 深い学識があるのに人前でひけらかさない. ○ とる。得る。採用する。娶る。治める。 ○ 以てと同じ。この二句は仏教用語。


自顧轉無趣,交情何尚新。
おのずから振り返ってみて心を転じてみても趣きがないのだ、心情で親交していくとどうしてなお新しい親交が必要であろう。
自顧轉無趣 自分の趣味趣向の浅さを謙遜している。○交情 心情で親交していくこと。○何尚新 どうしてなお新しい親交が必要であろう。

道林才不世,惠遠得過人。
道林禅師はその才能は他に世にいない。恵遠法師もこれを超える人などいないのだ。
道林  道林禅師。陸修静。○惠遠 陶淵明と陸修静と恵遠法師、その恵遠法師の数奇な出生と、八歳のときに出家になるため、廬山に赴くはなしを描いた短編に登場する人物たち。〈虎渓三笑図〉 。

雨瀉暮簷竹,風吹春井芹。
雨が降り灌ぐ、軒のようにせり出した竹林が暮れてゆく。風が吹き付ける、井戸端の芹も春めいて芽吹いている。
雨瀉 雨が降るそそぐこと。 ○暮 夕暮れになる。○簷竹 竹林の葉の重みでの木がせり出したような景色を言う。 ○ 春めき芽吹く。○ 井戸端。○ 植物のせり。


天陰對圖畫,最覺潤龍鱗。
画に向かい立って見てみると大空の中、おひつじ座あたり雲で暗くなっている、そこは画の中で最も龍がウロコを潤おし生き生きさせているようである。
天陰 大空のなか雲で暗くなっているところ。おひつじ座の位置をいう。 杜甫『兵車行  杜甫37 』「新鬼煩冤舊鬼哭,天陰雨濕聲啾啾。」新たな戦役で亡くなった霊は、わずらいもだえており、昔の戦役で亡くなった霊は、声をあげて啼いており、空が曇り、雨で湿る折には、死者の魂が悲しげに啾々と泣いている声が聞こえてくる。
龍鱗 りゅうのウロコ。龍鱗の絵は龍が空を飛んでいるものをいう。


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大雲寺贊公房四首其一#2 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 165#2

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其一の二回目

其一
心在水精域,衣沾春雨時。
洞門盡徐步,深院果幽期。』
到扉開複閉,撞鐘齋及茲。
醍醐長發性,飲食過扶衰。-#1

把臂有多日,開懷無愧辭。』
僧賛公とは常日頃、親しく交ることは長い年月のことであり、胸襟を開いて、かくす所なく語りあって、自己を偽り飾ること、美辞麗句のことばは一つもいわないのである。』
黃鸝度結構,紫鴿下罘罳。
高麗鶯は屋根、軒裏の野地組のあたりをわたりあるいている、紫色の家鳩は城壁の四隅にある見張り小屋のうさぎ網から庭へおりてくる。』
愚意會所適,花邊行自遲。
人のこころというものは自分の気にいった処に行きあうものである、だれもが花の咲いているあたりを歩くとしたら自然とゆっくりと歩くものである。
湯休起我病,微笑索題詩。』-2

六朝宋の詩人で僧の湯恵休ともいうべき僧賛公は自分の病ともいえる心境を健全にし、奮い起たたせたのである。僧賛公はほほえみながらわたしに詩を作り壁にかきつけてくれとせがむのである。


心は水精の域に在り 衣は需う春雨の時
洞門尽く徐歩 深院果して幽期』
到扉開いて復た閉ず 撞鐘斎蓋に及ぶ
醍醐長えに性を発せしむ 飲食裏を扶くるに過ぐ

轡を把る多目有り 懐を開く塊辞無し』

黄鶴結構を度り 紫鵠宋恩より下る

愚意適する所に会う 花辺行くこと自ら遅し

揚休我が病めるを起たしむ 微笑して題詩を索む』



現代語訳と訳註
(本文)

把臂有多日,開懷無愧辭。』
黃鸝度結構,紫鴿下罘罳。
愚意會所適,花邊行自遲。
湯休起我病,微笑索題詩。』-2

(下し文)
轡を把る多目有り 懐を開く塊辞無し』
黄鶴結構を度り 紫鵠宋恩より下る
愚意適する所に会う 花辺行くこと自ら遅し
揚休我が病めるを起たしむ 微笑して題詩を索む』

(現代語訳)
僧賛公とは常日頃、親しく交ることは長い年月のことであり、胸襟を開いて、かくす所なく語りあって、自己を偽り飾ること、美辞麗句のことばは一つもいわないのである。』
高麗鶯は屋根、軒裏の野地組のあたりをわたりあるいている、紫色の家鳩は城壁の四隅にある見張り小屋のうさぎ網から庭へおりてくる。』
人のこころというものは自分の気にいった処に行きあうものである、だれもが花の咲いているあたりを歩くとしたら自然とゆっくりと歩くものである。
六朝宋の詩人で僧の湯恵休ともいうべき僧賛公は自分の病ともいえる心境を健全にし、奮い起たたせたのである。僧賛公はほほえみながらわたしに詩を作り壁にかきつけてくれとせがむのである。


(訳注)
把臂有多日,開懷無愧辭。』
僧賛公とは常日頃、親しく交ることは長い年月のことであり、胸襟を開いて、かくす所なく語りあって、自己を偽り飾ること、美辞麗句のことばは一つもいわないのである。』
把臂 ひじをとる、親しく交わることをいう。・ 肩から手首までの部分。腕。○有多目 親交の多いことをいう。○開懷 胸襟を開く。むねのうちをあけはなして遠慮なくものがたる。○無愧辞 愧辞とは自己を偽り飾ることばをいう。自己を偽り飾ることばは自己の良心にたずねてみるときには、自ずから愧ずべき辞であるからである。


黃鸝度結構,紫鴿下罘罳。
高麗鶯は屋根、軒裏の野地組のあたりをわたりあるいている、紫色の家鳩は城壁の四隅にある見張り小屋のうさぎ網から庭へおりてくる。
黄鸝 高麗鶯。〇 つたいあるく。わたりあるく。○結構 屋根、軒裏の野地組。○紫鴿 紫の毛色のはと。カワラバトの飼養品種。古くから家禽化され、繁殖力が旺盛。伝書鳩は改良種。いえばと。○下罘罳 うさぎあみ。詩経うさぎあみ・ 城壁の四隅にある見張り小屋の。ちいさなたてもの。とはそこから庭上へくだり来ることをいう。


愚意會所適,花邊行自遲。
人のこころというものは自分の気にいった処に行きあうものである、だれもが花の咲いているあたりを歩くとしたら自然とゆっくりと歩くものである。
愚意 自己のこころ。○ であう。○所適 適は意にかなう、気にいること。


湯休起我病,微笑索題詩。』
六朝宋の詩人で僧の湯恵休ともいうべき僧賛公は自分の病ともいえる心境を健全にし、奮い起たたせたのである。僧賛公はほほえみながらわたしに詩を作り壁にかきつけてくれとせがむのである。
湯休 えきゅう:南朝の宋の僧湯恵休は詩を善くし還俗して更となったが、ここは僧の義を借り用いて賛公をさす。○起我病我が病めるを起たせる。漢の枚乗の「七発」に病に伏している太子に種々の娯楽をすすめて起たせようとすることをいっている。○微笑 賛公がほほえむ。○題詩 詩をかきつける。
湯恵休 (とう・えきゅう)中国,南朝の宋(そう)・斉間の詩人。字(あざな)は茂遠。もと僧であったが,のちに宋の孝武帝の命で還俗(げんぞく)し,官は揚州従事史に至った。当時から評判の高い詩人の鮑照(ほうしよう)と親交があった。○ もとめる1 太い縄。つな。「索条/鋼索・縄索(じょうさく)」 2 手づるによって探し求める。「索引/検索・思索・詮索(せんさく)・捜索・探索・模索」 3 ばらばらに離れて無くなるさま。



心は水精の域に在り 衣は需う春雨の時
洞門尽く徐歩 深院果して幽期』
到扉開いて復た閉ず 撞鐘斎蓋に及ぶ
醍醐長えに性を発せしむ 飲食裏を扶くるに過ぐ
轡を把る多目有り 懐を開く塊辞無し』
黄鶴結構を度り 紫鵠宋恩より下る
愚意適する所に会う 花辺行くこと自ら遅し
揚休我が病めるを起たしむ 微笑して題詩を索む』




其二
細軟青絲履,光明白氎巾。
深藏供老宿,取用及吾身。
自顧轉無趣,交情何尚新。
道林才不世,惠遠得過人。
雨瀉暮簷竹,風吹春井芹。
天陰對圖畫,最覺潤龍鱗。


細軟 青絲を履き,光明 白氎の巾。
深藏 供に老いて宿し,取を用って 吾身に及び。
自ら顧みて 轉 趣き無し,交情 何んぞ尚お新し。
道林 才 不世,惠遠 過る人を得る。
雨瀉ぐ 簷竹に暮し,風吹き 春井芹。
天陰 圖畫に對し,最も覺して龍鱗に潤う。


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大雲寺贊公房四首 其一#1 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 164

大雲寺贊公房四首 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 164

長安の大雲寺の僧賛公の室に過宿したことをのべる。大雲寺は大雲経寺で、もと光明寺という。
武則天は宗族の挙兵を打ち破った後、女帝出現を暗示する預言書(仏典中の『大雲経』に仮託して創作された疑経)を全土に流布させ、また周代に存在したとされる「明堂」(聖天子がここで政治を行った)を宮城内に建造させ、権威の強化を謀り、帝位簒奪の準備を行った。

 帝室が老子の末裔だとされ「道先仏後」だった唐王朝と異なり、武則天は仏教を重んじ朝廷での席次を「仏先道後」に改めた。武則天は諸寺の造営、寄進を盛んに行った他、自らを弥勒菩薩の生まれ変わりと称し、このことを記したとする『大雲経』を創り、これを納める「大雲経寺」を全国の各州に造らせた。これは後の日本の国分寺制度の元になった。

 洛陽郊外の龍門山奉先寺にある高さ17mの盧舎那仏の石像は、高宗の発願で造営されたが、像の容貌は武則天がモデルといわれる。

杜甫 2 遊龍門奉先寺

杜甫 14龍門 


武則天が初めて此の寺に御幸したとき沙門宜政が大雲経を進めた。経の中に女主の符があり、因って名を改め天下の諸州に大雲経寺を置かせたという。寺は長安、西市(緑色)の南にある懐遠坊(黄色)の東南隅にある。
09長安城の図
ここでの詩の説明は第一首を2回に分割の1回目。
叛乱軍にここの出入りついてはかなりのチェックを受けたのではなかろうか、其一から其四まで、お寺内の描写に徹している。ここでは其一だけを解説する。


  
其一
心在水精域,衣沾春雨時。
俗世界に住んでいる自分も心は水のように角がなくよどみなく心までも清廉に不浄でない心落ち着く静かな場所にある、だから、春雨のころ衣の濡らしてもかまわずたずねてきたのだ。
洞門盡徐步,深院果幽期。』
奥深く幾つかの門と門と向かい合うようになっている間をとおり、みんなでそろそろとあゆんできた。来てみると奥まった庭では予想した通り幽静なる期待に叶うものであった。』
到扉開複閉,撞鐘齋及茲。
自分が到着した本堂の扉は開けられて、その後また閉じられた。それはそのとき鐘をつき鳴らしてお斎飯を恵まれるお知らせ時だったのだ。
醍醐長發性,飲食過扶衰。-#1

醍醐を嘗めたことで仏法の悟りでも得た様な気持ちにさせてくれる、また僧賛公の供せられる飲食の滋養は最近急速に衰老していたのをたすけてくれる充分なものである。
把臂有多日,開懷無愧辭。』
黃鸝度結構,紫鴿下罘罳。
愚意會所適,花邊行自遲。
湯休起我病,微笑索題詩。』-2

心は水精の域に在り 衣は需う春雨の時

洞門尽く徐歩 深院果して幽期』

到扉開いて復た閉ず 撞鐘斎蓋に及ぶ

醍醐長えに性を発せしむ 飲食裏を扶くるに過ぐ-1



轡を把る多目有り 懐を開く塊辞無し』
黄鶴結構を度り 紫鵠宋恩より下る
愚意適する所に会う 花辺行くこと自ら遅し
揚休我が病めるを起たしむ 微笑して題詩を索む』-#2




大雲寺贊公房四首 現代語訳と訳註
(本文) 其一

心在水精域,衣沾春雨時。
洞門盡徐步,深院果幽期。』
到扉開複閉,撞鐘齋及茲。
醍醐長發性,飲食過扶衰。-#1


(下し文)
心は水精の域に在り 衣は需う春雨の時
洞門尽く徐歩 深院果して幽期』
到扉開いて復た閉ず 撞鐘斎蓋に及ぶ
醍醐長えに性を発せしむ 飲食裏を扶くるに過ぐ-#1


(現代語訳)
俗世界に住んでいる自分も心は水のように角がなくよどみなく心までも清廉に不浄でない心落ち着く静かな場所にある、だから、春雨のころ衣の濡らしてもかまわずたずねてきたのだ。
奥深く幾つかの門と門と向かい合うようになっている間をとおり、みんなでそろそろとあゆんできた。来てみると奥まった庭では予想した通り幽静なる期待に叶うものであった。』
自分が到着した本堂の扉は開けられて、その後また閉じられた。それはそのとき鐘をつき鳴らしてお斎飯を恵まれるお知らせ時だったのだ。
醍醐を嘗めたことで仏法の悟りでも得た様な気持ちにさせてくれる、また僧賛公の供せられる飲食の滋養は最近急速に衰老していたのをたすけてくれる充分なものである。


(訳注)
心在水精域,衣沾春雨時。

俗世界に住んでいる自分も心は水のように角がなくよどみなく心までも清廉に不浄でない心落ち着く静かな場所にある、だから、春雨のころ衣の濡らしてもかまわずたずねてきたのだ。
水精域 精は晶と通ずる、水精は水晶に同じ。寺は清浄の地であるから水晶の域という。水のように角がなくよどみなく心までも清廉に不浄でない心落ち着く静かな場所。


洞門盡徐步,深院果幽期。』
奥深く幾つかの門と門とが向かい合うようになっている間をとおり、みんなでそろそろとあゆんできた。来てみると奥まった庭では予想した通り幽静なる期待に叶うものであった。』
洞門 幾つかの門と門とがむきあっている処をいう。○深院 奥にわ。○幽期 おくまっていてだれもこないさみしく静であることの期待、これはその期待にかなぅことをいう。


到扉開複閉,撞鐘齋及茲。
自分が到着した本堂の扉は開けられて、その後また閉じられた。それはそのとき鐘をつき鳴らしてお斎飯を恵まれるお知らせ時だったのだ。
到扉 我がまさに到著した所の堂合の扉。○撞鐘 かねをつくことで知らせる。○齋及茲 齋飯を恵まれる。 



醍醐長發性,飲食過扶衰。
醍醐を嘗めたことで仏法の悟りでも得た様な気持ちにさせてくれる、また僧賛公の供せられる飲食の滋養は最近急速に衰老していたのをたすけてくれる充分なものである。
醍醐 バターの類、獣乳の精液である。○発性 仏法の悟り開いた気持になること。○過扶衰 扶裏とは飲食の滋養が自己の老衰をたすけること、それが余りあること、十分である。
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哀江頭 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 163

哀江頭 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 163

唐詩三百首   樂府  杜甫 哀江頭(哀いかな江頭)

長安の南郊、少陵の故居へかえらんとして賊軍の間をくぐりぬけ、曲江のほとりを経過して見る所、感ずる所を詠ったものである。製作時は至徳二載の春。757年 46歳 杜甫の佳作詩。

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哀江頭 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 162
哀江頭  
少陵野老呑聲哭,春日潛行曲江曲。
江頭宮殿鎖千門,細柳新蒲爲誰綠。』
憶昔霓旌下南苑,苑中萬物生顏色。
昭陽殿裏第一人,同輦隨君侍君側。
輦前才人帶弓箭,白馬嚼齧黄金勒。
翻身向天仰射雲,一笑正墜雙飛翼。』
体の向きを変えるように、恩ある天子に向かって仰向(あおむ)いて、雲に反旗の矢を射掛ける。楊貴妃の微笑による王朝の頽廃は、梧桐のつがいになって翼を並べて飛んでいた鳥が、ちょうど墜されたのだ。
明眸皓齒今何在,血汚遊魂歸不得。
美しく澄んだ瞳、あの白い歯、馬嵬で殺された美女は、今、どこにいったのだろうか。 血で穢されて、さすらっている霊魂は帰れないでいる。
清渭東流劍閣深,去住彼此無消息。
清らかに澄んだ渭水は楊貴妃が葬られた馬嵬の傍を流れ、東流して長安にまで流れつくのだが、肝心の玄宗はいない、剣閣の奥く深く、はるか蜀の成都に落ち延びているのだ。去っていった玄宗と留まる楊貴妃の魂とは、相互に心のやり取りさえ無いのだ。
人生有情涙霑臆,江草江花豈終極。
人と生まれては、感情の働きがあり、人の世の儚い営みに対して涙が胸を潤してくる。ところが、川辺に生えている草や川辺の花には、どうして尽きはてることがあるのだろうか。自然の営みは、終わることが無く続いていくことである。
黄昏胡騎塵滿城,欲往城南望城北。』

夕闇の迫るなかに、叛乱軍の軍勢は長安の街全体に戦さの騒ぎを引き起こしてきたのだ。自分の住まいであった城南の少陵、杜曲の方へ行こうとして、城北のはるか先に霊武に粛宗がいる方ので、その空を眺めるのだ。


江頭を哀しむ      
少陵(せうりょう)の野老(やらう)  聲を呑(の)みて 哭(こく)し,春日 潛行す  曲江の曲(くま)。
江頭(かうとう)の宮殿  千門を 鎖(とざ)し,細柳 新蒲  誰(た)が爲にか綠なる。
憶(おも)ふ 昔  霓旌(げいせい)の南苑(なんゑん)に下(くだ)りしとき,苑中の萬物  顏色を生ぜしを。
昭陽殿裏  第一の人,輦(れん)を同じくし 君に隨(したが)ひて  君側に侍す。
輦前の才人  弓箭(きゅうせん)を 帶び,白馬 嚼噛(しゃくげつ)す  黄金の勒(くつわ)。

身を 翻(ひるがへ)して 天に 向ひ  仰(あふ)ぎて 雲を射れば,一笑 正(まさ)に堕(お)つ  雙飛翼。

明眸晧齒(めいぼうかうし)  今 何(いづ)くにか在(あ)る,血汚(けつを)の遊魂  歸り得(え)ず。

清渭(せいゐ)は 東流して  劍閣は 深く,去住(きょぢゅう) 彼比(ひし)  消息 無し。

人生 情(じゃう) 有り  涙 臆(むね)を霑(うるほ)す,江草(かうさう) 江花(かうくゎ)  豈(あ)に 終(つひ)に極(きは)まらんや。

黄昏 胡騎  塵は 城に滿ち,城南に 往(ゆ)かんと欲(ほっ)して  城北を望む。




江頭を哀しむ 現代語訳と訳註
(本文)

翻身向天仰射雲,一笑正墜雙飛翼。』
明眸皓齒今何在,血汚遊魂歸不得。
清渭東流劍閣深,去住彼此無消息。
人生有情涙霑臆,江草江花豈終極。
黄昏胡騎塵滿城,欲往城南望城北。』

(下し文)
身を 翻(ひるがへ)して 天に 向ひ  仰(あふ)ぎて 雲を射れば,一笑 正(まさ)に堕(お)つ  雙 飛翼。
明眸晧齒(めいぼうかうし)  今 何(いづ)くにか在(あ)る,血汚(けつを)の遊魂  歸り得(え)ず。
清渭(せいゐ)は 東流して  劍閣は 深く,去住(きょぢゅう) 彼比(ひし)  消息 無し。
人生 情(じゃう) 有り  涙 臆(むね)を霑(うるほ)す,江草(かうさう) 江花(かうくゎ)  豈(あ)に 終(つひ)に極(きは)まらんや。
黄昏 胡騎  塵は 城に滿ち,城南に 往(ゆ)かんと欲(ほっ)して  城北を望む。

(現代語訳)
体の向きを変えるように、恩ある天子に向かって仰向(あおむ)いて、雲に反旗の矢を射掛ける。楊貴妃の微笑による王朝の頽廃は、梧桐のつがいになって翼を並べて飛んでいた鳥が、ちょうど墜されたのだ。
美しく澄んだ瞳、あの白い歯、馬嵬で殺された美女は、今、どこにいったのだろうか。 血で穢されて、さすらっている霊魂は帰れないでいる。
清らかに澄んだ渭水は楊貴妃が葬られた馬嵬の傍を流れ、東流して長安にまで流れつくのだが、肝心の玄宗はいない、剣閣の奥く深く、はるか蜀の成都に落ち延びているのだ。去っていった玄宗と留まる楊貴妃の魂とは、相互に心のやり取りさえ無いのだ。
人と生まれては、感情の働きがあり、人の世の儚い営みに対して涙が胸を潤してくる。ところが、川辺に生えている草や川辺の花には、どうして尽きはてることがあるのだろうか。自然の営みは、終わることが無く続いていくことである。
夕闇の迫るなかに、叛乱軍の軍勢は長安の街全体に戦さの騒ぎを引き起こしてきたのだ。自分の住まいであった城南の少陵、杜曲の方へ行こうとして、城北のはるか先に霊武に粛宗がいる方ので、その空を眺めるのだ。



陝西甘粛出塞 杜甫65
(訳注)
翻身向天仰射雲、一笑正墜雙飛翼。

体の向きを変えるように、恩ある天子に向かって仰向(あおむ)いて、雲に反旗の矢を射掛ける。楊貴妃の微笑による王朝の頽廃は、梧桐のつがいになって翼を並べて飛んでいた鳥が、ちょうど墜されたのだ。
翻身 〔ほんしん〕体の向きを変える。身を翻(ひるがえ)す。裏切りをする、安禄山の行動を暗示する。 ○向天 天子に向かって。 ○仰射雲 仰向(あおむ)いて、雲に射掛ける。天子に、天下に矢を射る。 ○一笑 一笑は嫣薫、傾国、笑牽牛、多くの詩人に国を滅ぼす王朝の奢侈と頽廃を象徴する語として使われる。天子は貴妃の微笑に満足する。楊貴妃との宮廷生活のようす。ここはその微笑が安禄山の叛乱を生んだ。 ○ ちょうど。正(まさ)しく。 ○ おちる。おとす。 ○雙飛翼 つがいになって翼を並べて飛ぶ鳥。ここは、玄宗と楊貴妃の悲劇を暗示する。
○杜甫は叛乱軍の拘束の中で作詩している。したがって直接的な語は使っていない。輦前の才人の行為は、実に大胆な振る舞いで、安禄山の謀叛を暗示するものである。 


明眸皓齒今何在、血汚遊魂歸不得。
美しく澄んだ瞳、あの白い歯、馬嵬で殺された美女は、今、どこにいったのだろうか。 血で穢されて、さすらっている霊魂は帰れないでいる。
明眸 めいぼう、美しく澄んだ瞳。 ○皓齒 白い歯。美人の表現。 ○何在 どこにいったのか。○血汚 血で穢された。○遊魂 さすらっている魂。遊離した霊魂。ここでは血で穢されさすらう魂。馬嵬で殺された楊貴妃の霊魂のことになる。 ○歸不得 帰りおおせない。帰れない。

清渭東流劍閣深、去住彼此無消息。
清らかに澄んだ渭水は楊貴妃が葬られた馬嵬の傍を流れ、東流して長安にまで流れつくのだが、肝心の玄宗はいない、剣閣の奥く深く、はるか蜀の成都に落ち延びているのだ。去っていった玄宗と留まる楊貴妃の魂とは、相互に心のやり取りさえ無いのだ。
清渭 清らかに澄んだ渭水。楊貴妃が殺され葬られた馬嵬の傍を渭水が流れ 、長安の北に流れ到る。 ○東流 東に向かって流れる。川は東流の通常の姿であり、常識、摂理、天理でもある。ここは、楊貴妃の魂が、馬嵬の傍を流れる渭水に乗って、東流して、帝都長安に還ることをいう。 ○劍閣 剣門関。剣閣。陝西省の長安から四川の成都へ到る街道の、四川側の関山。○去住 去る者と留まる者。蜀に避れた玄宗と、馬嵬で殺されて、そこに埋葬されとどまることとなった楊貴妃のこと。ここでは、死別をいう。 ○彼此 あちらとこちら。お互いに。蜀の玄宗と、馬嵬の楊貴妃の魂。 ○消息 音信。たより。手紙。動静。消長。消えることと生じること。ここでは心のやり取りという意味である。

人生有情涙霑臆、江草江花豈終極。
人と生まれては、感情の働きがあり、人の世の儚い営みに対して涙が胸を潤してくる。ところが、川辺に生えている草や川辺の花には、どうして尽きはてることがあるのだろうか。自然の営みは、終わることが無く続いていくことである。 
人生 人と生まれる。人が生きていく。生きていくための道理。 ○有情 感情の働きがある。 ○ うるおす。うるおう。湿る。 ○ 胸。心。思い。考え。○江草 川辺に生えている草。 ○江花 川辺の花。 ○ どうして…なのだろうか。あに…(ならん)や。強い反語。 ○終極 尽きはてる。最後に極まる。物事の最後になる。究極となる。


黄昏胡騎塵滿城、欲往城南望城北。
夕闇の迫るなかに、叛乱軍の軍勢は長安の街全体に戦さの騒ぎを引き起こしてきたのだ。自分の住まいであった城南の少陵、杜曲の方へ行こうとして、城北のはるか先に霊武に粛宗がいる方ので、その空を眺めるのだ。
黄昏 夕方の薄暗い時。夕闇の迫るさま。薄暮の薄暗さをいう。たそがれ時。夕暮れ。○胡騎 安禄山の軍勢。安禄山は突厥、ソグドの混血児で、その軍勢も、ソグド、突厥、奚、契丹…と、多くの西北異民族が関わっている。○ 戦塵。戟塵。戦さの騒ぎ。 ○ 長安の街。長安城。城郭都市。当時世界一の国際都市。○ …しようとする。…たいと思う。(…と)ほっす。  ○城南 長安城の南側。杜甫の家のあるところ。少陵の近くになる。 ○望城北 粛宗がいた長安城の北方にある霊武をのぞむ。


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哀江頭 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 162

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唐詩三百首   樂府  杜甫 哀江頭(哀いかな江頭)

長安の南郊、安禄山の叛乱で家族と離れ離れになって、叛乱軍に捕縛された。杜曲の旧居へ帰ろうとして叛乱軍の間をくぐりぬけ、曲江のほとりを経過して見る所、感ずる所を詠ったものである。製作時は757年至徳二載の春。46歳 杜甫の佳作詩。10韻の長詩のために5韻で分割して紹介する。杜甫が杜曲の家で作っていた主な詩は以下のものである。
(長安城外に林、畑が広がる。古くから、桑畑がひろがる一体である。声をかければ聞こえる程度の広がりを持った杜曲に家を借りていた。この家から出かけて、

75342歳 陪鄭広文遊何将軍山林十首 其一  55 ~64  重過何氏五首其一 6872   渼陂行66  75443 陪諸貴公子丈八溝携妓納涼晩際遇雨二首其一  73 奉陪鄭駙馬韋曲二首其一  75  夏日李公見訪   83

              
何将軍山林で遊び、渼陂の水面に舟遊びし、丈八溝携妓納涼の晩際に雨に遇う、鄭駙馬につきそって韋曲で遊んだのも754年天宝13載43歳の夏のことだ。
 同じ夏のある日、皇太子の家令李炎が杜曲の家を訪ねてきたのだ。公子は遠き林のなかからやって来た。)


哀江頭  #1
曲江の畔で哀しむ
少陵野老呑聲哭,春日潛行曲江曲。
少陵先の杜曲の野良爺であるわたしは、叛乱軍に捕縛され拘束されて、深い悲しみのあまり声に出して泣きたいけれど我慢している。春のある日に、目立たないようにこっそりと曲江の奥深いところに行ったのだ。
江頭宮殿鎖千門,細柳新蒲爲誰綠。」
曲江の畔の紫雲楼などの宮殿の全ての門が閉ざされている。新芽の吹き出るしだれヤナギに若々しい緑色をしたガマは、こんなことが起こっていても誰のために緑色にるのか知らずに色吹くのである。
憶昔霓旌下南苑,苑中萬物生顏色。
天寶の昔を思い起こせば、天子が五彩旗を掲げて曲江の南苑、芙蓉苑に行幸をされたものだ。御苑にあるあらゆるものは、生き生きとし、それぞれが輝かしく動いていた。 
昭陽殿裏第一人,同輦隨君侍君側。
昭陽殿での中で承知のように第一人者は楊貴妃であった。楊貴妃はその折、天子の輦に同乗して、天子に随伴し、あたかも楊貴妃のおそばに天子がいつも帯同していたかのようであった。  
輦前才人帶弓箭,白馬嚼齧黄金勒。

天子の乗り物の前に才人などの騎兵隊の女官たちが、弓矢を腰に携えていたのだ。先導する白馬は、黄金製のくつわを噛んで堂々としたものだった。
翻身向天仰射雲,一笑正墜雙飛翼。」
明眸皓齒今何在,血汚遊魂歸不得。
清渭東流劍閣深,去住彼此無消息。
人生有情涙霑臆,江草江花豈終極。
黄昏胡騎塵滿城,欲往城南望城北。」


江頭を哀しむ      

少陵(せうりょう)の野老(やらう)  聲を呑(の)みて 哭(こく)し,春日 潛行す  曲江の曲(くま)。

江頭(かうとう)の宮殿  千門を 鎖(とざ)し,細柳 新蒲  誰(た)が爲にか綠なる。

憶(おも)ふ 昔  霓旌(げいせい)の南苑(なんゑん)に下(くだ)りしとき,苑中の萬物  顏色を生ぜしを。

昭陽殿裏  第一の人,輦(れん)を同じくし 君に隨(したが)ひて  君側に侍す。

輦前の才人  弓箭(きゅうせん)を 帶び,白馬 嚼噛(しゃくげつ)す  黄金の勒(くつわ)。


身を 翻(ひるがへ)して 天に 向ひ  仰(あふ)ぎて 雲を射れば,一笑 正(まさ)に堕(お)つ  雙 飛翼。
明眸晧齒(めいぼうかうし)  今 何(いづ)くにか在(あ)る,血汚(けつを)の遊魂  歸り得(え)ず。
清渭(せいゐ)は 東流して  劍閣は 深く,去住(きょぢゅう) 彼比(ひし)  消息 無し。
人生 情(じゃう) 有り  涙 臆(むね)を霑(うるほ)す,江草(かうさう) 江花(かうくゎ)  豈(あ)に 終(つひ)に極(きは)まらんや。
黄昏 胡騎  塵は 城に滿ち,城南に 往(ゆ)かんと欲(ほっ)して  城北を望む。

水辺0000

哀江頭 現代語訳と訳註
(本文) 哀江頭  
少陵野老呑聲哭,春日潛行曲江曲。
江頭宮殿鎖千門,細柳新蒲爲誰綠。」
憶昔霓旌下南苑,苑中萬物生顏色。
昭陽殿裏第一人,同輦隨君侍君側。
輦前才人帶弓箭,白馬嚼齧黄金勒。


(下し文) 哀江頭  
少陵野老呑聲哭,春日潛行曲江曲。
江頭宮殿鎖千門,細柳新蒲爲誰綠。」
憶昔霓旌下南苑,苑中萬物生顏色。
昭陽殿裏第一人,同輦隨君侍君側。
輦前才人帶弓箭,白馬嚼齧黄金勒。


(現代語訳)
曲江の畔で哀しむ。
少陵先の杜曲の野良爺であるわたしは、叛乱軍に捕縛され拘束されて、深い悲しみのあまり声に出して泣きたいけれど我慢している。春のある日に、目立たないようにこっそりと曲江の奥深いところに行ったのだ。
曲江の畔の紫雲楼などの宮殿の全ての門が閉ざされている。新芽の吹き出るしだれヤナギに若々しい緑色をしたガマは、こんなことが起こっていても誰のために緑色にるのか知らずに色吹くのである。
天寶の昔を思い起こせば、天子が五彩旗を掲げて曲江の南苑、芙蓉苑に行幸をされたものだ。御苑にあるあらゆるものは、生き生きとし、それぞれが輝かしく動いていた。 
昭陽殿での中で承知のように第一人者は楊貴妃であった。楊貴妃はその折、天子の輦に同乗して、天子に随伴し、あたかも楊貴妃のおそばに天子がいつも帯同していたかのようであった。  
天子の乗り物の前に才人などの騎兵隊の女官たちが、弓矢を腰に携えていたのだ。先導する白馬は、黄金製のくつわを噛んで堂々としたものだった。


(訳注)
哀江頭

曲江の畔で哀しむ
○安禄山の乱で殺された楊貴妃を悼み、先行きが見えない我が身を痛む詩。曲江池の辺で思い描いたのである。


少陵野老呑聲哭、春日潛行曲江曲。
少陵先の杜曲の野良爺であるわたしは、叛乱軍に捕縛され拘束されて、深い悲しみのあまり声に出して泣きたいけれど我慢している。春のある日に、目立たないようにこっそりと曲江の奥深いところに行ったのだ。
少陵:〔しょうりょう〕杜甫の住んでいたところの名。杜甫自身のことを謂う。やがて杜甫の号となる。漢・許后の陵墓名に由来する。漢・宣帝は長安の南郊の杜陵に葬られ、その東南に皇后の許后が葬られた。これを小陵と謂い、やがて、少陵と呼ばれるようになった、そのところに住んでいたことに由る。 ・野老:田舎の老人。杜甫自身のこと。 ・呑聲哭:深い悲しみのあまり泣き声に出さないで、傷みなく。 ・呑聲:〔どんせい〕忍びなく。声に出さないようにしてなく。また、声に出せない。悲しみのあまり、声が出ない。黙る。沈黙する。・春日:現実ののどかな春を詠い、物是人非の哀しさを強調する。 ・潛行:〔せんこう〕こっそりと行く。目立たないように人目を避けて行く。人目をしのんで行く。ひそやかに行く。微行。 ・曲江:長安中心部より東南東数キロのところにある池の名。風光明媚な所。漢・武帝がここに宜春苑を造営した。(地図の赤線は長安城の城郭、青印が曲江) ・曲:くま。この池はかなり曲線があり、池の奥深いところ。池の湾曲した部分をいう。
長安・杜曲韋曲
 

江頭宮殿鎖千門、細柳新蒲爲誰綠。
曲江の畔の紫雲楼などの宮殿の全ての門が閉ざされている。新芽の吹き出ているしだれヤナギに、若々しい緑色をしたガマは、こんなことが起こっていても誰のために緑色になるのか、知らずに色吹くのである。
江頭:曲江の畔。 ・宮殿:紫雲楼を謂う。 ・:閉ざす。 ・千門:全ての門。多くの門。 ・細柳:若葉が出たばかりで、枝が細く見えるヤナギ。 ・新蒲:初々しい緑色をしたガマ。 ・爲誰:いったい誰のために。甲斐もなく。誰(た)がために。 ・:緑になる。動詞。ここでは、動乱で変化を来した世上の光景をいい、変わることのない自然、春の情景を謂う。


憶昔霓旌下南苑、苑中萬物生顏色。
天寶の昔を思い起こせば、天子が五彩旗を掲げて曲江の南苑、芙蓉苑に行幸をされたものだ。御苑にあるあらゆるものは、生き生きとし、それぞれが輝かしく動いていた。 
・憶:開元の治、天寶の平安な時代を思い起こす。 ・霓旌:〔げいせい〕虹色の旗。鳥の羽を五色に染め、それを綴って虹を象(かたど)って作った五色旗。天子の儀式や行列に掲げる。 ・:行幸する。 ・南苑:曲江の南にあった庭園。芙蓉苑のこと。 ・苑中:御苑の。 ・萬物:あらゆるもの。 ・生顏色:生き生きとし出す。元気を出す。


昭陽殿裏第一人、同輦隨君侍君側。
昭陽殿での中で承知のように第一人者は楊貴妃であった。楊貴妃はその折、天子の輦に同乗して、天子に随伴し、あたかも楊貴妃のおそばに天子がいつも帯同していたかのようであった。  
昭陽殿:漢の成帝の建てた宮殿で、皇后の趙飛燕とその妹が住んでいた。ここでは、玄宗の宮殿で、楊貴妃が住んでいた宮殿を指す。・:…の中で。・第一人:ここでは、楊貴妃を指す。昭陽殿での第一人者の意。通常詩に使われる場合、漢・成帝の皇后の趙飛燕のことになる。・同輦:天子の輦に同乗する。非常な寵愛を賜っている女性をいう。 ・:〔れん〕天子の乗り物。 ・隨君:天子が楊貴妃に随伴しているようだ。 ・:側近く仕えること。はべる。さぶらう。この場合常時いることを指す。 ・君側:君は楊貴妃で、楊貴妃日のそば。


輦前才人帶弓箭、白馬嚼齧黄金勒。
天子の乗り物の前に才人などの騎兵隊の女官たちが、弓矢を腰に携えていたのだ。先導する白馬は、黄金製のくつわを噛んで堂々としたものだった。
輦前:天子の乗り物の前に(供奉している)。 ・才人:女官の位。蛇足になるが、武則天も才人だったときがあったように思う。未確認。 ・:おびる。携える。 ・弓箭:〔きゅうせん〕弓と矢。弓矢。 ・嚼齧:〔しゃくげつ〕歯でかむ。 ・:〔ろく〕くつわ。


女官により騎兵隊を組ませていたことは、近衛兵の参軍とは別に組織するもので贅沢の極みということをあらわしている。年を取って、妖艶な貴妃との生活、天寶の世の豪奢な宮廷風俗描写の聯である。杜甫の描写にその生活態度にたいして尊敬の念はまったくないものと映る。


得舎弟消息 二首 其二 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 161 

得舎弟消息 二首 其二 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 161 
 遠方にいる弟との再会が困難なさまを、 「客人の到来を告げるとされる烏鵲 (カササギ)」 と 「兄弟の情愛の象徴とされる鶺鴒 (セキレイ)」 とを対にして詠う。

其一得舎弟消息二首 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 160 




得舎弟消息 二首 其二
汝懦歸無計,吾衰往未期。
叛乱軍の中にいるということは弱いものだ、帰ろうと思って無理な計画などするものではないよ。わたしは叛乱軍の中にいて、随分おとろえてしまった、洛陽に行くことなど約束もできないのだ。
浪傳鳥鵲喜,深負鶺鴒詩。
弟は会いに来ることもできないのに、 私を喜ばせようと、 カササギが嬉しそうに鳴いて客人の到来を知らせることでしょうと手紙で伝えてきた。 私の方も弟に会いに行くことができず、セキレイの心に深く背いているのだ。
生理何顏面,憂端且歲時。
人としていくのにどんな顔で生きたら良いのだろうか、こんな先行きのわからない憂いの気持ちはもうやめたいけれど何時まで続くのだろうか。
兩京三十口,雖在命如絲。

長安の私の家族、下部と洛陽の家族で三十人にもなる。それぞれ生きるとしてもその命は何時こと切れてもおかしくない糸の様なものなのだ。

舎弟の消息を得たり 其の二

汝 懦(よわ)く 歸えること計るなし,吾 衰えて 往くこと未だ期せず。

(みだり)に伝う 烏鵲(うじゃく)の喜ぶを、深く負(そむ)く鶺鴒(せきれい)の詩に。

生理 何に 顏面す,憂端 且つ 時。

兩京 三十口,在と雖も 命 絲の如し。

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得舎弟消息 二首 現代語訳と訳註
(本文) 其二
汝懦歸無計,吾衰往未期。
浪傳鳥鵲喜,深負鶺鴒詩。
生理何顏面,憂端且歲時。
兩京三十口,雖在命如絲。


(下し文) 舎弟の消息を得たり 其の二
汝 懦(よわ)く 歸えること計るなし,吾 衰えて 往くこと未だ期せず。
浪(みだり)に伝う 烏鵲(うじゃく)の喜ぶを、深く負(そむ)く 鶺鴒(せきれい)の詩に。
生理 何に 顏面す,憂端 且つ 歲時。
兩京 三十口,在と雖も 命 絲の如し。


(現代語訳)
叛乱軍の中にいるということは弱いものだ、帰ろうと思って無理な計画などするものではないよ。わたしは叛乱軍の中にいて、随分おとろえてしまった、洛陽に行くことなど約束もできないのだ。
弟は会いに来ることもできないのに、 私を喜ばせようと、 カササギが嬉しそうに鳴いて客人の到来を知らせることでしょうと手紙で伝えてきた。 私の方も弟に会いに行くことができず、セキレイの心に深く背いているのだ。
人としていくのにどんな顔で生きたら良いのだろうか、こんな先行きのわからない憂いの気持ちはもうやめたいけれど何時まで続くのだろうか。
長安の私の家族、下部と洛陽の家族で三十人にもなる。それぞれ生きるとしてもその命は何時こと切れてもおかしくない糸の様なものなのだ。


(訳注)
汝懦歸無計,吾衰往未期。
叛乱軍の中にいるということは弱いものだ、帰ろうと思って無理な計画などするものではないよ。わたしは叛乱軍の中にいて、随分おとろえてしまった、洛陽に行くことなど約束もできないのだ。
 杜甫の弟、洛陽近郊にいた実弟舎弟の杜観、次子の杜占は、羌村にいた。○ [音]ダ(漢) 気が弱い。意気地がない。「懦弱/怯懦(きょうだ)」○ はかりごと。けいかくする。○ 約束。

浪傳鳥鵲喜,深負鶺鴒詩。
弟は会いに来ることもできないのに、 私を喜ばせようと、 カササギが嬉しそうに鳴いて客人の到来を知らせることでしょうと手紙で伝えてきた。 私の方も弟に会いに行くことができず、セキレイの心に深く背いているのだ。
浪傳 いたずらに~つたえてくる。できもしないことをつたえる。○鳥鵲 うじゃく:かささぎ 「烏鵲の智」 遠い将来のことばかり心配して、近くに迫っている災難に気がつかないこと。かささぎは強風の多い年には風をさけようとして巣を低い枝にかけるが、そのために、雛や卵を人に捕られることまでは、知恵がまわらない。このことを「喜」に置き換えてうたう。李商隠辛未七夕 李商隠にカササギが銀河の橋渡しをしてくれる鳥としている。『詩経』「鵲巢」にはカササギは巣作りに一生懸命、出来上がった巣は立派な頑丈なもの、しかし鳩が子育てに使う。しかしたくさんのお客がついてくる、というもの。○鶺鴒 せきれい:オシエドリ(教鳥)主に水辺に住み、長い尾を上下に振る習性がある。男女の性交についての比喩に使用される。
 
生理何顏面,憂端且歲時。
人としていくのにどんな顔で生きたら良いのだろうか、こんな先行きのわからない憂いの気持ちはもうやめたいけれど何時まで続くのだろうか。
生理 生物が生きていく上での原理。生活。生物の生活する現象。
杜甫『自京赴奉先縣詠懷五百字』「以茲悟生理、独恥事干謁」(茲(ここ)を以て生理(せいり)を悟(さと)り、独り干謁(かんえつ)を事とするを恥ず。) 生活の方法
憂端 憂のはし。杜甫『自京赴奉先縣詠懷五百字』「憂端斉終南、鴻洞不可掇」(憂端(ゆうたん)は終南(しゅうなん)に斉(ひと)しく、鴻洞(こうどう)として掇(ひろ)う可(べ)からず。)

兩京三十口,雖在命如絲。
長安の私の家族、下部と洛陽の家族で三十人にもなる。それぞれ生きるとしてもその命は何時こと切れてもおかしくない糸の様なものなのだ。
兩京 東都、洛陽ここには弟家族がいる。弟には義理の母親を養うということ。西都、長安には杜甫、この時、鄜州羌村に妻を預けていた。数名の下僕が居るので合計で三十口、25名を超えればこのような表現をするので実際の人数は明確ではない。

○この時、安禄山の叛乱軍は、唐王朝を圧倒していたのである。残忍極まりない者たちで、民衆、人民の後押しは全くない。私利私欲の不満分子の集合体であるため、なおかつ、叛乱軍は20万の軍勢、唐王朝はその時分散しているとはいえ60万の軍勢だったのだ。したがって、安禄山が平定されるのは時間の問題で早晩落ち着くものと思っていた。ところが、軍勢としての兵力が劣勢だった唐王朝が、次々大敗をしたのである。
 長安は、乱の前世界最大の国際都市、100万人を超える人口だった。飢饉が3年続いていた。その食料の供給先は江南だった。江南と長安を結ぶ輸送手段は、洛陽を中継基地とする運河のみだったのだ。長安付近では、自給率は50%以下であった。叛乱軍に洛陽を抑えられた唐王朝は、手もなく敗れる大きな問題であった。
 杜甫は、こうした叛乱軍のもとに束縛されているのである。先行きに不安しかなかったのである。


1001 47.得舍弟消息二首
其一
近有平陰信,遙憐舍弟存。
側身千裡道,寄食一家村。
烽舉新酣戰,啼垂舊血痕。
不知臨老日,招得幾時魂。


其二
汝懦歸無計,吾衰往未期。
浪傳鳥鵲喜,深負鶺鴒詩。
生理何顏面,憂端且歲時。
兩京三十口,雖在命如絲。


d416   960 得家書(家書を得たり) 前の「述懐」の詩に見える如く、作者より安否問いあわせの手紙を出したのち、家族の方より返事を得て作った詩である。時に作者は鳳翔に在った。製作時は至徳二載の秋七月。757年 46歳

47.得舍弟消息
風吹紫荊樹,色與春庭暮。
花落辭故枝,風回返無處。
骨肉恩書重,漂泊難相遇。
猶有淚成河,經天複東注。

758年 47歳 五言律詩 d460   106 得舎弟消息(乱後誰帰得)  弟、無事。留守の娘もいなく犬だけが残されていた。


47.得舍弟消息
亂後誰歸得,他鄉勝故鄉。
直為心厄苦,久念與存亡。
汝書猶在壁,汝妾已辭房。
舊犬知愁恨,垂頭傍我床。

乾元2年759年 48歳五言律詩d459  105 憶弟二首   十三歳の杜観をひとり洛陽にやったことを「狂おしくも」と後悔。済州にあった弟を思って作る。杜甫は乾元元年の冬、華州より洛陽に赴いた。


乾元2年 759年 48歳 五言律詩 d462   140 月夜憶舎弟(戍鼓断人行) 仲秋八月、白露節頃、作品。弟たちの安否を気づかう。1036.月夜憶舍弟
戍鼓斷人行,秋邊一雁聲。
露從今夜白,月是故鄉明。
有弟皆分散,無家問死生。
寄書長不達,況乃未休兵。


広徳元年 763年 52歳  176 送舎弟頴赴斉州三首 其一(岷嶺南蛮北)


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得舎弟消息二首 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 160

得舎弟消息二首 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 160
得舎弟消息二首(舎弟の消息を得たり二首)。安禄山が反乱を起こして、洛陽近郊にいた実弟の消息だけが分かって、詠ったものである。杜甫は叛乱軍に軟禁されており、互いに詳しいことは、云えなかったものである。
  
得舎弟消息二首 其一
近有平陰信,遙憐舍弟存。
ちかごろ平陰からの弟からの音信があった、洛陽は一番心配な叛乱軍の本拠地だ、実弟がまだ生きのこっていたことを遙々気の毒に思うのである。
側身千裡道,寄食一家村。
叛乱軍の中でいることは遙か干里の道に身を片寄せて歩いてたのだ、そして人家稀少の村で他人の所に寄寓して食する身となっているのだ。
烽舉新酣戰,啼垂舊血痕。
このはげしい戦は最近始まり、いまだに烽火はあがっている。私の啼き顔には昔ながらの血涙の痕がたれていて、こうなることを心配していたのだ。
不知臨老日,招得幾時魂。

私は老いにさしかかってこんな日々を過ごすなんて思いもしなかった。いつの日に実弟の魂を招きかえすことができるのであろうか。(お互いに逢えるときがこなくて死んでしまうかもしれない。)



近ごろ平陰の信有り、遙かに憐む舎弟の存するを。

身を側(そばだ)つ干里の道、食を寄す一家の邨(むら)

蜂は挙る新酣戦、啼は垂る旧血痕。

知らず臨老(りんろう)の日、幾時の魂をか招き得ん



得舎弟消息二首 現代語訳と訳註
(本文) 其一

近有平陰信,遙憐舍弟存。
側身千裡道,寄食一家村。
烽舉新酣戰,啼垂舊血痕。
不知臨老日,招得幾時魂。

(下し文) 其の一
近ごろ平陰の信有り、遙かに憐む舎弟の存するを。
身を側(そばだ)つ干里の道、食を寄す一家の邨(むら)。
蜂は挙る新酣戦、啼は垂る旧血痕。
知らず臨老(りんろう)の日、幾時の魂をか招き得ん


(現代語訳)
ちかごろ平陰からの弟からの音信があった、洛陽は一番心配な叛乱軍の本拠地だ、実弟がまだ生きのこっていたことを遙々気の毒に思うのである。
叛乱軍の中でいることは遙か干里の道に身を片寄せて歩いてたのだ、そして人家稀少の村で他人の所に寄寓して食する身となっているのだ。
このはげしい戦は最近始まり、いまだに烽火はあがっている。私の啼き顔には昔ながらの血涙の痕がたれていて、こうなることを心配していたのだ。
私は老いにさしかかってこんな日々を過ごすなんて思いもしなかった。いつの日に実弟の魂を招きかえすことができるのであろうか。(お互いに逢えるときがこなくて死んでしまうかもしれない。)


(訳注)
近有平陰信、逢憐舎弟存。

ちかごろ平陰からの弟からの音信があった、洛陽は一番心配な叛乱軍の本拠地だ、実弟がまだ生きのこっていたことを遙々気の毒に思うのである。
○平陰 河南の平陰平陰は河甫府孟津県の東にあり、これにより弟は東京(洛陽)附近の某処にあったものと推定される。○舎弟 実弟。○ 生存する。


側身千里道、寄食一家邨。
叛乱軍の中でいることは遙か干里の道に身を片寄せて歩いてたのだ、そして人家稀少の村で他人の所に寄寓して食する身となっているのだ。
側身 側とは危害にあわぬようわきへよってあるくことをいう。○寄食 他人の所に寄寓して食す。○一家邨 僻村、人家稀少の村。


烽舉新酣戰,啼垂舊血痕。
このはげしい戦は最近始まり、いまだに烽火はあがっている。私の啼き顔には昔ながらの血涙の痕がたれていて、こうなることを心配していたのだ。
新酣戦 あたらしい戦のさかり。O啼垂 啼くときにたれる。○ 血の涙をいう。ここは、遡ること李林甫の昔から、自分は何か起こると血の涙を流していた、安禄山の叛乱は起こるべくして起こったのだ。


不知臨老日,招得幾時魂。
私は老いにさしかかってこんな日々を過ごすなんて思いもしなかった。いつの日に実弟の魂を招きかえすことができるのであろうか。(お互いに逢えるときがこなくて死んでしまうかもしれない。)
臨老 老いにさしかかる。○ 時と同じ。ここでは叛乱によって家族と別れ別れになっていること、反乱軍に束縛されていることの日々。○招魂 生きている人(弟をさす)の魂をよびもどす。○幾時 何の時と同じ。


 
 
杜甫は弟の消息について詠うのは、杜甫自身の生活の安定しているときはない。不安定な時に作詩している。

喜晴 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 159

喜晴 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 159
雨つづきのあとに晴れとなったことを喜んだ詩である。
製作時は至徳二載三月癸亥(756.3/7)より大雨があり、甲戌の日(756.3/11)に至って止んだ後の作である。
長詩のため3分割して掲載その3回目

(1)喜晴  157 (2)喜晴  158 (3)喜晴  159

喜晴
皇天久不雨,既雨晴亦佳。出郭眺四郊,蕭蕭增春華。
青熒陵陂麥,窈窕桃李花。春夏各有實,我饑豈無涯。』#1
干戈雖橫放,慘澹鬥龍蛇。甘澤不猶愈,且耕今未賒。
丈夫則帶甲,婦女終在家。力難及黍稷,得種菜與麻。』#2
千載商山芝,往者東門瓜。
千年昔の漢の高祖の時四人の老人が商山で芝を採った、またそのむかし、東門で「東陵の瓜」と 召平は五色の瓜つくりをした。
其人骨已朽,此道誰疵瑕?
彼等はその骨はすでに朽ちてしまった、彼等の取った隠遁の道はだれがそれを欠点がありとすることができようか?
英賢遇轗軻,遠引蟠泥沙。
秀でた賢さを持った人々は戦況不利で戦いに倣い状況なら、いったんは遠く自己の身を退け引いて竜のように泥沙の間にいて、戦力を整え、蓄えるものだ。
顧慚味所適,回手白日斜。
自分自身のことでいうならば、自己の往くべき方向に明かでなかったことをはじる。今気がついたが首を回らしてみればもはや太陽は西の方へ傾きつつある。それは自分は晩年に近づきつつある、しかしまだ遅くはないはずだ。
漢陰有鹿門,滄海有靈查。
漢水の南には鹿門山があり、蒼海の上には不思議な槎がある。(自己の決意によってはその山にかくれることも、その海の槎に浮んで去ることもできる。)
焉能學眾口,咄咄空咨嗟!』#3

なんで多くの凡衆(ひと)の口まねをして咄々などということでいたずらにため息ついてはおれない。


皇天久しく雨ふらず 既に雨ふれは晴も亦佳なり。
郭を出でて四郊を眺す,蕭蕭として春華を增す。
青熒たり陵陂の麥 窈窕たり桃李の花。
春夏各々実有り 我が饑 豈に無涯ならんや。』

干戈横放して 惨澹として竜蛇闘うと雖も。
甘沢猶愈らずや 且耕今未だ賒ならず。
丈夫は則ち甲を帯ぶるも 婦女は終に家に在り。
力黍稷に及び難きも 菜と麻とを種うるを得。』

千載商山の芝 往者東門の瓜。
其の人骨己に朽つ 此の道誰か疵瑕とせん。
英賢轗軻に遇えば 遠く引いて泥沙に蟠る。
顧みて慚ず適く所に昧きを 首を回らせば白日斜なり。
漢陰に鹿門有り 滄海に霊査有り。
焉ぞ能く衆口を学んで 咄咄空しく咨嗟せん。』


喜晴 現代語訳と訳註
(本文) #3
千載商山芝,往者東門瓜。其人骨已朽,此道誰疵瑕?
英賢遇轗軻,遠引蟠泥沙。顧慚味所適,回手白日斜。
漢陰有鹿門,滄海有靈查。焉能學眾口,咄咄空咨嗟!』


(下し文)
千載商山の芝 往者東門の瓜
其の人骨己に朽つ 此の道誰か疵瑕とせん
英賢轗軻に遇えば 遠く引いて泥沙に蟠る
顧みて慚ず適く所に昧きを 首を回らせば白日斜なり
漢陰に鹿門有り 滄海に霊査有り
焉ぞ能く衆口を学んで 咄咄空しく咨嗟せん』

(現代語訳)
千年昔の漢の高祖の時四人の老人が商山で芝を採った、またそのむかし、東門で「東陵の瓜」と 召平は五色の瓜つくりをした。
彼等はその骨はすでに朽ちてしまった、彼等の取った隠遁の道はだれがそれを欠点がありとすることができようか?
秀でた賢さを持った人々は戦況不利で戦いに倣い状況なら、いったんは遠く自己の身を退け引いて竜のように泥沙の間にいて、戦力を整え、蓄えるものだ。
自分自身のことでいうならば、自己の往くべき方向に明かでなかったことをはじる。今気がついたが首を回らしてみればもはや太陽は西の方へ傾きつつある。それは自分は晩年に近づきつつある、しかしまだ遅くはないはずだ。
漢水の南には鹿門山があり、蒼海の上には不思議な槎がある。(自己の決意によってはその山にかくれることも、その海の槎に浮んで去ることもできる。)
なんで多くの凡衆(ひと)の口まねをして咄々などということでいたずらにため息ついてはおれない。


(訳注)
千載商山芝,往者東門瓜。
千年昔の漢の高祖の時四人の老人が商山で芝を採った、またそのむかし、東門で「東陵の瓜」と 召平は五色の瓜つくりをした。
千載 遠い昔をいう。○商山芝 商山は長安の東商商州にある山の名、漢の高祖の時四人の老人があり秦の乱をさけでその山に隠れ芝を採ってくらした。中国秦代末期、乱世を避けて陝西(せんせい)省商山に入った東園公・綺里季・夏黄公・里(ろくり)先生の四人の隠士。みな鬚眉(しゅび)が皓白(こうはく)の老人であったのでいう。○往者 さきには、これも昔時をさす。○東門瓜 漢の初め、卲平というものが長安の城の東門外で五色の瓜を作って売っていた、彼はもと秦の東陵侯であったという。
李白『古風其九』「青門種瓜人。 舊日東陵侯。」 ・種瓜人 広陵の人、邵平は、秦の時代に東陵侯であったが、秦が漢に破れると、平民となり、青門の門外で瓜畑を経営した。瓜はおいしく、当時の人びとはこれを東陵の瓜 押とよんだ。
東陵の瓜 召平は、広陵の人である。世襲の秦の東陵侯であった。秦末期、陳渉呉広に呼応して東陵の街を斬り従えようとしたが失敗した。後すぐに陳渉が敗死し、秦軍の脅威に脅かされた。長江の対岸の項梁勢力に目をつけ、陳渉の使者に成り済まし項梁を楚の上柱国に任命すると偽り、項梁を秦討伐に引きずり出した。後しばらくしてあっさり引退し平民となり、瓜を作って悠々と暮らしていた。貧困ではあったが苦にする様子も無く、実った瓜を近所の農夫に分けたりしていた。その瓜は特別旨かったので人々は『東陵瓜』と呼んだ。召平は、かつて秦政府から東陵侯の爵位を貰っていたからである。後、彼は漢丞相の蕭何の相談役となり、適切な助言・計略を蕭何に与えた。蕭何は、何度も彼のあばら家を訪ねたという。蕭何が蒲団の上で死ねたのも彼のおかげである。

其人骨已朽,此道誰疵瑕?
彼等はその骨はすでに朽ちてしまった、彼等の取った隠遁の道はだれがそれを欠点がありとすることができようか?
○其人 商山の四人の老人(四時)と卲平とをさす。○此道 隠遁の道。○疵瑕 きず、欠点。

英賢遇轗軻,遠引蟠泥沙。
秀でた賢さを持った人々は戦況不利で戦いに倣い状況なら、いったんは遠く自己の身を退け引いて竜のように泥沙の間にいて、戦力を整え、蓄えるものだ。
英賢 秀でた賢さを持った人。○轗軻 車の平かでないさまから、人の不遇のさま境遇をいう。ここでは叛乱軍との不利な戦況をいう。○遠引 遠く退引すること。戦況が悪いので戦力を整えるということ。○蟠泥沙 これは竜の動かぬさま、泥や沙のなかにわだかまっている。 この句は戦力を整える、一喜一憂の作戦をとることを批判し、「角を矯めて牛を殺す」様な作戦上の誤りを言う。 

顧慚味所適,回手白日斜。
自分自身のことでいうならば、自己の往くべき方向に明かでなかったことをはじる。今気がついたが首を回らしてみればもはや太陽は西の方へ傾きつつある。それは自分は晩年に近づきつつある、しかしまだ遅くはないはずだ。
昧所適 自分の往くべき所をはっきり知らぬ、世の中へ出でてあらわれもせず、山中に入って隠遁もできないことをいう。○白日斜 人生の晩碁に近づいたことをいう。

漢陰有鹿門,滄海有靈查。
漢水の南には鹿門山があり、蒼海の上には不思議な槎がある。(自己の決意によってはその山にかくれることも、その海の槎に浮んで去ることもできる。)
漢陰 漢水の南。○鹿門山の名、湖北省襄陽府にある。後漢の龐徳公が妻子を携えて隠れた処。鹿門山は旧名を蘇嶺山という。建武年間(二五~五六)、襄陽侯の習郁が山中に祠を建立し、神の出入り口を挟んで鹿の石像を二つ彫った。それを俗に「鹿門廟」と呼び、廟のあることから山の名が付けられたのである。○滄海 ひろうみ。仙界につつく遙かな海。蓬莱山などの東海の三山にまでの海を示す。○霊查 ふしぎないかだ。查は槎と同じ、張華の「博物志」に天の河と海とは通じており、或る人が不思議な槎にのってついに天の河にいたったことを載せる。 
有耳莫洗潁川水,有口莫食首陽蕨。
儒教思想の許由は、仕官の誘いに故郷の潁川の水耳を洗って無視をした、同じ儒教者の伯夷、叔齊はにげて 首陽山の蕨を食べついには餓死した。こういうことはしてはいけない。

焉能學眾口,咄咄空咨嗟!』
なんで多くの凡衆(ひと)の口まねをして咄々などということでいたずらにため息ついてはおれない。
學眾口 凡衆の口まねをする。○咄咄  中国、晉の殷浩が左遷されて、家に居り空中にその怨みを言葉には出さないで、ただ「咄咄怪事」という四字を空に書いたという「晉書‐殷浩伝」に見える故事による)驚くほどあやしいできごと。意外なことに驚いて発する声。舌打ちする音。おやおや。 ○咨嗟 ため息をつく。高貴な人のすばらしさを敬慕しつつ、ため息をついてうらやむ意味。
杜甫「対雪」愁坐正書空。
戦哭多新鬼、愁吟独老翁。
乱雲低薄暮、急雪舞廻風。
瓢棄樽無淥、炉存火似紅。
数州消息断、愁坐正書空。

 

喜晴
皇天久不雨,既雨晴亦佳。出郭眺四郊,蕭蕭增春華。
青熒陵陂麥,窈窕桃李花。春夏各有實,我饑豈無涯。』#1
干戈雖橫放,慘澹鬥龍蛇。甘澤不猶愈,且耕今未賒。
丈夫則帶甲,婦女終在家。力難及黍稷,得種菜與麻。』#2
千載商山芝,往者東門瓜。其人骨已朽,此道誰疵瑕?
英賢遇轗軻,遠引蟠泥沙。顧慚味所適,回手白日斜。
漢陰有鹿門,滄海有靈查。焉能學眾口,咄咄空咨嗟!』#3

雨,佳。華。花。涯。/蛇。賒。家。麻。/瓜。瑕。沙。斜。查。嗟。

皇天久しく雨ふらず 既に雨ふれは晴も亦佳なり
郭を出でて四郊を眺す,蕭蕭として春華を增す
青熒たり陵陂の麥 窈窕たり桃李の花
春夏各々実有り 我が饑 豈に無涯ならんや』

干戈横放して 惨澹として竜蛇闘うと雖も
甘沢猶愈らずや 且耕今未だ賒ならず
丈夫は則ち甲を帯ぶるも 婦女は終に家に在り
力黍稷に及び難きも 菜と麻とを種うるを得』

千載商山の芝 往者東門の瓜
其の人骨己に朽つ 此の道誰か疵瑕とせん
英賢轗軻に遇えば 遠く引いて泥沙に蟠る
顧みて慚ず適く所に昧きを 首を回らせば白日斜なり
漢陰に鹿門有り 滄海に霊査有り
焉ぞ能く衆口を学んで 咄咄空しく咨嗟せん』

(現代語訳)
好天がつづいて久しく雨ふらなかった。降りだして長雨になると晴れたのがよかったと思うものである。
晴れたので長安城郭からでかけて四方の野外をながめたのだ、もう、整斉と春の景色すっかりととのっていて春めく華やかさを増してきているのだ。
丘陵や土陂、堤の上に生えている麦は青々としてかがやいている、桃や李の花が色うつくしく咲いている。

今は戦乱で千の盾、戈(ほこ)が縦横に走っている、凄惨残虐な叛乱軍とすごくたたかっているのだ。
このたびの甘露の恵みの雨は先の日照りよりかよほどましではないか、今から、土地を鋤いたり、耕したりとりかかりさえすれば決しておそまきではないのだ。
男どもはよろいをきて戦争に出ていくものだ、婦女子は結局、家で留守をしていることになるのだ。
女のカはきび、あわの世話することまで手がとどかないのだ、そうはいっても、野菜や麻は種えることはできるのだ。』

千年昔の漢の高祖の時四人の老人が商山で芝を採った、またそのむかし、東門で「東陵の瓜」と 召平は五色の瓜つくりをした。
彼等はその骨はすでに朽ちてしまった、彼等の取った隠遁の道はだれがそれを欠点がありとすることができようか?
秀でた賢さを持った人々は戦況不利で戦いに倣い状況なら、いったんは遠く自己の身を退け引いて竜のように泥沙の間にいて、戦力を整え、蓄えるものだ。
自分自身のことでいうならば、自己の往くべき方向に明かでなかったことをはじる。今気がついたが首を回らしてみればもはや太陽は西の方へ傾きつつある。それは自分は晩年に近づきつつある、しかしまだ遅くはないはずだ。
漢水の南には鹿門山があり、蒼海の上には不思議な槎がある。(自己の決意によってはその山にかくれることも、その海の槎に浮んで去ることもできる。)
なんで多くの凡衆(ひと)の口まねをして咄々などということでいたずらにため息ついてはおれない。

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喜晴 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 158

喜晴 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 158

雨つづきのあとに晴れとなったことを喜んだ詩である。

製作時は至徳二載三月癸亥(756.3/7)より大雨があり、甲戌の日(756.3/11)に至って止んだ後の作である。

長詩のため3分割して掲載その2回目

(1)喜晴  157 (2)喜晴  158 (3)喜晴  159


喜晴

皇天久不雨,既雨晴亦佳。出郭眺四郊,蕭蕭增春華。

青熒陵陂麥,窈窕桃李花。春夏各有實,我饑豈無涯。』#1

干戈雖橫放,慘澹鬥龍蛇。

今は戦乱で千の盾、戈(ほこ)が縦横に走っている、凄惨残虐な叛乱軍とすごくたたかっているのだ。

甘澤不猶愈,且耕今未

このたびの甘露の恵みの雨は先の日照りよりかよほどましではないか、今から、土地を鋤いたり、耕したりとりかかりさえすれば決しておそまきではないのだ。

丈夫則帶甲,婦女終在家。

男どもはよろいをきて戦争に出ていくものだ、婦女子は結局、家で留守をしていることになるのだ。

力難及黍稷,得種菜與麻。』#2

女のカはきび、あわの世話することまで手がとどかないのだ、そうはいっても、野菜や麻は種えることはできるのだ。』


千載商山芝,往者東門瓜。其人骨已朽,此道誰疵瑕?

英賢遇轗軻,遠引蟠泥沙。顧慚味所適,回手白日斜。

漢陰有鹿門,滄海有靈。焉能學眾口,咄咄空咨嗟!』#3


皇天久しく雨ふらず 既に雨ふれは晴も亦佳なり

郭を出でて四郊を眺す,蕭蕭として春華を增す

青熒たり陵陂の麥 窈窕たり桃李の花

春夏各々実有り 我が饑 豈に無涯ならんや』

干戈横放して 惨澹として竜蛇闘うと雖も

甘沢猶愈らずや 且耕今未だならず

丈夫は則ち甲を帯ぶるも 婦女は終に家に在り

力黍稷に及び難きも 菜と麻とを種うるを得』

千載商山の芝 往者東門の瓜

其の人骨己に朽つ 此の道誰か疵瑕とせん

英賢轗軻に遇えば 遠く引いて泥沙に蟠る

顧みて慚ず適く所に昧きを 首を回らせば白日斜なり

漢陰に鹿門有り 滄海に霊査有り

焉ぞ能く衆口を学んで 咄咄空しく嗟せん』



喜晴  現代語訳と訳註
(本文)

干戈雖橫放,慘澹鬥龍蛇。甘澤不猶愈,且耕今未

丈夫則帶甲,婦女終在家。力難及黍稷,得種菜與麻。』#2


(
下し文)
干戈横放して 惨澹として竜蛇闘うと雖も

甘沢猶愈らずや 且耕今未だならず

丈夫は則ち甲を帯ぶるも 婦女は終に家に在り

力黍稷に及び難きも 菜と麻とを種うるを得』


(
現代語訳)
今は戦乱で千の盾、戈(ほこ)が縦横に走っている、凄惨残虐な叛乱軍とすごくたたかっているのだ。

このたびの甘露の恵みの雨は先の日照りよりかよほどましではないか、今から、土地を鋤いたり、耕したりとりかかりさえすれば決しておそまきではないのだ。

男どもはよろいをきて戦争に出ていくものだ、婦女子は結局、家で留守をしていることになるのだ。

女のカはきび、あわの世話することまで手がとどかないのだ、そうはいっても、野菜や麻は種えることはできるのだ。』




(訳注)

干戈雖橫放,慘澹鬥龍蛇。

今は戦乱で千の盾、戈(ほこ)が縦横に走っている、凄惨残虐な叛乱軍とすごくたたかっているのだ。

千曳たて、ほこ。○横放かってほうだいにはびこる、安禄山の乱をさす。○惨澹 ものすごく。○闘竜蛇 竜(天子)と蛇(禄山)とが相いたたかう。



甘澤不猶愈,且耕今未
このたびの甘露の恵みの雨は先の日照りよりかよほどましではないか、今から、土地を鋤いたり、耕したりとりかかりさえすれば決しておそまきではないのだ。
甘沢 甘露の恵みの雨、種の植え時の前の大雨の好都合なしめりをいう。○不猶愈 この雨は耕作をする前の雨であるから日照りに比較していう。雨の方がまだ日照りよりまさっている。○且耕 且は鉏、鉏は田地をすくこと、耕はたがやすこと。○今乗除絵は遠いこと。適当時期にまだ近い、おそすぎぬということ。


丈夫則帶甲,婦女終在家。

男どもはよろいをきて戦争に出ていくものだ、婦女子は結局、家で留守をしていることになるのだ。

丈夫 男子、夫をさす。○帯甲よろいを身につける、戦場へでていること。○婦女妻をいう。



力難及黍稷,得種菜與麻。』
女のカはきび、あわの世話することまで手がとどかないのだ、そうはいっても、野菜や麻は種えることはできるのだ。』
黍稷 きび、あわ。


喜晴 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 157

喜晴 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 157
雨つづきのあとに晴れとなったことを喜んだ詩である。
製作時は至徳二載三月癸亥(756.3/7)より大雨があり、甲戌の日(756.3/11)に至って止んだ後の作である。

長詩のため3分割して掲載その1回目

(1)喜晴  157 (2)喜晴  158 (3)喜晴  159



喜晴
皇天久不雨,既雨晴亦佳。
好天がつづいて久しく雨ふらなかった。降りだして長雨になると晴れたのがよかったと思うものである。
出郭眺四郊,蕭蕭增春華。
晴れたので長安城郭からでかけて四方の野外をながめたのだ、もう、整斉と春の景色すっかりととのっていて春めく華やかさを増してきているのだ。
青熒陵陂麥,窈窕桃李花。
丘陵や土陂、堤の上に生えている麦は青々としてかがやいでいる、桃や李の花が色うつくしく咲いている。
春夏各有實,我饑豈無涯。』
#1
春と夏とに桃李や麦はそれぞれ実を結ぶから、叛乱軍も鎮圧され、自分の餓じい生活の果てが見えてくるようだ。』
干戈雖橫放,慘澹鬥龍蛇。甘澤不猶愈,且耕今未賒。
丈夫則帶甲,婦女終在家。力難及黍稷,得種菜與麻。』#2
千載商山芝,往者東門瓜。其人骨已朽,此道誰疵瑕?
英賢遇轗軻,遠引蟠泥沙。顧慚味所適,回手白日斜。
漢陰有鹿門,滄海有靈查。焉能學眾口,咄咄空咨嗟!』#3


皇天久しく雨ふらず 既に雨ふれは晴も亦佳なり。

郭を出でて四郊を眺す,蕭蕭として春華を增す。

たり陵陂の麥 窈窕たり桃李の花。

春夏各々実有り 我が饑 豈に無涯ならんや。』


干戈横放して 惨澹として竜蛇闘うと雖も
甘沢猶愈らずや 且耕今未だ賒ならず
丈夫は則ち甲を帯ぶるも 婦女は終に家に在り
力黍稷に及び難きも 菜と麻とを種うるを得』
千載商山の芝 往者東門の瓜
其の人骨己に朽つ 此の道誰か疵瑕とせん
英賢轗軻に遇えば 遠く引いて泥沙に蟠る
顧みて慚ず適く所に昧きを 首を回らせば白日斜なり
漢陰に鹿門有り 滄海に霊査有り
焉ぞ能く衆口を学んで 咄咄空しく咨嗟せん』


喜晴 現代語訳と訳註
(本文)

皇天久不雨,既雨晴亦佳。
出郭眺四郊,蕭蕭增春華。
青熒陵陂麥,窈窕桃李花。
春夏各有實,我饑豈無涯。』

(下し文)
皇天久しく雨ふらず 既に雨ふれは晴も亦佳なり
郭を出でて四郊を眺す,蕭蕭として春華を增す
青熒たり陵陂の麥 窈窕たり桃李の花
春夏各々実有り 我が饑 豈に無涯ならんや』

(現代語訳)
好天がつづいて久しく雨ふらなかった。降りだして長雨になると晴れたのがよかったと思うものである。
晴れたので長安城郭からでかけて四方の野外をながめたのだ、もう、整斉と春の景色すっかりととのっていて春めく華やかさを増してきているのだ。
丘陵や土陂、堤の上に生えている麦は青々としてかがやいでいる、桃や李の花が色うつくしく咲いている。
春と夏とに桃李や麦はそれぞれ実を結ぶから、叛乱軍も鎮圧され、自分の餓じい生活の果てが見えてくるようだ。』

(訳注)
皇天久不雨,既雨晴亦佳。

好天がつづいて久しく雨ふらなかった。降りだして長雨になると晴れたのがよかったと思うものである。
皇天 おおぞら。好天。皇帝の大空。(日本だと「日本晴」)

出郭眺四郊,蕭蕭增春華。
晴れたので長安城郭からでかけて四方の野外をながめたのだ、もう、整斉と春の景色すっかりととのっていて春めく華やかさを増してきているのだ。
 長安城のそとくるわ。○ ながめる。○四郊 西方ののはら。城郭の南側には高い丘があるのでおそらくそこに上って眺めたのだろう。○粛粛 すっかりととのっている整斉なるさま。○増華 華やいだ美しさをます。

青熒陵陂麥,窈窕桃李花。
丘陵や土陂、堤の上に生えている麦は青々としてかがやいでいる、桃や李の花が色うつくしく咲いている。
青焚 あおくびかる。(1) かすかな光. (2) 目がくらむ○陵陵おか、どて。○窈窕 美人の心容のうつくしいさま。春の美しさは美人に喩えられるもので、擬人化表現である。

春夏各有實,我饑豈無涯。』
春と夏とに桃李や麦はそれぞれ実を結ぶから、叛乱軍も鎮圧され、自分の餓じい生活の果てが見えてくるようだ。』
各有実 麦と桃李とそれぞれ実を結ぶ。○豈無涯 無涯ははてしないこと、豈無涯は反語になり、はてのあることをいう。



(解説)
中國の中心であった、東都洛陽、世界最大の国際都市であった長安、幽州(現在の北京)から反旗を立て、2年で主要な都市をほとんど陥落させ、略奪の限りを尽くし、大量の殺戮を行った叛乱軍は、唐王朝に嫌気を向けていた民衆の支持をすぐに失うのである。そして、内部分裂を起こすため、唐王朝に、奪回のチャンスが生まれてきていた。

 杜甫は、軟禁状態で、叛乱軍の拘束下にあった。「春望」も春めいたことで希望を述べていたが、4,5日大雨が降って、外に出られないでいて塞いでいたのだろう。今日であれば、桜が長雨で散った後の時節と思われる。平安な時代は春三月といえば、長安の街は牡丹の花でいっぱいになった。安禄山の乱で、貴族の家、宮殿の牡丹は咲かなかったのか、杜甫はあまり好きではなかったので春の表現に使わない。杜甫が好きな景色は南の丘陵地である。ここからの眺めを詠ったものもある。

曲江三章章五句2  奉陪鄭駙馬韋曲二首其一 杜甫 樂遊園歌  杜甫  陪鄭広文遊何将軍山林十首 其一 杜甫  渼陂行  杜甫   重過何氏五首其一 杜甫    夏日李公見訪 杜甫特集



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憶幼子 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 156

憶幼子 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 156

 
憶幼子 (幼子を憶う)
長安にあって鄜州の羌村に在る幼子を憶って作る。この幼子は作者の第二子宗武であり、宗武の幼名を驥子という。製作時は757年、至徳二載の春。

憶幼子
驥子春猶隔,鶯歌暖正繁。
息子の驥子とは春になったというのにはなれたままなのだ。暖かくなるにつれて鶯のうたう歌のこえも盛んになってきた。
別離驚節換,聰慧與誰論。
別れてからこんなにも時候が変わったかとおどろいてしまう。きっとあの子も悧巧になったことだろう、そのことを自分が思うだけで誰に言うこともない。
澗水空山道,柴門老樹村。
あの逃避中の困難であった空山の道で澗水のながれているところ思い出し、あの老木の生いしげっている村の柴門のあるところを思い出す。
憶渠愁只睡,炙背俯晴軒。

そこへ宗武への思いを馳せて、日当たりのいいこの木場で身をかがめて背なかを日向ぼっこして、愁えつつ居眠りをする。

驥子 春 猶隔たる、鶯 歌 暖くして正に繁し。
別離 節の換るに驚く、聡慧 誰とか論ぜん。
澗水 空山の道、柴門 老樹の村。
渠を憶うて愁えて只だ睡る、背を炙りて 晴軒に俯す。


憶幼子 現代語訳と訳註
(本文)

驥子春猶隔,鶯歌暖正繁。
別離驚節換,聰慧與誰論。
澗水空山道,柴門老樹村。
憶渠愁只睡,炙背俯晴軒。

(下し文)
驥子 春 猶隔たる、鶯 歌 暖くして正に繁し。
別離 節の換るに驚く、聡慧 誰とか論ぜん。
澗水 空山の道、柴門 老樹の村。
渠を憶うて愁えて只だ睡る、背を炙りて 晴軒に俯す。

(現代語訳)
息子の驥子とは春になったというのにはなれたままなのだ。暖かくなるにつれて鶯のうたう歌のこえも盛んになってきた。
別れてからこんなにも時候が変わったかとおどろいてしまう。きっとあの子も悧巧になったことだろう、そのことを自分が思うだけで誰に言うこともない。
あの逃避中の困難であった空山の道で澗水のながれているところ思い出し、あの老木の生いしげっている村の柴門のあるところを思い出す。
そこへ宗武への思いを馳せて、日当たりのいいこの木場で身をかがめて背なかを日向ぼっこして、愁えつつ居眠りをする。


(訳注)
驥子春猶隔,鶯歌暖正繁。

息子の驥子とは春になったというのにはなれたままなのだ。暖かくなるにつれて鶯のうたう歌のこえも盛んになってきた。
 自分のいる場所と両地の相い隔たることをいう。○ 多いことをいう。

別離驚節換,聰慧與誰論。
別れてからこんなにも時候が変わったかとおどろいてしまう。きっとあの子も悧巧になったことだろう、そのことを自分が思うだけで誰に言うこともない。
節換 時候のかわること。○聡慧 宗武のちえづくこと。○与誰論 己一人であることをいう。


澗水空山道,柴門老樹村。
あの逃避中の困難であった空山の道で澗水のながれているところ思い出し、あの老木の生いしげっている村の柴門のあるところを思い出す。
澗水 鄜州の谷川、谷川沿いのこと。○空山 人の居らぬ山。○柴門 しばのもん、麟州の家の門をさす。「澗水空山道」というのは、逃避中の困難を追憶したもの

三川觀水漲二十韻 杜甫 127

彭衙行 杜甫 132



憶渠愁只睡,炙背俯晴軒。
そこへ宗武への思いを馳せて、日当たりのいいこの木場で身をかがめて背なかを日向ぼっこして、愁えつつ居眠りをする。
○渠 宗武をさす。○炙背 太陽の光にむけてせなかを日に当てる。日向ぼっこ。○俯 身をかがめる。○晴軒 日のあたっているの木場、第七・八の二句は倒装である。



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春望  杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 155

春望  杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 155
 至徳二載 757年 46歳

長安の春にあい、ながめつつ感じをのべる。製作時は至徳二載の三月。ここに至るまでを杜甫の詩を振り返ってみる。

755年 秋に長雨があった。米の値が高騰した。

秋雨嘆三首 其一 杜甫 86

755年 冬11月に家族に会いに奉先に行った。子どもが。餓死していた。

自京赴奉先縣詠懷五百字 杜甫 106 

755年 11月家族を白水へ避難させる逃避行。

三川觀水漲二十韻 杜甫 130 

755年 12月家族を羌村へ避難させる逃避行。王砅に助けられる。

彭衙行 杜甫 132 

756年 8月家族を羌村に残して、霊州の粛宗皇帝のもとへ参じる途中叛乱軍に掴まる。長安に護送される。9月長安で逃亡中の王家の孫に会う。

哀王孫 杜甫140

75610月妻、家族を思って作る不朽の名作。杜甫につぃては珍しい、閨情詩。

月夜 杜甫 - 144

この頃の季節区分  春:1.2.3月 夏:4.5.6月  秋:7.8.9月  冬:10.11.12

75611,12月妻、家族を思って作る。王朝軍大敗に落胆する。

遣興 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 151

悲陳陶 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 152

悲青坂 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 153

対雪 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 154


中國の中心であった、東都洛陽、世界最大の国際都市であった長安、幽州(現在の北京)から反旗を立て、2年で主要な都市をほとんど陥落させ、略奪の限りを尽くし、大量の殺戮を行った叛乱軍は、唐王朝に嫌気を向けていた民衆の支持をすぐに失うのである。そして、内部分裂を起こすため、唐王朝に、奪回のチャンスが生まれてきていた。


 春望     
國破山河在,城春草木深。
天下の唐王朝の都が破壊されたが、とりまく山河自然は存在を示している。破壊された長安の街に春の息吹がよみがえる、草木が茂って来たではないか。 
感時花濺涙,恨別鳥驚心。
自然というものは時節の変転、春の息吹を感じ、させて花を開いているのだが、叛乱軍に破壊尽くされた唐王朝に春はこないので花を見ても涙を流すだけなのだ。自分にとっても、家族との別離をうらめしく思い、鳥が自由に飛び交い、一族群れを為している姿を見るにつけても、心を痛めているのだ。
烽火連三月,家書抵萬金。
長安郊外での戦火は三ヶ月も続いたが、期待を裏切り、無駄なものであった。こんなとき、もし家族からの手紙があったとしたら、それは万金にあたいするもので極めて貴重なのである。
白頭掻更短,渾欲不勝簪。
白髪頭を掻けば、苦労で老けた髪は一層短く、少なくなった。 こんなに髪が少なくなってほとんど、まげを止めるカンザシを挿すにもたえないような状態になってしまった。



春望       

國 破れて  山河 在り,城 春にして  草木 深し。

時に 感じては  花にも 涙を 濺(そそ)ぎ,別れを恨んでは  鳥にも 心を驚かす。

烽火  三月(さんげつ)に 連なり,家書  萬金に 抵(あ)たる。

白頭  掻けば 更に 短く,渾(すべ)て簪(しん)に勝(た)へざらんと欲す。



(757) 全く期待を裏切る戦いで 、落胆していた。(三月三首さんげつさんしゅ悲陳陶 - 152   悲青坂 - 153    対雪 - 154明けて至徳二年(757)の春も、杜甫は城内にあって囚われのままである。
 五言律詩「春望」(しゅんぼう)は杜甫の名作である。
詩中の「簪」は冠(かんむり)をとめるピンのことで、冠は成人男子であることを示す被り物である。「渾て簪に勝えざらんと欲す」は心配で髪が薄くなり、冠も留めて置けなくなったと解される。
わざわざこの詩結句でいう、裏の気持ちとしては、自分が仕官をするため10年余りも長安で過ごした。その間、威張り腐っていた役人が、安禄山らの叛乱軍に圧倒的な戦力があったにもかかわらず簡単に(半年で東都と、長安が)敗れ、さらに、その後、なめきって油断してきている状況下でも、陳陶 、 青坂  で敗れ去っている。中国人の表現方法の特徴で自分の白髪頭をいうのは「自分の髪が少なくて恥ずかしいよ」であり、「おまえはどうなんだ、恥ずかしくないのか」といっているのである。「「月夜」の背景  kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 143 では、相手を思いやる表現法につぃて述べた。ここは相手を批判する表現法の一つである。もう一つの意味合いは、この後、多くの詩に出てくる「白髪頭」であるが、杜甫は、これから、元気出して頑張るぞという時にもちるのである。
この「春望」詩は、そういったことを前提に読んでほしい。


現代語訳と訳註
(本文)

國破山河在,城春草木深。
感時花濺涙,恨別鳥驚心。
烽火連三月,家書抵萬金。
白頭掻更短,渾欲不勝簪。

(下し文)
國 破れて  山河 在り,城 春にして  草木 深し。
時に 感じては  花にも 涙を 濺(そそ)ぎ,別れを 恨んでは  鳥にも 心を驚かす。
烽火  三月(さんげつ)に 連なり,家書  萬金に 抵(あ)たる。
白頭  掻けば 更に 短く,渾(すべ)て簪(しん)に勝(た)へざらんと欲す。

(現代語訳)
春の眺め
天下の唐王朝の都が破壊されたが、とりまく山河自然は存在を示している。破壊された長安の街に春の息吹がよみがえる、草木が茂って来たではないか。 
自然というものは時節の変転、春の息吹を感じ、させて花を開いているのだが、叛乱軍に破壊尽くされた唐王朝に春はこないので花を見ても涙を流すだけなのだ。自分にとっても、家族との別離をうらめしく思い、鳥が自由に飛び交い、一族群れを為している姿を見るにつけても、心を痛めているのだ。
長安郊外での戦火は三ヶ月も続いたが、期待を裏切り、無駄なものであった。こんなとき、もし家族からの手紙があったとしたら、それは万金にあたいするもので極めて貴重なのである。
白髪頭を掻けば、苦労で老けた髪は一層短く、少なくなった。 こんなに髪が少なくなってほとんど、まげを止めるカンザシを挿すにもたえないような状態になってしまった。


(訳注)

春望
春の眺め。杜甫は『野望』と野の眺めの歌も作っている。ここは、『野望』ならぬ「堂屋が消失し、雑草の茂る首都、春の長安の都の光景」を詠う。
五言律詩「野望」 秦州での作。759年乾元2年 48歳
清秋望不極,迢遞起層陰。
遠水兼天淨,孤城隱霧深。
葉稀風更落,山迥日初沈。
獨鶴歸何晚?昏鴉已滿林。
すみきった秋の遠望ははてしがないが、高低の地勢には幾重かの夕曇りが起こり始めた。それで遠方の水面とともに天もすっきりしているが、この一つ城はだんだん隠れて霧が深く立ち込めた。それからたださえ稀になった木の葉が風のために一層振るわれて落ち、遥かなる山のかなたには太陽がやっと沈んでしまった。このとき日暮れの烏は、もはや林に一杯留まったのに、どうして一匹の鶴だけは、こんなに遅く帰るのであろうか。鶴は自己を比していうのであろう。)

秦州抒情詩(20) 野望 杜甫 <305> kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1382 杜甫詩 700- 425

國破山河在、城春草木深。
天下の唐王朝の都が破壊されたが、とりまく山河自然は存在を示している。破壊された長安の街に春の息吹がよみがえる、草木が茂って来たではないか。 
國破 下の句に城とあり、城は長安を示す。対句なのでこの国を長安と解すものも多いが、国は、唐王朝を示すとしたほうが杜甫の意図を組んでわかりやすい。 
こわれる。やぶれる。安禄山に因る756年6月至徳元年の潼関を破られ、12日玄宗は蜀へ逃行し譲位、霊武に逃避した粛宗が討伐を始める。 ・山河在:国都長安は破壊されてしまったが、自然の)山河(残って存在し。 
存在している。そこにある。ここでは、ただそれだけが残ってそこにあるの意。
荊叔(生歿未詳)の『唐詩選』「題慈恩塔」には(慈恩塔と御陵を詠うので740年ごろの作品で、杜甫に先行するものではなかろうか)
漢國山河在,秦陵草樹深。
この詩でいう「漢國」とは、国都長安のことになる。
城春 都長安が破壊されたが街は春になった。 
城郭都市であったので現代語ではまち、都市。城市。ここでは、長安の街。
草木深 (街中の光景なのに)草木が生い茂って、荒れ果ててしまった。

暮雲千里色,無處不傷心。
国都長安は、山は緑が豊かで、河は青々と流れている。秦・始皇の陵には、草木が生い茂っている。夕暮れ時の美しい空の色は遥か彼方まで続いている。長安の自然の景色は、昔と少しも変わらず心をいためないところはない。)


時花濺涙、恨別鳥驚心。
自然というものは時節の変転、春の息吹を感じ、させて花を開いているのだが、叛乱軍に破壊尽くされた唐王朝に春はこないので花を見ても涙を流すだけなのだ。自分にとっても、家族との別離をうらめしく思い、鳥が自由に飛び交い、一族群れを為している姿を見るにつけても、心を痛めているのだ。
感時 時世時節の変異に感じる。それは自然の息吹、国家の運命、家族への思い、に感じるところがある。 
花濺涙 こんな事節でありながら、大自然は春を与えてくださる。大殺戮の冬、暗雲立ち込めていることしか思わなかったこの時期、花を咲かせて、前向きに生きることを自然が教えてくれる、その象徴としての花である。しかし現実は、涙することばかりなのだ。このギャップを、見事にこの五文字に詠いあげ、杜甫はこれだけの意味、味わい深さを詠っているのである。 
恨別 家族との別離をうらめしく思う。戦乱のため、杜甫の家族は羌村に居て、自身は長安にいるという別居生活になっていることをいう。 
鳥驚心 杜甫が、花や鳥を見るにつけ、心を痛めると言う意である。


烽火連三月、家書抵萬金。
長安郊外での戦火は三ヶ月も続いたが、期待を裏切り、無駄なものであった。こんなとき、もし家族からの手紙があったとしたら、それは万金にあたいするもので極めて貴重なのである。
烽火 のろし火。兵乱、戦争。ここでは、ここは、後者の戦火の意。 
続く。つながる。或いは、亘る。 
三月 〔さんげつ〕三箇月。戦火が九十日も続いたため、家書が「抵萬金」という値打ちに感じられるということ。至徳元年(756年)末、悲陳陶 - 152   悲青坂 - 153    対雪 - 154(この三月を採って三月三首と名付ける)などの至徳二年初までの戦乱を指す。
家書 家族からの手紙。 ・抵:あたる。 
萬金 大金。かけがえが無く貴重であることをいう。


白頭掻更短、渾欲不勝簪。
白髪頭を掻けば、苦労で老けた髪は一層短く、少なくなった。 こんなに髪が少なくなってほとんど、まげを止めるカンザシを挿すにもたえないような状態になってしまった。
白頭 白髪頭。 
(痒くて)かく。かきむしる。戦乱のために一家離散し、今後の方策も立たなくて悩むようす。 
更短 一層短くなった。一層短く、少なくなった。苦労で老けたことをいう。耳よりも下まで、髪の毛が垂れていたのだ。 
すっかり、まるで、ほとんど。すべて、まったく。  
不勝 〔ふしょう〕…に堪えない。…できない。 
カンザシを挿すこと。男子の頭髪を束ねるためのもの。冠を止める簪。


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対雪 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 154

対雪 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 154

封  雪(雪に対す)
絶対有利であった戦い、勝ってくれるはずであった戦い、それが真逆の大敗。陳陶斜に続く青坂における王朝軍の敗北、そして、天下、九州各地で叛乱軍に落ちていくのである。長安にいる杜甫にいい情報は入ってこなかった。落胆は大きく、先行きが全く見えないのである。その状況の中で、雪に対しての感を述べるのである。製作時は至徳元載の冬の作。
至徳元年 756年 11月

落胆三首
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対雪 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 154

     
対雪
戦哭多新鬼、愁吟独老翁。
乱雲低薄暮、急雪舞廻風。
瓢棄樽無淥、炉存火似紅。
数州消息断、愁坐正書空。


雪に対す
戦哭(せんこく)   新鬼(しんき)多く、愁吟(しゅうぎん)  独り老翁。
乱雲(らんうん)   薄暮(はくぼ)に低(た)れ、急雪(きゅうせつ) 廻風(かいふう)に舞う。
瓢(ひょう)棄てられて  樽(たる)に淥(ろく)無く、炉(ろ)存して  火は紅(くれない)に似たり。
数州  消息(しょうそく)断たれ、愁え坐して  正(まさ)に空(くう)に書す。


対雪 現代語訳と訳註
(本文) 対雪

戦哭多新鬼、愁吟独老翁。
乱雲低薄暮、急雪舞廻風。
瓢棄樽無淥、炉存火似紅。
数州消息断、愁坐正書空。


(下し文) 雪に対す
戦哭(せんこく)   新鬼(しんき)多く、
愁吟(しゅうぎん)  独り老翁。
乱雲(らんうん)   薄暮(はくぼ)に低(た)れ、
急雪(きゅうせつ) 廻風(かいふう)に舞う。
瓢(ひょう)棄てられて  樽(たる)に淥(ろく)無く、
炉(ろ)存して  火は紅(くれない)に似たり。
数州  消息(しょうそく)断たれ、
愁え坐して  正(まさ)に空(くう)に書す。


(現代語訳)
至るところが戦場で、そこでの号泣がひびきわたる、それは多くの新しい戦死者の声である。その声を聞きつつ愁えて吟じるものはただ一人、筋を通し生き抜いてきた初老のわたしである。
それなのに乱れた雲、崩れた王朝にたそがれが低くたれさがるのである。そこに急にふりそそいできた雪が吹き、風につれて舞いくるうように、異民族たちが街を覆うのである。
清酒を飲むため、自然その酒を小出しにする瓢もなげすてられている、樽盃には清酒の透き通った色が無くなってしまった。談義ができるわけもないのに炉のみは消えずにいて火が紅色を呈している。
天下九州の内二三の州は叛乱軍の手にでも落ちたものかどうか消息がとだえている。それがため自分は愁えた気持ちで座敷に座り、ちょうど殷浩の様に手で空中に文字を書いて不安な気持ちを抑えるのだ。


(訳注)
戦哭多新鬼、愁吟独老翁。

至るところが戦場で、そこでの号泣がひびきわたる、それは多くの新しい戦死者の声である。その声を聞きつつ愁えて吟じるものはただ一人、筋を通し生き抜いてきた初老のわたしである。
新鬼 新しい戦死者。○老翁 自己をさす。筋を通し生き抜いてきた初老のわたしである


乱雲低薄暮、急雪舞廻風。
それなのに乱れた雲、崩れた王朝にたそがれが低くたれさがるのである。そこに急にふりそそいできた雪が吹き、風につれて舞いくるうように、異民族たちが街を覆うのである。
薄暮 たそがれ。○急雪 雪が吹雪となって降り出すことと、北方の異民族は雪に強く生き生きしていることを示す。○廻風 吹きまわす風。

瓢棄樽無淥、炉存火似紅。
清酒を飲むため、自然その酒を小出しにする瓢もなげすてられている、樽盃には清酒の透き通った色が無くなってしまった。談義ができるわけもないのに炉のみは消えずにいて火が紅色を呈している。
瓢棄 略奪した酒なので、空になれば、邪魔になる。投げ捨てられるものではないものなのだ。○ 盃の大きめのものを言う。酒樽ではない。〇 清と通ずる、清酒の色をいう。濁り酒に対する語。○ 示と同じ。過去の歴史上、弾圧されていても、酒を飲んで談義をしたが、今はそれすらできないということを示す2句である。


数州消息断、愁坐正書空。
天下九州の内二三の州は叛乱軍の手にでも落ちたものかどうか消息がとだえている。それがため自分は愁えた気持ちで座敷に座り、ちょうど殷浩の様に手で空中に文字を書いて不安な気持ちを抑えるのだ。
書空 晋末に殷浩というものが官を辞めさせられ、終日手を以て空中に「咄咄怪事」の四字を書いていたという。不平のさま。




雪に対す 解説
 杜甫は、陳陶斜、青坂の敗戦がよほどショックだった。勝ち進んで長安解放を夢見ていた。軟禁状態とはいえ、叛乱軍が闊歩している都長安である。雪が降る空を見上げてこの詩を書いたのだ。
五言律詩で、はじめの二句で戦場の死者を悼み、自分は詩を吟ずるくらいしかできない老翁であると。中の四句は雪が降ったら長安の住民は何もできないのに、叛乱軍は元気いっぱい。略奪した酒は底をついたら、おいしくなるまで大事にしていた瓢箪の酒を打ち捨てている。酒を飲んで談義をするのはどんな時代でも酒で許されたものだが、今はダメなのだ。杜甫が坐している堂房から見える外の景色と室内のようすを描いているが、頼りにする王朝軍のふがいなさ、自らのわびしさ、無力感が色濃くただよっている。先行きが全く見えないからである。
最後の二句、天下は九州である。幾つかの州が反乱軍の手に落ちたことをしめしている。蜀州、霊州以外はよくて中立、ほとんど叛乱軍の手に落ちたのだ。叛乱軍に統率者がいれば、唐王朝は間違いなく滅亡していた。
 「愁え坐して正に空に書す」と言って、故事、「咄咄怪事」を空中に書いた。晋末に殷浩が時の政事を愁えて、毎日空中に「咄咄怪事」の四文字を書いていたことに基づいている。「もう、まったくなにやってるんだ」という意味の呟きであう。 杜甫も同様に「憤懣の文字を虚空に書きつけている」と言っているのだ。

悲青坂 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 153

悲青坂 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 153
 
ぜったい有利であった陳陶斜に続く青坂における王朝軍の敗北が長安にいる杜甫に知らせれ、それを悲しんで作った詩である。
756年至徳元載十月に、杜甫の幼友達の房琯は自ずから安禄山の軍を討とうと請い、軍を南中北の三派分け、楊希文は南軍に将として宜寿より入り、劉恵は中軍に将として武功より入り、李光進は北軍に将として奉天より入り、房琯は自ずから中軍に将として前鋒であった。10月21日の9日目(辛丑)、中軍・北軍は賊と陳陶斜に遇って敗績し、10月23日の11日目(癸卯)に房琯は自ずから南軍を以て青坂で戦い又敗れた。このとき房琯は古法にならって車戦を用いたが、安禄山軍は風に順って火を縦って之を焚いたために人畜は大いに乱れ王朝軍の死傷する者は四万余人。陳陶斜、は咸陽県の東にあり、斜とは山沢をいう。故に詩中に陳陶沢ともいう。咸陽の東門ちかく青坂があった。製作時は至徳元載十月。五行思想での日にち計算により、辛丑:9日目、癸卯:11日目、たった11日間で敗れたのである。兵力の多さを過信した作戦面で失敗である。

官軍が10月21日、青坂で敗れたことを悲しんで作る。製作時は至徳元載十月二十三日以後。
至徳元年  756年 45歳

悲青坂   
咸陽の東門外にある青坂の地での戦いの詩
我軍青坂在東門、天寒飲馬太白窟。
我が王朝軍は咸陽の東門ちかく青坂に陣取っている。この冬の寒空に太白山の窟に馬に水かい、西の峻山道から進んできたのだ。
黄頭奚児日向西、数騎彎弓敢馳突。
安禄山軍の黄頭の異民族の帽子の奚部族と漢民族の兵士等は勝ちに乗じて毎日だんだんと西へ向ってくる。それをいまいましがって味方(王朝軍)の二三騎が弓をひいてむりに馳せて突出してみるのだが、大勢的に劣勢で敗軍でどうにもならないのだ。
山雪河冰野蕭瑟、青是烽煙白人骨。
山には雪がふり河には冰がはり、原野は風が簫の笛や瑟琴のようにさびしく吹いていて、青くみえるのはのろし火の煙であり、白くみえるのは大殺戮による屍が、おびただしい数であった、今むりに戦をしても仕方がないというものなのだ。
焉得付書与我軍、忍待明年莫倉卒。
どうしたら、我が王朝の軍隊へ手紙をとどけ与えて「我慢して明年を待て、今は戦力を整えるのだ、そうしてあわてて軍をしかけてはならないのだ」と言ってやることができるだろうか。

青坂を悲しむ

我れ青坂(せいはん)に軍して東に門在り、天寒くして馬に飲(みずか)う太白の窟(いわや)

黄頭(こうとう)の奚児(けいじ) 日に西に向かう、数騎  弓を彎()いて敢(あえ)て馳突(ちとつ)す。

山雪  河冰 野に蕭瑟(しょうしつ)たり、青(せい)は是れ烽煙(ほうえん)  白は人骨。

(いずくん)ぞ書を付して我が軍に与え、忍んで明年を待って倉卒(そうそつ)なる莫かれと言い得む。




悲青坂 現代語訳と訳註
(本文) 悲青坂 
  
我軍青坂在東門、天寒飲馬太白窟。
黄頭奚児日向西、数騎彎弓敢馳突。
山雪河冰野蕭瑟、青是烽煙白人骨。
焉得付書与我軍、忍待明年莫倉卒。


(下し文) 青坂を悲しむ
我れ青坂(せいはん)に軍して東に門在り、天寒くして馬に飲(みずか)う太白の窟(いわや)。
黄頭(こうとう)の奚児(けいじ)  日に西に向かう、数騎  弓を彎(ひ)いて敢(あえ)て馳突(ちとつ)す。
山雪  河冰 野に蕭瑟(しょうしつ)たり、青(せい)は是れ烽煙(ほうえん)  白は人骨。
焉(いずくん)ぞ書を付して我が軍に与え、忍んで明年を待って倉卒(そうそつ)なる莫かれと言い得む。


(現代語訳)
咸陽の東門外にある青坂の地での戦いの詩
我が王朝軍は咸陽の東門ちかく青坂に陣取っている。この冬の寒空に太白山の窟に馬に水かい、西の峻山道から進んできたのだ。
安禄山軍の黄頭の異民族の帽子の奚部族と漢民族の兵士等は勝ちに乗じて毎日だんだんと西へ向ってくる。それをいまいましがって味方(官軍)の二三騎が弓をひいてむりに馳せて突出してみるのだが、大勢的に劣勢で敗軍でどうにもならないのだ。
山には雪がふり河には冰がはり、原野は風が簫の笛や瑟琴のようにさびしく吹いていて、青くみえるのはのろし火の煙であり、白くみえるのは大殺戮による屍が、おびただしい数であった、今むりに戦をしても仕方がないというものなのだ。
どうしたら、我が王朝の軍隊へ手紙をとどけ与えて「我慢して明年を待て、今は戦力を整えるのだ、そうしてあわてて軍をしかけてはならないのだ」と言ってやることができるだろうか。


(訳注)
悲青坂 
咸陽の東門外にある青坂の地での戦いの詩
青坂 咸陽の東門外にある地。

我軍青坂在東門、天寒飲馬太白窟。
我が王朝軍は咸陽の東門ちかく青坂に陣取っている。この冬の寒空に太白山の窟に馬に水かい、西の峻山道から進んできたのだ。
官軍と賊軍 勝てば官軍である。時限的にとらえると表現が難しい。客観性を持たせるため、唐の王朝軍に対して、叛乱軍、安禄山軍という。賊軍というものには、この反乱に便乗して、略奪をするためだけの盗賊が含まれていたのだ。○東門 咸陽城の東の門。○飲馬 馬に水をのませること。○太白窟、太白は山の名、武功県にあり、長安を去る二百里、武功を経て東門に来たことをいう。平坦部は安禄山軍に抑えられていた。北と南から際しい山を越え鳳翔をから西を制圧し、徐々に東方の長安に迫る作戦長安から20km位の地点であった。
 
黄頭奚児日向西、数騎彎弓敢馳突。
安禄山軍の黄頭の異民族の帽子の奚部族と漢民族の兵士等は勝ちに乗じて毎日だんだんと西へ向ってくる。それをいまいましがって味方(官軍)の二三騎が弓をひいてむりに馳せて突出してみるのだが、大勢的に劣勢で敗軍でどうにもならないのだ。
黄頭奚児 黄頭とは黄色の狐皮で頭をつつむことをいう。葵は東夷の部種の名、異民族の帽子の奚部族、児とは漢民族の兵士をいう。〇 日々。○向西 西とは安禄山軍は洛陽から長安そして咸陽に攻め入ろうとしている。ことを方角で示している、官軍の居る方を西という。○数騎 官退却しながら、その軍の中の三、四の騎兵。○敢馳突 安禄山軍の攻める速さを抑えるため、食い止めるために、突撃隊を編成して攻める。勝つためのものではない。
 
山雪河冰野蕭瑟、青是烽煙白人骨。
山には雪がふり河には冰がはり、原野は風が簫の笛や瑟琴のようにさびしく吹いていて、青くみえるのはのろし火の煙であり、白くみえるのは大殺戮による屍が、おびただしい数であった、今むりに戦をしても仕方がないというものなのだ。
山雪河氷 山には雪がふり、河には泳が結ぶ。○蕭瑟 風が簫の笛や瑟琴のようにさびしく吹いている。○蜂煙 のろし火のけむり。○白足骨 山の白雪、河冰、川風が吹きあげ、大殺戮による屍が、おびただしい数であった様子をいう。


焉得付書与我軍、忍待明年莫倉卒。
どうしたら、我が王朝の軍隊へ手紙をとどけ与えて「我慢して明年を待て、今は戦力を整えるのだ、そうしてあわてて軍をしかけてはならないのだ」と言ってやることができるだろうか。
焉得 希望の辞。○附書 手紙をとどける。○忍待 以下が書中の意である。○倉卒 あわてるかたち。こちらの用意がととのわれ打に叛乱軍へ攻めかかることをいう。



青坂を悲しむ 解説
 陳陶斜の敗戦は彼我の戦闘方法に違いがあった。
安禄山の幽州の兵は、騎兵を中心とした機動性・突撃力の高い兵であった。対する王朝軍の総司令官の房琯は伝統的な兵法を用いた。兵車を並べ歩兵力で戦うというものだ。反乱軍の将の安守忠は川風を利用、風上から草に火を放って火煙で歩兵軍は大混乱になるのだ、無理な突撃はもはや戦いではない、ひとたまりものであった。
 敗れた房琯は太白山(陝西省武功県)の麓で兵を整えて、二日後の11月23日に青坂で対峙した。軍は西から攻めているので、東方向の門に対して布陣したことになる。「黄頭の奚児」は黄色の狐の皮物で頭を包んだ胡族の兵で、門を出た城外で挑発してきた。これに兵数騎が挑発に乗って突出し、またも大敗を喫してしまった。
 杜甫は、「国軍は力を蓄え、体制を整えてから攻め込め、今は忍耐して明年を待て」と言ってやりたいと悔しい思いを歌う。

悲陳陶 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 152

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(詩の背景)
長安にいる杜甫にぜったい有利であった陳陶斜における王朝軍の敗北がしらせれ、それを悲しんで作った詩である。
756年至徳元載十月に、杜甫の幼友達の房琯は自ずから安禄山の軍を討とうと請い、軍を南中北の三派分け、楊希文は南軍に将として宜寿より入り、劉恵は中軍に将として武功より入り、李光進は北軍に将として奉天より入り、房琯は自ずから中軍に将として前鋒であった。二十一日の9日目(辛丑)、中軍・北軍は賊と陳陶斜に遇って敗績し、二十三日の11日目(癸卯)に房琯は自ずから南軍を以て戦い又敗れた。このとき房琯は古法にならって車戦を用いたが、安禄山軍は風に順って火を縦って之を焚いたために人畜は大いに乱れ王朝軍の死傷する者は四万余人。陳陶斜は咸陽県の東にあり、斜とは山沢をいう。故に詩中に陳陶沢ともいう。製作時は至徳元載十月。五行思想での日にち計算により、たった11日間で敗れたのである。兵力の多さを過信した作戦面で失敗である。
 
至徳元年 756年 10月
悲陳陶     
孟冬十郡良家子、血作陳陶沢中水。
冬の初めの月に凡そ十郡の良家出身の兵卒たちで構成されたものだった。しかし彼等の血は流れて陳陶の沢の水となってしまったのだ。
野曠天清無戦声、四万義軍同日死。
死の後には戦場の野原はむなしくひろい、空も青々として寂しい、さらに戦の声はまったくしないのだ。あれだけの兵士、四万という忠義の兵士がたった一日のうちで死んだのである。
群胡帰来血洗箭、仍唱胡歌飲都市。
勝ちほこった異民族の入り混じった叛乱軍の兵士どもはもどって来て血の箭をあらい流した。そして、そのまま異民族の歌を唱えながら、長安の繁華街で酒を飲んでいるのである。
都人廻面向北啼、日夜更望官軍至。
都の人たちは之を見て面をそむけて北方に向いて啼いたのだ、昼となく夜となく王朝の官軍が到著してくれればよいとみんなが望んでいるのである。

陳陶を悲しむ

孟冬(もうとう)  十郡の良家(りょうか)の子()、血は陳陶(ちんとう)沢中(たくちゅう)の水と作()る。

()(むな)しく天清くして戦声(せんせい)無し、四万の義軍  同日に死す。

群胡(ぐんこ)帰り来たって血もて箭()を洗い、仍()お胡歌(こか)を唱(うた)って都市に飲む。

都人  面(かお)を廻(めぐ)らして北に向かって啼き、日夜  更に官軍の至るを望む。





悲陳陶 現代語訳と訳註
(本文)

孟冬十郡良家子、血作陳陶沢中水。
野曠天清無戦声、四万義軍同日死。
群胡帰来血洗箭、仍唱胡歌飲都市。
都人廻面向北啼、日夜更望官軍至。

(下し文)
孟冬(もうとう)  十郡の良家(りょうか)の子(こ)、血は陳陶(ちんとう)沢中(たくちゅう)の水と作(な)る。
野(の)曠(むな)しく天清くして戦声(せんせい)無し、四万の義軍  同日に死す。
群胡(ぐんこ)帰り来たって血もて箭(や)を洗い、仍(な)お胡歌(こか)を唱(うた)って都市に飲む。
都人  面(かお)を廻(めぐ)らして北に向かって啼き、日夜  更に官軍の至るを望む。

(現代語訳)
冬の初めの月に凡そ十郡の良家出身の兵卒たちで構成されたものだった。しかし彼等の血は流れて陳陶の沢の水となってしまったのだ。
死の後には戦場の野原はむなしくひろい、空も青々として寂しい、さらに戦の声はまったくしないのだ。あれだけの兵士、四万という忠義の兵士がたった一日のうちで死んだのである。
勝ちほこった異民族の入り混じった叛乱軍の兵士どもはもどって来て血の箭をあらい流した。そして、そのまま異民族の歌を唱えながら、長安の繁華街で酒を飲んでいるのである。
都の人たちは之を見て面をそむけて北方に向いて啼いたのだ、昼となく夜となく王朝の官軍が到著してくれればよいとみんなが望んでいるのである。


(訳注)
このブログでは、○官軍と賊軍 勝てば官軍である。時限的にとらえると表現が難しい。客観性を持たせるため、唐の王朝軍に対して、叛乱軍、安禄山軍という。賊軍というものには、この反乱に便乗して、略奪をするためだけの盗賊が含まれていたのだ。王朝軍に対して、叛乱軍、安禄山軍ということにしている。
孟冬十郡良家子、血作陳陶沢中水。

冬の初めの月に凡そ十郡の良家出身の兵卒たちで構成されたものだった。しかし彼等の血は流れて陳陶の沢の水となってしまったのだ。
孟冬 冬の初めの月、即ち十月。〇十郡 長安から北部十か所の郡。○良家子 良属の子弟で兵卒となったもの、囚人又は寝返りの多い召募の無頼漢ではないことをいう。

野曠天清無戦声、四万義軍同日死。
死の後には戦場の野原はむなしくひろい、空も青々として寂しい、さらに戦の声はまったくしないのだ。あれだけの兵士、四万という忠義の兵士がたった一日のうちで死んだのである。
野曠 原野の広いことがむなしく見えるさま。○無戦声 これは倒装の法で下旬の事実がある故に戦の声がないのである。仇氏は察注によって戦わずして敗れたことをいうといっているが取らぬ。○義軍 忠義の兵士、軍、即ち王朝の軍。


群胡帰来血洗箭、仍唱胡歌飲都市。
勝ちほこった異民族の入り混じった叛乱軍の兵士どもはもどって来て血の箭をあらい流した。そして、そのまま異民族の歌を唱えながら、長安の繁華街で酒を飲んでいるのである。
羣胡 多くの賊兵。○帰来 戦場から都市へかえってくる。○血洗箭 雪洗はそそぎあらうこと、箭の血をきよめることをいう。血沈レ箭ならば水で應鳩わず血の節を血を以て洗うということ。血の字が却って勝っているように思われる。○ そのまま。○胡歌 異民族の歌。以前から、反体制の詩として、歌われていたもの。○ 酒をのむ。○都市 長安の街のにぎやかな部分、繁華街をいう。

都人廻面向北啼、日夜更望官軍至。
都の人たちは之を見て面をそむけて北方に向いて啼いたのだ、昼となく夜となく王朝の官軍が到著してくれればよいとみんなが望んでいるのである。
廻面 面を胡兵からそむけることをいう。○向北 北とは粛宗の居られる霊武の地の方向をさす。乱以前は、北方異民族の戦いに出征している人を心配することを意味したが、南にいる玄宗への期待は全くなかったのである。○官軍 粛宗のところへ賢臣たちが集結し始めたのである。太原の顔真卿の兄弟軍。粛宗のもとへは、郭子儀が参じていた。



(解説)
 杜甫が長安に軟禁されていた至徳元年(756)の八月、霊州の粛宗は自分への譲位を玄宗に求めた。その要請が成都に届くと玄宗はやむなく承認し、譲位の詔勅を起草して宰相の房琯(ぼうかん)を使者として粛宗のもとに届けさせたのだ。

 粛宗は朔方郡に出陣していた朔方節度使郭子儀(かくしぎ)の軍を霊武に呼びもどし、体制を調え、南下を始め、九月に順化(甘粛省慶陽県)にいた。房琯が譲位の詔勅をとどけたことで喜び、房琯をとどめて自分の政府の宰相に任じた。

 粛宗は房琯に首都の奪還を命じた。房琯は十郡の兵六万余を率いて南下し、西から長安に迫ったのだ。安禄山の軍との戦闘は10月21日に中軍と南軍が敗れ、23日に北軍まで敗れた。咸陽(長安の西北)の西の陳陶斜で行われ、房琯率いる王朝軍は命が下って、わずか11日で、完膚無き大敗を喫するのである。


 杜甫は長安にあって王朝軍が勝利するものと確信していたので落胆は大きかった。略奪と殺戮の叛乱軍に怒りが込み上げてくるものの、むき出しに詩にすることはできなかったのである。

 反乱軍に略奪を抑え、統治する意識を持った統率者がいたら、唐王朝は滅亡していたはずである。唐王朝の中心は何から何まで腐っていたのである。ただ、日増しに横暴になっていく叛乱軍にたいして、大敗してはいるが王朝軍への期待、世論は王朝軍へ味方していくのである。


遣興 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 151

遣興 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 151
五言排律
ふと興にふれて作った詩。やはり長安にあって驥子をおもって作ったものである。製作時、至徳二載。757年46歳


遣興
驥子好男兒,前年學語時:
驥子はいい子だ、前年彼がやっと言葉を習い始めの時分のことである:
 問知人客姓,誦得老夫詩。
   客人の名前を質問して知ることができ、わたしの作った詩をそらで覚えて言ったたりしたのである。
世亂憐渠小,家貧仰母慈。
この世のみだれたときであるのに彼がまだ幼少であるのは可哀相に思う、貧乏な家だからとりわけ母親の慈しみによっていることなのだ。
鹿門攜不遂,雁足系難期。
自分は龐徳公(ほうとくこう)の様に妻子をたずさえて鹿門山に隠遁でもしたいのだがそれはなしとげられない、蘇武が雁の足に手紙を繋いで託した様に手紙でも届けてくれる約束は難しいのだ。
天地軍麾滿,山河戰角悲。
天地には軍の旗が満ちあふれている、山河には戦の角声が悲しくひびいている。
儻歸免相失,見日敢辭遲。

もし万一、家に帰ることができて互に見失うことを免れることができ得るならば、面会の時はいくら遅くなってもかまわないというものだ。


遣興
驥子は好男兒なり,前年、語を學びし時:
問知す 人客の姓、誦し得たり 老夫の詩
世乱れて 渠が小なるを憐む 家 貧にして母の慈を仰ぐ
鹿門 携うること遂げず 雁足 繋くること期し難し
天地 軍麾 満つ 山河 戰角 悲しむ
儻くは 帰りて相失うことを免れれば 見る日敢て遅きを辞せんや


遣興 現代語訳と訳註
(本文) 遣興

驥子好男兒,前年學語時:問知人客姓,誦得老夫詩。

世亂憐渠小,家貧仰母慈。鹿門攜不遂,雁足系難期。
天地軍麾滿,山河戰角悲。儻歸免相失,見日敢辭遲。


(下し文)

驥子は好男兒なり,前年、語を學びし時:
問知す 人客の姓、誦し得たり 老夫の詩
世乱れて 渠が小なるを憐む 家 貧にして母の慈を仰ぐ
鹿門 携うること遂げず 雁足 繋くること期し難し
天地 軍麾 満つ 山河 戰角 悲しむ
儻くは 帰りて相失うことを免れれば 見る日敢て遅きを辞せんや


(現代語訳)

驥子はいい子だ、前年彼がやっと言葉を習い始めの時分のことである:客人の名前を質問して知ることができ、わたしの作った詩をそらで覚えて言ったたりしたのである。
この世のみだれたときであるのに彼がまだ幼少であるのは可哀相に思う、貧乏な家だからとりわけ母親の慈しみによっていることなのだ。
自分は龐徳公(ほうとくこう)の様に妻子をたずさえて鹿門山に隠遁でもしたいのだがそれはなしとげられない、蘇武が雁の足に手紙を繋いで託した様に手紙でも届けてくれる約束は難しいのだ。
天地には軍の旗が満ちあふれている、山河には戦の角声が悲しくひびいている。
もし万一、家に帰ることができて互に見失うことを免れることができ得るならば、面会の時はいくら遅くなってもかまわないというものだ。


(訳注)
はじめの2句の意味が次の二句にかかる。
驥子好男兒,前年學語時:
驥子はいい子だ、前年彼がやっと言葉を習い始めの時分のことである:
学語 言語をならいおぼえること。

問知人客姓,誦得老夫詩。
客人の名前を質問して知ることができ、わたしの作った詩をそらで覚えて言ったたりしたのである。
〇人客 客人をいう。○老夫 作者杜甫自ずからをさす。


世亂憐渠小,家貧仰母慈。
この世のみだれたときであるのに彼がまだ幼少であるのは可哀相に思う、貧乏な家だからとりわけ母親の慈しみによっていることなのだ
 驥子をさす。○ 驥子の母、杜甫の妻。


鹿門攜不遂,雁足系難期。
自分は龐徳公(ほうとくこう)の様に妻子をたずさえて鹿門山に隠遁でもしたいのだがそれはなしとげられない、蘇武が雁の足に手紙を繋いで託した様に手紙でも届けてくれる約束は難しいのだ。
鹿門 山の名、湖北省嚢陽府に在り、後漢の龐徳公が妻子をたずさえてこの山に登り薬を採って返らなかった、杜甫も隠遁の念があることをいう。○雁足 蘇武の故事。妻からの手紙をいう。蘇武が漢の使となって匈奴に捕えられていたとき、漢より別の使者がいって匈奴をあざむいていうのに、天子が上林中において弓を射て雁を得たところ、雁の足に帛書が繋いであった「蘇武は大沢の中にある」により蘇武の所在がわかり、救出できた。○ 約束。


天地軍麾滿,山河戰角悲。
天地には軍の旗が満ちあふれている、山河には戦の角声が悲しくひびいている。
軍麾 麾は旗のたぐい。○戦角  角はつのぶえ。

儻歸免相失,見日敢辭遲。
もし万一、家に帰ることができて互に見失うことを免れることができ得るならば、面会の時はいくら遅くなってもかまわないというものだ。
 ひょっと、万一。 〇相失 みうしなう。○見日 面会する時日。
 

 杜甫は国のゆくすえを心配すると同時に、羌村に残したまま音信不通になっている家族のことも気になる。詩題の「遣興」というのは湧き出る思いを吐き出すという意味で、即興的な詩ですが感情がこもっている。
 「驥子」というのは次男宗武の幼名で、このとき五歳である。五歳で父親の詩を暗誦したりして賢いところのある次男に杜甫は注目しており、言葉を覚え始めるくらいの幼さで戦乱の世に遭遇した幼児にあわれを寄せているのだ。そして占領下、囚われの身では家族に便りを出すこともできないと述べている。

月夜 と家族を詠う詩について 杜甫  kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 150



月夜」と家族の考え方の考察(研究)
 1.なぜ「長安の月」ではなく「鄜州の月」なのか
 2. 九月九日憶山東兄弟  王維
 3. 除夜作  高適
 4.八月十五日夜禁中独直対月憶元九   白居易
 5. 夜雨寄北 李商隠
 6.李白の詩
 7.杜甫の彭衙行(ほうがこう)自京赴奉先縣詠懷五百字遺興
 8. 「月夜」子供に対する「北征」の詩に、淋前の南中女





月夜 と家族を詠う詩について 杜甫  kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 150

この時期杜甫の詩に家族がよく出るの出る。月夜をはじめとして多くの詩をだした。


月夜
今夜鄜州月、閨中只独看。今夜  鄜州(ふしゅう)の月、
           閨中(けいちゅう)  只だ独り看(み)るらん。
遥憐小児女、未解憶長安遥かに憐(あわ)れむ小児女(しょうじじょ)の、
           未(いま)だ長安を憶(おも)うを解(かい)せざるを。
香霧雲鬟湿、清輝玉臂寒。香霧(こうむ)に雲鬟(うんかん)湿(うるお)い、
           清輝(せいき)に玉臂(ぎょくひ)寒からん。
何時倚虚幌、双照涙痕乾。何(いず)れの時か虚幌(きょこう)に倚(よ)り、
           双(とも)に照らされて涙痕(るいこん)乾かん。


2.「閨中 只だ独り看るらん。」「閏」妻、婦人の部屋を指す。
また「只獨」の「只」は、ひとえに、いちずにの意であって、月を「獨看る」という事態は、長安にいる杜甫にはわからない。まして、子供がそばにくっついているのである。妻の見るところではない。見ていてほしいとのあこがれを詠っているということなのだ。

3.続いて第二聯はこどもについていう。
遥憐小児女、未解憶長安。
遥かに憐(あわ)れむ小児女(しょうじじょ)の、未(いま)だ長安を憶(おも)うを解(かい)せざるを。

この二句は、二句で一意を完成する。月を見て遠き人を憶うのは、もとより大人のことであり、おさない稚女のできることではない。妻とともに、閨にいる子供たちは、まだ「長安を憶う」心はもたないということなのである。

この時、杜甫には、「兒」すなわち男の子は、二人あった。長男を熊児といい、次男を驥子という。そのことは、翌年家族の消息がわかってからの作、
「得家書」(家書を得たり)に、
得家書
去憑遊客寄,來為附家書。今日知消息,他鄉且舊居;
熊兒幸無恙,驥子最憐渠。臨老羈孤極,傷時會合疏。』#1
二毛趨帳殿,一命待鸞輿。北闕妖氛滿,西郊白露初。
涼風新過雁,秋雨欲生魚。農事空山裡,眷言終荷鋤。』#2
今日は家族の消息を知ることができた。その消息によると、家族は他郷とはいえやっぱりもとの住居にそのまま居るそうだ。長男の熊児は幸にも無事であり、次男の驥子、は最も渠を憐おしむ
というのによって知られる。ことに末っ子の驥子についてはこの「月夜」の詩につづく「遣興」の詩にはいう、
ふと興にふれて作った詩。やはり長安にあって驥子をおもって作ったものである。製作時、至徳二載。757年46歳

遣興
驥子好男兒,前年學語時:問知人客姓,誦得老夫詩。
世亂憐渠小,家貧仰母慈。鹿門攜不遂,雁足系難期。
天地軍麾滿,山河戰角悲。儻歸免相失,見日敢辭遲。


遣興
驥子は好男兒なり,前年、語を學びし時:
問知す 人客の姓、誦し得たり 老夫の詩
世乱れて 渠が小なるを憐む 家 貧にして母の慈を仰ぐ
鹿門 携うること遂げず 雁足 繋くること期し難し
天地 軍麾 満つ 山河 戰角 悲しむ
儻くは 帰りて相失うことを免れれば 見る日敢て遅きを辞せんや
遣興 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 151


また明年の春、やはり城中の作「憶幼子」で、
憶幼子 (幼子を憶う)
長安にあって鄜州の羌村に在る幼子を憶って作る。この幼子は作者の第二子宗武であり、宗武の幼名を驥子という。製作時は757年、至徳二載の春。

憶幼子
驥子春猶隔,鶯歌暖正繁。
別離驚節換,聰慧與誰論。
澗水空山道,柴門老樹村。
憶渠愁只睡,炙背俯晴軒。

驥子 春 猶隔たる、鶯 歌 暖くして正に繁し。
別離 節の換るに驚く、聡慧 誰とか論ぜん。
澗水 空山の道、柴門 老樹の村。
渠を憶うて愁えて只だ睡る、背を炙りて 晴軒に俯す。

うち「澗水空山道」というのは、逃避中の困難を追憶したもの
憶幼子 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 156


鳳翔において粛宗皇帝に謁見し、左拾遺の官を拝命して以後、鄜州の家族の安否を問い、消息がなお来なかったときのおもいをのべた作。製作時は至徳二載の夏。757年 46歳
鄜州方面へゆく人に書信を託して家族の安否を調べたが、三川県羌村からの返事はなかなか返ってこず、聞こえてくるのは鄜州方面は兵禍に遭って、鶏や子犬までが殺されてしまったという悲惨な噂だけ。杜甫の心配はつのり、家族は死に絶えてしまったのではないかと思う。
 書信を出してから三か月後の七月には鄜州の妻から返事が届き、家族全員が無事であるとわかる。
「述懷」は安禄山の叛乱軍に拘束され、そこから鳳翔の行在所に逃げ帰ったことなど、杜甫の周りの出来事、心境を述べたものである。

述懷
去年潼關破,妻子隔絕久。今夏草木長,脫身得西走。
麻鞋見天子,衣袖露兩肘。朝廷敏生還,親故傷老醜。
涕淚授拾遺,流離主恩厚。柴門雖得去,未忍即開口。』#1
寄書問三川,不知家在否?比聞同罹禍,殺戮到雞狗。
山中漏茅屋,誰複依戶牖。摧頹蒼松根,地冷骨未朽。
幾人全性命?盡室豈相偶?嶔岑猛虎場,鬱結回我首。』#2
自寄一封書,今已十月後。反畏消息來,寸心亦何有?
漢連初中興,生平老耽酒。沈思歡會處,恐作窮獨叟。』#3
#1
去年  潼関(どうかん)破れ、妻子  隔絶(かくぜつ)すること久し。
今夏(こんか)  草木(くさき)長じ、身を脱して西に走るを得たり。
麻鞋(まあい)  天子に見(まみ)え、衣袖(いしゅう)  両肘(りょうちゅう)を露(あらわ)す。
朝廷  生還(せいかん)を愍(あわれ)み、親故(しんこ)   老醜(ろうしゅう)を傷(いた)む。
涕涙(ているい) 拾遺(じゅうい)を授けらる、流離(りゅうり)  主恩(しゅおん)厚し。
柴門(さいもん)  去(ゆ)くを得(う)と雖(いえど)も、未だ即ち口を開くに忍(しの)びず。
#2
書を寄せて三川(さんせん)に問うも家の在るや否(いな)やを知らず
此(このご)ろ聞く 同じく禍(わざわい)に罹(かか)りて殺戮 鶏狗(けいく)に到ると
山中の漏茅屋(ろうぼうおく)誰(たれ)か復(ま)た戸牖(こゆう)に依(よ)らん
蒼松(そうしょう)の根に摧頽(さいたい)すとも地(ち)冷やかにして 骨未だ朽ちざらん
幾人か性命(せいめい)を全うする室(しつ)を尽くして 豈(あに)相偶(あいぐう)せんや
嶔岑(きんしん)たる猛虎の場(じょう)鬱結(うつけつ)して我が首(こうべ)を廻(めぐ)らす
#3
一封の書を寄せし自(よ)り、今は已(すで)に十月の後(のち)なり。
反(かえ)って畏(おそ)る  消息の来たらんことを、寸心(すんしん)  亦(ま)た何か有らん。
漢運(かんうん)  初めて中興し、生平(せいへい)  老いて酒に耽(ふけ)る。
歓会(かんかい)の処(ところ)を沈思(ちんし)し、窮独(きゅうどく)の叟(そう)と作(な)らんことを恐る。


「彭衙行」
至徳二載秋)鄜州の家を見舞うにあたって白水の西を過ぎてしかも孫を訪ることができなかったので往事を追懐して此の篇を作った。幼児らを連れて夜の山道を徒歩でゆく逃避行は困難を極めた。

#1
憶昔避賊初,北走經險艱。夜深彭衙道,月照白水山。』
盡室久徒步,逢人多厚顏。參差穀鳥吟,不見遊子還。
癡女饑咬我,啼畏虎狼聞。懷中掩其口,反側聲愈嗔。
小兒強解事,故索苦李餐。』
#2
一旬半雷雨,泥濘相牽攀。既無禦雨備,徑滑衣又寒。
有時經契闊,竟日數裡間。野果充 ?糧,卑枝成屋椽。
早行石上水,暮宿天邊煙。』
#3
少留同家窪,欲出蘆子關。故人有孫宰,高義薄曾雲。
延客已曛黑,張燈啟重門。暖湯濯我足,剪紙招我魂。』
#4
從此出妻孥,相視涕闌幹。眾雛爛熳睡,喚起沾盤飧。
誓將與夫子,永結為弟昆。遂空所坐堂,安居奉我歡。
誰肯艱難際,豁達露心肝。』
別來歲月周,胡羯仍構患。何時有翅翎,飛去墮爾前?』

#1
憶(おも)う  昔  賊を避けし初め、北に走って険難(けんなん)を経(へ)たり。
夜は深し  彭衙(ほうが)の道、月は照る  白水(はくすい)の山。
室(しつ)を尽くして久しく徒歩す、人に逢えば厚顔(こうがん)多し。
参差(しんし)として谷鳥(こくちょう)鳴き、遊子(ゆうし)還(かえ)るを見ず。
痴女(ちじょ)は飢(う)えて我れを咬(か)み、啼(な)いて畏(おそ)る  虎狼(ころう)の聞ゆるを。
中(うち)に懐(いだ)いて其の口を掩(おお)えば、反側(はんそく)して声愈々(いよいよ)嗔(いか)る。
小児(しょうに)は強(し)いて事を解し、故(ことさ)らに苦李(くり)を索(もと)めて餐(くら)う。』
#2
一旬(いちじゅん)  半(なか)ばは雷雨、泥濘(でいねい)   相(あい)攀牽(はんけん)す。
既に雨を禦(ふせ)ぐ備え無く、径(みち)滑かにして衣(い)又寒し。
時(とき)有りて契闊(けつかつ)たるを経(ふ)、竟日(きょうじつ)  数里の間(かん)。
野果(やか)を餱糧(こうりょう)に充(あ)て、卑枝(ひし)を屋椽(おくてん)と成(な)す。
早(あした)には行く  石上(せきじょう)の水、暮(くれ)には宿る   天辺(てんぺん)の煙。』
#3
少(しば)らく同家窪(どうかあ)に留(とど)まり、蘆子関(ろしかん)に出でんと欲す。
故人(こじん)  孫宰(そんさい)有り、高義(こうぎ)  曾雲(そううん)に薄(せま)る。
客を延(ひ)くとき己に曛黒(くんこく)なり 燈を張りて重門(ちょうもん)を啓(ひら)く。
湯を暖めて我が足を濯(あら)わしめ 紙を剪(き)って我が魂を招(まね)く』
#4
此(これ)従(より)妻孥(さいど)を出す 相視て涕(なみだ)闌幹(らんかん)たり。
衆雛(しゅうすう) 爛漫(らんまん)として睡(ねむ)る、喚び 起して 盤飧(ばんそん)に 沾(うるお)わしむ。
誓って将に夫子(ふうし)と、永く結び て 弟昆(ていこん)と為らんと す と。
遂に坐する所の堂を空(むな)しくして、居を安(あんじ)て 我が歓(よろこび)を奉ず。
誰か 肯(あえ)て 艱難(かんなん)の際、豁達(かつたつ) 心肝(しんかん)を露(あら)わさん。』
別来(べつらい) 歳月周(めぐ)る 胡羯(こけつ)  仍(なお) 患(うれい)を構(かも)う
何時(いつ)か 翅翎(しれい)有って 飛び去って爾(なんじ)が前に堕(おつ)べき。』
かつて、白水県から三州県へ出たときに、大いにお父さんを手古摺らせた「小さき児」も、おそらくはこの次男であったのだろう。
彭衙行 杜甫 132 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 132 -#1
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彭衙行 #4 杜甫 130 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 135


5.「北征」の詩に、
床前の兩小女
というのによれば、まだそのほかに、もう一人いた。なお熊児といい、次男を驥子というのは、おさな名であって、熊見はのちに宗文と名乗り、驥子は宗武と名乗る。

 

#6
況我墮胡塵,及歸盡華發。經年至茅屋,妻子衣百結。
慟哭松聲回,悲泉共幽咽。平生所嬌兒,顏色白勝雪。
見耶背面啼,垢膩腳不襪。
床前兩小女補綴才過膝。
#7
海圖拆波濤,舊繡移曲折。天吳及紫鳳,顛倒在短褐。
老夫情懷惡,數日臥嘔泄。那無囊中帛,救汝寒凜栗?
粉黛亦解苞,衾裯稍羅列。瘦妻面複光,癡女頭自櫛
#8
學母無不為,曉妝隨手抹。移時施朱鉛,狼籍畫眉闊。
生還對童稚,似欲忘饑渴。問事競挽須,誰能即嗔喝?
翻思在賊愁,甘受雜亂聒。新婦且慰意,生理焉得說?』

床前の両小女
というのによれば、まだそのほかに、もう一人いた。なお熊児といい、次男を驥子というのは、おさな名であって、熊見はのちに宗文と名乗り、驥子は宗武と名乗る。
ところでかく「末だ長安を憶うことを解せざる」ものたちを思いやったのは、子供たちばかりを思いやったのでは、もとよりない。最も思いやるのは、閨中に濁り月を見て、大いに「長安を憶うことを解する」妻楊氏である。「長安を憶うを解する」妻にとって、「禾まだ長安を憶うを解せざる」ものたち、はね廻り、とび廻り、遊びつかれては寝てしまうものたちは、時にはうとましく感ぜられることもあったことだろう。「遥かに憐れむ小児女の」という気持ちであらわしている。


6.何れにしても、はじめの聯で思いやられた「閨中に只えに月を看る」人はしばらく第二聯では、言葉の蔭にかくれる。しかし、やがて、満身の月光を浴びつつ恍惚として、浮かびあがる。それが第三の聯である。

羌村三首其一
崢嶸赤雲西、日脚下平地。
柴門鳥雀噪、帰客千里至。』
妻孥怪我在、驚定還拭涙。
世乱遭飄蕩、生還偶然遂。
隣人満牆頭、感歎亦歔欷。
夜闌更秉燭、相対如夢寐。』

羌村 三首  其の一
崢嶸(そうこう)たる赤雲(せきうん)の西、日脚(にっきゃく) 平地に下る。
柴門(さいもん)  鳥雀(ちょうじゃく)噪(さわ)ぎ、帰客(きかく)    千里より至る。
妻孥(さいど)は我(われ)の在るを怪しみ、驚き定まって還(ま)た涙を拭う。
世乱れて飄蕩(ひょうとう)に遭(あ)い、生還  偶然に遂げたり。
隣人  牆頭(しょうとう)に満ち、感歎して亦(ま)た歔欷(きょき)す。
夜(よる)闌(たけなわ)にして更に燭(しょく)を秉(と)り、相対(あいたい)すれば夢寐(むび)の如し。

我が家の粗末な柴の戸では帰りを知らせる鳥や雀ともいえる子供らがうるさく騒いでいる、そこへ突然旅姿の私が千里の遠くからかえりついたのである。』
妻と子らはわたしがここに存在していたことを不思議に思ったようで、はじめはびっくりしていたが、驚いていたのがおちつくとこんどは泣きじゃくり、あふれる涙を拭うのである。


また、その妻については次のような表現もある。
自京赴奉先縣詠懷五百字 #9  
老妻寄異県、十口隔風雪。 老妻【ろうさい】は異県【いけん】に寄【あず】け、十口【じつこう】は風雪【ふうせつ】を隔【へだ】つ。
誰能久不顧、庶往共饑渇。 誰か能【よ】く久しく顧【かえり】みざらん、庶【こいねが】わくは往【ゆ)いて饑渇【きかつ】を共にせん。
入門聞号咷、幼子飢已卒。 門に入れば号咷【ごうとう】を聞く、幼子【ようし】の飢えて已【すで】に卒【しゅつ】す。
吾寧捨一哀、里巷亦鳴咽。 吾【われ】寧【なん】ぞ一哀【いちあい】を捨【おし】まんや、里巷【りこう】も亦【ま】た鳴咽【おえつ】す。
所愧為人父、無食到夭折。 愧【は】ずる所は人の父と為【な】り、食【しょく】無くして夭折【ようせつ】を到【いた】せしを。
豈知秋禾登、貧窶有倉卒。 豈に秋禾【しゅうか】登【みの】るを知らんや、貧窶【ひんく】倉卒【そうそつ】たる有り。
 
自京赴奉先縣詠懷五百字 #10  
生常免租税、名不隸征伐。 生【せい】は常に租税を免【まぬ】かれ、名は征伐に隸【れい】せず。
撫迹猶酸辛、平人固騒屑。 迹【あと】を撫【ぶ】すれば猶【な】お酸辛【さんしん】たり、平人【へいじん】は固【もと】より騒屑【そうせつ】たらん。
默思失業徒、因念遠戍卒。 默【もく】して失業の徒【と】を思い、因【よ】りて遠戍【えんじゅ】の卒【そつ】を念【おも】う。
憂端斉終南、鴻洞不可掇。 憂端【ゆうたん】は終南【しゅうなん】に斉【ひと】しく、鴻洞【こうどう】として掇【ひろ】う可【べ】からず。


7.そして、李白のような表現で締め括ったのである。
「香霧雲鬟湿、清輝玉臂寒。」
香霧(こうむ)に雲鬟(うんかん)湿(うるお)い、清輝(せいき)に玉臂(ぎょくひ)寒からん。

香霧といい、清輝という、共に月光である。雲なす鬟の周蓮にそそぐ月光、美しいうなじにを照らす月光、それが清輝で表現されている。この時代の夫婦の関係を示すものとして他の詩人では見られない。この「月夜」を境にして、詩の趣きが変化していくのである。

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kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 149 李白の家族の詩について(6)

kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 149 李白の家族の詩について(6)
6.李白 については最近ブログとして取り上げたものを参考として詩題のみをあげる。

李白、家族女性についてのブログ index

李白10  採蓮曲

淥水曲  李白 11

越女詞 五首 其一 李白12

越女詞 五首 其二 李白13

越女詞五首其三 14其四 12-5其五

李白18 相逢行 19  玉階怨

李白20 春思、秋思

李白22 子夜呉歌 春と夏

李白24 子夜呉歌其三 秋 と25 冬

李白37 静夜思 五言絶句 李白は浮気者?

李白39玉階怨 満たされぬ思いの詩。

李白41 烏夜啼

李白66 遠別離 67長門怨二首其一 68其二

李白69丁都護歌 70 勞勞亭71 勞勞亭歌  

李白81白紵辭其一  82白紵辭其二  83 巴女詞

李白53大堤曲 李白54怨情 李白55贈内

李白と道教(3 李白47 寄東魯二稚子

李白85 安陸白兆山桃花岩寄劉侍御綰

86 太原早秋 87遊南陽清泠泉

南陵別兒童入京 李白121「就活大作戦」大成功

内別赴徴 三首 其一李白122

内別赴徴 三首 其二李白123

内別赴徴 三首 其三李白124

春夜桃李園宴 李白116

紫藤樹 李白168 玄宗(1)

觀放白鷹 李白169 玄宗〈2

白鷺鷥 李白 170 玄宗(3)

三五七言 李白

送内尋廬山女道士李騰空二首 其一 李白 350 -230

送内尋廬山女道士李騰空二首 其二 李白350 -231

黄葛篇 李白 紀頌之の漢詩 李白特集350 -237

妾薄命 李白 紀頌之の漢詩 李白特集350 -238

自代内贈 #1 李白 紀頌之の漢詩 特集350 -239-#1

自代内贈 #2 李白 240 350 -239#2

自代内贈 #3 李白 241 350 -239#3

獨不見 李白紀頌之の漢詩 李白特集242/350

秋浦寄内 紀頌之の漢詩 李白特集-243/-350

   
このほかにも女性を詠ったものはたくさんある。

「自代内贈」
寶刀截流水。無有斷絕時。妾意逐君行。纏綿亦如之。」
別來門前草。秋黃春轉碧。掃盡更還生。萋萋滿行跡。
鳴鳳始相得。雄驚雌各飛。」―#1
游云落何山。一往不見歸。估客發大樓。知君在秋浦。
梁苑空錦衾。陽台夢行雨。妾家三作相。失勢去西秦。
猶有舊歌管。淒清聞四鄰。」―#2
曲度入紫云。啼無眼中人。妾似井底桃。開花向誰笑。
君如天上月。不肯一回照。 窺鏡不自識。別多憔悴深。
安得秦吉了。為人道寸心。」―#3

時。之。/碧。跡。飛。/歸。浦。雨。秦。鄰。/云。人。/笑。照。/深。心。

自ら内に代りて贈る

宝刀流水を截(た)つとも、断絶の時あるなし。
妾が意 君を逐うて行く、纏綿(てんめん)またかくのごとし。
別れてこのかた門前の草 秋は黄に春はまた碧(みどり)なり。
掃い尽せば更にまた生じ 萋萋(せいせい)として行跡に満つ。
鳴鳳 はじめあい得しが 雄驚いて雌おのおの飛ぶ。
遊雲いづれの山にか落つ 一たび往いて帰るを見ず。
估客大楼を発し 知る 君が秋浦にあるを。
梁苑むなしく錦衾 陽台 行雨を夢む。
妾が家は三たび相となりしが 勢を失って西秦を去る。
なほ旧歌管あり 凄清 四鄰に聞ゆ。
曲度(きょくど)  紫雲に入り 啼いて眼中の人なし。
妾は井底の桃のごとく 花を開けども誰に向ってか笑まむ。
君は天上の月のごとく あへて一たびも廻照せず。
鏡を窺ふもみづからも識らず 別多くして憔悴(しょうすい)深し。
いづくんぞ秦吉了(はっかちょう) 人のために寸心を道(い)はしめん。

 別れる時、自分の蛾眉の大きさであった桃が百余尺となり、更に枯れたといって別れの時間の経過の長さをあらわしている。同様に、春の若草がたちまち黄草に変わる。そして自分は轉蓬であるというのが、李白の得意の手法で、人として、好意的に見れるか見れないか分れる所である。李白という詩人が妻と同じところで過ごしていてこれだけの詩が作れるのかというと、それは絶対にできないのである。
 李白の居住は少年時代以来、流転を極めている。僅かに最初の結婚の頃、即ち安陸時代と後の開封居住の頃とにやや定住の跡が見られる位で、その他は数年、もしくは一年に足らず、羈旅の生涯ということである。彼は妻子がいたのである。

儒教的見方からは、李白は、誠実さに欠ける、人の口を借りたり、相手が李白のことを「きっとこのように思っているであろう」と間接的に李白の考えをあらわしている。このような表現法に終始している。だから、数多く、娼婦や、妓女、あるいは線上に送り出した妻、行商人の妻というように景色を借りて妻のことを語っているのである。
 この詩のように、妻が特定できるのは少ない。特定できるものから判断して、4人の妻がいたことになっている。
 
この詩は明清の詩人が多く作った閨怨の詩よりも清新である。ところでここで問題になるのは、その梁苑にいる妻とは誰かということである。李白の結婚に関しては魏顥(魏万)以外に拠るものがない。

それによると李白が妻を四度娶っていたことをいっている。
① 初は許氏を娶って一男一女を生み、
② 次に劉氏を娶って離婚し、
③ 三たび魯の一婦人を娶って一子頗黎(ハリ)を生んだ。杜甫と斉趙で遊んだ直後である。
④ 四度目の結婚を「終ニ於宋ニ娶ル」といっている。そこで開封にいた妻は、この後の二人の中のどれかでなければならないが、この詩でみると新婚の情を湛へているような所もあるから、宋に娶った妻のようである。ところでまたこの宋が地を指すのか、姓を指すのかが問題になるが、李白が後に夜郎に流される時、宗璟といふ者に贈った詩があって、その姉が自分に嫁いだ趣をのべているから、宋は宗の誤りで、宗氏の婦人を娶ったと解すべきだろう。そうするとこの詩の「妾家三作相」というのは、則天武后の治世に三度宰相になった宗楚客の家の出ということになり、この婦人の素性は一層はっきりして来る。

この詩に表われた孤閨にある自分の妻の心情をこれに代って詠ずるという詩作の態度が、李白の多くの閏怨の詩の基盤であったということである。即ち彼は自己の生活が常に羈旅にあり、そのため妻とは殆どすべて別居の状態にあったが、この別居に関しては彼もたえず責任を感じていた。従って妻の立場になって考へることしかできなかったということだ。
李白らしい表現ということなのだ。古表現を多くの人が指示したことが歴史の結果として理解する。いずれにしても、儒教的な思考の持ち主には理解が難しいということではある。

 至徳元年の初には、安禄山の兵は既に開封、洛陽に迫っていた。李白の心配もさこそと思はれるが、それよりもこの詩に表はれた孤閨にある自分の妻の心情をこれに代って詠ずるといふ詩作の態度が、李白の多くの閏怨の詩の基盤であったということが考へられる。即ち彼は自己の生活が常に羈旅にあり、そのため妻とは殆どすべて別居の状態にあったが、この別居に関しては彼もたえず責任を感じており、「自代内贈」にみるように妻の立場になって考へることも多かつたのである。ともかく李白の詩中の代表として、今なお愛誦されているものの中には、閨怨の詩が多く、これを看過しては李白の詩を論ずることができない。


(月夜とその頃の詩 につづく)

kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 148 夜雨寄北

kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 147 夜雨寄北


月夜」と家族の考え方の考察(研究)
 1.なぜ「長安の月」ではなく「鄜州の月」なのか
月夜 杜甫  kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 144
 2. 九月九日憶山東兄弟  王維
    ー 杜甫『月夜』の理解を深めるために ー
2.kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 145 九月九日憶山東兄弟  王維

3. 除夜作  高適
3.kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 146 除夜作 高適
 4.八月十五日夜禁中独直対月憶元九   白居易
4.kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 146 八月十五日夜禁中独直対月憶元九 白居易

 5. 夜雨寄北 李商隠
5.kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 148 夜雨寄北

 6.李白の詩
6.kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 149家族の詩(6)

 7.杜甫の彭衙行(ほうがこう)自京赴奉先縣詠懷五百字遺興
7.月夜 と家族を詠う詩について 杜甫  kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 150


 8. 「月夜」子供に対する「北征」の詩に、淋前の南中女

9.763年 蜀の乱を避けて「蜀中転々」の時期に、江南の地に移住しようと思っていたころ、自分と家族のことを考えている中で旅の空のもと自然を詠う秀作。

695 《倦夜〔倦秋夜〕》 蜀中転々 杜甫 <602  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3320 杜甫詩1000-602-858/1500



5. 李商隠 
 
七言絶句。夜雨寄北 李商隠

秘められた恋人に寄せた詩とするのがふさわしい。相手は定かでないものの、場所、時間などの状況ははっきりして、李商隠の恋愛詩のなかでは極めてわかりやすく、実際に手紙に代えて送ったものとも考えられる。
 一般的な解釈では「北」を李商隠の妻とするとされている。
 自分の境遇を女性に置き換えて詠ったというのが私の解釈で語句の背後にかくされているとかんがえている。


夜雨寄北 

君問歸期末有期、巴山夜雨漲秋池。
君は聞くことだろう、帰る約束ができるのか、また交わるという約束をしてくれないのかと。巴国の山間にはいつでも一緒にいるという約束の雨が秋の夜の冷たく降り続け、池の水もあふれんばかりになっている。

何當共翦西囱燭、却話巴山夜雨時。
いつになれは、ともに何度も蝋燭の芯を切りほど西の閨牀の窓辺のもとにいることができるのか、語り合えるだろう、でも、今は話ができないけど巴山には昔から神女との約束の証が夜雨なのだ。夜雨の降りしきるこの時のことは約束のことを思って過ごそう。


君 帰期を問うも未だ期有らず、巴山の夜雨 秋池に漲る。
何当か共に西窓の燭を翦り、却って話さん 巴山夜雨の時。


(本文)夜雨寄北
君問歸期未有期 、巴山夜雨漲秋池。
何當共剪西窗燭 、卻話巴山夜雨時。


(下し文)
夜雨 北に寄す
君 帰期を問うも未だ期有らず、巴山の夜雨 秋池に漲る。
何当か共に西窓の燭を翦り、却って話さん 巴山夜雨の時。


(現代語訳)
君は聞くことだろう、帰る約束ができるのか、また交わるという約束をしてくれないのかと。巴国の山間にはいつでも一緒にいるという約束の雨が秋の夜の冷たく降り続け、池の水もあふれんばかりになっている。
いつになれは、ともに何度も蝋燭の芯を切りほど西の閨牀の窓辺のもとにいることができるのか、語り合えるだろう、でも、今は話ができないけど巴山には昔から神女との約束の証が夜雨なのだ。夜雨の降りしきるこの時のことは約束のことを思って過ごそう。


(訳注)夜雨寄北
寄北 851~855まで梓州(四川省)の柳仲郢の幕下にいた時期。妻王氏はすでに没している。従来、妻に寄せた詩と解されることが多いが、「北」に妻の意味はないし、儒教的な詩の意味はないのである。ここでの雨が宋玉「高唐の賦」にある巫山神女の故事によるもので、懷王と交わった後、神女が「暮には行雨とならん」とどんな時でも一緒にいるといった意味を持つ雨である。


君問歸期末有期、巴山夜雨漲秋池。
君は聞くことだろう、帰る約束ができるのか、また交わるという約束をしてくれないのかと。巴国の山間にはいつでも一緒にいるという約束の雨が秋の夜の冷たく降り続け、池の水もあふれんばかりになっている。
 約束。「景陽井」 李商隠 48 にある。同じ句の中に期を二語つかっている。二つの約束を示す。帰るという約束。秘められた女性とのまた交わるという約束有るに至らず。
巴山 「巴」は四川省東部一帯を指す古名。巴の國に属する山といえは巫山があり、楚の懐王が巫山の神女と夢のなかで交わった故事を連想させる。
李商隠 6 重過聖女詞 詩注参照。



何當共翦西囱燭、却話巴山夜雨時。
いつになれは、ともに何度も蝋燭の芯を切りほど西の閨牀の窓辺のもとにいることができるのか、語り合えるだろう、でも、今は話ができないけど巴山には昔から神女との約束の証が夜雨なのだ。夜雨の降りしきるこの時のことは約束のことを思って過ごそう。
何当 いつ。未来の時についての疑問詞。いつになればと願う気持ちを伴う。○共翦西窓燭 「燭を翳る」は、ろうそくの芯についた燃えかすを切り取って明るくする。時間が経過したことをあらわす。また燃えかすが花のようになった「灯花」ができるのは待ち人が来るなど、吉兆とされる。「共」には一緒にと何度もの意味。「西窓」は閨牀の窓辺で、情交を意味する。○ 思いや動きが反対の向きに変わることを示す。


李商隠も女性を歌うのは芸妓を詠い、あるいは妻を詠う場合でも、芸妓の舞台を借りているのである。
 好きな女性か、先に逝った妻を偲んでうたったとされているが、これらと別の意味合いが含まれているため、恋歌として今一つ心に打たれないのである。いろんな意味を込める語で句を構成していく方法、李商隠らしいものであるのであるが、都にいる、反体制の同志に、何らかの暗号で、様子を知らせてくれと訴えているように感じるのである。

夜雨寄北
君問歸期未有期 、巴山夜雨漲秋池。
何當共剪西窗燭 、卻話巴山夜雨時。
○韻 池、期、時。

6.李白(つづく)

杜甫『月夜』と比較してみる 白居易『八月十五日夜禁中独直対月憶元九』 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 147 

杜甫『月夜』と比較してみる 白居易『八月十五日夜禁中独直対月憶元九』 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 147 

月夜」と家族の考え方の考察(研究)
 1.なぜ「長安の月」ではなく「州の月」なのか
月夜 杜甫  kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 144
 2. 九月九日憶山東兄弟  王維
    ー 杜甫『月夜』の理解を深めるために ー
2.kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 145 九月九日憶山東兄弟  王維

3. 除夜作  高適
3.kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 146 除夜作 高適
 4.八月十五日夜禁中独直対月憶元九   白居易
4.kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 146 八月十五日夜禁中独直対月憶元九 白居易

 5. 夜雨寄北 李商隠
5.kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 148 夜雨寄北
kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 149 李白の家族の詩について(6


 7.杜甫の彭衙行(ほうがこう)自京赴奉先縣詠懷五百字遺興
 8. 「月夜」子供に対する「北征」の詩に、淋前の南中女

月夜 と家族を詠う詩について 杜甫  kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 150

 

9. 《倦夜〔倦秋夜〕》 763年 蜀の乱を避けて「蜀中転々」の時期に、江南の地に移住しようと思っていたころ、自分と家族のことを考えている中で旅の空のもと自然を詠う秀作。

695 《倦夜〔倦秋夜〕》 蜀中転々 杜甫 <602  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3320 杜甫詩1000-602-858/1500


月夜」と家族の考え方の考察(研究)


杜甫『月夜』と比較してみる 白居易『八月十五日夜禁中独直対月憶元九』
 809年元和4年 憲宗神策軍強化に宦官を抜擢、李絳、白居易宦官糾弾の上奏文、元稹は更に強く矢継ぎ早に糾弾した。そのため、宰相に嫌われ、左遷される。元稹はその手腕は高評価され、すぐ中央に呼び戻される。また、元稹は地方の節度使、地方官僚の汚職、収賄にまみれているじょうたいを、徹底糾弾しているのだ。31,32歳の若者が地方の最高責任者や権力者を糾察するわけだけだから徹底的に嫌われてしまう。こうして宦官の策略で、810年3月元稹は四川に左遷される。8月一緒に戦っていた白居易が宮中において宿直をしているとき、元稹にあてて詠った詩がこの詩である。 


八月十五日夜禁中独直対月憶元九   白居易
 


八月十五日夜禁中独直対月憶元九 
銀台金闕夕沈沈、独宿相思在翰林。
宮中のあちこちに聳え立つ銀で作られた翰林院に入る銀台門、金で飾られた樓閣への門が夕闇の内に夜は深深と更けていった。私は一人宿直をしていて君のことを思い続けている、天子の秘書室の中だ。
三五夜中新月色、二千里外故人心。
今宵は8月15月の夜だ、出たばかりの明月に対して2千里も離れている親友の君のことが偲ばれる。
渚宮東面煙波冷、浴殿西頭鐘漏深。
そこ、渚の宮の東の方には水面に煙る靄の中で、波が月明かりにに冷たく揺れていることだろう。ここ私のいる宮中の浴殿の西側では、時を告げる鐘と水時計の音が静かな深く更けていく中で響いている、西にいる君はそう思っていることだろう。
猶恐清光不同見、江陵卑湿足秋陰。

それでもなお私は恐れているのはこのような清らかな月の光がここで見るのとは違ってはっきり見えないのではないかということだ。君のいる江陵は日常的に湿った空気が蔓延しており、秋の空が曇りがちなのではないだろうか。(巫山の雨で有名なところだろう)
八月十五日の夜 禁中に独り直し 月に対して元九を憶う
銀台【ぎんだい】  金闕【きんけつ】  夕べ沈沈たり、独宿【どくしゅく】  相思うて 翰林【かんりん】に在り。
三五夜中【さんごやちゅう】  新月の色、二千里外【にせんりがい】  故人【こじん】の心。
渚宮【しょきゅう】の東面には煙波【えんぱ】冷やかならん、浴殿【よくでん】の西頭には鐘漏【しょうろう】深し。
猶【な】お恐る  清光【せいこう】  同じくは見えざるを、江陵は卑湿【ひしつ】にして  秋陰【しゅういん】足る


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八月十五日夜禁中独直対月憶元九 現代語訳と訳註
(本文)

銀台金闕夕沈沈、独宿相思在翰林。
三五夜中新月色、二千里外故人心。
渚宮東面煙波冷、浴殿西頭鐘漏深。
猶恐清光不同見、江陵卑湿足秋陰。

(下し文)
銀台(ぎんだい)  金闕(きんけつ)  夕べ沈沈たり、独宿(どくしゅく)  相思うて 翰林(かんりん)に在り。
三五夜中(さんごやちゅう)  新月の色、二千里外(にせんりがい)  故人(こじん)の心。
渚宮(しょきゅう)の東面には煙波(えんぱ)冷やかならん、浴殿(よくでん)の西頭には鐘漏(しょうろう)深し。
猶(な)お恐る  清光(せいこう)  同じくは見えざるを、江陵は卑湿(ひしつ)にして  秋陰(しゅういん)足る。


(現代語訳)

宮中のあちこちに聳え立つ銀で作られた翰林院に入る銀台門、金で飾られた樓閣への門が夕闇の内に夜は深深と更けていった。私は一人宿直をしていて君のことを思い続けている、天子の秘書室の中だ。
今宵は8月15月の夜だ、出たばかりの明月に対して2千里も離れている親友の君のことが偲ばれる。
そこ、渚の宮の東の方には水面に煙る靄の中で、波が月明かりにに冷たく揺れていることだろう。ここ私のいる宮中の浴殿の西側では、時を告げる鐘と水時計の音が静かな深く更けていく中で響いている、西にいる君はそう思っていることだろう。
それでもなお私は恐れているのはこのような清らかな月の光がここで見るのとは違ってはっきり見えないのではないかということだ。君のいる江陵は日常的に湿った空気が蔓延しており、秋の空が曇りがちなのではないだろうか。(巫山の雨で有名なところだろう)

唐朝 大明宮2000

銀台金闕夕沈沈、独宿相思在翰林。
宮中のあちこちに聳え立つ銀で作られた翰林院に入る銀台門、金で飾られた樓閣への門が夕闇の内に夜は深深と更けていった。私は一人宿直をしていて君のことを思い続けている、天子の秘書室の中だ。


三五夜中新月色、二千里外故人心。
今宵は8月15月の夜だ、出たばかりの仲秋の明月に対して2千里も離れている親友の君のことが偲ばれる。


渚宮東面煙波冷、浴殿西頭鐘漏深。
(そこ、)渚の宮の東の方には水面に煙る靄の中で、波が月明かりにに冷たく揺れていることだろう。(ここ)私のいる宮中の浴殿の西側では、時を告げる鐘と水時計の音が静かな深く更けていく中で響いている、西にいる君はそう思っていることだろう。
  
猶恐清光不同見、江陵卑湿足秋陰。
それでもなお私は恐れているのはこのような清らかな月の光がここで見るのとは違ってはっきり見えないのではないかということだ。君のいる江陵は日常的に湿った空気が蔓延しており、秋の空が曇りがちなのではないだろうか。(巫山の雨で有名なところだろう)

「三五夜中新月色,二千里外故人心。」(三五夜中(さんごやちゅう)  新月の色、二千里外(にせんりがい)  故人(こじん)の心。


(解説)
 白居易が「新楽府五十篇」「秦中吟十篇」に集約される諷諭詩を作ったのは、元和四年から五年にかけて、三十八歳から三十九歳のときで、政事批判の詩は、これまでに先例はあったものの、これだけ意識的に集中的に作られたのは画期的なことであった。タイムリーな時期に発表されてものかどうかはわからないことであり、元稹の言動は露骨に近かったから、露骨な策略に貶められたということではなかろうか。

 これら詩文をもってただちに、唐代においては比較的言論の自由はあったとみるのは早計であろう。歴史は力関係により作られるもので、批判は陰にこもったものであったはずである。陰に籠もったからこそ詩文として残ったのではなかろうか。いずれにしても、白居易にとって、元稹という心許せる同調者がいたときはよかったが、元稹が宦官の策略に落ちって左遷されると、白居易は孤立感、孤独感に陥らざるを得なかった。

 掲げた詩は元稹が長安を去るときに見送りに行けなかったことを弁明し、友情は不変であると誓っている。「青門」は青明門のことで、春、東が青で示される五行思想に基づいたもの、塗られていた青門といい、長安の東壁南側にあった。 
10risho長安城の図035

月夜 
今夜鄜州月、閨中只独看。
遥憐小児女、未解憶長安。
香霧雲鬟湿、清輝玉臂寒。
何時倚虚幌、双照涙痕乾。

今夜  鄜州【ふしゅう】の月、閨中【けいちゅう】  只だ独り看【み】るらん。
遥かに憐【あわ】れむ小児女【しょうじじょ】の、未【いま】だ長安を憶【おも】うを解(かい)せざるを。
香霧【こうむ】に雲鬟【うんかん】湿【うるお】い、清輝【せいき】に玉臂【ぎょくひ】寒からん。
何【いず】れの時か虚幌【きょこう】に倚【よ】り、双【とも】に照らされて涙痕【るいこん】乾かん。


さて杜甫の「月夜」は、 白欒天のこの詩にもいうように、「三五夜中新月の色、二千里外故人の心」であって、月色は、山河を隔て、環境を異にしつつも、その色を同じくするものである。だから、それに誘発されて、杜甫は、はるかなる妻の身の上を思うのであり、おなじ月の光にさそわれて、はるかなる妻も、自分を思うであろうことを自分自身に思わせるのであるが、自分の見る月とはいわないで、妻の見る月の色を、はるかに思いやったというところは、この詩人の心が、常に常識を越えて別の次元につき入ろうとしていたこと、そうしてまたその結果、表現としては、緊迫した言葉を常に求めていたこと、つまりみずからもいうように「語の人を驚かさずんば死すとも休まず」とする傾向にあったことを、もとより最も顕著に示す例ではないけれども、なお何がしか示すものである。


続く 李商隠「夜雨寄北」

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kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 146 除夜作 高適
月夜」と家族の考え方の考察(研究)
 1.なぜ「長安の月」ではなく「鄜州の月」なのか
 2. 九月九日憶山東兄弟  王維
 3. 除夜作  高適
 4.八月十五日夜禁中独直対月憶元九   白居易
 5. 夜雨寄北 李商隠
 6.李白の詩
 7.杜甫の彭衙行(ほうがこう)自京赴奉先縣詠懷五百字遺興
 8. 「月夜」子供に対する「北征」の詩に、淋前の南中女
3. 除夜作  高適
高適 こうせき 702頃~765
杜甫は「送高三十五書記十五韻」の中で高適を「高生の鞍馬に跨るは、幽井の児に似たる有り。」といっている。これは掌書記として河隨の哥舒翰幕府に赴く高適の堂々として颯爽たる姿を描いたものである。といえる。つまり、勇敢で任侠の持ち主であること、杜甫とは、詩について深いところまで掘り下げた討論をしている。この詩は高適の肉親を思いやる気持ちがよく表された名作である。


 旅の空、一人迎える大みそかの夜。
 詩人を孤独が襲う。


除夜作  高適
 旅館寒燈獨不眠,客心何事轉悽然。
 故鄕今夜思千里,霜鬢明朝又一年。


除夜の作   
旅館の寒燈  獨(ひと)り 眠らず,客心(きゃくしん) 何事ぞ  轉(うた)た 悽然(せいぜん)。
故鄕 今夜  千里を 思う,霜鬢(さうびん) 明朝(みゃうちょう)   一年を 又(ゆる)す。
1050hinode00




現代語訳と訳註
(本文)
  除夜作 
 旅館寒燈獨不眠,客心何事轉悽然。
 故鄕今夜思千里,霜鬢明朝又一年。

(下し文)
旅館の寒燈  獨(ひと)り 眠らず,客心(きゃくしん) 何事ぞ  轉(うた)た 悽然(せいぜん)。
故鄕 今夜  千里を 思う,霜鬢(さうびん) 明朝(みゃうちょう)   一年を 又(ゆる)す。

(現代語訳)
寒々とした旅館のともしびのもと、一人過ごす眠れぬ除夜をすごす。ああ、本当にさみしい。
旅の寂しさは愈々増すばかり・・・・・・・・・・。
今夜は大晦日。
故郷の家族は、遠く旅に出ている私のことを思ってくれているだろう。
夜が明けると白髪頭の老いたこの身に、また一つ歳を重ねてしまうのか・・・・。



(詩の背景と解説)
 作者 高適は河南省開封市に祀られている。三賢祠と呼ばれるその杜は李白、杜甫、高適の三詩人が共に旅をした場所である。記念して建立されている。

 杜甫には、高適とその文学に対する深い理解があった。杜甫と高適の交遊は盛唐詩人間の交遊の中でも代表的なものとして知られており、その交遊においては二人の詩から、当然文学的な側面が大きなものであったものと思われる。

 746年天宝五載の夏から冬にかけて、杜甫と高適は李白とともに斉魯に遊び、冬には北海郡(‥青州、治・益都県‥山束省益都県)の太守・李邕を訪ねている。李邕は、『文選』の注釈者・李善の息子であり、当時の文壇の長老であった。天宝の初め、汲郡・北海の太守となり、六年李林甫に忌まれて殺された。
 この交遊の過程、特に李邕との面談において、文学について様々に意見が交換されている。

 杜甫が邊塞詩を書く上での情報源はすべて高適からのものなのだ。高適が出世していく中で杜甫は、高適を尊敬し多くの詩を贈っている。高適は、杜甫をいつまでも親友として接しているのだ。二人とも白髪の多い年齢であった。高適は765年没している。
杜甫は成都にいて高適と議論している。
 上元元年 760年 49歳 五言律詩 「奉簡高三十五使君」   高適に寄せた詩。詩によれば高適が栄任したようで、彭州より蜀州に転じた。
広徳2年 764年 七言律詩「奉寄高常侍(寄高三十五大夫)」 杜甫53歳  左散騎常侍高適が長安の都へかえるのにつき別れの意をのべて寄せた詩。広徳二年三月成都の作。


旅館+寒燈+獨不眠,客心+何事+轉悽然。

故鄕 +今夜+ 思 +  + 里
[名詩]+[時] +[動詞]+ [数] +[単位]
霜鬢 +明朝+ 又 +  + 年。



 旅先で一人過ごす大晦日、故郷にいれば家族そろって団欒し、みんなで酒を酌み交わしていたことでしょう。

 故鄕今夜思千里 :故鄕 今夜  千里を 思う。
自分が千里離れた故郷を偲ぶのではなく、故郷の家族が自分を思ってくれるだろうという中国人の発想の仕方である。中華思想と同じ発想法で、多くの詩人の詩に表れている。
 しかしそれが作者の孤独感を一層引き立て、望郷の念を掻き立てるのである。

  霜鬢明朝又一年。:霜鬢(さうびん) 明朝(みゃうちょう)   一年を 又(ゆる)す。
 ああ、大晦日の夜が過ぎると、また一つ年をゆるしてしまう。年々頭の白髪も増えていく、白髪の数と同じだけ愁いが増えてゆくのか
 当時、「数え」で歳を計算するので、新年を迎えると年を取る。又はここでは有と同じ。読み・意味はゆるすである。



以下はウィキペディアの「高適」による。
滄州渤海(現河北省)の出身。李白と親交があり磊落な性質で家業を怠り、落ちぶれて梁・宋(現河南省)で食客となっていたが、発憤して玄宗の時に有道科に挙げられ、封丘尉の役職を授けられた。その後官職を捨てて河右に遊歴し、河西節度使哥舒翰に見いだされて幕僚となった。また侍御史となり、蜀に乱を避けた玄宗に随行した。粛宗の命で、江西采訪使・皇甫侁とともに皇弟である永王李璘の軍を討伐平定した。後に蜀が乱れるに及び蜀州・彭州の刺史となり、西川節度使となった。長安に帰って刑部侍郎・散騎常侍となり、代宗の代に渤海侯に封ぜられ、その地で没した。

50歳で初めて詩に志し、たちまち大詩人の名声を得て、1篇を吟ずるごとに好事家の伝えるところとなった。吐蕃との戦いに従事したので辺塞詩も多い。詩風は「高古豪壮」とされる。李林甫に忌まれて蜀に左遷されて汴州を通ったときに李白・杜甫と会い、悲歌慷慨したことがある。しかし、その李林甫に捧げた詩も残されており、「好んで天下の治乱を談ずれども、事において切ならず」と評された。『高常侍集』8巻がある。


続く4.白居易「八月十五日夜禁中独直対月憶元九」 


kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 145 九月九日憶山東兄弟  王維

kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 145

月夜」と家族の考え方の考察(研究)
 1.なぜ「長安の月」ではなく「鄜州の月」なのか
 2. 九月九日憶山東兄弟  王維
 3. 除夜作  高適
 4.八月十五日夜禁中独直対月憶元九   白居易
 5. 夜雨寄北 李商隠
 6.李白の詩
 7.杜甫の彭衙行(ほうがこう)自京赴奉先縣詠懷五百字遺興
 8. 「月夜」子供に対する「北征」の詩に、淋前の南中女


1.なぜ「長安の月」ではなく「鄜州の月」なのか
杜甫は、江南の舟中で五十九年の生涯を終わるまで、この愛する妻とともに過ごした。友である李白が、次々と妻を持ち、芸妓と遊んだのとは異なる。自分が眺めている月は「長安の月」であるが自分の思いの先の妻のいる方に思いを寄せて「鄜州の月」と詠っている。中国人の思い遣る発想の表現法である。世話の焼ける、やんちゃ盛りの子供たちをかかえての妻の苦労をいとおしみつつ、今宵、この月の光に照らされているだろうその姿を美しく妻の姿を詠い上げる杜甫の言葉には、遠く離れている妻への愛情があふれているということなのだ。これが「長安の月」だったら、杜甫の品位に疑問が生じるだけでなく、に詩の品格が段違いに落ちる。

この時代、憂国の士は、国難にあたっては国事にのみ奔走し、たとえ家族のことが心にかかっていても、それを表面には出さないもので、男子が人であった時代なのである。しかし、杜甫はそうではなかった。国を憂うとともに家族のことも心配し、それを詩に詠う。国のことが大切ではあったが、それとともに妻や子供も、彼にとってはかけがえのない存在であった。それをそのまま詩に歌うということは杜甫だけである。しかも、初めの句に配しているのである。そのことによって詩のイメージ、妻がそこにいないこと、妻への思い訳気持ちというものが強調され、全体に覆われるのである。

 同様にはるか離れた肉親や、肉親以上に考えている親友を思って歌った詩をあげて、杜甫の詩と比較してみよう。


2. 九月九日憶山東兄弟  王維

九月九日憶山東兄弟

独在異郷為異客、毎逢佳節倍思親。
ひとりだけで故郷を離れて異郷にいる、他郷の宿坊で勉強しいるのだ、今度も運気を運んでくれる重陽節の日が来るたびに肉親のこと思いつづけるのである。
遥知兄弟登高処、遍挿茱萸少一人。

遠くから私は知るのである、「身内の兄弟が、高い山に登り、家族や親しい人を憶っているだろう」ことを。そして、「みんなが、重陽の日の風習である、邪気を払うという茱萸の実を頭に挿している」ということを、でもそこにわたしはひとりをかけているのだ。


(本文)
独在異郷為異客、毎逢佳節倍思親。
遥知兄弟登高処、遍挿茱萸少一人。

(下し文)九月九日山東の兄弟を憶う
独り異郷に在って異客と為り、佳節に逢う毎に倍ます親を思う。
遥かに知る兄弟高きに登る処、遍く茱萸を挿して一人を少くを。

(現代語訳)
ひとりだけで故郷を離れて異郷にいる、他郷の宿坊で勉強しいるのだ、今度も運気を運んでくれる重陽節の日が来るたびに肉親のこと思いつづけるのである。
遠くから私は知るのである、「身内の兄弟が、高い山に登り、家族や親しい人を憶っているだろう」ことを。そして、「みんなが、重陽の日の風習である、邪気を払うという茱萸の実を頭に挿している」ということを、でもそこにわたしはひとりをかけているのだ。


(詩の背景) 
 王維が十四歳の時の712年先天元年8月に、唐の第六代皇帝玄宗が即位した。杜甫がこの年に生まれているのが実に運命的なことであるが、その翌年には王維は科挙試験準備で上京している。玄宗は七月に叔母の太平公主一派を粛清し、則天武后の残存勢力を一掃し、十二月に開元と改元、唐王朝の最盛、開元の治のはじまりとなる。王維のこの詩は上京して二年後、715年開元三年9月9日17歳時の作である。王維は、この二年間、長安の寺の宿坊で勉学に励んでいた。

 中国では九月九日、重陽節に、茱萸(「ぐみ」の一種)の枝をかざして兄弟や親しい友人が小高い丘に登り、菊の花びらを浮かべた酒を飲み、粽を食べて健康を祈るものなのだ。
長安で二回目の重陽節を迎え、故郷が懐かしくなった王維には弟四人のほか妹もいた。
この詩のいいところは王維の優しい人柄がにじみ出ているところである。


月夜 杜甫  kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 144


月夜」と家族の考え方の考察(研究)
 1.なぜ「長安の月」ではなく「鄜州の月」なのか
 2. 九月九日憶山東兄弟  王維

 1.なぜ「長安の月」ではなく「鄜州の月」なのか
月夜 杜甫  kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 144
 2. 九月九日憶山東兄弟  王維
    ー 杜甫『月夜』の理解を深めるために ー
2.kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 145 九月九日憶山東兄弟  王維

3. 除夜作  高適
3.kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 146 除夜作 高適
 4.八月十五日夜禁中独直対月憶元九   白居易
4.kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 146 八月十五日夜禁中独直対月憶元九 白居易

 5. 夜雨寄北 李商隠
5.kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 148 夜雨寄北

 6.李白の詩
6.kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 149家族の詩(6)

 7.杜甫の彭衙行(ほうがこう)自京赴奉先縣詠懷五百字遺興
7.月夜 と家族を詠う詩について 杜甫  kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 150


 8. 「月夜」子供に対する「北征」の詩に、淋前の南中女

9.763年 蜀の乱を避けて「蜀中転々」の時期に、江南の地に移住しようと思っていたころ、自分と家族のことを考えている中で旅の空のもと自然を詠う秀作。

695 《倦夜〔倦秋夜〕》 蜀中転々 杜甫 <602  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3320 杜甫詩1000-602-858/1500



月夜 杜甫  kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 144

月夜
今夜鄜州月、閨中只独看。
今夜も月が出ている鄜州での月は、閏の中で我が妻がただひとりみているだろう。
遥憐小児女、未解憶長安。
私からはこんなはるかなところからいたいけない子供たちのことを思いを遣っている、しかしその子どもたちはこの私のいる長安を憶うことなどは知らないのである。
香霧雲鬟湿、清輝玉臂寒。
二人で過ごした室には香霧がこめ、雲の髪型もうるおいが生じる、清々しい月のひかり輝いて妻のうなじに、影を落としている、美しい姿もつめたく感じていることであろう。
何時倚虚幌、双照涙痕乾。
いつになったらゆめまぼろしにある妻との閨ととばりの生活、二人そろって月光に照らされて涙のあとなど全くない暮らしができるのだろうか。


今夜  鄜州(ふしゅう)の月、閨中(けいちゅう)  只だ独り看(み)るらん。
遥かに憐(あわ)れむ小児女(しょうじじょ)の、未(いま)だ長安を憶(おも)うを解(かい)せざるを。
香霧(こうむ)に雲鬟(うんかん)湿(うるお)い、清輝(せいき)に玉臂(ぎょくひ)寒からん。
何(いず)れの時か虚幌(きょこう)に倚(よ)り、双(とも)に照らされて涙痕(るいこん)乾かん。

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月夜 現代語訳と訳註
(本文)
今夜鄜州月、閨中只独看。
遥憐小児女、未解憶長安。
香霧雲鬟湿、清輝玉臂寒。
何時倚虚幌、双照涙痕乾。

(下し文)
今夜  鄜州(ふしゅう)の月、閨中(けいちゅう)  只だ独り看(み)るらん。
遥かに憐(あわ)れむ小児女(しょうじじょ)の、未(いま)だ長安を憶(おも)うを解(かい)せざるを。
香霧(こうむ)に雲鬟(うんかん)湿(うるお)い、清輝(せいき)に玉臂(ぎょくひ)寒からん。
何(いず)れの時か虚幌(きょこう)に倚(よ)り、双(とも)に照らされて涙痕(るいこん)乾かん。

(現代語訳)
今夜も月が出ている鄜州での月は、閏の中で我が妻がただひとりみているだろう。
私からはこんなはるかなところからいたいけない子供たちのことを思いを遣っている、しかしその子どもたちはこの私のいる長安を憶うことなどは知らないのである。
二人で過ごした室には香霧がこめ、雲の髪型もうるおいが生じる、清々しい月のひかり輝いて妻のうなじに、影を落としている、美しい姿もつめたく感じていることであろう。
いつになったらゆめまぼろしにある妻との閨ととばりの生活、二人そろって月光に照らされて涙のあとなど全くない暮らしができるのだろうか。

(訳注)
今夜鄜州月、閨中只独看。
今夜も月が出ている鄜州での月は、閏の中で我が妻がただひとりみているだろう。
鄜州 西安府の直北に位する、妻子のいる所。○閏中 夫人のねやのうち。○ 夫人がみる。

遥憐小児女、未解憶長安。
私からはこんなはるかなところからいたいけない子供たちのことを思いを遣っている、しかしその子どもたちはこの私のいる長安を憶うことなどは知らないのである。
○憐 杜甫があわれむこと。○児女 こどもたち。○未解 解は人を思いやることをいう、幼小なので知識がとどかない。〇憶長安 長安におる父である自分をおもう。中国人にとっては自分がおうっていることより自分のことを思ってくれるというのが基本的な考えである。白居易「八月十五夜禁中獨直月夜憶元九」、高適「除夜作」、王維「九月九日憶山東弟」など多くある。

香霧雲鬟湿、清輝玉臂寒。
二人で過ごした室には香霧がこめ、雲の髪型もうるおいが生じる、清々しい月のひかり輝いて妻のうなじに、影を落としている、美しい姿もつめたく感じていることであろう。
香霧 秋の夜のきり、夫人の室であるから香という。これまでの秋に閨から月を香を焚いて夫婦で眺めていたのだろう。これまでのことを踏まえて、予測するのである。○雲鬟 雲形の髪型。○清輝 すがすがしい月のぴかり照らすさま。○玉臂 夫人のうつくしいくびすじ、うなじ。うつくしい肢体のこと。

何時倚虚幌、双照涙痕乾。
いつになったらゆめまぼろしにある妻との閨ととばりの生活、二人そろって月光に照らされて涙のあとなど全くない暮らしができるのだろうか。
 よりそう。○虚幌 虚はゆめまぼろしにある妻との生活をいう。幌は閨のとばり、うす絹のこと。○双照 夫婦二人で照らされる。○涙痕乾 乾は湿の反対。


「月夜」 解説編につづく。

「月夜」の背景  kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 143

「月夜」の背景  kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 143

■ 反乱軍に捕らえられる




孫宰一家の手厚いもてなし、いったいだれがこの難難の際に、真心をそのままに尽くしてくれる者があろうか。別れてから歳月はめぐったが、蕃賊どもは今なお人々に災いをもたらしている。いつになったら翼を手に入れて、あなたの前に飛んでゆけることだろう。「彭衙行」の終わりの聯であった。
孫宰家で元気を取りもどした杜甫と家族は、さらに北に向かって進んだが、当初の目的地である蘆子関(陝西省の北端、横山県の近く)までは行き着けず、ひとまず鄜州(陝西省延安の都県)の羌村に落ち着くことになった。そうして八月になって、杜甫は単身、粛宗のいる霊武の行在所を目指し、身をやつして出発した。北上して蘆子関を抜け、西に霊武に向かおうとしたものであろうが、不運にも途中で賊軍に捕らえられ、長安に送られてしまった。

長安に送還された杜甫は、地位がそれほど高くなかったのと、本人が身分を知られないようにつとめたためであろう。詩人であることは、叛乱軍にとって何の支障もなかったのである。他の官吏、杜甫の知り合いのなかでは王維や鄭虔のように、洛陽に連行されて安禄山の朝廷に仕えるよう強要されるものもいた。
この年、756年、天宝十五年、改元されて至徳元年の秋から、翌年四月に長安を脱出して鳳翔の粛宗のもとにたどり着くまでの半年あまりの間、叛乱軍中にあっての杜甫のおもな作品には「王孫を哀しむ」「月夜」「陳陶を悲しむ」「雪に対す」「春望」「江頭に哀しむ」などがある。
まず「王孫を哀しむ」詩は、賊に描らえられて間もなくの作で、叛乱軍の厳しい捜索の目をのがれて町なかに身を潜めている皇族に出会い、その惨めな様子を哀れみ、力づけたものである。

月夜の詩は、その年の秋の夜、鄭州にあって、幼い子供たちをかかえて自分の安否を気遣っているであろう妻をしのんで詠んだものである。


月夜(今夜鄜州月)  
杜甫乱前後の図003鳳翔
           

月夜
今夜鄜州月、閨中只独看。
遥憐小児女、未解憶長安。
香霧雲鬟湿、清輝玉臂寒。
何時倚虚幌、双照涙痕乾。


今夜  鄜州(ふしゅう)の月、閨中(けいちゅう)  只だ独り看(み)るらん。
遥かに憐(あわ)れむ小児女(しょうじじょ)の、未(いま)だ長安を憶(おも)うを解(かい)せざるを。
香霧(こうむ)に雲鬟(うんかん)湿(うるお)い、清輝(せいき)に玉臂(ぎょくひ)寒からん。
何(いず)れの時か虚幌(きょこう)に倚(よ)り、双(とも)に照らされて涙痕(るいこん)乾かん。



■杜甫が家族を州羌村に避難させている間

六月十三日の早朝、玄宗は蜀(現在の四川省)へと逃れる。その途上の馬嵬で護衛の兵が反乱を起こし、楊国忠は安禄山の挙兵を招いた責任者として断罪され、息子の楊暄・楊昢・楊曉・楊晞兄弟と共に兵士に殺害される。皇帝を惑わせた楊貴妃もまた楊国忠と同罪であるとしてその殺害を要求し、玄宗の意を受けた高力士によって楊貴妃は絞殺された。
玄宗は退位し、皇太子の李亨が霊武で粛宗として即位した。


 玄宗は皇太子李亨(りきょう)に都の防衛を命じて、蜀の成都へ向かったのだ。長安は十日足らずで安禄山軍に占領されてしまう。李亨は兵をととのえるためにひとまず霊州(寧夏回族自治区霊武県)に向かった。霊州には朔方節度使の使府が置かれていて、軍事上の拠点であったからだ。ここから、兵を整え、次第に南下していくという作戦であった。

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 皇太子は七月十三日に霊州で伝国璽のないまま即位をする。同時に年号も至徳と改元した。

こうした都の動きは羌村にいた杜甫にも伝わってきた。
杜甫は七月の末になって霊州の新帝、粛宗(しゅくそう)のもとに駆け付けるため、家族を羌村に残して北へ馬を走らせた。鄜州から霊州までは西北に350kmほどある。蘆子関(陝西省靖辺県)の近くまで来たところで安禄山軍に捕らえられてしまったのだ。杜甫を捕らえたのは大同(山西省大同市)の高秀岩(こうしゅうがん)の兵であった。安禄山は幽州で兵を興すと同時に大同の軍を朔方郡(夏州以北のオルドス地方)に派遣して、北からも長安に攻め込ませていたのだ。

 安禄山軍に捕らえられた杜甫は、長安に連行された。長安では多くの政府高官が叛乱軍に捕らえられ、洛陽の政府に協力を強要されていたが、杜甫は微官であったので安禄山の政府に仕えることは命ぜられず、軟禁処分になって城内にとどまることになる。



 皇太子は七月十三日に霊州で伝国璽のないまま即位をする。同時に年号も至徳と改元した。

こうした都の動きは羌村にいた杜甫にも伝わってきた。
杜甫は七月の末になって霊州の新帝、粛宗(しゅくそう)のもとに駆け付けるため、家族を羌村に残して北へ馬を走らせた。鄜州から霊州までは西北に350kmほどある。蘆子関(陝西省靖辺県)の近くまで来たところで安禄山軍に捕らえられてしまったのだ。杜甫を捕らえたのは大同(山西省大同市)の高秀岩(こうしゅうがん)の兵であった。安禄山は幽州で兵を興すと同時に大同の軍を朔方郡(夏州以北のオルドス地方)に派遣して、北からも長安に攻め込ませていたのだ。

 安禄山軍に捕らえられた杜甫は、長安に連行された。長安では多くの政府高官が叛乱軍に捕らえられ、洛陽の政府に協力を強要されていたが、杜甫は微官であったので安禄山の政府に仕えることは命ぜられず、軟禁処分になって城内にとどまることになる。


 五言律詩 「月夜」 は長安に連行されて間もない晩秋の作で、鄜州羌村に残してきた家族を想う詩である。この詩は有名な名作である。特徴的なのは杜甫が自分の妻を優雅に描いていることである。
 女性として登場するのは妓女に限られたものというのが明代まで続いての常識とされていた。唐代の天宝年間以降に彼女らを題材にして、多くの士大夫が詩文にうたい、妓女となじんだという記録が盛んになる。明代までその活動は大きなものであった。唐代女流詩人の上官婉児、薛濤や魚玄機など妓女、妓女出身者なのだ。女性は、特に妻はまったく表に出ないのが当たり前で、杜甫のように妻のことを描くというのは革命的なことだった。杜甫は妻を容麗な表現で登場させている。
李白も妻について結構作っているが、妓女なのか妻なのか、彼女なのか、明確でない部分を残しており、表に出さない時代であることがうかがえる。

哀王孫 杜甫142  kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 140-#3

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■哀王孫(王孫を哀む)  #3
「王孫を哀しむ」詩は、賊に描らえられて間もなくの作で、賊軍の厳しい捜索の目をのがれて町なかに身を潜めている皇族に出会い、その惨めな様子を哀れみ、力づけたものである。

安禄山の乱に逃げ遅れた皇族が零落して民間に潜んでおるのを見てあわれにおもって作った詩である。製作時は756年至徳元載(即ち天宝十五載)の九月頃の作で、掴まって初めて書いたもの。。


哀王孫 #1
長安城頭頭白烏,夜飛延秋門上呼;
又向人家啄大屋,屋底達官走避胡。」
金鞭斷折九馬死,骨肉不得同馳驅。
腰下寶玦青珊瑚,可憐王孫泣路隅。』
#2
問之不肯道姓名,但道困苦乞為奴。
已經百日竄荊棘,身上無有完肌膚。
高帝子孫盡隆準,龍種自與常人殊。
豺狼在邑龍在野,王孫善保千金軀。』
#3
不敢長語臨交衢,且為王孫立斯須。
こんな人と交叉した巷にきて自分は長話をしないつもりでいたのだが、しかしこの王孫のためにはなおしばらく立ちどまってお相手をしようとおもう。
昨夜春風吹血腥,東來橐駝滿舊都。
昨夜、春の突風が吹いたように叛乱軍が戦場の血を吹いて残忍なものを送って来た。そうして東都から叛乱軍の駱駝軍が長安の都を大軍でまんぱいにしたのだ。
朔方健兒好身手,昔何勇銳今何愚?」
一時は体格・技術できこえた朔方軍の武士たちも、なんで昔はあんなに勇敢、鋭敏で誇らしく思えたものが、今はこんなに愚鈍で遺憾なことではないか。」
竊聞天子已傳位,聖德北服南單於。
ただひそかに聞くところによれば玄宗皇帝はもはや太子に譲位されたという、新帝の粛宗の聖徳が北の異民族の南単于というべき回乾の長をも悦服せしめられたそうである。
花門剺面請雪恥,慎勿出口他人狙。
異民族、回紇の側では面皮を割りさいて誠意を表わしてくれ、我が唐のため恥辱をそそぎたいと申し出てくれたそうである。この事はあなたにこっそりお聞かせするのであるから、之を口外して他人に話してはいけない、他人はあなたの身をねらっているのですから。
哀哉王孫慎勿疏,五陵佳氣無時無。』

哀しいことです。王孫さま。気をつけて自身を内街路にしてはいけないのです。長安には五陵の佳気がいつのときでも存在し、立ち上っているのですから、時がくればこのような災難はなくなりましょう。』

○押韻 烏,呼。胡。/死,驅。隅。/名,奴。膚。殊。軀。/衢,須。都。愚。/位,於。狙。無。


王孫を哀れむ #1
長安城頭頭白の烏、夜 延秋 門上に飛んで呼ぶ。
又人家に向って大屋に啄む、屋底の達官走って胡を遅く」
金鞭折断して九馬は死す、骨肉も同じく馳駆する を 得ず。
腰下の宝珠青珊瑚、憐れむべし 王孫路隅に泣く。』
#2
之に問えども 肯て 姓名を這わず、但だ 這う困苦なり乞う奴と為らんと
己に百日 刑疎に 窺する を 経たり、身上 完き 肌膚 有ること無し。
高帝の子孫は 尽く隆準、竜種 自ら常人と殊なり。
財狼 邑に在り 竜野に在り、王孫 善く 保てよ 千金の姫。』
#3
敢て 長話して 交衝に臨まず、且つ王孫の為めに立つこと斯須。
昨夜 東風 血を吹いて過し、東乗の秦乾は旧都に満つ。
朔方の健児は 好身手、昔 何ぞ勇鋭に今何ぞ愚なる。』
縞に聞く 天子 己に位を伝うと、聖徳 北服せしむ南単干。
花門 面を嘗きて 恥を雪がんと請う、憤みてロより出す勿れ他人に狙われん。
哀しい哉 王孫 慎みて疎なること勿れ、五陵の佳気は時として無きは無し。』


哀王孫 #3 現代語訳と訳註
(本文)

不敢長語臨交衢,且為王孫立斯須。
昨夜春風吹血腥,東來橐駝滿舊都。
朔方健兒好身手,昔何勇銳今何愚?」
竊聞天子已傳位,聖德北服南單於。
花門剺面請雪恥,慎勿出口他人狙。
哀哉王孫慎勿疏,五陵佳氣無時無。』

(下し文) #3
敢て長話して交衝に臨まず、且つ王孫の為めに立つこと斯須
昨夜東風血を吹いて過し、東乗の秦乾は旧都に満つ
朔方の健児は好身手、昔何ぞ勇鋭に今何ぞ愚なる』
縞に聞く天子己に位を伝うと、聖徳北服せしむ南単干
花門面を嘗きて恥を雪がんと請う、憤みてロより出す勿れ他人に狙われん
哀い哉王孫慎みて疎なること勿れ、五陵の佳気は時として無きは無し』


(現代語訳)
こんな人と交叉した巷にきて自分は長話をしないつもりでいたのだが、しかしこの王孫のためにはなおしばらく立ちどまってお相手をしようとおもう。
昨夜、春の突風が吹いたように叛乱軍が戦場の血を吹いて残忍なものを送って来た。そうして東都から叛乱軍の駱駝軍が長安の都を大軍でまんぱいにしたのだ。
一時は体格・技術できこえた朔方軍の武士たちも、なんで昔はあんなに勇敢、鋭敏で誇らしく思えたものが、今はこんなに愚鈍で遺憾なことではないか。」
ただひそかに聞くところによれば玄宗皇帝はもはや太子に譲位されたという、新帝の粛宗の聖徳が北の異民族の南単于というべき回乾の長をも悦服せしめられたそうである。
異民族、回紇の側では面皮を割りさいて誠意を表わしてくれ、我が唐のため恥辱をそそぎたいと申し出てくれたそうである。この事はあなたにこっそりお聞かせするのであるから、之を口外して他人に話してはいけない、他人はあなたの身をねらっているのですから。
哀しいことです。王孫さま。気をつけて自身を内街路にしてはいけないのです。長安には五陵の佳気がいつのときでも存在し、立ち上っているのですから、時がくればこのような災難はなくなりましょう。』


(訳注)#3
不敢長語臨交衢,且為王孫立斯須。

こんな人と交叉した巷にきて自分は長話をしないつもりでいたのだが、しかしこの王孫のためにはなおしばらく立ちどまってお相手をしようとおもう。
不敢 この二句は叙事の文。○長語 ながいはなし。○交衛 交叉した巷。○ しばらく。○斯須  須典と同じ、暫時。
 
昨夜春風吹血腥,東來橐駝滿舊都。
昨夜、春の突風が吹いたように叛乱軍が戦場の血を吹いて残忍なものを送って来た。そうして東都から叛乱軍の駱駝軍が長安の都を大軍でまんぱいにしたのだ。
昨夜 前の夜、漠然という。此の句より結句までは杜甫の言葉。○春風 五行思想で東、春、青で、吹血腥 春とは東都洛陽に禄山がいて、反乱を起こした方位、吹血腥とは戦争があって人が死んだことをいう。世界大戦以前の四大虐殺にはいる叛乱で人口が半減したといわれている。○橐駝 らくだ、叛乱軍の使用するもの。○旧都 長安。


朔方健兒好身手,昔何勇銳今何愚?」
一時は体格・技術できこえた朔方軍の武士たちも、なんで昔はあんなに勇敢、鋭敏で誇らしく思えたものが、今はこんなに愚鈍で遺憾なことではないか。」
○朔方健児 朔方軍の武卒をいう。朔方軍のこと。始めは陝西の霊州に鎮在し、後に山西の鄜州に鎮在した。哥舒翰は河陳・朔方の兵、及び蕃兵20万に将として安禄山の10万の軍と潼関で対峙し、大敗した。○好身手 好身とは体格のよいこと、好手とは戦の技術のうまいこと。統制のとれた軍隊ということ。○ 昔とは749年哥舒翰が吐蕃を破った当時をいい、今とは今回の756年6月4日の大敗時をいう。


竊聞天子已傳位,聖德北服南單於。
ただひそかに聞くところによれば玄宗皇帝はもはや太子に譲位されたという、新帝の粛宗の聖徳が北の異民族の南単于というべき回乾の長をも悦服せしめられたそうである。
竊聞 ひそかに聞くところ○天子 玄宗。○伝位 位を太子粛宗に譲位された。○聖徳 粛宗の徳、玄宗の徳ととく者があるが取らぬ。○南單於 漢の時、匈奴に南北があり、南部の酋長が南単於(于)である。ここは回紇の酋長をさしていう、唐の威徳が回紇に及んだことをいう。


花門剺面請雪恥,慎勿出口他人狙。
異民族、回紇の側では面皮を割りさいて誠意を表わしてくれ、我が唐のため恥辱をそそぎたいと申し出てくれたそうである。この事はあなたにこっそりお聞かせするのであるから、之を口外して他人に話してはいけない、他人はあなたの身をねらっているのですから。
花門 花門即ち回紇の門閥、種族のこと。○剺面 剺面の皮を割りさくことをいう、これは回紇の誠意を表示することである。○請雪恥 請とは唐へたのむこと、雪恥とは唐の官軍が叛乱軍に敗れた恥をすすぎきよめること。○出口 上述の事を口からそとへもらす。実際には唐粛宗の側から依頼しているが王孫が王家筋の人間であるため控えて発言している。


哀哉王孫慎勿疏,五陵佳氣無時無。』
哀しいことです。王孫さま。気をつけて自身を内街路にしてはいけないのです。長安には五陵の佳気がいつのときでも存在し、立ち上っているのですから、時がくればこのような災難はなくなりましょう。』
○勿疎 疎は疎略、疎忽の意、自己の挙動をかるががしくすること。〇五陵 漢の五陵をさす。長安にあり、高祖の長陵、恵帝の安陵、景帝の陽陵、武帝の茂陵、昭帝の平陵をいう。唐にも高祖より容宗まで五陵があるが、これは漢をかりて唐をさし、直接に唐をささぬ。○佳気 帝運興隆の気象。風水上の良い所の気配を指す。○無時無 佳気がない時はない。否定の否定で肯定を強調する。この句は王孫と五陵佳氣の関連付けにより、王孫を励ますもの。

長安の近郊

道端で見かけた逃げ惑う王家の孫。杜甫知り得た情報を話して励ますのである。長安の路傍にたまたま遭遇した杜甫、わずかな時間であったと思われるが詩にまとめたものである。
 8世紀の国際都市、100万人の都市であった。安禄山語時に倍の兵士がいる、しかも精鋭とされた軍隊であった。それが敗れたのは、無知な楊国忠の策略であった。当時、安禄山と、哥舒翰が、やりにくい相手で、安禄山と哥舒翰が戦えば哥舒翰が勝ってもダメージをこうむるものと思って、諫言を弄して、けしかけ、潼関から敵方に打って出たことが敗因である。大軍は狭い場所では軽挙妄動してはいけないのだ。安禄山は東側、北から、洛陽に唐軍が攻め浮足立っていた。その突破口を開かせたのだ。その結果、最悪のシナリオとなったのだ。一気に形勢は逆転し、諸国の潘鎮が安禄山討伐を辞め、洛陽長安を占めることになった。

哀王孫 杜甫141  kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 140-#2

哀王孫 杜甫141  kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 140-#2


■哀王孫(王孫を哀む)  #2
「王孫を哀しむ」詩は、賊に描らえられて間もなくの作で、賊軍の厳しい捜索の目をのがれて町なかに身を潜めている皇族に出会い、その惨めな様子を哀れみ、力づけたものである。

安禄山の乱に逃げ遅れた皇族が零落して民間に潜んでおるのを見てあわれにおもって作った詩である。製作時は756年至徳元載(即ち天宝十五載)の九月頃の作で、掴まって初めて書いたもの。。


哀王孫 #1
長安城頭頭白烏,夜飛延秋門上呼;
又向人家啄大屋,屋底達官走避胡。」
金鞭斷折九馬死,骨肉不得同馳驅。
腰下寶玦青珊瑚,可憐王孫泣路隅。』
#2
問之不肯道姓名,但道困苦乞為奴。
私はその人に「あなた姓名は?」と尋ねたのです、その人は姓名をいわない、ただ「非常に困っているから奴僕でもよいから助けてくれ」といわれる。
已經百日竄荊棘,身上無有完肌膚。
既に過ぎたこの百日ばかり、荊棘のあいだをにげかくれしていたのだろう、おからだの上は傷だらけで無傷完全な肌の部分がないのである。
高帝子孫盡隆準,龍種自與常人殊。
漢の高祖の御子孫は御先祖の血統をひいてみんな鼻筋が通っている面相でおられる、どうしても竜の種は竜でただの人間とはおのずとちがっているということだ。
豺狼在邑龍在野,王孫善保千金軀。』

いま豺や狼のように残虐で略奪強奪の限りを尽くした安禄山の叛乱軍は都邑へはいりこんできた、天子の竜は野へのがれておられるということなのだ。高宗のお孫のあなたは千金の貴いおからだを無事にお保ちくださるさることが善いことなのだ。』
#3
不敢長語臨交衢,且為王孫立斯須。
昨夜春風吹血腥,東來橐駝滿舊都。
朔方健兒好身手,昔何勇銳今何愚?」
竊聞天子已傳位,聖德北服南單於。
花門剺面請雪恥,慎勿出口他人狙。
哀哉王孫慎勿疏,五陵佳氣無時無。』

○押韻 烏,呼。胡。/死,驅。隅。/名,奴。膚。殊。軀。/衢,須。都。愚。/位,於。狙。無。

王孫を哀れむ #1
長安城頭頭白の烏、夜 延秋 門上に飛んで呼ぶ。
又人家に向って大屋に啄む、屋底の達官走って胡を遅く」
金鞭折断して九馬は死す、骨肉も同じく馳駆する を 得ず。
腰下の宝珠青珊瑚、憐れむべし 王孫路隅に泣く。』

#2
之に問えども 肯て 姓名を這わず、但だ 這う困苦なり乞う奴と為らんと
己に百日 刑疎に 窺する を 経たり、身上 完き 肌膚 有ること無し。
高帝の子孫は 尽く隆準、竜種 自ら常人と殊なり。
財狼 邑に在り 竜野に在り、王孫 善く 保てよ 千金の姫。』
#3
敢て 長話して 交衝に臨まず、且つ王孫の為めに立つこと斯須。
昨夜 東風 血を吹いて過し、東乗の秦乾は旧都に満つ。
朔方の健児は 好身手、昔 何ぞ勇鋭に今何ぞ愚なる。』
縞に聞く 天子 己に位を伝うと、聖徳 北服せしむ南単干。
花門 面を嘗きて 恥を雪がんと請う、憤みてロより出す勿れ他人に狙われん。
哀しい哉 王孫 慎みて疎なること勿れ、五陵の佳気は時として無きは無し。』


哀王孫 #2 現代語訳と訳註
(本文) #2

問之不肯道姓名,但道困苦乞為奴。
已經百日竄荊棘,身上無有完肌膚。
高帝子孫盡隆準,龍種自與常人殊。
豺狼在邑龍在野,王孫善保千金軀。』

(下し文) #2
之に問えども肯て姓名を這わず、但だ這う困苦なり乞う奴と為らんと
己に百日刑疎に窺するを経たり、身上完き肌膚有ること無し
高帝の子孫は尽く隆準、竜種自ら常人と殊なり
財狼邑に在り竜野に在り、王孫善く保てよ千金の姫』

(現代語訳)
私はその人に「あなた姓名は?」と尋ねたのです、その人は姓名をいわない、ただ「非常に困っているから奴僕でもよいから助けてくれ」といわれる。
既に過ぎたこの百日ばかり、荊棘のあいだをにげかくれしていたのだろう、おからだの上は傷だらけで無傷完全な肌の部分がないのである。
漢の高祖の御子孫は御先祖の血統をひいてみんな鼻筋が通っている面相でおられる、どうしても竜の種は竜でただの人間とはおのずとちがっているということだ。
いま豺や狼のように残虐で略奪強奪の限りを尽くした安禄山の叛乱軍は都邑へはいりこんできた、天子の竜は野へのがれておられるということなのだ。高宗のお孫のあなたは千金の貴いおからだを無事にお保ちくださるさることが善いことなのだ。』


哀王孫 #2 (訳注)
問之不肯道姓名,但道困苦乞為奴。

私はその人に「あなた姓名は?」と尋ねたのです、その人は姓名をいわない、ただ「非常に困っているから奴僕でもよいから助けてくれ」といわれる。
問之 之は王孫をさす。


已經百日竄荊棘,身上無有完肌膚。
既に過ぎたこの百日ばかり、荊棘のあいだをにげかくれしていたのだろう、おからだの上は傷だらけで無傷完全な肌の部分がないのである。
百日 数十日を過ぎれば百日というのが詩に日數であること方、8月か9月である。杜甫が捕まったのが8月であるから、計算的にもあう。○ かくれる。○荊棘 いばらやとげの中であるから、街の中野宿して逃げ回ったのだろう。○完肌膚 傷つかずして完全なはだ。


高帝子孫盡隆準,龍種自與常人殊。
漢の高祖の御子孫は御先祖の血統をひいてみんな鼻筋が通っている面相でおられる、どうしても竜の種は竜でただの人間とはおのずとちがっているということだ。
高帝子孫 高帝は漢の高祖、ここは唐の高宗をさす。○隆準 準は鼻、隆は高。鼻筋が通っている面相。○竜種 竜の種子、竜は天子をさす。


豺狼在邑龍在野,王孫善保千金軀。』
いま豺や狼のように残虐で略奪強奪の限りを尽くした安禄山の叛乱軍は都邑へはいりこんできた、天子の竜は野へのがれておられるということなのだ。高宗のお孫のあなたは千金の貴いおからだを無事にお保ちくださるさることが善いことなのだ。』
財狼 豺や狼、実際に残虐で略奪強奪の限りを尽くした安禄山の叛乱軍をいう。○竜在野 竜は玄宗をさし、宮殿から野に逃げたのである。

哀王孫 杜甫140  kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 140-#1

哀王孫 杜甫140  kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 140-#1

■ 孫宰一家の手厚いもてなしを受けて元気を取りもどした杜甫と家族は、さらに北に向かって進んだが、当初の目的地である蘆子関(駅西省の北端、横山県の近く)までは行き着けず、ひとまず鄜州(陳西省延安の鄜県)の羌村に落ち着くことになった。そうして八月になって、杜甫は単身、粛宗のいる霊武の行在所を目指し、身をやつして出発した。北上して蘆子関を抜け、西に霊武に向かおうとしたものであろうが、不運にも途中で安禄山の叛乱軍に捕らえられ、長安に送られたのだ。
(孫宰一家の手厚いもてなしにつては彭衙行 杜甫 132 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 132 -#1、#2、#3、#4を参照)

■ 長安に送還された杜甫は、詩人としては、知られていても、李白、王維のように官僚としては知られていない存在であった。叛乱軍の手に落ちた他の官吏、杜甫の知り合いのなかでは王維や鄭虔のように、洛陽に連行されて安禄山の朝廷に仕えるよう強要されることはなく、一般の市民とほぼ同じように行動できたようだ。(初めのころは拘束されていた。)

その間、杜甫は、鄜州の羌村にいる家族のこと、霊武の行在所で長安・洛陽の奪回の機をうかがっている粛宗、そうして蜀の成都で悲嘆の日々を送っているであろう玄宗の身の上に思いをはせながら、これから自分のとるべき行動を考えていた。この年、天宝十五年、改元されて至徳元年八七票)の秋から、翌年四月に長安を脱出して鳳翔の粛宗のもとにたどり着くまでの半年あまりの間、叛乱軍中にあっての杜甫のおもな作品には「哀王孫」(王孫を哀しむ)、「月夜」、「悲陳陶」(陳陶を悲しむ)、「対雪」(雪に対す)、「春望」、「哀江頭」(江頭に哀しむ」、など歴史的名作がある。


■哀王孫(王孫を哀しむ)
「王孫を哀しむ」詩は、賊に描らえられて間もなくの作で、賊軍の厳しい捜索の目をのがれて町なかに身を潜めている皇族に出会い、その惨めな様子を哀れみ、力づけたものである。

安禄山の乱に逃げ遅れた皇族が零落して民間に潜んでおるのを見てあわれにおもって作った詩である。製作時は756年至徳元載(即ち天宝十五載)の九月頃の作で、掴まって初めて書いたもの。。
事蹟は次のとおりである。756年天宝十五載の六月九日に潼関が禄山の軍に破られた。楊国忠は玄宗に蜀に逃れることをすすめ、十一日(甲午)の夕、陳玄礼に命じて軍隊を整え九百の厩馬をひそかに選びおかせ、十二日(乙未)の朝、白々あけに玄宗は楊貴妃、その姉妹、王子、妃主、皇孫、楊国忠、葦見素、陳玄礼及び高力士など親近の宦官、宮人と長安の延秋門から外へ逃出した。時に居あわさなかった人々はすべておきざりとなった。

哀王孫 #1
長安城頭頭白烏,夜飛延秋門上呼;
長安の城の上に頭の白い烏がいた、夜なかに飛んできて、延秋門の上で「西に逃げなさい」と鳴きたてた。
又向人家啄大屋,屋底達官走避胡。」
それから又、普通の民家に向ってなかでも貴族富豪の大屋根で、食物をあさってつついているのだ。すでに、その屋根の下に住んでいた大官はもはや叛乱軍を避けるために逃げ走ってしまっていたのである。』
金鞭斷折九馬死,骨肉不得同馳驅。
逃げだした天子御一門、貴族らは、黄金の鞭は折れたまま放置し、血統の良い名馬でさえ死なせている。貴族の血統である貴公子が逃げた人々と一緒に行くことはできなかった。(とりのこされている。) 
腰下寶玦青珊瑚,可憐王孫泣路隅。』

その貴公子は腰のあたりに青色珊瑚の宝玦の佩びをまいている。かわいそうに王孫はみちばたで泣いていのだ。
#2
問之不肯道姓名,但道困苦乞為奴。
已經百日竄荊棘,身上無有完肌膚。
高帝子孫盡隆準,龍種自與常人殊。
豺狼在邑龍在野,王孫善保千金軀。』
#3
不敢長語臨交衢,且為王孫立斯須。
昨夜春風吹血腥,東來橐駝滿舊都。
朔方健兒好身手,昔何勇銳今何愚?」
竊聞天子已傳位,聖德北服南單於。
花門剺面請雪恥,慎勿出口他人狙。
哀哉王孫慎勿疏,五陵佳氣無時無。』

○押韻 烏,呼。胡。/死,驅。隅。/名,奴。膚。殊。軀。/衢,須。都。愚。/位,於。狙。無。

王孫を哀れむ #1
長安城頭頭白の烏、夜 延秋 門上に飛んで呼ぶ。
又人家に向って大屋に啄む、屋底の達官走って胡を遅く」
金鞭折断して九馬は死す、骨肉も同じく馳駆する を 得ず。
腰下の宝珠青珊瑚、憐れむべし 王孫路隅に泣く。』
#2
之に問えども 肯て 姓名を這わず、但だ 這う困苦なり乞う奴と為らんと
己に百日 刑疎に 窺する を 経たり、身上 完き 肌膚 有ること無し。
高帝の子孫は 尽く隆準、竜種 自ら常人と殊なり。
財狼 邑に在り 竜野に在り、王孫 善く 保てよ 千金の姫。』
#3
敢て 長話して 交衝に臨まず、且つ王孫の為めに立つこと斯須。
昨夜 東風 血を吹いて過し、東乗の秦乾は旧都に満つ。
朔方の健児は 好身手、昔 何ぞ勇鋭に今何ぞ愚なる。』
縞に聞く 天子 己に位を伝うと、聖徳 北服せしむ南単干。
花門 面を嘗きて 恥を雪がんと請う、憤みてロより出す勿れ他人に狙われん。
哀しい哉 王孫 慎みて疎なること勿れ、五陵の佳気は時として無きは無し。』

哀王孫 #1現代語訳と訳註
(本文) #1
長安城頭頭白烏,夜飛延秋門上呼;
又向人家啄大屋,屋底達官走避胡。」
金鞭斷折九馬死,骨肉不得同馳驅。
腰下寶玦青珊瑚,可憐王孫泣路隅。』

(下し文)  #1
長安城頭頭白の烏、夜 延秋 門上に飛んで呼ぶ。
又人家に向って大屋に啄む、屋底の達官走って胡を遅く」
金鞭折断して九馬は死す、骨肉も同じく馳駆する を 得ず。
腰下の宝珠青珊瑚、憐れむべし 王孫路隅に泣く。』


(現代語訳) #1 
長安の城の上に頭の白い烏がいた、夜なかに飛んできて、延秋門の上で「西に逃げなさい」と鳴きたてた。
それから又、普通の民家に向ってなかでも貴族富豪の大屋根で、食物をあさってつついているのだ。すでに、その屋根の下に住んでいた大官はもはや叛乱軍を避けるために逃げ走ってしまっていたのである。』
逃げだした天子御一門、貴族らは、黄金の鞭は折れたまま放置し、血統の良い名馬でさえ死なせている。貴族の血統である貴公子が逃げた人々と一緒に行くことはできなかった。(とりのこされている。) 
その貴公子は腰のあたりに青色珊瑚の宝玦の佩びをまいている。かわいそうに王孫はみちばたで泣いていのだ。


(訳注)#1 
長安城頭頭白烏,夜飛延秋門上呼;

長安の城の上に頭の白い烏がいた、夜なかに飛んできて、延秋門の上で「西に逃げなさい」と鳴きたてた。
城頭 ○頭白鳥 頭の白いからす。これを言うのは変異を記すのであり、梁の侯景が叛いたときにも、頭白の烏が朱雀門の楼に集まったという。○延秋 延秋門のことで端門外西建此門のこと。五行思想で秋は西を示す。宮中の一番西門で右参軍に守られていた。○門上呼 門の上でカラスが「ここから西に逃げなさい」と啼いた。通常の烏は宦官とか、賊軍を示す。


又向人家啄大屋,屋底達官走避胡。」
それから又、普通の民家に向ってなかでも貴族富豪の大屋根で、食物をあさってつついているのだ。すでに、その屋根の下に住んでいた大官はもはや叛乱軍を避けるために逃げ走ってしまっていたのである。』
人家 ただぴとの家用。○啄大屋 貴族富豪の大屋根で、食物をあさってつつく。○達官 高位の官をいう。高位の官は其の人の姓名が君に通達するのによって達官という。○ 安禄山の叛乱軍には異民族の兵士がかなりいた。

金鞭斷折九馬死,骨肉不得同馳驅。
逃げだした天子御一門、貴族らは、黄金の鞭は折れたまま放置し、血統の良い名馬でさえ死なせている。貴族の血統である貴公子が逃げた人々と一緒に行くことはできなかった。(とりのこされている。) 
金鞭折断 黄金をかざったむちがおれる、びどく馬をうったのである。〇九馬死 漢の文帝が代の地より迎えられたとき、九匹の名馬があった。○骨肉不得 骨肉とは親属であることをいう。詩題の王孫は天子と血つづきである。○同馳駆 一緒に走ってにげる。

腰下寶玦青珊瑚,可憐王孫泣路隅。』
その貴公子は腰のあたりに青色珊瑚の宝玦の佩びをまいている。かわいそうに王孫はみちばたで泣いていのだ。
宝珠 珠は環の一部が開いているもの。○青桐瑚 珠の実質をいう。○王孫 王孫は貴公子のこと。


************ 参考 ***************

756年6月4日潼関で哥舒翰の軍が敗れ、長安には瞬く間にしらされたが10日になってやっと玄宗は実感したのだ。
士民は驚き慌てて走り出したが、行くべき所が判らない。10日、市里は寂れかえった。 楊国忠は韓、虢夫人を入宮させて、玄宗皇帝へ入蜀を勧めた。
  11日、登朝した百官は一、二割もいなかった。玄宗皇帝は勧政楼へ御幸して制を下し、 親征の意思を表明したが、聞く者は誰もいなかった。
  京兆尹の魏方進を御史大夫兼置頓使とする。京兆少尹の霊昌の崔光遠を京兆尹として、西京留守に充てる。 将軍・辺令誠へ宮殿内のことを任せた。剣南節度大使に、急いで鎮へ赴き本道へ皇帝の後座所を 設けさせるよう命じた。
  この日、玄宗皇帝は北内へ移った。 夕方になると、龍武大将軍・陳玄禮へ六軍を整列させ、厚く銭帛を賜下する。閑厩馬九百余匹を選んだが、 他の者は何も知らなかった。
  12日黎明、玄宗皇帝は貴妃姉妹、皇子、妃、主、皇孫、楊国忠、韋見素、魏方進、陳玄禮及び近親の宦官、 宮人達と延秋門を出た。在外の妃、主、皇孫は、皆、これを委ねて去った。

奉先劉少府新畫山水障歌 #4 杜甫139  kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 136

奉先劉少府新畫山水障歌 #4 杜甫139  kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 136
奉先県の尉官である劉単の新画の山水の図のついたての歌。


奉先劉少府新畫山水障歌
#1
堂上不合生楓樹,怪底江山起煙霧。
聞君掃卻赤縣圖,乘興譴畫滄洲趣。』
畫師亦無數,好手不可遇。
對此融心神,知君重毫素。』
豈但祁嶽與鄭虔,筆跡遠過楊契丹。』
#2
得非元圃裂?無乃瀟湘翻?
悄然坐我天姥下,耳邊已是聞清猿。
反思前夜風雨急,乃是蒲城鬼神入。
元氣淋灕障猶濕,真宰上訴天應泣。』
#3
野亭春還雜花遠,魚翁暝踏孤舟立。
滄浪水深青且闊,欹岸側島秋毫末。
不見湘妃鼓瑟時,至今斑竹臨江活。』
#4
劉侯天機精,愛畫入骨髓。
劉君のかいた絵には天子の廟まで精密に描かれ、その愛する画には万物の精霊を描いて画家としての真骨頂というものだ。
自有兩兒郎,揮灑亦莫比。
だから自然に二人の子供もその感化をうけている、画をかくことがたぐいなく上手である。
大兒聰明到,能添老樹巔崖裡。
大きな方のお子はもはや聡明利発であり、よく、この山水画にも巌崖の処へ老樹を書き添えられた。
小兒心孔開,貌得山僧及童子。』
小さい方の子はまだ知識がひらけかけたところなのだ、だから、山寺の丸坊主の小僧や、童子をよくかいている。』
若耶溪,雲門寺,
(この画をみると南方へ旅がしたくなる。)あの若耶渓や、雲門の寺なのだ。
吾獨胡為在泥滓?青鞋布襪從此始。』

私一人どうして、この世の泥かすの中にいるというのだ。こんな処からのがれ出て、わらじを履き、布のくつたびで旅姿になり、この画のあそこをめざしてこれから旅を始めたく思うのである。』


(奉先の劉少府の 新に画ける山水の陣の歌)
堂上合(まさ)に楓樹(ふうじゅ)を生ずべからず、怪(あやし)む底(なん)の江山か煙霧起る。
聞く君が赤県の図を掃却(そうきゃく)して、興に乗じて槍洲(そうしゅう)の趣(おもむき)を画(えが)か遣(し)むと。』
画師も亦無数なり、好手(こうしゅ)には遇う可(べか)らず。此に対すれば心神融(ゆう)す、知る君が毫素(ごうそ)を重んずるを。』
豈 但 祁嶽(きがく)と鄭虔(ていけん)とのみならんや、筆跡 遠く過ぐ 楊契丹(ようけつたん)。』
#2
元圃の裂くるに非(あらざ)るを得ば、乃ち瀟湘(しょうそう)の翻るなる無からんや。
悄然(しょうぜん)我を天姥(てんぽ)の下に坐せしむ、耳辺(じへん) 己に清猿(せいえん)を聞くに似たり。
反って思う 前夜 風雨 急なりしを、乃ち是 蒲城(ほじょう)に鬼神入る。
元気 淋灕(りんり)として障 猶 湿う、真宰(しんさい)に上り 訴えて 天 応(まさ)に泣くなるべし。』

#3
野亭(やてい) 春 還って 雜花 遠く、漁翁(ぎょおう)瞑(くれ)に孤舟を 踏みて立つ。
滄浪(そうろう) 水深くして青瞑(せいめい) 闊(ひろ)し、欹岸(いがん) 側島(そくとう)  秋毫(しゅうごう)の末。
湘妃(しょうひ)瑟(しつ)を鼓する時を見ざるも、今に至って斑竹(はんちく) 江に臨(のぞ)んで活す。』
#4
劉侯 天機 精なり、画を愛して骨髄に入る。
自ら 両 児郎(じろう)有り、揮灑(きさい)亦 比莫(な)し。
大児は聡明到る、能く老樹を添う巔崖(てんがい)の裡(うち)。
小児は心孔開く、貌(ばく)し得たり山僧及び童子。』
若耶(じゃくや)の渓、雲門の寺。
吾独り 胡為(なんすれ)ぞ 泥滓(でいし)に在る、青鞋(せいあい) 布襪(ふべつ)此従(よ)り始めん。』




奉先劉少府新畫山水障歌-#4 現代語訳と訳註
(本文) #4

劉侯天機精,愛畫入骨髓。
自有兩兒郎,揮灑亦莫比。
大兒聰明到,能添老樹巔崖裡。
小兒心孔開,貌得山僧及童子。』
若耶溪,雲門寺,
吾獨胡為在泥滓?青鞋布襪從此始。』


(下し文) #4
劉侯 天機 精なり、画を愛して骨髄に入る。
自ら 両 児郎(じろう)有り、揮灑(きさい)亦 比莫(な)し。
大児は聡明到る、能く老樹を添う巔崖(てんがい)の裡(うち)。
小児は心孔開く、貌(ばく)し得たり山僧及び童子。』
若耶(じゃくや)の渓、雲門の寺。
吾独り 胡為(なんすれ)ぞ 泥滓(でいし)に在る、青鞋(せいあい) 布襪(ふべつ)此従(よ)り始めん。』


(現代語訳)
劉君のかいた絵には天子の廟まで精密に描かれ、その愛する画には万物の精霊を描いて画家としての真骨頂というものだ。
だから自然に二人の子供もその感化をうけている、画をかくことがたぐいなく上手である。
大きな方のお子はもはや聡明利発であり、よく、この山水画にも巌崖の処へ老樹を書き添えられた。
小さい方の子はまだ知識がひらけかけたところなのだ、だから、山寺の丸坊主の小僧や、童子をよくかいている。』
(この画をみると南方へ旅がしたくなる。)あの若耶渓や、雲門の寺なのだ。
私一人どうして、この世の泥かすの中にいるというのだ。
こんな処からのがれ出て、わらじを履き、布のくつたびで旅姿になり、この画のあそこをめざしてこれから旅を始めたく思うのである。』


(訳注) #4
劉侯天機精,愛畫入骨髓。
劉君のかいた絵には天子の廟まで精密に描かれ、その愛する画には万物の精霊を描いて画家としての真骨頂というものだ
天機精 心のはたらきが精微である。天機は南斗六星のひとつ。天子の廟を言うことが多い。〇人骨髄 愛画に魂の芯が通っている。


自有兩兒郎,揮灑亦莫比。
だから自然に二人の子供もその感化をうけている、画をかくことがたぐいなく上手である。
○兒郎 男のこども。○揮灑 筆をふるい墨汁をそそぐ、画をかくこと。○亦莫比 この亦の字は父もかき、子も亦たの意。

大兒聰明到,能添老樹巔崖裡。
大きな方のお子はもはや聡明利発であり、よく、この山水画にも巌崖の処へ老樹を書き添えられた。

小兒心孔開,貌得山僧及童子。』
小さい方の子はまだ知識がひらけかけたところなのだ、だから、山寺の丸坊主の小僧や、童子をよくかいている。』
○心孔開 知識がひらきかけた。○貌得 貌はかたちをにせてかくこと。

若耶溪,雲門寺,
(この画をみると南方へ旅がしたくなる。)あの若耶渓や、雲門の寺なのだ。
若耶渓 紹興府会稽県の南にある。此の以下四句は題外において自家の感をのべている。○雲門寺 会稽県南三十里にある。

吾獨胡為在泥滓?青鞋布襪從此始。』
私一人どうして、この世の泥かすの中にいるというのだ。
こんな処からのがれ出て、わらじを履き、布のくつたびで旅姿になり、この画のあそこをめざしてこれから旅を始めたく思うのである。』

泥滓 滓はかす。○青鞋 わらじ。○布鞋 ぬのでつくったくつした、旅装をいう。○従此始 此とは今をさす。


さて、次からは(2011.12.2)、杜甫、蘆子関で反乱軍に捕まり、長安に護送される。いきさつとそこで拘束の中で、初めて詩を作る。後世残る名作をいくつも作るのである。(2011.12.1)

-------------------  杜甫特集700- 136 ---------------
奉先劉少府新畫山水障歌
堂上不合生楓樹,怪底江山起煙霧。
聞君掃卻赤縣圖,乘興譴畫滄洲趣。』
畫師亦無數,好手不可遇。
對此融心神,知君重毫素。』
豈但祁嶽與鄭虔,筆跡遠過楊契丹。』
得非元圃裂?無乃瀟湘翻?
悄然坐我天姥下,耳邊已是聞清猿。
反思前夜風雨急,乃是蒲城鬼神入。
元氣淋灕障猶濕,真宰上訴天應泣。』
野亭春還雜花遠,魚翁暝踏孤舟立。
滄浪水深青且闊,欹岸側島秋毫末。
不見湘妃鼓瑟時,至今斑竹臨江活。』
劉侯天機精,愛畫入骨髓。
自有兩兒郎,揮灑亦莫比。
大兒聰明到,能添老樹巔崖裡。
小兒心孔開,貌得山僧及童子。』
若耶溪,雲門寺,
吾獨胡為在泥滓?青鞋布襪從此始。』

奉先の劉少府の 新に画ける山水の陣の歌)
堂上合(まさ)に楓樹(ふうじゅ)を生ずべからず、怪(あやし)む底(なん)の江山か煙霧起る。
聞く君が赤県の図を掃却(そうきゃく)して、興に乗じて槍洲(そうしゅう)の趣(おもむき)を画(えが)か遣(し)むと。』
画師も亦無数なり、好手(こうしゅ)には遇う可(べか)らず。此に対すれば心神融(ゆう)す、知る君が毫素(ごうそ)を重んずるを。』
豈 但 祁嶽(きがく)と鄭虔(ていけん)とのみならんや、筆跡 遠く過ぐ 楊契丹(ようけつたん)。』
元圃の裂くるに非(あらざ)るを得ば、乃ち瀟湘(しょうそう)の翻るなる無からんや。
悄然(しょうぜん)我を天姥(てんぽ)の下に坐せしむ、耳辺(じへん) 己に清猿(せいえん)を聞くに似たり。
反って思う 前夜 風雨 急なりしを、乃ち是 蒲城(ほじょう)に鬼神入る。
元気 淋灕(りんり)として障 猶 湿う、真宰(しんさい)に上り 訴えて 天 応(まさ)に泣くなるべし。』
野亭(やてい) 春 還って 雜花 遠く、漁翁(ぎょおう)瞑(くれ)に孤舟を 踏みて立つ。
滄浪(そうろう) 水深くして青瞑(せいめい) 闊(ひろ)し、欹岸(いがん) 側島(そくとう)  秋毫(しゅうごう)の末。
湘妃(しょうひ)瑟(しつ)を鼓する時を見ざるも、今に至って斑竹(はんちく) 江に臨(のぞ)んで活す。』
劉侯 天機 精なり、画を愛して骨髄に入る。
自ら 両 児郎(じろう)有り、揮灑(きさい)亦 比莫(な)し。
大児は聡明到る、能く老樹を添う巔崖(てんがい)の裡(うち)。
小児は心孔開く、貌(ばく)し得たり山僧及び童子。』
若耶(じゃくや)の渓、雲門の寺。
吾独り 胡為(なんすれ)ぞ 泥滓(でいし)に在る、青鞋(せいあい) 布襪(ふべつ)此従(よ)り始めん。』


(現代語訳)
奉先県の劉警察の事務官の新しく画かれた山水の障にたいしての歌。
劉家の奥座敷のうえに楓の樹が生えるという理窟はないが、あるではないか。また不思議でないか、なんという江河か山なのか、そこからなんと煙や霧がたちのぼっている。
聞くところによれば、君は赤県の図をそそくさと画いたので、進んで興に乗じて更に滄洲の趣をも画いたのだ。』
世の画師というものは無数にたくさんあるが、うまい名工には遇うことがむずかしい。
然しこの画に対すると精神がとけこんでいるような気がする、君がいかにこの画を貴重とするのかも うかがわれるものである。』
この画をかいた者は現代の祁岳や鄭虔以上であるばかりでなく、その筆の跡は遠く隋の楊契丹よりもまさっているのだ。』
崑崙山にあるという玄圃が裂けて飛んできたのではないだろう、また、南方の瀟湘江の水をぶちまけたというのでもないだろう。
しょんぼりとしてこの画にむかっていると自分を天姥山の下に坐らせてくれた気分になり、耳のあたりにすんだ猿の声が聞えるようである。
思い起こせば、前の夜に風雨が急であったこと、それはすなわちこの蒲城の奉先県へ鬼神がいりこんでこの画をかくことを助けに来たのだ。
その上、宇宙の元気がしたたり被うので衝立がまだうるおっているのだ。これは創造主が天上へあがって天帝に訴えたので天帝も絵に込めた純粋な誠実さに感動して泣かれたのだろう。』
画面には、野なかの四阿に春が廻ってきており、さまざまの花が遠くの方まで咲いている。魚釣りの老人がうす靄のかかるくらがりにさびしい一槽の舟に踏ん張って立っている。
仙界の雰囲気を漂わせる青い水が深浅を際立たせ青々とそして広々と描かれている。切立っている岸やそばだてる島がずっと遠く細く毛さきほど小さくみえている。
蛾皇と女英は舜王を追い求めて身投げした二人の湘妃が月夜に瑟琴をかきならす様子は見えないが、まだら同じ二人の湘妃が流した涙で斑竹は現に今もこの画の湘江のそばに活きている。』
劉君のかいた絵には天子の廟まで精密に描かれ、その愛する画には万物の精霊を描いて画家としての真骨頂というものだ。
だから自然に二人の子供もその感化をうけている、画をかくことがたぐいなく上手である。
大きな方のお子はもはや聡明利発であり、よく、この山水画にも巌崖の処へ老樹を書き添えられた。
(この画をみると南方へ旅がしたくなる。)あの若耶渓や、雲門の寺なのだ。
私一人どうして、この世の泥かすの中にいるというのだ。
こんな処からのがれ出て、わらじを履き、布のくつたびで旅姿になり、この画のあそこをめざしてこれから旅を始めたく思うのである。』
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奉先劉少府新畫山水障歌 杜甫138  kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 136-#3
奉先県の尉官である劉単の新画の山水の図のついたての歌。


奉先劉少府新畫山水障歌
#1
堂上不合生楓樹,怪底江山起煙霧。
聞君掃卻赤縣圖,乘興譴畫滄洲趣。』
畫師亦無數,好手不可遇。
對此融心神,知君重毫素。』
豈但祁嶽與鄭虔,筆跡遠過楊契丹。』
#2
得非元圃裂?無乃瀟湘翻?
悄然坐我天姥下,耳邊已是聞清猿。
反思前夜風雨急,乃是蒲城鬼神入。
元氣淋灕障猶濕,真宰上訴天應泣。』

#3
野亭春還雜花遠,魚翁暝踏孤舟立。
画面には、野なかの四阿に春が廻ってきており、さまざまの花が遠くの方まで咲いている。魚釣りの老人がうす靄のかかるくらがりにさびしい一槽の舟に踏ん張って立っている。
滄浪水深青且闊,欹岸側島秋毫末。
仙界の雰囲気を漂わせる青い水が深浅を際立たせ青々とそして広々と描かれている。切立っている岸やそばだてる島がずっと遠く細く毛さきほど小さくみえている。
不見湘妃鼓瑟時,至今斑竹臨江活。』
蛾皇と女英は舜王を追い求めて身投げした二人の湘妃が月夜に瑟琴をかきならす様子は見えないが、まだら同じ二人の湘妃が流した涙で斑竹は現に今もこの画の湘江のそばに活きている。』
#4
劉侯天機精,愛畫入骨髓。
自有兩兒郎,揮灑亦莫比。
大兒聰明到,能添老樹巔崖裡。
小兒心孔開,貌得山僧及童子。』
若耶溪,雲門寺,
吾獨胡為在泥滓?青鞋布襪從此始。』

(奉先の劉少府の 新に画ける山水の陣の歌)
堂上合(まさ)に楓樹(ふうじゅ)を生ずべからず、怪(あやし)む底(なん)の江山か煙霧起る。
聞く君が赤県の図を掃却(そうきゃく)して、興に乗じて槍洲(そうしゅう)の趣(おもむき)を画(えが)か遣(し)むと。』
画師も亦無数なり、好手(こうしゅ)には遇う可(べか)らず。此に対すれば心神融(ゆう)す、知る君が毫素(ごうそ)を重んずるを。』
豈 但 祁嶽(きがく)と鄭虔(ていけん)とのみならんや、筆跡 遠く過ぐ 楊契丹(ようけつたん)。』
#2
元圃の裂くるに非(あらざ)るを得ば、乃ち瀟湘(しょうそう)の翻るなる無からんや。

悄然(しょうぜん)我を天姥(てんぽ)の下に坐せしむ、耳辺(じへん) 己に清猿(せいえん)を聞くに似たり。
反って思う 前夜 風雨 急なりしを、乃ち是 蒲城(ほじょう)に鬼神入る。
元気 淋灕(りんり)として障 猶 湿う、真宰(しんさい)に上り 訴えて 天 応(まさ)に泣くなるべし。』

#3
野亭(やてい) 春 還って 雜花 遠く、漁翁(ぎょおう)瞑(くれ)に孤舟を 踏みて立つ。
滄浪(そうろう) 水深くして青瞑(せいめい) 闊(ひろ)し、欹岸(いがん) 側島(そくとう)  秋毫(しゅうごう)の末。
湘妃(しょうひ)瑟(しつ)を鼓する時を見ざる も、今に至って斑竹(はんちく) 江に臨(のぞ)んで活(かっ)す。』
#4
劉侯 天機 精なり、画を愛して骨髄に入る。
自ら 両 児郎(じろう)有り、揮灑(きさい)亦 比莫(な)し。
大児は聡明到る、能く老樹を添う巔崖(てんがい)の裡(うち)。
小児は心孔開く、貌(ばく)し得たり山僧及び童子。』
若耶(じゃくや)の渓、雲門の寺。
吾独り 胡為(なんすれ)ぞ 泥滓(でいし)に在る、青鞋(せいあい) 布襪(ふべつ)此従(よ)り始めん。』


奉先劉少府新畫山水障歌-#3 現代語訳と訳註
(本文) #3

野亭春還雜花遠,魚翁暝踏孤舟立。
滄浪水深青且闊,欹岸側島秋毫末。
不見湘妃鼓瑟時,至今斑竹臨江活。』

(下し文) #3
野亭(やてい) 春 還って 雜花 遠く、漁翁(ぎょおう)瞑(くれ)に孤舟を 踏みて立つ。
滄浪(そうろう) 水深くして青瞑(せいめい) 闊(ひろ)し、欹岸(いがん) 側島(そくとう)  秋毫(しゅうごう)の末。
湘妃(しょうひ)瑟(しつ)を鼓する時を見ざる も、今に至って斑竹(はんちく) 江に臨(のぞ)んで活(かっ)す。』


(現代語訳)
画面には、野なかの四阿に春が廻ってきており、さまざまの花が遠くの方まで咲いている。魚釣りの老人がうす靄のかかるくらがりにさびしい一槽の舟に踏ん張って立っている。
仙界の雰囲気を漂わせる青い水が深浅を際立たせ青々とそして広々と描かれている。切立っている岸やそばだてる島がずっと遠く細く毛さきほど小さくみえている。
蛾皇と女英は舜王を追い求めて身投げした二人の湘妃が月夜に瑟琴をかきならす様子は見えないが、まだら同じ二人の湘妃が流した涙で斑竹は現に今もこの画の湘江のそばに活きている。』

(訳注)#3(画面の説明)。
野亭春還雜花遠,魚翁暝踏孤舟立。

画面には、野なかの四阿に春が廻ってきており、さまざまの花が遠くの方まで咲いている。魚釣りの老人がうす靄のかかるくらがりにさびしい一槽の舟に踏ん張って立っている。
野亭 野に立っている亭、四阿をいう。○春還 還とは一回りして帰ってくることをいう。○雜花 さまざまの花。○遠 遠近法による画面において遠方にみえる部分のことをいう。○ 暮のくらがり。


滄浪水深青且闊,欹岸側島秋毫末。
仙界の雰囲気を漂わせる青い水が深浅を際立たせ青々とそして広々と描かれている。切立っている岸やそばだてる島がずっと遠く細く毛さきほど小さくみえている。
滄浪 仙界の雰囲気を漂わせる青い水をいう。○ あおいびろうみ。○欹岸 切立っている岸。そばだてる岸。○側島 かたむけるしま。○秋毫末 秋の獣毛は生え変わって寒さに備えて密集するほそいものであり、これは画形の微細なることをいう。一つの毛根から何本も毛が生える。動物は夏冬を一つの毛根で調節する。


不見湘妃鼓瑟時,至今斑竹臨江活。』
蛾皇と女英は舜王を追い求めて身投げした二人の湘妃が月夜に瑟琴をかきならす様子は見えないが、まだら同じ二人の湘妃が流した涙で斑竹は現に今もこの画の湘江のそばに活きている。』
湘妃 鼓宏舜の妻、蛾皇・女英の二人が舜王のあとを追いかけ湘水までゆき、舜の死んだことをきき、湘水に身をなげて死に、湘水の女神となった。それが湘妃であり、この湘妃が洞庭の月夜に瑟を鼓(ひ)くという古伝説がある。○斑竹 斑紋のある竹、湘水の地方に産する。その竹は湘妃が涙を流したあとに生じたものであるとの伝説がある。○ 湘江をさす。 

蛾皇と女英の故事にもとづく。古代の帝王舜は南方巡行の途中、蒼梧(湖南省寧遠県付近の山)で残した。二人の妃、蛾皇と女英は舜を追い求めて湘江のあたりまで来たが、二人の涙がこぼれた。竹はまだらに染まった。そのためこの地の竹には斑紋がついているという(『博物志』、『述異記』)。湘江は長抄の西を通って洞庭湖に注ぐ。「浅深」はあるいは浅くあるいは深く、まだらになっていることをいう。

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